衆議院

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第1号 平成19年3月22日(木曜日)

会議録本文へ
平成十九年三月二十二日(木曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 中山 太郎君

   理事 愛知 和男君 理事 近藤 基彦君

   理事 福田 康夫君 理事 船田  元君

   理事 保岡 興治君 理事 枝野 幸男君

   理事 園田 康博君 理事 赤松 正雄君

      阿部 俊子君    赤池 誠章君

      新井 悦二君    伊藤 公介君

      江渡 聡徳君    越智 隆雄君

      大塚  拓君    加藤 勝信君

      笹川  堯君    柴山 昌彦君

      杉村 太蔵君    平  将明君

      高鳥 修一君    棚橋 泰文君

      谷  公一君    渡海紀三朗君

      中谷  元君    中根 一幸君

      中野 正志君    野田  毅君

      葉梨 康弘君    早川 忠孝君

      林   潤君    平田 耕一君

      深谷 隆司君    福岡 資麿君

      藤井 勇治君    二田 孝治君

      保利 耕輔君    堀内 光雄君

      牧原 秀樹君    三ッ矢憲生君

      森山 眞弓君    矢野 隆司君

      安井潤一郎君    山崎  拓君

      山本ともひろ君    逢坂 誠二君

      岡本 充功君    玄葉光一郎君

      鈴木 克昌君    田中眞紀子君

      筒井 信隆君    中川 正春君

      長妻  昭君    平岡 秀夫君

      古川 元久君    村井 宗明君

      石井 啓一君    大口 善徳君

      笠井  亮君    辻元 清美君

      糸川 正晃君

    …………………………………

   議員           加藤 勝信君

   議員           葉梨 康弘君

   議員           船田  元君

   議員           保岡 興治君

   議員           枝野 幸男君

   議員           鈴木 克昌君

   議員           園田 康博君

   議員           赤松 正雄君

   公述人

   (中央選挙管理会委員長) 浅野大三郎君

   公述人

   (東京慈恵会医科大学教授)            小澤 隆一君

   公述人

   (法政大学法学部教授)  江橋  崇君

   公述人

   (政策研究大学院大学助教授)           本田 雅俊君

   公述人

   (前衆議院議員)

   (JPU総合研究所特別研究員)          山花 郁夫君

   公述人

   (国際経済研究所代表)  高田  健君

   衆議院法制局第二部長   橘  幸信君

   衆議院憲法調査特別委員会及び憲法調査会事務局長  窪田 勝弘君

    ―――――――――――――

本日の公聴会で意見を聞いた案件

 日本国憲法の改正手続に関する法律案(保岡興治君外五名提出、第百六十四回国会衆法第三〇号)

 日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案(枝野幸男君外三名提出、第百六十四回国会衆法第三一号)


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     ――――◇―――――

中山委員長 これより会議を開きます。

 第百六十四回国会、保岡興治君外五名提出、日本国憲法の改正手続に関する法律案、第百六十四回国会、枝野幸男君外三名提出、日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案の両案について公聴会を行います。

 本日の午前は、公述人として、中央選挙管理会委員長浅野大三郎君、東京慈恵会医科大学教授小澤隆一君、法政大学法学部教授江橋崇君、以上三名の方々に御出席をいただいております。

 この際、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。公述人それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

 議事の順序について申し上げます。

 まず、浅野公述人、小澤公述人、江橋公述人の順に、お一人二十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、発言される際はその都度委員長の許可を得ることとなっております。また、公述人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願います。

 御発言は着席のままでお願いいたします。

 それでは、まず浅野公述人、お願いいたします。

浅野公述人 浅野でございます。

 着席のままということでございますので、このまま意見を述べさせていただきたいと思います。

 憲法九十六条はその改正手続について規定しておりますが、改正の具体的方法などを定める法律は存在しないまま今日に至っております。このような現状を踏まえ、衆議院において関係法案の審議に精力的に取り組んでおられますことに対しまして、まず心から敬意を表する次第であります。

 私は、かつて選挙制度の企画立案や選挙の管理、執行に関する事務に従事したことがあり、また、今日に至る約六年間、中央選挙管理会の委員を務めてまいりました。そのようなこともございますので、お求めに応じここで意見を申し述べますことも国民の一人としての任務と考え、本日やってまいりました。

 なお、念のため申し上げますが、これから述べますのは、中央選挙管理会としての考え方をまとめたものではなく、あくまでも私個人の意見でございます。

 最初に、国民投票の投票手続等に関する部分についてであります。

 両法案を比較しますと、例えば投票の方式等について、それぞれ異なる方式を示しておられます。このような相違点はありますが、おおむね選挙の場合と同様の手続をとることを考えておられるようでありますので、実務を選挙管理委員会が担当する場合、そういう意味からは比較的問題なく実施できるのではないかと存じます。

 ただ、選挙人の範囲と国民投票の投票権を有する者との範囲が異なる場合、発議件数が多い場合等においては、事務を処理するに際してそれだけ周到な準備が必要になると思います。

 次に、時間の関係もありますので、両案において相違する点、原案の修正について御議論が行われている点に焦点を絞り、かつ、その一部について意見を申し上げます。

 一つには、公務員の関与に関してであります。

 公務員には、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保することが重要であるため、公務員法制において政治的行為の制限が定められております。しかし、これにとどまらず、公職選挙法においては特に地位利用による選挙運動の禁止に関して規定を設けています。

 これは、行政への信頼確保という服務上の問題のみならず、公職選挙法第一条において同法の目的として規定されておりますように、選挙が選挙人の自由に表明せる意思によって公明かつ適正に行われることを確保しなければならないからであると説明されております。

 そして、公職選挙法では、元来、地位利用による事前運動を一般の事前運動より重く罰するという規制を設けていたところ、選挙の実態にもかんがみ、選挙運動期間中であっても地位利用は許しがたいということで、現在のような規定に改められたと聞いております。

 また、選挙事務従事者のほか、裁判官等の特定公務員について一切の選挙運動が禁止されていますが、有権者との関係で見て権力的関係が強いからであるとの説明がなされています。なお、公務員が教育者であれば、教育者の地位利用による選挙運動の禁止も適用されることになっています。

 両法案あるいは修正に関する御議論の中で、国民投票運動に関する公務員に対する規制に関しては、選挙の場合とかなり違った扱いとなっているように承知しております。これは、国民投票と選挙は、投票という行動において同一性があるにしても本質的な相違があり、選挙運動に関する規制は国民投票運動の際には必ずしも妥当しないのではないかという認識があるからではないかと思います。

 私自身、そのような面についてこれまで深く考えたことはありませんでしたが、今回、公述人として意見を申し上げることになりましたので、改めて考えてみました。

 それでは、国民投票と選挙とでは、どういう点において同じで、どういう点において異なるかであります。

 選挙といっても、小選挙区での選挙、政党名のみによって投票する比例代表選挙、一の選挙区から一人一票で複数の議員を選出する選挙などいろいろございます。しかし、いずれにせよ、複数の候補者あるいは政党から、特定の者あるいは特定の政党を選ぶことになります。一方、国民投票は、複数の案から特定の案を選ぶのではなく、発議された案について承認するか承認しないかの意思を表明するものであり、イエスまたはノーの投票をしているということになろうかと思います。

 また、選挙の場合は、候補者とその支援者、あるいはこれらの者と有権者との間の人と人との結びつきが強く、そのため、規制がなければ候補者や支援者の行動が極めて激しくなり、社会的に見て適切と考えられる範囲を逸脱した行動が発生しやすくなるという面があることは否めないと思います。現在ある公職選挙法の規制措置の中には選挙の実態を踏まえて設けられたものも少なくないという事実がこのことを物語っていると思います。

 国民投票に関する運動についても、政治信条や価値観の違いから激しい運動が展開されるということはもとより考えられます。しかし、それは、特定の人を支持するかどうかについての対抗関係とはかなり違うのではないかと思います。もとより、憲法の改正を承認するかしないかが、ゆがめられた民意によって決定されてはなりません。その点は、まさに国民投票も選挙と同様に、投票者の自由な意思によって公正に行われることを確保しなければならないと思います。

 では、国民投票運動に関する公務員の活動を具体的にどのように規制するのがよいかであります。

 私としましては、どの案がよいか確信を持って申し上げることまではできませんが、公職選挙法における規制とは違った規制とする合理性は当然にあると考えます。ただ、いずれにせよ、公務員が国民全体のために行使すべき権限を背景としてそれを悪用するようなことは到底認められないことでありますから、地位利用がいけないということをはっきりしておくことが適当であると考えます。

 もう一つは、メディアとの関係であります。

 あらかじめいただいた資料から私が判断いたしますと、その一は、無料で行う新聞広告の制度を設けるかどうか、制度を設ける場合にその内容をどのように構成するかという課題があるようであります。その二は、テレビ等による広告に関する規制、特に期間的な規制をどのようにするかという課題があるようであります。

 一昨年の総選挙では、メディア、特にテレビとの関係が大きくクローズアップされたように思います。今日、テレビの影響力が極めて大きくなっていることは一般に認識されていると思います。

 ちなみに、選挙後に、明るい選挙推進協会という団体が行った世論調査によりますと、選挙に関する情報への接触度も、その情報が役に立ったかどうかという意味での有用度も、テレビの報道が最も大きくなっております。複数回答でありますが、テレビの情報への接触度は六四・二%であり、その有用度は三五・六%であります。これに次ぐのが新聞報道であり、その接触度は四九・〇%、有用度は二五・五%であります。なお、テレビによる政党の政見放送は第三位となっており、選挙公報は第五位となっております。以上申し上げましたように、この調査によれば、テレビと活字媒体の有用度を比較しますと、テレビの方が高くなっております。

 ただ、投票すべき候補者を選ぶための情報の場合と、制度の改正または創設が適当かどうかを判断するための情報の場合とでは、それぞれに何がより適した情報媒体であるのかは違ってくるかもしれません。制度の改正や創設といった事柄の判断のためには、いろいろ考えながら情報を確認し直したり、ある程度時間をかけてより深く理解するように努める必要性が高いようにも思います。そういう意味では、国民投票の場合は、読み返しができる活字による情報提供の大切さがより高まるのではないかと思います。

 古い話で恐縮でございますが、私がかつて選挙に関する事務を担当していたころ、日本のある社会心理学者からいただいた「メディア政治時代の選挙」という著書によりますと、アメリカの大統領選挙をめぐるキャンペーンに関して、一言で何かを訴えたり、一目で見てわかることが報道されるという意味で、一かじり報道とでも訳すのでしょうか、サウンドバイト・バイトシーという言葉が流行語になったそうです。その著書の中では、選挙における勝率最大を徹底して追求するところから生じるマスメディアの利用ということが、何でもする汚い選挙につながる危険性をはらんでいるという趣旨のことも述べられています。

 制度の改正または創設が適当かどうかを投票者にしっかりと考えていただくという面において、テレビでの広告をいかに考えるかは大切な問題だと思います。投票期日前一定の期間テレビの広告を制限することは適切だと思いますし、二週間という期間も適切であると思います。

 以上、私の発言を終わります。(拍手)

中山委員長 次に、小澤公述人、お願いいたします。

小澤公述人 東京慈恵会医科大学の小澤です。専門は憲法学です。

 先般事務局よりいただいた資料を拝見し、保岡興治議員外五名提出の日本国憲法の改正手続に関する法律案、以下法律案第三十号と略称させていただきます、と、枝野幸男議員外三名提出の日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案、以下法律案第三十一号と略称させていただきます、これらを中心に意見を述べさせていただきます。その際、憲法学の見地からの基本的論点にも言及することをあらかじめお含みおきください。

 以下、レジュメの順番に沿ってお話をいたします。

 まず、憲法改正手続法というものの位置についてです。

 憲法改正の手続法は、講学上、憲法附属法と位置づけられます。これは一般に憲法が定める制度、主には統治機構の制度を具体化する際に基本的事項を定める法律のことで、現行法では公職選挙法、国会法、内閣法、裁判所法、財政法、地方自治法などがこれに分類できます。憲法改正手続法も、これらの法律と同様に、憲法が定める統治機構制度を具体化する基本的な法律という意味で憲法附属法としての性格を持っています。

 ただし、この憲法改正手続法は特殊性を持っています。

 憲法改正手続法は、通常の立法、行政、司法などの国家作用にかかわる他の憲法附属法と違って、その発動が恒常的、定期的、周期的ではないという特殊性を持っています。これは憲法改正という作用に内在する特殊性です。

 このような憲法改正手続法の制定に当たり、それでは留意すべきことはどのようなことでしょうか。二点を指摘させていただきたいと思います。

 第一に、憲法が定める国民主権、基本的人権の保障、権力分立などの基本原理をしっかりと踏まえ、当該制度の趣旨に即したものでなければなりません。そして、この憲法の基本原理との整合性は、改正手続が国民による自由で民主的な意思の表明を保障するに最もふさわしい制度として定められるべきこと、それが制度化される時点で想定され得る最良のものであるべきこと、国会はそうした手続法を制定する責務があること、このようなものとしてこの手続法と憲法の基本原理との整合性は理解されなければならないと思います。

 第二に、この手続法の制度の設計と法律の制定には十分な準備と討議、審議が求められます。このことは、ほかならぬ国の最高法規である憲法についての国民による直接投票の制度であるという点から当然に導かれることです。また、幸いにして、他の憲法附属法の場合と異なり、憲法改正が現実的な日程に上る時点までに制定すればよいのですから、慎重の上にも慎重を期した検討、審議が可能な案件です。

 次に、日本国憲法改正国民投票の特質についてお話をさせていただきます。このことを正確に踏まえずして適切な制度化はできないと考えるからです。

 まず第一に、国会による発議です。

 憲法第九十六条によれば、憲法改正案を発議すなわち作成するのは、各議院の総議員の三分の二以上の賛成を経た国会です。国民がみずから改正案を提案することは想定されていません。これは、いわばおぜん立ては国会が行い、国民はそれを食べるか否かだけを判断する、このような制度であります。

 第二に、憲法改正とは、講学上は憲法という規範を定立する作用です。このことは憲法改正国民投票に次のような特質をもたらします。aとbに分けてレジュメには書いてあります。

 まず、規範定立の是非を問うということです。

 国民が改正投票で選ぶのは、憲法という規範の定立の是非、具体的には憲法という法の条文の改定の是非です。それを発議した議員、あるいはその集団としての会派や政党を選ぶものではありません。国民に問われているのは規範そのものの定立の是非だけです。

 そして二番目に、憲法という規範の特殊性もあります。

 国民がこの投票で判断するのは、ほかならぬ国の最高法規としての憲法の改正の是非です。地方自治体などでの住民投票は、市町村合併や、住民の生命、身体、財産に多大な影響を与える公共施設の誘致、設置など、要するに個別施策の是非が問われるものですが、憲法改正の場合は、多分に一般的で、抽象度が高く、何よりも国の最高法規たる憲法の改変の是非が問われるわけです。

 以上は、言わずもがなのようなことかもしれませんが、あえて述べたのは、法律案第三十号と法律案第三十一号には、以上の点を考慮するとそれぞれに黙過できない幾つかの問題点があると思われるからです。

 そこで、三番目の法律案の検討に入らせていただきます。

 まず第一に、最低投票率制度の問題です。

 憲法改正案は国会が発議すること、すなわち、いわば国民のオーダーメードではなく国会によるレディーメードであるということは、国民投票という手続の重要性を際立たせるものであります。そこでの憲法改正案への国民の賛成は、主権者たる国民の真正な意思の表明としての実質を持つこと、そのことをしっかりと保障する投票制度であることがとりわけて求められるということです。

 国民ないし住民の投票において、一定の投票率を投票成立の要件として課するものや、あるいはイギリスのいわゆる四〇%ルールなどは、同種の配慮に基づく制度と評価することができます。ところが、法律案第三十号、第三十一号のいずれもがこの種の制度を採用していません。これは国民主権の原理に基づく制度としては根本的な不備であると思います。

 第二に、公務員等及び教育者の地位利用による国民投票運動の禁止の問題です。

 法律案第三十号は、公務員等及び教育者に対して、地位利用による国民投票運動を禁止し、違反した場合の罰則も定めるとしています。これは、現行の公職選挙法に倣った規定かと思いますが、先ほどの浅野公述人の御意見にもありましたように、議員候補者や政党の名簿を選ぶ公職選挙の場合と、選ぶ対象の違う憲法改正の場合とでは、同じようにこの種の運動規制をしてよいか厳密に検討しなければならないと思います。しかし、法案三十号には、そのような検討をした形跡が見られないように思います。

 私は、現行の公職選挙法におけるこの規制自体、その憲法適合性を厳密に検討しなければならないと考える者ですが、その点はひとまずおくとして、この規制の趣旨を仮に合憲法的に理解しようとすれば、それは、党派的な争いが通常随伴することが想定される公職の選挙に際して、公務員等や教育者がその職務にまつわる影響力を行使すれば、選挙の自由や公正を害することになりかねない、そのような配慮に立ったものと思われます。

 ただし、こうした配慮が憲法改正の是非を問う国民投票の場合に必要か否かが厳密に検討されなければなりません。仮にこうした配慮を憲法改正国民投票にまで引き及ぼすとした場合、それは次のような想定に立っていることになると思います。

 すなわち、およそあらゆる政治的選択において党派的な判断が混入し、ひいてはこの党派的判断が優先すると考える場合です。しかし、この想定は、党派的な判断を不必要に拡張してとらえるものだと思います。また、憲法改正の是非の問題も、公職選挙での政治的選択と同程度に党派的な判断の影響を受け、あるいはこれに従うと考える場合もあり得るでしょう。しかし、こちらの方の想定は、ほかならぬ国の最高法規である憲法の改正の是非という問題を不当に低次元なものとしてとらえることになると思います。

 以上二つの想定、あるいはこれら二つの想定を合わせた想定は、いずれも党派的な判断と政治的な選択と憲法改正の決定というものの三者の関係を正しくとらえていないと思います。

 党派的な判断が憲法改正の帰趨を決してはならないことは当然のことです。だからこそ、日本国憲法第九十六条は、国会の発議に各議院の総議員の三分の二以上の賛成を課しているのだと思います。かくして発議された憲法改正案、すなわち通常政治の次元を超える高度に政治的な問題としての憲法改正の是非を問う場合には、国民投票のいわば行司役としての投票事務関係者等を除きすべての人が主権者国民を構成する者として、投票妨害的な行為を除いて基本的に自由に呼びかけの運動ができるとすることが憲法の原理に合致するものと考えます。

 ゆえに、ほかならぬ憲法改正投票に際して、公務員等、教育者の地位利用による運動禁止の規定を置くことは不必要であり、不適切であると思います。また、こうした規定が持つ投票呼びかけ運動に対する萎縮効果にも十分配慮しなければならないと思います。

 三番目は、発議から投票までの期間の問題です。

 憲法改正という重大事の判断にあっては、国民の投票に当たって十分な周知期間が必要なことは言をまちません。この周知期間とは、日本国憲法第九十六条の定めのもとでは、国会の発議から国民による投票までの期間とみなすべきです。私たち国民は、憲法の条文のどの部分がどのように改正されるのかが明示されなければ、その是非を判断することができないからです。

 憲法改正の場合、その変更点、改正の対象となる憲法規定や改正の案文は、国会議員の任期の変更の場合のように、常に単純明快なものになるとは限りません。むしろ、さまざまな解釈の余地を持ち、多様な場面での適用の可能性を持つ抽象的な条文の文言の改正となる場合もあるでしょう。憲法という法の性格上、そのような場合の方がむしろ多いことが予想されます。例えば、日本国憲法第二十条の政教分離の規定に、社会的儀礼や習俗的行為の範囲内であれば政教分離に違反しないという文言を加える場合、その社会的儀礼や習俗的行為とは何かという議論がさまざまになされることになるでしょう。

 したがって、憲法改正に当たっては、改正による憲法規範の変更の意味を正確につかみ、これを国民に提示してその判断を求める必要があり、そのためには現行憲法規定の過去における解釈、運用の実態や、条文の文言を変えることによって起こり得る影響を慎重に測定、判断しなければなりません。そのためには専門家による調査検討がもちろん必要でしょうし、とりわけ国民による熟慮、討議の期間の保障が不可欠です。活字メディア、放送メディアを通じた報道や広告も、そうした熟慮や討議を促すものとしてなされなければなりません。

 以上のことを勘案すると、法律案第三十号と第三十一号のいずれもが、国会の発議から国民投票の期日までを六十日以後百八十日以内としているのは短過ぎると思います。憲法規範の変更という問題の性格に照らして、この期間を抜本的に延長することが必要なのではないかと考えます。

 以上を総合しますと、法律案第三十号は私の指摘した第一から第三までの点のすべてにおいて、法律案第三十一号は第一と第三の点において問題があり、このままでは前述した憲法適合性を具備していない不適当な案であると判断せざるを得ません。憲法改正手続は国民による自由で民主的な意思の表明を保障するに最もふさわしい制度でなければならないという原点に立ち返った、現在の法律案を一度廃案にすることも含む根本的な、かつ慎重な検討を求めます。

 最初に述べたように、憲法改正手続法は、それが必要なときまでに法的整備が済んでいればよい特殊な憲法附属法であり、かつ国の最高法規としての憲法の変更について国民に賛否を直接問うことについての法律です。くれぐれも慎重かつ全面的な検討、審議をされるよう強く求めます。

 最後に、公聴会の持ち方について意見を述べます。

 事務局よりいただいた資料には、法律案第三十号、第三十一号のそれぞれについての修正案に関するものが含まれています。私は、本日の時点で法律案として本委員会に提出されているものに即して意見を述べさせていただきました。私に要請された趣旨もそういうものだったと思います。

 もし仮に、修正されたものが新たに法律案として提案され、本委員会の審議にかけられる場合には、それについて意見を聴取する公聴会を開催することが国権の最高機関であり唯一の立法機関としての本院の責務であると私は考えます。民主的であるべき法律案の審議手続が非民主的なものであれば、将来に禍根を残しかねないものです。

 この点は私の切なる思いであることを強く強調して、私の意見陳述を終わります。どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)

中山委員長 次に、江橋公述人、お願いいたします。

江橋公述人 本日、このような国政上の重要な場において発言の機会をいただき、まことにありがとうございます。私は、二〇〇四年十一月十八日に本院憲法調査会で、また二〇〇一年四月四日に参議院憲法調査会で公述人として意見を述べる機会があり、おのおのの場合に、国権の最高機関における憲法問題の審議に少しでもお役に立てるように専門家としての知見の提供に努めたつもりです。本日も従前と同様にありたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 さて、本日私に与えられている課題は、既に御提出されている国民投票法の議案に関する私の見解の表明であります。順次にそれを述べたいと思います。述べたいことが大量にありますので早口になるかもしれませんが、失礼いたします。そして、言い足りない、言い切れない部分もあるかと思いまして、陳述の要旨をレジュメに書いて配りました。長いものでうざったいかもしれませんが、御参考にしていただければありがたいと思います。

 さて、まず第一に、憲法改正国民投票法案の内容の一部をなすものですが、憲法改正案に関する国会の審議のあり方について申し上げたいと思います。

 日本国憲法第九十六条においては、国会による憲法改正発議に衆参両院で三分の二を超える賛成の議決が必要とされ、しかも衆参両院の議決に重さの差はありません。衆参両院の意見のそごは致命的であり、一院で可決された憲法改正の議案が他の院で否決されるような事態になれば混乱は必至です。両院協議会ではとても収拾が困難です。したがって、憲法改正手続の法制度づくりに当たっては、この混乱を避ける制度設計と運用が必要です。皆様が早くからこのことを十分に自覚されて、慎重に討議、審議に当たられていらっしゃる御様子に、かねてより敬意を持って拝見させていただいております。

 そうした点から、私は、与党案、民主党案のいずれにも提案されている両院の合同審査会という制度に注目しております。二院制が厳格に守られている日本では衆参両院の合同審査の例は消費税国会、選挙改革国会、年金国会などのわずかな例しかありませんが、諸外国では憲法改正のような重要事項及び宣戦布告の承認などの国家緊急事態において迅速で一致した結論の得られる両院合同審査を活用する例が多々ございます。

 私は、憲法改正については、衆参両院の合同審査会で一応の成案を形成して各院に持ち帰り、同日、同時刻に両院の本会議を開催して審議、議決して、おのおので三分の二以上の賛成を得たことを確認して国会として発議するという手順が望ましいと考えております。憲法改正は両院が積極的に協力し合って一つの結論を形成するタイプの議案であると考えていただきたいと思います。

 この点について、ほかならぬ日本国憲法自体にはどう定まっているのでしょうか。憲法九十六条の成立史に触れることをお許しください。

 日本の憲法の草案を検討していたGHQ民政局では、プール海軍少尉、ネルソン陸軍中尉という二名の二十歳代中期、二十五、六歳の軍人が憲法改正条項を担当していました。この二人の小グループでは、当初は、アメリカ本国からの指示とGHQ内部でのラウエル陸軍中佐らの予備的な検討に沿って、憲法改正の権限を天皇から剥奪して議会に与えるとともに、新憲法の制定後十年間は改正を禁止するという考え方を採用しました。ところが、同時に作業していた市民の権利に関する小グループの方から、人権条項の改正は将来一切禁止するという過激な提案がありました。それとの調整の結果、一般的には議会が単独で憲法改正権を持ち、四分の三の賛成で改正ができるが、人権条項の改正についてはさらに国民投票での三分の二以上の賛成を要するという民政局の原案になりました。

 ところが、草案の最終的な承認を求められたマッカーサー総司令官は、この原案を退けました。最終段階でマッカーサーが異論を述べたのはたった一つ、この一点です。そして、マッカーサーがこれをホイットニー民政局長に伝えた後、二人による話し合いがなされて、あらゆる改正に国民投票を要するという現憲法の制度が採用されました。民政局のほかの幹部も事後に知らされて驚いた、日本側に手渡す前日あるいは前々日の深夜の大逆転でした。

 ここでマッカーサー、ホイットニーが考え出した憲法改正国民投票制度は、当時は世界的にとても珍しい形のものでした。御存じのとおり、憲法改正手続に国民投票を加える方式は、一九七〇年代以降には広く流行して各国で採用されていますが、一九四六年当時はスイスとアメリカの州憲法、それにフランスが例として挙げられるくらいでした。しかも、そのいずれもが日本国憲法の形とは異なっていました。

 マッカーサーもホイットニーも軍人ですし、制度の機能性や現実合理性を十分に考えた上で他に例のない新制度を果敢に採用したとはとても考えられません。当時から、これは短慮であり、厳格過ぎて実際には憲法改正が不可能であるという批評があったぐらいです。

 私は、憲法制定過程を研究して、二人が参考にしたのは一九三五年のアメリカ領フィリピンにおける独立移行憲法でしかあり得ないことを突きとめました。本日、一枚物の資料として、私が一昨年この本で使った部分ですけれども、コピーをおつくりしてお配りしましたので、御参考にしていただけるとありがたいと思います。

 このフィリピン憲法は、二院制の議会を持っているのですけれども、憲法改正については両院合同会議、ジョイントセッションで審議し、両院議員が審議した後でその場で投票し、それを上下両院別に集計して、おのおのにおいて四分の三以上の賛成があったときに国民投票による批准、ラティフィケーションに向けて提出、サブミットすると定めていました。また、国民投票で賛成が多数であれば、英語で言えば、アズ・パート・オブ・ジス・コンスティチューション、つまり、この憲法の一部として効力を生ずるとしています。

 日本国憲法第九十六条第二項には、国会が提案、サブミットして行う国民投票で多数の賛成を得た改正条文はこの憲法と一体をなすものとして公布されることになっています。英文の日本国憲法ではアズ・アン・インテグラル・パート・オブ・ジス・コンスティチューション、つまりこの憲法の不可欠な一部としてとなっています。日本国憲法とフィリピン憲法は酷似しています。

 それならば、マッカーサーとホイットニーは、なぜ日本国憲法の改正手続においても衆参両院の合同会議、ジョイントセッションで審議するとしなかったのでしょうか。

 答えは簡単であります。GHQ草案は一院制の議会を想定していました。そもそも合同会議などあり得ないのです。そして、もし国会が一院制であれば、三分の二の特別多数決プラス国民投票における多数の賛成という手続は十分に機能したと思われます。フィリピン憲法の場合は四分の三の特別多数決でしたが、実際に数回の改正が行われています。

 問題なのは、日本国憲法の草案が二院制に改められた際に、改正手続に及ぼす影響を考慮して、議決の要件を変更しなかったことであります。結果的に他に例のない厳格な要件になってしまいました。これが日本国憲法の改正条項の制定経過だと思います。

 私は、先ほど、皆様の活躍を敬意を持って拝見していると申し上げました。憲法第九十六条を通じて課せられたこの厳しい条件の中で、何とか実際に機能する改正手続を考え出そうとする皆様の御努力、結果的にたどり着いた合同審査会という方式が注目に値するのであります。

 昨年十一月十六日に開かれた第三回審査小委員会でこのことが議論され、十一月三十日のこの委員会に報告され、御議論がなされています。当時の公述人の中には合同審査は二院制の原則に反すると批判的な見解も示されましたが、衆参両院の妥協と合意の道を閉ざして改正の発議を困難にするので護憲派にとっては有利な議論なのでしょうけれども、私はこれにくみすることはできません。むしろ、合同審査は憲法改正手続の隘路を打開するすぐれた知恵だと思っています。

 そして、この点から言うと、これまで国民投票法に関する国会の議論が本院に偏り、参議院では委員会も立ち上げられておらず、まだほとんど検討もされていない段階であることが大変に気になります。事柄は両院の関係にかかわるものですから両院の審議の足並みがそろわなければなりません。参議院側においても迅速な審議と果敢な決定が望まれますが、先行している本院の側も、結論を急がずに、参議院の審議を慎重に見守っていただきたいと思います。

 私は、今国会の国民投票に関する審議において、参議院側の取り組みの進展を待って衆参両院の合同審査会を開催して、そこで得られた成案をおのおのの院に持ち帰って、まず先議の院である本院から審議、議決することで、将来における憲法改正案の取り扱いのモデルにするのがよいと思っております。今後の御審議の参考になれば幸いです。

 第二に、国民に対する憲法改正の問題提起の方法について申し上げます。

 憲法改正手続について、幾つかの国ではイニシアチブつまり憲法改正の市民提案、市民発案を制度として取り入れています。あるいは、憲法改正への着手の是非を問う予備的な国民投票を取り入れている国もあります。さらに、特別の国民投票は行わなくとも、憲法改正を争点にして下院、衆議院を解散して国民の意見を聞く国もあります。

 これは日本国憲法の制定過程でも検討された論点でありました。これまで護憲派の憲法学者は、当時の日本側は時代におくれていて憲法改正国民投票制に思いが及ばなかったが、先進的なGHQに教えられたのだと説明してきました。しかし、これは歴史の曲解です。当時の日本では保守派であれ革新派であれ直接民主制の研究は進んでいて、特に、第一次世界大戦後のヨーロッパの経験から学んでいました。

 直接民主制には、市民意思の直接的な投入であるイニシアチブと市民意思による承認であるレファレンダムの二つがあり、それは併用されるべきものであることも指摘されていました。そして、改正案の作成過程において国民の意向を反映させるイニシアチブを省略して、改正案完成後のレファレンダムだけを制度化するようでは、大衆動員型に終わる危険性があると正しく指摘されていました。例えば、東京大学が教授陣の総力を結集した憲法研究委員会の報告書などがその論調です。

 この点につきましても、昨年十一月十六日の第三回審査小委員会で議論され、十一月三十日の本委員会に御報告され、御議論がなされています。船田委員、園田委員、枝野委員、赤松委員を初め、各委員からの傾聴すべき御発言があったと思います。

 私は、憲法改正に際しては、早い段階で、改憲作業に入ることの是非と、その場合にどの部分をどのような方向で改正するべきなのか、一度は国民の意向を聞くべきであろうと考えております。こうした最初の段階の手続を省略して、国民の意向も聞かずに議会内で改正の作業を始め、改正案ができて初めて国民の同意を求めるというのは、いかにも一方的で不十分ですし、その結果、国民の意向との間にそごが生じ、肝心の国民投票でせっかくの改正案が否決される危険性も高くなります。

 私は、憲法改正問題を選挙の争点にすると、憲法問題以外のさまざまな思惑が絡みついてしまい、冷静で理性的な判断がしにくくなるという欠点があると思います。それを避けるためには、独立した予備的な国民投票を行い、改正作業開始の承認を行う、あるいは国民発案による改正の提案を待つというような方法があってもいいと思っています。現在の与党案、民主党案はともに憲法審査会で採択された請願を審査会の改正原案に組み込むことをお考えのようですが、適切なことだと考えております。

 第三に、国民投票制度のあり方について申し上げます。

 国民投票制度は、現代の政治における直接民主制の制度化の代表です。私は、憲法九十六条のほかにも、国民投票制になじむし、それが適切な事柄が幾つかあると考えております。今回、憲法改正国民投票法を立法化するに際しては、一般的な国民投票制をどうするのかも十分にお考えいただきたいと思います。

 まず明らかなのは、国域の変更、国土、国民の範囲の変更を伴う国家の意思決定、具体的には領土割譲条約などの締結に際しては直接に国民の意思を問う必要があります。諸外国でも、こういう場合には国民投票が必要であることは強く主張されてきました。日本国憲法には、内閣や国会に日本の領土を自分の意思だけで他国に割譲する権限を認めた規定はございません。特定地域における国家主権を放棄する権限も認められていません。憲法の定める条約の締結権や承認権にこういう条約も含まれるのだとするのは余りにも乱暴な議論です。

 日本の近隣諸国との関係で言えば、北方四島とその住民の帰属にかかわる日ロ平和条約に関しては、もし二島返還とか択捉分割などというまとまりになるのでしたら、主権者である日本国民の判断を求めて国民投票を行う必要があることを指摘しておきたいと思います。あるいは、EUのような国際組織、地域共同体への参加の国際取り決めへの場合も同様です。君主主権主義で議会制民主主義の母国であるイギリスがEC加盟に際して国民投票制を導入した例が思い起こされます。日本でも、北東アジアの政治的な再編成や東アジア共同体形成の過程でこういう事例が起きると思われます。また、皇位継承法や平和基本法などの立法においても国民投票による承認という裏づけが望ましいものと思います。

 逆に、憲法改正であっても、語句の修正や小規模で技術的な改正にとどまるものもあります。こういう場合にまで国民投票を求める今の憲法改正の方式を再検討する必要がありますが、その際の基準もここから導かれるのだと思います。

 したがって、今回、国民投票法の制定に際しては、憲法改正の国民投票のほかに、こういう場合の国民投票をどう制度化するのか、同じ一つの制度に入れ込むのか、別個のものにするのかについても御配慮の上、慎重に御検討いただきたいと思います。

 第四に、国民投票における承認の判定、白票の扱いについて申し上げます。

 日本国憲法九十六条が求めているのは、これまで公述人がともども申しておりますように、国民投票による、国会の定めた改正案の承認です。英文の日本国憲法で言えばラティフィケーションであります。ラティフィケーションは批准とも訳されます。ここで求められている国民投票制は、憲法改正案の作成権限を排他的に認められた国会がつくりあげた改正案への賛否の意思表明であって、それ以上のものではありません。複数の提案があってそこから選ぶ制度でもなければ、国民の側が原案を出したり原案を修正したりする主権的な決定の手続というものでもありません。憲法改正案を作成する権限は国会だけに認められている権限です。

 そこで、この不自由な国民投票制度を補って、国民の意見を積極的に示す手続としては、もっと早い段階に予備的な国民投票を行うのがよいということは既に申し上げました。

 憲法改正国民投票は承認の手続であり、国会は国権の最高機関として慎重に憲法改正案を審議して責任を持って国民に発議するのですから、一度の投票機会ごとに改正部分の全体をワンパッケージにして承認を求めるのが原則であるべきです。項目別の投票にしたいのであれば、皆様がお考えになっているように、憲法改正案の議案を関連項目でくくり、複数の議案に分割して審議、議決することになるのだと思います。ただし、本来は改正の様式の本則であったアメンドメント、増補型の改正であれば、それは内容的に関連し合う条文の増補の積み重ねになっていきますので、一括した投票といっても項目別の投票といってもそれほど大きな違いにはなりません。

 また、国民投票制が国会が作成した改正案の承認を問うものである以上、憲法上の他の承認ないし批准の議決と同じように白票は無効票として扱うべきであり、賛否のいずれかに上乗せする計算の方式はよくないと思っています。白票には、国民投票における否の投票のように、国会が両院の三分の二の特別多数決で既に廃棄した旧条文を蘇生させるという主権者の固い決意を感じることはできません。そうすると、あとはこれを無効票にすると少数者による決定が可能であるという弊害の処理の問題が残るのであり、これには最低投票率の要求など、ほかにも手だては幾らでもあると思います。

 私は、憲法改正を家の増改築のようなものと考えております。憲法第九十六条の憲法改正国民投票の制度は、家に住む人の意見や希望を聞く設計段階のものではなく、増改築の工事が完成した後の竣工検査のようなものだと思います。この段階で、国会の発議した提案について、あの部分は改正を認めるがこの部分は認めないというような投票結果になっても後戻りはできません。

 国会の与野党は、どうしても改正すべきであるという現実的な根拠があって、自分たちが三分の二以上の合意で自信を持って提案したのですから、内容の一部が国民投票で否定された場合に、現実的な必要性と圧倒的多数の賛成議員数を背景にして、否定された部分については、変えることに失敗した憲法条文について解釈改憲を行うことになろうと思っています。国会における三分の二以上の多数派は、そう簡単には引き下がらないと私は思っております。

 戦後期の日本は、憲法改正ができないので専ら解釈改憲で社会の変化に合わせて物事を処理してきました。しかし、日本の政治は過剰な解釈改憲によって随分と悩まされてきました。その愚を繰り返すような制度づくりは決してよいものではありません。与野党ともに支持しているように見える項目別の投票や白票の反対票への算入という制度には、もう少し掘り下げた議論が必要だと思います。

 最後に、私の個人的な気持ちを申し上げます。

 皆様には事前にことしの初めに発表した文章をお配りしましたが、その末尾で次のような趣旨のことを書かせていただきました。

 私は、日本国憲法は不幸な憲法であると思っております。生誕後わずか数年で国会の多数派によって根本から価値を否定され、逆に野党側からは神の子のように崇拝され、護憲派と改憲派の争いの中でもみくちゃにされ、その陰で過剰なまでの解釈改憲を加えられてもきました。そして、賛成派と反対派の愛憎の感情が吹き荒れる中で、一つの大事な意見がかき消されています。憲法というものは、なるべく多くの市民に信頼され、大事にされるようにあるべきだという意見です。

 今、日本では、一億二千万の人間が日本国憲法のもとで共同生活を営んでいます。この憲法以外に共同生活の基礎となるルールはありません。そうだとしたら、この憲法を、多くの人により尊重され、より大事にされ、日本の政治のあり方にもより適切に作用するような、主権者国民がつくり支える憲法にしていこうという意見があってもよいのではないでしょうか。部分的に増補し改善することで、より多くの市民の共感を得て、より多く支持されるのであれば、そうすべきであろうという意見があってもよいのではないでしょうか。

 私は、今は、自分の考える憲法の色彩で社会を塗りつぶそうとする独善的な考え方は、改憲派も護憲派も捨てるべきときであろうと思います。民主主義というものは、自分と違う意見の持ち主と生死をかけて全面対決するシステムではなく、ともに我慢できる共同の解決策、合意を自分たちでつくり出すシステム、主権者市民の間で国民的合意の得られる部分から少しでもよい憲法にしていくシステムなのですから。

 皆様には、日本国憲法をどう改正すれば、これまで不幸であったものがより多くの市民の支持を得られる幸せな憲法になれるか、その方法論、常識的な手続と常識的な内容の改正の方法論をしっかりと考えていただきたいと思います。

 この考えを皆様に御披露して、私の発言を終わらせていただきます。御清聴を感謝します。(拍手)

中山委員長 以上で公述人の方々からの御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

中山委員長 これより公述人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。船田元君。

船田委員 きょうは、浅野公述人、小澤公述人、江橋公述人、三名の方々からそれぞれ大変有意義な御意見をいただきまして、まことにありがとうございました。

 時間が限られておりますので、かいつまんでそれぞれに御質問いたしたいと思っております。

 浅野公述人に対しましては、御主張の中で、国民投票と一般の人を選ぶ選挙というのは質が違うものであると。言うまでもなく、公職選挙法で行われている選挙というのは、人あるいは政党を選ぶ、こういうことで人とのつながりが非常に強いものである、こういう御主張でありました。一方で、我々の考えている憲法改正国民投票法案につきましては、制度を選ぶ、もちろん国会の発議に基づく憲法の改正案に対して賛否を問うということでございますので、そこは人との結びつきではなくて人々の考え方、憲法をどうするか、規範をどうするか、そういう問題である、こういう御指摘でございました。これは私も大変同感をいたします。

 そういう考えのもとで、私どもは、与党の原案、もちろん民主党さんも原案を出されましたけれども、その後の与野党の話し合いの中で、あるいはこの委員会の話し合いの中で、いろいろな修正をやろうということで議論してきたわけであります。

 一つは、公務員、教育者の地位利用の禁止規定であります。

 これにつきましては、もちろん、私ども、最初は公職選挙法というものを頭に入れながら、やはり地位利用はいけないということをはっきりさせよう、この国民投票運動においてもそれが大事であるということで制度をつくったわけでございますが、しかし、その後のお互いの話し合いの中で罰則を設けるということが果たして妥当であるかどうか、こういう議論になりまして、今申し上げたような、また、浅野公述人おっしゃったように、人を選ぶ選挙と規範を選ぶあるいは改正案に賛成か反対かを選ぶ投票とはやはり運動のあり方は違うべきである、緩やかに対応すべきである、こういう意見がかなり有力となってまいりまして、罰則は設けない、つまり刑事罰は設けないで、地位利用はいけないけれどもそれはその任命権者の懲戒の対象とする、つまり行政罰とするということで我々は意見をまとめようとしておる、こういう状況なのでございますが、このような考え方につきまして浅野公述人はどのようにお考えでしょうか。

浅野公述人 なかなか判断が難しいところがある御質問で、どうお答えしたらいいか、率直に言って私は迷っているところがございます。

 懲戒処分という方法もあるわけでございますから、罰則がなくても、あえて国民運動との関連で罰則を設けなくてもいいという考え方も私は成り立ち得るとは思っております。

 この辺になりますと、やはり運動の実態がどうなるんだろうかということと絡む部分が非常に多いように思うものですから、なかなか歯切れのいいお答えができなくて恐縮なんでございますけれども、選挙運動の場合ほど激しくならないのではないか。そういう意味では、罰則で担保する必要がそれだけ選挙運動の場合よりは小さいんじゃないかという感じはいたす、そういうふうにお答えさせていただきたいと思います。

船田委員 ありがとうございました。大変難しい質問をしまして、申しわけございませんでした。

 また、それに関連をしまして、私どもは、公務員の政治的行為の制限規定、これは国家公務員は人事院規則で具体例がある程度の項目で示されております。それから、地方公務員法においてもいろいろと規則が決められているわけでありますが、これをよく見ると、国家公務員法、地方公務員法それぞれに規定している運動禁止の項目が一部違っております。

 そういうことを考えますと、このまま国民投票運動においてもこれを適用するということになると、国家公務員と地方公務員とで、同じ行為をしても、一方はその規定にぶつかってしまう、一方はぶつからない、こういうことになるということが判明をいたしまして、私どもは、原案では触れておりませんでしたけれども、修正の方向として、より緩やかな基準の方にそろえようということで、国民投票運動における公務員の政治的行為の制限規定を適用除外する、こういう方向で話をまとめようとしているわけでありますが、このことについてはどのようなお考えでございましょうか。

浅野公述人 これも大変難しい問題で、結局、実態がどうで、その実態にどう対応するのがいいのかということとかかわる話になろうかと思いますものですから、そういう意味で難しいので、先ほどの問題と似たような難しさを私としては感じるわけでございます。

 ただ、また繰り返しになりますけれども、やはり選挙運動と国民投票運動というのは相当違うんだろうという気はいたします。特に人と人との結びつきが強い、国民投票運動の場合だってそういう結びつきがゼロではないとは思いますけれども、そういう選挙の場合と国民投票運動はやはり相当違うんだろう。そういう意味からいたしますと、適用除外にしておくというのは一つのお考えではないかというふうには思います。

船田委員 ありがとうございました。

 それから、引き続き浅野公述人に対してでございますが、先ほどのお話の中で、無料広告の枠の問題、広報活動という中での無料広告枠でございますが、私どもは、テレビあるいはラジオの無料広告枠は設定をするということとし、新聞につきましても無料広告枠を設定するかどうかということで議論が実は続いているのが現状でございます。

 ただ、先ほど浅野公述人が御指摘のように、例えば、人を選ぶ選挙ではむしろテレビやラジオの電波メディアの方が有用であるかもしれない、しかしながら、憲法改正案に対してイエスかノーかを決めるような場合には、読み返したりあるいはいろいろな意見を聞きながら慎重に決定をしていくためには活字の方が場合によっては有用な場合があるかもしれない、こういう御趣旨のお話だったと思います。

 このことを敷衍していきますと、活字媒体の最も普及されているものとしての新聞、この新聞における無料枠を設けるべきではないか、こういう御意見になるんだと思いますが、我々、新聞の無料枠は、広報協議会がつくるであろう広報パンフレットがあるから活字についてはいいんじゃないかという考え方に固まりつつあるのでございますが、きょうの公述人のお話を聞きまして、新聞の無料枠についても、これはちょっともう一回考え直して復活させた方がいいのではないか、こういった私個人の考えがあるのでございますが、この新聞の無料枠につきまして浅野公述人はどのようにお考えでしょうか。

浅野公述人 結論だけ申しますと、あってもいいのではないかなという気はするわけでございます。

 ただ、これまた別途広報協議会の方で国民運動の関係の広報はおやりになるわけでございますから、それをどういうふうにつくるかということとも関連するかもしれません。それから、無料枠のほかに、各政党で有料での広告というのも当然おやりになるわけでございましょうから、それをどういうふうにやるかということとも関連するのではないかと思います。

 率直に言いまして、今、選挙の関係で新聞に無料広告があるわけでございますが、それをどの程度参考にしておられるかということも、確かに一方であるんだろうと思います。先ほどもちょっと御紹介いたしましたけれども、選挙の場合は、いずれにしても、有権者の方が一番手がかりにしておられるあるいは有用度が高いと考えておられるのは、テレビになっておるわけでございます。しかも、それも報道でございますね。それから、新聞が続いていますが、これも新聞報道ということでございますので。

 ですから、その辺のところをいろいろ考え合わせて判断する必要があるんだろう。しかし、あえてどっちかといえば、冒頭申し上げたような気はするということでございます。

船田委員 どうもありがとうございました。

 それでは、次に、小澤公述人に御質問申し上げたいと思います。

 小澤公述人も先ほどのお話の中で、この憲法改正の国民投票法制あるいは手続ということは当然必要である、こういうお話をされたと思いますが、しかし同時に、これはかなり慎重であるべきだ、こういう趣旨でさまざまな観点の御意見を述べられたというふうに理解しております。

 細かいことは後ほどまたお話をするとして、私はこういう考え方があると思います。憲法改正についての機運が盛り上がりまして、これから将来、もちろん、私たちの自民党は一昨年新憲法草案を既に発表したわけですし、民主党さんも憲法提言ということで抽象的ながら方向性を示された。公明党さんは、いずれ近いうちに加憲ということで案を出されるというふうに聞いております。こういうことで、今後、憲法改正に対する実際の中身の議論というのが相当高まっていくことが予想されております。

 確かに、憲法附属法でございますから、憲法改正の必要性が生じたときに改めてこの制定について議論をして制定をしていくという方法もあると思いますけれども、憲法改正原案がちらついているときといいますか、国民の皆様にも、また我々国会の中でも相当な議論が沸騰してまいりますと、その中で投票法案あるいは手続法を定めるということは、どうしても主張する改正の方向に向けて有利なルールづくりというものが行われてしまわないとも限らない。つまり、本来、公正公平であるべきルールづくりが、場合によってはゆがめられる危険性もあるかもしれない。

 ですから、議論がまだ十分に煮詰まっていないといいますか、議論が今拡散をしておりますけれども、そういう状況の今、冷静なときに公平公正なルールづくりを、やはりきちんと定めて、その上で、それができた後に実際の改正原案についてさまざまな議論を、各政党の間でも国民の間でも議論していく、こういう順番が私は正しいんじゃないかと思っているんですが、このことについて小澤公述人はどうお考えでしょうか。

小澤公述人 先ほどの私の意見の中で、憲法改正手続法が当然に必要である、当然にという表現は特に使っていなかったかと思います。

 憲法附属法としての位置づけをこれは持っているということを申し述べさせていただきまして、ただし、憲法附属法としては、実際に憲法改正手続に着手されるまでの間にできていればいい、すなわち、制定が終了しているのがその時点までであればよいということを申し述べたわけです。

 ですので、議論の始まり、初めがいつであるかということは、私は特に問題とはしておりません。ただし、この憲法附属法は、実際の憲法改正手続の着手までの間にできていればよい。もちろん、投票実務との関係では、中央選管等々でやらなければならない実務がたくさんあると思いますから、その分のゆとりは見ておく必要はあると思いますが、考え方としては先ほど申し述べたようなことです。

 そして、今現在の段階の方が憲法改正が現実に差し迫ったときよりも落ちついてこの法律がつくれる、そして、憲法を変えようという方向に有利な法律がつくられないようにするには今の方がいいのだというお話は、私はそれはつくり方次第だというふうに思っております。

 この憲法改正が国民にとってよいものだというふうなお考えであれば、その国民の民意を最も正確に反映できるような改正手続あるいは国民投票のやり方は何かということを真剣になされればよろしい。そういう真剣な検討の結果、慎重な検討の結果、でき上がってくる手続法は、これは国民主権その他の憲法基本原理にのっとった、その時点で最も望ましいものができ上がってくるだろうというふうに思います。まさにそこに立法府としての御判断の重要なところがあるのではないか、このように考えております。

船田委員 ありがとうございました。

 それから、先ほどの小澤公述人のお話の中で、公務員の地位利用に関して、それはいけないということを我々定めるつもりでありますが、一方で、修正の議論をしている中で、先ほど浅野公述人にも申し上げましたように、罰則は設けない、刑事罰は設けない、しかしこれは行政罰で行われるべきものであるという方向で修正をかけようとしておりますので、そこはぜひ御理解いただきたいと思います。

 それから、先ほど小澤公述人から、修正の方向がわからないというか、わからないうちにこういうことをやっても、またもう一回やらなきゃいけないだろう、こういう御発言でございましたが、既に事務局からきょうの公述人の皆様にも、この修正の方向について、修正案要綱、あるいは私どもの、昨年の十二月に行いましたこの委員会での議事録が多分行っているかと思いますので、それを十分に御参考いただきながら公述していただいている、このような前提で考えておりましたので、その辺をよろしく御認識いただきたいと思っております。

 しかしながら、この修正案は実際には出ておりませんので、修正案につきましては私どももできるだけ早く国会に出す、委員会に出したい、こう考えておりますので、その点の御理解をお願いいたしたいと思っております。

 最後に、江橋公述人に御質問申し上げたいと思います。

 先ほど江橋公述人からは、私どもの、これは与党案にも民主党案にも入っていたんですが、合同審査会の開催ということを、これは我々工夫をいたしまして入れ込ませていただきました。先ほど非常に褒め過ぎかなというようなところもありましたけれども、大変評価をしていただいたことに私どもも大変意を強くしたところでございます。

 言うまでもなく、衆参両院のそれぞれの総議員の三分の二以上の賛成による発議、こういうことでございますので、衆参両院の間でそれぞれ改正原案が違っていては大変大きな矛盾を引き起こすわけであります。また、そのことによって憲法改正原案が発議できないという状況が可能性として非常に強くなりますので、それを事前に、未然に回避するためにも衆参の合同審査会を設けるということでやっていきたいと思いますので、これはまたぜひ御指導を賜りたいと思っております。

 それから、先生のお話の中でこれまたよく考えなきゃいけないなと思ったのは、市民発案、イニシアチブのところでございまして、これは前もって市民の意見を聞くということですが、我々の法案の制度設計としては、一般の委員会と同じように請願をいただく、その請願を採択するかしないかというところでそのイニシアチブというものを、全く理想的なものではないとしても、ある程度市民発案に近い形に持っていけるのではないか、少し工夫が必要であろう、こう考えております。

 もう一つ、先生がお話しになった中で、予備的国民投票の必要性ということを問われました。私どもも、一時期、有権的な世論調査をやって国民の憲法に対する意思、あるいは憲法改正をこのような方向でやっていったらいいんじゃないか、こういった意見をできるだけ前もって酌み取ることが必要ではないか、こう考えているわけですが、このあたりについて改めて江橋公述人のお話をいただければありがたいと思っております。

江橋公述人 予備的な国民投票制度のことについて私の意見を述べさせていただきたいと思います。

 物事を考えていく順番として、まず、国民投票で国会が提案した改正案が否決された事態をお考えいただきたいと思います。

 否決されたら一体どういう事態になるんだろうかでありますけれども、国会は、既に憲法について、ある部分はよろしくない、あるいはある部分は欠けておるということで、それを捨てて改正案をつくったわけであります。それも慎重に審議し、衆参両院三分の二以上という非常に重い要件を突破してつくったわけでありますから、自信もあるし、十分な根拠もあっての御決定ということになろうかと思います。それが国民によって否決されてしまった。それならば、自分たちが捨てた憲法をまた拾うのかということであります。

 つまり、国民に対して発議したときには、国民がイエスと言ったら自動的に直ちに憲法に、この憲法と一体のものとして憲法になってしまうわけですから、国会としての意思決定は既に終わっているわけですので、一たび捨てた憲法をまた拾うという事態になるのだろうか。それが果たして議院にできるだろうか。もしかしたら、私は、責任をとって総辞職しなければいけない事態もあるかと思います。衆議院は総辞職できますが、参議院を総辞職して全員なくすということも、それもまた奇妙な話かと思います。

 つまり、国民の意思というものが、少なくとも憲法を改正する方向でよい、あるいは大ざっぱこの辺は改正しろという意向を事前に確認しておかないと、ある日突然、断崖絶壁から突き落とされるようなことになってしまうのではないかというふうに思うわけです。

 したがって、私は、事前に、諸外国の憲法改正のときはほぼそうなっていると思いますけれども、なるべく主権者である国民の意思を大きなところで聞いておいて、それに基づいて具体的に議会で憲法改正案を専門家等も交えてつくって、でき上がったものについて国民にこれでよいかと聞く。私が申し上げた、家を改築するときにまず施主の意見を聞いて設計図を引く、そしてでき上がったら竣工検査をするという手順が、やはり憲法においても必要なんではないのかなというふうに思っております。

 それともう一つは、衆参両院の歩調をそろえるということであります。

 合同審査のことについて、私の発言を高く評価していただきましてありがとうございました。合同審査の件なんですけれども、私が、日本国憲法のこの世界に例のない厳しいハードルを越えるにはどうしたらいいかということを考える際には、一院における与野党の協調も大事ですが、衆参両院の協調が極めて重要であるというふうに思っております。とりわけ、参議院における三分の二の賛成がなければいけないということは、半数改選制の参議院においては非常に重いバリアになっていると思います。したがって、現在お考えになられているような憲法審査会のあり方もいいんですけれども、ある院に憲法改正案が百人以上の賛成で提出されたとして、ほかの院の方は全然まだ動いていないというような事態というのは余りよろしくないんじゃないか。

 私は、一度国民審査を経て、国民の予備的な審査を経て、衆議院も参議院も憲法改正するという大きな方向では足並みをそろえて、それから具体的な作業が、二院制ですからおのおの独立してなさるのも結構ですけれども、時に合同審査で調整してというふうに進めていかないと、現実問題として憲法改正は難しいと思っています。そういう意味において、私は、予備的国民審査で国民の意見を聞くことが二院制においては特に大事かな、そういう論点もあるように思っております。

 そんなことを考えております。

船田委員 ありがとうございました。

 最後にちょっと事実関係ですが、国民投票の過半数の意義というところで、先生は白票は反対票となる、こういう御指摘ございましたが、私どもの与野党間の修正においては白票は無効票ということで処理をしていこう、こういう方向になっておりますので、そこだけちょっと訂正をさせていただければと思います。

 ありがとうございました。

中山委員長 次に、古川元久君。

古川(元)委員 民主党の古川元久でございます。

 本日は、浅野公述人、小澤公述人、江橋公述人におかれましては、大変貴重な御意見をお聞かせいただきまして、まことにありがとうございました。

 私から、まず、お三人の公述人の方に同じ質問を幾つかさせていただきたいと思います。それぞれの公述人の先ほどのお話の中で既に触れられた部分もあろうかと思いますので、その辺は簡略にお答えいただいても結構でございますので、お考えをお聞かせいただければと思います。

 まず、私どもは、この国民投票法案は少なくとも憲法改正そのものの議論とは明確に切り離した形で、憲法改正に賛成の立場の人もあるいは反対の立場の人も、どちらから見ても、この手続にのっとって国民投票が行われれば、その結果については国民の意思が明確に示されたと、手続に瑕疵があるからこういう結果になったんだというような異議が申し立てられないような公正中立な手続法を定めることが重要であって、それこそがこの国会の責務である、そういう視点でこれまで議論を続けてきております。

 そうした視点から、今、与党案、民主党案があって、また、お互い協議の中で修正に合意したようなところもあるんですが、そういう手続の公正中立性という視点から見て、三公述人の皆様方、今のこの議論の中で大体その点は担保されているというふうに見ておられるか、あるいはまだ大きな問題があるというふうに思っておられますか、簡単にお答えをいただければと思います。

浅野公述人 私は、おおむね担保されていると言ってもいいのではないかと思います。あくまでもおおむねでございますが。

小澤公述人 手続の公正中立性ということの意味をつかみ損ねているかと思いますけれども、今、現時点での改正内容があるとして、その改正内容を進める立場とそれに反対する立場、この両者の間とのかかわりでこの手続が公正か中立かという意味であるとすれば、私の先ほどの意見はそういうことを問題にしたのではなくて、この憲法改正国民投票というのは国民主権を直接的に具体化する手続ですから、くれぐれも憲法の基本原理にのっとった制度としてつくるべきである、その憲法の諸基本原理の観点から照らしてみて先ほどのような問題点があるというふうに指摘をさせていただいたわけです。

江橋公述人 現在皆様のお考えになっているものが公正中立かといえば、中立というふうに言うべきかどうかという言葉の問題に多少私はひっかかっております。

 国権の最高機関である国会が三分の二という非常に重い要件を超えて国民に提案する憲法改正案ですから、賛成と反対ということについて、賛成の方に比重が置かれて広報啓発に力点が置かれるということがあっても当然だし、諸国ではそうなっていると思います。それに比べますと、皆様のなさっている制度は、実に少数派あるいは反対派に対する配慮が行き届いているという意味で、反対意見にもきちんと焦点を当てるというか光を当てるというシステムになっているという意味で、中立というよりはもう少し褒めてもいいんじゃないかなと思っています。

 ただ、一つ気になることは、これはあくまでも国会が提案する改正案に対する賛否の投票ですから、そこで例えばテレビなり新聞なり等を通じて広報されることも提案に対する賛否であって、それ以外のものではない。だから、別の提案であるとか、あるいはこうあってほしいとかということは、それは一般的政治活動として言論の自由として幾らでも表明することはいいと思いますけれども、国民投票法に関する議論として、特に公的にある程度サポートしながらのせていく議論としては、やはり提案に賛成か反対かに限られるんだと思います。

 それは、例えば条約の承認を国会が求められているときに、それを国民に聞くときにはこの条約に賛成か反対かということが焦点になるので、あっちの国との条約とかこっちの話とかというのは関係ないじゃない、それは一般的言論の自由だよということになるのと同じで、私は、国民投票にかかわる言論として特に保護する、国民投票にかかわる少数意見として特に保護すべき点は、ある程度きちんと範囲を決めてなさった方がいいのではないかなというふうに思っているところはあります。

古川(元)委員 ありがとうございます。

 次に、一般的国民投票につきましてお伺いしたいと思います。

 私ども民主党案では、国政の重要問題に関する国民投票も、この憲法改正に関する国民投票法を制定するに際して同時に制定すべきだという提案をさせていただいておるわけでありますが、先ほど江橋公述人からのお話ですと私どもの考え方に近いのかなというふうにも思いましたけれども、この点についてお三方の御意見を確認的なところも含めてお伺いさせていただければと思います。

浅野公述人 一般的国民投票についてでございますけれども、結論的に言いますと、私は、今直ちにそれが必要かなという疑問は持っております。

 というのは、やはり代議制民主主義というのが大原則であるわけでございますから、本当に、相当いろいろなことを考えて、どうしてもそういう国民投票が必要だということになるのかならないのか、私自身、まだ自分の頭の中がよく整理されておらない状態であるということでございます。

小澤公述人 一般的国民投票、仮に対象が立法、通常の法律の制定にかかわる国民投票であるとすれば、その場合が諮問的投票になるのか、あるいは決定的、議決的投票になるのかでは意味が違ってくると思います。

 諮問的投票の場合であれば、憲法との整合性は辛うじて担保される、保たれるかと思いますが、もし決定的な議決的国民投票ということになれば、憲法四十一条に抵触して、それ自体が憲法改正をしなければできないものである。ですから、もし仮に、済みません、三十一号につきましては諮問的なのか議決的なのかちょっと確認をし忘れておりますが、仮に議決的――諮問的ですか、であるとすれば、先ほど言ったような趣旨であります。

 ただし、これは、そのこと自体は、諮問的投票であっても、現在の日本国憲法の統治機構のシステムとの関係で精査しなければならない重要な問題であると思います。

江橋公述人 私は、先ほど十分申し上げましたので、簡単に申し上げたいと思います。

 とてもショッキングな例をお出しして申しわけないと思いますが、ヨーロッパ諸国の例などを見ると、国民投票を要する場合として、憲法改正とともに領土の割譲を伴う条約の場合というのが含まれている例が幾つかありまして、そのことは考えなければいけない。日本は、幸か不幸か今まで領土を譲る条約を結んだことはないと思います。戦争に負けてとられたということはありますし、戦争に勝って分捕ったということはあっても、国際的な取り決めとして部分を譲り渡したという例は果たしてあったのかというふうに思います。

 したがって、私たち、日本の法制度にとっては未知のことでありますが、今後の二十一世紀の東アジアにおいては、国際協調の関係から領土を画定しなければいけない。でも、その場合には、例えば北方四島について、皆様にロシアに割譲する権限があるんだろうかということをお考えいただきたいと思います。

 北方四島というと、現在人が住んでいないからいいようですけれども、仮に、日本で一番小さな県、人口の少ない鳥取県をどこかの国に割譲するなんという権限は絶対ないのと同じように、北方四島だって他国に割譲する権限というのは国会にだってない。元外務大臣もいらっしゃるのでお聞きしたいような気もしますけれども、割譲する権限なんてないわけですから、憲法を改正するか、あるいは現在考えられている諮問的ではあれ国民の意見を聞いて、それから国会が初めて条約として承認するというような慎重な取り扱いが望まれると私は思っておりますので、そういった意味において、一般的国民投票制度は望ましいかどうかじゃなくて、それをしなければいけない事態というのは意外と早く来るのではないかなと思っていますので、この際、そのことも御検討いただけた方がいいのではないかと思っております、この平穏な時代に。

古川(元)委員 ありがとうございました。

 私ども民主党もまさに江橋公述人と同じような視点で、諮問的な意味での一般的国民投票をここでしっかり議論して考える、考慮すべきじゃないか、そういう提案をさせていただいているということを確認させていただきたいと思います。

 もう一つ、三公述人にお伺いしたいと思うんですが、この国会の中での議論の中で、この国民投票法が成立した後、国会に設置されることになります憲法審査会のもとでは、国民投票本体の施行期日を公布後三年とすると同時に、それまでの間はこの憲法審査会においては憲法の調査にだけ専念をして具体的な改正案の審議とかそういうことはしないということを明記しよう、そういう方向で今議論が進んでいるわけでありますけれども、この点について、先ほど来からやはり慎重な審議、議論が必要だというお話があるわけですけれども、公述人の皆様方、どのようにお考えになっておられるか、御意見をお聞かせください。

浅野公述人 なかなか理屈だけで考えると難しい問題のような気がいたしまして、相当いろいろなことを考えた、まさに高度な判断でできているのではないかなというふうに私は受けとめております。

 ですから、例えば、そういうことを前提に法律をつくっていこう、そういう意味でそれはあり得ることかなとは思いますが、理屈の面でどう考えるだろうかなというところは、よくわからないところが私としてはございます。

小澤公述人 憲法審査会についてですけれども、憲法原案を国会が発議するということになっているわけですから、その下ごしらえといいますか、それをやるような機関が国会の中にある必要があるというのは、恐らくそのとおりだろうと思います。

 ただし、現在提案されている憲法審査会の場合は、日本国憲法だけではなくて、日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的な調査を行うということにされておりまして、もちろん、私のきょうの発言にもありますように、憲法附属法のような法律も含めて日本国憲法のシステムというのは検討されなければならないと思いますので、そのようなことをイメージするのであればこういう表現になるかと思いますが、しかし、この日本国憲法に密接に関連する基本法制というのは、とても広い、あらゆる法制がその中に入ってきてしまう、そういう概念に読めます。そうなりますと、他の委員会あるいは審議会、例えば法制審議会なり、そういう審議会との関係はどうなるのかというのをよくよく慎重に検討されなければならない問題が出てくるのではないか、このように考えています。

 以上です。

江橋公述人 私は、この二年間は、言うならば自粛していただいた方がいいというふうに思っております。制度的に必ず待てというものでもないというふうには思っておりますけれども。

 一つには、この国民投票法が成立した場合、憲法改正の問題は初めて次のステップに行くことになりますけれども、それは各政党の内部でまだまだ議論し足りないところがあると思いますので、政党内部でこの問題をどうするのか、従来の方針を維持するのか、あるいは少し改めるのかということも含めて御議論するのに時間がかかるだろう。

 もう一つは、十八歳への年齢の引き下げの問題があるかと思います。

 私が外国の憲法の先生と選挙のことを話して、とても恥ずかしいことが二つあります。一つは日本では女性の議員の数が圧倒的に少ない、何だこれはと言われます。もう一つは二十歳でありまして、今どき二十歳という国はないではありませんが、普通の国は十八におりているわけであります。

 二十歳といいますと、衆議院の場合も四年に一度、三年に一度ですけれども、四年に一度という制度的なことを考えると、二十歳から二十四歳までの間に一度選挙がある。まごまごすると、大学を卒業して初めて選挙に行くというのが二十歳の、選挙年齢の下限という意味だと私は思っております。それをせめて十八までおろして、大学生ならば十分投票に行けると思いますので、十八までおろせば、十八から二十二までの間に一度は選挙があるわけですから、大学生のころに一度は選挙に行けるかなという意味で、それこそ授業中も不当に影響力を行使して選挙に行けと言えるかなと思ったりもしておりますので、そういった意味で、年齢を下げなければいけないというか、下げることに賛成であります。

 しかし、これは明治以来の制度の大変更でありますから、大変時間もかかるし、そこが落ちつくのにある程度時間がかかりますので、その間はとてもこの問題にも手もつけられないだろうという意味で、この二年間は待つべきだというところは、そのとおりだと思います。

 政党における議論の進展を待つということと、十八歳選挙権年齢、下限を下げるということの制度化が特に大事だというふうに思っております。

古川(元)委員 江橋公述人、二年間じゃなくて三年間というので、今議論を凍結というか調査に専念をするということにしておりますので、その点だけ確認をさせていただきたいと思います。

 もう時間もなくなってまいりましたが、ちょっと個別の話で、浅野公述人に一つ選挙実務の点からお伺いをしたいと思います。

 先ほどのお話の中で、この国民投票の場合には、選挙権を有する者と投票権を有する者との範囲が若干異なります。とにかく、国民投票についてはかなり幅広く、居住要件とかそういうものも選挙とは違って外してやろうということでやっているわけなんですが、ここで御指摘ありましたように、事務処理には周到な準備が必要だという話がありますが、この点については、今の議論をしている法案、法律レベルではこの程度書いておけばいい話なのか、あるいはもう少し手続の公正性とかいう点からも法律の中に書き込んだ方がいいと思うような点があるのか、その点について御示唆いただければと思います。

浅野公述人 本当に確信を持ってお答えできるだけの検討はできておらないわけでございますが、法律の規定として欠けるものがあるではないかというふうには思ってはおりません。

 申し上げましたのは、例えば選挙の場合ですと、いわゆる地方選挙もありますから、三カ月の住所要件というものが大事になってくるわけであります。だから、それを前提に選挙人名簿などもつくっておるわけでございますが、私が取り違えていなければ、国民投票の場合はその住所要件は付していらっしゃらないようでございますから、そうすると、名簿のつくり方がそこの部分はちょっと違ってくるかな。だから、そういうところは気をつける必要があるんだろうな。だけれども、法律上の規定として別に何かがなければできないというものではないのではないかというふうには感じております。

古川(元)委員 時間になりましたので、終わります。どうもありがとうございました。

中山委員長 次に、赤松正雄君。

赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。

 お三方の公述人、きょうはありがとうございました。

 まず最初に、お三方にお聞きいたします。

 今、古川委員の終わりから二番目の質問と関連するんですが、この憲法改正のための国民手続法が成立をしましたら、憲法審査会という協議機関がこの憲法調査特別委員会の後継の機関としてできる、三年の間に調査をする、こういう規定になっているんですけれども、先ほどの古川委員の御質問に対して、お三方の意見を聞いておりますと、若干というかかなりというか、受けとめておられる感じ方が私と大分違うなという印象を受けました。

 というのは、私なんかのこの憲法審査会の受けとめ方は、要するに、憲法を改正するということは、いわゆる国会の場において、どこの機関が正式に決めたわけではなくて、この憲法審査会の前身というか、最初の憲法調査会で五年かけてやった議論というのは、改正のための議論ではなくて、現行憲法の運用のされ方、ありようというものをいろいろな角度で調査した。その結果、多くの意見、この憲法はいろいろな意味で変えた方がいいよねという意見が多数を占めたということは事実でありますが、それで改正すると決めたのではないわけであります。

 日本国の現総理大臣が盛んに言っていますけれども、それは総理大臣として言っているわけで、国会の場で改正に向けての正式な議論がスタートしたわけではない。私は、そういう意味で、この法律ができて、憲法審査会の場で初めて、改正も含めて、しないということも含めて、法律で対応できるということがあるという部分もあるでしょうし、やはりここはこう変えた方がいいよねということもあるかもしれない。

 この憲法審査会で、憲法前文と百三条というものをあらゆる角度から眺めすがめつする、そういう場がようやくできる、そこから初めて物事が始まる、こういうふうにとらえているんですが、改めてこの点につきましてお三方の御意見を聞かせていただきたいと思います。

浅野公述人 具体的に、憲法改正が必要かどうか、どういう部分をどういうふうに改正したらいいのか、これはもう大変な作業だと思います。ですから、それを検討なさるのに相当の年月が要るであろうということはもう間違いないと私も思っております。

 ただ、さっき私が頭がよく整理されていないと申しましたのは、それが三年という期間のようにも見えるものですから、三年の期間ということで言えるのか言えないのか、その辺がちょっとよくわかりませんがというような意味で申し上げたわけでございます。それはまず相当長い年月をかけていろいろな角度から検討することが必要である、これはもう間違いないというふうには思っております。

小澤公述人 先ほどの憲法審査会の話で申し述べなかったことをつけ加えさせていただきますけれども、現在の憲法の運用実態のどこに問題があり、そしてどこの条文を変えなければならない必要性があるのかということは、やはり運用実態の現実の中身をつぶさに検討した上で、そしてまた、法文の変更の問題ですから、そのことによって解釈論的にどのような変更があらわれてくるのか、そういったことも視野に入れながら検討しなければならないと思います。

 その意味からすると、憲法調査会で御議論になった内容というのは、これは私の個人的な見方ですが、最終報告は多数意見は憲法改正の方向というふうにおまとめになったかと思いますが、他方、地方公聴会等々の意見などを拝見する限りでは、必ずしも多数意見で市民、国民の中がまとまった、こういうふうな感じではない受けとめ方ができるような意見も多数あらわれております。

 そしてまた、憲法調査会での審議、検討は、日本国憲法の運用実態についてつぶさに検討したとは必ずしも言えない、まだまだ検討しなきゃならないことがたくさん残っていたように思います。そういうような検討をする機関として審査会が国会の中に置かれるということは、これは九十六条に基づくものとして理解できる、このように考えている次第です。

江橋公述人 御質問の御趣旨に正確に答えられるかどうかがわからないんですけれども、もちろんこの国民投票法が成立して審査会ができたらば、そこから憲法改正作業が始まるというのはおっしゃるとおりだと思います。ただ、その場合の憲法改正作業というのが、憲法改正の大号令が出て、全文改正するんだという憲法改正になるのか、あるいは実際に話をしてみて可能なところから部分的に改正しよう、あるいは増補していこう、加憲していこうという考えなのかで随分違うことになるのかなと思います。

 三年間自粛ということでありますけれども、それは一つには憲法改正の形の問題がかかわっている。それともう一つは、予備的国民投票の問題、あるいは予備的国民投票にかえて衆議院議員選挙の際に各党が憲法問題に争点として触れて、そこである程度世論の動向というか主権者国民の意向が見えることがあるかどうか、そういうようなこともかかわってくるのかなというふうに思っております。

赤松(正)委員 ありがとうございました。

 これから江橋公述人に主にお聞かせいただきたいと思いますが、先ほど浅野公述人から大変長い時間がかかるだろうという話がございました。だから私は最短で三年というふうに考えているわけですが、その期間に、先ほど江橋公述人おっしゃったように、あらゆる角度から、どういう形になるかも含めて、あるいは江橋公述人が先ほどおっしゃったような諮問的な予備的国民投票的なるものをやるのかどうかという、制度設計的なものも含めてその期間にしっかり議論を私たちがしていく、こんなふうにとらえているわけです。

 そこでまず一点は、先ほど船田委員の質問に答えられて、予備的ないわゆる諮問的投票ということを仮にやって、そこで否定をされた場合、捨てられたものを拾うのかということが起こるという話がございました。

 実際に憲法の本体的な国民投票をやる前に、聞きようによっては、国民に問いかける問いかけのやりようによっては、憲法改正する必要がないよねという形で先に入り口で否定されちゃうということが起こり得ると非常に問題だという意見を持っている人もいらっしゃるわけで、その逆の話があるわけです。その辺でなかなか、諮問的とはいえ予備投票的なるもののつくり方というのは非常に難しいものがあろうかと思いますが、先ほど冒頭で各国におけるさまざまな成功例があるというか、大体みんなやっているんだという話がございましたが、そういうものも含めまして、短時間で恐縮ですけれども、あるべき姿の一端を述べていただければありがたいと思います。

江橋公述人 私が先ほど申し上げたのは、予備的国民投票じゃなくて本体の、憲法九十六条の国民投票で否決されたらどうするのということでありまして、そうなった場合に生ずる責任を考えたら、もっと早い段階で国民におおむねの意向を聞いておいた方がよろしいんじゃないですかというのが私の考えなんであります。

 それで、その予備的国民投票をしたところ、そこの段階で既に否決されてしまったら、それはもうだめだよ、その論点については憲法改正するなというのが主権者国民の意思であるとしたら、それにはそのまま従っていただくということでいいし、それは比較的傷が軽いと思うんです。

 やはり傷が重いのは、ちょうど鳩山内閣が、憲法九条に関してそうでしたよね、国会で大見え切って、自衛隊は憲法違反です、だから憲法九条を改正しますと言って、憲法九条の改正ができなかったので、解釈改憲でこそこそし始めたという、ああいう愚を繰り返してはいけないという意味で、やはり国会が国民に憲法改正案として提示するときは非常に重い責任を持って提案しているわけですから、それがひっくり返るような事態はなるべく避けるべきだというふうに思います。そういった意味において、なるべく早い段階で一度聞いておく方が憲法改正の作業に当たる国会議員の皆様にとってもはるかに都合のいい話ではないのかな。

 ただ、予備的国民投票制度を実際に執行することがいろいろな意味で難しい、それが難しいという議論も私にはよくわからないんですけれども、本体の国民投票が選挙のとき可能なら予備的国民投票だって可能だろうと思います。あるいは、参議院選挙では半数改選ですから、憲法改正を訴えてもまた三年後にもう一回訴えなければいけなくなりますので、やはり衆議院選挙あるいは同日選挙においてきちんと憲法問題に触れて審議して国民の意向を聞くということはあり得る。

 ただし、今回のようにせっぱ詰まった状況でというのは問題かと思いますけれども、もう少し各党が準備できた後で、どこかの選挙で各党が憲法問題に関してそろって国民の意向を聞いて予備的国民投票にかえる、そういう国も幾つかありますので、そういうことはあり得るかなと思っております。

 いずれにせよ、早い段階で国民の意向を聞くことが、主権者たる国民にとっても幸せであるし、立法過程、実際に改正案をつくる作業に当たる国会議員の皆様にとっても幸せなのではないかと私は思っております。

赤松(正)委員 ありがとうございました。

 江橋公述人が皆さんの机の上に提示していただいた「憲法改正には増補型の方式を採用するのがよい」という論文があります。私も読ませていただきましたが、「増補型憲法改正論を提唱したのは私であるので、」という四十八ページから四十九ページにかけて大変興味深く読ませていただきました。私も知っているようで知らなかったことがいろいろありました。余りはっきりと書いていただかない方がいいなという部分もあったというか、四十九ページの上の方に「公明党が」云々「加憲論を打ち出した」というふうなくだりがございます。

 そこで、ここで改めて国民の皆さんにもはっきりわかっていただくために、江橋先生がおっしゃるところの増補型憲法改正のあり方と私どもが言っている加憲、つまり増補型を増憲というんでしょうか、私どもが言っている加憲との違い。家をかえるということについて言えば、増補型は増築、既にあるものを全部生かした上で新しいものをつけ加えていく、加憲の場合は改築、そういうふうなことを先生はおっしゃっていたような気がするんですが、その加憲と増補型憲法改正論の違いについて述べていただきたいと思います。

江橋公述人 御迷惑かもしれませんけれども、私はそんなに違いがあるとは思っていないのでして、むしろ、公明党が加憲ということを言われたことに最初から非常に注目させていただいているところであります。

 それで、アメリカでアメンドメントということが言われ、アメリカの憲法にはアメンドメントというのは書いていないんですけれども、実際にはアメリカは非常に複雑な国ですから、憲法の条文を削るわけにはいかないというので後ろにべたべたと修正何条というのをつけ加えていった。

 それと同時に、アメリカはそういう憲法の運用を行ったことを植民地であるフィリピンに教えて、フィリピンの憲法もアメンドメントという言い方をしています。ただ、増補型改憲だというふうに言い切っているわけではございません、場合によっては削ることもあるということで、実際に削った改正もしていますけれども、基本としては不足する部分を足していこうというのがフィリピン憲法であったかなと思います。

 最近の例でいうと、中華民国憲法と言ったらいいでしょうか、台湾の憲法です。あの国は何しろ憲法を改正してしまって中華民国でなくなるとまた大問題になりますから中華民国憲法はいじれない。しかし、実際には陝西省とかチベットの人が国会議員だというとんでもない国になっていますので、そこは変えなければいけないということで、結局あの国は何回か中華民国憲法の後ろにアメンドメントとして増補していって、もともとあった中華民国の国会のほかにもう一つの国会をつくるみたいなところまで踏み込んでだんだんふやしていった。それでも昔からの憲法は削らない。

 私は、やはり昔からの憲法を削るということにエネルギーを使うよりは、新しくみんなの合意のいくところを後ろに足していった方がいいだろうと思っております。それが増補型改憲でありますので、公明党のおっしゃる加憲というのも足りない部分を足していこうということですので、そう違わないと私は思っております。

赤松(正)委員 江橋公述人、私は、似て非なるもの、非で似ているものというか、そういうところがあると思うんですが、今おっしゃった具体的なフィリピンのケースなどは余りよく知らないんですけれども。

 つまり、どんどんつけ加えていきますと、残っているものとの整合性というか、やはり部分的にいけないわけだからそこを変えてつけ加えていくというケースが出てくるわけで、それはおのずと、どんどん残しちゃっていく上に新たにつけ加えるというのと、それから若干の修正を加えてつけ加えていくというのとは結構違うと思うんですが、その辺についてさらに述べていただきたいと思います。

江橋公述人 もちろん、例えばアメリカですと、修正条文、アメンドメントの中に禁酒法のアメンドメントがあって、またそのすぐ後ろに禁酒法廃止のアメンドメントがあります。アメリカのおもしろいところは、禁酒法廃止のアメンドメントを入れたら禁酒法のアメンドメントと禁酒法廃止のアメンドメントを両方削っちゃえばいいのにと日本だったら思うんですが、それを両方とも残しているというところが味だなというふうに思いまして、やはり歴史を隠さない国なのかなと思っております。

 だから、おっしゃるとおり、部分的に前にある憲法を否定しなければいけない、後ろに足した場合、前から存在する憲法の効力はどうなるのよという疑問がもちろんあると思います。それについては後法が前法を廃するということでもいいし、後ろの方のアメンドメントで前の部分は削るというアメンドメントをしてもいいと思います。

 ただ、きょう申し上げるのをどうしようかなと思って実はちゅうちょしていることなんですけれども、日本は、法律を改正したりすると、それまであったすべての法律を新しい法律の中に吸収合併したものにしなければいけないという思いが強くて、そんなことはすぐれた官僚にしかできませんから、法制局審査というところで既存の法律と改正法との整合関係を逐一チェックする。それは議員の皆様には大変難しい話なのでついつい法制局を頼ることになり、官僚主導の立法作業が多いということになる。

 アメリカとかイギリスはそうではなくて、ぼんぼん法律をつくっちゃうわけです。後からつくった法律と前からある法律が矛盾するじゃないかというと、まあ何とかなるだろう、その辺のいいかげんさがあるから議員立法でいけるし、官僚に、先生ここは違います、これでもぐあいよくありませんと、何かぎゅうぎゅうと封じ込められるということもないという意味で、増補型の憲法改正の考え方というのは、ある種アメリカ、イギリス的な法の立て方と関連している。

 日本で増補型改正はだめだというふうに、憲法ができた直後に、佐藤功先生だったと思いますけれども、言ってそれが通説になってしまったのは、日本の立法のあり方、まさに官僚が主導して既往の法律との矛盾がないようにするということばかり考えていく、そのついでに自分の省庁の所掌であるとか権限の範囲内に閉じ込めちゃって枝葉も切っちゃえ、そういう作業になってしまって、立法のあり方と増補型改憲論が人気がなかったこととは関連していると私は思っております。

 そういった意味からすると、私は、加憲でも増補型改憲でも、官僚主導型の立法というものに対する風穴があくことにもなるかなというふうには思っております。

赤松(正)委員 ありがとうございました。終わります。

中山委員長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 まず、質問に先立ちまして一言ですが、このように私のところにも、ここにあるだけでも千二百を超えておりますけれども、多くの国民各界の皆さんから、採決前提の公聴会開催への抗議、それから慎重徹底審議、さらには改憲手続法の廃案を求めるということでのファクスや要請文そして手紙、メール、電報それから電話も寄せられております。委員長初め理事、委員各位にも届いていると思います。

 公聴会を採決の前提とするいわゆる通過儀礼にするようなことがあっては決してならない。憲法の附属法にかかわる重大な審査であります。さらに、今後、地方の公聴会をやることになりましたけれども、これらの公述人の皆さんの御意見も受けて、その後も慎重かつ徹底した審議を行うことを強く求めていきたいと思います。

 質問に入ります。

 きょうは浅野公述人、小澤公述人そして江橋公述人、お忙しいところ、貴重な御意見を本当にありがとうございました。

 まず、小澤公述人に伺いたいと思うんですけれども、先ほども少しありましたが、今なぜ改憲手続法なのかという問題についてです。

 憲法制定後六十年余り、この法律がないことによって国民が現実に不利益をこうむったということはなかったわけでありますが、今つくろうというところで、私どもは九条改憲の条件づくりが目的だということで指摘をしてまいりました。与党と民主党の提出者の方々は、これに対して、改憲するかしないかとは別個に、つまり改憲とは別個に公正中立なルールを定めるものだと繰り返し言われてきたわけであります。

 しかし、主権者国民から見て、この立法趣旨が今も成り立つのかどうかという問題を私は非常に感じているところです。先ほど船田委員からは冷静なうちにというお話もありましたけれども、現実に安倍総理、自民党総裁が自分の内閣で改憲を目指す、まず手続法の成立だ、参議院選挙では争点にするというふうに言われているわけですから、手続法は安倍内閣が目指す改憲のために必要な法制に位置づけられていることはもう明らかになってきている。

 しかも、時代におくれている、そぐわない条文の典型は九条だという形でターゲットまで言われて、ほかの党との協議は自民党の新憲法草案をベースにしてやるということまで言われている。私自身は、改憲とは別個に公正中立なルールを定めるというふうに言ってきた手続法の立法の趣旨というか、目的についてはもう成り立たなくなってきたんじゃないかというふうに感じているところです。

 そこで、小澤公述人に伺うんですけれども、今の改憲をめぐる現実の動きとのかかわりで、今回の手続法をどういうふうに見ておられるか、お答えをお願いしたいと思います。

    〔委員長退席、保岡委員長代理着席〕

小澤公述人 実際にこの数年間の動きを見れば、改憲の中身の問題と手続法を制定するという問題が関連しているということは一般市民の常識になっていると私は思います。新聞紙面を開けば両方の問題が現に書かれているわけで、そしてまた、私たちの日々の暮らしというのは、憲法改正手続の問題と憲法そのものの内容が別々にあるわけではなくて全体として成り立っているわけですから、憲法改正の手続がそのうちの一つであるということは、これは市民の常識だと思うんですね。

 であればなおのこと、この憲法改正手続というのは、憲法の基本原理にのっとった、国民の意思がちゃんと発揮されるような手続でなければならない、そのために慎重審議を求めるというふうに先ほど述べた次第です。

笠井委員 もう一つ、小澤公述人に国民の承認とのかかわりで質問したいと思うんですけれども、公述人からも、国民投票には最低投票率の定めが必要だという御意見がありました。

 私もこの委員会で繰り返しこの問題を取り上げてきたんですけれども、法案提出者の方々は、最低投票率を設けることについては一貫して否定をされているということで、その理由については主に三つあるというふうに私は理解をしております。

 一つは、そういうことを設けるならばボイコット運動を誘発しかねないということであります。二つ目には、改憲案の中身によっては高い投票率が期待できないということもあるのだと。そして三つ目には、憲法九十六条に規定のない加重要件を課すことになるのでそれは憲法違反だというような答弁だったと思うんです。

 しかし、私はこれらの三つの理由というのはいずれも成り立たないというふうに考えるんですけれども、小澤公述人はこの点についてどのようにお考えになるか、お答えいただきたいと思います。

小澤公述人 今御指摘いただいた三点について、後ろの方から申し述べます。

 まず、加重要件になるという問題ですけれども、私は、憲法に書かれていない要件であっても、憲法適合的な要件、すなわち憲法原理に則した要件であれば創設しても一向に構わない、憲法改正国民投票において投票の成立要件として最低投票率を定めるということは憲法適合的な要件であるというふうに理解することができると思っております。

 それと、高投票率が期待できないというのは、そういうような場合には、やはり国民のこの問題についての理解がまだ徹底していない、議論が尽くされていない問題だからそうなるのだというふうに考えるならば、本来発議されるべきではないものであったのだというふうな考え方をとるしかないのではないか。すなわち、最低投票率に達しない投票の場合には、投票そのものが不成立というような扱いをしたらどうかというふうに思います。

 それと、ボイコット運動という問題なんですが、これは具体的にいろいろな場面があり得ると思うので、一々それについてお話しするわけにはいきませんが、ただ、仮にボイコット運動という形で運動がなされる場合には、こういう場合があると思います。

 その運動をする人たちは、この憲法改正には反対であるというみずからの主張について国民的に支持が得られるという自信がない、なので今は判断停止をしようという形でボイコットを呼びかける、こういう場合があり得るかと思いますが、しかし、常にそのような場合とは限らないと思うんですね。この憲法改正には反対だという人たちは、反対しましょうという呼びかけをした方がよりストレートに憲法改正をしないという結果を導くことができるわけですから、むしろそれをするであろう。

 みずからの主張について、その正当性について確信を持っている人たちは、ボイコット運動などではなくて、改正に反対しましょう、バツの投票をしましょうという運動をするはずですから、ボイコット運動が頻発する、こういうことは理由にはならないんじゃないかというふうに思っております。

笠井委員 次に、公務員及び教育者の地位利用による国民投票運動の禁止の問題について、浅野公述人と小澤公述人に見解を伺いたいと思っているんです。

 まず、浅野公述人に伺いますが、お話の中で、国民投票運動に関する公務員の活動について、公職選挙法における規制とは違った規制とする合理性はあるけれども地位利用はいけないということをはっきりしておくことが適当というふうに言われました。

 与党の提出者は、罰則を設けないということと、それから、条文にある「その地位を利用して」という文言を、その地位にあるために特に国民投票運動を効果的に行い得るような影響力または便益を利用してというような形で書きかえるという修正をしようということを表現されております。そして、民主党の案も、原案には地位利用に関する規定はありませんでしたけれども、修正の意向ということで与党と同じ規定を置こうとしているわけであります。

 この問題で、罰則を設けなくても行政処分の対象にはなり得ますし、それから、「その地位を利用して」の文言を書きかえるというふうな修正ということなんですけれども、この書きかえをするという文言については、私も取り寄せてみましたが、公職選挙法の百三十六条の二で、公務員等の地位利用による選挙運動の禁止というのが一九六二年、昭和三十七年の公選法改正で追加された際に、この年の六月の、当時の自治省の局議決定で、「その地位を利用して」の意味として説明で書いてあることが、すなわち「その地位を利用して」とは、公務員としての地位があるために特に選挙運動を効果的に行い得るような影響力または便益を利用する意味ということで書かれておりまして、要するに、同じ内容のことを別の言葉で言いかえたにすぎないんじゃないかというふうに思うんです。

 もしかしたら、当時浅野公述人は自治省でそういう役に携わっていらっしゃった当事者かもしれないんですけれども、一回こういう形で修正するからといって、それによって、違った規制あるいは規制の対象が修正によってより限定的になるというふうに思われるでしょうか。それとも、基本的には同じ意味だ、だから変わらないというふうなことで考えていらっしゃるでしょうか。どうでしょうか。

浅野公述人 大変難しい御質問でございまして、どこまでどういう形で法文上あらわすかということとの関連において答えは出てくることだと思うんです。それはやはり、立法者の意思としてより絞った内容にしているんだということが法律上読み取れれば、解釈をする場合にもおのずから範囲というものはより限定されたものになってくるだろうと思います。ただ、一概に、ちょっとただいまの御質問に端的にお答えするということは非常に難しいんですけれども、そのように私としては考えます。

 それと、地位利用の場合、案外首長さんが地位利用をやっていらっしゃる、幹部がやっていらっしゃるというケースもあるわけでございますね。先般の統一地方選挙、四年前の統一選挙の場合は、何か地位利用で捕まった人が結構ふえた、その中には首長さんなんかも入っているというような事実もあるようでございます。

笠井委員 今の流れで同じ趣旨の質問になるわけですが、小澤公述人にも御意見を伺いたいんですけれども、今回は、原案というかそのものの議案に対する意見を求められたということで御意見を述べられているわけで、私はある意味、それは当然だと思うんです、修正案というのは出ていませんので。しかし、仮にということですが、この与党案、民主党案の修正で今述べたような内容が表明をされているわけですけれども、仮にそのような修正を行ったとしても、この規定が及ぼす萎縮効果というのは何ら変わりがないんじゃないかというふうに思うんです。現実的な効果、その点について小澤公述人はどのようにお考えでしょうか。

小澤公述人 先ほど原案の萎縮効果については言及しましたけれども、もし仮に罰則規定が設けられなかったとしても、萎縮効果は私は現実に生じるのではないか、このように考えています。罰則がつかない、行政処分、懲戒対象にだけなるのだということです。しかし、このような制度の組み立てというのは現場に著しい混乱を引き起こすのではないかということを懸念いたします。

 恐らく、行政処分をやるそれぞれの官庁の場合は、こういうことをやれば司法でもやはり裁判になるだろう、そういうことをやったということを一応基準にして今までやっているのではないか。

 ところが、それが罰則は外れる、行政機関はどうぞ独自に懲戒処分をやって結構ですということになりますと、行政庁の方はかえって困る。所属長がどんなことを考えてどんな処分をしてくるか、皆目見当がつかないということは、これは行政職場やあるいは教育機関の中で大変な混乱をもたらすのではないかというふうなことも懸念します。そして、そういった事態を恐れるがために、公務員等や教育者が呼びかけの運動にかかわることを自粛する、萎縮する、そういうことの持つマイナスの影響の方を私は懸念いたします。

笠井委員 次に、改憲案の国民への広報と政党等の無料広告について、これは小澤公述人にもう一つどうしても伺っておきたいんですが、両原案では周知広報のための機関を国会に設置するというふうになっておりまして、その構成は所属議員数の比率によるというふうになっております。

 この広報協議会は改憲案に賛成した議員が三分の二以上を占めることになりますので、その運営は改憲賛成議員主導で行われることになります。無料の広告についても政党が中心で、修正では、政党枠の一部を政党等が指名する団体に行わせることができるというふうにするようであります。改憲案の国民への周知広報や広告という点でも、国会あるいは政党中心で、国民はいわばわき役扱いになっているというふうに私は理解をしております。

 法案提出者は、国会が説明責任を果たすべきだとか、広報機関は行政府に置くよりも国会に設ける方がましとか、その構成を所属議員数の比率案分にすることはほかの委員会でもやっているとか、政党が賛成意見、反対意見の一時的受け皿となる当事者としての適格性という点で明確に線引きができるというふうなことを言われますけれども、私は合理的な説明にはなっていないというふうに感じております。

 そこで、憲法九十六条の趣旨は、国会は改憲案を発議するまでが仕事で発議後は国民の側にボールが投げられる、広報や広告は国会ではなくてまた政党中心ではなくて国民が主体となって担っていくのが九十六条の趣旨ではないかというふうに私は考えるんですけれども、両案の仕組みはこの趣旨に照らしてどうなのか、あるいは趣旨との関係で小澤公述人はどのようにこういう問題をとらえていらっしゃるか、伺いたいと思います。

小澤公述人 国会議員の三分の二の多数で発議をするというこの制度の趣旨は、先ほど意見でも申し述べましたように、やはり大事な問題を党派間の判断に簡単にゆだねてはいけない、国会の中の三分の二という多数が合意できるような問題として煮詰められたようなもののみが発議されることになるのだという、憲法の最高法規性に基づいた制度であるというふうにその趣旨を理解いたします。

 そのように考えますと、仮に国会の多数、三分の二の多数派がこれをいわば提案する形になったとしても、そのことについての是非を問う投票までに至る広報というのは、あらゆる議論、あらゆる可能性をやはり正しく広報することが私は国会の責務だと思います。

 そのための具体的なやり方としていろいろな形があると思いますが、仮に広報協議会のような機関をつくった場合には、広報協議会の内部の構成のあり方とかその権限について、それこそ憲法改正についての利害得失について公正な判断ができるようなものでなければならないと思います。仮に実際に発議する国会の中でそういうものを担うことができないということであるならば、例えば第三者機関のようなところにそれをゆだねるというのも一つの考え方ではないか、このように考えております。

笠井委員 時間が参りまして、江橋公述人にも興味深い御議論に対して質問を用意していたんですけれども、できなくなってしまいました。申しわけありません。これで終わります。

 ありがとうございました。

保岡委員長代理 次に、辻元清美君。

辻元委員 社民党の辻元清美です。

 きょうは、浅野公述人、小澤公述人、江橋公述人、お越しいただきまして、貴重な御意見、ありがとうございました。

 私たち憲法調査特別委員会の中の委員が、ヨーロッパ等を視察にも行ってまいりました。その中で、特に国民投票制度を既に持っている国々から貴重な意見をたくさん伺うことができました。その中で、どの国でも大体おっしゃっていたことがありました。それは、国民投票制度というのは、議会でのコンセンサスと国民とのコンセンサスがないとそれを実行した際に失敗する、そういう発言でした。どういう点が一番注意する点ですかといろいろなところで聞いたら、民意ですということであったり。それは、きょう特に江橋公述人がおっしゃっていた、国民とのキャッチボールといいますか、さまざまな民意をどう酌み取りながら取り扱っていくかということに通ずるのではないかなと思いながら聞いておりました。スペインなどで伺いました折には、スペインでは二十五年間憲法改正について議論しているけれどもまだ実現しない、本当に大変な作業である。どこの国もそう言っていましたね。みんな、ふんふんとうなずいておりましたけれども。

 そういう中で、今、国会の状況は、まず初段階の議会内でのコンセンサスというところも、この手続法をめぐりましても委員会が職権で立てられるとか、何か先を急ぐ。または、総理大臣が、三権分立なんですけれども、立法府で議論されている議員立法について必要以上に発言をなさるというようなことがありまして、非常に危機を迎えているのではないか、不幸な状況ではないかというふうに思っております。

 さてそこで、このコンセンサスをめぐりまして、先ほどから出ています憲法審査会について、まず江橋公述人に先ほどの追加でお伺いしたいんです。

 江橋公述人にいただきました事前の論文を読ませていただきますと、こういうくだりがありました。「憲法改正のような重要な事項については、そもそも国会で議論をしても良いかどうかが、最初に主権者市民によって判断されるべきであり、それがゴーという判断であるときに、それをスタートの合図にして、議論が始まるべきであろう。こういう慎重さでもって、主権者市民の号砲一発を機会に議論を始めるという方法について、現在の議論は思い至っていないのである。」という一文がございました。

 この部分を読ませていただいたときに、先ほどの憲法審査会の件なんですけれども、私は、そもそも、発議された後どういうような手続を踏んで国民投票を行うかということと、国会の中で言ってみれば恒久的に憲法改正の、三年間改正の部分の審査は凍結するといえども、改正に向けての議論を始めるというこの憲法審査会を設置するという、これは国会法の改正の一部になるわけですけれども、性質が違うものであると思うんです。ですから、もとから、発議された後の手続はこうですよ、そして、国会の中で憲法改正の議論を進める常設機関を設けるかどうかというのは、これは切り離してしっかり議論されるものであるというように私は考えておりました。ところが、これを一つの手続法の中に入れているところに問題があるのではないかというように主張してきたんです。

 この江橋公述人の論文を読ませていただいたときも、このとおりだなと思ったんです。議論をしてもよいかどうかが最初に主権者市民によって判断され、そろそろ憲法改正の議論を、こんなにいっぱい問題があるから、国会の中でしていいんじゃないかという、それを問うて始めるというのが筋だな、もっともと思いながら憲法審査会のことをまた思い起こしていたわけですが。

 この憲法審査会というものと手続法というのは、本来的には切り離して、手続法は手続法でつくるのならばすっきりつくるべきであると思われるんですが、この点についていかがでしょうか。江橋公述人と、それから小澤公述人も先ほど憲法審査会のことをお話しいただきましたので、お二人にまずお聞きしたいと思います。

    〔保岡委員長代理退席、委員長着席〕

江橋公述人 もともと憲法改正に関しては、国会法の改正と国民投票法という二本の法律案という形で構想されていたと思いますけれども、それが章で分かれているとはいえ一つの中に盛り込まれて、一緒になっているじゃないかといえば一緒になっていますし、でも、章で分かれているんだからたまたま一緒になっているだけじゃないかとえばまたそうで、何とお答えしたらいいのかよくわからないんですけれども。

 ただ、いずれにせよ私が申し上げたいのは、先ほどあえて制憲過程に触れたのは、要するに憲法をつくったときにGHQはそんなにきちんと考えて、三分の二、三分の二の国民投票で二分の一、それも、九十六条の条文を見ると、国会が発議し国民に提案するというふうに……。発議し提案する、発議と提案は同じじゃないかという気もしたりするわけで、九十六条の文言にせよ、あるいはそれの実際の運用にしろ、そんなにきちんと考えたわけではないので、それはむしろ皆様がこの国民投票法の審議を通じて実際に機能する憲法改正の問題を考えていただかなければ。その中で、その審査会を設置していくことと将来国民投票を行うときの手続とを総合的に考えて一つの法律になさるというなら、それはそれでお考えなのかなというふうに思っている次第です。

小澤公述人 日本の過去のこのような法令、法規範の改正とかあるいは制定の準備作業を考えますと、戦後の日本の場合は、内閣提出の、政府提出の法律案も多くあり、そしてまた省庁ごとに分けられた審議機関といいますか、そういったところで検討されてきたわけですので、なかなか国会でこの種の機関を設けるというのは、まだまだ日本はなされていないんだろうと思うんですね。

 先ほども申しましたように、現在の日本国憲法の運用実態について、どこに問題がありどこを変えなければいけないのかという問題は、まさに実態にしっかりと根差した検討をしなければならない、そういうようなものを国会の場に置くということは、国会の役割としては重要なことだろうというふうに考えます。

 ただし、その場合に、通常の法制審議会とかあるいは各省庁がつくっていらっしゃるような審議会と違うのは、憲法という法の場合は、それをつくることによっていろいろな下位法にさまざまに影響してくる、あるいは裁判における憲法解釈にも大きく影響してくる、いろいろ審議対象がたくさんあるし、広がるものだと思うんですね。そういうものとしてこの憲法審査会を位置づけていくべきなのではないかというふうに思います。

 その点で、改正案づくりというのをドッキングさせるというのを最初から至上命題にするこのつくり方には、少々私も違和感があります。

江橋公述人 辻元委員に聞かれたことで一つお答えし損なっておりまして、申しわけございません。国会の意思と民意とのキャッチボールの問題についてでございます。

 先ほど来申し上げていますように、憲法の、ある意味では偶発的にこんなに厳しくなってしまったんですが、この条件のもとでは、特に国会における与党と野党の協調、あるいは衆議院と参議院の協調、そしておっしゃるとおり国会の意思と民意との協調というものがないとなかなか進まない話になる、そういった意味で私は国民の意思を何回か聞いた方がいいというふうに申し上げているつもりでございます。

 そして、その一つとして、諸外国の例からすると、予備的国民投票あるいはそれにかわる憲法問題をテーマとした下院、衆議院の解散・総選挙というような形で民意を問うということは大事なプロセスではないのかな。それを抜きに、特に今回考えられている今後の憲法審査会の考えですと、衆参同時に審議を始めるわけでもないと思いますので、一つの院で百人で何か憲法改正案がごそごそごそごそと動き始めるというのもよくないんじゃないかな。後に禍根を残す、後になって何か傷が出てくるんじゃないかなというふうな意味で、なるべく早い段階で各方面が考えを協調できるようなシステムが必要ではないかと思っています。

辻元委員 次に、テレビによる有料の意見広告といいますか、これについて伺いたいと思います。よく言われるテレビCMの問題なんですね。

 これは、この委員会でもかなり当事者も含めまして議論を進めてまいりました、一定の規制が必要だろうと。これは表現の自由との関係という意見もございましたけれども、実際にテレビのCMというのは商品である、これは私もそう思うんですけれども、ある程度の、何億円とかかなりの資金がないとまず買えない。そして、広告代理店の間に立ったところを通して買うわけですけれども、その商品を買った上で、そこで意見というか広告をするということですので、ちょっと一般的な表現の自由とは、資金量の多寡によって商品としてのテレビ広告を買える人、買えない人が出てくるので不平等性が著しく出るんじゃないかという意見がたくさん出て、何らかのやはり制限は必要だろうというのが大体の意見であったように思うんです。

 それで、浅野公述人は既に規制が必要じゃないかというお話でしたけれども、小澤公述人と江橋公述人にもこの点をお聞きしたいと思うんです。

 これは広告代理店との関係も、有力な広告代理店と契約した場合はいいところがとれてとか、それから、例えばテレビCMに出るテレビタレントに何億円ものギャラを払ってするような広告もありということで、かなり普通の一般のメディアと違う、かつ表現の自由という点においても不平等が出てくるという点などが強調された発言もございました。

 浅野公述人には、先ほど二週間程度の規制ということだったんですが、今議論の中では、これは提出者も含めてだと思うんですが、二週間だったら、もう思い切って発議後テレビCMについては規制をしたらどうかというような御意見の方もちらほら漏れ聞こえてくるわけですね。これについていかがお考えか。そして、小澤、江橋両公述人には、このテレビCMにおける資金量の多寡などいろいろな問題が出てきていますので、規制についていかがお考えかをお聞きしたいと思います。

浅野公述人 私は、テレビの広告というのは、それ自体は有用だとは思っているんです。ただ、いろいろ問題もあるんじゃないかというふうに基本的に思っております。ですから、先ほどもそういう趣旨で意見を申し上げたつもりであったのでございますが。

 実際に、国民の方々はテレビによって多くの情報を得ておられるわけですし、それが有用だと感じておられるわけでございますから、やはりテレビ広告というものの有用性は否定できないと思います。ただ、時として非常に行き過ぎになったりすることもあるものですから、その辺のところをどう調整していくのかということが課題なのではないだろうかというふうに思っております。

 結論的に言いますと、発議後は一切テレビコマーシャル、コマーシャルという言い方はどうかと思いますが、テレビによる広告が全面禁止というのはちょっと行き過ぎではないかなというふうに私としては考えます。

小澤公述人 この問題を考える前提として、事は国の最高法規の改変にかかわる高度に政治的な問題であるということを主権者国民自身にどれだけ周知していただくか、そういう観点でこの問題を扱う機関や法人が対処するというのが大事なことだと思います。有料広告を解禁してしまえば非常に扇情的な広告があふれ返って判断をゆがめるという危険は、今言ったような、まず基本をはっきりとさせた上でむしろそういうような広告は見向きもしない、こういう民意を形成していくことに努めるのが大事なことだろうと思います。

 その上で、どのような制度設計をするか、法的な一定の禁止期間を設けるのか、あるいはマスコミに自主規制をという形でゆだねるのかというのはまたその先の問題なのではないか、このように考えております。こういう広報の仕方がマスコミとしては最もよい広報の仕方でありますという討論番組みたいなものをマスコミに模擬的につくらせてみるというのも一考かなというふうに思います。それこそ予備的な広報のやり方です。

 以上です。

江橋公述人 私に特に考えがあるわけではないのですけれども、実際に憲法改正国民投票という事態になると、三つの表現行為が重なるわけでして、一つは政治団体を含めて政治活動そのものの広報がテレビのCMに出てくる可能性はある。もう一つは、選挙と同時に行うわけでして、国会議員、七百、八百人いるうちの三分の二以上が賛成した憲法改正案ですから、立候補する方も応援する方も憲法の問題に触れて、自分はこういうわけで賛成だ、自分はこういうわけで反対だというと、既にそこで三分の二対三分の一というバランスの欠けたことになるのかと思いますけれども、賛成派の非常に多いPRが選挙活動の中でも結局は展開されるんじゃないのかな。それにさらに加えて、国民投票法そのものに関する議論が加わるわけですから、政党の表現行為と選挙運動と国民投票制に対する賛否の討論がごちゃごちゃになって登場してくるわけで、私も、一般的に考えると、何か規制した方がいいのかなとも思いますけれども、どう展開されるのかよくわからないというところがあると思うんです。

 また、そこで問題になっている争点が、例えば憲法九条の改正だということになったら大ごとかもしれませんが、環境権を入れるぞという改正だったら意外とみんな静かだったりすることもあるわけで、中身の問題もかかわるかなと。

 そういった意味からすると、私は、事柄は表現の自由ですから、基本的には自由にするということの構えの中で、実際どうなるのかしらというのはもう少し見てみないと何とも言えない部分があるんじゃないかなという意味で、今この段階でこういうふうに規制すべきだという具体的なアイデアはございません。

辻元委員 次に、先ほどから公務員や教育者の地位利用の話があります。公務員は全体の奉仕者であるという観点はあるんですが、これは賛否分かれているところです、この争点も。江橋公述人にはこの点についてお伺いしていなかったように思いますので。

 というのは、先ほどの海外の、いろいろな国に行きましたけれども、地位利用とか規制というと、え、何ですか、それ、何で憲法改正について規制があるんですかというのが、どこの国でもそういう反応で、そういう発想がなぜ出てくるのかしらぐらいの感じだったんです。

 実際に選挙の現場を見てみますと、いろいろな局面で、例えば、これは公務員とは違いますけれども、企業ぐるみで、よくあるんですよ、社員を集めて、社長さんとかがわあっと集会に動員をかけたり、地位利用といえば地位利用だと思うんですけれども、入れないと仕事が来なくなるからといって。こういう局面もあります。いろいろあるわけです、公務員じゃなくても。

 むしろ、私は、既に今まで国民投票法を持ち、やってきているところは、すべて平等に自由にした方がいいんじゃないかと。普通の一般の人を選ぶ選挙とは違うと。狭い選挙区で、この人がいいのか、あの人がいいのかというと熾烈なことになりますけれども、これはすべての人に自由にというのが普通原則じゃないんですかというような反応が多かったわけですね。江橋公述人はいかがお考えでしょう。

江橋公述人 私、先ほど申し上げましたとおり、表現の自由にかかわってくる、あるいは選挙運動の自由というか政治活動の自由にかかわってくることですので、自由にするということをもとにして実際にどう展開されていくのか少し見ないと、どう規制していいかがよくわからないというふうに思っております。

 その国民投票の問題というのは、賛否が問われるというふうに言われていますけれども、賛成はいいんですけれども、反対の方は憲法改正に反対して現状のままでよいという選択になるわけですから、国民投票は、本当は賛否というよりは、憲法のこの部分は改正した方がいいですか、それとも改正しないで今のままがいいですかという聞き方になるんだと思うんです。今のままがいいということは、今を説明するとみんな今のままがいい方の説明になっちゃう。ちょうど、選挙の直前に大統領がどこかで何か政府としての活動をすると、それがすなわち選挙運動になっちゃうのと同じで、学校の先生が今の憲法を教えたら、それは今の憲法がいいことになっちゃうし、何かさまざまなところで……。反対というのは、つまりは今の憲法でいいですということですから、そこの線引きというのは非常に難しい。妙な規制はできないだろう。

 ちょうど、アメリカの大統領が選挙前にあちこちのパーティーに行ったり外国に行ったりする、日本の首相もやっていますけれども、そういうのは結局は規制できないから、良識によってみずから規制してもらうのを待つように、この問題も、それこそ公務員の地位利用の問題にしても、その他の国民投票に関する運動の問題に関しても、結局は自由を基礎にどこまで自主的に規制できるか、自律できるかというところを見きわめないと何とも言えないんじゃないかな。そういった意味からすると、自由が原則でいいんじゃないかと思っております。

辻元委員 ありがとうございました。

中山委員長 次に、糸川正晃君。

糸川委員 国民新党の糸川正晃でございます。

 本日は、浅野公述人、小澤公述人、江橋公述人の三人の公述人の皆様方、大変お忙しい中、また大変貴重な御意見をいただきまして、本当にありがとうございます。私が最後の質疑者でございますので、残りあと二十分、よろしくお願い申し上げます。

 まず、小澤公述人にお尋ねしたいのですが、これは江橋公述人にもお尋ねしたいんですが、発議後投票までの期間につきまして、これは与党案、民主党案いずれも発議後六十日以降百八十日以内というふうに規定をしておるわけでございますが、先ほど小澤公述人は六十日から百八十日では短い、延長すべきだというような御意見をいただきました。

 では、これは実際、適正な期間、例えば六十日から百八十日という、百二十日間ぐらいの期間があるということではなくて、大体、例えば六十日だというふうに判断をした方がいいのか、百二十日だというふうに言った方がいいのか、それじゃ短いから半年だとするべきなのか、その適正な期間も教えていただけるとありがたいなと。その理由と日数、大体このぐらいが必要なんだということを御意見をいただければと思います。

小澤公述人 先ほど申しましたように、憲法の文言を変える、文言の一言一句、どのように解釈運用されるかというのが、いろいろな場面があって問われてくるものですから、やはり文言が確定した段階から国民の検討が始まるというふうに考えざるを得ないと思うんです。もちろん、その前からずっと、発議前にいろいろな手続や検討はされているでしょうけれども、やはり確定した文言についての議論が始まるのが発議後だというふうに考えますと、先ほども申しましたように、六十日は短過ぎるというふうに言ったわけです。

 それで、具体的にというふうに聞かれますと、これぐらいというのはなかなか、確たる根拠は申し述べるわけにはいかないんですが、今考えている限りで申しますと、最短でも百八十日、こういうふうに今のところは考えています。

江橋公述人 日数のことに関して私が具体的にこういう日にちがいいだろうというふうに考えたことはございませんので、申しわけございませんけれども、お答えしかねます。

糸川委員 ありがとうございます。

 質問をちょっと変えたいと思うんですが、現在の憲法を、改憲する方向になるのであれば国民の皆さんに現行の憲法も含めて詳細に理解していただかないと、例えば改憲したときにこういうふうに変わりますよ、日本はこういうふうに変わっていくんですよということを理解していただかなければならないというふうに思うわけです。

 小澤公述人と江橋公述人にお尋ねしたいんですが、教育の立場から、どのくらいの期間をかければある程度改憲というものを国民の皆さんが理解できるのか、これはもちろん公報等を使う必要があるわけですけれども、どのくらいの期間があったら日本国民の大多数の方々が憲法はこうなっていくのかということを理解できるのか。これは率直な御意見で構いませんが、お聞かせいただけませんでしょうか。

小澤公述人 申しわけありません、発議後投票までの期間ということでしょうか。(糸川委員「はい、そうです」と呼ぶ)

 先ほど申しましたように、最低百八十日という判断の根拠は、多様な解釈の可能性がある憲法の条文の改変についてはそれぐらいの期間が必要だというふうに考えた次第です。国民が全く知らないわけではなくて、既に学校教育等々を通じて憲法の基本的なことについては学んでいるわけですから、それを前提にしてもなお百八十日程度は必要なのではないか、このように考えている次第です。

江橋公述人 それもまた私に具体的なアイデアがあるわけではありませんが、世の中は次々といろいろなことが起きますので、発議後とんでもないことが起きる、かつて刑事施設における処遇の問題を議論しているときに、名古屋刑務所での事件というのが起きてしまって世論が一変してしまったことがありますけれども、ああいうことが起きますので、余り長い間やっていると、本来想定もしていないような事態になったり、不審船がやってきたり、いろいろなことが起きたりしますから、その辺は国会が発議されたものの量というか広がりとの関係でお決めいただければということなんだと思います。

糸川委員 ありがとうございます。

 それでは、浅野公述人にお尋ねをしたいんですが、先ほどもメディアとの関係ということで御意見を賜りました。

 そこで、今、メディアというものがこの委員会でも非常に多く質疑が行われている最中でございますけれども、先ほどテレビの影響というお話でございましたが、私は、インターネットの影響力というものも最近は非常に高くなってきているのではないかなというふうに思うわけでございます。また、インターネットでは、一度掲載されてしまいますと、なかなか削除することができない。そして、場合によっては他国からそういうさまざまな広告等も行うこともできるというところから、このインターネットに対する規制を何らか設ける必要があるのか、それとも自由にほうっておいた方がいいのか、御意見をいただけますでしょうか。

浅野公述人 今回の国民投票運動に関しては文書図画の規制というのは恐らくお考えになっていないんだろうと思います。そうすると、インターネットというのは、それとの関連からいうと規制の対象にもちろんならないんだろうと思うんですが、これを規制するということになると一体どういう方法があるのか、極めて難しい問題がそこにいろいろあるような感じがいたします。

 そういう意味で、御質問に対して的確なお答えができなくて恐縮なんでございますが、これはなかなか難しい問題だなというように、ちょっと申し上げようがないんでございますが。

糸川委員 この委員会でも私も質問をさせていただいて、このインターネットの扱いは非常に難しいところでもございます。ですから、またこれは議論をしていかなきゃいけないんだろうというふうに思っておるわけです。

 次は、これは、浅野公述人、小澤公述人、江橋公述人の三人の公述人に質問したいのです。

 今、このメディアという中で、非常に影響力を持った、例えばリポーターというんでしょうか、そういう方々が出演をされて、今後、誤った解釈の仕方をテレビ等で発言してしまう可能性もあるわけでございます。どこからか聞いてきた情報を一方の方に偏って発言してしまう、ところが、それは明らかに間違っている。ただ、その場合も非常にこれは影響力がありまして、一たん流れてしまいますと、この影響というものは非常に大きくなってしまうわけでございます。

 そこで、収録したものを一たん確認するというような方法をとってしまうと検閲にひっかかるのではないかとか、非常にこれは微妙なところがあると思うんですが、メディアに対する規制のあり方、例えば出演をされる方々に対する理解というんでしょうか、今回の場合ですと解釈の仕方、ここをどのように確認していったらいいのか。この辺をしっかり確認しておかないと、メディアに出られる方が発言を誤ってしまう可能性がある。こういう可能性もあるというふうに思うんですが、その辺はいかがでしょうか。

浅野公述人 ただいま御指摘がありましたような懸念は、私はあると思います。ただし、これに一体どう対応できるか、これまた非常に難しい問題だと思うのでございます。

 従来から政見放送なんかはかなりぎちぎちの枠組みをつくって、その中で収録もして放映していただくということをやった。そうすると、また一方で何かつまらないじゃないか、こういうお話にもなるわけでございます。今の政党がつくってくださる政見放送は、割合見ていただけるようになってきた。その辺のところは、実際に関係される方が良識を持って、よりよい形でやっていただくことに期待するということに尽きるような気もするわけでございます。

 以上でございます。

小澤公述人 誤情報の問題ですけれども、これは民間人による誤情報の問題だけにとどまらず、あらゆる場面で想定できる問題というふうに受けとめました。実際に誤情報に基づいて戦争を始めてしまうようなケースもあるわけですので、そういった問題をどう防ぐかというのは、これはひとえにメディアのありようだけではなかなか対処できない問題だろうと思います。

 事憲法解釈の問題につきましては、さまざまな憲法解釈の仕方があるわけですので、一つの解釈が明確に誤っているという言い方はなかなか言いがたい場面も出てくる。であるとすれば、多様な見解、情報が常に流通するという状況をつくることによってしかこの問題は対処しがたいのではないか、このように考えています。

江橋公述人 その問題は、結局は報道機関の自主規制の問題と関係当事者からの反論権の問題で処理することになるのかと思います。

 憲法改正にかかわりましては、条文の解釈のことも問題ですけれども、それよりも、今の憲法はこんなにすばらしいじゃないかというドキュメンタリー番組とか、今の社会はこんなにひどいからこう憲法を改正しなきゃいけないというドキュメンタリー番組などもつくられて、報道側においてそこに捏造とかやらせとかが生じるというのは、今小澤公述人も申しました、そういう誤情報を流して戦争をかき立てていくという、ペルシャ湾に浮いた海鳥みたいな話とかいろいろなことがありますので、それは大変難しい問題ですけれども、基本的には業界の自主規制と関係者の反論権、苦情処理の問題だと思います。

糸川委員 ありがとうございました。

 それでは、今回の本法案、与党案、民主党案の最大というんでしょうかあるいは数少ない違いの中に国民投票の対象があるわけでございますが、今回、国民投票の対象を一般の国政問題にまで拡大させるべきなのか、それとも憲法にとどまるべきなのか、各公述人の皆さんにこの御意見を賜りたいと思います。

浅野公述人 先ほどもちょっと申し上げたのでございますが、やはり代議制民主政治との関係、今の憲法全体の規定との関係でどう考えるかという大変難しい問題でございまして、私はにわかにぜひそういうことをやったらいいじゃないかと、一般の国民投票でございますね、というところまではなかなか直観としては考えは出てこないわけでございます。よく時間をかけてしっかりと議論をすべき事柄ではないかというふうに思います。

小澤公述人 一般国民投票といった場合に、立法について意見を募るものもあれば、あるいは個別の施策について意見を募るものもあると思います。先ほどの私の最初の発言、意見にもありましたように、個別の施策についてその是非を問われる場合と、規範、とりわけ最高規範である憲法改正についての是非を問われる場合は、その場面場面が全く異なるでしょうから、それについて手続を含めてすべて同一に扱うというのはなかなか難しい問題が出てくるのではないか。実際に法文のつくり方として仮にドッキングをさせたとしても、果たして同じ手続でそれぞれの投票が進められるというような立法をしていいのかどうかというのは、つぶさに検討してみる必要があるだろうと思います。

江橋公述人 私は、これまで申し上げておりますとおり、憲法及び憲法に準じるような重要な事柄については国民投票ということがあってしかるべきかと思っております。

 かつて、砂川事件の最高裁判所の判決の中で、最高裁判所は、日米安保条約及びサンフランシスコ平和条約のような日本の国家の存立の基礎にかかわる条約については、違憲審査などできなくて統治行為やと、言いたいようなことを言っておりました。あそこに出ていますように、国家の存立の基礎にかかわるような条約とか、あるいは極めて重要な法律の改正であるとか、そういうことについて主権者国民の意思を聞くという丁寧な直接民主主義であることが望ましいことですので、私は、そういうふうにあっていただきたいと思います。

 ただ、これまでのこの分厚い審議の資料をいただきまして、読ませていただきまして、皆様がいかに与野党間、衆参両院の間で協調して物をつくっていくシステムづくりに御苦心なさっているかがよくわかりましたけれども、この審議のこの段階で突然それをふやせといっても無理な話だと思いますので、昨年議論されていたかと思いますけれども、附帯決議ではだめ、附帯決議は無視されますから、附則の中で今後三年間で検討すべき最重要課題の一つというふうに位置づけていただければとりあえずいいのかな。その際には、私が先ほど申し上げていた予備的国民投票についても御検討いただければ幸いだと思っております。

糸川委員 ありがとうございます。

 それでは、もう時間もなくなってまいりましたので、最後に各公述人方にお尋ねしたいんですが、にわかに、この手続法はそろそろ採決をすべきではないかとか、そういう声も聞こえておるわけでございますが、我々は責任を持って法律を制定しなければならないわけで、この手続法の制定を急いだ方がよいというふうにお考えなのか。例えば外から見ておられまして、十二分に国会で議論されていると、このような理解が得られるのかどうか、率直な御意見を最後に各公述人から賜りたいと思います。

浅野公述人 これは、私などは、今回も資料をたくさんいただきまして、とても全部読みこなせませんでしたけれども、そういうものを拝見する限り、非常に議論を徹底してやってこられたという感じを持ちます。

 ただ、そういう情報に特に接することのない一般の国民の方がどう考えているか、これはちょっと私にも、どう申し上げたらいいか、何とも申し上げようがございませんので、御容赦いただきたいと思います。

小澤公述人 今まで議論されてきた問題ですけれども、しかし、法律案として成案が成ったものについての議論はこれからスタートするものでありましょうから、それについてはぜひ慎重な御審議をいただきたいというふうに考えております。

江橋公述人 最近の世論調査では、七割近い国民が国民投票法の制定に賛成ということでありまして、なるほどなと思っております。同時に、今公述人が申し上げましたとおり、中身についてわかっているのかしらというと、甚だ心もとないところもあろうかと思っております。

 私は、これまでの皆様の御努力でこれだけ機運が盛り上がってきていますので、これをいたずらに引き延ばすことはよくないという意味で、迅速に御判断なさって結構だと思っております。

 ただし、私が非常に気にしていますのは、衆議院と参議院の間のギャップであります。与野党間のギャップについては皆様のこれを見てよくわかってきましたけれども、衆議院と参議院の間のギャップは大変ありますし、おまけに参議院は今選挙直前でばたばたしていますので、今国会で迅速にといっても、今国会で慌てて決めることもないじゃないの、むしろ参議院側の審議をもう少し衆議院側としてはお待ちになって、衆参両院で一つの法律を積極的に協議してつくっていくという方向性ぐらいを、そういう度量を示されてもいいのではないかという意味で、急ぐべきだけれども余り拙速になってはいけない、何か妙な言い方になりましたけれども、そういうふうに考えております。

糸川委員 ありがとうございました。

中山委員長 なお、今公述人からお話のございましたインターネットとかあるいはパソコンの問題につきましては、当委員会としては、調査会時代からインターネットで議事録の要綱についてはすべて流しておるということをこの際申し上げておきたいと思います。

 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 公述人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表して、心から御礼を申し上げます。

 ありがとうございました。(拍手)

 午後二時から公聴会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午後零時二分休憩

     ――――◇―――――

    午後二時一分開議

中山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 第百六十四回国会、保岡興治君外五名提出、日本国憲法の改正手続に関する法律案、第百六十四回国会、枝野幸男君外三名提出、日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案の両案についての公聴会を続行します。

 本日の午後は、公述人として、政策研究大学院大学助教授本田雅俊君、前衆議院議員・JPU総合研究所特別研究員山花郁夫君、国際経済研究所代表高田健君、以上三名の方々に御出席をいただいております。

 この際、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。公述人それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。

 議事の順序について申し上げます。

 まず、本田公述人、山花公述人、高田公述人の順に、お一人二十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えをお願いしたいと思います。

 なお、発言をされる際はその都度委員長の許可を得ることとなっております。また、公述人は委員に対して質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきお願いします。

 御発言は着席のままでお願いします。

 それでは、まず本田公述人、お願いをいたします。

本田公述人 政策研究大学院大学の本田雅俊でございます。

 本日は、お招きをいただきましてまことにありがとうございます。私のような者がこういう大事な場で意見を申し上げていいのか、随分迷いましたけれども、政治学に携わっている者の端くれとして、また、若干若い世代の一人として、今回の憲法改正に関する国民投票法案について、意見を、思うところを申し上げさせていただきたいと思います。

 限られた時間でございますので、早速本題に入らせていただきたいと思いますが、最初に三点ばかりお断りをさせていただきたいと思います。

 まず第一点でございますけれども、私は、基本的に国民投票法の制定には大賛成でございます。法案の御提案理由にもございますように、憲法で定められながらこれまで国民投票法が制定されてきませんでしたのは、明らかに立法の不作為であると言わざるを得ないわけです。中山委員長、保岡理事、枝野理事を初め各先生方の献身的な御努力にまず敬意を表したいと思います。

 第二に、私がこれから申し上げますことは、この法案における国会のあり方、国会法改正関連の部分についてでございます。恐らく、午前の公聴会あるいはこれからの公聴会におきまして、公選法関係のことにつきましてはいろいろな御意見が出るかと思いますが、私が申し上げますのは、主として国会法改正関連のことでございます。

 第三に、私、何分こういうところに来ますのは非常にふなれでございますので、いろいろ失言ですとか、あるいは不適切な表現があるかもしれませんけれども、どうか御容赦いただきたいことをまずもってお願い申し上げておきたいと思います。

 お手元に簡単なレジュメがあろうかと思いますけれども、私からの陳述は主として六点に絞っております。その中には、将来、それも遠くない将来、国権の最高機関であります国会が、その威厳と威信、自信を持って国民に憲法改正案をお示しになって所要の改正が行われてほしい、そういう願いが込められております。

 まず第一でございますけれども、最後の最後まででき得る限りの合意の追求を目指していただきたいということでございます。

 十年、十五年ほど前ですと、憲法改正を口にしますと、あたかも危ない思想を持っているんじゃないかというふうに言われたこともありましたけれども、しかし、中山委員長を初め先生方の御尽力によりまして、徐々に、そして確実に改正の機運は醸成されてきているんだろうと思います。今日では、多くの国民の方々が、その改正に違和感がないどころか、むしろ改正の必要性を感じるに至っております。

 もしも、この最終段階におきまして、与党案が多数決で可決成立するようなことになりましたら、国民の中には、何か危険なことをしようとしているのではないか、そういうマイナスイメージ、ネガティブイメージが芽生えることにもなりかねないと思うわけです。そのようなことになりましたら、結果的に憲法改正の作業そのものが非常に遠のいてしまうことを非常に強く危惧いたしております。

 各先生方、非常にお元気ですけれども、ここでもしもこじれまして、憲法改正作業が十年後、十五年後とかになりますと、なかなか体力的に厳しくなるんじゃないかという不安もございますので、できればここは急がば回れの例えのように、今後の憲法改正作業に禍根を残さないようにしていただきたいと思います。

 そもそもこの国民投票法は、水泳でいいましたら、恐らく飛び込み台に相当するのだろうと思います。せっかくこれまで与野党間でこつこつ積み上げてこられ、非常にすさまじいエネルギー、労力、時間を費やされてこつこつ積み上げてこられて与党案と民主党案がかなり接近している、これは例えが不適切かもしれませんけれども、水道水と還元水の違いぐらいになってきているんじゃないかと思います。そういう意味では、最後に画竜点睛を欠くことなく、最後の最後まで合意を目指していただきたいという思いがございます。

 第二点でございますけれども、国会主導を貫徹していただきたいことでございます。

 与党案につきましても、また民主党案につきましても、純粋に議員立法でございます。さらに、いずれの法案におきましても、内閣による憲法改正案の提出権は認められておりません。従来、内閣に改正案の提出権があるかどうかにつきましては、学説も二分されていたわけなんですけれども、この委員会の御判断として認めない、これは非常に高く評価できるのではないかと思うわけです。

 国権の最高機関であります国会の主導で、国会の自律権に基づいて憲法改正作業が行われますことは、至極当然のことであります。これまでも憲法調査会あるいはこの特別委員会も内閣に左右されることなく国会主導で行われてきたことだと思います。だからこそ、この両法案の今後の取り扱い、議事運営、スケジュールにつきましても、最後の最後まで国会主導、この特別委員会の実績と御見識で進めていっていただきたいと願っております。

 何を申し上げたいかといいましたら、せっかく先生方が積み上げてこられて、いよいよというときになってから、行政府、内閣の方からいついつまで法案を上げてほしいとか上げるべきだとか、そういった御発言があったと聞いております。これも不適当な表現かもしれませんけれども、先生方のすさまじいエネルギー、せっかく費やされて積み上げられてきたものを、何かあたかもトビが油揚げをさらうように、そういう印象さえ受けているわけです。のみならず、先生方、これは恐らく私心、私欲のためにされているんじゃなくて、国家国民のため、歴史の新しい一ページを築き上げるために御努力をされてきたと思うんですけれども、そうした何か高尚な姿勢が国民に信頼感、安心感を与えてきたのだと思うわけですけれども、行政府に左右されたような議事運営をしてしまいますと、どうしても、何だ、内閣のためにやってきたのか、そういうふうな誤解が生じることを非常におそれております。

 国会の威厳を示し通すためにも、ぜひ議長あるいは委員長から、行政府に対して、そうした口出しに対して強く抗議されますとともに、行政府に惑わされることなく、粛々と、毅然と今後も検討を重ねていっていただきたいと思っております。

 第三は、中身の話でございますけれども、憲法審査会の位置づけの明確化を図る必要があるということでございます。

 常任委員会でもなく、それから特別委員会でもないこの憲法審査会を設けて、従来の委員会制度とは全く別の永続の機関に憲法改正原案の発議の実質的な権限を与えますことは、従来の議案審議の原則、従来の国会の制度設計を大きく変える国会法の大改正であると考えます。もちろん、政治判断としてあるいは立法政策としてこうした機関を設けることは可能でございますけれども、議院運営委員会との連合審査、もちろんこれは事前に所管が整理されているとお聞きしておりますけれども、しかし、最終的にもう一度連合審査あるいは議会制度協議会において十分な議論を経て、その位置づけですとかそういうものを国民に明確にする必要があるのではないかと思います。

 第四は、第三とも関連しますけれども、両院合同の審査会の役割や位置づけにつきましても明確にする必要があるのではないかと思います。

 与党案及び民主党案では、この合同審査会に勧告権が与えられております。これまでの議事録を拝見しますと、骨子などを示すといった御見解があるようですけれども、現在の国会の枠組みを踏まえますと、非常に奇異な感じがいたします。

 これはかつて上智大学の高見教授がこの委員会か小委員会の方で御指摘されていたことと近いかもしれませんけれども、両院の憲法審査会が合同会議を開き、原案を作成し、それを両院に勧告することになりますと、非常に変則的な二院制あるいは実質的な一院制になってしまうのではないかと思うわけです。言うなれば、その合同審査会が実質的な憲法制定会議のような役割を果たすようになってしまうのではないかと思うわけです。

 憲法改正の性格上、そのような運用が必要な場合があることももちろんわかりますし、立法政策としてそういうことが認められてもいいのかもしれませんけれども、しかし、やはりここはもう一度、議会のあり方にかかわるわけですから、先ほど申し上げました議院運営委員会との連合審査あるいは議会制度協議会でよく議論をする必要があるのではないかと思うわけです。

 もちろん、昭和二十年代に、よく引用されますけれども、両院法規委員会が設けられた例がございます。ただ、この法規委員会は、御案内のように国会法によって両議院の常設機関として設置されたものでして、今回の合同審査会とは性格が大きく異なっているのではないかと思います。

 今申し上げましたように、今回の法案にありますように、合同審査会に勧告権を付与することになりますと、これまでの二院制のあり方、国会のあり方に大きな例外を設けることになりますので、ぜひともこの点につき連合審査、あるいは議会制度協議会に諮っていただいて、その位置づけを明確にしていただきたいことを重ねて申し上げたいと思います。

 第五ですけれども、憲法審査会にしましても、あるいは合同審査会にしましても、憲法改正作業という非常に重要な役割を担われるわけでございます。そうしたことにかんがみますと、やはり定足数を引き上げていただきたい、そういうふうに思っております。

 最終的にはもちろん両議員の三分の二以上の賛成で発議されますけれども、原案を作成されますのは審査会のようでありますので、これは各党の国会対策関係者は嫌がるかもしれませんけれども、できれば通常の定足数ではなく、例えば政治倫理審査会並みの二分の一、あるいは両院協議会の三分の二に引き上げていただくことが重要なのではないかと思いますし、そうした重みを増すことによって、そこの原案というものの価値といいますか重みがますます重くなってくるのではないかと考える次第でございます。

 第六点でございますけれども、与党案及び民主党案では、憲法改正作業は会期不継続の原則の例外とされております。この点も非常に高く評価できます。我が国の国会は、非常に会期が細切れになっています上に会期不継続の原則がとられてきましたので、これは大きな問題の一つとして今まで指摘されてきました。ですから、少なくとも憲法改正作業の審議に関しましては継続して行う必要がある、そのように思うわけでございます。

 しかし、その間に例えば衆議院の総選挙あるいは参議院の通常選挙が行われましてもそのまま継続していいのかといいましたら、若干問題があるのではないかと思うわけです。つまり、憲法改正案といいましても、やはり民意に基づいて院の構成が変わる以上、立法期による制限というものは受けざるを得ないのではないかと思います。その点を法案に明記していただきたいと思うわけでございます。

 以上の六点が私の願いを込めました意見陳述でございますが、最後に、与党案と民主党案の、数少ないといいますか、唯一に近い相違点でございます国民投票の対象を拡大するか否かについて、簡単に申し上げさせていただきたいと思います。

 確かに、多くの国でレファレンダムが導入されていますし、我が国に導入してはいけない理由は何もないわけです。しかし、国民の多く、あるいは国会議員の先生方の多くも、もしかしましたら現在の国民投票法案はあくまでも憲法改正を念頭に置いているものであって、必ずしも他の国政問題にまで拡大することは考えていらっしゃらないかもしれません。

 これも最終的に政治判断ではございますけれども、しかし、国政の重要課題について国民投票を認めるか認めないか、それは実は議会制民主主義の根幹にかかわる部分なんだろうと思います。そのぐらい重大な問題であります。私個人としては、今回の国民投票からは切り離して、むしろ具体的な例示を挙げながら改めて検討すべきではないかと考えておりますが、この点につきましても、先ほど申し上げましたように議会制民主主義の根幹にかかわりますので、ぜひ議会制度協議会などの場で御議論いただく必要があるのではないかと思うわけです。

 限られた時間でございましたので、六点プラス一点を申し上げて私の意見陳述とさせていただきたいと思いますが、最後に重ねて、せっかく積み上げてこられた法案でありますし、これからの本格的な憲法改正作業への負の影響にも十分御配慮されて、決して一瀉千里に与党案を与党だけで成立させることは思いとどまっていただきたいと念じております。多くの国民は、恐らく国民投票法成立のスピードではなくて、むしろ中身の完成度、信頼度の高さを見ている、なおかつ、期待しているのではないかと思うわけです。

 甚だ稚拙な内容で恐縮ですが、これにて私の意見陳述を終わらせていただきたいと思います。御清聴ありがとうございました。(拍手)

中山委員長 次に、山花公述人、お願いいたします。

山花公述人 前衆議院議員、そしてJPU総合研究所の特別研究員の山花郁夫でございます。

 本日は、こうした公述の機会をお与えいただきましたことを感謝申し上げる次第でございます。

 また、以前先生方の方の席に身を置いていた者として、こういった公聴会とかが開かれると、そろそろ採決なのかしらとか、そういうような皮膚感覚があるものですから、今、本田先生からもお話があったように、これまでいろいろと積み上げられてきたものもございますので、ぜひぜひ一層議論を深めていただきたいと思う次第でございます。

 きょうは主に、これまで議事録も読ませていただきましたけれども、まだちょっとこの点については議論が詰まっていないのではないかと思われる点を中心にお話をしてまいりたいと思います。

 そして、きょうはJPU総研という肩書で来ておりますけれども、一応この研究所はもろもろのことをやっているわけで、国民投票法について専門的にやっているところではございませんので、総研を代表してという立場でもないということも御了解をいただきたいと思います。また、きょうは研究員としての立場でもお話をさせていただきたいと思いますので、場合によっては、後で挙げる具体例などが民主党の見解とはちょっと違うぞというところがあるかもしれませんけれども、お含みいただければと思います。

 ところで、私ごとで恐縮ですけれども、十年ぐらい前までは、公務員試験の資格の学校がございますけれども、そこで教鞭をとっておりました。もともと研究者志望だったんですけれども、自分としては主観的には研究者の卵ぐらいのつもりでいたんですが、残念ながら羽化することなく、そのままそういった世界で憲法などについて教えておりました。役所の方で比較的若い期の方ですと、自分も経験があるんですけれども、お会いをしたときに、ああ、先生、先生になったんですよねという、よくわからないようなことを声をかけられて、おかげさまで合格しましたという話を聞くのはうれしいんですけれども、一方で、あいつのせいで受からなかったという人に余り霞が関ではお目にかかりませんので、その点は自戒をしながら発言をしてまいりたいと思います。

 役所出身の先生方もいらっしゃると思いますので御存じの方もたくさんいらっしゃると思いますけれども、例えば試験科目で、公法系の科目でいうと憲法と行政法がメーンの科目で、あとは民法だとか、今はちょっと試験制度が変わりましたけれども、労働法だとか国際法も入ってきましたね、そういった法律の系列の、当時、その予備校の方では主任研究員をやっておりました。そこでの経験で少しお話をさせていただきたいと思うんです。

 この委員会の中でも、国民一般に憲法改正の手続について御存じない方が随分いらっしゃるじゃないかという議論がされていたように記憶をしておりますけれども、いろいろなアンケートのとり方があるんだと思います。憲法改正の手続、どういう手続になるかわかりますかみたいな聞き方をしているようなところもあって、恐らくそんな聞き方をしたら、下手をすると国会議員の方ですら本当に正確に答えられるかというのはかなり私は疑問があって、設問いかんによっては、広く一般の方がわかるなんということはちょっと私は無理なのではないかと思っております。

 例えば公務員試験なんかですと、五肢択一で次の記述のうち妥当なのを選べというので、ひっかけの選択肢が四つぐらいあって、一つが正しいことを書いているわけです。別にここで試験問題を解いてもらおうという話ではありませんけれども、例えを挙げますと、憲法改正の手続というのは、国会の衆参両院の出席議員の三分の二で発議をし、国民投票で多数を占めたときに改正されるんだというような選択肢でいうと、出席議員のところが違いますよね、総議員ですよねとか、そういう世界なんですけれども、こういう五肢択一で正しいものを選んでくださいということですら、憲法について一生懸命勉強している学生ですら、正答率というのは大体七割か八割ぐらいの世界です。五つの中から選びなさいというのですらその程度ですから、およそ、あなたは知っていますかなんという聞き方をしたら、ほとんどの人が答えられないというのはやむを得ないのではないかと思います。

 ただ、一方で、憲法という非常に大事な規範についての改正手続ですから、国会というところで発議をして、国民投票ということがあって初めて憲法が改正されるんだという、せいぜいその二つぐらいの要件について知っていますかというような聞き方で聞いてみると、多少は知っていますという方が多くなるのかなというふうに思っております。

 さて、本日はそういう形でお話をさせていただきましたけれども、あと一つは、午前中も議論があったと聞いておりますけれども、そういった手続だとかあるいは国民投票法について、今こういう議論があるよということについて広報活動だとかそういうことをもっと頑張ったらいいじゃないかというような話もあったやに聞いておりますけれども、委員長にも大変申しわけない言い方になるかもしれませんし、理事の方もいろいろと御労苦があることは承知いたしておりますけれども、例えば、きょうはせっかくこういった公聴会が午前、午後にわたって開かれる日なんですけれども、十三の知事選が始まるその日にやるということになってしまうと、どうしてもニュースバリューとしてはそっちの方に持っていかれちゃいますから、できれば違う日にセットしていただけたらよかったのかなというふうな感想を持っております。

 それでは、きょう用意していたレジュメのところで、いよいよ本題ということになるんですけれども、国政の重要問題に関する一般的国民投票についてなんですけれども、もう少しこの点についてぜひ議論をしていただきたいと思っております。

 議事録なども拝見をいたしますと、フリーディスカッションのときに少しこの点について議論があったということと、散発的に発言があることがあるんですけれども、やるべきだという方もそうですが、いやいや必要ないんだよという方も、どうも入り口のところで話がとまってしまっているような印象を持っております。

 これから、1のところは、授業のような言い方になってしまうかもしれませんので、少しかたい話になるかもしれませんが、国政の重要問題について一般的な国民投票を行うということは、あたかも憲法四十一条に違反するのではないかというような言い方がされることがあります。ただ、民主党案について言うと、これはあくまでも諮問的なものですよということを改めて申し上げたいと思います。

 その上で、いや、諮問的なものとはいっても事実上国会が拘束されちゃうじゃないですか、だからだめなんですよという議論について申し上げたいと思うんですけれども、やはり事実上拘束力がありますよねという話と法的な拘束力がありますよねということは、全く質的に異なるものであります。例えとして適切かどうかわかりませんけれども、例えば、最高裁判例に先例拘束性があるかという有名な憲法上の議論があります。これについては、日本というのは判例法の国ではなくて制定法の国だから、あくまでも事実上の拘束力があるにすぎず、法的拘束力はないんだと説明をされるのが一般的な学説です。

 つまりは、事実上の拘束力があるからといって、例えば下級裁判所の裁判官に裁判所の独立、司法権の独立は要りませんよねという議論にならないのと同じように、事実上の拘束力があるからといって、国民代表たる国会議員の役割が何かおかしくなっちゃうんじゃないかというような話には私はならないのではないかと思います。また後で述べますように、その事実上の拘束力があるということの中身についても、いま一度具体例を挙げて検討をしていただきたいと思う次第でございます。

 次の点に移ります。

 四十一条に反するという言い方をされるときと、もう少し抽象的な言い方で、代表制民主主義に反するではないかというような議論がされることがあります。参議院の委員会では、前文が引用されてこのような議論がされていたと承知をしております。

 私の意見で申しますと、一般論として言いますと、何でもかんでも国民投票にしてしまえという発想には私は極めてネガティブな人間です。つまりは、本当に大事な重要課題については、時としては、国民の多くの人が賛成はしないけれども、それでも政治の責任でしっかりと説得をして、むしろ世論を変えていかなければいけないケースもありますし、何か判断に困ったときに、まあいいや、国民投票にしてしまえということになると、そういった意味では政治が極めて無責任になってしまうからであります。

 ただ、日本国憲法上、代表制民主主義を原則としておりますけれども、例えば、世界の憲法を見ても極めてユニークな制度ですけれども、最高裁判所の国民審査というユニークな制度がございますけれども、ほかに地方公共団体に関する住民投票など、直接民主主義の制度を補完的に組み合わせた憲法となっております。これを限定列挙とするか例示列挙と解するかというのは、学術的には極めてまずかったかなと思うんですけれども、通説的にはこれは限定列挙であるということでほとんど決着がついている話ではあるんですが、ただ、問題はそういうことではなくて、例えば、諮問的な国民投票ということに対して、現代の民主主義社会においてそれをどう評価するかということを私は申し上げたいと思います。

 つまり、例えばドイツという国では、私が聞いて知っている限りでは、直接民主制というのは絶対にやっちゃいけないことだ、間接民主制こそが本当の民主主義だ、ドイツの人たちはそういった考え方でコンセンサスがあると聞いております。

 なぜかというと、やはり歴史的な背景があって、あのナチス・ドイツというのは、直接民主制の中からああいう経験を我々ドイツ人はしてしまったんだ、だから絶対にああいうことはやっちゃいけないんだという、そういったコンセンサスがあると聞いておりますけれども、同じような認識を例えば我が国での代表民主制に対して持つのか。そうではなくて、いやいや、直接民主制的なやり方、手法というのも一定の間接民主制を補完するやり方ですよねという、むしろそういうことを積極的に評価するのか、これは極めて政治的な決断を必要とするテーマではないかと思います。私は後者の立場に立ちたいと考えているわけであります。

 また、我が国の各種世論調査においても、大事なことはやはり直接決めたいというふうに答えている方がたくさんいらっしゃいます。少なくとも日本においては、ドイツ的な、つまりは間接民主制こそが本当の民主主義なんだというようなコンセンサスは我が国ではないのだろう、むしろ直接民主制に対するアフェクションのようなものが国民一般にはあるのではないかというふうに私は認識をしております。

 もっと言うと、およそ選挙で人を選ぶというときも、例えば経済政策についてはだれだれ先生を、安全保障についてはだれだれ先生の言うことを信じてついていきます、ただ、生命倫理については私は考え方が違いますよという、恐らく選挙を経験されている方は、支援者の方からそういうふうなことを、個別のテーマはともかくとして、言われたことがある方がほとんどではないかと思います。つまりは、幾ら間接民主制だといっても、すべからくすべてのことについて任期中丸投げをしますという有権者の意識があるかというと、やはりちょっと留保したいよねという部分があるのだろう。そこをどのようにつないでいくかということは私は大事なことだと思いますし、ましてや、ここは参議院ではなくて衆議院の場ですのであえて言いますが、衆議院というのは、少なくとも現行法を前提にする限り、小選挙区制で選ばれております、多数代表制です。つまりは、少数意見は特に当委員会は尊重されているなと思っておりますけれども、そういった少数意見よりも多数の方の意を体して皆様議席を持っているわけですから、留保された条項についてあなたにすべて丸投げで白紙委任したわけじゃありませんよという、その有権者のことについては何らかの対応をとる、直接民主制的なことで声を聞くという仕組みについてぜひ御検討をいただきたいと強く思う次第でございます。

 さて、先ほど一般的な国民投票といっても事実上拘束力があるじゃないかという議論でとまっちゃっていますよね、という言い方をあえてさせていただきますが、その中身についてもうちょっとよく検討してほしいと思うんです。

 つまりは、例えとして適切かどうかはさておき、義務教育を高校までにしようという政策があったとします。これは義務教育を例えば高校まで無償化するという話ではありません、義務教育を高校までにしますというテーマがあったとします。

 形式的な理屈をいえば、これは法律で変えればいいことですから法律事項なんでしょう。しかし、一方で、戦後六十年間にわたって、国民の中では義務教育というのは中学までというのは、ほぼ準憲法的な、憲法習律と言ってもいいような形になっていると思います。また、憲法上の対立利益もあります。義務教育を終わった子、子と言っては失礼かもしれませんけれども、終わった段階で、例えばおそば屋さんを継がなきゃいけないとか仕事をしなきゃいけないという、職業選択の自由に対して一定の制約を課すという話にもなりますから、例えばこういうことについて、もしそういうことであるとすると、一般的な国民投票になじむ話ではないかと私は思います。違うという意見もあるかもしれませんが。

 もし仮にそういうようなことについて国民投票をやったとしましょう。そして、本当の僅差で否決をされたけれども例えば世論調査では圧倒的に未成年者層は賛成していたとか、逆に、一般的な国民投票で僅差で可決したけれども圧倒的に世論調査では未成年者は反対していた、つまりは当事者がこうだったというようなときに、本当に事実上の拘束力があって、僅差でともかく可決したんだからということで国会がそれに従って動かなきゃいけないだろうか。あくまでも諮問的なということは、そこに法的な拘束力がないという妙があって、その上で、子供たち、当事者がこう言うというのであれば、大人でいらっしゃる先生方がもう一回考え直そうとかそういうこともあり得るかもしれない。

 また、これも例として適切かどうかわかりませんけれども、皇室典範を改正して女性天皇を認めよう、あるいは女系天皇を認めようという議論があったとします。これも釈迦に説法ですけれども、皇室典範というのは、法形式上は法律の形をとっていますから、国会で決めたとして憲法違反だという議論にはならないんだと思います。

 一部学説には、天皇というのは世襲と憲法上規定しているので、世襲というのは血の承継である、世襲というのは、つまりは男系男子でなきゃ事実上いけないんだという学説もあることはあります。その説に従うと、女性天皇、女性はいいのかな、女系天皇を認めるというのは憲法改正が必要だということになるわけです。ただ、私は学説として説得力のある話だと思いますけれども、確信も持っていませんので、そこのところについて憲法改正手続が必要だとは思っていないんですけれども、むしろこういったことについては、これは私見ですけれども、ちゃんと国民投票でやるべきではないかと思っております。

 つまりは、憲法典に規定されていることは、本当にささいなと言っては怒られるかもしれませんけれども、極めて技術的なことからいろいろな種々雑多なものが入っています。また、本来であれば憲法に規定すべきことが法律に落ちているケースもあります。私は、皇室典範の点についてはその一例だと思いますけれども。

 さて、その上で、例えば女性天皇あるいは女系天皇をつくりましょう、容認しましょうということについて国民投票をやったとして、僅差の過半数でゴーサインが出た、ゴーサインというか賛成が多かったというときに、私は、それは本当にその結果を受けて皇室典範を改正していいんですかねと申し上げたいと思います。日本国民統合の象徴たる天皇をどうするかということについて、やはりそれは、どの程度が適切かということはわかりませんけれども、国民投票をやるんだとすれば、七割、八割ぐらいの賛成がなければやるべきではないと思います。これをもし憲法改正の正規のルートでやるとすると、一票でも多ければ、もう発案されているんですから、それで憲法改正しますという話になってしまいますが、諮問的な国民投票だからこそ、その投票結果を見た上でどうしましょうかねという判断ができるのではないか。

 つまりは、事実上拘束力があるからだめよねという極めて抽象化したレベルで話をされると、うん、そうかなと思っちゃうんですけれども、こうやって具体的なケースを想定して、本当に事実上の拘束力というのがどの程度のものなのかということについては、これまでこの委員会の中でも余り議論をされていなかったように見受けられます。

 ちょっと先を急ぎますけれども、そういった課題について、ではどういうテーマがなじむのということについては、これはあらかじめ類型化してこういうテーマ、こういうテーマという話にはなりにくいのであって、その時々の具体的な状況に応じて判断をしていく。そして、例えば各会派で国民投票をすることについて認識が一致をすれば、我が党はこれについては反対だけれども国民の皆さんに聞いてくれ、多分国民投票をやれば反対が多数を占めるからとか、そういうことで手続についても工夫をしたりとか、先ほど申し上げましたように、過半数だから自動的にゴーサインという話じゃないんですよというコンセンサスを得ながらやっていくということも考えられるのではないかと思うわけであります。

 最後の方になりますけれども、こういった一般的な国民投票は認められないと主張されている見解を読ませていただくと、大きく分けると二とおりあるんだと思います。

 そもそも認められませんという話なんですけれども、先ほど申し上げましたように、そもそも認められないという規範は私は存在していないと思いますし、いろいろな工夫のしようがあるということを申し上げたいと思います。

 また、それは憲法改正の国民投票とは区別すべきでしょうという話、これは理解できるのですけれども、では、どうして今一緒に議論することがだめよという話になるのかは、ちょっと私には理解がしづらいところであります。あくまでも、どういう人たちに投票権を与えるのかとか投票方法をどうするかという技術的な面ですから、ほとんどかぶるところがあるわけでありまして、一体、今議論をしないでいつするのだというような思いでございます。

 ほかにもいろいろと申し上げたいことがあるんですけれども、時間でございますので、こういった点なども引き続き御議論をいただいて、しっかりと合意のもとに進められることを望む次第でございます。

 以上です。(拍手)

中山委員長 次に、高田公述人、お願いいたします。

高田公述人 私は、二〇〇〇年一月からの憲法調査会、実は、五年半にわたって実質審議はほとんど傍聴をしてきました。随分、委員の皆さんのお顔も覚えているんですけれども。地方公聴会も北海道から沖縄まですべて出ています。衆議院、参議院と両方傍聴していますから、そういう意味では中山先生よりも出席は多いかもしれない。特別委員会になってからは、ちょっと思うところもありまして毎回は来ていないんですけれども、その五年半にわたる傍聴の中で、私は非常に残念だなと思うのは、どう聞いていても、この議論はやはり最初に出口が決まっている議論になっていないかというのをずっと疑問に思っていました。きょう、こういう機会ですので改めてそのことだけは言わせていただきたいんですが。

 返す返すも残念なのは、憲法調査会で、日本国憲法が今日の日本社会においてどこまで実現されているのか、どこまで実現されていないのか、そしてその理由は何なのかというところから調査を始めていただかなかったというのが私にとっては非常に残念です。憲法調査会というのは、本来、それをぜひやっていただきたかった。しかし、現実に始まったのは、憲法制定経緯の検討と二十一世紀日本のあるべき姿と憲法という形で、これはどちらから見ても、私に言わせれば、一種の結論が誘導されやすいテーマでやられてしまったということが、私は五年半ずっと傍聴しながら傍聴席で非常に残念に思っていました。

 きょうも市民の方がたくさん傍聴に来ていますけれども、本当にこの問題は市民にとっても重要な問題であって、私たちも傍聴席から皆さんの議論を真剣に聞いてきたつもりですけれども、最近でいえば、一週間前の十五日のこの特別委員会の姿というのは、私は本当にびっくりしました。憲法調査会で、思い出してみても、こういう姿があったかなということを本当に思いました。私は傍聴席にいて、どういう提案がされて採決されたのか、委員の皆さんが、与党の人たちが一斉に三度ほど立ち上がったのは見たんですけれども、それは傍聴席にいては聞こえないんですね。こういう形の運営になるというのは、非常にこの運営が急がれたんだというふうに私は思っておるんです。憲法の問題で五年半やってきて、その後一年幾らやっているこの問題で、どうしてここに来てこんなふうに急ぐのか。中山会長、中山委員長、ずっとこの間、こういう運営は、多分、私の印象では余り好きではなかったはずだ。しかし、ここに来てどうしてそういうことをやるのかというのは、先日の委員会も傍聴していて私は非常に疑問に思ったわけです。

 実は危惧していることがありまして、きょう、最初にも意見があったんですけれども、安倍首相が今度の国会の冒頭であるいはその前後において、自分の任期中に憲法改正をやりたい、私の内閣で憲法改正をやるんだということを宣言し、夏の参議院選挙では憲法問題を争点にするという、何度もこの委員会で指摘されたことではありますけれども、こういう言明をしながら、そして、施政方針演説では、そういうことからいわばこの改憲手続法を今度の百六十六国会ではやっていただきたいという趣旨のことを首相が言う、このことについて私はもっともっと委員の皆さんから批判が起きるかなと思ったんですけれども、それがそうにもならない。国会の場でも、それに対して本当に批判があったとは私は思えない。メディアのあり方も問題だとは思うんですけれども、こういう形でこの手続法の審議を始めていいんでしょうか。冒頭に抗議すべきだという意見がありました、私とは手続法については立場が違うようでありますけれども、私は重要な見識だと思うんですね。中山委員長以下、委員の皆さんがこうした安倍首相の発言に対して厳しくチェックをしなくて、この国の三権分立とかそういうことが本当に語られるのか。私は、傍聴席から見ていて、そのことは今なお非常に残念に思っています。

 それで、この法案についてですけれども、この法案も、最初から例えば立法不作為論というのがありましたし、与党の皆さんは、この法案は別に自分たちが憲法改正を考えているから今出しているとか出していないとかいう問題ではなくて、極めてニュートラルな問題だというふうに何度も言われてきたと思うんですね。しかし、こういう安倍首相の説明はこれまで説明された与党の皆さんの意見を全く覆す、首相みずから全くニュートラルではなくて安倍首相の憲法に対する態度とこの法案がどんなにしっかりと結びついているかということを言っているわけですから、立法不作為論とかこれまで言われてきたさまざまな議論というのはこの中で覆されているんではないか。

 思うに、どうしてこんなふうに急ぐのか。改憲手続法だから、できるだけ静かな環境の中でつくりたいというふうに民主党の委員の方もおっしゃった。それは、そういう考え方があろうと思います。しかし、今、果たして静かな環境かどうか、この問題が大事だと思うんです。

 既に、自由民主党は新憲法草案というのを出している、そして、安倍首相がそう言っている、また、ことしの二月にはアーミテージ報告というのが出て、安倍首相を初めとして日本の国会がこういう努力をしていることを大変結構だ、力強い、もっと頑張っていただきたいと言っている最中で、これは決して静かな環境ではないと思うのです。だから、そういう意味では、今、改憲手続法を議論するには極めて適切ではない情勢の中で、それも、こんなに急がれている、ここは私はどうしても納得ができない点であります。

 その上で、法案の幾つかの問題点、これも法案が現実には与党案と民主党案とあるのでなかなか議論がしにくいんですが、この修正案という話の中で私がどうしても疑問なのは、例えば、もちろん一般的国民投票の問題ではいまだに合意がないはずですし、それから投票権者の年齢の問題も、一般的国民投票の問題によっては十六歳という指摘も当初はあったわけですけれども、これも修正案の中ではなくなっている。あるいは、投票総数の問題かあるいは有効投票の過半数かという問題についても、いつの間にかこの修正協議の中ではその議論は非常にあいまいになっている。あいまいになることはあるにしても、なぜそうなったのかということが私たちの方から見ているとわからない。民主党さんにしても、どうして修正協議のところにそういう意見になっているのかというのがどうしてもわからないんですね。十六歳の問題でもそうです、非常にわかりにくい。十六歳の問題にこだわるというのは、私は、投票権者の年齢の問題は非常に重要であって、決してこれは与党案と民主党案の意見の違いのところにだけ今日の法案の問題があるのではないというふうに思っているからです。

 そして、私は市民運動の場にいては、義務教育終了年齢者に対して投票権を与えるという問題を、例えばここで議決されないにしても、それはなぜ正しくないのか、それは今度の法案ではなぜだめなのかということをもっともっと議論していただきたい。そういうこととの関連で十六歳という問題も私は非常に重要だと思いますし、二百万人ないし四百万人の人々に投票権を与えるか与えないかという問題ですから、この問題は、いつの間にか、あるいは与党と民主党さんの話し合いの中でどうなったということだけではなくて、ちゃんと理由を私たちにわかるように説明していただきたいというふうに切に思います。

 そして、メディアの報道の中では、今も言いましたようにほとんどの問題が与党案と民主党案がどこが違うか、そしてこの違いがどんなふうに今埋められているかという話があるんですけれども、私は、この法案の問題は、そこにもありますけれども、それ以外にも、要するに与党案、民主党案そのものにも多くの問題があるというふうに思うわけです。こういう問題についてのこの委員会での議論というのは、私は決して十分とは思いません。

 さまざまな問題があります。

 一括投票の問題は、かなりこの中で指摘がされて、少なくとも環境権と九条が一緒にされるような一括投票というのはなくなったようです。

 しかしながら、いまだに一括投票について私は疑問に思うことがあります。何度も指摘されていますが、私も繰り返しますけれども、同じ九条の中でも、自衛軍をつくるという問題と、この自衛軍が海外で軍事活動をするような問題、あるいは、公共の秩序を維持するときに警察にかわって出てくるような問題、これはそれぞれ一個一個違う問題だと私は思うんです。関連するといえば関連するかもしれませんけれども、少なくとも一くくりにされては困る。

 しかし、今度やられる国民投票の中で、これがいわゆる関連事項で一くくりにされる危険はないでしょうか。この三点についてそれぞれ賛成、反対と違った意見を持っている人はどのような投票をすればいいでしょうか。こういうことについての議論はまだ煮詰まっていないように思います。

 多く指摘されているテレビやラジオの有料スポット広告の問題もそうです。

 私は、結論から言えば、国民投票運動期間は全面禁止をすべきだという意見を、実は一年以上も前からずっと、市民運動の中では少数派の時点から言い続けてきたグループの一人です。私は今でもそう思います。

 しかし、それはおいておいて、これについて、弁護士会の意見にしても、あるいは民放協会の意見にしても、私のような市民運動の意見にしても、これだけ違うときに、どうしてこんなに出口を急ぐのかということについては、私は、幾ら何でも私が言っていることに無理はないだろうと思うんです。私の意見と違うにしても、現実にこれだけの違いがある。それを一週間や一カ月や半年やそういう中で決めていいものでしょうか。あるいは、後でこれについて再度明らかにすればいいという問題でしょうか。

 有料テレビスポット広告の問題というのは大変重要な問題だと思うだけに、この問題は本当にまだまだこの委員会で議論をしていただきたい。せめて、見ていて、なるほどな、自分とは違うけれどもそういう立場の意見はそういう論議があるのかということがわかるようにしていただきたい。これは、単に言論の自由の問題とか表現の自由の問題とかで簡単に結論づけられる問題ではないというふうに私は思っています。

 憲法審査会の問題についても私は非常に疑問に思います。

 この憲法改正手続法案の中で、憲法審査会はどうにも見ていて据わりが悪いわけです。どう見ても異物がここに入っているように思えるんです。これは手続法の問題ではないでしょうということを私は言いたいし、この審査会の中でこれからどのように運営されるかについては、それを考えると非常に不安があります。

 私は思うんですけれども、失礼ながら、九十九条について最近は非常に軽視される傾向が国会の中でもありはしないかというふうに思っています。憲法審査会の議論がそれをさらに促進するようなものになるというおそれはないか。据わりが悪いだけではなくて、憲法審査会がそういう役割をする危険性はないだろうか。このことについてもきっちりと歯どめをかける必要があろうし、そういう議論が必要だと思うんです。

 国民投票運動の期間は、きょうも午前中に言われました、私は余りにも短過ぎる。憲法調査会で五年半議論し、その後、特別委員会で一年半、さまざまに憲法の問題を議論してきている。私たちが、有権者が憲法の問題について考えるときに、二カ月や半年で本当に結論が出せるものでしょうか。ある時期に、興奮状態にあったり、かっかかっかしているときに一定の結論を出されるのは、憲法問題では本当に困ります。やはり熟慮期間、熟議期間というのが必要だろうと思います。

 東京大学の憲法学の先生は二年は必要だと言っています。先ほどは、小澤さんは最低百八十日以上と言いました。特別私も根拠はありませんが、一年とか二年とか、憲法の問題をどうしてゆっくり議論をしていけないのか。将来の百年の大計の問題であったら、市民が憲法の問題を一年や二年一生懸命考えるというのは、かえって、その中で私たち自身が主権者としてこの国の民主主義を発展させていく上で非常に重要でしょう。まして、初めてやる国民投票です。まして、もしかすると今度の投票は憲法九条が問われるかもしれない、そういう投票です。であれば、半年でも私は短いと思います。どうかこのことを本当に考えていただきたいと思います。

 ほかにも、午前中に出た公務員、教員の運動の制限とか最低投票率の問題とか、たくさんありまして、確かに、それぞれの論点について委員の皆さんからいろいろと触れられて意見の説明もされています。しかし、この委員会でそのことをもっと詰める必要が今こそあるのではないかというふうに私は思っています。

 きょう公聴会がありまして、委員の皆さんが考えていることではないのかもしれませんけれども、マスコミ報道では、この後、いつ採決で、いつ参議院に送られて、そして参議院では週二回審議をして、何としてもこの国会でこの法案を上げるんだというような報道が頻繁にされています。

 一週間に二回、憲法の問題で、こんな大事な問題で、委員の皆さんがこんな忙しいときに、きょう午前中でいえば、ある瞬間は委員の皆さんは半数ぐらいしかいない、そういう場で議論をせざるを得ない。かつてのことは言いませんけれども、最近は出席率はいいですけれども、それにしても委員の皆さんが忙し過ぎる、こういう忙しいときに、なぜわざわざ週に二回もやるほど急ぐのか。

 公聴会があって一週間とか二週間後に結論を出すような、そういう委員会を開くというような報道をそのままにしておくのか。間違っているなら、報道に抗議をしていただきたい。私たちは、報道を通じてしか皆さんのこれからの計画というのを知ることができないんです。ですから、そのことが本当に正しいのであれば、私は大変なことが今進んでいるというふうに思いますし、どうかその点では本当に慎重審議をお願いしたいと思います。

 多少乱暴なことを言っているかもしれません。しかし、本当にこの傍聴席から、きょうも来ている皆さんが、皆さんの審議を見ながらもっともっと憲法のことを自分のものとしてしっかりと考えたい、そういうふうな意見でみんな来ています。そうした仲間を代表する意味でも、きょうは発言をさせていただきました。

 ありがとうございます。(拍手)

中山委員長 以上で公述人の方々からの御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

中山委員長 これより公述人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。愛知和男君。

愛知委員 自民党の愛知和男でございます。

 公述人の皆様方、お忙しいところをきょうはありがとうございました。貴重な御意見をいただきまして、大変ありがとうございました。

 最初に、ごく簡単に確認をさせていただきたいと思うんですが、本田参考人は冒頭にぜひ国民投票法は必要だと明確にお述べになったと思います。それでよろしいんですね。

本田公述人 はい。基本的に国民投票法の制定には大賛成でございます。

愛知委員 山花公述人はいかがですか。

山花公述人 一般論として言うと必要であるという答えになります。

 ただ、中身については、ぜひ今言ったような方向で検討していただきたいという立場です。

愛知委員 必要であるということについては、それでよろしいんですね。

山花公述人 はい、そのとおりです。

愛知委員 では、高田公述人にお伺いいたしますが、国民投票法は必要だとお考えですか。

高田公述人 今つくるべきではないというふうに思います。

愛知委員 今必要でないというのはどういう意味でしょうか。いつになったら必要になるんですか。

高田公述人 多くの市民、有権者が憲法改正の問題を自分の課題として、世論として憲法改正の機運が盛り上がったときにはそういうことが必要になるかもしれませんけれども、アメリカや安倍首相が先ほどのように言っている環境の中では、今つくれば大きな間違いを起こす、そういう意味です。

愛知委員 つまり、憲法改正をさせないために国民投票法は要らない、こういう御意見ですか。

高田公述人 そういうふうに理解していただいてもいいですけれども、私が言いたいのは、そういうことよりも、今はこの改憲手続法をつくったりする時期としては適当ではないということです。

愛知委員 それでは、今議題になっております国民投票法の中身について幾つか御意見を聞かせていただきます。高田公述人には、必要ないという御意見のようですので、余りお聞きしても意味がないかな、こういう感じがいたしますので、主としてあとのお二人の公述人にお伺いをしてみたいと思います。

 最初に、先ほどお述べになりましたことを繰り返し確認するようなことになると思いますが、国民投票の対象につきまして、一般的国民投票制度というのは、その効果が、諮問的であるといたしましても事実上の拘束力があるということは否定できませんので、議会制民主主義の根幹にかかわる重要な問題である、こういうふうに思いますが、この点いかがでしょうか、本田公述人。

本田公述人 今、愛知先生御指摘になったとおりでございます。諸外国の例に照らしまして、レファレンダムを導入している国は少なくありませんけれども、もしも導入するとしましたら、もっと根本的な議論をしなければ。先ほど愛知先生もおっしゃいましたように議会制民主主義の根幹にかかわりますので、ついでと言ったらおしかりを受けるかもしれませんけれども、この法案の何か一部としてよりも、別建てできちんと議論しなければいけない問題ではないかと考えております。

愛知委員 山花公述人に同じ質問でございますが、先ほど随分いろいろとこの点についてはお述べになりましたが、ただいまの本田公述人のお話、これは別に議論した方がいいんじゃないかということについて、先ほど切り離すかという議論についてもちょっとお触れになりましたけれども、その点について改めてどうお考えになりますか。

山花公述人 繰り返しになってしまうかもしれませんけれども、議会制民主主義の根幹にかかわるとか、あるいは代表民主制をとっているんだからとか、そういった抽象度の高いセリフで言われると何かそうかなという感じになってしまうんですけれども、むしろ、先ほど申し上げましたように、事実上拘束力があるといっても、その拘束力は具体的なケースに当てはめてみるとどの程度のものなんだろうか。

 あるいは、先ほどもう具体例を挙げましたので繰り返しませんけれども、単純に過半数を占めたからといって、それに国会が常に拘束されるとは限らないケースもあるということをお示しした上で、ぜひこの機会にこの場で、現に民主党案の中にはそういったものが入っているわけですから、その点についての議論を深めていただきたいという趣旨でございます。

愛知委員 その問題を切り離すということについて、その部分だけ別の法律にして国会で審議をするというやり方もあると思うんですが、いかがですか。

山花公述人 そういう質問をされると少し立場的な答えになってしまうかもしれませんけれども、現に当委員会で両案が出ている、そして民主党案についてはその部分が入っているわけですから、別建てでやったらどうだと言われるのであれば、自民党さん、公明党さんで対案の形でこの場にお示しをいただければよいのではないかと思います。

愛知委員 別のことで伺います。

 お話になかった点でございますが、公務員、教育者の地位利用による国民投票運動の禁止の是非ということにつきましてお伺いしたいと思います。

 公務員あるいは教育者が、その地位にあるために特に国民投票運動を効果的に行い得る影響力または便益を利用して国民投票運動をすることまで認めますと、国民投票の公正を確保することができなくなるのではないかと思われますが、この点について本田公述人から御意見を聞きたいと思います。

本田公述人 私、専門は政治学でして法律ではないものですからどこまで的確なお答えができるかわかりませんけれども、思っていることを申し上げますれば、公務員も当然この制限を受けるべきだと思いますし、教育者についてはもちろん制限されていますけれども、一定の罰則がなければそれほど効果が出ないのではないかと考えております。

愛知委員 同じ質問を山花公述人に御質問したいと思います。

山花公述人 公務員、教育者の地位利用によって、憲法改正あるいは国民投票の結果に不都合な影響が生じるという御懸念については、私は余りそういう懸念を持っていないものですから。

 と申しますのも、もちろん、その地位を利用して何かおかしなことをしようとする人もいるかもしれない。ただ、他方で、投票年齢が十八歳以上ということになりますと、実際、教育者といっても、働きかけをする対象は少なくとも大学生以上ということになりますから、大学の教員なども入ってくる可能性があり、また、そうだとすると、むしろそれについて制限を加えることによって、ほかの例えば学問の自由であるとか表現の自由に対する萎縮的な効果が働いてしまう、そういう懸念を持っております。

 現在の、提案されているような規定のしぶりで本当によいのかなと。私はむしろ、国民投票については今まで一回も我が国はやったことがないわけでありますから、実際にその辺の、間違いなくこんなおかしなことが起こるという立法事実が確認できませんので、ちょっと粗っぽい言い方かもしれませんけれども、実際やってみた上で、つまりは規制なしでフリーでやってみた上で、やはりこういうことがあるじゃないかというときに規制を考えるべきではないかと考えております。

愛知委員 それでは、ちょっと次のテーマに移りますが、メディア規制についてでございます。

 放送メディアにおける広告につきましては、表現の自由の重要性は十分配慮する必要があると思いますが、投票期日直前は、国民が放送メディアの影響から離れて冷静に判断するためのいわゆる冷却期間というのが必要ではないか、そのため有料の広告放送を禁止することが必要であると考えられますが、これについてどのようにお考えになるか。本田公述人、お願いいたします。

本田公述人 先ほども申し上げましたように、私は法律ですとか公選法は決して専門ではございませんので的確なお答えができるかわかりませんけれども、けさの御議論でもあったかと思うんですけれども、今日、メディアの果たす役割は非常に大きいわけですので、国民が本当に冷静になるために、自主規制というものだけにゆだねていいのかという疑問は持っております。そういう意味では、本当にそれが担保されるような仕組みも必要なのかなというふうに思っております。

 以上です。

愛知委員 山花公述人にも同じ質問をさせていただきます。

山花公述人 理想としては、メディアの自主規制だけでできるということが私は理想だと思います。ただ、ペーパーのメディアであれば、広告なり何なり、多少大げさなキャッチコピーを書いたとしても、後から冷静にちょっとどうだろうと思ったりとか、あるいは細かな字で注意書きでも書いてあれば、ああ何だこういうことかということもあるかもしれません。新聞などのペーパーの場合と違って、やはり放送の媒体というのはもう瞬間的なことであり、また視覚に訴えるときにはどうしても扇情的になってしまうおそれもございますので、特に有料広告については、御指摘のとおり一定の規制というのはあり得る話だと承知をいたしております。

愛知委員 それでは次の課題でございます。

 これは本田公述人もかなり詳しくお触れになりましたが、両院合同審査会についてでございます。

 午前中の公聴会で江橋公述人が両院の合同審査会についての御見解を述べられましたが、大変傾聴に値する御意見であったかなと思っております。二院制のもとにおける憲法改正手続におきましては両院の合同審査会を積極的に活用するのが望ましいという江橋公述人の御見解でございましたが、この御見解を本田公述人はどのように受け取られますか。

本田公述人 申しわけございません、私は、けさの公聴会、準備をしておりました関係で十分お聞きしておりませんけれども、先ほど申し上げたことと若干重なるかもしれませんけれども、憲法改正という非常に重要な問題を実行しますためには、そうした運用というのはやむを得ない場合があるのかもしれません。効率という言葉はあえて使いたくありませんけれども、それの方が立法過程という意味ではうまく進むのかもしれません。

 しかし、それならばこそ、きちんとそれは位置づけというものを明確にしなければ。何か両院協議会とも違う、しかし任意の協議会とも違う、非常にあやふやな存在になっている、そこが勧告権という非常に強い権限を行使する、それについて国会のあり方として疑念を持っておりますので、それは決して反対という意味ではなくて、きちんと明確化する必要があるのではないかというふうに申し上げております。

愛知委員 山花公述人に同じ質問をさせていただきます。

山花公述人 申しわけありません、私も、午前中の江橋先生の御議論というのは拝聴いたしておりませんものですから適切なコメントができませんけれども、ただ、一般論として申し上げれば、合同審査会というようなものをつくらないと、それぞれの、例えば総務委員会で地方分権の憲法の議論をしろといっても、それは事実上やはり難しいんだろうなと思いますので、何らかの憲法についての受け皿というのが必要ではないか、それが合同審査会という形なのかなというふうに理解をいたしております。

愛知委員 それぞれ公述人から貴重な御意見をありがとうございました。

 私どもといたしましても、この法案を与党単独で上げてしまおうなどというようなことは考えていないわけで、何とか合意点を見出すために努力をしてきたということはもうよくおわかりのとおりだと思います。しかし、民主主義ですから、最後は多数決で決めなきゃならないという場面だって出てくることは否定できないわけでございまして、いわゆる審議拒否などということ、あるいは採決に出てこないというようなことにならないで、ぜひ各党出てきていただいて、それで採決をするという決着をしたい、こういう願いでこれからもやっていきたいと思っております。

 いずれにいたしましても、公述人にはお忙しいところおいでいただきまして、貴重な御意見をまことにありがとうございました。私の質問を終わります。

中山委員長 次に、中川正春君。

中川(正)委員 民主党の中川正春です。

 本田さん、山花さん、高田さん、お三人の公述人の皆さんには、きょうは本当にありがとうございました。それぞれの皆さんの憲法の問題に対する心入れといいますか、真剣なまなざしを向けて追っていただく様子というのがしっかり伝わってきまして、私も、議論をもう少し深めていければというふうに思っております。

 この委員会というのは、我々が普通国会の中で議論をしている他の委員会と比べると違うんですね。ことしは、私も、それからうちの筆頭の枝野さんも、特に予算委員会とこの委員会を兼ねておりまして、予算委員会で大げんかしてきたその背景からいくと、こちらに来るといつもほっとするといいますか内容に集中ができる。もっと別な言い方をすれば、ここにはポリティサイズするという意思がない、いわゆる政治争点化していくような意思がない。

 そうじゃなくて、一つ一つの憲法の中身について真剣にみんなが集中をして議論ができる、そういう環境というものに委員長も、会長も努力してやってこられたし、我々もそのつもりでやってきたということだと思うんです。過去五年半の憲法本体に対する論点整理もそうでありましたし、今回の国民投票についても、そういう意味では同じような思いでやってきたわけなんです。

 ところが、安倍政権にかわってからちょっと風向きが変わってきまして、この間の強行採決といいますか、委員長職権で立った、そういう中で、私も本来の私じゃないんですけれども、前に行って委員長の席で机をたたいたりしてしまったんですが、そういうことで流れが変わってきているんですね。

 私は、この国民投票の議論については、これは憲法本体の議論をどんなプロセスでつくっていくか、いわば一般の我々の委員会が政治的な争点をはっきりとつくっていって国民にその選択肢を見せていくための委員会だとすれば、この特別委員会はそうじゃなくて逆にコンセンサスをつくっていく。最終的に三分の二以上の発議ということは、その中にコンセンサスがあって、国会としてはこうした議論にまとめましたよ、それに対して国民がイエスと言ってくれるのかノーと言ってくれるのか、これを問うていく、そのためのコンセンサスづくりというプロセスなので、基本的には私たちのは一般の委員会の議論とは違うんだろう、また、そのプロセスも違うんだろう、そういう想定の中で国民投票が議論されなければならないんだろうというふうに思っているんですね。

 そういう前提に立ったときに、私のさっきの考え方に対してお三人にコメントをいただきたいのが一つと、それからもう一つは、そういう考え方に立ったときに、今の私たちの議論のあり方、特にこの間から混乱をしている話、それから、安倍さんがこれを政治争点化していくんじゃないかな、こういう流れをつくり出しているような形、これをどのように評価されるかということをまずお聞きしたいと思うんですが、どうでしょうか。

本田公述人 今中川先生のおっしゃったことの多くの部分、私は全く同感でございます。コンセンサスをつくる重要性ということはそのとおりだろうと思います。とりわけ今回のこの国民投票法案は、先ほど私冒頭に申し上げましたように、水泳でいいましたら飛び込み台に相当するものですので、そこをせっかく今まで与党も野党も一生懸命積み重ねてこられた、そういう中で、何か無理やり、先ほど最終的には多数決というお話がございましたけれども、できる限り、決して合意できないものではないと思いますので、何らかの形でコンセンサスを最後まで求めていっていただきたいと思います。それが今後、実際の憲法改正作業が始まりましたときに、そういうコンセンサスがあった方が速やかに物事が進むんだろうと思います。

 それから、最近の進め方でございますけれども、私、詳しいことは不案内でございますけれども、一般的なイメージとして、これも先ほど申し上げましたけれども、行政府の方からいついつという発言に基づいてもしもこの委員会が運営されているとしましたら、それは三権分立の原則に反するものです。

 ただ逆に、それは単なる新聞の誤報であって、委員長の御判断でそれをされているとしましたら、それは望ましい姿ではないかもしれませんけれども、一つの独自性のあり方として認められていいのかなというふうに思っております。

 以上です。

山花公述人 中川先生の御指摘については、ほとんど同じような感想を持っているということが一つです。

 あと、議論のあり方については、私は最近の空気というのはよく承知いたしておりませんけれども、もし何か変わってきたということであれば、どうしちゃったのかしらと。今まで随分といろいろな苦労をしてきているわけですから、そこは何とか最後のところも乗り越えていただきたいと思っております。

 また、首相が憲法改正を次の選挙か何かで争点とすると言ったとか言わないとかいう報道がされておりますけれども、およそ憲法改正が選挙のときに争点になるというのが、私は余りイメージがわかないのであります。

 これは、現在の政党の枠組みであれ、かつての多党制のときであれ、三分の二の国会の合意がなければ発議ができないわけですから、今日の状況でいうと、社民党さん、共産党さんはとんでもないと言われるかもしれないですけれども、あくまでも例としてお聞きいただきたいんですけれども、ほとんどの会派が合意をして出しているわけです。

 つまり、中身の当否は別として、三分の二のコンセンサスがあって出ているということは、選挙の際、恐らく、例えば衆議院であれば小選挙区で争う人同士の間で同じような提起をしているわけですから、三分の一以下の勢力の方は、それは断固だめだと言うのか、あるいは、もしかしたら同じ主張をしているかもしれない。

 したがって、選挙で争点にしようという発想が、そもそも憲法の三分の二条項を御存じなのかなというふうな印象を持っております。

 以上です。

高田公述人 中川委員の言おうとしていることについては非常によく理解はできますし、ぜひそういうふうにあってほしいなと心から願っています。

 しかしながら、この問題はやはり、多数決だというふうにいいますけれども、もう何人もの方がこれまでも言っていますように、やはり九十六条との関係でいえば、法律上は多数決で決めていいことであっても多数決でやってはならないことはまた明確なわけで、与党だけでこの法案を単独で決めるとか、あるいは、まだまだ市民の間ではこの法案の中身を含めて知られていない状況ですから、そのことと別に国会の中だけで一瀉千里に走るというようなことはぜひ避けていただきたい、そういうふうに思います。

中川(正)委員 私も、最終的にはこの委員会のメンバーで、特に会長を含めて、中心になっていただく皆さんがどこまで踏ん張れるか。国対方針とかあるいは官邸の意向とかいろいろあるんですけれども、それに対して断固として私たちは違うんだ、憲法はこれまでの政治枠組みの中で議論をしていくんじゃなくて、独自の現場の真摯な議論に基づいてコンセンサスをつくっていくんだという、そこの踏ん張りにかかっているんだというふうに思いまして、改めてこっちの方を向いて、頑張っていきましょうというエールを送りたいというふうに思います。

 あと山花さんも指摘をされましたけれども、コンセンサスというか、与野党、特に、これまでの議論の中で残ってきている問題というのが、一般的な国民投票というイシューなんだというふうに思うんです。午前中もいろいろな議論が出たんですが、私は、本田さんのお話もありましたけれども、基本的に何を具体的なイシューにして国民投票にかけていくのかという問題と、国民投票にかけるのかかけないのかというその意思も含めて、これは国会にあるということだと思うんです。

 自動的に国民投票にかかっていくわけじゃなくて、我々がそこのところを最終的には判断していく、そういう前提を残しているわけですから、間接民主主義の中のいわゆる国会が立法権としての最高機関なんだということについて侵食をするような話じゃない、そのレベルの国民投票の議論をしているんじゃないんだということを私なりにまず前提として考えているんですけれども、それについては、本田さん、それから山花さん、どのように解釈をされていますか。

    〔委員長退席、保岡委員長代理着席〕

本田公述人 御指摘は理解できますけれども、しかし、先ほども申し上げましたように、憲法改正案以外を国民投票にかける道を開くことになるということは、これはやはり議会制民主主義の根幹にかかわる部分だと思いますので、なおかつ議会制度協議会というところでよく議論をする必要があるのではないかというふうに思います。

 以上です。

山花公述人 私は、中川先生の御議論ですけれども、つまるところは、憲法解釈でいうと、憲法四十一条が国会が唯一の立法機関だと言っているというところをどう考えるのかということによるんだと思います。

 その上で、くどいようですけれども、あくまでも諮問的なものですから、立法の契機になることはあるかもしれないけれども、先ほど来申し上げているように、その結果にどの程度拘束されるのかという話については、また別途議論としてあり得るんだと思います。

 そもそも、そういったきっかけがよそからあってはいけなくて、国会の中ですべてきっかけをつくって最後まで完結しなきゃいけないんだという議論があるんだとすると、内閣に法案の提出権があると今解釈されて運用されている、このことだっておかしいじゃないかという話になるのではないかと思います。

中川(正)委員 私は、やはり国民投票を、間接民主主義を補完していく機能に限ってぜひ導入すべきだ、そういう考えに立っております。

 一方で、これまでも議論が出ましたけれども、政党ということを背景にして選挙で政策の選択をしていくということ。しかし、これはトータルイシューなんですよね。国民にとっては、その中の一つを取り出して、それに対してしっかり意思表示をしていこうということにはならない。

 それだけに、シングルイシューといいますか、本当に国の根幹、基幹にかかわることとか、あるいは倫理といいますか、人一人一人の哲学とか倫理にかかわることで、政党がそれを一つの意見に集約しながら政策にまとめていくということができない、そういうイシューというのはたくさんあると思うんです。それからもう一つは、午前中も話が出ましたが、国の基幹イシューといいますか、そういうものについてもやはり同じことが言えるんだろうと。それは、我々国会議員としても、やはり国民の意思を改めて問うてみたいということがあります。

 そんな中で、さっきからちょっとはっきりしていないのは、憲法改正にかかわる国民投票と一般的な国民投票のプロセスが違うんですよね。九十六条で想定していることは、一たん国会が三分の二以上で結論を出して具体的な憲法案を提案するわけですよね。ところが、一般的な国民投票というのは、我々が法案を実際につくっていく前に、争点化というか論点整理をした上で、それについてこの方向で行くけれどもどうか、それを聞いてから私たちが判断をするという、国会の前にやっていくという想定になっているんじゃないかというふうに思うんです。同じ国民投票といってもそこのところに大きな違いがあるということは確かなんです。

 しかし、午前中にもお話が出たんですが、憲法改正について、結論だけで国民投票していいのかどうか。一度、我々が結論を出す前に、そうした論点を整理した上で国民に聞いておかなくていいのかどうかということからいくと、私は、ぜひそういう予備的な国民投票というのもやはり前提として考えていくべきじゃないかなというふうに思うんですよね。

 そういうことを考えているんですけれども、どうでしょうか。それぞれにお話を聞きたいというふうに思います。

本田公述人 民主党案の中に含まれておりますその他の事項のそのプロセスの違いは理解しているつもりでございます。

 ただ、そうはいいましても、仮に予備的な国民投票でありましても、やはり一定の制約は受けるんだろうと思います。法的か否か、先ほど山花公述人がいろいろおっしゃっていましたけれども、やはり政治的な強制力といいますか、そういうものは当然負うんだろうと思います。

 そういう中で、先ほど中川先生の方がトータルとシングルイシューの違いをおっしゃいましたけれども、果たしてマル・バツだけで決められるものなのかな、そういう疑問はございます。だからこそ、今日、人類の知恵として議会がつくられてきたんだろうと思いますし、途中段階で国民の意見を聞かなければいけないというのはそのとおりだと思います。だから、失礼ですけれども、先生方には立法調査費が支給されているんだろうと思います。決して私はレファレンダムというものは全面的に否定されるべきだとは思いませんけれども、十分な議論が必要なのではないかというふうに思っております。

 以上です。

山花公述人 予備的国民投票というお話でございますけれども、多分、テーマを憲法にかかわることにするかどうかという話なのであって、もともと民主党案に書かれている国政の重要問題についての国民投票と恐らく法的な性質は同じものになるのではないかと思います。つまりは、間口が広いか特定のテーマになるのかという話だと思います。

 その国民投票は憲法改正の国民投票とは性質が違うじゃないかという指摘は、私は別にそれは否定しませんし、そのとおりだと思います。ただ、そこから先になりますと、法律に関する美的センスの問題なのかなと。私は、それより、商法上の特別背任みたいな、民事法の中に罰則規定がある方がよっぽど気持ち悪いと思っている人間なので、同じ公法上の手続にかかわるものですから、同じような形で規定をされていても、それはあり得る話だと思います。

 一般的な私の意見としては、国民投票という枠組みもぜひ御検討いただいた上で、もし予備的国民投票をやるのだとすると、投票を決定するに当たって三分の二のルールは必要ないのかとか、あるいはむしろ逆に、予備的にやるんだからということで、ほかの党も合意をしないとだめだというのも一つの考え方だと思います、その賛否を聞こうじゃないかということで。全会一致でやるんだとか、その辺のあたりを詰めていただけたらいいのかなという感想を持っております。

高田公述人 諮問的国民投票とか、そこはいろいろ工夫があっていいと思います。

 しかしながら、民意とこの永田町と時々ずれが生じることがあるわけで、例えば、今回のイラク特措法の延長という問題、もうイラク戦争は丸四年になるわけですけれども、これについて恐らく国会で採決をされれば多数決で延長が決まるんだろうと思います。しかし、これは今国民に問うたらそういう結論は出ない。さまざまな世論調査を見ても、もうイラク戦争はまずい、アメリカの市民が思っているだけではなくて、日本の世論調査でもそういうのが出ているわけです。

 例えば、こういう問題について諮問的な国民投票をやっていただいて、それを国会が参考にするということは極めて重要だし、それが国政選挙のときしか私たちの意思を示せないというのは非常に残念で、国政選挙のときにそういうことまで含めて全部問われているわけではありません。そして、私たちが投票する候補者も、そのことをそのときは問うていなかったけれども後で大事な問題だというのは幾らでもあるわけですから、ぜひそれは国会も知恵を働かせて、国民投票というようなことを生かしていただきたいと私は思っています。

中川(正)委員 以上です。ありがとうございました。

保岡委員長代理 次に、大口善徳君。

大口委員 公明党の大口でございます。

 本日は、本田公述人、山花公述人、高田公述人、大変貴重な御意見、ありがとうございます。私の方からお伺いをさせていただきたいと思います。

 まず、この国民投票法につきまして、本来であるならばいつごろまでに制定しておくべきことであったのか。例えば本田公述人は立法の不作為であるということでありましたら、憲法は施行して六十周年でございますから、やはり制定して、ある程度の期間にはつくっておくべきであったのではないかというお考えなのかな、こういうふうにもお伺いできるわけですね。あるいは山花公述人は必要だと、本来であればいつごろまでにつくっておくべきであったのかな。そして、高田公述人は多くの有権者の機運が盛り上がってきてからという御意見でございました。そういう点で、本来いつごろまでにつくるべきであったか、そして、どういう条件が必要なのか、また、世論が盛り上がってということですが、それは一体どういう場合なのか、御三人にお伺いしたいと思います。

本田公述人 今の大口先生の御質問にお答えさせていただきたいと思います。

 いつごろつくっておくべきだったのか、そもそもの話になりますけれども、現行憲法がつくられたときにそういう個別法があった方が望ましかったのだろうと思います。ただ、今さら六十年さかのぼってどうのこうのできるわけではございませんので、そういう意味では、先ほど冒頭申し上げましたように、せっかく調査会あるいはこの特別委員会の先生方の御努力によって機運が醸成されていますので、いいタイミングになりつつあるのかなというふうに思っております。

 以上です。

山花公述人 私も、本来であれば現行憲法が制定された直後に制定されるべきものだったのだろうというふうに思っております。

 これは言ってもせんないことなので、つまりは、制定直後に、直後といいましょうか、その後、朝鮮情勢などがいろいろあって警察予備隊が組織され、保安隊となりという、そういった中で憲法の課題が政治的なイシューになってしまって以降は政治的にも難しかったんだろうなということは想像にかたくはありませんけれども、本来であればやはり制定直後だったのだろうなと思います。

 それと、なぜこういった議論が今まで起きてこなかったかということで申しますと、まさに憲法の課題というのが政治争点化してしまっていましたので、国民投票法をつくるということは改憲の入り口だとかそういう議論になってしまって、今でもそういう議論はあるんだと思いますけれども、そうであるとすると、本来であればニュートラルであるべき法律をつくろうという審議をするに際しては、これは大変恐縮ですけれども、各党とも改憲案みたいなものをばんと出さないで、出すからそのための一里塚だなんという話になってしまうわけですから、方向性として我が党はこんな感じですぐらいのところでとどめていただくということがいいのかなというふうな印象を持っております。

高田公述人 この法案が今日までなかったということは、国会議員の皆さんがサボってきた、国会がサボってきたからなかったんだというふうには私は思いません。やはり、ないにはないなりの、つくられないにはつくられないなりの経過と理由があった、これは私が言うまでもないことだろうと思うんですね。それを、国会議員の皆さん、皆さんといってもすべてではないですけれども、それを立法不作為論で言うのは何とも私には理解しがたい。同じ党の流れを踏んで今日政党が存在しているのではないでしょうかということを一つは言いたいと思います。

 それから、国民の中で改憲の世論が盛り上がったときにとはどういうことかというお尋ねですけれども、私は、少なくとも今憲法を変えろという国民の運動が盛り上がっていないと思うんです、変えるなという運動がたくさんあるのは知っています。それで先般は自由民主党はこれから改憲の国民運動を盛り上げようではないかという決定をしたんだと思うんです。盛り上がっていればこんなことを決めるわけはないわけで、これからの話だと私は理解しています。

大口委員 次に、本田公述人にお伺いしたいと思います。

 本田公述人は、この国民投票法の中に国会法の大きな改革が入っているということで、これは議運あるいは議会制度協議会で十分議論をすべきだ、こういうお話でございました。

 ただ、これにつきましては、私も議運のメンバーではございましたけれども、この特別委員会に与党と民主党の案を付託する、議院運営委員会で国会法の部分も含まれた法案を付託することについて決定をさせていただいておりますし、また、中山委員長、筆頭の保岡先生も議運の理事会に見えられて経過報告をされた、そういう手続にのっとっていることを御理解いただきたい、こういうふうに思っております。

 その上で、この憲法審査会、そして合同審査会、また、審査会の定足数、立法期による制限、こういうふうにかなり憲法審査会というものが特別の位置にあるということはそのとおりであろう、こういうふうに考えております。

 そこで、この憲法審査会につきましては、いろいろな権限が議論をされております。非常に憲法審査会に対していろいろなお考えを持っておられるということでお伺いしたいと思いますが、まず、合憲性審査の機能ということについてどうお考えなのか、それから、基本法制の調査権についてどうお考えなのか、この二点をお伺いしたいと思います。

    〔保岡委員長代理退席、委員長着席〕

本田公述人 今の御質問にお答えする前に、先生おっしゃったことでちょっと申し上げたいんですけれども、確かに議運と所管の整理ができていることは承知しております。ただ、法案の中身を見てみますと、その整理だけで済むのかという疑問を持っているわけです。何度も申し上げますけれども、国会のあり方、議会政治のあり方、あるいはこれまでの議案審議のあり方にかかわる重要な部分が随分盛り込まれているわけですので、それは議運との連合審査、できれば議会制度協議会において最終的にもう一度確認をしていただきたい、そういうことで申し上げていまして、別に、ここがおかしいことをしているとか、そういうふうには私は全然申し上げておりません。

 憲法審査会の役割ですけれども、合憲性の判断ですとか、あるいは基本法制、そういうものの提案は最終的には政治判断といいますか、立法政策としてお決めいただければよろしいんじゃないかと思います。ただ、先ほども申し上げましたように、どうしてもひっかかっておりますのは、その位置づけが明確にならないと、どういう権能を与えるか、なかなかそこまでの議論に進まないのかなというふうに思っております。

 以上です。

大口委員 山花公述人につきましても、この憲法審査会の合憲性審査権、あるいは基本法制の調査権についてお考えがあればお願いしたいと思います。

山花公述人 憲法審査会のというか、今の合憲性審査権であるとか基本法制に関する審査権についてですけれども、これは評価をされてよいことだと思います。

 実は、こういった仕組みをとらないと、私はかねてより、かつて、この場でというのはちょっと違うんですけれども、憲法調査会の方で発言をさせていただいたことがございますけれども、例えば予算委員会などで与野党の議論が紛糾をして、最後に憲法の適合性はどうなんだという議論になると、内閣法制局の長官が出てきて、こうでございますと。あたかも何か政府の見解を、政府のというか、それが最後の国会での決着みたいな形で出てくるというケースが間々ございました。

 ただ、内閣法制局というのは内閣法制局設置法に基づいて設置されている内閣を補佐する一部局にすぎなくて、その局長さんがあたかも合憲性の審査権を持っているかのような国会のこれまでの運営をするよりは、むしろ第一次的には、過日小林節先生もここでおっしゃっておられたと思います、第一次的な合憲性審査というのは本来は国会がやるべきことでございますので、そういったところで合憲性の審査であるとかあるいは基本法制の審査を行うというのは、むしろその方が自然な姿ではないかと考えております。

大口委員 特に合憲性の審査権につきましてはいろいろ十分に慎重に議論はしなければならないと思うわけでありますけれども、この点についてはさらに議論を進めていかなければいけないな、こういうふうに思っております。

 そこで、今回、この国民投票について対象をどうするか、これは今最大の争点になっているわけでございます。もう御案内のとおりでございます。それに対して本田公述人は、あくまで原則論を立てて一般的な国民投票については否定的である、こういう原則論を立てていただいたわけでございます。それに対して山花公述人は、どこかでこの制度は導入しなきゃいけない、今ちょうどこの審議をやっているのだから、民主党の案の中に入っているのであるから、ここで議論をすべきではないか、こういうことでございました。

 そこで山花公述人にお伺いしたいんですが、一つは、確かに先生がおっしゃるように諮問的であるならば、憲法四十一条、唯一の立法機関であること、また、国会が、二つの例外があるんですが、単独で決められるということには抵触はしないと思いますが、ただ、諮問的であるにしましても、国民投票というものが事実上の拘束力があるということは先生もお認めになったのでありますけれども、非常に政治的な拘束性がある。そういうことからいって、この扱いについては十分考えていかなきゃいけない。まさしく本田公述人がおっしゃったように、議会制民主主義の根幹にかかわるものである。そういう点で、これはこれでしっかり議論をしていかなければならない、こういうふうに思うんですね。

 ただ、憲法に係る事項については、例えば、江橋公述人も午前中お話をされておりましたが、江橋公述人はこういうふうに述べています、「憲法改正に際しては、早い段階で、改憲作業に入ることの是非と、その場合にどの部分をどのような方向で改正するべきなのか、一度は国民の意向を聞くべきであろうと考えております。こうした最初の段階の手続を省略して、国民の意向も聞かずに議会内で改正の作業を始め、改正案ができて初めて国民の同意を求めるというのは、いかにも一方的で不十分ですし、その結果、国民の意向との間にそごが生じ、肝心の国民投票でせっかくの改正案が否決される危険性も高くなります。」と。こういう憲法事項についてはこういう予備的な国民審査というものを提案されています。小林節教授もそういうことを言っています。

 そこで山花公述人に、どういう場合に、一般的なもので制限をしないでやればいいというお考えもあるわけですけれども、先生がおっしゃっているように例えば七割、八割の賛成が必要な場合もあれば、過半数でいい場合もあるということで、憲法の改正の国民投票とはある意味では質的に異なる部分があるわけですね。そういうことからいいますと、その部分は切り離したらどうなのか。

 ただ、今江橋公述人の考えを御紹介しましたが、憲法に係る事項について予備的な国民審査はやっていいのではないか、こういう考えもあるんですね。ここら辺についてお伺いをさせていただきます。

山花公述人 一応私も申し上げたつもりではあったんですけれども、原理原則としては、私は国民投票を何でもかんでもやれというのは非常にネガティブです。むしろ、代表制民主主義の根幹ということでいえば、そんなのはめったにやるべきことだとは思っておりませんということが一つ。

 ただ、話が繰り返しになってちょっと恐縮ですけれども、ドイツ的な発想でいくんですかという話で、そうじゃなくて、どこか補完すべきところがあるのではないですかというスタンスですので、その上で、テーマについてはむしろ本当に絞っていかないと、これも本論で申し上げましたとおり極めて政治が無責任になるおそれがあって、いざ解決に困ったら、じゃ、国民投票でもやろうやというような話になってしまうのはよろしくないと思いますから、例えばどういうテーマでやるかという手続のところで、一つの考え方ですけれども、全会一致でなきゃ発議できないとか、そういうことでいうと、一つのヘッジになるのかなというふうに考えております。

 そして、御質問のまさに中心的な点ですけれども、憲法事項については予備的な調査はいいのではないかという話が小林先生からもあったことは承知しております、きょうは江橋先生からもあったということですけれども。憲法事項についてであればよいという根拠は一体何なんでしょうか。つまりは、法律をつくるのも国会の権能である、それについて諮問的にやっちゃいけないという発想からすれば、憲法の改正の発議をするのは国会ですから、それについて予備的にやるというのもいけないという議論になるはずです。先ほど私が例えの中で六割、七割の賛成が必要なケースもありますよねと言ったことから、御質問では質的に異なるんじゃないですかということなんですけれども、法的性質について申し上げますと、それはたとえテーマが憲法の課題に関してであっても、そうじゃなくて今の民主党案であったとしても、法的性質については一緒のはずです。

 ですから、区別してやったらどうかというお話であるとすると、既に当委員会に付託されている案件なのですから、別に挑発をしているわけではありませんけれども、もしそういう案があるんだったら、それを示してこの場で議論をして、そこで本当に必要なのか、あるいはどういうやり方があるのかという議論をこれからもやっていただければいいのかなというふうに思っております。

大口委員 ただ、先生も七割、八割の賛成でいい場合とそうでない場合とを場合分けしておられますね、この国民投票について必要な賛成の割合を。それは、要するに法的な違いですね。そうなってきますと、事項によっては法的な違いがあるんじゃないでしょうか。

山花公述人 つまりは、憲法を対象とする予備的な投票であったとしても、私が七割とかそういう数字を出しちゃったから混乱してしまっているのかもしれませんけれども、そうでないものであったとしても、諮問的なものであって、例えばそれをクリアしたから法律をつくらなければいけない、あるいは憲法改正のこういう原案をつくらなければいけないというようなものではないという意味で、あくまでも諮問的なものですから、法的性質としては一緒のはずですよという話をさせていただいているわけです。

大口委員 以上で終わります。ありがとうございました。

中山委員長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 きょうは、本田公述人、山花公述人、そして高田公述人、お忙しい中、ありがとうございました。大変貴重な御意見を伺いました。

 幾つか伺いたいんですが、まず、本田公述人と山花公述人に共通してなんですけれども、先ほど来ありましたが、この法案をめぐってはということで、それぞれ、成立の時期を急ぐよりも中身である、一瀉千里にやるのではなくて中身をきちっとという御意見、それから、一層議論を深めてという御意見をいただきました。それから、高田公述人からは、短時間ではなくて、強行されるべきものではなくて、一たん廃案にして出直すべきだという御意見もありました。

 私は、それを伺っていて、やはり法案自身の問題点がまだまだあるということ、同時に、この憲法や改憲手続法をめぐって、また民主党案の方も別のあれですけれども、国会の多数と民意との乖離というのが依然としてあるということの反映として、やはり今の今日があるのではないかというふうに考えているところなんです。

 それで、高田公述人からは先ほど静かな環境ではないということで、この五年半、ずっと傍聴されてきながらの思いを込めたお話もありました。私も、その点では、先ほどもありましたが、ことしに入って特にそうですが、安倍内閣の改憲実現あるいは政権浮揚というようなことも、参議院の質疑でそういうやりとりがありまして、そういう中での憲法問題ということであるいは手続法案も扱われてきているということで、ある意味ではもはや法案を提出した趣旨が全く変わってきたということが言えるんじゃないかと感じているところなんです。この間、深夜のテレビの番組でも、民主党の松本政調会長も安倍氏の一連の発言によって法案の性格が変わったという趣旨も言われていました。

 私自身は、この委員会が設置された当初から、九条改憲と地続きの法案であることを指摘しながら、改憲とは別個のルールづくりと説明してきた提出者の方々と議論してきましたけれども、改憲とは別個のルールと言ってきた提出者の立場から見ても、今、提出の目的自身が、自民党の総裁であり、総理自身がああいうことを言われて、そして、自民党自身が執行部の方でいつまでにというふうなことを言われているという形の中で、やはり法案はリセットしてやり直すべきだという思いをますます強くしているところなんです。

 その点で伺っても、恐らく先ほど来必要だという御意見なので、違うと思うんですけれども、賛否は別として、当初の提出者の趣旨説明からすると明らかに変わっている面があると思うし、先ほどもありましたけれども、総理大臣自身が口を挟むという形で言われる、そして、いつまでにというふうなことで、いわばこの委員会が外からそういう形で行政を含めてやってくるという扱われ方について、先ほどもちょっと違った角度から御質問があってお答えありましたが、お二人はどういうふうに考えていらっしゃるか、端的にお願いしたいと思うんです。

本田公述人 今の笠井先生の御質問にお答えいたしますけれども、そもそも、この国民投票法案は、与党、民主党両方出されていますけれども、対決法案ではないというふうに思っておりますし、対決法案にしてはいけないんだと思います。

 そういう中で、私は新聞報道でしかわかりませんけれども、何かこの国会の道の向こうから変なガスがこっちに来ている、それで、せっかくこの委員会でいろいろなものを積み上げてこられたところに何か変なガスが漂ってしまっている、それは非常に不健全な形なんだろうと思います。ですから、先ほど冒頭に、議長もしくは委員長の方から、もしもそれが事実であればきちんとした形で抗議をして、そして、立法府としてこれを進めている、そういうふうに抗議をしていただきたいと思います。

 先生の方から、当初の目的と違っているのではないかというふうな御指摘がありましたけれども、私は必ずしもそういうふうには思っておりません。むしろ、ガスという例えがいいのかわかりませんけれども、そうした声によって惑わされつつあることが危険であって、それを払拭する必要性があるのではないかというふうに思っております。

 以上です。

山花公述人 御指摘については、今本田先生が言われたのと全く同じ印象を持っております。これまでも、国会の方で主導してやってきたわけでありますから、特に憲法にかかわるそういった国民投票法という極めて重要な法律は、あくまでも議会の方でやるんだということで今後も貫いていただきたいと思っております。

 ただ、笠井先生の御懸念のように、もし今の内閣総理大臣が、どういう思惑があって言われているのかわかりませんけれども、これで行け行けというようなことであるとすると、状況が変わったという御指摘は本当によくわかる一方、リセットすると言われましたけれども、こんなところでもしリセットしちゃって、では政府提出でやりますよなんと言われたらもっと危ないわけですから、ぜひこの委員会で頑張っていただきたいと思う次第でございます。

笠井委員 この点についてはまたいろいろと議論したいところですけれども、そういう点でいいますと、この間審議を重ねてきたといっても、提出者自身、あるいはその政党の中での一番の責任者が、明らかに改憲をやると、そのためにまずという形での位置づけが言われているということは、これは非常に明確に言葉があるので、そういう中ではこの法案の性格というのは非常に明確になってきたんじゃないかということを感じているところです。

 そこで、その上でですが、高田公述人に、特にこの間、この委員会もずっと傍聴されてこられて、そして、市民運動の中でも取り組んでいろいろ苦労されている点とのかかわりで、今度の法案の問題点について幾つか伺いたいと思うんです。

 まず、この間、委員会の中でも国民投票運動におけるボイコットの運動ということをめぐって議論がありました。それで、改憲反対あるいは改憲案に反対というときに、公述人がかかわっておられる市民運動あるいは運動団体の皆さんが果たしてボイコット運動というのを起こすんだろうか。むしろ、それとは反対に、きちっと投票して反対しようということで呼びかける方が合理的ではないか、実際そうなるんじゃないかというふうに思うんですけれども。ただ、このボイコット運動というふうなことをめぐりながら、そういうことが起こるかもしれないからということで最低投票率の設定をしないというふうな議論もされているわけですけれども、この点について実際に運動に取り組まれていてどういう感想を持たれているか、伺いたいと思うんですけれども、いかがでしょうか。

高田公述人 最低投票率の規定と関係して、ボイコット運動が起きるおそれがあるという話があるわけですけれども、少なくとも、今私たちがかかわっている市民運動、とりわけ憲法九条を守りたいあるいは憲法の三原則を守りたいという市民運動の中では、もし国民投票がやられた場合にボイコットをしようというような声はほとんどあり得ないと思います。私自身もそうは考えません。

 しかし、ボイコットをしたいという人たちが、私たちとは全く別の憲法改正賛成の方にあるのかどうかは別で、それはまた一つの意見だから、私は一般的にボイコットをするのが悪い、悪だというふうには思いませんけれども、今、少なくとも憲法の価値を大切にしたい、あるいはそうしたいと思っている人たちの中にボイコット運動があるとは思いませんし、まして、最低投票率を設けない理由にはならない。

 多くの人が、五〇%、あるいは七〇%、あるいはそれ以上でもいいわけですけれども、そういう人々が参加する中で国民投票というのがやられるべきだし、国会の方も、また国会外の私たちの方も、そういう方向で努力すべきだと思っています。だから、堂々と最低投票率を設けたらいい、私はそう思います。

笠井委員 さらに伺いたいと思うんですが、皆さん方のような市民運動をされていて、いろいろな主張を広く知らせる、あるいは宣伝する際に、手段、手だてや、実際にやられる上でも大変御苦労があると思うんです。それで、それとの関係なんですけれども、今回出ている両法案については、無料の広告については政党等のみということになっていて、あるいは政党が指名する団体ということで修正をするかとかという話もありますけれども、政党中心で国民がある意味わき役扱いになっている。そして、公務員や教育者の運動については規制をかける一方で、有料な広告については資金量ある政党や団体が有利に活用できるということになるわけですけれども、当委員会に参考人として来られた方の話の中では、一定の影響力を与える広告について言うと、二、三億円、あるいは五億という数字でもどれだけ動かせるかというふうな話もありましたけれども、市民運動に取り組む皆さんがこうしたお金を工面できるのか。

 それから、実際に九条なり憲法なりということのかかわりでいろいろやってこられて、今出ているような仕組みが果たして公正で民主的と言えるのかどうか、全くそうでないというふうに私も思うんですけれども、その辺について実感としてどういうふうに感じてお考えをお持ちでしょうか。

高田公述人 二つあります。

 一つは、新聞などに対する広報がなぜ政党にのみ限られるか、あるいはそれのほとんど応用でしかない政党が推薦する市民団体というふうになっていますけれども、とりわけ、例えば私は「許すな!憲法改悪・市民連絡会」というところに属していますけれども、これは直接政党との関係はありません。ですから、そういう意味で、政党が推薦する市民団体の意見広告の枠はもらえるのかもらえないのか、多分回ってこないと思うんですね。

 しかし、国民投票というのは、国会、政党の役割というのは発議するところまでであって、そこから先、どうして意見広告もまた政党に限られるのかということが、どうしても理解できません。確かに難しさはわかります、市民団体一般にやらせるというのは非常に困難だ。しかし、私が言うまでもなく、これは外国の例も含めていろいろなやり方はあるわけで、この一年なり、あるいは二年でも三年でもいいですけれども、憲法の問題に一生懸命かかわってきて、そうした実績のある市民団体が国民投票について無料の見解を示すことができるなどということに道を開くことは私は非常に大事なことだろうと思います。これが一点です。

 もう一つは、例えば五月三日にいつも憲法記念日の新聞意見広告などを出すグループがありますけれども、これも、無党派の市民団体がやった場合には、三千万円とか、すごくうまくいって五千万円とか、一年準備してそれだけです。これは本当に大変なことで、こうした有料の広告というものを、幾ら対等に一定の枠まではやれるというふうに決められても、今の市民の実際置かれている経済的な力とかそういうものでいえば、どうしても対等、平等にはなりにくいわけで、それもまた非常に問題がある。

 そこで、先ほど申し上げた有料のスポット広告などは、これを自由にやらせるということは、結局、お金のある人にとって自由であっても、私たちのようにお金のないたくさんの市民団体にとっては決して自由ではない、そのところをどうしてもわかっていただきたい。外国をいろいろ調査されているわけですから、そういう中でその経験を生かしていただきたいというふうに私は思っています。

 以上です。

笠井委員 もう一点なんですけれども、政党等の無料広告について、もともと両原案では、国会における所属議員数を基準として各政党に割り当てるというものだったので、改憲賛成政党が圧倒的に配分を受けることになっておりました。私もこの問題を十月二十六日の委員会でただした中で、提出者はいずれも議員数案分ではなくて賛否平等に割り当てるように修正するかのように言われました。

 しかし、十二月十四日の提出者の修正内容を見ますと、私は二つ問題があるというふうに感じております。一つは、その修正の中で、政党はとなっていたものが広報協議会がこの問題も仕切るというふうになっている。周知広報と違う国民投票運動の中の政党等の広告について、なぜ広報協議会が仕切るのか。それから二つ目は、改憲そのものの広告スペースをとるということが前提になっているんですけれども、その上で残りを賛成、反対で半分ずつにするということなんですが、改憲そのものの広告スペースの内容によっては、改憲賛成意見の放送時間なりスペースが長くなりかねないわけですし、しかも、そこは改憲賛成政党が多数を占める広報協議会が仕切っていくということになると、こういう修正の仕方というと、賛否平等というふうなことに正すと言っていたんだけれども、決してそういうふうにしてきちっと公正中立になるとは言えないのじゃないかというふうに思うんですけれども、どんなふうにお考えでしょうか、高田公述人。

高田公述人 その問題は、全く同じように私たちもこの一年ぐらいずっとその問題について市民運動の中で検討しましたし、これは平等にならない、大枠一つあって、その残りの方が半分ずつに分けられるということですから、広報協議会の役割を含めて私たちは非常に疑問に思っています。

笠井委員 最後に高田公述人に伺っておきたいと思います。

 ことし、憲法施行六十年という年を迎えるわけでありますが、そういう記念すべき年で、今、九条の問題をめぐってさまざまな議論がある中で、九条改憲を中心とした改憲の動きも強まっている。そして、それに対して何としても食いとめようということでさまざまな運動が広がっていると思います。例えば大江健三郎さんなど各界の九名の方が呼びかけた九条の会というのが、全国で六千を超えて今広がっている。実は、これは、昨年夏、私たちもヨーロッパに調査に行ったときに、ポーランドで中山委員長御自身が紹介をしていただくということで、大変注目も浴びて話題も呼んだわけですけれども。

 今、憲法施行六十年を迎えて、市民運動の方々、また高田さん御自身がかかわっていろいろな方と話し合っておられると思うんですが、この六十年ということに対してどういう思いを持っていらっしゃるか。大きな意味で、憲法施行六十年ですが、感じていることを伺えればと思っておりますが、いかがでしょうか。

高田公述人 九条の会というのがありまして、それは今御指摘のように全国でこの三年で六千二十を超えました。ちょうど一年間で二千カ所ぐらいずつ、今もそのペースでできているんですね。普通、こうした運動は、最初できるときにたくさんできて、後はだんだんできる数が少なくなってくるんですけれども、私がかかわってみて、年間二千ずつ、六千カ所できて、今なおその勢いが衰えていないということに私自身非常に驚いています。これは、そうした空気がこの社会の中に非常に広くあるということではないか。

 そして、それだけではなくて、実は世界にノーベル平和賞をとった女性たちがありまして、ノーベル平和賞女性イニシアチブというんですが、その人々が来年五月に日本に来まして、その人々を中心にして日本で九条世界会議というのを一万人の規模で開くという計画が今あります。世界的に見て、これらの人々が日本の憲法九条について日本の市民と一緒に考える、地雷の運動をやっていたり、あるいは人権運動をやっていたり、そういう人たちが、世界でもそういう動きになっているということをぜひ委員の皆さんにも御理解をいただきたいと思います。

 私は、こうした、とりわけ今なぜ市民が九条の問題に危機感を持っているのか、そのほかの憲法問題がたくさんあるのは承知しております、にもかかわらず九条の問題で今多くの市民たちがこうして立ち上がっていることは、決して勘違いでも何でもなくて、本当に切実な思いの反映だと思います。六十年たちましたけれども、古くなったどころか、世界の人たちが来年たくさん来るというところに、これから九条の世界的な意味があらわれているんではないか。もっともっと長い間この九条を使っていきたいというふうに私は思っています。

笠井委員 ありがとうございました。終わります。

中山委員長 次に、辻元清美君。

辻元委員 社民党の辻元清美です。

 きょうは、本田公述人、山花公述人、高田公述人、お越しいただきましてありがとうございます。

 私は、きょう皆さんが、法案に対する賛否や立場を超えて、本委員会をめぐる最近の状況について懸念を示されたということはやはり深刻に受けとめなければならないのではないかと思います。私はこの法案に反対の立場ですけれども、賛成、反対超えての御指摘だというように思うんです。

 私の立場から見れば、この委員会でずっと国民の国民のための国民投票なのかという点を問い続けてまいりました。その際に、どうしてもやはり改憲したい人は早くつくりたいとなりますので、改憲を急ぐ人たちの改憲のための国民投票になってやしないかということに警鐘を鳴らしてきたわけです。ところが、この一カ月、ことしに入ってからは、改憲したい人の改憲のためのというよりも、何だか安倍総理の安倍カラーを出したいための国民投票法案にされやしないかという懸念が深まっています。

 私は、それはもっと物事が深刻になると思うんです。ここで立場が違う者同士が議論するよりも、やはり政治権力を縛るというものが憲法である。最高権力者で一番縛られなきゃならない人がその権力をもって憲法にまつわることに介入をしてくるということはあってはならぬというように思います。これは、三権分立を壊すということもありますけれども、そもそも憲法とは何かということを考えた折にも、非常に深刻な事態だというように受けとめております。

 ですから、きょう、三名の方、そういう意味も込めての御発言だったのではないかと思いますが、やはり、特に権力を持っている者は権力を抑制的に使うというのが政治だと思いますし、憲法にまつわることについては、中山委員長を初め、この委員会は権威があるのだということを常におっしゃってこられたわけです。ですから、そういう状況の中で、そもそも憲法とは何かという共通認識づくりがしっかりなされてこなかったことも含めて、今回のような事態を招いているのではないかという懸念があります。

 まずそれを、きょう、お三名の方、賛否の立場を超えての御指摘でしたので、私も意見として申し述べさせていただきたいなというように思っております。

 そういう中で、一般的な国民投票についても皆さんから御意見が、一つの焦点として、きょうの午後のセッションでは出ているのではないかと思うんです。

 不思議に思うことがありまして、住民投票の運動は広がっています。住民投票の運動は広がって、あちこちで住民投票条例をつくれという運動はあるんですけれども、国民投票については余り聞いたことがないんですね。

 まず、住民投票について考えてみたいと思うんです。住民投票に反対している人、例えば基地問題とか原発の問題などで住民投票が起こります。そうすると、住民投票は政治の誤作動だとか、住民投票には反対する人に国民投票を早くつくれという人が割合いるわけですね。ここが不思議で仕方がないわけです。

 それで、一般的な国民投票についてのきょうの御議論の一つの材料として皆さんの御意見を伺いたいのが、全国で住民投票が広がっている、この住民投票についての評価と問題点ということを、具体的に今やっていますので、どのようにお考えかということです。では、反対からいきましょうか、ずっと本田公述人が一番最初だとしゃべりにくいかもしれない、考える時間が少しで。ですから、高田公述人、山花公述人、本田公述人の順番でお願いしたいと思います。

高田公述人 私は、先日の岩国の住民投票には非常に関心を持ちまして、現地にも行って、いろいろ雰囲気その他を学ばせていただきました。岩国の住民投票では、住民投票に賛成する人たちが五〇%条項を設けて、そして、実際には有権者の過半数が米軍基地の強化、拡大に反対するという結果を示しました。

 私も実際どうなるのかなと思って見ていますと、多くの人たちがやはり積極的にこうした難しい問題、とりわけ基地の問題とか経済の問題とか含めて考えれば、個人の利益を考えれば非常に難しい問題であるにもかかわらず、多くの人たちが主体的に岩国の住民投票に岩国の市民が参加したというのを現実に見てきて、非常に感動した経験があります。

 私は、今議論されている国民投票と、巻とか含めてやられてきている住民投票と、多分まだ多くの人が今議論されている国民投票は岩国でやられているような住民投票のように切実なものというふうに今は考えられていないのではないか。広報の問題もあるかもしれませんが、同時に、やはり憲法の国民投票というのが今そんなに切実に多くの人に思われていない。

 この国会の中やこの委員会の中では、法案を上げることが非常に切実に思われている雰囲気もありまして、先ほど自民党の委員からは、余り賛成していないおまえにはもう聞かないと言われたんですけれども、それはちょっと違うんじゃないか。そういうレベルでの議論をここでやっているようでは、本当に申しわけないけれども、しようがないなと私はちょっと思って聞いていました。

山花公述人 今の住民投票についての御指摘ですけれども、住民投票についてはもともと地方自治法などで規定があって、それを利用しているというか、ああ、こういう方法があったのかと気がついた人たちが随分ふえてきたのかなと。我田引水かもしれませんけれども、先ほど申し上げましたように、それだけで国民性というのも大げさかもしれませんが、日本の多くの人たちは代表民主制イコールそれが正しいあり方だとは思っていなくて、直接意思表示をする機会というのがとても大事だと思っていることの一つの証拠なのではないかというふうに思っております。

 住民投票自体をやることについては、私は積極的に評価をしたいと思います。ただ、繰り返しになってしまいますけれども、やはり政治の場で何か困ったら住民投票というやり方は避けた方がいいのではないか。

 私は、例えばイラク戦争が始まったときのイギリスのブレア首相のあの判断は間違っていたと思いますけれども、反対が多数だったけれども国民に対して一生懸命説得して、これがイギリスのためにどうなのかという、ああいう説明責任を果たそうとする姿はむしろ政治に求められることではないか。その結果、やはり世論としてだめよねという話で、例えばそれでもだめだというなら住民投票というやり方もあるかもしれませんけれども、まず原理原則からすると、すぐに投げちゃうということであるとすると、私はちょっとそれはどうかなと思います。

 しかし、先ほど申し上げましたように、代表民主制を補完するような形で特定のテーマについては意思表示をしようじゃないか、そういった運動が広がっているというのは積極的に評価されていいことだと思っております。

本田公述人 まず、辻元先生の御配慮に感謝申し上げます。

 住民投票についての意見でございますけれども、私が理解している範囲では、法律に基づくものではなくて、ほとんど条例に基づくものであろうと思います。とりわけ最近非常に多いのは、合併をめぐる住民投票がこの二、三年非常に多かったんだろうと思います。

 ただ、一概には言えないのは、その地域で完結することは住民投票に非常になじむと思いますし、地域以外との調整が必要な場合はやはりなじまないのではないか。そういう仕分けがなくて、何か住民投票、善か悪か、そういう議論はちょっと不毛なのかなという感じがいたします。

 住民投票、私は個人的にはその地域内で完結するものにつきましては住民投票を積極的に行われるべきだと思いますけれども、では、地方においてはそれが認められて、国民投票にどうしてもっと議論が必要なのかという考えを持っているかといいますと、やはり、失礼な言い方ですけれども、地方議会の役割というものが弱過ぎるんだろうと思います。あるいは、地方議会を支える事務局の役割がやはり弱過ぎる。そこを国会と比べますと非常に弱いというのが最大の問題なんだろうと思います。

 以上です。

辻元委員 ありがとうございました。

 といいますのも、国民投票で憲法の改正の是非を問う問うと言う人は、多分、住民投票もみんな民主主義で問う、問うと言うのかといえば、また反対というようなことで、どうもおかしいなと私はずっと思っております。だからやはり、変えたい方とかアクションを起こしたい方は手続をつくれと言うし、そうじゃない方はどの立場においても必要ないんじゃないかと。ですから、住民投票との関係でいえば、変えたくないから必要ないという論理は成り立つと思うんです。

 それで、もう一点お伺いしたいんですけれども、最低投票率の問題です。

 これも悩ましい問題で、ここでも議論が出ておりました。憲法の正統性を担保するためにはどれぐらいの人に投票してもらわなきゃいけないか。余りにも低い投票率ですと、例えば現行憲法が選択されたとしますね。そうすると憲法を変えろと言っていた人からは、五人か六人に一人しか投票していないんだから、そんなものは正統性がないと言われかねないし、または、改正の方を選択されたとしても、五、六人に一人しか投票に行っていない場合は、あんな憲法は正統性がないと。

 私は、憲法というのは賛成、反対あったとしても、政権がかわったからとか、それからちょっとしたことで、正統性というどっしりとした重みがない憲法を持つ国というのは不幸だと思っております。そういう観点から見て、最低投票率を設ける設けないという賛否をお伺いしたいことと、憲法の正統性ということであれば、どれぐらいの最低投票率が必要かという御意見を伺いたいと思っているんです。

 本当に日本の将来を考えたときに、憲法の正統性やその議論のプロセス、この手続法のプロセスもそうですが、どういう形で物事が決められ、そしてどれぐらいの重みを持つもの、ある程度最低投票率があって、あれぐらい高い投票率もクリアしてこっちが選ばれたんだからみんな認めましょうという話になると思うんです。

 ですから、この点は私はもう一度議論をし直してもいい点ではないかというふうに考えておりますが、では今度は本田公述人の方からいきたいと思います。お三名の御意見を聞かせてください。

本田公述人 最低投票率をめぐる御議論があることは承知しておりますけれども、何割がよくて何割がだめということは、私はちょっと申し上げにくいことです。ただ、今辻元先生おっしゃった正統性、それは非常になるほどと思うことでございますけれども、あわせて申し上げたいのは、もしもこの憲法改正の国民投票で最低投票率を設けるとしましたら、皆様方の国政選挙、地方選挙においても最低投票率を設けていただきたいなというふうに思っております。

 以上です。

山花公述人 質問にお答えする前に、先ほど私ちょっと不正確なことを申し上げましたので、訂正をさせていただきたいと思います。

 住民投票は地方自治法にというような言い方をしましたけれども、申し上げたかったのは、地方公共団体の場合は地方自治法があって、そもそも首長と議会も二元代表だったりとか、あとリコールの仕組みがあったりとか、レファレンダムがあったりとか、もともと直接民主制に比較的なじむようなスタイルの統治形態がとられていることから、そこが一つ住民投票のようなことが盛んになる遠因かなというふうに思っておりましたということをちょっと補足させていただきます。

 その上で、最低投票率についての御質問でありますけれども、私は、最低投票率を設けるということについては余り賛成ではありません。というか、ネガティブであります。

 どうも、この委員会のかつての会議録を拝見いたしますと、五人に一人しか行かなかったらどうなるんだとか、何人に一人で、こんなに少なかったらどうなるんだという御心配を多くの方がしているようでありますけれども、私は、およそ、例えば憲法改正が本当に発議されて、さあ憲法改正してどうなるんだ、賛成か反対かなんというときに、二割か三割しかいかないということは余り想像ができないということが一つです。

 それと、やはり主権者は国民ですから、国会の先生方も少し謙虚に、何割いかなきゃ国民は賛成していないんだとかそういう話じゃなくて、棄権される方だってそれは棄権の自由がありますからそこも尊重した上で、あとはいかに積極的に、賛成なら賛成、反対なら反対で運動を盛り上げるかということの方が私は大事なのではないかというふうに思っております。

高田公述人 ただいまの意見で言えば、だから堂々と最低投票率を設けたらどうかというふうにさっきは言ったんですけれども、やはり何の過半数なのかというそもそもの議論が、ここではほとんど有権者の過半数というのは至極当然のごとく、ほとんど議論されないままに、この憲法調査会の論議というのは進んできたように私は思います。

 しかしながら、学説でもいまだに有権者の過半数というのは有力な意見なわけで、これとの関係で考えるならば、やはりその問題はさておいても最低投票率の規定というのは非常に大切だ。岩国の場合には、五〇%として、実際には有権者の五割以上の人が反対の意思を表明したんですけれども、そのことを考えても、私はどうしても次の憲法改正国民投票ということがあれば、有権者のせめて四〇%とかそれ以上の人々が改正に賛成したという状態が最低限ない限り、憲法としての権威が保てないのではないかと。

 そういう問題も含めて、四〇%という数字は外国の例程度の話でそんなに根拠があるわけではありませんけれども、それらも含めて、やはり最低投票率の問題は、何の過半数なのかというそもそも論とあわせてもっと議論をして、私たちの前に鮮明にしていただきたいという希望があります。

辻元委員 最低投票率の問題についてお聞きしましたのは、これはすごく深い議論だと思うんです。山花公述人がおっしゃった棄権も意思だという、民主主義とは何かということにもかかわります。それから、やはり、憲法について、これは変えることに賛成、反対を問わず、憲法というものを取り扱う際の憲法の権威というか正統性の問題にもかかわってくる。それからもう一つは、今もう政権交代の時代になっていますので、政権を握るものによってころころ憲法がもてあそばれたりすることも防がなきゃいけない。そういう意味で、私は、ここは賛否を問わずもっと議論を深めるべき点ではないかと思っております。

 もう一点お伺いしたいんですが、先ほど公務員、教員の運動の制限などに対して、本田公述人と山花公述人はたしか御意見を伺ったと思いますので、高田公述人にお聞きをしたいと思います。

 といいますのは、私は、法案に賛成か反対か、これは一般の法案でもそうですけれども、与野党で野党が反対する場合が多いですけれども、反対する立場の人間が問題点を突くというのは非常に重要な役割だと思います。みんなが賛成でいったら学級会みたいになってしまうわけで、国会というのは、特に反対する人たちの意見が、どんどん問題を突くということによって深められていくという非常に重要な役割だと思います。お二人にはお聞きしましたので、先ほど高田公述人には指名がありませんでしたので、お聞きしたいと思います。

高田公述人 我々の方は、憲法の改正ですから、私は、できるだけ最大限一人一人の有権者が自分の意思を表明することができるように配慮をするというのが大前提だと思うんです。本当に例外的なことを除いて、やはり一般公務員であっても、あるいは先生方であっても、自分の意見が憲法に関してはやはり自由に言えるという状態をつくっておくべきで、罰則をつけないからいいんだというふうに言われても、これはまずいことだというふうに言われれば、自分が今ここまで言っていることは果たしていいことなんだろうかまずいことなんだろうかと絶えず自分で萎縮しながら、どんどん縮こまりながら憲法についての議論をしなければいけないという状態は大変よくない。

 そういう意味で、公務員と教職員に対する、いわゆる地位利用という非常にあいまいな言葉で言われているこの問題に関しては、思い切って取り除いた方がいいのではないかというふうに思っています。

辻元委員 ありがとうございました。終わります。

中山委員長 次に、糸川正晃君。

糸川委員 国民新党の糸川正晃でございます。本日は、本田公述人、山花公述人、高田公述人の三人の公述人におかれましては、大変長時間にわたりまして、また貴重な御意見を賜りましたことに御礼申し上げます。私が本日最後の質疑者でございますので、よろしくお願い申し上げます。

 まず、本田公述人にお伺いをしたいと存じますが、先ほど本田公述人の公述の中で、国会の威厳を持って憲法の改正案を国民に示さなければならない、このような指摘がございました。私もそのとおりであるというふうに思いますが、本法案は手続法でございます。この段階から、どのように国会の権威を示すことができるのか、お伺いをしたいと思います。

本田公述人 もちろん、これは手続法ですけれども、冒頭に申し上げましたように、この国民投票法案は憲法改正の飛び込み台に相当するようなものなんだろうと思います。せっかく今までこの委員会で何カ月、何年間も御議論されてきて積み重ねてこられたものを、最後に何かばたばたっと、あたかも対決法案だったかのように採決されてしまうと、それが後々尾を引くのではないかという強い危惧をいたしております。

 ですから、この表現も先ほど用いましたけれども、画竜点睛を欠くことなく、最後までできるだけ合意を求めて、そして、少なくとも与党と民主党それに国民新党さんで賛成されるような状況をつくっていただきたいというふうに思っております。

糸川委員 では、今のお話の中で、前衆議院議員でいらっしゃいます山花先生に、国会の権威というものが今だんだん損なわれてきているんじゃないかという話がある中で、今本田公述人に質問した内容とほぼ同じなんですが、国会の権威をどのように示しながらこの手続法というものを制定していったらいいのか。もともと議員でいらっしゃいましたので、そういう観点から御質問できればと思います。

山花公述人 権威ということで言うと、今御指摘があったことと重複をするところがありますけれども、しっかりと審議をし、また、これまでこの委員会の中でも、賛否はいろいろあるんでしょうけれども、それでもオープンな場で議論が行われて、そして、お互い歩み寄るとか、提出者同士で修正すべきところはあるよねというような合意が図られたりとか、むしろこういったことが、情報公開の時代ですから、見える中で法律が修正されたりとか、あるいは修正された上でさらに議論をしていくということは、ある意味、こういった形で行うことそのものが国会の権威を高める話ではないかと思います。

 だからこそ、最後のときにも、願わくば社民党さん、共産党さんも賛成するぐらいの勢いで、できるかどうかわかりませんけれども、それぐらいしっかりと審議をした上でできたものだというような形での運営が今後なされるようになる。そして、本当にみんなが、全会一致が無理であれば、反対の意見も堂々と、これまでいろいろな意見も言ってきて、そして質疑時間も確保して、それでも最後は採決するかという話になったときに、その採決するよという話は、せめて、しようがないねということでみんなで円満にできていくということこそが、もし国民投票法がこれからできるとすると、非常に国会の権威を高める話ではないかと思います。

糸川委員 ありがとうございます。

 では、また本田公述人にお尋ねしたいんですが、憲法審査会の権能について疑念がある、こういうような指摘もございますが、具体的にどのようにすればこの疑念というものを払拭することができるのか、お伺いしたいと思います。

本田公述人 私、先ほど申し上げましたように、決して憲法審査会を設けるべきではないというふうに申し上げているのではなくて、むしろきちんとした位置づけが必要なんだろうと思います。

 今までの議事録を拝見していますと、いろいろ御議論されているようですけれども、いまいち明確にされていない、あるいは国民にとってわかりづらい機関になっているような気がいたしますので、先ほど申し上げましたように、できれば議運との連合審査会、あるいは、願わくば議会制度協議会において、きちんとした形で位置づけをはっきりしていただきたい、そういうふうに思っております。

糸川委員 では、高田公述人にお尋ねしますが、今、憲法審査会が非常にわかりにくいと本田公述人はおっしゃっているわけでございまして、約五年間ずっと傍聴をされてきたということでございますが、憲法調査会そして憲法に関する調査特別委員会というものをずっと聞いていらっしゃったということで、ではどのようにしていったら、今私が本田公述人にお尋ねしましたけれども、この憲法審査会の権能というものが保たれていくのか、お答えいただけますでしょうか。

高田公述人 私が心配をしているのは、先ほど九十九条との関連で申し上げましたけれども、ともするとこれまで日本国憲法というのは、調査会の中でもそうした言葉が使われていましたけれども、解釈改憲に次ぐ解釈改憲が積み重ねられてきたように思うんですね。そして、内閣憲法調とかいろいろありますけれども、今度は憲法審査会が解釈改憲をするような場にならないかということを、今までの経過から、どうしても見ていて恐れてしまうわけです。

 特に、核兵器の保有などについても論議は自由だというようなことが、もう五年前、十年前だったら考えられないような発言が日常的に飛び出すような国会の状況を考えますと、憲法審査会というのもこれからどんなふうに運営されていくのかということについて非常に危惧を感じます。どういう枠をはめるのかということについてはこれから論議をしていただければいいとは思いますけれども、私たちから見てそのおそれが非常にあります。

糸川委員 では、これは三人の公述人の皆さんにお尋ねしたいんですけれども、先ほど高田公述人のレジュメの中に、国民投票運動期間の問題、余りにも短過ぎる、このように書いてございます。私の午前中の質問の中にも、運動期間が最短六十日であるということで危険性をおっしゃられている方もいるんだけれどもと。

 では、実際、発議から投票までの期間、これは十分な国民的論議をする期間が必要だというふうに思いますけれども、短過ぎるとおっしゃられるからには、大体、発議後どのくらいの期間が必要だというふうにお考えなのか。高田公述人から、山花公述人、本田公述人にお聞きしたいと思います。

高田公述人 結論を先に言えば、私は一年から二年必要だと思っています。

 実は、先般の郵政国民投票と言われた例の問題に関しても、私は、もし一年なりの議論を国民にいただければもっと結論は違っていたのではないか。いろいろな問題がなされたときに、私たちは、ああ、それは大事かなというふうに思ったり、それから、いろいろな発言が次々にマスコミに出てくると、そうかなと思うことがあります。じっくり考えてみると、あれ、山の中の郵便局がなくなっちゃうよというふうな話になってくれば、あのときに改革はいいかなと思ったものも結論は違ってくる。

 そういう意味では、冷静に熟議できる期間がどうしても必要だ、それには幾ら何でも六十日から百八十日では余りにも短い、一年から二年はどうしても必要なのではないか、とりわけ九条の問題などに関して言えばそういうことになると思います。

山花公述人 私は、今提案されている期間で十分なのではないかというふうな印象を持っております。

 と申しますのも、例えば、今郵政解散の話が出ましたけれども、ああいうケースですと、ぱっと解散という話になる。それまでも国会で審議していたといえば審議していたんですけれども、あのときの状況からすると、郵便局をどうするかという話は必ずしも最初は国民的な関心は高くなく、解散になってからじわじわと一気にいったというような印象を持っているんです。

 一方、事憲法に関することに関しては、投票運動期間は六十から百八十で短いという印象を受けられる方もいらっしゃるかもしれないけれども、それ以前に、例えば衆参両院でどういう案をつくろうかとか、三分の二が本当にとれるのかなんとかというような時点で、相当中身についても報道もされるはずです。ましてや、今九条というお話が出ましたけれども、憲法九条をどうしようなんという話になれば、それこそ国会で発議案をつくるまでに相当な期間が多分必要なんだろう。その間も、選挙運動と違いまして、選挙運動ですとこの期間だけよという話になっていますけれども、実際国民投票に関しては、その間もあんなのはだめだとかなんだとかという運動はフリーでできますから、そういう意味でいうと、事実上二年、三年運動をやっている期間があるというケースも出てくるのではないか。

 一方、憲法の規定の中には極めて技術的な規定もございます。衆議院が解散されてから総選挙まで三十日にするのがいいのか四十日でやるのかというようなものについては、そんなに二年も三年も三十日がいいのか四十日がいいのかというような議論があるとも思えませんので、それなりに短い期間でというケースもあり得ると思います。

 したがって、今提案されているような内容で私は十分ではないかと思っております。

本田公述人 どのぐらいがいいのかというのは、恐らく、改正の箇所、中身、さらには国会における御議論の厚みによって決まってくるんだろうと思いますけれども、今、山花公述人がおっしゃいましたように、基本的に六十日から百八十日の間で十分おさまるのではないかと思います。

 運動期間はもちろんそれよりも長く、一年、二年というのが熟慮の期間になる、そういう御指摘があることも承知しておりますけれども、余り長過ぎるとちょっと争点がぼけてしまうのかなという感じがいたしますので、御提案の六十日から百八十日で結構かと思います。

糸川委員 ありがとうございます。

 本田公述人にお尋ねをいたしますが、本田公述人はしばしば、我が国の二院制につきまして、機能していないんじゃないのかというような指摘もなされておりますけれども、この投票法案を見られた場合、憲法改正に関して二院制というものはしっかりと機能するというふうにお考えでしょうか。

本田公述人 これは釈迦に説法になろうかと思いますけれども、そもそも二院制は、別々の観点から議論されて、そして一つの意思というものをつくり上げる、それが二院制の最大のメリットなんだろうと思います。

 しかし、この国民投票法案を拝見しましてどうしても気になりますのが、先ほど申し上げました合同審査会というものです。そこが勧告権を持つとなりますと、運営としては事実上一院制に近い形になってしまうのではないかということを危惧しております。両院で御議論された後、一つの合同審査会あるいは機関で意見の一致を模索することは大いに結構だと思いますが、最初にこの審査会で案がつくられて、そして両院に勧告されるとなると、今申し上げたように非常に変則的な二院制になってしまうおそれがあるのではないかと思います。

 そういう意味では、もしかしましたら、衆議院の方ではさほど異論がないかもしれませんけれども、参議院の方では別の観点から異なった意見が出る可能性があるのではないかというふうに思っております。

 以上です。

糸川委員 では、今しきりに高田公述人がうなずいていらっしゃいましたので、同じ質問で、高田公述人はどのようにお考えかお聞かせいただけますでしょうか。

高田公述人 先ほどもちょっと言ったんですけれども、それはここの運営を含めて、私は参議院というのは何なんだろうというふうに思うことがあります。それは、週二回の審議でこれだけ衆議院の方では議論してきた法案を、あと二カ月程度の間に上げてしまうということがごく当然のこととして考えられているような参議院の扱いそのものについても私は非常に疑問があるものですから、先ほどはそう申し上げました。

 この委員会自身がまず、二院制をきちんと実行していくような立場で議論してもらいたいと思います。

糸川委員 もうほとんど時間がございませんので、一問、メディアについて質問をさせていただきたいと思います。

 これは午前も質問させていただいたんですけれども、今回の運動の中で非常に有効活用できるのはメディアの特にテレビだったというふうに思います。そのテレビの例えばキャスターですとかリポーター、こういう方々が、賛成をした方がいいとか、私は反対だからあなたたちも反対した方がいいとか、そういう指摘をする可能性も今回あるわけですけれども、そういうことに対して規制をすべきかどうか。メディアに対してどういうような規制をしていったらいいのか。発言の規制というのはいかがなものかなという気もするんですけれども、その辺を各公述人の皆さん方はどのようにお感じかお聞かせいただけますでしょうか。

本田公述人 先ほど愛知先生からの御質問の際にもお答えしましたけれども、私、必ずしも専門ではございませんけれども、メディアの役割、影響力の大きさ、それはもちろん認めざるを得ません。そこを全く手つかずの状態にしておくことはいかがかと思います。ですから、そういう意味では何らかの仕組みというものは必要なんですけれども、具体的にどうすべきかというのはなかなか妙案がないのではないかというふうに思います。

 以上です。

山花公述人 テレビのキャスターの例を挙げられましたので、その範囲でお答えをいたします。

 スポットCMとかについては、先ほど申し上げたとおり、一定の期間について、視覚に訴えるもので、かつ、流れてしまいますから、制限をした方がよいのではないかということを申し上げましたが、テレビのキャスターなどが発言をされるについては、各社それぞれ社内規程があると思いますし、その分野は自主規制にゆだねてよいのではないか。法律でどうこう言う筋合いはないんだろうと思います。

 また、その上で、恐らく御関心の向きは、例えばキャスターが、自分は反対の立場である、だから今回はこんなに問題があるんだというようなことを言ったりとか、逆に、賛成をすべきだ、賛成したら日本はこんなに明るくなるんだとか言うことについてどうかということなのかもしれません。私は、それは各社の判断だと思いますけれども、やっていただいて結構だと思います。

 といいますのも、むしろ、腹の中ではどっちかという意見がありながら、あたかも中立公正かのごとく、反対するような誘導的な番組のつくり、あるいは賛成するような誘導のつくりをされるよりも、見ている方も、この人は反対という立場でやっているのね、だからこういう話が出てくるのね、この人は賛成という立場で発言されているから番組のつくりもこうなんだね、今回賛成派のを見たから、こっちのチャンネルはどうかしら、そういう判断ができますから、私はむしろ、それは放送各社の文化にもよるんでしょうけれども、ちゃんと言っていただくというのもありなんだろうというふうに思っております。

高田公述人 メディアの自主規制という問題ですけれども、例えば、そのメディア自身が最近、私などから見ていると、十年前、二十年前、三十年前はどうだったろうというふうに比べると、その社の方針自身が、非常にそういう意味では立場が変わってきている。

 私がお願いしたいのは、今委員が言われたような問題について、もっともっとここでそういう議論を活発にしていただいて、そしてその上で決めるというふうにしていただければ、いろいろな問題は何とかクリアできると思いますけれども、単にメディアに任せる以外にないと言われると、非常に心配を感じるところはあります。まだまだ議論をしていただきたいと思います。

糸川委員 ありがとうございました。終わります。

中山委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 公述人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。委員会を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手)

 これにて公聴会は終了いたしました。

 公聴会は、これにて散会いたします。

    午後五時散会


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