衆議院

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第2号 平成19年4月5日(木曜日)

会議録本文へ
平成十九年四月五日(木曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 中山 太郎君

   理事 愛知 和男君 理事 近藤 基彦君

   理事 福田 康夫君 理事 船田  元君

   理事 保岡 興治君 理事 枝野 幸男君

   理事 園田 康博君 理事 赤松 正雄君

      阿部 俊子君    新井 悦二君

      伊藤 公介君    石破  茂君

      稲田 朋美君    猪口 邦子君

      小里 泰弘君    大塚  拓君

      岡部 英明君    加藤 勝信君

      川条 志嘉君    柴山 昌彦君

      関  芳弘君    平  将明君

      棚橋 泰文君    谷  公一君

      渡海紀三朗君    冨岡  勉君

      中野 正志君    長島 忠美君

      野田  毅君    葉梨 康弘君

      早川 忠孝君    林   潤君

      平田 耕一君    広津 素子君

      深谷 隆司君    福田 良彦君

      藤井 勇治君    藤田 幹雄君

      保利 耕輔君    堀内 光雄君

      武藤 容治君    盛山 正仁君

      森山 眞弓君    矢野 隆司君

      安井潤一郎君    若宮 健嗣君

      市村浩一郎君    内山  晃君

      岡本 充功君    田中眞紀子君

      高井 美穂君    高山 智司君

      筒井 信隆君    中川 正春君

      長妻  昭君    平野 博文君

      古川 元久君    石井 啓一君

      大口 善徳君    笠井  亮君

      辻元 清美君    糸川 正晃君

    …………………………………

   議員           加藤 勝信君

   議員           葉梨 康弘君

   議員           船田  元君

   議員           保岡 興治君

   議員           枝野 幸男君

   議員           園田 康博君

   議員           赤松 正雄君

   公述人

   (日本大学法学部教授)  百地  章君

   公述人

   (社団法人自由人権協会代表理事)

   (弁護士)        庭山正一郎君

   公述人

   (特定非営利活動法人Rights理事)      小林 庸平君

   公述人

   (主婦)         田辺 初枝君

   公述人

   (大宮法科大学院大学法務研究科法務専攻)     南部 義典君

   公述人

   (地方公務員)      松繁 美和君

   公述人

   (弁護士)        森川 文人君

   衆議院法制局第二部長   橘  幸信君

   衆議院憲法調査特別委員会及び憲法調査会事務局長  窪田 勝弘君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月五日

 辞任         補欠選任

  越智 隆雄君     岡部 英明君

  坂本 剛二君     猪口 邦子君

  柴山 昌彦君     武藤 容治君

  渡海紀三朗君     大塚  拓君

  深谷 隆司君     阿部 俊子君

  二田 孝治君     小里 泰弘君

  山崎  拓君     冨岡  勉君

  玄葉光一郎君     平野 博文君

  鈴木 克昌君     市村浩一郎君

  平岡 秀夫君     高井 美穂君

同日

 辞任         補欠選任

  阿部 俊子君     川条 志嘉君

  猪口 邦子君     関  芳弘君

  小里 泰弘君     長島 忠美君

  大塚  拓君     渡海紀三朗君

  岡部 英明君     若宮 健嗣君

  冨岡  勉君     平  将明君

  武藤 容治君     盛山 正仁君

  市村浩一郎君     内山  晃君

  高井 美穂君     高山 智司君

  平野 博文君     玄葉光一郎君

同日

 辞任         補欠選任

  川条 志嘉君     深谷 隆司君

  関  芳弘君     福田 良彦君

  平  将明君     広津 素子君

  長島 忠美君     二田 孝治君

  盛山 正仁君     柴山 昌彦君

  若宮 健嗣君     稲田 朋美君

  内山  晃君     鈴木 克昌君

  高山 智司君     平岡 秀夫君

同日

 辞任         補欠選任

  稲田 朋美君     越智 隆雄君

  広津 素子君     藤田 幹雄君

  福田 良彦君     坂本 剛二君

同日

 辞任         補欠選任

  藤田 幹雄君     山崎  拓君

    ―――――――――――――

本日の公聴会で意見を聞いた案件

 日本国憲法の改正手続に関する法律案(保岡興治君外五名提出、第百六十四回国会衆法第三〇号)

 日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案(枝野幸男君外三名提出、第百六十四回国会衆法第三一号)


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     ――――◇―――――

中山委員長 これより会議を開きます。

 第百六十四回国会、保岡興治君外五名提出、日本国憲法の改正手続に関する法律案、第百六十四回国会、枝野幸男君外三名提出、日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案の両案について公聴会を行います。

 本日の午前は、公述人として、日本大学法学部教授百地章君、社団法人自由人権協会代表理事・弁護士庭山正一郎君、特定非営利活動法人Rights理事小林庸平君、主婦田辺初枝君、以上四名の方々に御出席をいただいております。

 この際、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。公述人それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。

 議事の順序について申し上げます。

 まず、百地公述人、庭山公述人、小林公述人、田辺公述人の順に、お一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、発言される際はその都度委員長の許可を得ることとなっております。また、公述人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御了承願います。

 御発言は着席のままでお願いいたします。

 それでは、まず百地公述人、お願いいたします。

百地公述人 日本大学の百地でございます。

 本日は、憲法改正国民投票法案につきまして意見陳述の機会をいただき、大変光栄に存じます。私は、与党修正案に賛成の立場から意見を述べさせていただきます。

 現行憲法が施行されましてことしでちょうど六十年を迎えますが、ようやく憲法改正のための国民投票法が制定されようとしています。これもひとえに中山委員長を初め関係各位の御努力のたまものであり、心から感謝と敬意を表する次第でございます。

 実は、短時間にまとめてお話をさせていただくために原稿を用意させていただきました。訂正を先にさせていただきます。六ページの九行目から十行目のところですが、「1「公務員の政治的行為の制限規定の適用除外」が削除されてしまったこと、」これは逆でして、「公務員の政治的行為の制限規定の適用を除外してしまったこと」に訂正していただけたらと思います。

 それでは、原稿に従いまして意見を述べさせていただきます。

 憲法改正のための国民投票法は、国会法や内閣法などと同様、憲法典を具体化し実際に運用していくために不可欠な法律、つまり憲法附属法律の一種と考えられます。したがって、憲法施行時には当然整備されていなければならないはずでございました。その法律が憲法公布後六十年たっても制定されなかったわけですから、どう考えても異常であります。

 しかも、現行憲法は国民主権を採用していますが、国民が直接主権を行使する機会は憲法改正のときしかありません。といいますのは、通説によれば、国民主権とは、第一に、すべての国民が国家権力の正統性の根拠であること、言いかえれば全国民の名において憲法が制定されたこと、第二に、有権者の総体が国家権力の究極的な行使者であること、換言すればすべての有権者によって憲法改正が行われることを意味するからであります。したがって、国民投票は主権者国民が直接主権の行使に参加できる唯一の機会ですから、国民投票法を制定しないままでいるということは、国民から主権行使の機会を奪うに等しいことになります。

 さらに、一昨年、平成十七年九月十四日、最高裁大法廷が下した在外邦人の選挙権をめぐる判決に従えば、国会が正当な理由がないまま国民投票法を制定しないでいることは憲法違反の疑いさえあります。時間の関係で詳しい説明は省略させていただきますが、この判決によりますれば、国会がやむを得ない事由もないまま選挙権以上に重要な憲法改正のための国民投票権を認めてこなかったこと、また、主権行使のための国民投票法の制定が必要不可欠かつ明白であるにもかかわらず国会が正当な理由もなく六十年もの長期間にわたって法律の制定を怠ってきたことは、憲法違反の疑いが濃厚であると思われます。

 以上の理由から、速やかに国民投票法を制定されますよう切望する次第であります。

 次に、本題の国民投票法案の内容について意見を申し上げます。

 第一に、与党提出の国民投票法案は国民投票の対象を憲法改正に限定していますが、これは当然のことと考えられます。というのは、今制定すべきは憲法改正のための国民投票法であって、これによって国会は速やかに立法不作為による違憲状態の解消を図らなければならないからであります。

 民主党の主張されるように国政上の重要問題についてまで国民投票の対象を広げることは、適切でないばかりか憲法違反の疑いさえあります。なぜなら、憲法は代表民主制を採用し、憲法改正など例外的な場合にのみ直接国民の意思を問う仕組みになっていますから、一般国民投票法の制定によって直接民主制を導入することは憲法の基本原理に抵触することになるからであります。しかも、法律による一般国民投票制度の採用は、国会を唯一の立法機関と定めた憲法四十一条にも違反することになりましょう。

 確かに、国民投票制度の中には国会を直接拘束しない諮問的レファレンダムも存在します。これなら国会の権限を直接侵害することもなく、憲法違反の疑いを免れるかもしれません。しかしながら、せっかく国民投票をしておきながら、その結果をいつでも無視することができるのであれば、何のための国民投票かということになりましょう。逆に、国会が常に国民投票の結果に従わなければならないということになれば、事実上、国会の権限を侵害することになります。したがって、国民投票の対象を憲法で定められた憲法改正以外にまで拡大するのは疑問であります。

 それに、国政上の重要問題について果たして常に国民が正しい判断をなし得るかどうか、また、国政上の重要問題についての決定権を流動的なその時々の国民の意思にゆだねてしまうのが妥当かどうかを考えるならば、一般国民投票法の採用には多大の疑問を覚えます。

 第二に、与党修正案が国民による憲法改正の承認の要件を有効投票総数の過半数としたことは極めて妥当と思われます。なぜなら、民主党案のように白票等の無効票まで含む投票総数の過半数の賛成を承認の要件とした場合には、わからない者や答えない者まで反対に含めてしまうことになるからであります。国会つまり主権者国民の代表が、衆参両院の三分の二という多数の賛成によって憲法改正を支持し発議しているという事実を重視するならば、これに対する明確な反対が過半数に達しない限り国民の賛成が得られたものとみなすのが論理的に考えても妥当であると思われます。

 次に、国民投票運動のあり方について管見を申し上げます。

 初めに、国民投票運動というものをどのように考えるべきかということですが、これまでの議論を概観いたしますと、次のような見解が支配的であったように思われます。

 すなわち、国民投票運動は、選挙運動と異なり原則として自由とすべきであって、制約は最小限度に抑えるべしというものです。その理由としては、1憲法改正の国民投票は主権者国民による主権の行使であって選挙権の行使とは異なること、2憲法改正は国の将来にかかわる重大な問題であり、可能な限り多くの国民が運動に参加し自由に意見を表明すべきであること、3規制は自由な意見の表明を萎縮させる、特にメディア規制は報道の自由を侵害しメディアに対して萎縮作用を及ぼすものであるから規制すべきではないといった事柄が挙げられます。

 しかしながら、このような見解には疑問があります。なぜなら、国民投票運動においても当然自由が保障されなければなりませんが、運動の公正性を維持し、政治的混乱を避けるためには、やはり一定の規制がなされなければならないはずだからであります。それに、一、二週間という短期間の選挙活動とは異なり、国民投票運動は二カ月から最長半年もの長期間にわたることから、運動を原則として自由とした場合、どのような政治的、社会的混乱が生ずるか予想がつきません。したがって、そのような混乱を未然に回避し、国民投票運動の公正性を維持するためには、原則として公職選挙法に準じた規制を考えるのが自然ではないかと思われます。

 この点、国民投票と選挙権の行使とは異なるという意見に対しては、以下のような反論が可能です。

 確かに、憲法改正は国民が直接主権を行使する唯一の機会ですが、主権の行使といっても、憲法制定権力の行使とは異なります。すなわち、革命後の混乱の中で憲法制定権力といういわばむき出しの権力を自由に行使し新憲法を制定するような場合と、憲法典の定めるところに従って憲法改正権を行使する場合とでは、当然行使のあり方も異なるわけであります。それゆえ、憲法改正のための国民投票運動においては、意見表明の自由を保障するとともに、政治的混乱を回避し、国民投票運動の公正性を維持することが憲法上要請されますから、国民投票運動は原則として自由であるべきだなどといった主張はやはり疑問であります。

 また、国民の自由な言論を保障することと、公務員や教育者まで巻き込んだ国民投票運動を認めることとは別問題です。というのは、憲法改正は文字どおり直接国の命運を左右するものであり、国民投票運動は選挙運動と比較してはるかに高度な政治性を有するからであります。この政治的な国民投票運動に、国家公務員法や地方公務員法で政治的行為が厳格に制限され、全体の奉仕者として本来政治的に中立でなければならない公務員を自由に参加させるというのは、明らかに矛盾しております。

 それゆえ、私ども、昨年十二月十四日付の与党修正案については、1公務員の政治的行為の制限規定の適用を除外してしまったこと、2メディア規制が完全に削除されていること、3公務員、教育者の地位利用について罰則が存在しないことの三点を特に問題視し、再修正をお願いしてきました。幸い、今回提出の与党修正案におきましては大方懸念も解消されましたので、法案に賛成する次第であります。

 ちなみに、国家公務員法、地方公務員法における公務員の政治活動の制限について、最高裁は昭和四十九年の猿払事件判決の中で、行政の中立的運営を確保し国民の信頼を維持するためのもので合憲であると判示しています。また、政治的行為の禁止は、意見表明そのものの制約が目的ではなく、あくまで行動のもたらす弊害を防止することにあり、その意味で間接的、付随的制約にとどまると説明しています。

 したがって、公務員にも当然意見表明の自由は認められなければなりませんが、全体の奉仕者としての立場や公務員としての地位の特殊性などにかんがみ、国民投票運動のもたらす弊害を防止するためその行動に制約が加えられることは、最高裁判決に照らしても当然であると思われます。

 さらに、メディア規制の問題ですが、事実の報道の自由が憲法で保障された権利であることは昭和四十四年の博多駅テレビフィルム事件最高裁判決が認めているとおりです。それゆえ、公共の福祉に反する場合を除き、報道の自由の規制は許されませんし、その制約は最小限度にとどめるべきです。ただし、この報道の自由は、同判決の言うとおり、あくまで国民の知る権利に奉仕するために認められたものであって、マスメディアに対して特権を付与したものではありません。報道機関には、国民の知る権利にこたえるべく、事実を正しく公平に報道する義務があります。

 したがって、国民投票運動につきましては、少なくとも影響力の極めて大きなテレビ等の放送事業者に対しては、政治的に公平な報道を行うよう義務づける必要があります。その意味では、与党修正案が「放送法第三条の二第一項の規定の趣旨に留意するものとする。」と明記したことは、当然のこととはいえ評価すべきであると思われます。

 ちなみに、同項二号は「政治的に公平であること」、三号は「報道は事実をまげないですること」、四号は「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と定めていますから、その実効性を確保する必要があると思われます。

 この点、マスメディアに対する規制はその活動を萎縮させるおそれがあるから一切行うべきではないなどといった見解についてはいかに考えるべきでありましょうか。

 確かに、表現の自由や報道の自由の重要性を考えるならば、萎縮効果をもたらすような規制については特に慎重でなければなりません。それは当然のことであります。しかしながら、与党の国民投票法案が放送法の規定の趣旨に留意すると定めたのは、現に行われている規制以上の規制を新たに課すものではありません。しかも、マスメディア、特にテレビの現状を直視するならば、萎縮効果などといった観念論だけで一切の規制を排除してしまうのは極めて疑問です。

 加えて、与党修正案が公務員、教育者の地位利用を禁止し、違反者に対して行政罰を加えることとしたことは評価すべきでありましょう。選挙活動と異なるとはいえ、公務員や教育者がその地位を利用して国民投票運動を行うことは、明らかにその公正性を損なうことになりますし、特に学校においては教育者の影響力は無視できないからです。それに、本来、政治的喧騒から隔離されていなければならないはずの教育現場まで巻き込んで、教師が国民投票運動を展開することは、当然避けなければなりません。ただし、行政罰だけでは自治体によってばらつきが生じるおそれがあり、不公平を生じますから、この点については配慮が必要であると思われます。

 以上、限られた時間の中で、与党修正案に賛成する理由を述べてまいりました。

 最後に、附則第十一条には、「公務員が国民投票に際して行う憲法改正に関する賛否の勧誘その他意見の表明が制限されることとならないよう、」「検討を加え、必要な法制上の措置を講ずるものとする。」とありますが、さきの最高裁判決に照らせばおのずから限界が存すること、また、法律制定後に設置される予定の憲法審査会におきましては、ぜひとも積極的な憲法改正論議や具体的な改正案づくりを行っていただくようお願い申し上げまして、私の意見陳述を終わります。

 どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)

中山委員長 次に、庭山公述人、お願いいたします。

庭山公述人 社団法人自由人権協会代表理事で、弁護士をしている庭山でございます。

 本日は、公述人として御指名を受け、発言の機会を得られましたことに感謝申し上げます。

 人権協会は、全国選挙管理委員会委員長もしたことがあります弁護士海野晋吉を中心にして、一九四七年に法務省を監督官庁とする公益法人として設立された市民活動団体で、ことしは満六十周年を迎えます。党派性を排して、人権の擁護を唯一の目的として活動しており、弁護士のほかに学者の会員も多数おり、二〇〇三年には国連の経済社会理事会の特別協議資格を取得しております。

 当協会は、活動の理念の中心に憲法を置いており、特に、憲法の基本原理である国民主権、基本的人権の尊重及び平和主義をないがしろにする社会の動きに対しては敏感にならざるを得ません。そうした観点から、国民投票手続法案の審議経過を見守ってきました。当協会は、既に法案に対する意見を声明として発表しておりますが、本日の機会に改めて問題提起をさせていただきます。なお、資料として、当協会の二〇〇六年十月十八日付の意見書を配付させていただいておりますので、御参照ください。

 私の理解するところでは、政治的な状況を離れて中立的に法律を作成する場として、この委員会で冷静な議論がなされてきたように思っております。私は、そもそも、かかる手続法案を作成する必要が現時点であるのだろうかとの疑問はございますが、その点はおくとしても、ごく最近までは委員会の運営が民主的になされてきており、その結果、一年前の議論状況で異論があった幾多の点について、委員会の検討を経て、関係者の御努力で合理的な変更が加えられつつあることを評価することにやぶさかではございません。

 昨年五月に、私の所属する第二東京弁護士会で法案に関するシンポジウムを開催したところ、船田先生を初め五党の責任者に御参加いただき、大変実りある集会になりましたことも、各関係者の国民への説明努力の一環として大いに感謝した次第でございます。

 しかしながら、法案には、意見書で私どもが指摘したように、まだまだ議論を煮詰めなくてはならない重要な論点がございます。最近は、こうした論点を顧みることなく政治スケジュールを優先させる委員会運営が見受けられ、危惧する次第であります。憲法改正の政治的意思を貫徹する一環としての手続法の制定という位置づけを口にする政治家もおられるようでございまして、本委員会での議論が、中立的な装いのもとに、いずれ憲法の基本原理をなし崩しにする改憲まで至るのではないかとの危惧感を禁じ得ない状況になっています。少なくとも、中立的な手続法というある種の安心感が急速にさめていっているという思いをぬぐえません。

 そこで、中立的な手続法を作成するという視点からぜひ検討をお願いしたいのは、国会の発議が憲法の改正限界を超えたときの司法審査のあり方です。

 従前の委員会審議を振り返りますと、憲法改正には法理的な限界があり、手続法は当然に改正限界を超えない範囲内の改正をカバーするとの関係者間の一致した合意があったわけです。そのような関係者間の明示、黙示の了解があったからこそ、六党間での実質議論が踏み込んでなされてきたと理解しております。

 憲法の基本原理を踏みにじるような改憲の政治的可能性を視野に入れながらの手続法案作成作業ではなかったはずです。他の政党も憲法の基本原理を大事にするという立場に立っているという相互了解があって、この委員会の運営が成り立ってきたと理解しております。私も、また大部分の国民も、そのことを前提にしてこの委員会への協力を含めて審議を見守ってきたと思います。ですから、議員の先生方は、こうした政治家としての国民に対する姿勢を法案の中身で確認的に明らかにしていただくことは、政治家としての基本姿勢のあり方と思います。

 その観点で、改正限界を超えた発議がなされたときの処置のあり方を手続法に組み込むことが必要です。もっとも、ここに委員となっておられる先生方は、憲法の基本原理を損なうような改正はしないという確固とした政治的意思を有しておられると思いますので、それに反するような改正をおもんぱかって、殊さらに手続法にこの対処をあらかじめ取り入れるというふうなことに大変な抵抗感がおありであることはよく理解できます。

 しかし、この手続法が恒久的な役目を果たすことを期待されている以上、左右いずれをも問わず、現憲法の基本原理を変更する政治勢力が国会で多数をとったとしても、本手続法はそうした勢力を利するために作成されたものではないことを明らかにし、かつ、そのことを担保するために、憲法の理念を擁護するための司法審査の手段を手続法の中に組み込んでいただきたいのです。

 今申したように、司法審査の道を手続法に取り込むことは、本手続法の射程距離を画することによって、現在の国民の多くに対して安心感をもたらします。憲法の基本原理をどの政党も尊重することの証明がなされることになるので、憲法の基本原理に愛着を感じる大部分の国民にとって、かかる歯どめが明らかにされることが、司法への信頼を前提にすると、今後の憲法改正作業にとってもプラスこそあれマイナスはありません。

 くどいようですが、国民は手続法という衣の下によろいが隠されていないかということを気にしています。であるからこそ、基本原理を守ることの政治的なメッセージを強く出してもらうことが必要です。

 司法審査は、実務にたえ得る形でその制度化が可能です。

 当協会は、そのために、具体的に憲法改正限界を超えた発議がなされたときには、これに不満を持つ人がその発議の違憲の有無を司法審査にかけられることを提案しています。その審査は、発議から国民投票日までになされることが重要です。国民投票の結果が出てから、裁判所で改正が違憲であるなどとの判断が万一出たら、それこそ法治国家として収拾がつかない事態になりかねません。

 現在の法案では、国民投票までの周知期間は六十日から百八十日以内ですから、この期間は大幅にふやす必要があります。しかし、司法審査は短時間で結論を出す必要はありますし、判断の対象が非常に憲法の高度な理解を要するということを勘案しますと、最高裁判所のみが管轄権を有するとすることが考えられます。また、濫訴を防ぐためには、原告適格を国会議員に限定するなどの工夫もあっていいかもしれません。

 国民に主権があり、憲法の改廃も究極的には国民の意思によります。仮に改正限界を超えた改正案でも、国民投票で承認されてしまえば、その手続に誤りがあっても、またそれを革命と呼ぼうと何と呼ぼうと、新たな憲法の誕生であるという理解も可能でしょう。しかし、それは政治論であります。制度論としての手続法を作成する以上は、国民が改正の対象になっている案の憲法上の位置づけを明確に理解した上で国民投票を行わなければなりません。改正の限界を超えているのに、通常の手続法での改正ができるものとして手続を強引に推し進めることは、現憲法を裏切る行為で、国民を欺くことにほかなりません。

 もし改正の限界を超える改正案を発議するならば、憲法制定議会を設置するなど、政治的意思を前面に出した工夫を当事者が行わなければなりません。しかし、この手続法は、発議から国民投票までの間に総選挙を恐らく想定はしておりません。つまり、この手続法は、法的な革命を想定しないで、改正限界に触れることのない改正を念頭に置いて作成されていると理解できます。そうであるからこそ、司法審査の道をつくっておく必要があります。

 従前の小委員会の議論を拝見すると、発議から国民投票までのプロセスで司法審査を導入することが想定されていないとか、基本的には司法審査に適さないなどの意見が表明されています。しかし、この点の議論は十分になされているとは思えません。私が述べた趣旨での司法審査制度を組み込むことが、憲法の予定する改正手続の精神に反することがあるでしょうか。

 また、現行憲法が明治憲法の改正手続という形をとっていることに言及して、改正限界論に深入りし過ぎると、現憲法の正統性に疑問を生じかねないとの危惧を表明されている議員もおられるようです。しかし、この点については、次の点を指摘しておきます。

 まず、現憲法への改正は、一九四六年三月六日に内閣が憲法改正草案要綱を発表し、四月十日に帝国議会最後の衆議院議員総選挙が行われ、新たに選出された帝国議会で改正手続がなされています。確かに、改正という形式を踏んではいますが、その実質は、新たな憲法制定議会とも評価できる選挙を実施しており、法的な意味での革命の実体的な根拠があったということです。この点は憲法の教科書に載っているところです。したがって、現憲法は、改正という手続を便宜的に借用しただけでありますが、法的な革命としての正統性は十分にあるということであります。

 これに反して、今回の手続法は、少なくともこの委員会に結集されておられる有力議員の方々は改正を政治的な状況からできるだけ距離をとってその実現を目指すことを意図していて、その意味からは、革命を志向するのではなく、徹頭徹尾、手続を遵守することを通して改正の正統性を担保しようとしておられるということです。憲法改正を争点にした総選挙を想定しない手続になっております。いわば、可能な限り手続を純化させておられるということです。

 したがいまして、現在想定しているこの現憲法の改正は、明治憲法の改正とはその実態が異なります。今回の手続上で改正限界を超えた場合への対処を規定したとしても、そのことが翻って現憲法の正統性につばを吐く結果にはなり得ません。

 時間の関係で、最低投票率の点だけに触れたいと思います。

 この点については、従来の委員会の議論では、ボイコット運動を惹起するとか、憲法の規定する改正手続の加重要件になるという意見が出ているようであります。

 憲法九十六条で記載されているところの国民の承認に必要なその過半数という意味は、有効投票とか投票総数という説が多いようですが、日本語としては有権者の過半数という読み方もできます。そういう意味で、九十六条の読み方には幅があるのです。

 結局、問題は、憲法改正という重要性に対応する十分な要件は何かということになります。改正する以上は、朝令暮改の対象にしてはいけません。そうなっては、基本法の権威、憲法の規範力の低下につながり、国の大もとが崩壊することになりかねません。ですから、簡単には再改正できないだけの重みを国民が共通に感じとることが必要です。

 九十六条の要件を有権者の過半数の賛成が必要であると理解すると、最低投票率の導入などはその必要もなくなります。しかし、その解釈をとらないとしても、やはり政治的な重みを改正に付与するためにどうした工夫をすればいいのかという発想は、議員の方にとっても共通な課題であろうと思います。最低投票率を導入するという考え方は、改正に政治的な重みを付与するための有力な手段であることは否定できません。

 ところで、ボイコット運動というのは、余り好ましい運動とは私は思いませんが、意見の表明の仕方として、また運動の仕方としてこれを否定できるものではありませんから、これを理由として最低投票率導入を当然に否定することはできないと思います。

 次に、改正手続の加重要件になるかという点です。

 私は、国民投票で有効投票の過半数をとることは、憲法が要求する国民の承認の必要条件ではあっても、当然には十分条件にならないと考えます。九十六条の解釈の幅の中で十分条件を見出す作業が必要と思います。投票総数の過半数が必要であるとの議論があるのも、十分条件を満たすためには有効投票の過半数だけではだめではないのかという発想と疑問があったからにほかなりません。そうした発想は極めて健全な発想であって、議論をしておられる方も、みずからの案が加重要件になるとは思っておられなかったはずです。

 改正に政治的な重みを与え、そして憲法制定権者たる国民全体の意思を真に実現したと評価するに足りる投票行動を我々は国民に期待するのでありますが、その一工夫として最低投票率を導入することは、要件の加重ではなくて憲法の要求する十分条件を探るための手段であります。

 具体的な投票率をどう設定するかという点は、まさに国民の英知を集約する必要があります。この委員会で三月二十二日に公述人となられた江橋崇教授は、全体として法案に高い評価を与えておられますが、その教授も、少数の国民で改正されてしまう弊害に対処するための一方法として最低投票率制度を挙げておられることに注目したいと思います。

 ちなみに、国民投票で改正案が否決される事実上の弊害に対処するために、発議前にあらかじめ国民の意思を把握するという方法が提案されているようですが、この方法は政治的には賢明な方策であると思います。しかし、発議の要件として、かかる事前の予備的な国民投票ということを要求することにすると、それ自体が九十六条の加重要件という評価もあり得ましょう。

 私は、改正という国民の大事業を賢明に乗り切る一つの知恵と理解し、かかる事前国民投票を加重要件とは評価しませんが、最低投票率の制度もこれと同様の理解をして、真に国民全体の意思の発動と評価するに足りる制度的な工夫をさらにつけ加えていただきたいのです。また、絶対得票率という考えも工夫の一つではないでしょうか。これならば、ボイコット運動を誘発しないという見方もあるようですから、採用がより容易になるかもしれません。

 最後になりますが、この委員会での実質的な検討が積み重ねられた成果は大きいものがあったと思います。しかし、あと一年かけて、各公述人が指摘した問題などを検討されると、さらに国民にとって納得感が高まる法案になると思います。そういう意味で、さらに引き続き法案の徹底審議を継続していただきたいことを希望として述べさせていただきます。

 御清聴ありがとうございました。(拍手)

中山委員長 次に、小林公述人、お願いいたします。

小林公述人 特定非営利活動法人Rightsの小林と申します。

 本日は、私のような若輩者に対しまして、こういった場で意見を述べさせていただく機会をいただきましたことに、まずもって感謝申し上げたいと思います。

 私は、この場におきまして国民投票法案の投票年齢について述べさせていただきたいと存じますが、その前段におきまして、私及びNPO法人Rightsの活動を簡単にお話しさせていただければと存じます。

 私は、大学一年生であった十八歳のころから社会人となった二十五歳の現在まで、七年間、若者の社会参加を進める活動を進めてまいりました。そのための手段として、私たちRightsでは、選挙権年齢の引き下げ及び政治教育の充実といったものを掲げて活動をしてまいりました。

 選挙権年齢の引き下げにつきましては、一つは世論に対して働きかけていくという活動と、もう一つは国会内での世論を形成していくという、二つのことを行ってまいりました。国会内の世論に関しましては、現在の下村博文官房副長官に代表世話人をしていただきまして国会議員懇談会を立ち上げ、超党派で選挙権年齢引き下げの議論を行ってまいりました。それ以外に、例えば世論に対しての働きかけということでございますが、こういったブックレットをつくって働きかけを行ってまいりました。

 もう一つの政治教育というところでございますが、今まで、模擬選挙というものを二〇〇三年の衆議院総選挙から積み重ねてまいりました。これは、まだ選挙権のない十九歳以下の世代に対しても選挙といったものを体験する機会を持っていただくことが非常に重要なのではないか、そういったことを踏まえて実際に選挙権を得たときに判断の材料にしていただきたいという思いで活動してまいりました。

 簡単に私どもの活動を紹介させていただきました。まず、投票年齢を引き下げることの目的として、なぜ若者の社会参加が今必要になってくるかといったことを簡単に述べさせていただきたいと存じます。

 現在、少子高齢化社会というのは巷間よく言われることでございますが、それ以外にも、例えば財政赤字が日本は非常に積み重なってございます、環境問題もございます。こういった問題は必ずしもきょうあした、来年、三年後といった短期間で問題となってくるものではないかもしれませんが、十年、二十年、三十年といったスパンで考えたときに非常に大きな問題になってくるのではないか。そして、その当事者であるのは未来を長く生きる若者である、その若者の意見をより社会の場に、政治の場に反映させることが今必要なのではないか。それがまず一点目の理由でございます。

 二点目が、これはもう少し普遍的な理由でございますが、民主主義の社会というのは、そもそも自動的に育っていくものなのかというところがございます。例えば、民主主義の先進国と言えるかと思いますが、欧米諸国、例えばアメリカを見ますと、アメリカでは全米規模、数百万人規模で模擬選挙を実施しています。そういった模擬選挙によって子供、若者の社会的な判断能力を養っていこうという活動を行っています。ほかにも、スウェーデンでは実際に選挙の候補者が学校を訪れてディベートを行うといったようなことも行っています。

 なぜこういうことを行っているかと申し上げますと、民主主義をつくっていく上で次の世代を育てていくことが社会の責任であるということをきちんと認識した上で、そういった取り組みを行っているというふうに我々は理解をしております。つまり、私たちは、若者の社会参加を進めることで、一つは少子高齢化などのひずみを是正したい、もう一つは民主主義をよりよく、強く育てていきたいという思いで活動してまいりました。

 少し前段が長くなりました。それでは、若者の社会参加を進めるに際して、なぜ投票年齢もしくは選挙権年齢の引き下げが必要になってくるかというところを、お配りしております要旨に基づいて御説明させていただきたいと思います。

 まず、前段に申し上げたことと関連いたしますが、今、少子高齢化社会でございますので、有権者に占める高齢者の割合が非常に多くなっている一方で、若者の比率が非常に小さくなっている。その一方で、長期的に考えなければいけない問題は大きくなっている。その意味で、若者の投票者の数をふやすことによって、若者の意見をより社会の場へ、政治的意思決定の場へ反映させることが必要ではないかというのが一点目でございます。

 二点目は、これはもう少し普遍的な意味になるかもしれませんが、そもそも民主主義社会というのは、より多くの人々に選挙に参加する機会、政治に参加する機会を保障するべきではないかというのが二点目でございます。

 三点目でございますが、若者の関心が実は今非常に高まっている時期だという認識を我々は持ってございます。レジュメも配付させていただきましたが、内閣府さんが青少年の政治的関心について調査したところによりますと、九八年は、政治に関心がある、社会に関心があると述べていた若者が三七・二%だったのに対して、二〇〇四年は四六・七%まで上昇している。さらに、二〇〇三年の衆議院選挙で二十代の投票率は三五%強であったのに対して、〇五年は四六%強にまで上昇している。こういった状況がございます。

 そして、十八歳選挙権が世界の流れである、日本は取り残されているのではないかというのが四点目でございます。世界の百八十六カ国中、百六十二カ国で十八歳選挙権が保障されております。日本もこの流れにきちんと乗っていくべきではないか。

 これらを選挙権年齢の引き下げを我々が求める四点の理由として挙げさせていただきたいと思います。

 それでは、何歳から選挙権年齢、国民投票における投票権年齢を保障すべきかといったところに議論を移したいと思います。

 まず、義務教育といったものを考えますと、義務教育は国や社会が保障する若者に対する最低限度の教育であると位置づけられているかと存じます。また、中学校を卒業すれば働くこともできますし、働いていれば税金も納めます。また、アルバイトをしていれば、所得税は納めないかもしれないですが消費税は納めるかもしれません。そういったことを考えますと、我々は十六歳から選挙権、投票権は保障することができるのではないかというふうに考えております。

 一方で、今現在の未成年者、十六歳から十九歳の皆さんに投票権年齢、選挙権年齢を引き下げることは、判断力の面から非常に問題があるのではないかという議論がよく聞かれます。しかし、昨今の市町村合併の中で、住民投票条例として投票権年齢を引き下げる動きが広がってございます。

 二〇〇三年に長野県平谷村で合併の是非を問う住民投票が行われました。私もそこに伺いまして、実際に投票した中学生もしくは実施に当たった村長さんにお話を伺いました。当時の塚田村長さんがおっしゃっていたのは、テーマを絞った住民投票であれば中学生であっても投票が可能だと。そして、そのとき平谷村では中学生が実際に投票したのですが、その中学生にお話を聞きましたけれども、こういった形でしっかりと情報を開示してくださって議論をする場を与えてくだされば、私たちも判断できるし、判断したいという意見を伺いました。

 また、私たちがずっと実施してきました模擬選挙でも、早く選挙権が欲しいという意見は非常に多くございましたし、投票結果を見ても大人の選挙と大きな違いは見られなかったところから、若者だからといって一概に判断能力がないと言うことはできないのではないかというふうに考えてございます。

 最後に、国民投票法案についての意見を述べさせていただきたいと存じます。

 与党が提出されています併合修正案は、公職選挙法や民法など他の立法措置が伴うまでは国民投票法案の投票年齢を二十歳のまま据え置くというふうな形で記述されているかと存じます。確かに、公職選挙法上の投票年齢、つまり現在の二十歳でございますが、それと国民投票法案の投票権年齢が一致することは望ましいかと存じます。

 しかし、法律にはそれぞれ立法目的がございます。民法には民法の、少年法には少年法の立法目的がございます。それゆえ、私たちは、投票年齢と、民法、少年法といった他の法令の成人年齢が必ずしも一致する必要はないというふうに考えてございます。それゆえ、我々は、民法など他の諸法令に関しましては、今回の国民投票法案の投票年齢とは切り分けた形で議論をしていただきたいというふうに考えてございます。

 私からの国民投票法案に関する意見は以上でございます。御清聴賜りまして、まことにありがとうございました。(拍手)

中山委員長 次に、田辺公述人にお願いいたします。

田辺公述人 済みません、立ってやらせていただきます。

 国会議員の委員の皆様方、おはようございます。本日は、国民の最高法規の行方にかかわる重大な手続法の公聴会という、このような大切な場所に出席させていただきましたことを本当に光栄に思います。

 私は、数年前から地域のお母さん方と女性弁護士さんを囲んで、定期的に憲法の学習会を行ってきました。学習会は、皆様にお配りしました「あたらしい憲法のはなし」、これは昭和二十二年に文部省が発行し、全国の中学一年生の教科書に使われた教材です、こちらを使って行ってきました。その中で学んだものをもとに、今回の法案に照らして自分なりにまとめてみましたことを申し述べさせていただきます。

 最初にお断りしておきますけれども、何分、私、このような場所に立つのは本当に初めてでございますので、本当にうまく皆様方にお話しできるかどうか、説明ができないかもしれませんけれども、どうか御容赦くださいませ。

 さて、私の意見はおおむね五点です。

 第一に、公聴会の持ち方について意見を申し上げたいと思います。

 私は、本日の公聴会の公述人のことが十分に国民に知らされていないことは非常に問題だと思います。本日の公聴会の募集をしていることを憲法の学習会仲間からの連絡でたまたま知りました。この公募のお知らせは衆議院のホームページに出ていましたが、そのことは教えてもらうまで全く知りませんでした。知らせてもらったので応募の機会がありましたが、ほとんどの人は知らないままだと思います。また、衆議院のホームページは、インターネットを使えない人は見ることができません。インターネットを駆使している者でさえたどり着けなかったと知人に言われました。公募していること自体を知らないのですから、パソコンで検索して自分で見つけ出すことは到底不可能かと思います。

 公聴会というのは広く国民の意見を聞くために開かれるものであるはずなのに、これでは国民が参加するチャンスはほとんどありません。公聴会なのですから、もっと早目に、もっと多くの人に知らせ、広く募集を募るべきではないでしょうか。

 また、公聴会のための準備期間が極めて短いことも問題かと思います。

 私が公述人の公募を知ったのは三月二十六日、応募締め切りが三月三十日正午必着で、その六日後の四月五日に公聴会となっておりました。これでは公聴会の日程が迫り過ぎていて、多くの人は予定が入っております。予定が入っておりますと応募することもできません。私の周りにも、本日の公聴会に参加したくても、用事や仕事が入って予定が動かせず、公述人の応募をあきらめた方が大勢おります。

 そうでなくとも、私たち一般人にとって、国会議員の皆様の前で意見を申し上げるには大変な勇気が必要です。応募するかどうか悩む間もなく応募しないと締め切りになってしまう現状の応募期間は、短過ぎて非常に問題だと思います。

 また、この法案は、憲法という私たち国民の日常生活を根底から支える大切なルールのあり方に重大な影響を与える手続法案です。投票権を持つ国民のみならず、私たちの子や孫にかかわってくる、すべての国民にとって物すごく大事な法律案です。他の法律とは全く異なる国の最高法規についての是非を問う法案の公聴会をこのような拙速なやり方で行うことに、私は一国民としてまず異議を唱えたいと思います。

 そして、有意義な公述をさせていただくためには、もっと準備する時間が必要です。私は、三日前の四月二日に公述人に決まったという通知をいただきました。非常に慌てました。一昨日、四月三日に、憲法調査会事務局から、これまでの審議録や法案など五センチくらいの厚みの、私、主婦ですので、およそお米五キロくらいはあるかと思われる膨大な資料が届きました。その資料をくまなく目を通すには、最低でも十日間は必要かと思います。もっと余裕を持って公募し、もっと前もって結果通知をお知らせいただき、資料ももっと事前に送っていただき、公述の準備をする時間をもっとつくってくださることを切にお願いいたします。

 そのような中でも、今回の法案に関心があり、今回応募された方は百二十四人に上ると聞いております。そのうち、本日は八名の意見を聴取されるとのことですが、残りの百十六名の方たちはどのような意見をお持ちなのでしょうか。ぜひこれらの人々のお考えもお聞きになって、参考にしていただくことを強くお願いいたします。

 それから、大阪と新潟で地方公聴会をされたそうですが、他の都道府県でも公聴会をしてくださいますようお願いいたします。各地にも、私と同様に、憲法に関心があり、国民投票法案の公聴会に応募したいと考える人はいるはずです。今回の公聴会も、公募から実施までとても短い期間で行われましたので、地方の方たちが東京の公聴会に参加するために上京することは、まず無理だったかと思われます。国民投票も改憲問題も全国の国民に大きな影響を及ぼすものです。東京だけでなく、全国各地の方々の意見をもっと聞いてくださいますよう切にお願いいたします。

 二番目に、法案の中身について意見を申し上げます。

 何分、私、まだ全く、このほど届いたものに対して全部目を通しておりません。ですので、わかっている範囲で申し上げたいと思います。

 まず、国民の過半数の要件についてですが、有効投票数の過半数では国民の多数意見が本当に反映されているとは思えないとだれもが口々に言っております。私たちが学習し、今回配付しました資料に、日本国憲法のほぼ土台となった、昭和二十年十二月二十七日新聞発表の、在野の憲法研究会、NHKの初代会長高野岩三郎氏を中心とする憲法草案要綱があります。その補則に、国民請願に基づき国民投票をもって憲法改正を決する場合は有権者の過半数を得ると記してあります。ですから、私は、有効投票の過半数という表現ではなく、国民にこぞって投票してもらい、有権者の過半数と明記することを強く訴えるものであります。

 また、現憲法はGHQによってつくられた、だから日本人の手によってつくり直さなければならないと安倍首相は言われます。しかし、この草案要綱は、この日に新聞に発表され、直ちに時の政府とGHQに提出されました。民間の憲法研究者によって草案はつくられ、一挙に憲法制定に拍車がかかり、十一月三日に発布、翌年五月三日に施行されたものです。

 現憲法制定に至る経過は、同じく配付しました「日本の青空」のパンフに記されておりますので、どうぞ委員の先生方もこの映画をごらんになっていただき、現憲法の事の起こりを再確認いただくことを申し添えます。

 次に、憲法改正の是非、両論に関する広報宣伝についてですが、厳正に公正公平さを十分に考慮した制度でなければならないと思います。

 テレビ、ラジオには多額の資金が必要です。テレビコマーシャルはどうしても扇動的になります。委員の皆様には熟慮、慎重審議をお願いいたします。お金で憲法を買ったと言われかねない事態だけは避けてください。そのためにどのような対策がとれるかについて十分な論議がされているとは思えません。どうかこの点をもっと審議してくださいますよう、切にお願いいたします。

 さらに、約五百万人にも及ぶ公務員や教育者について国民投票へ向けての運動、発言の制限が議論されていますが、このような規制をしようとすることに非常に私は驚きを感じます。

 国や地方で毎日行政の遂行に励まれている公務員の皆さんは、最も憲法を熟知し、各種法律の実施をされております。このような方々に憲法改正の是非を聞けないのは、まさしく私はもったいないと思います。

 公務員がその権限を濫用してみずからの考えを浸透させるようなことは、もとより許されるべきではないことです。しかし、そのような公務員による権限濫用の危険は、個々の公務員の運動ではなく、法律案や改憲案を提出する場合にこそ潜んでいるのではないでしょうか。個々の公務員は憲法第九十九条に憲法を尊重し擁護する義務があると記されているのですから、これらの公務員の運動を規制することは、憲法九十九条に反するのではないでしょうか。

 最後に、この法案では最低限の定めるべき取り決めが明示されておりません。

 憲法改正について国民は一括で判断するのか、条文ごとに判断するのかの定めがあいまいであることです。法案では、「憲法改正原案の発議に当たつては、内容において関連する事項ごとに区分して行う」としかなっておらず、何が関連する事項なのか、基準がよくわかりません。これは基本的要素と思います。後で適当に定めればよしという安易な姿勢の法案なのでしょうか。この一点だけでも、この法案は未熟に思えるのですが。

 また、もう十分に審議し尽くしたと言われるかもしれませんが、与党案、民主党案が出そろってからまだ一年にも至りません。この国民投票法案は最高法規に関するものであり、私たち国民にとって最重要法案です。審議のし過ぎということは絶対にありません。憲法のどの条文もとても大切です。一つ一つを吟味して、個別に賛否を投票できるようにしなければならないと思います。

 どうか、委員の先生方、歴史的に評価されるこの最高法規にかかわる法案について、全国津々浦々の国民の声を聞き、世界じゅうからも歴史的な評価を得られることを私は祈念して、公述とさせていただきます。

 ふなれな公述ではございますけれども、御清聴ありがとうございました。(拍手)

中山委員長 以上で公述人の方々からの御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

中山委員長 これより公述人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。葉梨康弘君。

葉梨委員 おはようございます。

 きょうは、四名の公述人の方々、貴重な御意見を承りまして、大変ありがとうございました。

 この憲法調査特別委員会というのは、こういう形で、発言席というのは特に設けられておりませんで、ちょっと顔が見えない形で恐縮なんですけれども、それぞれ御質問をさせていただきたいというふうに思います。

 まず、庭山公述人にちょっとお聞きをしたいんですが、先ほど今の政治状況というお話がございました。まず一問、庭山公述人から御意見を承りたいと思います。閣僚が憲法改正をすべきであるというふうに発言をすることは、憲法上許されないとお考えでしょうか。

庭山公述人 その問題についてそう詳しく私自身も検討したことはございませんけれども、もともと、憲法改正そのものの発議というのは国会議員のみが持っているというふうに考えております。内閣というのは発議をする権限はないというふうに理解しておりますので、閣僚の方が内閣の一員として憲法改正について言及されるということは、そのおっしゃられる内容次第によっては微妙な問題が生じるんじゃないかというふうには思います。

葉梨委員 もちろん、今ここに出ている併合修正案も含めての法律ですけれども、これについては提案は国会議員、国会において行うというような形になされているわけです。内閣が提案をするということについては一切書いていないということなんですけれども、それでも閣僚が個人の立場として憲法改正をすべきであるというようなことを言うということは、かつてはそれで首が飛んだ時代もあったんですけれども、これはやはりいけないことだというふうに思われますか。

庭山公述人 政治家の信念として御自分の意見を申し述べる、そういう権利は基本的にはあると私は理解をしております。ただ、やはり時と状況によるのではないかというふうに、これはまた内容によっては批判が出るのもやむを得ないのかなと思います。

葉梨委員 総理が政治家の信念として憲法について改正すべきであるというようなことを言われるということについては、庭山公述人はどのように思われますでしょうか。

庭山公述人 政治家としての御信念としてそういう発言をされることは、一般論としては、それがいけないとは言えないと思います。

葉梨委員 政治状況というお話でぜひとも庭山公述人にも御理解をいただきたいわけなんですけれども、実は、私も個人として憲法改正はすべきであるというふうに思っております。

 ただ、多分、個人の政治家として言うと、安倍総理がおっしゃられているような改正の方向と私個人が考えている改正の方向は、ちょっと違うところがあるんですね。

 このことは、実は、昨年七月ですけれども、ここにいらっしゃいます枝野理事、それから社民党の福島党首と憲政記念館でシンポジウムをやりましたときに、私は個人的に言うと、自民党の草案についていろいろと問題点はありますよと。ただし、それぞれの政治家が憲法改正すべきであるということを言うこと自体は、私自身はそれぞれの政治家にも言論の自由があるわけですから規制されるべきではないというふうに思われますけれども、その一点については庭山公述人はどのように思われるでしょうか。

庭山公述人 私の、自由人権協会という機関は、表現の自由というものを大変重要に考えている団体でございます。私自身も、もちろんそういう考え方に立っております。ですから、政治家の方が御自分の御信念で憲法改正をしたい、あるいはこうすべきだという発言をされることは、それはいけないということは言えないと思います。

葉梨委員 その上で、やはり私たちは公正で中立な手続法というものをつくっていかなければならないというふうに私としては考えております。

 百地公述人にお伺いをしたいというふうに思います。

 今、巷間、総理も含めていろいろな政治家が憲法改正をすべきであるあるいはすべきでないというようなことを言われているというような状況があるわけですけれども、少なくともこの委員会においては公正かつ中立な手続法をつくっていく、そういうような考え方でいろいろと私どもも進めております。

 実際問題として、併合修正案についても百地公述人はいろいろと見られておりますけれども、この委員会での審議全体を通じて、私自身は、非常に公正で中立な運営もなされているし、また、内容的にも特定の憲法改正案に拘泥したというか有利になるようなものではないというふうに認識をしておりますけれども、百地公述人から御意見を承りたいと思います。

百地公述人 この委員会におきましては、諸先生方、大変熱心に審議されたことについて敬意を表します。特に、政局から離れて、いわば中立の立場で、この問題について、しっかりした手続法をつくろうというお考えで進めてこられたやに伺っておりまして、その点は全くやり方としてはよかったと思っております。

 ただ、若干疑問に感じますのは、例えば自公案が出てくる過程、経過、あるいはそれがさらに修正されて与党の修正案が出てくる、さらに野党民主党とのすり合わせがなされる、その辺のいろいろな修正協議等の内容が、どうも我々の目に見えないところで行われている。仄聞するところでは、委員の皆さん方でさえも必ずしもよくわかっていないところでそういう修正協議がなされてきているんじゃないか、そういう懸念がありまして、そのあたりが十分説明責任がなされていなかったのではないかという疑問は持っております。

 それからまた、報道関係者の方々も非常に熱心に報道されておりましたし、私もそれなりにチェックはしてきたつもりですが、しかし、一方では若干疑問になるところがあります。例えば、昨年十二月十四日の修正において、公務員の政治活動の制限の適用が削除されてしまった。それが突然出てきたことについてはほとんど報道らしい報道がなかったように思いますし、ましてやその理由とか背景については全然説明がなかった。

 そういう報道のあり方についても若干疑問を持っておりますので、中立的なところで審議されたことは評価したいと思いますが、一方でそういう問題もあったのではないかなというふうに考えております。

葉梨委員 この点については、時間があれば後でまた田辺公述人ともいろいろとお話をしたいと思っているんですけれども、現実問題として、私どもの委員会における審議の経過というのは、審議録という形で官報にも出てまいります。また、インターネットをクリックしていただければ、例えば小委員会での議論あるいは委員会での議論というのはすべて見られるような形にはなっているんです。

 ただ、現実問題として、それが国民に開かれていないというような印象を持たれるということは、国民の方々に実は余り見ていただいていないということが非常に大きな問題なんです。これは見ていただくようにしなきゃいけないんですけれども、そのためには官報に載せればいいのか、あるいは質疑録を皆さんに郵送すればいいのか。あるいはインターネットに載せればいいのか、それをしたとしても見ていただけない。

 ですから、ある意味で報道あるいはメディアの力というものをかりなきゃいけないところが相当あるんじゃないかなというような印象を私自身は持っておりますし、その意味で、憲法改正が発議された後に、やはりメディアというのはある程度自由にやっていただくということが大事なのかなということを私自身は思っております。これは時間があれば後でまた御議論させていただきたいと思うんです。

 小林公述人にお伺いをしたいと思うんです。

 年齢についてのお話がございました。これはプライバシーにかかわることでございますので、別にお答えいただかなくても結構なんですが、小林公述人はたばこを吸われますでしょうか。

小林公述人 端的にお答えします。

 私は、たばこは吸いません。

葉梨委員 私自身も、実は、ここでカミングアウトしますと、二十になる前からちょっとたばこを吸ったりもしておった時代がございまして、ただ、六年ほど前なんですけれども、選挙で票がとれなくなるというようなことをだれかから言われまして、苦しい思いをしながら禁煙をしたことを覚えているんです。

 たばこは何歳から吸えるというのは、小林公述人は認識しておられるでしょうか。

小林公述人 二十からたばこは吸えるものというふうに認識しております。

葉梨委員 これは何によって決められているということを御存じでしょうか。

小林公述人 申しわけありません、詳しい法律の名前自体は存じ上げておりません。

葉梨委員 これは、未成年者喫煙禁止法という法律がございます。また、お酒についても未成年者飲酒禁止法という法律があるんです。

 実のところを言いますと、憲法の投票権年齢だけを下げていくべきだというような御意見を開陳されたわけなんですけれども、やはり全体の流れとして言うと、まあ私個人の考え方というのは小林公述人と非常に似ているところがあるんですけれども、どんどん少子高齢化も進んでいく中で、長期的な問題についていろいろと意見を言う、やはりもっともっとこれからの時代を長く担う若い人に意見を言ってもらう機会を持たなきゃいけないし、また、その若い人たちには国のことあるいは社会のことについて私たちは一体何ができるんだということをもっともっと考えていただくということが必要だと思うんです。

 ですから、その意味で、憲法だけではなくて、このことは、選挙権の問題、あるいは成年、つまり、成年といいますと責任を伴ってまいります、ここについてもやはりある程度整序をしなければならない問題かなというふうに思っております。

 与党の併合修正案において附則で民法、公選法ということが例示として挙がっているんですけれども、ただ、この未成年者喫煙禁止法という法律がございますが、投票権年齢が十八歳になったら、小林公述人は喫煙年齢もやはり十八歳にすべきであるというふうにお考えでしょうか。

小林公述人 先ほど公述させていただいたことと若干重複する面もあるかと思うんですが、基本的に、法律はそれぞれ立法目的があるというふうに認識しておりまして、例えば民法上の成人年齢と、憲法上、つまり選挙権年齢の成人年齢といったものが必ずしも同一である必要はないというのは広く一般的な見解ではないかというふうに認識しております。

 その上で、すべての成人年齢を議論するということも一つの考え方ではあるかというふうに思うんですけれども、我々は、やはり社会的意思決定過程への参加を進める、若い人たちが政治や社会に参加する機会をより広く保障することが重要であるというふうに考えておりますので、国民投票法案での投票年齢と民法など他の諸法令の成人年齢における議論は切り分けて国会で議論をしていただくことが望ましいのではないかというふうに考えてございます。

葉梨委員 小林公述人は憲法に関する国民投票だけ取り出して下げてもいいんじゃないかという御意見ですから、そういうようなお答えになるだろうと思うんですけれども、先ほど申し上げましたように、この問題は、成年をどうするかという問題にもかかわってくるんです。

 ただし、それぞれの法律において立法目的があるというふうなことをおっしゃられましたけれども、例えば未成年者喫煙禁止法というのは、立法目的というのは、成年というのをまさに引いているわけなんですね。民法における成年と合わせて二十としている。しかしながら、喫煙に対する現状について言うと、果たしてこれを十八歳に下げてしまうということが国民的な納得が得られるのかどうか、そういった問題も出てくるわけです。

 ですから、この与党の修正案において、その他の関係法令について二十にするのかあるいは十八にするのか個別に検討すべきであるというようなことを言っているというのは、それぞれこれは理由があることであって、決して私どもが投票権年齢を十八歳にしていくということをちゅうちょしているからこういうような規定になっているのではない。まさに小林公述人が言われているのと同じような方向になる中で、やはり今の法体系というのを整理していかなきゃいけないんだということからなっているんだということ、この一点は御理解を願いたいなというふうに思います。

 田辺公述人にお伺いをいたします。

 憲法にかける田辺公述人のまさに意思といいますか、非常に憲法を尊重するそのお気持ち、私は非常に敬意を表したいと思います。

 そこで一つ御質問ですけれども、憲法違反の疑いが非常に強いという内容を法律に書くことはできるというふうに田辺公述人はお考えでしょうか。

田辺公述人 もう一度おっしゃっていただきたいんですけれども。

葉梨委員 例えば明らかに憲法違反である、あるいは憲法違反の疑いが強い、例えば今内閣法制局の見解においては、集団的自衛権については、憲法上、権利としては持っているけれども行使はできないんだというような解釈を内閣法制局はされておるわけなんですけれども、憲法が今のままで集団的自衛権が行使できる、そういうように法律に、これは例えばです、つまり、憲法に違反する疑いが非常に強い内容を法律に書くということはできるというふうに田辺公述人はお考えでしょうか。

田辺公述人 できないと思います。

葉梨委員 それでは、百地公述人にお伺いをいたします。

 先ほど一般的国民投票についての御意見の御開陳がございました。一般的国民投票について検討する、これは国政の重要事項ということで憲法改正にかかわるものではございません、これについてそういうことを法律に書くということは憲法に違反するというような疑いがあると思いますけれども、いかがでございましょうか。

百地公述人 この問題は、例えば憲法そのものを改正して一般国民投票制度を採用するというのは、これはもちろん憲法違反ということはあり得ないわけでありまして、つまり、一方で議会を置きつつ、他方で国民投票制度を採用する、もちろんそれは調和的なものとして考えられるわけですが、それを法律でもって導入するということになると、やはり憲法の基本原理に抵触するおそれがあるし、それから、憲法四十一条が国会が唯一の立法機関であるとしていることに違反するおそれがあるんじゃないかということを申し上げたわけであります。

葉梨委員 実は、国政の重要事項にかかわる一般的国民投票については、私も個人的には非常な魅力を感じております。また、将来にわたって、基本的には代議制というのが大事だと思いますけれども、今後やはり検討していかなきゃいけない事項ではあるのかなというような感じを実は持ってはいるんです。

 さはさりながら、これを法律に書いていくということになりますと、我々も法律を立案して審議する立場ですから、憲法を尊重することは当然必要になってまいります。ですから、憲法違反のこと、疑いが非常に強いことはなかなか法律に書きづらいんじゃないか。そこで、与党の併合修正案では、憲法改正にかかわる問題についてというぎりぎりのところで書かせていただいているわけなんです。

 ただ、そうは書いたとしても、憲法審査会において、そう書いておけばその外延の議論として、今後、一般的な国民投票について憲法改正が必要になるのか、あるいは憲法改正が必要じゃなくてもできるものはどうなんだというような議論が当然行われるということは想像にかたくないというふうに私は思うんですけれども、この点について百地公述人はどのように考えられるでしょうか。

百地公述人 私自身は一般的な国民投票制度は違憲の疑いがあるという立場ですから、したがいまして、たとえ附則の中にこれについて検討を進めるという事項が書かれていても、私はこの導入は無理ではないかなというふうに考えております。

葉梨委員 いや、申し上げたのは、憲法審査会というのが設置されて、そして憲法改正にかかわる国民投票という形でのぎりぎりのところまでは一応法律に書いたということになれば、果たして一般的な国民投票というのが憲法改正を要するのか要しないのか、あるいは要しないとしたらどういうような制度設計ができるのかということを憲法審査会の中で実際上議論するということに帰納的にはなってくるんだろうということを私自身は申し上げたわけでございます。もちろん、その過程の中で、今百地公述人からお話がありましたとおり、一般的国民投票が憲法改正を要するかどうかという議論も当然のことながら憲法審査会において行われるであろうというふうに私は考えております。

 質問時間が終了いたしました。まだいろいろと聞きたいことがありますけれども、以上で私の質疑を終わらせていただきます。ありがとうございました。

中山委員長 次に、長妻昭君。

長妻委員 民主党の長妻昭でございます。

 座ったままで恐縮でございますけれども、きょうは本当にお忙しいところ御足労いただきましてありがとうございます。先ほどから貴重な意見を賜りまして、私の方からも若干の質問をさせていただきたいと思います。

 その質問の前に、私自身はこの手続法というのは必要であるという立場でございまして、これはやはり憲法の本文にも改正の条文がございますし、あるいは、国民的なきちっとした議論、本当に憲法改正の手続が整った後、具体的な議論というのもどんどん起こってくるというふうに期待ができると思います。

 例えば選挙においても、前回の衆議院選挙はある意味では郵政改革一本のシングルイシューで戦われて、その結果、与党が今衆議院では三分の二以上占めている。憲法九十六条では「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、」とございまして、この手続法が施行されて一定の期間を経た後の衆議院選挙あるいは参議院選挙というのは、国民の皆様方の投票も、シングルイシューではなくて、かなり、憲法について個々の議員がどういうふうに考えているのか、それを見きわめた上で投票する、こういうようなことにしないと、三分の二ということで本当に憲法が改正をされる。改正の方向もいろいろな思いを持っておられる有権者の方も多いと思いますので、そういう意味では本当に選挙というのが憲法の論点も含みながら議論が進んでいくということで、私は必要だという立場でございます。

 しかし、この手続法を成立させるにも、将来に禍根を残しては絶対だめだ、国家百年の計に立ってこの手続法はやはりきちっとした議論をして、多くの国民の皆様の意見を聞いた上で決めないといけないと私は思っておりまして、非公式な情報では、来週にも強行採決でこの法案を通すんではないか、今月中にも通すんではないかというような非公式な情報もございます。

 そこで、私もちょっと調べてみまして、公述人の皆様にも資料をお配りさせていただいていると思うんですが、二種類ある資料の一枚だけの資料、一枚だけの資料もお手元にあると思いますが、これは憲法調査会の事務局に調べていただきまして、過去の衆議院の特別委員会で長時間議論をした主な委員会でございます。

 そこで私も注目いたしましたのは、地方公聴会の開催の箇所数ですね、先ほど田辺公述人からも御指摘ございましたけれども。例えば政治改革の特別委員会、これは細川政権のとき小選挙区を導入した、地方公聴会が十カ所開かれて、中央公聴会、地方公聴会合わせて七十四人もの公述人を呼んで、地方公聴会だけで三十一時間十七分も開催をされたという例もございます。あるいは、つい昨年、教育基本法案、これも地方公聴会が六カ所で開かれ、中央公聴会も入れて二十五人の公述人を呼んで、地方公聴会だけで十一時間十分やられた。そして、武力攻撃事態への対処に関する特別委員会、有事法制に関しては、全国四カ所で、中央公聴会も入れて三十人の公述人をお呼びして、地方公聴会だけで十一時間十二分の時間をとった。翻って、当委員会の審査に関しては、地方公聴会は新潟と大阪のたった二カ所で、中央公聴会も入れて、今回お呼びした皆様方も入れて二十一人、こういうようなことでございまして、非常に少ない形で、強行採決のような非公式的情報が入っております。

 そして、複数ページある資料の三ページ目をちょっとごらんいただければと思っておりまして、これは国会図書館に、戦後開かれた衆議院での過去の公聴会を、公述人の人数の多い公聴会をピックアップしてもらったものでございますけれども、昭和二十二年、鉱工業委員会の公聴会は六十二人も呼んでいる。通商産業委員会の公聴会では、昭和二十五年ですけれども、四十四人の公述人を呼んでおられる。年を見ていただきますと、昭和二十年代が非常に多い。民主主義ということで、日本が何とか民主主義を反映していこうという意気込みが伝わってくるような人数でございます。

 そこで、お一人ずつ皆様にお尋ねをしたいんですが、そういう意味で私も地方公聴会をできれば四十七都道府県全部で開くぐらいの、そして、田辺公述人が言われたように、前もって公募をしてきちっと周知をする、こういうことがまだまだ必要だ、これで公聴会をあと一、二回、あるいはこれで終わるということは私は言語道断だと思っているんですが、皆様の御意見をお一人ずつお聞かせいただければと思います。

百地公述人 公聴会の問題等ですが、審議時間、あるいは公聴会の時間数、公聴会の回数、公述人の人数等が今回妥当かどうかというのは、私にはよくわかりませんので、それは直接はお答えできませんけれども、ただ、本音として、公聴会を繰り返すことがこの審議を単に引き延ばすということでなければ幸いだと思っております。

 それから、今この資料をお配りいただきましたけれども、ざっと見たところ、いわば手続法というよりも実体法の議論でありますから、したがって、手続法と比べればそれだけ慎重な審議等がなされるのは理屈からいえば当然だと思っておりますので、その違いもあるのではないか。

 それから、公聴会が、私も国旗・国歌法の問題のときとかあるいは宗教法人法改正のときにもお呼びいただきまして意見を述べさせていただきましたけれども、どの程度私どもの意見がその後の審議に反映するのかというようなことを考えますと、正直よくわからないところがありまして、本音を言えば若干セレモニー化しているところもあるのではないかなというような気がしますが、そうでないことを祈っている次第でございます。

庭山公述人 大変おもしろい資料を配付いただいて、本当に興味津々で今眺めておりました。

 手続法とはいえ、憲法改正の中身ではないにしても、それと全く無縁とは思えませんし、そういう意味でこの大事な手続法案について公聴会がもっとあってしかるべきだ、私は個人的にはそういうふうに思っております。

 この委員会の先生方はこの手続法案に関してだれよりもよく勉強していらっしゃって、だれよりも詳しくなっていらっしゃる。ただ、国民がその手続法案の内容についてどこまでわかっているかということに関して言いますと、まだほとんどわかっていないんじゃないかというふうな感がしております。公聴会というのは、そういう機会を通して国民が進行中の案について勉強する、そしてまた意見を言う、それをまた国会の審議に反映させる、そういう反復作用の中の大変重要なポイントだというふうに思いますので、そういう意味で、今回の公聴会の応募も相当多かったようですので、もっともっとやっていただきたいというふうに思います。

小林公述人 私も、この資料を大変興味深く拝見させていただきました。

 先ほど田辺公述人の公述の中にもあったかと思いますが、今回、非常に短期間だった、募集の期間も短期間ですし、開催までの期間も短かったにもかかわらず、非常に多くの人が応募をされたということは、反面、申し上げれば、もう少し余裕を持てばこれが何倍にも膨らんだのかなというふうに思いますと、もっと意見を聞く場というのはあってもいいのではないか。

 私自身も、今回ここでお話をする機会をいただけるということをお聞きしたのが数日前、二、三日前だったかと思いますが、私は今通常のフルタイムで働いておりますが、職場の理解があったからこういった形で意見を述べさせていただくこともできましたが、そういった境遇にない方も、むしろそういった境遇にない方の方が多いのではないかというふうに思いますので、ぜひ、より多くの機会をつくっていただくことが望ましいのではないかというふうに考えております。

田辺公述人 私の申し上げたいことは、もう言うまでもございませんで、先ほど申し上げたんですけれども、今回の公述人の残った方が百十六人まだいらっしゃいます。その方を含めて、先ほどおっしゃられたように、全国津々浦々、四十七都道府県で、ぜひ……。

 この法律は憲法に関する法律なんですね、こういう場になって、ああ、私たちはすごい憲法にのっとって、毎日、日々、日常の生活をしているんだということが本当にリアルに私自身もわかった次第なんですね。憲法の中身についても、私はまだわかっていないことがたくさんあります。ですから、ぜひ、本当に皆様方に十分御審議いただいて、多くの公述人の御意見を参考にされた中で、もっともっとこの国民投票法案という法案の中身が一般の国民にわかってもらって、有権者の過半数の方たちが投票に行ける、そして、できれば国民投票法案についての選挙をお願いできればというふうに思います。

長妻委員 ありがとうございます。

 百地先生のお話の中で、セレモニー化、公聴会がどの程度意見が反映されるのか、これは本当に私どもも耳の痛い話で、私も、あるいは与党も反省をしなければいけないというふうに思っているわけでございますけれども、公聴会がきちっと意見を取り入れて、本当に意見をきちっと聞いて、法案にきちっと反映させるような仕組みがあれば公聴会をもっと開くべきだという意見でもあるやに私も推察するわけです。

 もう一つ、このお配りした資料の一ページ目では、衆議院での審議時間というのもございまして、十の例が出ていますけれども、一番多いのが安保条約の百三十六時間、あるいは沖縄返還の百二十七時間、あるいは政治改革が小選挙区導入の百二十二時間、あるいは郵政民営化が百二十時間、教育基本法は百六時間、消費税導入のとき九十六時間等々ございますけれども、この委員会は、この公聴会、今開催しているのも入れて五十五時間ということで、これで強行採決というのは、私は余りにも、繰り返しになりますけれども、将来に禍根を残してはいけないわけでありますので、そういうことも申し上げたいと思います。

 最後に、一問質問でございますけれども、もう一つ私が感じておりますのは、この憲法というのは、結局、戦争によって生まれたのがこの憲法である、言葉をかえれば、敗戦によって生まれたのがこの憲法であるということで、そういう意味では戦争の問題と切り離すことはできないものであるというふうに感じております。

 このお配りした資料の五ページ目に、公述人の皆様方も見ていただければ幸いでございますが、五ページ目に、私が内閣に質問主意書という質問状を出しました質問と回答が載っておりますけれども、この村山談話という談話、これは今の内閣も認めている談話でございますけれども、その中に、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、」という政府の公式見解があります。

 そこで私が聞きましたのは、遠くない過去の一時期、国策を誤ったというのは、具体的にどこの部分の国策を誤ったのか、それをきちっと政府として公式に具体化して、その原因も明言をしないと、その当時のDNAというか遺伝子というか、それが日本の官僚機構の中にあって、それがまた再びうごめき出す危険性があるんではないのかということでその国策を誤った具体的中身を聞いたんですけれども、回答としては、下にございますけれども、「政府として、その原因を含め、具体的に断定することは適当でないと考える。」ということで一切口をつぐんでいる。こういう態度のままで手続法や憲法改正を議論するというのは、まずこういう国策を誤った中身をきちっと国民の皆様の前にお示しをするのが先だというふうに私は感じているわけでございます。これに関して皆様方の御意見を、若干時間も参っておりますので、簡潔にお一人ずついただきたい。

 つまり、この手続法や憲法改正をする前に、さきの大戦の、国策を誤った、どの部分が日本政府として誤ったのか、そして、どこに原因があったのか、これをきちっと政府として公式に発表することが必要不可欠だと私は思うんですが、いかがでございますか。

百地公述人 私は、この村山談話については大変疑問を持っておりまして、そもそも一内閣がこのような歴史問題についてこういう公式の見解を出してしまうということが妥当かどうか、ましてやこういったあいまいな形での談話を出したこと自体に私は疑問を持っております。

 それから、敗戦によって生まれた憲法とおっしゃっていますが、時系列からいえばまさに敗戦後にできたわけですが、占領下のさまざまな事情、国際状況、国内状況、さまざまな中でできたわけであって、戦争に対する反省によってこの憲法ができたというのは、これは一つの宣伝であって、あるいはGHQの言い方であって、そんな単純なものではないというふうに考えております。

庭山公述人 今の憲法がアジアの方たちに対して、大変、日本の平和に対する姿勢を明らかにしているものとして、日本に対する信頼の一つの大きな根拠になっているというふうに私は理解しております。

 そういう意味で、この憲法の改正の議論の中で、この改正の先行きが、日本がアジアの方たちとこれまで以上に仲よくやっていく、そういう姿勢を堅持するという、そこがもし疑われるとすると、大変日本にとって不幸なことになる、そういうふうに思っておりますので、やはり、この村山談話といいますか、河野官房長官の談話に関しましては、少なくとも我が国としては大事にこれを堅持しなくちゃいけないんじゃないかというふうに思っております。

小林公述人 御質問の件ですけれども、国策の誤りというところをきちんと定義すべきではないか、そういった議論を総括すべきではないかということに関しては、私も同じ意見を持っておりまして、日本全体として、私も日本の学校の中で教育を受けてきた人間ですけれども、そもそも、そういった一からの議論というものが日本はまだできていないんではないかなというふうに認識しております。例えば社会の授業でしたら、そういったところはなるべく触れないで、現代史のところはなるべく触れないで、最後のところでざっと三学期に流すみたいな授業が多いというところは、日本がこの問題をきちんと国として社会として総括できていないということをあらわしているんではないかというふうに思っております。

 ただ、この国策の誤りをきちんと定義することが国民投票法案の手続法の議論の前提なのかというと、私は、今の時点ではちょっと判断しかねるかなと。憲法の改正というところに具体的に入ってきた場合には、もちろんそこの議論は出てくるかと思いますが、その前段での前提条件なのかというところに関しては、今のところ、まだ私自身考えが至っておりません。

 以上でございます。

田辺公述人 なぜこのような国策を誤りというふうな今のお話があったのかと申しますと、やはり、今なぜこの憲法を改正するかということに直結しているのかと思うんです。

 私の先ほどお配りした映画のパンフレットがあるんですけれども、この中で、戦前は女性に参政権がなかったんですね。女性がもし参政権を持っていれば、今おっしゃったような国策の誤りはなかったのではないか。

 私は、母親として、これからの時世を本当に危惧するんですね。世界平和、日本の平和、どうしたらもっともっと日本が世界の中で、世界じゅうが平和になれるかと。そういったときに、なぜ今憲法改正なのかということを、本当に国民一人一人が考える場を提供していただきたいなと思います。

 多分、女性に参政権がなかったから、男性主導で国策の誤りがあったのではないか、そんなふうに思います。

長妻委員 時間が参りましたので、これで質問を終了しますけれども、私自身も憲法の改正は必要だというふうに思っている一人でございますが、しかし、その前提として、政府が、さきの大戦の、国策の誤り等々の責任、原因、これをまだきちっと明確に一切していないということで信用できないという気持ちもございます。そういう意味で、そういう政府の態度が健全な憲法改正論議にブレーキをかけている面もあるのではないかというふうに思っておりまして、だからこそ、政府も、きょう与党も来られていますので、こういう総括をきちっとするということを早急に検討をしていただきたいということも申し添えて、私の質問を終わります。

 ありがとうございました。

中山委員長 次に、大口善徳君。

大口委員 本日は、百地章公述人、庭山正一郎公述人、小林庸平公述人、そして田辺初枝公述人、まことに貴重な御意見を賜りましてありがとうございます。

 私の方から質問をさせていただきます。

 一つは、まず百地公述人、そして庭山公述人に憲法問題予備的国民投票についてお伺いをしたいと思います。

 三月二十二日の公述人であります江橋教授が、

 憲法改正に際しては、早い段階で、改憲作業に入ることの是非と、その場合にどの部分をどのような方向で改正するべきなのか、一度は国民の意向を聞くべきであろうと考えております。こうした最初の段階の手続を省略して、国民の意向も聞かずに議会内で改正の作業を始め、改正案ができて初めて国民の同意を求めるというのは、いかにも一方的で不十分ですし、その結果、国民の意向との間にそごが生じ、肝心の国民投票でせっかくの改正案が否決される危険性も高くなります。

  私は、憲法改正問題を選挙の争点にすると、憲法問題以外のさまざまな思惑が絡みついてしまい、冷静で理性的な判断がしにくくなるという欠点があると思います。それを避けるためには、独立した予備的な国民投票を行い、

云々とあるわけでございますけれども、この点につきまして、百地公述人は国民投票の対象を憲法改正に限定したのは当然であるということでございますが、こういう憲法問題予備的国民投票についてどうお考えなのか。

 そしてまた、庭山公述人につきましても、ただいまの中では御意見を述べられておりませんけれども、三分の二以上の多数の賛成をまず一回得た上で、総選挙の後、再度三分の二以上の賛成を得て初めて発議をすべきだ、こういう御意見も紙で述べておられるわけでございますけれども、これとの関連を含めてお伺いしたいと思います。

百地公述人 憲法問題についての予備的国民投票というお話でございました。

 私も、この委員会のニュース等は見ておりますし、必要に応じて議事録は読んでいますけれども、そのときの議論をきちんと把握しておりませんのでおっしゃっていることがよくわからないんです。私は、さっきも申し上げましたように、国民投票制度そのものに対して疑問を持っておりますから、本来すべきではないと思っておりますし、また内容も、仮にやるとしても何をやるのか。つまり、具体的な憲法問題、いろいろな争点を挙げてそれについて賛否を問うのかとか、やり方についても大変なことになると思いますし、一般的な憲法問題についての予備的国民投票といっても非常に難しいのではないかとも思います。

 それからまた、そのような投票を行うということは、実は国会の審議、発議に対して予断を与えるおそれがあるという意味で、私はすべきではないというふうに考えております。

庭山公述人 今御紹介があったように、国会の発議について一工夫をしろということを人権協会で御提案申し上げています。

 その趣旨は、憲法というものが安定的な形で改正されるというのは国民の一大事業でございます。この事業にできるだけ多くの方がみずから参加をするという形をとりませんと非常に不安定な憲法改正でしかなくなる、これが基本の発想でございます。

 そのためにいろいろな手段が考えられますが、私どもは総選挙でそれを争点化するのが一つのやり方だということを申し上げているわけであります。そういうことによって、国民がその問題をみずからの問題として、結果的には安定的で円滑な形で憲法改正ができるんじゃないかという趣旨でございます。

 ただ、それは一つの方法でございまして、では、例えば争点化しないでやるときはどうするんだ。そのときには、先ほど私どもが申し上げたような形、例えば司法審査にそれを付するというふうな形で間接的に国民のその事業に対する注意を喚起するとか、いろいろな形があると思います。先ほどおっしゃられました事前型の予備投票というのは、そういう意味で私は基本的に好意的に評価しております。

 ただし、アンケートというのは設問の仕方そのもので誘導的になります。そんなアンケートには答えられないよねというふうな愚劣なアンケートも世間にはたくさんございます。ですから、改正をすべきかどうか、あるいはどこかに改正すべき点があるかというふうな設問そのものが大変政治的な色彩を帯びざるを得ないということもございますので、その技術的な処理に関しては大変な工夫が要る。それこそ相当この委員会でまたもんでいただかなくちゃいけない一つの問題じゃないかというふうに思っております。

大口委員 今、庭山公述人から司法審査ということも触れられました。私、公明党でございますけれども、もちろん憲法の基本原理、三原則をしっかり守っていく、そしてそれが憲法改正の限界であるという部分においては意見が全く一致しておるわけでありますし、この委員会でもそういうコンセンサスを得ているわけでありますが、その手法として、今具体的に御提案がありました司法審査というものを発議があった段階で最高裁でやっていく。

 ただ、これは発議の段階ですから、要するにまだ法規範が成立していない、案の段階でありますね。その段階で最高裁が審査をする。これは、大体今の通説は具体的争訟性というものが前提になっておって、具体的な事件の中で憲法判断していくということであるわけですけれども、今公述人がお考えになっているものは、最高裁に抽象的な審査権、しかもまだ法規範が成立していない段階で審査をする権限を与えるということであります。こういうことが現行憲法の中で認められるものなのかどうか、お伺いしたいと思います。

庭山公述人 私は百地先生と違いまして憲法そのものの研究者ではございませんので。ただし、そういう議論そのものが実は余り今までされていなかったんじゃないかというふうに思っております。学者の方の中には、具体的な争訟性がなくても裁判所が取り上げることができるという説もあるようでございます。

 先ほど申し上げましたように、手続の安定ということを考えますと、むしろ事前に司法審査でクリアしておく方が、国民投票の後になってたくさんの裁判が出てくるよりはよほど賢明ではないかというのが私の考えでございます。

大口委員 次に、投票権者の投票権の年齢につきましては、小林公述人、大変すばらしい活動をされているということで敬意を表したいと思います。そして、やはりそういう小林公述人のような方の地道な努力というものが今回の投票年齢を下げることにつながっていると思っております。公明党も選挙年齢を十八歳にということはマニフェストにも書かせていただいているわけでございますけれども、この点につきましてちょっとお伺いをしたいと思います。

 それで、世界の常識は十八歳以上であるということでございます。そして、公述人は、義務教育を終えたら、十六歳でもいいのではないか。そして、長野県の平谷村については、住民投票で、十六歳以上の方が非常に高い意識を持って、投票率が成人を上回って、ちゃんとやられたという御報告もいただきました。

 ただ、憲法の改正案についての国民投票というものと、いわゆる公職選挙法の人を選ぶ場合の投票年齢と、そしてまたこういう住民投票というもので年齢も違ってくるのではないかと。特に、子供というのは余り親の言うことを聞かないということで、親の影響を受けるかどうかわかりませんが、低年齢ですといろいろな形で影響を受ける。そして、その影響も、いい影響であればいいんですが、誤解を生じたり、あるいは影響を意図的に与えようとする勢力とか、そういうことも考えられます。そういう点で私は世界標準の十八歳以上がいいのではないかと思っておりますけれども、公述人の御意見を賜りたいと思います。

 そしてまた、この件につきまして、田辺公述人はお子さんを育てられて、そして子供たちもよく御存じなわけでありますので、投票年齢の問題について御意見を賜りたいと思います。

小林公述人 まず、今回与党が修正案を出された案と民主党の案、それぞれにおきまして、現行の選挙権年齢二十歳よりも引き下げた形で御提案いただいていることに関しましては、私は非常に高く評価させていただきたいというふうに考えております。

 先ほど御質問の件で、まず一点目として、国民投票法案もしくは住民投票、一般の選挙といった形で年齢が変わってくることもあり得るのではないかというお話もございましたが、これは私はあり得るのではないかというふうに思っております。

 例えば、現在では無理ですけれども、地域の問題であればもっと身近に感じることができると思いますので、国政の選挙の年齢よりも下げるということはあってもいいと思いますし、四年前に平谷村を訪れたときに村長さんがおっしゃっていたのは、住民投票は一つのシングルイシューの投票である、であるから、より若い人でも理解が容易であるために、より低い年齢の方でも参加してもらうことは、こちらがしっかり環境整備をしてあげれば大丈夫だというお話もありましたので、年齢自体が変わってくるということは考えられるのではないかなと。

 もう一点の、逆に、でも若過ぎると親の影響を受ける可能性もあるのではないかというお話もあったと思うんですが、では本当に大人が周りの人に全く影響を受けずに自分で考えられているかといったら、そうでない人もたくさんいるというのは一方であるかと思います。

 どこで線を引くかというお話になるかと思うんですが、一つ、私たちが義務教育年齢終了時の十六歳という形で線を引かせていただいたのは、やはりそこは社会として、それまでの段階でしっかりと判断をできる機会、トライ・アンド・エラーをできる機会をしっかり保障していくことによって、みずからの力で考えて判断するような、民主主義を支える人々を育てていく責任があるのではないかと。今それができているかといえばまだまだ私は不十分だと思いますが、そういったことを整備して、その上でなるべく引き下げていくということが必要ではないかという意味で、私たちは十六歳という形で訴えさせていただいているということでございます。

田辺公述人 年齢については、私は十八歳がふさわしいと思います。

 ただ、今の子供たちを見ておりますと、諸外国と比べまして自分の意見をきちっと言えない。なぜかというと、やはり学校教育がそういう教育内容になっていないからではないかと思うんです。受験のあり方もかなり問題だと思うんですけれども、やはり暗記に頼る、先生方から言われたことを丸暗記するような学習方法になっていると思うんですね。

 それで、戦後、学生評議会というのが子供たちの間にあったということをちょっと伝え聞いたことがあるんですけれども、やはり戦後の教育というのは国民主権、基本的人権を学ぶ、憲法の観点からそういった教育内容があったんだと思うんです。子供たちが学び、子供たちが考え、意見を言う意見表明権、そういった教育内容があったので非常に生き生きと学校生活を送れたと思うんです。

 ですので、十八歳投票、十八歳選挙権は、私は、本当に今の子供たちはもう成熟しておりますし賛成なんですけれども、やはりきちっと自分の意見を言えるような体制を、環境整備をお願いできれば賛成です。

大口委員 小林公述人も模擬選挙等をやって、政治教育ということで頑張っておられるということでございますので、これは本当に私どもも文科行政においても考えていかなきゃいけないことではないかな、こう思っております。

 次に、テレビ、ラジオにおける有料広告、スポットCMの規制でございます。

 投票期日前十四日禁止するということでありまして、まだ民主党さんはさらに全面禁止ということも検討されているようにお伺いしております。

 これにつきまして、表現の自由というものを尊重していきたいということで陳述していただきました庭山公述人から、この点について御意見を賜りたいと思います。

庭山公述人 この問題は極めて悩ましい問題だというのが私の本音でございまして、それは、観念的な表現の自由を言い立てるだけで本当にいいのかというふうな反問を私もよく受けます。したがって、全面禁止にした方がよほどすっきりするという意見を言う方が私の周りにもおります。それは事実でございます。

 私は、極めて重要なときに表現の自由を一部制限するということがこの問題で実現をしたときに、それがどういう形で今後の日本社会の表現の自由に影響していくだろうかということを一番懸念しているわけでございます。

 もちろん、憲法問題に限らず、特に国が緊急事態を招来しているような状況において、このことを前例として、そこで表現の自由を狭めていくというふうなことがもし起こればもう取り返しのつかないことになる。ですから、これはある意味では国会議員の先生方に対する信頼ともつながってまいります。この問題が将来のそういうふうな不当な表現の自由の制限につながらない、本当に先生方を信頼申し上げてよろしいのかという、多分、国民はそういう目でこの問題を見るのではないかというふうに思っております。

 私どもの協会は、表現の自由を大事にするという観点から、制限は原則反対というふうに申し上げております。この点について、私どもをさらに安心させていただくような材料があれば、また考えることはやぶさかではないということを申し上げておきます。

大口委員 この点につきまして、メディア規制等も含めまして、百地公述人にお考えをお伺いしたいと思います。

百地公述人 今、庭山公述人がおっしゃったとおり、やはり表現の自由にかかわる問題ですから、規制というのは慎重でなくてはならないと思います。

 それと関連してよく言われるのが、もしそれを認めると、財界あたりが資金を投入して一方的に改憲を進めるんじゃないかというような議論があります。私は果たしてそこまで財界がやるのかどうか、いろいろ疑問を持っていますけれども、そういう議論があるのであれば、他方で、では組合等がそういう広告を出す場合のことはどうなのか。

 例えば政治資金規正法でも、会社が資本金が幾らであれば幾らまでの献金ができるという、これに対応して、労働組合であれば何万人規模だったら何万円と。つまり、対等に規制しているわけですから、もし財界云々という議論が出てくるのであれば、当然労働組合等によるそういう問題もあるわけでありまして、ただ財界がどうのこうのということで反対する議論は、やはり一方的だというふうに思っております。

大口委員 質疑時間が終了いたしましたので、以上で終わります。

 きょうは本当にありがとうございました。

中山委員長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 きょうは、百地公述人、庭山公述人、小林公述人、田辺公述人、本当にお忙しい中、貴重な御意見をありがとうございました。

 質問に先立って、私も一言。先ほど田辺公述人からも、それぞれ公述人のお立場からも、この公聴会の持ち方について大事な御意見がありました。委員会としてもこれを重く受けとめる必要があると私も感じております。

 特にきょうは、午後も三名の方、合わせて七名ということで伺うわけですけれども、公募がかつてなく多くの方からいただいた。限られた期間だったという御指摘はもちろんなんですが、百二十四名ということ自身が事柄の重要性を、国民の皆さんが短期間でもそういう形で公募されたということと、そのうちで百八名の方が法案に反対する態度をとっていらっしゃるという点でも、今の国民の皆さんの受けとめといいますか、意見状況を反映しているのかなというふうに私は感じたところです。

 きょう公述できない方々からも、ぜひ機会をという声が実際あります。私も、理事会の場でも再三にわたって、きょうに限らずさらに公聴会そして地方公聴会もということで申し上げてきましたが、先ほど長妻委員からも資料も示してそういう御指摘があって、私、意を強くしました。民主党も、今後は理事会でそういう主張を積極的にされるのだろうというふうに思っております。いずれにしても、御意見を伺って、徹底慎重審議が必要だというふうに考えております。

 その上で幾つか伺いたいんですが、まず、庭山公述人それから田辺公述人に、先ほども若干ありましたが、昨今の改憲をめぐる動きをどう見ているかということについて伺いたいと思います。

 先ほど、一政治家としてというような、意見を持つことについてということで話もありましたが、私自身は、安倍首相、総理自身が自身の内閣で改憲を目指すと言い、そのためにもまずは改憲手続法の成立だ、そして改憲自体を参議院選挙の争点にするというふうにも言っている。そして、そういう点で言うと、手続法は安倍内閣が目指す改憲のために必要な法制として位置づけられていることは明らかだと感じております。

 しかも、安倍総理自身、時代にそぐわない典型というのが九条だという形で言われて、具体的な草案づくりについて言うと自民党の新憲法草案をベースに他党と協議したいということまで言われているということで、最近では従軍慰安婦問題やあるいは教科書検定問題など、戦争に反省のない勢力の行動が国際的にも批判を浴びているわけであります。

 そこで御質問なんですが、庭山公述人、自由人権協会のホームページを拝見しますと、日本国憲法が還暦の六十歳を迎えようとしています、憲法が古くなったから変えようという声があるけれども、憲法と同い年の協会としては、そのような意見を耳にすると首をかしげたくなりますというふうに書かれておりまして、今日の改憲の動きに警鐘を鳴らされているというふうに受けとめました。

 また、田辺公述人も、公募の申し出を拝見しますと、安倍首相がなぜそんなに改憲手続法を急がなければならないのでしょうかというふうに疑問視されるということを言われております。

 そこで、改めて、両公述人が今日のこうした改憲をめぐる政治状況についてどう見ていらっしゃるか端的に伺いたいと思うんですが、いかがでしょうか。

    〔委員長退席、保岡委員長代理着席〕

庭山公述人 わざわざホームページまでごらんいただいて、ありがとうございました。なかなかヒット数が少ないものですから、ほかの先生方にも拝見していただくとありがたいと思っております。

 今の改憲状況といいますか政治状況そのものについては、私の個人的な見解ということになりますけれども、六十年たったからということが憲法を考え直す区切りになる、そういう要素として本当にいいのかなということはちょっと考えますね。どこかでリセットはしなくちゃいけない、個人の生活もそうだし、国家のあり方もそうかもしれませんが、それは日々の活動の中で日々リセットされていくのが本当は正しい姿でございまして、そういう点で、今、一つの時期を区切って、現時点でなぜ改憲を検討しなくちゃいけないのかということについては、私個人的には大変疑問を持っております。

 特に、日本が、これからの将来を考えますと、やはり東南アジアといいますか、北東アジアも含めた中でいかに共生をしていくかということが大事な時期。これは冷戦が終わったからこそますます大事な時期という中で、日本人がこの六十年間大事にしてきた憲法をもっともっと、日本の国のいい意味での安全保障という観点から、使える余地がまだまだあるんじゃないかな、まだまだ使い切っていないんじゃないかなという気がしております。

 そういう点で、そういう今の日本国憲法の、さっきの基本原理を否定的にとらえ直すというふうな動きに関しては、私は大変疑問を持っているということを申し上げておきます。

田辺公述人 庭山公述人がおっしゃったようなことかと思うんですけれども、私ちょっと、なぜ今憲法を改正する必要性があるのかという、そこのところが私たち国民にとっては、先ほど六十年と、まあ六十年なんですけれども、本当に世界じゅうの国々からも日本は安全な国なんだよということで評価されているように思えるんですね。私たち国民からしても、日常生活において、今憲法を変える必要性があるようには思えないんです。私の個人的な意見ですけれども。

 なぜ今、しかも国民請願に基づきという、憲法を変えるのであれば国民請願に基づきということかなと思うんですけれども、今改憲、憲法を変えようという動きがどういう形で出てきたのかというのが私たち一般国民にはやはり浸透し切っていないと思えるんですね。

 ですので、私はここに公述人として立っておるんですけれども、十分に御審議いただいて、その辺を一般国民にぜひわかるような形で国会議員の先生方が御説明いただければというふうに思います。

笠井委員 庭山公述人にもう一点伺いたいんですが、先ほど時間の関係で法案そのものについてはテーマを限っての意見表明をいただいたと思うんですけれども、今議論になっている論点の一つで、公務員法における政治活動の制限規定の適用の問題についてです。

 与党は、昨年十二月十四日に、国家公務員法と地方公務員法における政治活動の制限規定について、国民投票では適用を除外する修正を表明していたわけでありますが、今度の修正案を見ますと、いわば突如として適用除外にはしないという内容が盛り込まれたという経過であります。

 先週の委員会で、与党の提出者は、その理由として、ビラの配布とか機関紙その他のさまざまな政治活動が自由になってしまう、これでいいのか、公務員は公務員としての職務の公正さを考えた場合には一定の制限も必要であるというふうなことを言いました。

 しかし、私はこれは違うと思うんですね。私はそもそも公務員の政治活動の制限規定は憲法違反の規定だというふうに考えておりますけれども、そのことは別としても、なぜ憲法問題で公務の公正さなどが問題とされるのか。むしろ、憲法尊重擁護を宣誓して職務についている公務員、先ほどもありましたが、そういう点では、積極的に憲法問題で意見を表明して運動してこそ、国民投票運動をより喚起するものになるんじゃないかというふうに思うんです。

 この適用除外をめぐる問題について、庭山公述人の御意見を伺いたいと思いますが、いかがでしょうか。

庭山公述人 適用除外をめぐるいきさつを私はつまびらかに存じ上げませんので、そのことそのものについてはちょっとコメントが難しいのでございますが、一般論として、公務員の場合でも最大限の表現の自由を与えるべきであるという観点から申し上げますと、今の最終的な与党の案がそういう形になってきていることについては、逆にどうしてそうなっているのかなということをお聞きしたい気持ちでございます。

 公務員だから中立性を要求されるというのは、抽象的にはそのとおりでございますが、国の憲法をどうするかというときに、個人的な思い、個人的な考えを自分の気持ちの中にしまったままで、人に伝えてはいけないということはもちろんないわけでございまして、その伝え方が問題なのだろうと思います。

 そして、一般論からすれば、公務員の中でも、平たく言えばポジションが下の方は結構大きな声で言ったって、公務員だからという目で見られるよりは、どちらかというと一人の私人として見られている可能性が高い。地位が上の方になればなるほどその方の発言の影響力は大きくなる。それは、公務員の立場としての影響力は大きくなるかもしれません。ですから、そこのところはいろいろな配慮というのは必要になることもあるかと思いますが、しかし、原則論は、やはり表現の自由というものを尊重すべきだというふうに思っております。

 そういう意味で、最近の修正の動きというのは、逆に、ちょっと私も、どういうことだったのか教えていただきたいなというふうに思っております。

笠井委員 田辺公述人に伺いたいんですが、意見書ということでいただいている中の三項目め、広報、宣伝についてというところで、テレビ、ラジオには多額の資金が必要だということで、テレビコマーシャルはどうしても扇動的になる、お金で憲法を買ったと言われかねない事態だけは避けてくださいというお話がありました。実際に公述人が憲法の学習会もなさっている、そして周りの方ともいろいろな話をされているということなんですけれども、そういう中で、この点について具体的にはどんな懸念といいますか、リアルな御意見というか、どんな御議論が学習会とか周りの方の中で出ているんでしょうか。

 私は、これはいずれにしてもなかなか難しい問題という御意見も先ほどほかの公述人からありましたけれども、熟慮、慎重審議の大きなポイントの一つだと思うんです。実際にどういう懸念というか、どんなふうになっちゃうんだろうかというようなことでお話し合いになっているかを紹介いただければと思うんですが、いかがでしょうか。

田辺公述人 詳しくは私もよく存じてはいないんですけれども、与党案要綱の「憲法改正案に対する意見を無料で」云々のところに、「憲法改正の発議に係る議決がされた際当該政党等に所属する衆議院議員及び参議院議員の数を踏まえて憲法改正案広報協議会が定める時間数を与える等」というくだりがあります。

 先ほど百地公述人の方からも財界、労働組合というふうなお話がありましたけれども、どちらかといいますと、憲法を改正した方がよろしいと思う方たちは財界の方に多いように思えるんですね。そうしたときに、やはり資金力、労働組合は資金はないのではないかと思うんですけれども、まあ私が考えることですけれども。そういうことを考えますと、私の申し上げたようなことになるのかなということです。

笠井委員 私も、財界と労働組合を同列にするという話はちょっと違うかなと思って先ほど伺っていたんですが、まさに今、財界、日本経団連が先頭になって、憲法を変えるといって具体的に提案もしている中での話で、資金力は潤沢にあるというので、当然そういう御懸念が出るんだろうというふうに私も感じて、伺いました。

 小林公述人に伺いたいと思うんですが、改憲手続法案の投票権年齢をめぐる議論を契機にして、選挙権年齢を引き下げる議論が始まっているのを歓迎する立場だというふうに受けとめるんですけれども、選挙権年齢を十八歳に引き下げることは、公述人おっしゃったとおり世界の趨勢であるし、若い皆さんの政治参加とともに、やはりその声を政治に反映するという点からも、一刻も早く実現すべき問題であると私も思います。

 私たちの党も戦前から十八歳選挙権ということを掲げて、その実現のために、国会でも取り上げて、いろいろ国民の皆さんとも運動してきたわけですが、私はむしろ、なぜ今まで十八歳選挙権が実現してこなかったのか。欧米では一九六〇年代から七〇年代にかけて相次いで年齢が十八歳に引き下げられていったわけですけれども、日本では一貫していわばないがしろにされてきたわけですね。

 私は、そのことこそ政治の責任として問われることだと思うんですけれども、その辺のことについて小林公述人はどういうふうに見ていらっしゃるでしょうか。

小林公述人 なぜ、欧米で下げていった中で日本が取り残されたのかというお話かと思うんですが、欧米でも五十年も六十年も、ずっと前から十八歳だったかといえば、そうではなくて、それより前は二十一歳であったり、むしろ日本より高い形でありました。

 しかし、これは日本でも欧米でも同じですが、六〇年代、七〇年代の学生運動の高まりを受けて欧米はどのように考えたか。これだけ主張する若者がいるのであれば、むしろ社会に組み込んでしまえと。責任と権利をセットで保障することによって社会に組み込もうというふうな形で選挙権年齢を引き下げたという経緯がございます。

 一方で、では日本はどうしたか。ああいう形で過激に学生運動を行ってしまうのであれば、むしろ政治から遠ざけなければ危ないという形で動いてしまった。例えば、一九六九年に文部省が出している「高等学校における政治的教養と政治的活動について」という通知がございまして、高校生は政治活動をしてはいけないという通知を出していることにもあらわれているかと思いますが、日本ではむしろ欧米とは逆の動きをしてしまった、それが現在まで引きずられて選挙権年齢が引き下がらない形になってしまった。

 やはり今こそ、私も申し上げましたが、選挙権年齢を引き下げる時期はとうに来ていると思いますので、これを契機にしてこういった議論が活発になって、実際にそういった案が与党からも民主党からも出ていることに関しましては、私は評価できることではないかというふうに考えてございます。

笠井委員 もう一点だけ庭山公述人に端的に伺いたいんですが、先ほど最低投票率のお話で御議論がありまして、これが置かれていないことの問題点という指摘がありました。

 これはこの間も中央、地方の公聴会で多くの方々が指摘をされましたし、私も、少数の国民の賛成でも改憲案が承認されかねない問題点としてこの委員会でも言ってきたわけですが、これはなかなか、提出者の側からすると、設けることには一貫して否定する議論ということで、先ほども公述人からはボイコット運動その他の点についてありました。先週の委員会でも、例えば私学助成とか裁判官の報酬問題など、改憲案によっては高い投票率が期待できないということがあるんじゃないかとか、あるいは最低投票率を設けると制度としてワークしないという御意見なんかもあったわけです。

 いずれにしても、私は、少数の国民の賛成でも承認されかねないという制度の根幹にかかわる問題に関連して、そういうことは理由にならないんじゃないかと思うんですが、その辺のことについてもしコメントがあれば伺いたいんですが、いかがでしょうか。

庭山公述人 憲法改正をできるだけ政治争点化しない形で円滑に改正をしたい、そういう流れの中でこの手続法案も作成作業が進められているような気がしております。

 であればあるほど、逆に国民が、要するにその内容について周知徹底されない、あるいは興味を持たない、自分のものと思わないという形での国民投票というのが予想されるわけでございまして、そうなってくると改正案の政治的な重みというのが軽くなるということを私は一貫して懸念しているわけであります。最低投票率を導入するというのは、要するに国民の事業として参加をさせるという効用というものは、やはり無視できないのではないかというふうに思います。

 ですから、非常に少数の方で憲法を改正してみたところで、それは本当に国民の意思としての重みが、国民に本当に影響力を後々行使できるだろうかの懸念があるということでございます。

笠井委員 時間が参りまして、百地公述人にもぜひ伺いたいことがあって、議論したいことがあったんですが、時間が来ましたので、またの機会にということで、終わります。

保岡委員長代理 次に、辻元清美君。

辻元委員 社民党の辻元清美です。

 きょうは、四名の公述人の皆様、ありがとうございます。

 この公述人の応募を百二十四名の方がしてくださいましたので、まだまだたくさんの方の御意見を私たちも聞くべきであると思いますし、それから、皆様の御意見でももっとほかの人の意見も聞くべきだというふうに承りました。ちょっと内訳を皆さんに御紹介しておきたいと思います。

 十代一名、二十代十名、三十代十五名、四十代二十名、五十代四十名、六十代二十二名、七十代八名、八十代一名、不明が七名、年齢構成はこうなっております。そして、男性七十二名、女性五十二名でございました。

 そして、立場別の内訳は、もとの与党案の賛成は〇名、民主党案賛成二名、両案賛成二名、そして与党案修正後賛成一名、民主党案修正後賛成、これは修正しておりませんのでまだありません、それから、両案反対が百八名、その他十一名という内訳になっております。

 これは、私は反対の立場なんですけれども、私が予想したよりも反対の人が多かったというので、私自身も驚いているというようなことなんですね。これは、国会の中の議席数というか意見と民意との乖離があるのではないかというように非常に懸念をするわけです。

 さて、そこで本題に移りたいんですけれども、この間、地方公聴会で意見も伺いまして、こういう言葉がございました、憲法に関することは総意と熟慮が必要だと。それから、ヨーロッパ等の視察でも、コンセンサスということが強調されました、それがないと社会が混乱すると。きょう、庭山公述人も、社会の安定装置というような観点から憲法の取り扱いに慎重な態度をという御主張をされたように思うんですけれども、これは護憲、改憲の立場を問わずなんです。よく、あんた、守りたいからそう言うてんのやろと言う人がいるんですが、そうじゃないと思います。

 社会の安定装置としての憲法をどのように取り扱っていくのか、そして総意と熟慮をどのように取り扱っていくのか。ヨーロッパに行って、こういうことも私たちは学びました、大方の総意がないことを国民投票に付すと否決されるというか混乱する。ですから、本当に十分総意をもって丁寧に扱わないと社会の混乱につながるというような趣旨の御発言も多々伺いました。ですから、これは、憲法改正に賛成反対関係なく、総意と熟慮が実現される手続法になっているのか、取り扱いになっているのかということが大事だと思いますので、その点で御質問をしていきたいと思います。

 まず、百地公述人にお伺いします。

 先ほど来の百地公述人の御発言の中で、こういうくだりがございました。むき出しの権力を自由に行使し新憲法を制定するような場合と、憲法典の定めるところに従って憲法改正権を行使する場合とでは、当然行使のあり方も異なるわけですと。

 先ほどからの御意見を伺っておりますと、今議案とされていますいわゆる国民投票法案というのは、後者の、憲法典の定めるところに従って憲法改正権を行使する場合を想定したものであって、むき出しの権力を行使して新憲法を制定するような場合ではないという理解でよろしいんでしょうか。

百地公述人 ここに書いたとおりでございまして、憲法改正というのは、いわば制度化された制憲権といった言い方をする場合もありますけれども、憲法秩序、現行憲法典秩序の中で行使される一種の主権でありますから、当然、憲法典が存在しないところで、いわば法的な規制がないところで自由に行使される憲法制定権力とは違う。したがって、その行使については、当然国法秩序等によるさまざまな規制とかがあってしかるべきであるという話をここで申し上げたわけです。

辻元委員 ありがとうございました。

 新しい憲法を一から書き上げるとよく安倍総理もおっしゃっているわけなんですけれども、私は一見もっともらしく聞こえる場合があります、それとか、真情の吐露とかカタルシスの解消という意味ではこういう発言は見受けられるようには思うんですが、本委員会での議論を通じまして、一から書き上げるとか新しい手でつくるんだというのは、非常に政治的には未熟な議論ではないかというように思いました。

 庭山公述人にお聞きしたいと思うんです。

 例えば、それぞれの憲法にまつわる手続法も含めまして、前回も紹介したんですけれども、アメリカの場合ですと書き加えていく方式ですね。それもシングルサブジェクトルールという、要するに急激な社会の変化をもたらさない方向で憲法に手を加える。ヨーロッパなどでも急激な社会の変化ということは非常に危険な場合が多い、ナチスが出てきたり、いろいろな歴史的な経緯もありましたので。ですから、全面的に書きかえてしまうとか新しく書き上げるということについて、オーストリアなどで質問したら、これは自民党の方が質問されたんですけれども、えっ、そんなことがあるんですかというような反応だったわけですね。ですから、新しく書き上げるとか全面改正をするということは想定できないと思うんですが、庭山公述人はいかがでしょうか。

庭山公述人 ちょっとお答えしづらい御質問かなと思うんです。

 私は、革命なんて、ない世の中の方がいいに決まっておるんですよ、それは法的革命であろうと事実上の革命であろうと。つまり、それは、それまでの間、社会が自分たちの自助努力を怠ってきたツケが革命という形で出るわけでして、そういう点からいいますと、そんなものはない方がいいに決まっている。

 ですから、憲法の問題についても、おっしゃられている方の御趣旨は私にはわかりませんけれども、また、その方なりの御信念があって言っておられることでしょうからそれを批判することはいたしませんが、しかし、日本の今の憲法というのは、賞味期限はまだまだあるよ、まだまだ使い勝手がいい憲法だよというのが私の基本的な認識でございますので、全部一から書き直そうということは、私は到底理解はできませんということでございます。

辻元委員 もう一問、これに関連して庭山公述人にお伺いしたいんです。

 私は、憲法審査会の機能について懸念を本委員会でも表明してまいりました。それは、常設の憲法審査会を設置し、当面、三年間は調査に専念ということですけれども、その後は常に憲法改正原案を審査し、つくることができるものが常設されていくということになります。これは、国民投票法案が実行されたとして、一回憲法改正が否決されたり、または改正案が成立したり、この二つの場合がありますが、その後も本案が通っていくとずっと続くと理解されるわけですね。そうすると、常に憲法改正の議論をしている。私は、これは社会の安定性ということからかんがみてなんです。

 それともう一点、この委員会の機能の中に、合憲か違憲かということを内閣法制局等にかわって判断するというような機能を持たせたらどうかという議論もこの中で出ております。しかし、これも社会の安定性から考えますと、そのときの政治勢力は選挙ごとに議席数も変わります。そして、本委員会も、ずっと同じ委員がやっているわけではない。それに、座りにだけと言うたら悪いんですけれども、何時から何時までと割り当てで座ってはるような人もいらっしゃるようにもお見受けするわけですね。(発言する者あり)お見受けですよ、これは。

 そうすると……(発言する者あり)いや、私はお手洗いに行く以外はずっとおります。そうすると、私は、改憲原案をつくったり、または憲法の解釈までもするということに非常に危惧を持っているわけです。それは対立的に申し上げているんじゃなくて、社会の安定性ということを考えた際に、国会の中に常設するということが適当なのかどうか、この点は、庭山公述人、いかがでしょうか。

庭山公述人 憲法を、ここをこう改正しようということで与野党の少なくとも三分の二以上の方が内容において仮に一致をされたときは、それはどういう形であれ、つまり、憲法審査会という形をとっていなくても、私は国会の発議ができるんじゃないかというふうに思うんです。

 現実的に、こういう仕組みをつくらないと発議そのものが非常に難しいよということをおっしゃる方はおられますし、江橋教授もこの憲法審査会の仕組みを大変高く評価してここで公述されているようですが、つまり、実体としての改憲案というものが、現時点ではまだ三分の二の多数の賛成が得られるようなものは世の中にないわけでございますね。その段階で、それができたときにそれを迅速に実現するための憲法審査会をあらかじめ本当につくらなくちゃいけないのかしらということは、正直言って疑問でございます。

 それは、三分の二以上の改憲案ができる前というのは、つまり、現憲法を尊重する義務が皆さんおありなわけでして、そういう段階で現憲法のどこが悪いあるいはどこを直さなくちゃいけないということを、虎視たんたんとと言うと表現が不適当でございますが、そういうふうな形でいつも俎上に上げて、何かすきをねらっているみたいな、何となく嫌な感じがするというのが平たい感覚でございます。

 ですから、私は、憲法審査会というものは、こういう形でつくるのはまだ時期尚早なのではないかという感じがしておるわけであります。

辻元委員 私、この点を伺っておりますのは、憲法というのは非常に先ほどからの社会の安定性を保障するものであるし、いつもどこを変えよう、どこを変えようということは、やはり政治的にもリスクが多いと思うんですね。ですから、ここの点は、憲法審査会の機能についてどうしていくのかということについては、まだまだ議論を深めるべきではないかというように思っております。これは、本当に何回も申し上げますけれども、憲法改正に賛成か反対か関係なく、これはきっちりとこの場で議論しておかないといけない大きな重要点ではないかと思っております。

 先ほどから不規則発言で弁論大会なのに聞いてあげているとか、発言された方がいらっしゃいますが、とんでもないと思います。物すごく真剣に議論していますよ、これは。そういう発言が出ること自体、この法案の審議は一から出直しじゃないですか、私はそう思います。(発言する者あり)

 次にお伺いしたいんですけれども、総意と熟慮と申し上げました、総意と熟慮の熟慮の方なんですけれども。

 田辺公述人にお伺いしたいんですけれども、憲法の勉強会などもされているということで承りました。私も、各地で、やはり憲法の議論というのは少しずつ草の根で広がってきているのかなという実感を受けるわけですね。ところが、国民投票法案の期間が六十日から百八十日となっているわけです。私は、最低一年ぐらいゆっくり考えてもいいんじゃないかと思っているわけです。例えば、学習会、勉強会とかする場合も、どこか場所を借りるだけでも、これは実務的な話ですけれども、半年前に締め切りとかありまして、そういう実務的なことも考えまして、もう少しゆっくり考えていただく時間をとった方がいいんじゃないかというふうに思っているんですが、田辺公述人はどのようにお考えでしょうか。

田辺公述人 私も同じように最低でも一年は必要かと思います。

辻元委員 今一年という言葉が出ましたけれども、憲法を取り扱うので、これはじっくりやった方が……。どちらにするかを考えるわけですから。私が発言すると、よく、守る立場だから守りたいからだろうというような目線で見られる方もいられるんですけれども、違うんですよ。どちらにするにしても、熟慮と総意です。

 ですから、こういう御発言も公述人の皆さんの中からは出ておりました。ハードルを高くするというのは、どちらが選ばれたとしても正統性を非常に強く持たせるということになる、そういう制度設計をしてほしいという御発言もたくさんあったことをここでも紹介しておきます。そういう意味では、この国民投票法案についても熟慮と総意が必要だと思うんです。

 これは四人の公述人の皆さんにお伺いしたいんですけれども、先ほど百地公述人の方から公聴会が形骸化というか形式化してはならぬという御発言があったと思うんですけれども、先ほど長妻委員の質問の中にもあったんですが、新聞報道などによりますと、来週採決に持ち込もうとしているとか、早く成立させたいと思っている人たちはというような報道もございますが、きょう、一般公募の公述人の皆さんのお話を初めて聞くわけです。先ほど申し上げましたようにまだまだたくさんの方がいらっしゃるわけで、きょう聞いて、来週採決なんということは、まさか想定してここに座っていらっしゃるとは思わない。そういうことで、それぞれおっしゃっていただいた御意見が十分反映するということをもちろん想定していらっしゃると思いますし、きょうお伺いした中で十分な議論をして慎重に進めていくということが必要だと思うんですが、その点について四名の方にお伺いしたい。

 小林公述人は、十六歳という御発言もありました。これは、実は私は十六歳ということも一度徹底的に議論してみたらどうかということを当初から提起していたんです。それは選挙権やほかのことが二十だからというふうに形式的に言っちゃうんじゃなくて、本当に憲法を取り扱うには若い人たちがどれぐらいの年代でどのぐらいのことを考えてくれているんだろうかまたは知らされているのだろうかということを調査したり、その上で年齢について議論すべきであると、事憲法ですから。きょう初めて小林公述人に来ていただいてその点を取り上げられたわけです、一年以上前から議論しているわけですけれども。そういう意味で、私は、十六歳ということがあってもいいんじゃないかというように思っております。

 そういうことも含めまして公述人の皆さんに、きょうの意見をどのように反映してほしいのか、そして、私は慎重審議が必要だと思いますけれども、いかがお考えか。ここでかけ間違えると、それこそ、総意と熟慮、憲法というものを今後どういうふうに私たちが考え、国会の中でも議論していくかという、しょっぱなで大きな不幸を残すのではないかと思っておりますので、お伺いしたいと思います。

    〔保岡委員長代理退席、委員長着席〕

百地公述人 公聴会のあり方について若干失礼な言い方をしたかもしれませんが、現実には、いろいろな法案の審議の要綱を見てみますと、大体、何回かある場合もありますけれども、一応公聴会が済んだら、それでもう可決、議決といったパターンが多いようでありまして、そうすると、公聴会の後、どれだけそういった議論が反映するのかなという疑問は常々抱いております。

 ただ、今回のこの法案の審議の仕方については、私は特に問題はないと思っておりますし、幾らコンセンサスが必要であるとしても、最後はやはり多数決でいくしかありませんので、それをあえて否定するというのは、これは私は理解できません。

庭山公述人 先ほど公述申し上げたように、もう一年議論をしていただくともっといい案ができるのになということでございます。

 論文を書くときでも、裁判所に書面を出すときでも、もうこれでいいなと思ってから三日置くと、これはまたいいものができるんです。憲法改正の手続をつくるに当たって、この三日は一年ぐらいに当ててもいいんじゃないかというのが私の意見でございます。

小林公述人 今、百地公述人から最後は多数決でというお話もあったかと思うんですが、民主主義がイコールそもそも多数決なのかというところは、私は、ううん、どうなのかなというところは一個疑念としてございますが、まず一つは慎重な審議をしていただきたいというところと、先ほど辻元議員からありましたけれども、十六歳、十六歳に限らないと思うんですが、もっと若い世代がどう考えているかというところは、確かにもっと考慮していただきたいと思います。そもそも、こういった問題に対して、若い人、若いというのは十六歳以上に限らず中学生とか小学生とかというところも含めてのお話ですけれども、それが理解できる形で議論が進んでいるのかといえば、恐らくそうではないんだろうというふうに考えております。

 ですので、ぜひ慎重な審議というところと、私たちが選挙権年齢を引き下げたいという一つの理由でもあるんですけれども、選挙権のない人には政治家は目を向けないのかというところはぜひ考えていただきたい。選挙権がなくても国民ですので、ぜひ皆さん、そちらについても語りかけるもしくは意見を聞くといったことを、してくださっている議員もたくさんいらっしゃると思いますが、考慮いただければというふうに考えております。

田辺公述人 今ほど小林公述人がおっしゃったように、やはり選挙権のない人たちもひっくるめて、事は日本国民にかかわる憲法だと思いますので、郵政法案がそうであったように、私は、できれば憲法改正についての衆議院選挙で国民の信を問うていただいて、もう一度本当に論議を尽くして、国の最高法規である憲法について日本全国でいろいろ論議を交わしていただければというふうに思います。

辻元委員 ありがとうございました。終わります。

中山委員長 次に、糸川正晃君。

糸川委員 国民新党の糸川正晃でございます。

 本日は、百地公述人、庭山公述人、小林公述人、田辺公述人の四人の公述人の方々、大変お忙しい中参加いただきまして、また、非常に貴重な御意見をいただきましたことを御礼申し上げます。

 今回は、主婦の田辺公述人もお越しでございまして、主婦の観点から、専門家でない、全く本当に一般の方というところからの観点で、非常にいい御意見をいただいたなというふうに感じております。

 まず最初に、四人の公述人の方々にそれぞれお伺いしたいと思うんですが、三月十三日付の朝日新聞の世論調査によりますと、憲法改正手続法の整備について、これは六八%の国民の方が賛成されているということでございます。ただ一方、四月三日付の産経新聞の世論調査によれば、後半国会で最優先すべき課題はというような質問に対しまして、第一位が年金、医療、福祉が四〇・七%、次いで経済格差の是正が一八・五%、こういうふうに続いておりまして、憲法改正手続の確立は一・九%ということでございました。

 これらの世論調査の結果をそれぞれ公述人の皆様方はどのように受けとめていらっしゃって、現在の情勢についてどのように見られていらっしゃるのか、お答えいただけますでしょうか。

百地公述人 国民投票法の制定について、私も朝日新聞の記事を確認してきましたが、六八%が賛成している、これは当然の結果だろうと思います。しかし、現実に差し迫って何が必要かということになると、確かに憲法というのはちょっと遠い存在のようなところが一般国民の方にはあるようでありまして、憲法の本も余り売れないというのはよくある。それはいいことだと思いませんが、少なくとも、私は最初に申し上げましたようにこの憲法が施行されて六十年たってもまだ国民投票法が制定されていないこと自体が問題である、私に言わせれば違憲の疑いがあるということですから、そのことをもっときちんと啓蒙し、マスコミ等が扱ってくだされば、国民の意識も変わってくるだろうと思います。

 その辺は、発議権のある国会、あるいは国といいますか、そういった側の啓蒙といいますか、その辺の議論、国民に対する訴え方というものが十分でないからそういう意識が広がっているという面もあるだろうと思います。

庭山公述人 もし国民の中で、憲法を改正する、ここをこういうふうに変える、そういうことが盛り上がっているとすれば、もっと、一・何%ですか、その数字はもっと、つまり、けたを変えて大きくなってなくちゃいけないというふうに思うんですね。裏返せば、憲法改正についての国民の本当の意味での盛り上がりが今のところ全くないんじゃないか。

 ただ、手続ですから、これは改正するときには手続はつくった方がいいよね、これはまたなかなか反対もしにくいし、そうだよねと素直に賛成する方が多い。これもそうであろうかと思います。そんなふうな印象を持っております。

小林公述人 お示しいただいた朝日新聞の世論調査と産経新聞の世論調査というのは、世論調査というのは、もちろん聞き方まで気をつけて、どういった形かというのは注意しなきゃいけないかと思うんですが、比較的国民の平均的な意識をあらわしているのではないかなというふうには思っていまして、先ほど辻元議員からありましたけれども、今回百数十名が応募したうちでほとんど賛成はいなかった、反対が多かったということですが、一方で、これだけ短期間で平日に実施されると、逆に言うと、一般的な、平均的な、働いている人だとなかなか参加できないということもあるかと思いますので、今回の世論調査というのは、お示しいただいた二つのものに関しましては比較的妥当なものかなというふうに考えております。

 簡単ですけれども、以上でございます。

田辺公述人 私たち一般国民から申し上げますと、憲法が六十年続いてきたということは、特に日常生活に不都合を感じなかった、平和も守られてきた、だから六十年があったのかなと私は思います。

糸川委員 ありがとうございます。

 実際、世論調査の聞き方等であるわけですけれども、以前も私はこの委員会で話をしたことがあるんですが、世論調査の誘導というんでしょうか、こういうものを非常に危惧をしておりますものですから質問させていただいたわけでございます。

 次に、小林公述人にお尋ねをしたいんです。

 投票権年齢について、民主党案は選挙権年齢と異なって原則十八歳以上としております。与党案修正案においても原則十八歳以上というふうにしております。仮に十八歳以上に引き下げられた場合には、初めて投票権が与えられるであろう十八歳及び十九歳、それ以下の年齢の者の憲法への関心、こういうものを高めていかなければならないわけでございます。

 小林公述人はNPOの理事としてこれまで未成年者の模擬投票に取り組まれてきたということでございましたけれども、憲法改正国民投票を真に実りあるものにするために若年層の憲法論議を喚起する必要があるわけでございますが、これをどのようにしていったらよいのかということをお答えいただけますでしょうか。

小林公述人 非常に難しい問題かなというふうに思うんですが、模擬選挙なんかを通じて私が非常に感じるのは、そもそも若い世代は考える機会も余りない。

 実際に、例えば、選挙をやりましょう、今度七月に参議院選挙があります、しかし、私には投票権がありません、では考えても無駄ですねというところで、どうしても思考が停止してしまうと興味すら向かなくなってしまう。一方で、模擬選挙をやりましょうということになりますと、では、各党のマニフェストを比べてみましょう、各党の選挙公報を見てみよう、新聞を見てみよう、ホームページを見てみようというふうになるわけですね。

 そういった機会が、やはり日本の教育の中で、それは別に学校教育にとどまらなくてもいいとは思うんですけれども、そもそも欠如してしまっているのではないか。考えて投票した結果、社会的にどうなって、それが自分として後から考えるとどうなるのかというのは、そういうトライ・アンド・エラーを繰り返す機会をつくっていくことが、憲法にかかわらないと思いますが、一つ一つの問題に対して興味、関心を惹起するというか涵養する一つのいい手段ではないかなというふうに考えております。

糸川委員 では、百地公述人にお尋ねします。

 与党案では公務員等、教育者の地位利用による国民投票運動を禁止しつつ、修正案によって地位利用の概念を明確にするというふうにしております。

 百地公述人は、国会が憲法改正案を発議した場合に、今、小林公述人がおっしゃられているような十八歳以上の子供たちに対して、改正案についての賛否を含めて当然授業でさまざまな意見をお述べになられるのではないかなというふうに思うわけでございます。その場合、こうした規定によって何らかの制約を感じることがあるのかないのか、お答えいただけますでしょうか。

百地公述人 御質問の趣旨がいま一つわかりにくかったんですが、公務員の政治活動の制限の問題と公務員、教師の地位利用の問題は若干違いますよね。

糸川委員 教育者の立場で、国会が憲法改正案を発議した場合、授業においてその改正案について教育者として賛否を含めて意見を言われることになると思うんですね。そういうときに、この規定によって何らかの制約というものをお感じになられるのかなということを百地公述人にお尋ねいたしました。

百地公述人 その問題は、教育者の場合には地方公務員法じゃなくて国家公務員、国立の教師と同じような扱いを受けるようですから厳しい制約があるようですけれども、もちろん、例えば公民の授業の中で憲法問題についていろいろ客観的な立場から授業をするということは全く問題ないと思いますね。

 ただ、問題は、その辺が微妙なところがありまして、一方的に例えばこれは反対すべきであるとか賛成すべきであるとか、あるいは家に帰ったらお父さんにそう言いなさいとか、そういうことになれば明らかに地位利用でありますから制限される。そういった制限内であれば一般的な議論をするのは差し支えないし、私も教師として憲法の授業をやっていますけれども、国民投票が始まったら憲法九条についてはしゃべれないなんということは考えておりませんから、当然議論はする。しかし、学生に賛成しなさい、反対しなさいと直接言うようなことは慎まなくちゃいけないと思っておりますから、当然、その辺はおのずから限界があると思います。

 ちなみに、ちょっと御紹介したいと思いますが、その辺が非常に微妙なところがありまして、最近では、例えばここに高等学校の教職員組合連合会が発したいろいろな資料があるんですけれども、卒業生に憲法九条の手紙を、九条を守ろうという手紙を送ろうということで、こんなビラを直接校内で配るわけにはいかないので生徒の登校時に門前で手渡すことになったということで、関西でも幾つかの高校がお互いに連絡をとり合っている、あるいは全国的にそういう運動が今広がっているようなんですね。

 もし逆に教師の地位利用が禁止されなかったということになれば、このようなことが公然と行われる。しかも、年次休暇とか、休暇のとり方はいろいろあるようですから、例えば時間的に休暇をとって、その間だけ門の前に立ってビラを配るとか、いや、今休暇中だからいいんだというようなことになりかねない。それを正当化するおそれがあります。

 したがって、この地位利用の問題についてはやはり慎重に判断していく必要があるというふうに思っております。少なくともそれを野放しにするような法律というのは、これは私は非常に問題であると考えております。

糸川委員 今の同じ質問を小林公述人にしたいなというふうに思っているんですが、この教育者の地位利用の問題について、今、百地公述人にお尋ねしたのと同じ内容でお答えいただけますでしょうか。

小林公述人 戦後の日本で政治教育といったものが充実しなかった背景は、やはりそういった懸念があったからだろうと。何か教えると、それは特定のイデオロギーを教えてしまうことになるから、ならば触れないでおこうと。だから、最近の政治状況については触れない、現代史については触れない。その結果、判断する材料すらないという状況になってしまっていたんだと思います。

 私たちが考えているのは、確かに、特定のイデオロギーを教えるとか考え方を押しつけるといった教育はもちろんノーですけれども、一方でそれを全く触れないということが本当によかったのかというのは、そうではないんじゃないかなと。

 では、その中でどういった形でやるかといえば、いろいろな、こういった主張がある、こういった主張があるということをしっかり併記するなり示した上で、いろいろな問題について考えていただく機会をつくるということが必要だったのではないかなというふうに思っておりますので、地位利用をすべきでないというのはそのとおりではないかというふうに思っております。

糸川委員 ありがとうございます。

 次に、インターネットを利用した国民投票運動ということについてお尋ねをしたいと思うんです。

 インターネットを利用した投票運動、これは公選法においては規制をされておるわけでございます。ただ、与党案、民主党案の双方の国民投票法案においては、何らこれは規制されていないわけでございます。

 今現在、東京都知事選が行われておりまして、その候補者、約一名の方のが特に出ていると思うんですが、インターネット上で政見放送が垂れ流し状態になっているというようなことがあります。この方がいいか悪いかということではなくて、政見放送は、回数、民放であれば何回、NHKであれば何回ということが規定されているわけでございますが、インターネット上で政見放送がそのまま流れておりますと、フェアではなくなってくるわけでございます。

 そういう意味で、今影響力の大きいインターネット、もうどんどん、恐らく、憲法改正がされるであろう時期、まだまだ後になると思うんですが、そのころにはもっともっとインターネットというのが発展してくる、今よりも想定できないぐらいの何か動きがあるんじゃないかというふうに感じるわけでございます。そういう中で、今回、削除請求とかそういうことも何ら規制が入っていないわけでございますが、各公述人の皆様方、国民投票運動におけますインターネットの規制についてどのようにお考えなのか、それぞれ聞いて、終わりたいというふうに思います。

百地公述人 この問題は私も正直よくわからないんですけれども、一般論として言えば、表現の自由の保障の問題と、しかし他方で例えば名誉毀損とかプライバシー侵害といった事態もいろいろインターネットで起こっているようです、特に2ちゃんねるあたりでは。したがって、野放しでいいのかという問題もありますから、そもそも今日の情報化社会におけるインターネットの規制のあり方そのものがまず根本になくちゃいけないと思うんですね。

 その上で、国民投票法についてどうするかということは正直わからないんですけれども、やはり基本的には、私は、国民投票運動の仕方は、公職選挙法を原則として、それに準ずる形でやるのが望ましいと考えておりますから、基本的にはそういう発想でもって取り組んでいくしかないのではないかな、ここだけ突出してということもおかしいと思いますし、そのように考えております。

庭山公述人 私は、原則、表現については自由というところから出発すべきだというふうに思っております。ただ、インターネットに関しては、私自身、実際、自分も余り利用していない、迷惑メールがうるさいなというぐらいな、日々そういう印象でございますので、国民投票運動のときにそれがどういう形の弊害が出てくるかということは、ちょっとよく読み切れません。

 ただ、一般的に言えるのは、常にそこに賛成だ、反対だというインターネットのあれがありましても、それにアクセスする人がアクセスしなければそれで済むという範囲でとどまっている限りは別に余り弊害もないんじゃないか。もし間違ったことを言っていたときには、それは言論は言論でその間違いを正せばいいわけですから、ある程度の周知期間があれば、その中でおのずから正しいインターネット上の表示の説得力が勝つことになるのではないか、非常に楽観論過ぎるかもしれませんが、そんなふうな印象は持っております。

小林公述人 インターネットについてですけれども、先ほど政見放送の例を出されたかと思うんですが、NHKは別かもしれませんが、一方で民放の政見放送というのは非常に見にくい時間にやっていることも事実かと思います。そういった形で特定の候補者なり特定の主張を持っている方だけが野放しになっている状態というのはもちろんよくないとは思うんですけれども、一方でそういった情報に対するアクセシビリティーが上がっていくということは、判断する機会、情報の増加という意味では私は望ましいと思っていますので、インターネットを使った、もちろんこれは選挙も国民投票法案も両方含めてですけれども、インターネットをもっと活用した形で情報が入手できるようになるというのは、私自身は望ましいことではないかというふうに考えております。

田辺公述人 インターネットを使って広く多くの国民に知らしめるということは、本当に情報を得るということではいいことかと思うんですけれども、ただ、そのやり方等については非常にまだまだ危惧があるかと思います。

 ちょっと申しわけないんですけれども、この程度でお答えとさせていただきます。

糸川委員 非常にこれは答えにくい部分かもしれません。ただ、想定をしておかないといけないのかなと。そのときが来たときに、いざ使用しようとしたときには、インターネットが非常に、まあ、私も専門家じゃありませんけれども、どういう情報を流すのか、こういうものも全く想定ができない、わからないものですから、何らかの対応が必要なのかなと感じながら、今おるわけでございます。

 きょうは、本当に貴重な御意見、ありがとうございました。終わります。

中山委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 公述人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手)

 午後一時から公聴会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午後零時一分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時一分開議

中山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 第百六十四回国会、保岡興治君外五名提出、日本国憲法の改正手続に関する法律案、第百六十四回国会、枝野幸男君外三名提出、日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案の両案についての公聴会を続行します。

 本日の午後は、公述人として、大宮法科大学院大学法務研究科法務専攻南部義典君、地方公務員松繁美和君、弁護士森川文人君、以上三名の方々に御出席をいただいております。

 なお、本日出席をお願いしておりました元会社員伊藤勝久君につきましては、都合により御出席になれないとのことでございましたので、御了承願います。

 この際、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。公述人それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。

 議事の順序について申し上げます。

 まず、南部公述人、松繁公述人、森川公述人の順に、お一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、発言される際はその都度委員長の許可を得ることとなっております。また、公述人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願います。

 御発言は着席のままでお願いいたします。

 それでは、まず南部公述人、お願いいたします。

南部公述人 大宮法科大学院大学法務研究科の南部義典と申します。

 本日は、このような公述の機会を与えていただきまして、大変感謝申し上げる次第でございます。

 本日、併合修正案が提出されて最初の公聴会ということでございまして、非常に大役である、そういう自覚のもと、公述人としての役目をしっかり果たしたいと思っております。

 先生方の御議論に御参考いただければと思いまして、意見陳述要旨といたしまして、「併合修正案及び民主党案に対する提案」と書いてございますA4三ページの資料と、あわせて参考資料といたしまして、「イヤでもわかる!国民投票法案」というタイトルがついてございますけれども、[国民投票・住民投票]情報室というウエブサイトに昨年の十二月からことしの三月にかけまして私が連載したものを添付させていただきました。立法者意思を取り違えている部分がございましたら、先生方からぜひとも御指摘いただければ幸いに存じます。

 それでは、意見陳述要旨に従いまして、私の発言を今から始めさせていただきます。

 まず第一、国民投票の対象というところでございます。

 (1)一般的国民投票の再検討。憲法改正国民投票法制の整備の必要性については、言うまでもなく、国民の憲法制定権を具現化するものとして当然必要という立場をとります。憲法附属法であっても制定を急ぐべきではないなどと、決して制定の意義を相対化することなく、幅広い院内合意に基づいて可及的速やかに制定するべきであると思います。

 しかし、憲法改正以外の国政上の重要案件に係る一般的国民投票の意義及び必要性については、憲法改正権という国民主権原理に基づくものではなく、むしろ間接民主制の例外、これを補完するものとしての位置づけであり、その性質はおのずと相異なるという関係にございます。一般的国民投票法制の整備を民主主義再構築の契機と積極的にとらえる見解もございますが、これが直ちに、あるいは憲法改正国民投票法制と同時に整備されないからといって、国民主権が侵害されるということにはならないと思います。

 憲法改正国民投票には三年の経過期間が予定されております。この間、一般的国民投票についても、事実上の拘束力の意義、イニシアチブの可能性なども含めて、より機能的な一般的国民投票制度の確立に向けて、憲法審査会において熟慮、再検討を進めることが必要だと考えます。一たん、この論点を切り離して、憲法改正国民投票法制を先に整備することも視野に入れ、広範なコンセンサス形成を目指すべきことを提案したいと思います。

 (2)憲法改正問題国民投票の消極的活用法というところでございます。

 まず、国民の多数は憲法改正を望んでいないので、その改正手続を定める国民投票法案の制定には反対であるという見解がございますが、国民の多数が憲法改正を望んでいないことを証明したいのであれば国民投票を実施して否決すればいいではないかという反論が向けられます。さらに、それに対しては、国民投票で、ある憲法改正案を否決したからといって、国民の過半数が憲法改正を望んでいないことを証明することにはならないとの再反論が加えられているところでございます。

 最後の再反論にこたえる制度設計といたしまして、これまで予備的国民投票と呼ばれておりました憲法改正問題国民投票で有権的な世論調査を行う際、憲法改正を行わないという項目を付し、国民のいわば消極的な改正意思を確認、調査することも一考に値しないでしょうか。憲法九十六条の発議にはこのような消極的な意味での発議は認められないと解されることから、本番投票ではなく予備投票、つまり憲法改正問題国民投票で扱うことが可能だと思います。

 なお、この投票で憲法改正をしないという項目が過半数に達した場合でも、将来的な国会発議の可能性を否定するものではないということを申し上げておきます。

 二ページ目に参ります。発議後の周知広報期間というところでございます。

 憲法改正発議の日から国民投票の期日までの期間が、最短で六十日では短過ぎるという批判がございます。確かに、六十日と仮定した場合、実際に熟慮期間が短いと感じる国民もいるでしょうし、投票の管理執行上も、投票人名簿及び在外投票人名簿の調製並びに国民投票公報の作成スケジュールが窮屈になることも想起されます。したがいまして、むしろ百八十日というのを原則的な期間と位置づけて、憲法改正案によっては百五十日、百二十日、九十日、六十日と、あくまで目安ですが五段階に分け、内容的に引き下げられるものは引き下げていくというような逆の発想を立法者意思として示されてはいかがでしょうか。提案として申し上げます。

 三番目、国民投票運動の意義と限界というところです。

 国民投票運動は、元来、意見表明や集会を開くこと、それから勧誘運動などあらゆる行為類型を含むと思いますけれども、その国民投票運動の自由は、憲法改正権の行使の前提的権利ともいうべき、国民主権原理に密接に結びつく重要な権利であると思います。その価値は究極的なものであり、公共の福祉に反しない限りにおいて最大限の保障の対象となると思います。

 しかし、近時は、規制、罰則法制上の消極的な概念に成り下がっている感じが否めません。例えば昨年十二月十四日の修正案では、憲法改正案に対し賛成または反対の投票をしまたはしないよう積極的に勧誘する行為と定義が改定されておりまして、「積極的に」という文言が加わっております。今回の併合修正案では、この「積極的に」という文言が削除されているようでございますけれども。

 これにより、規制、罰則の厳格化に資する側面はあると思いますが、国民投票運動の本質から乖離したのではないかと思います。積極的な勧誘行為が最大限保障されるということではないからであります。

 また、国民投票運動を法律上定義づけることによって、一般的意見表明、これは憲法改正に対する意見の表明及びこれに必要な行為と定義づけられると思いますけれども、そのような別概念が生まれてしまうだけではなくて、規制、罰則の分水嶺として両者の区別が問題となるということでございます。

 むしろ、国民投票運動を法律上定義しないで、個別類型ごとに考察すべきではないでしょうか。事実、公選法も選挙運動の定義規定を置いておりません。

 以下、行為主体、類型ごとに申し上げます。

 一番、投票事務関係者は、通常の勧誘行為が規制されるべきで、罰則も必要と考えます。

 二番、選管職員等は、通常の勧誘行為か、上記より積極的な行為が規制されるべきで、罰則も必要と考えます。

 三番目、私は適用除外規定は必要という立場でございますけれども、公務員等は、まず公務員法制上の政治的行為の制限規定の適用除外になるのは、通常の勧誘行為だけでなく一般的な意見表明のすべてと考えるべきであると思います。

 四番目、公務員等及び教育者は、地位を利用した積極的な勧誘行為を規制対象とし、罰則は不要であると思います。

 五番目、国民投票運動のための広告放送と定義されるところのスポットCMの議論でございますが、いわゆるまがいもの広告を排除するため、一般的な意見表明を含めて禁止すべき余地があると思います。罰則は不要と考えます。

 三ページ目に参ります。公務員法制上の政治的行為規制の適用除外。本日の公聴会でも大きな議論かと理解しております。

 まず、公務員が国民投票に際して行う憲法改正に関する賛否の勧誘その他意見の表明が制限されることとならないようにするためには、まず第一段階といたしまして、国民投票法制、公務員法制の二つのレベルにおいて、公務員の政治的行為が原則自由であるというスキームを確立すること。それから第二段階、その上で、例外的に禁止する行為は何かということを考えて、それを限定的に規定することではないでしょうか。

 第一段階として、公務員法制上のいわゆる政治的行為の制限規定を排除すること、これによって国公法と地公法のアンバランスな適用関係も解消すると思われます。さらに、国民投票法制上、公務員の政治的行為を一般的に規制する規定を置かないことの確認が必要と思います。

 第二段階として、極めて悪質なケース、究極の限界事例は何かということを想定し、当該行為を規制する規定を国民投票法制上にのみ設けることが必要と思います。

 最後に、適用除外条項は必要という部分でございますが、政治的行為の制限規定を適用除外とすることは第一段階の必要作業です。併合修正案においては、両案提出者間のコンセンサスに反し、この適用除外規定が除外されておりますけれども、検討を先送りすることに何ら合理的な根拠はないと考えております。国公法と地公法のアンバランスな適用関係は、法制化作業を行っている現在の時点で論点となっていることであって、決して将来の課題ではないというふうに考えております。

 したがって、併合修正案においては適用除外条項を復活させ、民主党案の修正においては適用除外条項を明確に規定されることを求めたいと思います。

 なお、公務員法制上、適用除外となるのは政治的行為の制限規定だけであって、信用失墜行為の禁止その他の規定まで完全に除外する趣旨ではないことを確認したいと思います。

 以上で私の意見陳述を終わります。御清聴ありがとうございました。(拍手)

中山委員長 次に、松繁公述人、お願いいたします。

    〔委員長退席、保岡委員長代理着席〕

松繁公述人 申し上げます。

 本日は、国のあり方を規定する日本国憲法にかかわる問題で意見を述べる機会をいただけたことにまず感謝申し上げます。ありがとうございました。

 私は、高知県本山町職員として採用されて三十年目を迎えます。この間、日本国憲法を尊重し、擁護することの誓いをもとに、全体の奉仕者として、地域住民の命や暮らしを守る仕事をしてきました。その立場から、憲法を変えるための手続法案の動向や審議の仕方に極めて重大な関心と危惧を持っております。また、私は、自治体労働組合の役員として、憲法問題で自治体首長との懇談や議会への要請を行いました。そうした立場から意見を述べます。

 まず、現在提案されている国民投票法案には反対であることを表明しておきます。

 私は、憲法が求める国民投票法案は、憲法をより豊かにしたいという国民の中からわき上がる思いの中からつくられるものと思っております。

 現憲法の前文では、この憲法は、人類普遍の原理に基づくもので、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除すると述べています。提案者である自民党は二〇〇五年十一月の結党五十年に当たって新憲法草案を発表していますが、その新憲法草案は近代憲法の理念である立憲主義の原則を踏み外す内容で、国家が国民を縛る内容となっています。提案の趣旨は国民主権原則から憲法を豊かに発展させるものではなく、むしろ解体につながるものですから、国民が望まないのは当然であると考えます。

 しかも、安倍首相が年頭のあいさつで、私の内閣として改正を目指すと発言し、外国のマスコミのインタビューでも、時代にそぐわなくなった条文といえば典型的な例は九条、国際社会の期待にこたえるという観点からも改正の必要があると述べているように、この法案は改憲を行いやすくして憲法第九条を変える意図が明白となっています。

 私たちは、この三月議会に対して、高知県下三十五自治体すべてに、改憲手続法案の廃案を求める陳情書を提出しました。この三月議会では、六つの自治体議会が法案の廃案や慎重審議を求める意見書を採択しました。

 意見書では、「今回の改憲手続き法案を制定する動きは、二〇〇五年の自民党の新憲法草案決定、民主党の憲法提言発表に見られるように、日本国憲法第九条を改定して、日本をアメリカとともに海外で「戦争する国」に変えることと一体と言わなければなりません。」であるとか「改憲手続き法案は単なる手続きにとどまらず、憲法改正の在り方に深くかかわってくるものであり、国民の十分な理解が前提です。改憲手続き法案の成立を急ぐことは、法案の問題点を国民が理解しないうちに強行しようとするものであり、大問題です。」といったことが決議をされております。

 地方議会では、こういった問題は、実のところ、国の問題であるとか国会で論議されるものということで、採択されることは少なかったのが今までの現状でした。ましてや、意見書にありますように、自民党や民主党の動きに反対する中身があるものに対する意見書が地方議会で採択されることは本当になかったことです。この六つという数はまだまだ少ないと思われるかもしれませんが、これは大きな変化であると思っております。これを全会一致で採択した議会もあります。私は、この法案の性急さに危惧を持っていることのあらわれだと思っております。

 法案は、すべての国民の将来を左右する憲法改正の是非を問う際の手続を定めるものです。ですから、国民が十分に法案の内容について知り、議論が尽くされることが大前提となります。国会議員や私たちなどすべての公務員は、国民に対して説明し、合意を得る努力をするべきです。事は日本の国のあり方を規定する憲法にかかわる問題です。国会は、もっともっと広範な人々の意見に耳を傾けるべきではないでしょうか。そうあるべきです。

 法案の成立期限を指示した安倍首相発言によって委員会の審議のあり方が変わり、国民に背を向けているのではないかと思います。行政府の立法府への干渉、介入は許されないと考えます。三権分立の原則の立場に立ち返るべきです。

 また、反対ではありますけれども、この法案についての問題点も指摘させていただきたいと思います。レジュメでは三つの点を記述しましたが、私は地方公務員として公務員と教員の運動規制を中心に問題点を指摘させていただきます。

 国民投票運動は、主権者として国民だれもが自由に行われるべきです。重ねて申し上げますが、中でも私たち公務員は日本国憲法を尊重し擁護することを宣誓しています。最初にも述べましたが、一貫して住民の命や暮らしを守るための仕事をしてきました。この間、随分と医療や福祉にかかわる制度が変わってきました。その制度が地域で暮らす高齢者や障害のある方にとってどんな影響を与えるのかを考えたとき、それが悪くなるものであれば、私たちはその制度に対して反対の意見を表明してきました。署名活動もしてきました。その判断基準には、憲法の二十五条、そして十三条などがあります。憲法に照らしてこの制度はどうなのかというふうに考えていくのです。

 憲法が変えられようとするとき、憲法に深くかかわって仕事をしてきた公務員にこそ自由闊達な意見表明を認めるべきだと考えますし、その意見を反映させるべきです。憲法尊重擁護義務を宣誓した公務員が憲法のあり方にかかわることができないなどということは、憲法の理念にも反するものではないでしょうか。

 地位利用という規定は極めてあいまいなものだと考えます。公務員であるがために、憲法に対する自由な意見を述べると地位利用に当たるとして行政処分されるのでは、国民投票運動全体に萎縮効果をもたらします。削除し、原則規制ゼロとすべきです。自由な意見表明ができてこそ、全体の奉仕者としての仕事ができるのです。

 また、多くの公務員は、利用したくともそんな地位はありません。あるのは高級官僚の方々ではないでしょうか。こうした方々の地位利用は別の法律で取り締まればいいことだと思います。私たちの地位は、憲法を擁護し尊重することですし、全体の奉仕者として国民の立場に立って職務を執行することです。地位を利用するという考えが基本的に違うのではないかと思っております。

 昨年の十一月二日の小委員会で、自治労連副委員長の田中参考人は、原則規制ゼロの立場に立てば、国家公務員法の政治活動の制限を国民投票運動期間は適用を除外すべきだと意見を述べています。これに対して、自民党も民主党も基本的に賛同し、その方向での修正協議が進められたと認識しています。ところが、与党自民党内の協議の中で、圧力があったかどうかわかりませんけれども、突然規制強化になったという報道に驚いております。公務員や教員が国民と力を合わせて憲法を守り、より豊かにしていくことを恐れているのでしょうか。

 あとの二つは簡単に述べます。

 最低投票率の定めがないことは、憲法の改定が少数の賛成で行われるおそれがあります。国の根幹をなす憲法改定の問題です。十分な周知をして、国民的な同意を得るべきです。

 三つ目の指摘です。有料広告は一定の期間を除いて自由となっています。確かに、チャンスとしては国民全体だれにでも平等に保障されているように見えますが、全員に参加できるチャンスはありません。実際には資金力の違いが宣伝力の格差となってあらわれてきます。金のある者もない者も平等に意見が言える世の中こそが民主的であることは、ここで私が申すまでもないことだと思っております。

 全国では六千とも言われる九条の会ができていますが、高知県では四十五ができております。また、憲法改悪に反対の住民署名が有権者過半数に達した自治体が二つあります。九条は守らなければの声が大きく広がっているところです。

 私たちが懇談した首長は、現憲法を変えるべきではないという立場もあれば、改正すべきだという立場もありました。ただ、共通していることがあります。それは、住民の命を守り福祉を増進させるという首長の立場から、日本を再び戦争する国にしてはいけないという思いや、地方自治を守り発展させていこうという思いでした。その立場から、今なぜ憲法を変える必要があるのか疑問である、日本国憲法は世界に誇るべき平和憲法であり、むしろ広げるべきだと答えています。

 ある首長は、じっくりと過去を振り返り、慎重な対処をしてほしいと、改憲を急ぐ流れに心配するメッセージを寄せています。この言葉は、現憲法がどういった背景のもとにつくられた憲法であるかを物語っています。

 また、別の首長は、憲法改定の話に及んだとき、みずからの戦争体験を語り、その体験から、戦争はやってはいけないと言われました。憲法が変えられると再び戦争する国になるのではという思いは、体験者ならではの言葉です。いずれの首長さんの言葉も、重みのある言葉として私たちは受けとめました。

 自民、公明の与党は三月二十七日に修正案を提出しました。極めて重大な修正も含まれています。しかし、本日は、修正案については議題とはなっておりません。修正案に対する審議についても、改めて公聴会を実施するなど十分な時間が必要です。報道されているような、四月中旬に審議打ち切り、委員会採決などはあり得ないことだと思っております。

 私たちは、日々の仕事の中で、国の制度や行政のやり方が変わったとき、私たち自治体職員は、役所に座っていて住民に対して意見を言いに来いなどとは言いません。住民の皆さんにそのことを理解してもらうために、また、よりよい制度とするために、地域を寄り寄り回って説明をして、皆さんの意見を聞きながら仕事をしています。それが公務員として当然の仕事のあり方だと思っております。

 私がきょうここで発言をするに当たって、本当に緊張もしておるんですけれども、そういう緊張をほぐす意味で、ここに座っている方々は偉い人たちばかりなんですけれども、そういうふうに思わずに自分の思いをしっかり述べればいいというふうに言ってくれました。私は、皆さんが日本を代表する本当に優秀な国会議員の方だと思っております。財界やアメリカの言うことばかりに耳を傾けるのではなくて、日本の国民の声に耳を傾けていただきたいと思っております。

 国民の声は、拙速な法案の成立には反対です。本当にくどいようですが、国のあり方そのものを規定する日本国憲法をどうするかという問題です。法案は一たん廃案にして出直すべきことを述べて、私の意見表明といたします。

 どうもありがとうございました。(拍手)

保岡委員長代理 次に、森川公述人、お願いいたします。

森川公述人 森川文人です。職業は弁護士をしております。第二東京弁護士会で枝野委員と同期の弁護士でございます。

 本日は、主権者である国民の一人としまして、憲法尊重擁護義務を負う国会議員の皆様へ意見を述べさせていただきます。

 国民の一人として危惧しておりますのは、今回の法案がこのままではいずれも国民不在の国民投票法として成立してしまう、民主主義及び立憲主義の危機を招く事態になりかねないという点であります。この点、手続法であるから用意をしておかなければならない、また、手続法がないのは立法の不作為であるなどという議論もございますが、主権者である国民側におきましては、今現在、憲法改正の手続法を要する必要性はございません。

 憲法は、権力保持者による権力濫用を意識的に阻止し、権力名あて人の利益保護を終局の目的と据えたものであります。国家権力を握っていらっしゃる皆様にとりましては、邪魔なものであり、不要と考えている場合もあり得ると思います。国民の側から言わせていただければ、そのような硬性憲法である我が憲法は、改正の必要に応じて手続法を用意することを予定しているものと考えております。

 既に自民党による新憲法草案という憲法全面改正案などが発表されており、また本年に入り安倍首相が改憲を声高に唱えている現在、憲法改正本体と本件手続法を今さら別途に論ずることができない状況にあることは明らかです。より端的に言えば、改憲案を迅速に通すために、極めて障害の少ない、すなわち民主的な要件を満たさずして改憲案可決をもくろむことのできる本法案を拙速に成立させたいという意図があからさまに見えます。そして、その憲法改正案を必要とするのは、みずからへの憲法の縛りを解き放ちたい、まさに改正案の提案者である方々であって、我々国民側のニーズではございません。

 そもそも、総理大臣を含む国務大臣も憲法尊重擁護義務を負いますところ、これらの方々が、例えば各家庭で話すのであればともかく、メディアに伝わる形で憲法改正に関する見解を述べることは、たとえ個人と名乗ったとしましても、それはいわば地位利用とみなされるものでありまして、また、九十六条の硬性憲法の趣旨、また三権分立の趣旨に反するものと思えます。

 公聴会の問題ですが、これが極めて重要な法案、すなわち国家のいわば支柱にかかわる法案であるにもかかわらず、教育基本法の改悪に際してより公聴会の回数は少なく、修正案についての公聴会は現時点では予定されておりません。民主的な手続からしますと、当然に今回の修正案に関する公聴会がなされるものと思われますが、現在の拙速な法案可決へ向けての動きには、国民のための投票法を本当に考えているのか、内容に入る以前にその手続過程にまず疑問が起こります。今回も、百二十四名の応募者のうちわずか七名のみの公述人選抜と伺っております。公聴会はさらに開催されますよう、主権者として要請させていただきます。

 さて、内容につきまして最も危惧しておりますのは、憲法九十六条に定められております我々国民の承認を、憲法改正に際し、本当に得るつもりがあるのかという点でございます。すなわち、いずれの案におきましても、極めて低い投票率であっても投票数上賛成が過半数であれば改憲がなされてしまう法案であり、これでは国民の承認を得ることによってやっと改憲を認めた憲法九十六条の趣旨を実質的に骨抜きにしてしまうからであります。

 国民の承認というからには、国民のすべてとは言いませんが、大多数の国民が承認をしたんだとみなすことができる程度、いわゆるコンセンサスが得られたと言える程度の改正賛成状態が必要なはずであります。そのためには、本来、有権者の過半数を分母とすべきと考えますが、仮に投票総数を分母とするのであれば、イギリスの四〇%ルールのような総有権者を分母とした最低投票率を定めることにより、九十六条がこの憲法制定権力の発現する改正の場面においては例外的に直接民主制を認めた意義を担保させるべきであります。

 この点、それでは反対の意思表示としてボイコットを認めることになる、憲法が認めていない加重要件を認めることになるとの批判がありますが、そもそも国民側が改憲を必要としないがゆえにボイコットがされることにどんな不都合があるのでしょうか。私としましても、仮に積極的に改正に賛成の提案がございましたら投票に赴きたいと思いますが、そうでない場合にはわざわざ反対しに投票所に行こうとは思いません。そのことに主権者としての不都合は感じません。

 また、さきに述べましたとおり、九十六条の国民の承認の実質化のため最低投票率を認めることは、いずれも直接民主制を定めた趣旨にかなってはいても反するものではありません。むしろ、改正の正統性はそれにより民主的に担保されると言えるでしょう。だれかを選ばなければならない選挙と、必ず何らかの憲法改正案を成立させなければならないわけではない本件では、全く性格が異なります。

 国会議員の三分の二の発議要件により民主的正統性が担保されているとの議論もありますが、比例代表制とは異なり小選挙区制において選ばれている議員による発議が、憲法の予定している民主的正統性を十分に満たすものかという点も疑問がございます。

 次に、表現の自由に関する論点について一言申し上げます。

 与党案におきましては、テレビ、ラジオにおける有料意見広告は投票期日の二週間前まで一切規制はなく、それに対し、公務員等及び教育者については運動が規制されております。この点、民主党におかれましては、公務員等の運動規制が規定を外されており、国民の表現の自由の観点から高く評価しております。実現のためにさらなる御尽力を要請する次第であります。

 与党案では、結局は資金力のある者がいわば憲法を金で買うことが可能となる反面、持たざる国民は、市役所の職員であるというだけで、また大学の憲法学者までが、憲法改正について述べれば刑事罰はなくても行政処分等の対象になるという、いわば表現の自由市場における弱肉強食の状況を是認することになり得ます。理性に訴えるわけでもない、それでいて何億円も要する十五秒のイメージCMの垂れ流しにより、既に経済的な格差社会で疲弊している国民を扇動し、一方、草の根レベルでの活動までを萎縮させてしまうのは、意見の多元性を認めない、富める者にだけ自由を認める情報の格差社会を生み出すものと言わざるを得ません。

 国民にとっての表現の自由は、むしろ、テレビ、ラジオの意見広告は規制し、公務員等の運動規制は解除することによって確保されるものと考えております。表現の自由の原則を考えますと甚だ難しい問題ではありますが、国民が重要な賛否を判断するための、内容のある多元的な情報の確保という知る権利の観点、そして、本質的な平等を確保するためには、むしろ憲法改正の議論は、テレビ等では広告を規制し報道番組等に任せ、あとは落ちついて判断の可能な新聞、インターネットや国民の集会等における情報によるとするのが適切かと思います。

 公務員、教育者については刑事罰は外すというのが与党修正案ですが、石原都政における日の丸・君が代強制の現場、教員大量処分の実態から見ても、簡易迅速な行政処分の萎縮効果の恐ろしさは明らかであり、規制自体が残っている以上、国民側の運動をいたずらに規制するものと指摘せざるを得ません。

 次にお話ししたいのは、法案の対象についてです。

 与党原案では憲法改正に限るとしており、民主党案では国政の重要問題を含むとしておりました。しかし、三月末に出された与党修正案は、民主党に配慮をしたのか、附則の十二条で、「この規定の施行後速やかに、憲法改正を要する問題及び憲法改正の対象となり得る問題についての国民投票制度に関し、その意義及び必要性の有無について」検討するとしております。

 これは、憲法のある条項の改正について、そもそも国会で審議するかどうかについて国会が議論する前に、事前に国民の意思を問うとするものであると解されます。しかし、そもそも憲法九十六条は、国会が発議してから初めて国民投票にかけるとしております。憲法改正について事前に国民投票を行うことを現憲法が当然に許しているとは考えがたく、この点についてはさらなる検討、審議が必要でございます。

 権力、政党、国会議員そして資本のための改憲手続法ではなく、御命名のとおり、国民のための、必ずしも国民といっても、反対する国民をも納得できる、これ自体憲法に反しない、そのような法案が成立されるべきであります。そのような法案が検討される時間としましては極めて少ない、十分な議論がされていないと思います。

 このほか、お手元の、弁護士会で作成しました論点表において指摘しております問題点、また、与党と民主党との相違点についても十分な議論がなされておらず、何よりも、多くの国民には十分知らされておりません。この一週間でなされた、国民のための国民投票法を考える会における街頭アンケートによれば、九割の方が改憲の内容をよく知らず、また審議が十分尽くされていないという理解であります。皆様国会議員におかれましては、拙速ではなく、十分かつ国民の納得が得られるような、民主的過程を経た審議をお願いいたします。

 議員の皆様、そして傍聴席の国民の皆様、どうも御清聴ありがとうございます。(拍手)

保岡委員長代理 以上で公述人の方々からの御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

保岡委員長代理 これより公述人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。加藤勝信君。

加藤(勝)委員 自由民主党の加藤勝信でございます。

 きょうは、三人の公述人の皆さん、ある意味では大変ショートノーティスの中にもかかわりませず、時間をお繰り合わせいただきまして、貴重な御意見を発表していただきましたことに改めて御礼を申し上げたいと思います。二十分の時間でありますけれども、それぞれにお話を聞かせていただければと思っております。

 まず、一般的な国民投票といわゆる憲法に係る国民投票を私も切り分けて考えるべきだろうというふうに思いますが、その前に、先日ある書評を読んでおりまして、国民の幸せって何だろうかという議論でありまして、そのときに、通常、経済的な豊かさ、これももちろん国民の幸せを増進するということにつながるのではないかと思いますが、フライさんとスタッツァーさんという二人の方が「幸福の政治経済学」という本を、二年前に日本では発刊されているんですが、その中を読んでおりますと、統計的な分析で評価をしているのでありますが、必ずしも経済的な豊かさということよりは、むしろ政治に対する参加度が高い方が豊かさが高いというような評価といいましょうか、調査が行われておりました。

 確かに私も、そういう意味で、例えば地方自治でいえば、その地域のことをいろいろ考えながら発言し、みずからが発言したことが幾ばくかでも実現をしていく、そしてまた、それによって自分たちの住む地域が変わっていく、また、それが一つのサイクルをしていきながら、また自分の方で地域への思いが深まっていく。そういうサイクルということになりましょうか、そういう流れというのは、そこで住む方の豊かさというのを確かに上げていくんじゃないかな。物の豊かさのように、お金と物との交換、お金とサービスの交換というものだけではなくて、もっと深いところで豊かさや充実感が高まっていくのではないかな、そんな思いをしながらその書評を読んでおりました。

 そういう意味も含めて、私も、一般的な意味での国民投票というのも、確かに我が国の憲法というのはこの国会が中核になって間接民主制という形をとっているわけではありますけれども、今申し上げた観点から一つ考えていく必要性があるんじゃないのかな、そういう思いを持っているわけであります。

 憲法の改正と国民投票と一緒に議論するかどうかというのは、私は別に切り分けて議論すべきだろうと思いますが、まず一般的な国民投票、一般に国民の皆さんにいろいろな問題についてお聞きをすることについて、それぞれの公述人がどういうふうにお考えになっているのか、教えていただきたいと思います。

南部公述人 御質問ありがとうございます。

 一般的国民投票の意義ということかと存じますけれども、二つ考え方があると思うんです。

 憲法改正国民投票法制をどうせつくるのであれば、ついでにつくった方がいいという方、それから、むしろ一般的国民投票の方が一般法的な位置づけで、憲法改正国民投票は特別法だ、一般法、特別法の関係にあるというような言い方をされる方もいらっしゃると思います。いろいろ温度差があるのかなという気はいたしております。

 制定の意義、必要性については加藤先生と恐らく認識は共通しているのかなと思うんですけれども、先般の中央公聴会ですとかいろいろ議論を拝見しておりますと、むしろ一般的国民投票の制度設計において、事実上の拘束力ということをいろいろ議論されたと思うんですけれども、そういう意義について改めてこの場でも検討すべき課題がかなり出てきたかなという気がいたしておりまして、私もその制定の必要性については全然否定するものではないんですけれども、さらにこの秋以降、もしこの法律がこの国会で成立したと仮定するならば、秋には憲法審査会が立ち上がりますので、もし可能であればその憲法審査会の小委員会のようなところで一般的国民投票制度というのはどうあるべきかとか、事実上の拘束力とは一体何なのかというような議論をしていただくことが、私たち市民にとっても、先生方の議論が契機になっていろいろなことが喚起されていくのかなという気がしております。

 以上でございます。

松繁公述人 お答えします。

 一般的な国民投票ということですけれども、これは、地方自治、住民の幸せのためにというお話もされましたが、私、地方公務員としましては、地方自治が豊かになるために、例えばこの間自治体合併問題がありましたけれども、そこで住民投票で自分たちの地域のことは自分たちで決めようじゃないかという運動が起こりました。これは、地方自治の観点から、その地域地域に合併の問題であったりいろいろなことで住民自治条例をつくろうやとかいろいろな動きがありますけれども、そこはきちんとその地方でできる、今そういうことが憲法にも規定されていると思うんですけれども、それは大事にされるべきだと思います。

 そのことと、この国民投票法案、今回の問題とは、言われるように本当に分けて考えていくべきだというふうに思っております。

 以上です。

森川公述人 一般の国民投票といいまして、それがどのような効果を持つかによっても異なると思いますが、これが直接民主制のさらなる導入ということであれば、憲法改正的な議論になりますので、さらなる審議が必要になるのではないかと思いますが、一般の国民の民意を反映させるということですけれども、前提としまして、現在のメディアの状況で正しく国民に情報等が与えられているかどうかが前提問題となると思っております。

 先ほどの午前中の質問にもありましたけれども、産経と朝日でのアンケートの結果の大きな差、これはやはりアンケートの問いの立て方、また情報の与え方によって随分違うのではないかというふうに思いますので、このような偏った情報が流れておらず、まさに地域のように身近な問題として、わかりやすく国政の問題が我々に与えられるような状況であれば、それを前提としての民意を反映させる制度としてはあってもいいのではないかなと思います。

加藤(勝)委員 ありがとうございました。

 今、森川公述人もお話しになりましたけれども、マスコミの問題、それから先ほど最低投票率の議論もありましたけれども、これは逆に私は、むしろ最低投票率云々ということではなくて、多くの方が議論に参加をし、みずからの意思を明確に発揮していただくように持っていくということがまず基本であって、それがあって初めてこの意味があるのではないかなというふうに思っておりまして、いたずらに最低投票率を設定することが適当なのかな、そういう思いを持っております。

 そういう中で周知を図っていく。そもそもこの国民投票法そのものも、今のお話の中で、まだまだ周知が足りないよとか議論が足りないよというお話もありましたけれども、この周知をより図っていく。そのためには、私のこれまでの経験からしても、国や公の出す資料というのは、それなりに価値はありますけれども、多くの方が読みやすいのか、物事を正確に書こうとする余りに非常にわかりにくくなってしまう。逆に、むしろマスコミ等、時にはワイドショーの方がよりわかりやすいという、これが一般的ではないのかなというふうに思うわけであります。

 しかし、そういうワイドショーとかテレビのさまざまな報道番組も、これはあくまでも放送会社側が企画をするわけでありますから、一般の我々が何か意見を幅広く述べたいと思ったときに、確かに今はインターネットとかいろいろな手段はありますけれども、マスコミそのものを活用するという意味においては一定の枠を買って、むしろCMという形で流すという方法しかないんじゃないかなというふうに思うわけであります。

 ですから、逆に、そういういろいろな手段を駆使していきながら関心を高めて、それによってしかるべく多くの方に投票に参加をしていただく、私はこういう道筋が必要ではないかなというふうに思っているのでありますけれども、それぞれのお話の中で、広告規制、むしろそれはネガティブに御主張されている点もありますけれども、仮にそういうことだとすると、では、どういう形で多くの方に周知をし、そうした投票そのものに参加をしていただけるようになるのかどうか、その辺に対するそれぞれの公述人の御見解をお示しいただきたいと思うんです。

南部公述人 メディアと広報、憲法改正が実際発議された場合にどういうような広報があるかということかと思います。

 国民投票広報協議会の事務の一つに、国民投票公報が発行されるということでございますけれども、今回の併合修正案においてわかりやすい説明というのが実は入っておりまして、賛成意見、反対意見をそれぞれ書く欄があって、いろいろな解説のようなものがあるのかなという気がしておりますけれども、国民投票公報ですべての情報がわかるかといえば、そうではないと思いますので、やはり先生が今おっしゃいましたような多様なメディアにおける情報収集をする手段が可及的に保障されている必要はあるかなと思います。

 制度全体でいいますと、国民投票法については、今衆議院の事務局がつくっておられるこの資料等が非常にお詳しいわけですけれども、私自身も自分のブログでありますとか民間の団体のページを使っていろいろな法案の解説とかいろいろ情報を発信する側にございますので、そういった手段を使って今後とも取り組んでいければなという覚悟でおります。

 以上でございます。

松繁公述人 申し上げます。

 私は公務員として仕事をしてきたというお話をしましたが、本当に憲法を遵守して、憲法に深くかかわってきた地方公務員ですけれども、きょう午前中の田辺公述人のお話も私は傍聴席で伺っておりましたが、そういう公務員の方を使わないのは、その意見を聞かないのはもったいないというふうに言われました。ですから、むしろ公務員や教員が、そういった規制をするのではなくて、だれでもがどこでも自由に物が言える、そういう条件をつくるべきだと思います。

 このことは、メディアの規制のこととは――メディアのことでは、テレビを使ったりするということは今のやり方でいくと大変お金がかかるということで、自由にやるというのと、お金のある者とない者との、その辺をごっちゃにはしないで、自由に物が言えることと、それから、本当にテレビを使った方がいいんだということになれば、政見放送のようにだれでもが無料で参加できるチャンスを与えるべきではないかというふうに思っております。

 以上です。

森川公述人 私は、国の資料も、また商業メディアにおける例えばワイドショーのわかりやすさも、いずれも偏ったものであり、それをそのまま利用することはできないものというふうに思っております。しかしながら、現状、こういう状況ですので、なるべくメディアを利用するようにしたり、きょうのように公聴会に出席したりということを利用していきたいと思っています。

 例えば、この公聴会におきましても、我々の方からは質問できないということになっておりますけれども、できればこちらから質問して国民の知る権利を充足させるような方法を何とか制度として求めたいと思いますし、また、私も長いこと市民運動をずっとやっておりますけれども、例えば集会ですとかビラ、インターネットの利用というものが、まさにそこで真実が伝わっていくんだというふうに私は信じております。これらはもちろん規模も小さく、時間がかかりますけれども、草の根的なこのような動きによって実際正しい情報が伝わっていくんだというふうに私は認識しております。

加藤(勝)委員 次に、公務員等の国民投票運動のことについてお聞かせをいただきたいというふうに思います。

 公述人の方からは、特に松繁、森川公述人の方からは規制はない方がいいというような御主張だというふうに思いますし、南部公述人の方は、そこは、ないというわけじゃないけれどもこの規制の仕方は少し考えた方がいい、多分そんな言い方だったというふうに思うのであります。

 特に、私どもも、公務員だから余計にという思いは私は持ちませんけれども、それぞれの国民がそれぞれの意思をさまざまな機会で表明していくということは、これは当然認められるべき基本的な原則だというふうに思うわけであります。

 しかし、他方で、地方であれ国家であれ、それぞれの公務員の方が担っている公務の重さ、いわゆる全体に対する奉仕者であるということと、それを通じて公務に対する国民の信頼というものをしっかりと維持していくということは、私は、大変重要なポイントであり、そういう意味からそうした公務員の方に対する一定の制約というのは、これはこの憲法改正だけではなくて、さまざまな場面で当然求められているというふうに思うわけであります。

 そういう中で、憲法の国民投票運動の中で、それでは全く一般の国民の方と同じでいいのかどうか、逆に言いますと。その辺について、私は、そこまではなかなかいけないものもあるのではないかなと。もちろん、地位の利用の問題も当然その中には含まれてまいりますけれども。その辺について、逆に規制をどうするというよりはむしろ全くなくていいんだろうかなという視点から考えてみると、私としては今回の併合修正に至る結論になっていくわけでありますが、その辺についてそれぞれの公述人の御意見をいただきたいと思います。

南部公述人 公務員の国民投票運動について、先般の趣旨説明だったと思うんですが、自由度と規制の部分を振り分けるというような御説明があったと思うんですが、私はちょっとこの御説明には納得いかない部分がございます。

 全体の奉仕者といえども、やはり主権者として国民投票運動は原則自由である。やはり人権というのは保障されるのが原則でありますので、先ほど申し上げましたように、極端な事例といいましょうか、限界事例といいましょうか、例えば国土交通省や農林水産省の非常に地位のある方が全国の何とか地方何とか局にファクスか何か流して特定の勧誘行為をするというようなことが、ないかあるかはわかりませんけれども、そういう事例を想定しておくことが今のうちに必要なのかなという気はしております。

 以上でございます。

松繁公述人 お答えします。

 私は、全体の奉仕者という意味については、これは憲法で規定したとおりだと思うんです。十五条に「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」と。この規定ですけれども、これは、戦前の公務員が置かれた立場、天皇の官吏として、私たちの先輩公務員は住民の方を向くのではなくて天皇の命令に従って仕事をこなしてきた、それが戦争へつながったということの反省から、戦後できた憲法は、この全体の奉仕者というのは国民の方だよ、一部のそういう上からの押しつけとかいうことに従うのではなくて、全体の奉仕者として国民の方を向いて仕事をしなさいと。

 私は最初にも申しましたけれども、全体の奉仕者として住民の福祉向上のために仕事をする、その立場からいえば、この憲法が変えられたときにどうなるんだと思うときには、全体の奉仕者の立場に立って自由な意見を言わせていただきたいということです。恐らく憲法がこう規定しているんだろうと思う全体の奉仕者という意味は、そういうことです。

森川公述人 私は、全く違いはなくてよいものと思っております。

 公務員といいましても二十四時間公務員であるわけではなく、ふろに入っている間や寝ている間は公務員ではなく一般の国民であります。しかしながら、先ほど午前中引用されました猿払事件の事案は、たしか時間外、職場外の事件であってもそれが犯罪に当たるとされた事案でありまして、この地位利用という要件がありましても、結局は、自分の職業が公務員であるからということによって、公務員ではない時間、国民である時間の行為までも萎縮的効果、要は運動できないという効果があることが問題なのであって、それは刑事罰がなくても同じであるというふうに考えております。

加藤(勝)委員 どうもありがとうございました。

保岡委員長代理 次に、岡本充功君。

岡本(充)委員 民主党の岡本でございます。

 きょうは、三名の公述人の皆様、それぞれ御予定をつけていただいて、貴重な御意見をお聞かせいただきましたことを私からも御礼申し上げます。どうもありがとうございます。

 時間もありませんので、早速質問に入っていきたいと思います。

 今、民主党案、与党案、それぞれ審議をする中で、確かに論点は大体固まりつつある中で、しかしその論点の開きがより明確になってきている部分もあると私は考えております。きょう皆様方が取り上げられなかった部分で私は確認をしておきたいところが一つありますので、それぞれ御意見をいただきたいと思います。いわゆる投票権者の年齢の問題であります。

 十八歳以上ということで大体コンセンサスができつつあるわけでありますけれども、与党側修正案などでも、投票権者を十八歳以上にすることで、関連する二十八本でしたか、法律を修正しなければいけないという話が出ておりました。どこを改正してどこを改正しないのかというのはこれからの議論だと思いますが、国民投票及び一般の選挙の有権者、投票権者を十八歳以上とすることで、その他の規定、例えば民法における成人の定義であるとかを変更しないということも可能であるというふうにお考えなのか、それとも、そもそも十八歳以上が投票権者だということについて反対だと思われるか、それぞれからお考えをお聞きしたいと思います。

南部公述人 御質問ありがとうございます。

 いわゆる附則に規定されております成人年齢法制の改革の範囲、それをどう考えるべきかということで、具体的に名前が挙がっている法律が民法と公職選挙法の二つのみでございますので、それ以外はどうなのかという御質問だと思います。

 午前中の公聴会の御様子なども拝見しておりましたけれども、それぞれ法律には制定当時の立法趣旨ですとか目的とかがあるかと思いますし、私がきょう参考資料に添えておりますけれども、そこに二十や満二十歳で区別する法律のリストなどを挙げておりますが、形式的にこれをリストアップしただけでもこれだけの数がございますので、それぞれの目的に従って妥当な判断をするということかなと思います。

 問題は、この附則に書いたという立法者意思を、恐らくこの法律のすべてを憲法調査特別委員会ないし憲法審査会で管轄することは不可能だと思いますし、各省庁も縦割りだという関係にあると思いますので、その辺のフォローアップをどうするかというのが一つ大きな課題ではないかなというふうに感じております。

 以上です。

松繁公述人 申し上げます。

 この点については、私は今回言及はしておりませんでしたけれども、公職選挙法も含めて十八歳以上が望ましいというふうに思っております。

 ただ、民法の関連はどうなのかという点について、私は、今回ここに臨むに当たってというか、ふだんからも余りよく考えていなかったので、民法の点についてどういうふうに考えているかについてはお答えできませんので、御了承願いたいと思います。

 以上です。

森川公述人 済みません、私もこの問題につきましては、率直に言って余り考えてはございません。午前中の議論で二十以下でも喫煙している現状ということが報告されておりましたけれども、現状に合わせて法律を変えるのか、それとも違う方法をとるのかという問題点は確かにあると思いますが、この点については、私も同じく現在確たる回答をすることはできませんので、御容赦ください。

岡本(充)委員 続きまして、有料広告放送の制限について確認をしておきたいと思います。それぞれの公述人からこれまで意見も表明をされておりますけれども、改めて確認をしておきたいと思います。

 一定の制限を設けるべきであるということは、ある程度皆様方コンセンサスなのかなと思って、ここに来られている公述人の皆様方はそう思ってみえるんだろうと思いますが、それぞれどのような一定の制限を想定されているのか、改めてお話をいただきたいと思います。

南部公述人 スポットCMについての御質問だと思います。

 冷却期間が必要であるということと内容が中立的な規制でなければならないという前提でありますので、総量規制効果ということについても、それは間接的にしか及ぼすことができないであろうというふうに思います。

 その効果を、例えば七日間を十四日間にして、二十一日にとずっと上に上げていくと、結局全面禁止ということに近づいていくわけなんですけれども、どこかで妥協点があるのかなというところで、意見広告主の自由というものもありますから、なかなか結論は一律的には出しづらいというところでございますけれども、比較的新しい論点でございますので、実際、その業界の実情などもまだこの委員会で十分な議論が行われていないところもあると思いますので、その点を踏まえて結論を導いていただければと存じます。

 以上です。

松繁公述人 お答えします。

 私は、原則有料広告は全面禁止が望ましいと思っております。

 以上です。

森川公述人 悩ましい点でございますけれども、私の私見としましては、国民運動、要するに公務員の規制等はなし、国民運動は自由という前提におきまして、テレビスポットCMの広告の定義を厳格に定義しました上で全面禁止ということもいいのではないかなというふうに思っております。

岡本(充)委員 続いて、最低投票率の点について確認をしておきたいと思います。

 最低投票率が不要だという論に立てば、例えばいわゆる無関心の層を憲法改正賛成、反対に取り込むというような運動も可能になってくるという趣旨の話もありますし、その一方で、確かに、極めて低い投票率の中で過半数を設定するということに対して疑いの思いを持つ国民がいるのも事実だと思います。

 今回、皆様方が改めてお話をいただいておるところではありますけれども、そもそも、最低投票率を設定する必要性があると思われる方は、なぜあるのか、設定する必要がないと思われる方は、なぜないと思われるのか、そこを明確に端的にまずお答えいただきたいと思います。

南部公述人 最低投票率について、私は、法律でこれを規定することに反対の立場をとっております。諸外国の事例を見ましても、ロシア、韓国は憲法の規定で定められているというふうに承知しております。

 例えば、投票総数が投票権を有する者の百分の四十を超えない場合には当該国民投票は効力を有しない、このようなルール設定をするかどうかが今問題になっているわけですね。このルール設定の名あて人といいましょうか、だれに向けられたルールなんだろうなということを最近考えます。

 例えば、憲法九条の改正案が発議をされて、投票率三九%だったとします。圧倒的多数の方が賛成票を投じたとしても、結局それは最低投票率を上回っていないので成立しないということになると思うんですが、その結果として、現行の九条を守りなさいというメッセージといいましょうか、そういう一つの結論が出るのかなという気はしております。

 それが公権力の側から国民に対して向けられるルール設定であれば、私は法律でいいと思います。しかし、私は、逆じゃないかなと最近思いまして、最低投票率に満たない場合、現行憲法の九条を守りなさいということは我々市民が公権力に対して命令する、つまり、やはり憲法で規定することではないかなという、その本質的なところを最近考えておりまして、憲法の理念に沿うとかいろいろ議論はあると思いますけれども、そういう根本的な、その規範の意味というものを考える必要があるかなというふうに思っております。

 ただ、私は、憲法を改正して、憲法上、最低投票率を規定することについては異議はありませんので、その点は御留意いただければと思います。

 以上です。

松繁公述人 お答えします。

 最初に私申しましたけれども、憲法の改定が必要なときは、国民の側に、今の憲法というのは国民を国家の権力から守るものになっていますので、今ある憲法で何か国民に不都合があれば、それは国民の中からわき上がるものだというふうに言いましたけれども、そういう考えからすれば、圧倒的多数の国民がこれを変えることに賛成しない限りは変えるべきではないというふうに思っております。

 私は、最低投票率を、だから、圧倒的多数の国民が参加できるような方法で国民投票ができる時点に立たなければ国民投票をするべきでないというふうに思っていますので、最初に言ったように投票法案そのものに反対ですので、これは四〇%でいいとか八〇%なければだめだとかいうようなことは、そこまで私の論では言っていないんですけれども、あえて申し上げれば、過半数以上の賛成がなければ変えられないだろうなというふうに思っております。

 以上です。

森川公述人 憲法九十六条によりますと、国民に提案し、その承認を経なければならないとなっております。この国民というのは、加重要件としてではなく、最低投票率を設けることによってこそ国民に近づくものだというふうに思います。

 また、ボイコットの件ですけれども、先ほども述べましたが、だれかを選ばなければならない選挙とは異なりまして、必ず改正しなければいけないわけではない憲法改正におきまして、改正するつもりはないよといって投票所に行かないのは別に何の問題もないものと思います。

 また、先ほど質問もありましたけれども、地方自治体の住民投票は投票率五〇%でないと箱を開票すらしないということを考えますと、より直接民主的な運営になるのではないかなというふうに思います。

岡本(充)委員 そこで、まず南部公述人にちょっとお伺いしたいんですが、憲法に最低投票率を明記することは反対はしないという話でありましたけれども、公権力を縛るべき憲法の意味合いからすると、公権力に対して物を発する側として、法律に書き込むのであれば憲法だ、こういう論点なんだと思います。

 その上で、先ほど、例えば四〇%の最低投票率を設けて、三九%の投票率であれば、どれだけ圧倒的多数でもそれは改正しないという話であれば、それは一体どういう意味を持つのかというと、先ほどの広報、周知が徹底していなかったということをむしろ権力側に投げかけるという意味合いも私はとれるんじゃないかと。場合によっては、市民、国民の観点からすれば、君たちの周知徹底が不十分だよ、こういうふうな理解をするということも可能なのではないかというふうに思ったりもするわけなんですけれども、今の私の考えについてどのようにお考えになりますか。

 つまり、ある程度の最低投票率を設定するという論点で考えた場合、満たなければ再トライなり、もうちょっと周知徹底をする方法を考えるなり、ボイコット運動で圧倒的であれば二回やってもだめでしょうけれども、そうでなければ、またそれを超えるかもしれないというふうな考え方もあると思いますが、それについてどのようにお考えでしょうか。

南部公述人 下回った場合にどうなるかということですけれども、憲法改正案自体に賛成の方もいれば反対の方もいる、賛成の方でもいろいろな理由の方がいますし、反対にもいろいろな理由がある、賛否迷って棄権をする方もいるでしょうから、その点は非常に区別が難しいかなというところはございます。

 究極のところは、やはり主権者としての自覚の問題にかかわってくるところであって、国民投票という限りにおいては、憲法を改正するかしないかというのは投票所で意思表示を明確にするべきことであって、広報がどうだとかいうことも一つは問題としてあるかなとは思うんですけれども、結局は、賛否が問われるというのは我々国民でありますし、その結果を公権力に対して示すという機能を考えた場合、やはりそれは国民の自覚といいましょうか、積極的な投票参加ということをむしろ考えていくべきではないでしょうか。

岡本(充)委員 続いて森川公述人にお伺いしたいんです。

 最低投票率をある一定設けるとすると、例えば国民的関心の高まらない案件も憲法改正の論議の中で出てくると思うんですね。今の周知広報の話と一緒でありますけれども、この部分も非常に論点が深いと思います。きょうはちょっと時間の関係で十分お伺いできませんけれども。

 広報、周知を十分したとしても、頑張ったとしても、なかなか投票率の上がらない選挙も世の中あるわけでありまして、国民的関心の高い問題、今お話がありました例えば九条などは国民的関心が比較的高い条文だと思いますが、それ以外の中で国民的関心が高まらない条文の改正もあるかもしれません。そういうときに、最低投票率を設けていた場合、どのようにしてこの投票率をクリアしていくかというのが課題になるという懸念はないんでしょうか。

森川公述人 抽象的でわかりませんけれども、特に懸念はありません。国民に関心が高まらないような案件に関しましては、改正の必要がないという国民の総意だと思いますので、問題はないのではないかと思います。

岡本(充)委員 続いて、今度は松繁公述人にお伺いをしたいんですが、そもそも、この国民投票法案はまだ不要であるというお考えであるというふうに述べられました。改憲を行うについて、九条を守りたいという御趣旨は発言の中から私も十分酌み取ったわけでありますけれども、それ以外の憲法の条文等について、今後、改正をしていかなければいけないような課題は生じてこないというふうにお考えなのか、それとも、その課題が生じてきてから国民投票法をつくればいいということであれば、そこに何年間かのタイムラグができることも想定されるわけでありますけれども、そういう懸念についてはどのようにお答えになられるのでしょうか。

松繁公述人 お答えします。

 九条のことを中心に言いましたけれども、今後ほかの条文で何か出てきたときに間に合わなくなるんじゃないかということだと思うんですけれども、この日本国憲法というのは、私たちもこういう改憲論議が出る中で改めて読み直して勉強もしたところですけれども、本当によくできている憲法だと私は思っております。

 ですので、今、加憲ということで、加えたらいいんじゃないかというようなことで論議になっている環境権やプライバシー権の問題、これなんか必要だと言われていますけれども、それは本当に基本的人権の尊重を徹底してやれば問題はないだろうというふうに思うし、もちろん、今想像できない何かがあるかもしれません、あるかもしれませんけれども、そこまでいったときに国民が本当に不利益を受けるから、だけれどもこの憲法があるからだめというような事態は、今のこの日本国憲法の中では発生しないし、もし何かそういうことが起これば別のところで解決できる方法が私はあるというふうに思っております。

 この憲法は、六十年たってまだこの憲法の持つ理想のところに本当のところは行き着いていないんじゃないか、この日本国憲法が住民の中に、地方自治や暮らしの中に徹底して生かされておれば本当に変えていく必要があるのかな、国民の生活の立場から見ればそんなふうに思います。外交の問題から見ればどういうことかということは差し控えておきますけれども、そう思います。

 以上です。

岡本(充)委員 終わります。

保岡委員長代理 次に、赤松正雄君。

赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。

 お三方、ありがとうございました。公述人という言い方は非常に言いづらいので、さんと呼ばせていただきます。南部さん、松繁さん、森川さんに聞かせていただきます。

 まず、憲法改正のための国民投票手続法案について、それぞれお三方が私にとって非常に印象に残る言葉を言われたんですね。さらに詳しく聞きたいんです。

 その必要性についてという部分で、南部さんは可及的速やかに制定すべきとおっしゃっていますよね。この可及的速やかに制定すべきというのは、うまく与野党の合意、あるいはまた与党だけ、野党だけ、野党のものが通るという場合もゼロじゃないと思うんですけれども、そのさまざまな努力の末、この国会ということを指すのかどうかということが一つ。

 それから、松繁さんには、一たん廃案にして出直せと最後におっしゃいましたね、さっき。一たん廃案にして出直せ。これは今岡本さんの質問に対してのお答えでほぼわかるような気がするんですが、この憲法改正のための国民投票法案、今議論されているのを廃案にしろ、違うものをもう一回つくり直せとおっしゃっているのか、それとも、そんなのは全部要らないとおっしゃっているのかを聞かせていただきたい。

 それから、森川さんは先ほどこうおっしゃった。憲法改正のための国民投票法案は必要性がない。必要性がないとおっしゃった。いつかは必要になるときが来るのでしょうか。

 この三つの観点、それぞれお聞かせ願いたいと思います。

南部公述人 赤松先生、御質問ありがとうございます。

 私は、第百六十三回特別国会が召集されまして、本特別委員会ができたときから、可及的速やかに制定されるべきであるということを考えておりまして、それこそもう一年半以上考えておりますので、必ずしもこの国会でということではないんですけれども、ただ、憲法についていろいろな考え方がありますので、そういう考え方にニュートラルと申しましょうか、できるだけ幅広い合意でという前提で可及的速やかにという表現をとらせていただきました。

松繁公述人 お答えします。

 一たん廃案にして出直せ、出直してきたらまたもう一回やろうよということよりも、もう本当に廃案にしていただきたいという思いです。

 以上です。

森川公述人 一国民にすぎませんので、いつか必要になるときが来るかどうかは、それ自体わかりません。国民の全体で必要というような総意が認識できるような状況になれば、そのときは来るだろうし、そういうことがなければ来ないということになると思います。

    〔保岡委員長代理退席、委員長着席〕

赤松(正)委員 そこで森川さんにちょっと個別に聞きたいんですが、さっき森川さんはお話の中でこうおっしゃったんです。そもそも国民が改憲を必要としない、こういうふうに発言をされた。どうしてそのような認識を持つに至ったんでしょうか。

森川公述人 認識の方法としましては、先ほどの、報道です。報道が真実かどうかは別としまして、報道、インターネット、そして集会、ビラなどでさまざまな声を自分なりに把握しておりますところ、ぜひとも憲法を改正した方がいいというような国民の声を私自身は認識できないということであります。

赤松(正)委員 戦後日本のさまざまな動きの中で政党の変遷というのはあるわけですが、明確に、かつて護憲という立場をとっていて、今、加憲とはいえ改憲の立場に変更したのは実は公明党だけなんですね。私どもは、自由民主党の皆さんと政権を組んでこういうことにかかわっているというのは、まさに私に言わせれば虎穴に入らずんば虎子を得ず、こういうふうな表現が適切かどうかはいささか疑念がないわけではないんですが、正直、大変勇気のある行為を我々はやっている、これは評価してもらいたいぐらいなんです。

 それは、要するに明治憲法ができてほぼ六十年で一九四六年憲法ができた。今ほぼ六十年だから、六十年だから変えろということに意味があるんじゃないですよ。明治憲法を日本の先輩たちが一生懸命やってつくった。そして、あの大戦の結果とはいえ、一つの大きなエポックとして今の憲法ができた。六十年たって、第三の開国というふうな言い方もされる人がいますけれども、今の日本人が懸命になって考えて、結果として今の憲法と同じになってもいいから、みんなで一生懸命考えようよということが背景に、実は私どもの支持者の中にもある。

 実は、憲法を変えようということを党是にした勢力が、中山先生のところから広津さんのところまでぐるっといらっしゃる、三人の皆さんを除いて。我々三人を除いて、野党の皆さんはまたちょっと違うそれぞれのお立場だという。これは、要するに、自由民主党を支援している皆さんは、やはり憲法改正という問題についてはかなり真剣に考えておられる人たちが多いと私は思うんですね。もちろんいろいろな立場の違いはありますけれども、大筋、自由民主党の方向性というものを支持しておられる、こんなふうに思うんです。

 そこで、よくこの場でも議論になる、後で辻元さんや笠井さんがおっしゃるんだろうと思うんですが、もう既に今まで何回もおっしゃっている。総理の発言です。私は別に安倍総理の肩を持つわけじゃないんですが、公明党と安倍総理との違いは、この間予算委員会でも言ったんですが、唯一最大の点は憲法に対する姿勢だということを御本人に言ったことがあるんです。

 私は、安倍さんというのは、公明党が非常に神経質になっているということもわかった上で、リスクを伴うのを覚悟の上で、御自身の政治姿勢を言っておられると思うんですね。この間ある新聞に、総理がそういう発言をするたびに公明党の支持者の総理支持率が下がっているというデータがあるという記述がありましたが、まあ一〇〇%当たっているかどうかは別にして、結構そういう側面はあると思うんですね。

 そういうこともわかった上で安倍さんは言っているということは、私は、やはり国民の中に、安倍さんの方向性というものを支持する、サイレントマジョリティーというんですか、そういう背景があるというふうに安倍総理はにらんでいると思うし、私もそういった点は十分わかる気がするわけですね。

 そういったことを、今、時間のない中でうだうだ言いましたけれども、そういうことについてどない考えるんですかということを、さっき森川さんと言いましたよね、森川さんにまず聞かせていただきたいと思います。

森川公述人 それは認識の差だと思います。

 きょうは国民の皆さんがそちらに見えていますけれども、賛成の方はどれぐらいいるのか。ここで認識できる国民の方々の賛成の方もかなり少ないのではないかというふうに思っております。

赤松(正)委員 余り聞いても無駄かもしれませんが、松繁さん。

松繁公述人 お答えいたします。(発言する者あり)発言させていただきます。

 私は、安倍さんの歴史認識にはやはりおかしいところがあると思っています。それを支持する人がいるというふうにおっしゃいましたけれども。

 私、議会決議のお話をさせていただきましたが、高知県というところは、選出国会議員、一人無所属の方がいらっしゃいますけれども自民党の方ばかりです。保守性の強い地域であります。ありますが、それであっても、この今の動きは、中央の自民党がこういう方針を持っても、高知県では、それぞれのお考えの中で、自民党であろうが公明党であろうが共産党であろうが、やはりこの性急な動きには反対している、そういう思いはあると思うんです。だから、議席を占めているからといって、それが圧倒的支持を得ているというふうには思っておりません。

 以上です。

赤松(正)委員 先ほど松繁さんが発言をちゅうちょされましたが、私に対する批判をされたんですね、私が失礼なことを言ったということを言われたのです。それは、失礼なことになったら勘弁してください。

 次に、こういう意見がありますが、お三方の意見を聞きたいんです。

 要するに、現実に今憲法九条があって、それに対して、私は必ずしもそうだとは思わないんですが、解釈改憲というものが行われている。解釈改憲を許さないために、今の憲法九条というものは非常に多様なる解釈を生み出す源泉になっている、だから、その九条を明快にわかりやすい形に、今のありようというものをそのまま、それを進めるとか後退させるとかいうことじゃなくて、現状の日本社会における憲法九条の展開のされ方というものについて明快な形にしてわかりやすくする、こういうふうにしないと結局は解釈改憲を許すだけじゃないのか。それを許さないためにも、きちっとこの際表現を直すべきだと。

 こういう意見に対してどう思われますか、南部さん。

南部公述人 九条のプレコミットメントの議論かなという気がしております。やはり憲法の本質、公権力の抑制といいましょうか、それを今までの九条の解釈を前提として、さらにそこから、条文の解釈を逸脱しないように、より強固な条文に書きかえていく、そういうところでコンセンサスを図っていくのが一つの手かなというふうには思いますけれども、赤松先生が以前御議論されていた国民投票のマニフェストの問題で、では実際にそういう改正案が賛成になったら自衛隊はどうなるかとか、否決されたらどうなるかというところも議論の大きいところだと思いますので、そういった実質的意味の憲法と申しましょうか、そういった法体系もすべて含めた議論が必要かなという気がしております。

 以上です。

赤松(正)委員 松繁さんと森川さんにお聞きします。

 実は今日ここで憲法委員会という格好ではありますが、その前段として憲法調査会、中山委員長のもとで五年間さまざまな議論を展開してきたわけですが、その五年間の議論の結果、多くの人たちが憲法改正が必要ではないかという意見に到達したことについて、何か先ほどの質問と重なるような感じもするんですが、憲法調査会の場で、憲法改正を目的としない議論だったわけですけれども、大筋、大枠、変えた方がいいよ、そういう結論に到達したということについてどう思われますか。

森川公述人 先に先ほどの質問にお答えしますけれども、今はたばこを中学生や高校生が吸っているので、その現状に合わせて法律を改正して未成年を下げるという議論はおかしいと思うのと同じように、自衛隊があるから憲法九条を変えなきゃいけないというのはおかしいと思っております。

 また、今の憲法調査会の件ですけれども、多くの方はと言いましたが、それは国会の中の多くの方ということであって、必ずしも国民の意思ではないというふうに思っております。

赤松(正)委員 私どもは、この法案が成立しましたら、憲法を変えるのか変えないのかを含めて、変えるというのではなくて変えないも含めて本格的な議論をようやくそこから開始する、こんなふうに思っているわけで、ぜひともその辺、はなからもう必要ない云々というのはちょっと……。そういう違う方向性というか、憲法審査会の役割というものをおわかりいただきたいなという感じはいたします。これは感想です。

 それで、次に、公務員の問題でございますが、先ほど南部さんからいただいたペーパーの中に、公務員法制上の政治的行為規制の適用除外の話がるる書いてあって、適用除外条項は必要だというくだりがありますね。

 実は、ここは非常に悩ましいところというか、私どもは正直言いまして自由民主党と民主党の間に立って、当初どおりであってほしかったという思いが実はあるわけです。ただ、ここで南部さんがおっしゃっている、検討を先送りすることに何ら合理的根拠はない。私は、合理的根拠は確かにないかもしれないけれども政治的根拠はあるということで、この三年間というのは先送りじゃなくて、まさに今と三年後は一体のものとして考えて、急いだ結論を出さないで、三年の枠組みの中を今の一瞬と考えてきちっと議論して結論を出したい、こう思っているんですけれども、その辺についてはいかがでしょうか。

南部公述人 国公法と地公法のアンバランスということでございますけれども、いわゆる政治的目的を持たない通常の賛否の勧誘運動というのは人事院規則に言うところの規定された行為ではないのに対し、地公法では三十六条に公の投票に関する勧誘運動というのが明確に入っています。そこがよくない、将来的にそういう論点が明らかになるのであれば、先送りというか三年以内の検討ということもわかるんですけれども、それはもう今わかっていることでありますので、十二月十四日のコンセンサスの内容として先生方のお知恵をもう一度そこに戻していただきたいというのと、今憲法改正案が現実的にテーマになっていない中でこういう公正中立なルールをつくることの意味というものを考える必要があると思います。

 だんだん時間がたっていけば憲法改正の具体的なスケジュールが近づいていくわけで、具体的に、公務員の自由度と規制の部分を振り分けるという話でも、やはり憲法改正案に有利か不利かということを考える状況になってしまうおそれがあると思いますので、やはり、これは現時点の問題として赤松先生にもさらなる御尽力をいただければと思います。

 以上でございます。

赤松(正)委員 最後ですが、南部さんの御提案の中で、一番最初のところに、憲法改正国民投票の消極的活用法ということで、なかなかユニークな提案というか大事な提案があったと私は思うんです。その予備的国民投票で有権的な世論調査を行う際に、憲法改正を行わないという項目を付して国民の消極的な改正意思を確認、調査することも一考に値しないか、こういうふうな問いかけがあって、私は大いに一考に値すると思うんです。

 森川さんに、さっき森川さんは、御自身のペーパーの一番最後の「事前投票制度の問題性」のくだりで、結論としてさらなる審議が必要だ、こういうふうにおっしゃったと私は聞いたんですが、森川さんは、今の南部さんの御提案については一考に値するでしょうか。

森川公述人 なかなか運動としておもしろいのではないかなと思います。国民の声をみんなで反映している状況、国民の声を認識するという意味では、そのような試みを、国会の法案に入れる前に一つアンケート等をやってみるのはいいのかなというふうには思っております。

赤松(正)委員 ありがとうございました。終わります。

中山委員長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 きょうは、南部公述人、松繁公述人、森川公述人、お忙しい中ありがとうございました。貴重な御意見をいただきました。

 質問に入る前に、三月二十二日の公聴会の折に、自民党の提案している側の委員の方から、反対の方に聞いても意味がないというお話があり、また今、与党の側で提案されている委員の質問の中でも、聞いても無駄だというようなことがぽろっと出る。今、訂正すると言われましたけれども、私は、公聴会にお呼びしていて、賛否は別としても、やはり真摯に受けとめるというのが大事だし、質疑が大事なのかなと思っておりまして、そういう点でいうと大変失礼な話だなと思いました。

 そして、午前中も賛成の公述人から、公聴会がセレモニー化しないように願っているというお話もありましたが、逆に言うと、与党の側がセレモニーとして考えていらっしゃるのかな、そういうことを痛感せざるを得ないということで、こういうやり方で先々改憲ということを進めていくとなれば、これはそら恐ろしいことになるわけです。憲法問題、そして憲法にかかわる附属法としての改憲手続法の審議ということでいえば、やはり委員会の対応として、特に与党、提案している側は真摯であるべきだということを強く言いたいと思います。

 その上で幾つか伺いますが、まず、松繁公述人からは、先ほど、憲法問題で自治体の首長との懇談とか議会への要請を行ったという点での大変貴重な経験を伺いました。先ほども、後で笠井が言うだろうからということで、あえて申し上げますが、安倍首相がみずから、自分の内閣で改憲をする、そして九条をターゲットにしながら、そのために手続法を急いで、今国会中にというふうな流れの中で、先ほど南部公述人は、公正中立に、改憲スケジュールが具体化しないうちにとおっしゃったんだけれども、結局はそういう状況をむしろ首相を先頭につくっているという中で、今の憲法状況に危惧が広がっているのは当然だと思うんです。

 そこで、松繁公述人に、なぜ、そうした状況というか、今いろいろなことをお考えだったと思うんですが、この問題をめぐって自治体の首長の方との懇談や議会への要請を行っていこうというふうにお考えになったのか、その動機についてお聞かせいただきたいと思いますが、いかがでしょうか。

松繁公述人 お答えします。

 私は、最初に申しましたように、実際の労働者として、地域住民に危害が及ぶんじゃないか、不利益になるんじゃないかと思うことに対しては反対を表明するんだというふうに言いました。

 今回は手続法案であるけれども、最初にも申しましたように、やはり九条の問題があるし、それから十三条や二十五条に依拠しながら仕事をしていると言いましたが、今回、自民党憲法草案では十三条のところが変わっているんですね。現憲法の「公共の福祉に反しない限り、」というところが「公の秩序」というふうに。この「公共の福祉」というのは個人同士の利害のぶつかり合うところです。だから、個人を認め合って、私が何かをすることによって隣の方に危害が及ぶようならそのことはだめだよというのが十三条の規定だと思うんですけれども、「公の秩序」というのは、やはり国家に反してという意味だと思うんです。国が国民を縛る内容になっていると私たちが言っているのはそこなんです。

 では、そうなったときにどうなのかということで、自治体の首長さんや議会にお知らせをして、やはりこういうことでは私たち住民の福祉が守られないのじゃないかということを伝えたい、そういうこともあって、私たちの反対運動の一環ではあります。そういうことでこの際、全部の自治体の皆さんに議会で論議をしていただきたい、それから首長さんにも私たち公務労働者としての思いを聞いてもらいたい、そういうことで始めたことです。

 以上です。

笠井委員 次に、三人の公述人の方に伺いたいのですが、公務員と教育者の方々の地位利用による国民投票運動の規制の問題についてです。

 まず南部公述人に伺いますが、公述人はお話の中で、レジュメにもありますけれども、第二段階として極めて悪質なケース、究極の限界事例を想定し、当該行為を規制する規定を国民投票法制上にのみ設けることが必要であるというふうに言われました。これが十二月十四日、昨年の暮れ段階での与党案及び民主党案提出者が共有したコンセンサスと思われるというふうに述べられたわけでありますが、出された与党の修正案でも、また民主党の修正方向でも、条文にある「その地位を利用して」という文言を、「その地位にあるために特に国民投票運動を効果的に行いうるような影響力又は便益を利用して、」というふうに書きかえることになっております。

 この書きかえの文言は、公職選挙法の百三十六条の二で、公務員等の地位利用による選挙運動の禁止というのが一九六二年の公選法の改正で追加された際に、その年の六月に、当時の自治省ですが、局議決定という形で、「その地位を利用して」という意味の説明があって、公務員としての地位にあるがために特に選挙運動を効果的に行い得るような影響力または便益を利用する意味だということを言っているわけです。要するに同じ内容のことを、修正案という形ですけれども、言いかえているにすぎないのではないかというふうに私はこれを見ているんです。

 そこで伺いたいのですが、そうした同じ意味、内容のことを別の言葉で言いかえることで何か変わることがあるのか。公述人が言われた極めて悪質なケースということで、どうこれが限定されていくのかということについて率直に伺いたいのですが、どうでしょうか。

南部公述人 この条文の意義に関しては、地位利用というところと国民投票運動の定義の二つで絞り込むことができるのかなという気がしております。一点目は、笠井先生の今の御発言の趣旨に基本的に私も同感と思っておりまして、かつて、保岡先生と民主党の筒井信隆先生の間で、では、地位利用の定義を法文上明確にすることだけでそれは限定したことになるのかというようなやりとりがあったような記憶があるんです。

 立法者意思として、具体的にどういう方を想定して、本当にまさにそれが限界事例ということで、私は先ほど国交省と農水省の幹部の方というようなことを申し上げましたけれども、少なくとも、通常のビラの配布ですとかそういうものは除外されるということも含めて、この委員会の議論の中で明らかにしていく作業、個別にこういう事例はどうなんだということの具体的なケースといいましょうか適用例をもとに、立法者はどう考えているかという作業を重ねていく、その解釈の積み重ねといいましょうか、それが一つの合意形成になっていくのかなという気がしております。現段階ではまだそこまでしか申し上げられません。

笠井委員 そういう形で修正しても、それ自体がなかなか難しいという話だと思うんです。

 松繁公述人と森川公述人に同様のことで、同じテーマなんですけれども、与党修正案のように修正したとしても、公務員、教育者への萎縮効果は何ら変わることはない。むしろ、刑事罰ではなくて懲戒処分の対象とすることの方が都合がいいんだというような指摘もされたりいたしております。

 私は、先ほど松繁公述人が述べられたとおり、服務の宣誓をして憲法尊重擁護の義務を負う公務員や、また憲法理念を教育の現場で実現するために教育に携わっている教育者が、憲法問題で言えば積極的にむしろ意見を表明して運動してこそ、国民投票運動をより喚起するものになるんじゃないかというふうに思うんですけれども、その辺のことについてお二人はどのようにお考えでしょうか。

松繁公述人 お答えします。

 最初に述べたことの繰り返しになりますけれども、憲法の理念に基づいて仕事をしなさいと採用のその日に命令されて、実は私、もう一つは、学校教育で余り憲法を教えてもらえなかったなということをそのときに思ったんです。そう命令されたけれども、そこではたと気がついて、それから憲法の勉強をしたというような状態にあります、正直なところ。でも、憲法に基づいて仕事をして、勉強してやってきたという意味では、一般の国民の方よりも私たちの方が憲法のことについては詳しいのではないかというふうに思います。だから、そういうことで活発な論議の場に出させてもらいたい、出るべきだというふうに思っております。

 以上です。

森川公述人 その地位にあることを利用してという定義が、南部さんもおっしゃっていましたけれども、議論が十分尽くされていないがゆえに、やはりあいまいなままに残ったのではないか。

 一番問題なのは、先ほども述べましたけれども、自分の公務員外の時間での行為が地位を利用してというふうに言われかねないという萎縮効果、それによって表現することができないという点が大きな問題点なのでありまして、それは、公務員であっても、学校の先生、それこそ憲法学者が何かをどこかで述べるということ、集会で述べることは地位利用に当たるのかどうかというような問題点もあって、非常に大きな問題を残していると思います。

笠井委員 森川公述人に一点伺いたいんですが、憲法審査会のことです。両案では、法案成立後、次の国会で、改憲原案を審査、提出する権限を持つ憲法審査会が常設の機関として設置されることとされております。

 議論が午前中もあったのですが、このような機関を常設の機関として設置することの問題、そして憲法審査会が合同審査会を開くというふうになっていて、この合同審査会が改憲原案を起草して両院の憲法審査会にまたおろすということで、目的にしているわけですけれども、こうした仕組みの問題点について、どのようにお考えか伺いたいと思うんです。

森川公述人 この点は弁護士会でも議論されておりますけれども、要するに、硬性憲法であるにもかかわらず、常に憲法の改正を議論するような審査会を常設するということは、その趣旨に反するのではないかという問題点があります。

 また、合同審査会に関しましては、衆議院と参議院の二院制を前提にしております憲法におきまして、両院それぞれの独立性を侵害することになるのではないかという点が問題として指摘されていると思います。

笠井委員 続けて、先ほど森川公述人が紹介された緊急アンケートということがありました。いろいろな国民、有権者に対して意見を求められたということでありましたが、簡単に一言だったので、資料はここにいただいているのですが、どんな特徴が全体としてあったか。そして、そういう活動に加わっておられてどのような感想を持たれているかを伺えればと思いますが、いかがでしょうか。

森川公述人 これは、極めて短期間に、まさに草の根的な方法でなされたアンケートでして、一週間で総回答者数千二百四十七名と極めて大多数が回答されているということに特徴があり、これはまさに、メディアに乗らない形でなされたという点に非常に大きな特徴があると思います。

 そして、改正に関しましては、賛成の方も賛成ではない方も含めて、九二%の方が審議は尽くされていないという回答を得ている点に非常に特徴があらわれておりまして、このことは十分にここでも御理解いただき、今後の進行を考慮していただきたいと思っております。

笠井委員 松繁公述人に伺いたいと思うんですが、きょうは高知からお越しいただいたということでありますけれども、公述の中で、自治体の首長の憲法に対する考えとか、それから、高知県内の九条の会の活動なども紹介をされました。ことし五月三日に憲法施行六十年を迎える。国会でも六十年記念の行事をやられるということで、国会のホームページにもこれは大きく出ているわけです。そういう記念すべき年であるということでありますけれども、今、高知県民、日ごろ接していらっしゃる県民は、この記念すべき年の中で憲法に対してどういう思いを持っているのか。

 平和の問題もあると思いますし、先ほど来ありましたが、憲法にはやはりさまざまな中身があって、そして、六十年たってこれを本当に生かしていくというようなことで、もっともっと大切なのがこれからじゃないかという思いもあったと思うんです。日ごろ県民の皆さんと接しながら、しかも公務という場で仕事をなさっているということも含めて、今六十年に当たって感じておられること、そして、県民はこう思っているんじゃないかと国会の場にぜひ伝えたいというようなことがありましたら、思いのたけをお話しいただければというように思うんですが、いかがでしょうか。

松繁公述人 お答えします。

 思いのたけをと言ってくださいました。私は、本当にこういう場で物を言う人というのは、学者先生であるとか弁護士さんなどがお話をされるものだろうというふうに思っておりましたけれども、今回、この公聴会は公募だから、意見をお述べになりたい方は進んでお申し出くださいということに触発されまして、その思いに乗りまして、私のような者でも物が言える場があるんだというふうに思いました。やはりまだ十分論議は尽くされていないし、一回や二回の公聴会で決められたらつらいなという思いもありました。だから、果たして私がここへ来て物を言ってどうなるんだろう、そんな思いもありましたけれども、真剣に皆さんが聞いてくださいました。

 私は、ずっと平和であってこそというふうに思ってきました。私は福祉の職場での仕事が長かったんですけれども、障害者とか高齢者は戦争のときにどうだったんだろうと思うと、平和であってこそ今の福祉行政があるんだと思ったら、やはり守るべきはこれだというふうに思いまして、ずっと平和の活動をしてまいりました。

 それで、最近では九条の会にもかかわっておりまして、高知では女性九条の会をつくろうということもやっているんです。たくさんの方が女性九条の会に好意を寄せてくれていまして、何か県民に訴えるものというときに、この六十年という節目に、憲法ができる前のこととして戦争の悲惨さをやはり伝えていくべきじゃないかと思いました。私たち女性九条の会では、戦争を語り継ぐ思いでそういう悲惨さを伝えて、平和憲法の大事さを訴えようじゃないかと。平和憲法を崩すことにつながるものに対してはやはり反対をしていこうということで、きょうは改憲手続法の論議ではあるけれども、言われるように、ずっとその裏には九条を変えて戦争をする国になるんじゃないかという思いがあって、そういう運動をこれからも続けていきたいと思っているんです。

 あと、六十年に当たって、私は、六十年だから改憲ではなくて、六十年たって、最初にも言いましたけれども、この憲法の理想にどれだけ現実が行き届いているか、そういう論議をしてもいいんじゃないかと思うんです。それは私たちもやりますけれども、国会の皆さんも、ここは到達していないんじゃないかというところのお話をしてもらって、到達していないから変えろではなくて、理想に近づこうというふうなことをしていただきたいと思っております。

 思いのたけをどうぞと言ってくださったにもかかわらず、十分な思いのたけはしゃべれなかったと思うんですけれども、本当に拙速でなく、今回私は高知から来ましたけれども、高知県民の思いを聞いていただくためには、私に八十万県民を代表して物を言うほどの力はないので、ぜひ公聴会を高知でも開いてもらって、高知のみんなの意見を聞いていただきたいと思っております。

 以上です。

笠井委員 ありがとうございました。終わります。

中山委員長 次に、辻元清美君。

辻元委員 社民党の辻元清美です。

 きょうは、三人の公述人の皆さん、ありがとうございます。

 質問をさせていただきたいと思うんですが、先ほど、森川公述人、アンケートのことを触れられまして、今笠井議員の方からも質問がありましたけれども、枠組みのことはおっしゃっていただいたんですが、もう少しどういう内容でどういう回答があったのかとか、特徴とかあれば教えていただければと思うんです。といいますのも、千二百四十七人ですか、かなりの数の人にアンケートをとられたように思いますので、特徴や内容を少しかいつまんで説明いただけますでしょうか。

森川公述人 皆さんのお手元にあると思いますが、まず設問の一、国会で国民投票法案が話し合われていることを知っていますかという点につきましては、「知っている」が五七%、「知らない」が四一%という回答がございました。

 また、「今回の法案では、「国会の提案からみなさんが投票するまでの期間」の最短は何日でしょうか。」という問いに関しましては、「知らない」という方が七〇%、「百八十日」という方はわずか六%というような結果になっております。

 また、「今回の法案では、実際にはどのくらいの数の賛成があれば憲法が改正できるとされていますか。」という問いにつきましては、「知らない」が四八%、「すべての有権者の数の「過半数」」という方が一八%、「投票率が低くて少しの人しか投票しなくても、投票数の「過半数」」という方が一一%、「投票率が低くて少しの人しか投票しなくても、さらに「無効票」を除いて、有効とされた投票数の「過半数」」という方が一九%、このような理解になっております。

 また、国会や国民の間の議論は採決してもよいという程度に十分尽くされたと思いますかという問いにつきましては、「尽くされていない」という方が六五%、「分からない」という方が二七%、「尽くされた」という方はわずか四%ということになっております。

辻元委員 今御説明いただきまして、私は、以前から本委員会でもアンケート調査などもしてみたらどうかという提案もしてきたんです。といいますのは、主権者の認知度だけではなくて、どのようにこの手続法のことを見ているかということを知り、それを審議に反映するとか、それから、やはり手続法は主権者の権利の行使であるというふうに必要性を訴える人もおっしゃるので、そうであるならば主権者とともにつくったというようなプロセスがとても大事じゃないかなと思っているのです。ですから、きょうアンケートをお持ちいただきまして、今後の審議にも参考にさせていただきたいなというふうに思いました。

 それと、きょうのお話で、松繁公述人の方から地方議会で全会一致で反対の意見書が決議されたというお話を伺いまして、私自身もへえと驚いたんですね、保守系の方も含めてということですので。ちょっと内容を、どういう意見書であったのか、今お持ちでしたら内容を教えていただけないかなと思うんです、せっかくですので。お持ちいただいているんだったら、お読みいただいてもいいですし。

松繁公述人 それでは、読ませていただきます。

 これは須崎市議会ですけれども、ほとんどが同じ内容ですので、これでいいかと思います。

    改憲手続き法案にかかわる意見書

 自民・公明両党は、二〇〇六年五月二十六日、「日本国憲法の改正手続きに関する法律案」(以下改憲手続き法案という)を国会に提出、第百六十六回通常国会において成立をめざしています。

 今回の改憲手続き法案を制定する動きは、二〇〇五年の自民党の新憲法草案決定、民主党の憲法提言発表に見られるように、日本国憲法第九条を改定して、日本をアメリカとともに海外で「戦争する国」に変えることと一体と言わなければなりません。

 自公両党の改憲手続き法案は、公務員・教育者の国民投票にかかわる運動の禁止、改憲派に都合の良いマスコミの利活用、国会の憲法改正の発議から最短で六十日後の国民投票という国民が十分に内容を知ることへの制限、最も少ない賛成で憲法改正が成立することになる有効投票の過半数という成立要件など、重大な問題点があります。

 国の基本法である憲法を変えるかどうかについては、主権者である国民が自由に議論し運動することを保障するのが当然であり、欧米諸国ではこのような規制はありません。

 改憲手続き法案に関する各種世論調査では、国民の多くが内容を知っておらず、また制定を急ぐ必要はないと回答しています。改憲手続き法案は単なる手続きにとどまらず、憲法改正の在り方に深くかかわってくるものであり、国民の十分な理解が前提です。改憲手続き法案の成立を急ぐことは、法案の問題点を国民が理解しないうちに強行しようとするものであり、大問題です。

 私たちは、二十一世紀を日本国憲法が掲げる平和、人権、民主主義の理念が世界で花開く時代にしたいと願っており、この憲法理念の破壊に道を開く改憲手続き法案には反対です。

 以上の趣旨から、地方自治法第九十九条の規定により、下記事項の実現を要望して意見書を提出します。

      記

  一 憲法改憲に直結する改憲手続き法案を廃案にすること。

  平成十九年三月二十三日

      高知県須崎市議会議長 北澤 一男

  衆議院議長 河野 洋平様

  参議院議長 扇  千景様

  内閣総理大臣 安倍 晋三様

 以上です。

辻元委員 今の地方議会での動きというのは、今回、本委員会では初めて提起があったわけです。これは、先ほどから公務員、教育者の運動規制の問題もありますけれども、日々、憲法と向き合って、国民の皆様と直接触れ合って仕事をしている地方自治体、私は、その地方自治体の皆さんがどういう意見をお持ちなのか。例えば自治体の長の方でもいいかと思うんですけれども、本委員会も意見を聞いた方がいいんじゃないかなということを改めて思いました。

 引き続き松繁公述人にお伺いしたいんですけれども、先ほどから、私も、全体の奉仕者ということをどう見るかという見方の違いによって規制をするかしないかとか、その認識のあり方によって随分変わってくるんじゃないかなと思いまして、全体の奉仕者というのは、確かに、先ほど松繁公述人がおっしゃったように、特定の権力を持っている人に使われるのが公務員ではなくて、そういう反省のもとに、いろいろなことがありましたので全体の奉仕者として働くんだという、そこが出発点だと私も思っております。

 特に地方公務員の皆さんは、日々、憲法の枠内で、そして、先ほど憲法二十五条のことを触れられましたけれども、例えば生活保護の問題であったりとか独居老人のこととか、いろいろ細かいことも含めて最近相談も多くなっている中で、どういうあり方がいいかということに常に直面されているので、私も意見表明はもちろん自由であっていいと思うし、そこで運動ということも意見表明の延長線で出てくるのかと思うんです。

 確認したいんですけれども、そういう立場から、例えば改憲案が出されたときに、これは国民の福祉に反するんじゃないかと思ったときには反対の意見を表明したり運動をしてもいいんじゃないかという御意見と、それから、その裏返しは、この点は憲法を変えた方がいいんじゃないかとか、この点は今の憲法ではやりにくいから公務員の日々の現場からこういうふうに微調整した方がいいんじゃないかと言う自由も含めて、両方の自由を認めるということですよね。

松繁公述人 お答えします。

 言われる意味はよくわかるんですが、原則自由ではあるというふうには思います。

 今の憲法は、どういっても、国民を縛るものではなくて国家の権力から国民を守るものだというふうに思っていますので、憲法の中身について言えば、私はもちろん自由なんですけれども、こういうふうに変えたらいいというのは、憲法を変えてじゃなくて、憲法に照らしてこれができていないから、ここを十分にしなさいということの方が今の憲法の中では多いと思っていますので、ただ、どういう事態が想定されるかわかりませんので、そういう事態が来れば、もちろんそのことも含めて意見の表明をしたいと思っております。

辻元委員 というのは、私も松繁公述人とよく似た立場だと思うんです、憲法の理念をきちっと実現していこう、それで、公務員は憲法擁護尊重の義務がありますので、しっかりとそれを実現することが課されると。

 ただ、ヨーロッパの調査に行きましたときに、海外調査はヨーロッパだけではないんですが、各地に行っていますけれども、反対か賛成かとか憲法について公務員が意見を表明したり、また、意見の表明だけではなく運動したりすることに何で規制をかけるのというのが、本委員会の調査団の全員が認識して帰ってきたところなんですね。それは自由にやるというのが普通原則じゃないか、それぞれの立場で憲法について向き合い、考えるところがあるわけだからと。たしか、行った国では皆驚かれるわけですよ、そんな議論をなぜしているんですかというように。なぜ公務員とか教育者はだめなんでしょうか、質問の意味がわかりませんぐらいの驚きを持って聞かれたわけですね。

 ですから、私は、ここのところはしっかりと、やはり国際基準に合ったといいますか、国民投票というものの原則に立ち返って、自由が原則であるというように思っております。

 もう一点お伺いしたい点があるんですけれども、森川公述人にお伺いします。

 先ほど、今変える必要がないんじゃないかというお話もありました。私は、きょうの午前中の公聴会でも申し上げて、これは新潟の地方公聴会で聞いた言葉で、総意と熟慮、憲法を取り扱うには総意と熟慮。

 国論真っ二つというような案件については国民投票にはなじまないと思うんですね。これは諸外国で、国民投票をやったことがあるという国もそうでした。大半のコンセンサスが得られて、多くの運動というか、ここは変えた方がいいだろうというように事が熟成されたときに初めて国民投票というものが成り立つという原則を踏み外すと、国論真っ二つを国民投票にかけると、政治的、社会的な混乱があるんじゃないかというように私も思いますし、そういう御意見もあったわけですね。

 そういう中で、森川公述人、先ほどから非常に慎重な意見をおっしゃっているわけなんですけれども、今、国論真っ二つ、例えば国会の中でも、先ほど赤松委員からの質問では、自民党の人の数が多いとおっしゃったんですけれども、私は、自民党の人の中にも、今こういう状況で憲法改正に急いでいくことには慎重である、よっぽど慎重にやらなあかんと思っていらっしゃる方もいらっしゃるというように思いますし、また、与野党分かれていますけれども、野党の中にも早く変えた方がいいと思う人もいる。国会も真っ二つじゃないかなというように思うんですね。

 そういう中で、特に、慎重にと森川さんはおっしゃっていて、先ほどから国会の中と国会の外の乖離ということもおっしゃいましたけれども、今の国会の状況を見ていて、私は、保守の方も単に変えたらいいという人ばかりではないというようにお見受けしていて、さっきの地方議会の動きなんかもそうだと思うんですけれども、森川さんは今の国会の状況をどのようにごらんになっていますでしょうか。

森川公述人 国論が真っ二つの場合に投票するべきではないという点については、まさにコンセンサスを得られているわけではないので、憲法改正というのは、非常に硬性憲法であるということを考えますと、辻元議員のおっしゃるとおりだというふうに思います。

 さらには、国論真っ二つとおっしゃいましたけれども、国民の間では国論真っ二つですらないのではないかというふうに認識しております。先ほどのアンケートでも、基本的には、国民がこの法案すら内容を知らないという方がほとんどで、知っている人は一一%という状況で、国論にも至っていないという状況にあります。

 そして、憲法ではそもそも全国民の過半数が賛成しなきゃだめでしょうというぐらいの理解、要は最低投票率ではなくて最低得票率が過半数を超えるような状況にならないと憲法は改正できないんだという認識で多くの方はいるんではないか。そういう状況では、決して改正をしたいという方が国論を真っ二つするほども多くはいないんではないかというふうに認識しております。

辻元委員 総意と熟慮という言葉できょうは午前中も御質問を続けているわけなんですけれども、先ほど南部公述人は、運動期間は百八十日からを基本にして、それを下げていくというのがいいんじゃないかと。これは一年じゃ長過ぎますか、いかがでしょうか。それをちょっとお伺いしたい。

 やはり案件によっては一年ぐらいあってもいいんじゃないかなというふうに私は思っていますし、それからそういう意見もきょう出ていたんですね。この点について、運動期間、総意をつくっていく、そして熟慮していくということが非常に大事だと思いますので、南部公述人は運動期間などについて先ほど御意見を伺いましたので、松繁公述人と森川公述人はこの点いかがお考えかをあわせてお聞かせください。

南部公述人 一年あってもいいのではということでございますけれども、一年のうちにもし国政選挙などありますと議会の構成が変わってしまうかなということもありますが、余り間延びしてしまうと、憲法改正案についての議論がだんだんパターン化されていくのもどうかなという気がいたしております。

 ただ、実際、その国民投票のキャンペーンがどのように行われるのかにもよるとは思うんですけれども、やはりこの点については一度経験してみる必要があるかなと考えております。

 以上です。

松繁公述人 お答えします。

 国民投票法案に反対の立場ですので、実は、このことについて、この期間が、確かに六十日では短いし、百八十日でも短いとは思っておりますが、では一年ならいいとか二年ならいいとかいうふうな意見を私は今持っておりません。

 以上です。

森川公述人 第二東京弁護士会の意見書でも、最低一年以上の議論の期間が保障されるべきというふうに意見を出しております。

 先ほどもお話ししましたとおり、国民の草の根的な運動、要するに集会等を開くということを考えますと、例えば集会の会場をとるのに、六カ月先ではとれないという状況も現実にあります。そういうような国民の運動を前提としますと、一年というのは決して長過ぎることはなく、短過ぎることはあっても長過ぎるということはないというふうに認識しております。

辻元委員 この点も私は委員会で問題提起してきました。本法案も提出されてから間もなく一年たつんですけれども、本法案について、国会では毎週木曜日を基本に議論していますけれども、一般の皆さんへの認知度は非常に低かったというようなこともありまして、短い期間だとなかなか浸透しないのじゃないかな、活動がしにくいのじゃないかなというふうに思っていますので、ここはいろいろな意見が出ていますので、今後、また委員会で議論を深めていきたいなと思っています。

 今、時間が終了しました。きょうは、いろいろな角度から、それからアンケートの調査などもお持ちいただきまして参考になりました。それから、地方議会の動きというのも含めて委員会審議で生かしていきたいと思います。本当にありがとうございました。

中山委員長 次に、糸川正晃君。

糸川委員 国民新党の糸川正晃でございます。

 本日は、南部公述人、松繁公述人、森川公述人、三人の公述人の皆様方におかれましては、大変御多忙の中、御都合をつけていただきまして、参加していただきまして、また、大変貴重な御意見、そして参考資料等をいただきました。ありがとうございました。

 私も二十分の持ち時間の中で皆様方に質問をさせていただきたいと思います。私が最後の質問者でございますので、もし、言い残したこと、こういうことも言いたいということがございましたら、ぜひ忌憚のない御意見をいただければというふうに思います。

 まずは、憲法改正手続法の制定の必要性についてお尋ねをしたいというふうに思うんです。

 今あちこちで議論として上がってくるところでは、憲法改正が具体的な政治日程に上がってこないんだから、今がこの手続法を制定することに適しているんじゃないかという意見もあるわけでございます。ただ、既に、首相の発言からも、憲法改正問題というのが政治争点化しておることは事実ではないのかなというふうに考えるわけです。そうなってしまうと冷静な議論が望めないのではないか、望めるのか、そういうような意見もございます。

 三人の各公述人の皆様方が、今、憲法改正手続法をめぐる情勢についてどのようにお考えか、お答えいただけますでしょうか。

南部公述人 そもそも、憲法改正原案を取り扱う、審査の受け皿となる憲法審査会をどう中立的に設けるかというのは、憲法改正が現実的なテーマとなってからでは遅いと思いますので、このような時期に制定するのが、国会法の改正部分も含めてですけれども、制定するのが望ましいと考えております。

 以上です。

松繁公述人 お答えします。

 最初から申し上げているとおり、制定には反対であります。何というか、反対としか言いようがないんですけれども。

 繰り返しになりますけれども、憲法を変える必要があるというふうに国民の側から出てくるべきであって、この背景を見るときには、どうして今手続法が出てきたのかということを考えるんですよね。そうすると、今安倍首相が言っていることとか自民党の憲法草案なんかを見ると、これはやはり今ここで歯どめをかけなくては。ここで今かけると、本当にハードルが低くなって、今回はまず九条だよ、次は二十四条だよ、次は何やらだというふうにどんどんと加速していくと思いますので、ここでやはり私はとめておくべきだというふうに考えます。

 以上です。

森川公述人 まさに具体的な憲法の改正案が既に出されている状況、そして首相の発言を考えます限り、この憲法改正手続法案と中身の問題が無関係であるとは到底認識できません。ですので、あくまでも、この改正手続法案ができるということは改正の日程が現実化するというふうに判断せざるを得ないということで、この改正法案を全く切り離して議論するということはできませんし、国民に対してもそういうことをきちんと認識させるべきだというふうに思います。

糸川委員 ありがとうございました。

 次に、松繁公述人にお尋ねをしたいんですけれども、先ほどから何度も、公務員等の地位利用による国民投票運動を禁止しつつ、与党修正案では地位利用の概念というのを明確にしていくんだというようにしておるわけでございます。そこで松繁公述人は、与党案と修正案の規定によって、御自分の今置かれていらっしゃる立場で、この規定によって何らかの制約というものを感じられるのかどうか、お答えいただけますでしょうか。

松繁公述人 申し上げます。

 例えば、これは漠然としたものだと思うんですけれども、いわゆる公務員は中立でなければいけないというようなことを言われています。けれども、それは本当に政治的な発言をしたらだめだよということではないのにもかかわらず、何となく政治的なというふうなことを言われたり、私たちは仕事の中で住民に対して社会教育であるとかいろいろなことを生涯学習なんかでもやろうと思うんですけれども、その中に憲法学習なんというのを取り入れると、それは政治的な問題じゃないか、公の機関がそんなことをしていいのかとかいうふうに言われたりします。

 だから、今度、国民投票をやるんだと、そういう運動期間に入ったときに、住民が学びたい生涯学習の場でも一切それができなかったりとかいうことが出てきて、むしろ、本来そういう場であるからこそ、私たちが準備をしてそういう場を設けなくちゃいけないのに、運動全体にそれが萎縮されるのではないかというふうな思いがあるし、そういうふうなことです。

 以上です。

糸川委員 ありがとうございます。

 次に、テレビ等の意見広告の投票日直前の規制につきましてお尋ねをいたします。これは三人の公述人の方にお尋ねしたいと思います。

 投票日前の有料広告放送の制限につきまして、これは資金力の多寡によって不平等を招来するおそれがあることから、この委員会でも、全期間禁止すべきではないのかという意見ですとか、これは表現の自由に対する重大な制約だから、こうした禁止をすべきではないんだ、放送業界の自主規制にすべて任せればいいんじゃないかとか、こういう意見まであるわけでございます。

 与党修正案では、今までの議論を踏まえて、制限する期間を七日間から十四日間に延長しておりますけれども、意見広告の規制の問題について、南部公述人の「イヤでもわかる!国民投票法案」、この参考資料は非常によくできているなと思っております。これも踏まえてお答えいただければと思います。

南部公述人 スポットCMの規制ということでございますけれども、CMは国民投票運動のための広告放送ですので、国民投票運動の定義が変われば、対象となるCMも変わってくるのかなというところが一つの注意点だと思います。先ほども申し上げたとおりでございます。

 それから、これは先ほど辻元先生の質疑のときに議論になるかなと思ったんですけれども、辻元先生よく御指摘のように、CMというのは商品ですね。そもそもそんなに簡単に買える買い物でもないし、それを買えた人が議論の対象になる話であって、そもそもアクセスできない方がいる。こういう議論というのは比較的新しい論点だというふうに承知しておりまして、私もこの委員会でさらなる議論を積み重ねていただきたいということを申し上げておきたいと思います。

 以上です。

松繁公述人 申し上げます。

 私は、最初に意見を申し上げたとおり、本当にだれもが意見を言えるということでいけば、有料広告の規制は当然あってしかるべきだと思っております。

 表現の自由というのは、繰り返しますけれども、お金があってもなくてもというわけで、お金を使わなくては広告ができないところに関しては、やはりそれは規制が必要というふうに思います。

 以上です。

森川公述人 先ほども述べましたが、表現の自由という観点からしますとなかなか難しい問題だなと思っておりましたが、テレビのいわゆるスポットCMが何億、何十億とかかるということがわかるにつれ、仲間の間の議論でも、それはお金を持っていなきゃできないよという実態が明らかになってきたので、結局はそういうことによってそれこそ国民の情報の格差といいますか、ある一方に有利なCMしか流れない。そして、CMというのは、理に訴えるものではなく非常に情に訴えるものでして、きちっとした議論をするものではなく扇動するものでありますので、報道番組、新聞等できちっとした報道がされるのであれば、いわゆるCM、広告は規制すべきではないかというふうに私は思っています。

糸川委員 ありがとうございます。

 それでは、南部公述人にお尋ねしますが、非常にこれは斬新な中身だなというふうに思っていまして、投票の仕方、新しいやり方、こういうものも中に書いてありまして、私、午前の公聴会でもインターネットのことについて質問をさせていただいたんです。

 インターネットを利用した国民投票運動、これが全く今回の与党案、民主党案の双方の国民投票法案においては規制がされていないんです。ただ、先ほど、三年、四年とか今後を見たときに、もしかしたら自分で、自書でマルを書いたりバツを書いたりすることがなくなって電子投票になるんじゃないかとか、どういうふうになっていくのか我々もわからないわけですね、その投票の仕方というのが。そうなってきますと、インターネットというものも、数年後、何か物すごい画期的なことが起きているかもしれないわけで、そうなったときに、ブログですとか影響力の大きい、個人がブログで虚偽の情報を発信した場合に削除することも難しいとか、そういうこともございます。

 先ほどは、有料だから規制をした方がいいんじゃないかとかそういうこともあるんですけれども、例えばスポットCMをインターネットテレビ等で取り込んで自分のホームページ上で流し続ける、反対だけの情報を流し続けるとか、賛成だけを流し続けるとか、実際にはだれでも見られるような、今はインターネットで映画も見られるような状態になっていますので、そういう中に差し込んでいくですとか、いろいろなことが考えられるんじゃないかなというふうに思いますが、この国民投票運動におけるインターネットの規制について、インターネットテレビとかいろいろありますので、そういうことも含めてどのようにお考えになられているのか、南部公述人にまずお尋ねしたいと思います。

南部公述人 まず、インターネットにつきましては、先ほど公述人の方から御意見があったと思いますけれども、メディアリテラシーといいましょうか、インターネットが、そもそもアクセス、使いこなせない方がもしいたとしたら、きょうの公述人のこの申し込みもままならないというような御指摘もあったということだと思うんですね。そういう問題があるかなと思いますし、この両法案がインターネットの規制を置いていないというのは、そもそも規制のしようがないという、第一段階のスタートがあったのかなというふうに思っております。

 それに、インターネットの機能ということで見ますと、活字メディアですとか放送メディアをチェックする機能といいましょうか、何かいろいろな番組や新聞の記事などを逆に批判するような内容が、まあ、内容ややり方の是非はあると思いますけれども、インターネットは逆にそれを制約というかチェックをしていくというような機能もあるのではないかなと思いますので、そういったところも着目していくべきではないかなと思います。

 ついでに申し上げておきますと、公職選挙法の文書図画の規制なんかもあわせてどのように考えていくべきかということも大きな論点だと思いますので、この点についてもそれなりの一定の立法者意思が示されるべきではないかなというふうに考えております。

 以上です。

糸川委員 それでは、森川公述人にお尋ねいたします。

 森川公述人、このレジュメに「情報格差の是認に反対」ということでございますが、インターネットとテレビ、こういう二つの媒体があるといたします。インターネットの方は、投票年齢が十八歳まで引き下げられたということを考えれば、当然、若者はインターネットを使いこなすことがだんだんできるようになってきて、非常に多くの方がインターネットを利用しているというふうに思います。そういう中で、テレビは規制がかかる、でもインターネットの方はその画面上に常に情報が残っているというような状態になって、使いこなせる使いこなせないということで非常に情報の格差というものも生まれてくるんじゃないかなというふうにも思うんですが、この辺、こういう意見をレジュメに書いてございますので、どのようにお考えか、お答えいただけますでしょうか。

森川公述人 情報の格差というのはあくまでも経済的な格差を基盤にした情報の格差ということで、テレビCMは、余りにも、何億もということで、できない方は全くできないという意味でそれは規制すべきである、それは最低限の規制、最小限の規制だというふうに考えています。

 ですので、インターネットは、テレビの放送局が規制しているのとは異なって、だれでもアクセスできるというところにこそまさに利点がある、現状はそこでの規制はなしというのがむしろ原則であって、私はそれで構わないというふうに思っております。

糸川委員 では、もう時間もございませんので、最後にお一方ずつにお尋ねいたします。全公述人の方にお尋ねいたします。

 憲法改正案が発議された場合に、国会に置かれた広報協議会が憲法改正案の周知広報活動を担うことというふうにされております。中央、地方を問わずに丁寧な周知広報活動が望まれるわけでございますが、この広報協議会の役割、活動について、どのように考えられて、そして感じられているか、お答えいただけますでしょうか。

南部公述人 今回の併合修正案におきまして、この点も「分かりやすい説明」という表現が入りました。十二月十四日の時点では、いわゆる裁量的な事務は行わないということで一応のコンセンサスができていたのではないかなと思うんですけれども、今回そのような解説が入ったということでございます。

 一つ気になりますのが、与党案原案の第十六条というところに協議会の委員の派遣という規定がありまして、この規定が削除されております。私の理解が間違っているのかもしれませんけれども、この条文が削除されることによって、先般の議員派遣が行われた新潟、大阪の地方公聴会ができなくなるのではないかという危惧を感じております。

 できましたら、広報協議会に所属する衆参十名ずつの先生方が積極的に全国を回っていただいて、その期間中にキャンペーンを張っていただくことも必要だと思いますし、フランスでは六十五人の学者や専門家が、国民投票広報の、PR、解説をする専門家、スペシャリストがいるそうですので、この広報協議会の中にもそういったスペシャリスト、専門家の配置などを御検討いただければと思います。提案として申し上げます。

 以上です。

松繁公述人 申し上げます。

 広報協議会は、国会に置くのではなくて、第三者機関をつくって、そこで広報を進めていくという方が有効だと思います。

 以上です。

森川公述人 広報協議会の委員の構成が各議院の議席数でというふうになっている点が極めて不公平で、憲法改正案という点であれば、やはり賛成、反対の意見を平等にするようにしていただきたいというふうに思います。

糸川委員 きょうは大変貴重な御意見を賜りまして、長時間にわたりまして本当にありがとうございました。今後この委員会の中での参考にさせていただきたいというふうに思います。

 ありがとうございました。

中山委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 公述人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。委員会を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手)

 これにて公聴会は終了いたしました。

 公聴会は、これにて散会いたします。

    午後三時三十五分散会


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