衆議院

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第1号 平成20年6月3日(火曜日)

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本小委員会は平成二十年二月二十二日(金曜日)委員会において、設置することに決した。

二月二十二日

 本小委員は委員長の指名で、次のとおり選任された。

      井上 信治君    大村 秀章君

      川条 志嘉君    後藤 茂之君

      清水鴻一郎君    田村 憲久君

      林   潤君    福岡 資麿君

      宮澤 洋一君    吉野 正芳君

      郡  和子君    園田 康博君

      山田 正彦君    山井 和則君

      古屋 範子君    高橋千鶴子君

      阿部 知子君    糸川 正晃君

二月二十二日

 吉野正芳君が委員長の指名で、小委員長に選任された。

平成二十年六月三日(火曜日)

    午前九時開議

 出席小委員

   小委員長 吉野 正芳君

      井上 信治君    石崎  岳君

      大村 秀章君    川条 志嘉君

      後藤 茂之君    清水鴻一郎君

      橋本  岳君    林   潤君

      宮澤 洋一君    岡本 充功君

      郡  和子君    山田 正彦君

      山井 和則君    古屋 範子君

      高橋千鶴子君    阿部 知子君

      糸川 正晃君

    …………………………………

   議員           山内 康一君

   議員           金田 誠一君

   議員           阿部 知子君

   参考人

   (臓器移植患者団体連絡会幹事)          見目 政隆君

   参考人

   (主婦)         中村 暁美君

   参考人

   (大阪大学医学部附属病院移植医療部副部長・病院教授)           福嶌 教偉君

   参考人

   (すぎもとボーン・クリニーク所長(小児科・小児神経内科))        杉本 健郎君

   参考人

   (慶應義塾大学大学院法務研究科教授)       井田  良君

   参考人

   (財団法人日本宗教連盟事務局長)         稲  貴夫君

   厚生労働委員会専門員   榊原 志俊君

    ―――――――――――――

六月三日

 小委員井上信治君四月二日委員辞任につき、その補欠として井上信治君が委員長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員川条志嘉君四月四日委員辞任につき、その補欠として川条志嘉君が委員長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員清水鴻一郎君、福岡資麿君及び糸川正晃君四月十一日委員辞任につき、その補欠として清水鴻一郎君、橋本岳君及び糸川正晃君が委員長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員園田康博君五月二十一日委員辞任につき、その補欠として岡本充功君が委員長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員阿部知子君五月二十三日委員辞任につき、その補欠として阿部知子君が委員長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員田村憲久君同日小委員辞任につき、その補欠として石崎岳君が委員長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員橋本岳君同日委員辞任につき、その補欠として福岡資麿君が委員長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員石崎岳君及び岡本充功君同日小委員辞任につき、その補欠として田村憲久君及び園田康博君が委員長の指名で小委員に選任された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(中山太郎君外五名提出、第百六十四回国会衆法第一四号)

 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(斉藤鉄夫君外三名提出、第百六十四回国会衆法第一五号)

 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(金田誠一君外二名提出、第百六十八回国会衆法第一八号)


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     ――――◇―――――

吉野小委員長 これより厚生労働委員会臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案審査小委員会を開会いたします。

 第百六十四回国会、中山太郎君外五名提出、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案、第百六十四回国会、斉藤鉄夫君外三名提出、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案及び第百六十八回国会、金田誠一君外二名提出、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案の各案を一括して議題といたします。

 本日は、各案審査のため、参考人として、臓器移植患者団体連絡会幹事見目政隆君、主婦中村暁美さん、大阪大学医学部附属病院移植医療部副部長・病院教授福嶌教偉君、すぎもとボーン・クリニーク所長(小児科・小児神経内科)杉本健郎君、慶應義塾大学大学院法務研究科教授井田良君、財団法人日本宗教連盟事務局長稲貴夫君、以上六名の方々に御出席をいただいております。

 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず本小委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、審査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いを申し上げます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 最初に、参考人の方々から御意見をそれぞれ十五分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、発言する際は小委員長の許可を受けることになっております。また、参考人は小委員に対して質疑することができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 それでは、見目参考人にお願いいたします。

見目参考人 おはようございます。

 本日は、このような場にお招きいただきまして、まことにありがとうございます。

 こういう場に出るのは初めてのことで、上がってしまってはいけませんので一応原稿を持ってきましたので、それを読ませていただきます。よろしくお願いいたします。

 私は二人の子供を持つ父親であります。今は、仕事の傍ら、臓器移植患者団体連絡会の幹事として、法改正の実現に向けて活動しております。

 さて、今から十年以上前、日本では助けるすべのなかった小学六年生の息子に心臓移植を受けさせたい一心で、私は会社を休職し、一家四人でアメリカに渡りました。幸い息子は、渡航して一週間後にドナーの方があらわれて移植を受け、五年間にわたる闘病生活から解放されました。そして、やっと普通の生活が送れるようになったやさき、今度は、一緒に連れていった小学校三年生の娘が現地で息子と同じ病気を発病し、私たちは再び窮地に陥りました。向こうの病院では、目の前で起こった出来事に大変な騒ぎとなりました。

 私たちは日本人ですから、そう簡単に向こうで移植を受けることはできません。上の息子は、心臓移植を受けるために渡航しましたので、その準備のもとに向こうに行きましたが、向こうで発病してしまった娘はその手だてがありません。そのために、向こうの病院でも大変な尽力をしていただき、最終的には、娘も同じように向こうの地で移植を受けることができました。そして、ようやく一年後に日本に戻りました。

 日本に戻った私たちのもとに、しばらくして、ドナーの二つの御家族、私どもは息子と娘と両方とも移植をしておりますから、二つの家族からコーディネーターを介して手紙が届きました。そこには、亡くなった自分の子供がどういう子だったのか、どうして亡くなったのかなどがいろいろ書かれておりました。中には自分の家族の構成なども書かれておりました。そして最後に、自分の大切な子供は亡くなってしまったけれども、臓器を受け取ったあなたの子供は元気に生きてほしいという思いが込められて書かれておりました。

 もちろん、私たちもそれに対して感謝の手紙を出しました。しかし、それでも、実は私は、自分たちが日本人であるということだけは書けませんでした。とても申しわけなくて書くことができないのです。彼らは、愛する子供の一部がどこかで生きていてほしいと思って臓器を提供したのだと思います。しかし、その臓器がはるか遠いよその国へ行ってしまったということは、とても想像できないことだったのではないかと思うんです。

 そして、私は思いました。私と私の家族にとってはどうしようもなくてアメリカに行くしかありませんでしたが、一つの国として見た場合、こんなことを続けていてはいけない、相手の国に対して大変失礼なことをしているんじゃないかと思ったわけです。そして、そのために何とかして法改正を実現しなければならないというふうに思った次第です。

 そして、いろいろなことをやりました。もちろんドナーカードを配布したりということもしました。私自身は、近くに郵便局がありますので、そこにドナーカードを置いていただいたりとか、そういう活動もしました。今でも時折、そこにカードを補充に行ったりはしております。しかし、御承知のように臓器移植はなかなか進みません。

 やはり法改正をするしかないだろう、こう思いまして、患者団体として、法改正のための署名をしようということが何度もありました。私は、自分の知人に、あらゆるところに手紙を書いて、毎回一万人以上の署名を集めました。我が家一軒だけで一万人以上集めるわけです。それを何回もやって、国会請願も何度もやりました。しかし、やってみた結果、これではらちが明かないということがわかりました。

 ある議員から言われました。法改正は難しい、要は、日本の機運が高まっていない、世論が高まっていないということでした。しかし、このことで世論を高めるのは至難のわざです。御承知のように、時折、渡航移植のニュースが出ますが、それは断片的なものであって、世論を高めるまでの力はありません。

 そこで、いろいろ考えた結果、そうであれば、すべての議員の方々に直接お会いしてお願いするしかないだろうと思いまして、四年ほど前からこつこつと各部屋をお訪ねして、お一人お一人面談を進めてまいりました。そして今に至っております。

 きょうお招きいただいたことで、この法律改正について、私は二つのことをお願いしたいと思って参りました。

 まずその一番目ですが、今の法律をWHOのガイドラインに沿ったA案で改正していただきたいということです。

 私たちは、脳死を人の死だと思っていない方がいらっしゃることは十分に承知しております。けれども、私たちはそういう方々に臓器を提供してくださいと言っているのではありません。提供してもよいという人もいれば、したくないという人がいても、これは当然の話だと思っております。その上で、提供してもよいと思う人から必要な人へはきちんと橋渡しができるように法律を見直していただきたいのです。

 しかし、その橋渡しの方法が現状のドナーカードに頼るという方法である限りは無理があると思っております。

 そもそも大半の皆さんは、もちろん私も含めてですが、御自分が脳死になるとは思っておりません。これはがんの方に非常に申しわけない発言で恐縮ですが、もしがんのような病気であれば、自分の先行きを案じて、時間がまだ残されていますから、自分の身辺整理をするということもできると思います。その中でカードを書くというような時間もあるかもしれません。しかし、脳死の場合にはそのような時間はほとんどありません。

 そして、もし万が一カードに御記入いただいたとしても、それをなかなか常時携帯まではしないというのがごく普通の姿だと思います。

 私がお会いした多くの国会議員の方々も、そういえばドナーカードには自分はサインしたのだ、しかしあのカードはどこへやったっけなという話が大半でした。これは異常ではなくてごく普通の話です。そして、皆さんおっしゃるんですね、そもそも財布がいっぱいだからそれがいつも入っているということはなかなか難しいんだ、これはごくごく普通の話だと思うんです。御自分が亡くなると思っていませんから、常時携帯するというのは至難のわざです。

 また、アメリカでは、免許証に自分が脳死になったときにドナーになるかどうかチェックをする欄があるというふうに聞いております。しかし、アメリカの方々にお聞きする限りでは、そういうものが実際に脳死の現場で出てくる確率は五%ほどでしかないということです。

 例えば、法改正によって日本人の全員が強制的に何かに登録をするということで、必ず本人の意思がわかるようであれば、そうであれば構わないんですが、もしそうでなければ、本人の意思がわからないときには残された御家族が判断するというWHOの指針に従うのが妥当な線なのではないかと思うんです。そしてまた、幼い子供たちについては、親が成りかわって判断するというのもこれまた自然な姿ではないかと思うんです。

 渡航移植の報道を時折目にされることはあると思いますが、残念ながら、国内で起きていることを伝えているだけにすぎません。だれだれさんが渡航移植が必要で募金をしている、莫大な費用がかかります、それが、皆さんの善意で何とかお金が集まりました、渡航ができるようになってよかったね、そして、しばらく後にその人たちが日本に帰ってきて、元気で帰ってきた、よかったねという報道がされます。つまり、日本では渡航移植というのはある種の美談で終わってしまっているわけです。

 しかし、渡航先の国の方々は、こういうことをどう思って見ているんでしょうか。ましてや、現地で移植を待っているそういう患者さんやその御家族たちはどういう思いでこういう日本を見ているんでしょうか。

 私が向こうの立場であるならば、日本からもう来ないでほしい、やめてほしいと思うと思うんです。自分の子供、自分の家族の順番が後回しにされる、下手をすると亡くなってしまうわけです。そして、その国の方々は、渡航してくる日本人のために臓器を提供しているわけではありません。彼らは自分たちの暮らすその社会のために臓器を提供しているのです。そこに日本人がずっと定常的に来ている、これは異常としか思えません。

 昔、イギリスに数名の日本人が渡航して心臓移植をして助けてもらいました。しかし、日本は自分の国でやろうとしなかったために、イギリスは、その後、門を閉ざしてしまいました。御承知かもしれませんが、オーストラリアは日本人の肝臓移植の人たちを数十名受け入れてくれました。しかし、そのオーストラリアも少し前にもう日本からの受け入れをやめるという話を聞きました。

 また、先般の国際移植学会とWHOが開いたイスタンブールの会議では、簡単に言えば、渡航移植をやめましょうという声明が出されたと思います。これは極めて当然のことであります。緊急避難で助けてもらうだけならば渡航移植も美談に終わるかもしれません。しかし、それが定常的に続いている状態であれば、これは日本の醜態でしかありません。恥をさらしているということです。相手の国に失礼なことをし続けているということです。

 今、日本が国際社会の中で求められているのは、臓器移植を自国でやってくださいということです。したがって、申しわけありませんが、相変わらず渡航移植の継続を前提としているようなB案、C案では、国際社会に対する日本からの責任ある回答としてはなっておりません。この現状をきちんと理解して、A案で改正していただきたい、こう思う次第でございます。

 そして、次に、お願いしたいことがもう一つございます。

 臓器移植というのは提供者とその御家族があって成り立つものでございます。したがって、そのことを国がきちんと認識し、提供していただいた御家族をたたえ、また、ケアをする制度をつくっていただきたいと思います。

 残念ながら、私たちはだれでも臓器を提供する側にも、いただく側にもなる可能性があります。患者団体では、年に一度、臓器を提供された御家族のお話を聞く機会があり、私も何人かのお話をお聞きしました。そしてわかったのは、提供された御家族は、社会に貢献するということのほかに、自分の愛した人の一部がどこかで生きていてほしい、そう思って臓器を提供されているんです。

 しかし、提供したことについては、脳死移植なのか心臓停止後の移植かには関係なく、提供してよかったと言われる人もいる一方で、提供したことを悔いている方もいらっしゃいます。こういう方々は、提供した後、周りに責められたりとか、後ろ指を指されたりとかいうことで苦しまれております。そして、その苦しんだり悩んだりしている人たちが、ケアされることもなく、そのまま放置されてしまっているのです。本当は最もたたえられるべき人であるはずなのに、提供した後のフォローが行き届いていないのです。

 提供を受けた患者は、その後、元気になり健康を取り戻していきますが、提供した側には何も残りません。臓器移植はややもすると移植を受けた側にスポットライトが当たり、その方々が注目を浴びます。しかし、本当にたたえられるべきは提供してくださった方とその御家族にあります。ここを忘れてはいけませんし、このことをきちんと国が理解し、提供された御家族をたたえ、また、傷ついた家族は支えるという仕組みが必要だと思います。それをぜひ御検討いただきたいと思うのです。

 最後に、私は臓器移植法は社会全体の保険の一つだと思っております。もちろん、保険は使わないで済むにこしたことはありません。しかし、入ったはずの保険が実際に病気になったときにはほとんど機能せず、そして、それだけではなくて、その機能しないことのツケをほかの国に負わせてしまっているということが現状でございます。

 民主主義ですから、A案に賛成されないのはもちろん自由です。しかし、そういう方も、B案、C案では、万一御自分や御自分の御家族に移植が必要になったときに困るのは明らかなことです。

 また、当然でありますが、私は日本が世界から信頼と尊敬を集める国であってほしいと思っております。しかし、臓器移植については、残念ながら、日本はひきょうな国でしかありません。やはり、国際社会の中で生きていく以上、日本も世界のルールに合わせ、WHOの指針に沿ったA案で改正していただくしかないと思います。同時に、提供された御家族が、提供したことを誇りに思えるように、国として支援体制をつくっていただきたいと思います。

 この法律は、党議拘束を外して採決になるかもしれませんが、議員の方々には、個人としての立場よりも、政治家として、国の立場で、国際社会に通用する判断をお願いしたいと思います。また、多くの方々が亡くなり続け、海外にも迷惑をかけている現状を思えば、問題をこれ以上先送りすることのないようにお願いする次第でございます。

 以上です。(拍手)

吉野小委員長 ありがとうございました。

 次に、中村参考人にお願いいたします。

中村参考人 中村暁美です。

 本日は、貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。

 皆様のお手元に娘の写真をお配りしました。どうかごらんになりながらお聞きください。

 私の最愛なる娘、有里は、昨年の九月二十四日に他界しましたが、脳死と診断されてからの一年九カ月間の娘の様子と、娘とともに精いっぱい生きた家族の思いをお話しし、長期脳死児と言われる娘が残したメッセージを皆様にお伝えすることができればと思います。

 平成十七年十二月十三日、二歳八カ月でした。その日の娘は、朝から鼻水が出て、熱も三十八度近くあり、風邪を引いたのだろうと、かかりつけの近所の小児科を受診しました。診断はやはり風邪でした。熱はあっても娘はふだんと変わらずに過ごしていましたが、食欲がなく、大好きなアイスを少し食べて眠り始めました。三十分ほどすると、苦しそうな声とともに、けいれんを起こしたのです。口からは泡を吹き、目は白目をむいていました。すぐに救急車を呼びました。

 駆けつけた救急隊員は、お母さん、熱性けいれんだから大丈夫だよと私に告げました。しかし、搬送連絡をした大学病院には、レベルの高い子の処置中だからと断られ、救急車到着から十五分以上も待たされて、結局、規模の小さい総合病院に運ばれました。

 そこで点滴を受けました。両手、両足にはまだけいれんのような動きが続いており、私の呼びかけにも全く反応を示さない娘の様子に不安を覚え、幾度となくナースコールを押すのですが、手が回らないのか、すぐには来てはもらえず、私が直接先生のところへ行くこともありました。そのときの説明では、点滴にけいれんどめを入れてあるので今は様子を見ている、大変強い薬なのでたくさんは使えないということでした。一抹の不安を抱えながらも、先生の言われるとおり、様子を見守ることしかできませんでした。

 何もしてあげることもできず、無情にも時間だけが流れる中、急に周りが慌ただしくなったのです。やはりけいれんがおさまらないので大学病院に移すと説明され、ばたばたと転院となりました。

 転院後すぐに娘から離され、夜も明けるころ、やっと面会が許されました。通された部屋のベッドに寝かされた娘は、おむつ一枚の姿で、見たこともない大きな機械に囲まれ、恐ろしいほどの数の点滴につながれていたのです。

 ぴくりとも動かないその姿はまるで人形のようで、この子は私の子供ではありません、中村有里のところへ早く連れていってくださいと言ってしまったことを覚えています。大学病院では、筋弛緩剤で眠らせているため、意識もなく、呼吸器を使っているが、意識が戻り、自発呼吸が出てきたら抜管し、呼吸器は外せるでしょうと説明されました。

 しかし、意識が戻るどころか、日に日に娘の状態は悪化し、二日後には命まで危ないと言われたのです。そして、検査の結果、娘の脳は全く機能していないという、いわゆる脳死状態だと宣告されてしまったのです。会わせたい人に早く連絡するようにという言葉から、娘の死がすぐそこまで来ていることを認めなければならなかったのです。

 駆けつけた三人の兄たちが、娘の手をしっかりと握り締め、お兄ちゃんだよ、早くよくなっておうちに帰ろう、有里、頑張れ、頑張れと声をかけ続けたところ、下がる一方だった血圧が徐々に上がり始めたのです。見守る医師も看護師も、娘の生きようとする姿に驚き、家族の深い愛に感動を覚えたと言っていました。この子を絶対死なせないという親の思いと、妹とお別れなんかしたくないという兄弟の強い思いが娘に通じたのでしょう。ここで家族がまた一つになったように感じました。

 二週間が過ぎるころ、急性期を脱してくれました。そこから、私たち家族の目標を在宅に向け、目覚めてほしいと奇跡を信じながらの準備が始まったのです。

 在宅に向けての条件の一つは、気管切開の手術でした。娘から声が奪われる、もう二度とあの愛らしい歌声を聞くことができなくなってしまう。日々奇跡を願っている私にとって、それは苦渋の選択でした。病に倒れてから二カ月目、二月二十四日の手術となりました。このときにも信じられないことが起こったのです。

 微量の麻酔で臨んだところ、急激な血圧の変化が起こり、麻酔の量をふやしたそうです。健康な子がオペをしたときと同じような状態があったそうです。もし脳死は人の死だというのなら、なぜ娘に麻酔をしたのでしょう。娘の血圧の変化はなぜ起こったのでしょう。娘はきっと怖かったのでしょう。痛かったのでしょう。心が痛みました。

 もう一つの条件は、日常のケアを両親ができるようになることでした。たんの吸引、おむつの交換、栄養剤の注入などを病室に泊まりながら学びました。やっていることは大変でしたが、苦労と感じたことはなく、娘のためにできることに幸せを感じていました。

 十一月の七五三のお祝いもできました。七五三は、その子の節目の年に健康と健やかな成長を願う行事の一つです。どんなことをしてでも、兄たちと同じように、娘にも七五三のお祝いをしたいと思ったのです。

 主治医からの了解も得られ、自宅近くの神社まで、晴れ着を着ての外出となりました。病棟の保育士さんに髪を結んでいただき、きれいにお化粧までしてのお出かけとなりました。

 神社では、他の方の迷惑にならないよう、外からのお参りのつもりでした。しかし、娘の事情を知った神主さんの計らいにより、境内の中に入って祈祷までしていただくことができました。

 七五三の着物も、娘が生きているから着せたのです。意識はなくとも、温かい体がそこにあるから願うのです。娘の姿に心打たれた神主さんだから、生きている子だから、七五三の祈願をしてくださったのです。

 こうして一つずつ、生きる姿を変えた娘と家族の思い出もふえていきました。娘は大きく体調を崩すこともなく、在宅は平成十九年十月と決まりました。小児病棟のスタッフのみんなが一日も早く娘を帰してあげたいと、私たち家族の思いに寄り添ってくださいました。

 ところが、考えもしないことが起こってしまったのです。九月二十三日夕方、急変を知らせるアラームが鳴ったのです。娘の心拍が急激に上がり、そして、あっという間に下がってしまったのです。機械の故障かと錯覚するほどの変化でした。病棟にいる医師や看護師たちが急いで駆けつけ、処置が始まりました。

 有里は絶対に死なない、死ぬはずがないと信じていました。しかし、私の思いとは裏腹に、現実は厳しいものでした。

 医師が娘の小さい体の上に馬乗りになり、心臓マッサージを行っていました。自分の力で動き続けてくれている大事な大事な心臓なのに、大丈夫なのだろうか、ベッドのきしむ音がやたらに大きく感じました。一たんは落ちついたものの、また悪い状態になり、もう心臓の機能を全く果たしていない、自力では動いていないと言われてしまいました。

 最後にもう一度娘を抱かせてほしいと、三人の兄たち、祖父母、主人、そして私と、まだ温かい体をしっかりとこの胸の中に抱き締めました。しばらくぶりにしっかりと抱く娘の体が成長し、大きくなっていることに、月日の流れを感じました。

 心臓マッサージ、そしてアンビューバックの手をとめると、娘の体に変化があらわれました。唇の色は紫色に変わり、顔色、体の色は徐々に赤みがなくなっていくのです。そして、だんだんと冷たくなっていく体。

 その傍らで、家族とともに号泣している医師や看護師たちがいました。気づくと、夕方の急変からずっと心臓マッサージをし、アンビューを押し続けていた先生方の手は、ぱんぱんにはれていたのです。娘の心臓をとめないよう、そして、また戻ってきてくれるよう、奇跡を願っていたのは家族だけではなかったのです。

 脳死の子供だからと区別することなく、最後まで力を尽くしてくださった先生だったからこそ、娘の一年九カ月があったのです。私たち家族の思いに常に寄り添ってくださった医師、看護師がいてくださったから、絶望を乗り越えられたのです。娘は本当に幸せでした。たくさんの方々からいっぱいの愛をいただいて旅立っていくことができたのですから。

 私は、人が生死のはざまに置かれ、旅立っていく瞬間をみとったのはこれが初めてのことでした。ぬくもりのある温かい体から徐々に冷たくなっていく体の変化を見たとき、これがまさに人の死なのだと実感しました。

 そして、もう一つ確実になったのは、脳死と宣告されてからの一年九カ月、娘は生きていたのだということです。自分の小さい体を使って、社会に、脳死は人の死ではないと訴えていってくれたのです。本当の人の死を教えていってくれたのです。

 もし脳死を人の死とするA案が成立したら、長期脳死児と言われる子供たちが、その日を境に遺体になってしまうのでしょうか。遺体になったら、人として生きる権利もなくなり、これまで病人として受けられた制度や医療が受けられなくなるのではないか、今以上に肩身の狭い思いをして生きていかねばならないのではないかと不安でいっぱいです。

 日本臓器移植ネットワーク作成の「いのちの贈りもの あなたの意思で助かる命」というリーフレットがあります。昨年のことですが、中学三年だった次男が学校で配られたこのリーフレットを持ち帰ってきました。そして、帰ってくるなり、ひどい、有里のような子供のことは何にも書いていないと言ってこのリーフレットを破り捨てたのです。確かに、このリーフレットには、ドナーの対象とされている長期脳死の子供について一行も書かれておりません。

 私も、娘が脳死と診断されたときは、数日後に死ぬかもしれないと覚悟しました。しかし、娘は、一年九カ月間も生き続け、体は成長し、脳死は人の死ではないというメッセージを残してくれました。

 命とは何か、人の死とはどういうものなのか。意識があって臓器を待ち続けている子供も、意識がなくて脳死状態の子供も、同じ病気という苦しみを背負っているのです。命の重さは平等です。家族は、一分でも一秒でも長く生きていてほしいと願うのです。

 脳死移植とは、助かる命の陰に失われるとうとい命があることで成り立つことになります。どうか皆様、真剣に長期脳死児の現実を見てください。そして、もっともっと知っていただきたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。(拍手)

吉野小委員長 ありがとうございました。

 次に、福嶌参考人にお願いいたします。

福嶌参考人 私は、現在、大阪大学医学部附属病院移植医療部で副部長をいたしております福嶌教偉と申します。

 主に心臓移植の臨床を担当するとともに、脳死の臓器提供時のドナー評価、管理、それとドナーコーディネーターの教育などを行っております。

 このたびは、臓器移植法に関しての参考人質疑をこの委員会で開いていただきまして、本当にありがとうございます。しかも、その場で参考人として意見を述べさせていただくことに感謝をあらわしたいと思います。

 まず、私の話に入らせていただきます前に、個人的なことで申しわけありませんが、私がなぜ心臓移植医になったかについてお話をさせていただきたいと思います。

 私が移植というものに初めて出会いましたのは、今からちょうど四十年前の一九六八年の八月、私が小学校六年生の夏休みでした。皆様もよく御存じの和田心臓移植をテレビで拝見したときが最初であります。

 そのときの報道では、心臓移植が終わりMさんが元気になったときにはとてももてはやし、逆に、Mさんが亡くなった途端に、手のひらを返したように、和田教授は医療不信の代名詞のように非難されました。子供心に感じることは多かったと覚えております。和田移植の問題点は、まだ世界的にも脳死の議論が始まったばかりのときに、移植医が脳死と診断したことが最も大きいと考えられます。

 この事件を見て私が思ったことは、亡くなった人の臓器をもらうのではなく、その人に合った臓器がつくられればいいのではないかと思ったことです。これが私を医者の道に進ませた原点であります。

 しかしながら、それから四十年が経過いたしましたが、臓器をつくるという命題はまだ臨床レベルまで達しておりません。私の所属している教室でも、澤教授を初め、臓器再生を主に研究されている方が多くいらっしゃいますが、ようやく限られた状況の中で臨床応用されるようになっただけで、心臓に限っても、多くの命を救えるようになるにはあと数十年はかかるものと思っております。

 そのような経過の中で、私は、臨床研修、研究を行ってまいりました。臓器を移植さえすれば助けることのできる命が我が国でどんどん失われていくのを目の当たりにして、本来すべきだと自分が考えてきた臓器再生の研究というものをあきらめて、約二十数年前に移植医になることを決心しました。ただ、何とか人からの臓器提供を減らせるようにということで、動物からの心臓移植を可能にするための実験をずっと行ってまいりました。

 そのような中で、一九九七年に、多くの国会議員の皆様の御尽力のおかげで、現在の臓器移植に関する法律が制定、施行されました。本人の生前の書面による意思を最大限に尊重するという厳しい法律ですが、その時代の国民の総意と考えまして、その三年後にまた見直しがあるものだと信じて、我が国で心臓移植が始められるように準備をしてまいりました。

 そして、ついに一九九九年の二月二十八日、我が国で脳死臓器移植が開始されたわけであります。その心臓移植の再開例では、私は、高知に赴き、ドナーの方の心臓を摘出いたしました。アメリカに留学中も、心臓、特に子供さんのドナーの心臓の摘出をしておりましたが、我が国での臓器摘出の現場というものはアメリカと大分異なっておりました。集中治療室で横たわっている患者さんの評価をするということで診察をさせていただくわけですけれども、医者の本能と申しますか、何とか助けてあげられないものかと自問自答したことを覚えております。

 また、ドナーの心臓を停止させるときにも、本当にこのようなことをしてよいものかということを自問自答しました。しかし、私は医師として、脳死は人の死であるということを確信を持っておりますし、また、ドナーの方が、脳死になった後、臓器を提供してもよいという明らかな御意思を持っていらっしゃった方ですので、そこで考えを直し、決心して心臓を摘出いたしました。

 高知から伊丹までのヘリコプターの中でも、本来であればレシピエントを救うことで非常にうれしいはずでありますが、ドナーの方の最後の心拍を私のみずからの手でとめたということを思うと、身の張り裂けるような思いでいっぱいでありました。今もこの気持ちを忘れたことはありません。実は、その摘出のときに実際につけていたネクタイをきょうもさせていただいております。気持ちは変わっているつもりはないです。

 このような思いもありまして、現行法を遵守しながら、粛々と心臓移植を行ってまいりました。表に示しておりますけれども、移植医療にかかわる多くの方々の努力で、欧米のデータと遜色のない成績を出すことができていると思います。私自身が、このような成績を国民の方々にお見せすることで、国民の移植医療に関する理解がふえ、意思表示カードが増加するものと信じておりました。また、私どもの大阪大学の病院で心臓移植を希望されて待機されていた患者さんも、そう信じて、本当に最初の間、海外に行くことを考えずに私どもの病院で待機をされておられました。

 しかし、心臓移植を受けられるまでの待機期間というのは、短くなるどころか、どんどん長くなり、図一に示しますように、今では人工心臓がついた状態で千日以上待機しないと移植を受けることができないのです。

 その結果、例えば、私たちの病院で、法制定後、当初の四年間に心臓移植を希望して登録した患者さんが二十二名いらっしゃるのですが、心臓移植を受けることのできた五名は、今全員が生存し、仕事あるいは学校に行っておられます。それに対して、残された十七名の方はすべて亡くなりました。つまり、現行法では、我が国で心臓移植を受けようと決心しても八割ぐらいの方が死んでしまうというのが現状なのです。

 さて、移植医療に関する世論は、この十年間でどのように変わったでしょうか。図二に示しますように、内閣府の世論調査では、脳死になったら臓器を提供してもよい方が実は四一・六%もいらっしゃいます。しかし、意思表示カードを常に持ち歩いて脳死臓器提供を希望されている方は二%にも満たないのが現状でございます。つまり、我が国の習慣上、生前の書面による意思を尊重した方法では、患者さんを救うことはできないということがわかりました。

 また、この法律では、民法上の理由から十五歳未満の脳死臓器提供ができませんので、体の小さな子供さんは、我が国で心臓移植や肺移植を受けることが絶対にできないのです。そのために、多額の募金を集めて海外に渡航されているのが現状であります。

 しかし、実際に海外に行かれて心臓移植を受けられている患者さんの中で、そういう体の小さい患者さんは、実は四〇%程度しかいらっしゃいません。残りの六〇%以上の方は、実は日本でも移植できる体の大きさの子供さんあるいは大人の方であるということなのです。しかも、その数というのは、現行法が成立してからむしろ増加しております。すなわち、心臓移植を必要とされた患者さんにとっては、たとえ国内で移植可能な患者さんであっても、海外に生きる道を探さなければならないという状況にあるということです。

 WHOも指摘していますように、海外渡航心臓移植には大きな問題があります。

 まず、図五に示しますように、アメリカで心臓移植を受けたアメリカ人以外の子供さんの半分以上が日本人であるということです。また、図六に示しますように、アメリカで毎年三百人くらいの子供さんが心臓移植を受けられていますが、同時に、毎年六十人から百人ぐらいの心臓移植の登録をされた患者さんが亡くなっているということです。もし日本の子供さんがアメリカに渡航していなければ、毎年何人かのアメリカの子供さんが助かっているのです。それでも日本の子供さんを受け入れてくれるわけですが、これが本当にいつまで続くのでしょうか。

 よく、欧米は文化が違っていて、脳死や臓器提供の受け入れが多いというお話をお聞きしますが、アメリカのお母さんも、日本のお母さんと同じだけ、いや、それ以上かもしれません、子供を失って悲しいのです。その中でとうとい決断をされて、ほかの子供さんを救うために愛する我が子の臓器の提供を決心されているということです。それなのに、渡航移植の報道がされるときには、海外渡航の準備や募金が大変だということばかりクローズアップされていますが、本当にそれでいいのでしょうか。

 このまま法律が改正されずに、WHOの勧告どおり海外の子供をアメリカやドイツが受け入れなくなったら、日本の心臓移植や肺移植を必要とする子供はすべての道を断たれることになってしまいます。

 A、B、C、三案の中で臓器移植をふやす目的で提案された法案は、AとBの二案です。

 A案であれば、さまざまな統計から、現時点でも七十例近い脳死臓器提供が可能となり、体の小さな子供さんも心臓移植や肺移植を受けることが可能になってきます。

 これに対して、B案ですと、本人の意思表示が必要で、その提示年齢を十二歳に引き下げるだけでございますから、脳死臓器提供そのものは、もし十二歳から十五歳の子供さんが意思表示カードを書いているとふえるわけですが、しかし、十二歳から十五歳までの子供さんの体格というのは、実はほとんど変わりません。つまり、この法律が制定されても、今までどおり体の小さな子供さんは心臓移植も肺移植も日本では受けることができないわけです。それどころか、一見子供が移植可能であるというふうなことになれば、WHOの指針どおり、多くの国が日本の子供さんを受け入れなくなる可能性が大きいのです。

 以上の理由で、私は、多くの臓器移植を必要とする患者さんの命を救うためには、この法律を改正A案のように修正していただくことを望みます。ただ、先ほども述べましたように、ドナーそしてドナーの御家族のことを十分配慮した体制づくりも必要であるということも述べておきたいと思います。

 私は、移植医個人として何ができるかということをずっと考えてまいりました。

 ドナー、ドナーの御家族が脳死臓器提供をするというのは、心臓の提供ということをやはり念頭に置いておられると思っております。私は、脳死臓器提供の現場の約七割に実際に赴き、その臓器の評価、管理を行ってまいりました。したがって、その気持ちは、できるだけ多くの臓器を提供させていただくということがドナーのお気持ちを反映するものであると信じているということと、あともう一つは、もしそのレシピエントが亡くなると、実はドナーの家族はもう一度家族を失うという苦しみを味わいます。その苦しみを味わわせたくない。要するに、移植する限りはその患者さんが長く生きて、そのことがドナーの御家族の気持ちを安らげるものであるということを信じて、そういうふうな活動をしてまいりました。

 また、実際に心臓移植の現場まで立ち会っておりますが、心臓が拍動を開始した時点で、私は必ずドナーコーディネーターを通じて、ドナーの御家族に心臓が動き出したこと、そしてそのレシピエントあるいはレシピエントの御家族が感謝していることを伝えていただくようにしております。少しのことではありますが、提供したことで、愛する家族を失ったドナーの御家族の悲しみを少しでも喜びの方向に変えられればと思ってやっていることであります。

 また、法律が改正されれば、本人の書面による意思表示がなくても提供できるわけですから、御家族の精神的な負担がより大きくなることが予想されます。臓器提供に承諾された御家族が後で悔やまれることのないような体制づくりが大切と考えております。

 私は、日本臓器移植ネットワークや都道府県のドナーコーディネーターの教育も担当しておりますが、臓器提供を強要することがないように心がける、つまり、臨床的脳死と判断された時点で、この治療を続けるのも、治療をやめるのも、そして臓器を提供するのも、御家族にとって同じ意味があり、御家族の意思に従って臓器提供するか否かを決めてもらえるような説明をするように指導しております。

 しかし、このような配慮のできるコーディネーターを育てるということは一朝一夕でできることではありません。ですから、そういった方を教育できるようなシステムというものを早急に対応していただきたいと考えております。

 また、御自身の愛する御家族の臓器を提供した後に、社会で十分な評価を得られず、心を痛めていらっしゃるドナー家族がいっぱいいらっしゃるというふうにお聞きしています。ドナーコーディネーターが中心になってドナー家族の支援をしておりますが、まだまだ不十分だと思います。ぜひ国レベルでドナー家族を支援し、ドナー家族がこの国で胸を張って生活できるような制度をつくっていただきたいと思います。

 以上、法律をA案に改正するとともに、ドナー家族の国レベルでの支援体制をつくっていただくことをお願いして、私の発表を終わります。

 御清聴ありがとうございました。(拍手)

吉野小委員長 ありがとうございました。

 次に、杉本参考人にお願いいたします。

杉本参考人 すぎもとボーン・クリニークというわけのわからない名前、診療所の名前なんですが、これはスウェーデン語で子供診療所という意味でございます。

 きょうはこのような場を与えていただきまして一番うれしいのは、二十三年前に亡くなりました剛亮という長男のことをここで話ができるということが、何よりも僕にとっては、一種の贖罪感を払拭する一つの機会になるのかなと思って、自分の、トラウマでも何でもないんですけれども、今までずっとやってきたことの一つのまとめのような話をさせていただくのと、それから次に、小児神経科医として、今、小児神経学会の理事をしておりますけれども、果たして今の脳死診断基準が死として正しいのかどうかということと、もう一つは、慢性脳死と言われる子供たちが百人以上いるんじゃないかということをお話しできればいいなと思います。

 いつもスライドで話しているので、きょうは落としてまいりました。実質六枚しかないんですけれども、十五分間を使いましてお話しさせていただきたいと思います。

 きょう、僕の立場というのは、今お話ししましたとおり、小児神経科医であり、脳死を診る側にある人間だったわけなんですが、残念というか、これは仕方がないというか、一九八五年、ちょうど脳死診断基準が決まりました年、同じ月に、息子が交通事故に遭って、脳死状態から、それから心停止をして、腎移植を行いました。ドナーファミリーの一人でもあります。もう随分たっているんですけれども。

 それと、あと、トロントの小児病院は御存じだと思いますが、ここは子供のドナーのレシピエント率というのが今でも七割を超えているという状況があります。長期脳死というのが北米ではほとんどないわけなんですが、その辺の背景などもいろいろと疑問に思いましたので、行っていろいろ調査してまいりました。

 それから、御存じだと思いますが、六番に書いておりますとおり、二〇〇一年のバレンタインデーに、大阪府大の森岡先生と一緒に、恐らく今のB案に相当するであろう案ともう一つの案、二つの案を既に提案して、もうかれこれ七年たちます。ということで、お話を始めさせていただきます。

 スライドにしますと三番目なんですが、「ドナー・ファミリー、父として」というところであります。

 一九八五年というのは、今、脳死診断基準が生きているとおり、非常に身近なもののように思いますが、随分古い話、二十三年前の話です。ついこの間、生きていれば三十歳になっていたはずなんですが、その息子が突然、事故で脳死宣告を受けました。二十四時間もたたないうちに、すごくいいかげんなずさんな脳波のとり方、診断基準は実にあいまいでした。でも、患者の立場からは、それを何も言うことはできませんでした。ただ、何が判断として移植に走ったかということを、きょうはお話ししたいと思います。

 とにかく、灰になるのが怖いのです。恐怖なのです。心臓の脈拍があるというモニターが出ているんですけれども、それがとまっていくということの恐怖がすごくありました。このことをもって、何とか自分が、自分の主張ができないかということの、これは恐らく自分、父親の思いが一つあったんだと思うんですけれども、そこから何が出てきたかというと、ひとつ社会的に取引をしようということは今思うんですけれども、そういう考え方になってきたんだろうと思います。移植だということなんですね。これは最初から移植がありきだったわけではないんです。

 それから、もう一つの大きな理由は、六歳十カ月で、非常に短い、社会的貢献をしていない短い人生だったということで、ここで生きていたぞという証拠を残そう、息子自身の証拠を残したいという思い、これはかなり当時強かったと思います。そのことで、やはり移植で生きたものをだれかに引き継いでほしい、本当にほしいんです、下さいじゃなくて、もらってほしいという気持ちになりました。それで移植に入ったわけですね。

 それに至るまでの間は、当時はまだ珍しかったんですけれども、枕頭看護と申しまして、二十四時間体制で、面会謝絶と書いてありましたが、おトイレへ行く以外は、ずっと子供のそばのまくら元で寝起きしました。そこがそういう判断に至った一つの理由だったのかもしれません。

 当時、一年、二年、三年のうちは、これは死を受容して移植になったんだというふうに自分で言い聞かせておりましたけれども、今、十年ほどかかりましたけれども、それまではずっと移植ドナーカードを持っておりました。自分も同じようにするんだと思っておりましたが、トロントで一年間生活をして、外から自分を眺めたときに、帰るときにドナーカードを破り捨てました。これは違う、どうも違うという感覚が出てきました。

 ドナーの立場というのは、先ほどの先生方、いろいろとドナーに対する思いをちゃんとするシステムをとおっしゃるんですけれども、ドナーの気持ちというのは日々移っていきます。ささいなことに非常に喜々とするんですけれども、悲喜こもごもなんですけれども、やはり年月とともに自分の子供に対する思いというのは随分と変わっていくものだなという気は、今この立場で、二十三年たってお話ができる。ただ、その息子の話を今ここでできるということ自体が、自分にとっては還暦を前にしたすごい喜びの一つでもあるわけなんですね。

 要するに、結論としては、まさに自分自身にとっての息子の死の恐怖に対するいやしでしかなかったんじゃないかということをすごく感じます。それを一つの今の結論として持っております。

 ただ、そのときにおりました九歳の姉は、常に否定をしておりました。今、三十三歳になり、小児科医になって僕と一緒に診療所を始めたんですけれども、やはり考え方は同じです。最初から最後まで、それはおかしい、弟に傷をつけるということは絶対許されない、父親として許されないんじゃないかということを、いつも討論、激論になるんですけれども、それは親の意向でやったということで、討論がいつもそこに落ちていきます。

 そういう湿っぽい話はここまでにしまして、もう少し科学的というか、話に入っていきたいと思います。

 五番目のところです。

 脳死と言われましてもう長いんですけれども、この根本というのは、一九八一年大統領委員会の、脳は有機的統合体であるということの概念から始まっておりますね。医学にしたら、もう二十五年も前の話なんですね。四半世紀前の話の概念がまだ通用するのかどうかというところから出発していただきたいと思います。

 一九八〇年代の前半というと、レスピレーターという人工呼吸器は、ちょうどこの机ぐらいの大きさで、病院に一つか二つしかなかった時代の話なんです。今は、手にとって片手で持てるようなコンパクトな人工呼吸器があります。しかも、それは在宅で医療保険を使えるということで、もう全然条件が変わっております。

 医療的ケアと言われる在宅医療の内容が一九八〇年代と二〇〇八年は全く違っているという概念の中で、心移植の技術も進みましたけれども、在宅医療の進歩もすごく進んでいるという概念は決して忘れていただかないようにしていただかないと、慢性脳死の在宅というのは絶対に理解できないわけですね。ここのところを一つ押さえていただきたいと思います。

 そして、三つのデータをお示ししております。どれもこれも読んでいただければわかるとおりなんですが、まず、厚生省研究班そのものが、一カ月以上心停止が来ない脳死診断をした人を長期脳死と名づけられました。これは厚生省の研究班が名づけられた名前なんです。我々が勝手に名づけたものでも何でもないんですね。

 この長期脳死の方々の数が、小児ではかなりいるんじゃないかということで、二〇〇四年、我々小児科学会で調査いたしました。ここにも数字が書いてあるとおりです。約二〇%近くの数があるということですね。

 それから、一番新しいところでは去年の五月一日現在で、もちろん、毎日新聞の方の大場さんの記事もありますが、小児科学会の倫理委員会で調べた例としまして、これはことしの一月号の小児科学会雑誌に出ておりますが、臨床的脳死と言われる、つまり無呼吸テスト以外は全部やって脳死であると診断された方が八人、二十歳未満で現におられて、うち三人が在宅でやっておられるという現状です。

 それから、一般的脳死と言われまして、全部満たしていないけれども医者が診断したというのが二十六人なんですね。極めて脳死に近い例というのは、これは臨床の場面ではほとんど脳死として扱われてしまうんですね。ここも非常に危険な要素を持っているんですが。

 これらを一つに合わせてみまして、一と二を合わせたところで、全国推計しますと、これは八府県のデータだったものですから、百人を優に超えるのではないかという方々、そのうちの何割かは、一割、二割は在宅におられるという現状を決して忘れないでほしいと思います。

 これを死と名づけることができるのかどうかは、先ほどの中村さんの話にもありましたように、今、尊厳ある死、尊厳ある死とよく言っていますが、そうじゃなくて、我々小児神経科医であり、我々小児科医の在宅を目指す者としては、尊厳ある生をいかに支援できるかというところに視点を置いております。

 だから、尊厳ある死に方はどうぞ御自由にやっていただいたらいいと思いますが、我々ドクターとしては、それから医療関係者としては、生きる者を支えていくということを念頭に置く形でないと医療というのは成り立たないということを肝に銘じてやっております。

 それから、六番目のところに参ります。

 これは、繰り返しいろいろなところで述べられておりますし、時間もない関係で、全部ペケだということです。

 一九八五年の脳死診断基準の骨格になりました竹内基準をつくった武下先生、今、宇部フロンティア大学をやめられたかどうかわかりませんが、その方が三つの骨子を書かれました。

 一番、「脳の反応性が不可逆的に消失し、」云々は、慢性脳死で見事崩れました。二番、「広汎かつ重篤な脳の壊死を予測する」ということの根拠は、子供の場合、身長が伸びるし、何よりも、我々も経験しましたが、腐らない。変な言い方ですけれども、ごめんなさいね、中村さん。とにかく腐らないんです。いつまでも生き生きと、親にとっては生きていると感じるような子供たちなんです。これを忘れないでほしい。それから三番、脳の平たん脳波云々ということなんですが、脳波なんというのはまやかしです。自分の専門領域でもあるわけですけれども、脳の表面からとる脳波が平たんであるからといって、見せしめのごとく平たんな脳波を見せるなんというのは医学的に、科学的に全くナンセンスですね。カナダでも脳波はもうとっておりません。そういう古い診断基準でいいのかどうかということの確認が今皆さん議員の中に要るんじゃないか。

 だから、それでそれを死とするんだ、満たしたものをするんだとされれば、それに対するしっかりとした、七番目の三のことを申し上げております、基準を満たすことが死なんだよということの裏にある科学的な意味合いをしっかりとわかった上で社会的にこれを死としようというA案、A案にはきちっとこういう説明がないと、これはうそになります。科学的にそこでもう線を引いていいんだということになるわけですね。

 それからもう一つ。ドナーの立場からしましたら、一番のスペインモデル、イタリアモデルも追随しております、これは、脳死のドナーになるべき人の説得をする方法論が時間的に書いてあります。このことによって、スペインが世界的にドナーがふえた、ふえたと言っているわけですね。このモデルがあるわけです。

 だから、今まではドナーカードだったんですけれども、今度はカードがなくなります。必ず説得と言われる了解が入ってくるわけで、そのときのモデルがここにあるわけなんです。必死になっている親の中で、こういった手なれたコーディネーターの人たちがモデルを用いて誘導するということがあり得ないとは限らないんですよね。この辺のところもしっかりと押さえていただかないと、後でドナーそのものが悔いを持つ。

 それは二番にもかかわってくるわけですね。ドナーの親だけじゃなくて、子供自身の権利を保障するためのきちっとした第三者の委員会を、今の大人の七十例だけじゃなくて、もっとしっかりとオープンにみんなに信頼できるような形での検証委員会を常に持っていただくということが、これをもし進められるのであれば、ぜひとも必要なことであるということを強調しておきたいと思います。

 最後に、先ほどからお話しになっておられましたように、渡米する方々の子供さんに対して僕は何も拒否をする気もないし、何か、何とかなればいいという小児科医としての思いは同じように持っております。ただ、それを一本化した、そのことだけでもって、今ある百人を超える脳死の人とか、それから一九八五年という古臭いカビの生えた診断基準の中で物事を突き切ろうとする、しかも脳死を死としようという、こういった哲学的なところまで踏み込んでしまおうとするA案に対しては、B、C、これはどちらでもいいんですけれども、少なくともA案では理屈が通らないということをはっきりと申し上げて、以上で発言を終わらせていただきます。(拍手)

吉野小委員長 ありがとうございました。

 次に、井田参考人にお願いいたします。

井田参考人 おはようございます。慶応義塾大学の法科大学院で刑法と医事法を教えております井田でございます。

 提出されております三つの法律案につきまして、法律を専門とする立場からコメントさせていただきたいと思います。

 臓器移植に関する法的ルールをつくろうとするとき、最も根本的な意味を持つものは、だれの同意があるときに臓器の摘出を認めるかという問題であります。

 脳死者の身体からの臓器摘出について見ますと、世界の多くの国々では、本人が同意の書面を残していない場合でも、近親者の同意が得られれば摘出を行うということを認めています。それは、御提案されているうちのA案の基本的立場に合致するものです。

 最も最近の立法例として、スイスでは昨年、二〇〇七年七月から、初めての連邦レベルでの統一的な新臓器移植法が施行されましたが、そこでも、本人が生前何らの意思表示をしていなかったというときでも、近親者の同意により脳死者の身体からの臓器摘出が許されるとしております。提供者に関する年齢制限はそこにはありません。

 世界の国々の中には、進んで本人の反対意思の表示がない限りは、近親者の同意を法的要件とせずに臓器摘出を認めるという、より緩やかな方式をとっている国がかなりありますが、逆に、我が国の現行法のようにドナー本人の書面による意思表示を要件とする極めて厳格なものは、世界の主要な国々に関する限り、寡聞にして存じません。

 それでは、世界の主要な国で、本人が同意の書面を残していない場合でも、近親者の同意が得られれば摘出を行うことを認めるというA案のような方式をとっているのはなぜでしょうか。

 私は、二つのことが特に重要であると考えています。一つずつお話ししてまいります。

 一つは、それが大多数の人の自然な物の考え方、普通の心情に合致するということです。

 一般の人は、生きている間に、自分が死んだときのこと、そしてその後の出来事のことなんか考えたくありません。それを強いられるのは苦痛でさえあります。他方で、普通の人は、死後の臓器の提供について強い反対の気持ちを持っているでしょうか。大多数の人は、あえてそれが嫌であるという強い気持ちを持つものではないと思われます。というより、多くの人にとって、正直なところ、死んでから自分の身体がどう扱われるかなどは考える必要がないこと、関心を持ちようもないことであり、臓器提供を求められれば、あえてそれを拒絶する意思などないというのが本当のところだと思うのです。このことを言いあらわすために、私は、大多数の人はポテンシャルには臓器提供意思を持っているという言い方をしたいと思います。

 意思表示カードを持ち出してきてそれに署名する、そういう人が少ないのは、普通の人々が臓器を提供することに反対だからというのではなくて、およそ自分が死んでから後のことなんか考えたくないからです。その意味では、我が国の現行の臓器移植法は酷な法律です。臓器移植を可能とするために、国民全体に対し、自分が死んだときのことについて正面から考えることを無理強いするものだからです。

 A案のように、ドナー本人が提供の意思表示を残していないときでも、近親者の同意により摘出を可能とする方法は、本人が持っているポテンシャルな提供意思を、本人のことを最もよく知っている近親者が具体的な提供意思の形にするというやり方であり、国民大多数の自然な物の考え方、普通の心情に合致するものです。今後の我が国の移植医療は、普通の人の持つそういうポテンシャルな提供意思を支えとして行われるべきものです。諸外国の移植法制の基本にあるものも、そういう考え方にほかなりません。

 今申し上げたところから、B案のように、現行法の同意要件をそのまま維持した上で、意思表示可能年齢を中学校入学年齢の十二歳まで引き下げるという提案には疑問を感じます。十二、三歳の年少者に対し、自分が死んでから後のことに思いをいたすことを求め、一定の意思表示をすることを迫り、そしてその意思表示に頼る、そういう移植医療は余りにも不自然なものです。うまくいくはずはありません。世界の国々でそういうやり方がとられていないのは当然です。実際にも、成人であっても提供意思を書面によって表示することが少ないのに、十二、三歳の年少者がそうすることはますますまれなことではないでしょうか。恐らく、小児移植はほとんど実現されないということになるでしょう。

 以上で、A案のような同意要件の決め方が世界の多くの国々で支持されている理由について申し上げました。

 もう一つ、私がとても重要だと考えることがございます。それは、死後の身体にメスを入れるということが、その本人にとって何か権利侵害であるとか、何か不利益なことであるとかと考えてはならないということです。私の知る限り、死後の臓器摘出が本人にとり不利益であるという考え方に基づいて臓器移植法をつくっている国は存在しません。

 もし、それが幾ら他人の役に立つものであったとしても、本人にとり不利益となるのであれば、本人自身の意思表示が絶対に必要です。法律上は推定的同意とか代諾とかそういったものもありますけれども、それはいずれも、本人にとりマイナスにならないときにのみ効力を認められるものであります。推定的意思表示あるいは推定的同意に基づく治療行為とか、あるいは代諾に基づく治療行為と言われるものは、それが本人にとりプラスになるであろうと考えられるからこそ行われるものでありまして、判断能力を持ち情報を与えられさえすれば、だれでもが、その患者もそのように意思決定し得るであろう、そういう治療行為のことをいうのであります。

 したがって、臓器摘出が、もし本人にとり不利益をもたらすものだと考えられるのであれば、A案のような考え方をとるわけにはいきません。ドナーとなる小児にとり、死後の臓器の摘出が何か不利益なことであるというのであれば、親が仮にそれに同意したとしても、それを許容することはできないはずです。

 しかし、死後の臓器摘出は本人にとり権利侵害でもなければ不利益なことでもないと考えるべきだと思います。先ほども申し上げたように、死んでから後で自分の身体がどう扱われるかは、普通は考える必要もないこと、利害関心を持ちようもないことであって、利益、不利益を語り得るような、そういう事柄では到底ないのであります。

 このことは、C案の提案理由で触れられておりますように、脳死の問題と関連しています。現行の臓器移植法が、脳死判定と臓器提供のそれぞれについて格別の書面による意思表示を要求していることは、脳死判定と脳死下における臓器の提供が、本人にとり何らかの不利益を持つものであるという考え方に立っているという理解はあり得ると思います。通常の死とは異なり、より早い段階における脳死を選択することは本人にとり不利益なことである、しかし、それは、本人がそう望んでいるというのであれば許容できる、このように考えるとすると、A案のような方式をとることは、脳死を一律に人の死とする基本的立場に移行しなければとれないということになってきます。

 しかしながら、臓器移植法という限られた問題領域において、人の死の一般的な概念と基準を決めてしまおうという発想自体が適切ではありません。

 現行の臓器移植法は、我が国では行われてこなかった脳死移植を初めて法的に可能としたものであり、いわば一点の曇りもないところで脳死移植をスタートさせ、それを軌道に乗せるために、特別に厳重な条件を要求したものにすぎません。通常の死と比べて脳死は、本人にとり、より不利益である、そういう考え方を現行法に読み込まなければならない必然性はないのです。我が国の十年の脳死移植のすぐれた実績にかんがみて、その法的条件を諸外国並みにしようとするのがA案であると理解すれば足りると思います。脳死が人の死かどうかは、これは臓器移植法とはまた別に合意を形成していくべき問題であると考えます。

 以上で、臓器移植法のいわば根幹部分についてのコメントを終えて、各論的なポイントについて簡単に私の意見を申し上げたいと思います。

 まず、A案とB案とが予定しております親族への優先提供についてです。

 本来的には、臓器移植の法的規制に当たっては、患者を治療する側と移植を行う側とは完全に切り離すべきであり、ドナーとレシピエントがともにお互いのことを知っているという事態はいろいろな意味で望ましいものではないと考えられます。移植医療に原理的に反対の立場をとる方が、移植医療は人の死を待ち望む医療だといったブラックなイメージを投げかけることがありますけれども、人の死を待ち望むことにならないのは、それぞれが匿名であって、顔が見えて横に並ばないからだろうと思うわけであります。

 ただ、そうはいいましても、親族を救いたいという提供者の気持ちはよく理解できますし、生体間の移植の場合の延長線上で、そういう提供意思を尊重するということはあってもよいことであり、法的障害はないと考えております。臓器というのは何か公共的な財産であって、それを親族間でやりとりすることは、レシピエントにとって移植を受ける機会の公平性に反するんだというようにかたく考える必要はないと思っています。

 もう一点は、最後ですけれども、A案とC案とが被虐待児への対応に言及していることについても一言したいと思います。

 その趣旨は必ずしも明らかでないのですけれども、移植が虐待隠ぺいの手段として用いられるかもしれないという、単なる想像ないし憶測に基づいてそれを条文に書き込むというのであれば、それには少し違和感を持つものであります。

 限られた時間内で、主要なポイントについてコメントを述べさせていただきました。

 御清聴ありがとうございます。(拍手)

吉野小委員長 ありがとうございました。

 次に、稲参考人にお願いいたします。

稲参考人 私は、現在、財団法人日本宗教連盟の事務局長をいたしております稲と申します。

 初めに、本連盟につきまして御紹介をさせていただきます。略して日宗連と申し上げますけれども、昭和二十一年に設立された日本における諸宗教団体の連合組織でございまして、信教の自由の精神のもとに、宗教文化の興隆に向けた諸事業を進めております。現在、教派神道連合会、全日本仏教会、日本キリスト教連合会、神社本庁、新日本宗教団体連合会の五つの協賛団体で構成され、日本における約十八万の宗教法人の九割以上が、それぞれの協賛団体を通じて諸事業に参画しております。

 本日は、臓器移植法改正法案の審議に当たりまして、宗教界の意見を表明する機会を設けていただきましたことを感謝申し上げたいと存じます。

 平成九年の臓器移植法の制定に当たりましては、人間の生と死の問題、特に、死の定義をめぐる問題につきまして大きな議論を巻き起こしたわけでございますが、日本宗教連盟ではこの問題を、我が国における宗教文化の根源ともかかわる重要問題と受けとめ、これまでさまざまな研究協議を進めてまいりました。

 最近では、臓器移植法改正の動きが具体的になってまいりました平成十七年に、「いま、臓器移植の行方を考える」をテーマとした宗教と生命倫理シンポジウムを二回開催しております。また、平成十八年十一月には臓器移植法改正問題に対する意見書、平成十九年三月には臓器移植と生命倫理に関する調査研究の専門機関設置に関する要望書をまとめ、公表いたしております。

 本日は、これまでの活動を踏まえながら、日本宗教連盟及び宗教界の意見を御説明してまいりたいと存じます。

 まず、現行の臓器移植法は、脳死を一律に人間の死とせずに、本人の生前の書面による意思表示と遺族の承諾を原則として、第六条の二項にもありますとおり、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者」に限りまして、例外的に「脳死した者の身体」を死体とみなして臓器の摘出を可能とするものであります。

 それに対し、改正案A案と言われるものは、「脳死した者の身体」を一律に死体とするという内容ですから、脳死を人の死とするものであり、現行臓器移植法の基本的理念を根本から大きく変更しようとするものであります。

 宗教界には、脳死、臓器移植の問題に関してさまざまな意見があります。臓器移植そのものを生命に対する冒涜とみなす意見から、臓器の提供を積極的に愛の贈り物とみなす意見までさまざまであります。しかし、宗教界として、脳死は人の死ではないという点に関しては共通した理解であることを強く表明したいと思います。

 人間は社会的、文化的存在であり、人間の死を科学的、医学的な観点からのみ判断することは誤りと言わざるを得ません。多くの宗教が人間の死にかかわってきました。宗教の立場からいえば、人間の死とは、肉体から霊魂が分離することです。息が絶えたとき、霊魂が身体から離れ、死が訪れます。

 人類は、心臓が停止し、呼吸がとまり、瞳孔が拡大したときを死の訪れと認識してきました。死者をみとった人々は、その死の意味や死後の世界のことを考え、そして生の意味に思いをめぐらしてきました。そうした長年の営みを通して、さまざまな宗教や文化が発展してきました。

 現代日本人の死生観も、そうした宗教的、歴史的背景を経て形づくられています。それを無視して、法律で脳死を例外なく人間の死と定め、死の一般的な概念に変更を加えることは、国民生活にさまざまな禍根を残すことになると考えます。

 次に、A案では、本人が生前に臓器提供を拒否していない限り、家族の同意で脳死での臓器移植を可能にするとしております。ここにも重大な問題があることを指摘しなければなりません。

 さきに脳死は人の死ではないと述べました。人の死でない以上、脳死体からの臓器提供には最低限、本人の意思が必要であることは言うまでもありません。脳死臓器移植の制度について了解した上で、本人がみずから進んで提供の意思表示をしているとき、臓器移植は社会的合意を得ることができ、崇高な行為ともみなされるわけであります。本人の意思表示がないのに、家族の同意だけで臓器移植が可能になれば、そこに愛の要素は見出しがたく、臓器を確保するために他人の死を期待するという状況が生まれ、日本人の倫理観の問題にまで影響することを懸念いたします。

 現行法が基本理念としております本人の書面による意思表示は、脳死臓器移植にとって欠くことのできない絶対条件であると考えます。本人の書面による意思表示を実質的に廃止することは、現行法の改正案ではなく、日本人の死生観に混乱をもたらす法律の制定になると言わざるを得ません。この点を慎重に御検討いただきたいと存じます。

 一方、改正案B案は、臓器提供の年齢制限を十五歳以上から十二歳以上に緩める内容となっております。

 しかし、社会的に弱い立場にあり、脳死臓器移植に十分な理解を持ち得ない子供の意思表示に基づく臓器提供については、大人とは別のルールが必要であると考えます。また、親が子供の命にかかわる意思をどこまで代弁することができるのかなど、検討すべき多くの問題を抱えております。これらの問題が解決されていない現状においては、提供の意思を正しく表明できるかどうか危ぶまれる十五歳以下への拡大に反対をいたします。

 加えて、脳死状態での子供の蘇生力について、まだ明らかにされていない部分があることが専門家からも指摘されていること、また、子供への相次ぐ殺傷事件、幼児虐待などが大きな社会問題となっている現状から、十五歳以下への拡大は進めるべきではないと考えます。

 私たちは、医学や科学の進歩によって豊かな生を享有しております。しかし、医療技術の発達がもたらした脳死臓器移植という治療法は、他者の重要臓器の摘出を前提としている限り、普遍的な医療ではなく、過渡期的な治療法と言わざるを得ないと考えます。

 また、臓器移植の成功率が上昇したとしても、その成功はさらなる臓器の需要を生み出すことは間違いありません。臓器移植大国と言われるアメリカにおいても、脳死からの移植臓器が不足し、生体移植が増加してきているという現状があります。生体移植には、脳死移植とは別のさまざまな問題が指摘されております。

 さらに、年々、救急医療技術の進歩と交通安全対策の充実により、交通事故による死者も減少してきておりますが、このことは、総体的に脳死状態になる人の減少を意味しております。こうした状況の中で、他者の死を前提とする臓器移植法を拙速に改正することが妥当なのかどうか、慎重に御検討くださいますよう重ねてお願いを申し上げます。

 平成九年に現行の臓器移植法が施行され、平成十一年に同法に基づく最初の臓器提供が行われてから約十年が経過しておりますが、これまでの臓器提供事例は七十例とのことです。欧米など他の先進諸国と比べて圧倒的に少ないことが改正推進派の方々から指摘されておりますが、日本でドナーがふえない理由は、法律とは別のところにあるのではないかと考えます。それは、日本人の価値観や死生観などの文化の問題が背景にあるのではないでしょうか。

 今日の日本の社会は非常に近代化が進み、多くの人々が科学技術の発達した現代文明の恩恵を受けておりますが、特定の文化を有する人間としての行動様式がそう簡単に変わるとは思えません。脳死臓器移植の制度について、多くの日本人は、理屈の上では理解しても、その人生観、死生観の上から心理的に忌避しているために普及、定着しないのではないでしょうか。これは文化の問題ですから、よい、悪い、善悪で判断できるものではありません。

 ですから、臓器移植法の拙速な改正を考える前に、まず現行法のもとで広く国民に理解を求めていくにはどうしたらよいのか、国民の死生観や価値観を踏まえて対応を図ることが求められているものと思料いたします。

 以上、臓器移植法改正の問題に関して、宗教界の立場から意見を述べてきました。

 我が国における脳死判定、臓器移植のあり方については、拙速な法改正を考える前に、まず、現行法における十年間の実績と課題、問題点を国民の前に明らかにしなければなりません。また、この間の再生医療や人工臓器などの関連医学の進歩も考慮に入れる必要があります。それらを踏まえて、医療系諸科学や法律の分野のみならず、哲学、宗教、倫理などの分野を総合した検討が必要であると考えます。

 臓器移植法の改正は国民の人生観や死生観に及ぼす影響が大きいことから、広範な議論と意見集約、さらに、今日における臓器移植と生命倫理に関する調査研究を目的とする第二次脳死及び臓器移植調査会の設置を要望いたしまして、意見表明とさせていただきます。

 資料といたしまして、この件に関する本日付の理事長名の要望書を添付いたしておりますので、ごらんいただければと存じます。

 ありがとうございました。(拍手)

吉野小委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人の方々の御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

吉野小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。石崎岳君。

石崎小委員 おはようございます。自由民主党の石崎岳でございます。

 参考人の皆様方、お忙しい中、貴重な御意見を賜りまして本当にありがとうございます。また、見目さん、中村さん、それから杉本先生も、御自身の本当に痛切な体験を聞かせていただきました。本当にありがとうございます。

 臓器移植法ができまして十一年。三年の見直し規定というものもございますが、それからでも、もうかなりの時間が経過をしているという状況です。現在、国会にA案、B案、C案というものが提出をされておりますが、国会としてしっかり議論しているという状況とはとても言えない現状にございます。また、現行法の詳細な総括ということも不十分であるというふうに思っております。

 これは、例えば、この厚生労働委員会という委員会が大変忙しい、常に紛糾する委員会であるという面もありますし、この問題についての、議員それぞれ、あるいは各政党のスタンスというものが異なるということもありますし、また、先ほどお話がございました人の死、人間の死生観、文化にかかわる極めてデリケートな問題であるという側面もあるということで、一つの結論を出すということに慎重にならざるを得ないという背景もあると思いますが、国会の役割からしますと、しっかり議論をして、その上で結論を出すということが我々に課せられた大きな役割だと認識をしております。

 一方では、客観的に見ますと、この十一年で脳死下の臓器移植は七十例と極めて数が少ないということ、それから、海外での移植を受ける患者さんが多く、またその費用も莫大にかかるという現実がございます。また、ドナーカードの普及も余り進んでいない。また、健康な体にメスを入れて、家族から臓器をもらうという生体間移植もふえているということ、これは大変憂慮すべき現状であるというふうに思っています。

 A案、B案、C案、それぞれの考え、それぞれの思想に裏打ちされた提案でありますから、どれがいいとか悪いとかということは価値判断すべきものではないというふうに思いますが、やはり一方で、臓器移植をめぐる日本の現状もこのまま放置すべきではないと私は思います。ですから、国会としては、しっかりとした議論の上に、それぞれの議員が自己の信念に基づいて、党議拘束を外して判断して結論を出す、出された結論については、違う立場の人間もそれを尊重するということ以外にないのではないかと私は考えております。

 きょうの参考人の皆様の御意見を聞いても、それぞれの立場で見方が百八十度変わる、そういう種類の問題でございますが、きょうの御意見を参考にしてまた議論を進めていきたいと思っております。

 最初に、見目さんにお聞きしたいと思います。

 先ほどから、国会での議論がなかなか進んでいないという現状がございます。大体、会期末に参考人質疑をやって終わるというふうなパターンが多いわけでございます。我々政治家の動き、国会の動き、こういったことについて大変歯がゆい思いをされているかと思いますが、この政治の動きについての率直な御意見を聞かせてください。

見目参考人 私どもは、とにかく議論をしてほしいと思っているんですね。

 いろいろな御意見があるのは十分承知しているんです。問題を先送りにすることが最悪です。先送りにすれば、亡くなる人もいるし、海外にも迷惑をかけ続ける。

 結論がどうなるかは我々にはわかりません。ただし、いろいろな状況があるというのは十分理解しているんです。私どももいろいろなことをやって、もう議論してくれるかと思ったら何か大きな事件が起こる、自然の災害が起こったりして、それで議論が飛んでしまうということは何回も見ておりますから、これもしようがないことだと思います。

 ただし、答えになっているかどうかわかりませんが、やはり議論をして、とにかく結論を出してほしい、このことの一点でございます。

石崎小委員 中村さんからも、お嬢様の本当に痛切な思い出を聞かせていただきました。

 A案には反対であるという御意見でございましたが、A案も、リビングウイルといいますか本人の意思、それから家族の承諾というものを前提として、特別何か強制するということではない、そういう法律だと思います。そして、何か周りから強制されるという環境が、それによって生じるということでもないのではないかと思うんですが、その点はいかがでしょうか。

中村参考人 私の体験から申し上げますと、娘の状態を一年九カ月ずっと見続けてきまして、一度も、死んでいる、この子は死んでいるんだと感じたこともないですし、思ったこともないですし、もちろん生きているんだと、ずっと見ていました。

 A案ですと、一律に脳死は死であるということなので、私の中ではそれが認められないということで言わせていただきました。

石崎小委員 ありがとうございました。

 それから、臓器移植法ができて十一年、全国で脳死判定、臓器提供ということが行われてきたわけでございますが、こういった基準の適用というものが厳格に行われて、定着しているのかどうか。

 これは福嶌先生にお聞きしたいと思いますが、この十一年間でその厳格な実施、基準の適用というのが定着したかどうか。先ほど杉本先生は、竹内基準というものはもう崩壊しているんだという御意見もございました。これに対する反論もあろうかと思いますが、この十一年間で脳死判定、臓器提供の基準というものが定着したかどうか、それから先ほどの杉本先生の御意見について、御意見があれば聞かせていただきたいと思います。

福嶌参考人 まず、脳死判定そのものについて心臓移植をやっている者が答えるというのは、本来は余り正しいことではないので、実際には、脳死判定を行った先生にここへ来ていただくというのが大事なことかなと思っております。

 ただ、実際に脳死判定の現場にも私も立ち会うことがございますので、判定をさせていただいて、やはり一番大事なのは、無呼吸テストといって人工呼吸器をとめる検査をする。それをしないと、実際に呼吸が起きてくるかどうか、先ほど杉本先生がおっしゃったように、脳波だけではこれは実はわからない面がございます。ですから、それをきっちりするということが大事で、その判定を行うことに、法的脳死判定を行っている先生方は非常に努力をされています。

 それと、もう一つは脳波の感度を上げることで、実際には、ICUという部屋ではかなりハムみたいなものが入りますので、それをなくして、本当に平たんかどうかという努力をされていたり、その努力のもとで現在までの七十例が行われていて、そこで問題が起きたということは私は考えておりません。

 それともう一つは、仮にそういう脳死判定の経験の少ない施設の場合は、実際に経験された先生が現実には行って、確実なものをさせていただいている。ですから、例えば筋電図が出るとか、おかしい場合はこれはもう脳死判定を行っておりませんので、そういったことはきっちりとさせていただいているというふうに私は確信を持っております。

 それとあと子供のことに関しましても、確かに以前、一番最初におっしゃられていたように、一週間、二週間で心臓がとまるかということにつきましては、実は、脳というのはいろいろなホルモンを出しておりまして、そういったものを補うであるとか人工呼吸器をつけることで、脳というものがなくても心臓が一カ月以上動く例というのは、あの統計ほど多いとは考えられませんが、ゼロではないということは確かだと思います。

 特に子供さんの場合にはそういうことはございますが、ただ、あの論文あるいは新聞の掲載で一番問題なのは、今言いました、肝心な無呼吸テストがされていないということが問題で、もし反対するのであれば、それが行われていない症例で本当にどうかということをきっちりと出した上で反対されることが重要ではないかというふうに私は考えます。

 ですから、もしそういうことであれば、実際に無呼吸テストの重要性についてきっちりとお話のできる先生を呼んでいただければ私としてはありがたいというふうに考えております。

 以上です。

石崎小委員 杉本先生からも、先ほどいろいろ御意見をいただきましたけれども、A、B、C案それぞれについてはどのような御見解でございますか。簡単に御紹介していただけたらと思います。

杉本参考人 二〇〇一年に自分の意見というのはもう既に公開しております。そこで述べていますように、非常にB案に近いのかなと思いますが、七年たっていますし、状況が随分と変わってきているし、在宅の問題も、長期脳死の数もべらぼうにふえているという状況の中で、それに固執するものでは何もない。

 ただ言えることは、先ほどから先生おっしゃるように、議論ができていないということが致命的だと思うんですよね。だから、ここのところを、さっきも福嶌先生もおっしゃいましたけれども、いろいろなところでやはり真剣に、脳死は死なのかとか、診断基準はこれでいいのかどうなのかとかいうあたりのところをもう一度、ちゃんとした委員会をつくって、きちっとみんなでオープンにやらないといけない時期に来ているんだろう。

 ここで多数決でやるべきじゃない。A、B、C、どれかとりなさい、そういう討論はおかしいんじゃないかなと僕は思います。

石崎小委員 ありがとうございます。

 井田先生は海外の法整備もお詳しいというふうに聞いているんですが、韓国のケースについてお聞きしていいでしょうか。(井田参考人「余り詳しくないです」と呼ぶ)詳しくないですか。そうですか。

 今回、例えばA案は、先ほど言いました国際基準といいますか、海外の一つの基準を持ってくるというようなこと。海外でそのような法改正、制度改正ということが行われた国で、何か、その前と後で大議論になったり紛糾したり、あるいはその国の文化と衝突をするというような事例、そんなことはございましたでしょうか。

井田参考人 必ずしも私は諸外国の状況に詳しいわけではありませんけれども、ヨーロッパの国について見ますと、我々は反対意思表示方式という言い方をしているんですけれども、生前、自分は嫌だという意思を積極的に表示している場合を除いては、基本的に臓器摘出はしてよい、近親者の同意を要件としないという考え方。いわば、本人が何も言っていないときには摘出を認める、そういうやり方をとっている国もある。

 それから他方、さっき私が申し上げたように、近親者の同意によって、本人の承諾がなくても、その分ちょっと拡大した形で、拡大された承諾意思表示方式と言われることもありますけれども、少し広げた形で近親者の同意というものを考慮するという立法形式もある。

 私の調べたところでは、六、四ぐらいで、拡大されたA案というような方式をとっている国が多くて、しかし、四割ぐらいの国ではなお反対意思の方をとっている。ある意味で言うと、本人意思というのを比較的強く考えて、本人意思とつなげる形で近親者が意思表示をするという、ドイツみたいな、どちらかというと哲学的な国では比較的A案のような方式をとっていて、大ざっぱに言うとラテン系の国では、反対意思を表示していない限りは摘出を認めてしまうという考え方をとっているんじゃないか、そういう感じがある。

 現に、ドイツという国は比較的A案のような考え方をとっておりますけれども、しかし、周辺の国と比べて若干提供数が少ないということで、他の国との関係で若干あつれきに近いものを起こしているということは聞いたことがございます。といいますのは、ドイツの周辺のオーストリアとかフランスではそういう反対意思表示方式をとっている、少し緩やかな方式をとっているということで、若干提供数に違いがあるんだということは聞いたことがあります。ただし、厳密な比較ではありません。

 それからスイスについて言うと、去年法改正がある前は、スイスは二十六のカントーンで、いわば一つの地方でもっていろいろな……(石崎小委員「スイスの何」と呼ぶ)二十六のカントーンといいますのは、州というんでしょうか、スイスというのは連邦共和国になっていまして、二十六のカントーンがあって、その上に連邦、国が乗っかっているという国なんですけれども、それぞれの州が異なった臓器移植法を持っています。

 その中にはいろいろな方式をとっているカントーンがあったわけなんですが、そこでの提供者数については、反対意思表示方式をとっているからといって提供が多くて、そして本人の意思を絶対にするところだから提供が少ないということでは必ずしもないという統計はどうもあるようですので、基本的に、どういう方式をとったから、直ちにそれが提供数にダイレクトに影響するということでは必ずしもない。

 けれども、大ざっぱに言うと、やはりA案のような考え方をとった方が、現行法よりは可能性はかなり広がってくるということは言えるんだろうと思います。

石崎小委員 稲参考人にお聞きしたいと思います。

 先ほど、ドナーがふえないのは文化の問題だ、死生観の問題であるというお話もございました。子供の移植ということについては、海外に行ったり、物すごくお金がかかったりという事例があるということがございました。ですから、現に例えば生体間移植が行われたり、現に海外に行って移植を受けざるを得ないという現実がある。そして海外から、日本人はもう来ないでくれと門戸を閉ざされるということもある。それだけ必要性があるということでありますが、そういう問題はどう解決すべきだとお考えでしょうか。

稲参考人 非常に身につまされる御質問であろうかと思います。

 この臓器移植の問題に関しましては、やはり確かに、当事者でなければわからない問題というもの、個々の問題というものがたくさんありまして、そのことも真剣に考えなければならないわけであります。

 先ほどの御質問に対しましては、正直申し上げまして、どう答えていいか、私自身明確な答えは見つかっておりませんけれども、しかしながら、やはり人間の生き方、信仰、そして宗教的立場からいえば、少なくとも現状においては、脳死は人の死ではない、そのことを前提にいたしまして臓器移植の問題も考えなければならないというふうに考えているところでございます。

石崎小委員 同じ質問なんですが、これは杉本先生と福嶌先生にちょっとお聞きしたいんですが、生体間移植がふえているという現実、それから海外渡航で移植ということも多いという現実、これをどう解決すべきかということについての御所見を、杉本先生、福嶌先生にお聞きします。

杉本参考人 正直なところ、よくわかりません。

 そのことについて僕は言及できるだけのデータと見識がないといいますか、医者としてはやはり、先ほども申しましたように、どんな命であろうともそれを生として一〇〇%支援する、それをやめるための診断テストとか何だとかをするものではないということだけは確かだと思います。

 だから、先生のおっしゃるような意味についてのコメントというのは、それを語る立場には僕はないと思います。

福嶌参考人 まず生体間移植につきまして、私たち外科医というのは、本来、健康な人にメスを入れないというのが原則であります。ですから、特に私は心臓移植医ですので、言えることは、生体間移植は可能な限りやめるべきであるというふうに考えています。

 海外の移植につきましても、WHOの勧告がありますように、自分の国で何とかしなさいと。こういうことが続いてくるわけですから、やはり日本の国で何とかする法律をつくらざるを得ない。

 しかも、世論では、脳死からの臓器提供をしてもいいという人は必ずしもゼロではなくて、四〇%ぐらいの方がいらっしゃるわけですから、その意見を反映するような法律に変えていただくというのが、唯一、そういった患者さんを救う方法ではないかというふうに考えております。

石崎小委員 ありがとうございました。

 時間が来たようでございますが、本当にさまざまな立場からいろいろ御意見をいただく、そして、これをまとめるということは本当に難しい問題だな、全く百八十度異なる立場というのもございますから、これをまとめていく、前進させるというのも大変難しいというふうに思いますが、今、杉本先生から御意見をいただいて、議論が不足していると。これは国会においても、あるいは役所においてもそのとおりだというふうに思います。

 この十一年の臓器移植法の中身をどう検証していくかということ、どこに問題点があるかということを洗い出していくこと、その上で方向性を見出していくこと、その議論が足りないというきょうの御指摘を真摯に踏まえて、国会での議論を、あるいは国会外での議論も加速していきたいというふうに考えます。

 どうもありがとうございました。

吉野小委員長 次に、古屋範子さん。

古屋(範)小委員 公明党の古屋範子でございます。

 本日は、参考人の皆様方、お忙しい中国会においでいただき、貴重な御意見を賜りましたこと、心から感謝を申し上げます。

 非常に重いテーマでございます。私たちも、当小委員会において、国民に向けてしっかりと議論をし、またその論点を明らかにしていかなければいけない、このように考えております。

 まず初めに、見目参考人にお伺いをいたします。

 お二人のお子様の移植手術を受けられた、その体験をお話しになりました。海外での移植につきまして、こんなことを続けていてはいけない、そのような言葉が非常に心に残りましたし、また、提供者と家族をたたえ、ケアする制度が必要だ、このようにおっしゃっていらっしゃいました。

 臓器移植を待つ患者の方々というのは、一日一日、非常に切実な思いで待っていらっしゃると思います。しかし一方で、御家族を亡くされる悲嘆の中で臓器の提供をためらう方がいる、これも当然のことであると思います。それもよく理解できるところでございます。

 臓器の提供については、その御家族のお考えというものが非常に重要であるというふうに思いますけれども、移植を待つお立場からしますと、そこのところはどのようにお考えになりますでしょうか。

見目参考人 お答えになっているかどうかわかりませんが、私は、自分の娘が向こうで心臓移植を待たなければいけなくなったとき、息子の場合は渡航してすぐに移植を受けたわけですから、余りそのことを考えていなかったんですが、娘の場合には予期せぬ出来事でしたので、向こうで待機をするという期間がありました。約二カ月か三カ月待ったと思います。

 その間、自分が思ってきましたのは大変矛盾することです。自分の子供は何とか助けてほしい、何とか死なないでほしい、でも、ほかの子が何とか不幸にならないでほしい、ほかの子も亡くならないでほしいと思っていました。矛盾することはよくわかっているんです。でも、こういう心境でした。

 自分の子も死に近づくわけですから、死の影がわかるわけです。ですから、自分の子がもし亡くなったらということもよくわかります。もうそこは自分の選択がないというか、その状態になってしまうわけですね。ですから、そのときに私は、自分の子が亡くなれば臓器を提供する、もうこれしかないというふうに思っておりました。

 もちろん、私は、渡航してすぐに自分の子供が臓器を提供していただく立場になるわけですから、その登録をするよりも先に病院の方に申し出をしました。まず、私は筋として、自分の家族が、自分たちが亡くなったときに臓器を提供する意思表示をしたい、その手続をする、その上で子供を助けていただくという手続に入りたいということをしました。

 以上でございます。

古屋(範)小委員 自分の子も助けたいが、ほかの子も亡くならないでほしい、非常に正直なお答えをいただきました。ありがとうございました。

 次に、福嶌参考人にお伺いをしてまいります。

 実際に臓器の摘出の場にいらっしゃったという生のお声を伺ったわけなんですけれども、臓器移植は、臓器提供が行われる際に、脳死を人の死ととらえていくということであります。しかし、脳死判定がなされても、実際には心臓が鼓動し、体の温かい脳死を死ととらえることに抵抗感を感じられる方もあるわけでございます。先生も、実際に器械を停止された、そのときの心情を先ほど吐露されていました。

 脳死は、脳幹の機能を初め、生命維持機能が失われたものと聞いておりますけれども、具体的に体がどのような状態になるのか、このところをお伺いしたいと思います。

福嶌参考人 まず一番は脳と脳幹の停止ということですので、息をしないということが一番大事なところになります。

 脳には、脳神経といういろいろな神経がございますが、その機能がなくなります。ただ、問題になりますのは、脳幹よりも下の神経が生きておりますので、痛みというものは感じないわけですが、痛み刺激が与えられた場合に筋肉が動く可能性というのはこれはございます。ですから、例えば、脳死の状態の患者さんの臓器を摘出する際に筋肉弛緩剤を使わないと、筋肉が弛緩しないとできないということは確かです。

 ただし、痛みをとめるようなお薬、いわゆる鎮静剤に当たるもの、あるいは鎮痛剤に当たるもの、こういったものを使わなくても摘出はできます。ですから、麻酔剤によってそういったものが変わるようであれば、それは脳死ではないと私は考えております。

 実際に五十例ほどの提供の現場に私は携わって、最初のときには、麻酔科の先生が脳死の方のそういう循環管理ということをされたことがありませんので、吸入麻酔薬を使われた症例がございましたが、これは誤解を招くということで、現在では一切使っておりません。使わなくても、それによる特別な血圧の変動であるとか痛みを思わせるような所見というのはございません。

 一応、そういうのが脳死の状態と私は理解しております。

古屋(範)小委員 ありがとうございました。

 さらに福嶌参考人にお伺いいたします。

 脳死判定が厳格に実施されることは、臓器提供の議論の何よりの前提であると考えます。福嶌参考人は、これまで、脳死下提供事例に関与された経験もあるとお聞きをしておりますけれども、これまでの臓器提供事例は厳格に実施をされてきたとお考えになられるかどうか、また、今後も適正に行われるためにはその課題は何か、この点についてお伺いしたいと思います。

福嶌参考人 七十例に関しては厳格に行われたと私は確信しております。

 そういった意味合いでは、課題があるかと言われればきっちり行われてきたということですが、ただどうしても、脳死判定をする医師の少ない病院で提供がございますということが出てくる可能性がありますので、そのときにはやはり経験のある医師がきっちりと応援をして、厳格にするということが大切だと思います。

 特に脳波につきましては、先ほども申しましたようにハムが入りますので、それが本当にハムであるのかどうかということの厳格な診断を協力してやるということになると思います。

古屋(範)小委員 続けてもう一問、福嶌参考人に。

 医師になられた動機を先ほどお話しいただいたのですが、初めは再生医療を目指したということをおっしゃっていらっしゃいました。先ほど稲参考人の意見陳述の中にも、再生医療の技術も画期的に進歩している、あるいは人工臓器の開発も進んでいる、臓器移植をこういったもので代替するという御意見に対してはどのようにお考えになりますでしょうか。

福嶌参考人 私は心臓の専門家ですので、心臓に限って申し上げます。

 現在、私どものところでも再生医療と称して、心膜シートを心臓へ張りつける手術を拡張型心筋症で行っておりますが、これはあくまでも、薬がある程度効いて、人工心臓をつけて、外せるか外せないか、もうぎりぎりのところの患者さんに行う医療であって、拡張型心筋症そのものを治す治療ではございません。

 よく報道で間違って、これがもう変わるというようなことを書かれておりますが、こういうことはございません。心臓の筋肉をつくるというのはそう簡単なものではありませんで、少なくとも三十年ぐらいはこれからまだかかるものだと僕は思います。

 それとあと人工心臓につきましても、我々の病院では約十種類ぐらいの人工心臓を使っておりますが、マキシマムで言って、今まで五年以上の症例というのはございません。しかも、入院生活をしていて普通の生活ができるわけではございませんので、これが今すぐに心臓移植に取ってかわるものかと言われたら、違うと断言できると思います。

古屋(範)小委員 よくわかりました。ありがとうございました。

 次に、杉本参考人にお伺いをいたします。

 直近の世論調査によりますと、脳死判定後の臓器提供、提供したいが四一・六%、また脳死での臓器提供については、本人の意思表示がない場合、提供を認めるか否かは家族の判断にゆだねるべきが四八・一%、また、十五歳未満の者から臓器提供ができないことについてどう思うか、できるようにすべき、これが六八%というような結果が出ております。

 確かに、まだまだ国民的議論は、尽きたというよりもこれからである、まだ十分ではないという印象を私も持っておりますけれども、杉本参考人は、こうした調査結果についてはどのような感想をお持ちでしょうか。

杉本参考人 正直申し上げて、先ほど僕が申し上げたように、一九八五年の診断基準で診断ができないということは言っておりませんね。診断はできるんだけれども、その診断で脳死だとして、それが死なんだという了解が、本当の意味で皆さんわかった上でそのイエス、ノーを答えておられるのかということ。

 それから、僕自身が医者であって、我が子をベッド上で見たときに、これは脳死なんだよ、明らかにうちの子は脳死だったと僕も思いますが、脳死なんだよと言われて、はい、そうですかという気持ちにはほとんどなれないんだろうなという気がします。

 だから、その数字の持つ意味というのは、数としてはわかりますが、どうも、そのことについてどうだと言われても、それが多いから合意ができたかどうかというのもなかなかわかりづらいところがあるんだろうな、正直言って、そう思います。

古屋(範)小委員 ありがとうございました。

 これから、いろいろな意味で国民にとって正しい認識の普及、これが非常に必要なんだろうなという気がいたしております。

 次に、井田参考人にお伺いをいたします。

 私も国民の一人として、先生がおっしゃったように、普通に生活をしている、ほぼ健康な状態にあって、死後自分がどう扱われるかということを、日常的に、それも真剣に考えるというのは、なかなかそういう機会は少ないのではないかというような先生の御主張に私も共感をするところでございます。

 先生は、ポテンシャルとしての提供意思を、近親者がそれをあらわしてあげるんだというようなお話であったかと思うのですが、現実的にそういう場面になったときに、近親者といっても幅があるように思うのですが、先生はその辺のことについてはどうお考えでしょうか。

井田参考人 もちろん、これは近親者の同意ということであるので、納得できる人に限ってそういう提供に同意をするということになると思われますので、だれかが強制するとか、あるいは医療関係者ないしはコーディネーターが出てきて事実上の強制を加えるということはあってはならないし、そういう環境がつくられてはもちろんいけないのですけれども、要するに、やはり基本は家族。

 これまで、一番その亡くなった方を知っていらっしゃる家族の人がずっと見ていて、その人がどういう気持ちでいるだろうか、あるいはいたであろうかということを、そんたくという言葉をよく使われますけれども、そんたくする形で、また、親族御自身の気持ちも納得できるというところで初めて提供の意思に、いわば具体的なものとして形になっていくんだろうというふうに思います。

 さっき先生おっしゃったように、私どもが夜中にカードを出してきて、ではサインするかな、そういう場面というのは、よほど立派な人なら別かもしれませんが、普通の人はやはり嫌だと思うんですね。ただそれは、だからといって摘出に対しても絶対反対というのじゃなくて、やはりそこの部分を酌んであげて、そして、ポテンシャルな提供意思はだれもが持っているんだという言い方を私はしましたけれども、それを親族が、さっき言ったような形で具体的な形にしてやるというのが一番よいやり方であるし、だからこそ、世界の多くの国でもそういうやり方がとられているんだろうというふうに私は思っているわけです。

古屋(範)小委員 稲参考人にお伺いをしてまいります。

 脳死、臓器移植の問題は、生死観にもかかわる重要な問題であると思います。社会としても、その議論を重ねましてこのあり方を考えていかなきゃいけない、こう思うわけでございます。

 海外では脳死からの臓器提供が幅広く認められておりまして、我が国でも、平成十八年の世論調査の結果を見ますと、脳死下で臓器を提供したいと答える方が四割を超える。ある意味、脳死に対する理解も、少しずつではありますが進んできているように思います。

 そこで、日本人の脳死や臓器提供の問題への考え方は海外との違いがあるのか、あるいはどのような点か、お伺いしたいと思います。

稲参考人 海外との違いということでございますけれども、その点につきましては、やはり先ほども申したように、文化的な違いあるいは死生観の違い、そういったものが根底的にあるのだろうというふうに私は考えております。

 ただ、具体的にどう違うのか、そういったところにつきましてはこの場でちょっとお答えすることはできませんけれども、そういった問題も含めて、現行法のもとでなぜ七十例にすぎないのかという御指摘があるかと思いますけれども、現行法のもとでドナーをふやしていく方法はないのか、そういったことも、文化の違いからいろいろと考える余地はあるのではないかというふうに考えております。

古屋(範)小委員 稲参考人にもう一問お伺いいたします。

 臓器移植の議論を進める上で、宗教者として、何に留意されるべきか。先ほどの意見陳述にもございましたけれども、さらに何かあればお答えいただきたいと思います。

稲参考人 やはり脳死臓器移植の問題で一番議論されているところが、死の定義であると同時に、人の人生の最後をどういうあり方で迎えていくのか、人はどういうふうに死んでいくのか、そういうものと、この脳死臓器移植の問題は非常に密接に結びついている問題でございます。そこに文化的な背景も大きく考えなければなりませんし、宗教者にとりましても、この問題をどう考えるかは、今後も大きな課題、問題として考え、そして取り組んでいかなければならないというふうに考えております。

古屋(範)小委員 中村参考人にお伺いいたします。

 先ほども御自身の体験を切々とお話しになりまして、私も一人の親として胸を打たれました。心臓が鼓動していて体が温かく、また成長してくる、そういうお嬢さんのお姿を見ながらの正直な御心情であったかと思います。この心臓提供、やはり任意の同意が絶対の前提なんだという思いを深くいたしました。

 しかし、その同意を切り出す、もしそういった場面に会ったときに何が一番大切か、どう思われますでしょうか、お答えをお願いいたします。

中村参考人 私もそうだったんですけれども、たった今まで、たったさっきまで元気に笑って、普通の、笑えて歌ってしゃべってという我が子が、ある日突然、本当に考えもしなかった脳死ということになってしまいまして、全く意識もなく、しゃべってくれることもなくという姿になってしまったときに、まず担ぎ込まれていったときに、脳死と言われる前の段階で私が思うのは、とにかく先生、娘を何とかしてください、助けてください、どんな形であってもいいですから命だけは救ってください、ただそれだけの気持ちだったので、そのときに、移植の話とかそういうことは冷静に考えられない状態だと思います。

 現に私の方にはそういうお話はもちろんありませんでしたけれども、もしそこで移植の話があったとしても、冷静な親の判断は全くできない状況だと思います。

古屋(範)小委員 ありがとうございました。

 皆様の貴重な御意見を踏まえまして、法案の審議に役立ててまいります。

 以上で質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。

吉野小委員長 次に、岡本充功君。

岡本(充)小委員 民主党の岡本でございます。

 きょうは、それぞれ六人の参考人の皆様、改めて、お忙しい中お時間をつくっていただき、お話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。

 私も議員になる前までは血液内科で医師をしておりまして、そういう意味では、骨髄移植という移植、それから、そもそも輸血も臓器移植の一つであるという立場で考えますと、頻繁に、輸血はもちろん、骨髄移植は行ってきたわけであります。

 正直、移植の難しさというか、提供側の同意の話を取りつけるための話をしたこともありますし、逆に受け入れ側として骨髄をいただきに全国各地に行った覚えもあります。そういう意味では、それぞれの立場がわかる。

 しかしながら、骨髄移植と今回の法案との最大の違いはやはり脳死の部分にあるのではないかな、これをどういうふうにとらえるかというところなのかなということで、私自身も、正直言って、自分のこれまで見聞きした話だけでなく、きょうのようなお話を聞かせていただきますと、改めて考えさせられるところがあるわけであります。

 そういった中、きょうは幾つかのお話を伺っていきたいと思っています。

 私の大きなポイントは二つありまして、今回の法案で、一つは、本人の意思をどのように確認するか。先ほどそんたくというお話がありましたけれども、こういう観点。

 もう一つは、やはり小児に特に、きょうは福嶌参考人もお越しでありますけれども、乳幼児、この脳死の判定のあり方もさることながら、実際には心臓の大きさの問題で現行法では移植を受けられない、こういうたくさんの皆様方の医学的見地からの必要性ということもお話を聞かせていただきたいと思っています。

 そういう意味で、まず後段の方からの話に入って恐縮ですけれども、福嶌参考人は、これまでも臓器移植にかかわる予後について、渡航移植の実態把握及びリスク解析についてということで厚生科学研究もやっておられるようでありますが、実際のところ、一歳未満の心臓移植を受けられた子供さんの五年生存率、十年生存率というのは、米国ではどのくらいなんでしょうか。

福嶌参考人 私の一歳未満の一番の経験というのは米国でロマリンダ大学に留学をしていたときで、そのときに一歳未満の患者さんが百例ぐらいございました。五年生存率が、そのときで九〇%前後ですね。十年が八〇%前後です。それは実は、拡張型心筋症であるとか、先天性心疾患でも左室低形成という非常に重症な疾患によってやや予後は異なっておりますが、平均としてはそれぐらいになります。

 ただ、この成績は一応世界で一番いい成績ですので、世界全体の平均値ということをとりますと、もうちょっと悪くなります。五年生存率が七割ちょっとぐらいだと思います。それで、十年になりますと、やはり六割というのが世界の平均だと思います。ただ、優秀な病院はそれよりもいいということになります。

岡本(充)小委員 年間の症例数によって恐らく術後の成績は変わってくるんだろうと私も思っています。

 そういう中で、もう一つお伺いしたいのは、今お話にありました、心移植の絶対適応となる疾患別に分けた予後についてもやはりある程度検討をしなきゃいけないんじゃないかというふうに思っています。今の左心低形成の話だとかエプスタイン奇形だとか、いろいろ適応だと言われる疾患はあるわけでありますが、そういう疾患に分けて出された統計を先生が御存じであれば教えていただきたいんですが。

福嶌参考人 まず、先天性心疾患の移植については、最近、いろいろな手術の開発とドナーがやはり不足しているということで、新しい症例がかなり減っているのが現状でございます。ですから、逆に言いますと、ほかのことが全くできない先天性に対する手術なものですから、成績は幾分悪いと思います。それで、今申し上げましたように、大体五年でいうと七割ぐらいということが成績になっております。ただ、拡張型心筋症に関しましては八割程度であります。

 それで、実際に日本から海外に行かれて心臓移植を受けられた子供さんで、先天性の心疾患は実は五名ぐらいいらっしゃいますが、一人を除いてすべて生存されていて、ですから、十年で八〇%以上は生きているということですので、いい、非常に経験のある施設に私どもは紹介をいたしますので、その病院を紹介して、日本で管理をする限りは、それぐらいのことはさせていただけるのではないかというふうに思っております。

岡本(充)小委員 恐らく、私が聞いている話でも、症例数、大規模スタディーができるわけでもないので、ある意味、統計学的な意味のある数字はなかなか疾患別に出しづらいという話も聞いています。

 そういう中でもう一点、ちょっと医学的な話なんですけれども、もし現状で十五歳の方のドナーがみえた場合、体型にもよると思いますけれども、一般的に言えば、その方の心臓は何歳ぐらいの子供さんまで移植が逆に可能なのか、レシピエントとなり得るのかという点については、先生はどのようにお考えなんでしょうか。

福嶌参考人 私どもの大阪大学の基準でいいますと、体重三倍までは移植可能というふうに診断をしております。ですから、大体十八キロぐらいですね。大体、十五歳といっても既に四十キロを超えておられますので、十五から十八ぐらいというのがその限界になります。

 それで、十五キロといったら普通は、例えば四歳とか五歳ぐらいを思われると思うんですが、心不全の患者さんというのはぎりぎりの絞りをしますので、体重が十五、六キロというのは実は十歳ぐらいになります。ですから、八歳、九歳ぐらいが日本で移植のできない限界かなと思っています。

 実際に、私どものところで、四十七キロの女性から十八キロの子供さんに移植をして、今も生存されておりますので、そこまでは可能かなというふうに考えております。

岡本(充)小委員 現行法で一体どういうところが問題なのかという、やはりちょっと整理をしたいという意味で今問わせていただきました。

 そういう意味でいいますと、確かに体重で見るという考え方もありましょうし、心機能によっても移植可能な方は決まってくるんだろうと思います。今のこういった医学的な観点で考えると、現行法における下限というのはおのずから決まってくるのであろうということは、私も承知をしています。

 その中でもう一点、福嶌参考人ばかりで大変恐縮でございますけれども、ドナーが脳死と診断されてから移植に至るまで、この期間によってレシピエントの予後というのはどのように変わってくるか、もし知見をお知りであればお話しいただきたいと思います。

福嶌参考人 これは脳死になる原因にもよるんですが、一般的に、脳死になってから早くに心臓を摘出しなければいけないということはよく報道されていますが、これは厳密に言うと間違いでございまして、脳死になったときに、急速な脳死の場合に心停止を来すことがございます。心停止になってすぐに心臓を摘出しますと、この心臓は予後が非常に悪いということがわかっておりまして、二十四時間から四十八時間ぐらい置いて、心機能が戻るということを確認することが非常に大事です。

 ですから、実は、日本の場合は、脳死になってから実際の法的脳死までの時間というのが欧米に比べてかなり長い、心臓にとって悪いかというと、これは決してそうではないこともあります。

 ただ、肺の移植だけを考えますと、人工呼吸器に乗っている期間と肺炎とは相関がございますので、肺の移植が減るということは、多分そうではないかと思います。

 それで、実は、心臓がある程度落ちついてまいりますと、肝臓と腎臓は逆によくなってくる可能性というのがございますので、ほかの臓器は、安定した血行動態になれば、決して減ることはない。ですから、肺を除く臓器は、長いことが悪いわけではない。

 ただ、もちろん、脳死になったのでもう積極的な治療をしない、一切治療が中止された場合は、これは全く別の話になりますので、あくまでも、その人の延命を含めた治療が行われたということが前提でのお話になります。

岡本(充)小委員 そういう意味でいいますと、私が危惧しているのは、提供側の施設で移植を急ぐようなことがあってもらっては困る。御家族、そしてもちろん、関係する皆さんの御了解、コンセンサスが十分とれるようにしていかなきゃいけない。

 実際のところ、私も、骨髄移植であっても、本人がいいよと言ってドナー登録をしていても、実は、コーディネートを進めていくうちに、やはりだめよという話になることが往々にしてありまして、そういう意味では、骨髄移植の場合は前処置が始まりますから、前処置を始めてからの拒否はできないということになっていますが、そこでまた逡巡をされる方もみえないわけではないという中で、本当に、十分な時間をかけるというのは、どこまでかければいいのかということの時間をお知らせいただきたかったわけであります。

 続いて、先ほどもちょっと質問がありましたけれども、中村参考人にお話を伺いたいと思います。

 本当に胸の詰まるお話を伺いました。お世話になった小児科の先生が一緒に泣いてくださったという話も聞きました。その気持ちもよくわかります。血液疾患も長期にわたって入院をされる方がみえます。本当に、そういう意味では、家族までとは言わないけれども、主治医側としてもかなりの感情移入があるわけであります。

 そういった中、お世話になった小児科の先生から、先ほどもお話がありましたけれども、臓器をいただけませんかという話を言われた場合に、これを断ることはできるのか。先ほどの話で、期間に関係はない、半年たってある程度人間関係ができた小児科の先生からそういう申し出があった場合には、実は、もちろん本人の同意は小児の場合はあり得ませんから、そういう意味では、家族、親の決断に頼るということになるわけですが、これを断るのは非常に難しいんじゃないかと私は推察するわけです。

 改めて、そのときの状況も含めながら、御自身の経験も踏まえていかがお考えか、お答えいただけますか。

中村参考人 娘が旅立っていった瞬間のことを今ちょっと思い描いてみましたけれども、あの段階で、あの状況で先生の方から移植の話が出たとしても、私は、臓器、心臓がどことか、ばらばらにして娘の存在は考えられないので、娘は、全部があって、一つの体があって、そこに体があって娘だと思っていますし、多分そのときも思っていたと思いますので、どんなに信頼関係で厚く結ばれていた先生と私たちの関係であったとしても、親として、私は、移植にお願いしますという言葉は絶対出なかったと、今改めてあの九月二十四日のあそこの場面を思い出して、今はっきり感じました、そういうふうに考えました。

岡本(充)小委員 私は、そういう御意見もあると思いますが、一部では、変な話、医者の話し方一つでどちらにでもなると思うこともあるんです。移植ではありませんが、剖検をさせてくださいというお願いを私は何遍もしました。これも、正直申し上げて、お話の仕方一つで御同意いただける場合と御同意いただけない場合が出てくるというのが実情で、そういう意味では、提供施設側の、ドナーの方の主治医の意向、意思が大きく働いてくるという制度になるんじゃないかな、その主治医のいわゆる死生観がかなりこれは影響するんじゃないかと、私は、正直、今の方法についても危惧は持っているんです。

 そもそも、なぜ日本人は献血をしないのかということも一つでありまして、私、日赤の仕事を大学院時代にアルバイトで行って見ていました。ドナーさんはもういつも同じ人なんですね。いつも同じ人。毎回同じ人が、変な話、二週間に一回、四週間に一回、献血が可能なタイミングでお越しになられるという方がかなり多かった、それが実態であります。

 そういう中で、なぜ日本人はこういう、ある意味、献血という、一番簡単なと言っては失礼ですけれども、だれしもができるこういうボランタリーの精神を発揮できないのかということについて、稲参考人にもしお考えがあればお聞かせをいただきたいと思います。

稲参考人 日本人は献血をする方が少ないという話、正直申し上げまして、そういう話、私、きょう初めて伺ったわけなんですけれども、もしかしたら、それときょうの議論の問題と関係があるのかもわかりません。

 それと同時に、これもよく議論することですけれども、今の現代社会というものが人間の死というものを余り感じない社会になっているんじゃないかという気はいたしております。昔であれば、人間は家庭で生まれ、家庭で亡くなる、その中で、今生きている人間も死というものを密接に感ずる機会があったわけであります。そういったものが現代社会では密接に感じられない部分があるのではないか、これは現代社会の一つの課題ではあるというふうに感じておるところです。

岡本(充)小委員 私自身も、正直、では頻繁に献血しているのかと言われますと、かつてはしていたんですけれども、九六年以前に英国に行った人は献血できないと言われるようになりましてから、献血をすることができなくなったわけでありまして、最近はしておりません。

 そういう意味では、皆さんの自発的な意思による臓器提供の意思というのがどのように発揮されるかというのも、実はどの法案が通ったとしても、A案がたとえ通ったとしてもこれは大きな課題でありまして、残念ながら、多くの患者さんがお待ちになられている中での御期待に沿えないのではないか、要するにレシピエント側の御期待にはこたえられないんじゃないかというふうにも私は危惧をしているわけであります。

 ここで見目参考人にちょっとお話を伺いたいんですけれども、それぞれの患者さんの団体のお取りまとめをされているわけでありますけれども、そういう皆様方の、逆に言うと、多くの皆様方の今の自発的な意思に対する貢献、もしくは御自身での発意によるボランタリーというものは、それぞれの患者さん、どのように今現在発揮をされているのかということを、もしお知りでしたらお答えをいただきたいと思います。

見目参考人 なかなか難しい御質問だと思います。

 移植を受けた者がどのようにしているかということにもなるかもしれませんが、各人それぞればらばらでございます。

 どちらかというと、地方に暮らす方などはなかなか暮らしにくい状態になってしまっているというふうに聞きます。移植を受けたこと自身をなかなかオープンにできないで、隠しながら生活しているという方々が結構多いように聞いております。

 そしてまた、逆に、都会の方に住む者は比較的そのことをオープンにして、そして、例えば私どもが臓器移植の普及のためにパレードとかドナーカードを配るときには、そういう方が出てこられて一緒にまくというようなことをしております。

 これでお答えになりましたでしょうか。

岡本(充)小委員 これは、私、人から聞いた話なので、これが本当に事実かどうか知らないんですが、米国の五%ルールができた経緯の一つに、日本人のあるお子様を連れて御家族で向こうで待機をしていた、残念ながら、提供者があらわれずに亡くなられた、亡くなられたときに、そのお子さんの親に対して米国人の医師が角膜をいただけませんかという話をしたときに拒絶をされた、それで、米国人の医師が、要するに、自分は下さいといって待っていて、亡くなられたときには自分は提供するのは嫌だという話をされたことに一つ心証を悪くしたという話を、これは伝聞ですけれども、聞いたことがあります。

 そういう意味でいうと、それぞれの立場に立つと、それぞれになかなか難しい、そういう制度じゃないかというふうに私は思っておりまして、きょうちょっと時間の関係で杉本参考人、井田参考人には御質問できませんでしたけれども、それぞれの参考人の皆様方の御意見を十分承った上で、今後の立案に私もかかわっていきたいと思います。

 きょうはどうもありがとうございました。

吉野小委員長 次に、高橋千鶴子さん。

高橋小委員 日本共産党の高橋千鶴子です。

 きょうは六人の参考人の皆さん、本委員会に出席をいただき、貴重な発言を拝聴することができました。本当にありがとうございました。

 私自身は、過去二回、参考人質疑があったかと思いますが、どの機会も本当に重要な意見を聞くことができた有意義な機会だったと思っています。特にきょうは、臓器を提供した側、された側、そして脳死と向き合った側、そして直接執刀されたドクターなど、それぞれの立場のお話を一遍に聞くことができたというのは、本当に重要な機会であったと思います。ありがとうございました。

 私がきょう強く感じたことは、やはり、立場は違っても、ドナーでもレシピエントであっても、子供の命を助けたいというその気持ちは同じだということです。本当にその気持ちにこたえられる、そのためには何が必要なのかということを議論していかなければならないと思います。

 脳死は人の死かということにいまだ結論が出されていない、疑問が大きく突きつけられている中で、どこかで線を引き、多数決で、ここからは死であると言わなければならないのか、そこに対する大きな悩みが今ございます。

 そこで、最初に、ちょっと順番があれですけれども、井田参考人に伺いたいと思います。

 私が今悩んだと言ったことについて、井田参考人が、ちょっと前ですけれども、二〇〇四年のジュリストで、「脳死と臓器移植法をめぐる最近の法的諸問題」ということで論文を書かれているのを拝見させていただきました。

 「現行法への評価」というところで、「死は客観的に一つのものであり、本人の意思によりはじめて生死が定まる事態を承認することはできない、」云々などという、その反対理由などが当時あったということなどをいろいろ踏まえて論を展開する中で、最後のところに、今回の法改正をするのであれば、つまり「法改正により、本人の意思表示がなくても近親者の意思表示があれば足りるとする「拡大された承諾意思表示方式」に移行しようとするならば、現行の臓器移植法の基本的立場の変更を迫られざるを得ないことに注意しなければならないであろう。」とおっしゃっております。

 つまり、「脳死説の一般的承認」というふうに注釈をつけておりますけれども、そうなると、やはり、先ほど中村参考人がお話をされたことですけれども、家族が拒否できるんだから拒否する人はそれで問題ないのではないかという議論があるけれども、一般的にそれが死なのだと認められてしまうことに対する影響というのがあるのではないかという指摘があって、私、それが非常に重要ではないかなと思っているんです。そのことについて、ぜひ伺いたいと思います。

井田参考人 確かに、私も法律の学者でございますので、私自身の法律上の見解あるいは学説というのがありまして、私自身は脳死という状態は人の死と考えてよい状態だというふうに考えております。ただ、その問題と、それから、それをほかの人との関係で説得するとか、あるいは一緒に議論してみんなで一定の合意を得ていくというときの問題は、またこれは別の問題であります。

 もし、十人の人がそこにいて、みんなで何らかの合意を得ていかなければいけないというときに、自分の意見に固執して、おれはこう思うんだ、だからそれを君たちも採用しろというふうに迫るというのは、これは合意のとり方として決してよいことではないわけでありまして、全員がみんな同じ土俵に乗れるような考え方によって合意を得ていくということは、ある意味で政治の問題かもしれませんけれども、非常に大事なことで、そうあるべきだというふうに私は考えております。

 きょうお話ししたのは、そういう意味でいうと合意のとり方の問題で、私自身、学者としては、A案をとるためには、基本的に、脳死イコール一律に人の死という考え方をとるのが一番素直だし、説明が一番しやすいし、わかりやすいし、また、それが国際的なスタンダードにもなっているということなんです。しかしそれは、でき上がった法律をどう解釈するかというときに、そういう解釈をするのが一つの理解だということを意味しているにすぎません。

 さっき申し上げたように、我が国の臓器移植法の制定の経緯に照らして、とにかく、今の臓器移植ができたときには、確かに、衆議院で一度脳死を一律に人の死とする法案が通った後、参議院で大きな改正あるいは文言を変えるという作業が行われて、とりわけ六条の三項という非常に象徴的な規定が入ったことからも明らかなように、これは、脳死を一律に人の死とするのではなくて、臓器移植の場面に限って本人の承諾の意思がある場合のみその状態を死とするんだという、学説では、我々の世界では脳死選択説という考え方がとられたというふうに理解されるし、恐らくそれが立法経緯の正確な理解だろうと思うんです。

 ただ、今現にある臓器移植法は、それは臓器移植の場面に限ってであるにしても、一定の要件を付した上でであるにしても、脳死は人の死だということを認めた法律だ、そこまで効は認めた法律だということを前提にすることはできると思うわけで、今の臓器移植法を前提に考えるときには、そういった経緯にかんがみて、我々としては、脳死については非常に慎重な立場から、ちょっと重目の要件、重目の条件をそこに課しているんだというふうに理解することができるわけです。

 それを今回、法律を改正することによってその条件を少し緩めるということは、別に根本的な立場を基本的に変えるものなんだというふうにかたく考えなくても、私自身はよいのではないかと。

 要するに、それは後で新しくできた法律をどういうふうに我々が解釈するかという問題で、ある人にとってみれば、それは脳死イコール一律に人の死ということを認めた法律なんだというふうに読むでしょうし、別の人にとってみれば、いや、それはそうではなくて、いわば諸外国並みに適切な要件をそろえた、しかし、脳死とそれ以外のものというのはやはり区別して規定されているので、決してそれは脳死イコール一律に人の死と認めたものではない、それはまた別に我々自身で合意を形成していくべきなんだという考え方も、これも十分可能であるわけで、一定の何かかたい解釈でもって法律をつくっていかなきゃいけないというものではなくて、両方に読めるようなものであるのであれば、それを前提に、要するに結論が正しいものであれば、後でいろいろな理屈をつけることは可能であるわけなのであります。

 私、A案のようなものをつくるというのは、決して脳死イコール人の死というのを一律に前提にしなきゃできないものだというふうには考えませんし、また、そこで合意をちゅうちょする理由もない、もし結論がそれでいいのであれば、そういう結論をとって、法的な目から見ても差し支えないというふうに考えているわけです。

 長くて申しわけございません。

高橋小委員 ありがとうございました。

 先ほどの御発言の中で、やはり、十二、三歳くらいの子供に死んでから後のことを決めさせるのは不自然であり無理であるとおっしゃって、だからA案でやるというのに対して、どうもそういう整理でいいのかなと逆に疑問を持ったので、今質問させていただきました。

 そういう点で、今、同じテーマを見目参考人に、どのようにそこを整理されているのか。つまり、先ほどお話があったように、脳死は人の死であると基本ができているのだから、あとは一定の子供の年齢ということで線引きをするということでよろしいのか、しかし、一般的にそれを死だと言ってしまえば、拒否する人もしない人も死であるということを受け入れざるを得ないということに対して、どのように整理をされているのか伺います。

見目参考人 これはまた難しい問題だと思います。

 私は、少なくとも法学者ではありませんから、的確な回答ができるかどうかわかりません。ただし、少なくともA案については、脳死判定を拒否することができるということが入っているわけですから、脳死を人の死と思わなければ脳死判定を拒否することができるわけです。これが、一律にすべて受けなければいけないということであれば問題があると思いますが、少なくとも脳死判定自身を拒否することができるわけですから、したがって、どなたにでも冷静に考えれば受け入れていただける案ではないかと思います。

 お答えになっていますでしょうか。

高橋小委員 ですから、先ほど来お話ししているように、拒否をしても、それは社会的に脳死なのだよということを言われたときに、今拒否をして生きている子供と向き合っている家族がどういう扱いになるのだろうかということを疑問に思ったということであります。その点については、特に今は見解がないということでよろしいんですね。では、よろしいです。

 次に行きたいと思います。

 中村参考人には、有里ちゃんのお話、本当に心を打ったといいますか、つらい体験を冷静に私たちに聞かせていただいて、本当に敬意を表したいし、感謝を申し上げたいと思います。先に私が感想をほかの参考人の皆さんに対してお話をしたとおり、一番感じたことは今のことであります。きょうの御指摘をいただいて、やはり、拒否できる、できないというだけの問題ではないのだということを、我々がどう受けとめるべきなのかということを非常に考えさせられました。

 きょう、逆に角度を変えて伺いたいのは、きょうのお話の中にも幾つか出てきましたけれども、有里ちゃんがもう亡くなってしまうんだろうと覚悟をしたときに、それをとどめた大きな力が兄弟の励ましであったというお話がありました。一年九カ月という期間に家族がずっと支え合ってきたということが大きな励ましだったと思うんですけれども、この三人のお子さんが、有里ちゃんのことをどのように受けとめ、またその後、今どんなふうに感じていらっしゃるのか、もしお話しできたらお願いしたいと思います。

中村参考人 三人の兄たちは、それぞれ今、この八カ月前の有里の死を通して、あと脳死と宣告されてからの一年九カ月間、本当に、たったさっきまで一緒に遊んでいたかけがえのない妹が何でこんなふうになってしまったんだろうと、私たち親である大人であってもなかなか受け入れがたい事実がそこにありまして、子供はどのようにそのことを受けとめているんだろうと、私も自分の中で、子供に問いかけたことはございませんが、見ている様子等で感じたことは、人の死ということを、妹の死を通して初めて、人が死んでいくということはこういうことなんだということを八カ月前に目の前で見て、彼らは、人が死んでいくということはこういうことなんだということを実感して感じてくれたと思いますし、人が生きていく、人の命ということをとてもしっかり受けとめているがゆえに、先ほど言いました、リーフレットになぜこんな不公平な書き方ができるんだという発言にもつながってきているんじゃないかなということを、身にしみて感じています。

 私たち大人でも娘の死はなかなか受け入れがたい事実でありましたけれども、子供は子供なりに、人が死んでいくということはこういうことなんだということをしっかり学んでくれたと思っています。

高橋小委員 子供たちに命の教育といいますか、むしろ、恐れず、もっともっと話し合いをしたり教えていくということが大事なのかなということを改めて考えさせられました。ありがとうございました。

 次に、杉本参考人に伺いたいと思うんですが、著書である「子どもの脳死・移植」を読ませていただきました。御自身が小児科医であり、脳死とは何かなどということもいろいろ書かれたりしている立場であり、かつドナーの親となったという、本当に貴重な経験をされているかと思います。だからこそ、杉本参考人の存在というのは、この臓器移植法の審議に当たっても貴重な、参考になる御意見ではないのかなと思っております。

 先ほど、あえてお話の中で触れていなかったんですけれども、息子さんのことを親の勝手のような言い方をされた、大変自嘲ぎみにおっしゃったわけです。ただ、この本の中で述べられておりますけれども、その決意をされてから、御自身が手術に立ち会って、最後の瞬間まで、心臓が戻ってくるのかなということで奇跡を信じていたというふうなことをおっしゃっています。

 一度は提供するということを決めても、その現場が非常につらいものであるということ、そして、そのつらい家族の気持ちをなかなかフォローができないでいるということも、ほかの経験をされた家族との交流を通して指摘もされているかと思うんです。その点のことを少し紹介していただければと思います。

杉本参考人 今の御質問は、ドナーファミリーとしてどう思うのかという御質問でいいんでしょうか。小児神経科医としてということではなくて、父親としてどうかということですね。

 基本的に僕のバックグラウンドというのは、ちょうどその事故があったときは自分の全盛期というか一番仕事が乗っているときで、非常にクールで、脳死は死であると断言してもいいぐらいのクールな考え方を持っていたわけですね。ところが、自分の子供がそうなって父親の姿に戻ったときに、実に哀れな、おろおろとした姿に変わってしまっていたということが一つはあると思うんです。

 それから後の仕事というのが、それ以前の仕事と随分と変わってしまったというのでしょうか、当然、重症の心身障害児の方々のサポートも含めた重い人たち、特に自分のことを発言できない人たちの代弁をするような小児科医でありたいということをすごく思うようになりました。それが父親としての、そのときの決断をした一つの生き方ではないかということを思いました。

 そこで、ほかのドナーの人たちとどういう思いの交流があるかといいますと、今ドナーファミリークラブというのがあるんですけれども、僕は一度も出たことはないんですが、柳田邦男さんの討論なんかもいろいろ聞いておりましてもそうなんですけれども、先ほどからありますように、よくやりましたね、それは社会的に評価しましょうね、決してそういう気持ちではないんですね。むしろ個人的な中で、自分たちがやむにやまれずそこで決断をした、それが正しかったのかということでみんな悩んでいます。

 特に子供のドナーの親になった家族の立場からすると、みんなやはり贖罪感を持っています。本当によかったんだろうかと。すきっと割り切って、よかったよかった、それを皆さん感謝してくださいねという思いになり切れないんですね。これは正直なところ、そういう思いを皆さんがお持ちです。

 しかも、そのときの決断が非常に短い期間だったものですから、そのときのことがフラッシュバックしてきて、あれがよかったのか、これがよかったのか、あのときの医者は何という態度だったんだ、いや、この医者はよかったとか、何かいろいろなたびにいろいろなことが、僕も二十三年たちますけれども、まだきのうのことのようにその場面がここに浮かび上がるんですね。

 だから、我々の人生というのは、子供を亡くしたときから質的に家族というのは変わっていくんだろうなと。恐らく、ドナーファミリーというのはみんなそういう経験を持っているんだろうと思うし、大人になって自分でドナーカードをお持ちでやられるということの意味とちょっと違うんじゃないか。むしろそこに重きを置かないと、医学の側から、それからレシピエント側から必要だからドナーも年齢を落としたらというところに討論が単純にいっていいのかなというところは少し、科学的ではないですけれども、そういう思いは持っております。

高橋小委員 貴重な御意見をありがとうございました。

 福嶌参考人と稲参考人にも伺う予定でしたが、時間が来てしまいまして、きょうは本当に貴重な御意見ありがとうございました。

 これで終わります。

吉野小委員長 次に、阿部知子さん。

阿部(知)小委員 社会民主党・市民連合の阿部知子です。

 本日は、六人の参考人の皆さんから大変に貴重なお話を伺いました。臓器移植法が施行されてから十年ということで、いろいろな角度からの見直しが必要である、しかし、国会の中の作業は残念ながら全くそれに追いついていないと。

 ちなみに、私は、今上げられているA案、B案、C案のうちのC案の提案者でもありますが、例えば移植を受けた方のその後がどうであるか、あるいは、先ほど杉本先生がお話しになった、ドナーとなられた方の御家族がどうお考えであるかなどなども、私はこの国会にいて、実は一回も本当に論じられたことがないのではないかと思います。

 その意味でもきょうは大変貴重でしたが、しかし、この席を振り返れば、参考人の皆様には申しわけないほどの少ない数での議員の意見聴取しかありません。

 委員長にぜひともお願いしたいです。これは私と共産党の高橋さんがともにお願いしておりますが、こんないいお話を、できれば国会議員全員に聞いてほしいくらいだし、ぜひ本委員会でやっていただきたい。私は、きょうも、どなたのお話も胸に詰まりましたし、そしておまけに、人の死という世の中で最も大事なことが論じられる場が、こうしたまばらな小委員会で、聞き流すとは申しません、もちろん委員長が御報告をつくられると思いますが、じかに聞くのとやはり違うんだと思います。これは理事会でぜひ御検討もいただきたいことを重ねて申し上げます。

 そして、きょうこの場所には、実はC案の共同提案者の金田誠一先生がおいでです。思い起こせば十年余の昔、中山先生のお出しになった案と、金田先生のお出しになった脳死を一律に人の死としない立場から臓器移植を考えるという法案の審議が、本当に真摯に行われました。今はもうお亡くなりになった山本孝史さんという議員も含めて、その当時の議事録を読み返すと、本当に真剣な、いわゆる真剣勝負の論議でありました。

 私は、今の国会がスケジュールに追われ、時間のタイトさに追われ、人の死がこんなにも簡単に逆に変更されていくとしたら、これはやはり立法の越権、法の越権、国会議員の越権ですらあると思います。

 そこで、井田参考人にお伺いいたします。

 井田参考人は、先ほど、高橋委員の御質疑の中でも、今までの法体系とある意味で変わるところはないし、でも拡大解釈もできるというふうな、簡単に詰めて申しますが、お話をされました。

 でも、今の法体系は、臓器移植を前提とした脳死判定と、そして本人同意に基づく臓器提供という二本の大きな柱を持っています。このたびのA案では、臓器移植を前提とせずとも脳死判定ができる法の枠組みをとっております。そして、本人同意は全く今度はありません。これだけ大きな法体系の変化を、私は、宗教者の皆さんがおっしゃるように、もう一度国民に問いかけることなく勝手にやっていいんだろうかと。

 法学者の立場からどうお考えでしょう。

井田参考人 私もまさにおっしゃるとおりというふうに考えまして、それは、正面からもしブレークスルーできるものであれば、今の、いわば、こういう言い方はちょっとよくないかもしれませんが、閉塞した移植医療のブレークスルーというのが、正面突破できるのであればそれはそれで望ましいことかと思います。

 ただ、問題は、余りにも深い、あるいは重い問題であって、果たしてそれを臓器移植というこの場で議論するのが望ましいかどうかという問題はあると思うんです。非常にいろいろなところに影響することがあるわけだし、非常に医学的な問題でもあるし、果たしてそれを正面から、この臓器移植という場面で議論するのがいいかどうかというのは非常に疑問で、現に、ドイツでありますけれども、ドイツは、臓器移植法の法改正の中で一般の死の概念を決めるのはおかしいというので、それはまた別の問題として、臓器移植法ではそれを正面から決めるということをしなかったんですね。やはりそれは非常に賢明な態度であって、私もそういう考え方が基本的にはよいと思います。

 それで、何を申し上げたいかといいますと、私も、学者として言えば、一律に脳死イコール人の死というふうに考えた方が、A案についてはそういう考え方をとった方が非常に平仄は合うというふうには思います。

 ただ、他方で、現在、臓器移植法が施行されていて、そして、一定の要件ではあるにしても、脳死イコール人の死ということは認められているわけです。それで、では、人の死でないものを、それは本人がいいと言っているから人の死にしているんだという解釈、これまたよくない解釈で、やはりそれは人の死なんだろうと思うんですね。

 ですので、そういう意味でいうと、脳死も人の死として現行法においては認められている、その要件、ハードルというもの、今非常に高いハードルがつけられているのを低くするということでありますので、さっき申し上げたように、私としては、必ずしもがちがちの議論をしなければこのA案をとれないというのではなくて、やはりA案自体、非常に結論がよいというのであれば、そこのところはもう一つまた別の形にしておいた形でこのA案をつくる、あとは解釈に任せる、あるいは今後の議論に任せるというのも十分可能なのではないか、こういうふうに考えております。

阿部(知)小委員 先生のそのお考えには、恐縮ですが、どこかそごがあるように思います。だって、脳死を一律に人の死とするからこそ、医師が専権事項で判定できるようになってしまう法律がA案であります。ちなみに、現行では、移植を前提に、本人同意がある方の御家族の同意をもって判定するという三重のハードルがございます。

 私はやはり、ドイツのように、ここで、臓器移植法の中で脳死は人の死だ論議をしてしまうと、ゆがむし、ひずむし、それこそ宗教連盟の稲さんがおっしゃるような問題が起きてしまうと思いますので、きょうはそれは私の意見で申し述べさせていただきます。

 そして、あわせて、杉本先生とは昔から一緒に勉強もさせていただき、お教えも請いました。きょうの先生の御意見は、私にとっても非常に重いものでした。

 思えば、あの当時から、三十年くらい前からと言ってもいいでしょう、また、あるいは脳死論議が盛んになった一九八〇年代、そして法案化に向けて脳死臨調が行われた九〇年代には明らかにならなかった二つのことがあったと思います。

 一つは、長期の脳死例という存在です。

 中村さんの有里ちゃんがそうであったように、恐らく私も杉本先生も、自分の目の前の患者さんでは、そうは言っても頑張っているな、長いこと脳死なんだけれども頑張ってくれているなと思う患者さんを見てきましたが、それはもしかして例外的かもねと思いながらやってきた。

 ところが、特に一九九八年、UCLAのアラン・シューモンが百六十八例の脳死の長期生存例の予後、脳死で生きている人の予後というのを出したときから、やはりアメリカでも論議は変わり、当然、私ども小児科医師も長期の生存例の話はみんな経験するようになりました。

 私は、この論議、脳死移植の前提に、やはりそれだけ概念が変わった、定義だって、先生がおっしゃるように、今の、脳が有機的統合体の中心で、ここがだめなら全部だめというのも違ったんだということを、もっと科学者たちはこの社会に発信していただきたいと思うんです。だって、全然伝わっていない。脳死になったら二日で死ぬとか一週間だとか、当時の論議でした。でも、違う事実がわかり、国民に知らされない。このことは大変に問題と思いますが、杉本先生、いかがでしょうか。

杉本参考人 ありがとうございます。

 非常に歯がゆい思いを持っております。この例えが正しいかどうかちょっとわかりませんけれども、最近常に思うことなんですが、一九八五年ごろの医療といいましたら、例えば染色体異常のダウン症の方の心疾患の手術すら、我々、断られました、国立センターというところで。それは、ダウン症だから要らないじゃないかと。それから、一九八〇年、九〇年までのテキストブックの中には、染色体異常の十八トリソミーという、手がこうなって生まれた方はみんな、冷蔵庫へぽんとほうり込むか、うつ伏せにして、そのまま死産の登録をするというふうなことが当たり前のように行われていたわけですね。

 ところが、ことしのアメリカの小児科学会の中で、日本から、十八トリソミーで中学校へ行って走り回っているビデオをアメリカで見せたわけですね。アメリカでは、一週間でなくなる命だからもうそれは最初から生かさなくていいという、テキストに載っている例なんですね。ところが、そのビデオの会場があふれんばかりの人になった。つまり、日本からそういうビデオを輸出する形の中で、アメリカの中でもう一度、命というのは何なんだろうというふうな討論が行われています。

 こういうことは、ほとんどわかっていないことだったと思うんです。本当に分娩室だけで処理されたような人たちが、今、小学校、中学校の養護学校に通っている、元気だという事実。

 これは、今脳死で語られている一九八五年時代に決まった診断基準、我々も予期しなかった、阿部先生が今おっしゃるような慢性脳死の方が百人を超えて、しかも二、三割が在宅でやっている、それを支える我々の医療側の力が今あるということをいつも機に触れ折に触れ話しているんですが、なかなかのっからないそのまどろっこしさ。

 そのことも含めて、先ほど来の話の、脳死イコール死ということになれば、臨床の場面で何が起こるかということは、もう想像するまでもないことだと思うんですよ。そのことを先生はおっしゃっていただきましたけれども、僕も歯がゆい思いですし、伝えていきたいということは折に触れ思っていますが、なかなか伝わらないということを申したいと思います。

阿部(知)小委員 私は、国民的論議に付すためにも、真実を伝えるのが前提だと思うんです。

 その意味で、福嶌先生にお伺いいたしますが、私は、先生の移植医としての誠実なお人柄も、先ほどの意見陳述も大変に参考になりました。ただしかし、もう一つ変わったこととして、当時、脳死になったら動かないし痛みも感じないし、要するにもう死と言われた方たちが、実際、ドナーで臓器摘出されるときになると、心拍は変わる、血圧は変わる、顔はゆがむ、そうしたさまざまな行動を示されるわけです。それを称して、いや、それは脊髄反射なんだ、脳死だから本当は脳は生きていないんだと。でも、呼吸器を外すと除脳硬直という、こういう格好をする。これは脳幹が生きているという証左です。

 やはり移植医の先生たちも、例えば七十例のうち何例は麻酔を必要としたか。先生がおっしゃったように、筋弛緩剤、筋を動かなくする麻酔だってもし使えば、これは出なくなります。そして、それは誤解を招くから言わないんじゃなくて、国民に言っていただきたいんです。その上で判断することを私たちは国民に投げかけなきゃ、私というのはこの場合医者なんですけれども、と思うんです。七十人のうち、麻酔をして、それも全身麻酔のハローセンとかもありますね、でも、それは誤解を招くから使わなくなったじゃなくて、使わざるを得なかった例が何例か。特に高知の例は、最初、非常に脈拍も動いたし、血圧も動いたし、顔もゆがんだ、先生も御存じだと思います。

 そのことを国民に知らせずして、私は、それでもなおC案というのをよくごらんになっていただければ、本人の厳密な同意で、理解した上で納得すればよしとする、そして、ほかの生体、組織ですね、骨とか皮とかにも本人同意が要るようにしましょうという案でございます。

 知ってもらって選ぶしかこの場はもうないんだと思いますが、いかがでしょうか。

福嶌参考人 まず最初に、除脳硬直のお話をしますが、除脳硬直があるもの、これは脳死ではございません。ですから、無呼吸テストをして除脳硬直のあったものは一切脳死判定の基準からは外れておりますので、脳死としては判断されていないというのが現実であります。ですから、実際に二回脳死判定を行いますが、そこでそういった反応はなかったというふうになっております。それは事実だと思います。

 それで、あともう一つ、高知の例は、皮膚切開を入れますと、自律神経の反射というのは残っておりますので、脈拍が上がったり血圧が上がったりします。それで、本来そこで痛みをとめるようなハローセンを使うかどうかというのは非常にいろいろな意見がございます。確かに、一例目ですし、その辺の麻酔科医での合意がなかったということで、一例目でハローセンが使われたことは事実でございます。

 その後、実際にどれぐらいハローセンが使われているかでありますが、私は大体四十五例ぐらいその中で立ち会っておりますが、最初の四例だけでございます。それとあと、フェンタミンが二例ほど恐らく使われていると思います。それ以外はハローセンも笑気も少なくとも私が立ち会った例では使っておりません。そのために血圧の変動が著しくなったり、術中に変わったことがあったということはありません。

 筋弛緩剤につきましては、これは全例で使われております。というのは、先ほども申しましたように、それを脊髄反射という言葉で呼ぶかどうかというのはありますが、神経を刺激すると筋肉が動くというのは、脳と脳幹が死んでいてもこれはございますので、その状態で手術をすることはできないということで、筋弛緩剤は全例に使っております。

 それでよろしいでしょうか。

阿部(知)小委員 私は、そうしたことが国民に伝わっていないということを申し上げました。医者が勝手に、これは誤解を招くからと。だって、患者さんたちというか国民は、脳死になったらぴくりとも動かないものであると。それが脊髄反射かどうかは、科学はまだ証明していないんです。でも、証明していないからゼロベースかというとそうではなくて、こういう状態なんだけれども、七十例中全員に筋弛緩剤は使わざるを得なかったんだけれども、それでも自分たちの判定は今のところ間違いないというふうにきちんと情報公開すべきなんですね。それがなければ、やはり本当にやみからやみというふうに国民が思い、ひいてはドナーカードも出てこなくなるのだと思います。

 そして、そもそも脳死判定の今の判定基準も、私は杉本先生と同じ考えで、一九八五年当時のもので、変えるべきだと思います。そうしたことがすべて明らかにならなければ、この移植医療が進んでいかないんだと。

 最後に中村さんに、少々のお時間で恐縮ですが、伺います。

 この中学生に渡されるパンフレット、私もこれは随分問題にしました。例えば三ページ目の「心臓死・脳死・植物状態って?」と三つ書いてあるところに、脳死は多くは数日以内に心臓がとまる、多くの国々では、脳死は人の死としていると。これは、脳死は数日以内でというところも真実ではありませんし、多くの国でどうかということと同時に、日本でどんな論議が行われたか。この日本の文化と伝統と社会の中に子供たちは育つわけです。坊やがこれをごらんになって本当に怒りの余り破いたというのも、実際に有里ちゃんのお兄ちゃんとしての日々があったからだと思います。

 果たして、お母さんは最初、脳死という言葉をお医者さんからどう聞かれたか、そしてどう思ったか、最後にそれだけお願いします。

中村参考人 娘が脳死と言われたときに、私は、一年九カ月前に、娘の脳死ということを通して脳死の真実を知ったというか、それまでは本当に浅はかな知識しかなく、やはりこちらに書かれているように、脳死とはもう三、四日、そのくらいで死に至ってしまうのじゃないかという、本当に、一般の主婦をしていますので、情報もなく、ただただそれだけの認識しかありませんでしたので、医師から、脳死に近い状態である、脳死状態であると言われたときに、確かにその時点ではもう絶望しかありませんでした。

 もう三日か四日で有里は死んでしまうんだろうと思っていましたが、やはりいろいろなことを乗り越えてくれて、一年九カ月、こうして娘がいてくれた存在の大きさが私たちにいろいろなことを教えてくれましたし、私が当初思っていた脳死というのは間違いなんだということも気づきました。そして、私を取り巻く家族以外の知人や友人たちの家族たちも踏まえ、私たちが脳死ということを間違えて認識していたというのをはっきり知ったというか。

 なので、もう一度国民の方々には、もっともっといろいろな情報を使いながら、脳死、ここに書いてあるような脳死ではない、脳死というのはこういう認識ではないということをたくさんの方に訴えていきたいと思います。そして、長期脳死児ということもたくさんの方に知っていただいて、たくさんの論議をして、国民の方々に、間違えた知識ではなく正しい知識を知っていただいた上で前向きな議論をしていただきたいと願っています。

阿部(知)小委員 見目参考人には、お子さんを抱えて大変な日々と思います。きょうは貴重な御意見、ありがとうございました。

 あと、稲参考人には、御指摘のような国民的な論議の場をぜひ国会議員もつくるべく準備をしたいと思います。ありがとうございました。

吉野小委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。

 参考人各位には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。小委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後零時九分散会


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