衆議院

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第2号 平成20年6月10日(火曜日)

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平成二十年六月十日(火曜日)

    午前十時開議

 出席小委員

   小委員長 吉野 正芳君

      阿部 俊子君    井上 信治君

      大村 秀章君    川条 志嘉君

      河野 太郎君    清水鴻一郎君

      冨岡  勉君    中山 太郎君

      林   潤君    福岡 資麿君

      岡本 充功君    佐々木隆博君

      園田 康博君    西村智奈美君

      山田 正彦君    斉藤 鉄夫君

      高橋千鶴子君    阿部 知子君

      糸川 正晃君

    …………………………………

   厚生労働委員長      茂木 敏充君

   議員           中山 太郎君

   議員           津島 雄二君

   議員           河野 太郎君

   議員           山内 康一君

   議員           冨岡  勉君

   議員           斉藤 鉄夫君

   議員           阿部 俊子君

   議員           金田 誠一君

   議員           阿部 知子君

   参考人

   (世界保健機関保健システム及びサービス局必須医療技術部医療技術担当課長) ルーク・ノエル君

   通訳           安達 裕美君

   通訳           植田 智子君

   厚生労働委員会専門員   榊原 志俊君

    ―――――――――――――

六月十日

 小委員古屋範子君同月四日委員辞任につき、その補欠として斉藤鉄夫君が委員長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員林潤君同月六日委員辞任につき、その補欠として中山太郎君が委員長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員郡和子君同日委員辞任につき、その補欠として西村智奈美君が委員長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員後藤茂之君、田村憲久君、宮澤洋一君及び山井和則君同日小委員辞任につき、その補欠として河野太郎君、阿部俊子君、冨岡勉君及び岡本充功君が委員長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員西村智奈美君同日委員辞任につき、その補欠として佐々木隆博君が委員長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員阿部俊子君、河野太郎君、中山太郎君、佐々木隆博君及び斉藤鉄夫君同日委員辞任につき、その補欠として田村憲久君、後藤茂之君、林潤君、郡和子君及び古屋範子君が委員長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員冨岡勉君及び岡本充功君同日小委員辞任につき、その補欠として宮澤洋一君及び山井和則君が委員長の指名で小委員に選任された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(中山太郎君外五名提出、第百六十四回国会衆法第一四号)

 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(斉藤鉄夫君外三名提出、第百六十四回国会衆法第一五号)

 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(金田誠一君外二名提出、第百六十八回国会衆法第一八号)


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     ――――◇―――――

吉野小委員長 これより厚生労働委員会臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案審査小委員会を開会いたします。

 第百六十四回国会、中山太郎君外五名提出、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案、第百六十四回国会、斉藤鉄夫君外三名提出、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案及び第百六十八回国会、金田誠一君外二名提出、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案の各案を一括して議題といたします。

 本日は、各案審査に関し、世界保健機関における臓器移植の議論状況について、世界保健機関保健システム及びサービス局必須医療技術部医療技術担当課長ルーク・ノエル君に御出席をいただき、御意見を承ることにいたしております。

 この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。

 小委員長の吉野正芳でございます。

 本日は、御多用中にもかかわらず本小委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。何とぞ忌憚のない御意見をお述べいただき、本委員会の審査の参考にいたしたいと思いますので、よろしくお願いを申し上げます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 最初に、参考人からの御意見を二十分以内でお述べいただき、その後、小委員長及び小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、発言する際は小委員長の許可を受けることになっております。また、参考人は小委員に対して質疑することができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。御発言は着席のままでお願いいたします。

 それでは、ノエル参考人、お願いいたします。

ノエル参考人(通訳) 委員長、ありがとうございます。議員の先生の皆様、ありがとうございます。

 私、皆様にこのようにお招きいただきまして、またWHOの移植に関しての作業を共有させていただくことを大変光栄に思っております。

 この会議の前にも申し上げていたんですけれども、光栄であり、また心強い思いがいたしております。というのも、臓器移植は公共的な資源なのです。そして、これは市民が保有しているものなのです。ですから、このレベルで議論すべきものなのであります。まさに、その意味において、日本は模範を示していらっしゃるのです。

 二十年以上も前になりますが、一九八七年、WHOは四〇・一三の決議で、利益目的の臓器売買を非難いたしました。これは人権宣言に違反しており、WHOの憲章にも違反しているということを確認しました。この決議では、WHOに指針を策定することを要請しています。グローバルなレベルで法律を策定し、そして調和のとれたものを、臓器移植に関して道のりを探るというものであります。この指針はWHOの総会でも支持されました。一九九一年の四四・二五の決議であります。

 二〇〇四年、WHOの総会は、またこの臓器移植に関して検討しました。これは五七・一八の決議においてであります。ここでのアウトライン、重要な局面が示されました。それは、既に私が申し上げたとおりです。政府は、国民の代表として責任を担っているのです。臓器移植の細胞、組織、臓器などに関して責任を政府は担っているのです。

 この決議でありますが、これはWHOの総長に対して、事実を集めるように、慣行ですとか活動など、こういったものを収集して、現在の臓器移植に関しての状況を文章化するようにと要請しました。また、グローバルな現実を反映した形で一九九一年の指針を更新していくようにということも要請しています。

 ですから、我々は二〇〇四年から協議のプロセスに入りました。この協議のプロセスですが、国家の健康管理に関しての当局または政策決定者、また規制当局、国のコーディネーションを行う機関なども入っています、そういった組織が存在する国においては。こういったところが関与してきました。

 特にスペイン政府、またスペインの国の移植に関しての機関などが関与してきています。スペインは、特に死体ドナーからの臓器提供ということで成功してきています。また、科学的な、プロの機関とも協力してきました。特に、グローバルなレベルで関与してきています。WHOとそれから国際移植学会との間には近しい関係を持っています。

 ただ、我々は慎重に、WHOの六つの地域に関しては、それぞれの地域に注意を払っています。また、地域それから地域下のレベル、国のレベルということも見てきています。

 協議は具体的な事柄に関しても行ってきています。例えば、臓器売買、それから移植ツーリズムなど、あるいは細胞、組織などの移植。この中には倫理的な局面も入っています。特に、移植のための細胞、組織などに関しては、これも入っています。

 また、我々は、スペインの移植担当機関と協力して、グローバルなデータベースを手がけ始めました。これは、事実ですとか慣行、活動、組織、それから法律的な枠組み、世界じゅうのそういったものなどに関してのデータベースです。これはインターネットで利用可能であります。これは厚生担当局などのところで大変大きな恩恵をもたらしています。これによって、量的な形でのアイデアを移植の活動に関して得ることができます、特に臓器の移植について。これは、臓器移植が非常に重要な駆動要因となっているからです。

 二〇〇五年、十万に少し足りないほどの移植が年間に行われました。三分の二は腎臓です。加盟国の活動を見てみますと、臓器移植の件数を見てみますと、圧倒的に米国が一位であります。全体の臓器移植の四分の一、年間の四分の一が米国で行われています。

 人口百万人当たりの臓器移植の割合を見るということが参考になります。例えば、臓器移植全体で見てみましょう。最も積極的な国は米国でありますが、その後、オーストリア、ほかのヨーロッパ諸国が続きます。日本は、百万人当たりの臓器移植の数をほかの最も先進また最も効率のよい臓器移植の国と比べますと、一三から一四%にとどまっているのです。

 これは主にアクセスの違いによります。死体ドナーからの臓器へのアクセスの違いによってこの結果が出ています。驚かれることはないと思いますが、百万人当たりの死体ドナーの数が、日本では、例えばスペインに比べると四十分の一です。スペインは最も効率よく、また進んでいる国であります。死体からの臓器提供ということに関してはスペインは進んでいます。

 次に、UNDPの人間開発指数で見てみますと、そして腎臓の移植の活動を見てみますと、WHOは世界全体を見ているわけですが、ここで気をつけなくてはいけないのは、世界人口のうちの二六%がこの開発指数の高いところに入っていますけれども、そこがすべての腎臓移植されたものの六九%からメリットを受けている、そして世界の人口の七四%、残りの人たちは、腎臓移植の三一%からしか恩恵を受けていないということなんです。ですから、大きな違いが国々の間であるのです。

 しかしながら、実際のニーズは存在しているわけです。さまざまな段階におきまして必要とされております。特に、中間の指数にある国でもニーズというのは存在しているわけです。

 例えば、慢性透析プログラムですけれども、こちらがよく発達しています。そして、この小委員会の委員の皆様も御存じであろうかと思いますけれども、腎臓の移植ですけれども、これは、実際の生存それからQOLという観点で患者さんの便益になるだけではなく、少なくとも、五年後、実際の人工透析の費用が半分になるということが挙げられるわけです。通常の生活が個人として送れる、そして家族としての役割を担うということに加えまして、こうした経費的、支出的な面での便益もあるわけです。

 違いということを今述べさせていただきました。この違いというのはWHOの地域にひもづいていると思っています。皆様方もよく御存じであろうかと思います。

 最も重要な活動といたしまして臓器移植活動の地域を挙げることができるのは、人口百万人当たりの腎臓ということで、アメリカは二七・六、欧州ですとこの比率が二一・三%になります。そして、地中海地域の比率が一三・二になります。そして、西太平洋地域が六、そして東南アジアが二、そしてアフリカ地域が非常に少ない比率になっています。やはりサハラ以南での経済的な困窮がその根底にあることを考えれば、これは驚くべきことではないです。西太平洋、アジア及び東部地中海地域におきまして、こちらは死体ドナーからの臓器提供のプログラムとの相関関係が高いということが挙げられます。

 生体ドナーのアメリカでの実際の比率を見てみますと、四一%になっています。これは腎臓移植のケースになりますが、欧州はさらにその比率は下がります。一九%になっております。これは、アイスランドからウラジオストクを含めました、WHOの欧州を広義に定義したときのことになります。

 それに比べまして、生体ドナーの腎臓移植ですけれども、これは東部地中海それから東南アジアでは九五%になっておりますが、アフリカでは八二%になっております。一八%は西太平洋地域になっておりますけれども、こちらに多少バイアスがかかった数字になっております。というのは、中国がこの多くを占めておりまして、中国というのは実際の移植活動では第二位の地位を占めておりまして、そして、中国で行われている臓器移植の大多数は、囚人から、死刑囚からというものが行われているからです。

 このような状況がありますので、実際の患者さんのニーズを満たすのが難しい状況が生まれてきております。アメリカ、ヨーロッパであったとしてもそうです。特にアジアにおきましてはそうです。これによりまして移植ツーリズムへとつながってしまっています。

 移植ツーリズムのシンプルな定義をさせていただくのであれば、これは、移植を行う者が国境を越えた渡航をする、これはレシピエントもしくは医師もしくは保健のプロが、生体ドナーを用いまして、臓器をお金と引きかえに、もしくは物品と引きかえに提供する、特に、貧しくかつ脆弱な立場に置かれている者、これは死体ドナー、生体ドナーに限らず行われている行為、これが定義になります。

 移植ツーリズムですけれども、評価するのが非常に難しい分野であります。三つの移植ツーリズムに分類することができます。

 まず最初ですが、法的枠組みがないがゆえに蔓延している種類。こちらは中国、パキスタンなどを挙げることができます。担当当局が推奨するということもあります。地方当局などが推奨し、より容易な形で資金源とするということも見られます。また、実際の執行が弱い国でも見られます。また、ことしの初めですけれども、インドの保健当局の方でこちらを犯罪として扱いまして、ネットワークで五百の、デリー北部、グルガオンで摘発が行われたというような事例もあります。

 こうした臓器が生体ドナーから提供された場合、そして通常、実際に業者がかかわっているような場合ですけれども、貧しくかつ弱い立場にあるような者がかかわっているということが研究結果からも出ています。シングルマザーであり、もしくは債務を抱えているような、貧しい弱い立場にある者が犠牲になっているわけです。

 健康が失われてしまっている、慢性的な痛みにさらされている、また、職を失ってしまう、烙印が押されてしまう、恥をかかされてしまう。これはブラジルであったとしても、イランであったとしても、インドであったとしても、パキスタンであったとしても、フィリピンであったとしても、地域に関係なく、実際にこうしたことが行われている所見というのは一致しております。

 だからこそ、これが一つの理由となりまして、二〇〇四年のWHOの総会で決議をいたしました。加盟国に対しまして、貧しい者、弱い立場に置かれた者、実際の移植ツーリズム及び臓器売買と闘うようにということで要請を行いました。そして、WHOの事務総長の方で、加盟国を支援するようにといったことを行っているわけです。

 過去三年間、加盟国とともに、私どもは、実際、移植ツーリズム削減に努めてきております。そうすることによって、適切な移植レベルの回復に持っていきたいというふうに思っています。

 臓器移植には市民にもかかわっていただきます。そして皆さんもよく御存じのとおり、それをほかの方々が便益を享受するということになります。法的な枠組み、そして社会での統治機関というのが重要な基盤となって、健全な臓器移植が可能となるわけです。

 皆様方も中国での進捗状況は御存じであるかと思いますが、二〇〇六年の暫定決議によりまして商業主義が禁止されました。それから、さらなる規制がかけられまして、移植ツーリズムを禁止しています。それによりまして、病院に権限が与えられています。実際、臓器移植を行う病院に権限が与えられ、しっかり文書化された同意が生体ドナーからの臓器提供には必要であるということになっております。

 また、脳死に関する法律、脳死という言葉は使うべきではないかもしれません、神経的な基準に基づき定義をする死というふうに言いかえた方がいいかもしれません。この点に関しましては、また後ほど付言させていただきたいと思います。まだ心臓が機能している場合、どのように死を定義するかということに関しましては、また後ほど述べさせていただきます。

 また、ムシャラフ大統領の二〇〇七年末の大統領令に関しても皆さん御存じなのではないかと思います。この中でも商業主義を非難しています。そして、この脳神経基準に基づいた死の定義というのを書いております。パキスタンにはそれは存在しておりませんでした。パキスタンはこれまで角膜も行っていないということでした。角膜バンクもありませんでした。

 そして、フィリピンなどでは、外国人を受け入れるということもやめています。臓器をフィリピンの貧しい方から提供するということもストップしています。

 この移植ツーリズムへの対応ですけれども、こういった国々が示していますその主要な理由は何かというと、まず自分たちの市民に対して仕事をしなくてはいけない、自分のシステムをつくるときには、それは自分たちの国民にメリットがあるようにということ、これは今申し上げた三カ国で明らかに見てとれることであります。

 この死体ドナープログラムの開発ですが、それからまた生体ドナーも注意深く活用するということ、そうすれば何とか、これはぎりぎりの自給ということを考えなくてはいけない。ですから、グローバルなレベルで自給をしていくという責任があるのです。

 我々、五月二十六日にWHOの執行機関に対して指針を提出しましたが、それはこの執行機関からも歓迎されました。三十四加盟国がこの執行理事会に入っているわけですが、そのうちの十三、それから加盟国のこの理事会のメンバーではない六カ国、それから二つのNGO、こういったところがすべて指針を歓迎しました。そして、これはごくわずかな訂正だけが加えられています。このグローバルな形での移植が、共通した移植ということに関して見られるわけです。

 これが指針の内容になっているわけで、詳細は申し上げません。ただ、ごく簡単にタイトルをお話しします。

 まず、死体ドナー本人の同意が必要であるということ。この同意、これは明示的であろうと、それから推定されているものであろうと、これは簡単にできるものでなくてはいけません。というのも、それは、全人口が持っている意識、そして情報に依存しているものでなくてはいけないからです。この人たちがこの問題に対して関心を持っているということだからです。我々の協議のプロセスの中でも強調されたのは、この移植のための提供、これは市民のやることであり、学校で教えられなくてはいけないということなんです。だから、ドナーの同意。

 また、相反のない形での死の判定。それから死体からの臓器の調達、これは死亡の判定とは独立に行われなくてはいけないというところが重要なルールであります。死亡判定でありますが、これは心血管あるいは神経学的な基準によって行われることが可能です。

 また、死体ドナーからの臓器提供を最大化する、これは別に人に対して害を与えるものではありません。日本が生体ドナーの効率を最大限にしている、リスクは最小限にしているということはわかっております。しかしながら、これは四肢を切断するのではありません、臓器を摘出するというのは。これは生体ドナーに対してはリスクを与えるものではないのです。

 死体からの提供、これを活用していくことは重要であります。治療目的の活用を最大限にしていくということは重要です。しかし、適切な監督が必要であります。適切なフォローアップも必要です。そのような形で生体ドナーがそのプログラムを使えるようにということです。

 また、未成年者、無能力者の保護、これも生体ドナーにとってとても重要なことであります。また、未成年の死体ドナー、これは一般的な死体からの提供の評価基準と同じであり、一般的な医療に関しての認識を満たすものでなくてはいけません。

 また、売買、あっせんはすべて禁止であります。そして、プロモーションなども行ってはいけない。広告、あっせんも行ってはいけない。それから、移植などに関してわずかでもその出どころに疑義が持たれるような場合には移植を行ってはいけない。それから、正当化できるプロとしての手数料。配分ルール。

 こういったものが指針でありまして、これは九一年のもの、これを慣行においてアップデートをされているというものであります。

 さらにこの二つ、一つは品質、安全、それから効率、これはヒト出自のものに関してのものですが、この中にはトレーサビリティーも入っています。つまり、説明責任が持たれなくてはいけないということ。また、安全に関して有害事象がないようにということも考慮しなくてはいけない。そして、この新しい指針の中で重要になってくるのが透明性であります。この透明性こそが、安全な、健全な移植にとって非常に重要なところであります。

 さて、最後ですけれども、自給自足ということ。

 ノルウェーのような国、スペインのような国は、可能であるというふうに思っております。こうした国というのは自給自足に非常に近いところにあります。二〇〇五年においてスペインは腎臓のウエーティングリストが大分小さくなってきております。また実際に、二〇〇五年では、移植の遅延ということも大分少なくなってきました。

 アメリカにおいても、最近のアメリカの保健当局の協力によりまして実際に数が減ってきております。そして、四月のアメリカン・ジャーナル・オブ・トランスプランテーションでも記事が出ましたけれども、この五十八の臓器移植ですけれども、月当たり十の移植をすることによりまして、ふやすことによりまして、ウエーティングリストがなくなるということが言われております。

 しかしながら、実際にニーズを満たすという意味では予防というのが非常に重要になってきます。また、実際にノルウェーのニーズを満たす場合、実際の発生率が低いわけです。アメリカですけれども、実際に四倍ほど腎臓移植の需要が高いわけです。ですから、WHOの代表といたしまして、まず、やはり終末期の臓器不全につながるような疾病の予防こそが重要であるということを最後に強調したいと思います。

 また、患者様のニーズを満たす、そして、これは資源に基づいて国家的に行われるべきもので、すべての市民の方々の連帯意識に基づいて行われるべきである、国の全市民の連帯意識に基づいて行われるべきであるということを申し述べたいと思います。(拍手)

吉野小委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

吉野小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。

 参考人に対する質疑は、打合会の協議に基づき、まず、小委員会を代表いたしまして小委員長が総括的に質疑を行い、その後、各小委員が自由に質疑を行うことといたします。

 まず、質問に入る前に、我が国の臓器移植を取り巻く現状について御説明させていただきます。

 一九九七年に制定された臓器移植法では、本人の生前の書面による意思表示を要件としているため、脳死下における臓器移植は七十例となっております。このため、生体移植を受けられる方や海外で移植を受けられる方が多数おられます。

 このような制度を変えようと、現在、家族の同意により移植を認める案、臓器提供の有効な意思表示年齢を十二歳に引き下げる案、さらに、生体移植や組織移植を含め規制を厳格化する三つの案が提出されており、審査を行っているところでございます。

 本日、参考人からWHOを中心とした最近の臓器移植の議論の状況等について伺うことは、改正案の審査に資するものと考えておりますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。

 では、私から、確認も含めて総括的な質疑をさせていただきます。

 本年五月、国際移植学会は、臓器売買や移植ツーリズムの世界的な反対、自国における死体ドナーの増加及び生体ドナーの保障等の制度の整備に向けた国家的取り組み等を内容とする宣言を出しました。

 このような各国の移植学会関係者が集まった国際移植学会により発出された宣言は、国際的にも大変に重要な意味を持つものと考えておりますが、この宣言に対してWHOとしてどのように認識をされているのでしょうか。また、この宣言を受けてWHOとしての対応策がございましたら、御教授願いたいと思います。

ノエル参考人(通訳) イスタンブール宣言は、七十八カ国から、記憶が正しければですが、専門家が集まっていました。これは移植学会だけではなく、国際的な腎臓学の人たちも集まっていました。ということで、これは一つの達成事項なんです。国際腎臓学会も集まってきた。つまり、プロの人たちがグローバルなレベルで共通の理解を持とうというものだったからです。

 当初からWHOは緊密に、科学的な、またこういった専門家の集団と仕事をしてきました。また、健康に関しての厚生当局あるいはさまざまな市民団体とも緊密に協力をしてきました。専門家の役割は必須、重要であります。それは、実際の慣行に対しての影響という意味において重要なのです。

 我々は、このイスタンブール・サミットの結果を称賛しております。これは、アムステルダム会議に次いで、またバンクーバー会議に次いで行われたわけですが、これが示したことは、移植をすべての人のためによりよいレベルに上げていこうという人たちの連帯感を示したものであります。

吉野小委員長 それでは、もう一問お願いいたします。

 我が国の臓器移植法は、脳死者からの臓器提供については本人の生前の書面による意思表示を必要としております。そして、十五歳以上の者の意思表示を有効なものとして取り扱うこととされており、十五歳未満の移植は不可能な状況にございます。このため、小児への心臓などの移植は認められておりません。海外に渡航して移植を受けなければならない状況にございます。

 WHOの指針においては、本人の意思表示が不明であるなどの場合においては遺族の同意によることを可能としておりますが、我が国の移植制度のあり方について、WHOの立場から見た御見解を伺いたいと思います。

ノエル参考人(通訳) 日本での同意、私の理解はということになりますが、これは明示的な書面による同意であるというふうに理解しております。また、十五歳未満の小児では可能ではないということだと理解しています。

 これによりまして、ある疑問が発生すると思います。小児ですけれども、健康に関する意思決定を、みずから行うのではなく両親が行うということになります。十五歳未満の者、また十五歳を超えた場合もそうですが、両親が、みずからの子供が死亡するという惨事に直面したような状況において、これは、みずからの子供が緊急の医療介入が必要であるのと同じような両親の判断であるべきであると思います。

 そして、よく報告されていることですけれども、子供の臓器を提供するという機会は、そのみずからの悲しみを和らげる一つの手法であるとも報告されています。ですので、死体ドナーの同意は、でき得る限り、この問題を理解している方々の感情を反映させる必要があると思います。

 一方で、死亡した子供、小児ですけれども、まだ心臓が動いている可能性があります。しかしながら、実際の神経基準に照らし合わせてみると明確に死亡したと言えるような場合、そして、一方で死にかけている子供がいたとします。これは臓器移植により治ることができる子供である、そのような場合の人々のオプション、意思決定というのは非常に明確なのではないかというふうに私個人は思います。

吉野小委員長 ありがとうございました。

 以上をもちまして小委員長からの総括的質疑は終了いたします。

 これより自由質疑を行います。

 この際、小委員各位に申し上げます。

 質疑につきましては、打合会の協議に基づき、一回の発言時間は二分以内となっておりますので、小委員各位の御協力をお願いいたします。また、発言は、小委員長の指名に基づいて、あらかじめ所属会派及び氏名をお述べいただいてからお願いいたします。

 発言を希望される場合は、お手元にあるネームプレートをお立ていただき、発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。

 なお、発言は着席のままでお願いいたします。

 それでは、発言を希望される方、ネームプレートをお立てください。

大村小委員 ルーク・ノエル参考人に心から敬意を表します。

 二点だけお聞きしたいと思います。

 まず一点は、ノエル参考人のお話の中で、透明性、トランスペアレンシーというのが大変大事だということをおっしゃられました。まさにそのとおりだと思っております。この臓器移植の取り組みが進められていくというのは、やはりだれが見てもそうだというふうに納得する、そういう透明性というのが大事だと思いますが、その点のポイント、大事なことは何かということをもう一度お聞かせいただければというふうに思います。

 そしてもう一つ、国際移植学会の宣言の中で、移植ツーリズム等の世界的反対というのが掲げられているわけでありますけれども、そういう中にもかかわらず、日本人が海外へ渡航して臓器移植を受けている、そういった状況に対する御認識、お考えをお聞きできればというふうに思います。

 以上です。

ノエル参考人(通訳) 大村先生、御質問ありがとうございます。

 指針の中で、透明性、これは精査に耐えるというふうに言っています。精査に対してオープンとしています。まず監督しなくてはいけない、そして活動、慣行だけではなくて、組織また予算までも開示するということが入ってきます。決して隠してはいけないということなのです。これには長期的な成果も入ってきます、レシピエントとドナーの長期的な結果です。もちろん、これは、機密保持のあることは守らなくてはなりません。患者さん、それからドナーの匿名性も守らねばなりません。

 移植についてですが、まず、国民に対して認識をしてもらうとこれは一つの成功につながっていくのです。というのも、移植のすばらしい結果が出たら、それは国民と共有しなくてはいけない。また難しい問題があった場合にも、それを国民と共有しなくてはいけません。ここが肝要なところであります。

 それから御質問の二問目ですが、国際移植学会は移植ツーリズムを非難しました。WHOも非難しております。我々の総会の五七・一八、二〇〇四年の決議でも、移植ツーリズムは非難されています。これは、海外に行って臓器売買のアクセスを持つということを口語的な言い方で言ったものが移植ツーリズムであります。

 また、これはレシピエントにとっての解決策でもあります。彼らは透明性がないわけです。こういった人たちには透明性が保証されていないんです。いわゆる有害事象があり得るということも我々は知っています。例えば、海外で移植を受けることによって感染症がうつるということもあるわけです。

 ですから、移植ツーリズムというのは、ある患者のニーズを満たすやり方、経済力のあるような国で、こういったやり方でその患者のニーズを満たすべきではありません。ですから、これは間違った信号を発してしまうので、このようなことはやめていかなくてはなりません。そこで、この国際移植学会は、WHOと協力してこのような形で非難しているわけです。

中山(太)小委員 きょうは、WHOとしての公式見解をお述べいただいて、まことにありがとうございました。

 日本で、特に小児の移植ということに一つの大きな障害がございます。それは、法律的な問題と、もう一つは医学的にブレーンデスをダイアグノースするテクニック、これが確立されていない、こういう意見が小児科学会からは出ております。

 国際的に、小児の脳死移植の判定基準というのはあるんでしょうか。

ノエル参考人(通訳) まず、ちょっと幾つかのことを確認させていただければと思います。

 私は、死の判定の専門家であるというつもりはありません。また、これは、死の判定と臓器移植というのは切り離したいと思います。死の判定というのはそれ自体で考えられるべきで、これを臓器移植と絡めるものではないというふうに考えるからです。

 しかしながら、神経基準に基づいた死ですけれども、これは過去三十年間、もう既に用いています。少なくとも過去三十年間です。そして過去三十年間、その異議が出されていますけれども、ただ、それにも抵抗してきているわけです。

 確かに基準の差異というのは存在します。実際のテストですとか判定は国によって違います。しかしながら、科学的な同意といたしまして、そのエッセンスに基づいた同意というのが存在します。

 神経基準に基づいた死ですけれども、ここで重要な点といたしまして、これはICUにおいては必要とされているものということです。実際、死亡したらそのサポートをやめるということ、そして、その資源を他の方々に提供するというか、ICUというのは限られていますので、そこをあけなければいけないという必要性があるわけです。ですので、これは、最親近者が臓器を提供するかどうかということとは切り離して行われるべきことであります。

 しかしながら、死の定義を神経基準に基づいて行うということは、確かに違いはありますけれども、実際のこの基準そのものが認識されているということは、すばらしいことであるというふうに考えています。

中山(太)小委員 最後の一問をお願いしたいと思います。

 きょう、参考人としての意見を陳述していただいて、国際的なスタンダード、こういうものを確認させていただいたわけですけれども、私どもの国内においては、先ほど申し上げたように小児科の問題が、依然として問題として残されているわけです。

 それは、生存中の臓器の提供の意思が、遺言として、日本の法律に基づいて有効性を持つのは十五歳以上ということでありますから、あくまでも、これからの子供たちの臓器移植については両親あるいは同居の親族の同意があれば、それで、ドクターの診断のもとに移植可能な状態ということであるなら移植ができるということを我々はどうしたら実現できるか。これはきょう、あなたの証言によって、私どもは大変貴重な証言を得ることができたというふうに思います。

 ありがとうございました。

ノエル参考人(通訳) ありがとうございます。

 ICUの子供が全く血流がない場合、脳血流がないということが繰り返し見られる場合、そして臨床的な基準、無呼吸テストをクリアし、そして混乱を来すような状況にない場合、その場合にはこれを死と判定する十分な理由があります。

 しかし、先ほど申し上げましたように、この問題は、責任あるその両親、子供に対して責任を持っている人、それからケアに責任を持っている人が見ることであります。社会の見方として、子供は監督されるべきだと社会の人も思っているのです。こういったセッティングのもとで、移植を必要としている子供へのニーズが、可能になれば患者さんだけではなくて、社会にとっても恩恵をもたらすものであります。

岡本(充)小委員 ノエル参考人、本日はまことにありがとうございます。民主党の岡本充功です。

 お伺いをしたいことが三点ありますので、順次お伺いしたいと思います。

 まず一つ目は、世界保健機構としては、臓器移植というのは、他に代替する医療があればこれを置きかえていく、つまり、最初の治療選択としてとるべき治療だとお考えになられているのかどうか。具体的には、将来的に再生医療等が進んで、臓器移植に置きかわる医療が出てきた場合には、これは縮小していく方向が正しいというふうにお考えなのか。それとも、同時並行として、この医療がファーストチョイスとして選ばれていくということをお認めになられるスタンスなのかということが一点目です。

 二つ目が、日本で大変話題になったテーマでありますが、今でも議論が続いていますが、なかなか日本は腎臓移植が進まない中、一部の医師において、病気の腎を取り出して、例えばがんの部分を削り取って、再度別のレシピエントに移植をするということが行われていて、一定の成績を残しているようであります。議論がまだ続いていますが、WHOとしては、こういった移植について今後議論をされていく御予定があるのか。その適否についてであります。

 それからもう一点が、WHOの指針は読ませていただきました、商取引に関する懸念を示されているわけでありますけれども、そもそも、移植というのは必ずしも一カ国だけで終わらない要因がある。つまり、骨髄移植なんかの場合はこの東アジアで、HLAが合えば、国境を越えてドナー、レシピエントの関係が成り立つわけであります。

 そういう意味でいえば、医学的な見地から見て、優先順位をつけていくべきではないかと考える考え方もあるわけです。その一方、北米には五%ルールなる話があって、どうも外国人の移植枠を制限しようだとか、また今回の我々の議論の中でも、血縁者優先にドナー、レシピエントを決めていくという考えもあるように見受けられます。そういった意味で、医学的見地で本来決められるべきではないかという観点については、参考人はいかがお考えか。

 三点、お聞かせをいただきたいと思います。

ノエル参考人(通訳) すべての質問をちゃんと理解できていればいいんですけれども。

 最初の質問ですけれども、これは、まず最初に移植を行うかどうかということですけれども、その種類にもよるかと思いますので、まず最初に科学的な進捗が、例えば心臓などではおくれが見られるということは明確であります。それから、例えば小児の場合ですけれども、透析を考える前の方が、より最適な方法といたしまして、将来のことを考えればいいということが言えるわけです。ですから、これはやはり医療的な判断として、見解が分かれるところだと思います。

 お話を聞いてみますと、実際の患者さんからの腎臓が別の方に移植される。これは、治療的な目的で摘出されたのであれば、そのようなスキームが存在するといったことであったかと思いますけれども、実際に治療目的で臓器提供が行われるというような状況下におきましては、まず、しっかりした慣行の基準を満たすということが最初には重要になります。まず、追加的なリスクがレシピエントにかからないということ、それと同時に、適切な情報がレシピエントに供与されているということ、つまり、情報のレベル、エビデンスのレベルが十分で、そして適切にレシピエントに伝わっているということ。

 このようなアプローチを聞いたのは初めてのことであります。ですので、私は、これは臨床試験のようなものというような気がします。ある特定のルールのもとに行われる臨床試験のような気がしています。倫理的に、かつ、情報といった意味では非常に要求水準が高いということになってくるかと思いますけれども、当然慎重にやるべきであるかとは思いますけれども、しかしながら、これは実際に、探索を正当化する可能性もあるのかなという気がしています。

 また、最後の点ですけれども、国際的な、例えば造血細胞などの交換の可能性ですけれども、こちらは十分正当化できると思っています。

 このような状況下におきましては、実際の、不当な利益供与ですとか取引というようなことではなく、その適合性ということであろうかと思います。ですので、適合するドナーを世界で探すということは、世界的な人道組織が協力して、実際にある日本の患者さんのニーズを他の国のドナーで満たすことができるかどうか、その手法を模索する必要があろうかと思います。

 例えば、私が日本で住んでいたとしましょう。そして、日本で仕事をし居住していた場合、私が例えば移植を必要とするのであれば、ウエーティングリストに載るということになろうかと思います。そして逆に、日本で移植を行う場合のドナーであったとしてもしかりだと思います。

阿部(知)小委員 社会民主党の衆議院議員で、阿部知子と申します。私は、同時に、今回のC案の提案者でもございます。あそこの金田先生と私ども三人で提案いたしました。

 私は、三つにわたって質問をさせていただきたいと思います。

 一つ目は、脳死の定義ということであります。三十年前にほぼ全世界で定義が確立いたしましたが、この間、特に一九九〇年代後半から、脳死という診断のもとで長期に生存する患者さんたちの存在が明らかになりました。

 いろいろな判断基準の差によって患者さんの状態も違うということはありますが、しかし、特に我が国など、脳死という判定をされたとしてもそこで呼吸器を切ったりはいたしませんし、そうなりますと、最長十数年、二十年近い生存例もあるということでございます。こうしたことは、果たして、WHO等々では検証、検討されておりますでしょうかというのが一点目です。

 二点目は、このこととも関連いたしますが、二〇〇五年の二月から三月でしたか、バチカンにおきまして、各世界から、脳死の判定基準やあるいは倫理的、社会的、文化的な問題について、どちらかというと賛成的に臓器移植を進める立場の方と、いやいや、これはまだまだ判定も含めて問題が多いからもっとディスカッスした方がいいという方々がお集まりになって会議が持たれました。これは、各国の論者が集まられた大変に権威ある会議でしたが、このことについてもWHOは御存じであるか。ノエルさんのおられる部署とちょっと違うかもしれません、恐縮ですが、それが二点目です。

 それから三つ目は、私は小児科医ですので、親が子供の何を決定できるか。さっきのノエルさんのお言葉ですと、監督権があるとおっしゃいましたが、緊急に治療的介入をする場合は親は決定せざるを得ないわけですが、この脳死による臓器提供は、いわば子供の死を親が決めていかざるを得ない。親のいやしにはなったとしても、子供の生存権から見てどうであるかという問題が我が国では大変に深刻な論議の的になってございますが、この点についてはどうか。

 以上三点、お願いします。

ノエル参考人(通訳) 神経学的な基準による死亡判定、脳死ではなくてですが、というのも、これは一つの死亡であるわけですけれども、神経学的な基準でやるということは、無呼吸テストも入ってきます、これは酸素が不足する、そして、心血管ということに関して間断が生じるということであります。

 脳死の個人が長期間生存するという報告があって、そもそも最初に判定があったとき、本当に脳死基準を満たしていたのかというディスカッションがあるわけです。というのも、混乱を来すような、例えば植物状態ということを満たすための評価基準がすべて満たされていなかったのではないかとか。

 バチカンのディスカッションに関して伺いましたが、法王のアカデミア・フォー・ライフというのがあります。これが十一月に国際セミナーを行うのです、臓器提供それから臓器移植に関して会議を行います。そこでは死体ドナーからの臓器提供を呼びかけるような形で、エンカレッジする形で行われると聞いています。法王当局は臓器提供を大変支持してきています。

 先ほど申し上げましたように、この問題は、ただ単に臓器提供だけとリンクづけて見るべきものではありません、死亡の判定というのは。これは、ハイテクのICUなどで行われているケアを見ると、その範囲はずっと広いわけです。その技術を最適に活用するということも入ってくるのです。

 もし脳の状態に関して疑義が持たれたら、その血流に関して画像などで見られるものに関して、あるいはシンチグラフィーで見られるもの、これを二十分ごとに行って、心血管、脳の血流などが途絶しているかとか、そういったことに関してきちっと見なくてはならない。

 最後の御質問なんですけれども、ごめんなさい、ノートをとっておりませんでした。最後の御質問は何でしたか。

阿部(知)小委員 子供の臓器提供を親が代諾というか承諾する場合に、他の治療的な介入とはやはり違った側面がある、子供はそれによって脳死を経て心臓死に至るわけですから。そうすると、そこで親に与えられている権利というものは、ちょっとこれまでの、おっしゃった治療的介入とは違うのではないかと思いますが、いかがでしょう。

 親自身はいやされるかもしれませんが、子供自身、私は長期の脳死生存例の治療もしてきましたから、そういう中では、やはり親の思い、またその後、提供したとしても悩みが深いと思いますが。

ノエル参考人(通訳) まさに、だからこそ死亡の判定は独立して行われなくてはいけないのです。臓器を提供できる可能性があるということとは別に行わなくてはいけません。

 死亡の判定は客観的な評価基準に基づいて行われねばなりません。それは患者のケアを担当しているチームが行う。その後別のチームがやってきて、臓器を提供する可能性ということを話す。決してここに混乱があってはならないのです。

 はっきりした明瞭さ、明晰性を確立するために、科学的な文書化が必要です。あいまいさをなくすために必要でありますし、それを追求しなくてはなりません。もちろん、何かあいまいさがあれば、そのときにはその問題を考えなくてはいけないわけです。

高橋小委員 日本共産党の高橋千鶴子です。きょうはありがとうございます。

 今の阿部委員の質問にも関連して、私も同じような疑問を持っていますので、質問をさせていただきたいと思います。

 先ほど来、脳死の定義の問題について、区別をして考えるべきである、厳密に、あいまいさをなくすべきである、そういう指摘がされておりました。日本でも、脳死の基準そのものを今見直すべきではないかという議論がされているわけですけれども、各国でもそういう取り組みがあるのかについて、まず伺いたいと思います。

 同時に、やはり社会的に脳死イコール死であると一般化されてしまった場合に、親が拒否したとしても、しかしもう社会的には死んでいるんだよと言われることに対しての、いわゆる脳死で長期に生きている子供さんを抱えている親御さんが非常につらい思いをされているという現実がございます。この点では、脳死は死ではない、つまり脳死イコール死であるということが国際的に一般化されているわけではないと思いますけれども、その点で御確認をさせていただきたいと思います。

 三点目、あともう一つは、子供の自己決定について、年齢が今よりもずっと若くても、子供には自己決定する権利もあるし能力もあるという形で、これを教育していったりする取り組みが各国にもあるのではないかと思いますが、その点について伺いたいと思います。

ノエル参考人(通訳) 今の問題から派生的な問題が出てくるかと思います。

 まず最初ですけれども、再び基準というお話ですね。神経学的な基準に基づく判定、これは小児に関するものですけれども、私はこの専門家ではありません。先ほど申し上げたとおりです。

 私が本当にマスターではない分野の話はしたくないんですけれども、ただ、私の経験に基づいて申し上げるのであれば、実際に知識のある者にしてみますと、明確な場合というのは問題が生じることはないのではないかと思います。ですので、あいまいではない状況があるということを言っているわけです。例えば小児の状況であったとしても、それがあいまいさがない状況というのは可能であるというふうに申し上げているわけです。

 また、未成年者の保護ということに関しては、指針の方では未成年者の同意を重要視しています。特に年齢という形の線引きはされていませんけれども、本人の同意ということは尊重されるべきであるとされています。

 また、これは議論対象となり得る分野だと思っておりますし、また、この場合は生体ドナーからの臓器提供というお話になりますけれども、第三者の独立した者が、適切な状況理解のために行うということが重要になってきます。

 死亡の後、臓器提供を認めた場合ですけれども、こちらはやはり、国民の認識レベルにもかかわってこようかと思います。実際の協議プロセスにおきまして、さまざまな国と協議を行いましたけれども、そこから見ますと、死亡の後の臓器提供は何を意味するのかということを早期の段階から説明するということが必要であると思っています。小学校の段階からということも先ほど申し上げました。こちらは公民教育の一環として行うことができると思います。もちろん、これは両親にもその影響が出てきます。

 一般的に申し上げて、説明をする、そして明確な目的を持つということ、これは、適切な組織を最善の形で活用する。そして、患者のニーズは非常に高いわけです。それを尊重しながら適切な、科学的な知識を用いて行う、そのためには多くのコミュニケーションをとる必要があるわけです。

 それぞれの社会で異なる信念があります。文化、背景も異なっています。また手法は、さまざまな方法があるかと思いますし、また、頂上に達する道筋はいろいろあろうかと思います。ただ、その頂上は同じであろうと思っています。また、情報交換の重要性、そして情報共有の重要性というのが、いい成果のためのかぎとなると考えています。

河野(太)小委員(通訳) ありがとうございます。河野太郎と申します。

 私は肝臓の生体ドナーであります。そして、このA案提唱者の一名です。

 二つ質問があります。

 彼女らの質問を、もう一度言いかえて質問させてください。

 ある男、女性でもいいのですが、もしその人が死亡と判定されたとします。神経学的基準に従って死亡判定が下された。その意思決定はきちっと適切に行われたとして、彼あるいは彼女の心臓が数カ月あるいは一年拍動していれば、それは死亡だということなんでしょうか。そう思われますか。それは死亡と考えられるかというのが質問です。

 我々のA案でありますが、これは妥協をしております。

 本人あるいはその本人の家族が、神経学的な基準に従って死亡判定をするかどうかを選べる、つまり、その選択権を与えているのです。その本人に、神経学的な基準に従って死亡宣告を受けるか受けないかの権利を与えるというものが我々の妥協案なんですけれども、この妥協案をどのようにお考えですか。これは医師の特権に属するものだというふうに考えられますか。あるいは、患者は、このような神経学的な基準に従って死亡と宣告されない権利を持ち得ると考えられますか。

ノエル参考人(通訳) 死亡は、神経学的な基準であろうと心血管学的なものであろうと、死亡は死亡です。そして、事実を見て結論を出した場合、そのリソースはまず親族に対して提供されるべきです。そうすると結論になります。治療的なアプローチです。

 私は河野議員に同意いたします。何に関して同意するかというと、神経学的な基準によって患者さんは死亡して、ICUで十分長く生かされて、そして十分に血流がなかったために、検視をすれば脳が機能していない。そうすると、これは、もともとの診断に関して、その心血管学的なものに関して無能力であると考えられる。

 ですから、医学的な知識、ここが重要になってくると思います。医療従事者の専門的な知識が重要になってくる。

 要約するとこういうことです、死亡というのは一つなんです。死亡というものは一つです。

阿部(俊)小委員 自由民主党の阿部俊子と申します。

 本日は、貴重なお話をいただきまして、大変ありがとうございます。私はB案提案者の立場で質問をさせていただきたいと思います。

 私、大学時代の友人を肝移植を待ちながら亡くした、四十二歳でありましたが、そういう経験を持ちまして、臓器移植に対しては非常に思い入れがあるところであります。

 国際移植学会におけるイスタンブール宣言は、非常に重いものと私ども受けとめております。特に、国際的に移植用臓器の不足が深刻になっている中、現行法で、日本においては十五歳未満の子供から脳死臓器移植を禁止し、子供の臓器移植のほとんどを海外に頼っている立場としては、このイスタンブール宣言、非常に重いものだと受けとめています。

 我が国におきましても、自国内で子供の臓器移植を可能とするための臓器移植法の改正が検討されているところですが、法施行後十年、いまだ法改正に至っていない現状があります。

 この背景には、阿部知子先生もおっしゃいましたように、一九八五年に作成されました脳死判定の診断基準、これがあいまいであることが挙げられると思っています。特に小児の場合は、臨床的脳死と診断されながらも三十日以上生存する、いわゆる慢性脳死と言われる子供が、これは二〇〇七年の日本小児科学会の調査からのデータでございますが、年間百例以上も存在すると言われています。

 また、中には、臨床的脳死診断を満たしても、三年以上の長期にわたり、家族とともに在宅で生活している子供たちも存在いたします。意識がなくても、動かなくても、家族の一員として在宅で医療ケアを受けながら生活し、体は温かく、身長は伸び続け、体重もふえ、日々成長していく子供たち、このような症例は海外では決して存在いたしません。

 脳死が人の死であるかどうかということについては、多くの諸外国で二十年以上も前にとっくに結論が出されているところでもあります。いまだに脳死が人の死であるかどうかについて議論を行っているのは、世界でも日本だけではないでしょうか。しかしながら、臓器を待つ側だけでなく、その臓器を提供する側、その議論というのも私どもは必要であると考えています。

 近年、我が国では、小さな子供が虐待の被害者となり、命を落とす例も急増しています。B案の提案者といたしまして、私は、子供への脳死移植は全面的に反対するものではなく、まずは、虐待児童からの臓器摘出を防止するための基盤整備、さらには現行の脳死判定基準の検証、再検討、子供の権利を守るための基盤整備が行われるべきだと考えています。

 そして、基盤整備が進められた後に、より低年齢の子供たちにも臓器移植が行われるように段階的に法改定をしていく、いずれはWHOが提唱されるガイドラインに沿った臓器移植法の改正が行われるよう法整備を進めるべきだと考えていますが、これについての御見解をお聞かせください。

ノエル参考人(通訳) 神経学的な判定に基づく小児の死の判定ですけれども、多分同意していただけると思いますけれども、ある状況下に関して疑義があろうかと思いますけれども、非常に明確な場合というのはあります。これはもう死であると明らかな場合というのがあります。

 私が知る限り、また、私は専門家というわけでは決してありませんけれども、多くの場合ではあいまい性がないわけです。実際の死を宣告することができる、死を判定することができる、子供が実際に呼吸支援を受けているような場合でも。そして、当該子供の親に対しまして、臓器提供の機会が与えられるかどうか、これがあいまい性がないような状況というのは実際に存在するわけですが、このような状況にするような、テストがあるかどうかというのは不明であります。

 ですので、私の知識に基づきまして、実際の慣行に基づきまして、臓器提供を小児にも認める、神経学的な基準に基づいて死を宣告された子供の臓器提供に関して日本はプログラムを持つべきだと思います。確かに慎重にする必要がありますし、技術的な基準レベルというのは適切な専門家集団によって決められるべきです。しかしながら、このような状況があるという現実は異論の余地がないと思います。

 他方で、両親にとりましても便益があるものです。ICUを実際に希望がないにもかかわらずずっと続ける、そして社会の方で目に見えるような便益がないにもかかわらずその費用を負わなければいけないといった問題もあるからです。また、それとは別に、この子供の臓器を活用できるという可能性があり、そして、通常の生活を他者が送ることができる。そして、この子供が死亡した場合というのは、そのような可能性も可能性として認識するべきだと思うのです。

園田(康)小委員 ありがとうございます。民主党の園田康博と申します。

 きょうは、参考人、本当に貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございました。

 私からは、国民の認識あるいは合意形成のプロセスという点でお伺いをしたいと思っております。

 今の議論と申しますと、国際レベルの議論、あるいは移植学会のような専門家による議論、そしてここの場におけるような国家レベルの議論というところでも、やはり、そこに携わっていらっしゃる方のごく限られた議論の中で経緯が進んでいるという印象がまだ私は否めない。そして、だからこそ、我が国においては、なかなかこの臓器移植に対する国民的な議論あるいは市民レベルの議論というものが起きないのと同時に、ドナーカードの保有率も含めて、なかなかそれが普及をしていかないという現状があります。

 諸外国の中で、いわばルーク・ノエルさんがお感じになられた、あるいは国際的な取り組みの中で、何かそのプロセスの中での有益な手段、あるいはそのプロセスで合意における重要な観点、そういったものがあれば教えていただきたいと思っております。

ノエル参考人(通訳) 先ほど申し上げましたが、移植というのは、地域社会への奉仕であり、コミットメントということ、あるいは健康の当局の関与というものも含まれてくるのです。

 この関与ですが、これは地域の資源を管理するということがかかわってきます。それによって共通レベルの認識を達成するのです。それにはコミュニケーションが必要です。

 二つのシステムが同意に関してあるのは御存じだと思います。一つは、明示的な同意、いわゆるオプトインと呼ばれるもの。あるいは、推定同意と言われるもの、オプトアウトというのもあります。

 米国は違いますが、最も成功している国々はオプトアウト、つまり推定同意のシステムであります。これが機能するためには、すべての市民が十分に知識を持って、もし自分が臓器のドナーとなる可能性があったら何があるかということをわかっていなくてはいけない。ですから、そのためには市民に対して情報を提供しなくてはならないのです。たとえ明示的な同意、オプトインのシステムであってもこのぐらいのレベルの情報は必要です。というのも、できるだけ多くの人たちにドナーであるという意思を表示してもらいたいからです。

 だから、こういった理由もあって、学校のカリキュラムの一部であるべきだと。通常の市民の知識として、自分たちにどんな責任があるかということを、学習カリキュラムの一部として、それから全体の連帯感を高めていくものとして行われるべきだと言っているのです。つまり、もし移植が必要になった場合には、そのときにはドナーになる覚悟もできているべきということであります。これは一つの考え方です。

 地域を関与させていくということですが、今考えているのはスペインの例です。スペインは、死体ドナープログラム、臓器提供プログラムで成功している国です。スペインの移植機関のトップは、その秘訣は組織にあると言うでしょう、それと同時に、マスコミに対して非常に時間をかけていると言うでしょう。

 ですから、これは病院の権限とのコーディネーションもあるのです。病院のそのシステムへの貢献に対して責任を持たすということも一部でありますし、それと同時に、全人口の間の意識ということも入ってきます。その中にはヘルスケアのスタッフも入ってきます。いわゆる一般医、あるいは病院のドクターたち、またマスコミでの可視性ということなのです。つまり、移植によってこれだけの成果があるということを思い出してもらう、その現実を見てもらうということです。

 また、可能性としては、論争を呼ぶようなものも見てもらうということになります。これも隠してはいけません。ですから、構造とアウトリーチということになります。

川条小委員 自由民主党の川条志嘉でございます。

 本日は、貴重なお話をいただきまして、ありがとうございました。

 私は、まず、人間は一度この世に生をうけた限りは、その生を全うすべきだと考えています。つまり、移植を望む側にも人権があると同時に、臓器の提供を望まれる側にも人権があるという考えをとっています。したがって、その考えに基づき、家族の同意だけではなく本人の生前の同意、つまり、先ほどノエルさんがおっしゃったオプトインというシステムが絶対に必要だと思っております。本日はそのような観点から三点質問させていただきます。

 一点目は、まず、透明性、情報公開についてです。

 先ほどからノエルさんは、移植に関する情報公開が必要だとおっしゃいました。その中で、私たち日本国人でさえ知らないことが数点あります。まず、臓器を取り出す際に麻酔を使ったり、あるいは筋弛緩剤を使う、そういうことは国民はだれ一人知りません。また、知らないことの二つ目として、先ほどから長期脳死の話がありました。こういう生存者がいることも国民に余り知られていないんです。そして三番目には、長期脳死と言われる人たちは、ラザロ兆候といって、手を動かしたり足を動かしたり、あるいは針で刺したら動悸が上がる、そういった反応を示すことすら知られていません。こういった情報公開についてはどのような御見解をお持ちか、一点目、お伺いしたいと思います。

 それから二点目。日本独自の伝統文化として、死者を悼み死体を大切にするというものがあります。世界の中で日本だけがこのように臓器移植がおくれているとおっしゃいましたが、やはり私は日本人として、日本の伝統、死者の魂を大切にする、こういった風習は尊重していただくべきだと思います。でなければ、体の健康は臓器の提供がふえて保てても、日本人の心の健康は保てないと思います。やはり伝統文化というものは心の健康と大きな関係があると考えます。この点についてあなたの御意見をお伺いしたいと思います。

 最後になりましたが、三点目。先ほどからいろいろお話を伺いました。WHOの中でもいろいろな部門があると思います。心の健康に関する部門もWHOの中にはあると思う。医師の中にも、脳外科医の中ですら七〇%の人が、脳死という概念に対してかなり懐疑的な見解を持っているという事実もあります。その中で、国際移植学会でどんどん議論を進めていくだけではなく、脳死に対する指針をつくる際にはすべての医師が参加して、そして脳死の基準に疑いを持つ人、あるいは文化的な観点から議論をされる人、そういった人を入れながら国際的に議論を進めていく必要があると思います。国際的な意思決定というものは非常に尊重するべきものであるだけに、やはりその手続の中で、脳死臓器移植に対して推進派だけではなく、懐疑的な見解を持つ人たちに参加の機会を与えるべきだと思うのですが、御見解を伺いたいと思います。

 以上三点について、御見解をお伺いしたいと思います。

 以上です。

ノエル参考人(通訳) どうもありがとうございます。三つとも、全部お答えできればいいと思いますが。

 今の御発言の中で驚きを持って聞かせていただいたのは、明らかな透明性の必要性ですね。現実をちゃんと示すということです。これは、その基準であったり、実際の数であったり、国の経験、実際の死の判定ですね、特に神経学的な基準に基づいて。こうした情報です。

 確かに、患者によっては反射があるということで、手足を動かすということがあります。確かに、脊髄反射がありますので、実際に反射作用が見られる、手足が動くというようなことはあります。明確な科学的な基準を設け、そして臨床的な所見が、観察があり、これは実際多くの患者さんもかかわった上でのということになります。そして、さらなる探索が必要な分野というのもあるかもしれません。ただ、それも透明性を持つ必要があります。そして、分析も客観的に行うということも可能だろうと思っています。

 同様に、近親者の同意も議論するべきです。移植は、また臓器提供は、これは完全な透明性を持って初めて可能なわけです。それをもって解決策を導く必要があると思っています。何も隠すべきはないんです。すべてを明らかにする必要がある。そして、エビデンスの現実というものがやはり疑義に対するものになりますし、感情的な理解も得られるのではないかと思います。

 確かに、おっしゃるとおり、そのためには、これは現実でそれを補足していく必要があります。近親者の同意ですけれども、こちらは推定同意の制度下であったとしても重要であると思われています。ほとんどの国においてそうです。家族への尊重ということがあるからです。この中では、今おっしゃったような文化的な側面ということも含まれてくるのではないかと思います。

 これで多少なりとも御質問のお答えになっていればいいと思うんですけれども。

冨岡小委員 ノエルさん、多くの質問に答えていただき、どうもありがとうございます。

 同時通訳の方も、随分きょうは苦労されているんじゃないかなと思いますけれども。

 私から、質問というより、ちょっと確認をしたいので教えていただければと思います。

 まず、今回、イスタンブールの合意というのは、日本にとって、海外でのすべての移植を中断するべきだというふうにとらえてよろしいのかどうか。つまり、いろいろなツーリズム、いろいろ状態はあると思いますね。金銭的なもの、あるいは医学的なものを含めて、各国は自国内での移植の完結を目指すように考えているのか、あるいは、もっと大きなネットワーク的なものを先ほどちょっとおっしゃったんですが、その点についてお聞きしたいと思います。それが第一点目。

 それから、先ほどからいろいろな質問が出て、我が国では今、脳死の判定についての議論を中心として移植が議論されている、そういう状態にあります。そこで、確認したいのは、細かいことは別として、我が国もゼロ歳まで移植の範囲を広げるべきなのか。あるいは、十五歳あるいは十二歳といういろいろな案があるんですが、それは現在のノエルさんのお考えではどのように考えるのか。こっけいな話に思うのか、いや、当然オリエンタルな考えを持っているのでいいのか。あるいは、各国がやはり実情に応じて考えるべきなのか。まず、どのように考えられているか。

 それからもう一つ。先ほど岡本委員の方からも質問がちょっとあったんですが、再生医療と臓器医療との関連について、各国の情勢をもし教えていただけるなら教えていただきたいと思います。

 つまり、今までは角膜等は死体からの移植しかなかったんですが、我が国においては、自分の自家細胞を使った角膜移植が既に三十例近く行われようとしています。したがって、私自身、移植というのは緊急避難的な治療法であって、本来とるべきではない治療法と考えているんですが、再生医療がそれにかわり得るというふうに思っている一人なんです。

 再生医療と移植とのそういったコネクションというか共同作業、例えば、角膜バンクとそういった再生医療のネットワーク等が進んでいるかどうか、もしそういう方向性等を議論されているなら教えていただきたい。

 以上です。

ノエル参考人(通訳) ありがとうございます。

 最初の御質問ですが、地域下のレベルで移植のニーズを満たす善意の移植ツーリズム、この移植ツーリズムというのはある意味でトリビアルな考え方だと思います。

 その機能としては、国際的な形で移植のための臓器の調達が行われている。例えば、スカンジア・トランスプラントというのがありますし、ユーロ・トランスプラントというのもあります。これは西ヨーロッパ。スカンジアの方は北欧のものです。こういった移植患者が、サハラ以南のアフリカ、こういったところにはプログラムがありません。しかし、インドあるいはチュニジアなど西アフリカから移植が行われているということは、国際的な何かこういった交流があるということを示唆しています。

 ただ、結論として、二つの状況を回避したいと考えているのです。

 まず一つ。我々のイスタンブールの宣言、これは二つを回避しようと考えています。一つは、弱い個人がえじきとなること、搾取されることを防止するということです。移植の臓器の源となってしまうこと、搾取されてしまうことを防ぐということ。

 二つ目は、ゆがんだ形での配分ルールが国レベルで行われないようにするということ。つまり、移植目的で自国内で使われるべき臓器が、金銭的な利益を出す目的のために海外に対して売られてしまう、そういった状況を回避する、これが二点目であります。

 このような状況は支持すべきではありません。将来的にはバランスのとれた形で国際的な交流が、この国で、例えば近隣諸国で行われることがあるいは可能かもしれません。

 神経学的な死の基準に関しての御質問はよくわからなかったのですけれども、既に再生治療を一つの代替として考えているとおっしゃってくださいました。我々は、この進捗状況に関してはよく認識しております。しかし、それはまだ臨床試験レベルである。これはもっと大規模に証明しなくてはいけません。三十の角膜が自家製の再生治療の結果のもので代替されたとしても、この段階で、これが一般的に適用される解決策とは考えられないのです。長期的な転帰がなければなりませんし、このような治療に関連したリスクも見なくてはいけません。

 現在のところ、角膜移植は移植の中で最も古い形です。角膜移植は一九〇五年にまでさかのぼることができます。これはその有効性も証明されておりますし、低コストであるということも証明されています。コスト効率を考えなくてはいけないときは、これもやはり考慮しなくてはなりません。代替的な形でこの再生治療をする。これはまた、余り先進諸国でないような国にとっては再生医療はなかなか手が届かないものになります。

 潜在的な代替ということは承知しています。将来、人間の臓器のかわりにほかのものを使うということも代替として考えられているわけですが、そのためには証左が必要でありまして、まだまだそのような証左、エビデンスは収集できておりません。

清水(鴻)小委員 ありがとうございます。自由民主党の清水鴻一郎でございます。

 きょうは、ノエル氏には大変貴重なお話を賜りまして、ありがとうございました。時間がないということですので、一点だけお伺いしたいと思います。

 先ほどからノエル氏の話の中で、脳死とそれから臓器移植というのは別のこととして考えるべきだ、切り離して考えるべきだということでございました。私はまさにそのとおりだと思います。

 しかし、私は脳神経外科医でもあるんですけれども、脳死というのはやはり臓器移植が前提になっている死ではないのかなというふうに思うわけです。つまり、臓器移植を考えなければ脳死の判定をする必要もないし、脳死というものの概念をつくる必要もある意味ではないのではないかなと。

 私も脳外科医でありますから、科学的には脳死という死はあると思います。しかし、実際の死の判定をするときには、従来心臓死できた。ある意味では一番わかりやすい、そしてだれもが受け入れられる人間の死でありますから、その点において、私自身は、臓器移植が前提になって脳死があるというふうに思っているので、切り離すというのは当然ある意味で大事な考え方ではありますけれども、切り離せない、つまりそういうものではないのかなと思っています。

 その点について、例えば臓器移植はしないけれども脳死という判定もあって、それは死だというふうにお考えかどうか、その点だけちょっと確認をさせていただきたいと思います。

 ありがとうございます。

ノエル参考人(通訳) 疑いようもなくもし患者が本当に死亡したのであれば、人工的な生命維持を、呼吸であったとしても、もしくは心血管で続けるという意味はないわけです。これは対外的な脳の作用ということなんですけれども、もし脳死ということになった場合、もう希望がないわけです。もう死亡しているわけです。ということで、集中治療なりすべての取り組みというのはやめるべきなんです。これらの資源というのは、実際にその便益を享受できるような患者に向けられるべきです。

 当然、これは臓器移植とは独立して行われるべきです。その意思決定が行われた後で、効率的なシステムであれば実際の臓器移植が行われ、そして、実際に死亡した方の家族の方々に、その臓器移植が行われる機会について考え、そして、ほかの患者さんがよりよい生活を送れるようにということの検討、オポチュニティーとして与えられるべきであると思います。

吉野小委員長 以上をもちまして参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、参考人に一言ごあいさつ申し上げます。

 参考人には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。小委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。

 参考人の御意見をこれからの質疑に大いに参考にさせていただきたいと思います。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時五十二分散会


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