衆議院

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第2号 平成25年3月14日(木曜日)

会議録本文へ
平成二十五年三月十四日(木曜日)

    午前九時二分開議

 出席委員

   会長 保利 耕輔君

   幹事 伊藤 達也君 幹事 岸  信夫君

   幹事 中谷  元君 幹事 葉梨 康弘君

   幹事 平沢 勝栄君 幹事 船田  元君

   幹事 武正 公一君 幹事 馬場 伸幸君

   幹事 斉藤 鉄夫君

      泉原 保二君    上杉 光弘君

      衛藤征士郎君    大塚  拓君

      河野 太郎君    鈴木 馨祐君

      高木 宏壽君    高鳥 修一君

      棚橋 泰文君    土屋 品子君

      土屋 正忠君    土井  亨君

      徳田  毅君    西川 京子君

      西村 明宏君    野田  毅君

      馳   浩君    鳩山 邦夫君

      原田 憲治君    武藤 容治君

      保岡 興治君    簗  和生君

      山下 貴司君    山田 賢司君

      山本ともひろ君    大島  敦君

      奥野総一郎君    篠原  孝君

      三日月大造君    山口  壯君

      伊東 信久君    坂本祐之輔君

      新原 秀人君    西野 弘一君

      三木 圭恵君    大口 善徳君

      浜地 雅一君    小池 政就君

      畠中 光成君    笠井  亮君

      鈴木 克昌君

    …………………………………

   衆議院法制局法制企画調整部長           橘  幸信君

   衆議院憲法審査会事務局長 窪田 勝弘君

    ―――――――――――――

委員の異動

三月十四日

 辞任         補欠選任

  松本 洋平君     簗  和生君

  山本ともひろ君    山田 賢司君

  古川 元久君     奥野総一郎君

同日

 辞任         補欠選任

  簗  和生君     松本 洋平君

  山田 賢司君     山本ともひろ君

  奥野総一郎君     古川 元久君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(日本国憲法の各条章のうち、第一章及び第二章の論点)


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     ――――◇―――――

保利会長 これより会議を開きます。

 この際、御報告申し上げます。

 去る平成二十三年十一月十七日の憲法審査会幹事会におきまして、「幹事の割当てのない会派の委員についても、オブザーバーとして、幹事会等における出席及び発言について、幹事と同等の扱いとする。」との申し合わせを行ったところでありますが、去る二月十四日の幹事会におきまして、この申し合わせに基づき、幹事会等へのオブザーバーの参加を認める旨を確認いたしましたので、御報告いたします。

     ――――◇―――――

保利会長 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件、特に日本国憲法の各条章のうち、第一章及び第二章の論点について調査を進めます。

 本日の議事について申し上げます。

 まず、日本国憲法第一章の論点について衆議院法制局当局から説明を聴取し、自由討議を行った後、第二章の論点について同様の進め方とすることといたします。

 それでは、日本国憲法第一章の論点に入りたいと存じます。

 衆議院法制局当局から説明を聴取いたします。衆議院法制局法制企画調整部長橘幸信君。

橘法制局参事 衆議院法制局の橘でございます。

 保利会長を初め幹事会の先生方の御指示によりまして、本日は、第一章天皇の章と第二章戦争放棄の章に関しまして、先生方の御意見の表明の参考に供するため、これまでの国会における憲法論議等を踏まえました主な論点につきまして、その概要を御報告させていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。

 本日は復習ということでございますので、冒頭、簡単に資料の御説明をさせていただきたいと存じます。

 お手元に二種類の資料を配付させていただいてございます。

 まず一つは、A3一枚紙の「憲法に関する主な論点」と題する論点表でございます。この論点表の作成に際しまして、幹事会等で御示唆いただきました方針は、大要、次のようなものであったと理解しております。

 まず一つ目として、二〇〇五年、平成十七年四月に取りまとめられました衆議院憲法調査会報告書、これを基礎的データベースといたしました上で、これを、それ以降、現在までの間に発表されました各党各会派の憲法提言や憲法改正草案等によって補充しながら、現時点における国会での先生方の憲法御論議が鳥瞰できるようなものとすることでございます。

 二つ目は、そのような先生方の御論議に含まれました論点を分類、整理するに当たっては、一つ、明文改憲の御主張、二つ、憲法改正までは必要ないけれども立法措置で対応すべきという御主張、そして三つ目、改憲も立法措置も必要ないという三つの御主張にできるだけ類型化して整理する、そのようなものとして御提示する、そういうことでございました。

 そして、もう一つの資料は、この論点表の作成の基礎となった各党各会派の御提言や先生方のこれまでの御発言及びこれらに関する用語説明などの基礎的事項を取りまとめました詳細な参考資料でございます。憲法審査会事務局で取りまとめられた資料でございます。

 そして、以上の基礎資料に盛り込まれて、これまでの憲法論議の積み重ねを前提とした上での、前文を含めた百三カ条、憲法全体に関する先生方の御議論、御意見の交換による全体的な検証を経た上で、来るべき本格的な憲法論議に関する先生方同士の共通の土俵、これを構築しようとするのが現時点における先生方、本審査会の調査の御趣旨であると拝察しているところでございます。

 それでは、早速ですが、日本国憲法第一章天皇の章の主要論点につきまして、一枚紙の論点表に基づいてごく簡潔に御報告させていただきながら、あわせて、前回この章に関する御議論がなされた際の各会派の先生方の主要な御議論をも御紹介させていただきたいと存じます。

 なお、各会派の先生方の御議論の紹介は、時間の関係で、冒頭の各会派一巡の先生方の御発言を中心に御紹介させていただくことをあらかじめお許しいただきたいと存じます。

 まず、論点表冒頭の米印でございますが、現行の象徴天皇制、それ自体につきましては、衆議院憲法調査会の最終報告書でも、また各党の憲法提言等においても、今後とも維持されるべきものであるとして、その存廃を当面の憲法問題としようとする意見はございませんでした。日本国憲法によって象徴という形で定式化された我が国の天皇制は、国民から支持され、確実に定着しているとの評価が先生方の共通認識になっておられるものと理解されます。

 その上で、この象徴天皇制を前提とした上で、天皇の章について御議論されてまいったのは、大きく次の三点であるかと存じます。

 すなわち、一つ、天皇の地位に関する論点、二つ、皇位の継承に関する論点、三つ、天皇の行う行為に関する論点でございます。

 まず第一の、天皇の地位に関する論点でございますが、これは、天皇が象徴であることを前提として、さらに元首であることを憲法上明記するべきか否かという論点でございます。

 論点表Aの欄の、明文改憲が必要とする立場からは、我が憲法のもとにおいて、学説上、誰が国家元首であるか疑義があるような状態は好ましくない、明確に天皇が国家元首の地位にあることを明記すべきであるというお立場でございます。

 これに対して、現行憲法の象徴のままでよい、天皇が元首であることをわざわざ明記する必要はないというCの立場もございます。

 しかし、このCの立場には大きく二つの異なる見解があるように存じます。

 一つはC1で、現行憲法上天皇が元首であることは明らかであるから明文改憲は必要ないというものです。

 さらに、この見解の中には、単に、元首であることを憲法改正してまで明記する必要はないというものもありますが、このような見解ばかりではなく、次のような理由づけをなされる見解もございます。すなわち、元首などという表現はヨーロッパの国王、君主などについていうものであって、我が国の天皇は、一時期を除いて一貫して、権力の象徴ではなく権威の象徴であった、その意味では、元首以上の存在であり、象徴天皇のままにしておくことこそ、その本来の地位にふさわしいものだというものでございます。

 他方、現行憲法の象徴のままでよいとの見解に属するもう一つのお立場がC2で、天皇を元首と認識するのは難しいし、また適当ではないというものです。

 すなわち、学説上、元首というものは一般に、外交を通じて国を代表し、行政権の全部または一部を有する国家機関という意味に用いられてきたものであり、その意味では、国事行為しか行わない天皇は元首たり得ず、これを元首というのは用語法として間違っているとの理解を背景にするものかと存じます。

 この天皇の元首性に関する前回の御議論では、自由民主党の中谷元先生及びみんなの党の柿沢未途先生から、Aの明文改憲の御見解が、また、公明党の赤松正雄先生及びきづなの渡辺浩一郎先生からは、天皇を元首として認識してよいが、それを憲法に明記する必要はないとのC1の見解が述べられております。また、社民党の照屋寛徳先生からは、天皇の元首性明記を含む明文改憲には反対である旨、さらに、共産党の笠井亮先生からは、日本国憲法の前文を初め、天皇条項を含む全条項を守り、特に平和的、民主的条項の完全実施を目指す立場である旨などが表明されておりました。

 第二の論点は、皇位継承に関する論点です。

 現行憲法は第二条で、皇位は世襲のものであるとだけ定め、これを受けた法律である皇室典範の第一条において、皇位は皇統に属する男系の男子が継承すると定めております。

 この点について、皇室の現状に鑑みて、今後とも皇室を維持するためにも、女性天皇、さらには女系天皇を認める必要があるのではないかという立場が一方にございます。これを、憲法改正をして認めようとする立場が論点表のA2の立場であり、同じことを皇室典範という法律改正で対処すればよいと主張するのがB2の立場でございます。

 ただし、このいずれの立場にも、女性天皇を認めるにとどまるのか、それとも女系天皇まで認めることとするのかについては御意見の相違があるように存じます。

 これに対して、現行の男系男子による皇位継承を維持すべきであるとする御主張がございます。

 この見解の中には、女性天皇や女系天皇の主張を明示的に否定するためにも、憲法上、男系男子による継承を明記すべきとするA1の立場がございます。

 また、前述のA2やB2の御主張が、皇統の維持、皇位継承者の確保ということにその趣旨があることに鑑みて、男系男子による皇位継承のもとにおいてもこの趣旨を確保するために、皇室典範の改正によって、旧皇族の皇籍復帰や旧皇族の男系男子を養子に迎えることができるようにするべきとの御意見もございます。これがB1の立場でございます。

 これらの御主張に対して、あくまでも現在のままでよいとするCの立場ももちろんございます。

 この皇位継承の論点に関する前回の御議論では、一般的に、各会派ともに、国民の幅広いコンセンサスを得るべく慎重に検討していくべきとの意見表明が多かったように存じますが、その中でも、自由民主党の中谷元先生が、皇位継承について皇室典範で規定するという現行憲法のままでよいとのCの立場を表明される一方で、公明党の赤松正雄先生が、女性天皇については、皇室典範の改正論議に委ねるものの、方向性としては従来から認める方向で検討してきたと、また、社民党の照屋寛徳先生も、皇室典範の改正でもって世論の多くも支持している女性天皇を認めるべきであるとして、それぞれB2の見解を述べられました。

 第三の論点は、天皇の行為についてでございます。

 これには二つの小論点が含まれております。

 一つは、現行憲法において、天皇の行為は、内閣の助言と承認のもとに行われる内閣総理大臣の任命や最高裁長官の任命のほか、憲法第七条において一号から十号まで掲げられております国事行為、すなわち、法律などの公布や国会召集、衆議院の解散など十個の国事行為に限定されているところですが、この国事行為の範囲の是非に関する御議論です。

 これにつきましては、まず、宮中祭祀などは我が国の文化的伝統であり、明文改憲によって新たに国事行為として位置づけるべきであるとするAの欄の御見解がございます。これに対しては、もう一つの憲法原則である政教分離原則などとの関係から、そのような宗教的色彩を帯びる行為はあくまでも国事行為と位置づけるべきではなく、現行のままでよいとするCの欄の見解もございました。

 もう一つの論点は、天皇の公的行為についてでございます。

 現行憲法では、第四条で、天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しないと定めるとともに、その国事行為については、今申し述べましたように、憲法に限定列挙されているところでございます。しかし、これらの国事行為以外の天皇の行為は全て私的行為かというと、そうではございません。現実には、国会開会式でのお言葉や外国訪問、被災地へのお見舞いや地方への行幸など、各種行事への御臨席まで現実にしておられます。そして、これらについては、一般的な解釈では、天皇の象徴性に基づく公的行為あるいは象徴行為と呼ばれて、国事行為でも私的行為でもないものと位置づけられているところでございます。

 このような実際の憲法運用を前提として、天皇の象徴としての性格を明確にするためにも、憲法に公的行為を位置づけるべきとする意見がございます。これが明文改憲を主張するAの欄の御意見でございます。

 これに対して、憲法改正を要せずとも皇室典範等で明記すれば足りるとするのがBの欄の御見解でございます。

 そして、そのようなことはいずれも必要なく、現状の運用のままでよいではないかとするのがC1でございます。

 これに対して、C2の見解は、現在の公的行為のような運用自体がおかしいのであって、天皇が国政に関する権能を有しないとする現行憲法の規定を厳格に守るべきであって、公的行為として整理されている行為は、一部は国事行為として、他方は私的行為として考えるべきであるとするのがC2の見解でございます。

 この天皇の行為の論点に関する前回の御議論では、まず、国事行為の対象をふやすべきかという論点につきましては、自民、公明、共産、社民などの先生方から一様に現行のままでよいとするCの見解が述べられましたが、公的行為の明文化の是非につきましては、自由民主党の中谷元先生から、これを明記すべきとする明文改憲の御主張がなされました。これに対して、公明党の赤松正雄先生から、皇室典範改正も含めて改正は不要であり、現行のままでよいとの御主張が、また、社民党の照屋寛徳先生からも、公的行為の明記には反対であるとの御主張がなされました。他方、共産党の笠井亮先生からは、天皇の行為を現行の国事行為以外に公的行為として広げることは国民主権の原則と相入れないとの御主張がなされております。

 なお、この論点に関する御発言として、天皇陛下の御公務が極めて多忙になっている現状に鑑みて、その御負担を軽減するなど、整理をするべきではないかとの御発言もなされたところでございました。

 以上は、天皇制に直接に関連する論点でございましたが、憲法冒頭の第一章に規定されるべき事項として御議論がなされている論点として、国旗・国歌や元号に関する御議論がございます。

 これについては、諸外国の憲法、例えばフランスの第五共和制憲法、現行憲法でございますけれども、この第二条第二項や第三項の、国旗、すなわち国家の表象は青、白、赤の三色旗であるとか、国歌はラ・マルセイエーズであるといった規定などに準じて、我が国の国旗は日の丸、日章旗であり、国歌は君が代であること、さらには、元号についても憲法に明文規定を置くべきとするAの欄の明文改憲の御主張がございます。

 これに対して、既に国旗・国歌法が制定され、元号法も制定されているのだから、わざわざそのようなことをする必要はないとするCの欄の御意見もございます。

 この国旗・国歌の論点について、前回の御議論において明文改憲のお立場を明確に主張されたのは、自由民主党の中谷元先生及びみんなの党の柿沢未途先生であり、これを必要ないと明確に御主張されたのは、公明党の赤松正雄先生、共産党の笠井亮先生、そして社民党の照屋寛徳先生らでいらっしゃいました。

 以上、駆け足になってしまいましたが、冒頭の御報告を終わります。どうもありがとうございました。

保利会長 以上で衆議院法制局当局からの説明聴取は終わりました。

    ―――――――――――――

保利会長 これより自由討議に入ります。

 この自由討議につきましては、幹事会の協議に基づきまして、まず、各会派を代表する委員が順次発言を行い、その後、各委員が自由に発言を行うことといたします。

 それでは、まず、各会派を代表する委員の発言に入ります。

 発言時間は五分以内とし、その経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせをいたします。

 発言は自席から着席のままで結構でございます。

 発言の中には、今の法制局のお話に対する質問も含んでよろしいと思います。

 発言の申し出がありますので、順次これを許します。船田元君。

船田委員 私は、これまで、衆議院の憲法調査会、それから国民投票法をつくりました特別委員会に所属をいたしまして、過去、数多くの議論を展開してまいりました。

 このたび、憲法改正原案を審議し、そして発議できる憲法審査会に籍を置きまして、レビューとはいいながら、実質的な審議がスタートできたことは大変感慨深いものがございます。

 我が国を取り巻く安全保障環境の変化、また、物が決められる政治を目指そうとする統治機構の変更など、憲法改正の機運が盛り上がってまいりましたが、我々はこれらの動きをしっかりと受けとめて、地に足のついた議論を精力的に進めていかなければいけないと考えております。

 我々自由民主党は、現行憲法を改正し、新しい国の形を目指すために、平成十七年十一月に新憲法草案、平成二十四年四月には、それを補強した日本国憲法改正草案を公に発表いたしました。これに従いまして、第一章天皇の改正部分についての考え方を申し述べたいと思っております。

 第一条、天皇のものでございますが、私どもは、天皇は元首である、このように明記をすべきであると考えております。

 元首とは何か。さまざまな議論がありますが、私は、まず一つの要素として、象徴的な権威というのがあると思います。そして同時に、もう一つは、世俗的な権力、いわゆる政治権力になると思いますが、その二つが兼ね備わったものが元首である、このように考えております。

 象徴的な権威というのは既に現行の憲法においても表記をされております。もう一方の世俗的な権力はどうかということになりますと、これは国事行為、後ほど申し上げますが、国事行為で、総理大臣の任命あるいは外国大使の信任状の認証など、形式的ではありますけれども、国を代表するという権能を有している、このように解釈できます。

 したがって、象徴的な権威、そして世俗的な権力といいましても、形式的ではありますが名誉職的なものと考えれば、天皇は元首と表記をしてもよろしいのではないかと考えています。

 第二条の皇位継承の件、これにつきましては、前回も中谷議員から話があったと思いますが、条文そのものの改正の必要はない、あくまで皇室典範に委ねるべきというのが私どもの考えであります。

 もちろん、その中で、男系男子であるべきなのか、あるいは女性天皇を認めるべきなのか、さまざまな議論があることは承知をしております。この点についてはなお幅広い議論を行っていく必要がありますし、国民広く、これは意見を聞かなければいけない条項であると思っております。

 第三、第四、第六、第七条、これは国事行為でございますが、この点につきましても何カ所かで改正をすべきだと思っております。

 一つは、内閣の助言と承認を求めることが書いてありますけれども、これはやはり天皇に対し礼を失するということにもなりかねませんので、私どもは、これを進言という形で対応すべきではないかと思っております。

 それから、国事行為だけが天皇の行為ではなくて、公的な行為、私的な行為、この三類型に分けられると思っております。特に公的行為については、国会の開会式、あるいは国体への御臨席、外国御訪問、さまざまなものがございますが、これもやはり内閣の進言や責任を伴うものではございますが、国事行為とは区別して、公的行為として表記をする必要があると思っています。

 最後に、国旗・国歌、元号でございますが、もちろん、既に国旗・国歌法あるいは元号法で規定をされているわけでございますが、天皇と同様に国の基本にかかわることでありまして、やはりこの点も憲法には明記をしておく必要がある、このように私どもは考えております。

 以上でございます。

保利会長 次に、大島敦君。

大島(敦)委員 民主党の衆議院議員の大島です。

 第一章について、まず、二月二十四日の民主党の党大会におきまして民主党の綱領を定めさせていただきました。その中で、「私たちの目指すもの」として、「共生社会をつくる」、二つ目として「国を守り国際社会の平和と繁栄に貢献する」、三つ目として「憲法の基本精神を具現化する」、四つ目として「国民とともに歩む」、私たちの目指すものとして四つ規定をさせていただきました。

 その中で、三の「憲法の基本精神を具現化する」という中で、「私たちは、日本国憲法が掲げる「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」の基本精神を具現化する。象徴天皇制のもと、自由と民主主義に立脚した真の立憲主義を確立するため、国民とともに未来志向の憲法を構想していく。」ということで定めさせていただいております。

 第一章の点につきましては、先日、東日本大震災の追悼式がございまして、そのとき、各県の代表の方が追悼の辞を述べられているときの天皇皇后両陛下のお顔、そのお姿を見たときに、本当に国民に寄り添っている姿に皆さん感動をいたしたと思います。

 二月の心臓手術の後、三カ月もたたないうちに被災地を訪問され、そして、十一月かと思うんですけれども、沖縄も訪問をされ、慰霊を尽くしておられます。その国民に寄り添う姿というものが、私たちにとりまして自然と受けとめられております。

 そして、その自然と受けとめられていることがこの第一章に基づいていると考えておりまして、私たちとしては、この第一章につきましては、このままでいくことが望ましいのであるのかなと考えております。議論の中では、とりたててこれまで変更するとかいう議論はございませんでした。

 そして、皇室典範のことについて先ほど触れられました。私は、平成十八年の通常国会におきまして内閣委員会の民主党の筆頭理事を務めておりました。そのときに皇室典範の改正というのが議論の俎上にのりました。そのとき、当時の官房長官に御質問をさせていただきました。皇室典範の改正案を内閣委員会で審議するということでございました。本当に、三十人の委員会で、例えば採決をして十六対十四という賛否が明確にわかった形でこの皇室典範を議論すべきかどうかということにつきまして、私個人としては非常に悩みました。もっと国民の合意形成ができるあり方がないかなと考えた次第でございます。

 以上です。

保利会長 次に、馬場伸幸君。

馬場委員 日本維新の会、馬場伸幸でございます。

 まず、意見を申し上げます前に、一言申し上げたいと思います。

 憲法は国民のものとの考えに基づき、国民の代表の集まりである衆参両院に憲法審査会が設置されております。この間の先輩議員の皆様方の御労苦に心から敬意と感謝を申し上げたいと思います。

 御承知のように、日本維新の会はこの国会がデビューでございます。昨年秋に結党したばかりでございまして、昨年の総選挙で掲げた公約の基本方針で自主憲法の制定を掲げたものの、残念ながらまだ具体的な改憲草案を持っているわけではございません。ただし、安全保障や統治機構改革の観点から、現行憲法を改正し、自主憲法を制定する方針であることは明確にしているところでございます。

 本年の通常国会開会とともに、日本維新の会国会議員団のもとに憲法調査会を設置し、議員団として憲法論議を始める体制を整えました。よって、現段階では具体的な条文案まで定めておりませんが、今回、衆議院の憲法審査会が開催されるに際して、日本維新の会として、ただいまから申し上げる基本的な考え方で憲法議論を進めていきたいと考えております。

 それでは、まず、第一章天皇に対する基本方針案を申し上げます。

 日本維新の会は、国民の八割以上が皇室を支持している、そのような世論を踏まえ、首相公選制の導入を含む、国の機能を強化する観点から、以下六点にわたる基本方針に基づいて考え方を申し上げます。

 まず第一、皇室を支持する。

 第二、首相公選制を導入することと連動して、国家の対外的な代表者は天皇であることを明確にする。その観点から、日本は天皇を元首とする立憲君主国であるという趣旨を明記する。この場合の立憲君主国とは、元首であろうとも法の支配に服するという意味での立憲主義に立つという意味でございます。

 第三に、天皇の権能については、国家元首に通有の権能を行使するとともに、国民のために、重要な国務を権威づける国事行為、皇室の歴史に由来する儀式、祭祀、並びに象徴としての地位に基づく公的行為を行うものとする。

 第四に、天皇は、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位は、我が国の歴史と伝統、国民の歴史的総意に基づくものとする。

 第五に、天皇に対する法的、政治的責任は問われない趣旨を明確にする。

 第六に、皇位継承については、皇室の伝統に基づき男系男子継承とする旨を憲法または皇室典範に明記する。

 以上が、日本維新の会の考え方でございます。

 ありがとうございます。

保利会長 次に、大口善徳君。

大口委員 公明党の大口善徳でございます。

 第一章天皇について、公明党を代表して意見を述べさせていただきます。

 まず、天皇を元首と憲法に明記すべきかとの論点についてですが、昨年五月に憲法審査会で議論されました中では、天皇を元首と明記すべきだという意見もございました。しかし私どもは、この点に関して憲法改正が必要とは考えていません。

 また、現在の象徴天皇というあり方で何らかの不都合は生じていないと考えています。象徴天皇とは権力なき権威としての存在を示しており、象徴天皇制は広く国民に浸透し、定着しているものであります。

 天皇は元首かどうかにつきましては、つまりは元首をどのように定義するかによるわけでありますが、これについてさまざまな見解があります。

 そうした中で、私どもは、今の天皇の地位に元首という側面があることは否定しません。ただ、憲法に天皇は元首であると明記するとなると、何らかの国政に関する権能を天皇に与えるかのような印象を与えてしまうのではないか。そうすると、これまで定着してきた象徴の意味合いが微妙に変化して、国民主権の流れに逆行しかねない事態が起こるおそれがあるのではないかと考えております。

 次に、皇位継承、女性天皇を認めるかという点についてであります。

 私どもは、これについては憲法改正は必要ないと考えています。しかし、今の皇室典範に定められているように男系の男子が皇位を継承するということでよいのかという点については、大いに幅広い議論をする必要があるという態度でございます。

 私どもは従来から、女性天皇については、皇室典範の改正論議に委ねるものの、方向としては認める方向で検討してまいりました。ただ、男系の女子にとどめるか、さらに女系の天皇まで認めるかどうかまでは議論を尽くしていないというのが現状でございます。

 次に、天皇の国事行為につきましては、現在の憲法の規定のままで特段の不都合は生じていないと考えています。また、国事行為以外の天皇の行為、いわゆる公的行為と位置づけられている行為についても、現在のありようで特に不都合はないと考えています。

 国旗・国歌や元号については、現在既に法律が定められており、憲法上に新たに規定を置く必要はないと考えています。

 ここで、天皇制に関連して、皇室の御活動について意見を述べます。

 昨年十月、前政権は、女性宮家の創設に関する論点整理を発表しました。将来、女性の皇族が御結婚をされて皇籍を離脱されると、皇族の数が減り、皇室が現在のような御活動を将来も維持することが困難になるということが問題意識であり、皇位継承問題とは切り離して検討するというものでありました。

 これは私個人の見解になりますが、皇位継承の問題とは別にして、将来的に皇室の御公務の負担を軽減することについては何らか検討する必要があるのではないかと考えています。

 以上で私の意見表明とさせていただきます。

保利会長 次に、畠中光成君。

畠中委員 みんなの党の畠中光成でございます。

 みんなの党は、既に昨年四月のサンフランシスコ平和条約発効六十周年に合わせて憲法改正に関する基本的考え方を発表しておりますが、十二月の総選挙で議席を伸ばし、その後も議論を継続させております。

 みんなの党は、憲法第九十六条、すなわち改正要件の緩和をアジェンダの中で掲げており、軟性憲法への改憲を志向しております。

 明治憲法も不磨の大典とされていましたが、現行憲法は一九四七年の施行から一度も改正されたことがない硬性憲法であります。その間、国際情勢、政治社会情勢、国民の価値観などの大きな変化があって憲法問題は多面化しているにもかかわらず、護憲、改憲のイデオロギー闘争に陥ってきたことは残念であります。

 その立場からも、この憲法審査会において新しい論点を含めた議論の活発化を望むものであり、あわせて、国民投票を初め憲法議論に国民が参加をする機運を醸成する役割がこの憲法審査会にあると考えます。みんなの党はそのような改憲勢力であることを、まず申しておきたいと思います。

 しかしながら、大切なことは、仮に憲法が改正されたとしても、実態としての国家の機構が変わっておかなければうまく動きません。まずは公務員制度改革や道州制など統治機構の改革、中央集権、官僚統制からの脱却、政党のあり方という古くなった我が国の実態、中身の改革こそ憲法改正の前に行うべきというのが我が党のスタンスであることを冒頭に述べます。

 さて、前置きが長くなりましたが、第一章、第二章、たくさん改革すべきことがある中で、だからこそ守るべきものは何かということであるかと思います。

 第一条の天皇の元首性について述べます。

 現行憲法では、天皇を元首と位置づけることについては、学説上、肯定説、否定説がありますが、対外的に確立している現状を明確化するため、天皇陛下は日本国の元首であると明記すべきだという立場です。

 また、みんなの党が主張しております首相公選制との関係からも、総理大臣が元首でないことを明らかにしておく必要があると考えます。

 同時に、我が国の歴史的経緯から判断すると、天皇陛下は権威であられて権力ではないとの認識のもと、日本国民統合の象徴という言葉も残すべきと考えます。

 二条の皇位継承については、男系男子等といったさまざまな論点については、我が国の長い歴史、伝統にかかわることであり、御皇室の将来のあり方をめぐる極めて重要な問題でもあり、国民の相当なコンセンサスを得るべきものでありますので、慎重な議論を重ねた上のものでなければならないという立場です。

 三、四、六、七条の天皇の行為については、さきに申しました国の機構や中身を変えずして先に改正を論じるべきものではないと考えます。

 最後に、国旗・国歌についてですが、一九九九年に国旗・国歌法が施行されたものの、その後も教育現場での混乱は収束せず、国旗の掲揚、国歌の斉唱を命じることが現行憲法第十九条の思想、良心の自由に抵触するか否かに関する判決が続いています。

 国旗が日章旗、国歌が君が代であることは国民大多数が認識しており、無用な論争や混乱を避けるためにも、法律のレベルにとどまらず、国旗は日章旗、国歌が君が代であることを憲法に明記すべきだという立場です。

 以上、みんなの党の第一章についての意見表明でございます。

保利会長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 昨年の総選挙後、最初の機会なので、憲法審査会に臨む日本共産党の立場について一言しておきます。

 我が党は、二〇〇〇年の憲法調査会設置以来、改憲は必要ない、そのための手続法も憲法審査会も必要ない、今行うべきは日本国憲法に基づく政治だと強く主張してまいりました。私自身も二〇〇五年の憲法調査特別委員会以来、そのことを一貫して発言してきました。にもかかわらず、憲法審査会がつくられ、昨年来憲法の検証が行われてきたのであります。

 今、検証というなら、現行憲法の諸原則に照らして現実がどうなっているかを徹底的に点検することであり、我が党は引き続きこの立場で臨むことを改めて表明しておきます。

 そこで、第一章について、我が党の立場を改めて三点述べます。

 一つは、第一条で定められた主権在民の原則が極めて重要な意味を持っているということです。

 これは、憲法前文の「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、」との規定と一体に、憲法の根幹とも言える国民主権原理を明らかにしたものであります。

 この主権在民の原則は、明治憲法に基づく天皇のもとで国民の自由と権利が抑圧され、国民を侵略戦争へと駆り立てていった歴史の反省から生まれたもので、基本的人権の尊重、恒久平和主義、議会制民主主義、地方自治などの憲法の諸原則の基礎をなすものです。したがって、現憲法下の天皇の象徴としての地位は、主権の存する国民の総意に基づくと第一条で定められているわけであります。

 二つは、天皇の行為について、国民主権の原則に立って制限規定を設けており、その厳格な実施こそ重視されるべきであるということです。

 憲法上、天皇は国政に関する権能を有せず、天皇の行為は、第四条二項、第六条、第七条に定める十三の国事行為のみを行うこととされ、しかも、内閣の助言と承認を必要とする形式的、儀礼的なものとされています。それ以外の行為を公的行為として広げることは国民主権の原則とは相入れないものです。天皇の政治利用を初め、憲法の条項と精神からの逸脱を是正することこそ必要だと考えます。

 三つは、日本の国の制度、政治の制度の問題としては、一人の個人が世襲で日本国民統合の象徴になるという仕組みは、民主主義、人間の平等の原則に合わないもので、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、将来の日本の方向として民主共和制を目指すべきだというのが我が党の見解であります。

 同時に、天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、主権者である国民の多数意見がその方向で熟したときに、国民の総意によって解決されるべき問題だと考えており、当面の問題とは考えておりません。

 日本国憲法の前文を初め、天皇条項を含む全条項を守り、特に平和的、民主的諸条項の完全実施を目指すのが日本共産党の立場であることを表明し、発言とします。

 以上で終わります。

保利会長 次に、鈴木克昌君。

鈴木(克)委員 生活の党の鈴木克昌であります。

 第一章天皇について、生活の党を代表し、発言をいたします。

 意見を申し上げる前に、一言申し上げておきたいことがございます。

 詳しくは、第二章戦争の放棄の議論を行う際に申し上げますが、昨今、憲法九十六条の改正を先行させるとの議論が注目を集めております。憲法の改正は、国内はもちろんのこと、諸外国に与える影響は大きなものがございます。憲法論議に当たっては、憲法の基本的な理念や論理を踏まえて冷静に議論を行う必要があります。それを抜きにして、憲法九十六条の改正についてのみ単独で議論を行うのは不適切なのではなかろうか、私どもはこのように考えているところでございます。

 それでは、まず、天皇の地位、元首性についての論点です。

 天皇は、外国との関係では元首として行動され、外国からもそのように扱われています。こうしたことから、天皇が我が国の元首であることは疑いのないところであります。

 天皇が元首であると憲法に明記すべきであるとの主張も見られますが、現在の憲法でも天皇は元首と理解されていますので、憲法に天皇は元首であるとあえて明記する必要はないと考えます。諸外国には、元首に相当する方として大統領や首相が存在していますが、天皇を元首であると何らかの形で明記すると、天皇をこれらの大統領や首相と同等に扱うことにつながり、天皇の地位をかえって軽んずることになってしまうという見方もあり得るかと思います。論点表でいうとC1の立場になります。

 次に、皇位継承についての論点です。

 皇室のあり方についてここで議論するのは大変恐れ多いことではありますが、私どもは、皇位継承については、現行の皇室典範のとおり、男系男子が継承するとの仕組みを維持すべきであると考えています。論点表でいうとCの立場になります。

 次に、天皇の行為についての論点です。

 憲法に定められている天皇の国事行為については、私どもは現行の運用で特段の支障が生じているとは考えておりません。したがって、この点に関し、憲法改正の必要はないものと存じます。論点表でいうとCの立場になります。

 また、現在憲法に位置づけられていない、いわゆる天皇の公的行為について申し上げれば、天皇は現在、追悼式典や植樹祭などへの御出席、被災地などへの御訪問など、国民統合の象徴としてさまざまな活動を行ってみえます。私どもは、これらの行動を天皇の公的行為として認識するものでありますが、これらの行為を憲法や皇室典範などに明記するとなると、それによってかえって天皇に激務を強いることにつながりかねません。

 よって、天皇の公的行為については、憲法や皇室典範などへ明記する必要はないと考えています。むしろ、公的行為については、天皇の公務の負担軽減を図る観点から、その運用の改善について議論を行う必要があるのではないかと考えています。いずれにしても、論点表でいうとC1の立場になります。

 最後に、国旗・国歌や元号についてでありますが、現在、既に国旗・国歌法や元号法が制定されており、また、国民の中にも十分浸透していると考えていますので、あえて憲法に明記する必要はないと考えています。論点表でいうとCの立場になります。

 以上で私からの発言を終わります。

保利会長 これにて各会派を代表する委員の発言は終了いたしました。

    ―――――――――――――

保利会長 次に、委員各位による自由討議に入ります。

 この際、委員各位に申し上げます。

 本日の自由討議におきましては、発言を希望される委員は、お手元にありますネームプレートをお立ていただき、会長の指名を受けた後、御発言ください。発言が終わりましたら、ネームプレートは戻していただきますようにお願いをいたします。

 発言は自席から着席のままで結構でございます。また、発言の際は、所属会派及び氏名をお述べいただきますようにお願いをいたします。

 念のために申し上げたいと存じますが、幹事会の協議によりまして、一回当たりの発言時間は三分以内にいたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。

 発言時間の経過につきましては、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 なお、御発言に際し、事実確認等の必要があります場合は、適宜、衆議院法制局当局に御質問されても結構であります。

 それでは、発言を希望される委員は、ネームプレートをお立ていただきたいと存じます。

西川(京)委員 私、三年四カ月ぶりに戻ってまいりましたので、この間の憲法審査会のさまざまな動きを余り熟知していない立場で発言を申し上げるのは大変恐縮でございますけれども、今まで私の感じたことを申し上げさせていただきます。

 天皇の地位に関しては、自由民主党が平成二十四年四月二十七日にまとめました、「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」これに尽きると思っております。

 私は、日本の天皇制というのは、過去に、古代あるいはかなり古い時代には、やはりある意味では行政権も持った立場もあったと思うんですね。そういう中で、近世に入っての日本の天皇というのは、ほとんど象徴であった、いわば権威、権力ではなくて権威の象徴であったということもあったと思います。

 そういう意味で、今の民主憲法の中でも、皆さんが御懸念している、国民の総意の象徴であるという、そのことも含めた中でのこの書きぶり、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴である、これに尽きているように思いますので、私は元首とすることに賛成でございます。

 そして、皇位継承権の問題ですが、今の、要は女性蔑視だとか男女平等だという観点の中から女性天皇あるいは女系天皇を認めるべきだという意見があるのはよく承知しておりますが、日本の皇室の伝統ということの一点を考えますと、やはりヨーロッパの王室とは違うということをよく考えるべきだと思うんですね。

 ヨーロッパの王室というのは、いわば権力闘争の結果、いろいろな王家の血がまざった、前を倒して次が来る、そういう王家の歴史と、日本のように、いわば今の天皇家のY染色体をずっと守り続けてきたということ、たとえ遠いところからであっても、かすかなY染色体を守ってきた、これが日本の天皇制の世界一の特徴でありますので、そのことは非常に大切にしていかなければいけない、私はそういう思いでおりますので、男系男子で続けるべきだ、そういう思いでおります。

 ありがとうございました。

伊東(信)委員 日本維新の会の伊東信久です。

 私、ちょっと参考までに、あと、日本維新の会の元首に関しての追加説明になると思いますので、象徴という言葉の由来について、お手元に参考資料をお配りしているんですけれども、象徴という言葉は非常に日本的な、日本国的な気がいたしまして、そもそもの由来、アメリカからの草案でシンボルという言葉が使われたのかどうかということも含めて、元首としての我々の提案との整合性を御説明したいと思います。

 最初の草案で、ジ・エンペラー・シャル・ビー・ザ・シンボル・オブ・ザ・ステートと、シンボルという言葉が使われておりまして、シャルという言葉が使われていましたので、シャルというのは無意志未来なので、我々は天皇をシンボルとするという、こういう単語が使われていました。そもそもの起草に当たってのマッカーサー・ノートでは、ジ・エンペラー・イズ・アット・ザ・ヘッド・オブ・ザ・ステートと、ヘッドという言葉が使われているわけなんですね。ところが、ヘッドの前にアットがある。つまり、天皇は国のヘッドの位置にいるという言い方でこれは言い切っているわけですね。

 実際、ちょっと英語の議論になってしまうんですけれども、マッカーサーがヘッドをシンボルに改めたのは、要は、従来の明治憲法の解釈に戻るおそれがあるということなんですけれども、ヘッドの位置、つまり、トップに立つということで、権力の意味合いをなすという意味で、結局、シンボルが使われたわけなんですね。だけれども、シンボルという言葉と象徴という言葉は、英語と日本語というのは一対一の対応じゃないので、象徴という日本独自の言葉が出てきたということです。細かいことを言うと、二ページ目に、国家の象徴、人民の象徴と二つ象徴が出てくるのはいかがなものかということで、最終的に、日本国及び国民の象徴という言葉になったわけなんです。

 何を申し上げたいかといいますと、シンボル・イコール象徴ではなくて、象徴という言葉が日本人の機微、つまり英語で言うとニュアンスというところで出てきたわけなんですけれども、そもそも、ヘッド・イコール元首でもないんですね。つまり、元首というのも、日本語の機微としまして、いわゆる象徴の意味も含むことができるということを、今回の日本維新の会の提案の参考資料として御提案させていただきたいと思います。

 以上です。

大島(敦)委員 民主党の大島です。

 先ほどの私の意見に対して、若干の補足をさせてください。

 平成十八年の内閣委員会の筆頭理事として、当時、皇室典範の改正案が政府から提出されるということでございました。これは、秋篠宮妃殿下紀子様の御懐妊という慶事がございましたので、その後の議論は一旦はなくなったんですけれども、そのときに考えたのは、先ほど申し上げましたとおり、委員会の採決になじむかどうか、国民の総意ということを考えた場合に、委員会で賛否が明確に数字であらわれることが本当に好ましいかどうかということについて非常に悩んだ次第でございます。本会議でも、似たように、全会派一致であればいいんですけれども、それが賛否を問われた場合に、国民の総意として、本当に今後もその総意を具現できるのかどうかということについて、私は非常に悩みました。

 当時考えたのは、できれば、こういう問題というのは、これは私見です、私の考え方としては、内閣総理大臣の経験者、最高裁長官の経験者、そして衆参の議長経験者、三権の長の経験者にお集まりいただいて、こういう、女系でいいのか、男系なのか、あるいは女性の天皇を認めるかどうかという問題については御議論をしていただいて、その結果に従うという方が一番好ましいのかなということを考えておりました。

 ですから、この第一章については、どうやって意見を集約していくかというのが、国民の総意に基づくというところで一番大切にしなければいけないことかなと考えております。

 私の意見の表明をさせていただきました。ありがとうございました。

武正委員 民主党の武正公一でございます。

 日本国憲法第一章天皇につきましては、我が党もこの間、二〇〇二年、二〇〇四年、二〇〇五年と党としての考え方をまとめるに当たって、第一章についてももちろん議論をしてまいりました。ただ、先ほど大島委員が述べたように、それを取りまとめるに当たっては、あえて紙にまとめるというような形にはしておりません。これは、現憲法をある面容認するといった立場からかというふうに考えるところであります。

 ただ、我が党の基本的な考え方は、二〇〇五年の憲法提言をまとめて以来、既に八年を経過しておりますので、党の憲法調査会も改めて始動をし、また、現憲法の検証といったことも党として議論を深めていくということを行ってまいります。

 日本国の象徴であり、日本国民の統合としての象徴である天皇につきましては、大使、公使の接受なども含めまして、諸外国からは元首というような扱いをされているということで、象徴天皇制といったことが機能をしているというふうに考えるところであります。

 また、国旗・国歌法、元号法、これが既に制定をされておりまして、当時、国旗・国歌法については党議拘束を外しての採決に至っておりますが、我が党につきましては、党大会で日章旗の掲揚もしているなど、そうした意味では、国旗・国歌、元号などが定着をしていると考えております。

 また、公的行為については改善の余地があるというふうに私も考えておりまして、しかし、これを果たして内閣の助言、承認という形で明記すべきなのかどうか、国事行為とはやはり明らかに違うということからいえば、政治との距離といったことについては、公的行為についてはやはり慎重であるべきというふうに考えております。

 以上です。

鳩山委員 大変失礼な話かもしれませんけれども、私は昆虫の研究をずっと続けている者でございますが、昆虫と人間ではちょうど染色体の話が逆になるわけでございまして、例えばチョウでいうと、雄がXXで雌がXYでございます。人間はその逆で、西川京子先生がおっしゃったとおりで、万世一系であると考える一番重要な点はそこに存するわけでございまして、我が国の天皇家の歴史というものはY染色体によって受け継がれてきていると考えた場合に、先ほど、西川先生は、その結論として男系男子とおっしゃいましたけれども、したがって、Y染色体を持つ女性天皇は認めてもいい、そして男系で継承していくというのが私の考え方でございます。

 元首については、船田幹事がおっしゃったとおりで、同じでございます。

西野委員 先ほど、我が党の馬場委員からも我が党の基本的な考え方について意見を申し上げましたが、補足として、国旗・国歌、元号についても、これもまた憲法にしっかりと明記すべきということを意見として持っておりますことを表明させていただきたいと思います。

 以上です。

笠井委員 先ほど来、国旗・国歌についても言及すべきだということがあったので、私、先ほど橘部長から前回のことについても紹介があったので改めて言わなかったんですけれども、改めて一言述べておきたいと思います。

 この問題というのは、なぜ一章にという話になるのかというのも私はよくわからないんですけれども、一九九九年の通常国会で国旗・国歌法案が審議された際に、私も、参議院で特別委員会の理事をやっていまして、ずっと審議に参加していたんですけれども、法制化の提案に反対して、私どもは二つのことを言いました。

 一つは、日の丸・君が代というのが、主権在民の原則に反して、侵略戦争の歴史に重なるという重大な問題点がある、それを国旗・国歌とすることは反対だということと、それから、国旗とか国歌というのは、今の日本にふさわしいものは何かについて、やはり十分な国民的な討論を行って、国民の合意を得て制定すべきだということを言いました。

 もう一つは、国旗・国歌が正式に決まった場合も、それは、国として公的な行事に使うことが認められるということであって、国民にも教育の現場にも強制されるべきものではないということを強調して言ってきたわけです。

 実際、憲法の検証ということとのかかわりできょう特に申し上げたいと思うのは、当時の立法趣旨も附帯決議も、それから当時の自民党政府自身も、押しつけないということを繰り返し言ったわけですよね。小渕総理も言われました。それから官房長官の野中広務氏も言われました。それから有馬文部大臣も、子供には強制しない、内心の自由はある、教職員はそれに従って行動するのはやむを得ないという答弁を繰り返しされた。

 問題は、そういう審議の経過とか立法趣旨があったのに、その後、教育の現場では、やはり押しつけということがあって、口元までチェックされる、そしてそれが原因で懲戒免職になるというような異常な事態が繰り返されたということなので、私は、憲法の諸原則に反するそうした事態こそ、検証という点では変えるべき、正すべきだということを申し上げたいと思います。

 以上です。

馳委員 自由民主党の馳浩と申します。

 私も、国歌について一言申し上げたいと思います。

 この歌は、古今和歌集、賀の巻に最初に採択された後、新撰和歌集に再掲された。そのときには、最初、古今和歌集では「我が君は」と歌ってありましたが、新撰和歌集において「君が代は」というふうに正されたわけでありまして、基本的にこの歌は、社会的背景をもとに解釈されるべきものではなく、本来の、平安時代における天皇家と国民、当時、国民という概念はございませんが、人々との関係性において文学的に解釈されるべきものであります。

 この「君が代は」というものを古典文法に従って解釈すると、この格助詞の「が」と「の」を使い分けることができます。「の」、つまり「君の代は」とした場合には、自分よりはるかに上位の者に対する意味を込めた用法をされており、「が」、つまり「君が代は」と解釈する場合には、私自身と極めて近しい間柄の親愛なるあなた様というふうな解釈をいたします。

 したがって、君が代を国歌として憲法に明記すべきと私は考えておりますが、それはまさしく、天皇家、天皇陛下と一人一人の関係性を我が国の文化と伝統の普遍性において捉えるべきものであり、今ほど笠井委員もおっしゃいましたが、時代背景をもとに解釈すべきものではないということを明確にするためにも、私は、憲法に明記すべきものと考えております。

 以上です。

山口(壯)委員 民主党の山口壯です。

 この第一章の天皇制を考えるに当たって、私たちは憲法の中でどういうふうに位置づけるかということを考えるわけです。

 私は、この二十一世紀の中で日本がこれから生きていく中で、不都合になっている憲法の条文はどこなんだろうかというふうに考える際、先ほど同僚議員の中からもありました幾つかの点は、要するに、不都合な点は必ずしも感じられていないということからいえば、天皇制度というのは国民の総意に基づくものとして十分になじみ、今、日本の国が運営される中で、天皇制が不都合だという議論というのはないんだと思います。

 そういう意味では、あえて条文を変えることによってという議論というのは、私は、若干そこは慎重に考えていいのかなというふうに思います。

 実際的な観点からは、皇位継承の問題というのがあったわけですけれども、これも、秋篠宮殿下のところの慶事によって、今のところ、事実上、解消しているような気もします。ただ、これは、先ほどほかの議員からもあったように、これから将来的なことを考えれば、さらに慎重な議論を進めていけばよいのであって、憲法の条文を変えるというところの必要性は私はないと思っています。

 国旗・国歌の話について、これは法制化されたわけですけれども、もともと、この国旗・国歌というのは、自分の自発的な気持ちでもって、国旗を見、あるいは国歌を聞けば、ああ、そうなんだ、本当に我々は日本の国民なんだというところで、自発的にそういうものに対する敬意あるいは愛着の気持ちということが本当のところだと思います。

 法制化というところについて、そういう議論があったと思いますけれども、今、法制化を経て、この国旗・国歌についてさらに我々はなじんでいるわけですから、これを憲法の条文であえて明文化する必要は私はないと思っています。

鳩山委員 先ほど、基本的な、重大な言い間違いをしたものですから、訂正をさせていただきます。

 私が申し上げているのは、日本の歴史の上での女性天皇というものについて、同じようにこれからも認めてもいいということを申し上げたわけでございまして、すなわち、男系を維持しながら女性天皇も認めるということなので、それを発言していく中で、Y染色体を持つ女性天皇などと、あり得ないことを申し上げてしまったので、訂正させていただきます。

 すなわち、Y染色体が非常に重要である、そのお嬢さんである女性天皇は認めても、その後、また男系へ戻していくということが正確な言い回しであったのを、間違えました。申しわけありません。

三日月委員 民主党衆議院議員の三日月大造と申します。

 大切な日本国憲法の審議を慎重かつ丁寧に進めてこられました、きょうも御陪席いただいておりますが、中山太郎先生初め、同僚各党各会派の議員の皆様方に心から敬意を表します。

 私たち民主党の立場は、先ほど来、大島先生、武正先生、山口委員の方からも述べられております、第九十九条の憲法尊重、擁護の義務はもちろんのこと、私たちは新しい綱領で、「国民とともに未来志向の憲法を構想していく。」ということを明記させていただきました。そういった立場、観点に立って、私は二点申し上げます。

 謹んで申し上げますが、天皇というものが、主権の存する日本国民の総意に基づいて、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴として、内閣の助言と承認により、内閣がその責任を負う形で、国民のために第七条一から十に規定されております国事に関する行為のみを行って、また、第四条に規定されております、国政に関する権能を有しないというこの規定は、もしくはその認識は、私は、私を含む多くの国民の皆様方からも支持をされ、定着をしていると考えております。

 したがいまして、元首と新しい用語を用いて、そこに新たな意味を加え、象徴の意味を変えるということにつきましては、逆に負の影響を懸念し、私はこのことに反対であります。

 また、二点目、国事行為以外の行為、天皇による行為というものを公的、私的行為などに分類し、憲法に明記すべきだという御主張、御見解があるということも承知をしておりますが、この点につきましても、私は、憲法についてはこの現行条文のままで、もし必要があれば、皇室典範でありますとか皇室経済法または皇室経済法施行法といったもので規定をし、多くの国民の皆様方の議論に付した形で、必要であれば改正をするという形が望ましいのではないかと考えます。

 以上でございます。

篠原委員 民主党の篠原孝でございます。

 国歌の問題について、ちょっと私の意見を申し述べたいと思います。

 基本的には同僚議員の山口委員と全く同じでございます。憲法についてもそうですけれども、国歌についても、不都合がないものは余りいじくる必要はない。特に、憲法について、わざわざ憲法に国歌のことを書くというのは、私は賛成できません。

 私は長野県ですけれども、長野県には県歌「信濃の国」というのがあります。こういうのを持っている県はそんなにないと思います。理由はよくわからないんですが、長野県は、松本と長野と、でっかい都市が二つあります。中野県、筑摩県とか、いろいろありまして、なかなかまとまりにくいというのがあって、県民の心を一つにということで、自然発生的にできてきたと私は伺っております。

 各国の国歌がどういうものかというのを、これは私が伺った話ですけれども、憲法問題について非常に意欲的に取り組んでおられました玉沢徳一郎元衆議院議員はこうおっしゃいました。大体、世界の国歌というのは同じメロディーなんだと。本当かなと思ったんですが、大体革命歌だ、だから、威勢がよくて、そういう感じで歌えば大体歌えるんだ、世界の国歌を俺はほとんど歌えるんだと。これはちょっと信用できない面もあるんですが。

 それで、それぞれの国にそれぞれの歴史があって、自然発生的にできている。では、日本国の国歌は法律で決まった、それで十分であって、私は、アメリカに留学をさせていただいたときにびっくりいたしました。いろいろなところで、どこでも国歌を歌うんです、クラスマッチだとかフットボールの試合とか。やはりアメリカは、合衆国で、いろいろな人たちがいて、心を一つに、国を一つにということできちんとやらなければいけない国だから、ああいうふうに強制しているのだなと。日本は強制も必要ないし、国歌というものがあって、オリンピックのときにきちんと国歌が流れる、それで十分ではないかと思います。

 国歌について憲法に書き込む、そのために九十六条を改正しなければいけないというのは、本末転倒した議論ではないかと思います。

上杉委員 法制局が来ていますから聞きますけれども、憲法のある国で、国歌・国旗が憲法の条文の中に明記してある国と明記してない国はどっちが多くて、どういう傾向にあるかということをちょっと説明してもらいたい。

橘法制局参事 上杉先生、御質問ありがとうございました。

 全般的な傾向をという御下問でございますが、私どもの手元の資料の若干の御紹介だけでお許しいただきたいと思います。

 国旗・国歌について、諸外国の憲法規定を従前まとめさせていただいた際に、国旗・国歌の内容を含めて憲法上定めているもの、先ほどはフランス、第五共和制憲法を御紹介申し上げましたが、それに類するものとしては、例えば、インドネシア共和国憲法。インドネシアの国旗は赤、白二色とする、国歌はインドネシア・ラヤとするといったような、こういう形で内容を含めて定めているものが、インドネシア共和国憲法、中華人民共和国憲法、フィリピン共和国憲法、ヨルダン、イタリア、オーストリア、スペイン、スロバキアあるいはドイツ、ドイツですと、連邦国旗は黒、赤、黄色とする、ハンガリーなどがあるようでございます。

 それに対して、国旗・国歌を憲法上規定しているけれども、内容までは定めていない、例えば、国家の象徴及びその使用法については法律で定めるといったようなチェコの憲法や、ロシアの憲法ですと、ロシア連邦の国旗、国章と国歌、それらの仕様と公式の使用手続は連邦憲法法、法律によって定められる。これは例えば、そのほかにはメキシコなどがあるようでございます。

 全般的に多いか少ないかはちょっとわかりませんで、御容赦いただければと存じます。

 以上です。

上杉委員 いろいろな議論があるわけですけれども、憲法の中に、国旗にしても国歌にしても明記すべきでないという意見の中には、国民に十分認識され、理解され、それはもう国民の中に周知徹底しているじゃないか、そういう受けとめ方があるから明記すべきでないという考えがありますが、例えば、アメリカと日本を比べた場合に、アメリカでスポーツ競技がある、あるいはいろいろな行事がある。そして、国歌が、例えば前奏が鳴り出すと、ざわざわとざわめいていた会場がしんと静まりかえって、みんな立って国歌を歌う。あるいは国旗が上がるときには、胸にちゃんと手を当てて、それをちゃんと敬意を表して見守る。それくらい国民の中に定着しているわけですね。

 日本の現状と、国民に十分理解され、定着しておるという環境とは随分格差がある、私はそういう認識を持っていますから、憲法の中に国歌・国旗は明記すべきである、こういうふうに理解をいたしております。

高鳥委員 自由民主党の高鳥修一でございます。

 皇位の継承のことについて申し上げます。

 私は、女性天皇を認めないという立場ではございません。しかしながら、皇位は男系によって継承されるべきであると考えております。この男系によって継承するということは、父君をたどっていきますと一本のラインでつながるという意味であると思います。

 これは、我が国においては二千六百年以上続いてきた、諸外国には見られない、圧倒的に美しい歴史であり、伝統であると思います。この歴史とか伝統というものは、簡単につくることができないものであります。皇位はやはり男系によって継承されるということを憲法の中に明記するべきであると考えます。

 以上であります。

保利会長 ほかに御発言の御希望はございますか。なければ、次のテーマに移りたいと思います。

 これにて日本国憲法第一章の論点に関する自由討議は終了いたしました。

    ―――――――――――――

保利会長 次に、日本国憲法第二章の論点に入ります。

 衆議院法制局当局から説明を聴取いたしたいと存じます。衆議院法制局法制企画調整部長橘幸信君。

橘法制局参事 それでは、引き続きまして、第二章戦争放棄の章の主要論点につきまして御報告をさせていただきます。

 早速、内容に入らせていただきたいと存じますが、冒頭、若干のお時間を頂戴して、第九条に関する政府解釈のポイントにつきまして御説明させていただきたいと存じます。

 と申しますのも、多分に先生方には釈迦に説法であるとは存ずるのですが、戦後、この国会での九条論議を通じて積み重ねてこられました政府による九条解釈のポイントとその論理構造につきまして、改めて御確認いただきますことが、本日の先生方の御議論をより活発かつ建設的なものとすることに資するのではないかと思料いたすからでございます。

 それでは、「憲法九条解釈のポイント(政府解釈を前提として)」と題するA3横長カラーの一枚紙をごらんいただければと存じます。

 まず、上段の青い網がけの部分に現行憲法九条の条文を掲げました上で、中段の黄色い網がけの中で、九条の条文の中でよく議論の俎上に上る四つの論点について、政府解釈のポイントをまとめてございます。

 まず最初のポイントが、第一項前半の「国権の発動たる戦争」という文言でございます。「国権の発動たる」という修飾語が置かれておりますがために、国権の発動でない戦争というものがあるのかといった御指摘があり、さらには、例えば国際的な枠組みの中で行われる武力行使のようなものは、我が国としての「国権の発動たる戦争」とは別物であると解することができるのではないか、もしそうだとするならば、そのような戦争や武力行使は九条一項では放棄されていないと解釈できるのではないかといった御指摘があり得るからであります。

 しかし、これについて、政府解釈及び学説における通説的見解におきましては、「国権の発動たる」は、国家の行為としてという意味の戦争にかかる修飾語にすぎず、結局、「国権の発動たる戦争」とは、国家の行為としての国際法上の戦争という意味であって、単に戦争というのと変わらないものであり、国権の発動でない戦争というものがあるわけではないと解釈されているところでございます。

 次は、第一項後半の「国際紛争を解決する手段としては、」という文言の意味についてでございます。

 この文言の意味については、政府見解及び学説の多数説におきましては、国際紛争を解決する手段としての戦争というのは、国家の政策遂行の手段としての戦争というのと同じ意味であり、具体的には侵略目的の戦争を意味するものとされ、このような解釈は、一九二九年発効のパリ不戦条約の同様の文言の解釈以来、一貫したものであり、定着しているものであるとされております。

 したがいまして、九条一項は侵略戦争だけを放棄したものであり、それ以外の戦争、例えば自衛戦争や制裁のための戦争などは本条項のみによっては放棄されていないと解釈されているわけでございます。

 このように、九条一項自体では侵略目的の戦争や武力の行使しか放棄されていないとすると、第二項冒頭の「前項の目的を達するため、」という文言が大きな意味を持ってくることになります。

 すなわち、この文言を第一項で規定されている侵略戦争放棄のためというふうに理解いたしますと、第二項は侵略戦争のための戦力は保持しないということを定めているだけということになりますから、例えばそれ以外の、自衛や制裁のための武力行使を行うための戦力なら持ってもよいということになってしまうからでございます。

 この第二項冒頭の「前項の目的を達するため、」という文言は、当初の政府案にはなく、衆議院修正で追加されたものであり、この修正を行った、当時の衆議院の小委員長でいらっしゃいました芦田均先生が、そのような解釈が可能となるように修正したのだと、昭和三十年代に至って内閣の憲法調査会で証言されたため、これは芦田修正と呼ばれ、その意味するところが大きな議論となったものであったことは、先生方、御承知のとおりでございます。

 しかし、政府見解及び学説の通説的見解におきましては、「前項の目的」とは第一項全体の趣旨を指すものであり、第二項の戦力不保持は、侵略戦争のための戦力に限るわけではなく、一切の戦力の不保持を規定したものと解釈されておりまして、この芦田修正が殊さらに大きな意味を持つものとは解されてまいりませんでした。

 次に、そのようにして保持してはならないとされている戦力とは何かが四番目のポイントでございます。

 この戦力の意味について、政府は、当初は近代戦争遂行能力などと答弁されたこともありましたが、自衛隊法が制定された昭和二十九年以降は一貫して、自衛のための必要最小限度の実力、これを超えるものが戦力であると解釈しております。

 わかりやすくするために、少々正確さを欠いた表現で大変恐縮でございますが、あえて申し上げれば、国内の治安を維持するためのいわゆる警察力を超えるものであっても、外敵から自国を防衛するために必要最小限度のいわゆる自衛力、これは九条二項で禁止されている戦力ではないという論理構成になるかと存じます。

 以上を前提として、さらに二つばかりの補足説明をさせていただきたいと存じます。

 まず、国会での憲法解釈の中で最も議論されてきた論点と言っても過言ではない自衛権の問題、端的に言えば、憲法九条のもとで個別的自衛権は行使できるが集団的自衛権は行使できないという政府解釈は、どのような論理構成のもとで導き出されているかという論点でございます。

 なお、ここで言う個別的自衛権とは、我が国自身が攻撃された場合に反撃を行う権利であり、我が国と密接な関係にある外国が攻撃を受けた場合において、我が国自身は攻撃されていなくても、実力をもってその外国を守る、その外敵を阻止する権利、これが集団的自衛権でございます。

 政府は、憲法九条一項は独立国家に固有の自衛権までも否定したものではない、我が国も個別的、集団的であるとを問わず自衛権を有することは、主権国家として当然であると述べておられます。その上で、しかし、九条一項、二項全体のもとで許される自衛権の行使は、我が国を防衛するために必要最小限度のものにとどまるべきであり、その意味で、我が国自身が攻撃されていない場合の集団的自衛権の行使は、その範囲を超え、許されないと解釈されているわけでございます。

 もう一つ、以上のような集団的自衛権行使を否定する解釈が、一部の先生方あるいは有識者の先生方から見て余りにも技巧的であるとしつつ、かといって、憲法改正自体の困難さなどにも鑑みて、現実的な政策選択として、憲法解釈の変更でもって集団的自衛権の行使を可能とすることはできないかという重大な問題提起がなされていることをめぐる議論が、もう一つの重要な議論でございます。

 これについて、政府は一貫して、これまでの政府の憲法解釈は論理的追求の結果として示されてきたものであり、自由にこれを変更できるような性質のものではないとされた上で、そのようなことは、政府の憲法解釈の権威、ひいては内閣に対する国民の信頼を著しく失墜させ、損なうおそれがあるばかりか、憲法を頂点とする法秩序の維持という観点からも問題があるとして、さらに、九条のような国家の根本政策に係る解釈について、しかも戦後六十年以上もの間積み重ねられてきたものについては特にそうであるなどとして、もし集団的自衛権の行使を認めようという国家的な政策変更を行おうとするならば、それは、解釈変更によってではなく、憲法改正という手段を当然にとらざるを得ないと述べられているところです。これらの政府解釈の是非も含めて、先生方の御議論の俎上に供し、また、上るかと存じております。

 さて、前置きが大変長くなってしまいましたが、以上を前提に、九条をめぐってこれまで国会でなされてまいりました主な論点及び前回この章がテーマとされた際の各会派の先生方の御発言につきまして、論点表に基づきながら、ごく簡潔に御報告申し上げたいと存じます。

 なお、この第二章につきましては、二〇〇五年、平成十七年四月の衆議院憲法調査会報告書の整理に倣いまして、九条に関連して議論されることが多い、日米安保、在日米軍基地の問題や国際協力、核兵器廃絶等といった論点についても取り上げさせていただいております。何とぞ御了承願います。

 まず、自衛隊の位置づけに関しまして、明文改憲をして自衛隊を憲法に位置づけるべきだという御主張がございます。これについては、まず、現在の、戦力に至らない自衛力の実行部隊としての自衛隊のまま、これを憲法に明記することがよいというA1のお立場と、戦力の不保持を定める九条二項を削除することを前提に、国防軍あるいは自衛軍といった、戦力を保持する軍隊として明確に位置づけるべきだとするA2のお立場がございます。

 これに対して、現状どおりでよいとするのがC1のお立場です。他方、九条の理念に合わせて、まずは自衛隊の段階的解消こそ図るべきだとするのがC2のお立場です。

 次に、最大の論点であります自衛権に関する御議論です。

 まず、冒頭申し上げました政府の九条解釈を前提とした上で、その結論は妥当であるが、憲法の文言上はかなり無理があるので、解釈上の疑義を払拭するのが望ましいという立場がA1であります。そして、現在の政府解釈で実際上の支障はないのであるから、わざわざ憲法改正までする必要はない、そのままでよいとするのがC1の立場です。

 これに対して、政府の九条解釈では行使できないとされている集団的自衛権についても行使することができるようにするために、憲法改正をするべきであるとするお立場がA2であり、同じことを、憲法改正ではなく、安全保障基本法などの法律制定による憲法解釈変更という形で行おうとするのがBの欄の御見解です。その右の欄のC2は、現状のまま、集団的自衛権の行使などは今後とも認めるべきではないというお立場です。

 九条関連の論点の三つ目として、日米安保条約をどのように位置づけるべきか、あるいは、在日米軍基地をどのように考えるべきかという論点がございます。

 まず、明文改憲に属する見解として、例えばフィリピン憲法などにあるように、外国軍隊の駐留などは認めるべきではないという規定を、我が国でも憲法改正によって設けるべきであるという御主張が一方にございます。他方、条約の破棄あるいは改正という、いわば広い意味での立法措置、憲法改正以外の法的措置を主張する見解として、まず、九条の精神に沿って日米安保条約を解消すべきとするB1の御主張や、あるいは、日米安保条約体制を前提としつつも、日米の真のパートナーシップを考えて、日米地位協定を改定すべきとするB2の御主張などもございます。

 これに対して、日米安保条約に基づく日米同盟関係が果たしてきた役割は極めて重要であり、今後ともこれを維持すべきであるとするC1の立場や、我が国の安全保障は、現実には日米同盟を前提に考えざるを得ないが、我が国の自立のためには国連中心主義をより重視すべきであるとするC2の立場などもございます。

 次に、九条の周辺に位置する関連論点として、国際協力に関する論点がございます。

 一九九〇年代のいわゆる湾岸戦争以来、PKOを初めとする国際貢献の一環として、自衛隊の海外派遣が大きな憲法上の論点となってまいりました。このような国際情勢を背景にしつつ、我が国が直接に攻撃を受けた場合における個別的自衛権の行使による場合以外には、我が国はいかなる場合でも武力の行使を行うことはできないとの、冒頭に申し上げた政府の九条解釈は、国際協力の場面でも、武力行使を伴うような国際協力活動ができないということはもちろんのこと、他国の武力行使と一体化するような活動はできないとする、いわゆる武力行使一体化論という考え方として、現在まで精緻化、具体化されてきたわけでございます。

 論点表のA1の見解は、このような現行憲法の解釈を是とした上で、これを解釈によって導き出すのではなく、明文の規定をもって明確にするべきであるとするお立場です。B1は、同じことを、国際協力基本法などの法律ベースで明確に規定すべきであるとするお立場です。これに対して、同じ欄のCに掲げた見解は、結論において現行の政府解釈と同じなのであれば、特段の法的措置を講ずる必要はないではないかとする御見解です。

 以上のような現状維持的な見解に対して、A2の見解は、軍事を含めた国際協力、すなわち、時として武力の行使を伴った国際協力を含めて国際貢献活動ができるように、まず憲法に明文の規定を置くべきであるとするお立場です。そして、B2は、同じことを、憲法改正によらずに国際協力基本法などによって、いわば解釈変更によって認めようとするお立場です。この国際協力に関するA2やB2のお立場は、先ほど集団的自衛権に関する明文改憲の立場、解釈変更の立場とそれぞれ軌を一にするものと言えるかと存じます。

 最後に、以上の四つの論点とは若干視点を変えた憲法改正の論点として、核兵器の廃絶等に関する論点がございます。

 すなわち、唯一の被爆国である我が国であればこそ、その国家の基本法たる憲法におきまして、核兵器の廃絶や、国会決議として定式化されている非核三原則を規定するべきではないか、それこそが日本国憲法にふさわしいという御議論です。

 憲法に明記すべきとするAの欄の見解、法律ベースで法制化すべきであるとするBの欄の見解がございます。もちろん、そのいずれも必要ないとするCの欄の見解もございました。

 さて、以上の九条をめぐる主な論点、特に、自衛隊の位置づけ、集団的自衛権の是非、そして軍事面を含めた国際協力の是非の三点につきまして、前回の御議論を紹介すれば、まず、自由民主党の中谷元先生は、国家の独立と国民の安全確保のための軍隊の保有は現代国家の常識であるとして国防軍の保有を、また、これまでの憲法解釈の一貫性や憲法の正統性、政治に対する信頼確保の観点から、解釈改憲ではなくて、あくまでも明文改憲による集団的自衛権の容認を、そして三つ目として、国際協力についても、武力の行使を伴う国際平和活動に参加できるようにすべきであるとして、いずれの論点につきましても、Aの欄の明文改憲の御主張をされました。

 これに対して、公明党の赤松正雄先生は、公明党としては、九条については明文改憲も加憲も必要ないとのお立場を御主張されました。

 また、共産党の笠井亮先生は、九条は、戦争放棄だけではなく、戦力不保持、交戦権否認など、前文とともに、日本国憲法の真髄、平和憲法の中核をなすものであり、その理想と精神はアジア諸国の共通財産であるとし、まずは日米安保条約と在日米軍基地問題の検証こそが必要であると。

 さらに、社民党の照屋寛徳先生は、憲法前文の平和的生存権への言及など、平和は人権の一つと言うべきであり、平和主義に関する九条はいささかも変更してはならないと述べて、それぞれCの欄の護憲の立場を御主張されました。

 他方、民主党の逢坂誠二先生は、自衛のための実力行使や国連のもとでの平和維持活動への協力は国民大多数のコンセンサスになっていると考えるが、それに対する歯どめこそが国民主権に基づく憲法の役割であるとした上で、自衛権に関する曖昧かつ御都合主義的な解釈を認めず、国際法の枠組みに対応した、より厳格な、制約された自衛権を明確にし、国際貢献のための枠組みをより確かなものとしていくべきだとの御発言をされました。

 また、きづなの渡辺浩一郎先生は、九条の解釈は整理し直す必要があり、もっとシンプルな表現にして、自衛、国際協力のための軍の設置を明記するにとどめるべきだとの御発言をされました。

 また、みんなの党の柿沢未途先生は、九条改正の是非やその具体的内容については国民投票で決するのがよいとの御発言をされたところでございました。

 以上、大ざっぱな御議論の御紹介であったとは存じますが、第二章に関する御報告は以上でございます。ありがとうございました。

保利会長 以上で衆議院法制局当局からの説明聴取は終わりました。

    ―――――――――――――

保利会長 これより自由討議に入ります。

 それでは、まず、各会派を代表する委員の発言に入ります。

 発言の申し出がありますので、順次これを許します。中谷元君。

中谷(元)委員 自由民主党を代表し、党としての意見を述べます。

 自由民主党は、既に、九条改正の案を党の改正案として決定をいたしております。

 現在の憲法九条の問題点は、主権独立国としての国家を防衛する自衛権の記述がなく、我が国を守る国防の実力組織である自衛隊の名称、権限、組織の位置づけも規定されておりません。世界じゅうどこを探しても、国を守る組織である軍隊のない国はありません。

 自衛隊は日本の国を守るために日夜その任務を果たしていますが、九条二項には、陸海空軍戦力はこれを保持しないとされ、自衛隊は、戦力でない、戦力に至らない実力組織だと国会では答弁をされておりますが、いやしくも、自衛権の保有と国家を守る組織の名称、権限、その根拠は、憲法で明記すべきだと考えております。

 そこで、自民党の改憲案では、現行九条一項と二項の間に「自衛権の発動を妨げるものではない。」という文章を挿入し、自衛権の存在、行使を記述いたしました。これは、主権国家の自然権的権利、当然持っている権利であり、国連憲章に記述されている個別的自衛権や集団的自衛権が含まれ、自衛権の行使は何ら制約なく行使できるように規定をしたものであります。

 一項では、憲法の三大原理の一つである平和主義の基本は継承すべきとして、現行は基本的に変更しておりません。その上で、第二項を改正し、自衛隊を国防軍としたのは、独立国家がその独立と平和を保ち、国民の安全を確保するため軍隊を保有することは世界の常識であり、国際協力としても、国連の行うPKO活動等への参加を可能とし、国際的集団安全保障にも関与し、世界の平和や人道支援等をより広く行えるようにするためでございます。

 この一年、九条に関しては、さまざまな状況の変化が加速度的に起こるようになりました。尖閣諸島をめぐる中国との緊張関係の高まりの中で、我が国の領土、領海の保全のあり方が改めて注目されています。

 領海侵犯、領土侵入に対して、警察権で対処するのか、自衛権を発動するのか。現在では、海上保安庁と海上自衛隊のその根拠と責任区分が曖昧であるために、領域警備の対処に空白の部分が考えられます。もし、中国の海洋局が測量調査の名目で我が国の領海、領土に侵入したときに、一体どうするんでしょうか。

 これは、自衛権発動の要件が三要件で規定されており、その認定のレベルが高いために、海上保安庁、警察では対処できない部分を自衛隊が海警行動や治安出動で対処することになっておりますが、武器使用が正当防衛に限られておりまして、実力阻止ができないために、力の空白というものが危惧をされております。

 自民党改正案では、九条の三として、領土、領海、領空の保全や資源確保の規定を設けて、我が国の権限行使の根拠を規定いたしておりますが、法制局に伺いたいのは、このマイナー自衛権とも呼ぶべき武力行使は、各国どのように行われているのでしょうか。この領域警備の概念について御説明をいただきたいと思います。

 さらに、北朝鮮によるミサイル発射や核実験によって、自衛権の行使のあり方に関して、敵基地攻撃を目的とした装備体系を保有するべきかどうか。同盟国に向かうミサイル攻撃に関して、集団的自衛権を容認するかどうか。

 日米安保と在日米軍による日米同盟が我が国の外交基軸、アジア地域の平和、安定の基礎となっておりますが、この点におきましても、この憲法調査会で議論をすべきことでありまして、既に、現行憲法では日本の安全保障についてその限界に達しておりまして、少なくとも、早期にこの考え方を明確にするという意味で、ぜひ、委員の皆様方におきましては、この点での議論を進めていただきますようお願いをいたしまして、自由民主党を代表しての意見とさせていただきます。

 どうもありがとうございました。

橘法制局参事 大変難しい問題で、手持ちの資料だけで、不正確なことを申し上げるかもしれませんが、お許しいただければと存じます。

 中谷先生御指摘のマイナー自衛権というものは、いわゆる武力攻撃に至らない武力の行使に対する自衛権の行使として、必要最小限度の範囲内において武力行使をするものとして、一般国際法上は認められていることのようでございます。

 例えば、これまでの国会論議におけます政府参考人の説明では、軽微な権利侵害や武力行使がある場合、例えば国境における歩哨の撃ち合いなどがあった場合に、これに対して必要最小限度の範囲内で、それにつり合った武力の行使が行われる、そういう場合も認められるかと存じますという御答弁はございますが、ただ、これを日本国憲法上どのように評価すべきかというと、大変難しい問題のようでございます。

 中谷先生御本人を前にしてこのようなことを申し上げるのは大変に恐縮だということは存ずるんですが、中谷防衛庁長官御自身が、マイナー自衛権とはどういうものかという御質問をされたときに、このように述べておられます。「マイナー自衛権の概念自体の整理をする必要がございます。いろいろと学説等もございますが、いわゆる我が国で言う自衛権というのは、国権の発動たる武力の行使ということで、国家意思による武力行使を伴う自衛権、いわゆる武力攻撃の事態の自衛権のこと」を言ってきたと。

 ですから、このマイナー自衛権の概念自体は整理する必要がある課題なんだということを言っておられたのが、現時点での到達点かもしれません。もしかしたら、間違っていたらお許しください。

保利会長 次に、武正公一君。

武正委員 民主党の武正公一でございます。

 第二章についての民主党の考え方をお伝えしたいと思います。

 二〇〇二年憲法調査会報告、平成十四年、そして平成十六年になりますか、創憲に向けて、中間提言、そして二〇〇五年、平成十七年に民主党憲法提言を発表しております。

 本日は、先ほども申し上げましたが、既に八年を経過しておりますが、二〇〇五年の憲法提言をもとに、それまでの、今申し述べました憲法調査会報告、中間提言、そして二〇〇五年、平成十七年の憲法提言以降、今日までの経緯にも触れ、お伝えをしてまいりたいと思います。

 特に、二月二十四日の民主党定期党大会で民主党綱領を十五年ぶりに改定し、そこで安全保障についても項を起こしております。これをお伝えしたいと思います。「国を守り国際社会の平和と繁栄に貢献する」「我が国の発展は開かれた交流の中からもたらされた。私たちは、外交の基軸である日米同盟を深化させ、隣人であるアジアや太平洋地域との共生を実現し、専守防衛原則のもと自衛力を着実に整備して国民の生命・財産、領土・領海を守る。国際連合をはじめとした多国間協調の枠組みを基調に国際社会の平和と繁栄に貢献し、開かれた国益と広範な人間の安全保障を確保する。」、以上でございます。

 二〇〇五年憲法提言では、「より確かな安全保障の枠組みを形成するために」として、民主党の基本的な考えを、1憲法の根本規範としての平和主義を基調とする、2憲法の「空洞化」を許さず、より確かな平和主義の確立に向けて前進するといたしました。

 以上の認識のもと、いわゆる憲法九条問題については、四原則二条件を示しました。これは、平成十四年、二〇〇二年憲法調査会報告にある、集団安全保障を積極的に位置づける、集団安全保障に際し、武力行使のあり方の抜本的見直しなどが必要、集団安全保障への参加を可能にするため、以下の選択肢を検討、一、憲法解釈の変更、二、安全保障基本法等による規定、三、憲法の条文改正を経た改正、以上三点を経たものであります。

 すなわち、平成十七年、二〇〇五年憲法提言で、1戦後日本が培ってきた平和主義の考えに徹すること、2国連憲章上の「制約された自衛権」について明確にすること、3国連の集団安全保障活動を明確に位置づけること、4「民主的統制」(シビリアン・コントロール)の考えを明確にする、この四原則に加え、これを生かすための二条件として、1武力の行使については最大限抑制的であること、2憲法附属法として「安全保障基本法(仮称)」を定めることといたしました。

 二〇〇六年以降、米軍再編について政府に説明を求めましたが、十分な説明が得られず、これはインド洋での給油を旨としたテロ特措法も同様であり、一方、日米地位協定の改定案をまとめ、アフガニスタンの生活再建こそテロ対策と、対案を提出しました。シビリアンコントロールについて、国会の関与ということを重視したものでございます。

 政権交代後は、インド洋における海上自衛隊の補給支援活動を終了させ、かわりにアフガニスタンへの総額五十億ドルの支援を進めました。また、特に国際協力、国際貢献活動を進める一方、北朝鮮による累次の核実験とミサイル発射を受け、また、尖閣諸島周辺への中国によるプレゼンスの高まりや漁船衝突事件、領海侵犯などを受け、以下の対応を進めてきました。

 まずは、二二大綱の策定では、動的防衛力の構築、南西島嶼方面への重点対応を決め、中期防を決定しました。

 また、武器輸出三原則に関して、防衛装備品等の海外移転に関する基準、官房長官談話を公表し、包括的例外化措置を講じる基準を定めました。

 国連平和維持活動、PKOの強化では、ハイチ、南スーダンへの派遣を行い、PKO等に対する協力のあり方全般にわたり検討を進めました。

 さらに、海賊対処活動として、ジブチで航空隊の活動拠点などの運用を開始しました。

 北朝鮮の核やミサイルなどの開発、保有、配備への対処としては、貨物検査特別措置法や、領土、領海を守るため、海上保安庁法改正法案を成立させ、そして、尖閣諸島の国有化手続を進めました。

 こうした対応も進めながら、先ほど触れましたように、党憲法調査会総会として、現憲法の検証など、議論も再開したところであります。

 特に、綱領に示しました人間の安全保障につきましては、昨年の国連総会でも決議がされたところでございます。

 以上でございます。

保利会長 次に、馬場伸幸君。

馬場委員 日本維新の会、馬場伸幸でございます。

 それでは、第二章戦争の放棄に対する基本的な考え方を申し上げます。

 現在、国民の中に広がっている領土の不安、プレゼンスの不安の根本原因は、憲法九条にあると言わざるを得ません。そこで、日本維新の会といたしましては、総選挙の公約において、国の危機管理機能の強化や日米同盟深化の観点から、集団的自衛権の解釈変更等を求めております。

 よって、日本維新の会といたしましては、第二章は、そもそも表題が「戦争の放棄」ではなく、安全保障、または平和と安全の追求という項目に変えた上で、以下のような四点にわたる趣旨を盛り込む方向で議論を行っていく考えでございます。

 まず第一、侵略的戦争の否認と、国際社会における責任の遂行であります。

 我が日本国は、他国の独立と主権を侵害する侵略的戦争、この場合の侵略的戦争の定義づけは、いわゆる挑発を受けずに開始した戦争という定義でございます、この侵略的戦争を行わず、他国がそれを行うことも認めない。この侵略的戦争の放棄条項が憲法にある国は、フランス、イタリア、ドイツ、大韓民国、フィリピンなどがあるそうでございます。

 日本国は、不断の外交努力によって国際紛争の未然防止に努め、紛争が発生した場合には平和的解決に全力を傾注する。

 日本国は、国際の平和及び安全の維持並びに人道上の問題解決のために必要な責任を果たす。

 この三項目を、まず第一の、責任の遂行という部分に盛り込んでいかなければならないと考えております。

 第二に、自衛のための戦力の保持の明確化でございます。

 自衛のための戦力を保持することをまず明確に定め、自衛のための戦力に対する内閣総理大臣の指揮監督権、及び国会の承認を通じた民主的統制の原則を明記すべきと考えております。

 国内法上も、自衛隊が国際法上の軍隊であることを明確にした上で、平時においても国連憲章及び国際法に基づいて武器使用ができるよう、その基準を見直す。また、自衛隊の呼称については、別途議論をしていきたいと考えております。

 また、集団的安全保障への参加については、国連憲章から旧敵国条項を削除することを条件に、参加できる方向で議論を行っていくべきと考えております。

 第三に、自衛権の確認であります。

 他の全ての主権国家と同じく、国連憲章第五十一条でも明記されているように、日本国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有し、これを行使することができる旨を確認する規定を置くべきと考えております。

 御参考までに、国連憲章第五十一条を読ませていただきますと、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」というふうに書かれております。

 第四に、現在の憲法には存在をしておりませんが、国家非常事態条項を新設すべきと考えております。

 国の危機管理機能を強化するため、他国からの武力攻撃、テロや近隣諸国による戦争、大規模災害などの国家非常事態に迅速かつ効果的に対処するとともに、有事にあっても憲法秩序を維持し、権力の濫用や簒奪を防ぐため、内閣総理大臣による非常措置権の行使と国会による民主的統制を明文化すべきと考えております。

 また、この内閣総理大臣による非常措置権は、国から地方への指示権を含むものと考えております。国家非常事態に際し、憲法及び法律に基づいて国及び地方公共団体が実施する措置に協力する国民の責務を明文化すべき、これもあわせて明文化、また新設で設置していくものというふうに考えております。

 以上でございます。

保利会長 次に、斉藤鉄夫君。

斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。

 戦後の日本の平和と繁栄を築く上で憲法九条の果たしてきた役割は極めて大きいものがある、これが基本的認識でございます。九条についてさまざまな活発な議論を党内で行ってきておりますし、現に今も行っておりますが、現行規定を堅持すべきだという党のこれまでの姿勢を覆す議論には至っておりません。

 その上で、党内でどんな議論が行われているかという議論の所在を申し上げれば、以下のようなものがございます。

 まず、自衛権の明示についてでございます。

 個別的自衛権の行使は現行憲法でも認められているとの解釈が主流であり、集団的自衛権の行使は認めるべきではないとの意見が大勢でございます。この個別的自衛権の行使は既に認められているということでありますので、あえてこれを明確にする必要はないという意見と、個別的自衛権の行使についてはこれを明確に示すべきではないかという意見もございます。

 次に、自衛隊の存在についてです。

 専守防衛、個別的自衛権の行使主体としての自衛隊の存在を認める記述をあえて置くべきではないか、明確にすべきではないかという意見もございます。第一項の戦争放棄、第二項の戦力不保持は、上記の目的をも否定したものではないとの観点からでございますけれども、ただ、既に実態として合憲の自衛隊は定着しており、違憲と見る向きは少数派であるゆえ、あえて書き込む必要はないという意見が主流でございます。

 次に、集団安全保障についてでございます。

 国家の自己利益追求のための武力行使は認められないが、国連による国際公共の価値を追求するための集団安全保障は認められるべきではないかとの指摘がございます。ただ、その場合でも、武力の行使は認められず、あくまで後方からの人道復興支援に徹すべきだとの意見がございます。それゆえ、あえて憲法上書き込む必要はなく、法律対応でいいという主張でございます。

 次に、国際協力活動についてでございます。

 いわゆる国際貢献については、明確化を望む指摘がございます。ただし、九条に書き加えるか、前文に盛り込むか、別建てで起こすか、あるいは法律で対応すれば済むというふうに意見は分かれております。

 前文につきましては、二十一世紀の国際社会は一段と相互協力関係の構築が求められている、その点で、国際社会で名誉ある地位を占めたいとの記述がこれまでの人道復興支援などいわゆる国際貢献の根拠とされてきましたけれども、それでは不十分であることから、もっと明確に打ち出す必要があるのではないかという指摘がございます。なお、その際に、人間の安全保障についての理念をさらに一層強く反映されるべきだとの主張もございます。

 緊急事態への対処についてでございますが、ミサイル防衛、国際テロなどの緊急事態についての対処規定がないことから、新たに盛り込むべきではないかという意見もございます。あえて必要はない、法制上の措置で済むという意見もございます。

 最後に、核廃絶についてですが、唯一の被爆国として、核廃絶に向けて日本がリーダーシップをとるべく、何らかの規定が憲法に盛り込まれてしかるべきだという意見もございます。

 こういう議論を今党内でしているところでございます。

 以上です。

保利会長 次に、小池政就君。

小池(政)委員 みんなの党の小池政就です。

 みんなの党は、二〇一二年四月二十七日、憲法改正に関する基本的考え方を発表しております。これは、サンフランシスコ平和条約発効から六十周年を迎える前に、改めて方向性を示したものです。

 ここでは、憲法九条は、国論を二分するテーマであることから、二年間の国民的議論の上、国民投票を実施して決定すべきと示しております。

 また、中身につきましては、具体案は今後検討していくとしておりますが、基本的には、侵略戦争を放棄し、平和を追求するという前提において、我が国の国民と国土はとことん守るという立場から、我が国を防衛し、また、国際平和に貢献するため、自衛隊のあり方について明確化していくとしています。

 これは、自衛権については、当然、我が国が、国連憲章第五十一条で定めるように、個別的及び集団的自衛権を保有するものという前提に基づいております。そして、その自衛権の行使の範囲や限界等に関して、一つは我が国の防衛、もう一つは国際平和に貢献するためという目的に際して、改めて検討し、明確化すべきとしています。

 このことは、現在のように多様な脅威やリスクが偏在する社会においては、我が国に求められる自衛権のあり方、そして、求められる防衛力の性質も変遷しているからであります。

 例えば、最初の目的であります我が国の防衛に関しても、基盤となるのは自主防衛力の向上でありますが、これにつきましても、我が国を取り巻く安全保障環境や対峙する脅威が変遷する中、現行憲法の精神に沿った受動的な防衛体制や自衛権発動の時期のあり方の再考が求められています。

 加えて、同盟による拡大抑止力の確保という点も当然我が国の防衛に資するものでありますが、それには集団的自衛権の行使をも考慮しつつ、能力面においても、同盟相手とのバランスや、ある程度自己完結的な防衛力の必要性という点も留意しなければなりません。

 また、もう一つの目的でもあります国際平和への貢献につきましても、旧来は、外からの要請、圧力に応える形で対応を重ねてきましたが、昨今は、国際秩序安定への貢献についても自国の防衛の一環として捉える必要が出てきております。

 その中で、従来の自衛権の考えに基づく制約によって、国際貢献活動が抑制されているのみならず、自衛官の安全をも脅かしている現状を見過ごすことはできません。

 以上のように、憲法自体は、ある意味、我が国の普遍的な理念を示すものである一方、我が国及び国民の安危にかかわる防衛体制の基盤や制約にもなり得るものであります。我が国が置かれた時代や環境に目を背けることなく、まさにこのような開かれた場で憲法を議論する当審査会のような機会を通して、自衛権のあり方を見直し、かつ明確化し、国民投票の実施まで不断の国民的議論を重ねて決定するのが望ましいというのが、みんなの党の基本路線であります。

 以上です。

保利会長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 第二章をめぐって、冒頭に、改めて第九条の意義を強調したいと思います。

 九条は、侵略戦争と植民地支配によってアジアと世界に甚大な犠牲をもたらした反省に立って、日本が二度と侵略国家にならず、世界平和の先駆けになるという国際公約であります。また、ここには、広島、長崎を体験した日本国民の、核戦争は世界のどこでも二度と繰り返してはならないという思いが込められています。まさに、世界とアジア、日本の平和の思いが凝縮をし、結晶した宝が憲法九条であります。世界に誇るこの宝を守り抜いて生かした自主自立の平和外交を行ってこそ、日本は、アジアと世界の平和に貢献し、本当の信頼を得ることができると確信しております。

 こうした九条に照らして、まず検証しなければならないのが、日米安保条約と在日米軍基地の問題です。

 歴代政府のもとで、一九五二年に発効したサンフランシスコ条約と日米安保条約に基づいて、憲法九条と真っ向から対立する日米安保最優先の体制がつくり出されてきました。その最たるものが、在日米軍基地の問題です。

 安保条約のもとで、首都東京を初め日本全土に米軍基地がつくられました。特に沖縄には、一九七二年の復帰から四十年以上たった今も、米軍専用施設・区域面積の七四%の基地が集中し、その上、日米両政府は、沖縄県民の総意に反して、辺野古への新基地建設を押しつけようとしています。さらに、欠陥機オスプレイ配備が強行され、米軍機の低空飛行訓練まで日本の空で傍若無人に繰り返される現実は対米従属そのものであり、そういう問題を直視するべきであります。

 にもかかわらず、サンフランシスコ条約発効の四月二十八日を主権回復記念と称して政府式典開催を決定したことは、もってのほかであります。しかも、それを改憲への契機にしようとしていることは看過できません。

 こうした九条じゅうりんの実態こそ、徹底的に検証すべきです。

 いま一つ検証すべきは、自衛隊と軍事費の問題です。

 そもそも、自衛隊は、日本の再軍備という米国の強い意向のもとで、一切の戦力の保持を禁じた憲法九条に反して創設されたものです。最大の特徴は、専守防衛とは名ばかりで、日米安保条約と一体に、米軍の補完部隊として増強されてきたことです。アメリカの世界戦略のもとで、自衛隊は、米軍との共同軍事作戦を行うとともに、海外派兵のための法律、体制、装備が強化され、米軍とともに地球的規模で海外での軍事行動を行う部隊へと質的に変化させられてきたのであります。

 今、安倍政権は、安全保障環境の変化を口実に、集団的自衛権の憲法解釈の変更と国家安全保障基本法の制定によって、集団的自衛権行使を可能にしようとしています。また、政府は、平和憲法に基づく国是として内外に明らかにしてきた武器輸出三原則の実効ある措置を求めた一九八一年の国会決議を踏みにじろうとしています。

 こうした自衛隊、さらに在日米軍に対して合わせて毎年五兆円規模の軍事費がつぎ込まれているわけですが、そもそも憲法九条のもとでそれが許されるのかどうかが問われなければなりません。とりわけ、在日米軍駐留経費負担の中でも、条約上も義務のない米軍思いやり予算や、グアム移転と称して米本土に戻る米軍のための経費を日本の負担とすることについても、九条に照らして正面から検証されなければならないと考えております。

 憲法九条を守り、生かすことこそ今必要であり、それを幾重にも踏み破る現実の徹底検証こそ行うべきであることを強調して、発言といたします。

 終わります。

保利会長 次に、鈴木克昌君。

鈴木(克)委員 生活の党の鈴木であります。

 憲法第二章戦争の放棄について、意見を述べたいと思います。

 意見表明に当たり、まず最初に強調しておきたいのは、憲法論議に当たっては、旧来の護憲、改憲といった対立や政治的な観点を背景とした議論ではなく、憲法の基本的理念、論理を踏まえて冷静に憲法を見詰めることが必要ということであります。

 第一章でも申し上げましたが、憲法九十六条の改正について盛んに議論されていますが、九十六条単独で議論することが国民の間で厚みのある憲法論議を喚起することになるのか、憲法の各条のどこが今の世の中に適合しないのかをしっかりと国民に理解していただくことにつながるのか、こうした問題意識を持たなくてはならないと思います。

 もう一つつけ加えれば、憲法論議は適切なタイミングで取り組む必要があるということであります。とりわけ九条については、国内のみならず、我が国と経済、社会面で密接な関連を有するアジア諸国など周囲の国際情勢にも影響を与えることも勘案して、理性的に憲法を見詰めることが必要と考えます。

 以上を前提にして、九条にかかわる主な論点について触れていきますと、例えば、自衛隊については、国の防衛の根幹を担い、国際平和と安全の維持に貢献するものとして、あるいは災害派遣等の活動を通じて、国民に広く受け入れられていること、私たちの郷土や安全な生活を守る存在として、自衛隊という名前を含めて定着していること、しかしながら、その憲法上の存在基盤は政府の一機関である内閣法制局の答弁をよりどころにしているにすぎないことなどの事情を踏まえて、その憲法上のあり方を議論する必要があります。

 次に、集団的自衛権を含めた自衛権の行使については、現行憲法のもとで自衛権の行使がいかなる場合に認められるのか、我が国が直接攻撃を受けた場合に限られるのかどうか、同時に、後方支援を含めた自衛隊の活動について、武力行使と一体化しないという論理の中で、憲法の理念や民主的観点からのチェックが適切になされてきたのかどうか、今までの内閣法制局による解釈が現在の国際情勢、軍事情勢に照らして本当に正しいものなのか等々、厳密に検討する必要があると思います。

 次に、国際貢献についてです。

 国際社会への貢献について、これまでの日本の姿勢は、残念ながら消極的なものと言わざるを得ません。憲法の理念に従って、あらゆる分野で国際貢献を積極的にしていくべきと考えています。

 その際、例えば、国際社会で平和や治安を守るための国連の平和活動と国際社会での合意を得ないままに行われる武力行使のそれぞれについて、九条との関係で我が国としてどのように対応すべきか、あるいはすべきではないのかなど、九条の理念に立ち戻って再検討する必要があると考えます。

 以上、憲法第九条について、現時点での生活の党の考え方を御紹介し、これをもって意見表明といたします。ありがとうございました。

保利会長 これにて各会派を代表する委員の発言は終了いたしました。

    ―――――――――――――

保利会長 次に、委員各位による自由討議に入ります。

 委員各位による自由討議の進め方は、先ほどの第一章の自由討議と同様といたします。

 発言を希望される委員は、ネームプレートをお立てください。

大塚(拓)委員 自由民主党の大塚拓でございます。

 国家の安全保障というのは国民の生命財産を守ることでございますし、それは国家の最大の使命でございます。したがって、それは現実に対応するものでなければならないというふうに考えます。

 芦田修正によりまして、現行憲法下においても、必要最小限という論理の枠のもと自衛隊を保持し、そして、日米安全保障体制のもと米軍と密接不可分の役割分担を行うことにより、最低限の国の安全というものを確保してきたというのが歴史であろうというふうに思います。

 しかしながら、現行憲法九条には大きく異なる解釈をする余地があるわけでございます。このこと自体、私は法治国家として大きな問題だというふうに考えておりますけれども、それゆえに、長年、文言解釈から派生した議論が積み重ねられ、それが結果的に世界に類を見ない独特の論理体系を構築してしまったわけでございます。このことによって、先ほど中谷幹事からも御指摘のありましたように、現実の脅威に対処することに不都合が生じているという部分が多々起きてきております。

 同時に、集団的自衛権についても、行使できるのかどうかという大きな議論が分かれるところとなり、そのことにより、日米安全保障条約というものは、これは日本の安全を守るために欠くべからざる要素であるわけでございますけれども、この九条ゆえに逆に日米安全保障体制が崩壊するリスクを内包するということになってしまっておるわけでございます。これは、今政府の方でも検討されている集団的自衛権行使のさまざまな類型がございますけれども、米軍に対する攻撃が明らかに目の前で行われているときに手を差し伸べることができない、そのことによって日米同盟が瞬間的に崩壊をするというリスクを内包しているわけでございます。

 この九条の持つ深刻な矛盾、日米同盟を必要としながらその崩壊のリスクを内包する、この状況を改善するためにも、私は、集団的自衛権のことも含めて明記をしなければならない、解釈の余地のない憲法九条にするべきだ、このように思っております。

山口(壯)委員 民主党の山口壯です。

 先ほど大塚議員の方から集団的自衛権の話がありました。

 この集団的自衛権というのは、振り返ってみれば、国連憲章で初めてつくられたわけですね。固有のと言っているけれども、当時、冷戦の兆しがあった中で、ビートーのある安保理事会ではなかなか決定できないだろうという中で、NATOをつくりつつあった米英諸国が、それを機能させるためにはどうしても集団的自衛権という新しい概念をつくらなければ機能しないというところでつくられたわけですね。だから、ある意味で、自然的にあったものというよりも、人がつくったものというところがあると思うんです。

 現実に、国連が想定していた集団安全保障システムというのは今までまだ機能していないわけですね。そのかわりとして、朝鮮戦争のときには、ピース・キーピング・オペレーションという格好で、安全保障理事会じゃなくて総会でもって決めたPKOという格好が始まったと思うんです。そしてその後、ピース・キーピング・フォーシズとかいうところもいったけれども、結局、国連の当初想定していたシステムというのがいまだにつくれていないし、国連軍はもちろんつくれていないし、ではこれからつくれるだろうかというと、それもかなり危ういような状況だというのが今の状況だと思うんです。

 したがって、リアリスト的な感覚からいったら、同盟というものをどういうふうに機能させつつ、なおかつチェックをかけていくかというところが一つ大きな話だと思うんです。

 そういう意味では、集団的自衛権を我々の立場あるいは文脈で考えた場合に、具体的に実際上どういう対応があり得るかということからいえば、今は、持っているけれども使えないという政府の解釈、それを、私は、持っているのであれば使えるという解釈に変更するかどうかというのが、そこがマキシマムな話じゃないかなという気がしています。

 したがって、憲法のレベルで規定するというよりも、むしろ解釈の話ではないのかなと。もともと解釈の話として、持っているけれども使えないという解釈をしたわけですから、それを変えるのであれば、解釈を変えるというのが私は適当な話ではないかなと思っています。

 それから、中谷委員の方からマイナー自衛権の話もありました。

 マイナー自衛権については、尖閣のことが当然念頭にあるわけですけれども、私も、自分自身が戴秉国と話をして相当きついことを言って、ところがそれが中途に終わったままのことでいろいろこの事態が起こっているわけですけれども、ただ、その中で私自身も気をつけたのは、当時、対策会議をやるときにも、全省庁マイナス防衛省ということをあえて言わせていただいたんです。それは、外交の対話でもってこの話は片づける、軍人の話には絶対しないというメッセージをはっきり送りたかったということがあります。したがって、この対応についても、海保のレベルで対応する、自衛隊のレベルでは対応しないというのが一つの政策的な対応として大事なポイントかなと私は思っています。

 したがって、我々、どうしても海保でなく自衛隊という気持ちはオプションの中には考えながらも、しかし、それをあえて使わないというメッセージの方が今は非常に大事でないかなというふうに思っています。

 それから、笠井委員からも根源的な話はいろいろありました。

 その中で、やはり日本がこれからどういう役割を果たすんだろうか。トインビーが言っているような、これからは西洋から東洋に世界の重心が移るとか、あるいはアインシュタインが言っているように、軍事力でもない、財力でもない、天皇陛下、天皇制を母体とするそういう日本の文化の力あるいは伝統の力、そういう日本にこれから期待が集まるんだということを考えていく場合に、憲法九条の改正のタイミングが果たして今なのかどうかというのは、私は慎重に考えた方がいいと思っています。

 以上です。

船田委員 自民党の船田でございます。

 私は、やはり国家としての、あるいは国家の存立の基本はまさに自衛権であると思います。この自衛権がきちんと行使できる、そういう形に九条というものは変えていかなければいけないと思っております。

 具体的に申し上げますと、九条の第一項、これは我が国の、特に憲法における平和主義の基本でございますので、これはそのままでよろしいんだろうと思います。

 ただ、「国際紛争を解決する手段としては、」という文言がありますが、これは九条一項の全体に及ぶということで、しかもこれは侵略戦争を否定したものだ、こういう解釈でいくべきだと思っております。

 第二項以降に、一つは自衛権を認めること。これは、個別、集団的自衛権、いずれもその中には入るものと思います。それから、国際的平和活動というものも盛り込むべきだと思っています。基本的に武力を伴わないPKO、それから武力を伴うであろう国連軍、これがそこに入ると思っておりまして、これがいわゆる第三のカテゴリー、集団的安全保障の概念に基づくものだと思っています。

 問題は、その集団的自衛権というのをどこまで認めるべきなのか。この議論は、大いに議論をしていかなければいけないことと思います。

 私は、抑制的な集団的自衛権というものを提案したいと思います。例えば、同盟国のために世界のどこへでも出かけていく、アメリカのために南米まで日本が出かけていくということは非常に考えにくいことであるし、それはやってはいけないことではないかと思っております。したがって、抑制的な集団的自衛権の行使。

 現在、安倍総理のもとで安保法制懇が再開をされて、四つの類型ということについて、集団的自衛権の行使が可能かどうか議論をしているところでございますが、この方向性は妥当であると思っております。

 そういうものも含めて、憲法というよりは、下位法である安全保障基本法(仮称)、そういうもので規定をしていきたいというふうに考えております。

 なお、国連軍が崩れた形の多国籍軍あるいは同盟軍、こういったことについても、これはやはり集団的自衛権の範疇に入るものであり、先ほど申し上げました抑制的な集団的自衛権の中でどこまで参加できるかということについては、やはりこれは慎重に議論して多国籍軍への参加を考えるべきだと思っております。

 以上でございます。

畠中委員 みんなの党の畠中光成でございます。

 先ほどみんなの党を代表して意見表明されました小池委員の若干の補足としてお話しさせてください。

 みんなの党としては、九条に、自衛権をはっきりと憲法に明記すべきと考えておりますが、一方で、二年間の国民的議論を経て国民投票に付すこととしている、その理由について補足をさせていただきたいと思います。

 安全保障、国防に関する事項は、まさに国民一人一人にかかわる重大なことであるということがまず一点でありますが、もう一点は、私どもが主張しております憲法第九十六条の改正、硬性憲法から軟性憲法へと改正条項を改めることに伴いまして国民投票条項がなくなるということを踏まえて、それを踏まえた上でのこの九条の国民投票という話でございます。

 以上です。

山本(と)委員 自由民主党、山本ともひろです。

 会派を代表して、党を代表しては、もう幹事の中谷元先生が御発言をされておられますので、私は、私見を申し上げさせていただきたいと思います。

 先ほど来から、集団的自衛権の問題がお話に出ておりますけれども、私としては、権利を有するけれども行使をできない、集団的自衛権はあるけれども行使をできないというのは論理的におかしいのではないのかなと思っております。権利というものは、あるかないか、行使できるかできないかであって、あるのに行使できないというのは、解釈としては論理的にもう破綻をしている、間違っている解釈だと私は思っております。

 先ほどの法制局のお話ですと、ずっと積み重ねてこられた議論だというお話がありましたが、間違っている解釈を幾ら積み重ねてもそれはあくまでも間違いであって、間違った解釈をどうやって覆すか、正しい方向に持っていくかというのは、正しい解釈で覆すべきだと思っております。

 つまりは、間違っている解釈を変えるために憲法を改正するということは、事実上、論理的に破綻している、間違っている解釈が正しかったといっていることにもつながりますので、私としては、この集団的自衛権、行使できるという立場をとるのであれば、解釈を改めるべきだと。権利というものを持っているのであれば、それをいついかなるときに行使するのかということは、その権利を有しているものが政策的判断をする。

 つまり、その権利をどう管理運営していくかということが一番重要なのではないかと私は思っております。

 以上です。

斉藤(鉄)委員 先ほど船田幹事がおっしゃった、抑制的な集団的自衛権の行使ということは考えてもいいのではないかという御発言については、個人的には、大変傾聴に値すべき意見だな、このように思っております。

 ただ、集団的自衛権というのは、我が国が攻撃されていなくても、同盟国のためにいわゆる日本国外で武力を行使するということでございます。

 これまで、このことについて、過去の日本の体験をもとに、この六十年間にわたって緻密な議論が積み重ねられてきた、その根底には我々日本国が行ってきた行為があるというその重さは忘れるべきではない、このように思っております。

 抑制的なという、この抑制がどこまで現実的に機能するのかどうか。人類の歴史は、往々にしてこの抑制がきかなくなってきた歴史でもございます。そういう意味で、この議論については、本当に慎重な議論が必要なのではないかということだけ発言をさせていただきたいと思います。

山下委員 自由民主党の山下貴司でございます。

 これも、党派を代表してということではなくて私見としてということではあるんですけれども、先ほどの斉藤委員の御発言は大変重いものがございます。本当に、集団的自衛権については慎重に考えなければならないことではあるんですけれども、ちょっと事務局にお願いしたいのが、例えば、この「憲法九条解釈のポイント(政府解釈を前提として)」ということがあるんですが、この補足二のところで「憲法解釈の変更により集団的自衛権の行使を認めることについて」という部分がございます。そこに、これは答弁者が二人とも内閣法制局長官なんですよ、内閣法制局長官が「政府の憲法解釈の権威を著しく失墜させますし、」ということで答えている、あるいは「憲法改正という手段を当然とらざるを得ない」というふうに答えているんですけれども、これは更問いで突っ込まれて答えている部分なんですね。

 ですから、この審査会では、客観的な答弁やあるいは解釈について出していただきたいと思っているんです。

 例えば、ICJ、国際司法裁判所のニカラグア事件では、当然、集団的自衛権は自然権だというふうにも言っている。あるいは、最高裁長官までやられた横田喜三郎さんも、集団的自衛権については、集団的正当防衛として論理的に認める余地があるというふうなことを言っているわけです。

 ですから、私は、「憲法解釈の変更により集団的自衛権の行使を認めることについて」と題するこういう資料については、答弁であれば答弁者、あるいはもう少しほかにもこういう意見があるんだということを出していただきたいというふうに思っております。

 以上です。

橘法制局参事 山下先生、御指摘ありがとうございます。

 今後、資料をつくる際には、御指摘を踏まえまして資料を作成させていただきたいと存じますので、お許しください。

 その上で、その資料には掲記いたしておりませんでしたが、先生御指摘のように、右下に掲記した答弁は内閣法制局長官の御答弁でございますが、同趣旨の答弁がもう一件だけあるということだけ御紹介させてください。

 平成十五年七月十五日に、政府答弁書、質問主意書に対する答弁書ですから閣議決定がなされた上での御答弁書でありますけれども、これにも、一般的に、憲法を初めとする法令の解釈は、当該法令の規定文言、趣旨等に即しつつ、立案者の意図や立案の背景になる社会事情等を考慮して、また、議論の積み重ねのあるものについては全体の整合性を保つことにも留意して論理的に確定されるべきものであるという中で、中略します、このような考え方を離れて政府が自由に法令解釈を変更することができるというものではないという同趣旨の答弁書がありますので、それだけ御紹介させてください。

 資料のつくり方に関しましては、御指摘を踏まえて一生懸命やってまいりますので、お許しください。

笠井委員 特に発言するつもりはなかったんですが、今の、集団的自衛権をめぐってこれまでの間違った解釈というお話があったので、あえて申し上げたいんですが、そういう解釈をやってきたのは歴代自民党政府だったわけですから。それで、その自民党政府でさえそういう解釈をせざるを得ないような憲法との関係があって、ずっといろいろな議論があったということについては申し上げておきたいと思います。

 それから、この集団的自衛権ですが、前のときにも申し上げたんですけれども、やはり、これ自身でいうと、国連でいうと安保理決定に基づく措置がとられるまでという、例外的、暫定的権利ということで位置づけがあると思うんですね。しかも、実際に、では、どういうときに集団的自衛権の行使ということがやられたかという実態を見ても、自衛というのはある意味名ばかりで、アメリカのベトナム戦争もそうですし、それから旧ソ連のアフガニスタン侵略もそうですけれども、他国への侵略の口実として使われてきたのが、実際、歴史の事実だというふうに思いますので。

 船田幹事の方から抑制的という議論もありましたが、やはりそうした現実、そしてどういう位置づけかということについてもきちっと見る必要があると思います。

 それで、今、世界の多くの国々でいうと、大きな流れでいうと、軍事に頼らない、あるいは、非同盟諸国もそうですけれども、軍事同盟に頼らないような平和構築の努力が広がってきているという状況がある中で、あの侵略戦争を行った日本自身が集団的自衛権の行使を可能にするような改憲という議論というのは、やはりそういう流れとかあるいは国連中心主義の外交とも正反対になってくるということもあると思うので、むしろ、それが可能だというようなことで海外での武力行使をも可能にするというのは容認できないんだということは、私、申し上げておきたいと思います。

 以上です。

中谷(元)委員 先ほどマイナー自衛権について法制局にお答えいただきまして、ありがとうございました。

 私の発言でありましたが、十年以上前の政府見解でございます。結論は、整理すべきであるとなっておりますが、十年以上整理されていないわけでありまして、やはりこの点におきましては、政府もそうですが、立法府としても、この自衛権の持つ意味について、今後この審査会等でも議論をし、また整理しておく必要があるのではないかなと思います。

 それから、山口委員の御指摘のように、領土問題などは外交で対応するというのは基本でありますが、外交というのは国の安全保障体制の上に成り立っている部分もやはりありますので、現実に中国の軍拡とか海洋政策の強化、権限付与もどんどん進んできております。当然、危機管理のメカニズムを持つことも大事ですが、抑止力として、この危機に際しての我が国としての法律の整備や現行憲法上の自衛権の整理などによる体制の整備も必要だと思いますので、この点におきましてもぜひ御議論をいただければありがたいと思います。

武正委員 先ほどの補足をしておきたい点がございますので、それをちょっと申し述べたいと思います。

 日米地位協定については、野党時代、案をまとめ、二〇〇九年のマニフェストでは、改定を提起するといたしました。ただ、政権交代後、政権運営の中で、日米間のさまざまな懸案、こうしたものの取り組みの中では具体的な改善に努めてきたところでございます。そのため、昨年の衆議院選挙では、日米地位協定については、マニフェストでは「民主党政権下ですすめてきた」「運用改善をさらにすすめる努力を行う。」といたしました。

 また、政権交代前のマニフェストでは「北東アジア地域の非核化をめざす。」といたしました。これについても、先ほど触れましたように、累次の北朝鮮の核実験などを踏まえて、核実験のない世界の実現に向けて努力しますという書きぶりにしております。

 何が言いたいかというと、政権を運営する中で、この間、防衛大綱の見直しを初めさまざまな対応をしてまいりましたが、現実的なさまざまな対応をせざるを得ないというのは、御承知のように、この北東アジアを初めとする世界的な安全保障環境の変化に対応するというところでございます。

 これについて触れたいと思いますが、その中で、昨年、国会では海上保安庁法改正法案が成立をしております。これは御承知のように、尖閣諸島などに違法な上陸がされた場合に、その逮捕権が海上保安官にないといったことを埋める法改正でございました。何が言いたいかというと、領土、領海を守る、そしてまた国民の生命財産を守るについての法的な整備、これがまだまだ途上であるといったことがあろうかというふうに思っております。

 そうしたものを進めながら、先ほど、防衛大綱の見直しで、二二大綱で触れましたような動的防衛力の構築、南西島嶼方面への重点対応など、現実的な対応をしていくということかというふうに思います。

土屋(正)委員 自民党の土屋でございます。

 私、最近の北朝鮮をめぐる我が国に対する脅威などを見ていますと、もうそろそろこの種の議論を、きちっと事態に直面して、法律を変えるかあるいは法律の解釈を変えるかということに踏み込むべき時期に来たんではなかろうかと思います。

 最近では、ごくこの一週間の間に、北朝鮮の指導者は次のような発言をいたしております。一つは、核の先制攻撃を辞さず、これは新聞情報ですけれども。それからもう一つは、軍の幹部の発言として、いつでも命令を待っているんだという、そういう二つのことが、いずれも新聞情報ですけれども出ております。

 まあそんなことはしないだろうなどと思っているだけでいいのかということがあるだろうと思います。とりわけ、最近の状況を見ると、ミサイルの精度あるいは飛距離の問題、あるいは核爆弾の小型化、ミサイルの搭載能力、こういったようなことも類推されるような相次ぐ実験があるわけであります。

 残念ながら、我が方は独自で、日本国が独自でそれに対する抑止力を持ち得ないわけでありまして、日米安全保障条約の強化、深化が求められるところでありますが、それもこの第九条をめぐる議論の根底にあります自衛権の発動を具体的に行っていくにはどのような、自衛権を否定する人は誰もいないわけですから、これを具体として、対外的な威力、北朝鮮も含めた武力攻撃などに対する脅威に対応するにはどうしたらいいかということについて、もうそろそろいろいろ決断を、憲法改正かあるいは解釈の変更か、いろいろありますが、そういった踏み込む時期に来ているんではなかろうか、このように考えます。

 終わります。

船田委員 二回目の発言恐縮でございます。自民党の船田元でございます。

 先ほど私が発言した中で、抑制的な集団自衛権、私の造語でございますが、これにつきましては、斉藤幹事初め一定の評価をいただきまして、ありがとうございました。

 ただ、やはりどこまで抑制できるかということは大変大きな問題でありまして、これは、さらに議論を深めていかなければいけないということを私自身も感じております。

 それから、笠井委員から先ほど国連憲章の引用がございまして、これについて私もちょっと解釈をしてみたいと思っております。

 集団自衛権が行使できるのは、国連の枠組みでの新たな措置がとられるまでの間ということになっております。これはそのとおりであると思います。その国連の取り組みができるというのは、これは一番純粋な形が国連軍の結成であろうというふうに思っておりますが、残念ながら、今日まで国連軍は結成されておりません。あの朝鮮戦争のときの国連軍というのは、形の崩れた国連軍という形でありまして、これは集団安全保障という第三のカテゴリーからはちょっと外れるものであろうというふうに思っております。

 ですから、今後、拒否権の発動などのことを考えますと、国連軍が純粋に結成される可能性は非常に低いだろう、こう思っております。これまでも国際紛争を解決するために多国籍軍あるいは同盟軍あるいは有志軍ということで、これがほとんどのケースでございましたので、我々はやはり多国籍軍などへどうやって参加することができるのか、あるいは参加していけないのか、これを、今申し上げたような抑制的な集団的自衛権という枠の中でどこまで参加できるかを議論するというのは大変重要なことであるというふうに思っておりますので、付言をさせていただきました。

 以上です。

笠井委員 済みません、三度目で。今具体的に名前を言われたものですから。

 いずれにしても、集団的自衛権の問題というのは、国連の安全保障の哲学から見てどういう位置づけなのかという問題はきちっと詰めなきゃいけない問題なので。実際にどうだからというようなことで、そういう、多国籍軍がどうだということまでどんどん広げて、日本が参加できるということにしていくというのはよくないんだ、間違っているんだと私は思っています。

 それから一言。北朝鮮の話があったので。

 核実験を北朝鮮がやった、ああいう行為については、もう国連安保理の決議違反だし、危険な行為、逆行ですから絶対許されないと思うんですけれども、しかし、それに対して、軍事に対して軍事で構えるということになると、悪循環になるじゃないかという問題があると思うんです。

 私、衆議院の本会議でも全会一致で決議したことを重要だと思うんですけれども、やはり北朝鮮を対話のテーブルに着かせるためにも、国際社会が一致して制裁を実効あるものにさせていくということが大事になっているので。

 私も、土屋委員が言われるみたいに、北朝鮮問題というのは新しい危険な局面に入っていると思います。緊張がこれまでになく高まる状況になっていて、このまま放置できない。だからこそどうするかということが大事で、憲法を変えろという方向へ行くんじゃなくて、やはり国際社会でいえば、二つあると思うんですけれども、一つは、北朝鮮をちゃんと真剣な対話のテーブルに着かせて、核兵器を放棄させる。それからもう一つは、核兵器のない世界をつくるということで、核兵器の放棄を北朝鮮に迫っていくという、そういう大きな努力が必要なので、何か大変だからすぐ憲法変えろみたいな話になると、全然違うんだろうというふうに思うんで。

 憲法に立って、やることはいっぱいあるということを申し上げたいと思います。

土屋(正)委員 具体の脅威にどう対応するかという、国権の最高機関である国会の責任、これを理念問題にすりかえてはならない。話し合いで、あるいは国連の制裁でそれがうまく片がつくというのは、願望なのかあるいは具体のことなのか。現に、相手の指導者が核の先制攻撃も辞せずということを公言しているわけですから。もちろんそんなことはやらないだろうと思いますよ。だけれども、一%でもやる確率があるとしたら、そういうものに対して備えるのが責任ある立場ではなかろうかと思います。

 そういう立場に立った上で、憲法を直ちに改正できるとは思いませんけれども、この一年、二年で直ちに解決できるとは思いませんけれども、であるならば、それをどう解釈し、対応するかということを考えていくのは、責任ある立場ではなかろうかと思います。

 これからは、具体の脅威にどう対応するかということを真剣に考えるべきだと思います。

保利会長 他に御発言を御希望の方はいらっしゃいますか。

 それでは、御発言も尽きたようでございますので、これにて日本国憲法第二章の論点に関する自由討議は終了いたしました。

 次回は、来る二十一日木曜日午前八時五十分幹事会、午前九時審査会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時五十五分散会


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