衆議院

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第5号 平成25年4月11日(木曜日)

会議録本文へ
平成二十五年四月十一日(木曜日)

    午前九時四分開議

 出席委員

   会長 保利 耕輔君

   幹事 中谷  元君 幹事 葉梨 康弘君

   幹事 平沢 勝栄君 幹事 船田  元君

   幹事 武正 公一君 幹事 馬場 伸幸君

   幹事 斉藤 鉄夫君

      井上 貴博君    泉原 保二君

      上杉 光弘君    衛藤征士郎君

      大塚  拓君    大野敬太郎君

      河野 太郎君    佐々木 紀君

      清水 誠一君    鈴木 馨祐君

      瀬戸 隆一君    高木 宏壽君

      高鳥 修一君    棚橋 泰文君

      土屋 品子君    土屋 正忠君

      土井  亨君    徳田  毅君

      橋本 英教君    鳩山 邦夫君

      松本 洋平君    武藤 貴也君

      武藤 容治君    山下 貴司君

      山本ともひろ君    大島  敦君

      篠原  孝君    古川 元久君

      三日月大造君    山口  壯君

      伊東 信久君    坂本祐之輔君

      新原 秀人君    西野 弘一君

      三木 圭恵君    大口 善徳君

      浜地 雅一君    小池 政就君

      畠中 光成君    笠井  亮君

      鈴木 克昌君

    …………………………………

   衆議院法制局法制企画調整部長           橘  幸信君

   衆議院憲法審査会事務局長 窪田 勝弘君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月十一日

 辞任         補欠選任

  高木 宏壽君     清水 誠一君

  西川 京子君     井上 貴博君

  西村 明宏君     橋本 英教君

  馳   浩君     佐々木 紀君

  原田 憲治君     武藤 貴也君

  保岡 興治君     大野敬太郎君

  山下 貴司君     瀬戸 隆一君

同日

 辞任         補欠選任

  井上 貴博君     西川 京子君

  大野敬太郎君     保岡 興治君

  佐々木 紀君     馳   浩君

  清水 誠一君     高木 宏壽君

  瀬戸 隆一君     山下 貴司君

  橋本 英教君     西村 明宏君

  武藤 貴也君     原田 憲治君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(日本国憲法の各条章のうち、第六章の論点)


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     ――――◇―――――

保利会長 これより会議を開きます。

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件、特に日本国憲法の各条章のうち、第六章の論点について調査を進めます。

 本日の議事について申し上げます。

 まず、衆議院法制局当局から説明を聴取し、その後、各委員からの自由討議を行うことといたします。

 衆議院法制局当局から説明を聴取いたしたいと存じます。衆議院法制局法制企画調整部長橘幸信君。

橘法制局参事 衆議院法制局の橘でございます。

 本日は、第六章司法の章につきまして、お手元配付の資料に基づき、その主要論点について御報告させていただきます。よろしくお願い申し上げます。

 まず、先生方の御議論に供するために、日本国憲法の定める司法制度の特徴につきまして、明治憲法との比較を通じた論点整理の観点から一言御報告申し上げさせていただきたいと存じます。

 まず、先生方御承知のとおり、近代的司法制度の目的は、国民の権利、自由を公正な裁判所の法による裁判によって救済し保障しようとするところにあるわけでございまして、これは、人による裁判ではなく法による裁判の原理として定式化され、さらに、この原理は、具体的には司法権の独立の原則として説明されているものでございます。

 この司法権の独立の原則とは、裁判所が裁判所の外部、例えば国会や内閣などの国家機関や政党その他の政治的、社会的団体などから命令、指示、干渉、圧力などを一切受けてはならないというものでありますけれども、同時に、裁判所の内部におきましても、個々の裁判官が他の裁判所や裁判官から何らの圧力や指示をも受けないという裁判官の独立が保障されなければならないということをも意味するものと解されているところでございます。

 このような司法権の独立に関しては、明治憲法においても、裁判官の身分保障という観点からの規定は置かれていたものの、この原則自体を明言する規定はございませんでした。

 ただ、ちょっと脇道にそれますけれども、明治憲法下においても一般に司法権の独立は比較的よく守られてきたと言われており、とりわけ、一八九一年、明治二十四年、明治憲法施行後間もなくして起こったいわゆる大津事件のときの大審院長児島惟謙は、ロシア皇太子に負傷を負わせた犯人に法を曲げて死刑を言い渡すように強く求めた政府に対して抵抗し、当時の刑法の規定に従った無期徒刑の裁判を可能にした点で、司法権の独立を守った護法の神と言われたものでありました。

 ただ、他方では、児島惟謙は、そのような裁判をするように担当裁判官に強力に働きかけていたという点では、裁判官の独立の観点から問題を含むものでもあったとの指摘もなされているところでございます。

 いずれにいたしましても、現在の日本国憲法においては、裁判官の職権の独立やその身分保障に関しましては一連の詳細な規定が設けられているほか、裁判所の内部規律や司法事務処理に関する最高裁の司法行政機関たる地位、権限についても明確に規定されており、その独立性は格段に強化されたと評されているところでございます。これが第一点でございます。

 次に、第二の特徴として、司法権の概念の拡大という点が指摘されております。

 すなわち、明治憲法下においては、司法権とは民事、刑事の裁判権のみをいうものとされ、行政裁判権は、司法裁判所である大審院とは別の行政裁判所が行使するものとされておりました。

 これに対して、日本国憲法のもとでは、最高裁判所、その他の下級裁判所といった司法裁判所の系列において、民事、刑事の事件のみならず、行政事件の裁判権も含めて全て一元的に所管することとなり、逆に、行政裁判所や特別の裁判所の設置は、憲法七十六条第二項において明文で禁止されることとなりました。

 私人相互間の法律関係を規律する民事、刑事事件と、国と私人との間の権力関係に基づく法律関係を規律する行政事件とを峻別するヨーロッパ大陸法的な司法権の概念から、これらを全て包摂する英米法的な司法権の概念に改められたと言われるところでございます。

 三つ目の、そして最大の特徴は、裁判所に違憲立法審査権が与えられたということでございます。

 裁判所が法律や政省令などの法令や行政処分等の憲法適合性を審査する制度については、今日では多くの国で憲法の規範力を保障するための憲法保障制度として採用されているものですが、そこには大別して二つの制度があると言われております。

 一つは、通常の司法裁判所が、個別具体的な個人の権利利益が問題となっている事件の解決に必要な限度において法律等の憲法適合性を審査するという、いわゆるアメリカ型の付随的違憲審査制と言われるものです。

 もう一つは、特別の憲法裁判所などが、必ずしも具体的な事件とかかわりない場合であっても、国家機関など一定の者からの提訴を受けて法律等の憲法適合性を審査するという、ドイツやフランスなどの抽象的違憲審査制と言われるものです。

 日本国憲法第八十一条に定める違憲審査制がそのどちらを意味するものかについては大議論があったことは先生方御承知のとおりでございますけれども、憲法施行後間もない時点での最高裁判決によって、日本国憲法八十一条の定める違憲審査制はアメリカ型の付随的違憲審査制を採用したものだとの判決が下されており、これが現在まで定着してきているところでございます。

 以上のことを前提にして、前回までと同様に、お手元配付のA3縦長の論点表に基づきまして、主要論点について簡潔に御報告をさせていただきたいと存じます。

 まず、最大の論点は、ただいま御報告申し上げました付随的違憲審査制の是非とその改善策に関する論点でございました。

 この論点に関しましては、第一に、憲法裁判所の設置の是非に関する議論がございました。

 すなわち、一票の格差など選挙制度に関する事件などを含めましても、憲法施行後六十数年間の間に最高裁判所が下した法令違憲判決は、お手元配付の詳細資料集、衆憲資八十一号の三十一ページに御参考までに掲載してございますように、昭和四十八年の尊属殺重罰規定違憲判決以降、わずかに七種八件であり、最高裁は行政権などをチェックする憲法の番人としての役割を十分果たしていないのではないか、そのために、かえって行政の一部局たる内閣法制局に事実上の憲法解釈権が委ねられてしまっているのではないか、あるいは、最高裁は上告事件の審理のため極めて多忙であり、憲法判断にまともに取り組める体制にないなどといった認識を背景にして、ヨーロッパを初めとする諸外国の憲法事情に鑑みるに、政治性を帯びることも少なくない憲法判断を適時適切に行使するためには、そのための専門の裁判所を設置した方が権力分立と人権保障のためには効果的ではないかとして、憲法裁判所を設けるべきであるとするのがAの欄の明文改憲の御主張でございます。

 そこでは、諸外国の憲法裁判所に倣って、法律の素養を有するとともに、同時に、時として政治性を帯びざるを得ない憲法解釈を的確に行える人材を、立法、行政、司法の三分野から同数ずつ推薦して選任するなどの制度的提案もなされているところでございます。

 他方、このような明文改憲の御主張に対しては、現行憲法下においても、裁判所法改正などの立法措置によって膨大な上告事件の処理と憲法審査機関としての最高裁判所を分離することにより、適時適切な憲法判断を行えるような組織へと最高裁判所を改組することは可能であるという基本的な認識に基づいて、二つの提案がなされております。

 恐縮ですが、お手元配付の詳細資料集、衆憲資八十一号の三十八ページと三十九ページにそれぞれの御主張を簡単にまとめさせていただいておりますので、御参照願います。

 まず、B1は三十八ページ掲載の御提案ですが、最高裁判所を上告部と憲法部に分けて、具体的な事件で憲法適合性が問題となった場合には、九名の最高裁裁判官から成る憲法部に憲法判断を移送させ、これによって統一的憲法解釈を行わせるという、集中的な憲法判断を行うという御提案でございます。

 これに対して、B2は三十九ページ掲載の御提案で、東西、例えば東京と大阪に、通常の上告事件を担当する裁判官三十名ずつから成る特別高裁を設置し、九名の裁判官から成る最高裁判所は違憲審査と判例変更等についてのみ判断する裁判所に特化させるというものでございます。

 また、上記とは別のレベルの御主張ですが、フィンランド国会の憲法委員会に倣って、立法府における憲法の有権的、統一的解釈を行う権限を、例えば先生方のこの憲法審査会のような機関に付与してはどうかという御主張もございました。

 以上の各種の提案に対しては、違憲審査制の問題は憲法八十一条自体に由来するものではない、あくまでもその運用に問題があるのであり、運用改善によって最高裁改革を図ることは必要だが、基本的に現行法制のままでよいとするのがCの欄の御主張です。

 次に、第二の論点は、裁判官の報酬減額に関する御議論です。

 これは、冒頭申し上げた論点のうち、司法権の独立の端的なあらわれの一つである裁判官の身分保障に関する論点です。すなわち、最高裁判所裁判官については七十九条六項に、下級裁判所裁判官については八十条二項に、それぞれ、裁判官の報酬は、その任期中、これを減額することができない旨の規定がございます。

 その趣旨は、個々の裁判官に安定した一定額の報酬を保障することにより、経済的な事情に左右されることなく、その職務に専念することができるようにするという形で、裁判官の身分保障を図っているものと一般に言われています。

 ところが、現実には、人事院勧告などに基づく国家公務員全体の給与引き下げとあわせて、裁判官の報酬についても引き下げがなされていることは先生方御承知のとおりでありますが、このような立法措置が許されることについては、特定の裁判官あるいは司法府それ自体に何らかの圧力をかける意図のもとで報酬減額をするのではなく、国家公務員全体の給与引き下げに準じて一律に全裁判官の報酬を引き下げることは、裁判官の職権行使の独立を害するものでも司法府の活動に影響を与えるものでもないから、憲法七十九条六項等の規定に違反しないと説明されているところです。

 このような憲法解釈を条文的にも明確にするべきであるとするのがAの欄の明文改憲の御主張であり、他方、C1の見解は、現に解釈でもって適切に対処されているのだから、わざわざ憲法改正をするまでもないとの御主張です。

 これに対して、C2の立場は、あくまでも裁判官の報酬引き下げは憲法違反であり、現在の解釈、運用自体が間違っていると主張されるものであります。

 次に、第三の分野の論点として、裁判官の任命等に関する三つほどの小論点を掲げております。

 第一の論点は、最高裁判所裁判官の任命方法に関するものです。

 最高裁裁判官の任命方法については、憲法には、最高裁長官については内閣の指名に基づいて天皇が任命し、その他の最高裁裁判官については内閣が任命するとしか規定されておりません。

 しかし、これについて、時として政治性を帯びる憲法解釈、特に、国会が制定した法律を最終的に違憲無効とするような権限を有する最高裁裁判官の任命については、例えばアメリカの連邦最高裁判事のように、全国民代表たる国会において、その候補者から所信を聴取した上で、その適否を判断するようにすべきであるとするのがAの欄の明文改憲の御主張です。

 また、Bの欄の見解も、最高裁判所裁判官の任命の現状が、必ずしも制度発足当初のような透明性を欠いており、職業裁判官や検察官等の出身分野の構成が固定化してしまっていることなどをも背景として、裁判所法制定当初のような最高裁判所裁判官任命諮問委員会のようなものを設置して、その諮問、答申に基づいて内閣が任命するものとし、広く憲法問題に精通した専門家の積極的な登用を図るべきであるとする御主張です。

 もちろん、これらの改革の御主張に対しては、現状のままで何ら不都合はないとする御主張もございます。

 次に、衆議院議員総選挙の際に一緒に行われる最高裁判所裁判官の国民審査に関する議論ですが、これについては、憲法の有権かつ最終的な解釈機関に対する主権者国民の関与という重要な意義がある制度であるにもかかわらず、その運用実態は余りにも形骸化しているとの指摘が従来からなされております。

 このような認識を背景として、国政選挙とは別の機会を設けて、民意が明確になるような投票方法を検討するべきであるとか、国会承認人事としたり、あるいは、参議院に最高裁判所裁判官の適性審査機関を設けるべきであるといったような主張がございます。Aの欄の御主張です。

 他方、あくまでも現行制度の枠内での運用改善策、例えば、国民審査の判断材料となる裁判官の情報をより積極的に国民に開示するなどの工夫をするべきであり、それで十分だというのがCの欄の御見解です。

 三つ目として、任期十年で再任可能とされている下級裁判所裁判官の任命方法等については、まず、不適格な裁判官の淘汰の必要性などの観点から、この任期を、法律に委任するなどして短縮を可能とするべきである等といったAの欄の明文改憲の御主張がございます。

 他方、弁護士経験を裁判官任命の必要条件として法曹一元化を進めるべきであるとするBの欄の御主張や、現行の制度の運用改善で十分に対応可能とのCの欄の御主張もございました。

 最後に、現行憲法には規定のない、国民の司法参加に関する論点がございます。

 衆議院憲法調査会においては、専ら裁判員制度を念頭に国民の司法参加の是非についての御議論が行われました。そして、国民の司法参加には司法の非民主的な性格を改める効果があることや、国民主権の精神からも意義があることなどから、それを憲法に明記すべきとのAの欄の御主張もございましたが、他方では、現在のままでよいとのCの欄の御主張も根強く唱えられておりました。

 以上、第六章司法に関するこれまでの国会での憲法論議の主要な論点につきまして、その概要を御報告させていただきました。

 このほかにも、末尾に掲げましたように、一つ、冒頭申し上げました、日本国憲法の司法制度の特徴の一つである特別裁判所の禁止に関して、行政裁判所あるいは軍事裁判所の設置の議論が、二つ、裁判官の弾劾制度のあり方の見直しなどに関する御議論もございましたが、これらに関しましては、お手元配付の資料に譲らせていただきたく存じます。

 以上、御報告させていただきました。ありがとうございました。

保利会長 以上で衆議院法制局当局からの説明聴取は終わりました。

    ―――――――――――――

保利会長 これより自由討議に入ります。

 この自由討議につきましては、幹事会の協議に基づき、まず、各会派を代表する委員が順次発言を行い、その後、各委員が自由に発言を行うことといたします。

 発言の中には、事実確認等のため、衆議院法制局当局に対する質問を含んで結構です。

 それでは、まず、各会派を代表する委員の発言に入ります。

 発言時間は七分以内とし、その経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 発言は自席から着席のままで結構であります。

 発言の申し出がありますので、順次これを許します。大塚拓君。

大塚(拓)委員 自由民主党の大塚拓でございます。

 日本国憲法の各条章のうち、第六章司法につきまして、我が党を代表して意見表明いたします。

 まず、論点表の区分一、違憲審査制の改善策について申し上げます。

 現行憲法八十一条によって、最高裁判所には違憲立法審査権が与えられております。しかし、違憲立法審査権の行使の現状については、裁判所が憲法判断に消極的であるという、司法消極主義にかかわるさまざまな議論がこれまでも国会でもなされているところでございます。

 このような我が国の憲法審査制の現状を改善するための方策として、諸外国でも見られるような憲法裁判所を設けるべきであるという意見もありますが、これにはさまざまな長所、短所が指摘されているところでございます。また、これ以外にも、最高裁判所の機構を改めて違憲審査制の改善を図るべきであるという意見もあります。

 こうした改善策については、我が党内でもさまざまな議論がございました。しかし、現段階ではこれについて我が党として必ずしも明確な方針を持っているわけではありません。裁判所が有する違憲立法審査権の改善策については、今後も引き続き党内で大いに議論を深めてまいりたいというふうに考えております。

 次に、論点表の区分二の論点についてでございます。

 まず、裁判官の報酬の減額について申し上げます。

 現行憲法七十九条六項、八十条二項では、裁判官の報酬は在任中減額できないこととされております。しかし、昨今のようにデフレ状態が続いて公務員の給与の引き下げを行う場合であっても、裁判官の報酬の引き下げは認められないのか、憲法解釈上疑義があります。

 これまでにも、人事院勧告を受けて一般職国家公務員の給与引き下げが行われたこともありましたが、そのときには裁判官の報酬についても同様の措置が講ぜられました。また、昨年四月からは、一般職の国家公務員にあわせて、裁判官についても時限的な措置として報酬の減額支給が行われております。この問題は、憲法の条文と現実の運用が乖離している例と言えるのではないでしょうか。

 加えて、現行憲法にこうした規定があることから、分限や懲戒の場合であっても裁判官の報酬を減額できないという問題があります。

 我が党は、裁判官の独立を害しない範囲での報酬の減額の措置は認められるべきであり、これに関して憲法上の疑義を払拭する必要があるというふうに考えております。

 そこで、我が党の憲法改正草案では、七十九条五項後段に、「この報酬は、在任中、分限又は懲戒による場合及び一般の公務員の例による場合を除き、減額できない。」と規定し、解決を図りました。論点表ではAの立場になります。

 次に、最高裁判所裁判官の国民審査について申し上げます。

 現行憲法七十九条二項から四項までに、最高裁判所裁判官の国民審査に関する規定が置かれています。この国民審査は、最高裁判所裁判官の選任に対して民主的なコントロールを及ぼすことを目的としているものでございます。

 しかし、この国民審査制度は形骸化をしているのではないかという批判がつとになされているところでございます。現に、これまで国民審査によって罷免された裁判官は一人もおらず、私自身の経験といたしましても、しばしば有権者の皆様から、この制度についてどのように対応していいかわからない、これまで全く投票したことがないといったような相談を受けることも多々ある状況でございます。

 最高裁判所裁判官の国民審査制度をより実りあるものにするためには、憲法上定められている国民審査の方法は改めるべきであると考えます。

 そこで、我が党の憲法改正草案では、具体的な国民審査の方法は憲法では定めず、法律によって定めることといたしました。国民審査を実効的なものとすることは容易ではありませんけれども、このように規定することで立法上の工夫の余地が出てくるというふうに考えております。この点についても論点表ではAの立場になります。

 その他、下級裁判所の裁判官の任期について、現行憲法上十年と定められておりますけれども、十年では長過ぎるのではないかという指摘も多々ございました。我が党の憲法改正草案では、これを法律で定めることといたしております。

 また、我が党の憲法改正草案で国防軍を設置したことに関連して、軍事上の行為に関する裁判は、軍事に関する高度な専門性が必要であること、軍事機密を保護する必要があること、また、特に有事の際など迅速な実施が望まれることなどに鑑み、国防軍に軍事審判所を置くことといたしております。この審判所の設置は、裁判所へ上訴する権利の保障を前提としているということを付言しておきます。

 以上、自由民主党を代表しての意見表明といたします。

保利会長 次に、三日月大造君。

三日月委員 民主党の三日月大造です。

 民主党を代表し、日本国憲法第六章司法について意見を表明させていただきます。

 本論に入ります前に、二〇〇五年二月十七日の衆議院憲法調査会で我が党の山花郁夫議員も指摘されておりますとおり、第六章司法という表題について一言申し上げます。

 日本国憲法第四章は国会、第五章は内閣となっております。この司法という表現は、作用に着目をした概念でありまして、本来であれば、立法と行政と司法という並びが正しいのではないでしょうか。仮に、第四章が国会、第五章が内閣という機関というものに着目するのであれば、第六章の表題は裁判所とするべきではないかと考えております。

 さて、私たち民主党は、二〇〇五年十月三十一日に発表いたしました憲法提言で、憲法論議の土台を明確にし、未来志向の憲法を構想すると書きました。その中で、今日我々が目撃している我が国の憲法の姿は、その時々の政権の恣意的解釈によって憲法の運用が左右されているという現実を直視し、憲法の空洞化を阻止し、法の支配を取り戻すことを掲げています。

 その上で、過日、二〇一三年二月二十四日に決定いたしました民主党綱領では、「憲法の基本精神を具現化する」と題し、「日本国憲法が掲げる「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」の基本精神を具現化する。象徴天皇制のもと、自由と民主主義に立脚した真の立憲主義を確立するため、国民とともに未来志向の憲法を構想していく。」と定めています。

 こうした基本的な理念と立場に立って、第六章で示された最も大きな、違憲審査のあり方に絞り意見を申し上げます。

 日本国憲法第七十六条において、「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」と。また、その第二項に、「特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。」と定めております。また、第八十一条では、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と定めています。このことは、すなわち、日本国憲法において、最高裁判所には違憲審査権が付与され、憲法の最終的な有権解釈権を有していることを定めているとされています。

 一般的に、違憲審査制度が正当化される根拠は、国家行為の合憲性を審査し、及び決定する機関の存在により担保されるという憲法の最高法規性の概念と、基本的人権が侵害される場合、それを救済するための違憲審査制が要請されるという基本的人権の尊重の原理にあるとされています。

 しかしながら、最高裁判所による違憲判断の事例が極めて少ないことから、我が国の司法の態度は自己抑制的であり、消極的過ぎるとの批判を受けてきました。いわゆる司法消極主義であります。

 特に、日本の違憲審査権は、具体的な訴訟の解決という司法作用の範囲内において行使される、いわゆる付随的違憲審査制であることもあり、司法に委ねられた憲法保障に係る役割を十分に果たしていないのではないかとする多くの意見があることを承知いたしております。

 そうした現状を踏まえて、冒頭述べた理念にも照らし、私たちは、違憲審査機能の強化及び憲法秩序維持機能の拡充の観点から、「司法消極主義の下で繰り返されてきた政府・内閣法制局の憲法解釈を許さず、憲法に対する国民の信頼を取り戻し、憲法秩序をより確かな形で維持するため、違憲立法審査を専門に行う憲法裁判所の設置を検討する。」また、「新たに憲法裁判所を設置するなど違憲審査機能の拡充をはかる。」と二〇〇五年憲法提言の中で記しています。

 憲法裁判所を設置することで、民主主義国家において法の支配を貫徹させること、付随的違憲審査制の限界を脱し、最高裁判所に憲法の番人としての積極的な役割を担わせること、さらには、司法権の行政監視機能を高めること、また、憲法解釈の政治的恣意性を排することなどを目指しております。

 憲法裁判所を設置する各国においては、憲法裁判所は、単に憲法の番人であるにとどまらず、法律、行政命令を含む法令の合憲性審査を行うことによる人権擁護、救済機能のほか、国民投票の監視機関、大統領弾劾機関としての機能など、各国の政治にとって極めて重要な役割を果たしております。

 ただし、違憲審査制を改善するための策としては、今申し上げました憲法裁判所を導入する案のほか、最高裁判所に憲法問題だけを専門に判断する憲法部を設置する案、大部分の上告審と憲法問題のスクリーニングの役割を担う特別高裁を導入する案などが、これまで、当審査会の前身であります憲法調査会等でも紹介、検討されてまいりました。

 また、憲法裁判所を設置した場合、政治上の争いが裁判所に持ち込まれるいわゆる裁判の政治化や、逆に、憲法裁判所の判例を念頭に置いて立法過程が営まれる政治の裁判化を招き、議会制民主主義が軽視されるおそれ、また、国会が制定した法律について抽象的違憲審査を行うことが、国権の最高機関である国会の地位や権能に重大な制約を加えることになるおそれなどを指摘する意見もあります。

 こうしたことも踏まえて、違憲審査制の改善策については、違憲審査機能の強化拡充の観点から、憲法裁判所の設置などについて広範に議論、検討していくことが必要であると考えます。

 以上、民主党を代表した冒頭の意見表明とさせていただきます。

保利会長 次に、新原秀人君。

新原委員 日本維新の会の新原秀人でございます。

 第六章司法について、日本維新の会を代表いたしまして、現在、党内で議論している論点を述べさせていただきます。

 我々からは全部で五つの論点を提示させていただきます。第七十六条、特別裁判所の禁止に関する論点、第七十九条、裁判官の任命等に関する論点、第七十九条、第八十条、裁判官の身分保障に関する論点、第八十一条、憲法裁判所に関する論点、そして、現憲法には明文化されていない国民の司法参加のあり方に関する論点でございます。

 まず、第七十六条、特別裁判所。現行憲法第七十六条二項では、「特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。」と定められております。しかし、行政事件や軍事規律違反事件等の専門性のある事件を処理するために、当該事件を専門的に取り扱う行政裁判所や軍事裁判所など、最高裁判所の系列にある特別の下級裁判所を設置することも検討しております。

 また、民事の法律関係に関する事項について、裁判所が通常の訴訟手続によらず、簡易な手続で処理をし公権的な判断をする、いわゆる非訟事件については、独立性が保障された裁判所において処理するのではなく、特別の審判所を設置するなどして対応する必要があると考えております。

 次に、現行憲法第七十九条二項では、「最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。」と定められております。最高裁判所裁判官の国民審査を十年ごとに衆議院議員総選挙の際に行うことにはなっておりますが、これはもはや形骸化しており、何らかの見直しが必要であろうと考えております。その対策の一つとして、最高裁判所裁判官の任命方法を改め、国会承認とするなど、別の方法も検討しております。

 次に、現行憲法第七十九条六項では、「最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。」と定められており、同じく、第八十条二項では、「下級裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。」と定められております。この裁判官の身分保障については、裁判官の独立を害しない範囲で報酬の減額措置を明文で認める方向で検討しております。

 次に、現行憲法第八十一条においては、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と定められておりますが、地方裁判所において行政の活動が違憲かどうかを判断する現行制度をどうすべきなのか、党内でも議論があり、その対策の一つとして、憲法裁判所を設置する案も議論の対象となっております。ただし、その場合、新たに設置した憲法裁判所と最高裁判所との関係をどうするかが大きな課題となっております。

 また、従来だと、地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所の三審制となっておりますが、憲法裁判所で扱うこととなると、一回の判決で決定することとなってしまいます。そうした憲法判断のあり方でいいのかも議論がございます。

 また、国民の司法参加についても、現行憲法には特に条文がありませんが、憲法にしっかりと明記する方向で検討をしております。具体的な方策については、裁判員制度の是非も含めて議論を進めてまいりたいと思います。

 以上五点を日本維新の会として述べさせていただきました。どうもありがとうございました。

保利会長 次に、浜地雅一君。

浜地委員 公明党の浜地でございます。

 初めに、本日は司法の章の逐条審査ではございますが、まず冒頭、新聞報道によりまして、砂川事件について、当時の最高裁の長官が上告審の見通しを米国側に伝達したというような報道がございました。仮にこれが事実でありますと、司法権が政治から一定の距離を置いた上で客観的に法律上の争訟を判断するという、この役割を逸脱するものでございまして、国民の裁判所に対する信頼を失墜させる行為であるというふうに思います。この点は厳しくやはり国会としても申し上げておきたいというふうに思っております。

 次に、論点に入りますと、まず、憲法裁判所の導入についてでございます。

 まず、我が国の違憲立法審査権につきましては、付随的審査制というのが通説的見解でございます。この付随的審査制を前提といたしますと、具体的な事件があって初めて裁判所が憲法判断を行うという運用になりまして、具体的な事件から離れて抽象的審査を行うことにつながりかねない憲法裁判所の設置ということは、理論的にもやはり困難であるというふうに思われます。

 また、我が党内でも、実質的にも、憲法裁判所を設置することによりまして裁判所の政治化を招くとの懸念も多く聞こえました。ですから、憲法裁判所の設置には慎重な立場でございます。論点表ではCの立場になります。

 他方で、これまで実際は裁判所が憲法判断に消極的であったこと、また内閣法制局が有権的憲法解釈を行っていることに対する批判もございます。ですので、やはり何らかの改革は必要であるというふうに思っております。

 そこで、先ほどございましたが、裁判所に憲法部を設置する案や、最高裁と高等裁判所の間に特別高等裁判所を設けまして、最高裁の違憲審査機能と上告審機能を切り離すなどの改革案が議論されてまいりました。この点は非常に重要な点であると思っております。

 ただ、まずは最高裁判所の裁判官の任命の透明性や、また増員を図るなどの現行の制度の運用の改善を目指した上で、なお最高裁判所の憲法判断が消極的なままであるといった場合には、憲法部や特別高等裁判所の設置を行う改革が必要だろうと思っております。したがって、論点表ではCないしB1、B2の立場になります。

 続きまして、裁判官の任命等について述べたいと思います。

 現在の最高裁判所の裁判官の任命につきましては、裁判官の任命諮問委員会を設置すべきであるというふうに考えております。そうなりますと、論点表のBの立場になります。

 裁判官の顔が見えるというのは大変重要なことでございます。実際、私のような法曹出身者でも、最高裁判所の裁判官が具体的にどのようなバックグラウンドを持たれ、またこれまでどのような判断を下されてきたのかを正確に存じ上げておりません。国民から実際に選ばれない裁判官が下す憲法判断に対して、国民の信頼を得るためにも、最高裁判所の裁判官の任命過程において、諮問委員会等を通じて国民の意思がある程度反映されることは必要であろうと思っております。

 諮問委員会におきましては、選考過程の透明性、客観性を確保するために、幅広く各界の意見が反映されるようにすべきでございます。現在、固定化しております出身母体比率の見直しも含めて、憲法問題に精通した学者等の専門家を積極的に活用するなどの改革が必要である、そのように考えております。

 この点については、最高裁の裁判官の任命権が内閣にあるということに反するのではないかという点でございますけれども、諮問委員会の意見はあくまでも尊重されるべきという立場をとれば、最終的な任命権者は内閣でございますので、憲法七十九条の趣旨にも反しないものと考えております。

 続きまして、最高裁判所の裁判官の国民審査についてでございます。

 これも同じように裁判官の顔が見えるということが大事でございます。実際に、最高裁の国民審査は形骸化しているというのが現状でございます。やはり、裁判官がこれまでどのような判断を下してきたのかといった情報を積極的に開示する運用が必要であろうと思っております。

 なお、裁判官の再任の件につきましては、国会の承認を必要とするという意見もございますが、国会の承認事項となりますと、司法権の独立という趣旨からしますと、少し行き過ぎた感を持っております。ですので、国会の承認まで必要ということについては反対でございます。

 続きまして、裁判官の報酬減額についてでございます。

 先ほどもございましたとおり、現在、復興財源の一つとして、国家公務員の給与の引き下げとともに裁判官の報酬の減額も行われておりますし、法制局の説明でもございましたとおり、裁判官の報酬を全く下げられないということではない、これは七十九条六項、八十条二項の憲法の趣旨に反しないということでございますので、やはり、財政が厳しい中、国家運営にかかわる者全員が身を切るという点では必要な議論であろう、そのように思っております。

 最後に、国民の司法参加について一言述べたいと思います。

 裁判員制度が定着し出しました。国民の司法参加により、開かれた司法への道が着実に進んでおります。実際に裁判員裁判に参加した方からも御意見を聴取しましたが、この裁判員制度というのは肯定的な意見が多数を占めております。

 他方で、犯罪被害者及びその関係者というのがクローズアップされるようになりまして、それらの方のプライバシー侵害等の二次被害ということについては適切な対応が必要であろうと思っております。国民の司法参加の権利というものを憲法上明記するとともに、加えまして、犯罪被害者の人権についても憲法上の人権として保護する必要があろうか、そのように考えております。

 以上でございます。

保利会長 次に、畠中光成君。

畠中委員 みんなの党の畠中光成です。

 みんなの党は、昨年四月に発表いたしました憲法改正の基本的考え方におきまして、特段、第六章司法に関する表明はいたしておりません。みんなの党の考える地域主権型道州制の導入による司法のあり方の検討は必要かと思いますが、仮に憲法が改正されるとしても、基本的には現在の日本国憲法の第六章の趣旨を引き継ぐ形で問題ないと考えます。

 しかしながら、第六章は、三権分立の一角をなす司法について示されていることから、我が国の三権分立のありようにおいて幾つか申し上げます。

 現在、我が国の大きな問題点の一つに、行政権の肥大化が挙げられると考えます。法律が行政を熟知する官僚により作成され、その法律の細目の決定も官僚が行う委任立法が主となること、国の行政権が許認可権を有し、国民や地方自治体を支配するようになること、行政の活動が活発化し、国民の生活に介入するようになるため、国民は利益の享受者として受動性を高め、その結果として政治的無関心に陥りやすいことなどが行政権肥大化の問題点として挙げられます。

 憲法第七十六条の二項において、行政機関による終審裁判は禁止されるとあります。しかし、終審でなければ、行政機関が司法手続の一部を担うことも許されています。例えば、公正取引委員会などの行政委員会による審決などの準司法的手続が挙げられます。こういった準司法的な権限を持つ行政委員会の同意人事について、国権の最高機関である国会では、議院運営委員会での意見聴取とわずか五分程度の質疑しかないというのは、行政府の肥大化を助長する仕組みの一つではないかと思います。

 また、司法権を統合的に行使する役割を担う最高裁判所は、最高かつ最終の裁判権を持つ国の機関であると同時に、憲法第八十一条にあるとおり、最終的な憲法解釈権を与えられた機関でもあります。しかしながら、最高裁判所がこれまで憲法判断に消極的であったことにより、行政の一部局である内閣法制局に事実上の憲法解釈権が委ねられてきたことも行政権肥大化の一端であると考えます。

 憲法第七十九条には、最高裁判所裁判官の人選について規定してあります。我が国においては、憲法上、最高裁判所裁判官の指名、任命は内閣によって行われることになっており、そこに国会が関与することはありません。しかしながら、その内閣による最高裁判所裁判官の指名、任命手続は、必ずしも透明性のある客観的なものではありません。国会において意見聴取、質疑の時間を設け、同意人事の手続を設けることも一考に値すると考えます。

 また、憲法第七十九条の二項及び三項にあります、国民自身が裁判官の罷免を行う国民審査制度は、憲法改正国民投票と並び、国民が主権者として直接その主権を行使するものです。極めて重要な審査にもかかわらず、国民に十分な情報が提供されていないため、結果として白紙投票が多くなってしまうなど、形骸化していることは問題だと考えます。

 昨年末の総選挙とあわせた国民審査では、ペケをつけた人がふえたようですが、過半数には至りませんでしたし、過去に最高裁判所裁判官で罷免された人はおりません。もう少し緊張感を持つことのできる制度にする必要があるのではないでしょうか。

 国民審査の際には、審査公報が発行されます。この公報には、裁判官に関する情報、例えば過去の経歴、判例や実績、考え方などが掲載されていますが、そのあり方を問い直すなど、わかりやすく開示する必要があると考えます。

 もう一つ、司法と立法の関係で申し上げるならば、まさに、今、私どもが突きつけられている一票の格差問題における違憲判決についてでありましょう。

 一票の格差が最大二・四三倍だった昨年十二月の総選挙について、二件の違憲状態、十二件の違憲、そして広島高裁、広島高裁岡山支部の二件においては選挙無効の判決を下しました。

 選挙制度について最高裁が違憲状態であると判断したことは過去に何度もありますが、違憲状態と最高裁が判断し、その後、改正できる時間が十分あったにもかかわらず、同じ制度のもとで次の選挙を行ったことは過去に例はなく、立法府による司法府軽視は甚だしかったということです。

 いわゆる〇増五減案ですが、昨年の総選挙前は緊急避難的に仕方なかったかもしれませんが、総選挙を経た現在においては、憲法や三権分立のあり方の観点からよく考えなくてはいけません。

 政府の衆議院議員選挙区画定審議会が勧告した区割り見直し案では、一票の格差は最大で一・九九八倍で、二倍を下回ります。しかし、それはほとんど二倍と変わりません。しかも、この数値は二〇一〇年の国勢調査を基準にしており、その後、当然人口は流動するわけですから、各自治体が公表している実際の人口数を見ると、既に二倍を超していることも明らかになっています。

 例えば、鳥取二区と東京十六区の格差は、国勢調査では一・九九八倍ですが、実際には二・〇〇四倍になっているのです。これではまたすぐに違憲となる可能性があるわけです。

 しかし、この〇増五減案では違憲だと思っている人が国会の外に多数いても、具体的な争訟にすることはできない。すなわち、選挙をもう一度やって具体的な事案になってからまた裁判に訴えられるといった無駄なことを繰り返してしまうことになります。これは立法府の怠慢と言うしかないことを申し上げておきます。

 憲法改正の前に、民主主義の根幹にかかわる重要な問題が法改正で可能なのですから、我々はその解決に努力すべきです。

 そもそも、一人〇・六票がよくて、一人〇・五票が悪いというのは違います。あくまで一人一票が原則です。

 だからこそ、みんなの党は、どこに住んでいても一人一票という民主主義の当たり前の価値を実現できる全国集計比例代表制を提示しているわけでございます。選挙をして裁判、選挙をして裁判のイタチごっこを避けるためにも、立法府が憲法に示された民主主義の原則に早く答えを出さなくてはいけません。

 以上、みんなの党の第六章についての意見表明とさせていただきます。

保利会長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 第六章司法で重要なことは、司法権の独立の原則を規定するとともに、国民主権のもとで、国民による司法の民主的な統制制度を置いていること、一切の法律、命令、規則または処分について違憲審査できる違憲審査制を採用していることです。これは、憲法第三十二条の国民の裁判を受ける権利の保障と充実を図り、平和、人権、民主主義、最高法規としての憲法を擁護するとりでとしての役割を果たすために設けられた、極めて重要な規定です。

 この第六章の規定に照らし、そうした司法の役割が現実に果たされてきたか、三つの問題を指摘したいと思います。

 第一は、司法権の独立や違憲審査権が、米国への従属的関係のもとで侵害されてきたという問題です。

 司法は、戦前の深い反省から、戦後、平和、人権、民主主義、そして日本国憲法を擁護する民主的な司法として再出発が求められました。ところが、最高裁判所は、サンフランシスコ条約と日米安保条約が結ばれて以降、米国追従の立場で職務を執行してきたという事実が最近も白日にさらされたのであります。

 先日開示をされましたこの米政府解禁文書ですけれども、これは、一九五七年の砂川事件で跳躍上告を受けた最高裁の田中耕太郎長官が、大法廷での審理が開始されるという微妙な時期に、レンハート駐日首席公使と密談していた事実を明らかにしました。その内容は、米軍の駐留は憲法九条に違反するとした一九五九年三月の東京地裁伊達判決の破棄に向けて奔走した最高裁長官の驚くべき姿勢を示しております。

 解禁文書は、判決は同年十二月になるとの見通しを最高裁長官が語るとともに、結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するようなやり方で運ばれることを願っていると発言したと記しております。

 そして、米側のコメントとして、もし最高裁が地裁判決を覆し、政府側に立った判決を出すならば、新条約支持の世論の空気は決定的に支持され、社会主義者たちは、政治的柔道の型でいえば、自分たちの攻めわざがたたって投げ飛ばされることになろうという米側の期待が述べられています。

 実際、十二月に下された最高裁判決は、外国の軍隊は九条の言う戦力には当たらないとし、安保条約は高度の政治性を有し、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り、司法審査の対象外として、米側の期待どおり、一審判決を破棄したのです。このことは、最高裁が司法の独立をみずから放棄し、対米従属の姿勢で職務に当たっていたことを物語るものです。

 この判決以降、自衛隊を憲法九条違反とした長沼ナイキ基地訴訟札幌地裁判決を初め、日米安保、米軍基地、自衛隊をめぐる訴訟は、全て米国と日本政府を擁護し、または、いわゆる統治行為論のもと司法判断を放棄するという姿勢で退けられるようになったのであります。

 第二に、公務員の労働基本権をめぐる最高裁判決にもこうした姿勢が色濃くあらわれているということです。

 最初に争われた訴訟が政令二〇一号事件です。この政令はGHQによって押しつけられたもので、公務員の政治活動の制限が定められていました。それを最高裁は、国民全体の奉仕者としての公務員等を理由に、憲法二十八条に反しないとの判決を下しましたが、一九六〇年代後半に公務員の労働基本権をめぐる事件が相次ぐ中、最高裁はそれまでの判例と異なり、公務員の労働基本権を部分的に認める判決を続けて下したのです。

 ところが、それに対して偏向裁判などの批判が浴びせられ、いわゆる司法の危機が生じるもとで、七〇年代に入って、最高裁は六〇年代の判断を覆す判決を相次いで下すに至り、政令二〇一号をベースとしたものに逆戻りしていったのであります。

 我が党は、これまで、九条をめぐる平和の問題や歴代政府の政治姿勢について、憲法をないがしろにし、日米安保条約を最優先にする政治の実態を指摘してきましたが、最高裁も同様の姿勢をとってきた現実は、およそ主権国家の統治体制と言えるものではありません。

 第三に、こうした最高裁の姿勢が人権や法令に対する判断にも貫かれていることはとりわけ重大です。

 生活保護をめぐって争われた朝日訴訟で、最高裁は、原告の死去に伴い裁判の終了を宣言しながら、他方で、なお、念のためとして、憲法二十五条一項は直接個々の国民に対して具体的権利を付与したものではないといういわゆるプログラム規定説を展開しました。憲法二十五条の生存権に基づく生活保護の権利性を認めた東京地裁判決を台なしにし、政府の政策を擁護する判決を下したのであります。

 最高裁での法令違憲判決が極めて少ないことも看過できません。特に日本の場合、精神的自由権の規制に関する法律の違憲判決が一つもないことが大きな特徴です。下級審では公職選挙法の戸別訪問禁止規定を憲法二十一条に反するとしたものや、国家公務員法による公務員の政治活動禁止規定を憲法二十一条、三十一条に反するとしたものなどが、最高裁では合憲と判断されてきました。

 こうした問題の背景には、最高裁裁判官の任命の政治的利用や司法官僚制による裁判官統制などがあります。これを排し、全ての裁判官が良心に従い独立してその職務を行い、憲法及び法律にのみ拘束されるとの憲法の規定が名実ともに徹底されることが必要です。

 以上をもって、日本共産党としての意見表明とします。

保利会長 次に、鈴木克昌君。

鈴木(克)委員 生活の党の鈴木克昌であります。

 憲法第六章司法について意見を申し上げます。

 生活の党では、現在、憲法全体について党としての考え方を取りまとめるべく検討を進めております。本日のテーマである司法の分野については、いわゆる一票の格差の問題に関し、各地の高等裁判所で違憲判決が出されている状況などを踏まえ、現行憲法下における諸課題について党内議論を行っているところであります。

 昨今、九十六条改正を先行すべきとの議論が盛んになっておりますが、我が党は、そのような政治的な背景からの議論などではなく、理性的に、論理的に憲法を見詰めながら党内議論を進めていきたいと考えております。

 これから申し上げる意見も、検討過程のものとして御報告させていただきたいと思います。

 まず、憲法裁判所の設置に関する論点について申し上げます。

 憲法裁判所を設置することについて憲法に明記すべきであるとの意見も散見されますが、これは、最高裁判所による違憲立法審査権の行使の仕方について、現状に不満があることから沸き起こっているものと推察いたします。すなわち、いわゆる司法消極主義により、司法に委ねられた憲法保障に係る役割を最高裁判所は十分には果たしていないのではないかといったような不満などがあろうかと存じます。

 また、現在の憲法裁判は、具体的な訴訟事件があることを前提に、その解決の過程で憲法に関する判断を行う付随的違憲審査制をとっていますが、そうした仕組みのもとでは、そもそも最高裁判所に憲法の番人としての積極的な役割を期待することは無理であるとの指摘もあるようであります。

 ただ、憲法裁判所制度を導入した場合のデメリットとして、裁判の政治化の問題、すなわち、国会で繰り広げられている政治的な争いが裁判所に持ち込まれるのではないかという問題が指摘されています。さらに、政治の裁判化の問題、すなわち、立法過程の中で憲法論や法律論が幅をきかせ、政治家が裁判所に従順になることにより議会制民主主義が弱体化するのではないかという問題も言われていると存じます。

 また、仮に憲法裁判所制度を導入するとしても、憲法裁判所の権限をどうするか、裁判官を誰が任命するかなどという裁判官の任命方法を初め、検討すべき事項は多いものであります。

 憲法裁判所制度の導入について、我が党はいまだ結論を得る状況にはありませんが、導入の必要性を含め、その権限や構成などについて今後も党内で議論を深めていきたいと考えています。

 次に、裁判官の報酬の減額に関する論点について申し上げます。

 憲法七十九条六項、八十条二項では、裁判官の報酬は、在任中、これを減額することができないと規定されています。裁判の公正を保つためには、裁判官に対するあらゆる不正な干渉や圧力を排除し、裁判官の職権の独立を確保する必要がありますが、この減額禁止規定は、そのために不可欠な裁判官の実質的な身分保障の一環をなす規定であります。

 一方で、裁判官の報酬は、人事院勧告に基づく一般職の国家公務員の給与改定にあわせて、これまで幾度も減額されてまいりました。また、さらに昨年度からは、我が国の厳しい財政状況及び東日本大震災に対処する必要性に鑑みた歳出削減の観点からの減額支給措置が、一般職の国家公務員とともに実施されています。

 裁判官の報酬に関するこのような運用の実態は、一見すると、先ほどの憲法七十九条六項などの明文規定に反しているのではないかとの疑念を招きます。しかし、この明文規定は、財政上の理由などにより一般職の国家公務員と並んで行われる裁判官の報酬の減額といった報酬の引き下げが、特定の裁判官に対する圧迫となる可能性のない場合までをも一律に禁ずる趣旨ではないと考えます。

 この論点に関しては、解釈により対処することも可能であるとの見解もありますが、私どもは明文改憲によってこの疑念を払拭すべきであると考えております。よって、論点表ではAの立場であります。

 次に、裁判官の身分保障に関連して、裁判官の弾劾制度について申し上げます。

 憲法七十八条では、裁判官は、心身の故障の場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されないと規定しており、憲法六十四条で、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するために弾劾裁判所が設けられています。

 裁判官の弾劾については、このように憲法の定めがあるものの、余り注目されることがないかもしれません。それが十分に機能しているものかどうかは検討が必要であり、弾劾裁判所のあり方について検討を加えることも必要ではないかと考えます。

 以上、私からの意見表明といたします。ありがとうございました。

保利会長 これにて各会派を代表する委員の発言は終了いたしました。

    ―――――――――――――

保利会長 次に、委員各位による自由討議に入ります。

 この際、委員各位に申し上げます。

 本日の審査会におきましては、論点を、第一に、違憲審査制の改善策に関する論点、第二に、裁判官の身分保障、裁判官の任命等及び国民の司法参加に関する論点並びに第一で議論の対象としていない論点の二つに分類いたします。

 各委員におかれましては、おおむねこの二つの論点の分類ごとに意見表明をしていただきますように、御協力をお願い申し上げます。

 なお、この二つの論点の分類はあくまでも目安でありますので、各委員の発言がその他の論点に及ぶことは結構でございます。

 発言を希望される委員は、お手元にあるネームプレートをお立ていただき、会長の指名を受けた後、御発言ください。発言が終わりましたら、ネームプレートは戻していただくようにお願いいたします。

 発言は自席から着席のままで結構でございます。また、発言の際には、所属会派及び氏名をお述べいただくようにお願いいたします。

 なお、幹事会の協議によりまして、一回当たりの発言時間は五分以内といたしたく存じます。委員各位の御協力をお願いいたします。

 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 それでは、まず、違憲審査制の改善策に関する論点について発言を希望される委員は、ネームプレートをお立てください。

 この際、会長において、皆様方にお願い申し上げます。

 先日の審査会でも御発言がありましたように、議員間の質問につきましては、現行憲法についての各党の意見表明をする場でございますので、各党の立場を尊重して、発言の確認のための質問は結構だと思いますが、攻撃的な質問にならないように御留意を賜りたいと思います。会長において要請をいたしたいと思います。よろしくお願いいたします。

中谷(元)委員 自由民主党の中谷元です。

 前回、憲法審査会で一票の格差に関して発言をいたしましたが、一部のマスコミから批評をされたところでありますので、本日は、その点と、最高裁判所が有する違憲立法審査権との関連について意見を申し上げたいと思います。

 憲法四十七条には、「選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。」と規定されておりまして、憲法は、選挙制度については明文で法律に委ねております。もちろん、選挙制度に関する憲法上の要請としては、十四条や四十四条により、平等原則も定められております。

 しかし、選挙区は、単に人口比のみで決められるほど単純なものではなくて、行政区画、地勢、交通などの事情を総合的に考慮して定められるべきものであると考えます。

 例えば、単純に人口比例原則に拘泥することにより、過疎化が進む地方の声が国政に十分反映されることがなくなることを懸念する議論もあります。選挙制度を定めるに当たっては、こうした事情も含めて、高度な政治判断のもと、国会において与野党が議論して法律を定めているわけでございます。

 憲法八十一条によって裁判所に違憲立法審査権が与えられておりますが、まさにその憲法自身が直接、選挙制度については法律に委ねているのでありまして、このような憲法の構造になっていることに鑑みれば、法律で定める選挙制度が憲法に適合するか否かの判断は、第一義的には国会に委ねられるものと考えるのが本来の姿ではないでしょうか。

 現に、昭和三十九年の最高裁大法廷におきましては、議員定数、選挙区及び各選挙区に対する議員の配分の決定に関して立法府である国会が裁量的権限を有する以上、各選挙区にいかなる割合で議員数を配分するかは、立法府である国会の権限に属する立法政策の問題であって、議員数の配分が選挙人の人口に比例していない一事だけで、憲法十四条一項に反して無効であると断ずることはできないと判断をされておりました。

 今回の衆議院選については違憲の判決が出されましたけれども、では、どちらが正しいんでしょうか。

 その上、裁判所の判決の効力は、あくまで訴訟の対象となっている事件にしか及びません。したがって、選挙区割りが全体として違憲であるということを理由として選挙が無効であるという判決が出されても、その効力は訴訟の対象となっている選挙区だけとなります。一連の高裁判決のうち、選挙が無効と判決が出されたのは、広島一区、二区及び岡山二区の三つのみです。

 選挙区割りについては、去る三月二十八日に選挙区画定審議会が改正案を総理に勧告しましたが、選挙が無効との判決が出されたら、これら三選挙区は、この改定案ではそもそも対象とされておりません。例えば、岡山二区における一票の価値の格差は一・四一二倍でした。これよりも格差が大きい選挙区は多いにもかかわらず、この三つの選挙区だけが無効とさせられるのはいびつなことではないでしょうか。

 このように、違憲判断を許す原因の一つには、具体的な訴訟が提起されて初めて裁判所が憲法に関する判断を行うという具体的違憲審査権を採用していることにあると考えます。

 私は、憲法問題を一回的かつ終局的に解決させるためには、抽象的に法令の違憲性を審査できるような憲法裁判所を設けることを真剣に考えるべきであると思います。

 憲法裁判所というのは、職業的裁判官中心の司法裁判所ではなくて、政治家経験者や各界の有識者、マスコミ、行政の経験者などで構成されるもので、法律の素養を背景としつつも、民意を酌み、政治的な判断も行える特別な裁判所であるべきです。その裁判官の任命には、当然に国会も関与するわけであります。

 憲法裁判所を導入し、ここに憲法裁判の権限を集中させることによって、明確かつ迅速な判断が可能となって、憲法解釈をめぐる政治的な争いなどを早急に制止することができるのではないでしょうか。また、判決が一般的効力を持つことによって、法的安定性や予見可能性に資するというメリットもあります。

 世界的に見れば、ドイツを初め多くの国で憲法裁判所は導入されておりまして、一票の格差に関する裁判所の判決を契機といたしまして、ぜひ憲法審査会において憲法裁判所の導入に向けた議論を行ってもらいたいと考えております。

 以上です。

古川(元)委員 民主党の古川元久でございます。

 私は、立法府におけます、特に我々議員による議員立法を初めとする立法活動をもっと積極的にするというその裏腹としての意味でも、この違憲審査機能の強化というのは大変重要なことだというふうに考えております。

 従来は、法律、特に過去の自民党政権のもとでは、ほとんどが閣法で出される。これについては、内閣法制局が相当、時には余りにも厳し過ぎる、そういうチェックをして、それを通らないと出てこないという状況にあったわけであります。立法府である国会の機能、特に我々議員が立法権を有する者として活動を行っていく意味では、一方で、我々が議員立法するに際しても、政府の方の関係者から、内閣法制局に聞くとここは憲法上疑義があるとか、そういうようなことを言われたりしたことも過去にあります。

 そういうことも考えますと、やはりもっと立法府が、私たちが国民の意見を聞いて、そしてそれを議員の、自分たちの力で立法していく。そうした、もっと自由に、そしてもっと広くやれるような状況をつくっていくということが、立法府の責任として、立法府がその本来の役割を果たす意味で大変重要なことだというふうに思います。

 しかし、そのときには、議員立法などでできた法律が憲法にちゃんと適合しているか、そのことをきちんと適切にチェックしていくという司法府の仕組みというものも同時に重要でありまして、そうした観点からも、違憲審査機能の強化というものは大変重要な課題であるというふうに考えております。

 私どもは、違憲立法審査を専門に行う憲法裁判所の設置を検討すべきだというふうに党としてこれまで議論しておりますが、そこに至る以前の段階でも、今の裁判所が置かれている、特に最高裁などは大変案件が多くてなかなか審査も進まない、そういうようなことを考えますと、まず、今の状況の中から改善をしていくところはしていって、その先のところで、憲法裁判所を初めとする、そうしたスピーディーに違憲立法審査もできるような、そういう仕組みも考えていくべきである、そのように考えております。

船田委員 自民党の船田でございます。

 先ほど、中谷幹事から、衆議院の一票の格差をめぐって、高裁の無効判決に関して、やはり憲法裁判所が必要である、こういう結論をおっしゃいました。私も、全面的にそれは賛成でございます。

 理由として申し上げますが、既に議論が出ておりますけれども、やはり、我が国の違憲審査、これは最高裁にあると解釈するのは当然だと思いますが、どうしても付随的違憲審査制になりがちである。すなわち、具体的な訴訟事件の解決に即した違憲審査というものにどうしてもとどまってしまう。このことによりまして、いわゆる司法消極主義、あるいは、最高裁自身の多忙を理由として、なかなか違憲審査を行いたくない、こういった状況があらわれていると思っております。

 このことが、裏腹として、行政の一部局にすぎない内閣法制局が憲法に関する有権の解釈を行い、そしてそれが、行政はもちろんでありますが、我々国会の中での議論をも左右しているという、ある意味で、これは異常な状態をつくってしまっているというふうに思っております。

 やはり、本来の最高裁の違憲審査制をもっと抽象的な分野にまで拡大をして、そして積極的に司法の判断を行っていく、こういう状況をつくるためには、やはりどうしても、もう一つの新たな機関である憲法裁判所をつくる、あるいはまた最高裁の中に憲法部をつくるということで、憲法の判断についての部署を独立させるという必要があると思っております。

 ただ、憲法裁判所をつくる場合の人選といいましょうか、裁判官をどこから出していくのかということは、相当これは議論しなければいけないと思っております。

 従来の職業裁判官、そういう方々が憲法裁判所を構成するということになりますと、具体的な規範の統制というところから離れて抽象的な規範統制を行うということはかなり難しいことであると思っております。やはり、政治を経験された人、あるいは各分野でさまざまな経験をした人々、幅広い分野から経験豊富な人材を集める、あるいは選択をする、そういうことが憲法裁判所を構成する上においては非常に重要な要素を占めるのではないかと思っております。

 結論からしますと、このようなさまざまな条件はありますけれども、憲法裁判所を設けるということについては、私は賛成したいと思っております。

 以上です。

高木(宏)委員 自由民主党の高木宏壽でございます。

 現状、最高裁判所裁判官十五人のうち、十名は法曹資格を持つ者からの採用ということになっております。現状、六名は職業裁判官、四名が弁護士、残りの五名が検事、大学教授や外交官、行政官など、職業裁判官以外にも門戸を開いております。これは、憲法判断について広い視野からの考察が期待されるという、より司法積極主義の要請があるものと考えております。

 一方で、現状は、法解釈という技術的な判断能力を問われる場合が多くなっており、十五人全員の合議が必要とされる大法廷の開かれる日数は年平均三回程度と少なくなってきており、職業裁判官以外の裁判官の活躍の場が狭くなってきております。

 最高裁判所が違憲訴訟を通じて法的に憲法を保持する機能が必ずしも十分に働いていない、いわゆる司法消極主義を脱却することが期待できないのではないかと考えております。司法権は憲法保持の最後のとりでであることを考えると、現行の司法審査の様式では不十分ではないか、十分に機能していないのではないかと考えております。憲法裁判所を新設する必要性、少なくとも現行の最高裁判所に憲法部を設置するなど、憲法と真正面から向き合う方法をつくる必要があると考えます。

 以上でございます。

山口(壯)委員 民主党の山口壯です。

 どういうものを今の裁判所以外に設けるかという議論が先ほど憲法裁判所とかでありましたけれども、韓国の某裁判所が慰安婦の問題について行政府を縛るような決定なりを出し、それが今の日韓関係を非常に面倒くさくしているという面も考えると、そういう意味では、憲法判断の回避ということで今まで最高裁判所が来ているとしたら、それは何か、憲法裁判所を設ければそれが解決するというよりも、裁判所自身の考え方の問題なのかな、問題というよりもあり方なのかなという気もしますので、私は、憲法裁判所を設けるということについてはもう少し慎重に考えて、むしろ、その憲法判断の回避という今までのやり方というものが、必ずしも厳格にしなくてもいいんじゃないかというようなことでもって対応するという道もあるのではないかなというふうに思います。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 今、司法消極主義を解消するために憲法裁判所を設置すべきという主張が出されておりましたけれども、私は、しかし、最初の意見表明でも申し上げましたけれども、最高裁が司法判断を避ける大もとには、最高裁裁判官の任命の政治的利用の問題とか、あるいは司法官僚制による裁判官の統制などがあるというふうに思います。

 この問題の解決抜きにして憲法裁判所を設けたとしても、政府の違憲行為に対して、合憲判決を重ねるだけだと思います。

 憲法調査会の場でも、仙台地方公聴会で小田中意見陳述人が、「憲法裁判所をつくれば違憲立法審査権が活性化するというのは幻想ではないか。」というふうに述べられておりましたけれども、そのことを初めとして、調査会に招致された参考人の多数が憲法裁判所の導入には消極的だったというふうに思います。

 違憲判断が進まないのは、やはり運用上の問題であって、現憲法に欠陥があるのではないということを見る必要があると思います。

 それから、国会の中に、司法の判断が正しいかどうかを判断する憲法の裁判所を設けるべきだという御意見もあるようですけれども、かつても、裁判所の判決が妥当かどうかということで、国政調査権を発動して国会が審査したことがあって、一九四八年の浦和事件が代表的ですけれども、これについては、参議院の行為は司法権の独立を侵害するものとして学界からも厳しく批判されたと思います。

 国会に司法の判断が正しいかどうかを判断する憲法の裁判所を設けるのは、それこそやはり司法の独立の侵害になる、歴史の経過もきちっと踏まえるべきだというふうに考えております。

 それで、違憲審査を活性化するということでいえば、やはり憲法第七十六条の三項が定めるように、全ての裁判官が、良心に従い独立してその職務を行い、憲法及び法律にのみ拘束されるということを名実ともに実行するということと、裁判官の人事を国民の目に届くものにするということが必要ではないか、こう思っております。

 以上です。

土屋(正)委員 私の意見は、中谷委員がおっしゃった立場に近い意見でございますが、かてて加えて、二つのことを申し上げたいと存じます。

 一つは、裁判官の身分は、司法権の独立ということから保障されているとされているわけでございますが、昨今の違憲審査に対する意見などを見ますと、とりわけ一票の格差をめぐる判決などを見ますと、何と裁判官の身分はかたく守られているものか、こういう思いがいたします。

 公の職についているのを分類しますと、行政職、そしてまた我々のような立法府に働く者、そして司法に働く者と三分類されるわけでございますが、そのうちの行政職と我々立法府に働く者、これは地方議員も含めてでありますが、行ったことに対する適切な批判あるいは国民の判断といったようなものを背景に、例えば行政職の場合には、余り恣意的なことを、あるいは偏った、いわゆる法律の判断を曲げて行政を行えば、当然、上司による批判あるいは立法府による批判等があり、これは、いずれにせよ、しかるべき処置をとられるわけであります。

 同時に、我々立法府に働く者も、地方議員も含めて、余り奇矯な立場を、立法府にあるということで主張したり行ったりすれば、これは国民の審判を浴びて落選する。もちろん政党的な消長もありますが、同時に、属人的な、一つの政党で、人は受かっても、特異な形で批判され、落ちる、こういうふうなことがあるわけであります。

 しかし、司法職にある、とりわけ裁判官はまことに、どんな判決を出しても、これが問題にされて批判されることもほとんどないというのが実態ではないでしょうか。

 弾劾裁判所が国会の中にあり、訴追委員会もある、私も実はその訴追委員の一人でございますが、これらの過去の事例を見ると、破廉恥罪だとかそういったこと以外に、判決の中身でもってその地位を失うようなことはほとんどないわけであります。

 となると、全ての公務員の中で、裁判官ほど守られ、地位が強く、不動の地位というのは、一旦裁判官になると、ほとんど不動であるということが言えるのではなかろうかと思います。

 こういうことに立つと、例えば下級審などにおいては、過去にも相当いろいろな判決が出ております。私も若いころから、これはと思うような結果を感じたことも多々ありますし、それが大きな論争になったこともあります。これが一つでございます。

 それからもう一つは、今回の一票の格差の判決についても、いわゆる憲法審査をする立場として、果たして国民感覚を反映しているのだろうかという気がいたします。

 私は、国会議員、市長、市会議員として、さまざまな形で議員として選ばれる立場でございますが、四十年近いこういう生活の中で、一般の国民から、一票の格差がある、それが問題だからあなたを入れるとか入れないとか、そういうことはほとんど聞いたことがないのであります。もしそういうことが主要なテーマになっている方がいたら、ぜひ経験を聞かせていただきたいんですが、選挙区における主要なテーマは、相手にいかに勝つかでありまして、一票の格差、鳥取と東京がこんなに開いているからこれはけしからぬ、俺の権利をないがしろにしているというような議論はほとんどないわけであります。

 でありますから、こういった国民感情をきちっと反映できる憲法判断をしていただく、こういうことのためにも憲法裁判所の設置ということが望ましいのではなかろうか、こんなふうに思います。

大島(敦)委員 憲法裁判所の設置についてなんですけれども、裁判官の任命というのは極めて慎重に議論されなければいけないと考えています。

 戦後できた警察法の中の国家公安委員の人選については、二人を超えて同じ政党に属してはいけないという書きぶりもございまして、憲法裁判所を仮に設置するとすれば、どういう人選かということは極めて慎重に議論をしなければいけなくて、そこの合意ができないと、なかなか設置というのは踏み込めないのかなと考えます。

 もう一つ、内閣が持っている人事権の中で一番重い人事権が、最高裁判所判事の人事権です。これは今まで、皆さん、裁判所の違憲審査等についての御意見があるとは思うんですけれども、決めているのは内閣なんです。内閣が十五人の最高裁判所判事の任命をしているわけです。そこには国会の同意人事もないわけなんです。内閣が決めれば、最高裁判所の判事の十五人は全部決められることになります。

 ですから、その点についても、これは裁判官の任命等のところの議論だとは思うんですけれども、議論を深めていかなければいけないと考えています。

 以上です。

武正委員 民主党の武正でございます。

 民主党のそれぞれの委員が述べたとおり、違憲立法審査権の強化が必要であり、我が党とすれば、憲法裁判所を提起しておりますが、それを含めて広範な議論をということを言っております。当然、現憲法下においての最高裁における憲法部の設置なども含めて違憲立法審査権の強化も必要であろう、選択肢の一つというふうに考えるわけであります。

 そういった意味では、司法消極主義の転換というものが今司法には求められているのかなというふうに思っておりまして、累次の今回の違憲判決については、昨年、衆議院選挙を終えた身とすれば、ここで違憲、そしてまた無効ということは、今回の司法の判断というのは、国会議員にとっては非常に衝撃があったというふうに思います。

 ただ、司法の、そうした意味での司法消極主義を転換するような判断だとすれば、それはやはり国会としても真摯に受けとめていく必要があるのではないかというふうに思います。

 以上です。

斉藤(鉄)委員 私は、憲法裁判所については慎重であらねばならないという考え方を持っております。それは、先ほど土屋委員がおっしゃったことは非常によくわかるんですが、同じような気持ちを持つからこそ、逆に、憲法裁判所については慎重でなければいけない、こういう考え方です。

 どういうことかといいますと、法律の体系がもし完璧であれば、法律という公理から出発して議論をして導かれる結論は多分一つに収束していくんだと思いますけれども、現実には、法律体系は完璧ではないわけですので、ある意味で、裁判官によって出てくる結論がまちまちになる。

 私も、法曹出身ではないので、一般国民の素朴な感情として、裁判官によって結論が違う、つまり、ある意味では、我々の人生がどういう裁判官に当たるかによって大きく変わってくる、これが現実でございます。

 したがって、そういう意味では、例えば違憲審査をするときに、最終的な結論を出すということが、完全ではない法体系のもとで、本当にあっていいのだろうかと。つまり、個別的な事件について、それぞれ、これは憲法違反である、もしくは憲法違反ではないという、個別的な事例についての判例を重ねていく、そういう中で、国としての、または日本国の司法としての一つの方向性が出てくるというぐらいの方が適当ではないか。

 土屋委員と同じような気持ちを持つからこそ、逆に、そういうふうな、一つのことについて確定的にばんと決めて、もうこれ以上先がないというような決定というのはいかがなものかと思っております。

保利会長 ほかにこの論点について御発言はございますか。なければ、次の論点に移りたいと思います。

 次に、裁判官の身分保障、裁判官の任命等及び国民の司法参加に関する論点並びにこれまでに議論の対象としていない論点について発言を希望される委員は、ネームプレートをお立てください。

船田委員 自民党の船田でございます。

 裁判官の身分保障という点はこれまでも議論があったところでありますが、裁判官といえども公務員ではございます。したがって、国家公務員の給与の引き下げ、先般もありましたけれども、それに伴って裁判官の減額が行われるということは、社会常識的に見ても、これは認められるものだと思っております。

 一方で、裁判官につきましては、憲法七十八条によりまして、その身分は既に保障されているわけであります。したがって、給与の引き下げに伴い裁判官の職権の独立性が侵されるということは考えられないことでありますので、この減額措置につきましては、やはり憲法の中で誤解を与えないような形で明文化することは大事なことであろうと思っております。

 もう一つの論点で、最高裁判所裁判官の国民審査、これが現行制度で非常に形骸化をしている。これは私もまさにそのとおりだというふうに思っております。しかし、形骸化されているからといって、この制度を廃止するということは考えなければいけないことだと思います。

 なぜならば、国民審査というのは国民が司法に参加する形の一つ、ルートの一つである、重要な一つであると思うからでございますし、また、憲法改正国民投票法はできておりますけれども、ある意味でもう一つの国民投票ではないかというふうに思っております。ですから、このような国民の意思を表明する貴重な機会をもっと有効に働かせていく必要があると思っております。

 国民審査のやり方、運営の仕方、これはなお相当工夫する余地があると思っております。現状では、最高裁判所裁判官のお一人お一人の経歴や、あるいはこれまでどのような判断をされたのかということについては一定の情報の提供はありますけれども、まだまだ私は十分ではないと思っております。

 この点については、運用におきまして、国民の皆さんが、最高裁判所とは何か、そして裁判官はどういう方々がやっているのか、こういったことについて関心を起こすような、そういう工夫をぜひともすべきであると思っております。

 なお、国民の司法参加ということでは、もう一つのルートであります裁判員制度、これは導入されて三年が経過をいたしました。賛否両論あると思いますけれども、私は、国民の司法参加という点で、一つの制度として定着をしてきたなというふうに思っております。

 そういうことを考えますと、やはり国民のリーガルマインド、これをさらに助長していくためには、この裁判員制度というものをもっと、憲法上も明記をするというようなことで制度としての確立を図るべきである、このように考えております。

 以上です。

畠中委員 みんなの党の畠中光成です。

 私も、国民審査制度の形骸化についてお話をさせていただきたいと思います。

 国民審査制度は、国民が司法に参加するという観点及び憲法改正国民投票と並んで国民が主権を行使する場面ということで、極めて重要な制度であると思いますが、形骸化をしている。私、なぜ形骸化しているんだろうということで、いろいろ調べました。

 過去の国民審査で審査対象となった最高裁判事の人数の累計が、百六十七人の方が審査の対象になったんですけれども、皆さん御案内のとおり、百六十七人中、過去に罷免された人はゼロ名ということ。そして、過去の国民審査で罷免を可とする投票の割合が最も高かった判事、これを調べましたところ、第九回の国民審査、これは昭和四十七年、下田裁判官が一五・一七%、過半数にいかないと罷免を可となりませんが、過去の最高が一五・一%だったということです。

 それから、審査公報のあり方について、私、もう一度確認して、縮小版なんですが、今、ちょっと見にくいんですが手元にあるんですが、ほとんど皆さん同じような見え方をしてしまうということですね。「最高裁判所において関与した主要な裁判」「裁判官としての心構え」、もちろん冒頭に「略歴」とあるわけですけれども、ほとんど皆さん同じような見え方をしてしまう。果たしてこれで国民が判断をできるかどうか。

 参考までに前回の平成二十四年及びその前の平成二十一年を取り寄せたところ、細かい話なんですが、平成二十四年の顔写真は全部背景が白になっているんですけれども、平成二十一年は全部背景が黒というか、背景ありなんです。

 こういう写真のところまで同一にする必要が果たしてあるのかというところで、これは各候補者が記載をするんですけれども、裁判所に提示をします。裁判所が印刷会社にこの公報の作成を依頼するというところなんですが、恐らく裁判所の事務局の中で、この画一化、画一化と言っていいのかどうかわかりませんが、をしてしまうような見え方になっているということも、国民審査の形骸化の一つの原因になっているのではないかと思います。

 また、これは憲法とかかわるんですが、衆議院総選挙と同時にということになっておりますが、報道のあり方も踏まえまして、どうしても総選挙に報道が偏ってしまうことにより、国民審査に対する国民の関心が行かなくなってくるというのも理由だと考えますので、この国民審査制度、冒頭に申し上げましたけれども、重要な制度でありますので、何らかの検討を続けていく必要があるのではないかと思います。

 以上です。

高鳥委員 自由民主党の高鳥修一でございます。

 最高裁判所の裁判官の国民審査について申し上げます。

 最高裁判所は、違憲審査権など、立法府に対しても重大かつ強力な権限を有しております。

 先ほど、土屋委員から大いに賛同できる御発言がございましたが、一票の格差の問題についても厳しい判断が示されております。判決を重く受けとめなければなりませんが、国会の組織に対する判断が下せるというのは、権力分立の思想や、法の支配から導き出される司法権の独立の考えに由来するものではありましょう。しかし、それが余りに行き過ぎると、裁判所の無謬性、すなわち、裁判所の判断には誤りがないということが前提になってしまっていると言えるのではないでしょうか。

 権力分立や司法権の独立の趣旨を考えた上で、他方、このような行き過ぎに対してチェック機能を果たせるのは、全ての権力の源である主権者国民しかいません。それゆえに、裁判官は、主権者たる国民の厳正な審判を受けるべきと考えます。

 現行法七十九条二項から四項までに、最高裁判所裁判官の国民審査規定がございます。先ほど、大塚委員、また畠中委員も述べられましたが、現状の国民審査では今日まで一人も罷免された者がない、この制度が形骸化をしていることのあらわれであると考えます。これにかわる制度を法令で定める旨を憲法に規定すべきであると考えます。

 また、この審査は、国政選挙とは別の機会に、わかりやすい情報に基づいて、国民の意思が明確となる方法で行われるべきであると考えます。

 以上であります。

古川(元)委員 民主党の古川元久でございます。

 私も、最高裁判所裁判官の国民審査について申し上げます。

 これはやはり、違憲審査機能を強化する、その裏腹に、国民による審査をきちんと実質的な、意味がある形にすべきではないかというふうに思っております。

 そういった意味では、先ほども御指摘もありましたけれども、今の憲法上は、これは衆議院選挙と同時に行うということでありますが、衆議院選挙は、まさに政権を争う、そういった意味で、国民の関心はどうしてもそこに行ってしまいますので、最高裁判所の裁判官、これは、司法の長を選ぶという意味では、ある種、この三権の中の一権の極めて重要な話ですから、やはりこれは、立法府の代表を選ぶ、そしてその中から行政府の長も選ぶという総選挙とは別の形で、きちんと審査をする形にすべきではないか。

 そういった意味では、憲法改正も含めて検討していく、そのことが真に三権分立をきちんと実質化する、国民主権のもと、この三権がきちんと国民の信託を受けてその権能を発揮するということにつながっていくのではないかというふうに思います。

 以上です。

小池(政)委員 みんなの党の小池政就です。

 同じく、裁判官の人事に関してなんですが、区分二にあります八十条の下級裁判所の人事について論点を挙げさせていただきまして、また、過去の議論等がありましたら、法制局の方から御説明をいただきたいと思っております。

 八十条でありますように、下級裁判所の裁判官は、上級の裁判所である最高裁判所の指名という形で内閣が任命されておりますけれども、かなり閉じられたコミュニティーの中で指名されるという中での人事、また再任権もあるということでありますので、その後の判決におきましても公平性がしっかりと担保されるのかなという点において、少し疑義が残るような気がいたします。

 また、これからの道州制を進めていく際の議論におきましても、このような中央集権的なあり方というものを再考すべきじゃないかというような議論もあるのではないかと思いますけれども、過去の議論で、もしあれば教えていただきたいと思います。

橘法制局参事 ちょっと手持ちの資料がありませんので、記憶だけで御紹介申し上げますと、下級裁判所裁判官の任命方法に関する衆議院憲法調査会を初めとする国会での御議論の中では、まさしく十年を任期としてこれを再任するという場面で、再任という形で最高裁の上層部の意向が下級裁判所の裁判官の任命に影響を与えているのではないのか、むしろこの任期というものをもう少し長くするべきではないのか、十年というチェックがあることによって本当に個々の裁判官の職権行使の独立が保障されているんだろうか、こういう御議論が一方にございました。

 他方、先ほども御紹介申し上げましたように、十年という任期はむしろ不適格な裁判官を淘汰するには長過ぎる、これをより短くして、チェックの期間を短くして、不適格な裁判官の淘汰をしやすくするべきだという逆の方向での御議論もございました。

 また、真に個々の裁判官の職権行使の独立を担保するためには、先生御指摘のように、裁判官の任命あるいは再任のための諮問委員会の過程をより透明化するべきだという、そういう運用改善等の方向についてもこの場で御議論があったように思われますが、いずれもそのような御提案あるいは御議論であって、一定の方向性が出たものとは、私の記憶ではございませんでした。

 以上です。

小池(政)委員 済みません。今、地域分権、道州制の関連についての回答がなかったんですけれども。

橘法制局参事 答弁漏れ、失礼いたしました。

 地方分権あるいは地域主権型道州制との関連での裁判官の任期の関係の御議論は、私の記憶の限りでは、なかったように思われます。

中谷(元)委員 国会の弾劾裁判所のあり方についてでございますが、これは立法府である国会で裁判官の罷免や裁判官の身分について審議するところですが、きのうも弾劾裁判が開かれました。

 過去の事例では、裁判官や判事の行動について、例えば万引きとか盗撮とか痴漢とか、一般の公務員では懲戒処分で、中で懲戒免職とか減給とか戒告とかそういうことで足りている場合でも、裁判官の場合は弾劾裁判にかけられまして、罷免するかどうかも含めて、非常に重い手続になっております。

 やはり憲法の中で身分の保障が規定されているからこうなるわけでありますので、ぜひ司法の内部管理という範疇で減給とか懲戒免職とかそういう規定を置くことによって、わざわざ裁判の方にかからなくてもいいようにすべきではないかな、しっかりと司法内部で管理する体系をつくるべきではないかなと感じましたので、そのようなことを発言させていただきます。

 もう一つは、裁判官が罷免をされた場合に、裁判官の身分を失うことは当然ですが、退職金も支給されず、検察官、弁護士、公証人になる資格も喪失する。それだけ重いということでありますけれども、しかし、情状酌量の余地もありますので、裁判官の身分を剥奪するという制裁以外に、資格においてはそこまでやることもないというように、二段階、二つの種類を設けるなど、そういった判断も下せるように改正をすればどうかなということを感じましたので、問題提起として申し上げさせていただきます。

大島(敦)委員 昨年、国家公務員の給与を削減した際に、裁判官の給与も下げさせていただきました。

 当時の国家公務員の臨時特例法案の修正に携わった者として、当時、政府側は最高裁判所に意見を聞いて閣法として法案を提出したということを伺っておりますので、最高裁判所の意見を伺った上で立法化したということだけ述べさせてください。

 ありがとうございました。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 裁判官の報酬の問題も、先ほどからいろいろな御意見があると思うんですけれども、憲法でいうと、七十九条の六項と八十条の二項で、在任中の裁判官の報酬について減額することはできないと定めている。ところが、国家公務員の給与の減額と横並びであれば司法権の独立性を害さないという理屈で裁判官の報酬の減額が強行されてきたということだと思うんですけれども。

 例えば、今ございましたが、昨年ということでいうと、引き下げをやるときに、時の政府が消費税増税へ国民の納得を得るために公務員給与削減を実行するということで、税と社会保障の一体改革の大綱で明記したもとで、そのもとでそういうことが横並びで行われてきたということがあったと思うんです。時の政権の政策実現の手段として裁判官の報酬を引き下げるということは、やはりそれは司法の独立を侵すことになると私は思います。

 それと同時に、では最高裁の方がどうかというと、やはり最高裁自身が政府の政策を肯定する答弁を繰り返しているというのも問題だと思います。

 この間、国会審議でもいろいろあったと思うんですけれども、例えば、最高裁の事務総局が監修した「裁判所法逐条解説」という中に、報酬そのものの減額は、国家公務員全体の給与が同じ比率で引き下げられる場合でも許されないことは言うまでもないというふうにあるので、それを示して質疑があってただされたのに対して、最高裁側が、それは憲法の規定の解釈ではないということを答弁して、これはいわば詭弁だと思うんですけれども。つまり、憲法に基づいて定められた法律について、憲法の解釈から離れた解釈であるはずはないので、そういうことも含めた検証が必要なのじゃないかということを思っております。

 それからもう一点、最高裁の裁判官の任命のあり方などについての問題ですが、やはりこの点では、真に国民の意思が反映されるように、憲法の運用上の問題として、内閣の恣意的な人事を排して任命の民主化を図るということをやるべきだということと、国民審査の問題についても、これはやはりさまざまな判決に対する態度を日常的に積極的な方法で広報するということが大事だと思いますし、同時に、その中で、投票そのものについての改善も必要だというふうに考えております。

 以上です。

武正委員 民主党の武正でございます。

 先ほど違憲判決について、司法消極主義からの転換ということを評価いたしましたが、それはやはり三権分立の考えからでございます。

 同様に、裁判官の身分保障といった点では、先ほど中谷委員も提案をされましたが、立法府の司法のチェックという意味での弾劾裁判所並びに裁判官訴追委員会のあり方というものもやはり改めて見直しをしていく必要があるのではないかというふうに考えております。

 それぞれのあり方、扱う案件、そして、それへの対応ももちろんですが、弾劾裁判所と訴追委員会、それぞれ独立した機関ではありますけれども、立法府として、両方を含めていかにあるべきかといったことは検討が必要ではないか。三権分立をしっかりと担保するという意味からでございます。

 国民審査の制度については、見直しが必要だということは、私も同意見でございます。

 その他の点でございますが、先ほど、司法の独立性ということで、最高裁長官が米公使に裁判の行方について述べたということが既に取り上げられております。これは極めて遺憾なことであったというふうに思いますが、やはりこうした点も、三十年たてば外交文書の公開ルールというのが設けられておりますので、この徹底を、これについての文書も当然国内にあるでしょうから、これを進めてほしいということは政府に申し上げたいというふうに思っております。

 また、過日、法曹養成制度検討会議が中間取りまとめを発表いたしまして、三千人の法曹人員の目標年間輩出を見直すという中間報告を出しております。

 これは、ロースクール卒業生の中で、試験に受からずに、法曹を諦めて転向していった方々をたくさん皆さんも知っておられると思いますが、九五年の米国の年次改革対日要望書から始まりまして、七百人を倍増、九六年には千五百名以上、そして九九年には二千名以上というような形で、二〇〇一年の司法制度改革で取り組まれたことであります。

 しかしながら、思ったよりもそうした訴訟案件が日本でふえないというようなことから今回見直しをしたわけでありますが、やはり日本の国民感情、あるいは、国内的な、和をもってとうとしとなすというようなこうした国内の文化から、果たしてそうした訴訟社会が本当になじんだのかどうかということは、それぞれの個人の将来の方向性も左右した今回の三千人ということは、我々国会も、改めてこのことは厳しく、これらの決定、そして来し方、検証が必要ではないかということを申し述べたいと思います。

斉藤(鉄)委員 きょうの論点から少し外れるかもしれませんが、今、武正会長代理からも問題提起のあった司法改革について、一言申し上げさせていただきたいと思います。

 司法制度改革をやろうと。これは、これまでの事前調整、事前チェック、調整型の社会から、事後監視、救済型の社会へ日本も転換していかなくてはいけないという大きな流れの中で行われたものでございます。司法に限らず、事前調整から事後監視型の社会へということは、規制緩和等々、今、日本で進行しているところでございますので、この方向で司法も改革をしていかなくてはならないのではないか、このように基本的な認識を持っておりますので、司法改革そのものの歩みをとめてはいけないのではないか、また、ある意味で、そういう社会を目指していく上で、司法、法曹というのはインフラの中核的なものを担うわけで、この観点は大事にしていかなくてはいけないのではないか、このように思っております。

 しかし、なかなかうまくいかない。そのうまくいかない一つの典型が法科大学院だと思うんですけれども、この法科大学院については、いわゆる法学部出身者だけではなくて、いろいろな分野のバックグラウンドを持つ人、例えば、技術者、理科系のバックグラウンドを持つ人も法曹の社会に出ていってそういう仕事を担うということでございました。

 したがいまして、法科大学院の一期生、二期生というのは、いろいろなバックグラウンドを持った人が、いろいろな職業を経験した人が、必ずしも法学部出身者ではない人がたくさん応募して学んだわけですけれども、その方々が今大変失意の中でいらっしゃる。

 また、今やいろいろな分野の法科大学院受験生が少なくなってきた、ほとんどいらっしゃらなくなってきたというのは、そういう意味では、今我々が進めていこうとしているあるべき姿の社会に対しての流れの中で大変失敗だったなと思っております。

 知識集約型の、また人材集約型の社会を目指していくという方向性そのものは非常に重要な点だと思っておりまして、司法改革、何がいけなかったのか、そして、かといってまたもとに戻せばいいというものではないと思いますし、この点についての議論も必要ではないかということを申し述べさせていただきます。

三日月委員 私も二点について意見を申し上げます。

 まず、七十九条二項の国民の審査、これは先ほど古川委員も述べられたように、また他の委員も述べられたように、私たち国民の司法に対する関心、また、監視を行わなければならないという自覚というものをしっかりと持つためにも、総選挙とは別の機会に行うということについて賛成です。

 また、二点目、七十八条の裁判官の身分の保障ということについて、特に弾劾裁判のあり方について意見を申し上げます。

 私もきのう、弾劾裁判所の判決言い渡しに訴追委員の一人として加わりました。先ほど中谷委員が述べられたような、司法内での、例えば最高裁判所内での自浄作用というものにも私は期待をいたしますが、国民からの訴追請求に基づき、国会議員から成る訴追委員会での調査、審議に基づき訴追を行い、さらには、国会議員から成る弾劾裁判所において、裁判員が弁護人もつけた形で審理を行い、判決を下していくという、そのことによる罷免ということを決められる権限、これはやはり弱めることなくしっかりと確保しておくべきだというふうに思います。

 今回の事例は、特に、痴漢行為という形で国民の人権を著しく長期にわたり侵害した事案でありました。また、死刑という判決に加わったこともある、また加わる可能性のある裁判官に対する弾劾裁判である可能性もございます。したがって、この権限についてはしっかりと維持をする形で担保していくべきだ。

 なお、武正委員が先ほど述べられたように、立法府として、この訴追委員会のあり方、また弾劾裁判のあり方について不断に見直していくという観点は、私は、否定もいたしませんし、むしろ支持をする形で意見表明とさせていただきたいと存じます。

 以上です。

中谷(元)委員 弾劾裁判についてなんですが、先ほど土屋委員の方からも、間違った判決を下した裁判官の懲戒について有効性があるのかどうかということですが、やはり三権分立の相互作用としてはこういったものは必要ではないかと思います。国民には国民審判がありますが、実質、これは機能しておりませんので、立法府に求められる、こういった懲戒を求める声の受け皿としては訴追委員会があるわけでありますけれども、では、この訴追委員会の能力が、司法の裁判をチェックできる能力があるかどうかといえば、これは相当の体制がなければその判断を評価することはできないわけでありますので、改めて、この訴追委員会のあり方について、充実させるということと、本来、これは司法の中にそういった苦情とか不満、また罷免をする窓口があればいいわけでありますので、ぜひ司法の内部に、裁判官の行為に関する機関、受け付け機関ですね、それを設けること、そして懲戒制度のあり方については検討するべきではないかなというふうに思います。

篠原委員 武正委員、斉藤委員の触れられたことの延長線上で、ちょっと御意見を申し上げさせていただきたいと思います。

 最近、憲法九十六条ばかりが話題になっておりますが、私は七十六条も大事だと思っております。

 TPPの関係でいつも出てくるのが、ISDS条項でございます。国家を一私企業が訴えることができる、その裁判は世銀の下の国際仲裁センターで行われるというのは、私はこれは憲法七十六条違反だと思っております。

 主権回復の日とかいって、そういう話がありますけれども、我が国の司法権を非常に侵すもの。国際司法裁判所とか海洋法裁判所とかいう国際紛争の云々だったらいいんですが、日本のルールがちょっとおかしいからといって日本国政府がアメリカの私企業から訴えられて、その裁判がわけのわからない世銀の下の仲裁センターで行われるというのは大問題であって、そんなものをTPPで議論されるとしたら、絶対拒否しなければいけないことだと思っておりますし、各政党の議論の中でもそういうのがありますし、やっている話だと思います。このことをちょっとよく考えなくちゃいけないんじゃないかと思っております。

 先ほど武正委員の話にありました年次改革要望書というのに従って、日本のいろいろな制度、仕組みをいじくり始めております。郵政民営化なんかもそんなものだったんだろうと思います。どうも、アメリカのルールにするのがいいんだという変な流れがありまして、先ほど斉藤委員からありました、救済型あるいは第三者機関がチェックするというやり方、これの方がいいのではないかということで日本の制度改革が行われている。私は、これは非常にお金がかかるし手間がかかるし、日本社会には合わないやり方じゃないかと思います。

 TPPというのは何かというと、農産物の関税ばかりが問題になっていますが、そうじゃなくて、年次改革要望書あるいはその前の日米構造協議の延長線上にあって、日本のルールをアメリカのルールに変えられてしまう、そういうものの窓口みたいになるようなものじゃないかと思っております。

 司法の関係からも、私は、TPPというのは大問題で、非常にきちんと見ていかなければいけないことではないかと思っております。

大島(敦)委員 先ほど古川委員から指摘がありました、最高裁判所の裁判官の国民審査を衆議院議員選挙とは別にすることについては、賛同をいたします。

 やはり、衆議院議員選挙と一緒にやると、衆議院議員選挙の方が極めてクローズアップされて、最高裁判所裁判官の国民審査については余り関心を持たれなくなりますので、それを別に行うことは必要だと考えております。

 それは、大体、衆議院議員選挙の予算が六百五十億円から七百億円ぐらい、参議院議員選挙が四百五十億円から五百億円ぐらいです。それよりも多分少ない金額で済むかなとは思うんですけれども、やはりこれは別に行うことの意味は十分にあると考えております。

 もう一つは、先ほど述べました最高裁判所の裁判官の任命なんですけれども、七十歳が定年ですので、もしも時の内閣が、こういう判決が欲しいと思って、五年から六年にわたり、その都度の方を任命していくと、最高裁判所の判事は五、六年で全てかわるようになります。これまでの政権は、最高裁判所の任命につきましては、極めて慎重に、恐らく司法の意見も聞きながら任命してきたので、それほど大きな混乱は、あるいは安定してきたのかと考えています。

 この最高裁判所の裁判官の任命について、このまま、国会の同意人事でもなく、内閣でこれを任命するという規定でいいかどうかの議論、その議論の延長上に恐らく憲法裁判所の設置というのがあるかなと思っています。ですから、ここの、最高裁判所の裁判官を内閣が任命するというこの人事権の行使については、極めて議論を深めなければいけないと考えております。

 以上です。

保利会長 ほかに御発言はございますか。

 それでは、発言も尽きたようでございますので、これで自由討議は終了いたします。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時十六分散会


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