衆議院

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第1号 平成27年7月13日(月曜日)

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平成二十七年七月十三日(月曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 浜田 靖一君

   理事 今津  寛君 理事 岩屋  毅君

   理事 江渡 聡徳君 理事 松本  純君

   理事 御法川信英君 理事 長妻  昭君

   理事 下地 幹郎君 理事 遠山 清彦君

      小田原 潔君    小野寺五典君

      大西 宏幸君    大野敬太郎君

      勝沼 栄明君    木原 誠二君

      笹川 博義君    白石  徹君

      武井 俊輔君    中谷 真一君

      橋本 英教君    原田 義昭君

      平沢 勝栄君    星野 剛士君

      宮川 典子君    宮崎 政久君

      宮澤 博行君    武藤 貴也君

      盛山 正仁君    山口  壯君

      山田 賢司君    若宮 健嗣君

      緒方林太郎君    大串 博志君

      後藤 祐一君    辻元 清美君

      寺田  学君    長島 昭久君

      青柳陽一郎君    太田 和美君

      柿沢 未途君    吉田 豊史君

      岡本 三成君    角田 秀穂君

      浜地 雅一君    赤嶺 政賢君

      宮本  徹君

    …………………………………

   公述人

   (岡本アソシエイツ代表) 岡本 行夫君

   公述人

   (東京慈恵会医科大学教授)            小澤 隆一君

   公述人

   (首都大学東京法学系准教授)           木村 草太君

   公述人

   (同志社大学法学部教授) 村田 晃嗣君

   公述人

   (法政大学法学部教授)  山口 二郎君

   衆議院調査局我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別調査室長     齋藤久爾之君

    ―――――――――――――

本日の公聴会で意見を聞いた案件

 我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案(内閣提出第七二号)

 国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律案(内閣提出第七三号)


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     ――――◇―――――

浜田委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案及び国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律案の両案について公聴会を行います。

 この際、公述人各位に一言御挨拶を申し上げます。

 本日は、御多用のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。公述人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、審査の参考にさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いをいたします。本日は、まことにありがとうございます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 岡本公述人、小澤公述人、木村公述人、村田公述人、山口公述人の順に、お一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えを願いたいと存じます。

 なお、念のため申し上げますが、御発言の際はその都度委員長の許可を受けることになっております。また、公述人は委員に対して質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 それでは、まず岡本公述人にお願いをいたしたいと思います。

岡本公述人 本委員会が私の意見を聞いてくださることを大変光栄に存じます。

 まず、平和安全法制のうち、集団的自衛権に関する議論について一言申し上げます。

 内閣法制局がつくりました一九七二年政府見解は、全ての集団的自衛権を、他国に加えられた武力攻撃を阻止する権利と定義しました。つまり、日本国土を直接守る個別的自衛権以外の武力行使は全てが他国を守るための行為であり、したがって、憲法違反だとしたわけです。

 しかし、このいささか荒っぽい区分けをもってしては、日本は、一九八〇年ごろから変容した国際情勢には対応できなくなりました。日本と日本人を守るための集団的自衛権というものの存在を認めなかったからであります。

 例えば、多数の日本船に外国船がまじった船団があります。それを海上自衛隊が守ることは、相手が国または国に準ずる組織であれば集団的自衛権の行使に当たりますが、この海上自衛隊の行動は、他国を守る行為なのでしょうか。

 本委員会やその他の場で、何人もの元法制局長官の方々が今回の平和安全法制は違憲であり撤回すべきと発言しておられますが、私は、むしろ、国際安全保障環境の変化を見れば、行政府の部局である法制局が直接的な国土防衛以外の行動は全て黒と判断してきたことが、果たして海外で日本人の生命と財産を守るために適切だったかどうかを考え直す時期だと思うのです。

 どのように国際環境は変化してきたのでしょうか。

 政府見解が出された一九七二年は、可能性の低い米ソの軍事衝突さえ起きなければ、日本人の生命や財産が海外で危険に脅かされる事態はほとんど考えなくてよい時代でした。

 しかし、その後、情勢は激変いたしました。北朝鮮の核・ミサイル開発や中国の膨張主義などももちろんありますが、日本にとっての生命線である中東、欧州方面からのシーレーンをめぐる情勢を考えただけでも、その変化は直ちにわかります。

 一九七九年にイラン革命が、そして一九八〇年からはその後九年間続くイラン・イラク戦争が始まり、それ以降、ペルシャ湾情勢は危険を伴うものに変化しました。湾内の民間船舶にイランのシルクワームミサイルが発射され、無数の浮遊機雷が設置されていた時期もありました。

 ホルムズ海峡を通ってインド洋に出れば、そこはアフガニスタンのタリバンが麻薬と武器を輸送するルートです。マラッカ海峡を通って日本に向かえば、その先には、中国海軍が支配しようとしている南シナ海が広がります。

 一方、欧州からスエズ運河、バブエルマンデブ海峡を経てアラビア海に出る日本の船舶は、ソマリア海賊が待ち受けるアラビア海を通ります。二〇〇〇年以降でもソマリア海賊の襲撃は一千回を超え、四千人を超える乗組員が人質にとられました。

 この膨大な海域で日本人の生命と船舶を守ることは、日本単独では無理です。日本の護衛艦は、一九九〇年代には六十隻ありましたが、予算上の理由で、現在は四十七隻にまで削減されております。このわずかな護衛艦で日本の二千六百隻の商船隊を守れるわけがありません。日本にとっての唯一の道は、各国の海軍と共同しての護衛であります。

 海賊からの商船隊護衛を考えれば、おわかりいただけると思います。自衛隊の護衛艦は、派遣以来、ことしの五月までに六百六十三隻の日本の民間船舶を護衛しましたが、同時に二千九百隻以上の外国船舶を護衛し、海賊の襲撃から守ってきているのであります。日本人にとっての誇りです。そして、他国の海軍も、同じように外国と日本の船舶を一緒に護衛しています。

 現在、海上自衛隊がやっていることは海賊対処法に基づく警察行動ではありますが、相手が国または国に準ずる組織に変われば、自衛隊の行動は集団的自衛権の行使に該当しますから、護衛任務から離れなければならなくなります。

 イスラム国と称するISILは、国に準ずる組織であると思います。彼らの勢いは減っていません。

 考えていただきたいのです。海上自衛隊が襲撃してきた海賊を撃退した後に、ISILが襲撃したときにはどうなるのか。現在の法制では、海上自衛隊は拱手傍観しなければなりません。どう考えてもおかしい。弱い海賊に対してすら護衛艦を出動させて警護しているのに、より強大な襲撃者があらわれれば、どうぞ御自由にと道をあけるのでしょうか。この法制に反対する人々がここのところをどう考えているのか、私には理解できません。

 国際護衛艦隊は仮定の議論ではありません。一九八七年、イランの攻撃から湾内の商船隊を守るための国際護衛艦隊が組織され、日本も参加を要請されましたが、政府見解に縛られる日本は、護衛対象の七割が日本関係船舶であったにもかかわらず、参加は集団的自衛権の行使に当たるとして断りました。その結果、アメリカ、イギリス、フランスなどの艦隊が日本船の護衛に当たりました。

 陸上においても、内戦やテロが激増しています。ISILが後藤健二さんと湯川遥菜さんを残虐に殺害した後、これから日本国民を場所を問わずに殺りくすると宣言したのは記憶に新しいところです。テロからの邦人保護については警察が対応すべきケースも多いと思いますが、自衛隊が日本人を保護しなければならない可能性も増していると思います。

 集団的自衛権の限定的容認には、日本の存立危機事態といういささか大仰な表紙がつけられておりますけれども、実際上は、集団的自衛権が行使される可能性が高いのは、海外での日本人の人命と財産を保護するケースだと思います。この意味で、立派な責任政党が、集団的自衛権は他国の戦争に参加することですとの誤ったキャンペーンを国民にしていることは残念であります。

 この法制は、日本の安全を守る上で最も重要な仕組みである日米安保体制を強くするものでもあります。

 日米安保体制は、日米両国の相互信頼の上に成り立っています。

 このようなことがありました。

 二〇〇一年の九・一一テロの際、全世界に展開する米軍にテロリストが攻撃をしかける可能性があるとの情報があり、横須賀の米第七艦隊も速やかに硫黄島海域へ退避することになりました。そのときに、アメリカ側から、交通量の多い東京湾を迅速に航行しなければならないので海上自衛隊が先導してくれないかとの要請がありました。

 根拠法規を持たない海上自衛隊は、苦肉の策として、当時の防衛庁設置法第五条の、所掌事務の遂行に必要な調査及び研究を行うことができるとの項目を援用し、米艦隊の退避行動を調査するという理由をつけて護衛艦を出動させました。それも日本の領海内だけでした。しかし、こうして第七艦隊を先導して東京湾を南下した日本の護衛艦の姿は繰り返しアメリカのテレビで放映され、アメリカ国民の大きな感動を呼んだのであります。

 自衛隊の現場は、このような苦労をしながら抑止力の維持を図ってきました。今回の法制のもとでは、自衛隊の護衛艦が堂々と米艦隊を護衛して、しかも領海の外まで伴走することが可能になります。

 再び本旨に戻ります。

 世界が助け合っているときに、日本が我関せずという態度をとり続けることは、すなわち、日本人の命と財産を守るリスクと負担はほかの国に押しつけるということを意味します。

 現在の世界では、宗教や民族や国家間の対立が先鋭化し、ISILのような暴力的な準国家組織が、主権国家の連合軍をもってしても制圧することができないほど勢力を伸ばしています。その中で、日本が一国で日本人の生命と財産を守り抜くことは不可能です。

 一九九四年、イエメンの内戦で九十六人の日本人観光客が孤立したとき、救ってくれたのはドイツ、フランス、イタリアの軍隊でした。二〇〇〇年からだけでも、総計二百三十八人の日本人が十一カ国の軍用機や艦船などで救出されてきました。

 一九八五年三月、イラン・イラク戦争でイランの首都のテヘランが危機になり、日本人二百十五人が孤立しましたが、日本の民間航空機は、危険だからとテヘランまで飛んでくれませんでした。それを救ってくれたのはトルコでした。トルコ政府は、テヘランに派遣した二機の救出機のうちの一機を日本人救出に当て、そのために乗れなくなってしまった何百人かのトルコ人は陸路で脱出させたのです。

 日本では報道されませんでしたが、二〇〇四年四月、日本の三十万トンタンカーのTAKASUZUがイラクのバスラ港沖で原油を積んでいた際に、自爆テロボートに襲われました。そのときに身を挺して守ってくれたのは、アメリカの三名の海軍軍人と沿岸警備隊員でした。彼らは日本のタンカーを守って死に、本国には幼い子供たちを抱えた家族が残されました。

 みんながみんなを守り合っているのです。

 先週、私はイラクにおりました。ISILとの戦いの前線から四十キロメートルのところに首都を持つクルド自治区を訪れて話をしました。クルドの人々は、私たちが多くの犠牲を出してISILと戦っているのは自分たちのためだけではない、世界の安全のためですと語っていました。

 著名な憲法学者の方が先般の本委員会で、平和安全法制が通れば、日本はイスラムグループの敵になり、現在キリスト教国だけで起きているテロが東京で起こることになると陳述しておられましたが、ISILのテロをキリスト教国家にだけ向けさせておけばいいという話ではありません。国際社会はお互いに助け合っていかなければ生存できないのです。

 あえて申し上げますが、安全保障や対外関係に携わる公務員にとって、リスクは不可避であります。だからこそ、多くの日本政府や援助関係機関の職員が命をかけて危険地域で活動してきているのです。

 別の著名な憲法学者の方が、外務官僚には全員自衛隊入隊を義務づけて危険地域を体験させよとマスコミで主張しておられます。そうすれば、自衛隊を危険地域に送る法律はつくらないだろうと。こうした現実を無視した意見によって反対論が主導されているのは、不幸なことだと思います。

 事実は逆であります。危険だから自衛隊は派遣できないというバグダッドでは、二十数名の外交官が大使館に住み込んで、必死でイラクの復興のためにきょうも走り回っております。既に二名の外務省員がとうとい命をテロリストに奪われましたが、彼らはひるむことなくバグダッドに踏みとどまり、今もその職務を全うしているのです。

 この関連で、法案審議とは関係ありませんが、一つ述べさせてください。

 バグダッドに置かれた各国大使館のうち、全ての主要国を含む二十四カ国の大使館には武官が駐在し、軍同士でしか行い得ない情報交換を活発に行っています。しかし、日本大使館には一名の武官も駐在していません。もちろん、防衛省や自衛隊員の腰が引けているためではありません。危険な地域には自衛官を派遣しないという、政治的につくり出された方針のためです。武官をバグダッドの日本大使館に常駐させることは、日本自身の安全に必要な情報を得るためにも必要なことです。実現に向けての御支援をお願いしたく存じます。

 最後に、もう一言だけ申し上げたいと思います。

 この平和安全法制の大きな意義は、外敵の暴力から身を守り合う仲間のコミュニティーに日本も参加すること、そして、そのために十分な訓練を受け、装備を有している自衛隊が、今日も危機の最前線で働いている公務員と協力して日本人の命と財産を守れるようにすることであると信じます。私は、自衛隊員がそのための強い使命感を持っていることを知っております。

 皆様の御判断は決定的に重要であります。我々は今、日本がこれまで各国の善意と犠牲の上に日本人の生命と財産を守ってもらい、それでよしとしてきたこの国のあり方を転換できるかどうかの歴史的な分岐点にいると思うからであります。

 ありがとうございました。(拍手)

浜田委員長 ありがとうございました。

 次に、小澤公述人にお願いいたします。

小澤公述人 本日は、お招きいただきましてありがとうございます。

 お手元に資料がありますので、それをごらんください。

 私は、東京慈恵会医科大学の小澤です。専門は憲法学です。

 本委員会に付託されている法案を違憲とする憲法学者の見解について、ある議員の方が、憲法学者は九条二項の字面に拘泥すると述べたという報道に接しました。しかし、字面はすなわち言葉であり、言葉は文化です。明確な言葉によって、そしてまた明晰な論理によって思想やルールを表現して、同時代の人々や後世に伝えるのが文明国、立憲国家の作法です。その作法に反する政治が行われようとするとき、その非を指摘するのは作法を学んでいる者の務めだと思います。

 そこで、法文の字面、文面にあえて拘泥して、法案についての意見を述べさせていただきます。

 憲法九条の解釈について。

 付託されている法案には、憲法九条との適合性という重要問題があるにもかかわらず、本委員会では憲法九条の解釈について余り正面から論じられていない印象を持ちます。

 私は、憲法九条の解釈としては、戦争放棄に関する本案の規定は、直接自衛権を否定しておりませんが、九条二項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものでありますという一九四六年六月二十六日の衆議院での吉田茂首相の言葉が、端的に正統なものと判断します。これによって、憲法九条のもとでは、個別的、集団的を問わず、自衛権の行使のためであっても戦争や武力の行使はできないという結論が導かれます。

 しかしながら、政府は、この解釈を、一九五四年の自衛隊創設に伴い変更しました。自衛のために必要相当な範囲の実力部隊を設けることは憲法に違反しないというものです。この自衛隊創設には、一九五二年の日米安保条約の前文で、日本の自国防衛の責任へのアメリカ側の期待が記されたということが大きく影響しています。

 その後は、この安保、自衛隊という既成事実の重みによって、一種の魔法にかかったような状態が続いています。私は、憲法学者の端くれとして、多くの先達が汗牛充棟さながらに唱えてきた、自衛隊は違憲という九条解釈論に学びながら、この魔法の呪縛を解き、憲法九条の本来の意義を究明することに微力ながら努めてきました。この間、国民の命と暮らしを守るのは憲法学者ではなく政治家だという声も聞こえましたが、これは、学者と政治家のそれぞれの役割の違いをわきまえずてんびんにかける、ミスリーディングな言葉だと思います。

 学者は、あくまでも学術の立場から社会や政治に対して意見を提出するものです。日本学術会議が作成した「科学者の行動規範」は、「科学者は、」「社会の様々な課題の解決と福祉の実現を図るために、政策立案・決定者に対して政策形成に有効な科学的助言の提供に努める。」「科学者は、公共の福祉に資することを目的として研究活動を行い、客観的で科学的な根拠に基づく公正な助言を行う。」と定めています。

 この間の憲法学者の違憲論、とりわけ砂川事件最高裁判決の読み方についての意見、また、多くの学者が示している法案に対する消極論、慎重論をそのようなものとして受けとめることを貴院には強く求めます。

 もちろん、憲法九条をどのように解釈するか、学界の中には多様な説があります。しかし、多様な説が併存する学界の中で、集団的自衛権は違憲という点において、なかんずく政府が長年維持してきた集団的自衛権違憲論を一片の閣議決定で覆すことに合理性、正当性がないという点について幅広い一致が見られることに、今回の法案審議において特段の重視をお願いしたいと思います。

 二、法案の違憲性等について。

 私も呼びかけ人の一人である六月三日発表の憲法研究者の声明が、これは資料を御参照ください、述べているように、今回の法案には幾つかの看過しがたい違憲性が含まれています。以下、法案の違憲性や問題点について私見を述べます。

 第一に、歯どめのない存立危機事態における集団的自衛権行使の問題です。

 自衛隊法と武力攻撃事態法の改正案は、存立危機事態における自衛隊による武力の行使を規定していますが、その中での我が国と密接な関係にある他国は、米国に限定されません。また、存立危機武力攻撃とはどのような武力攻撃のことなのか、何を基準にして他に適当な手段がなく、事態に対処するため武力の行使が必要と認めるかなど、曖昧です。そして、この攻撃を排除するために必要な自衛隊が実施する武力の行使がどの程度のものであれば、事態に応じ合理的に必要と判断される限度にとどまるかなど、使われている概念が極めて漠然としており、その範囲は不明確です。個別的自衛権行使を念頭に置いた今までの自衛権発動の三要件が曲がりなりにも有していた要件の明確性、限定性が、存立危機事態を含む自衛の措置の三要件になったことで失われてしまったと判断せざるを得ません。

 存立危機事態対処は、歯どめのない集団的自衛権行使につながりかねず、憲法九条に反するものであると考えます。

 なお、この存立危機事態対処が加わったからでしょう、自衛隊法三条一項の任務規定から、「直接侵略及び間接侵略に対し」という文言を削除しました。これでつじつまが合うとされたのでしょうが、これにより、何からどうやって我が国を防衛するかが不明となり、我が国の防衛が際限なく広がる危険を生じさせた、安易かつ不適切な改正だというふうに思います。

 さらに、武力攻撃事態法改正案の三条一項では、武力攻撃事態等及び存立危機事態への対処を、国、地方公共団体、指定公共機関が相互に連携し、万全の措置を講ずるとしています。これは、存立危機事態での対処措置を国だけでなく地方自治体や指定公共機関にも行わせる可能性を排除しないことを意味し、重大な問題をはらんでいます。

 この公聴会は、国会法五十一条に基づき、真に利害関係を有する者または学識経験者から意見を聞く会ですが、指定公共機関は、この真に利害関係を有する者に該当するはずです。その意見を聞かずに法案を採決することは、丁寧な審議とは言えないと思います。

 (二)に行きます。

 重要影響事態法案における後方支援活動と国際平和支援法案における協力支援活動は、いずれも他国軍隊に対する自衛隊の支援活動ですが、これらは、活動地域について地理的限定がなく、現に戦闘行為が行われている現場以外どこでも行われ、従来の周辺事態法やテロ特措法、イラク特措法などでは禁じられていた弾薬の提供も可能にするなど、自衛隊が戦闘現場近くで外国の軍隊に緊密に協力して支援活動を行うことが想定されています。

 これは、もはや、外国の武力行使とは一体化しないといういわゆる一体化論がおよそ成立をしないことを意味するものであり、そこでの自衛隊の支援活動は武力行使に該当し、憲法九条一項に違反するものです。

 重要影響事態法案、国際平和支援法案とも、二条二項で、日本の支援活動は武力の行使に当たるものではないとしていますが、これは、後方支援、ロジスティックサポートは武力行使の一環という国際法、国際社会の常識に反しています。

 深刻なのは、このことにより、支援活動中に武力紛争の相手方に拘束された自衛隊員が捕虜としての扱いを受けないことです。これは、七月八日の本委員会での岸田外務大臣の答弁で確認されています。

 他方、他国の軍隊への支援活動を行う自衛隊は、相手側からすれば、敵対行為に直接参加する者として、文民としての保護を受けない可能性があります。いや、武器を持った文民などあり得ません。

 結局、自衛隊員は、軍人としても捕虜扱いされず、文民としての保護も受けない、勝手に敵対行為に参加している者という著しく不安定な法的地位に置かれます。これは、支援活動が武力行使ではないとしたことによる根本矛盾です。

 私は、九条の解釈として、自衛隊はこれに反する存在であると判断しますが、自衛隊員の生命や権利が軽んじられることがあってはならないと考えます。

 しかし、今回の法案は、武力行使はしない、他国の武力行使とは一体化しないという根拠に乏しい前提に立ちながら、自衛隊員に戦闘現場近くでの支援活動に従事させるものであり、結果として、自衛隊員が相手方に拘束された場合に、戦闘員でも文民でもないという不安定な地位に追いやられ、その生命と権利を著しく害する事態を引き起こしかねないという根本的な欠陥を抱え込んでいます。

 このような欠陥法案を成立させることは、政治の責任の放棄のそしりを免れないでしょう。自衛隊員の命と暮らしを守るのは政治家の務めではないでしょうか。

 また、国際平和支援法案の支援活動には、いわゆる例外なき国会事前承認が求められることになりましたが、この歯どめとしての実効性は、国会での審議時間の短さなどから大いに疑問です。

 他方、重要影響事態法案は、日本の平和と安全に重要な影響を与える事態という極めて曖昧な要件で、国連決議等の有無にかかわりなく米軍等への支援活動が可能となることから、国際法上違法な武力行使に加担する危険性をはらみ、かつ国会による事後承認も許されるという点で、大きな問題点があります。

 次に、自衛隊法改正案は、自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動に現に従事している米軍等の武器等防護のために自衛隊に武器の使用を認める規定を盛り込んでいます。

 自衛隊法の九十五条は、規定の仕方からして、もともと保管されている武器についての規定のはずです。それが、周辺事態法の制定を契機にして、活動中の武器等の防護にも使用可能な規定とされたことから問題が生じています。

 しかし、改正法案九十五条の二は、米軍等の武器等防護という全く性格の異なるものまで引き及ぼしています。この規定は、自衛隊が米軍等と警戒監視活動や軍事演習などで平時から事実上の同盟軍的な行動をとることを想定していると言わざるを得ません。一体いつから日本はオーストラリアと同盟関係に入ったんでしょうか。不可思議です。

 このような活動は、周辺諸国との軍事的緊張を高め、偶発的な武力紛争を誘発しかねません。そして、武器の使用といいながら武力の行使までエスカレートする危険をはらむものです。現に、本委員会での審議では、共同で警戒監視活動をしている米艦へのミサイル攻撃を自衛隊のイージス艦が迎撃する場合も、九十五条の二が適用され得ると政府答弁があります。これが認められるならば、集団的自衛権行使としての武力の行使との違いはほとんどないと言わざるを得ません。

 結局、改正法案九十五条の二の規定は、集団的自衛権行使の前倒しとしての意味を持ち、憲法九条に反するものです。領域をめぐる紛争や海洋の安全の確保は、本来、平和的な外交交渉や警察的活動で対応すべきものです。これこそが、憲法九条の平和主義の志向と合致するものであることを強調しておきます。

 以上述べたように、憲法上多くの問題点をはらむ二つの法案は、速やかに廃案にされるべきです。政府は、この法案の前提となっている昨年七月一日の閣議決定と日米ガイドラインを直ちに撤回すべきです。そして、憲法に基づく政治、立憲政治を担う国家機関としての最低限の責務として、貴院には、このような重大な問題をはらむ法案の拙速な審議と採決を断じて行わぬよう求めたいと思います。

 御清聴ありがとうございました。(拍手)

浜田委員長 ありがとうございました。

 次に、木村公述人にお願いいたします。

木村公述人 本日は、貴重な機会をいただきありがとうございます。

 今回の安保法制、特に集団的自衛権の行使容認部分と憲法との関係について、意見を述べさせていただきます。

 まず、結論から申しますと、日本国憲法のもとでは、日本への武力攻撃の着手がない段階での武力行使は違憲です。ですから、日本への武力攻撃の着手に至る前の武力行使は、たとえ国際法上、集団的自衛権の行使として正当化されるとしても、日本国憲法に違反します。

 政府が提案した存立危機事態条項が、仮に日本への武力攻撃の着手に至る前の武力行使を根拠づけるものだとすれば、明白に違憲です。

 さらに、今までのところ、政府が我が国の存立という言葉の明確な定義を示さないため、存立危機事態条項の内容は余りにも漠然、不明確なものになっています。したがって、存立危機事態条項は、憲法九条違反である以前に、そもそも、漠然、不明確ゆえに違憲の評価を受けるものと思われます。

 また、維新の党より提案された武力攻撃危機事態条項も、仮に日本への武力攻撃の着手がない段階での武力行使を根拠づけるものだとすれば、憲法に違反します。逆に、武力攻撃危機事態とは、外国軍隊への攻撃が同時に日本への武力攻撃の着手になる事態を意味すると解釈するのであれば、武力攻撃事態条項は合憲だと考えられます。

 以下、詳述いたします。

 まず、日本国憲法が、日本政府の武力行使をどう制限しているのかを説明いたします。

 憲法九条は、武力行使のための軍事組織、戦力の保有を禁じていますが、外国への武力行使は原則として違憲であると解釈されています。もっとも、例外を許容する明文の規定があれば、武力行使を合憲と解釈することは可能ですから、九条の例外を認める根拠が存在するのかどうかを検討する必要があります。

 従来の政府及び有力な憲法学説は、憲法十三条が自衛のための必要最小限度の武力行使の根拠となると考えてきました。憲法十三条は、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利は、国政の上で、最大の尊重を必要とすると定めており、政府に国内の安全を確保する義務を課しています。個別的自衛権の行使は、その義務を果たすためのもので、憲法九条の例外として許容されるという解釈も可能でしょう。

 他方、外国を防衛する義務を政府に課す規定は日本国憲法には存在しませんから、九条の例外を認めるわけにはいかず、集団的自衛権を行使することは憲法上許されないと結論されます。

 また、自衛のための必要最小限度を超える武力行使は、憲法九条とは別に、政府の越権行為としても違憲の評価を受けます。

 そもそも、国民主権の憲法のもとでは、政府は、憲法を通じて国民から負託された権限しか行使ができません。そして、日本国憲法には、政府に行政権と外交権を与える規定はあるものの、軍事権を与えた規定が存在しません。憲法学説は、このことを軍事権のカテゴリカルな消去と表現します。憲法が政府に軍事権を与えていない以上、日本政府が軍事権を行使すれば、越権行為であり、違憲です。

 では、政府と自衛隊は、どのような活動ができるのでしょうか。

 まず、行政権とは、自国の主権を用いた国内統治作用のうち、立法、司法を控除したものと定義されます。自衛のための必要最小限度の武力行使は、自国の主権を維持管理する行為なので、防衛行政として行政権に含まれるとの解釈も十分にあり得ます。

 また、外交とは、相互の主権を尊重して外国と関係を取り結ぶ作用をいいます。武力行使に至らない範囲での国連PKOへの協力は、外交協力の範囲として政府の権限に含まれると理解することも可能でしょう。

 これに対し、他国防衛のための武力行使は、日本の主権維持作用ではありませんから、防衛行政の一部とは説明ができず、また、相手国を実力で制圧する作用であり、外交協力とも言えません。

 したがいまして、集団的自衛権の行使として正当化される他国防衛のための武力行使は、軍事権の行使だと言わざるを得ず、越権行為としても憲法違反の評価を受けます。

 では、自衛のための必要最小限度の武力行使とは、どのような範囲の武力行使をいうのでしょうか。

 法的に見た場合、日本の防衛のための武力行使には、自衛目的の先制攻撃と個別的自衛権の行使の二種類があります。

 前者の自衛目的の先制攻撃は、日本への攻撃の具体的な危険、すなわち着手がない段階で、将来武力攻撃が生じる可能性を除去するために行われる武力行使をいいます。

 他方、後者の個別的自衛権の行使は、日本への武力攻撃の具体的な危険を除去するために国際法上の個別的自衛権で認められた武力行使をいいます。武力攻撃の具体的な危険を認定するには、攻撃国の武力攻撃への着手が必要であり、着手のない段階での攻撃は、必要最小限度の自衛の措置には含まれないはずです。

 先ほど見た憲法十三条は、国民の生命、自由、幸福追求の権利を保護していますが、それらの権利が侵害される具体的な危険がない段階、すなわち抽象的な危険しかない段階で、それを除去してもらう安心感を保障しているわけではありません。したがって、自衛目的の先制攻撃を憲法九条の例外として認めることはできません。

 自衛のための必要最小限度の武力行使と認められるのは、あくまで個別的自衛権の行使に限られるでしょう。

 これに対し、集団的自衛権が行使できる状況では、既に外国に武力攻撃があり、国際法上は他国防衛のための措置であり、先制攻撃ではないとの反論も想定されます。

 しかし、国際法上の適法、違法と日本国憲法上の合憲、違憲の判断は、独立に検討されるべきものです。

 外国への武力攻撃があったとしても、それが日本への武力攻撃と評価できないのであれば、仮に国際法上は集団的自衛権で正当化できるとしても、それは他国防衛として正当化できるにとどまり、憲法上の自衛の措置としては、違憲な先制攻撃と評価されます。

 また、政府は、最高裁砂川事件判決で、集団的自衛権の行使は合憲だと認められたかのような説明をすることもあります。しかし、この判決は、日本の自衛の措置として米軍駐留を認めることの合憲性を判断したものにすぎません。さらに、この判決は、自衛隊を編成して個別的自衛権を行使することの合憲性すら判断を留保しており、どう考えても集団的自衛権の合憲性を認めたものとは言えません。

 以上より、日本国憲法のもとで許容されるのは、日本への武力攻撃の着手があった段階でなされる自衛のための必要最小限度の武力行使に限られます。このため、集団的自衛権の行使は憲法違反になるとされてきたのです。

 ただし、日本と外国が同時に武力攻撃を受けている場合の反撃は、国際法的には、集団的自衛権でも個別的自衛権でも正当化できるでしょう。このため、同時攻撃の場合に武力行使をすることは憲法違反にはならないものと解釈できます。

 では、今回の法案の存立危機事態条項について、どう評価すべきでしょうか。

 皆さんも御存じのとおり、存立危機事態という概念は、今回初めて登場した概念ではありません。昭和四十七年の政府見解は、我が国の存立を全うするために必要な自衛の措置をとることは禁じていないとしており、存立危機事態での自衛の措置をとることを認めています。

 昨年七月一日の閣議決定も、外国への武力攻撃によって存立危機事態が生じたときには、昭和四十七年の政府見解とは矛盾せずに武力行使ができるという趣旨の議論を展開しています。形式論としてはそのとおりと言える面もあります。

 ただし、昭和四十七年見解は、存立危機事態を認定し、「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」と明言しています。つまり、我が国の存立が脅かされる事態だと認定できるのは、武力攻撃事態に限られると述べているのです。

 そもそも、近代国家は主権国家ですから、法学的には、我が国の存立が維持されているかどうかは、日本の主権が維持できているかどうかを基準に判断されるはずです。

 国家間の関係のうち、外交は相互の主権を尊重する作用、軍事は相手国の主権を制圧する活動ですから、国家の存立が脅かされる事態とは、軍事権が行使された状態、武力攻撃を受ける事態と定義せざるを得ないのです。そうすると、昭和四十七年見解と矛盾しない形で存立危機事態を認定できるのは、日本自身も武力攻撃を受けている場合に限られるでしょう。

 しかし、現在の政府答弁は、我が国の存立という概念について、ほとんど明確な定義を与えていません。また、存立危機事態は日本への武力攻撃がない事態だけでは認定ができないという、従来の説明を避け、石油の値段が上がったり、日米同盟が揺らいだりする場合には、日本が武力攻撃を受けていなくても存立危機事態を認定できるかのように答弁することもあります。

 我が国の存立という言葉を従来の政府見解から離れて解釈するのであれば、存立危機事態条項は、日本への武力攻撃の着手のない段階での武力行使を根拠づけるもので、明白に憲法違反です。

 以上の見解は、著名な憲法学者はもちろん、歴代内閣法制局長官ら、憲法解釈の専門的知識を持った法律家の大半が一致する見解であり、裁判所が同様の見解をとる可能性も高いと言えます。

 したがって、これまでの議論を前提にすると、存立危機事態条項の制定は、看過しがたい訴訟リスクを発生させます。この条項が日本の安全保障に必要不可欠であるのであれば、そのような法的安定性が著しく欠ける形で制定すべきではなく、憲法改正の手続は必須と思われます。

 また、そもそも、現在の政府答弁では、我が国の存立という言葉が余りにも曖昧模糊としております。明確な解釈指針を伴わない法文は、いかなる場合に武力行使を行えるかの基準を曖昧にするもので、憲法九条違反である以前に、そもそも、曖昧、不明確ゆえに違憲だと評価すべきでしょう。

 さらに、内容が不明確だということは、そもそも、今回の法案で、可能な武力行使の範囲に過不足がないかを政策的に判定することができないということを意味します。

 どんな場合に武力行使をするのかの基準が曖昧、不明確なままでは、国民は法案の適否を判断しようがありません。仮に法律が成立したとしても、国会が武力行使が法律にのっとってなされているか判断する基準を持たないことになります。これでは、政府の武力行使の判断を白紙で一任するようなもので、法の支配そのものの危機だと言えます。

 さて、日本への武力攻撃の着手がない段階で武力行使を認めることが憲法違反になるとの法理は、維新の党より提案のありました、いわゆる武力攻撃危機事態条項にもそのまま当てはまります。もし、維新の党のが、日本への武力攻撃の着手のない段階での武力行使を認める条項であるとの解釈を前提にしたものであるなら、憲法違反のそしりを免れないと思われます。

 したがって、武力攻撃危機事態条項について、これまで認めてこなかった個別的自衛権の拡張である、ないし集団的自衛権の行使容認であるといった説明を行うことは不適切と思われます。

 ただし、維新案における武力攻撃危機事態条項は、他国への攻撃が同時に日本への武力攻撃の着手になる場合に武力行使を認めたものと解釈することもでき、また、そう解釈する限りで合憲と言えます。

 もっとも、外国への攻撃が同時に日本への武力攻撃の着手になる事態であれば、現行法でも武力攻撃事態と認定ができるはずであり、個別的自衛権を行使することは可能です。この点は、一九七五年十月二十九日の衆議院予算委員会における宮沢喜一外務大臣答弁以降、何度か確認をされていることであります。

 したがって、維新の党の皆様より御提案のあった武力攻撃危機事態条項は、武力攻撃事態条項の内容の一部を確認する条項だということになるでしょう。このような従来の法理を確認する条項は、法内容を明確にするという点では意義があります。これまでにも、従来の政府解釈や最高裁の判例法理を明確に確認するために立法が行われた例は多くあります。

 逆に、維新案の内容を拒否した場合には、政府案が日本への武力攻撃の着手がない段階での武力行使を行う内容であることが明確になります。対案の提示は、政府の考え方を明確にする一助になるという点でも意義があるものと思われます。

 以上述べたように、集団的自衛権の行使は憲法違反となります。もちろん、集団的自衛権の行使が憲法違反であるということは、集団的自衛権の行使容認が政策的に不要であるということまでを意味するものではありません。

 集団的自衛権の行使容認が政策的に必要であるのなら、憲法改正の手続を踏み、国民の支持を得ればよいだけです。仮に改憲手続が成立しないのであれば、国民が、改憲を提案した政治家、国際政治、外交、安全保障の専門家、改憲派の市民の主張を説得力がないと判断したというだけです。

 先ほど強調しましたように、国家は、国民により負託された権限しか行使ができません。軍事権を日本国政府に付与するか否かは、主権者である国民が憲法を通じて決めることです。憲法改正が実現できないということは、それを国民が望んでいないということでしょう。

 憲法を無視した政策論は、国民を無視した政策論であるということを自覚しなければならないと思います。

 以上、終わります。(拍手)

浜田委員長 ありがとうございました。

 次に、村田公述人にお願いいたします。

村田公述人 貴重な発言の機会を頂戴いたしましたことに感謝申し上げます。

 私は、法律学者ではございませんで、国際政治学者でございますので、国際政治学者としての個人の見解を申し述べたいと思います。

 まず、今般、政府がこのような安全保障に関する法案を御提出になっている背景として、国際情勢の急速な変化というものがあるだろうと思います。それは、グローバルにも、そして日本を取り巻くこの東アジア太平洋地域、リージョナルな面でも起こっていることだろうというふうに思います。

 中国が経済的に急速に力をつけ、この分でいけば、恐らく二〇二四、五年には、たとえ一時的にせよ、GDPの規模でアメリカを抜くのではないかとすら見られておりますけれども、そうした大きな経済力を軍事力やさらには外交的な影響力に転化もしようとしている。

 そうした中で、アメリカの圧倒的な優位が完全に崩れたわけではありませんけれども、旧来に比べればアメリカの影響力というものが後退しつつあり、そして我が国は経済的に相対的に地位を下げ、そして少子高齢化に直面をしている、こうした主要国の力の変化。

 さらには、安全保障のボーダーレス化の進行というものがあると思います。とりわけ、サイバー空間や海、空、宇宙といったグローバルコモンズでの安全保障環境のボーダーレス化というのが一層進んでいるということだと思います。

 こうした中で、日本とアメリカは、この二つの市民社会が共有する価値観の幅が最も広いということ、そして、どのような国際環境が自国にとって望ましいかという国際環境についての認識、目標についても、全く同じではないけれども、共有の度合いが非常に高い国である。そうした中で日米同盟の強化に当たるということは、極めて理にかなったことではないかというふうに思います。

 最近、日本と中国あるいは日本と韓国との関係でも改善の兆しが見えてきておりますけれども、この背景にもやはり日米同盟の強化というものが効果を及ぼしていると考えるべきではなかろうかと思います。

 これまでの安全保障をめぐる法案での議論では、法律の議論についていろいろと議論が闘わされておりますけれども、そもそも、政治がこの非常に流動的で大きく変わりつつある国際情勢についてどう認識しているのかという、国際情勢についての大きな議論がやや不足をしているのではないか、その点について、与野党がしっかりと国際情勢認識について御議論をいただくということが大切な前提ではなかろうかというふうに思います。

 もちろん、憲法の精神を守らなければならないことは言うまでもないわけであります。我が国が国際社会の責任ある一員であり続けるということ、そして軍事力は国力の重要なコンポーネントの一つでありますけれども、我が国は、もしその必要があるときにも、軍事力の行使については極めて抑制的にそれを行使するという、その大原則といいますか、方針にかなったものでなければならないことは言うまでもありません。

 憲法学者の中には今回の法案について憲法違反であるというお考えの方が多いというふうに承っております。

 冒頭申し上げましたように、私は、法律学者ではございませんで、国際政治学者でございますので、憲法学者の御専門の知見には十分敬意を表しながら、あえて申し上げますけれども、今般の法案は、もちろん憲法上の問題を含んでおりますけれども、同時に安全保障上の問題でございます。もし、今回の法案についての意見を憲法の専門家の方々の学界だけではなくて安全保障の専門家から成る学界で同じような意見を問われれば、多くの安全保障専門家は、今回の法案にかなり肯定的な回答をするのではなかろうか。学者は憲法学者だけではないということでございます。

 さらに、今回の法案の中に含まれている存立危機事態でありますとかあるいは重要影響事態というのは、確かに、概念としてなかなか理解しにくい、そして曖昧な部分を含んでいることは否めないであろうと思います。ただ、これらの事態のかなりの部分は、幸いにして、いまだまだ起こっていない事態についての想定であるということです。

 したがいまして、仮想の事態の想定について、全てを一〇〇%明確に定義し、曖昧性を払拭しなければ法律として成り立たないということは、非常にこれは難しいのではないかと思います。

 今回の法案は、既にあるさまざまな安全保障上の法律の間隙を詰めていって、そしてそれをシェープアップしようとするものでありますけれども、例えば、既存の周辺事態法における周辺事態という概念にもやはりある種の曖昧性が伴っていることは、これは否定できないわけであります。

 それは、日本の法律の概念が曖昧であるというよりも、そもそも、国際情勢そのものが流動的で、不明確で、曖昧模糊としている部分をかなりの程度含んでいるからであります。そして、その国際情勢の変化の速度が科学技術の向上と相まって一層大きく速くなっているということであります。そうした中で、国際情勢を曖昧、不明確であるとして国際情勢を憲法違反であると断定したところで、国際情勢そのものは変わらないわけであります。

 それから、侵略と防衛についても、二点だけ御指摘申し上げたいと思いますけれども、侵略について明確なコンセンサス、定義があるわけではありません。しかしながら、一方で、例えばさきの大戦で我が国がアジアにおいて行った多くの行為がかなりの部分において侵略と言われても仕方がない側面を持っていることは、否定をできないのであろうと思います。

 明確に定義できないということと何が侵略であるかが個別に判断できないということは、別だと思います。ですから、さきの大戦で我が国がアジアにおいて行った行為のかなりの部分についてまでその侵略性を否定するというような議論が流布すれば、戦後日本が自衛隊という実力組織をもって自衛に徹してきたという戦後の正当性が損なわれるであろう。ですから、明確に一〇〇%定義できないからといって、個別の事柄について侵略かどうかが判断できないわけではないというふうに思います。

 他方で、先ほど来申し上げているような国際情勢の流動化や、あるいは科学技術の進歩に伴って、全ての事柄について明確に防衛と侵略の一線を必ず引けるかというと、それは非常に難しくなっているのが現実だと思います。そういう二つの極端な議論を排したところで安全保障は考えていかなければならないだろうと思います。

 中には、今回のような法案が通れば、自衛隊が地球の裏側まで行って戦争するというような議論もあるようでありますけれども、そもそも自衛隊にはそのような能力が多分に欠けているだろうというふうに思います。また、自衛隊がそのような行為をとるときには、政府の政策判断というものがあるわけですし、さらには国会での御議論や承認というものがあるわけであります。

 秘密保護法等の関係で国会で十分な判断ができないという御意見もあるようでありますけれども、もしそうであれば、国権の最高機関である国会がそれを乗り越える措置をとられればいいことであろうというふうに思います。

 さらに、仮に、今政府が御提案になっている法案が国会で認められて、成立をしたとしても、これで終わりではなくて、むしろこれは始まりであろうということであります。法律ができた後も、その運用をめぐって、さまざまな形で、国会だけではなくて、民間で不断のオープンな議論を続けていく必要があるだろうと思います。

 今オープンと申しましたけれども、一つには、この法案に対してもちろん否定的な御意見の専門家の方々や一般の方々もたくさんいらっしゃると承知しておりますけれども、しかし、だからといって、この法案を戦争法案だというような表現で議論をするところからは安全保障についての理解の深まりというものは得られないだろうというふうに思います。

 他方で、しかし、自分と見解が異なる人たちを売国的であるというようなレッテルを張って批判するという議論からも深まりは生まれないのであって、こういう二つの議論は、共通の土壌、つまり不寛容の精神から生じている。そういう不寛容の精神を我々は乗り越えていかなければならないだろうと思います。

 また、もう一つ申し上げたいことは、今回の法案につきまして、地方の議会などからも御懸念の声が上がっているやに報道で承っておりますけれども、安全保障や外交の問題は東京だけの問題ではございません。日本全体で、深く、そして常に議論されなければならない問題でございます。

 そういう意味では、安全保障の問題を地方でもしっかりと議論できるような環境を整備していかなければならない。外交、安全保障は首都だけの問題ではないわけでございます。きょうの公述人でも、首都圏以外から出てきているのは私だけでございますけれども、地方でも安全保障の問題を正面から深く議論できるような工夫というものをぜひ考えていかなければならないだろうというふうに存じます。

 最後に、四月から五月にかけて安倍総理が訪米をされましたけれども、その際に、アメリカの連邦議会で総理が演説されたときに、日米同盟を希望の同盟というふうに呼ばれました。私はこれは大変魅力的な表現だというふうに思いますけれども、日米同盟が希望の同盟であるというのはどういうことなのかということであります。

 もっと言うならば、希望とは何かということでございますけれども、希望は単なる欲望ではありません。欲望は個人の利益の追求でありますけれども、希望は欲望ではありません。希望には公共性というものがなければなりません。そして、希望は単なる願望ではありません。願望は現実可能性を無視してもよろしいですけれども、希望には実現可能性が伴っていかなければなりません。そして、希望は単なる待望ではありません。待望は待っていればよろしいのですけれども、希望には主体性、能動性というものが求められます。

 そういう意味で、日米同盟が今後、二十一世紀を支える国際公共財として、希望の同盟として機能するためには、そうした公共性と実現可能性、そして当事者意識、主体性というものが必要であろうと思います。

 さらに、仮に今回の法案が成立をしたとしても、例えば、日米の同盟関係では沖縄という非常に大きな難しい問題を抱えているわけであって、ここでやはり前進が見られなければ日米同盟の強化というのは図れないわけでございますから、この法案の国会での議論だけで完結するのではなくて、引き続きさまざまな観点から、安全保障について、その公共性と実現可能性と主体性について議論できる場を持っていくということが非常に大切であろうというふうに思います。

 以上でございます。(拍手)

浜田委員長 ありがとうございました。

 次に、山口公述人にお願いいたします。

山口公述人 法政大学の山口です。

 きょうは、このような機会をいただきまして、大変感謝しております。

 私は、政治学の観点から、戦後日本の安全保障政策の展開について、まずおさらいをしておきたいと思います。

 ことしは戦後七十年の年でありまして、日本の来し方行く末を考える重要な機会であります。したがって、安全保障法制をこの戦後日本の歩みの中に位置づけ、意味を考えてみたいと思います。

 戦後日本の国の形が大きく変化した契機は、一九六〇年のいわゆる安保騒動でありました。

 当時の岸信介首相は、憲法、特に九条を改正して、国軍を持つことを宿願としておりました。そのための第一歩として、安保条約の改定を図りました。これに対して、空前の規模の抗議活動が起こり、数十万の市民が国会や首相官邸を取り巻きました。当時の人々が新安保条約を理解していたかどうかはともかく、人々は、岸首相が体現する戦前回帰、戦後民主主義の否定という価値観に反発して、未曽有の運動を起こしました。安保条約自体は衆議院の可決により承認されましたが、岸首相は退陣を余儀なくされました。

 自民党は、この騒動から重要な教訓を学び取りました。憲法と戦後民主主義に対する国民の愛着は強いものであり、それを争点化することには大きなリスクが伴うという教訓であります。

 岸首相の後を襲った池田勇人首相は、憲法改正を事実上棚上げし、経済成長によって国民を統合する道を選択しました。この路線は、以後の自民党政権にも継承されました。

 安全保障政策においても、憲法九条を前提とし、これと自衛隊や日米安保条約を整合的に関係づける論理が構築されました。それが専守防衛という日本的平和国家路線でありました。憲法九条のもとで、日本は自国を守るためだけに必要最小限の自衛力を持つという原理が確立したわけであります。海外派兵はしない、集団的自衛権を行使しないという原則は、そこから必然的に導き出されるものであります。

 一九六〇年代以降の自民党政権は、この原理を定着させ、軍事力の行使について謙抑的な姿勢を貫きました。まさに、戦後レジームはほかならぬ自民党がつくり出した体制であり、そのもとで日本は平和と繁栄を享受したわけであります。

 今回の安全保障法制に関連して、日本が他国の戦争に巻き込まれるおそれがあるという議論があります。戦後日本が他国の戦争に巻き込まれずに済んだのはなぜでしょうか。それは、緊密な日米同盟のおかげではなく、日米安保条約のもと、日本が憲法九条により集団的自衛権の行使を禁止していたからでありました。

 この点は、一九六〇年代末のベトナム戦争への対応をめぐる日本と韓国の違いを見れば明らかであります。

 韓国は、米韓相互防衛条約のもと、アメリカにベトナムへの出兵を求められ、韓国軍はベトナムで殺し、殺されるという悲惨な経験をしました。

 集団的自衛権の行使を否定していた日本は、ベトナムへの派兵など全く考慮する必要もなかったわけであります。一九六〇年の安保闘争で、市民が岸政権を退陣に追い込み、憲法九条の改正を阻止したことで、日本は戦争に巻き込まれずに済んだのであります。

 このように、二十世紀後半に非常に大きな効果を発揮した日本的平和路線が二十一世紀にも有効かどうか、今問われております。

 確かに、この二十年間の国際環境の変化は大きいものがあります。中国の経済発展と軍事力の拡大、北朝鮮の核開発など、日本に隣接する地域での不安定性は増加しています。日本は、みずからの安全を確保するために、集団的自衛権の行使に転換する必要があるのでしょうか。私は違うと考えます。

 日本の領域を守ることは、基本的には個別的自衛権によって対処すべき課題であります。安倍首相御自身が、国民の理解を得るためと称して七月六日に行ったインターネット番組で使われた表現を検討することによって、この点を考えてみたいと思います。

 首相は、次のように述べました。

 一般の家庭でも戸締まりをしっかりしていれば泥棒や強盗が入らない。また、その地域や町内会でお互いに協力し合って、隣の家に泥棒が入ったのがわかったらすぐに警察に通報する、そういう助け合いがちゃんとできている町内は犯罪が少ない。これが抑止力なんですね。

 この点で、私は、珍しく安倍首相と意見が一致いたします。国を例に例えるなら、戸締まりをしっかりするのが自衛力の整備です。しかし、門の外まで出張っていって悪者退治に加わることは、自宅の安全に資する行為ではないと私は考えます。また、近隣の人々と協力し合うことは、地域の安全にとって極めて重要であります。日本が協力し合う近隣とは、もちろんアメリカを中心とするわけでしょうが、韓国や中国を抜きに町内会は構成できないはずであります。自衛力を整備しつつ、隣家との利害の違いは認識した上で、隣家との共存のために話し合いをすることこそ、自宅の安全を高める道ではないのでしょうか。

 安倍首相のインターネットでの演説は、集団的自衛権の行使の理由を説明するものではなく、全く逆に、専守防衛と地域的協力が必要な理由を説明するものでありました。私は、首相御自身に、御自身が何を実現したいのか、冷静に認識していただきたいと思います。

 安保法制を推進する政府・与党は、日本が集団的自衛権を行使することによって、日米の同盟関係が一層緊密化し、抑止力が高まると期待しています。しかし、これは希望的観測というものではないでしょうか。

 アメリカは、日米安全保障条約第五条が定めるとおり、自国の憲法上の規定及び手続に従って条約上の義務を果たすにとどまります。アメリカが大規模な軍事力の行使を行う際、アメリカの憲法により、議会の承認が必要とされています。

 アメリカが中国との武力紛争を望んでいないことは明らかであります。尖閣諸島の問題についても、アメリカは、日本の施政権の保有は支持していますが、領有権にはコミットしておりません。アメリカは常に、日中間の領土紛争は平和的に解決することを求めていることも忘れてはなりません。

 米中関係、それ自体が今決してうまくいっているわけではありませんが、両国は、戦争は何としても避けるという前提で、粘り強く対話しようとしています。それに引きかえ、日本が、中国との対話や相互理解はそっちのけで、自国が武力行使をする可能性を拡大すればより安全になると主張しているのは、政治的に稚拙ではないかと思います。

 次に、安全保障法制が抱える問題点について考えてみたいと思います。

 そもそもこの法案は、専守防衛を逸脱するものであり、憲法違反であると私も考えます。それに加えて、特に憂慮すべき点を指摘したいと思います。

 第一は、武力行使が可能となる状況の規定であります。

 法案では、存立危機事態、重要影響事態という新しい概念が提示され、それぞれにおいて日本が集団的自衛権を行使できるとされています。

 しかし、国会審議においても、二つの事態の意味が明確に定義されることはありませんでした。状況がどの事態に該当するかを判断する際の考慮事項は例示されましたが、実際の判断は政府が総合的に決めるという答弁しかありませんでした。

 これでは、存立危機事態も重要影響事態も武力行使を制約する縛りにはなり得ません。政府は、集団的自衛権の行使に当たって、非常に大きな裁量を手にすることになります。日本が他国の戦争に巻き込まれる危険性が高まるという批判は、この点を捉えています。

 また、自衛隊による後方支援活動について、それを行える場所と行えない場所の線引きはなくなりました。

 従来は、戦闘地域と非戦闘地域という一応の概念的区別が存在しました。この区別は、現場の指揮官が、他国軍隊の武力行使と一体化するおそれについてその都度判断することの困難を踏まえ、余裕を持って一律の判断ができるための配慮として設けられたものでありました。

 今回の法制で、現に戦闘が行われていない地域において、自衛隊は他国軍に対して後方支援が行えるとされています。自衛隊が行うと想定されている武器弾薬の提供や燃料の供給は、武力行使と一体の行為であります。この点で、後方支援活動は憲法違反であると私は考えます。

 第二は、余りに空想的な希望的観測の上に法制が構築されている点であります。

 重要影響事態における後方支援活動について、現に戦闘が始まったら撤収するから危険ではないと説明されていますが、これほど荒唐無稽な空論はありません。現に戦闘が行われていない地域であっても、いつ何どき本格的な戦闘が行われるかわかりません。

 古来、戦争において糧道を断つことは戦術の常識でありました。自衛隊が同盟軍に武器、燃料等の補給を行えば、相手方にとって自衛隊は敵軍であります。当然、補給を断つ攻撃をしかけてくることは明らかです。後方支援の本質は兵たんであります。後方支援だから危険ではないなどという言い分は、日本政府が国民に気休めを与えるための机上の空論であります。

 後方支援であれ、他国の武力行使に一体化することは、戦争への参加を意味します。このことは、自衛隊員の危険を高めます。また、日本国内に生活する国民の危険をも高めます。アメリカによるイラク戦争に参戦したイギリスとスペインで、大規模なテロが発生し、多くの市民が犠牲になったことを忘れてはなりません。私はもちろん、テロを正当化したいわけではありません。戦争に参加する以上、相手方からのさまざまな攻撃を受ける危険があるという現実を、包み隠さず自衛隊員と国民に告知することが指導者の責務だと言いたいのであります。

 さて、今回の安保法制の議論を契機に、日本政治の劣化と民主主義原理の侵食が明らかになっていると私は思います。

 まず、安倍首相は野党の質問に対して、自分は総理大臣だから正しいとか、合憲、安全だと確信していると答え、それ以上議論を深めようとしていません。中世のヨーロッパ人は、太陽が地球の周りを回っていると信じていました。確信の強さは、信じている事柄の正しさとは無関係であります。根拠と論理を示して説明することが為政者の義務でありますが、国会の審議は空洞化していると言わざるを得ません。

 また、自民党の高村副総裁は、三人の憲法学者が衆議院の憲法審査会で安保法制を違憲と断じたことに反発し、憲法学者は憲法の字面にこだわるとか、学者の言うとおりにして平和が守れるかと述べました。学者の端くれとして、これには断固として反論しておきたいと思います。

 そもそも、憲法学者が憲法の文言にこだわるのは当然であります。それは、数学者が一足す一は二であるという数式にこだわるのと同じであります。高村氏の発言は、政治権力は論理をねじ曲げることもあるという含意を持っていると私は解釈いたします。氏は、一足す一が為政者の意向次第で三にも四にもなるような独裁国家をつくりたいのかという疑問を私は抱くわけであります。

 ことしは、戦後七十年でありますが、天皇機関説事件から八十年でもあります。権力が学問を弾圧してから敗戦で国が滅びるまでわずか十年であったという事実を今ここで思い起こすべきであります。

 私は、学者の言うとおりにすれば国が平和になるなどとおごったことを言うつもりはありません。逆に、政治家の言うとおりにして国が愚かな戦争に突入した経験もあるわけであります。戦後日本を振り返れば、政治家と学者が異なった観点から議論をし、それらの議論が正反合の関係で日本的平和国家の路線をつくり出したという成功体験があることをかみしめるべきではないでしょうか。

 先般の自民党文化芸術懇話会における沖縄差別や報道機関統制の発言は、自民党という偉大な政権政党の変質を物語っていると私には思えました。あの会合で気勢を上げた政治家に共通するのは、実証性、客観性を無視して、自分の欲するように世界を解釈するという反知性主義の態度であります。あの事件が発覚した直後、政府・与党の首脳は、同懇話会に参加した政治家にも発言の自由があると擁護しました。したがって、同懇話会の反知性主義は局部的現象ではないと言わざるを得ません。

 国の安全を最後に担保するのは、冷静な状況認識と現実感覚を持った政治指導者であります。政治の世界に反知性主義が蔓延する現状において、安保法制が成立をし、日本が集団的自衛権を行使できるようになったら、日本の政府は日本の安全と国益を守るために冷静な判断を下すのだろうかという疑問を持ちます。武力行使の範囲が広がる一方で、政治家の現実主義的な判断能力が低下する。このギャップこそが、日本にとっての存立を脅かす事態だと私は憂慮しております。

 以上でございます。(拍手)

浜田委員長 ありがとうございました。

 以上で公述人の御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

浜田委員長 これより公述人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。今津寛君。

今津委員 自由民主党の今津寛であります。

 五人の公述人の皆様方が日本国を思ってそれぞれ御意見をいただきましたこと、心から感謝を申し上げたいと思います。しかも、きょうは、多種多彩、大変いろいろな御意見を伺ったことを大変うれしく思うところであります。

 最初に、我が国のあるべき姿、それと今回の平和安全法制との関係について、岡本公述人と村田公述人にお聞きをしたいと思います。

 日本国憲法の前文には、平和主義の象徴でありますが、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、」こういう言葉があります。しかし、私はいつも、常日ごろ思っていたんですが、自分の国を守るということ、安全保障、防衛を、他国を信頼してそして守っていくという考え方は、周りがしっかり日本の国のことを思って協力をしてくれる国だけならばいいんですけれども、そうでない現実に、この言葉は大変疑義を持っておりました。

 そして、同時に、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」あるいは「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、」と。要するに、日本国、自分だけが幸せになればいいのではない、他の国の人々にも、やはり幸せになるように、そういう努力をするということが我が国の憲法の前文に書いてあるわけであります。それが、今経済大国として世界で大きな地位を占める日本の大きな責務であると私は思います。

 ですから、日本国国民を守るという国家の責務と、大国として成長した日本国が世界の平和のために貢献をする、この二つの大きな役割を私は日本国が担っていると思うんです。

 ですから、安倍総理は、一国平和主義から積極的平和主義という言葉を使って国民の皆様方にこの言葉を投げかけ、そして御理解をいただくように努力をしております。また、もう何カ国行ったでしょうか、本当によく体がもつなと思うほど、ちょっと時間をつくっては外国へ行って、そして日本の立場というものを説明し、こうやって日本は国際貢献をするんだ、世界の中で役割を果たしていくんだ、こういう努力。私どもはその後ろ姿をずっと見てきたわけであります。

 そういう積極的平和主義とこのたびの平和安全法制の御提案、これを御両人はどのように受けとめておられるか、御意見を伺いたいと思います。

岡本公述人 ただいまおっしゃられた今津先生の御意見に、私も全く同感であります。

 積極的平和主義、これは日本として世界に誇るべき政策だと存じます。

 ただ、内情を見てみますと、かつては日本は世界最大の援助供与国でありましたが、九七年のピークに比べれば、今、当初予算ベースでいえば、それは半分ぐらいまで減ってきております。第一位だった日本の座は、アメリカに譲り、イギリスに譲り、フランスに譲り、ドイツに譲り、どんどんと後退してきております。

 一方、安全保障面では、日本は、今回の法案でまさに政府が提案されているようなことはできなかったわけであります。先ほど来の御議論にもございますけれども、これは、全て集団的自衛権はイコール他国を守るための権利であるというふうにしか見てこない、自国を守るための集団的自衛権というものを一切排除し、そしてそれを余りにも厳密に、厳格に運用してきたために、本来は日本自身がやるべきところまで外国におんぶしてきた。

 日本は経済協力も減ってきている、そして、今までの、日本自身を守ることすら外国に押しつけてきているという中では、やはり今先生が御指摘になったような、憲法が想定します日本の地位というのは守れないわけであります。

 日本人は世界じゅうで尊敬され、愛されております。しかし、政府が、外から見てわかりにくい、一体何を考えているんだと思われるこの大きな背景には、日本がその背骨の部分でどう考えているのかわからないというところがあると思います。

 今回の法制が通ったからといって全てができるようになるわけではありません。例えば、外国人を、危機に瀕したときに日本がかつてほかの国にやってもらったように救出に行く。それは、あくまでも日本人を救出に行ったときに余席がある場合にのみ限られるとか、さまざまな制約はございます。しかし、大きな一歩だと思います。これが、少しずつ、野党の皆さんもかつてからおっしゃっておられた普通の国家になっていく道筋だと考えます。

 以上です。

村田公述人 御質問ありがとうございます。

 今先生が御指摘になりました憲法の前文のくだり、国際社会の公正と信義に信頼してというところでございますが、かつて京都大学に高坂正堯先生という大変著名な国際政治学者がいらっしゃいましたけれども、高坂先生がかつて、この憲法前文の今御指摘のくだりを挙げられまして、自分は改憲論者ではないけれどもと断りをつけながら、このくだりはやはり少しおかしい、国際社会の公正と信義にちょっとだけ信頼しというふうに、ちょっとだけと入れるべきであるというふうに御指摘になったことがあります。これは高坂先生らしいユーモア感覚でもありますけれども、しかし、やはり物事の本質をついていると思います。

 つまり、一方で、国際社会は弱肉強食であって、公正も信義もないというような粗暴な議論に流されてはならない。国際連合が存在し、国際法があり、そして国際世論というものが存在し、国際規範というものが形づくられているわけです。そういう意味で、ある程度の公正と信義があることは、これは間違いないわけです。しかし、他方で、諸国民の公正と信義だけに信頼して一国の安全が全うできるかというと、それほど甘いものではない。そういう両者のバランスの中で我々は生きているのだということだろうと思います。

 先ほど来、例えば、重要影響事態であるとかあるいは存立危機事態であるとかいうのが概念として曖昧だという御指摘、それはごもっともなところがあるかと思いますけれども、しかし、日本の法案の中の概念の曖昧さを指摘しても、国際情勢そのものの曖昧さを我々が法律で変えることはできないわけであります。

 周辺事態法にもそういう側面があって、そういう意味では、今回の提出されている法案というのは、確かに重要で大きなステップだけれども、今までの日本の安全保障の法体系とかあるいは考え方を革命的に変えるようなものではないだろうというふうに考えております。

 それから、先ほど申し上げたように、仮にこの法案が成立をしても、その後不断の議論がなされるということが大事であって、そのことによって、例えば、存立危機事態であるとかあるいは重要影響事態について社会がどの程度受け入れるのか、どこを認めるのかという社会規範というものが積み重ねられていく、そういう作業が大変大事ではないかというふうに考えております。

今津委員 どうもありがとうございました。

 日本の周辺には軍事大国が三つありますよね。しかも、三国とも核ミサイルを持っていて、日本全土を射程の中に入れる、近代化を推し進めているところであります。詳しくは時間の関係で省きますが、これを脅威と言わないで何と言うのかというふうに思うわけであります。その脅威に対して、テロだとかサイバーとか宇宙とかもありますが、日本国だけで守ることができるのか、できないのかということ、これは非常に大きなことだと思うんです。

 恐らく、これは専門家の方々が積算をしたんですが、日本国だけで今の安全保障体制を維持するためには、四倍を超える我々の、皆様方の貴重な税金を使わなければならないという試算も出ているところであります。

 だから、日米同盟を基軸とした同盟関係をしっかりとして、そして、先ほど岡本さんが言ったように、みんなで守り合おう、そうやって自国を守る、そして同時に国際的な責任を果たしていくということが大切だと思いますが、日米同盟と今回の安全保障法制、これについて、お二人から、ごく簡単に御意見を聞きたいと思います。

岡本公述人 御指摘のとおり、この地域には世界じゅうの大きな兵力を有する国家が集まっております。世界トップファイブの兵力国のうち、三つまでがこの地域におります。そして、日本は、その中で、防衛費をGDPの対比でいえば世界で百番目以下という非常に低い負担で、しかも、どこの国からも侵略されるおそれをなしにこれまでやってきているわけであります。

 これは、私は、先ほどの山口公述人の意見とは異なります。日本が集団的自衛権を放棄したからではなくて、アメリカとの日米安保条約によって、米軍が、仮にも日本に侵略の動きを見せる国があれば、それに対してみずからの報復意思というものを示すということで保たれてきている平和でございます。

 そのアメリカとの関係、先ほども冒頭陳述で申し上げましたけれども、アメリカの第七艦隊の退避行動を日本が正面から警護して随走してやるということすらできないこの状況を今度の法制で正すことは、この日米安保関係を随分と、本来あるべき姿に戻すことになると信じます。

村田公述人 先生御指摘のように、冷戦のころには恐らく国際政治の中心、正面舞台はヨーロッパであったと思いますけれども、冷戦の終えんとともに、アジア太平洋地域が国際政治の大きな中心になってきた。中国、そしてロシアといった大国も存在する。

 そういう東アジア地域が国際政治の正面舞台になってきたときに、我が国にとって組み合わせとして残念なことは、その時期にまさに我が国の国力が低下しつつある、こういう組み合わせの中で今我々はこの安全保障環境をサバイバルしなければならないということです。ですから、今まで以上の知恵と努力が必要である。

 それから、私も日米同盟というものは維持、強化していかなければならないと思いますけれども、それは、しかし、国際政治のパワーバランスに反応するというだけではなくて、日米両国が市民社会の価値観の共有、そして、あるべき国際秩序についての目標の共有の度合いが最も高い国であるということもまた同時に大変重要なことではないかというふうに考えております。

今津委員 どうもありがとうございました。

 小澤公述人にお聞きをしたいと思います。

 先ほど、一九四六年の吉田内閣の見解、これを支持される、これが基本だということをおっしゃいましたね。

 ところが、私はそれを聞いていて感じたんですが、実は解釈というのは、その都度その都度、自由民主党に大きな責任があると思いますが、そのときの政局によって解釈が幾度も変わっているんですね。その吉田茂内閣においても、例えば警察予備隊が創設されるときに、日本を守る自衛権までも放棄をしていた四六年見解から変えまして、自分たちは国を守る権利というものを有しているんだということで、そのときの政局によって変わっているということはもちろん御存じだというふうに思います。

 ところで、先ほど公述人がおっしゃったんですが、自衛隊は違憲だとお考えになっていらっしゃるんですか。

小澤公述人 はい、考えております。

 それで、吉田内閣ではなくて、あれは吉田首相が、憲法制定過程において、憲法九条について質問されて示した解釈です。ですから、これは憲法制定におけるオリジナルな解釈だというふうに私は理解をしております。

 以上です。

今津委員 自衛隊を違憲だと言う方は、もう最近まれじゃないのかなという感じがしますが。現に今、災害のときにこれだけの活躍、あの東北の災害のときに、あるいは外国へ行って、インドネシアとか、国際貢献も、いろいろ大活躍されている自衛隊を、そのものの存在を違憲だと言い切って、そしていろいろと御意見をおっしゃるのは、私は説得力がないなというふうに思います。

 木村公述人にお尋ねをします。

 私は、自分の家内が何か危険なときになったときはどこへでも行きますよ。何でもやりますよ、私は自分の家内や家族のためなら。みんなそういうふうに思っていると思うんです。国もそうだと思うんですね。

 木村公述人の家が火事になる、そうすると隣の村田さんが火事を消しに来てくれる。ありがたいと思うのは当然ですよね。でも、村田さんの家が火事になったら、木村さん、やはり、ふだんお世話になっているし、おつき合いしているんだから、当然火事を消しに行きますよね。町内の方々がみんな集まって村田さんの火事を消しているときに、自分だけ家訓だからといって隣の家の火事を消しに行かないというのは、私は解せないと思うんですが、そこのところをちょっと御説明いただけないでしょうか。

木村公述人 火事と武力行使というものを同視する比喩が果たして成立しているのか私はよくわかりませんが、私が申し上げているのは現行憲法下ではそうなっているという議論であり、今御指摘いただいたことは、むしろ憲法審査会で問題提起していただくべきことではないかというふうに考えております。

今津委員 では、ちょっと視点を変えますね。

 存立危機事態というのは、また火事のことであれなんですけれども、また隣で火事になっていて、自分のところに火の粉が来る、うちも大変だ、焼けるぞ、そのときに初めて武力行使する。いや、隣は焼けているけれども俺のところは来ないぞというときは、存立危機事態にはなりませんから、これは手出しはしないということだと思うんですね。

 ですから、戦争に参加することでもないし、そして、この法律が、あたかも戦争に参加する、それから戦争法案である、それからアメリカに引きずられて何でもしなければならないというような一部のマスコミの方々がいらっしゃるんですが、木村さん、どういうふうに思いますでしょうか。

木村公述人 今御指摘いただいたことは、存立危機事態条項が、我が国への武力攻撃の明白な危険、つまり武力攻撃への着手がある場合に認定できる、それだけの条項だという解釈を前提にされているものであれば、従来の政府見解、すなわち昨年の七月一日の閣議決定以前の政府見解と武力行使が許される範囲は同じであり、もし先生がおっしゃったとおりの形で解釈されるのであれば、本規定はむしろ不要なのではないかというふうに思います。

今津委員 先生は、堂々と憲法改正をして、そして国民に信を問うべきだというお考えなのは十分承知ですが、私どもは、憲法が許容する範囲、九条の二項も含めて、許容する範囲内で、今の憲法下でどこまでできるかという、その最低限の今回の法の整備だというつもりで出しているわけであります。

 岡本公述人にお聞きをしたいと思うんですが……

浜田委員長 時間になってきております。

今津委員 ああ、もう時間になったので、では一言だけ。

 奥さんとか中田厚仁さん、日本国の名誉のために亡くなった方がいますよね。そういう人たちがいろいろと頑張ってこられた。そして、先ほどもお話がありましたけれども、自衛隊の人も、それは危険というものは十分に感じながらも国家のために寄与したいと思っている。危険なときに、一般の人は、危ない、一歩下がれ、しかし、ある自衛隊の幹部は、危険なときに、危ない、一歩前へ出ろ、これが自衛隊の精神だ、信じてくれ、こういうお手紙が私に来ましたが、それについて一言だけ感想をお願いしたいと思います。

浜田委員長 時間が来ておりますので、手短にお願いいたします。

岡本公述人 それでは、一言だけ申し上げます。

 中田厚仁さんとも、奥克彦さんとも、井ノ上正盛さんとも、私は話をしてきました。

 彼らが言っていたのは、特に中田さんが言ってきたことを一言だけ御披露いたします。私だってこんな危ないところへは来たくない、しかし、日本のためには、政府が出てきてくれないから私はこうやってここにいるんです、彼はそう言って目を輝かせておりました。

今津委員 どうもありがとうございました。

浜田委員長 次に、寺田学君。

寺田(学)委員 民主党の寺田です。

 五名の、先生方と呼ばせてください、先生の皆様には、本当に御多忙にもかかわらずこのような貴重なお話をいただきましたことを、まず一委員として御礼申し上げたいと思います。特に、山口先生、きょうお誕生日とお伺いしました。誕生日にもかかわらず来ていただきましたことを、本当に心から感謝申し上げたいと思います。

 二十分とちょっと質疑時間が限られていますので、私自身と若干違ったお考えをお話しされた先生方にも、ぜひともお伺いをしたいなと思います。

 岡本先生、いろいろ御教授いただきたいんですが、先ほど、冒頭のお話の中で、直接的な言及ではなかったですが、外交官として仕事をされていたときの実感も踏まえて、例えば、憲法学者の先生方の考え方であったり内閣法制局自体が下す考え方に対して、やはり現実との乖離というものに強く不信感を持たれている部分をお持ちなのかなというふうにお伺いをしました。

 私自身もその先生のお考えをしっかりと拝聴しながらも、私自身としては、憲法学者の先生方、そしてまた歴代の内閣法制局長官はそのような考え方に立って当然なのかな、それが役割なのかなというふうにも思います。むしろ、何かしら現実に近づけていこうとしなかった政治側の責任がやはり大きいのではないかなというふうに思っています。

 ですので、今回こういう法改正をする中において、政府が、本当に今自国を守るために必要な措置とは何なのかということをしっかりと説明し、国民を納得させるということが必要だと思いますし、それが憲法の範囲を超えるのであれば、正面から憲法改正を訴えて、今の政府が考える事態に対して必要な自衛の措置を整えるということが本筋なのかなというふうに私は思います。

 今の横畠長官自体がそのような歴代の内閣法制局長官と同じような考え方かというと、私は若干疑問を持つんですが、過去の長官の中にも、憲法解釈自体を変えること自体に関しては、全くだめだと言っている方だけではありませんでした。阪田内閣法制局長官、元長官ですが、しっかりと憲法の文言に一定程度縛られながら、立法事実を説明し国民を納得させるということがかなうのであれば、憲法解釈を変更する余地というのはあるのではないかというふうにお話をされていました。

 私自身としては、個別的自衛権と日米安全保障条約、この二つ、今まで守ってきたこの二つを十分に活用し、日本の自衛というものの範囲、日本を守ることはできると思っていますが、今回政府は、それでは今足らぬ、他国が攻撃されたことによって自国の存立が危うくなることが生まれたんだから、それに対応する自衛の措置を図らなければならないのだということで、法改正を出してきました。

 先ほどの阪田内閣法制局長官の話がありますが、では、どのような変化があったのだ、具体的にどのようなことが必要なのかということを政府に問いただしますと、数少ないですが事例を挙げられました。その事例がホルムズ海峡の機雷封鎖の話でした。

 政府自身が考える安全保障環境の変化があり、そしてまた、それに対抗しなければならない、自衛の措置を広げなければいけないということで集団的自衛権を認めるという立場に今回立っているんですが、ぜひ岡本先生に御教授いただきたいんですが、ホルムズ海峡が機雷によって封鎖されるという蓋然性、可能性というものは以前に比べて高くなっているのか、その外交的な環境も含めて御教授をいただきたいと思います。

岡本公述人 私は、ホルムズ海峡の機雷封鎖の蓋然性については、ここで申し上げるべき情報は持っておりません。蓋然性によって日本の安全保障政策を論じるというのは、私は慎重に行うべきだと思います。そうであれば、一体どこの国が日本を攻めてくるんだ、日米安保なんという必要があるのか、こういう議論に通じるわけであります。

 ただ、事実として御指摘したいのは、かつて浮遊機雷がペルシャ湾じゅうに散布されました。これは各国の商船隊の航行を妨げただけではなくて、積載していた燃料等がその国へ届くペースも落としました。

 日本はそれに対して機雷の除去の必要性を感じ、御承知のとおり、湾岸戦争の後に掃海艇を派遣しましたけれども、しかし、それよりも早く、一九八七年には、日本は、掃海艇を派遣できないからデッカ灯台を湾岸に設置する、そして、そのデッカ灯台、電波灯台でございますけれども、これによって、各国の掃海艇が正確に機雷掃海をすることができたわけであります。そのぐらい日本にとって機雷というのは重要な問題であります。

 ですから、ホルムズで機雷が、実際に封鎖されることはないじゃないかという政治情勢からの政策決定というのは、この際余り説得力を持たないと私は感じている次第でございます。

寺田(学)委員 御教授ありがとうございます。

 私自身問題意識を持っていることは、今回の憲法解釈の変更自体が正当性を持つかどうかということにおいては、政府みずからが、安全保障環境が変わったんだ、だから認められるのだというような主張をされて国民に訴えております。

 その具体的な事例は何でしょうかとお伺いすると、ホルムズ海峡が機雷封鎖された場合に、その機雷を除去しない限りにおいて日本国の存立は危ないのだというお話がありますので、今までは個別的自衛権と日米安全保障で結果的に守られてきたこの日本自体が、それを除去しない限り守られない環境になったのだということを、ぜひとも、政府の方々、そう思われるのであれば御証明いただきたいというか、国民の皆様に説得をいただきたいというのが、国会論議に臨む者の一人としての思いです。

 ぜひ、もう一人、国際関係にお詳しいということでしたので、村田先生にもお伺いをしたいんです。

 このホルムズ海峡が機雷封鎖される蓋然性というものは、以前に比べてどのような変化があるのか、教えていただければと思います。

村田公述人 私も岡本公述人と同じでございまして、ホルムズ海峡の機雷敷設の蓋然性について、ここで申し上げるような特段の知見を持っているわけではございません。

 ただ、あえて御質問に対して申し上げるならば、存立危機事態であるとか重要影響事態であるとか、そういったものについての対応の枠組みを整備することが、そのような事態がより起こりにくくなる抑止の効果を持つであろうことは間違いないであろうと思いますし、それから、国際情勢の変化が加速度的になっていることは間違いがないのであって、存立危機事態や重要影響事態がもう目前に顕在化するといったときから立法化の作業を進めるというのでは、余りにも遅いのではないかというふうに考えます。

寺田(学)委員 今回は大きな方向転換ではありますから、ぜひとも国民の皆さんも巻き込んで、今、世論調査だけを根拠にするつもりはありませんが、やはり国民の皆さんの理解、法案自体の理解とその必要性に対しての理解というものが十分とは言えない環境にあります。

 ですので、そこの部分は、蓋然性だけで考えてはいけないのだというような御主張も御主張だとは思いますが、国民の皆さんにしっかりと理解してもらうという意味においては、このような具体的な危機、安全保障環境の変化があるからこそ我が国としてはこのようなことが必要なのだというようなことをお伝えいただくのが一番かなということで御質問した次第です。

 もう一点、岡本先生にも御教授をいただきたいんですが、先ほど、冒頭のお話の中で、やはりこれも安全保障環境の変化ではありましたけれども、IS、ISILのことについての言及がありました。

 現在、政府としては、ISILと闘う各国に対する資金援助について積極的に行うという方針をとっておりますが、今回、この法改正がもし実現した後には、法理上自衛隊の活用は可能だというような御答弁を中谷大臣はされていました。

 この法改正後、先生の御専門の見地に立たれて、現在の政府の姿勢、資金援助という形ではありますが、それ以外の自衛隊による何かしらのIS対策に対する関与というものは必要なのかどうか、御見解を教えていただければと思います。

岡本公述人 国際安全保障環境の変化として、先生はホルムズの機雷封鎖の可能性を問題にしておられますが、私はむしろ、冒頭陳述で申し上げたように、むしろというか、それとあわせて、我が国にとっての生命線であるシーレーンの確保が危なくなってきているのではないか。

 これは、ソマリアの海賊だから警察行動で対処すればいいんだとほっておいた、ほっておいたというか、我々の法制の改革をしなかったところが、御指摘のISILが出てきたわけであります。

 ISILは、非常に凶悪、残忍かつ勢力も非常に強いところでございます。この間もイラクへ行きましたけれども、モスルから追い出すことはなかなかできないということをイラク国軍も、それからクルドの人たちも言っておりました。

 そういう中で、我々が気をつけなければいけないのは、ISILが中東全域の支配をもくろんでいることであります。北アフリカのボコ・ハラム、ソマリアのアルシャバブ、イエメンのAQAP、そういうところを傘下に置いて、より広い中東を支配しようとしている。そこに対して、日本が国際社会の一員として抵抗するのは当然であります。

 ただ、もちろん、日本はみずからの制約がございますから、私は、周辺諸国に資金援助をするということ、それから、万一ISILが日本を名指しして本当にあのおどしどおり攻撃をしかけてきたときには、しっかりと身を守る体制をつくって、そして彼らの意図をくじかせるということが最も大事だと思っております。

寺田(学)委員 大事な話ですので、もう一言お話しいただきたいんですが、そういうことであれば、現在の政府のISに対する方針というものはこのままで、今お話しされたのは、資金援助をするということと、日本が実際にテロによって攻撃をされた場合にはそれにしっかりと対応するということでございましたけれども、政府のISに対する方針というものは、法改正後も変わらぬで十分ではないかというようなお考えでよろしいでしょうか。

岡本公述人 私も、自衛隊が陸上でISILと戦闘するような場面は全く想定いたしません。

 一番大事なのは、やはりISILに参加する若者が後を絶たないことでありまして、その大きな理由が、彼らが職を持っていない、生活に不安を持っているからであります。日本の資金援助は、周辺諸国において就業機会を若者たちに与えるというところで、さらに増加していくべきだと考えております。

寺田(学)委員 ありがとうございます。

 山口先生にお伺いをしたいと思います。

 政治学を御専門とされて、今までの、戦後からの歴史を御教授いただきました。

 私自身、民主党ではあるんですが、保守本流という流れに対しては物すごい強いシンパシーを持っております。

 この委員会ではないんですが、外務委員会の方で、岸田外務大臣に、宏池会でもありますので、保守本流とは何ですかというような問いをしました。そのときに、るる、御自身で書かれた答弁だという話を周辺から聞きましたけれども、いわば、表現の自由を大事にし、大平内閣、池田内閣のキャッチフレーズが寛容と忍耐だ、特定のイデオロギーにとらわれることなく、コンセンサスを大事にするんだ、それが保守本流という人脈の流れであり、基本的な理念だという話をされて、非常に共鳴した部分があります。

 とかく今、保守、保守と言われますと、若干保守本流の考え方とは違ったものが保守と称される場合が多いような個人的な思いがありますけれども、先生の方からごらんになられて、保守というものの変遷をどのようにごらんになられているかということをぜひ御教授いただきたいと思います。

山口公述人 ありがとうございます。

 私も、今から戦後政治史を振り返ると、保守本流、特に六〇年代以降の自民党政権のとった方針というものは、まことに的確なものであったと評価したいと思います。やはり保守の中心には、多元性、それから権力の膨張に対する警戒心、こういうものがあったと思います。

 保守と右翼、右派は違うわけでありまして、やみくもに自国を誇り、自国を絶対化する、あるいは異論を持つ者に対して抑圧的になる、これは保守とは全く無縁の態度でありまして、その点で、やはり今の日本の政治には良質な保守というものが必要だというふうに思います。

寺田(学)委員 そういう意味で、この議論を進める中においてもさまざまな事件といいますか話題がありましたけれども、しっかりとその多様性を認めながら、そして権力に対してはすこぶる謙抑的に物事を考えながら、コンセンサスを大事にしていくというような政治がまさしく今のこのときには必要かなというふうに思います。

 もう一問ぐらい質問ができますので、村田先生の方にまたお伺いしたいんです。

 先生がきょう来られるということで、さまざま、過去の御発言されたことを勉強する意味で、お話を伺って、調べてきたんですが、昨年の閣議決定を経た後に、公明党さんのウエブなのか紙面なのかという形でインタビューを受けられていてお話をされていて、非常に勉強になりました。

 その中において、去年の閣議決定の段階ではあるんですが、専守防衛というものに関してはしっかりと前提として堅持されたということを御評価されているお話がありました。

 実際のところ、それから一年がたちまして法制化をされまして、法律が出てきて今回審議に臨んでいるんですが、私個人としては、専守防衛という考え方は、政府自身が自国を守る意味においては方向転換せざるを得ないと御判断されたのかなというふうに私自身は思っています。

 国際法上の中では、先制攻撃であったり侵略戦争は当然の前提として否定されていますから、その中において、専守防衛というもの、受動的な防衛方針が持つ個性というのはあったと思うんですが、今回いろいろ審議をしてみますと、当然、集団的自衛権ですから、我が国が攻撃されていない場合において、先月の議論ですか、我が国に対する攻撃の意思が全くない国に対しても、そしてまた我が国自身が攻撃をされるおそれが全くない場合においても、自国の存立を守るために他国に武力行使ができるというような御答弁がありました。

 ですので、私自身、専守防衛を守るのか守らないのか、それが憲法に違反するのか違反しないのかということは、またそれはそれで議論があると思いますが、昨年の閣議決定を経た後に先生がお話しされていた専守防衛が守られているということ自体が、この法案、そしてまた法案審議の中において、先ほど述べたことはありますけれども、どのような変質をたどっている、どのようにお感じになられているかということを先生からぜひとも御教授いただきたいと思います。

村田公述人 御指摘ありがとうございます。

 専守防衛ということについても、恐らく、かなりその概念に幅というものがあるんだろうというふうに思います。先生が御指摘になったように、もちろん他国に対する侵略行為などは認められないわけですけれども、非常に専守防衛を限定的に考える場合と広く捉える場合があるだろうというふうに思います。

 そういう意味では、専守防衛というのを議論されている中で、どういうレベルで専守防衛が議論されているのかということが、やや概念が、国会の議論の中でも、大きくなったり小さくなったり、伸縮している部分というのはあるのではないかと私自身は感じております。

 先ほどの自民党の先生の御質問の中で、例えで火事の話が出てきて、火事と集団的自衛権の問題を例えとして議論できるのかという法律学者のお答えもございましたけれども、先ほどの例えでいうならば、ここまでが村田の家で、ここから先が木村さんの家であるというような家の区分が、それほど家屋の場合のようにはっきりしないというのが今の安全保障環境であって、火がどこに燃えているのかというのが、ここが村田の家で、ここは隣家だというふうには区別できないようなところがどんどんどんどんふえている。

 そういった状況の中で、専守防衛というものも不断に考え直していく必要があるのではないかと思います。

寺田(学)委員 きょうは先生方のお話を聞く場ですので、何かちょっと更問いをするというのもあれなんですが、火事の場合における専守防衛というのはどういうことなんでしょうか。ちょっとわからなかったもので、御教授ください。

村田公述人 私の例えも適当でなかったかもしれませんけれども、家屋のように所有地が明確であって、ここからは村田のものである、ここに燃え移ったら消すけれども、そこから先は隣家であるから出ていかないというような明確な区分というものが、今の安全保障、特にサイバーなんかの場合は、どこからが日本のテリトリーであってどこからが他国のものなのか、民間なのかパブリックなものなのかというような区別が非常に曖昧なところで安全保障のせめぎ合いが行われているという趣旨で申し上げました。

寺田(学)委員 五人の先生方、本当にありがとうございました。

浜田委員長 次に、柿沢未途君。

柿沢委員 五人の公述人の先生方、ありがとうございました。

 あらかじめ申し上げますが、時間の余裕も十分ありませんので、もしかしたら小澤公述人また山口公述人には御質問をしない可能性がありますけれども、あらかじめ御了承をいただければと思います。

 皆さん報道等でも御承知かと思いますが、私たち維新の党は、今回の安保法制の政府案に対して、憲法適合性を確保し、かつ国民の自国防衛に対する不安に応える内容の独自案を策定いたしまして、今月八日に衆議院に提出、そして十日には政府案との並行審議がスタートしたところでございます。

 政府案の存立危機事態に基づく集団的自衛権の行使というのは、当初は、限定容認、こういうふれ込みだったわけですけれども、累次の国会答弁から、拡大解釈の余地が極めて大きいものであるということが明らかになっております。

 冷蔵庫が空になったら武力行使とか、サイバー攻撃でも武力行使とか、密接な関係国としてはこれは北朝鮮以外は排除をされないとか、ちっとも限定的でないわけです。時の政権の判断でどこまで広がるのか、国民も不安に思っていますし、また、ここが、憲法学者や元内閣法制局長官、これらの皆さんが政府案を違憲と判定している根本的な理由であるというふうに思います。

 これに対して、維新の党の独自案は、日米同盟を基軸として自国防衛を万全にする、そういう趣旨から、憲法適合性を確保しつつも、座して死を待つのを避けるために、条約に基づき日本防衛のために活動する外国の軍隊、まあ、米軍ですね、これが攻撃を受け、それにより日本への直接の武力攻撃が発生する明白な危険がある場合に限って、直接攻撃を受ける前に米軍との武力行使を含めた共同事態対処を認める、武力攻撃危機事態という概念を自衛隊法七十六条に規定しています。

 これは、二〇〇三年五月十六日の衆議院安保委員会における秋山内閣法制局長官の、我が国を防衛するために出動して公海上にある米国の軍艦に対する攻撃が、我が国に対する武力攻撃の端緒、着手として判断されることがあり得る、これをいわば条文として明定したものということができます。逆に言えば、だからこそ、小林節先生初め、阪田元内閣法制局長官、また伊藤真日弁連憲法対策副委員長、これらの皆様方に、憲法の範囲内、合憲という判定をいただけたものと思っております。

 この武力攻撃危機事態について、先ほど、着手というふうに認められる場合において武力行使を認めるという内容であるのかどうかということがポイントになってくるということを木村公述人は御指摘されていたと思いますけれども、今、私自身が申し上げた武力攻撃危機事態、維新の党独自案の定義というものをお聞きになられた上で、政府案と対比をしてどのように評価をされるか、政府案の評価も含めてコメントをいただければと思います。

木村公述人 御質問ありがとうございます。

 まず、今委員より御指摘があったとおり、我が国への武力攻撃の着手がある事態であるというふうに明確に解釈ができるのであれば、この条項に基づいて出動した自衛隊が武力行使をすることも、憲法には反しないのであろうというふうに思われます。

 また、政府案については、今、当委員会では余り議論されていないというふうに私は思いますが、そもそも、集団的自衛権の行使には、被害を受けた被害国からの援助要請がないと集団的自衛権は行使できないというのが国際司法裁判所の判決であるはずです。

 もしも、存立危機事態が、我が国への武力攻撃を受けている事態ではなく、広がっているかどうかということを判断するためのここが重要なポイントになるかと思いますが、もし、この国際司法裁判所の判決を前提にいたしまして、かつ、集団的自衛権の行使がこの条項でできるというふうになりますと、我が国の存立の危機に、明白な危険があるにもかかわらず、他国の援助要請がない限りは対応ができないという奇妙な状態が生じるわけであります。存立危機事態の条項というものの意味は、これは、それ自体が、維新案と同じように日本への武力攻撃の着手がある場合というふうに解釈をできるのであれば、確かにそれで筋は通るのですが、そう解釈しない場合には、この文言の解釈が全く意味不明になるという奇妙な状況が生じます。

 したがって、閣議決定の内容の文言そのままこのように法律に書き込むことは、内容を曖昧化するものであり、より明確な定義が法案においては必要であるということは言うまでもないことであります。

柿沢委員 ありがとうございました。

 政府案の存立危機事態については、大森政輔元内閣法制局長官がコメントされておられますが、現実的にはほとんど制限的作用を果たさない、まやかしの要件を設定したにすぎない、また、歯どめもないも同様である、こういうふうに言われているわけです。

 この存立危機事態の拡大解釈の余地がどんどん広がりかねない、そして、その結果として、時の政権のフリーハンドに武力行使が任されてしまいかねない、この点についてはやはりきちっと歯どめをかけておく必要があるのではないかと思います。

 その一方で、私たちは、憲法を守って国滅ぶ、この類いを認めているわけでは決してありません。

 村田公述人にお伺いをいたしたいと思いますが、私は、日米同盟の基本的な守備範囲を考えると、やはり極東アジア、アジア太平洋、こういうところだというふうに思うんです。アメリカと日本が共同してこの地域の平和と安定を守り、ひいては日本そのものの平和を守っていく、これが日米同盟の基本的なコンセプトだというふうに思います。

 そういう意味で考えると、先ほど、武力攻撃危機事態、条約上の義務というか、条約に基づいて我が国の防衛のために活動しているアメリカ軍が我が国周辺の地域において武力の攻撃を受けて、そして、ひいてはそれが日本に対する直接の攻撃に波及する可能性が高い、明白な危険がある場合には、自国攻撃がなくても我が国防衛の問題として日米で共同の事態対処ができる。これは必要にして十分、こういう定義の仕方を、しかも外形的な要件をつけて、曖昧な拡大解釈の余地を塞いだ形で定義をした。自画自賛ですけれども、絶妙な文言だというふうに私は思っています。

 そして、先ほど自衛隊のキャパシティーについて言及がありました。

 そもそも、専守防衛のための実力しか今の時点で持ち合わせていない自衛隊が、その範囲を超えて海外派遣をされていくということは、これは一定の限界を持つことも当然のことでありまして、そういう意味では、現時点において、この規定の仕方によって、やれることはやる、やるべきことはやる、しかし、その範囲を大きく超えるようなことはできないようにしておく、この規定ぶりは妥当ではないかと自負をいたしております。

 その点について、ぜひ、どのように考えるか、村田公述人のコメントをいただきたいと思います。

村田公述人 御指名をいただきましてありがとうございます。

 確かに一つの整合性を持った考え方だと思いますし、私、先ほど申し上げましたように、自衛隊のキャパシティー、それからこれから恐らくますます苦しくなるであろう財政状況というものを考えたときに、自衛隊が世界の至るところでプロアクティブに活動できるというふうには想定はなかなかできないだろうというふうに思います。

 そういう意味で、基本的な認識はおおむね一致しているのですけれども、ただ、周辺という地理的な制約のことですね。

 おっしゃるように、自衛隊が例えば米軍と共同で活動するといった場合、それが主としてアジア太平洋地域になるであろう可能性はかなり高いだろうというふうに思いますけれども、ただ、あらかじめ周辺という地理的制約をつけることによって、今度は、では、どこまでが周辺なのかというような議論に陥っていって、必要なときに十分な対処ができないという事態は避けなければならないというふうに考えております。

柿沢委員 コメントありがとうございました。

 続いて、木村公述人にお伺いしたいと思いますが、ミサイル技術、軍事技術が発達をして、他国への武力攻撃が次の瞬間には自国への武力攻撃に転化し得る、そういう時代になっていて、その中で、他国攻撃を自国攻撃と同視して、座して死を待つのではなくて、自国への侵害の切迫した危険性を排除するということは、これは憲法が認めた自衛権の行使として許容されるべきものではないかと考えております。

 その意味で、従来の個別的自衛権、集団的自衛権の概念は、これは一定程度相対化して見るべき時代状況になっている。つまり、アメリカが攻撃を受けた場合、次は、在日米軍基地を有している日本本土に対するミサイル攻撃に瞬時に転化をする可能性がある。それならば、日本が座して死を待つ、これを回避するために必要な他国との共同の武力行使を含めた対処は、これは個別的自衛権、集団的自衛権の重なり合う範囲内として認められるべきではないかというのが、私たち維新の党の掲げる自衛権の再定義というもののコンセプトになっております。

 これは、江田憲司前代表がこの自衛権の再定義という考え方を、中谷東大教授の論文を基礎として主唱されているわけなんですけれども、現代の軍事またミサイル技術、こういうものの発達に鑑み、こうした個別的自衛権、集団的自衛権の重なり合う部分、自国防衛的な部分として自衛権の行使を認めていくという、この自衛権の再定義というコンセプトについて、お考えがあればお聞きをさせていただければと思います。

木村公述人 先ほど述べましたように、そもそも集団的自衛権は他国の援助要請がないと行使ができないものであり、そういう意味で、個別的自衛権と集団的自衛権は法学的にはなお区別できるものというふうに思われます。

 しかし、御指摘いただいたように、ミサイルというものについては、これはかなり早い段階で対処をしないと被害を防ぐことができないという状況にありますので、したがって、武力攻撃への着手の概念において、ミサイルについては、これはかなり早い段階で着手が認められるというような議論が、この衆議院の委員会でも行われているはずであります。

 したがいまして、重なっている部分であるから相対化するということではなくて、個別的自衛権と重なっているのであればそれは個別的自衛権であるというふうに説明をして共同対処をすれば十分であろうと思います。

柿沢委員 ありがとうございました。

 岡本公述人にお伺いいたします。

 七月十二日、きのうの毎日新聞に、「国際的行動 即応可能に 安保法制 私はこう考える」、こういう岡本公述人の論文が載っています。ここに、私たちの考えとかなり近いのかなと思えるような一文があります。

 安保法制についての政府の説明はわかりづらい。今まで違憲だったものが、急に合憲になった印象を与える。個別的自衛権をハト、集団的自衛権をカラスとしよう。いつまでたってもカラスはカラス。その他に別種のハトがいたことが、一九七二年に政府見解を出した時点では見落とされていた。政府はそれを正直に認めるべきだ。別種のハトとは何か。他国と一緒になって初めて使える個別的自衛権のことだ。

 今、自衛権の再定義というコンセプトで私がお話をさせていただいた、まさに自国防衛のためにも、他国に対する攻撃がまさに自国に対する攻撃の端緒、着手として、また、座して死を待つわけにはいかないわけですから、ある意味では、その被攻撃国との共同対処を可能とするという私たちの武力攻撃危機事態の考え方は、まさにこれと軌を一にするものというふうにも感じられますけれども、岡本公述人のお考えをちょっと詳しくお聞きできればと思います。

岡本公述人 私の考えを説明する機会を与えていただき、ありがとうございます。

 そのコラムは非常に小さいものでございますから、私が十分意を尽くして書くことはできませんでした。

 私の脳裏に強くありましたのは、冒頭陳述でも申し上げましたとおり、一九八七年に国際護衛艦隊がペルシャ湾内で組織された、私はあれには日本も参加すべきだと思いました、対象船舶の七割が日本関係船舶だったわけでございますから。

 そのときの根拠は何か。それは個別的自衛権しかないわけでございます。つまり、日本は、あそこに参加しても、日本の船舶しか守れないという格好ではあります。いわば、今の日米安保体制のようなもの、安保条約のようなものでございまして、日本の個別的自衛権とアメリカの集団的自衛権、この組み合わせで成り立っているのが日米安保条約であります。

 しかし、法制局は、そうしたところへの参加自体が集団的自衛権に当たるとしてこれを認めませんでした。ですから、私は、これは別種のハトであり、外へ出してやるべきではないかと思いました。

 しかし、この個別的自衛権でも対応できたんじゃないかというのはあの護衛艦隊に限ったことでありまして、例えば、それでは、武力攻撃を受けている米艦の防衛をそれでできるかというと、それは無理であります。それはやはり集団的自衛権が必要になります。

 私は、今回の政府のやろうとしていることは、国際法上広く認められた概念に基づいて、余りにもこれまで厳格に解釈し過ぎてきた我が国の憲法解釈をその国際的な整理に基づいて緩和するということであると考えておりまして、これは歓迎するところであります。

 なお、国際的には集団的自衛権が個別的自衛権の共同行使によって構成されているんだという学説もございますけれども、これは、集団的自衛権の本質というものを否定するものだとして今は受け入れられていないというふうに聞いております。

柿沢委員 ありがとうございました。

 国際司法裁判所のニカラグア判決というのがありますが、ここでは、まさに他国を防衛するのが集団的自衛権であって、自国を防衛するのが個別的自衛権。そして、ここにおいては、日本が攻撃されたか他国が攻撃されたかということは、これは区別をされていないんです。国際司法裁判所の有権解釈としては、他国が攻撃をされようが、結果的に自国に戦禍が及ぶ、犠牲が、あるいは武力攻撃が切迫した場合は、守るために自衛の措置を講ずるというのは、これは、いわば個別的自衛権の範囲というふうに言われるものではないかと思います。

 ニカラグア事件判決に当たって、集団的自衛権とは何か、まさに要件を言っておりまして、先ほどから木村公述人が言っているように、攻撃された国が、攻撃されたという宣言をすることと、それから、助けてくれ、こういう要請を行うこと、これを要件としているわけです。

 しかるに、これは集団的自衛権だと言いながら、政府案の武力行使の新三要件においても、被攻撃国からの要請というのは法律上の要件とはなっていないわけです。閣議決定を見ても、「国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。」と書いてあるだけで、これは、個別的自衛権と集団的自衛権がいわば重なり合うということを政府みずからが認めているというふうにしか読めないものになっていると私は思います。

 維新の党独自案を国際法違反だとか何だとか言い立てる人がいるわけですけれども、以上のような論拠に基づいて、私は、こうした批判は針小棒大な言いがかりに近いものだと思っています。

 国際法の専門家を本特別委員会に呼んで参考人質疑を行って、専門的見地から黒白を明らかにしたいと思いますので、ぜひ、委員長、理事会で御検討ください。

浜田委員長 理事会で検討させていただきます。

柿沢委員 その上で、今私が申し上げたことについてぜひ木村公述人にコメントをいただいて、時間も参りましたので終わりにさせていただきたいと思います。

木村公述人 ありがとうございます。

 今おっしゃっていただいたように、他国の援助要請というのが条文上どのように処理されるのかが明確になっていない点、これは極めて問題であります。また、存立危機事態の文言の理解が、きょうのお話を聞いていても、公述人の方々また自民党議員の方々でも解釈が統一されていないように感じますので、やはりこの文言は極めて曖昧であるように思います。

 したがって、このことは、やはり集団的自衛権の行使に限定をかけることは無理で、全てを認めるか認めないかということしか法制上はできないのではないかという現象を示しているかと思います。

 また、先生が御指摘のとおり、この委員会では、国際法学者の意見あるいは考え方を真剣に検討する機会が十分になかったというふうに思われますので、ぜひ、多くの国際法学者の意見を聞いていただきたいと思います。

 ありがとうございました。

柿沢委員 ありがとうございました。

 終わります。

浜田委員長 次に、岡本三成君。

岡本(三)委員 公明党の岡本三成です。

 きょうは、五人の先生方、大変貴重な御意見を拝聴させていただきました。ありがとうございました。

 まず初めに、村田先生にお伺いしたいと思います。

 私は、政治の果たすべき役割、責任というのは、日本の平和を維持して、そして国民の命を守る、この二点に集約されるというふうに思っております。

 先ほど先生御指摘いただいたとおり、冷戦終了後、日本を取り巻く安全保障の環境は劇的に変わっておりまして、新たなリスクも発生をしていることも事実であります。

 また、米国の防衛費の削減、これは大きなネックになっておりまして、現実問題として、この地域においても、また世界各地においても、アメリカのプレゼンスも縮小をしております。加えて、我が国も莫大な財政赤字を持っておりますので、防衛力の整備においても大きな制約が存在しているというこの事実の背景がございます。

 こうした中で日本を取り巻く環境がより厳しくなり、例えば北朝鮮のミサイルの開発、核兵器の脅威などなど、この地域のリスクが増していることはここにいらっしゃる議員の方、皆さんが共有していらっしゃるんだと思うんですね。

 その上で、今回の安保法制の目的、やはり何のためということが最も重要ですので、目的は、私たちは、日米安保の実効性を高めて、その結果安全保障における抑止力を高めること、それが一番の眼目だと思っておりまして、つまり戦争を未然に防ぐ法律、それが今回の本質だというふうに思っております。

 この点、村田先生、今回のこの法整備の必要性と、もしこの法整備が成立したときの効果についてどのようにお考えか、お聞かせいただければと思います。

    〔委員長退席、御法川委員長代理着席〕

村田公述人 ありがとうございます。

 先ほども申し上げましたように、そして先生も御指摘になりましたように、日本を取り巻く東アジアの安全保障環境も、またグローバルな国際情勢も、急速にそしてかなり大きく変わりつつある、そういう新たな環境に対応する必要が出てきているということが第一点でございます。

 とりわけ価値観を共有する日米の同盟関係を一層強化すること、そして、今御指摘にありましたように我が国も財政的に非常に厳しいわけですし、アメリカも、アジアへのリバランスという姿勢は示しておりますけれども、それを担保するだけの財政的裏づけというのはなかなか厳しいものになっている。そういう中で日米双方が一層緊密に効果的に協力をしていくということは大変大事なことであろうし、そのことによって抑止効果というものが生まれるだろうというふうにも考えております。

 また、日米の同盟関係が緊密であって強固なものであるということが、これも先ほど申し上げましたように、対アジアの外交においてもかなりポジティブに働いているという側面があるだろうというふうに考えております。

岡本(三)委員 ありがとうございます。

 引き続きもう一問、村田先生にお伺いしたいんです。

 野党の皆さんの一部には今回の安保法制は違憲だとおっしゃる方がいらっしゃいます。合憲か違憲かの判断のポイントは、先ほど来議論になっておりますように、自国防衛に限定されているか、加えまして専守防衛に徹しているかということだと思います。

 先ほど先生のお話の中でも、専守防衛というのもある程度幅のある解釈の中で運用していくことが重要だという御指摘もいただきましたけれども、これまで我が党は他国防衛を含むいわゆるフルセットの集団的自衛権の行使容認には強く反対をしてまいりましたし、今も反対をしております。他国防衛を目的とした場合に、やはりこれは憲法違反と言わざるを得ないからであります。

 その結果、今回の法案は、近年の安全保障リスクの増大に対処をした、先ほど申し上げた抑止力を高めるための自国防衛に限定をした、あくまでも我が国を守るための集団的自衛権のみを認めた法制になっております。昨年七月一日に閣議決定をいたしまして、実に二十五回、政府・与党の協議を行い、これまでの政府の憲法解釈の論理的整合性とまた法的安定性を堅持した法案になったというふうに自負をしております。

 とりわけ我が党の強い主張によりまして、自衛の措置の新三要件、加えまして自衛隊を海外に派遣する際の三原則を明確に法文化いたしまして歯どめをかけた法案になっているというふうに思います。

 この結果できた今回の法案ですので、これまでの、自国防衛に限定をする、また専守防衛との基本の方針はいささかも変わっておりませんので、よくちまたで言われているような他国の戦争に巻き込まれることはないし、加えてみずからが戦争ができる国になることもないというふうに考えていますけれども、先生、この点についてどのようにお考えか、御答弁いただければと思います。

村田公述人 今御指摘になりましたように、他国の戦争に巻き込まれるとか、それからみずから進んで戦争ができる国になるとかいうような御批判は、この法案についてさまざまな御批判があることは私も十分理解しておりますし、もちろん議論の余地がいろいろなところであるだろうというふうに思いますけれども、そのようなセンセーショナルなレッテルを張ってこの法案を批判するということは、安全保障の問題を国民が広く深く議論する上で資するものではないだろうというふうに考えております。集団的自衛権の行使に関して抑制的な立場に立とうとしておられる、そういう御努力というものも当然うかがえると思います。

 ただ、何といいますか、御質問の御趣旨にかなうかどうかはわかりませんけれども、個別的自衛権なのか集団的自衛権なのかという問題については、もちろん法律の上では議論できるわけですけれども、もしも不測の事態が起こったときに、これが個別的自衛権の行使であるか集団的自衛権なのか、飛んできたミサイルは個別的自衛権によるのか集団的自衛権によるのかということを実際の現場で区別することは極めて困難であって、今般の問題というのは、やはり憲法にかかわる問題であり、それは国会が御審議になっているんですからリーガルでなければならないのはもちろんのことでありますが、リーガリスティックになってはならないのであって、そのリーガルな枠組みと安全保障上の必要性との調整をどうとるかというのが政治の責任であろうというふうに考えます。

岡本(三)委員 ありがとうございます。

 先生おっしゃるとおりだと思います。事象がどうであれ、結果的にその事象が日本人の命に対してどのようなリスクをもたらすかで、日本人の命を危険にさらすようなことを排除することは自国防衛である、専守防衛であるというふうに理解をいたします。

 続きまして、岡本先生と、あと村田先生にも御教示をいただきたいことがございます。

 やはり、日本の平和を守るために最重要なことは、これは自衛力の強化だけではなくて、外交力の強化こそ最重要だというふうに考えております。

 日本人の命を守るといいましても、まず大前提として外交力の水準を上げ、そして、その外交力で対応できないときのために抑止力も強化をしていく、この抑止力が外交力の強化につながることもあると思います。その上で、この二つが万々が一、十分に機能しないときのために、万が一のときのためには自衛をできる体制をとっておくということが私たちがやるべき責任だと思っております。

 私たちはこれまで、とりわけアジア外交におきましては全力で取り組んでまいりました。これは、中国はもちろんのこと、その他のアジアの諸国とも信頼関係を含めて、仮にどのような問題が起きたとしても最終的には話し合いで解決をできるような信頼関係をつくるために、党を挙げて取り組んでまいりましたし、今後も取り組んでいく決意であります。

 一方で、アジア諸国での外交力を高めるためには、日米同盟が果たしている役割が重要であるということも実感をしております。日米がしっかりと連携をして、この地域で共同活動していることそれ自体が、アジアの平和と安定を進める上での外交力の源泉となってきたということを考えております。

 まず、岡本先生にお伺いしたいんですけれども、アジア地域における日本の外交の果たすべき役割と、日米同盟を強化することによってそれがどのように高められていくかということについて、所見を伺えればと思います。

    〔御法川委員長代理退席、委員長着席〕

岡本公述人 私としては、ただいま岡本先生がおっしゃられたことに余りつけ加えるところはございません。まさに御指摘のとおりであります。

 アジア諸国と話をしておりますと、やはり日本とアメリカが仲よくしてくれなければいけない、日本とアメリカが同盟関係を強固にしてくれないと自分たち自身の安全保障が揺らぐという言葉にしょっちゅう出くわします。

 日本は、先般も申し上げましたけれども、かつては援助大国でございました。これはぜひ、もとの水準に戻していくべきと思いますけれども、しかし、現在の中国のこれだけの軍事的な拡張というのが明らかになってきているときには、日米安保体制というのは、力で国境線さらには政治的な境界線を変えることには反対する、現状を、ステータスクオを維持するというところがその最大の眼目でございますから、現在の状況に不安を抱く特に東南アジア諸国にとっては、日米の同盟関係というのが必須の存在でございます。

 その上で、日本が、重要な隣国であります中国と韓国と歴史問題の克服を含めて一刻も早く関係を強化していくべきことは、当然でございます。

岡本(三)委員 ありがとうございます。

 村田先生、先ほどの公述の中で、総理がアメリカの議会で行われましたスピーチの内容を引用されまして、日米同盟は希望の同盟である、希望であるからには公共性、実現性、主体性が重要というふうに御指摘されています。先生は以前から、日米同盟はアジア太平洋地域の平和と安全にとって国際公共財であるというふうにおっしゃっていますけれども、同様に、アジアにおける日本外交の役割と日米同盟の重要性についてぜひ御答弁をいただければと思います。

村田公述人 ありがとうございます。

 日本外交にとって、対米外交かアジア外交かという二者択一はないであろうと思います。戦後の日本外交がうまくいった事例というのは、アジア外交がうまくいって、そして日米関係もよくなっているということであろうと思います。

 アジアとの関係を犠牲にして日米同盟を強化するとか、あるいはそのまた逆というようなパターンはうまくいかない。つまり、アジアで尊敬され、アジアで多くの友を持たない日本はアメリカにとって魅力的な同盟国ではありませんし、アメリカとの同盟関係が希薄な日本はアジアにとってそれほど貴重な存在でもないのであって、この両者をどうやって並行させていくかということが大事である。

 同様に、アメリカの外交を考える際にも、アメリカが対中重視ではないかとか、対日重視ではないかといった二者択一の議論がされるときが時としてございますけれども、アメリカの外交を対日重視か対中重視かというような二者択一に追い込んでしまえば、もうその段階でそれは日本外交の敗北である、そのようにさせないということが大変大事である。

 今般の法案も、この法案だけを単独で考えるのではなくて、日本がこれまで積み重ねてきたマルチの外交やアジアとの外交、そしてアメリカとの外交、そういったものを総合的に評価しながら、この法案の位置づけというものを考えていかなければならないだろうというふうに考えております。

岡本(三)委員 ありがとうございます。

 村田先生、もう一問だけお願いいたします。

 先週、民主、維新両党が領域警備法案を提出されました。この内容を一言で言えば、離島などでいわゆるグレーゾーン事態におきまして警察や海上保安庁とともに自衛隊も共同で防衛に当たることができるようにするというものですけれども、例えば、相手国が漁民を装って離島に上陸をして実効支配を試みようとするようなことに対して、現在は、一義的には警察権をもってこれに対処することになっています。しかし、今回のこの両党から出されました法案は、最初から自衛隊と共同対処することを可能にしている法案であります。

 私、懸念をしますのは、そうなると、相手国も同様の対抗措置をとるようなことが起こってしまって、軍隊が前面に出て、その結果、緊張を一層高めるおそれが発生してしまうんではないかということを懸念しております。

 したがって、こういう状況を回避するためには、現実的には、警察権をより強めていく。つまり、海上保安庁の人員と能力を強化いたしまして、そして、いざというときには迅速な手続で海上警備行動を発動して自衛隊が速やかに対応できるような運用の改善を図ることこそが現実的で、より重要だと考えていますけれども、先生、この領域警備法案について何か御意見があればお願いいたします。

村田公述人 ありがとうございます。

 まず、安全保障という非常に難しい問題で、今般、民主党と維新がこのような独自の案を出されたということは、国会での議論を活発化させ、さまざまな意見といいますか選択肢を国民に提示するという上で大変貴重なことであったというふうに思います。国会の議論はかくなければならないというふうに思います。

 その上でですけれども、具体的に申しますと、そして、政府がお出しになっている法案の中でいわゆるグレーゾーンの部分が弱いかなというところは、これも私もそういう懸念を持っております。ですから、民主や維新がそういう対案をお出しになったということは、歓迎すべきことだろうというふうに思います。

 ただ、具体的には、今、岡本先生がおっしゃいましたように、最初から自衛隊が対処することによるメリットとそれに伴うコストというものについては、やはり十分に考えていく必要があるだろうなというふうに思っております。

 先ほど来繰り返し申し上げておりますけれども、仮に今政府がお出しになっている法案が成立をしたとしても、これで終わりではないわけであって、この新しい立法の運用を見ながら、あるいはそのグレーゾーン部分について、民主党や維新が御指摘のような措置が必要であるということであれば、新たな立法を今後議論するというようなことも可能でありましょうし、大事なことは、さまざまな意見を出し合いながら、今国会を越えても、この安全保障の、国の大事にかかわる問題については議論し続けるという姿勢を政治が示すということが大変大事だろうというふうに思います。

岡本(三)委員 ありがとうございます。

 最後に、岡本先生に質問させてください。

 現在の国際情勢や日本を取り巻く安全保障の環境を考えたときに、仮にこの政府提出の法案が成立しなかった場合に、日本はどのようなリスクに直面する可能性があるというふうにお考えになるか、御答弁をいただければと思います。

岡本公述人 私、冒頭陳述でも申し上げましたとおり、この法案というのは、日本がみんなでみんなを守り合うという今の国際的なコミュニティーに参加できるかどうかという、その点が一番重要なわけでございます。

 したがいまして、成立しなければ、日本はそのコミュニティーには入らない。そして、各国が、日本がその法律を通さないのなら、もう日本人を救出する、守ってやるということはやめるというようなことはしないでしょうから、まあ守り続けてくれるでしょう。しかし、我々にとっての大きな安心感というのは得られないし、まさに憲法が想定しているような、それが日本の国際社会での名誉ある地位かということだと思います。有形無形の形で我々は国際的なリスクをしょわなければいけないと思います。

 それから、一言だけ申し上げれば、例えば湾岸戦争のときには、危険なことは一切やらないということで、結局、日本は百三十億ドルという巨費を出していわば勘弁してもらった。インド洋で海上自衛隊の補給艦が活動を行っていた、これも、政権がかわって、撤収いたしました。そのかわりに、日本は五千億円のお金を今度はアフガニスタン政府に出さなければいけなかった。あの給油活動自体は百億円以下で済んでいたわけでございますね。

 ですから、今度は財政的にも、安全保障で貢献できない部分を日本がお金で、税金で相当賄わなければいけないという事態が続くと思います。

岡本(三)委員 大変参考になりました。先生方、ありがとうございました。

 以上です。

浜田委員長 次に、赤嶺政賢君。

赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。

 きょうは、五人の公述人の先生方の大変専門的な知見、刺激的で、かつ、もっと議論したいなと思う場面もありましたが、当委員会での法案審査にかかわりまして、私自身がもっともっと深めていかなければならない問題点についてちょっと絞ってお伺いをしていきたいと思います。

 まず、小澤公述人にお聞きいたします。

 今回の安保法制は、日米新ガイドラインと一体で検討が進められてきました。ガイドラインの内容を見ますと、日米安保体制を文字どおりグローバルな軍事同盟に位置づけるものになっています。法案も、周辺事態法の地理的制約を取り払うとともに、これまでの時限立法にかえて、自衛隊海外派兵の恒久法を整備するものとなっています。

 現行安保条約の規定が全く変えられていないもとで実質的な改定が進められていることは非常に私は問題だと思っておりますが、公述人はこの点をどのようにお考えか、御意見をお伺いしたいと思います。

小澤公述人 御質問ありがとうございます。

 日本は法治国家です。そして、日米安保条約を結んでいるアメリカも法治国家のはずです。そうだとすれば、お互いの条約を結んだこと以上のことをやるには条約を改定しなければいけない、これが本筋ではないかと思います。

 もともと日米安保条約は、五条でもって、日本の施政のもとにおける地域における攻撃に対しては共同で対処する、そして六条では、極東の平和と安全のためにアメリカ軍は基地を使う、こういう枠組みで、日本が海外で武力行使を伴うようなそういう活動をすることをもともと想定していないはずであります。

 そういう安保条約を改定せずして、今回、ガイドラインを結び、そしてまた閣議決定に基づいて法案をつくったということは、これは従来の安保条約の枠組みからしても踏み越えている、そういう問題点があるというふうに私は思います。

赤嶺委員 関連しまして、小澤公述人に引き続き伺いますが、今回の安保法制について、ほとんどの憲法学者が憲法違反との見解を示しております。憲法九条のもとで集団的自衛権の行使が認められる余地はないということであります。

 その一方で、日本に対する武力攻撃が発生していないもとで、個別的自衛権の延長線上で海外での武力行使を一部認めていく考え方がありますが、この点についてはどのようにお考えになりますか。

小澤公述人 先ほど私は、自衛隊は違憲であるという私の憲法九条についての解釈を述べました。ただし、これは、目の前から自衛隊を全て抹殺できるなどという、そういう大それたことを考えているわけではなくて、憲法九条のもとで法理的に自衛隊は違憲の存在である、それを、現在自衛隊が存在しているという状況の中でどうやってそれに対処していくのかは、これは国民全体で一緒に考えるべき問題、こういうふうに思っております。

 そして、私のような自衛隊違憲論の憲法学者以外にも、自衛隊合憲の憲法学者はたくさんいらっしゃるとも思います。

 しかし、集団的自衛権行使については、この間の新聞報道でもありますように、多くの憲法学者がこれは違憲だというふうな意見を述べている、こういう状況にあります。

 さて、御質問の後半の部分でありますけれども、個別的自衛権の行使でもって海外での武力行使に及ぶ、こういうのは、行使の仕方によっては先制自衛に当たってしまうという危険性を含んでおります。それはケースにも多少よるかもしれませんけれども、そのような問題点を含むものとして、やはり海外に出ていって、そして武力行使を行うというのは、現に国連憲章が個別的自衛権と集団的自衛権というのをちゃんと分けて書いているわけですから、集団的自衛権の問題として捉えて、これを行使するかどうかを議論すべき、そういう問題ではないかというふうに思っております。

赤嶺委員 次に、安全保障環境の問題について、小澤公述人と、それから山口公述人にもお伺いをしたいと思います。

 政府は、安保法制を整備する必要性として、中国の海洋進出や軍事力の近代化、北朝鮮の核・ミサイル開発の危険性を挙げております。また、一国だけで日本を守ることはできないということも強調しています。そうしたもとで、日米が平時から有事まで切れ目のない体制をとることが必要だとし、憲法解釈の変更も許される、このように説明をしております。

 こうした政府の説明についてどのようにお考えか、小澤公述人、そして山口公述人の順序でお願いしたいと思います。

小澤公述人 まず、安全保障環境の変化が現実に起こっている、そのこと自体は私も、門外漢ではありますけれども、無視するつもりは毛頭ございません。

 ただし、そのことを理由にして、従来営々と築いてきた憲法、とりわけ九条についての解釈を百八十度変えるような、そういう解釈変更が果たしてできるのかどうかということが今問われているんだろうというふうに思っております。しかも、それを過去の政府解釈の文章の読みかえでもって行う。極めて最近になってその読みかえを行う。これでは、政府の憲法解釈の統一性、それによって担保されている法的安定性、これを著しく損なうことだというふうに考えざるを得ません。

 そういうふうに、安全保障環境の変化というのをごく最近になって持ち出す。しかも、この安全保障環境の変化というのはごく最近のことではなくて、この十年、二十年のことも含めて、この間るる指摘されているわけですから、それを今さら持ち出すというのは、これは取ってつけた解釈変更のための理屈ではないかというふうに思われてなりません。

 北朝鮮や中国の問題であれば、これは、ある意味では、従来の武力攻撃事態法と周辺事態法の枠組みの中でもっておさまることかもしれません。しかし、それを、武力攻撃事態法については存立危機事態を設ける、そして、周辺事態法は重要影響事態ということで地理的限定を外す、これは、理由とされている安全保障環境の変化と実際の法的手だてが余りにもちぐはぐではないか、このように考えております。

 以上です。

山口公述人 私は、今回の安保法制、集団的自衛権行使の本当の理由というか目的が非常に混乱していると思っております。

 一方では、安全保障環境が変わったから日米同盟を緊密化して対処していこうという理屈があるわけですが、安全保障環境、特に東アジア、中国あるいは朝鮮半島については、これは基本的にやはり個別的自衛権の話でありますし、その点については、もう、過去、周辺事態法等いろいろな法整備をしてきたわけでありまして、それでは足りないという証明が全くないということですね。

 同時に、積極的平和主義という名のもとに、直接日本とは関係ない紛争にも自衛隊がかかわって、武力行使を可能にしようという話が出てきておりますが、先ほど来いろいろ議論がありましたように、重要影響事態という概念はまことに曖昧模糊としておりまして、日本が、結局のところ、自国の安全とは関係ない問題にかかわっていって、従来の憲法九条の枠を踏み出すという危険が極めて大きいということで、そもそも日本の安全にとってなぜ集団的自衛権かという根本的な問いに全く答えられていないというところに不満を持っております。

赤嶺委員 ありがとうございました。

 それでは、木村公述人にお伺いをいたします。

 存立危機事態に関する御意見は、先ほどの公述で述べられました。

 もう一つの憲法上の論点である武力行使との一体化、これについてはどのようにお考えか、お尋ねしたいと思います。

 今回の安保法制は、従来の非戦闘地域の枠組みをなくし、戦闘が行われている現場でなければ米軍などへの兵たん支援を可能としております。弾薬の提供や戦闘作戦行動に発進準備中の航空機に対する支援も可能としています。この点をどのようにお考えになっていらっしゃるか。

 また、自衛隊法に新たに九十五条の二を設け、平時から自衛隊が米軍の艦船などを警護する任務につき、その艦船が攻撃を受ければ自衛隊が武器を使用することができるとしております。米軍等の武器等防護についても御意見を伺いたいと思いますが、いかがでしょうか。

木村公述人 ありがとうございます。

 まず、後方支援に関することでありますけれども、こちらの方は、一応、条文には武力行使と一体化しないことということはきちんと書いてあるわけでありますが、一方で、弾薬の提供や戦闘行動に発進する戦闘機への給油、これは常識で考えれば、やはり、日本自身が直接の武力行使をしていると言われても仕方のない事態でありまして、違憲の疑いが極めて強いというふうに考えております。

 また、自衛隊法九十五条の二の問題でありますけれども、こちらの方は、これは先ほども申し上げております原則論のとおり、それが日本への武力攻撃の着手であるというふうに認定できない状況で行うのであれば、やはり憲法に違反する疑いは極めて強い。したがって、その解釈は相当慎重に行わなければならず、また、そのような慎重な解釈が行われないのであれば、憲法違反の事態を基礎づけかねないものというふうに考えます。

 以上です。

赤嶺委員 ありがとうございました。

 引き続き、山口公述人と小澤公述人にお伺いをします。

 実は私は沖縄県の出身でありまして、この問題についてもいろいろ議論をしていきたいという気持ちは強いんですが、法的な整備が行われて、そして実態的に基地の問題やあるいは自衛隊の配備などは沖縄で具体化されていくことになります。

 今回の安保法制によって、沖縄の米軍基地や自衛隊基地は、日米一体の軍事拠点として将来にわたってより大きな役割を与えられていくのではないかと思います。日米安保をグローバルな軍事同盟に位置づけた日米新ガイドラインに沿って、沖縄の米軍基地は、いよいよ中東を含む世界を見据えた恒久的な基地に位置づけられていくのではないかと思います。先島諸島に配備される自衛隊も、ガイドラインに沿って、日米間の軍事協力の一環として運用されていくのだろうと思います。

 公述人は、今後、沖縄の米軍基地や自衛隊基地がどのように変わっていくと見ていらっしゃるか、御意見を伺いたいと思います。

山口公述人 今委員御指摘のように、今回の安保法制を契機に、日米安保条約を、日本を守るための体制からアメリカの世界戦略を支えるための体制につくりかえるという大きな転換が進む可能性があると私も考えております。

 もしそういう事態になれば、やはり沖縄の米軍基地は、まさにアメリカのグローバルな戦略を支える本当に重要な拠点になるわけでありまして、そのことが基地の恒久化、あるいは万一の際に外から攻撃を受けるリスクの増加といった問題につながっていくのではないかという憂慮は持っております。

小澤公述人 今、山口公述人がおっしゃられたことの法的な言いかえでありますけれども、まさに国際法は軍事目標主義を定めております。ですから、もし、武力紛争にかかわっているアメリカ軍があったとして、そのアメリカ軍の基地は当然にこれは軍事目標ということになりますので、日本の沖縄にあるアメリカ軍基地の攻撃される可能性、リスクというのは格段に高まる。それが単にアメリカだけではなくて、日本は今回の法案によれば、武力攻撃事態法やあるいは重要影響事態法によって日本自身もその戦闘参加にかかわっていく。

 重要影響事態法については、これは後方支援という名目ではありますけれども、先ほどの冒頭陳述でもお話ししましたように、兵たん支援として戦闘参加している、こういうふうな法的な位置づけを与えられる、日本はそうではないと言っても外からは与えられる、そういう仕組みになっていますので、重要影響事態法に基づく後方支援をしている日本自体も、すなわち、その重要な拠点であります沖縄も攻撃の対象になる、こういうふうになる危険が非常に高いと思います。

赤嶺委員 地上戦を体験した沖縄では、やはり沖縄が軍事標的になるという問題が歴史的な問題としていつも提起をされております。

 沖縄の難しい問題というお話もありましたが、今、日本の政治で大事なことは、沖縄の民意をどのように受けとめて、そしてやっていくかというところでありまして、そこで思考がストップしていては、安全保障とかいうような問題を語る資格はないのではないかとふだんから思っているところであります。

 そこで、山口公述人は、先ほどの公述の中で、日本の戦後史の中で憲法九条が果たしてきた役割について述べられました。その上で、九条の今日的意義についてどのようにお考えになるかについて、これは山口公述人と小澤公述人、お二人にお願いをしたいと思います。

山口公述人 先ほどは専ら、いわゆる保守本流が築いた日本の安全保障の枠組みを肯定的に評価する議論をしたんですが、一点補足をいたしますと、そのためのコストを沖縄に押しつけたことについては我々は大いにやはり反省をし、今後、沖縄の負担を軽減するために何をなすべきかということをきちんと議論しなきゃいけない。戦後政治史の中で、九条のもとで安保、自衛隊の運用がうまくいったということの成功だけに目を向けたんじゃいけないということは、この場で補足をさせていただきたいと思います。

 その上で、九条の意味なんですけれども、やはり武力によって紛争を解決するということは結局できないという真理を示した規範であると私は考えておりまして、それは、アメリカが起こしたイラク戦争等でも、武力の行使がかえって大きな災いを生み出しているという現実に照らして、明らかな真理だと思います。

 その意味で、やはり、この九条を持つ日本は、九条の理念をあくまでも堅持していかなければならない、その中で日本独自の役割を国際社会で果たしていくべきだというふうに考えます。

小澤公述人 私も、日本が今まで武力行使を海外でやってこなかったということは、憲法九条が今日まで一言一句変えられてこなかった、そのことが非常に大きいと思います。

 それはやはり、先ほど山口公述人がお話しになった六〇年安保の際にあっても、これは国民の中に大きな安保反対の声があり、そしてまた憲法学者の多くが、自衛隊違憲論、あるいは安保も違憲、こういう議論をやる中で、最終的に安保条約は改定されましたけれども、しかし、その結果として、安保条約には非常に大きな縛りがかかることになりました。

 日本にとっての個別的自衛権、アメリカにとっての集団的自衛権、こういうドッキングの条約である。日本はあくまでも行使できるのは個別的自衛権だけだという枠組みがあの安保条約を支えてきているわけです。その安保条約のもとであったからこそ、先ほど山口公述人が言われたように、日本は韓国のようにベトナム戦争に参戦するということもなかったわけであります。

 今、それをこの法案は変えようとしてしまっている。この法案をそのまま通せば、そこが、堤が切られてしまう、そういう問題であるということを私は強調しておきたいというふうに思います。

赤嶺委員 終わります。

浜田委員長 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、公述人各位に一言御挨拶申し上げます。

 公述人各位におかれましては、大変貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表して御礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手)

 以上をもちまして公聴会は終了いたしました。

 午後一時から委員会を開会することとし、これにて散会いたします。

    午前十一時四十九分散会


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