【1ページ】 旧優生保護法についての報告書 この報告書には、次のような内容が書いてあります。 これらについて、3ページから詳しく書きます。 ○1996年まで旧優生保護法という法律がありました。 この法律では、病気や障害のある人たちに子どもができないように手術することを認めていました。 ○実際に、たくさんの人が自分の気持ちを聞かれることなく手術されました。 ○この法律は、「病気や障害のある子どもが生まれるのを防ぐ」という考えでつくられたものです。 【2ページ】 ○その後、2019年に、手術などを受けた人にお金(320万円)を渡す法律ができました。 そして、同じ間違いを二度と繰り返さないよう、旧優生保護法のことを調べることになりました。 ○日本のほかに、いくつかの国や地域にも旧優生保護法と同じような法律があって、子どもができなくなる手術をしていました。 【3ページ】 <旧優生保護法とは?> ▼旧優生保護法は、1948年から1996年まであった法律です。 今はない法律なので、「旧」をつけて呼びます。 この法律は、病気や障害のある子どもが生まれないようにすることを目的としていました。 ▼この法律では、病気や障害のある人たちに子どもができないように手術することを認めていました。 親の病気や障害が原因で病気や障害のある子どもが生まれるのを防ごうと考えたからです。 子どもができないようにする手術は、およそ2万5000件おこなわれました。 【4ページ】 <この報告書をまとめた理由> ▼旧優生保護法で、たくさんの人が自分の気持ちを聞かれることなく子どもができなくなる手術などを受け、からだや心に大きな苦しみや痛みを受けました。 ▼2019年に「旧優生保護法一時金支給法」という法律ができました。 この法律には、たくさんの人がからだや心に大きな苦しみや痛みを受けたことについて反省しおわびすると書いてあります。 また、この法律には、すべての国民が共生する社会に向けて努力することと、国がこの問題に誠実に対応していく立場にあることが書いてあります。 また、この法律では子どもができなくなる手術などを受けた人にお金を渡すことを決めています。 【5ページ】 ▼この法律で、国は、旧優生保護法がどのようにしてできたのか、手術がどのくらい、どのようにしておこなわれてきたのかなどを調べることになりました。 病気や障害のある人に子どもをつくらせないといったことが二度と起こらないようにするためです。 調べた結果をまとめたものがこの報告書です。 <報告書の内容> ▼この報告書には、大きく分けて3つの内容が書いてあります。 第1編「旧優生保護法がどのようにしてできたのか」 【6ページ】 第2編「子どもができなくなる手術はどのくらい、どのようにしておこなわれてきたのか」 第3編「外国では同じような手術がおこなわれたか」 【7ページ】 第1編 旧優生保護法がどのようにしてできたのか <旧優生保護法ができるまで> ▼今からおよそ100年前の大正時代から、病気や障害のある人が子どもをつくれないようにすることについて、国で話し合われるようになりました。 ▼その後、1934年に「民族優生保護法案」という法律の案が出ました。 これは案で終わり、法律にはなりませんでした。 ▼しかし、国は役所に「優生課」をつくり、病気や障害のある子どもが生まれないための案を考えました。 1940年には「国民優生法」ができました。 この法律で、1947年までに子どもができないようにする手術がおよそ540件おこなわれました。 【8ページ】 この法律では病気や障害のある人たちに本人の気持ちを聞くことなく手術することも認めていました。 ただし、実際には本人の気持ちを聞くことなく手術することはありませんでした。 ▼そして1948年に「優生保護法」ができました。 優生保護法でも病気や障害のある人たちに本人の気持ちを聞くことなく手術することを認めました。 このときの国会で、そのことに反対する意見は出なかったようです。 <旧優生保護法の改正(内容を変えること)> ▼1948年に旧優生保護法ができたときに手術の対象になっていたのは、遺伝する病気や身体障害のある人でした。 病気や障害が遺伝するというのは、親の病気や障害が子どもに移ることです。 【9ページ】 1952年には、遺伝しなくても、精神障害のある人や知的障害のある人も手術の対象になりました。 対象を広げることについて、国会で話し合いはされませんでした。 そのあとも何回か法律の内容が変わっていきました。 しかし、病気や障害のある子どもが生まれないようにするという目的は変わらないままでした。 病気や障害のある人たちに子どもができないように手術してよいということも、変わりませんでした。 【10ページ】 <旧優生保護法から母体保護法へ> ▼1994年、エジプトで開かれた国際会議で旧優生保護法の内容には問題があるという意見が出ました。 そのことがきっかけとなって、国は旧優生保護法の内容を考え直しはじめました。 1996年、旧優生保護法から病気や障害のある子どもが生まれないようにするという目的がなくなりました。 病気や障害のある人たちに子どもができないように手術してよいという決まりもなくなりました。 法律の名前は「母体保護法」に変わりました。 【11ページ】 <手術を受けた人たちにお金を渡す法律ができるまで> ▼2018年、子どもができないように無理やり手術された女性が国を訴えました。 その後、ほかにもたくさんの人が国を訴えました。 ▼そのことがきっかけとなって、子どもができなくなる手術をされた人たちにお金を渡す法律を国会議員たちが考えはじめました。 そして2019年に、お金を渡すことを決めた法律「旧優生保護法一時金支給法」ができました。 【12ページ】 <優生の考え方について、学校の教科書でどのように教えていたか> ▼1944年と1946年の中学校「生物」の教科書には、次のように書いてありました。 ・精神障害や知的障害などは子どもに移るし、それで世の中の迷惑になったり国の面倒が増える。同じ障害のある子どもが生まれないようにすることを国は考える必要がある。 ▼1975年の高校「保健体育」の教科書には、次のように書いてありました。 ・病気や障害のある子どもが生まれないようにすることを「優生」という。 ・国は「優生」の考え方を大切にして、1948年に優生保護法をつくった。 【13ページ】 ▼1982年からは高校「保健体育」で「優生」のことを教えないようになりました。 教科書では、旧優生保護法の悪いところも書くようになりました。 【14ページ】 第2編 子どもができなくなる手術はどのくらい、どのようにしておこなわれてきたのか <国の資料からわかったこと> ▼厚生労働省という国の役所が調べた結果、子どもができなくなる手術は合計で2万4993件おこなわれたことがわかっています。 手術された人のうち、およそ4人に3人が女性、およそ4人に1人が男性でした。 いちばん多くおこなわれた年は、1955年でした。 いちばん多くおこなわれた地域は、北海道でした。 いちばん少なかったのは、鳥取県でした。 【15ページ】 ▼旧優生保護法について、国の役所は1949年に次のような意見を出していました。 ・病気や障害のある人に手術をさせるのにどうしても必要な場合は、体をしばったりして動けなくすること、麻酔をして眠らせること、ほかの手術をするなどと言ってだますことをしてもよい。 ・このように本人の気持ちを聞かずに手術することは、慎重な手続きをしておこなわれ、子どもを産んで育てる権利についても十分に考えている。そのため、国の決まりに反することではない。 【16ページ】 <都道府県や市町村の資料からわかったこと> ▼都道府県などの資料では、子どもができなくなる手術をした理由として次のような場合がありました。 ・無理やりセックスをさせられて妊娠するかもしれないから ・もう子どもがたくさんいたり、お金がなかったりして子どもができても育てられないと思うから ・家族が手術してほしいと言ったから ・手術をしないと施設に入れないと言われたから ▼都道府県の優生保護審査会は、「この人に子どもができなくなる手術をさせていいかどうか」を判断するための集まりで、いろいろな話し合いがおこなわれていました。 しかし、しっかりと話し合いをしないで判断している場合もありました。 【17ページ】 たとえば、欠席している人が多かったり、話し合いではなく書類を回すだけだったりということがありました。 ▼子どもができなくなる手術の中には、旧優生保護法に違反しているものもありました。 たとえば、次のような場合がありました。 ・法律に書いていないやり方で手術をした ・手術していいかどうか決まる前に手術をした ▼いくつかの都道府県では手術のお金をいくらか出すなど、病気や障害のある人に子どもをつくらせないことがどんどん進むようにしていました。 【18ページ】 <病院や福祉施設の調査からわかったこと> ▼子どもができなくなる手術を福祉施設が勧めた場合や、家族が望んでいた場合もありました。 ▼中には、女性の生理を止めるために性器の一部を取り出す手術をした場合もありました。 性器の一部を取り出す手術は、旧優生保護法で認められていない手術です。 ▼ハンセン病という病気にかかった人が入っている、「ハンセン病療養所」という施設があります。 そこにいる人は、結婚するときには手術を受けなければならないことがあったといいます。 【19ページ】 <手術を受けた人の調査からわかったこと> ▼今回、国がおこなったアンケート調査に40人が答えました。 40人のうち、子どもができなくなる手術だとは聞いていなかった人が27人いました。 子どもができなくなる手術を受けた理由には、次のようなものがありました。 ・家族が手術してほしいと言った ・結婚するなら手術をしなさいと言われた ・病気をなおすための手術だとだまされた ▼このほか、障害者を支援する団体の人々などに対して調査をおこないました。 【20ページ】 第3編 外国では同じような手術がおこなわれたか ▼1900年ごろから、世界のいろいろな国で子どもができなくなる手術がおこなわれてきました。 ▼アメリカのいくつかの地域では、法律をつくって子どもができなくなる手術を認めていました。 2000年代に入ってから、手術を受けた人にお金を渡す地域も出てきました。 ▼ドイツでは1933年に法律ができて、子どもができなくなる手術を認めていました。 本人の気持ちを聞くことなく手術することは1945年になくなりました。 1980年から、手術を受けた人にお金を渡しています。 【21ページ】 ▼スウェーデンでも1934年に法律ができて、子どもができなくなる手術を認めていました。 1975年に法律が変わって、本人の気持ちを聞くことなく手術することはなくなりました。 1999年から、手術を受けた人にお金を渡しています。 ▼このほか、スイスのヴォー州という地域やカナダのいくつかの地域でも、子どもができなくなる手術を認める法律がありました。 イギリスでも子どもができなくなる手術を認める法律の案が出ていました。 これは案で終わり、法律にはなりませんでした。 この報告書はここまでです。