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昭和四十三年三月二十六日提出
質問第八号

 新潟県阿賀野川河口附近における水銀中毒事件に関する再質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和四十三年三月二十六日

提出者  小澤貞孝

          衆議院議長 石井光次郎 殿




新潟県阿賀野川河口附近における水銀中毒事件に関する再質問主意書


 阿賀野川河口附近の水銀中毒事件についての調査内容には、重大な事実誤認、調査不確実、故意又は過失と思われる事実のわい曲等が明らかに認められるので、関係各省庁の見解を確認し、本中毒事件の事実関係を的確に掌握し、真因を究明いたしたい。

一 原因究明の研究班員の人選に問題があつたのではないか。
  本中毒事件の汚染源の究明に当たつては、疫学研究班の報告が中心となつている。ところが、厚生省で依嘱した研究班のなかには、化学者や水の専門の研究家などが含まれず偏向があつた。特に、疫学研究班の中核として活動した新潟県衛生部長は、公平な立場で調査できない立場でもあり、また、本人自らも予断をもつて調査に当たつた。こういう疫学研究班の調査結果が、その後の食品衛生調査会、厚生省、そして科学技術庁から意見を問われていた農林省、経済企画庁の結論を支配している。
  以下述べる説明をもとにして、本事件の原因究明について、農林省、通産省および経済企画庁から、それぞれについての見解を承りたい。
 (A) 疫学研究班の中核として活動した新潟県衛生部長は
  (1) 疫学研究班員として依嘱される前に、新潟県の衛生部長という公的立場において、「これまでの県側の調べでは、農薬が原因でないことがはつきりした。残るのは工場廃液が考えられるわけだが……。」と昭和四十年六月二十二日の新潟日報に発表している。
      水銀中毒患者が発生したと発表したわずかに十日後である。このわずかな期間中に農薬が原因か否か調査できるはずがない。
  (2) 新潟県衛生部長は、公文書によつて、地震時の農薬の流出を認めている。農薬の流出が汚染源であると決まれば、衛生部長は行政上の責任を問われる立場にある。
      かかる者が、中核となつて調査されたが、これでは公正な調査が出来ない。これらのこを考慮しつつ疫学研究班の中間報告ならびに最終報告書をみると、左記(イ)から(チ)に掲げたことなどからわかるように、故意に阿賀野川の流れを信濃川および新井郷川からしや断したり、また、短期局域汚染(つまり農薬の地震時の流出)を否定するような事実のわい曲が行なわれている。
      世間に伝えられるように、昭和電工の主張と疫学研究班の主張とが汚染源をめぐつてまつこうから対立しているときに、農薬汚染の場合には被疑者として調査を受けなければならない立場の県衛生部長が、研究班という捜査陣に入つて活動したということは、いかに弁明しようと、客観的にみて公平な調査が行なわれたと判断することはとうてい不可能である。
 (B) 疫学研究班の構成では、本事件のように広範多岐にわたる汚染源究明には、適切な人選とはいえない。すなわち、伝染病の病原菌の追求と同じ疫学的手法のみで、この種の伝染源の究明はできないのではないか。その報告内容をみると、分析方法、水質汚濁、生物学、農薬など医師の限界をこえた広範に及んでいる。このため、食品衛生調査会に諮問する際には、疫学以外の化学、生物学の専門家も加えて検討すると発表したはずである。これは、厚生省自ら調査研究班が不十分であつたことを認めているものである。
 以上(A)および(B)が本中毒事件の真因究明を混迷せしめている要因である。

             記
     (ゆがめられた調査事実)
 (イ) 「昭和三十九年において、阿賀野川流域では、メチル系水銀農薬は使用していなかつた。」と研究班が中間報告書で報告しているが、その誤りを指摘されて、あとで訂正した。
 (ロ) 「新潟地震当時、新潟埠頭倉庫にはメチル水銀系農薬は保管されていなかつた。」としているが、あとで指摘されて、昭和四十一年「保管されていた。」と訂正した。
 (ハ) 「有機水銀系農薬の流出はなかつた。」としているが、後述する新潟埠頭倉庫の流出農薬に関するところに明らかなように調査が行なわれていない。
 (ニ) 地震時に、流出農薬が信濃川から通船川を通じて阿賀野川に流れ込んだことを否定する目的で、信濃川と阿賀野川をつなぐ通船川の中間に「地震当時、閘門があつた。」としているが、実際には閘門は存在しなかつた。昭和四十一年七月確認。
 (ホ) 河口附近の異常汚染として注目されていたところの一日市場附近の川泥の水銀分析値は、中間報告では一二・五六PPMと報告されていたが、疫学研究班につごうの悪いデーターのため途中で再検査を行なうという理由のもとに抹消されたままである。
 (ヘ) 埠頭倉庫から、農薬流出の証拠ともみられる臨港埠頭の海水中の水銀濃度は一PPMと中間報告されたが、あとでこれは誤認で実際はゼロであると訂正した。
 (ト) 次項二で記の(ホ)
 (チ) 四項で記の(a)、(b)、(c)、(d)の事実

二 新潟埠頭倉庫の流出農薬については、いまだ客観性のある調査がなされたと判断できない。
  次の項目につき、農林省、経済企画庁および通産省は、農薬の流出の検討に当たつて、どのように判断されたか伺いたい。
 (イ) 昭和四十二年九月二日、内閣衆質五六第三号の答弁書によれば、「新潟県は疫学研究班の決定に従い農薬調査を実施した。」、「新潟県の調査結果から、疫学研究班は被災農薬の流出はなかつたものと判断した。」等とあるが、新潟県あるいは疫学研究班というも、いずれも新潟県衛生部長が担当しているのである。これでは客観性のある調査とは思われない。
 (ロ) また、同じ答弁書によれば、「該当の倉庫業者、保管依頼者の帳簿、記録などによる新潟県調査結果からも、数量的流出は認められないと疫学研究班は判断した。」とある。
     しかし同答弁書にも指摘しているごとく「倉庫別等の保管状況の記載まで」農薬取締法は要求していない。それにもかかわらず、流出が認められないと判断したからには、倉庫業者、保管依頼者の帳簿、記録が改ざんしたものでないという証明をはじめ、証拠によつて示されなければ客観性がない。
 (ハ) 同答弁書で「漂着農薬の所有者は判明しなかつたが、倉庫よりの流出物でないと疫学研究班は判断している。」とあるが、この判断も前(イ)(ロ)と同じ論理で、客観性が認められない。
 (ニ) 同答弁書の二項(ニ)の(1)「新潟地震当日の農薬保管総数」(2)「地震後処理された農薬の数量」および(ホ)の「廃棄した水銀系農薬の数量および処理状況」に掲げられた数量など、いずれも県の調査である。
     県は農薬汚染におけるいわば被疑者の立場である。被疑者の提出資料は証拠がなければ客観性がない。
 (ホ) 疫学研究班報告書(表III ― 30)によると、地震時、北興化学(水銀農薬大手メーカー)の製品保管は、埠頭にあつた七倉庫業者中、東洋埠頭倉庫、日本海倉庫、新潟倉庫運輸の三倉庫となつている。
     しかるに、昭和四十一年十二月九日、農薬工業会の「新潟県阿賀野川流域有機水銀中毒症の原因に関する見解」によれば、臨港埠頭の滝沢倉庫を除く六倉庫に保管されていたとある。すなわち、前記三倉庫のほかに、神山物産倉庫、新潟商船倉庫、日本通運新潟営業所倉庫にも北興化学の製品は保管されていたのである。
     これによつてみても、両者の間に違いがあり、いまだ流出農薬についての調査がなされたと判断できない。

三 農薬について次のことを厚生省に伺いたい。
 (イ) 昭和三十九年の地震時における農薬の調査は、だれに依頼し、どのような調査を、どのような方法で行なつたか、また、当時各倉庫の庫入伝票などはあるのか、具体的に回答されたい。
 (ロ) なお、本件に関連して昭和四十年、同四十一年、同四十二年六月三十日現在における新潟港埠頭倉庫に保管されていた農薬の倉庫別、品目別数量

四 厚生省が結論を科学技術庁に申達したあとで提起された左記(a)から(d)までの事実誤認等は、汚染源究明に当たつてきわめて重要なことである。また、(e)は新たに提起された問題である。
  農林省、経済企画庁はこれをどう扱うか。再審査の必要ありと思われるが、両省庁の見解いかん。

             記
 (a) 日本ガス化学の排水が流入している新井郷川について、疫学研究班の報告では、一項の記(ニ)と同じように、阿賀野川としや断する意図をもつて、「阿賀野川から新井郷川に向かつて水が流れていることがわかつた。」と報告されているが、これが間違いであつたことは、国会における政府言明のとおりである。
     しかるに、本年一月三十日、内閣衆質五八第一号の政府答弁書で弁解を行なつているが、日本ガス化学の排水口より阿賀野川までわずかに二キロメートルであることを考えれば、(イ)潮の干満 (ロ)塩水くさび (ハ)地震時の津波などによつて、地震時以前にも、地震時にも、日本ガス化学の排水が阿賀野川を汚染したことは明らかである。
 (b) 日本ガス化学の排水口の水苔から、ガスクロマトでメチル水銀の所見があつたことが、昭和四十二年十一月二十九日の国会提出資料で発表された。
     厚生省の結論が出されたあとではじめて発表されるなど、発表の時期にも問題があるが、前記政府答弁書に述べているような、「研究班や食品衛生調査会の答申に影響を及ぼすものでない。」と勝手に厚生省が判断することはできない。厚生省は、すべて食品衛生調査会の答申を尊重してきたのに、この問題および前記(a)については、厚生省の勝手な判断であるといえる。
 (c) 婦人の長髪水銀保有量の経時変化について、試験研究班報告における長期継続的汚染の資料は削除された。
     すなわち、厚生省は国会の要求で、昭和四十二年十一月二十九日に提出した資料で、長期広域汚染の裏づけとなる重要なものとして、「婦人の長髪水銀保有量の経時変化」なるものをグラフを付して提示した。これは、試験研究班報告書一七〇ページのものの抜粋である。
     これによつて、試験研究班報告では、その報告書一七二ページで「水銀の汚染様式は、長期にわたる継続的汚染に加えて、一定時期に比較的短期間一回ないし二回の相当濃厚な水銀汚染によるものと考えられる。」とした。しかし、国会でこの長期汚染を証明する資料は、「長期汚染の裏づけとなる資料とはならない。」ということで、その誤謬を認めて削除した。
     従つて、長髪水銀保有量の経時変化から証明されるものは、「一定時期に濃厚汚染があつた。」ということだけとなる。
 (d) 広域汚染の資料として、昭和四十二年十一月二十九日の国会提出資料で「鹿瀬町に一〇〇PPMをこえる水銀保有者が二名発見された。」という註釈を付して提示したが、うち一名は、間違いであることを内閣衆質五八第一号答弁書で認めた。
     なお、水銀量の異常価を示す遠○ツ○のものは、統計学上、母集団が同じとはみられず当然棄却すべきものと考えられる。
     全国各河川で農村部に異常に高い長髪水銀保有者が多いことからも当然である。
 (e) 噴砂現象(クイックサンド現象)について
     患者発生地帯である阿賀野川河口流域からわずか十一キロの地点に、水銀農薬の大手メーカーである北興化学がある。農薬の処理排水は地下圧入方式をとつているという。地下水は地形・地質の関係で阿賀野川方向に流れていたと思われる。
     地震当時、それらの地下水を含む噴砂現象が阿賀野川河口流域一帯において、広く発生したことは顕著な事実である。地中にあつたメチル水銀化合物が噴砂現象とともに、新発田川、加治川などより阿賀野川に流入するか、あるいは、阿賀野川河底に直接噴出したということが十分考えられる。
     毒物と地下水等の関係はよくあることで知られている。これらについても、当然調査すべき重要な事柄である。昭電鹿瀬工場の排水中のメチル水銀量がいまだ科学的根拠のないまま発生量が示されている。これを阿賀野川の水量に希釈されると五百億ないし七百五十億分の一という極微量となる。
     従つて、北興化学の地下排水を汚染源でないとして消去するには、鹿瀬工場との比較において定量的に示されなければならない。

五 本事件の原因究明にとつて、有力な根拠とされた次の事項について、農林省、経済企画庁および通産省は、これをどう評価し、どう批判したか、科学的に説明されたい。
 (イ) メチル水銀の検索について
     鹿瀬工場排水口の水苔に「ガスクロマトグラフィにより得られた知見は、メチル水銀化合物のR・tと一致するピークを認めたものが多かつたが、これら検体について薄層クロマトグラフィによつてメチル水銀化合物を検索するためには、検査量が十分でなかつた。」と、試験研究報告書に述べられている。
     メチル水銀の検索については、ガスクロのみでは不十分であることは学界の定説である。それにもかかわらず、疫学研究班は、水苔にはメチル水銀があつたと独断している。
 (ロ) 新潟県保健所によるアンケート調査について
     疫学研究班の最終報告書では、鹿瀬町にいたる間に百二十名の症状を訴えたものがあるとしている。この百二十名は、保健所において流域住民四万七千百三十三名について、単なるアンケート調査によるものであつて、診断もしていない。椿教授も「有症者でない。」としている。いまだ一人の発病者もない。かかる症状は、全国いたるところの農民の間にもある一般的現象である。
     それをわざわざ、ここで報告するからには、他の地域との比較で科学的に論じられなければならない。従つて、このアンケート調査とその報告は、疫学研究班の独善である。
 (ハ) 信濃川と阿賀野川の川魚の汚染比較について
     信濃川では、上流十三キロから四十キロの地点で採取し、阿賀野川では、河口附近で採取している。また、採取時期についても、信濃川では、昭和四十二年度であり、阿賀野川では、昭和四十年から四十一年度である。これでは、農薬流出と塩水くさびのおよぶ範囲の汚染状態を調査するのに、採取場所と採取時期が違つているのだから、比較のデーターとはならない。
 (ニ) 阿賀野川流域における住民の魚の喫食について
     下流住民の喫食が多く、上流で喫食が少ないから下流河口にのみ患者が発生したという主張は、理由とはならない。すなわち、平均喫食量を算出するのに、漁獲高を組合員数にて除し、それをさらに距離によつて除しているが、距離にて除することはなんらの意味がなく、喫食量の差を大きくみせるための作為としか考えられない。実質の喫食量は大きな差がなく、しかも上、中流にも多食者が多いが、患者が一人も発生していない。
 (ホ) 河口附近における魚の異状な浮き上がりについて
     疫学研究班報告に記されているように、地震直後の昭和三十九年八月から四十年六月の間、河口附近に魚の異状な浮き上がりがあり、魚を食べた時期と患者発生の時期が、よく一致すると記されている。
     新聞も当時、「地震後、川魚が弱つて大量に浮き上がつたことがあり、患者もこれを食べた人が多い。」と報じており、このことから河口附近になにか局所的、一時濃厚汚染があつたと解するのが妥当である。工場排水が原因ならば、上流にも浮上現象が起こるはずである。それが、河口の局所で一時に起こつた現象であつて、このことが本中毒事件を解く重大な鍵と思われる。

 右質問する。





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