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昭和四十五年五月二日提出
質問第六号

 宗教団体の政治的中立性の確保等に関する第三回質問主意書に関する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和四十五年五月二日

提出者  春日一幸

          衆議院議長 (注)田 中 殿




宗教団体の政治的中立性の確保等に関する第三回質問主意書に関する質問主意書


 四月二日付再質問主意書に対する答弁書は、その内容が本件質問の核心につき公正なる認識と理解を欠き、これをこのまま不問に付するときは、宗教団体に信教の自由のほしいままなる濫用を認め、ひいては一宗専制、一党独裁を招来しないとも限らないと考える。
 よつて、ここに、さらに重ねて政府の確固たる見解を訊したい。

一 答弁書は、宗教団体が、公職の候補者を推薦し、または支持した結果、これらの者が公職に就任して国政を担当するにいたるような状態が生じたとしても、当該宗教団体と国政を担当することとなつた者とは、法律的には、別個の存在であるばかりでなく、当該国政を担当することとなつた者が、国権行使の面において、当該宗教団体の教義に基づく宗教的活動を行なう等宗教に介入し、または関与することがない限り、憲法に抵触するものとは解されないと述べている。
  これは、具体的には、創価学会の支持する公明党が政権を担当することとなつても、創価学会と公明党とは、法律的には、別個の存在であり、公明党が創価学会の教義に基づく宗教的活動を行なうことがない限り、憲法に牴触するものでないことを意味するものと考える。
  果たしてしからば、公明党が政権を担当することとなつた場合、創価学会の教義に基づく宗教的活動を行なうことがない限り、公明党が、創価学会の教義に基づき、政治上の権力を行使したとしても、創価学会と公明党とは、法律的には、別個の存在であるから、憲法上許されるものと、政府は解するのであるか。
  かくては、政権を担当することとなつた公明党が宗教的活動を行なうことがない限り、創価学会がいかなる政治的活動を行なつたとしたとしても、憲法上許されるものと解せられることになるが、それでよいのかどうか。
二 創価学会と公明党とは、「ともに日蓮大聖の教えを奉じ、王仏冥合をめざす私どもの同体異名の団体であります。………永久に創価学会と公明党は、一体不二の関係で進んでいこうではありませんか。」(「新時代の指導原理、王仏冥合」青年部最高幹部会における池田会長の話、大白蓮華四十年九月号掲載)と、池田会長が語つているとおり、法律的には、別個の存在であるとしても、実質的には、永久に同体異名、一体不二の関係にあるから、政党たる公明党が、創価学会の教義に基づき、政治上の権力を行使することは、即、宗教団体たる創価学会が政治上の権力を行使することになり、憲法に抵触するものと考えるがどうか。
三 創価学会は、日蓮正宗教学を教義とするものである。日蓮正宗教学の特徴は、日蓮本仏論と本門戒壇論である。
  第一に、日蓮本仏論とは、末法の時代における釈迦は脱仏であり、日蓮こそ本仏とするものであり、これによつて、日蓮から法脈を相承している建前の大石寺の歴代住職の日蓮正宗法主は、地上における本仏の代理者となり、超絶的な権威をもつものであり、さらに、同宗法主を媒介として、本仏日蓮の宗教的権威を一身に体現しているのが、在俗信者を代表する法華講総講頭であり、創価学会会長である池田大作氏であると信じられている。
  第二に、本門戒壇論とは、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇を三大秘法と呼び、本尊は釈迦、題目は南無妙法蓮華経とされたが、戒壇は、本仏日蓮の遺命として、将来、広宣流布の際に建立さるべきものと説かれている。戒壇とは、戒を授ける大御本尊をまつる中心施設であり、王法と仏法が合致し、国の最高権力者も民衆も正法に帰依し、理想の世界が実現したときに、国立戒壇が建立されると説いている。そして、この国立戒壇は、聖教新聞(三十年四月二十四日付)社説によれば、「大折伏の結果国を挙げて日蓮正宗の信徒となつてこの吾が国から一切の邪宗教群を一掃し終つた後に、国会の議決によつて決定されなければならない」と主張されている。
  かくのごときは、国家仏教の思想に基づくものと断ずべきである。
  創価学会は、以上のような日蓮正宗教学を教義とするものであり、これと同体異名、一体不二の公明党をして政権を獲得させることにより、その教義の実践を企図するものであるから、政教一致をめざすものであり、このことは結果的に憲法第十二条の自由の濫用禁止の規定に違反するものと考えるがどうか。
四 公明党は、創価学会の教義に基づき、王仏冥合の達成、すなわち、個人の幸福と社会の繁栄の一致をめざす宗教政党である。この点は、その綱領をいかに変改し、粉飾しようとも、はたまた、いかに形式的に人事を創価学会と切り離したとしても、その本質は、いささかも変わるはずがない。
  王仏冥合とは、「王法と仏法とが冥合すべきである。王法とは一国の政治、仏法とは一国の宗教を意味する。宗教が混乱する時には国の政治も混乱する。……社会の繁栄が即個人の幸福と一致しないということが、昔からの政治の悩みではないか。ここに日蓮大聖人が、政治と個人の幸福とは一致しなければならぬと主張遊ばされたのが王仏冥合論である。社会の繁栄は、一社会の繁栄であつてはならない。全界が一つの社会となつて、全世界の民衆がそのまま社会の繁栄を満喫しなければならない。それが王法と仏法との冥合である。」(「王仏冥合論」創価学会会長戸田城聖)と、王仏冥合論は、このように説かれている。
  また、池田大作会長の「王仏冥合の新時代へ」と題する講演によれば、本門戒壇こそ、国家泰平、世界平和祈願の根本道場であり、「日本、中国、インド、いな全世界の人々が懺悔滅罪を行なう場」であり、「のみならず、世界の指導者たちが、世界の恒久平和を祈願する根本道場」であると説かれている。
  公明党は、以上のような教義に基づき、政治上の権力を行使するため、政権をめざす宗教政党であるから、これを放任するときは、昭和年代の国体明徴運動が、祭政一致とか八紘一宇とかいつたスローガンのもとに次第に狂信的なものに発展し、ついに大東亜戦争に突入してしまたように、わが国は、このことによつて再び過去の轍を踏むにいたるおそれがあると考えるがどうか。
五 わが国の憲政史を概観するに、大正の後半から昭和の初頭にかけ、昭和軍閥と呼ばれる体制が現われ、これが右翼指導者や革新官僚と結びつくにいたり、三月事件、十月事件、血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件、神兵隊事件等を起こし、また、満州事変、支那事変を起こし、ついにわが国は大東亜戦争に突入して、悲惨なる敗戦を招いている。
  その思想的根拠となつたのが、祭政一致とか八紘一宇とかいう国家神道であり、これが軍国主義、国家主義と結びついて世論を席捲し、前記の重大事件を惹起するとともに、あるいは国体明徴運動となり、あるいは大政翼賛運動となつて、大政翼賛会と翼賛政治会を発足せしめて、時の権力者に対する批判的な声は一切これを弾圧し、国民生活を意のままに統制、強圧する独裁政治を実現するにいたつたものである。この歴史の貴重な教訓は、肝に銘じて忘るべきではない。
  創価学会および公明党の宗教的活動および政治的活動は、時代こそ異なれ、これを放任するときは、過去のわが国や諸外国に見られる神権政治を復活し、一宗専制、一党独裁を実現するにいたるおそれなしとしないものである。政府は、この点につき、慎重に対処すべきものと考えるがどうか。
六 宗教法人が、お布施またはお賽銭等の名において収得した金品を政治活動または政治資金に充当した場合において、税法上これを課税対象外に置くということは、宗教法人の本質、目的、性格および機能に照らして、合理性と妥当性を欠くものである。
  政府は、これを法人税の課税対象とするか否かについては、なお慎重な検討を要するものと考えると答弁しているが、この場合、その実施につき前向き積極的に検討すべきものと考えるがどうか。

 右質問する。





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