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平成二年六月十一日提出
質問第一〇号

 滋賀丸事件に関する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  平成二年六月十一日

提出者  山原健二郎

          衆議院議長 櫻内義雄 殿




滋賀丸事件に関する質問主意書


 第二次大戦中、高知県室戸岬沖で大阪 ―― 高知間の定期船「滋賀丸」(約七百四十総トン)が米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没。乗員、乗客計百九十人のうち約百五十人が犠牲となったのが「滋賀丸事件」である。
 滋賀丸は明治時代の建造船で、戦時海運管理令で船舶運営会によって運用され、土佐沖の哨戒船兼客船として海軍司令部の出港命令に従って運航されていた。昭和十九年五月三十日未明に高知港を出て大阪に向かう途中、午前九時ごろ室戸岬沖で米潜水艦に撃沈された。
 当時の状況は、すでに現場周辺まで米軍が制海権を握り、潜水艦が出没していた。滋賀丸は事件の二日前にも大阪から高知に向かう途中に米潜水艦を目撃。このため船長が会社を通じて船舶運営会に航行中止を要請したが、軍の命令を受けやむなく出港したといわれている。
 救助された人の証言では、船は左側に魚雷を受けたとされていた。しかし、高知から大阪に向けて航行中、外洋から攻撃されれば右側のはずで、謎の一つとされていた。地元の浜から目撃した人の証言などから、滋賀丸が米潜水艦に気づき、かわそうとジグザグに進んでいて転進したところを攻撃されたため、左側に攻撃を受けたものとみられている。乗員はすでに米潜水艦による攻撃の危険を察知していたが、もし乗客に救命具を着けさせて甲板に上らせていたら犠牲者はもっと少なくて済んだはずで、「これでは犠牲者は、国と軍のメンツのためにむざむざ死ににいったようなもの」との批判も起こっている。
 これまで沈没地点は、室戸市室戸岬町の慰霊碑から沖へ約一・五キロ、深さ千 ―― 千五百メートルといわれ、方角は特定できなかった。しかし、地元の目撃者の話や海図などをもとに、碑からほぼ東へ一・五キロ、水深約七十八メートルの地点との有力な推定もされている。
 国家使用船だったのに、遺族には十分な補償もされておらず、いまだに名前さえ分かっていない人が多い。「国の責任で引き上げるべきではないか」という声が起こっている。「滋賀丸事件」の真相を明らかにし、滋賀丸引揚げ並びに遺族への救援等に関し政府による適切な対応が求められている。
 従って、次の事項について質問する。

一 滋賀丸の沈没に至る経過と真相を政府の責任で明らかにすべきだと思うがどうか。
二 戦後一度も調査されることなく放置されてきた滋賀丸に関し、政府の責任で調査を実施し、滋賀丸沈没地点を明らかにし、船体及び遺骨の引き上げを行うべきだと思うがどうか。
三 滋賀丸は船舶運営会によって運用されていた船舶であり、また事件の性格上、滋賀丸犠牲者の遺族に対しては国家補償がなされてしかるべきではないか。

 右質問する。





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