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平成四年十二月四日提出
質問第一三号

部落に対する差別意識と狭山事件の捜査に対する影響及び啓発の状況に関する質問主意書

提出者  上田卓三




部落に対する差別意識と狭山事件の捜査に対する影響及び啓発の状況に関する質問主意書


 同和対策審議会答申(一九六五年八月十一日)は、同和問題とは、「近代社会の原理として、何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、もっとも深刻にして重大な社会問題である。」と規定している。

一 狭山事件は一九六三年五月一日に発生した事件であるが、部落の青年が犯人とされていることに鑑み、当時の埼玉県における被差別部落の実態と人々の意識の一般的状況はどうであったかを尋ねたい。
二 事件発生後、警察庁長官が五月四日、被害者の遺体発見の日に辞表を提出し、辞任しているが、これは五月三日の犯人取り逃がしという失態を演じたためか。他に相当な理由があってのことだったのか伺いたい。
三 事件当時、狭山市議会議員であった遠藤欣一さんは、『狭山事件』というドキュメンタリー映画(一九九〇年シグロ製作)のなかで、事件当時の状況を聞かれ、当時「カワダンボ」という部落に対する蔑称を使って、石川一雄は部落民だからやったにちがいないと話す住民が多くおり、『みんな差別している』と感じたと証言している。また、当時、共同通信社の記者として事件の取材にあたった小杉武さんも、同映画のなかで、農家の人に取材すると四本指を出して、犯人はこれだと言われたと語っている。
  このような住民の言動は差別意識のあらわれであると考えるが、地域住民に対する啓発の状況はどうであったのか。
四 前記、同和対策審議会答申は、「『差別事象』に対する法的規制が不十分であるため『差別』の実態およびそれが被差別者に対する影響についての一般の認識も稀薄となり、『差別』それ自体が重大な社会悪であることを看過する結果となっている」と指摘している。捜査当局と言えども、この一般的な意識水準の枠外に立つとは思われないがどうか。このような住民の根強い差別意識が捜査に影響をおよぼしたことはないか。
  差別意識が誤った捜査をひきおこさないように警察としてはどのように配慮していたのか。
五 五月二十三日に、石川一雄さんが別件逮捕された直後の五月二十五日付の埼玉新聞には、<「環境のゆがみが生んだ犯罪」「用意された悪の温床」といった見出しで、「石川の住む”特殊地区“には毎年学校からも放任されている生徒が十人くらいいる」などとして、「犯罪を重ねる悪の温床ほじゅうぶん用意されていた」「さびれゆく基地の町のスラムとその周辺にひろがる”茶どころ“の豊かだが閉鎖的な農村 ― この対照的な二つの環境」>と報じている。このような報道はこの埼玉新聞に止まらない。これらは、当時のマスコミの報道と人権についてのレベルを示すものであり、狭山事件発生当時、埼玉県および狭山市においても部落差別が根強かったことを反映している。
  また、当時の国家公安委員長が、記者会見でつぎのような発言をしている。「こんどの事件はきわめて遺憾だが、犯人は知能程度が低く、土地の事情にくわしいものであり犯人逮捕はできる」(『埼玉新聞』一九六三年五月五日)「@犯人は土地カンがあるということA二十万円を大金だと考える程度の生活でB知識のあまり高くない人。と予想できるので、遠からず犯人は逮捕できる」(同日『朝日新聞』)と。これは当時の捜査に大きな影響を及ぼしたと考えられる。なぜなら、同和対策審議会答申も明らかにしているように、「差別は単なる観念の亡霊ではなく現実の社会に実在する」ものであり、「心理的差別と実態的差別とは相互に因果関係を保ち相互に作用しあっている」ものである。
  前記『埼玉新聞』(一九六三年五月二十五日)の差別記事と当時の国家公安委員長の発言とが相符合していることを考えれば、警察の捜査を誤った方向に動かす要因となってはいなかったか。

 右質問する。





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