衆議院

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第4号 平成30年4月10日(火曜日)

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平成三十年四月十日(火曜日)

    午後二時四十六分開議

 出席委員

   委員長 寺田  稔君

   理事 大岡 敏孝君 理事 門山 宏哲君

   理事 武田 良太君 理事 宮澤 博行君

   理事 若宮 健嗣君 理事 本多 平直君

   理事 渡辺  周君 理事 浜地 雅一君

      江渡 聡徳君    小田原 潔君

      大西 宏幸君    大野敬太郎君

      北村 誠吾君    熊田 裕通君

      高村 正大君    谷川 とむ君

      中谷  元君    中谷 真一君

      浜田 靖一君    福田 達夫君

      古田 圭一君    三浦  靖君

      宮川  伸君    村上 史好君

      井上 一徳君    後藤 祐一君

      佐藤 茂樹君    広田  一君

      赤嶺 政賢君    串田 誠一君

      照屋 寛徳君

    …………………………………

   防衛大臣         小野寺五典君

   防衛大臣政務官      大野敬太郎君

   防衛大臣政務官      福田 達夫君

   政府参考人

   (防衛省大臣官房長)   高橋 憲一君

   政府参考人

   (防衛省大臣官房サイバーセキュリティ・情報化審議官)           小波  功君

   政府参考人

   (防衛省大臣官房審議官) 辰己 昌良君

   政府参考人

   (防衛省大臣官房審議官) 齋藤 雅一君

   政府参考人

   (防衛省防衛政策局長)  前田  哲君

   政府参考人

   (防衛省整備計画局長)  西田 安範君

   政府参考人

   (防衛省地方協力局長)  深山 延暁君

   政府参考人

   (防衛省統合幕僚監部総括官)           鈴木 敦夫君

   安全保障委員会専門員   林山 泰彦君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月九日

 辞任         補欠選任

  下地 幹郎君     串田 誠一君

同日

 辞任         補欠選任

  串田 誠一君     下地 幹郎君

同月十日

 辞任         補欠選任

  中谷 真一君     三浦  靖君

  和田 義明君     古田 圭一君

  古本伸一郎君     後藤 祐一君

  下地 幹郎君     串田 誠一君

同日

 辞任         補欠選任

  古田 圭一君     谷川 とむ君

  三浦  靖君     中谷 真一君

  後藤 祐一君     古本伸一郎君

  串田 誠一君     下地 幹郎君

同日

 辞任         補欠選任

  谷川 とむ君     和田 義明君

    ―――――――――――――

三月二十七日

 緊急出動のある自衛官の官舎の改善に関する請願(中谷真一君紹介)(第五三六号)

 戦争法を廃止することに関する請願(阿部知子君紹介)(第六〇八号)

 戦争法(安保法制)を即時廃止することに関する請願(高橋千鶴子君紹介)(第六四九号)

 同(畑野君枝君紹介)(第六五〇号)

 同(藤野保史君紹介)(第六五一号)

 同(矢上雅義君紹介)(第六五二号)

 同(白石洋一君紹介)(第六六七号)

 日米オスプレイ整備拠点の速やかな撤去に関する請願(志位和夫君紹介)(第六五三号)

 戦争法の廃止を求めることに関する請願(志位和夫君紹介)(第六五四号)

四月六日

 戦争法の廃止を求めることに関する請願(宮本岳志君紹介)(第九三五号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 国の安全保障に関する件(イラク派遣の日報等)


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     ――――◇―――――

寺田委員長 これより会議を開きます。

 国の安全保障に関する件、特にイラク派遣の日報等について調査を進めます。

 この際、防衛大臣から報告を聴取いたします。小野寺防衛大臣。

小野寺国務大臣 まず初めに、イラクの陸上自衛隊の日報をめぐって不適切な対応があったことについて、防衛大臣としておわび申し上げます。

 イラクの日報は、南スーダンPKO日報問題の再発防止策として統合幕僚監部への一元的な管理を進めていく中で、陸上自衛隊研究本部と陸上幕僚監部衛生部でその存在が確認されたものです。

 このことについて、私は三月三十一日に報告を受けました。昨年の南スーダンPKO日報問題の反省を踏まえれば、このような重要な事案を認知した場合、私への報告には時間をかけずに、直ちに一報するべきだと考えております。

 また、報告を受けた後、私は、昨年二月から三月に当時の稲田大臣の指示を受けて探索した際になぜ発見されなかったのか、早急に調査するように指示をしました。その結果、研究本部の日報は、昨年三月の時点で既に保存が確認されていたにもかかわらず、そのことを当時の稲田大臣等に報告していなかった旨の報告が私にあったことから、直ちに公表いたしました。

 今回の事案は、防衛省・自衛隊に対する国民の信頼を大きく揺るがす極めて大きな問題であるため、事実関係を更に把握することが必要であり、特に、研究本部におけるイラクの日報の確認に関して、当時の稲田大臣等に報告がなかった件については、大野政務官に調査チームを立ち上げさせ、早急に調査を行わせているところです。

 また、四月五日夜、航空幕僚監部において、平成十五年から二十一年にかけてイラク人道復興支援活動等を実施した航空自衛隊の日報の一部が、他の資料に紛れて保存されていることが確認されました。これまでも、イラク派遣時の空自の日報については、昨年二月においてその存在を問われており、確認した限り見つけられなかった旨回答していることから、大変遺憾に思っております。

 防衛省の情報公開、文書管理については、昨年、南スーダンPKO日報問題に関し、国民の皆様や国会から厳しい御指摘を受け、再発防止策を講じており、こうした再発防止策に取り組んでいる中、今回の日報が見つかったところです。

 しかしながら、今回のような事案が起きたことを踏まえれば、防衛省としてはより一層厳格な取組を徹底する必要があり、四月七日に私から、全ての部隊及び機関において、海外に派遣された自衛隊の活動に関し、全ての日報を含む定時報告の探索作業を徹底して行い、統幕への集約作業を原則四月二十日までに終えるとともに、日報を含む定時報告が発見され次第、その都度統幕に直ちに報告を行うよう、通達を発出したところです。

 なお、この通達に基づく集約作業の過程で、本日、平成十五年に実施されたイラク被災民救援国際平和協力業務に係る定時報告が確認された旨、内部部局から報告がありました。これはイラク特措法に基づく活動ではなく、世界食糧計画からの要請に基づき、輸送機によるイタリア―ヨルダン間のパレット等の人道救援物資の輸送を実施したものです。

 また、平成二十二年から実施されたハイチ国際平和協力業務に係る陸自の定時報告についても、海上自衛隊からその保有が報告されました。

 今後は、明らかになった事案も踏まえながら、シビリアンコントロールを引き続きしっかりと機能させることにより、適切な情報公開、文書管理の取組を進め、国民の皆様の信頼回復に全力を注ぐ考えです。

 次に、四月七日の私の指示に基づき、全ての日報を含む定時報告の探査作業を実施しているところですが、昨日、情報本部において南スーダンPKOの日報が確認された旨の報告が私にありました。この日報は少なくとも合計で一年以上の期間にわたるものであり、この中には、南スーダンPKOの日報に関する情報公開請求を受けた平成二十八年七月七日から十二日までの期間の日報も含まれており、当該期間について言えば、現時点で情報本部において、七月八日から十二日までの日報が確認されています。

 さらなる詳細の事実関係については調査中でありますが、いずれにしましても、当時の情報公開請求等における不適切な対応について、防衛大臣として改めておわび申し上げます。

 最後に、平成二十四年に統合幕僚監部において作成された日米の動的防衛協力に関する検討文書についてです。

 平成二十九年七月及び九月に情報公開の開示決定を行い、また本年三月の国会議員からの資料要求で提出した本文書について、三月三十日の国会における質疑を踏まえ、改めて探索したところ、三月三十一日に、同じ表題であるものの、内容が一部異なり、用途も異なると思われる文書二件が新たに確認されました。これらの文書は、昨年七月及び九月の開示決定において特定されるべきものであったと認識しております。

 四月二日に、この旨を私より公表し、昨年の情報公開請求への対応については、新たに確認された文書を追加で開示決定をしたところです。

 防衛省としましては、先ほど御説明した二件も含め、情報公開、文書管理についてしっかりと取り組んでいく考えです。

寺田委員長 以上で報告は終わりました。

    ―――――――――――――

寺田委員長 この際、お諮りをいたします。

 本件調査のため、本日、政府参考人として防衛省大臣官房長高橋憲一君、防衛省大臣官房サイバーセキュリティ・情報化審議官小波功君、防衛省大臣官房審議官辰己昌良君、防衛省大臣官房審議官齋藤雅一君、防衛省防衛政策局長前田哲君、防衛省整備計画局長西田安範君、防衛省地方協力局長深山延暁君、防衛省統合幕僚監部総括官鈴木敦夫君の出席を求め、説明を聴取したいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

寺田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

寺田委員長 質疑の申出がありますので、順次これを許します。本多平直君。

本多委員 私、この安全保障委員会に、昨年当選をして、来ましてから、小野寺大臣に二回、情報の出し方について質問をさせていただきました。それは、最初の質問のときには、日報問題、私は決して特別監察の結果に納得をしていないということを申し上げました。小野寺大臣からは、今後似たようなことが起こらないようにするという答弁にとどまりましたけれども。

 そしてもう一つは、三月に森友学園の問題が起こってから、全ての委員会で我が党の議員が、それぞれの省庁で似たようなことがまさかないですよねという確認をしたときも、そのようなことはないし、しっかりと、今後、情報の出し方をやっていくという御答弁をいただきました。

 残念ながら、それを大きく裏切られるような事態が、今回、次々と明らかになっている。きょうもまた新たな文書が明らかになった。まさに今報告をされたことについて、質問がなかなかできにくいわけです。本当に次々と明らかになってくる状況。何か情報を出しているようにおっしゃっていますけれども、私は、この、一カ月も防衛省内で準備をしてきた、そして三月三十一日に、非常に遅くなって、小野寺大臣に報告があったということを言っている、出し方としては非常に不適切だと思います。

 なぜ、これは一回の報告で、四月二日に全て明らかにならないで、四月四日、そしてその後空自、こういうふうに五月雨式で情報が出てくる形になったのか。私は幾つか問題点があると思うんですけれども、三月のこの報告のおくれ、そしてもちろん、去年の情報の隠蔽。しかし、この四月に入ってからの小野寺大臣の説明の仕方、こんな説明を実力組織である自衛隊をつかさどる防衛大臣にさせている今の状況、私は非常におかしいと思うんですけれども、大臣はどう考えますか。

小野寺国務大臣 このような文書の管理を含め、今起きている事案に関しては、防衛省・自衛隊として深く反省すべきことなんだと思っております。

 ただ、今回のイラクの日報の文書が初めに発見される過程というのは、昨年の七月二十八日に、南スーダンの日報問題を契機に、文書の一元管理をしっかりしよう、この日報にかかわるような文書の一元管理をしっかりしようということで、統幕の参事官室に管理をするという方向がなされ、それに向けてさまざまな準備が行われ、そして今、その作業を進めているということでありますが、その作業を進める過程の中で、まずイラクの日報というのが発見されたということ、これが事実であります。

 そして、私のところに、今、本多委員の方からもお話がありましたが、報告があったのは、三月の三十一日、土曜日の午前中だったと覚えておりますが、その際、私は確認をさせていただき、土曜日のことですから、月曜日、四月二日に公表したということになります。

 それ以降、実は、私はやはり、このような文書を、とにかくうみを出し切るように、しっかり日報を集め、そしてまた、それを私どもとして公表する中で、国会や国民の皆さんにお知らせをすることが大切だ、今、まず、何かわかったら、すぐに一報としてお知らせをするということが大切だと考えております。

 昨日は、南スーダンの文書が情報本部にあったということ、これは昼の段階で私に報告がありました。ちょうど委員会をやっていたので、その昼ということですから、すぐに公表するにはしっかりとした公表文書をつくってほしいという指示をいたしまして、昨日の参議院の決算委員会の中で速やかに公表させていただきました。

 これからも、私ども、この文書に関して、わかった問題につきましては速やかに公表させていただき、そしてまた、しっかりとその管理について指示をしていきたい、そのように思っております。

本多委員 いや、余り質問に答えていただいていないんですが。

 では、確認を具体的にしたいんです。三月三十一日に大臣が説明を受けたときは、紙を官僚は持ってきて説明を受けましたか。

小野寺国務大臣 三十一日の午前中、ちょうどその日、土曜日ですから、私が部隊視察に行こうと準備して役所にいたときに、ちょっと報告事項ということでありましたが、何か正確ないろいろな用紙があったような記憶はないんですが、ちょっと済みません、記憶をたどってみます。

本多委員 こんな大事なことの報告を、どこか別用で行かれる途中の大臣に紙なしで、立ち話で報告したという事実でいいんですか。

小野寺国務大臣 当然、出張に行く前、役所におりますが、そのとき、実は私、この仕事についてから、土日もかなり出勤をしております。担当者も、土曜日に私が出勤しているのを知っておりますので、出勤していることを知って、来たというふうに覚えております。

 ですから、大臣室で報告を受けました。そのときは、イラクの日報が陸自の研究本部とそれから衛生部にあったという簡単な紙があって、それを示されたように記憶をしております。

本多委員 私の事前のレクでは、そのとき使った紙を見せてくれと言ったら、これを持ってきたんですよ。なぜか四月二日付になっていて、おかしいんですけれども、ここには衛生部とも情報本部とも入っていないんですけれども、本当にこれなのかと。

 なぜここを、私、こんな紙で大臣に説明したらおかしいと思ったかというと、四月四日に我々野党に最初に出した紙、二枚紙だったんですよ。これでも、いやいや、こんな大きなことを説明する紙としていかがなものかなと思ったんですが、我々野党に説明する紙よりも短い紙で大臣に、一枚紙で報告したんですか。

小野寺国務大臣 きょう、委員は参考人の登録をしていないので、私が答えることになるんですが、今の、私がそのとき説明を受けたのがどのようなものかというのは、ちょっと私もうろ覚えですので、また担当の方から説明をさせていきたいと思います。

 いずれにしても、そのとき報告を受けて、これはやはり国会に説明していた内容とは違うということでありますし、また、たしか昨年、南スーダンの日報の議論のときに、このイラクの日報のことも議論になっていたというのを思い起こしましたので、これは大変重要な問題だなというふうに感じ、そして、なるべく早くこれは公表をし、そして状況についてお知らせする必要があるなと感じた覚えがあります。

本多委員 じゃ、その最初の報告から四月二日に発表するまでの間、細かい事実確認をされましたか。

小野寺国務大臣 済みません、事前の通告があれば記憶を呼び起こしておきますが、とにかく、私としては、これは国会への御報告やあるいは国民への公表について速やかにしなければいけない重要なことだと認識をした覚えはあります。

本多委員 いや、その四月二日の発表が、私は聞いた瞬間におかしいと思ったんですよ。なぜおかしいと思ったかというと、二つの場所から見つかったと私は説明を受けました、官僚の方から。情報本部と衛生部というところで見つかったと。(小野寺国務大臣「研究本部」と呼ぶ)研究本部、失礼しました。研究本部と衛生部で見つかったという報告を受けたときに、じゃ、最初に見つけたのはいつなんだと聞いたときに、両方わからないんだったら、私ももしかしたらだまされたのかもしれないんですけれども、衛生部の方だけ何月何日と言われたんですよ。研究本部の方は、わからぬと言われたんですよ。わからぬって何なんだ、研究本部、最初にその担当者が見つけたのはいつなんだと言ったら、もごもごと言っていたわけですよ。

 こんな基礎的な、一番最初どこで見つかったのか、つまり、そこから大臣の報告まで、三月三十日ですから、それは当然、大臣、関心ある、持たなきゃいけないところだと思うんですよ。それを確認せずに、その二日後に、去年から発見していましたということが明らかになったんですよ。私たち、二回に分けて説明を受けて、私たち、一回目の四月二日の説明が虚偽だと思っているんですよ。気づかずにやってもとんでもないし、気づいてやっていたらうその報告ですよ。

 これを、我々野党に二日おくれたというのは、もしかして何か意図があったのかもしれませんが、大臣の報告のときに、最初に研究本部で見つけたのはいつなんだ、何で衛生部だけわかっていて研究本部だけわからないんだと、私が最初に見てヒアリングのときにしたような質問を小野寺大臣、感じなかったのかという、私は強い疑問があるんですけれども。

小野寺国務大臣 ちょっと今、記憶を呼び起こしましたが、その日、三十一日の午前中、部隊視察に行く予定で、私はもう予定があったので、その報告を受けて視察に行くことにしましたが、官房長も同行するはずだったんですが、官房長をすぐに残して、そこで、しっかり状況を調べて対応しろということで指示をさせていただきました。

 そして、今、本多委員がお話ありましたが、私も不思議に思いました。おかしいなと思ったので、なぜ、去年の二月から三月に当時の稲田大臣が調べろと言ったのに、そのときに出てこなかったのか、どうして今回出てきたのかということについて確認をする意味で、官房長に指示をし、そして、その結果、指示をしたのは、三十一日に、土曜日に午前中私は聞いて、調べろということで官房長に調べさせました、その調べた状況がある程度公表できるところまで来たので、官邸に御報告をした上で、四月の二日の月曜日に公表いたしました。

 公表すると同時に、やはり、今、本多委員が言ったように、どうもこの過程は変だなと思ったので、もう一度調べろということで調べさせたら、四月の四日の午前中だと思いますが、実は、昨年の三月二十七日の時点で、陸幕の研究本部では、そのイラクの日報が既にあって、そして、それを今まで公表の過程に、上に上げてこなかった。

 逆に言えば、当時の稲田大臣には報告せずにずっと黙っていたということがわかったものですから、これはもう完全な、正直言って大変な問題だということで、その事態を細かく調べなきゃいけないと判断をし、その日のうちに大野大臣政務官に調査チームをつくるようにお願いをしまして、そして、なぜこの三月二十七日の、イラクの日報の文書がわかったにもかかわらず、それを公表、当時の稲田大臣にしなかったのか、そのことについて、今、鋭意調査をしてもらっているところだと思います。

本多委員 いやいや、四月二日の報告を聞いたときに、私たちは、まさか稲田大臣のころに発見されているなんて全く思わなかったんですよ。最初の報告を聞いたときは、一元化の過程で出てきましたと。衛生部は、一月何日ですと日付を教えていただいたんですよ。ですから、その研究本部もまだはっきりわかっていないけれども、何かうさん臭いなと思ったんですよ、そこだけ言わないので。ただ、一月とか十二月とか、そういう日付が出てくると思ったんですよ。それが、二日後には、何と去年の三月にわかっていたという。

 こんな大きな乖離が、私が大臣に聞きたいのは、残念ながら報告なんて遅きに失していると思いますけれども、一度三月三十一日に聞いて、四月二日に全国にこんなことを公表するこの間にでも、おかしいじゃないかと確認をしてから発表すべきだったんじゃないんですか、これは。

小野寺国務大臣 まず、三月三十一日には、たしか、この一元化の過程の中で、こういうものが見つかったかもしれません、見つかりましたということが来たので、私もその過程がよくわかりませんし、対外的に言うためには再度確認をしないといけない。土曜日の午前中ですから、やはり官邸に報告した上で公表といえば、月曜日の朝、午前中にするという、そのぐらいの時間は確認も含めて必要ではないかということで、官房長を出張に同行させずにその作業に充てました。

 そして、四月二日月曜日に公表する過程におきましては、私もその段階で、ことしの一月の時点の集約の中でこのイラクの日報がわかったというふうに聞いたので、それは本多委員と同じなんですよ。

 そのままの状況で一応公表することにしたんですが、やはり、その公表する中で疑問がありまして、なぜだろうということで聞いて、それが三月二十七日を、去年ですが、わかっていたということが、報告があったのは四月四日であります。

 ですから、その日にすぐに公表して、こういうことに対してはちゃんと疑問を解くように、大野政務官にチームをつくっていただいたという、その日のうちに全て対応したということであります。

本多委員 これは、四月二日のときに、本当に官僚サイドは三月にわかっていたことを知らなかったと思われますか。

小野寺国務大臣 少なくても四月二日の時点では、日報の集約過程で、たしかあのとき、一月とか二月とかそういう説明がありましたが、少なくても、ことしになっての、確認があって、いろいろなことを調べながら、ここになりましたという報告がありました。確かに時間がかかったという印象はありますが、それにしても、その時点では、私どもの認識としては、その一月ぐらいの時点だったと思います。

 ただ、正直私は、これはちょっと、なぜそうなったんだろうと。私が一番腑に落ちないというか、感じていますのは、四月二日に、これは、去年、稲田大臣のときに、二月、三月にないと言ったのがどうして出てきたんだ、この時点は何がどうなったんだということを再度確認しろということでお話をしたら、二日後に、実はこの三月二十七日に既にというふうにぽんと出てきたわけです。

 ですから、そういう意味では、やはり明確な指示を出すということ、これは、今回のいろいろな調査に関しては、やはりこの指揮命令系統では大変重要なことなんだなと思いました。

本多委員 小野寺大臣の仕事は、人の命を預かる自衛隊、そして我々国民の命を預かる大切な仕事なんですよ。それで、四月二日の後に調べて、俺が何か怪しいと思って調べて、四月四日に真相を暴いたといいますが、残念ながら、私たちの立場から見ると、四月二日に、野党もがん首並べて各党いろいろなヒアリングをしました。合同でもしました。そのときにインチキな説明をされたということなんですよ。

 こんな段取りの、二日たったらすぐわかるようなことを、一度うその説明をされたというのは、すごく私は、結果わかったからいいじゃないか、二日後に明らかになったからいいじゃないか、そんな簡単な話じゃない。ちゃんと、大臣が知ってからの二、三日の間でも、私でさえ気づいたんですから、この本部で、研究本部というところは誰が最初に発見したんだ、衛生部だけ何で日付がわかっているんだ、こういう具体的なことを、これぐらいのことぐらい詰めてから四月二日に発表すべきだったと私は思っています。

 それで、この四月だけでも私はおかしいと思うことは幾つかあるんですよ。実は、三月じゃないですよ、この四月ですよ。

 例えば、この国際活動教育隊、ここでたくさん日報が出てきました。このことは、例えば、すごく大事な事態だと思うんです。さっきの大臣のこの読み上げの文書に入っていないのはなぜですか。

小野寺国務大臣 済みません。これは、当然事務方とともにつくったということですが、ちょっと担当した、文書課長でしょうか、参考人が、きょう認めておりませんので、調べて御報告をさせていただきます。

本多委員 いや、私、実は通告をきちんとしております。

 この国際活動教育隊の話、辻元議員がそもそも昨年の二月の十七日の予算委員会で国際活動教育隊の資料を委員会に提出をして、ここに日報という言葉が入っているじゃないか、国際活動教育隊には日報があるんじゃないかと、具体的に場所を示して、日報があるんじゃないかということをしたのに対して、ないと。資料をつくった後に捨てているという答弁をしているんです。

 そのときの答弁はいいんですけれども、そのときの答弁も大問題なんですけれども、この国際活動教育隊の話が、四月に入ってから、野党への説明ペーパーに一枚も出てこないんですよ。勝手に記者会見では言っているんですけれども、我々の資料にこの問題は何で出ていないんですか。そして、この今の大臣所信には出ているんですか、どこかに。

小野寺国務大臣 国際活動教育隊における日報の保管ということだと思います。

 これは、昨年二月に辻元議員から陸上自衛隊の国際活動教育隊が収集した日報についての資料要求があった際に、保有していない旨を回答して、国会においても同様にお答えした上で、国際活動教育隊が日報を当時から保有していることが確認をされたということです。これは私の方から公表をさせていただきました。これは、当時の正確性を欠く答弁や資料要求への対応は、不適切だと思っております。

 これらを詳しく御説明すると、昨年二月十六日の辻元議員からの当日中を期限とする資料要求を受けて、人事教育局から陸幕を通じて国際活動教育隊に急ぎの問合せをしたところ、国際活動教育隊においては日報は用済み廃棄とされているとの認識があり、十分な探索が行われずに、保有していない旨回答したことが判明しております。

 このような認識のもと、その翌日の二月十七日に行われた衆議院予算委員会において、辻元議員からの同趣旨の質問に対して、その前日の資料要求に対する回答と同じく、国際活動教育隊は日報を保有していない旨の答弁が行われたというのが経緯だと思います。

本多委員 何か、この国際活動教育隊のこともしっかりとスポットを当てて、大臣の先ほどの文書の中に入っていなかったと思いますので、きちんと入れてください。大事なテーマの一つなので、きちんと入れて。

 それと、私、きのうも指摘しているんですよ。記者会見で言っているんですから、別に隠蔽していないのはわかるんですけれども、野党のヒアリングの紙にこの話は載っていないんですよ、ずっと。何か、この話をなかったことに、ここに一番たまっていたわけです、日報が。イラクはないかもしれないですけれども。

 だから、ここのことをしっかりと、ここの経緯、辻元さんに、一日とかいいますが、場所を指定して頼んでいるんですよ。きちっと、誰がその電話で保管していないと答えたのかとか、そういう具体的なことも、これは大野チームでこのこともやっていただけるという認識でいいですか。

小野寺国務大臣 ただいまの本多委員の御指摘でありますこの国際活動教育隊のことに関しては、委員会のお許しがいただければ、きょうの私の発言の中に加えさせていただければと思っております。

 そして、野党チームというんでしょうか、あのレクチャーの中で、資料の中に入っていないということでありますから、そこは丁寧に、しっかりその国際活動教育隊についても入れさせていただくということにいたします。

 また、このことについては、私ども、その経緯について、中で今調べておりますが、今、大野チームが特化してやっていただきたいというのは、やはり、三月二十七日に、どうして、わかっていたにもかかわらず、陸自の研究本部にあったものを当時の稲田大臣まで上げなかったかということについて、そこをまず中心に早く探索してほしいということでお願いをしておりますので、まずその結果を待ちたいと思っております。

本多委員 じゃ、調査チームの話にいきますけれども、何でテーマをそんなに絞るんですか、勝手に。まず広くやって、どこが焦点なのか、いや、私も、その去年の三月二十七日にあることを知っていたのになぜ隠したのかもきちんと調べていただきたいですよ。しかし、私たちは知りたいことがもっとあるんですよ。

 一月に発見されてから二月までのおくれ、二月の頭に知ってから大臣への報告のおくれ、私なんかからいえば、四月に入ってからのいろいろな不手際、こういうの全てにわたって、きちんと調査すればいいんじゃないんですか。せっかく、この際うみを出すと言っているんですから。

 何で去年の三月二十七に絞る、辻元議員の具体的に絞った、これに何で的確に答えられなかったのか、こんなことも調査に入らないんですか。

小野寺国務大臣 まず、私ども一番重要視しているのは、確かに全てに関していろいろな問題がありました。ただ、一番重要視しているのは、昨年三月二十七日にイラクの日報の存在がわかっていたにもかかわらず、そのわかっていた認識がある中で、当時の稲田防衛大臣を始め上の方に報告をしなかったということ、これはまず大変重要なことで、なぜそうだったのか、そしてどの範囲で、認識しても上げなかったのか、これをまず最優先で私どもとしては対応させていく、これが大事だと思っております。

 全体の過程に関して問題がなかったのかというのは、これは防衛省全体としての反省でありますし、先ほど辻元議員に関しての説明についても、これは、まず丁寧に説明をさせていただく中で、おわびも含めてさせていただきたいと思いますが、私ども、まず、この昨年の三月二十七日の陸自の研究本部の案件を優先して調査をしたいと思っております。

本多委員 いや、私は、勝手に優先事項を決めないで、ことしに入ってからの事項、例えば、鈴木さん、来ていらっしゃいますよね。鈴木さんが知ってからのこの一カ月、鈴木統幕総括官は、精査をしていた、ほかに漏れがないか、ほかにもないか調査していたと言うけれども、真っ赤なうそだと思いませんか、大臣。

 この一カ月間、森友でもめ、予算の審議をしている。私たち、いろいろな疑いがありますけれども、彼の言いわけは、ほかに漏れがないか空自や海自にも聞いた。しかしですよ、その三月の後に、この国際活動教育隊の話も出てくる、情報本部も出てくる、空自も出てくる。三月、何をやっていたと思いますか、これ。

小野寺国務大臣 本人がそこにおりますし、結局その間対応する責任者でありますので、聞いていただければいいと思いますが、少なくても私の認識では、確かに、私ども大臣に上げるときに、当然私どもとして、これで何ページぐらいあるのか、内容はどうなのか、途中はどういう内容なのか、今まで国会に対してどんな説明をしてきたのか、情報開示請求に関してこれはちゃんと応えているのか、多分そういうことをいろいろ私ども当然聞いた上で、この問題の重要さというのを認識すると思います。

 恐らくそれを準備したというふうに認識はしているとは思うんですが、少なくても、まず、こういうのがありましたと、あったことがわかれば、その第一報を上げてくるというのが、これは適切だと思いますので、そこは、この事案が発生してすぐに、なぜこんなに遅かったのか、第一報はまず初めにすべきではなかったかということを厳しく指導いたしました。

本多委員 いや、私、実は、昨年の三月にわかったけれども出さなかった理由というのは、これから調査してもらえれば、知りたいですけれども、あのころは、稲田防衛大臣自体が、いや、特別防衛監察で曖昧にされましたよ、打合せであったことを公表しないことを認めたかどうかというのは曖昧になりました。ああいう曖昧な決着だったんだけれども、いろいろ情報隠しが行われていた時期なんですよ。

 あのころの問題も大事ですけれども、私は、鈴木総括官が、去年のあんな、防衛省を揺るがして、非常に自衛隊の皆さんも防衛省の皆さんも嫌な思いをした、あの経験をしたのに、あの経験をしたことしに、なぜ三月にこんなものが見つかって一カ月もほったらかしにしたのか、こっちの方が問題だと思っているから。

 それを調査チームのテーマにも入れず、ましてやその一番張本人の鈴木さんが調査チームに入っている。こんなのおかしいと思うんですけれども、どうですか。

小野寺国務大臣 まず、今、大野政務官が行っている調査チームというのは、昨年の三月二十七日に陸幕の研究本部にあったイラクの日報の文書が、これがあったことをなぜ当時隠していたかということ、これは、これを調べる調査チームはこの当時かかわりのなかった人がやるのが当然です。鈴木総括官は、その当時はこれにかかわっていることはありません。

 そして、統幕に上がって私に説明があるまで約一カ月という時間がありました。この期間、何がこんなに時間がかかったかということ、私はすぐに報告をすべきだというふうに思っておりますが、なぜかかったかということは、きょう、本人が来ておりますので、直接聞いていただければ一番ありがたいと思います。

本多委員 その言いわけは何度も聞いているので、大臣がそれでいいと思われるかどうかという形で質問をしています。

 私は、やはり、去年、特別防衛監察をああいう曖昧な形で決着をさせたことは本当に、御努力いただいた官僚はいるんでしょう、しかし、あれをやっている人がまたチームに入っているんですよ、小波さん、本当に防衛省の中の皆さんが納得いく形だったのか。稲田大臣は、本当に情報の隠蔽に了承を与えなかったのか、黙認をしなかったのか、それを曖昧なまま辞任をした。それから、一応責任をとってやめた形にした事務次官は、今何か、内閣官房でNSCの参与をやっているそうじゃないですか。こんな、責任をとった何カ月後かに内閣官房のNSCで参与なんという職を得ている。

 こういう、けじめをきちんとあのときつけなかったことがこんなことを生んでいると私は思うんですけれども、大臣の見解はいかがですか。

小野寺国務大臣 私は、当時、委員としてこの議論について聞いておりました。特別防衛監察の結果ということ、これを当時かなり議論された覚えがありますが、私は、その後大臣になりまして、特別防衛監察の結果を知り、そして、当時の当事者全員に私自身が電話なり面談をして、この特別防衛監察の結果で間違いありませんかということを確認をいたしました。全ての当事者がそのことに同意をされたという、そのことを覚えております。私としては、やはり、この特別防衛監察の結果というのを大変重いものと受けております。

 それから、今、黒江前事務次官のお話がありました。これは私ども防衛省の所掌ではありませんので、私からコメントは差し控えさせていただきます。

本多委員 稲田防衛大臣にしっかりとこの場に出てきていただいて、もう一度あのときの事実関係をきちんと把握をすること、それから、稲田さんがかかわった去年の特別防衛監察では曖昧にされた、情報隠しを黙認したかどうかのところをしっかりと資料も提出をすることをお願いをして、私の質問を終わります。

 以上です。

寺田委員長 次に、後藤祐一君。

後藤(祐)委員 希望の党の後藤祐一でございます。

 きょうは、差しかえということで、質問の機会をいただいたことに感謝を申し上げたいと思います。

 まず冒頭、今、本多委員が扱っていた、大野調査チームに鈴木総括官が入っているということについて、大臣は、その当時はかかわりがなかったからいいんだ、こういうふうにおっしゃいましたけれども、当時かかわった人はやらないということでよろしいですね。

小野寺国務大臣 私の認識は、当時の研究本部のこの事案にかかわっていた人、それは、かかわり方というのは、当然、自衛隊員であれば全員その研究本部とかかわりがあるといえばそうでありますが、基本的には、今回、私どもとして調べる必要が更にあると思っている三月二十七日の、昨年でありますが、イラクの日報に関して、しっかりと、わかっていたにもかかわらず、当時の稲田大臣を始め上に報告しなかった、その研究本部の関係者というふうに思っております。

後藤(祐)委員 この調査チームのトップを小野寺大臣自身になぜしなかったのか、あるいは外部の人にしないで、なぜ大野政務官にされたんですか。

小野寺国務大臣 まず一つは、今回、このイラクの日報問題を始め防衛省・自衛隊の問題で国会を含めさまざまなところで私は答弁をする、その役割を負っております。昨日も終日でありますし、きょうも終日であります。こういう中で、しっかり調査を行ってもらうためには、私以外の信頼に足る人物にお願いをするということ。そして、私と大野政務官も同じでありますが、政治家であります。政治で私ども任命された中でこうして役割を果たすということです。

 更にもう一つ言えば、昨年、これは後藤委員がかなりこの場でも強く御主張されたことを私は覚えておりますが、例えば特別防衛監察になりますと、一年かかるとか、早くて半年とか、そういうことでは、これではつまびらかにならないだろう、そういう御指摘を私は覚えております。

 なるべく早く、まずどういうことがあったかということを対外的に公表するためには、私はこの大野政務官をヘッドにしたチームが適切ではないかと考えております。

後藤(祐)委員 小野寺大臣、イラクへ自衛隊を派遣していた二〇〇四年九月から二〇〇五年十月までの防衛庁長官、どなただったか御存じですか。

小野寺国務大臣 大野功統長官だったと思います。

後藤(祐)委員 大野政務官のお父様ですよね。今の対応を見ていますと、それを御存じなかったということですか、今質問するまで。

小野寺国務大臣 防衛大臣、防衛庁長官というのは歴代さまざまな方がされておりますので、済みません、事前にこの年はどなたですかと言っていただければすぐ、速やかにお答えできたと思います。

後藤(祐)委員 そういうことではなくて、このイラクの日報を調査する、調査した結果、例えば戦闘という言葉が入っているような日報が出てくるかもしれない。そうすると、当時の防衛庁長官の責任といった話にもなるかもしれない。そういった話について、お父様がそのときの防衛庁長官でおられた大野政務官をトップにする。しかも、そのことを大臣は今御存じなかった。

 大野政務官に聞きたいと思いますけれども、大野政務官、お父様が大野功統防衛庁長官だったとき何をされていましたか。

大野大臣政務官 政務の秘書官をさせていただいておりました。

後藤(祐)委員 当事者じゃないですか。当事者じゃないですか、大野政務官は。

小野寺国務大臣 後藤委員にお話ししたいんですが……(後藤(祐)委員「ちなみに、私、まだ質問していないです。私、まだ質問中じゃないですか」と呼ぶ)今、委員長の指名がありましたから。

 私がお話をしたいのは、大野政務官は、大変すぐれた方でありますし、そのお人柄も信用に足る方だと思っております。お父上は大変すばらしい政治家でいらっしゃったということも認識をしております。私は、その全てを勘案した中で、今回、大野政務官にお願いをしたということであります。

後藤(祐)委員 大野功統先生が防衛庁長官をされていたとき、小野寺大臣は何をされていましたか。(小野寺国務大臣「済みません、いつの話でしょうか」と呼ぶ)

寺田委員長 後藤祐一君、再度お願いします。

後藤(祐)委員 二〇〇四年九月二十七日から二〇〇五年十月三十一日が大野防衛庁長官でございます。そのとき小野寺先生は何をされておられましたか。

小野寺国務大臣 今、本多委員から、多分、私、外務政務官をしておりましたから、外務政務官のときかもしれませんが、済みません、事前に御質問があればしっかりお伝えできると思うんですが。

後藤(祐)委員 小野寺先生は、二〇〇四年九月三十日から二〇〇五年十一月二日まで、すなわち、大臣の任命と政務官の任命が数日ずれますけれども、その数日を除くと、ほとんどぴったり重なる形で外務政務官をなされておられます。

 かつ、そのとき何を担当しておられましたか。二〇〇四年十月二十六日に参議院外交防衛委員会で、就任のときの御答弁だと思いますが、「国連改革、安全保障政策、そして国際交流を担当させていただきます。」と答弁されておられます。外務省で、安全保障について担当の外務政務官だったんです、小野寺大臣は。

 つまり、今おられる防衛省の政務三役四人のうち、小野寺大臣は、イラク派遣の一部、二年間の安全保障担当の外務政務官、そして大野政務官は、そのときの防衛庁長官がお父様であり、御本人はその秘書官であった。更に言うと、きょう来られていませんけれども……(発言する者あり)

 委員長、ちょっと静かに。

寺田委員長 静粛にお願いします。

後藤(祐)委員 更に言うと、福田達夫政務官におかれましても、お父上の福田康夫総理大臣の時代に総理秘書官をお務めになられていますが、このときに、少なくとも空自についてはイラクの派遣がなされているわけでございます。山本副大臣はさすがに関係ないと思いますが、防衛省の四人の政務三役のうち三人が、イラクの派遣に直接、当事者だったんです。

 そのこと自体は、私はすばらしいことだと思いますよ。お父様も含めて、経験があられることはいいことだと思いますよ。ただ、過去のイラクの日報がどうなっているのかというのを検証する中で、出てくると都合の悪いものが出てきちゃうこともあり得るわけですよ。そのときに、自分のお父様のやったことだとかそういったことが、これが法的にどうだったのかといったことを検証しなきゃいけなくなってくるわけですよ。

 大野政務官、お父様のやっていたことがもしかしたら法律違反だったようなことが出てくるかもしれない。客観的、中立的にできるとお考えですか。

大野大臣政務官 まず、私は今、小野寺大臣の指示を受けて、この国会の皆様の負託に応えるように、最大限努力をさせていただいているところでございます。

 そういった意味で、過去に何があって、そして、我がおやじに、失礼、我が父親に何が起こっても、私は、国民の皆様にしっかりと説明をする、それが私の責務であると思っておりますので、何とぞ勘違いをされないように、よろしくお願いしたいと思います。

後藤(祐)委員 この大きな拍手は何なんですか。おやじが何であろうとという、そんな精神論を言われたって信用できませんよ。(発言する者あり)

寺田委員長 御静粛にお願いいたします。

後藤(祐)委員 もう少しきちっとした体制でやっていただけますでしょうか。(発言する者あり)

 ちょっと筆頭理事が、委員長、今の、きちっとした質問でないという筆頭理事からの発言に、ちょっと御注意いただけますか。

寺田委員長 改めて、御静粛にお願いいたします。

後藤(祐)委員 去年やっているときは、もっと激しいときに、小野寺大臣は筆頭理事で非常に協力的にやっていましたよ。そこは私は認めますよ。

 では、次に行きたいと思います。

 イラクの日報が今問題になっておりますけれども、イラクの日報をなぜ隠蔽してしまったか。その前提は、南スーダンの日報を隠蔽してしまったから、イラクだけ対応を変えるわけにいかなかった。だから、南スーダンの日報の判断がどうであったか、なぜ隠蔽してしまったのか、なぜシビリアンコントロールが及ばなかったのか、こういったところを検証しなきゃいけないわけですけれども、今回、南スーダンの日報の一部が新たに情報本部で発見されました。これについては、ちょっと確認をまずしたいと思います。

 辰己前総括官、お越しいただいておりますけれども、情報本部で南スーダンの日報が発見されるに至る過程で、統幕の運用部運用二課とCRF、中央即応集団の情報部からメールで情報本部の分析部、画像・地理部に送られていたというのは間違いありませんか。そして、これは日報が作成されるたびに、それぞれメールでしょっちゅうしょっちゅう送信されていたということで間違いありませんか。

辰己政府参考人 私自身は当時、統幕におりました。昨年、この南スーダンの問題が大変議論になったときに、私自身は統幕に、自分自身で見つけてこれを出したわけですし、それから、陸の話については御案内のとおりでございます。

 そういう意味において、統幕と陸との話について集中しておりまして、この件については今現在調査中と承知しております。

後藤(祐)委員 今もう公表されていることを確認までに聞いているんですけれども、統幕の運用部運用二課とCRF情報部からメールで情報本部の分析部、画像・地理部に送られていたというのは間違いありませんかと。これは、もう既にきのう課長が言っている内容ですよ、ほとんど。しかも、それは、日報がつくられるたびにその都度その都度メールで送られていたということで間違いありませんかと。

 これはもう既に言っている内容だと思いますが。明確に言っていただけますか。

鈴木政府参考人 お答え申し上げます。

 詳しい事実関係は現在調査中でございますが、今般確認されました日報につきまして、これまでの調査によれば、UNMISSが派遣されていた当時、情報本部における日々の情報分析に使用するため、情報本部分析部及び画像・地理部が統幕運用部運用第二課や中央即応集団司令部情報部から電子メールで受領していた模様です。

 情報本部が日報を受領していた期間の全体像については、現在、探索、集約作業を継続中であることから、現時点で予断を持ってお答えすることは差し控えさせていただきます。

後藤(祐)委員 これは、情報本部にメールで送られていたということは、なぜ特別防衛監察の対象から外したんですか。

 配付資料の二ページ目に、特別防衛監察の最初の部分を二ページ目で配付しておりますが、この「対象機関等」というところで、「本件日報の管理に関係する防衛省の機関等であり、」と。つまり、これ、日報の管理をしていたら広く入るんですよ。ところが、その後ろで、事務次官、内部部局、統幕、陸幕、CRF司令部を対象としてと、非常に狭くなってしまっているので、この情報本部は漏れてしまった。更に言うと、一番最初に、ここ二、三週間の間で見つかった、研究本部にもあったわけですけれども、研究本部も漏れてしまっていたということだと思いますが、これはなぜ特別防衛監察の対象から、辰己総括官、外しちゃったんですか。

辰己政府参考人 当時、私は監察を受ける立場だったので、それをなぜ外したかについて、ちょっとお答えすることはできないと思います。

後藤(祐)委員 では、これがわかる方、大臣でもいいですが、わかる方、お答えいただけますか。

鈴木政府参考人 当時の特別防衛監察につきましては、南スーダンの日報をめぐりまして、統幕、ここにおいて確認されたわけですが、それが、陸幕等々、そうしたところにあるやなしや、そういうところが非常に議論になりました。そうした、配付された経路、こうしたものについてしっかりと確認をする必要があるということから、御指摘の、事務次官、統幕、陸幕、そしてCRF司令部、そういったところに特別監察が入ったというふうに承知しております。

後藤(祐)委員 大臣、これは結果として不十分だったと思いませんか、対象範囲が。

小野寺国務大臣 当時の南スーダンの日報に関する議論の中で、さまざまな疑念があって、その疑念の範囲を特定して特別防衛監察を行ったというそのような流れについては承知をしております。

 ただ、結果的に、その監察の結果は結果として、今回、イラクの文書がさまざまなところから出てきているということもありますし、南スーダンの文書についても、これは情報本部の方から出てきているということでありますから、私どもとしては、やはり文書はしっかりと認識をして、今、この問題が国会で、あるいはさまざまなところで議論、あるいは関心が高まっている中で、もしその文書の所在を認識している者がおれば、それは速やかに、特別防衛監察の範囲がかかっていなくても、やはりこのようなものがあったということは上の方に報告する案件ではなかったかと思っております。

後藤(祐)委員 この特別防衛監察は、部分的には立派にやっているところはあると思うんですが、やはり不十分なんですね。今の、対象も不十分だったんですが。

 配付資料の三ページ目をごらんいただければと思いますが、これは割合はっきり調べていただいた部分ですが、要は、なぜ隠蔽してしまったのかという根っこの根っこをたどると、去年の七月の情報公開請求にさかのぼるというのが特別防衛監察の結論でございますが、そこの三ページ目の(二)ウというところで、CRF副司令官(国際)は、日報以外の文書で対応できないか陸幕に確認するよう指導した、そして、個人資料であると説明した上、日報を該当文書、すなわち情報公開請求に対してお応えする文書に、日報を含めないとする旨について確認し、含めなくてよいとすることで了承された。

 つまり、日報があることを知りながら、情報公開請求に対して日報を出さないという対応をすることでよいかとCRFから陸幕に相談をし、それでよいというやりとりがなされたと、これは非常にはっきり記しているんですね。ここが隠蔽の始まりなんです。これはもう認定された事実だと思いますが。

 大臣に聞きます。これ、隠蔽ですよね。

小野寺国務大臣 済みません、特別防衛監察の結果、全体でどういう評価をしているかというのは、ちょっと今、急に聞かれたので把握しておりませんが、少なくても、適当ではないと思っております。

後藤(祐)委員 その適当でないという言葉でごまかすから、変わらないんですよ。

 少なくとも、このウに書いてある部分は、これは隠蔽することでいいですねという了解を得た作業ですから、その全体としてどうかではなくて、この(二)ウでやった、CRFが陸幕に対して、情報公開請求に対して、日報は本当はあるんだけれども、日報そのものは出さないでいいですねというやりとりをして了承されたという行為自体は、これは隠蔽じゃありませんか。これを不適切という言い方で、あるいは不適当という言い方でごまかすから、いつまでたっても変わらないと思うんですよ。

 大臣、先ほど本多委員に対して、うみを出し切るようにというお言葉を使われました。まさにここがうみなんですよ、大臣。隠蔽だとはっきり言った方が過去と決別できるんじゃありませんか、大臣。

小野寺国務大臣 委員にお願いをしたいのは、もし、この案件についてどう大臣が考えるかということを事前に私の方に質問があれば、準備をしてお答えをするんですが、今、急な質問でありましたが、確認をしましたら、この特別防衛監察の中で、この案件につきましては、行政文書の開示義務違反につながるものという形で、これは、職務の遂行の義務、自衛隊法第五十六条違反に該当し、不適切であるという、そのような評価をこの特別防衛監察の中で行っております。

後藤(祐)委員 情報公開法違反が認定されているものだからこそ、不適切のレベルじゃないでしょう。隠蔽じゃありませんか、大臣。

 では、これは隠蔽であると断定しないのであれば、隠蔽でないということですか、大臣。

小野寺国務大臣 特別防衛監察の中で、この事案に関しては、自衛隊法第五十六条違反に該当し、不適切であるという評価をしております。

後藤(祐)委員 うみは出し切れないですね、これじゃ。情報公開法違反であることを認定していながら、隠蔽であると言わない、不適切であるとしか言わない。変わらないですよ、それじゃ、稲田大臣と。何で隠蔽と言い切れないんですか。

 シビリアンコントロールに行きたいと思いますが、同じ資料の四ページ目。今の隠蔽行為、これがそれでいいかどうかということについて、四ページ目の上のカというところ、平成二十八年九月十三日、陸幕長から防衛大臣に対し、日報が除かれた複数の該当文書について、すなわち、情報公開請求で日報が請求されているんだけれども、日報は出さないでほかのものを出すよという判断について、部分開示とすることについての意見の上申がなされた。

 これ、一見すると、大臣にその事実を説明したように思いますよね。ところが、この上申というのは、大臣に対しては具体的に説明したわけではないと、きのう事務方から伺っています。

 ところが、上申という言葉は、防衛省においては、大臣に説明するときにも使うそうなんですよ。大臣に直接説明するときにも、あるいは、大臣に直接説明しないけれども、形の上で紙のやりとりをして、形の上で大臣の判こをもらわなきゃいけないとかいうときにも上申という言葉を使うそうなんです。

 わからないじゃないですか、これ。この段階で大臣に説明していなかったことが、シビリアンコントロールがうまく働いていない根っこなんです。一番最初なんです、ここは。

 大臣、そういう意味でも、特別防衛監察のこの部分も不十分じゃありませんか。これを読んでもわかりませんよ。

小野寺国務大臣 ちょっと、後藤委員の指摘が急な話なので、済みません、もしこういう具体的なことで質問することが事前にわかっているのであれば、具体的な質問として言っていただければ、正確な答弁ができると思います。

後藤(祐)委員 私、この部分はちゃんと事務方に説明しています。だから、今の違いについて説明できるわけですよ。

 今の、上申について二つの意味があるということと、ここに、でも、大臣に対しての説明ではないという意味らしいんですね、事務方の説明では。これ自体がシビリアンコントロールの上で問題だと思いませんかということについて、何でお答えできないんですか。

小野寺国務大臣 ちょっと、この内容については、私ども、事務方から正確な形でこちらに報告がありませんので、できれば後藤委員はもっと、私どもがちょっと理解できるような形で事前に御指摘をいただければと思います。

後藤(祐)委員 これは、ちょっと今のは、理解……(発言する者あり)でも、この部分について聞くことは言ってありますよ。

小野寺国務大臣 これは特別防衛監察の結果ということについてでありますが、そのものを担当している者がここにおりますので、今回の参考人として登録をさせていただければ、正確にこの辺の経緯については答弁ができると思います。

後藤(祐)委員 シビリアンコントロールについて聞いているんですよ。参考人がいれば正確に答弁できる、それは大臣として言っちゃいけない答弁じゃありませんか。いや、信じがたいですよ。

 では、ちょっと次に行きたいと思いますが、大臣、答えられるんだったら。同じことを繰り返すんだったら、やめてください。お答えいただけるんだったら、どうぞ。

小野寺国務大臣 今、シビリアンコントロールについての御質問がありましたから、シビリアンコントロールとは、民主主義における軍事に対する政治の優先、又は軍事力に対する民主主義的な政治統制を指して、民主主義国家においては確保されなければならない重要な原則であるということであります。

 ですから、私はこの認識でしっかり防衛大臣として対応するということでありますし、今、後藤委員からの質問は特別防衛監察の何か細かい手続の話ですから、もしそのことを明確にお知りになられたければ、事前に教えていただければいいですし、また、私どもきょうそこに担当者がおりますので、そこで答弁を許させていただければ参考人として答弁させますし、そうでなければ後で説明をさせていただきたいと思います。

後藤(祐)委員 シビリアンコントロールについて大臣が参考人に説明させる、これが大臣の言葉だと信じたくないですね。

 時間がないので次に行きますが、四月七日、大臣は、海外に派遣された自衛隊の活動における現地部隊からの報告文書の取扱いについてという通達を出しておられます。この中に、今般の問題も踏まえ、中央から最前線の部隊に至る全隊員が、これが防衛省・自衛隊の信頼を回復する最後の機会であると認識した上で云々とあります。

 これは、防衛大臣である小野寺大臣自身が、これが防衛省・自衛隊の信頼を回復する最後の機会であると認識されていますか。

小野寺国務大臣 私は、今さまざま御指摘をされていることに関してこれでしっかりうみを出し切る、そういう思いでこのような通達を出させていただきました。

後藤(祐)委員 この四月七日の通達で、四月二十日までに出すようにと発注されています。その結果、出てくるものがあるでしょう。それで出てきたものの後に、また思いも寄らないものが出てきたときには、大臣、責任をとる覚悟はありますか。

小野寺国務大臣 私は、防衛省・自衛隊をある面では指揮をする、そういう役目になっております。その中で、私ども、この組織を管轄する中で、今回さまざま疑念を持たれていることについてはしっかり対応して、このうみを出し切るということが大事だと思っています。

 その意味で、末端の部隊にまで今回通知を出させていただいて、そして、まず、今回の日報のような文書があれば速やかに統幕の参事官のところに集約をする、その作業をしろ、その期日が基本的に四月二十日だと。そして、そこで集約をして、私どもとしては、そこで出た海外における日報等の資料については管理をし、そしてまた、国会等の要請があったり国民の皆様からの情報開示請求がありましたら適切な形で公開をさせていただく、そのような対応をするというのが役割だと思っております。この四月二十日というその考え方は、まずここまでに部隊はしっかり文書を出せということであります。

後藤(祐)委員 責任をとる覚悟はないということですか。

小野寺国務大臣 この通達を出した以降、またこの今回の日報等の資料を出さない部隊がありましたら、厳しく措置をするということであります。

後藤(祐)委員 自分は責任をとる覚悟はない、その後に出してきたら措置をとるという意味だと理解しました。

 一国の防衛大臣が、トップがそういう覚悟で、現場が聞いたら、士気、下がりますよね。

 更に、時間がないので、聞きたいと思いますが、三月三十一日に、このイラクの日報については初めて小野寺大臣のところに報告があったということでございますが、それより前に、例えば、正式な報告ではなくて、私的な電話だとかメールだとか、あるいは、確実にあるという情報でないにしても不確実な情報だとか、もしかしたらだとか、あるいは、直接言及せずとも何らか示唆するようなものも含めて、このイラクの日報があるかもしれないといった情報をこの三月三十一日より前に、小野寺大臣は何らかの情報に接していませんか。

小野寺国務大臣 私の記憶では、この案件について聞いたのは三月三十一日土曜日の午前中だと覚えております。

後藤(祐)委員 正式な報告ではなく、あるいは示唆するようなものも含め、何らの情報にも接していないということでよろしいですか、三月三十一日より前は。

小野寺国務大臣 今回初めてこの問題について報告があったのは、三月三十一日の土曜日の午前中と記憶をしております。

後藤(祐)委員 お答えになられていません。報告という言葉が限定的に、勝手に解釈されている可能性があるからです。報告というのは、今言ったような間接的な話だとか示唆したようなものは報告じゃないとか言ってしまえば、逃れられちゃうんですよ。

 ですから、お答えください。

 示唆したようなものだとか確実でない情報だとかいうことも含め、三月三十一日より前に、イラクの日報の、存在するかもしれない、こういった情報に大臣は接しておられませんか。

小野寺国務大臣 私の記憶では、三月三十一日の前には、そのような情報に接した記憶はありません。

後藤(祐)委員 今の答弁は非常に重要な答弁だと思います。

 そうしますと、三月三十一日より前に、イラクの日報は防衛省内、どこにも存在しないと小野寺大臣は考えていましたか。

小野寺国務大臣 少なくても、今回、イラクの日報が存在するということが、報告があったのは、ことしの三月三十一日ということになります。私が知ったのは、ですから、三月三十一日ということになります。

後藤(祐)委員 時間が来たんで終わりますが、空自の日報、三枚しかありません。三枚以外にももしかしたらあるかもしれないと。これについて、今と同じように、何らかの、あるかもしれないですとか、不確かな情報も含めて、この空自の既に開示されている三枚以外の日報について、何らの情報にも接していませんか。

小野寺国務大臣 少なくても、四月七日の通達によって今しっかり調べさせるということをやっておりますし、状況がわかった中で、対外的には速やかに報告しているということを今行っております。

寺田委員長 後藤祐一君、申合せの時間です。

後藤(祐)委員 今のお答えにならなかったところが非常に重要なことではないかなと思います。

 終わります。

寺田委員長 次に、広田一君。

広田委員 広田一でございます。どうかよろしくお願いを申し上げます。

 きょうは、統幕に敬意を表しまして、紫のネクタイをしてまいりました。

 質問に入ります前に、ちょっと委員長にお願いをしたいんですが、先ほど、本多筆頭理事で、三月三十一日の、大臣に対する説明資料についての御質問がございました。

 先ほど本多筆頭の方からもお許しを頂戴しているんですが、委員長のお許しをいただいて、これが大臣に説明された資料なのかどうか確認をしていただきたいんですけれども、よろしく取り計らいの方をお願いします。

寺田委員長 理事協議で既に提出資料は決まっておりますので、理事協議に従ってください。

 事後の話はまた協議いたします。

広田委員 今回のこの三月三十一日の資料というのは、まことに私は重要な資料だというふうに思っております。

 自分も、この資料については、きのうの理事懇の方でも資料請求をさせていただいたところでございますが、結果としては、統幕の参事官の方からは、この資料については提出することはできないというふうなお話でございました。一方では、本多筆頭の方にはこのような資料が出されている。

 しかし、この内容を見ますと、とても大臣に説明する資料というふうには読み取ることができません。ですので、ここの真偽についてもあわせて理事会の方で協議を願いたいと思います。

寺田委員長 理事会において協議をさせていただきます。

広田委員 その上で、なぜ、この大臣に説明をした資料が本委員会等にも提出することができないのか、その理由についてお伺いします。

鈴木政府参考人 三月三十一日に小野寺防衛大臣に対しまして本件について御説明した資料につきましては、現在その取扱いについて検討しているところでございます。

広田委員 そうしますと、本多筆頭に提出をしたこの資料というものは虚偽のものだということですか。

鈴木政府参考人 お答え申し上げます。

 お手元にある資料そのものが何であるかは、ちょっと私、あれですけれども、今まで御報告差し上げた資料は、小野寺大臣が本件について対外発表をされた、それについてのまとめた資料と申しますか、対外説明資料として作成させていただいたものだというふうに理解しております。

広田委員 いずれにいたしましても、今、公文書の管理、そして公開、提出のあり方が極めて厳しく議論をされている中で、野党の筆頭理事に対する、提出した資料が、これが本物なのかどうかわからないような、極めて深刻な事態だというふうに私は思いますので、このことについても理事会で御協議いただきたいと思います。

寺田委員長 理事会にて協議をいたします。

広田委員 それでは質問に入らせていただきたいと思いますが、この日報問題について、大臣の方も、四回もの会見や、委員会での釈明、おわびがございました。

 そもそも、このイラク日報が存在することを把握し、その件について大臣に報告し、さらに、対外的に公表するために三月三十一日まで、統幕で把握してから約一カ月間、その準備に、確認に多大な時間を要したはずではなかったのか。それにもかかわらず、今般、次から次へと新たな日報が出てくる。そのたびに大臣がおわびをする。これは、私は、危機管理官庁としては最悪の事態だというふうに思います。統制がきいていない証左だというふうに言わざるを得ません。この対応によって二次被害が拡大をしている、このように考えます。

 私は、相次ぐ釈明、おわび、こういったことこそが今の日本の国益を損ねているんじゃないか、このように思いますけれども、大臣の御所見をお伺いします。

小野寺国務大臣 このような文書の管理あるいは情報公開への対応ということは、これは御指摘をされる中で、私どもとしては大変反省しなければいけないことなんだと思います。

 ただ、今、このような、今までないと言っていた文書が出てきた、あるいは、今までしっかりとした文書管理ができない中で新たに文書が出てきたということを対外的に公表できているのは、昨年七月二十八日に、南スーダンの事案の反省を踏まえ、改善策の中で、統合幕僚監部に海外における日報の一元管理を行うという方針、この過程の中で出てきた内容でありますし、またさらに、昨年三月二十七日の、イラクの日報が陸幕の研究部にあって、それが、当時の稲田大臣に上げなかったという、このような事案を踏まえて、これを徹底するということが大切だと私は考えております。

 であるからこそ、四月六日に特別訓示を行い、四月七日に大臣の指示を出し、文書をしっかり管理、そしてまた集約せよという形で今上がってきているところだと思います。

 そして、そこで上がってきた案件については、私が、その内容の詳細な調査をする前に、まず、あったら速やかに公表をし、そしてそれについて国民の皆様におわびをするという、そのことを今させていただいているということであります。目的は全てのうみをしっかり出し切る、その作業の過程ということだと思います。

広田委員 るる御答弁があったわけでございますけれども、先ほど大臣がおっしゃった統幕への一元化管理、これが本当にいいのかどうか、これについてもやはりこれからも議論していかないといけないというふうに思っておりますが、本日は、これから、るるちょっと確認をさせていただきたいというふうに思います。

 ただ、繰り返しになりますけれども、本来であれば、三月三十一日のあの大臣に対する報告、それを受けて対外的に公表をしていく、そういうふうなことが本来では全てでなければいけなかったはずであります。それが、次から次へと新たな日報が出てくるというのは、危機管理官庁としては、私は、今最悪の事態に陥っている、このように指摘をさせていただきたいと思います。

 それでは、何点か確認をさせていただきたいんですが、本日、大臣の方からは御報告がございました。この中で、私が知りたかったんですけれども出なかったので、確認の意味で御答弁願いたいんですが、大臣のきょうの報告で、一連の日報問題について、シビリアンコントロール上どう認識されているのか、これについての具体的な言及がございませんでしたので、確認の意味でお伺いをしたいんですけれども、昨年の三月二十七日にイラクの日報が発見されていたにもかかわらず、再調査を指示した稲田大臣に報告されず、一年以上もこの問題が隠されていたことについて、大臣はシビリアンコントロールがきいていると考えるんでしょうか。

小野寺国務大臣 イラクの日報については、昨年三月二十七日の時点で、陸自研究本部で保存が確認されていたにもかかわらず、そのことを統幕、内局、そして当時の稲田防衛大臣に報告しておりませんでした。

 このことは、陸自研究本部においてイラクの日報の保有が確認されたことについて本年三月に事務方から報告を受けた後、私より、昨年二月から三月の陸自研究本部における探索の結果なぜイラクの日報が発見されなかったのか、早急に調査し説明するように指示し、その結果、昨年二月二十二日になされた当時の稲田防衛大臣からの探索指示に適切に対応していないことが明らかになりました。これは、防衛省・自衛隊にとってシビリアンコントロールにもかかわりかねない重大な問題であり、極めて遺憾だと考えております。

広田委員 大臣、やはり最後の語尾のところが、シビリアンコントロールにかかわりかねないということで曖昧にされているんですけれども、この一連の、大臣が極めて問題意識を強く持っている事案について、シビリアンコントロールがきいているのかきいていないのか、ここについて明確な御答弁をお願いします。

小野寺国務大臣 この案件について、この問題については、まだ全ての状況がしっかり把握をされておりませんので、少なくても現段階で私どもが考えておりますのは、防衛省・自衛隊にとってシビリアンコントロールにもかかわりかねない重大な問題であり、極めて遺憾ということであります。

広田委員 その認識の持ち方自体が大変甘いというふうに思います。

 次に、小野寺大臣になってから、イラクの日報の存在について、二月二十七日以降に統幕が把握しながら、大臣に報告があったのは三月三十一日。この一カ月もの報告のおくれについて、これはシビリアンコントロールがきいていると考えますか。

鈴木政府参考人 御指摘のように、統幕の方でこの日報を確認しました二月二十七日から、大臣への御報告が三月三十一日になっているというものでございます。

 大臣への報告に際しまして、事務方として必要な作業を行っていたということでございますが、結果といたしましては、昨年の南スーダンのPKOの問題を踏まえていないなどといった厳しい御指摘につながったというふうに重く受けとめてございます。

 この件につきましては、小野寺防衛大臣より、私も厳しく御指導をいただきました。昨年の反省を踏まえれば、このような重要な事案を認知したのであれば大臣に直ちに一報するべきであったというふうに考えてございます。

広田委員 鈴木総括官の御答弁を踏まえて、大臣、これ、シビリアンコントロールはきいていると考えているんでしょうか。

小野寺国務大臣 いずれにしても、今回のこの一件、案件について表に出たということは、これは、政治のリーダーシップの中、昨年の七月二十八日に再発防止策というのが出て、その中で、統幕で海外における日報の文書の一元化ということを図る過程の中で出てきた内容でありますし、そして、更に言えば、私も、この報告を受けた後、先ほどの本多委員の意見と同じ考えで、これはやはりおかしいという、そのことをもって、私の指示で、今回、再度調べろということで、四月の四日でありますが、陸自の研究本部に三月二十七日に存在があったにもかかわらず、それを当時の稲田大臣等に報告をしていないということが判明しましたので、これも、ある面では政治のリーダーシップで私ども確認をしていることだと思っております。

 そして、その後、やはりこれをしっかり徹底する必要があると改めて感じ、四月の六日に特別訓示を行い、四月の七日に大臣の指示を発出をし、そしてその中で、今、新たな文書が確認されたということで上がってきております。昨日昼には、私のところに、南スーダンの日報が、これは情報本部から発見されたというその連絡があり、速やかに私は、昨日でありましたが、参議院の決算委員会の最中ではありましたが、それを公表させていただきました。

広田委員 結論を申し上げますと、シビリアンコントロールはきいている、こういうふうに認識されているということでよろしいでしょうか。

小野寺国務大臣 防衛省・自衛隊をしっかりとした組織にするためにも、政治のリーダーシップ、シビリアンコントロールの中でしっかりと対応していきたいということであります。

広田委員 正面から答えていただけませんが、この点についても、おいおいまた精査をしていきたいというふうに思います。

 それでは、いわゆる三月五日問題でございますけれども、これについてお伺いいたします。

 鈴木総括官が小野寺大臣に三月三十一日にこの件について報告する際に、これも段々の議論がありましたけれども、一番ポイントであり、最も確認すべきイラクの日報の発生時期を陸幕に正確に確認していなかったというのは、私は余りにも不可解であります。これについて、鈴木総括官に事実確認を確認したいと思います。

鈴木政府参考人 お答え申し上げます。

 本作業、統幕への一元化という作業の中で、これは昨年の夏の南スーダンPKO問題に端を発するものでございますけれども、十一月の二十七日に、陸上自衛隊は、陸幕を中心といたしまして、全国に所在する部隊を対象に、いわゆる日報、これの保有状況を確認して、ことしの一月三十一日までに提出するように通達を出しました。その締切りの中で、一月三十一日に陸として全体を集計いたしまして、そして、二月の二十七日に統幕の方に持ってきたということになってございます。

 この段になりまして、イラクの日報についての、いわゆる過去の国会との関係で問題になっているものであるという認知が始まりまして、さまざまな、まさにどこで発見されたのであるかとか、どのくらいの量であるのかとか、そういったような形が、作業が始まって、私の方に報告がなされていくという形になっているということでございます。

広田委員 そのように、鈴木総括官自体は精査をしたはずでありますけれども、しかしながら、ことしの三月五日にこのイラクの日報の存在について統合幕僚監部参事官付から報告を受けたときに、鈴木総括官自体は、いつ陸自研究本部で日報が発見されたとそのときは理解していたんでしょうか。

鈴木政府参考人 三月五日に私の方にこのイラクの日報の存在の話がございましたときには、研究本部、それから陸幕の衛生部、こちらの方で発見されたという話もあわせて……(広田委員「その日時」と呼ぶ)その日時については言及はなかったというふうに承知しております。

広田委員 ですから、それをなぜ正確に把握、確認をしようとする作業をされなかったんですか。

鈴木政府参考人 本件につきましては、先ほど申し上げましたが、イラクの日報について探索をするという作業ではなく、全体の、陸上自衛隊が各部隊を含めまして保有する日報等の保有状況全般を調査する中で出てきたものであるということでございましたので、その中でこのイラクの日報というものも入ってきたというふうに理解したものでございますから、そのときの日時そのものに注目していたわけではございませんでした。

広田委員 つまり、この最も重要な情報、把握しなければならない事実、そして、小野寺大臣自身もこれはどうしてなんだというふうに疑問を持ったことについて、鈴木総括官が把握をしようともされなかったということは極めて残念なことでございますし、ぜひ、鈴木総括官、これ、御自身自身の記憶を思い返していただいて、これをいつ自分が把握をしようとしたのか、どのような日時だったのかということをぜひとも御報告いただきたいんですけれども、いかがでしょうか。

鈴木政府参考人 その当時の私といたしましては、まず、イラクの日報そのものの現物そのものをまず確認するですとか、そして、そうした日報が何日分ぐらい、つまり分量的にどうあるのか、そして、更に申し上げれば、陸だけではなく、ほかの自衛隊でのイラクの日報等もないのかどうかといった再探索作業、それから、更に申し上げれば、三月五日のときから、陸自の中では、陸幕を中心といたしまして、更にこのイラクの日報の再探索というものが行われましたので、そうしたものについて状況を把握しようということを考えてございました。

広田委員 自分の質問のポイントのところについては一切触れられておりません。このことも後ほどまた精査をして、後日の質疑でも確認をさせていただきたいというふうに思っております。

 そういった中で、三月五日にこの事態を把握をされて、大臣に三月三十一日に報告をする、これだけの期間がかかったことについて、私は、一番問題意識を持っているのが総括官ではないかなというふうに思っているんです。

 といいますのも、鈴木総括官は、南スーダンPKOの日報の隠蔽問題に関する特別防衛監察の結果については私は十二分に承知をしている方だというふうに思いますけれども、その中で、「本件日報の存在に係る防衛大臣報告の遅れ及び対外説明を含む不適切な対応」の指摘について、どう認識されているんでしょうか。

鈴木政府参考人 お答え申し上げます。

 当時の南スーダンの日報問題に関しまして、その点が非常に大きな問題になったということも承知しておりました。その点も踏まえますと、今回のイラクの日報に関しまして、まず第一報を大臣に御報告申し上げるということが重要であったというふうに今は考えてございます。

広田委員 実は、この指摘を読めば一目瞭然で明らかなように、この特別防衛監察の結果には、本件日報の存在の確認、統幕内での本件日報を特定する部署の調整、本件日報の明認作業などを実施したために、防衛大臣への報告に一カ月もたってしまった。つまり、先ほど私に対する答弁で、なぜ時間がかかったのか鈴木総括官が御答弁したまさしくそのもの自体であります。一カ月もたってしまったこれらの行為は、職務遂行上の義務違反であって不適切だ、このように明言をしているわけであります。まさしく、鈴木総括官がこれまで言われてきたさまざまな確認作業を理由に大臣への報告をおくらせるというのは不適切だというふうに述べているわけであります。

 そうすると、鈴木総括官は、職務遂行上の義務違反というふうに認識しながらも大臣に報告しなかったということなんでしょうか。

鈴木政府参考人 私といたしましては、当時は、事務方として大臣にきちっと御報告するに足りるような十分なさまざまな作業、こうした情報を集約した上で大臣に御報告した方がいいだろうということで思って時間がかかってしまったということでございます。

広田委員 ですから、この特別監察の結果報告にあるように、これに一カ月も要することは職務遂行上の義務違反だというふうに明言しているわけであります。これを鈴木総括官はしっかりと認識していたはずです。にもかかわらず、なぜ速やかな報告をしなかったというのが私は非常に不可解なんです。

 これがこの問題の一つの私はポイントだというふうに思いますので、この点についてははっきりと御答弁をしていただきたい。一カ月も要することが任務遂行違反というふうに認識しながら、なぜやってしまったのか、この点についてお伺いします。

鈴木政府参考人 私は、繰り返しで恐縮でございますけれども、必要な情報、それから過去の国会でのやりとり等々をきちっと整理するということが非常に必要なことであると思った上で、自分のむしろ任務を遂行しているというつもりでした作業でございました。ただ、今になってみると、第一報すべきであったということは、大臣からも厳しく御指摘を受けておりますし、私もそのとおりだと思っております。

広田委員 鈴木総括官は、四月五日の参議院の外交防衛委員会で、南スーダンPKOの問題の反省などを踏まえれば、こうした事案を認知しているのであれば直ちに大臣に一報すべきであったというふうに認識しております、先ほどの答弁と同じでありますけれども、つまり、当初、鈴木総括官は、誰よりもこの事案は大臣の耳に早く入れるべきだと思っていたはずなんです。だからこそ、鈴木総括官は、イラク派遣の日報の存在を知った三月五日に大臣官房の文書課にこの事実を報告したのではないでしょうか。それは、大臣官房を通じて小野寺大臣に一報されることを意図していたんじゃないんでしょうか。

鈴木政府参考人 お答え申し上げます。

 本年三月五日に、私も統幕の参事官付から本件を承知したわけでございますが、その同日に、統幕参事官付から、官房文書課の方にこの事実を報告せよということで、このイラクの日報の保管が確認されたということが報告されております。

 これは、官房文書課が防衛省における文書管理を所掌しているということもあります。それから、あと、さらには国会等の担当もしているということもございますが、大臣官房から小野寺大臣に対して報告してくれるものというふうに期待していたというわけでは必ずしもございません。

寺田委員長 広田一君、申合せの時間です。よろしくお願いします。

広田委員 最後に、これは高橋官房長にお聞きしたいんですけれども、この文書課が、大臣官房が、三月五日にイラク日報の存在を認識しながら、なぜ政務に報告しなかったのか、その経緯について最後にお伺いします。

寺田委員長 高橋大臣官房長、簡潔に御答弁をお願いします。

高橋政府参考人 鈴木総括官から私の大臣官房文書課の方に連絡があった三月五日でございますが、その時点について、私もその管理責任を今感じてございますが、端的に申しますと、大臣に上げるために必要な調査あるいは資料の収集、あるいは資料の作成が必要だったということでございますので、そのような中でやむを得ない仕儀だったと思いますが、いずれにしろ、一報するべきだったというふうに感じております。

広田委員 以上で質問を終了します。どうもありがとうございました。

寺田委員長 次に、赤嶺政賢君。

赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。

 防衛省がこれまで残っていないとしてきた自衛隊のイラク派遣部隊の日報が、実際には残されていたことが明らかになりました。

 昨年、南スーダンPKO派遣部隊の日報をめぐって、防衛省・自衛隊の隠蔽体質が厳しく問われました。その防衛省が、自衛隊のイラク派遣をめぐっても国会と国民を欺いて、日報の存在を隠し続けていたことは極めて重大であります。

 本委員会は、この問題の所管委員会として、事実を徹底的に究明する特別の責任があります。そのために、十分な質疑時間、何度でも委員会を開いてやっていくということをまず委員長に強く求めたいと思います。

寺田委員長 理事会において協議をさせていただきます。

赤嶺委員 初めに防衛大臣に伺いますが、先日、大臣は防衛省の講堂に幹部職員を集めて訓示をされました。そこで大臣は、民主主義の根幹は、国民が正確な情報に接し、主権を行使することにある、政府が保有する行政文書は最も重要な資料で、適切に管理し公開することは、国の重要な責務だ、このように述べております。

 公文書の性格、取扱いに関する非常に大事な認識を述べたと思います。ぜひ、この立場で事実を徹底究明し、国会と国民への説明責任を果たしていただく必要があると思います。まず、その点についての大臣の基本的な認識を伺いたいと思います。

小野寺国務大臣 御指摘ありましたが、まず初めに、イラクの日報をめぐって不適切な対応があったことに関しては、防衛大臣としておわびを申し上げます。

 公文書管理法に定められたとおり、公文書は国民共有の知的資源であり、行政文書等の適正な管理を通じて国民への説明責任を全うすることは国の重要な責務であることから、この問題は行政全体への信頼を損なうものであり、極めて重く受けとめております。

 私どもとしては、今後とも、国民からの、あるいは国会からのさまざまな御指摘に対して、誠心誠意応えていきたいと思っております。

赤嶺委員 そこで、今回見つかった陸上自衛隊の日報でありますが、今月半ばをめどに提出するとしております。

 具体的にいつ提出するのか。既に十年以上前に終了した活動であります。黒塗り作業などせずに、直ちに提出すべきではないかと思いますが、いかがですか。

鈴木政府参考人 お答え申し上げます。

 確認されましたイラクの日報につきましては、今御指摘ございましたように、四月の半ばをめどに公表させていただくということでございまして、必要な開示、不開示の作業を経た上でということになりますが。

 ただ、申し上げますれば、一万四千ページにも及ぶ大部でございまして、当然その中には個人情報等も含まれてございます。そうしたものもきちっと把握した上で、開示、不開示の作業を終え、公表させていただきたいというふうに考えてございます。

赤嶺委員 黒塗り作業で大変時間がかかることはやむを得ませんという説明を防衛省からるる受けております。今も開示、不開示についての作業と言いますが、やはり、終わった任務の活動であります。いわば歴史的検証文書であります。黒塗りの必要はないと思いますので、作業で時間がかかることが、かかったという言いわけがないように、直ちに提出していただきたいと思います。

 今回、イラクの日報が陸上自衛隊、航空自衛隊で作成、保管されていたことが明らかになりましたが、海上自衛隊はどうなのか。陸海空自衛隊全てで日報は作成、保管されていたのか。また、具体的に誰が誰に対してどういう日報を作成、報告し、それがどこでどのように保管、閲覧、活用されていたのか。その点、どこまで確認できていますか。

鈴木政府参考人 お答え申し上げます。

 いわゆる日報とは、行動命令に基づきまして活動をする部隊が作成した上級部隊への定時報告でございます。それで、防衛大臣又は上級部隊の判断に資するものということで、その様式ですとか記載内容、根拠等は、任務の内容や部隊の種類によってさまざまでございます。

 陸自の日報には、派遣部隊の活動状況や人員、装備の状況、現地の治安状況等が書かれていることが多うございます。空自の日報には、運航状況ですとか人員、装備の状況といった情報が記載され、上級部隊に報告されております。

 なお、海上自衛隊が同様の日報を保管していることは、現時点では確認されておりません。

赤嶺委員 日報の保管を確認しているかどうかではなくて、海上自衛隊は日報をつくっているんですか。

鈴木政府参考人 お答え申し上げます。

 先ほど申し上げましたように、日報とは、それぞれその必要性に応じていろいろと異なるところでございますので、その活動に必ず日報が伴うかどうか、日報が伴う場合もあれば、日報を伴わない場合もあるかもしれません。

 いずれにせよ、現時点におきまして、保管が確認されているというものはございません。

赤嶺委員 だから、保管は確認されていなくても、日報を伴う活動が海上自衛隊であったかなかったかを聞いているんです。

鈴木政府参考人 基本的に日報を伴う活動があることはあるというふうに承知しております。

赤嶺委員 今回、陸幕衛生部で発見された日報、これはどこからどういう目的で、いつ入手したものですか。十年以上前のイラクの日報をなぜ陸幕衛生部が入手できたのか。入手元での保存期間がどうなっていたのか、その点はわかったんでしょうか。

鈴木政府参考人 お答え申し上げます。

 陸上幕僚監部衛生部が、この確認されましたイラクの日報を行政文書登録したのは二〇一五年度でございますが、既にイラクの日報が作成されてから十年程度経過しているため、この日報をどのように入手したかは、今ではちょっと申し上げることは困難でございます。

 ただ、他方、イラクの復興支援活動における自衛隊の主な活動の一つが医療支援であったことから、この衛生部は、衛生業務、これをやっておりますので、この衛生業務の資とするため、イラクの日報を取得したのではないかというふうに考えられます。

 なお、陸幕の衛生部が保有するこのイラクの日報につきましては、紙媒体で保存しておりまして、執務室内の共有の書棚で二〇二一年三月末日まで保管される予定でございます。

赤嶺委員 私たちが今まで受けていた説明は、日報は現地部隊が上級に報告をすれば、これで用が終わったこととなり、一年後廃棄というぐあいになっているんですが、今度のここの部隊は、衛生部の部隊は、十年もたってから入手しているわけですよね。それで、保管期間はもっと長い。

 今まで私たちが一年後廃棄と受けていた説明とちょっと違うんですが、これはどういうことでしょうか。

鈴木政府参考人 お答え申し上げます。

 これまでは確かに、御指摘のように、日報等につきましては、保存期間が一年未満とされていることで、いわゆる俗称用済み後破棄という形でのものでございました。

 ただ、もちろん、文書管理上は一年以上保存するように変更する場合には、保存期間を延長した上で行政文書ファイル管理簿に登録するという手続を経ることになります。

 申し上げれば、このPKO等の日報につきましては、昨年九月の部内規則の改正、それから本年四月の防衛省行政文書管理規則の改正によりまして、日報等につきまして、PKO等の日報でございますが、保存期間を十年間といたしまして、保存期間満了後は国立公文書館に移管するということに定められてございます。

赤嶺委員 私が聞いたのは、PKOでなくてイラクのことを聞いたわけですよね。衛生部が入手した経過。

 今の答弁を聞いても曖昧であります。もっとしっかりした説明を求めていきたいと思います。

 今回、陸上自衛隊の研究本部で日報が確認されたということは極めて重大です。南スーダンPKOの日報をめぐって、研究本部にあるはずだ、こういうことは繰り返し指摘をされてきました。にもかかわらず、防衛省は、ない、このように説明をし続けてきたわけですね。その研究本部にあったわけです。事実を偽る説明を続けてきた防衛省・自衛隊の責任は極めて重大だと思います。

 そこで、確認をいたしますが、そもそも、陸海空自衛隊あるいは統幕で、現地部隊の活動などから教訓をまとめる部署があると思いますが、それはどういうところか、明らかにしていただけますか。

鈴木政府参考人 お答え申し上げます。

 教訓とは、例えば、陸上自衛隊におきましては、「主として部隊運用及び教育訓練を通じて得られた運用、防衛力整備、研究開発及び教育訓練等に資する知識」と定義されておりまして、教訓を作成することで任務遂行の資とするものです。陸上自衛隊におきましては、教育訓練研究本部、かつての研究本部でございますが、これが教訓業務を行うものとされております。

 海上自衛隊におきましては、自衛艦隊司令部幕僚長、護衛艦隊司令官等、各学校長等が教訓活動を推進するものとされておりまして、海幕長が教訓活動を統括するとされております。

 航空自衛隊におきましては、主に航空自衛隊幹部学校が、部隊の運用及び教育訓練から得られる教訓の収集などを行っておるということでございます。

 統合幕僚監部におきましては、各自衛隊が作成した教訓が共有されているという状況でございます。

赤嶺委員 それぞれ教訓をまとめる部署があるわけですね。

 日報というのは、自衛隊という軍事組織にとって極めて重要な文書ですよ。一年後、用済み廃棄というわけではない、延長もできるということでしたが、延長して現に保管しているところもあったわけですね。一部が発見されたとか、そんなことではないと思いますよ。全ての日報が研究本部などには保管されていて当然だ、このように思います。その全容を明らかにするために、今、部隊からの報告を待っているわけですね。

 私は、防衛大臣、この間の南スーダンの隠蔽の問題のときも、先頭に立って与党の筆頭をしておられましたからよくおわかりだと思いますが、小野寺防衛大臣自身が、研究本部で見つかった、その事実を重く受けとめて、まず調査に入るべきではないかと思いますが、いかがですか。

小野寺国務大臣 それは、私が研究本部に直接行って文書の探索をせよということでしょうか。

赤嶺委員 研究本部には教訓がまとめられているわけですよ。軍事組織が教訓をまとめるということは、これは大事な、皆さんにとっては大事なことなんですよね。だから、一部分どこかのファイルから見つかりましたということじゃなくて、そういう教訓が全体としてまとまってあるはずだ、あるはずだから捜せということを我々は去年から言ってきたわけですよ、研究本部に。ない、ないと言いながら、あったわけですよ。

 そうであるならば、その教訓をまとめる部署、先ほど本多議員も質問しておりましたが、そういう部署には率先して出かける。そして、研究本部にない、ないと言ってきたこれまでの説明がどうだったのかということをみずから確かめるためにも、防衛大臣が、研究本部でまとめている教訓の中に日報がどういう扱いをされているか、これを調査する。何も探索せよとは言っていないわけですよ。そういう調査をみずから行ってすべきではないかということを申し上げているわけです。

小野寺国務大臣 委員御指摘の教訓センターのみならず、これは同じような、今回、日報にかかわる文書というのが、しっかり公表しなければいけないものがありましたらそれに対応する必要があると思っております。

 そのために、教訓センターを含めた自衛隊の全組織について、私が、大臣の指示という形で今、しっかり、このような文書についての調査、そしてまた、統幕に一元管理をするような指示を出させていただいております。

赤嶺委員 指示を出して、去年も、私たちが研究本部にあるはずだと言ってきたけれども、ないと言ってきて、あった。そういう同じ轍を踏まないためにも、大臣みずからが今度は徹底して調査するんだぞという姿勢を見せるべきだと思います。指示を出しているから、それの答えを待っておるということで本当にできるのかどうか。

 軍事組織が教訓として日報を全体保管していないのは絶対おかしいということを強く申し上げておきたいと思います。

 日報から各自衛隊、統幕が作成した教訓文書のリスト、これはつくれますよね、リストはつくれます、それを文書で説明して提出していただきたいと思います。文書の提出を受けて、次回以降の委員会でただしていきたいと思います。

 私は、情報公開のリストも求めてまいりました。その点、資料提出、いかがですか。

鈴木政府参考人 イラクの人道復興支援活動について陸上自衛隊が作成した教訓のリストでございますとか、航空自衛隊が作成した教訓でございますけれども、例えば、陸であれば、イラク人道復興支援活動の概要、それから陸上自衛隊のイラク人道復興支援活動における教訓、また、イラク復興支援活動などがございます。

 空につきましては、イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法に基づく対応措置記録、それから、イラク人道復興支援活動に係る教訓等について、そして、イラク復興支援派遣輸送航空隊史などがございます。

 なお、統幕、海上自衛隊については、これまでのところ、イラク人道復興支援活動に関する教訓の作成は確認されておらないという状況でございます。

寺田委員長 資料の扱いについては、理事会にて協議をさせていただきます。

赤嶺委員 それでは、次の問題に移りたいと思います。時間がなくなりましたけれども。

 先月の外務委員会で、我が党の穀田議員が取り上げた、二〇一二年七月、統合幕僚監部防衛計画部作成の「日米の「動的防衛協力」について」という文書の問題について質問をします。

 文書の中身に入る前に、事実関係を幾つか確認させていただきたいと思います。

 四月三日の防衛省の青柳報道官の記者会見で、民主党政権のときに始まった日米の動的防衛協力に関する検討が、安倍政権に引き継がれているかどうかについてのやりとりが行われております。この動的防衛協力の枠組みのもとで、日米の共同作業部会が設置され、自衛隊による在沖米軍基地の共同使用に関する検討が進められております。

 第二次安倍政権発足後の二〇一三年二月、第五回の防衛力の在り方検討のための委員会で配付された、防衛政策局調査課と日米防衛協力課作成の「米国の安全保障政策/日米同盟」という文書がありますが、その記者会見の席上で、この文書について、記者が、文書そのものを紹介しながら、これは公表されている文書でありますが、質問したのに対して、報道官は、作業部会での議論は継続しているとの認識を示しております。

 ここに同じ文書を持ってきております。きのう提出していただきました。その十二ページに、日米防衛協力の現状というところでは、沖縄における在日米軍施設・区域、グアム、北マリアナ諸島連邦の訓練施設における共同使用について、共同作業部会やグアム移転に関する協議の場において議論を継続、このように書いてあるわけですね。

 さらに、二十二ページには、日本の能力強化という今後の方向性を示したところでは、今後十年から十五年後の安全保障環境を見据えてガイドラインを見直すことや、日米の動的防衛協力の方向性を引き続き推進、拡大することによって日米の防衛協力の実効性を飛躍的に強化、向上させると書いております。

 防衛大臣に伺いますが、民主党政権時代の日米の動的防衛協力に関する検討を引き継ぎ、更に推進、拡大するというのが安倍政権の立場ということでよろしいですか。

小野寺国務大臣 施設の共同使用に関しては、民主党政権下の平成二十二年五月の2プラス2の共同発表において、共同使用を拡大する機会の検討について言及されたことなどを踏まえ、同年十二月に設置されました日米共同使用作業部会などの場において実務的な検討を行っているものと理解をしております。

 その上で、平成二十五年の2プラス2の共同発表では、「日本の南西諸島を含む地域における自衛隊の態勢を強化するため、閣僚は、共同使用に関する作業部会の取組を歓迎」しているところであります。

 この日米共同使用作業部会などの場では、共同使用に関し、地元との関係も踏まえた上で防衛協力を拡大していくとの観点から、引き続き、実務者レベルで幅広く検討が行われていると承知をしております。

赤嶺委員 動的防衛協力、民主党政権時代につくられたものであるとはいえ、共同使用作業部会を使って継続していると。

 きょうは質問が、もう時間が来ましたのでここまでにとどめまして、次回はもっとたくさんの時間が私たちにももらえるように切にお願いして、質問を終わります。

寺田委員長 次に、串田誠一君。

串田委員 日本維新の会の串田誠一でございます。

 まず最初に、きょうは大臣がお読みいただきました日報についてお聞きしたいと思うんですが、ここで冒頭、不適切な対応ということでおわび申し上げますということなんですが、これは誰に対してどのような理由でおわび申し上げますと述べられているんでしょうか。

小野寺国務大臣 今回、この一連の日報問題では、昨年、南スーダンの日報の問題そしてイラクの日報の問題等、国会の場でさまざま御指摘がございました。その中で、国会の御指摘に対してあるいは資料要求に対して、当時適切に対応していなかった、答弁していなかった、そのことについてのおわびを申し上げるということ。

 それからもう一つは、この一連の国会でのさまざまな議論の中で、国民の皆様に、防衛省・自衛隊に対して大変不審な考え方、不審な思いをされている方もたくさんいらっしゃると思います。こういう皆様に対しても心を込めておわびをしたい、その思いで、その中でおわびという言葉を使わせていただきました。

串田委員 第一次的には国民に対してということだと思うんですけれども、忘れていただきたくないのは、南スーダンやイラクに対して任務遂行で仕事をされていた自衛隊員の皆様、これは、南スーダンに関してもマラリアでたくさんの方が毎年亡くなられている、そういう過酷な状況の中で本当に命を賭して働いてこられたわけでございます。そして、その自衛隊の方々を見守っていた家族そして子供たちは、お父さん、お母さんがしっかり元気に帰ってきてくれるのかなと本当に心配して家で待ちわびていた、そういう御家族の方々、私はそういう意味で、この自衛隊の方々の任務というのは全く今回の件で色あせることはないんだと思っているわけでございます。

 南スーダンにおきましても、国連からも大変な評価をされておりますし、六十カ国の国がこの支援に向かわれて、道路の建設、あるいはいろいろ、破壊された学校を建設をするというようなことで、自衛隊の方々が本当に大変な中で仕事をされてこられたわけでございます。そういうような自衛隊の方々の行為を今回は、背広組という言い方をしていいのかどうかわかりませんけれども、そういう方々が踏みにじって、非常にそういう意味では台なしにしてしまうというようなこともあったのではないかなというふうに私は思っているわけでございます。

 こういう自衛隊の方々、これは現地でも大変尊敬され、日本という国がしっかりとPKO活動してきたということで尊敬されたわけでございますけれども、そういう自衛隊の今回の件を、こんなことで自衛隊が変なことをしているんじゃないかというように思われる方も多いかと思うんですけれども、大臣、今回の件で、現地に行かれた自衛隊員の方々あるいは待ちわびていた家族の方々、こういう本当に心配されて待っていらっしゃった家族の方々に対してどんなお気持ちでしょうか。

小野寺国務大臣 委員から大変温かいお言葉をいただき、感謝を申し上げます。

 防衛省・自衛隊は、日本の安全を守るため、今この時間、この瞬間においても、例えば、弾道ミサイル防衛対処のために海上自衛隊のイージス艦で勤務する者、あるいは航空自衛隊のPAC3の隊員、あるいはレーダーサイト、スクランブル対応、さまざまな分野で活動しておりますし、昨日は島根県での大きな地震がございましたが、そこで、給水活動という災害派遣要請を受けて隊員が活動しているということであります。私は、このような隊員が懸命に活動するからこそ、防衛省・自衛隊への信頼があるんだと思っております。

 そのことを重く受けとめ、実は、四月六日の特別大臣訓示ということで、私は、夕方、防衛省の講堂に幹部を集め、そして全国の部隊、駐屯地に、任務を離れることがない形で、手を休めて聞いてくれということで訓示を行いました。

 その中で、特に、部隊の本部や司令部、幕僚監部といった部署においては、通常、現場の部隊よりも多くの文書が保管されています、こうした部隊を統率する部署において文書管理が不適切であることによって、国民の信頼を損ね、それにより現場の第一線で活動する隊員の士気を低下させることは、あってはならないことということで、しっかり訓示をしております。

 私どもとしては、特に、文書管理に当たる者、あるいは、きょうここに来ておりますが、答弁に当たるような幹部、ここがまずしっかりするということが大切ですし、防衛省・自衛隊の信頼をかち得ているのは実は現場で汗を流している隊員であるということ、このことを肝に銘じるべきだと思っております。

串田委員 先日、四月四日ですか、朝霞駐屯地で陸上総隊の司令官旗授与式がございました。私も出席をさせていただいて、小野寺大臣も、訓示というんでしょうか、述べられたわけですけれども、たまたまこういう事案が発表されたときの陸上総隊の件でございました。

 日本が、五つに分かれている陸上隊が一つに統合するということで、これは実は、陸上自衛隊がそういう意味では大きな権力を持つということで、シビリアンコントロールとかというのが大丈夫なんだろうかという議論もこの陸上総隊が考えられたときにはなされていたわけでございますけれども、それが、いろいろな緊急事態で、陸上総隊というのは必要であるというようなことで行われたわけですが、私が参加しているときには今回の件を訓示されなかったんですが、非常に大きな権力を持つ司令官旗の授与式で今回の件を述べられなかったというのはどういう理由があるんでしょうか。

小野寺国務大臣 四月の四日だと思いますが、式典に際しては、串田委員、それから北村委員もいらっしゃいましたし、本多委員もいらっしゃいました。井上委員もいらっしゃいました。ほかにもたくさんの多くの委員の皆様がお見えいただきまして、御激励をいただいたことを感謝申し上げます。

 私は、四月四日の式典の訓示におきまして、文書の管理ということをあえてそこで言及をさせていただき、訓示の中に入れさせていただきました。

 いずれにしても、防衛省・自衛隊が信頼をかち得るためには、これは現場の隊員がしっかりこの国を守るということでありますが、その活動というのが、やはり国民の皆様に広く知っていただく、国会にさまざまな御質問をいただいた場合にはしっかり答えられる、そのようなことが必要でありますし、その基本となるのが行政文書ということになります。その文書の管理も大事な隊務だということの認識をあの訓示の中で述べたつもりでございます。

串田委員 正確にちょっと私が聞き取っていたわけではなかったので、そういう訓示があったということを私が聞き逃してしまったということでありますので、質問については大変失礼なことをおわびしたいと思います。

 ところで、この日報の中で、稲田大臣が報告を受けた後、見つけられなかったということで小野寺大臣が指示をしたらば出てきたということに関しまして、昨日の決算委員会で我が党の石井苗子議員から、どうして大臣によってそれが出てきたり出てこなかったりするのか、これは女性に対して敬意が払われていないからじゃないかという質問もあったんですけれども、大臣としては、どうしてこういうような区別といいますか差別が行われたとお思いでしょうか。

小野寺国務大臣 まず、今回のさまざまな文書が出てくるきっかけとなったのは、七月二十八日に、昨年の南スーダンの日報の事案の反省の上で出された再発防止の策の中の一つであります。そして、統幕に文書を一元化し、しっかり管理をするということ、海外における日報のことでありますが、しっかりするというこの方針を出されたのは稲田大臣のときでございますので、そういう意味では、稲田大臣がさまざまな反省を踏まえた中で再発防止の対策を打たれ、そして、その過程で、今回このような文書が見つかるようなことになった。それを私どもが引き継いで、更に徹底的にうみを出す、そういう過程だと私は理解をしております。

串田委員 その結果で出てきたということでもあるんですが、私がこの日報を見て更に疑問を感じるのは、ありましたという報告を受けた後に、なぜ発見されなかったのかというようなことを追加で質問をしたら、その結果、昨年の三月の時点で既に保存が確認されたという回答があったということなんですが、何か子供じゃあるまいし、この最初の報告のときに、実はこういうことがあったんですよということもあわせて報告するんではないかなと思うんですね。

 また報告を受けた後、追加しないと出てこないというのは、この審議も聞き続けないと答えが出てこないという、みずから積極的に出していただけないという証左じゃないかなというふうに思うんですけれども、このようなやりとりというのはおかしいとは、大臣、思いませんか。

小野寺国務大臣 私も、ですから、四月二日に、出てきたこの内容で、なぜ昨年の稲田大臣のとき、二月、三月に出てこなかったんだということを再度確認をしろというその過程の中で、実はということで、四月四日に、三月二十七日、こういうことでございましたという報告がありました。

 何でもっと早くこのことをしっかりと報告しなかったのか。もっと言えば、昨年の三月二十七日に、通常使っているコンピューターと別の外づけのハードディスク、これはふだんはキャビネットにしまっているという報告でありましたが、そこの中を調べたら出てきたということ。もし、この出てきた時点で速やかに稲田大臣に報告をし、稲田大臣の方から国会に対して適切に訂正をさせていただければ、このような大きな問題になっていなかったんではないかと思うと、やはり、この時点での対応が大変まずかったと私も思っております。

 この時点での対応がどうだったかということについては、今、大野政務官を中心に調べていただいております。

串田委員 ほかに疑問に思うのは、きょうはほかの委員からいろいろと経過報告の資料もいただいているんですけれども、発見されてから報告されているのが、何度も何度も相当いつもおくれているわけですよね。

 この中で、日報に対して調査チームを立ち上げ、早急に調査を行わせているところですというふうになっているんですが、この報告がおくれていることに対して、おくれている報告を受けたところは何でおくれたのかというのを、その場その場で調査しないんでしょうか。そういう調査というのが既にあれば、こういう、早急に調査を行わせる必要もないわけですよね。

 一つ一つがすごくおくれているわけですから、おくれたところの報告を受けたところは、何でこんなにおくれたんだとその場その場で確認しているのが普通だと思うんですけれども、その点はどうなんでしょうか。

高橋政府参考人 委員にお答えいたします。

 先ほどから御指摘いただいている日報でございますが、本来のいわゆる行動において、海外において活動する現地の部隊が上級部隊に報告し、防衛大臣や上級部隊の判断に資するものということでつくられておりますので、基本的には、現地部隊から上級部隊へという形で報告がなされます。

 今委員から御指摘をいただいてございますのは、それぞれのところで、部隊や機関で持っている日報がきちんと管理されていなくて、例えば国会の議員の方からの御要求ですとか情報公開請求できちんと公開あるいは出てこなかったという問題がございまして、今大臣から御指摘いただきましたように、南スーダンの再発防止策におきましては統幕の参事官に一元化する、あるいは四月七日でまた大臣から通達をいただきまして、四月二十日に、全部、統幕の参事官に集めるようにと改めて御指示をいただいた、そのような状況でございます。

串田委員 今の説明でわかった人って余りいないんじゃないかなと思うんですが。

 ほかの方が配付している資料を僕が使っていいのかどうかちょっとわかりませんけれども、後藤議員のいただいている一枚目の表紙にも、日報の存在を報告、日報の存在を報告、日報の存在を報告って、四回も出てくるわけですよね。その間、すごく期間があいているわけだから、今の説明でこれがうまく説明できているのかどうかというのは、ちょっと細かく更に追及していかないとわからないなとは思うんですけれども。

 そもそも、何で日報がこんなに問題になっているのかというのもやはりちょっと確認していかなきゃいけないんだなとは思うんですが、我が党の議員が、当時、二〇一七年の三月九日に稲田国務大臣に対して、南スーダンの件で要件が満たされているのかということを確認させていただいた中で、こういったところに派遣するときには、PKO五原則と、あと、実態的には安定した状況であるということの二つの要件を満たしているから大丈夫なんだという返答をされていらっしゃるんですが、これは小野寺大臣も、何らかの、大丈夫なんですかと聞かれたら、恐らくこういうようなことを確認して答えるんだと思うんですけれども、現実にその場が、その現状が安定しているというようなことを知る方法というのは、これは日報を見るしかないんじゃないんですか。

小野寺国務大臣 私、例えば政府内、防衛省内にいる者にとっては、当然、日報というものを見るまでもなく、日々、例えば南スーダンでの活動が行われた間に関しては、どういう状況かというのはそれは報告があり、特異的なことがあれば速やかに報告が来るという、そういう役割になっております。そして、省内にいない、例えば国会での議論あるいは国民の皆様への周知という中では、当然、さまざまな形で活動について報告できるものをしていくということは大切なことだと思っています。

 御指摘がありましたイラクの日報については、これは今回、一万四千ページというものが確認できましたので、なるべく早くこれを開示できるように、私どもとしては、開示、不開示のところをしっかり精査をしながら今その作業をして、でき上がり次第、実際にどのようなことがこの期間行われていたか、全ての期間があるわけではありませんが、私どもが把握している一万四千ページのことについては開示をする作業を急がせたいと思っております。

串田委員 自衛隊がどういう活動をできるのかというのは、それこそ、国民も大変関心を寄せているところであるし、国会でもそこは集中的にいろいろ審議されているところだと思うんですね。

 ですから、PKOが派遣される状況がどういう状況であるのかというのは、これはやはり、国会の中でも、こういう状況だからPKOに派遣させてもらいますということを約束をして法律をつくられて、そして自衛隊に派遣してもらっているわけですから、現状がどうであるのかというのが一番関心事であるし、全てが公開するということはできないとは思いますけれども、国会内で国民に対して約束をした要件だけはちゃんと満たしているんだよという説明はできるようなことは、これは担保されていかなきゃいけないんだと思うんですけれども。

 本日の朝刊には、出てきたデータの中で、南スーダンの首都ジュバで、武力衝突について戦闘などと記載されていたという報道もあるんですけれども、これは事実なんでしょうか。

小野寺国務大臣 これは、昨年の南スーダンの議論の中で稲田大臣がお答えされているとは思いますが、日報の中に書いてある文言というのと、私ども防衛省としての意味合いが違うという中で説明をされていたと記憶をしております。

串田委員 先ほどちょっと御紹介させていただいた、我が党の議員がかつて南スーダンについて質問させていただいたときには、現場は安定していたということなんですけれども、現実には戦闘という言葉が日報に書かれていたとすれば、これは全然その回答の内容が違うんじゃないかなと思うんですけれども、この整合性というのはあるんでしょうか。

鈴木政府参考人 お答え申し上げます。

 さまざまPKO等におきましても、いわゆる法律的に言えば、戦闘行為というものが、法律用語におきます戦闘行為、つまり国際間の武力紛争、こうしたものが起きているという状態と、そういう日報等におきましての、いわゆる、平易に言いますと辞書的な意味での表現というものは当然異なってくるものでございますので、あくまでも、法律に従いましてどう解釈するかということについては、現地の日報等の記述によって決まるものではないというふうに理解してございます。

串田委員 いや、全く理解ができないんですけれども。

 辰己政府参考人はそこのところの部分で、「自衛隊が活動するに当たって、安全が前提になります。」となっているわけですよね。ですから、稲田大臣も、安定しているという要件を加えているから、このPKOに対して参加してもいいというのに対して、出てきた日報には戦闘という状況になっていると書かれていて、これは、普通の人が読んだらわからない。だから、隠したんじゃないかなんて思われるんじゃないでしょうか。

鈴木政府参考人 私、先ほど申し上げましたのはPKO法の五原則等々における考えでございまして、もちろん、隊員が現地で活動を行うに当たりましては、安全確保、これが非常に重要でございます。また、状況が悪化するということであれば、それに備えたような形の安全対策というのをしっかりとった上で活動するということが前提になるというふうに考えてございます。

串田委員 ちょっと今のでは理解ができないんですが、あとまた機会をいただけるということなので、そこの部分でまた確認したいと思うんです。

 この中で、特別防衛監察計画というのが平成二十九年三月十七日に出された中で、その対象になっていなかったから今出てきたんだというお話なんですけれども、この防衛監察の対象となるべき機関等というのは、防衛監察の過程において更に防衛監察が必要と認められる部隊、機関等と書かれているのではないかなと思うんですけれども、これは、そういう意味で、必要であれば対象というのはどんどん広がっていくと考えられるんじゃないですか。

小波政府参考人 お答えいたします。

 まず、今御指摘ございました南スーダン派遣施設隊の日報に関する特別防衛監察を実施するに当たりましては、防衛監察本部が対象項目や対象機関等を定めた特別防衛監察計画を作成し、本日来いろいろと焦点になっております、防衛大臣の承認を受けて実施いたしております。

 本特別防衛監察においては、本件日報の情報公開請求における対応状況が主な対象項目であり、また、本委員会でもるる御議論いただきましたように、まさに当初陸上自衛隊において不存在、不開示と回答した南スーダンの当該、特定の日付の日報に対して、それがその後、統合幕僚監部で発見されたこと等に基づきまして、それらを中心に、実質的にこの文書の探索、特定、開示、不開示の決定等の過程に関与いたしました事務次官、内局、統幕、陸幕、CRF司令部を監察対象機関として適正に監察を実施したと考えております。

 今御指摘のございました計画において、その他、途中において云々というところがございましたけれども、それが今申しましたうちの当初の計画、実際の計画について書いておりましたのが、内局、統幕、陸幕、CRF司令部でございまして、今委員が御指摘のありました、その調査の結果必要となりました部分というのが、後になりまして、事務次官を対象に加えて実施したところでございます。

 いずれにいたしましても、本件特別防衛監察は、監察本部の限られた人員で、かつ、この委員会でも重ねて御議論がありましたように、できるだけ早く、とにかくなるべく早く国民に明らかにするということで、なるべく、対象でありますとか機関等をある程度、必要にして十分な範囲内ということにした結果、実施したところであり、その結果については、今皆様方のお手元の方にも公表させていただいたものであり、南スーダンの派遣施設隊の日報に関する一連の防衛省をめぐる問題について説明責任を果たすという観点からは、適切な範囲であったというふうに考えているところでございます。

寺田委員長 串田誠一君、申合せの時間となっております。

串田委員 はい。時間が来ました。

 この日報というのはパワーポイントでつくられていて、日々、中央即応集団司令部に送信されているということですので、次の機会にこの点についてもまた質問をさせていただきたいと思います。

 終わります。ありがとうございました。

寺田委員長 次に、照屋寛徳君。

照屋委員 社民党の照屋寛徳です。

 私は、言葉の意味での隠蔽とは、見られては都合の悪い物事を隠すことだと理解をしております。

 去る四月二日以降に発覚した陸自や空自におけるイラク派遣部隊の日報問題について、野党や多くの学者並びにマスメディアや国民が隠蔽と捉えておりますが、小野寺大臣は隠蔽という認識をお持ちでしょうか。

小野寺国務大臣 昨年八月に私が再び防衛大臣を拝命した際、安倍総理から、日報問題のようなことが再び起きることがないよう再発防止を徹底し、国民の信頼回復に向けて全力で取り組むよう指示を受けました。

 これを受けて、着任の訓示をした際、私から隊員に対し、自衛隊の活動には国民の理解と支持が不可欠であり、国民に適切に説明する責務を全うすることが極めて重要である、今後、同様の問題が再び起きることがないよう抜本的な対策を講じ、再発防止を徹底するよう指示をしました。

 しかし、残念なことに、この再発防止策の一環として進めていた日報等の一元作業において、昨年、国会において、確認したが見つけることができなかったと当時の稲田大臣が答弁したイラクの日報が確認され、また、その日報は、陸上自衛隊研究本部においては昨年三月の時点で発見されていたにもかかわらず、報告されていなかったことが四月四日になって報告が参りました。

 さらに、四月六日には、航空幕僚監部においてもイラクの日報が存在していたとの報告がありました。

 これは、防衛省・自衛隊に対する国民の信頼を再び大きく揺るがす極めて大きな問題であり、私は大変強い危機感を持っております。

 こうした事態を踏まえ、四月六日、私から全国二十五万の隊員に対し、部隊を統率する部署において文書管理が不適正であることによって、国民の、士気を損ねる、それが現場の第一線で活動する隊員の士気を低下させることはあってはならないことであり、いま一度、みずからの業務のあり方を見直し、適切に業務に当たるとともに、いま一度、文書管理や情報公開業務といった業務の重要性を認識するよう訓示をいたしました。

 今後とも、国民の信頼回復のため、しっかり対応していきたいと思っております。

照屋委員 先ほど、後藤委員から大変厳しい追及がございました。私は、今問題になっているイラク派遣部隊の日報問題というのは、大臣自身が隠蔽だったという認識でないと根本的な再発防止にはならない、このように考えております。

 ところで、四月二日のイラク派遣陸自日報隠蔽の発覚後、稲田元防衛大臣から事情聴取を行いましたか。やったのであれば、いつ、誰が、どのように聴取し、それに対する稲田元大臣の返答はいかなるものであったのか、教えてください。

 なお、聴取していないのであれば、その理由を防衛省に尋ねます。

高橋政府参考人 お答えいたします。

 大野防衛大臣政務官をヘッドといたします調査チームでございますが、陸上自衛隊研究本部におけるイラクの日報が発見されたことに関しまして、陸上自衛隊から、当時の稲田防衛大臣あるいは統合幕僚監部、陸上幕僚監部等々に報告がどの範囲まで上がっていたのか、あるいはその情報がどこまで共有されていたのかということについての調査を行っているところでございまして、このため、調査チームとして、稲田元防衛大臣に対して、確認及びヒアリングを行う予定はないというところでございます。

照屋委員 大臣にお尋ねしますが、稲田元大臣は、平成二十九年二月二十日の衆議院予算委員会で、共産党の畠山議員の質問に対し、イラクに関しては日報は残っていないことを確認しておりますと答弁しておる。何らの根拠も示さずに、確認したと断言しており、今となっては明らかな虚偽答弁だと思いますが、大臣はどのようにお考えでしょうか。

小野寺国務大臣 お尋ねの、昨年二月二十日の衆議院予算委員会においてのイラクの日報に関してですが、これは、後藤委員からの質問に関して、稲田防衛大臣は、「お尋ねのイラク特措法に基づく活動の日報については、南スーダンPKOと同様の現地情勢や自衛隊の活動内容を記録した現地部隊の日報については、確認をいたしましたが、見つけることはできませんでした。」という答弁をされております。

 それから、今御指摘の畠山委員に関しては、稲田防衛大臣は、しっかりと確認している最中ではございますが、先ほど後藤委員に答弁申し上げましたように、イラクに関しては日報は残っていないことを確認いたしておりますと。

 このとき、稲田大臣は、しっかりと確認している最中という、その中での答弁がなされたと私どもは承知をしております。

 とはいえ、稲田大臣に対して、このような答弁に至る過程の中で、誤った事実を報告し、これを受けた稲田大臣が不適切な答弁を行っただけでなく、さらには、それを早期に訂正できる可能性があったにもかかわらず、これまで適切な対応がなされなかったことは重大な問題であり、極めて遺憾だと思っております。

照屋委員 防衛大臣、一連の自衛隊、イラク日報隠蔽問題は、我が国のシビリアンコントロールが完全に機能不全に陥っていることを物語っております。かかる自衛隊の日報隠蔽が続出をすると、かつて、天皇の統帥権の名のもとに、軍部が独走し、悲惨な戦争に突入した事態を繰り返しかねません。

 私は小野寺大臣は尊敬していますよ。ところが、去る四月五日の参議院外交防衛委員会で、大臣は、シビリアンコントロールが機能していなければ、まだ公表されなかった可能性もあると、余りにも気楽に、軽く、安易に答弁しております。

 大臣は、一連のイラク日報隠蔽問題が我が国のシビリアンコントロールに深刻な事態を招いているとの認識はお持ちでしょうか。

小野寺国務大臣 今回の一連のこの日報問題に関しては、シビリアンコントロールに対して非常に厳しい御意見、御指摘、見方をされているということを私ども肝に銘じておく必要があると思います。

 シビリアンコントロールとは、民主主義国家における軍事に対する政治の優位を意味するものであります。これをしっかり守るということが、戦前の反省でありますが、軍事の暴走を防ぐという大切なことであります。

 そして、このためには、まず、私ども政治の立場の人間が文民の指示を組織の隅々まで行き渡らせること、そして、その指示に基づく業務、職務がしっかりとなされ、その後適切に必要な報告がなされるということ、これがあって初めて有効に機能すると思っております。

 今回の日報の問題というのは、このことを踏まえれば大変重大な問題だと思っていますので、これは、厳正に対応し、しっかりこの流れを回復することが大事だと思っております。

照屋委員 大臣、昨日来、沖縄の地元二紙が報ずるところによりますと、辺野古新基地建設周辺で、米軍が設定する建造物高さ制限に照らし、国立沖縄高専の校舎、学生寮及び沖縄電力の送電鉄塔が制限基準を超えていることが判明しました。

 防衛省は、それらの事実をあらかじめ知りながら、なぜ強権的に辺野古新基地建設に着工したんでしょうか。大臣の見解を求めます。

西田政府参考人 お答えを申し上げます。

 普天間飛行場の代替施設の建設事業に関しまして、キャンプ・シュワブの周辺におきましては、米軍の飛行場の運用に必要な高さ制限が設けられる予定でございます。

 他方、沖縄工業高等専門学校につきましては、現在までの米側との調整結果によりまして、当該高さ制限の対象とはならないところでございます。

 また、沖縄電力の送電線路等につきましては、平成二十七年の八月に、沖縄防衛局から沖縄電力に対しまして、高さ制限に抵触する工作物として送電線路等の移設などに係る依頼を行っているところでございます。現在、沖縄防衛局から沖縄電力に対しまして、この実施設計の業務を契約しているところでございます。

照屋委員 防衛省、沖縄タイムスの阿部記者がこの事実をスクープし、きのうは沖縄タイムスも、新報も書いてある。そういう中で、いまだに国立沖縄高専に防衛省は何らの説明もしていないというのは、どういうことなの。

西田政府参考人 お答え申し上げます。

 先ほども申し上げましたように、沖縄工業高等専門学校につきましては、現在までの米側との調整結果によりまして、当該高さ制限の対象とはならないというところでございます。

 他方、米側との調整状況も踏まえまして、本件に関しまして、沖縄工業高等専門学校を始めとする関係者に説明を行ってまいりたいというふうに考えてございます。

照屋委員 私は、この問題、今、沖縄じゅうで騒然となっている。

 大臣、それで、沖縄防衛局は、沖縄電力には鉄塔と電線の移設費用負担を約束しておきながら、国立沖縄高専に対しては、設置基準に違反している事実すら何ら説明せず、学生や教職員の命の安全の危険性を放置しております。こんなにも対応が異なるのは何ででしょうか。大臣、理由を説明してください。

小野寺国務大臣 今回の沖縄工業高等専門学校につきましては、現在まで、米側の調整結果によりまして、当該の高さ制限の対象とはならないというふうに私ども承知をしております。

 ただ、いずれにしても、この飛行の安全等の配慮、学校でございますので、そこもあわせてしっかり考えていくことが大事だと思っております。

照屋委員 大臣、沖縄の地元二紙が報道した内容によると、私は、防衛省は一企業の利益や利便を尊重し、一方では、国立沖縄高専の学生、教職員、地域住民の命の安全は軽視をする、そういうダブルスタンダードで行政をやっているんなら、これはもう大変大きな問題で、今、防衛省に対する怒りは沸点に達していますよ。

 ぜひ、この問題を、小野寺大臣の指導力を発揮して、沖縄高専の学生の命の安全が保てるように早急な対策をお願いしたい、このように思っております。

 終わります。

寺田委員長 次回は、来る十二日木曜日に委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後五時二十七分散会


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