衆議院

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第3号 平成29年12月21日(木曜日)

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平成二十九年十二月二十一日(木曜日)

    午前十時一分開議

 出席委員

   委員長 江藤  拓君

   理事 赤澤 亮正君 理事 池田 佳隆君

   理事 石崎  徹君 理事 佐藤ゆかり君

   理事 辻  清人君 理事 村上 史好君

   理事 松原  仁君 理事 竹内  譲君

      木村 哲也君    城内  実君

      斎藤 洋明君    鈴木 憲和君

      長尾  敬君    細田 健一君

      三浦  靖君    山田 美樹君

      若宮 健嗣君    西村智奈美君

      本多 平直君    井上 一徳君

      もとむら賢太郎君    江田 憲司君

      笠井  亮君    串田 誠一君

    …………………………………

   参考人          横田早紀江君

   参考人

   (北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表)     飯塚 繁雄君

   参考人          斎藤 文代君

   参考人

   (北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長)        西岡  力君

   参考人

   (特定失踪者問題調査会代表)           荒木 和博君

   衆議院調査局北朝鮮による拉致問題等に関する特別調査室長          大町  寛君

    ―――――――――――――

委員の異動

十二月二十一日

 辞任         補欠選任

  源馬謙太郎君     井上 一徳君

同日

 辞任         補欠選任

  井上 一徳君     源馬謙太郎君

    ―――――――――――――

十二月八日

 一、北朝鮮による拉致問題等に関する件

の閉会中審査を本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 北朝鮮による拉致問題等に関する件


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     ――――◇―――――

江藤委員長 これより会議を開きます。

 北朝鮮による拉致問題等に関する件について調査を進めます。

 本日は、本件調査のため、参考人として、横田早紀江さん、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表飯塚繁雄さん、斎藤文代さん、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長西岡力君、特定失踪者問題調査会代表荒木和博君、以上五名の方々に御出席をいただいております。

 この際、参考人の皆様に一言御挨拶を申し上げます。

 本日は、年末の御多用中のところ、また遠方から本委員会に御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。

 今月十一日、十二日と、チャールズ・ジェンキンスさん、増元信子さんがお亡くなりになりました。心よりお悔やみを申し上げます。

 お二人が御存命の間に、曽我ミヨシさん、増元るみ子さんの御帰国が果たせなかったことは、まことに痛恨のきわみであります。

 拉致被害者五名が帰国してからことしで十五年、横田めぐみさんが拉致されてから四十年が経過し、問題の解決はもはや一刻の猶予もありません。

 本日は、拉致問題の早期解決という皆様の強い思いのもと、閉会中ではありますが、参考人の皆様をお招きして委員会を開会することができました。

 参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から率直な思いをお聞かせいただきたいと存じます。よろしくお願いいたします。

 それでは、まず、横田参考人、お願いいたします。

横田参考人 皆様、おはようございます。横田でございます。

 拉致問題に関しまして、本当に長い間、たくさんの皆様の御声援をいただきまして、救出のために、家族会、救う会、そして議員の皆様、総理、もうあらゆる方々が一生懸命に御尽力いただいておりますにかかわらず、子供たちの姿が全く見えない。どこにどうしているのかも見えない。本当に何にも見えない。煙のように消えたままの、あの新潟のあの角から何にも動いていないという状況で、私たちは一生懸命に、子供たちを助けるために、きょうまで頑張ってまいりました。

 本当に地獄のようなと言えば大げさかもしれませんが、どの皆様も大切なお子様をお持ちだと思いますので、どれだけ大変な思いかということはおわかりかと思いますが、どうか、本当に何とかして、大切な日本の国民の一人である、めぐみ初めもっと多くの被害者が、今も見えないところで助けを求めて、早く助けてくださいと言っている声を毎日思い起こしていただいて、救出のためによい知恵を働かせていただければと思っております。

 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございます。

江藤委員長 ありがとうございました。

 次に、飯塚参考人、お願いいたします。

飯塚参考人 この拉致問題は、もう全ての方が、知らない人はいないというぐらいに大事な課題であり、問題であり、しかも長くかかっているという、今委員長のお話にもありましたように、もう拉致されてから四十年、その家族を助けようとして頑張っている家族あるいはボランティアの方々含めて、その活動がもう二十年、それから、小泉さんが日朝首脳会談を行われてからもう十五年。余りにも、期間の長さがいわゆる半端ではないわけですよ。

 何年たっても解決できないという時間の長さを非常に重く受けとめていただいて。当然ながら、これ以上もう待てないわけですね。それぞれ待っている方も弱くなってきていますし、当然ながら、北にいる方々は、我々の数倍の苦しみをしょいながら、監禁されながらずっと帰りを待っている。

 ですので、私は、この問題については、全ての機関で、例えばこういった委員会も含めて、何とか解決にという動きはしておりますけれども、やはり残念ながら、具体的にどうしていこうかという、要するに、帰国のための結果につながる動きがどうも見えないというのが非常に不安でございます。

 こういった委員会も、今までも何回も計画して実施していただきました。それのフォローですとか、それも含める、それから、先日大騒ぎしたトランプ氏の国連での発言、日本へ来てからの我々と面会した内容、それから、北朝鮮をさらにテロ支援国家に再指定したという動きの中で、我々としては非常に喜ぶべき、歓迎すべき事態なんですが、それを具体的にいわゆる結果に結びつく動きをぜひ安倍総理にお願いして、単なるパフォーマンスに終わらないように、ぜひお願いしたいなと思います。

 我々は、本当に長い間待ちくたびれました。ですけれども、諦めるわけにいかないということで、我慢と忍耐と、あとは気力で頑張りますので、先生方におかれましても、それぞれのお立場で、今私がお願いしたように、いかに具体的に帰国につなげられるかということを常に念頭に置いていただいて、またいろいろな対応をよろしくお願いします。

 ありがとうございました。

江藤委員長 ありがとうございました。

 次に、斎藤参考人、お願いいたします。

斎藤参考人 私、松木薫の姉の斎藤文代と申します。

 このたびは、衆議院の拉致問題に関する特別委員会の参考人質疑に出席させていただき、心より感謝申し上げます。

 北朝鮮による拉致被害者救出に取り組む家族会、救う会は、本年二月に会議を開き、政府に、拉致問題を最優先とし、今年中に全ての被害者を救出することを求めるという運動方針を決めました。しかし、残念ながら、その願いはかないそうにありません。

 毎年同じ言葉になるのですが、私は、体の続く限り、拉致問題を訴えていきたいと思いますので、来年こそは、政府も被害者を救出してほしいと思います。

 また、今月十日、熊本県立大学で行われた平成二十九年度北朝鮮拉致問題解決に向けた講演会において、私は被害者家族の声を訴えました。その話の中で、十一月六日、トランプ大統領と拉致被害者家族が面会したときのことをお話しさせていただきました。

 とてもよい、温かい話ができたと思います。トランプ氏は、家族の方々から悲しいお話をたくさん聞いた、拉致された被害者が愛する人々のもとに戻ることができるよう安倍総理と力を合わせていきたいと述べられました。

 また、その熊本の講演会でも紹介していただいた「とりもどしたい 家族の絆」を衆議院の皆様にも目を通していただきたく、お手元に準備させていただきました。

 四枚の冊子ですが、私が皆様にお話ししていた話を熊本県知事、熊本県議員、ボランティアの方々などたくさんの方の協力で形にしていただき、皆様に見ていただくことができました。深く感謝しております。

 一ページの「薫は家族のたからもの」というのをちょっと読ませていただきます。

  昭和二十八年六月十三日―薫は私達の五番目のきょうだいとして生を受けました。

  女ばかりのきょうだいの中で薫は父からも母からもよいところばかり貰ったのか、おとなしくてよく言いつけも守る子供でした。

  私の両親は共働きでした。私たちは少しでも母の手伝いをしようと思い、一緒に青果市場にお掃除に行きました。

 「おじちゃん、お掃除させてください。」

 「いいよ。」

  掃除が終わると、たくさんの大根やひびの入った西瓜というような野菜を頂きました。私達はそれを持ち帰って家で七輪を起こしながら、両親の帰りを待ちました。

  夕食はどんなに遅くなっても父の帰りを待って食べていました。時には十時を過ぎることもありましたが、母が

 「お父さんはお仕事で働いているんだから待ちましょうね。」

 と言って、みんなで待ちました。

  私達きょうだいは、父の膝に座るのが大好きで、先を争って座っていましたが、最後はいつも薫でした。父は末っ子の薫がかわいくて仕方ないという感じで抱っこしていました。

 時間の都合上、ここまでしか読むことはできませんが、拉致はむごいです。

 薫がいなくなって、父は早く亡くなり、母は数年前に九十二歳で亡くなりました。薫は必ず帰ってくるからと励まし続けましたが、母は息を引き取るまで涙を流していました。残念です。

 そのとき私は、このような別れだけはしたくないと、涙がぼろぼろととまりませんでした。それ以来、薫を助けるまで泣くものかと自分に言い聞かせ、薫を助けるまでは私を生かしてくださいと毎日神様に祈っています。

 お願いです。どうか、拉致家族が再会できますよう、皆様方のお力をおかしください。

 参考人としての証言です。

 ありがとうございました。

江藤委員長 ありがとうございました。

 次に、西岡参考人、お願いいたします。

西岡参考人 御紹介いただきました、救う会の会長をしております西岡でございます。

 トランプ大統領と金正恩のチキンレースが続いております。私は、今こそ拉致被害者救出の機会が来たと考えています。しかし、危険も多いです。慎重に、できる限り最大の努力を傾けて、全被害者の安全確保と帰国を実現しなければなりません。

 先ほど斎藤さんもお話しになりましたが、我々は、ことしの二月に、政府に拉致問題を最優先としてことし中に全ての被害者を救出することを求めるという運動方針を決めました。その背景には家族の高齢化という現実がありますが、それだけではありません。核問題でアメリカを初めとする国際社会が強い圧力をかけている今こそ、全被害者救出のチャンスだと考えているからであります。

 もちろん、我が国が何もしなければ、国際社会の核問題をめぐる暴風の中で、拉致被害者救出の旗は飛ばされてしまうでしょう。しかし、ここで踏みとどまって、我が国が主体的に最優先で取り組めば道は開けると信じております。

 北朝鮮は、過去、米軍が軍事的圧力をかけたとき、譲歩しました。過去二回あり、今が三回目だと思っております。

 一回目は、寧辺の原子炉でプルトニウムをつくっていることが発覚し、クリントン政権が爆撃の準備をしたときであります。金日成が出てきて、原子炉をとめました。

 しかし、その後もパキスタンから濃縮ウラニウムをつくる技術を導入して核開発を続けたのでありますが、そのことが発覚したのが、テロとの戦争の真っただ中のブッシュ政権のときでありました。このときが二回目のチャンスです。そのとき、有名なブッシュ大統領の悪の枢軸演説があり、北朝鮮の核開発を戦争をしてでもやめさせるとブッシュ大統領が言ったとき、小泉総理が平壌に呼ばれました。

 しかし、残念ながら、当時の外務省は、拉致被害者救出を最優先にしておらず、国交正常化を優先していたので、五人生存、八人死亡、それ以外いないという北朝鮮の調査結果を検証なしに公表して既成事実化を図ったり、帰国した五人の被害者を再び北朝鮮に戻そうとさえしました。

 今、三回目のチャンスが来ていると思います。このチャンスを生かすために、幾つかのことが必要です。

 まず第一に、アメリカに十分な事前説明をしなきゃなりません。核・ミサイル開発をやめさせるために日本はともに戦うが、拉致問題は深刻であるので最優先で取り組むということを、まずアメリカに説明しなきゃならない。そのことはかなりの程度成功したと思っております。トランプ大統領が国連の演説で、国連の演説というのは通常は自国のことを話すのでありますが、日本人拉致問題を話された。これは初めてのことであります。この間の努力が実ったというふうに思っています。

 そして、アメリカへの説明の後必要なことは、この根回しを背景にして、金正恩政権に対して、国際社会は核、ミサイルで制裁をかけている、日本は拉致と核、ミサイルの両方で制裁をかけている、あなた方にとって相対的に容易なのは拉致の方だろう、秘密協議で全被害者帰国について話し合おう、見返りも出せるという提案を金正恩に届くようにし続けることであります。

 ただし、その見返りについては、あくまでも全員一括帰国という条件を崩してはならないと思います。それがあれば核問題が進展しなくても一定の見返りを出すという形で交渉ができるというメッセージを金正恩政権に発し続けるべきだというふうに思っております。

 例えば、人道支援については、二〇〇四年、めぐみさんと松木さんのものと称する骨がにせものだったときに、日本政府はそのことを理由に人道支援をとめておりますが、国際制裁で人道支援ストップは入っておりません。

 ただ、このようなことで北朝鮮が日本との交渉に先に乗ってきた場合、アメリカが日本を、裏切ったといってとめないような装置は今できている。あるいは、アメリカとの間で先に話し合いが始まったときも、アメリカが拉致を無視できないようなことに一定程度今なっている。

 しかし、その前に北朝鮮で政変が起きるかもしれません。アメリカの今の政策は、軍事的なこれ見よがしな圧力をかけて、戦争ではなくて心理戦で政変を起こそうとしているように私には見えています。その後、どのような体制になるか。その政変が起きた場合に、その次の政権との間で素早くパイプをつないで全被害者の救出という交渉をしなければならないと思っておりますし、最悪の場合、戦争ということが、可能性はゼロではないというふうに思っております。あるいは、政変の後混乱が起きる、三枚目のケースで、混乱が起きるということもあり得ると思います。そのようなときに何ができるのか。

 これは、先生方がぜひいろいろな観点から、今の法制で何ができるのか、今の法制で足りないのであれば何が必要なのかということを真摯に、そして静かに議論していただきたいというふうに思っております。

 そして、政府に強く求めたいのは所在情報であります。生存情報よりも難しいのは所在情報です。しかし、救出のためには、今どこにいるのかという情報がなければ何もできません。そのために、より一層の努力、人材、予算を投入してほしいと思います。

 最後に、加藤担当大臣は、十二月十六日の政府主催のシンポジウムで、北朝鮮に対して圧力を最大限に高めて政策を変えさせることを目指すという戦略を語りました。私はそれに基本的に賛成であります。ただし、その政策を変えさせるものの中に、核だけではなくて、全被害者救出というものも日本の要求だと言い続けなきゃならないということであります。

 きょうも被害者が日本からの助けを待っています。私たちは、苦しいとか諦めたとか、絶対に言えないと思っています。この闘いは勝たなきゃならないと。先生方のお助けをよろしくお願いいたします。

 ありがとうございます。

江藤委員長 ありがとうございました。

 次に、荒木参考人、お願いいたします。

荒木参考人 きょうは、大変貴重な機会をお与えいただきまして、ありがとうございます。また、都合によりまして、途中で中座をさせていただくことをおわび申し上げます。

 その上で、現在の状況は極めて緊迫した状況でございまして、もう本当に時間の余裕もないということで、お許しをいただいて一言だけ申し上げます。

 衆参のこの拉致特で、これまでたびたびお呼びいただきまして、参考人で家族の皆さんと一緒にお話をしてまいりました。御質問される先生方の中で、たびたび御家族に対して、求められることは何ですか、何を御希望されますか、あるいは、何を今思っていらっしゃいますかというようなことを御質問される方がおられるんですけれども、今そんなことを言っているような状況ではございません。この後の御質問、ぜひそういう御質問はしないでいただきたいと、まことに失礼ながらお願いを申し上げます。

 その上で、お配りをしてある資料の中で、私どもの調査会のビラと一緒につけてありますものに、本年に入りましてから日本海側に漂着した北朝鮮の船、遺体、そして生存者、また船の一部のリストがございます。これは、ごらんいただければおわかりと思いますけれども、もう明らかに異常な状況です。特に十一月の下旬に入りましてから今日に至るまで、膨大な数の船が漂着をしており、そして由利本荘とまた松前では生存者がいます。

 そして、この生存者ですけれども、松前の船は明らかに漁船ではありません。意図的に北朝鮮が何かの理由で送り込んだ船としか思えない。その沖合には恐らく母船がいたものと思われます。そうでもなければ、あのように来られない。また、秋田で漂着した船の中からは、北朝鮮の船員が絶対に使うことがない革靴、そして英文の入ったジャケットが出てきております。これらはひょっとしたら、何かの意図を持って組織的に北朝鮮が日本にやろうとしているということの可能性があるのではないだろうかというふうに思っております。

 松前の船に関しましては、海上保安庁はこれを漁船であるというふうに一応言っているようですけれども、絶対にそんなことはありません。これはひょっとしたら、由利本荘の場合は、八人が上陸をして、そのうちの二人が住宅地まで上っていって、そこで家の呼び鈴を鳴らして人を呼んだということですから、つまり、誰でも上陸ができて、何でもできるということです。そうなれば、これから先、一体どういうことが起きるのか。ほっぽらかしておけば、絶対にどこかで民間人の人命被害が起きます。これは、本当に一刻も猶予がない、国全体でやらなければいけないことです。

 そして、同時に、この拉致特で申し上げたいのは、そうやって上陸してきた人たちの中から北朝鮮の情報、うまくいけば拉致被害者の情報がとれる可能性があるということでございます。

 今まであのストックホルム合意以来のやり方でやってきて何にも進んでいないんですから、こういうふうに向こうから人間が来たらば、その人間の意図がどうであろうと、それから事情聴取をしっかりやって、そして北朝鮮の情報、もし拉致被害者の情報がなかったとしても、一般情報を得るだけでも物すごく重要な意味がございます、それをぜひとも収集して、そしてそれを次の解決に持っていっていただきたいと思います。

 これまでやってきたストックホルム合意に基づく交渉というのは、私は、もはや全く意味がないものというふうに思っております。北朝鮮がもしまたストックホルム合意と言ったとしても、それは今のストックホルム合意を守ろうとして言っているわけではなくて、状況が変わってそういうふうに言うことにすぎません。

 ですから、あれでやってきたことというのをそのまま続けるというようなやり方というのは、拉致被害者を見殺しにするのと同じことだというふうに私は思っている次第でございます。

 事態はもう、拉致被害者の救出だけじゃなくて、全体として極めて緊迫しております。ぜひとも先生方の御協力をよろしくお願いいたします。

 ありがとうございました。

江藤委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

江藤委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。赤澤亮正君。

赤澤委員 皆さん、おはようございます。本日の衆院の拉致特参考人質疑のトップバッターを務めます赤澤亮正でございます。

 本日、当委員会に足をお運びいただきました五人の参考人の皆様、横田様、飯塚様、斎藤様、西岡様、荒木様には心からお礼を申し上げます。日ごろから拉致問題あるいは特定失踪者問題解決に本当に尽力されておられます。心から敬意を払い、感謝をする次第でございます。まことにありがとうございます。

 そしてまた、斎藤様、西岡様、荒木様からは、大変貴重な資料を今回提出いただいております。この点もお礼を申し上げたいと思います。

 また、本日の参考人質疑の実現に向けて御努力をいただきました江藤委員長、そして村上筆頭、松原理事を初め全ての当委員会関係者の皆様にも感謝をいたします。

 一九七七年十月二十一日に松本京子さんが拉致をされた米子市和田が私の地元に当たります。松本京子さんを含む全ての拉致被害者の皆様に一刻も早く帰国していただきたいと強く願ってやまないものでございます。

 京子さんの母上、三江さんは、京子さんとの再会を果たせないまま、二〇一二年十一月二十七日に八十九歳の生涯を閉じられました。本当に無念だったと思います。

 あってはならないことでありますし、拉致という国家的な犯罪を犯していながらいまだに核実験あるいはミサイル発射を繰り返す、北朝鮮という国は本当に許せないという思いはもう誰もが持っている、そういうことだと思います。

 京子さんの兄上、孟さんは御存命で、京子さんの救出のために日々精力的な活動を続けておられます。昨日も電話でお話をさせていただきました。私が参考人質疑に臨むという報告をしたところ、よろしくお願いしますとお声をかけてくださいました。本当にありがたいことでございます。

 きょう参考人の皆様のお話を聞いて一様に思ったことは、本当にもう待てない、なぜ解決できないんだという大変な強い思いが皆様の中で込み上げているということを感じたわけでございます。国政を預かるといいますか、私ども、当然それを受けとめて、これまで解決できなかったことについては本当に申しわけないという思いとともに、これからも国会が政府と一体となって全力で解決に臨まなければならないという思いを強くするものであります。

 一方で、私どもも、トランプ大統領と御家族が面会になった、その後、御家族の声をいただく機会、あるいは救う会西岡会長、特定失踪者問題調査会荒木代表のお声を直接聞く機会というのは大変貴重なものでございまして、本当に申しわけないことで、マスコミの皆様の前では既に何度も聞かれお答えになったことかと思いますが、国会でしっかり議事録にとどめ、私どもが皆様の思いを共有させていただくという正式の機会でございますので、やはり、本日最初に伺いたいのは、先月六日の拉致被害者御家族の皆様とトランプ米国大統領との面会あるいはその後の動きについてどのように感じておられるのかということについてはお話をいただきたいと思います。

 本当に先ほどからお話があって恐縮だと思うのは、横田様については簡潔なお話でございましたが、飯塚様からは、一連の大騒ぎという言い方もあった。ただ、よい動きでもある、パフォーマンスに終わらせるなというようなお話がございました。その辺を正式に一度国会の場でお話しいただき、きょう冒頭の質問でありますので、その点も含め、また斎藤様にもともによい雰囲気だったというお話をいただきましたが、拉致被害者の御家族、そして横田様、飯塚様、斎藤様の三方から、トランプ大統領と面会をした、国民の一般の関心も高く、報道機関は既に広く報道したところでありますが、国会のこの正式の場で、どう受けとめられ、そしてまた、荒木代表からのお言葉もありましたが、急いで対応する、もちろん政府がそれを全力でやっているわけでありますが、我々国会としても地道な積み上げも絶対にしていかなければなりません、そういう思いで、もし何かこの機会に特段政府に求めることというのがあれば、やはりそこは正式の場で一度きちっとお話をいただければというふうに思います。

 三人の拉致被害者の御家族の皆様によろしくお願いをいたします。

横田参考人 先日トランプ大統領と面会をさせていただきまして、本当に思いがけないことだったのですけれども、たまたまその四日前に私は非常に、ひどい風邪ではなかったんですが、声が全く出なくなった状態で、本当に会話ができないような状態になってしまっておりまして、ああ困ったな、あと四日後に大統領がいらっしゃるときに何とか声が出るかなといつも思いながら何とか頑張っておりましたら、まあ、今よりはひどかったんですけれども、ちょっと、言葉が通じるぐらいのかすれ声で話ができました。

 目の前にあんなに接近した形で大統領御夫妻とお目にかかるような場所が設けられているとはそのときまでわかりませんでしたものですから、こういったきちっとした大分離れた場所でお話しするのかなと思っていましたら、本当にすぐ目の前で対面する形でお座りいただいたことにまずびっくりいたしました。そして、本当に目の前で、目を見て普通にお話ができる状態でお話をさせていただくことができました。

 この声がどこまで続くのかなというのがまず心配だったものですから、まず私は、国連の場でトランプ大統領が拉致問題について明言をなさってくださったこと、特に、未成年であった横田めぐみ、一人の少女が新潟から拉致をされているという大変なことが起きているんだということを本当にはっきりとした言葉でおっしゃったことを聞いて、そのときにもうびっくりしたんですね、ああ、あんなことをおっしゃってくださったんだと。初めて世界にわかるように言ってくださったことを本当に私は感動いたしまして、あのことは本当に私たちにとってありがたいことでございました、本当に感謝いたしますということで、まずお礼を申し上げました。

 そして、きょう御多忙の中で、こうして時間をとって家族の皆さんと会ってくださる時間を設けてくださった、この二つのことを本当に私は感謝しております、ありがとうございました、お礼を申し上げたいと思っておりますということで、そこまで話したんですが、やはりもう声ががらがらになってきて詰まっていまして、変な、風邪の感じですので、やはり目の前にいらっしゃるので余りお話ししない方がいいのかなというような思いもあって、もうこれで結構ですと言いました。そうしたら、拉致対策本部の方から、もういいんですかとおっしゃったんですけれども、ちょっと声があれなので失礼いたしますということで、お話をいたしませんでしたけれども。

 思いがけなく三人の米国大統領にお目にかかるような時間が私にはめぐってきまして、ブッシュ大統領、オバマ大統領そしてトランプ大統領と、本当に信じられないようなことが起きているんですけれども、その中で、みんな、お一人お一人、お人柄は違われますけれども、この人さらいという大変な問題をやっている国、人権、人道問題に対して、本当にもっと世界じゅうがこの国を知らなきゃいけないという、こんなことを四十年間も悲しみ続けるようなことが家族にあってはならない、これから絶対そういうことがあってはならないという思いもおっしゃっていただきましたから、そういう意味で、いつもそれを踏まえての御努力がこれからもなされていくのではないのかなという希望を持って、私たちは祈りながら応援しております。

 難しいことは庶民にはわかりません。本当に政治の中にはいろいろな問題がありますし、お一人お一人、お考えも違うと思いますし、それを全部理解することはできませんが、本当に日本国家として間違いのない、大切な、日本で生まれ日本で育てられた、きっとこの子は頑張ってくれるだろうとみんなが期待をしていた子供が、一瞬にして煙のように消されたまま、四十年間もどこから声も聞こえない、便りもない、写真を見ることもできない、話すこともできないことが四十年間も続いている国家というのはどういうことなんだろうという疑問を私は持っています。何が原因でこうなっているのかということがいつもわからないでおります。そのことだけを、きょう申し上げておきたいと思います。

 ありがとうございます。

飯塚参考人 今回のトランプ大統領の動きにつきましては、内外ともに大きなインパクトがあったのではないかと思います。

 外については、国連関係から世界各国に、例えば、マスメディアも相当この問題を取り上げて、私たちにも取材をしていろいろ記事に出したりしておりました。そして、一番何よりもインパクトを与えたのは北朝鮮ではないかというふうにも考えます。

 トランプ大統領はじかに私たちと会ったときにも、この問題は安倍総理と緊密な連携のもとに解決について努力をしますとはっきりと言っていただきました。これについても力強く感じたわけですけれども、やはり、考えてみれば、これは日本人拉致問題、要するに日本の問題ということになっているわけですよね。当然、核、ミサイルの問題とセットで包括的に解決するというやり方もありますけれども、核、ミサイルは問題が大き過ぎて、いつになったら解決するのかがわからない、見通しもつかないという状況からすると、拉致問題というのはもう目の当たりにあるわけです。北朝鮮に生きて待っている人たちがいるわけです。

 しかも、そういう人道的な話からすれば、トランプ大統領も大分怒っていましたけれども、まずそれを先決すべきだというふうに考えますので、やはりこの解決に対してのイニシアチブは、我が総理大臣に、安倍晋三総理大臣にあるということを私は強く感じておりますし、その筋で十分動かせるような、総理以下閣僚を含めたバックアップも含めて、具体的にではどういうふうにしていこうかというのを即、もうことしも日もあきがありませんけれども、来年早々からでも間髪を入れずに対応していただきたいなというのが強い思いでございます。

 以上です。

斎藤参考人 私は、トランプ大統領とお会いしたのは最初で最後だと思うんですけれども、とても見た感じが、新聞とかテレビで見るときには、とてもきつい方かなとか思っておりましたけれども、実際にお会いしたときには、とても穏やかなお顔をされていて、一人一人の家族のお話を真剣に聞いておられて、私は質問される方じゃないから見る方で、ずっと見ていましたけれども、やはり家族を持っている親だなということはとても力強く感じました。自分も子供もいる、孫もいるというようなそういう気持ちで、早紀江さん、飯塚さんたち、有本さんのお話をしっかりと聞いておられるということは、本当に私は、ああよかった、きょうは本当にこんなにお話をいっぱい聞いてくださって、これからまた世界を動かしていただけたらいいかなと。

 私たちは何もできませんので、やはり安倍総理、そういうトランプ大統領、海外の方々、国連の方々に、皆さんに力をかしていただかないことにはこの拉致問題というのは解決いたしませんので、見ていてもお話を聞いていても、本当に涙が出る場面もありました、はっきり言って。

 耕一郎君とお話をされたときには、もう本当に、うわあ、ハンサムボーイと言って、こうして、よく育ったねというようなほほ笑みで、耕一郎君を見ました。ですから、耕一郎君、本当にあのときは私は涙が出ました。この中の一人でもそういう愛情を持って拉致問題に取り組んでいただけたら、本当に、これが少しでも前進していくんじゃないかなという気持ちで、参加してよかったなという気持ちで私は帰らせていただきました。

 そういうことで、私としては聞く方でしたけれども、とてもいいお勉強をさせていただいたと思いますので、これからも皆様方のお力添え、また、お国を動かしていただく方々ですから、本当によろしくお願いしたいという気持ちだけです。もう本当に、家族はせっぱ詰まっております。助けていただきたいです。年もいってきています。私の代では会えるかなという心配も出てきておりますので、どうかよろしくお願いしたいと思います。

 以上です。

赤澤委員 しっかり取り組んでまいりたいと思います。

 きょうは、西岡参考人、荒木参考人に質問できずに申しわけありませんでした。

 終わります。

江藤委員長 次に、西村智奈美君。

西村(智)委員 立憲民主党の西村智奈美と申します。

 きょうは、横田さん、飯塚さん、斎藤さん、西岡さん、荒木さん、大変お忙しいところ、そして御高齢で体調も気をつけながらというところかとお察しいたしますけれども、当委員会に参考人としてお越しくださいまして、そしてまた大変貴重なお話を今聞かせていただきました。まことにありがとうございます。

 私は、横田めぐみさんが四十年前の十一月十五日に拉致されました新潟の選挙区選出の議員でございます。私の母よりも高齢の早紀江さんがこんなに一生懸命御自身の娘さんと会うために活動されておられるということを本当に心の底から苦しく思い、一日も早く御家族の皆さんが再会できるようにという思いで、これまで私自身もできることを取り組ませていただきました。

 しかし、四十年たっても、何も見えないと早紀江さんがおっしゃった、まさにそういった状況でありますし、飯塚さん、斎藤さんにおかれても、本当に苦しい、助けてほしいということで、私たちもこれからまた議員の立場からできることをやっていかなければいけないと改めて感じているところでございます。

 拉致は、言うまでもなく、国家的犯罪、北朝鮮による国家的犯罪、そして重大な人権侵害でございます。国を挙げてとにかくこの問題の解決に向けて取り組んでいかなければいけないことだと思っております。

 先日、十一月の十八日に、横田めぐみさんの拉致から四十年ということで、毎年開かれております新潟市内での県民集会が開催をされました。その際にさまざまな報道が前後して行われまして、また記者会見も行われたのでしょうか、横田早紀江さんのコメントが報道されました。

 私は、その言葉を本当にどういうふうに受けとめたらいいのだろうかという思いで読ませていただいたんですけれども、こんなふうに横田早紀江さんはおっしゃっておられました。政府は知恵を練ってやっていると思っていたが、四十年たっても何もわからないのは不思議でならない、政府を信じてよかったのかという思いが家族にはあるということでございます。

 言われた御本人が恐らく一番つらいお気持ちでこのことをおっしゃったんだというふうに思いますが、それと同時に、今がチャンスであると。これは、先ほど西岡参考人のお話の中にも、まさに今がチャンスであるというお言葉がありましたけれども、米国の強い意思のある間に時を置かず安倍首相が平壌に行って金正恩と話し合いをしてくれればどんなにありがたいだろうと思う、このようにもおっしゃっておられました。

 私は、横田さんのお気持ちをそんたくするに、本当は、安倍総理にお会いになったらそういうふうにおっしゃりたいのではないかというふうに思うんです。とにかく一日も早く、今の状況の中で時を置かずに直接交渉してもらいたい。

 そして、新潟にはまた蓮池さん御夫妻もいられるわけですけれども、先日、蓮池さんも新潟市内で講演をされまして、核、ミサイルにつながらないような見返りを準備しておくべきではないか、こういうようなお話もありました。

 この点について、横田早紀江さんに所感をお伺いするのは少し酷なお話かもしれませんけれども、今のお考えをお聞かせいただきたいと思っております。

横田参考人 済みません。今のお話の中にありました私のコメントというのが、今までも、四十年間ずっと記者に追っかけられて、テレビにも出演して、ありとあらゆる形で自分たちの気持ちを表現してまいりましたけれども、本当に何でこんなに長くかかるのかということがわからない。

 一人の子供が誘拐されてどこかに連れていかれたということがあれば、もうその日のうちに警察が動いて、あのマンションに閉じ込められているんだということがわかれば、たくさんの人たちがそこに行って、そして、あの窓を破いてこっちから催涙ガスを入れなさい、あっちからあなたが行って中に入りなさいと、いろいろな形で、必死の思いで、そのお役目を果たすためにそれらの方々が頑張られるはずなんですね、国内であれば。

 見えるところであればそれができるんですが、この問題は、余りにも大きな、北朝鮮の国家犯罪として、指導者が指令を出して、拉致をしてきなさいと工作員を、仕立て上げたたくさんの強い工作員を日本国内やいろいろな国々に送り込んで、先ほどもお話がありましたように、今もたくさんの船が漂ってきて、いろいろな人たちが日本の中に上がっております。その人たちは工作員なんじゃないんだろうかなと私は思うぐらい、本当に何でもなくそれが自由に動いていけるような状況が続いていたのではないのかなという思いを今しております。

 そして、本当に、ほかの、あれは「現代」か何かでしたか、いろいろなところに、ある議員さんが書いていらっしゃるようなのがあって、横田さんは北朝鮮に乗り込んでいきたいと思っているようなことがぱっとまず書いてあったりとか。そういうことを言っているわけじゃなくて、本当に、小泉総理があの金正日に会われたそのいきさつもいろいろなバックがあって、アメリカの圧力とか、我々の知らないようなことがあっての上での対面だったと思いますけれども、やはりトップとトップとが目を合わせて言葉を交わして、生の言葉で話し合うことが一番それはわかりやすいし、一番解決に近いことではないのかなと私はいつも思っております。

 そういう意味で、そういうチャンスがあれば必ず、安倍総理と金正恩とが対決して会ってお話をしていただきたいんですということを前にお話ししたことはあります、直接に何かの会で。それはわかっております、だけれどもそれは今ではありませんとそのときにおっしゃって、いつかはそういうことがあると思いますというような言い方でしたけれども。それから何年かたっておりますが、それが、私は本当に、向こうのトップに本当のことを知らせるという意味では一番はっきりしていると思うんですね。

 向こうには、これだけの側近がいて、この人が重宝されているからこの人だったら大丈夫だろうと思っていろいろな形の方が交渉してくださっても、この人は自分が死なないためにはここまでしか言わない、トップにはここまでしか言わない、そういう国なんですね。だから、本当のことが全部あの人にわからなければ動いていかないと思うんですね。

 そういう意味で、私は、本当に総理が、どなたが総理であっても、総理が直接に行って、日本国家の長として向こうの長の方と本当の意味で、私はこう思っているんです、国民もこう思っているんです、でもそれは悪いことは悪いことでしょう、みんながどれだけ苦しい思いをして待っているか、あなたもお子さんの親でしょうという形で、直接の言葉で人間らしい話ができれば、少しでも考えが変わっていくのではないかと私は思っての発言であります。

 いろいろなことを書かれますと、私もあれっと思ったりすることがたくさんありますが、もう一々反抗していても始まりませんので、質問のときにお話しさせていただきますが、何とかそういう日が来るとありがたいと思っております。

 ありがとうございました。

西村(智)委員 ありがとうございます。

 そこで、次に、飯塚参考人にお伺いをしたいと思っております。

 ことしの二月に、家族会、救う会の運動方針と申しましょうか、活動方針が新しくなって、二つのことが決められた。一つは、ことしじゅうに被害者を救出するということ。

 これは、初めて期限を区切ってそのことを求めたということなんですけれども、大変残念ですが、きょうが十二月の二十一日でございます。あと、ことしが残り十日。本当にこの時期になってもまだ事態が動いていないということ、この点をどう受けとめておられるか。どういう議論があってことしじゅうということになったのか、それももし可能であればお聞かせをいただきたいですし、先ほど、ことしじゅうということでなくても来年早々にでもというようなお言葉もあったかと思います、来年早々に取り組みを続けてほしいということもあったかと思います。来年に向けて、今どういう思いでいらっしゃるか、それもあわせて伺いたいと思います。

飯塚参考人 今おっしゃられたように、我々は、この活動、運動を始めて相当長い間、ことしこそはという言葉を相当使ってきたんですね。それも、結果的には、結果も出なく、そのまま継続、継続で来た。もうこれ以上待てないという覚悟の上で、ことしは、本年中に解決をという期限を切って、各所にお願いして、運動もそれに合ったような運動をしてきました。

 日にちというのは、毎日毎日、黙っていても過ぎてしまうんですが、まさに今見ますと、もうあと一週間しかない。ことしは残念ながら結果は出ないことになりましたけれども、私たちは、本年中にという言葉の裏には、もうこれ以上待てませんよという強い願いがこもっていたわけです。

 残念ながら日はたってしまいましたけれども、ことし、二十九年度の活動が、まさに本年中にという目標に近づくというか、それにかなりの貢献をしてきた活動が見られます。これは、我々のみずからの活動も含めて、取り巻く各種の活動もそれに似た形でかなり詰まってきているという感じは受けます。

 したがって、当然、もう来年になってしまうんですけれども、このことの積み上げをきちっと捉えて、参考になるところは、あるいは反省するところも含めて、来年早々取り組んでいきたいと思いますが、もう言葉がなくなっちゃったんですね。来年、どういう言葉を使おう。また本年中かというような話もありますけれども、それほど何回も何回もお願いしてきました。

 当然ながら、私たちは、自発的にどこかへ活動に出られるわけではありません。世論の啓発、盛り上げを含めて、政府への圧力というか肩たたきというか、そういった雰囲気をつくる。それから、ある程度北朝鮮へのインパクトを与えながら、我々は諦めてはいない、まだまだ闘うぞという意思を示す、こういうことで、もうお願いするしか今ないんですね。

 ですので、そのお願いの中に、具体的なお願いというのはたくさんありますが、結果的には、もう何回も言うようですけれども、被害者の帰国、これしかないんですね。あらゆる活動、あらゆる施策、戦略が被害者の帰国に具体的にどう結びついてくるのか、いくのか、あるいはそう結びつけようとしているのか、この辺を私たちはいろいろな皆さんの論議の中から酌み取って、評価というのは言葉が合いませんけれども、そういう期待を胸に秘めながら、全ての活動を見ています、要するに注視しています。

 そういうことでは、それぞれ日本の問題というのはたくさん、課題もたくさんありますが、やはり総理が言っているように、最優先の問題、課題であるし、最重要課題でもあるということをぜひもっともっと表に出して活動をしていただきたいなと思います。

 私たちも、単なるかわいそうな人たちだとかお涙頂戴的な話はもうとうに終わりました。あとは、そういう前提のもとで、そういう背景のもとで、いかに早く助けてやれるか、助け出せるか、もうこれしか焦点はないですね。

 したがいまして、それに向けて、ことしはもうありませんが、来年は、それにどうつながっていくかということを見ながら、各方面に強い要請なり申請なりを、お願いなりをしていきたいと思います。

 以上です。

西村(智)委員 時間ですので終わりますが、本当に貴重なお言葉をいただきました。

 私たちも、一日も早くという思いで、とにかく解決に向けてこれからも最大限努力をしてまいります。

 質問できなかった参考人の方、申しわけございませんでした。

 これで終わります。ありがとうございました。

江藤委員長 次に、もとむら賢太郎君。

もとむら委員 希望の党のもとむら賢太郎です。

 参考人の皆様、きょうはお忙しい中御出席いただきましたことをまずもって御礼申し上げます。

 私ども希望の党は、十二月十一日、希望の党拉致対策本部の松原本部長を先頭に、安倍総理に要請文を提出させていただきました。その要請文に従いながら、数点、きょうは質問させていただきます。

 まず、私の地元神奈川県、横田早紀江参考人がきょういらしておりますので、冒頭に一問御質問したいと思うんです。

 拉致被害者の皆様が帰国をされて十五年がたちました。この間、政府を初め、家族会、救う会、調査会初め、皆さんの大きなお力もいただいたわけでございますけれども、なかなか結果が見えてこなかったということでございまして、私ども希望の党は、この十五年間を振り返って、やはり政策一辺倒をもう一度見直していくべきじゃないかという形で要請文を提出させていただいておるんですが、横田参考人からごらんになって、この十五年間はどのような時間で、かつまた、これから未来に向かってどのようなことを私どもに対して御指導いただけるか、まず一問、質問したいと思います。

横田参考人 御指導くださいと言っていただくようなほどのことを私たちはできません。ただ本当に一介の庶民でありまして、たまたま庶民の中の拉致被害者でありますから。

 こんなことが日本の国家の中で起きる、起きている。そして、それが、物すごい数の方たちが拉致をされているということがだんだんだんだんわかってきて、本当に今は、特定失踪者の方を含めれば物すごい数の人たちがまだ政府に認定されないままで、私たちの前の、二十年前のことですね、二十年間わからなかったあの時代と同じ思いをしながら、苦しい思いで暮らしていらっしゃる方がいらっしゃるというのが特定失踪者の方だと思います。

 本当にそれはもう言葉であらわせないほどの苦悩と絶望感と、何のために私は生まれてきたんだろうか、あんなにいい子に育っていたのに、何をしてあの子をあんなふうにとられなきゃならないんだろうか、いろいろなことを考えて、本当にもう支離滅裂になったような新潟時代で、そういう中からこのことが発覚して、どこにいるかということがわかったら、それが北朝鮮であったと。何で北朝鮮なんかにいるんですかとびっくりするようなことが起きて、それから、蓮池さんの、アベックの方たちのこととか、いろいろな方がたくさんいらっしゃったこと、そして、まだまだたくさんいらっしゃること。

 そして、北朝鮮という国は並大抵でない、今はもういろいろなことであらわれてきましたけれども、そのころは、北朝鮮がそんなことをするんですか、そんなことってないでしょうと。

 署名活動をまず始めましたね。そのときでも、ほとんどの方が、今はもう一千万名以上の方が書いてくださっていますけれども、本当にもう大阪でやってもどこでやっても、さあっと通り過ぎていかれて、しまいには、持っている画板を、こんなもの何だと、ばあんとたたき落とされて、何するんですかと言って拾い上げながら、泣きながらしたような時期がありましたけれども、それほど北朝鮮のことなんて誰も何にも思っていなかった時代がありました。

 そういうことを通り越えて、本当にこんなことが起きているんですよということを、安明進さんという亡命工作員の方が見えたりとか、そういうことを救う会の方々が皆設定してくださって、その中で講演活動という形で全国を回りまして、本当に、自分でも数えたことがないんですが、いろいろ見ていてくださる方は、もう一千三百回ぐらい話しているだろうということでなっていますが。

 本当に私みたいな普通のおばあさん、今はおばあちゃんですけれども若かったときもありますが、普通の庶民が本当にこんなことまでしなきゃならないのかと思うほど署名活動を一生懸命にして、本を書かせていただいたり講演会に行ったり、いろいろな形で毎日毎日びっしり日程がある、今物すごくいっぱいありますけれども、それほど頑張ってやってきても、四十年たっているのにまだ何にも姿が見えない。あれだけの方がお帰りになっただけで、何にもわからない。

 蓮池さんは、私は命のほかのものは全部失いましたとはっきりと今おっしゃっていますが、そのような気持ちで、みんな向こうで本当に、ただ命があるだけなんだ、助けられないのかもしれない、どうなっていくのかなという思いで待っていると思うんですね。

 そういうことを本当に日本国家が、私は、日本国家というのは本当に物すごく大好きでしたし、本当に魂のある国だと思っています、今でも。だから、そういう方々がいらっしゃるはずなので、そうでない方もいらっしゃると私は思っています、それはやはり外側だけ見ていてはわかりません、でも、そういう心を持った方が、日本国家を愛して、あの子供たちは絶対この国の大事な子供なんだから取り返さなきゃ、絶対頑張るぞと思ってやってくださる方だけで結構ですから、本当にそれを実現していただきたい。

 本当にこれだけは解決しておかなかったら、今の子供たちの後の子供たちが、また向こうの国にも、いろいろな国々に、あの国は何にもできないんだね、あれだけみんな頑張っていたのに結局何にもできないんだね、そういう思いを持たれてしまったときに、これからの日本国家が本当に子供たちの成長が何の楽しみもなくなるほどの国になってしまうのではないのかなと、私は自分の立場からそれを非常に悲しく思っておりまして、もうこれ以上できませんので、どうか皆様方がお力を合わせて取り返していただきたいとお願いしております。

 よろしくお願いいたします。

もとむら委員 荒木参考人に数点お伺いいたします。

 我が党は要請文を提出しまして、日朝平壌宣言及びストックホルム合意を全て白紙にするべきだということで御提案させていただいております。政府はもう既に、加藤担当大臣そして岸田前外務大臣はこのストックホルム合意もまだ生きているんだというような答弁もされておりますが、私どもはそうではないと思っておりまして、日朝国交正常化交渉を一旦中断して、拉致被害者救出に的を絞った対応に切りかえるべきだと考えますが、御所見をお伺いいたします。

荒木参考人 ありがとうございます。全く同じ御意見でございます。

 ストックホルム合意は、既に三年半経過いたしまして、最初は効果を上げるというふうに思われていたのかもしれませんが、もう今や全く意味がない文書になっておりますし、平壌宣言も同様であるというふうに思います。これは全く白紙に撤回して新たな方策を立てるしか方法はないというふうに思っております。

もとむら委員 さらに荒木参考人にお伺いしますが、既存の組織とは別に総理直轄の拉致被害者救出の専任組織を再編することを私どもは求めているんですが、それについての御所見をお伺いしたいと思います。

荒木参考人 先ほど申し上げましたように、現状、非常に緊迫した状況でございます。ともかく情報の収集とかそういうことに全力をかける必要があり、今の対策本部の陣容だけではとても賄い切れないと思います。それから、最近の船舶の問題とかございます。

 私は、可能であれば、全体を統括した北朝鮮の非常事態の対策本部のようなものを設置して、それで対応をしていただく、各省庁横断でしっかり対応していただくということが必要であるというふうに思っております。

もとむら委員 きょう荒木参考人からいただいた貴重な資料の中に北朝鮮の漂流船についてさまざまな資料がございますが、拉致被害者や失踪者のリストを提示して入念に聞き取りをすべきだというのは御指摘のとおりだと私どもも思っております。

 そういった中で、漂流船については、これまでも、過去にもあったわけでありますが、特に、先ほどお話があったように、ことしは非常に多くの漂流船があるということでございます。そのような対応がされていたかどうか検証しなければならない一方、荒木参考人の資料では、「これまでと根本的に異なる体制をとる必要がある。拉致問題もその線上で新たな取り組みをすべきである」とされておりますが、私ども希望の党もまさしくそのとおりだと思いますが、具体的に所見をお伺いしたいと思います。

荒木参考人 現状は、御党の方でも柏崎の漂着船の視察を予定しているというふうに聞いておりますけれども、海保の方がもう対応ができないという話も聞いております。これはもう現場の方が精いっぱいになってしまっている。現在、これだけの漂着船と生存者が十八名という状態で、海保は既に手いっぱいの状態でございます。

 これから先、我々、今「その後」プロジェクトということでシミュレーションをやっておりますが、状況によって、北朝鮮の体制の変化によっては、一万人とかそういう単位の難民が流れ着く可能性がある。その難民の中には、拉致被害者がいる可能性もあるし、あるいは在日朝鮮人の帰国者とかその日本人家族、場合によったらば戦後の残留者がいる可能性もあるということがございます。だから、それを全て対応していくということの体制が必要であろうというふうに思っております。

もとむら委員 最後に、西岡参考人、荒木参考人に一問ずつ同じ質問をさせていただきます。

 横田参考人が新潟市内の講演で、安倍総理が平壌に行って金正恩朝鮮労働党書記長と話し合いをしてくれたらどんなにありがたいだろうかというお話をされていたわけでありますが、そういったカードが今後可能になってくるかどうか、御所見をお伺いしたいと思います。

西岡参考人 一回しか使えないと思いますので、まず総理の特使と北朝鮮の特使がきちんと根回しをして、金正恩氏が全被害者の一括帰国を決断したという確実な証拠やインフォメーションをとった後、一回そのカードをぜひ使っていただきたいというふうに思っています。貴重なカードだと思います。

荒木参考人 幾つかの方法のうちの一つとしては考えられるというふうに思います。

 ただ、現実問題には、全ての拉致被害者が救出をできるという状況のときには、あの人はトップの立場にはいないだろうと思います。ですから、そういう意味では、全ての人を帰すために金正恩との話し合いということは物理的に不可能であるというふうに認識しております。

もとむら委員 参考人の皆さん、きょうは本当に貴重なお時間、ありがとうございました。

 終わりにします。

江藤委員長 次に、竹内譲君。

竹内委員 公明党の拉致問題対策委員長の竹内でございます。

 参考人の皆様、きょうも来ていただきまして、本当にありがとうございます。

 私どもは、やはり何としても拉致被害者全員を取り戻さなければならない、そのためにこの審議をやっているわけでございまして、この国会の様子は当然北も見ているわけでございます。そういう意味で、大変やはり意味のある質疑であるというふうに考えております。

 そこで、私の持ち時間がちょっと限られておりますので、まず荒木参考人に第一回目はお聞きしたいと思うんです。

 貴重な御指摘、るるありがとうございました。また、そのほかの先生の、雑誌等を拝見いたしておりますと、私、全く同感の部分がたくさんございまして、特に、金正恩という人が大変恐怖心と猜疑心の塊であって、今やもう、もはやコントロールがきかなくなっていると。そういう意味では、核、ミサイルもそうですけれども、先生が、拉致問題を解決するには今の体制を変えるしかないと述べておられるところがあるんですね。そして、取引はできない人間だというふうにおっしゃっている部分があります。

 私は、どう見ても北の現体制は終わりが近づいているんじゃないかなと。歴史的に見ても、こういうことをやっているような指導者がいるときは必ず近く滅びる。そういう意味では、我々の拉致問題も解決が近づいているんじゃないかなというふうに私は思うんですね。

 そういう意味で、まず先生のお考えをお聞きしたいんですが、金正恩という人は取引ができない人間と見るべきか、それが第一点。それから、アメリカの攻撃の可能性について先生はどのように分析されておられるかということ。それから、そういう軍事的圧力によって、クーデターの可能性についてどのように見ておられるかということが三つ目ですね。そして、もしも取引ができない人間であるというのであれば、崩壊後、向こうの政変のときに拉致被害者全員を救い出すチャンスが訪れると先生はお考えなのか。そして最後に、もしもそうであるとすれば、日本政府として今から打つべき手は何かという点につきまして、いろいろお尋ねいたしましたけれども、先生のお考えをお聞きしたいというふうに思います。

荒木参考人 ありがとうございます。

 取引が可能かどうか。要は、北朝鮮は力しか信じない国ですので、力をもって抑えつけるということであれば、相手側は譲歩してくるだろうというふうに思っております。

 アメリカは、自分から軍事力を使うということは可能性としては低いのではないか。しかし、朝鮮戦争も、アメリカは引こうとしたわけですけれども、北朝鮮が戦争を始めたことでアメリカは戻らざるを得なくなったということがございますから、これはもう、その状況によってはわからないと思います。

 クーデターに関しましては、今までの北朝鮮であれば組織的な反体制の行動というのは、密告体制が極めて厳密にできておりますので、難しかっただろうと思います。現在も、軍をいかに抑えるかということにかなり神経を使っておりますから、軍が直接ということはわかりませんが、例えば金正恩が側近に暗殺をされるとかいう状況の中で軍が動き始めることというのは、可能性としてはあるのではないだろうかと思います。

 それから、崩壊後ですが、これも政府に対してお願いをしたいということで考えますと、もう今から準備をしておかなければいけません。

 私ども、北朝鮮向けの短波放送をやっておりまして、中波もやっていたんですけれども、金がなくなって現在はストップしておりますが、これの中で、ともかく、北朝鮮から来る場合に、もし船に乗ってくるのであれば武器とか麻薬を一切持ってこないでもらいたい、それで、今後、放送がさらに可能になれば、ここの港に集まってもらいたいとか、そういうことも含めて情報を流すつもりにしております。

 そういう中で、いざというときにはそこへ救出に行かなければいけない。救出に行けるのは、危険な状況になることを一応覚悟して行かなければいけないので、いろいろな法律の制限はございますけれども、結局、自衛隊しかないと私は思っております。それは全く情報なしに今度は出すことができませんから、もう今の時点からともかくその準備を進めていただきたいということをお願いしたいということでございます。

 以上です。

竹内委員 終わります。ありがとうございました。

江藤委員長 次に、江田憲司君。

江田(憲)委員 無所属の会の江田憲司と申します。

 きょうは、参考人の皆さん、本当にありがとうございます。

 いまだ拉致問題、被害者の皆さん全員の帰国が実現をされていないということは、本当に、私も含め、与野党別なく政治家全体の責任だと思っております。

 特に、家族会、救う会の皆さん、活動されてことしが二十年ということでございますが、二十年前といえば一九九七年、橋本政権の時代でございまして、私は実は官邸の末席も汚しておりました。

 当時、たしか橋本総理からも、九七年の二月でしたか、予算委員会の場で、これは北朝鮮の拉致の疑いが濃厚である、しっかり捜査をし情報収集もしたいという答弁もさせていただきましたし、五月でしたか、警察庁の警備局長が初めて、北朝鮮拉致の疑いが濃厚であるという答弁もさせていただきました。

 そういう渦中にいた者として、私自身も個人的に大変責任も痛感をしておりますし、本当に、皆様方のこれまでの御苦労、御心中を察すると余りあるものがございます。

 その中で、私も、その後、野党暮らしが長いものですから、なかなかこの事案の中身、政府の動向等々について詳細はつまびらかではないんですけれども、その点で、まずお伺いしたいんです。

 被害者の皆さんの帰国がかなわないにしても、私は、政府は、歴代政権はそれなりに、表裏、公式、非公式、いろいろなパイプ、ルート、そういったものを使って、いろいろな情報は収集していると思うんですよね。そういう中で、横田めぐみさん、田口八重子さん、松木薫さん、それぞれのいろいろな動静や動向も、一片の情報でも欲しいというのが皆様の思いだと思いますね。

 そうした情報は、安倍総理なり拉致担当大臣なり外交当局なり、あるいは警察当局、捜査当局から何らかの形で逐次提供されているのかされていないのかということを、ちょっと私は伺わせていただきたいんですが、よろしいでしょうか。

 まず、横田早紀江さん。

横田参考人 ただいまの御質問は、家族会にとっては一番大きなことなんです。本当に知りたいんです。どんなことでもいいですから、とにかく写真の一枚でも、今見たらわかりますからね、子供の写真だと。入っていたらわかります。

 そういう、具体的にこれは間違いないという形のものを何でもいいですから欲しいというのが家族会のみんなの思いでありますし、そういう、日朝交渉というんですか、非常に難しい国との交渉ですから、あらゆることがやはり内密で行われないとなかなか物事がうまくいかないのかなということを私たちは見ていて思いますし、私たちはそんな細かいことは何も聞いておりませんので。

 ただ、本当に聞かせてほしいという思いは誰もがみんな持っていて、一枚の写真でもいいですから、一声でもいいですから、お母さん、お父さん、元気だよと一声でもいいですから、声を聞けばわかると思いますし、何らかの形で一人一人に教えていただきたいと私はいつも願っております。

飯塚参考人 今出ましたお話、私たちも相当関心を持っています。

 ところが、例えば生存情報の調査とかというのは、非常に公開できない性格があるということがどうも壁になりまして、これは政府筋それから民間のボランティア関係の方々も含めてあらゆるところで調査はしていますが、これが正式にこうだという確定的な情報は実は与えられておりません。

 しかしながら、こういう話がたくさんあるよとか、こういう傾向が支配的ですよとか、その辺のニュアンス的な話は結構入ってくるんですね。ということは、それを私たちは信頼、信用して、その状況をこちらとしては受けとめながら、ああ、まだ頑張っているんだな、いついつ病院に入った、いついつ退院したなと、そこまで一応は非公式では入ってきています。

 逆に、この人が亡くなったという情報はないんですね。ということは、私たちは、希望的観測かもしれませんけれども、まだ生きて頑張っているんだな、そういう受けとめ方をしながら、あらゆることに対応しております。

斎藤参考人 私こそ、本当に何にもないんですね。ですから、本当に寂しい思いはしますけれども、日本政府を信じて、助け出していただくということを信念に持って私は動いておりますが、本当に残念だとは思いますけれども、本当に情報は皆さん欲しいと思っております。だけれども、これができないのであれば、すぐ再会できるようにやっていただきたいという願いで、これからも頑張っていきたいと思っております。

江田(憲)委員 先ほど、荒木参考人も、今、漂着、漂流してきた船員から徹底的に、被害者の皆さんの写真も提示しながら情報収集をしろという御指摘もありました。西岡参考人からも、生存情報だけではなくて所在情報が大事なんだというお話もありましたから。我々野党議員ができることは非常に限られておりますけれども、その点を安倍総理にしっかり指摘をし、やっていただくように。そして、個別の機密は確かにいろいろありますよ。しかし、御家族の、本当に親族、個別のいろいろな情報がもしあれば、それは秘匿をかけてそれぞれの方に提供するのが私は政府の義務だと思っておりますから、その点も申し上げたいと思います。

 時間もありませんけれども、飯塚参考人、ちょっとこれも安倍総理に対してしっかり指摘しなきゃいかぬのは、二〇〇二年のときにもう少し強く北朝鮮に拉致被害者を帰せと迫っていたら、結果が違っていたんだというような御指摘もありますし、西岡参考人も同じような指摘がございます。今後のために、いま一度それを振り返って、反省すべき点、教訓、安倍総理に指摘すること、ございましたら、それぞれ一言ずつお伺いできれば幸いでございます。

飯塚参考人 二〇〇二年のときは小泉総理でしたよね。首脳会談が確かに行われました。

 私は、あれを総括してみて判断した考えは、あれは失敗だったと今でも思っています。これは、今まで拉致問題を解決すべく、期間、経過の中で唯一の大きな要素であったわけなんですが、あれによって拉致問題が全く切れてしまったんですね。確かに五人帰ってきましたけれども、そのほかは全部もういないという向こうの確約をしょいながら日本へ帰ってきてしまった。まだまだたくさんいる被害者のことに何も言及がなかったという、この状況を私たちは相当心配していたら、案の定、それ以降、何もこの拉致問題に対する情報から何から進展しなかった。

 ですから、先ほども出ましたように、安倍総理が金正恩と会談したらどうかという話もありましたけれども、これは簡単にはできないことというのは、失敗例があったことを教訓にして、あのときはいろいろな話がありました、多分外務省主導だとかいう話もありましたけれども、単にそういう条件だけで日朝のいわゆる正常化を図ろうとかというのは、まだまだ無理な状況だというふうに思います。

 したがって、もし安倍総理が行くのならば、その前段階の水面下のことも含めて、きちっと確約がとれるように、拉致被害者を帰すんだという確約がとれる段階まで進めておいて、その確認に行く、それで即刻帰すという段取りをしなければ、安倍総理が何も、白紙のまま交渉するわけには、これはもう論理的にも物理的にも、全てから見て無理だなと思います。

 そういう戦略を私たちはわかりません。したがって、政府筋も当然含めて、その辺の戦略を、前回の失敗にならないようにどう持っていくかということを考えながらやっていただきたいなと今思っています。ありがとうございます。

西岡参考人 九月十七日に平壌でどんなことがあったのか、蓮池薫さんに聞きました。朝からマンションで待たされていた。昼に日本政府の関係者が来た。蓮池さんは、ズボンをまくって、交通事故のけがの跡を見せた。小学生のときに交通事故に遭っていたんですね。これが自分が蓮池薫である証拠だと。しかし、外務省は事前に家族に何も調べていませんでしたので、外務省が家族に報告したのは、蓮池薫を名乗る人に会ったということだけです。

 そして、死亡の確認作業としてはウンギョンさんが出てきたんですが、ウンギョンさんはバドミントンのラケットを持ってきました。そのラケットを横田さんたちに見てもらって、めぐみさんが失踪したときのラケットなのかどうか確認しなければ次に行けなかったのでありますが、そのラケットを貸してもらうこともできなく、写真も撮っていなかった。だから、ラケットがありましたという口頭での報告が十八日の夕方なされただけです。それなのに、十七日に、死んだ、お亡くなりになりましたと断定型で、家族にそれぞれにお話がありました。

 それで、我々は、外務省主導ではだめだということで、政府の中に、外務省の外に拉致問題を担当する部署をつくってほしいとずっと要求していたのですが、それができたのが二〇〇六年、第一次安倍政権のときであり、このような特別委員会ができたのもその後であります。

 つまり、今三回目のチャンスが来ているという意味は、もう一つ。二〇〇二年のときは、外務省主導で外交案件としてしか扱われていなかった。しかし、今は、担当大臣がいて、このような先生方の委員会があり、先生方がつくってくださった北朝鮮人権法があって、人権法には国家犯罪だと書いてある。こういう中で、北朝鮮が今三回目追い込まれてきている。ここで勝てなかったら本当におしまいだ。しかし、これはもう、今の体制はつくったんですから、ここでぜひ頑張っていただきたいと強く思っています。

江田(憲)委員 最後に、九七年当時、橋本総理もいろいろな水面下の交渉をされておられました。その過程において、我々は、九七年当時でございますけれども、横田めぐみさんは確実に生きておられた、そういう確信を持っていたということだけを最後申し上げて、私の質問を終わりたいと思います。

 どうも皆さん、ありがとうございました。

江藤委員長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 本日は、参考人の皆さん、本当に貴重なお話、御意見、ありがとうございました。

 冒頭にも、もう四十年、そして二十年、十五年というお話もありましたけれども、やはり拉致問題の解決を一刻も早く、そして一刻も早く救出、帰国をということでの被害者御家族の思い、痛切な思いを改めてしっかりと受けとめたいと思っております。

 私も、二〇〇六年以来、この委員会に所属しながら、何度も御意見を伺う機会がありました。そして、拉致の現場にも何カ所か伺って、めぐみさんの写真展にも伺ってまいりましたけれども、改めて、今日の時点で政治が果たさなければならない、そうした重い役割を痛感したところであります。

 そこで、まず横田参考人に伺いたいんですが、先ほども少しお触れになりましたけれども、横田さんは、ことし六月、横田めぐみさんの御両親を支援するあさがおの会の総会の中でこう言われたというのが、私も目にとまりました。数年前に拉致被害者家族会が安倍首相と面会した際に、金正恩委員長と直接会って交渉するように申し入れたということを触れられたと思いますが、可能ならば、どんなやりとりを総理とされたのか、そしてそれについてどんなふうに思われたか、可能な範囲で結構ですが、お話しいただけないでしょうか。

江藤委員長 質疑の途中ではありますが、荒木参考人は、お時間となりましたので、御退席いただいて結構でございます。

 本日は貴重な御意見を賜りまして、まことにありがとうございました。

 それでは、横田参考人。

横田参考人 済みません。特別細かい思いではなくて、余りにも解決しないので、本当にどういうふうな水面下の交渉が行われているのか、どういう方が動いていらっしゃるのか、本当にいろいろなことがあると思うんですが、私たちには全く見えないことでわかりませんので。

 本当にやはり、私たちは、背景はいろいろあったと思いますが、先ほども申し上げましたように、小泉総理とそして金正日氏が対面して、初めていろいろな話ができて、はっきりと向こうも拉致を認めて、まさか拉致を認めるなんて考えてもいませんでしたけれども、やはり本当にとんでもないことが起きるんだなという思いがあのときにありました。やはり、そういうトップ同士の方がおなかを割って話されることが一番、見えるところで目を見て話すことが人間として一番わかりやすいのじゃないのかなという思いもあって、ただ単純に、私は、本当に普通の庶民として、何とかしていただきたいから、上の方が動いてくださいという思いでそのように申し上げたと思います。特別細かいことは何もありません。

笠井委員 総理とのやりとり、総理の側は何か、それに対してはどんなことをおっしゃったんでしょうか。

横田参考人 そのときは、私がそのように申し上げて、いずれはそういうことは大事だと思いますというような言い方をなさったと思います。でも、それは今ではありませんがという言い方でお聞きしておりました。

笠井委員 もう一問伺いたいことなんですけれども、横田参考人は、先日、トランプ米大統領に面会されるに先立って、時事通信だと思うんですけれども、インタビューの中で、北朝鮮とアメリカや日本との間で緊張が続く現状について、制裁も必要だけれども対話も必要だということで、侮られてはいけない、しかし追い詰めるだけでもいけないのではというふうに指摘をされて、戦争だけはやめてほしい、人を殺りくして町も壊滅するのでは意味がないというふうに訴えられたというふうに拝見いたしました。

 今触れられました、二〇〇二年の九月の小泉電撃訪朝に当たって仕事をした田中均元外務審議官も、最近、みずからの経験から、日本の対北政策について、対話重視、外交政策が最優先だ、その点では今の日本には北とコミュニケーションできるチャンネルが不足しているのではないかというふうに指摘をされたんですけれども、横田参考人、それから飯塚参考人、斎藤参考人、お一人お一人、一言ずつで結構なんですが、こうした現状についてどのように思っていらっしゃるか伺いたいと思うんですが、いかがでしょうか。

横田参考人 先ほどから申し上げましたように、私たちは皆様方のような政治を勉強なさったような方々と違いまして、本当に普通の庶民であります。まさかこんなことが起きなければ、普通に孫たちと一緒に暮らしている普通の平凡な人間でしかありません。それで、余り難しいこと、そういった水面下のこととか、どういう方がどういうふうに動いているか、どうしたらいいか、そういうことを本当は言葉に出して言うようなそれほどの知識も何もありませんので、経験してきた中で、何とかならないのかな、こういうことは何とかならないものなのかなという思いでしか、軽い感じの言葉でしか言えないんですね、庶民は。

 本当にそういう形でしか申し上げておりませんのですけれども、本当にどうしたらいいのかというのはやはりこちらが聞きたいぐらいで、皆様方に、どうしたらいいと思いますかと。記者たち、皆さんが聞かれますね。よく聞かれても、こちらが聞きたいんですよ。それはこちらが聞きたいことでありますということをいつも言うほど、わからないですね、何も。もうみんなわからないんですね。

 みんな、ただただ元気でいてほしい、本当に、あのままの姿では帰ってこれないけれども、とにかく元気で命があって帰ってきてほしいという思いだけをみんな持って、ただ、拉致問題の解決、全員無事帰国ということだけを祈って皆様方にお願いをしているわけですので、難しいことは本当にそれこそ政府の方で、もっともっと本音を吐き出して、皆さんと一緒に、そうじゃない、こうじゃないともっと激論していただいてでも、一番いい方法を集約していただくために頑張っていただきたいというのが願いでございます。

飯塚参考人 御指摘の問題は、非常に難しい問題であると思います。いずれにしても、話をしないと解決の方向には行かないというのは確かでございますね。ですけれども、単なる対話のための対話では困るわけです。あくまでも、目的は、日本人拉致被害者を帰すためにどうするかという話がそこになければいけません。

 しかし、今まで北朝鮮があらゆる問題に対応するときには、ブッシュ大統領の二〇〇二年のあの対応もそうだったんですけれども、やはり、かなり困らないとこっちを向いてくれない。これは普通の国ではありませんので、そういった状況もかなり有利なはずだ。今、安倍総理も率先して、圧力、圧力、制裁、制裁というような話が出ています。これは国際的にもそういう傾向にありますが、制裁をかけて北朝鮮がこちらに向く、例えば実質協議に参加するようなことになるということは、まずは第一歩として考えて、まず、協議にのせる、こっちからいえば引っ張り出すという形をとる、これの糧になるのは、やはり制裁だと思うんです。

 制裁の中には、話によって、今後の成り行きによってはいわゆる見返りといいますか、そういう性格も持っていますという話を含めて、北朝鮮がこの対応のために、どうすれば自国の利益に結びつくかという、その辺の認識をさせるということもこれは一つの大きなポイントだと思うんですね。

 したがって、私たちちょっと、またこれも判断つきませんけれども、安倍総理がああいう対応でやっていくというふうに言っておりますので、いずれ北朝鮮が実質協議に参加しようかというところまで来るのかなというふうに期待はしています。その程度の、今、判断しかありません。

 以上です。

斎藤参考人 横田さん、飯塚さんが申し上げたとおり、私たちは、どうしたらいいかということは毎日毎日考えてはおりますけれども、私たち家族で解決できることじゃありませんので、やはり、トップがどんなふうに話をされて解決の道に近づけてくれるかということを、私たちは毎日、いい知らせがないかと思ってやっておりますので、本当にこれぐらいしか私たちは答えられません。

 以上です。

笠井委員 時間が来たので終わりますが、横田参考人が、戦争だけはやめてほしいとインタビューでも言われたというのは、本当に私、重いことだと思いまして、北朝鮮による核・ミサイル開発、そして発射するという暴挙は絶対許されないけれども、戦争だけには絶対してはいけないということだと思います。

 拉致問題の一刻も早い解決の上でも、今もお話しされましたけれども、北朝鮮に対する制裁を強化する、そしてそれと一体にして北朝鮮を対話の場に引っ張り出す、ここが本当にポイントかなというふうに思っておりまして、そういう意味では、チャンネル不足どころか、それを断つようなことがあってはいけないということを非常に感じます。

 相手も認めて約束したという、それに違反を繰り返しているのでけしからぬということなんですけれども、しかし、認めて約束した日朝平壌宣言、これを握って本当に日朝間で迫っていくということしかないのではないか、それが本当に大事ではないか。そのために、本当に解決のために私たちも努力をしていきたいと思います。

 ありがとうございました。

江藤委員長 次に、串田誠一君。

串田委員 日本維新の会の串田でございます。

 参考人の皆様、御出席、本当に心からありがとうございます。

 先ほどからお聞きをしておりまして、横田さんのお話が大変わかりやすく、それだけに、つらく、苦しい思いをいたしました。

 拉致という言葉を使いますと、何か国際的な難しい問題というような印象を受けるんですけれども、実際は、誘拐であり人さらいである。そしてそれが、犯人もわかっていて、連れ去られた場所もわかっている。にもかかわらず、解決ができないという、この四十年間というのは本当に不思議であり、またおかしなことだと思います。

 十二月十六日にシンポジウムに出席をさせていただきまして、加藤大臣が、全力を挙げて救い出すというようなことをおっしゃっていただきました。第三部ではミニコンサートが行われまして、みんなで歌を歌いました。会場がもう本当に満員で、やはり大変興味がある、皆さんが関心を持っているということがよくわかったわけでございますけれども。

 最後に、短波放送「ふるさとの風」、「しおかぜ」でしょうか、本当に心の支えになっているのだとは思いますが、みんなで復唱をしました。日本の拉致被害者を必ず取り戻す、これを三回復唱させていただいて、短波放送に乗せたわけですけれども、最初のときに、だめ出しをされました。声が小さい。みんなで一生懸命声を出しているつもりだったのが、小さい声だということを司会者に言われて、もう一度やったときには本当にその何倍もの大きな声になった。それを受けて女性の司会者が、実はこれが今までの活動だったのかもしれませんね、一生懸命やっているつもりでいたけれども、本気でもう一度やり直せば、もっともっと力が出せたんじゃないか、そんなことをおっしゃって、そうなのかなと、本当にそう思ったわけでございます。

 そこで、横田さんに、大変お答えにくいかもしれませんが、この十五年間、政府の活動を点数をつけたら何点なのか、そして、そのお気持ちなどをお聞かせ願いたいと思います。

横田参考人 私は点数というのは小さいときから嫌いで、みんなそれぞれのいいところもあればまずいところもあるというのが人間だと思いますし、何点ということは本当に神様がおっしゃることであって、私たちが言うことではない。

 ただ、どれだけ努力をして、どれだけ真剣に命がけでやったかということだけは誰にでも見えると思いますので、その姿を私たちはいつも期待して皆様方を拝見しておりますので、本当に安倍総理もそのようにしていただきたい。

 多くの方が、もし御自分のお子様が、めぐみと違っていて、うちは拉致はされていない、だけれども、皆様のお嬢様が、また御子息が連れ去られたままで、今の御状態でいらっしゃったときに、本当に四十年間、五十年間、そういうふうになさっていたのか。もうしようがないです、もう諦めます、こういう運命もあるんでしょうとお子様を放されるのかということ、一番そこを考えていただいて毎日を送っていただきたい、それだけお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

串田委員 まあ、満点をつけていただくことはとてもできないというようなことは今の言葉から大変伝わってきました。

 次に、飯塚代表と西岡代表にお聞きしたいんですけれども、テロ支援国家の指定が一九八七年十一月に一度なされまして、二〇〇八年にまた解除され、そしてまた二〇一七年に再指定された。そして、トランプ大統領がこの拉致の問題について取り上げられたわけです。それをパフォーマンスと終わらせてはいけない、フォローアップが必要だということで、政府も全力を挙げていろいろ考えてはいると思うんですけれども、家族会や救う会の方々にとって、フォローアップというものの何かヒントなどを教えていただければと思います。

飯塚参考人 私の方から、これはというヒントとか提案はありません。しかしながら、ああいう動きを見ていると、期待はしています。

 というのは、先ほどもちょっと話に出ましたブッシュ大統領のあの対応、全く似てきているんですね。そういうことでは、北朝鮮のトップが、いわゆる、軍事資金も含めた、みずからの資金も含めた外貨が相当緊迫しているという状態になってきている。ということは、先ほど出たように、それをこれ以上やられては困るという、いわゆる白旗を上げる状態になってきているというふうなことを聞けば、向こうからの、例えば申し入れ、協議をしていこうかとかという申し入れがあるのではないかというふうに考えますが。逆に、ああいう向こうのトップみたいな人ですから、やたら、圧力、圧力でやった場合、いわゆる俗語で、頭にきて何をやらかすかわからないというふうな心配も実はありますよね。そういうことも一つの大きなリスクとして私たちは考えながらいますけれども。

 日本政府も、アメリカのトランプもそうですし、国連筋もそうですし、北朝鮮をもっともっと制裁していく、その過程の中で再生を図らせていくんだという動きがありますので、私たちとしては、いや、そうじゃないよとか、あるいはこういう妙案もありますよというのは全くありませんので、全て、そういう面では、信頼と期待、これしかないですね。

 以上でございます。

西岡参考人 テロ支援国指定は、一九八八年、大韓航空機爆破事件のときにされたのでありますが、その理由に拉致が入ったのは、二〇〇三年、我々家族会や救う会が訪米いたしまして、アーミテージ国務副長官に会って、当然これを理由に入れてくださいと言って、初めて入ったんです。

 この四十年間もなぜこんなに解決ができなかったのか。一番の理由は、一番後ろの十年間しかみんなで一生懸命しなかったということです。この委員会もいつできたのでしょうか。本当は、四十年前からここで議論してきたら、こんなにかかっていないと思うんですね。だから、本当は、大韓機事件のときにこういう委員会があれば、アメリカの制度の中で拉致が理由だという決議をしていただいて圧力をかけられたわけであります。我々がこれは使えると思ってお願いして、アメリカもそれを使おうとしたのでありますが、アメリカは核のためにそのカードを一時捨ててしまった。

 しかし、今回、金正男氏のことなどを理由に再指定しましたので、ぜひやっていただきたいことは、拉致問題は現在進行形のテロですから、被害者が帰ってきていないんですから、毎年四月ぐらいにアメリカの国務省がグローバルテロリポートというのを出します、その中で、この一年間どの国がどのようなテロをやったのか、テロ指定の理由を書きます、そこに拉致問題が書かれるかどうか。再指定されたといっても、拉致以外のものでされたのでは意味が半分になってしまう。ぜひ、日本外交を通じてそれをやっていただきたいし、先生方も議員外交として、あるいは国会として声を出していただきたいと思っております。

 以上です。

串田委員 今のお言葉を本当に参考にしながら進めていきたいと思います。日本維新の会も全力を挙げて取り組んでいきたいと思います。

 ありがとうございました。

江藤委員長 次に、竹内譲君。

竹内委員 二回目の質問をさせていただきたいと思います。

 今度は、西岡先生にちょっとお伺いしたいと思っております。

 先生もいろいろなところで分析をされていまして、独裁国家北朝鮮は瓦解寸前であるというふうに書かれている雑誌等もございます。私も全くそのとおりだというふうに思っておる次第であります。そしてまた、日本海側の漂流者の多発というのは、全くこれはもう異常事態だというふうに思いますね、どう考えても。

 そこで、改めて確認をさせていただきたいのでございますが、やはり、先生としては、一つ、軍事的圧力をさらに強めていくべきであるというお考えに変わりはないかということが第一点。

 それから、クーデターの恐怖、可能性ですね、これについては先生もいろいろなところでかなり詳細な分析をされておられます。その辺の可能性についてはどう見ておられるか。

 そして三つ目に、ここは荒木先生とちょっと違うのかなと思うんですが、荒木先生は、取引はなかなか難しい人間であるとおっしゃっておられるんですが、先生の御主張を見ていますと、金正恩はまだ取引できる可能性があるというお見立てだというふうに思うんですね。その場合、先生の分析等を拝見しておりますと、老幹部の組織的指導部が後ろにまだいると。金正恩という人はこの老幹部等のアドバイスを聞く可能性があるのかどうか、この辺。そして、最終的に拉致被害者の解放と引きかえに取引をする可能性は十分あるのかどうか、その辺につきまして、再度先生のお考えをちょっとお聞かせ願いたいと思います。

西岡参考人 私は、軍事的だけではなくて、経済的なことも含めて圧力を今最大限に高めるべきだというふうに思っています。軍事的圧力というのは、B1Bが飛んできたり軍事演習をやったりということでありまして、軍事力を行使するということとは線を引いておって、しかし、その軍事的圧力も必要だというふうに思っております。

 そして、二番目の、クーデターの可能性ですが、クーデターというのは、軍が組織的に動くという狭い意味のクーデターの定義はなかなか難しいと思います。一番可能性があるのが暗殺ですね。宮廷革命のような、側近が暗殺をする、そういうことはあり得ると思いますし、金正恩暗殺未遂事件が少なくとも二回あったということについて、私は複数の情報筋から確認しています。

 それから、三つ目の、取引の可能性であります。そして、金正恩が老幹部の言うことを聞くのかどうかということとまとめてお答えいたしますが、今、金正恩の側近としているのは党の組織指導部の人たちですね。組織指導部の人たちは、おっしゃるとおり老幹部でありますが、彼らは内政を担当してきたわけです。もっと言うと、国内の統制を担当してきた。幹部たちの人事や、それから検閲権を持って。金正日時代は、彼らは権限は大変な権限を持っていたが、地位はない。金正日のお庭番的な組織として権限を持ってきた組織があるんですが、その人たちが今地位も持ってきている。それに対抗するような勢力が張成沢のような親戚でしたが、その人たちは殺された。それから国家保衛部の金元弘も飛ばされたということで、今、内政を担当してきた、国内統制を担当してきた組織指導部全盛時代なので。金正日は組織指導部を使いこなす裁量がありましたが、金正恩は使われているのではないか。

 組織指導部に金正日がずっとやらせていたのは国内のことで、絶対に海外に行かせなかった。国際感覚がないんです。だから今のような強硬一辺倒のことをやっているのではないかと思うので、老幹部たちの言うことを聞いたらなかなか取引に応じないのではないか、今のお話をつなぐとそういうふうになります。

 しかし、金正恩も自分が大切です。自分と自分の家族の生活が脅かされるほど制裁が効いてくれば、取引をすると思います。ただ、その場合も、核は本当に一九五〇年代からやってきた戦略ですから、それを放棄するというのは大変なことですけれども、拉致については戦術ですから、四十年前の彼らがやった犯罪ですし、秘密をたくさん知っているという、こちらにとって不利な状況がありますが、それについてもいろいろな話し合いの結果、交渉ができる余地は十分あると思います。

 石油が全部断たれるような苦境になった場合に、彼らのぜいたくな生活も維持できなくなりますし、国連制裁でも、ことしの九月から本格的な制裁が始まったばかりですから、今後、展開によっては話し合いが始まることはあり得ると思います。

 ただし、その場合に、それが核を優先としたアメリカとの話し合いになってしまうかもしれませんし、日本に来るかもしれませんが、どちらにしても、拉致が議題から外れないように、それが焦点だと思います。そうすれば道は開けると私は思っています。

竹内委員 貴重な御意見、ありがとうございました。

 終わります。

江藤委員長 次に、石崎徹君。

石崎委員 本日は、参考人質疑の貴重な時間をいただきまして、まことにありがとうございます。

 私は、横田めぐみさんのまさに拉致されたところの選挙区の衆議院議員でもありますし、また、横田めぐみさんが拉致された現場近くの高校へ通った、まさに地元の人間といたしまして、一刻も早くこの問題を解決したいという思いで国政活動を続けてまいりました。

 私個人の思いといたしましては、今、私自身、北朝鮮に行って、拉致被害者、特定失踪者の皆様方を救出したいという思いでおります。そういった観点で、ちょっと議員外交についていろいろと調べてまいりました。

 先日、横田拓也さんが拉致県民集会のときに、対話を信じて四十年間待たされた、圧力をしっかりしてほしいというようなお話がございました。対話のための対話というのははっきり言って意味がないというふうに思うんですけれども、解決のための対話というものはこれからも少し考えていく必要があるのかなというふうに思っております。

 先般も、安保理事会で、日本が議長国であるということでありますけれども、北朝鮮の担当者に対しまして圧力の対話を行ったというふうに伺っているところでございます。

 来月には金正恩氏は三十四歳の誕生日を迎えるということで、実は私も一九八四年一月生まれの全くの同い年ということでございます。先ほど、腹を探る必要があるということがございましたけれども、同世代なりの、解決のための対話をしたいというような強い思いもあるわけでございます。

 調べてまいりましたところ、今、現状では、アントニオ猪木議員が約三十二回の渡航をしているということでありますし、また、過去の訪朝団を見ますと、金丸訪朝が一九九〇年、村山訪朝団が一九九九年ということで、それ以外のいわゆる議員外交というものはほとんど行われていないということでございます。

 現在の政府の方針におきましても、全ての国民の北朝鮮への渡航自粛要請というのが行われているということでございまして、本来であればアントニオ猪木議員の訪朝というのは政府の方針には反しているということではございます。何を向こうで議論しているのかはよくわかりませんけれども、このあたり、アントニオ猪木議員の議員外交は、きょう、参考人の皆様方の観点から考えて、やめてほしいとかそういったようなお考えがあるのかも含めて、少しこの議員外交のあり方についてお聞きしたいというふうなところでございます。

 先ほど飯塚参考人から、総理が白紙で行ったところで結局結果に結びつかなければ意味がないというお話がございました。総理が行く前の、まさに土台づくりとしての議員外交のあり方についても、そこも含めてお聞かせいただきたいというふうに思っております。

 また、きょう、せっかくこの拉致問題の特別委員会、我々議員が所属しているわけでございます。政府だけが頑張るだけではなくて、まさに国会議員全員が、この拉致問題解決のために全員が頑張るという意味におきましても、まさに政府以外の議員の活動、我々はどういうふうにこれから行動をしていくべきか、具体的な行動をしていくべきかについて、この議員外交の可能性について皆様方はどういうふうにお考えなのか。

 ちょっと時間の限りもございますので、横田参考人、飯塚参考人、そして西岡参考人にお伺いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

横田参考人 ただいまの御質問、非常に難しい問題でございまして、私たちはどうしていいのかというのは本当にわからないわけですね。

 アントニオ猪木さんが何度も向こうに行かれるのもよく聞いていましたし、テレビでも見ておりますけれども、あんなふうに自然に入っていく人でさえも直近の人とは会えない、そして本当の話はできないという。何らかほかのことでしか行っていらっしゃらないのかなというぐらいにしか私たちはわかりませんし、どういうふうなことで行っている人がいるのかということも、いろいろな方がいると思いますけれども、やはり、拉致問題、拉致被害者を必ず帰してもらうため、ただ、これが間違ったことですよということをきちっと言って、そしてそのことのために全身全霊をささげて行かれているのか、もっとほかのことを考えて、向こうからのいろいろなことがあって、コンタクトがあって、そちらの方を信じながらそういうふうにうまくやっている人がいるかもしれない。

 そういうことは私たちは本当にわからないんですね、庶民は。ただ、帰してほしい、早く解決してください、そのために頑張ってくださいと言うことしかできませんので、難しいことは本当にわかっておりません。

飯塚参考人 冒頭、猪木議員のお話が出ましたけれども、それと、最後におっしゃった、議員一人一人が、全員が動くんだというあの言葉、私たちはすごくうれしく思います。

 一つは、アントニオ猪木さんが前からちょこちょこ行っているのは私もよく見て知っていますが、まさに目的なしの野放し状態という感じがとれます。やめてほしいとかどうするかというのは別な問題で、もし行くのならば、ちゃんと党内で論議をして、こういう役割でこういうことをやってきてほしいというような確たる役割をお願いしてやってもらいたいなと思いますが、しかしながら、誰も彼もばらばらに自由勝手に動くというのは多分できないと思いますし、それがまた逆効果になるおそれもあります。

 したがって、私は、議員外交というのがどういうのだかよくわかりませんが、本当に、党内なら党内で論議して、その役割分担、あるいは北朝鮮に行くという大きな任務があれば、皆さんの意見を入れて、はっきりとした任務、役割の中で動いていただきたいなと思います。そういう意味では、あれ、アントニオ猪木さんは何党でしたっけ、ちょっと失礼しました、そういった感覚です。

 ですので、国会議員の皆様方一人一人、党派も違いますが、大きく言えば、超党派でこの問題を解決していくんだというこれは建前になっていますし、超党派でうまく力を倍加して何かができればいいし、また、それぞれの党派で連携をとりながらそれぞれの分担をしていくというのもいいかもしれませんが、ぜひとも、国会議員の先生の皆様方には一人でも動けるような感じを持っていただいて、何かこの問題に対する具体的な動きに携わっていただきたい、これは私の希望でもありますし、お願いでもあります。

 以上でございます。

西岡参考人 私は、北朝鮮に行かれるのは大変危険だと思います。北朝鮮は人を選びます。担当は統一戦線部です。拉致をしたと同じ工作部署が議員外交の窓口になっていますので、北朝鮮に行くということは私は余りいいと思いません。

 そうではなくて、議員外交では例えば、先ほど言いました、私ちょっと言い忘れたんですが、アーミテージ副長官に、テロ指定の理由に拉致を入れてくださいと言ったときも、実は議員外交でした。ここにいらっしゃる先生も含めて何人かの与野党の先生が一緒に行ってくださったから、アーミテージ副長官に我々は会えたということもありまして。周りですね。アメリカに対すること、あるいは中国と独自のパイプがある方は中国に対しても、机をたたいてでも人権ということをぜひ言っていただきたいし、あるいはロシア、あるいはEU、あるいはタイだとかルーマニアなど被害者が確認されているところ、レバノンなど、そういうようなところを固めるというのはぜひ必要だと思います。

 あるいは、タイの被害者が北朝鮮に行ったときに、すきを見てインドネシア大使館に一度逃げ込んだんです。しかし、北朝鮮に引き渡されてしまった。だから、そういうことがないように、平壌に大使館を持っているところに、緊急事態が起きたとき、こういう人たちが逃げ込んでくる可能性があるんだというようなことについて、実は、自民党の先生方は東京にあるそういう大使館を全部もう回ってくださっているわけですけれども、そういうような、議員としてやれる外交の枠組みはたくさんあるし、今も随分やってくださっているというふうに私は思います。

 そして、やはり先生方に一番やっていただきたいのは、今の法律で間に合うのか。制裁なら制裁について、制裁も法律に基づいてやっているわけです。もともと日本では、船舶を禁止する法律もなかったんです。貿易を禁止する法律もなくて、それを先生方がつくってくださったから今できるようになって、あるいは人権法も、先生方がつくってくださって、それに基づいて政府が動いているんですが、人権法などそれらの法律が機能しているのか、これで足りるのか、あるいは安保法制などについても、ぜひ真剣に、この緊張状態の中で今の法体系が間に合っているのか、政府を追及しながら、必要な立法措置があるならそれをとっていただきたいと強く思っています。

 以上です。

石崎委員 ありがとうございました。

 斎藤参考人には質問ができなかったことをおわび申し上げたいと思います。

 最後に、「しおかぜ」への国の支援が私は必要だということを付言させていただきまして、質問とさせていただきます。

 どうもありがとうございました。

江藤委員長 以上をもちまして参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言御挨拶を申し上げます。

 参考人各位におかれましては、率直な思いをお聞かせいただき、まことにありがとうございました。

 委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。

 本日のように委員会を開催することが、北朝鮮に対するメッセージとなります。今後も本委員会は党派を超えて協力し、一日も早く御家族が再会できるよう取り組んでまいります。

 参考人の皆様におかれましては、くれぐれも御自愛くださいますように、委員一同お祈り申し上げます。

 本日は、まことにありがとうございました。

 本日は、これにて散会いたします。

    午後零時四分散会


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