衆議院

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第10号 平成29年5月25日(木曜日)

会議録本文へ
平成二十九年五月二十五日(木曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 鈴木 俊一君

   理事 亀岡 偉民君 理事 島田 佳和君

   理事 谷  公一君 理事 橋本 英教君

   理事 藤原  崇君 理事 金子 恵美君

   理事 郡  和子君 理事 高木美智代君

      秋本 真利君    穴見 陽一君

      伊藤信太郎君    石川 昭政君

      小野寺五典君    勝沼 栄明君

      門  博文君    門山 宏哲君

      神山 佐市君    菅家 一郎君

      小松  裕君    古賀  篤君

      佐々木 紀君    坂井  学君

      鈴木 憲和君    瀬戸 隆一君

      田野瀬太道君    田畑 裕明君

      高橋ひなこ君    土井  亨君

      中山 展宏君    西村 明宏君

      根本  匠君    野中  厚君

      宮内 秀樹君    小熊 慎司君

      大畠 章宏君    岡田 克也君

      落合 貴之君    黄川田 徹君

      玄葉光一郎君    階   猛君

      岡本 三成君    中野 洋昌君

      真山 祐一君    高橋千鶴子君

      畠山 和也君    木下 智彦君

    …………………………………

   復興大臣政務官      田野瀬太道君

   参考人

   (前宮城県東松島市長)  阿部 秀保君

   参考人

   (一般社団法人社会的包摂サポートセンター代表理事)

   (医師)

   (元宮古市長)      熊坂 義裕君

   参考人

   (三陸鉄道株式会社代表取締役社長)        中村 一郎君

   参考人

   (避難の協同センター共同代表世話人)       松本 徳子君

   参考人

   (宝鏡寺住職)      早川 篤雄君

   衆議院調査局東日本大震災復興特別調査室長     宇佐美雅樹君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月二十五日

 辞任         補欠選任

  小泉進次郎君     穴見 陽一君

  西村 明宏君     佐々木 紀君

  星野 剛士君     神山 佐市君

同日

 辞任         補欠選任

  穴見 陽一君     中山 展宏君

  神山 佐市君     宮内 秀樹君

  佐々木 紀君     西村 明宏君

同日

 辞任         補欠選任

  中山 展宏君     小泉進次郎君

  宮内 秀樹君     星野 剛士君

    ―――――――――――――

五月二十三日

 避難用住宅の提供打ち切り撤回と、避難用住宅の長期無償提供に関する請願(島津幸広君紹介)(第一一九六号)

 被災者の住宅再建支援制度の抜本的拡充に関する請願(高橋千鶴子君紹介)(第一二六〇号)

 同(赤嶺政賢君紹介)(第一二九三号)

 同(池内さおり君紹介)(第一二九四号)

 同(梅村さえこ君紹介)(第一二九五号)

 同(大平喜信君紹介)(第一二九六号)

 同(笠井亮君紹介)(第一二九七号)

 同(穀田恵二君紹介)(第一二九八号)

 同(斉藤和子君紹介)(第一二九九号)

 同(志位和夫君紹介)(第一三〇〇号)

 同(清水忠史君紹介)(第一三〇一号)

 同(塩川鉄也君紹介)(第一三〇二号)

 同(島津幸広君紹介)(第一三〇三号)

 同(田村貴昭君紹介)(第一三〇四号)

 同(高橋千鶴子君紹介)(第一三〇五号)

 同(畑野君枝君紹介)(第一三〇六号)

 同(畠山和也君紹介)(第一三〇七号)

 同(藤野保史君紹介)(第一三〇八号)

 同(堀内照文君紹介)(第一三〇九号)

 同(真島省三君紹介)(第一三一〇号)

 同(宮本岳志君紹介)(第一三一一号)

 同(宮本徹君紹介)(第一三一二号)

 同(本村伸子君紹介)(第一三一三号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 東日本大震災復興の総合的対策に関する件


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     ――――◇―――――

鈴木委員長 これより会議を開きます。

 東日本大震災復興の総合的対策に関する件について調査を進めます。

 本日は、本件調査のため、参考人として、前宮城県東松島市長阿部秀保君、一般社団法人社会的包摂サポートセンター代表理事・医師・元宮古市長熊坂義裕君、三陸鉄道株式会社代表取締役社長中村一郎君、避難の協同センター共同代表世話人松本徳子君、宝鏡寺住職早川篤雄君、以上五名の方々に御出席をいただいております。

 この際、参考人各位に一言御挨拶を申し上げます。

 本日は、御多用のところ御出席を賜り、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、忌憚のない御意見をそれぞれのお立場からお述べいただきますように、よろしくお願いを申し上げます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、参考人各位からお一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答え願いたいと存じます。

 なお、念のため申し上げますが、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言くださいますようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御了承願います。

 それでは、まず阿部参考人にお願いいたします。

阿部参考人 皆さん、おはようございます。

 きょうは、東日本大震災復興特別委員会に御案内いただきました。

 四月の二十八日まで宮城県東松島市長を三期十二年間務めさせていただき、任期満了ということで退任をいたしました。

 きょう、こうして皆さんからこうした機会をいただいたことに、まず改めて感謝を申し上げたいというふうに思います。

 震災から六年と二カ月余り経過いたしました。復興は道半ばではありますけれども、私として、退いてからも、今も同じ考えなんですけれども、当初、震災時、この復旧復興をどうしようかと思ったときにすぐ頭に浮かんできたことは、一つは財源の確保。二つ目は、地方ですので土地に制限があります。ほとんどが市街化調整区域ということで、学校とかそういったところが同じ場所でいいんですかということになれば、当然そういうわけにいかないわけでありますので、そういった復興するための環境整備、要するに制度設計、これが二つ目です。三つ目が、これは情けない話なんですけれども、真面目に行政改革にほとんどの自治体が取り組んだわけでありますので、その復興の仕事を誰がするんですかというマンパワーの確保。この三点というのは、スタートから、私がこの復興をどうしようかと思ったときから現在も変わりない課題だというふうに思っています。

 そういった中で、六年二カ月余り経過しまして、お手元に、二十九年三月の宮城県東松島市ということで、風化させないための資料、これは第二号になるわけですけれども、東松島市に視察に来られた皆様にお渡ししております。研修会、講習会等で生かしていただいています。

 あの日を忘れず、ともに未来へ。あの日というのは言うまでもなく三・一一。そして、未来へのまちづくりをしようということで、ポジティブに考えていこうということです。

 そういった中で、一ページ、若干触れさせていただきますけれども、東松島市では、死者が千百十人、行方不明者が二十四人、合わせて千百三十四人のとうとい命を失いました。そして、東松島市の世帯数というのは大体一万五千世帯なんですけれども、全壊、大規模半壊を合わせますと一万一千を超えるということで、全世帯の七三%。

 この中で、特に皆様から御理解いただきたいのは地形の問題でございます。東松島市はもともと海抜が低くて、大体海抜一・五メートルくらいでございます。ですから、満潮になりますと、海岸部の水田は強制排水、ポンプアップするということになります。そういったことで、全国の被災市町村の中では一番の浸水区域。六五%、市街地の三分の二が浸水したということで、非常に大きな被害だったわけでございます。

 そういった中でもここまで歩んでこられたというのは、いち早く、国、県、そして全国の、あるいは国内外になりますが、皆様から御支援いただいたということで、私としては震災当初から、千百三十四人のとうとい命を失いましたので、鎮魂、あわせて感謝、この二つを合い言葉にこれまで復興を歩んできたということでございます。

 東松島一心というのは、心を一つにして新しく前に進むということです。東松島一心ということで、今でも第二次総合計画にもそういった将来像を示させていただいております。

 資料は相当長いので、十五分間でございますので、後で参考資料ということでぜひお目通しいただきたいわけでありますが、この中で、私が特にこの十五分の中で皆様方にお訴えを、あるいは感謝も含めてなんですけれども申し上げたいのは、先ほど財源の確保と制度設計とマンパワーの確保のお話をさせていただきましたけれども、きょう私たち東松島市がもし少し順調に進んでいるというような評価があるとすれば、それは、二〇〇三年、平成十五年になりますが、熊本地震と全く同じ直下型の地震が一日に三回、六強が一回、六弱が二回、大変な被害でございました。平成の大合併が十七年でしたので、合併協議会も、当時私も町の議長でしたので、これは合併は延期だなというふうに正直思いました。しかしながら、住民の皆さんの御協力もありまして、非常に力強く復興を歩んだわけであります。

 平成十五年、二〇〇三年の直下型、一日に六強が一回、六弱が二回、このときに応急仮設住宅を百を超えるほど建設しました。瓦れきも、当初の見積もりが八億円でしたけれども、十二億三千万かかりました。一・五倍ですね。この理由は、瓦れきの場合は分別できなかった、パニックになったということですね。それから、応急も経験させていただきました。ですから、二〇〇三年、平成十五年の北部連続地震が、言い方は適切ではないんですけれども、財産という言い方もどうかと思うんですけれども、教訓となって東日本大震災の対応に非常に生きたということになります。

 そういったことで、瓦れきについても東松島方式ということでかなりの成果を、雇用ですね、職を失った皆さんの雇用だったり、あるいは資源として生かしたり、後で資料を見ていただきたいんですけれども、相当な成果を上げた。

 それから、何といいましても応急仮設、これは非常に参考になったなというふうに思っています。そういったことで、応急仮設を千七百五十三戸建設したんですけれども、お盆の八月十二日までには千七百五十三戸全てに鍵を渡すことができました。これは予定どおりです。

 私はあえて、被災者の立場になって、立場を入れかえるというのは簡単なんですけれども、被災者に寄り添うという言葉になりますが、被災者の身になってということで、全てにいつまでという期限をつけました。これはお約束になりますので、約束を破ることもありますので、議会もありますので、マスコミもあります、非常にリスクがあることですけれども、被災者にとりましてはそれが励みになるんですね。

 何月までに仮設ができる、何月までに災害公営住宅ができる、これはハードルを自分で上げることになりますけれども、被災者にとって何が励みになるか、何が元気を皆さんに与えることができるかということで、非常にそういったことも工夫しながら、これも二〇〇三年、平成十五年の北部等々を生かしたということになるんですけれども、そういった取り組みをさせていただきました。

 そういった中で、東松島市では、最初に家を建てるという方がいたのは、七百十七世帯、七百軒でございます。七百十七軒が家を建てる。これについては、去年の十一月に、画地になりますが、全てお渡ししております。

 それから、災害公営住宅を希望した方が当初は千十戸でございました。千十戸でございましたけれども、東松島市に石巻管内から避難されてきて子供の学校でなれたとか、職場が東松島市だった、それから家を建てようと思った方が災害公営住宅に変更したとかということで、災害公営住宅が最終的には千百二十二必要になりました。そういったことで、復興庁の方から御配慮いただきまして、百十二戸の追加をいただきました。現在は、八百三十一戸まで完成していますけれども、入居率が大体九九%前後で動いております。高齢の方が亡くなったり、そういったこともございますので、そういったことでは順調に推移しているというふうに考えております。

 そういった中で、私自身、皆様方に今回法改正で見直しをいただきましたけれども、やはり応急仮設ですね。応急仮設については狭隘で、時代とともに当時の法律から、その法律を運用し、我々は法令を遵守する立場でございますけれども、狭隘だということはすごく感じていたわけでありますので、それが今回、法改正で仮設の面積等も緩和されたことは非常にタイムリーなことだというふうにも感じております。

 時間もあと五分しかありませんので、東松島市の復興について少しお話しさせてください。

 私は、今回の東日本大震災のときに決意したことがございます。それは、せっかくという言い方もどうかとは思うんですけれども、これまでの、震災前までの課題ですね、土地利用とか、そういった課題も今回あわせて課題解決しようと。

 それはどういうことかといいますと、例えば、たくさん被災したわけでありますので、集団移転とかになります。集団移転につきましては、住民の皆さんのコミュニティーの中でお決めいただいた。岩手から福島までの間の中で、全ての七つの集団移転地を被災者の皆さんがお決めになったというのは、多分、東松島市だけなのかなというふうに受けとめております。私が口を出して、ここだというところは一件もございません。コミュニティーのすばらしさになるわけですけれども、そういった中では、これまで土地区画整理をしたいなというところがうまく集団移転先にマッチされた。土地の有効利活用ですね。

 それから、農業でいえば、基盤整備、圃場整備、これらについても今回の震災の中ではうまく集約できた。これは、圃場整備について口酸っぱく言ってきた、そういった取り組みと今回の農林水産省の英断で集約ができたというふうに私は思っていますので、やはり常日ごろの取り組みが震災時に生きたというふうに思っています。

 それから、震災のときに気づいた課題、これは言うまでもなくエネルギーの問題だというふうに思います。

 三日間は少なからず身動きがとれない。それから、私の町の方は、場所によっては二カ月、大体一カ月前後、水も電気も非常に厳しかった、要するに供給されなかったことになりますので、そういったことからすれば、やはり自分たちで命にかかわるものを、避難所、それから病院ですね、特に透析関係。透析する病院が二つありましたので、そういった中では、市長、何とかしてくれと。本来であれば、平時であれば搬送でそういったことは乗り切れるんですけれども、やはり自分たちで水と電気はいざというときはやはり供給するようにしておかなならぬということで、再生可能エネルギーに集中的に特化といいますか、取り組みをさせていただいた。それも資料の中にお示しさせていただいています。

 そういったことで、町としては、これまでの課題解決、それから震災で気づいた課題、宮野森小学校という木造校舎、新しい課題にもチャレンジさせていただきました。

 結論から言いますと、せっかく宮城県で創造的復興という言葉を使っておりますけれども、私どもはやはり、課題解決型、持続的な発展をする東松島市を実現するためには、これまでの課題、それから震災で気づいた課題、それらをしっかりと持続する社会に向けた取り組みにしたいということで、その資料の中にお示ししたエネルギーだったり学校の取り組みだったりコミュニティーだったりというふうになります。

 総合計画、復興計画、環境未来都市、地方創生、これらをあわせて今まとめて市としては取り組んでいるわけでありますけれども、これは単なる復旧ではなくて、やはり人口減少、少子高齢化といった中でエネルギーだったり防災だったり課題がまだまだありますので、それらを解決できるようなまちづくりが求められているなというふうに思っているところでございます。

 最後になりますが、ここまで復興に進んでこられたのは本当に皆さんの御支援のおかげだというふうに感謝申し上げるわけでありますが、ぜひ被災地の、私は、沿岸部、私のところの東松島市、隣の石巻市、そして女川町、南三陸、気仙沼、やはりここが復興しなければ宮城県あるいは東北の復興は進捗しないというふうに思っています。それは最大被災地だからでございます。そういった意味で、ぜひこれからも現場の方に足を運んでいただき、そして加速するような御提言等をいただければ幸いだというふうに思っております。

 まず、十五分間の私の意見とさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)

鈴木委員長 ありがとうございました。

 次に、熊坂参考人にお願いいたします。

熊坂参考人 御紹介をいただきました、社会的包摂サポートセンターの熊坂でございます。

 本日は、本委員会にお招きをいただき、発言の機会を与えていただきましたことに対し、鈴木委員長を初め関係各位に御礼を申し上げます。

 早速、お手元にお配りいたしました資料をもとに、よりそいホットラインの相談内容の分析から、被災者の心のケアが求められている現状について報告をさせていただきたいと思います。この資料にお目通しください。

 まず初めに、よりそいホットラインに被災地と被災者から寄せられる電話相談は自殺念慮を有するような非常に深刻なケースが多いということを申し上げておきます。

 ちなみに、よりそいホットラインは、東日本大震災が発生した二〇一一年十月に被災経験を持つ自治体の首長などが集まって設立いたしました一般社団法人社会的包摂サポートセンターが運営する、二十四時間年中無休の無料包括的電話相談であります。設立当時は被災三県を対象に法人独自でスタートいたしましたが、厚生労働省、復興庁の補助金を受けまして、翌年三月十一日からは全国に広げて相談を受けております。

 毎年一千万件を超える電話アクセスをいただき、うち、相談につながった件数は毎年約二十五万件となっております。包括的相談でありますが、特別な配慮を必要とする相談者のために、ガイダンスで選べる、DV、外国語、九カ国語で対応しております、セクシュアルマイノリティーなどの専門ダイヤルを設置しております。その中に、今自殺しようと悩んでおられる方のための自殺予防回線や、主に福島県からの避難者を対象とした被災者支援回線並びに被災地の若年女性のための専門回線もあります。

 全国の番号は、フリーダイヤル〇一二〇―二七九―三三八、つなぐ・ささえるですが、岩手、宮城、福島の被災三県は、つなぐ・つつむ、二七九―二二六という全国とは別の番号を設置し、支援を手厚くしております。

 まず、一ページの下の図をごらんください。

 今すぐ自殺したい気持ちを相談したいというガイダンスを選ぶ方の割合を被災三県以外と比較いたしますと、全国では一二%であるのに比し、被災三県では二〇%を超えており、この傾向は、よりそいホットラインスタート時から続いております。被災三県の利用者は被災三県以外の倍近くも自殺予防回線を選んでいるということでございます。

 二ページのグラフをごらんください。

 平成二十八年四月から十一月までの相談表のうち、千件をランダムに抽出した被災三県の自殺予防回線の集計結果です。年代で見ると三十代がトップで、次の四十代を合わせると約六割を占めております。全国回線では四十代がトップですので、被災地の自殺専門回線への相談は若年の傾向があると言うことができます。仕事のない人の割合は約六割であり、全国と変わりがありません。相談できる人がいる割合は約三〇%に対し、いない人の割合は約五四%となっております。

 次は、三ページです。

 疾病を持っている割合は七〇%を超え、そのうちほとんどがうつ病などの精神疾患を抱えています。何らかの障害者認定をされている相談者の割合は約三割です。自殺念慮のある割合は半分以上で、今死にたいと考えている人は、自殺念慮が確認された相談の中では七割を超えています。

 四ページに移ります。

 自殺未遂の経験のある方は全体の約一四%であり、自殺念慮を確認できた相談だけを見ると三八%を超えています。頻回の自殺未遂も見られます。訴える悩みは、心と体の悩みが約八五%であり、次いで家庭の問題、仕事の悩み、人間関係の悩み、暮らしやお金の悩みと続きます。

 五ページに移ります。

 被災三県からの具体的な相談事例を六例提示します。時間の関係で、線で囲った三十代の男性の例を読み上げます。

 家族や親戚の大半が津波で亡くなった。自分も津波を体験したが、生き延びてしまった。体調を崩して受診したところ、震災によるPTSDと診断された。仕事中でもふとしたことで倒れてしまうので退職させられた。今は日雇いの派遣の仕事しかない。震災前からの借金を抱えていて支払いが滞っている。役所に行き、窮状を訴えたが、誰も聞いてくれず、生活保護は車を所有しているのでだめと言われた。相談する人もいないし、頼れる人もいない。死にたい気持ちが募っている。親も家族も皆死んだ津波で、自分も死んでいればよかったのではないか。

 次に、六ページに移ります。

 被災地では、若年者、特に若年の女性たちが支援を求めているにもかかわらず見過ごされがちだという事実が相談の中から浮かび上がってきましたことから、一昨年から専門の回線を設けました。相談できる人のいる割合は三八・五%です。三人に一人は誰にも相談できない状況にあることがわかりました。社会とのつながりは七割が持っています。これは、若い女性は学校に在籍している割合が多いためと考えられます。疾病がある割合は五二・六%、精神疾患等が多くなっております。自殺念慮は七人に一人の割合でした。

 七ページに移ります。

 被災地若年女性からの具体的な相談事例を四例提示いたします。性被害や虐待の相談も多いのですが、ここでは震災に触れている相談事例を中心にピックアップいたしました。線で囲った二十代女性の例を読み上げます。

 就活で気を張ってしまい、夜中に目が覚めてしまって電話した。震災の後、パニック障害になってから、何回も転職している。二十代前半は長期間勤め続けられたが、今は長くても半年しか続かない。家族は病気に理解がなく、若いんだから働けというプレッシャーだけがある。働かないなら追い出すと言われ、バイトしながら就活の毎日。しかし、自分にはバイトと就活を両立するのは難しい。ハローワークで相談しても、頑張れと言われるばかりで、安心できそうな職場は見つからない。目が覚めなければいいと毎晩思う。

 就労に困難を抱えながらも、働かなければいけないと思い、板挟みになっている状況があるのがわかります。若年者は社会の構成員、復興の担い手として期待されているわけですが、親との葛藤、震災トラウマを抱えている方も多く、仕事も復興も背負わなければならないストレスがあるようです。

 八ページをごらんください。

 広域避難の相談者の状況です。主に福島県から避難した方のために平成二十五年に広域避難者のための専門回線を立ち上げましたが、当初から相談者は比較的若く、疾病や障害の率が少ない皆さんでした。避難できる状況の方が避難したと言うことができるのではないかと考えています。

 その傾向は現在も変わりませんが、時がたつにつれ、疾病を持つ割合が徐々に増加し、六割近くになってきています。相談できる人がいる割合は半数弱で、多くの方が相談できる人はいません。社会的居場所のある方は三割に満たず、七割以上の方が社会的つながりを持つことができておりません。

 九ページに移ります。

 仕事の有無を見ると、男性の七割近くが仕事がない状況であり、昨年よりも、ある人が三九・九%から二八・八%へと減少しています。自殺念慮率は全体で一七・六%になっていますが、一つ一つの事例は極めて深刻なのが特徴です。

 十ページにもまたがりますが、広域避難者の具体的な相談事例を五例提示いたします。線で囲った五十代女性の例を読み上げます。

 福島で被災し、関東の公的住宅に住んでいる。ふるさとは避難地域の指定解除になったが、放射線量も高いというし、子供の進学を考えれば帰る決断はできない。夫は震災で会社もなくなり、病気で働けない。私も仕事を探しているが、見つからない。息子は大学に行きたいと言うが、学費も工面できるかどうかわからない。来年の春まではここにいられるが、支援が打ち切られたらここを出なければならない。今は家賃を払わなくていいが、来年はどうなるのか。夫と話すこともなくなってしまった。震災で何もかも変わってしまって、先の見通しも希望もない。ここには友達もいない。死ぬことを時々考えてしまう。

 避難先での就労は困難であり、職場にも学校にもいじめが発生している、家族は離散していく、住むところには不安がある、福島に帰りたいが帰れない、その中で疾病の率が増加していくという構図になっているのではないかと危惧しております。

 十一ページをごらんください。

 相談事例と相談員へのヒアリング等から、被災者の抱える生きづらさの特徴をまとめてみました。

 身近な人の死、失業、病気、家族の不和、家庭内の暴力、いじめ、借金、低収入、安定した住まいの不足など、複数の問題が複雑に絡み合っている状況にあるということが言えます。

 次に、誰にも相談できない、相談してよいと思っていないということです。相談の中では、感情を押し殺して生きている、みんな大変なのに、自分が助けてと言ってはいけない、人様に言えることではないと思っている、誰に話していいかわからない、どうしていいかわからない、頑張らなければいけないと思っているという言葉がよく聞かれます。困っていても言えない現状にあるということです。

 そして、関係性の希薄さから孤立しているということです。相談者の周囲の人間関係は仕事や家族の話が中心で、震災後にそれらを喪失した後、電話相談にしか頼れないということがあることがわかりました。

 被災者の自殺のリスクが高まっている中で、震災直後に比較すると支援団体は減少傾向にあります。支援者の不足も浮き彫りになりました。一方で、支援者の燃え尽き、疲弊も確認されています。

 また、被災地においては、県外に出る者と県内にとどまる者とに若年層が二極化していることもわかりました。若年層の流出は仕事や進学もあり、そもそも震災前からあった課題ではありますが、そこに、原発の問題、被災地から離れた方がよいと家族が勧める等の理由が加わっています。一方、県内にとどまる者の理由には、支援が手薄くなっているので自分たちが何とかしなければいけないといった震災復興に寄せる責任感も見られます。

 福島県からの相談で近年目立つようになったのは、除染等復興作業で被災地に来て、その場で就労困難に陥り、生活困窮者となるケースです。よりそいホットラインとしては、生活困窮者自立支援事業と共同で食料支援などに取り組んでいますが、これは予想外の相談でした。

 最後に、相談を受ける側として、今被災地や被災者に求められる支援について御提案申し上げます。

 相談事例から見えるのは、孤立、経済的困窮、そして被災者というアイデンティティーの揺らぎが自殺念慮の原因ではないかということです。

 多くの相談者が、もう被災のことは話せないと感じています。いつまでも被災者ではいられないと言う方もいます。これは、被災者が支援されるべき存在ではなくなり、社会から疎まれるものであるかのように思わせる風潮があるのではないでしょうか。

 広域避難者へのいじめが特徴です。私も、福島で生まれ、福島で育ちましたが、なぜ福島から避難した被災者が、福島は汚い、そばに寄るななどの罵声を浴びなければならないのでしょうか。子供たちが学校で福島出身だと言えば暴力を受けるような状況になぜなってしまったのでしょうか。

 被災された方の多くは支援の終わりを恐れております。被災者への支援を決して風化させてはなりません。被災者の皆さんが大変高い自殺リスクにさらされていると私たちは受けとめております。被災者の心の復興に向けて取り組みを政府が率先して進めることが求められていると、よりそいホットラインの運営責任者として感じております。

 まず、被災者の実情を可視化し、見える化ですね、対策を早急にとることが必要だと思います。被災者の皆さんが大変困難な状況にあることはおわかりいただけたと思います。被災者が被災について話せない気持ちとならないよう、国として被災者の実情を調査し、発信し、被災者支援に引き続き取り組み、明らかにすることが被災者の心のケアにつながると考えます。

 次に、寄り添い型支援の徹底です。医療機関や何らかの公的支援機関につながっている方は少なくありませんが、支援の縦割りにより相談者のニーズとマッチしていない事例が多く見られます。地域の社会資源の連携を効果的にするためにも、相談者一人一人にきめ細かく寄り添う支援を徹底する必要があると感じています。孤立を防ぐためにも、今以上に、被災者への見守り支援など、相談にたどり着けない当事者の掘り起こし、アウトリーチを行い、家族にも職場にも言えないことが言えるような安全な場所を地域に設置していく居場所づくりを進めていく必要があると考えます。

 そして、就労と住居の安定に向けた支援です。福島県がこの三月で住宅支援を打ち切ったことは、被災者に深刻な動揺をもたらしました。被災は自己責任ではないと政策で示す必要があります。経済的困窮者に対しての就労支援と避難者の住居確保の総合的な支援が求められていると思います。

 最後に、若年層に向けた支援も必要です。インターネットのチャット相談などの実績から、若年者へのアプローチは電話や面談では無理な場合が多いと痛感しています。置き去りにされがちな若年者の言葉にしにくい悩みを受けとめる相談機関をインターネット、SNSなどの活用で設置していくことは緊急の課題だと思います。

 以上で私の報告を終わります。

 お配りいたしました、よりそいホットラインの年次報告書等の資料もお読みいただければと存じます。

 最後まで御清聴いただきまして、ありがとうございました。(拍手)

鈴木委員長 ありがとうございました。

 次に、中村参考人にお願いいたします。

中村参考人 三陸鉄道の中村でございます。

 本日は、このような機会を与えていただきまして、ありがとうございます。

 私の方からは、六年前、三陸鉄道も大変大きな被害を受けましたけれども、国を初め多くの皆さんの御支援によりまして、三年前に全線運行再開を果たすことができました。現在の状況それから今後の見通し等につきまして本日はお話をさせていただければというふうに思っております。

 お配りしておりますパワーポイントの資料をごらんいただきながらお聞きいただければと思います。

 一枚目のこの写真でございますけれども、三年前の全線運行再開、北リアス線の宮古駅でのセレモニーの様子でございます。このときには、各駅ごとに多くの住民の皆さんが全線運行再開を祝っていただくということで集まっていただきました。ちょっと写真が見づらくて恐縮ですが、くす玉を割っているのは、駐日クウェート大使の御夫妻と藤原紀香さんに当日おいでいただいております。

 それから、下の方の資料でございます。三鉄の概要でございますが、岩手の三陸沿岸部の真ん中に宮古がございます。宮古から北の久慈までが北リアス線という区間でございます。それから、南側が釜石から大船渡の盛、こちらが南リアス線。この二区間を三陸鉄道は運行させていただいております。

 この間、宮古から釜石につきましてはJRの山田線の区間でございます。こちらも大きな被害を受けまして、いろいろ紆余曲折はございましたけれども、現在、JRの方で復旧工事を進めていただいております。二年後には私ども三陸鉄道の方で移管を受けて、移管運行するということになってございます。

 一枚おめくりいただきまして、こちらは上下とも震災直後の被災の状況でございます。特に、下の方の島越駅、これは震災前と直後の写真を並べてございます。震災前は鉄道のすぐそばに島越駅がございましたけれども、これがもう跡形もなく、この右側の写真のように全て流されてしまいました。島越駅周辺には当時百世帯を超える一般の住宅もございましたけれども、右側を見ていただきますと、この高台にあるこちらは、二つ建物がありますが、一世帯でございます。こちらの一世帯を残しまして全て津波で流失してございます。現在、こちらも、駅も新たに再建されましたけれども、住宅については高台移転をしているということもございまして、駅周辺にはこの残った一世帯のみというような状況になってございます。

 その次でございますが、復旧でございますけれども、被害を受けなかったところについては、望月前社長の判断もありまして、もう大至急動かせるところから動かせということで、社員に号令をかけながら、関係機関にも御支援をいただいて、三月中に約三十数キロは動かしてございます。復旧工事が必要なところについては、一次から三次まで三つに分けまして、順次運行再開をしております。三次復旧が全線運行再開ということでございますので、こちらで晴れて百七キロ全てが二〇一四年の四月に運行再開を果たすことができたということでございます。

 下の方の写真は、全線運行再開を祝っていただいている唐丹駅の様子の写真を掲げてございます。こちらを見ても、本当に地域の皆さんが総出で集まっていただいて、大漁旗であったりとか、小旗を振っていただく、ないしは地元の太鼓、郷土芸能でお祝いをしていただくということで、私も一番列車に乗せていただきましたけれども、非常に感動的な光景が各駅で繰り広げられているということが、本当にきのうのことのように私も思い出されます。

 また一枚おめくりいただきまして、三陸鉄道は昭和五十九年度から運行しております。初年度は、ここにございますように、二百六十八万人の利用人員がございました。しかし、残念ながら、年々、人口減少その他の要因によりまして利用客が減少しているといった状況が続いておりました。

 そこに三・一一の大震災が発生したということで、平成二十三年、当然これは、震災でかなりの区間が動いていませんでしたので、ここで一回底を打つ形になるんですが、その後少しずつ運行区間がふえていったということで徐々に伸びていきまして、平成二十五年に実はNHKの「あまちゃん」という放送がありまして、三陸鉄道も大きな舞台ということで取り上げていただきました。その翌年、平成二十六年が全線運行再開ということなので、この平成二十六年の運行再開に当たりましてはマスコミの皆さんからも大々的に取り上げていただいた、それから前年の「あまちゃん」のブームといったようなこともありまして、この年には六十八万人の利用客の方々に御利用いただいております。ただ、その後、二十七、二十八とやはり少しずつ減少してきているという状況がございます。

 何とか、我々といたしましては、二年後、先ほど申し上げました山田線の宮古―釜石間の経営移管を受けるということもありますので、しっかり減少傾向に歯どめをかけていきたいということで、今、社員一丸となって頑張っているところであります。

 山田線の復旧問題がその下にございます。先ほどお話しいたしましたように、今、JRの方で工事を鋭意進めていただいております。復旧後につきましては三鉄の方で移管を受けるということでありますし、JRの方からは三十億円の移管協力金というような形で地元の方に交付をいただく予定になっておりますし、鉄道施設、用地につきましては、地元の自治体が無償で譲り受けるという合意に基づいて順次進められてございます。

 今後の課題と対応策でございます。

 課題につきましては、これは三鉄だけではない、全国のいわゆる過疎地の地方鉄道が抱えている共通の課題だろうというふうに私は思っておりますが、少子高齢化、人口減少といったようなことがやはりかなり鉄道経営に厳しい影響を与えているということがございます。それから、モータリゼーションの進行ということで、特に今沿岸被災地では高速道路の建設も急ピッチで進められておりますが、それは鉄道経営にとってはやはり一つ大きな脅威になってくるという側面が否めないということがあります。そういった中で、どのようにして地域の足である鉄道を守っていくのかということが大きな課題だというふうに認識してございます。

 ここに、鉄道がなくなって栄えた町はないというふうに書かせていただいております。これは、望月前社長が日ごろよく口にされていた言葉であります。そういった思いのもとに三鉄の復旧をなし遂げたということでありますけれども、我々としては、単に鉄道を維持していくというようなことではなくて、いかにそれを利用、活用していくのかということに今地域を挙げて知恵を絞って取り組んでいくといったようなことを進めているところであります。

 下の方の対応策でありますが、そういった、事業者はもちろんですけれども、行政、住民を巻き込んだ利用促進の取り組み、これを引き続きしっかりやっていく必要があるだろう。もう一方で、やはり大切な点は交流人口の拡大、よそからも来ていただきながら鉄道に乗っていただく、もう一つ、被災地としての特色といいますか責務として、今回の震災で我々が学んだこと、ないしはまた後世にしっかり伝えなければならないことといったようなことも我々鉄道会社としても果たしていかなければならないというふうに考えて、震災学習列車といったようなものも走らせてございます。それから三点目でございますが、今地方鉄道に対しての一定の支援のスキームがございますけれども、やはり厳しい路線についてはいま一段の支援をしていただくような制度、仕組みが必要ではないのかなというふうに私は思ってございます。

 またおめくりいただいて、上の方は、「あまちゃん」で取り上げていただきました、番組では袖が浜という駅で登場いたしましたが、堀内駅の様子、下の方は、北リアス線の景勝の一つでございます大沢橋梁での写真でございます。

 その次の写真が、先ほどちょっとお話をいたしました震災学習列車ということで、子供たちが乗っている写真が出ております。子供たちだけではなくて、企業の皆さんとか学生の皆さん等々も御利用いただいて、被災地の今の復興の様子でありますとか今後の震災への備えといったようなことについても学んでいただいております。

 それから、その下に貸し切り列車の資料を載せていただいております。

 ちょっと時間の関係もありますので、先を急がせていただきます。

 その次、めくっていただいて、上の方が北リアス線でやっておりますお座敷列車の概要でございます。お弁当を食べていただくといったような列車が走ってございます。南リアス線の方は、同じように、ランチ&スイーツといったような列車も走らせていただいております。

 下の方は、主なイベント列車ということで、ここに記載のような、これも本当に一部でございますが、こういった取り組みをしながら、できるだけ多くの皆さんに御利用いただきたいということで日々頑張っているところであります。

 その次のところが、これは昨年つくりました三鉄の二枚組のポスターでございます。

 またちょっと一枚おめくりいただいて、驚くほどの経済効果ということで真ん中に記載させていただいております。我々三陸鉄道は経営的には非常に厳しい状況ではあるんですが、多くの皆さんに来ていただいて、地域にはそれ相応の経済効果を果たしているというふうな自負も一方では持っております。ですから、そういったことで、単に会社の収支だけではない、より大きな観点でやはりこういった鉄道を考えていく必要があるのではないかというふうにも思ってございます。

 下の方は、先ほどちょっとお話しいたしました、今盛んに進めていただいております復興道路。これができると、またかなり、特に仙台圏、八戸圏との時間距離が短くなるといったようなところでございます。

 その次のページの下の方でございます。三鉄を核とした三陸の観光振興ということで、我々としては、地域の皆様の足だけではなくて、観光を大きな柱として取り組みを現在進めております。DMOといったような取り組み、これは県、市町村と連動しながら現在取り組みも進めておりますし、より多くの皆様においでいただけるようにしてまいりたいと思っております。

 またちょっと一枚おめくりいただきまして、二〇一九年、あと二年後が三陸にとって非常に大きなターニングポイントになる年だろうと思っております。一つは、山田線を引き受けまして、第三セクターとしては日本一長い、百六十三キロの鉄道に生まれ変わります。それから三番目のラグビーワールドカップ、釜石でも実は会場として予定されていますが、これが秋に予定されております。実はこの春と秋の間で、今、県、市町村の方でいろいろ計画をしておりますが、沿岸地域で大きな観光イベントを開催しようということで、この年にできるだけ多くの全国の皆様においでいただきたいということで現在進めてございます。

 それから、参考のところで三鉄オーナーの資料を掲載させていただいております。これは、ふるさと納税を活用いたしまして三陸鉄道を全国の皆様に御支援していただこうという制度で、今我々としてはPRして取り組みを進めているところであります。この写真に載っている方は実は岩手出身で、現在三重県に住んでいる方でありますが、第一号のオーナーの方であります。国会議員の先生の中にも、オーナーになっていただいている先生方も実はいらっしゃいます。ぜひ皆様方も、もしよろしければ御支援賜れればと思います。

 その次、実は、ことしの春、六名の新入社員を迎えました。山田線を引き受けるに当たって社員を増強しなければならないということで、新たな戦力として採用したものであります。

 そして、一番最後、三陸鉄道はやはり、地域の足という側面と、多くの観光客に来ていただいてそれを地域振興につなげていくという二つの側面、役割があるというふうに思っております。ぜひ今後ともこれをしっかり果たしていきたいと思っております。

 ぜひ皆様の引き続きの御支援、御協力を賜れればというふうにお願い申し上げまして、私の御説明を終わらせていただきます。ありがとうございます。(拍手)

鈴木委員長 ありがとうございました。

 次に、松本参考人にお願いいたします。

松本参考人 このたび、東日本大震災復興特別委員会参考人として民進党様より御推薦いただき、避難当事者、支援者ともに設立した避難の協同センター共同代表世話人の私が陳述を述べるお時間をいただき、感謝いたします。

 きょうは、私と同じく子供を被曝から避けるために避難して頑張ってきた友人がみずからの命を絶ってしまった、その彼女の思いを胸に述べさせていただきます。

 平成二十三年三月十一日、多大な東日本大震災が起き、チェルノブイリと同等のレベル7の東京電力福島第一原発事故緊急事態宣言が発令され、それぞれ行政が区域を線引きしました。

 自主的避難等対象区域とされた私の自宅がある郡山市は、学校の校庭、家、庭、子供の通学路など、放射性物質で汚染されたホットスポットと呼ばれるところがあちらこちらにあることを知りました。

 次々と爆発する原発による被害を恐れ、三月末、一旦、当時十二歳の次女を妹の住む東京へ避難させましたが、中学校より入学式の連絡が入り、次女を郡山へ戻し、学校に通学させてしまいました。そのためか、六月末、次女は大量の鼻血を出し、下痢、体調不良を訴えたため、主人と私は苦渋の決断をし、家族ばらばら、私と次女だけ避難することを決意しました。

 当時、三月十五日ごろから放射性物質が六十キロ離れた中通りにも降り注ぎました。行政は知っていたにもかかわらず東京電力福島原発事故を過小評価し、福島県のトップは、自分の家族は避難させ、県民には正しい情報を知らせることなく、知っている人間たちが沃素剤を服用していたことが後からわかりました。

 なぜか釈然としない気持ちの中、父兄が立ち上げた子どもたちを放射能から守る福島ネットワークのメーリングがあることを知り、そのメーリングから神奈川県の民間借り上げの住宅提供の情報が得られ、現在も次女と神奈川県川崎に住んでいます。この災害救助法に基づく住宅提供を知り得た家族は、あの当時、どのくらいいたでしょう。

 私にはもう一人、当時二十五歳の長女が、自宅の近くに自立して生活をしていました。震災の翌年、二〇一二年一月、妊娠がわかり、娘は、やはりこれから生まれてくる我が子の被曝を心配して、やっと昨年、二〇一六年五月、家族三人、自力避難。現在、東京に移住、生活をしています。私にとっての孫も、ことしは五歳になります。長女夫婦も悩んだあげくの移住だったと思います。

 長女夫婦は住宅提供を受けていません。それは、二〇一二年十二月末で住宅の提供を締め切られていたためです。このように、住宅提供を受けられず避難をしている家族がいます。

 福島県、国が把握できていない避難者がたくさんいます。福島県生活拠点課の発表では、本年三月三十一日をもって住宅提供の退去通告を受けた世帯は一万二千三十九世帯だそうです。そうであるならば、実際に避難を余儀なくされた原発事故による避難者は優に二万世帯を超えているのではないかと私は思っています。

 自分の自宅には主人が一人、ローンがあり、仕事で私たちを支えるため、事故二年後、行政が除染をした汚染物が庭の片隅にあるところに住んでいます。

 自主的避難等対象区域とされた地域は、今も避難の権利が認められる地域ではないのでしょうか。

 いまだ収束できない福島第一、異常なほどのフレコンバッグの山、中間貯蔵施設も決まらぬまま、現場では被曝しながら処理活動をしてくださっている下請作業員の方たちのことを考えると、胸がとても痛みます。

 ことし三月十七日、前橋地裁にて、福島県から群馬県に避難した原告の方たちが提起した損害賠償請求訴訟において、国に東京電力と同等の責任を認め、避難の合理性も認められました。

 それにもかかわらず、前今村復興大臣は、故郷を捨てるのは簡単だ、自主避難者は個人の責任、すなわち自己責任、事故があちらでよかったなど数々の暴言を発し、反響を呼び、辞任されました。しかし、私たちの心は深く傷ついたままです。

 口をそろえて避難者に寄り添ってなど、全てうそでした。今思えば、私たちは、行政、国の言葉を信じ、必ず私たちを守ってくれると夢を描いていました。しかし、それは夢でしかありませんでした。現在の政権を握っているトップは、私たちの苦しみなど何とも思っていないということです。

 福島原発が収束していないにもかかわらず、危険な原発をせっかくとめたにもかかわらず次々と再稼働させ、二〇二〇年のオリンピックには、福島第一の事故は収束、避難者はゼロにすることが今の政権の目標なのでしょう。弱者は切り捨て、権力を持つ者だけがやりたい放題、今さえよければ、自分たちがいなくなった後のことは知らぬ存ぜぬなのでしょうか。

 決して人間は、原子力という化け物が事故を再び起こせば、太刀打ちできないことを知りました。また安全神話のもと、夢のエネルギーとなっていくのでしょうか。

 国内難民となった私たちのような人間の中には、この住宅提供を打ち切られたことによって、今まで頑張ってきた力も心身ともに疲れ果て、みずからの命を絶つことで子供たちを守る道を選びました。私の知る彼女は、ただ子供たちと静かに生活することだけが願いでした。このことは決して忘れてはいけないと思っています。この理不尽な世の中に、私は、我が子孫に何を伝え、何を残していけるでしょう。

 現在、福島県民健康調査において、当時十八歳未満の子供たちに次々と甲状腺がん、また疑いの子供たちが百八十五人。その中には、既に手術をし、また、他に転移が認められた子供たちがいると聞きます。

 問題は、福島県立医大だけが調査を牛耳っていることです。当時十九歳以上の若者は大丈夫なのでしょうか。

 我が国には他国からもたくさんのお金が寄附されたはずです。そのお金はどこに、どのように使われているのか、お示し願いたい。

 この三月三十一日の住宅提供の打ち切りにより、避難の協同センターには数々のSOSの電話、メールが入っております。

 本日御準備をした資料をごらんください。

 三・一一以前はきちんと自立をしていた避難者です。しかし、二〇一二年の六月、全党派一致でできた法令、原発事故子ども・被災者支援法があるにもかかわらず実行されていないことが、このような生活困窮に立たされてしまった。資料にもありますように、生活保護を受けたくても、障害を抱えた家庭が車を所持していれば生活保護を受けられない、生活保護を何とか受けられたにしても、福島県からの補助金が受けられないなど、国が避難者を貧困に追いやっているのです。生きるための住まいを奪わないでいただきたい。

 そして、避難の協同センターができることには限界があります。資料にも詳しく書いておりますとおり、避難の協同センターより提起いたします。一、現段階で住まいが確定できていない避難者の正確な把握を急いでください。二、家賃支払いや転居費用などで経済的に困っている避難者の実態把握を急いでください。三、避難者の窮状を鑑み、住宅無償提供打ち切りを見直し、家賃支援など可能な経済支援を実行してください。四、生活保護枠に該当する収入世帯の避難者の生活保護受給及び家賃支援の対象としてください。五、復興大臣が早急に避難当事者団体、支援団体からの意見聴取を公開の場で、施策に反映させてください。六、原発事故子ども・被災者支援法の理念を守り、その実現に力を尽くしてください。

 そして、私からも、ぜひ、地元福島県いわき市出身の吉野復興大臣が、最後まで一人残らず支援するとおっしゃってくださいました。そうであるならば、私たち当事者の生の声を直接聞いていただきたいと思います。それを切にお願い申し上げ、私の陳述とさせていただきます。

 ありがとうございました。(拍手)

鈴木委員長 ありがとうございました。

 次に、早川参考人にお願いいたします。

早川参考人 私は、御紹介いただきました早川篤雄と申します。楢葉町で住職をしています。また、楢葉町で立ち上げた精神障害者、知的障害者支援施設の理事もいたしております。そして、原発問題福島県民連絡会の代表、原発問題住民運動全国連絡センターの幹事も務めております。

 私は、三・一一の地震のとき、これほどの地震で原発が大丈夫なはずは絶対にない、これで全てが終わったと思いました。しかし、町の防災無線は、繰り返し繰り返し津波警報を伝えましたが、原発については一度も伝えませんでした。停電でテレビが入らず、携帯電話もパンクです。

 十二日朝、九時ちょっと過ぎごろ、防災無線が突然、全町民の避難を伝えました。普通なら四、五十分のところを三時間も四時間もかかって、ほとんどの町民がいわき市へ避難しました。この避難が避難民にとって結局、全ての終わりの始まりになりました。

 私たちは、チェルノブイリ原発事故以後、特に過酷事故対策の確立、緊急時対策の確立を、一九八七年から三・一一の前の年まで、その後もですが、訴え続けております。その一例として、お配り申し上げております署名用紙がございます。そのようなことを毎年毎年繰り返してまいりました。

 しかし、原子力安全委員会は九二年、白書で、我が国の原発では過酷事故は起こらないと文書決定をいたしました。住民、国民の訴えを無視してしまいました。

 そこで、私どもは、これは大変なことになるということで、「原発大事故 つぎは日本!?」というパンフレットをつくって、政府にも電事連にも国民にも訴えました。悲しいかな、このとおりになってしまいました。

 また、原子力長計の最後、原子力政策大綱の後、原子力立国計画というのを資源エネルギー庁がつくりました。この資源エネルギー庁の立国計画の中には、何と、国がお墨つきを与えたのに自治体が再稼働を容認しなければ交付金を打ち切るとまでちゃんと書いてあるんです。

 過酷事故は起こらないという前提ですから、緊急時対策、避難対策も確立されるはずがありません。この文書を、三・一一以後、あっさりと撤回しました。撤回して終わりです。これだけのことをやっておきながら、撤回して終わりなんです。納得できるでしょうか。我々だったら、こういうことは許されないと思います。緊急時対策は、三・一一以後、今もできておりません。

 ことしの三月三十一日現在、資料を差し上げておりますが、楢葉町の帰還者は七百六十世帯、千五百八人で、帰還率は二〇・九%、ゼロ歳から中学生までの帰還人数は百四十三人で、全体の六百九十人の二〇%です。

 町は、四月から帰還者の集計をやめました。そして、居住者の人数を集計するように変更しました。これは何を意味するか。帰還者をカウントしないんです。国はこの結果をどう理解されておるでしょうか、この差し上げております結果を。

 避難指示は、一律かつ強制的な避難を強いる措置ですと言い、避難の解除は、戻りたいと考えている住民の方々の帰還を可能にするものですと言っています。しかし、一律かつ強制的な避難を強いるまではあった安心して暮らせる暮らし、子供を生み育てることができる環境になった、住民一人一人が被害を乗り越えて豊かな人生を送ることができるようになったから解除すると言っているのではありません。

 これまで原子力政策を推進してきたことに伴う国の社会的責任を踏まえる、文字どおり踏まえるというのであれば、まずは、これまで進めてきた原子力政策そのものを根本から見直す、少なくともその歴史を振り返ってみる、これが大前提ではないでしょうか。避難者が少しでも希望の持てる施策をぜひ実現していただきたいとお願いいたします。

 これは、先ほども訴えがありましたが、いわゆる自主避難者と言われる人にとっても全く同じであります。避難命令された避難者と自主避難者、何の根拠があって区別されるのでしょうか。おかしいと思いませんか。避難者は、避難中、浦島太郎のような暮らしをしていたのではありません。何の罪とがもないのに、地獄に突き落とされて、責め苦を受け続けて、戻ってはみてもまるで別世界。高齢者にとっては、さながらうば捨て山です。

 政権のトップは、たまに被災地を訪れて、絵になる光景が放映されますが、裏通りも見るべきです。

 楢葉町の直接死は十五人、ところが、関連死は百三十二人です。自死者もおり、私の檀家にも自死者がいます。何より私が残念で悔しいのは、私どもの施設を利用していた九十四人の障害者のうち、これまで十人が亡くなりました。一人を除いて、九人は関連死です。そのうち二人が自殺しています。一人は、履物をきちんと海岸にそろえて海に飛び込んでおります。一人は、玄関に首をつって死んでおります。

 今は、楢葉町等は田植えの季節ですが、四百十ヘクタールのうち、三十二ヘクタールしか植えられておりません。七百三十人の農家のうち、二十一人しか耕作しておりません。なぜでしょうか。避難生活で体力も気力も失ってしまったのです。

 こうした被災者に対して、さらに打ちのめす言葉が時々かけられます。最近では、東北の方でよかった。これは本音ですね、本音です。心にもない言葉だったら出ません、人間は。心にあるから出るのですね。原発事故で死んだ人は一人もいないという発言がありましたね。それが初めでした。また、金目でしょうという言葉もありました。これほど被災者、被災地の心を傷つける言葉は、ほかにあるでしょうか。

 福島県は、全原発の廃炉を復興の大前提として、これまで県は正式に国に対し五回も廃炉を求めていますが、国は何とそれは企業の判断だということを繰り返し、東電にそれを言うと、国のエネルギー政策次第だと言っています。

 東電福島本社の石崎代表は、我々の仲間に問い詰められて本音を吐きました。新聞報道にもなりました。原発は必要悪だと言い放ちました。必要悪なんだそうです。

 福島特措法は、まず全基廃炉が前提でなければ、特措法そのものが私は絵に描いた餅であるというふうに思っております。

 広瀬直己社長は、一五年八月の県の全員協議会質問の席で、一体全体、人災だという認識はあるかと問われましたのに対して、私はこれまでこれが人災なのか天災なのかということを正直言って真剣に考えたことはないですと。議事録にちゃんと残っておるんです。天災か人災か考えたことはないというんです。

 お配りしております資料、三・一一の津波で原発がやられましたけれども、私どもは、二〇〇五年に、東電との何回かの交渉の末に、チリ級津波で原発は第一原発も第二原発もアウトであるということを東電が認めました。よって、差し上げてありますような申し入れ書を、二〇〇五年、中越沖地震の以後でも、この場合は東電本社にわざわざ出向いて申し入れをいたしました。チリ級津波に対してアウトだということを認識しておられるのですから、もしそれなりの対策をとっていたならば、今回の事故はあり得ませんでした。

 私は住職ですが、魂の入っていない仏像は単なるおもちゃです。福島復興再生特別措置法はどうでしょうか。私ども被災地、被災者が自然に手を合わせて拝むような、魂の入った特措法としていただきたいと思います。

 政府が原発を推進してくるのに、とんでもないことを言っておったことが、実は、三・一一後の赤旗の報道ではっきりいたしました。

 九一年の三月に科学技術庁の委託を受けて日本原子力文化振興財団がまとめた「原子力PA方策の考え方」という冊子がございます。時間がありませんので二、三しか紹介できませんが、原子力をPRする方法として、あっちこっちだけ紹介します。

 繰り返し繰り返し広報が必要である。新聞記事も読者は三日もすれば忘れる。繰り返し書くことによって刷り込み効果が出る。広報効果の期待できるタイミングを逃さず、時期に応じたタイムリーな広報をやろう。事故が発生したときこそ広報のチャンスである。事故の発生こそ原発PRに利用すべきだ。国民の大部分が原子力を危険だと思っているのが現状であるから、広報は、危険だを前提に置いて、徐々に安全性を説いていく方がよい。原子力に興味のない人を振り向かせるには、事故などのインパクトの大きい時期でなければ無理だ。こういうときには関心が高まっている。事故後、時間がたつにつれて、実はここが悪かった式の記事が出るなどは広報上最悪だ。

 事故原因を究明する報道は最悪だというんです。これを科学技術庁がつくらせているんです。罪悪じゃないでしょうか。この結果が福島なんです。

 まだまだいっぱいあります、原子力政策の初めからして。良心的に物を言う科学者を排除するリストをアメリカに送ることから始めます。

 時間であります。以上であります。(拍手)

鈴木委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人の方々からの御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

鈴木委員長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。橋本英教君。

橋本(英)委員 本日は、大変貴重な御意見をお聞かせいただきまして、本当にありがとうございました。

 私は、岩手県大船渡市大船渡町字茶屋前六十四の二、まさに被災地で生まれました自由民主党の橋本英教でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 ここからは時間が二十分しかございませんので、具体的にお話を聞かせていただきたいというふうに思っております。

 さて、先日、私の同級生が岩手県の弁護士会の会長をやっておりまして、意見交換をする機会がございました。その中で、今、被災地の現状、今まで経験したことのないような法律的な相談件数の増加があるという話でございました。

 具体的に申し上げますと、震災特例法、来年三月の末で切れてしまうと法律相談を受ける弁護士が被災地からいなくなってしまう可能性が高いという話でございました。法テラスの話でございます。そして、その法テラスへの財政的な支援が切れてしまうのではないかというふうな心配の話でございました。

 現在でも、私のふるさと大船渡で約七百件、大槌で五百件、そのぐらいの未解決の相談があるということでございます。具体的には、やはり、震災から六年たっておりますので、相続の問題が非常に多いということでございました。そして、私のふるさと大船渡ではもともと弁護士さんが一名、釜石も一名、大槌はゼロといったところでございまして、残念ながらそういう状況で、今法テラスによって問題を解決していただいているのでありますが、それがなくなると大変な問題になります。

 その件につきまして、行政のトップとして仕事をなさってきた東松島市長の阿部参考人と、そして前宮古市長の熊坂参考人に、行政のトップとして、この法律問題、相続問題、そして土地の問題がいかに大切かという件について御意見を伺いたいと思っております。

阿部参考人 非常に大切な御質問をいただきました。

 実は、私は非常に助かったなと思っていることがこの法テラスでございます。

 東松島市、石巻市、今は弁護士さんがいらっしゃいますけれども、非常に空白的な土地でございました。そういった中で、東松島市では、被災された皆さんの買い取りする土地、予定が約百八十ヘクタールでございます。今、おかげさまで九八%ぐらいまで買い取りしてきましたけれども、そういった中で、皆さんにそういった元地、被災した土地の買い上げの説明をする際、相続とか家庭内、ちょっと専門的なことがわからないということがありましたので、ちょうどそのときに、東松島市に法テラス事務所をどうですかという、同時にそういったお話をいただきました。喜んでお願いしました。そして、説明会に、私と法テラスの弁護士さん、それでこれまで歩んでこられました。

 あわせて、法テラスから役所にそれぞれ、うちの方は恵まれているんですけれども、法テラスから一名、今でも職員がいらっしゃいます。私は、今まで二度、法テラスの中野坂上の東京の事務所、本部に御挨拶、お願いに引き続き行っていますけれども、そういったことでは非常にありがたく思っています。

 ただ、一つここで皆さんと情報の共有をしたいのは、平日は月曜日から金曜日までは弁護士さん、大切なのは各分野の専門家による無料相談なんです。東松島の場合ですけれども、月曜日は、司法書士さん、税理士さん、第二、第四週に限りまして建築士さん、木曜日は、社会福祉士さん、行政書士さんは第一木曜日、そして社会保険労務士も第二、第四、それから土地家屋調査士、そして金曜日は、女性相談。ですから、このスキーム、ここが私は大切だと思っていますので、引き続き、復興加速のために、それから心の復興ということで、ぜひお願いしたいというふうに私としては受けとめております。

 以上でございます。

熊坂参考人 もともと、東日本大震災を受けた特に沿岸の地域は司法過疎地帯でありまして、私も市長のときに当時弁護士が一人しかおりませんで、そこで、ひまわり基金法律事務所、そして間もなく法テラスの方に開業していただいたわけですけれども、そこに震災を受けまして、今回震災特例法が出まして、無料で相談を受けていただけるということは、大変に私たち被災地にとりましてありがたいことだったというふうに思っております。

 今、橋本委員のお住まいの大船渡やあるいは大槌のお話がありましたけれども、宮古市におきましても年間大体五百件ぐらいの相談件数がありまして、法テラス岩手全体では一万件ほどというふうに伺っておりますけれども、非常に今回の法律が私たち被災者にとりまして助かったというふうに感じております。

 また、先ほど説明させていただきましたけれども、よりそいホットラインも弁護士とはかなり連携をとっておりまして、法テラスの先生に私どもの受けた相談でアドバイスをいただいたり、また逆に、法テラスの先生から私たちのところのよりそいホットラインに連絡をいただきまして、お互い連携してやっているという事実がございますので、今、阿部前市長さんがおっしゃったように、この法律は来年三月で終わることなく、ぜひとも先生方、お続けいただけるように、司法過疎ということをお鑑みいただきまして、お願い申し上げたいというふうに思っております。

 以上です。

橋本(英)委員 ありがとうございました。

 衣食住足りて礼節を知るという言葉がございます。やはり住むということはすごく大切なことでありまして、ここがないとやはり人間はその後の生活がやっていけない、先が見えないということになりますので、非常に大切な法律だと思っております。

 吉野大臣も、先日のこの委員会で、前向きに検討するというお話をいただきました。我々も、委員の先生方も必要だということはわかっておりますので、ぜひ延長する形で皆努力してまいりたいというふうに思っております。

 次に、東北の観光振興についてお伺いしたいと思っております。

 インバウンドについて、ビザ取得の観点からお伺いしたいと思っております。

 現在、余り知られておらないんですが、沖縄で特例だったビザ取得の件、中国人に対する三年ビザの件なんですが、岩手、宮城、福島を含む六県で、震災以降、この特例が採用されております。

 ただ、残念ながら、首長さんでもこれを知らない方もいらっしゃるのでありますけれども、特にインバウンド、東北にいっぱい人を呼ぼうということでやっておるんですが、その中で、やはり中国人の方々が圧倒的に多いわけですね。その中国人の方々の三年ビザを取得するというふうな特例があるのでありますが、どういうわけか、中国の方々は福岡とか東京とか京都とかにいらっしゃるんですけれども、東北に来ない。インバウンドの平均は、実は全国平均を東北が圧倒的に下回っています。

 そういったところで、何が理由なのかなというふうに考えまして、この間、ある岩手の首長さんと話をしたのでありますが、理由は、複合的なものもあると思いますけれども、その中で、やはり飛行機のアクセスの問題があるんじゃないかというふうに考えております。

 実は、仙台には国際便が飛んでおります。そして、仙台は関空だとかがあるのでありますが、いわて花巻空港が羽田便はないんですね。中部セントレアもない、関空もないのであります。今、外国人で来ている方々は、乗りかえの問題もあると思いますけれども、関空と中部セントレアがすごくふえているんですね。

 そんな中で、いわて花巻空港、せっかくのこの特例措置を生かすための国内のアクセスがないのでありますけれども、これについて、先ほど中村参考人が、岩手に三陸鉄道を利用して観光客をふやしたい、利用客をふやしたいということでありましたけれども、これについて何か御意見があれば、ぜひお伺いしたいなというふうに思っております。

中村参考人 今、インバウンド、特に中国人の観光客誘致のお話をいただきました。

 私ども三陸鉄道も、実は、「あまちゃん」のお話を先ほども申し上げましたけれども、これは台湾でも放映をされておりまして、台湾の方々はすごく「あまちゃん」の認知度が高いということで、実は三陸鉄道にもかなりおいでいただいております。ただ、それ以外の外国の方が来ているのかというと、残念ながら、まだそこまでは至っていないというのが現状でございます。

 それで、実は岩手全体としても、今花巻空港のお話もございましたが、花巻空港については、県の方の考え方といたしましては、台湾との定期便をまず誘致しようということでの取り組みを今進めております。まだ実現はしておりませんけれども、一定の道筋が見えつつあるのかなというような段階かと思います。

 先ほど、ビザの特例措置のお話もございました。確かに、必ずしもまだ我々、東北の皆さんも十分わかっていない、それが中国の皆さんにも必ずしも十分行き渡っていないというところもあろうかと思います。そこをしっかり、引き続き周知も図りつつ。

 私は、やはり、特にインバウンドの場合は広域的な取り組みが重要かなというふうに考えております。ですから、花巻空港にもしっかり来ていただくという側面も確かに重要でありますし、もう一つは、例えば仙台空港とか隣県のところにおいでいただいた方をいかに広域的にめぐっていただくか。その中で、我々としては、ぜひ三陸鉄道にも乗車いただければというような取り組みも進めておりますが、そういったことで、東北の場合には、東北観光推進機構といったような官民あわせた推進の組織も今立ち上げて、連携して取り組みも進めてございます。

 今、橋本委員の方からもお話がございました取り組み、あと、関空とセントレアのお話もありました。そこはなかなか、実際どれぐらいのニーズがあるのかといったようなところとの兼ね合いの中で航空会社の方が選定をするという側面もありますので、今、花巻空港の場合には、名古屋は小牧、それから大阪については伊丹がそれぞれ一日三往復飛んでおりますけれども、先ほどお話があったような点も十分踏まえながら、引き続き、外国人の皆様により多く東北、特に被災地の方にも足を運んでいただけるように頑張っていく必要があるのかなというふうに考えております。

橋本(英)委員 ありがとうございました。

 東北地方は、震災復興の建設需要がもうピークを過ぎました。これからどんどんどんどん、もしかしたら人口も減っておりますので、前より経済的にかなり厳しくなる可能性があるというふうに思っております。そういった意味では、交流人口をどうやってふやすかというのはやはりこれからの課題であろう、いや、課題というよりは絶対やらなきゃならないであろうというふうに思っておりますので、ぜひまたいろいろな御意見をお聞かせいただきたいというふうに思っております。

 さて、私の時間の関係でもう最後になると思いますけれども、私のふるさと大船渡では、小さいときから津波訓練というものがありました。地震訓練ではありません、津波訓練であります。朝六時に近くのサイレンが鳴りまして、近くの神社に走って逃げていくんですね。加茂神社というところなのでありますが、そこに逃げていく。

 そういう訓練をずっと小さいときからやっていたのでありますが、残念ながら、この間の東日本大震災でそれが、ああ、こんなにやっていたのに、何でこんなことを教えられなかったんだろうなということがありました。

 まず一つは、津波が二回、三回、四回と来る、複数回来るということは、実は教えられたことがありませんでした。私の地元大船渡市の赤崎町、うちの親戚が朝まで山に逃げておりましたけれども、三十二回までは数えたと言っておりました。引き波、来る波、三十二回までは数えたけれども、あとはわからなかったとおっしゃっておりました。そういうことを実は津波訓練をやっていた我々が教えられていなかった。

 そしてもう一つ。実は私も小さいときは、先ほど大船渡市字茶屋前六十四の二と言いましたが、須崎川という川が流れておりまして、川の脇に住んでいました。ところが、今回、その川をさかのぼって、そこから水があふれて、海が見えないところの方々が亡くなっているんですね。その川をさかのぼってくるということも教えられていなかった。

 やはり、伝承というのはすごく大切なんですけれども、そういうふうな情報は数十年たつと忘れられてしまうんですね。ですから、大船渡市民としてはすごく残念だったなと思っております。

 現在、多くの国民がこういった携帯電話を持っております。うちのおじなんかはまだガラ携なのでありますが。その携帯電話の中に、皆さん、画像、動画で津波のときの写真を持っているんですね。ところが、私もこういうのは余り得意じゃないのでありますけれども、今、こういったデータを蓄積するところが、実は、グーグルだったり民間のところと国立国会図書館が連携して画像を保存している程度なのであります。

 しかし、実はこれは物すごく大切なデータだと思っているんです。この後、南海トラフやあるいは首都直下型地震が恐らく来るであろうというふうに言われております。そのときに、今回の東日本大震災のデータを蓄積しておくことはすごく大切だと私は思っているんですね。

 その件について、実際に津波に遭われた行政のトップとして、後世への伝承ということで、阿部参考人からぜひ御意見をいただきたいというふうに思っております。

阿部参考人 まず、東日本大震災の視察に見えられるとき、簡単に、気をつけなくてはいけないことは何ですかという御質問をよくいただきます。

 簡単にということになりますと、今の件も含むんですけれども、一つは、まず逃げること、避難することですよね。二つ目は、忘れないこと、要するに風化させないということ。三つ目が、今先生触れられておりますけれども、歴史は繰り返された、要するに災害は繰り返されたということ、貞観だったり、明治三陸だったり、そういったことをしっかりと教育、これからの教育というのは学校や教育委員会だけではなくて、社会が、町がしっかり取り組むことだというふうに私は思っております。学校ですと、どうしても授業時数の関係とか、そういうところが出ますので、学校を挙げて、学校の先生の、その課程の中で、そういった命を守ることについて触れることはできるのかなと。

 行政としては、やはり、慰霊祭。私は御質問を受けたことがあります、慰霊祭、いつまでやってくれるんですかと。百カ日、そして、六年ですから七回、今までやっております。

 私は、何回目かの慰霊祭に、主催して、これも風化させない一つの取り組みだよなというふうに自分の心の中で折り合いをつけさせていただきました。ことしで戦後七十二年、東松島市では、太平洋戦争で大体九百五十人ぐらいお亡くなりになって、毎年今やられています。それと同じように、慰霊祭とか石碑とか、当然伝承館も、被災地でありますので、国からの、復興庁からの後押しもありまして、今、月三千人くらいですか、見えられていますので、まだ全て完成ではないんですけれども、町を挙げて取り組んでいきたいと思っています。

 それで、最後に申し上げたいことは、先生、今触れていただきましたけれども、この東日本大震災をしっかりと私たちを含めて検証して、そして改善して、今後の防災、減災に備える。これは、例を挙げれば、心配されている南海トラフとかそういったことがありますので、最近では、去年、熊本地震がありますけれども、そういったことで生かしていただければというふうに願っているところでございます。

 以上でございます。

橋本(英)委員 ありがとうございました。

 今回は今までと違って、手書きであるとか絵であるとかあるいは石碑であるとか、そういったものと違って、やはり、こういう時代になりましたので、データが残っているので、これを必ず蓄積して、この後の日本の防災、もしかしたらこれは世界の防災に役に立つ可能性があると僕は思っておりますので、ぜひ、今、国立国会図書館も実は悩んでおりまして、予算がないと言っておりますけれども、これは、地方自治体、政府を挙げて、我が党も挙げて、何とか実現したいなというふうに思っております。

 最後になります。

 この委員会でよく出てくる言葉に、復興に与党も野党もないという言葉がございます。私もそのように思っております。この委員会、今まで変なことでとまったことなんかはありませんけれども、とにかく一生懸命、皆様方のお話を聞いて、きょう、時間の関係でお二人にお話を聞くことができませんでしたけれども、一生懸命、皆さん、与野党力を合わせて復興に取り組んでまいりたいと思っております。

 ありがとうございました。

鈴木委員長 次に、金子恵美君。

金子(恵)委員 民進党の金子恵美でございます。よろしくお願いいたします。

 それぞれの参考人の皆様には、お時間をとっていただきまして、このように被災地の生の声そしてまた避難者としての生の声を伝えていただいておりますこと、心から感謝を申し上げたいというふうに思います。

 特に、これまでの大変御苦労があった取り組みについてお話をいただきました。復興は光の部分と影の部分があるというふうに私は常々申し上げているところでありますが、それぞれ当然、インフラ整備等がしっかりと見えてくる中では光が当てられて、そして復興がすごく前進しているなという印象も受けられる。その一方で、先ほど熊坂参考人からもお話がありましたけれども、実態がまだまだ把握されていないのではないか、被災者の実態を発信して、しっかりと可視化することが必要だというお声もあったところでありますし、また、松本参考人からは、自主避難者の本当に苦しい実情というものもお訴えをいただきました。また、早川参考人からは、原発というものがあるからこそ本当にこの福島はまだまだ復興のゴールに向かっていけないという状況と、そもそもの原発というものに対する御意見等も伺ったところであります。

 「あまちゃん」も見ていて、三陸鉄道は本当によかったなというふうに思っています。そして、東松島市にも何度も足を運ばせていただきまして、本当に前進している様子を拝見させていただいています。私は、本当に復興の前進ができるところはそれでいい、もっともっと支えていきたいというふうにも思っているところであります。

 光と影、でも、やはり光が当たらないところにしっかりと光をこれからも当てていくんだということを議論するのが、私は復興特別委員会のこの場だというふうに思っております。そういった意味で、私は、全ての参考人の皆様のお声を多くこの場に残していただきたいと思いますので、皆様に質問させていただきます。

 復興の光と影についての御意見を、それぞれの皆様からお伺いしたいと思います。お願いいたします。

阿部参考人 東日本大震災直後、私は職員にこういうお話をしました、まず被災者の立場になって対応しようと。簡単ですよね、自分が何をしていただきたいかということで対応するということなんですけれども。

 そういった中では、東松島市は、先ほど言いましたように、二〇〇三年、平成十五年に熊本地震と同じように直下型の北部連続地震に対応しておりますので、モデルになれるのはうちしかないと。法律的には、災害救助法、激甚災害法、そして被災者生活再建支援法、この法律三つを運用したことがあるのは多分被災地で私たちが不幸にして二度目だということだとしますと、当然モデル的になるわけです。先ほど御紹介しました応急仮設の建設にしても、それから瓦れきにしても当然のことだというふうに思っています。そういった意味では、マスコミを含めて、よくやっているというような評価もいただきました。それは、職員が頑張って、私としてはうれしいことだというふうに思っています。

 そういった中で、影の部分なんですけれども、私がここで申し上げたいのは、六年経過して、先ほど慰霊祭の話をさせていただきました、慰霊祭のお一人お一人を、ずっと私は申しわけないなと思いながら、後ろ姿だったり、すれ違っておじぎしたりする際に見ると、やはりどうしてもお子さんを亡くされた御家族、御遺族はまだまだ時間が必要なんだと。

 よく言葉で、時間が解決するという言葉もあります、事案によっては。ただ、御遺族あるいは被災に遭われた皆さんにおかれましては、それぞれの災害時の自分の心の傷と申しますか、そういった中では時間が必要だ。ですから、復興期間もありますけれども、それで解決するものではないというふうに思っています。

 ですから、私は、最初に申し上げました鎮魂、東松島市は千百三十四人亡くなった。ここがまず最初だと、鎮魂が。ここを、電車でいえば、置いていって発車することはない。そして、感謝で。国内外からたくさんいただきましたので、感謝を力に復興する、そういったところでございます。

 以上でございます。

熊坂参考人 東日本大震災のとき、私は自分の医院で診療をしておりましたけれども、私の医院にかかっている方が百三十人亡くなられました。それから六年二カ月、その家族の方に寄り添ってきたわけでございますけれども、診療とあわせて、よりそいホットラインをつくらせていただきました。

 先ほど委員から可視化するというお話をいただきまして、大変ありがたい御提案だと思っております。やはり、実像を可視化していくことが次の対策につながっていくというふうに思うんですね。皆さんのところにお配りいたしました報告書の百八十六ページから広域避難の方々の相談が載っておりますけれども、なかなかこういった実情をわかっていただけないという状況がありますので、可視化して、それに対策をしていくということが大事なのではないかなというふうに思っております。

 当初は八番の広域避難のラインは設けていなかったんですけれども、余りに福島から避難していかれた方の相談が多いということで八番の広域避難の専門ラインをつくったわけですけれども、実はこの八番には阪神大震災とか新潟中越地震の被災者からも電話をいただきます。それだけ時間がかかるということですね。ハードの復興はおかげさまでかなり進んでおりますけれども、心の復興はこれからということですね。

 いじめの問題とかいろいろな問題が出てきておりますので、そこに光を当てて可視化して、可視化すると国民全体の共通認識ということになりますので、その上で対策を進めていくことが必要だというふうに思っております。よろしくお願いいたします。

中村参考人 復興、震災の光と影というお話がありました。

 私自身は実は、昨年の三月までは岩手県の職員ということで、震災後はずっと復興に携わってまいった立場であります。

 そういったことまで踏まえて考えてみますと、やはり私自身は、この震災で二万人を超える方々が犠牲になったということを我々がいま一度しっかりと受けとめる必要があるのではないかというふうに思っております。それは犠牲者だけではなくて、それに伴って自宅を失い、またいろいろな友達を失いといったことまで広げると、物すごい数の皆様がいろいろな形でダメージを受けたということで、これはなかなか時間が解決できないような大きな被害、被災であったろうというふうに思っております。

 そのために国を挙げていろいろな取り組みをこれまで六年余り続けてやってきていただいているわけでありますけれども、私が復興に携わって、被災者の皆さん、あとは例えばマスコミの皆さん含めて、復興はいつ終わるんですかとよく聞かれました。

 私自身もいろいろ考えたんですが、恐らく復興に終わりはないんだろうというふうに思っております。ですから、エンドレスの取り組みとして、これはしっかりと受けとめてやっていかなければならない。それは行政だけではなくて、被災された皆さん初め住民の皆さん全体がそれをしっかりと受けとめて、取り組みを進めていくことが必要なのではないかなというふうに思っております。

 そういったところをまた関係者の人たちが改めて認識をすり合わせしながら、今後とも、一応国の方も復興期間という十年のくくりはありますけれども、そこできっちりと復興が終わるということでは恐らく決してないだろうというふうに思っておりますので、そういった制度的な担保をどうするかという問題はあろうかとは思うんですが、行政含め、そこはしっかりと引き続き対応していかなければならない課題ではないかなというふうに考えております。

松本参考人 私は、どんなにすばらしい箱物ができたとしても、中身のないものは復興にはならないと思っています。そうであるならば、やはり実態を把握して、そして、住まいがあることによって路上生活をしなくてもいい、生活困窮をしないで、生保や社会支援があるために何とか前向きに生活していける、そこのまず基盤ができてこそ復興。人がいなければ、中身のないものは復興にはならないと私は思います。

 ありがとうございます。

早川参考人 済みません、私はちょっと耳が遠いので質問の趣旨がよく理解できないんですが、私が理解した範囲で答えます。

 実は、一九五九年八月に科学技術庁が日本原子力産業会議に調査を委託して、その結果出てきた報告書「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害に対する試算」というのがある。ところが、これは全体が二百四十四ページであったものが、国会に提出されたのは前文、十八ページだけ。その隠されてある十九ページ以下に何と書いてあるかというと、具体的な試算が出ておる。その当時で国家予算に匹敵すると書いてある。私はそれの原典を見た。

 トップが福島復興は二十一兆円なんと言って、上振れないとは、でたらめなことを言うものだと。福島原発事故の廃炉まで含めたことを考えたら国家予算で間に合うはずがない、何年分もかかる。私はチェルノブイリを二回訪れて、そのことも聞いてきております。

 これは、せっかくすばらしい報告書がずばり出たのに何で出さなかったのか。当時の岸内閣がこれの公表を抑えたということでございます。

 決して二十一兆円なんかのお金でおさまるはずがないというふうに思います。

金子(恵)委員 それぞれの参考人の皆様から、光と影についてお伺いいたしました。

 松本参考人にお伺いしたいと思います。先ほど、前復興大臣が自主避難は自己責任だと言ったということに大変強い憤りを感じているというような趣旨で、その発言についてお触れになっていらっしゃいました。

 そもそも、私も実は法案提出者の一人ではありますが、子ども・被災者支援法をしっかりと機能させなくてはいけないというふうに思っています。

 残念ながら、基本方針は本来であれば原発事故に影響を受けた住民の皆さんや避難者の方々の意見を反映させてつくられるべきものであります。反映させていく、そういう措置をしていかなくてはいけないとしっかりとこの基本方針の部分の条文に書かれている、にもかかわらず、それがなされていないのではないかという指摘が随分なされてきました。

 ですから、子ども・被災者支援法があっても、そういう理念があっても、もしかすると、基本方針がかなり骨抜きになってしまったことによって自主避難をされている方々の支援もできない状況にあるということも一つ大きな問題だと思っています。

 御意見をお伺いしたいと思います。

松本参考人 金子委員がおっしゃってくださったように、子ども・被災者支援法は、私は二〇一一年に避難をして、翌年六月に与党も野党も一致で法令ができました。このときに私は本当にうれしく思って、これで子供たちが救われる、避難した人も、そして避難を一旦して福島に戻っても、きちっとした子供たちを守る施策ができるのであればと思っていましたが、私の知っている、一度避難した、でも、やはり家族がばらばらになるのはということで戻られたお母さんはかなりひとりぼっちになっていると聞きます。逃げたのに、なぜ戻ってきたんだと。子供を守るために避難した、そういうことをやはり全然福島県の人たちも把握していないということがあります。

 なので、先ほども言ったように、住宅というのは私たちの生きるための最低限度だと思っていますので、被災者支援法にのっとって、もう少しここに肉づけをしていただいて、子供たち、これからの人たちの健康、健康があって、ちゃんと住宅で生活できることが最低限だと思いますので、やはり議員の皆様にも、このことを念頭に、もう少しこの支援法を生かして、ぜひ子供たちの未来を考えていただきたいと思います。

 以上です。

金子(恵)委員 ありがとうございます。子供たちの未来についてしっかりと考えていきたいと思います。

 その福島県の子供たちが避難先でいじめに遭うという、とても悲しいことが起きました。しっかりとこれからも、いじめあるいは福島差別というものをなくしていかなくてはいけないというふうにも思っています。

 福島復興再生特措法に今回の改正でいじめについての対策ということを盛り込んだわけですけれども、しかし、やはり教育の現場でのいじめ対策だけでは当然十分ではないというふうに思っています。きょうは、全国にぜひ皆さんの声を発信していただきたいという思いもありましたので、あえて、いじめ対策を全国の皆様にアピールするためにも、どのようにしていくべきかということを、まずは松本参考人、そしてまた熊坂参考人にお伺いしたいと思います。

松本参考人 いじめの問題は、私が先ほど陳述で述べさせていただいたように、行政が細かく線引きをしてしまったことに原因があると私は思います。

 福島を一くくりにして、福島はお金をもらっているんだろうということで、大半の大人がそういう話をしていることによって子供たちがいじめられ、子供が親に言えないで、子供が悩んでいることを知る親がまた結局いじめと同じことになっていることを考えれば、この事故の真相をきちっと明らかにして、子供たちにきちっとした情報を与えることで、このいじめの問題を少しでも少なくすることができるのではないかと私は思います。

熊坂参考人 今回、横浜で福島から避難したいじめの問題が出る以前から、よりそいホットラインにはたくさんのいじめの相談がありました。それをいずれ公表というか、どういう形で公表していったらいいかなということを思って報告書等には書いていたんですけれども、その横浜のことをきっかけに、たくさんあったと。新潟であったり、あるいは関西学院大学とかいろいろなところであったということでございますので、AV被害者の事例もそうですけれども、やはり見える形にして、こういう事態があるんだということを国民共通の認識の場に持っていくことがまず大事だと思うんですね。その上で対策をしていくということが必要だというふうに思っています。

 全体の子供のいじめについては、もう余りにも難しくて、私とすればちょっと答えられないですけれども、先生方にはそういうことでよろしくお願い申し上げます。

金子(恵)委員 時間ですから終了させていただきますけれども、人を中心とした復興そして心の復興をしっかりと進めたいと思います。

 御意見、本当にありがとうございました。

鈴木委員長 次に、中野洋昌君。

中野委員 公明党の中野洋昌でございます。

 きょうは、大変お忙しいところ、五人の参考人の皆様に来ていただきました。心から感謝を申し上げます。

 阿部参考人、私も視察で東松島市に行かせていただいたこともございます、本当にありがとうございます。

 そして、元宮古市長、また社会的包摂サポートセンター代表理事をされておられます熊坂参考人も、本当にきょうはありがとうございます。

 また、中村参考人、三陸鉄道に私も乗らせていただきました、きょうは本当にありがとうございます。

 そして、福島からは、松本参考人、広域避難または自主避難、こういう立場からの、早川参考人からは、避難指示区域、まさにそういうところからのさまざまな御意見をしっかりと受けとめさせていただきまして、これからの復興というのをしていきたいと改めてきょうは決意させていただきました。

 私は、出身が東北というわけではないんですけれども、もともと国土交通省で職員をしておりまして、まさに東日本の震災の発災のときも、震災の対応ということで業務にも携わらせていただきました。初当選をしたのも東日本大震災の後でございましたけれども、復興の特別委員会にもずっと所属をさせていただきまして、本当に、しっかりと被災地にも足を運ばせていただいて、この復興に日本が一丸となって取り組んでいこう、こういうことでまさにやらせていただいております。

 私は公明党でございますけれども、一人一人の被災者にやはり寄り添うことが大事だろう、こういうことで、ことしの委員会でも、心のケアが非常に大事ではないか、こういうことで質問もさせていただきました。まずは、この観点から何点かお伺いをしたい。

 まずは、熊坂参考人の方にお伺いをしたいというふうに思っておるんです。

 私は選挙区自体は兵庫県でございまして、阪神・淡路の震災で被災をしたところでもございます。阪神・淡路の震災では、心のケア、メンタルヘルス、メンタルケアということで、我が国では初めてこうしたものについて大きく注目もされまして、兵庫県ではこころのケアセンターというものも設置をされました。そこにも話を聞きながら、このこころのケアセンターは現在も活動しておるわけでございますけれども、やはり、発災後のいろいろな復興のフェーズによっていろいろな課題がまた変わってくるというふうなことが阪神・淡路の震災でもございました。例えば、仮設の住宅にいたときよりも、復興の住宅が実際できて皆さんが新しいところに移り住んだ後の方が孤立化した住民の方というのが割と見えなくなってしまって、そうしたケアがより重要になったんじゃないかとか、いろいろな指摘がございました。

 そうした意味で、発災から時間が経過して、発災の後と今と、やはり見えてきた課題というのが違う。先ほどから、こうした現状を可視化していくことが大事だということで熊坂参考人からもお話がございました。

 そうした発災から時間を経過して、今、特に見えてきた、また特に手が届いていない、対応しないといけない課題というものに対して、参考人の陳述の時間でも述べていただきましたけれども、改めて、今だからこそこうしたところに心のケアとして力を入れていくべきではないかということがございましたら、ぜひお教えいただければと思いますので、よろしくお願いします。

熊坂参考人 阪神・淡路大震災で被災されたというふうに、中野委員が御自身の経験を今お話しされました。

 私も、実家が福島で、宮古に住んでおりますので、さまざまに被災者に寄り添ってきたわけでございます。また、よりそいホットラインをやりまして、私自身が知らなかったこと、私自身が全く見えていなかったということ、大変いろいろなことが浮き彫りになってきております。

 震災直後は私も思わなかったんですけれども、いろいろなことがだんだんとわかってきて、時を追うごとに被災者の抱える課題が異なってきているということ。被災直後はみんなで頑張ろうということでやってきましたけれども、だんだんだんだん、新しい道を見つけていかれる方、あるいは病気や介護等を抱えてなかなかどうにもならない方、二極化していって、そういった中で、言い方は悪いですけれども、大変厳しい状況に置かれた方々をどうしたらいいかというのが今一番の課題ではないかと思っているんですね。その方たちに今、大変な自殺のリスクというか、そういうのが起きてきているというふうに思っております。

 先ほどから可視化という話が何回も出てきておりますけれども、福島から避難した方、あるいは実際に被災三県で暮らしていて、もういいんだ、言ってもなかなかわかってもらえないんだというような諦めの気持ちみたいなものが私どもの電話に、でも訴えたいんだということがたくさん来ていまして、そういったニーズに細かく寄り添っていく必要が、今おっしゃられましたように、要するに一人一人に寄り添っていく政策というのが大事じゃないかなというふうに思っています。

 公明党さんが心のケアということを大々的に今打ち出して対策をされていることにつきましては、心から敬意を表したいと思います。これからもよろしくお願いいたします。

中野委員 ありがとうございます。

 ことしの委員会で私が質問させていただいた中で、こういうところが問題ではないかと一つ感じておりましたのが、現在、被災地で、岩手、宮城、福島、それぞれで心のケアセンターというものが設置をされて活動されておられるわけでございますけれども、やはりそれぞれの地域で抱えている課題も違いますし、その地域の中でも、まさに先ほど熊坂参考人がおっしゃられておられたような、いろいろな意味で課題が多様化しているというか、いろいろな復旧復興も進んでいく中で取り残されているような方もいる。さまざまな課題が異なってきている状況なんだろうなというふうに非常に痛感いたしまして、そういう意味では、一律に何をどうするというのもなかなか難しくて、それぞれの方に寄り添った支援をしっかり届けていくというところに尽きるのではないかなというふうにも感じてはおるんです。

 そういう意味では、今、それぞれの地域で心のケアの事業を別々にやっておるわけですけれども、やはりそういう支援機関とさまざま連携をしていったりであるとか、あるいは、こうしたふうな対応をしていけば、こうした方がいらっしゃって、こうやった方がいいとか、あるいは、ノウハウを横で共有していったりであるとか、また、この被災から心のケアでずっとやってきたいろいろなノウハウが今あると思いますので、今後のことも考えてこうしたものをしっかり蓄積していくでありますとか、そうしたことが大事なのではないかというふうなことを訴えさせていただいたんです。

 そういうノウハウの共有であるとか蓄積であるとか、そういう取り組みについては熊坂参考人はどのようにお考えでございますか。

熊坂参考人 今委員のおっしゃったとおり、私の参考人陳述の中でもお話ししましたけれども、地域によってはだんだんと支援者が減ったり縦割りの中で弊害が出てきておりますので、それぞれに支援団体が連携をしながら、一人一人に寄り添ってやっていくことがとても大事なのではないかなというふうに思っております。

 福島と宮城、岩手では大分状況が違いますので、福島は福島で、私の実家ですけれども、大変重い課題がありまして、そこは別にやっていかなければならないなというふうに思っています。

 ただ、先ほども言いましたように、本当は言いたいんだけれども言えないというような状況があって、それが届いていないわけですね。だから、こちらの方から出向いて、アウトリーチの手法をとりながら課題を見つけていくことが今非常に求められているのではないかというふうに思っております。

中野委員 ありがとうございます。

 熊坂参考人のお話の中で、広域避難の話もございました。そういう意味では、まさに松本参考人には、そうした立場からの御意見ということもきょうはさまざまいただいたわけでございます。私も後で報告書はしっかり読ませていただこうと思うんですけれども、阪神・淡路の震災の避難の方もまだ御相談があるというふうな話もあって、本当に息の長い取り組みが必要だなとも思うんです。

 確かに、広域避難をされている方というのは、避難先でも避難されていることを隠されながらというか、そういうような方もかなりいらっしゃる。関西にもそういう避難の方もかなりいらっしゃるというのはわかってはいるんですけれども、なかなかその把握というのが難しいということも感じておりまして、心のケアにせよ何にせよ、どういうふうに支援を届けていくのかというのがやはり今後の非常に難しい課題かなとも思っております。

 そこで、松本参考人と熊坂参考人に少しお伺いをしたいんです。

 例えば、県外の避難者の方に対して、そういう支援拠点みたいなものも現在全国では設けさせていただいて、いろいろな相談には応じさせていただこうということでやらせていただいているんですけれども、なかなかそういう実態のあれができていないんじゃないかというふうな御意見もございました。

 現在のこうした相談の取り組みというものが実際どのくらい機能しているのか、現場では実際どうなのかということについて松本参考人にぜひお伺いをしたいのと、熊坂参考人には、こうした広域避難の方へのアウトリーチとしてはどういうふうに取り組んでいけばというのがもしございましたら、お二人の参考人から御意見をいただきたいというふうに思います。

松本参考人 今、中野委員から御質問があったんですけれども、確かに相談窓口みたいなところは、拠点化はされていますが、とても事務的で、そして、本当に、避難した人たちで仕事を二つも抱えている方はなかなか行くことができないのが現状です。ですので、避難の協同センターに連絡があります。

 であるならば、やはりもう少し、ただ開いているのではなくて、あそこに行けば本当に相談に乗ってくれる、自分の悩みが話せる、本当にその場づくりをもう一度きちっと初めから考え直していただいた方がよいのではないかと私は思います。

熊坂参考人 委員から大変いい御質問をいただいたと思っています。

 よりそいホットラインの趣旨もそうなんですけれども、なぜ、よりそいホットラインに一日三万件の受電があり、年間一千万件を超える電話があるのか。これは、二十四時間三百六十五日、何でも相談だからですね。

 私も市長をやっていたときにはわかりませんでしたけれども、対面窓口というのは、DVのことを考えたり、あるいは自分の家庭内のこととか病気のこととかを考えたときに、まず行けないですね。そうすると、どこに行っていいかわからないということで、私たちのところに電話が来ます、こうこうこうでと。

 また、相談して、非常に難しいというか緊急を要する場合は、私たちのよりそいホットラインも本人に面談、会って一緒に解決していくんですけれども、なかなかこれは面談の難しさということもあるんですけれども、実際にその方と会って、信頼をいただいて、そして解決に向かっていくまでには本当に時間がかかります。大体、半年から一年ぐらいかかると思うんですけれども。

 やはりそういった信頼は役所の画一的な窓口で築くことはできないというふうに私は思っておりますので、よりそいホットラインのような、二十四時間三百六十五日、何でも相談というところを入り口にしながら、そして地域のそういった支援の資源につないでいくということ、私たちはこのよりそいホットラインはある意味では社会実験的なところがまだあると思うんですけれども、そういう仕組みが大事だというふうに思っております。

 生活困窮者自立支援法と連携しながら今やっておりますけれども、そういう仕組み、日本にもこういったダイヤルがあってもいいんじゃないかなということを、震災を契機に改めて思った次第です。

中野委員 ありがとうございます。

 続きまして、阿部参考人の方にも、私も以前伺わせていただいたことがありますので、ぜひお伺いをしたいというふうに思うんです。

 東松島市も本当に大変な被害で、区画全体が防災集団移転のようなところもかなりあったかというふうに承知をしておりまして、私が行かせていただいたときはちょうど二年前ぐらいでして、何とかそうした再建をこれからやっていくというふうなことをお伺いしたこともございます。コミュニティーが、そもそも新しいところに移り住んで、また新しいまちづくりをしていくというのは非常に大変な御苦労があるかと思うんです。

 こうしたコミュニティーの再編というところで、阿部参考人が非常に気を使われた点であるとか、また今後の課題、あるいは政府に求めていくこと等々がもしございましたら、ぜひお伺いできればというふうに思います。

阿部参考人 私が旧矢本町の合併をしたのは、当時、町の議長でしたけれども、ちょうど、国の方で地方分権一括法を施行したのが平成十二年四月一日だったというふうに記憶しています。その中で、私も、今でもそうですけれども、地方が地方分権、地方分権というふうに国の方に要望活動をしました。

 振り返りますと、自分たちは町民、市民に対してどれだけの分権をやっているのだろうかという自問自答がありました。その際、十二年前ですけれども、私は、先ほどのいじめとか全てにかかわるんですけれども、やはり住民自治、教育委員会とか役所の支援だけではなくて、やはりこれからは、社会は、共助する社会をつくらなくちゃいけないんじゃないかということを感じていました。

 お金で解決するか、住民の皆さんの知恵とこれまでの経験で解決するか、そういった社会づくりが必要だということで、昭和三十年からの歴史があるこれまでの公民館活動だけではなくて、社会教育法だけではなくて、公民館を廃止して、地域指定管理で地域自治組織をつくっていただいて、そして、少子高齢化と言われている福祉、それから防災、防犯等含めて、市民センターということでやろうと。

 ですから、避難所運営も市民の皆さんがしました。私たちは、震災直後、三十五の新しい窓口をつくって仕事をする、そういった仕組みづくりに丸四年かかりました、説明会をやりますよというだけで。これは、ある意味覚悟がないとできないというふうに思っています。

 ですから、公民館活動を財産として今後の新しい社会づくり、そういった生かし方をしたということがそのコミュニティーのこれからまさに土台になりますので、全てが理想どおりではありませんけれども、一つの地区においてはそれぞれの地域からの、言葉はよくないんですけれども、寄せ集めの部分もありますので、それはやはりコミュニティーが大切だ。ですけれども、ほかを見ていますので、ああいうふうに自分たちも祭りとかコミュニティーをつくりたいよね、そういったことがございますので、そういうことで、今のところ、私から言うのはどうかと思うんですけれども、何とか頑張って取り組んでいるというところでございます。

 以上でございます。

中野委員 阿部参考人にもう一つお伺いをしたいのが、前にお伺いをしたときには、これからまさになりわいの復興というか、産業であるとかあるいは農業であるとか、こうしたものの復興に力を入れていかないといけないみたいなお話をお伺いいたしました。

 こうしたなりわいの復興について、現状と、これからどういう支援が必要か、そういうことについてもお伺いできればと思いますので、よろしくお願いします。

阿部参考人 震災直後、よく市役所で常時話したのは、生活再建と産業再生。生活再建は住宅再建、産業再生は雇用の創出と雇用の拡大ということで、多分最初はどうしても、応急仮設ですので、生活再建、住宅再建が主なんですけれども、必ず働く話が出てくるということになります。

 そういった中では、農業については、農林水産省の皆さん、復興庁のおかげで一定の見通しが立ちました。しかし、ここも、これから気をつけなきゃいけないことは、販路と経理、この部分が必要です。それから、やはり水産関係につきましてはまだまだ時間がかかるのかなと。要するに、雇用の確保とかそういったところは、国の皆さんと連携しながら、まだまだ必要だというふうに思っております。

中野委員 時間も迫ってまいりましたので、最後に、中村参考人に一点お伺いをしたいと思うんです。

 震災の復興は、公明党でも二つの風との闘いということで、風評と風化とやはり闘わなきゃいけないということをよくお伺いします。そういう意味で、観光というものはやはり風評との闘いということもございまして、これからまさに力を入れていかないといけない分野だなというふうにも思っておりますし、私も、個人的に釜石の市役所にも仕事で行ったこともございますので、ラグビーワールドカップ、大変に期待をしているところでもございます。

 こうした観光の振興という点から、今後どういう後押しを政府の方でしていけばいいのかということについて、済みません、少し総論的な質問でございますけれども、御意見がございましたら、いただければと思います。

中村参考人 今、観光のお話がございましたけれども、三陸鉄道は、先ほどもお話しいたしましたように、大きくはやはり、地域の皆さんの足を確保していくという側面と、観光という、外からできるだけお客様に来ていただいて乗っていただく、この両側面で今頑張っているところであります。

 基本的には、やはり外から来ていただく取り組み、先ほどもいろいろな取り組みをやっているというお話をさせていただきました。ところが、やはりなかなか、いかにコンスタントに、観光客の皆さんに持続的に毎年来ていただくかというのが非常に、私も実際取り組んでみて、至難のわざだなということを改めて実は実感してございます。

 ただ、そうはいっても、やはり三陸に行って三鉄に乗りたい、乗ろうと思っていただくようにこちらも絶えず情報発信をしていかないとなかなかおいでいただけないというところがあるので、先ほどちょっとお話をさせていただきましたDMOという取り組みは国の方でも、観光庁さん含め、今取り組みを進めていただいております。

 我々としてもそういったことを岩手県でも今やっておりますけれども、あと三陸沿岸では、ジオパークといったような取り組みでありますとか、環境省さんの方のみちのく潮風トレイルといったような取り組みもやっております。

 そういったものともうまく連動させながら、単に鉄道に乗っていただくだけではなくて、三陸沿岸でまたいろいろな体験をしていただく、スポーツもしていただくみたいなこととうまく融合させながらやっていきたい、そういったところにも引き続きまた国の方に御支援をいただければというふうに考えております。

中野委員 済みません、時間が参りましたので全ての参考人には質問できませんでしたけれども、しっかりとまた復興にきょうの御意見を生かして取り組んでいきたいと思いますので、よろしくお願いします。

 以上で終わらせていただきます。ありがとうございました。

鈴木委員長 次に、高橋千鶴子君。

高橋(千)委員 日本共産党の高橋千鶴子です。

 本日は、五人の参考人の皆さん、ありがとうございました。

 震災と原発事故後六年、また、それ以前からのさまざまな取り組みや思いがある中で、短い時間で皆さん言い足りないことがたくさんあったかと思われますし、私も、聞く側の方も時間が足りないなと思って困っておりますので、なるべく全員に伺いたいことがありますので、頑張っていきたいなと思います。

 最初に、早川参考人に伺います。

 福島法には魂が入っていないという指摘がございました。まさにそのとおりではないかなと思います。

 避難を続けている方の中でやはり多く言われるのは、第二原発が動くかもしれないのに、このような状況でやはり帰るとはとても思えない、そういうことも言われるわけであります。ですから、全会一致で、オール福島で求めていることに向き合うべきではないかとおっしゃったことは、そのとおりだと思っております。

 早川さんたちの運動というのは、私自身も青森の出身で、ずっと取り上げてきたことではありますが、原発反対というときに、単に原発は危ない、やめろということを繰り返すだけではなくて、原発事故の危険から住民を守る、これがスタンスではないかなと思うんですね。

 ですから、事故やあるいはささいなトラブルであっても隠さないことや、避難計画もしっかりとつくることや、そして、最悪の事態を想定して最悪の過酷事故に備える、そういうことをずっと皆さんは言い続けて、だからきょうもその一端を紹介してくれたのではないかなと思うんですね。そこにやはり向き合ってこなかったのが電力事業者の側ではなかったかと思いますが、その辺の思いを一言お願いします。

    〔委員長退席、谷委員長代理着席〕

早川参考人 申しわけありません、ちょっと聞き取りにくいところがあって。

 まさに先生がおっしゃるとおりでありまして、原発そのものはまさに危険なんだけれども、危険なものは世の中に私の常識で考えればいっぱいあるわけで、扱い方の問題なんですね。

 だから、僕たちは、原発は危険であるからというので、危険だと認識したので、第二原発ができる前までは建設反対とやった。しかし、やられてしまった。やられてしまったらば、これはどうしようもない。結局、危険に反対する。

 原発の危険に反対するといっても、先ほども申し上げましたように、結局、危ないものをどういうふうに扱うかということで、政府、電力会社は結局は、一言で言えば、危ないものは危ないものとしないで、暴走してきた。原子力、核燃サイクルの暴走、これが危険の元凶なんですね。だから、そのことを、事故があるたびに、事故隠しがあるたびに具体的にそれを指摘してきたということなんですね。

高橋(千)委員 ありがとうございます。大きな声で言うようにします。

 でも、聞いたことに答えてくださっていたと思うんです。

 要するに、やめろ、やめろというだけの運動であれば、とめられなかったらそれで終わっちゃうわけで、でも、そうはいかないんだと。だからこそ、何度も何度も何かあるたびに声をかけてきた、皆さんが取り組んできたということを御紹介いただいたと思うんですね。

 それに対してやはり誠実に向き合ってこなかった。要するに、過酷事故対策をしろと言っても、起きないと言ってやってこなかったように、そのことが、今日の福島第一原発の深刻な事故と、そしてその後の避難者の苦しみをつくったのではないかというふうに思っております。

 あわせてもう一つ伺いますけれども、楢葉町の解除というのは、指示区域で、全町避難されているところの一番最初だったわけですよね。ですから、例えば浪江ですとか富岡ですとか、その後の町の解除の言ってみれば突破口というような、そういう役割も果たしたと思います。

 しかし、帰ってすぐに、第二原発があるので避難訓練もやはりやらざるを得ない。つまり、廃炉と決まっていないものですから、避難訓練をやっているということを聞きました。また、来年には、同じように精神的損害の賠償もなくなるわけであります。

 そうした中で、ただ賠償を続けろと言うだけでは、分断されていますから、もらっていない人もたくさんいるという中で、今置かれている、一割しか帰っていない町の状態、事故の危険は引き続いているという町の状態の中でやはり国と事業者が今やるべきことは何なのか、お願いいたします。

    〔谷委員長代理退席、委員長着席〕

早川参考人 いろいろございますが、まず、安全に収束される。ああ、これならば安全に収束されるだろうと私どもが安心できることの一つは何かというと、現在、第一原発に六千人から七千人の労働者が収束作業に当たっておるわけです。この労働者の労働賃金あるいは危険手当が十分に担保されていないという。私どもは、東京電力と二月に一回ぐらい交渉しています。まず、交渉の大半は、その労働者の身分、安全を守れ、こういうことについて。

 六千人、七千人の労働者のうち、原発で働いた経験のある経験者は何割おられると思いますか。実は、六千人、七千人の原発労働者というのはプロなんですよ。定検で全国を渡り歩いている、原発をつくった時点から。こういう人たちが何と三割しかいないんですよ。何ででしょうか。

 だから、長々申し上げられませんので極端なことを言いますと、原発で働く十分な手当をもらう、何かあったらば完全に補償されるという、それをわかりやすく言ってみれば、私は常にずばっと言っているんですが、国家公務員にしてください、準公務員にしてください、身分を保障してください、そうしたらば、やりがい、気概を持って働くと。実際、俺がつくったんだから、俺がやらざるを得ないなという労働者がいるんです。そういう労働者は三割しかいないんですよ。

 だから、安全に収束されるという手だてをなんでかんで考えていく。結局、特措法を考えられても、何にもならないです。

 それから、第二原発、先生がおっしゃるとおり、これも簡単な話なんです。実に簡単な話なんです。災害訓練なんかやる必要はないんです。決まっているんです。あれを燃料プールから全部キャスクに入れて、乾式貯蔵すればいいんです、高台に置いて、頑丈な建物をつくって。それでも万々一ということはございます。とにかく今は燃料プールに入れておるわけです。これはやはり危険性があるわけです。これをやらない。

 だから、原発をまず廃炉にする、これが大前提ですよね。そういうこと、こういうこと、よもやまた三・一一のようなことがあるんじゃないかと思うのが、やはり子育て中の皆さんである。

 それから、三つ目は、フレコンバッグ、中間貯蔵施設、三十年という言い方をしておる。言葉は汚いですが、ずばっと申し上げる。ごまかしでしょう。三十年後、どこかに行くんですか。まして、人が近づいたら即死するような大量の溶融燃料の行きどころなんかあるはずがないんです。それを正直に認めて、そのために世界の英知を集めてやりますという、イノベーション構想なんかそこまできちっと踏み込んだものになっておらない。一方で復興をしながら、一方で原発はまだ中途半端な、住民が安心できない状態にある、これが問題なんです。

高橋(千)委員 ありがとうございます。

 それでは、中村参考人に伺いたいと思うんです。

 三鉄の再開は本当に明るいニュースだったと思うし、そこまでの苦労や、また、きょうは一端を紹介していただきましたが、活用していただくためのさまざまなアイデアをやっているんだなということを受けとめました。

 そこで、伺いたいのは、JR山田線の問題であります。これを引き受けるということで、私は、率直に言って、JRの責任をもっと果たしてほしいという思いがありました。しかし、苦渋の決断でもあったと思います。今となっては、やはり最長の地域の鉄道だというのを生かしたいということもおっしゃいました。そういう意味では、地域の財産であり公共鉄道であるという立場で、もっと国が支援していくべきことではないのかなと思いますが、一言お願いいたします。

中村参考人 JR山田線、宮古―釜石間を今度引き受けて、二年後には一本につながるということで、それは岩手の沿岸の皆さんにとってはやはり大きな喜びといいますか、希望になっている側面も非常に大きいというふうに思っております。逆に言えば、それを我々としてはしっかり活用しながら、沿岸地域の活性化につなげていきたいというふうに思っております。

 先ほどもちょっとお話しさせていただきましたけれども、今、国のスキームとしても、いわゆる上下分離で、下の方の整備に対しては一定の国の支援措置はあるんですが、やはり全国の特に過疎地のこういった三セクの地方鉄道が置かれている状況というのは非常に厳しいところもありますので、やはり上の運行の部分に対しても何らかの一定の支援みたいなスキームもぜひお考えいただければ、我々としては非常にありがたい。

 そういった中で、やはり鉄道というのは大きな財産ですので、一旦失うと復活というのは非常に厳しいものだというふうに思っております。これを何とか、当然、行政だけでどうこうということではない、地域の皆さんがしっかり守っていくという決意のもとに、全員で使いながら守っていくといったようなことをぜひ引き続き進めてまいりたいというふうに考えております。

高橋(千)委員 ありがとうございます。そういう立場で頑張りたいと思います。

 次に、熊坂参考人と松本参考人に同じ質問をしたいと思います。

 熊坂参考人、よりそいホットラインの取り組み、年間二十五万件、大変な取り組みですし、また、実際に電話の量はその四十倍であるということでありました。テーマを分けているということや、きょう紹介いただいた特徴は非常にまとまっていて、要するに、被災者は困難が幾つも折り重なっている問題ですとか、仕事、家庭以外の関係性の希薄さですとか、一つ一つの問題が非常に理解できるというか、よく捉えて発表してくださったなと思って伺っておりました。そういう中で、自殺念慮が非常に多いという御指摘がございました。

 また、松本参考人からは、避難しているお母さんたちの苦悩、特に自死された方のお話もされました。私もたくさんのお母さんたちに会っていますが、子供たちが学校でいじめられていると同時に、お母さんたちも、帰れば帰ったで、同じように、いじめといいますか、孤立の中で苦しんでいたということがあったと思うんです。

 そういう中で、質問は、原発いじめという事件をどう受けとめるかということで、確かに、放射能がうつるというような誤解や偏見、それは一部にはあるかもしれないですけれども、もっと大きな社会的なものじゃないのか。例えば、大臣という方が、避難することは自己責任だとか、勝手でしょうと言ってみたり、そういうものが社会全体の芽になって、だから言っていいんだみたいな、そういう条件をつくっちゃっているのかな、やはり根っこにあるのはそこなんじゃないのかなという思いがあるんですけれども、お二人に御意見を伺いたいと思います。

熊坂参考人 私も福島県人でございますので、今回のいじめの問題につきましては大変心を痛めております。

 なぜなのかというその背景ですけれども、いろいろ考えると、私も、戊辰戦争までさかのぼると、白河以北一山百文とか、あるいは蝦夷(えみし)退治みたいな、そういったところまで東北に住んでいると実は行き着くのかななんて思ったりします。

 この差別の問題ですけれども、もしクラスにそういう子が入ってきたら、みんな、その雰囲気の中でそういうことがやはりあってしまうのかなということも思ったりしまして大変心苦しいんですけれども、その背景については、日本社会全体の、今、本当に生きづらさを抱えている人が非常に多くなっているので、そういったところまで考えていかなければいけないなというふうに思っております。

 あと、おっしゃいました自殺の問題でいくと、福島県だけが震災関連死は自殺も含めてふえておりますし、震災直接死よりも既にはるかに多いわけでありまして、こういったところも光を当てて、なぜなのかというところをやはりもう少し見える化していかなければいけないのではないかなというふうに思っております。

松本参考人 この原発のいじめですが、従来、やはり原子力発電所、原子力とはどういうものなのか、そして原発事故が起きればどういう災害が発生するのか、そういうことをきちっと子供たちがわかっていない、まして大人がわかっていないということで、その事故のためにどうして避難しなければいけなかったのかということを今きちっとメディアでも伝えていないように私は思います。

 この原発の子供のいじめは大人のいじめであって、大人がきちっとした解釈をしないで、世間話のように子供のいる前でそういう話をすることによって子供がいじめられる。

 そして、先ほどもお話をしましたが、子供は、自分を守るために避難したということをよく知っています。なので、これ以上、そのつらいこと、自分がいじめられていることを親に話すことができない子供がたくさんいます。それを知る親はまた苦しみます。

 なので、きちっとした情報、きちっとしたものをやはり包み隠さず教えていくこと、教育がきちっとなっていないことがこのいじめにつながっていると私は思います。

高橋(千)委員 貴重な御意見、ありがとうございました。

 私は、行政に対して、大臣などに対しても、ホットラインですとか協同センターのように、やはりそうやって接している人たち、そのことを聞いている人たちの声をちゃんと聞いて、それを生かすべきだということを主張してまいりましたので、今後も生かしていきたいなと思っております。

 最後に、阿部参考人に伺いたいんです。

 トップダウンとボトムアップを市長として貫いてきたのかなと思います。やはり急がれる場合には思い切った市長の決断も必要ですし、そのことが被災地全体を引っ張ってきた、そういう役割も果たしてきたのではないかなと私は思っております。

 同時に、住民の声というのは、実は特区法のときには住民の声を取り入れてという一項が盛り込まれませんでした。それは、市長がちゃんと話を聞くからいいでしょうという答弁だったんです。私はすごく残念に思っているんです。

 それで、伺いたいのは、やはり震災のときというのは首長に一定の裁量を与える、そしていろいろな縛りを取る、そこがやはり大事なんじゃないか、だけれどもそれがずっと続いては困るわけで、復興計画というのは丁寧に住民参加でやっていくべきではないか、この二つの兼ね合いについて一言伺いたいと思います。

鈴木委員長 阿部参考人、大変恐縮ですが、質疑時間が限られておりますので、できる限り簡素にお願いいたします。

阿部参考人 非常時、災害時はトップダウン、当然だというふうに思います。船頭が多ければ船は進みませんので、非常時はそうだと思います。

 ふだんのまちづくりは住民との合意形成が大切だと思っています。私は議員も長い間務めましたので、悩んだときはいつも、住民から理解が得られるかと自問自答するわけでありますので、原点はそこにあります。

 やはり住民の合意形成、住民自治が基本だというふうに思っていますので、これからも東松島はそういったまちづくりで進んでいくというふうに思っております。

 ありがとうございます。

高橋(千)委員 終わります。ありがとうございました。

鈴木委員長 次に、木下智彦君。

木下委員 日本維新の会、木下智彦でございます。

 本日は、お時間をいただきまして、本当にありがとうございます。

 私は、大阪の豊中市というところを選挙区にしております。なぜ復興委員会なのかということなんですけれども、今から二十数年前、阪神大震災を私は経験いたしまして、私の家もちょっと被災しました。大阪の中でも、私どもの地域は一番被害の大きかったところでございます。

 皆さん御存じかと思いますけれども、先ごろ話題になりました森友学園の土地のすぐ近所に今は住んでいるんですけれども、実はあの森友学園の土地の周辺は、大阪の中でも、しかも豊中市の中でも、一番その被害の大きかったところでございまして、あの周辺の小学校地域があるんですけれども、そこの三割は全壊もしくは半壊指定がされたというところでございます。

 たまたま、その当時、私の親戚、いとこが阪神大震災の一番被害の大きかった兵庫県の長田という地域に住んでおりまして、震災が起こってすぐに、朝から歩いて、三十キロから四十キロぐらいのところなんですけれども、日中全部を使って歩いて、水を届けに行ったんですね。

 そのときに、もう本当に大混乱をしていて、道すがら歩いていくと、歩道に、助け出されたといいながらもお亡くなりになられた方が毛布にくるまれて何体も並んでいて、そして、建物に、崩れた中で、まだ助け出されない人たちが、表札のところに名前が書いてあるんです、ここにおじいちゃん、おばあちゃんがまだいます、手のあいた人が助けてほしいんです、どうか楽にしてあげてくださいとたくさん書いてありました。

 それをずっと心の中に思って、今回、国会議員としてこの復興委員会に入れたということ、非常によかったと思っており、その経験を生かして何か貢献ができないかなということで、この委員会に所属をさせていただいております。

 きょうお話をさせていただきたいことなんですけれども、そういった私の経験も踏まえてなんですけれども、我々日本維新の会、国会議員の給与を一部、一月に各議員が十八万円ずつ出し合いまして、これを、東北の被災された方々、熊本も含めてなんですけれども、毎月届けに行っております。ちょっとでも何かお役に立てればと、これは本当に手前みそで、自分の宣伝になってしまうので、はばからなければいけないのかもしれませんけれども、そういう活動をしております。

 これも、思い起こせば、震災が起こった後、国会議員は歳費の二割をカットして、この震災復興に使っていくという形でやっていました。しかし、これは発災してから一年後、それから二年たったところでやめてしまったんですね。

 一方、日本の全国民、復興の特別税という形で、いまだに住民税それから所得税という形で、皆さんのところに使ってもらうような形で負担をしております。所得税なんかは二十五年間、それから住民税も十年間という形で、今のところでいうと、年間で大体三千億円ぐらいになって、それを復興に使っていただきたいということをやっている。

 私は考えていて思うんですけれども、国会議員はこれでいいのかどうか。いいながら、ここにいらっしゃる方々、個人でもやられている方はいらっしゃいます。ただ、ここにいらっしゃる方々、実際に、先ほども橋本委員なんかも御地元だと。地元から地元に寄附するのは、これは政治家が制限されているということでなかなかできないので、やりたいと思ってもやれない方々もいる。

 ただ、これは、制度として続けていくというのは、やり方だと思うんですね。ましてや、これも言うのも本当に恥ずかしい話ですが、前大臣のああいう発言があったり。

 こういう中で、きょう、お二人、一般の方々に一番近い思いを持っていらっしゃると思います松本参考人それから早川参考人にちょっと御意見を聞きたいんですけれども、こんな状態で国会議員を信用できるかどうか、これから先、何をこの国会議員に一番に期待しているか、何をやってもらいたいと思っていらっしゃるか、これをあえて私は聞きたい、私も含めて聞かせていただきたいと思うんです。お二人に、国会議員に対する期待それから御意見をお伺いしたいと思います。

松本参考人 私も五十五にして、この福島の東日本大震災、そして重なり東京電力福島第一原発事故で、かなりの方たちが、津波もそうですが、原発で着のみ着のままで逃げられた方、そういう方たち。私もやはり、あの地震のときには自宅に帰ることができませんでした。あの当時、携帯もつながらず、やっとメールで安否が確認できた、そういう状況で、私は、地震が来るたび、今もやはりトラウマのようにあのときを思い出します。

 私がこのような場所でお話をさせていただくということは、あの三・一一前は本当に想像にも考えていませんでしたが、やはり議員さんにしていただきたいことは、私たちは住まいがあって生きていけます。

 本当にこの日本は地震大国ですので、また必ず地震は来ると思います。そして、私は今神奈川に避難していますが、東京でもしあの震災が起きたら、福島で本当にあの一日で何もなくなってしまいます、どこにも行くことができません、この東京で起きたら、本当に半分以上の方がお亡くなりになるのではないかと私は思います。

 東京の方が避難するとすれば、どこに避難するのか。そのときに、やはり応急仮設ではなく、ちゃんとした住まいがきちっと建てられるべきではないかと私は思います。

 住まいがあって、この間、住まいさえ打ち切りにならなければ自分で亡くなることもなかった人が、またこれから、はっきり申し上げて、浪江や富岡、川俣と次々と、私たち警戒区域外から避難した人ではなくて、行政が避難させた人たちを避難を解除してそこに帰還させるということ、そういうことをよくここにいる議員さん方に考えていただきたい。そして、ぜひ住宅とそして最低限の個々それぞれのきちっとした救済に当たっていただきたいと切に思います。

早川参考人 なかなか難しい問題、でも、考えてみれば当たり前。結局、原発推進政策というのは、我々国民の常識から考えて、常識で考えておかしいことはおかしいのだ、これが国民の一般的な常識ではないでしょうか。

 ところが、申しわけありませんが、はっきり申し上げて、原発を推進してきた政府、いわゆる原子力の村と言われる方々というのは、常識で考えておかしいことをおかしいと思わなかったのか、こういうことです。我々、常識から外れたことをしたら爪はじきされるんですね。ところが、爪はじきされないできた。

 私は坊主なので、自分の心の行動の規範の一つにしております、人の道は心にある、心は行いにある、こういうんです。だから、心と行いとは常識で考えれば矛盾しないはずなんです。

 本当に、福島の原発事故による被災地、被災者、どういう苦しみなのか。被災地、被災者というのは何の罪もないはずです。

 東京電力が何で原発を福島に持ってきたか。東京電力自身が、双葉原子力地区開発ビジョンという中に書いてある。通産省と科技庁も入っていたと思います。それから、東京電力、東北電力の職員も入って、双葉原子力地区開発ビジョンというのを一九六八年に発表している。その原子力発電所の立地条件の第一番に何と書いてあるか。こう書いてある。現状における原子力発電所というものは、近くに大都市がなく、低人口地帯であることと明確に書いてある。もう一つは、その低人口地帯にどうやって決定したかというと、入念な根回しをした結果であると東京電力の四十五年史に書いてある。

 つまり、福島の万一の事故を彼らも想定できているわけです。だったらば、それなりの対応を、住民、県民、国民は訴え続けていたのですから、それをやってくれれば。東京電力はそう書いておきながら、先ほど紹介したように、人災か天災か考えたことないと。

 もう一つは、一五年の三月に東京電力が改革プランを発表した。その冒頭に、事故の根本原因というのが書いてある。稼働率を優先する余り、安全への備えを怠りましたとちゃんと書いてある。安全への備えをすると危険であるととられるから、あえてしなかったと書いてあるんです。

 常識で通りますか。そういう常識を先生方も、大変申しわけないですがお持ちいただきたい。

木下委員 ありがとうございます。

 大変お答えしづらいことを聞いてしまったのかなというふうに思うんですけれども、特に松本参考人、きょう聞いていて、あのときのことを思い浮かべながらお話をされているんだなと。私も、いまだに、例えば映画とかああいうところでヘリコプターの音を聞くだけで涙が出てくるんですよ。これは忘れられないというふうに思います。

 そんな中で、住まいがあって生きていけるというふうにおっしゃられました。心していきたいというふうに思います。

 そして、早川参考人は、心と行いは常識では矛盾しないはずだと。常識が何なのか、常識がどういうものなのかということは、私ども、改めてしっかりと考えていかなければならないなというふうに思いました。

 時間がなくなってきたので、もう一問、ちょっとお話をさせていただきたいんですけれども、先ほど、私、豊中というふうに言いました、私の出身というのか選出は。先ほど、これも橋本委員が質問をしていた中で、花巻空港に就航しているところが少ないと。私どもの地元にある伊丹空港は、花巻空港と就航都市、それ以外にも、東北でいうと、秋田、仙台、福島、青森、能代、三沢、こういったところと就航を結んでおって、いろいろな交流をしております。ですから、私は、そこの空港を使いながら皆さんのところへいつでも行ける。地域の、豊中市のみんなも、そういう形でどんどんどんどん行くような形にしていきたいと思うんです。

 そんな中で、私が今一番心配していること、避難されている方は帰還がこれから先どうなっていくか、それから、避難しているところが、これは原発の影響がある地域であろうが、そうでないところであろうが、大きな問題になっていると思います。

 例えば、この間、寄附金を持っていったところで、大槌町、ここも津波で被害を受けて、今防潮堤を整備しております。ただ、まだまだ更地が多いんですね。地元の方に聞いていると、なかなかそれは帰還しないよ、仕事をなかなかここで見つけられないしと。年がいった人は帰ろうというふうな意欲はあるけれども、現役世代、子育て世代はなかなか帰らないで、ますます高齢化が進んでいくんじゃないかというふうに言われています。

 そこで、これは阿部参考人、それから熊坂参考人、中村参考人にお聞かせいただきたいんですけれども、では、本当に人が戻ってくるためには何が必要なのか。今、生活インフラであるとかそういったものはだんだん整備されています。そして、原発地域においては除染をどんどん進めていこうとしています。ただ、本当にそれだけでいいのかどうか。これは日本全国にも考えられることですが、特に被災地には大きな問題だと思うんです。

 形は政府でつくっていけるかもしれない、でも、本質的にどうすれば人が戻ってくるか、これのヒントを少しでも御示唆いただければと思いますので、順番にお願いいたします。

阿部参考人 まず、震災ということからすれば、スピードだというふうに思います。

 東松島市では、野蒜というところがあります。ここは高台、岩山で、時間を要しています。この六月、来月、そして八月でやっと百七十戸の災害公営住宅が完成して、四百四十七世帯で終了となります。

 私は、今の御質問で、端的に申し上げれば、やはり生活再建。これまでの生活再建を見ますと、皆さんがみずから選んだ場所というのは駅のそばなんです。駅のそばであって、通勤通学、買い物、医療、そして公共施設がある、こういったところをお選びです。ですので、こういった条件、駅というのは鉄道なんですけれども、ですから、鉄道がなければどうするというのはありますが、そういったところが、家を失った場合、もう一回生活再建する場合、選ばれている土地。

 それから、私たちは現実的に人口が三千人減少しました。ほぼ野蒜です。やはりここは、日本三景、松島がよくて皆さんが移り住んだところです。ですので、早くというのはそこなんですね、やはり仙台圏に皆さん行かれましたので。

 私は、こういったところの防止としては、今後やはり交流人口から迫っていくしかないなと、結論は。そして、子供たちを安心して産み育てられるような、そういった女性、母親から支持されるようなまちづくりがこれから一つのポイントなのかなというふうにも実感しているところでございます。

 以上です。

熊坂参考人 私たち被災者、被災地も、自立に向けて最大限の努力をしてきております。しかしながら、どうにもならない部分というのはありますので、政府は、決して被災者、被災地を見捨てない、これからも応援していくというサインと政策をこれからもさらに強力に続けて出していくべきだというふうに思っています。

中村参考人 私も復興に携わって感じるのは、基本的には、被災者の皆さんが戻るには、やはりお住まいをしっかり整備する、それからなりわいの部分、やはりそこで生活していく上での何らかの糧を得ていかなければ生活ができないという部分があります。

 それから、あとは、人とのつながりというところが大きな側面になるのではないかなというふうに思います。特に、今回、震災から六年がたって、実は、岩手でも全国から支援の助けをいただきましたけれども、特に多くの皆さん、支援に入っていただいたその人たちとのまた新しいつながりができているというところがあるんですね。

 ですから、私は、地域の皆さん同士のつながりも大事なんですが、プラス、そういった外の人とのつながりを大事にして、それを広げていくことによってその地域の魅力度なり活性化を高めていく必要があるのではないかなというふうに考えております。

木下委員 ありがとうございました。

 時間をちょっとオーバーしてしまいまして、申しわけございません。ありがとうございました。

鈴木委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、参考人の皆様方にお礼を申し上げます。

 本日は、貴重な御意見を賜りまして、まことにありがとうございました。委員会を代表して心より感謝申し上げます。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    正午散会


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