衆議院

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第9号 平成19年3月2日(金曜日)

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平成十九年三月二日(金曜日)

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  平成十九年三月二日

    午後五時 本会議

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本日の会議に付した案件

 予算委員長金子一義君解任決議案(枝野幸男君外一名提出)


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    午後十時二十八分開議

議長(河野洋平君) これより会議を開きます。

     ――――◇―――――

加藤勝信君 議案上程に関する緊急動議を提出いたします。

 枝野幸男君外一名提出、予算委員長金子一義君解任決議案は、提出者の要求のとおり、委員会の審査を省略してこれを上程し、その審議を進められることを望みます。

議長(河野洋平君) 加藤勝信君の動議に御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

議長(河野洋平君) 御異議なしと認めます。

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 予算委員長金子一義君解任決議案(枝野幸男君外一名提出)

議長(河野洋平君) 予算委員長金子一義君解任決議案を議題といたします。

 提出者の趣旨弁明を許します。枝野幸男君。

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 予算委員長金子一義君解任決議案

    〔本号末尾に掲載〕

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    〔枝野幸男君登壇〕

枝野幸男君 私は、民主党・無所属クラブを代表して、ただいま議題となりました予算委員長金子一義君解任決議案について、提案理由を御説明いたします。(拍手)

 まず、案文を朗読いたします。

  本院は、予算委員長金子一義君を解任する。

   右決議する。

    〔拍手〕

 以下、その理由を説明いたします。

 予算委員長金子一義君は、昨年十月三日の就任に際し、「公正かつ円満な委員会運営を図ってまいる所存でございますので、何とぞよろしくお願いを申し上げます。」とあいさつを述べ、公正かつ円満な委員会運営を公約されました。しかしながら、金子一義君の委員会運営は、その言葉とは全く裏腹に、極めて不公正かつ強引なものと言わざるを得ません。

 以下、具体的にその理由を申し述べます。

 第一に、金子一義君は、女性は産む機械であるという暴言を吐き、閣僚としてはもとより、政治家としても失格であることが明らかになった柳澤伯夫厚生労働大臣、即刻閣僚を辞任すべきだとの国民の声を無視し、平成十八年度補正予算に対する与党単独審議、採決を強行しました。

 柳澤厚生労働大臣は、その後も、結婚して子供二人が健全、工場労働は労働時間だけが売り物などの問題発言を重ね、閣僚としての不適格性はますます明らかになっております。

 少子化問題等の集中審議の折にも、柳澤大臣と審議を、質疑をさせていただきましたが、柳澤厚生労働大臣は、マクロで物事を見るのはあるいはお得意なのかもしれませんが、厚生労働行政というものは、あるいは少子化社会対策というものは、マクロで物を見るだけでは決定的に不十分な世界であります。

 すなわち、厚生労働行政の担う分野というのは、障害を持った皆さん、あるいは病気になられた皆さん、年をとって現役を引退され、みずからの手で収入を得る機会、可能性が著しく小さくなっている皆さん、子供たち、いずれにしても、それぞれさまざまな事情を抱えている、それぞれに違った環境に置かれている、それぞれが個別に大きな大きな荷物を背負っておられる、そうした一人一人の皆さんがそれぞれの事情に応じてしっかりと人間らしく生きていく、そのサポートをするのが厚生労働行政であります。

 木を見て森を見ずという日本語もありますから、個別の問題に対応するだけで政治や行政ができるものだとは思いません。しかし、だからといって、マクロで整合性がとれている、マクロで金のつじつまが合う、こういう視点を優先して、特に厚生労働行政が進められるということになれば、それはその本来の役割放棄であると言わざるを得ないというふうに思っております。

 こうした一人一人の背負っているさまざまな事情というものに目が行っていない、光が当たっていない、そうした考え方の象徴的なあらわれとして出てきたのが、女性は産む機械発言であり、結婚して子供二人が健全発言であり、工場労働は労働時間だけが売り物発言である。いずれも、一人一人の国民を、一人一人の暮らしを見ていないという点で共通した発言であります。

 これは、もはや単なる失言というレベルには到底とどまることはできない。もちろん失言としても許されない失言でありますが、そもそもこうした厚生労働行政を担うこと自体が不適切である方が、みずからに全く適さないポストについているということにほかなりません。

 だからこそ、言葉の問題ということにとどまらず、いまだに、世論調査などを見ても、多くの国民の皆さんが柳澤厚生労働大臣はおやめになるべきであるという声が多数を占めているのではないでしょうか。(拍手)

 もう一点、私は、特にこの柳澤厚生大臣の適格性について、周産期医療を初めとする医療の現場、現実に全く鈍感で目を向けていないというこの状況についても、これまた産む機械発言と負けるに劣らない大問題であると指摘せざるを得ないと思っています。

 少子化問題等の集中的質疑の折に、私は、産科医師が減少している、外科の医師が減少している、それはなぜであるのかということを柳澤厚生大臣にお尋ねいたしました。そのお答えは驚くべきものでありました。出生数が減っている、ニーズが減っているから産科の医師は減っているのであるという答弁を堂々とこの予算委員会の議場において全国に向かって柳澤厚生労働大臣は発信をされました。

 全国の、まさに現場の産科医療を担っていらっしゃる医師の皆さん、あるいはその現場の実態を知っておられる関係者の皆さんから、私のところへはもとより、さまざまな場面で、産む機械発言もひどいけれども、それ以上にこの認識は厚生労働大臣失格ではないか、こういうたくさんの声が上がり、寄せられました。

 私は、その質疑の折にも、いわゆる福島県の大野病院事件という、現場の産科の医師、しかも僻地医療に携わるいわゆる拠点的な病院で、三百六十五日、二十四時間、たった一人の産科医師でリスクのある分娩、出産を担っていた医師が、大変お気の毒な事例で、亡くなられた方には哀悼の意を捧げますが、また御家族の皆様のお悲しみはこれは深いものだと思いますが、しかし、大変まれな事例、ケースの大量出血によって出産の折に母親が亡くなられたこの事件、私も医学の専門家ではありませんが、私ども専門家ではない者が勉強しても、大変レアケースであって、相当高度な医療技術を持った医師が処置をしたとしても、命を救えたとは思えない、そうした事象であるにもかかわらず、しかも、そうしたリスクの高い出産、分娩を担わなければならなかった、三百六十五日、二十四時間、たった一人の医師で広域にわたるそうした医療を担っていた医師を業務上過失致死で逮捕、起訴したという。これまた全国の産科医師が、何だこれはと。

 最善を尽くして、そしてまじめに、真摯に対応して、それでも医療の現場では人の命が失われていくことが多々あります。

 私は、決して医師の肩を持つつもりはありません。十数年前、私は逆に、医師がある意味で悪意または重過失と言えるような事象であるにもかかわらず、医師及び厚生省の責任が問われなかった薬害エイズ問題について、医師の刑事責任をしっかり問わなければならないということを強く国会の内外で主張をした立場であります。したがいまして、私は、医師が悪意を持って、あるいはいわゆる初歩的なミスによって、あるいは真摯に努力を尽くさずに、こうしたことで患者さんの生命あるいは健康を害する、こうしたことに対しては刑事、民事を通じて厳しく対処しなければならないという立場に立ちます。

 しかしながら、真摯に努力しても、まさに命を救えないケースというのは多々ある。特に産科、出産、分娩というのは、元気に子供が生まれてきて当たり前だと何となく私たちは思っておりますが、昔から、大変なリスクを背負って女性の皆さんは子供を産んでおられる。だからこそ、それを産む機械などと発言した柳澤厚生労働大臣の発言は問題なのでありますが、まさに命をかけての出産のときに、医師が最善を尽くしても、真摯に努力をしても、命を救えないケースがある。

 しかし、今、同時に、産科の医師が減っていて、一人一人の医師、医療現場に過酷な労働条件、勤務条件が課せられている中でも、それでも目の前の患者さんのために頑張っている現場の医師がたくさんいらっしゃる。そうした中で真摯に最善を尽くした医師が、民事で損害賠償請求をされるというのは、これは民民の関係ですからいろいろ事件は起こるでしょう。しかし、逮捕、起訴をするなどということでは、まじめに、特にリスクの高い医療にはとてもかかわっていられない、人の命にかかわらない、リスクの低い医療の方にどんどんどんどん現場の医師の皆さんが流れていっているのは当たり前ではないか、こういう現状があるということを指摘いたしました。

 こういう指摘をしたにもかかわらず、柳澤大臣の答弁は最後まで、産科の医師が減っているのは出生数、ニーズが減っているからだということにとどまり、まさに私が指摘をしている、一つには、特に僻地医療などに携わっている、いや、最近は僻地だけではない、都市部においてもどんどん産科が閉鎖をされている。そして、残った産科の医師は、大変多くの患者さんを少ない人数で抱えて、大変な、しかも、いつ出産、分娩というのは起こるかわかりませんから、三百六十五日、二十四時間対応をしておられるこの過酷な勤務状況。そして、最善を尽くし真摯に対応しても訴訟を起こされるかもしれない、逮捕をされるかもしれない、こうした訴訟リスクという問題。こうした問題が背景に横たわっているからこそ産科の医師が減少し、減少すれば減少するほど、ますます残った医師の皆さんに過酷な労働と訴訟リスクが加わっていく、こういう現実にあるということに全く目を向けない。これで厚生労働大臣が務まるのでありましょうか。

 現場の医師の皆さんから、この予算委員会の質疑の様子を見て、もはや医療崩壊、特に産科や外科などのリスクの高い医療については、枝野さん、もう崩壊をとめるという段階ではないんだ、崩壊をしているんだ、崩壊をした後の再建を今から考えておいてくれ、こういう声も上がっているほどであります。

 こういった状況に目を向けない厚生労働大臣、こうした厚生労働大臣を守るために、数の力に物を言わせた委員会運営を強行した金子予算委員長は、到底不適切と言わざるを得ないというものであります。(拍手)

 第二に、金子一義君は、平成十九年度予算案について、例年より著しく少ない審議時間であるにもかかわらず、委員長職権によって強引に質疑を終局させ、採決を強行しました。

 言うまでもなく、予算案は、国民生活に直結する最重要議案であり、与野党が納得するまで十分な議論を重ねることが必要不可欠であります。過去三年間を見ても、平成十六年度及び十七年度はそれぞれ七十五時間、平成十八年度は五十八時間にわたって野党が質疑を行っております。しかし、今国会においてはわずか四十七時間の質疑しか行っていない時点で、金子一義君は強引に質疑打ち切りを決めました。まさに、数の力に物を言わせた、初めに結論ありきの暴挙であり、国会を形骸化する蛮行以外の何物でもありません。

 第三に、金子一義君は、公聴会のあり方を見直し、国民各界各層の意見を予算審議に反映させるべきではないかという河野洋平議長の問題提起を全く無視し、公聴会における貴重な意見を予算審議に生かすこともなく、強引に審議を打ち切りました。

 とりわけ、経済財政諮問会議議員であり、日本経団連会長という要職にある御手洗冨士夫氏が、いわゆるその会長を務める関連会社において、偽装請負という違法行為を行っている問題について、公述人からも強く問題解決の必要性が叫ばれていたにもかかわらず、御手洗氏の参考人招致にも全く後ろ向きの姿勢でありました。

 公述人として来ていただいた、このまさに偽装請負の当事者である大野公述人の公述、意見陳述は、まさに心打たれるものでありました。七年余りにわたって、偽装請負と派遣との間を行ったり来たりさせられ、しかし、担っている仕事は、世界最先端のナノメートル単位の微細な技術を要するレンズをつくるという、まさに日本のものづくり、キヤノンの世界に誇る技術のものづくりの最先端のところを担っているいわば熟練工、エンジニアの方が、偽装請負、派遣という状況で、いつ首を切られるかわからない、さらには昇級もなくボーナスもなく、こうした状況の中で働き続けられている。

 私が心を打たれたのは、にもかかわらず、大野公述人は、自分はキヤノンが好きだ、そしてこの世界に誇る技術を担っていることを誇りに思っている、だから安心して働けるような状況にしてもらいたい、こうした趣旨のことを真摯に訴えられました。

 日本の経済を支えているのは、こうした大変過酷な労働条件のもとでも真摯に頑張っているものづくりの職人さんであり、エンジニアであり、あるいは中小零細企業の皆さんであります。

 御手洗氏は、みずからが会長を務めるキヤノングループで、相次いで偽装請負、派遣法違反を指摘されているにもかかわらず、経済財政諮問会議という公的な場において、今の請負法制が現実に合っていないから法律を変えろ、こういった意見を堂々と述べておられます。今の派遣法制で正社員にしろというのではもたないから、正社員にしなくてもいいようにしろというような趣旨のことを述べておられます。

 経済に対する意見の違いはあるでしょう。ですから、例えば、請負法制や、あるいは派遣法制について、私の意見は違いますが、意見が違うことはそれは結構です。しかし、みずからの足元で違法な行為をしておいて、そして経済財政諮問会議という公的な場に出てきて、自分のところの足元の違法行為を放置しておきながら、法律が合っていないから法律を変えろ、これは筋が通らない話じゃないですか。

 自分のところは、仮に現実に合っていない法律だったと百歩譲っても、それをしっかり守っていて、だから苦しいんだ、だから法律を変えてくれと言うならまだしも、全く倫理観に欠けているというか、何とも言いようのないめちゃくちゃな話であると言わざるを得ません。

 そもそも、御手洗氏を初めとして、この間、安倍内閣、小泉内閣が主に意見を聞いてきたと思われる経済人あるいは経済関係の皆さんからは、国際競争が厳しいから人件費、コストなどを抑えないといけないんだということを、繰り返しこの予算委員会の場でもおっしゃられてきております。

 私も、数年前、日本の経済の復興のためには三つの過剰、つまり、過剰な雇用、過剰な負債、過剰な設備、こうした三つの過剰に対して対処をしなければいけない、こういう立場でありましたし、今も、適正な国際競争をしていくために、国際競争はまさにコスト競争であるというふうに思っています。

 しかし、例えばこのキヤノンを初めとして、日本の大企業のこの五年間の利益分配の構造を見ると、国際競争でコストを削減しなければならないからというのは全くの虚構であるということが数字に明確にあらわれています。

 私が予算委員会での質疑の中でも指摘をさせていただきましたが、この間、大企業における利益分配は、例えば株主配当は二倍以上に伸びております。役員報酬も二倍近くに伸びておられます。ところが、従業員に対する、従業員一人当たりの分配はマイナスであります。

 国際競争でコストが大変だから例えば給与を伸ばせない、あるいは正社員にできないのではなくて、株主配当や自分たちの賞与を伸ばす金はあるけれども正社員にはできない、従業員の給料は減らしている、これが数字に明確に出てきています。日本の経済を支えてきた企業のモラルというものは、私はあべこべであったと思っています。

 これまた予算委員会でも指摘をさせていただきましたが、中小零細企業は今の景気が回復しておられると称するこの恩恵に全く浴しておりません。ですから、中小零細企業の皆さんの一人当たりの従業員所得もマイナスであります。しかし、中小零細企業においては、従業員の給与がマイナスになっている以上に役員報酬はより大きなマイナスになっています。

 私も、中小というほどでもない零細企業を営む父親を見て育ってきましたけれども、今も、大部分の中小零細企業は、そして恐らく日本の健全な経済成長をもたらしてきた時代は大企業も含めて、経営が苦しいときにはまずは経営者みずからが身を削り、それでもどうしても足りないときに、従業員の皆さん、我慢をしてください、これが日本の経済を引っ張り上げてきた健全な経営者の姿であると私は思います。

 もちろん、今も大企業の中にもそうした経営者の方はいらっしゃるでしょうが、少なくとも、どう考えてもそうしたモラルとはあべこべにいる方が、まあ、経団連の会長をしているのは経団連の勝手でありますけれども、経済財政諮問会議の議員という重要な、与党の皆さんでさえ意見を言えない、意見を聞けない、国会に出てこいと言っても出てこない、自分たちだけは安全地帯にいて物が言える、そして政策決定に影響を与えることができる、そんなポジションにいる、任命をする、これは、どう考えても日本の経営モラルを安倍総理は、内閣は破壊をしようとしているんだ、私はそう認識せざるを得ないのであります。

 当然のことながら、このみずからの足元で行っている偽装請負の問題、そして、まさにこの利益分配をどうしているのかという構造的な問題、今、日本の格差問題についてきちっと議論をするならば、そして経済財政諮問会議において偉そうなことをたくさんおっしゃっておられるならば、国民代表である国会の場に出てきていただいてきちっと意見を聞かせていただくのは審議の当然の前提ではありませんか。

 パトロンにはやはり人間は弱いようでありまして、何としてでもこの御手洗問題、キヤノン偽装請負問題だけは大きな問題にならないようにしようというこうした姿勢が余りにも露骨であり、また、そうした与党の姿勢に乗って参考人質疑も行うことなく採決を行ったことは甚だ遺憾であり、委員長として不適切であると言わざるを得ないのであります。(拍手)

 第四に、金子一義君は、政治と金の問題について予算委員会として何ら取り組む姿勢を見せないまま強引に審議を打ち切りました。

 国民に対して全く説明責任を果たさないまま辞任した佐田前内閣府特命担当大臣について、参考人招致を実現しようともしませんでした。法的に問題があるというような趣旨のことをおっしゃっておやめになっているようでありますが、予算委員会の議論の中で明らかになったように、政治資金収支報告書は訂正をされておりませんでした。違法な状態が放置をされているのでありましょうか。違法なおそれがある状況だとすれば、そのことについてはしっかりとその措置をする必要があるのではないでしょうか。何か怪しいことがあったということだけでうやむやにしていいんでしょうか。当然のことながら、しっかりと国民の前で説明責任を果たす、やめれば済むという話ではないということを指摘しておかなければいけないと思います。

 伊吹文部科学大臣及び松岡農水大臣の事務所費についても、実態を明らかにしようとはしませんでした。我が党の小沢代表は、逃げも隠れもせず、堂々と事務所費の詳細を公表いたしました。これに対して、佐田前大臣、伊吹、松岡の両大臣は、ひたすら逃げの一手であります。

 政治資金規正法という法律は、規正のセイの字が、制限、制度の制ではなくて、正すという字であります。つまり、中身が正しいかどうかということについて、行政がチェックをするのではなくて、国民の皆さんに見ていただいて、それが適切であるのかどうかを判断する、これが政治資金規正法の趣旨であります。

 だからこそ、我が党の小沢代表は、国民の皆さんの一部から中身がどうなっているんだろうなという声があったのにこたえて、きちっと説明責任を果たしたのであります。

 松岡、伊吹両大臣は、予算委員会の場で何度も何度も、やましいことはない、適正、適法に処理をしているとお答えになっていますが、だれが適正と判断しているのかといえば、自分の事務所の人間であります。本当に正しいと自信を持っておられるならば、国民の皆さんにお見せをして、ほら、正しいでしょう、問題ないでしょう、これが一番だれにとってもハッピーなことじゃないですか。

 伊吹大臣だったでしょうか、政治活動の自由に影響するような趣旨のことをおっしゃっていましたが、まずそもそも、そこの部分のところで、事務所費の認識を私は間違えているんじゃないかと思います。

 事務所費というのは経常経費であります。政治活動費とは別の経常経費であります。もちろん、経常経費でも、年によってふえたり減ったりすることはあります。選挙が近くなったから事務所をふやしましたとか、車をふやしましたとか、そういうことはあるでしょう。しかしながら、まさに、車をふやしたり事務所をふやしたり、皆さんの前にオープンになる、見える話でありますから、それを公開したから政治活動の自由が妨げられるというのは、私には全く理解できない理屈なのであります。

 どうも伊吹大臣の答弁を聞いておりますと、本来政治活動費に計上をするべき支出が経常経費である事務所費に計上されていたという疑いが、御答弁からますます濃くなったと言わざるを得ません。

 繰り返しますが、本当に問題ないなら、公表して、国民の皆さんに見ていただいて、民主党はいろいろ言っていたけれども、何も問題ないじゃないか、これで話は済むんです。にもかかわらず、何だかんだと理屈をこねて公表に応じないというのは、やはり後ろめたいのかなと思わざるを得ないのが普通の感覚ではないでしょうか。

 にもかかわらず、この疑惑隠しを幇助しているのが金子予算委員長であると言わざるを得ない。この点からも、予算委員長としては適切ではないと言わざるを得ないと考えております。(拍手)

 次に、本日、採決と称するものをしたようでありますが、その採決と称するもののこの議事にも重大な瑕疵があったと言わざるを得ません。

 本日の採決と称するものの前には、共産党から予算の組み替え動議が出ておりました。当然のことながら、金子委員長は、まずこの共産党提案の組み替え動議について賛否を問いました。私は委員長席の隣から見ておりましたが、どなたとは申し上げませんが、自民党の大物の委員の方の号令に従って、自民党議員のほとんどの方がこの共産党提出の組み替え動議に起立をしておられました。

 私は、遺憾ながら、共産党提出の組み替え動議の内容にも賛同できる立場ではございませんが、議事運営の適正ということを考えれば、我が党としては賛同できない共産党提出の組み替え動議でありますが、自民党の皆さんの賛成多数であった以上は、可決をされたという議事がなされたと理解をするのが議会制民主主義であります。

 したがいまして、予算委員長からは、議長に対して、この組み替え動議についての処理について御報告がなされなければならないのであって、当然、組み替え動議が可決されたにもかかわらず本案の採決をしたというのは、わけのわからない議事運営であります。(拍手)

 さらに申し上げます。

 予算委員会第五分科会の副主査でありました自由民主党の河井克行議員は、我が党の仲野博子議員及び長妻昭議員両名の分科会における質問を妨害するという、副主査としてはもとより、議会人としてもあるまじき行為を行いました。理事会等において遺憾の意は示されましたが、予算委員長として、これに対する厳しい処置、処分はいまだなされておりません。

 分科会において議事が妨害をされたという瑕疵を残したまま、それについてのけじめもつけないまま予算案を採決するというのは到底、まさに数の力に物を言わせて言論を封殺しようという民主主義に対する重大な挑戦というべき暴挙であります。

 河井克行君の行為も厳しく糾弾されるべきでありますが、結果的にこれを黙認することになった金子委員長の態度は、まさに委員長としての職務放棄であると言わざるを得ません。(拍手)

 そもそも、小泉・安倍内閣、一貫をして改革、改革と唱えておられます。私も、この国には改革が必要であると思います。しかしながら、時代認識、歴史認識をしっかり持たずに、ただ何となく変えなきゃならないから変えるという大変表面的な改革と称するものが、この間、繰り返されていると言わざるを得ません。

 なぜ、今この国で改革が必要であるのか。私は、二つの意味で大きな歴史的な見地、転換期にあるからであると考えております。

 よく、戦後六十年たってという話がありますが、私は、戦後六十年だからということ以上に、今、この国が置かれている状況は、明治維新から百三十年余が経過をして、明治維新によってつくられた政治、経済、社会の構造がもたなくなったというふうに理解をすべきではないかと思っています。

 現行憲法について、これは戦後憲法で、戦前の大日本帝国憲法とは全然別なものだという間違った理解をしていらっしゃる方が世の中に多々おられるようであります。もちろん、天皇制について、そして軍に関するところ、これは大きく違っています。

 しかし、憲法というのは公権力行使のあり方を決める法であります。つまり、統治機構の権限と仕組みを決めるという憲法の本質部分を考えたとき、現行憲法と大日本帝国憲法とは大変連続性が強いという認識をしっかりと持たなければいけません。

 大日本帝国憲法以来、我が国の憲法構造は極端な中央集権構造であり、残念ながら、日本国憲法においてもその構造は何も変わっておりません。残念ながら、現行憲法にアメリカ合衆国の知識が、さまざまな形で影響を受けた、私はそのことを肯定的に受けとめる立場でありますが、アメリカ合衆国においては、もともと合衆国でありますから分権が当たり前だったんでしょうね。ですから、日本国憲法において分権の規定も、アメリカのように合衆国で分権をされている、こういう構造が当たり前だと思われたのでしょう。結局、すべてを法律にゆだねている、これが現行憲法の分権規定であります。

 法律というのは国会で決めます。国会というのは中央政府であります。つまり、中央政府にどういう分権をするのかを白紙委任しているというのは、大日本帝国憲法の時代と同じ中央集権の構造であります。

 もう一つ、大日本帝国憲法と日本国憲法が連続性を持っている、それはまさに統治システム、行政システムであります。

 議院内閣制という枠組みだけにとどまらず、現行憲法においては、「行政権は、内閣に属する。」とだけ書いてあります。例えば、現実に現場で徴税権限を行使している税務署の職員の皆さん、警察権限を行使している警察官の皆さん、こうした皆さんには憲法上行政権はありません。行政権のあるのは内閣、大臣だけである、これが現行憲法であります。

 行政を実際に担っている、いわゆる官僚システムが憲法上何ら規定をされていない、位置づけをされていない。結果的に、戦前のシステムと同じように、官僚システムは民主主義と別に独立して行動している。

 本来は、議院内閣制のもとで、民意を背景にした国務大臣が国民の代表として官庁をしっかりとコントロールするということが現行憲法でも期待をされていたのかもしれませんが、現実には、国務大臣は国民の代表として官庁をコントロールするのではなくて、あくまでも官僚システムの上に乗っかった長と、霞が関の側から国民を見る側に変わってしまっている。しかし、その霞が関は、現行憲法上、何の位置づけもされていない存在なのであります。まさにこうした官僚主導システムは、大日本帝国憲法と全く構造は一緒であります。

 戦前の大日本帝国憲法においては、統帥権の干犯というものがいわば日本を破滅に導いた一つの大きな憲法上の問題でありましたが、同じように、何らの民主的なコントロールも受けない、まさに霞が関の統帥権の独立が戦後六十年間続いてきているのであります。

 まさに、こうした戦前以来、つまり明治維新以来続いている中央集権官僚主導システムが百年単位のレベルで時代に合わなくなっている、だから今改革が必要なんだ、こうした歴史的な分析や見地というものは、この間、違う意見でも結構ではありますが、全くと言っていいほど聞かれたことはありません。

 明治維新の折に、私たちの国は、欧米列強に追いつき追い越せ、富国強兵、殖産興業という国家としての目標、命題を掲げました。あの時代において、私たちの先人たちは正しい選択をしてくれたのだと私は思います。まさにアジアの多くの国が欧米列強の植民地になる中で我が国が独立を維持してくることができたのは、あのとき、富国強兵、殖産興業、欧米に追いつき追い越せということで、急激な社会変革、行政、政治変革をなし遂げたからにほかなりません。それはまさに、軍事的にも経済的にも欧米との格段の差がある中で、この欧米という目標に向かってより早くキャッチアップしていくために何が必要なのか、それは中央集権と官僚主導システムが合理的であった、私はそう思います。

 なぜならば、まさに、キャッチアップのためには目標があります。よく、日本国憲法をアメリカの押しつけであるなどと言って批判をする方もいらっしゃいますが、大日本帝国憲法もプロシア憲法をかなりの部分引き写したものでありますし、戦前の民法も刑法も、ドイツ法やフランス法を導入したものであります。郵便制度もヨーロッパから導入したものであります。欧米先進国のさまざまな目標モデルというものを日本にいち早く取り入れ、それをそしゃくし、我々のものにしていく、これが明治維新のときに欧米列強に追いつくために私たちの先人たちが選択をした道であります。

 モデルがあり、そのモデルをいち早く学び、それを日本全国津々浦々に行き渡らせる、このためには官僚主導、中央集権というシステムが合理的であることは、皆さんも直観的にもお認めをいただけるのではないかと思います。まさに、例えば明治時代、外国語ができるほんの一握りのいわばエリートと言われる人たちが、外国を見、外国の文献を読み、それを日本に導入をする。まさに一部のエリートの人たちに頑張ってもらって、外国の知見を広め、日本に取り入れて、そしてそれを日本の津々浦々に行き渡らせるためには、中央から地方に対して指示、指令を出して、それに従ってもらう、こういうやり方がまさにキャッチアップ型社会においては合理性を持っていたのであります。

 明治維新から、私たちの国は、こうした欧米キャッチアップを中央集権、官僚主導で進めてまいりました。その途中プロセスにおいて、軍部の暴走という、残念ながらイレギュラーな事態があって、一たんは挫折をしました。富国強兵のうち、強兵を放棄をして、富国に集中をして戦後六十年間を歩んできた。そして、まさに日本はその富国をなし遂げた。明治維新のときに先人たちが目指した、考えた欧米列強に追いつくんだという目標を、私たちの先人たちはまさになし遂げたのであります。

 問題は、まさにここで生じた。これまでは、欧米列強という私たちのモデルがあり、目標があった。そこに追いついていくんだということで私たちの社会は頑張ってきた。ところが、そのレベルに追いついてしまった瞬間に、私たちは、今まで正しいと思っていた、合理性を持っていた社会システムが、行政システムが、政治のシステムが、今度は合理性を失うということになった。それが、私は、ここ二十年ぐらいの日本の置かれている構造ではないかというふうに認識をいたしております。

 ですから、戦後六十年たったからとか、グローバル化がどうこうとか、そういった皮相的な話ではないんです。我々が明治維新のときにつくり上げたこの国の形を根本的に組み立て直す、そうした大がかりなまさに改革が必要なのにもかかわらず、郵便局のシステムをどうするだとか、そんなレベルのことが改革の名に値するとは、私には到底思えません。

 ここから先はそれぞれいろいろな意見があるかもしれませんが、まさに、一つのモデルがあり、目標がありという中で伸びてきた日本、世界のトップレベルに立った、そうしたときに、次に私たちの国は何を目指していくのか、それは、まさに徹底した分権しかないというふうに思っています。

 今までは、モデルがあり、そのモデルに従って頑張ればみんなよくなっていった。しかし、まさに世界のトップレベルに立った日本は、例えば、北海道でも東京でも沖縄でも新潟でもできることは、恐らく、中国でもベトナムでもできる蓋然性が非常に高いという状況の中にあります。地域ごとに、例えば、北海道なら東京ではできないことをやらなければいけない、東京も北海道や沖縄ではできないことをしなきゃいけない。そうしないと、まさに、後から追いかけてくる国との競争に到底勝ち抜くことはできない、こういう構造にあります。

 そしてもう一つは、まさに、これまで豊かになろうということについては、社会全体で、ある意味で共通の目標として持つことができたと思います。まさに私の生まれる前の時代でありますが、終戦直後の貧しかった時代、あの時代の先人たちの話、あるいは書物などを聞けば、あすの食べ物にも困る、こういう状況の中では、まさに、腹が減っているときに腹いっぱい飯が食いたいというのは、だれでも同じように持つ欲望、欲求であります。まさに、腹いっぱい飯を食いたいという、そのことが目標であった時代だからこそ、国家を挙げて腹いっぱい飯を食う、つまり、経済成長という共通の目標を持つことができたのであります。

 もちろん、今、格差という問題で、そのみんなが腹いっぱい飯を食えるという構造が崩れかけているという問題は生じていますが、そうはいっても、腹いっぱい飯が食えるという状況になったその先に、果たして、一億三千万人が共通して持てる目標や希望というものが存在すると考えること自体が、私はナンセンスだと思います。

 腹いっぱい飯が食える後に何があるのか。それは、お金もうけをしたい人もいるでしょう、家族との時間を大切にしたい人もいるでしょう、ボランティアなど社会奉仕に使命感を感じる人もいるでしょう、名誉を重んじる人もいるでしょう。まさに、腹いっぱい飯を食うという、人間として共通の欲求、欲望というものが満たされた次の段階では、各人各様が目指すべき目標そのものが一人一人違ってくる、これが健全な社会なのであります。

 一人一人の目標が多々違っているという状況の中で、中央集権の統治システムというものが対応力を持たないのは当たり前であります。まさに、より暮らしに身近なところに、一人一人の暮らし、一つ一つの家庭、そうしたところに、より身近なところでさまざまなものが決定をされていく、あるいはそこに参加をしながらみんなで決めていく、こうした社会構造をつくっていかない限りは、多種多様な国民のニーズというものに政治や行政が対応できるはずがないのであります。

 しかし、残念ながら、こうした本質的な意味での地方分権という議論を、小泉内閣においても、安倍内閣においても聞くことは全くできません。しょせん、例えば、地方交付税をどうするとか、補助金の額をどうするとか、ちょっとした権限をどう変えるとか、さらには、地方自治体、特に中間自治体である都道府県を道州にするとか、道州制を私は否定はいたしませんが、より大切なのは、より国民生活に身近な基礎自治体が十分な権限と財源を持ち、それぞれの地域の事情とそれぞれの地域に住む一人一人の国民、一つ一つの家庭生活、そうしたところにきめ細やかに対応できる社会構築をしていく、これこそが本当の意味での分権なのではないでしょうか。

 こうした問題意識が明確に示されないままで、まさに、最初に柳澤厚生労働大臣のマクロの問題をいたしましたが、ここでは、しょせん金勘定のつじつま合わせのことで分権の話を議論していても、本当の意味での社会変革には到底ならないということを言わざるを得ないと思っています。(拍手)

 もう一点、私は、この国が四百年周期ぐらいで起こっている社会構造の大きな変革期にあるのではないかと思っています。

 ちょうど一六〇〇年前後に徳川幕府ができました。徳川幕府ができる前はいわゆる武士の時代でありました。武士の時代が本格的に始まったのは、この徳川幕府の成立からさかのぼること約四百年、鎌倉幕府の成立であります。鎌倉幕府の成立から約四百年ほどさかのぼりますと、今度は平安朝ができました。

 平安朝以来のまず最初の四百年において、日本における権力の源泉は何であったか。それは、皇室、天皇との血縁関係というのが権力の源泉であるという貴族政治の時代が我が国において四百年ほど続きました。

 しかし、四百年たって、天皇家との血族関係というものだけが権力の源泉ということではもたなくなって、鎌倉幕府ができて、武士の時代に移ります。武士の時代というのは、要するに土地の所有と結びついた武力、これが権力の源泉であります。こうした時代が約四百年続きました。

 そして一六〇〇年、徳川幕府ができました。徳川幕府も幕府で、武士の政治ではないかと認識される方もいるかもしれませんが、徳川幕府ができ、実は何が起こったのかといえば、武士は農地と切り離され、また武力の行使も行われず、本来の権力の源泉である土地と結びついた武力というものから切り離されました。そのかわりでき上がり始めたのが官僚システムでありました。まさに、この徳川幕府以来の四百年の日本というのは、官僚システムというシステムが権力を持つ、こういう時代であったというふうに思います。

 たまたま四百年周期ではありますが、そこから四百年たち、この官僚システムというシステムが、システムとして権力を担う、握るというこの社会構造がもはや限界を迎えているという認識を私たちは持つべきではないのか、私はこんなふうに思っております。

 では、官僚システムにかわる新しい権力の源泉とは何であるのか。そして、まさにこれこそが民主主義の社会において私たちが最も意識しなければならない、そしてそこがゆがんだ形にならないようにしていくことが我々の役割であると思います。

 私は、整理の仕方が正しいかどうかは別として、まさにこれからの時代、権力の源泉は情報ではないかというふうに思っています。

 まさに、ここ最近、情報通信分野の急速な進展、これは目先で株が上がってもうかるとかというレベルの話ではありません。今まで、情報を握り発信することがごく一部の人たちだけに限られていた。例えばメディアといっても一部の人たちでありますし、ほとんどの情報はまさに官僚システムが独占をしております。

 しかし、まさにインターネットなどを初めとする情報通信の進化によって、情報を集めるのも発信をするのも、ある意味ではだれでも自由にできる可能性が生じてきました。だからこそ、情報を隠さなければならない立場の人たちは、先ほどの伊吹大臣や松岡大臣ではありませんが、情報を徹底的に隠さなければならなくなっているのでありますけれども、まさに、この情報をだれが握ってコントロールするのかということがこれからの時代の権力の源泉ではないか。

 そして、まさに民主主義とこれを両立させるためには、情報の管理、コントロールというものを一部の人たちの独占にゆだねてはいけない。国民の間で広く情報を交流させる。もちろん、私も時々されていますが、メディアなどによって間違った報道などによって被害を受けるということなどは防がなければいけませんし、ネット上の言葉の暴力なども防がなければいけません。しかし、その余り情報を握るという権力が一部の人たちに独占をされるということになれば、形だけは民主主義であったとしても、その実体を伴わないものになっていってしまうでありましょう。

 こうした、これからが情報であるということについては、先のことでありますので、いろいろな見方があるかもしれませんが、しかしながら、これぐらいの大きな歴史的な認識、理解を持って今改革が必要なのだとおっしゃっているんでしょうか。目の前の、今財政赤字で金が足りないから改革、改革と言って何とか増税をさせてもらおうとか、中央政府の金が足りないから分権、分権と言って地方にその借金を押しつけようとか、そうしたお金のつじつま合わせが改革であるはずがない。

 まさに、こうした上っ面の改革に支えられた政権のもとで予算の審議がこうした形でゆがんで進められている、それを見逃している金子委員長の責任は重大であると言わざるを得ないと考えるものであります。(拍手)

 さらに申し上げますと、こうした大きな話だけではなくて、では具体的な各論のレベルでも、本当に改革は進んでいるのでありましょうか。国民の皆さんが、改革という言葉で小泉内閣が登場したときに期待をしたものは何でありましょうか、何だったのでありましょうか。

 私も、実は、この本会議場で小泉内閣成立直後の代表質問に立たせていただきまして、本当にと三回ぐらい念を押しましたが、本当に改革をするならば私は党派を超えて協力をしたいと申し上げました。しかし、その本当にする改革ということの期待は、一カ月ぐらいで残念ながら裏切られました。実際に五年間なさってきたことは、そもそも焦点の当て方からして国民の期待をしているものとはずれていたと言わざるを得ません。

 私は、国民の皆さんが改革という言葉で期待をした一番は、税金の無駄遣いをやめさせてくださいよ、これこそが国民の皆さんの期待をした改革の一丁目一番地であったと思っています。

 小泉内閣は、二つの改革をされたと言って胸を張っておられるようでありますが、郵政民営化、道路公団民営化は、高速道路料金やあるいは郵便料金などについて、将来あるいは国民にプラスがあるかもしれません、百歩譲って言えば。しかし、税金の使い方、使われ方という観点からはどちらもピント外れであるということは、少し税金の使われ方、予算の審議をまじめに考えていればわかる話です。

 もともと道路公団には一円の税金も使われてこなかった。もともと郵便局には一円の税金も使われてこなかった。もともと税金が使われていないところを幾ら改革しても、税金の無駄遣いが減るはずがありません。

 あえて郵便局について言えば、郵便局で集めたお金が、昔の財政投融資という形でおかしなところに流れていっているという金の出のところを改革するというならば、税金の使い方、使われ方に結びついていく話でありましょう。しかしながら、そこのところはむしろ後回しというのでは、税金の無駄遣いの節約にどこでなるのでありましょうか。

 道路公団に至っては、税金の無駄遣いを減らすどころか、今まで税金を使わなかった高速道路の建設に新たに税金を使う、どっち向いているんですか、こういう話になってしまっているのであります。まさに改革が看板倒れ、ピント外れであったということは、この点からもはっきりとしていると私は思います。

 そうした間違った改革の延長線上にある本年度の予算審議において、こうした真摯な議論を途中で遮って採決をした金子委員長の責任は重大であると言わざるを得ません。(拍手)

 さらに申し上げますと、税金の無駄遣いはどこに根源があるのか。金額的にも質的にも、私は、最大の税金の無駄遣いは高級官僚の天下りに根っこがあると言わざるを得ないと考えております。

 そもそも、わけのわからぬ、特殊法人が独立行政法人になり、独立行政法人もチェックの目が厳しいとなったら公益法人を使い、さらには株式会社形式も使い、さまざまな形の天下り団体が雨後のタケノコのように多々存在をしております。

 その中には、もちろん、高級官僚の皆さんが天下りしている組織の中にも、天下りは別とすれば、いい仕事をしているところもあるでしょう。しかしながら、その中には、天下り官僚がピンはねをするためだけに存在をしている、役所から仕事を随意契約などで発注を受け、そしてその仕事をそっくり民間に丸投げをする、やっていることはピンはねだけという天下り団体が幾つも指摘をされております。

 まさに、このピンはねされている部分は、税金の無駄遣い以外の何物でもないではないですか。初めから民間企業に丸投げができるんであれば、民間企業に発注をすればいいだけの話じゃないですか。

 さらに言えば、いわゆる談合の問題。

 民間企業が民間企業だけで集まって談合をする、これももちろん違法な行為であり、許されない行為であります。しかし、我が国において特に談合が問題にされるのは、これに官が絡んでいるから、官製談合であるから、天下りのための談合であるから構造的に深刻なのであります。

 この間、摘発されてきている談合において、まさに天下り官僚がそれを差配していた、コントロールをしていた、あるいは、天下りをどれぐらい受け入れているかによって、その談合における配分が決まっている、こうした報道は、まさにこれまた次から次へと指摘をされているではありませんか。まさに、この天下り官僚のために談合で食い物にされている税金、無駄以外の何物でもないじゃないですか。

 私は、地元の演説などでは、車の通らない無駄な道路はやめようとか、船の入らない無駄な港はやめようとか言っていますが、あえて言えば、車の通らないとは象徴的な話で、五台や十台は一日に通るんだとすれば、その五台や十台にとっては無駄じゃないかもしれない。しかし、まさに、官を、天下りを食わせるためだけのこうしたお金は、国民からすれば、無駄以外の何物でもないのであります。

 公共調達等で談合、天下りによって食い物にされている税金は、国、地方を合わせると十兆円を超えるとも言われています。この間、小泉・安倍政権で進めてきた増税分のお金ぐらいは幾らでも出てくるんです。

 ところが、この談合の温床、天下りについて安倍内閣はどういう方針であるのか。押しつけ的な天下りはだめだ。だれも押しつけられた側が押しつけでございますだなんて言うはずがないじゃないですか。だから押しつけなんですよ。力関係が違っていて、天下りを受け入れないと仕事がもらえない、天下りを受け入れないといろいろな許認可がもらえない、こういう弱い立場にあるからこそ押しつけられるんですよ。その押しつけられた側が、これは押しつけでございますだなんていって声を上げられますか。まさに、人間社会を知らない方々でつくっているんだな、考えていらっしゃるんだなと私は言わざるを得ないと思っています。

 また、天下り先で変なことをやったら重く処罰します。これまた全くナンセンスな話でありまして、例えば談合、談合は今でも違法であります、違法だから摘発をされています。摘発をされても、懲りずに次から次へと行われている。それは、こうした犯罪の特徴に原因があるからです。

 つまり、そもそもにおいて密室犯罪なんです。当事者、関係者以外が犯罪に関与しない、当事者、関係者以外は犯罪の起こったこと自体を認知しない、そういった種類の犯罪が例えば談合などの犯罪なのであります。

 だから、摘発を、例えば公正取引委員会や検察庁が頑張っても、摘発できるのは氷山の一角なんです。それはもう構造的にそういう犯罪なんです。全部取り締まれといったってできないんです。だから、この手の問題は、起こってしまったのを摘発して処罰する前に、起こせないような構造をつくることが大切なんです。

 現に、天下り官僚が絡んだ談合が摘発されても、次から次へとまた繰り返されるじゃないですか。重く処罰されているんですよ、今でも談合になれば。重く処罰するからそれで防げるんだというのは、これまた現実を全く見きわめない、ナンセンスな話であると私は言わざるを得ない、こんなふうに思うのであります。

 こうした、まさに根本的なところで、税金の無駄遣いにメスを入れようとしないどころか、むしろ天下り天国を助長するような議論が堂々と行われている。この点についての審議も十分に果たされないまま採決を強行した金子委員長の責任は重大であると言わざるを得ないものであります。(拍手)

 少し予算委員会で問題になった個別案件をもとに金子委員長の責任について明らかにしてまいりたいと思っております。

 一つ目には、沖縄科学技術大学院大学のさまざまな公共事業についてであります。

 この白雲荘と称するんでしょうか、その改修工事に当たっては、まさに不自然な分割発注がなされました。入札で受注業者を決めたと言いながら、そのわずか一カ月後にはその一体不可分の部分が今度は追加発注されて、だけれども、一体不可分だから随意契約だ、またその一カ月後には同じことが起こって随意契約だ、こんな不自然なことが明るみになりました。

 我が党の原口委員や大串議員が繰り返し内閣府等に対して説明を求め、資料の提出を求めてまいりましたが、何度も何度も証言は転々といたしました。なぜ分割されたのか、なぜこんな発注の仕方になったのか、国会で堂々と答弁したことが、一夜明けたらころっとまた違う理由を言ってくる。このけじめと責任はどうなるのでありましょうか。

 さらには、では資料を出せと。現場の与党の理事も、この資料を出せということについては一定の努力を払っていただいたことについては評価をいたします。しかしながら、現実に内閣府が出してくる資料は、まさに小出しに小出しに小出しに、具体的に挙げないと、趣旨でわかるだろうという話も隠す。いまだに必要な資料はすべて出てきておりません。

 内閣府、そしてこの独立行政法人の情報隠しをそのまま放置し、これにけじめをつけないまま採決をしたというのでは、とても予算の審議が尽くされたというわけにはいかないというふうに指摘せざるを得ないものであります。

 ことしの予算においては、三歳未満の子供の養育者に対する児童手当を、第一子、第二子について、これまでの月額五千円から一万円とする提案がなされております。

 しかし、このために新たに必要となる財源は一千六百五十億円かかります。国が二百六十億円、地方が五百七十億円、事業主が八百二十億円であります。

 国の負担分は、中高年の離職者対策として積み立てた緊急雇用創出特別基金の剰余金を活用するとしています。しかし、基金剰余金は二〇〇八年度に国庫返納予定であり、それを財源として流用することは、根拠が不明確であります。

 また、地方負担分は、地方交付税の上乗せを行う方針と聞いておりますが、こうした財源措置は二〇〇七年度に限った措置で、恒久的な財源確保措置がなされたとは到底言えるものではありません。場当たり的で、その場しのぎの対策であります。

 第一子から第三子で支給額に差があることの必然性をどう説明するのか、あるいは小手先だけの経済的支援が少子化対策として効果があるのかも疑問であります。こうした問題についての質疑もまだまだ不十分であり、にもかかわらず採決をした委員長の責任は重大であると言わざるを得ません。(拍手)

 先ほど、天下りの問題を指摘させていただきましたが、さらに具体的に、天下りではこの予算委員会でわけのわからないことになっております。

 これまで政府は、役所が企業に天下りをいわゆる押しつけた事例はないと言ってこられました。ところが、この国会の中で、総理を初め、押しつけ的な天下りは根絶すると言っています。今までないと言っていたものをどうやって根絶するのか、予算委員会の中でも質疑がなされましたが、どう説明を聞いてもわけわかりません。ないものを根絶するだなんということはどうやってできるのか、ちゃんとした説明もしないで予算を採決するというのは、まさにこれ、天下り改革は与党も一種の改革の目玉だと言っているところなので、その目玉のところが幽霊みたいな話で、どうやって予算を採決するんでしょうか。この点においても、これで採決をした予算委員長の責任は重大であると言わざるを得ません。(拍手)

 分権について。

 安倍内閣は地方分権を掲げておられますが、看板倒れ、数字合わせにすぎなかった小泉内閣の三位一体においても、一応は数値目標を掲げておりました。

 これに対して、安倍内閣は、数値目標はおろか、地方分権について何をするのかを示すことなく、何かやたら会議とか担当大臣はつくったようでありますが、どういう分権をするのか幾ら国会で聞いても、これまたわけがわからない。どういう分権をするのか示していただかなきゃ審議のしようがないわけでありまして、そんな状況のままで予算の採決をしたということも、これまた私たちとしては到底納得できるものではなく、にもかかわらず採決をした委員長の責任は重大であると言わざるを得ません。(拍手)

議長(河野洋平君) 枝野君に申し上げます。

 本日は時間の関係上この程度にとどめ、明三日午前零時十分から本会議を開き、本日の議事を継続することといたします。枝野君の発言は、あすの会議において継続させることといたします。

 本日は、これにて延会いたします。

    午後十一時五十一分延会


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