衆議院

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第5号 平成14年11月8日(金曜日)

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平成十四年十一月八日(金曜日)
    午前九時十分開議
 出席委員
   委員長 山本 有二君
   理事 佐藤 剛男君 理事 塩崎 恭久君
   理事 園田 博之君 理事 棚橋 泰文君
   理事 加藤 公一君 理事 山花 郁夫君
   理事 漆原 良夫君 理事 石原健太郎君
      太田 誠一君    岡下 信子君
      上川 陽子君    左藤  章君
      下村 博文君    中野  清君
      平沢 勝栄君    保利 耕輔君
      松島みどり君    保岡 興治君
      柳本 卓治君    吉川 貴盛君
      吉野 正芳君    鎌田さゆり君
      小林 憲司君    仙谷 由人君
      日野 市朗君    平岡 秀夫君
      水島 広子君    山内  功君
      石井 啓一君    藤井 裕久君
      木島日出夫君    中林よし子君
      植田 至紀君    徳田 虎雄君
    …………………………………
   法務大臣         森山 眞弓君
   法務副大臣        増田 敏男君
   法務大臣政務官      中野  清君
   最高裁判所事務総局総務局
   長            中山 隆夫君
   政府参考人
    (内閣審議官
    兼司法制度改革推進本
    部事務局長)      山崎  潮君
   政府参考人
   (法務省大臣官房司法法制
   部長)          寺田 逸郎君
   政府参考人
   (文部科学省高等教育局長
   )            工藤 智規君
   参考人
   (京都大学法学研究科教授
   )            田中 成明君
   参考人
   (早稲田大学法学部教授) 戒能 通厚君
   参考人
   (日本経済新聞社論説委員
   )            藤川 忠宏君
   参考人
   (日本弁護士連合会副会長
   )            井元 義久君
   参考人
   (早稲田大学法学部教授) 奥島 孝康君
   法務委員会専門員     横田 猛雄君
    ―――――――――――――
委員の異動
十一月六日
 辞任         補欠選任
  不破 哲三君     矢島 恒夫君
同日
 辞任         補欠選任
  矢島 恒夫君     不破 哲三君
同月八日
 辞任         補欠選任
  左藤  章君     上川 陽子君
  横内 正明君     岡下 信子君
  鎌田さゆり君     小林 憲司君
  不破 哲三君     中林よし子君
同日
 辞任         補欠選任
  岡下 信子君     横内 正明君
  上川 陽子君     左藤  章君
  小林 憲司君     鎌田さゆり君
  中林よし子君     不破 哲三君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 政府参考人出頭要求に関する件
 法科大学院の教育と司法試験等との連携等に関する法律案(内閣提出第二号)
 司法試験法及び裁判所法の一部を改正する法律案(内閣提出第三号)


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     ――――◇―――――
山本委員長 これより会議を開きます。
 内閣提出、法科大学院の教育と司法試験等との連携等に関する法律案及び司法試験法及び裁判所法の一部を改正する法律案の両案を議題といたします。
 本日は、両案審査のため、参考人として、京都大学法学研究科教授田中成明君、早稲田大学法学部教授戒能通厚君、日本経済新聞社論説委員藤川忠宏君、日本弁護士連合会副会長井元義久君、早稲田大学法学部教授奥島孝康君、以上五名の方々に御出席を願っております。
 なお、奥島参考人は、所用のためおくれて御出席になりますので、御了承願います。
 この際、参考人各位に委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお聞かせいただき、審査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 まず、田中参考人、戒能参考人、藤川参考人、井元参考人、奥島参考人の順に、それぞれ十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。
 なお、御発言の際はその都度委員長の許可を得て発言していただくようお願いいたします。
 それでは、まず田中参考人にお願いいたします。
田中参考人 田中でございます。司法制度のあり方に関して研究しておりまして、また今般の新しい法曹養成制度の整備に関する検討の一端に参加している者といたしまして、このような場で意見を述べる機会を与えていただきまして、どうもありがとうございます。
 昨年六月に内閣に提出されました司法制度改革審議会意見書では、司法制度改革につきまして、制度的基盤の整備、人的基盤の拡充、国民的基盤の確立という三つの柱のもとに、懸案事項をほぼ網羅的に取り上げて、それぞれについて重要な提言をしております。
 今回提出されております一連の法曹養成関連法案は、司法制度改革についての他の事項に先立って、司法制度を支える人的体制を充実強化するための基盤を整備するものでございます。審議会の意見書が指摘しておりますとおり、「制度を活かすもの、それは疑いもなく人」でございまして、質、量ともに豊かな法曹を養成するための制度がきちんと整備されてこそ今般の司法制度改革全体を円滑に実現することが可能となるものでございます。そういった意味におきまして、今回の法案は、司法制度改革推進本部として提出する最初の法案にふさわしいものであると考えております。
 これまでの大学の法学部は法曹養成に特化したものではございませんでして、法学部の学生の中で法曹を目指す者はほとんどの大学で少数にとどまるという実情とか、また、大学の教員の対応能力や努力の不足なども相まって、法学部教育は法律の実務とかけ離れたものになってしまっているわけでございます。ですから、法曹を目指す学生は、司法試験の合格率が三%前後という極めて激烈な競争試験になっている状況に対応する必要もございまして、大学の授業をおろそかにし、司法試験のための受験技術の習得に走らざるを得ないという状況になっている次第でございます。このままでは、ますます複雑多様化する国民の法的ニーズに的確に対応することのできる、質、量ともに豊かな法曹を養成することはできなくなるのではないかと考えられるようになりまして、そこで、幾つかの案が比較検討されました結果、司法試験という点のみによる選抜から、新たに法科大学院を中核的な教育機関として設置しまして、法科大学院における教育と司法試験及び司法修習とを有機的に連携させた、プロセスとしての法曹養成制度を整備することが不可欠であると考えられるに至った次第でございます。
 今回提出されました法曹養成関連法案のうち、法科大学院の教育と司法試験等との連携等に関する法律案、いわゆる連携法案でございますけれども、これにおきましては、法曹養成の基本理念や国の責務を定めた上で、法科大学院における教育と司法試験及び司法修習との有機的な連携を確保するための仕組みが規定されております。
 法曹養成の基本理念では、法科大学院を法曹養成のための中核的な教育機関と位置づけた上で、その入学者選抜や教育のあり方について規定されており、まさに審議会意見書において提言されました新たな法曹養成制度の理念を盛り込んだものになっておりまして、極めて重要な意義を有するものであると考えております。
 そこで、私が座長を務めております法曹養成検討会では、意見書で示されました法曹養成制度の理念と法科大学院の基本的な制度設計を具体化するために、法科大学院の入学者選抜や教育のあり方などについて検討を加えてきております。
 例えば、法科大学院の入学者選抜における多様性を確保するために、当分の間、法学部以外の学部の出身者及び社会人の合計が三割以上になるように努めるものとすることとか、あるいは、法科大学院における法律基本科目の教育については、一クラス当たり学生数は三十人を標準とし、双方向的、多方向的な授業を行うこととか、さらに、修了に必要な単位数は合計九十三単位といたしまして、一定の法律基本科目とか実務基礎科目を必修といたしますと同時に、そのうち三十四単位につきましては、各法科大学院の創意によって特徴のある展開・先端科目とか基礎法学・隣接科目などを選択科目として設置すること、こういった方向で整理をしておりまして、これらの基準は、法科大学院の質を保証する仕組みとして新たに導入される予定になっております第三者評価制度の評価基準の中に盛り込まれることになっております。
 また、この法案では、国の責務として、法科大学院の実務家教員の確保等について規定されているほか、基本理念にのっとった施策を実現するために必要な法制上、財政上の措置などを講じることが明記されておりまして、この点は高く評価されるべきものだと考えております。特に、法科大学院における教育を充実したものにするためには、法科大学院における実務家教員を確保するための法制面における措置が必要でございますし、また、学生のための奨学金や学資ローンなどの支援策の充実も必要でございます。法科大学院制度の円滑な立ち上げのためには、もちろん大学関係者と法曹三者が協力して必要な環境整備を行うのは当然でございまして、法曹三者と法科大学院協会設立準備会がこれらの問題について協議する場を設けて具体的な措置の検討を始めておりますが、法制上、財政上の措置につきましては皆様方の御理解、御支援を賜ることが不可欠でございますので、格段の御配慮をお願いする次第でございます。
 さらに、この法案では、学校教育制度を所管する文部科学大臣と司法制度を所管する法務大臣が密接に連携協力していくための仕組みについても規定されておりまして、いわゆる縦割り行政の弊害を排除しようとする有意義な仕組みが示されておりまして、これらの仕組みが適切に活用されることを期待している次第でございます。
 なお、法科大学院の質の維持向上を図るために第三者評価を継続的に実施するシステムが導入され、その実施に当たっては法曹も参加して実際に現地に出向いて調査を行うなど、実効的な評価を行うことになっております。そして、その結果については、広く公表することによりまして入学志望者などに対する情報の公開に努めますとともに、法科大学院におきましても、評価の結果を踏まえて、みずから不断の努力によってその教育の充実に努めるべきものであることは当然のことであります。
 今回の一連の法曹養成関連法案では、このようにして法科大学院における教育を充実させた上で、それと司法試験及び司法修習との有機的な連携を図ることにしておりまして、司法試験法及び裁判所法についても所要の改正を行うこととされております。
 法科大学院は平成十六年四月から学生を受け入れることになっておりますことから、スケジュールの関係もありまして、大学関係者といたしましては、このたびの法曹養成関連法案が速やかに成立することを願っている次第でございます。何とぞよろしくお願いいたします。
 本日は、どうもありがとうございました。(拍手)
山本委員長 ありがとうございました。
 次に、戒能参考人にお願いいたしたいと存じます。
戒能参考人 早稲田大学の戒能でございます。
 私は、今回の改正法案というのは司法改革の出発点を構築するべきものというふうに考えておりまして、その観点では、司法制度改革審議会の意見書を前提にするべきものと考えております。私のように司法審の見解には必ずしも賛成でない者から見ましても、それは法案の妥当性を考える際の要件とならなければいけないというふうに考えているわけでございます。
 いま一つ私が前提としておりますのは、法科大学院の設立は、専門職大学院であるということであります。要するに、これは、教育制度の問題、あるべき大学院、高等教育制度の問題であるということでございまして、法科大学院が専門職大学院として設計されるということは、単に法学、政治学だけに限定されずに、大学院制度全般に影響の及ぶ問題であるというふうに考えているわけでございます。それはもちろん、学部と大学院の関係とか、研究者を中心とした大学院と専門職の大学院の関係とか、すべてに影響が及ぶわけでございまして、高等教育体系全体をいかに設計するかということ、そういう観点を抜きにすることはできないというふうに考えているわけでございます。
 司法改革、教育改革は、どちらもこれは国家の基本にかかわる問題でございまして、これは十分な設計が必要であり、性急な手続は避けるべき事柄というふうに考えているわけでございます。司法審を初め司法改革に携わる方々にとりましては、もちろん私自身も、願わくばということでございますけれども、速やかに司法改革を進めるために法科大学院の設計を急ぐということは十分理解できますが、同時に考えなければいけないのは、これは大学及び高等教育全体の改革に非常に密接に関連するという視点であろうかというふうに思うわけでございます。
 私の理解では、法科大学院の設置に向かって多くの大学が動いておりまして、それも極めて拙速なタイムスケジュールで動いているように見えます。それは、言うまでもなく、司法審が二〇〇四年四月に法科大学院の開設予定を定めたからでございます。その段階で大学は、各法学部競ってシンポジウム等々を開きながら、要するに法科大学院をやる用意があるという姿勢を示しましたが、しかし、それは必ずしも大学全体としての合意に基づいてしたわけではございません。したがって、法科大学院をどう設計するか、法科大学院を二〇〇四年四月から始められるかどうかということについては、やはり何といっても大学の事情、大学の意見を聞くべきであったのではないかというふうに私は考えているわけでございます。
 二〇一〇年ごろに新司法試験合格者を三千人とし、二〇一八年ごろには法曹人口を五万人程度にする、つまり、平成二十二年、平成三十年を画期といたしまして法曹人口急増のタイムスケジュールを司法審は示しましたが、これは、法科大学院が法曹養成の原則的機関となって、そのプロセス教育で修了者の七、八割が合格できるような新司法試験が二〇一一年から唯一のルートになる、ただ、経済的な条件で法科大学院に行けない者あるいは法科大学院に行く必要がないほど実務経験がある者については、例外的に別のルートで新司法試験が受けられるようにするという、いわゆるバイパスがバイパスではなくて法科大学院修了と同格のルートになるということは、必ずしも予期していなかったというふうに考えるわけでございます。司法試験法の今回の改正法案の目玉は、実にこのバイパスのメーンルートの一つ化ではないかというふうに私は考えるわけでございます。
 このルートを公認するための予備試験というのは、平成二十三年、つまり二〇一一年からの移行期間終了後のことでございますが、その内容は改正法案第五条で詳細に規定されております。注目されるのは、短答式八科目、論文式は短答式の八科目に加えて法律実務基礎科目というふうになっておりまして、口述試験は法律実務基礎科目のみについて行うとあります。これは明らかに、企業の法務部門に働く人々にとって、法曹資格を取らせようという観点からしますと、非常に適合的な関係にあるように思われます。私は、それがいいとか悪いとか申し上げているのではなくて、法科大学院をつくる前からこういうルートがありますと、法科大学院には一種のイエローカードが示されているようなものであります。
 また、プロセス教育というのが一種のかけ声になりましたけれども、法科大学院の設計は、至るところで試験がある。まず、日本版LSAT、つまり法科大学院の統一適性試験、各法科大学院の入学試験、そして法科大学院の中での試験、それから法科大学院修了試験、新司法試験、このように試験だらけでございます。このような試験がふえればふえるほど、予備校はますます大学との競争を激化させるでありましょう。こういうことを私は非常に心配するわけでございます。
 私は、法科大学院に一本化することが、現在の司法試験制度が持っているある種のいい面、現在の司法試験制度が全部いいというふうに私は申し上げませんが、ある種のいい面、それは、何といっても経済的な条件とか、そういう極めて社会の中で恵まれない人も、少なくとも司法試験を受かれば法曹になれる、つまりクロスソサエティーということでございまして、社会のあらゆる階層から法曹が出てくるという構造になっているというふうに思いますが、法科大学院というのは、奨学金制度を幾ら充実させても、やはり何といっても非常にお金がかかる、一定の階層の人しか基本的には受けられない、そういう制度ではないかというふうに思うわけでございます。
 しかも、法科大学院を修了し新司法試験に合格して研修所を出て法曹になる、これは最短でも二十六歳ということになりまして、現在では学部在学中に司法試験を受けられて卒業と同時に研修所に入る、要するに法曹人口が高齢化するということが非常に危惧されるわけでございます。
 このように考えますと、この予備試験制度というのは、確かに先のことではございますけれども、この予備試験制度が既にこの法律の中に書かれているということは、これはやはり非常に重要な問題だというふうに私は考えるわけでございます。
 いずれにしても、その予備試験制度があるにせよないにせよ、これからは、学部生にとっては法科大学院に行くことが法曹になるための必須の要件ということになるわけでございます。ですから、そういう問題はぜひ考えていただきたい。
 もちろん、予備試験はまだ先の話ですから、それまでに法科大学院を頑張って充実させて、要するに予備試験を無効化してしまえばいいという意見が我々の仲間の中にはございますけれども、果たしてそういう問題だろうかということでございます。非常に論理的に考えますと、法科大学院をつくらなくても、予備試験をねらって法学部が予備試験のための教育をする、それで自校の合格者をふやせばランキングが上の方に上がるということも十分考えられるわけでございまして、これは何といっても法科大学院をつくる意味がないということにならないのかということを私は非常に危惧するわけでございます。
 しかも、今回、学校教育法の一部改正法案という形で法科大学院が出ておりますが、私に言わせれば、これはすさまじい規制体系でございます。まず設置段階、設置後の法令違反があるかどうかの文科省による審査、それから認証段階、それから認証機関そのものが審査対象になる。しかもこれは文科省だけではなくて、法務省も一緒になる。このようなすさまじい規制体系のもとで、果たして自由なる教育はできるでしょうか。
 私は、法科大学院というのは、司法審が言っているように、設立自由、これはアメリカのやり方でございますが、設立自由で多様性ということを理念として掲げましたが、まさにその逆ではないでしょうか。つまり、画一化ということにならないか。そういうようなこの法案は、私は全く評価することはできないわけでございます。
 しかも、文科省は、違法性があった場合には、改善命令を出し、変更命令を出し、さらに廃止命令も出せるのですね。このような大学に対する対応は、大学の自由にゆだねてその法曹養成を託したということに対して、私たちにとっては大変な負担になります。つまり、我々は自由なる教育ができるかどうかということに自信を持てないということを言わざるを得ないわけでございます。
 法案は、私に言わせれば、プロフェッショナリズムというものの原点を理解していないのではないかというふうに思うわけでございます。プロフェッショナリズムの中心はプロフェッションの自治にゆだねるということでございまして、アメリカのロースクールシステムはまさにそうなんですね。つまり、アメリカン・バー・アソシエーションを中心としたプロフェッションの自治が、法科大学院、つまりロースクールの認証その他をやっているわけでございまして、アメリカでは官庁がロースクールを監督するようなことはないわけでございます。このようなシステムは、アメリカのロースクールをモデルとしたといいながら、実はアメリカのロースクールと全く似て非なるものというふうに私は理解するわけでございます。
 法務委員会委員長がおっしゃってくださいましたように、忌憚のない意見を申し上げましたので、私としては、田中先生初め多くの友人、田中さんも友人ですが、私たちは残念ながらこの法案は全く評価できないということを申し上げて、終わります。
山本委員長 ありがとうございました。
 次に、藤川参考人にお願いいたします。
藤川参考人 おはようございます。私、日本経済新聞の藤川と申します。
 本日は、法曹養成制度の改革に関する二つの法案について意見を述べる機会を与えていただきまして、まことにありがとうございました。
 私は、長年司法問題を取材してまいりました。毎日のように司法と社会という問題を取材しております。その取材の経験を通じまして、一日も早くこの法案を通していただきたい、今、司法制度改革についてこのような改革をすることは非常に必要だという気がいたします。
 お手元に意見の骨子というのをお配りいたしました。そこの結論で書かせていただいております。社会経済の構造変化に伴って、質、量ともに豊かな法曹が求められている、そのために法曹制度の抜本的改革が必要であり、御審議中の二法案を早期に成立させていただきたい、これが私のこれから述べます意見の骨子でございます。
 私が司法記者を始めましたのは、今から二十八年前になります。昭和四十九年でございます。その当時、最高裁判所は霞が関にありました。今の東京高裁、地裁があるところです。赤れんがのきれいな建物でして、その前をはとバスが通りますとき、バスガイドがいつもこう言ったそうでございます。右手に見えてまいりました赤いビルディングが最高裁判所でございます、きょうの皆様のような立派な方には御縁のないところでございます。それは、ある最高裁判事と雑談しておりましたらその判事が言っていまして、藤川さん聞いてよ、こんなことを言っているんですよと。善良な市民にとって裁判所は無縁だというのが、二十八年前の社会の状況でした。
 同じ年に、石油やみカルテル事件というのが摘発されました。その取材をしていまして、ちょっと奇妙なことに気がついたんです。
 全部で石油元売会社は十四社あります。そのうち、外資系の二社だけが起訴されませんでした。なぜだろうなと取材していましたら、価格カルテルというのがありまして、石油連盟の営業担当常務でつくっています営業委員会というところが舞台になったんですけれども、普通の正規の話をするときには外資系の二社も入っているんです。ところが、いよいよこれから裏の話し合いをするというときになりますと、外資系の企業は、実はうちの法務部がうるさくてと言って席を外します。そうすると、残った日本の石油元売会社は、だから外資系というのは頭がかたいよといってそのまま談合を続けまして、残った各社が軒並み御用になった。席を外した二社は、本人も、また会社も起訴を免れたという事実がございます。その当時、ビジネスにとっても法は無用といいますか、法と無縁なところで企業活動も営まれていたということでございます。
 では、最近はどうかといいますと、ここ数年、非常に変わってきたと思います。私が新聞記者の勘からいいますと、五年前の金融・証券業界の利益供与事件というのが起きました、四大証券会社のトップと、それから当時のトップ銀行の社長が軒並み逮捕されましたけれども、あの事件が私は一つの潮の変わり目じゃないかなという気がします。ここ急速に、行動する規範として、また紛争が起きたときの一つの解決基準として法律を重んずる、そういうような行動規範といいますか風潮がビジネスの社会に非常に強くあらわれてきました。
 お手元の資料にもお書きしましたように、企業の法務担当者が経営法友会という会合をつくっています。五年に一度、企業の法務部の実態調査をやっています。去年の秋、第八次調査というのがまとまりました。それによりますと、調査を始めてから初めて法務専門部署のある企業が五割を超えました。今まで日本のビジネスの中に法は入らないと言われてきましたけれども、今企業がきっちりとして法律をビジネスの中に生かそうという動きが広がっています。
 それから、市民生活、先ほど善良な市民にとって裁判所は無縁なところということを申しましたけれども、民事訴訟法の改正に伴って生まれました一つの新しい制度に少額訴訟制度というのがありますが、それが今すごいヒットしているんです。戦後裁判所の生んだ最高のヒット商品じゃないかと私はいつも言っていますけれども、九八年に発足してから六割以上の増加でございます。
 そういう形で、ビジネスの世界でも市民の生活の中でも、法律の持つ重みというのは、かつて私が二十八年前に司法記者を始めたころには考えられないほど大きな重みを持っています。それでは、そのような法的ニーズが非常に高まっているのに十分供給が行われているかと申しますと、残念ながらノーと言わざるを得ないと思います。
 例えば、一つの典型例が本人訴訟です。今地方裁判所の訴訟の六割は弁護士がつかず本人がやっています。これは簡裁に行きますと九九%ですけれども、これはちょっと特別の事情がありまして、御存じのように、今簡裁というのはクレジット、サラ金の取り立て機関化しています。昔で言うと若い手代みたいな人を支配人と称して訴訟行為をさせていますので、それでこういう高い比率になるんですけれども、民事訴訟、地裁を見る限り、今申し上げたように、六割が本人でやっているというような状況です。
 それから、これは中小企業庁によりますと、全国に中小企業、零細企業が四百八十三万社あります。顧問税理士がいない中小企業、零細企業はないと思います。年に一回所得の申告をしなければいけない、このために顧問税理士がいます。ところが、顧問弁護士のいる中小企業がどれだけあるかというと、ほとんど少ないと思います。では、中小企業に法律問題はないのか。
 こんな例がありました。ことしの通常国会で、御存じのように、司法書士に簡裁代理権を与える司法書士法が、まさにここの委員会の大きな仕事だったと思いますけれども、成立しました。では、一体司法書士の裁判事務というのはどんなことをやっているんだろうと思いまして、東京・大森に日本で一番数をたくさん裁判事務をやっているという司法書士がおりますので、そこにお邪魔して仕事ぶりを見てみました。大森という町工場の多いところなものですから土地柄もあるんですけれども、次から次から千客万来。先生、実は子供のときからの友人に三百万貸した、返ってこない、どうしたらいいんだろう。その種のたぐいが次々とやってきて列をなしています。
 そこで感じたのは、やはり中小企業、零細企業もさまざまな法律問題を抱えています。それに対してどういうサービスを提供するか、それは必ずしも弁護士の先生である必要はないと思います。しかし、そういうニーズがあるということは確かだと思います。同じようなことは、不動産の執行事件もそうです。
 それから、今破産が急増しています。多重債務者が百万とも百五十万とも言われています。それは破産だけでなくても結構なんです。特定調停でもいいんですけれども、そういう人の救済が必要です。それから、リストラに伴って個別的な労働争議というのが非常にふえています。去年新しい法律ができて、それで一年間の統計によりますと、そこに書きましたように、大体九十万件の個別紛争があります。そのような形で法的需要というのは極めて多い。量的にそういうものが求められているということです。
 量だけではありません。もう一つは質の問題です。今まで弁護士さんというのは、失礼ながら法廷の専門家でありました。しかし、先ほどの大森の司法書士じゃありませんけれども、法廷だけではなくて、さまざまな法律紛争のプロでなければならないと思います。
 そういう意味で、まだまだ能力というものを、法律知識ではなくて、紛争処理という形でもっと高めなければならないと思います。そういう意味で、今度の法律というのは非常にすぐれていると思います。
 ただ、非常に私が気がかりな点が五つあります。
 一つは、予備試験コースというものが、意見書では、経済力のない人、そしてプロセスによる教育を必要としない経験のある人ということで限定しました。しかし、今度の制度はその限定がなくなりました。これが広がれば、プロセスによる法曹養成という考え方そのものが枯れてしまいます。ですから、私は、法科大学院が軌道に乗るに従って縮小していただきたいと思います。
 この予備試験で出てきた裏返しの問題が、まさに機会均等の問題です。先ほど戒能先生も触れておられましたように、今の司法試験のいいところは何か、開放的であるということです。そのよさをどういうふうにプロセスの教育と調整、調和させていくか。そのためには、資力の乏しい人に対する経済的な支援、それから勤労者に対しての夜間コースの開設、それから地方在住者に対しての地方での法科大学院の開設、全国適正配置という言葉を司法審の意見書は使っていますけれども、そういう意味での学ぶ機会の均等を図る、これが絶対に必要だと思います。
 それから、法科大学院の命といいますか、かなめになりますのが質の向上です。大学の先生が後ろに三人おられるのでまことに失礼ですけれども、今までのような法学部のぬるま湯体質をそのまま持ち込んではならない。やはり新しい酒は新しい皮袋にというのが私の主張でございます。
 それから、法科大学院の制度を骨抜きにするのは極めて簡単です。重たい司法試験をやればいいんです。そうしますとどうなるか。ハーバードのロースクールでは、二百の選択科目があって、それぞれに応じて多彩な授業がとれるようになっているそうですけれども、重たい司法試験をやれば、受験勉強に気をとられて、学生さんはそのような多様な授業をとる余裕がなくなります。だから、司法試験は法科大学院で学んだことの追認程度でいい。法科大学院の成果をそのまま出せば受かるような試験にしないと、また予備校化になります。
 それから、法曹人口の問題です。意見書は三千人という一つの目標を出しました。これはしかし、意見書が繰り返し述べていますように、計画的にできるだけ早期に達成すべき目標です。天井ではありません。
 その五つの点をぜひ配慮しながら、早期にこの法案を通していただきたいと思います。
 どうもありがとうございました。(拍手)
山本委員長 ありがとうございました。
 次に、井元参考人にお願いいたします。
井元参考人 日弁連の法曹養成担当副会長を務めております井元義久でございます。
 早速でございますが、日弁連を代表いたしまして、本国会に上程されている法曹養成の関連法案に関して意見を述べさせていただきます。
 日弁連は、法科大学院制度の創設が、今回の司法制度改革を人的側面から支えるかなめをなすものだというぐあいに認識しておりまして、法科大学院を中核とする新たな法曹養成制度が二十一世紀の司法の担い手を養成するにふさわしい制度になるよう、早くから取り組みを続けてまいりました。
 日弁連は、この法案が日弁連の意見を相当程度取り入れてくれているというぐあいに理解しておりまして、その意味では評価をしております。
 以下、幾つかのポイントについて意見を述べさせていただきます。
 まず、法科大学院の教育と司法試験等との連携等に関する法律案について意見を述べさせていただきます。
 本法案の中で、法科大学院は法曹養成のための中核的機関というぐあいに性格づけられております。これは、今般の法曹養成制度改革の基本的な視点であります、二十一世紀の司法を支えるにふさわしい資質、能力を備えた人材をプロセスによって養成することを本筋とするということを明らかにしたものでありまして、その意味において極めて重要な規定であるというぐあいに考えております。
 次に、財政的措置でございます。
 本法案は、法曹養成のための施策を実施するために必要な財政的措置をとるべきことが政府の責務というぐあいに明記されております。この規定も極めて重要な規定であるというぐあいに考えております。
 現在、法科大学院の授業料は、私立の場合で一人当たり年間約二百万前後というぐあいに言われておりまして、法科大学院を修了するまでには約一千万程度のお金が必要だというぐあいに言われております。このような経済的な負担を法科大学院の学生に課するということは必ずしもいいことではございませんので、ぜひ避けたいというぐあいに考えております。
 そのためにはどうすればいいかということでございますが、個々の大学院生に対する資金援助とともに、各法科大学院の授業料の高額化を回避するため、法科大学院に対する財政支援というものが必要になってきます。また、法科大学院に対する財政支援は、司法過疎、ゼロワン地域というようなところがございますが、これを解消するためにも重要な法科大学院の全国適正配置の実現という観点からも、ぜひ実行していただきたいというぐあいに考えております。
 法曹を志す優秀な人材が、経済的事情により法科大学院に入学することを断念せざるを得ないというような事態があっては決してならないというぐあいに考えております。そのためには、既存の育英会等の奨学金制度をまずしっかりと拡充すべきであるというぐあいに考えております。さらに、不足の分につきましては、国民生活金融公庫や民間の教育ローンを最大限活用できる仕組みをつくって対応するべきだというぐあいに考えております。
 しかしながら、これまでの本委員会での質疑を見ますと、財務省からは、国民生活金融公庫の貸出上限の引き上げについても、また政府保証の創設の検討についても必ずしも具体的な答弁をいただいておりません。このことはまことに残念だというぐあいに考えております。この点はいわば法科大学院問題の最重要課題であるということを我々は認識しておりまして、直ちに具体的な制度設計を明らかにし、一日も早く法科大学院志望者の皆さんにお示しする必要があるというぐあいに考えております。
 次に、第三者評価の問題について意見を述べさせてもらいます。
 法科大学院の第三者評価の問題につきましては、日弁連はこれまで、複数でかつ民間の評価機関が認められるべきだということを言ってまいりましたが、この点が本法案に盛り込まれておりますことは我々は評価しております。
 しかし一方で、公的機関である大学評価・学位授与機構がこれを担うということでございます。そうすると、民間の機関は財政的に豊かな公的機関との競争を強いられるということになります。このようになりますと、経済的な力関係からいって、民間の機関は到底競争に勝ち残ることはできません。民間の機関が第三者評価事業に参入して公的機関と公平な競争ができるように、民間の第三者評価機関に対する必要な財政措置をもぜひとも講じるべきだというぐあいに考えております。
 次に、本法案の中には、文部大臣や法務大臣が一定の権限のもとに関与するという制度になっております。法科大学院を所管する文部科学大臣に対し、司法試験を所管する法務大臣が勧告、命令等必要な措置を求めることができるとの規定がありますが、この規定は運用次第では司法試験の観点から規制されるということがありますので、ぜひとも慎重な運用を期待しております。
 次に、司法試験法及び裁判所法の一部を改正する法律案でございますが、新司法試験のあり方につきましては、先ほど藤川さんの方からありましたように、法科大学院をきちっと履修したということが確認できる程度の試験にすべきだというぐあいに考えております。
 次に、予備試験でございます。予備試験は、審議会意見書に述べられたとおりのことでございまして、このようなことからすれば、予備試験は法科大学院制度のいわゆる補完的なものというぐあいに位置づけるべきではないかというぐあいに考えております。
 日弁連は、これまでいろいろな取り組みをしてまいりました。これにつきましては、お手元に資料としてお配り申し上げておりますので、御参考にしていただければ幸いだというぐあいに存じております。
 以上でございます。どうもありがとうございました。(拍手)
山本委員長 ありがとうございました。
 次に、奥島参考人にお願いいたします。
奥島参考人 こんにちは。
 私の立場から申し上げたいことは二点に尽きます。
 最初の田中先生と戒能先生のお話を私聞いておりませんので、藤川先生、井元先生がお話しになったことに基本的に賛成でありますので、余り細かいことは申し上げません。現場の教師としての立場と、それから日本私立大学連盟の会長としての立場から、二点を強調したいというふうに思っております。
 私は、ゼミをやっていて、あるときから、つまり今からちょうど二十年ぐらい前でしょうか、それぐらいから気づいたことが一つありました。どうしてそうなったのだろうというふうにいろいろ考えているうちに、現在の司法試験制度ではだめだということを私は確信するに至ったわけであります。
 それはどういうことかといいますと、私のゼミでは、リポーターとディスカッサントに分かれて、両者でもってやり合うわけでありますけれども、この議論というものが最近では非常に変質してきているんですね。
 どういうふうに変質してきているかといいますと、学生たちの議論というのは、大学者のいろいろな学説を読んで、それをもとにして議論をするわけでありますけれども、しかしそういうことは伏せて、そしてあたかも自分の意見であるかのように議論するわけで、非常にこの議論というものは本来白熱するものであります。ところが、それが余り白熱しなくなったんですね。非常にクールになってしまった。
 どうしてなんだろうというふうに思って見ているうちにわかりました。それは、自分の立論がたとえ負けても、自分が負けたんじゃないんですね。自分が無権代理している先生が負けたんですよ。だから、これは大学者にとってはまことに迷惑な話であります。みんながだれかの立場をとって、その先生の立場をとって議論しているわけでありますけれども、その議論でもってあっさり負ける。あっさり負けて、ちっとも何とも思っていない。自分が負けたわけじゃない、その大先生が負けたわけですから。大先生にとってはえらい迷惑な話でありますけれども、そういうふうな状況が出てきた。これがどうも予備校の教育であるらしいということが私にはわかってきたわけであります。
 予備校では、できるだけ失点を少なくして、そして合格答案を書くということに集中させておりますから、ある議論に命をかけるとかそんなことは全然関係ないことなんですね。ですから、彼らは要するに予備校的な理論で、それでいけないと言われれば、それではこっちの理論に乗りかえたらいいじゃないかというふうに非常に淡々としているわけであります。そういう形でもって世の中で、例えば裁判官になったり検察官になったり弁護士になって、彼らが法曹としてだれかの人権とかそれから権利とかいうものを擁護するために闘うようになったのではまことに恐ろしいというふうに私は思うようになってきたわけであります。
 はっきり言いまして、今の司法試験というものは大学教育とは全く関係がなくなってしまっている。こんなことでいいのだろうかということを考えれば、このロースクールというものをつくり上げていかなければいけないのはもう我々にとっては自明の理であるとさえ思ったわけであります。
 したがって、今回の法律につきましては、基本的に私は賛成であります。ただ、いろいろな問題点があるということについては、既に井元先生、藤川先生が御指摘になったところ、私も全く同感であるということだけ申し添えます。
 それから、もう一つの問題であります。日本の社会というのは、私は要するに非武装平和主義の社会ではないかというふうに思うんですね。シービス・パーケン・パーラベリウムというローマ法の格言がありますけれども、法律好きのローマ人は、平和を望むのであれば戦いに備えよ、こういうふうな形でもって、法律というものは常に戦いに備える、戦うという姿勢があってこそ法律というものは機能していくわけであります。そこでもって法律が目指す社会というものが実現するんだと私は思うわけであります。
 それを社会のシステムとして考えていきますと、例えばアメリカは、労使の対立というのは団交主義で徹底的に対立する。日本では、労使協調主義でもって、いわば非武装平和主義というふうな社会的な風土が背景にあります。そういう中で、法律というものの本来の、要するにイエーリングがまさに言った、法の目的というのは平和である、それに達する手段は闘争であるという、そういった法律家としての姿勢というものが我が国に欠けているとすれば、これからのグローバライゼーションの社会において我が国というのは非常に苦境に立つことを我々は予測しなければいけない、そういうことでこのロースクールというものをつくろうというわけであります。
 ところが、このロースクールをつくるについては、先ほどの御指摘もありましたが、授業料は大体一人二百万円ぐらいかかるのじゃないか。正確に言えば、本当のいい教育をしようと思ったら二百五十万ぐらいかかるのじゃないかと私は思っております。どうやってこの授業料を下げるかということでもって、私立大学の関係者たちはみんな苦労をしております。我々は、例えば新しい建物も建てなければいけないということになりますと、これは大変なことであります。
 そういう中で、今、私が属しますのは私大連、日本私立大学連盟でありますけれども、そこでは、政府の援助というものと税制との両面について、イコールフッティングということを私たちは言っているわけであります。
 御存じのように、規制改革というのは何かといったら、競争でもってやっていこうじゃないかということが、これが規制緩和の本来の趣旨であります。だから、ロースクールというのも、それぞれがみんな工夫して競争し合うことによって、よりすぐれた法曹を生み出そうというシステムでありますから、この方向をしっかり堅持しなければいけない。
 しかし、そのためは、今申し上げましたように、大変費用がかかる。とりわけ、国立と私立の間では、その点について競争条件が全く違ってくる。国立の場合には、安い授業料ですぐれた施設でやっていくことができますけれども、私立大学は高い授業料で貧しい施設でもって競争しなければいけない。なぜならば、これは今まであった制度じゃなくて、新たに出発する制度だからです。
 そういう意味で、我々は、徹底してイコールフッティングを主張していくということでもって、私大連の方では特別委員会を設けることにしております。そういう形でもって考えていかなかったら公正な競争というものはあり得ないわけでありまして、私立大学がロースクールをつくるのは、もう最初から国立とは大きな差をつけられるということになります。これは私は公平でないというふうに思っております。
 もちろん、奨学金であるとか、あるいはいろいろな財政援助ということが考えられてはおりますけれども、その内容が明らかでない。私たちは、この内容をさらに詰めて、そして、競争条件というものができるだけ国公、私立でもって違いがないように、全く同じということは私は言っておりません、しかし、それが余り大きな開きにならないようにお考えいただくということがこの場合には大事ではないか。つまり、この法案の先の話でありますけれども、しかし、そのことをこの場をかりて私としては特に強調しておきたいというふうに思います。
 以上です。(拍手)
山本委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
山本委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。吉野正芳君。
吉野委員 自由民主党の吉野正芳でございます。
 きょうは、参考人の皆様方、貴重な御意見を賜りまして、ありがとうございます。これからの私たちの審議に私は大いに役立てていきたいと思っています。
 私も、初当選をして、自由民主党の政調会に司法制度調査会という部会がございまして、私は早稲田大学の商学部卒なのでありますけれども、興味がありまして参加をしました。そこでの議論、私は発言をしませんでしたけれども、いろいろ、大いに私の目のうろこを取ることのできるような、そんな御意見がございました。
 今の日本は、イギリス病になぞらえるように、日本病と言ってもいいんじゃないのかな。どうして日本病になってしまったのか。これは、日本社会が事前規制で、すべてのものは国が全部決めて規制をして、ある意味では、頭を使わなくても、ただ一生懸命目標に向かって汗さえ流していれば、あとは全部国が私たち個人個人の生活の安全も安心も保障してくれる。頭を使わない、汗さえ流していればいい。追いつけ追い越せという国家目標のためには大変すばらしい制度でありまして、安心して私たちはここまで暮らすことができたわけです。
 でも、目標を達成してしまった今は、事前規制で、一人一人が持っている考える能力、考える癖がついていなかった。ここに、私たち日本の持っている活力が大きくなくなってしまった、人に頼る、だれかに頼る、そういうところに来てしまった。これからは、競争原理を導入して、事後監視型の社会をつくっていかなければならない。競争原理によって活力を生む、これが日本病を治していく原動力になると私は思っています。
 そういう意味で、競争をしていくわけですから、公平な土俵で相撲をとらないと本当の意味の競争社会というのが生まれません。そういう中で、司法制度改革の議論を聞いている中で、まさに司法制度改革が、これから大きな、公平な土俵をつくっていくためのルールづくりになる、司法制度改革こそがこれからの再生日本をつくっていくことになるんだというところまで学ばせていただいたわけであります。
 そういう意味で、法科大学院というものをこれからつくっていくということは、まさに日本病を治していく大きな処方せんの一つになるのかな、そこまで私は法科大学院というものの位置づけを調査会を通じて学んだわけであります。
 それで、自由民主党の調査会での提言の中では、法科大学院というのは、国民の隅々まで、いわゆる町のお医者さんといいますか、かかりつけといいますか、町の法律屋さんというレベルで、藤川先生も今、何も弁護士でなくていいというお話があったように、町の至るところに法律専門家、町の法律屋さんという方々がいる、そして、そこで国民一人一人が自分のニーズをその方に相談して、これから自由な競争社会、公平な競争社会で闘っていく、そういう社会を目指すための法律専門家、法律実務者をつくるための法科大学院という位置づけで私はとらえていたのでありますけれども、法案を見てみますと、単に司法試験に合格をすればいいんだ、司法試験合格者を大量に出すんだ、そういう狭い意味で、いわゆる私のイメージしている、町の法律屋さんをきちんとつくっていくんだという形ではないような形に私は法案を見ているととれるんですけれども、奥島先生、その辺はどうお考えでしょうか。
奥島参考人 非常にいわく言いがたいということでありまして、要するに今度のロースクールというのは、それぞれの工夫が生かされて、それぞれの工夫でもって法科大学院間の競争が行われるということが前提になっております。ですから、法科大学院によってそれぞれの個性的な特色をつけていったり、あるいは、競い合う中でそれぞれがレベルアップを相互に目指すことによって、今おっしゃっているような問題に対しては対処できるのではないか、私はそういうふうに考えております。
吉野委員 ありがとうございます。
 私のイメージしている法科大学院は、何も司法試験を目指す方々のための法科大学院ではなくて、もっと町の隅々まで行き渡る、法律専門家としての、法律実務者としての、そういう方々の養成教育機関でなければならないというふうに思っているんです。
 それで、例えば今国家公務員試験1種、上級試験がございますけれども、法科大学院を卒業すれば、もう国家公務員試験は免除、合格したとみなす。そんな資格を学位と同時に与えることができれば、国民にとっては多様なものを持った町の法律屋さんになれる、その中から、司法試験を目指す人は司法試験を目指していけばいいし、また行政に入る人は行政に入ればいい。これは杉浦正健先生の考えと大体同じなんですけれども、そんな仕組みの法科大学院にしてはどうかなと思うんですけれども、藤川先生、その辺はいかがでしょうか。
藤川参考人 お答えいたします。
 今のお話は、大変傾聴すべき点が多いかと思います。
 ただ、その場合、私考えていますのは、司法試験というものを非常に高いレベルで考えておられるので、むしろ、司法制度審議会の過程で議論になりました、法科大学院を出れば七割、八割の人が受かるという制度にしておけば、今先生のお話のとおり、何も改めて第1種試験をやる必要はなくて、司法試験が受かったことをもって第1種の合格とみなすというようなことをやればよろしいのではないかなと思います。
 それから、先生のお話の中で非常に聞くべき点が多いなと私が思いましたのはこういうことだと思います。どうも、私ども法科大学院の議論をしていますと、アメリカでいうトップテン、上から十番目ぐらいの、イエール、ハーバード、スタンフォードを基準に議論していますけれども、アメリカは、百六十ぐらいのロースクールがあります。私が行ったブルックリンにあるロースクールなんというのは、いわば非常に庶民的な雰囲気でございまして、そのぐらいのロースクールもあるんです。
 先生のお話のように、町の法律相談に乗るような方、みんながみんな全員国際商事をやる必要はないし、それから行政訴訟をやる必要はないので、身近な問題、例えば貸し金請求であるとか建物収去だとか、そういうものをやる、そういうような百六十の多様なロースクールがある。そういうものができてくれば、しかも司法試験の内容そのものを非常に軽くすれば、先生のお話のように、そういうような需要が満たされるのではないかと考えます。
 以上でございます。
吉野委員 理想の法科大学院をつくって、日本の法曹界の中核の人材を配置するということになるわけですけれども、いわゆるバイパスルートとしての予備試験が今回法案に盛られています。
 私は、これは大切なことだと思います。予備試験ルートがあるということは、国民にとって、国民もそうですけれども、外国人にとってそうですけれども、日本の司法にとって開かれている道があるということは、大切なルートで、最初は予備試験ルートがなかったかもしれませんけれども、予備試験ルートが入って本当によかったなというふうに理解をしております。
 予備試験というのは、法科大学院を卒業したと同程度の能力を有する者か判定するということでありまして、法科大学院を出なくても同程度の能力を有しているかどうかという選抜方法だと思います。同程度の能力があるかどうかということの判定でありますので、そういう意味で、いわゆる一発勝負のペーパーテストではなくて、一週間かけてもいいし、一カ月かけてもいいと思うんです。同程度の能力を持っているかどうかを見るわけでありまして、一カ月間、テストと称して実務もやらせてみて、そしてその人の能力をチェックしていく、判定していく、そのくらいのところまで予備試験というものをやって、そして、いわゆる双方向で、国民がだれでも参加できるような、そんな予備試験に私はなればいいなと思っているんですけれども、その辺について、日弁連の井元先生、いかがでしょうか。
井元参考人 お答えいたします。
 先生のおっしゃっている意味はよく私もわかりますが、要するに、これまでの法曹養成のあり方がどうであったのかということがそもそもの問題になっておりまして、そして、いわゆる一発試験の司法試験の合格者を研修所で研修させて法曹に巣立ちさせるということが、若干の弊害が出てきている。そこで、プロセス教育ということを考え出しましたのが法科大学院の構想でございます。
 したがいまして、あくまでも法曹というものは、プロセス教育をして、そこの中で法曹の倫理等も含めましてじっくり教育していくという制度でございますので、果たして、予備試験が広くなった場合にこういう問題が保証されるかというのは、私としては非常に危惧を感じております。
 先ほど私は、予備試験は法科大学院の補完的なものとして位置づけられるべきだというふうに申し上げましたが、先ほどの補完的措置というのが、今申し上げたようなことでございます。
 先生は、試験を一週間でも十日でもやればいいということをおっしゃっておられますけれども、果たしてこれが現実的に、多量の、例えば三千人も四千人もいる生徒を十日も一週間もかけて一人一人やっていけるかというような現実的な面もございます。
 そして、この法案には、先ほど先生おっしゃったように、法科大学院の修了者と同等の能力がある者ということを試す試験であるべきだというぐあいに書いていますけれども、確かに、抽象的に言えばそのとおりかもわかりません。しかし、実務能力というものを試すという試験が極めて困難だということを我々は理解しております。したがって、果たしてどういうような試験になるのかということが極めて重要じゃないかというぐあいには考えています。
 以上でございます。
吉野委員 確かに、何千人もの学生、生徒を十日も本当に能力を判定できるか、でも、本当に能力を判定するということは、一発試験じゃ能力判定できないので、その辺の工夫ができれば、それが本当の姿かなと思います。
 あと、法科大学院の教授陣、教員の方で、二割は実務家の教員を張りつける。実務家の教員というと、いわゆる弁護士さん、裁判官、検察官の中から教員を出すわけでありますけれども、今でさえ忙しい仕事の中で、特に弁護士さんが一番数が多いわけですから、実務者教員を本当にそれだけ提供できる能力といいますか心構えがあるのかどうか、その辺、ちょっと井元先生にお話を伺いたいのです。
井元参考人 その辺のことにつきましては、本日お配りしております日弁連の資料がございます。「法科大学院の教員派遣・教育内容に関する活動」という資料がございますので、それをごらんになっていただければわかると思いますが、現在、日弁連が把握しております実務家教員の数は二百九十八名であります。
 これは、今申し上げました資料の後ろの方に要綱というのがございます。「法科大学院実務家教員候補者紹介制度要綱」というのがございまして、日弁連は、昨年の十二月二十日にこれをつくりまして、各単位会の全国の弁護士に呼びかけをいたしました。そして、先生おっしゃるとおり、これは大変な仕事でございますけれども、そういうことを認識した上で、きちっと目的意識を持って専任教師あるいは実務家教員になれるかという募集をしましたところ、二百九十八名という弁護士がこれに応募してきております。
 したがいまして、この二百九十八名を上手に活用していけば、必ずや、全国にしかるべき実務家教員が派遣できるということを我々は確信しております。
 以上でございます。
吉野委員 大変心強い回答でありまして、法科大学院を成功させるかどうかは実務家教員にかかっていると言っても私は過言でないと思っていますので、本当に御協力をお願いしたいと思います。
 第三者評価についてお伺いしたいのですけれども、アメリカのロースクールを評価するようなアメリカ法曹協会、いわゆる全法曹人が集まった協会というのは日本にはないと思うのですけれども、法科大学院を評価する、これは一番大切なところだと思いますので、どういう組織、どういう機関で評価をしていったらいいのか、田中先生にお伺いしたいと思います。
田中参考人 お答えする前に、先ほど私、意見陳述をする際に、少し緊張しておりまして、少人数教育を、本来五十人を基本と言うべきところを三十人と発言したように思いますので、五十人に訂正させていただきたいと思います。
 今の御質問でございますけれども、第三者評価システムというものは日本でもまだ動き始めたところでございまして、アメリカでは、今おっしゃいましたように、ABAがロースクールに関してやっているものがかなりきちっと定着しているようでございますけれども、日本で現在やっている一つの仕組みとしては、大学評価機構が公立大学を対象にやっているものがございまして、現在、法学系の研究教育というものをやっているわけでございます。その中で実際どういうふうにしてやられるかということを見ておりますと、やはりアメリカのABAがロースクールに関して行っているというふうに承知していることと非常にオーバーラップさせて、非常に手厚く、単なる書類調査だけじゃなくして、現地へ行って、教員とかあるいはOB、学生、そういった者からきめ細かにヒアリングをやって、意見をまとめて、改善すべき点あるいは評価すべき点というふうなことを指示しております。
 その実情から見ましても、法科大学院の場合には、法曹関係者の人に入っていただいて、実務教育の実情とかそういったものを踏まえて幅広くやっていけば日本の中でも十分機能していくんじゃないかということでございまして、この制度を発足する段階までには、だんだん具体的なイメージもでき上がっていくんじゃないかというふうに考えております。
吉野委員 時間も参りましたので、参考人の御意見、本当にありがとうございました。御意見を参考にして、よりよいものをつくっていきたいと思います。きょうはありがとうございました。
 終わります。
山本委員長 次に、山花郁夫君。
山花委員 民主党の山花郁夫でございます。
 参考人の皆様におかれましては、早朝よりありがとうございました。
 五人の参考人の皆様お一人お一人に伺いたいと思います。予備試験の位置づけについてどういう御認識かということについてであります。
 このことについてお問い立てをする前に、少しお話をさせていただきたいと思うのですが、恐らく、きょうお越しの方々は、司法試験の予備校でLEC、東京リーガルマインドというところを御存じかと思います。余り皆さんには評判がよくないかもしれないですが、私は、そこで昔、講師をやっておりました。ただ、司法試験のセクションではなくて、公務員試験のセクションにおりました。法律系の主任だったものですから、公務員の関係の講座の企画を立てたりとか、そういうこともやっていたわけであります。
 そこでなんですけれども、今回のこのロースクール構想の中で予備的試験というものが入っております。恐らく、特に弁護士の方等については職業選択の自由との関係でこういうものはなければまずいんだろうなということはわかりますし、また、バイパスのような形、表現はいいかどうかわかりませんけれども、そういうものの必要性というのはわかるんですが、ただ、このパイが余り大きくなり過ぎますと、先ほど戒能参考人からもその点についての指摘があったと思いますけれども、結局そこに対して物すごくマーケットができて、そして、かつ、予備試験の合格する水準というのが法科大学院の卒業程度ということであるとすると、私の感覚からすると、もし前の職場に自分がいたら、大学より恐らく安い学費で、しかももっとかっちりした、ある意味、予備校というのは学問の自由はありません、予備校の講師というのはもうカリキュラムで決まったとおりにやらないと、教科書が終わらなかったらそれこそ金返せという問題になりますから、それぐらいのきっちりしたことをやりますので、恐らくそれぐらいの教育システムをとろうと思えばできると思います。
 ただ、問題は、それはマーケットになるかどうかという話でありまして、例えば、司法試験の予備校であっても、司法一次についての講座を持っていたりとか模試をやったりということは余りやっていないですよね。司法一次というのは数百人しかパイがもともとないですから、来てもらおうと思っても商売になりません。だからやらないという、単なる経済原理でやらないだけで、例えば自分が仕事をしていた公務員科の教養の問題なんか流用すれば、割と近い問題ですから、やろうと思えばできますが、ただ、経済原理の中でやっていないというだけの話です。
 そこで、予備試験というものが本来であれば例外として位置づけておかないと、つまりは合格者全体で三千人規模だとすると大体一割ぐらいとかという形で抑えておかないと、そこに大きなマーケットができるということになれば、特に戒能参考人からの御懸念は全く当たってしまうと思うんです。ただ、本委員会の質疑の中でも、ここの予備試験についての位置づけというものが、政府からの答弁でもどうもちょっとはっきりしないところがあります。
 そこで、皆さんの、予備試験の枠なりあるいは割合的な比率なりということを、イメージとしてどういうイメージでお話をされてきたのかということについて伺いたいと思います。
 ちなみに、私のイメージとしては、今の司法一次というのは大学卒業程度の、三十六単位ですか、それぐらいの能力を持っているのに置きかわる形で、高卒であっても中卒であっても受けられるために司法一次というのがありますから、それと同じようなイメージで予備試験というのがあって、つまりは法科大学院卒業程度のと、そんなようなイメージで私はとらえているんですけれども、皆さんはいかがでしょうか。お一人お一人に聞きたいと思います。
田中参考人 お答えいたします。
 予備試験の問題は、この法科大学院構想ができた段階から、どういうふうな位置づけをするかということについては、いろいろな意見が対立していたところでございまして、そういったいろいろな意見を考慮しながら、基本的には、法科大学院が法曹養成の中枢的な機関であるということを位置づけした上で、それを損なわない程度で予備試験を設計かつ運用するというふうな基本的なスタンスで理解しております。
 ですから、制度設計におきましても、あらかじめその割合云々という話は、新しいシステムが導入をされて、現在法曹になろうとしている人がどういうふうな行動をとるか、現行試験を受け続けるか、あるいは法科大学院に行って新しい試験を受けるかという行動がわからないということと、それから、法科大学院がどの程度立ち上がってどのレベルの教育をやるかというようなことが不確定な今の段階では割合を決めることは適切ではないと思いますけれども、制度設計におきましても、かつ、その運用におきましても、法科大学院が中枢的な教育機関であるということを損なわないようなレベルとサイズで運用されるべきもの、そういうふうに了解しております。
戒能参考人 私はそもそも法科大学院そのものに反対ですので、御質問に答えるのは非常に難しいんです。
 反対というのはどういう意味の反対かということなんですが、法科大学院は、やはり新しい制度であり、ある意味ではいろいろな試みがあってしかるべきなので、法科大学院を出なければ新司法試験を受けられないという設計をしない方がいいと思うんですね。つまり、法科大学院を出てもいいし、あるいは法学部を出てもいい。要するに、古いというか、これまでの司法試験を残すわけですから、そうであれば、むしろ新司法試験をよくして、法科大学院を出るか出ないかにかかわらずみんな受けられるようにすればいい。それで、法科大学院が非常に成功すれば、法科大学院を出た人が非常にその後の進路においてすぐれた法曹になっていくということが立証されて初めて法科大学院を出ることを必須要件とする、そういう段階的な発想が私は必要だと思うんです。
 それから、今委員からお話しのあった試験の問題のことなんですが、何でこんな資料をお配りしたかということで、先生方のお手元に法律時報の私の論文その他が入ったものがあると思うんですが、それのページで言いますと五十四ページから五十五ページのところに、簡単にアメリカのロースクールのことが紹介してあります。
 アメリカのロースクールが成功している一つの理由は、試験についての非常に科学的な研究をしているんですね。いわゆるLSATについてはちゃんとしたレビュー委員会を持っていまして、そのレビュー委員会において、LSATの成績と、ロースクールの学生が、ロースクールでどうであるか、さらにその後どういう法曹になっているか、全部追跡調査をしているんです。ですから、LSATの試験がどういう意味でいい法曹に相関性があるかということを非常に研究しているわけです。
 そういうように、藤川さんもおっしゃったように、私は、いい法曹ができるかどうかというのはいわゆる新司法試験のあり方に非常にかかわってくると思うんですね。
 私は、予備試験について非常に懸念しますのは、確かに新司法試験を受けることができる、法科大学院の教育内容を参照にしているように見えますが、その科目を見ますと、要するに、今の司法試験にさらに科目をふやしただけだというような感じがするんです。委員がおっしゃったようなLECとか、そういう予備校というのは、要するにそれは試験に受かるための教育をするわけですから、大学と違うんですね。
 大学というのは、大学に法科大学院を置くという意味は、要するに、学生にむだな勉強もさせるということに基本があるわけでして、そうでないと、大学で要するに法曹養成の入り口をやる意味がないと思うんですね。そうであるとすると、予備試験というものがあって、そしてそれに受かれば法曹になる道が開かれるということになりますと、多分、受験者の方は、大学で余計な勉強をさせられるよりも、非常に目的がはっきりした、予備試験をちゃんと教えてくれるところ、つまり予備校に行きたいというふうになると思うんです。これはやはり、基本的に私は法科大学院には必ずしも賛成ではございませんが、司法制度改革審議会の言った法科大学院の理念に反すると思うんです。
 司法制度改革審議会の言ったいわゆる予備試験的なものというのは、もう一つ、経済的条件のゆえに法科大学院に行けない人というのが入っているんですね。ところが、今度の法案にはそれは入っていないんですね。むしろ、先ほど私が言いましたように、法科大学院に行かなくても直ちに実務につけるような人、これは、端的に言えば企業法務の方々のような方をどうも想定しているように読めてしまう。それではやはり司法制度改革審議会の言っている理念に私は反すると思います。
 しかも、法科大学院をつくろうということで一生懸命やっている人たちのほとんどは、やはり司法制度改革審議会の意見に賛成し、その理念を実現するために法科大学院をつくろうというふうに動いているわけですから、やはり法科大学院の理念に反するような法科大学院というのは私たちはつくりたくないというふうになるんじゃないかと思います。
藤川参考人 先生がLECの講師をしていたとは知りませんでした。
 私は、附属資料の中に、法科大学院を根づかせるためにという、私どもがつくっております司法改革国民会議のホームページに載せた文章をお配りしてあると思いますけれども、実は、私は今のお話の予備校に通ったことがございます。しかも、論説委員になってからでございますので、ごく最近でございます。予備校の教育の実態がどういうものかというのはそこにつぶさに書いておりますので、初めの方ですから、お読みいただければわかると思います。
 そこでやはり感じましたのは、プロセスによる教育がいかに大切か、こんなので司法試験受かっていって本当に大丈夫かなというのがその予備校に通ったときの体験です。
 私はいつも申し上げますのですが、野口英世時代のお医者さんの養成じゃないか。野口英世博士、この間も僕はNHKの番組を見ていまして涙が出たんですが、本当に立派な方です。医術開業試験というのに受かったのが明治三十年、一八九七年、二世紀も前です。その当時のお医者さんはどうやって養成していくかといいますと、医術開業試験というペーパー試験に受かればお医者さんにあしたからなれる。そのために予備校がありました。有名なのは済生学舎というんですが、これは湯島にありました。予備校に通って、ペーパー試験でお医者さんがあしたからできる、そういう制度でいいのか。私は、予備校に通って勉強してそれを痛感いたしまして、やはりプロセスによる教育が必要だと。
 ただ、僕は、ここは戒能さんと一緒なんですけれども、ロースクールをつくるというのでは賛成、反対で立場は分かれましたけれども、そのロースクールが、機会均等、要するに法曹になる道を奪うことになってはいけない。そこは一致しています。そのための手段はないわけではないし、むしろ手段をつくることが、だから、機会均等とプロセスによる養成というのとの調和点が一つの予備試験のルートだったと思うんです。だから、それは例外的なものであって、そのような機会均等の手段が充実されてくれば、やがて廃止されるべきものだと思うんです。
 だから、資力の問題もありますが、それだけではありません。夜間コースの問題もそうです。先ほどちょっと申し上げましたが、僕はブルックリンのロースクールに取材に行ったときに、非常に麗しいというかすばらしい光景を見たんです。お母さんが、小学校二、三年ぐらいの子供さんを連れて教室で授業を聞いているんです。子供さんは非常に一生懸命絵本を読んでいます。その隣でお母さんが勉強している。そういうようなロースクールをつくれば、機会均等を奪ってない、先ほど職業選択の自由とおっしゃいましたけれども、そういうことを奪ってない、そういうことになると思います。
 それから、私の親しい、これはある銀行から、苦節十年、司法試験に受かって弁護士になった方がおられます。その人が言っていました。例えば、ことし、とうとう司法試験受験生は四万人を超えました。それに対して合格者は千二百人です。三%です。三%で人生をやり直そうと思ったら、これはかけである。ところが、七、八割で受かれば、おれはどうも銀行員に向いてないぞとさっさと転身する。そういう意味で、ロースクールというのは、本来ならば門戸を広げる、多彩な人材を法曹に呼び込むコースであると思います。
 ですから、一番初めの御質問でございますけれども、位置づけとしては、例外的なもの、そしてやがてフェードアウトする、なくすべきものであると考えます。
 以上でございます。
井元参考人 お答えいたします。
 先ほどから私が、予備試験というのは補完的な位置づけになるべきものだというぐあいに申し上げてまいりました。
 法曹と申しますのは、いわば高度の専門職でございます。したがって、この高度の専門職である法曹をどのような方法で養成していくのがいいのかというのが議論されまして、その結果、法科大学院というものが構想されたわけでございます。
 したがって、法科大学院は意見書の中でも法曹養成制度の中核的な位置づけというぐあいにされております。この中核的な位置づけということが、まさしくプロセスの教育で、意見書に書いてあります豊かな人間性とか感受性とか、そういうものを身につけた法曹を出していこうという趣旨でございます。したがいまして、予備試験というのは果たしてそういう素養を判定するだけのことができるのかという極めて大きな疑問があります。
 もちろん法科大学院では、予備試験に今考えられております試験科目、あれ以上の幅広い教育をやっていくということでございまして、しかも、その教育内容につきましては、厳格なもの、要するに厳格な成績評価と修了認定をやっていくということでございますので、そういう観点からしますと、やはり予備試験というものは補完的なものであって、かつ例外的なものに位置づけざるを得ないだろう。先生先ほど、どの程度がいいのかということを御質問ございましたけれども、日弁連は従前からこの予備試験は狭いものにすべきだというぐあいに言っておりました。その理由は先ほど述べたとおりでございます。
 したがいまして、具体的な数字ということははっきりはお答えできませんけれども、少なくとも法科大学院制度の趣旨を損なわない程度の数、そうすると大体一%から二%程度かなというようなぐあいに考えております。
 以上でございます。
奥島参考人 私は、本をなぜ読むんだろうというふうに考えたときに、残念ながら我々はたった一回の人生しか生きることができないので、本を読むことによって他人の人生を我々はたどっていくことができる、そうやって人生を豊かにするんだというふうに思っております。
 なぜそういう話をするのかといいますと、実はある法律の座談会で裁判官と話したことがあります。そのときの裁判官が、文学の話が出てきて、例えばバルザックの法律の話なんかしておりましたら、何で奥島さんはそんな本を読むんですか、そんなもの岩波文庫の文庫目録を読めば大体のことはわかるじゃないですか、そんなもの読んで何になるんですかというふうに言われました。なるほど、これが予備校の教育であるなというふうに私は考えたわけであります。これは予備校の人には悪いですけれども、私はどうもそういうふうな感じがしてならない。
 我が国の法曹養成というのは、ある意味で予備校に丸投げでした。これはもう事実であります。そういうふうなことでいいんだろうかということを私はいつも考えておりました。要するに、今のシステムが続く限り、それはやはり予備校に丸投げになるでしょう。そして、要するに、予備試験がロースクールというものと並行した制度であるということになってくると、やはり丸投げになるでしょう。
 したがって、私は、法科大学院制度を導入するということは、予備試験というのはあくまでも特別例外であるという位置づけというのを明快にしていく必要がある、また、そういう運用がされるべきである、こういうふうに思っております。
山花委員 時間がなくなってしまいましたので終わりますが、ただ私自身ちょっと感想として、予備校の教育の中身自体にも問題があるのも確かなんでありましょうが、私自身は公務員科でしたので、法学部の学生だけではなくていろいろな学部の方がいらっしゃいました、ただ、今回の構想のお話と非常に似たようなものは感じまして、むしろ何か高校教育あるいは高校から大学に来るときからもうそのことは始まっているのかなという感想を持っていることだけ申し上げて質問を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
山本委員長 次に、石井啓一君。
石井(啓)委員 おはようございます。公明党の石井啓一でございます。
 私も、まず予備試験に関して御質問を申し上げたいと思いますけれども、田中参考人、戒能参考人、井元参考人、お三方にお伺いしたいと思います。
 今回の法律で、法科大学院が法曹養成の中核であるということは明確に位置づけられております。とするならば、予備試験はおのずから補完的なものになる、こういうふうに私は考えるわけでございますけれども、これを現実のものにするために二つのことが重要だというふうに思っております。
 一つは、予備試験のレベルといいますか、内容といいますか、これを単に知識だけでなくて、法科大学院修了者と同等の能力や基礎的な実務の素養の有無を判定する、こういうスタンスを堅持することが重要だということが一つございます。もう一つは、今回の法律の中にも十年後の見直し規定が設けられておりますけれども、この見直しの際に、この理念を守るために必要であれば所要の措置を行う。私は、この二つが当初の理念を守るために現実的に重要なことではないかというふうに考えます。この点について御意見を伺いたいと存じます。
田中参考人 お答えいたします。
 確かに、予備試験の位置づけにつきましては、今石井議員がおっしゃったような点に留意しながら制度設計をしてきておりまして、予備試験のレベル、内容につきましては、法案にもございますように、法科大学院修了レベルの試験といたしましてかなり重い試験内容になっておりまして、これは、法科大学院が充実して、法科大学院の方で実務と連携した理論教育並びに実務基礎教育のレベルが上がってくれば上がってくるほど、そのレベルも当然上がってくるなというふうに理解しております。
 ですから、法科大学院さえ円滑に立ち上がって充実した教育が行われるのであれば、その帰趨はおのずから明らかになる。その段階で、見直し規定を置いてございますので、それを踏まえて、実情に合ったしかるべき対応がなされるべきものだというふうに了解しております。
戒能参考人 予備試験については、そもそも法科大学院は自由に設立し、そしてそれは新司法試験に結びつけない方がいいというのが私のアイデアですので、お答えのダイメンションが全然違いますので非常に答えにくいんですが、ただ、今石井委員の方から言われた問題、つまり予備試験の設計の仕方については、法科大学院云々にかかわらず、やはり私なりに考え方があります。
 といいますのは、予備試験というのは、これは本来的には法科大学院をむしろ活性化させる一種の起爆装置的な意味も持つ。単に補完ではなくて、やはりそこに競争を予定するというのがあると思うんですね。
 しかし、私は、そもそもはその法科大学院をつくる競争自体がどういう法律家をつくるための競争であるかということが重要なのでありまして、先ほどから経済的条件等々のことを言っていますけれども、それは決して単に修飾的に言っているわけではなくて、やはりあらゆる社会階層のところから法曹が出てくるように設計することが必要なんで、それじゃ予備試験というのは一体そういうふうになっているかといいますと、試験科目から見て明らかにそういうふうには読めないんです、私には。
 ですから、そういう意味で、予備試験をもしそのように設計するとすれば、それは予備試験の一応の効用はあるかもしれませんが、法案に出ている限りの予備試験には私はそういう要素を認めることはできません。
 以上です。
井元参考人 予備試験に関しましては、先ほどから申し上げておりますように、法科大学院では、いわゆる交渉能力とか、あるいは、クリニックと我々呼んでいますけれども、実際に法律事務所に行って市民からの相談を受けたり、そういうような実務に直結した教育をやっていくということでございます。したがいまして、果たしてこういう実務に直結したような教育の成果を予備試験で試せるかどうかということについては強い疑問を持っております。
 予備試験の試験内容も法案に明記されておりますけれども、その部分については「法律に関する実務の基礎的素養」というふうに抽象的に書かれておりまして、我々としては、もし予備試験をやるとすれば、先ほど申しましたような、まさしく法律実務に直結したような試験をやっていただきたい。特に法曹倫理というものは我々極めて重視しておりますので、こういうものも入れていただきたいというぐあいに考えております。
 それから、将来のことでございますけれども、これは附則の中で、いわゆる見直し条項というのが入っていると思います。我々も、先ほどからいろいろ言っていますとおり、これはあくまでも法科大学院の補完的なもの、もっと強く言えば、例外的なものというぐあいに言ってもいいと思いますが、したがって、法科大学院のいわゆる成熟度がきちっとなれば、これは将来は解消していただきたいというぐあいに考えております。
 以上でございます。
石井(啓)委員 それでは続いて、法科大学院そのものについてお伺いをいたしますが、藤川参考人、それから奥島参考人、お二人にお伺いいたします。
 法科大学院に関する批判の中で、要は、授業料も大変かかるということから結局裕福な家庭の子弟しか入れないのではないか、こういう批判がございます。法科大学院が、資力が十分でない者も学べるような、そういう門戸をやはり開いておくことが重要だというふうに考えます。
 奨学金ですとか教育ローン、あるいは授業料の減免ということがございます。これは政府がしっかりやらなければいけないところがたくさんあるわけでございますけれども、法科大学院側もぜひ御努力をいただきたいというところもございまして、この点についてお二方から御意見をいただきたいと存じます。
藤川参考人 お答えいたします。
 まさに御指摘のとおりでございまして、法科大学院に対する最大の批判というのはそこでございます。
 結局、多様な階層から法曹となるべき人をリクルートすべきものが、授業料という高い塀を設けることによって一部の人しかなれない。そうすると、今まで日本の法曹が非常に大きな階層から多くの出身者を呼び込んできた、それがむしろ活力を失うんじゃないかというのは、まさにそのとおりだと思います。
 その問題は、必ずしも授業料だけじゃない、三つあると私も先ほど申し上げました。一つは資力の問題。一つは時間的な問題、例えば老親を介護している家庭の主婦とか、そういうような問題もあります。それからあと一つは地域的な問題。この三つをどうクリアするかということだと思います。
 それで、一番身近な問題はやはり資力の問題だと思います。これは、今の奨学金制度でいいのか、もっと拡充する必要があるんじゃないか、御指摘のとおりだと思います。
 それから、ローンです。たびたびアメリカの話を出して申しわけないけれども、アメリカみたいな形で国家保証ローンというのは考えられないか。
 それから、私は中教審の法科大学院部会の委員をさせていただいておりましたけれども、そのときに鳥居先生が言っておられたけれども、慶応では大学が保証人になって奨学ローンをやっている。そんなことをしたら後で保証倒れが出て負担が大変じゃないかと先生に聞きましたら、非常に事故率が少ないということを言っておられました。
 そういうことを考えると、国保証のローンというものを考えてもいいんじゃないか。これは法科大学院だけではなくて、これからさまざまな専門職大学院ができたときにはそういうものを考えてもいいんじゃないかという気がします。
 それから、今三番目にありました、ロースクール独自が、それぞれの授業料減免、それからスカラーシップ、そういうものをつくる。それがその大学の一つの目玉といいますか、競争力になるということをやはり努力する必要があるんじゃないかと思います。
奥島参考人 この問題は、私は、その批判というもの自体が当たらないというふうに考えております。
 大体、司法試験に受かる人たちの平均年齢が二十七、八歳ということは、予備校に在学中からいれば七年も八年も通っているというのが実情であります。この人たちの予備校における支払いというのは、大学の授業料より高い金を払っているわけであります。要するに、法科大学院にする方が、一見高いように見えますけれども実際はむしろ安いということであります。私はそういうふうに思っております。しかし、例外的な人はいます。ですから、そのためには特別例外があってもいいというふうには私は思っておりますけれども、それは非常に制限された形でなければいけない、こういうふうに思っております。
 そして、先ほども私申し上げましたけれども、私たち私立大学連盟の方では、イコールフッティングという立場から、国に対して、私立と国立の場合の授業料格差等についての問題を、同じ競争条件にするために詰めてもらわなければいけないというふうに思って、この点については我々は明快な要求を出そうというふうに思って準備をしております。
 しかし、とにかく今の世の中では、御存じだと思いますけれども、国民生活金融公庫は行けば大体貸してくれるんです。ただ、これは、奨学金より若干でありますけれども利息が高い。奨学金の方も大体、今希望者というものについてはかなりの者が受けることができるようになっている。ですから、今度の法科大学院においては、奨学金制度とローン制度というものはぜひ充実してもらわなければいけない。恐らく、ローンということで授業料を借りたとしても、私に言わせれば、予備校で八年間滞留しているよりははるかに安くつくはずであるというふうに考えるわけであります。
 以上です。
石井(啓)委員 それでは、引き続きまして、法科大学院におきます成績評価につきまして、これは井元参考人と、それから引き続き奥島参考人にお伺いをいたしたいと思います。
 この法科大学院については、卒業した方は新しい司法試験に七、八割合格ができる程度の能力といいますか、そういったものを身につけるということが理想というふうに言われております。
 日本の大学は、ともすれば、入るのは難しいけれども出るのは易しいということで、学生が非常に学生生活をエンジョイする。そのこと自体は決して悪いことではないわけでありますけれども、事法科大学院については、入るより出る方が難しい、こういうふうな形にぜひしていただきまして、法曹養成の中核にふさわしい、まさに学びと研さんの場にしていただきたい、こういう期待がございますので、この成績評価についてお伺いをいたしたいと思います。
井元参考人 日弁連といたしましては、法科大学院の卒業生が大体七割から八割ぐらい司法試験に合格する程度のしっかりした授業をやっていかなければいけないというぐあいに考えております。
 一つの例といたしましては、これまでの大学では、四年間を通じて決まった単位を取れば卒業できるというようなシステムでございますけれども、法科大学院におきましては、各年ごとにそれなりの決められた単位を取っていかなければいけない、それに達しない人は進級ができない、いわば落第をさせていくというような方法を考えています。そして、もちろん成績評価につきましては厳格に行っていく。
 詳しいことにつきましては、本日お配りしております日弁連の提言と意見というような青い冊子がございますので、それをごらんいただければありがたいというぐあいに考えております。
 以上でございます。
奥島参考人 全く同意見であります。
 我々は、まず、プロセスを重視するに足りるだけの厳しい評価をしていかなければいけない。つまり、プロセスは、ただ時間の長さではなくて密度の問題でありますから、したがって成績評価は厳しくなければいけない。それから、同時に第三者評価でもってこの教育課程についての厳しい評価を下してもらう必要がある。その両方によってその点については担保できるのではないか、そういうふうに考えております。
石井(啓)委員 それでは、最後の質問をさせていただきます。田中参考人、それから藤川参考人にお伺いいたします。
 法科大学院の多様性ということでございますけれども、これは、多様なバックグラウンドを育てるという今回の法科大学院の理念、理想がございます。そういたしますと、現実問題としては、法学部以外の学部生あるいは社会人に対してどの程度の割合で法科大学院に入学をさせるのか、それが現実の問題になってくるわけでございます。
 私も、何割がいいという答えを持っているわけではございませんけれども、やはり相当数の割合が必要であろう。二、三割というのは少ないのではないかという御批判もございます。この点について、お二方から御意見をいただきたいと思います。
田中参考人 お答えいたします。
 法科大学院については、多様なバックグラウンドの人を積極的に受け入れるべきだという前提でいろいろな制度設計が考えられているわけでございますけれども、今おっしゃいました二、三割ということにつきましては、法曹養成検討会では、差し当たり、とにかく現状を踏まえた上で、出発当初においては三割以上を目指すのはどうだろうかというふうなことを言っておりまして、それは議論している過程で問題になりました。
 もちろん、各大学はそれぞれポリシーを決めて、自分のところは例えば特許とかそういうものを中心的にやる法曹を養成したいからといって理工系の人を積極的に取り入れる。それは全く自由ですし、多いのは幾ら多くてもいいわけですけれども、最小限どのあたりから出発しなきゃならぬかということを考えていきますと、現在の司法試験の受験者、合格者の率を見てみますと、いろいろな統計のとり方はあるようでございますけれども、一般に言われているのは、応募者が、法学部以外の出身者が大体二割ぐらいで、合格者が一割弱だ、あるいはもっと少ないというふうに言われております。
 しかし、そういった現状を、バックグラウンドが多様な人を入れるためにどういう方向に持っていくべきかということを考えていきますと、差し当たり、ミニマムなスタンダードとしてはそのあたりから出発するのがいいんじゃないか。これ以上いきなり強く規制しますと、現に法曹になろうと思って大学にいる段階の人はほとんど今のところ法学部が中心だと思うんです、そういう人に対して、ある種の逆に不利な状況になるというふうなことは出発当初の段階では避けたいということからこういう基準を目安にしたわけでございますけれども、当然これも、いつまでもこうあるべきだというふうなことではございませんでして、法科大学院を修了した人が司法試験にどういう仕方で受かっていくかという問題、あるいは、法科大学院が設置されたことに伴って法学部がどういうふうに変わっていくかというふうな状況を見きわめながら、多様性を確保するという方向に進んでいくものだというふうに了解しております。
藤川参考人 お答えいたします。
 私の先ほど申し上げました中央教育審議会の法科大学院部会の委員の一人に、ある大手自動車メーカーの法務部長がおりまして、その人がその委員会で言っておられましたけれども、法学部四年でロースクール三年、短縮コースで二年ですけれども、六年、七年なり、青春の一番重要な時期に法律しか学んでこないような人を私は自分の法務部の社員として採りたくないよということを言っておられました。
 お話しのとおりで、法学部以外の多様な人材を集めるということは、これからの日本の法曹の足腰を強くする、それは日本経済そのものの足腰を強くする意味で非常に重要だと思います。検討会が三割以上という基準を出して、二割に達しない場合には個別に審査をするという基準を示しておりますが、私は大変不満であります。暫定的にはしようがない、先ほど田中先生がおっしゃったように、今の現状から激変緩和措置としてはそういうことは必要だと思いますが、やはりそれはだんだん減らしていく、法学部の出身者を減らすという意味でございますが、減らしていくべきものであると考えます。
 これは、某国立大学のロースクール、法科大学院の中心になっておられた先生が法律雑誌で書いておられます。他学部出身者は二五%が限度だ、何となれば、それ以上ふえると法学部が空洞化するということをはっきり書いておられます。それは法学部のエゴというものだと私は思います。何のためにロースクールをつくるのかということについて、法学部のための法科大学院ではないということを確認する必要があると思います。
 以上でございます。
石井(啓)委員 以上で終わります。大変ありがとうございました。
山本委員長 次に、石原健太郎君。
石原(健)委員 自由党の石原でございます。本日は、どうもありがとうございます。
 初めに、田中先生、藤川先生、そして奥島先生にお尋ねしたいんですけれども、第三者評価機関のことです。
 私は、幾つかの評価機関が競い合って評価をするということがいいのではないかと考えておりますが、第三者評価機関の認証の基準についてどのようなお考えをお持ちか、また、どんな御要望を持っておられるか、その辺をお聞かせいただけたらと思います。
田中参考人 第三者評価の仕組みをどういうふうに設計するかについては、いろいろ議論があったわけでございますけれども、やはり複数で民間の形、民間のものも積極的にあった方が望ましいというふうな制度設計になっておりまして、現実問題としてどの程度でき上がるかわからないですけれども、例えば、この第三者評価の一つの典型として、工学系に関しては現在でも複数ありまして、大学評価・学位授与機構じゃなくても、ほかにJABEEという制度がありまして、その両方の評価を受けているという大学は結構たくさんございます。
 ですから、法科大学院に関しましても、それぞれ司法制度改革の理念に沿った法曹養成についての理想像を掲げて第三者評価を行う機構が複数出てきても、当然それは十分考えられることでございます。
 ただ、認証基準に関しましては、法科大学院を修了した者について司法試験という国家試験の受験資格を認めているということから、法科大学院の教育の質の維持向上を図るという促進的なものと同時に、やはりミニマムスタンダードはきちんと押さえてもらわないと困る。そういうふうな基準につきまして、法曹養成検討会でもその大枠的なものの方向については議論しているわけでございますけれども、そういうものを踏まえた機構の認証基準がつくられる。
 ですから、すべてとは申しませんけれども、そういった骨格的な部分を踏まえて認証していただかないと、認証機関がそれぞれ勝手に評価基準をつくって、あるところは非常に高い、あるところは非常に低いというふうなことになってくると、それはまた問題だと思いますので、ある程度一定のレベルを決めた上で、自分のところはこういう方向にウエートを置いて、こういう方向に促進するために評価していくんだ、あるいは、自分のところの評価機構はこうなんだというふうな、特徴のある評価システムをつくって、場合によったら、一つの法科大学院が複数の評価機構によって認証を受ける、そういうことも十分にあり得るんじゃないかというふうに了解しております。
藤川参考人 お答えいたします。
 実は、第三者評価というのは、法科大学院の質を確保する意味で極めて重要な役割を負っております。その第三者評価の担い手である第三者評価機関、これをいかに国家として認証するか、それがまた一番のポイントであると考えます。
 そういう意味で認証基準をどうするんだ。新聞記者というのはそういう細かな話になりますと非常に弱いのでありますが、しかし、第三者評価を厳格、適正に行える機関、そしてまた、法科大学院の質を向上するという自助努力、それを促すような機関でないといけない、そのような機関が認証されるような基準でないといけないと思います。
 具体的に言いますと、組織といいますか、まず、どういうメンバーを入れているのかという、組織構成の問題。アメリカのABAなりAALS、法科大学院協会の基準などを見ていますとピアレビューという考え方がありますけれども、今度の第三者評価機関の設定というのは、単に法科大学院だけではなくて、需要者やそれから外部の有識者を入れるということを言っております。ユーザーの目を入れるのは、僕は重要だと思います。そういう意味で、構成がどうなっているのか、それから、的確に認定する能力があるのか、それから、財政的基盤がどうなっているのか、その辺についてやはりきっちりした認証基準をつくる必要があると思います。
 それを認証しておいて、あとは、お話ししたように僕は複数が必要だと思います。複数の機関がお互いに競争し合って、的確な第三者認定を行うということが必要ではないかと思います。
奥島参考人 お答えします。
 複数必要であるというふうに思っております。複数必要であるということが、品質管理というか、品質保証を確かなものにするだろうというふうに思っております。
 問題は、要するにそれぞれの評価機関がどういう内容を持つ評価機関になるかということが一番大事でありまして、その場合には、基本的にはピアレビュー、つまり同僚による評価というのが一番中心にならなければいけないと思いますけれども、同時に、今回は法律を国民のものにしようというわけでありますので、そういう意味では、利用者側のしかるべき人をどういう形で入れるか、そのあたりに一工夫が要るのではないかというふうに思っております。
 以上です。
石原(健)委員 今、いろいろなところで大学院の設立構想が進んでいると思うんですけれども、その場合、これからいろいろ議論をされると思うんですが、国公立と私立の学生数の比率はどのくらいが妥当だと考えていらっしゃるか。先にお名前を言えばよかったと思うんですが、藤川先生と井元先生にお尋ねしたいと思います。
藤川参考人 お答えいたします。
 非常に答えにくい、私立、公立をどのくらいの比率にすべきかというお話でございますが、一つは私はこう考えているんです。
 東京とか大阪とか、あるいは名古屋でも結構です、大都市部というのは、私立大学がたくさんあります。先ほど来の適正配置というものを考えた場合には、民でできるものは民でやらせればいいではないかと。とすると、私立大学がたくさんあるところは私立大学にやらせればいいではないか、民でできないような地方とか、そういうところを国立にやらせたらいいんではないかという気がいたします。
 問題は、先ほどから繰り返し述べておりますように、公と私の授業料の格差です。それをうまく調整できれば、僕は、民でできない地方こそ公でやるという考え方があるんじゃないかと思います。
 それからもう一つ、公と私の考え方のあれは、やはり私学というのは、建学の精神というものがあると思います。建学の精神を大切にするという意味で私立が頑張ってほしいという点はあるんです。
 以上でございます。
    〔委員長退席、塩崎委員長代理着席〕
井元参考人 大変難しい質問をちょうだいいたしておりますが、具体的に何校ずつが適当であるかということについては、日弁連も深くは考えておりません。
 日弁連といたしましては、意見書に書いてある、設置基準を満たす法科大学院については広く参入を認めるべきである、それと並行いたしまして、全国に適正に配置すべきであるということが、一つの基本になっているというぐあいに考えております。
 先ほど藤川先生の方から、中央の東京等は私学がたくさんあって、地方には私学が少ないというお話がございました。まさしくそのとおりでございまして、我々は、全国適正配置といった場合に、各地方にそれぞれ法科大学院を設立して、その地方に根づいた法曹を育てたいというぐあいに考えておりますので、できるだけ地方の国立大学が法科大学院を設置してもらいたいというぐあいには基本的に考えております。
 以上でございます。
石原(健)委員 田中先生にお尋ねします。
 細かいことで恐縮なんですけれども、今考えられているカリキュラムでは、春、夏、冬の休みをとって、学生は一日何時間ぐらい授業をするようになるんでしょうか。それから、なおアルバイトなんかもできるような余裕があるかどうか、お尋ねいたします。
田中参考人 お答えいたします。
 カリキュラムに関しては、各大学によって、時間数の違いがあったりして、かなりばらばらしておりますけれども、三年間で九十三単位というのは、一年にほぼ三十単位ずつ取っていくことになるわけでございますけれども、学生は、少なくとも午前、午後、一こまずつ出ていくということになって、それに関して、やはり双方向的な授業をやりますから、単に授業時間だけじゃなくして、授業に出るために相当時間準備をするということと、それの復習をするということを考えてみると、やはり年間三十単位を取るというのはかなりハードなものでございまして、週末もつぶして準備をしなきゃならぬということから、やはりアルバイトをやるというのは非常に難しい。そういったことから、奨学資金とかローンなどについて格別の配慮は要るんじゃないかというふうに考えておりまして、これはかなりハードな時間割りにならざるを得ないというふうに了解しております。
    〔塩崎委員長代理退席、委員長着席〕
石原(健)委員 戒能先生にお尋ねいたします。
 今度の法科大学院には賛成できないというようなお話でした。先生が描かれている今後の制度、仕組みとか、その辺についてちょっとお聞かせいただけたらと思います。
戒能参考人 御質問ありがとうございます。
 私は、法科大学院について、全くそれが意味がないとかいうふうに考えているわけではなくて、何といっても基本は司法改革である、その司法改革を進めるための手段として、法科大学院は一つのアイデアとしてあり得ると思っています。
 しかし、それは極めてリスキーだと思うのですね。先ほど言いましたように日本の教育体系全体に影響が及びますし、それから、先生方の御意見は法学部に対する評価が非常に低いんですけれども、法学部は法曹になる人だけをつくってきたわけではないんですね。いわゆる法的な素養のある市民といいますか、あるいは企業人というのは非常に重要ですし、私の見るところでは、かなり重要な役割を果たしていると思うんです。その法学部というものをきちっと設計しないで、法科大学院だけをつくることにのみ躍起になってしまいますと、これは日本にとって大変な損失になると思います。四万六千というふうに年間出てくる法学部生が、今のところではどんどんこれは減っていくわけですね。減っていったかわりに法科大学院ができるからいいんじゃないかということになりますが、しかし、減った部分というのは、現実に既に企業とかいろいろなところへ出ていきますし、もう一つは、法曹だけでなくて、各種の資格試験とも関連しているわけですね。
 ですから、そういうような意味で、法科大学院をつくるにしても、それはもうちょっと教育体系全体の総合設計が必要である。とりわけ、専門職大学院というのは、これはやはり日本におけるプロフェッショナルエデュケーションをどういうふうにするかという全体的な設計の問題でして、そして、私が特に痛感するのは、そういう専門職としての法曹を考えたときに、日本に特に不足しているのは、国際的な法務で十分太刀打ちできる法曹が非常に不足しているんですね。今のような法科大学院の設計で果たしてそういうような国際感覚に満ちあふれた法曹ができるかということは、要するにこれは日本の国内法の授業というのをを中心にして組み立てているわけですから、そういう意味では、同じような法科大学院がたくさんできても、現在の国際法務状況にはとても太刀打ちできないというように考えております。
 ですから、私が言いたい要点というのは、法科大学院は一つの試行錯誤を必要としている、いきなりこれを司法試験に結びつけて、それを出なければ司法試験を受けられないようにしてしまうというのは、やはり余りにも拙速であるというふうに考えております。
石原(健)委員 奥島先生と戒能先生にお尋ねいたします。
 将来、司法試験の合格者三千人を目指すというふうになっておりますが、この数字についてどのようにお考えになっていらっしゃるか、お聞かせいただけたらと思います。
奥島参考人 三千人という数は当面の数字であると私は考えております。恐らくもっと必要になってくると思いますけれども、しかし、この三千人が実現した段階で、実際に日本で法曹養成をどれぐらい必要とするかということが大体見えてくるはずでありまして、その段階にまた考えればよろしいのではないかと思っております。
戒能参考人 私は、三千人という数についても、先ほどから同じようなことを言っていて恐縮なんですけれども、日本には、弁護士等々のいわゆる法曹以外の準法曹、準法律職というのが、司法書士を初めいるわけですね。その司法書士等々のいわゆる隣接法律業務を含めて、どのように日本の将来的ないわゆる法律家像をつくっていくかということについて、現在議論されているのは、専ら弁護士、裁判官、検察官、そういうレベルですね。しかし、先ほどから町の法律家というような話を藤川さんその他されましたが、現実に町の法律家的役割をしている、例えば司法書士さんたち、それと、これからふえるであろう弁護士さんとはどういう関係になるかとか、そういうことについての設計も私はないというふうに思っています。
 ですから、そういう意味で、先ほどからの三千人とかいう数は、やはり日本の法曹あるいはその周辺にいるいわゆる準法曹たちの構造を分析していかなければ、下手をすれば三千人という数も過剰になるというふうに思っております。
石原(健)委員 どうもありがとうございました。
山本委員長 次に、木島日出夫君。
木島委員 日本共産党の木島日出夫です。
 五人の参考人の皆さん、大変ありがとうございました。
 私も、現在の司法試験制度、法曹養成制度はもう限界に来ていると認識をしております。そして、法科大学院が設置され、昨年の審議会の意見書にあるように、本当にプロセスとして法曹が養成される、そういう充実した理念どおりのものになるようにしなければならないと考えております。
 しかし、そのためには、私は、大きく二つの危惧を持っている。一つは、法科大学院そのものが予備校化してしまう危惧を持っております。それは、今、全国各地の法科大学院設立のために準備されている皆さんの状況を聞きますと、大体、法科大学院の定員が四千から六千になるんじゃないでしょうか。一年で四千から六千卒業して出てくる。将来構想ですが、司法試験合格者が約三千と設定されます。そして、今度の司法試験法によりますと、法科大学院修了者も五年以内に三回は受験資格が与えられるという状況になりますと、法科大学院は修了したけれども、激烈な競争試験に勝ち抜かないと司法試験に合格できないという状況もある面では生まれてくる危惧があるわけです。その辺をどう考えるのか。これは、自由に法科大学院を設立する、特に民間が大事だということで、創意ある法科大学院をつくる、文部科学省の規制をできるだけ排除するということと同時に、数の問題で、そういう司法試験受験資格というものとの関連で危惧があるということを五人の参考人の皆さんはどう考えるのか、お聞きしたい。
 もう一つ言ってしまいますと、もう一つの危惧は、せっかくつくられた法科大学院が、予備試験、バイパスルートがつくられ、その太さがまだ定まっていない、それが太くなることによって淘汰されてしまうんではないかという危惧であります。
 ことしの司法試験状況は、先ほどありましたが、四万五千を超える受験生であります。合格者が千二百と、すさまじい状況であります。数年間にわたる予備校を経なければ到底合格できないような状況が極限にあるわけでありまして、予備試験コース、バイパスルートが一定の大きさを持ってきますと、私はこれは減らないんではないかということを考えますと、やはり、今回の司法試験法による司法試験の中身を見ますと、余り変わろうとしていない。短答式と論文式ですね。司法試験法改正法の三条の四項には「知識を有するかどうかの判定に偏することなく、法律に関する理論的かつ実践的な理解力、思考力、判断力等の判定に意を用いなければならない。」とは書いてありますが、何を試験するかといったら短答式と論文式なんですよ。根本は変わらない。そうすると、やはり淘汰されてしまうんじゃないかという危惧を持っています。
 その二つの危惧に対して、参考人の皆さんはどう考えるのか。率直に、今までの論議を踏まえて、新たにつけ加えることがありましたらお聞かせ願いたい。
田中参考人 お答えいたします。
 今御指摘の二点に関する危惧というのは、制度の設計に当たっていても非常に気になっておって、そのあたりについていろいろ配慮しながらやっているところでございます。
 そして、まず法科大学院が予備校化するんではないかということでございます。予備校化というのは、要するに、司法試験に受かるための教育をするというふうなことは、法科大学院をわざわざつくって法曹養成制度を抜本的に変えるという趣旨に反するわけでございまして、まず、法科大学院がそれぞれ、自分の法科大学院ではこういう法曹を養成するんだというビジョンをしっかり掲げて、それに合わせた教育を行っていくということにいたしまして、そして、司法試験というのは、やはり基本的にはそういった法科大学院のカリキュラムを踏まえた上で、その成果を確認するというふうなものに変わっていくべきだというふうに考えております。
 確かに、おっしゃるとおり、法科大学院がたくさん立ち上がって、修了者がたくさん出て、そして司法試験の合格者が少ないとなると、おっしゃる危惧は生じるわけでございますけれども、それは、法科大学院で修了する学生の教育内容を踏まえて、それがしっかりしたものであればそれに応じて司法試験の合格者というものはふえていくものだ。三千人云々というのはやはり差し当たりの目標でございまして、いい法科大学院ができればそれに応じて司法試験の合格者もふやしていく、そういう仕組みになるんじゃないかということでございまして、そういった意味では、司法試験のバリアというものはできるだけ低い、軽いものになっていくのが望ましい。そうでない限りは、おっしゃるような予備校化の危惧があり得るということは認識しております。
 それから、予備試験の問題につきましては、今まで何度か御質問に答えたとおりでございまして、今話しましたような形で、法科大学院がそれぞれ独自の法曹像に合わせてカリキュラムを組んでいくということを妨げる、つまり、法曹養成の中枢的機関としてプロセスとしての教育をきちんとやるということを妨げるようなサイズ、レベルのものになるべきではないというふうに理解しておりますし、制度設計もそういう点に配慮して、予備試験の内容全体で工夫されていると思いますし、運用については当然そうなっていくというふうに考えております。
 しかし、いろいろやるにしましても、基本的には、法科大学院において充実した教育がなされて、それに合わせた制度設計になっていくということが肝要でございまして、やはり、法科大学院を設立しようとする者が第一弾的に努力をしてこういう危惧が生じないように配慮する、その上で、制度的な設計をそれに対応したものにしていっていただきたいというふうに考えております。
戒能参考人 非常にいい質問を木島委員にしていただいたんですが、一番重要な問題として意外に今まで議論されていないのは、法科大学院の教員を一体どうやってつくるかという議論がないんですね。
 つまり、現在は、確かに法学部を教えてきた教員がいますし、それから、弁護士さんの中には、大学で教えてみたいというふうに考えていらっしゃる弁護士さんたちがいて、それが非常に意欲的にやっている側面がありますが、法科大学院が立ち上がって以降の研究者といいますか、法科大学院教員はどうやって養成するんでしょうか。
 これは、一部には、法科大学院で養成すればいいという意見もあります。法科大学院にみんな入って、そして、その後に博士課程後期にいけばこれでいいんだというふうに言いますが、例えば、法学には、さっき奥島先生なども言われているように非常に哲学的な要素もありますし、それから、日本の法は特に継受法であります。継受法というのは外国から入ってきた法。したがって、ドイツ、フランス、あるいはアメリカ、イギリス、つまり外国の法を研究するというのが非常に必要ですし、そういう授業も必要なんです。
 ところが、そういうことを教える先生をつくるためには、一番大事なのは語学です。法科大学院では語学というのは必修になっておりませんので、これはいわゆる我々の言葉では基礎法系というのですが、基礎法系の人たちは法科大学院では基本的に養成できないと思います。
 それから、法科大学院はアメリカをモデルにしたというふうに言われておりますが、アメリカのいわゆるトップロースクールというのは、基本的に実務を研究する機関、つまり、単に実務を教育する機関ではないんですね。ですから、彼らの基本的資質はまず研究者であるということが基本的条件で、研究論文がない人はロースクールの先生にはなれません。ところが、現在言われている専門職大学院の一般的制度としては、専門職大学院の教員は、研究をする必要はない、むしろ教育をするんだというふうに言っているわけです。これは非常におかしい議論でありまして、我々の常識では、大学で教えるということは、仮にプロフェッショナルスクールでも、やはり研究を抜きにいい教育はできないというふうに思います。
 そういう意味で、私が一番危惧をするのは、法科大学院ができても、法学は残りますし、研究者養成コースの大学院も残りますので、我々はそれを全部やらなければならない。果たして我々にその研究する時間が出てくるでしょうか。
 つまり、法科大学院でいい教育をするためには、研究が必要です。そのような研究時間は、私に言わせれば、まず不可能です。したがって、しばらくは法科大学院は必死の努力で動くかもしれませんが、そのうちみんな疲れてきて研究ができないという、研究のない、要するに非常に技術的な教育になりかねない。まさに木島委員がおっしゃったように、そうしたらどうなるでしょうか。いかに試験に受かるように教えるか。要するに、できるだけエネルギーをセーブして、試験に受かりそうなところだけを教える、そういうふうになる可能性は十分あります。それが私の危惧するところでございます。
藤川参考人 お答えいたします。
 実は、法科大学院の予備校化というのは、多くの方が心配されている非常に重要な問題です。
 過日、ある私立大学の法科大学院設立の責任者と話をしていましたら、非常に気にしておりましたのは、質の高いさまざまな講座を設定して社会の需要にこたえられるような教育をしたいと。その反面、先ほど先生御指摘のように、今九十八校が名乗りを上げていて、その定員を積み上げますと、五千あるいは六千になる。一方、目標とされている司法試験の合格者は三千人です。そうすると、幾ら良心的な質の高い教育をしても合格率が低い。となると、受験を重視した教育をせざるを得なくなる、そこが今私ども実務家として一番頭を悩ませているところですと、正直なことを言っておりました。
 私どもは新聞記者ですから、わきから言って、いや、そうは言っても、今戒能先生がおっしゃったけれども、別な意味で私は申し上げたいんですけれども、一体今ロースクールの先生になれる人がどのくらいいるんですかと。むしろ、そこからおのずと絞られて九十八もできないでしょうということを申し上げたんです。そこから絞られていくというと、必ずしも九十八、五千、六千までいくかどうかはわかりませんが、ただ、そういう問題があります。
 なぜそういう問題が起きるかというと、先ほどの奥島先生のお話じゃないですけれども、大学で一生懸命むだを勉強しないといけない、むだがきっちり司法試験の結果なり成果に反映するような司法試験をつくらなければいかぬ。
 そうすると、二つ目の御質問にかかわってくるのですが、御質問の趣旨は、どういうふうに司法試験をつくるんだ、バイパスが減らないどころかむしろそれが大きくなって、法科大学院が淘汰されるんじゃないかと。そういうことはまさに司法試験のあり方の問題です。
 ペーパー試験という宿命。あるいは、今度の司法試験は口述をなくしました。私は職業柄言うんじゃないのですが、会って、まあ三十分じゃちょっとあれですかね、一時間なり話をすればどれだけの能力があるのか、本当は面接をすれば一番その人の能力がわかると思うのですね。じっくりやればわかるのですけれども、このたびはその口述がなくなってしまったので、ちょっとそこは危惧していますが、法科大学院で、むだなり、受験勉強でない勉強を、幅のある勉強をしてきたということを司法試験でどういうふうに検証するか、そういう司法試験をこれからやはり苦労してつくっていかざるを得ないと思います。
井元参考人 藤川さんがおっしゃったことは、私も同じような考え方を持っておりまして、まず法科大学院の司法試験の予備校化、これは日弁連も従前から危惧をいたしております。
 そこで、どうやったらそうでなくなるのかという問題がございますが、一つには、やはり司法試験というものを、先ほど私のプレゼンテーションで申し上げましたけれども、軽いものにしていく、要するに、法科大学院の教育を適切にきちっと履修しているかどうかという判定をするという程度のものにしていくというのが非常に必要じゃないか。
 そして、その一方で、法科大学院の教育内容につきましては、先ほどから申し上げていますように、極めて厳格な成績評価とそれから修了認定をしていく。その中で、落第という言葉は最近使いませんけれども、進級ができないという人間があるいはたくさん出てくるんじゃないか。そういう厳しい法科大学院の教育をすることによって、おのずと司法試験の受験者の数が絞られてくるんじゃないかというぐあいに我々は考えております。
 大体そういうことでございますが、いずれにしても、司法試験のあり方というものが今後極めて重要な問題になってくるんじゃないかというぐあいに考えております。
 以上でございます。
奥島参考人 お答えいたします。
 第一点は、私は、競争社会、つまり国際的な競争社会に対応するためのロースクールのあり方を今回は追求しているんだというふうに考えます。要するに、ロースクールというのは、競争の中で鍛えられていく、競争の中で絞られていくという形になる。これはやはりフィロソフィーの上からいってそういう方向にならざるを得ない。そういう意味で、合格者の数との比率でもってそこを制限するわけにはいかないというふうに思っています。
 各ロースクールがそれぞれ競争し合っていいものをつくっていく、その中でおのずとロースクールも淘汰されていくというふうに私は考えます。
 第二点。予備試験でありますけれども、予備試験を通ってしまったような人は、今度のやり方だったら口述もないわけでありますから、恐らく全部通ってしまうでしょう。したがって、予備試験が大きなバイパスになる可能性がある。
 したがって、私たちが考えているのは、ロースクールの教育自体が非常にソクラティックメソッド、つまり、対話形式の少人数の密度の高い教育をするわけでありまして、第三者の評価機関にその点の評価ということを十分してもらうことによって質を高め、つまり、口述試験がなくてもそれを優に凌駕するだけの質を高める、そういう方向で努力をしていく。したがって、予備試験に通る者というのは、そういった教育を受けていない者でありますから、それに応じた試験のやり方も考えなければいけませんし、また、そういった特別、例外的な試験であるということであります。プロセスを経てこない者にプロセスの質というものをどういう形でもって保障するかということになりますと、おのずとこの試験のあり方というものは非常に例外的なものになり、そして難しいものになるはずでありますので、私たちは、そういう方向でもってこの問題を考えていく必要があるのではないかというふうに思っております。
 以上です。
木島委員 時間も少なくなってきました。
 司法試験、そこで絞り込んでしまうと、受験生が多いと、やはり数が質をだめにしてしまうという危惧を私は持っている。それで、逆に入り口の方のところで絞っておく。今の日本の医学部と医師国家試験との感じなんですね。医学部に入るのは物すごい難しい、しかし、徹底的に六年間医学の教育を受ければ大体七、八割は医者になれるという方がいいのではないかなということを私は感じている。
 残念ですが、質問時間が来ましたから、これで終わります。ありがとうございました。
山本委員長 次に、植田至紀君。
植田委員 社会民主党・市民連合の植田至紀と申します。本日は、それぞれ五人の先生方、お忙しい中、貴重なお話を伺う機会をいただきまして、本当にありがとうございました。まず御礼申し上げます。
 ちょっと私ごとですけれども、きょう、上の方、三階でもう一つ所属しております委員会が重なっておりまして、実はこの間の質疑の方はちょっと聞く機会がなかったものですから十分に聞いておりませんので、重なる部分がもしあったといたしましたら、お許しいただきたいと思います。
 きょうは私、一点だけ、五人の参考人の方々にお伺いをしたいのです。
 端的にいいますと、法科大学院という新たな専門職大学院を創設することの必然性といいますか、従来の法学部また法学研究科や大学院、それを何らかの形で改革、改変することを通して今言われている課題に対応することは不可能なのかどうなのかということ。その一点だけ、きょうは五人の方々にお伺いしたいのです。
 といいますのは、私、今回の法案で質疑させていただくに当たって、ずっと法案そのものに当然ニュートラルに臨んでおるわけですが、いずれにしても、審議会の意見書の中で、法曹に対する需要の多様化、高度化、そして法曹の質と量の拡充というのは不可欠だというふうに結論づけられていること、そのことは全く、私も一国民の立場から考えて、そのとおりだと思っております。そして、その帰結として、一つ、専門職大学院を創設するというこの考え方についても、私は、そうした専門職大学院ができることは望ましいというふうに思ってまいりました。とりわけ、その専門職大学院がこうした意見書で言われているところの期待にこたえ得る、それにたえ得る教育内容をしっかりと持って、多様性が保障された、また当然、大学の自治、教育の自由というものが保障された中で発展していくということも望ましいことだ、そういう前向きな思いで質疑に立たせていただいてきたわけなんですが、どうも、推進本部、法務省さん、また文科省さんの答弁をこの間、質疑の中で聞いておりますと、一言で言いますと、つくりながらでき上がりを考える、そういう答弁が非常に多かったように思うわけです。その意味で、この法案はマルかな、ペケかな、そういう判断をするにたえ得る素材が十分に政府の答弁の中で提供していただけてないな、そういう危惧を私はずっと持ってきたわけです。
 そして、とりわけ私がこだわってきましたのは、先ほどの木島先生とのやりとりの中で戒能先生もおっしゃっていましたけれども、実際の教育内容もさることながら、じゃ、その教育内容を実際に実践する教員をどう養成していくんだ、その教育方法、そのスキルをどう開発していくんだという議論が欠落しているなという気持ちを私自身ずっと持ってまいりました。
 例えば、答弁の中ではこういう話を政府、推進本部はおっしゃるわけです。とりあえず、当然実務者教員も入れるわけだが、法学部の既存の先生方に実務の研修というかそうした経験もちょこっとしてもらって、そして法科大学院の先生としてやっていただくと。では、出発点はそういうことでいいのかなと。もうちょっとこの辺のところは子細にやはり検討していかなければならないんじゃないかなという気持ちを非常に強く持っているわけです。
 端的に言えば、法科大学院はできた、そしてまた新たな法曹人の理想像に向かってその法科大学院の中で教育内容、こういうことをやりましょうということも、それはそれでいいとしても、では一体だれがそれを教えるのということがどうも不安になるわけです。
 私自身法学部の出身でありませんので、実際の今の法学部が、そこでの学部教育がぬるま湯なのかどうなのかということは私判断はつきませんし、私も学部での経験がございませんからわからないんですけれども、実際に、今回こうした新たな法曹人を養成していく、そのために、ではトータルの大学教育、とりわけ法学部また法学研究科等々、そうした改革の中で今回の問題が語られてきたかどうかというと、どうも法学部や今の大学院の役割では新たな法曹人はつくれない、では改革することができるか、それは困難だということがもう前提にあったような気がします。
 ただ、そのことを前提にしてしまえば、では既存の法学部また法学研究科で実際教鞭をとっておられる先生方、研究者の方々の存在というのは一体どこに行ってしまうんだろうというふうに私は思っているわけです。さる国立大学では、法学部の研究科にロースクールを接ぎ木するような、そんなことになるような話も聞いておるわけですけれども、実際、今の法学部また研究科、そうした中でのカリキュラムなり、またその仕組みなりを変えていくことで対応がそもそもできなかったのかどうなのか。
 例えば、今の司法試験が限界に来ているという話も、みんな九割以上が受験予備校に通って、そして受かっていくので、どうもとりわけ応用問題は苦手だという傾向が見られるなんというような話が答弁であったわけですけれども、それはあくまで受ける側の主体の問題であって、今度、逆に教育する側の問題というのがどうも私としては語られていないのではないかというのをずっと感じているわけです。
 というのは、実際の法学部にも優秀な、またそうした実務経験のある方も今でもいらっしゃるでしょうし、またそうしたことにたえ得る先生方も十分いらっしゃると思います。仕組みの問題で、今の法学部なり法学研究科の仕組みがなかなかそういうものを困難にしているというのであれば、教育なんというのは人なわけですから、実際、教育者の不断の努力によってそうした限界を常に突破してきたということがやはり教育の歴史であろうかと思うわけなんですけれども、冒頭申し上げましたように、既存の法学部、そして大学院、こうした中での機構なり体制、またカリキュラム、そうしたものを見直す、改革する、そういうことを通じては全く対応し切れないというのかどうなのか。その点のところをお話しいただければと思うんです。
 それと、日弁連さんの方には、私も今いただいたばかりなので十分読んでいないんですが、「法科大学院の教育内容・方法等に関する提言及び意見」と、非常に詳細にわたって記述されております。ここで日弁連さんが取りまとめられた中身というのは、法科大学院というところでしかできないことなのかどうなのか、既存の法学部なり学部教育の中でこうしたことを反映させることはもはや無理だということなのかどうなのかということもちょっとお話しいただければと思います。
 五人の先生方、お手数ですが、よろしくお願いいたします。
田中参考人 お答えいたします。
 今御指摘の点を考える場合、法科大学院構想とか今回の法案が提出されるまでの議論のプロセスを見てみますと、これらは八〇年代の終わりから、現在の司法試験制度をどういうふうに変えるかという問題と、法曹人口をどうしてふやしていくかという問題について、十年余り議論が続けられてきて、そこでいろいろ改革も行われてきたわけです。
 そういうものに対応して、大学の従来の学部の法学教育も、もちろん直接的には司法試験だけではございませんけれども、社会のニーズの多様化に対応するためのカリキュラムの再編成、そういったことを検討してきたわけでございまして、そういう中で、学部の改編によって対応できるんじゃないかということはもちろん我々は考えてきたわけです。
 そういう形で対応できる大学もあることは事実でございますけれども、現在、法学系の大学というのは九十余りございまして、学生数は一学年四万五千人を超えているという状況でございます。そういうものをすべて法曹養成に向けて再編成するというのは、現に法学部で学んでいる学生のニーズとは合わない。そういう多様な目的を持って法学部に来ている学生の中で、現在のところはごく一部分である法曹志望者と一体的に教育していくということはやはり限界に来ている。法曹になりたいという人に対しては、やはりそれに見合う高度な教育をしていくとなっていきますと、現在の学部の四年の課程では、やはりリーガルマインドをきちんと身につけさせることができない。そういうことから、法学系の学部では、十年ほど前から高度専門職業人という専修コースをつくって、実務志向的な教育を行うように大学院でも対応してきました。
 しかし、大学院で対応してきましたけれども、やはり受け入れ状況の問題、もちろん法学教育の場合、よかれあしかれ、国家試験とかあるいは企業の人事施策によって影響されるわけですけれども、それへの対応がうまくいかなくて、大学院で対応するというにもやはり限界があるというふうなことから出てきたわけでございます。
 そして、国際的に見ましても、やはりこういうプロフェッショナルの養成というものは、ほとんど大学院段階で行っているというのが現状でございまして、日本のように学部修了でプロフェッショナルになっていくというのは、やはり国際的に見た場合には異常なシステムだということもございます。
 そういうことから考えてみると、やはりこの際、法曹人口が増員されることになり、それに合わせて司法試験の合格者もふやすならば、やはり学部の教育だけではなくて、大学院レベルでそれに合わせたプロフェッショナルな教育を新たに展開する必然性があるんじゃないかということでございまして、これは、理科系におきましては既に二十年ほど前から、修士課程を終わって就職するという状態がほとんど一般的になってきているわけでございますけれども、文科系だけが、そういうプロフェッショナルな教育を行うための大学院の設置というのがおくれていたわけでございます。
 そういう状況から見ていきますと、やはりいろいろな選択肢の中から新たに法曹養成という目的に特化する。それは、教育効果ということから見ましても、いろいろ多様な進路を志望して学んでいる者に比べると、やはり法曹になりたいという人に焦点を合わせて教育する方が効果も上がる。これは、教える側も教えられる側も意欲が高まるということでございます。そういったことから、質のいい法曹を多数養成するということから見れば、やはり法科大学院という法曹養成に特化したものをつくるのが適切ではないかということとなったわけでございます。
 それから、御心配の教員の問題でございますけれども、確かに、実務経験のない教員が担当することについて不安を持たれるのは事実でございますけれども、ただ、法科大学院というものは、やはり基本的には法学の理論的教育と実務的教育の架橋を行うわけでございまして、現在のシステムでは、こういう法科大学院を終わって、司法試験を経て、司法修習を経てと、そういうプロセスとして教育を行うことになっている。
 そういったことを考えますと、従来、法学の教員でも実務経験がなくても実務に関心を持っていらっしゃる人はたくさんおられるということが考えられますし、さらに、教育をするにいたしましても、戒能参考人は、先ほど研究能力を問題にしない設計になっているという話がありましたけれども、これは全く誤解でして、大学院レベルにつくって研究をベースにしない教育をしないということはあり得ないのでありまして、やはり研究実績を踏まえた教育を行う。そうなりますと、現在の大学の教員でも実務家の協力を得ながら教育をすれば、新しい法科大学院において現在必要とされているような資質を持った法曹を養成する、これは町の法律家だけじゃなくて国際的な視野を持った者も養成できるという体制は整備できると思います。
 ただ、この点につきまして、藤川参考人がおっしゃいましたように、やはりどれだけの法科大学院が立ち上がるかというのは、そういった法科大学院において適切な教育を行う教員がどれだけ確保できるかということが決定的な問題になると思いますので、現在言われているほど多くの法科大学院は立ち上がることはないのじゃないかというふうに思っております。
 以上でございます。
戒能参考人 参考人同士で論争してはいけないそうなので、田中先生から言われたことについてはちょっと私も意見がありますが、植田委員の御質問にお答えします。
 私は、やはり法科大学院の一つの問題として考えておりますことは、教育の方法ですね。
 これは、アメリカのロースクールを参考にしてもちろん考えられてきているわけですが、アメリカの場合と日本の場合とでは、何といっても法体系が全然違います。田中先生がおっしゃるところの双方向的な教育というのは、これは基本的にケースを前提にした、つまり判例を前提にした法である場合にはそれは可能だと思いますが、アメリカでも、例えばUCCつまり統一商法典の教育は、これは基本的にはレクチャーメソッドでやっています。
 つまり、条文がたくさんある分野については、いわゆるソクラテスメソッドというのは不可能なんですね。それは当たり前の話で、私自身も経験がありますが、自分の講義で、私は英米法が専門なんですが、あるケースを一時間ちょっとの講義で取り上げるにはせいぜい二つが限度です。つまり、そのように時間的制約の中でソクラテスメソッドなるものを追求した場合には、恐らく日本の法律を教えることは不可能です。
 つまり、例えば民法について、現在の法科大学院の設計では、要するに法科大学院の一年の段階で民法全体を教えるということになっているんですね。こういうことは、かつて東大法学部が法学部を五年制にするという案を出したことがございまして、つまり学部四年でも日本の法を満遍なく教えることは非常に難しいのですね。それを法科大学院だったらどうしてできるのか私は非常に不思議に思っています。
 法科大学院には、他の専攻、つまり他の学部の卒業者を迎えるということになっておりますので、それを非常に推奨することになっておりますので、そういう方たちは少なくとも法学部を出ていないわけですから、当然のことながら、四年でもやっとの法律知識をどうやって教えるか、こういう悩みを我々は持つわけですね。
 そういうことをやはり改良していくためには、やはり今のような、民法、商法等々のようないわゆる六法方式の教育方法では恐らくできないだろう。ですから、そういう意味では、例えば公法と私法を合体して教えるとか、何らかの意味で教育方法を全く変えていかないことには法科大学院は成功しないというふうに思います。
 もうこれは繰り返し申し上げていることなので非常に恐縮なんですが、やはりそれには何らかの試行期間を設けるべきだというのが私の意見です。いきなりもう最初から、予備試験というのはがっちりとした試験科目が決まっているところが問題だというふうに私は言っているわけでして、ああいうように試験科目が決まってこうなりますよというふうにメニューを示したら、これはもう明らかにそれをねらって予備校は恐らく動くでしょうし、法学部の中にもそういう法学部が私は出てくると思います。
 ですから、なぜ今の段階で予備試験科目まできっちり決めなきゃいけないのか、なぜもうちょっと、クーリング期間といいますか、それを考える期間というのを考えないのか。
 今委員が問題にされました専門職大学院というのは、日本ではこれから始めようとする、初めての試みですよね。大学院というのは本来、研究をするところである、研究者を養成するところである。それに対して専門職大学院というのは、さっき田中先生もおっしゃったように、専門大学院ではやはりうまくいっていないので専門職大学院にしようとしているわけですが、専門職大学院でも、とりわけリーガルプロフェッションのプロフェッション性というのは、私はさっきから申し上げていますように、プロフェッションとしての自立を根拠にしているプロフェッションであります。それを文科省なりあるいは法務省の管轄下のもとに置いて、先ほど言った、ぎりぎりとした、すさまじい統制の中に置いたのでは本来的な意味のプロフェッションスクールはできないというふうに私は思ったわけです。
 つまり、アメリカのロースクールを見ていただけばわかりますように、あそこには文部省の介入は全くありませんよね。文部省的なもの、要するに官庁の介入はなくて、ABAその他のまさに弁護士組織がそういうことに関与しているわけであります。
藤川参考人 お答えいたします。
 今の法学部と司法試験を改革することでこの目標は達成できないのかという御質問だと思います。実は、そういう質問は内部で議論するときも必ず出ます。多くの方が抱いている疑問だと思います。
 いつもお答えするのは、それでは、法曹に求められる資質、能力とは何か、それを今のシステムで与えられるかということだと思います。
 私、親しい商社の法務部長がおるのですが、その方に伺うと、どうも日本の弁護士さんに相談をすると、法律はこうなっている、判例はこうなっている、本を読めばわかるような法の知識しか与えてくれないと。ところが、これがアメリカのローヤーに相談すると、全部払っちゃえから、裁判で徹底的に争えから、あらゆるメニューを出してくる、そしてまた、利害得失を、単に経済的なものだけではなくて、社会に与えるインパクトの問題、マスコミの受け、行政の対応、そこまで含めて回答が出てくると。
 何が違うのか。法的知識の問題でしたら、今のシステムでできます。しかし、先ほどから繰り返し申し上げていますように、法的思考の能力、事実認定の能力、相手を説得する能力、こういうものを今四万六千人の定員があります法学部で、しかもレクチャー方式でできるのか。
 法学部は、これまで日本の法的リテラシーといいますか、アメリカみたいに法を一部の者の秘義に終わらせないという意味で果たしてきた役割は非常に大きい。しかし、法学部がねらっているのは、行政機関やそれから企業のゼネラリスト養成であります。
 今、プロフェッションに求められているのは、先ほど申し上げたような能力はやはり専門大学院をつくってきっちり教えないと、人と手間がかかります、時間がかかります。そのような者をつくるにはやはり法科大学院をつくってやらざるを得ないということでございます。
 お答えになったかどうかわかりませんけれども、だからこそ今の制度の改善ではとても難しいというのが私の考えでございます。
井元参考人 お答えいたします。
 私は、早稲田大学を卒業しております。総長を前に置いてこういうことを申し上げるのはなんでございますが、今の早稲田大学法学部、私が卒業したのはもう随分前でありますけれども、その当時の教育では到底いい法曹は育ち得ないというぐあいに私は考えております。自分の母校をこういうぐあいに言うのはまことに残念なことでありますが、現実はそうだということを御理解いただきたいと思います。
 要するに、法曹はどうあるべきかということは審議会の意見書にも書いておりまして、豊かな人間性とか感受性、あるいは幅広い教養を備えた者でなければならない、平たく言えば、物がわかるというような法曹でなければいけないというぐあいに言われております。まさしく私はそのとおりだというぐあいに理解しております。単に法律的な知識を知っているというだけではこれからの法曹は務まらないというぐあいに理解しておりまして、そういうような豊かな能力を持った法曹を育てる制度として、やはり法科大学院でやらざるを得ないということでございます。
 日弁連から出した資料の中身が大学でできないのかという御質問でございますが、特にこの中の教育内容等につきましては、今の法学部ではちょっと無理じゃないかなというぐあいに理解しております。
 そして、教員等につきましては、これも資料にございます「法科大学院の教員派遣・教育内容に関する活動」というところで、日弁連がどういうような活動をしたかということを記載しておりますので、御参考にしていただければありがたいと思います。
 以上でございます。
奥島参考人 十年前までの早稲田大学の法学部の授業というのは、まるでいいかげんでありました。現在は違います。違うけれども、しかし、司法試験についての勉強だけは事実上予備校に丸投げであります。こういうふうな最短コース、要するに試験に通ることだけに集中した、そういう勉強のシステムというものが今は完成しているわけです、現在の試験の問題に対しては。これを、君ら大きな回り道をせよと言ってみたって、そういうことをするだけの余裕はないでしょう。また、その真っすぐの一番近道を通っても、平均して七、八年通っているわけであります。そういうふうな現在のシステムのもとで、他にロースクールにかわるような工夫ができないかと言われても、恐らく無理であるというふうに私は判断しております。
 そしてまた、ではその場合にロースクールというシステムをとると研究者の養成はできない、とんでもない話だと私は思っております。むしろ、実定法のわからない法律研究者というのはあってはならないというふうに私は思っておりますので、したがって、逆に実定法をじっくり学んだ上で、その上に研究者としての勉強をさせるというのは、助手制度をとろうと、それから現在の大学院の博士コースを利用しようと、ともかくそれは幾らでも工夫によってできるのではないかというふうに私は考えております。
 以上です。
植田委員 もう既にかなり時間が超過しております。非常に長時間、ありがとうございました。次の質疑の参考にさせていただきたいと思います。本当にありがとうございました。
 終わります。
山本委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。
 この際、休憩いたします。
    午後零時三分休憩
     ――――◇―――――
    午後三時十六分開議
山本委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 内閣提出、法科大学院の教育と司法試験等との連携等に関する法律案及び司法試験法及び裁判所法の一部を改正する法律案の両案を議題といたします。
 この際、お諮りいたします。
 両案審査のため、本日、政府参考人として司法制度改革推進本部事務局長山崎潮君、法務省大臣官房司法法制部長寺田逸郎君及び文部科学省高等教育局長工藤智規君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
山本委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    ―――――――――――――
山本委員長 次に、お諮りいたします。
 本日、最高裁判所事務総局中山総務局長から出席説明の要求がありますので、これを承認するに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
山本委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    ―――――――――――――
山本委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。日野市朗君。
日野委員 三度目であります。あれは、仏の顔も三度だったでしたかな、たしか。きょうはいろいろ詰め残してきたところを少し詰めたいというふうに思いますし、最高裁なんかはやはりもうちょっと頑張ったらいいんじゃないかと思われるところを、まだ嫌みを言わなかったので、そこもちょっと言っておきたい、こんなふうに思っています。私はきょうの質疑というのは非常に大事だと思いますので、心してひとつ御答弁をいただきたいものだ、こう思います。
 まず、最高裁に伺います。
 最高裁は、司法研修所を今までやってきていただいたわけですね。私は、司法研修所における教育というのは非常にいい教育だったと思っております。そして、ずっと戦後これまで司法研修所をやってこられて、法曹の養成にはすばらしいノウハウが最高裁には蓄積していた、こう思うんです。ところが、この新しい法曹の養成制度、結局、今、法科大学院という形に集約されてきているわけですが、それまでにもいろいろな議論がありましたが、さっぱり最高裁の姿が見えなかったね。
 私は、最高裁というのは、やはりもっと政治的に発言すべきところは発言すべきだったと思っているんです。そこから一歩でも二歩でもできるだけ距離を置くのが最高裁のあり方、いい最高裁だと思ったら、こいつは大間違いで、最高裁の存立というのは、三権の分立がきちんと守られていって、いい法曹たちが最高裁を中心に存在するということ、これが最高裁存立の基盤であると私は思っている。
 今まで一体何をやってきたんだ。もっときつい言葉で言えば、三権分立の三権の一つ、司法の最高峰にあるものとして怠慢だったのではないかというくらいの気持ちを私は持っておりますが、今までどんなかかわり方をしてこられたんですか。
中山最高裁判所長官代理者 お答えいたします。
 嫌みではなく、激励のお言葉というふうにまずお聞きしておきたいと思います。
 私自身も司法修習の教育を受けました。さらに、私ごとで恐縮でございますが、三年七カ月間、司法研修所の教官も務めてまいりました。教官室における徹底した合議、それに基づく講義、演習、修習生との人間的な教官のつながり、さらに、そこでの徹底した議論、教材づくり等々、相当の蓄積がやはり最高裁の方にはもちろんございまして、法曹養成としては天下に誇るものがあるだろうというふうに私どもも実感しているところであります。
 しかしながら、そういう中で、法律家が非常に少な過ぎる、これをどうやって養成していくかというような大きな目で見たときに、さらには、現在の司法修習生の問題点として、自分の頭で考えない、正解志向が強過ぎる、そういったところをどう改めていくか、これは実は小学校、中学校からの教育問題もあるのかもしれませんけれども、そういったところを見て、さらには、事件が、最近裁判所に持ち込まれるものは非常に議案が複雑化し、専門性が高いものになってきている、そうしたときに、専門性を持った法曹というものをどうつくり上げていくか、こういうところをやはり全体としてにらんで制度設計される必要があるんではないだろうか、このような問題意識を持ってこの問題に取り組んできたところでございます。
 最高裁は、その間、確かに最高裁としてこうであるというような発言を外に向かってといいますか公的にするということはございませんでしたけれども、司法制度改革審議会の当時から、例えば法科大学院(仮称)構想に関する検討会というものに私どもの人事局長を正式の委員として出しておりましたし、あるいは、現在、推進本部に設けられております法曹養成検討会、ここにも検討委員として司法研修所の上席教官が委員として出ております。さらに、最高裁の方から、こういった視点、これまで司法修習というものを担ってきたというところをベースに、今後の法曹養成はこうあるべきであるという御意見もずっと述べてまいりました。
 今後とも、私どもが今持っておりますノウハウというものを徹底的に法科大学院の方に引き継いでまいりたい、さらにそれを最後は司法修習という形で完成させていきたい、こういうふうに思っているところでございますので、よろしく御支援のほどお願い申し上げたいと思います。
日野委員 私も修習生をお預かりしたことがございます。そして、新しい法曹を養成するということから、こっちも非常に気を使いながら、また、誇りを持ってその養成に当たってきたわけですね。私のところから出ていった修習生はみんな裁判官になっちゃったんですが、私なんかを見ていて、弁護士は嫌だな、裁判官の方がいいかなと思ったのかもしれませんね。
 そんなことで、やはり法曹が一体となって法曹を養成していくということには懸命になってきたわけですよ。そこであったのは、やはり法曹の内部の自己完結的な養成の仕方というものをやってきた。ところが、今度の法案は、もう既に御検討になっているとおりでありまして、文科省のかかわりが非常に大きくなって、法務省すらほんのわずかしかそこにはタッチしないという形になります。ましてや最高裁のサの字も今度は見えない。これで、あなたは今、いろいろなノウハウや何かを法科大学院に引き継いでいきたいとおっしゃったけれども、どこにそんなことをやる場があるのか、ちょっと聞かせてください。
中山最高裁判所長官代理者 先般来の法務省の司法法制部長からの回答にもございますけれども、法曹三者と法科大学院協会が協議する場というものが今現在設けられております。その場で現実に、私どもの方からいいますと、具体的に、教材づくりや実務教育に関するノウハウの提供、OB、現役を含めた実務家教員の確保、派遣、さらには法科大学院の研究者教員、これは実務家ではない方でありますが、その方々が実際に実務に接するための研修、そういったものを実施していく、そういうことで協力してまいりませんと、法科大学院は現実には機能しないだろうというふうに思っておりますので、今そういったところで制度の構築を始めているところでありますが、そこで声を大にしてきちんとした意見を述べていきたい、こういうふうに思っているわけであります。
日野委員 私からの注文です。
 法科大学院は非常にきれいごとに仕上がっていますが、そこにはやはり国の権限の奪い合いがあるんだ。それから、ビジネスの世界がここにいろいろなことを言いながら荒々しく入り込んできている。そういう世界でありますから、そういう荒々しいところに生きる一つの機能を果たしていくためには、やはり、荒々しさとか積極さ、積極性、こういったものがなければだめですよ。そうでなければ、私は、三権の一つ、司法の頂点としての最高裁は存在意義を失ってしまうのではないか、そういう危惧を非常に強く持ちます。その危惧だけを表明して、あとは最高裁、結構でございます。
 さてそれでは、今まで私も聞き、ほかの人も聞いたがなかなかどうもよくわからなかったというか、はっきり答弁がなかった点について幾つかただしていきます。
 まず、法科大学院の数はどのくらいになるのか。これは大体落ちつくところに落ちつきますよというような物知り顔で答弁されては困るんで、大体どのくらいを見込んでいますよと。そして、これは院生と呼ぶんですかな、生徒と呼ぶのか、学生と呼ぶのか、院生と呼びましょうか、院生の数はどのくらいになりそうなのか。ここいらがわかっていないと、受験しようという人たちもなかなか意を決することができないというようなことになりますし、そういうことを一応見通しはこうですよということを教えないことは非常に不親切になると思う。
 そこで、今の二点。大学院の数、これも世上随分喧伝されている部分はあります。最近も某週刊誌がその数八十二校と挙げているわけですが、いや、あれは必ずしもその数は正しくないよ、もっと多いよという人もいれば、いや、もっと少ないでしょうという人もいる。どのくらいになりそうなんですかね。いかがでしょうか。
森山国務大臣 法科大学院の設置につきましては、これからすることでございますので、確実な校数とか入学者数を今申し上げることは難しいわけでございますけれども、一つの目安を物語るものといたしまして、昨年の十二月に司法制度改革推進本部事務局におきまして調査をしたものがございます。ここに、設置を予定しているという回答があった法科大学院が七十三校でございまして、その学校で受け入れるといっている入学者の総数は約五千人程度でございました。そのすべてが平成十六年の開校を目指しているものでは必ずしもないようでございますけれども、また、その後の状況の変化等によりまして、実際の入学者数はこれをむしろどちらかといえば下回るんではないかというふうな観測をいたしているところでございます。
日野委員 まず、大学院を設置するに当たってのいろいろな基準のようなものがもう既にささやかれております。文科省の方ではまだそんなもの決めておりません、この法律が通ってから決めるんです、こうおっしゃるんだが、もうささやかれているし、公にされているいろいろな資料があります。
 それで、文科省の方の見通しとして、どの程度を今見越しているのか。今の法務大臣のお話ですと、大体五千ぐらいの生徒、もっと下回るんじゃないか、こういうふうに言っていますが、本当は四千を超えたらいかぬのですな、今までのいきさつからして。
 つまり、大体平成二十二年度には三千人の司法試験合格者ということになります。そうすると、予備試験から上がってくるのだって当然何人かはいるだろう、そういうことから見ると、四千を上回っちゃいけないんです。七割から八割が合格するということになって、それが三千人だということになると、まず大体四千人を上回っちゃいかぬということになる。
 それよりもどんと上回る数が、学校数が、生徒数が出てきたらどうするのか。そこまでにならないように事前に調整してしまうのか。そこらはどうするんですか。
工藤政府参考人 どれぐらいの設置が見込まれるかは、今法務大臣からも御答弁ありましたように、まだこれからでございますので、私どもも確実な見通しが立てられないのでございますけれども、司法制度改革推進本部のアンケートのほかに、法科大学院協会へ参画をしている大学の数でいうともう少し多いとか、あるいは、具体的に私どもの方に下相談といいますか、いろいろな構想について御相談に見えている数でいうと五十校ぐらいというのがある程度かたい線ではないかという気もいたしますが、実際の入学定員も、それこそわからない部分がございます。先ほどの推進本部のアンケートによる、約九十八校が検討しているという前提で、全部立ち上げますとトータルで五千五百前後でございますが、九十八校が五十校ペースになりますと、おのずからさらに下回ることになろうかと思います。
 ただ、実際に私どもの設置認可は、一定の要件さえ具備すれば設置を認めるという仕組みでございまして、参入規制はしない仕組みになっているのでございます。したがいまして、先生がおっしゃった、一定の目安の数を超えたら参入を規制した方がいいのかどうかというのは、お立場の違いもあるかもしれませんが、今回の法科大学院といいますか新たな法曹に求められているのは、それぞれがしっかり勉強をして、しかもいろいろな持ち味、そういう法科大学院の特色を生かして、特色のある教育をしていただいて、それぞれが切磋琢磨して質の高い法曹を養成するということが求められているわけでございますので、大学間で相互に競争的環境の中で切磋琢磨していただく、さらには、新司法試験による関門を経て法曹人を輩出していくベースとして、数多くの大学でしっかりした教育が行われることが期待されているのではないかと私どもは受けとめているところでございます。
日野委員 私も、きれいごとで言うとそうなるのはよくわかる。ただ、行政指導というものがいろいろな形で行われることもよく知っているんですよね。ですから、いろいろな手を使って結局は落ちつけるのかな、落ちつけてしまうのかなという思いはあるんですよ。
 しかし、ここでちゃんと、これから法曹になろうとする人たち、そして法科大学院に入って勉強しようという人たち、そのためには試験を突破しなくちゃいかぬわけですから、大体どうなるんだという像、一つのイメージ、これはぜひとも示してやってもらわないと、これから法曹になろうという人たちに対して気の毒じゃないですか。これは法務大臣にも厳重に注文しておきますが、大体こうなると思いますみたいな話をしていたのではだめなので、ひとつそこらのイメージがはっきりつかめるようにしてください。これは厳重に私の方から注文をしておきたいというふうに思います。
 それから、法曹の数の問題、質の問題、いろいろありますが、法曹の数をふやすという問題で、私も数をふやすことは原則として賛成です。しかし、やはり日本とアメリカ、日本とヨーロッパ、そういったところの、これは文化の違いにも発するところでありますが、いろいろな制度の違いや何かもありますし、人々の法律に対する感情という問題もあるんでしょう。私、アメリカのような訴訟社会になりやしないかということを非常に心配するんですね。
 何か、きょう、ある人から聞いたんですが、アメリカでは、やはりいろいろなビジネススクールやらロースクールやらを卒業して、ビジネススクールなんかを出て、ちゃんとMBAになったり、それからロースクールを出て弁護士になったり、そういう人たちで結局あぶれている人たち、そういう人たちを再教育して別の仕事につかせようというビジネスがもう始まっているんだそうですね。何とも聞くのもつらいような話であります。ただ、これはちょっとしたお話の中で出てきた話ですから、どの程度確実かちょっとわかりませんが、まああり得る話だろうなというふうに私としては思います。
 特にアメリカなんかは、大きなローファームにでも入らないとなかなか弁護士としては仕事ができにくい。そういうことからは、乱訴の弊害というのが一つ挙げられています。特に最近、弁護士たちが訴訟に投機をする、みんなで集まって訴訟費用や何かを出し合って、そしてでっかい訴訟をやる。きちんと契約をして、後でその報酬を受け取るが、失敗すれば報酬を受け取れないんでしょうがね。そういうことまでいろいろやっている。
 私は、こういう傾向を決していいとは思わない。大臣としてはどうお考えになりますか。アメリカで今見られる、訴訟に対する投機というのはかなり公のところで報告されている事例ですから、これは決してない話ではないし、日本だって、そう言われてみれば日本にもないわけではないのかななんとも思うんですがね。こういう乱訴の弊害と言われるものをどう思いますか。
森山国務大臣 おっしゃるような例がアメリカにもしあるとすれば、それはアメリカの社会のさまざまな条件からそういうことが起こってきているのかなと思いますが、日本の場合は、アメリカに比べますとまず数が非常に、けた違いに少のうございますので、むしろ今の人数を倍増、三倍増にしてもまだまだずっと追いつかないという状況でございますから。
 そして、多様な、かつ広範な国民の法的な需要というものがございますけれども、それは訴訟だけに限らないわけでございまして、紛争の予防とか、訴訟外の紛争解決の分野であるとか、行政の分野等にも進出して活動することができる、そしてそれがまた求められるというふうに思いますので、法曹の資格を取った人が全く仕事がなくて乱訴の心配があるというところまでは、ちょっと今すぐ日本で心配することはないんじゃないかという気がいたしますが、もとより、実際の社会で活動する法曹の数というのはその社会の要請に基づいて決められるわけでございますから、日本の社会も遠い将来にそのようなことになってはまた困るというふうに思いますので、今のところ、あらかじめ考えておりますのは、平成二十二年ごろに司法試験の合格者を三千人にするという当面の目標があるわけでございます。
 さらに、それが実現いたしましたときには、我が国の法曹人口が五万人規模になるのは平成三十年ごろというふうに見込まれておりまして、それでもなお、現に百万人おりますアメリカとか、あるいはドイツでも十二万人、イギリスも十万人ぐらいと聞いておりますが、それらの諸国と比べましてもまだなおかなり数は少ない方だというふうに思いますので、日本が乱訴社会になるではないかという御心配は当たらないのではないかというふうに思っております。
 なお、御指摘のように、弁護士によりまして不当に訴訟が提起されるというような弊害が生じることのないように、法曹人口が拡大すると否とにかかわらず、法曹に対する倫理教育を徹底するということも大変大事なことだというふうに思っております。
日野委員 法務大臣は大分まだ楽観的なようでありますが。ドイツに行ってタクシーに乗ったら、そのタクシーの運転手さんが弁護士資格を持っているんだと言ったとか、そんな話もいろいろ聞きますし、こういう病理現象というのは必ず起きてくるんだろうと私は思わざるを得ないんですね。
 法曹が数多くなっていくということは、それは結構なんですが、確かに、いろいろな病理現象というものにも心を配らなくちゃいかぬというふうに思いますので、その点は、これは法曹の教育の課程で非常に大事な法曹倫理の問題、大臣も今言及されましたが、そういった問題、それから、その場その場でいろいろな心配りをしていかなければならない問題であると思うので、その点は抜かりなくひとつやっていただきたいものだというふうに思います。
 それともう一つ問題なのは、法曹の地域分散の問題でございますね。某週刊誌が、法科大学院に手を挙げている大学の名前をずっと書いておりますが、それを見ても、あそこでちゃんと法曹が巣立っていったとしても、果たしてこれで地域分散が十分できるのかなというような思いは私にはあるわけですね。そして、今までも、実は弁護士会なんか、それぞれの地域に弁護士を置こうということで随分苦労してきた。私もそのためのいろいろな仕事をやってきたりしたこともあって、これは大変なことだぞと実は思います。
 これは社会の都市化現象なんかと決して無縁ではないんでして、これは非常に大変だと思いますが、法科大学院が実現してこの問題が解決できるとは私は思わない。どうですか、解決できると思いますか。
山崎政府参考人 ただいまの点にお答えする前に、先ほど大臣から訴訟社会の点について御答弁ございましたけれども、それに若干加えさせていただきますけれども、確かに訴訟社会、乱訴の社会、これを招いてはならないということは、大変重要な問題だろうと思います。
 そこで、私ども、今回の司法制度改革の中で、ADRの充実ということも大きなテーマになっておりまして、現在検討会を設けまして、その制度をどうしていくかということを鋭意検討しております。これは多分、平成十六年の国会にはある形で御承認を得るという予定でおります。そういうことも踏まえて、なるべく訴訟社会にならないような、そういうシステムをきちっと考えていかなければならないというふうに考えているところでございます。
 それから、ただいま御指摘の点でございます。これは、身近で頼りがいのある司法制度、これを構築するために身近に法曹がいなければならないという御指摘でございまして、まさにそのとおりでございます。
 今回、法科大学院に関しましても、アンケート調査で全ブロックから手が挙がっているという状況でございます。挙がっていても、中にはそのまま実現できるかどうかわからないものも当然ございますけれども、場合によっては、それぞれの地域が連合して一つのものをつくっていくという努力もされているというふうに伺っておりまして、なるべくそういう地域に法科大学院ができるように、そういうような形で我々としても応援できるものは応援をしていきたい。
 特に、応援というのは教官をどう出すかという問題でございます。これは法曹三者それぞれにお諮りをいたしまして、きちっとそういうところに教官を派遣できるようにして、実現できるようにしてまいりたいと考えております。そこへ法科大学院ができれば、そこを卒業される方で司法試験に受かった方がその地元に定着をするという確率も高くなってくることだろうと思います。
 それからまた、私どもも、日弁連ともよく協議をいたしまして、いかに法曹がいない地域をなくしていくかということについても鋭意努力をしていきたいと思っております。
 特に弁護士については、法人化がされましたので複数の事務所を持つということも可能になっているわけでございますが、原則じゃないかもしれませんけれども、そういう形を利用させていただいたり、あるいは、私ども政府としてどういうことができるか、今検討会でもいろいろなことを制度として検討しておりますので、そういうものの中で利用できるものがあるかもしれないということで、この点については、大変恐縮でございます、ただいまこういう案があるかということになりますと大変難しい問題がございますけれども、積極的に取り組みたいと考えているところでございます。
日野委員 ここはみんなで頑張らなくちゃいかぬところでしょう。
 ところで、今度は認証評価機関の話をいたしましょう。
 法科大学院、これは学校教育法三条で設立が認可をされるということになると、認証評価機関、こういったものが存在することになるわけですが、これを評価機関として認証する、これはかなり緩やかな基準で認証することになるんだろうというふうに思うんですね。
 そこで、学校教育法の六十九条の四、二項一号、ここには、「大学評価基準及び評価方法が認証評価を適確に行うに足りるものであること。」という規定がございますね。これに当たらない、足りないというのは、どういう場合のことをいうんですか。逆に聞きます。
工藤政府参考人 大学の教育水準の向上を図るためにこういう仕組みを整備していこうということでございますので、その実施に当たりまして、公正さとともに的確さが不可欠ということは申すまでもないことでございます。
 では、どういう観点での的確さ、的確に行うに足りるということかということでございますけれども、具体的には、例えばその六十九条の四の二項第一号でございますが、大学評価基準及び評価方法について規定してございますけれども、三項に基づきます細目で幾らかかみ砕いて、細目を審議会に諮った上で定める予定でございますが、私どもで検討しておりますのは、例えば評価基準につきましては、適切な評価項目を設定する、アバウトなことではなくて、評価項目の設定とその内容を定めているかどうか、あるいは評価基準を定めるに当たりまして、あるいは変更するに当たりまして、透明性など、関係者の、専門家の意見も聞きながら行われているかどうかということの観点でございますとか、それから評価方法について申しますと、単なる書面審査、書面調査だけではなくて、実地調査など、現に大学の状況を正確に把握し得る措置を講じているかどうか、そういう仕組みになっているかどうかということなどが必要かと思うわけでございます。
 逆に、お尋ねのように、それに足らないものとなりますと、評価項目が不明確であったり、あるいは、言葉は悪いんですけれども、書面だけで手抜きの調査をするとか、安易な、いわば社会的に見てもちょっと信頼性にもとるような調査の内容でありますと、いかがなものかということなのでございます。
 いずれにしましても、全体を通じまして、大学から見ても、また私ども受益する社会の立場から見ても、ああしっかり評価してくれているねということがわかるような形の評価内容、方法である必要があると思っているわけでございます。
日野委員 ついでに、同項の六号についても聞いておきます。「その他認証評価の公正かつ適確な実施に支障を及ぼすおそれ」があるというのはどういう場合ですか。ここではそういう「おそれがないこと。」こう書いてありますな。じゃ、おそれがあるというのはどういう場合ですか。
工藤政府参考人 これは、前各号で書き切れない、規定し切れない要素があろうかということで予定しているわけでございますが、例えば、具体的には、大学から評価申請があったときにそれをほったらかしにしてと言うとまた言葉は悪くて恐縮でございますけれども、やはり正当な理由がない限りは遅滞なくその評価を実施するとかいうことが必要でございます。それをもう野ざらしにして、ほこりをかぶっておられちゃ困るわけでございます。
 それから、評価結果に及ぼす基本的な事項を大学が変更した場合、大学が評価されたはいいけれども、そこの部分を改善して大学が取り組んだ場合に、再評価の機会を与えるような仕組みになっているかどうかとか、あるいは、評価活動の実績なり評価活動の適切な実施の見込みでございますとか、評価業務について、いろいろな機関で行われることが考えられるわけでございますが、その評価だけを事業とする機関もあるかもしれませんが、他の業務を行う機関もないわけではないと思われますけれども、その場合は、その評価事業を実施に移すに当たりまして独立した意思決定あるいは管理運営の仕組みがとられているかどうかというあたりはある程度担保する必要があるのかなと。逆に言えば、そういうところにもとる場合は適切かつ公正な実施に支障を来すおそれがあるのではないかと考えているところでございます。
日野委員 私の感想を申し上げてあなたの方からの考え方を聞きたいんだが、今あなたが随分ここで挙げられた。それは、文科省の下にこういう法科大学院、それから第三者認証評価機構のようなものを置くということになれば、ある程度の基準を置くというのは必要になってくるだろうと私は思う。私は、そういう制度の仕組みができればある程度しようがないと思う。しかし、恣意によって、文科省の方の主観によってこれが左右されるようではこれは困る。ここのところをきちんとやっておく。そして、これは大学にかかわることですから、当然学問の自由の問題が出てきます。法曹養成学みたいな学問の分野だって出てくるかもしらぬ。そういう新しい学問のいろいろな発展形態が考えられるから、ここは決してそんなに厳しくするものではないんだ、最後のとりでなんだということを一つ確認してください。
工藤政府参考人 おっしゃいますように、この制度は、私ども文部科学省というか国がその評価の中身に関与するあるいは差配するということでは決してございませんで、一定の水準でしっかりした評価機関ですよというのを対外的に確認するための行為でございます。しかも、私どもが恣意的に行うのではございませんで、法曹関係者も御参画いただいた関係の審議会でしっかり御議論いただきながら、透明性を確保し、公正性を確保しながら行うつもりでございます。
日野委員 この第三者の評価に関連をしてですが、中教審の答申、それによりますと、そういういろいろな基準や何かを守らないで、それを改善しろと言ってもさっぱり改善しないというようなときなんかは、文科省は設立を取り消したりなんかもできるんだ、こう書いてあるんですな。
 ところが、司法制度の方の審議会はそこまでは書いていない。そこまでは書いていないで、審議会の意見では、第三者評価の継続的実施、客観性、公平性、透明性の確保、こんなことを書いているだけなんですな。
 さらに一歩進んでいるんですよ、中教審の方が。ここのところは、ここの食い違いはどのように考えますか。
工藤政府参考人 大学の評価というのは何人といえども自由におできになるわけでございますが、この法科大学院の評価制度を御議論いただくに当たりまして、私ども、中教審の中に専門の部会を置きまして、そこにはもちろん大学関係者だけではなくて法曹三者の関係の方々にも御参画いただいて、いろいろ御議論賜ったわけでございます。
 その結果、この第三者評価の認証の仕組みについて、身内のいわば身勝手な評価になるのもいかがなものかということから、このような仕組みを御議論いただき、答申としてちょうだいしたものでございます。
 しかも、認証の取り消しという仕組みもございますが、これは、せっかく世間的にといいますか対外的にしっかりした評価機関ですよということを確認した後にそうでなくなった場合に、そのまま放置するわけにいきませんので、改善を御指導し、それでもどうしても対外的に認証するには値しない場合については、これも私どもが恣意的に行うのではなくて関係の審議会で御議論いただいて、最終的にその認証の取り消しもあり得るという制度設計にしているところでございます。
 いずれも、しっかりした法科大学院の事後的なチェックといいますか評価をしていただくための制度設計と御理解賜れればと思います。
日野委員 大学院にしても、それから認証機関にしても、取り消しの権限を持った人というのは恐ろしいでしょうな、恐らく。恐ろしい。ですから、これはもう文科省の言うとおりになっていればまあいいだろうということで、文科省恐怖症になりながら大学院を運営したり、それから監視をしたりということになるんだろう。私は当然そうなると思う。ここのところは心して、そんなことにはならないように、これは文科省はきちんとやらなきゃだめですよ。
 皆さんは取り締まる側だから、まあ取り締まるという言葉は余り適当じゃないが、使わせてくださいや。そういう側だから、優越している側だから、これはもう平気で、そういう言葉を使う、場合によっては認証の取り消しだとかいうことを考えるけれども、取り消される側の立場に立ってみたらこれは大変つらいことでしょう。恐らく、教育の方針、それから学問的ないろいろの作業ですな、そういったものに大分ブレーキがかかるだろう。そういったブレーキを最小限度のものにするために、そういう最終的な手段というのはもう最後の最後であるということはひとつお約束いただかないとね。
工藤政府参考人 冒頭、先生の方から、文部科学省の傘下でえらく取り締まられるのではないかという御懸念が表明されましたけれども、私どもと国庫補助も含めた大学との関係というのは、そういう権力関係ではございませんで、設置者の立場でございます国立大学についてもそうでございますが、学問の府として一定の自律性を保持しているのが大学というセクターでございます。先ほどの設置認可にしても、それから第三者評価の認証あるいはその取り消し等の措置にしても、あくまでも適正な手続を規定して、おっしゃいますように最後の最後の手段として考えているわけでございます。
 現行の学校教育法におきましても、違法状態の大学については閉鎖命令といういわば廃校を命ずる規定、権限があるのでございますが、伝家の抜かれざる宝刀でございまして、今までも発動例がございません。ただ、仕組みとしてそういうふうに整理されているということでございまして、あくまでもよっぽどひどい、本当にあり得るかどうかわからないケースの場合の、たまたま制度的な一貫性だというように御理解を賜りたいと思います。
日野委員 伝家の宝刀は蔵の中にしまって蔵にはしっかりかぎをかけて、かぎはどこかに捨ててきた方がいいです。
 それでは、こればかりやっているとあれなんですが、もう一つだけ聞いておく。
 具体的に、評価機関として大学評価・学位授与機構という機構がずっとささやかれている。ここのちょっと予算を調べてみると、これは平成十三年度で六億円以上の予算がついているわけですね。日弁連の財団法人法務研究財団なんかも手を挙げているが、これはもう予算の規模からいったら全然問題にも何にもならないですわな。ほかにも手を挙げていいですよといったって、学位授与機構みたいにぽんと六億円もの予算がつくとは到底思えない。ここはどういうふうにバランスとられますか。
工藤政府参考人 この大学評価・学位授与機構は、国立学校設置法上の機関でございまして、いわば国立大学の仲間でございます。そういう意味で、文部科学省から一定の距離を置いた自立的な機関でございますが、現在までのところ、大学評価の試行をしてございます。特に、設置者の立場で、国立大学のレベルアップをより図るための評価の仕組みとして活用させていただくことを予定しているわけですが、まだまだ日本の場合には欧米諸国に比べましてこの評価の仕組みが大変立ちおくれてございます。そのために、まず隗より始めよじゃないんですが、国立大学の関係についての試行をさせていただいておりますほかに、欧米のこれまで蓄積されましたノウハウを収集してそれを関係の機関に提供することなども含めて、今おっしゃいましたような約六億ほどの事業の予算を計上してございます。
 ただ、これが仮に第三者評価機関についての認証を受けるということになりますと、それぞれの評価機関は、当該今の機関も含めまして、ある程度自立的にやっていただく必要がございます。したがいまして、審査料の設定でございますとか、別の日弁連等他で御検討いただいております機関と優劣がつかないような自立性を求めながら適正な審査料を設定するように努める必要があると認識してございます。
日野委員 この学位授与機関を構成している人たちを見たら、すごい人たちが、私もよく知っている、もうどこそこ大学の学長さんだとか、とてもこんな書類審査やら体を動かしてまで審査に当たるなんというのはちょっと無理だと思いますよ、あの人たちの顔ぶれを見ると。
 では、今度は、連携法の第六条、行きますよ。法務大臣、よろしいな。
 法務省のかかわるところが非常に少なくなっちゃったんですね、この連携法で。第六条で、文科大臣と相互に協力、こうなっている。だけれども、実際、相互に協力して、文科大臣の方は、第四項ですか、そこで、法務大臣に対して協議を求めることができるとなっておりますが、法務大臣の方から文科大臣に対して物を言うというのは単品でしかないんです。いろいろな局面局面を特定して、そこで意見を述べたりなんかするというだけなんですな。特に私が問題にしたいのは、文科省が省令で決めてくるいわゆる細目ですな。認証の細目。これにはカリキュラムやなんかも入るんですよ。こういうところできちんとした意見を述べていくということが非常に大事だと私は思うんです。
 特に、私、何度も言っているように、法曹を養成するんですから、ほかの技術者を養成するとかなんかとはちょっと違うんだ、これは。ですから、そこで非常に強く法務大臣の意見を述べなくちゃいけない。ただ、私が知っているところでは、こういう規定というのはいろいろな法律にありますが、必ずしも十分にこれは機能しないわけですね。これを十分に機能させていくためには、しっかりした法務省の側の見識が要るだろう、私、こう思うんです。
 そういう見識を持ってきちんと文科省とやり合っていくだけの覚悟があるかどうか。そして、それがずっと法務省の伝統になって将来に引き継がれていかなくちゃいけない。それについて、どう思いますか。
森山国務大臣 この法律案におきましては、法務大臣が、法科大学院の設置基準の制定、改廃等について文部科学大臣に対して必要な意見を述べることができるということになっておりまして、特に必要があると認めるときは、法科大学院について学校教育法上の是正措置を講ずるように文部科学大臣に対し求めることができるものとするなど、両大臣の密接な連携の確保に必要な措置が決められております。
 このような場合には、文部科学大臣において法務大臣の意見を尊重して対応されるものというふうに考えておりますが、さらに、必要に応じて、国家行政組織法の規定に基づきまして、法務大臣から文部科学大臣に対して必要な資料の提出や説明を求めたり、その政策に意見を述べることなどによりまして、両大臣の連携を密にしていかなければならないというふうに考えております。
 おっしゃいますとおり、法律上にこのようなことが決められるだけではなくて、見識を持って、また自信を持って、責任を持って意見を述べ、それが本当に実効あるようにするべきであるとおっしゃるお気持ちは全くそのとおりでございまして、私どももそういうつもりで一生懸命にやっていきたいというふうに考えております。
日野委員 時間が来ちゃったんですが、文科省、どうですか。これは、十分に法務省に対して敬意を表しながらここのところはやってもらわなくちゃいかぬ。このことは大臣にもちゃんと言ってくださいよ。それから、文科省のこれからの伝統としてちゃんとこれが生き残っていくように。ひとつ、約束してください。
工藤政府参考人 先生御懸念いただいておりますように、本件は役所の縄張り争いで私どもへ来たということは決してございませんで、山崎局長を含め我々政府を挙げて、この新しい法曹養成のためにできることを、知恵を出そうじゃないかということから、いろいろお互い苦労しながらここまで来ているわけでございます。
 ただいまの文部科学大臣に対する法務大臣からの御意見につきましても、当然、両省の協力関係が不可欠だという制度の趣旨の前提でございますので、当該御意見については十分踏まえながら施策に反映させていくのが当然のことと理解してございます。
日野委員 では、予備試験の問題についてちょっと聞きます。
 予備試験合格者と法科大学院の修了者との間の同質性、同じ程度の質の高さだということを担保する方法を具体的に明示してください。
山崎政府参考人 端的に申し上げまして、担保する方法は、試験のやり方と試験の科目等で十分にあらわれているというふうに思われます。
 その点若干申し上げたいと思いますけれども、まず予備試験につきましては、法科大学院修了と同等の能力を試すということでございますが、まず短答式、論文式、口述式、三つの種類の試験がございます。短答式につきましても、基本の科目、六法、これに加えまして行政法、それがまず法律科目でございます。これに加えて一般教養というものも入るわけでございます。論文式になりますと、これにさらに加えて法律実務基礎科目というものが入るわけでございます。
 これを見ていただきますと、まず、どういう能力が問われるかということでございますけれども、法科大学院に入学する、その入学の選抜に際して考慮されるもの、こういうものをテストされるわけでございますし、それから、法科大学院における教育において涵養されるもの、この両方をテストするということでございまして、オールラウンドに力を見ていく、こういうものでございます。
 こういう試験のやり方とその内容で担保されるというふうに私どもは思っておるわけでございます。
日野委員 この質問をする委員が一様に心配するのは、予備試験の方からどんどん優秀な者が出てきて法科大学院卒を駆逐していくんじゃないか、これはみんな一様に心配しているんですね。
 私、これはアメリカなんかの例を見てもあり得ないことじゃないと思うんです。アメリカのロースクールで、いわゆるABA、アメリカン・バー・アソシエーションが認めたロースクール以外に、そこに認められるほどの実績を積んでいないロースクールというのはあるわけですね。そこからもどんどん予備試験のような試験で受験をしてくる、こういうことになっているんです。アメリカではそういう形でどんどん受験生が出てくるし、日本では、予備試験のための予備校なんかができて、そこがまた受験生を供給してくるということもまた考えられるところじゃないかというふうに思うんですね。
 アメリカと非常に似たような経過、アメリカの後追いのように日本の制度も行くような感じがするわけですが、アメリカの方はどうなっていますか。そして、日本の場合は、あなたがいつも言うように、法科大学院が法曹養成の中核を担うような立場になっていけるという、あなたの見通しは言うんだが、間違いなくそうなるというあなたの信念があったら語ってください。
山崎政府参考人 ただいまの御指摘のアメリカの例でございます。これは州によっていろいろ違いますが、包括して申し上げたいと思います。
 確かに、ABA、アメリカの法曹協会でございますけれども、これが認定したロースクールを経由せずに司法試験に受かる方はおられます。これは統計的に、二〇〇一年でございますけれども、合格者はそのうちの五%ということでございまして、数としてはかなり限られているという実態をあらわしております。
 これがアメリカの実態でございますが、では、日本でどうなるかということでございます。
 私、この法案の審議で前にも述べさせていただいたと思いますが、法科大学院は司法試験に受かるためだけのものではないということでございまして、将来自分がプロになったときに、どういう専門性を身につけて、どういう分野で活躍をするか、これの端緒、あるいは将来の基礎を学ぶところであるというふうに私は確信しておりまして、そういうふうに法科大学院が経営されるべきであるという信念でこの法案を考えてきたわけでございます。
 したがいまして、魅力は法科大学院にかなりのものがある、自分の将来を買うというようなことでございまして、私は受験生は賢明だと思っております。目先のことも当然気になるかとも思いますけれども、遠い将来のことも考えてこちらを選択してくる、一生懸命勉強していただける、そういうふうに思っております。
日野委員 すとんと納得したわけではないが、そういう思いに一応かけてみるというのも試行錯誤の一つかなとは思います。
 では、終わります。
山本委員長 次に、山花郁夫君。
山花委員 山花でございます。よろしくお願いいたします。
 法務大臣にお伺いをしたいと思います。
 連合審査を行った際の法務大臣の御発言で少し気になったところがあったんです。予備校がはびこっているというような表現があったように記憶をいたしておりますが、私、以前というか議員になる前、予備校に勤めておりまして、ちょっと気になった発言なんですが、きょう午前中、参考人の方からも、予備校教育の弊害ということについての指摘がございましたが、大臣は、その弊害というところについてはどういう御認識をお持ちなんでしょうか。
森山国務大臣 予備校にもいろいろあると思いますので、もし私がはびこるということを申し上げたとすれば、大変失礼いたしました。
 そういう意味ではなくて、この司法試験に関して申せば、むしろ大学の法学部の教育が決して十分ではないというところから、その必要にこたえるために予備校というものがたくさんできてきたのではないかというふうに思うわけでございまして、そのような趣旨でございます。
 予備校は、もちろん司法試験に合格ということを目的にしたものでありますので、勢い、司法試験に合格するにはどうすれば一番早道で、どのようにすれば一番取っつきやすいかという、いわば技術的なことに中心が行きがちだというのは、もう当然のことだと思います。
 その結果、そのような予備校の勉強の仕方ということに、一生懸命勉強した結果合格なさる方ももちろんたくさんいらっしゃるわけで、その方々が全部だめとは申しませんけれども、そのように目先の受験のテクニックということに偏重した勉強の結果、ほかのことをゆっくりと身につけるというゆとりがないといいましょうか、そんなことで、人格的にももしかしたらやや狭い、視野も必ずしも広くないというような人が合格してきてしまう。そして、その後、法律のプロフェッショナルとして弁護士さんや裁判官、検察官等になっていただいた場合に、そういう意味での弊害が出てくるのではないか、そのような御指摘が、試験官の皆さんや今までの法曹養成に取り組んでいただいた方々からもされておりまして、これを何とか直していかなければいけないというのが、この法科大学院というものを構想された原点であったと思っております。
山花委員 私自身は、三年ぐらい前まで教壇に立っておりましたので、学生とかとも接しておりました。ただ、資格試験の予備校の中でもセクションが違って、司法試験ではなくて公務員試験の受験生を教えておりましたので、法務省で去年とかことし入省された方には、もしかしたら教えていた子がいるのかもしれません。
 ただ、自分自身の経験から、少し今のことにつけ加えさせていただきたいのと、きょう、法曹資格を持っていらっしゃる方もたくさんいらっしゃると思うので、今の現状で、別に私が参考人として意見を言っているわけじゃないですけれども、ちょっと聞いていただきたいことがあるんです。
 資格試験の学校の例えば法律の入門講座というのがあったとして、必ずしも受験生だけが来ているんじゃないんですよ。というのは、実際、受講相談とかするんですけれども、そもそも、お金を払ってその講座を受けようかどうかという学生さんたちの中には、大学の授業が何を言っているんだかわからない、答案の書き方がわからない、ここの講座を受ければそういうものが書けるようになるのかというような学生たちも来ているということなんですね。これはどうも、恐らく予備校というのが、今までの議論の中でいえば、面ではなくて、本当に点を目指して最短距離を行こうというカリキュラムを組んでいますからそういう弊害があるのも、確かに一面はそうなのかもしれないですが、他方で、今の司法試験予備校が実は大きな原因なのではなくて、先ほども御議論ありましたけれども、もう既に中学、高校、大学の受験の中でそういうことになれているので、いざ大学に入って何か問題を出されて答案を原稿で書けと言われても、文章が書けないという人が多いのかなと。そういう中で、どうやって答案を書いたらいいのかとか、そういうテクニックを身につけたいというニーズが非常に高いのではないかと思っております。
 でありますので、実は、私は、法科大学院というのができたとしても、恐らく予備校というのはなくならないんではないかと思っています。つまり、法科大学院を出て、最後の司法試験をいざ受けるというところにも恐らくマーケットは存在し得るし、予備試験のところにもマーケットはあるんじゃないのかな、そのように思っております。ちょっとそれはこちらの、要するに今の学生さんたちに割と近い時期まで接していましたので、そういう少し御報告のようなものですが。
 ところで、自分自身は憲法を専攻しておりましたので、授業ではそういったことを教えておりました。だからかどうかわかりませんけれども、今回の法律で少し引っかかるところがないわけではありません。
 法科大学院というのは、これは大学院、高等教育ですから、恐らく憲法二十三条の保障があって、大学の自治、学問の自由が保障されてということになるんだと思います。今までは、司法試験に受かった人たちが行く司法研修所が法曹養成というものを担っていたわけでありますけれども、恐らく、司法研修所の教官に教授の自由があるかとか、あるいは司法研修所に大学の自治があるかという議論というのはあり得ないんじゃないかと思うんですね。といいますのは、司法研修所の所長の定める規則によって運営されておりますし、したがって、カリキュラムというのは、二回試験を受けて、法曹として出ていけるような、そのためのカリキュラムがある程度あって、それをぴしっとやるということなんだと思います。
 ところが、法科大学院の場合ですと、これは高等教育機関ですから、当然学問の自由というのが保障されているというようなシステムになっているんだと思います。
 そこでなんですけれども、またちょっと予備校の話に戻りますが、予備校の講師なり教員というのは、平たく言えば学問の自由なんというのはないんですよ。つまりは、出される試験の答えがこれだということであれば一応それが正しいという形で教えないと、たとえ自説が違うことであったとしても、そんなこと一生懸命しゃべっていたら、それは受講生からはふざけるなという話になりますし、あるいは、例えば、決められた時間内に一定のページ数なり、あるいは講座修了時にはすべてのページが終わっていないと、お金返せというぐらいのことというのは起こりますから、そういう、ある意味厳しい中でやっているからこそ、点のところに向かって最短距離で教えようということができるんだと思うんです。
 そこで、私は、法科大学院に文科省がどんどん介入してこいなんということは言うつもりはない、当然大学の自治なり何なりというのは保障されなければいけないと思いますが、一方で、ここは悩ましいところだと思うんですけれども、そうやって教授の自由というものを保障してしまうと、教育内容で、果たしてこの二年なり三年という期間で本当に司法試験に合格できるようなことを教えられるのか、そういう担保があるのか、こういうことを非常に私は懸念しているんです。
 だからといって、そのすべてのカリキュラムをぎちぎちにやって、ちゃんとそこまで教えなかった教官は首にしろというような運営はすべきではないと思いますが、ただ一方で、本当に法曹として育てていこうとするのであれば、例えば民事訴訟で研修所がやっているような要件事実の教育を、例えば、お金を返せという話をしようとするんだったら、金銭の授受と返還の約束というこの二つの要件事実があってと、そういう話を一生懸命しなければいけないんであって、およそ教官が、訴訟物とはということで訴訟物論争なんか始めちゃった日には、もう全然カリキュラムが終わらないでしょうから。
 それで、そういうことを考えると、教授の自由というのが認められてしまうような法科大学院というところで、この法曹教育の中身について、どういう担保を制度としてあるいは仕組みとしてとられているという御認識なのかということについて、これも法務大臣にお願いいたします。
森山国務大臣 なかなか難しい御質問でございますが、現在御審議いただいております連携法におきましては、法曹養成の基本理念といたしまして、法科大学院の教育について、少人数による密度の高い授業によって、法曹に必要な学識、能力等を涵養するための理論的かつ実践的な教育を体系的に実施し、厳格な成績評価、修了認定を行うことなどを定めた上で、法科大学院を設置する大学においても、このような基本理念にのっとって法科大学院の教育の充実に努めるものとしております。
 ですから、先ほどおっしゃいましたその学問の自由というのとちょっとまた種類の違う話でございますが、法科大学院というのは、今申し上げたような考え方あるいはそういう理念にのっとってつくられるものとなっておりまして、先ほどもお話が出ておりました第三者評価におきましても、このような基本理念を踏まえた評価基準に基づいて評価、適格認定を行うこととしているわけでございまして、法務大臣も、その適正さ確保のために文部科学大臣に意見を申し上げる機会を与えられているわけでございますし、これらを通じて、法科大学院における教育水準の維持向上が図られるものというふうに考えております。
 以上に加えまして、法科大学院の教育については実務法曹が積極的にかかわるということになっておりまして、そのようなことによって、法科大学院における法曹養成のための教育の妥当性あるいは適正さというものが担保されるのではないかというふうに考えております。
山花委員 もっと言えば、本来的には、やはり文科省が関与する形で高等教育機関という位置づけをしているところに少しそういった問題が出てきてしまっているような気がしますが、一応感想を述べるだけにとどめたいと思います。
 少しこれは角度を変えたお話ですけれども、法務大臣、現行の司法試験について、これは資格試験であるという位置づけなんでしょうか、あるいは、研修所への入所試験という位置づけなんでしょうか。
 と申しますのも、資格試験といったときには、普通は、ある一定の水準があって、その能力に達したときに合格という判断をするというものではないのかなという思いがあります。例えば運転免許の試験であれば、ある一定の点数を超えればそれで合格という判定をしますので、恐らくきょうも運転免許の試験場で合格している人が何人かいるんでしょうけれども、恐らく日によって随分幅がある。資格というものはそういうものじゃないかなと思うんですが、特に、湯島に研修所があったとき、ずっと五百人規模のものでしたから、あの当時から法曹人口はもっと必要だという議論はあったわけですが、六百人、七百人受からせちゃうと、そもそも研修所がパンクしちゃいますから、受かることができなかったですよね。
 そういうふうにして見ると、現行の試験制度というのは、何か資格試験というよりも入所試験のようなニュアンスが非常に強いような気がしているんですけれども、現行の制度についてどういう御認識でしょうか。
森山国務大臣 現行の司法試験についてのお尋ねがございましたが、司法試験は、司法修習生として採用されるための資格を付与する資格試験であるというふうに認識しております。現実には司法試験に合格した者のほとんどがその直後に司法修習生としての採用を希望しておりますので、実際上は司法研修所の入所試験としての機能を結果としては果たしているということではないかと思います。
山花委員 つまりは、現行の司法試験というのは、合格をしたとしても法曹資格を得られるわけではなくて、研修所に入れますよという資格を得るわけで、いわゆる何かイメージするところの資格試験というのとはちょっと違うのかな。要するに、司法試験を受かったからといって何か免許がもらえるとか、そういうものではないわけです。
 今お話がありましたような、いわば資格と入所試験の二つの要素があるようなものですから、だからこそというか、そういった背景があるから、人数についても例えば五百人とか何人という形で切っているわけですよね。そして、今議論になっている新司法試験の制度設計においてもおおむね三千人程度というような話があって、それはアッパーではなくて三千人よりふえるかもしれないという話になっておりますが、いわばこの法曹資格を与えるための司法試験というのは、現行のものもそうですし、この次から始まる構想にしても、割と政策的に人数を決めているというところに資格試験としての特徴があるということが言えるのではないかと思います。
 つまり、運転免許の試験が言ってみれば典型的なケースだと私は思っているんですけれども、例えば一定の能力水準を超えていても受からないケースもあるし、あるいは一定の能力水準には本当は達していないんだけれども受かっちゃうかもしれないというのが、この人数を設定したときの制度なわけです。つまり、定数がある程度想定されているという資格試験というのはちょっと特殊なのかなというふうに思います。
 そこで、最後、日野委員からも質問がありましたけれども、そうだとすると、私自身は、予備試験の問題でありますけれども、政策的に例えば枠なり人数なりそういうものを、予備試験に受かる人というのは大体これぐらいですよという形で定めていてもいいのかなという思いがあるんですけれども、この点についてはもう委員会でさんざんほかの委員の方たちもやっておりましたので、恐らく同じ答えになるんだろうと思うんですが、ただ、どうしてもちょっとイメージがつかみづらいところがございます。
 そこで、私なりのこの予備試験のイメージというものを申し上げますと、現行司法試験で言うところの司法一次試験なのかな、そんなようなイメージを持っております。現行司法試験の一次試験というのは、大学卒業程度の学力を有する者の能力を担保するために主に教養科目について行われているものでして、これがあるから、大学を卒業していなくても、高卒でも中卒でも、一次を受かれば、択一試験、論文試験、口述試験を経て法曹となることができるという試験であります。
 資料をいただいているんですけれども、この司法一次試験がどれぐらいの出願者で合格者かといいますと、十四年で見ますと三百七十二人受験して合格者が二十五人、十三年が二百九十六人受験して合格者が二十五人、十二年が三百一人受験して二十八人。この三年ぐらいは二十五人、二十八人で推移していますけれども、その前を見てみますと、四十四人受かっている年もあれば二十一人の年もあってという感じなんですが、おおむね合格率も九・五%とか、低いときは五・五%、高いときは一二%ぐらい受かっていますね。ただ、この三年間を見ますと、九・三、八・四、六・七と非常に狭き門のような印象を受けています。
 言ってみれば、司法一次というのが、普通に大学を卒業して、自然科学、人文科学、社会科学で十二単位ずつでしたっけ、それを取れば一次免除という形になっていますけれども、それに対応する形で存在をしているわけです。ということは、今回のこの司法試験の予備試験というのは、法科大学院を卒業する程度の能力を持つ人を選ぶという試験ですから、いわばその能力を担保するために試験をするのだという意味ではこの司法一次の試験に非常に近いのではないかと、私なりのそういうイメージを持っているんです。
 法科大学院というものが将来の法曹養成の中核となるという御答弁がございましたけれども、あくまでもそういう中核を担うのは法科大学院であって、この予備試験というものが、いわばイメージとしては司法一次試験のようなイメージを持っているんですけれども、このイメージについてはいかがでしょうか。合っているとか間違っているとかいうことでお願いします。
森山国務大臣 現行司法試験の第一次試験は大学卒業程度の教養と一般的学力を有するかどうかを判定するものでございまして、受験資格や合格定員は決められておりませんが、その受験者数や合格者数は今先生がおっしゃったとおりでございまして、第二次試験に比較して極めて少ないものになっております。
 一方、これからの予備試験は、法科大学院修了者と同等の能力を有するかどうかを判定するものでございまして、その内容やレベルは現行の第一次試験とは全く異なる、かなり異なるものでございますが、予備試験についても受験資格や合格定員を設けてはおりませんで、その点では現行の第一次試験と同様であるということが言えると思います。
山花委員 時間が来ましたので、終了します。ありがとうございました。
山本委員長 次に、石原健太郎君。
石原(健)委員 平成十六年から司法試験の管理委員会が試験委員会という名称に変わるようですけれども、役割とか性格に変更はあるのでしょうか。
山崎政府参考人 現在の司法試験管理委員会でございますけれども、これは「司法試験に関する事項を適正に管理すること」、これが主たる任務ということでうたわれているわけでございます。
 一方、新たに設置をいたします司法試験委員会でございますけれども、これは、司法試験とそれから予備試験、これを実施する主体ということになりまして、そこが大きく変わるわけでございます。それから、例えば、論文式試験の選択科目や試験科目の範囲を定める法務省令の制定、改廃、こういうものについて法務大臣に意見を述べるということが新たに加わるわけでございます。これ以外に、司法試験及び予備試験の実施に関する重要事項について調査審議をし、法務大臣に意見を述べるということになるわけでございまして、いわば審議会的な機能を所掌事務に加えるということでございます。
石原(健)委員 管理委員会は三条委員会でしたけれども、試験委員会になると八条委員会になるんだという話も聞いておりますが、その辺の理由はどういうところにあるんでしょうか。
山崎政府参考人 ただいま所掌事務の変更について申し上げましたけれども、いわば調査審議をするということでございます。いわゆる審議会の性格をかなり強く出すということになりまして、審議会は大部分、ほかの例もいろいろございますけれども、八条委員会で設置をされているということ、それから、この試験委員会に外部の有識者の方をかなり加えて審議をする、こういう性格も考え合わせますと八条委員会が一番相当である、こういう判断でございます。
石原(健)委員 法律には委員長というような規定はないようなんですけれども、議事の進行とか取りまとめはどういうふうに進めていくんでしょうか。
山崎政府参考人 この点につきまして、司法試験法の十四条一項で、「委員長は、委員の互選に基づき、法務大臣が任命する。」こういうことを規定しております。
石原(健)委員 きょうの参考人のお話でも、司法試験はなるべく易しい問題にした方がいいんじゃないかという意見が二、三の方から出されました。私も、そうすることが法科大学院を成功させる上でいいことじゃないか、また、この改革を軌道に乗せる一つのきっかけになるんじゃないかというふうに感じておるわけですけれども、試験問題の作成者、試験の問題をつくる人はどのようにして、またどういう点に配慮して進められていくのか、教えていただけたらと思います。
山崎政府参考人 ただいま試験問題について委員の見解が述べられましたけれども、最終的にはこれは委員会で決めることでございますが、私も試験委員を八年やっておりまして、試験問題は余りに難しくしない方がいいというのは同感でございます。今後、そういうようなことで、委員会の方でいろいろお願いできればというふうに思っています。
 これにつきまして、司法試験の問題の作成を行う考査委員の人選についてでございますけれども、これは司法試験委員会の推薦に基づきまして、その試験を行うについて必要な学識経験を有する者のうちから法務大臣が試験ごとに任命をする、こういうことでございます。その人選に当たりましては、この司法試験は法科大学院における教育との有機的連携のもとに行われる、この点を踏まえまして、法律実務家や法科大学院の教員等の中からバランスを考えまして任命をしていく、こういうふうに考えられております。
 ちなみにでございますが、本年度の司法試験の第二次試験考査委員でございますけれども、学者が八十四名、実務家が九十名、こういうような構成になっております。
石原(健)委員 考査委員はそのくらいの人数おいでかもしれないんですけれども、実際に問題をつくる人はもっと限られてくるんじゃないんでしょうか。
山崎政府参考人 最近ちょっとやっておりませんので最近はわかりませんが、私がやっていたときの経験でございますけれども、試験問題は、各委員がそれぞれ出してきまして、その委員間でいろいろ議論をしてその中で選んでいく、またあるいは修正をしていくというやり方をしていると私は承知しております。
石原(健)委員 大臣にお尋ねしたいんですけれども、新しい試験では選択科目がふえるとか、行政法の分野も加わるなど、変更があるようです。また、将来の法曹にふさわしいいろいろな理念も盛り込まれているわけなんですけれども、この試験委員とか考査委員にはこれまでの慣行にとらわれないフレッシュな人材を積極的に登用されていくようにしたらいかがかと思いますけれども、その辺についてお考えをお聞かせいただけたらと思います。
森山国務大臣 司法試験委員会の委員については、これまでの司法試験管理委員会委員のような法曹三者の事務レベルのトップの方々ではなくて、もう少し実務の現場に近い法曹の方々にお願いするとともに、新たに学識経験者の方々にも参加していただくというふうに考えていただくことになるんではないかと考えております。
 司法試験考査委員につきましては、現状においても、第一線で活躍しておられる学者、実務家の方々にお願いしておりまして、その平均年齢は約五十一歳と聞いております。平均在任期間は数年間程度という話でございまして、かなりしばしば人選、人の入れかえも行われているように聞いております。
 新しい制度のもとでは、複数の法律分野にまたがる融合問題をも必要に応じて作成、作題し得る柔軟な発想をお持ちの方が必要になることから、これまで以上に若手の学者、実務家に考査委員として御協力をいただきたいというふうに考えております。
石原(健)委員 新しい制度に変わりますと、制度上は、従来の試験を受けるのより、大学院三年ありますから、大学院を卒業して司法試験を受けるとなると最短一年半は余計にかかるわけですね。就職するのもそうなりますと一年半おくれるということで、生涯賃金の面から見ると随分減るんじゃないかと思われますし、また、年金なんかにも響いてくるんじゃないかと思われます。
 この減額分と大学院教育にかかる費用を考えますと、法曹を目指す人たちはこれまでの制度と比べると経済的に大分大きな負担を強いられることになります。将来、国のために大変役に立つ人材養成ということを考えますと、これらの点に何らかの配慮がなされてしかるべきじゃないかという気もするんですけれども、文部省のお考えを聞かせていただけたらと思います。
工藤政府参考人 現行制度のもとで法曹資格を取得していらっしゃる平均年齢というのは、司法試験合格者の平均年齢で二十七歳余でございます。それに一年半司法修習を加えますと、おおむね二十八歳から九歳で資格を取得しているのが現状でございます。
 他方、法科大学院標準三年、さらに司法試験、司法修習が一年に短縮されるとなりますと、標準で二十六歳から二十七歳程度となりますし、また、飛び入学や短期修了などを活用いたしますと最短で二十三、四歳で資格を取得できるという制度設計でございますので、現行と比べて平均でいえばさほど長期化するわけではないわけでございます。
 ただ、現実に学業に専念し、法科大学院在学中学費がかかるというのは確かでございますので、私ども、経済的な事情で、法科大学院に志があるのに進学できないということがあってはならないわけでございますから、各種の支援措置の充実が必要だと考えてございます。現に、ただいま御審議いただいております連携法でも、国の責務として財政上の措置を講ずべきことがうたわれているわけでございます。
 私ども文部科学省の立場で申しますと、日本育英会の奨学金という制度がございます。奨学金はここ以外にも、自治体ですとか民法法人でも行っているんですが、現行の制度を活用しますと、最大で年間二百六十万ほどお貸しできるのでございますけれども、果たしてこれで十分かどうかという問題意識は持ってございます。平成十六年四月の立ち上げを考えますと、来年夏の概算要求の大きな検討課題と受けとめてございます。
 そのほか、奨学金だけではなくて、法科大学院の立ち上げといいましょうか、立ち上げと経常的な運営に資し、ひいては学生負担の軽減にも資するために私学助成の充実という課題もあろうかと思いますし、それから各省所管ではございますが、各種のローンの制度の充実なども考えていかなきゃいけない課題だと受けとめてございます。
    〔委員長退席、園田委員長代理着席〕
石原(健)委員 今の局長さんの説明を聞いていますと、今までより期間が短縮して資格が得られるというようなお話もなさいましたけれども、今は、これは本人の自由意思で何回か受けて二十七歳ぐらいになるということだと思うんですね。ただ、新しい仕組みになると、自分の意思にも何にもかかわらず今よりは一年半は延びるということになるので、その点の御理解は、ちょっと私は納得できないというのがあります。
 ただ、今、あと奨学金の拡充とかいろいろお話もいただいたので、そういうことが絵にかいたもちにならないように、実現の方は何とぞよろしくお願いします。
 それから、前に大学院の設置基準について、文部大臣になるべく簡素な方向でお願いしたいというようなことを申し上げたら、そのような方向の御答弁をいただいたんですが、第三者機関の認証基準ですね。このことについては、やはり私はなるべく簡素な方がいいと思っているんですけれども、きょう、これも参考人質疑の中で、京都大学の田中先生、検討会の座長さん、座長さんの立場で答えられたのか、京都大学教授のお考えなのか、その辺確認しませんでしたが、あの先生のお考えの後ろには、やはり京都大学という大きな組織をバックにいろいろ考えていらっしゃる部分もあるんじゃないかと思うんですよ。
 ただ、大学院を目指すのには、そんな国のバックがないとか、京都大学は国のバックがあるけれども、財務的な基盤が非常に、もっと小さい組織が大学院を目指すというようなこともあると思うんですよ。しかも、大学院が発足しての当初は、非常にいろいろ、混乱と言っては申しわけないですけれども、すぐスムーズには運営が進んでいかないこともあろうかと思われるんです。少なくとも、当初は第三者評価機関の認証基準なんというのも、その基準と評価の項目、そういうのもなるべく簡素な方がいいんじゃないかというふうに私は考えていますけれども、そういうことは最終的に、今までの御説明では、どっちかというと評価機関そのものが決めるんだというようなお話も多かったと思うんですけれども、文部省としては、その辺はどういうふうにお考えになっているんでしょうか。
    〔園田委員長代理退席、委員長着席〕
工藤政府参考人 大学評価のあり方というのは、何ぴとでもできるのがこの評価なのでございますけれども、他方で、委員各位にも御心配いただいていますように、しっかりした法科大学院を立ち上げ、育てていかなきゃいけないという要請もあるわけでございます。
 私ども、認証評価を行う機関の評価項目をどう定めるかというのは、それはそれぞれの評価機関が定められることではございますけれども、余りいいかげんな評価で社会的信頼を崩してもいかがなものかということもございますので、一定の部分につきましては、審議会にお諮りした上ででございますけれども、細目としてお示しする必要があるかなと思ってございます。
 その際、例えば、当然、先生方もお気づきのように、必要とされますのは、カリキュラムの編成の状況がしっかりしておるか、それに見合うような教員が確保されているか、中でも実務的なバックグラウンドをお持ちの方々が確保されているかという点でございますとか、入学者選抜の多様性、公平性がどう確保されているかでございますとか、しかも、カリキュラムの実際の運営に当たりまして、少人数教育でございますとか、厳格な成績評価の状況などなど、法科大学院が日本の法曹養成の中核とならんとするのであれば、それにこたえるべく法科大学院もしっかり取り組んでいただかなきゃいけないわけでございますので、その取り組み姿勢をバックアップするような評価項目を各機関が定めていただくことを期待しているところでございます。
石原(健)委員 小規模な大学院でも、その評価を受けるにいろいろな手当てをしなくちゃならないというような、負担がかかるようなことのなるべくないように進めていただければと思います。
 それから、第三者機関が評価したものを公表するのはどのような方法でなされるのかということと、一般の人がそれを知りたいときに、公表するというんですから、行けばきっと教えていただけるんでしょうけれども、インターネットなどに接続するというようなことも考えられるんですか。
工藤政府参考人 この評価の公表というのは、各大学の自己努力を促す上でも必要でございますし、評価者を評価するという観点からも必要なことでございますし、また、法科大学院の定着状況を社会的関心をお持ちの方々に広くアクセスできるような仕組みにする上でも必要でございます。
 実際には、どういう手段、方法でやるかというのは、その評価機関御自身がお定めいただくことでございますけれども、私ども、その評価の方法につきましては、六十九条の四の四項に基づきまして、省令で一定の大枠をお示しし定める必要があると考えてございますけれども、例えば、イメージとしましては、この件について御議論いただいた中教審の答申によりますとこういう言い方をしてございます。国民に対してわかりやすい形で公表されること、それから、被評価者に対して評価の結果及び理由が示されて、意見を提出する機会が設けられることということでございます。
 ちなみに、既に私ども、国立大学につきましては、設置者の立場で、国立学校設置法体系のもとで、国立学校の教育研究等の状況を広く開示するべしという前提のもとに省令でその旨書いてございまして、その省令の書きぶりを御参考までに申しますと、刊行物への掲載その他広く周知を図ることができる方法によって行うべしというふうにしてございます。
 審議会等の御議論を踏まえながら、今御提案ございましたインターネットでのアクセスなども含めまして、適切なものを定めてまいりたいと思っております。
石原(健)委員 先ほどもお話ありましたが、この評価機関ですね。学位授与機構は国からの財政支援もあるということで、民間の評価機関が一緒の場面で競争したらなかなかこれ太刀打ちできないと思うんですよ。やはりここに公正、公平な競争が確保できるような配慮が必要だと思うんですけれども、いま一度御答弁いただけたらと思います。
工藤政府参考人 ただいまのところは、大学評価・学位授与機構といいますのは、国立大学を中心にした評価の試行をやってございます。それと、そのほかに、日本で評価制度は未定着でございますから、諸外国の先例などノウハウを蓄積してそれを提供する業務などを行ってございまして、国費を投じているわけでございますが、仮に、この本制度が発足後、第三者評価機関としての認定を受けるということになりますと、そこの認定事業につきましては、やはり自立的にやっていただく必要があろうかと思っております。そのために、適正な評価料などの料金設定などをいたしまして、他の機関と、民業圧迫といいましょうか、不公平にならないような手だてをしなきゃいけないという観点を持ってございます。それが一つでございます。
 他方で、この大学評価・学位授与機構に限らず、日本の場合に評価機関が未成熟な部分がございますので、中教審答申では、その評価の重要性からして何らかの支援措置を検討すべしという御提言もいただいてございます。
 複数のいろいろな評価機関が立ち上がりに当たりましてどういう形の御支援が可能であるか、財政事情もございますのでさらなる検討も必要でございますし、大学によりましては、私どもが聞いている限りでは、法科大学院の評価機関だけではなくて全学的な評価の仕組みもあるわけでございますけれども、余り国から支援を受けないで自立的にやりたいという希望を表明されている機関も他方ではございます。それらを兼ね合いながら、どういう支援が可能かさらに検討してまいりたいと思っております。
石原(健)委員 今度の大学院を卒業すると何らかの学位のようなものが授与されてしかるべきだと思うんですけれども、その辺についてはどう検討されているんでしょうか。
工藤政府参考人 これまで、現行制度のもとで大学院には修士課程、博士課程が置かれておりまして、そこの修了者には修士または博士の学位が授与されておりました。
 その枠組みの中で、実は、高度専門職業人養成のための、いわゆるビジネススクールでございますとか、公衆衛生、パブリックヘルスの公衆衛生でございますけれども、その分野の専門家養成ですとか、そういう大学院が既に六校ほど存在してございます。
 ただ、それは従来の枠組みでございますので、従来の修士ということでよかったんでございますが、今回のこの法科大学院は、修業年限が三年という、従来の間尺にはちょっと合わない新しい構想でございます。これは中教審でいろいろ御議論いただきまして、合わないから従来の仕組みに合わせるということではなくて、高度専門職業人養成の需要というのは、いろいろな分野でこれからもどんどん広がる可能性があるものでございます。
 そうしますと、既定のベッドにお客さんの足を合わせるというのじゃなくて、お客さんに合わせた舞台を整備すべきじゃないかということで、このたび学校教育法の改正により、新たに専門職大学院制度を設けようということにいたしました。それは、修業年限は二年に限らず三年でも、あるいは二年を下回ることもあるでしょうということと、あわせて学位につきましても、従来の修士、博士とは違う専門職学位を差し上げるべきであろうと思ってございます。
 そういう中で、では、具体的にどういう学位になるかということなんでございますが、いろいろ中教審でも御議論いただきました。修士、博士以外の第三の名称についても幾らか案があったのでございますが、余り珍奇なものを差し上げてもいかがなものか、現実に、法科大学院につきましてはアメリカの先例があるわけでございますので、国際通用性を考えますと、アメリカのロースクールに与えられておりますJD、ジュリスドクターに相当する学位を差し上げるのが相当ではないかという御議論でございまして、これも、法改正が成りますと私どもさらに検討して決めなきゃいけないのでございますが、方向としましては、英訳してJDになるような方向、つまり法務博士とでも申しましょうか。ただし、従来の研究者学位とは違う、むしろプロフェッショナルスクールでの、プロフェッショナルとしての誇りを持っていただき、世の中にも認知していただくということで、カテゴリーとしては、仮に法務博士となりますと、法務博士(専門職学位)というように、学位はこういうプロフェッショナルの学位ですよというのを明示する形での定着を考えていこうかということを予定してございます。
石原(健)委員 では、これで質問を終わります。ありがとうございました。
山本委員長 次回は、来る十二日火曜日午前九時二十分理事会、午前九時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後五時五分散会


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