衆議院

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第9号 平成22年4月23日(金曜日)

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平成二十二年四月二十三日(金曜日)

    午前九時三十分開議

 出席委員

   委員長 滝   実君

   理事 阿知波吉信君 理事 石関 貴史君

   理事 辻   惠君 理事 樋高  剛君

   理事 山尾志桜里君 理事 稲田 朋美君

   理事 森  英介君 理事 大口 善徳君

      石森 久嗣君    岡田 康裕君

      加藤 公一君    神山 洋介君

      熊谷 貞俊君    桑原  功君

      坂口 岳洋君    高橋 昭一君

      竹田 光明君    橘  秀徳君

      中島 政希君    永江 孝子君

      長島 一由君    野木  実君

      藤田 憲彦君    細野 豪志君

      牧野 聖修君    柳田 和己君

      山口 和之君    横粂 勝仁君

      河井 克行君    北村 茂男君

      柴山 昌彦君    馳   浩君

      柳本 卓治君    遠山 清彦君

      園田 博之君    城内  実君

    …………………………………

   法務副大臣        加藤 公一君

   参考人

   (東京大学大学院教授)  大澤  裕君

   参考人

   (日本弁護士連合会副会長)

   (弁護士)        江藤 洋一君

   参考人

   (殺人事件被害者遺族の会「宙の会」代表幹事)   小林 賢二君

   参考人

   (被害者と司法を考える会代表)          片山 徒有君

   法務委員会専門員     生駒  守君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月二十三日

 辞任         補欠選任

  石森 久嗣君     柳田 和己君

  橘  秀徳君     神山 洋介君

  山崎  誠君     岡田 康裕君

  棚橋 泰文君     北村 茂男君

同日

 辞任         補欠選任

  岡田 康裕君     高橋 昭一君

  神山 洋介君     橘  秀徳君

  柳田 和己君     石森 久嗣君

  北村 茂男君     棚橋 泰文君

同日

 辞任         補欠選任

  高橋 昭一君     山崎  誠君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律案(内閣提出第五三号)(参議院送付)


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     ――――◇―――――

滝委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、参議院送付、刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律案を議題といたします。

 本日は、本案審査のため、参考人として、東京大学大学院教授大澤裕君、日本弁護士連合会副会長・弁護士江藤洋一君、殺人事件被害者遺族の会「宙の会」代表幹事小林賢二君、被害者と司法を考える会代表片山徒有君、以上四名の方々に御出席をいただいております。

 この際、参考人各位に委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多忙の中、御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見を賜れば幸いに存じます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、大澤参考人、江藤参考人、小林参考人、片山参考人の順に、それぞれ十五分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。

 なお、御発言の際はその都度委員長の許可を得て発言していただくようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、御了承願います。

 それでは、まず大澤参考人にお願いいたします。

大澤参考人 東京大学で刑事訴訟法を担当しております大澤でございます。本日はよろしくお願いをいたします。

 公訴時効制度の改正を内容とする刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律案につきまして、幾つかの特徴的な点を取り上げ、刑事訴訟法の研究者としての立場から、主として公訴時効という制度の趣旨との関係に焦点を当てて意見を述べさせていただきたいと思います。

 まず、制度の趣旨について簡単に振り返っておきたいと思います。

 こちらの方で御用意になられている法務調査室作成の資料がございますけれども、その一ページから二ページの部分を拝見いたしますと、アからウまで三点ほどが示されております。

 古くから説かれてきましたのは、ここのアに挙げられている、時の経過とともに、証拠が散逸してしまい、起訴して正しい裁判を行うことが困難になる、そういう訴訟法的な説明と、それから、イに挙げられておりますような、時の経過とともに、社会一般の処罰感情等が希薄化する、そういう実体法的な説明であり、我が国では両者あわせた説明をするのが一般的でありました。

 ウには、事実状態の尊重ということが挙げられております。この事実状態の尊重については、公訴時効制度を支える独立の理由ではなくて、アやイの事情から公訴時効が認められた場合の結果にすぎないというとらえ方もできますが、しかし、時が経過をしても、確実な証拠が存在をする場合もあれば、処罰感情が失われないという場合もございます。それにもかかわらず、画一的に訴追、処罰の可能性に区切りを設けるということだといたしますと、それは、その結果としてもたらされる事実状態の尊重に何らかの積極的な意義があるからではないか、そういう見方もできます。

 このような見方をした場合に、積極的な意義とは具体的に何であるかについては、さらにさまざまな見方があるところですが、この資料のウの記述からは、犯人を処罰の可能性から解放し、その地位の安定を図るという利益が示唆されているように見えますけれども、それ以外にも、被疑者、被告人となり得る国民の地位の安定でありますとか、さらには、捜査機関、裁判所の負担軽減等といったことも含めて考えることもできるように思われます。

 いずれにせよ、公訴時効制度と申しますのは、犯罪者の処罰を確保するという要請と時の経過による社会的安定を尊重するという要請との調和点として政策的に設けられた制度であると言えるかと思われます。

 そこで、法律案について見てまいりたいと思いますが、今回の法律案は、人を死亡させた罪について公訴時効に関する特別の扱いを定め、そのうちの死刑に当たる罪については公訴時効の対象外とし、懲役、禁錮の刑に当たる罪については公訴時効期間をおおむね現行法の定めの二倍に延長するということを内容とするものです。

 まず問題となりますのは、人を死亡させた罪について、他の犯罪とは異なる特別の扱いを定めるということの合理性でありますが、人の生命は、だれもが疑わないいわば至高の法益であり、人を死亡させた罪は、このような法益を永久に回復不能な形で失わせるという点では、他の犯罪と質的に異なる面があるように思われます。そして、そのような犯罪の性格上、他の犯罪と比べましても、犯罪の社会的影響とそれに対する処罰感情というものは容易に希薄化することがなく、事実状態の尊重よりも事案の真相解明と犯人処罰がより強く求められる、そういう犯罪類型であると言えるように思われます。実際、今回の改正の背景となりました公訴時効のあり方の見直しを求める国民の声というものが特に強かったのは、この種の犯罪に対するものであったと認識しております。

 したがって、この種の犯罪の公訴時効について特別の扱いをするということは、公訴時効の趣旨に照らして、ひとまず合理性を認め得るものと思われます。

 次に問題となりますのは、そのような、人を死亡させた罪の公訴時効に関する特別の扱いの内容です。

 公訴時効を見直す方法といたしましては、法律案が採用したような法定刑を基準とした公訴時効の廃止、公訴時効期間の延長というほかに、個別の事件の証拠状態を考慮して、時効の停止あるいは中断といったような形で特別の扱いを認める、そういう方策も考えられるところでございます。そして、そのような方策も、現行法の公訴時効制度を基本としながら、そこに捜査資源の有効配分にも配慮した一定の修正を加えるものとしては、考え得ないものではないようにも思われます。

 しかし、今回の改正の背景となりました現行の制度と国民の処罰感情とのギャップがどこにあるのかということを考えてみますと、時間が経過したという一事によって、明白な証拠が得られた犯人についても訴追、処罰の可能性が失われてしまってよいのか、そういう問題に行き着くのではないかと思われます。

 ところが、そのような明白な証拠が最終的に得られたという場合でも、それ以前のどの時点で一体どれだけの証拠が収集されているかということは、事件によってさまざまであり、それは多分に偶然の事情によって左右されると言わなければなりません。特定の時点の証拠状態で、ある事件は訴追、処罰が許され、ある事件は訴追、処罰が許されない、そういう形で線引きをするということは、今回の法改正の背景に照らして果たして合理的と言えるかには疑問が残るように思われます。

 また、公訴時効制度は、元来、個別事件の証拠状態を問うことなく犯罪類型ごとに画一的な扱いをする、そのことによって事実状態の安定をつくり出す制度であり、そのような制度の性格自体は、今回の法改正においても維持されるべきであると考えられます。そういたしますと、法律案のように、人を死亡させた罪について公訴時効に関する特別の扱いをするという場合にも、その中で法定刑を基準とした画一的な扱いを維持するということは、明確性の点ですぐれ、支持され得るように思われます。

 人を死亡させた罪の公訴時効に関する特別の扱いの内容について、いま一つ問題となりますのは、一定の犯罪類型について公訴時効の廃止にまで踏み込んだという点です。これはかなりドラスチックな改革にも見えます。

 しかし、今日の国民意識に即して考えてみますと、先ほど述べたような性格を有する、人を死亡させたという罪のうち、最も重い類型の犯罪については、時の経過による犯罪の社会的影響や処罰感情の希薄化という理由は、そもそも当てはまるものか、疑問もあるように思われます。事実状態の尊重として、先ほどのウの記述に示唆されておりましたように犯人の地位の安定ということが言われることもありますが、仮にそのような利益が正当なものとして認められる場合というのが犯罪の種類によってはあるにせよ、この種の犯罪については、時の経過によって犯人が処罰されない地位を得ることが正当化されてよいのかということが、まさに多くの国民から現在問われているところかと思われます。

 もちろん、そのような犯罪類型につきましても、証拠の散逸ということはあり得ることであり、確実な証拠が確保されない限り、訴追というのはできません。しかし、確実な証拠が確保された場合に、それでも訴追、処罰が妨げられなければならないという理由は、時間の経過それ自体からは見出されないように思われます。

 このように、公訴時効の廃止も、時効制度の趣旨に直ちに反するものではないと言い得るように思われます。

 以上のような公訴時効の廃止を含む見直しに対しては、防御上の不利益ということが指摘されることもあります。確かに、時間の経過により防御のための証拠も散逸をいたしますが、訴追のための証拠も散逸をいたします。ひとしく散逸の危険にさらされたもと、なお訴追にたえ得る証拠が得られたという場合に、これを通常の場合と同じく、訴追側の立証に合理的疑いが生じるかどうかという厳しい基準のもと、個別具体的判断にゆだねるということは、そのような判断が本来の厳格さをもってなされるという限り、決して不当なこととは言えないように思われます。

 また、公訴時効の廃止を含む見直しに対しては、そのことによって実際に訴追、処罰が可能となる犯罪というのはほとんど存在しないのではないかという疑問もあり得るかもしれません。しかし、法改正のねらいは、それによってより多くの犯罪を訴追、処罰するということにあるというよりは、逃げ得を許さないという姿勢を明確にするとともに、時間が経過したとの一事により、明白な証拠があらわれた場合にも訴追、処罰が不可能となるということの不合理を是正するということにあるというべきです。今回の法律案は、それにこたえる内容のものにはなっていると思われます。

 今回の法律案のもう一つの大きな特色は、現に公訴時効が進行中の事件にも新法の適用を認めるという点です。この点では、このような扱いが憲法三十九条の遡及処罰の禁止に違反しないかが問われることとなります。

 しかし、御案内のとおり、憲法三十九条の文言は、何人も、実行のときに適法であった行為については刑事上の責任を問われないというものです。行為者に行動の結果について予測可能性を与え、それによって行動の自由を確保する、あるいは、もう少し平たく言えば、不意打ち処罰を防止する、こういうこの規定の趣旨にかんがみますと、憲法三十九条の禁止には、行為のときに適法であった行為について事後的に処罰することや、違法性の評価を変更して事後的に刑罰を加重して処罰することが当たります。しかし、公訴時効の改正は、このような行為の可罰性の有無、程度にはかかわりませんから、新法を適用することとしても、この憲法の規定に直ちに抵触するということはないように思われます。

 もっとも、公訴時効については、国家がみずからの刑罰権行使に時間的な期限を課したものであるとする見解もあり、このような見方が成り立つとすれば、公訴時効の変更も、刑罰権の事後的な伸長として憲法三十九条に触れるという解釈が成り立つ余地が生じます。

 しかし、公訴時効は、訴訟法に、公訴提起という訴訟行為の有効要件として定められてございます。このような公訴時効は、犯罪行為自体あるいはそれに対する刑罰権について何かを定めるものではなく、あくまでも公訴提起という訴訟行為について有効、無効を定めたものと言わなければなりません。公訴時効制度の趣旨として実体法的な理由や犯人の地位の安定という視点が含まれるといたしましても、行為時に定められた訴訟法上の公訴時効は、その時点で行われる公訴提起について、今申し上げたような視点も考慮して有効、無効を定めるものでしかなく、その時点で行われた犯罪行為について何かを定めたり、ましてそれに対する将来の訴追について何かを定めたりするという性格のものとは言えないというべきです。

 このような見方に立てば、時効完成前の行為に関する限り、新法を適用したとしても、何ら保護に値する信頼を裏切って不意打ちを与える意味は持たず、やはり憲法三十九条違反とはならないと言い得るように思われます。

 最後に、以上を踏まえまして、平成十六年の刑事訴訟法改正との関係について一言して終わりたいと思います。

 平成十六年改正でも、一定の重大な犯罪について公訴時効期間を延長する改正がなされました。そこで、仮に趣旨を同じくするような改正が短期間に繰り返されるとすれば、その妥当性には疑問も生じ得るかとも思われます。

 しかし、平成十六年改正では、凶悪重大犯罪の増加傾向に対し、その有効な抑止のための罰則強化に主眼が置かれ、公訴時効期間の延長もそのような罰則強化とセットになって、専ら将来に向けての効果的な刑事政策を実施する、そのための手段の一環として行われました。現に時効が進行中の事件について新法を適用しないこととしたのも、このような改正の性格によるものと理解できます。

 これに対し、今回の改正は、人の生命を奪った殺人などの犯罪について、果たして現行法が定める程度の時間の経過によって犯人が処罰を免れるのは不当ではないか、そういう意識が国民の間に共有されるに至ったことを受けたものであり、現に時効が進行中の事件に対する新法の適用を認めたことにも示されておりますとおり、過去の犯罪に対する対応を含め公訴時効のあり方を見直すものです。この点で、平成十六年改正ではそもそも手をつけられていなかった問題と新たに取り組むものと言えます。

 このような点で、平成十六年改正から間がないことを考慮しましても、なお妥当性が認められる改正ではないかと思います。

 御清聴ありがとうございました。(拍手)

滝委員長 どうもありがとうございました。

 次に、江藤参考人にお願いをいたします。

江藤参考人 日弁連副会長の江藤洋一でございます。主に、裁判員裁判、可視化の問題と刑事関係を担当しております。

 本日は、一党一派のみならず、また選挙区のみならず、全国民を代表する先生方の前でこのようにお話しする機会を与えていただきましたことを大変光栄に思っております。厚く御礼を申し上げます。

 お手元に、日弁連作成の挿絵つきのものがあるかと思いますが、これを参照していただければと思います。既に論点はただいまの大澤先生の話の中にも出尽くしておりますので、逐一申し上げることはいたしませんが、幾つか的を絞って先生方のお耳を拝借したい、このように考えております。

 結論から申します。私は、今回の公訴時効と刑の時効を廃止し、また延長する刑事訴訟法並びに刑法改正に反対でございます。

 その理由としてしばしば言われますことは、逃げ得を許さない、こういうことにあると言われております。大澤先生の話の中にもそのことは出ておりました。これが今回の法改正の実質的理由であるとも言われております。

 しかしながら、この一見もっともらしい理屈は、実は現実の刑事手続を全く無視しております。逃げ得を許さないというのは、ほかでもございません、真犯人の逃げ得を許さない、こういう趣旨であろうというふうに理解しております。しかし、その真犯人というのは一体だれなのか。それは神や仏の目から見た真犯人なのでございます。実際には、神仏ならぬ生身の人間が大変な労力と時間をかけ、またお金を使い、種々捜査を行って、ようやく被疑者を見つけ出し、さらに被告人に至り、これを起訴し、同じく神仏ならぬ人間がこれを裁く。そうして有罪とされた人が犯人であり真犯人である、こういうたてつけになっております。

 しかし、それほど慎重な裁判を行っても、なお冤罪は発生しております。最近の足利事件、氷見事件は言うに及ばず、幾つもの再審無罪事件が現に発生しているわけでございます。このように冤罪のぬれぎぬを負わされた人は言うまでもなく、そうでなくとも、捜査の過程で被疑者、容疑者として捜査線上に上った人にとっては、何ら逃げ得ではなく、むしろ大変な災厄なわけでございます。

 真犯人の逃げ得を許さない、これは俗耳に入りやすい大変わかりやすい言葉でございます。しかし、その真犯人に到達する過程において、多くの罪のない市民が大変な難儀をこうむることになるわけでございます。たとえ十人の罪人を逃しても一人の無辜を罪してはならない、これは刑事裁判の大原則でございます。しかし、捜査の過程において、一人の真犯人、一人の罪人に到達するまで、十人、百人の無辜の市民が大変な難儀をこうむることもこれまた事実でございます。しかも、真犯人を見つけることができず、ただただ無辜の市民を苦しめただけに終わるということも世上しばしばございます。

 そうして、時間の経過とともに、ますます真犯人を見つけ出すことは困難となります。

 いかがでございましょう、三十年前、すなわち昭和五十五年四月二十三日の午前十時、先生方はどこにおられたでしょうか。(発言する者あり)おっしゃるとおりです。辻先生、いかがでしょう。本当にわからないと思うんです。石関先生はどうでしょう。先生はまだ小学生でいらっしゃった。横粂先生、先生はまだ生まれておられなかった。そんな昔の話でございます。

 しかも、先生方を犯人らしく思わせるもっともらしい証拠があり、ただ、先生方としては身に覚えがないという場合を考えていただきたいのでございます。どうやってアリバイ立証ができるのか。身に覚えがなく疑われているという場合を考えてください。時間の経過による証拠の散逸、これが公訴時効を認めることのそもそもの立法理由の一つと言われておりますのはそのためでございます。それは、容疑者、被疑者とされた無辜の市民を大変な難儀と災厄から解放する、こういう意味がございます。真犯人だけを解放するのではないのです。真犯人と疑われた罪のない人々を解放するということに意味がございます。今の点を先ほどの大澤先生の理由にさらに一つつけ加えさせていただきたい、このように思っております。

 そもそも、平成十六年の刑事訴訟法の改正については全く検証されておりません。その検証をなすことなく、今回、公訴時効を廃止しあるいはさらに延長することは、余りに拙速であり、時期尚早であると言わなければなりません。この間、平成十六年改正法につき、何がしかの不都合があったとは聞いておりません。結局のところ、今次の改正には確たる立法事実がないと言わざるを得ません。

 他方、被害者感情のありようは、公訴時効制度や刑の時効制度を考えるとき、最も重要なファクターの一つであると私も考えております。肉親の生命を奪われた人のお気持ちは尊重されるべきであって、これを軽々しく論じることはできません。しかしながら、被害者の方々のお気持ちもさまざまであり、これを一律に論じることができないのもまた事実でございます。伝統的に言われておりますように、時の経過とともに被害者感情が希薄化することもあれば、また、時効期間の満了によりお気持ちに一区切りつけたい、こうお思いの方もおられるはずでございます。ただ単に、時効を廃止したり、むやみと延長したりすることだけが被害者感情を慰撫するものでないこともまた事実でございます。

 仮に皆さん方がそう思ったとしても、そのお気持ちともう一つ、先ほど申し上げました無辜の市民を解放するという、この二つの利益を考量した上でなければ、今回の立法には踏み込めないはずでございます。被害者感情の尊重ということと無辜の市民を捜査対象から解放するという、法律上保護に値する二つの利益をぜひ慎重に比較考量していただきたい、このように思っております。

 犯人の逃げ得を許さないということは、比較しようのない、反論のしようのない正義感に根差しております。私もまたそのように考えております。しかし、この気持ちは、この正義感は、むしろ初動捜査を初めとして捜査全体の有効性を高め、可及的速やかに真犯人を見つけ出し、適正手続にのっとり処罰することによって満足させられるべきであって、無辜の市民を長く苦しめることによって満足させるものではない、このように言うべきであろうと考えております。

 真犯人の逃げ得を許さないという正義感を先生方と同様に私も抱いておりますが、しかし、だからといって、公訴時効の廃止によって無辜の市民のいかなる不利益も無視してよいということにはならないと考えるものでございます。

 仮に、今次の改正法が成立したとしましても、遡及適用は断じて認めるべきではないと考えます。刑罰法規は遡及して適用してはならないということは刑法の大原則であり、憲法第三十九条に由来するものでございます。

 平成十六年の刑事訴訟法改正の折には、この大原則にのっとり、附則三条二項において、法の施行前に犯した罪の公訴時効については「なお従前の例による。」と定められ、改正法によって延長された時効期間の適用はその施行後の犯罪に限られました。しかるに、今回の改正法にはそのような規定がなく、時効進行中の犯罪について、そのまま時効が廃止されるか、あるいは時効期間が延長されることとなり、実質的に改正法の遡及適用を認める結果となっております。

 このことの説明として、公訴時効はあくまで訴訟手続的な制約であって、行為の可罰性に影響しないから、遡及適用しても刑罰法規の不遡及の原則に反しないと言われることがございます。しかし、これは余りにも形式論理に過ぎると考えます。刑事訴訟法に定められた公訴時効は、実体法である刑法の適用を離れては存在し得ません。その意味において、公訴時効は時間的可罰性に対する制約であるということが言えますから、公訴時効を廃止したり延長したりすることは、この時間的可罰性を広げることになり、刑罰不遡及の原則からもやはり疑問であると言わざるを得ないと考えるところでございます。

 以上の次第でございますから、憲法三十九条の趣旨を尊重し、遡及適用を認めるべきではないと考えます。今次の改正法がやむなく成立するものであれば、平成十六年改正法と同様、附則において、施行前の行為につき「なお従前の例による。」との規定を加え、遡及適用を排除すべきであります。

 公訴時効が廃止、延長された場合、さきに述べたとおり、容疑者、被疑者とされた無辜の市民がさらに苦しめられることとなります。このことは、ほかでもない、冤罪の発生する危険性を高めていることになります。無実の人のアリバイ立証などは時間の経過とともに困難になり、証拠の散逸はさらに進みます。しかも、その散逸が、意図的ではないにしても、被疑者、被告人に不利益をもたらすことが十分に考えられます。

 そこで、公訴時効が廃止、延長された場合、冤罪を防止し、被疑者、被告人の防御権が十分に守られるよう、必ず次のような措置が講じられるべきであると考えます。

 一、捜査機関は、捜査資料、証拠物等の適正かつ確実な保管に努めるとともに、捜査機関以外の第三者機関による保管体制等を含めて、公正かつ中立的な保管のあり方が確立されること。二、事後の検証可能性を確保する観点から、捜査機関によって作成、収集された一連の証拠資料、証拠物の目録を捜査機関が作成、保管し、弁護人への全面開示等、被疑者、被告人の反証に積極的に利用できるようにすること。三、取り調べ段階での虚偽自白が冤罪を発生させていることにかんがみ、取り調べの可視化を速やかに実現するとともに、弁護人の立ち会いや時間の規制等、取り調べの公正性を確保すること。

 以上のとおり、今回の公訴時効の廃止、延長には、弁護人、弁護士の立場から強く反対するものであります。くれぐれも慎重な御審議をお願い申し上げます。

 御清聴ありがとうございました。(拍手)

滝委員長 どうもありがとうございました。

 次に、小林参考人にお願いをいたします。

小林参考人 本日は、このような貴重な機会にお招きをいただきまして、大変ありがとうございます。

 それでは、本日、お手元にお配りをしてございます意見書に基づきまして朗読をし、私からの意見とさせていただきたいと思います。

 初めに、私は、平成八年九月九日、東京都葛飾区柴又三丁目の自宅で、二十一歳の次女順子を殺害されました。当日は霧雨の降る寒い日でした。私は会社の業務で福島に出張中、妻は美容院の仕事で出かけ、長女は看護婦として病院で働いておりました。

 今、時間が許すならば、そのときそしてその後の私の思い、妻の思い、さらに長女の思いを、この国会の中で、立法をつかさどる議員の先生方を前に語り尽くしたい心境です。

 多分、この思いは、殺人事件の被害者遺族にとって同じ思いと察しております。そして、この思いの根底には、こんな社会だからそのような理不尽なことも起きるのだよという否定的な評論ではなく、こんな社会だからこそ人が人を信じられる社会づくりの方策を導き出すべきという見解を、この良識の府、国会において示していただきたいと期待する、強い希望を持っております。

 法律に全くと言っていいほど無知な私たち殺人事件の被害者遺族は、それまでは、この世の中には社会正義が存在し、その正義を法律が実現してくれるだろうと信じているところがありました。しかし、かけがえのない最愛の家族を、殺人という憎むべき犯罪によって命を奪われ、しかも、私の場合は、それまでの思い出、財産までもが一切奪われるという自宅放火に遭い、なぜ順子は殺されたのか、なぜ我が家だったのかなどと、悶々と自己問答を今でも続けております。そして最後は、この世の中には正義は存在するのだろうかと、時折天を仰ぐことがあります。

    〔委員長退席、樋高委員長代理着席〕

 事件以来、きょうで十三年七カ月と十七日過ぎて、いまだ犯人が捕まらない中、想像を絶する恐怖と失望の中、お父さん、お母さん、助けてと叫びながら絶命したであろう順子の無念を満身に受けとめて、そして、同じ殺人事件被害者遺族、宙の会の方々を代表し、ここに至る公訴時効制度見直しの流れを踏まえ、時効制度の廃止に向けた決意の一端を述べさせていただきます。

 宙の会の設立趣意及び活動目的について。

 まずは、時効の廃止・延長法案について、十四日の参議院本会議において可決されましたが、この間審議を尽くされた議員の方々及び関係各位に対し、心から御礼を申し上げます。その過程には、それ以前の法制審議会の委員の方々、さらに、前政権当時の、法務省勉強会に携わり、大きな道筋を示していただいた方々の真摯な審議があったと存じております。

 私たち宙の会は、宙という文字が無限の時間を意味するところから、被害者は宇宙の無限の世界に、遺族は悲しみの無限の世界に、殺人を犯した者は裁きを受ける無限の世界にとの思いを込めて、昨年二月二十八日に殺人事件被害者遺族の会として発足いたしました。現在は二十二事件の遺族が参加しております。

 ここで、設立の趣意書一部を紹介させていただきます。

  この世に生を受け、天命を全うしてこそ、人は家族と共に生者必滅の理と心穏やかに受け止めることができるのではないでしょうか。しかし、殺人によって、生命奪われた無念を、人は天命と呼ぶことはないでしょう。

  私たち遺族の思いは、十五年・二十五年の歳月で薄れることなど全くありません。ところが、法的には時効制度が存在し、十五年・二十五年の月日が流れると犯人は何らの刑罰を受けることなく、堂々と社会の中で生きてゆけるのです。命の尊さについて、被害者と犯人を比較した場合、あまりにも矛盾であり残酷です。

  殺された者は再び生きて返ることはありません。しかし、この世に正義が存在するなら、犯人に対し被害者の生命の尊厳に替りうる鉄槌を与えて当然と考えます。そのようにならなければいつまでも殺人という犯罪は無くならないと確信します。

  私たち遺族の犯人への憤りは増すことがあっても薄れることは決してありません。他方、このような殺人事件が一件でも少なくならないかという強い願いがあります。その根底には、殺害された者そして遺族となった私たちと、同じような無念の生涯を味わっていただきたくないという思いがあるからです。そのためには、時効制度を撤廃し、人を殺害したら厳刑に至るという条理が保たれてこそ叶うものと考えております。

以下、省略をいたします。

 次いで、活動目的として次の三項目を掲げました。

 一、公訴時効制度の廃止。私たち遺族は、遺族の感情論としてではなく、国民感情として、生命の尊厳という他の犯罪被害と比較にならない侵害に対し、法律により、時の経過で生命の尊厳が喪失するような制度は廃止すべきと考えます。

 二、公訴時効の停止。仮に、廃止法案が成立しても時効進行中の事件に及ばない場合には、現行法規に示される公訴提起による停止措置内容に基づいて、公訴時効の停止措置を求めます。

 三、遺族に対する民事賠償の代執行措置の提案。国民の生命、身体、財産を守ることは国家の責任です。そのために国民は納税義務を果たしております。しかし、結果において殺人が発生した場合には、国家及び自治体による治安責任を果たせなかった責任は生じると考えます。他方、民事損害賠償裁判では、犯人に対し賠償判決が示されますが、保険制度のように確立された制度がない現況では、事実上、絵にかいたもちの判決となっております。そこで、賠償の代執行を国に求め、国が犯人に求償する制度を確立していただきたいと願います。

 以上の目的を掲げて活動してまいりました。そして、本件趣旨及び活動目的内容については、さきの法制審議会刑事法部会において、意見書として提出させていただきました。

 今回の刑事訴訟法等改正案は、殺人に対する公訴時効の廃止、及び、施行までに時効が完成していない過去の事件にも適用されるという遡及効について盛り込まれており、宙の会としては、主たる目的が成就することとなりますので、一日も早い可決を期待しております。

 安全な社会の確立について。

 私たちの出発の原点、そして究極の目的は、私たち殺人事件被害者遺族と同じような悲しみ苦しみをだれにも味わっていただきたくないというところにあります。この世に生を受け、志半ばで生命を奪われるという無念の極致、そして、同時に人生を奪われたに等しい遺族の人生、すべては帰らぬ生命を奪われたときから始まります。

 本件法律が成立することによって、まずは殺人というかけがえのない生命を奪う犯罪がなくなることを切に希望いたします。そして、逃亡している犯人には、一生逃げることなく早い段階における罪の償いを果たしていただきたいと強く望みます。さらに、安全な社会を目指して、国に対しては、生命の尊厳に対する情操教育が浸透し、人をいたわる心を持った秩序ある社会が確立する施策を講じていただきたいと心から願っております。

 そのためにも、人をあやめたら、刑事法的には刑罰から逃れられない、民事法的には賠償責任が被害者から、またはかわって国が求められるという制度をぜひ確立していただきたく、ここに殺人事件被害者に成りかわって、また遺族を代表して、衷心からお願いを申し上げます。

 最後になりましたが、公訴時効見直しについて、署名活動に御協力いただいた約八万人の方々を初め、手紙、メール等で激励を賜りました約十万人に及ぶ国民の方々に、この場をおかりして心から感謝申し上げ、私の意見陳述とさせていただきます。

 ありがとうございました。(拍手)

    〔樋高委員長代理退席、委員長着席〕

滝委員長 どうもありがとうございました。

 次に、片山参考人にお願いいたします。

片山参考人 私は、被害者と司法を考える会の代表をさせていただいております片山徒有と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

 きょうは、非常に重要な場面に呼んでいただきまして、私どもの話を聞いていただく機会を設けていただいたことに改めて御礼申し上げます。

 私たちは、被害者と司法を考える会は、いろいろなことを考えてきました。今回は公訴時効の問題について、延長、廃止がいいことなのだろうか、また、遡及をすることについてはどう思うんだろう、そういうことを、この一年以上かけて何度も何度も話し合ってまいりました。

 三つのことについて、まず結論からお伝えをしたいというふうに思います。

 まず、公訴時効の延長、廃止については反対をするということでございます。あと、遡及適用についても反対をするということでございます。それにかえてというわけではございませんけれども、中間総括をぜひ取り入れていただきたいということを御提案したいというふうに思っております。

 そういったことを含めて、お配りした資料をもとに、少し御説明をさせていただきたいというふうに考えております。

 まず、私は、九七年の十一月に、息子の片山隼という当時八歳だった男の子を交通事故で失った父親でございます。

 今でも、毎年毎年五千人以上、交通事故で亡くなる方がおられます。私は被害当事者ではありません。父親ですので、家族です。遺族ということになります。しかしながら、突然被害に巻き込まれてしまった重みに耐え切れそうになく、自分自身、何のために今まで生きてきたんだろう、そういうふうに悲嘆に暮れたことも数多くありました。

 息子の事件は、当初、不起訴処分になりました。不起訴処分という言葉も私たちは知らなかったわけですけれども、十分な捜査が尽くされたんだろうか、加害者はどういうふうなことを言っておられるんだろうか、そういうことを尋ねに東京地検に参りましたところ、答える義務はないと、非常に厳しい口調で言われてしまったわけでございます。

 それから私が被害者問題について考えてみようと心に決めまして、そのときに思ったのは、息子の事件について、加害者を厳罰にではなくて、もう一遍捜査をしてもらいたい、本当に不起訴処分が正しかったのか、それを明らかにしてもらいたい、説明してもらいたいということでございました。

 署名活動をしまして、いろいろな方から賛同の署名をいただきまして、合計二十四万人という大変多くの方の署名をいただき、事件は、再起といって、不起訴処分が取り消しになり、再捜査の結果、起訴され、随分裁判は時間がかかったんですけれども、加害者は有罪になりました。

 一つ学んだことといいますと、被害者の気持ちというのは、社会の中で、当時はなかなか理解されにくいものなんだなということが一つありました。その後、犯罪被害者等保護法、基本法ができまして、私は、大いに変わってきたということを感じております。

 わかりやすく言いますと、被害に遭って、社会で会う方々のだれもが、自分の子が同じ事故に巻き込まれたらどんなにつらいだろう、悲しいだろうということを口々におっしゃっていただくほどになりました。それまでは、遠巻きに見ていて、かかわり合いをしない方がいいんじゃないかというふうに思った方の方が多かったと思いますけれども、その辺が随分変わってきたように思います。

 そのような経験を生かしまして、幾つかの被害者支援、長期捜査事件、長期捜査、二年、三年ではなくてもっと時間がかかってしまうような事件の被害者支援もやってまいりました。

 そのような経験で学んだことといいますと、被害者が亡くなってしまうと、その御家族の方は、当然のことながら悲嘆に暮れ、同時に、恐怖に襲われるわけです。また再び同じような被害に自分たち、また、別の家族が遭うのではないか、そういったことも含めまして、いろいろと悩まれるということがあるのでございます。

 ただ、ずっとそういう支援をしてまいりますと、被害者は一人だけではない、遺族は一人だけではないということに改めて気づくわけでございます。どういうことかと申しますと、一年、二年、三年たちますと、御遺族の中には、御結婚あるいは就職を控えられる方も出てこられますし、それぞれの生活というものが歩き出すということが出てくるのだというふうに思います。私もそのような事件の情報提供の窓口をやっておりまして、被害者側の思いというのが、怖さではなくて強さで伝わっているなということを随分受けとめてまいりました。もうちょっと警察が恐怖心を取ってくださるような情報開示をしていただけたならば、幾分被害者御遺族は楽になったのになということも多々あるわけでございます。

 最近も、その情報提供ボックスを見てみますと、少し報道がされるごとに情報が集まっておりまして、五年たって六年たって十年たっても、決して人々は忘れていない、この国の国民は皆、好意的であるというふうに私は実感をしているところでございます。

 私は交通事故の被害者遺族でございますから、当然、加害者が極刑になる、あるいは無期懲役になるということは想像ができないわけでございますけれども、刑事事件というのは必ず裁判があり、有罪判決を受ければ刑務所に送られ、そこで矯正教育を受けるものだというふうに私は理解しております。その後に、立ち直り、あるいは反省、悔い改めて、社会に戻ってきて、同じ社会の一員として一緒に暮らすこともあるのではないか。そのときに被害者はどう思うか、遺族はどう思うか、加害者はどう感じるだろうということを複合的に考えていかなければならないのではないかというふうに考えております。

 したがって、公訴時効を長くして、延ばして、なくしてしまって、それで終わりというのは、被害者にとってもいいことではないというふうに思います。被害者にもその後の人生があります。立ち直って幸せになっていく必要があると思います。被害者で終わりたくない、それを克服して新たな人生を築き上げたいと、だれもが思っていることではないかなと思っております。

 最近、二〇〇五年にできた公訴時効の延長の結果もまだ十分に確認されていないのではないかと私は思っておりますけれども、そのような中で、なぜ今、公訴時効の延長、廃止なのかということは、十分に私は理解ができておりません。

 犯罪被害者等保護法、基本法の流れからいくと、まず被害者の回復、立ち直りを国全体が支えるというのが最初にあり、処罰意識、いろいろなものを受けとめながら被害者は真実を知りたい、それも国が支えていくということであろうというふうに思います。であるならば、今進行中の事件についても、一定の期間、例えば十年たったごとに、被害者、あるいは、被疑者も含めておりますのでこれは地域社会の市民というふうに言った方がいいと思うのですけれども、社会全般に対して一定の情報公開をしていった方がいいのではないかと私は思います。

 捜査というのは、お巡りさんが一生懸命足で捜査資料を集めることも重要でございますけれども、一方では、集まってきた資料を別の視点で見ていくというのも大事なことではないかなというふうに考えております。そういった意味でいいますと、例えば、都道府県ごとの警察がやっております捜査を、では、警察庁全体が引き継いでやっていくという方法もあるのではないかなというふうに考えております。

 遡及効については反対と申し上げましたけれども、後から決まった法改正で裁くということを決めてしまうというのは、私どもは憲法に抵触するというふうに考えておりますし、一般市民の方も、逃げ得は許さないということは当然わかるわけですけれども、それでも、ほかの被害者の人に対する影響、また公訴期間を長くしたり短くしたりすることが果たして社会の安定につながるかどうかということについては、疑問を挟む人も多いのではないかなというふうに考えております。

 今回の法案ができましてから、私たちは、北は北海道、南は九州、沖縄の各大学にお願いをいたしまして、そこの学生さん、法科大学院の学生さんにアンケート調査を今やっているところでございます。

 まだ集計が出ておりませんので、確定的なことは申し上げることができないのですけれども、さっと何枚か確認をしましたところ、公訴時効の法案については、かなりの方が存じていらっしゃるということがわかっています。ただ、公訴時効を延長する、廃止することについては、賛否相半ばするのではないかなという手ごたえがございます。

 また、被害者に対する、遺族に対する情報開示は十分かという質問に対しては、ほとんどの方が、十分ではないだろうとお答えになっておられます。それから、中間総括についても必要ではないかということも、ほぼ、大多数の方がそのように感じておられるということを、今手ごたえとして感じているところでございます。

 数については、今、千五、六百集まっておりますけれども、徐々にもうちょっとふえていくのではないかなというふうに考えているところでございます。

 公訴時効ということは、これから先の未来がどういう社会になるかということも含めての問いかけだというふうに私は思っております。私は、憎しみや怒りでこの社会がうごめいていくということは悲しくてなりません。ですから、被害者の悲しみを多くの方が共有していただき、ともに支えていくような社会をつくっていただきたいというふうに思っております。そのようなことを含めまして、今回の三点の主張になっているわけでございます。

 中間総括について少し補足をさせていただきたいというふうに思います。

 中間総括は、警察が、捜査中ということで被害者に対してなかなか情報を開示していただけなかったということを受けて考えついたことでございます。

 長期捜査の事件になりますと、私が経験した限りでいいますと、自分の経験とは違って、被害者からもかなり警察は意見を聞く、事情を聞くということがあるように思います。参考人扱いと言っては言い過ぎかもしれないのですけれども、もしかすると事件のことについて御遺族がよく知っておられるのではないかという形で何度も何度も話を聞かれるということを、現実に見たり聞いたりしております。聞かれるばかりで説明をしてくれない、一体何が知りたいのかわからないといった疑問もよく聞きます。そういう中で、不安感、恐怖感が再度強く思われてしまうのではないかなというふうに考えております。

 そして、例えば、形見の品、携帯電話などについても、捜査中であると返していただけないということで、亡くなられたときにどのようなことを思っていたのか、もしかしたらだれかに電話やメールをしていたのではないかという気持ちもかなえられないということをよく伺います。

 そういうことから、中間総括をして、今こういうことを捜査しているんです、これからはこういうことを調べていきたいですということを被害者に対して、また地域社会に対しても伝えていただきたいというふうに思っております。

 時間が参りましたので、ここで区切らせていただきますけれども、何とぞ慎重な議論をしていただきたいというふうに思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

 ありがとうございました。(拍手)

滝委員長 どうもありがとうございました。

 以上で参考人の方々の御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

滝委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。横粂勝仁君。

横粂委員 本日は、四名の参考人の皆様、貴重なお時間をいただきまして、そして貴重な御意見をいただきまして、まことにありがとうございます。

 そして、特に小林参考人と片山参考人は、御家族が被害に遭われたという大変苦しい、つらい御体験をもとに貴重な御意見をいただきまして、まことにありがとうございます。

 さて、私からは、本日はさまざまな視点から御意見をいただき、本法案の問題点、論点について深めていく機会だと思っておりますので、私がいずれかの立場に立つことを前提にするのではなくて、中立的な立場からそれぞれの参考人の方々に質問をさせていただきたいと思います。

 では、まず大澤参考人から聞かせていただきます。

 現に時効が進行中の事件に対する本改正法の遡及適用について、憲法第三十九条に反するという見解もあると先ほど御説明されておりますし、また、江藤参考人や片山参考人も反対の立場を表明されております。そして、平成十六年改正におきましても、「なお従前の例による。」として遡及適用はされておりません。

 その中、そのような見解、遡及適用すべきでないという見解をとられる方は学界においてどれぐらいいらっしゃるのか、そしてその御意見はどれぐらい有力なのか教えていただきたいのとともに、ドイツでは遡及適用を合憲とする判断をされていると私は認識しておりますが、そのような判断に至った論旨、または、その他の国々でそのような議論がされたことがあるのか、お聞かせいただければと思います。

大澤参考人 一点目の御質問でございますけれども、学界の中でどのぐらいの方がどういう意見を持っているかという御質問でございました。

 この問題について、これまで抽象的にはいろいろと教科書類に比較的簡単な記述等はされていて、公訴時効を改めた場合については、やはりそれは遡及処罰の禁止に反するんだというような一、二行の記述が書かれている例というのはそれなりに見られました。

 この問題が本当に真剣に議論されるようになったのは、むしろ今回の法改正についていろいろ議論がされる過程であったのではないかというふうに認識をしております。

 教科書類で触れられている場合には、特に刑法の教科書で、遡及処罰の禁止のところに、最後に一、二行、公訴時効の場合にもというような触れ方がされている。そうでなければ余り触れられていなかったということかと思います。

 しかし、例えば、古く松尾浩也先生の書かれたものなどを見ますと、完成したものについては三十九条に反するというふうに考えるべきであろうが、進行中のものについてはそれは立法政策の判断だというようなふうに書かれている例も記憶しておるところでございます。

 それから、ドイツの例につきましては、これはいろいろ長い経緯があるところでありまして、私、本日、きちっと勉強し直してまいりませんでしたので余り詳細に申し上げられませんけれども、背景には、確かに、ナチス時代の犯罪をどこまで追及するかというかなり政治的な背景もあったというふうに認識をしております。

 それから、それ以外の国ということでございますけれども、私があと知っている限りでは、例えばアメリカにおきましては、これは一たん時効が完成した事件について再度の訴追を許すんだという法律が合憲かどうかということが争われまして、これについてはアメリカで、完成している分でございますけれども、これは憲法に反するというような判断がされた例があるというふうに認識をしております。

横粂委員 ありがとうございます。

 それでは次に、江藤参考人にお聞きしたいと思います。

 弁護士というお立場から、冤罪の発生について危惧されております。私も同じ弁護士の立場から、冤罪を発生させてしまっては絶対ならないと強く思っております。

 そういった観点から、先ほど江藤参考人が御指摘されております、本法案と同時に、またはそれよりも先に、取り調べの可視化、または捜査資料、証拠物の全リストの作成と、それを弁護人側へ全面的に開示していく、その必要性を御指摘されておりますが、では、先生が実務で御経験されている中で、取り調べの状況、または、その全リストといいますか、証拠物、捜査資料がどの程度開示されているのか。実務での御経験、問題点についてお聞かせいただければと思います。

江藤参考人 まず、話は前後いたしますが、取り調べの過程のことを申し上げますと、過去の事例でもそうでございましたし、最新事例でもそうでございましたし、私が経験したところでも、事実と異なる調書がとられるということはしばしばお見受けするところです。現にそのように捜査官あるいは警察官あるいは検察官からも言われたというケースを伺っております。こういうことにするから話を合わせろと言われている被疑者、被告人というのはたくさんおります。

 ただ、それが、こういうことにするというのが、全くない事実を持ってきてつくり上げるのか、あるいは事実を整理してまとめるというレベルなのか、これは無限の広がりがございます。ですから、それが一概に虚偽自白であるとか虚偽の供述であると単純に言い切れない面はもちろんございますけれども、例えば一人の有力な証人の供述を得たとします。そうすると、それをもとにシナリオをつくっていくということは捜査手法として現に行われております。そうすると、最初の供述が壊れますと、カメの上に乗っかった子ガメが、孫ガメが、こういう関係になっておりますから、すべて捜査がうまくいかなくなる。だから、最初のキーパーソンの供述を固めよ、これは捜査手法として当然そういうことがあり得るだろうと思います。

 ただ、その最初がもし間違っていたとするならば、見込み捜査を発生させてとんでもない方向に事件が行ってしまうということがあって、その最大の例があの無罪再審事件等にあらわれているんだろう、こういうふうに思っておりますということが一つ。

 それから、証拠の開示の問題でございますが、先生御存じのように、現在では、もちろん過去と違いまして証拠開示制度はかなり充実してきてはおります。しかし、これも類型証拠開示、主張関連証拠開示という形でいろいろな手続を経なければ出てこないということになっております。

 ちょっと話が余談になりますが、現在、裁判員裁判で千数百件が係属しているにもかかわらず、判決に至ったのはまだ四百件程度、千件程度はまだ公判に至っていないというふうに伺っておりますが、これなどは、公判前整理手続で証拠を出す出さないで延々と続いているからこういうことになっているわけです。

 なぜ検察官が証拠を出すことをそれほど渋るのかというのが私にはよくわかりません。ある意味では、そんなに時間をかけていろいろなことをやっているというのは、訴訟経済的には大変無駄なことをやっているようにもお見受けいたします。ならば、証拠を全面的に開示するなり証拠リストを全部渡すなりすれば、訴訟経済という意味でも真実発見という意味でも大いに役立つはずでございます。そういう趣旨のことを申し上げております。

 それからもう一つ。先生の質問の趣旨と合うかどうかわかりませんが、今度のことは冤罪を発生させる可能性を高めたと申し上げましたが、それはどういうことかと申しますと、御存じのように、すべての証人を法廷に呼び出してその証言を得る、反対尋問を経て証言を得るということはできません。殊にその中の理由の一つとして、証人が亡くなった場合あるいは行方不明になった場合というのが考えられます。その場合は、調書がそのまま証拠能力を持つというのが現在の刑事訴訟法の建前になっております。そういたしますと、反対尋問を受けない供述がそのまま証拠として採用されるということがございます。その危険性ということが頭にあるわけで、先ほど申し上げたような次第になったわけでございます。

横粂委員 ありがとうございます。

 冤罪を発生させないための施策については、別途この委員会においてもしっかりと審議していきたいと思っております。

 では、残り時間も五分ほどとなりましたので、小林参考人と片山参考人にお聞きしたいと思います。

 お二方、犯罪被害者の御遺族の方々であってもさまざまな御意見があるのだなと、お二人の御意見の違いというものに耳を傾けさせていただきました。それぞれの御遺族の方々の思いというものに、国会は、政治はしっかりとこたえていかなければいけないと、さらに再認識しております。

 そして、お二方にそれぞれお聞きしたいことは、まず小林参考人には、もしあればですけれども、時効完成後の被害者、被害者遺族の方々から何かその思いを聞いたことがあれば、どのように思われていたのか、御紹介いただければと思います。そして、片山参考人には、捜査が長期間継続することの被害者なり被害者遺族の方々の御負担について先ほど御指摘されておりましたが、どれぐらいの頻度で、どれぐらいの時間呼び出されて、そしてどれぐらい負担があったよとか、そういった方の具体的なエピソードがあればお聞かせいただきたく、そしてさらに、もし、もうこの事件には余りかかわりたくないんですと捜査官の方にお伝えしても、対応が変わらないのか、対応が変わるのか、それについてもエピソードがあればお聞かせいただければと思います。お願いします。

小林参考人 現在、宙の会は被害者遺族二十二遺族で構成されております。その中で三遺族、実は無念な思いで公訴時効を既に完成された御遺族が含まれております。まさにあのときの気持ちを現在進行中の遺族には決して味わっていただきたくない、そういった気持ちで私たちと一緒に活動してきていただいております。

 その中で、やはり私が伺って印象的なのは、時効完成時のその瞬間ですね。秒針が午前零時を指した、その瞬間に捜査をお願いしている看板がまず外される、それからポスターが外される、それから証拠品がその後警察から戻ってくる、そういったさまざまな時効完成後の警察の対応というふうなことで、まさに警察の方から縁を切られたような、そういった非常に無念な気持ちを味わっておるというふうなことをおっしゃっております。しかも、その中には既に犯人の名前までわかっていて顔写真入りで指名手配されている、そういったポスターまでも張ってあったわけですけれども、そういったものまではがされてしまう、そういったことがやはり被害者遺族にとっては大変無念なことなんだというふうに感じたそうでございます。

 私たちも、そういった無念な思いをしないような形でぜひ皆さん方の御審議をお願いしたいというふうに思います。

片山参考人 私がかかわっていた範囲で申し上げますと、被害者遺族はかなり頻繁に警察から話を聞かれていたということをおっしゃっておられました。頻度は、多いときは週に何度か、少ないときでも月に一度か二度というふうに伺っております。

 一度その場に遭遇したことがありますけれども、最近では例えば被害者に対する事情聴取も大変行き届いたものになってきたというふうに思っているんですけれども、そういう状況はちょっと違ったものでして、目の前にはうずたかく捜査資料が積まれており、被害者に対する配慮とはちょっと違った、かた苦しいものであったというふうに記憶しております。

 あと、事件が起きた現場の近くに捜査本部が置かれるわけですけれども、何度も何度もそこに出向くのはやはり被害者にとって負担になるということもあるのでしょうが、別の警察で事情を聞かれる、あるいは御自宅に来られる、あるいは自宅の近くの車中でということも伺ったことがあります。これは大変な負担ではないかというふうに思います。

 あと、どのような範囲で事情を聞かれるかということですけれども、事細かに事件前の交友関係であったり、例えば取引先の全く普通は無関係だと思われるような方の御事情であったり、それこそ何を調べているのかちょっと理解できないというようなことを伺ったことがあります。

 あと、そのような捜査に対して、被害者はどうしても支えていかなければならない、それにこたえていかなければならないわけですけれども、中にはつらさの余りに体調を崩されるという方もおられました。これは本当に捜査にこたえられない自分がつらいというふうにおっしゃっておられて、何もそれに対する不満というかそういうことではないと思うのですけれども、目に見えて心身ともにダメージが強いなということは印象として持っておりました。

 以上でございます。

横粂委員 犯罪被害者そしてその御遺族の方々を社会全体でしっかりと支え、しっかりとケアできるように、当委員会において今後も審議を重ねていきたいと思います。

 本日は、御質問させていただきまして、ありがとうございました。

滝委員長 次に、稲田朋美君。

稲田委員 自由民主党の稲田朋美でございます。

 本日は、参考人各位には大変有意義な御意見を直接お伺いする機会を与えていただきまして、ありがとうございます。また、小林参考人、片山参考人は、この法案に対するお立場は違いますけれども、それぞれ犯罪被害者遺族の立場から、その心情やまたその周りの方々のお気持ちも聞かせていただきまして、本当にありがとうございます。

 まず、大澤先生にお伺いをいたします。

 今回、時効完成後の遡及を認めなかったことについてでありますけれども、先ほど、現在進行中の事案については遡及することは憲法三十九条には違反をしないという御意見を伺いました。また、それに対しては、平成十六年の改正の際に、現に時効が進行中の事件に対して適用しなかった理由について、公訴時効の制度趣旨について実体法説の考え方も有力に主張されていることに加え、事後的に公訴時効を延長することは被告人に不利益であることを考慮したものというふうに説明をされております。

 平成十六年では遡及しなかったけれども、今回遡及をした、しかし、時効が完成したものについては、それは憲法三十九条に違反をしているのだと。先ほどアメリカの判例の例も出されましたけれども、その区別、訴訟法的な、訴訟行為についての有効、無効だということであるのであれば、時効完成後のものについても憲法に違反しないのだという説も成り立つのかなという感想を持ちましたので、その点についてお伺いをいたします。

大澤参考人 確かに、御指摘のように、時効完成後についてもそれは遡及処罰の禁止には当たらないんだということを言われる方も最近あらわれております。

 それで、時効進行中の場合と完成後の場合とで比較をしてみますと、まず、いずれの場合も刑法で可罰性が定められた行為について事前に定められた刑罰の範囲で処罰をしようとしている、そこはどちらも変わらないわけです。可罰性の評価を変えているわけではなくて、この点で可罰性についての予測可能性を保持するんだということがポイントだとしますと、それを必ずしも害しているわけじゃないじゃないかという議論が出てくるわけです。

 何が違うかということですけれども、進行中の場合は、もともと行為をしたときに訴訟法に定められていた時効期間というのがあるわけで、それは、ひょっとしたら犯人はそれを信頼しているかもしれない。あるいは、行為後になってそういう訴訟法の規定があることをやはり知って、ああ、自分はいつまでたったら処罰されなくなるということを信頼するかもしれない。事実としては、信頼をするかもしれないし、そういう期待を持つかもしれないわけです。完成後の場合は、これはもう期待ではなくて、現実に、一たんそのような処罰をされない地位というのを得ています。そこで、期待なのか、それとも、そういう地位を実際上も得たのか、そこが違ってくるということかと思います。

 期待というのは保護に値せず、それに反しても不意打ちと言えないんじゃないかというのが、進行中の場合に、遡及といいますか新法の適用を認めてもよろしかろうという議論の基礎にあるわけですけれども、それでは、現実に処罰をされないという地位を得た場合、これはやはり不意打ちとしての側面が出てくるのではないか、そこが問題となってくるわけでございます。

 特に時効につきましては、従前から、それが完成したときには結局は刑罰権自体も消滅するんだという理解も有力なところでございます。それはレッテルの問題かもしれませんけれども、時効が完成した場合には、免訴という形で、仮に起訴がされれば、免訴の裁判で手続が打ち切られます。免訴の事由というのはほかにどんなものが並んでいるかといいますと、刑の廃止とか大赦といったような、およそ刑罰権がその後には行使できなくなるような事由と、時効というのは並んで規定をされております。

 また、免訴の言い渡しがあった後については、再度時効が進行するという規定が刑事訴訟法の中にはありません。そうすると、免訴があれば、その後はもうもはや手続は進行しないんだということを刑事訴訟法は予想しているようにも見えます。

 そういうことだとしますと、刑罰権が消滅するというか公訴権が消滅するというかは別にしまして、以後処罰をされないというかなり確固たる地位が得られるようにも思われるわけで、そうだとしますと、それを事後的に新たな法律でひっくり返して、それはやはり不意打ち的で、三十九条の基礎にある価値を害するんじゃないか、そんなふうに考えることが一方でできるかと思われます。

 ただ、時効制度というのは、そもそもそんな犯人の利益を保護するような側面というのは持たないので、それは、期待している場合だろうが、成立して処罰されなくなった場合でも、犯人との関係で、それは積極的に保護するようなものじゃないんだという割り切りをすると、この場合には、やはり同じように新法を適用してもいいんじゃないかという議論もございます。

 私は、どちらかというと、前者のような、成立したものについては、なおやはり三十九条に抵触してくるんじゃないかという理解をしたいというふうに考えておりますが、これは現時点での考え方です。

稲田委員 今先生のお話を伺っておりまして、犯人の逃げ得を許さないという点においては、時効完成前も完成後も一緒なのかなという気もいたします。やはりここは憲法三十九条の解釈ですね。こういった点はやはりきちんと詰めておく必要があるのかなと思います。

 小林参考人にお伺いをいたします。

 今の議論をお聞きになりまして、先ほど、二十二人のうち三人は既に時効が完成をした被害者遺族なんだというお話がございましたけれども、小林参考人は、時効完成後の場合についても、公訴時効の廃止ということをこれから先考えるべきだとお考えでしょうか。その点についてお伺いいたします。

 時効が完成した後も、公訴時効の廃止というか、遡及できるということですけれども、三人の方々に、今回の法律を適用すべきだと考えられるかどうかについてお伺いします。

小林参考人 宙の会といたしまして、現実に、三組の時効を完成した被害者遺族が含まれておりますけれども、今回の私どものいわゆる要求の中には、時効を完成してしまった被害者遺族まで遡及をしてほしいということは含まれておりません。一部の雑誌等、先生方の記事では、そこまで含めて何か要求をしておるというふうな論評もあるようですけれども、私たちは、そこは割り切って、あくまでも現在進行中の被害者遺族に限ってというふうに限定をしております。

稲田委員 ありがとうございます。

 江藤先生にお伺いをいたします。

 日弁連としては、今回の法案について反対だという御意見でございます。また、無辜の市民の解放が必要だということもそのとおりだと思っております。

 ただ、一方で、犯罪被害者の遺族の方々の被害感情ですとか被害回復ということがやはりあると思うんですけれども、先ほど小林参考人の方から、民事訴訟の損害賠償について国が肩がわりをして、そして遺族の民事的な回復を図っていくというお話がありましたけれども、その点について、弁護士会としてはどういうお考えでしょうか。

江藤参考人 日弁連といたしましても、ただ、被疑者、被告人の利益、あるいは市民の利益のみを考えているわけではございません。現に被害者を支援する委員会も立ち上がっておりまして、私の所属する第一東京弁護士会では、早くから被害者支援、被害者SOSということで被害者の支援を行ってまいりました。

 ただ、被害者のお気持ちもさまざまであって、もちろん、被害を受けたことによって経済的困窮をされておられる等々の場合に支援が必要だというのはそのとおりでございますが、その被害者のお気持ちを考えたときに、言い方は悪いんですが、何か、お金で解決するということはかえって被害者のお気持ちを逆なでしてしまうというようなこともあるわけでございまして、犯罪の被害者になったということが直ちに、例えば国家的な補償の対象になり得るのか、こういう議論とも関連するかと思うんですけれども、でき得る限りのことでお手伝いはさせていただきたいと思っております。

 ですから、例えば犯罪被害者の代理人になるであるとか、あるいはその後の民事手続において代理人として参加するとか、そういう形で御支援を申し上げたい、こういうふうに考えております。

稲田委員 片山参考人にお伺いをいたします。

 今回の法案については反対であるということでありましたけれども、公訴時効があることのメリットと言ったらちょっとあれかもしれませんけれども、被害者の遺族としての立ち直りについて区切りがつくとか、そういうことがあると思うんですが、その点と、先ほど中間総括というお話がありましたけれども、それについてもう少し具体的にお話がいただけたらと思います。

片山参考人 公訴時効があることについてのメリットでございますけれども、時間はみんなにとって有限です。決まっています。例えば、被害者が回復するための一年もすごく重要ですし、犯人を捕まえるための一年も同じく重要です。大事なのは、被害者が回復をして再び、もとのとおりとはなかなかいかないわけですけれども、社会の中で立ち直っていくためのプロセスが必要ではないかというふうに思うわけですけれども、このためには今の現状というのを客観的に見据える必要があろうかと思います。

 中間総括にも若干触れるわけですけれども、ここ最近で何が一番進歩したかといいますと、情報の伝達速度ではないかというふうに考えております。

 例えば、容疑者の顔写真がネット社会で流されますと、日本全国、いろいろなところまでその動画までもが配信できる。それも、たちまちすぐに同じ情報をみんなで共有することができるというのは、とても画期的なことではないかなというふうに考えております。

 そういうことから考えますと、事件当初の捜査情報でいろいろな人が目撃情報等々を寄せるのではなくて、中間総括をすることで、なお一層、今現状の捜査がどうなっているのか、また、犯人の検挙に至らない現状はどうなっているのか、これを知ることが一つ大事ではないかと思います。

 また、もう一つ重要なポイントとしてはコストです。例えば大事件になりますと、何万人体制ということがよく新聞報道されておりますけれども、捜査員一人に対するコストというものも相当重要になってまいりますので、その辺のところを社会全体で共有する、結果、それが被害者支援にもつながっていくのではないかというふうに考えております。

稲田委員 きょうは参考人の皆さん方から、法的な側面、そしてまた現実の被害感情ですとか、それに対するお気持ちを伺うことができまして、それをこれからの審議に十分生かしてまいりたいと思います。

 ありがとうございました。

滝委員長 次に、大口善徳君。

大口委員 公明党の衆議院議員の大口でございます。

 きょうは、四人の参考人の皆さん、大変ありがとうございます。これまでも被害者の会の方々からはいろいろお伺いをさせていただいたりして、ようやっとここまで来たというふうに思います。

 それでは、まずお伺いをさせていただきたいと思いますけれども、大澤参考人、よろしくお願いいたします。

 今回の公訴時効の趣旨の中で、証拠の散逸という問題が一つあると思います。これにつきましては、特に日弁連の皆さんから、非常にこの証拠の散逸ということに対して、これが冤罪になるのではないか、こういう危惧がなされているわけであります。

 特に、長い期間経過しますと、先ほどもありました、証人がいなくなる、そういう点では調書が証拠能力を持ち証明力を持つ、反対尋問の機会がない。こういう場合でも、当然これはそういう事案も、別に長い期間が経過する経過しないにかかわらずそういう裁判があるとは思うんですが、特に裁判員裁判制度におきましては、できるだけ証人によって、見て聞いてわかりやすい裁判をしていくということが要請されているわけでございます。

 そういう点で、こういう時効を廃止した場合の裁判員裁判のあり方、審理のやり方等々、これはいろいろクリアしていかなきゃいけない問題があると思います。この点についてお伺いしたいと思います。

大澤参考人 時効を廃止した場合の裁判員裁判でどうなるのかというお話でございましたけれども、確かに、証人等がいなくなれば、しかし起訴がされているわけですから、まずは、いろいろな証拠散逸ということがある中でも、訴追にたえられるだけの証拠が集まったという前提で事件が始まってくるというわけでございます。

 そうだといたしまして、裁判員裁判の対象になるような重大な事件につきましては、これはきちっと事案の真相を解明して、そして処罰をするということがやはり国民一般の立場からも求められているということでありましょうし、その場合、訴追にたえる証拠があるということで起訴をされたということになれば、それに従って検察としては立証をされる以外にないだろうと思います。

 その場合に、もし仮に証人がいなくて調書しかないということになれば、これは現在の裁判員裁判でももちろん調書が取り調べられることもありますし、そういう調書について必要があれば取り調べる。それは、できるだけわかりやすいように取り調べるとともに、しかし反対尋問もできないという調書でありますので、そして古い時代にとられた調書でもある、そういうものについては、裁判員の方も含めてやはり慎重に証明力を判断していただくということかと思います。

 証人尋問ができなくて調書が証拠になるという事態は、御質問の中にもありましたように通常の裁判でもあることですし、非常に時間がたった状況のもとで、そういう証人尋問もできない調書というものの証明力については、やはりそれなりにきちっと厳格な判断がなされると思いますし、それは裁判員の皆さんが加わっても、むしろ国民の常識も踏まえてきちっと判断されるものということではないかというふうに考えております。

大口委員 今の件につきまして、江藤参考人はどうお考えなのか。

 それともう一つ、捜査資料の保管のあり方、これが非常に重要になってきます。特にDNA型鑑定試料については、これは非常に決定的な証拠になるわけです。しかし、足利事件がありました。ただし、科学的な進歩は非常に進んでいます。そういう点で、このDNA型鑑定試料というのは非常に重要な役割があります。それについてのアクセスについてもいろいろ提案されていると思います。

 その二点、お伺いしたいと思います。

江藤参考人 まず第一点でございますが、法律上のたてつけは、証拠能力があるか否か、そしてあとは証明力だけの問題という点は、今大澤先生がおっしゃったとおりだろうとは思います。ただ、さはさりながら、実際に出てきた調書、これの信用力が果たしてあるのかないのかということを裁判員が本当に見分けることができるのか、こういう問題はあろうかと思います。

 先生御存じのように、現在の供述調書、供述録取書と申しますものは全部一人称で書かれております。私は、ここで生まれ、こうしてこうしてああいうことをしました、こういうことをしました。しかし、それは、それを言ったとされる調書の本人が言っていることではなくて、そういうふうに取り調べ官が書くんです。書いて、これに間違いないねといって判こをつかせる、あるいは指印をつかせる、こういうたてつけになっております。ですから、ああ、ちょっと違うなというふうに思っても、あの取り調べ状況の中で指印を押して署名する人はどうしても多いわけです。

 そういう類型的な危険性があるものを裁判員に判断させて、果たして十分なことができるのかどうなのか、先生がおっしゃるようにわかりやすい審理とまで言えるのか、そういう疑問があり、ますます冤罪の可能性が高まるのではないかという心配をしているということでございます。

 それから、第二点のDNAの問題でございますが、これはいろいろな取り扱い方法についてはございますが、私どもが一番懸念しておるのは、科学的な証拠に対する過度の依存ということでございます。

 現に、足利事件でそういう例はございました。これはDNAで間違いないと言われたら、だれしもそういうふうに思ってしまう。当時のレベルであれば、そういうことを言う捜査官はたくさんいただろうと思うんです。ちゃんと証拠は挙がっている、間違いないよ、何を頑張っているんだと。

 こういう形で調書をとられるということでございますので、科学的証拠にいろいろな危険性がある、証拠の入手、由来に問題はなかったか、その保管に問題はなかったか、途中にすりかえの問題はなかったか、いろいろな危険があるのに、それを捨象して、ただ科学捜査の科学性は信頼できると言ったのでは、これはかえって盲点になってしまうということが足利事件から私どもが得た教訓のように思っております。

 ということで、先生へのお答えになったかどうかわかりませんけれども、お答えとさせていただきます。

大口委員 次に、小林参考人、よろしくお願いいたします。

 小林参考人は、殺人事件の被害者の遺族の方の会ということで宙の会を結成されて運動されてきました。その思いがこういうことになってきていると思うんですが、今回、人を死亡させた罪で、しかも法定刑が死刑というふうなもの、こういうふうに廃止の対象を限定されていますね。そこはやはり殺人というものに対する一つの、ほかの犯罪類型とは異なるいろいろなものがあると思うんです。それにつきまして、この限定したことについて思いを述べていただければと思います。

小林参考人 やはり、一言で申し上げれば、命の尊厳の侵害ではないかなというふうに思います。

 人が殺されれば、これは二度と生きて戻ってくることはないわけでございまして、これはまさにほかの犯罪とは比較にならないぐらい大変重大な事件だというふうに感じております。それだけに、やはりここでは殺人に限ってという部分については我々としても十分理解ができるというふうに考えております。

大口委員 ただ、廃止の対象を、例えば強姦致死のように人格を根底的に覆すようなものについても広げるべきじゃないか、あるいは、植物状態になっておられるような方、重篤な後遺症がある方、こういうことについても広げようじゃないか、こういう御意見もありますが、いかがでございましょうか。

小林参考人 法律的には大変素人なものですから、明確なお答えになるかどうかわかりませんけれども、人が死ぬというふうなことについては、これは現象としては結果的には全く同じだと思います。しかし、そこに意図的なものが働いていたのか、あるいは過失とか、結果的に死に至ったという部分では、やはりある程度切り分けは必要なのかなというふうに考えております。

大口委員 では、片山参考人、お願いいたします。

 片山参考人は、捜査機関から十分情報が提供されていない、そこはやはりしっかりしてほしいということでこの中間総括というものを提案されたということであります。そういう点では、今の警察の情報提供についてはどういう点が不満なのか、もう一回お伺いしたいということ。

 それと、片山参考人の場合は、ひき逃げで息子さんが被害に遭って、不起訴処分になって、そこから署名活動とかいろいろな形でやって、やっと有罪まで持っていかれた。そういう点で、今回、ひき逃げ、救護義務違反、これについては対象になっていない、こういうことについてどうお考えなのか。

 この二点、お願いいたします。

片山参考人 警察の捜査についての不満でございますけれども、それは、明らかなとおり、どういう捜査をしているのか、例えば、証拠についてのリストも開示されていない、任意で提供したどういうものが証拠として使われるのか、いやこれは関係ないですと言われるのかも教えてくれない、また、具体的な進捗状況についても教えてくれない、家族が疑いを持って見られているのか、それともただ話を聞かれているのかさえも教えてくれない、これは大いなる不満であろうというふうに思います。

 私は、時効の期間というのは、事件を立証するために必要な証拠を集めるための必要な時間だというふうに考えております。したがって、ひき逃げの事件についても非常に関心があるわけですけれども、では、時間をかければ十分に納得ができる捜査ができるかというと、そうもいかないのではないかというふうに考えております。具体的なデータは持っておりませんけれども、恐らく、五年、十年たっていくと、それこそ証拠の信用性、客観性というのも疑問を挟まれる方も多いのではないかというふうに思っているところです。

 ただ、殺人というのは、いろいろな、被害者とあるいは犯人との関係性も立証しなければいけない部分だというふうに思っておりますので、むしろ、被害者側として見ても、ひき逃げの事件よりは、同じ被害者が死亡している事件でありながら、殺人の方がより時間がかかるのはいたし方がないというふうに考えております。

大口委員 最後に、大澤参考人、今回の時効廃止、また延長するということが犯罪の抑止力になるのかどうか、そこら辺の議論を簡潔にお願いしたいと思います。

大澤参考人 検挙される数がふえるかどうかというところでは余り大きな違いはないのではないかという議論がありますけれども、まず、この種の重い犯罪について公訴時効を廃止したり、かなり長くする、要するに、この種の犯罪についてはきちっと訴追して、事案の真相を解明して、必要な処罰をするんです、そういう、法定刑には尽くされない厳しい評価を示すという意味は間違いなく持っているだろうというふうに思います。そういう点では、そういうものを通じての抑止効ということには一定働き得るのではないか、そのように考えている次第です。

大口委員 四人の参考人の皆さん、本当にありがとうございました。

 以上で終わります。ありがとうございます。

滝委員長 次に、城内実君。

城内委員 国益と国民の生活を守る会の城内実でございます。

 本日は、四人の参考人の皆さんにお越しいただきまして、ありがとうございます。また、特に被害者の関係者の方の陳述を聞いておりますと、本当に私自身も胸が張り裂けるような思いになりました。

 これまで三人の質疑者の方が質問をしておりますが、なるべくダブらないように質問させていただきたいと思います。私だけ弁護士出身でございませんので、法律については素人でございますが、一平均的な市民から見た疑問点ということでお答えいただければ幸いでございます。

 まず、大澤参考人に質問させていただきたいのです。

 今回の公訴時効の廃止ないし延長については、人を死亡させた罪という最も重い類型の犯罪である、したがって処罰感情の希薄化はほとんどないというようなこともおっしゃっておりましたが、他方、江藤参考人あるいは片山参考人の方からは、一つの区切りをつけたい、もうどこかでピリオドを打って新しい人生を歩みたいというような意見もございましたのですが、その点についての説明をもう一度していただきたいということと、そういった方々、少数者なのかもしれませんが、特別の対応というのがあってしかるべきじゃないかなと思うんですね。その点についてお答えいただきたいと思います。

大澤参考人 今回の、人を死亡させた罪、しかも、特にその中でも死刑が法定刑として定められているようなものについては廃止をするという御提案になっているわけですけれども、確かに、この種の犯罪について公訴時効を見直すべきであるという議論は、特に被害者の方々から、一定の時間が経過したことで処罰できなくなるというのはおかしいのではないかという声が上がった、それが発端といいますか、かなり大きな役割を持ったことは事実でございますが、同時に、人の生命というものに対して、今日、恐らく国民のその重大性に対する感覚というのは非常に先鋭になっていて、そういうものが、被害者の方々の御意見が国民の中にも広く浸透していった、その結果としてこういう法案が出てきているということであろうかと思います。

 刑事裁判で事案の真相を解明し、必要がある場合には犯人を処罰するというのは、決してひとり被害者の問題ではなくて、国民全体の問題ということであろうかと思われます。そして、今回の御提案についても、それはもちろん被害者からの声というのもございますけれども、それが国民の中に広く受け入れられてきたということから出てきた御提案だろうと思います。

 そういう意味では、被害者の方がどこかで一段落をつけて、また新しい生き方を模索するという機会があるべきだ、それはもっとも、よくわかるわけでございますけれども、同時に、そういう国民的な、あるいは社会一般的な問題として、やはりこの種の犯罪はきちっと訴追、処罰ができるように法整備をするべきだということで進んできているところかと思いますので、この問題と、それからけじめといいますか区切りといいますか、そういう問題とは一つ区別をして考えなければいけないというところなのではないかというふうに思っております。

 そして、被害者の方々にとって、この種の、刑事責任をいつまでも追及できるということだけが決してもちろん必要なことではなくて、いろいろな、精神的あるいは経済的といった形でのケアということはもちろん非常に大切なことだろうというふうに考えております。そういう中で、一つの区切りという方向のケアというのもまた考えなければいけないのかなという気がいたします。

城内委員 大澤参考人に引き続きちょっと質問したいのです。

 先ほど江藤参考人からも、人の記憶は時間の経過とともにどんどん薄れていく、三十年前のことは覚えている人はほとんどいないというような話がございました。最近も、冤罪ということもありますので、やはり、無実の人が、アリバイの立証とか、無辜の市民が巻き込まれる、あるいは共犯とされるという可能性がある、確かにそういうこともあるんじゃないかなと。

 私は、最初はやはり逃げ得を許すべきじゃないという国民の声に近かったんですが、こういった問題についてはやはりいろいろな角度から見る必要があるということと、果たして本当に十分な議論がなされているのか、最初から結論ありきじゃないか、そういうような感じもするんです。

 結論を言うと、私は、総論賛成、各論反対というか、もうちょっときめ細かく議論して、いろいろなケース・バイ・ケースで対応するようなことをするべきじゃないか、あるいはもうちょっと時間をかけて議論すべきじゃないかというやや慎重な立場に変わってきているんですけれども、その点について大澤参考人から御意見をいただきたいのです。

大澤参考人 先ほどもちょっと触れましたけれども、時間が経過すれば、当然、証拠、あるいは特にそういう人の記憶といったようなものは薄らいでいくというのは、これはもう否定できない事実でございます。そして、防御のための証拠が散逸をし、得られにくくなるということも否定をできないところでございます。

 しかし、同じような事態はすべての証拠について起こってくるわけで、そういう中でも、しかしなお訴追にたえ得るだけの証拠があるようなケースというのが起訴をされてくるということになるのだろうと思われます。そういう意味では、一般的には、検察側としても、なかなか訴追にたえ得る証拠は得られなくて起訴はできにくくなる、そういう状況の中で、しかし訴追にたえ得るだけの証拠が得られたというものが起訴をされてくるという前提かと思われます。

 その場合、そんなに時間がたってからそういう証拠があるということは、それなりに何かそういう強い証拠があるわけでありまして、犯罪と犯人とを結びつける部分について、例えばそういうDNA鑑定のような証拠でありますとか、多分そういう強い柱になる証拠があるということなのではないかと思われます。

 その場合、もしそれが間違っているということであれば、本来その証拠についてやはりどこかに問題があるはずであるわけで、そういうところについていろいろ調べて、突くべきところは突く、主張すべき主張はする。それは、時間が非常にたっていますから、あいまいになる部分もあるかもしれませんけれども、しかし、きちっとした主張が出てくれば、それはしかるべき時間の経過も考慮して事実認定者は判断をされるということなのではないか。そういう事実認定のところでの厳格さがきちっと果たされていけば、あとはそういう事実認定の中にゆだねるということになっておかしくはないのではないかというふうに思います。

 訴追がなくなって両方なくなれば平等でいいじゃないかということではなくて、恐らく、だから、被告人側からも何か主張した場合に、時間の経過ということは当然考慮されてしかるべきですし、通常であればかなりあいまいな主張でも、それは時間が経過している中でこういう程度なのだというふうに理解したときに、それでは検察側がそれに反証する証拠をどれだけ持っているか。これもまた検察側にすれば反証することは大変なわけでありまして、反証できなければそれは有罪ということにはなりませんでしょうし、しかし、それでも反証できる証拠もあるんだということになってきたときに、それでは、果たして有罪にできないのだろうか。そういう証拠調べの場を持つということでおかしくはないのではないかというふうに考えておるところでございます。

城内委員 時間がないので、江藤参考人にちょっと質問したいと思うのです。

 捜査証拠、証拠物等の保管、保存についてですけれども、私は、これは素人から見ても、公訴時効を廃止ないし延長すると、これを保管する場所とか保管するために管理する人だとか、特にDNAの試料というのは毛髪とか体液だと思うので、これは通常の温度じゃなくて、冷凍、冷蔵保存をする必要があるんじゃないかと感じるわけです。

 これをもし本当に実現するとすると、相当な人的手当てあるいは予算措置をしないと、あるいは倉庫をつくらなきゃいけない、管理者を養成しなきゃいけないというようなことが当然想定されるんですが、その点についての検討というのはなされているのでしょうか。

江藤参考人 そのお話はむしろ捜査機関の方にお尋ねいただいた方がいいかもしれませんが、やはり時効制度がなぜあるかという根本の問題に戻りますけれども、冤罪を防ぐためにそういうことが必要で、大変な人的資源また経済的資源を用いなければ、このままいったのでは危険だぞということを私ども申し上げているわけでございます。

 現に、私が先ほど申し上げましたことはそれほど容易なことではございませんが、それなしにはとても危なくて、この立法に飛び乗るわけにはいかない、こういうふうに考えているわけでございます。ですから、この立法を推進されるという方々は、そういう御負担を当然負うべきだという前提で考えておられるのかなというふうにも理解しております。

 以上でございます。

城内委員 私も、その点はきちんと手当てをして、十分検討した上でやらないと、何か実際やってみたら大変なことになってしまうというようなことが想定されるので、そういったきめ細かい対応をやはりしておくべきじゃないかなと思います。

 次に、小林参考人に質問をさせていただきたいのですけれども、やはり逃げ得を許さないという気持ちは非常によくわかりました。そして、犯人に対する感情は増すことがあっても薄れないという意見がございましたけれども、周りの方の意見もやはりそういう声が強いわけですか。そこをちょっとお聞きしたいと思います。

小林参考人 御質問の趣旨は、多分、被害者遺族の犯人に対する思い、そういったことだというふうに理解をいたします。

 私たちは、よく、捜査資源の問題も今お話が出ましたけれども、当初の捜査体制を永久に保ってほしいと言っているわけでは決してないわけです。たとえそれが縮小されたとしましても、やはり警察がいつも犯人を追いかけていてくれる、あるいはきょうかあしたはもしかしたら犯人が捕まるかもしれない、そういったかすかな希望があることが、やはり私たち被害者遺族にとっては唯一心のよりどころになるわけです。また、そう思えることでまたあしたも生きられるという心の支えになっておるわけでございます。

 私たちは、事件に遭ってからというもの、家族との死別体験という大きなストレスの中で何とか立ち直ろうというグリーフケアの途上にありながら、十五年あるいは二十五年で心の区切りをつけなさいという、そういった心の区切りを法によって区切られる、しかも、そのことで犯人が大手を振って社会を歩けるというのは、やはり被害者遺族にとってはとても納得のいくものではないというふうに考えております。

 以上でございます。

城内委員 私も同じ立場であったら、やはり小林参考人と全く同じ意見であるというふうに思います。

 最後に、片山参考人に中間総括の件で御質問させていただきたいのですが、この中間総括について、あるいは捜査当局に、この制度導入に向けての何か具体的なアクションをおとりになったことがあるかどうかということを質問させていただきたいと思います。

 いずれにしても、要するに、犯罪を捜査する、そして真犯人を見つけるということは、やはりこれは捜査機関がどれだけ気合いを入れて、しかも、限られた人員、限られた時間、限られた手段の中でやっているわけですから、ひとえにこれは予算的な措置といいますか、捜査機関、特に今外国人による犯罪なんかもふえておりますので、特に中国大陸からぱっと来て、ぱっと逃げて、強盗殺人していくという人もいるというふうに聞いておりますが、中国語で情報収集できる捜査員が必要じゃないかとか、いろいろな局面がありますけれども、この中間総括の点についてちょっとお話を聞かせていただきたいと思っております。

片山参考人 中間総括につきましては、先ほどお話しさせていただいたように、今アンケート調査を学生さん向けにやっておりまして、その中で、ぜひともこう取り組んでいただきたいという要望を出していきたいというふうに考えております。

 若干ではございますけれども、犯罪被害者等基本計画の見直しのときにこの部分についても少し触れさせていただいたわけですけれども、何分、今回の公訴時効の法案そのものが非常にテンポが速く進んできてしまっているために、これから、できれば早急に、公訴時効とは無関係に中間総括は求めていきたいというふうに考えております。

 あと、人的資源また予算についても限りがあるという御指摘は、まさにそのとおりでございます。その資源、予算を有効に使うためにも、では、五年、十年たった捜査がどのようなものであったのか、もうちょっと情報開示をしていただきたいというふうに考えているところでございます。

城内委員 どうもありがとうございました。

 時間がないので、これで質問を終わります。ありがとうございました。

滝委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。

 参考人の方々には、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。(拍手)

 次回は、来る二十七日火曜日午前八時五十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時三十一分散会


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