衆議院

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第12号 平成23年5月18日(水曜日)

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平成二十三年五月十八日(水曜日)

    午後一時開議

 出席委員

   委員長 奥田  建君

   理事 滝   実君 理事 辻   惠君

   理事 橋本 清仁君 理事 樋口 俊一君

   理事 牧野 聖修君 理事 稲田 朋美君

   理事 平沢 勝栄君 理事 大口 善徳君

      相原 史乃君    井戸まさえ君

      大泉ひろこ君    川越 孝洋君

      京野 公子君    熊谷 貞俊君

      黒岩 宇洋君    黒田  雄君

      桑原  功君    階   猛君

      橘  秀徳君    中島 政希君

      三輪 信昭君    水野 智彦君

      森岡洋一郎君    山崎 摩耶君

      横粂 勝仁君    河井 克行君

      北村 茂男君    柴山 昌彦君

      棚橋 泰文君    柳本 卓治君

      漆原 良夫君    城内  実君

    …………………………………

   法務大臣         江田 五月君

   法務副大臣        小川 敏夫君

   法務大臣政務官      黒岩 宇洋君

   参考人

   (弁護士)

   (元検事総長)      但木 敬一君

   参考人

   (弁護士)        石田省三郎君

   参考人

   (ジャーナリスト)    江川 紹子君

   法務委員会専門員     生駒  守君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月十八日

 辞任         補欠選任

  野木  実君     森岡洋一郎君

同日

 辞任         補欠選任

  森岡洋一郎君     野木  実君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 非訟事件手続法案(内閣提出第五四号)(参議院送付)

 家事事件手続法案(内閣提出第五五号)(参議院送付)

 非訟事件手続法及び家事事件手続法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案(内閣提出第五六号)(参議院送付)

 裁判所の司法行政、法務行政及び検察行政、国内治安、人権擁護に関する件(検察の在り方にかかわる諸問題)


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     ――――◇―――――

奥田委員長 これより会議を開きます。

 裁判所の司法行政、法務行政及び検察行政、国内治安、人権擁護に関する件、特に検察の在り方にかかわる諸問題について調査を進めます。

 本日は、各件調査のため、参考人として、弁護士・元検事総長但木敬一君、弁護士石田省三郎君、ジャーナリスト江川紹子君、以上三名の方々に御出席をいただいております。

 この際、参考人各位に委員会を代表し一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多忙の中、御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見を賜れば幸いに存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、但木参考人、石田参考人、江川参考人の順に、それぞれ十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えをいただきたいと存じます。

 なお、御発言の際はその都度委員長の許可を得て発言していただくようにお願いをいたします。また、参考人から委員に対し質疑をすることはできないことになっておりますので、御了承いただきたいと思います。

 それでは、まず但木参考人にお願いいたします。

但木参考人 参考人の但木と申します。

 取り調べというものが日本の安全とか安心を維持する上で非常に大きな役割を果たしてきたということは事実であると思います。

 我が国におきましては、警察官あるいは検察官が被疑者とじっくり信頼関係を構築して、言ってみれば犯人の口から直接犯罪事実について聞き出すということを非常に重視してまいりました。被疑者の方も、検察官あるいは警察官という取り調べ官に対して、その人の人格なりなんなりに共鳴して、自分たちの生い立ちやその事件に至る契機、動機、その犯行の態様あるいは事後の様子まで詳しく述べてくれたわけであります。ある意味、国民は、そうして犯人がすべてのことを打ち明けてくれて、その上で公正な裁判がなされることを理想としてきたところがあったように思います。裁判所も、そういう詳細な事実を記した供述調書をもとにして詳細な事実認定をして、有罪か無罪か、有罪であるとすればどれだけの刑に服させるべきか、それを判断してまいったわけであります。

 その意味で、日本の刑事訴訟法というのは非常に精緻な精密司法と言われてきたわけでございます。それはそれで本当にすばらしい面を持っておりまして、検挙率も非常に高いですし、有罪率も極めて高い。検事は、言ってみれば戦前の予審判事として、有罪にならないような事件は起訴しない。それによって、ある程度被疑者の被告人になる不利益というのを排除してきたというところもあったように思います。

 ただ、今般の大阪の事件を見ますと、そうした日本の独特の刑事訴訟法の発展の中でやはり忘れてきた部分があるのではないか、それはやはりここで大転換せざるを得ないときが来たのかなというのが正直なところであります。

 この事件の発端は、多分、その大阪地検の上司が、部下に対して、証拠上の確かな根拠なく、当時の中央官庁の局長であった村木さんをターゲットに定めたところから問題が生じたろうと思っております。そこには、本来、大きな社会的強者に対する犯罪を捜査して、それを起訴し、有罪にすることによって多くの国民の共感を得る、それによってメディアからも称賛される、それを自分の喜びとする、それ自体を悪とは言えないと思うんですが、ただ、それが進みますと、どうしても、むしろその喝采してもらうこと自体に一つの自己目的が生まれてくる危険があったんだなというふうに思っております。

 その指示に基づきまして、主任検事が部下に、その上司の命に従った方向で調書をとるように指示するわけですが、これも非常に大きな問題で、この主任検事はそれと反する客観的証拠があることを知りながら、それを言ってみれば軽視する形で部下に捜査を命じる。部下の方も、本来は検察官それぞれ独立ですから、自分がきちんと調べて真実を言わせて、真実に従った調書をとるべきであるのに、結論ありきということで調書をそろえるようなことをしてしまった。これはまことに痛恨のきわみでありますが、検察の抱えている現在の非常に大きな問題を投げかけているのかなというふうに思っております。

 そして、真実というのは本来真実であるべきなのに、あたかも検事の調書にとられたことが真実であるように思い込んでしまうという、これは一つの検察官の独断、独善ではないかな、そういう問題もこの事件の中にはやはり含まれているなというふうに思っております。

 そういう意味で、そのほかの問題を含めて、この事件が大阪地検特捜の偶然の、また単なる一事件だというわけにはいかないだろうと思っております。検察が持っているさまざまな問題点がこの事件によってたまたま外へ出てきたんだと。体質の問題としては、やはりそういう事件を引き起こしてしまう体質が検察の中にあるのではないかなと。やはりそれを根本的に改めることが今回の事件を真に反省することであり、また検察がよって立つ国民の信頼を回復させる唯一の道であるように思っております。

 時間の関係がありますので、だんだん結論を言わなければならない時間になってしまいましたが、私は、日本の刑事訴訟法が異常な発達を遂げた、それは必ずしも悪いことではなかったと思います。しかし、それが行き過ぎることによって、結局、検事調書中心の裁判というものを異常に発達させてきた。

 ですから、例えば重要な検事調書が不同意になりますと、その検事調書の供述者の証人尋問が終わるまでは保釈はしないというような、そういういろいろな派生的な問題も生じてくるわけでございます。大きな問題としては、捜査官というのが調書に過度に依存する今の状態からは、やはり脱していかなきゃいけないと思っております。

 それから、裁判所も、今までのように自分の家にその記録を持ち帰って検事調書を丹念に読んで、そこで有罪無罪の心証を得るんじゃなくて、公判において証言をさせ、供述を得、また証拠をいろいろ提出させて、公判の場で、つまり国民が見ている場で審理を進め、そして判断をしていかなくちゃならない、そういう時代に入ってきたのではないか。その意味で、私は、今回の事件を契機に日本の刑事手続が抜本的に変わるべきであるというふうに思っております。

 以上です。(拍手)

奥田委員長 どうもありがとうございました。

 次に、石田参考人にお願いいたします。

石田参考人 弁護士の石田でございます。

 現在問われている検察のあり方をめぐる問題は、突き詰めて言いますと検察による取り調べのあり方をめぐる問題であり、さらに言えば検察官調書のあり方をめぐる問題であると私は考えております。そして、改革されるべき目標を一言で言えば、検察権の行使に対するリアルタイムの外部検証のシステムの確立をすべきであるというのが私の基本的な見解であります。

 今般のいわゆる厚労省事件は、証拠改ざん問題に目を奪われがちです。しかし、それとともに重要な点は、多くの検察官調書と客観的証拠との間に重要なそごがあった点であります。この事件では、当初検察が描いていた見立てに沿う検察官調書が強引に作成されております。問題となった検事だけではなく、他の取り調べ検事によっても見立てに符合させる誘導的取り調べが行われております。

 裁判所の証拠決定によると、多くの主要調書について、任意性、特信性が否定されるなどしてその取り調べ請求は却下されているのであります。任意性、特信性が否定される取り調べが複数の検察官によって行われていることにこそ問題の本質があります。

 現在の事態は、特捜事件に限らず刑事事件全般にわたって、捜査機関が取り調べに頼り、あるいは供述調書を過度に重要視する現状に由来をしております。最近の再審事件を例にとるまでもなく、このような取り調べは今に始まったことではないことは改めて指摘するまでもありません。とりわけ、構成要件に当てはまる一定のストーリーをつくり上げて、それに沿う供述調書を強引に作成する捜査手法が問題とされなければなりません。

 それに加えて、刑事訴訟法三百二十一条一項二号を拡大解釈して、任意性や特信性要件を緩和していること、その上で、検察官調書を有罪立証のための証拠として採用することによって、これを無批判的に容認してきた裁判のあり方が問われているのです。

 不当、不法な取り調べによる冤罪事件が後を絶たないのは、さまざまな要因が考えられます。長期勾留、起訴前保釈が認められない法制度や刑事訴訟法三百二十一条一項二号の拡大解釈などにも問題がありますが、最大の問題は、取り調べやこれに基づく起訴がリアルタイムに検証されていないところにあると考えます。

 もちろん、これまでにも調書の任意性、信用性が否定された事案が多くあります。しかし、従来は、公判における事後的検証であるため、それが明らかになるまでにおびただしい時間と労力を要したことは先例が示しているとおりであります。

 私は、一九七三年に弁護士登録をして以来、土田・日石・ピース缶爆弾事件や松戸OL殺人事件などの冤罪事件など、あるいはロッキード事件やリクルート事件などの特捜事件の弁護に携わってまいりました。その経験から学んだことは、調書裁判の弊害と、これを解決するためには、弁護、特に捜査段階での弁護を実質的に充実させるべきであるということでありました。私の意見の根底にあるものは、検察権は基本的に国民の負託に由来するものであるということです。言葉をかえて言えば、検察権は検察官によって国民を代理ないし代表して行使されるものであるということです。

 検察庁法が、検察官を公益の代表者としているのは、検察官に国民の負託にこたえて正義を行うべき義務を負わせていることを意味しております。つまり、検察権を行使する検察官と、その相手方である被疑者、被告人は、対等な当事者として扱われなければなりません。それは、捜査、公判等すべての刑事手続の過程において、被疑者、被告人を検察権行使の客体でなく一方当事者として認めるということです。

 検察権が適正に行使されているかどうかは、常に国民のコントロール下に置かれなくてはなりません。そして、そのための仕組みが考えられなくてはなりません。訴訟手続の中で、その具体的、実質的役割を果たすのは、弁護権にほかなりません。

 これらのことから、現在抱えているさまざまな問題について一定の結論を導き出すことができます。

 これまでは、自白の信用性の判断をいかに厳密に行うかという、事実認定の適正化による裁判所のチェックに重点が置かれてまいりました。これが精密司法というものであります。裁判官が御苦労されたところであり、これが一定の役割を果たしてきたことは事実であります。しかし、このようなことにとどまっている限り、供述調書依存型の検察権の行使から脱却することはできません。

 調書中心の検察捜査の根本的改革のためには、第一に、捜査過程における弁護権による検証システムを構築すること、第二に、供述調書の任意性、特信性立証を客観化することなどが図られるべきであると考えます。

 問題の病根は、前近代的な密室での取り調べをしていること、そして検察官調書を特別扱いしている刑事訴訟法三百二十一条一項二号にあると考えます。これを基本的に見直さない限り、抜本的な検察改革はあり得ないと考えております。

 既に、さまざまの冤罪事件を通じて、我が国では、供述調書に依存した捜査、公判からの脱却が必要であるとのコンセンサスができ上がっていると思います。そのもとで、当面の方策としては、調書裁判の過程のうち、その作成段階と任意性、特信性の立証段階の制度改革を行うこと、これが検察による捜査のあり方を改革する上での最低限の方策であると考えます。

 まず、調書作成過程については、適正手続を確保するためには、被疑者取り調べに際しての弁護人立ち会い権を認めることにより、問題は基本的に解決をいたします。そして、取り調べの全過程の録音、録画はこれを補完するものとして機能します。

 次に、任意性、特信性の挙証問題です。

 言うまでもなく、検察官調書には任意性がなくては証拠能力が認められません。そして、三百十九条一項の任意性、三百二十一条一項二号の特信性の挙証責任は検察官にあります。

 現在では、取り調べ検察官などが取り調べ状況を法廷で証言させることにより、この立証が行われております。このため、法廷では常に被告人などと検察官双方の法廷証言、法廷供述は水かけ論になります。これによって余計な労力と時間がかかり、裁判所の負担となっております。検察官にとっても、虚偽供述リスクを抱えるなど大きな負担となっております。

 私が弁護に携わった、土田・日石・ピース缶爆弾事件は約九年、リクルート事件は約十四年間のほとんどの法廷がこのような作業に費やされていたわけであります。その原因は言うまでもなく、密室の中で取り調べが行われていることに起因しております。

 しかし、このような証拠調べで任意性、特信性を判断することは極めて非効率です。また、検察官調書の証拠能力を認めた上で、その信用性判断をするという傾向に傾いており、調書裁判を一層助長しております。しかも、検察官にも二重の過ちを犯させることになっております。

 アメリカの有名な裁判官であったジェローム・フランクがその著作の中で、この点について次のように述べています。「拷問は、拷問者を偽証者たらしめる。つまり強制された自白に対する証人として召喚される場合、彼は、強制がなかったと偽証することを余儀なくされるのである。」と言っていますが、その見解は万国共通のものであると思います。

 我が国で任意性を否定した裁判例は、基本的に取り調べ官の法廷証言を排斥しているのです。

 被告人の自白調書や検察官調書が伝聞法則の例外として特別扱いされるのは、任意性あるいは特信性が明確に認められる場合です。

 したがって、検察官の法廷での虚偽供述を排除する唯一の方法は、検察官調書の証言によらない任意性、特信性の立証システムをつくることです。つまり、その立証方法を、弁護人の立ち会いの事実あるいは録音、録画などの客観的証拠に限ることによって初めて刑事訴訟法の規定が適正に運用されることになると考えます。弁護人の立ち会いと証拠方法の制限によって、これらの問題は一挙に解決するものと考えられます。とりわけ、弁護人の立ち会いは、直接的には何の予算措置も必要がないわけですから、いつでも実施をすることができます。

 現在、主として録音、録画が議論されてきましたが、究極の可視化が弁護人の立ち会いであることは疑う余地がありません。韓国や台湾においても、録音、録画と同時に弁護人立ち会い権が法制化されたのも、このことを示しております。そして、このことが同時に、調書裁判の弊害からの脱却、つまり供述調書に過度に依存した捜査、公判からの脱却のための最も有効な方策となります。

 検察の在り方検討会議の提言では、これらの議論は法制審議会の場に移ることとされております。しかし、本日私が述べさせていただいた問題は、理論的にも実務的にも既に議論が出尽くしております。検討会議での提言は、「広く国民の声を反映するとともに、関係機関を含めた専門家による立ち入った検討」の必要性を言っております。しかし、国会こそ幅広い国民の意見を集約する場であります。しかも、立法の専門家の方々の集まりであります。いまだ始まらない審議会での議論に丸投げ的にゆだねることなく、国会の皆さんがこの問題に主体的に取り組んでいただきたいと思います。

 昭和二十三年に新たな刑事訴訟法が制定されて六十三年がたちました。それ以来の最重要懸案事項の一つであるこの問題を解決すべき歴史的な役割を担われることを切に望んで、私の意見といたします。

 ありがとうございました。(拍手)

奥田委員長 どうもありがとうございました。

 次に、江川参考人にお願いいたします。

江川参考人 江川と申します。よろしくお願いします。

 私は、検察の在り方検討会議の委員をやって、検察という組織は、窓一つない、堅牢なとりでのようだという印象を改めて強くしました。そういう強い閉鎖性の中で特異な価値観がはぐくまれていくのだとも感じました。それはつまり、我こそが正義である、正義のためなら多少の問題は許されるという感覚です。

 例えば、視察で訪れた大阪地検で会った検事さんの中に、裁判所から調書の任意性を否定された経験のある特捜検事がいらっしゃいました。その方は、驚くことにこうおっしゃいました。被疑者が年寄りなのに夜遅くまで調べたり、声が大きかったというだけでしょう、実際は私より被疑者の方がずっとぴんぴんしていましたよ、こうけろりと言われたのでした。彼がとった調書の任意性が否定されても、上司から指導されることはおろか、どういう調べをやったのかという問い合わせすらなかったとのことです。この事件の判決そのものは有罪でした。検察の価値観では、有罪判決さえとれば、つまり検察の正義が完遂されればほかのことは頓着しないということなのだなと感じました。

 私は、この検察の在り方検討会議のきっかけとなった郵便不正事件はもちろん、それ以外の幾つかの事件を通して、どういう点が問題なのかを調べ、教訓を得たいと思いました。

 まず注目したのは、大阪の貝塚市で起きた放火事件です。資料の一から四を後からごらんください。

 知的障害のある青年が逮捕され、自白調書が作成され、起訴されましたが、検察側は九カ月後に起訴を取り下げております。私もこの青年に会いましたけれども、言語によるコミュニケーションにハンディがあり、言葉のキャッチボールが非常に苦手でした。なのに、すらすらと語ったような調書が作成され、公判前整理手続の最中には、検事が警察の捜査報告書から本人のアリバイ主張を削除させるという証拠の改ざんをしていたことも発覚いたしました。

 どうしてこうなったのか確かめようにも、検察は一切協力をしてくれません。法務省の事務局を通して、私の意図を繰り返し伝え、文書で質問をしましたけれども、肝心な点はすべて、お答えを差し控えるという木で鼻をくくったような回答でした。

 本当は、なぜこういう失敗をしたのかを外部の目も入れて検証し、その教訓をすべての検事さんが共有し、同じ間違いを繰り返さないということが大事なのではないでしょうか。

 検察の中でしっかり検証すればいいというふうにお思いかもしれませんが、私はそれは無理だと思います。あれだけ問題になった郵便不正事件でさえ、最高検の検証は不十分なものでした。冤罪被害者である村木さんの話を聞いていません。多くの厚労省関係や凛の会関係者の話も聞いていません。

 例えば、凛の会のある関係者は、任意の取り調べで検事にどなられたり弁護人を解任するように指示され、言ってもいないことを書かれた調書にサインを迫られたと言っています。これについては、聴取書という私の資料を添付してあります。資料の七ページです。

 しかし、その検事は、裁判所で、机をたたいたことだけは認めましたけれども、それはその人の態度が悪かったからだと述べ、弁護人解任の指示は否定をしました。その検事というのは、厚労省の元係長を取り調べ、村木さんからの指示で偽造証明書をつくったという、事実と異なる供述をさせた問題検事であります。にもかかわらず、最高検の検証は、その取り調べを行った者だけを聴取し、取り調べを受けた側の話は全く聞いておりませんでした。この取り調べを受けた側は、あの検事の証言は偽証だと憤慨をしております。

 この事件では、三人の法曹関係者がアドバイザーとして検証に加わったことになりましたけれども、参加したのはでき上がった調書類を読み解く部分のみで、実際の調査には参加をしていません。

 確かに、フロッピーディスクの改ざんをした前田元検事は起訴されましたけれども、その裁判に傍聴に行きましたが、被告人である前田元検事と検察側の利害はまことに見事に一致して、追及の非常に甘い茶番劇としか言いようのないものでした。その傍聴記は、資料五、六ページに掲載してあります。

 なぜ事実と異なる調書が量産されたのかという一番大事な点は、今もってやみの中です。このようなことから、検察自身にすべてをゆだねて大丈夫だというふうには思えないのです。

 検察というとりでには、もう少し外の目、外の風が入る小窓が必要だと思います。今の最高検の中に、本気で変わらなければいけないと思っている方がいらっしゃるということは存じ上げていますが、そういう何人かの個人的な思いに頼るだけでなく、制度として、外の目、外の風が入る仕組みが必要です。

 例えば、先ほどのように、裁判所から任意性を否定されたり、みずから起訴を取り下げたりといった問題があったときには、外部の人を入れて検証を行う仕組みが必要です。

 あるいは、事後的であれ、裁判官や弁護人という外の目で取り調べの過程を検証する可視化を早く実現することも必要です。

 可視化というのは取り調べの経過を検証可能にすることですから、当然、全過程を記録しておくというのが基本だと思います。よく、可視化だけでは冤罪は防げないと言う人がいらっしゃいます。そのとおりと思います。しかし、それで防げる冤罪もあることは明らかであります。

 村木さんの事件だけではありません。その六年前、名古屋でよく似た事件がありました。後ほど資料の九ページ以降をごらんください。

 名古屋市の係長が関与した事件に市の幹部もかかわっているという筋立てに基づいて、部長や局長が逮捕されました。ずっと否認していた村瀬さんという局長は、否認を続ければ何年も出られないと言われ、このままでは、既に認知症を患っている父親に自分のことが忘れられてしまう、苦労して育ててくれた父親に恩返しができない、何とかして一刻も早く外に出なければという思いに駆られて、検察の筋書きをすべて受け入れました。

 一審で無罪判決が出ましたが、検察は控訴、村瀬さんは職場に復帰することができず定年を迎え、その後、高裁で無罪が確定しました。村瀬さんは、在り方会議のヒアリングで、公務員として三十数年間、ひたすらまじめに一生懸命働いてきたのに、その苦労は全く報われず、不本意に失われた公務員人生を返してほしいと涙ながらにおっしゃっていました。

 この事件でも、取り調べの音声や映像があれば、もっと早く問題が明らかになり、村瀬さんの名誉も回復できただろうと思います。それ以前に、検事さんも外の目を意識していれば、早く出たかったら認めろみたいな取り調べは行われなかったのではないでしょうか。

 可視化に関する法務省の中間報告では、年間二百万件も受理するので、全件を録音するのは無理だというふうに言われています。かといって、罪名で仕分けて、重大事件のみを対象とするのもおかしいと思います。なぜなら、本人にとってすべて事件は重大事件だからです。

 殺人事件でも、事実に争いがなく、録音、録画をする必要性が低いケースもあるでしょうし、交通事件でも必要性が高いものもあると思います。必要性が高いものからやっていくということが大事だと思います。本人や弁護人が要求した事件は、その要求があった時点からすべてを録音もしくは録画するというふうにしたらいかがでしょうか。

 今回、法務大臣の判断で、特捜部の録音、録画の試行は全過程を含むことになりました。しかし、対象は逮捕した被疑者のみです。実は、冤罪事件というのは任意捜査の段階で形づくられることが少なくありません。村木さんの事件も村瀬さんの事件もそうでした。なので、任意の取り調べも要求があれば録音をする、あるいは本人が持参した録音機で記録をすることを妨げてはならないという対応も必要だと思います。

 今後、法制審を通じて刑事司法のあり方全体を考えていくというのはいいことだと思いますが、今この瞬間でも冤罪の被害者は生まれているかもしれません。それを考えると、できるところから迅速にやっていくということが大切であり、政治に期待されるところでもあると思います。

 また、可視化は冤罪防止に役立つだけではありません。視察で行きました韓国で、現地の検察・法務当局からは、むしろ可視化のメリットをたくさん伺いました。これについては資料をごらんください。「韓国視察で分かったこと」というタイトルがついております。

 適正な取り調べで自白をした被疑者が、公判になって、無罪をとろうとか裁判を引き延ばそうとして調書をひっくり返すということはできなくなるのです。間もなく裁判員裁判が始まって二年になりますが、裁判員の負担を減らし、少しでも効率をよくするためにも可視化は有効だと思います。

 最後に、村木さんの事件を通じてもう一つ思うことがあったので、これだけ述べさせてください。

 この事件では、取り調べのやり方についていろいろな証言が出ましたけれども、検事さんか取り調べを受けた側か、どちらかがうそを言っているという状況です。こういう場合、私たちはしばしば、取り調べを受けた側が責任逃れでうそを言っていると思いがちだけれども、そうばかりは言えないということです。実は、このことは、村瀬さんの事件などほかの事件でも感じることはあります。

 けれども、検事さんが偽証罪で起訴されて処罰されたなんということは、私は聞いたことがありません。検察という組織は、捜査の側の問題については極めて対応が甘いというのはさまざまな実例が示していると思います。それを考えると、偽証という、法廷を侮辱し、真相解明を妨げる行為の摘発を検察だけの手にゆだねておくのがいいのかどうか、検察以外にもこれを罪に問う仕組みが必要なのではないかと思えてなりません。

 あるいは、検事さんという立場の公益性を考えると、一般人の偽証とは別に、特別公務員偽証罪のようなものがあってもいいのではないかとすら思います。素人の思いつきかもしれませんが、そういうことも含めて先生方には議論をしていただきたいと思います。

 大変失礼な言い方になりますが、先生方も何がきっかけで特捜部の捜査対象にならないとも限りません。たとえ身に何の覚えがなくてもです。それが冤罪です。あすは我が身という認識で、迅速な対応をお願いしたいと思います。

 どうもありがとうございました。(拍手)

奥田委員長 どうもありがとうございました。

 以上で参考人の方々の御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

奥田委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。辻惠君。

辻委員 民主党の辻惠でございます。

 きょうは、三人の参考人の皆さんに、検察のあり方を中心に御意見を伺いたいというふうに思います。

 ただ、冒頭、昨年の九月十日の村木無罪判決以降の経過を見て、国民世論が大きく、検察はおかしいんじゃないか、公平公正さを本当に保持していなかったというような声が沸き上がって、当初は、検察の機構改革を含めて、国民的な世論の盛り上がりの中で、この問題を解決していかなければいけないという機運が大きく盛り上がっていたわけでありますけれども、結局、現状を見れば、昨年の末に最高検の検証チームの結果が出、それを踏まえるという形で三月三十一日に検察の在り方検討会議の提言が出、そして、それを受けるということで法制審に諮問があり、そこで議論がされる。結局、法制審の議論にすべてが還元されるみたいな、もとのもくあみになるんじゃないかというような危惧感を抱かざるを得ないような状況にあります。

 何が問われたのか。今申し上げましたように、前田検事のフロッピーディスクの日付の改ざんによって、あろうことか検察が、これは、証拠としてこのフロッピーは提出していなかったわけですから、証拠の偽造と言えるかどうかわかりませんけれども、少なくとも証拠の改ざんをしたということ。そして、この証拠をなぜ改ざんしたのかというと、検察庁のストーリーに基づいて、村木さんを初め、関係証人から、ほとんどの証人から村木さんの有罪を基礎づけるような供述調書をとることができていた、だから、これは間違いなく無罪ではないんだ、有罪なんだというような形がとられていたわけですね。

 これは氷山の一角であって、たまたま大阪地検特捜部がこの村木裁判だけでそういう結果を生じさせたというわけではないわけです。ですから、そういう密室での取り調べで、ほとんどの人が考えてもいなかった、思いつきもしないうその自白を強要されるというような結果、ここを何とか変えなければいけない、こういう大きな世論の指摘があったというふうに思います。

 問われたのは、検察は公平公正な組織なのかどうなのか、冤罪を捏造するような、そんな権力機関に陥ってはいないのか。それを変えるためには、根本的な組織、システムを変えていかなければならない。そして、まず第一に、密室の自白強要の取り調べをやはり可視化する、全過程の可視化というのがこれの第一歩なのではないかということが私は直接問われた問題だと思います。

 しかし、その後の経緯、先ほど申し上げましたように、最高検の検証チームをつくったということに対して、民主党の中で、私は、有志の議員と一緒に、これは第三者委員も入れないとチェックできないんじゃないか、みずから犯罪を犯したかもしれない組織がその犯罪行為を検証するなんということは、みずからの手でみずからを裁くことはできないはずだというようなことを申し入れたのに、全くそれは聞き入れられない。結果、最高検の検証結果というのはやはり、いろいろなことを指摘しているけれども、結局はお手盛りにすぎないというふうに言わざるを得ない。

 では、検察の在り方検討会議、きょう、三人の参考人の皆さん、御苦労をいただいたわけでありますけれども、この検察の在り方検討会議は、当時の柳田法務大臣の諮問によって設立された機関でありますけれども、そういう国民的な課題として要請された事項に対応する、そういう形で本当に機能したんだろうかということが、私はやはり疑問に思わざるを得ないわけであります。

 「検察の再生に向けて」という三月三十一日付の提言があります。これは一ページ目に「はじめに」ということで、検察の捜査、公判活動全体への不信を招いた、この極めて深刻な事態を受け、失われた検察の信頼の回復を図らなきゃいけないんだと正しいことを言っている。しかし、では、具体的にどうなのか。最高検が検証作業に着手しているんだということを指摘した上で、本検討会議はこの検証作業の結果を踏まえつつ作業を進めてきたと。何のことはない、最高検のお手盛りの検証結果を一つのたたき台、もちろんいろいろな方面からヒアリングもされただろうということはありますが、しかし、それに対する、本当に根底からの批判的な検証作業が果たして含まれていたのかということについて、私は疑問に思います。

 これは皆さんの責任でも何でもないんですけれども、なぜかというと、結局、この検察の在り方検討会議の提言を見ますと、第一章から第四章までありますけれども、「検察の使命・役割と検察官の倫理」「検察官の人事・教育」「検察の組織とチェック体制」「検察における捜査・公判の在り方」。そもそも、在り方検討会議を設置して、検察のあり方を見直さなければいけなかった直接の原因が何だったのか、それの分析と、それに対する直接の回答がこの章立ての中には入っていない。結局は、これは法務省関係の官僚の作文だというふうに言われても仕方がない内容になっているのではないかというふうに私は思わざるを得ないわけであります。

 しかも、これは、最終のところで、三十四ページでありますけれども、捜査、公判構造のあり方を含む刑事手続その他刑事司法制度全体に関する問題について直ちに検討の場を設けよと。つまり、法制審の場を土俵にしながら、特別部会かしかるべき部会で議論されるということになっております。確かに、刑事司法のあり方そのものを考えなきゃいけないということは正しいと思いますが、二つあって、まずは何でこんな事件が生じたのか、それの原因は何なのか解明をしていかなければいけないというふうに私は思います。

 本当に検察庁が解明するという観点で出発しているのかということを私は考えたときに、この提言の中で、引き戻す勇気を持てるような措置が必要なんだというふうに書いてありますが、大阪地検特捜部の村木裁判の件で見れば、引き戻す勇気を持てたはずの人が少なくとも六人以上いるということが明らかになっているんですね。つまり、証拠の改ざんがあったということは、前田検事が知っていただけではなくて、当時の大阪地検特捜部、高検の方々、少なくとも六人以上は知っていた、引き戻す勇気を持てることができたはずなんですね。ところが、できなかった。

 この点についてはどのような議論がなされたのか、これは但木参考人にお伺いできますでしょうか。

但木参考人 その問題ももちろん論議の対象でありました。私自身も、この事件の真の原因は何かということが信頼回復の策を考える上での出発点になるべきだと思いました。

 引き戻す勇気がなかった点については、私だけではなくて、たくさんの人からその論議が出されました。全く法曹に関係ない人からも、どうして引き戻す勇気がなかったのか、やはり問題ではないかと。引き戻す勇気がなかったことについては私自身もまことに残念と言うしかないし、それがある人の人権侵害状態を継続させてしまったということについて、その点は我々も非常に反省しなきゃいけないんじゃないかと。

 おっしゃるとおり、改ざんの事実がわかった場合に、果たして同じ公判対応であったかどうか。それは私は推測しかできませんけれども、やはり違う対応があり得たんじゃないか。そういう意味では、極めて残念な話だというふうに思っております。

辻委員 引き戻す勇気を持てなかった六人以上の方々、検察官がおられるということで、そのうちの一名については、検察官適格審査会で、その適格性の判断が果たしてどうなのかということについて今審査に入っております。それ以外の方々については、どうなのかというのは適格審査会で今議論を始めているところであることを申し述べておきたいというふうに思います。

 先ほど江川参考人がおっしゃったように、大阪地検特捜部にヒアリングに行かれて、視察に行かれて、全く人ごとのようにしか受けとめていない検察官が大阪地検にいたというようなお話でありますけれども、私は前田元検事の裁判に対する検察庁の対応を見ていて、まさに本当にこれは痛苦に反省し、組織全体としてうみを出さなければいけないということで全体が問題意識を共有できているというふうには思えないような状況があるんですが、江川参考人、前田裁判でお感じになった点、資料を出していただいておられますけれども、簡単に一言でちょっと教えていただければと思います。

江川参考人 あの裁判では、前田元検事は、自分のフロッピーディスクの改ざんそのものは違法であり申しわけなかったと言っていますけれども、捜査、公判はすべて正当だというふうな主張をしています。

 その主張というのは、つまり、捜査、公判は検察組織としておやりになったので、その組織としての活動には間違いはなかったという点で検察側と被告人が利害が全く一致をしているので、細かいところに対する追及などが全くない。もちろん弁護人もその点を追及するわけがないので、結局、一番知りたかった、何でこういうような調書がいっぱいできちゃったのかとか、それから、それこそ何でみんな引き返す勇気がなかったのかとか、そういう問題については何も明らかにされなかったのが非常に残念な裁判でした。

辻委員 この去年の村木裁判の結果として、当時の特捜部長や副部長が起訴されていて、その公判維持の中で、前田元検事の証言というのが、ある意味有罪の立証に有効性を持つのではないか、そういう兼ね合いで前田元検事の裁判が真相解明から遠い経過をたどったのではないかという指摘があるということだけ申し上げておきたいと思います。

 石田参考人にお伺いいたしたいと思いますが、三百二十一条一項二号をめぐる、これは客観化するというのは私も大賛成でありますけれども、その問題と、そもそも、検察は正義であるということから発して、捜査及び公判においても、要するに引き戻す勇気が持ち得ないような、おのれが正義なんだ、それについては他の批判を許さないというような、そういうことを思い込んでいくような構造がずっと進んできているのではないかと思いますけれども、これをどうやって変えればいいかという点についての何か御意見はございますでしょうか。

石田参考人 今般の事件は、皆さん方、前代未聞であるとか非常にゆゆしき事態だということを初めて気がつかれたようなことをおっしゃっておりますけれども、私の感覚からいえばそんなことはなくて、ずっと以前からこういった問題はあったというふうに思っております。

 その基本的な原因は、やはり密室での取り調べを検察官にも許されているということなんですよ。そこを基本的に解決しちゃえば、引き戻す勇気とか何かのへったくれもないわけなんですね。検察官はやはり正義を実現しなければならないというふうにされているわけですから、そして、法廷というのは正義が実現される場なんです。そのためには、そういったこそくな手段をとらせないように我々はしていかなければならない。

 国会もそうであるし、国民もそうであるし、そういった検察官の検察権の行使をちゃんと外部からリアルタイムに検証するというシステムをつくれば、こういった問題はすべて解決すると私は確信をしております。

辻委員 時間が参りました。

 民主党内では、検察のあり方ワーキングチームというのを発足させております。但木参考人、ぜひ一度お越しいただいて、あるべき刑事司法について議論をさせていただきたいと思います。

 私は、検察の正義ということがひとり歩きしている大きな原因は、法務省と検察庁が組織、権限一体となって、法務省の事務次官以上に十人の認証官がおられるというような構造、このいびつな構造にあるのではないかというふうに思っておりますので、それもまた議論させていただきたいなということを申し上げて、質問を終わりたいと思います。

 ありがとうございました。

奥田委員長 次に、平沢勝栄君。

平沢委員 自民党の平沢勝栄でございます。

 三人の参考人の皆さんには、忙しい中おいでくださいまして、本当にありがとうございました。

 最初に但木参考人にお聞きしたいと思いますけれども、先ほど江川参考人は、検察は特異な正義感を持っているんじゃないかというようなお話がございました。これは江川参考人だけじゃなくていろいろな方が言っておられるわけで、私は、検察は、非常に大きな功績もあったと思うんです、いろいろ社会悪と言われる巨悪を摘発するという大きな功績もあったと思いますけれども、同時に、その捜査の過程で、あれはいかがかなと思うようなこともあったんじゃないかなと。

 私は後藤田さんの秘書官をやりましたけれども、後藤田さんがいつも言っておられたのは、検察が世直しをしようと思ってはならないと。それから、秦野章さんの「角を矯めて牛を殺すことなかれ」という本ですけれども、その秦野章さんの本の中では、検察が政治改革をしてやる、このようなことを思ってはならない、検察はあくまでも法と証拠に基づいて粛々とやるべきだというようなことを言っておられて、戦前の帝人事件でも、担当検事は同じようなことを、要するに、世の中で腐っていないのは検事と大学教授だけだ、だからおれたちが世直しをするというようなことを言ったということが書いてあります。

 但木参考人、長年検察におられて、そういったような考え方が検察の中にあるのかどうか、それをちょっと教えていただけますか。

但木参考人 検察の長い間の進むべき道というのは、常に厳正公平、不偏不党、法と証拠に基づいてと。これは恐らく国会でも何百回あるいは何千回と答えたんじゃないか。それは真実でありまして、それこそが検察のあるべき道であります。

 今、平沢委員御指摘のような、検察が政治的目的あるいは政治的改革目的というようなことで検察権を行使するということは許されないことだと私は思います。私は、やはり検察は、検察としての使命というのは、犯罪に該当するかしないか、それを起訴すべきかしないか、その判断を淡々としていくことが最も重要であって、常に正義であるべきだというふうに思います。

平沢委員 ありがとうございました。

 もう一つ但木参考人にお聞きしたいんですけれども、昨年の中国船の船長の逮捕事件、第二勾留の途中で突然釈放されたわけですね。そのとき、那覇地検の次席検事は記者会見をやりまして、こういうことを言っています。「加えて、引き続き被疑者の身柄を勾留したまま捜査を継続した場合の我が国国民への影響や今後の日中関係を考慮いたしますと、これ以上被疑者の身柄の拘束を継続して捜査を続けることは相当でないと判断した次第であります。」これは検察が判断したということになっているんです、私はそうだと思いませんけれども。

 検察がこういった日中関係なんとかも考慮して身柄を釈放するというような処分をすることが、果たしてこれは検察として正しいのかどうか。ということになりますと、例えば、アメリカ人を逮捕した場合でも、これは日米関係に影響が出るからというので裁量を加えるということも可能になりますし、この政治家はロシア関係に極めて大きな影響力を持っているから、この政治家を捕まえたら日ロ関係に大きな影響が出るからやめるというようなことだって、この論理でいけばあり得るということになっちゃうんです。

 ですから、検察はあくまでも法と証拠に基づいてやればいいのであって、残りはあくまでも、場合によっては、それは指揮権が規定されているわけですから、指揮権の問題じゃないかなと思いますけれども、このときの検察のコメントについて、但木参考人はどう思われるでしょうか。

但木参考人 私自身、その事実について全く知りませんので、具体的な事件としてお答えするのはいかがかと思いますので、一般的な問題として申し上げたいと思います。

 検察が釈放する場合というのは、恐らく、刑訴の二百四十八条の起訴猶予の規定を頭に置きながら釈放すべきかどうかを判断するだろうなというふうに思います。

 二百四十八条の規定の中身は、実は限定はされておりません。したがって、そこに何を考慮すべきか、あるいはしてはならないかということは実は何も限定はございませんので、そういう意味で、理屈の上では、どのようなものが考慮事情になってもそれは構わないと思います。

 ただ、国民への影響あるいは今後の日中関係ということを那覇地検の次席が言われるのがやはり違和感があったんじゃないかな。これは正直に申し上げて、こんな重要な事件ですから、もちろん検察全体で判断したんだろうと私は推測しておりまして、それならもう少し発表の仕方があったんじゃないかな。那覇地検の次席がということになると、確かに違和感を感じさせたのかなという気もしています。ただし、これは私の全く第三者的な発言でございます。

平沢委員 率直な御意見、ありがとうございました。私は政府の働きかけがあったんじゃないかなと思っていますけれども。

 次に、江川参考人にちょっとお聞きしたいと思うんですけれども、江川参考人が、検察の在り方検討会議での御発言の中で全面可視化についていろいろ言っておられるわけですけれども、その中で、全面可視化の例外として、「組織犯罪であって、国民の生命・安全に重大な影響を及ぼす可能性がある場合、例えば、私の頭にあるのはオウムのような組織の事件です。こういうような場合に限って、仮に弁護人、例えば組織がつけた弁護人がということもあり得るので、そういう場合にのみ裁判所の判断によって録音・録画しないことはあり得る」というようなことを言っておられますけれども、可視化の中で、そういう特定の、オウムのような事件については可視化の例外というふうに御判断されている理由は何でしょうか。

江川参考人 可視化の問題で反対の方からよく言われるのが、治安が悪くなるのではないかとか、あるいは、生命、安全にかかわるような事件で犯人を取り逃がしたらどうなるか、そういう心配が多くの国民にわき起こったらどうするのかというような意見が述べられます。

 それでしたら、例えばこういう方法もあるのではないか。私は素人ですので、単なる思いつきのようなものでありますけれども、例えば、国民の生命、安全に直接かかわりのあるような事件に限って、例えば裁判所の判断を仰いで例外とするようなことをやるとか、いろいろな知恵を出し合ってやっていくことが必要なんじゃないかなというふうに思います。

 ただ、原則は、やはり基本的に全面的に可視化をするということが大事なのかなと思っています。

平沢委員 では、もう一つ江川参考人にお聞きしたいと思うんですけれども、捜査当局、今、取り調べで事件検挙の端緒をつかむというのは全体の大体四二%ぐらいなんです。確かに、凶器をどこに捨てたとか、遺体をどこに捨てたとか、共犯はだれかとかというのは、みんなこれは大体取り調べでわかってくることが多いわけですけれども、そういった取り調べについて、可視化しても支障というか影響はないというふうに江川参考人はお考えでしょうか。

江川参考人 はい、そのように思っています。

 というのは、カメラがあるとしゃべれないというふうによくおっしゃるんですけれども、平沢先生なんかもよくテレビにお出になって激論を交わされていますけれども、最初のうちは多分カメラを意識するのかもしれませんけれども、いろいろなやりとりをしていくにつれて、その話に集中していけば、カメラを意識するということはそんなにはないと思いますし、実際、韓国に視察で行ったときには、非常にカメラを意識しないような設定になっていました。そういうふうに工夫をすれば、特にカメラがあるからといってしゃべれないということにはならないのではないかなと思っています。

平沢委員 捜査の目的は、冤罪は絶対に生んじゃいけない、一人として出しちゃいけない、しかし同時に、事件は一件でも多く検挙しなければならないわけで、先ほどちょっとお話を伺っていると、冤罪を出さないためにはどうしたらいいかという話は十分に伺いました。しかし同時に、これは刑事訴訟法でも、やはり一件でも事件は多く検挙しなきゃならないんです。では、一件でも多く事件を検挙するためにはどうしたらいいとお考えになられますでしょうか。

 要するに、冤罪はもちろん生んじゃいけない、しかし、やはり事件は検挙しなきゃならないんです。検挙しないで、犯罪は起こす、それでも捕まらないということになったら、これはもう治安は悪くなります。では、その場合はどうしたらいいとお考えですか。

江川参考人 今、私は検察の問題を申し上げているんですが、警察の話ということですか。(平沢委員「警察も検察も同じですけれどもね」と呼ぶ)

 それはもちろん、一件でも多く事件は検挙していただきたいというふうに思います。ただ、物事はすべていろいろなバランスだと思うんですね。今の状況でいうと、やはり被疑者の立場というのが圧倒的に弱くなっているので、そのバランスを少し修正した方がいいのではないかということだと思います。

 ですから、そういうバランスを見ながらやっていけばいいことで、可視化をしたからといってそのバランスが一挙に崩れて捜査ができなくなるというのではないと思いますし、例えば検察の話でいうと、また韓国の話で恐縮ですけれども、韓国では検察でも科学捜査の研究所とか部門があって、例えばコンピューターのハードディスクなんかを壊した場合でもどうやったらそれを再現できるかとか、そういうようなことを力を入れてやっています。

 やはり日本の検察もそっちの方にシフトをしていって、物証などをどうしたら集めていけるのかという方向に力や人やお金をかけるべきではないかなと思いました。

平沢委員 次に、石田参考人にお伺いしたいと思います。

 弁護人を立ち会わせるというお話がございました。それはそれとしまして、私もイギリスに三年間いまして、当時、法務省のアタッシェがいなかったから、裁判官、日弁連、検察官、全部イギリスの内務省等に御案内しまして、いろいろお話を伺ったんですけれども、イギリスの捜査当局が持っている権限なんというのは日本と比べたら比較にならないんです。一言で言えば、日本の捜査当局は手足を縛られてボクシングしろと言われているようなものなんです。驚くほどの権限を持っておられるんです。それは、当時、日本から来られた方に随分御説明しまして、それも基本的にはまだ変わっていないと思います。

 例えば、具体的な例を挙げますと、ヒースロー空港に日本から来た飛行機の荷物、それがバゲッジクレームまで来る間にどんどん日本の荷物だけ壊されるんです。全然捕まらない。どうしたかというと、ロンドン警視庁はバゲッジハンドラーの中に警察官を送り込んで一緒にやらせるんです。全容がわかったところで一網打尽で、警察官はもちろん、一緒に加わっていたけれども全然犯罪に問われない。

 あるいは、IRAの銀行強盗があった、そうしますと、一番最初に申し出たやつには莫大な何千万という御褒美を上げて、場合によっては顔の整形手術までやって、偽名のパスポートまで与えて保護してやる、そのかわり仲間について全部しゃべらせるとか、まあ考えられぬ。電話の傍聴なんというのは、これはもう日常茶飯事。物すごい権限が与えられているんです。そういう中で捜査が行われているんです。

 そういう中で、日本の捜査当局が今与えられている権限、欧米諸国に比べたら、これはもうこれからいろいろ調べればわかっていただけると思いますけれども、極めて限定的、限られていますけれども、これについてはどう思われますか。

石田参考人 そのようなイギリスの具体的な事情は私はよくは存じませんけれども、そのようなひどい捜査をしなくても日本の治安が守られているというのはすばらしいことではないかと思います。

 平沢先生の御質問の趣旨は、恐らく、仮に弁護人の立ち会い権等を認めるとしても、別の捜査手段を考えないとバランスを欠くのではないか、このような御趣旨での御質問と理解をしております。

 しかし、私の考えでは、捜査手段をどのようにするかという問題と、供述調書に証拠能力を与えるべきかという問題は全く別の次元だと考えております。有効な捜査手段がないから違法な取り調べで自白を強制してもいいということにはなりません。憲法や刑事訴訟法はこれを禁じているわけであります。

 我々は、前近代的な取り調べに頼る捜査の是非、あるいは国際的な基準からおよそかけ離れた我が国の取り調べのあり方をまず検討すべきだと思っております。

 しかも、我が国では、弁護権の実質的な保障が遅々として進まない一方で、平沢先生は専門家ですからよく御存じだと思いますけれども、捜査の手段というのは格段に向上していると思うんですね。つい最近、監視カメラによって犯人が検挙された、非常に高等な技術あるいは優秀な技術で犯人が検挙された事案があります。また、既に平成十一年には盗聴法が制定をされて、ある一定の役割を果たしております。おとり捜査も一定の範囲で判例上は認められております。また、DNA鑑定も格段の進歩を遂げております。

 そういった、捜査の充実というのは、法律的な問題ではなく科学技術の問題として我々は考えていくべきではないかと思っております。

 以上です。

平沢委員 時間が来たから終わりますけれども、取り調べというのは日本ではかなり大きな意味、ウエートを持っていまして、古く言えば、例えば吉展ちゃん事件というのがありましたけれども、あれはどれだけ、何時間取り調べしたかわからない。なかなか本人が供述しなかった、もう徹底的に何回も、本人が否定するところ、繰り返し繰り返しやって、やっと本人が供述して、本人の供述したところから遺体が出てきたというようなこともありまして、取り調べというのはそれなりに重みがあることも事実でございます。

 いずれにしましても、三人の皆さん方、大変に貴重な御意見、ありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。

 終わります。

奥田委員長 次に、大口善徳君。

大口委員 公明党の大口でございます。

 三人の先生方、きょうはありがとうございます。

 まず、但木参考人からお伺いをさせていただきたいと思います。

 但木参考人、二〇〇七年に危機があったということで、志布志事件ですとか、あるいは富山の氷見市で連続婦女暴行の容疑で逮捕された男性が服役後にその真犯人が見つかったあの氷見事件等々ございまして、そして、最高検でも検証の報告書を出されまして、そして、捜査の基本十項目という形でやられたわけですね。その後もやはり、今回の村木事件、そして大阪地検の一連の事件が起こっているということでございますので、私は、本当に今回、検察のあり方ということを抜本的に変えなきゃいけない、そう思うわけです。

 ですから、但木参考人も、大転換のときだ、そして、取り調べあるいは調書に依存した、こういう日本の刑事体系というのを抜本的に変えていかなきゃいけない、こういうお話だと思うんですね。

 今回の在り方検討会議で、検事さん千三百人の意識調査をしたと。そうしたら、その四分の一が実際の供述とは異なる特定の方向で調書の作成を指示されたことがある、こういう非常にショッキングなことが出ているわけです。ですから、本当に、検事の意識また幹部の意識、これも変えなきゃいけないと思います。

 また、これは引き返す勇気とも関連しますけれども、今回、特捜部の可視化を試行しますが、そして、全過程のものもやるということでありますけれども、特捜部が捜査した事件は他の部署が起訴をするということを、はっきりとこういうものが、このあたりから本当は、今回、在り方検討会議でこれをやるというようなことを最高検が打ち出していれば、まだ最高検が変わろうという意思が国民に伝わると思うんです。

 以上の点、どうでございましょうか。

但木参考人 御指摘のとおり、私が最高検におりましたときに、志布志事件それから氷見事件につきまして、最高検で検証を行いました。やはり基本に忠実な捜査というのが非常に大事で、したがって、供述を得たら、それが真実だと即断せずに、丁寧に一つ一つ裏づけをとって、裏づけのない供述というものは信用できないんだというようなことで報告書をまとめて、これを検察官に共有させたのでありますが、残念ながら、今回のこういう事件がまた起きて、あの検証は何だったのかなと、本当を言うとつらい思いがしております。

 特捜部の事件というのは、一般の刑事事件とちょっと違う性格も持っております。先ほど申しましたように、非常に世間の注目が強いものですから、どうしてもそれを意識した捜査というものが行われやすい傾向、危険というものがあるような気がいたします。

 私も、できれば特捜部ではないところが起訴するというようなこともやはり考えていくべきではないか、やはり、特捜の捜査をクールに見る検察官がいた方がいいんじゃないかなと思っております。

 ただ、これがこれからどうなっていくか、それは、今後の検察の一つの検証を踏まえた結論が出てくるんだろうというふうに思っております。

大口委員 次に、江川参考人にお伺いしたいと思います。

 江川参考人は、知的障害の方ですとかコミュニケーション能力の不足の方々についての取り調べのあり方、あるいは冤罪等について、非常に取材もされているわけでございます。

 今回、これにつきましては、やはり全過程の可視化を行うべきということと、そして、関係者の方の立ち会いもやるべきだ、こういうふうに書かれているわけでございます。そういう点で、このあたりのことをひとつお伺いしたいということと、韓国を視察されました、その中で、可視化についていろいろ見てこられたと思うんです。

 江川参考人はまた、請求をしたものに対して可視化をするということで、請求がない場合は可視化をしなくてもいい、とにかく請求を待ってというお話でございました。ただ、知的な障害を持った方とかいうことについては、やはりこれは可視化をすべきだということでございましたけれども、そのあたりのことについてお伺いしたいと思います。

江川参考人 私が請求をしたものをというふうに申し上げたのは、つまり、いきなり全件やるのは無理だという話があるので、だったら、できるところから、あるいは必要性の高いところから始めてみたらどうかということで、そのように申し上げたところです。

 特に必要性の高いところというと、本人がやってもいないのに無理やり調書を押しつけられそうになっているというような状況がある人たちとか、あるいは、今おっしゃった、知的な障害があってコミュニケーションが非常に難しいという方の場合は、それをちゃんと撮っておくということが、むしろ検察の方も、取り調べをする人だけじゃなくて、決裁をする人が、いや、どうだったのかとちゃんとチェックをして決裁ができるという意味では非常に有効ではないかなというふうに思います。

 また、昨今は、不起訴になっても検察審査会がありますので、例えば被害者が出た事件などはそちらに行く、申し立てが出る場合もあるわけですよね。そういうときに、検察審査会の委員の方たちが、調書だけじゃなくて、そういった取り調べのときの映像も見れば、どういう状況だったのかということが非常にわかりやすく、間違った判断をしにくいのではないかなというふうなことも思います。

 そういう意味で、知的障害のある方は、やはり優先的にやっていくべきだと。前の調書裁判だと、調書だけあれば何か有罪になっていくので、刑務所は、やはり知的な障害のある方が随分いらっしゃいます。そうなると、刑務所が究極の福祉施設化してしまうということも実際に起きてきているわけですよね。そういうことがないようにといういろいろな観点からも、障害のある方の可視化については急ぐべきである、特に、警察も含めて協力していただきたいというふうに思いました。

大口委員 次に、石田参考人にお伺いいたします。

 石田参考人は、まず、取り調べに対する弁護人の立ち会い権、これを認めるべきだ、捜査の過程がリアルタイムでチェックできる、このようにしていくことが大事だと。そして、それを補完する意味で、取り調べの全過程の録音、録画、そして、供述調書の任意性あるいは特信性の立証のために、これを客観化するためにも、この録音、録画が必要だ、こういうことでございます。

 この弁護人の立ち会い権につきましては、日本でこれを導入するに当たっては、実務的な面でいろいろな問題があるのかないのか、またそれをクリアできるのかどうか、それと費用の問題もございます。江川参考人の資料の中に、弁護人の立ち会い権を認めることによって、お金のある人とない人、それを雇えない方の場合はどうなるのかとか、こういうこともありました。

 そういう点で、今、日本の場合は身柄の拘束がかなり長いですね。よく人質司法と言われています。そういうような環境下にあって、弁護人の立ち会いをどう実現していくのか、お伺いしたいと思います。

石田参考人 この弁護人の立ち会い権を認めた場合、我が国で実際に対応できるのかという基本的な御質問、もっともだと思います。この中には、いわゆる弁護人の質の問題と数の問題と金の問題、この三つがあるのではないかと思います。

 まず、質の問題につきましては、私は、弁護士に高い倫理性と能力が求められるということは事実だと思いますが、我が国では、非常に難しい司法試験あるいは研修制度がございまして、ある一定レベルの質と能力は保たれているのではないかと思います。ですから、それは十分に対応できるというふうに思っております。

 では、数の問題はどうかといいますと、この弁護人の立ち会いを実際に本当に行わなければならないのは一体どのくらいあるんだろうかという問題なんですね。

 今ここに司法統計年報のその部分を持ってきておりますけれども、平成二十一年度における地方裁判所の通常第一審の終局における被告人がどのような対応をしたかという統計でございますけれども、終局総人員が六万五千八百七十五件であったのに対して、否認事件は四千六百九十七件という司法統計年報の数字が出ております。ですから、捜査段階からずっと否認をし、そのような対応をしてきたというのがこれの恐らく一割強ぐらい多いと思いますので、恐らく年間に五千件から六千件ということではないかと思います。

 ですから、数の面ですが、むしろ、このようなあらゆるサービスに対応するために前の政府は弁護士を大幅に増加させているわけでありますから、そのようなことに対応するように皆さん方はお考えになったのではないかというふうに思っております。

 もっとも、こんなにたくさんの弁護士を大幅に増加させるのが必要かどうかという問題はまた別の問題で、私は反対なのでありますけれども、数の面からでもそのように考えられると思います。

 もう一つは、抑止力ということを考えなければいけないと思います。弁護人が立ち会うということに基づいて、このような制度があるということによって違法な取り調べが抑止されるという面も考えられると思います。

 それから、お金の面なんですが、韓国の弁護報酬がどのようになっているかわかりませんけれども、幸いにして我が国におきましては、曲がりなりにも、被疑者段階における国選弁護、あるいはそれを支える法テラスの制度がつくられております。そういったことで、金がなければ弁護してもらえないという状況は、少なくとも我が国ではどんどん解消されつつある。実際に、捜査段階ではなくて公判段階においては、皆さん御存じのようにずっと前から国選弁護制度となって、非常に充実した弁護が行われております。そういうことについては全く私は心配をしておりません。

 以上です。

大口委員 ありがとうございます。

 予算の措置等も、これからの大事な問題になってくるんじゃないかと思います。

 最後に、特に全過程の可視化について、やはり、今回は一層広げるという形でまとめられたわけですが、法制審議会でこれから本格的にその議論があります。まず、この可視化の問題に結論を出し、そして、そういう優先順位といいますかについてどうお考えなのか、江川参考人にお伺いしたいと思います。

江川参考人 先ほど石田先生の方からもお話がありましたように、ここの間、ずっとこの問題については議論されていて、論点はほぼ出尽くしていると思うんですね。ですから、これは最優先でやっていただきたい。先ほど申し上げたように、今まさに冤罪の被害者が出ているかもしれないわけなので、そこのところは本当にお願いしたいというふうに思います。

 それと、今まで検察の問題点をいろいろ申し上げましたけれども、やはり個々の検察官で、非常に優秀で一生懸命勉強されている方もたくさんいるわけで、例えば、裁判員裁判が始まる前には、公判傍聴に行っても、検察官の質問というのは紙に書いたものをずっと読んでいるような感じでしたけれども、きょう午前中、私は裁判員裁判を傍聴してきて、女性の検事さんでしたけれども、被告人質問で、まことに当意即妙というか臨機応変な充実した被告人質問をやっていらっしゃいました。これは裁判員裁判という制度ができたから、それにちゃんと合わせてきちっとやっていけるように検察官が努力をされたんだというふうに思います。

 この可視化が実現されれば、検察官、警察官もそうでしょうけれども、その中でどういうふうな取り調べをやるのが有効かということは、日本の検察官はしっかり勉強されるというふうな信頼もしております。

大口委員 裁判員裁判制度が始まったということは、公判中心主義といいますか、また調書からの脱却という点では非常に大きな意味があるわけです。そのことも但木参考人もおっしゃっていたわけでございますけれども、これを契機に、本当に客観的な証拠に基づく、取り調べに過度に依存しない刑事司法を目指していきたいと思います。

 ありがとうございました。

奥田委員長 次に、城内実君。

城内委員 無所属の城内実でございます。

 本日は、三人の参考人の先生方に、検察のあり方の問題、特に可視化の問題について質問させていただきたいと思います。

 まず、先ほど江川参考人もお話しされましたけれども、外部の声が必要である、あるいは目とか風ですね。検察の在り方検討会議の提言の中で挙がった論点の中に、職務遂行に当たっての基本規程を明確化すべき、その際、外部の声も取り入れるべし、あるいは、外部の有識者による辛口の研修を検察官にすべしだとか、あるいはさらには、他職の経験者をもっと採用すべきだと。これは確かにそのとおりだなと私も思うのでありますけれども、そもそも論として、やはりみずから検察官の方々が、おのれの良心に従って、何が悪かったのかということをきちっと検証することが大事であります。

 江川参考人から、検察官の人たちが自分たちで検証した結果は非常に甘いと、そういうことは確かに私もあると思います。私自身、外務省におりまして、松尾事件とかいろいろな事件がございまして、自分たちで自分たちの非を認めるということはなかなかできにくいというのはよくわかるんですが、やはり最後は自分たちで自分たちの良心に従って、悪魔のささやきを遮りながらやらなければ、私は何の効果もないと。

 では、全部検察官を入れかえればいいのかと、あるいは抽せんで選ぶのかというわけにもいかないわけですから、それを私は、まず、みずからがきちっと改革する、その上で外部の声も参考にするというのが妥当であると思いますが、この点について、江川参考人そして但木参考人から御意見を聴取したいと思います。

江川参考人 もちろん、みずから変わっていくということがとても大事だと思いますし、そういう努力をされている方もいらっしゃると思います。

 ただ、先ほど申し上げたように、余りにも密室性が高くて、これは取り調べ室だけではありません、組織全体が窓一つないとりでのようだというふうに申し上げましたけれども、そういうところの中で、やはり特異な価値観がはぐくまれていく、そういう中にもう少し外の目が入るようにすることが必要で、確かにいろいろな提言の中に出ていますけれども、それは外の目が中に入るんじゃなくて、検察官がとりでの外に出てきて時々御意見を拝聴するという感じなんですよね。やはりもう少し中に目が届くということも必要ではないか。

 そのときに、例えばいろいろな捜査情報とかそういうのが外部の人に持ち出されるのはどうなのかという御意見もありますけれども、例えばそういった検証をする人には一時的に公務員にして守秘義務を課すとか、いろいろな知恵は浮かぶのではないかなというふうに思います。

但木参考人 検察の組織が非常に独立性を大事にするということもありまして、外部との接触といいますか、窓の開き方が足りないじゃないかという御指摘はそのとおりだと思います。

 検察官の倫理でありますとか、あるいは検察の今後のやるべきことであるとか、そういう点については、大いに外の人たちの意見も聞きながら、自分たちがどこか凝り固まっているところがないだろうかということをよくよく考える必要があるだろう。正義というのも、自分の独善的な正義というのは一番困る正義であって、ある意味で有害な正義である。

 ですから、検察としては、どうあってもそういうことが起きないように、自分たち自身の心をやわらかくして人々の発言を虚心坦懐に聞くというその姿勢が必要であるというふうに思います。

城内委員 今の但木参考人の率直な、虚心坦懐に聞く、そしてまた冒頭も、検察の持っているいろいろな体質を根本的に改めるべきであると認めたことは大変私も評価しております。

 さはさりながら、私は別に検察の側に立つというわけじゃないですけれども、やはりどの組織にも、先輩が後輩を指導して、そしてその先輩のやり方を学びながらその伝統に従ってやっていくという、それが悪弊となる場合もありますけれども、何か今世の中には、検察はやたらと冤罪を大量につくって、そして、こういうことを言うと日弁連所属の弁護士の先生方に怒られますけれども、弁護士の方は、悪いやつだと決めつけられた善人を救う存在であるというような二元論は、ちょっと私はおかしいんじゃないかと思うんですね。検察官の中にも証拠を捏造する人もいるでしょうし、弁護士さんの中にも、こいつは本当に犯罪者で、また出所したら同じ犯罪を犯すというのがわかったとしても、口を合わせて、こう言え、ああ言えといって無罪をかち取ってお金をいっぱい取ると。

 そういうことも、例えばアメリカではO・J・シンプソン事件等ありまして、もうどう考えても殺人犯なんですけれども、ドリームチームという全米最高の弁護士が五人もついて、いろいろなへ理屈をこねて、何か差別的な発言があったとかなんとかということで無罪をかち取る。私は、これが本当に司法の正義なのかなと本当に驚いたわけですけれども、やはりケース・バイ・ケースで考えていくべきじゃないかと思うんです。

 さて、弁護士の方の立ち会いなんですけれども、私はこれは、ある程度認めていいとは思うんですけれども、ただ、すべて認めたら全部手のうちがわかってしまいますし、石田参考人、その点についてはどうなんでしょうか。

石田参考人 私が申し上げているのは、まず被疑者の取り調べの時点で弁護人の立ち会い権を認めろということでありまして、何も捜査のすべての過程において、弁護人がその段階だけで手のうちがわかるということは基本的にはあり得ないんじゃないかと思います。被疑者に対して取り調べがなされるときには、そのときに取り調べ官が被疑者に何らかの言うことがあるわけですから、今の段階でもどういうことを言われているかということは接見でもわかるわけでございますので、弁護人の立ち会い権を認めたからといって捜査側の手のうちがわかるということは、そのことのみの理由に基づいて、先生が御心配になられるようなことはないと考えております。

城内委員 さらに石田参考人にお尋ねしたいんです。

 全面可視化した場合、私もいろいろ、賛成の立場と反対の立場の意見をしっかり自分なりに調べたんですが、例えば、組織犯罪に所属していた者が被疑者となって取り調べをされているときに、これを例えば全面可視化した場合、報復されるんじゃないかとか、こういう組織犯罪でも、あるいは同じ犯罪を何回も繰り返す人に対して可視化をすることが本当に必要なのかどうかということも含めて、例えば、さらには性犯罪の件で可視化した場合、非常に言いにくいことがあるわけですが、それがなかなか言えないとか、可視化によるその弊害というのもあるわけですから、やはりこれを限定すべきであるという立場に、私は、もともと全面可視化賛成論者から、やはりこれは限定すべきじゃないかということにやや変更したわけですけれども、その点についてお答えしていただきたいと思います。

石田参考人 全面可視化という言葉が、私は少し誤解を招いているのではないかと思います。

 全面可視化で、例えば全過程を録音、録画したとしても、それが全部、公判であるとかあるいは世間一般に公開されるということではないんです、この制度の趣旨というのは。仮に、その取り調べの段階において違法、不当な取り調べがあった場合には、そのあったかなかったかということを、法廷あるいは公判前整理手続の段階でそれを調査するというだけでありまして、全面可視化したからといって、それが世間に公表されるとか、あるいは公判廷でそれがすべて明らかになるということではないというふうに、そういうことになるという制度を目指しているわけではないということをまず御承知おき願いたいと思います。

 そして、先生の御発想というのは、恐らく、そういった弁護人の立ち会いであるとか、あるいは録音、録画があってはそもそも取り調べ自体ができなくなってしまうんじゃないかという御心配ではないかと思うんですね。

 しかし、これは法的な価値の優位性をどこに置くかという問題だと思います。御存じのように、憲法三十八条は、「何人も、自己に不利益な供述を強要されない。」というふうに定めております。法律は自白の強制を禁じているわけなんですね。もし自白がそこでとれなかったとするならば、他の証拠によって有罪を立証するしか方法がないというのが、我が国の法律の体系になっているわけであります。自白がなければ有罪が立証できない、あるいは治安が守れないという発想自体、憲法の趣旨に反するのではないでしょうか。

 検察官は違法な取り調べをしないという高い倫理観が求められているわけであります。こうした法体系の中で治安を守るというのが国家の使命と私は思っております。この法体系を否定してまで、密室の中での取り調べを行うことによって自白を強要することを容認できるような法律的な根拠は全くないというのが私の意見であります。

城内委員 しかし、私は、善良な一般市民が被疑者となった場合と、あるいは前科五犯の、それこそ凶悪犯罪とを一緒にするというのはおかしいと思うんですね。

 検察官の方も、もちろん、その良心に従って、あっ、こいつは凶悪犯だとしたら、これはどこまで許容されるかわかりませんけれども、多少、そういう凶悪犯罪者だという前提で、少し強い口調で言うとか、いろいろな駆け引きが私は多分あるんじゃないかと思いますし、また、取り調べをする検察官と被疑者の間の、これは非常に日本的なものでありますけれども、いろいろな信頼関係を構築しながら、それこそ家族のことを聞きながら、胸襟を開く中で、その被疑者が犯罪者であった場合、自白をして罪を改めるというのが、何か非常にこれは日本の国柄に合っているんじゃないかと思うんですが、そういった点で、もし、はい、ではこれから録画、録音しますよというようなことをするのが果たして本当に効果があるのかどうか。

 もちろん、私は一定の条件でそれは認めるべきだと思うんですけれども、特に先ほど平沢委員がおっしゃっておりましたけれども、日本の場合と諸外国の場合を比べると、諸外国では、おとり捜査あり通信傍受あり司法取引ありで、日本の捜査当局と比べてはるかに広範囲にわたって捜査ができるわけですから、そういった点から、私は、さらに今の流れで全面可視化をするということについてはもう少しよくバランスを考えていかなきゃいけないと思うんですが、その点について、最後に、但木参考人、そしてもう一度石田参考人からも御意見を聴取したいと思います。

但木参考人 私も城内委員の御意見に賛成であります。

 可視化という問題は、言ってみれば取り調べの透明性の担保をどの程度とるかという問題だと思うんですが、人の供述を経ることというのは非常に大事な場合があるんですね。例えば理由なく行方不明で、これは事件に巻き込まれたおそれがあるという場合に、死体も見つからない、だから殺人事件でもない、どうにもならないという場合に、やはり頼るのは、供述に頼るしかないという事例もあるんです。そういう場合に、果たして録音、録画というようなものを初めから、たくさんの人に聞き回るわけですけれども、その段階から本当にやれるのかなと。

 やはり、いろいろなシチュエーションという問題ももちろんあると思います。それから、開示の方もいろいろなシチュエーションを考えなきゃいけなくて、例えばやくざの親分がつけた弁護士に対して、やくざの親分について話している子分の供述の録音、録画を開示していいのかというような問題とか、たくさんのいろいろな問題がもちろん含まれておるんです。

 ただ、基本的には、過度に供述あるいは過度に供述調書に依存した日本の裁判や捜査のあり方というのはこの辺で転換しなきゃいけない。それには、普通の国並みの捜査の手段、手法というのもやはり認めていかなければならない。そこを、これからどうやって全体のバランスをとりながら、つまり、的確に、本来の刑事司法が持っている犯人を検挙して処罰するという機能と、冤罪を絶対につくらないという、この二つを両立させていくか、新しい時代のあり方をぜひお考えいただきたいと私は思っております。

石田参考人 全過程の録音、録画といい、弁護人の立ち会いといい、別に捜査官による取り調べを否定しているわけではないわけなんですね。そういった中で取り調べをすればいいのではないかということを申し上げているわけであります。

 御存じのように、ミランダが確立されたのが一九六六年。それ以降、東アジア、例えば台湾であっても、あるいはお隣の韓国でも、録音、録画あるいは弁護人の立ち会い権を既に認めてきているわけなんです。それが既に世界の標準になっていて、御存じのように、人権規約の勧告においても、そのような勧告が我が国においてもなされているわけであります。

 したがって、この録音、録画というものについて、そうなると、先ほど、やくざの親分が云々といったようなお話がありましたけれども、そういった特異な事例を問題にして、この問題の、密室からの取り調べの脱却といったようなことを否定していくという論議には私は賛成することはできません。

 以上です。

城内委員 時間が来ましたので、これで終わります。ありがとうございました。

奥田委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。

 参考人の方々には、貴重な御意見をお述べいただき、本当にありがとうございました。委員会を代表し、厚く御礼申し上げます。(拍手)

 この際、暫時休憩いたします。

    午後二時四十一分休憩

     ――――◇―――――

    午後二時四十五分開議

奥田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 内閣提出、参議院送付、非訟事件手続法案、家事事件手続法案及び非訟事件手続法及び家事事件手続法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案の各案を一括して議題といたします。

 他に質疑の申し出がありませんので、これにて各案に対する質疑は終局いたしました。

    ―――――――――――――

奥田委員長 これより各案を一括して討論に入るのでありますが、その申し出がありませんので、直ちに採決に入ります。

 まず、内閣提出、参議院送付、非訟事件手続法案について採決いたします。

 本案に賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

奥田委員長 起立総員。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。

 次に、内閣提出、参議院送付、家事事件手続法案について採決いたします。

 本案に賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

奥田委員長 起立総員。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。

 次に、内閣提出、参議院送付、非訟事件手続法及び家事事件手続法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案について採決いたします。

 本案に賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

奥田委員長 起立総員。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。

 お諮りいたします。

 ただいま議決いたしました各法律案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

奥田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

    〔報告書は附録に掲載〕

    ―――――――――――――

奥田委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後二時四十八分散会


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