衆議院

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第27号 平成27年7月1日(水曜日)

会議録本文へ
平成二十七年七月一日(水曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 奥野 信亮君

   理事 安藤  裕君 理事 井野 俊郎君

   理事 伊藤 忠彦君 理事 盛山 正仁君

   理事 山下 貴司君 理事 山尾志桜里君

   理事 井出 庸生君 理事 漆原 良夫君

      大塚  拓君    門  博文君

      門山 宏哲君    菅家 一郎君

      今野 智博君    斎藤 洋明君

      辻  清人君    冨樫 博之君

      比嘉奈津美君    藤原  崇君

      古田 圭一君    宮崎 謙介君

      宮澤 博行君    宮路 拓馬君

      八木 哲也君    簗  和生君

      山口  壯君    若狭  勝君

      黒岩 宇洋君    階   猛君

      鈴木 貴子君    柚木 道義君

      吉田 豊史君    國重  徹君

      清水 忠史君    畑野 君枝君

      上西小百合君

    …………………………………

   法務大臣政務官      大塚  拓君

   参考人

   (弁護士)        高井 康行君

   参考人

   (東京大学大学院法学政治学研究科教授)      川出 敏裕君

   参考人

   (郷原総合コンプライアンス法律事務所代表弁護士)

   (関西大学客員教授)   郷原 信郎君

   参考人

   (甲南大学法学部准教授) 笹倉 香奈君

   参考人

   (弁護士)        今村  核君

   法務委員会専門員     矢部 明宏君

    ―――――――――――――

委員の異動

七月一日

 辞任         補欠選任

  藤原  崇君     比嘉奈津美君

  宮川 典子君     八木 哲也君

  重徳 和彦君     吉田 豊史君

同日

 辞任         補欠選任

  比嘉奈津美君     藤原  崇君

  八木 哲也君     斎藤 洋明君

  吉田 豊史君     重徳 和彦君

同日

 辞任         補欠選任

  斎藤 洋明君     宮川 典子君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 刑事訴訟法等の一部を改正する法律案(内閣提出第四二号)


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     ――――◇―――――

奥野委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、刑事訴訟法等の一部を改正する法律案を議題といたします。

 本日は、本案審査のため、特に証拠収集等への協力及び訴追に関する合意制度等の創設について、参考人として、弁護士高井康行君、東京大学大学院法学政治学研究科教授川出敏裕君、郷原総合コンプライアンス法律事務所代表弁護士・関西大学客員教授郷原信郎君、甲南大学法学部准教授笹倉香奈君及び弁護士今村核君、以上五名の方々に御出席をいただいております。

 この際、参考人各位に委員会を代表して一言御挨拶を申し上げます。

 本日は、御多忙の中、御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見を賜れば幸いに存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、高井参考人、川出参考人、郷原参考人、笹倉参考人、今村参考人の順に、それぞれ十五分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。

 なお、御発言の際はその都度委員長の許可を得て発言していただくようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、御了承願います。

 それでは、まず高井参考人にお願い申し上げます。

高井参考人 おはようございます。

 ただいま御紹介いただきました弁護士の高井康行でございます。本日は、刑事司法制度全体にかかわる重要な法改正について意見を申し上げる機会をいただいたことについて、大変光栄に思っております。

 まず、私の経歴についてざっとお話し申し上げますと、昭和四十七年から約二十六年間、検事をしておりました。そして、平成九年から弁護士となって、現在に至っております。

 検事時代は、東京地検その他で主に捜査を担当しておりましたが、暴力団の絡む組織的な事件、地方の知事その他首長の贈収賄事件、あるいは大型の経済事件等を担当しておりました。弁護士になってからも、大型の談合事件や粉飾事件、贈収賄事件等、主に企業が関係する事件を中心に弁護をしてまいりました。要するに、組織的な事件あるいは企業が絡む事件について、検察官と弁護人という正反対の立場から経験をしてまいったということであります。

 私は、そのような経験を踏まえた法律実務家として、本法律案には積極的に賛成する立場であります。あえて申し上げれば、本法律案が目指しているような制度改正は、本来であれば、もっと早期に検討されるべきであったとすら考えております。本日は、本法律案に盛り込まれているいわゆる合意制度を中心に、賛成の立場から意見を申し上げたいと思います。

 まず最初に、我が国の刑事手続全体を見直すことが不可欠であるということについて意見を申し上げたいと思います。

 よく、我が国の刑事手続は取り調べが中心であると言われております。厳密に言うと、この取り調べには二つの過程が含まれております。一つは、被疑者ら関係者に本当のことを言おうという気にさせる、動機づけをする、そういう説得をする過程、もう一つは、その説得によって本当のことを言おうという気持ちになった関係者から具体的な事実を聞き出す、そういう過程であります。取り調べというのは、この二つの過程が連続的、あるいは並行、あるいはないまぜになって進んでいくというのが日本の取り調べの特徴であります。この議論をするときには、日本の取り調べにはそういう特徴があるということを踏まえて議論をしないと、正しい方向には行かないというふうに考えております。

 そして、これまでの我が国の刑事手続では、誰がどういうことをしたか、要するに犯人は誰かということですね、あるいは、その行為が刑法のどの構成要件を充足するのかということを確定し、それを立証するためには、基本的には、関係者の供述に依拠せざるを得ない。関係者から供述を得る以外の方法で今申し上げたことを立証するという手段が非常に限られておりました。

 加えて、我が国の刑法を初めとする実体法の構成要件には、その犯行をするときにどういう目的であったのかとか、どういう故意であったのかという、いわゆる主観的要素が多く含まれております。これらの主観的要素というのは、本質的には、供述によってしか立証ができません。

 これらの特徴を考えると、今までの我が国の刑事司法手続というのは、被疑者ら関係者から真実の供述を得なければその機能を十全に発揮できない、そういう要素を持った制度であったというふうに思っておりますし、検察官としてもそのように感じておりました。

 問題は、その供述を得るための手段としてどのようなものがあるのかということになるわけですが、これまでは、真摯に反省して真実を話すように説得する、そういう方法しかなかったんですね。その結果として、説得過程を含む取り調べと、その供述内容を録取した供述調書が非常に重視されるという状態が生まれていたわけであります。

 ある時期までは、被疑者が、あるいは参考人が自白する場合が比較的多かったわけですね。このような取り調べ中心の制度でもそれなりにそれで機能していたわけです、自白が得られるから。しかし、社会状況等の変化もあり、被疑者が、あるいは関係者が犯罪の全容を正直に話すということが少なくなりました。その傾向は、組織的な犯罪においてより顕著だったというふうに思います。

 例えば、私が検事に任官した昭和四十七年、それ以降しばらくの間は、覚醒剤の自己使用あるいは単純所持の事犯からその入手先を、いわゆる突き上げるといいますか、所持犯から入手先を聞き出し、その所持犯が正直に本当のことを言うために、その流通過程にかかわった被疑者が覚醒剤の譲渡として起訴されて有罪になるということは普通にあったんですね。本当に普通にありました。

 ところが、だんだんだんだん年代を経るうちに、被疑者が入手先を正直に言わなくなった。例えば、死んだ人を言う、架空名義を挙げるというようなことで、全く突き上げ捜査ができなくなったということがあります。私が東京地検の副部長をしていた当時には、覚醒剤の所持犯あるいは単純使用事犯から譲渡犯が検挙されるという例は本当にまれになっていたということであります。

 このように、被疑者ら関係者を説得して真実の供述を得ることが非常に難しくなっているにもかかわらず、依然として供述を得る手段としては説得しかないという状況が、無理な説得行為あるいは強引な取り調べをする一因になっていたというふうに思います。

 最近は、メールの利用が盛んになっているために、捜査官にとって運がよければ、そのメールの読み込みによって行為者や共謀関係、意図、目的等を立証することが可能な事例もないわけではありません。しかし、そのような、メールだけで事件の全容を立証できる案件というのはそれほど多くあるものではありません。メール等を解析したとしても、それに基づいて供述を得なければ全容を解明することができないという事案がほとんどであります。ましてや、重大な犯罪を決行しようというときに、メールで共謀するというようなことは普通は考えられないわけでありますね。

 こういうような状況を踏まえますと、抜本的には、供述によらなくても犯人識別や共謀関係を特定、立証できるような実体法の改正を含めた新たな手立てを講じるべきときが来ていると私としては思うのでありますが、ただ、現時点でそれをそのまま実行するということは無理であろうと思います。

 そうであれば、無理な説得行為あるいは強引な取り調べを排しつつ、罰すべきは罰して正義を実現し、国民生活の安寧を維持するためには、少なくとも説得にかわる手段を導入するということは不可欠であるというふうに考えております。

    〔委員長退席、伊藤(忠)委員長代理着席〕

 本法案で導入されることになっている合意制度は、従来の説得にかわるもの、あるいはそれを補完するものとして非常に有益であるというふうに考えます。この制度の導入によって、捜査全体における説得を伴う取り調べの比重を低減できるということは明らかでありますし、困難になっている違法薬物の流通経路あるいは犯罪組織の全容の解明が可能になるというふうに思われます。

 そのほかにも、この合意制度に期待できることがあります。それは、任意の虚偽供述の防止あるいは排除ということであります。合意制度については、任意の虚偽供述を誘発するのではないかという御意見があるようでありますが、私は、むしろ、合意制度のもとでは、検事が任意の虚偽供述を見抜けなくて誤った起訴をするという事態を回避できるようになるというふうに考えております。

 これまでも、捜査においては、ある被疑者が共犯者の存在を自白した場合、その自白が真実の自白なのか、自分の罪を軽くするための任意の虚偽自白なのかを見分けることは、非常に重要な課題でありました。私も、検事時代には、被疑者が共犯者の存在を自白したときには、常に眉唾で聞いておりました。徹底的な裏づけ捜査をしなければその供述は採用しないという姿勢で捜査に当たってまいりました。決裁官になってからも、後輩の検事にはそのことを口を酸っぱくして申し上げてきました。

 取り調べをする検事にとっても、その供述や供述態度だけから、その被疑者が真摯に反省しているのか、あるいは自分の罪を軽くするためにうそを言っているのかを見分けることは、なかなか難しいものであります。もちろん、徹底した裏づけ捜査をすれば、その供述が虚偽かどうかは通常明らかになるわけでありますが、残念なことに、ついうっかり、その自白が真摯な反省の結果なされたものだというふうに思ってしまって、裏づけ捜査が不十分になり、虚偽の供述であるということを見抜けなかったという例がないわけではありません。決裁官として、その自白調書が真摯な反省の結果なされたものを録取したものなのか、あるいは意図的に作出されたものなのかを、自白調書を読むだけで見分けるということもなかなか難しいものがあります。

 本法案においては、録音、録画制度が導入されるわけでありますが、録音、録画によって任意の虚偽供述を排除することはできません。録音、録画が排除できるのは、不任意の虚偽供述、これは排除できます。しかし、任意の虚偽供述は排除できません。これは、今後この問題を考える上で非常に重要なポイントだと思っております。

 これに対し、合意制度の場合は、一定の有利な取り扱いを約束されてなされた供述であるということは、取り調べ検事はもちろんのこと、第三者からも、決裁官からも明らかになるわけでありますから、当然、裁判所も信用性を厳しく問うことになります。したがって、検察官としても、裏づけ証拠が十分に存在するなど、積極的に信用性を裏づけるべき事情が十分にある場合でなければ、これを立証に用いることはできないというふうに考えます。

 そのため、このような合意制度に基づく供述については、検事も決裁官も、通常の供述に比べてより慎重に信用性を判断することになり、その供述については、通常の供述に比べ、より一層徹底した裏づけ捜査をすることになります。したがって、もっともらしい供述をしたとしても、それが虚偽であることは極めて容易に露見するというふうに考えることができますし、それが虚偽であれば、その供述から新たな信用性のある証拠が出てくるということは普通ないわけですね。したがって、仮に合意制度のもとで虚偽供述が行われたとしても、それによって誤った起訴がなされる可能性は十分に排除できるというふうに考えております。

 さらに、合意制度のもとでは、虚偽供述をした場合の罰則規定が設けられますし、その手続には弁護人が関与するということにもなっているわけですから、そもそも合意制度のもとで虚偽供述が行われる可能性は極めて少ないものと考えます。

 次に、合意制度によって得られた供述について、合意内容が必ず明らかにされることは、その供述によって起訴された第三者及びその弁護人にとっても有益であると考えます。それは、第三者の弁護人も担当裁判官も、その供述が一定の有利な取り扱いを約束されてなされたものであることを認識できるわけですから、当然、慎重な反対尋問、慎重な証拠判断がなされることになります。そして、その供述以外の証拠があるのかという判断をすることになります。したがって、より慎重な判断をされることになって、その点で、いわゆる心配されるような事態は起きないということになります。

 また、通常、共犯者の自白によって起訴された被告人の弁護で共謀を争う場合、弁護人として難渋するのは、その共犯者の自白が真摯に反省した結果なされたものではなく、意図的に作出されたものであるというその動機を立証することであります。これまで、第三者の弁護人としては、共犯者の動機が不純なものであるということを立証するためには多大な労力を要しました。しかし、合意制度のもとでの供述であれば、そういう約束のもとで行われた供述であるということは、労せずして立証することが可能であります。そういう意味で、この制度は、第三者の弁護人にとっても極めて有益であるというふうに考えます。

 もう一つ、この合意制度は、弁護人に新しい弁護手段を与えるものであります。これまで、自分の依頼人が真摯に反省して、共犯者を含め事件の全容を供述しているにもかかわらず、それにふさわしい処遇を受けられなかったという例を経験している弁護人は多くいます。しかし、この合意制度ができれば、自分の依頼人の反省の情に見合う処分を確保することができるという意味で、極めて有益であります。

 以上、申し上げたように、今までの刑事司法制度では、財政経済事犯あるいは薬物犯罪等、組織的な犯罪の全容を解明し摘発することがますます困難になっていくことは明らかであります。一方、これらの組織犯罪の全容を解明し、罰すべきは罰することは、国民の強く要望するところでもあります。この国民の要望に応え、我が国の刑事司法制度に対する国民の信頼を維持するためには、合意制度等新しい制度の導入が必要不可欠であるというふうに考える次第であります。

 御清聴ありがとうございました。(拍手)

    〔伊藤(忠)委員長代理退席、委員長着席〕

奥野委員長 ありがとうございました。

 次に、川出参考人にお願いいたします。

川出参考人 皆さん、おはようございます。御紹介いただきました川出でございます。このような機会を与えていただきましたことに対して感謝申し上げます。

 私は、大学では刑事訴訟法と刑事政策を教えておりまして、先般の法制審議会の特別部会には幹事として参加をいたしました。本日は、特別部会での議論を踏まえまして、法案に賛成の立場から、協議・合意制度について意見を述べさせていただきます。

 協議・合意制度の導入の必要性につきましては、ただいま高井先生から御説明があったとおりだと思います。法制審議会に対する諮問の中で「取調べ及び供述調書に過度に依存した捜査・公判の在り方の見直し」ということが明示されておりましたが、特別部会においては、それは、従来の取り調べとは異なる形での供述獲得手段を検討すべきであるということを含んでいるという前提で議論がなされまして、協議・合意制度を導入すべきだとする答申に至ったという経緯がございます。

 そこで、以下では、そのことを前提に、まず、協議・合意制度の導入に当たって理論上問題となる点について、次に、協議・合意制度の問題点として指摘されている点について、私の考えを述べさせていただきます。

 まず、理論上の問題点の第一ですが、これはそもそも、検察官に対して、他人の犯罪事実の解明に協力することと引きかえにその者を起訴しないといった恩典を与える権限を認めることができるのかということです。言葉をかえて言いますと、協議・合意制度というのは検察官の訴追裁量を前提にしたものですが、その裁量権を行使する際に、他人の犯罪事実の解明に協力したという事実を考慮することが許されるのかという問題です。これは、こうした事実を刑事責任を軽減する要素とすることが現在の量刑原則から正当化されるのかということに係ります。

 この点について、現行法上明文規定はございませんが、運用上はそのような考慮が行われているとされております。その典型例として挙げられますのが、地下鉄サリン事件の実行役であった被告人について、検察官が死刑を求刑せず、それから東京地裁も、刑法の自首減軽規定を適用した上で無期懲役を言い渡したという事例です。

 もっとも、あの判決では、被告人の供述内容が教団による犯罪の解明に貢献したことと並んで、被告人に真摯な反省の態度が見られるということも強調されておりますので、捜査への協力という点が量刑に当たってどの程度の意味合いを持ったのかということは必ずしも明らかではありませんが、捜査への協力を量刑上有利に扱うこと自体は否定されておりません。

 このように、他人の犯罪事実の解明への協力ということが量刑上考慮できるのであれば、それを検察官による訴追裁量権の行使に当たっても考慮できるはずですから、そのことを正面から認めて制度化した協議・合意制度も正当化できるということになるだろうと思います。

 これが一点目です。

 それから、第二の理論上の問題点は、協議・合意制度は、典型的には、恩典と引きかえに他人の犯罪事実に関する供述を得て、それにより立証を行うことを想定したものであるわけですが、こうした供述には、従来、約束ないし利益誘導による自白の証拠能力が否定されるとされてきたこととの関係で、そもそも証拠能力が認められないのではないかという点です。

 もっとも、厳密に言いますと、協議、合意のもとで得られる供述というのは、他人の犯罪事実を立証する関係では自白ではありませんが、そこで想定されているのは多くの場合共犯事件ですので、他人の犯罪事実を明らかにするための供述は、いわゆる共犯者の供述ということになります。そして、その場合、みずからの犯罪への関与の部分の供述と他人の犯罪への関与の部分の供述は切り離して評価することが困難なことも多いでしょうから、後者についても自白法則を準用すべきではないかということが問題となり得るわけです。

 その上で、約束ないし利益誘導による自白の証拠能力が否定される根拠については争いがありますけれども、それが利益誘導のもとになされるものであるために、被疑者に心理的な圧迫を与えて、虚偽であるおそれが類型的に高いという点がその主たる理由であるところは、ほぼ異論のないところです。

 ところで、刑事手続の場面を離れて一般論として考えてみますと、供述を得るために、供述を行った場合には一定の利益を付与する旨の申し出を行うということは、その相手方にとって、真実の供述をすることと虚偽の供述をすること双方の誘因として働き得るものです。それにもかかわらず、従来、自白について、それが一定の利益の供与と引きかえになされた場合には類型的に虚偽であるおそれが高いとされてきたのはなぜかといいますと、それは、身体を拘束されて、弁護人とも自由に会えないような状態で捜査機関による取り調べを受ける中で、自己の刑事責任ですとか刑事手続上の処分にかかわるような利益供与の提示がなされれば、被疑者はその状況から免れたいがためにそれに応じてしまうという認識があったためだと思われます。そうだとしますと、それとは異なる状況がある場合には、利益供与と引きかえになされた供述の任意性について別の評価をすることは可能であるはずです。

 この観点から今回の法案を見てみますと、先ほど高井先生から御指摘がありましたように、虚偽供述に対する処罰規定を設けるとともに、協議、合意に基づき、他人の刑事事件に係る公判において証人としての尋問がなされる場合には、それが公判において明らかにされ、そのことを前提に、弁護人が反対尋問をするとともに、裁判官が証言の信用性を判断するということになっております。

 加えて、協議、合意には弁護人の関与が必要的とされているということも一定の歯どめになるだろうと思います。つまり、この場合の弁護人というのは、確かに、合意をした被疑者、被告人の弁護人であって、不利な供述をされることになる第三者の弁護人ではありませんが、虚偽である可能性が高い供述をそれとわかっていながら被疑者、被告人にさせるということは、これは弁護の限界を超えて許されないとされておりますので、弁護人は、そのような供述をしないように説得する義務があるはずですし、また、被疑者、被告人の利益を守るという点から考えても、虚偽の供述をすれば処罰されるということになりますから、そうならないように、合意をするのであれば真実の供述をするよう被疑者、被告人を説得することは、当然に弁護人に期待されることだというふうに考えられます。

 ですから、このように、法案では、そもそも虚偽供述をさせないための、また、仮に虚偽供述をしたとしてもそれに基づく誤った事実認定がなされないようにするための仕組みが設けられておりますので、従来の利益供与と引きかえになされた自白とは異なり、それが類型的に虚偽であるおそれが高いとは言えない、したがって証拠能力を認めることはできるんだというのが法案の考え方でして、私もそのように考えております。

 続いて、このことと関係しますが、捜査・公判協力型の協議・合意制度に対しては、これは、他人の犯罪事実を明らかにするための供述などをすることと引きかえに一定の恩典を受けるものであるので、それを受けたいがために、他人を犯罪に巻き込んだり、あるいは役割を過大にしたりするなどの虚偽の供述をする危険があるという指摘がなされております。

 確かに、共犯者の供述には、一般に引っ張り込みの危険があるとされておりまして、恩典の付与と引きかえに供述を行うとなると、その危険がより高まるようにも思えます。そして、先ほど申し上げましたように、その供述が類型的に虚偽であるおそれが高いとまで言うことはできないとしても、個々の事案で虚偽の供述がなされる可能性があるということは否定できないと思います。

 問題は、その可能性があるから、およそこうした制度を導入すべきではないと考えるかどうかです。

 この点について、法案は、虚偽の供述がなされる可能性があるということを前提に、先ほど申し上げましたとおり、それを防止すること、あるいは、仮に虚偽の供述がなされたとしても、それに基づいた誤った事実認定をしないための措置を設けております。

 加えて、最も重要なことは、高井先生が強調されましたように、運用上、捜査機関によって、協議、合意に基づく供述については十分な裏づけ捜査がなされるということです。この点については、本当にそのような裏づけ捜査がなされるのか疑問だという意見もありますけれども、ここでは、その前提として、裁判所の姿勢というのが意味を持ってくると思います。

 この点につきまして、特別部会では、この協議・合意制度につきまして、裁判所側から、合意に基づく証言は警戒の目を持って見るんだ、いわば信用性の評価はマイナスから始まるんだということが明言されておりました。裁判所がこのような姿勢で協議、合意に基づく証言に対応するということであれば、十分な裏づけがないままに証言をしたとしても裁判所に信用してもらえないでしょうから、検察官としても、尋問を請求するからには、必然的に十分な裏づけ捜査をするということになると思います。

 以上のとおり、虚偽の供述に基づく誤った有罪判決を防ぐ仕組みは整えられていると思いますが、それでは不十分であって、さらなる担保措置が必要だとする意見が特別部会でもございましたし、また、本法案に対してもなされております。そこで、次に、その点について私の考えを述べさせていただきます。

 こういった担保措置として第一に挙げられていますのは、合意に基づく供述については、他人の犯罪への関与、犯人性ですね、ここについて補強証拠を要求するというものです。

 他人の犯罪への関与について補強証拠を要求するということ自体は、これは虚偽供述に基づく誤った事実認定を防ぐ措置としてあり得るものだと思います。しかしながら、判例は一貫して、被告人の犯人性には補強証拠が不要だというふうにしておりますので、犯人性についても補強証拠を必要とするということは、判例による補強法則の理解とは異なる特別な補強法則を導入するということになります。

 もちろん、新しい制度を導入するわけですから、特別な制度を導入してもよいではないかという考え方はあり得るわけですが、そうしますと、今度は、共犯者の自白について補強証拠は不要であるとしている判例との整合性の問題が出てきます。

 つまり、協議・合意制度に基づく供述に補強証拠を要求すべきだとする見解は、引っ張り込みの危険があることを根拠とするわけですが、先ほど来申し上げておりますように、協議、合意に基づく供述については、裁判所がその信用性をより慎重に判断するというわけですから、裁判所が誤った証拠評価をする危険は、一般の共犯者の自白の場合よりもむしろ低いということになります。それにもかかわらず、一般の共犯者の自白には補強証拠が不要で、協議、合意による供述には必要だとするのは明らかに不均衡ですので、この立場であれば、共犯者の自白一般について、犯人性の部分を含めて補強証拠を必要とする法改正を行わざるを得ないだろうと思います。

 そして、この場合に、犯人性の部分に補強証拠を要求するということであれば、通常の自白も同じ扱いにすべきだということになってきますので、それは結局、判例の立場を否定する形で、補強法則全体について見直しをする、そういう法改正をするということになるわけです。

 もちろん、立法で判例と異なる内容を定めることは可能ですから、それがどうしても必要であるということであれば、そうすべきだということになります。しかしながら、協議、合意に基づく供述については、十分な裏づけ捜査がなされることが前提で、補強証拠に当たるものがないままに公判で証言がなされるということは事実上考えられないわけですから、そうであれば、あえて補強法則全体を見直すような法改正をする必要はないというのが特別部会の結論でしたし、私もその点については賛成です。

 これが第一点です。

 それから、第二の担保措置として主張されておりますのは、協議、合意の過程及びその前後の取り調べの過程について録音、録画をすべきであるという主張です。

 この場合、録音、録画がどのような意味で虚偽供述を防止することになるのかということが問題になりますが、これも先ほど高井先生から御指摘ありましたように、被疑者、被告人が自発的に行う虚偽供述は録音、録画によって防止できるものではありませんので、要は、検察官による協議、合意の誘導ないし押しつけ、あるいは一定の供述の誘導、押しつけ、これを防止するということが問題なんだろうと思います。

 その観点から、手続の段階ごとに考えてみますと、協議、合意の過程というのは弁護人が関与しますので、検察官による協議や合意の押しつけということは考えにくいわけですから、それを録音、録画する必要はないだろうと思います。それに対して、協議前あるいは合意後の取り調べの過程では、観念的には、一定の供述を得たいがための検察官による誘導や押しつけがあり得るということですので、それを防止するために録音、録画をするということも考えられなくはありません。

 しかしながら、繰り返しになりますが、たとえ誘導や押しつけで一定の供述を得たとしても、それを裏づけられなければその供述を使うことはできないわけですから、翻って、そんな無意味なことを検察官が行うことはないだろうと思います。

 加えて、合意後の取り調べの段階では弁護人が必ずついておりますので、そういった取り調べがなされれば、当然それは弁護人に伝わるはずで、その観点からも、検察官がそのようなことをすることは考えられないということですね。したがって、この段階においても、少なくとも録音、録画を義務づける必要性というのは認めがたいと思います。

 そういう観点から、部会でも、録音、録画をこの段階でする必要はないという結論に至ったということです。

 非常に駆け足になりましたが、以上で私の話を終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。(拍手)

奥野委員長 ありがとうございました。

 次に、郷原参考人にお願いいたします。

郷原参考人 おはようございます。郷原でございます。

 本日は、このような機会を与えていただき、大変ありがたく思っております。

 まず最初に、簡単に私の自己紹介をいたしたいと思います。

 私は、二十三年間、検察組織に所属いたしまして、検察の現場、公正取引委員会あるいは法務総合研究所研究部等で勤務をいたしまして、十年ほど前からは、企業等のコンプライアンス、危機対応などを専門に、大学教授、弁護士として活動をしております。

 検察問題につきましても、とりわけ特捜検察をめぐる問題に関して著書等でいろいろ厳しい批判を展開してまいりました。大阪地検のいわゆる村木事件の無罪判決、証拠改ざん問題の表面化を契機に設置された検察の在り方検討会議にも委員として加わりまして、検察の実務の観点からさまざまな問題を指摘いたしました。そして、本年三月五日に名古屋地裁で無罪判決が言い渡された美濃加茂市長の収賄等の事件では主任弁護人を務めました。

 本日は、今回の刑訴法改正案に含まれる捜査・公判協力型協議・合意制度について意見を申し述べたいと思います。

 それに関連しまして、まさに今回の制度の対象犯罪であります贈収賄事件の最新の事例と言えます美濃加茂市長事件について、もとよりこの場が個別事件について議論する場ではないことは承知しておりますが、私の検察に対する現状認識をもたらしたこの事件を通して私が感じた検察の現状、問題点についても、必要に応じて言及させていただきたいと思います。

 まず、日本の刑事司法に司法取引を導入すること自体について、私は、改革の基本的な方向性として、決して間違ってはいないと考えております。

 まず第一に、従来、いわゆる調書中心主義が、不当な取り調べ、冤罪などのさまざまな弊害をもたらしてきました。そういう調書中心主義からの脱却のために、取り調べと供述調書の作成という方法以外に、捜査の端緒を得て、犯罪を立証する有力な証拠を得るための手段が必要となる。そういう意味で司法取引というのは有力な手段だと考えられます。

 二番目に、企業のコンプライアンスとの関係であります。

 企業犯罪等について、企業の自主的な内部調査によって問題を発見し、事実を解明するインセンティブを与えることに関して、企業の内部調査の結果に基づいて、他人や他社の刑事事件について情報を提供するという捜査協力を刑事事件の捜査、処理において評価することは非常に重要だと思います。そういう意味で、コンプライアンス対応としての内部調査の一層の促進につながるという意味でも、司法取引の導入自体は、私は非常に意味のあることだと思います。

 そして三番目に、不透明な事実上の司法取引を排除していくということであります。

 もともと、公訴権を独占し、訴追裁量権を有する検察官は、起訴猶予処分を行う裁量とか、あるいは独自捜査における事件の立件の要否の判断についての裁量に関して、さまざまな形で、検察に極めて協力的な一部のいわゆるやめ検弁護士などとの間で、不透明な形の事実上の司法取引のようなことが行われてきた実情があったと私は認識しております。そういうものを排除していくためにも、司法取引を透明な形で導入することには意味があると考えております。

 しかしながら、今国会に提出され、現在審議されておりますこの協議・合意制度の導入に関しては、私は、日本の刑事司法制度の特性、そしてこの美濃加茂市長事件での対応に象徴される検察の現状に照らして、幾つかの点で重大な危惧感を持たざるを得ません。

 先ほど来、高井参考人、川出参考人から実務的、そして制度的な観点からいろいろ述べられたこと、それ自体は私も全くそのとおりだと思います。しかし、九九%の事件がそのようにしてこの制度が適切に運用されていくとしても、私は、現状を考えると、残りの一%に、とりわけ検察のメンツにかかわるような重大な犯罪について大きな問題が生じるおそれがあるというふうに感じております。そういう私の懸念について具体的に申し述べたいと思います。

 まず、基本的な観点からの二つの懸念のうちの一つは、日本の刑事司法と米国の刑事司法との違いであります。

 米国の刑事司法というのは、一言で言うと機能的な司法であって、目的実現のために最大限の効率、効果を追求する司法であります。一方、日本の刑事司法は、一言で言うと正義系の司法とでもいいましょうか、あくまで実体的真実の追求にこだわります。このような違いが、実際に制度面で大きな違いにつながっているんじゃないかと思います。

 米国で一般的な自己負罪型司法取引の導入が見送られたのも、こういう根本的な考え方の違いがあるからじゃないかと思います。そのような違いを前提にすると、日本への司法取引の導入には、制度面でさまざまな配慮が必要になるのじゃないかと思います。

 そして二番目に、検察の組織の特色であります。

 行政官庁でありながら独立性を尊重される特殊な組織である検察。日本の検察は、情報開示責任、説明責任を負わず、組織における決定は自己完結します。ある意味ではガバナンスが働きにくい組織の典型であり、特に重大事件に関しては、個人の判断よりも組織の論理が優先される傾向にあります。

 法曹資格者の集団として人材の流動性があり、検事であっても一法律家としての良心を中心に職務を行う米国と、組織の論理がどうしても重大事件において中心になってしまう日本との間では、かなり大きな違いがあるのではないかと思います。

 そういう意味で、米国と同様の制度を導入するに当たっても、日本的刑事司法や検察のあり方のもとでは、別個の観点からの検討が必要だと考えられます。

 そこで、協議・合意制度に関する具体的な問題ですが、まず何といっても、処罰の軽減という自己の利益のために意図的な虚偽供述を行う、それによる巻き込みの危険が本当にないと言えるのかということです。

 この場合、本当に本人が、話をつくったのではなくて、記憶に基づいて供述しているかどうかということを見きわめる最大のポイントは、客観的な事実が明らかになってから、それとのつじつま合わせをしているのではないかという点を見きわめることです。そういう意味では、供述経過が客観的に明らかになること、供述経過とそれに関連する客観的な資料の入手の時期の前後関係が明らかになることが極めて重要だと思います。

 従来、調書中心主義の考え方のもとでは、供述が具体的で迫真性があるとか、合理的で矛盾がないとか、関連証拠と符合しているというようなことが認められれば、おおむね供述の信用性は認められてきました。

 しかし、もし自分の利益のために意図的な虚偽供述が行われるとすれば、資料さえ与えられれば信用性はほとんど意図的につくり上げることができるわけです。しかも、後に述べます入念な証人テストが行われれば、その信用性は完璧なものになります。そういう意味で、一%の事件に関して、巻き込みのおそれがなくなったとは私は全く言えないと思います。

 これに関して、虚偽供述に対する罰則があるから巻き込みの危険が防止できるという考え方がありますが、実際には、私は、余り虚偽供述に対する罰則は機能しないのではないかと考えております。

 もし合意後に虚偽供述が判明した場合、合意からの離脱ということが考えられます。しかし、離脱が行われたときに罰則が適用されるかというと、恐らくそれはないのではないかと思います。検察官がみっともないだけです。恐らく、罰則の適用の必要があるとすれば、実際に合意に基づく供述によって起訴された場合、そしてその後、虚偽であることが公判廷において明らかになった場合だと思います。

 しかし、過去、検察官が請求した証人の信用性が裁判所で否定された事件で、偽証で検察が起訴した事例というのは私は聞いたことがありません。そういう意味では、検察が引き返すという姿勢を持っていれば、途中で、起訴した後においても、この合意に基づく供述は虚偽ではないかというふうにいろいろ考えるのなら別なんですけれども、それがないと、虚偽供述に対する罰則はほとんど機能しないのではないかと思います。

 ここで、美濃加茂市長事件との関連についてちょっとお話ししたいと思うんです。

 この事件では、贈賄供述者は三億八千万円に上る悪質な融資詐欺を自白していたのに、二千百万円の事実しか立件、起訴されていない状況で、市議時代の美濃加茂市長への贈賄を自白いたしました。これに関して弁護人からは、闇司法取引の疑いを当初から主張し、贈賄事実が創作あるいは誘導によるものだ、意図的な虚偽供述の疑いがあるということを一貫して主張しました。そして、四千万円の融資詐欺について弁護人が告発を行い、それを検察官が起訴せざるを得なかったことで、この贈賄供述者に対して有利な取り扱いが行われていた疑いが極めて重大なものになってきたわけです。

 こういう状況ですから、これはもちろん、協議・合意制度が導入された後のような、明確に合意が成立し、意図的な虚偽供述の疑いが確認されたというわけではありません。しかし、それに近い状況であったことは私は間違いないんじゃないかと思います。

 ところが、そういう事例に関して検察官が論告で述べた主張というのは、こういうことです。供述調書に過度に依存することなく公判中心主義、直接主義のもとで重要関係者の公判供述に重きを置いて立証する場合、捜査段階の供述調書のささいな変遷を取り上げて変遷理由を供述調書に記載することはせず、そのような変遷が仮に問題とされるのであれば、重要関係者が公判廷で説明することで供述の信用性の吟味を受けることに委ねるのが相当、こういう主張をしたわけです。要するに、供述経過の問題は、証人に反対尋問で説明させておけばいいということのようです。

 しかし、それでは、証人が供述の信用性をつくり上げている場合に、それに対して反対尋問で信用性を十分に争っていくことはできません。この場合、結局水かけ論になってしまい、何といっても、最大のポイントとなるのは、供述経過がどのように記録されているかという問題です。

 ところが、そういう方向からの立証を検察は全く行いませんでした。それがこの事件では無罪判決につながったわけですが、果たしてこの点について検察組織がどのように考えているのか、私は非常に疑問であります。

 私は、こういう問題に関しては、供述経過を記録化することが必要だと考えております。これは、取り調べの可視化とは若干性格が異なります。可視化というのは、取り調べの状況が、威迫とか誘導とか、そういう不当なものじゃないかどうかということを明らかにするためのものです。

 私が言っております記録化というのは、供述経過を明らかにするものです。ですから、録音だけされていれば十分ですし、場合によっては、今ほとんどルールさえ十分に定まっているとは言えない取り調べメモの記載の方法をもっと厳格化するとか、あるいは検察事務官に記録義務を負わせる、そのようなほかの方法も十分考えられるんじゃないかと思います。

 次に、証人テストの問題です。

 本来、証人テストは、証人尋問の準備のために、証人の記憶を喚起し、証言内容を確認して、効率的な証人尋問を行う目的で行われます。しかし、従来から、検察官が行ってきた証人テストの多くは、そのような範囲を大きく逸脱したもので、検察官請求の重要証人については、多数回、長時間にわたる証人テストを行って、証言内容を入念に打ち合わせ、場合によっては証人尋問のリハーサルまで行って、証言内容を徹底的に覚え込ませるということが行われてきました。

 ある意味では、今までは、調書中心主義の考え方がベースにあって、自白調書はそのまま公判で証拠になりますけれども、参考人の供述、関係者の供述が不同意になったら、その場合は証人に徹底的に調書の内容を覚え込ませて証言させるということで、実質的に調書中心主義が実現してきたわけであります。

 もし、協議・合意制度のもとで、合意に基づいて他人の刑事事件に関する供述が行われ、その供述に基づいて他人の刑事事件が起訴された場合、検察官と供述者とは、その刑事裁判の証人尋問に関して完全に利害が一致することになります。

 その供述者の証言の信用性が裁判所に否定されれば、検察官にとっては大変な事態になる。一方、供述者にとっては、合意に基づく供述の信用性が裁判所で否定されると、虚偽供述の制裁を受けるおそれがあるわけですから、両者は完全に利害が一致します。

 美濃加茂市長事件では、検察官と贈賄供述者との間で、一カ月以上にもわたって、連日朝から晩まで休みもなく証人テストが行われたことを本人も認めております。そして、本人が拘置所の在監者に送った手紙において、絶対藤井には負けないから最後まで一緒に闘ってくださいねということを言っているということも、その手紙の中で認めております。

 まさに、このような証人テストを経た検察官の主尋問は、さながら芝居の台本に基づくせりふ合わせに近いものでありました。このような証人テストは、やはり厳に抑制されるべきではないか。むしろ、合意に基づく供述については、証人テストは禁止されるべきではないかと思います。

 記憶喚起の必要があるといっても、それは公判廷で記憶喚起をしてもらって、その経過を確かめることこそが、本当に信用できるかどうかということを吟味することにつながるんじゃないかと思います。

 今回このような制度を導入することは、検察官に新たに大きな権限を与えるものであります。もともと、合意に基づく供述というのは信用性のレベルが低いから、裁判所がそんなにまともに信用するわけもないし、それだけで使われることもない、言ってみれば、その部分の証拠価値が非常に低く説明されているように思うんですが、それ自体でほとんど証拠にならないのであれば、合意する意味はないわけであります。

 結局、いろいろなケースの中では、この合意に基づく供述が重要な証拠として使われる場合もある、そして、その場合も、検察官の対応そして裁判所のそのときの考え方によっては、それが決定的な証拠となり、冤罪につながるというおそれも私は否定できないと思います。

 そういう面で、検察の組織の現状、対応の現状を考えますと、私は、協議・合意制度は、方向としては決して間違っていないと思いますが、いろいろな制度面の改善をあわせて行わなければ、運用面できちんとやればいいというような問題ではないと考えております。

 以上です。(拍手)

奥野委員長 ありがとうございました。

 次に、笹倉参考人にお願いいたします。

笹倉参考人 御紹介にあずかりました甲南大学の笹倉でございます。おはようございます。

 本日は、意見を申し述べる機会を与えていただきまして、ありがとうございます。

 私は、二〇一二年に、甲南大学から在外研究の機会を得まして、アメリカのワシントン州にございますイノセンスプロジェクト、冤罪の調査を行う組織でありますけれども、そこで冤罪事件の調査にかかわってまいりました。

 この経験を踏まえまして、本日は、司法取引的な制度である合意制度につきまして、この法案のままでは、さらなる虚偽供述を生み、ひいては冤罪を生んでしまう危険性があるのではないかという趣旨の意見を申し述べたいと思います。

 現在導入されようとしている合意制度は、アメリカで多用されている捜査・公判協力型司法取引制度と同様のものを日本でも導入しようとするものでございます。この制度では、当事者間の取引、つまり協議に基づく合意が行われます。しかも、この協議と合意は、当事者、つまり検察官と捜査協力をする被疑者、被告人及び弁護人との間で行われることが想定されています。裁判所はこの過程には関与しない。以上のことから、これはアメリカ型の司法取引を導入しようとするという理解でいいのではないでしょうか。

 しかしながら、この制度の審議過程、つまり特別部会における議論過程においては、アメリカの現状についての分析ですとか検証、検討が十分に行われてきていません。特別部会では、期日外に諸外国の視察に行かれまして、アメリカにも足を運ばれています。しかし、ここ十年ほどのアメリカにおける協力型の取引をめぐる新たな議論については全く検討されていません。

 確かに、アメリカでは、協力型の取引が捜査の必要性から多用されてきています。しかし、ここ十年ほどで、この取引が冤罪を生み、危険であるという認識が高まってきておりまして、それに対する改革の提案ですとか実際の改革が個々の州で行われています。

 このように、実際にモデルとなる制度を使っている国であらわれている現実の問題点を全く見ないまま、不十分な検討で導入するべきではありません。

 アメリカでは、捜査・公判協力型の取引において、何らかの恩典の付与、例えば、より寛大な処罰であるとか不起訴の約束、あるいは身体拘束の回避ですとか寛大な量刑などなどと引きかえに捜査への協力、これは情報提供などでありますけれども、これをする者のことを情報提供者、インフォーマンツ、あるいは、もっと砕けた言い方で言えば密告者、スニッチーズと呼んでいます。

 アメリカの情報提供者は多様な場面で使われていますが、冤罪を生むという観点から最も危険なのは、当該情報提供者が何らかの恩典を受け、他人の公判廷において証言をする場合です。そして、当該情報提供者が自身も拘禁されている者である場合には、その証言が虚偽である危険性が特に高いというふうに言われています。これが、いわゆるジェイルの情報提供者と言われる人たちです。彼らは、みずからも捜査、訴追の対象となっており、身体を拘束されています。これらの供述や証言は虚偽の危険性がとりわけ高く、問題であるというふうにされているのです。

 これから御紹介するアメリカにおけるさまざまな改革ですとか改革の提言も、いわゆるジェイルの情報提供者の証言を中心的な念頭に置いていますが、同様のことは、何らかの恩典を求めて捜査協力を行うという全ての情報提供者にも妥当するはずです。

 アメリカでは、最近、捜査・公判協力型の取引には、大きく分けまして三つの問題点があるというふうに指摘されています。順に御説明します。

 まず第一点でありますけれども、捜査・公判協力型取引が冤罪原因になっているというところであります。

 二〇〇〇年代に入りまして、アメリカの刑事司法には大きなパラダイムの転換がございました。これがいわゆるイノセンス革命と言われるものでございます。

 アメリカでは、一九九〇年代に入りまして、DNA鑑定を多用することによって多くの冤罪が発見されました。きょう現在、三百三十人の人がDNA鑑定によって雪冤を果たし、うち二十名は死刑確定者でした。この事実は、法律家や政治家だけではなく、一般市民にも衝撃を与えました。

 そして、これらの雪冤事件の詳細を分析することによって、一般的な冤罪の原因が明らかになってきています。これによって刑事司法の大きな改革が各法域で達成されていくことになっているというのが、二〇〇〇年代以降のアメリカの状況でございます。

 そして、この過程で、情報提供者の証言が冤罪の大きな原因になっているということが明らかになりました。

 例えば、ノースウエスタン大学ロースクールのロブ・ウォーデン教授の二〇〇四年の研究によれば、当時明らかになっていた死刑冤罪事件の実に四五・九%の冤罪原因が、誤った情報提供者の証言でありました。そして、それは冤罪原因の第一位でありました。

 二〇〇四年、同年ですけれども、カリフォルニア州の報告書でも、州の冤罪事件の二〇%は虚偽の情報提供者の証言によるものであったというふうにされていますし、翌年発表されました冤罪研究者のサミュエル・グロスらによる研究でも、殺人冤罪事件の半数近くは、ジェイルの情報提供者その他、虚偽の証言によって何らかの恩典を受けた者による偽証がかかわっているということが明らかになっています。

 また、本日、今村核先生から資料として配付されていますけれども、二〇一一年に発表されましたブランドン・L・ギャレットの研究は、最初の二百五十件のDNA雪冤事件を詳細に分析しまして、この二百五十件のうち、情報提供者の証言が確定判決の有罪認定を支える証拠となっていたものが五十二件、つまり二一%存在したということを明らかにしています。同書によれば、誤った目撃者の証言や誤った科学鑑定に次ぐ冤罪の原因が、情報提供者の虚偽の証言であります。

 このように、情報提供者の証言が冤罪の原因になってきたということは実証的にも明らかであります。

 捜査・公判協力型取引の問題の第二点は、当該取引過程が妥当なものであったのか、情報提供者の供述や証言が虚偽ではなかったのかについて事後的な検証が行われにくいというところにあります。

 つまり、冤罪の原因になっているということが明らかにもかかわらず、その内実が明らかになりにくいというところであります。取引は当然ながら隠れて行われます。取引の時期ですとか方法、内容は捜査官によって異なりますし、情報提供者と捜査官とのやりとりは記録されていませんし、録音、録画もされていませんため、事後的な検証が難しいのです。

 情報提供者自身も、捜査、訴追側も、第三者の犯罪を立証するような供述や証言によって自分たちも利益を受けるわけですから、彼らが、情報提供者の供述、証言が虚偽のものではないか、あるいは信用性があるのか否かについて解明するインセンティブは低いと言われています。取引の過程は本来的に適正さの確保がなされにくいということになっています。つまり、情報提供者にまつわる問題点は本来的に明らかにされにくいという特色があります。

 第三の問題点は、情報提供者が法廷で虚偽あるいは信用性の低い証言を行う場合にも、事実認定者はそのことを必ずしも見抜くことができないということであります。

 情報提供者が公判廷において証言する場合に、反対尋問などを通してその証言の信用性を判断することができるというふうにおっしゃられていますが、しかし、アメリカにおける最近の実証研究によれば、陪審員は情報提供者の証言の信用性を低く評価するとは限らない、つまり、虚偽あるいは信用性の低い証言もそのまま有罪の証拠になる、なってしまうということが実証的に明らかにされてきています。

 以上のような問題状況が明らかにされることにより、特に二〇〇〇年代以降、捜査・公判協力型取引の改革の動きや提言がアメリカではなされ始めています。

 第一に、証拠開示であります。情報を提供する側にも、ターゲットとされる被疑者、被告人に対しても、適宜の証拠開示が必要であるというふうにされてきています。

 例えば、イリノイ州の二〇〇〇年改正法では、死刑事件においてジェイルの情報提供者を証人にする場合の特別な証拠開示ルールが定められています。例えば、情報提供者の犯罪歴であるとか、恩典の内容、情報提供者が聞いたとする原供述の内容、原供述が行われた日時や場所、情報提供者によって原供述内容が初めて捜査官に伝えられた日時や状況、過去に情報提供者が証言を行った事件、その他情報提供者の信用性にかかわる全ての情報を開示しなければならないとされていますし、同様の改革はほかの州でも必要であるというふうにされています。

 また、一部のアメリカの州では、早期の全面証拠開示制度、いわゆるオープン・ファイル・ポリシーと言われているものですが、これが採用されていますので、これらの州では、情報提供者側、情報を使われる側への証拠開示も早期に全面的に行われるということになっています。

 第二に、情報提供者の証言を使う場合には、それのみでは被告人に有罪判決を言い渡すべきではないという提言であります。つまり、補強証拠を、しかも被告人の犯人性を裏づけるような補強証拠を必要とすべきであるというものであります。

 例えば、テキサス州の法律では、薬物事件の情報提供者の証言やジェイルの情報提供者の証言に補強証拠が必要であると規定し、しかも、補強証拠の範囲は被告人の犯人性についてでなければならないとしていますし、ほかにも、マサチューセッツ州などの諸州において同様の規定がつくられています。

 これらのほかにも、情報提供者の虚偽証言を排除し、あるいは信用性があることを判断するために、公判前に特別の審問を開くという方策、情報提供者の証言については特に注意し詳細に検討する必要がある旨の説示を事実認定者である陪審員に対して裁判官が公開の法廷において行うという方策ですとか、情報提供者によって行われた供述の電子的な録音、録画とその保管などが必要であるとの主張がなされておりますし、実際にこれらを採用している州もふえてきています。

 以上をまとめます。

 アメリカの刑事司法において、捜査協力型の取引は必要不可欠なものとして利用されてきています。しかし、近年、その危険性が明らかになり、批判が高まるとともに、その手続や取引によって得られた証拠の扱い方について、さまざまな改革や改革の提案がなされてきています。それらの動きは、秘密裏に行われる取引の過程を透明化し、適正化し、冤罪を生む危険性をなくそうという方向性を持つ点では一致しています。

 今回の日本の刑訴法改正案に出てきた合意制度において、無実の者を引っ張り込む危険に対する手当ては三つ用意されていると言われます。

 第一に、弁護人の関与であります。

 しかし、これはあくまで引き込む側の弁護人でありますし、ターゲットとなる被告人から見れば、虚偽供述を防止することができるのかは不明であります。

 第二に、合意内容について第三者の刑事事件で当該人物が証言する場合には、合意内容書面の取り調べが請求されます。

 しかし、その合意書がとられた協議、合意の過程あるいはその前段階の取り調べの過程は、前述のように録音、録画が行われません。したがいまして、適正さを確保する担保がございません。

 第三に、虚偽供述に対する処罰規定が準備されています。

 しかし、虚偽供述をした情報提供者が現にいた場合には、結局この規定で処罰をされるということになってしまいますから、それを恐れて、その虚偽供述の事実を隠し通すという原因にもなってしまうかもしれません。

 つまり、日本の合意制度における引き込み供述の危険の手当ては、到底十分とは言えません。合意制度によって得られた供述や証言の信用性をできる限り高めるためには、アメリカで議論されているような証拠開示ですとか補強法則、協議、合意過程あるいはその前段階の取引の過程の録音、録画などの安全策を採用するべきです。それがない以上、このような制度を安易に導入するべきではありません。

 安易な導入は、捜査機関の権限をさらに強化し、新たな冤罪を生むということにつながると思います。我々は、アメリカが司法取引を多用することによって多数の冤罪を生んできたというその失敗にも学ぶべきだと思います。

 御清聴ありがとうございました。(拍手)

奥野委員長 ありがとうございました。

 次に、今村参考人にお願いいたします。

今村参考人 おはようございます。弁護士の今村でございます。

 私は、弁護士を二十三年間やっておりまして、その間、冤罪事件に多く取り組んでまいりました。無罪事件も十数件ございます。それから、冤罪事件のケース研究も私なりに行っておりました。その立場から、この制度が導入されると具体的にこんなことが起こるんだということを述べたいと思います。

 まず、先ほど笹倉先生がおっしゃったアメリカでの事例ですけれども、アメリカでは、いわゆるスニッチ、密告者による悲惨な冤罪事例がたくさんあるということが明らかになっています。同じ拘置施設にいた者が被告人が犯行を告白したのを聞いたと証言して、有罪となるわけですね。その後、DNAテストが行われて、無実が明らかになった事例もたくさんあるわけです。

 例えば、この中で一例だけ挙げますと、元被告人は、ウィリアムスンというマイナーリーグのプロ野球選手、それからデニス・フリッツという生物学教師、お二人が被告人にされるんですね。一九八二年に起きた強姦殺人事件です。

 このウィリアムスンと同じ施設にいた女性が、ウィリアムスンから犯行告白を聞いたと、犯行の詳細を語るわけですね。例えば、彼女の遺体の肛門からコーラの栓が出てきたとか、こんなことを言うわけです。しかし、実際はケチャップのふただったから間違っているんですけれども、検察官に促されて、いや、ケチャップのふたですというふうに言い直すわけですね。それから、フリッツについては、やはり同房者が、ある日、フリッツが涙を流しながら、僕らは彼女を傷つけるつもりは決してなかったんだ、俺には娘がいるからこのことは黙っていてくれというふうに口どめしたというふうに証言するわけです。それなりに具体的な証言になっていて、信用されて、有罪になるわけですね。

 しかし、九九年、ウィリアムスンの死刑執行の寸前に、人身保護請求が認められて、DNA鑑定が行われて、無実が明らかになる。

 こうした事例が、笹倉先生の翻訳されました先ほどのギャレットという研究者の本、第一号事件から第二百五十号事件を分析した事件の中で五十二例あるということです。

 このウィリアムスンについてのスニッチは、自分の罪は、偽造小切手の行使だったりとか、全然関係ない罪なんですよね。それについては、不起訴になったりとか、非常に軽い処罰を受けたり、恩典を受けているわけです。それが動機でうその供述をする。

 日本に類似事例がないかといいますと、やはりあるんですね。日本に司法取引制度は導入されておりませんが、事実上の闇取引が行われたと思われる事件として、引野口事件という事件があります。

 これは、二〇〇八年、福岡地裁小倉支部で無罪になった事件ですけれども、北九州市内の火災でNさん宅が焼けて、瓦れきの下からNさんの炭化した死体が発見されるんですね。心臓には胸椎骨に達するような包丁での刺し傷があって、これは失火じゃない、殺人、放火事件だということで、身の回りの面倒を見ていた妹さんが、勝手に預金を引き出したということで窃盗罪で捕まって、放火、殺人の取り調べを受けるんですよ。

 その取り調べの一方で、警察は、同房者Mに被告人とされたKさんの言動を探らせて、ナイフ一本でああなると思わなかった、マッチ一本でああなると思わなかったとか、私は刺しました、二回刺しました、首を刺しましたみたいな供述をしたと、その段階でこれはうそか本当かはわからないですよ、私は聞いたんですというふうに捜査協力させるわけですね。

 その一方で、このMは、窃盗の余罪が八件あったんですけれども、七件が不起訴になって、一件だけ起訴されて執行猶予判決を得るという恩典を受けるわけです。

 このM供述がもとになって、では、もう一回、右の首を刺したというんだったら右総頸動脈を調べてみようと見たら、ちょうど何か直線状のちょっとした切れ目があったから、ああ、こいつは本当のことを、犯人じゃなきゃ知らないことを言っているということで、鑑定医が意見を改めたりして、起訴されちゃうわけです。

 しかし、このちょっとした傷というのは、頸動脈の、体表側から見て裏側にあるんですね。これは、前からぶすっと刺して、表側を傷つけないで奥側を傷つけることはできませんよね。だから、そんなことはあり得ないんですよ。これは、放火事件ですから、血が沸騰して水蒸気爆発を起こして、ぱんと破裂して血管の一部がとれた事件だということが明らかになって、無罪になるわけですね。

 この小倉支部の事件は、まさにアメリカのスニッチの事件と同じでして、恩典を受けて、全く赤の他人、自分と全然関係ない他人の罪を明らかにして自分の罪を軽くしてもらうということがされた事件です。

 ほかにも村木事件というのを、ちょっと意外に思われるかもしれませんけれども、考えてみますと、これは共犯者が無実の村木さんをいわゆる引っ張り込んだケースだというふうにされています。

 起訴されたとき、村木さんは、上司の方が、私は村木さんに虚偽の公的証明書の作成を指示しました、部下の方は、村木さんに指示されてつくりましたという供述をして、それから、何かいいかげんな、凛の会とかいうにせの障害者団体の人は、村木さんからにせの証明書をもらいましたみたいな、みんなうその供述なんですけれども、それで周りを固められているわけですね。

 この中で特に私の注意を引いたのは上司の方の証言で、村木に指示をしたと。では、あなたは共犯じゃないですかと。そうしたら、その人も起訴されなきゃおかしいのに、村木に指示したみたいな参考人調書をいっぱいとられて、起訴も何もされていないんですよ。絶対おかしいです。これは司法取引に決まっていますよ。こういうことがやられる危険がある。

 おまけに、今回、虚偽供述罪というものができました。虚偽供述罪ができますと、公判で捜査段階と違う供述をしにくいんです。なぜなら、虚偽供述罪で検察に起訴されるから。村木さんの事件は、上司も部下も、みんな公判で供述をひっくり返しましたよね。検察で勝手にこんな作文をされましたとみんな言ったんですけれども、そんなことを平気で言えるようになるのかどうか、私は心配です。

 それから、日本版司法取引について、他の法制との違いについて、ドイツの法制との違いだけ、研究者に教えてもらったことを述べますと、ドイツでは、全く関係ない他人の罪を明らかにして何で自分の罪の責任が軽減されるのか、刑法理論上わからないという議論が非常に行われて、自分の罪と他人の罪は牽連性、ちょっと難しい言葉ですけれども、牽連性がなければならない、そういう立法になっていますね。日本みたいに、全然関係ない他人の罪を明らかにして自分の罪を軽くしてもらおうなんていうばかな制度はないですよ。

 それから、日本の司法取引に歯どめはない。

 弁護人の同意、これは皆さん言われたとおり、弁護人というのは、これは他人の罪を明らかにする人の弁護人なわけですよね。その人には誠実義務というのがあって、その被告人の利益に奉仕しなきゃいけない。他方、真実義務もあるとされていますけれども、真実義務なんかはないんだという議論が最近では多数説ですね。だから、これは同意するに決まっているんですよ。全然抑止に絶対なりません。

 それから、虚偽供述罪には先ほどの危険があることに加えて、検察が今まで、無罪になった事件で、偽証した証人を訴追した例というのは皆さん知っていますか。私は寡聞にして知らない。それと同じようなことが行われるんじゃないか。抑止にならない。

 それから、郷原先生も御指摘されていましたけれども、協議、取り調べ、合意の過程が記録化されていない、録音、録画されていない、私の立場からいえばそうなんです。

 だから、スニッチなんていいかげんなやつですから、利己的な動機でうそをついている可能性が十分にあるんだけれども、でも信用されてしまうのは、犯人でなければ知らない情報がその供述の中に含まれているからなんですよ。だから、本当のことを言っているんだというふうに思われる。だけれども、それは捜査官に教えてもらったからかもしれないじゃないですか。

 だから、そこは、捜査官からの情報の提供があったのかなかったのか、情報の起源がどこにあったのかを明らかにするには、その供述過程を記録化するしかないんですよ。これの手当てがない中で、こんな制度はできるはずがないと私は思っています。

 それから、最後に申し上げたいのは、文書が公開されるから大丈夫なんだみたいなことを何かおっしゃる方もいらっしゃるんですけれども、文書は確かに公開される制度になっています。でも、こんなものは大したことないですよ。それで反対尋問をやれとか言われたって、別に大してできやしません。

 それから、闇取引というのは、では、この協議・合意制度は禁じているかというと、禁じていないですね。やっちゃいかぬと書いてないんですよ。

 アメリカで、実際、先ほどのギャレットの事例を見ますと、二十八名のスニッチの事案で、司法取引したというふうに証言したのは二人だけです。あとは全部闇取引なんですよ。アメリカでも、取引をしたらその取引は開示しなきゃいけないというルールはあるんですよ。だけれども、二十八名中二名しか正式な取引がなくて、あとは闇取引なんです。

 闇取引がおいしい理由というのは、ギャレットによると、一つは、取引をしたということを開示しなくて済むからですよね。それで信用性に傷がつくのを防ぐ。それからもう一つは、実際に証言を聞いてみるまで、本当に俺が思ったような証言をしてくれるかなという心配があるんですよ、検察側としては。証言を聞いて、確かに、うん、いい証言だ、俺も約束するよみたいなことをやりたいわけですよね。

 それを別に禁じてはいないわけですから、日本でも先ほどの引野口事件みたいな闇取引というのは無数にあるわけですから、これは闇取引の裾野を単に広げるだけではないかと私は思います。

 アメリカでは、スニッチによる相次ぐ誤判が深いショックを与えて、制度改革が提唱されている。弊害が明らかになっている今、この同じ制度をまねして導入する理由というのはどこにあるんでしょうか。私は断固反対です。

 以上です。(拍手)

奥野委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人の方々の御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

奥野委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。井野俊郎君。

井野委員 自由民主党の井野俊郎でございます。

 本日は、参考人の皆様には大変貴重な御意見を賜りまして、ありがとうございます。

 私も、わずかばかりではございましたけれども、弁護士として、実務家として、刑事司法手続等にはかかわらせていただきました。やはり私も、実務に与える影響というものがどうなるか、心配というか不明な点があるものですから、本日は、実務家の先生方を中心にお伺いさせていただきたいと思っております。

 まず、元検察官のお二人にお伺いしたいと思います。今回の司法取引、新たな供述を得る手段としては一つの有効な手段ではないかとお二人ともおっしゃっていらっしゃいますけれども、私の経験では、やはり検察官たるもの、先ほど高井先生がおっしゃったように、まずは取り調べで心を通わせて、内省を促し、そして真実を語ってもらう、それが基本的な姿勢にあるのではないかなと思いますし、また、逆に言えば、黙秘している被疑者、被告人を自白させる、そういう検察官が大変優秀な検察官であるという評価といいましょうか、検察内部ではそういうような評価が基本的にはあるのかなと思っております。

 先ほど高井先生は、昨今の状況を見ると、なかなかちゃんと正直に話してくれる被疑者、被告人が少なくなってきておるんだというようなお話もございました。その点について、まず、その原因、変な話ですが、例えば捜査官の、検察ないし警察の捜査手法が落ちたのか、それとも逆に被疑者、被告人がこうかつになったのか、そこら辺を含めてちょっと必要性を御示唆いただきたいと思っています。

 それともう一点、こういう司法取引について、具体的に、例えば供述が得にくい類型といいましょうか、そういったものは、どういう場面でこういう司法取引が活用されることが予想されているのか。

 その点もあわせて、二つお聞かせいただきたいと思います。

高井参考人 まず、被疑者の自白が得られにくくなっているというのはいろいろな要素があるんですね。

 一つは、これがいいことか悪いことかは別にして、以前は、いわゆる捜査段階では弁護人がつかなかったんですね。弁護活動が非常に消極的だった、そういう客観的状況があります。現在は、現在はというか、かなり前から、捜査段階から弁護人がついて、すぐ黙秘を勧めるというような、いわゆる捜査弁護が活発化しているという環境の変化があります。外部的にはそれが一番大きいかなと。

 もう一つ、内部的には、これはまことに残念なんですが、若い検察官の取り調べ能力というものがやはり落ちていると思わざるを得ません、もと若い検察官の方もおられますけれども。

 大きく言うとこの二つです。

 ですから、今回のこの法案の問題ではありませんが、検察官の能力をいかに向上させて、うその自白にだまされないようにするかというようなことをどうやって担保していくかというのも今後議論されなければいけない。要するに、検察官の取り調べ能力というのは、単に自白させる能力の前提として、先ほど来、参考人の方からも問題にされていますが、その供述はおかしくないか、この供述はちょっとおかしいよねというふうなことに気がつく、ひっかかる、ここが正しい取り調べをするきっかけになるんですね。ですから、そういう真実性に対して敏感な検察官をどうやって教育していくかというのが非常に大事な問題であるというふうに思います。

 どういう場面で検察官として使いたくなるかということなんですが、これは非常に実務的な感覚で申し上げると、やはり、やくざの大きな出入り事件がありました、いわゆる鉄砲玉が逮捕されました、しかし、どう考えても後ろで指示をした人間がいるということが客観状況から明らかなとき、これは、今まではほとんど自白は出ません、単独犯として処理されています。そういう場合に、今回の制度で何とか黒幕の自白を得ることができるのではないかというふうに考える。

 もう一つは、大きな組織犯罪、当然これも組織的な指示で動いているはずだと思うんだけれども、なかなかそれが出てこないという場合ですね。

 ただ、前段の場合ですと、仮に薬物事犯などで自白すると、今度は出てきてから仕返しを受けるというおそれもあるので、今の合意制度でどれだけ有効に機能できるのか、これは別の観点からやはり問題はあろうかと思います。

 それに即して言いますと、今までは、例えば、私が自白させました。私はちゃんと任意性のある調べで自白させたにもかかわらず、法廷に行ったら、あの高井というとんでもない検事にむちゃくちゃの調べを受けて無理やり自白させられちゃったんですというふうにその子分の人が言えば、一応免責はされるわけですね。だけれども、今回は、取引したということが出ていってしまうので、逆に被疑者としては弁明ができない。

 だから、制度を運用する場面、立場からすると、そういう点もいろいろ問題があろう、まだ十分な制度にはなり切っていないなという感じは持ちます。

郷原参考人 高井大先輩の前で大変恐縮なんですが、私はちょっと違う見解を持っております。

 昔から、検察官の情理を尽くした説得によって自白が得られたというふうなことを役所での酒飲み話などでいろいろ聞かされたものなんですが、本当にそうなのかなということについて私は疑問を持っておりました。

 私も取り調べは決して嫌いではありませんでしたし、いろいろな事件、経済関係の事件、政治関係の事件、公安事件などの取り調べを自分でも行いました。私は、特に公安事件などでは、完全黙秘の被疑者も結構心を開いて話してくれるという経験がいろいろあったんですが、なぜか特捜の調べではなかなか自白がとれない。それなのに、周りの検事はどんどん自白をとるんですね。なぜだろうか、私は本当に取り調べ能力がないんだろうかと悩んでいたんですが、どうも、いろいろ聞いてみると、相当取り調べのやり方に問題があった。中には、物すごい密室で頑丈なつくりの取り調べ室の前を通ると、物すごい声が聞こえてくるということもあったわけです。

 ですから、情理を尽くした説得というのが、とりわけ経済事件、政治関連事件などでそんなに簡単にできるものではないと私は認識しております。

 現状を申しますと、そういうむちゃな取り調べは恐らくできなくなったと思いますし、検察官の取り調べに関しては、昔とは全く環境が違っています。我々弁護人が行けば無制限に接見も可能ですし、そういう形で被疑者を励ますこともできます。ということからしますと、やはり今の検察官にとっては、自白をとれと言われてもなかなか無理だろうなというふうに感じます。

 それからもう一点、こういう司法取引のような制度が導入されていたらよかったんじゃないかと思える事例なんですが、今回の協議・合意制度の対象犯罪じゃないんですが、私がある地検の次席検事をやっていたときに手がけた、かなり大規模な政治資金規正法違反の事件がありました。選挙に関して、公共工事の受注額に応じて裏献金、表献金を集めていたという事件で、その事件の関係では、ゼネコン側の供述が得られることが物すごく立件のポイントになりました。

 その中で、ゼネコン側としてはかなり不当な要求を受けて、やむを得ず献金をしたという事実関係だったものですから、私は起訴猶予相当だと考えていたんですが、私が起訴猶予相当だと考えていても、こういう取引という制度がありませんから、起訴猶予だと約束してあげることはできないですね。ある会社の総務部長と弁護人が来て、何とかそこを約束してもらったら、当社はもし起訴されたら指名停止になって大変なことになるんですということを相当しつこく言われたんですが、それは最後まで約束はできませんでした。

 しかし、その事件はその事件で何とか自白を得て立件することができましたが、そういう事件に関しては、こういう協議・合意制度が導入されていれば、捜査上もっといろいろなメリットがあったんじゃないかなという気がいたします。

 以上です。

井野委員 ありがとうございます。

 続いて、川出先生にちょっとお伺いさせていただきます。

 先ほど、他人の犯罪を供述することによっても、ある意味、自白と同様な機能があるから、減軽することも理論上は可能ではないかというお話であったかと思います。

 私がちょっとお伺いしたいのが、取引による供述。私が思うには、自白というのは、ある意味、自己の反省といいましょうか、自首のようなものといいましょうか、反省をあらわしたから裁判所は減軽しようという機能があるかと思うんですね。逆に、取引によって他人の犯罪を供述することに対して、そこに内省というか反省の情というものが果たしてあるのかなというところはちょっと疑問に感じたところでございましたので、その理論的な部分を少し御説明をしていただきたいということ。

 あと、虚偽供述の引っ張り込みの危険性については、基本的には裏づけがなされる、裏づけがなければ基本的には使用されないのではないかというお話がありましたけれども、共犯者供述でも裏づけがなかなか難しいものがやはりあるのかなというふうに思います。

 例えば、この前の質疑でちょっと私は例に挙げさせていただきましたけれども、ある会社が政治家に政治献金をしたとしたときに、それが単なる政治献金なのか、はたまた賄賂性を持ったお金のやりとりなのか、お金には色がないわけですから、ある意味、賄賂性があったかどうかというのは証言によらざるを得ないのではないかというところはあるんですね。

 そこら辺について、裏づけが必ずしもとれない場合について、では、その共犯者供述の信用性といいましょうか、その点についてどう考えていいのか、ちょっと御示唆いただければと思います。

川出参考人 まず一点目の、他人の犯罪事実への協力についての供述については反省というのがないじゃないかということなんですが、確かにそれはそうで、ただ、自白の場合も、自白をしたときに軽減されるというのは、反省しているから軽減されるという面と、必ずしもそうでない部分もあるわけですね。

 例えば、自首をすると減免の規定がありますが、あの趣旨というのは、やはり捜査機関に発覚していない段階で自首をすることで事実が解明される、だから捜査に協力する、そこが主たる理由だというふうに言われていますので、それがそうであるとすれば、他人の犯罪事実に関しては、自首減免のその部分が、他人の犯罪事実についての解明への協力という形で考慮される。そういう意味では、政策的な根拠によるものであって、反省ということが必ずしも介在する必要はないだろうということが今回の協議・合意制度の基本になっているということです。それが一点目です。

 二点目ですが、確かに、裏づけができないというような場合があるとすれば、今回の協議・合意制度のもとではそういう証言はやはり使えないということにならざるを得ないだろうと思います。

 そういうものとしてこの制度はできていますから、先ほどの話でアメリカの例が出ていましたけれども、要するに、供述だけで他人の犯罪事実について有罪と認定するというようなことはこの協議・合意制度は想定していないということですから、そこは、やむを得ないといいますか、裏づけがとれなければそれは使えないということになるだろうと思います。

井野委員 そうしますと、事実上の補強証拠を採用するぐらいのイメージになってくるのかな、川出先生のお話によるとそういうふうになってくるのかなと感じました。

 続きまして、弁護士の三人の先生にお伺いさせていただきます。

 先ほど話を聞いていて、高井先生と今村先生は、何か、真逆といいましょうか、高井先生の方は、例えば取引をする被疑者がいた場合、供述をする者がいた場合には、うそだったら、それは、そういうことを言うんじゃないよということを説得するんだとお話しされましたが、逆に今村先生は、弁護士である以上は、そういうことを言ってきた被疑者に対してとめられないというようなお話があったように思います。

 現実に、うそとまでは言わないにしても、例えば取引をする側の弁護士として、当然、うそかな、もしかしたらこれは怪しいなと思う場合でも、こういう話をして取引をしたいんだと被疑者、被告人が、自分がその取引をする者の弁護士としてついていた場合、どこまで、説得もしくは、ちょっと怪しいなと思っている段階でもその取引に応じるのか。その見解といいましょうか、いわゆる弁護士の真実義務についてどこまで皆さんは要求されていると考えていらっしゃるのか、お聞かせいただきたいと思います。

高井参考人 弁護士の、あるいは弁護人の真実義務というのをどの程度考えるかというのは、それぞれの立場によってかなり濃淡の差があるんですね。

 先ほどの今村先生の場合は、弁護士はハイヤードガンマンだという考え方で、真実義務なんて、絶対そんなものはありっこない、多分そう思っておられるんですが、私の場合は、基本的には、真実義務はそれなりにあると。法機関の一員として行動する以上、全く真実義務を負担しないという弁護人が存在できるはずがないというふうに思っています。

 先ほどの事例で申し上げれば、私がもしその弁護人であれば、私がまず確信が持てなければ、本当なのかと、それを確認します。できる範囲で私が調査をして、確かに彼の言っていることは本当だというふうに思えば、では、君、それで検察官と取引しようという話になります。これは確信が持てないとなったら、これは私は賛成できないねと言います。

 それは自分の依頼人の利益にならないのではないかという意見があるかもしれませんが、仮にその話がうそであれば彼は処罰されるわけですから、そういう処罰から自分の依頼人を事前に守るという意味で、それは依頼人のためになることだというふうに考えております。

奥野委員長 郷原参考人、時間が非常に限られているので、要領よくお願いします。

郷原参考人 高井先生のような立派な考え方の弁護士ももちろんいらっしゃると思います。しかし、私は、そうではない弁護士さんも最近は数がふえて、決して少なくないんじゃないかと感じております。

 とりわけ、先ほど申し上げた、事実上の司法取引を担ってきた、極めて検察に協力的な一部のやめ検の弁護士の方々というのは、大変便利に検察のために働いてくれます。そういう方々がどういう役割を担われるかというのは、全く私はわかりません。

今村参考人 高井先生の私に対する評価はちょっと誤解でして、私自身がそういう考えだというんじゃなくて、弁護士の総体としてどう動くだろうかという予測なんですよ。そうすると、やはり誠実義務優先になるんだろうなというふうに、どうも私には予測されます。

 実際、高井先生は、御立派にも、いろいろな調査をされて真相を明らかにして、説得をしてとかおっしゃって、私もそういう姿勢自体は評価したいと思うんですけれども、何せ情報がない。被疑者段階は証拠は一つもないですから、被疑者が取引をしようとしても、真相は何か、そのときに弁護人の調査ぐらいでわかるかというと、わからないですよね。被告人段階でも証拠開示は限られていますから、わかりません。これは歯どめにならないと私は思います。

井野委員 最後にもう一点だけ、郷原先生にお伺いします。

 先生が御担当された事件についてもそうだったんですけれども、結局、取引に引っ張り込まれた側にすると、取引をした弁護士に対して、ある意味、懲戒請求だとか、そういう場合も考えられると思うんですね。そういう場合、果たしてどこまでそういうリスクを弁護士はしょうべきなのかというのはどう考えていらっしゃいますか、取引をする弁護士が懲戒まで受けるというリスクに対しては。

郷原参考人 実際にそういう闇取引的なものが疑われても、その事実が確認されるということは、正式な取引制度が導入されない限りなかなかないと思うんですね。合意の当事者が検察官と弁護人であれば、しかも、本人ははっきり知らされないまま何となくそういうふうに有利な方向に持っていかれるという場合であれば、やはり発覚するというおそれはそれほどない。それが、弁護人と検察官との間の話で済む場合の非常に大きなメリットだったんじゃないかと思うんですね。

 ですから、ほとんど懲戒の心配なんというのはしないんじゃないかと思います。

井野委員 ありがとうございました。

奥野委員長 次に、國重徹君。

國重委員 おはようございます。公明党の國重徹でございます。

 きょうは、御多用の中、五名の参考人の先生方に当委員会までお出ましいただきまして、大変貴重な、示唆に富む御意見をいただきまして、私もお世辞抜きで本当に勉強になりました。心より感謝と御礼を申し上げます。

 これも質問じゃないですけれども、先ほど井野委員の方から最後あたりに質問のありました、司法取引に当たって弁護人がどういうふうに対応するのか、これは私も、非常に悩ましい問題に直面するんじゃないかと思っております。

 私が仮にそれを担当することになれば、高井先生ほどではないですけれども、さまざまな角度で質問をして、チェックはすると思います。また、虚偽供述をすれば懲役刑を科されることになるよ、それでも本当なのかということは確認すると思いますけれども、やはりそれでも、今村先生おっしゃったとおり、判断材料が余りない状況においては、最終的には、私も、被疑者の言に重きを置かざるを得ない場合があるのかなというふうに、弁護人としても新たな悩みに直面するかなとは思っております。

 ちょっと話はかわりますけれども、先ほど郷原先生の方から、検察の実務経験を踏まえて、現行法下においてもいわゆる事実上の司法取引というのはあったというふうに認識、理解しているという旨のお言葉がございました。

 そこで、高井先生の方にもお伺いしたいと思うんです。

 高井先生も検察実務の経験がおありですけれども、実際に、一定の特典を与えることによって他人の刑事事件の供述を引き出す、そのような司法取引がこれまで行われてきたと認識されているかどうかということをお伺いしたいと思います。

 先ほど高井先生は、眉唾物だと思うけれども、他人の刑事事件について供述するような被疑者がいるというようなことはお話がありましたけれども、特典を与えて供述を引き出すような司法取引というのは、検察実務上、先生自身がやったのかどうかは別にして、周りであったのかどうか、それについてお伺いしたいと思います。

高井参考人 まず結論から申し上げますが、私自身がそういうことをやったことはありません。それから、私の知っている範囲で、それは横も縦も含めてですが、そういうことをしているという話を聞いたこともありません。

 ただし、郷原さんの言っている事実上の闇取引というのがどういう内容のことをおっしゃっているのかよくわからないので何とも言えないんですが、実際の場面としてこういうことはあります。

 例えば、これは自白したら起訴猶予だなと私自身は思っている。でも、それは決して言わない。だけれども、そう思っていれば、人間ですから、当然、顔が優しくなったりするかもしれませんよね。それはよくわかりませんが、ただ、向こうは逆に、被疑者というのは、検察官の表情を必死になって読もうとするんですね、自分の処分がどうなるか。それはもう非常に敏感なんです。ですから、自分が幾ら心証を隠しているつもりでも、それが読み取られて、ああ、これはしゃべれば起訴猶予になるかもしれないなと思ってしゃべるというようなことがあったかもしれません。

 逆に、被疑者の中には、これをしゃべったら起訴猶予にしてくれるんですかとか、共犯者のことをしゃべったら起訴猶予にしてくれるんですか、それを約束したら僕はしゃべりますよと言う被疑者に会ったことはあります。

 そういう場合、検察官としてまず第一印象でどう思うかというと、このやろう、俺をだまそうとしているな、俺をなめるんじゃないよ、そう簡単になめられてたまるかというふうに思うんですね。だから、要するに、この人は自分の罪を軽くするためにいいかげんなことを言おうとしているよねというふうにまず思うものなんですね。

 だから、そういうふうに言われたときには、そんな約束はできない、しかし、真摯に反省しているかどうか、反省している人と反省していない人、当然処分に差があって当たり前ですよね、一般論として。だから、それは、君が反省したかったら反省しなさいという話ですよね。そういうようなやりとりはあるんです。

 ここで言いたいのは、検察官として見ると、取引を申し出てくる人というのは、基本的には、先ほど申し上げたように、眉唾で話を聞く。仮にそこで自白をしたとしても、当然裏づけはしっかりとる。しかし、それも、先ほど来言われているように、内容が詳細であるとか、一貫しているとか、具体的であるとか、そういうレベルの問題ではなくて、いわゆる秘密の暴露があるかどうかというところまでぎりぎり調べるというのが本来のあり方であるというふうに思います。

國重委員 ありがとうございました。

 私はちょっと検察の実務というのがなかなかわからないところがありますので、それぞれの御意見ということで聞かせていただきたいと思います。

 ただ、郷原先生がおっしゃったように、形態はさまざまであるにしても、仮にそういったいわゆる事実上の司法取引があったとするならば、不透明な司法取引よりは、やはり一定の明確化されたルールのもとオープンにされた司法取引を導入する方が、かえって引っ張り込みの危険によって冤罪が発生することを防げるんじゃないかというふうにも思うところがございます。ただ、実務上どうかわからないので、それは明確には言えませんけれども、そのようにも感じるところはございます。

 その上で、ただ、それはあくまで比較の問題で、司法取引を導入した場合には、先ほど笹倉先生のおっしゃった、アメリカのイノセンスプロジェクトの報告がございました。アメリカでも、利益を得て証言する情報提供者が、誤判の、冤罪の非常に大きな原因の一つになっているというようなお話がございました。そして、今、アメリカでさまざまな改革がされているというお話でした。

 ただ一方で、日本とアメリカの司法制度は違うんだということもそれぞれの先生方からお話を受けました。

 そこで、刑事法の研究者でもある川出先生にお伺いしたいと思いますけれども、先ほどのアメリカのイノセンスプロジェクトの報告によれば、情報提供者が冤罪の原因の大きな一つになっていると言われていると。これを根拠に、合意制度も巻き込みの危険があるんじゃないかというような御指摘でありましたけれども、この指摘について川出参考人としてはどのようにお考えになられるか、御意見を伺いたいと思います。

川出参考人 先ほど御紹介があったイノセンスプロジェクトで、情報提供者の誤った供述で冤罪が生じているということだったんですが、そこでも御紹介があったように、そこで言われている情報提供者というのは、ジェイルの同房者でしたか、要するに、日本であれば拘置所とか留置場に一緒にいる人が、全く無関係の他人が自白に当たるような供述を聞いて、それをもとにして有罪判決が下される、そういう例なわけですね。

 ですから、一つには、その場合は、人から聞いた供述それだけで有罪になっているというところにまさに問題があるということと、それからもう一つは、先ほど笹倉先生から御紹介があったように、そのときに取引があったかどうかもはっきりしないというわけですよね。取引があったと言わないということ、そういう前提で問題が起きているということであるわけです。

 それを考えると、今回の協議・合意制度というのは、全く無関係の他人が供述をした、その供述だけで有罪にする、そんなことは想定していないわけで、先ほど来何度も申し上げているように、当然、裏づけをとるということは前提となっていますし、さらに言えば、やはり協議、合意したということは明確に書面にして公判に出てくるわけで、その意味では、最も問題とされている場面とは状況が違うだろうと思います。

 想定しているのは、対象犯罪から見ていただいてもわかりますように、やはり組織犯罪とか経済犯罪などの、まさに会社なら会社で行われる、そういうものですから、無関係の他人、ましてや拘置所とか留置場で隣にいる人と協議、合意をして、そしてその供述をもって有罪にする、そういうことは、少なくとも部会で議論している段階では想定しておりません。

 ですから、アメリカの議論があるからこの協議・合意制度というのは冤罪の危険があるということには必ずしもならないというふうに思います。

國重委員 ありがとうございました。

 それでは、次に郷原先生にお伺いしたいと思います。

 これはもう端的にお伺いしたいと思いますけれども、先ほど、いわゆる司法取引、合意制度の導入に関しては、総論としては賛成だけれども、各論としてはまだ改善すべき点があるんじゃないかというような御意見であったかと思います。その中で、供述過程に関して録音、録画すること、ないし、取り調べメモをより精緻なものにするとか、そういった適正化を担保する措置が必要なんじゃないかというようなことがありましたけれども、この供述過程の録音、録画というのはどこからどこまでの範囲を考えられているのか、これを端的にお伺いしたいと思います。

郷原参考人 協議・合意制度が導入された場合には、協議の過程と供述の過程が、多分、不可分の関係になってくると思います。ですから、私が考えております供述経過の記録化は、三者が入った形で弁護人も含めて協議が行われ、そしてその他人の刑事事件についての供述が最初に行われた段階から記録をしておく必要がある、そういう意味です。

國重委員 私、まだ考えがまとまっていませんけれども、これまでは、やはり協議の過程に弁護人が関与しているので、被疑者から積極的に虚偽供述するのは、判断材料が十分ないのでなかなか防げないかもしれないですけれども、ただ、検察官のミスリードそれ自体は、弁護人がそこに存在することによって一定程度は防げるのかなとは思っていて、その観点から、合意後の取り調べに関して何らかの録音、録画が必要じゃないかと思いましたけれども、先ほどは、供述の経過を明らかにすることが必要だからという観点で今のような答弁をいただきました。

 今の郷原参考人の御意見を踏まえて、先ほど高井先生と川出先生は、そういったことは不要じゃないかという趣旨のお話だったと思います。川出先生も、この録音、録画の意味というのは、検察官の誘導、押しつけということになるから、そういった観点からは不要じゃないかというようなお話だったかと私は理解しました。また、供述の経過それ自体ということで郷原先生の方からお話がありましたけれども、こういったことも踏まえて、今回の合意制度の録音、録画に関して、改めて御意見をそれぞれ伺いたいと思います。

高井参考人 その問題については、協議の過程と合意後のヒアリングですね。取り調べと言いますと、日本の場合は説得過程を含んだものを指す場合がほとんどですから、それと区別する意味で、合意後の質問行為、これをヒアリングというふうにここでは言わせていただきますが、この二つの過程を録音、録画するかという問題だと思うんですね。

 では、協議というときは何が行われるのかということなんですが、普通、協議の場面というのは、例えば、私がその当事者としてしゃべるとすると、うちの依頼人はこういうことを知っていますよ、こういうことを知っていて、こういう事柄についてこういうことまではしゃべれますと、具体的な事実は何も言わないわけですね。そこで具体的な事実を言ってしまったら、ただで自分の商品を売ることになるじゃないですか、わかりやすく言えば。だから、そこは、こういういいものを持っていますということは言うんですが、その箱の中に何が入っているかは言わない。

 ただし、検察官としても、今度は空箱を買わされても困るわけですから、当然、その箱の中に何が入っているんだ、蛇が入っているのかそれともミミズが入っているのか、それぐらい言えという話にはなると思うんですね。それは、ミミズが入ってますよ、蛇じゃないけれどもミミズが入っていますというぐらいの話なわけですね。それに対して、検察官が、ミミズぐらいでもそれは買うに値するねというふうに思えば、平たく言えばですよ、では、合意しましょう、ミミズでもいいですよと。合意した後で、では、その箱をあけてくださいよ、ミミズってどういう形をしているんですかという話になって、このミミズはこういう形で、ここでとってきたものなんですよという説明をすることになるわけですね。

 そうすると、その協議のときに、この箱の中にはミミズが入っているのか蛇が入っているのかという話をしているときに、それを録音、録画するということに果たして意味があるんですか。しかも、弁護人が入ってやっているのに。ということを考えると、ほとんどこれはその必要性がない。

 ただし、逆に、そういう協議をするときに、当然これはいわゆるディールですから、いろいろな話が出るわけですよね。そうすると、それを録音、録画されていて、いざとなったらそれが全部法廷に出るということになれば、十分な協議ができないということもあり得るわけです。ですから、そういう意味で、弊害が全くないわけでもない。

 この制度を導入する以上は、まず、協議を録音、録画するということについては全く合理性がないというふうに思います。

 次に、では、合意後の取り調べについて録音、録画するかということになるんですが、今、取り調べと言ってしまいましたが、厳密に言えば合意後のヒアリングですね。要するに、ミミズがあることについてはしゃべりますと言っているわけですから、検察官から見ると、説得行為は必要ないわけですね。単に、そのミミズの形はどうなんだとかいう具体的な質問をすれば足りるわけです。

 先ほど来申し上げたように、録音、録画というのは、特に、説得過程に問題がある任意性のない取り調べを排除する、任意性のない供述を排除するということに最大の効果があるわけです。それに対して合意後の取り調べというのは、最初から、話します、こう言っているわけなんですから、そこで、本来任意性を担保するためのものである録音、録画をするということの必要性も基本的にはない。

 ただし、先ほど来言われているように、では、合意後のヒアリングで被疑者がしゃべったことが本当かどうかというのはどうやって判断するんだ、うそを言うかもしれないじゃないかという指摘がされているわけですね。しかし、それがうそか本当かというのは、録音、録画しただけではわからないんです、基本的に。表情を見ても、話し方を見ても、それだけで、ああ、これはうそを言っているとか、それはわからないんですね。基本的には、供述の信用性というのは裏をとる以外にないわけです。その裏も、先ほど来、とり切れなかったらどうするんだという御質問がありました。それは、積極的にこれは本当だという裏がとれなければ使えないということなんですね。

 ですから、そういう意味でも、合意後のヒアリングで重要になるのは、任意性ではなくて信用性だ。その信用性を担保するのは裏づけ捜査、しかも、秘密の暴露だとか、その供述によってもっと新たな別個の確実な証拠が出てくるとか、そういうような強い信用性を裏づけるような証拠が出てくる、そういうようなところまで行かないと、なかなかこの制度は使いにくいということなんですね。

 ですから、そういう意味でも、合意後のヒアリングにおいて録音、録画が必要であるという意見には、私は賛成しないということです。

川出参考人 協議、合意過程と協議前の取り調べ、それから合意後の取り調べについて、録音、録画は必要ない理由は先ほども申し上げたとおりで、基本的に、録音、録画の目的というのが、検察官の誘導とか押しつけを防ぐというところにあるとすれば、仮にそんなことをやって供述をとったとしても裏づけがとれなければ意味がないので、検察官はやらないでしょうから、翻って録音、録画は必要ないだろうということです。

 それから、郷原先生がおっしゃった供述経過の問題なんですが、それは、要するに、裏づけをとったと言っているけれども、実は、もともと証拠があって、それに合わせるように供述させているだけの疑いがあるので、そこをはっきりさせる必要があるということだと思います。そのような確認の必要があるとしても、それは録音、録画である必要はなくて、どの段階でどういう供述がされたかということがわかればいいわけですね。それは、供述調書が作成されればそこに供述の内容があらわれてくるわけですし、あるいは、合意後の取り調べの段階では弁護人が当然ついているわけですから、ある取り調べでどういうことをしゃべったかということは弁護人に伝わります。それにより、客観的な証拠がどの段階で集まったか、それは供述に基づいた裏づけとして得られたものかどうかというのは確認できると思いますので、録音、録画というのは必ずしも必要ではないだろうと思います。

國重委員 ありがとうございました。

 二十分というのは早いもので、もう時間が参ります。笹倉参考人、今村参考人にも少しお伺いしたいことがありましたけれども、私の後に三人の委員からまた質疑があると思いますので。

 先生方の御意見をしっかりと踏まえて、今後の審議に生かしていきたいと思います。本日は本当にありがとうございました。

奥野委員長 次に、山尾志桜里君。

山尾委員 民主党の山尾です。本日は、参考人の皆さん、ありがとうございます。

 早速ですけれども、私としては、若手の検事だったということもありまして、本当に、高井参考人や郷原参考人の世代の先輩検事に、決して利益誘導あるいは約束をしての取り調べをやってはいけないと口を酸っぱくして言われて検事時代を過ごしてまいりましたので、ちょっとそんな観点から、まず二点、このお二方にお伺いをしたいと思います。

 一点目、今申し上げたことです。決して利益誘導や約束をしてはいけない、そんなことをやって得られた自白は何の価値もないというふうに私は教わってまいりました。でも、この法案が通れば、一転、その一部は法が許すということになってまいります。

 特に、お話を伺うと、最近の検事はうそを見破る能力にやや疑義ありというお話もあり、必ずしもこれに反論するものではないんですけれども、これまでは、何の見返りもないのに自分に不利益なことも含めて話しているからこそ真実だ、これがやはり大きな手がかりであったと思うんです。でも、それも崩れていく中で、今回、そこの原則を一部大きく外すということについて、率直にどうお考えか。

 そして、もう一点ですけれども、今回、適法性の担保で、弁護人がいること、あるいは虚偽供述は処罰されること、この二点が挙げられているわけですけれども、川出参考人の論文を読ませていただくと、これは制度の根幹にかかわることだから検察官は積極的な訴追を行うことが予想される、こういうことをおっしゃっておられるかと思います。これは、御意見は御意見として、ただ、実務を知っているお二人の観点から見ると、本当に検察官が積極的な訴追を行うことが予想されるのでしょうか。

 率直な御感想を二点、お伺いさせてください。

高井参考人 まず、率直に申し上げて、私は年齢相応に非常に古いタイプの検察官でございますから、本来、取り調べというのは、検察官が全人格的にぶつかって、それで、真摯に反省をさせて真実の供述を得る、これが日本検察の花だというふうに思っております。

 しかし、先ほど来申し上げたような経緯によって、今、なかなかその花が咲かないという状態になりつつあるわけですね。そういう状況の中で、あくまでも古来のやり方にこだわっていては、古来と言うと言い過ぎですね、私はそれほど古くはないので。以前からのやり方に固執していたのでは、本来の目的である国民の安全であるとか秩序の維持であるとか、そういうことができない状態になりつつあるということを踏まえて、今回の法案で導入するような合意制度はやむを得ない、残念ながらやむを得ないという立場であります。

 おっしゃったように、検察では、利益誘導はするな、約束はするな、これは鉄則としてたたき込まれているわけですね。それはなぜかというと、当然、信用性が低いからです。だから、今度の合意制度によっても、約束によって供述を得るわけですから、当然、低い、信用性のないものになるわけですね。ですから、当然、それを前提とした、徹底した裏づけ捜査をする。

 あるいは、これも、単にうそとは言えないな程度では、やはり検察官としては使えないわけですね。積極的にこれは本当だというだけの裏づけ証拠がないとその供述は使えないということなので、利益誘導による供述は信用性がないから絶対利益誘導してはいけないよという従来の検察の文化と、今回の合意制度が反するかというと、私は、必ずしもそうではない。そのかわり、当然、その前提は、徹底した捜査をする、新たな証拠が出てくるぐらい徹底した深掘り捜査をやるというのが大前提だということです。

 もう一つ何かありましたか。(山尾委員「積極的な訴追をするだろうか」と呼ぶ)そうですね。

 これは、私の感覚で率直に申し上げると、要するに、うそをついたらだめですよと言って、私から一定の約束を引き出しておきながら俺をだましたのかということになるから、それは検察官としては絶対に起訴するというふうに思いますよ。これは当の検察官の名誉の問題ですから。

 以上です。

郷原参考人 取り調べの状況、供述の動機、経過というのは、本当に事件によってさまざまだと思いますが、やはり被疑者の立場というのは、自分にとって利益になると思うから自白をするという場合が多いと思うんですね。

 ですから、約束はできないんです。利益の供与の約束をして自白をとったら、これはもう任意性がないということになりますから、それはできないまでも、何らかの形で、自白をした方が得だ、プラスだということを説得するということは、これまでも行われてきたと思います。

 それが、今回の制度が導入されると、明確に約束をすることになります。その場合、考えなければいけないことは、供述の信用性の評価のあり方が完全に変わるということですね。場合によっては、検察官から誘導したりいろいろ話を向けたりしなくても、本人がうそをつくり上げてくるということがあるわけですね。

 そういうことを考えると、私は、先ほど来、高井先輩が言っておられることというのは、どちらかというと旧来の検察における取り調べの考え方に近いのではないか。そういう意味では、供述の経過、つじつま合わせをしようと思っても、客観的な事実がわからないと合わせられない。ですから、供述の経過と、その後、客観的な資料が提示された時期との前後関係が問題になりますし、それは何も録画までは必要ない、とにかく客観的に経過が明らかにされることが必要だと思います。

 それから、もう一点の積極的な起訴ですが、私は、この制度は、合意による供述というのは信用性の程度が非常に低いというところから出発するというふうに聞いておりますので、その供述に基づいて、これで有罪の確証があるということで起訴できる事例というのはそうそう多くはないんじゃないか。最初はなかなか積極的には起訴できないんじゃないか。むしろ逆に、それを無理して起訴しようとすると冤罪を生む原因になってしまうんじゃないかと思いますので、そういう意味では、合意をしても、さらにその後で慎重に検討した上で、起訴は差し控えるという事例も出てこざるを得ないんじゃないかと考えています。

山尾委員 郷原参考人に引き続き二点伺います。

 済みません、今の二点目のお答えで、私が御質問したのは、虚偽供述があったときに、これを検察官が、俺にうそをついたな、俺はだまされたと訴追するだろうかという疑念です。もう一度お答えいただければと思います。

 もう一つが、今お話にありました、先ほどから、協議、タイミングについては三者のスタートのときからと御答弁がありましたけれども、今度はその中身、どんな事項を記録するべきなのかということについてお考えがあれば、具体的にお願いします。

郷原参考人 虚偽供述について罰則を適用するかどうか、起訴するかどうかという点は、恐らく、その虚偽供述に基づいて起訴したかどうかで違ってくると思います。

 起訴の前に何らかの追加補充捜査をやっていて、うそを見破ったというときであれば、場合によっては罰則適用というのはあり得るかもしれませんが、逆に言えば、だまされたということですから、考え方一つです。高井さんは許されないと言われるんですが、みっともないからやめておこうという検察官もいるかもしれません。

 それから、協議の経過についてどういうことを記録するかということですが、私は、一番重要なことは、その協議の経過の中で、他人の刑事事件についての供述が行われていくということだと思います。合意後の取り調べではなくて、恐らく検察官は相当程度心証を持たないと合意はしないと思いますから、いろいろな客観的な資料も提示したりしながら信用性を確認していく作業というのが当然合意の前に必要になるんじゃないか。そうなると、協議の過程の中で供述経過を記録しておく必要があると思います。

 ただ、恐らくここで問題になるのは、協議の過程というのは、多分、これはアメリカでも録音、録画などはされていないと思いますし、記録化することの是非が問題になると思うんですが、アメリカの場合のような自己負罪型の司法取引の場合、トータルでこのぐらいのことを検察はつかんでいるぞといって少しかまして取引を持ちかけることもあるでしょうし、逆に、弁護側の方でいろいろな駆け引きをすることもあるかもしれません。

 しかし、今回のような捜査・公判協力型の場合は、要は、こういう事実について供述をすれば、それによってどういう恩典が得られるかという比較的単純な要素ですから、そこの部分を記録として残しておくことがそんなに不都合なのか。しかもそれは、録音、録画と違って、そのまま証拠に出るという話じゃなくて、私は、原則として検察官が保管をしておけばいいと思うんです。本当に問題になったときだけ表に出すということにすればいいわけですから、それほど弊害はないんじゃないかと考えております。

山尾委員 それでは、笹倉参考人にお伺いをいたします。

 本当に、アメリカの事例を引いていただいて、これから追いかける日本の立場で、このアメリカの十年の改革の波をしっかりと勉強せよと言っていただいたと思いますけれども、二点お伺いします。

 今、郷原参考人にお伺いしたことと重なりますが、笹倉参考人は、やはり協議あるいは取り調べの状況ないしは過程の明確化、透明化をせよとおっしゃっておられました。ちょっとさらにつけ加えて、その中身を深く、どういう中身を記録したりあるいは透明化したりということで、お考えがあれば具体的にお聞かせください。

 もう一点、もちろん証拠開示、そして補強法則の適用の話がございました。

 これは私も、補強法則については検討すべきだというふうに感じておりますけれども、反論としまして、実際は補強証拠がなければ有罪にはならない運用なのだから、何も補強法則をいじる必要はない、こういう御意見もございます。その反論についてどう考えるか。

 また、今、大きな刑事訴訟法のつい立ての中で、共犯者の自白について一般に補強法則を要求していないのに、この場合に適用するということは余りにもちょっといじり過ぎじゃないか、運用で要求しているようなものだからいいじゃないか、こういう反論に対してどのように再反論されるか。

 この二点をお聞かせください。

笹倉参考人 まず第一点目、過程の透明化ということでありますけれども、これはもちろん、録音、録画するべきであるというふうに考えております。

 と申しますのも、もちろん、私としては、今回の改正では一部の取り調べの録音、録画しかなされませんでしたが、これは本来、全件、全過程の録音、録画にするべきだという主張でございますので、協議、合意に入る前の取り調べも含めましての録音、録画をするべきであるというふうに思います。これは、過程の適正さを担保するという意味では必要不可欠なのではないかなと思います。

 それに加えまして、証拠開示、特に当該情報提供を行った側の被疑者、被告人の信用性にかかわるような証拠は全て開示されるべきだというふうに思っているということでございます。

 また、第二点の補強法則の点につきましては、運用上確保されるんだからそれを信用せよというのは、今回の改革自体がそもそも検察官の不祥事から始まったのに、それで検察官を信用せよというのは余りにちょっと虫がよ過ぎないかというふうに思います。ですので、もしそれが運用上確保される、しかもちゃんと補充捜査もされるということであれば、絶対に補強証拠はあるはずなのですから、補強法則を要求しても実務上も全く支障はないのではないかと思います。

 それがさらに大きな証拠法則ということに関する影響を与えるのではないかというふうな御議論もありましたけれども、まずは、今回の制度が、とりわけ非常に危険性の高い、つまり、それが制度化された利益誘導であるという点を踏まえた検討が必要であり、その場合には、特にこの制度について補強証拠が必要であるということは言うまでもないのではないかと思います。

 以上です。

山尾委員 ありがとうございます。

 それでは、もしかしたらこれが最後になるかもしれません、司法取引に一定の意義を見出しているという意味で、高井参考人、川出参考人、そして郷原参考人、笹倉参考人とお答えいただきたいと思います。今村参考人、私、ため息は共有しておりますので、ちょっとお許しをいただきたいと思います。

 私が尋ねたいのは、今回は、他人型、その中でも、全く別事件、赤の他人も含めた司法取引になっているということです。そのことについて、赤の他人も含める司法取引であることが不可欠であるというふうに考えるか、本当にこれも含めて対象にすべきであるというふうに考えるか、この点をお伺いしたいと思います。

 特に、高井参考人におかれましては、反省の情に見合う刑を獲得できる、あるいは組織犯罪、こんなことも挙げられていましたので、お話を伺う限り、先ほども残念ながらというお言葉もいただいた中で、必ずしもこれもあわせて必要不可欠だとまで思っていらっしゃらないのではないかと勝手に推測をしたのですが、もしかしたら違うかもしれません、直接お答えをいただければと思います。

 そしてまた、川出参考人におかれましても、多くの場合は共犯事件を想定しているのだというトーンでずっとお話しいただいているかと思いますので、そのことも踏まえてお答えをいただければと思います。

 そして、郷原参考人、笹倉参考人もお願いいたします。

奥野委員長 笹倉参考人、できるだけ簡潔にお願いします。

笹倉参考人 まず、司法取引に一定の意義を見出しているというふうに評価されましたけれども、そうではなくて、意義があるとしても、そのほかの捜査に対する今回できなかったような改革を先行させてから、また議論を詳細にするべきだというふうに考えております。

 そして、赤の他人についても情報提供できるという今回の制度は、私としては、よくない、適正なものではないというふうに考えております。

郷原参考人 先ほど申し上げたように、私、三つのメリットがあるというふうに考えておりますが、そのうちの一つである企業のコンプライアンスに関するメリットというのも、恐らく、何らかの共犯関係的なもの、関連性があるからこそその企業にとって調査する意味があるわけですから、そういう意味では、全く無関係な事件について対象にすべきかという点は確かに疑問です。

 それから、もう一つの、事実上の闇取引ですね。これも、私が言っていることが、ちょっと先ほど高井先生には御理解いただいていなかったようなんですが、例えば特捜部などで、立件するかどうか、捜査の対象にするかどうかということについては全面的に裁量があります。そういうことに関して、いろいろ弁護人を通じてそういう闇取引的なものが行われてきたということは実態としてあったんじゃないかと言っているわけでありまして、そういうものも、やはり何らかの共犯関係がある場合がほとんどですので、全く無関係の事件を対象にするというのは、先ほど来、笹倉先生が言われていたような弊害の方が大きいようにも思います。

川出参考人 文言上は、おっしゃるとおり、全く赤の他人が関与するという場合もあり得るんですが、考えていたのは、先ほど来申し上げている共犯事件のようなもので、ただ、限定しなかったのは、恐らく、限定すると、先ほどドイツの御紹介がありましたが、もともと、事件と協力する事件が、一定の牽連性ですか、そういうものを要求する、あるいは、取引の問題ではなくて刑の減免制度の方の話ですが、そういう形をとった場合、牽連性とは一体何なのかというところを厳密に書けるのかという問題があって、そういうことからあえて限定はしていないという話ですので、実際のところは、全く無関係な他人が裏づけがとれるような供述をするというようなことは余り考えられないので、そういう事件には適用されないということになるんだろうと思います。

奥野委員長 高井参考人、時間が迫っているので、端的にお願いします。

高井参考人 まず、自己負罪型の司法取引、これは多分、国民が許さないと思います。検察官としても、当然、当事者のことは努力して自白させる、これはやはり検察官の義務だと私は思います。ですから、自己負罪型の司法取引には私は反対です。

 一方、今の刑事訴訟法の一番大きな問題の一つは、虚偽の巻き込み供述をいかにして見破るかということなんですね。これが大きな課題なんです。

 この第三者の行為についての司法取引というのは、虚偽の巻き込み供述を防ぐ、あるいは、今まで水面下にあったものを表に出すということで、これは虚偽の巻き込み供述を見破るということについては非常に有益である。なぜかならば、要するに、虚偽の供述をして利益を得ようと思っていた者は、今までだったら、あうんの呼吸でやろうとするかもしれないんですね。ところが、この制度ができれば、当然、この制度に乗せて、自分の見返りを確保しようとするわけですね。

 ですから、今まで闇ではあったかもしれない任意の虚偽供述が、かなりの部分、この制度で表に出てくる。これは、虚偽の巻き込み供述を排除する、見破るという意味では物すごく大きな利益だというふうに思います。

山尾委員 どうもありがとうございました。しっかり参考にして、議論を進めてまいります。

奥野委員長 次に、井出庸生君。

井出委員 維新の党の信州長野県出身の井出庸生と申します。よろしくお願いをいたします。

 早速ですが、まず今村参考人に伺いたいのですが、司法取引の関係で、今、さきの委員の先生と参考人の皆様とのやりとりの中で記録という話が出ておりまして、今村参考人は、基本的には今回の法整備にはバツというお考えだと思うんですけれども、司法取引の過程をしっかり記録、可視化すればやってみてもいいんじゃないかというところまでいくかどうか、ちょっと伺いたいと思います。

今村参考人 録音、録画された場合、その意義というのは、私は、高井先生なんかとちょっと違っていて、押しつけとか誘導とかがないようにするというよりは、例えば、出てきた証人の供述が具体的、詳細で現場の状況に符合している、非常に細かいことまで現場の状況、客観的状況にぴったり符合したような供述をした、あるいは秘密の暴露と思われるところまで言ったということとなると、密告者の立場であれば、立場上、利益誘導されているから信用はされないんだけれども、言っている内容は本当だなというふうに思われる可能性があるんですね。

 ただ、言っている内容が本当だなといったって、警察あるいは検察に情報を提供されて現場の状況に符合する供述をしたりとか、あるいは秘密の暴露に近いような供述をすることも容易ですから、これは本当に本人が聞いた話なのか、それとも捜査官から情報を与えられてそうした具体的、詳細な供述をしているのか、これはわからないわけですよ。

 録音、録画されていれば、どちらが情報の起源だったかということはある程度はっきりしてくる。それでも、わからないときはわからないと思いますけれども。ですから、そういう意味で、録音、録画が多少は防波堤になるかなと。

 ただ、それをやればこれに賛成できるかと言われると、なかなか難しいですね。

 先ほど、赤の他人型を含みますかみたいな質問がされていて、含まなくていいんじゃないかみたいな意見も多かったんですけれども、立法はそうなっていませんよね。あるいは、裏づけ捜査を十分やるんだということが強調されていますが、そんなことは立法化されていませんよ。裏づけ捜査を十分やるんだというふうに、それを当然の前提のように語るんだったら、なぜ補強法則を設けないのか。そこが理解できない。

 要するに、俺たちを、捜査官を信用しろと言っているわけですよ、おっしゃるところは。私は、それは立法府の議論ではないというふうに思います。

井出委員 ありがとうございます。

 司法取引は、そもそも、これからやる新しいことなので、やってみなければわからない。

 あと、高井、川出両参考人は賛成のお立場からお話があったと思うんですけれども、それでも裏づけがなければきちっとできないということで、私は、その実効性といいますか、司法取引がもしこの法律どおり始まったとすると、過去の年間事件数なんかを見れば、大体年間八万件ぐらい対象の事件がある、そういうことなんですけれども、実際それで急に立件するものが上がったりするのかなというところもちょっと疑問に思っておりまして、その必要性というところを私は疑問に思っています。

 そういう中で、せめて、もしやるんだったら可視化をしろ、そういうことをおっしゃる方が非常に多いんですけれども、笹倉参考人に伺いたいんですが、笹倉さんは先ほど、可視化と証拠の開示とあと補強、この三つをおっしゃられたんですが、可視化だけでは到底不十分ですか。

笹倉参考人 はい、それは端的に申し上げまして、不十分だと思います。

 というのは、可視化だけでは足りない部分、つまり、ちゃんと裏づけをできているのかということは可視化ではわからないわけですよね。それは、先ほど今村先生もおっしゃいましたけれども、別に法律に書かれるわけでもなく、検察内でそれが徹底して実現されるという担保も全くないわけですから、もちろん、当然、補強法則は必要だと思います。

 そして、証拠開示は、もちろん、取引に応じる側の被疑者、被告人にとっても、そして引っ張り込まれる側の被告人にとっても、また別の観点から必要である。つまり、自分の事件に関する情報を得るという点で必要不可欠なものであると思えますので、可視化だけでは到底足りないというふうに思っております。

井出委員 ありがとうございます。

 笹倉さんの冒頭のお話を伺っていると、我々もアメリカにちょっと行かなきゃいけないかななんていうことも思ったわけであります。

 次に、郷原参考人にお伺いをしたいんですけれども、今回、一定の財政経済事件、銃器、薬物、こういったものが対象になって、裁判員裁判の対象になるような殺人ですとかそういうものが外れました。それは、被害者の感情をおもんぱかってという議論があったことは承知をしておるんですけれども、ただ、私は、さっき郷原さんが例示されたような事件もそうなんですけれども、供述が決め手となるような事件こそ、司法取引というものが使えるものなら使いたいということかなという印象を持っているんです。でも、そうすると、高井、川出参考人もおっしゃられていますけれども、裏づけがなければ、言葉だけではだめだと。

 そういう意味で、この制度をこのまま導入したときに、まさに実効性、これを取り入れてよかった、犯罪がどんどん解決していく、その辺の展望をどのようにお考えになるか、郷原さんの個人的な見解をいただきたいと思います。

郷原参考人 実際のところ、この制度が導入されることによって非常にメリットがあるのは、今委員おっしゃったように、供述に依存せざるを得ない事件になることは間違いないと思います。その供述に依存せざるを得ない事件こそ、簡単に裏づけと言いますけれども、そんなに簡単に裏づけなんて得られるものじゃありません。ですから、ある程度こういう制度が機能するとすれば、やはり、結局、ぎりぎり合意供述が使えるかどうかというところの判断をせざるを得ない。

 そして、裏づけといっても決して十分じゃないけれども、一応なくはないからということで、何とかそれに基づいて起訴して、どうなるかというと、これはなかなか御理解いただけないんですけれども、最大の問題は証人テストだと私は思っているんです。合意供述という非常に怪しげな供述が証人テストで塗り固められると、これは恐らく、裁判官もなかなか見破ることができないように信用性の外形がつくられてしまいます。たまたま、証人テストの問題というのはこれまでも全然見えてこないんですね、行われているという実態も知られていないものですから。

 やはり私は、そういう面でも、これを積極的に活用していくためには、供述経過の問題と、そして、私は、できれば証人テストを原則禁止することによって適正化を図る、そうすれば、本当に信用できるかどうかということがきちんと判断できるようになって、供述に依存せざるを得ない事件でも使えるようになるんじゃないかと思います。

井出委員 ありがとうございます。

 次に、川出参考人に伺いたいのですが、冒頭に地下鉄サリン事件の話をされました。お医者さんだった林郁夫受刑者のお話かと思うんですが、私は、実は、林郁夫受刑者を取り調べ、自供させた警察官の話を聞いたことがあります。

 私がお話を伺っている限りですと、何か捜査側から、ちゃんと話せば刑を減じてやるというような話はなかったと思いますし、また、実行犯の中で、求刑が無期懲役になって、判決もそのとおりになりましたけれども、それも、被害者の御遺族である高橋シズヱさんや仮谷さんの御家族、そういった被害者御遺族が厳しい処罰を望まなかった、そこが大きかったというのが私の理解なんですけれども、林郁夫受刑者の件が今回の司法取引の部分が何かあるというところ、私がちょっとわからないところ、不勉強なところがありましたら教えていただければと思います。

川出参考人 あの例を出しましたのは、あれが司法取引の例だという意味ではなくて、検察官の訴追裁量の枠内で合意をして、他人の犯罪事実の解明に協力したということを根拠として、例えば不起訴にするとか、あるいは軽い罪で起訴するということがそもそもできるのかという根拠として、今でも、他人の犯罪事実の解明に協力したら、あの場合だったら教団による犯罪の解明に貢献したと言っているわけですよね、検察官の方も、あるいは東京地裁も、それが現在でも行われている。そういう意味で、被疑者、被告人の刑責を判断する上で、他人の犯罪事実の解明に協力したということは現在でも否定されていない、そういう例として申し上げたので、取引があそこであったということではないですし、それから、教団の犯罪の解明に協力したということだけを根拠として軽くなったという話でももちろんなくて、おっしゃったように、被害者側の意向もあったでしょうし、それから非常に反省しているということも含めて刑は軽くなったんだと思いますが、一つの要素としては、教団の犯罪の解明に協力したということも考慮されている、そういう例として申し上げたということです。

井出委員 ありがとうございます。

 もう一点、郷原さんにも伺った質問を伺いたいんですが、司法取引が始まっても、使いにくい、裏づけが十分必要だというところはもう十分お話もいただいたかと思うんですけれども、その実効性というところを、どのようにこれがこれからの日本の治安に資するものになっていくか、そこの個人的な御意見をいただきたいと思います。

川出参考人 現実にどのように使われるかというのはちょっと私も予測しがたいところなんですが、確かに、これがどんどんどんどん使われて犯罪の解明に役立つというところになるかと言われると、それはなかなか難しいだろうと思います。

 ですから、基本的には、なかなか供述が得られなくなっているという中で、一つの武器をある意味で捜査機関側に与える、そういう意味合いであって、これからそれがどう使われていくかというのは、先ほども御指摘があったように、対象犯罪というのは今回限定しましたけれども、それをまた拡大していくという可能性もあるでしょうし、そういうことは運用を見た上で、やはりこれだけでは使いづらいということであれば、また検討するという形になると思いますので、すぐにこれがアメリカのように使われるということは必ずしもないのではないかと思います。

井出委員 ありがとうございます。

 次に、高井参考人にも伺いたいのですが、やはりこの司法取引の実効性という部分で、冒頭のお話で、やくざ者の事件、末端をとっ捕まえて、今だったら絶対話さないと。確かに、銃器、薬物の事件に関して言えば、供述が決め手の贈収賄とかと違って、その供述をきっかけに補強するような何か新しい証拠が、あそこに何か銃が隠してあったとか、そういうことも出てくるのかなとは思うんですが、その一方で、やはりやくざの事件となりますと、合意書面が公判で読み上げられたら、その人は何か別の意味で違う刑を出所後受ける羽目になってしまうのではないか、そういう懸念もあって、やはりその実効性というところが私はどうかなと思っているんですが、やくざ事件のところについて少し教えていただきたいと思います。

高井参考人 まず、この議論をするときには、合意によって得られた供述によって必ず第三者を起訴するという前提で考えてはいけないということですね。合意による供述で必ず第三者を起訴するということは義務づけられていないので、起訴するかどうかは検察官の裁量なんですね。

 最も使えるのは、例えば覚醒剤。自己使用で逮捕してきました。どこから入手してきたんですか。今までだと言いません。では、君がもし本当のことを言うんだったら、君、起訴猶予でもいいよというようなことができるようになるわけですね。そうしたら、では、起訴猶予にしてくれるんだったら、私は本当のことを言います、Aさんから買いましたということになります。

 では、それでAさんを譲り受けですぐ逮捕できるか。通常、譲り受けの事犯は、もらった、渡したの一対一だとなかなか起訴ができないんです。ですから、基本は、その場合、そういうAさんからもらったという供述を得ても、Aさんは起訴しません、その供述では。その供述というのは、要するに譲り渡し、この譲り渡しでは起訴しません。しかし、それはAさんがそういうことをしているということを情報として知るわけですから、今度はAさんをしっかりマークして、捜査対象としてマークして、所持なら所持で、譲り渡しではなくて所持で逮捕できるタイミングで逮捕します。

 今度は、Aさんから、では、君、これをどこからもらってきたんだ、Bさんからもらいましたと。同じように合意で得ました。そうすると、Aさんに対する譲り受けでBを逮捕するわけではありません。今度はBをしっかりマークして、Bを所持でやれるタイミングで逮捕するというふうに使っていくわけですね、一番使いやすい方法としては。

 そうすれば、別に、最初にAさんの名前を言った人も後で仕返しを食らうとか、そういうことはないわけですね。Aさんも、後でBさんから仕返しを食らうということはないわけです。自分に対する譲り受けで起訴されているわけじゃないですからね。

 ですから、そういうことに使っていけば、かなり使い勝手がいいということだと思います。ここは、どういう場面でこれを使うか、これはまさに検察官のセンスの問題で、センスのいい検察官であれば、非常に使い勝手のいい制度だと思います。

井出委員 センスのいい検察官だったら、逆に余り合意の書面とか交わさない方がいいんじゃないかなというような思いもちょっとあるんですけれども、わかりました。ありがとうございます。

 笹倉参考人からはアメリカの事例のお話があって、お話を聞く限り、ちょっとやはり日本の方は改革がおくれているのかなという思いを持ちました。今村さんからはドイツのお話がありまして、ドイツの司法取引の制度改正も、私はそんなに何十年も昔の話ではなかったと承知しているんです。

 最後にお二人に一言ずつ伺いたいのは、今回の刑事訴訟法等一部改正は、取り調べの可視化、司法取引、通信傍受、そのほか証拠の開示ですとか、国選弁護人が広がるとか、全体のパッケージで示されているものだと一応素直に理解しているんですね、法務委員会の中でいろいろ反論は申し上げているんですけれども。

 このパッケージの改革として、お二方の立場から見て、ほかの国と全体を比べてみて、これで日本の刑事司法をめぐる環境というものが大きく変わっていく、もしくは、これをやれば世界の中でも少しこの分野はいい線いくんじゃないかとか、逆に、いや、これは全然だめだぞとか、この政府案全体に対するお二人の評価を一言ずついただきたいと思います。

今村参考人 パッケージとして考えまして、供述を得にくくなるから、取り調べに過度に依存しない捜査を目指すと。

 しかし、この司法取引制度に関して申しますと、捜査官が自白を得られないから、例えば、かわりに同房者に自白を得てこいという話ですよね。これはおかしくないですか。ジェイルで、同じ拘置所にいる人から犯行告白を聞いたという者を頼りにするとか、捜査官が自白を得られないから、かわりにそれをする。

 やはり供述依存。話は自白なわけですよ、同じ。俺がやったという告白なわけですよね。供述依存という意味では、それは全然変わっていない。共犯者の供述を得やすくする、これもまさに共犯者の供述に依存した取り調べになっているわけですよね。

 そういう意味では、トータルで当初目指された改革の方向に到底なっていない、供述依存というのは全然変わっていないというのが私の感想です。

笹倉参考人 簡潔に申し上げますと、まず、全体的に見て、今回の改正法案というのは、結局、検察官の権限を増強させているだけだ。もちろん取り調べの可視化とか一部分では導入されますけれども、それのバーターとして司法取引という大きな武器も与えられるということになりますから、本来の改正の当初の目的と全く乖離したものになっているのではないかなと思います。

 そして、国際的に見ますと、例えばアメリカの例を申し上げますと、アメリカでは、今、逆の方向に動いている。というのは、先ほども申し上げましたけれども、多数の冤罪事件が発見されることによりまして、この司法取引の問題だけではなくて、例えば多くの州が死刑を廃止する方向に向かっている、あるいは科学的証拠についても改革をしなければいけないというような動きになっている。

 そのような中で、今回の日本の改革を見た場合に、かなり日本はおくれをとることになってしまうのではないかなというふうに懸念をしております。

井出委員 終わります。

 どうもありがとうございました。

奥野委員長 次に、清水忠史君。

清水委員 日本共産党の清水忠史でございます。

 五人の参考人の皆様方には、御多忙のところ、当委員会までお越しいただきまして、心から感謝を申し上げたいと思います。

 初めに、笹倉参考人にお伺いさせていただきます。

 今、まさしく捜査機関側に大きな権限を与えるものだ、あるいは可視化とのバーターで司法取引を与えるものであるという御発言がございました。

 それで、もともとこの刑事司法改革の発端というのは、冤罪事件を根絶する、あるいは違法な取り調べをなくしていく、ここが契機だったわけです。そのために取り調べや供述調書に過度に依存する捜査手法を改めようということで議論されてきたわけですが、今回の協議・合意制度、いわゆる司法取引が、取り調べや供述調書に過度に依存しないという捜査手法に当たるのかどうか、その辺の関連性についてはどのようにお考えでしょうか。

    〔委員長退席、伊藤(忠)委員長代理着席〕

笹倉参考人 確かに、特別部会の議論過程でも、その問題とは切り離されてこの司法取引というのは議論されておりまして、供述を獲得する新たな手段だというふうにして採用されたものでございます。

 しかし、その実は何かと申しますと、供述を得るための新たな武器を検察に与えるというものでありますし、この制度は、今出ている法案によれば、ここで供述調書をとって、それが公判に出てくるということも別に禁止されていないというか、それも認められているわけでありますから、新たに供述調書を獲得する手段にもなっているということになりまして、これは当初の目的とは矛盾するのではないかなというふうに思っております。

 以上です。

清水委員 続いて、川出参考人にお伺いさせていただきます。

 今回、引っ張り込みや巻き込みを防止するという観点で、一つは弁護人の関与だとか、あるいは虚偽供述罪を設けるということがございますが、いわゆる裏づけ捜査をしっかりやるんだということもおっしゃられたと思います。

 この裏づけ捜査の中に、例えば、第三者、いわゆる被疑者、被告人が供述した別の犯行の被疑者、被告人に対する取り調べ、あるいは参考人としての取り調べ、こうしたことも裏づけ捜査の中に含まれるというようなことであれば、仮にこの協議、合意が、虚偽の供述であり、後に合意から離脱、解消されたとしても、ターゲットとされた方に対する取り調べや、場合によっては逮捕、勾留、こうしたことに対する被害回復というのがなかなか難しいのではないか。

 虚偽を行った者については五年以下の懲役ということになっておりますが、同意をした検察官は証拠として使えないというペナルティーだけ、ましてや同意をした弁護人は何のおとがめも受けないというような中で、制度的に整合性がどのように保たれているのかという率直な疑問がございます。

 とりわけターゲットとされた方に対する過度な取り調べだとか、あるいはそれが冤罪だった場合の被害回復等については、先生はどのようにお考えでしょうか。

川出参考人 ターゲットとされた第三者の取り調べというのが裏づけ捜査に入るかということですか。(清水委員「入るかどうか」と呼ぶ)

 裏づけ捜査として考えているのはそういうものでは恐らくなくて、それは例えば供述から客観的な証拠を探すとか、そういうものを想定しているんだと思います。ですから、第三者を取り調べて自白を得る、それが裏づけ捜査だという形では恐らく考えていないんだと思います。

 それで、冤罪になった場合のというのは……(清水委員「虚偽だった場合のペナルティーです」と呼ぶ)虚偽で冤罪というのは、それは誤って有罪になったということですか。それに対してどうするということですか。

    〔伊藤(忠)委員長代理退席、委員長着席〕

清水委員 申しわけございません、私の説明が大変不足しておりまして。

 いわゆるこの協議、合意に基づく供述によって第三者が逮捕、起訴される場合もあると思います。しかし、結果として、その協議、合意の供述が虚偽だった場合、結局、ターゲットとされた方は、証拠として採用されないということで無罪になる、あるいは起訴されないということになるわけですが、それ以前では、取り調べを受けたり、あるいは勾留を受けたりする場合も時にはあるというふうに思うんですね。

 その場合に、その方に対する被害回復という観念、これは、結局、被疑者、被告人が結果としてうそをついたので、引っ張り込まれた人に対しては、事後で検証した結果でたらめだったけれども、ごめんなさいねということで済むのかどうかということなんですね。

 先生のお話をお伺いさせていただきますと、被疑者、被告人の供述が虚偽だった場合、後で検証されるわけですから、それは証拠として使えませんよと。それはそのとおりでわかるんですけれども、その過程において、ターゲットとされた方については、取り調べを受けたり、場合によっては起訴されたりするということもあると思うんですよ。そのことに対しての被害回復です。

川出参考人 それは恐らくこの場合だけの話ではなくて、間違った起訴、それから身柄拘束ということはあり得るわけですね。ですから、例えば無罪になったということであれば刑事補償は当然あり得るわけですし、そういう形で、損害回復、被害回復というか、それが図られるということであって、特にこの場合に特別な問題ではないと思います。

清水委員 川出参考人が述べられたお話の中で、判例と異なる立法は可能だということもおっしゃられました。恐らく、これは、昭和四十一年の最高裁判決、検察官が起訴猶予にする旨の約束をしたという事案で、自白の任意性に疑いがあるとして、その証拠能力を否定した。当時も、ある程度の裏づけ捜査などは行われた上で、証人として、あるいは供述証拠として出されたのではなかったのかというふうに思います。

 これは笹倉参考人にお伺いしたいんですけれども、この最高裁判例がとりわけ変更されていないもとでこれを法律化するということに対して、どのように受けとめておられるか。川出参考人は判例と異なる立法は可能だというふうにも述べられたんですが、それとの関係でどのようにお考えでしょうか。

笹倉参考人 恐らく、政策的に考えて、もちろんよく議論をした上でという前提ですけれども、このような利益誘導による供述を立法化するということは可能なのだと思います。

 ただし、そのためには、さまざまな担保、虚偽の供述を排除するための担保策が必要でありまして、そのためには、先ほど来申し上げております三つの担保策が絶対に必要なのではないかというふうに考えている次第です。

 川出参考人や高井参考人は、現在の立法、法案でもそれは十分だというふうにおっしゃいますけれども、それは、諸外国などの例を見ますと十分ではないということは明らかなのではないか、こういうふうに思います。

清水委員 続いて、郷原参考人にお伺いしたいと思います。美濃加茂事件では大変御尽力されたということで伺っております。

 今回は、司法取引に司法警察員の関与を認めております。これまでの冤罪、誤判事件のもとでは、警察による密室での違法な取り調べということがさまざま問題となってきたわけですが、司法取引に警察が関与することによって、また検察と一緒になって、この制度のマイナスの部分、影の部分を巧みに活用してというか、暴走していくというような懸念は、郷原参考人自身の経験に照らして、いかがでしょうか。

郷原参考人 私も、その点は非常に懸念をしております。

 警察の取り調べについては可視化というものもほとんど行われておりませんし、先ほど来、今回の協議・合意制度の導入に関して必要ではないかと言っている供述経過の記録化とか、そういうことに関しても、今、警察の取り調べは最も遠いところにあるんじゃないかと思います。

 美濃加茂市長事件の経験から申しますと、そういう警察の取り調べの状況は全くブラックボックスでして、後から一体どういう経過だったかということを確かめようもない。本当に作成の様式もはっきりしていないような取り調べメモのような紙切れがぱらぱら出てくるような状態で、その記録化が全く不十分な状態のまま協議・合意制度の中に警察が関与するということは、私は弊害が非常に大きいんじゃないかと懸念をしております。

清水委員 次に、今村参考人にお伺いいたします。

 先ほど、引野口事件を例に出されました。

 これは、今村参考人の資料を見ますと、警察のスパイとされるMなる者が毎日のように警察に報告をして、私は頑張ったよ、私は頑張ったよ、こんな供述をとったよ、こんな証言をとったよと、同房にいる被疑者、被告人の自白とされることを繰り返し伝えているわけですよね。司法取引の制度がない時点においてこのような取引が行われたということを推認させる一つの例だと思うんです。

 今回、例えば司法取引が制度化された場合、必ずしも協議、合意に至らなくても、いわゆる被疑者、被告人との間でのさまざまな取引、光の当たらない闇の部分での取引というのがもっと拡大していく、そのことによって冤罪や誤判を生み出す可能性というのがあると思うんですが、いかがでしょうか。

今村参考人 その点は、まさに最初に申し上げましたように、アメリカのジェイルの情報提供者が誤判原因の一つであった二十八例のうち、正式な取引をした事例は二例だったというふうに書いてあるんですね、その研究報告に。ほかの二十六例はいわゆる闇取引であって、日本の今回の立法も、事実上の取引を禁じているわけじゃないんです、むしろ利益誘導してもいいんだよという価値観を与えたわけですよね。だから、より闇取引というのはふえるであろう。

 引野口事件の例でいきますと、確かに、同房者Mの供述だけではなくて、この人の供述は信用できるのかという観点から、Mの供述、右首を刺したという供述がありました、それに基づき、右の総頸動脈を実際に、ホルマリン固定されているものを調べているんですよね。確かに傷がある、それは秘密の暴露だとやっているわけですよ。だけれども、調べてみたら、秘密の暴露でも何でもなかった、大いなる誤解だったということがわかっています。

 裏づけ捜査とか秘密の暴露までいくとかなんとか言っているけれども、それは失敗する場合も、引野口事件の例一つとってみても失敗する例というのは大いにある、それを申し上げたいと思います。

清水委員 よくわかりました。

 今村参考人にもう一問お伺いしたいんですが、弁護人として依頼人の利益を最大限守るという観点からの誠実義務と、もともと弁護士として社会正義と基本的人権の擁護、これは引っ張り込みをされるターゲットの人権も含めてということに鑑みる真実義務、この誠実義務と真実義務との板挟み、さまざまなジレンマに陥ると思うんですよ。ですから、そういう点で、弁護人の方々のこの制度に対する不安だとかあるいは懸念というのがあると思うんです。

 日弁連などは、例えば弁護人に対する研修でこの協議・合意制度にたけていくようにしようというふうな声も聞こえてくるんですが、これは果たして研修などで、協議、合意に耐えられる、あるいは誠実義務と真実義務の板挟みを解消するようなことが本当に図られるのかどうか。

 弁護人として、他人の罪を明らかにしてその人の罪を軽くするというようなことに正面から耐えられるのかどうかということについて、お答えいただけるでしょうか。

今村参考人 弁護人の置かれる立場も、基本的に矛盾した立場に置かれる。自分の被疑者、被告人の利益を最大限守らなきゃいけない、かといって社会正義に反するようなことはしてはならない、ましてや、うその供述で他人を巻き込んで冤罪に陥らせるようなことはさせてはいけない、しかし判断材料は不十分だ、これは困りますよね。まさに板挟みになっていて、どうすべきなんだろうというのが、身動きがつかないというのが多くの弁護人なんじゃないか。そこに正解はないんですね。

 ですから、研修などをしてみても、やはり本質的な矛盾がなくなるわけではないから、弁護人が懲戒されないためにはどうしたらいいかとか、懲戒を避けるためにはどうしたらいいかとか、弁護人がいかにして自分の身を守るかという観点の研修ならできるかもしれませんけれども、この矛盾や、ひょっとしたら冤罪の片棒を担がされるかもしれない、刑事弁護制度に対するゆがみが生じてしまうわけですよ。

 だから、こうした矛盾を研修で回避することはできないと考えています。

清水委員 笹倉さんにお伺いいたします。

 アメリカとの違いについていろいろお話をいただいたんですが、インフォーマーやあるいはスニッチによる冤罪、誤判が非常に多発していると。こうした証言に基づいて、もちろん、米国の捜査当局も裏づけ捜査を行ったり、あるいはスニッチやインフォーマーに対する偽証罪や虚偽供述罪などのペナルティーもあろうかと思うんですが、それでもなお、そうした制度を設けたとしても冤罪や誤判が起こるということの本質と、それを日本に持ち込むことの危険性について、お考えがございましたら。

笹倉参考人 まず、虚偽供述罪はもちろんございます。しかし、それが検察官によって実際に起訴に至るということはほとんどないわけですよね。ですから、検察官の援助をした者に対して検察官がそれを訴追するということがない、つまりそれは実効性がないというふうにアメリカでは捉えられているというふうに思います。

 そして、もう一つは……(清水委員「それを日本に持ち込むことの危険性」と呼ぶ)

 ですから、アメリカでも、ずっと有用だ、有用だというふうに言われて、これはほかの国でも導入するべきだというふうに言われていたこの制度が、ようやくこの十年間、危険だということが認識され始めたわけでありますよね。ですから、そこの検証をしっかりしないまま同様の制度を日本で取り入れるということは、まさに愚の骨頂ではないかなというふうに思います。

清水委員 それでは、高井参考人にもお伺いさせていただきます。

 この制度が導入された場合、例えば、組織犯罪、麻薬の取引だとかあるいは暴力団の犯罪だとか、突き上げ捜査には非常に有効なんだというお話をされました。

 それは一面なるほどなというふうにも思うわけですが、今回の法案では、自分と全く関係のない特定犯罪について供述をすれば、いわゆる訴追を逃れるとかあるいは刑が軽くなるということにもなっております。これは、いわゆる突き上げ捜査だとかあるいは組織の犯罪を解明していくということにはつながらないんじゃないかなというふうに思うんですが、その辺はどのようにお考えでしょうか。

奥野委員長 時間が来ていますから、なるべく短くお願いします。

高井参考人 捜査の基本は、いかに有効な情報を入手するか。そこから事件化するかどうかはその先の問題なんですね。

 今回の合意制度は、全く自分と関係のない赤の他人の情報もとれるということになっているわけですね。その情報が有用であれば、それは捜査に大きく資するわけで、それが全く赤の他人の犯罪であるから組織の解明につながらないということにはならないんですね。

 それからもう一つ、通常、そういう場合は、何らかの関係があるからいろいろなことをその人は知っているわけで、全く何の関係もない人が関係のない対象について何かをしゃべるということはないわけですね。ですから、実務上は必ず何かの組織的なつながりがあって、その中で自分が知っていることをしゃべる、それを捜査情報として活用するということになるんだと思います。

清水委員 もう時間が来ましたので、最後に、今村参考人に端的に一言でお答えいただきたいんですけれども、この司法取引の制度が導入されることによって新たな冤罪や誤判を生み出す可能性について、お考えをお聞かせください。

今村参考人 法制度化されるわけですから、まさに引野口事件のような事件が、そのタイプの事件がふえるんじゃないかなと思っています。

清水委員 きょうは、皆さん、本当にどうもありがとうございました。

 これで私の質問を終わらせていただきます。

奥野委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。

 参考人の方々には、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。なかなか時間の制約があって、思う存分しゃべれなかったよと御不満を抱いたかもしれませんが、委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。

 次回は、来る三日金曜日委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時五十七分散会


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