衆議院

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第9号 平成23年4月27日(水曜日)

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平成二十三年四月二十七日(水曜日)

    午前九時一分開議

 出席委員

   委員長 小平 忠正君

   理事 吉良 州司君 理事 首藤 信彦君

   理事 長島 昭久君 理事 西村智奈美君

   理事 秋葉 賢也君 理事 小野寺五典君

   理事 赤松 正雄君

      浅野 貴博君    大泉ひろこ君

      勝又恒一郎君    菊田真紀子君

      阪口 直人君    高橋 英行君

      道休誠一郎君    中津川博郷君

      中野  譲君    萩原  仁君

      浜本  宏君    早川久美子君

      伴野  豊君    山尾志桜里君

      山岡 達丸君    山花 郁夫君

      河井 克行君    北村 茂男君

      河野 太郎君    高村 正彦君

      平沢 勝栄君    松本  純君

      笠井  亮君    服部 良一君

    …………………………………

   外務大臣         松本 剛明君

   内閣官房副長官      仙谷 由人君

   外務副大臣        伴野  豊君

   外務大臣政務官      菊田真紀子君

   外務大臣政務官      山花 郁夫君

   政府参考人

   (宮内庁書陵部長)    岡  弘文君

   政府参考人

   (文化庁文化財部長)   関  裕行君

   参考人

   (慶應義塾大学名誉教授) 田代 和生君

   参考人

   (拓殖大学教授)     下條 正男君

   参考人

   (茨城大学名誉教授)   荒井 信一君

   外務委員会専門員     細矢 隆義君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月二十七日

 辞任         補欠選任

  勝又恒一郎君     高橋 英行君

  早川久美子君     山岡 達丸君

  金田 勝年君     北村 茂男君

  河野 太郎君     松本  純君

  松野 博一君     平沢 勝栄君

同日

 辞任         補欠選任

  高橋 英行君     勝又恒一郎君

  山岡 達丸君     早川久美子君

  北村 茂男君     金田 勝年君

  平沢 勝栄君     松野 博一君

  松本  純君     河野 太郎君

    ―――――――――――――

四月二十六日

 社会保障に関する日本国とブラジル連邦共和国との間の協定の締結について承認を求めるの件(条約第五号)

 社会保障に関する日本国とスイス連邦との間の協定の締結について承認を求めるの件(条約第六号)

 日本国とインド共和国との間の包括的経済連携協定の締結について承認を求めるの件(条約第一八号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 図書に関する日本国政府と大韓民国政府との間の協定の締結について承認を求めるの件(第百七十六回国会条約第五号)

 社会保障に関する日本国とブラジル連邦共和国との間の協定の締結について承認を求めるの件(条約第五号)

 社会保障に関する日本国とスイス連邦との間の協定の締結について承認を求めるの件(条約第六号)

 日本国とインド共和国との間の包括的経済連携協定の締結について承認を求めるの件(条約第一八号)


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     ――――◇―――――

小平委員長 これより会議を開きます。

 第百七十六回国会提出、図書に関する日本国政府と大韓民国政府との間の協定の締結について承認を求めるの件を議題といたします。

 本日は、本件審査のため、参考人として、慶應義塾大学名誉教授田代和生君、拓殖大学教授下條正男君、茨城大学名誉教授荒井信一君、以上三名の方々に御出席をいただき、御意見を承ることにしております。

 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、田代参考人、下條参考人、荒井参考人の順序で、お一人十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えをいただきたいと存じます。

 なお、念のため申し上げますが、御発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑をすることができないこととなっておりますので、あらかじめ御了承願います。

 それでは、最初に田代参考人にお願いいたします。

田代参考人 おはようございます。田代です。

 本日、宗家文書について説明してくれという御依頼が急にございまして、十分間で説明するのはとても無理なんですけれども、表などを交えながら、簡単に御説明いたします。

 まず、宗家文書というのはどういうものかといいますと、江戸時代、対朝鮮外交、貿易を幕府から委託されました対馬藩宗家に伝わる記録文書類です。日本の古文書はもちろんのこと、朝鮮側の公文書もございまして、これは約一万点ほどございます。

 江戸時代の日朝関係といえば、十二回の朝鮮通信使来日で知られておりますけれども、通常の日朝外交というのは、朝鮮釜山の倭館という日本人居留地で行われておりました。そのあり方というのは、鎖国と言われる江戸時代の常識を覆すものでありまして、実態を知る手がかりはすべて宗家文書によるしかありません。宗家は実務外交をこなすために記録の保管、整備に力を入れたことから、その数量は膨大な量になります。

 お手元にお配りしました参考資料をごらんください。これから現在の宗家文庫、宗家文書の状況と韓国に伝わる保管本の状況について御説明いたします。

 表の左側の方にありますA、B、Cというのは、江戸時代に保管、記録がつくられた場所ということになります。上から対馬の国元、Bが倭館、そして江戸藩邸です。各地で記録、保管、活用が進められましたが、江戸時代が終わりまして、さまざまな事情によって、現在、七カ所に分散されております。

 右の方、上から三つ目のところに韓国国史編纂委員会というのがございます。ここに約二万八千点現存いたします。宗家文書が今現在どのぐらい存在するのかということにつきましては、対馬の保管本が不明なために、約十三万点という概数しかわかりませんけれども、韓国の保管本は二二%に相当いたします。この韓国本は、一九二六年、一九三八年の二回に分けて宗家から朝鮮総督府が購入したものです。総督府が買い上げて、文化事業の一環としてこれが伝わっております。一九八七年、果川というところに新庁舎ができまして、マイクロフィルム化でこれが公開されております。

 今回、図書協定がありましたことから、宗家文書の原本を取り戻せるかどうか、あるいは引き渡しが可能かということについていろいろと議論があると思いますけれども、私は研究者の立場から申し上げたいと思います。

 宗家文庫、特に韓国にあります宗家文庫は、日本にあるほかの本、朝鮮本とありようが異なってあります。これは、宗家文書の韓国へ渡った由来というのが、日本人の手によって朝鮮史を書きかえようという意図のもとで総督府が購入して置き去りになったものです。そういったことで、非常に事情が違っているということで、韓国側のこの資料に対する思い入れは非常に複雑なものがあると思います。

 そのころ、日本の資料で韓国の歴史を見ることなど、タブーで非公開になっておりました。私たち日本人研究者は、一九七〇年代ごろからこの資料の貴重性を説きまして、長い間かけて、目録化、そして公開化を進めていただきました。

 まず、この資料のことについて韓国側に何かを持ちかけるときは、日本人としてやるべきこと、大切にこれを保管管理していただいた韓国側に深い感謝と尊敬の念を抱くべきだと思っております。まずそこからスタートしていただかないと、再び非公開になる、これが研究者が最も恐れるところであります。

 研究者にとりまして、何をやっていただきたいか。恐らくは、原本の取り返し、引き渡しというのは非常に難しいんじゃないかと思います。しかしながら、せっかくこういう機会があるのですから、何か学術資料の情報交換という形で、この宗家記録を日本と韓国との共有資料にできないかということを考えていました。幸いにも、宗家文書はマイクロフィルム化が七〇%進んでおります。これを一括して日本に提供していただける、これが研究者にとりまして望外の喜びであります。現在、この宗家文書へのアクセスは大変困難な状況にあります。しかるべき機関でこのマイクロフィルムを保管管理していただきますと、最も研究者がこれを望むところでございます。

 日朝関係史の研究者は、かつての植民地時代の政策の負の遺産ともいうべきいろいろなものを抱えております。特にこの宗家文書は、韓国でいまだに十分に利用できない状態に置いてあります。この宗家文書、置き去りになっている日本の資料としては最大級のものです。しかし、その交渉の仕方を間違えますと、研究者は再びこの資料から遠ざけられてしまいます。

 どうぞ、この協定を契機に文化交流を一層促進し、そしてアクセスがもっとできるように、特にお願いしたいことは、マイクロフィルムなどの複製資料によって、これに研究者がアクセスできるような環境を整えていただきたいということにあります。

 以上です。(拍手)

小平委員長 ありがとうございました。

 次に、下條参考人にお願いいたします。

下條参考人 遅くなりまして申しわけございません。拓殖大学の下條と申します。

 今、田代先生の方から対馬家文書についてお話がありましたが、私は、朝鮮王室儀軌引き渡しの歴史的な背景について、つまり、対馬家文書をどうするかとか朝鮮王室儀軌をどうするかという問題ではなくて、その背後にある問題というものをお話をしておきたいと思います。

 お手元の資料を、十分で非常に限られていますので早口でお話ししますが、一番から四番に分かれております。朝鮮王室儀軌等の引き渡しの課題、どういう課題があるのか。二番目は、文化財の引き渡しの根底にあるのが実は竹島問題だという実態、このことをここにお集まりの議員の皆様がどれだけ認識されておるのかどうか、これが非常に大きな問題です。それから三番目が、歴史認識と歴史事実の違い、これがどのようなものかということをやはり理解していただきたい。それから四番目、日韓の和解。これは、こういった問題の原点は竹島問題にあるわけですから、竹島が返還されてからこういった話し合いをしても構わないのではないかというふうに私は考えております。

 その理由。まず一番、朝鮮王室儀軌、こういった引き渡しの前提として、既に二〇〇六年七月十四日、東京大学から朝鮮王朝実録というものがソウル大学に寄贈されております。それから、北関大捷碑、これは二〇〇五年十月に韓国を通じて、北朝鮮側に返されております。

 こういった問題は、本来、起こるべくして起こったものではなく、起こされたものだ。なぜなら、一九六五年の六月二十二日、日韓は基本条約を締結しておりまして、そのとき文化財及び文化協力に関する日本国及び大韓民国との間の協定が結ばれておりまして、一応こういった問題は解決していたということ、一応区切りがついていたということです。そして今、韓国側は新たに、過去の清算であるとか未来志向の日韓関係、歴史の和解というような言葉を使いながら、文化財の返還、引き渡しではなくて返還を求めております。

 なぜこのような状況になったのか。それは、二番目のところなんですね。一番目に、竹島の日条例というのが、二〇〇五年三月十六日に島根県議会によって制定されました。ここから竹島問題が浮上してまいります。顕在化してくるわけですね。

 これは、今までの日本の外交が、こういった国家主権にかかわる問題にほとんど目をつぶってきた。皆さんここにブルーのリボンなんかつけておられますが、実際に今動いていませんね。北方領土もそうですね。尖閣に関しても何も言えないですね。竹島についても、極端に言うと、奪われたにもかかわらず、何も言ってきませんでした。つまり、効果的なことは何もできなかった。それが、竹島の日条例というものがあることによって大きな変化が出てきます。こういった対応は、日本よりも韓国の方がはるかに早いです。

 というのは、竹島の日条例を制定するほぼ一週間前に、韓国側は、二番目のところ、二の二、対抗措置として、東北アジアの平和のための正しい歴史定立企画団というものがつくられます。これは後に、二〇〇六年九月に東北アジア歴史財団となり、李明博政権になってから独島研究所設置です。これは二〇〇八年の八月ですが、七月、日本の中学校の学習指導要領解説書に竹島問題が記載されたということに対する対抗措置ですね。

 そういった意味では、盧武鉉大統領、潘基文という外務大臣、彼と、李明博さん、すべて国策によってこういったことが行われているんです。そして、この文化財の引き渡し、返還もその運動の中の一つだということをまず御認識いただきたいと思います。

 そういった中で、二〇〇六年九月から、東北アジアの平和のための正しい歴史定立企画団というものが東北アジア歴史財団となりまして、戦略的テーマが変わります。竹島問題、それから日本海の呼称問題、これについては私はすべて論破してございます。それから東北工程、高句麗史問題ですね。

 この高句麗史問題というのは、実は韓流ドラマと極めて深いかかわりがあります。皆さんもファンがいらっしゃるかと思うんですけれども、「朱蒙」とか「太王四神記」というのは、これは日本人あるいは韓国人を洗脳するためのドラマだということですね。つまり、高句麗というのは、歴史的には、韓国の領土でもありませんし、中国の領土でもありません。それを、自国の領土だということを主張するために使った、つくったものが、「朱蒙」であり「太王四神記」だということですね。そういう意味では、日本は一生懸命今協力しているわけですね。

 この高句麗史問題というのは中国と韓国の間で盛んに、もう今はちょっと沈着していますけれども、中国側から見た日本側の動きは極めて不愉快な動きだと思います。

 そういうこと、これも中国側、韓国側の主張には全く根拠がないということは既に明らかにしております。それは、そこに「拙稿」と書いてありますけれども、拓大の「海外事情」という雑誌の中で既に述べております。そのとき、もう既にこういう問題が起こるということで、大体、二〇〇三年、二〇〇四年、五年ぐらいの間で明らかにしております。

 それから、慰安婦問題。これは、二〇〇七年、アメリカの下院とかカナダとかオランダで批判決議案が出されますね。この背後で動いていたのがやはり韓国側です。そして、東北アジア歴史財団もこういったところに深くかかわっています。歴史教科書問題、靖国参拝問題、白頭山問題、これはすべて韓国側、政府が行っているものです。

 そういった中で、韓国は歴史NGO世界大会というものを開くのです。これは、世界各国の歴史NGO団体に対して、旅費と滞在費全部韓国持ちですね。ですから、大々的に人を集めてどういうことをやるか。その成果を、皆さんのお手元の資料、次のページのところに、この財団の理事長、鄭在貞、鄭さんという方なんですが、この方は非常に正直な方で、財団はどんな仕事をしたか、一番下のところですね。

 その次には、政策をつくるのに一定部分の役割を果たしたと考えている、菅直人日本政府が八月十日、声明を出した、いわゆる談話ですね、一定の寄与をしたと。強制併合に関する談話の内容が十分ではないけれども、談話が出たということ自体は意味がある、当時日本政府は衆議院選挙を前にして支持率が下落していたし、政治的に相当難しいときであった、このようなときに日本政府を説得し、説得したんですよ、結局、菅総理の談話をつくり出したんだというふうに自負しています。

 その中で、菅談話の核心内容というのは、韓国人の意思に反して植民地支配をした、これに対して痛切な反省と謝罪をするということ、それ以前になかったアクションプランも提示したが、その中の一部が、朝鮮総督府を経由して搬出された韓国の文化財を返還するということ、それから、サハリン強制徴用同胞を支援する、日本の中に散在する朝鮮人遺骨を戻すと。このことを仕込んだわけですね。

 それがどうしてできたか。それが、去年の七月二十七日、両国の国会議員らが参席するシンポジウムをソウルで開いた、我が方からは日韓の議員代表、日本側からは渡部恒三さんが出て、そして両方が会ったんだ、でも、ほかには話していないんだと。私たちがあっせんしたものは、松下政経塾を通じてそのきっかけをつくった、政経塾というのは右派だ、日本を動かすには右派を攻略すべきだ、責任者を呼んできて講演をさせて、そしてついに百年、一緒に協力しようということにしたと。結局、松下政経塾出身の国会議員数十人いるが、その人々を皆呼んで、韓日の議員が集いを持つことになった、韓日百年の歴史に対する省察と未来ビジョンを一緒に議論した、こういったところから菅談話ができたと言っているんですね。

 そして、ほかにしたことは何があるかというと、事業の実行の側面では、日本の歴史教科書の是正、それから日韓の市民団体を集めて、国内六十、日本四十ぐらいのNGOを一つにまとめて、そして、昨年八月に出されましたけれども、韓国の強制併合市民共同委員会というものをつくって、そして共同宣言文をつくったということを言っています。

 つまり、こういった背景にあるんですね。ですから、この流れの中に朝鮮王室儀軌の問題が潜んでいるということになります。

 そして、こういったことに対して、今お坊さんたちもいらっしゃいますが、実は前回ここに参加された、朝鮮王室儀軌早ければ来月末に戻ってくる、聯合ニュース、四月二十五日の配信です。これをごらんになりますと、一番下だと思うんですが、これは、自民党を除いた方、自民党以外は全部賛成するだろうということを予測して、下の方、還収委員会は、参議院で協定が最終批准されれば、五月中旬、日本で朝鮮王室儀軌還収のために努力した日本関係者など二百人余りを招請し、歓迎レセプションを開くんだということですね。ですから、この中にもこれに参加される方が多分いらっしゃるかもしれませんね。

 そして、最後に、文化財還収運動の価値と成果を共有しながら、これからも日本国内のほかの文化財返還運動の開始点となるだろうというふうに述べております。つまり、ここが出発ですね。

 しかし、問題は、竹島がなぜ韓国側によって奪われているのか。これは、日韓の国交正常化交渉のときに韓国側の外交カードとして使われたものです。歴史的根拠として見たときには、韓国側には竹島を領有する根拠というのは全くありません。にもかかわらず、日本側が何もしない間に韓国側がいろいろな手を打ってきているということ、そして、さまざまな歴史問題は、日本を封じ込めるための手段にすぎないということです。

 そういったことから見ていくと、李承晩ラインで、実は、拿捕、抑留された人、この人たちが人質となって、在日韓国人の法的地位を与えるということ、文化財返還ということ、それから朝鮮半島に残してきた日本人の資産、それを全部ゼロにするということ、外交カードですね。しかし、拿捕、抑留された三千名はいまだに救済されていません、謝罪もされていません。

 そういうことを考えていきますと、非常に大きな問題があるということを認識していただかなければならない。逆に言うと、下手なことをやると、つまり、竹島問題を解決しない状態でこれを続けていくということが、これから同じような問題が続々と出てくるということですね。そのことを御認識いただきたいと思います。

 済みません、十分では話が十分にできませんが、これで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)

小平委員長 どうもありがとうございました。

 次に、荒井参考人にお願いいたします。

荒井参考人 皆様おはようございます。

 私は、歴史研究者として意見を申したいと思います。お手元に資料が回っていると思いますが、それに沿って申し上げたいというふうに思います。

 まず最初に、朝鮮王室儀軌とは何かということなんですが、これは、王朝の正統性を維持し、伝えていくために、先例となるような儀礼を記録したものであるということであります。

 その後の経過をその後にまとめております。

 御承知のように、一九一〇年に韓国併合をいたしました。そのときに明治天皇が前韓国皇帝優遇に関する詔書というのを出しまして、そこで、朕はまさにその軌儀を定めということで、皇室典範等の法令にのっとる、それから、朝鮮の旧習をしんしゃくして、新たに日本の天皇制に編入された朝鮮の王公室の処遇というものを法制化するということを言うわけであります。

 一九一六年に王公家軌範ということで審議が始まるわけですけれども、結局まとまらない。皇室典範に、皇族女子は王族または公族にお嫁に行っていいんだということだけを書き入れただけであります。

 そしてその後、一九一九年に、廃位されました光武帝高宗という方が亡くなるわけですが、それを機会に朝鮮全土にわたって広範な独立運動が起こっております。

 そして、この独立運動を経まして、その後、第二期では、むしろもっと積極的に天皇制の中に朝鮮の王公室を取り入れようということで、その問題が非常に大きくなってきます。これは直接的には、二〇年に李王世子李垠と日本の梨本宮方子の結婚ということが行われるわけです。そのときに、朝鮮の王家と日本の皇室の関係の調整が急務になってきます。

 例えば、結婚すれば妊娠あるいは出産ということが予定されるわけですけれども、その妊娠のときに、例えば岩田帯を締めるのか締めないのか、こういう問題もあります。あるいは、お子さんが生まれた場合に、これを殿下と呼ぶのか呼ばないのか。こういうことは、小さい問題のようでありますけれども、当時としては大問題であったということは、その次に、宮内次官の話したこと、つまり、これはもう総理大臣も責任を持って解決しなきゃいけない問題だと言った資料を引用してございます。

 そして、その中で朝鮮の旧習を参考にするために、一九二二年に朝鮮総督府が王室儀軌を宮内庁に、日本政府に寄進をする。そして、それを参考にして、一九二六年十二月一日に皇室令として王公家軌範というものが発布されるわけです。その後に宇垣一成という朝鮮総督の言葉をあれしてありますけれども、それをお読みになっていただければ、むしろ、朝鮮の王公室を天皇制の中に取り入れて、朝鮮の民衆との間に隔絶させなきゃいけない、そういう政策目標がよく書かれていると思います。

 そこで、戦後でありますけれども、戦後は、皆さんもう御存じのことでありますが、一九六五年に日韓基本条約ができたときに文化財及び文化協力協定というものができて、ある一定の限度はありましたが、文化財を韓国へ引き渡します。それからもう一つは、日本国民が自発的な文化財寄贈をすることを勧奨するということもここでできるわけです。

 そこで、現在ですが、二〇〇一年に情報公開法が施行されます。そして、宮内庁訓令第三号というもので、非現用資料、つまりこれは歴史資料のことなんですが、書陵部に移管されるわけです。歴史資料の公開はここで非常に困難になりますが、しかし、いろいろな動きの中で、次第に、制限つき公開の方向へ動いていって、この段階で初めて、王室儀軌が日本の宮内庁の中にあるということが確認されるわけです。それを受けて、韓国の儀軌返還運動が本格化しますし、あるいは、今言ったようなことの延長上で菅談話が行われ、貴重図書のお渡し、現在の図書協定に来たということであります。

 私の意見でございますけれども、一つは、この王室儀軌の寄贈というものは、三・一独立運動で動揺した植民地統治、植民地支配の立て直しを図った内鮮融和政策、内地と朝鮮、植民地朝鮮を融和する一環として行われたものでありますから、その返還は、植民地支配の清算に通じるものとして、韓国との和解と友好関係を一層増進させることになります。

 それから第二番目には、歴史資料の返還一般として考えてみますと、王室儀軌は五百年以上続いた朝鮮王朝研究の基本的資料であります。その史跡や歴史遺物は朝鮮半島の全域に存在して、大事にされています。そして、朝鮮の人々の国や地域への誇りや帰属意識、そういうもののよりどころになっておるわけであります。つまり、歴史資料などの文化財は、その成立した環境、背景に置くことによってその真価が理解できるので、原産国に置くことが望ましいということであります。

 三は、現在、文化財について、国際的な動き、非常にいろいろな動きがあります。簡単に言えば、文化財というのは民族または地域に固有のものでありますが、同時に、それが国際的に認知されることによって普遍的な価値を持つことができます。つまり、グローバル化の中で普遍的な価値を有する文化財、これは、観光資源としての国際性、それから経済的にも非常に重要なものに現在なりつつあります、世界的に。そのためには、基本的に公開して、観客とそれから研究者、これが自由にアクセスできる、自由な研究ができるというふうにしないといけない。所有権の移動にもかかわらず、返還された遺物等を、例えば、共同で巡回展示をやるとか、博物館を共同で管理する。

 あるいは、最近のアメリカの例でいいますと、インカ帝国の秘宝をイエール大学が一九一二年に取得しております。これが、ことし協定ができて、イエール大学がペルーの大学に返還したわけですけれども、これは、イエール大学とクスコの大学との協定で、例えば、イエールの学生がクスコへ行ってフィールドワークをやるとか、あるいはクスコの、ペルーの研究者がイエール大学に来て研究をするとか、あるいは大事なものは複製をつくってイエール大学に置くとか、いろいろな工夫をやっているわけであります。

 そういう意味で、王室儀軌の返還というものが、歴史資料の公開、それからアクセス、研究の自由の保障、こういうことに積極的に役立っていく、これは絶好の機会だというふうに私は考えております。

 以上でございます。(拍手)

小平委員長 どうもありがとうございました。

 これにて参考人の意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

小平委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。山尾志桜里君。

山尾委員 おはようございます。民主党の山尾志桜里と申します。

 本日は、参考人の皆様、お時間を割いていただいて、貴重な御提言をありがとうございました。

 今回の日韓図書協定の議論に当たって、私としては、タイミングを失しない速やかな引き渡しが必要だと思っています。ただ一方で、これがあくまでもまさに引き渡しだということ、自主的で特別な個別の措置だということ、これをやはり国内でも対外的にもしっかりと確認していくことも重要なことだろうというふうに考えています。

 この速やかな引き渡しということに関連をして田代先生にお伺いをしたいんですが、今回、引き渡しの議論になっているこの朝鮮王室儀軌、これは日本の研究者の方も当然研究の対象にされていると思います。こういった研究者の方々の今後の研究資料として利用していくためのフォローあるいはサポート、これを日本政府としてもしていかなければいけないと思うわけですが、具体的にどういったことがサポートとして考えられるんでしょうか。

田代参考人 お答えいたします。

 私は日本史の方で、専門ではございませんけれども、朝鮮史の友人がたびたび言っております。この引き渡しに際しまして、必ず書誌学的なさまざまなデータを残していただきたいということ、そしていろいろな、画像的なものも含めまして、そういった複製も含めまして、そういったものを全部残していただければ、ほかにも写しというか王朝儀軌の複本というのはあるので、これが渡ってしまったので研究がもうとまってしまうということはないというふうに聞いております。これは私の研究ではなくて、ほかの研究者からの意見です。

山尾委員 ありがとうございます。

 では、次に、まさに田代先生の御専門であります日本由来の対馬宗家文書、これが一部、二万八千冊程度が韓国の国史編纂委員会に保管をされているということを先ほど御説明もいただきました。それに関して、先生の方からは、これまでこういった資料に日本の研究者としてアクセスを求めていく中で、非常に困難な過程を経ながらも、恐らく、少しずつ解除を進めていただいたというような過程があったと思うんです。その相手方との交渉の過程ですとか、あるいはそれを踏まえて、現在はどういったアクセスが可能になっているのかということを少しお伺いできればと思います。

田代参考人 私が最初に韓国に行きましたときに、この閲覧の権限は全部国史編纂委員会の委員長が持っておりました。その委員長がこれをお見せできない理由ということで申されたことは、朝鮮戦争が終わった後、私たちがソウルに戻ってきて見た光景というのを話していただきました。宗家文書が中庭に山のように積まれておりまして、今すぐにガソリンをかけて燃やす寸前になっていたということ、雨ざらしになっていた文書を一点一点手に抱えて、我々は倉庫に戻したという話。そしてこれが、日本人の手によって朝鮮史を書きかえようという意図のもとに、その材料として朝鮮総督府が購入した資料である、日本の資料である、向こうにとりましては、そういった敵のものの資料を大事に保管しなきゃならない、そういう矛盾、それがやはりあったということをお話しになりました。しかしながら、やはり歴史資料というのは大事なので、そのことに価値を見出した我々は、それを非公開の形にして、そしてかぎをかけて、とりあえずこれが学者の目にまだ映らないようにしていますということを申されました。

 それで私たちは、長年、機会をかけまして、そうではない、この資料は、日本人にとっても重要だけれども、韓国側にとってもとても重要であると。つまり、交流史の資料というのは、日本のことだけを記録しているわけではなくて、韓国側のことも記録してある、したがって、両方にとって宝の山だということを申し上げました。

 そのために、それでは、原本が大事なのでということで、かなりの部分をマイクロフィルム化いたしまして、それを公開する。しかしながら、このマイクロフィルムが限られて一日に二百枚しかプリントできないという厳しい条件にありますので、若手研究者が大変お金がかかって困っているということを何度も聞いております。私たちは、そういったことを改善していただければ非常に前を向いて日韓関係の文化交流が図られるのではないかというふうに考えております。

 以上です。

山尾委員 ありがとうございました。

 さらに、今のことに関連をしてもう一つ、一歩進んでお伺いをしたいのは、先ほど田代先生は、こういった件は交渉の仕方を間違えるとよくない、研究者としても、今回のこういった協定の議論と相互という形で引き渡しを求めることが必ずしもいいこととは思われない、こういう趣旨の御発言をされたかと思います。

 こういったことをもしした場合にどういった反応を想定されているのかを含めて、もう少しお話をいただければと思います。

田代参考人 これは韓国側の感情の問題だと思うんです。対等に、こちらが本を渡すので向こうから渡していただきたい、そういう議論にはこれはならないと思うんです。つまり、置かれた状況、置き去りになった状況というのが状況なので、韓国側の宗家文書に対する思いがとても複雑だということが考えられます。

 したがって、こちらからそういう形で外交交渉というところに臨みますと、必ず、それならばこれは非公開にしましょうということで、とりあえず別の場を設けてやりましょうという段階に多分行きますので、そうなりますと、私たち研究者は、本当に、何十年の苦労がすべて消えてしまうということになりますので、一番いい形で進める。ここに関心を持っていただいたことはとてもありがたいと思うんですけれども、やり方を間違えないように、ぜひ、韓国側の状況というもの、それからこの資料の由来をきちっとお調べになった上で先に進めていただきたいというふうに考えております。

山尾委員 ありがとうございます。

 そしてまた、田代先生は、日韓歴史共同研究委員会の委員としても御活動された御経験もおありと伺っています。歴史認識を異にする研究者の方と共同で研究をしていくということを通じて、特に、用いる文言を選択していく際の非常に敏感な議論も重ねてこられたことだと思います。

 そういった御経験も踏まえてお伺いをしたいのが、私、冒頭に言い間違えまして大変失礼をいたしましたが、この協定文には引き渡しという文言があくまでも記載されている。ただ一方で、韓国側の発信を見ますと、返還という言葉を用いての発信がなされているという事実がある。これに対して、日本政府としては是正の申し入れをしていくべきではないか、こういうような議論もあると聞いています。この点に関して、先生のお考えをいただければと思います。

田代参考人 これはちょっと難しい問題で、私の専門から外れますので、申しわけないんですけれども、ちょっとコメントから外させていただきます。

山尾委員 ありがとうございました。

 それでは、荒井参考人に一点お伺いをさせていただきたいと思います。

 参考人からちょうだいしたこのペーパーの二枚目、理由の三というところに「諸国民相互の尊敬と理解のための国際交流」、これが今回の協定に賛成する理由の一つとして挙げられていると思います。

 これは、先ほどのお話を聞かせていただき、さらに読ませていただくと、こういった文化財の所有権の移動を契機に、それがまさに共同管理につながったり、共同利用につながったり、こういう例もあらわれている、こんな御見解をいただきました。

 少し具体的に、どんな例があるかということを教えていただければありがたいと思います。

荒井参考人 一番最新の例では、さっきちょっと申し上げましたけれども、アンデス山脈の山の上にマチュピチュという、これは大変有名な遺跡でありますけれども、ここを、一九一五年に、イエール大学の考古学者が、その後何回にも分けて発掘して、それ以来イエール大学に移っているわけです。

 それで、それの返還というものが、返還運動はずっとあったんですけれども、二〇〇三年から本格的にペルーが動き出して、最後には、ペルーのガルシア大統領、それからアメリカのオバマ大統領も口をききまして、ことしの二月に返還協定ができたわけです。

 それで、イエール大学は、もうかなり前から返還自体には賛成なんだけれども、実際にペルーに行って、それが自由に公開されないとか、あるいはアクセスが非常にできないとか、そういう問題があると困るということで、むしろここ二年くらいはその後どうするかということの相談で費やしてきたというのが実情であります。

 そして、先ほど申し上げましたように、向こうの大学がちゃんとした博物館をつくって、そこへ収蔵する、その博物館の設計とかあるいは運営についてはイエール大学が援助するということ、それからもう一つは、相互に学生、研究者を受け入れて、そして共同研究あるいは学生のフィールドワーク等、これを一緒にやりましょうというふうなこと、そういうことを詳細に協定で決めたわけです。

 それからもう一つは、先ほどもちょっと申し上げましたように、重要な遺物については、レプリカ、あるいはこれは破片その他というものもあるわけですけれども、そういうものについては詳細な資料を提供するということで、結局、一つの国際化のきっかけにむしろ返還というものがなっていった。

 つまり、どっちの国が持つか、これは囲い込んで離さないという問題じゃないということがこの例で非常によく出てきているというふうに思います。一つの例でございます。

 以上です。

山尾委員 ありがとうございます。

 それでは、最後になりますけれども、短い時間で済みません、一点、下條参考人にお伺いをしたいと思います。

 先ほどお話を伺いまして、参考人の御意見として、竹島が返還されてからの議論であるべきではないか、こういう御趣旨で伺いました。さはさりながら、今回、この協定が、国内手続が進んでいく過程に今ある中で、こういった、もし今後この引き渡しが行われる場合に、このことが日韓基本条約の空洞化につながることを防がなきゃいけないという思いは私も持っているんですが、そのことについて、そういった、それを食いとめるための知恵をいただければありがたいなと思います。

下條参考人 いい質問です。ちょっと、短い時間で本当に厳しいんですが。

 きょうはこういう会をつくっていただきまして、非常にありがたいと思っております。多分、ここにいらっしゃる皆さんは、竹島問題とこんなに密接につながっているということは余り認識されなかったのではないか。ということは、戦後の日本の外交自体が、こういった国家主権にかかわる問題に対して余りにも無関心であった、事ここに及んでああだこうだという問題になってしまっている。これはやはり日本側が大きく反省をしなければいけないところです。

 本はただ本にすぎないんです。ただし、問題は、朝鮮王室儀軌以外に、もっと多くの本が、どういう理由か、付録としてついていくわけです。そして、韓国側としては返還というふうに考えています。そして、これは、竹島問題から日本の領有権主張を排除する一つの手段というふうにとっていくと思います。

 それから、田代先生も危惧されておりましたし、荒井先生もおっしゃっておられましたけれども、日韓は、一九六五年六月二十二日、基本条約を締結して文化財協定を結んでいるわけですから、お互いに文化財を使えるようにしていいわけです。もしこれを返さなかったら対馬家文書がどうだとか、あるいは中央図書館にもいっぱいあります、日本の本、中国の本、日本人が持ち込んだものです、そういったものも使えなくなるということは、文化財協定違反ですよね。そういったことをまず前面に出すということ。

 それから、やはり竹島問題は、本当に日韓にとって、言ってみたら今の福島原発と同じです。これからずっと放射能を出し続けます。そういう意味では、この問題に対してはっきりけじめをつけること、そのことを約束して、引き渡すとか、お話をしていくこともこれから必要ではないかなと思います。これは、日本が独立国家として生きていく上の基本的なことです。もしこれができないと、多分、尖閣も北方領土も同じような状況になるということを御理解いただきたいと思います。

山尾委員 どうもありがとうございました。

 以上で終わります。

小平委員長 次に、平沢勝栄君。

平沢委員 自民党の平沢勝栄でございます。

 三人の参考人の皆さんには、お忙しい中、有意義なお話をいただきまして、本当にありがとうございました。

 先ほど、下條参考人のお話を聞いていまして、重要なことが二つありまして、一つは、鄭東北アジア歴史財団理事長、この方が、今回の菅談話について、いろいろと働きかけて説得したというようなことを言っているわけで、そもそも今回の日韓図書協定の発端となったのは、昨年八月十日の菅談話なんです。

 このままあれしますと、菅談話というのは、日本政府が独自につくったものじゃなくて、後で仙谷さんが来られますけれども、仙谷さんたちが独自につくったものじゃなくて、韓国側からいろいろ働きかけをした、こういうふうに私は理解したんですけれども、それについて、まず下條参考人の御意見をお聞かせいただけますか。

下條参考人 私自身、鄭さんにお会いしたわけではありませんが、これは韓国の「週刊朝鮮」という雑誌にも載っておりますし、インターネットでも公開されておるものですから、もしあれでしたら、鄭先生をお呼びして、実際にどういうことをお話ししたかぐらいをあれしてもいいのではないかなと思います。

 私としては、やはりこういった日本の国家的な事業に関して、外国が容喙、くちばしを入れて、それに日本が従ったということになると、これはゆゆしき問題である、国家主権を侵されていることと変わりはないのではないかというふうに認識します。

平沢委員 では、参考人として鄭さんをこの委員会に呼ぶように、これは後で私がお願いします。

 もう一つ、先ほどの下條参考人の御説の中で非常に興味があったのは、きょう韓国からお坊さんが来られていますけれども、その中で、李相根事務総長が、これが日本国内の他の文化財返還運動の開始点となるだろう、こういうふうに言ったという記事が出ているわけです。これは聯合ニュース。

 今回のは始まりだということを言っているわけです、あちらにおられますけれども。要するに、いろいろな文化財があるでしょう、日本にもあります、韓国にもあります、今回はこれで終わりじゃなくて始まりだということを言っているわけで、もともとこの運動というのは、あの皆さん方、お坊さんたちも、私が外務委員長のとき、私のところにも来られました。それが発端で韓国は国会決議もしました。そして、韓国政府からの要請がありました。そもそも民間運動から始まっているんですよ。

 それで、この前の委員会で私が言いましたように、日本で大事なことは世論に訴えることだ、そうすれば政府は動くというようなことも中央日報は書いているんです。ということになると、これからまたどんどん行ったら、そもそも日韓基本条約のときにすべて最終的に解決したというのはどうなるかということになってくると思うんですけれども、これについて、下條参考人の御意見をお聞かせください。

下條参考人 それは、究極的には、竹島問題を封印する一つの手段として使っているということです。要するに、これを推進している東北アジア歴史財団の基本的な、設立趣旨、目的がそこにあるからです。

 ですから、日韓基本条約等は一度全部チャラにして新たに締結していこう、そういう動きもないわけではありません。ただし、竹島問題が一番大きな問題だということだけは御認識いただきたいと思います。

平沢委員 今回この日韓図書協定を結ぶことによって、日本側のとらえ方は、これによって未来志向とか友好親善が深まるとか、そういうようなとらえ方をしているんですけれども、これは協定、条約ですから、韓国側も同じとらえ方をしなければ意味がないわけです。

 ですから、例えば、条約の中には、この協定の中に引き渡しと書いていますけれども、韓国側は、協定上は引き渡しと書いてあっても、これは返還だ、返還だと韓国の報道官は言っていますから、そもそも要するに理解が違うんですけれども、この問題について、日本側は友好親善につながると言っていますけれども、韓国側も同じ考えなのかどうかについて、荒井参考人。

荒井参考人 私は韓国側ではございませんのでちょっと説明はできませんけれども、ただ、申し上げたいのは、歴史的にいいますと、日韓基本条約の段階で、最終的に日本の植民地支配の清算の問題というのは解決しなかったわけです。特に基本条約の中に、一九一〇年、それからそれ以前に締結された条約はもはや無効であるという、「もはや無効」という言葉を使っているわけです。これを字義どおりに解釈すれば、併合条約が無効だったということになるわけですが、これについては日韓が全く別々の解釈を留保した。これは世界の条約史上、全くまれなんですね。それで、こういうぐあいで現在まで来ておりますので、その矛盾、対立というものがいろいろな問題にはね返って出てきているわけです。

 それで、私がその点で、ちょっと先走るかもしれませんけれども、申し上げたいのは、その解釈を何とか統一できないか、あるいは近づけることはできないかということであります。これは、条約法に関する国際条約がございますが、これの規定でやりますとできるんですね。特に、具体的にはその後、村山談話とか、自民党も、橋本さん、小渕さんがいろいろ日韓の共同声明を出しました。つまり、政治的には、両者が植民地支配の解釈についてもかなり接近しているわけですね。

 ですから、これを条約の解釈に反映させる。特に、「もはや無効」というこの大変まれな、別々な解釈を持つという事態がこれで修正されれば、無用な対立は回避できるんだというふうに考えております。

 ちょっとそれましたけれども、以上です。

平沢委員 先ほど下條参考人は、竹島問題がやはり最大の、日韓の間のいわばネックというか障害物だというようなことを言われました。やはり竹島問題が解決しない限り、日韓の友好親善といっても必ずこの問題が出てくるわけでございまして、そういう中で、今回、この日韓図書協定が結ばれようとしている。韓国側は、不法占拠の既成事実を強化しようとして、もう既に海洋科学基地の発注をしている。ですから、どんどん事実関係を強めている、不法占拠の事実を強めている。そして、近く国会の委員会も開かれるという予定になっていると。

 今回この図書協定を結ぶことが、竹島問題に、韓国側が例えば自粛するとか自制するとか話し合いに応ずるとか、そういった方向に行く可能性というのはありますでしょうか、下條参考人。

下條参考人 それは全くないと思います。要するに、これに勢いを買って、もっとやろう、そして日本を封印しようと。

 実は、この問題だけではなくて、日本海表記問題というのもあります。これは国連で潘基文さんが中心となってやっているもので、国連の地名標準化委員会の専門部会のトップは韓国人です。そして、日本海ではなく東海にしようと。なぜなら、竹島が日本海の中にあると日本の領海のようでいけない、だから、韓国側が使っている東海にしなければいけないということで、国連を舞台にして行っています。二本立てですね。そして、今回のこういう問題が、朝鮮王室儀軌が引き渡されたということになると、またでは次にということで、結局、本質的な問題は竹島問題であるにもかかわらず、その周辺の問題で行ったり来たりしていくことになります。

 そういうことを考えていくと、今ここにちょっと、去年の併合百年のあれに関して、竹島問題に関して、いわゆる国際法上、領土紛争問題ではなくて、過去日本の植民地侵奪過程による歴史だと。これは全くうそです。つまり、韓国側の歴史理解というのが誤っています。しかし、日本側は何も反論しませんので、その誤った歴史認識が世界じゅうに今広がっているんですね。

 そういうことを認識した上でこの朝鮮王室儀軌の問題ということを考えていかないと、賛成してしまえば、そういった韓国側に加担したことになってしまう。今、これが歴史的な現実だというふうに御認識いただきたいと思います。

平沢委員 下條参考人にもう一つお聞きしたいんですけれども、今回は、先ほどから朝鮮王朝儀軌という御説明がありましたけれども、朝鮮王朝儀軌を韓国側は要求しているんですけれども、それにプラスアルファしているんです。朝鮮王朝儀軌だけじゃないんです。朝鮮王朝儀軌というのは百六十七冊なんです。それになぜか、この後、仙谷さんが来ますから聞きますけれども、千三十八がプラスされているんです。何で韓国側が全然要求していないにもかかわらず、韓国の皆さん方が私のところに来たときも、それから韓国の国会決議も朝鮮儀軌を返してくれということだった。ところが、それに今回千三十八冊がプラスになっちゃった。しかし、これは、韓国側からすれば、要求もしていないのが来るわけですから、大きなプラスなんです。

 これでも韓国側には何ら日本側に対する感謝の気持ちというのは起こらないですか。

下條参考人 それは全く起こりません。自分たちの成果だというふうに認識すると思います。つまり、もっと欲しいですね。次から次に、これは北朝鮮と同じ体質ですから、そのことを御認識いただきたい。つまり、韓国というのは同じ発想を持っています。

 これは歴史的に見ていくと何かというと、反正というものです。初めにちょっと出しましたけれども、北関大捷碑というのがあります。これは一七〇七年にできています。つまり、文禄の役のときに義兵をやった、百年後に、おれたちはこんなことをやったんだ、つまり歴史の事実ではない事実をつくって自分たちを正当化する、こういった歴史が朝鮮半島の中にはあります。

 そういう観点から、つまり、日本とは全く違う文化を持っている国々と外交を行っているんだという認識が絶対必要だということです。

平沢委員 田代参考人にお聞きしますけれども、先ほど対馬宗家文書のお話がございました。先ほど荒井参考人からも、要するに、原産国というんですか、出所国にそれを引き渡すのがいいんだと。これはたしかユネスコとか国連総会の決議でも出ているんです。

 だとすれば、対馬宗家文書に限らず、日本から韓国に渡ったものがいっぱいあるということが今明らかになってきたんです。ですから、日本から韓国由来のものを、日本に持ってきたものを返すのであれば、韓国にある日本由来のものは日本に返す、そういう双務的な形でやるのが筋じゃないかという声が強いんですけれども、この考え方について田代参考人はどうお考えですか。

田代参考人 私は、宗家文書しかよくわからないのですけれども、個別にそれはなさった方がいいんじゃないかと思うんですね。相互的にやりますと、すべて、いろいろなものが渡った事情というのは違っておりますので、個別に。

 ただ、関心を持っていただいたということはとてもうれしいので、これはぜひ関心を持ち続けていただきたいと思います。

平沢委員 今後、日本は北朝鮮と国交正常化というのは、いずれは必ずこの問題が起こってくると思うんですけれども、今回、韓国とだけこういう形の話し合いを進め、協定を結ぶということは、将来、北朝鮮との国交正常化というような場面があったときに、どういう影響が出るんでしょうか、下條参考人。

下條参考人 日本に対しては、人質外交でも何でもいいから、強硬に出ればいいという一つの前例になっていくと思います。そういう意味では、大変危険な判断につながっていくのではないかなと私は考えております。

平沢委員 下條参考人、では、もう一度確認しますけれども、今回の件は、今回は図書と言っていますけれども、朝鮮とかが由来のものというのは図書だけじゃなくてほかにもいっぱいあるわけですけれども、今後、そういうものに拡大する可能性というのはありますか。それで、民間団体の方がおられますけれども、民間団体の方がいろいろな形で運動を進めて、それが国会を動かし、政府を動かして、また働きかけが来るという可能性というのはありますか。

 そうしますと、これは一言で言えばエンドレスになる形になりますけれども、その可能性というのを下條参考人はどう考えられますか。

下條参考人 それが伝統的な事大外交というものですね。つまり、エンドレスです。この問題は、一つ片づくと、次、次、次というふうに出てきます。

 それから、先ほどもちょっとお話ししましたが、東北アジア歴史財団は世界NGOフォーラムというのをやっています。これをやっているのは、韓国政府がやっているんですね。そして、韓国の市民団体と日本の市民団体あるいは世界の市民団体を集め、それも韓国政府がお金を出しているわけですね。そういう中で生まれてきている議論ですから。竹島もそうです。ところが、日本政府は全く対応していない、そういう現状ですね。

 そういう中で、今度、北朝鮮が同じような手をとってくる。それから、竹島問題もそうですし、日本海の表記もそうですし、北関大捷碑は韓国経由で北朝鮮に返されていますね。そういう意味では、日朝の国交正常化交渉の中でも極めてまずい前例をつくっていくことになる。

 そういう意味では、日朝の国交正常化交渉をする前に竹島問題に目鼻をつけておくということは、これは日本外交がとるべき基本的な姿勢だというふうに私は考えております。

平沢委員 時間が来たので、終わります。ありがとうございました。

小平委員長 次に、赤松正雄君。

赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。おはようございます。

 きょうは、田代先生、下條先生、荒井先生、お忙しいところを来ていただきまして、ありがとうございます。

 この図書に関する日本と韓国との協定締結に当たって、ぜひ専門家の先生方に意見を聞くべきであると主張しました一人として、きょうは大変に知的刺激に満ちあふれたいい機会だったと思って喜んでおります。

 少し補足的に聞かせていただきますが、まず田代先生、先ほど、冒頭のごあいさつの中でおっしゃった点で、宗家文書、韓国の中にあるこの宗家文書が、概数十二万から十三万ですか、これが文化事業の一環として使われた、こういうふうにおっしゃったと私は聞きましたけれども、文化事業の一環としてどのような角度で宗家文書が使われたと、どのように私たちが理解すればよろしいでしょうか。

田代参考人 この参考資料でお配りしましたチャートに、最初に総督府が買い上げましたとき、これを保管した場所に御注目ください。これは朝鮮史編修会という、新しく日本人の手によって朝鮮史をつくり上げよう、そういう朝鮮史編修会というものを立ち上げました。そこに使われる資料の一つとして、これがその当時のいうところの文化事業という説明になっています。

 しかし、それは文化事業といいながら、植民地思想のもとでの歴史を支配しよう、そういう一つのあり方だと思っています。それのもとで宗家文書が国外にわたった、その当時は日本だったわけですけれども、買い上げられたということになります。

赤松(正)委員 つまり、韓国が日本に植民地支配をされていた、そのされていた状況、日本によって支配された、そのときの状況というものを、韓国は十全とこの宗家文書を使って理解しようとした、そういう流れといいますか経緯というものは、十分認識できるわけですね。

田代参考人 韓国が買ったわけではなくて、朝鮮総督府、日本人が宗家から購入したということです。これに当たって、何人かの歴史学者がこの宗家文書の重要性を説きまして、それで総督府がそれを買い上げた、そういうことになっております。

赤松(正)委員 下條参考人にお聞きいたします。

 下條参考人からいただいたペーパーの「「朝鮮王室儀軌」等の引き渡しとその課題」というところの三番目「「日韓基本条約」の関係諸協定。」でキーワードがありますが、その中の「未来志向の日韓関係」、現政府がしきりに使う未来志向の日韓関係。「過去の清算」「未来志向の日韓関係」「歴史の和解」この三つを並べたときに、未来志向の日韓関係が韓国の側にとってどういう意味を持つのか、そのあたりを聞かせていただきたいと思います。

下條参考人 韓国にとって未来志向の日韓関係というのは、日本がすべて悪かったということですね。謝罪をするということですね。それが前提となって、それが未来志向の日韓関係ということになります。つまり、自分たちは正しい。

 ですから、その後の、東北アジアの平和のための正しい歴史定立企画団、つまり、自分たちは正しいという前提に立って、日本側が謝罪をすれば日韓関係は未来志向的な関係が始まる、そして、そのことが歴史の和解である。つまり、日本が悪かったと謝ればいいということですね。そして、そういったことで今求めているのが、常に過去の清算ということです。

 先ほどちょっとお話ししましたが、竹島というのは一九五二年の一月十八日からとられているんですね。つまり、新しい歴史が始まっているわけですね。そういう意味では、未来志向の日韓関係であれば、その前の時代ではなくて、今始まった時代、つまり、戦後の時代も当然踏まえておかなければならないというふうに私は考えます。

 そういう意味では、日本側と韓国側の未来志向の日韓関係というのはニュアンスが全く違うという御認識をいただきたいと思います。

赤松(正)委員 いみじくも最後に、日韓で全然ニュアンスが違うと言われた。

 日本の未来志向の日韓関係、日本政府はどのような位置づけをして使っていると思っておられますか。

下條参考人 それは多分、政権によってさまざま違うと思いますので、私自身よりも赤松先生の方がお詳しいんじゃないでしょうか。

 私自身としては、やはり日本は本当に純粋な意味で何とかしたい、そういう思いでずっとしてきたと思います。それは、国連外交であったりODAに対する支援であったり、そういったことと結びついていると思います。

 ただ、問題は、先ほどちょっとお話ししましたけれども、田代先生もお話がありましたけれども、歴史に対する理解が全く違うということですね。そのことを認識しておかないと、日韓関係というのは理解ができません。

 先ほど田代先生は、対馬文書を日本が韓国に運び込んで、要するに朝鮮史研究をすると。これは、中国やベトナム、朝鮮半島において当然行われていた行政の一部分です。つまり、前の王朝が崩壊したとき、次の王朝が、国家が、前の歴史を編さんするというのは当然のことなんです。それを植民統治とかそういったことに結びつけるのは、やはり歴史的な観点からは、ずれている。つまり、朝鮮半島というのは、そういう歴史認識を持っているということです。日本には、そういった歴史観というのはありません。それは、六国史の時代、十世紀の新国史というのがありますが、日本書紀から始まって、それで終わっています。そういう意味では、歴史に対する理解が全く違うということを認識した上で見ていく必要がある。

 そういう意味で、今、赤松先生からおっしゃられました、過去の清算とか未来志向の日韓関係、歴史の和解、これはやはり日韓で政治家の先生方がすり合わせていくような作業がぜひ必要ではないのかなと思います。そのことがない限り、本当の意味の和解ということは難しいのではないかと私は思います。

赤松(正)委員 引き続き、下條先生にお聞きいたします。

 先生のお書きになられた「海外事情」のことしの四月号、ざっと拝見をさせていただいたんですが、その二十五ページに、今おっしゃったことと深く関係することですが、「戦後の日本は、領土問題に限らず、北朝鮮による拉致問題など、国家主権が侵され続けても外交摩擦を忌避し、その場しのぎの彌縫策で問題の先送りをしてきた。国家主権が侵され続ける現状で、外交摩擦を嫌忌する感覚がどこに由来するのか、理解に苦しむ」こう書かれております。

 この点、要するに、先ほどちらっと私の質問に対して、政権がかわったので、政権の側にあった、私もかつて一時期あったのですけれども、よく知っているんじゃないかというお話がありましたが、私のとらえ方では、変わらざるは外務省で、政権はかわったということで、今言われた、いわゆる外交摩擦を避けたい、外交摩擦を避けたがる外交感覚というか、これって、戦後に特有のものと見られますか。戦前からあるものだと見られますか。

下條参考人 これは日本の社会の一つの病巣と言ったらいいかもしれませんね。つまり、政権ができて元気な時代というのは、そういった問題に対して積極的です。ところが、だんだん社会が硬直して閉塞感が出てくると内向きに変わっていく、そういう傾向があります。

 ですから、明治の初期のころはやはり対外的にも強く出ていますけれども、だんだん内向きになっていますね。今の日本も、戦後、そういう傾向が出てきているのではないでしょうか。同じ問題でありながら韓国側と全く違う認識を持っているということ自体、このことをやはり日本は外交面でも考えていかなければいけませんし、それは政治家の皆さんだけの問題ではなくて、国民一人一人の問題だと思います。

 そういう意味では、やはりそれぞれの国にはそれぞれの国の問題、課題があるんだということを認識した上で外交等にかかわっていく、政治等にかかわる、そういった認識がこれから必要になってくるのではないか。そういったことを考える契機として朝鮮王室儀軌の問題、竹島問題というのも考えておいた方がよろしいのではないかというふうに思います。

赤松(正)委員 もう一点お聞きしたいんですが、先ほどの引用したところの次のページに、いわゆる竹島の問題で、「日韓双方の主張を併記していた外務省の竹島関連のホームページが、「竹島は日本の固有領土」で「韓国が不法占拠」していると書き換えられ、今日の日本政府の見解を補強することになった。」と。この原因になったのが、島根県議会のいわゆる竹島の日条例の制定。この島根県議会の動きによって、初めてというべきか、ある種、この竹島に関する外務省並びに政府の姿勢が変わった、こういう理解でよろしいでしょうか。

下條参考人 竹島というのは今から六十年以上前に韓国側に奪われているものですけれども、それ以後、多分、外務省さんも外務大臣さんも一生懸命やってこられたと思うんですけれども、ただ、その方法と手段がわからなかったのかもしれません。

 ただ、島根県の場合は、竹島の日条例をつくっただけではなくて、竹島に関連する研究を行っています。そして、韓国側には竹島を占拠する歴史的根拠がないということが明らかになりました。ですから、今、韓国側はいろいろな手段を講じて、世界を舞台にした隠ぺい工作を行っているというふうに御認識いただきたいと思います。

 そして、実際に、二〇〇八年の七月十四日ですか、中学校の学習指導要領解説書に竹島問題が載るということ、それから、その前の二〇〇八年の二月には、島根県の竹島問題研究会がまとめた最終報告書をもとにして、竹島問題を理解する十のポイントというふうなものをつくりました。そういった流れから見ていきますと、外務省さんもやればできる、文科省さんもやればできる、ただ、そういったことを動かすものがなかった。

 しかし一方、韓国側では、まず初めに国策の東北アジア歴史財団、独島研究所というようなものを使っています。私、今、実は島根県で竹島問題研究会の座長ということをやっていますけれども、私立大学の教員が手弁当でやらざるを得ない。しかし、韓国は百億ウォンを年間に使う。先ほど言いました歴史NGOなんて世界各国から旅費と滞在費を、私、島根県に行っても、一日一万五百円しかもらえません。お金の問題じゃないんですが、しかし、それでも対抗できるんですね。

 そういうことを考えていくと、やり方と方法さえうまくやっていけば、竹島問題も乗り越えるんじゃないか。これが解決できない限り、日韓関係は同じこと、まさにおっしゃったようにエンドレスなんです。こんなことはもう本当にやめていただきたい。その意味でも、皆さんにはぜひ頑張っていただきたいと思っております。

赤松(正)委員 私もかつて、対中国、対韓国、歴史認識の共同研究ということをやるべきだというふうに言った経緯があります。ただ、歴史認識を共有できるのかということは、大変に深い、大きい問題で、なかなかそれは難しい。私の友人の小此木政夫氏なんかが中心になってやったこの歴史共同研究も、ある意味で徒労に終わったのかな、ほとんど成果がなかったように思うんです。

 そういう状況の中で、下條先生はたしか、いろいろ見たのでどこにどう書いてあったのか忘れちゃいましたけれども、先ほども少しちらっとおっしゃいましたけれども、こういう日韓におけるさまざまな問題を解決していく大きなきっかけになるのは、国家として、日本国として総合的な研究機関、そういうものを設けるべきだというふうにどこかで言われたような気がするんですが、それについて、さらに述べていただきたいと思います。

下條参考人 それができると本当にありがたいですね。つまり、政治をなさっている方々というのは、やはり外に向かって発言をしていく必要があります。でも、ただ声を上げてもいいわけではなくて、やはり客観的な事実ということを踏まえていかなければならない。

 そういう意味で、今まで北方領土の場合でも、内閣府に、北方領土問題対策協会ですか、北対協というのがありますけれども、ほとんど機能しなくなっているんですね。そして、国家主権にかかわる問題というのは、別に北方領土だけではなくて、竹島もそうですし、今、対馬もおかしな感じですね、尖閣もそうですね。それに対して、ではどこがそれをまとめて研究しているのかどうか。

 私自身、そこにも書いておきましたけれども、尖閣というのは、中国の領土、台湾の一部でも全くありません。あれは一九〇五年、要するに台湾自身も尖閣とは全く関係がないということを私は既に実証してあります。ただし、そういうものを実証したからといって、私個人が話してもしようがないんですね。

 そういう意味では、国家がそういった国家主権を守るという意味で、それをやっていく意味では、やはりすべての問題をまとめてやっていく、そういう場所が必要ですね。拉致問題も同じです。そういうことがない限り、小出しでやっていたら、勝てるものも勝てなくなってしまう。結局、今の韓国との関係のように、逆に今、韓国は竹島に植民しているわけですね。軍事を出そうと軍事的侵略をしているわけですよ。その国が日本に対して軍国主義が台頭しているとか、ちょっとおかしい論理ですよね。

 そういうことを考えていくと、日本はもう戦後ここまで来ましたから、もう一度過去を日本側から洗い直して、どういう問題があるのかということを明確にし、新しい日本をつくっていく出発点に、赤松さん、立ってください。

赤松(正)委員 荒井先生、失礼いたしました。時間がなくなってしまいましたので、以上で終わります。

小平委員長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 きょうは、田代参考人、下條参考人、荒井参考人、本当にお忙しい中ありがとうございました。

 今それぞれから質疑もあったので、それも踏まえながらですが、まず一つは、今回の日韓図書協定で引き渡しされる対象になっている朝鮮王朝儀軌のことですけれども、これはお話もありましたけれども、朝鮮時代に行われた国家の重要な行事を文字と絵で記録するということで、王室の結婚式、葬式、宴会などの運び、ほぼすべての国家行事に関する記録が時期、テーマ別に記録をされているというものであります。

 それぞれ、お三方に伺っておきたいんです。それぞれの研究の分野、お立場やお考えも先ほど来おっしゃっているんですが、この儀軌そのものについてなんですけれども、こうした儀軌を初めとする韓国の文化財に直接接したり触れられたことがおありかどうか、そしてどんな印象をお持ちか。そして、そうした韓国の文化財そのものの研究価値についてはどのように考えていらっしゃるか。それ以外の問題はまた改めてということですが、そのこと自身についてまず伺っておきたいんです。

 それぞれお立場やあるいは分野もおありだと思うんですが、まずテーマになっているこれについてのお考えを伺いたいんです。

田代参考人 私は、物資料よりも文献資料で研究している人間ですので、文献資料の立場から申し上げますと、韓国でつけられている文献資料というのは、基本的に国家が編さんしたもの、これが正史として認められております。したがいまして、国家的な総力を挙げてつくられたもの、それなりの権威と、そしてすばらしい、その国の持つ最高水準のものがそこに記されているということになります。

 逆に、私が研究しております日本の江戸時代のものというのは、これは、庶民が識字率を高めましたために、大変多くの古文書、それがいまだに民間のお蔵の中に眠っているという状態にあります。これは文化財ではないというとそうではなくて、やはりこれも立派な日本の歴史を物語る文化財だと思います。

 かほどに、日本と韓国、朝鮮王朝とでは、文書の残り方からして、あるいは物の、歴史に対する考え方からして違っているという、つまり、国家が歴史をつくるということと、逆に民間が歴史を語っている、そういう違いがまさに文献資料の中から見られてくるということがわかります。

下條参考人 朝鮮王室儀軌の場合ですけれども、これは日本でいえば、平安時代の公家たちのいわば日常生活をかいたようなものですね。ただし、閔妃さんのこと、明成皇后のものに関しては、多分、北朝鮮の今の政権の様子を書いたのと余り変わらないような内容だと思いますね。そういう意味では、韓国にとっては価値があるかもしれませんけれども、日本にとってみたら余り価値がないかもしれません。

 ただし、韓国を研究していく場合には、文献は絶対必要です。私自身、実は長く韓国におりまして、竹島の文献もすべて中央図書館の本を使いました。これは、日本時代に日本の総督府が残したものです。その中には、日本の資料ばかりではなくて中国の資料、それから一番多いのは、今、韓国の図書館というのは世界で類のない部分が一部屋あるんです。それは族譜をつくる部屋です。それに関連する資料がたくさん残っています。そういう意味では文化財が使われている。これは当然、韓国でもあれですし、非常に貴重なことですね。ただし、そういった中で見ていくと、文化財をこれから、先ほどもちょっと対馬の文書もありますけれども、やはり韓国側が使い切れないものがいっぱい向こうにあるんだということもちょっと認識しておいていただきたい。

 ですから、朝鮮王室儀軌のものは向こうに行くことも考えられますけれども、逆に対馬文書の場合、韓国人が見ても、多分わからない人が圧倒的に多いです。つまり、日本語で書かれていますし、崩し字で書かれていますので、できれば対馬家文書と、それからあとは、中央図書館の中には、日本の江戸時代の版本も含め、写本も初め、日本にないものもございます。そういう意味では、そういったものを、やはり文化財の協定を結んで日本に持ち帰るということをこれからしていく必要があるのではないかなと思います。

 まず、歴史認識が違うということ、それから歴史が違うということ。向こうは中央集権ですから、国家が中心となって歴史をつくります。日本の場合には地方分権ですから、それぞれの藩ごとの歴史ですね。国全体をまとめたものがありません。そういう意味では異なる文化を持っているので、できればこれを機会に、お互いに上から目線での日韓の歴史共同研究ではなくて、やはり研究者を通じた研究を、ぜひ笠井先生、推進していただけると非常にありがたいと私は思います。

荒井参考人 個人的なことになりますけれども、私は、最初に韓国に行ったのは一九八七年です。当時、私の主宰しております大学の学科の中は、考古学と国際関係学と両方の学生がいました。韓国に行った目的は、一つは、日本の学生は何か平和ぼけしているといいますか、そこでぜひ三十八度線に連れていきたいと。そして、あそこでのやはり緊張関係というものを体験してもらいたい、その上で国際関係の勉強をしてもらいたいなと。

 それからもう一つは、当時、韓半島、朝鮮半島の一番南に前方後円墳が出たというニュースがあります。それが出ますと、日本の学者は日本の前方後円墳がそっちへ行ったんだ、韓国の学者は、いや、日本の前方後円墳こそこっちから行ったんだということになるわけです。ですから、実際にそこへ行って古墳をはかってみよう、古墳を見て、測量道具を持って、そしてそこの古墳へ行ってはかったわけです。それが最初でありまして、したがって、それ以降、韓国の学生を呼んだり、こっちから学生が行ったり、人と人との交流ということを、学生同士の交流というものを私は非常に大事にしておりました。

 そのときに、それぞれに文化財を見て、それぞれに率直に感じたことを記してもらう、これは学生の教育にとって非常に有意義だったというふうに私は思っております。直接の答えにはなりませんが、それだけ申し上げておきます。

笠井委員 田代参考人に伺いたいのですが、先ほど対馬宗家文書についてのお話がありました。その中で、朝鮮総督府が歴史を書きかえようとして買って、置き去りにしてきたものだというお話、御説明があったと思うんですけれども、その歴史を書きかえようとしたというあたりで、もう少し、どういう動機でとかというようなことについて、どんなことだったのか。それから、韓国側が、だからこそ非常に複雑な気持ちを持っているという、その複雑さの中身というのはどんなことなのか。少し詳しくというか、限られた時間ですが、もう少しお話しいただければと思うのですが。

田代参考人 これは私が、先学といいますか、先にいろいろ研究なさっている方の研究を読んだ限りで、はっきりとはわからないんですけれども、そこにはこうありました。韓国の歴史というのは、王朝実録を中心にして、そこで認められたことが歴史として積み上がっていく。そうしますと、王朝国家が認めたもの以外は正史ではなくなるということになります。

 そこで、日本が植民地化したときに、そのいわゆる王朝国家の見方ではなくて、もっと下からの、先ほど申し上げましたように、日本の資料というのは、すべてをすくい出して記録の中に入っております。それで、そういった実証的な面から、つまり、王朝の許したその記事だけではなくて、すべての起こった日朝交流史を書きとめた宗家記録から、そこでいわゆる真の姿を何か明らかにしたいというふうに考えたんだと思うんですけれども、それは言ってしまえば、韓国側から見れば、これは書きかえという、自分たちの望んだ歴史ではないということになるのかもしれないです。

 そういった違いがありますけれども、宗家文書には、確かに王朝文書には入っていない下級官僚の文書、それから、朝鮮ではほとんど認められていなかった商人の活動、これらが貿易の活動の記録の中に大変多く出てきます。そして、これは朝鮮側に控えしか残っていない、正確には現物が残っていない、対馬側に渡された朝鮮側の外交文書、それの本物が約一万点残っております。

 ですから、日本の古文書だけではなくて、朝鮮資料もそこに約三分の一入っているということになります。したがいまして、韓国側から見ましても、この宗家文書は、よくよく見てみると、大変宝物になってまいります。

笠井委員 荒井参考人に伺いたいと思うんですけれども、韓国併合百年の機会に、今回の協定によって朝鮮王朝儀軌などの文化財が韓国に引き渡されるということの意味について、先ほどもお話あったと思うんですが、日韓関係の歴史の中でどのように位置づけられておられるか。

 そして、日韓関係の中で、韓国併合百年を経た関係の中で、残された課題といいますか、今後、どんなものがまだ残されていて、どのように解決していくということが日韓の友好あるいは今後の未来につながっていくというふうにお考えなのか、伺っておきたいと思うんですが、いかがでしょうか。

荒井参考人 大変大きな問題なので、時間の関係で余り説明できませんけれども、私が今考えているのは、日本の考古学というのは朝鮮をいわば実験場にして発展してきた、しかし、今の日本の考古学の歴史の中からは朝鮮におけるそれはほとんど欠けてしまっている、これはおかしいじゃないかということが一つです。

 特に朝鮮半島の北ですね。北朝鮮のお話がちょっと出ましたけれども、あそこには非常に重要な、東アジア全体としても重要な遺跡等があって、ほとんどそういうものが植民地時代に破壊されているわけですね。つまり、そういう破壊された、あるいは盗まれたものがかなり日本にも来ているわけで、今後そういうものを一体どうしたらいいのかということですね。

 それは、先ほど申しましたように、やはり原産国主義、あるいは国際的な価値あるものに高めていく、そういう努力の中で解決していく以外にないかなというふうに感じております。直接のお答えになりませんけれども、そういうことであります。

笠井委員 では、ちょっと今のお話とのかかわりなんですが、昨年の四月にもエジプトのカイロで文化財の流出の被害国が一堂に集まった会合が開かれたり、あるいは、今、原産国にというお話がありましたが、盗まれたものがという点ではユネスコの条約があったり国連の決議があるというようなことがありますけれども、そういう点では文化財問題にかかわる国際社会の新たな動きもあるんですが、その流れに対して、どんな基準や物差しで対応するのがいいのかというのはなかなか難しい問題があると思うんですね。

 今、先生がおっしゃったこととのかかわりで伺っておきたいんですけれども、どんなふうな考え方でそういう問題を扱っていったらいいのか。もっと広い意味になってしまうかもしれませんけれども、そして、日本政府とすればどう対応すべきだというふうに今お考えなのか、先ほどのお答えの続きでお答えください。

荒井参考人 条約上は、ユネスコ条約、それから九五年にユニドロワ条約という、これは各国の司法を統一しようということで、司法のレベルで文化財交流を考えたものであります。それから、それと別に国際博物館の倫理綱領というのができておりまして、これはほとんど主要な博物館が入っております。現在では、その三つが大体基準になって、文化財の移動とか交流とか、そういうことが考えられているわけです。

 日本では、やはりそういう動きがちょっと鈍いので、そういう法的枠組みが何か。それから、博物館綱領は道義的な枠組みです。それからもう一つは、最近の一つの大きな動きは、エジプトの話もございましたが、植民地時代に行われたいろいろなことを現在どういうふうに解決していくか。

 大体この三つが世界の大きな流れになって、その中で文化財の移動とか返還とか交流、こういう問題が議論されておりまして、その枠組みをきちっととらえて考えていくということが重要だろうというふうに思っています。

笠井委員 時間になりましたので、まだまだ伺いたいことがあったんですが、またいずれかの機会にお願いします。ありがとうございました。

小平委員長 次に、服部良一君。

服部委員 社民党の服部良一です。

 参考人の皆様、本当に御苦労さまです。

 荒井参考人にちょっとお聞きしたいんですが、私、前回のこの委員会でも、朝鮮王朝儀軌の図書については、菅談話では「お渡し」、本協定では「引き渡す」となっているわけですが、きょう先生のお話を改めてお聞きしまして、これはやはり、日本の植民地支配の脈絡の中で、きちんと日本による植民地政策の歴史的経過と事実を踏まえるならば、これはもう当然返還だ、返還すべきものだというふうに私自身は思うわけですけれども、先生の御所見をお聞きします。

荒井参考人 私も実質的には返還だと思っております。

 ただ、今度の図書協定というのを考えてみますと、一九六五年の文化財並びに文化協力協定というもののいわば延長でできているというふうに私は解釈しております。そこの、特に文化交流、これについて、政府レベルで初めてこういうものができたということでありましたが、大きく言えば、やはり六五年条約の枠組みの中でできていて、そして六五年条約では、先ほど申しましたように、韓国側は返還、日本側は引き渡しということで、これは決着がつかなかったわけですね、両方が。ですから、その問題はひとつどうするかということを考えていく必要があるというふうに思っています。

 それからもう一つは、六五年条約はサンフランシスコ条約の枠組みの中でできたものであります。そして、サンフランシスコ講和条約の中では、文化財を含めて財産に関する相互請求権の放棄ということを決めているわけでありまして、今回返還のある、引き渡しになる王朝儀軌、それ以外の図書は、一九四五年の十二月にアメリカの軍政局が接収したものなんですね。それが四八年に米韓協定で大韓民国に移譲された。そういうものが、大体、朝鮮総督府関係のものであります。しかし、今回返還されるのは、それ以前の、つまり朝鮮総督府、日本の植民地支配時代に日本に渡されたものでありますので、直接にはカバーされていないわけですね。

 文化財及び文化協力関係で、直接にはカバーされていないけれども、その延長上で今回の図書協定ができたということは、別の言い方をすると、戦後処理の延長上で文化財及び文化協力協定というものができているということで、そして、戦後処理の中に、そういう朝鮮総督府が保有していた文化財が含まれている。ちょっとややこしい言い方になりますが、私はそう考えております。

服部委員 民間レベルでの文化財も、相当まだ、六万点以上残っているというふうなこともちょっと聞いているわけです。

 下條参考人にお聞きしますが、先ほど北関大捷碑の件をちょっと触れられました。これは、二〇〇五年の十月に靖国神社で、我が国の外務大臣政務官、それから韓国側の駐日大使が出席のもと、返還調印式が行われて韓国側に返されたわけですけれども、こういったこともおかしいというふうにお考えなんでしょうか。

下條参考人 いや、私はおかしいとは言っていません。ただ、こういった流れが生まれたのが、竹島問題が起こってからだという御説明をしたはずです。

 つまり、竹島問題を封印するための一つの手段として、こういう文化財返還運動というのが行われていて、その中で、ごらんになったらわかりますね、二〇〇五年三月十六日です、竹島の日条例。そして、そういった話が出てくるのは二〇〇五年の六月です。思い出していただきたいのは、これはちょうど小泉内閣の時代で、靖国参拝問題が起こっていました。そして、その前に、竹島問題が契機となって、中国で四月、大暴動が起こりますね。御記憶でしょうか。

 そういった流れの中で、韓国側がこういった文化財返還という問題を、竹島問題とあわせて、要するに対抗手段として取り上げてきたものだというふうに私は理解しています。

服部委員 ですから、返還そのものは特におかしいとおっしゃっているわけじゃない、そういうことですね。(下條参考人「おかしいわけではなく、ただ、手段としてですね」と呼ぶ)はい、わかりました。

 田代参考人にお聞きしますけれども、対馬文書の話を聞いていて私思うのは、対馬というのは、いわば近代国家が日本、韓国と成立する前は、やはり日本と韓国との文化の交流の場があったというふうに思うんですね。ですから、今は文化財の所有権ばかりが前に出された議論になっているんですけれども、先ほどの、いわゆる研究者の立場として、非常に私も感銘を受けたわけですけれども、やはりこれが日本と韓国のいわゆる共同の研究の対象として、共同、共通の財産として、非常に重要視されて尊重されていかなければならないというふうに思うわけですけれども、日本にもまだ数多く韓国から渡ってきたものがあるというふうに言われているわけですが、そういった今後の保存のあり方、あるいは返還問題、これについてちょっと御意見をお聞きしたいというふうに思います。

田代参考人 古文書を読んでいくのはなかなか大変なことなので、私のやった努力というのは、韓国人に日本の古文書を読む作業というのを一生懸命やりました。それで、彼らが帰りました後、日本の古文書を、特に宗家文書についての重要性を説いてもらう、そのことをかなり大学でやってきました。そういう形で、韓国人もこの対馬文書、宗家文書というものにアクセスできるような体制というのが現在できつつあります。そのために、対馬の宗家文書というのが、本当に世界的な意味で、そして日本の国内ではどんどんと重要文化財に指定されつつあります。こういうことから、客観的にこれが取り上げられつつあるということになってきます。

 これは一点物というものが多うございますので、やはりすべてを複製にして、そしてお互いにそれが共有の財産としてアクセス可能な状態にしていかないと、例えばシリーズ物が一巻から四巻まであるものが、二と四が対馬にありまして、一と三が韓国にある、そういう生き別れになっている文書がたくさんあります。そういったような、こういった戦前の文書を移動したということによりまして、我々研究者が非常な困難を強いられているという状況を御理解いただきたい。

 そして、ぜひこれが、みんなで、皆さんで共有のものとして広く公開されて、利用できるような体制を一日も早くつくっていただきたいというふうに考えております。

服部委員 荒井参考人にお聞きしたいんですけれども、今回の図書協定の、図書協定といいますか、王朝儀軌の返還については、植民地支配の清算の一環であるということをお聞きいたしました。

 先生にいただいた資料の中で、「世界」の昨年の七月号に、「植民地支配責任と向き合うために」という論文を読ませていただいたわけですけれども、この最後に、一番最後の四行のところに、「現在日本の国会に上程されている戦時性的強制被害者補償のための法案、国会図書館法改正案(平和調査会法案)の制定を実現することが、北東アジアの和解への大きな一歩となろう。」という言葉で締めくくっておられるわけです。私も、日本の植民地支配の清算という意味において、まだまだ戦後補償の問題というのは解決していないなというふうな思いを持っているわけです。

 そういう意味で、先生として、この戦後補償の問題で国会に望むものといいますか、それをちょっと改めてお聞きしたいと思います。

荒井参考人 戦後補償の問題で、今言ったような法案がずっと準備されていたわけですが、なかなかそれが前へ進まないということは、私はちょっと残念かなというふうに思っております。

 特に、例えば慰安婦問題にしても、これは日韓の問題だけじゃなくて、最近ではグアム島、当時アメリカ領ですが、ここでやはり日本軍が慰安婦をあれしたということで、これは現在でもアメリカの議会で、ここ三年ぐらいずっと問題になっております。

 これは一例でありますけれども、私が二〇〇七年にアメリカへ行って、そして当時のアメリカの下院の外交委員長に会ったときに、その外交委員長がこういうふうに言っていたんですね。日本という国は周囲のすべての国と領土問題、歴史問題を抱えていると。つまり、こういうところに、こういうバスケットにアメリカは球を全部投げ込んでいいのかという言い方をしていました。やはり日米同盟を、もっと人道とか、正義という言葉を当時彼は使っていましたが、そういう方向へ進めていくためには、この問題を前向きにといいますか、理性的、合理的に解決していかなきゃならないということを、そのとき盛んにおっしゃっていたんだというふうに思います。

 私も、やはり歴史問題、領土問題をどう解決していくかということが、これからの日本の世界の中での対外関係あるいは日米関係自体にも非常に影響してきていると。つまり、ここは外務委員会ですから、できるだけ広い、世界史的な視野で、つまり二国間関係としてだけとらえるのではなくて、もっと現在の複雑な国際関係の中で考えていただきたいということをお願いいたします。

服部委員 ありがとうございます。

 具体的な課題として、先生は、例えば空襲被害者の空襲被害の問題とかも本を書かれたりしておりますけれども、より具体的に、やはり戦後補償で、例えば今回の菅さんの談話の中にも、遺骨の返還の問題とかサハリンとかいろいろあるわけですが、そういう、もっとテーマとして具体的に、今、国会で審議を前を向いてやるべきじゃないかというような、そういう御意見があれば、ちょっともう一言お願いしたいんですけれども。

荒井参考人 私は、多分、兵隊に行った中で補償問題なんかを考えている非常に数少ない人間だというふうに思います。

 それで、やはり現在の戦争は、その戦争が正しい戦争か悪い戦争かということを別にして、どんな戦争であっても大きな被害を出すわけであります。これは確かに、震災と戦争、人災と天災の違いはありますけれども、普通の人の感覚から言うと、どこかで似ていると。

 韓国では、特に震災以来、非常に、日本に救援をする、日本の被災者たちに同情する、これが一種のブームになっていたわけですね。ところが、四月初めに日本の教科書問題、特に竹島を記載したということが出ますと、それが一気にしぼんでしまった。なくなったわけじゃありません、その後また盛り返していますが。

 ですから、そういう意味で、もっとグローバルに物事を処理できないか。補償問題もそう、グローバルな枠組みの中でとらえていけないかということを私は考えております。

服部委員 貴重な意見ありがとうございました。

 これで終わります。

小平委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、参考人各位に一言御礼を申し上げます。

 参考人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。(拍手)

 参考人の方々は御退席いただいて結構です。

 速記をとめてください。

    〔速記中止〕

小平委員長 速記を起こしてください。

    ―――――――――――――

小平委員長 質疑を続行いたします。

 この際、お諮りいたします。

 本件審査のため、本日、政府参考人として宮内庁書陵部長岡弘文君、文化庁文化財部長関裕行君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

小平委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

小平委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。秋葉賢也君。

秋葉委員 自由民主党の秋葉賢也です。

 先ほどは、三人の参考人の皆さんから大変貴重な御意見をいただきまして、この委員会の議論も大変深まったのではないかなというふうに思っております。

 さて、これまでの議論の中で、政府側、大臣の答弁で、どうも、すとんと、釈然としない点が幾つかございます。その一つが、もともと韓国から我が国に対して引き渡しの要求があったのは朝鮮王朝儀軌の百六十七点、これに限られていたわけでございます。今回、それに加えて千三十八点の附属書が追加された理由について、あくまでも日本が植民地として統治していた期間のものであるということは述べられておりますけれども、本当にこれだけしかないのかということも含めて、なぜ朝鮮王朝儀軌以外に引き渡しの図書の範囲が拡大されたのかということについて、冒頭、大臣に改めて御認識を伺っておきたいと思います。

松本(剛)国務大臣 御質問に御答弁を申し上げたいと思います。

 御案内のとおり、昨年は、日韓併合条約締結からちょうど百年という日韓関係にとって大きな節目の年でありまして、政府といたしましても、当然そのことを二〇一〇年以前から認識をしていたところであります。日韓関係において二〇一〇年という年が有する意味を踏まえつつ、日本政府としての対応についての検討、そして、今お話がありましたけれども、韓国の政府や有識者などの考え方についての情報収集を行ってきました。

 そういったことを重ねてきたところで、総理談話の検討過程においては、菅総理、官邸の主導、判断のもとに、外務省においても、当時の岡田大臣を含め、未来志向の日韓関係を構築していく上で何が適当かといった点を議論した上で、図書の引き渡しについては、両国の文化協力関係を増進することを目的として、いわゆる談話に記しましたように、日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌などの朝鮮半島由来の貴重な図書について、所要の手続を経た上で引き渡しを行いたいとの考えに至ったものだと理解をいたしております。

 本件図書の引き渡しは、日本政府として、日韓間の歴史を踏まえ、未来志向の日韓関係を構築していく観点から、日韓関係のさらなる強化に資するもの、それに適当なものとして考えるに至ったところで、日本側の自主的措置として行う、こういうことで定めたものであります。

秋葉委員 改めて伺いますけれども、今回、引き渡しをする図書は、もうこれですべてだという理解でよろしいのか。そしてまた、図書はこれだけかもしれませんけれども、この間の、例えば美術品初め、ほかのいわゆる文化財というものが含まれていないのか、そういう調査をしたのか、改めて伺っておきたいと思います。

松本(剛)国務大臣 ただいま御答弁を申し上げましたように、百年という節目において、私どもとして、これまでのことを踏まえ、まさに未来志向の日韓関係を構築していく上で何が適当かといった議論をして、今回、この定義の図書を渡すことが適当だということを考えるに至ったわけでありますので、これに当たるものはこれですべてだということでありますし、今、私自身としては、これをまず遂行することを、この条約を御承認いただいた上では、これをしっかりいわば実施に移すことを考えておりまして、それ以上のことを考えているわけではありません。

 なお、対象をそのように定めましたので、それ以外、文化財とかそういうことだと思いますけれども、それ以外について特に調査を行ったということはありません。

秋葉委員 政府の取り組みとして非常に中途半端だと思うんです。文化交流の促進といった場合に、何もこういった図書だけではない。しかも、明確に韓国政府から引き渡し要求があったのは朝鮮王朝儀軌だけだったわけでありますから、本来であれば、この分野に特化して応じるべきだったんだろうと思います。そういうことをしっかりと議事録に残しておきたいと思います。

 参考までに、一九六五年に日韓の間で文化財・文化協力協定が結ばれました。このとき、実は、韓国政府からいわゆる返還要求ということで出されていたリストは四千四百七十九点ございました。結果的に、日本政府は当時、三百五十九件、総数で千三百二十一点の文化財の引き渡しをさせていただいたんですが、実は、この中には韓国政府から要求をされていなかった八百五十二点の文化財も含まれていたわけであります。

 相互の交流、協定ということで申し上げれば、やはりお互いに必要とするものをお互いに譲り合いながら、あるいは、お互いの文化を尊重しながら対応するということが本来の姿でありまして、今回、韓国でも二度にわたって国会でも決議をされているこの朝鮮王朝儀軌について返還をするということについては、私自身はやぶさかではないという認識を持っておりますが、ただ、要求もされていない、引き渡し要求も受けていないものが追加されたということについては到底納得できないし、そのことによって今後に悪影響が出ないようにしていかなければならないということを大変危惧するわけでございます。

 しかも、今回この協定が発効いたしますと、六カ月以内に韓国政府に引き渡すという規定が盛り込まれているわけでありますが、外務省にお尋ねをしましたら、今回、この王朝儀軌も含めて、マイクロフィルム化なり、文書の我が国の中での複写という問題について全く手つかずだったということが我が党の外交部会での審議で明らかになりました。

 早速、今、マイクロフィルム化等々の作業に着手をしていただいておりますけれども、大体いつごろこの複写化を終えるのかということをはっきりとお示ししておいていただきたいと思います。

松本(剛)国務大臣 複写化については基本的には終わっているという情報に今接しているところでございます。

秋葉委員 我々自民党の外交部会での議論のときには、そもそも複写化に着手していなかったという外務省の認識の披瀝がありました。我が党は、早速複写化に取り組むべきだということを進言して、その時点ではまだ全部終わっていないということだったものですから今確認をしたわけですが、大臣の御答弁のとおり、現段階ではすべて終わっているという認識でよろしいんですね。この百六十七冊プラス千三十八冊について、すべてマイクロフィルム化等が終わっているという理解でよろしいですか。

松本(剛)国務大臣 お渡しする分については、マイクロフィルム化は終わっているけれども、デジタルデータ化がまだ作業中だというのが正確な回答だというふうに今確認をいたしました。

秋葉委員 今回の協定のプロセスの中で、本当に熟慮した対応が不十分だったということは、やはり否めない事実ではないかと思うんです。相手にお返しするとなれば、やはり日本でもそれを今後の研究材料としてしっかり後世代に利用していかなければいけないわけですから、そういった点もしっかりと対応した上で今回の協定が表に出てくるということでなければいけないんですけれども、何かしら順番が逆のような気がいたしますので、厳しく指摘をしておきたいと思います。

 それから最後に、もう一つ大きな論点があろうかと思います。

 今回の協定は、日韓相互の文化交流、文化協力促進が目的の協定でございますから、やはりこの協定の内容が片務的であってはならないわけであります。今回、我が党の指摘で、初めて外務省は、今韓国に有する我が国の貴重な文書の実態というものが明らかになりまして、先ほどの参考人招致の中でも、韓国の国史編纂委員会が持っている二万八千冊に及ぶ対馬宗家文書、これは非常に貴重なものだ、研究的な資料の価値も高いし、国宝級のものだとも言われているわけであります。これに対して、この委員会の審議では、大臣は終始一貫して、日本側から韓国政府に対して、こうした図書あるいは文化財の要求をすることは全く考えていない、この答弁を繰り返されております。

 きょう午前中、先ほどの参考人の皆さんの意見の中には、やはり研究に差し支えがあっては困るという指摘はあったものの、少なくても共有化を図る、現物そのものを返還してもらえなくても、例えばそれを複写してもらって、向こうに行かなくても日本でその現物が見られるような、そういう一級の歴史的な価値ある資料として少なくても共有化を図っていただきたいという御指摘があって、これは本当にもっともなことだと思います。

 私は、第一義的に、韓国政府に対して、韓国に残っている我が国のこうした、我々自民党の主張によって今回お調べをいただいて明らかになった貴重な日本の図書、本来的にはこれの返還、返還といいますか引き渡しをやはり我々も求めていくべきだと思いますが、これについては、とにかく終始一貫して、外務大臣はどうもその御意思がないようでございます。私は、改めて、返還、返還といいますか引き渡しの申し入れを行うべきだということが一つ。

 そして、そうした要求をしない、あるいは大臣としてする考えがないということであっても、少なくても、こうしたお互いのそれぞれの国にある貴重な、歴史的な文献というものは相互に利用しやすいように共有化を図ることについては、大臣からぜひ提言をしていくべき重要な課題だと思っておりますので、ちょっと二段構えの質問になりましたけれども、改めて大臣の、あるいは外務省としての、日本政府の考えをお示しいただきたいと思います。

松本(剛)国務大臣 御指摘もいただきまして、改めて、貴重な図書についての内容が、私どもも調査をすることで確認をできたことはよかったというふうに思っております。

 その上で、今お話がありましたが、今回の図書協定、この協定に基づいて引き渡しをさせていただくものの定義についてはもう繰り返しませんが、その意味では、今回御指摘をいただいた文書、韓国内に存在をする図書の問題というのは同列に論じられるべきものではなくて、別途検討される性質のものだというふうに考えております。

 貴重な図書、学術的観点、文化交流の観点から、こういった図書に対して、研究者の方々なども含めて、アクセスの改善をせよという御趣旨のお問いをいただいたというふうにも理解をいたしますが、御指摘もいただきまして、これについては既に協議を始めているところでありまして、協議が実るように私どもとしても努めてまいりたい、このように考えています。

秋葉委員 時間の関係で質問を終えたいと思いますけれども、仮に引き渡し要求をしなくても、韓国側に置かれている我が国の貴重なこうした図書については、しっかりと共有化を図る努力を外務省としてすべきだと思います。大臣は再三再四、今回の協定では踏み込まないということの御答弁しかしないわけですけれども、では、別建てでやっていけばいいわけですから、しっかりと踏み込んでいただきたいと思います。

 先ほどの参考人の方のお話ですと、対馬宗家文書については、原本の閲覧は今認められていないんだということが明らかになりました。それだけではなくて、マイクロフィルムのみの公開であって、まだマイクロフィルム化されたのは七割だという御指摘がありました。したがって、三割は、日本の研究者が韓国に出向いていってそれを見たいと思っても見られない状況があるんですね。ここのところはやはり一〇〇%になるようにしっかりと外務省として申し入れをしていくということは私は当然のことだと思っておりますので、こういった事実関係を指摘して、私の質問を終えさせていただきたいと思います。

 今後ぜひしっかり取り組んでいただきたいと思います。

小平委員長 次に、平沢勝栄君。

平沢委員 自民党の平沢勝栄でございます。

 きょうは、仙谷官房副長官にもお忙しい中おいでいただきました。ありがとうございました。

 この日韓図書協定、仙谷官房副長官が官房長官のときに努力されて、こういった署名が昨年の十一月十四日行われたわけですけれども、問題は、内閣総理大臣談話が八月十日に出たんですけれども、総理談話を聞く前に、まずは、一九六五年、日韓が国交正常化しまして、そのとき、日韓の基本条約が結ばれ、それから諸協定が締結されました。

 まず、仙谷官房副長官にお聞きしたいんですけれども、一九六五年の日韓基本条約で韓国政府は日本の統治時代の個人補償の請求権を放棄したわけでございますけれども、こういったことについて、あの基本条約、それに並ぶ諸協定について仙谷官房副長官はどういう御認識なのか、ちょっとお答えください。

仙谷内閣官房副長官 私自身は、日韓基本条約は当然のことながら有効に締結され、そのことによって韓国政府としては個人にかかわる請求権をも放棄した、こういうふうに理解をしております。

平沢委員 昨年の七月七日の報道によりますと、官房長官は、昨年の七月七日の記者会見で、法律的に正当性があるといって、それだけで物事が済むのか、日韓関係の改善方向に向けて政治的な方針をつくり、判断をしなければいけないという案件もあるのではないかという話もあると述べ、政府として新たに個人補償を検討していく考えを示したと。それから、仙谷氏はまた、日韓基本条約を締結した当時の韓国が朴大統領の軍政下にあったことを指摘し、韓国国内の事柄として、我々は一切知らぬということが言えるのかどうかと強調、具体的に取り組む課題に関してはメニューは相当数ある等々のことが書かれています。

 こうした記者会見での発言と今のはちょっと違うんじゃないですか。

仙谷内閣官房副長官 全く違わないというふうに私自身は考えて発言しておるものであります。

 そして、今お読みになられたところで、これは新聞社なのか、新聞記者の推測、想像部分というのがございますよね、個人的補償云々かんぬんと。法的に個人的な補償を請求する権利があるのかないのか、これはまた全然別途の話でありますし、私自身は、法的に日本政府がそういう賠償の義務があるということを考えてもおりませんし、そういうことを述べたわけではありません。

 よく、政治的な判断としてということが日本国内のいろいろな問題でも言われます。そのために、現在の法律上は何の請求権がなくても、政治的に新たな立法をしてやるべきだということが、この間の国会を見ておりましたら多々出てまいっておるように思います。

 日韓関係をより豊かに、豊富にするために、日本が朝鮮半島をいわば植民地として、韓国からいえばこれは侵略ということでありますけれども、植民地として経営したということは紛れもない歴史的な事実でございますから、そのことについて、我々がその過去を直視して、これから未来志向で日韓関係をより豊かにしようとするときに何かできることがあるのかないのか、政治的な観点から、あるいは人道的な観点から考えるということは、私は、政治家としてあっていいのではないか、そういう趣旨のことを述べたものでございます。

平沢委員 歴史認識はまた、時間がなくなってしまいますので、別の機会にします。

 まず、八月十日の内閣総理大臣談話、これは、いつごろからつくって、つくったのはだれなんでしょうか。

松本(剛)国務大臣 先ほどの御議論でも申し上げましたけれども、昨年が日韓併合条約締結からちょうど百年という節目の年であったわけでありまして、こうしたことを考えて、また、二〇一〇年は八月というのが一つの節目となりますので、そのために、未来志向の日韓関係構築のために何ができるかについて、いろいろ検討を行ったということであります。

 その上で、六月の菅政権発足の後、総理官邸の主導、判断のもとに、外務省においても、当時の岡田大臣を含めて、未来志向の日韓関係を構築していく上で何が適当かといった点を議論しながら、最終的に、総理談話にある表現で、八月十日に日本政府として閣議決定を行ったものであります。

 談話の作成の作業を開始したのは、閣議決定からさかのぼること一、二カ月ぐらいではないかというふうに私自身は理解をしております。

平沢委員 この内閣総理大臣談話をつくる過程において、その内容等も含めて、韓国側と相談したことはありますか。

松本(剛)国務大臣 総合的に未来志向の日韓関係を構築するに資するという意味では、韓国側がどのように考えるのか、どのように受けとめるのかということを情報収集したというふうには理解をしておりますが、本件措置そのものは日本の自発的措置であり、日本の判断においてこの談話は作成されたものと理解をしております。

平沢委員 先ほどの参考人質疑で、「週刊朝鮮」の昨年の十二月二十日号が紹介されました。その中には、こういう記事が書いてあります。これは、鄭東北アジア歴史財団理事長のインタビューです。

 この中に何と書いてあるかというと、「政策を作るのに一定部分の役割を果たしたと考える。菅直人日本政府が八月十日、声明を発表したことに一定の寄与をしたと自負している。強制併合に関する談話の内容が十分ではないが、談話が出たということ自体、意味がある。」云々書いてありまして、最後にこういうことを言っています。政治的に相当難しい時期であったけれども、「このような渦中に日本政府を」いいですか、聞いてください、「日本政府を説得し、結局、菅直人総理の談話を作り出した」こう言っているんです。これは、鄭東北アジア歴史財団理事長が言っているんです。

 もう一回言いますよ。「日本政府を説得し、結局、菅直人総理の談話を作り出した」と言っているんです。これはうそなんですか。

松本(剛)国務大臣 私どもとしては、先ほど申し上げたように、検討の過程においては、外国政府、韓国を含めて、また、有識者の考え方やあり得べき反応などについては、もちろん情報を収集しているわけでありますけれども、あくまで参考材料の一つというふうに考えておりますし、ぜひそこは、日本国の政府の意思決定は日本国政府の判断で行われるというふうに御信頼をいただきたいと思います。

平沢委員 少なくとも、公の冊子で、マスコミで、鄭理事長が、日本政府を説得し、菅談話をつくり出した、こう言っているわけですから、委員長、この鄭理事長を参考人として当委員会に呼んでください。

小平委員長 これは後刻理事会で協議いたします。

平沢委員 それでは、内閣総理大臣談話の中にあります「朝鮮半島由来の貴重な図書」、この図書に限った理由は何ですか、お答えください。

 というのは、先ほどありましたように、朝鮮半島由来のものというのはいろいろなものがあります。それを図書に限った理由というのは何ですか。

松本(剛)国務大臣 これは、先ほど秋葉理事の問いにも御答弁申し上げたところでありますけれども、談話の趣旨をごらんいただけたらと思いますが、これまでの二国関係を踏まえ、そして、未来志向に資するものに何が適当かという視点から、朝鮮王朝儀軌などの図書ということが適当であると判断するに至ったというふうに御理解をいただきたい思います。

平沢委員 ということは、大臣、いいですか、朝鮮半島を日本が統治している間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している貴重な図書ですね。当然、その時代にも、図書以外のものもいろいろあるはずなんです。そういったものについては、今後も一切渡すことはないということでいいですね、向こうから要求があっても。

 だって、今大臣は、この時代の図書だということを言っておられるわけだから。図書以外だって、書だとか絵だとか、いろいろなものがあるでしょう。あるかもしれない、あっても、そんなものは一切、たとえ何を言ってこようと返さないということでいいですね。

松本(剛)国務大臣 まず、今回、図書協定でお諮りをさせていただいているのは、百年という節目に当たって、未来志向の日韓関係を構築するに資する、そういったものとして引き渡すものは何が適当なのかと。談話はもちろん、図書の引き渡しだけではなくて、いろいろなことが書いてあるわけでありますけれども、その中の一つとして、未来志向の日韓関係に資するものとして、この図書が適当であると判断をいたしました。

 この協定に基づく引き渡すべきものとしては、先ほどお話をいただきましたような幾つかの定めというんでしょうか、記載されたものに基づいて図書を選定いたしましたので、この協定に基づいて選定をされるべきものはすべて今回お渡しをするというふうに理解をしております。

平沢委員 私の質問に答えてくださいよ。この時代にいろいろなものがもたらされたわけでしょう。

 では、きょうは文化庁が来ているでしょう。この時代に日本に来た、例えば書物以外の絵画とか、そういうものはないんですか。絵画でも仏像でも彫刻でも、何でもいいですよ。そんなものはありますか、ないですか。

関政府参考人 一般論として申し上げれば、朝鮮半島から来ております文化財というのはいろいろあるわけでございます。(平沢委員「その時代、朝鮮総督府の時代」と呼ぶ)朝鮮総督府の時代に由来したものということについては、承知をしていないところでございます。

平沢委員 承知していないので、これはいろいろあるんでしょうけれども。

 大臣、こういったものについて、今後、万々が一、韓国側からすれば返還とかいうんですけれども、日本からすれば贈与ですけれども、上げることは絶対ないということは断言できますか。

松本(剛)国務大臣 談話の趣旨、そして協定を御理解賜っているところだと思っておりますが、今回は、百年という節目の、未来志向の日韓関係に資するものということで、この協定並びに談話にある図書を引き渡すことが資すると判断をしたから、これに該当するものを選定して、お渡しをするというわけでありまして、そもそも、請求をされた分をお渡しするとか、そういった関係にあるというふうには理解をしておりません。私どもの自発的な措置としてこれをお渡しするというふうに理解をしております。

平沢委員 先ほどの参考人質疑で、こういうニュースも紹介されたんです。ことしの四月二十五日の聯合ニュース。きょうは韓国のお坊さんが来ておられますけれども、このお坊さんの方々は、朝鮮王室儀軌還収委員会のメンバーの方なんです。その事務総長が何と言っておられるかというと、日本国内の他の文化財返還運動の開始点となるだろうと言っているんですよ。

 大臣、開始点となるだろうと。あちらにおられますけれども、要するに、今回の件がスタートだということを言っているんですよ。開始点と言っているんですよ。これが終わりじゃなくて、スタートだと言っているんですよ。そうしたら、これからどんどん行く可能性があるじゃないですか。そういうふうに考えているんです、少なくとも韓国側は。

 大臣は、百年の日韓の未来志向とか言っていますけれども、では、百十年になったらどうなんですか、百二十年になったらどうなんですか。またこんなことをやるんですか。はっきり言ってくださいよ、もうこれで終わりと。

松本(剛)国務大臣 改めて、韓国も日本も言論を含めて大変自由な国であるということはすばらしいことだというふうに思うわけでありますけれども、私どもとしては、本当に、今も繰り返しになりますが、百年という節目に最も適当なことを行いたい、こういうことで、考えを整理した上で、今回、このように行わせていただくわけであります。

 繰り返しになりますが、請求をされたものをお渡しするといった位置づけではないということから含めましても、私どもとしては、今、この図書協定にあるもの、談話で示されたもの、そして図書協定に記載をされたものをしっかりとお渡しをさせていただくということを考えておるし、私自身は今そのことを考えているというふうに申し上げたいと思います。

平沢委員 この協定が署名されたとき、仙谷官房副長官はわざわざ横浜まで行かれました。それはどういうお立場で、どういう思いで行かれたのでしょうか、ちょっとお願いします。

仙谷内閣官房副長官 APECが開かれて、そして、私自身もこの調印式に列席をさせていただくことが日韓関係をこれから進める上でも意味のあることだと思いましたし、さらに、その日は実はベトナムの国家主席の表敬も私が菅総理にかわってお受けしたというふうなこともございます。

 つまり、APECのような会合、会議のときは、総理だけが表敬をお受けするのに時間が足りないとか、要するに、手間がない、こういうことなので、そういうある種の補充的な役割の部分と、この日韓の調印のときには、これからの日韓関係を考えると、先方も、外務大臣も、それから外交通商何とか本部長もいらっしゃっておって、その時点で日本政府の課題は、これは鳩山内閣のときからでございますけれども、EPAをどうこれから進めていくのかという問題で、私はそのときは、その時点では国家戦略大臣でございまして、そのちょっと前、EPAの担当でもあったということ。それから、天安号事件が起こって、これからやはり日韓関係をより緊密で分厚いものにしていかなければならないという課題もございまして、先方の方で大臣クラスが、大統領以下二人来ておるということもあって、では今後のこともあるので私も出席しよう、こういうことになったと記憶しております。

平沢委員 仙谷官房副長官はその署名に立ち会われたわけですけれども、そのときに、韓国にも日本の貴重な図書がいっぱいあるということ、それから、一九九四年に長崎の壱岐で日本の貴重な文化財が安国寺というお寺から盗まれて、それが韓国に行って、もうそれが国宝に指定されている、それに対して日本政府が調査させろ、させろと言っても、韓国側は一切、何とかかんとかへ理屈を言って応じていない、こういった事実は御存じだったでしょうか。

仙谷内閣官房副長官 その盗まれた云々かんぬんは、私は存じ上げません。

平沢委員 では、日本の文書というのはあることは知っておられたんですね。これについてはどういうお考えだったのでしょうか。

 それから、その盗まれたものが韓国で国宝に指定されている、これについては副長官は、せっかく会われるなら、そしてこういう図書協定を署名されたのであれば、その時点で、やはりこういうものに対する韓国政府の協力というのも要求されて当然じゃないでしょうか。

 副長官に聞いています。(松本(剛)国務大臣「私の仕事ですので」と呼ぶ)いや、それは副長官が当時担当だったんです、だから副長官をきょう呼んだんですけれども。

小平委員長 それでは、仙谷官房副長官。

仙谷内閣官房副長官 事実問題として、私はそのことは確認をしていませんでした。

松本(剛)国務大臣 先日も先生との御議論でお話をさせていただきましたが、かかる捜査、調査の協力が必要なものということは、このような協定の交渉もしくは協定の締結にかかわらずしっかり行わなければいけない、このように考えております。

 先生からも先般の委員会で御指摘をいただきました。安国寺の高麗版大般若経事案については、我が国の重要文化財に係る重要なことである、御指摘のとおりであります。韓国政府の協力を求めております。また、鶴林寺の絹本著色弥陀三尊像の事案についても、明らかな重要文化財盗難という犯罪行為であり、韓国で売却されたということもはっきりしているということでありますので、改めて所在確認捜査及び現状の説明を韓国政府に対して求めさせていただきました。

 こういったことについては、外務省としてもしっかり取り組んでいきたいと思っております。

平沢委員 今回の図書協定は韓国側の要求のないものも含めて千二百五冊にわたるんですけれども、宮内庁、この千二百五冊の学術的というか文化的な価値はどのくらいあるんですか。

岡政府参考人 朝鮮王朝儀軌につきましては、朝鮮王朝において行われましたさまざまな儀式や行事をその都度記録した図書でございまして、朝鮮王朝また朝鮮半島の歴史や文化を理解する上で貴重な資料であるというふうに認識いたしております。

 また、儀軌以外の図書千三十八冊につきましても、文学、歴史、思想、法制度など広い範囲にわたる漢籍群でありまして、朝鮮半島の文化の土台や背景を研究する上で有益な資料であろうというふうに認識しております。

平沢委員 この有益な資料が重要文化財に指定されていないのはなぜなんですか。宮内庁、なぜ重要文化財に指定されていないんですか。

岡政府参考人 宮内庁におきましては、皇室のお世話を申し上げる役所でございますから、その一環として、正倉院の宝物など皇室にゆかりの深い文物、また古くから皇室に集積されてまいりました古典籍などを管理しております。これらの文物につきましては、皇室の長い伝統を反映して、我が国の文化や歴史において非常に価値のあるものが多く含まれております。

 したがいまして、宮内庁におきまして、こうした皇室ゆかりの文物につきましては、その完全なる保存に万全を期すとともに、展示会に貸し出すなど国民に広く鑑賞いただけるような機会も設けるなど、適切に管理しているところでありまして、こうした管理が行われておりますことから、文化財保護法に基づく指定等を受ける必要はないのではないかというふうに考えてきておるところでございます。

平沢委員 文化庁。

関政府参考人 お答え申し上げます。

 ただいま宮内庁の方からも御答弁がございましたけれども、一般論として申し上げますと、重要文化財の指定につきましては、所有者の同意をいただいた上で、私どもが策定しております指定基準に照らして候補物件に関する調査を行いまして、文化審議会の諮問、答申を経て指定を行っているところでございます。

 今お尋ねの点でございますけれども、重要文化財の指定ということは、文化財の中でも重要なもの、価値の高いものを文部科学大臣が指定するということでございますけれども、その指定されたものについては、所有者の方においてきちんと保存管理等をしていただくということになるわけでございます。

 宮内庁が所有されております美術工芸品等につきましては、宮内庁において文化財としての適切な保存管理等をしていただいているということから、これまで重要文化財等の指定を行ってこなかったということでございます。

平沢委員 要するに、重要文化財に指定してあれば、文化審議会とか何かの審議会できちんとチェックして、そして万々が一海外に持っていく場合には、その指定を外すとかといういろいろなプロセス、手続が必要なわけですよ。

 宮内庁、皇室財産はしっかり管理しているから重要文化財に指定しなくてもいいんだというような答弁だったんですけれども、そんなことを言っているから、今回みたいに千二百五冊、これは宮内庁のだれが選んだんですか。職員でしょう。職員が選んだ千二百五冊をだれもチェックしないで、そのまま渡っていくわけでしょう。これはおかしくないですか。普通、重文に指定してあればこんなことにならない。宮内庁が指定しないものだから、結局、千二百五冊がそのまま行ってしまう。宮内庁、おかしくないですか。

岡政府参考人 宮内庁でお答えする立場ではなかろうと思いますけれども、八月の総理談話を受けまして、そういう判断がなされたことを受けて宮内庁においては選定いたしたところでございまして、また、きょうここでこういう議論がなされているのも、そういう大事な話だからかというふうに理解しております。

平沢委員 では、大臣にお聞きしますけれども、今話があったように、千二百五冊の貴重な日本の国の財産が贈与されるわけですよ。これは、宮内庁の係官か何か知らないけれども、こういう通達が来たからと、ぱあっと選んで、千二百五冊をそのまま報告したわけでしょう。それがそのまま行くわけですよ。普通だったらば、千二百五冊、どういう文化的な価値があるのか、学術的な価値があるのか調べた上で、審議会か何かに諮って専門家の目で調べた上で、その上で引き渡すのが筋じゃないですか。

 そういったプロセスを一切経ないで、宮内庁にそういうものがあるかと言って、宮内庁から千二百五冊報告してきたら、それがそのまま、だれもチェックしないで、専門家のチェックを経ないで韓国に渡る、贈与される。これは手続的におかしくありませんか。やはりそれはきちんと審議会か何かに諮るべきじゃないですか。

松本(剛)国務大臣 そもそも、我が国が統治をしていた時代に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本国政府が保有をしている図書というものをお渡しすることが未来志向の日韓関係に資するということで判断をさせていただきました。

 その上で、これに該当するものについて、先般先生にも御答弁申し上げましたように、政府内で調査を求めましたところ、宮内庁から、該当するもの、朝鮮王朝儀軌、また先ほどの三点に該当するものということで御回答をいただきました。

 その後、宮内庁におかれても、先ほど宮内庁からもお話があったことからもうかがえるように、こういった保存をされているものについては、その保存、また学術、文化的な内容についても、書陵部を初め、御案内だろうと思いますが、その中でよく吟味をさせていただき、間違いないことも確認をさせていただいた上で、最終的な確定は閣議決定ということになるわけでありますけれども、そのように議論をさせていただいたというふうに理解をいたしております。

平沢委員 私の聞いていることにちゃんと答えてくださいよ。専門家の目を経ないで大丈夫なんですかということを言っているんですよ。専門家の目を全然経ていないんですよ、これは。

 例えば、文化庁には文化審議会というのがあるんでしょう。そこで専門家がいろいろと学術的な、文化的な価値をチェックするんでしょう。そのチェックは、今回はだれがやったんですか。私の聞いていることにだけ答えてくれればいいんです。

松本(剛)国務大臣 談話の趣旨に該当するものということは、政府の中において調査を行ったものであります。

平沢委員 話にならない。全然答えになっていませんから。まあ、いいですよ。

 それで、未来志向、未来志向と言いますけれども、双方の友好交流関係を深めるということが今度の協定に書かれているわけです。

 そこでお聞きしたいんですけれども、日本で言う未来志向と韓国側の受けとめ方というのは同じなんですか、それとも違うんですか。先ほど参考人質疑の中で、日本は未来志向の友好ということを言っているけれども、韓国側はそうじゃない、謝罪だ、過去の反省だと。そして、今回のこれを契機にして、また次のものを要求してくるだろうというような参考人の話がありました。

 ですから、こちらは未来志向と言っていますけれども、これは双方が同じ認識じゃなきゃおかしいんですけれども、大臣でも官房副長官でもいいんですけれども、これは同じ認識だと思われますか、双方の国が。協定はわかりましたよ、協定はいいんです。その認識は同じなのかどうか、未来志向について。

松本(剛)国務大臣 今回の談話に当たっては、二〇一〇年の八月十日に日韓首脳電話会談も行われておりまして、これについて、李明博大統領から、韓国政府として同談話を高く評価している、今回の談話は韓日関係を、韓国側ですから韓日関係という言葉になりますが、韓日関係を未来に向けて発展させる非常によい大きな契機となる、両国が北東アジアの平和と繁栄のため真心と知恵をもって未来に向けて協力を強化していきたい旨の発言があったと承知をしておりまして、もちろん受けとめは、それぞれの方もしくは韓国側の受けとめでありますけれども、受けとめをこのように表現していただいているということから考えれば、未来志向という点でも双方の認識を共有することができて、今回の談話の未来志向に資するという目的がかなえられているのではないかと理解しております。

平沢委員 先ほどの参考人質疑で、未来志向と言うけれども、日本と韓国で横たわっている最大の問題は竹島の問題である、今度のこの協定によって竹島問題が若干でもいい方向に動く可能性は全くない、こういう話もありました。

 そして、今、韓国は、竹島問題について、不法占拠の既成事実をどんどん進めているでしょう。そして、近く国会の委員会が開かれるということも言われています。海洋科学基地を建設することについて発注しました。二〇一三年にはこれは完成すると言われている。

 こういった竹島の問題と今度の問題は切り離せないということが先ほどの参考人質疑の話でありました。大臣は、今回の図書協定と竹島との関係についてはどう思われますか。

松本(剛)国務大臣 竹島については、我が国の固有の領土であり、また、竹島が法的根拠のない形で占拠をされているというのが私どもの日本政府の立場であり、一貫して申し上げておりますし、一つ一つ今申し上げませんが、先生が申し上げたものも含めて、竹島に係る韓国側の一連の措置は受け入れられないということを、私どもも累次の機会を通じて申し入れをしてきておりまして、竹島のこの問題についてはしっかりと粘り強く外交を進めてまいりたいと思っております。

 日韓関係全体という中では、すべて、図書協定も竹島のことも含まれてくるわけでありますが、重層的な日韓関係を構築する必要がある、また、今後も関係を深めていくべき大変重要な二国間関係であると同時に、地域そして世界にとっても協力をしていくべきパートナーであるということを考えれば、先ほど申し上げたように、重層的な関係を深めるその一助とこの図書協定はなるものだというふうに理解をしております。

平沢委員 副長官にもお聞きしますけれども、この協定を結ぶことが日韓の友好関係の増進、未来志向につながるというようなことを言っていますけれども、先ほどの参考人質疑では、それは日本側が考えることであって、韓国側はむしろこれで、言えば結局これだけ戻ってくる、だから、まだまださらにエスカレートしていろいろなことを言ってくるだろう竹島についても一切韓国側として日本側に歩み寄りを見せることはないだろうというような話がありましたけれども、副長官は、この図書協定が日韓関係にどういう意味を持つと思われますか。

仙谷内閣官房副長官 平沢先生がおっしゃるようなことをおっしゃっている識者の方々もいらっしゃることは私も承知をいたしておりますが、私自身、ずっと、在日の方々を初め、この四十数年間、日本と韓国の関係というのを見てまいりましたけれども、大枠、大筋、やはり金大中大統領の文化開放、多分一九九九年だったと思いますけれども、ここから始まり、日韓ワールドカップ、サッカーの共同開催、そして現時点では韓流ブームということであります。

 いわゆる従軍慰安婦の方々は現時点でも抗議と請求の運動をまだまだ連日のごとくなさっておるわけでありますが、しかし、その方々も今回の東日本大震災に際して義援金を寄附されたというお話も聞いていまして、この間の日韓双方の交流、これは大筋では、私が若いときあるいは二十年前に国会に議席を得たときと比べますと、隔世の感がある、つまり、豊かないい方向に向かっている。その中に、去年の韓国併合百年の節目であの種の談話を出せたということは、これからの日韓関係を本当の意味で未来志向で豊かなものにしていく一つの材料にはなるだろう、そういうふうに私自身は見ております。

平沢委員 時間が来たから終わりますけれども、この協定を契機としましてさらに日本の文化財が韓国に引き渡される、これがないように強く求めたいと思います。

 そこで、この協定の趣旨が真に生かされるために、私たちは、国会の意思として、韓国にある日本の図書を日本側に求めるという決議、それから、今、日本で盗まれたものが韓国で国宝に指定されている、これについてきちんと調査をさせろ、その決議をこの外務委員会でぜひやっていただけるよう委員長にお願いしたいと思います。

小平委員長 今の平沢君の御提案については、後刻理事会で協議をいたします。

平沢委員 時間が来たから、終わります。ありがとうございました。

小平委員長 次に、赤松正雄君。

赤松(正)委員 公明党の赤松正雄です。

 この日韓図書協定にまつわる議論もきょうで二日目、場面は二幕三場という感じになってまいりました。

 日韓関係にとって、先ほど来というか、ずっと松本外務大臣は、今も議論ありました、未来志向、百年の節目、そして自発的、この三つをキーワードにして繰り返し繰り返しおっしゃっています。私ども公明党も、皆さんがおっしゃるところの多層的ですか、多重的ですか、複合的な日韓関係を前進させるためにこの協定が役に立つということであるならば、ぜひそうあってほしいという思いを込めてこの協定に賛同したい、そんなふうに思っているわけですが、前回も、そしてきょうも同僚委員の皆さんとの議論を聞いていて、恐らく多くの日本人が共有しているものだろうと思うんですが、これから先の日韓関係における、おっしゃるところの未来志向、これが、私が今突然思い出した言葉ですが、同床異夢であって、要するに、さっきの参考人との質疑の中で、私の質問に答える格好で下條先生がおっしゃったわけですけれども、未来志向といっても全然思いが違うという指摘がありました。

 私が思うのは、要するに、日本に果たして、未来志向といったときのその実態というものが、明確なる構成要件を持って、こういう格好で日韓関係をよくしたいんだという視点というものがないんじゃないのかというふうに多くの人は思っているから、幾ら百年の節目に未来志向と言われても、本当かね、いいように韓国にやられちゃうんじゃないのという思いが多くの日本人にあるからだと思うんですね。

 そういう点で、外務大臣が言うところの百年の節目、未来志向、自発的、これは前回のやりとりを通じて外務大臣はこれを繰り返されて、きょうも繰り返されました。改めて、この図書協定の意義について、未来志向のくだりを、もう少し砕く格好でお述べいただきたいと思います。

松本(剛)国務大臣 日韓の歴史というのは、もう申し上げるまでもなく、交流という意味からすれば千年を超える歴史になってくるわけでありますが、特にこの百年というのは、大変、いわば起伏の激しい百年であったということで、昨年が一つの節目であったことは、双方の認識も共有されているところだというふうに思っております。

 そういった百年を一つの区切りにすることに意義があるからこそ、ともに前を向けるのではないか、このように考えて、百年の節目で、ある意味では談話、そして図書の引き渡しという行動を、当時、私は政府内にいたわけではありませんけれども、民主党の同僚、同志、先輩が御議論いただいて、お決めをいただいたと思いますし、私もその趣旨に賛同すればこそ、今、この議論をさせていただいているところであります。

 私自身も、かねてから考えてきたところではありますけれども、確かにこの千年、百年、さまざまな歴史がありますが、前を向いて考えてきたときに、日本と韓国は、地理的距離、そして今、ともに民主主義、自由といった価値を共有しているということから考えても、手を結んでいくべきであるし、また、結んでいくことが両国にとって大きく資する、このように考えてまいりました。その内容というのは、やはり二国間の関係ということであれば、政治、安全保障、そして経済、さらには人、文化の交流、大きく申し上げればその三つということになってこようかというふうに思います。

 政治、安全保障といった面では、もちろん我が国においても、そして韓国においても多様な意見があるわけでありますが、私どもも未来志向の談話を発表させていただき、これに李明博大統領がおこたえをいただいたということから考えましても、政治レベルでも大きく認識を共有する素地が整いつつあるきっかけになったのではないかというふうに思っております。

 また、安全保障といった面でも、既に世界の各地で日韓の協力というのがさまざまな形で行われていること、もうこれは一つ一つ申し上げませんが、先生よく御案内のとおりでありまして、こういった、ともに働く、協力して働くというんでしょうか、やはり協働作業を世界各地で行うということは、相互の理解にも、信頼関係構築にも大きく資するというふうに思っております。

 また、経済については、目前の課題としてはEPAがあることも御案内のとおりでありますけれども、実際に、既に世界の各地を見渡したときには、日本の企業と韓国の企業が、それぞれの得意の分野を持ち寄って、世界のマーケットの中で闘っているという場面も多々あります。実際に、今回でも、実は中東諸国でさまざまな事案が発生をしたときに、そこにいる、私どもからすれば邦人の保護というのをどうするかということを考えなければいけなかったわけでありますが、まさに韓国の企業において技術協力をしている日本人がおられたりということで、非常に経済的関係も実質的には深まってきている、このように考えておりますので、それをまた双方の資する形で変えていくという意味で、EPAも含めて前向きに取り組んでいきたいと思います。

 人、文化については、一つ一つ申し上げると長くなりますけれども、この重要性については言うまでもないことだと思います。今回も、この図書協定もそうでありますが、自民党さんから御指摘もいただきました、韓国にある我が国由来の価値のある図書についてアクセスの改善などを努めることによって、文化、学術の交流も深まる契機になるのではないかと。その意味では、御指摘もいただいたことに感謝をしながら、我々として務めを果たしていきたい、こう考えております。

    〔委員長退席、吉良委員長代理着席〕

赤松(正)委員 今おっしゃった政治、安全保障、経済、それから文化交流、この三つの側面、これはだれしも異論はない。未来志向というこの言葉の、言ってみれば構成要件として、こうした三つの角度というのは、ある種、当然のことだろうと思うんですよ。つまり、どの国とさまざまな交渉をするに当たっても、この三つは言えることであって、日韓の間において特別なことではないですね。

 やはり、日韓といった場合に、おのずと歴史、そういった過去の問題、これが大きくのしかかってくる。だから、この政治、安全保障、経済、文化を考える上に、これを未来に向けてどう進めていくかといったときに、日韓の基本的な、言ってみれば国家と国家の信頼関係というか、あるいはそれを構成している人間たちの信頼関係というものに深くかかわってくるのがこの歴史認識ということであり、過去のさまざまな問題である。このことを全部横に置いておいて、これだけやりましょうねということは、それはなかなかうまくいかない、いっているようでうまくいかないということだと思うんですね。

 多くの日本人と断定的に言ってどうかとは思いますけれども、現代日本と現代韓国というものを見たときに、やはり大きく違うと私が思うのは、これは外務大臣の見解をお聞きしたいんですけれども、どうも日本は、外交摩擦、外務省当局が外交の摩擦を恐れている。日韓における外交摩擦をともかく起こさない、ここに大きな起点というか出発点があって、ともかく外交的に日韓に摩擦を起こさないことが大事であって、つまり未来志向というのは、摩擦を起こさないという観点から将来に向かってどうしましょうかという話を話題にするのであって、過去のことをいろいろ言い出すと摩擦が起きてくる、こういうふうに見えるんですけれども、いかがでしょうか。

松本(剛)国務大臣 過去を振り返ったときに、それぞれの立場もしくは見方、考え方が日韓間で違う点があるということは、率直に申し上げて御指摘のとおりではないかというふうに思っております。

 そして今、政治、外交のレベルを見ておりますと、その違いを率直にぶつけ合うことが可能な素地は、これまでの諸先輩方の積み重ねで、できてきつつあるのではないかと思います。話し合うことによって解決できるものもあれば、双方の違いを認める、多様性をお互いに認めるということで一つの克服の形となるものもあると思います。

 今先生がおっしゃったように、あえてありていな言葉を申し上げれば、そのことにふたをするとか、そのことを見ないふりをするとかいう形というのは、本当の信頼関係、本当の未来志向に対して望ましくないという御指摘はそのとおりだろうというふうに思いますし、おっしゃったように、目前の仕事として、つい一番難しい問題というのを避けて通るということは、人間のやることとしてありがちというか、ないわけではないと思いますけれども、そういうことのないように、それは私自身も現場もしっかり取り組みたい、このように思います。

赤松(正)委員 私、先ほどの午前中の議論に参画をして思ったことは、これを引き渡すと次々要求されちゃうぞ、そういう論点がありました。私は、ある種、百歩譲ってそれでもいいじゃないか、そのときにしっかりと日本国が対峙する、それに対して立ち向かうという姿勢が大事なのであって、最初からそうだから、それを恐れる、しないというのはちょっと違っているんじゃないか、そんなふうに思うんですね。

 しかしながら、そういう要求が来たときに日本が屈するんじゃないのか、またこういう懸念というものが、残念ながら今日までの日本外交の経緯を見たときに、先ほど、外交摩擦を避ける、そういう性癖があるというふうな、方向性があるようなことを指摘しましたけれども、そういう点を指摘せざるを得ない。言葉をかえれば、日本外交に戦略がない。

 例えば、日中間においても戦略的互恵という言葉を使います。これも、言葉には戦略というのが入っているけれども、どうも中身が、よく言われるウイン・ウインというか、単なるお互いに利益を得るという格好にしましょうねということを、何となく格好いい言い方で言っているにすぎない戦略的互恵という言葉。あるいは、それよりもっと余り意味合いのない言葉が未来志向だ。こういう言葉を使っている限りでは、ここから先の日本の外交の戦略性というものに非常に疑念を持たざるを得ないというのが率直な感じなんですね。

 特に領土という問題に関しては、今までも幾たびか、ここで言ってきましたけれども、対ロシアの問題にしても、あるいは対中国との問題にしても、対韓国の問題にしても、余りこういうことをしばしば繰り返すのは適切ではないかもしれませんが、やはりこの三つの国はそれぞれ、物すごくありていに言っちゃえば復讐という言葉、これは日ロにおいてもそういう言葉を指導者は使っていますし、また、日中においてもそういう露骨な言葉を私は聞いたことはないんですが、多くの日本人にそういう思いがある。過去の歴史の流れの中で、報復をされるんじゃないか、そういう恐怖感というものを持っている向きがある。韓国においてもしかりです。

 そういう国々が明確な戦略性を持って、領土の問題においても、あるいはまたこういう図書協定の問題においても、さまざまな問題において戦略を持って対外的国家関係に挑むというのは当たり前のことだと思うんです。それに対して、日本はいかにもない。未来志向だとか、あるいは戦略的互恵なんていう言葉だけが躍る、実際中身は伴わない、こういう事態ではしようがないと思うんですね。

 そういう経緯の中で、日韓関係ということに絞って言えば、過去に私たちは、韓国と日本の間において歴史認識を共有していく作業、国家と国家が同じ歴史認識を持つなんていうのは考えられないわけですけれども、しかしながら、お互いがどういう考えを持ってお互いを見ているかということについて、学識的経験豊かな人たちが、そういう場を設けてお互いに研究しようじゃないかということで、日韓における歴史共同研究の場が設けられました。その所産というか成果というものに対して、大臣はどのような認識で見ておられるでしょうか。

松本(剛)国務大臣 今先生がお話しされましたように、戦略というものをどのように持っていくかということは大変重要な視点だろうというふうに思っております。

 私自身も、省内でも皆さんと議論をする中で、やはり世界各国で、世界じゅうでいろいろなことが起こることに日々対応することをしておりますと、つい目の前の、そのことだけを対応するような受け身に陥らないように、これは最前線でベストを尽くしている人よりも、むしろ私どもの仕事であろうというふうには思うわけであります。

 これについて、前大臣は、私どもの政務のチームの中で、一つ経済という柱を立てて、前向きに取り組むにはどういうことが考えられるのかというボールを、いわば外務省に投げたというふうに思っておりますし、私自身も、この発災を受けて、復興という視点を加えて、我々がどういう取り組みができるのかということを改めて考えるべきだということを今、中でまさに議論をして、またこれも形にしていきたいというふうには思っているわけであります。

 おっしゃったように、日韓の関係においては、やはりこれまでの歴史というものに全く目を向けずに前へ進むことはあり得ないということは先生御指摘のとおりだろうというふうに思います。その意味で、過去大きく二回であったというふうに思っておりますけれども、議論をいただいた。

 この中において、やはりさまざまな御意見も出ておりますし、また立場の違いというのが明確になった部分もあると思いますし、議論にとどまって何らかの形にできなかった部分もひょっとしたらあるのかもしれませんけれども、まずそういう議論の場があったということ自身が、大きく資するところがあるのではないかというふうに思いますし、また、それがそれぞれ形になって出てきたものというのは、いろいろな意味で、それがあちらこちらに歴史についてのいわばボールを投げるという意味では大変価値があるのではないかなというふうに私自身は感じて、受けとめているところであります。

    〔吉良委員長代理退席、委員長着席〕

赤松(正)委員 学者相互の、もちろんそれぞれの立場で言い合いをしたといっただけで、余り大きな成果は生まなかったんじゃないかというふうなとらえ方が一般であります。

 先ほどの午前の参考人の中で、例えば竹島の問題のような領土問題というのは、国家が研究機関というものを設置して、みずから明快な歴史理解をして、外交摩擦を恐れないでその正当性を主張すれば決して解決不能に陥らない、そういう、日本みずから竹島の問題について自分たちの研究機関というものをしっかり設けるべきだ、こういう主張がありましたけれども、外務大臣、これに対してどういうお考えを持たれるでしょうか。

松本(剛)国務大臣 竹島についての背景、歴史的経緯、そして我が国の固有の領土ということで編入をした経緯などについては、もう既に明らかにさせていただいているところだというふうには考えておりますけれども、どういった機関を、新しい機関を設けるとか、新しい体制をつくるとかいうことが必要なのかどうかということは、今御指摘がありましたので、改めて考えてみたいと思いますが、政府として必要な主張を整理する、また、必要な主張をさらに補強することが必要だという観点からお話があったとすれば、現段階で竹島問題は解決をしていない問題であるというふうに私自身も考えておりますので、そのために必要なことの一つとして考えてみたいと思います。

赤松(正)委員 固有の領土だから云々ということだけを言い続けるだけ、それももちろん大事なことでありますけれども、こういった研究機関を設けるということも大事な視点ではないかなという感じがいたします。

 最後に、これからの意味のある日韓関係、私言うところの戦略的未来志向という、これも何となく取ってつけた言い方ですけれども、そういう観点からすれば、大事なことは、今、原子力発電所事故、原発というものをめぐって、ある意味で、中国や韓国よりも日本は、この分野、いい悪いは別にして、原発主義ともいう言葉があるんですけれども、そういう行き方、先輩国家として、今直面している原発の事故、これに対して日本がどのように処理をするのかということは、韓中両国は非常に強い関心を持って見ている。その意味で、しっかりと、そうしたおくれて来る国々に見本となるような、そういう対応を日本はしていくということが非常に大事だ、こういう面でもきちっと方向を決めていくということが未来志向の関係にとって大事だと思いますけれども、その点について、最後に見解をお聞かせ願いたいと思います。

松本(剛)国務大臣 これは全く先生おっしゃるとおりだと私自身も思います。

 特に韓国は、エネルギーの需給とかそういった状況、エネルギー資源の状況とかも、我が国とは置かれた環境は極めて近いものがある、このように考えます。また、原子力の技術、そして歴史などは私どもの方が古いわけであることも御指摘のとおりでありますので、まさに日韓そして日中間の原子力安全分野、エネルギーの分野でも、いわば主導的な役割を果たせるということは戦略的にも重要だという御指摘はしっかり受けとめたい、このように思っております。

赤松(正)委員 終わります。

小平委員長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 本日は、日韓図書協定について、先週四月二十二日の第一回目に続いて二回目の審議となりますが、幾つか確認的に質問をしておきたいと思います。

 まず、この日韓図書協定に基づいて、今回日本政府から韓国政府に引き渡されるとする、対象となる朝鮮半島に由来する図書は、本協定の附属書に掲げる合計百五十部、千二百五冊であります。これらの図書は、昨年八月の菅総理談話で示された、日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由してもたらされたものだということでいいのか。そして、その期間とは具体的にいつからいつまでなんでしょうか。これを伺いたいと思います。

伴野副大臣 笠井委員にお答えさせていただきます。

 まず、日本が朝鮮総督府を通じて韓国を統治していた期間ということでございますが、それは一九一〇年から一九四五年ということでございます。

 また、今回の対象になっておりますものでございますが、それは総理談話で明らかでございますけれども、本協定に基づく引き渡しの対象というものは、先ほど申し上げた、日本が統治した期間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書ということでございます。

笠井委員 総理談話で言う朝鮮総督府を経由してもたらされたものということは、朝鮮総督府を経由せず、個人、団体による購入、寄贈などを通じて日本にもたらされたものは原則として含まれていないということでよろしいですね。

伴野副大臣 笠井委員にお答えいたします。

 御案内のように、今回の引き渡しの対象は日本政府が保管している図書でございまして、その他の個人、団体が保有しているものは引き渡しの対象ではございません。

笠井委員 今、日本政府が保管しているものということでありますが、これは、日本の行政府、内閣とその統括下にある行政機関が保管しているものを意味して、それ以外に、日本政府、行政府でない者が保管している文化財は本協定の対象とはならないということでよろしいでしょうか。

伴野副大臣 そのように御理解いただいて結構でございます。

笠井委員 今回の日韓図書協定を含めれば、韓国との間で文化財の引き渡しに関する政府間の取り決め、協定を締結するのは、自民党政権時代の一九六五年の文化財・文化協力協定、それから一九九一年の故李方子女史の服飾等の譲渡協定に次ぐ三番目の協定になります。

 そこで伺いますが、一九六五年の韓国との文化財・文化協力協定の際には合意議事録というものが存在すると思うんですが、どのような内容のものでしょうか。

伴野副大臣 笠井委員にお答えいたします。

 今、委員御指摘のございました、一九六五年、文化財・文化協力協定署名時の合意された議事録におきましては、一つ目として、韓国側代表は、日本国民の私有文化財で韓国に由来するものが韓国側に寄贈されることを希望する旨述べた旨書いてございます。さらには、二つ目として、日本側代表は、日本国民が所有するそうした文化財を自発的に韓国側に寄贈することは日韓両国間の文化協力の増進に寄与することにもなるので、政府としてはこれを勧奨するものである旨述べたことが記載されております。

笠井委員 今お答えありまして、私も、当時の外務委員会の日韓条約の審議をまとめた要綱というのがここにありますけれども、まさにこの合意議事録では、日本政府所有ではない韓国の文化財について、日本政府としては日本国民がその所有する韓国文化財を自発的に韓国側に寄贈することを勧奨するという旨が盛り込まれております。

 ということは、伺いたいんですが、例えば、日本政府でないという点では、独立行政法人国立文化財機構が運営する東京国立博物館なども含めて、要するに、先ほどあったように、日本政府という点では、内閣とその統括下にある行政機関の所有あるいは保管でないものを自発的に寄贈するということについては、これは問題にはならないということでよろしいんでしょうか。

松本(剛)国務大臣 先ほどから申し上げておりますように、一般論として、日韓関係を重層的に深めていくということが大変重要であると思います。また、民間レベルでの両国間の文化面での交流が活発に行われるということも歓迎をすべきことだ、このように考えております。

 そういった視点から日本の立場を申し上げてきたわけでありますし、また、今御指摘の議事録にも、そのような立場をあらわしたものだというふうに私自身も考えておりますけれども、個別の民間が保有をしている文化財の扱いについて、政府としてお答えをする立場にはありませんので、そのようにコメントさせていただくことを御容赦いただきたいと思います。

笠井委員 いや、個別のことを聞いているんじゃなくて、今確認しているんですけれども、日本政府として、この合意議事録があるわけですから、要するに、政府の所有でないものについてはそれぞれ自発的に寄贈するということは問題がないと。つまり、では今、その答えは差し控えるとなると、合意議事録の立場は変わったのかということになるわけですけれども、その立場は変わっていないということはよろしいですよね。

松本(剛)国務大臣 私どもとして、日韓の文化の交流を深めること、これを歓迎するという立場からは基本的に私どもは変わっておりません。

 その上で、今、例えば、委員から独立行政法人とかお話があったわけでありますけれども、それぞれ政府でない者が所有をする文化財の扱いについて、これを私どもが云々する、もしくはコメントをするということの立場にはないという趣旨でお話をさせていただきました。

笠井委員 個別にどれと言っているわけじゃないんですが、今私は厳密に申し上げたつもりですが、合意議事録で言っているのは、日本政府が持っているものでない、日本国民が所有するものについて自発的に寄贈するのは文化協力の増進に寄与するということで、「政府としてはこれを勧奨する」、つまり、勧め励ますということを合意議事録で言っているんですが、それは変わっていないですねと言っているんです。

 もし、それと違うとなると、二国間の関係で合意議事録を変えるというふうになるから、そうじゃない、その解釈について変わっていないですねと聞いているんです。

松本(剛)国務大臣 今まさに先生がお読みをいただいたように、両国間の文化の交流を深めるという考え方は変わっておりませんし、合意議事録というものを変えたという事実はありません。

笠井委員 このように、自民党政権時代に交わされた日韓間の合意議事録では、韓国文化財について、日韓両国間の文化協力の増進に寄与することから、日本政府として、日本国民の所有であるものについて韓国側への寄贈を勧奨するということをされているというのは大事な点だと思うんです。

 そこで伺いますが、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折に、地元義勇軍が加藤清正軍を撃退したことを記念して建てられた北関大捷碑という石碑がございます。これは一九〇五年に、日露戦争において旧日本軍将校が発見して日本に持ち出して、靖国神社に保管されていたものでありますが、二〇〇五年の十月にこの石碑の返還調印式が行われて、韓国側に移送されましたが、これに日本政府はどのような姿勢でかかわりましたでしょうか。

松本(剛)国務大臣 今御指摘のは北関大捷碑ということで御理解をさせていただきますが、北関大捷碑の引き渡しの式典は、今お話がありましたように、二〇〇五年の十月十二日、主催は靖国神社ということで、同神社で行われたと承知をしております。

 この式典には、政府からは、当時の福島啓史郎外務大臣政務官、そして政府の北東アジア課長などが出席をいたしておりまして、同大臣政務官、そして靖国神社の南部宮司、そして秋圭昊在京韓国大使館公使の三者が引き渡しの書類に署名をしたというふうに承知をいたしております。

笠井委員 私が伺ったのは、この引き渡しに関して日本政府はどうかかわったかということについて伺ったんです。調印式に参加したというのは今わかりました。どういう姿勢でかかわったかということです。

松本(剛)国務大臣 正確に申し上げた方がいいかもしれませんが、仲介者としてという立場で書面にたしか記されていたと思いますが、ちょっとお待ちください。

 この引き渡しの書面に記載をされているとおり読みますと、仲介者として日本国外務省大臣政務官、それで御署名をいただいている、こういう位置づけになっております。

笠井委員 仲介者としてというのはわかるんですが、もう少しそこのところは、どんなふうにかかわったかというのがあると思うんですけれども、もう一言、具体的に答えていただけますか。

松本(剛)国務大臣 私どもが承知をしている範囲で申し上げれば、同年、二〇〇五年の五月六日に行われた日韓外相会談において、当時の潘基文外交通商部長官から、北関大捷碑の返還、これは先方が返還というふうに申し上げているのをそのまま申し上げますが、日韓関係、ひいては南北関係の改善にも資する、日本側の積極的対応を期待する旨述べ、当時の町村外務大臣から、引き続き靖国神社とも相談しつつ誠意を持って仲介したいという旨述べたというふうに承知をいたしております。

笠井委員 誠意を持って仲介したいということで、両者間で移送協議に関して話がついているのであれば、政府として手続をとるように靖国神社に促すということまでやったのではないかと思うんですが、そういうことでよろしいですか。

松本(剛)国務大臣 私どもの記録から申し上げられることは先ほど申し上げたとおりであります。仲介をしたい旨、五月に述べたということと、式典の際には仲介者として署名をしたということでありまして、その間を仲介者としてしかるべく対応されたことが推察されるということは御指摘のとおりではないかというふうに思います。

笠井委員 大臣に伺っておきたいと思います。まあ総括的になりますけれども。

 韓国国会は、今回の朝鮮王朝儀軌の引き渡しをめぐって、二〇〇六年の十二月と二〇一〇年二月の二度にわたって決議を上げている。この間も紹介もされてきたとおりです。これらの国会決議では、北関大捷碑、さらに東京大学に所蔵されていた朝鮮王朝実録が韓国側に引き渡されたことを高く評価しております。

 この北関大捷碑にはありましたが、朝鮮王朝実録、東京大学に所蔵されていたものについていいますと、これは朝鮮王朝の公式記録で、全巻残存する朝鮮王朝時代の二十五代、千七百六巻に及ぶ膨大な基本資料でありますが、そのうち五台山史庫にあった実録を一九一三年に朝鮮総督の寺内正毅が東京大学に寄贈していたという形になっていたわけですが、それを二〇〇六年五月に東京大学からソウル大学に寄贈する形式をとることで両大学が合意をして、七月に引き渡されたものであります。同月行われた日韓外相会談では、やはり北関大捷碑と同様に両国の外相間でのやりとりがあって、当時の潘基文韓国外交通商部の長官が麻生外務大臣に対して、文化協力の象徴であるということで謝意を表明しているという経過があるということだと思います。

 そこで、最後に大臣に伺っておきますが、日本政府が今回の協定で示されたように、文化財をめぐって可能な限り韓国との間でも誠意ある対応をしていくということ、あるいはするということについては日韓両国の友好関係の発展に資するというふうに思うんですけれども、そのことについて大臣の所見を伺っておきたいと思います。

松本(剛)国務大臣 今回の御審議を願っております協定については、百年という節目において、まさに日韓関係をこれまで、そしてこれからのためにプラスになるものとして、その一つとして図書の協定の引き渡しをお願いしておりまして、この内容は、今まさにお諮りをしている内容が最も適当であると考えておりますので、これがすべてだというふうに申し上げてよろしいかというふうに、今回の百年で行うものとしてはすべてではないかと思っております。

 他方で、今お話がありましたように、一九六五年の合意議事録の御指摘もあったわけでありますけれども、大変重層的で、さらに深めていかなければいけない日韓の関係という意味では、御指摘のありました文化にとどまらず、あらゆる面で誠意ある対応を私どももしていきたいというふうに思いますし、それによって信頼関係も深まってくるものと期待をしております。

笠井委員 この日韓図書協定が採択をされて、そして朝鮮王朝儀軌等の文化財が韓国側に渡されて、そしてそのことを通じて日韓関係の発展に寄与するということを心から願いながら、質問を終わりたいと思います。

小平委員長 次に、服部良一君。

服部委員 社民党の服部良一です。

 まず、この図書協定に賛成をするということを申し上げた上で、幾つか質問をしたいと思います。

 前回の委員会で、文科省の文化庁次長ですか、重要文化財を海外へ返還あるいは引き渡しするに当たって、文化審議会での判断について、当該美術品の文化財としての価値のいかんというところで判断をするという趣旨の答弁をされております。この理屈からいったら、例えば北関大捷碑であるとか返還された文化財は、では価値がなかったのかとも読めるわけで、いわば、例えば植民地支配という歴史的な経過であるとか背景であるとか、あるいは所有者が返したいという意向であるとか、そういったことは考慮されないのか、ちょっと質問をいたします。

関政府参考人 お答え申し上げます。

 前回お答えをいたしましたとおり、重要美術品ということが前提でございまして、重要美術品と申しますのは、重要美術品等ノ保存ニ関スル法律に基づくものでございます。

 この重要美術品等ノ保存ニ関スル法律でございますけれども、昭和二十五年、文化財保護法ができました際に廃止をされたわけでございますけれども、既に認定をされました重要美術品については、当分の間、その効力を有するというふうにされておるわけでございます。

 その趣旨でございますけれども、重要美術品につきまして再度きちんと評価をいたしまして、文化財保護法に基づく重要文化財として指定すべきものは指定をする、そうでないものについては重要美術品としての認定を取り消すということで、このような制度設計になっておるわけでございます。

 したがいまして、前回、文化財としての価値ということでお答えをさせていただいたわけでございますけれども、これを具体的に申し上げますと、当該重要美術品を重要文化財として指定をすべきかどうか、すなわち、我が国にとっての歴史上または芸術上の価値という観点から判断を行うことになるというものでございます。

服部委員 ということは、今私が言った、例えば所有者が返したいとか、それが何で日本にあるか、そういう背景については考慮されないということなんですか。ちょっともうイエス、ノーで。

関政府参考人 済みません。繰り返しになりまして恐縮でございますけれども、私どもとしては、文化財保護法それから重要美術品等ノ保存ニ関スル法律を担当しておるという立場から、文化財としての価値に基づいて判断をさせていただいているということでございます。

服部委員 先ほどの議論を聞いていて、もう一点お聞きしますけれども、宮内庁の文化財については、文化庁としては全くノータッチということなんでしょうか。

関政府参考人 お答え申し上げます。

 先ほども御答弁をさせていただきましたように、文化財保護法の趣旨でございますけれども、文化財のうちで価値の高いもの、それから重要なもの、これを文部科学大臣が指定をするということでございますけれども、その指定をされたものにつきましては、所有者の方においてきちんと保存管理をしていただくということになるわけでございます。

小平委員長 関部長、質問に答えなさいよ。宮内庁はどうかと聞いているんだから。

関政府参考人 失礼いたしました。

 宮内庁が所有されているものにつきましては、そういった文化財の保存という観点から見ましても、きちんと保存管理をされているというふうに思っておりますので、今まで重要文化財等の指定ということはしてこなかったということでございます。

服部委員 何かちょっとよく理解ができないな。保存管理がきちんとされておったら関係ないというふうにも聞けるわけですけれども、もういいです、こればかりやっていても仕方ないので。

 大臣にお聞きしますけれども、未来への日韓関係、そのためにもやはり、いわゆる戦後処理問題というのは、まだまだ私自身は未解決だというふうに思っているわけですね。

 大臣も過去、民主党の政調会長なんかもやっておられて、民主党のいろいろ、政策立案の中心メンバーでもあられて、二〇〇九年の総選挙のときの政策インデックスにも「戦後諸課題への取り組み」として、例えば、先ほども言いましたけれども、国会図書館に恒久平和調査局を設置する国会図書館法だとかもろもろ、慰安婦問題等についても引き続き取り組むということも明記されているわけですけれども、特にこういった民間被害者の賠償とか補償とか戦後処理の問題について、外務省として、まだ課題は残っているというふうにお考えですか。

松本(剛)国務大臣 政府の立場で申し上げれば、まず法的なことを申し上げなければいけませんが、これについてはもう既に御議論もあるところなので、繰り返さないということでございます。

 その上で、先ほども議論があったわけでありますけれども、まさに、これまでのことについての義務であるとか補償であるとか、そういった法的な立場は既に解決済みという政府の立場は、私どももしっかり引き継いできておるわけでありますけれども、未来に向けて日韓関係を構築していくときに、やはりそれぞれの国民の気持ちというものが寄り添っていくようになることが大切であるといったときに、人道的な視点であるとか、そういったことで何ができるかということは、既に取り組んでいるものもありますし、課題として今まさに進行中のものもあるというふうに御理解をいただいていいと思います。

服部委員 課題は残っているというふうに受けとめさせていただいたわけです。

 前回の委員会の中で、いわゆる幽霊貯金といいますか、軍事郵便貯金、外地郵便貯金について、総務省から答弁をいただきました。軍事郵便貯金については、七十万口、二十一億五千三百万、外地郵便貯金については、一千八百六十六万口座、二十二億六千六百万あるよということだったんですけれども、こういったものを原資にして戦後補償問題にかかわる支援事業に充てるということについて、私は、一つのアイデアとして、非常にいいアイデアじゃないかなというふうに思うんですが、外務大臣、こういったことを利用するということについて、考慮に値するというふうには思われませんか。

松本(剛)国務大臣 先ほども申し上げたところと少し重複をいたしますけれども、御案内のとおり、日韓国交正常化の際に締結された日韓請求権・経済協力協定に基づいて、日韓間の個人の財産、請求権の問題については一括して処理をし、法的に完全かつ最終的に解決をされている、こういうことであります。その意味では、先生がお話しになったように、何と何をつなげて、どういうことをするかということを考えることが適当かどうかということは、議論をしなければいけないというふうに私も思っております。

 何をなすべきかという意味では、先ほど少し御議論がありましたけれども、人道的観点から、個人に対する支援として、先生よく御案内のとおり、在サハリン韓国人の支援であるとか、朝鮮半島出身者の遺骨支援といったことを真摯に行ってきておりまして、何をなすべきかについては、やはり私どもとしても、なすべきことはしっかりなしてまいりたい、このように考えておりますが、繰り返しになりますけれども、財産、請求権の問題については、一括して処理して、法的に完全かつ最終的に解決されているという中で、今御指摘がありましたような、いわゆる財産等をどう考えるかということと補償という言葉をつなげるということは、法的な整理としては必ずしも適切ではないのではないかと考えておるところであります。

服部委員 この幽霊貯金の扱いについては、菅総理自身も、ひとつ検討してみたいということも言われているわけで、日本でない海外のそういう貯金がずっと残って、これは一体、本当にどうするんですか。だから、やはりこういったことは、いい意味で活用していくということが僕は重要だというふうに思います。

 最後に、きょう、文化財の問題、いろいろ議論が参考人を含めてございました。私は、例えば対馬の文書なんかもありますけれども、先ほども言いましたけれども、長い文化交流の歴史を見ますと、これは日本と韓国の共通の財産だとも言えるような面があるわけですね。そういう意味では、この問題をきっかけに、ただ単に所有権の論議だけじゃなくて、例えば巡回展示だとか、共同管理だとか利用だとか、幅広く利用を検討していくような専門家委員会を立ち上げた方がいいんじゃないかなというふうに私は思うんですけれども、大臣、いかがでしょうか。

松本(剛)国務大臣 今回対象となったものも含めて、何度か申し上げていますが、両国間は、長い交流の中で、それぞれの由来の文物が両国の間にあるというふうに私自身も理解をしておりまして、それを、双方の国々、研究者などのアクセスについては先ほど御議論がありましたけれども、さらには、広く両国の国民がそういったものに触れる機会がある、目にする機会があるということも大変重要なことだと思います。

 これをどのように進めていくかということについては、今先生から御提案がありましたような、専門家の力をかりるといったようなことも含めて今後の検討課題としてまいりたい、このように思っております。

服部委員 ぜひよろしくお願いをしたいと思います。

 質問を終わります。ありがとうございました。

小平委員長 これにて本件に対する質疑は終局いたしました。

    ―――――――――――――

小平委員長 これより討論に入ります。

 討論の申し出がありますので、これを許します。小野寺五典君。

小野寺委員 自由民主党の小野寺五典であります。

 私は、自由民主党・無所属の会を代表して、日韓図書協定の締結につきまして、反対の討論を行います。

 まず、今回の震災に対して、協定の対象となりました韓国からも、官民を挙げて多大な支援をいただきました。被災地選出の議員の一人として、厚く御礼を申し上げます。

 韓国は、基本的価値を共有する最も重要な隣国であります。今回の協定の目的である「相互理解に基づく文化交流及び文化協力」は、両国関係にとってまことに重要であり、我が党としても大いに推進すべきと考えております。しかしながら、今回の協定は、その目的を達成するには余りにも拙速かつ無定見に進められたものであり、我々がとても看過できるものではありません。

 まず、この図書引き渡しは、昨年の総理大臣談話において、日韓併合百年に関連づけて、反省と謝罪の文脈の中で盛り込まれたものです。そもそも、請求権や文化財引き渡しに関する問題は、日韓基本条約と同時に締結された諸協定により解決済みであります。にもかかわらず、解決済みの事案をいま一度俎上にのせることは、未来志向の日韓関係の構築を阻害する可能性があります。

 また、協定の対象となる図書は、文化性、専門性が高く、図書の価値やそれを引き渡すことへの是非を判断するには、綿密な調査や専門家の意見聴取が不可欠であります。しかし、政府は、このような必要な手続を全く行わず、重要な国有財産を引き渡すことを極めて安易に決定しました。しかも、最終的に引き渡す図書は、韓国国会が返還要求をした百六十七冊の朝鮮王朝儀軌のほかに千三十八冊が加わっております。だれがいかなる意図でこの基準をつくったのか、政府から明確な説明はありません。

 さらに、この協定は、我が国が一方的に図書を引き渡す片務的な内容となっております。文化交流というのなら、相互主義に基づいて日韓双方がその所有する図書を譲り合い、両国が安易に図書への相互アクセスができるようにすべきではないでしょうか。

 しかしながら、外務省は、韓国に我が国の図書が存在することを、署名直前に我が党の新藤義孝議員が指摘するまで全く知らなかったのであります。初めから我が国の図書の引き渡しありきで、一片の疑念も抱かず、調査もしなかった政府は、不作為の罪を問われるべきです。

 さらに、政府には、この状態を是正すべく、韓国側に対し、我が国由来の図書を引き渡してもらう旨の申し入れ等に関して、今後行う予定がないという立場を崩してはおりません。この協定は、外交の双務性という原則を履行せず、余りに拙速に進められたものです。政府に対しては、この協定を契機として、さらに我が国文化財の韓国への一方的な引き渡しが行われることがないよう強く求めたいと思います。そして、この協定の趣旨が真に生かされるためには、私たち国会の意思として、韓国にある貴重な日本図書の引き渡しを韓国側に求めるための決議を行うべきだと提言いたします。

 長らく政権党として、我が党は、日韓両国民の友情に基づく関係発展に努めてまいりました。これからも変わらず韓国とのきずなをさらに深め、未来志向の関係構築のために努める意思は変わりません。しかし、残念ながら、本来の目的が大きくねじ曲げられてしまったこの協定に反対であると申し上げ、私の討論を終わります。(拍手)

小平委員長 これにて本件に対する討論は終局いたしました。

    ―――――――――――――

小平委員長 これより採決に入ります。

 図書に関する日本国政府と大韓民国政府との間の協定の締結について承認を求めるの件について採決いたします。

 本件は承認すべきものと決するに賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

小平委員長 起立多数。よって、本件は承認すべきものと決しました。

 お諮りいたします。

 ただいま議決いたしました本件に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

小平委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

    〔報告書は附録に掲載〕

     ――――◇―――――

小平委員長 次に、社会保障に関する日本国とブラジル連邦共和国との間の協定の締結について承認を求めるの件、社会保障に関する日本国とスイス連邦との間の協定の締結について承認を求めるの件及び日本国とインド共和国との間の包括的経済連携協定の締結について承認を求めるの件の各件を議題といたします。

 政府から順次趣旨の説明を聴取いたします。外務大臣松本剛明君。

    ―――――――――――――

 社会保障に関する日本国とブラジル連邦共和国との間の協定の締結について承認を求めるの件

 社会保障に関する日本国とスイス連邦との間の協定の締結について承認を求めるの件

 日本国とインド共和国との間の包括的経済連携協定の締結について承認を求めるの件

    〔本号末尾に掲載〕

    ―――――――――――――

松本(剛)国務大臣 ただいま議題となりました社会保障に関する日本国とブラジル連邦共和国との間の協定の締結について承認を求めるの件につきまして、提案理由を御説明いたします。

 政府は、平成二十二年一月以来、ブラジルとの間でこの協定の交渉を行いました。その結果、同年七月二十九日に東京において、我が方岡田外務大臣と先方社会保障大臣との間で、この協定の署名を行った次第であります。

 この協定は、我が国とブラジルとの間で年金制度に関する法令の適用について調整を行うこと及び両国の年金制度の加入期間を通算することによって年金の受給権を確立すること等を定めるものであります。

 この協定の締結により、年金制度への二重加入等の問題の解決等を通じ、両国間の人的交流が円滑化し、ひいては経済交流を含む両国間の関係がより一層緊密となることが期待されます。

 よって、ここに、この協定の締結について御承認を求める次第であります。

 次に、社会保障に関する日本国とスイス連邦との間の協定の締結について承認を求めるの件につきまして、提案理由を御説明いたします。

 政府は、平成二十一年七月以来、スイスとの間でこの協定の交渉を行いました。その結果、平成二十二年十月二十二日にベルンにおいて、我が方在スイス大使と先方連邦保険庁長官との間で、この協定の署名を行った次第であります。

 この協定は、我が国とスイスとの間で年金制度及び医療保険制度に関する法令の適用について調整を行うこと並びに両国の年金制度の加入期間を通算することによって年金の受給権を確立すること等を定めるものであります。

 この協定の締結により、年金制度及び医療保険制度への二重加入等の問題の解決等を通じ、両国間の人的交流が円滑化し、ひいては経済交流を含む両国間の関係がより一層緊密となることが期待されます。

 よって、ここに、この協定の締結について御承認を求める次第であります。

 最後に、日本国とインド共和国との間の包括的経済連携協定の締結について承認を求めるの件につきまして、提案理由を御説明いたします。

 政府は、平成十九年一月以来、インドとの間でこの協定の交渉を行いました。その結果、本年二月十六日に東京において、我が方前原外務大臣と先方商工大臣との間で、この協定の署名を行った次第であります。

 この協定は、両国間において、物品及びサービスの貿易の自由化及び円滑化を進め、投資の機会を増大させ、両国間の経済活動の連携を強化するとともに、自然人の移動、競争、知的財産等の幅広い分野での枠組みを構築するものであります。

 この協定の締結により、幅広い分野において、両国間における経済上の連携が強化され、そのことを通じ、両国経済が一段と活性化し、また、両国関係が一層緊密化することが期待されます。

 よって、ここに、この協定の締結について御承認を求める次第であります。

 以上三件につき、何とぞ御審議の上、速やかに御承認いただきますようにお願いをいたします。

小平委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。

 次回は、来る五月十一日水曜日午前八時五十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後零時三十八分散会


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