衆議院

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第24号 平成14年4月8日(月曜日)

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平成十四年四月八日(月曜日)
    午後一時開議
 出席委員
   委員長 津島 雄二君
   理事 伊藤 公介君 理事 木村 義雄君
   理事 北村 直人君 理事 小林 興起君
   理事 藤井 孝男君 理事 枝野 幸男君
   理事 城島 正光君 理事 原口 一博君
   理事 井上 義久君
      伊吹 文明君    石川 要三君
      衛藤征士郎君    大原 一三君
      梶山 弘志君    亀井 善之君
      栗原 博久君    小島 敏男君
      佐藤 剛男君    阪上 善秀君
      七条  明君    竹本 直一君
      中山 正暉君    丹羽 雄哉君
      野田 聖子君    葉梨 信行君
      萩野 浩基君    平井 卓也君
      細田 博之君    三塚  博君
      宮本 一三君    森岡 正宏君
      八代 英太君    山口 泰明君
      赤松 広隆君    五十嵐文彦君
      池田 元久君    岩國 哲人君
      河村たかし君    筒井 信隆君
      中沢 健次君    長妻  昭君
      野田 佳彦君    平野 博文君
      細川 律夫君    松野 頼久君
      松本 剛明君    青山 二三君
      赤松 正雄君    漆原 良夫君
      西  博義君    達増 拓也君
      中井  洽君    中塚 一宏君
      木島日出夫君    佐々木憲昭君
      春名 直章君    菅野 哲雄君
      横光 克彦君    井上 喜一君
      西川太一郎君
    …………………………………
   参考人          加藤 紘一君
   参考人          鹿野 道彦君
   予算委員会専門員     大西  勉君
    ―――――――――――――
委員の異動
四月八日
 辞任         補欠選任
  奥野 誠亮君     阪上 善秀君
  亀井 善之君     竹本 直一君
  高鳥  修君     梶山 弘志君
  野田 聖子君     七条  明君
  宮本 一三君     平井 卓也君
  持永 和見君     森岡 正宏君
  岩國 哲人君     長妻  昭君
  松野 頼久君     平野 博文君
  松本 剛明君     細川 律夫君
  青山 二三君     漆原 良夫君
  山口 富男君     木島日出夫君
  中西 績介君     菅野 哲雄君
  井上 喜一君     西川太一郎君
同日
 辞任         補欠選任
  梶山 弘志君     高鳥  修君
  阪上 善秀君     奥野 誠亮君
  七条  明君     野田 聖子君
  竹本 直一君     佐藤 剛男君
  平井 卓也君     宮本 一三君
  森岡 正宏君     持永 和見君
  長妻  昭君     岩國 哲人君
  平野 博文君     松野 頼久君
  細川 律夫君     松本 剛明君
  漆原 良夫君     西  博義君
  木島日出夫君     春名 直章君
  菅野 哲雄君     中西 績介君
  西川太一郎君     井上 喜一君
同日
 辞任         補欠選任
  佐藤 剛男君     亀井 善之君
  西  博義君     青山 二三君
  春名 直章君     山口 富男君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 予算の実施状況に関する件(政治資金問題等及び元秘書に関する問題等)


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     ――――◇―――――
津島委員長 これより会議を開きます。
 予算の実施状況に関する件について調査を進めます。
 これより、政治資金問題等について、参考人加藤紘一君に対して質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。森岡正宏君。
森岡委員 自由民主党の森岡正宏であります。
 大先輩の加藤参考人は、三十年近い政治経歴の中で赫々たる実績を残され、次は総理かと国民の期待を担っておられただけに、私がこういう形で質問をさせていただくことは、大変残念であります。
 しかしながら、きょうは、こうしてテレビを通して多くの国民が、加藤参考人がどう答えるのか、じっと息を凝らして見ているのです。政治と金の問題、永遠の課題だと言われております。政治家は、普通の人以上に高い倫理性を求められる立場にあるわけでございます。国民の目線に立って、きょうは私は遠慮なく質問させていただきます。
 先日の記者会見で、国会の場での説明責任を果たすんだということを強調しておられました。率直にかつ簡潔にお答えをいただきたいと思います。
 まず第一番目に、私は、加藤参考人と佐藤三郎容疑者はどういう関係にあったか。秘書であったのか、それとも政治団体の代表であったのか。そして、佐藤容疑者に対して、加藤事務所で給料は幾ら払われておったのか、また活動費はどうであったのか。さらには、佐藤容疑者については、とかくうわさのある人だ。そして、親しい人から忠告があったということも再三聞いておるわけでございますが、その人たちの忠告を以前から受けておりながら、なぜそれほどまでに佐藤容疑者を信用されたのでしょうか。お答えをいただきたいと思います。
加藤参考人 まず冒頭に、私の事務所の元代表佐藤三郎の脱税事件で、それが仮に個人の脱税事件であったとしても、私の事務所の代表をしていたということで、政治と金、そして政治に対する信頼というものについて、国民の皆さんの間に大きな疑念を持たせたり、そして信頼を傷つけましたことを、私は深くおわび申し上げたいと思います。
 特に、私自身が過去四、五年、やはり政治と金の関係については明確にすべきだと言い、そして、親の代からそういう言いつけを守らされてきた家に生まれてきたがゆえに、非常に私自身も残念であります。
 きょう、この機会を通じまして、先ほど私は記者会見で申しましたように、何らか公の場における説明責任を果たしたいということを実現できる機会を得ましたことを、心から感謝申し上げます。
 それから、森岡先生には、かつて私も同じ自由民主党にいた先輩、同僚の関係にある、一種の同志の議員の友人であるわけですが、私に対して厳しい質問をしなければならないという、非常にやりにくい仕事をしてもらわなければならないという環境を私自身が今つくっておりますことを、森岡さん個人に大変申しわけなく思っております。
 その分だけ私はできる限り率直に、今森岡さんがおっしゃったようなことを、おっしゃったように、できるだけ率直にお答えしてまいりたいと思います。
 何せ、資料が全部捜査当局に今押収されている段階でございますので、そして一番の責任者の佐藤がまだ勾留というんですか、現実に我々の身辺にいないわけなんで、聞くことができません。かなり限界がありますけれども、その限界の中から、できるだけ申し上げたいと思います。
 で、森岡先生が今お聞きになりました第一の点はまず、佐藤三郎はうちの秘書であったか、それはノーであります。私の事務所全体を人事面、事務面で管理する人として、約九年前に私たちが、その任についてくれないかと依頼した人物でございます。出身は私の選挙区の山形県西田川郡温海町という地元出身の人で、そして、私が代議士になりましてから十四、五年、一種の地元出身の私の支援者として、うちの事務所に時たま出入りされ、そして秘書たちと仲よくしてくれた中で、あの人が全体をまとめてくれたならばという声もありまして、うちの事務所の、何といいますか、事務所管理者という形になりました。
 それから、政治資金団体の代表者は御承知のように代議士個人だったと思いますが、彼は会計責任者でございます。
 活動費はどうかということでございますが、当人自身が大変実業家、といってもそんな大きな実業家ではありませんが、中小企業を経営しておりますので、自分はボランティアで活動していい、何度か給料をとるようにと申したんですが、それはいいです、ただし活動費というものについてはお認めいただきたいということで、活動費を一定限度の範囲でいろいろ彼は使っておる、その自由は与えられていた、そういうところでございます。
 森岡先生の四番目の質問は、なぜ、いろいろな人が忠告するのにそれに耳を傾けなかったかということですが、秘書という職業、または代議士の身がわりとか事務所の人間というのは、ともすれば、代議士が限定された日程しかない中で、時たまというかかなりしょっちゅう、とても代議士の日程はとれませんという、泥をかぶって断る役をいたします。なかなか一〇〇%評判のいい秘書さんというのは世の中にいないものでありまして、それと同時に、人と余りつき合うことの多くない、いわゆる永田町、自由民主党の秘書のタイプとしては少し変わったタイプなのかもしれません。ですから、自分は秘書ではないというような感じでうちの仕事を手伝っていたという状況です。
森岡委員 時間がございませんので、簡潔にお答えをいただきたいと思います。
 今、秘書じゃないとおっしゃいましたけれども、佐藤三郎被告を紹介されるときに、他人に対して、この人の言うことは私の言うことだと思ってほしい、私の分身です、こうお答えになっているようでございます。
 私は、佐藤容疑者に関する事件に対して、参考人は、全く知らなかったと述べておられます。実は私も、国会議員の秘書を二十年以上務めてまいりました。大事なことはすべて議員に報告をする、また、政治資金についても、どこから入った、そしてどういうふうに使ったということを議員に報告をしてチェックを受ける、これは当たり前のことでございます。加藤参考人には、何にも、何一つ報告がなかったのでしょうか。その点をお伺いしたいと思います。
加藤参考人 もちろん、大きなところは報告がございます。それで、今、森岡委員の御質問は、佐藤が今度容疑にかけられました脱税事件、四つか五つかあるようでございますが、その点につきましては、全く私には報告がありませんし、今度の事件があって初めて私は聞きました。
森岡委員 佐藤容疑者は、公共工事受注などをめぐるいわゆる口ききによって数億円の利益を得たと言われております。それは、総理に最も近い人だと呼ばれた参考人の威光をバックにされたものじゃないでしょうか。そうした佐藤容疑者の動きが加藤参考人の耳に入ってこなかったのでしょうか。不思議でならないわけでございます。地元の業者からあなたの耳に達することはなかったんでしょうか。
加藤参考人 口ききという言葉なんですけれども、よくわからない言葉でございまして、私の耳に、佐藤がそういうことをやっているということが直接耳に入ったことはございません。公共事業で、例えば首長さんに声をかけたりいろいろな部長さんに声をかけると、必ず、先生ちょっとひど過ぎませんかと声がかかってくるものですけれども、それはありませんでした。恐らく、山形県でもほかの官庁でも、佐藤がそういう直接いわゆる役所の人に声をかけたケースはほとんど私はないと思います。
 問題は、その業者間で積み上げられた長い長い歴史的な調整の中でそのバランスを崩すか崩さないか、そういう発言力があるかないかというようなのがいわゆる最近よく言う口ききなのかなと言ったりしておりますが、しかし、それは恐らく業者の方たちだけの話なので、比較的私たちの耳には入らなかったのでないかと思いますが、いずれにしろ、もっと耳を澄まして聞くような態度を私が持ってなかったことは、深く反省しなければなりません。
森岡委員 別の質問に移ります。
 報道によれば、査察を受けた佐藤容疑者が経営する貿易関連会社、コーショーコーポレーションに加藤参考人の夫人が約七年間、監査役を務めておられることが明らかになっています。あなたに相談はありませんでしたでしょうか。また、夫人は、監査役の立場にありながら、脱税について気がついていなかったのでしょうか。
加藤参考人 まず、うちの家内がコーショーの監査役をしておりましたのは、そうですね、今から十四年ぐらい前ではないかと思います。一九八八年ぐらいで約四年間、四年間ぐらいだったと思います。そして、佐藤がうちの事務所に、かなりフルタイムで事務所代表的な仕事をするようになってからは、その監査役をやめております。
 で、世上一般に、新聞報道によりますと、月百万円の監査料を取っていたという報道がありますけれども、全くうそでございまして、五万かそこいらかを四年ぐらい監査料としていただいていたけれども、仕事はほとんどしていない、そういうものでありまして、金額と時期が全く違います。これはちょっと、妻の名誉のために、かわいそうな報道だなと思っております。
森岡委員 報道によりますと、佐藤容疑者が会計責任者を務める加藤参考人の資金管理団体、社会計画研究会から、加藤参考人の個人口座に過去五年間で約九千万円に上る振り込み送金を受け、参考人が住んでいるマンションの家賃、月額百十万円、そして生活費約五十万円に充てていたと言われています。また、その口座には、加藤参考人の講演料、出演料や、機関誌印刷関連会社から顧問料として、それも機関誌の費用を水増しした形で、五年間で二千七百万円も振り込まれていたと言われております。本当でしょうか。
 さらに、けさの報道によれば、夫人の口座に社会計画研究会から四年間で一千三百万円の振り込みがあったと報じられていますが、事実でしょうか。公私の峻別という意識が全く欠落しておったのではないかと私は思えてならないわけでございます。
 また、社会計画研究会が毎年自治省に収支報告書を提出する際、加藤参考人は全く佐藤容疑者任せで目を通していなかったのじゃないか、私はそんなふうに思えてならないわけでございます。私の常識からすれば、長い秘書生活の経験からすれば、信じられないことであります。いかがでしょうか。
加藤参考人 質問が四つほど立て続けでございますので、落ちておりましたらまた御指摘ください。
 まず第一に、きょうNHKで報道されたそうでございますけれども、私の家内の口座ないし私に四年間で千二、三百万円か振り込まれたということでございますが、それは、歳費から、いわゆるいろんな友好議員連盟に参加しますね、それが歳費から天引きされることは、皆さん御承知のとおりであります。それから、議員会館の電話費というのもそこから引かれます。それから、その他もろもろのものが、普通の方で二十万、三十万、多い方だと五十万引かれると思うんですが、これは政治活動だと。例えば日本・エジプト友好議員連盟の活動費といったら、これは政治活動費ですから、そういうものが本来の、個人に行くべき歳費から抜かれて取られているから、それをバックしているというのが四年間で千四百万ぐらいになります。森岡先生もそれに近い金額になっているだろうと思いますから、そこの誤解は解けるのではないかと思います。
 それから、私の家内の実家は紙問屋であり、印刷屋であり、またいろいろな紙関係の仕事をしております。そこで私のいろんなポスターだとか、いろんなものを、機関誌の印刷なんかをしてくれておりますけれども、そこが私を応援するという意味でしょうか、バックアップするという意味でしょうか、顧問料を出してくれている。そして、私も時たまそこに行って経済問題を講演するというものが入っていることは事実でございます。
 それから、マンション代でございますか、これは今回私に向けられました質問の大きな点でございますので、ちょっと時間がかかりますけれども、当初私は、自分で祖師谷という、一時間半ぐらい永田町からかかるところに住んでおりました。官房長官になりました。そういうときに、クラブの方が十数人、ずっと一時間半、大変朝晩来られます。それで、私は自分だけが九段の議員宿舎で懇談していたんですが、家族もあんまりばらばらというのはおかしいなと思って、こういうときにはいわゆる公的なファンクション、機能として、公的、政治活動の一環としてマンションを借りさせていただいてもいいのではないかというふうに私は思ったんであります。
 そして、当時、自治省にも見解をお聞きしました。で、いいとも悪いとも言えないというような見解でございまして、まあ何割までならいいんですかというようなことも、当時二、三の秘書が聞いたんですが、そこも明確なお答えがないまま、とにかく毎日毎日激しい生活でしたから、当初は、私が社会計画研究会という私の団体にある種のお金を貸している立場にありましたので、それで払うという形でやりながら、あとは社会計画研究会のコストで持ってもらったということは事実でございます。
 で、私は、場所が場所であるがゆえに、一般庶民感覚から見て、あんなところにマンションを買ったの、住んだのと言われれば、大変、何を説明しても御理解いただけない種類のものだと思っております。しかし、買ったものではありません。仕事をしているときだけ、まあ一種の社宅的な観念で使わせてもらっていいではないだろうかなと思ったところが私の判断の甘かった部分かもしれません。ただし、それが一つも仕事に使われてないということではございません。まあ本当に、通常、新聞報道で私宅部分だと言われるような部分の、私は半分以上は、毎晩毎晩、自分で夜原稿を書いたり、アメリカに行くときのスピーチの下書きをしてみたり、それから、夜一時半ぐらいまで各社の方からの電話がありますから、それを答えているというような、そんな日常の生活の仕事の場ということがかなりの部分あると考えています。
森岡委員 加藤参考人は、弁護士を通じて、マンションは私の政治活動の本拠地で、毎日のように夜遅くまでさまざまな人との会合や記者との会見に用いている、今おっしゃったとおりです。居住していることは事実だけれども、いわば事務所兼自宅だと、特に区分けすることなく家賃全額を政治活動費として処理してきたとコメントしておられます。
 しかし、あなたの居住されている南青山のマンション三〇二号室、三〇三号室をつなげて使い、これを加藤参考人の名義で借りる一方、同フロアの三〇五号室を佐藤容疑者名義で借りており、担当記者らは三〇五号室だけにしか出入りできなかったと言われております。
 幾ら事務所としてのウエートが高いとはいえ、政治資金が家族も住むプライベートな住まいの家賃にも使われたとなれば、政治資金規正法及び所得税法違反と言われるのではないでしょうか。その点についてはどうお考えでしょうか。重ねて伺います。
加藤参考人 この点につきましては、私は、論争といいますか、ここで私が何%であるべきかとかいうことは申しません。
 これから、国税当局それから検察当局、それから、そうですね、かつての自治省、今の総務省なんかがいろいろ御判断があると思います。その判断に従います。
 私は、仕事の部分がゼロとは全く思っておりません。かなり多いと思っていますが、しかし、それがどの程度かということは、もう判断に従って、そして、それでよくなければ修正申告するのかそれ以上のことがあるのか、私はその判断に従っていきたいなと思っております。
森岡委員 事実関係が次々と出てくるものですから、時間がないものですから、私は申し上げたいと思います。
 報道によりますと、五億円の加藤参考人の住宅建設を中堅ゼネコンに依頼された、そして断られると一千万円を要求して佐藤容疑者が取ったとか、また、加藤夫人が後援者の弔辞を読むと六百万円の請求があった、さらに、ライジングプロから佐藤容疑者へ一億五千万円の資金提供があり、その中の一億円が加藤氏サイドに渡ったと報じられております。
 また、加藤参考人の所得及び資産等報告書を見ますと、不動産を除く預貯金や貸付金から借入金を差し引いた流動資産、これが、平成九年一月提出分と平成十二年十月提出分を比較しますと、四年間で約一億一千万円ふえていますね。どうしてふえたのかという疑念を持つわけですが、どういうことなのか説明していただきたいと思うわけでございます。
 そして、先ほど参考人から、議連の経費を、これは政治活動費だから夫人が請求したんだ、こういうふうにおっしゃいましたけれども、私のように、日々の政治活動費に事欠いて、自分の歳費から政治活動費を持ち出して、苦労して苦労して浄財をいただいている、このような者からすると、月百十万円の家賃の高級マンションに住んで、そして四年間で一億一千万円もの資産がふえるなどということは、とても信じられないわけでございます。全く庶民の感覚からずれていると言わざるを得ません。
 国民の皆さん方は、今テレビを見ておられる国民の皆さん方は、政治家とはみんなこんなものかと思われると思います。我々を含め、加藤参考人を総理にと思って夢をかけてきた多くの国民が、今期待を裏切られて失望しておられると思います。参考人は、この責任をどう感じておられるのか。
 私は、きょうの答弁で国民に対する責任を果たせるんだろうかと疑問に思うわけでございますが、参考人の御意見をお伺いしたいと思います。
加藤参考人 五億円の家をつくってくれということを言うわけがございません。それは、どんな関係でも、恐らく何百年つき合った関係でも、自分に五億円の家を建ててくれ、それも土地があるのかないのかわからないような人に建ててやる、そんなことがあり得るでしょうか。
 私は、東京に家はございません。それはなぜかというと、家を持つということは、それなりにどこかで蓄財しなければ家をつくれないからであります。国会議員三十年やってきて、東京に家と不動産は一坪もございません。お調べください。二十九年間必死に働いてきたつもりでございます。
 ライジングから、ライジングの裁判がこの間ありました。加藤のカの字も、佐藤事務所、佐藤三郎、そのサの字もございません。報道は山ほどあります。一行もございません。
 それから、六百万の弔辞。
 その工務店は、私の親の代から深い深い信頼のあるつき合いをしている工務店でございます。人格者と言われています。そして、その店と佐藤三郎が私の知らないところで六百万のコンサルタント契約をしていたということは後で知りましたが、そのコンサルタント契約を終えて二、三カ月して先代が亡くなりました。そのときに、私の家内が私にかわって弔辞を読みに行くのは当たり前じゃないでしょうか。
 それで、六百万円の弔辞代を要求されたとその社長は言っておりません。これは、選挙区で活動して票集めしている、私のために頑張っている妻の名誉のために申します。そんなことを言う、ばかなことを言うような家内ではありません。
 それから、資産が幾らふえたかというような議論がございます。
 これにつきましては、申し上げますけれども、政治家の場合には、お金を選挙のときに後輩に貸したりすることがあります。返ってこないことも往々にしてございます。また、お借りしている金を、記帳漏れの場合もございます。
 私は、これから、私とそれから私の社会計画研究会の関係、所得の関係につきまして、調査当局に私みずから協力して説明します。そして、しっかりと事態の把握に努めてまいりたいと思います。そこは、私、隠れないで堂々とやってまいりたい、こう思っております。
 そうしませんと、やはり政治と金、その問題について、今回の件でますます話が深く、不信のふちが深くなっていったということになったら私自身やりきれませんので、精いっぱい捜査には協力し、事情も私からお話ししていこう、こういう覚悟でおります。
森岡委員 ぜひそうしていただきたいと思います。
 政治資金規正法は、五万円以上の支出については支出先を政治資金収支報告書に明記するように定めております。しかし、社会計画研究会の提出した報告書には、加藤参考人への支出の記載がないんです。こうしたことからも、政治資金規正法違反、虚偽の記載と言わざるを得ませんが、どうでしょうか。
 そして、個人口座ですね。つまり、預金口座は、預金通帳はだれが管理していたのだろうか。加藤参考人ですか、それとも夫人でしょうか。また、振り込みを指示していたのはどなたでしょうか。それをお聞かせいただきたいと思います。
加藤参考人 政治家の個人口座というのは、公的ないろんなお金を扱うところもあります。それは私の事務所の会計の女性がやっておりました。完全に個人のものにつきましては、妻がやっております。社会計画研究会につきましては、佐藤が責任者であって、そして経理の女性が仕切っておりました。
 あなたは詳しく聞いていたかということについては、三年に一遍か二年に一遍、おい、どうなっていると見ましたけれども、忙しい中で数字を全部だあっと読み通して、眼光紙背に徹するところまで私には読む能力がありませんでした。
森岡委員 時間が参りましたので、これで私の質問を終わらせていただきますが、いずれにしても、大きく政治に対する国民の信頼が揺らいでいるときでございます。ぜひ、加藤参考人、言うべきことを全部言っていただいて、そして、正しい政治が行えるようにしていただきたい、これを切にお願いいたしまして、終わらせていただきたいと思います。
加藤参考人 森岡参考人と……済みません、森岡議員のお許しを得まして、最後に一言申し上げたいと思います。
 このたび、私の事務所の元代表をしておりました佐藤三郎の不祥事によって、それは仮に個人の問題であったとしても、大変多くの政治に対する不信の念を抱かせました。これにつきまして、私は何度も申しましたように、説明責任を果たしたい、公の場所で果たしたい、特に国会の場でそれをやらせていただきたい、そして、その後、自分の出処進退を考えたいということを申しました。
 きょう、ここであと一時間半ほど説明をさせていただきたいと思っておりますが、しかし、この機会に申し上げます。すべての社会的、政治的、道義的な責任をとりまして、私は衆議院議員の職を辞したいと思います。
森岡委員 ありがとうございました。
津島委員長 これにて森岡君の質疑は終了いたしました。
 次に、漆原良夫君。
漆原委員 公明党の漆原良夫でございます。
 国民は、今、長引く不況とリストラに大変な苦しみを強いられております。加藤参考人、あなたはこの国民の苦しみをしり目に、一カ月百十万円という高級マンションに住んで、しかも、その家賃を社計研に払わせて、平然としておられる。さらには、毎月五十万円から六十万円と言われる生活費まで社計研に捻出させて、何と四年間で一億一千万という蓄財までされているという報道をされております。新聞にはこう書いてあります。「腹心の金庫番は公共事業をエサに業者からカネを吸い上げ、本人は政治資金を流用して優雅な暮らし。これでなお国会議員の職にとどまろうというなら、見上げるまでの心臓である。」と厳しい指摘がされております。
 いずれにしても、何という身勝手、何という思い上がりなのかと。加藤紘一氏という政治家に私は深い失望感と強い憤りの念を禁じ得ないのでございます。このことをまず冒頭に指摘して、質問に移ります。
 あなたは三月二十七日のコメントで、家賃全体を政治活動費として適法に処理をしてきた、こうコメントされております。新聞では、三〇二、三〇三号室は収支報告書の事務費の中に入っていない、こう報道されておりますが、どうですか。あなたのコメント、間違いありませんか。
加藤参考人 三〇三、三〇五は……(漆原委員「三〇二と三〇三」と呼ぶ)三〇二、三〇三。私は、そこで、夜かなり遅くまで仕事をしております。それは、お入りいただくにはちょっと汚過ぎてみっともないところですけれども、ほぼ、私のいわゆる都心の議員宿舎の事務室よりもっと書類の多いようなところであります。それから、妻のところも後援会の活動のための連絡場所みたいな、事務室化しております。
漆原委員 イエス、ノーで答えていただければありがたいと思います。
 それでは、具体的に聞きます。
 社計研の十二年分の収支報告書には、事務所費として八千二百十三万二千五百七十八円の記載がなされております。この中に、あなたの名義で借りている三〇二号室、三〇三号室の家賃、一カ月百十万、年間一千三百二十万、これは含まれているんですか、いないんですか、お答えいただきたい。
加藤参考人 ちょっとそこまでの数字、私、わかりません。
漆原委員 御存じのとおり、この収支報告書の事務所費というのは、複数の事務所を借りていた場合でも、複数の事務所費の総額だけを記載すればよいことになっておりますね。したがって、個々の事務所の記載は必要ない。したがって、三〇二号室、三〇三号室の家賃が、あなたが言うとおり、事実、この事務所費の中に含まれているか否かというのは、これは社計研の会計帳簿と照合するしかないわけなんですね。
 そこで、参考人にお聞きします。この収支報告書を提出する際に、社計研の会計帳簿に、三〇二号室、三〇三号室の賃料が事務所費として計上されていたかどうか、これをあなた自身で確認されたことがあるのか、第三者に確認させて報告を受けたことがあるのかどうか、お聞きしたい。
加藤参考人 何せ、今、うちの資料は全部国税、検察当局に持っていかれておりまして、フロッピーも持っていかれております。仮にそれを調べようとしても、今、無理でございます。
漆原委員 少なくとも三月二十七日の、政治活動費として適法に処理したと、あなた、おっしゃっているわけですね。そういうことでしょう。政治活動費として家賃全額を処理したというふうにおっしゃっているわけでしょう。
 そうであれば、少なくともこの三月二十七日のコメントする段階では、自分の三〇二、三〇三の部屋が社計研の会計帳簿に事務所費として載っている、だからこれが十二年度の収支報告に入っているんだ、こういう確認をすべきじゃないんですか。これはしていますか、していませんか。答えだけで結構です。
加藤参考人 大体の構図として、社計研の方から百五十万、ある銀行口座に入れられまして、そこから住居費百十万、それから田舎における活動費三十五万出ているという構図は、聞いておりました。そういうもとでしゃべっているんで、それがどういう項目の中に分けて入れられているかは、もちろん、前も知りませんでしたし、見たこともありませんし、正直に言って、そこまで細かく見ませんし、今はわかりません。
漆原委員 そうすると、弁護士を通じて、三月二十七日、あなたは家賃全体を政治活動費として適法に処理したというコメントをされているわけですね。しかし、実際には社計研の会計帳簿にあるかどうか、記載があるかどうか、それが政治報告書に計上されているのかどうか、確認もなさらない、調査もなさらない。これでは、このあなたのコメントというのは、事実に基づかないコメントであって、国民を欺くものじゃありませんか。どうでしょうか。
加藤参考人 大まかなところをそう述べておりました。
 それで、それ以上詳しいことはなかなか、我々に残された資料も少ないものでありますので、検察当局、それから国税当局のお調べに、本当に積極的に、素直に全部包み隠さず申し上げて、そして実態の解明に協力したい、それが今この問題解決の一番じゃないかと思います。
漆原委員 新聞では、社計研の加藤議員向けの振り込み、月百五十万から百六十万、これは領収書偽造や帳簿改ざんなどの経理操作で捻出した裏金だ、さらに、三〇二号室、三〇三号室の家賃も収支報告書の事務所費の中に含まれていなかった、こう指摘しているわけですね。
 あなたは、この点、はっきりわからないと言っている。だけれども、加藤参考人、この点についての証明、簡単なんです。どうするかというと、社計研の会計帳簿、これを見れば一目瞭然なわけですね。この会計帳簿上に、三〇二号室、三〇三号室の家賃が事務所費として計上されておれば、これは新聞社がうそを言っている。新聞報道がうそになります。しかし、計上されていなければ、政治活動費として適法に処理してきたと言うあなたがうそを言っていることになる。
 そこで、私は、真偽の証明のために、会計帳簿をぜひともこの委員会に出してもらいたい。いかがでしょうか。
加藤参考人 その会計帳簿が全部今捜査当局にございます。ですから、出せと言われても、今、検察庁の方か国税の方におっしゃっていただきたい。
 ただ、そういうものがいろいろあっても、全部そのお金は公の銀行に通じて出ていますので、裏で、どこかで消えてなくなるような操作はしておりません。
漆原委員 今みずからおっしゃった、この会計帳簿は全部捜査当局にあるとおっしゃった。ぜひともあなたは、捜査当局にこの会計帳簿のコピーをもらってもらいたい。捜査当局、くれますから。あなたが真実をこの委員会で証明したいんだと。自分の会計帳簿ですから、コピーをくれます。あなたにコピーを渡しても証拠隠滅の可能性はないわけですから。証拠隠滅のおそれはありません、原本は向こうへ行っていますから。どうぞ、あなたは捜査当局にコピーを下さいと言って、そうしてもらえませんか。出してくれませんか、コピーでも。
加藤参考人 その辺はよく、私、法律、専門的なことはわかりません。弁護士さんの話だとそう簡単ではないみたいなことでございますが、弁護士さんに相談してみます。
漆原委員 ぜひそういう方向で、あなたの事実関係も明確にしてもらいたい、こう思います。
 時間がありません、なくなりました。最後に確認しますが、あなたは御自身の政治的道義的責任をとって議員辞職をされると。これはそのとおり聞いて間違いありませんか。
加藤参考人 先ほど申し上げましたとおり、責任をとって衆議院の議員の職を辞職させていただきたいと思います。
漆原委員 以上で終わります。ありがとうございました。
津島委員長 これにて漆原君の質疑は終了いたしました。
 次に、西川太一郎君。
西川(太)委員 加藤先生、十分しか時間がございません、率直にお尋ねをしたいと思いますが、今、私も政治家の端くれとして、先生から極めて重大な御決意の表明があって、いささか驚いております。先生は議員を辞せられる、こうおっしゃったわけでありますが、今漆原議員からもお尋ねがありましたが、責任をおとりになるというその責任というのは、法律上の責任でしょうか、それとも道義的責任でしょうか。そして、いつ議員を辞せられるのか、御見解を承れればと思います。
加藤参考人 先ほど申しましたように、佐藤三郎の起こしました不祥事につきまして、私は重大な監督責任があろうかと思います。それから、それに伴って大変な政治不信があり、そして一番私が心苦しいのは、私に期待してくれておりました選挙区の人々、そして、私がいい仕事をしてくれることを望みながらずっと支援してくれた全国の人々、それから私になけなしのカンパをしてきてくれた人、そういう人たちに対して、本当にがっかりさせた責任はあると思います。
 そして私は、仕事は続けたい、仕事は続けたい、この国のために何かをやらなきゃならぬこと、まだいっぱいあるはずだと思っています。しかし、それも、何を言っても、私に対する信頼がない限り、私のメッセージは人々の耳に入っていかないだろう。そのために私はここで身を引くということがまず一番大事なことであろうと思っております。
 西川先生へのお答えに、長くなりましたが、一言で言えば、政治的、道義的、社会的な責任をとったということでありまして、法律的な責任ではございません。
西川(太)委員 まことに大先輩に失礼なお尋ねをしなければならない、つらい思いでありまして、お許しをいただきたいと思うんですが、実は、かつてリクルート事件で未公開株の譲渡問題、共和事件のやみ献金問題、こういうことも過去におありになったわけでございますけれども、そのときには議員を辞するという御決意ではなく、今回議員を辞するということは、法律的に問題、どうしてもクリアできない問題があるのかな、こんなふうに思ったものですからしつこく伺ったわけであります。
 そこで、具体的にお尋ねをいたしたいと思うんでありますが、実は社会計画研究会から先生の口座にお金が、過去五年間、九千万円振り込まれていたという報道がございます。そして、またその口座からは、先ほど来、さきの質問者からお話がありました、マンションの賃料等が支出をされた、こういう報道もありますが、それに加えて、クレジットカードの代金や損害保険料なども引き落とされたという報道もございますが、これは事実でございましょうか。
加藤参考人 損害保険料がそこから振り落とされていたのは事実ですが、それは海外旅行のときの損害保険料が主だったようでございます。これは我々、海外旅行行くわけですから、普通、あり得ていい話じゃないでしょうか。
 それから、クレジットの引き落としがあるということは、私はそれは別に不思議なことはなく、今の若い人たちは皆クレジットで落としておって、それで、クレジットで使われたものがプライベートなお金なのか、それとも非常に公の支払いに使われていたかという、そのクレジットの内容の話だと思います。
 クレジットというのは一種の支払い手段の話で、クレジットが落ちていたからおかしいという議論は、ちょっと余り今風ではないんじゃないかと思います。
西川(太)委員 いや、私はきちっと申し上げたつもりですが、議員御自身のものと見られるクレジットが引き落とされているという報道があるから、そういう事実はあるんですかとお尋ねしたんです。
加藤参考人 私自身のものもありますし、それから、ほとんどは仕事の面のものでございます。
西川(太)委員 私も小さな自宅を持っておりますけれども、東京におるものですから、夜、夜回りの記者も大勢見えたりします。そういう皆さんを自宅の応接間で専ら対応したり、質問の打ち合わせに見えるお役人も自宅の応接間で応対をしますけれども、それは、私は同じ敷地の中に事務所を持っておりますけれども、やはり政治活動の場ではないというふうに認識をしております。
 加藤先生の場合には、先ほど来、それは政治の御活躍の場だ、こういうふうにおっしゃっておるように受けとめていたわけでありますけれども、そこで、政治活動として御使用になったというならば、また、ただいまの口座から個人のクレジットカードや政治活動と見られる海外渡航等の損害保険の支出をされたというのであれば、なぜ政治資金収支報告書に堂々と記載をなさらなかったのかという疑念が残りますが、これはいかがでございましょうか。
加藤参考人 記載の仕方につきましては完全に佐藤に任せておりましたので、そこでその記載の仕方にいろいろ政治資金規正法上の問題がある場合が、今回の件、あるんじゃないかなと思っています。そこは問題があるかなと思っております。
 それからもう一つ、私の生活の本拠は山形県鶴岡市でございます。いずれ自分の帰っていくところは山形でございます。東京は、何といいますか、出張先の、仮の仕事場、そんな概念でありまして、そこの仕事場をどの程度まで見ていただけるか、それにつきましては、私はここで、自分の所信、考えは申しましたけれども、それは何%見るか、弁護士さんの場合には三〇%自宅も見てくれるとか、お医者さんの場合は何%とかいろいろありますが、それは政府の判断に従います。
西川(太)委員 私は、今参考人が、問題があるのかな、こういうふうにおっしゃった、そして、佐藤三郎氏にすべてをお任せになっていた、こういうことでございます。
 商法の改正で、株主代表訴訟、これが、悪質な場合を除いては少し緩和されるという報道がついこの間ございましたけれども、民間企業の経営者は、企業の大小を問わず、無過失の責任も問われる、こういう厳しい状況の中で、この不況の中で戦っておられるわけでありまして、やはり内閣総理大臣と擬せられる、そういう実力者であられた政界のエースであられる先生が、こうしたものを、御自身に結果的にはあしき影響が出る政治資金規正法について、全くそうした脱税で逮捕されるような方にすべてをゆだねていた、そして、問題があるのかなということをお認めになったということは、きょうの質疑の私どもにとっては重大なポイントであるというふうに思っております。
 そう思いますが、いかがでございましょうか。
加藤参考人 私は、先ほど、長い間おりましたこの議会の場を辞したいということを申しましたけれども、いろいろ長い長い政治と金の問題というものに我々自身も悩んでまいりました。
 そして、そういう中で、やはり政治の信頼を崩すということはよくないと。特に私の場合には、いろいろな人からいろいろな目で見られておりました。その私がその信頼を傷つけるというのであるならば、少し口幅ったいですけれども、責任はさらに大きいのじゃないかなというふうに思いました。
 そして、この国が心配でございます。本当に心配でございます。しかし、それよりも、政治の信頼の方がもっと心配である。そうするならば、自分は身を引くしかない、こう思って辞職をする気持ちであります。いつ辞職するのかという御質問がありましたが、それは事務的に、あしたなのかあさってなのか、それは議運とかいろいろなところでお決めいただくものであって、できるだけ早い機会にということでございます。
西川(太)委員 ありがとうございました。
津島委員長 これにて西川君の質疑は終了いたしました。
 次に、平野博文君。
平野委員 民主党の平野博文でございます。
 きょう、加藤参考人にお越しをいただきまして、このような場で質問をしなければならないことは非常に残念でございます。ぜひとも、これからの範となるような明快な御答弁をお願いしたいと思いますし、先ほど参考人が御発言されました、議員の職を辞す、こういう御発言もございました。非常に重い言葉だと思っております。
 しかし、国民の皆さんが、いろいろな事象に対しての疑念というものがすべてクリアになったわけでございません。先ほど来の議員の質疑で多少ダブっているところにつきましては、私、割愛をいたしまして、私は、国民の皆さんの立場に立って参考人に質疑をしてまいりたいと思っています。
 まず一つは、政治資金のパーティーでございます。
 参考人は、毎年何回も数多くの資金パーティーを開催されておられますが、特に第一点、平成十一年十月の二十一日に、全日空においてパーティーを開催されているわけであります。毎年大体、平成十一年、十二年とも一億円ぐらいの収入を上げておられるわけでありますが、大体人数規模も一千人程度と、大体共通しておられます。
 しかし、この収支の支出面を見ますと、会場費は平成十二年には約一千万円かかっているんですが、平成十一年ではわずか会場費としては二百万しか計上されていないわけであります。毎年同じような規模でパーティーしておられるのに、会場費が大体一千万かかっているのに、平成十一年が二百万しかかかっていない。こういうところに私、非常に会計上の疑義を感じてお聞きをしたいと思っておりますが、ただ、このときに、同日、同じホテルで、参考人は出版記念会という名のもとにパーティーも同時期、同じ会場でやられているわけであります。ここでの会場費は約一千二百万かかっておられるということで、二つの出版パーティーを、あるいは二つのパーティーを同じ全日空でやっておられるという、こういうことでございますが、そういう事実はございますでしょうか。
加藤参考人 よく覚えておりません。多分、よく出版記念会を別の部屋でやって、隣でちょっとしたパーティーをやるということはよくあるんだろうと思いますね。それで、その日、私もそれをやったことが多分あるんだと思います。
 それで、その二つの会場の経費を、どうやってどうやって割り振ったかどうかということまで私は目を通しておりません。
平野委員 そういうケースはあるかもわかりませんが、しかし、私一番ここで参考人にしっかりお聞きしておかないかぬのは、同じ日に同じ全日空ホテルで、例えば出版記念パーティー並びに加藤参考人の後援会と申しましょうか、主催者が同じ立場で、社計研が主催をしているわけですが、このパーティーというのは、今、量的制限が加わっているわけであります。一社例えば百五十万、あるいは二十万以上であれば記載をしなくていい、こういう制度上の制限があるわけですが、同じ日に二つをやりますと、どちらにも同じ金額が行けるわけでございまして、基本的に、例えば三百万円のお金が同時に収入として得られるわけでありますし、逆に、二十万以下の金額であれば一人四十万までは両方に出してもいい、こういうことになるわけでございますが、現実的に、参考人の資金管理団体のあれをめくりますと、そういう事実があるわけですが、どうでございますでしょうか。
加藤参考人 大変申しわけないのですけれども、どういうパーティーで、どういう方にお買いいただいて、量的制限がどうでというのは、全く私も見ておりませんので、お答えできません。
平野委員 これはタッチしていないと言われますと非常に困るわけでありますが、明らかに私は、政治資金規正法における法の網の目をぬぐった、より数多い金額を集めるための便法に私、なると思うんですが、今言ったようなルールで集めておられたら、見ておられなくても、参考人はこういうふうに集めたとしたらどう思われますか。
加藤参考人 どういう方がお集まりになっているかもわかりませんので、お答えはちょっとできないと思います。
平野委員 例えば、そうしますと、これは名前を差し控えようと思ったわけでありますが、ある全国不動産政治連盟の方が、こちらの総会に百万円、こちらの出版記念会に百万円、こういう格好で出しているわけであります。北陸経済研究会が、上限いっぱいの、こちらには百五十万円、こちらに百五十万円と出しておるわけでありまして、これは少なくとも参考人のこの収支報告の中に拾いましたらありましたから、こういうやり方はいかがなものかということですが、参考人は、見ていないからわからないというお言葉ですが、じゃ、私が同じ会場で、主催者は同じですよ、片一方は出版パーティー、片一方は普通の総会でやって、ある人から、参考人から私に、こちらの会場に百五十万、こちらの会場に百五十万というお金をいただいたときは、どう思われますか。それは余りよくないなとお考えになるか、それは合法だとお考えになるのか、どうでございますか。
加藤参考人 通常は、パーティーを、出版パーティーをやって、それで、何といいますか、お帰りにビール一杯みたいなのが世の中の常識でしょうから、一つにすべきなんだろうと思います。それで、それを二つにするというのは、合法でしょうけれども、余り望ましい形ではないんじゃないかと思います。
平野委員 今、私に対する、望ましくないと言われますが、私も、参考人には望ましくないというふうに実は思っています。これはまた具体的にぜひ見ておいていただきたい、このように思います。こんなやり方でもしやりますと、幾らでも、今の政治資金規正法の法の網をくぐってお金が幾らでも集まってくる、こういうことですから、国民の皆さんの不信感はますます高まるのではないでしょうか。
 いま一つは、見ていませんということで言われますと非常に困るわけでありますが、平成十二年度に政治資金規正法が改正になりまして、企業・団体献金の禁止事項が発生しております。参考人の収支報告を見ますと、企業・団体献金で、四百三十一万円余りの企業・団体献金がございます。これについては間違いなく私は違法だと思いますが、どう思われますか。
加藤参考人 御質問の趣旨がちょっと理解できなかったんで、もう一度お願いします。
平野委員 もう一度詳しく言います。
 政治資金規正法が、平成十二年度分から、一月から四月までは罰則規定はないけれども、企業・団体献金の禁止事項というのが発生しました。四月以降については罰則規定、こういう法改正があったわけです。これについては御存じでございますか。
加藤参考人 はい、存じております。
平野委員 そうしますと、平成十二年度の参考人の収支報告の中を見ますと、企業・団体献金が四百三十一万円ございましたよ、参考人の収支報告の中に。これは政治資金規正法違反ではございませんかという質問でございます。
加藤参考人 政治資金を企業・団体から得てはいけないと言った後に入っているなら、それは違法だと思います。そういうときに、大抵、今はそれぞれの選挙区支部に対する支援ですか、寄金ということで今処理しているわけですけれども、もしかしたらそこのところを十分、過渡期だったんで、わからないで処理ミスをしたのではないかなと、今お話お聞きしてそう感じました。それは、処理ミスしたなら間違ったことです。(発言する者あり)
平野委員 いや、経過措置云々て、罰則規定はありませんよ。だけれども、違法は違法なんです。このことだけは確認をしておきたいと思います。
 それでは、次にいきます。
 先ほど来御質問ございましたが、佐藤三郎さんという方との参考人との関係でございますが、会計責任者とか事務所代表とか、ただし秘書ではありませんということを先ほど参考人はおっしゃいましたけれども、参考人との佐藤さんとの出会いはいつごろからでございますか。
加藤参考人 今から二十五年ぐらい前でしょうか、私の地元出身の青年で、横浜である小さな事業をしておりました。時々私の事務所に寄りまして、そして私の下手なゴルフの指導者になってくれました。そして、時たま私の家内もその指導を受けたことが一、二回あるという程度の関係でありまして、そういう中からいろいろつき合いが始まりました。
平野委員 じゃ、そういうつき合いの中で、なぜ佐藤氏を事務所代表に迎え入れられたのでしょうか。理由があると思います。お知り合いは幾らでも、たくさん旧知の方がおられると思いますが、なぜ、佐藤氏を事務所代表に入れられた最大の理由は何でございますか。
加藤参考人 人事管理でございます。
平野委員 逆に、御夫人が、参考人の御夫人が佐藤さんの会社の監査役をしておられたからということはございませんか。
加藤参考人 それは関係ございません。
平野委員 そういう中で、佐藤氏の評判が非常に悪いという、先ほどの御答弁もございましたけれども、評判が悪いけれども解雇ができなかった。あるいは、評判が悪いという、具体的な、例えば口ききという言葉を否定されておられましたけれども、そういうもろもろの、資金集めにまつわる、関西弁で言いますとえげつないなということなんだろうと思うんですが、そういう、解雇をなぜできないんだ、こういうことがあったわけですが、私は、そういう意味では、なぜ解雇できなかったのか。
 また逆に、良識ある人は、早く解雇した方が加藤さんの、参考人のためになるぞ、こういうふうに言っておられた人も、等々、私、耳にするところでありますが、解雇できなかった理由はお金集めが非常にうまかったからか、こういう疑念もございます。また、早く解雇しろというのは、参考人が次の総理になる人だから、この佐藤さんという人は北朝鮮との利権にもかかわっているぞ、こういう思いから早く切った方がいいぞという、忠告されたというふうにも、そんな方もおられるというふうに聞いていますが、どうでございますか。
加藤参考人 佐藤三郎についてのいろいろな評判は、聞きまして、まあ全く荒唐無稽のものもあれば、ああそういうところもあるのかなあという部分もありました。今、平野先生がおっしゃった北朝鮮というのは全くもうばかな話でして、加藤紘一と佐藤三郎が北朝鮮に、米ドル、にせ米ドル印刷機を輸出しているというのがサンデー毎日に出ました。同時に、サリンの製造機を輸出しているという記事が、本気でサンデー毎日に出ました。どういうセンスしているのかなと。そんなことをもしやっていたら、今、私はこの世の中で、日本の官憲によって抹消されてしまっているんではないでしょうか。ですから、そういう中傷もあれば、佐藤個人が非常に性格的につき合いが悪いというのもありました。
 やはり一番の問題は、私は、四億五千万という私の社会計画研究会の資産というのがまあ非常に高額で、表に出ているわけですが、それは佐藤がすべての資金をオープンにやってくれている側面でもあるというふうに私は思っていたんです。
 そういうようなことを、いろいろあって、結論的に言えば、人間というのは難しいものだなと思うんですけれども、非常に、最初は私の地元の支援者として、次には総理を、何としてもこの人間を総理にしたいと思ってくれて、その面では必死になって頑張った男でございましたし、それから、通称加藤の乱と言われたときには、世の中を改革する方向でいかなきゃいけない、なぜあのときあんたは下がったのですかというようなことも言いますし、しかし同時に片っ方、これは全く弁解のできない、個人的な脱税行為をやっている。人間の見方というものを、これ、知得するにはもうまだ二十年、三十年かかるのかなと思うぐらいのことでございます。
平野委員 参考人は、佐藤三郎さんから、おれが資金を集めて総理にしてあげるわ、したがって多少のことは目をつぶってくれよと言わんばかりの資金の集まり方であります。
 特に、彼が事務所代表としてなって以来の参考人の政治資金の収入というのがウナギ登りに上がっていっているんですね。彼が来るまでは、大体参考人の資金の収支は二億円程度でございました。彼が来て以来、倍、三倍に近く資金が入っているんです。このような、私の事務所のように、百万円入ったら、どこからくれたんだという政治家と、二億円入って三億円入って四億円入っても、それは代表に任せておくんだ、事務所代表に任せておるんだという、私はそういうことはないと思いますので。
 参考人は、私はなぜこんなに集まるんだ、どういう手法で集めているんだということは、聞かれたことはございますか。
加藤参考人 あります。
 それは三つでありまして、政党支部に対する企業献金が一つであり、一番大きいのがパーティー券でございます。それから二番目が、いわゆる五万円以下の、いわゆる政治資金団体に対する寄附、この三つでありまして、私が完全に彼に任せたのは、私がちょっとした行動をとって、それが政治資金規正法上危ないとか、業界との関係でちょっと変なことになりますよというときには、口酸っぱくそれを、先々を考えて危ないものには近寄っちゃいけませんし、ああいう方は危ないと思わなきゃいけませんと私に非常に厳しく指示していたものですから、そこは信じていたというところがあったと思います。
平野委員 加藤参考人に、危ないところには手を出すなということを佐藤さんが言われたんですか。(加藤参考人「はい」と呼ぶ)ちょっと私は信じられないんでありますが。
 じゃ、少し視点を変えます。
 私、実は後援会誌というんでしょうか、季刊雲霓という雑誌を発行されておられます。大体年間四回ぐらい発行されておりますが、参考人は、この発行部数はどれぐらい発行されているか御存じでありましょうか。
加藤参考人 ちょっとよく覚えておりません。
平野委員 覚えておられないとなりますと、これはどこにどう回っているかということもわからないわけですね。ただし、これの売り上げとか云々というのは、この資金の収支報告書に出ておるんです。公称五万部という発行部数というふうに聞いておりますが、全くそんな単位ではないわ、もっと多いというのか、いや、たかが二千部ぐらいだと、イメージで言われたら、どうでございますか。
加藤参考人 わかりませんけれども、出版物というのは、普通、公称というのは高目に言うんじゃないかなというふうに思いますけれども。
平野委員 じゃ、全く何部出しているかもわからないというふうに理解していいんですか。
加藤参考人 それは、いわゆるパーティーをやります、年に四回やります。その出席者の方々に何部ずつかお渡しし、また、自分の選挙区でそれを定期購読してくださっている方、何千人かに一生懸命お配りして、購読料を取っているようであります。
平野委員 この機関誌を読ませていただきましたが、広告だけはカラー刷りになっています。この中身については、参考人のそれぞれ政治的な御発言なりいろいろな情報を載せておられるわけですが、この編集人はどなたでございますか。
加藤参考人 我々の友人の一人がやっております。
平野委員 発行人はどなたでございますか。
加藤参考人 それは、どなたになっておりますか、ちょっとわかりません。そこに書いてございませんか。
平野委員 みずから主宰する、また参考人が発行、まあ実質発行されているこの季刊雲霓、この意味合いもちょっと調べましたけれども、どういう意味で雲霓とつけたかということも調べましたが、だれが編集者で、だれが発行しているかもわからない。ということは、逆に言いますと、これが幾らで売られて、これがどういう状態で資金の使途として資金管理団体に入っているかも参考人はわからないということですか。
加藤参考人 発行といいますか、編集者は佐藤さんという方です、多分。で、非常に、フリーランシング、フリーランサーというんですか、その編集者の方で、非常に文の立つ人です。それで、その経理なんかはうちの事務所の人間がちゃんと把握しています。
 名目上の発行人がだれかというのは、ちょっとそこに書いてあると思いますので、お読みください。
平野委員 名目かどうかは知りませんが、これは少なくとも編集発行人、佐藤三郎さんですね。編集も、編集人も佐藤さんというお方ですね、今言われた。
加藤参考人 佐藤違いの、別の佐藤さんです。
平野委員 別人でございますか。わかりました。
 いずれにしましても、これで年間大体九千万ぐらいの資金が集まっているんですよ。そうしますと、それだけの資金を集めるということは、通常、一般的に言うと、入りと出ということで考えますと、当然これ、印刷をいたすわけですから、印刷費を安くして収益を上げていくか、部数を多くして収益を上げていくかという、こういうことになるんですが、この印刷会社は、これはもう聞くまでもなく杉浦印刷さんで印刷をされているわけであります。なおかつ、参考人は、杉浦印刷さんで顧問料として、年間数百万の顧問料をいただいている。
 通常、そうしますと、安く見積もりをしてもらって、実際かかる金額との差益を献金をしてもらうという方法と、お金を出すかわりに顧問料としてキックバックをしてもらう方法と二通りの、私、やり方があると思うんですが、全くそういう疑義に関することは、参考人、ございませんか。
加藤参考人 その雲霓の編集にどの程度の経費がかかり、そして印刷会社との関係でどういう支払いしていたかということは、私は全く存じておりません。
平野委員 それでは、視点を変えます。
 いずれにいたしましても、私は、広告を掲載しているわけでありますから、どれぐらいの多くの方にこの本が売られているかどうか、そのことによって広告料が決まるのであります。巷間言われていますのは、大体誌面のサイズで、フルフルで百万円であるとか、ハーフであれば四十万であるとか言われていますが、たった数千部しか発行しないのに百万円も出そうという方。それは、五万部以上、十万部売れるから、そういうメディアにさらされるからこれに広告の価値があるんだとして出すわけですから、ここのところをもう少し明確にやはりしていただかなければ、私、広告主に詐欺になるんじゃないかな、こういう懸念をしております。これは私の思いだけでございます。
 視点を変えます。
 次に、参考人と社計研、いわゆる資金管理団体との資金の移動でございます。
 よく見ないと、参考人の資金の場合、非常にわかりにくいんです。通常、加藤参考人の資産報告書、補充報告書と毎年出していきます。一方、政治資金管理団体の社会計画研究会という収支報告書、これは毎年出します。通常、先ほどの議論にも多少ございましたが、我々の、政治家の場合でしたら、資金管理団体の資金がショートするものですから、みずからのお金を貸し出すとか、みずからのお金を制限の中に寄附をする、政治家個人が。こういうことはよくあると思うのでありますが、加藤参考人の場合には、政治団体の方から加藤参考人個人に貸し付けをしている、こういうところが散見するわけであります。
 平成九年には、貸付金五千万を社計研から加藤参考人に資金が行っているわけですが、これは御存じでございますか。
加藤参考人 その辺の資料は全部、国税、検察当局に今行っております。したがって、それは今後の解明にまちたいと思っております。
 先週の土曜日の東京新聞でしたかね、七年間に私の資産が二億四千万ふえた、その間の私の歳費は二億三千万しかなかったはずだ、歳費よりもふえたじゃないかというような記事が出ていまして、これは一面トップでありますから、私も驚きました。
 それは、ああいう記事がいろいろなデータを集められてつくられるということは無理のないことなのかもしれませんが、ちょっと実態と違いまして、例えば、私たちの場合には、選挙活動のときにお金を融資します。そうすると、そのときには、大抵の場合には個人の名前でお貸しします。個人の名前でお貸ししないと、お返しいただく義務感がなかなか生じないというような問題もありまして、貸借関係というのは、今、何といいますか、政治家の場合にはほとんど個人の名前になっているんですね。だから、その分だけ政治団体と貸借を私が結んでおかなきゃいけないわけです。その貸借が、ちゃんと届けていなかったり、いろいろそごがございます。それは、ちゃんと調査当局にお話しすればわかることだし、それから、ここで具体的な名前を申し上げるべきことではないと思っています。
平野委員 普通は、資金管理団体から何々さんにという貸し付けをする、政治活動であればそれが一番真っ当な方法だと思うのですが、今、やはり総裁派閥を、将来の総裁派閥を率いていくために、個人として還流するために、資金管理団体から個人に貸し付ける。しからば、そこにしっかりと、資金管理団体から借りましたよということが記載がなければならないわけであります。これは現実にございません。記載がありません。あるのは、その平成九年に五千万借りておりまして、預金高として七千五百万ふえましたという記載があるんです。こう考えますと、政治資金のお金を個人に移して、普通預金なり預貯金に膨らませているんだというふうにしか、この入りと出を見る限りにおいては見れないわけですよ。
 したがって、私は、個人の資金と資金管理団体のお金というのはしっかりしなさいというのが政治資金規正法の本来の立法の趣旨なんですね。その辺が加藤参考人の場合には、この議論でよくずぶずぶという議論が出てくるわけですが、よくわからない、入りと出が非常に不鮮明である、こういうふうに思えてならないわけであります。
 したがって、借りているにもかかわらず、また逆に加藤参考人が資金管理団体に貸している、こういうことですから、それだったら、普通だったら借金棒引きでチャラにするのが普通ですが、借りるのは借りっ放し、貸すのは貸している、これは非常にわかりにくいお金の流れでございます。わかりにくいと思いませんか、本当に。
加藤参考人 おっしゃるように、わかりにくいと思います。
 それから、おっしゃるように、書かなきゃならぬところを何千万も書いていなくて、私の資産、資産というか、私の個人的な債権がふえているように見えます。これは私の本意とするところではありません。
 したがって、これは全部、先ほど申しましたように、調査当局に明確に説明申し上げ、協力して、そうしますとわかっていただけると思いますけれども、我々の個人資産は七年間でほぼ増減ゼロでございます。そこはわかっていただけると思います。
平野委員 次の問題に移ります。
 先ほど、マンションの生活資金の提供という、こういうことの疑惑がございましたが、先ほど参考人は御理由を述べておられましたけれども、平成四年に南青山の新築マンションにおかわりになったわけでありますが、そのかわるときの理由が、家族と子供と一緒に住みたいから今住んでおられるマンションにかわるんだということを実は言っておられます。
 そうしますと、そのときの意図というのは、明らかに個人の生活圏を確保するためのマンションの購入、いわゆる賃借り、こういうことだと思うんですが、先ほど来、参考人は、いや、それは政治活動にも使っているんだから、そのすみ分けが非常に難しいんだ、こういうふうに先ほど御答弁されておりましたけれども、私はやはり、政治家が政治活動をする事務所というのは、また加藤参考人は別のところで持っておられます。明らかに三〇二、三〇三号室というのは、私は、国民の目線、良識的に見たら、やはり生活のゾーニングである、こういうことをやはりはっきりとしておかなければならないと思っています。
 そういう視点でどうなのかということが一つと、二つ目は、しからば、もし今参考人の言うことが許されるならば、私も自宅にいっぱい支援者が来ていろいろな相談を自宅でされます。そのときの自宅のローン返済を政治資金からしても、いや、実はこれは政治活動の場でやっているんだよというふうにも理解ができるわけですから、国民の目線から見たら、政治家は政治資金管理団体からお金を流用しても、政治活動だということを言えば通るという極めて不透明さをそこに残すと思うのですが、いかがなものでしょうか。
加藤参考人 とにかく、青山という場所でああいうマンションを借りて使わせていただいていたわけですから、私は、国民の皆さん、特に一般の市民の目から見れば、何を弁明してもそれはもう弁明にしか聞こえない、聞きたくないという話だろうと思いますので、その点につきましては私は余り論争したくありません。
 そして、国がこういうふうに、何割だとかというような、一対九〇で認めるとか、九〇対一〇で認めるとかいろいろあると思うんですね。その判断には従おう、それだけしか申し上げられません。
 ただ、あえて言えば、私の自分の生活の場所は山形県鶴岡市です。ローンで家をつくっています。このローンはちゃんと自分で払っています。それは平野先生と同じです。
 それからもう一つ、東京の場所は、かなり、官房長官になってから、それから幹事長をやったり政調会長をやったりして仕事が錯綜しているので、私は仕事の場というものが、御判断はどうか知らないけれども、必ずあるものだと信じております。
平野委員 それでは、時間も押してまいりましたので、北朝鮮問題について少しお聞きをしておきたいと思います。
 先ほど、ある人から、佐藤三郎さんを切らなきゃだめだ、こういうお話がありましたが、全くそれは云々ということでございましたが、一九九五年三月に、北朝鮮の国交正常化交渉に向けて与党の訪朝団がございました。その中に、随行員として佐藤三郎さんが同行されたという事実は、承知しておられるかどうかで結構でございますが。
加藤参考人 あのとき、彼、参ったと思います。一緒に行ったと思いますが、ちょっとはっきりしていませんが、多分行ったんじゃなかったかなと思います。
平野委員 それは、加藤参考人のその当時は秘書という立場で行かれたのか。先ほど来、秘書ではない、こう言われておりましたけれども、その当時は秘書という立場で行かれたのか。
 もう一つは、吉田猛さんという方もお名前として実は出てきますが、そのときに、加藤紘一事務所吉田猛という名刺を持って訪朝団に参加をした、こういうふうに聞いておりますが、この吉田さんという人は、北朝鮮のロビイストとしてその筋では有名な方でありますが、なぜ加藤紘一事務所吉田という名刺を持って行ったのか。この辺は、参考人との関係をぜひ、二点教えていただきたいと思います。
加藤参考人 佐藤の当時の肩書が代表団リストの中でどうなっているのか、ちょっと覚えておりません。それから、吉田さんの名前、懐かしい名前でありますけれども、その方も一緒に行きました。それで、うちの事務所員という名前を使ってリストに載せたと思います。
 その吉田さんを紹介してもらいましたのは、あるジャーナリストであり、ある自由民主党の有力者であり、ある、そうですね、まあそのお二人でしたか。それから、外務省の人間も、その人は我々もよく情報取りの相手として知っていますというような存在の人で、恐らく、日本と北朝鮮との関係を論ずるならば、かなり、だれでも知っている公知の方であります。
 そこで、日朝の関係を、私はあのときに打開すべきではないかと。特に、村山政権でしたから、村山政権として何か大きな足跡を残すならば、私は沖縄の基地問題の解決だと思ったんです。沖縄の基地問題の解決で一番重要なのは、北朝鮮問題が解決することです。その意味でもどうですかと言いましたら、当時の自民党の中の幹部の方々も、それはいいじゃないかということで進み、途中でかなり、まあ、正直言ってKCIA中心の大分反対がありまして、さっき言ったサリンとかにせ札印刷事件というのはそこから来ている情報なんだろうと思うんですが、そういう中で、渡辺美智雄先生が本気でやられました。
 そういう経過で吉田さんが同道することになったと思います。
平野委員 いや、私、聞きたかったことは、特に米問題の問題もございましたから、その当時言われたことは、米の利権という、こういう絡みのところもうわさされたことも事実であります。したがって、民人を例えば参考人の事務所の肩書で、また、佐藤三郎さんというのはビジネスマンだ、こういうことですから、特に業としてやっておられるのは港湾業であるとかそういうことをやっておりますから、そういうところの疑念を抱いて、その当時、いろいろなうわさになったわけであります。したがって、そういううわさが出るということは、何らかの問題がそこに発生しているのかなと思ってお聞きをいたしました。
 時間が参りましたので、最後に、加藤参考人の座右の銘は真実一路、こういうふうに伺っておりますが、この意味合いは何でしょうか。そのことだけお答えいただきたいと思います。
加藤参考人 父親の代からの教えでございます。
平野委員 ありがとうございました。これで質疑を終わります。
津島委員長 これにて平野君の質疑は終了いたしました。
 次に、中塚一宏君。
中塚委員 自由党の中塚でございます。
 参考人に伺います。
 今あなたは、マスコミ対策として、弘中惇一郎さんという弁護士、お願いされていますね。
加藤参考人 マスコミ対策でお願いしているんではなくて、私の法律的な顧問です。
中塚委員 あなたは、ほかにも顧問弁護士というのを何人かお願いされている。その中に、永野義一さんという弁護士さん、いらっしゃいますね。
加藤参考人 永野先生、あの永野先生だろうと思います。おります、永野先生という方は。
中塚委員 あなたの資金管理団体、社会計画研究会から、平成十年二月から月十万円ずつ、年間百二十万円顧問料が支払われています。この永野弁護士を顧問とした経緯をお聞かせください。
加藤参考人 永野弁護士は、私の兄、これも弁護士しておりますが、同期の弁護士さんでございます。そういう個人的な関係でお願いしています。
中塚委員 加藤参考人、あなたほど、プリンスと呼ばれ、エリートと呼ばれながら、金のスキャンダルにまみれてきた人というのはいないわけですね。リクルート事件、共和汚職、そして今回、あなたの事務所代表佐藤三郎氏、こういった者の口きき疑惑、そういうものがあるわけですが、その都度スキャンダルというのはすべてすり抜けられてきた。
 先ほど辞職の表明をされました。私は思い出したことがあります。鉄骨加工メーカーである共和、これが政界にお金をばらまいた。当時、宮澤派阿部文男元北海道開発庁長官、実刑判決をお受けになりました。また、あなたと当時同僚議員であった塩崎潤さん、この方は共和からの二千万円の授受をお認めになり、所得税を修正申告をした上でお金を返却されています。そして、息子さんに譲って政界を引退をされたということがありました。
 ところが、あなたは、共和側はあなたに対して一千万円を渡したというふうに主張をしている、言っているにもかかわらず、あなたは記憶にないというふうに言い逃れをされたわけです。そして、その一方で、金銭の授受に立ち会ったとされるあなたの後援会長に、あなたはその一千万円をお預けになっています。で、あなたは、その後援会長から起こされた民事訴訟、名誉毀損の民事訴訟にに対して、一度も出廷することなく敗れていらっしゃるわけですね。
 そしてまた、東京地検も、あなたが共和から一千万受け取ったという事実はあったというふうに言ったわけですけれども、嫌疑不十分で不起訴の判断をした。平成八年の末のことです。
 参考人、この永野義一弁護士というのは、平成二年から東京地検特捜部の副部長だった人です。そして、しかも、この共和事件の主任検事だった人じゃないですか。これは一体どういうことなんですか。あなた自身が告発をされた事件の主任検事であった人が、今あなたの顧問弁護士をされているんですよ。一体これはどういうことなんですか。
加藤参考人 それは、古い友人でありまして、検事を終えてから、いろいろなことがありました。友人でありながら、私がいろいろ、まあアタックされる側になるというわけですから、公正な形で、私は、永野検事と議員との関係であったと思います。そして、その後、すべてを超えて、昔の友人ということで、私が中学校の三年生のころ、永野さんが大学二年か三年ぐらいのころからの知り合いでありまして、うちの事務所で時たま法律事の相談をする、そういう人になってもらったわけであります。
中塚委員 加藤次郎さん、あなたのお兄さんですが、中央大学法学部で永野義一弁護士と同窓というだけではありません。司法修習が第二十二期、これも全く同じなわけです。
 やはり、こういったことを勘案をしても、あなたが不起訴になったということ自体、何かあったんじゃないかというふうに思われざるを得ないわけですよ。(発言する者あり)何がこじつけなんだ。そんなことないよ。そういったことがやはり公然として語られるようになると、やはりこれは問題だというふうに言わざるを得ないと思います。
 そして、先ほど、今回辞職をされるということを表明されましたが、この辞職をされるということは、永野弁護士と御相談になりましたか。
加藤参考人 永野弁護士は御存じありません。
中塚委員 あなた独自の御判断だということですね。
加藤参考人 このような判断というのは、やってみてわかりますが、自分一人でなきゃ判断できません。
中塚委員 では次に、あなたの政治資金のお話、また、事務所代表佐藤三郎氏のお話をお伺いをいたします。
 先ほど、秘書じゃないというふうにおっしゃいました。ここに、「雲霓の会 講師のご依頼」という紙があります。そして、この紙には、講師の依頼状があって、その一番最後に、「衆議院議員 加藤紘一事務所 佐藤三郎」と書いてあります。また、住所はあなたの事務所のあるTBRビル、電話番号もそのとおりになっています。
 これでも秘書ではないんですか。
加藤参考人 秘書の定義によると思うんですね。ですから、最近、秘書問題というのがいろいろあるようですけれども、第一秘書、第二秘書、政策秘書、それから、そのうち、多分、登録秘書みたいな名前が出てくるのかなと勝手な予想をしておりますけれども、まあ、うちの事務所の所員であり、その所の所員を全体を統括しているという立場でありまして、言葉の定義の問題だと思います。
中塚委員 ここに一つの紙がありますが、平成六年達成めど、あなたの事務所は資金倍増計画というのを立案をされたことはありますか。
加藤参考人 それは何年ですか。
中塚委員 平成六年達成めど。
加藤参考人 平成六年資金倍増計画、まあ、約八年、九年前のことですので、何か、そんな夢みたいな話をしたかもしれませんし、ちょっと覚えていません。
 そうですね、何といいますか、非常に、かなり資金的に困っていた時期じゃないかなと思いますし、特に、野党になった時期ですよね、平成六年というのは。我々はもう本当に塗炭の苦しみをしていたときじゃないかなと思います。
中塚委員 あなたが、あなたの事務所、佐藤三郎氏が中心になり資金集めに精を出すのは、あなたが官房長官をやめたあたりからですよね。官房長官時代に機密費に触れて金権体質が身についたんじゃないですか。
加藤参考人 私は参考人ですからお答えしますけれども、やはり質疑には礼儀というものがあるんじゃないでしょうか。
中塚委員 じゃ、最後に一つお伺いをいたします。
 あなたは引退をされるということを表明をされたわけですけれども、その後にはあなたの御家族、特に御子息等が立候補されることになるんでしょうか。
加藤参考人 そういうようなことをあなたにお答えする義務があるでしょうか。
中塚委員 あなたの息子さんであれば、私よりも年は若いと思います。あなたの息子さんが政治の世界を歩んでいくときに、あなたと同じようにお金でつまずくことがないように、あなたからちゃんと言ってあげるようにしてください。
 終わります。
津島委員長 これにて中塚君の質疑は終了いたしました。
 次に、木島日出夫君。
木島委員 日本共産党の木島日出夫です。
 あなたは、先ほど来、佐藤三郎の今回の起訴に係る二億六千五百二十二万円の所得の隠ぺい、そして、脱税を初め報道されている数々の疑惑について全く知らなかったとおっしゃいました。
 それでは、あなたは、佐藤三郎を加藤事務所代表に就任させた九三年四月、佐藤に対して、勝手な資金集めができないように、集めた資金の流用ができないように、きちんとした仕組みというものをつくらなかったんでしょうか。
加藤参考人 それは、総合的に、資金の集め方については注意をしてほしい、特に、私の父の代から、選挙区で公共事業でお金を取るというようなことはしないようにというようなことをずっと伝統でやってきておりましたから、私は今でも自信ありますけれども、私の過去三十年の政治生活の中で、私の選挙区の市長、町長、首長、助役で、どこどこの事業を、どこどこの会社を指名してくれというような具体的な話をもらった首長は一人もいないはずでございます。だからこそ、私は、選挙区というのは我々にとって大切なものであり、だから、それは十分に注意してきたつもりでございます。
木島委員 質問にまともに答えておらないんですが、仕組みをつくったのかという質問でした。
 ここに、佐藤三郎が作成し、加藤代議士、あなたにあてた、「報告及び許可願」と題する、一九九三年四月二十日付の文書の写しがあります。佐藤三郎氏を事務所代表に据えたときの文書であろうと思われます。
 こう書いてあります。「当該、加藤事務所新体制案が四月十六日評議員会に於いて承認されました。ついては実行するに際し御検討の上、許可願いたくお伺い申し上げます。」と書かれて、許可欄に、あなたのものと思われる花押のようなものが書き込まれております。
 御存じですか。
加藤参考人 見えません。――後で調べますけれども、私のサインには非常に似ているんですけれども、ちょっと違うかもしれません。花押です。内閣にいたときに、いわゆる花押を僕らはやりますね。それに似ているんですけれども、ちょっと違うように思います。
木島委員 似ているとお答えになりました。
 文書の二枚目にこういう記載があります。一九九三年五月十日付加藤事務所新体制案を承認する、一九九三年四月十六日、評議員会会長加藤次郎、そして、署名で、片仮名でジロウとございます。
 そして、三枚目に、部外秘と書き込まれておりまして、加藤事務所の新体制として、加藤代議士の下に評議員会を置き、会長加藤次郎、加藤愛子、佐藤三郎、この三名で評議員会を構成することが記載されております。加藤次郎氏は、あなたの実兄で、当時、既に弁護士歴二十数年、ベテランの弁護士でありました。加藤愛子さんは、あなたの奥さんであります。
 この三人で新加藤事務所体制の中で評議員会が構成され組織されたこと、間違いございませんね。
加藤参考人 最初、佐藤代表が入ってきますとき、やはりそういう、弁護士をしている兄、私、家内それから何人かで評議する形で進んでいこうといったことはありました。
木島委員 評議員会会長であるあなたの実兄加藤次郎氏が承認をし、さらに佐藤三郎氏からあなたに許可を求められ、あなたが許可をしたと思われる文書の最後のページのところに「七、評議員会と実行」という文書が書き込まれております。「加藤事務所の全てのことに関して評議し承認、不承認の決を下す。実行するに際しては代議士の許可を得てタイムリーに佐藤三郎が実行する」と書かれております。
 明らかに、これは、加藤事務所の金の集め方、集めた金の使い方など、当然、評議員会の承認を得た上で、あなたの許可がなければできない仕組みとなっているということを意味します。あなたが佐藤の金の集め方、金の使い方について知らなかったというのは、これに照らしても通らないと思います。
 佐藤の行動は、すべてあなたの許可のもとに、あなたの知っているところで行われたんじゃないんでしょうか。
加藤参考人 どの点についておっしゃっているのか知りませんが、佐藤が、所得税法違反で、今回東京地検で、この間逮捕され、この間起訴されている件については、私は全く存じておりません。
 それから、今ありましたそういう評議会というのは、最初、確かに二、三年はそれでやっていたと思うんですが、お互いに忙しくて、ほとんど有名無実になりました。
 それから、先ほどの脱税の問題についてでございますが、幾つかあるんですけれども、東ハトゴルフ場というものがあります。これは当人の、個人の商売ですから、全く知りません。
 それから、ある電機会社の工事の話がありますが、これは全く、私が知っていたらすぐにやめさせます。
 等々でありまして、佐藤の脱税の問題につきましては、私は存じません。
木島委員 二、三年やったが有名無実のものとなったと言います。
 ここには、加藤事務所のすべてのことに関して評議し承認、不承認の決を下す。そして、実行に際しては代議士の許可を得ると書いてあるんです。
 それでは、有名無実になったと言いますが、この大事なルールをやめてしまおうということをきちっと決めて文書化したようなことはあるんですか。
加藤参考人 ありません。お互いに忙しくなった中で、そういうのがワークしなくなっていた、やってなかったということです。
木島委員 次の質問に移ります。
 あなたが自民党幹事長だったときに幹事長代理をしていた野中広務代議士は、本年、去る三月十六日、ある講演で、あなたに関してこうおっしゃっております。トップを担える人だ、けれども率直に言うと、あなたについておる佐藤三郎君も今のうちに切っておかなくてはあなたも天下人になれない、私は彼に数回忠告しました、時には現実に事実関係を私が示したこともあった、こう述べておるんです。
 そこでお聞きします。野中議員から佐藤についてどんな事実関係を具体的に指摘されたのか、記憶を喚起して述べていただきたい。
加藤参考人 よくわかりませんね。多分、北朝鮮の疑惑について、こんな文書が出回っているよみたいなことが一回言われたことがあるように思います。その程度で、それはサリン印刷機とかドル札印刷機の話ですから、ちょっとねと、こう私は答えたような気がしますが、それ以外あったかもしれませんし、覚えていません。
木島委員 疑惑はますます深まるばかりでありますが、時間ですから、終わります。
津島委員長 これにて木島君の質疑は終了いたしました。
 次に、横光克彦君。
横光委員 社民党の横光克彦でございます。
 私、自社さ政権のときに一年生議員でした。そして、当時自民党の政調会長また幹事長という要職をされておりました参考人には、本当にいろいろと御指導をいただきました。そしてまた、参考人の政治姿勢、これにも多々共感する部分もあったわけです。それだけに、今回このような形で質問する立場になったということ、非常に残念でなりません。
 先ほどからお話ございますように、参考人は首相に一番近い人、次期首相という呼び声が高く、国民からは非常に期待され続けてきたという反面、この十年間、本当に金銭絡みのスキャンダルで何度も疑惑の対象になってきたわけですね。八八年には、リクルートの未公開株をもらい一千万円の売却利益を上げたという疑惑、そして九一年には、先ほどからお話出ていますように、鉄骨加工メーカー共和から一千万円のやみ献金を受けたんではないかという疑惑、そして今回のさまざまな疑惑ですね。こういった状況でございます。
 とりわけ共和の件は、一応不起訴ということになっておりますが、まだまだ疑惑は国民の中では解明されていると思っていないんではないか。先ほどお話ございましたように、当時の主任検事が今や加藤さんの弁護士である、顧問弁護士であるというような事態にもなっているわけですね。
 そこで、まず当時の共和の件、ちょっと疑念に思っているところをお尋ねしますので、お答えいただきたいと思うのですが、当時の副社長から金銭の授受はなかった、一千万円はなかったと言い続けておられましたが、それでは、元後援会長があなたの参考人質疑での発言は虚偽であるとして提訴した裁判で、なぜ出廷もしなければ反論もしなかったのでしょうか。
加藤参考人 共和事件は、司法的にも、また国会の中における各種の政倫審、参考人招致等ですべて終わり、そしてまた、その後私は選挙の洗礼を選挙区で受けている問題でありまして、この問題はすべて終わっているものと私は思っております。
横光委員 私は、その民事裁判のことを聞いたんです。なぜ反論もしなければ出廷もしなかったのか。つまり、このことは事実を争わず自白したものと裁判ではみなして、敗訴が確定しているんですよ。ということは、参考人質疑でのあなたの答弁はうそであったと裁判所は判定したわけです。一千万円の授受はなかったと言い張り続けたことが、裁判では、それは名誉毀損で訴えた人の方が正しかったということですから、当然一千万円の授受があったということになりますが、いかがですか。
加藤参考人 水町氏は、私が仲人した友人でございます。そしてまた、私の後援会を主宰して、そしてその会計処理を全部するその責任者でもあったわけでありまして、その方と私は民事で、何といいますか、角突き合わせて激しい戦いをするという気持ちになれなかったというのが本当のところでございます。
横光委員 角突き合わせてやる気がしなかったと言いますが、事は一千万円があったかどうかということを含めた民事裁判であって、そこに出席もしなくて反論もしなかったということの意味が私はさっぱりわからないわけでございます。今なお疑問でございます。
 次にお尋ねをいたします。
 現在の南青山のマンションにはいつ入居をされたんですか。年でいいです、何年か。
加藤参考人 平成の四年ではないかなと思います。
横光委員 それ以前の住所はどちらですか。
加藤参考人 世田谷区祖師谷でございます。
横光委員 そのときの祖師谷の住まいは賃貸ですか。
加藤参考人 賃貸です。
横光委員 そのときの祖師谷の賃貸の家賃はどのようにしてお払いでしたか。
加藤参考人 個人で払っておりました。
横光委員 平成四年から、今度資金管理団体から負担をしたと言われております九七年、平成九年です、この間、入居されてから今度の還流が始まったと言われておるのが、間五年間ございます。この五年間、現在のマンションの家賃はどのように払っておられましたか。
加藤参考人 まず一つは、仕事上いろいろあるとはいえ、南青山のマンションというのはかなり高価なもので、とてもとても我々国会議員をやっていても入れるところではないという認識がありました。しかし、仕事上、活動の時間とかいろいろ考えて、あえて踏み込みましたのは、一つは……(横光委員「いかにして払っていたかというだけです」と呼ぶ)それは、私が私の事務所に貸していたお金があったわけです。それは具体的に言いますと、いろいろ、月三、四十万の政治何とか友好議員連盟費とか電話代とか、そういうものを全部集めると、ある種の債権があるんですね。それで払っておりました。
横光委員 祖師谷におられるときも家族と同居、今も家族と同居、個人の自宅でございます。祖師谷のときには個人で払われていた。そして、マンションに移られてからも九七年まではそういった形で、政治資金じゃない形で払っていたということでございますが、あなた以外に、自宅の家賃を政治活動費で処理した、そういった人はあなたの周りで知っていますか。三十年間以上議員をやられて、そういったことをやっていた人を知っていますか。
加藤参考人 私は、それぞれの議員の方がどういう生活で、どういうところで家賃とかそれから住宅ローンを処理されているか、聞くというのはしておりません。失礼な話だと思っています。
横光委員 恐らく一人もいないと思います。それほど、今参考人が言われていることは、世間的には常識として通用しないんだと私は思うのです。先ほど、各委員が、それなら全部自分たちも政治資金の金を使えるじゃないかという意見がありましたが、そちらの方が正しくなってしまいますよ。
 今回の事件、これは、公共事業の口きき料を莫大に集めた、脱税などの事件に至った。つまり、公共事業の口ききなんですね。
 小泉首相は、公共事業受注者の政治献金は規制するように今回提言をされました。国民から見て当然のことと思いますが、参考人はいかがですか、公共事業受注業者からの献金は禁止すべきだという小泉総理のお考え。
加藤参考人 これは、口ききというものの定義というのがもっとはっきりしないといかぬのじゃないでしょうか。役所に口きいて、そしてお金を得ているという、そういう議員は今ほとんどいないんじゃないかなと。ある種の利害調整が行われている中でみんなが議論しているという話ではないかなと思いますので。いろいろ、この今回の件を中心に、秘書の定義、口ききの定義、そういうものを、総理の言うようにいろいろ議論することは非常にいいことだと思います。
横光委員 直近の世論調査、各紙、加藤議員は辞職すべきだという声が九〇%近くに上っておりました。そしてきょう、加藤参考人は、先ほど、社会的、政治的、道義的責任をとって議員を辞職するということを表明されました。失われた政治への信頼を取り戻すために加藤参考人が重大な決断を下されたことは、非常に重く受けとめたいと思っております。
 しかし、みずからの社会的、道義的、政治的責任について、これまで一貫して議員を辞職しないと言い張っていたのに、なぜ議員辞職をしなければならないという決断に至ったのか、その真意をお聞かせいただきたいと思います。
加藤参考人 先ほど申しましたとおり、やはり私も、議員の地位というのは私はそう簡単にやめていいものだとは思わないのです。ですから、それは、いろいろな批判を受けてもじいっと我慢して、決断、決意をして議員をする。その議員をする、していなければならないという自分の使命感の強さと、それから人から批判を受ける、批判の強さ、それのバランスの中で我々は生きているんではないかなと思います。
 しかし、私は、今の日本というのは過渡期の日本で、ある意味では明治維新以来重要なことを考えなきゃならぬときに、議員をやり続け、発言し続けたいという気持ちもあります。人様よりもじいっと考えてきたというような生意気な自負もあります。しかし、そんなことを言っても、私の言うことに人々が耳を傾けなかったら、耳を傾ける信頼感を持ってくれなければ、議員を続けている意味もない、出直そう、それが今回の決断でございます。
横光委員 終わります。
津島委員長 これにて横光君の質疑は終了いたしました。
 以上をもちまして加藤参考人に対する質疑は終了いたしました。
 加藤参考人は御退席いただいて結構でございます。
 速記をとめてください。
    〔速記中止〕
津島委員長 それでは、速記を起こしてください。
    ―――――――――――――
津島委員長 引き続き議事を進めます。
 これより元秘書に関する問題等について参考人鹿野道彦君に対して質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。七条明君。
七条委員 自由民主党の七条明でございます。
 参考人鹿野道彦さん、今おいでをいただきまして本当にすぐでございますが、まずお願いを申し上げておきたいと思います。
 それは、あなたが日ごろ持論にしておられるのが、政治は誠心誠意やることに尽きる、これがあなたの持論とお聞きをいたしました。その意味においても、本日は、参考人であるあなたの疑惑解明のための責任、いわゆる説明責任として、誠心誠意、誠実にお答えをいただきたい、そう思います。
 さきにおやめになられた社民党の議員であられた辻元清美さん、先日、政策秘書の給与疑惑に加えて、記者会見でうそを言ったことで厳しく批判を受けて議員辞職をされたという経緯があります。ぜひ、私が長々としゃべるよりも、誠心誠意お答えをいただきたいと思っております。
 それでは、参考人にまずお答えをいただきたいと思うわけでありますが、あなたは本年の二月六日、突然、党に迷惑をかけるからとの理由で民主党をいわゆる離党をされました。野党第一党の民主党の元副代表であったあなたが突然離党された、民主党を離党された。その迷惑をかけたというのが不明なんですけれども、何でおやめになられたんでしょうか。
鹿野参考人 最初に、この重要な時期に、私自身が予算委員会に参考人招致されるに至ったことに対しまして、国民の皆様方に、また委員の皆様方に深くおわびを申させていただきたいと思います。
 私がなぜ離党したのか、こういうふうなお話でございます。
 御案内のとおりに、私の元職員、私の秘書に対しまして、事件の渦中の企業から秘書給与が負担されておったということが判明いたしました。政治改革を原点といたしまして結党された民主党でございます。私が民主党にとどまることは大変党に迷惑をかける、このような思いがございました。そして同時に、私自身の政治的、道義的なけじめというものをきちっとつけなきゃならない、このようなことから民主党を離党するという判断に立たせていただいた次第でございます。
七条委員 それでは、あなたは、元秘書であるコンサルタント会社、業際都市開発研究所、以下は業際研と言わせていただきますけれども、この業際研の尾崎光郎容疑者、今言われたあなたの元秘書でありますね、その尾崎光郎容疑者が競売入札妨害などの容疑で逮捕された際、八年前にやめた秘書であり、彼がどういう仕事をしていたかは一切関与していない、知らない、こう説明をしておられます。これは本当でしょうか。
鹿野参考人 私が尾崎元秘書のその業務に関与をしておったということは一切ございませんということを申させていただきたいと思います。
七条委員 では、もう一度お聞かせいただきたいんでありますが、八年前にやめた、そのやめた八年前から今まで一切知らない、一切どういうことをやっていたかは知らない、こういうふうに言われるわけですね。
鹿野参考人 今回のいわゆる報道による事実が明らかになって、私自身、そのようなことをやっておったのかな、こんな認識を持った次第であります。
七条委員 それでは、あなたは、この尾崎容疑者と最後に会った時期についても、記者に聞かれて、覚えていないくらい前と答えておられますけれども、私の調べでは、一昨年十一月のつくば市長選挙の直前、第二議員会館において尾崎容疑者に面会をし、応援を依頼されているのではありませんか。
鹿野参考人 この点につきましては、私自身、二月の六日の日に記者会見の際、尾崎元秘書と会ったのはいつか、こういうふうな質問でございました。このときに、私自身、記憶にないくらいでございます、このように申し上げました。
 その後で、私に対して、一昨年から昨年にかけていわゆる尾崎元秘書と会っているのではないかというような質問が届いてまいりました。そこで、私も記憶をたどってまいりました。そこで、一昨年の十一月十二日に、今お話しのとおりにつくば市長選挙がございまして、その前につくば市長選挙に立候補いたしました候補者と一緒に同行してきたというふうなことを思い起こしたわけであります。ただ、新聞報道等々で、私の言ったことと発言、食い違うのではないか、こういうふうなことでございました。
 しかし、先生御案内のとおりに、一面、私どものこの政治活動においては、私どもは接客の仕事というふうなことも言えるくらい、毎日毎日、十人二十人、多いときには三十人四十人、お人様と会うわけでございます。そのようなことから、いつまでもその記憶というふうなものが残っておるというふうなことが本当に、私自身、どうなのかな、こんな思いはいたしておりますけれども、決して私が、そのときにその尾崎元秘書も市長候補に同行してきたというふうなことが、いわゆる記憶にないくらいだというふうな説明と決して食い違うものではない、こういうふうな認識を持っておる次第でございます。
七条委員 覚えていないぐらい前というのが一昨年十一月のつくば市長選挙であった、後で思い出したということのように聞こえてなりませんが、覚えてないほど前でないような気がいたします。
 それでは、業際研のこの尾崎光郎容疑者は、あなたの農林水産時代の秘書官でありました。そしてまた、小野誠治容疑者は、あなたの総務長官時代の秘書官を務め、鹿野道彦議員の秘書をやめた後も、国会通行証である特別通行記章を所持をし、私設秘書扱いで、いわゆる議員会館などに出入りをしていたとされておりますけれども、これは事実なんでしょうか。
鹿野参考人 尾崎元秘書そして小野元秘書が会館のところに出入りをしておったかどうかは、私は承知はいたしておりません。
 分けて御説明をさせていただきますと、尾崎元秘書に対するいわゆる通行証というものは、ちょうど私のところをやめた時期は平成六年でございまして、その後の平成八年の選挙までには、尾崎元秘書の通行証は返納されないまま、私の事務所のその机の中に保管されておったというふうなことでございます。そして、新たに尾崎元秘書に対しては再発行というものはございません。
 小野元秘書に関しましては、そのまま保持いたしておりまして、平成八年の選挙の際に再発行されたということは、そのとおりでございます。
七条委員 今、平成八年の選挙後に、鹿野道彦議員から、事務所から申請されて許可された、いわゆる小野容疑者、この時点で既に秘書をやめ、業際研に勤務していたのではないか。なぜ通行証の発行申請を行ったんでしょうか。
鹿野参考人 小野元秘書に関しましては、いわゆる個人的な関係、やめた後も私どもの秘書との関係がございました。そのようなことから、小野元秘書の方から私どもの元秘書に対しましてお話がありまして、そしてそれを受け入れた、こういうことでございます。
 その後、いわゆる小野元秘書が、確認をいたしておるところでございますけれども、私どもの事務所に出入り、ほとんどなかったということでございますし、私自身が会館において小野元秘書と会うというふうなことはまさになかったんではないか、こういうふうに思っております。
七条委員 では、もう一度確認させていただきますけれども、この小野容疑者は通行証を持っておった、平成八年の選挙後も持っておった。これはあなたが知っておって、あるいはあなたがそれを認めてやらせたんですか、やらせていないんですか、どうですか。
鹿野参考人 まことに申しわけございませんが、私は承知をいたしておりませんでした。この点、監督の不行き届きというふうなことで反省をいたしておるところでございます。
七条委員 いわゆる秘書の通行証というのは、議員である本人がいわゆる名刺の裏のようなところへサインをする、あるいは捺印をする、これなのに、では、勝手にあなたの秘書が偽造してやったということになるんですけれども、そうですね。
鹿野参考人 私の監督の不行き届きから事務的に処理されておったというふうなことでございまして、まことに申しわけないというふうな気持ちでございます。
七条委員 さらに、では、もう少しそのことについてお聞かせをいただきたいわけですが、その秘書扱いをしていたという疑惑がある、そういう人が通行証を持っていたという疑惑がある、それで、しかも業際研のいわゆる役員もしていた。業際研は、尾崎容疑者が平成六年に設立をし、東京永田町二丁目のビル、永田町にある二丁目のビルの一室に事務所を構えております。当初、鹿野議員の後援会事務所も同じビルに同居をしていたと言われていますが、事実でしょうか。
鹿野参考人 私の個人事務所は、いわゆる今お話しなされましたビルの五階でございました。私が新党・みらいを同志の人たちと旗上げした時点におきまして、その事務所は閉鎖をされておるわけでございます。
 調査いたしましたところ、尾崎元秘書等々のいわゆる業際研の事務所はその事務所の三階であるというふうなことでございます。
七条委員 三階と五階にあって、そして今、いつまであったかわからない、あるいは、どんなことをやっておったか知らないということになりますね。
 では、それで次のことについて申し上げますけれども、そこでもう一度お伺いしたいのは、あなたは尾崎容疑者がいわゆる業際研をつくるに当たって何か相談を受けたのではありませんか。同じビルに設立をされ、しかも鹿野事務所が申請をした特別通行許可証を持たせている者がいた。しかも、業際研の立ち上げ当時には鹿野事務所の名刺を使っておりました。何らかの相談があったというのが普通に考えて当たり前なのでありますが、どうでしょうか。
鹿野参考人 まず最初に申させていただきますが、相談というものは一切ございません。それから、私から説明をさせていただきますが、今申し上げましたとおりに、私の個人事務所は五月の時点で閉鎖されておるわけであります。その後の調査でわかりましたけれども、業際研の事務所が設立されたのは七月でございますから、まさに一緒にそこが機能しておったということではないということを申させていただきたいと思います。
 また、何遍も今御指摘をいただきました、小野元秘書が通行証を持って私設秘書的な役割を果たしておったんじゃないか、こういうことでございますけれども、先ほど来から申させていただいているとおりに、いわゆる個人的な元秘書同士の関係で、本当に監督不行き届きで申しわけございませんが、発行されたということでございまして、そのことによって私の事務所を出入りするということはほとんどなかったというふうなことだけは申させていただきたいと思います。
七条委員 時期が違っているから同じビルにあっても違うということであれば、では、別室に後援会の事務所がありませんでしたか。あるいは、尾崎容疑者が経営の一人として会社を経営し、いわゆる業界への働きかけをしていることは、あなたはそれを知っていたのではないでしょうか。
鹿野参考人 今御指摘の件につきましては、今お話し申し上げましたとおりに、私の個人事務所は五階にあったわけでございます。そして、業際研の事務所は三階でございます。
 また、すべて尾崎元秘書のその仕事について知っておったのではないか、こういうことでございますけれども、実は平成六年の十月、たしか十月か十一月だったと思いますけれども、マスコミ報道、いわゆる新聞に、元秘書がいわゆる失業対策としてゼネコン等々に営業活動をするというような報道がなされたわけでございます。私は、その報道を見まして、尾崎元秘書に対して、このような報道がなされておるけれども問題はないのか、こういうふうな話をいたしましたところ、これは失業対策としてやっていることで民間会社がどこでもやっていることですから問題ありませんと。私は、そこで、いわゆる誤解を受けることがないようにしなきゃなりませんねというふうなことを話したことを覚えておるところであります。その時点で、私自身、尾崎元秘書がそういう仕事を、新たな仕事に設立をし始めたなということを承知したわけであります。
 その後、私の事務所をまた去った後、ほとんどそのことについてマスコミで報道もございませんでしたし、また尾崎元秘書との関係は接触らしい接触もございませんでしたから、どのようなことで経緯があったかというふうなことは全く知らない状況でございました。そして、今回のその報道によって、このような不正な行為をやっておったのだなというふうなことを知った、こういうふうなことでございます。
七条委員 もう一度確認のためにお聞かせをいただきたいのでありますが、では、本当に尾崎容疑者がいろいろなことをやっておった、新聞で知るだけであって、全く同じところにあったり、通行証を渡していることがあったけれども、全く業界への働きかけをしていたことをあなたは知っていなかったと、今もはっきり言うわけですね。
    〔委員長退席、北村(直)委員長代理着席〕
鹿野参考人 私は、尾崎元秘書の仕事というふうなものに対しまして、いわゆるその中身まで承知はいたしておりませんでした。
七条委員 では、少し角度を変えてお伺いいたしますが、参考人、あなたがいわゆる新党・みらいを立ち上げたとき、尾崎容疑者はどういう立場だったのですか。立ち上げ及びその運営には、それなりの資金が必要だと思うわけでありますが、尾崎容疑者から資金等の支援を受けたのではありませんか。あるかないかだけ、まずお聞かせをいただきましょう。
鹿野参考人 尾崎元秘書から支援を受けたという事実はございません。
七条委員 それでは、さらに聞かせていただきたいのでありますが、平成六年の新党・みらいの政治資金収支報告書を見ると、愛山政経調査会から三千万円が寄附されております。そうですね。そして、その愛山政経調査会は、だれの政治資金団体ですか。さらに、当時その代表はだれだったのか、会計責任者はだれだったのでしょうか。
鹿野参考人 愛山政経調査会の政治団体は、私の政治団体でございます。代表等は、尾崎元秘書でございます。
七条委員 その調査会から三千万円の寄附があったのも事実ですね。
鹿野参考人 おおよそ、そのようなことであったと思います。
七条委員 では、この愛山政経調査会の代表が、先ほど、平成四年の三月二十六日に尾崎光郎容疑者から引き継ぎ、会計も小野誠治容疑者であったということがありましたけれども、平成六年の六月十六日に尾崎氏から橋本靖男氏にかわり、同六年九月二十日に米沢和裕氏にかわっています。さらにその後、尾崎容疑者は業際研を七月十一日に設立をする。こういうふうに、どんどんかわっていくわけですね。
 その後、尾崎容疑者の経営しておりました業際研、橋本氏はいわゆる業際研の取締役に就任をしております。ということは、新党・みらいに寄附が行われた時期に、いわゆる業際研に深くかかわった人物が同調査会の代表についていたということになります。
 どのように説明されるのか。さらに、業際研の設立と新党・みらいの設立、そしてあなたとの関係を、どういうふうに私たちは理解をしたらいいのでしょうか。
鹿野参考人 新党・みらいの結党と業際研の設立は関係ございません。今御指摘がなされたわけでございますけれども、私から申し上げますとおりに、愛山政経調査会代表は尾崎元秘書でございました。しかし、尾崎元秘書は、私の秘書を、私が自由民主党を離党した段階でやめておるわけであります。その後、新党・みらいに対しまして、私の方から、まあいわゆる軌道に乗るまで手伝ってくれ、こういうふうなことで、その新党・みらいにかかわってくれたわけであります。
 しかし、愛山政経調査会は私の政治団体でありますから、秘書をやめた段階でだれかに代表をかえなければならないな、このようなことから、友人の、当時灘尾先生の秘書をされておりました橋本氏に要請をし、橋本氏が一時的にその代表を引き受けていただいておった。しかし、橋本氏も、今お話しのとおりに、業際研の役員としてなるというふうなことになったわけでございますので、当時の私の元秘書、米沢元秘書に対しまして、いわゆる代表というふうなものが受け継がれたわけであります。
 このことからいたしまして、尾崎元秘書が業際研、そして橋本氏が業際研、そこに深いかかわりがあるのではないか。私は、むしろ逆だと思います。すなわち、私の元秘書が、その尾崎元秘書がやめたというようなことから、むしろ米沢、私の元秘書に引き継がれたというふうなことは、その尾崎元秘書等々と、むしろ距離が遠くなったというふうなことになるものと私は思っておるわけでございます。
七条委員 きょうテレビを見ておられる方々は、今の言うことと反対に感じるんじゃないでしょうか。
 いわゆる橋本靖男さん、そのまま、米沢和裕さん、どんどんかわっていく。しかも、それが業際研の役員になっていくためにそうなっていった。私は疑惑が深まっていくように思うんでありますが、さらに、じゃ、違う意味でもう一度聞いてみたいことがありますが、鹿野議員の事務所が、業際研から私設秘書と事務職員、計二人分の給与を負担させている、こう報じられていますけれども、これはどうでしょうか。事実とすれば、その期間はいつからいつまでか、どのくらいの金額なのかということも、簡単明瞭にお答えをいただきたい。
鹿野参考人 そのとおりでございます。
 業際研が支給をしておった給与につきましては、元事務職員に対しまして一千六百四万円、そして現秘書に対しましては二千百二十五万円、合計三千七百二十九万円でございます。
七条委員 三千何がしのものがいわゆる業際研から、私設秘書として、あるいは事務職員の二人分の給料として支払われてきた。それがいつまでの期間かというのを今言っていただけなかったんですけれども、じゃ、業際研が給与を負担したと言われる二人はいずれも尾崎容疑者の知り合いと言われておりますが、事実でしょうか。
鹿野参考人 そのとおりでございまして、尾崎元秘書と親交のあった、いわば尾崎元秘書の関係で私のところに働いてもらうようになった、こういうことでございます。
七条委員 さらにもう一つ聞きたいんですけれども、業際研に負担をさせていた給料、いわゆる秘書給料については、政治資金として届けていますでしょうね。
    〔北村(直)委員長代理退席、委員長着席〕
鹿野参考人 まことに申しわけないことでございますけれども、私の監督不行き届きから、そのような届け出がなされておりませんでした。
七条委員 先ほど来から業際研と関係がない、関係がないと言っていたけれども、ここに関係があるじゃないですか。二人分の給料を出した、それもいわゆる今言われたように政治資金として届けがしてないなどというようなことで、これで本当に業際研と関係がない、ほとんどつき合いがないなんということが言えるんですか。
鹿野参考人 今御指摘の点はそのようなことになると思いますが、御承知のとおりに、この秘書、元秘書に対する給与の負担というふうなものについては、私自身も承知をいたしておりませんでした。そして、尾崎元秘書の関係で今申し上げましたとおりに私の事務所で働くようになったわけでございますので、尾崎元秘書といたしましては、自分が去った後も何か面倒を見なければならないのかな、このような気持ちもあったのではないかと思っております。
七条委員 先ほど報告があったように、三千何がしものお金が、そしてその秘書が、あるいはそういう形で、いわゆるあなたの事務所の二人の職員が、秘書が、私設秘書が使われて、何も知らない、いわゆる知らなかった、秘書が勝手にやったというのでは、私はますます疑惑が深まってまいります。
 じゃ、もう一つ、違うところから聞いてみたいと思うわけでありますが、尾崎容疑者は公共事業に絡み、いわゆるあなたの地元の山形県だけではなくて、岩手県あるいは宮城県、それから茨城県、三重県、そして私の地元の徳島県、これは最近知事が捕まってしまいましたけれども、そういうふうに全国で、いわゆる各地で口きき、あっせん疑惑が問題化しております。
 この尾崎容疑者、いわゆる業際研をつくった尾崎容疑者とあなたの関係から、尾崎容疑者から口きき、あっせんなどの協力を依頼されたことはありませんか。例えば、ここでお聞きしますが、地元の山形県における公共事業に絡み、地元ではいろいろと報道をされておりますけれども、あなたの地元秘書が、尾崎容疑者の依頼で県や市町村における事業に関して、設計図面の収集やらあるいは業者選定への圧力をかけた、あなたの地元の秘書ですよ。あるいは、あなた自身が公共事業に関して働きかけを行ったというようなことはないでしょうか。
鹿野参考人 私が、私自身がいわゆる尾崎元秘書の仕事にかかわっておったという事実はございません。そしてまた、このような事件が判明した中で、私自身も地元の秘書にも確認をいたしておるところでございますけれども、尾崎元秘書とのかかわりはない、このことだけ申させていただきたいと思います。
七条委員 じゃ、さらに角度を変えて、もう時間が迫っていますから早くお答えいただきたいんでありますが、あなたが三重県内の親族会社、いわゆる杉山コンテックの社員として、保険料は親族会社負担で厚生年金の受給資格を得た上、政府所管の健康保険に加入、保険料の交付を受けるなどしていたと言われていますが、事実でしょうか。また、あなたはその親族会社に勤務をしていた実態があるんでしょうか。
 そしてさらに、いわゆる重複をして年金申請は、これは犯罪行為でありますけれども、あなたがそれをやっていた、重複年金申請行為、いわゆる犯罪行為をしておったということの何か気持ちがあるのかないのか、その辺もお伺いをいたしたい。
鹿野参考人 私自身、今御指摘の件でございますけれども、その年金あるいは健康保険に入っておったというふうなことは事実でございます。
 それから、実態はどうか、こういうことでございますけれども、実は、この点につきまして御説明をさせていただきますと、昭和五十七年でございますけれども、運輸政務次官をやめました後に、私は、現杉山コンテック株式会社でございますけれども、いわゆる相談役、顧問的な立場、正式な肩書ではございませんけれどもそういう立場におきまして、非常勤のその役員として業務に関与してまいりました。
 その中身につきましては、いわゆる月に一、二度社長が来られたときに、あるいはいろいろ電話等々で経営のことに関しまして大所高所から私はアドバイスもしてまいり、意見も申してまいりました。すなわち、弟の、義弟でございますけれども、企業の経営に対しまして、私自身役割を果たしてきたものと思っております。
 それから、二重のと、こういう話でありますけれども、そういう意味で私自身は、この保険等々につきましては、いわゆるその御指摘になりました不正受給じゃないか、こんな思いはいたしておりませんでした。
 ただ、新聞等々の取材で、申し入れでそのことが指摘されたものですから、私は直ちに、専門的なことでありますから、社会保険庁の方に問い合わせをいたしました。社会保険庁の方に問い合わせてみたところ、いわゆるこれは、その義弟の会社のあるところの保険事務所に問い合わせてくれ、こういうことでございました。問い合わせをいたしたところが、もう既に私の義弟の会社が指導を受けておる、調査もいろいろしておる、こういうふうなことでございます。この点について、今日、その結論というふうなものを待っておるというふうなことでございます。
七条委員 簡単明瞭に後、お答えいただきたいんでありますが、今いろいろなことを考えますと、いわゆる重複して年金申請行為をすることは犯罪ですよ。
 それから、もう一つお聞かせをいただきたいのは、このいわゆる親族会社からあなたは秘書二名分の給料を支払われていたということですけれども、これは事実でしょうか。
鹿野参考人 犯罪行為というふうなお話でございますけれども、私は、先ほど申し上げましたとおりに、そのような認識に立っておりません。
 すなわち、私は、勤務実態どうなのか、このことを申させていただきました。いわゆる経営方針にきちっとかかわっておる、こういうふうな考え方に立っておるわけでございます。
 それから、今、後段の件につきましては、事実でございます。
七条委員 それでは、その給料は、その親族会社からいわゆるあなたの事務所の秘書分の給料を支払われていた、事実だと。では、それは、その後その給料の明細が親族会社から業際研に送られていたと言われているけれども、これも事実でしょうね。
鹿野参考人 これも記者会見の際に御指摘をいただき、私は、そのようなことはございません。義弟にもさらに確かめてみたところでございますけれども、そのような事実はないというふうなことでございます。
七条委員 それでは、もう少し変わってお聞かせをいただきますけれども、私どもが調査をすれば、去る四月四日に、あなたは秘書給料について政治資金収支報告書の修正報告をされております。
 四月四日ですから、きょうを意識して、このきょうを意識してやられたのではないかと思うのでありますが、いわゆる二月のそのときにどういうふうな申請をしたかというと、自民党の秘書としての届け出、いわゆる第一区支部としての届け出をしておられます。(発言する者あり)いや、民主党ですね。民主党の秘書として届けておられます。
 また、民主党設立は平成十年の四月二十七日に届け出がされておりますから、秘書としてのいわゆる届け出のない平成十年一月から四月までの給与分はどう届け出たのか、あるいは、秘書として届け出をされた厚生年金は親族会社に戻したんでしょうか。
 私が言いたいのは、民主党の第一区支部の秘書に変えた、四月一日に変えたということは、二月の六日にあなたは離党をしておきながら、民主党の秘書として届け出たということは、今なお民主党とべったりしているという証拠にもなりますけれども、どうでしょうね。
鹿野参考人 まず、修正の件でございますが、私が二月六日の日に記者会見をいたしました。そして、親族企業から、今お話しのとおりに、秘書給与が支給されておった、こういうふうな、これまた事実が判明いたしたわけでございます。これに対しまして修正をいたしたいというようなことを私どもは申し上げました。
 そこで、修正につきましてどういう手続が必要なのかというふうなことを、私の方から指示をいたしまして、選管の方に問い合わせをいたしておるところでございます。
 その後、ちょうどこの時期が申告の時期であったこともございまして、いささかこのことがおくれておったわけでございますけれども、しかし、そんなことを言っておれないというふうなことから、具体的に修正を必要がある、こういうことで選管の御指導をいただいてまいりました。
 その際に、選管の方から、月別にきちっと出てくるところの数字が、正確な数字が欲しい、こういうふうなことでございました。そこで、業際研並びに私の親族の企業からの秘書給与が負担されておったというふうなことに対して修正をいたしたいというふうなことから、一緒にやって、再々修正がない方がいいな、こういうふうなこともございましたけれども、業際研の方は、御承知のとおりに給与台帳等々が、資料がなかなか手に入らないというふうなことから、それがきちっと手に入るまで修正を待っていただきたい、こういうふうなことに対して、それで結構です、こういうふうなことでございました。
 ただ、今お話しのとおりに、私が参考人として招致される、こういうふうに至ったわけでございますので、私の身近な人から、そのようなことならば、修正ができるというふうなことならば、できるところからしておいた方がいいんじゃないかという、そのようなアドバイスもございまして、過半、その親族企業からの給与明細は、経理資料は手に入ったものでございますので、このところだけ修正をさせていただきたいというふうなことに対して受け付けていただいた、こういうふうなことでございます。
七条委員 今お話がいろいろありましたけれども、親族会社であるいわゆる杉山コンテックから秘書の給料が支払われた、その明細が業際研に送られている。そして親族会社、そして業際研、そしてあなたとの三者の関係が密接になるような形が出てこないように、いろいろなことの中で四月四日にいろいろテクニックをされたのではないか。
 私が言いたいのは、前に記者会見をされて、私はわからない、いわゆる尾崎容疑者がやったことは私はわからないと言われたのは、あれはうそでなかったのかな、そう思えてなりませんが、あれはうそではありませんね。それだけはお答えください。
鹿野参考人 私がうそを申し上げているということはございません。
 それから、業際研に対して親族企業の方から明細書が送られておったというふうなことをまたお話をなさりましたけれども、私は、確認を改めてさせていただいて、そのようなことはないというふうなことでありますということを申させていただいたとおりでございます。
七条委員 先ほどここに立っておられた加藤参考人は、いわゆる今後議員を辞職をされたいと言われましたけれども、あなたはこれについて、あなたの気持ちは今どうでしょうか。
鹿野参考人 私自身、今回このような事態に至りましたことに対しまして、深く反省をいたしておるわけであります。監督不行き届きだったな、こういうふうな思いでございます。
 そこで、私自身は、先ほど申し上げましたとおりに、党に迷惑をかける、これ以上かけられない、そして私自身が政治的な道義的な一つの責任というもののけじめをつけなきゃならない、こういうことで、民主党を離党いたしました。
 七条先生御承知のとおりに、いわゆる政治改革によるところの新しい選挙制度は、政党対政党、政党の政策を選ぶ、こういうふうな選挙制度になったわけであります。このような中で、私自身が政党を離れるというふうなことはどういうふうな意味を持つかというふうなことも、その判断の中に入っている次第でございます。
 ただ、私がこのような事態に至ったということに対しましては、本当に心から反省をいたしておるところでございます。
津島委員長 これにて七条君の質疑は終了いたしました。
 次に、西博義君。
西委員 公明党の西博義でございます。
 私は、約十分の短い時間ですので、二点だけお伺いしたいと思います。一つは業際研や親族の会社が事務所スタッフの給与を肩がわりするようになったいきさつ、それから業際研はどのような背景で生まれてきたのか、どのような背景で設立されてきたのかという二点について、これから参考人に質問をさせていただきたいと思います。
 一枚の資料をお配りしておりますが、初めに参考人に事務所のスタッフについてお伺いしたいと思います。
 この資料を見ていただきますと、八九年農林水産大臣就任、九二年総務庁長官、このあたりの時代に、公設秘書はもちろん二人いらっしゃいますが、給与を支給されていた私設秘書並びに事務職員、それぞれ何人ぐらいいらっしゃったか、お答えをいただきたいと思います。
鹿野参考人 今明確に数を覚えておるということでございませんけれども、十数人であったと思っております。
西委員 私どもの方で調査をさせていただきました。
 例えば、総務庁長官の時代、九二年ですが、二人の公設秘書がいらっしゃいましたが、そのほかに東京で八名、山形で五名、十三名は少なくともいらっしゃった、こういうことでございます。一方で、この資料の中の人件費のところを、九二年、見ていただきますと、愛山政経研究会では二千三百五十三万、それから国際政治経済研究会では千五百八十一万、合計四千万近くの人件費がかかっております。一人秘書三百万といたしましても、十三人で約四千万、大変ぎりぎりのところで収支を計上されていたのかな、こんな思いをしながら拝見いたしました。
 大変厳しい状況の中で、この年から実はずっと親族の会社に給与の負担をお願いしている、持ちかけている、こういうことがこの表からもわかると思うものですが、そのようなことがこの一人分の給与をお願いした経緯ではないかな、こう思っておりますが、参考人の御意見をお伺いしたいと思います。
鹿野参考人 私自身、まことに監督不行き届きでございますけれども、私が承知をいたしておりませんでしたけれども、私の事務所の元秘書が私の親族の企業にそういう要請をしたということは、今お話しのとおりに、私自身の政治資金というものは非常に厳しいものがあったというふうなことはおのずと推測できるものと思っております。
西委員 いずれにいたしましても、秘書並びに元秘書が行ったこととはいえ、参考人のもとでの働きですから、その責任はあるだろう、こういうふうに考えております。
 ところで、鹿野参考人が農林水産大臣になられた一九八九年、ちょっと見ていただきたいんですが、そのころから、当時公設秘書であった尾崎光郎容疑者が国際政治経済研究会という政治団体の代表として政治資金を集め始めております。
 尾崎容疑者は、長い間公設秘書、多分鹿野参考人が当選当初からだと思うんですが、ずっと公設秘書として勤めておりましたが、その後、一九九一年から私設秘書に転じております。この公設から私設に移られた理由は何かということでございます。
 ずっと見てまいりますと、公設秘書として国から給与を受けなくても自前でお金が得られるようになった、これが一つの大きな理由じゃないか。鹿野参考人からいえば、民営化、こういうことかもしれませんが、その辺の理由はいかがでしょうか。
鹿野参考人 尾崎元秘書も、お話しのとおりに、私が当選をいたしてからずっと秘書をやってきたわけでございます。そして、私が農林水産大臣をさせていただきましたときに、秘書官という役も務めたわけでございます。
 いわゆるこの仕事というふうなものは、秘書をやり、公設秘書をやり、そして大臣秘書官というふうなことになりますと、その後のことにつきましては、やはり後進というんでしょうか、自分の後輩にそういう場を与えて、そして勉強をさせてやりたい、こういうふうなことの気持ちもあったわけでございまして、私もそういうふうな気持ちでございました。
西委員 先ほど参考人は、愛山政経調査会、これは尾崎容疑者が代表である、こうおっしゃいました。実は、国際政治経済研究会も、たしか尾崎容疑者が代表であったと思います。
 この国際政治経済研究会、業際研に対して国際研と言ったらいいのでしょうか、初めのころ、これは一千八百十万円、こういう収入が上がっておりますけれども、本格的に私設秘書に転じて政治資金集めに専念し始めてから、急激にこの集金量が伸びております。例えば九二年、総務庁長官の時代には六千二百九十九万円、その翌年には六千六百七十七万円、こういうふうに多額の収入が上がっております。
 議員秘書が代表を務める政治団体が多額の資金を集めた、こういうことは、鹿野参考人の農水大臣、総務庁長官という立場、権限をフルに利用して集めたと言わざるを得ません。尾崎容疑者はこの時期に既に、後ほどの業際研の口ききビジネス、いわばこの口ききビジネスの予行演習のようなことをやっていたのではないかというふうに私は推測するわけでございますが、鹿野参考人は、尾崎容疑者がなぜこんなに多額の資金集めができるようになったのか、私設秘書の政治資金がこんなに多いとは、普通は常識的に考えておかしいんじゃないか、こう私は思っているんですけれども、はっきりとお答え願いたいと思います。
鹿野参考人 まず、今お話が出されました、私自身のその立場、権限というふうなものをフルに使って金集めをしておったのではないか、こういうふうなことでございますけれども、そのようなことはなかったと思っております。
 むしろ、御承知のとおりに、政治の道を歩む中で、いわば私が今このようなことを申し上げるのは本当に僣越なんでございますけれども、期待感というふうなものは、やはりだんだんだんだん出てくるものでございます。私も、当選一回のときと、ある程度の政治経験をするということの中において、だんだん御支援をいただく人もふえてくるわけでございます。そして、私自身に対する、私のような者でございますけれども、そういう自民党時代の期待感もあって、政治に対するその取り組み頑張れ、こういうふうなことで、いろいろな方々が御支援をしていただいたというふうなことでございます。
 また、今先生がお話をなされました、予行演習であったんではないか、こういうふうなお話でございますけれども、私自身の秘書をやっておる時代において、いわゆるそういう口ききによって利得を得るというような行為はなかったものと私は明確に申させていただきたいと思います。
西委員 その後、鹿野参考人は自民党を離党しまして、七月に今度は尾崎容疑者が業際研を設立する、こういう経緯になっております。尾崎光郎が代表を務めた国際政治経済研究会も、九五年九月には、翌年には解散をしております。
 この国際政治経済研究会で負担していた人件費については、これは解散後、この図にもあるんですが、解散してすぐ横滑りをして、そして業際研の秘書の給与の負担というふうになったというのがこの間の経緯ではないか。
 つまり、私が申し上げたいのは、国際政治経済研究会が参考人に給与を入れていた、その流れが、一つの、後ほどの業際研をつくり上げたのではないかというふうな感じがしてなりません。一方では、親族の会社が、先ほどもありましたように、ずっと九二年以来、秘書の給与の肩がわりを続けているがごとく、実は、尾崎容疑者の政治団体から業際研へという流れはそのまま、つまり私設秘書の時代からこの流れというのがきちっとつながっていたのではないか、これが私自身の疑問であります。
 その点について、最後に明確にお答えをいただきたいと思います。
鹿野参考人 今、国際政治経済研究会等々からずっとそういう業際につながっておったんじゃないか、このようなことはないものと思っております。それは、過半、新聞に報道されました、いわゆるこの国際政治研究会、愛山政経調査会、もう一つの政治団体、これは私自身の政治団体であります。そこから、いわゆる尾崎元秘書がやめた後に二十一世紀政経懇話会の方に寄附されておった、こういう話でございますけれども、実は、この三つの政治団体とも、これは私自身の政治団体であります。ただ、代表が尾崎元秘書であったということであります。
 そして、御承知のとおりに、数年前に、その受け皿というものがたくさんある、政治献金を受ける受け皿というものがたくさんあるということは問題だと、このようなことから、先生御承知のとおりに、受け皿は一つにしなきゃならない、こういうふうなことになりました。そこで、その三つの団体、この国際政治経済研究会も解散をいたしたわけでございます。そこに残っておったものが私の二十一世紀政経懇話会の方に寄附された、こういうことでございますので、ここで解散されたものでございますから、ずっとつながっておったというふうなことには結びつかないものと思っております。
津島委員長 これにて西君の質疑は終了いたしました。
 次に、西川太一郎君。
西川(太)委員 鹿野さんにお尋ねをさせていただきたいと思いますが、議員の秘書であられた尾崎氏が、秘書を辞任されて、業際都市開発研究所を設立されましたのは平成六年、議員が新党・みらいを結党した年であります。
 で、業際都市開発研究所の設立に際して、鹿野議員の方から出資などの援助をなさったことはございますでしょうか。
鹿野参考人 一切ございません。
西川(太)委員 新党を結成するということは、大変大きなエネルギーを必要とするわけですね。当然、政治資金も要することになるわけでありますけれども、そういう関係から業際都市開発研究所を設立するようになったんじゃないかというのは、想像が旺盛過ぎますか。
鹿野参考人 今先生がどのようなことでそういう御指摘をいただいたかというふうなことでございますけれども、そのようなことはございません。あくまでも新党・みらいというふうなものは新党・みらいであったわけでございまして、そして、新党・みらいに対して、その政治資金をつくるために業際研がつくられたというふうなことではないということは、先ほどのその御質問にもございましたけれども、愛山政経調査会の方から新党・みらいの方に寄附されておるというようなこと等々で明らかになるとおりに、これは、業際研は新党・みらいのために設立されたというふうなことではないということは明確に申させていただきたいと思います。
 また、業際研設立に対して私に対して何か相談事があったとかというふうなことはないわけでございますので、これは別の問題でございます。
西川(太)委員 次に、議員は会見において、尾崎氏が秘書をやめたのは大分前であり私には一切関係がない、こういうふうに述べられているわけでありますけれども、平成六年以降、議員と尾崎氏との間では何の接触もなかったんでしょうか。
鹿野参考人 二月六日の日の記者会見で、先ほどもお話がございましたけれども、尾崎秘書と会った記憶はと、こういうふうなことに対しまして、ほとんど会った記憶はないと、こういうふうな中で、私から、いわゆる一昨年のことにつきまして、市長候補と一緒に同行してきたというふうなことがわかったということを申し上げました。
 すなわち、それ以外に私自身が尾崎元秘書といわゆる接触らしい接触というふうなことはございませんでしたというふうなことを申させていただきたいと思います。
西川(太)委員 接触があったかないかということは、物理的に、行動をともにしたとか、面会をしたとか、相談に乗ったとかということ以外にも、例えば政治資金との関係について私はお尋ねしたいと思うのは、平成七年、ごめんなさい、西暦で言った方がわかりやすいですかね、一九九五年三月に、いわゆる政治資金収支報告書によりますと、尾崎容疑者が代表を務めている複数の政治団体が、先生の資金管理団体、二十一世紀懇話会、こういうところに献金をしておられる、こういうことが各団体の政治資金収支報告書でわかっているわけであります。
 これは、尾崎容疑者が代表だった国際政治研究会から、日本商工経済研究会、そういうものも含め、または、先ほど来たびたび名前が出てまいります愛山政経調査会、こういうところからも鹿野代議士の資金管理団体に対して寄附がされているということが山形県の選管の収支報告書、こういうものの実態調査の中から浮かび上がってくるわけでありますけれども、先生は、尾崎容疑者とは、秘書を辞されてから随分間がたって、全く関係がない、こういうふうに会見等でおっしゃってきたわけでありますが、しかし、実際には、おやめになった直後から、尾崎さんから先生の政治団体に具体的に献金がある、こういう事実がはっきりしているわけでございますけれども、そういうことで、私どもは、やはり議員をやっておりまして、献金をしてくれる人、こういう人は、自分と全く関係がないというふうに断言をできる間柄ではないと。やはり政治献金をしてくれるというのは、政治的信念に理解を示してくれる同志、こういう意味ではないかというふうに理解をいたしますけれども。
 それは、その人が悪いことをして捕まった、だから関係ない、こういうふうにおっしゃりたいお気持ちはわかりますけれども、私どもが、また国民が、鹿野先生がこういうところできちっと御説明をなさるんでしたら、そういう政治献金というものは、秘書をやめた後もあった、あったけれども、しかしそれと、今度の尾崎が捕まったそうした幾つかの贈賄容疑、また、逮捕されている方は県知事まで捕まっているわけですね。それから、下妻の市長も石岡の市長も、前市長ですけれども、こういう首長が陸続として逮捕せられている。こういうことに対して、全く関係ないというふうに言い切れるんでしょうか。
鹿野参考人 今お話しをいただきましたことにつきましては、私、先ほど御説明申し上げましたけれども、愛山政経調査会、それから国際政治経済研究会、それから日本商工経済研究会、いろいろ、以前は政治、支援をいただくために窓口たくさんつくることができました。そして、この三つとも、私の政治団体であります。ただ、代表が私の秘書であった尾崎光郎であったわけであります。で、残務整理としてその代表がそのままなっておって、いわゆる一つにしなければならない、政治資金を受ける場合に一つにしなきゃならないというふうなことで、二十一世紀政経懇話会が一つになったわけであります。
 そこで、当然、その三つの私の政治団体、私の政治団体です、これを解散しなきゃなりませんから、そこからいわゆる二十一世紀政経懇話会の方に移行された。これは決して尾崎元秘書の政治団体ではございません。ただ、名前が、代表として、私の秘書の時代に名前が残っておったということでございますので、決して、私自身、業際研の尾崎光郎元秘書から政治献金を受けておったのではないということを申させていただきたいと思います。
西川(太)委員 やはり一介の元秘書、その人がいろいろな行政に言って、大きな公共事業のことを、いろいろと便宜を図って、いろいろコンサルタント業務を、すき間業ですね、こういう新しい口ききビジネス、こういうことはやはり相当な実力者が背後にいるというようなことを示唆しながらやったという疑いはぬぐい切れないのでありますけれども、まあ、そこらのことについてはこれからはっきりしてくるだろうと思います。きょうは、資金の流れについてのみ伺ったのであります。
鹿野参考人 いかにも今先生は私と尾崎元秘書の関係があるようなお話でございますけれども、私は、今まで申し上げましたとおりに、また記者会見で申させていただいたとおりに、尾崎元秘書のその仕事に関与してきたということは明確にないわけでございますので、この点だけは再度はっきりと申させていただきたいと思います。
西川(太)委員 終わります。
津島委員長 これにて西川君の質疑は終了いたしました。
 次に、細川律夫君。
細川委員 民主党の細川律夫でございます。
 政治と金にまつわる事件やスキャンダルが最近たくさん起こっております。国民の政治に対する信頼が揺らいでおります。政治家は、国民の信頼を取り戻すために、あらゆる疑惑に正面からきちっと答えなければならないと思います。悪い部分があれば、それを明らかにしてきちんと反省すべきでございます。この場で鹿野議員にも明確にきちっと御答弁をいただきたいと思います。
 そこで、まず、三重県桑名市の親族の経営しております杉山コンテックの企業から鹿野議員の秘書の給与負担をしていたということについてお伺いをいたします。
 先ほども質問が出ておりましたけれども、この給与負担については、鹿野議員の方の事務所からお願いをしたのか、それとも杉山コンテックの方から申し入れがあったのか、これはいかがでしょうか。
鹿野参考人 調べましたところ、私の事務所の方から義弟の会社に要請がなされた、こういうことでございます。
細川委員 いつからいつまで給与の肩がわりをしてもらったんでしょうか。
鹿野参考人 平成四年から元秘書Aに、一人、Aに対しまして秘書給与の負担がなされてまいりまして、その後、平成十三年の九月までに一人の給与分が負担されてきたということでございます。
細川委員 期間的には、いつまでということについてはちょっとお答えがなかったようですが。
鹿野参考人 平成十三年の九月まででございます。平成四年から平成十三年の九月までということでございます。
細川委員 その間、何人の秘書に負担をしたんでしょうか。
鹿野参考人 一人の元秘書、そして現秘書に対しまして、継続的に一人分秘書給与がなされてきた。平成四年から平成九年まで元秘書に対して、そして平成九年から平成十二年まで現秘書Bに対しまして、そして平成十二年から平成十三年までに現秘書Cに対しまして一人分の給与が負担されてきた、こういうふうなことでございます。
細川委員 総計幾らの給料を負担したのでしょうか。
鹿野参考人 合計いたしますと、三千三百九十万円でございます。
細川委員 秘書一人の給与を肩がわりするだけでも大変な額になります。そういう秘書の給与の肩がわりというのを事務所の秘書なりあるいは事務所の職員が代議士に相談なしにやるものでしょうか。常識的には、当然代議士に相談をしてそのようなお願いをするのが通常ではないでしょうか。
鹿野参考人 先生から御指摘のことは、ごもっとものことだと思っております。
 ただ、私自身反省をいたしておるわけでございますけれども、私が当選をさせていただきましてから、先輩議員のアドバイス等々もございまして、議員は政務一筋、その他の事務局の仕事はそれぞれの秘書を担当させる、信頼をし合っていくことが大事だと、このようなこともございまして、私自身は政務一筋にやってきた、こういうふうなことで、任せっきりというふうなことであったわけでございます。この点は私自身反省をいたしておるところでございますが、そういう実態でございます。
細川委員 平成十三年まで負担をしてもらったということでありましたが、それでは、十三年にやめた、負担をしていただかなくなったというその理由は何でしょうか。
鹿野参考人 これも調べてみましたが、私の義弟の会社も状況が厳しい状況になってきたのでというふうなことで、私の当時の第一公設秘書の方に対して、中止をいたしたいと、こういうふうなことの申し入れがあって、そこで中止された、こういうふうなことでございます。
細川委員 そのことについても、議員の方には話はなかったわけですか。
鹿野参考人 まことに、重ねて申し上げますけれども、私自身の監督不行き届きというふうなことで、いろいろと任せっきりにしておったというふうなことは反省をいたしておるわけでございますけれども、私どもに報告があるということはございませんでした。
細川委員 報道によりますと、杉山コンテックは尾崎元秘書の業際研とコンサルタント契約を結んでいたということでありますけれども、この点について鹿野議員の方で知っていたということはありますか。
鹿野参考人 私は承知をいたしておりませんでしたけれども、今回のその事件が報道されてから私も調べましたところ、私の弟の会社と業際研が契約が結ばれておるというふうなことを承知をいたしたわけでございます。
細川委員 これも報道によりますけれども、業際研の方に給与の明細が渡っていたという報道がありました。先ほどの質問では、調査をしたところそういうことはないというお答えでしたけれども、どうしてそういうような報道になったのか、この点について調査をされましたでしょうか。
鹿野参考人 私も、記者会見のときにそのような質問をいただきまして、ないものと思っておりますと、このような返事をした覚えがございます。
 その後、私も義弟に対しまして確認をいたしました。義弟の方からは、業際研に対して給与明細書が送られておったということはございません、何で送らなければならないかということもわかりません、こういうふうなことでございました。
 また、その元秘書に対しましてもその点を確認をいたしましたけれども、そういう要請はいたしておりません、こういうふうなことでございます。
細川委員 次に移りますけれども、二月六日の記者会見の席で、尾崎元秘書と最後に会った時期について、覚えていないくらい前のことと。その後尾崎元秘書と会ったんではないかということで、たびたび質問も先ほどあったわけですけれども、二〇〇〇年の六月、この前の衆議院の選挙でありますけれども、このときに尾崎元秘書が鹿野議員のところに選挙の応援に来たという報道がなされておりますけれども、これは事実なんではないですか。
鹿野参考人 このような、今細川委員の方から言われたような報道がなされたことも承知をいたしております。私に同行しておったというような活字であったと思います。
 私は、平成十二年の選挙におきまして、尾崎元秘書と選挙の最中に会ったということはございません。また、私自身も、当時の事務所の関係の人たちに聞いておくように、こういうふうなことで確認もいたしておるところでございますけれども、私の事務所にも顔を出すことはなかったというふうなことでございます。
細川委員 次に移ります。
 業際都市開発研究所の方からの秘書給与についての肩がわりということについてお伺いをいたします。
 この業際研の方からの秘書給与の肩がわりについては、これは知らなかったということでありますけれども、調査をされたと思いますが、これはだれがだれに対してそういう申し込みをというかお願いをしたのか、あるいは申し入れがあったのか、ここのあたりを詳しく説明してください。
鹿野参考人 調査をいたしましたところ、元職員、現秘書に対しまして、それぞれの時期に、尾崎元秘書の方から、自分自身の縁で私の事務所に働くようになった者だ、このようなことで、少しでも面倒を見なきゃならないというふうな気持ち等々から、私の当時の資金担当の秘書に対しましてそういう申し入れがあり、当時の資金担当秘書は、資金上役に立つというふうなことでございますのでそれを受け入れた、こういうふうな経緯であったということでございます。
細川委員 先ほどの杉山コンテックの方からの給与の肩がわり、これとはちょっと事情が私は違うというふうに思います。
 杉山コンテックの方は奥様の弟様の経営されている企業だと聞いております。そういう親族の企業から議員に対するいろいろな支援ということは、これは十分考えられるわけでありますけれども、この業際研の方の給与の肩がわりについては、今お話がありましたように、尾崎元秘書の方から、昔世話になったから肩がわりさせていただきたい、こういう申し入れがあったと言いますけれども、この業際研の方から給与の肩がわりをするようになったのは、業際研が設立されたのが九四年なわけです。最初の一人の給与の負担が九五年に始まりまして、次の二人目は九七年、そのように見ていきますと、業際研の事業といいますか、それがだんだん軌道に乗り出した、そのときであったんではないかというふうに思います。
 そうしますと、これまでの鹿野議員と尾崎元秘書との昔からの関係からいたしますと、そういうときに、何にも議員の方に話をせずに事務所同士でそういうようなことを決めるというのは、どうも常識からしますと私は腑に落ちないんですけれども、これはどういうふうに説明をされますか。
鹿野参考人 御指摘の点はごもっとものことと思っております。
 ただ、先ほども申し上げましたわけでございますが、私自身の事務所というものを動かしていくにおきましては、いわゆる政務は私自身、議員がそこに一生懸命頑張っていく、事務局的なことをそれぞれの秘書が担当してもらう、このようなことでやってきたわけでございまして、当然、尾崎元秘書も、私の当選以来秘書としてやってくれたわけでありますから、そのようなことも承知をいたしておったわけでございますので、そういう意味で私の方に報告をするということはなかったのではないかと思っております。
 ただ、私自身も、その任せっきりというふうなことの、そのやり方というふうなものは反省をしていかなければならないな、こんな思いをいたしておるところでございます。
細川委員 業際研をつくったのは、鹿野議員の元秘書で二十年近く勤めた尾崎元秘書、通産大臣を鹿野議員がされていたときにも秘書官をされております。そして、小野誠治元秘書も、これも総務庁長官のときにも秘書官もされておった。そういう方が同時に秘書をやめられてこの業際研をつくった。それで、その小野誠治元秘書には通行証も与えて、自由に国会を歩けるような、そういうような関係、そして事務所の職員あるいは秘書も、この業際研の肩がわりの方が二人もいたということもある。
 こういうふうに考えますと、鹿野議員の方では関係なかったというふうにはおっしゃいますけれども、しかし、事務所の方では業際研とのつながりが何か頻繁に行われていたんではないかということも想像されるわけですけれども、こういう点についてはどのようにお考えですか。
鹿野参考人 事務所の者がつながりがあったのではないか、こういうふうな御指摘でございます。
 私自身もその報道で判明した後に確認をいたしておるところでございますけれども、いわゆる秘書同士の、元秘書ということは人間関係はあるわけでございます。そういう意味ではおつき合いはあったと思いますけれども、尾崎元秘書の仕事に関与するというふうなことはございません、こういうふうなことでございます。
 また、小野の通行証の件も、元小野秘書に対する通行券も、私が先ほど御説明を申させていただいた、まことに監督不行き届きでございますけれども、申させていただいたとおりに、個人的な考えで、関係におきまして通行証を発行してしまった、こういうふうなことでございます。
 また、私自身、尾崎元秘書が私の秘書をやめるということになったことにつきましては、いわゆる政治に対する考え方の違いがあったのではないか、こんな思いをいたしておるわけでございます。それは、私自身は、政治改革に取り組んでまいりまして、そして、政権交代できる、そういう政治環境をつくらなきゃならない、こういう思いでございました。しかし、尾崎元秘書は、政権党に議員はいなければならない、こういうふうな考え方に立っておったのではないか、こんな思いをいたしておりまして、政治に対するその違いというふうなものからいたしまして、私のもとを去った後も距離がだんだん遠くなっていったのではないか、こんな思いをいたしておるところでございます。
細川委員 この業際研の事務所がありました永田町二丁目の山王グランドビル、これが、同じビルに鹿野議員の後援会、愛山会もあったというようなことで、関係があったんではないかというふうにいろいろ先ほども聞かれておりましたけれども、そういうことは一切関係のないというお話でありました。
 しかし、先ほども申し上げましたように、長い間秘書を務められ、その秘書の中でも最も中心的な二人の秘書が同時にやめられて業際研をつくる、そういうときには、仕えていた議員に相談をするというのがこれまた一般的な常識ではないかと思うんですけれども、当時、どうして業際をつくるのかというその目的とかあるいは内容とか、そういうことが議員の方にいろいろ相談とかあったんではないですか。
鹿野参考人 まず、業際研を設立するに際しまして相談があったのではないかということに対しましては、相談はございませんでした。記者会見のときも申し上げたとおりでございます。
 すなわち、今も申し上げましたけれども、政治に対する考え方の違いというふうなことが私の秘書をやめるというふうなことに相なったのではないか、こんな認識を持っておりますということを申させていただきたいと思うのであります。
 そしてまた、事務所の件も御指摘をいただきましたけれども、重ねて申し上げますが、私の愛山会の事務所は、私が自民党を離党した段階でこれは実質的な廃止ということでございまして、その後に別のところにその業際研の事務所が設立されたということを聞いておるわけでございます。
 そしてまた、先ほども申し上げましたけれども、当時の十月か十一月ごろの新聞報道でいろいろと指摘がされたというふうなことにおきましても、それぞれ尾崎元秘書の方も鹿野事務所とは関係ございませんと、こういうふうなことも言っておるわけでございまして、この尾崎元秘書の業際研と私どもの関係というものは一切、その仕事に関与しておるということはないということを再度申させていただきたいと思います。
細川委員 この業際研が入っております山王グランドビルの三一四号室、その隣の三一三号室、ここに柴崎建設という会社の東京支社がありますが、この建設会社を御存じでしょうか。
鹿野参考人 今お話をなされました柴崎建設、山形の柴崎建設さんでありましたらば、承知をいたしております。
細川委員 この柴崎建設と鹿野議員は、よく知っておられますか。それとも、献金なんか受けたこともあるんでしょうか。
鹿野参考人 私の選挙の際に御支援をいただいた、こういうことでもございます。また、政治的に、今政治献金のお話がございましたけれども、政治献金も法定内において御協力をいただいたというふうなことはあったものと思っております。
細川委員 同じ三一三号室には、広川商事という会社もございます。この会社も口ききビジネスを行っているというような、そういうように報道もされておりまして、そういう会社の事務所と業際研が隣り合わせの事務所にあるというようなことは、いかにもその関係が深いんではないかというようなことも想像もつくわけなんですけれども、こういうことについて鹿野議員の方では何か思い当たるようなことはありますか。
鹿野参考人 広川商事というふうな会社は、私は知っておりません。
細川委員 それでは、次に申し上げます会社についてよくお聞きください。
 日立製作所、日立プラント建設、戸田建設、荏原製作所、市場西村建設、高砂熱学工業、アキラという電気設備会社、それから三建設備工業、川崎設備工業、これらはいずれも、今回の業際研にかかわります事件で役員が逮捕されたり、あるいは会社が捜索を受けたりしたところでございます。
 今私が申し上げました企業から、鹿野議員は政治献金を受けたことがありますか。
鹿野参考人 今、細川委員の方から出されました企業の名前でございますけれども、私自身、献金を受け取ったのかというふうなことは確認はいたしておりませんが、さまざまなところから献金をちょうだいしておりますので、あるかもしれませんけれども、ほとんどなかったんではないかと思っております。
細川委員 今回の業際研にかかわりますいろいろな刑事事件に関して、鹿野議員は捜査当局から事情を聞かれたということはありますか。
鹿野参考人 私自身が捜査当局から事情を聞かれたということはございません。
細川委員 鹿野議員は民主党の政治改革本部長の職にもありましたし、あっせん利得罪についても大変な活躍をされました。改革の旗手というふうに言われ、過去には自民党議員であったにもかかわらず、自民党的な体質を批判したという印象の強かった議員でございます。したがって、今回の事件は大変残念でありますけれども、今回のこういう疑惑についてどのようにお考えになっておりますか。
鹿野参考人 今、細川先生から、疑惑につきましてどう思うかというお話でございますけれども、今まで私が申し上げましたとおりに、尾崎元秘書の業際研とのかかわりは一切なかったというふうなことを申させていただいたとおりでございます。
 ただ、私も、今細川委員の方からお話がありましたとおりに、政治改革に取り組んできた者として、このようなことが判明したというふうなことは、まことに私自身の監督不行き届きであった、こういうふうなことで、私自身が無我夢中でやってきたというふうなことによって見えないところがたくさんあったのではないか、こんな思いをいたしておるわけであります。反省をしながらこれからも取り組んでいかなきゃならない、こういうふうな気持ちでおるところでございます。
細川委員 終わります。
津島委員長 これにて細川君の質疑は終了いたしました。
 次に、達増拓也君。
達増委員 参考人は、尾崎氏が秘書をやめた時期について、参考人が自民党を離党されたときに尾崎氏は秘書をやめたとおっしゃっているんですけれども、しかし、国会通行証については、その後二年間、鹿野事務所の机の中に尾崎氏の通行証が保管され、使おうと思えばいつでも使えたわけですし、そして、先ほど答弁の中であったように、新党・みらいを立ち上げるときにその手伝いをしている。ですから、はたから見ていると、やめたのかやめていないのか、非常に中途半端な状態だと思うんですが、離党したときにやめたというのは、客観的なそのやめた根拠というのはあるんでしょうか。
鹿野参考人 私が離党した際に、尾崎元秘書の方から、秘書をやめたいというふうなことで、私もそれを受け入れたということは、そのとおりでございます。
 ただ、その後、先ほど来申し上げましたとおりに、新党・みらいを旗上げをしたわけでございまして、そして、私だけではなしに同僚の議員もございまして、何とか軌道に乗せなきゃならない、こういうふうなこともございました。その際に、やはり長い間のキャリアを持っておるところのそういう、人材というのでしょうか、そういう人も必要ではないか、このようなことから、とにかく軌道に乗るまでは手伝ってくれないか、こういうふうなことで私から話をいたしたというふうなことでございます。
 そこで、新党・みらいは立ち上げたわけでございますけれども、先生御承知のとおりに、もう八月の段階から新党準備会というふうなものがつくられまして、そして、それぞれの政党が一つになっていこう、こういうふうな動きになりまして、十二月に新進党が結党されたわけでございます。その新進党が結党されてから私自身と尾崎元秘書がたもとを分かった、こういうふうなことでございます。
達増委員 秘書ではないと言いつつ秘書のようなことをしているというケースが、先ほど加藤紘一参考人の質問の中でありました。
 もともと自民党の国会議員には、私設秘書に給料を払わずに、秘書の肩書あるいは秘書の肩書のようなものを名乗ることを許して、口ききビジネスなどで金を稼いでその秘書自身の収入とすることを認めつつ、また、集めたお金を事務所に入れる、議員に献金するという手法があると聞いております。
 先ほどの加藤紘一参考人の答弁も、まさに、佐藤三郎という人を、秘書ではない、給料を払っていないと言いつつ、実は、実質的には事務所代表としてお金を集めて、自分の収入とすると同時に事務所に入れているというパターンでありました。
 そして、鹿野事務所とこの尾崎氏との関係についても、加藤紘一参考人のときほどきちっとした関係ではなかった、また、それだけのお金の額は動いていないようではありますけれども、元秘書ということではありますけれども、例えば平成十二年、おととしですけれども、ある機械メーカーの幹部が尾崎氏からパーティー券を買ったときに、そのパーティー券というのは、参考人が自民党に所属していたころ盟友だった某自民党中堅議員のパーティー券だったそうなんですけれども、尾崎さんは鹿野道彦代議士の秘書という気持ちがあるからパーティー券購入の要望に応じたというふうに話しているそうであります。
 つまり、おととしの段階でも、尾崎さんは鹿野道彦代議士の秘書だというふうに思っている、そういう人がいたわけでありまして、そういう中途半端な立場を利用しつつ、口ききビジネスで金を集め、そして鹿野事務所の方にも秘書給与肩がわりということでお金を入れていた。つまり、繰り返しますけれども、給料は払わないけれども、一種の秘書のような社会的地位を許しながら、集めてきたお金、一部事務所の方でもそれをもらう、そういう関係になっていたんではないでしょうか。
鹿野参考人 今御指摘の点につきましては、明確に否定をさせていただきたいと思います。
 先ほど申し上げましたとおりに、新党・みらいが解党いたしまして新進党になってから、私と尾崎元秘書はたもとを分かったということであります。
 そして、秘書のような秘書でないようなというふうなことでありますけれども、明確に私が自民党を離党した段階で秘書をやめておるわけでありまして、その後は新党・みらいを手伝っている、こういうふうなことでございますから、新党・みらいにおったということでございまして、そして新党・みらいが解党して、そしてそこでその関係は切られた、こういうことでございますから、今御指摘のようなことにはならないと私は思うわけでございます。
 ましてや、今、自民党さんのパーティー券に対して協力したということは、秘書というような気持ちで、だからつき合った、このようなことを言っておったというふうな話でございますけれども、それは私自身が承知をしているわけではございませんし、この点が私と尾崎元秘書との関係が依然としてつながっておったのではないかというふうなことには結びつくものではないものと思っております。
達増委員 先ほどほかの委員からの質問にもありましたけれども、おととしの衆議院議員選挙の際に、山形市内を遊説して回る参考人の選挙カーの後ろに、尾崎氏が業際研の社員と思われる二人と一緒に乗用車で同行して回っていたところが目撃されております。
 参考人の先ほどの答弁では、選挙中、尾崎氏とは会ったことはない、もう一つ、事務所に顔は出していないという答弁はされましたけれども、目撃されているのは、参考人と会ったところが目撃されているわけではありません。事務所に顔を出したところが目撃されているわけではありません。目撃されているのは、選挙カーの後ろにつき従って一緒に遊説に回っていたというところが目撃されているんですけれども、この目撃されている内容は事実でありましょうか。
鹿野参考人 私は、先ほど申し上げましたとおりに、その選挙の際に尾崎元秘書が私の選挙カーに同行しておったというふうな活字でございます。しかし、先生も選挙をおやりになっておるわけでございますからおわかりになられると思いますけれども、もしも選挙カーの後ろをついてくるというのは、これは候補者としても確認ができるわけでございます。しかし、私は、そのような、尾崎元秘書と会った、私の車の後ろをついてきたというふうな事実を確認しているわけではございません。
 そしてまた、このような、今申し上げたような報道があったものですから、事務所の者にも確認をいたしたわけでございますけれども、本来、そうやって同行する、後ろをつくとかというふうなこと、そうやって選挙運動をしているということならば、何らかそういうふうな事務所なり選挙事務所の関係者の人がわかるわけでございますけれども、そのようなことはないということでございますので、私は、私の選挙のために、選挙の際にその応援に来たというふうなことはなかった、こういうふうに思っておるところでございます。
達増委員 尾崎氏と並んでもう一人、小野誠治氏、鹿野事務所で元秘書をしていて、その後業際研に移った人でありますけれども、今回の事件で逮捕された後、不起訴ということになっていますけれども、この小野誠治氏は、尾崎氏よりもはるかに長く、おととしの六月の選挙の前まで鹿野事務所で国会の通行証を交付を受けていたわけであります。
 したがって、繰り返しますけれども、尾崎氏個人というよりは、業際研とそこに所属する業際研幹部との間に、あたかも鹿野事務所の秘書、それに準ずる者であるかのような活動を許しつつ、そこで業際研として集めたお金を事務所の方でも得るという関係がやはりあったのではないでしょうか。
 こうした口ききビジネス、きょう発売の雑誌にも、小泉総理大臣の私設秘書が社長をするコンサルタント会社がそういう口ききビジネスをしているという疑惑があるということが報道されておりますけれども、私設秘書問題、さらに今、新しく法の抜け穴としてこういうスタイルがとられている疑いがあるわけですけれども、この点いかがでしょうか。
鹿野参考人 通行証が小野誠治元秘書に出されておったということにつきまして、先ほど来私は説明をさせていただきました。いわゆる個人的な関係で出されておった。まことに私の監督不行き届きを反省いたしておるわけでございます。
 その後、そういう関係がございましたならば、私の事務所に何らかの形で出入りするとか、また、私に何らかの形でそういう話があるかというふうなことにもなるわけでございますけれども、私は、小野元秘書とは、その後、私の事務所をやめた後に私の事務所で会うというふうな機会はほとんどなかったわけでございますし、私も事務所の者に確認したところ、小野元秘書が私の会館に訪れるということは、これまたほとんどなかったということでございます。それから、物を何か頼まれるというふうな事実もございませんでした。そういう意味でございますので、この点は明確に説明をさせていただきたいと思います。
 なお、私設秘書と、それからあっせん利得の新しい法律というふうなことをつくったらどうかというふうなお話だと思いますが、やはり私自身も、先生が御指摘なされたようなあっせん利得罪というふうなものにつきまして、今このような立場でございますけれども、私の考え方につきましては何ら変わっておりませんので、新たな法律というものが改正されて、早く成立がなされればいいな、こんな思いでございますということを申させていただきたいと思います。
達増委員 終わります。
津島委員長 これにて達増君の質疑は終了いたしました。
 次に、春名直章君。
春名委員 日本共産党の春名直章です。
 尾崎氏、業際研と参考人との関係についてお聞かせいただきたいと思います。
 参考人は、先ほど来の議論の中で、自民党を九四年離党されて新党・みらいをつくった。その九四年当時から、尾崎氏も秘書をやめる、関係がほとんどなくなっているということをおっしゃっているし、尾崎氏自身も、彼が自民党を出るのに反対して以来、七、八年は会っていない、こういうことを報道で語っておられる。
 私どもの調べでは、当時参考人が持っておられた三つの政治団体で、愛山政経調査会、先ほど出ていますね、それから日本商工政経研究会、この二つの事務所は、永田町二丁目十四―二、山王グランドビル三一四号室、つまり業際都市開発研究所と全く同じ住所、場所であります。また、国際政治経済研究会、三つ目の政治団体ですが、この三つ目の政治団体含めまして、すべての電話番号が〇三―三五〇二―三七七七、同じであります。
 さらに、それぞれの政治団体の代表、事務担当者、会計責任者は、尾崎氏を初め、小野氏、米沢氏など、あなたの元秘書ということであります。
 この三つの政治団体ですが、九五年の九月の二十九日に解散をしていると承知をしております。業際研が発足したのは九四年の七月でありますので、業際研が発足する時点、一年数カ月にわたっては、少なくとも同じ場所で一体に活動するということになっているのではないかと思われますが、その点はいかがですか。
鹿野参考人 今御指摘の点につきましては、先ほど来お話をさせていただいておりますが、実質的に、この商工研究会あるいは国際政治研究会、愛山政経調査会というふうなものは、ほとんどその機能はしていなかったわけでございます。すなわち、それは、当時、政治資金を受けるというふうなことの窓口はたくさんあるというふうなところはやはりこれは問題ではないか、このようなことから、その受け皿というものを一つにしていかなければならない、このようなことになりまして、そして、私の場合は、二十一世紀政経懇話会が私の一つの受け皿というふうなことに相なったわけであります。
 そこで、この愛山政経調査会、そして商工研究会、国際政治研究会というふうなものも私の政治団体であったわけであります。ただ、名前、代表は、私の秘書時代からの元秘書が代表になっておったというふうなことでございまして、この中から百三十五万円が、いわゆる私の二十一世紀政経懇話会の方に寄附されておった、それはそこに残されておった、それが移行されたというふうなことでございます。
 すなわち、その名前も、尾崎元秘書がやめた時点できちっとそこのところ整理がなされておればよかったわけでございますけれども、残務不整理としてそこが残っており、九五年でございますから、翌年にこれは解散をされたということでございますので、実質的に業際研というふうなことの中で動いておったということではないということを、再度申させていただきたいと思います。
春名委員 先ほど来議論になっておりますが、一昨年六月十三日告示の前回の衆議院選挙でありますが、この衆議院選挙告示後、尾崎氏が山形市内に来ていたことは認識されていますか。
鹿野参考人 この点につきましては、先ほど来からお話しのとおりに、山形に来ておったかどうかはわかりません。ただ、新聞報道で、山形に来ておった、そして私の選挙運動で来ておったというような、そのような報道がされたことは承知をいたしております。
 ただ、私から、事実関係として、私自身が尾崎元秘書と面接をする、会うとかというふうなことはなかった、また、私の事務所に訪ねてくるというふうなこともなかったというふうなことを確認させていただいたところでございます。
春名委員 市長の日程というのを私たち調べてまいりまして、六月十六日、告示後三日後なんですが、十六時に鹿野代議士元秘書尾崎様来室、こういうふうになっていることを確認してまいりました。十六日に来られているということは確実だと思われます。
 六月の十五日、私は、現地で参考人と尾崎氏を深く知っておられる方にお話をお聞きしましたが、六月の十五日、米沢秘書が、Oさんが山形駅に夜着くから迎えに行きますと選挙事務所で発言をされていて、この発言をあなたの選挙事務所にいた方が聞いているという証言もいただいておりまして、こういう事実があるわけですが、その点、御認識ありませんか。
鹿野参考人 後段の件でございますけれども、先ほど来から私は申させていただいておりますが、尾崎元秘書が事務所を訪ねてきたというふうなことがあるのかということに対しましては、ありません、こういうふうなことでございます。
 また、山形市長と会っている、こういうふうなことでございますけれども、これも報道されたということも承知をいたしておりますが、実質的に会ったかどうかということは、市長と元尾崎秘書の関係でございますので、この点は、私はわかりません。
春名委員 参考人は、山形の特産のサクランボを出す政治資金パーティーを開いていらっしゃいます。サクランボパーティーというふうに銘打っておられるようですが、自民党時代には年一回ですか、それから、九五年からは年二回に分けて開催をされているようです。
 あなたと尾崎氏をよく知っている関係者から聞いたお話ですが、このパーティー券の売りさばきに際して、地元の山形や、もちろん東京もそうなんですが、その売りさばきの際に、その一部を業際研にお願いをしている、こういう事実はないでしょうか。
鹿野参考人 そのような報道がなされたことも承知をいたしておりますが、確認をいたしたところ、そのようなことはございません。
春名委員 昨年の六月二十九日に、第一ホテル東京でこのパーティーをお開きになっていますが、このパーティーで業際研の事務員の方が手伝いをされているというように私、認識しておりますが、この点はいかがですか。
鹿野参考人 事務員の人が手伝いをしているかどうか、私もその事務員の人をわかっておりませんので、これはわかりません。はい、そのとおりでございます。
春名委員 次に、三重の親族企業による厚生年金や政府管掌健保の加入と肩がわりの問題についてお聞きいたします。
 実際、勤務実態がなくて会社の業務と無関係な場合、本来適用できないというのが厚生労働省の公式な見解だろうと思います。そして、加入資格については、給与が支払われていること、会社の指揮命令系統下にあること、これが受給の条件というふうになっています。
 杉山コンテックの社長自身、社員であるが会社に来るのは年に一、二回で、全く来ない年もあります、こういう証言をされておられます。ただ、資格がないとは思っていなかった、早急に脱退手続をとるということも報道されているとおりでございます。
 そして、鹿野参考人自身、問題があれば修正手続をとるということもおっしゃっておられる。ところが、私どもの調べでは、いまだに脱退されていないというふうに思います。これは確かめられましたか。
鹿野参考人 この私の義弟の社会保険の問題につきましては、先ほども申し上げましたが、取材によりまして、私自身、本当に問題になるのかなと。私は、問題になるとは思っておりませんでした。すなわち、私自身給与も受けておるわけでございますし、そして非常勤役員待遇として経営に関与をいたしておるわけでございます。
 しかし、専門的な問題でございますので、私の方から社会保険庁の方に問い合わせをいたしたわけでございますが、社会保険庁の方は、いわゆる地元の、その義弟の地元の社会保険事務所の方に問い合わせてくれ、こういうふうなことでございましたので、私の方からその保険事務所の方に問い合わせをいたしたところ、私の義弟の会社がいろいろと調査をいたしております、こういうふうなことでございまして、実質的にその義弟の会社が調査を受け、またいろいろなことを聞かれた、こういうふうなことでございまして、私どもは今、その結論を待っておるところでございます。
 義弟の方に確認をいたしたわけでございますけれども、もう少々待ってくれというふうなことでございまして、その結論待ちだ、こういうふうなことでございますから結論を待っておる、こういうふうなことでございます。
春名委員 以上で終わります。
津島委員長 これにて春名君の質疑は終了いたしました。
 次に、横光克彦君。
横光委員 社民党の横光克彦でございます。お尋ねをいたします。
 親族企業から、そしてまた業際研から、それぞれ秘書の給与の負担を受けておられるということはお認めになりましたが、親族企業からの総負担額、給与の負担を受けた総額は幾らか、そしてまた業際からは幾らか、おわかりになりますか。
鹿野参考人 親族企業から支給された給与は、合計で三千三百九十万円でございます。平成四年から平成十三年まででございます。また、業際研が秘書、元職員、また現秘書の方に支給しておった給与は、合計でおよそ三千七百二十九万円でございます。
横光委員 これは、それぞれ政治資金報告書に記載されているんですね。
鹿野参考人 反省をいたしているわけでございますけれども、そのような手続はなされておりませんでした。
横光委員 今、国会議員と秘書の問題で大変国民に不信感を与えておるんですね。我が党の議員は、その報告をしていなかった、政治資金収支報告書に報告していなかったということだけで、議員を辞職するという大きな決断をしたんです。
 今お話を聞きますと、約七千万の負担を、支援をしてもらっている。このことは知らなかったんですか。
鹿野参考人 先ほど来からお話を申させていただいておるわけでございますが、私の監督不行き届き、まことに申しわけなかったわけでございます。私は承知をいたしておりませんでした。
横光委員 先ほど言いましたように、私設秘書を一人でも多く雇いたい、しかし、そのためにはお金がない、どのように捻出するか、各国会議員すべてが四苦八苦しているという状況を、国民は今回の秘書給与疑惑問題でほとんどの方が知ったんですね。いかに秘書の給与をつくるのが難しいか。そういった中で、約七千万の支援を受けたことを知らなかったということが果たして通用するのかどうか。
 その担当の秘書から、先生にこれだけの秘書の支援をしてくれていますという報告は本当になかったんでしょうか。
鹿野参考人 私は、もう本当に監督不行き届きで申しわけなかったと思っておりますが、承知をいたしておりませんでした。
 これは、私自身、最初に当選をさせていただいたときは、私もいろいろな点で人生勉強の時代でもありました。そのときに先輩議員の方から、やはり議員というものは政務一筋でやっていくことだよ、そういう御指導もいただいた等々もございまして、私は、事務局の仕事は秘書の方に任せきりで来てしまったというふうなことでございます。この点は、私自身反省をいたしておるところでございます。
横光委員 厚生年金と政管健保の加入、これは何年から加入しているんでしょうか。何年から何年まで加入しているんでしょうか。
鹿野参考人 今の御質問は、私の義弟の……(横光委員「そうです。失礼しました。親族企業の」と呼ぶ)はい。私の義弟の親族企業におきまして、昭和五十七年からであると思っております。加入したのはそういうことであったと思っております。
横光委員 その後、五十七年、いわゆる一九七〇年だと思うんですが、七六年に退社されているわけですね、退社、いわゆる会社を。そして顧問になられている。この顧問の契約はされておるんですか。
鹿野参考人 これも先ほど私からお話をさせていただきましたけれども、私自身、義弟の会社におきましては、昭和四十五年に常務取締役に就任をいたしたわけでございます。そして、私が初めて議員に当選をさせていただきましてから、これは五十一年でございますけれども、常務を退きまして、会社からの要請におきまして、肩書は正式にこういう肩書ということではございませんでしたけれども、いわゆる相談役的な、顧問的な役割として、非常勤としてその役員としてやってほしい、こういうふうな要請を私は受けまして、そしてその後給与も受けながら今日に至っておる、こういうふうなことでございます。
横光委員 先ほど加藤参考人のときにも私はお聞きしたんですが、今回のこの問題、これはすべて公共事業に絡んでいるんですね。尾崎光郎元秘書が、いわゆる業際研という会社を設立して、全国多くの地域に口きき料の名のもとに膨大な金を集め、それがまた贈収賄事件にまで発展して、知事や市長さんが逮捕されるという事態にまで至っているわけです、いわゆる公共事業絡みの口ききから。
 ですから、この公共事業受注業者からの献金はもうやめようじゃないかと総理が発言するような事態になっている。このことに対して、参考人はどのようにお考えですか。
鹿野参考人 私自身が、このような立場で今どうこうを申し上げるというのは本当に僣越になると思っておりますが、いわゆる政治の道を歩む者とお金とのかかわりというものをどうしていったらいいかというふうなことは、これは今、このような立場で、参考人として招致を受けた者としても大事なことではないか、こう思っております。
 そこで私自身、あえて申させていただきますならば、私ども、政治改革に取り組む中におきまして、地方分権というふうなことが大切なことではないか、こういうふうなことも主張してまいりました。すなわち、国会議員は、まさに国政にかかわるというふうなこと、そして、日本の誤りなき進路というものを決めていく、そこに没頭することができるようなそういう仕組みにしていくべきではないか、こんな思いで今日に来たわけでございます。
 そのような中で、今申し上げましたとおりに、このような事態に至ってしまったということは、ざんきにたえない次第でございまして、深く反省をいたしておるところでございます。
横光委員 尾崎容疑者、これだけ多くの金を集めた。そこには、鹿野道彦衆議院議員の元秘書であるという肩書を使ったということは、これはもう紛れもない事実だと思うんですね。そういった意味で、元秘書とはいえ、国会議員としての政治的、道義的、そしてまた社会的な責任、これは免れないと思いますが、いかがお考えですか。
鹿野参考人 御指摘はごもっともの御指摘だと思っております。深く反省をいたしております。そこで、私自身も、このようなことが判明をした段階で、みずから一つの政治的、道義的責任といたしまして、いわゆる民主党という政党を離党させていただいた。
 私にとりましては、あえてこのようなことを申させていただくのは恐縮でございますけれども、政治改革に取り組んできたということは、政権交代を何とかしたいな、こういうふうな気持ちであったわけでございます。それだけに、その政権交代するためには、選挙制度も政党対政党を選ぶ選挙だ、こういうふうなことでございますから、私自身がいわゆる政党を離れるということは、もう本当に私としてはその責任を感じての行動であったと、私自身、そんな思いをしながら、反省の上に立ちて、本当にこのようなことは、無我夢中でやってきたというふうなことは世の中が見えなかったんだな、こんな思いをいたしながら、重ねて反省をいたしておるところでございます。
横光委員 終わります。
津島委員長 これにて横光君の質疑は終了いたしました。
 以上をもちまして鹿野参考人に対する質疑は終了いたしました。
 鹿野参考人は御退席いただいて結構でございます。
 次回は、来る十日午後一時から委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後五時十四分散会


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