衆議院

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第4号 平成14年4月3日(水曜日)

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平成十四年四月三日(水曜日)
    午後一時四分開議
 出席委員
   委員長 田並 胤明君
   理事 小野 晋也君 理事 田中 和徳君
   理事 宮本 一三君 理事 吉田六左エ門君
   理事 今田 保典君 理事 松原  仁君
   理事 遠藤 和良君 理事 山田 正彦君
      岩崎 忠夫君    岩屋  毅君
      大村 秀章君    梶山 弘志君
      左藤  章君    高木  毅君
      谷本 龍哉君    中野  清君
      中本 太衛君    西川 京子君
      堀之内久男君    村上誠一郎君
      谷津 義男君    山本 明彦君
      山本 幸三君    奥田  建君
      小泉 俊明君    後藤  斎君
      鈴木 康友君    津川 祥吾君
      土肥 隆一君    中津川博郷君
      中村 哲治君    前田 雄吉君
      赤羽 一嘉君    塩川 鉄也君
      藤木 洋子君    矢島 恒夫君
      原  陽子君    山内 惠子君
      西川太一郎君
    …………………………………
   参考人
   (東京大学社会情報研究所
   教授)          廣井  脩君
   参考人
   (三宅村商工会副会長)  長谷川一也君
   参考人
   (特別養護老人ホーム三宅
   島あじさいの里理事長)  中里 誠一君
   参考人
   (三宅村農業委員会委員) 西野 直樹君
   衆議院調査局第三特別調査
   室長           柴田 寛治君
    ―――――――――――――
委員の異動
四月三日
 辞任         補欠選任
  津川 祥吾君     中村 哲治君
  塩川 鉄也君     矢島 恒夫君
  菅野 哲雄君     原  陽子君
同日
 辞任         補欠選任
  中村 哲治君     津川 祥吾君
  矢島 恒夫君     塩川 鉄也君
  原  陽子君     菅野 哲雄君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 参考人出頭要求に関する件
 災害対策に関する件


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     ――――◇―――――
田並委員長 これより会議を開きます。
 災害対策に関する件について調査を進めます。
 本日は、参考人として東京大学社会情報研究所教授廣井脩君、三宅村商工会副会長長谷川一也君、特別養護老人ホーム三宅島あじさいの里理事長中里誠一君及び三宅村農業委員会委員西野直樹君に御出席をいただいております。
 この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、大変御多用中にもかかわらず本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。何とぞ忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 まず、廣井参考人、長谷川参考人、中里参考人、西野参考人の順序で、お一人十五分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えいただきたいと存じます。
 なお、念のため申し上げますが、御発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御了承をいただきたいと存じます。
 それでは、廣井参考人にお願いいたします。
廣井参考人 ただいま御紹介いただきました東京大学の廣井でございます。
 昨年の十一月にも本委員会で参考人として意見を述べさせていただきました。そのときには、三宅村が行ったアンケート調査の中間集計の段階で、そのアンケート調査の中間集計の中身を検討しながら、三宅対策として何が必要かという点について意見を述べさせていただいたわけです。しかし、それからもう半年、十二、一、二、三、四と、もう四カ月、五カ月になりますが、状況はほとんど変わっておりません。見方によってはむしろ悪化していると言った方がよろしいかもしれません。
 そこで、三宅村が最終的に十二月にアンケート調査の報告を発表いたしました。それの結果に照らし合わせながら、前回と重複するところもあるかと思いますが、改めて、今、三宅島対策として何が必要かについて意見を述べさせていただきたい、そういうふうに思っております。
 三つの項目についてお話をしていきたいというふうに思います。
 一つは、帰島までの生活支援をどうするかというお話であります。
 それから二つ目は、四月から、ついきのうですね、定期的帰島というのが三宅村で始まりました。その定期的帰島をしながら、家屋の修繕、補修をして来るべき帰島の時期に備える、こういうことですけれども、この定期的帰島について、私、幾つかこうしてほしいというような気持ちもありますので、この点について二番目に述べさせていただきます。
 それから三番目は、いよいよ帰島になったときの住宅の補修、住宅の再建にかかわる問題でありますとか、帰島後もすぐに地域の経済生活がもとに戻るというふうには考えられませんので、その際の生活の支援の話、その三つについてこれからお話をしていきたいと思います。
 まず第一ですけれども、第一の帰島までの生活支援ということですが、先ほど申し上げましたように、十一月にアンケートの中間報告をここで議論させていただきましたけれども、十二月の本当に末ですけれども、集計結果というのが出ました。
 お持ちしました資料のナンバー一とナンバー二に、これは三宅村のホームページに載っておりますが、アンケート結果の概要というのが載っております。これは詳しく御説明することはできませんけれども、ポイントを申し上げますと、まず、集計結果(1)の二番目ですね。昨年の九月に一時帰島がありまして、住民の方が自分の自宅の傷みぐあいを見たわけでありますけれども、かなり傷んでいる、しかし、九月の時点では補修すればまあ住めるだろうという人が多かったわけであります。しかし、それから半年たっております。傷み方は相当にひどくなっているというような話も村民の方から伺っております。
 それから、(2)のところの丸の下から二番目。生活費が不足していると答えた世帯が三五%。その不足額は半数が七万円以下。そして、不足していないと答えた世帯は三七%。つまり、大体三割ちょっとが、生活支援をするとしたならば、その生活支援が必要な世帯割合ではないかというふうに思います。
 それから、次のページ、めくっていただきたいんですけれども、(6)の「復興についての意向」というところが、これは前回もお話ししましたキーポイントでございます。九割の島民が帰島したいと答えてはおりますけれども、そのうちの四割が、生活のめどが立てば帰島する。例えば、家がもとどおり修復される、あるいは生活がもとどおりの生活に近いものになる、そういうような条件があれば帰島するということでありますので、対応を誤れば、人口は半減するというようなことにもなりかねないわけであります。
 これがアンケートの大体の概要です。
 帰島までの生活の支援という第一の問題に戻りますけれども、せんだって、火山噴火予知連絡会の井田先生が、三宅に戻るまでにどのくらい時間がかかるかという点につきまして、一年から一年半、このまま三宅の火山ガスが今までどおり減衰すれば、現在一万トンありますけれども、桜島のような状況に戻るまでに一年から一年半という数字を出しました。しかし、場合によっては、桜島は三宅島よりも山が高いです、それから桜島は陸続きです、三宅島は離島であります、そういう条件を考えて、安全面を見れば、ひょっとしたらもっと時間がかかるかもしれないということであります。早急に帰れるという状況ではありません。
 したがって、今までは生活支援は残念ながらありませんでしたけれども、今後、今からでも遅くないから、やはり生活支援が必要ではないかというふうに思います。
 前回も申し上げましたが、雲仙・普賢岳では、基金を活用して、四人家族で平均一世帯十二万円ですが、毎月継続的な生活支援を行いました。それから、有珠山は、虻田町の単独事業で、四人家族で一カ月大体十四万円の生活支援を行いました。噴火災害は長期化いたしますので、避難を余儀なくされ生計の道を奪われた人たちにとってはやはり継続的な支援が必要なわけですけれども、いずれの噴火災害でも継続的な支援が行われております。
 しかし、御承知のように、三宅島にはそういう手段はありません。これをどうするかということであります。雲仙方式のように基金をつくるか。難しいかもしれません。あるいは、有珠方式のように、市町村の単独事業で生活支援をやって、そして都道府県が全額補助というような形で穴埋めをするか、こういう方法もあります。
 それからもう一つ、国の事業として行う方法はないかなということでございますが、これも前回申し上げましたが、私、災害保護と申し上げました。これは私のアイデアではありませんで、政府のお役人さんのアイデアですけれども、つまり、生活保護の弾力的運用であります。
 生活保護というのは、例えば、生命保険が解約されるとか預貯金はすべて引き出さなければいけないとか、そういうような制約がございます。ところが、三宅の方々は、災害が終わって島に戻れば、余力を持って生活しなければいけないわけであります。したがって、例えば、金融資産はすべて現状のままでよろしい、そのかわり、避難をしている間は一定の継続的な支援をするというような方法も含めて、島を離れている間の生活支援というものをぜひお考えいただきたい、これが第一点であります。
 それから、二番目の定期帰島でありますが、これも今大変深刻であります。二百人、毎週月曜日に帰るというスケジュールであります。村の人たちは帰島を楽しみにしているわけですが、現実には、帰島をする際に一人一万一千円の渡航料金が取られます。島民割引というのがありまして半額になるようでありますが、しかし、一世帯三人までということですので、三人行けば一万五千円。大変つつましく預貯金を取り崩している方々に、渡航するのに費用がかかるというのは、大変な苦痛であります。しかも、定期的な帰島をして、これは日帰りですから、島に滞在する時間は長くて六時間ぐらい、家の修繕をするために帰島をするわけですが、しかし、現実にはそれができないということであります。
 一年から一年半というのを見ますと、将来的に考えれば、帰島を頻繁に繰り返すということと、島に滞在する時間をできるだけ長くするということが必要であります。
 そのためにはどうするかでありますが、例えばクリーンハウスを村民用につくるというようなことも一つですし、それから、六月段階、三宅噴火が始まった初期のころにホテルシップというものがありました。夜中に島民の方々に船に泊まっていただく、そして朝、船からまた島に戻っていろいろ仕事をしていただく、こんな方法だって実際に三宅島ではやっているわけですから、できないことはないんではないだろうか。
 つまり、定期的帰島をするときの支援というのもこれから考えていかなければいけない。だんだん滞在時間を延ばしていくという努力が必要ではないかなと思います。
 それから三番目は、帰島後の生活の問題であります。
 先ほども申し上げましたけれども、住民の方々の家屋の傷みというのは相当なものであります。補修するとしたら、これには相当な費用がかかります。JAの建更にお入りになっている方も少なくないということですので、そこから費用が出るかもしれませんけれども、その費用も恐らく全額を賄うというふうにはならないに違いありません。島が今までどおり復興するためには、市民の自宅の傷みをどういうふうにして補てんをしていくかというのが大変大きな問題であります。
 実は島原では、警戒区域というのが設定されたときに、やはり住民の方、自宅に戻れません。家屋が傷みました。立ち枯れ資金ということで、基金から一軒当たり三百五十万円のお金を出しました。それから、有珠では、義援金をプールしておきまして、義援金で全壊世帯に五百万円という費用を出しました。
 三宅はそれができるかということですが、残念ながら三宅の場合には、生活再建支援金はもう支給されてしまいました。それから、資料のところにありますが、後でごらんいただきたいと思いますけれども、義援金もほとんど配分が終わっております。つまり、生活支援金や義援金は、実は、島に戻って生活を再建するために本来は使うべきであります。しかし、もうそれがほとんど底をついている。
 そうしますと、島に戻って地域を再建するのは、住宅の再建と地域の再建は非常に密接に結びついておりますが、住宅を再建する原資は一体どこにあるんだろうか、また大変大きな問題であります。
 鳥取県西部地震のときの鳥取県知事のように、住宅修繕費として三百万円をぽんと知事さんは公費をお出しになりました。ひょっとしたらそんな対策が必要かもわからないということで、帰島した後の住宅を中心とした生活支援の問題も大変大きい。今から帰島後のプログラムを考えておかなければいけない、そんなふうに思います。
 以上です。(拍手)
田並委員長 ありがとうございました。
 次に、三宅村商工会副会長長谷川一也君にお願いいたします。
長谷川参考人 三宅村商工会副会長の長谷川と申します。どうかよろしくお願いいたします。
 私どもの避難生活も現在、一年七カ月が過ぎようとしております。この間、国におかれましては、三宅島火山活動に対しまして多大なる御尽力と御支援をいただいております。
 特に商工業者への支援といたしましては、既往債務に対する利子補給、災害貸し付けに対する利子補給、据置措置の延長、雇用調整助成金の特例措置の延長等は画期的な施策として大変ありがたく、この場をおかりし御礼を申し上げる次第でございます。
 また、本日、私どもの真の意見を直接お話しできる場としてこの場に出席依頼をいただきましたことは、委員の皆様を初め関係された皆様の多大なる御尽力があったことと存じます。改めて御礼を申し上げます。
 このような場で私の意見陳述としてすべてをお話しすることは、到底できるとは考えておりませんが、どうか、今後の噴火災害における長期避難が続く三宅島商工業者の意見としてお酌み取りいただき、今後、さらなる御支援をいただきたくお願いを申し上げる次第でございます。
 さて、簡単に現在の三宅島商工業者の現況をお話しさせていただきますと、商工会の調べでは、噴火発生当時、NTT、東京電力等、大手企業の支店を含めまして、三宅島には三百四十余りの商工業者がおりました。
 この中で、避難後も事業を継続している者、長期化に伴い事業を再開した者を合わせまして、現在、約二六%の商工業者が避難生活の中で事業を行っております。中身は、建設関係事業と遊渡船業が漁業に従事している者並びにこちらに本店を所有している事業所がその中心であります。
 そして、その他の約七四%の事業所につきましては、島でなければ設備的にも環境的にも資金的にも事業を再開することができず、事業収入はゼロであり、義援金やこれまでの蓄えを取り崩しながらの生活を強いられております。
 特に、高齢者の人たちは、年金、東京都の雇用対策事業、シルバー人材センターでの雇用等で生活している状況であり、また若い人たちはアルバイトの生活設計を余儀なくされている状況で、事業を再開している者、事業再開に至らない者、それぞれさまざまな環境下で非常に厳しい避難生活を送っていることは申し上げるまでもないことと存じます。
 また、島内の現況を見詰めたとき、三宅島では五百人に達する復旧関係者が常駐しながら作業を続けております。もちろん、宿泊所はクリーンルーム、作業にはガスマスク、警報装置を持つなど、最大限に安全を図った上での夜間常駐、復旧作業ではございますが、このような中にも、何とか段階的に三宅島島民の帰島ができないものかと考えるものでございます。
 現在、東京都を中心に、三宅島復旧に対しての大きな予算が計上され、事業が進められております。本来、復旧事業の意味は、もちろん、災害に遭った地域とその住民が災害前の姿に立ち戻ることでありますが、復旧事業を通してその地域の経済が潤うことも大変大きな要素であると考えられます。しかし、三宅島においては、全島民の避難により、現在、この復旧関係の予算がほとんどと言ってよいほど島の経済に反映しない状態となっております。これでは、将来的に島民の帰島がかなったとしても、大きなマイナスからのスタートである商工業者には、マイナスをゼロに戻すことさえできない状態となってしまうことと危惧いたします。
 島民の帰島に関しては、その大前提に安全性ということがございますが、現在、復旧作業員が島内のクリーンルームや近隣の島で宿泊しながら作業をしているのを、島内の既存の民宿やホテル、旅館等を活用し行うことができれば、現在、非常に厳しい労働環境下に置かれている復旧作業員の生活の改善にもなり、復旧作業体制も拡大し、商店や飲食店等も再開でき、島の経済に大きなプラス効果があらわれるものと確信するものでございます。
 この状況下で三宅島の商工業者の復興は、とにかく一日でも早く全島民が帰島することを切に願っておりますが、いまだなお続いている火山ガスの噴出、これが障害となっている以上、早期帰島という思いは、時期尚早とおしかりを受けるかもしれませんが、現時点ではこれが今後の三宅島の早期復興に向けた一つの案ではないかと考えられます。また、全島民の早期帰島へ向けての施策として、火山ガスと共生する対策が急務であると考えられますので、御理解をいただきたいと存じます。
 今まで申し上げたことは、とにかく早期に島に帰りたい、島に帰ることが三宅島復興への最大の近道であると思うことからお話をさせていただきましたが、長期的な三宅島復興を考えた場合には、私は、この災害の復興支援には三段階での考え方が必要であると考えます。
 まず第一段階としては、現在置かれている諸問題であります。
 これは、一般住民も同様な部分でありますが、生活に対する支援策であり、具体的には経済的な支援であります。特に自営業者や高齢者などの経済的に苦しい環境に置かれている者には、避難生活に際し経済的な安心感を与えられる個人への施策が必要であり、このことは急務であり、具体的には、継続的な災害には、すべての面で継続的に支援、援助のできるような災害に対する新たな法律の制定、あるいは現行法の改正が望まれるところであり、取り急ぎは三宅島災害に対しての時限立法をも視野に入れて、対応をお願いしたいと考える次第であります。
 次に、商工業者等自営業者への支援策としては、現在実施されている既往債務に対する利子補給の継続です。年度ごとの予算という背景もございましょうが、とにかく島に戻れるまで、さらには島に戻って本来の事業が軌道に乗るまでという期限を明確にした実施が望まれるところです。
 加えまして、災害融資の利子補給、災害貸し付けの貸し出し条件の緩和、返済期間の延長等も重要な支援策であると考えます。
 次に、三宅島に残してきた財産の保全です。
 現在でも、我々の財産は日一日と傷んでおります。長期化すれば、営業用資機材はもちろんのこと、家屋までが使用できなくなるということが現実として考えられます。
 昨年、短時間の一時帰宅が実施され、今年度もきのうを第一陣として定期的な一時帰宅が実施されるようになりますが、これとて、示されている渡島手段から見ますと、恐らく一年に数回程度しか願いはかなえられないものと推測し、まして費用については自己負担ということを考えれば、経済的に苦しい避難生活の中にあり、行きたくても行けない者が出ることでしょう。何とか住民の定期的な帰島を目的とした定期船運航に対する支援をいただき、ある程度自由に、そして経済的な負担を最小限に抑えた上で、島への立ち入りが可能にならないものかと考えます。
 第二段階としては、帰島がかなって、噴火前と同様に事業が再開できるまでの環境づくりであります。
 大半の商工業者は、帰島がかなってもすぐに収入の道が開けることはないでしょう。特に、事業再開に向けた資金が大きな問題となってきます。もちろん、この段階での充実した災害融資制度と利子補給等の支援策も望まれますが、大部分の商工業者には、再開に向けて投入する資金的な余裕を持った者はなく、避難前に投資した営業設備や在庫商品の借金に、全く同じ設備の導入や商品の仕入れを行うための借金を重ねなければならないという事態が多く発生するはずです。
 これらを考えますと、事業再開に当たっては、残してきた在庫商品の公的資金での買い取りであるとか、同様の設備導入に対しての公的な資金面での対策、あわせまして、新規開業者、起業家に対する支援策も必要であろうと考えます。
 第三段階は、三宅島商工業の復興に向けた施策であり、あわせまして地域住民の雇用の場の確保であります。これは、三宅村行政全体の復興ビジョンにも大きくかかわることでございますが、島内の発展と再建には、商工会を初めとした各種団体の充実が不可欠であり、このためには行政、住民、各種経済団体等が一体となり、三宅島の将来を見据えた対策が必要であろうと考えます。
 これには、地域経済団体や関係団体のさらなる組織強化と人材育成が求められるものであり、新たな産業おこしも必要であると考えます。このことは、帰島できてからでは遅く、現在から継続して行っていかなければならないものと考えます。
 しかしながら、現実の今を直視してみますと、どの団体も非常に弱体化し始めております。これまでの組織上の問題点も一方にはあろうかと思いますが、何といっても、現在の環境下で、いろいろな組織がその運営に非常に苦慮していることが心配です。これは、何と申しましても、その組織を運営し、活動を行う財源の問題であろうと考えられます。
 商工会のことで申し上げれば、会の運営費用はその構成する会員の会費や手数料をもって充てておりますが、現在のような状況下では、会費等の収入財源を確保することができない状況であり、このまま避難の長期化が進めば、避難中においての事業活動に大きな支障を来すだけではなく、その存続さえ危ぶまれ、他の団体のことも含め、このことは将来の三宅島復興にとって大きなマイナスとなることは明白であり、この点の各種団体への経常経費の支援に関しましても十分考慮をしていただきたいと願っております。
 次に、三宅島の復興対策、雇用の拡大を考えた場合、種々の産業再建施策が必要不可欠でありますが、その中で、まず一つの手段として、公共事業の必要性が挙げられると思います。先ほども申し上げましたが、本来であれば、既に復旧関係事業を通じ、地域経済の復興がなされるはずのところ、現下ではこのようなシステムになっておりません。数年すると復旧事業も必ずや終了を迎えます。しかし、三宅島にとって真の復興は、住民が島に戻ることができたときから発生するものであり、雇用の場の見通しがつかなければ島に戻れない住民も出てしまうのではないかと危惧しております。島を復興するのは経済であり、人です。避難してきた住民が安心して島に戻れるための収入の道として、また地域経済の全体を見据えたところで、公共事業は復興に向け非常に大きな役割を持っているものと考えます。
 取りとめもなくお話をさせていただきましたが、現在置かれている私どもの環境、そして将来の三宅島復興を見据えたとき、我々にとっては自分たちの手では解決できない困難が山積しております。地域の浮沈は地域商工業者が大きなウエートを占めていると言っても過言ではありません。どうか、このようなことを踏まえ、三宅島災害全体に関してはもちろんのこと、商工業者の復興に向けましても、新たな立法、現行法の改正等も最大限に考慮をいただき、これまで以上に皆様に取り組んでいただきたく、この場をおかりしまして厚かましいお願いを申し上げ、私の意見陳述とさせていただきます。
 ありがとうございました。(拍手)
田並委員長 ありがとうございました。
 続きまして、特別養護老人ホーム三宅島あじさいの里理事長中里誠一君にお願いいたします。
中里参考人 特別養護老人ホーム理事長の中里でございます。
 噴火災害の折には、先生方また各関係機関の方々には、大変温かいお心のもとに、私ども五十名のお年寄り、けが一つなく、各地の老人ホームに預かっていただいたという経緯については、心から厚く御礼を申し上げます。また、私どものような、島民一人の意見としてこの場をかりて申し述べさせていただくこと、これまた大変ありがたく、心から感謝を申し上げる次第でございます。
 まず、意見を申し上げる前に、委員長、お許しをいただきたいんですが、よろしゅうございますか。
田並委員長 はい。
中里参考人 二点あります。原稿の一番と二番を割愛させていただくことをお許し願えますか。
田並委員長 はい、結構です。
中里参考人 それでは、委員長のお許しを得て……
田並委員長 ということは、三ページ目のアラビア数字の三から。
中里参考人 そうです。三ページ目の三番からやらせていただきます。
田並委員長 はい、どうぞ。
中里参考人 島外避難後の対応及び処遇についてを申し上げます。
 入所者は、現在、都内二十二カ所の老人福祉施設に入所することができました。なれない都会生活の中で、いろいろな面で不安を隠せないことも見受けられました。当初は、これほど避難生活が継続するということをだれも考えておりませんでした。
 要点だけ御説明します。その後、当施設は利用者が不在となり、従来の事業継続は不可能となったということでございます。事業の休止に至ったわけでございますが、施設の休止に伴い、職員の処遇、そのあり方に困り、東京都また関係機関にるる協議を重ねていただき、再開を考慮しながらも、在籍職員を確保するために解雇することもできないという現状がありました。その対応に苦慮いたしました。
 その結果、とりあえず二十二カ所に分散をしているお年寄りに対して、心のケアが必要だろうということで、全職員、この施設に訪問実施をしたということでございます。その際、年寄りは大変安心をしまして、私どもの職員が回るのを心から待っていたという現状があります。
 当初、私どもには五十五名の職員がおりましたが、やがて半数近くの職員がやめていってしまったという現状もあります。個別訪問相談事業を実施し、なれない都会生活で不安の解消と心身の苦痛を少しでも和らげようと、私ども、この事業に携わっていただきました。東京都及び国、また関係機関のさらなる御援助のもとにこの事業を再開したという次第でございます。基本的には、私ども特養ホームというものは、介護保険制度のもとでは利用者がいないということについては収入が皆無でございます。村の福祉課の方々あるいは村の村長さん、また村の議会の方々にいろいろ御協力、御支援をいただいて今日まで開いてきたわけですが、ここに来て、先般、東京都の方から、職員の削減を見直したらどうか、こういうことで私のところに通達を受けたわけでございます。
 そこで、私ども、三宅島では唯一の老人ホーム、また、三宅村の村の中でも私どもが福祉の拠点として八年間やってきた実績、村の約三〇%の高齢者の数を見ると約千人の方が待機しているわけでございます。いずれにせよ、私どものホームは五十人という定員でございますので、今後、この千人の方々を東京都内に避難をさせておる中、また、万が一帰島された場合、ホームの再開ができるのであろうかということについて、大変私は苦慮しているところでございます。
 今まで、それでなくても国や都のおかげで、離島という離れたところで都内と同じような福祉サービスをしなきゃならぬなという非常に苦しい場面もありましたが、その都度、国、東京都の先生方にいろいろ相談を申し上げて、できる限りのことをさせていただいたというのが現状でございます。
 ただ、現在、噴火という一つの災害を機に、復興ということのみの方に重点が何か置かれているような気がして、議会の中では一部発言があったようではございますが、私ども、何となく心もとないなというのが現状でございます。
 そこで、将来、この三宅島の千人からのお年寄りをどうするかという立場から、私ども、三宅に帰ったときに果たしてホームが使えるのであろうか、これについては、先般、三宅村の財政また三宅村の総務課、それらの方々から、とにかく三宅に帰った場合には特養ホームの復興に際してはどうにかしようという力強い御意見もいただいております。ただしかし、御承知のとおり、三宅村の一般財源というものは四十億足らずということで、私どもの方にどれだけの支援がいただけるのか、それが私の立場としては大変困っておるところでございます。
 そこで、一つ先生方にお願いがあります。伊豆七島の年寄りの数、恐らく二七、八%ではなかろうか、二万数千人の中の二七、八%ということになりますと、相当な数になると思います。三宅だけで約千人。そこで、どうかひとつ、東京都内の近郊で結構でございますから、もし三宅に帰るめどが長期化された場合には、現在の千人のお年寄り、御承知のとおり、介護保険の中では一から五段階あるわけですが、四、五の人たちについてはほとんど在宅介護は不可能ということで、少なくともベッド百床ぐらいのものをどこか東京都内につくっていただいて、伊豆七島のお年寄りにそこに入っていただくというようなことがもしできるならば大変ありがたいな、私はこの場をかりて、特にそのことについてお願いをしていきたい、このように考えております。
 以上です。(拍手)
田並委員長 ありがとうございました。
 続きまして、三宅村農業委員会委員西野直樹君にお願いいたします。
西野参考人 三宅で農業委員会をやっています西野直樹と申します。
 まず最初に、三宅島の噴火前の農業の状態と、次に噴火後の状態、そしてそれを踏まえて農業委員会の方で検討されました内容を主にお話しいたします。その後に、個人的に思うことなどを述べさせていただきます。
 まず、噴火前の三宅島の農業なんですが、資料四から七を参照していただければいいかと思います。一応内容的に、主には換金作物としまして二つありまして、一つは、六十代から七十代の高齢の方が露地で栽培している伊豆諸島特産のアシタバという野菜です。それともう一つが、五十代から六十代の中堅の農家の方が施設で栽培しているレザーファンというような観葉植物があります。その二つが大きな基幹作物となっております。三宅島全体では約七億程度の売り上げ、農産物の生産額でして、それ以外には、自家用消費ということで多くの方が農作物をつくっておりました。
 噴火後の状況につきましては、昨年の十一月に農業委員会で現地の農地視察を行いました。その内容としましては、火山灰の影響と火山ガスの影響、その二つがあるのですが、火山灰につきましては、全島一様に被災を受けておりまして、営農再開には、降灰の除去、あと土壌改良剤の投入等がなければ農業は再開できないというような状況になっておりました。泥流等の被害の多い場所も、地域によってはございます。
 基幹作物のアシタバにつきましては、火山ガスの影響はそれほどなく、成育はしているんですが、栽培再開となりますと、やはり農地の更新と種をまたまき直すという作業が前提となります。
 レザーファンにつきましては、火山ガスの影響を非常に受けやすく、一部を除きまして、ほぼ島の中のものが全滅という状態で、営農再開につきましては、新規に苗を導入し、植えかえなければいけないというような形になっております。
 島ですと、季節風の影響で、特に島の北東部、南西部につきましては非常に火山ガスの影響を強く受けておりまして、農作物だけじゃなく、植生についても甚大な被害が出ているという状況になっております。
 地区によりましては、竹とか在来の植物の混入で農地の荒廃が進んでおりました。あと一、二年、もしそのままにしておくということになりますと、農地として使用できない、農地の形をとどめないほどの荒廃が進む、そういった状況がかなり出てくるものと思われます。
 パイプハウス等、栽培の施設につきましては、火山ガスの影響でほぼ全島のパイプハウスが使用不可能という形になっておりまして、営農再開については全棟建てかえ、新設という作業が前提となるというような形になっております。
 以上の状況を含めまして、農業委員会の方で課題を検討しまして、協議しまして、村の方に建議をいたしました。その内容を説明いたします。
 資料の十二から十四に掲げておりますが、八項目挙げております。
 その中の一、二、三につきましては、帰島前避難中の課題としまして、農業の復興復旧の計画を農家に知らせるように、情報公開するようにということを求めております。それに伴いまして、農家と行政とか関係機関の意見交換の場というのもぜひ持っていかなきゃいけないというふうに要望しております。それと、一般の農家につきましても、やはり避難解除前に現地の農地を視察して、現況を把握しておく必要があるというふうに考えております。
 あと、四番、五番、六番につきましては、内容的には、降灰、泥流の除去、竹等の伐根、土壌改良剤の投入、パイプハウスの撤去、新設、そういった作業を補助事業として適用していただきたい、その作業に当たっては当面の収入を断たれている農家を雇用していただきたいというふうに要望しております。
 七番目につきましては、これは農業用水についてですが、農業用水は甚大な被害を受けて使用不可能になっているところもございますので、帰島前に農業用水の供給ができる体制を整えてほしいというふうに要望しております。
 第八点目、最後としましては、現在島に残っている農作物も、母株として使えるものについては管理を図り、増殖等を図っていく必要があるということを述べております。
 以上が、農業委員会の建議の中で話されたことです。私が個人として思うことなんですが、農業自体が噴火前からかなり厳しい状況でして、市場低迷とかで経営的にも苦しい中であったのですが、この噴火を経て、ついに帰って降灰を取って農地を復元して、施設を撤去して施設を建てて苗を導入する、こういったことを自己資本でやるとなると、営農再開というのはほぼ不可能というのが現状だと思います。やはりこれについては、補助事業という形で手厚く支援していただきたいというふうに要望いたします。
 それと、中堅の農家の中には、帰島に際しましては収入のめどが立たなければ農業を再開するということはあきらめて、帰島もやめようかというようなことを言う者さえおる中です。ですから、帰島の前に、農業の復旧復興作業の中で所得が得られるんだ、そういう計画を示すことが、やはり農家の営農再開の気持ちを後押しするものとして、そういう形としてきちっと示しておくということが必要ではないかなと思っております。
 個人の農地、施設ということなんですが、災害前の状態に戻すまでは、やはり災害復旧の中の事業として考えていただいて、農家自体に極力負担がかからない、さらには、それをしながら所得も得られていくんだというふうな仕組みをつくっていただきたいなと思います。
 前回の五十八年の噴火のときには、降灰を取るという降灰除去事業を地元の土木建設業者が受けまして、それを農家が仕事をしていくという中で所得を得ていたのですが、今回も同様な形、特に土木関係業者がやる農業復旧はあるのですが、それ以外に、例えば人力でできる降灰除去ですとかパイプハウスの撤去、設置といった仕事については農協等の団体に農業災害復興事業をおろして、そこが主体となって、そのもとで農家が主体的に復興作業をしながら所得を得ることができる、そういう形をつくっていただきたいなというふうに考えております。
 あともう一点は、個人の従来の土地に建てるという形でない形としまして、泥流等でもう農地が使えない農家もありますし、火山ガスの影響で、帰島後も作物の栽培に支障を来すおそれのある場所もございます。そういった地域の農家とか、また年齢的、経済的に再投資をすることが非常に困難な農家というものに対しましては、公共の農地、公共の園芸施設、そういったものをつくりまして、そこでリース形式という形で営農再開ができる、そういう形の事業についてもよろしく取り組んでいただきたいというふうに考えております。
 以上で終わります。ありがとうございました。(拍手)
田並委員長 ありがとうございました。
 以上で四名の方の参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
田並委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。左藤章君。
左藤委員 自由民主党の左藤章でございます。
 四人の参考人の方々、お忙しいところを本当に御苦労さまでございます。心から感謝を申し上げたいと思います。
 まず、一昨年の六月から始まった三宅島の大噴火、一日も早く終息をしていただきたい。島民の方、本当に心身ともにお疲れになっていることだろうし、大変なことだと思いますし、復旧作業に当たられている方々にも本当に大変な御努力だろうと心から敬意を表したいと思います。
 それでは、ひとつ参考人の方に質問をさせていただきたいと思います。まず、アンケートをとっていただいた廣井先生に、ひとつよろしくお願いを申し上げたいと思います。
 先生のこのアンケートを見させていただくと、就労者が三六%から五一%にふえているということでございますが、まだ残念ながら四百人は求職者であるということでございます。大体そういう人は三宅島で今まで仕事をなさっていた方、それが東京都内、それから近辺に来て、仕事を探している、また、探して仕事をしているということになりますけれども、これは前の仕事と全然、因果関係というのを含めて、どのような状況にあって、なおかつ、失礼な言い方ですけれども、世間並みの給料といいますかをいただいてやっておられるのかどうか、その辺はひとつ、どうでしょうか。
廣井参考人 東京都のホームページ等々に求職情報が載っております。それを拝見しますと、大体、単純な土木作業的なものが多いということが一つと、時給、日給が圧倒的に多いです。
 一つ大きな問題なのは、年齢制限がありまして、例えば三十から五十ぐらいまでとかいうのは結構多いんですけれども、高齢者の方々は、仕事をしたくても仕事がない。求職情報はあるんですが範囲外になってしまうということで、結局、高齢者の方が就職ができないというのが多いですし、それから、島にいたときと同じ仕事ができるのは、かなり幸運な方ではないだろうかというふうに思います。
左藤委員 ということは、やはり高齢者の方がかなり窮屈な思いをしておられるということになりますね。
 先ほど、商工会の長谷川さんからもお話がありましたけれども、商工会の方でも、三宅島の中での高齢化率といいますか、何か先ほどお話がありましたが、全体では千人ぐらいの方が高齢者ということですが、商工業者としての高齢者というのはどの程度の方がおられて、それが今東京都内、近辺に来られて、どのような仕事になっているか、把握できていませんでしょうか。
長谷川参考人 高齢化率は、先ほど中里理事長さんからおっしゃられたとおり、約三割だと認識しております。
 それと、お仕事の方なんですが、先ほどお話ししたとおり、建設関係者は三宅島の復旧作業、それと遊渡船事業者は、下田ですとか向こうに行きまして、漁業を営んでおります。あとにつきましては、それぞれ関係ないところで、アルバイトですとか、全然今までと関連ないような仕事をしているというのが現況でございます。
左藤委員 今、土木関係者の方が復旧作業に携わってなさっていることを聞いて、地元でやっているんだなということで、ちょっと一安心をしまして、やはり、先ほどお話がありました、地元の仕事を地元の方がやっていただくということが、経済的な発展だけじゃなくて、復旧作業に本当に力も入るだろうし、いろいろな面でのよさというのがあるんじゃないか、こんなふうに、そのお話を聞かせていただいてほっとしております。
 それで、また廣井先生にお尋ねを申し上げたいと思うんですが、生活費が不足している方が約三五%ということでございます。大体、不足額が半数が七万円以下であったということで、僕らに言わせると、非常に謙虚な方々のお集まりだな、本当にすごいありがたい人たちの集団だな、こういうように思います。
 しかし、実際はそのぐらいのお金は何とか工面をしなきゃならない。先生のお話、十一月のときもあったと思いますが、生活保護法じゃなくて、何か別なそういう普通の、自分が悪くて生活が逼迫しているわけじゃないものですから、やはりおっしゃった、特別に、災害特別法なんか云々というお話もありましたけれども、これについて先生はどのように思われますか。
廣井参考人 私も被災者の方のお宅へお邪魔していろいろ話をお伺いしたことがありますが、非常につましく生活をしております。ですから、切り詰めて切り詰めて生活をしております。つまり、本当につましく生活しても足りないのがこれくらいの金額だ、そういうふうにお考えいただきたいというふうに思います。
 実は、雲仙・普賢岳の災害では食事供与事業というのをやりましたけれども、これはなぜかといいますと、農家が大変多くて、もし就労あっせん等々を行いますと、農家の後継者がいなくなってしまうというような配慮がありまして、島原市内にとどまってほしいという意味で食事供与事業を行ったと国のお役人さんから聞いております。
 それから、有珠の場合は、観光業者の方が圧倒的に多いですから、むしろ現金支給等々をするよりも就労あっせんをするんだということだったようです。しかし、やはり高齢化社会の進展が著しいですから、結局、有珠山の場合も、就職率が大変低くなりました。結局、そういうことで、虻田町の単独事業として現金支給というのを行ったわけであります。
 状況は全く同じでありまして、東京都の場合も基本的には就労あっせんでいく、こういう原則を貫いております。もちろん、若い人たち、働けるのに働かないというのはいいことではありませんから、そういう方々には就労あっせんは当然必要でありますけれども、働きたくても働けない高齢者の方々が一方ではいるわけですから、そういう方々にはやはり生活支援、二本立てでいくのがよろしいんではないかなと。
 ここにありますように、生活支援を必要としている方は大体三〇%ぐらいじゃないかというふうに私も思います。本当に簡単な試算ですが、一世帯月十万円を支給するといたします。そうしますと、年間経費が七千万円です。その程度の経費で、支援を必要としている方々の支援ができるわけですから、ぜひやっていただきたいというのが私の希望であります。
左藤委員 約七千万という試算でございまして、本当にそのとおりかと思います。これはやはり、先生おっしゃったように、義援金とか特別基金というものを考えてのお話でしょうか。
廣井参考人 いえ、違います。義援金は、全国の国民の善意で寄せられているわけです。実は、いろいろな災害で義援金の多寡が違います。雲仙や奥尻の場合は相当に義援金が集まりましたので、義援金を生活支援に充てるということは可能でした。しかし、有珠も三宅もせいぜい二十億ぐらいであります。時々の状況によって左右される。
 原則的に考えますと、国の防災対策を、特に噴火災害のように長期化した災害に対する生活支援を義援金に頼っていいのか、もっと根本的に国として対応する必要があるんじゃないだろうか、そういうふうに思っています。ですから、私が申し上げる生活支援というのは、国ないし村ないし都が行う、そういう生活支援というふうにお考えいただきたいと思います。
左藤委員 ありがとうございます。
 本当にそのとおりだなと思います。しっかりと国として対策を打たないと、これはなかなか前へ行かない、本当に大事なことだと私は思います。
 そこで、ほとんどの方が帰島をお望みになっている。心のふるさと、現実、ふるさとだろうと思いますし、それだけの、自然に非常に恵まれたいい場所なんですけれども、そこで、ちょっと老人ホームの件で、あじさいの里の中里さんに質問をさせていただきます。
 五十名の方が入っておられまして、今、何カ所かに分かれてケアされていると思いますけれども、自然の中でずっと老人ホームにおられた方がほとんど東京都内におられて、精神的な、メンタル的なものはどうなんだろうか。そして、皆さん方、職員の方が行かれて、いろいろケアをしていただいておりますけれども、それについての費用、かなり時間とお金もかかりながらやっているんだと私は心配をするんですが、その辺はいかがなんでございますか。
中里参考人 先ほど私もこの資料を簡単に御説明したんですが、そのことについて、実は私も引き揚げてきて、一体全体、介護保険のもとでは、介護をする人がいないということになりますと、先ほど申し上げたように、収入がないということで、役場の、現在、総務課長をやっておられます彼が財政課長の折、また、それぞれ部下の方に実情を話したところ、一応役場と東京都で事業を起こすから、今、先生がおっしゃったように、各施設に二ないし三名ずつ入っております、その人たちは、なれない同僚というかお年寄り同士で、一時はノイローゼになって死んでしまうんじゃないかな、自殺でもしちゃうんじゃないかな、こういうふうに危惧しまして、私ども、五十五名の職員を、申し上げたように、役場と東京都と事業を起こしていただいて、実は一年半、心のケアをやってきたわけです。
 ところが、急遽、平成十四年度の予算について、東京都の考え方としては、心のケアは、恐らく介護保険なんだから、入っている先のいわゆる特別養護老人ホームに介護料が入るはずで、それはそこで心のケアをするべきだということで、この予算についてはだめだよ、こういうことになったわけです。
 それで、実は先月、急遽、職員の削減ということで、約八名しか私どものホームに残りません。あとの方々は、それぞれ選択肢を持っていろいろなところに、いわゆる臨時雇用あるいは正職員として散り散りに散っていったというのが私どものホームの現状でございます。
 そこで心配なのは、先生御指摘のとおり、今後三宅に帰って、一応帰れた場合には、お年寄りが三宅のホームには五十人しか入れない。そこであとの人たちは、一体だれを頼りに自分の老後を過ごすのかなと。私は父も母も自分でみとったわけですが、在宅介護というのは非常に大変で、先行きこのことについて、村長さんなりしかるべき関係機関の方々に相談申し上げて、老人ホームの増設を図りたいなと。
 それから、先ほど申し上げましたように、もし長期に帰れなければ、今、先生が御心配になっておられる、心のケアと同時に身体のケアを一緒にやるべく、都内のどこでも結構でございますから、五十床ぐらいの、あるいは百床ぐらいのベッドをつくっていただいて、私どもの職員をその職場に利用して、伊豆七島の人たちをそこに置いて面倒を見たいな、こんなふうに考えておるところでございます。
 以上です。
左藤委員 ありがとうございました。
 ちょっと驚きました。八名しかお残りになっていないというのは、非常に残酷かなと、というのは、お年寄りにとっては非常に残酷な話じゃないかな。やはりふるさとの話、三宅島の今の現況も聞きたいだろうし、一時帰宅した人たちの話も聞きたいだろうし、そうすると、八名しかいないと、その五十名はどうやってケアするのかと不安になりながら聞かせていただきました。これはやはり、いろいろな面で大きな問題が残されているんじゃないかな、このように思います。確かに、人為的に言うとそうかもしれませんけれども、天災でやられている方々ですから、やはりその辺はしっかりと行政が考え直さなきゃならないんじゃないかと、ふと今思いました。
 その次に、商工会とか農業の方でもなんですが、やはり今まだ、きのうも一時帰宅をなさった、百七十九名だったと思いますが、の方がお帰りになって、先生がおっしゃった、船で一泊してというふうなことも考えなきゃならない大事なことだろうと思いますが、そういう人たちが、行ってもすぐ帰らなきゃならない。
 そういうことをすると、現実問題、復興といってもそう簡単に、今道路とかライフラインはそこそこ来ているようになって、あと二カ所ぐらいまだ道路関係の工事は残っているようですけれども、皆さん方の商売をしている家とか一般の住居とか、そういうものをこうやって直すということは大変なことだろうと思うんですね。特に御商売をしている方は、商品というのがもう使えなくなったり、食べ物は当然腐るわけですけれども、農業のものも、商品が、田んぼでもそうですけれども、何年も休耕すると使えなくなる。まして泥流でこうなってしまうということは、大変なことになると思います。
 これについて、先ほどもお話は聞きましたけれども、まず商工会の皆さん方の、連絡をとりながらやっておると思いますけれども、今の借金とかそういうものは利息の問題とか支援をしていますけれども、先ほどお話があった、立ち上げるとき、準備金、そして支度金と言っていいのでしょうか、それについては商工会の皆さん方は一件当たりどのくらいお思いになったりするんでしょうか。
 また、それについて、廣井先生からもひとつ御意見を賜ればありがたいな、こう思います。
長谷川参考人 先ほども御説明させていただいたんですが、三宅島の方の、先ほど廣井先生の方からもお話があったんですが、井田先生の方からのお話で、約一年から一年半をめどにしておるという話を聞いたんですが、先ほど私の方で申し上げたとおり、準備期間、これはやはり一年ぐらい私どもが向こうに戻って復興していくのにかかると思うんですよ。
 その意味で、今一時帰島の面で日帰りということですから、この辺のことを、それぞれの事業所のメンテナンスを考えた場合、向こうで一週間程度それぞれ常駐して、三宅島の方は五つの地域に大体分かれておりますので、それぞれの地域にある程度クリーンハウス等を住民のためにつくっていただいて、復興の準備を進めることがまず一番大事じゃないのかなと考えております。
 それと、先ほどの事業の再開の方について、また金額的なものは、それぞれの事業所、今現在抱えている借入金等もございまして、立場は違うんですが、これはやはりそれぞれの立場で考えていくこととは思いますが、できるだけの御配慮をいただきたいなと考えております。
廣井参考人 私は自営業の方々の話はちょっとわかりかねますが、例えば、住民のお宅とかあるいは店舗兼用住宅について考えますと、いろいろお話を聞きますと、シロアリの被害が大変ひどいというふうに聞いております。
 ところが、シロアリの被害は地震保険からも住宅総合保険からも支給されません。もちろん、噴火に伴う土石流や噴石等々で傷んだものは地震保険の対象になります。ところが、シロアリの場合は、どうもそういう保険の対象にはならないという話を聞いております。ですから、自力で何とかしなければいけない。
 ところが、現状では、みすみす家がシロアリに食い荒らされていくのを座視しているということでありますので、やはり一時帰島の、だんだんだんだん帰島時期を延ばしていくというようなプログラムはぜひ必要じゃないかと思っています。
左藤委員 ありがとうございます。
 もう時間ですので、最後にもう一度、済みません、西野さんに、今の件なんですけれども、そういう農家の方々、泥流とか非常にやられて、耕作地がもうだめになっているわけですけれども、これについて、同じような、一年から一年半にもし決まるということになりますと、その間にも準備をしながら排除したり、ちょっといろいろやったりせなあかん、こういうことになると思います。
 これについて、皆さんの仲間たちのお考え、また決意というのはどんなものでしょうか。ひとつお答えしていただければありがたいと思います。
西野参考人 園芸仲間とも話をするんですが、現時点では、中堅、私たちの年代の農家は、子供も抱え、かなりお金の要る時期であるということで、仕事について、結構時間的にも長時間な仕事についちゃっていますので、島の将来についてどうしていくかというよりも、現在の、今の仕事できゅうきゅう、何といいますか追われているというような感じが多いです。
 島へ帰ってからの復興なんですが、一つには、島に避難解除になる前に農業復興していけばどうかという意見もあるんですが、また同時に、帰島のめどが立たないうちに農地の復旧復興していってもむだになるのではないかという意見もありまして、現段階では、帰島前の復旧については意見はまとまっておりません。
 ただ、やはり皆さんが言うのは、帰っても、灰を取って農地復旧して、施設を撤去して建てる、それから植えつけして、手入れをして収穫、そうすると、当然一年や一年半無収入だと。その間の収入が保障されなければ、ひょっとして営農再開というのはできないんじゃないか、そういった危惧というのが一番ですね。
 ですから、やはり期間的には、一年、一年半という間の所得をどういう形で保障していくのかということ、これは個人の努力も必要ですけれども、やはり、個人の努力だけでできないところについては、何らかの復旧作業の中で農家所得をやれるような形の仕組みを考えていただきたいというのが皆の意見であると思います。
左藤委員 どうもありがとうございました。
 四人の参考人に本当に感謝を申し上げたいと思います。一日も早い帰島ができるように、我々も含めて頑張りたいと思います。よろしくお願いします。どうもありがとうございました。
田並委員長 松原仁君。
松原委員 松原仁であります。
 三宅の問題は、日本の今までの災害の中で、特に島という特異な性格を考えると、大変に厳しい環境で、しかも、帰島が当初はもう少し早くできるのではないかというふうな話でありましたが、まさに夏、秋、冬、春というのが一巡して、まだめどが立っていないというふうな状況であります。
 まず、最初にお伺いしたいことは、そういう中で、この一年半、一年七カ月の中で、島民の意識がどう変わったんだろうかということであります。
 アンケートをひもときますと、四〇%を超える方が強く帰りたい、仕事があれば帰りたいという人も合わせると、八割ぐらいになるわけでありますが、細かくそのアンケートの中を見ると、どうも若い人には若干島へ帰る思い入れが、アンケートで見る限りにおいて、年長者よりも低目になっているというふうな状況でありますが、こういった意識、この一年半でどう変わってきたか。四人の参考人の皆様に、お一人ずつお伺いしたいと思います。
廣井参考人 先ほどの話にもありましたけれども、当初は長くて三カ月程度で帰れるであろうというような意識がありましたので、当然、多くの方が島の生活の再開というのは期待もしていたし、当然そういくと思っていたと思います。
 ところが、だんだん避難が長期化して、火山ガスがいつ終息するかわからないという状況になってまいりますと、おっしゃるように、若い層を中心として、転職といいましょうか、仕事を見つけてそのまま定着をする、あるいはよそからお嫁さんに来ている奥さんの実家に行って生活をするというようなことで、三宅村の広報紙でありますけれども、広報紙を拝見しますと、毎月毎月、人口がどんどん減っています。
 現状はそういう状況ですが、私が被災者の、お年寄りですけれども、お話をお伺いすると、やはり帰りたい気持ちは物すごく強いです。ただし、家を再建するような資力はありません。ですから、家がもし再建されなければ、再建できるような条件が整わなければ、帰りたくても帰れないというような方々が少なくないのではないかと思います。
 ですから、帰島の意思は、このままずるずる何の対策も施さない場合には、帰島希望の人たちは、残念ながらどんどん減っていくのではないだろうかというふうに思います。
長谷川参考人 噴火が約二年前、一年、ですから、おととしですか、ありまして、私も噴火を今まで三回、三宅島の方で経験しております。
 今までは、雄山山頂、山腹からマグマが流出しまして、一週間程度で終息するというような形での噴火だったものですから、おととしの六月二十六日の避難勧告が出たときに、そのような噴火だろうと私は考えておりました。それでまた、島の方は、全島民避難勧告が出たときに、一カ月ぐらいすれば戻れるんじゃないかな、遅くとも年内には、おととしの年内には帰れるんじゃないかということで、島の方を離れていきました。その中で、火山性ガスの流出ということで泥流の被害等、今まで予期せぬ噴火、私ども自身が経験したことのないような噴火災害だったわけです。この辺、私もまだ四十三歳という年なんですが、その四十三歳で三回も噴火災害を経験しておる。本当に火山の島だなと私も考えております。
 こういう状況で一年と七カ月。ここに参りまして、今お話ししたとおり、初めはすぐ戻れるんじゃないかなと大変安易に考えていたものが、これがいつになったら戻れるかわからない。本当に現在はそんな状況になったので、私どもの世代、ちょうど子育て世代ですから、それで、その人たちも高齢者の皆様と同様に将来に不安を抱えて、また子供たちの授業料ですとか進学に関しても大変心配をしておるところでございます。
 それで、その中に自宅を最近、新築した人もありましたし、自宅の借金もそのまま残っておる人もおります。また、Iターンで来て、三宅の方でサービス業を営んでいる人もいました。そういう人たちも、せっかくIターンで来て、三宅で頑張ろうということで来ていただいたんですが、今現在こういう状況なものですから、大変厳しい状況に置かれているんじゃないかと思います。
 また、秋川の子供たちも、この小学校も一応生徒がゼロということで、秋川の小学校、学校としては存続して、それぞれ転校していった子供たちをフォローするということになっておるんですが、実質ゼロということになりましたので、状況は非常に厳しいです。
 ただ、私どもとしては、必ず戻れるということで確信しておりますので、その辺、全力で私ども、できるもの、自助努力が大事だと思っておりますので、頑張りたいと思いますので、よろしくお願いします。
中里参考人 今、松原先生、大変ありがたい御質問をいただいて、私、常々このことを申し上げたいなというふうに考えておりました。
 先生がお読みになったアンケートでございますが、高齢者の方は帰りたい、若者はそれほど、要するに、数字が少ない、こういうことですよね。実はもっと人間生活の中でどろどろのものがあると思うんですね。というのは、一年半、噴火を受けてから経過したという中で、若い人は比較的行動半径があるわけで、うちに引きこもっておるということもない時間を過ごせるわけですが、お年寄りの場合には、東京という都会の中で地理的感覚もないし、それから、高齢者になると、若い人はとかく話をしたがらない。
 私は、老人ホームを預かって、人間の年齢からくる、いわゆる会話というものがこんなに年をとって変わるものか。若い人たちがお年寄りと距離を持ってしまうということになりますと、当然、島に帰りたいのは郷愁の念に駆られたお年寄りで、若い人たちは、これが長引けば、恐らくいろいろな仕事についてその日を暮らしていくだろう、こんなふうに考えておりますので、その点については、そのアンケートの裏側に秘めるものというのは非常に言いがたいものがあるのではなかろうかな、このように感じておるところでございます。
 以上です。
西野参考人 私は、当初、東京で避難していたんですが、半年ぐらいで八丈の方に行きまして、営農再開していくんですが、八丈の方に町営住宅を貸していただきまして、三宅の方が一緒に十世帯ぐらい住んでおるんです。
 長屋形式なので、よくお年寄りが集まって、お茶を飲んで話をするんですが、話が出ると、やはり島に帰りたいよと、そういった話。それと、あとは、うちがどうなるんだろう、屋根がどうなるんだろう、そういった話。やはりお年寄りの方たち、島に何としても帰りたい、その気持ちは非常に強い。そのまま残っていると思います。
 反対に、私、これは個人的な感じなんですが、避難も長期化していけば、やはりいつまでも宙ぶらりんの形にはおれない。やはり五年が限度だなというような感じは、個人的ではありますけれども、五年ぐらいまでは何とか待ちたいけれども、それ以上かかるんだったら、もうどうなるかわからないというような気持ちもあることはあります。お年寄りの方は、何が何でも帰りたいと。
 ですから、今、もう一年半、二年ですけれども、やはり三年ぐらいをめどに、どういう形にするか、ある程度形を示していかないと、島に対する思いというのも崩れていく危険性もあるのではないか。一つに、もうそろそろ島民は外で待ってなさいよということでない形の道筋を見せていただきたいなと。少しでも島に入って一緒に復興できるような、そういう糸口を示してもらわないと、島から離れてしまう、そういう動きに拍車をかけちゃうんじゃないかなという気もします。
松原委員 本当に、今のお話の中に島民の皆さんの思いがかなり出ているのではないかと思っております。
 今の生活も大変に厳しいわけでありまして、先ほどの質問の中でも明らかになったわけでありますが、やはり、厳しい生活も帰島のめどが立てば耐えることができる、その帰島のめどが立たない中で厳しい生活は耐えられないし、今お話がありましたように、五年間が一つの限度だろうというお話もありますが、どちらにしても、既に一年半を過ぎた中で、先ほどのお話では、一年から二年で火山ガスが少し減ってくるだろうというふうな話もあって、鹿児島の桜島ぐらいになれば何とかいけるのではないか、いや、桜島はもっと標高が高いから、もう少し待たないといけないのではないかというふうな話があるわけであります。
 ですから、今の参考人の皆さんのお話を聞いて思うことは、現状、本当に帰島のめども立たないと決まればまたこれはもう、決まっては困るのですが、それはまた別の次元の議論でありますが、帰島を前提にした議論であれば、今の状況でずるずるいくというわけにもいかないということだと思うのです。そこで、火山ガスとの共生ということ、去年の参考人招致のときにもそういう議論があったと思うのですが、火山ガスとの共生というものをそろそろ考える段階に三宅の復旧復興は入ってきたのではないか、このように思うわけであります。
 そうした中で、先ほど長谷川参考人が、五百人の土木事業者がそこで働いている、こういうふうな話があったわけでありまして、五百人の土木事業者が働いているのであれば、もう少し踏ん張れば千人ぐらいまで持っていけるのではないか、こういうふうな率直な思いがあろうかと思います。
 ちょっとお伺いしたいのですが、この五百人の土木作業員の中で、先ほども島の方も随分入っているという話でありましたが、どれぐらい、何人ぐらい入っているのか、ちょっと参考までにお伺いしたいと思います。
長谷川参考人 島の島民は、約百五十から二百ぐらいは入っておろうかと思います。五百名中百五十名から二百名、そのぐらいの規模だと思います。
松原委員 そうすると、その百五十から二百名の方も、かつては三宅島で暮らしていて、今作業員の宿舎、クリーンハウスになっているわけでありますが、そこで生活をしている、こういうことでありますが、彼らは自分たちの家に戻ったりすることも現実にはあるんですか、作業をしていないときには。
長谷川参考人 自宅へ戻ることはございません。あくまでクリーンルームで宿泊して作業をしております。
松原委員 ありがとうございました。
 先ほどのお話で、シロアリの被害が大変に出ているという話でありました。内容を見ますと、イタチの被害ですか、そういうのもあるようですし、さらには、火山性ガスによって天井が腐食して、そこから雨漏りがする被害というものがあるということでありますが、これは、今の被害の状況で、実際一時帰島した人なんかの声で、どうなんでしょうか、被害の状況で、まだ今だったら間に合うという表現はおかしいですが、今までの家に住んでやっていけるという印象を多くの島民の方がお持ちなのかどうか。これはどなた、長谷川さんか。
長谷川参考人 被害の方の状況が、泥流被害のある方とない方とございますが、今の状況でしたら、早期に対応できれば、今の現状のうちの方でこれからやっていけると思います。
松原委員 そういうことであれば、先ほどもお話ししたように、火山ガスとの共生をもうやるべき段階になっていると思うのです。幾つかの段階で、さっきホテルシップの議論もありましたが、さらには、それぞれの五つの部落にそういったクリーンハウスを設置してというふうなお話もありましたが、そういうふうなものをつくった場合に、かなりの島民の方がやはりそういうものをつくってほしいという思いを持っておられるのかどうか、ちょっとお伺いをしたいと思います。これは長谷川さんになるのかな、やはり。
長谷川参考人 今お話がございましたとおり、クリーンルームの方は本当にお願いをして、住民の方を、一時帰島につきましても、これからの、本格的に三宅島に帰島になったときに避難施設としましても、必ず必要だと思います。
松原委員 火山が最初噴煙を上げたころにホテルシップというものがあったと思うのですが、そうすると、最初、いきなり長期滞在はできない、火山ガスとの共生もできないので、やはり実験をしながら、トライアルをしながらこれを進めていくということになると思うのですね。ですから、一番最初のイメージとしては、場合によったら、さっき私、申し上げたホテルシップみたいなものに夜は宿泊する。
 聞いた議論であると、火山ガスは、昼間の時間であれば、どうなんでしょうか、マスクですね、ガスマスクで大体対応できるというふうな話もあるんですが、この辺は御専門のお立場の方がいいと思うので先生にお伺いしたいのです。それで大丈夫だと言って大丈夫じゃないとまた問題があるんですが、基本的には、どうなんですか、どのぐらいの、例えば酸素ボンベを背負わなければいけないようなガスというのはなかなかないと思うのですけれども、実際、今の土木作業員も、軽装で、マスクを持ってやっているぐらいだと思うのですが、その辺は現実、どうなのか。どのぐらいの装備があれば、例えば、農業に従事している人が、自分の農業をする場所にいて、火山ガスが出てきたとき逃げて、耐えてクリーンハウスに戻れるのか、どのぐらいの装備でいけるだろうという、直観的なお話で結構ですから。
廣井参考人 基本的なことをまず申し上げますけれども、今現在、土木作業、公共工事に、砂防工事あるいは道路の維持等々に従事している人は、当然、帰島後の地域社会のインフラを守っている、これは大事なことだと思いますが、地域社会は、しかし、公共施設だけあっても地域社会になりっこないわけですから、やはりそこに地域住民がきちんと住んで初めて地域社会なわけですから、今、地域の家がこのまま座視するとだめになっていくというのは防がなければいけない、そういう意味では、頻繁に帰島をして、なるべく住宅が、いつ帰島する段階になっても住めるような形にしなければいけない、これが基本だと思います。
 では、現在、どうか。昨日も定期帰島の第一号がありましたけれども、有料であるということと滞在時間が大変短いということで、余り評価は高くなかったようです。はっきり言って、家屋の修繕も、全く素人の手に負えないものは職工組合さん等々に依頼しなければいけませんけれども、しかし、男手が何人かいれば自分の手でも直せる、でも、そのためには六時間では少な過ぎるという意味では、やはりホテルシップのようなものが必要だと思います。
 ただ、安全体制はきちんと整えなければいけない。土木工事の方々に安全対策をやっているのは、地域を復興し、帰島したときにすぐにでも生活ができるようにという意味で安全対策をやっているわけですが、地域の住民だって同じように地域社会を構成する、住宅の補修というのは復興のために大変重要な話ですので、やはり安全対策も整えていただきたい。
 阿蘇山でも随分火山ガスの問題がありますが、ぜんそくとか心臓の病気をお持ちの方はちょっと難しいようですが、安全対策さえしっかりしていれば一般の住民の方は大丈夫じゃないかというふうには、私は個人的には思います。
松原委員 私の論拠としては、少なくとももう火山ガスとの共生という段階に入っている、そしてその中で、多少は普通の島に比べると都合が悪いというか、常にマスクを持っているとか携帯するとかそういうことが必要であっても、それをしなければ、先ほどのアンケートの、帰島したいというそれも下がっていくかもしれないし、西野参考人からお話があったように、そういったものは五年間が限界だろう、私もそうだと思うのですね。
 そういった意味では、もうそろそろ我々もそういう方向の、ショートステイというのはちょっと違う意味でよく使いますが、この島におけるショートステイ、そして、火山ガスとの共生という段階に入っているのではないか。そのためのアクションプログラムを、一年半後に桜島と同じレベルだったら帰島できるというふうな話も一方にある中においては、これを目指していかなければいけないと思うのですが、この点について、大体、そうだという認識だろうと思うのですけれども、どなたか、もし御意見があればちょっとお伺いしたいと思います。
長谷川参考人 火山性ガスは今、大体一万トンということで出ておるのですが、桜島が約二、三千トンと言われております。
 三宅の方も、ガスは長期にわたって出る可能性がございまして、ガスが完全にとまるということは長期的になるのじゃないかなと私は思っておりますので、今の現況でいけば十分可能で、大丈夫だと思います。
松原委員 時間が来ましたから終わりますが、今の長谷川さんのお話、皆さん、参考人の方はうなずいておられたので、恐らく今、実際に現場を見て、帰島できるというぐらいの意識だと思うのです。問題は、そのためのアクションプログラムを練る、そして、やはり火山ガスとの共生ということはもうやむなしという中での御決意があると思っておりまして、そういった意味で、私も努力していきたいと思います。
 きょうは参考人の皆様、本当にありがとうございました。一年半を超えて罹災されている、被災されている皆様が、本当に帰島の日間近という思いで、こういった中で頑張られることをお祈り申し上げまして、私、松原仁の質問を終わります。ありがとうございました。
田並委員長 赤羽一嘉君。
赤羽委員 公明党の赤羽一嘉でございます。
 まず、四名の参考人の皆様におかれましては、本日は、大変お忙しい中にもかかわりませず御足労賜り、大変貴重な御意見、陳述をいただきましたことを、まず心から御礼を申し上げる次第でございます。
 特に、廣井先生におかれましては、今回の三宅島避難島民の皆さんの生活実態調査の取りまとめという大変なお役を担当していただき、そしてまた、本委員会にも何度となく参考人として御出席をいただいております。多分、先生の正直な気持ちは、また同じ参考人として呼ばれるのかと。何回もここで陳述をしていただいて、それに対して、やはり政治の力、政治として果たすべき役割は、参考人質疑を開くだけでは全く何の意味もない。もうそういった段階ではなくて何らかのアクションを、国とか東京都とか三宅村ということではなくて、何らかのアクションを起こさなければ、私は参考人の皆様に対しても失礼だと思いますし、三宅島避難島民の皆様に対しても、本当に申しわけないという思いでいっぱいでございます。
 また、三名の皆様を初めとして、昨年、全島島民避難という、まさに未曾有の事態から一年七カ月ですか、本当に不自由な生活、将来が見えない生活を強いられている三宅島避難島民の皆様に対しては、本当に心からお見舞いを申し上げる次第でございます。
 私ごとになりますが、私の母の実家も三宅島でございまして、今回、私のおば夫婦、また、いとこ二世帯、縁戚でいいますと限りなく親戚が多いのですけれども、すぐ身近な親戚、いとこ夫婦が今回の避難島民の中には含まれております。私のおばは、この東京の地で命をなくしました。そういった実態の中で、本当にこの政治の不作為というのを何とか回避しなければいけないということなので、きょうは大変限られた時間でありますけれども、この貴重な機会をちゃんと前に生かすように、私たちも努力をしたいというふうに、まず質問者として皆様に決意を申させていただきたいと思います。
 冒頭、廣井先生からの陳述にもありましたように、この三宅島の問題についてはやはり三つのステージがある。現状、この避難生活における生活支援をどうするかというステージ。二つ目には、日帰りの帰島が行われましたが、本格的な帰島に対する、その間のプロセスをどうするかということ。そして三つ目には、本格的な帰島後のプログラムをどうするかという、まさにこの御指摘どおりだというふうに思います。
 ただ、現在の生活支援について、二回アンケート調査がされ、私も基本的には、何回か詳細に読ませていただきましたが、先ほどの御説明にもありましたが、収入が五割以上減っている世帯が三五%ぐらいだと。非常に苦しい、もしくは苦しいという生活実感をしているのは三二%で、特に五十歳から七十歳代の世帯に対して、そういったアンケートを答えられる方々がいるということであります。
 一方、先ほどの長谷川さんの御説明の中にありました、自営業者の七四%が再開をすることができない、再開されていない。これは、私は親戚がいるから思うわけですけれども、やはり三宅島の島民の方たちというのは非常にコンサーバティブというか、余り迷惑をかけてはいけないと。ですから、この数字自体が、七四%の人が自分の仕事を再開できていない現状にあれば、その人たちは大変苦しい生活を余儀なくされているだろうはずなのに、アンケート調査はかなり内輪の数字で出ているのではないかというふうに思うんですね、非常に遠慮がちな数字が出ている。
 生活保護を受ける、希望するような実態にあっても、なかなかその壁が高くて生活保護を受けられないという実態もありますが、生活保護まで受けて、人様に迷惑をかけてまで生きたくないというようなそういった、できるだけつつましく生きて迷惑をかけないようにしようというような方たちが、島民性だと思うのですね。そういう意味では、このアンケート調査に出てくる数字以上に、恐らく実態の生活ぶりというのは厳しいものがあるのではないかというふうに、私は感想を持っております。
 それで、先ほどの、自営業者の七四%が再開をされていない。長谷川さんにお聞きしたいのですが、その方たちは現実、アルバイトをやったりとかなんとかされているのだと思うのですが、この減収、三宅島にいたときの収入に比べて、この数字が三五%しか五割以上減った世帯が出ていないのだけれども、本当はもっと実態としては、再開ができていない自営業者については、収入的には大変厳しい状況にある方が大半なのではないかと想像するのですが、その辺についてはどういう実態があるのでしょうか。
長谷川参考人 先ほどからお話ししていますとおり、七四%の人たちが自営の仕事をしていないということでございます。それで、収入の方は約半分以下に減っておるということで聞いております。また、アルバイト等で御夫婦で生計を立てられている方が多いと聞いております。
 以上です。
赤羽委員 事業は再開できないけれども、アルバイトで何とかやりくりしている世帯も、そこそこある程度はあると。
 ただこれは、廣井先生は社会学の専門ですし、多分、収入が仮にバイトである程度、避難前の半分ぐらいまでとか七割ぐらいカバーできたとしても、やはり自分の仕事、なりわいをできないという不安は、アンケートに出てこないのだろうけれども、大変なモラトリアムな、どうなるのかなというこの状況というのは、人間が生活を送っていく上で非常にマイナスのインパクトがあるのではないかというふうに思いますが、その辺は、アンケートの分析の中で出てきたかどうかわかりませんが、どのように先生は考えられていますか。
廣井参考人 このアンケート調査は記名式でやりました。つまり、村民の方々に自分の名前を書いていただいて実施しました。
 といいますのは、前回の本委員会でも議論になりましたけれども、東京都は第一回目のアンケート調査を行ったときに、回収率も低かったのですが、これではだれがどういうふうに困っているかわからないということで、記名式で行いました。したがって、恐らく、自分の名前を堂々と書くわけですから、困っていると、本当に現実に困っているとしても、露骨に困っていると書かなかったというような方は少なくないと思います。そういう意味では、実態を見るときに、この数字よりももっと困っているのだというふうに考えた方がいいと思います。
 実は、前回のこの会議でも東京都の参考人の方は、アンケート調査の結果を見て、これは金銭的支援だけとは言いませんでしたけれども、金銭的支援も含んで総合的に、本当に困っている人には対策をとりますと言ったはずなのですが、残念ながら、今までとられておりません。
 しかし、私、今からでも遅くはないというふうに思っていますので、ぜひ、このデータを御参考に、本当に困っている人にはやはり対策をとっていただきたいと思います。災害対策は基本的には市町村や都道府県の仕事ですが、三宅の方々は東京都民であり、三宅村民であるとともに日本国民なわけですから、やはり国として、できることは最大限やっていただきたいというふうに思います。
赤羽委員 今、先生から御答弁をいただいたんですが、この前の十一月のこの委員会の議事録にもそういった部分が残っていまして、先生が言われるのは、いろいろな自然災害がある、その災害における被災者に対する支援の公平性が大事だと。あそこの地域で起こった、有珠山ではこういうふうにやられた、雲仙ではこうだ、三宅には何もない、何で差ができるかというと、日本の政治の悪いところで、その地域を代弁する声が大きいかどうかでかかわるところが多いと。私、今回、三宅島の方たちはサイレントマイノリティーだと。サイレントマジョリティーじゃなくてサイレントマイノリティーで、本当にこのままでいくと何にも政治の力が動かないと。
 この議論は随分やりまして、しかし、さはさりながら日本の今のシステムでは、一義的には三宅村村民であり東京都民なんだ、東京都がやらなければいけないということがあって、実際、ここの場面でも東京都は、避難が長期化した時点で総合的に対策を検討する、こういうふうに回答が先生のところにありましたと。
 その後このことについて、先生に対して東京都から何らかの、今のお話の続きになるかとも思いますが、サジェスチョンなり回答があったかどうか、お伺いしたいと思います。
廣井参考人 残念ながら、何度かお話はしましたけれども、この点については前向きな話は私は聞いておりません。
 実は、阪神・淡路大震災のときに宝くじというのをやりました。兵庫県知事さんが百億円、宝くじの収入を災害の復旧とか生活支援に充てたわけですが、宝くじという手もあるんじゃないかというふうな話もしたことはありますが、結局、消極的な態度というふうなことであります。
 やはり、さっきも申し上げましたけれども、どういう方式でもいいから、火山災害で長期的に避難を余儀なくされた雲仙とそれから有珠と少なくとも同程度の生活支援をするのは、絶対に必要なことだというふうに思っております。
 それからもう一つ、実は、変な話ですけれども、やはりこの三宅の方々の支援をするためには市民のネットワークが大事だというふうに思いました。
 そこで、先月の十六日ですが、有珠山の市民の方々と島原の市民の方々に集まっていただきました。どういう支援ができるかをいろいろ議論しました。私の資料の一番最後に載せてありますが、やはり市民の方のパワーというのは物すごいものがありまして、有珠山では三宅支援のために既に走り出しております。
 というふうに、市民の方もかなり熱を上げてきておりますので、ぜひ行政の方でも、国の方でも御支援をお願いしたいというふうに思います。
赤羽委員 あと、また長谷川さんにちょっとお聞きしたいんですが、事業に対するローンについては利子補給とか元本据え置きという措置がとられたわけでありますが、三宅島ということを考えると、鉄道が引いていない、ある意味では車社会なんですね、島というのは。車のローンを抱えている方が多いようなデータが随分出ていたと思うんですが、このことについて措置がとられていないというふうに認識をしておるんですが、車とか住宅のローンについて措置を求めるような声というのは、商工会の皆さんの中ではどうなんでしょうか。お聞かせいただきたいと思います。
長谷川参考人 その辺につきましても、ぜひお願いを申し上げたいなということで考えております。よろしくお願いします。
赤羽委員 二番目のステージの日帰り帰島についてなんですが、まさに先生御指摘のように、これは料金を取るのはどうなのかな、そのくらいはどこかで見るべきじゃないかと私なんかは思っておりました。
 かつ今回のデータを見ますと、私たちも十月に三宅島を見たところですと、結構やられている家とやられていないというのがもう極端なんですね。だから、地域的にだめな地域の家は泥流が入っていたりとかつぶれたりとかしているんですが、このデータにもあるように約七、八割の家は案外、軽微な損傷というか、修繕すれば耐えられると。ただ、それよりも、ほっておくことによって、さっきから出ていますが、シロアリの問題とか雨水によるさびとかカビ、こういったことで劣化していくことの方が実は深刻になっているんではないかと。
 そうなりますと、日帰り帰島ということを一歩進めて、やはり先ほどの一泊とか二泊、これはホテルを使ったり、ホテルというかホテルシップですか、船を使ったり、いろいろやり方は、まさにクリーンハウスの中に泊まったりとかということだと思うんですけれども、そういった軽微な修繕もできるぐらいの二、三日の帰島を望んでいる声というのは、島民の皆さんの中ではどうなんでしょうか。これも、もしよろしければ。
長谷川参考人 おっしゃられるとおり、向こうでクリーンルームに宿泊して、できれば一週間程度宿泊して家のメンテナンスをしたいなというのは、本当に島民の声です。我々島の、雲仙ですとか有珠と違いまして海を隔てておりますので、本当に離島というハンディを強く感じております。
赤羽委員 まさに今の御答弁にもありましたが、離島じゃなければこんなに事は大変じゃなかったなと、よく党の中でも議論がありました。
 雲仙でも、私は神戸選出の議員なものですから阪神大震災のときも、家はつぶれていてもその近くに住んでいるので、毎日荷物をとりに帰ったりとか、修繕をするような余地というのはあった。今回の三宅島は、まさに離島でそういったことが勝手にできない。こういうわけでありますが、しかしこれは、やはり日本国憲法では居住権とか財産権とかが保障されていて、多分三宅島の人たちが、自分の財産を守るためにどうしても帰るんだ、こういうようなことを言えば、そこを拘束する、妨げるようなことというのはやはり憲法上できないんじゃないかという部分もあると思うんですね。
 ですから私は、きょうはたまたま当局の方がいらっしゃいませんので、皆さんに言うことではありませんが、やはり日帰り帰島というのをワンステップにして、次のセカンドステップ、ファーストステップに続いてセカンドステップはもうちょっと長期の、徐々にやっていくことが必要だというふうに思います。
 帰島後のプログラムなんですが、これはやはり皆さんの根本では、家、本格的に戻ったときにお金がかかるというふうに思っているのが一番強いと思うんですね。まして、先ほどから同僚委員からも御指摘がありましたけれども、やはり火山ガスとの共生という話になってくると思うんです。そうすると、各家庭にクリーンルーム的なところをつくらなければいけないとか、余計な出費が必ずかかる、そういうことを思われている人が大半だと思います。
 そういったことを考えますと、皆さんでいきなり帰ったって、別に島が復活するわけじゃないし、経済的な側面も必要だし、観光で生きている人たちについてなかなか厳しい状況が続くだろう。そう考えますと、恐らく沖縄振興法とか、国を挙げての、特別地域を指定したような大がかりなプログラムというのが必要になる、そうしなければ本当の意味での帰島というのはあり得ないのではないかなというふうに私は考えております。細かい話ではありませんが、そういう大きな話として考えていますが、その点について、廣井先生、御見解を。
廣井参考人 その前に渡航費の件ですけれども、前の委員会で、三宅村の参考人の方から国土交通省にお願いすることとして、東海汽船の直行便をお願いしたいというような要望があったと思います。
 有料である、それは自分の希望で行くのだから有料でも仕方がないじゃないかという議論があります。ただしかし、私は、余りにもそれは冷たい議論だというふうに思います。せめてバウチャーで渡航券を出して、財源をどうするかは別としてバウチャーで渡航券を出すとか、あるいは東海汽船に補助金を出して住民の方の渡航費用を安くするとか、考えれば幾つか知恵があるような気がいたしますので、ぜひそういうことも含めてお考えいただきたいと思います。
 それから最後の件ですが、阪神・淡路大震災では、瓦れきの処理は公費でやりました。それから、現在、国でも地方自治体でも、住宅の耐震補強は公費で出しております。いずれも、個人財産にかかわるものについて公的な出費をしているわけです。
 三宅の場合に、帰島したときに、先ほど申し上げましたように、生活再建支援金も義援金も、ほとんど避難先の生活で使ってしまいました。余力がありません。そういう意味では、家屋の修繕、補強、あるいは新築になるかもしれませんが、やはり住宅の再建資金というのは何らかの形で出していただきたい。
 これが法律でやるのか、あるいは従来のような形で行政判断でやるのか。あるいは活火山法を根本的に修正して、現在、有珠山の噴火の防災町づくりというので、北海道が、集団移転のために活火山法を改正してください、そうしないと起債ができないという問題がありまして、そういう動きがあります。
 同じように、やはり災害対策は、住民の生命と財産と両方を守るのが災害対策ですので、そういう意味では、活火山法の枠の中で、住宅再建とか地域再建というような形の方法も考えられるのじゃないかというような気もしております。
 私は専門家ではありませんが、ぜひいろいろな可能性を追求していただきたいと思います。
赤羽委員 今、先生から御提案がありました東海汽船に対しての直行便については、私も国土交通委員会の理事を務めておりますので、しっかり検討させていただきたいと思います。
 また、私、被災者生活再建支援法について、その成立にかかわった一人として思うのは、あれは生活再建のための支援金なんですね。今回の三宅島の島民の人たちの場合は、本格的な生活のための再建じゃないんですね。仮の生活のための支援金で、これはやはり本来の法律の趣旨からいえば、二度目の支給とはいえ、本格的な帰島のときには支払われるべき筋合いのものだというふうな認識もしております。
 最後に、もうこれで終わりにしますが、ぜひ委員長にお願いをしたいのですが、理事会で後で検討していただきたいのです。やはり国で頑張るのは当然にしても、東京都に対して、国会の意思として参考人質疑をして、こういったことが衆目必要だということが認識されたと、まず、東京都に国会からぜひ何らかの申し入れをするようなアクションをとっていただくことを、ぜひ理事会で御検討いただきたいということをお願い申し上げまして、私の質問を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
田並委員長 赤羽君の今の御意見、御趣旨を体して、後日、理事会で協議をさせてもらいます。
 山田正彦君。
山田(正)委員 自由党の山田です。
 西野さんにお伺いしたいのですが、三宅島から八丈島に行かれて、八丈島でユリの栽培をしているというのを新聞で私、見ていまして、大変頑張っていらっしゃる、一度お会いしてお話でもお聞きしたいなと思っておったのですが、きょう参考人で伺いました。
 どうですか、今、八丈島の方でユリの栽培をやっているようですが、八丈島で現在十分やっていけますか。農業です。
西野参考人 まず、三宅島で一般的な形の農業というのは、施設園芸の場合ですと、先ほど申しましたレザーファンというものの栽培なんです。レザーファンの栽培ですと、やはり面積的にかなり、例えば五百坪から千坪なければ生活できないというようなものになっております。
 私の場合、レザーファンもやっていたのですが、ユリの産直もやっておりまして、これは市場出荷でないものですから、割と小面積で採算が合うということで、現在一応生活しております。
 これは、一般的な形の三宅の農業の中ではちょっと特異な形なので、一般的なものとしてはちょっと考えられないと思います。ただ、そのやり方によっては、工夫によって、農業で生活できるんだということの話にはなるんですが、三宅島の中ではちょっと特異な例になっております。
山田(正)委員 どうですか、ここ一年半か二年もすれば三宅島に戻れそうなお話があるわけなんですが、あなたとしては、もしこれが落ちついたら三宅に戻って、もう一度そこで、レザーファンとか今までやっていた三宅島での農業を再開したいというお考えですか。
西野参考人 私は、三宅島で土地も買い、家も建て、施設もつくり、やっておりましたので、やはり自分の生産基盤というのは、仕事の面でも、個人的生活の面でも、まだ三宅島に基盤が残っているということですから、現在においても、噴火の災害が終了すれば三宅に戻って、もう一度もとどおりの営農をやってみたいという気持ちでおります。
 ただ、先ほど言ったのですが、もしこれが五年たってもまだわからないということになれば、ちょっと考え方も変わると思いますが、現時点では、三宅に戻ってまた三宅での農業を再開したいという気持ちを強く持っております。
山田(正)委員 三宅に戻って、あなたと同じように農業をやろうとする人たち、農業者だけで二百五十八戸、七億円の売り上げというか、生産高があったということですが、あなたの友人とか農業者仲間あるいは漁業者も含めて、第一次産業に島で従事している人たちがそのまま島に戻って、どうやったら自立してそれぞれの産業をやっていけるか、あなた自身はどう考えますか。
西野参考人 確かに、農業にしましても漁業にしましても、第一次産業自体がお金の面で分が悪いという状況は噴火の前からもあったわけなので、農業についても、やはり噴火前からも市場価格の低迷とかで経営的に苦しい、苦しいというのが皆の声でした。
 ただ、三宅でつくっているものといえば、先ほどお話ししましたけれども、例えばアシタバでありますとかレザーファンでありますとか、そのほか里芋とかタマシダ、こういったものは、割と一般的な、全然メジャーなものではないのですが、ただ、地域の特殊性を持った少量生産の作物ということで、売り方によっては、私は、農業の販売、流通の中で決してマイナスではないと思っています。かえって、一般的なメジャーなものほど、今の農業の状況の中で苦しい面が多いわけで、それから見れば、こういった特殊性を持ったマイナーな少量の作物をやっていくということは、可能性としてはあると思います。
 ですから、決して、三宅島に戻って農業、漁業が生活の手段として夢がないんだということではないと思います。その工夫だと思いますね。工夫であると思いますし、またそれに対するいろいろな方の支援というものがあれば、私は十分にやっていくものであるというふうに思っております。
山田(正)委員 そこなんですが、いわゆる農業委員会の報告等を読んでみましても、既にビニールハウスは壊れて、施設が大半壊れているような状況、そんな中でレザーファンの栽培はどうなるのか。例えば公のもの、排水施設とか給水施設とか道路、そういったものは公的な支援というのはできるかと思うのですが、個人が農業をやるための個人的な施設、いわゆるビニールハウスとかそういったもの、これが支援の内容でできるものか、できないものか。
 これについて、もし支援ができないとしたら自立は難しいのか、それともやっていけるのか。まず西野さんのお話を聞いて、それから廣井先生にも、ひとつその辺の見解をお聞きできればと思います。
西野参考人 以前にも申しましたけれども、すべてゼロになるという今の状況なので、スタートするときには、むしろマイナスからのスタートだったと。そこですべての投資を自分で、農地の整備から施設の新設、そういったものを全部自分でやれということになりますと、多分経営は、再建は不可能、採算は合わないと思います。
 ですから、再投資する金額をどこまで減らせるか、補助事業の中でどこまで補助率を高くしてもらえるかというのが、農業をもう一度やれるかやれないかの分かれ目になると思いますので、その辺は十分な高率の補助率を適用されるような事業をぜひともやっていただきたいというふうに考えています。
廣井参考人 確かに建前上は、個人資産に対しては公的な資金は出さないというのが建前ですから、なかなか難しいかもわかりません。したがって、長期、低利の融資というようなことになるのかもわかりませんが、今お話がありましたように、補助率のかさ上げというようなことで、ぜひ補助事業というようなことをできるような仕組みをお考えいただければと思います。
山田(正)委員 廣井先生にお聞きしたいんですが、雲仙・普賢岳とか有珠山等々における農業、漁業、そういった個人事業に対する支援というのはどの程度までなされているんでしょうか。
廣井参考人 ちょっと今詳しいデータを持ってまいりませんでしたけれども、商工自営に対する補助は大体余り高くありません。これはある意味では制度の問題点だと思いますが、ただ、雲仙の場合は、前にもお話ししましたが、基金を使ってやりました。ですから、基金で相当弾力的なことができたはずです。前にお配りした資料、今も資料につけてありますが、後でその資料で、その事業の内容についてごらんいただければと思います。
山田(正)委員 廣井先生にお伺いしたいと思うんですが、いわゆる活火山対策特別措置法、この法律における指定は早く受けなきゃいけない、そう思って、実はこの委員会でも大臣に一般質問で私は何度もやっているんですが、なかなかまだそうしてもらえない。
 ただ、その中で、活火山対策特別措置法の目的の中に、いわゆる営農施設等の整備及び降灰除去事業、もちろん、これはあるんですが、もちろん、避難施設、防災施設というのはできるようになっています。ですから、住民等の生命及び身体の安全並びに住民の生活及び農林漁業、中小企業などの経営の安定を図ることを目的とした法律だ、いわゆる特別措置法という形ですね。それでやれば、この法律の範囲内でかなりのことができるんじゃないか、これは。
 そうすれば、問題は、この法律の範囲内でまずやるべきこと、それが何かということなんですが、先生が先ほどからおっしゃっていた、雲仙・普賢岳では一世帯当たり十二万ですか、そして有珠岳では一世帯当たり十四万、そういった生活支援、それが今この三宅島の人たちにおいてはなされていない。そうすると、それについて、雲仙では、あるいは有珠山ではできて、同じ継続的な噴火災害ですから、この三宅島ではなぜやらないのか、先生の考えでは、どういう点が問題だとお考えですか。
廣井参考人 それは全くわかりません。いろいろなところでそのお話を伺いまして、雲仙と有珠でできて、なぜ三宅でできないのかというふうに私も何人からも聞かれましたが、なぜできないか、私にもわかりません。どういう事情でそういう対策をとってくれないのか、私が業行政の方に聞いてみたいような気持ちもします。それでよろしいでしょうか。
 それから、活火山のことですが、有珠も、多分、噴火がかなりおさまった時点で活火山法が適用されたんじゃないかというふうに思います。私も、なぜ活火山法が三宅に適用されないか、先生の御議論は存じていまして、もし適用されればクリーンハウスのようなものもできるじゃないか、そういう議論だと思いますが、それもなぜ適用されないのか、それもわかりません。多分、進行中の事態だから、島に多くの方が住めるようになってから適用されるのかなというふうに漠然と思っているだけです。済みません、それで。
山田(正)委員 先生に重ねてお聞きしたいのですが、私どもも、議席を持ってこうして委員会で、政治の一角に携わっている者ですが、いわゆる政治における行政の不平等さ、やらなきゃいけないことをやっていない、それをどこに訴えたらいいのか、どうしたらいいのか。そういった意味で、非常に政治のむなしさみたいなもの、そういったものを考えることが多いと思うんですが、先生自身、立場を離れて率直に申し上げて、今回、三宅島災害を見て、こうしなきゃいけない、そういう考えを、一番、まずこれはどうしてもしなきゃいけない、それから、ぜひこれは政治にやっていただかなきゃいけない、それからおっしゃっていただければと思います。
    〔委員長退席、松原委員長代理着席〕
廣井参考人 先ほど、なぜ雲仙と有珠でできて、三宅でできないかという話ですが、要するに、都の直接の防災担当の職員の方から、逆に、雲仙でやって有珠でやったことを、三宅で同じことをやらなければならない理由はありません、そういうふうに言われました。それだけつけ加えておきます。
 それから、どうしたらいいかということですが、やはり先ほど申し上げましたように、井田先生が、帰島、一年か一年半ぐらいかかるんじゃないか、場合によってはもう少し遅くなると言っているので、今からでも、やはり永続的な、定期的な支援策といいましょうか、それは必要だと思います。
 例えば、生活保護法の弾力的運用というのは、私は、なかなかこれも難しいという話も聞いておりますけれども、例えば、金融資産を現状で幾ら持っていようと、これは島に帰るための、要するに、島での自力復興のための原資であるということにして凍結をして、災害保護という名前で帰島できるまで、これは所得と年齢の制限は当然あるかもしれませんが、そういう形でやっていただくのが私は一番手っ取り早いんじゃないかなというような気がしております。
山田(正)委員 今、先生もおっしゃったように、今本当に生活に困っている、先生のこのデータの中でも、生活保護制度について見ると、今後困ったときに相談したい人が四一%と最も多い。ところが一方、生活が非常に苦しいと答えた世帯の中で早期に相談したいと答えた人は一九%にとどまった。ということは、いわゆる生活保護まで受けるのはという抵抗がかなりあるんじゃないか、それでいて実際には困っている。
 そういった人たちに対して、先生がこの前からおっしゃっていました災害保護、生活保護ではなく災害保護、生活保護法ではなく災害保護法といった形での生活支援、これはぜひ必要じゃないか、そう思うんですが、それについて、先生のもう一度お考えを、改めて。
廣井参考人 災害保護法というのをおつくりいただくのか、あるいは生活保護法を弾力的に運用して災害保護という名前をつけて対応するのか、いずれの方法もあると思います。
 実は、もっと根本的な問題があると思うんですが、火山災害で長期避難を余儀なくされるといったケースはこの十年で三回あります。この三回とも大変住民の方々は苦労して、その都度いろいろな対策を行政が考えるわけでありますが、やはり日本は火山国で、いつまたこういう長期避難を余儀なくされるような事態が起こるかはわかりません。そういう意味では、やはり火山災害で長期避難を余儀なくされたときの対応、総合的な法律、総合的な制度、そういうものを考える必要があるというふうに思います。そういうものの中に、災害保護というのもその一つとして取り入れていただければなというふうに考えています。
山田(正)委員 確かに、自分の責任ではなく噴火という天与の災害によって、生活を閉塞させられてどうしようもなくなってしまった。そういった場合においては、私は、日本国憲法の二十五条の生存権、いわゆる文化的な最低限度の生活を営む権利を国民だれしも持っているんだ、それを国が保障しなければならない、そういう立場からすれば、国の立法をしなかったことに対する責任、そういう措置をしないことに対する政治の、行政の責任は大きいんじゃないか。
 この委員会でも随分議論してきているんですが、先生自身、その件について、むしろ災害に遭った国民の権利として、いわゆる災害保護法、生活支援あるいは住宅の再建支援等を求められるもので、いわゆる与えられるものではない、権利として求められるものだ、そういうお考えはいかがでしょうか。
廣井参考人 まさに私もそういうふうに思います。健康で文化的な生活をする権利は国民の権利ですから、それが今大変阻害されている状況であります。いろいろなアイデアが考えればあると思いますが、ある意味では不作為と言われてもやむを得ないような状況が今ありますので、やはり国民の権利の問題として、実は三宅の方々にも、自分たちの権利を主張するんで、余り遠慮して自己主張をしないということではなくて、むしろ権利の問題として頑張ってくださいということは時々申し上げております。
山田(正)委員 私の質問は終わりますが、最後に、長谷川さん、いわゆる商工業者の方々、いろいろな方々が大変厳しい状況下にあるわけですが、今五百人もの方がいわゆる災害復興の工事のために働いておられる。これからさらに降灰除去作業とかいろいろな公共事業が出てくるわけですが、そういったものを、かつての商工業者、あるいは民宿に泊まっていただくとか、クリーンハウスをつくりながら、そこに泊まっていただき、宿泊の世話、食事の世話をしながら、いわゆる社会生活の基盤を一刻も早く災害復旧にあわせてやっていかなきゃならない、そう思うんですが、そういった意味で、ひとつ長谷川さんの方から最後に御希望をおっしゃっていただいて、私の質問を終わりたいと思います。
長谷川参考人 先生のおっしゃるとおり、私も、先ほど意見陳述で述べさせていただきましたが、早く三宅の方に常駐するようになりまして、商工業の方に一刻も早く今の復旧事業に伴うものが行くように、ぜひお願いをしたいと思います。よろしくお願いいたします。
松原委員長代理 藤木洋子君。
藤木委員 日本共産党の藤木洋子でございます。
 きょうは、本当にお忙しい中、この委員会に参考人としておいでをいただき、ありがとうございます。
 殊のほか廣井参考人には、二度のお運びで、今もお話を伺っていましたら、あのとき申し上げたことよりもさらに悪くなっているということを伺いまして、私は、あのときの質問者の一人として、皆さんの声をどこまで反映させるための努力をしたかということを改めて自問自答しているというような状況でございます。
 しかし、廣井参考人が、市民ネットといいますか、そういう運動のネットが非常に大事だというふうに言われましたけれども、この運動が実は地元でも、東京でも広がっておりまして、例えば、三宅島に限らずいろいろな災害に対してネットワークをつくっていこうということで、東京の災害対策連絡会というのもできたり、また、被害者の皆さんの中でも、自治会だとかいろいろな、ばらばらになっているわけですから、それぞれのところで組織はつくっているんだけれども、しかし、被害者の会としてまとまって物を言っていこうじゃないかという動きがあったり、そういう運動が出てきているというのは非常に心強く思っているわけですね。
 私たちも、議会の中で繰り返し繰り返しこの問題を取り上げてまいりました。三月の二十九日の参議院の災害対策特別委員会がございまして、そこで私どもの党の大沢参議院議員が質問をしているときに、政府の御答弁に少し変化が出てまいりました。例えば、今までこういう答弁を大臣がされたことは聞いたことがないんですけれども、災害によって生活の基盤から完全に断絶されて、しかも一年半、正確には一年七カ月なんですけれども、これはちょっとこれまで例のなかったことでありますだけに、少し頭をやわらかくして考えてまいらなきゃいけない問題だろうということを私自身も感じております。こういうことを言われたのは初めてなんですね。
 皆さん方のそういった発信がここまでは動かし始めたかなということを私は感じておりまして、きょうの参考人の方たちにいろいろお伺いをしてお答えをいただくことが、さらに政府の姿勢をもう一歩も二歩も押し上げて、皆さんが望んでいらっしゃるような新たな支援策を打ち出すことに貢献できるのではないか、そういう立場できょうは質問をさせていただきたいというふうに思います。
 まず最初に、西野参考人にお伺いをしますが、西野参考人からちょうだいした資料を私は拝見していまして、あそこの島というのは、海産物だとか農作物、花卉、そういうものが主産業ではないのかなという気がしているんですね。しかも、よくよく見ますと、先ほどからお話のありましたアシタバだとかレザーファン、そういったのが農業の生産物の中の半分以上の価格といいますか額を占める主産物だというふうなことがわかるわけです。
 そうなりますと、これを回復していこうと思うと、先ほど来言われているように、降灰を除くとか、そんなことがいろいろあるわけです。アシタバの方は割方元気なようなんですけれども、それでも農地そのものをやはり変えていかなきゃならないといいますか、再建しなきゃならないという問題だとか、聞きますと、レザーファンというのは、何かビニールハウスというかパイプでつくられたハウスの中でやるんだそうですけれども、それがもう朽ち果てているというか、ガスでやられていて、これは撤去しなきゃならない、それで新たにつくらなきゃならない。
 そういう費用が必要だということで、農業委員会は、復興に関する建議というのを、この前、一回島へ行かれて調査をされた後に出していらっしゃいますね。これを一つ一つ拝見していまして、私が一番納得というか感心をいたしますのは、自分たちは委員として来た、委員として来たけれども、農業委員だけではなくて、農家の皆さんが実際に自分の目で見るという調査が必要だ、そして、広く農家の皆さんの声を聞いて、行政だとか、意見交換をしながら、本当に現実的に何をやっていけばいいのかということを一つ一つ決めて進めていくことが大事だということが述べられておりますね。
 これはもう本当に大事なことだと思うんですけれども、きのう、また再び、自費ではあっても島へ行く機会があったわけです。農民の方たちはどのぐらい行かれたというふうに把握していらっしゃいますでしょうか。
    〔松原委員長代理退席、委員長着席〕
西野参考人 一時帰島で行かれる方はほとんど、前回もそうですけれども、自宅ということですので、ですが、農家の方はほとんどが自宅とは別に農地を持っておりますので、自分の農地を確認しているという方は、まだ多くはないと思います。
 今のところ農地確認のために帰島という話が出ていないので、これは農業委員会でも要求しておりますが、避難解除前にまず自分の農地の現状を農家が確認して、その上でいろいろなことを考えていくことは必要なことですから、やはりこれはぜひ要求していきたいと思っております。
藤木委員 それで、西野参考人も大変心配していらっしゃるのは、帰島しても、農業を再開するまでの間の収入といいますか、その間の生活が保障されるということが見えなければ、やめる人もいるんじゃないかということを心配していらっしゃいますね。
 私は、それは極めて大事なことだと思うんですね。営農者の方がそんなふうな気持ちでいられるということは、これまで農業従事者として農家に働いてこられた方たちもまた仕事を失うということになるわけですね。主な産業であるだけに、私は、どうしても農業は再建しなければならない分野だろうというふうに思うんですね。
 先ほども言われていましたように、支援策が必要だということですから、農業を再建するための支援策も必要ですけれども、その間の生活ですね。もちろん、内地にいるといいますか、東京の内地の方にいらっしゃる生活でもそうなんですけれども、向こうへ行っても、しばらくは本当に立ち上がれるまでの支援が要るというふうに考えるのですけれども、それでよろしいでしょうか。
西野参考人 ですから、個人の農地を回復するとか個人の施設を回復するというのは、個人の財産に関するものだから自分でやらなきゃいけないというふうに言われてしまうと、先ほど申しましたように、農業の再建の中で大きな壁になってしまうなと。やはり、もとから厳しい中でやってきたものが今回の状況になったと。そして農業というものは、三宅の中でやはり大事なものなので残していかなきゃいけないということになれば、それはやはり政策的に農業を残すための工夫をしていかなきゃいけない。個人の財産、個人のものであっても、それはある程度、公的な考え方で支援していくことが必要だと思います。
 ですから、やはり個人の農地、施設も、噴火前の原状に復帰するまでは、それは災害復旧の一つであるということで公的な事業として取り組んでいただいて、それを農家がやることによってその中から所得を得るような仕組みをつくっていきたい。そうでないと、やはり農家が営農を再開するということを断念せざるを得ない理由にもなってしまうんではないかなというふうに考えております。
藤木委員 私は、やはり被災者の生活を支援するということは、個人の生活を支援することではないと思うんですね。それは公共の役割だというふうに思うんです。
 なぜかといいますと、その人たちがそこに帰って農業を起こすことができなければ、三宅島の経済を支える人間を崩壊させるということになるわけですから、そういう社会的な経済政策を支える上で必要な人々を支援するということですが、これはもう社会的な役割だというふうに思うんですね。
 だから、個人じゃないかということを政府が言ったり、あるいは都が言ったりする場合があったとしても、被災者の側からは絶対にそういうふうに思わないで、そうじゃない、地域の経済の支え手なんだ、そういう公共に対する施策さえ怠っているんだということに確信を持って頑張っていただきたいというふうに思います。
 それから、商工会の皆さんは、被災に遭われて、これは二年前の十二月、十二年十二月ですから、それこそ大変なときだったろうと思うんですけれども、随分まめに調査をされまして、アンケートをなさいましたね。私、このことが随分今生きているんじゃないかと思うんですよ。
 これから見て、先ほど言われたように、商売を続けていくことを断念してほかへ就業されたりということが出ていて、随分変化がやはり出ていますね。高齢者の方たちは島へ帰りたいのいちずですし、若い人たちは、もうそんな一年以上もたって、定職も持たずにいつまでもぶらぶらしているわけにいかない。ここにいるぐらいの覚悟で、収入を得て、家族を支えなければという思いになられるのは当然のことでありますから、そういうふうにどんどん変わっていっているということは考えられるわけです。
 しかし、私は、島に帰れるというときには、やはり島で頑張ろうと思っていただくようなことが極めて大事ではないかというふうに思うんですね。高齢者と若い人たちの差というのは、私は時間がたてばたつほど開きが出てくると思うんです。
 これは阪神・淡路大震災のときがいい例なんですよ。ちょうど二年目に、先ほどもお話がありましたけれども、生活支援の法律をつくろうということで超党派でいろいろ議論をしたときに、被災地以外の方たちは、二年たってまだ生活再建できないのと言われました。ですから、もうそれは被災した者でなければわからないんですけれども、二年たてば二年たつだけ貧富の差も広がりますし、健康な人と虚弱な人との健康差も開いてくるというような状況が出てきて、ますます深刻な事態になってくるわけですね。ですから、この前のときに言われた、迅速な支援が大事だということを先生おっしゃったわけですけれども、そういうことが非常に大事だと思うんですね。
 私は、商工業者の皆さんからいえば、要望の中にも先ほど出ていましたけれども、既往債務に対する減免といいますか、利息についての措置がとられていますね。それは延長してもらいたい。本当に商売を立ち上げるといいますか、再開できるまで続けてほしいという要望が出ていますね。
 それと同時に、そういう事業者の方たちは、住宅に対してもローンを抱えていらっしゃる方があると思うんですね。ところが、住宅のローンの場合は、その利息はどうなっているのか。それに対しても、やはり営業資金と同じような施策が必要ではないのか。その辺のことをちょっと詳しく伺いたいと思うんです。
長谷川参考人 おっしゃるとおり、先ほど私の方も意見陳述させていただいたとおり、先ほどお話があった個人的な住宅の支援の方なんですが、こちらについては、まだ全然はっきり、私ども、そういう要望は出したんですが、返事はいただいておりません。そういう状況でございます。
藤木委員 ということは、そういう御要望があるということはもう御存じで、発信はしているということのようですね。それはぜひ発信をし続けていただきたいというふうに思うわけです。
 それで、利息の軽減の問題なんですけれども、なぜ、住宅は毎月毎月貯金通帳から正規に取られていく、事業資金の方は何とか施策がある。これはやはり不公平だと私は思うんですね。住宅というのは、営業がそうでないと言っているわけじゃないですけれども、営業は生活を支える手段ですし、生活をするということはもう本当に基盤そのものですから、基盤を揺るがすようなことがあってはならないと思うので、その点もぜひ商工会としても取り上げて、頑張っていただきたいというふうに思うわけです。
 最後に、廣井先生の方にお聞きをしたいというふうに思うんですけれども、三つに分けて、今まだ避難生活と考えていいような状況ですね。そういうものに対して、自力再建できないで困っている人の数というのも、大体年をとっているとか病人だとかということで、わかってきているわけですね、そういう人には、まず支援の手を差し伸べるということが大事だ。
 それから、帰島をしていく時間を延ばしていくといいますか、島がやはり帰島できるんだという確信を持つためにも、再三島へ渡る。その島へ渡ることをしやすくするために、例えば、渡船とは言わないですね、航行料金については免除をするとか、大幅に支援をするとかということをやって、だれもが、帰りたいと思った人は帰ることができるというような施策をとる。
 あとは、安全施策上のことは、私、専門家でないからちょっとわからないんですけれども、必要であればそういうことに対しても施策をとらないといけないわけですし、それはとても個人でできるわけではありませんから、そういったものは公費なり基金なり、いろいろな知恵を使って、そういう資源を生み出していこうということであろうというふうに思うんですね。
 向こうへ行ってからの再建なんですけれども、どうなんでしょうか、やはり島の特質を生かして、火山が噴火しても、そこで自生しているものが一番強いのであれば、そういうものを栽培していくとか、災害に強い島にしていくというような施策をこれから開発していくといいますか、新たなそういうものが必要な気がするんですけれども、いかがでしょうか。
廣井参考人 帰島後の話ですけれども、ある島の人から、人口を分けると、三分の一の人はもう自力でやっていける人たち、三分の一の人たちは、都内にいる間に、ここにいる間に生活支援をしなければいけない人たち、残る三分の一の人は、自営業者だと思いますが、こちらで仕事を見つけてかつかつながらやっていける人たち、そういうふうな話を聞いたことがあります。
 東京都内にというか、三宅島を離れている間は、恐らく低所得者の方々の、高齢者の方々の支援が中心になると思います。ところが、島に帰りますと、やはり自力再建ということがあります。自力再建をいろいろな意味でバックアップしていかなければいけない。それは、先ほど申し上げた残りの三分の一の中堅層ですね。優良な納税者で、いろいろ税金を払ってきた、そういう優良な納税者が復活しない限り島は力強くなりませんから、帰島後の生活再建や住宅再建に関しては、先ほど申し上げた中間層の三分の一の方々にどういう支援をするかということが決定的に重要だというふうに思います。
 それから、その後の復興ですが、今、三宅村で復興検討委員会を開いているようですけれども、実は、私、非常に感銘しているといいましょうか、いいなと思っているのは、北海道の有珠山の復興計画です。
 あそこも三十年に一遍ぐらいの周期で噴火をいたします。今度こそということで、防災に強い町づくりというのを考えています。それで、危険地域の集団移転事業等々もやっています。
 それから、防災町づくりをやるわけですが、もう一つは、やはり火山の遺構を生かしてエコミュージアム、つまり、いろいろな自然の、ある意味で噴火は自然の脅威でありますけれども、景観等々では恵みにもなりますので、そういう火山の遺構を生かしつつ、地域全体をミュージアムにしようと。
 大変景観にも合っていますし、すばらしい考え方だと思うんですが、三宅もやはりアカコッコとかアシタバとかマリンスポーツとかいろいろあるわけです。熟年夫婦が二人で旅行をするというような、旅行の形態も変わってきています。ですから、やはりそういうエコ、噴火の遺構も生かしながら、自然を売り出すような形の新しい、何といいましょうか、復興計画が必要かなと思っていますが、これにもやはり財源が必要ですので、それを実現するためには何かいろいろな措置は講じなければいけないかとも思っております。
藤木委員 きょうの参考人質疑では、私はこの前の一回目と違って新たなものが見えてきた気がいたしますね。というのは、もう中堅層をも助けないと本当に島の再建の力にならないという新たな問題、それから、島の再建にとっては、やはり災害に強いといいますか、防災に強い島にして、しかも、それをむしろ、エコミュージアムにするかどうかは別として、景観をも生かして、自然のからくりだとかメカニズムだとかいうものを国民が体験できるような場にしていく、提供をするという点は非常にユニークな発想であり、しかし、極めて現実的な発想であるように私は思いました。
 今までの施策、既存の施策、支援法の範囲の中では絶対に実現できないことを、私たちはもうこれまでの討論の中でいろいろと検証してきたというふうに思いますので、それを本当に手につかむための行動もやっていきたいと思います。また、視察で島にも出かけていきたいというようなことも委員会で検討しているようですし、委員会での質疑なども活発に行っていきたいというふうに思います。皆さんと御一緒に奮闘したいと思います。きょうはありがとうございました。
田並委員長 山内惠子君。
山内(惠)委員 社民党の山内惠子でございます。
 きょうは、四人の参考人の方々、本当にありがとうございます。
 私は北海道出身ですので、有珠山にはこちらの皆さんと御一緒に視察に行っているんですけれども、後からこの災害対策委員会に入りましたので、まだ三宅島は見ておりません。それで、今度はぜひ参加させていただこうと思っています。
 質問する前に、前回の議事録を読ませていただきまして、たくさんのいい提言がなされていましたので、先ほどの質問された方の中で、赤羽委員が都の参考人の招致をということをおっしゃったときに、私も本当にそのことを思いました。なぜ鳥取県や横浜や雲仙や有珠山のところでできて東京都でできないのかという部分では、本当は私の質問の中にも書いていたんですけれども、都にやっていただきたいことと、それから、朝日新聞の社説にあった「もう国が出る時期だ」ということの記事の説得力は大変大きいので、このことをこの私たちの委員会が今後どのようにしていくのかは、委員の皆さんと一緒に力を合わせてやっていかなくてはならない課題だなというふうに思いました。
 きょうは、皆さんに本当は御質問するといいんですけれども、時間もそんなにない中ですし、皆さんももう既に質問が終わって最後のところですので、最初に長谷川参考人にちょっとだけお聞きして、あと、廣井参考人にたくさんお聞きしたいと思っています。
 それで、今、私の前の藤木さんがおっしゃったのかな、廣井さんがおっしゃった、観光資源としての活用に関しておっしゃったんですけれども、三宅島では、長谷川参考人にお聞きする部分なんですけれども、それなりの観光地としてのプログラムがおありなのか。私は小学校に勤務をしていましたので、体験学習がこれからますます授業の中に組み立てられていきますので、その件をお聞きしたいのと、二点目に、復興作業で五百人の方が仕事をしていらっしゃるということなんですが、地元の方が何%なのかということをお聞きしたいんです。
 それは、北海道の有珠山のときにも地元の人は職を失っているんですけれども、町長さんや市長さんのところに来る名刺は、全部大企業の方の名刺であった。また、北海道の場合は大きな道路であったり橋でしたので、大企業の方の力で動くしかない部分がたくさんありましたから、その結果そうなったということはやむを得なかったのかもわからないんですけれども、今当面の作業をなさっている方の割合がわかれば、教えていただきたいと思います。
長谷川参考人 まず第一点目ですが、三宅島は、バードアイランドということで、鳥の島ということで、エコツーリズムが今はやりなものですから、噴火前は、特にエコツーリズムということで、各観光会社さんですかに売り込みに行っていまして、比較的噴火前は結構順調に観光客も伊豆七島の中では来ていた島でございました。バードアイランドというのが島の一応うたい文句でやっておりました。
 それと、第二点目ですが、作業員五百名中約三〇%程度かなと、地元の労働者はそのぐらいの割合だと思います。あとはもうほとんど内地の皆さんということになっております。
 以上です。
山内(惠)委員 ありがとうございました。わかりました。
 北海道の例を廣井先生に褒めていただきましたので言いますと、私は小学校でしたから、子供たちの修学旅行にとっては、火山の勉強は、修学旅行が唯一の遠くから来るチャンスでしたので、もしかしたら、三宅島でもそのやり方の小さなものでも活用されたら、別な意味のマイナスをプラスにできるものかなと思いましたので、先ほど質問させていただきました。
 この以降につきましては、私の質問のすべては、学校の子供たちとの関係でお聞きしたいと思います。
 今回の廣井先生のアンケート、膨大なアンケートであって、八〇・九%の回収ということで、御努力に本当に敬意を表したいと思います。その意味でなんですけれども、災害によるストレスとか噴火によるストレス、避難生活によるストレスということを考えるときに、このケアに関してはどのようになっているのかということと、子供たちのそれに対するアンケートのようなことは、この間何らかの形でおありだったのか、質問させていただきます。
廣井参考人 最初にお断りしておきますが、このアンケートは私のアンケートではありませんで、三宅村が行ったアンケートです。私も多少絡んではおりますが、三宅村のデータということであります。
 それで、先ほどの話にもかかわるんですが、どうして三宅の場合は対策がこうなってしまったのかと時々考えますときに、いろいろな問題が複雑に絡み合っているんですが、その一つは、噴火を、八月二十九日が火砕流、低温火砕流だったんですけれども、より強い火砕流というようなことで、全島避難がスタートするわけですが、大変な大混乱の中だったので、ある意味ではやむを得ないんですけれども、多くの方々が地域もばらばらに都営住宅に入ってしまった、そこで、コミュニケーションがお互いにうまくいかなくなってしまった。つまり、住民の方の要望が具体的な声にならなかったというようなところが一つあったと思います。
 これは残念なんですけれども、実は、昔、別な国の委員会で民間賃貸住宅の家賃補助というのを提言したことがあります。もしこれが実現していれば、それぞれの方が、お互いに親しい者同士が近くに民間賃貸住宅を借りて、家賃補助を受けて生活できたかもしれない、そういう意味では、若干残念なところです。
 それで、声にならなかったということで、今まで余り住民の方々の声が具体的に政策に反映されなかった。ただ、四月一日、ですから、ついこの間ですが、以前からあった島民連絡会というのがありまして、これがまた新しく再スタートいたしまして、住民全体の声を行政に向けていこうというような仕組みができました。それを雲仙と有珠がバックアップをしようというような形になりましたので、私は大変期待しております。
 ですから、そのストレスの話ですけれども、もし既存の、そういう民間賃貸住宅のような制度があったり、あるいは、ある意味では生活には不便なんですが、避難所というプロセスがあったとしましたら、避難所の生活はプライバシーもなくてつらいんですけれども、運命共同体の人たちが一カ所に集まって、慰め合ったり励まし合ったりするわけです。そういう意味では、最初から孤立をしてしまった三宅の人たちは、ちょっと残念だったなというような気もします。
 確かに現在はストレスを感じていますし、特に私が問題だなと思っていますのは、都営住宅は大抵エレベーターがありません。避難をしている高齢者の方は、大変高いところに、高層、三階とか四階に住んでいます。ですから、外出するにも階段の上りおりが大変つらくて、だんだん外出しなくなってしまうというような状況にありますので、ストレスの問題は今も大変大きいというふうに思います。
 子供さんの調査は、残念ながらやっておりません。ただ、いろいろ話を聞いたり、ホームページ等々で見たりしておりますが、具体的に調査はやっておりませんので、お答えができなくて申しわけありません。
山内(惠)委員 ありがとうございました。私も一夜漬けの勉強できょうに臨みましたので、本当にアンケートのことまで間違っていたりして失礼いたしました。
 有珠山のときの話の中にも、高齢者はやはり一階を望んでいるということがありましたから、この後のことではそういうことを生かしていけるといいなと今のお話をお聞きしながら思いました。
 実は、私は学校という観点での関係でお聞きするんですけれども、大抵の災害は、地震のときも津波のときも噴火のときも、学校が避難所になるという例が大変多いんですね。それで、今後をどうするかという前に、今回経験されたことを、もしかしてもう一度あるかもしれないな、あってほしくないことですけれども、対応に本当に生かせたらという意味で、少しだけ質問したいというふうに思うんです。
 私の記憶に間違いがあるかもわからないんですけれども、北海道の奥尻の津波のときだったんじゃないかと思いますが、阪神の大震災のマニュアルが大変ありがたくて、しかもそれは、私はテレビで見ていましたら、人々が奥尻に駆けつけてくださるときに、自分たちのまとめたマニュアルを持って、自分たちもボランティアで駆けつけてくれたというのを見たときには、本当に感動したんです。
 今回の体育館に避難される、あれは三日、三泊だったと聞いていますけれども、そういうときに、私は勉強していないことを今聞いて恥なんですけれども、学校を避難所にしたときのマニュアルというのがおありなのかということと、そういうところで、学校の教職員は、だれに言われることなく、自分の子供たちのいる学校に避難されてくると、全身全霊頑張ろうというところにあるんですけれども、今回の場合は島という独特の中でいらしたので、その学校近辺の先生方は、教職員の方はその体育館のこともきっとなさったと思います。もしこれが都心のように陸続きであったら、また違うのじゃないかなというふうに思うんですね。
 それで、違うときのことの例で言えば、私は、自分の北海道の旭川の小さな町の川が大雨ではんらんしそうになったときがあります。町の中で、避難命令が出たので、すぐ学校に逃げてくださいと、これも近くの学校へという放送だったんですけれども。
 見に行きました川はまだ余裕があって、この危なそうな場所にだけ袋に土砂を詰め込んで置けば何とかここは越えそうというふうに見に来た皆さんで話をしたときに、町内の皆さんにお集まりいただきたいなと思って、みんなで手分けをしたときに、私なんかもその端くれでしたのですが、学校というのは割と子供に指図をする側にいるだけに、何か大きな声を出すことになれているので、教職員が学校でやる場合も町内でやるときも割かし役割が発揮できるかな、自主的に。
 その意味で、そういうマニュアルがあるといいなと思ったものですから、あったのか、なかったのかということをお聞きしたいと思います。
廣井参考人 三宅島の場合に役に立ったかどうか、ちょっと避難の形態が違いますからわかりませんけれども、阪神・淡路大震災のころから、当然、地域防災計画には地域の小中学校が避難所だと書いてありますが、多くの市民の方は地域防災計画を読みません。しかし、地震が起こって避難しなければいけないとなりますと、自然に地域の小中学校に多くの方が集まります。避難者で、避難した方がピークで大体三十二万人ですけれども、そのうちの六割が学校に集まったと聞いています。
 学校に集まった避難者の方は、公民館とかそういうところに集まった避難者の方よりも整然としていた、例えば、トイレの掃除なんかも当番でやったという話も聞いています。つまり、学校の先生のリーダーシップというのがかなり有効だったということで、震災の後に当時の文部省で学校防災の委員会をつくりまして、避難所を運営するときに、やはり学校の管理者は校長先生ですから、校長先生を筆頭として、要するに、学校は地域社会の一つの拠点で地域社会にサービスしなきゃいけないというような観点から、避難者の対応マニュアルをつくりました。ただ、学校は最終的には教育機能が主ですから、校長室とかそういうところには避難者、被災者の方に入ってもらわない、つまり、学校の中枢機能は残しましょうというふうなことも言われました。
 つまり、災害があったときの学校のマニュアルらしきものはあります。ただ、それが現実に活用されるような具体的なものになっているかどうかというとちょっと自信がありませんが、あります。
 それからもう一つは、防災教育。子供たちに、日本というのは災害国で、災害のメカニズムとか、災害に遭ったときにどうすればいいかとか、あるいはボランティア精神ですね。ちょっと間違えば、自分も被災者になったというようなことで、同情する心と言っていいんでしょうか、そういうような知育、私は知育、体育、徳育と呼んでいるんですけれども、そういうのが必要だというような議論もありまして、阪神・淡路大震災以来、随分、防災教育と学校防災は変わりました。
 私の知っているのはそんなところです。
山内(惠)委員 ありがとうございました。
 学校に関するものは、もしかしたら文科省のところでもまた質問したり何かをしておいた方がいいのかなと思っています。
 実は今回、先ほど、避難所というところが都営住宅であったというのは、住み心地はいいという点では仮のプレハブの建物よりよかったかもしれないけれども、運命共同体としての相談がしにくかったというお話を聞いて、ああ、大人もそうだったのかというふうに思ったんですが、子供はその逆で、三宅村立小学校が、これは全島の方たちが島を出るよりも何日か前に、東京都立秋川高校の全寮制という建物を利用して、小学生も中学生も高校生も、三百六十人の方たちがみんな集団疎開をしたということだそうで、学校としては授業の仕方とか何かでいえば継続したことができたのかもわからないんですけれども、これは本当にそれでよかったのかなというのが途中から出てきているというふうに聞いているんですね。
 最初は、これは本当に早い対応で、とにかく子供だけは安全にと思われてやられたという時点では本当に御苦労さまだったと思うんですけれども、やはりその問題点が出てきていますが、当初、村教委の方針としては、小学生は親元で生活することが望ましいと挙げていたというふうに聞きます。
 それで、先ほど西野参考人が大人でさえも五年が限度とおっしゃられたんですけれども、この避難された子供たちは、およそ一年をゴール地点と考えて、高等学校を利用して集団疎開をしたんですよね。となると、行ってから一年が子供たちにとってのゴール地点だっただろうと思うんです。私たちも、何かをするときに、ここのところで、例えば、きょうの質問なんかをしようと思えば、ちょっとした寝不足ぐらいは越えていけるんですけれども、それが寝不足をしたところからまた何日というのは、そう簡単に続くものではないですね。そのことを考えると、子供たちが一年たったら親元に帰れると思っていた時点で見直すべきではなかったのかということをとても強く感じます。
 しかも、それが子供たちが集団疎開をしてからうんと、一月も二月もたってから全島避難であったのならまた違ったかもしれないし、いろいろな場合を想定できるんですけれども、それが何日もしないで大人たちも避難したとなると、親元に帰りたかった子供たちのストレスというのは相当だったんじゃないかな。
 その意味で、このストレスの部分とあわせて、やはり一月後に検討すべきだったんじゃないかと私は仮説を立てているんですけれども、廣井先生、いかがでしょうか。
廣井参考人 避難生活をするときの子供たちの問題は大変重要です。
 多くの場合は、家族そろって避難所に行くわけですから、災害の直後は、学校の先生も一緒に避難しているということが多いですから、避難所で教育をするとか、そういうことがあります。それが長引くと、恐らく、こういう例は余りありませんけれども、地域の人たちがそろってある地区の小学校とか中学校に通うということになるんじゃないかと思います。
 三宅の場合も、もし地域の人が、仮にですけれども、まとまったところに一緒に居住していたら、恐らくその地域の小中学校に地域の子供たちが通うというような形になったと思いますが、残念ながらそういう状況ではなかった。これは、大混雑の中ですから、ある意味ではやむを得ないんですけれども、そういうことにはならなかったということで、秋川小学校のようなことになってしまったと思います。
 かなりストレスが多かったという話も聞いていますし、私も、あるラジオ番組で、子供たちが親元に電話するためのテレホンカードを集めようということで、随分テレホンカードも集まったということを聞いています。それでストレスを少しは解消してほしいというようなことがあったわけです。
 しかし、先ほど長期避難の話もしましたけれども、長期避難対策というときに、やはり教育の問題というのは大変重要な問題だというふうに考えています。
山内(惠)委員 ありがとうございます。
 この間、一月だけではなく、その後も随分の御支援もあったそうで、本当に子供たちには、音楽会を催したり劇団の公演があったり、いろいろな意味で子供たちを励まされた皆さんもいたということに、きっと子供たちも受けとめていると思うんですね。
 教職員の皆さんも、最初は、外出もできないし、それから、全寮制とはいうけれども、それぞれの部屋も十分ではなくて、あいているところを活用したりして、最後は職員住宅、五人で二LDKというところに配属されたというふうに聞いているんです。子供たちも、眠れなかったり夜中に泣いたり、おねしょも出てきたとかいうストレスのことを考えると、当初考えた計画は、やはり一月でというふうにお約束していた子供たちのゴール時点で検討し直すべきであったというのが、私の意見です。
 その時点でなく、全島避難の前に子供を集団で疎開をするというときに、先生方の意見や保護者の意見や、ましてや子供の意見をどうやって集めてくださったのか。それは、もう本当に身の危険のあることですから、そのとき、もしできなかったとしても、一月たったところでは、代表で結構ですから、教職員の声も保護者の声も入れていただくことによって、子供のストレス状況ももう少し誤解なく伝わったんじゃないかなと思うんですけれども、最後のところでは少し誤解もあったりして、これを一月で終わらすことが大変難しかったということを聞いております。
 その意味で、本来からすれば、最初のところが、全島避難のところで親子が一緒に島を出ることができればこのような形にならなかったかもしれないとか、いろいろなことはあります。そこは今後のために生かすという点では、私もここはこれからかかわっていきたいと思っていますけれども、やはり教職員の声も集める場所が本当にあってほしかったなと思っています。
 この後、地元に帰る日があれば、どのような学校の形態になっていくのかということも、今現在使われているところも、この春で子供たちがいなくなる、休校になるという新聞記事も見ましたが、でも、まだ、いつ来てもいいような状況にしようとか新学期に対応しようとかいうことで、教職員の皆さんは、数は減っていると思いますが、それなりの対応をして待機している形もおありというふうに聞いています。
 その意味では、災害の状況によっていろいろな対応、A案、B案、C案があってしかるべきと思いますが、全寮制であったために、クラスの子供たちがそれなりにいるとして、小学校だけでいえば、三つの学校の先生方が来て対応し、子供の数より先生が多くいるのは大変ありがたいことではあるんですけれども、夜を徹しているわけなので、A班、B班、C班となって子供の担任としての続行も難しかったというような声も聞いています。
 私は元教師であったということからいえば、基本的に、避難は、子供たちと親は可能な限り一緒であることが大事かなと思います。単なる疎開と違って、恐怖の体験をした子たちの心理的な怖さというのはずうっと後を引くんですよね。
 新聞記事によりますと、高校生はよその学校の生徒と交流できて一回りも二回りも大きくなったと書いていますが、小学校の一年生から三年生までのような子供たちのことを考えると、夜眠れなくなったときに抱きしめてほしいのが、ある意味では、もう小学校に入る前の時期でそういうことは終わっているかもしれないんだけれども、こういう体験をしたときはそういう場面が必要かなと思うので、ここは私の意見として、きょう、ぜひ、今後のためには、親子が一緒に逃げられる方法、学校へのマニュアルの対応、それから教職員の声も聞いていただけたらありがたいのと、今回のアンケートは、何も急ぐことではありませんから、これから学校がすればいいことかもしれませんけれども、子供へのアンケートなんかも今後の場面で生かしていけたらなと思います。
 本当はもっと質問したいことがありましたけれども、前回のところで参考人に来てくださった方たちが言われたことが、大きな動きではない形ではたくさんあるかもしれないけれども、特別立法の制定というのを三宅村の議会の議長、山田さんもおっしゃっているという点では、私もそのことのために努力したいなと思っていますけれども……もう時間がないんですね、本当はもっと聞きたかった。そうでしたね。
 それでは、きょうはお礼を申し上げて、私も皆さんと御一緒に頑張っていくことを約束して終わります。ありがとうございました。
田並委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人各位には、大変長時間にわたりまして御出席を賜り、貴重な御意見をお述べいただきまして、ありがとうございました。十分参考にさせていただきたいと思います。本委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。(拍手)
     ――――◇―――――
田並委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。
 災害対策に関する件、特に地震防災対策について調査のため、来る十日水曜日、参考人として、東京大学名誉教授溝上恵君、独立行政法人防災科学技術研究所理事長片山恒雄君、東京工業大学大学院総合理工学研究科教授翠川三郎君及び東洋大学経済学部助教授白石真澄君、以上四名の出席を求め、意見を聴取することにいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
田並委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
 次回は、来る十日水曜日午前八時五十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後四時二分散会


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