衆議院

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第5号 平成21年4月24日(金曜日)

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平成二十一年四月二十四日(金曜日)

    午前九時三十分開議

 出席委員

   委員長 末松 義規君

   理事 後藤田正純君 理事 佐藤  錬君

   理事 実川 幸夫君 理事 菅原 一秀君

   理事 笹木 竜三君 理事 吉田  泉君

   理事 古屋 範子君

      井澤 京子君    井脇ノブ子君

      上野賢一郎君    大塚 高司君

      永岡 桂子君    西本 勝子君

      橋本  岳君    福岡 資麿君

      藤井 勇治君    松本 洋平君

      山内 康一君    泉  健太君

      菊田真紀子君    田名部匡代君

      池坊 保子君    石井 郁子君

    …………………………………

   参考人

   (教育評論家)

   (日本家庭教育学会副理事長)

   (八洲学園大学客員教授) 川越 淑江君

   参考人

   (東京大学社会科学研究所教授)          玄田 有史君

   参考人

   (特定非営利活動法人「育て上げ」ネット理事長)  工藤  啓君

   参考人

   (田辺市ひきこもり検討委員会委員長)       布袋 太三君

   衆議院調査局第一特別調査室長           大和田幸一君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月二十四日

 辞任         補欠選任

  とかしきなおみ君   西本 勝子君

  中森ふくよ君     藤井 勇治君

  丹羽 秀樹君     橋本  岳君

同日

 辞任         補欠選任

  西本 勝子君     とかしきなおみ君

  橋本  岳君     丹羽 秀樹君

  藤井 勇治君     中森ふくよ君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 青少年問題に関する件(ニート、ひきこもり等、困難を抱える青少年を支援するための対策)


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     ――――◇―――――

末松委員長 これより会議を開きます。

 青少年問題に関する件、特にニート、ひきこもり等、困難を抱える青少年を支援するための対策について調査を進めます。

 本日は、参考人として、教育評論家・日本家庭教育学会副理事長・八洲学園大学客員教授川越淑江さん、東京大学社会科学研究所教授玄田有史君、特定非営利活動法人「育て上げ」ネット理事長工藤啓君及び田辺市ひきこもり検討委員会委員長布袋太三君、以上四名の方々に御出席をいただいております。

 参考人の皆様に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用のところ本委員会に御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。参考人の皆様には、それぞれのお立場から忌憚のない御意見を賜りたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、参考人の皆様からお一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えいただきたいと思います。

 なお、念のため申し上げますが、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言いただきますようよろしくお願いします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、御了承ください。

 なお、参考人及び質疑者におかれましては、御発言の際は着席のままで結構でございます。

 それでは、まず川越参考人にお願いいたします。

川越参考人 川越でございます。

 私は、家庭教育の専門家でございます。四十二年間、家庭教育に関して研究開発をしてまいりました。

 日本には家庭教育の専門家はおりません。八洲学園大学で今客員教授をしておりますけれども、大学の中に家庭教育を科目として取り上げたのは、ここの大学が初めてでございます。そこで私は大学に招聘されたということなんです。

 きょうは、その立場から、ひきこもりとかニート、そのほかいろいろな子供に関する挫折に関して、そういうものを起こさないためにどういうふうにして子供を育てていくのかということで、「日本における青少年教育の今日的課題とその対策」という題を一応つけましたけれども、そのことでお話をさせていただきたいと思います。十五分ですので大変なことだろうと思いますけれども、でも、私は教育評論家ですから、しゃべって何ぼの人間ですので。

 日本の場合は、今日ほど、教育も施され、そして親が熱心で、金をかけている時代はないと思うんですね。明治五年に小学校のいわゆる義務化ができてから百三十八年ぐらいたっているんですけれども、その中で今日ほどそういう時代はない。にもかかわらず、お金をかけたり親が関心があるようになってからの方が、以前よりも子供に関するいろいろな問題が起きてきているのはこれいかにということなんです。

 教育というのは、やればいい、金をかければいいというものではなく、そのやり方を間違えますと、かえって、やらなかったときよりもいろいろなひずみが出てきているのが今日の問題だと思います。

 日本の場合は、学校教育、家庭教育、社会教育と、大きく三つに分けて今考えられております。

 学校教育は、社会に役立つ人間になるために必要な豊かな知識の集積、そして人間生活のあり方や社会生活のあり方を、体を丈夫にするとか、集団を通して教えます。

 家庭教育は、豊かな人間性を培うことであり、豊かな心を育てることで、親でなければできない教育が家庭教育です。

 そして、社会教育は、自分の置かれている位置づけの中で、社会に貢献しようとする意志、意欲を育てる。現在では、生涯学習として取り上げられています。

 我が国は、昭和三十九年、一九六四年に文部省が家庭教育学級を開設したのが初めてでございます。それから予算も組まれて各地で普及しましたけれども、その成果が上がらずにいろいろな問題を続出しているのが今日の状況でございます。

 いろいろなところでいろいろなことが言われていますけれども、子育てというのは、理屈ではどうにもならないということなんですね。生活も、寝ている間はだめですけれども、朝起きてから寝るまでの間にどうするかということなんですね。

 まだいっぱいしゃべりたいけれども、次に行きます。

 そこで、日本においては家庭教育が不在なんですね。どういうふうに不在かというと、親としての自覚が欠如しているということです。何かあるとすぐ学校の先生に全部頼むとか、はしの持ち方まで頼むとか、ろくでもないことまで言っているという親が今いるわけです。

 そして、その不在になった理由というのが、幾つか挙げますけれども、一つは、いわゆる明治五年に太政官布告によって学校令が発布されたときの目的が、身を立て、産を治め、業を盛んにするということなんです。そのために、明治はいろいろな技術革新が入ってこなかったからこれでよかったんですけれども、そのままずうっと来て、二十年の終戦になっても、民主主義が導入されても、どういうふうにして子育てをするかという視点は示されていなかったわけですよね。それで、勢い、知育偏重教育といって、何でも学校さえ出ればいいということで、人間として一番大事な精神の働きは、知的な働き、情的な働き、意的な働きと三分野に分けて考えられているんですが、知、情、意とバランスをとらなきゃならないのに、それが今、知、知、知なんです。これが知育偏重教育です。

 知的能力の開発は学校中心、情的能力の開発は家庭が中心、意的能力の開発は社会が中心、こういうふうにして分担されているにもかかわらず、学校での知はいいですが、家庭でも知、社会でも、学校をどうやってふやそうとか何とか、そんなことばかりやっているということなんです。バランスがとれていない、大人社会のひずみが全部子供に持ち込まれている結果、今日に見るアンバランスの子供が出ているということですね。

 そして、その次に、皆さんにお渡ししたと思うんですけれども、これは私が自分の足で、どこからも見たんじゃない、最初は二千五百枚でしたけれども、三千五百枚つくって、私は講演に行かない県はないんですね、全部行っています。西表から稚内の方まで行っていますので、各県全部、知らない人はいないんです。それから、いろいろな教え子もいますし、そういう人たちを動員して、もちろん自分が行けばその場でとってきます。そんなことでこれを取り上げたものなんです。

 「今、家族が抱えている問題」ということで、ずっとこう書いてある。六十一年、それから九四年、二〇〇一年、二〇〇六年と。もうそろそろ次のをまたとろうと思っているんですけれども。

 そんな中で、もう一枚紙を差し上げてありますけれども、「家族が抱えている問題について」ということで、六十一年から一、二、三と順番は大体書いてありますね。一回目は二十三項目だったんですが、二回目は三十二項目、三回目が三十五項目、そして四回目が三十七項目で、ひきこもりとかニートというのが入ってきたのは二〇〇一年から二〇〇六年ぐらいなんですね。いわゆる意識をしていなかったわけですね、家庭の中で、家族でも。

 一九八六年、一回目は、しつけとか学業不振とか無気力とか反抗とか情緒とかと、子供に関する問題が多かったんですけれども、最後に来ますと、もう二〇〇六年は、家庭経済とか、しつけとか、夫婦の問題、老人介護、老後の生きがいとか、こういうふうに、子供の問題を離れて、家族で抱えているのは、いわゆる家族間の、大人の問題になってきているわけですね。そんなことで、一応これはデータとしてとってあります。

 そして、次にお話ししたいのは、ニートとかひきこもり、または非行青少年とか、いろいろありますけれども、私は、それを称して挫折と言うんですね、子供の挫折と言います。

 子供の挫折というのは、子供の生きとし生ける命が、順調に成長するものが、途中でそれが阻止される。不登校とか学業不振、非行、家庭内暴力とか、ひきこもりとか、それからニートなんかも入れば入るんですけれども、今、子供が、想像もできないようになっていますね。

 そして、燃え尽き症候群で燃え尽きちゃう。ピーターパン症候群で大人になっても乳首をしゃぶっているという感じです。それから、青い鳥症候群というのは、いわゆるニートの一種ですね。青い鳥を、チルチルとミチルが幸せを求めてあっちこっち動いたように、いわゆる就職であっちこっち歩くわけです。つついて歩いておさまらない、それでニートになっていっちゃう青い鳥症候群。表現力欠如症候群というのは、日本語がたくさんあるのに、うそ、本当、いいじゃん、こういう感じですね。言葉を余り使わないわけです。そして、指示受け型人間、指示待ち人間。いわゆる過保護に育てて、そして過保護に育てているものだから、自分で何もしない、指示を待って、来ればやれる。そういう人間が物すごく多くなってきているわけですよ。

 そして、これらの個々の事例の起こり得る背景や問題行動の原因は、個人の能力、性格、体力といった主観的な原因もあるけれども、家庭内における親子兄弟の人間関係、友人、教師との人間関係、または学歴社会、競争社会等の現代社会の現象からくるものもありますが、よく観察すると、いわゆる挫折した人を何千例と扱っていますから、ずっと見ると、親子関係の中に、子供が挫折する親の態度として次のものが挙げられる。親子関係が重要なかぎを握るということですね。

 その一つが、家庭の不調和。

 家庭の不調和の中には、夫婦の不仲、父性欠如ですね。理想は、父は照る、母は涙の露となり、同じ心で育つなでしこというんです。お父さんは太陽、お母さんは雨。照ったり降ったりしながら草木が育つように、お父さんの厳しさとお母さんの優しさが子供を育てていくということです。

 でも、私は、今日はここまで譲りました。お母さんの厳しさ、お父さんの優しさでも、家庭の中に厳愛の調和がとれていればいいというところまで譲りました。じゃなきゃ、もうだめですから。母ちゃんが強い方が多いんですから。一番困るのは、二人の母といって、降りっ放しか照りっ放し。こういう家庭には非行の問題が必ずある。子供たちの生育歴を全部調べますから。

 家庭の不調和の次が、放任。いわゆる社会的適応能力を養わない。昔の言葉で言えば、しつけをしないと言うのです。しつけというのは、社会生活に適応できる生活上の習慣を身につけさせることをしつけというんですが、そのしつけをしないのを放任というんです。社会的野生児というんですよ、そういうふうに育てられると。全然ルールも何もへったくれもない、そういう人たちがいろいろな問題を起こすということです。

 そして、三番目が過剰対応。過剰保護、過剰干渉、過剰期待、この三つですね。本当はこれを全部説明したいけれども、時間がないから終わり。

 よかったら、この本、全部で二冊、ここへ置いていきますから。末松先生のところに置いていきますから。

末松委員長 委員会でいただきます。

川越参考人 では、そうしたら、そういう問題を解決するにはどうしたらいいかということですよ。それは、親でなければできない教育というのを具体的にやるという以外ないんですね。

 家庭教育の役割。家庭教育は、すべての教育の基礎であり、すべての全人格を教育する基礎。二番目は、かけがえのない先生は親であるということです。家庭教育は、感化の教育、庭訓の教え。やりながらやり方を教える。家庭教育は、生きた生活の中からということですね。

 そして、親の役割。親が変われば子供が変わる、子供を変えようと思ったならばまず親が変わらなければならない、子供が変わらないということは親が変わらない証拠であるというのが家庭教育の原理です。そして、心理結合の原則というのがあるんですけれども、きょうは説明できません。

 それで、人間らしい子供を育てる親の役割、この役割をびしっと果たしていただくことが大事なんですね。人間らしい子供を育てる親の役割は三つあります。これは外したらだめです、もう三十年間研究して考えたことですから。

 その一が、何かといったら、豊かな心を育てるということです。二つ目が、独立自治の精神を培うということ。三つ目が、社会的適応能力を養うということです。その三つがいわゆる役割なんですね。そして、それぞれの態様がありますけれども、これは今は、おしゃべりできません。

 それで、特に私のしつけのキーポイントというのは、ほかの先生のしつけというのは人に迷惑をかけないということなんですが、ところが、私のしつけは、いわゆる積極的なしつけと消極的なしつけがあって、消極的なしつけというのは、人に迷惑をかけない道義的なしつけですけれども、それから積極的なしつけというのは、喜んで人様のために尽くせる子供を育てるというしつけなんです。これは、ほとんどの先生は言っていません。

 そして、積極的なしつけは、なぜ言えるかというと、人間の子供は、生まれながらにして他の人のために役に立ちたいという本能を持っています。それから、努力を命として生まれてきています。努力の方向を持っています。幼児期は、自立に向かって、自分で自分でと子供は言います。それから、児童期は、遊びに向かって、遊びを通して全能力の開発が行われる。そして、中学、高校生期になって、理想に向かっての努力が始まっていくんですね。そういうふうにちゃんと段階ができています。

 時間がないので、これで終わりにします。ありがとうございました。(拍手)

末松委員長 どうもありがとうございました。ちょっと時間が十五分で、短くて申しわけございません。

 それでは、次に、玄田参考人にお願いいたします。

玄田参考人 玄田と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

 まずは、きょう、特別委員会に時間どおりに着くことができて安堵いたしました。と申しますのは、大変危惧しておりましたのは、この時期、御存じのとおり大変人身事故が多いということで、もし人身事故等が起こっていれば恐らく今ここに到着していない。

 なぜ冒頭でそういうことを申し上げるかということを一言だけお話しさせていただきますと、自殺が三万人以上を超えて、これが大きな社会的問題になっているということは当然なんでありますし、それが、どちらかというと、高齢者の方も多いわけですけれども、今、若者の、さまざまな問題を抱えている人が選び得る最悪の選択というのが、やはり、みずから死を選ぶということだと思っております。

 ぜひ政治の力で、例えば三大都市圏、交通量の大変多い駅、また人身事故等が大変多い駅について、すべて転落防止さくを早急に設置するぐらいのことをお考えいただけないものでしょうか。

 十年前の不況期に、ほとんどの駅でエレベーターとエスカレーターがついて、老若男女問わず、大変生活の上で役立っている。今必要なのは、若者も含めて死を選ばない、そのために具体的に何をやるか、早急に何をやるかということを考えたときに、転落防止さくをすべての大規模な駅につけるぐらいのことは、まず大きな政治の力を期待させるものでもありますし、青少年問題と密接にかかわっていると思います。

 春先は大変人身事故が多い時期でありまして、大変心が苦しいわけであります。大学におりますと、昔から五月病というのがあって、四月を過ぎると大変精神的にも苦しい若者がふえます。今、大学は、五月病ではなくなりました。今は、三百六十五日病です。年がら年じゅう本当に生きることが苦しい若者たちがたくさんおります。当然、大学だけではありません。

 具体的に何を今すぐ実践していくかといったときに、私自身がささやかに思いつきましたのは、先ほどの転落防止さくを早急に設置するということぐらいしか思いつかないわけですけれども、まず一つ、お話しさせていただきました。

 青少年問題についてささやかながら勉強してまいりまして、同じような問題を多くの先進国がこれまで経験しており、しかも、単純な解決策がなかなかないということを感じております。

 その中で、あえて解決に向けたキーワードを挙げるとすれば、三つのキーワードが共有されているというふうに感じております。

 一つは個別的、二つ目が持続的、三つ目が包括的という三つのキーワードです。個別的、持続的、包括的、これから青少年問題の対策を考えるときに、恐らく、日本でもこの三つのキーワードに照らし合わせて、何が今行われており、何が不足をしているかということが重要な論点になろうかと思います。

 例えば、個別的ということで申し上げますと、二〇〇二年、三年に、日本の失業率が大変大きく上昇し、過去最高の五・五%を記録したときに、大変多くの緊急の雇用対策が上げられました。その中で、比較的費用対効果も含めて効果があると言われていたと認識しておりますのは、やはり個別の支援であります。

 例えば、ハローワークに行くだけではなくて、ハローワーク一つとっても、きょうからあなたの担当になりました○○です、あなたの就職が決まるまで、最後まで一緒に伴走していきます、一緒にやっていきましょう、いろいろな経験から含めると、やはり三カ月までが勝負ですし、それから先は大変だから、三カ月以内に決まるように一緒に考えていきましょうといったような個別の支援がやはり一番効果があった。

 今、伺うところによりますと、ハローワーク等も含めて、公的なそういうサポート、コンサルタントがふえている、その要員を増員しているというふうに伺っておりまして、それに対しては、大変すばらしい取り組みだと思っております。

 ただ、一方で、必要なのは、そういう公的な支援、機関だけではなく、より社会全体で個別に支援する人材が大変必要だというふうに日々痛感をしております。

 若者の人間力を高める国民会議の中で一、二度発言させていただいたことがあります。それは、こういうふうに申し上げました。

 今、国が、政府が、百人の例えばニート状態の若者に対して何かをしようとすると、それは成功するかもしれないが、大変な時間と費用を要する。より効率的で、かつ望ましい方法は、百人のニートを国が何とかするよりも、百人のニートを支援できる十人の支援人材を育成することが極めて有効であり、社会的な公正にかなっていると。

 重要なのは、個別に持続的に支援する人材をいかに公的に育成していくかだというふうに思っております。

 もちろん、一つの例は、これからお話しなさる工藤さんのような例もあり、NPOを含めて、そういう支援をする人材をどうやって育てていくのか。一九八〇年ごろより日本の家庭にさまざまな問題が起こった後、みずからの力でそういう支援をなさる方が大きくふえている。ただ、多くの経験を蓄積されたその方々が、今六十歳を過ぎ、これを今度は若い世代に、支援人材を育成するために、そのノウハウ、経験を伝える時期に来ているのではないかというふうに強く認識をしております。

 ぜひ、そういう公的な支援人材の育成プログラムということを作成し実践するといったような国の取り組みを期待したいというふうに考えております。

 次に、持続、包括にかかわって、今の青少年問題の本質的な問題は何かということを私なりに申し上げさせていただきますと、その背景にあるのは、言うまでもなく、実は貧困問題であります。

 当初、ニートが大きく話題になったときに一般によく言われたのは、ニートは、経済的に余裕のある、どちらかというと裕福な家庭から生まれているんだろうというふうな主張、意見というのは多々見られました。

 二〇〇七年十月に、労働政策研究・研修機構が発行しております日本労働研究雑誌という学術的な雑誌に、若年無業に関する経済学的再検討という論文を投稿し採択されました。そこでは、私自身、こういうふうな研究を御紹介しております。

 総務省統計局が五年に一回行っている就業構造基本調査という、百万人以上の単位、そこには大変多くのニート状態の若者を含めている大規模な調査があります。

 こちらを用いて研究してみたところ、かつては、ニート状態の若者は、比較的所得の多い、年収一千万円以上の世帯から輩出するケースは、確かに九〇年代冒頭ぐらいまでは高かった。それが、いわゆる失われた十年から二〇〇〇年代を経験する中で、明らかに経済的に豊かではない、むしろ、貧困世帯そして単身世帯、理由があって若者一人で暮らしている世帯、貧困世帯や単身世帯からニート状態になってしまう若者が明らかに多くなっているという事実があります。今、ニート、ひきこもり、青少年に困難を抱える問題の大部分は、恐らくは、今大変な社会問題である貧困問題と表裏一体の関係にあるということを改めて認識しなければならないというふうに思っております。

 そう考えますと、昨年来の、緊急、補正予算等でなされている対策は、非常に若年対策、青少年対策からしても望ましいものが多々あるというふうに思っております。

 非正規雇用の問題、派遣切りの問題も含めて、今、就業支援だけではなくて、やはり生活を支援する、その両方をいかにセットにしてやっていくのかということは大変大きな社会の流れであろうと思いますし、先進国の例を考えても、先ほど包括的と申し上げたのは、単に就業支援だけでは解決をしない、就業支援と同時に生活支援、この二つがセットになって初めてさまざまな効果が行われてくる。そういう意味で、今住宅支援等々生活に関する支援が行われているのは、大変青少年対策としても望ましい方向であろうというふうに考えております。

 例えば、技能者育成資金制度というのが始まって、技能訓練を受けると同時に、生活資金に関する援助もする。そして、それに対しては、就職の状況に応じて、奨学金の返済の免除ですとか、やっとそういう制度が始まってまいりました。これをいかにして、より望ましいものにし、多くの必要とされている方々に提供するのかということが今重要であろうと思っております。

 技能者育成資金制度のほかには、例えば、数年前から若者自立塾というのがスタートいたしました。そこでは、既に数千人の方が三カ月の教育訓練を通じて就職実績を上げているというふうに聞いておりますが、私の伝え聞くところによりますと、入りたいという問い合わせはその何十倍も届いているというふうに聞いております。

 ただ、実際、入らないのは、さまざま理由もありますが、恐らく、大きいのは、月額九万円程度の自己負担金というのを各世帯が準備しなければならないというのは、多くの貧困世帯にとってはやはり大変厳しい条件であります。もちろん、それに対して、低所得者に対する免除制度もありますが、それでも六万円程度の自己負担というのがなされなければならない。これは大変苦しい状況であります。

 貧困問題ということを考えてみると、自立塾が当初、就業対策、雇用対策としてスタートしたがために、そういう生活資金に対する援助というのは予算上の措置としては講じないというのは、確かに制度としては筋の通ったものだと思いますが、先ほど申し上げたような包括的な対策ということを考えますと、やはり厚生労働行政というのは、厚生と労働が一体化して初めて効果を持つものであり、自立塾一つをとっても、就業政策と生活支援政策とがより包括的になされる方向というのを考えるべきではないかということを考えております。

 包括的、持続的といった場合に、先ほど来就業と生活支援ということを申し上げましたが、もう一つ重要な根幹というのは、やはり教育に関する部分だろうというふうに思っております。

 最近、今回のような経済状況の中で、新自由主義に対する批判でありますとか、市場経済に対する批判、市場経済がいかにあしきものであるか、さまざまな御意見があろうかと思います。市場経済が悪かどうかということはまたいろいろな論点があるかと思いますが、残念ながら、市場経済の中にはあしき存在があるということも認めなければならない現実だと思います。

 フリーターというのは労災がもらえないんだとか、そういうふうなことを言う使用者側が全く世の中にはいないという保証はどこにもないわけであります。もちろんそれは法律上は間違ったことであって、しかし、そういう法的な知識ということを持っている若者ばかりではありません。

 以前、非正規の若者、独身の若者二千名に調査をしたところ、ほぼ八割から九割はハローワークの存在は知っております。ハローワークというのに行ったことがあるか行ったことがないかは別として、その存在というのは知っている。しかし、一方で、総合労働相談コーナーという存在は三割も知りません。

 総合労働相談コーナーというのは、御存じのとおり、二〇〇三年度から開始をされた、労働問題に関するあらゆる問題に対するワンストップサービス。賃金の不払い、不当解雇、セクハラ、いじめ、あらゆることに対して、そこに相談に行く。もちろん監督行政の一環でありますから、最悪、悪い場合には送検等もできるわけであります。

 ただ、何かトラブルに遭った場合に、そこに相談に行けばいいんだ、そういう知識も経験もない場合には、言い方は余り適切ではないかもしれませんが、泣き寝入りということも起こってしまうわけであります。どうやって問題が起こったときに自分一人で泣き寝入りせずに解決するのか。

 我々は、病気をした場合には病院に行けばということを多くの人は知っております。働きながら、生きながら、トラブルに遭った場合に、どこに相談に行けばいいか。もちろん親とか近隣にそういう相談に乗れる人がいる場合はいいでしょう。しかし、今の貧困問題を抱えているのは、親すら、近隣すらに相談できる場所がない、知人がいないというふうな現実であります。

 総合労働相談コーナー一つとってみても、私は、例えば御縁があって中学校や高校でお話をさせていただく場合には、総合労働相談コーナーという大変長い名前だけれども、必ず地域には複数あって、何かあったらそこに相談に行けば必ず個別に話を聞いてくれる人たちがいるんだということを伝えるようにしております。

 具体的には、やはり、キャリア教育という数年前から開始しているものに対して、キャリア教育というのは、生涯の中でさまざまな困ったことに出会ったときにどうすればいいのかという具体的な知恵や経験を伝えることだというふうに思っております。

 以上、個別的、持続的、包括的という観点から、幾つか思いつくところを申し上げさせていただきました。(拍手)

末松委員長 どうもありがとうございました。

 では、次に、工藤参考人にお願いいたします。

工藤参考人 よろしくお願いします。

 支援するための対策ということで、今、民間NPOとして対策をしているところなので、その部分のお話をさせてもらえればと思います。

 先ほど玄田先生がおっしゃってくださったみたいな、一九八〇年代ぐらいからこういう事業が取り組まれていまして、一九七七年生まれなんですけれども、まさにそういう場所で育ちました。比較的そういう歴史的なものも存じ上げているつもりでございます。

 先ほど玄田先生から、三本柱、個人的、持続的、包括的というのがございましたけれども、支援するに当たって意識しているのは、それとはまた別の軸で、五つのステップがある。

 社会に参加できない若者が多いですので、まず、発見をする。当然、現段階では、行くということも含めて発見なんですけれども、誘導をする。よかったらこっちの支援に来ないかと誘導して、支援をします。そして、雇用という意味では、出口。社会参加という意味での出口まで一緒に伴走をして、最後は定着をする。発見、誘導、支援、出口、定着の五つのステップを川下支援としてやっておるんですけれども、最近は川上で、キャリア教育の方に入ったりもしています。

 支援する中で幾つか意識していることがあるんですけれども、私どもの理念は、若者の社会参加と経済的な自立を実現することでございまして、社会的な自立とか精神的な自立というものをほうっておいているわけではないんですけれども、団体の理念としては、経済的な自立に特化して支援をしていこう、そのときに意識していることは、働くための支援と働き続けるための支援は全く別物であると。

 たまに相談があります、何でもいいから子供を働かせてくれと。そういう親御さんには伝えます。三日あればやりましょう、そのかわり、就職をして一時間でやめても文句は言わないでくださいとお伝えします。

 つまり、雇用についてほしいというのはもちろんなんですけれども、当然、ついた後、向こう三十年、四十年幸せに働いてほしいわけです。就業のマッチングだけするということは、働くための支援でございますけれども、これだけいろいろな方が就業をしても離職率が下がりませんので、恐らく働き続けるための何らかの対策がなされていないんだろうと思います。

 では、働き続けるために何なのかというところは、非常に長くなってしまいますのでちょっとお話しするのは難しいんですけれども、少なくとも、今、政策においては、比較的、働くこと、つまり就職することにウエートが九五%ぐらい置かれていて、その前段階において、働いた後に、会社なら会社でうまくやっていく、仕事について納税者としてやっていく、そういう部分への支援が非常に政策として少ないような気がします。

 教育の方ですけれども、年間に百から百五十校ぐらい全国行っています。呼ばれるところというのは、例えば偏差値が非常に高いようなところからは呼ばれません。やはり、学力だけじゃなくて、家庭背景も苦しい高校さんとか中学校から呼ばれます。

 そのときに、何でうちを呼んでくださったんですかとなると、非常にセーフティーネット型のキャリア教育だからと言われました。

 つまり、きらきらした未来を追うようなことは余り得意ではないので教育コンテンツの中にのせていないんですけれども、働くとか、生きるとか、知るべきことを知るとか、特に、お金であるとか職業の違いだとか、将来、就職先がどういう影響を与えるのかという、本来言いづらい部分をなるべく言うように、本当のことを伝えるようにしています。結果として、そういうニーズ、そういうことを先生が話すのは非常に難しいので、やってくれと言われるのは厳しい環境にある高校とかが多いんだなというふうに思います。

 そういう意味では、未来型のキャリア教育ももちろん片側で大切なんですけれども、本当にきらきらした未来だけを追うことがいいのか、事実を知っておくことも大事じゃないか、学生と社会の違いというのは非常に大きな隔たりがありますので、その部分を埋めるような何らかのお手伝いができないかなというふうに思っております。

 就業支援ということで、社会参加と経済的な自立の支援をしているんですけれども、やはりこれは、雇用側、労働側から見た支援団体ですので、支援の、御相談の内容によっては全く無力だなと思うことがあります。

 働くことの相談に来た女の子からいろいろ話を聞いていきますと、実は義理の父親にレイプをされていましたというような話は、去年は三件ありました。よくよく聞いていくと、先ほど玄田先生から貧困という話がありましたけれども、やはり家庭が生活保護であったりとか所得が余り高くなかったりとか、それでもその女の子は、将来働くためにどうしたらいいだろうかと聞きに来るんですけれども、それ以前に、やってあげたいことがたくさんある。それは、福祉であったりとか医療であったりとか。

 いろいろなセクターが一体となって、みんなで支援していくネットワークをつくりましょうというのはよく言われるんですけれども、それが本当に機能しているか。機能している場所もありますし、なかなか難しい部分も民間団体としてはございます。

 支援団体という意味でいいますと、うちは比較的大きい方だと思います。職員も常勤と非常勤含めて五十人ぐらいいるんですけれども、生活は比較的苦しい。

 ネットワーク会議に参加しなさいと、市区町村レベル、都道府県レベル、国のレベルのネットワーク会議だけで、年間に何十日もとられるわけです。しかも、立川という遠いところに住んでいるものですから、電車なんかも含めると半日かかる中に十回も二十回もネットワーク会議があって、それぞれ出どころが全部違って、でも、話している内容といる人間がみんな一緒で、しかもお金も出ない。

 ネットワーク会議に出るからお金をくれと言っているわけではないんです。ただ、そこにかける時間があるんだったら目の前の子を支援したいと思う職員がいて、でもネットワークがあった方がいいよと伝える自分がいて、でも払えない給料があって。

 そういう意味で、政策として、対策として、ネットワークをつくりなさい、会議をやりなさいというのは非常に助かるんですけれども、助かる一方で、やればやるほど苦しくなっていくというところでいつも思うのは、思いとか志があればおなかが勝手に膨れると非常にいいなと思うんですけれども、なかなかそういうわけにもいきません。

 人口集積地にこういう団体は意外と少ないんです。家賃が高くて払えません。やはり、山手線圏内にこういう団体をつくるというのは非常に固定費がかかりますので、実質上は大分外側に行ってしまう。当然そこには、アクセスが悪くなって、人が来づらくなって、相談するにもお金がかかって、ではお金がない人はどうするんですかという話になってしまう。

 もう少しちゃんと社会的な事業体として収益も上げられればいいんですけれども、非常にそういう部分で生活は豊かじゃないですから支援者はやめていきます。それは生活がありますので、結婚する、子供を産む、だから、やりたいけれどもこの仕事はやはり難しいなということで、やめていく若い世代が後を絶たない。

 また、公務員の方でこの若者支援の担当になられた方というのは、いつも、すごいおもしろい、今までの中でこの仕事が一番おもしろい、やりがいがあると言ってくださるんですけれども、その方が頑張れば頑張るほど悲しい思いも募る。

 なぜかというと、二年から五年で必ず異動しますので、その人がいなくなってしまって、すべてやり直し、またはマイナスからというのも多々あります。行政の方にやっていただく部分というのはすごくたくさんあって、すごく思いの強い方がいっぱいいらっしゃるんですけれども、きっとこの人も二年か三年でいなくなるんだなと思ったときに、一生懸命やりたい部分と、結局いなくなるからどうしようという部分で、葛藤があるのも事実です。

 その意味では、いろいろな制度とかはあるんでしょうけれども、ゼロ歳から三十何歳までを見るわけですから、やはり専門的な、異動のないような方が本当は行政の方にもいらっしゃってくださるととってもありがたいなというふうに思います。すごくみんなすてきな方なんですけれども、必ずいなくなってしまうので、そこが悲しいなと。

 うちの職員同士が昨年結婚したんですけれども、残念ながら、新聞記事に載りました。NPO同士が結婚するのが新聞記事に載るような業界ですから、今、その一人の子が妊娠をして七月に出産しますけれども、多分、プレスリリースすれば記事になると思います。NPO同士の職員が結婚して子供を産むことが社会的な記事として出てくるところですから。そこに対して何らかの、政策上の中にも、対策上の中にも、できれば支援をいただきたい。

 いろいろありますけれども、極端なことを、誤解を恐れずに言えば、国の事業は、受けることは非常に有意義、一緒にやらせてもらうことは非常に有意義です。お金のない方に自分たちの支援を届けることができますので、ぜひやりたい。

 ただ、構造上、委託事業を受けると必ずマイナスになります。一千万円、二千万円の事業を受けますと、一年間、まず自己資金でそれを出さなければなりません。まず自分でそのお金を使って、後で精算で返していただく。それはそれで構わないんですけれども、なぜか一般販売管理費がなかったりとか、もともとそんなに原資がないので、証書貸し付けという形で銀行からお金を借ります。大体、利子は三パーかかります。つまり、二千万円の事業で一生懸命やった結果として、まず第一に六十万円をどぶに捨てるところからスタートしなければならない。やればやるほどマイナスです。

 国との共同事業はとてもありがたいんですけれども、その構造の中で、受ける側の生活のことまでちゃんと考慮された状況で仕組みがつくられているかというと、どうしてもそういうわけではない。では、お金がある人しか支援しないのかといえば、そんなことは当然ないわけです。

 お金のない方、たまたまそういうところに生まれてしまった青年たちに支援を届けるために国の事業を一緒にやらせていただいて、その結果として、自分たちの生活が犠牲になって、支援者が育たない。こういう状況が、対策の後の、政策を受ける側に今起こっている状況で、残念ながら、三十前後で今頑張ってやっている人間の中には、国の事業と県の事業、市の事業、非常にやりたいけれども、やると団体がつぶれるので、選択的に、やれない、やらないということもかなり出てきています。

 そして、二十五歳ぐらいからいろいろなレベルで国の委員とかをやらせてもらったんですけれども、よくわかっていない若造をそういうところへ入れてくださって、心ある行政の方とか、本当にありがたかったんですけれども、この六年間いろいろなところで参加させていただいて、若者支援に関して現場から発言してくださいとかと言っていただいたんですけれども、この六年間、そういう支援系の委員会で同じ世代に会ったことがありません。

 若者の問題を考える委員会の中で、若者がどういう状況か当然いろいろな方が調べているんですけれども、その当事者がいません。六年間何十個も委員会に出て、一回も会ったことがなくて、一番年齢が近い方が玄田先生です。何となく自分の意見が若者代表みたいなとられ方をされてしまう部分に自分の責任の重さを感じるんです。それ以前に、男性と女性の問題と。

 僕は七七年ですけれども、八〇年代生まれとか平成生まれの子まで委員会の対象者に入ってくるわけですけれども、大多数の方がこういうのがいいんじゃないかと言われたとき、個人的に、それは若者としてはないんじゃないかと思う部分で、多数派が形成できないといいますか、やはり一人であらがうことは難しいこともあります。

 欧米なんかでは、当事者が二割から三割入るべきだ、当事者世代が政策に入るべきだという暗黙の了解みたいなものがあるということをお聞きしました。イギリスに行ったときも、中学生のための政策をつくっている場所に地元の中学生十人ぐらいが入って、このデザインはいけてないとか、だれもこんなの使わないとか、中学生の観点から意見をおっしゃっていました。

 若者支援は、確かに家族も一体ですので保護者の方への支援もあるんですけれども、では、そういう保護者の方、お母様、お父様の方が委員会にいるかといったら、いません。当事者の若者に来いと言うのは苦しいかもしれませんけれども、では、そういう若者とふだん触れ合っている若い人間が委員会にいるかといったら、いません。当然、学歴なり経歴で実績がないので呼びづらいという事実はわかります。

 理事長となるとなかなか、若い人が理事長をやっている団体というのは非常に少ないんですけれども、やはり若年の政策をつくっていく上で、その政策立案の中に、どんな方であれ、若者が一人とかゼロとかというのは、結果、その政策が若者に反映されるとはちょっと思えない部分があります。

 ちょっとばらけてしまったんですけれども、今、学校に、小学校、中学校に行けない人が年間十二万人ぐらいいて、高校をやめる人が八万人いて、大学などをやめる人が十四万人いて、ニート状態にある人が六十万人いて、ひきこもり状態にある人が、ひきこもりは年齢制限ありませんので、百万人とかいて、働く人の三分の一が非正規で、五人に一人が年収二百万以下で、そして四人に一人は貯金がない。

 こういう状況を若者の支援という観点から考えていく場合においては、民間の団体だけでは限界があります。政策として、政治としてやっていただかなきゃいけないこと、その方々しかできないこともたくさんあります。

 何よりも、今、若者のひきこもりの支援とか若者の支援というのは、全体の風潮として、国の経費というイメージを受けます。支出であるというイメージを受けます。自分の友人からも言われます。何でそんなところに自分の大切な税金を使わなきゃいけないんだと、だったらおれも苦しいと言われます。

 何となく、そういう若者支援というのは経費という感覚が非常に強くなっておりますけれども、これは社会的な投資事業であって、一人の青年が自立することによって、本人も幸せですけれども、当然、納税の観点から見ても、放置したままと比べれば非常に大きなインパクトが、一人でもあります、四十年ですから。それが百万人とか何十万人とか、何もされないまま放置されているというのはやはり国家的な損失でもあると思いますし、そこに対して、彼らの支援というのは自己責任であり経費であるというこの風潮を、何とか発言力のある方に変えていただきたい。

 それは、投資であって、彼らが生き生きと働くということは、国を活性化させることであり、もしかしたら消費を喚起させることであり、やはり、できるだけ若い段階で必要な支援が受けられて、みんなが、日本のために、自分のために、家族のために働けるような時代を、政治の方とも、もちろん行政の方とも、自分たちとも、一体となってやっていくことがいい。そのための対策であるとか政策、そこを意識した対策、政策というのができていけば社会はもっとよくなるんじゃないかなと思います。

 以上です。(拍手)

末松委員長 ありがとうございました。

 次に、布袋参考人にお願いいたします。

布袋参考人 皆さんの話を感心しながら聞いているうちに、自分が何を言ったらいいのか、ちょっと忘れそうになりました。

 工藤さんが最後の方で、国の事業を受けると大変なんだという話をされました。

 実は、今、私は和歌山県の田辺の方で南紀若者サポートステーションの事務局の方も担当しておりまして、これは、国の事業に県も加わって二千何万がしのそういう事業なんですが、工藤さんも言われましたけれども、もともとお金が全くないところでやるわけで、国からお金をいただくのは、簡単に言うと、終わってからなわけですよ。すると、それまでに、銀行だとかそういうところに融資を頼まなきゃいけない。そうすると、利子が発生しますよね。実は、その利子は予算の中に計上できないようになっているんですよね。だから、これは素人考えですけれども、最初にがぼっと二千万円ぐらいくれて、さあ、これでやってというふうに言われると、それはそれなりにできるんですけれども。それはもう、非常に苦しい台所というか、そういうのがあるわけです。

 それと、私は、今、田辺市のひきこもり検討委員会という、役所の中の委員会の中にいるわけですが、それの世話をしているということになるんです。ハートツリーというNPOの、ひきこもりの青年たちの居場所、デイケアをするところなんですが、そこでも、和歌山県はすごくそういうことに理解があって、県と市が折半しながら五百万くらいの補助をいただくわけです。若いスタッフが二人いるんですが、それと家賃がありますので、家賃とかそのほかの事務費とかいろいろなことを重ねると、いつも赤字になるんですよね。

 それでは、それをどうやっているのか。僕は、もともとは高等学校の教員をやっておりまして、五年前に退職になってお手伝いをしているわけです。理事長さんをやっている、かつて先生だった、八十前のすごい元気なお年寄りの女の人がいるわけですけれども、僕はよく知っていて、お手伝いをさせてもらっているんです。どうやら、彼女が持ち出しながら運用している、そういう実情があるわけですよ。だから、彼女に倒れられると、そこがつぶれていくというふうになったりする可能性のあることなんです。

 ですから、忘れないうちに言いたいのは、ぜひ、経済的な支援といいますか、それを何とかお願いしたいということが一つです。

 それと、先ほど玄田先生がおっしゃったと思うんですが、こういう民間でのひきこもり青年に対する支援をする人たちの資質の向上のための幾つかの研修のようなものを公的な責任でもって各地でやってもらいたい。かつてそういうことはやったことがあるんですが、それはもう途絶えてしまっているんです。そういうのをぜひお願いしたいなというふうに思います。

 これは、忘れると困るので、お金のことと、そういう資質向上のための研修、そういうことをまずお願いしたいと思います。

 僕は和歌山県の田辺というところなんですが、田辺市は皆さん余り御存じないと思うんですが、きょうは皆さんのお手元にこういうのを配らせてもらっています。これは熊野古道の、ちょっと何かトリップするような感じの表紙ですが、これを見ていただいて、和歌山の田辺というのはどんなところかを少しイメージしていただけたらと思うんです。

 もう一つ、こういうデータをお配りしていると思うんですが、毎年、私どものひきこもり検討委員会というのが一年間のまとめを出しているわけです。でき上がってから八年経過しましたかね。毎年、どのような相談活動をして、そしてどんなふうな協議をしてきたのかというふうなことを書いているわけですけれども、これはこの抜粋です。それをごらんになりながら私の話を聞いていただきたいと思います。

 私に与えられたテーマは、多分、ひきこもり支援のためのネットワークというふうなところではないかなと思うんですが、その点について少しだけお話をしたいと思います。

 田辺にそもそもひきこもり支援の動きが出始めたのは、今から十年ほど前になるかと思うんですが、当時、不登校の生徒たちを支援する自発的な支援の活動というのが市のあちこちでできるというふうになるんです。中心になるのは、先生のOBの方たちが教育相談センターをつくるわけですね。そこに不登校の子供さんたちが来て、そしてその親御さんたちも来る。そして、不登校の子供さんたちにメンタルフレンド的にかかわる若い青年のサークルが来るというふうになった。そういう運動があったというふうに僕は記憶しています。

 そして、これはちょっと特徴的なことですけれども、田辺というのはちっちゃい町ですが、精神科の先生が、精神科医療で一番大事なことは精神障害者たちを町へ出すことだ、地域の人たちと一緒にいろいろな生活をするべきだというお考えをお持ちで、そういう意味で、作業所だとかグループホームだとかということを精神科の病院の院長さんがみずから率先して町でずっとやり始めていたわけです。精神障害者に対する福祉作業所だとかそういうふうな動きがあったということと、それと、知的障害者あるいは身体障害者の作業所づくりの運動が広範にあったわけですよ。

 実は、そういう運動を田辺市の役所の保健福祉の分野におる人たちがバックアップするというふうな形で、経済的にはそれほど援助できる財源はないわけですけれども、市の土地を貸与したりしながら、幾つかのところにかなり大きな作業所ができ上がっていくというふうになりました。

 その作業所運動の立ち上げをやった人たちと不登校を支援する人たちが一緒になって、役所の人たちと協議しながら、不登校だけじゃなくて、ひきこもり青年に対する支援も何とかしようというふうなことが論議されていくようになるわけです。市議会でもそういう動きがありました。そして、市の役所の担当官が決められていって、具体的な動きが出てくるというふうになるわけです。

 当初はこういう形で、一部ですけれども、住民たちの要望にこたえるというような形で田辺市が動き始めて、一人、すごく熱心な保健師さんがおりまして、有名な方ですけれども、目良宣子さんという方なんですが、その方が、みずからの人脈も生かしながらネットワークをつくり、検討委員会というものの立ち上げに奔走するというふうになるわけです。

 彼女だけではもちろんできませんで、役所の中心的な幹部の人たちも彼女を支える形で、保健師さんのところにそういうのを置いて、そしてみんなでバックアップしようというふうな体制ができ上がって、ひきこもりの検討委員会がつくられるというふうになるわけです。

 十三年にそれができ上がって、すぐに窓口がつくられます。窓口をつくって、みんなに呼びかけて、幾つかの相談を受け入れ始めるというふうになるわけです。

 行政がひきこもりに特化した相談窓口をつくるというのは、恐らく全国でも初めてだったのではないかと思うんですが、そこでその窓口をバックアップするそういう検討委員会、これはいわゆるネットワークですが、民間それから公的機関を含めて、ことしは三十二名ぐらいですかね、そういう検討委員会をつくる。そして、年二回ぐらいの割で、窓口の活動がどういうふうになされていっているのか、今どんな支援がやられていっているのかというようなことをお互いに情報交換して協議していくというふうなことをやっているんです。

 実際の活動は、この中で選ばれた人たちの小委員会というのを月一回やっていまして、そこには、精神科医とか臨床心理士とかPSWとか、それから学校関係の人とか民間の支援グループ、NPOの関係の人たちとか、そういう人たちが集まって、窓口の活動の評価をしたり、支援についてどんな広がりを持つべきなのかというふうなことを、具体的にお互いに協力し合えることはどんなことなのかというふうなことを含めて、月一の割で話をしているというふうになるわけです。

 この話は結構密度が濃くて、僕はほかにもいろいろなことがあるんですけれども、月に二回、必ずこの種の会議をやるわけです。打ち合わせをやって、そして小委員会をやって、そして別の協議があってと、こういうふうになるので、僕のように民間にいる人間にとっては結構しんどいんですけれども、役所の人間が事務局としてそういう会をつくっていくというふうになっているわけです。

 そういうふうな活動をやっているうちに、家族会ができ、そして青年の自助会のようなものができ、それから、僕が今属している民間のNPOは、居場所とデイケアを担当するというふうになります。

 それから、NPOがその後二つくらいできまして、障害者の人たちとひきこもりの青年たちを集めてシイタケ栽培の仕事をしたり、それから、去年からつくられたんですが、田辺というのは古い町なんですが、町家風の建物が残っているんですが、それを改造してカフェにする。石窯をみんなでつくって、つくるのに半年かかったんですけれども、石窯をつくって、そこでピザを焼いたり、天然酵母のパンを焼いたり、そして、カフェですからコーヒーを出したりしながら。

 町家風のカフェをつくったり、そこに、少し知的な障害のある方とか、引きこもっていた青年とか、そういう人たちがスタッフとして働き、家族がそれを支えるというふうなのがまた始まりました。そういうふうにして広がりを持っていき始めました。

 それから、昨年からは、先ほど言いました南紀若者サポートステーション、若者サポートステーションの南紀、これは北の方と南の方とあるわけですけれども、その南の方を僕たちが分担してやるというふうになりました。これが結構評判で、いわゆる就労しにくいといいますか、そういう若者、引きこもっているだけではない、そういう若者の相談が相次ぐという形に今はなっているわけですね。

 ハローワークには行けない、しかし何かちょっと仕事をしてみたいなというふうな青年たちを引き込んで、キャリアコンサルタントの相談があったり、それから臨床心理士がそこにいますから、そこでの相談を受けたりというふうにしながら、少しずつ社会への一歩を踏み出しているような若者が出てくるというふうになっているわけです。

 もう時間がありませんから一言だけ最後に申し述べたいのは、実は、最初は、田辺市は、住民の要望にこたえて突き動かされるようにしてこのネットワークをつくっていったわけです。しかし、今は、実は僕がきょうこちらに来るというときに、市長に別の用があって話をしたときに、市長は、ぜひこのことは言ってくれと言ったんですが、それはどういうことかというと、今、田辺市は住民主体の健康なまちづくりの取り組みをやっている、その一つとして、ひきこもりへの支援というのは行政の課題として位置づけているんだ、だから、そのことは積極的に言ってきてくれと、こういう言い方をしました。それともう一つは、田辺の宣伝をいっぱいやって、田辺にどんどん遊びに来てくれよと、こういうふうなことも言っていました。

 実は今、市議会議員の選挙と市長選挙のダブルの選挙のシーズンなので、あさって二十六日が投票日なんで、もう町はやっさもっさしているんですけれども、その中で市長が、僕と会ったときにそういう話をしていました。

 若い市長ですけれども、随分理解がありまして、あちこちから、去年、おととしかな、工藤先生にも来ていただいたんですが、そういうふうに、ひきこもりやニートについて前線でいろいろな活動をされている方を田辺市に呼んで、市民の啓発をしたり、いろいろな人たちの勉強会をしたりというふうにやっています。その先頭に市長も立っているというふうなことです。

 田辺が全国に先駆けてひきこもりに特化した相談窓口をつくったというのは、いろいろな根拠があると思うんですけれども、やはり、行政がすごく熱心なこと、それから周りの人たちの押し上げ、そういうのがうまくマッチしている。それから、ちっちゃい町ですから、顔が見えるところに熱心な精神科医がいたり、PSWがいたり、臨床心理士がいたりというふうになります。この人たちがうまく絡み合ってネットワークができたというふうに考えていただいたらいいと思います。

 あと言い足りないことが幾つかありますけれども、後の時間で申し上げたいと思います。

 ありがとうございました。(拍手)

末松委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人の方々からの意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

末松委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。永岡桂子さん。

永岡委員 自由民主党の永岡桂子でございます。

 本日は、各参考人の皆様方におかれましては、大変御多忙中に当委員会に御出席をいただきまして、貴重な、そして有意義な御意見をいただきました。本当にありがとうございました。困難な問題を抱えます青少年の対策は極めて重要であるということを改めて痛感いたしました。

 まず、参考人全員の方にお伺いしたいと思います。

 洋の東西を問わず、青少年は国の活力の源だと思います。ニート、ひきこもりの若者の増加というのは、本人の幸せや自己実現という点はもちろんのこと、日本の社会の活力という点からも、将来にわたる重大な問題であると思います。

 この原因というのは定かではありませんけれども、雇用状況の悪化だけではなくて、少子高齢化ですとか核家族化、情報化、そして価値観の変化など、青少年をめぐります環境の変化が複雑に絡んだ結果であろうと思います。したがいまして、こうした社会の変化に対応し、青少年が健やかに成長を遂げるよう、若者の自立支援というのは国を挙げて取り組むべき課題と考えるわけです。

 このたび、政府は、青少年総合対策推進の法律案を提出しております。各地方自治体が地域において支援するためのネットワークづくりということで、一元化しました相談窓口である青少年総合相談センターを設けまして、各地域の教育、福祉、保健ですとか、医療、雇用、NPO法人など、地域の関係機関が支援を適切に行うための協議会、そういうものが設置されることになっております。

 このように、新たなニート、ひきこもり対策の支援、これを推進しようとしているわけですけれども、参考人の皆様方はこれについてどういうふうにお考えをお持ちでしょうか。また、何が課題であるかということをお聞きいたします。

川越参考人 いつもそうなんですが、このニートの問題にしても、いろいろなひきこもりの問題にしても、問題が出てからあたふたあたふたとするんですね。私たちの家庭教育というのは、予防なんですよ。だから、出す前にちゃんと教育すれば、これはもう絶対に出ないんです。

 というのは、私自身が、自分が体験者なんですよ。

 私は、明治大学の法学部を出て、三十年に卒業をして、今七十六歳です。それで、裁判官になるので、うんと勉強して。それなのに、結婚して子供ができたときに、この子をとにかくナンバーワンにしようと思って、徹底して三歳から教育を始めたの。そうしたら、四歳七カ月で八歳四カ月の知能があったんだけれども、ある有名な幼稚園に一番で入れると思ったら、落っこちちゃったの。川越家の嫁が何をやっていると主人の妹におどかされて、それで幼稚園に電話をかけたら、特殊な子供だということで園長先生が出てくださって、説明したの。確かに知的能力はある、IQはすごく高いけれども、いわゆるEQというのがないと言うの。どういう育て方をしましたかと言われたの。どういうと言われたって、一生懸命育てたわけですよね。三歳ぐらいからいろいろ教えたら、物すごくいろいろなことを覚えたんだから。

 そして、ある病院に行って全部専門家に調べてもらったら、完全に自信喪失のノイローゼだと言われました。頭の中とかそういうのは一切問題ない。とにかく、これは心身症で、もうあなたが治す以外ないですよと言われて、それから法律家になるのをやめて、この子供を一人前に、いわゆる普通の人間にするまで私は母親としての役をやらなきゃいけないということで、当時、小林謙策先生というのが、長野県の学校の校長先生をされたんだけれども、その人も、一番の娘をつくろうというので東京の大学へ出てきて、子供が一番じゃなくなったので小田急線に飛び込んで自殺されたんですが、結局、その先生について家庭教育の勉強を始めたんです。

 だから、やはり私の立場とすれば、そこに三年間やった資料も入れておきましたけれども、細かいことを全部やる以外ないと思います。対策とか何かそんなことよりも、とにかく勉強をさせないとだめ。もう何人も救っていますから。

末松委員長 済みません、答弁は、できるだけ簡潔にお願い申し上げます。

玄田参考人 私も、現在の青少年支援の総合的な対策は大変望ましいことだというふうに考えております。大事なことは、これを今後継続的にやり続けるということではないかというふうに思っております。若者自立・挑戦プランがスタートしましたのも、振り返りますと、まだ四、五年前の話でありますし、やっとその総合的な対策が緒についたところだと思っております。

 傾向的に、日本に限らず、青少年に対する対策や目線というのは、景気が悪いときには焦点が上がりますが、そうじゃないときは下がってきたりとか、これから少子化が進むとなりますと、相対的にマイノリティーになる方々に対する視線というのはだんだん弱くなっていく。そう考えていくと、これをどう持続的に、継続的に続けていただくことができるかということに大変大きな論点があるんだろうというふうに考えております。

 以上です。

工藤参考人 これまで比較的年代とかで区切られていた部分の政策が一括化されるというのは非常にありがたいことですし、地域というのはとても大事なものなので、その中に必要となる人材がたくさん入れることと、また、必要に応じて現場の、本当に、政策をつくる側じゃない人たちが活発に意見交換とか検討を、特に個人情報保護の観点というのは非常に難しいところがありますので、そういうのが、法律も含めてうまく話し合える状況ができれば支援もうまく進むと思います。

布袋参考人 若者自立塾の話をもう一回簡単に言いますけれども、先ほど玄田先生が言われたんですが、例えばひきこもりの青年を三カ月で何とかしようというのは、これはどだい無理な話なんですよね。ですから、国がいろいろ思いついてやっていただく策は、それなりに僕はいいとは思っているんです。

 しかし、現場でいろいろなことをやっている、ひきこもりの青年やニートの青年と格闘している、そういうNPOの連中の意見をよく聞いていただきたい、具体的に聞いてもらいたい。そういうふうなことがどこかでいつもなされていくということが僕は大事なことだと思います。それ、一つだけです。

永岡委員 どうもありがとうございます。

 川越参考人の意見というのは、私も母でございますので、子供が小さかった昔のことを思い出しますと、非常に有意義であり、私もこうやって子供を育てたかったなと。

 人に迷惑をかけないは消極的だ、これは、実は私がしょっちゅう言っていたことでしたが、喜んで人に役に立つような人になりなさい、そういう思いを込めて子育てをするということの重要性というのも伺わせていただきまして、本当にありがたかったと思っております。子供に伝えていきたいと思っております。

 では、次に、布袋参考人にお伺いしたいと思います。

 田辺市のひきこもり検討委員会の委員長さんとして今最前線で御尽力いただいているわけですけれども、日ごろからニート、ひきこもりの方々と接しまして肌で感じていらっしゃるわけですが、今お伺いしておりましたところ、まずお金と人材と、あとは肌で感じていらっしゃる人の声を聞いてくれ、そういうようなお話をいただきました。

 その中で、私は、若者対策には、直接困難を抱える本人に会って、いろいろ聞いて、その状況を見きわめる相談員の方の役割が非常に重要だと思っております。参考人もそういうふうにお話をしていただいたんですけれども、これは、適切に答えられる資質と能力というのもありますし、本当に重要なことでございますね。

 これまでも、地方自治体では勤労青少年大学ですとかで人材の育成を行ってまいりまして、平成二十年度からは、国においても本格的に人材育成を始めたというところでございます。

 先生のところは田辺市という地方でございますよね。大都市に限らずに、これからニートの方、ひきこもりの方の支援対策をするには、すべての地域、日本じゅうで実施されるわけです。

 参考人のところでは、相談員の確保ですとか育成というのは特別になさっているのかどうか、ちょっとそこのところをお聞かせをお願いします。

布袋参考人 やっていませんね。既にある人的資源を何とか工面しながらやっているという感じです。

 今、本当に困っているのは、当初からずっとかかわってくれていた精神科医の方がリタイアして、そして、児童精神学を勉強されている若い精神科医、若くもないですけれども、彼のところは普通に診察に行くと半年待ちというような感じなんですが、彼が独立してしまってやっているんですが、こころの医療センターという公立の精神科の病院があるわけですけれども、そこのお医者さんたちは、少しさま変わりして、なかなかひきこもりへの協力というのが、こんなところで言っていいのかどうかわからないですけれども、ちょっと何か薄いんですよね。

 僕は、国の方にプレッシャーを与えてくれというふうに言うつもりはありませんけれども、やはり精神科の医療に携わる人たちの協力がないとなかなかこの手の問題は進んでいかないということがあるんです。例えば、当事者の鑑別診断なんかもやっていただかなければならないし、保健師さんはよくわかるんですが、ちゃんと診断するのはやはり精神科医ですから、そういう人たちとの関係とか。

 それから、さっきも言いましたけれども、民間でやっている青年たちは、例えば福祉を学んできた人とか臨床心理を学んできた人たちが来て、自発的に集まって、その要員として、相談員としているわけですけれども、なかなか人材が供給し切れないということですよね。

 大体、NPOのスタッフになるのには、お金のことを言ったらスタッフになれませんよね、ワーキングプアですから。彼らが、これから三十になって、結婚するというふうになったら、多分やめていってしまうんじゃないかなと思うぐらいですから、だから、その辺のところの援助もお願いしたい。何回も言っていますけれども、そういうことです。

永岡委員 どうもありがとうございます。

 では、次に工藤参考人にお伺いいたします。

 実際の自立支援の現場の最前線で青少年と向き合っている方の意見というのは、これは、国の政策に反映させて、よりよい青少年対策につなげていくことが肝心だと思っております。

 工藤参考人がやっていらっしゃいますNPO法人の「育て上げ」ネット、この活動はいろいろ多岐にわたっていらっしゃいまして、主に首都圏を中心に、若者自立塾とかサポートステーションなどの各地の自立支援機関、団体などと連携して取り組んでいると伺っております。

 そうした幅広い活動実績をお持ちですので、その中でさまざまな問題にぶつかってこられたと思っておりますが、今後、ニート、ひきこもり状態の青少年を支援する取り組みをさらに手厚くしようとしている中で、現場の経験から、こうした方がいいのではないかとか、また、要望といいますか注文があれば、お聞かせいただきたいと思います。

工藤参考人 最近、全国で若者支援の政策をたくさんつくってくださってできた中で、知り合いを含めて伝わってくるのは、この仕事に携わった方が倒れている、若者支援にかかわろうと思った人が、全員ではないですけれども、結構倒れているとお聞きしています。

 いろいろな条件はあると思うんですけれども、まず第一に、仕事がそこに生まれたから来た人には、この仕事は難しいと思います。つまり、仕事がない、仕事を探している、たまたまその仕事が若者支援だったというのは、支援する側の方が非常に難しい状況に追われてしまうという部分があります。

 それは二つありまして、一つは、やはり、何だかんだ言っても志がかなり大事なこと、あと、人づき合いですか、人とかなり密着といいますか、密にかかわらなきゃいけないこと。もう一つは、統一的な学習形態といいますか、資格といいますか、少なくともこれを学んでおけば、しっかりインターンシップを含めて学習しておけば最低限の土台ができているという基準値がありません。

 このような話になりますと、どの資格を持っている人がいいのかという話になりがちなんですけれども、一言で言えば、すべて必要であり、全部がプロフェッショナルなレベルに行く必要はないんですけれども、満遍なく最初のレベルを知っておかないと、個人、支援者自身がトラブルになってしまう部分もありますし、共通言語がないとネットワークはできません。

 つまり、保健の方、医療の方が入ってきた場合に、同じ状況をあらわすときに使う言葉が違います。例えば、紹介ということをよく使っていたんですけれども、最近は、リファーとか使ったりとか、ひどい言い方だと、たらい回しとか、いろいろ言葉が、状況状況によって、人によって変わってしまうので、共通言語が成り立たない。

 つまり、多言語で一つのことをしゃべっていると当然意思疎通できませんので、やはり、統一的な土台となる資格といいますか、授業といいますか、経験というのがあった上で、この仕事が、一つの求人として出てくるのではなく、もっともっと社会的な事業、社会的な仕事であるという位置づけがあるといいかなと。

 それは、東京に限らず全国から出ている一つの課題、つまり、支援者が今苦しいという、それは金銭的なものではありません、心身的に苦しくなってしまうという事実のもとで申し上げました。

永岡委員 どうもありがとうございます。

 次に、玄田参考人にお伺いいたします。

 現在、ニートと言われます人は六十四万人いると言われているわけですけれども、ニートになった原因、理由というのは、家庭や学校、そして地域社会の低下や社会構造の変化など、本当にさまざまな要因が絡み合った結果であって、特定の原因を探すのはなかなか難しい、個々それぞれ別であるということもありますし、そういうふうに思われているようです。

 けれども、こういう問題が大きくなっておりまして、これはもう社会的問題であるということですので、最終的には国の責任で解決しなければならないということになります。当面は、対策は対策としてきっちりと進めることが大事と思いますけれども、将来的には、その原因とか理由、そういうものを明らかにして、それに沿って適切な対応をすることも極めて重要なのではないかと考えますが、参考人の御意見をお聞かせいただきます。

玄田参考人 全くおっしゃるとおりだと思っております。

 私は、あるところで、今、原因を追求するよりは、まずさまざまな施策を行うことが最優先ではないかということを申し上げたことがございます。ただ、一方で、今後、将来この問題を考えていくときには、さまざまな客観的な事例そしてデータを使った分析が大変必要なところであります。

 先ほども若干申し上げましたが、総務省の就業構造基本調査と言われる百万人単位のサンプルサイズがあるようなデータですと、かなり大きな分析ができます。例えば、ニート状態にある人々は中退経験が多いとか、ニート状態にある人は、実は過去に働いていて、病気、けがのためになっているケースが多いですとか、そういう客観的な事実がかなり明らかになってまいります。

 これまでそういうデータは、統計法の縛りがあってなかなか分析が十分ではなかったのですが、この四月一日より、新統計法の改正等によって、こういう客観的な状況を明らかにする、分析するための素材はそろってまいりましたので、ぜひそういう形でこの客観的な分析、原因追求というのが進めていかれることを、我々も研究者の端くれでありますので一つの責任として感じておりますし、そういうデータ等、公的な財産を有効活用することが今後大変望ましいのではないかというふうに思っております。

 以上です。

永岡委員 大変貴重な意見をどうもありがとうございました。

 終わります。

末松委員長 次に、菊田真紀子さん。

菊田委員 民主党の菊田真紀子です。

 きょうは、四名の参考人の皆様から、それぞれの立場で、大変具体的で貴重な御意見を賜りまして、まことにありがとうございました。

 まず最初に、川越参考人にお伺いしたいと思います。

 お聞きいたしましたら、四十二年間、家庭教育に携わってこられたということで、本当に大ベテランでいらっしゃいまして、情熱もさまざま拝見させていただいたところであります。

 家庭教育の重要性というのはもとより痛感しているところでありますし、多くの問題のときに、学校教育と家庭教育、これが車の両輪となって進めていかなければならないということがこの間ずっと言われてきたわけであります。でありますけれども、私は、この家庭教育の充実ほど、大変難しい、ある意味、学校教育よりも見えにくく、また非常に効果が見えてくることがないという意味においては非常に難しいところがあるのではないかなというふうに思っております。

 その一つの背景として、個人の家庭や家族のあり方、あるいはプライバシーの問題に行政や政治や公的機関がどの程度かかわることができるのか、そういった抵抗感もあるでしょうし、そういう意味では非常に困難があるというふうに思っております。

 そういう観点からしても、私は、この間の家庭教育の充実ということは、いろいろな場面で叫ばれ続けてきながら、実は余りうまくいっていなかったのではないかなというふうにも思っているのでありますけれども、川越参考人から、この家庭教育の充実のために、さらにもう一歩、どう進めていかなければいけないのか、国はどうあるべきなのかを少し御意見賜りたいと思います。

川越参考人 先ほど申し上げましたように、昭和三十九年に家庭教育学級というのはつくってくだすっているんですね。今もあると思うんですね。ですけれども、それが本当に運用されていないのが現実だと思います、昔はよく家庭教育学級の講師にも年間百八十回ぐらい行ったのに、今はほとんどありませんから。ですから、そういうところを見ても、各市町村で教育委員会がいわゆる社会教育の中で家庭教育をどれだけ重要視しているかということも調べていただいた方がいいんじゃないかと思いますね。

 私も、後ろにいる随行人もそうですけれども、家庭教育学会の会員ですが、日本家庭教育学会というのはもう二十年以上たっていますね。そこで家庭教育師というものをおととしからつくりまして、いわゆる家庭教育の専門家ですが、そして、お母さんたちにいろいろな勉強をするリーダーになれる資格を与えているんですね。そういうふうにして、やはり現実に親たちが勉強をしないとちょっと無理なんですよね。

 例えば、皆さんにお話ししますけれども、子供を育てるのには人格を尊重する、ここまではだれでも言うわけ、男の先生も。だから、その先生に私は言うの。今泣いている赤ちゃんの人格を尊重するのにどうなさいますかと言うと、答えられない。でも、それが家庭教育なんですよ。転んでいる、泣いている子供の人格を尊重するのにどうするか、そのときにちゃんと対応できるのが家庭教育、これが具体的な事例なんですよ。それが子供の人格を尊重するということなんですね。赤ちゃんだったら、赤ちゃんの心理をちゃんと知っていて、泣くしかないんだから、泣くということはちゃんと必要だから泣くんだから、すぐこたえるということ、これが赤ちゃんの人格を尊重するということなんですよ。

 ここまで具体的にいかないと、親の方の人格は認めているけれども、子供の人格というのは本当に認められていない。きょうは一回必ずそのことをどこかの時間でお話ししようと思っているんですけれども、女性の人格は認められてきたけれども、子供の人格は本当に認められていない、そういうことです。

 だから、家庭教育学級というのを、いわゆる私的な機関ではいっぱいやっているんですよ。私の関係も、北海道だったら釧路家庭教育研究所とか札幌家庭教育研究所とか、いろいろな研究所を全国で全部関係者がやっています、民間でです。だから、やっているところは事件が少ないですよね。貢献しているということで、私も三つの警察から感謝状をもらっています。親もだめ、先生もだめ、警察もだめだった子供を立ち上げたということで下さったんですよね。三枚もらっています、違うところから。

 そういうふうに、家庭教育だけは、やはり具体的に講師を養成する講師養成講座というのも時々私たちは民間でやっているんですけれどもね。やはり、資格がないから、受ける人が、今度。今、昭和女子大では子育てアドバイザーとかというのをつくっていますけれども、今度初めて八洲学園で卒業生が、家庭教育アドバイザー、家庭教育師という資格を持って、それで私たちは、いろいろ援助しようと思っているんですね。

 だから、そういう点で、ぜひ、それこそ予算をつけてでも家庭教育学級をもう一回ちゃんとするように。私たちは、講師は幾らでも、無料ででも何でも、この三年間、全部お金をもらわないでただでやりましたから、そういうことをできる人材をいっぱい持っていますので、その場さえつくってくださればどんなにでもやりますから。それが大事だと思います。

 ありがとうございました。

菊田委員 ありがとうございました。

 時間も限られておりますので、ほかの参考人の方にも御意見を賜りたいと思います。

 工藤参考人からは非常に具体的なお話がありまして、例えば、委託事業を受けると必ず赤字が出てしまうというようなことは私も地元のNPOから話を聞いていたこともありますし、やはりこういったことは、厚生労働省なり各省庁に、しっかりと善処するように、これからまた求めてまいりたいというふうに思っております。

 中でも、国のさまざまな機関や組織や会議で発言される機会が多かったけれども、自分の世代がほとんどいない、若者の問題なのに若者の発言する場がないということは、これは本当に大きなことだと思っておりまして、もっと工藤参考人と同じ世代の現場の方の意見がいろいろな場面で生かされるように、私もこれから提言をしてまいりたいというふうに思っております。

 また、玄田先生でありますけれども、いろいろお話ありました個別的、持続的、包括的という三つのキーワード、そして、やはり私が非常に印象に残りましたのは、この若年無業の問題というのは、若者の個人的な意識の問題とかぜいたく病ではないということ、社会のシステムや経済構造、そしてある種の貧困問題なんだということで、早くからこの問題について取り組んでこられたことに大変敬意を表したいと思いますし、大いに共感させていただいたところであります。

 政府の方も、いろいろな試行錯誤をしながらこれまで取り組みをされてまいりました。そして、今般、青少年総合対策推進法案というのが国会に提出をされて進められていくということになってまいりますけれども、私自身は、この青少年総合対策推進法案に対してはいろいろな意見を持っております。

 きれいなネットワークの枠組みだけをつくってみても、果たして現場でどれだけうまく機能するのかなという懸念も実は持っているわけでありまして、この点につきまして、玄田参考人、そして工藤参考人に、もし御懸念の点があるとすればぜひ御提言をいただいて、よりよいものをつくってまいりたいと思いますので、よろしくお願いします。

工藤参考人 懸念があるとすれば、まず、やはり団体同士の相互ネットワークになると思いますので、全員所長クラスが出てきて、また若い人はいないねという話になるのは一つあります。

 もちろん、年配の方ができないとか嫌だとか、そういうことではなくて、バランスよく入れるときに、組織の長になるとなかなか若い人がいないので、あるレベルの中で、例えば現場の若い人は若い人で一回集まる会があるとか、少し重層的なそういう場というのが形成されたらすばらしいだろうなと思う一方で、では、その時間とか、それにかける社会的なコストの部分はだれが負担するんだという部分であります。

 ただ、その部分で、お金を下さいということではなくて、もう少し社会的資源を使った工夫ができるのではないかと思っています。

 というのも、コスト削減も含めましてですけれども、今、大阪と埼玉に事業所があるんですが、各職員同士というのは、連絡をすべてスカイプという無料のインターネットテレビ電話を使ってやっています。複数で一気にできたりとかもするんですけれども、物理的な移動時間を超えられるであるとか、そこにいなくても議論ができるというようなことというのは、社会的な資源を使えば、無料であったりとか、ほんの何百円の世界で使えるものですので、今後、いろいろな方が、忙しい方も含めてどんどん議論に入っていくために、何か通信経路であるとかIT機器なんかも使いながら、集まってしゃべるということ以上の波及効果をもたらすようなものというのを内部で検討しながら取り組みができたら非常にいいんじゃないかと思っています。

玄田参考人 私も菊田先生の御指摘と大変共感するところが多くございまして、ネットワークがただの形だけのネットワークになってはいけないだろうということを思っております。そう考えたときに、私自身、重要と思いますのは、今あるさまざまなネットワークづくりの好事例に関し、情報を共有し、かつ、それを伝えていくというのが大変重要なのではないかと考えております。

 その好事例の一つは、まさにきょう布袋さんのいらっしゃる田辺市というのは、日本でも大変画期的な取り組みでありまして、特に障害者、もしくは障害者に準ずる、よく専門家の方々がグレーゾーンというふうな言い方をされるようですけれども、障害者手帳は持っているわけではないけれども生きることに苦しさを持っている方々にどうみんなで連携してやっていくのかということが非常に新しい取り組みで、我々自身も今後ますます学んでいかなければならないと思っております。

 もう一つ私が存じ上げているのは、兵庫県全体ですべての公立中学校が五日間さまざまな地域で体験学習をするトライやる・ウイークというのも、たしか去年が十年目を迎えまして、地域で大変な評価をなされているというふうに聞いております。

 具体的には、当初、教育委員会、学校の先生方も驚かれたんですが、一週間、地域で交わり、交流するうちに、不登校もしくは不登校ぎみだった子供たちのかなりの割合が学校に戻ることを選択するというふうなデータがあらわれて、これは大変衝撃を持って、いい意味での衝撃を持って受けとめられているというふうに聞いております。

 それが、当初、一時的なことかというふうなことを思ったところ、十年目の検証の中で、どうもこれは一時的ではなく、やはり地域の中で連携をするというふうな具体的な実践がまさに不登校の子たちが学校に戻ってくることにつながっているという意味で、トライやる・ウイークもそうですし、地域の中でさまざまなされているいろいろな事例を我々も学び、共有していくということができれば、この青少年対策推進法案のもともと目指しているものがかなり広がっていくのではないかというふうに考えておるところです。

菊田委員 ありがとうございました。

 先ほど工藤参考人の方から御発言がありましたけれども、ニートやフリーターやひきこもりの問題ですけれども、一般的に、こうした人たちは無気力なのではないか、本人にやる気がないからではないかとか、あるいは怠け者だからだとか、そういう、社会全般から見るとまだまだ非常に冷たい目線が向けられている存在ではないかというふうに思っています。

 先ほどおっしゃったように、自分たちが一生懸命働いて納めた税金を何でこんなところに使うんだと。これは、実は私も地元の国政報告会なんかで、今の政治の課題、それは景気対策も大事ですし、さまざまな医療や介護の問題も大事ですし、社会保障をどうするのかとか、いろいろな話をさせていただきますけれども、事ニートやフリーターやひきこもりの問題などといいますと、一般の人からすると、もう何か全然優先課題ではないし、何でそんなところに税金を使うんだというような非常に厳しい意見もあるわけであります。

 しかし、こういう問題は、個別の問題、個人の問題ではなくて、日本社会全体のみんなの問題なんだという風潮をいかにしてつくっていくかということが大きな課題になっていると思いますが、そういう社会全体でみんなで応援していく、支えていくという風潮をつくるために、何かいいアイデアがあったらぜひお聞かせいただきたいと思います。

工藤参考人 友人、いわゆる一般の、そういう問題にかかわらない友人なんかと話をするときには、基本的に、数字で説明するようにしています。

 つまり、目の前にいるこの若者を放置した場合の最終的な損失、それはもしかしたら生活を税金で保護していただかなくてはならなくなってしまうかもしれないし、もしくは、四十、五十歳まで何も支援が受けられなければ、やはりそれは、すぐ仕事につくというのは難しいからいろいろな支援がかかる、ただ、現在例えば二十二歳の青年が今就業した場合に、向こう六十歳まで、六十五歳まで払う税金額をおおむね調べると、その差額というのはどれぐらい大きいものであって、結局自分たちの納税額にかかわってくることであると。

 つまり、どんどんふえていく税金、使わなければならない税金なのか、今使うことによって最終的にプラスに転じられる税金なのか、先ほど言いましたように、経費的なものなのか、投資的なものなのかというのをなるべく説明するようにしております。

 欧米なんかでよく聞きますのは、やはり、政治家の方が誤解を恐れず、これは投資であって、数字的に社会コストのインパクトがどれぐらいあるかというのを伝えていただけることが多いようです。つまり、ことし一万人の若者が何らかの施策で就業しました、これは、向こう五十年間の経済的な、社会的な、税金の部分のインパクトはどれぐらいであるので、費用対効果としてはこうであるというような、そういう発言をどんどんどんどんしてくださっている。

 地域の方につかまえて聞いても、それは今やらないと後で高いじゃんという言い方を、本当に、道行く青年にこの施策を知っていますかとたまたま聞いたときに、いや、それは知っているよ、今やった方が安いんでしょうという、安いというとらえ方がいいか悪かではなくて、今お金をかけるべきでしょうということが何となく感覚としてある。あれはやはり、政治家の方が一生懸命PRしてくださっているところで社会的な理解が進んでいるんだと思います。

 やはり、実は彼らは一生懸命なんだとか無気力じゃないんだというのは、口で説明しても仕方がありませんので。そういう数字の説明が腑に落ちない方には、うちの方に来ている青年たちと一緒に飲んでもらうとか。

 全然関係はないですけれども、きのうはミス・ユニバース・ジャパン・ファイナリストの六名の方がボランティアに来てくださって話してくださって、自分たちと悩んでいる子と全然同じ世代だなと。

 彼女たちがブログで書いているんです。きょうは、自分たちはニートとかひきこもりの若者と初めて会って、四時間、五時間一緒に過ごして、全然普通の人じゃないですか、何にもやる気とかないなんということはないとどんどん発表してくださっているんです。

 もちろん、今、彼女たちもすごく発信力がありますので、そういう人に実際来てもらって、実際会ってもらって、本当のことを外に伝えてもらうということが、自分のところだけじゃなく、全国で取り組まれれば、少しずつ社会の認知は変わると思います。

 済みません、長くなりました。

菊田委員 ありがとうございました。

 それでは、最後になりますけれども、布袋参考人にお聞かせいただきたいと思います。

 これまでの活動の中で一番御苦労されたこと、そして一番うれしかったことを御紹介いただいて、そして最後に、政府の政策に対して一言、御提言、御意見がございましたら、ぜひお聞かせをいただきたいと思います。

布袋参考人 何時間あっても足りないですね。

 ですから、引きこもっている青年で、例えば工藤さんのところにたどり着く。たどり着くと、もうひきこもりじゃないんですよね、出ているわけですから。僕らのところに相談に来られるのも、もうひきこもりじゃないんです。本当は、ちゃんと潜っている、ちゃんとというのはおかしいですけれども、家族以外の他人と全然会わないというふうな人たちが何万人もいるというふうに考えてくれたらいいと思うんですけれども、その人たちをどうするかという課題はなかなか難しくて、出てこないんですよ。

 しかし、この間の、国の施策だったのか県の施策だったのか忘れたんですけれども、僕らが訪問できる、アウトリーチをかけることができるような費用が少し出てきたんですよね。そういうことで、ちゃんと潜っている人たちに、こういうことがあるんだよというふうに情報を届けることがまだまだ不足しているというふうに、僕らのように地方にいる人間もそう思っているんですね。

 それと、もう一つは、どういう質問だったか忘れましたけれども、働く場がそもそもないんですよね、地方には。もう、明らかにないんです。工藤さんのところは都会ですから、結構、バイトとかそういうのもいっぱいあると思うんですけれども、うちは、そんなにないんですよね。

 そんなにない若者たちをどうするかというふうになると、実はこれは市長からも言われたんですが、去年、おととし来られた、千葉のニュースタートの二神能基なんかと話をしているうちに、三人で話をしているうちになったんですけれども、熊野はいやしの里だから、熊野の奥地にそういう心優しい青年たちを集めて、緩やかな農場みたいなものをやろうじゃないかと。そういう青年たちを都会へ連れていって企業戦士として働かせるなどということはとても無理だから、彼らの心性に合ったような、そういうスローな働き口を何とかつくっていこうじゃないかというふうなことを話し合ったことがあるんです。それで、やろうやろうとかなんとかといって、本宮の行政局でみんなで話をしていたんですけれども、そういうときにお金をがぼっと出してくれるとか、そういうのをしていただくといいかなというふうに思っているんです。

 いろいろなことをやっていて、うれしいことはいっぱいありますし、本当に細かい話になりますけれども、ちっちゃい話になりますけれども、一人の青年がやっと動き出して、コンビニで働き出して、そして自分で単車の免許を取り、自動車の免許を取り、少しずつ自分で自立していっているという姿を僕らの目の前に何人かは見せてくれています。だから、活動自体はしょぼい活動かもしれませんけれども、しかし、確実にそういう成果は上がってきているんだな、こんな地方でもというふうに僕は思うんですよね。

 僕たちのような地方があちこちにでき上がっていく、そしてネットワークとして、そういう地方が少しずつ、隣の町と、そして隣の県と結び合いながら、そういう話が、情報が交換され、さらにそういう協議の輪が広がっていくというふうなことがあちこちにでき上がると、もっと豊かな状態になるんじゃないかなというふうに思っています。

菊田委員 ありがとうございました。

末松委員長 次に、池坊保子さん。

池坊委員 公明党の池坊保子でございます。

 本日は、四人の参考人の方々には、大変有意義なお話を伺い、本当にありがとうございました。

 現在、我が国のニートの数は推計で六十四万人、あるいは、ひきこもりの数は、これもすべて推計でございますが、百六十万人とも言われております。

 このような状態が続くことは、青少年、その子供たち本人にとっても、社会に居場所がないという疎外感とか、社会から排除された感覚にさいなまれたり、あるいは、就労を通じた職業能力を蓄積することもできず、自立した生活を営む力を養う機会がどんどん失われていき、本人自身も将来が見えない不安を抱えていくのではないかと思います。

 また、社会にとっても、生産性、国際競争力の低下、個人間の所得格差の増大、財政や社会保障システムの脆弱化を招き、日本全体の活力が低下する大きな要因になってくる。これは将来的な日本を見据えたときの社会問題ではないかというふうに私は思っております。

 三十歳以上のポスト青年期世代のひきこもり、ニートが増加しており、四十歳に突入した世代も増大していると聞いております。本人もさることながら、私も親をしておりますから、親の不安というのもまた大きいものではないかと思います。

 今回、まだ付託にはなっておりませんけれども、政府も青少年総合対策推進法案をつくっているようではございますが、これは私も、多少ひきこもりなどにかかわっている人間としては、不十分だと思う点は多々ございます。

 その議論はさておいて、平成十七年六月に出されました若者の包括的な自立支援方策に関する検討会報告、それには次のようなことが書かれておりまして、私は、このひきこもりを考えますときに、自分ではテークノートして大切に思っているんですけれども。

 社会と若者のそれぞれが、若者の自立に向けた責務を背負っていることをしっかりと認識する必要があるのではないか。すなわち、社会の側は、若者には自立し成長段階に応じて社会に参加する権利があることを認識し、これを支援する義務がある。一方、若者の側にも、みずから自立のために努力し、社会にその一員として参加するよう努める責務がある。これは、我が国社会の次代を担う若者とその若者を育成する社会との関係からくる相互の責務でもある。

 つまり、社会、国がやるべきことがある、地域社会がやらなければならないことがある、と同時に、それは国、社会だけの問題ではない、個人もしっかりしなければいけないんですよということを、自覚を促しているので、私は、個人の自覚がなければある意味では解決はないのだろうなと思いながら、片一方では、小さなきっかけで再生できる、社会につながっていくことができる子供もあれば、そうではない子供もあるんだと思うんですね。

 定時制高校の都立新宿山吹高校というところに、私、視察に参りました。一度は、学校にも行きたくない、不登校だ、引きこもっていた、そういう子供が、何かのきっかけで、もう一度勉強したいと目覚めるんですね。

 自発的に勉強したいという意欲を持った子供たちですから大変に明るくて、これからどうするのと言うと、今、昼間働いている、半分親から学費を出してもらって、半分は自分が出しているんだ、大学にも行くんだよと。将来的な夢も持っているんですね。私は、若者たちの世代、まだ捨てたものじゃないと、その子たちを見てうれしくなったと同時に、そういう子供たちは自発的に社会とのつながりを持てる力を持っているんだろうと思うんです。

 この青少年特別委員会でも、渋谷のハローワーク、ジョブカフェに行ってまいりました。そこにいる子供たちも大変明るくて、あなた方は前は何をしていたのと言ったら、それは英語で言うとNEETだよと。えっ、何よそれ、ネットと言ったら、何言ってんの、ノット・イン・エデュケーション・エンプロイメント・オア・トレーニング。あなた、随分偉いこと言うのねなんて言い合うほど明るかったんですが、そういう子供たちはかかわっていくことができる。

 だけれども、何か大きな要因がないと社会とのつながりを持てない、あるいは持ちたくない子供たちもいるんだ、そういう子供たちに、ではどうやったら持たせてあげることができるのかなというのが私の思いであるんですね。

 さっき玄田先生がトライやる・ウイークのお話をなさいましたけれども、あれは、御存じのように、阪神大震災で子供の心が傷ついた、それを、もう一度生きる喜びを感じさせてほしいということでやりました体験活動が非常に大きく役立っている。私は、やはり、ひきこもりとかニート、フリーターの問題は、学校との連携なくしては早期解決できないのではないかというふうに思っております。

 平成十九年、内閣府に設置されました再チャレンジ推進会議の中でも、「再チャレンジ支援策の今後の方向性」の中の「地域における若者支援」という中で、早期が大切であると。

 また、厚生労働省や東京都が行いましたニートやひきこもり状態にある青少年の実態に関する調査を見ますと、やはり学校段階において、不登校にあった、いじめに遭った、あるいは部活をしていなかったとか、中退した、そういう子供たちがニート、フリーターになっているんですね。また、就労面でも、職場の人間関係でトラブルを経験した人、それから人間関係がうまくいかない、そういう子供たちがニート、フリーターになっております。

 玄田参考人に伺いたいのは、学校との連携というのが私は極めて重要ではないかと思っておりますが、その点についてはいかがお考えでいらっしゃいますか。

玄田参考人 私自身も、学校との連携は、ニート、ひきこもり問題を考えるときの重要な柱の一つであるというふうに思っております。

 その中で、具体的にどういう連携がということを考えた際に、小田原市で親の代から八十年以上そういう支援をされているはじめ塾という塾がありまして、そこの和田さんという方から伺った三つのカンという話をいつも思い出します。

 子供の発展段階において三つのカンをいかに発展させるのか。特に小学校三年ぐらいまでですと、感動の感、とにかく喜怒哀楽という感動体験をする。二つ目が、小学校の高学年段階に、長嶋氏の動物的な勘の勘、つまり、ここから先に行くと危ないとか、ここまでは大丈夫だという二つ目の勘を育てる。三つ目が、中学生ぐらいの段階で、人生観の観という、ビジョンの観を育てる。この段階を適切に踏ませていくと子供はうまく育つ。

 そういう意味では、小中高における連携、もちろん社会全体との連携を、例えばこういうカンの話とかをどう具体的にしていくか。具体的には多分キャリア教育ということになろうかと思うんですが、今、何をどう教えていけばいいのかということについて、まだ残念ながら、学校現場でも、教えなければならないと思いながらも、どう伝えていけばいいのかということの困惑がある。そうした場合に、さまざまな、今のお話のような事例等を集めて、よりキャリア教育で、今こういう危機とか混迷が深まった時代に何を伝えていけばいいのかということの共有ができれば、その連携はかなり進んでいくのではないかというふうな印象を持っております。

池坊委員 ありがとうございます。

 私は、学校教育の中で体験活動が極めて重要と考えておりますので、政治家になりましてからずっと、文化芸術体験、職場体験、そして、読書をするとか農村などに行く、そういう体験を推進してまいりました。これがもっともっとニート、ひきこもりあるいはフリーター等の支援策の中で連携がとれたらいいなというふうに考えております。

 一言、工藤参考人はそのことについてどうお思いになるかということと、また、工藤参考人は、外国でもこの問題を勉強したりなさっているというふうに、私、調べた資料の中で感じましたけれども、外国で果たしてニートとかフリーターというのが日本ほどいるのか、存在しているのかどうかということもちょっと伺いたいと思います。

工藤参考人 学校においての体験活動は、すごくすばらしいと思います。その際に、学校の先生だけ体験活動に行くのか、やはり、体験活動をよりおもしろく感じさせるだれかというのが帯同できるのかというのが大きいと思います。

 体験活動も、ただやればいいというよりも、何を感じさせるのかとか、フィードバックをどうするかというのも、先生じゃない、専門家みたいな人が一人でもいいのでいてくれるだけで、学生とか若者にとって、より効果性のある活動になると思います。

 外国に関しては、僕は専門家でもないですし、ただ、いいことをやっていると聞けば、おもしろいことをやっていると聞けば見に行くだけですので、それはわかりませんけれども、昨年、二回韓国に行きまして、来月、再来月、二回韓国に行きます。

 そこで話を聞いたときに、韓国、中国、台湾あたりでは似たような状況、特に韓国は何度か行っていろいろな情報交換をしたんですけれども、日本の今の若年政策の、十五年前ぐらいにやっていた状況かなという感じです。不登校から少し青年期にかかってきた青年たちをどうするのかということを非常に強くやっていまして、本来であればそこから少しひきこもりの問題とかが上がってくるときに、経済がどんと来てしまったので、非常に困惑しているところです。

 個人的な思いですけれども、ノウハウの集約とか好事例というのは、確かに日本で集約して、玄田先生がおっしゃったみたいに、いろいろな場所で使っていくべきだと思うんです。これは私見ですけれども、韓国とかアジアとか中国のそういう青年政策の中に日本が生かせる大いなるソフトコンテンツの一つだというものがあります。

 向こうの方々からもよく言われますし、何でだと言われるんですけれども、日本の政策の悪いところは、すべて発信が日本語だと言われました。最低限、つまり、英語にもなっていない、いいことが。できれば韓国語とか中国語にしてほしい。そうすることで、自分たちアジアの者が、わざわざ苦労せずに、日本がたどった道を活用して、より効果的な若者支援ができるのにということを実際におっしゃっていますし、今、日本のそういう本が少しずつ韓国語訳されて出版されてきている状況でございます。

 そういう意味では、こういう政策はもちろんのこと、まとめたものというのを政府として、または民間でもそうなんですけれども、可能な限り、アジアを中心に、欧米にもどんどん発信をすることで、経済じゃない部分でも、日本というのはすごく、漫画とかすばらしいことはあると思いますので、若者支援とか若年政策に関しても、ヨーロッパから学ぶべきことは学びますけれども、アジアに対して発信できる本当にすばらしいノウハウがそろっていると思いますので、ぜひ、日本という枠組みは当然大事なんですけれども、アジアとのかけ橋の一つのツールとして、こういう若年支援というのを、好事例をまとめてどんどん提供していくということができるんじゃないかなと海外に行って思いました。

池坊委員 工藤参考人がおっしゃった、体験活動の中にも若い人たちがいたらいいとおっしゃった御意見は、玄田参考人が、若者支援も大事だけれども、若者を支援する若者を支援する方がもっと大事だと書いていらした、それと符合するのではないかというふうに私は思っております。

 例えば、スクールカウンセラーというのは今、小学校、中学校でいるわけですけれども、それと同時に、専門性を有するスクールカウンセラーとは別に、大学生で手を差し伸べる。やはり世代間の距離が短い、それからまた寄り添ってくれる、私は、大切なことは寄り添うということではないかと思うんですね。

 このスクールアドバイザー、大学生の起用ということに大変力を注いでおりますけれども、玄田参考人にお伺いしたいんですけれども、若者を支援する若者を育てるというか、そういう人を集めるというのは結構難しいのではないかと思いますが、具体的にはどういうふうに考えていらっしゃるかをお伺いしたいと存じます。

玄田参考人 今、池坊先生から御指摘いただいたように、私は、若者を支援する人材を支援することの大切さというようなことをこの何年かお話しさせていただいてまいりました。

 私は、潜在的にはそういう支援をしたいという人材は決して少なくないというふうに思っております。特にNPO法ができて以来、自分たちの世代の問題は自分たちで解決していきたいんだというふうな思いを持っている人材は決して少数ではない。

 ただ、問題は二つあって、一つは、情熱はあるけれどもノウハウが足りない。そのノウハウについては、支援のノウハウと同時に、例えばNPOなら、NPOという事業体を運営するマネージメントに対するノウハウがないということが大きな課題で、そのためには、先ほど別の参考人の方もおっしゃったように、やはり公的に支援するものが必要だろうと思っております。

 もう一つ足りないのは、やはりお金がない。本来は工藤さんの方がお詳しいですが、実際、支援をすることによって就職をする、うまくいけば正社員になったりする若者も決して少なくない。あっという間に、支援してきた方の人材よりも高い年収を獲得するわけです。

 さっき、どこかでワーキングプアという言葉も出ましたけれども、いわゆる支援する側の人材が、親から、おまえ、フリーターやニートを支援したって、おまえ自体がフリーターじゃないか、自分のことを考えろよと言われる社会は、やはりどこかおかしいのだろう。いろいろなことを考えながらも、やはり、さっき結婚とか出産という話が出ましたけれども、それが普通にニュースにならないよう実現しなければ、難しいだろうと思っております。

 そういう意味では、私は、こういう青少年の社会的支援に関するNPOや団体等の寄附税制の拡充等については、より本格的に検討する必要があるのではないかというふうな意見を個人的には持っております。

池坊委員 その支援の形だと思いますけれども、先ほども、補助の仕方に問題があるのではないかというようなお話がございました。国が支援すればするほど欠損が出ちゃうんだというのは現実であって、多分、国の支援策と現場との乖離があるのではないかと私は思います。

 ひきこもり、ニート、フリーターの問題は、若者と同時に社会にも責務があるんだ。とするならば、私は、国だけでなくて企業にもあるのではないかと思うんです。

 先ほど布袋参考人がおっしゃいました、働く場がないのだと。これだけ経済が不況になってまいりますと、どんどんそういう子供たちの働く場がなくなっていくのではないか。企業は、手っ取り早く、コミュニケーションが簡単にできるような子供をすぐ雇用したいなどということにもなってくるんだと私は思うんです。

 布袋参考人に伺いたいのは、支援する企業へどのような要望を持っていらっしゃるかということと、やはり国の支援の形ですけれども、どのようなことを具体的には望んでいらっしゃるかを伺いたいと存じます。

布袋参考人 先ほど少し申し上げましたけれども、若者サポートステーションの中で、ハローワークの方が入っていただく、それから地方の企業経営者の方たちも入っていただくというふうに、そういうネットワークを組んでいるんです。どういう言葉がいいんでしょうか、京都なんかでは職親制度みたいなものをつくっているわけですよね、ひきこもりの青年たちが少し社会に出て働き始める最初の取っかかりみたいなところを職親になっている企業主の中で少し学ぶというふうな、そういうところなんですが。

 要するに、私たちの地方でも、幾つかの企業、それから農業なんかをやっている人たちが、引きこもっている青年と一緒にミカンとりとか、ミカンとか梅がうちの特産ですから、来てもいいよというふうなことを言っていただける方が今幾つか出てきているわけですね。

 まあ言うと、彼らがちゃんと働き手として十分できないわけですから、いろいろなことを教えてもらわないといけないわけですから、要するに世話をかけるわけですから、その人たちにある程度、世話かけ賃というようなお金を本当は払いたいわけですよ。だけれども、それがうちなんかにはありませんから、もう本当に、ボランティアで何とかやってくれというふうに言うよりしようがないわけですね。そういう支援をしてくれる企業家さんたちに補助を出すような、そういう仕組みができ上がっていくといいなというふうには思っているわけです。

 ただ、僕らはそういう企業主たちにどういうことを言っているのかというと、企業の社会的貢献の問題だとかなんとかと言って、Aという企業はこういうひきこもりの青年たちに対してこんなに理解を示しているということを新聞なんかに出しますからそういう意味では宣伝になるよとかなんとかと言って、職親みたいな形になってもらっているということですね。

 だけれども、本当に、ひきこもりの青年たちをこのままほっておくわけにいかない、不登校の生徒たちにもちゃんとした手厚い支援が必要だというようなことをちゃんと思っていろいろなふうに協力してくれる企業さんたちもいることはいます。

 以上です。

池坊委員 ありがとうございます。

 玄田参考人は、かつては、ぜいたく病と言われて、富裕な子供たちが親の庇護のもとで生活していくことの安心、安全でこういうニートができたけれども、今は、そうではなくて、貧困問題だというふうに言っていらっしゃいました。私は、どこかでこの世代間連鎖というものを断ち切らなければならないと思います。

 児童虐待防止法をつくりましたときも、いろいろなところを視察に参りましたら、やはりこれは世代間の連鎖があるんですね。自分が虐待を受けて育った、それはやめなきゃいけないと思いながら思わずやってしまうということがございまして、どこかでそこから働く意欲を持たせるということが重要だと思いますけれども、その点については、どのようにお考えでいらっしゃいますか。

玄田参考人 貧困の再生産という言葉が学問的にもございますし、今御指摘のとおり、本当に、親の世代のさまざま抱えた問題がストレートに子供の世代につながってしまう、特に負の面がということは、今の日本の大変深刻な状況かというふうに思っております。

 同時に、一方で、大変難しいのは、個々の家庭にどれだけ外部が介入することができるのかという大変深刻な問題も抱えていて、多くの場合、その答えというのを教育に、学校教育に求めるわけですが、かといって、では学校教育ですべて解決かというと、そうでもない。そういう面では、非常に答えの持ちにくいところであるというふうに私自身は思っております。

 では、なぜ貧困家庭の若者たちが、貧しくお金がないにもかかわらずニート状態を結果的に選んでしまうのかといいますと、多分、どうすればいいんだという具体的な道筋が見えないから。昔は、貧しいながらも、向こう三軒両隣というような、比較的いろいろな、進学はしない、エリート的ではないけれども参考になるような大人が身の回りにいて、それを一つの足がかりにして人生のさまざまな道のりを歩んでいくというようなことが多分あり得たのではないか。

 私は、やはり昔の言葉にヒントはあって、他人の飯を食うと昔は言ったように、他者がうまくかかわることによって若者を支えていく、家族にも責任があるけれども、やはり地域で守り育てていくという原点に戻っていくということになるのではないかというふうなことをいつも思っております。

 ニート若者は、意欲がないわけでも能力がないわけでもありません。私は、強いて言えば、希望がないんだというふうに思っております。希望には、願いと実現可能性と具体性と行動が必要であります。具体的に何を考え、何を実現し、何を行動すればいいかというふうな具体的なイメージ、自分の中の見込みというのが持てるようなコミュニティーづくりというのが、結局は、この貧困問題、若者問題の一つの解決策を導くのではないか、そんなことを考えております。

池坊委員 私も、教育問題の中で、私は子供たちにどのように希望や夢を投げかけていくことができるのか、そして、子供たちが未来に光を感じて生きることができるか、これはいつも心している問題でございます。

 川越参考人がおっしゃったように、これは、家庭教育のあり方、学校教育のあり方、地域とのかかわり方の問題ではないかと思っております。

 私もまた、さらに皆様方と共通認識を持ちながら勉強し、いい政策の数々を打ち出してまいりたいと思います。

 きょうは本当にありがとうございました。

末松委員長 次に、石井郁子さん。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。

 きょうは、参考人の先生方のそれぞれのお立場から、また、実践を踏まえながらいろいろ貴重な御見解、御意見を聞かせていただきまして、本当にありがとうございます。

 工藤参考人から、日本では政策立案に若者がいないということを言われまして、改めて、はっとしたんですけれども、私も、かねがねそのことは思っておりました。

 例えば、子どもの権利条約がありますよね。日本政府も批准しています。そして、子供の意見表明権、意見という訳がいいかどうかという議論はあるんですけれども、子供はあらゆる政策立案に参加すべきだという国連の条約、そして勧告も出ているわけですけれども、一向にそれが進まないというのはちょっと日本の問題かなとずっと思っておりました。

 まず最初に、そういう問題をちょっと念頭に置きながら皆さんにお聞きをしたいんですけれども、このニート、ひきこもりの問題に取り組まれてから、相談窓口という形では、声を聞くという状況はかなりいろいろなところにつくられたというふうに思うんですね。

 田辺では、大変早い段階からひきこもり相談窓口の開設、これは平成十三年だということですけれども、あちこちで、こういう形では、まず窓口はできていると思うんです。それは工藤参考人のところでもそうでしょうし、それから玄田参考人も、総合労働相談コーナーというのは大変やはりいい役割を持つよという話をされたと思うんです。

 それで、私が伺いたいのは、これは、あるこの問題に取り組んでいる方からお聞きしたんですが、日本の場合には、そういう相談に、悩んでいるというか困っている青年自身が足を運ぶということは非常に少ないんだ、来られるのは保護者の方ですということを聞いたことがありまして、そういう状況というのはなぜ生まれるのかということと、それから、もう大分時間もたっておりますから、最近の変化は何かあるのかどうかということや、それからまた、そういう意味では、日本のニート、ひきこもりという子供たちがみずから声を上げるということにどういう困難があるのか、これはヨーロッパなんかと比べても非常に違うのじゃないかなという気もちょっとしているものですから、その辺を、玄田参考人、工藤参考人、それから布袋参考人にお伺いできればと思います。どういう状況になっているのかということですね。

玄田参考人 私は、なぜ保護者が多く来るのかということは、私自身の理解は、やはり、世間体といいますか、子供を外には出したくない、そして親が解決しなければならないんだというふうな家族観というのがいまだに強く残っているんだろうということを大変強く思うのが一点。

 もう一点は、実際、子供たちがみずから相談に行こうと思っても、身の回りに、地域にそういう相談場所があったらいいわけですが、例えば県庁所在地等にある相談所に通うまでに交通費がかかる。実際、この交通費がばかにならなくて行けないというふうなケースは、幾つかの都道府県では現に存在していると思います。

 家族観の問題、経済的な問題、さまざまな問題があって、発信するならばインターネット上、唯一そこで、はけ口のない、はけ口にもならないような不満を噴出させているというのが現状ではないかというふうに、私自身はそういうふうに考えております。

工藤参考人 最近の傾向ではないんですけれども、先ほど、ひきこもりの相談窓口とかということもございましたが、保護者の方も本人の方も、相談の段階で、私はニートです、私の子供はニートなんですと言うことは余りない。こういう状況ですと御相談を受けて、それだったらこうしましょうということで、実は、政策の中では、若者の単語というか、名称はニートとかと出てくるんですけれども、相談現場では余りその単語そのものが飛び交わないんです。こういう状況だからどうしよう、そういう状況だったらこちらへ行ったらどうですか、こうしましょうというのはあるんですけれども、ひきこもりとかニートであるから何かができるというわけではないのです。

 相談窓口はたくさんできたんですけれども、こっちはニートのためとか、こっちはひきこもりのためとかというときに、では、自分はどっちだろうとか、自分の子供はどっちだろうというのはやはりわからないので、そのときに、例えば地域若者サポートステーションの理念にあるように、総合相談窓口ですよ、先ほどの総合労働センターですか、要は、とにかく何でも来ていいんだ、病院の初診なんだ、そこから先は専門のところにつないでくださるという、その理念がいっぱいあった方がいいと思うんです。

 私は内科です、私は外科ですとばらばらにあっても、とりあえずそこに行ってみようということにはなりませんので、やはり、どこに行っていいかわからないから動けないという前提の中で、来やすい、ネーミング的に言うと、政策のネーミングであるとか窓口のネーミング一つで、もしかしたら心のハードルというのは下がるんじゃないかなというふうに思っております。

布袋参考人 引きこもっている若者は、引きこもっているから、出られませんから相談に来ません。その御家族が心配して、こんな状態なんですがどうしたらいいですかと、こういうふうになるわけです。その御家族のケアをしながら、少しずつ少しずつその家の近くに行って彼らに会う、こういう感じになりますね。

 それと、少し元気になった青年は、やはりみずから動いてきますし、さっき工藤さんが言われたんですが、若者サポートステーションなんかには本当にいろいろな、本当に引きこもっていて今ちょっと首を出したというふうな若者から、かなり元気な若者、非行系の若者というんですか、そういう若者もいますし、サポートステーションの方では心理士なんかもいますから、そこで分けるわけですね、ここへ行った方がいいよというふうな形で分けてくれたりするわけです。

 うちの窓口の方も鑑別診断はやりますから、この人はやはりもう一度精神科医にとか、あるいは心理士の相談にとか、あるいは居場所のところにとか、あるいはサポートステーションのようなところへ行って就労も考えていいよとか、こういう区分といいますか分けをつないでいくというふうなことはやっているわけです。

石井(郁)委員 ありがとうございます。

 今、一つのキーワード的にというか、総合ということが大事だと言われて、なるほどなというふうに思ったんです。田辺市の場合もそうですよね。本当に、専門家、いろいろな方々がネットワークをつくっておられるのがやはり非常に特徴で、強みといいますか、入り口は漠としていても、そこからいろいろと次のステップが用意されるというか、それが大事かなというふうに一つ私も思いました。

 次の問題なんですけれども、やはり中心問題は、仕事というか就労だろうというふうに思うんですね。

 人間は、生きていく上では絶対働かなくちゃいけないし、これが人間の人間たるところだと思うんですけれども、それが大変困難だという問題だろうと思うんですね。ですから、ニート、ひきこもりの方も、働きたいという気持ちはあるけれども、やはり働けない。そこには、動機づけ、意欲もあるでしょうけれども、技能、技術の問題もあるでしょうし、いろいろあると思うんですね。だから、そこら辺で、ステップアップしていくとか援助をするという大変な問題や、いろいろな努力が要るんだろうと思うんです。

 就労ということについて、こういう若者への支援といった場合に、本当に一番大事にしなきゃいけないのはどういうことなのかという問題、ちょっと漠としているかもしれませんけれども、教えていただければというふうに、それも、玄田参考人、工藤参考人、布袋参考人、それぞれお願いしたいと思います。

玄田参考人 私は、今回、委員会の趣旨とは違うかと思って余り発言申し上げませんでしたが、ニート、ひきこもり状態も含めて、就労の最初のステップになるのは、現実的には非正規雇用であります。

 ニート、ひきこもりが即座に正社員になることは、本人も親も求めはしますが、現実的には難しく、仮になれたとしても、そこで挫折をしてもとの状態に戻る。そう考えると、次の段階は、就労になった場合に、非正規雇用の就業状況をいかに改善していくのかという昨今の大きな問題に当然ぶつかるわけであります。

 例えば、非正規の問題についてどういうふうに考えていくのかということになった場合に、繰り返しになりますのでもう申し上げませんが、まず一つは、非正規にも、決してすべてが悪い状況の場合でもない、非正規、派遣、請負でも責任を持った雇用管理をしている会社もあるのは事実ですが、そうでないところもあるときに、どうやって本人が自分の身を守るかというふうなことでは、総合労働相談コーナーでありキャリア教育だということが第一の認識であります。

 もう一つは、実際問題、非正規だけれどもいかに安定した働き方ができるか。非正規でも一番最悪のケースは、転々と転職するケースであります。一たん非正規になりますと、フリーターになったり非正規だと正社員になれないというふうな言葉が社会では流通しておりますが、総務省の労働力調査詳細結果等を見ますと、年間四十万人は非正規から正社員への転職を遂げている現実があります。

 では、非正規から正社員になれている人の特徴はどういうところかと見ますと、もちろん医療とか福祉等の資格を持っているケースもありますが、もう一つ欠かせないのは、非正社員でも、三年から五年、地道に継続して働いた経験のある人が実際には正社員になりやすいという事実があります。

 なぜそうなるかというと、理由は簡単で、正社員として採用するときに、採用後にすぐやめられたら困るわけです。賃金の問題、社会保障の手続等で、入ってくる人間がすぐにやめられたら困る。どこで見るかというと、非正規でも地道に継続して働いた経験があるということは、大変大きな、その人にとっての履歴書を超えた守りになります。

 ただ、二〇〇二年の労働基準法改正で、今、有期雇用は三年が上限であります。本来ならば、果たして三年でいいのか、今の状況ならば、場合によっては五年もしくは十年、非正規でも地道に継続して働き、実績、経験を積むことが総合・正社員になり得るということを考えると、労働基準法そのものについて、もう一度改めて検討する時期に来ているのではないかというふうに考えております。

 以上です。

工藤参考人 大体半年から二年ぐらいで九割ぐらいのニートとかの若者を就労させているんですけれども、正社員は、やはり一割五分から二割ぐらいです。働き口として最初につきやすい非正規であると同時に、本人たちも、ある意味、練習の場としてそれを望む部分が若干あります。自分なんていうのは正社員からはまだ無理なので、まずはフリーターからやりたいんですというのは、彼らの声の中にはあります。

 一度働き始めると、基本的に、もう一回離脱するというケースは、うちはそれほど多くありません。それは、仲間がいたりとか、いろいろな要素、家族の御協力をいただいたりというのがあると思うんですけれども、仕事につくステップの中で大事なのは、不安の解消と経験不足を補うこと、これでも大丈夫だと言ってあげることなんです。

 そこで、非常に難しいものではありますけれども、彼らがまずは社会参加の一環として練習をしつつ多分人のためになるであろうという部分で、いろいろな地域の方に経験先をくださいということになるんですけれども、大体シルバー人材センターとバッティングします。肉体的な労働の中でそこまで負荷が高くなく、それも若者も一緒にやってもいいんじゃないかという話はよくしておるんです。

 もちろん、その仕事をとるとかということよりも、シルバー人材センターの方なんかにも聞きますと、ある部分は経験でできる、経験がないとできないんだけれども、やはり若者の元気な肉体といいますかパワーの部分が、一緒にやれたらもっとコストが下がるとか、もっといろいろな事業を受けられるという意味で、シルバー人材センターに行くようなお仕事を何らかの形で共有させていただいて、高齢者の方も若者たちも一緒になって、その地域で地域のそういう仕事というのを分け合っていく。

 どちらも、それで食べていくというよりは、高齢者の方は食べていくというのはあるかもしれませんけれども、若者にとっては、そこにいるというよりも、次のステップの練習であり、他世代とのかかわり合いの位置としては、非常にやわらかく、すてきな場所だと思いますので、何か人材センター的なもので若年の中にも地域の仕事を、できればシルバーの方と一緒にやるようなことが一部法律でも何でも許されれば、かなりの確率でいろいろな地域で、自転車を整理するとかもそうですけれども、あれだと体力仕事の部分がありますので、そういう形で、若者のためだけじゃなく、地域のためとか、高齢者の方とも一緒にできる仕組みみたいなのができると、就労までの間のステップというのはかなりクリアできるんじゃないかというふうに思います。

布袋参考人 就労に向けて一番大事なことでしたね。

 ちゃんと言葉が使えないとか、普通のあいさつができないとか、基本的な生活習慣という言葉を学校でよく使ったんですけれども、そういうことが身についていないというか、そういう青年がすごく多いわけですよね。

 自分のことを余りちゃんと表現できないということもありますから、すごくゆっくりしたペースで人との関係をつくっていくということ、それから、社会に出ていくときに、仕事ということについてゆっくりとしたペースで体験させていくことが大事なことではないかなというふうに僕は思うんです。

 それと、もともとは、いわゆる学力というんですか、よくできる青年が多いと僕は思っているんですけれども、感じやすいし、人よりも考え過ぎてしまうというふうなことがあったりするんですよね。よく聞いてみると、例えば病院の清掃を体験して回ってもらいますよね、すると、自分はこんなことをやる人間ではないんだということを言ったり、先ほど僕が言いましたけれども、精神障害者の就業支援センターみたいなところで、ジョブコーチがついて一緒にトレーニングして回ったりすることがあるんですけれども、自分は精神障害でない、自分はもっと確かな仕事ができるし、確かな人間であるんだと。要するに、もっとできのいい人間なんだというふうに思っているんですよ。

 そうかもしれないんだけれども、現実は、ちゃんとあいさつができなかったり、朝、ちゃんと起きられなかったりするんですから、そこら辺、自己を肥大化して観察してしまっている。そういうふうなところを少しずつ解きほぐしながらいくという時間が必要になるんですよ。だから、時間にするとどのぐらいかかるかわかりませんけれども、すごくゆっくりした歩みだ、こう思っていただいたらいいと思います。

石井(郁)委員 今、日本で雇用問題、特に若年者の雇用問題でいうと、高校を卒業しても職につけない、あるいは高校中退者問題等々が一つ大きくクローズアップされていると私は思うんです。

 玄田参考人からも指摘されたところなんですけれども、高卒後五年間は、正規雇用にはつきたいと希望しながら、しかしアルバイト、派遣という形で、時給八百円程度でずっと働き続ける。こういう子供たちは、もうその道の繰り返ししかないと言われているんですよね。それで、不規則な労働時間、低賃金を補うために、肉体的にも精神的にもしんどさが増していく。だから、抜け出す道がないというか、これが非正規の仕事の一つの問題だというふうに思うんですね。

 そういう問題を考えますと、不安定な職でずっといくことでますます希望も失うということを考えますと、その状況を根本から変えるためには、玄田参考人が幾つか提起されましたけれども、社会として、そういう子供たちをその状態に置くということは社会から排除していくことにもなるわけですから、やはり、受け入れるというか、若者たちの自立を本当に支えていくようなセーフティーネット、それが日本ではないし、今後どうつくっていくのかということになるんだろうと思うんです。

 もう時間ですので、その点で、今、貧困とニート、ひきこもりが非常に大きく連鎖しているということを言われましたので、私もそのとおりだと思っていますので、最後に、玄田参考人、一言御意見をいただければと思います。

玄田参考人 私は、若年問題を何年か勉強してまいりまして、この十年間ぐらいはかなり大きな変化はあったというふうに思っております。例えば若者の問題についても、十年前は意識の問題もしくは親が悪いという意見が強かった。今も決してないわけではありませんが、随分社会の見方は変わりつつあるように思います。

 ただ、これをどうさらに進めていくかというときには、きょう再三議論のあったような、セーフティーネットをつくるための意味合いとか、なぜ若者をサポートしていかなければならないのかとか、多分、今、ニートとかひきこもりに結構厳しい意見を持つ人々の一部には、実際、そういう経験を持っている人たちがいらっしゃいます。例えば、自分たちもひきこもりでニートだったけれどもここまでなったんだから、国がやるとは何事だと。

 ただ、そういう方々の中には、例えば有名なアーティストとかタレントさんというのがあって、今、日本が進めようとしている、さっきソフトコンテンツの輸出というのがありましたが、実際には、そういう方々が抜け出していくことが社会全体の、クール・ジャパンではないですけれども、戦略になるんだということ。

 それから、きょう再三支援人材の育成と申し上げましたが、私は、それは若年支援人材だけではなく、問題の根幹は、さっきもお話があったように、社会とつながれない方々が大変ふえてくる、これから高齢社会がますます進んでいくときに、ニート問題、中高年ひきこもり、必ずや高齢者の孤独死が、これが逆の意味で話題にならないぐらいに頻出するときに、それをサポートするような人材を今から計画的に育成していかなければ高齢社会への対応にもならないんではないかと思っております。そういう納得ができるような説明をした上で継続的な支援をすることによることがセーフティーネットづくりの第一番、まずは、こういう支援をすることの認知がどう全体に広まっていくかではないかというふうなことを考えております。

石井(郁)委員 どうも本当に、いろいろな角度からの貴重な意見をいただきまして、ありがとうございました。

 終わります。

末松委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。

 参考人の皆様に一言御礼を申し上げます。

 皆様におかれましては、貴重な御意見を賜りまして、本当にありがとうございました。いただきました御意見を参考にして、また青少年問題の推進に役立てていきたいと思います。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時五十八分散会


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