衆議院

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第2号 平成13年2月22日(木曜日)

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平成十三年二月二十二日(木曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   会長 中山 太郎君

   幹事 石川 要三君 幹事 新藤 義孝君

   幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君

   幹事 保岡 興治君 幹事 鹿野 道彦君

   幹事 仙谷 由人君 幹事 中川 正春君

   幹事 斉藤 鉄夫君

      伊藤 公介君    伊藤 達也君

      奥野 誠亮君    金子 一義君

      古賀 正浩君    下地 幹郎君

      下村 博文君    菅  義偉君

      田中眞紀子君    谷田 武彦君

      津島 雄二君    中曽根康弘君

      中谷  元君    中山 正暉君

      西田  司君    鳩山 邦夫君

      二田 孝治君    三ッ林隆志君

      三塚  博君    宮澤 洋一君

      森岡 正宏君    森山 眞弓君

      山崎  拓君    山本 明彦君

      渡辺 博道君    生方 幸夫君

      枝野 幸男君    大石 尚子君

      大出  彰君    小林  守君

      島   聡君    筒井 信隆君

      永田 寿康君    細野 豪志君

      前原 誠司君    松沢 成文君

      上田  勇君    太田 昭宏君

      塩田  晋君    藤島 正之君

      赤嶺 政賢君    瀬古由起子君

      春名 直章君    金子 哲夫君

      北川れん子君    原  陽子君

      小池百合子君    野田  毅君

      近藤 基彦君

    …………………………………

   参考人

   (理化学研究所ゲノム科学

   総合研究センター遺伝子構

   造・機能研究グループプロ

   ジェクトディレクター)  林崎 良英君

   参考人

   (日本大学人口研究所次長

   )

   (日本大学経済学部教授) 小川 直宏君

   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君

    ―――――――――――――

委員の異動

二月二十二日

 辞任         補欠選任

  伊藤 達也君     谷田 武彦君

  下村 博文君     三ッ林隆志君

  田中眞紀子君     山本 明彦君

  津島 雄二君     古賀 正浩君

  中田  宏君     永田 寿康君

  山口 富男君     赤嶺 政賢君

  土井たか子君     北川れん子君

  野田  毅君     小池百合子君

同日

 辞任         補欠選任

  古賀 正浩君     津島 雄二君

  谷田 武彦君     下地 幹郎君

  三ッ林隆志君     下村 博文君

  山本 明彦君     宮澤 洋一君

  永田 寿康君     中田  宏君

  赤嶺 政賢君     瀬古由起子君

  北川れん子君     原  陽子君

  小池百合子君     野田  毅君

同日          

 辞任         補欠選任

  下地 幹郎君     伊藤 達也君

  宮澤 洋一君     田中眞紀子君

  瀬古由起子君     山口 富男君

  原  陽子君     土井たか子君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 委員派遣承認申請に関する件

 日本国憲法に関する件(二十一世紀の日本のあるべき姿)




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     ――――◇―――――

中山会長 これより会議を開きます。

 この際、委員派遣承認申請に関する件についてお諮りいたします。

 日本国憲法に関する調査のため、来る四月十六日、宮城県に委員を派遣いたしたいと存じます。

 つきましては、議長に対し、委員派遣の承認を申請いたしたいと存じますが、これに賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

中山会長 起立多数。よって、そのように決しました。

 なお、派遣委員の人選等につきましては、会長に御一任願いたいと存じますが、これに賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

中山会長 起立多数。よって、そのように決しました。

     ――――◇―――――

中山会長 日本国憲法に関する件、特に二十一世紀の日本のあるべき姿について調査を行います。

 本日、午前の参考人として理化学研究所ゲノム科学総合研究センター遺伝子構造・機能研究グループプロジェクトディレクター林崎良英君に御出席をいただいております。

 この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 最初に参考人の方から御意見を一時間以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 御発言は着席のままでお願いいたします。

 それでは、林崎参考人、お願いいたします。

林崎参考人 おはようございます。理化学研究所から参りました林崎と申します。よろしくお願いします。

 まず、本日私が、お手元に配付いたしました資料を用意しました。ダブルクリップでとめてあります。二つになっていまして、先にある方がきょう使わせていただく資料でございます。後半の方は、最近の我々の研究活動についてのまとめみたいなもので書きましたので、御参考にと思ってつけさせてもらいました。主に前半の方の資料を使わせていただきたいと思います。

 まず、二十一世紀の日本のあるべき姿ということで、我々、特に私個人的には、ゲノム科学というライフサイエンスの領域で働いております。このライフサイエンスで、最近、我々の生活にまで影響を及ぼすような非常に大きな革新がありました。それについて説明をさせていただきまして、それで、今後こういう領域をどのように伸ばしていったらいいかということについて述べたいと思います。

 先日、二月の八日それから十二日ですかに、ライフサイエンスにおける、ゲノム科学における記念すべき二つの喜ばしい事件といいますか、アドバンスがありました。

 一つは、ヒトゲノムの暗号解読のドラフトといいますか、ほぼ九十数%解読が完了したというような学術論文でございまして、そういうものが発表された。これは国際的な協力体制、ヒトゲノムコンソーシアムと言いますが、そういう体制によってなし遂げられました。

 もう一つは、マウスなんですが、完全長cDNA、これは我々のグループがやった仕事ですが、理化学研究所のゲノム科学総合研究センターと、それが組織する国際コンソーシアムがあります。FANTOMコンソーシアムというコンソーシアムがあります。このコンソーシアムが、後で説明しますが、完全長cDNAというのは遺伝子そのものというふうに考えていただいたらいいんですが、そういうものを幾つか収集したという記事でございます。

 これらのゲノム科学の成果は、他のすべての科学、産業などの基盤になります。それで、国際社会における日本の発言力と競争力がこの領域のアチーブメントによって影響を受けます。自然に、それは我々にとって無関心であるわけにいきません。

 この発言力と競争力ということですが、競争力は、ゲノム科学をベースとしたライフサイエンスの産業とか科学の競争力そのものを言いますが、その力と、それから国際社会において競争する国際ルールを決めるための発言力のためには、国際競争社会の決定力を持つということで、国際的な貢献をしなければいけない。これは非常に相反する二つのことでございますが、こういう力の対比ということでこの領域の国の力が決まってきます。

 昨年、ヒトゲノムの配列が人類共通の財産であるということを、アメリカのクリントン大統領とイギリスのブレア首相が宣言を出しました。この宣言は、そういうものを共有の財産にするというルールを決めたということは、やはり国際発言力がその二国にあったということですが、私個人的には、できれば日本の首相も入ってほしかったわけでございますけれども、そういう力をやはりつけなければいかぬ。

 今、ゲノム科学とかそれをベースとしたライフサイエンスが革命の時期を迎えておりますので、そういう観点から物事を見ておりますけれども、一般に見まして、日本は二十一世紀には、国民生活を質的に非常に高水準に保ったり、それから高学歴の教育、そういうものを生かす生活をするためには、より付加価値の高い仕事、産業、そういう領域を与え続けなければならないというふうに私は考えます。そのためには、ライフサイエンスは高付加価値型産業をつくる膨大な未開拓領域を持っています。ですから、私どもは、こういう領域に日本としまして前向きに取り組んで、ぜひこれを科学と産業に生かしていきたいと思います。

 私の個人的な領域ですが、私はもともと病院で医者をやっておりましたので、そういうモチベーションでゲノム科学の領域に入ってきましたので、ゲノム科学と医学の領域の応用が、将来の日本にあるべき姿といいますか、そういうものを、私なりに個人的に私見を持っております。そういうものを述べさせていただこうと思います。

 では、最初の資料でございますが、実を言いますと、ライフサイエンスの話を一般に私どもがやりますと、非常に難しいと言われます。それはなぜかというと、一番最初にいろいろな用語が出てきます。それがなかなか入ってくるのが難しいようです。

 それでも、ここでそれを詳しくひもとくということはなかなかできませんが、基本的なところだけは少なくとも先にお話しさせていただかないと後がちょっと続いていきませんので、申しわけございませんが、最初の資料の一番最後の三枚カラーで書いてきました、これを用いて、ゲノムとは何か、それからcDNAとは何か、それからたんぱく質とは何かということについて説明させていただきます。それと、ヒトゲノムシークエンスとはどういうものであるかとか、完全長cDNAとはどういうものであるかということについて話をさせてもらいます。

 まず、これは予備知識なんですけれども、ヒトの子の顔が親に似る、その遺伝情報は、DNAという物質によって親から子に伝えられます。もともとそれはどこに入っているかといいますと、三つあるうちの一番目の資料なんですが、人体はもともと細胞が六十兆個ぐらいから成っています。非常に数が多いです。ほとんどの生命活動は、たんぱく質という物質によって担われています。たんぱく質というのは、二十種のユニットのアミノ酸がずっと縦につながったものです。そのつながり方によっていろいろな生命活動がなされます。そのつながり方が、親から子に伝える遺伝暗号で伝えられているわけでございます。

 そのつながり方というのは、今度は親から子に伝えるDNAはどこにあるかということですが、人体は六十兆の細胞から成るといいますが、細胞の中に核という構造体がありまして、そこの中に、学校で習う染色体という構造体があります。その染色体の中にDNAが入っているわけです。そのDNAがA、G、C、Tという四つの文字で書かれておりまして、これが約三十億並んでいる状況がヒトの親から子に伝わる遺伝情報でございます。この並びがほとんど解明されたということが今回の発表であります。

 その次に、では、これがどうしてたんぱく質になるかということですが、この三十億の並びの中から、何万個かの部分から、一たんDNAのA、G、C、Tという文字がRNAに書き写されます。RNAも四つの文字から成っています。この四つの文字から成るA、G、C、Tの三つずつの枠が、おのおの最終的にたんぱく質の二十種のアミノ酸に置きかえられていきます。

 次のページを見てください。

 ゲノムプロジェクトというのは、もともと染色体の中にあるゲノムDNAの配列をずっとA、G、C、Tの四種の文字を調べるところでありますが、それが一たんRNAになりまして、そのRNAがそのままたんぱく質になるのではありません、これは真ん中に要らない部分がありまして、この部分が抜き飛ばされます。これはイントロンという、これも非常に難しい言葉で申しわけございません、抜き飛ばされます。それで、成熟したRNAという物質になります。

 この成熟したRNAという物質が最終的にたんぱく質になるのですが、このRNAの配列がそのまま、生理活性物質であるたんぱく質になります。非常に重要なところです。ですから、これを解読するプロジェクトがcDNAプロジェクトといいます。cDNAというのは、RNAに相補的なDNAを合成していくこと、相補的、コンプリメンタリー、そのcでございます。cDNAといいます。

 ですから、ゲノムプロジェクトは、核の中にある染色体の親から子に伝わるDNAそのものの配列、それからcDNAというのは、たんぱく質になる部分の配列だ、遺伝子そのものだというふうに解釈してください。

 その昔、一九九〇年の初めごろ、アメリカはこのたんぱく質となる部分の情報が産業につながるというふうに考えまして、物すごい勢いでヒトのcDNAをどんどんとって、大工場をつくって解析していきました。

 ただ、そのころ日本はなかなかそういう活動に手つかずの状況でございまして、そういう意味では先を越された感があったのですが、そこでどういうことを考えるかといいますと、こういうcDNAを合成するときに、たんぱく質全長の長さをカバーするだけの完全な形、完全長といいますが、この完全長のcDNAを合成する能力が世の中にございませんでした。そこで、アメリカは、断片でいいから断片のcDNAをどんどん塩基配列を決めていこうというふうな戦略をとったわけです。

 一方、日本なんですけれども、その次の最後の三というところ、カラーの紙でございます。完全長cDNAをとっていく戦略に切りかえました。なぜかというと、断片のcDNAというのは、ばらばらですので、最終的にたんぱく質ができないとか、非常に全体の構造がわかりにくいということがあります。一方、我々は、この完全長cDNAというのをどんどんとる技術を開発してやってきた。そういうことで、今回の新聞をにぎわしました二つのニュースが出てきたわけでございます。

 時間がありませんので非常にざっとおさらいをして、わからないところだらけで本当に申しわけございません。ただ、こういうような世の中の活動があったということをちょっと心の中にとめておいていただければよろしいかと思います。

 この活動がなぜ我々の生活に影響していくのか、非常に重要です。また文字で書いたところに戻っていただきたいのですが、2のところです。「加速と統合に向かうゲノム科学をベースとしたライフサイエンスの変貌」というところが、六ページ中二ページのところにあります。

 このゲノム科学というのは非常に重要でございまして、ライフサイエンスのすべての基盤になります。これはなぜ重要か。ちょっと考えただけでいろいろな応用の分野があります。例えば創薬、医療、人の体質を判定したり、新しい種類の薬をつくることができるようになります。それから、新しい種の、例えば食料とかいうものができますし、また、環境に優しい産業、生物をつくることもできます。

 こういう非常に領域の広い基盤であるゲノム科学、すなわち遺伝子の取り合い、遺伝子の取り合いという言い方でちょっとざっくばらんに申し上げたのですが、こういうことで国際的な競争がありました。

 これは、まさにそれまでは生物の中では起きなかった現象であります。なぜならば、世界を見ていただいてもわかりますが、全部でどれだけあるかがわからなかったというときには、結構皆さんは自分の領域だけ守っていろいろやっているのですが、例えば国の領土でも、大航海時代があらわれて、地球上全体が有限の土地しかないということになると、領土争いが起きます。それと同じように、有限の個数の遺伝子しかないと思われますと、やはりそれをとりに行こうというのが、特許的に押さえようというのが普通の考え方であります。自然な考え方です。そこでそういう戦いが始まったわけです。

 次に、こういうような動きが出てきたということで、ライフサイエンスに非常に新たな局面が出てきました。これは、産業的にも新たな局面が出てきました。それが2の2のところでございますが、読みますと、「ゲノム科学をベースとした新しいライフサイエンスがもつ側面」ですが、それは、生物学をやるには生物学、医学をやるには医学だけやっていればいいというものではなくなってきたわけです。

 例えば、いろいろな分野が統合して手を結ばないと、その分野を推進することができません。これは学際的統合といいます。現に我々の研究室でも、私は医者ですし、物理をやっている人間もいますし、化学をやっている人間もいます、計算機科学をやっている人間もいます、みんなが集まってやります。

 また、産業上、統合現象というのが生じます。これはなぜかというと、そういう非常に広い分野をカバーしなければならないところに、試薬とか機械とかいうようなものを売っている企業が情報を得るようになり、最後には例えば製薬産業に変身するというような、産業界がより大きな領域をとらなければいけないということで、アメリカなどは非常に大きな大企業の合併が生じるようになりました。これは、産業の領域の統合だけでなしに、企業自身が大きく変貌していくというふうに、この巨大な情報と巨大なゲノム資源を有効に活用するために企業自体が大きくなってきたわけです。科学的にも、ゲノムセンターができ、一点集中型のそういう学問の遂行体系ができました。

 よく日本で、先ほども、乗りおくれたんではないかというような話がありますが、ある意味でイエスですし、ある意味でそうでもない部分もあります。例えば、今言いましたような、大企業がより大きくなって統合していく、それでゲノム科学全体をカバーしていくような戦略というのは、現在のところ日本ではまだ見られません。また、最終的に、後でまた申しますが、社会経済構造、こういう領土争いをしたのは主にアメリカのベンチャーです。日本でそういうベンチャーが育成されるような社会構造があったかというと、かなりこれは厳しいものがあります。税法上の問題とかいろいろ厳しい問題があります。そういう意味で、非常に日本が不利になったという面がございます。

 あともう一つは人材であります。人材に関して、教育システムがこれもまた問題であるということで、次に三の「教育行政」のところにちょっと移らせていただきたいと思います。

 この新しいライフサイエンスとか新しいこういう産業を乗り切っていくためには、従来の教育システムでは出てこない人材が必要になってきます。これは非常に重要なポイントです。例えば、そこに「ポリシーを持ったデザイナーとリーダー」と一番最初に言っていますが、やはりこういう戦略をつくっていこうと思いますと、ある一貫したポリシーを持って戦略全体を進めていかなきゃいけない。非常に正しいところに着眼してやっていく、決断する人間が必要である。まずそれが最初に必要です。

 それからもう一つは、学際領域の研究者が必要です。例えば、日本ではバイオインフォーマティストというんですが、情報処理の技術を持っているだけではだめで、生物学もわかっていなきゃいけないし、医学もわかっていなきゃいけない。でないと、大規模な情報の山の中から、薬になるところとかそういう正しいデータを掘り起こしていくことはできない。ですから、学際的な研究者とか技術者が必要になってきます。

 それからもう一つは、さらにも増して、これが産業につながるためには、ビジネス教育を受けた優秀な科学者が必要になってきます。これは、自然科学の学部を専門のコースとする人たちが、ただ現在のコースを卒業しただけでは全然だめで、卒業してこういう領域に入ってくると、特許法とか特許の実践とか企業化論とか、もう本当に見たことのないような、これは全然違う領域でございます。それで、両方がわかっていないとやはりこういう領域を戦っていけない。

 それからもう一つは、知的所有権の問題がございますが、これを戦い抜くためには、やはり戦略的な観点を持った弁理士がいないといかぬ。こういうような人材を育てるためには、特許法を勉強して弁理士資格を取っただけでは全然不十分で、例えば医者のバックグラウンドを持っているとか、分子生物学のバックグラウンドを持っているとかいうような人がそういう弁理士になってもいいかなというふうに私は考えます。

 五番目に、それで実際特許を取ったとしても、それから実際の産業を起こしていく上でかなりのバリアがあります。こういう業界を、これは私の造語なんですが、業を起こす産業として起業産業と呼んでいるんですが、この起業産業家、これはベンチャーキャピタルからスタートして、それだけじゃありません、もうずっと最終的に会社の経営に至るまで、こういうようなところの人材がやはり日本では不足しています。

 それから、あともう一つは、こういうライフサイエンスが、ゲノム科学が出現してきましてから、高度な技術者とか特殊な技師が非常に必要になってきます。こういうものが、やはり人材が足りません。

 まして足りないのが精神教育です。アメリカはよくアメリカンドリームとかいいますが、どうしてジャパニーズドリームとは言われないのかとよく思うんですが、やはりこのライフサイエンスの中で成功する人物が必要になってくる。非常に成功するところですね。この中では、新しい分野を本当に切り開くという人材は物すごくよく働きますし、ハングリーな若者が多いです。そういうのを育てるといいますか、時にはそういう人たちは社会の構造の中にちょっと溶け込めないようなところもあるかもしれませんけれども、そういうような方を、非常によく働く、ハングリー精神のある人材を次のクオンタムジャンプを起こすための人材とする、養成するというような風土が必要じゃないかと思います。

 それから、もう一つなんですが、例えば国研とか大学とかそれから特殊法人とか、そういうところの研究でこういう領域をやるためには、やはりどうしてもトップダウン的に予算が決まっていくようなケースもあります。プロジェクトも決まっていきます。ですから、基本的にこういう価値の自己における評価基準を持つ行政官、事務官なんかは必要になってくるというのがもちろんそうです。

 私、ちょっと、ぱっとこういうことを聞くと思うのは、例えばジョン・F・ケネディ、彼は偉大な発明をしたという話を聞きました。それは、ノーベル賞をとったメセルソンという科学者がいますが、その現役の科学者を即自分の補佐官にしてしまったということで、即決できるような状況を彼らはつくった、これはJFKが初めてだそうです。

 それ以外にも、こういうような人々を養成できる教官、教師自体が現在非常に少ないです、いません。こういうような人材はアメリカには非常に豊富です。また、こういうカリキュラムとか学校、こういうようなものをどんどんつくっていくということも重要なことですが、残念ながら日本にはこういうことを意識した教育システムがありません。本当にこういう学校は、例えば地方大学とか、各県に一校ずつ、かつての医学部のようにあってもいいんじゃないかと僕は思っています。そのような人材を確保した、要するに、こういう問題というのは、行き着くところは人にあり、人材にありというふうに私は考えております。

 さて、次の話題に行かせてもらいますが、最近もう一つ注目しなければいけないところがあります。それは、いかにこの領域、非常にハイテクと呼ばれる領域ですが、この領域はすべて特許によってその企業活動が守られます。その特許というのは、このゲノム科学とか新しいウエーブのライフサイエンスが起きてから、全然異なったタイプの特許が出てきています。

 それは、例えばゲノムの遺伝暗号をそのまま特許に取ろうとする動きが、初期のころ日本もありますが、アメリカにあります。それが特許になるかどうかということで今大問題になっておりますが、そういうものとか、それから、たんぱく質の構造、この構造というのは、さっき言いましたアミノ酸の配列だけでなしに、三次元の形、こういう形をしているからそういうたんぱく質が機能を持っているんだというようなことでございますが、そういう三次元構造の座標の特許、そういうようなものが特許として認められるのかというのが問題視されました。

 こういうDNAの配列の特許がなぜ問題視されるかというと、これをばっと取られてしまいますと、そこから後の創薬とか、全部その中にひっかかってくるわけですね。それで大問題になりました。

 また、特許としての質の違いはどこにあったかといいますと、昔から、特許というのは、例えば物質特許といいますと、新しい化学物質をつくって、それの新規性と有用性と進歩性を認めるというようなところに特許の話があったんです。それで、物質に対して特許を与えるというようなところが特許の基本的な考え方です。当然、用途特許とか方法論特許とかありますが、物質ということが基調になっています。ただ、ゲノムの価値というのは、物質というより、DNAに書き込まれている情報そのものが非常に重要な価値なわけです。ちょっと従来のものとは違った質になってきたわけですね。

 そこで、アメリカの方は当然、先ほど言いましたように、歴史的にcDNAをたくさん見るとかゲノムをたくさん見るとかいうようなことが先行しておりましたので、こういうような特許をベンチャーを中心として取りまくったわけです。私たちは、結局、その後特許庁会議があり、いろいろありまして、DNAの配列とかたんぱくの三次元構造だけでは特許を認めない、ほぼそういう方向で行っています。それは、新規性と有用性と進歩性、三つの特許を満たす条件のうちの有用性が、遺伝子の機能を見ないと、有用性が解かれなければならない、そうでなければ特許として成立しないというふうになったおかげで、日本としてはそれで一つ安心をしたという形になります。というのは、こういう特許出願を先行したのはアメリカが中心だったからです。

 ところが、最近ちょっと私が問題視していますのは、このDNAの配列とかいうことの機能をコンピューターで予測する、それで機能をつけ加えて有用性として特許を認めるというような形がだんだん出てきています。このコンピューター予測というのは、予測は予測でございまして、現実かどうかわからないのでございますが、そういうようなものをベースとして有用性を認めて特許を認めていくということになってきますと、これは従来の特許論争がまた巻き起こるんじゃないかというふうに、現在けんけんごうごうと議論されているところだと思います。非常に重要なポイントです。

 その次、五番目ですが、技術ということについて言います。

 日本だけでなしに、世界のすべての技術が、こういうゲノムもしくはライフサイエンスの将来のポストゲノムの産業とかを支配します。一般に、科学は技術が到達すべき水準を規定します。また、技術は科学が到達できる水準を規定します。お互いに科学と技術は車の両輪でございますが、技術はやはり科学を引っ張っていく上で極めて重要です。DNA解析技術、たんぱく解析技術、このような技術の基本特許が、これまた残念ながらアメリカから出願されているケースが多いわけです。やはりここは、我が国としても非常に力点を置いて頑張らにゃならぬというふうに考えるところでございます。一番重要な点は、研究者のアイデアとか着眼点は重要でございますが、こういう非常に重要な技術が一つ出ますと、分野そのものが、新しい分野が開ける。科学分野もそうですし、産業市場も新しい分野が開けます。ですから、この技術ということについては、非常に重要に力点を置かなきゃいかぬというふうに思います。

 また、最近、アメリカは、実例としまして、二週間ぐらい前ですか、重点的技術のセンターをつくるというふうな記事が出ていました。これはやはり、重点的センター化を一部図らねばならないんではないかというふうに私は考えております。

 さて、こういう一連の話をしまして、次世代の科学行政が、じゃ、こういうバックグラウンドにどういうふうにしたらいいかということについてなんです。

 六番目の話題ですが、ここ最近、ライフサイエンスに対して日本の国の中でも、世界は当然なんですが、非常に大きな投資がなされています。この投資は、成功したのかどうなのか、そういう結果が出るまで結構時間がかかるということで、皆さんの生活が即変わるような産業がすぐ起きるかというと、そう早くは起きないんですが、ただ、私が考えまするに、国としてライフサイエンスの投資を行うことは断じて正しい選択であるというふうに思います。

 各論で、事細かいところで、もしくは局地的、近未来的にはいろいろ方針が揺れたりすることもあるかもしれませんが、この領域は、爆発的な科学的産業的市場をもたらします。それはもう確定的です。ですから、こういうところに投資をするということは断じて正しいというふうに私は考えております。

 その基本となる、力を入れるポイントなんですけれども、二つございます。ちょっとここには細かくは書きませんでしたが、一つは、生体内にあります主要構成分子、特にゲノムそれから遺伝子、遺伝子というのはcDNAですね、それからたんぱくを大まかに解明して、そのほとんどを網羅的、横断的に収集する、まずそういう基盤をつくるというようなアプローチがあります。これはまさにゲノム科学なんですが、こういうやり方というのは、現在のところ非常に大きな勝利をおさめております。

 こういう網羅的に実行するというやり方、その次のターゲットは何かといいますと、今度は、その三つの構成成分が一体おのおのどのように関連し合っているかということを見つける。これは遺伝子のネットワークですけれども、こういう領域がその次のターゲットになります。これは明らかにそうだというふうに判断されます。

 それはなぜ重要かといいますと、例えば、薬が何か効くという観点を見ますと、薬の作用点は必ずたんぱく質であります。遺伝子の産物です。ですから、その遺伝子のどの産物に対する薬をつくればいいかというターゲットを絞り込むためには、自分たちが開発したい薬の効かせたい症状とか病態、それに関与するたんぱく質がどれであるかということを明らかにして、そのネットワークを調べて、それのターゲットを決定してから薬の開発をする、ブロッカーの開発をするというようなことがその次のターゲットとなります。

 当然、そういうふうな領域というのは新技術が必要でございます。先ほども言いましたように、技術開発の力点というのが重要になってきます。それが六番目に言うことでございます。

 最後に、これは、私は本日どの程度お話ししていいかちょっと決めかねましたので、ここで決めて話をしようと思ったのが、倫理の問題でございます。

 ゲノム科学もしくは自然科学、それは、遺伝情報を解読して、体の中にどのような主要構成成分があるか、その主要構成成分全体を眺めまして、そのおかげでどのようなメカニズムである病気になるとか、それから、例えばがん一つをとってみましても、がんという非常に重大な病気は、まずがんになるそもそもの遺伝的な体質というのがやはりあります。例えばそういうようなものを判定したり、判定するというのは、個人の利益につながるような使われ方をしないといけないんですが、予防医学的に使ったり、それから、一たんそういう病気が発症したときに、その予後を判定するためにそういうゲノムの情報を利用して個人個人の診断をするということが非常に重要になってきます。

 一般的に、医学を考えますと、こういう個人の利益のために診断をする、情報を得るということは非常に重要なことでございますが、一たんこれが間違った方向にいきますと、やはり個人のプライバシーを侵す大問題になります。

 例えば、実際起きている事象、これは日本じゃありません、アメリカなんかで起きている事象でございますけれども、遺伝病の診断をしますと、お父さんが発症するとかいうようなことがありますと、その子供を非常に正確に、的確に、その本人の発症等を予測、言い当てることができるようなケースがございます。一たんそれが、例えば保険がそのリスクを回避するためにそういうような情報を得ようということになってきたりしますと、非常にこれまた大問題が生じます。

 そういった意味から、こういう科学を進めるということは非常に重要なことで、ぜひ人類がやらなくちゃいけない、それからまた、人類の福祉とか我々の国民生活の質的な向上のためにぜひやらなければいけないことであるということは間違いないんですけれども、それの使用法、そういうところをやはりきっちりと考えてやっていかなければならないということだと思います。

 今ちょうど、ヒトゲノムのドラフトシークエンスが出て、完全長cDNAのシークエンスが出たというような岐路に現時点において我々は立っている。これは今現に、新しいライフサイエンスの産業をつくる、もしくはライフサイエンスの学問を追求するという新しい戦いがもう既に始まっています。こういう時期に来て、まさに、これらの後にどのような科学とか行政、産業が求められるかということをもう一度見直して、皆さんで考える時期が来たのだというふうに考えております。

 ちょっと早いですが、中山先生初め憲法調査会の先生方に、本日お話をさせていただく機会を与えてくださいまして、非常に深く感謝します。ありがとうございました。(拍手)

中山会長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。

 速記をとめてください。

    〔速記中止〕

中山会長 速記を起こしてください。

    ―――――――――――――

中山会長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。三ッ林隆志君。

三ッ林委員 自由民主党の三ッ林隆志でございます。

 きょうは、林崎先生には、二十一世紀の日本のあるべき姿についてということで、ヒトゲノム解析を通して貴重な御所見をお述べいただいたことに、まず感謝申し上げます。

 そして、まず最初お聞きしたいのが、お話の中にもありましたけれども、科学技術の戦略、今まで第一段目が終わってこれから第二段目というふうに言われておりますけれども、そのヒトゲノムの最初の解析に関して、我が国は米国やイギリスとかの欧州には相当の差をつけられて、日本が担当したのが五%とか七%とかというふうに言われております。そして、アメリカのプロジェクトなんかでは、予算の規模とか動員された研究者の層の厚さとか、民間企業の関心の強さ、先生のお話の中にもありましたが、相当なものだったと聞いております。

 これからヒトゲノム解析の意味のある構造とその働きの解析が始まるので、これが日本にとってはまだこれからスタートできるよいところだというふうにも言われていると聞いておりますけれども、そして、現在のところ、日本はそれではまだまだ世界をリードしているところがある、またそこに先生がいらっしゃるというふうに思っております。

 そこで、今までの第一ラウンドのようにならないで第二ラウンドを勝ち抜いていくためには、世界のトップを目指していくためにどのようにやっていくかということと、それからまた、人材のお話もありましたけれども、各県に大学を設置というふうな案もお話の中にありましたけれども、研究者の育成とそれを教育する教員なんかの問題というふうなことについて、その二点についてお話を聞きたいんですけれども、よろしくお願いします。

林崎参考人 最初の御質問でございますが、日本が今後この領域でどのようにして勝っていくかということですけれども、ライフサイエンスの、このゲノム科学をやっていて非常におもしろかった点というのは、最初はこういうゲノムという有限のものがありまして、それをどこの国が何%とるかというような、そんな話に終始しておったんですけれども、ふと気づいてみますと、これは囲碁ゲームと同じで、囲碁は盤上のどれだけとるかという話ですが、ふと気づくとその盤上は自分が見ていた盤上じゃなくて、それより広い、例えばこの部屋ぐらいの盤があった。シークエンスということだけ見ていると確かにそこだけなんですけれども、まだまだ広いところがあります。それをまた、特にアメリカなんですけれども、非常に速い勢いで新しい領域を食っていっているというところがあります。

 ですから、私が思うに、産業をつくるにしても、科学分野を開拓するにしても、新しい領域といいますか、領域丸ごと初めて着手できるような分野をつくるというのが、これは非常に重要なポイントです。それが一つ。

 もう一つは、例えばある限られたものを日本がやったりアメリカがやったりする。cDNAをとってみたり、ゲノムをとってみたり、たんぱくをとってみたりするようなケースなんですけれども、そういうようなケースは、全部とろうと欲張るとだめだと思います。ある一部、自分たちが非常にフォーカスする領域をつくって、担当を分けると言うのもおかしいですが、全部をとるというのはやはり非現実的である、フォーカスするべきであるというふうに考えます。

 それからもう一つは、そういうことを実際ある領域で勝とうと思いますと、やはりベースになるのは技術でございます。そういった意味で、技術というのは、具体的に科学を追求するよりも一世代前の段階で先に技術を開発してから、それがその後での応用というところで利用されるわけでございますから、一世代先、二世代先の技術開発をやはり早急に着手すべきである、ポストゲノムではなくて、ポストポストゲノムぐらいのものを考えるべきであるというふうに思います。それが何かというのは、おのおのの領域によって違うと思います。

 それからもう一つは、人材の確保ということを御質問されたと思いますけれども、やはり人材の層の厚さの差がこういう領域の差に反映しているのは明白でございます。

 残念ながら、いかに一気に投資しても、人だけは、研究者を育てようと思ってやるには、大学院を卒業していただくために修士は二年かかりますし、ドクターコースは三年か四年かかります。そればかりはさすがに早くならない。それは仕方がございませんので、その場合は、ちょっと長期的な感覚で、先ほど大学のカリキュラムの話もしましたけれども、中期的にそういうものを手当てしていく方法と、それから日本の国の中にそういう領域で働く若い人たちを教育するといいますか、トレーニングするようなシステムは、やはり十年先以上を見据えてスタートしなきゃいかぬというふうに考えます。

三ッ林委員 またちょっと引き続き、先ほどの質問とつながるのですが、これからのポストゲノムの第二段階ということで、二月の発表などでは、今までたんぱく質十万種というふうに言われていたのが、コンソーシアムの発表などでは三万一千種とか、民間企業の方でも似たような数字ということで、今まで思われていたものの三分の一とか二分の一くらいというふうなことになっていると思うのですけれども、ポストゲノムの戦略的推進に関する懇談会というところで提言をしておりまして、五年間で日本は三千種のたんぱく質を目標としているというふうなのをちょっと読んだのです。もともと十万種あるもののうち主なもの一万種の中の三千というふうな考え方で決められたと思うのです。

 今回、その三万ちょっとというふうな実際の数字が決まると、それによって、どれだけの種類を日本として扱おうかというふうな戦略も変えていかざるを得なくなるのじゃないかという気がしたのですが、その辺に関しての先生のお考えをお聞きしたいのです。

林崎参考人 まず、遺伝子の総数の問題ですけれども、遺伝子の総数とたんぱく質の総数は異なります。それはどうしてかといいますと、遺伝子の定義の問題にかかわってきます。

 遺伝子の定義というのは、先ほどゲノムの配列というのがありましたが、そのゲノムの配列の一カ所から出てくるわけですが、一カ所から出てきたたんぱく質の形が異なるケースというのが非常にたくさんあります。そういうものをまず考えますと、たんぱくの種類は必ずしも三万ではないということが一点。

 それからもう一点は、では遺伝子の総数そのものは本当に三万何千ですかというと、それも、現在その数を推定しているのは、今までとられてきたcDNAのかけらの数と、かけらのデータベースがあります、それと、あともう一つはコンピューターで予測するという二つがございますが、ある定義をしたときにそういう数字が出てくるということだけでございまして、実際問題はそれよりもまだ未知のものが必ずあります。それがまた学術論文で出てきております。

 ですから、遺伝子の総数の問題は、余り短絡的に考えられないというのと、それがたんぱくの数を直接反映しませんので、それが一万だからどうという、そこのつながりは僕はないと思います。

 あと、もう一つは、なぜ三千かということなんですけれども、アメリカが一万やると日本が三千かというと、まあ三〇%ぐらいだろう、そういう感覚で決めたことなのかもしれませんけれども、三千の中身が僕は一番大切だと思います。

 数を決めればいいというのではなくて、それが創薬に結びつくたんぱくを決めるとか、本当に一個一個の価値といいますか、遺伝子とたんぱくの情報の価値は学問的産業的価値が遺伝子によっては全く異なります。非常にピンキリなんですね。ですから、この三千というのは、別に私としては少ないというふうには思いません。

 それよりもむしろ、三千の中身を、より価値の高い三千をいかに選ぶかということの方がはるかに重要なポイントではないかというふうに思います。

三ッ林委員 では次に、ヒトゲノム解析の進行と並行して、特定のゲノムの配列の中に、ただいまお話の中にもありましたけれども、創薬にかかわる情報等や、疾病の原因となるいろいろな要因というものがあるわけですけれども、それらを最初に特定できた者が知的所有権を持つ、またそれが保護されるというふうなことになれば、膨大な権利がその後に出てくるわけで、遺伝子情報を権利として保護するかどうかというような問題は当然あると思います。

 これが本来、自然の営みを明らかにする中で、研究成果の権利保護が余り強くなってしまうと、基礎研究の方などにかなり影響してくるのではないかということがちょっと心配されているのじゃないかと思うので、基礎と応用あるいは実用の研究が並行していってしまった、線引きをわざわざするということはほとんどできない環境になっているのだと思います。

 従来の研究の歴史の中で経験しない新たなそのような研究成果の権利の保護と、それから基礎研究推進との調和、これに対する先生の御意見をお聞きしたいと思います。

林崎参考人 まず、産業的な知的所有権を出すための、そういうタイプの研究と、それから基礎研究の二つのことを、バランスの問題をおっしゃいましたが、まさにそれは重要なポイントであると思います。

 必ずしもこのゲノム科学とかいうような領域が、現在においてこれだけ、世の中を騒がせているといったらあれなんですけれども、いろいろ言われるのは、当然科学的に非常に重要です。それは間違いないのですけれども、絶対に産業的なインパクトがあるということは間違いありません。

 ややもすると後者の方が非常に先走り過ぎて、基礎科学としての重要性というのを落としてしまう。それは一体何に影響するかというと、基礎科学として非常に重要なポイントというのは、特許になって、直接産業にならないかもしれないけれども、その基盤というのが、その次のまた基礎科学もしくはその次のまた産業を生むということがよくあります。

 ですから、目の前のそういう産業化のみに走る、それも重要ですけれども、やはりこれはバランスの問題だと私は考えております。

 それから、権利の保護のことをおっしゃいましたけれども、この権利の保護というのは、保護されるべき権利と、それから、これはちょっと権利としては認めるべきではないのではないかという権利とがその中身によって変わってきまして、そこの判定方法に関してはかなり明確な基準を僕は出すべきではないか。これは多分特許庁の問題であると思いますけれども、そういう保護をする方法とともに、何を保護して何を認めて何を認めないかというようなことを、やはりその基準を、私ちょっとさっき陳述しましたように、そこのところを明確にすべきじゃないかというふうに考えます。

三ッ林委員 では次に、このヒトゲノムの解析が進むということは、非常に大きな社会的な変化というのも引き起こしてくるのではないかというふうに言われておりますけれども、現在の日本が科学技術の恩恵にかなり浴しているというふうに言われておりますけれども、また一方、環境問題のように、科学技術の発達が、最初は考えていなかったいろいろな問題も引き起こしている。環境ホルモンとかもありますけれども、そのようなことも事実であります。

 ヒトゲノム研究の推進というのが、今後、創薬や個々人の遺伝情報、それらに基づく医療の実現等、それから遺伝子治療などが考えられておりますけれども、その反面、当初予想できなかった問題が発生するというふうなことも可能性としてはあるんじゃないかと思いますが、こうした問題に対する研究のあり方ということもあわせてお聞きしたいと思います。

林崎参考人 予想しなかったということでございますが、まず、ゲノムのシークエンスが出てきたということで、世の中が非常に変わるのは間違いないのですけれども、その変わるという意味合いがよく誤解される点がございます。変わるとおっしゃったので、ちょっとその辺を先に指摘したいと思うのです。

 一九九五年に、インフルエンザ菌という菌の全長の配列が出ました。それはゲノムDNAの全長の配列がわかった最初の生物だと思うのですけれども、その配列が出たからといって、そのインフルエンザ菌の生命現象が全部わかったかというと、今と一九九五年との理解がどう変わったかというと、余り変わっていないような気がするのですね。それはなぜかというと、暗号が全部わかっても、それらが一体どういう機能をしているかということの研究は、そこから先の話なんです。ですから、社会的変化は、そういうのを一個一個解明していった末にやがてわかってきます。

 ですから、やってみて予想しなかったことが起こるケースというようなことをちょっと御指摘されましたけれども、それは各論をこれからやってみないとわからないんじゃないかというふうに思います。

三ッ林委員 続きまして、ヒトゲノムの研究はこれから、今のお話もありましたように、生命のなぞや人間が人間たらしめられている仕組みを解明していくということになると思います。ただ、人の遺伝子は生まれたときからずっと変わらないわけで、それが解明されて、人それぞれの将来が場合によってはその疾患などによって予測されるというふうな事態も想定されています。

 このため、昨年の六月に、科学技術会議の生命倫理委員会では「ヒトゲノム研究に関する基本原則について」というのを決定して、ヒトゲノム研究が疾病の治療というものに大きく貢献する一方で、人の尊厳と人権が損なわれる危険性を持つものであることを指摘するとともに、ヒトゲノムは、人類の遺産であり、人としての存在の生物学的基礎であるが、人はゲノムによって存在が決定されているものではないとしております。

 しかし、このヒトゲノム研究の推進は、今は、神の領域に踏み込むものであるとの懸念の意見もありますし、憲法が定めている基本的人権の尊重が侵害されるおそれも否定できないというふうにも言われておりまして、これらに関して、先生の御意見をお聞きしたいと思います。

林崎参考人 ヒトゲノムの標準的な配列の暗号解読、これは非常に慎重でなければいけないのですけれども、比較的問題になるケースが少ないと思います。一番問題になるのは、個人個人の配列情報です。個人個人というのは、患者個人とか、そういう診断を行う対象となるその人の配列が非常に問題になります。

 生命倫理の基本原則に記してありますように、尊厳を守らなければいかぬ、おっしゃるとおりでございまして、その個人個人の遺伝暗号、DNAの配列を個人の利益につながるために利用し、それ以外には一切使われてはならぬということはやはり基本原則でございまして、そこはもう周知徹底すべきだと思います。

三ッ林委員 そこで、私も今小児科医をやっておりまして、中には遺伝子異常の患者さんもかなりいらっしゃるし、診断はついても治療もできない、対症療法しかないというふうな患者さんもかなりいらっしゃって、遺伝子診断というものがだんだんと行われるようになっております。

 そのような中で、中山会長なんかが昨年いらっしゃったスイスの憲法の中には、人間の遺伝的形質の検査とか、それの公開とかに関しての規制というものが憲法として載っているということですが、日本において、このような個人の遺伝的なもしくは疾患にかかわる情報、先ほど先生も保険の問題とかもおっしゃられましたけれども、そのようなものは法律もしくは憲法というふうな形で制限をされるだけ重要な問題であるのではないかと思いますけれども、それに関して先生の御意見はいかがでしょうか。

林崎参考人 重要な問題であると思います。重要な問題であるかというお尋ねですので、重要な問題であると思います。

 それの規制ということなんですけれども、個人の尊厳を脅かすようであってはいかぬ、そういうのは当然法律的に明確になっていればよいことであるというふうに思いますが、今度は逆の立場で、不必要に、全然問題が生じるはずがないようなレベルでそれが規制になって科学技術の発展を阻害しますと、逆に、これはまた人類の福祉に対して反対の方向に働きます。

 ですから、そこの問題をやはり私はバランスの問題であるというふうに解釈します。あるレベルで法律的に何か記述があるということであれば非常に明確でございますので、そこは慎重に明文化していただくということはよいことではないかと思います。

三ッ林委員 それから、またこれからのということで、一万種、日本としては三千種のたんぱくというものの構造と機能を調べていくというふうなお話がありました。最初のヒトゲノムの解析なんかでは、戦略的に日本は欠けたところがあって、かなり欧米に出おくれたというふうなことがありまして、今回はそんなことがないようにということで、ポストゲノムの戦略的な推進に関する提言というのが出ていると思いますけれども、先生としては、その提言にもう少しこうしてほしいとか、政府もしくは私たち政治家がもう少しこうするべきだというふうな御意見がありましたら。

林崎参考人 それは、その三千種のたんぱくということをお尋ねされているのでしょうか。

三ッ林委員 いえ、そうじゃないです。これからの戦略的な考え方ですね。技術的なものとか、もしくは政府とか、サポートの問題であるとか、それに関して、今提言されているもののほかに、もし先生がもう少しこのようなというふうな御希望とか御意見があれば、お聞きしたいというふうに思います。

林崎参考人 今たんぱくの話が出ましたけれども、たんぱくまで、この三千種というようなところまでやりますと、それで一体何がわかるかというと、やっと生体の三つの主要構成成分がそろうという形になります。

 先ほど言いましたように、インフルエンザ菌の話をしましたが、それが全部そろって一体何がわかったかというと、それだけでは結局、機能研究になっていかないわけです。あともう一息です。

 要するに、何が言いたいかといいますと、産業とかそれから学問的に目に見える何かを、何かというのは成果ですね、出すためには、そういう機能というものを追求しなきゃいけない。生物の機能を追求するためには、構成要素が全部そろっただけでは、必要条件であるんですが十分条件ではありません。ぜひ、十分条件にまで持っていくための機能研究のために、網羅的にやるためには遺伝子のネットワークしか次はないんですけれども、そういう方向というのは当然力を入れなきゃいかぬというふうに思います。それから、先ほど言いましたように、そういうのを推進していくためには技術が絶対重要です。ですから、やはり技術とそういうネットワークや機能的解析、そういうところに重点的に力を入れていかなきゃいかぬというふうに私は考えます。

    〔会長退席、鹿野会長代理着席〕

三ッ林委員 ちょっと質問の残り時間も少なくなってきましたので、一つ、きょうのお話の中にはなかったんですが、私が読んだ資料の中にジャンクDNAというふうな記述がありまして、コンピューターなんかいじっていれば、ジャンク屋さんに行って、その人にとっては非常に価値のあるものが見つかったりというふうなこともあるので、ジャンクDNAというふうな言われ方をしているのだと思うんですが、ジャンクDNAに関して、現在それに対していろいろ研究がなされているのか、もしくはそれに対する先生の考え等がありましたら、ひとつお聞かせください。

林崎参考人 ジャンクDNAというのは、いろいろなところでそういう研究者の方々がお使いになられて定義がはっきりしておりません。その定義によっていろいろ変わると思うんですけれども、ある使われ方の一つには、ゲノムDNAの中でたんぱく質やRNAにならないところをジャンクと呼ばれている方がおられます。

 もしその定義だとしましたら、その研究というのは、先ほども言いましたが、直接例えば即産業とかそういうものにはひょっとしたらつながらないかもしれないけれども、非常におもしろい生命原子を持っている、先ほど基礎研究という話がありましたが、まさにその対象になるような領域だと思います。そういった意味から、そこの領域というのは未知で、何をやっているかわからないところがありますので、今後の研究対象としては非常におもしろいと思います。

三ッ林委員 では、本日はありがとうございました。時間になりました。以上で私の質問を終わります。

鹿野会長代理 中川君。

中川(正)委員 民主党の中川正春でございます。

 きょうはありがとうございました。非常に刺激的に聞かせていただきましたのと同時に、正直、私自身も自分がどこまでわかっているのかわからないという分野でございまして、そういうことを前提にしながら、私自身の頭の中を整理するためにも少々質問させていただきたいというふうに思います。

 私がお話の中で理解をさせていただいたのは、どうもゲノムというのは三つのステージがあるんじゃないか。一つは、ゲノム自体の配列をいわゆる単純な情報として明らかにするというプロセスが一つ。それからもう一つは、それが何を意味しているかという、先ほどお話が出ましたが、それぞれのゲノム配列が持っている意味、これを解析していくという作業がもう一つ。それから、それを解析していくと同時に、今度は、その中身を活用して、新しい私たち人類のもう一つ次のステージといいますか、病気ということだけじゃなくて、恐らくもっと広い分野にそれが応用できるんだろうと思うんですが、それをコントロールしていく、また新しいものをつくり出していくものに使っていくという、その三つのステージがあるんだろうというふうに私なりに理解をさせていただきました。

 その上に立って、まず最初にお聞きをしたいのは、最初の、情報そのままを理解するというのが九九%開いてきたということでありますが、ここで二つの問題を教えていただきたいんです。

 一つは、その過程の中で日本がおくれたということが指摘をされました。これは、具体的にどこまでおくれていて、何をもっておくれたというのか。このおくれというのは、もう一つ、次の質問にかかわっていくわけですが、これは国家戦略としてアメリカが、最初プロパテントでパテントを非常に積極的に展開していきながら国家戦略を立てたわけですが、それに対して途中で変わって、この分野についてはパテントを与えません、これは人類共通の情報でありますということになりましたね。

 そういう意味からいって、ここはもうイーブンになったのか。日本はちょっと解析することはおくれたけれども、今度は同じ踏み台に立って次のレベルへ行けるのか、それとももうそこでおくれを取り戻すのは難しいのか。その中身がもう少し私も理解しがたいところがあるんですが、わかりやすく教えていただけませんでしょうか。

林崎参考人 非常に的確なところをお聞きになられて、ちょっと私もどう答えていいか困っているんですけれども。

 まず、おくれたというときによく引き合いに出されるのが六%という数字なんですけれども、あの数字は本当に百分の六かというと、必ずしもそうでもないというふうに思います。

 理由は、シークエンスそのものの質の問題があるんですね。何でもいいからとにかくたくさんやるというパターンと、本当にきっちり端から端まで読むというパターンとがあります。端から端まで読むときには、長さ的にはちょっと短くなるかもしれませんけれども、そのクオリティーは非常によい。日本の特質なんでしょうね、非常に短いけれども完璧に読んだというのは、やはりこれは自慢できるところじゃないかというふうに思います。それが一点。

 それから、何でおくれたか。それでも、やはり六%が六〇%になりませんので、それはなぜかというと、思いますに、ヒトゲノムのシークエンスについて語っていた会話、そういう企業の人が言っていた会話とか、そういうようなものを今からふっと思い浮かべるんですけれども、そうしますと、やはりヒトゲノムそのものを当時、一九九〇年代初めのころですか、それをシークエンスして一体何になるのかというのをみんな認識していなかったところがあると思います。すごいことが起きることは間違いなかったんですけれども、これほど、今度cDNAが出てきますよね、そうすると、いきなり次は産業的なところに直結していく状況になります。その状況の一番初期のころはやはりリアライズされていなかった。

 その段階のときに、既にアメリカはある戦略としてそういうものをやっている、まず国としてそういう戦略をやっていた。もう一つは、企業が、そういうcDNAに関しましてはいち早くベンチャーを使いまして、自分たちでつくってそれを実行する、cDNAのプロジェクトを実行するということを実際やったわけです。

 それは、では日本ですぐベンチャーをつくってできないのかというのは、まず投資する方のモチベーションがありますね。それをやってどうなるのかというのが、ちょっとその当時はイメージできなかったところがやはりあったと思います。それが一点。それから、それが仮に投資する気になっていても、どうしてもそのシステムが、先ほども言いましたように、ベンチャーがなかなか日本で起きないという点がございます。なぜかというと、そういうところがかなり大きな点じゃないかというふうに考えます。

 途中から本格的に日本も乗り出すようになって、今のような状況になっているのですけれども、ただ、そのときもやはり日本の特質みたいなのが出ていますね。非常に正確に読んでいます。そういうところがあります。

 あとそれから、御質問のもう一点は、済みません、もう一つ忘れましたが、何でしたか。

中川(正)委員 パテントを外したということで、アメリカのコンソーシアムやヨーロッパのコンソーシアム、この情報が共通になったのかどうかということです。

林崎参考人 そういう意味では共通になっております。ヒューマンゲノムに関してはそうでございます。

 ただし、cDNAに関しては、例えば、二年前ですか、一年半ぐらい前ですか、ESTの特許がアメリカで認められました。そういうような、シークエンスそのものが特許に認められるのか、例えばコンピューター予測した機能で認められるかもしれないという不安といいますか、そういうようなものがまだございまして、そういった意味では、やはり今、産業的にも特許的にもイコールではない状況なのではないかと僕は思います。

 そのほかの点、ヒューマンゲノムに関してはどうかといいますと、確かに、cDNAは今そういう状況で、パテントという意味でもイコールでないかもしれませんが、ヒューマンゲノムという意味からしましたら、これは人類共通の財産であるということで全部オープンにするということになっていますが、やはりそれでもセレラ社などは、物すごく出したときに、特許を幾つか出しているのですね。そういうようなものの機能予測をした特許を特許として、今後の話ですけれども、将来成立してしまいますと、それはやはりイーブンではない状況になります。

 それから、あともう一つ、ヒューマンゲノムという意味からしたらどうかということを、ちょっと御質問があったので。

 人類共通の財産になっても、それは確かに基盤としては同一線上に並んでいますけれども、貢献度という意味では、やはりそういうプレコンペティティブなフィールドのところで貢献した貢献度が高いほど、発言力の話をしましたけれども、そういう発言力が出てきて、その発言力の高いところがその次のルールを決めることができます。そういった意味で、なるべく発言力を増すために国際貢献という面も力を入れないといかぬ。それは車の両輪だと思います。

 そういう意味で、完全にイコールになっているかというと、そうではないような気がします。あとは特許庁がどう動くかという問題が大きいですが。

中川(正)委員 次に起こってくるのが、さっきの、解析をしてそれが何を意味するのかということ、その価値を付加した上でパテントをどうするかということだと思うのですね。

 今の流れからいくと、アメリカは、もう現にコンピューターで付加価値をつけたものはパテント対象にしますよというところまで来ているんだということは理解ができたのです。そうなると、そこで競争ということになりますが、日本の立場として、そこをパテント対象にすべきかどうかということと、そこがいわゆる国際スタンダードのせめぎ合いということなんだろうと思うのですが、普通からいえば、その機能を発見していくプロセスとか技術とか、そういうものに対するパテントというのは考えられるような気がするのです、私なりには。しかし、ゲノムの配列が持っている機能そのものは、もうそれだけのことですから、それがただ発見されたということで、パテントの対象にはならないんだという議論をしていくべきなんじゃないかなというふうに思っているのですが、そこのところの先生の御理解といいますか、先生の意見を聞かせていただきたいと思うのです。

林崎参考人 コンピューターで機能を予測して有用性を証明といって、本当にそれでパテントが成立するかという問題ですが、アメリカはそうなっているとおっしゃったのですけれども、必ずしもそうではない、まだわからないという点です。ケース・バイ・ケースで、今揺れ動いているところだと思います、私の解釈では。

 ですから、それがどちらに転ぶかということと、あともう一つは予測のレベルですね。非常にいいかげんな予測から非常に精度の高い予測までのレベルがあります。そのレベルによって判断するのかしないのかというまた議論の論点があります。ですから、今のところは、それはディベーテッドプロブレムです。

 日本はこれをパテントとして認めるべきなのかというふうにおっしゃいましたが、これは私の勝手な解釈かもしれません、これを認める認めないのルールを一たん決めたら、それは日本国内で決めると、そのルールは日本国内全体に及ぼす影響があります。

 現在のところ、もしこういうものを認める方向に行きますと、ここで言うのもあれなのかもしれませんが、結局国益として得するのはどこかというとアメリカなんですね。なぜかというと、いっぱい出しているのは、アメリカがもうほとんど全部先に出しているわけですね。ですから、そういう状況では、そういうものをちょっとでも認めるルールでいくよというふうに決めますと、その特許が成立する確率が上がるのはアメリカなんです。

 日本は少ない。そうすると、日本に対してはやはり不利に働くというふうに考えます。ですから、特許庁の方々も、この間我々のところに来られましたけれども、そういう方向で一生懸命努力されているというふうに解釈をしています。

 ですから、私の意見は、極論かもしれません、コンピューターとかそういうものの予測と、実験による実証というのははっきり分けて、実験による実証であればそれは事実ですからいいですが、予測だったら、それはもういいかげんな予測から非常に精度の高い予測まで予測は予測ですから、それを認めないという方向でいくと、それは日本の国益につながる方向ではないかと私は考えます。

中川(正)委員 最後の質問になると思うのですが、アイスランドで今大騒ぎをしているということを聞きました。

 これはさっきの、それぞれのゲノムの解読というか、機能を解読していく上で、国家が自分の国の民族の特質の情報を一般企業に売って、一般企業が請け負った形で統計的な部分、いわゆるこれまでの病歴とか地域の独特の偏りとか、そういうようなものをデータとして集積をしながらゲノムの解析に使っていこう、そういうことを国家として決定をしたといいますか、それが今大論争になっているようでありますが、こういうことが起こってくるんだろうというふうに思うんですね。

 それは、私もこの論争を聞いていて、ある意味では、例えば我々の預金だとかあるいは健康情報をコード化して背番号をつけて、それを個人情報から離してトータルな情報として処理をして、その中で一つの傾向を持ちながら分析をしていくのに使っていこうという、その流れと考えてみれば同じようなことなのかな、それを考えていったらこれも成り立つのかなと一つは思うのですね。

 ところがもう一方で、さっきの話、人としての本当に根幹にかかわる、プライバシーのそれこそ根っこだと思うのですが、そこへ向いて、国家がこのような形で介入してそれを一般企業に売るというのは、これはどうも倫理の整理ができていない、もう一方でそういう抵抗があるのですね。その最先端におられる先生としては、こういう国家の動きに対してどういうふうに御意見を持っておられるのでしょう。

林崎参考人 これは非常に難しい問題ですけれども、国家がそういうふうに決めるというのは、国として、全体としては利益があるからということを考えたのでしょうか。全体の福祉と個人のプライバシーの問題、これは常に憲法の上でも問題になるような話です。

 私の個人的な意見なのですけれども、確かに科学は、そういうものをまとめて国が決めてやってしまいますと非常に速くは進みますけれども、果たしてそれが全体にとって幸せといいますか、やはり我々が科学を進めるというのは、真実を見たいという面のほかに、私ら、医療現場にいましたから、患者さんとか個人個人が喜んでいただく、そういうところの精神があるのですね。そうしますと、果たして全部に対してそういう決定をしてしまうということが、本当に個人個人が幸せに感じるかという問題は、ちょっとこれは別問題だと思います。

 少なくとも、これは全体でやるということよりも、個人がそれを拒否する権利というのは必ずあるべきだというふうに信じています。

中川(正)委員 時間が来たようでございます。ありがとうございました。

鹿野会長代理 斉藤君。

斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。きょうは大変すばらしいお話をありがとうございました。

 「二十一世紀の日本のあるべき姿 国際社会における発言力と競争力」ということで、これに関する質問をさせていただきたいと思うのですが、その前に、ちょっと本題から外れるかもしれませんが、ぜひ林崎先生に、前から聞いてみたいなと思っていることがございまして、それを最初に質問させていただきます。

 今、中川委員からも、一つの研究のフェーズとして、配列がどういう意味を持っているかということを解明する段階にあるということでしたが、そのもう一つ奥、なぜ、ある意味ではA、T、C、Gという四つの記号、文字の配列にすぎない設計図が実質的な自然界における意味を持つように至ったのか。私たち人間社会では、こういう文字はこういう意味を持つというふうに我々みんなが決めたからそういう意味を持っているわけですが、自然界のA、T、C、Gの配列が実際にはこういう花をつくりますという意味を持つ、それはだれが決めたのかという根本的な疑問を、前からこのゲノムの話を聞くと思っていたのですが、このことについて教えていただければと思います。

林崎参考人 基本的に、このA、T、C、Gであるというのは、きょう私はDNAの話をしました。これは生物とは何かという問題に起因します。生物というのは、基本的な一番重要な性格というのは、自分と同じものをつくることができる、複製というのですけれども、それができることが生物の一番基本的な働きなのですね。

 そうしますと、ある構造体があったときに、その自分と同じものをつくるときに、なぜAで、なぜTで、なぜCで、なぜGかということは、それは結果的には進化の過程でそうなったのですけれども、そういう塩基というものはお互いに相補的であって、Aの相手としてT、Cの相手としてGがつくということが、これは自然界でそうなっているのです。科学的な構造でそうなっています。相手を特異的に認識する能力があります。

 そのA、G、C、Tみたいなそういう構造が一たんできますと、それは一番初期の原始地球ではRNAでできたというふうに信じられています。そのRNAが、自分がある活性を持っていて、自分自身と同じ配列をつくる能力ができるRNAができたのですね。それで自分の複製をどんどんしていくということで、それが生物の基本なのです。それがたまたまこういう塩基の構造だったのでしょうということなのですけれども、それはなぜかと言われるとちょっと困ってしまうのですけれども。

    〔鹿野会長代理退席、会長着席〕

斉藤(鉄)委員 ちょっとわかったようなわからない、私自身があれなので、また後で先生にお伺いいたします。

 次に、高度知識社会と民主主義というテーマでちょっとお聞きしたいと思うのですけれども、これからの日本にとってライフサイエンスの投資は絶対正しい、必要だ、このように先生はおっしゃいました。しかし、それは納税者の理解があって初めて可能なものです。しかし、非常に知識そのものは難しくて、我々はなかなか理解できない、納税者もなかなか理解できない。しかし、国としてはそこの部分に投資しなくては、国が将来成り立っていかないということを一部の学者はわかっている。この橋渡しをどうするかということがこの高度知識社会における民主主義ということで非常に重要だと思うのですが、この点についての先生のお考えをお聞かせ願えればと思います。

林崎参考人 私がいつも困りますのは、このゲノムの話とか、特に生物ゲノムの話ですね。この話を一般的にこういうふうにかみ砕いてするケースがありまして、よく政治家の先生方とか行政官の方々とかが我々のところに来られて説明したときに、例えば宇宙とか原子力の話はよくわかるのですけれども、ライフサイエンスの話がなかなか難しいといってわかっていただけない。それはやはり特別な用語とか、あるレベルのところ、全部が目に見えないものなのですね。そこが非常にわかりにくくて困っているところがあります。ただ、そういうふうに言っていたのでは話になりませんので、我々としては最大限の努力をしなければいけない。

 最近ちょっと思いますのは、よくテクノフェアとか、それから去年もありましたけれども、ビッグサイトでゆめテクとかいうのを日経がやったり、そういう一般の方々に御理解いただくためのいろいろな催し物とかそういう努力、それからもっとあれなのは、新聞、テレビその他の報道機関が我々のところに取材に来ても、もう一度わかりやすくかみ砕いてやってくださっている努力のほどを私たちは見てきております。これは非常に頭が下がる思いがするのですが、これ以上に、こういう領域を説明したり、それから皆さんにわかっていただくいろいろなチャンスといいますか、催し物であるとか書籍であるとか、そういうものに対してかなり力を入れなければならぬなというふうに、最近特に感じております。特にゲノムの話が出てきてから、本当に理解することは非常に難しいというふうに感じます。

斉藤(鉄)委員 投資の前提として、数あるテーマの中から例えばゲノム、このライフサイエンスの分野でも数あるテーマの中からどこに投資をするかということを決める、そのためには評価ということが大事になってくるかと思います。

 先生が一昨年の「科学」に書かれた「今、科学へチャレンジ」という文章の中で、「他の人がおこなった研究の評価においても、その評価を十分に下すことのできないというか、評価を下すリスクを犯したくないという科学者がとくに日本人に多い」、こういうふうに書かれておりますが、非常に気になるところでございますので、この点と、それから評価のあり方についての先生のお考えをお伺いさせていただければと思います。

林崎参考人 なかなか厳しいところなんですが、評価を下すというのはなかなか勇気の要ることです。というのは、自分の中に価値判断基準を持っていないと、他のだれかが何かを言ったということを、そのまま私もそう思うと言うのは非常に簡単なんですけれども、初めて出てきた仕事とか事象を自分の価値判断でこうだと言うのは非常に難しい。そこのことを僕は「科学」に書いたのだと思います。

 特に、日本で非常にいい仕事、研究成果が出ている場合で埋もれているケースが多いです。そのケースは、ほとんどの場合は、アメリカや外国で騒がれて、それが逆輸入されてくるケースがあります。ですから、そういうところをやはり日本が、これは行政という側からもそうだと思うのですけれども、僕もここに書いたのですけれども、自己判断ができる、行政側が自分の自律性でそれを判断して評価できる状況というのはやはり重要です。それが逆に、評価を逆輸入するという構造そのものが、先ほどからおくれるとかいうような話がありましたけれども、日本が後手に回るという、本当に構造的な問題であるのではないかというふうに思います。

 そうである面もありますし、ない面もありますので、それがだからどうと余り極論的にとっていただきたくないのですけれども、そういう側面があるということであります。

斉藤(鉄)委員 評価なんですが、やはり評価は同僚である研究者が評価せざるを得ないと思うのです、我々にはわかりませんし。そういう意味で、同僚研究者による評価システムということを、日本でもきちっと厳しい評価ができるようなシステムを築いていくべきだと思いますが、その点に関してはいかがでしょうか。

林崎参考人 おっしゃるとおりです。厳しい評価をやっていかないことには、やはりむだな研究をしても仕方がありませんし、それはしっかりと基準をつくってやるべきだと思います。

斉藤(鉄)委員 ちょっと今度は、研究所の体制について質問させていただきます。

 先生がいらっしゃる理化学研究所、私が大学を卒業する二十数年前は、理化学研究所といいますと沈滞した研究所の典型のようなイメージがございまして、あそこだけには行きたくないというような雰囲気もあったのですが、現在は、ある意味で最先端を行く研究所、パーマネントでなくても、三年の任期つきの研究職でも理化学研究所で働いたということはその世界では非常に大きなキャリアになる、そういう研究所に生まれ変わったと思っています。

 だから、日本じゅうの国立研究所や大学がそのように変われば日本の科学も大きく変わるのかなと思うのですけれども、なぜそのような大変化が可能だったのか。理化学研究所にいらっしゃる研究者としてどのように考えていらっしゃるか。

 また、大学改革ということについても、先生は大学とも非常に深い結びつきがあるので、大学そのものを理化学研究所のように変えていくためにはどうしたらいいかということについて、お考えを聞かせていただければと思います。

林崎参考人 理化学研究所がそういう研究所かどうか、内部にいると、とにかく前に走るのに必死でよく見えないのですけれども、確かにそういうように見えるようです。

 なぜ変わったかという御質問ですけれども、やはり思うのですけれども、テニュアポジションという立場の研究員だけでは活発に動けないところがあります。また逆に、今度テニュアがなければどうなるかというと、これは腰を据えてやるパーツがなくなるわけですね。

 これは、私が思うには、三年の任期つきでもというポジション、基礎特別研究員というようなポジションとか、確かにそれは大きく貢献したと思うのですが、その両方がある適度な比率でまじり合っているということが非常に重要です。僕は、今やっていてそれは直観します。テニュアだけではだめですし、その逆もだめです。

 ですから、それで何ができるかというと、テニュアの人があるメンテナンスをする部分にやはり貢献されていて、その中で任期制の人が非常にチャレンジをする。要するに、後ろを顧みる必要がないわけですね。とにかく前に、研究はかけですから、かけをどんどんやることができる環境になってきたというのが大きな原因じゃないでしょうか。

 それから、大学のことを言われたのですけれども、では大学をどうしたらいいかと言われているのですけれども、大学は大学でまた別のいい面があります。毎年毎年、若い元気のいい学生が下から突き上げてくる状況というのは非常にいいことです。

 大学も、今言いましたように、理化学研究所が変貌してきたように、同じような変貌は必要で、大学の問題点というのは、とにかくある一定の時期が来たらその学生は必ず卒業するわけですね。それが、自分がある研究を、これはおもしろいと学生が興味を持ったところをもっと腰を入れてやろうかということができるような、さっき言いました任期制のポジション、プラス、ではテニュアがなかったらどうかというと、それもまた困るわけですね。ですから、その配合比を非常にうまくいくような制度、そういうのがやはり重要じゃないかというふうに思います。比が問題ですね。

斉藤(鉄)委員 きょうは大変ありがとうございました。また今後とも教えていただきたいと思います。

中山会長 藤島正之君。

藤島委員 自由党の藤島正之でございます。よろしくお願いします。

 先生は、すべてが見えない時代とすべてが明らかになった後の時代とではとるべき戦略が違ってくる、こういうことを最初に言われて、そういうふうな状況になってくると、有限かもしれないということがわかってきますと、全体に手が届かない時代と違って、ゆっくり解析しておればよかったのと違ってきている、こういうことをおっしゃっておられました。

 先生は遺伝子の解析について大変画期的な方法を開発されたわけですけれども、同様のことをやっていたアメリカに比べて十倍ぐらい速い方法で解析されたわけですけれども、どのようにしてできたのか、また、これからそういった方法が日本において開発されていくような余地があるのかどうか、お伺いしたいと思います。

林崎参考人 今技術開発のことをお尋ねになられたと思うのですけれども、技術開発の一番ポイントは、目的は何かを明確にすることだと思います。目的によってとり得る技術と戦略は違います。

 私は少なくとも、例えば今回cDNAの問題がありましたが、このcDNAの問題のときには、これは明らかに目的がはっきりしています。全部のcDNAを集めてその構造を解析しよう、そのためには一体どれぐらいのスペックがなければならないかということを逆算して、そうすると、今の技術じゃだめで、どのレベルの技術が必要かという算定になってきます。

 ですから、全体がこれだけであるということが見えてきたおかげで、それを全部やるためにはどのぐらいの時間でどれだけのアウトプットが必要かということが出てきますから、どんな技術を開発しなきゃいけないかということが逆にわかってくるわけですね。それが一番のポイントじゃないかと僕は思います。そうすると、ニーズが出てきますから、次の戦略はもう何が何でも考えていくということになってきます。少なくとも、私はそういう歴史を生みました。

藤島委員 どういう点が苦労されたといいますか、苦労話みたいなものがあれば参考に聞かせていただければと思うんです。

林崎参考人 一番苦労しましたのは、やはり学際的だったというところですね。

 というのは、何度も言いますように、私、医者でしたから、自分自身が機械の設計図をつくったことがありません。そんなときに、自分がわからない分野があるわけですよ。そういうようなときには、やはりそれなりの、そこができる人で、非常に人間的にも技術的にも信頼できるパートナー、そういう人をとにかく仲間に呼んできてチームを結成するところが一番力を使ったところです。一たん信頼できる仲間ができますと、とにかくそこは任せておけば、彼らがこちらの言う水準を到達するようなものをつくってきますし、今度またこちらの得意分野と融合させることができるようになります。

 ですから、そういう人材というのが一番苦労した点でございます。

藤島委員 それでは、最初にも質問しましたけれども、日本にまだこういった分野が、アメリカに対抗して解析の手法とか何かで進んだものがどんどん出てくるものでしょうか。

林崎参考人 出てくると思います。

 それは、何度も言いますように、やはりこういう学際的領域というのは、海外の、特にアメリカの学士、そういう科学を推進しておられる領域の方々が非常に得意なんですね。とにかく、なぜか知りませんが、日本人は隣と組むのが下手なんです。

 ところが、最近、ちらほら見てみますと、そうでもないと思います。というのは、特にエンカレッジしないといけないのは、例えばノンバイオの企業なんかがこういう領域に乗り込んできてくれるようなこととか、本当に今までかたいものしか使っていなかったところがこういう生物を使うようになる。

 ただ、思ったのは、過去にもそういう、例えば分子生物学のところに入り込んできた会社なんかがあったんですけれども、結局やめてしまったところがいっぱいあります。そこのところは、なぜそういうふうになっているかというと、標的といいますか目標とするゴール、先ほどの技術開発と一緒で、ゴールが非常に明確で、それが実際開発されたときには明らかなニーズと市場があるというところを先に設定していないからだと思うんですね。それから先にやると必ず成功するものだと僕は思います。しかも、それに興味を示すような日本企業、ノンバイオの企業なんかが出てきております。

藤島委員 次に、アメリカのひとり勝ちみたいな感じでこの分野は進んでいると思うんですけれども、その中で、情報の閉鎖性というか独占性みたいなものが危惧されるわけです。今のコンピューター関係のソフトなんかも完全にアメリカが牛耳っちゃっているわけですけれども、この分野においてもそういったことになりはしないかという心配が若干あるんですけれども、その辺は先生はいかがお考えでしょうか。

林崎参考人 ゲノムの世界において、一昔前とはちょっと違いまして、今はアメリカの独占かというと、そうとも言えない状況だと解釈しています。確かに強いです。かなりメジャーなんですけれども、独占状況でもないです。それは公的なゲノム解析の活動のところなんですけれども。

 それがソフトウエアのように囲い込まれないかということを言われているんですが、先ほど中川先生から質問がありましたけれども、少なくとも、ベースメントとして今ヒューマンゲノムのシークエンスが全部オープンになったりしていますね。それでイコールかというと、そこと違う点は、民間企業がかつて物すごく進んでいた、先にcDNAの解析なんかをやっていた、そのときに出した特許、そういうようなサブマリンのものが山のようにある。それが結局どの程度今後成立してくるかとかいうようなところが、囲い込むというよりも、むしろ先行していたんだからしようがないんですけれども、そういうようなところがやはりちょっと怖いといえば怖いですね。非常に問題視するべきところだと思います。

藤島委員 ポストゲノム、先ほどもう枠が大体固まったとおっしゃったが、ポストゲノムとかいう分野でもう何か考えておるんでしょうか。

林崎参考人 ですから、現在、基本的に配列が出た、それがどういう意味をしているか、今度、その意味がわかったところで、それをどう利用するかということなんですけれども、少なくとも後者の二点、それを実行する領域をポストゲノムというふうに称していると思うんですが、それに関しては、領域が定まったかというと、まだまだそんなことはなくて、今わからないことだらけです。ですから、まさにそういうところが、これからどれだけ日本が頑張れるかという点で、ここの領域における産業なり科学なりが、日本がどれだけイニシアチブがとれるかということになります。

藤島委員 それでは、最後でございますけれども、いろいろな問題点があるわけですけれども、日本は今後重視すべき分野はどういうのがあるのかという点と、国の役割はどんなふうなことを期待されているのか、この点についてお伺いして終わります。

林崎参考人 御質問は、どんな分野があるかということと国がどこに力を入れなきゃいけないかということをお尋ねされています。

 どんな分野があるかということですが、私が思うのは、基本的に、科学的には科学的興味のいいところをやればいいと思うんですけれども、産業的には、一番市場の大きなところを負けると後で大変なことになります。少なくとも、ゲノム科学の領域からしますと、まず一つは、創薬は絶対外せないと思います。ある程度創薬は食い込まないと、この市場の莫大さというのは、物すごい大きな市場ですから、これは絶対あるレベルで入り込まなくちゃいかぬ。それが一つです。

 それから、あともう一つは、このゲノムテクノロジーとかいうのが、予想もつかなかったところにひょっとしたら使えるかもしれない。そういうので全く新しい分野ができる可能性があります。

 例えば、ちょっと例を挙げるのもあれですけれども、ナノテクノロジーと結びついたり、いろいろな分野があると思うのですね。そういう新しい領域が出てきますと、それは非常に大きな領域になります。それは落としてはいかぬと思います。

 それから、国がどこに投資しなきゃいけないか。そういう、今言ったようなところの基盤を支えるところ、例えば技術は重要だと言いましたね。技術は当然、やはりそこを広くケアすることと重点的なところが必要です。だから、そういうものをつくらぬといかぬと僕は思います。

 それからあともう一つは、今言ったようなところ、例えば創薬にしても、ゲノム科学は、生体の三主要構成成分というのを今の段階でとにかくやろうということで、さらに今cDNAとたんぱく、最後の戦いをやっていますけれども、そういうようなレベルで、主要構成成分に関してはかなり戦いの道というのがついたわけですね。次は絶対に、その主要構成成分がどのようにつながっているかというような点、ネットワークと僕は称しましたが、例えばそういうようなところが大きなポイントになってくると思います。

藤島委員 ちょっと済みません。

 最後の質問は、先生の立場から見て、国に、例えば人材が足りないとか、そういった面を含めてどういうことを期待されているかという点もお聞きしたいのです。

林崎参考人 僕は二つあると思います。

 一つは、そういう研究を推進するための、何といいますか、研究そのものを、ブースをかけるということですね。それもやり方が二つあります。

 主にこういうようなたぐいの仕事というのは網羅的にやらなくちゃいけませんので、その時代にふさわしいロケットを飛ばすようなセンター化というものも当然必要ですし、かといって、後の人材の問題を考えますと、やはり広くあまねくやるのと、それなりのプログラムを実際つくっていかなくちゃいかぬ。僕は大学のことも先ほど言いました。今、必要とされる人材を教育するためのカリキュラムが結構ないと僕は思います。そういうようなものをつくっていって、専門学校なり大学なり大学院なりにそういうカリキュラムを、新しいものをつくるべきじゃないかと僕は思っております。

藤島委員 終わります。

中山会長 春名直章君。

春名委員 日本共産党の春名直章です。きょうは、本当に貴重なお話をありがとうございました。

 幾つか、私自身も勉強したいという思いで、疑問といいますか、教えていただきたいことを申し上げたいと思います。

 一つは、ゲノム研究の成果をすべての国民がどう享受していくのか、こういう問題についてです。

 遺伝情報の解明で、もちろん医療の分野、エネルギーの分野、環境や食料、人類の進歩にとって本当に大きな可能性があると思うのですね。いろいろな影響も与えると思います。

 そこで、そういう点から、こうしたゲノムに関する情報は、塩基配列だけではなくて、今後研究が進められるであろうたんぱく質の解析、ポストゲノムなども含めてデータベースに登録するなどの形で公開もして、人類全体のために利用して役立てていく、そういう方向が原則になったらどうかという気がするのですけれども、その点での林崎参考人の御意見をお伺いしたいと思います。

林崎参考人 そこはいろいろ議論されるところだと思います。

 先ほどから言っていますように、これは一般論なんですけれども、公開をするというのは、皆さんが使える状況になります。それは使われてこそ価値がある、そのとおりだと思います。ただ、今度、産業からすると、自分たちだけが知っている情報というのは、そこが独占できるという別の面があります。

 私の考えは、少なくとも国税を使って国としてやった仕事、それは外に、外というのは、日本の国税を使っているわけですから、少なくとも日本の納税者は全部享受しなきゃいけないということは思います。それはもう絶対そうです。

 ただ、残念ながら、情報というのは、最近インターネットその他を通じて国境がなくなりましたので、オープンした瞬間に一番先に情報をとっていくのがアメリカの会社だったりするわけですね。そういうような問題がありますが、基本的にはやはり公開して役立てていただくというのは、私は重要なことじゃないかと思っております。

春名委員 ありがとうございます。

 もう一つ、どうしても詳しくお聞きしたいのは、安全性の問題についてです。

 ゲノムの科学だけじゃなくて生命科学、それから科学技術全般に言えることだと思いますけれども、成果を応用する際に、その有用性、必要性と同時に安全性という問題がどうしても大きなテーマになると思います。

 後で倫理という問題も教えていただきたいんですが、とりわけ日本の場合は、サリドマイドの問題だとか薬害エイズの問題だとか、こういう問題が社会を揺るがす大問題になりました。それから、今、遺伝子組みかえ食品に対して消費者からの非常に不安な声もあります。

 したがって、このゲノム研究を医療や製薬、農業、食料などの開発に応用する際の安全性の問題をどう保証していくのか、このことについてぜひ参考人から御意見をお伺いしたい、そういうことです。

林崎参考人 保証すべき安全がおのおののケースによって僕は違うと思うのです。それは、例えばゲノム情報という点からしましたら、個人の情報というのはやはりちゃんとしないといけないと思いますね。それは間違いないです。情報の安全性ということを今言っています、倫理の問題につながると思いますが。

 それから、それでつくってくる食品でありますとか、そのほかのいろいろな製品がありますが、そういう安全性というのは、おのおののできてきたものによって検討すべき項目が僕は違うと思います。それはちょっと各論になってくると思うのですけれども、それをちゃんと検討すべきシステムはつくらなくちゃいかぬのじゃないか。逆に言いますと、それでちゃんと正当に判定すべきであると。

 僕はいつも思うんですが、先ほどもちょっとこれに近い質問を受けましたときに言いましたが、両面性がありますので、規制が余り強過ぎますと発展が損なわれます。逆に、野放しになると安全性の問題が問われます。ですから、対象となる判定すべきポイント、それによって安全性をはかるポイントが違いますので、それをおのおのについて的確に安全性を判定して、おのおのについてそれのゴーサインを出すという形がよろしいかと思います。

春名委員 なるほど。私、少しかじっただけであれなんですけれども、遺伝子治療をめぐる安全審査の問題で、遺伝子の運び屋と言われる例のベクターの審査について、国のチェックの仕方に疑問を投げかけている学者さんもいらっしゃるわけですね。ベクターはウイルスが中心ですし、そのウイルスが毒性を発揮したら困る、安全に細胞の中に目的の遺伝子を運んでくれるかどうか等々が、安全性の管理ということで極めて重要だということだと思うのです。

 ところが、厚生科学審議会でやっている臨床研究のベクター審査は、これまで日本国内で実施された同一のプロトコル、つまり議定書ですか、そして同一のベクターを使う場合は、二〇〇〇年じゅうに省略するというようなことが言われていた。

 同じ計画で同じウイルスを使ってやっているのだからいいだろうという論理かと思うのですけれども、しかし、同じウイルスでも、安全なベクターであるという保証が今のところないわけです。こういう手抜きとも言える状況を見れば、薬害エイズの問題などを考えると、国は本当に反省してしっかりやっているのかという疑問を私は非常に抱いてしまったわけです。

 それから、今お話が出たこととの関係で言いますと、日本のゲノム関係の論調を少し見てみると、やはり経済、経営系のメディアでは、日本は立ちおくれている、これでは二十一世紀の薬や食料のパテントを全部押さえられてしまう、国家を挙げて巻き返しをしなければいけないというのが非常に目立つわけなんですね。

 農林水産技術会議で、遺伝子組みかえ作物に係る審議会がやられていますけれども、有用なのかどうかとか安全なのかどうかとか、そういう議論をしていては遅いのだなんという発言も出て、非常に私は危惧を感じました。

 産業化や営利化にはやって安全性がないがしろにされるということは絶対にあってはならないし、取り返しのつかないことが起こるおそれもありますので、その点で、お願いとして、この安全性の問題、最先端の専門家として、今二つの角度からお話しいただいたのですけれども、ぜひ提言をしていただいて、私たちにも示唆を与えていただいたらということを感じています。

林崎参考人 もう仰せのとおりです。安全性がないがしろにされるというのは、基本的なところ、ベースメントを満たしていませんので、それはないがしろにしてはならないと思います。

 ですから、そういう判定をするところ、ポイントを的確に個々のケースについてとらえて、それの判定を早くするというのは、別に遅くする必要はありませんので、迅速に行われるシステムをつくるということが重要ではないでしょうか。

春名委員 ありがとうございました。

 倫理の問題について次に伺いたいと思います。

 例えば、遺伝子診断の発達によって、生まれる前から子供に障害があるかどうかなどがわかるようになりました。そこで、ダウン症の子供を産む産まないは女性の自己決定だということが、国連人口・開発会議で、性と生殖に関する健康と権利ということで採用された考え方だと思うのです。ところが、それに対して、障害者団体から、自己決定と称して特定の障害を排除していくということは批判されるべきことだという議論もあります。メリットとして受けとめられていた遺伝子診断についても、倫理という問題からさまざまな指摘が今なされていると思います。

 それから、御承知のとおり、昨年、私たちも加わりましたけれども、日本でも、人の尊厳の保持、人の生命及び身体の安全の確保、社会秩序の維持などを目的に、ヒトクローン技術によるヒト個体の産生の禁止等を定めたヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律が成立をしています。

 こうした生命科学と生命倫理の問題について、これからどうあるべきか、どうすればいいのか、その点についての示唆をぜひ教えていただきたいと思います。

林崎参考人 非常に一般論でございます。

 倫理と称する領域なんですけれども、これに関しまして、先ほどクローンの問題とか、それから個人のプライバシーの問題、ゲノムのシークエンスによるプライバシーの問題があります。そこの倫理の規定というのが守られて、それが実際ちゃんと遵守されることが遂行されるということは必須のことでございますので、それはぜひ、遵守されることをちゃんと実行される、やはりこれもシステムの問題だと思いますが、それをちゃんとつくって、我々研究者の方も襟を正してやらなくちゃいかぬと思っております。

春名委員 ありがとうございました。

 一九九七年十一月にユネスコの総会が開かれていて、ヒトゲノムと人権に関する世界宣言というのがそこで採択されています。個人をその遺伝的特徴に還元してはならず、また、その独自性及び多様性を尊重しなければならない、ヒトゲノムに関するいかなる研究またはその応用も、特に生物学、遺伝子学及び医学の分野におけるものも、個人または該当する場合には集団の人権、基本的自由及び人間の尊厳に優越するものではない、こういう重要な原則が盛り込まれていると思いました。

 私はこれが大事だなと非常に感じたわけなんですが、これは私の最後の意見なんですけれども、これらの議論をする際のキーワードの一つとなるのは、やはり人間の尊厳ということだと思います。

 これは、科学技術の研究の自由に対する制約の根拠としてしばしば援用されているわけです。人間の尊厳を安易に援用するということは控えられるべきことかもしれませんが、人間をかけがえのない大切なものとして尊重する、こういう人間の尊厳の原理というのは人権の基本原理だろうと思います。科学技術の研究の自由を法律等で規制する場合の一般的な正当化根拠として重要じゃないかなと私も認識しています。

 この点で、最後に、憲法調査会ですので、憲法との関係で私見てみますと、日本の憲法は、第十一条で「基本的人権の享有を妨げられない。」ということが明記をされていて、それから第十三条で「すべて国民は、個人として尊重される。」ということがはっきりうたわれていて、幸福追求権という非常に奥深い規定がされているものなんですね。

 ですから、私は、そういうふうに見ていると、憲法の規定がこれから二十一世紀の生命科学の発展にとって重要な指針になるということを信じている者の一人です。そのことを私自身の気持ちとして申し上げまして、質問を終わらせていただきたいと思います。

 どうもありがとうございました。

中山会長 北川れん子君。

北川委員 社民党・市民連合の北川れん子といいます。本日は、どうもありがとうございました。

 林崎先生はマウスの御専門だというふうにお伺いしておりまして、理研のホームページでも「マウスcDNAクローンの利用」という欄で「当研究所では今後さらに、全長シーケンスを完了し、機能アノテーションを付与した完全長cDNAクローンについても、随時、国内外の希望者が利用できるようにしていきます。」というような発信もされているのですが、ヒトとマウスなんですが、これからの市場の有用性、関西弁というか大阪弁で言えばどっちがもうかりますかという点では、どのようにお考えになっていらっしゃいますでしょうか。

林崎参考人 まず、私の専門はヒトです。ヒトを研究するためにマウスをやっております。ですから、マウスは、あくまでヒトのモデルであるというとらえ方でマウスをやっております。

 御質問は、どっちが市場性があるか、どっちがもうかるかという話なんですけれども、例えば、ある薬を開発するということを目的にしたとします。そのときに、アプローチは二つあります。

 一つは、ヒトで直接、例えばcDNAをずっと単離して、それを用いて薬をつくる。非常に直接的なんですね。直接的なんですけれども、最後のゴールまでいく確率がマウスに比べて結構低いのです。なぜかというと、例えば、遺伝子を単離していこうというときに、ヒトでとれない組織があります。例えば受精卵であるとかそういうような組織はヒトでとれません。これも非常に倫理の問題があります。

 ですから、そういう意味では、ヒトのcDNAクローンを使って最終的なところまでいくというのに、あるリスクがあるわけですね。失敗するかもしれない。マウスだったら、その組織とかそういうことに関しては余り障害がないわけです。かなりの確率で最後までいきますし、最後の遺伝子もしくはそういう目的のものがとれたら、そこからすぐヒトのcDNAクローンをとりに行くというのは結構早くできます。要するに、相同性があるから早くできます。そうすると、そこから先は創薬ということになっていったりするわけですね。

 ですから、どっちがということに関しましては、最終的にゴールに到達する確率はマウスの方が高いけれども、ヒトは直接ですから、そのまま商品になるというようなことにはなり得ますね。

 ですから、そこの駆け引きの問題で、どっちなんでしょうね。

北川委員 ヒトもマウスも高等動物であるということで、今先生がどちらも握っていらっしゃるということで、とてもうれしそうにお答えいただいたのが印象的だったのですが、ヒトというのが、先ほどから出ているプライバシー性とか個人性とか自己性とか歴史性の問題、いろいろな問題がありますよね。マウスというのは、実験において使われるときに一匹一匹に名前をつけて育てていらっしゃるのかどうかわかりませんが、そういう個体としてイメージは違いますね、ヒトとマウスの違い。その辺で、先生がどちらも関与されているということをお伺いしました。

 先生が今働いていらっしゃる理化学研究所というのは、特殊法人で年間百億数千万円ぐらいの予算がつけられているところなんですが、今、特殊法人の見直しとか、特殊法人の公開性、情報の提供の仕方という問題があると思うのですね。いろいろ特殊法人が今取りざたされていく面があるのですが、その中の一つに、子会社をつくりやすいという問題とか、政治的に利用されやすいという分野、それと利益の追求との絡みとかで問われる点が多くあるんですが、先ほどから先生は、日本がベンチャー企業の育成に余り加担をしないというか、とても寒い状況ではないかというふうに私には聞こえたんですが、そういう点も指摘されました。

 先生は、今理化学研究所にいらっしゃって、ベンチャー企業を自分で立ち上げよう、そういう意欲はお持ちになっていらっしゃるかどうか、お伺いしたいと思います。

林崎参考人 理化学研究所は、理事長が有馬朗人先生のときに理化学研究所ベンチャーをつくるという制度を設けられました。設けられたその制度にのっとって、全部で七つぐらいのベンチャー企業がスタートしています。理化学研究所が子会社をつくると言われましたけれども……。

北川委員 理化学研究所が子会社をつくるというのではなくて、特殊法人の問題性の幾ばくかの中に、子会社をつくりやすい問題と政治的な形で利用されやすい面があるということで、ごめんなさい、理化学研究所がつくるとかつくらないという意味ではなかったんです。

林崎参考人 理化学研究所は子会社をつくれません。法律で規制されております。

 それで、御質問は何でしたか。

北川委員 先生はベンチャー企業を立ち上げられますか。

林崎参考人 我々の技術をもって、テクノロジーを商品化するためのベンチャー企業というのは現在できております、私たちのテクノロジーですけれども。だから、私個人はというより、私たちの技術を商品化するためのベンチャー企業というのはできております。

北川委員 私が端的に先生はと言ったところの主語を今除かれて御返事いただいたと思うのです。

 日本で体細胞クローンを禁止したヒトクローン禁止法というのができたわけですが、そのときに一番私が心配していたのが、女性の卵とか胚の問題のあいまいさが余りにも大き過ぎるというか、それは無償での余剰胚の提供というふうになっていくものですから、そこで有用な研究とか市場に活用されていくときに、無償から始まったものが利益をもたらすものへの移行の仕方についてどれほど透明性を持てるのかといったところで、今の日本の状況ですが、先生はそれをどういうふうにお考えになっていらっしゃいますでしょうか。

林崎参考人 それは非常に問題視されているところで、ヒトのマテリアル、ヒューマンマテリアルの取り扱いに関しては、非常に厳しくインフォームド・コンセントをとって、使用目的の明確化、それからもとの組織を提供していただいた方々への説明とその同意をしっかりとってやらなくちゃいかぬというのは非常に重要なポイントです。特に、理研というところは病院がありませんので、ちょっと話があれなんですけれども、その理研ですら、最近、そこをちゃんとせよということで、倫理委員会ですか、非常にしっかりしたものと基準をつくっております。今明確にそれをやっておりますので、ましてや常時ヒトのサンプルを使うというところでは、そういうものはもう絶対的に常識ではないでしょうか。

北川委員 先ほど、倫理の問題とそれを遵守する、履行する問題との兼ね合いで発展が阻害されるというようなお話とかけ合わせてお話をされていたのをお伺いしたのですが、では、今の理化研の倫理法等々は発展を阻害しない形で明確化、倫理性を確保できるものとして存在しているというふうにお考えになっていらっしゃるのでしょうか。

林崎参考人 発展を阻害するということと、倫理の問題を明確にしっかり押さえて前に進まなくちゃいかぬということとは、後者の方の問題をないがしろにしていいということでは絶対ございません。ですから、倫理的問題、インフォームド・コンセントの問題、そういうものをしっかりやる行程の上で、非常に的確な情報が迅速にちゃんと提供されて、それで提供者の方々に正確に伝えられる、そういうシステムが別にあることそのものがそういうものを阻害するということでは僕はないと思います。

北川委員 先生は、以前は国立循環器センターの方にお勤めで臨床も経験されていて、今理化学研究所には患者という形でのコミュニケートをとる方はいらっしゃらないわけです。インフォームド・コンセントの場合、コミュニケーションだろうと思うのですね。特によく言われているのは、医師の立場からは十分したと思っているけれども、受けている患者の方からすると、どうも専門用語がわかりにくい点とか、私たちが、基本的に義務教育の中で今進んでいる科学に対して、四十代以上は余り知らずに来て今の四十代、五十代に入っているわけですから、そこをなかなか口を挟んでまで言えない問題とか、いろいろ新聞紙上では書かれているわけです。

 そして、先生は研究という、今は患者さんとは相手をしないところにいらっしゃって、インフォームド・コンセントが医学の面、医療の面で確立されていると思われていますでしょうか。

林崎参考人 確立されているかという質問ですね。

 基準は僕は確立されていると思いますが、要するに、それをちゃんと実行しなきゃいかぬという、そこを徹底すべきであると思います。

北川委員 そして、きょうは憲法調査会ということで、日本国憲法の二十五条に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」というふうにあります。

 先生、きょう、お話の出だしで、これからの時代は高学歴、高水準、高付加価値な生き方をしなければいけないというふうに言われました。その高付加価値な生き方をすべての人たちに保障として与え得る時代が来るという前提でそういうふうに言われたのかどうか。

 というのは、この第二十五条に最低限度の生活を営む権利とありますね。そこのところで分け合う、人口の増加ということもありますし、いろいろな問題があると思うのですが、私は、その辺での先生のお話を聞いていてのギャップなんですが、高付加価値を持つ生き方をすべての人ができる時代が来るというふうに思われての前段でのお話だったのかどうか、お伺いしたいと思います。

林崎参考人 私が話したときは、そういう感覚で話をしたのではなくて、すべての個人個人がどうかという問題を言っているのではなくて、例えば賃金の問題を考えます。そうすると、同じ労働をしても、ちょっと笑い話みたいな話なんですけれども、我々こういうDNAの配列を決定するようなところをやっていますね。そのやっているシークエンスをするという部分が東南アジアとかそういうところに流れていって、そこで工場をつくってやるというようなことにだんだんなっています。いろいろな生産工場がそういう形になっていっていますね。ですから、逆に言いますと、賃金、いわゆるサラリー、そういうようなものを、単位時間内の国民平均の付加価値を上げないとやはり今後日本全体がやっていけないのじゃないか、そういうオーバーオール的な意味で僕は申し上げたのです。

 ですから、同じ企業、産業が、ジョブ、職を提供する主ですね、どういうようなものを生産すべきなのかというと、やはり高付加価値のものを生産しないとそれだけのものをつくり上げることが維持できないのではないかという一般的なことを申し上げたので、個人個人の、そのおのおのがどうかということについては、ちょっと考えなきゃいけない問題なんですけれども、僕が発言したときには、そういうことを意識して発言したのではございません。

北川委員 質疑時間が終了というのが来たので、最後に一言だけ。

 私は、食べ物のことに関心を持って仕事にしてきた者なんですが、食べ物の世界で、共存共栄という時代が終わって、今度共存共貧、貧というのは分け合おうという意味の部分なんですが、多くの人たちが共存していく社会というなら、ともに栄えるというのはもう終わったのではないかという見方から一部言われている面があるので、ちょっとその辺を確認したくてお伺いしました。

 きょうはどうもありがとうございました。

中山会長 近藤基彦君。

近藤(基)委員 21世紀クラブの近藤でございます。

 私で最後でありますので、もうしばらくおつき合いをしていただきたいと思いますが、大変有意義な貴重なお話をありがとうございました。

 当初から、いろいろな方の質問の中にも、アメリカがこの分野では独占するのではないかと。その中で大変先生の御研究が異彩を放っていることは承知をしておるのですが、まず、そもそもアメリカが独占的にゲノムの分野でここまで発達してこられた背景、国家としての戦略があったのか、あるいは民間ベースだったのか、あるいはそれがかみ合っているのか、よくわかりませんが、おわかりになりましたら、ちょっとお教えをいただきたいと思うのです。

林崎参考人 いろいろなファクターがあると思います。例えば、ある特定の塩基配列決定の特許の問題を考えてみましても、日本でそれがなかったかというと、アメリカより二年ほど先に実は出していたという話があります。途中で例えばそれはウイズドローしたのですけれども、そういうようなところでそういう産業を一個落としたような話もちらほら聞いています。

 アメリカにそういう素地があったか。確かに、人材という意味で素地があります。それから社会的な、さっきベンチャーの問題がありましたが、あれは本当に重要です。そういう社会的素地というのがあったと思います。それから、やはりそういう領域に投下しなきゃいけないという、立ち上がったのがほんのちょっと早かった。この領域の問題点というのは、非常に短い時間に物すごく進むんですよ。そうしますと、一年、一年半早いというだけで相当なアドバンテージになります。

 そういった意味で、いろいろなことが複合要因として手伝って、アメリカが今のような状況を築き上げたのじゃないかというように解釈しています。

近藤(基)委員 先生がちょっとある雑誌にお書きになっているので、「他の人がおこなった研究の評価においても、その評価を十分に下すことのできない」という点、評価をする場がないのか、例えば発表する場が少な過ぎるのか。

 大変いい研究をたくさん日本の方もしていらっしゃるのを、先生のこのお書きになった記事でも、評価の逆輸入という言葉で――外国人はよく、日本は物まねが上手だ、基礎科学の部分においては非常にレベルが低いという評価なんですが、決してそうではないと思うのですよ。今回、先生が無償でマウスゲノムの場合は発表なされていますけれども、それだけきちんとした評価を受けられる場が非常に少ないのか、あるいはシステム的に、評価をする機関がないのか。その辺、御研究なされている立場として、逆に言えば、どうしたら日本の基礎科学が世界に認められるようになってくるのか。もし何か御示唆があれば。

林崎参考人 これから本を書くときは注意して書こうと思います。

 評価の場がないのかどうかという御質問ですけれども、評価の場がないことはないと思うのですね。私たちもしょっちゅうされていますし、絶対にその場がないということはありません。ただ、普通、ある評価というレベルで実際評価しまして、その結果が出ますね。その評価結果を次に反映させるところ、だから、よかったものはもっとやりましょうとか、ネガティブなことを言うことはないと思うのですけれども、そういうポジティブに反映させるような何か仕掛けというのは確かにあった方がいいかなとは思います。評価の場がないかという質問に対しては、僕はないとは思いませんね。やはりあることはあります。ちゃんとやっていると思います。

 一つ僕が強調しておきたいのは、埋もれている仕事、研究があるのですね。特に若い人がやった、本当に学生から出たばかりの人とか、そういう人たちがやっていた中に非常に斬新な発想でやっている仕事とかがあります。そういうようなものを本当に掘り起こしていくちゃんとしたシステム、それが結構弱いのじゃないかと僕は思っています。

 そういうケースは日本ではどうなっているかというと、非常に目ききの学者の先生が、ある地位を持っている先生が、ぱっと目をつけて、その人が採択するとかいうような格好にたまたまなるケースが多いのですけれども、評価システムの中でそんなのがばっと出てくるようであればよりよいのじゃないかと思います。

近藤(基)委員 何でこの話をお聞きしているかというと、日本で今後我々が、政治家の集まりでありますから、政治としてそういった科学研究に介入していく、もちろん先ほどから倫理の問題だとかいろいろありますけれども、科学の発展なくして我々の幸福はないという、実は先生のこの文章の最後にはもうちょっと過激な言葉で書いてあるのですが、「未来を開拓するためには、宇宙開発、海洋開発などに解答を求め科学技術を推進していく以外に方法はない」と言い切っていらっしゃるのです。

 そこまでは別としても、科学技術の発展というのは我々ももちろん望むところであります。それをいかに我々も効率よく国税を使って、それを政官民でやるのか、官民でやっているのを政治が応援するシステムがいいのか、その辺はよくわかりませんが、そのシステムづくりに早急に立ち上がらないと、いつまでも何となく日本は、どこからもおくれている、あるいは、物まねで応用ばかりして製品化して世界にばらまいてもうけているという、その評価がどうも変わらないんじゃないかと思うんです。

 先生の場合は教育行政のことをお書きになっていますから、これには当然予算的な部分も必要でしょうし、あるいはそれに絡めた生命倫理的な道徳的な部分も必要なんだろうと思うのですけれども、どうやれば、例えば国立研究所的なものをもう少し強化をする、それでそこに評価機関的なものを与える、いろいろなことがあると思うのですが、先生がお考えになっている、将来的にこういうシステム的なものがあれば我々としては研究しやすいんだがなという部分があれば。

林崎参考人 システムといいますのは、お尋ねになっているのは、科学技術における政府の力を入れる力点のシステムということですか。

 それは、非常に答えにくいのですけれども、確かに、科学技術のあるポイントをまず決定することが非常に重要だと思いますね、どこに力を入れなくちゃいかぬかと。それを決める行程が結構何か不明瞭なところがなきにしもあらずというところがありますので、どこに力点を置くべきかということをいろいろ決めるために、一般の知識をいろいろ聞いてみたり、そういうシステムがあってもいいのかなとも思います。

 ただ、そのまた逆の側面は、あるところを力を入れて実行しようと思った場合には、ある意味ではトップダウンでないといけないところもあると思うのです。こういうふうにするからこうやるんだというところがある程度要ります。そこのところはどちらがいいんですかと言われると、ちょっとわからないのですけれども……。

近藤(基)委員 要は、ある一つの目的を決めて、それに向かって研究をしていくのが一番早道、完成を先に決めておいて、それに向かって、それがかなうかかなわないかは別にして。

 となると、その目標を決める人が必要だ。トップダウンでいけば、例えば民間の企業で、その研究所にこういう新商品の開発がある、これを何とかやれという。それが我々とすれば、例えば国で、下から上がってくるものも当然あると思うのですよ。あるいは上から、国策としてやらなければいけない科学研究も当然あるだろうと思うのですが。

 今我々が見ていると、それがどこで決定をされて、どこでどういうふうな形で予算化をされているのかというのが非常に不明朗な形で、もちろん科学技術委員会だとかいろいろあるのですけれども、それは公になっていないような雰囲気の、何か、どこでいつの間にかどんな研究があってみたいなことがどうも感じられるので、例えば先生の今の御研究の中で、もう少し政府がゲノムに対して、あるいは先生個人の研究でも結構なんですが、その分野だけでもこういうふうに政府が介入してくれればとか、あるいは行政の方でこういうふうな形をつくってくれればもっとやりやすくなるんだがなという、御自身の研究で結構なんですけれども、何かありましたらお教えください。

林崎参考人 自分の研究と言われましたけれども、自分の研究の場合は明らかに、とにかく日本のゲノム科学、スタートしたときにはちょっと困った状態でしたので、何とかしなければならないという形で、結構トップダウン的なところがあったと思います。

 私思うのは、トップダウンと、あとやはりボトムアップで、公募型のもので結構、最近出てきましたけれども、大型のグラントというのが出てきました。やはりああいう公募というのは、応募した方の本人がやる気になっていますし、そのアイデアはいいと確信しているわけですから、本人がやる気には間違いないわけでございますね。ですから、やはりそういうボトムアップの形の公募型のものも非常に尊重して育てなくちゃいかぬと僕は思います。

近藤(基)委員 先生は、この記事の一番最後に、「若年層の科学技術ばなれが問題視されているが、若い年齢層の人たちに、私たちはノーチョイスなのだよといってやりたい。」と書かれて締めくくられているのですが、技術離れをすること自体がもうそんな選択肢はないんだよという意味なのか、科学技術を発展させていかなければ、人類はということで書いてあるのですけれども、日本は未来を開拓ができないんだよという意味なのか。

林崎参考人 私が多分言っているのは、文明というものは、一たん便利なものを手に入れてしまうと、それを放棄してやめようかということにはならないと私は個人的に思っています。

 ですから、電気というのは非常に便利なものですね。コンピューターから何からそれによって動くようになりましたが、それがない社会に一気に全部が戻ることができるかというと、そうじゃない。一たんそれを手に入れてしまうと、やはりそれを今度新しいものを発展させるというような圧力というか、人類にはその熱望があると僕は思うのですよ。

 特に、それを書いたとき、いつでしたか忘れましたけれども、(近藤(基)委員「二年前の七月ですね」と呼ぶ)世の中にいろいろ科学技術離れするような事件がございましたね。そういうのを意識して、科学技術というのは自分たちに、先ほど倫理の問題もありましたけれども、利益を、とにかく至福をもたらすものなんだということを、まず基本がそうなんだ、それが本末転倒するから困るんですけれども、そうではなくて至福をもたらすものなんだという意識を若い人が持たないと、夢がなくなるわけです。そういうことを多分僕は書いたのだと思います。

近藤(基)委員 どうも済みません。部分的にとらえて御質問をして、流れとしてはそういう流れなんです。

 大変ありがとうございました。時間になりましたので。

中山会長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 林崎参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。調査会を代表して、厚く御礼を申し上げます。(拍手)

 この際、休憩いたします。

    午前十一時四十九分休憩

     ――――◇―――――

    午後三時一分開議

中山会長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 日本国憲法に関する件、特に二十一世紀の日本のあるべき姿について調査を続行いたします。

 本日、午後の参考人として日本大学人口研究所次長、日本大学経済学部教授小川直宏君に御出席をいただいております。

 この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をちょうだいして、調査の参考にいたしたいと存じております。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 最初に参考人の方から御意見を五十分以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願います。

 御発言は着席のままでお願いいたします。

 それでは、小川参考人、お願いいたします。

小川参考人 日本大学経済学部の小川でございます。

 このように権威のある憲法調査会にお招きいただいて、私の人口問題に対する考え方を述べさせていただく機会を与えていただきまして、感謝いたします。時間も限られておりますので、早速本題に入らせていただきます。

 資料が皆様のお手元に届くのが今ということで、大変遅くなってまことに申しわけないんですけれども、皆さん十分御承知のデータが大半でございます。

 私の話は、基本的には二つに分かれていまして、少子化の問題、そしてもう一つはその結果として生じる高齢化、この二点に分けて話をしたいと思います。お手元の資料を中心にして話しますけれども、もう一枚別にレジュメがございます。そこに大体アウトラインといいますか、キャッチフレーズ的に私の申し上げたいことをずっと列挙してまいりましたので、それとあわせてごらんになりながら私の話を聞いていただければと思います。

 きょうは全部パネルという言葉を使って話をいたします。それで、まず最初にパネル1を見ていただきますとわかりますけれども、合計特殊出生率の我が国の変化と理想子供数の推移というのがあります。これを見ると、合計特殊出生率というのは、一九四七年には四・五人ぐらい女の人が赤ちゃんを産んでいたわけですが、それが三年間のベビーブームの後急激に下がり、十年後には半減してしまった、これは人類史上初めての出来事であったということでございます。一気に下がった。それで、しばらく安定しておりましたけれども、第二ステップとして、オイルショック以降また下がってきた。ですから、我が国の出生の変化というのは、二つのステップを踏んできているということが言えます。

 最近、人口学者の間で、オイルショック以降の低下に関して第二次出生転換という言葉を使い始めておりまして、先進国共通で、人口の置きかえ水準、合計特殊出生率二人を切ってもなお下がり続ける国が欧米諸国で出てきており、そして日本もその仲間入りということになりました。

 私がこの図で一番申し上げたいのは何かというと、まず理想子供数と合計特殊出生率との乖離であります。

 理想子供数は一九七〇年以降ほとんど二・六から二・七という数字で不変でございます。今でも我が国の女性は、五十歳未満の結婚しているお母さんが答えていますけれども、やはり皆、できたら二・七人ぐらい欲しい、こういう希望をしています。これは不変であります。ところが、現実の合計特殊出生率は下がり続けているわけでございますので、統計的には、昨年四月のデータでは、約二六%の現在有配偶の女性、五十歳未満のお母さんが、十分産めない、理想ほど持てない、四人に一人はそういう悩みを抱えております。これに、ニーズを埋めるのが政策ではないだろうかと思われます。

 九〇年代に入って、このアンメットニーズといいますかニーズはほぼ二五から三〇%で横ばい状態でございまして、十年間たっても依然として出生に対する援助といいますか支援は十分に果たされていないというふうに思われます。

 ただ、ここで私がぜひ先生方に注目していただきたいのは、理想子供数は変わっておりませんけれども、出生という行動の面ではどんどん落ちてきています。規範、考え方と行動、これが一つのポイントになりますけれども、行動は変わって考え方は変わらない、希望は変わらない、価値観は変わらない。この中で、このようなギャップがどんどん拡大することが長期間続くことは考えられないわけであります。最終的にどちらかが必ず動きます。最終的に一致するところまで来るんですけれども、行動が規範に合わせるのか規範が行動に合わせるのか。もしも規範、理想子供数がどっと落ちてきた場合には、今度は政策的な対応が非常に難しい局面になるわけでありまして、今後は、皆さんぜひ、理想子供数の動向ということを注目しながら政策を考えていただきたいという点であります。

 それから、パネル2を見ていきますと、これは女の人が結婚して子供を産む確率を人口動態統計と国勢調査データから全部積み上げてきた計算でありますけれども、真ん中に黒い線がありますけれども、これはオイルショックです。明らかにわかるのは、オイルショックの前と後では日本の出生のメカニズムは全く変わっていることであります。

 それから、パネル2はちょっとややこしいので、パネルの3、4、5というふうに図解をしてみました。これは、陸上競技でいうと、百十メートルハードルに例えていただければ結構なんですけれども、女性が用意ドンでスタートする、生まれてから産み終えるまでの確率のレースと考えていただいて結構です。

 パネル3はオイルショックまでの時点でありますけれども、明らかにどこのハードルが高くなっているかというと、下の横を見ると、2―3、3―4、要するに二子目から三子目を持つとき、それから三子目から四子目というように、結婚は昔はハードルがなかった、だれでも結婚できた、オイルショック以前はそういう時代でありました。ところが、二子―三子、三子―四子の確率が非常にハードルが高くて、やはり生活が苦しい、いろいろな条件のもとで、まず子供は二人という社会ができたということがデータ的に明確になっております。

 このときに経済的なゲインが相当ありまして、中絶、避妊などで、経済的なゲイン、これはまたほかの論文に書いてありますけれども、かなりのゲインが日本の高度成長に大きく貢献しております。日本の貯蓄率を押し上げる力が人口抑制であったわけでございますけれども、その後、パネル4を見ていただきますと、八〇年代に入ってからは明らかに違っていて、用意ドンで女の人が生まれてから、まず第一ハードルの結婚で非常に障害が高い。これが皆さんの理解しておられる晩婚化、ここの部屋にいらっしゃる大半の方はそれが最大の原因というふうにお考えでしょうし、そのとおりなんですけれども、ただ、私が申し上げたいのは、二子から三子目のところでハードルがマイナスになっています。これは何かというと、出生力を押し上げる力で働いているということでございまして、九〇年までは、結婚しないか、結婚したら三子、四子持つという人に二極化していたわけであります。

 ところが、九〇年代、私がきょう申し上げたい話の第二点になるんですけれども、これがパネル5でございます。九〇年代に入って日本は大きくさま変わりしております。

 今マスコミその他で議論されているのは、晩婚化、女の人が結婚しないことが日本の出生率の最大の要因であるというふうに報道されていますけれども、現実にはそうではなくて、パネル5を見ていただくとわかりますけれども、結婚のハードルも依然として高いんですけれどもやや下がってきまして、結婚しても子供を持たないいわゆるディンクス、ディンクスかどうかそれはわかりませんけれども、第一子を持つことをためらう人が非常に多くなっている。それで、第二子もためらう人が高くなってきているということで、今日のような結婚の状況が続くと、生涯、一五%の女性が未婚であり、男性に至ってはもっと悲劇でありまして、二二%が未婚という状況になります。

 そして、結婚しないか、または結婚しても子供を持たない女性を合わせると二七%の人が、今日の状況が今後ずっと続くと二七%の女性がチャイルドレスという時代に突入します。

 さらに、九五年から昨年、二〇〇〇年までの状況をパネル6にまとめてあります。これは毎日新聞の人口問題調査会が行った全国世論調査、昨年四月に行いました。それのデータから積み上げてきた計算でありますけれども、明らかに、九〇年代に入ると、七五年からの出生をずっと横にとってありますけれども、結婚から第一子、第一子から第二子、第二子から第三子というように、どの出生順位を見ても確実に出生間隔が延びてきています。すなわち、持つタイミングがおくれちゃっているわけです。

 それで、なぜそうなったか。昨年の質問票に設問を入れて尋ねてみたんですけれども、あなたはバブルまたはリストラによって、子供を持つ数またはタイミングを変えましたかという質問をしました。私は、この設問をつくったときに、恐らく五%ぐらいの人がはいと答えるんではないかと思ったら、そうではなくて、実に三〇%の女性がはいと答えているわけです。

 どういう人が影響を受けたかというと、パネル8を見ていただくとわかりますけれども、現在日本のバブルとリストラの影響を受けたまさに産む時期にある女性がどのくらい確率が違うかというと、影響を受けた人は左側、受けなかった人は右側にいますけれども、大体二七%、ブルーのところは二七・二でありますが、これは全体、平均的に二七%ぐらいの人が影響を受けているんですけれども、年齢によったり学歴、または職業状態、妻の所得、夫の所得、都市部、農村部によって、受ける確率が七二%から二・九%というように物すごい開きがあります。

 すなわち、日本の社会は、画一的にバブル、リストラの影響を受けたわけではなくて、ある部分が極端にやられてしまった状態になっている、これによって出生がおくれている。しかも、大きなのは、妻の所得、夫の所得のところが低い階層でやられておりまして、上の統計分析からも、明らかにこれが有効にきいてきております。

 要するに、バブル、リストラにより長期展望が描けない人は特に低所得層に多くて、そういう人たちは安心して子供を産めない状況にあるんではないかというのがデータ的に、統計的にも有意性を持って示すことができました。

 実際には、第一子、第二子、第三子、こういう確率があるわけですけれども、これをずっと、では何子目の子供を産む確率が下がったかというと、パネル9を見ていただきますと、これは統計分析で出てきた結果なんですけれども、結論は何かというと、第一子を産んだ後第二子目を持つ人が極端にやられました。これは統計的に有意性が極めて高くて、要するに、一子は何とかしてみんな持つわけです。おくれながらも持つ。持った後、二子はもうほとんど持たないといいますか、非常に大きなおくれを伴う。その結果、二子目を産むタイミングが極端におくれますから、三子目を持つタイミングがさらにおくれるということで、全体的におくれてくる。

 日本は従来、いわゆる晩婚が出生低下に寄与していると言われてきましたけれども、ぜひ皆さんに理解していただきたいのは、九〇年代、しかも後半に入ってからは、経済的な影響を受けてのタイミングのおくれ、おくれたという事象だけをとらえれば、EUの状況とほぼ似たような状況が日本の社会で出てきたということが言えると思います。

 その次に、パネル10がありますけれども、これは、今、日本のこういうタイミングがバブルやいろいろな影響によっておくれているわけですけれども、これを取り除いてあげたら日本の出生力はどのくらいまで戻るかという計算をしてみましたら、日本の場合には、一九九五年の合計特殊出生率が、パネル10のところにありますが、実績値が一・四二だったんですけれども、これをタイミングをずらして問題を取り除いてやれば一・五三まで押し戻すことができて、一応歯どめをかけることは可能であります。

 さらに、もっとすごいのはイタリアのケースで、計算してみたらびっくりしたんですけれども、イタリアは世界で最低、一・一八ですけれども、おくれを取り除いてやると一・六九という数字まで戻すことができて、EU全体でも、おくれがすごく大きな影響を持っていますので、戻すことができる。日本もそれに近づきつつあると言えると思います。

 ただ、私は、日本の場合に言うと、マラソンに例えれば、今まで女性が産むまでを四十二・一九五でロングディスタンスで産むパターンだったのが、今はもう結婚も遅くて産み終わるのも全体的に早くなっているのでハーフマラソンぐらいの状況になってきて、しかも問題は、ハーフマラソンになった上にスピードも今までよりずっと遅くなった。タイミングがおくれてきたので、ますます出生力が落ちているわけです。

 ですから、そのタイミングをもう少しペースを上げてあげるような状況、環境をつくり、しかもハーフマラソンをフルマラソンに戻せるような状況をつくり出せればいいわけでありまして、一つフルマラソンに戻す方法としては、これからはやはり不妊症の人の対策とか、そういった問題もぜひ考えていただきたい問題というふうに考えております。

 ここまでは、ずっと、結婚した女性のタイミングが非常におくれてきていることが私のポイントでありますけれども、結婚は問題ないかというとそうではなくて、結婚も依然として大きな問題であります。

 結婚の最大の説明要因というのは、どんな分析をしても結論は一緒でありまして、教育年齢で決まってきています。九〇年代のデータを二年ごとに全部調べてみましたら、これは全国調査の結果ですけれども、依然として教育の高い人は結婚年齢が高い。しかも、同じ結果です。このパターンは全く同じで、上昇もしない、減少もしない。とにかく大卒の人は二十八・幾つとか二十九歳、こういう数字がもうずっと九〇年代は続いています。

 では、なぜ結婚年齢が全体的に上がってくるかというと、全体的に学歴の高い人がどんどん出てきますので、社会全体の結婚年齢がおくれている。しかも、女性のキャリア、パネル11は全国調査の結果ですけれども、九〇年と二〇〇〇年で、いずれも未婚女性に、あなたは一生働くつもりですかといったときに、はいと答えた人は断然に高学歴の人でありまして、全くこのパターンは変わっておりません。すなわち、今後、学歴の高い人がふえていくと、M字型の労働参加率のパターンが次第に山型に近づいていくのではないかと思われます。

 実際、この結果として、男女の三十歳以下のフルタイムの賃金の時間給の格差は、一九七〇年のときに男子一に対して女子〇・七でしたけれども、最近、九八年のデータではこれが〇・九まで、ほぼ並ぶところまで来ましたので、ますます結婚に対して失うものが女性は多くなってきたのではないかというふうに思われます。

 それで、さらに、そのパネル12、13を見ていただきますと、大学に行った場合、教育を受けた場合、男子と女子でどちらが有利かというデータを、これは全国調査の推計から賃金関数をはじき出して計量経済学的にやったものですけれども、おもしろい結果が出ております。

 明らかに、大学へ進学するには女子の方が有利という結果になっております。ブルーの線が、九〇年と二〇〇〇年と、十年間の変化を見せていますけれども、日本の女子の場合、大学へ行った場合に、最近急激にリターンがよくなっています。教育投資の効率が非常によくなってきています。これは、特殊な女性の職業というのがだんだん開けてきたこともあると思います。

 男子はわずかしか上がっていないので、私は、大学でよく言うんですけれども、男性は大学に行っても余りリターンがないので、私が文部大臣でしたら、もうちょっと女性の大学進学率をふやした方がいいんではないか、効率がいいんじゃないかと思いますけれども、そんなような状態になってきておりまして、これが続きますと、明らかに女性が大学へ進学する確率は今後も上昇し続けることは間違いないというふうに考えております。

 さらに、結婚だけではなくて、離婚リスクが非常に上昇していまして、東京オリンピックのころに女性が結婚して離婚する確率は千人中八十組でしたけれども、現在は二百組を超えております。二百八という数字だと思いますけれども、これは、データの比べ方によるんですけれども、フランスやドイツとほぼ肩を並べるところまで来ております。

 しかもこれは、統計分析の結果では、女性の職場進出と明確に結びついていまして、我が国の女性の離婚リスクが急激に上がるのはいつかというと、専業主婦からフルタイムに地位を変えた場合、就業形態を変えたときに、どちらが先か因果関係はわかりませんけれども、離婚を考えたから働き始めるのか、働き始めたから離婚リスクが上がるのか、この辺はわかりませんけれども、少なくとも統計的に有意性は認められる。これは全国調査のミクロデータを積み上げた統計分析結果であります。ですから、男性にとっては、奥さんがフルタイムで働き始めたらイエローカードみたいな状態というふうに考えていただいて結構でございます。

 また、最近、未婚女性の同棲に対する容認度は非常に高くなっていまして、これも毎日新聞の全国調査データから分析したものでありますけれども、そこにございますように、グラフ、明らかにパイが二つありまして、左側の方が非常に同棲の容認が高いんです。

 こういう未婚の男女が同棲することに対する容認が高いのは何かというと、これは性経験のあったグループが非常に高くなっていまして、性行動の低年齢化、そういったものから考えると、日本も、今後、同棲に対する容認度というのは、ひそかにでありますけれども、高まってきて、どこかスレッシュホールドに到達したときに一気にこれが爆発する可能性があって、一つの規範、今規範はだんだん変化しているけれども、行動が何らかの要因によって抑えられているわけですけれども、それが変化する可能性が高いのではないか、今後注目すべき動向というふうに考えております。

 全体的に未婚の女性は、同棲は容認派が多くなってきていますけれども、結婚したいという人はまだ九〇%ぐらいいます。特に余り変わっていないわけで、結婚したい女の人で、特に早く結婚したいという人はどういう人かというと、これは非常に驚くべき結果になっておりまして、九八年データを分析してみますと、自分が子供のころに父親がどういう父親であったかという要因が最後まで残ってしまいました。

 要するに、父親が家庭で家事、育児を手伝ったことを覚えて、記憶している女性は、結婚に対して極めて強い願望を抱いています。これは統計的にすべてをコントロールしています。教育もすべて、年齢も地域も全部コントロールした後これがきいてくるわけです。

 ですから、やはり皆さん方の家庭における、各人のミクロレベルにおける家庭の中からそういった規範、男女共同参画型社会を示さないと、なかなか結婚、出生には結びつかない部分もある。

 既婚の女性に関しては、私は、基本的には、やはり長期的に安定して、安心して産めるような経済的な、マクロ経済の安定ということが最も急がれる政策であろうというふうに考えております。

 保育園とかそういった問題もあるんですけれども、我が国の場合には、保育園の場合には、未就学児童を抱えた母親で保育園を使っているのが二八%で、ほとんど、七三%程度の人は使っておりません。

 なぜそんなに高いのかというと、日本のお母さんは、自分の子供を自分の手で育てたいという、圧倒的にマザーリングの価値が高いというところに問題があります。ですから、保育園の場合も、必要としている人は、時間よりも、どちらかというとやはりコストが大きな要因というふうに考えておりまして、コストが下がると、この利用率がもう少し上がる。

 ですから、そういう点で、政策的には、保育園に預ける人に経済的な支援を与えるというのも一つの有効な手段、コストというのが非常に大きくきいてきているようであります。これもミクロデータから出た結果でございます。

 それで、私は、パネル15で申し上げたいんですけれども、今この調査会で私お話ししているわけですけれども、ぜひ皆さんに注目していただきたいのは、今日が、まさに出生対策のどうしてもここでヒットを打たなければいけない、プロ野球でいったらツーアウト満塁みたいな状態でありまして、ここで打たないと後でえらいことになるという、これがパネル15でございます。

 これは既婚の女性ですけれども、二十五―三十四歳の女性の数でありますけれども、今は、二〇〇一年、二年あたりが、ことしと来年あたりが第二次ベビーブームのこの年齢に残っている人たちのピークになりまして、六百万人を超えております。この人たちが安心して産める政策を大至急つくらないと、六百万人が続くのは二〇〇六年までなんです。あと五年以内に政策をうまく、産みやすい環境をつくらないと、絶対数で、数でかなり問題になってくるのではないかというふうに思われます。ですから、割と今がまさに政策的にはタイムリーを打つ一番いいポイントではないかなというふうに考えられております。

 それから、全体的に、マクロ経済が安定することがまず前提になりますけれども、もう一つ、結婚がどうなるかによって出生力が変わります。先ほど申し上げましたように、結婚は最大の要因じゃなくて、今第二次的な要因になっていますけれども、これをパネル16にあるような、計量モデルにしまして、シミュレーションをかけてやってみました。

 そうしたら、おもしろい結果になりまして、未婚女性が、現在二十五歳から二十九歳がどういう動きをするかによって、日本の女性の結婚形態がほとんど今まで動いてきております。これに注目して分析してみましたら、この二十五歳―二十九歳の女性、現在、五三%程度が未婚であります。このグループが六五%まで仮に行ってしまいますと、合計特殊出生率は一・二四まで下がります。そして、七五%、この未婚が上昇した場合には一・一八まで合計特殊出生率は下がり、これが二十歳代での結婚がほぼなくなってしまった場合には、三十にずれ込んでいった場合には、合計特殊出生率が一・〇四まで下がることになります。ですから、結婚の動向がどうなるかによって、今後やはり大きく影響を受けることは間違いないわけです。

 ですから、私の話、これまでまとめますと、まず、マクロの、全体的な経済の安定をすることによってある程度歯どめをかけることができる。さらに、結婚して魅力を持てるような家族、家庭環境、産みやすい環境、こういったものをつくることによって、今のようなシナリオを避けることができるのではないかというふうに思います。

 手順からいえば、まずマクロ、とりあえずその辺を早く手を打ち、しかも五年以内に産みやすい環境をきちんとつくることが急務ではないかということが私のポイントでございます。

 その次に、その後の結果として高齢化社会がどうなるかという話に参りますと、高齢化現象が、パネル17でありますけれども、これは六十五歳以上の割合ですけれども、私が申し上げたいのは、皆さん、マスコミで高齢化社会というのを目にし始めたのは一九八〇年代に入ってからだと思いますけれども、日本は、既に一九三五年、昭和一けたの人が生まれたときから高齢化は始まっておりました。グラフを見ても明らかなように、そこからほぼ連続的に上がってきております。

 高齢化の定義というのは、こんなに騒がれている割合に、人口学的には定義が余りはっきりしておりませんで、国連が出した唯一の定義は、高齢人口の相対的な増加、そして年少人口の相対的な減少、これしかないんです。要するに、一言で言えば、ピラミッドの上の方が膨らんで、下の方が削れる、これだけであります。

 要するに、死ななくなった、生まれなくなったということが要因ですけれども、その生まれなくなった要因を見るために、パネル18が、一九四七年から一九九九年までずっと出生数が出ていますけれども、一九四七年から四九年の三年間だけベビーブームがありまして、二百七十万、毎年生まれました。その後、どっと下がって、一九五七年、十年後には百五十七万まで下がって、今では百十八万、こういうところでございます。

 私が何を申し上げたいかというと、このパネル18をぐるっと九十度だけ回転するとパネル19になります。これがまさにそのまま、出生数を九十度回転させると人口のピラミッドになるわけです。要するに、何を言いたいかというと、高齢化社会は選択なき社会だ。もう生まれてしまっていて、生まれたとおりの形の人口のピラミッドが将来できるということでございますので、日本のいろいろなところでお話しする機会があるんですけれども、皆さん大体が、私の学生を含めて、自分は何とかなると思っている人が圧倒的なんです、日本の社会では。ところが、高齢化社会というのは確実に来るわけで、政策的には、人口の面に関しては選択の余地がなくて、それに対応するとすれば、それを取り巻く制度的な要因を変えるしかない。これしかない、そういう状況でございます。

 それをまず念頭に置いておいていただいて、まず総人口の増嵩から考えてまいりますと、パネル20でございますが、これは今まで出されてきている、二〇〇七年が総人口のピークということになっておりますけれども、私たちの研究所でやっております人口の分析から考えてみますと、この二〇〇七年という数字はかなり前に来ることはほぼ避けて通れないと思います。大分前に来ます。

 この二〇〇七年が、ピークがぐっと前に来ることによって、かなりいろいろなところで影響が出てくることは必至でありまして、労働市場そのほかのところで、例えば一番私が心配するのは、企業が恐らく先行投資をしなくなってくることによって、税収を上げるのが非常に難しい状況になってくる。こうなってきた場合に、財政再建をどうするかという問題、そういう問題が今後浮上してくるのではないかというふうに思います。

 それから、パネル21を見てみますと、これは子供と老人の数ですけれども、一九八五年、今から十六年前に子供が二人、老人一という割合だったのが、二〇二一年になりますと子供が一、老人二という形になりまして、明らかに年齢構造の大逆転が起こるということであります。

 さらに、高齢者の中でも特に、六十五歳から七十四歳の若い老人というのと、それから七十五歳から八十四歳の中年の老人といいますか、中年と言っていいかどうかわかりませんけれども、要するに老人の真ん中辺の人と、それから八十五歳以上と分けていきますと、八十五歳以上が、見てみればわかりますけれども、ずっと断トツで伸びていくわけです。これは絶対に当たります、生まれちゃっていますので。これはぜひ皆さんの地元の選挙区でやっていただくとわかるのですけれども、幾つか選んでやってみたんですけれども、これは地域によって全く違うのです。地域によって全く違いますので、ビジネスのチャンスが全く地域によって違ってきちゃっている。そういう性質のデータですけれども、さらに八十五歳以上の中の百歳以上が非常に多くて、年率一三%でふえていっております。

 こういう社会になってくると、市役所の支所、出張所とかいうのが全国で四千七百カ所ぐらいあるようですけれども、これが人口減で大半閉鎖されるような状況がやがて出てくるのではないか。しかも、高齢者がどんどんこれから亡くなっていく。だけれども、財政的に維持できなくて取りつぶさなきゃいけないような状況なんですけれども、そういう地域に残された高齢者もいっぱいいるわけでありまして、そういう人たちをどうするのか。

 しかも、今でも、いろいろな県に行ってみると、農村地域にコンクリート建てのビルディングというのは結構ところどころあるのですね。そういうところで、来世紀、コンクリートの建物だけでいわゆるゴーストタウン的な状況が出てくるのか、それともそれを自然に帰すのか。地方の時代とは言われていますけれども、こういう人口の変化に合わせてそれをどうするか。

 人口問題というのは、基本的には、日本のキーワードはスピードなんですね、人口に関しては。めちゃめちゃ速いのです、変化が。ところが、ハードウエアというのは一回つくっちゃうと八十年、九十年もちますので、それに調整できないわけですね。高齢化問題というのは、基本的には人口の変化の速さにハードの変化が追いつかないということだと思っていますけれども、そういったようなアジャストメント、調整の問題が至るところで出てくる。大学では、私の大学なんかでも、今はかなり高齢者がいますけれども、今世紀、もうちょっとたつと名誉教授ばかりになるんじゃないかと思っています。

 私は、個人的には、社会的には車社会の本格化を非常に恐れておりまして、全国で九十歳以上の免許を持っている方が、年率四三%でふえています、年率四三%ですよ。この世の中に年率四三%でふえるものってそうないですよ。

 そうなっていった場合に、これはある学会賞をとった研究ですけれども、松山市でやられた研究ですけれども、高齢者の運転の特徴というのがありまして、その方が書いてあるのをちょっと読みますと、その方の研究で、これは学会賞をとった先生の研究ですけれども、高齢者の運転、対向車や障害物の回避に反応しない、相手がよけてくれるのを待つ、そういう結論になっています。それは笑っている場合ではなくて、かなり深刻な問題だと思います。今は、高齢者が運転された場合、若い人がよけてくれるのですけれども、来世紀、高齢者同士といった場合どうなのかとちょっと心配になります。

 今から四年前に、関越自動車道で、一月十一日午後四時過ぎに、八十二歳の老人が高速道路を逆進いたしました、全速力で。これは事実であります。それで、その方がアルツハイマーであった。しかも免許を三カ月前に書きかえたばかりだったというように、これから交通をめぐる問題が、免許を書きかえる問題とかどんどん出てまいります。ただ、高齢者が一人で、いろいろなところで住んでいるという人がいっぱいいるんですね。そういう人たちはどうしても自動車を使わなきゃならない。

 そういう問題で、交通標識を含めて、だって、今、四十秒で信号が変わりますけれども、四十メーター道路を四十秒の青信号の間に渡れる七十五歳以上の老人は五五%しかいないのです。全体的なシステムを変えなきゃいけないような大きな問題が、今日本の中で起こりつつあるということであります。

 さらに、そのパネル22のところを見ていただくと、要するに、八十五歳以上がふえるということは、これはもう痴呆性老人が圧倒的にふえるという一つの前ぶれでございます。

 その次に、私、ここまでずっと出生率の話ばかりしてきましたけれども、私はここに、ぜひ議員の先生方に理解してほしい、ぜひ知っておいてほしい事実があります。それは何かというと、高齢化は、先ほど言いましたように、死ななくなった、生まれなくなった、この両方なんですね。生まれなくなったばかりが今注目されていて、少子高齢化という言葉はあるんですけれども、重要なのは、オイルショック以降最近までの高齢化の最大の要因は何かというと、死亡率の減少なんです。中高年の死亡率がどんどん改善されることによって変わってきた。ですから、最大というのは、ほんのわずかの差で出生率を上回っているということで、私は、今の日本の社会の中で死亡率、寿命の延びというものに対する関心が非常に低いので、今後ぜひ考えていっていただきたい。

 そして、これは年金に直ちにきいてくるということで、もう少し寿命に対して、そして寿命という言葉よりも、これから日本の社会で、平均余命ではなくて健康余命という言葉が重要になってくる。要するに何年間病気しないで元気で過ごせるか、こういう指標がいろいろな医療費の推計その他で行われるべきだと思っておりまして、今、私の研究所ではそれを最優先して研究しております。

 ただ、世界的な流れとして、今フロンティア中のフロンティア、寿命の研究というのは、百十歳以上のスーパーセンテネリアンズの研究が、今まさに、先月からですか、スタートしましたけれども、その辺まで注目が来ております。

 アメリカのカリフォルニア大学バークレーを中心とする連中では、アメリカはだんだんこの考え方が主流を占めてきているんですけれども、寿命には限界がないという説が急浮上してきておりまして、これはデータ的に、学者が今までいろいろな上限を出してきたんですけれども、ことごとく破られてきています。バークレーのグループは、これに対して、遺伝子工学その他も組み入れた考慮をしておりまして、こういうことを考えると、ぜひ、死の、寿命の限界、こういったものをますます考えていく必要があるのではないかなというふうに思います。

 ですから、少子高齢化と言わないで、寿命のことも考えていただきたいということであります。

 それから、あと、二〇二五年に、主要諸国のいろいろな国がそこに出ていますけれども、六十五歳以上は日本が断トツになるわけでございますけれども、この数値よりももう少し高くなる可能性は極めて高いんですけれども、六十五歳以上が三〇%ぐらいまでなると思います。

 ただ、パネル24の一番右側にアメリカ合衆国がありますけれども、アメリカ合衆国はなぜこんなに先進国の中で一番高齢化が低いかというと、アメリカの場合には、ベビーブームが十七年間続いたというのが大きな要因であります。日本は三年だったのが、アメリカは十七年間続いた。ケネディ大統領が暗殺された後まで続きましたので、実に十七年。この十七対三というのは、日米を今世紀大きく分けてくる。しかも、その間に、ここに挙げてある国がほとんどがEUの国ですので、EUがなぜ統合されなきゃならなかったかという理由はここにあるわけでありまして、高齢化してしまった中で何とか活力を求めるために、地域を活性化させるためにEUをつくった、そういう一つの考え方があるわけであります。

 私は、個人的には、アメリカと日本とのファンダメンタルズ、これを考えていった場合に、今は先進国で出生率が一番高いのはアメリカですけれども、そのアメリカの将来的な高齢化のパターンを考えますと、一ドル二百円ぐらいの時代が来てもおかしくないようなファンダメンタルズは既に存在しているのではないかというふうに考えております。

 その次に、日本における高齢者の中の高齢化の割合ですけれども、すなわち六十五歳以上の中で七十五歳以上のオールド・オールドという割合ですけれども、これは医学的には要介護人口の対象者ですけれども、これが今世紀、二〇二一年に世界で最も高い水準に到達します。ですから、高齢者の中で要介護の人が一番、しかもこの数値は絶対当たります、世界じゅうでこの七十五歳以上は全部生まれちゃっていますので。そうしたときに最も深刻な介護を抱えるというのはここから読めるんですけれども、それを支えるのが、後からまたお話しします。

 それからもう一つは、パネル26にある、このスピードがめちゃめちゃ速いというのは明らかでありまして、六十五歳以上の割合が一〇%から二〇%になるときのスピードがそこに挙げてあるんですけれども、日本が断トツ速いわけであります。

 問題は、日本の老人の割合が二〇%になるのは、二〇〇六年から七年であります。あと五年ぐらいですね。このときで世界で二〇%になるのは日本だけでございますので、日本は、近代史上、日本にとって初めて欧米諸国を参考にすることができない、いわゆるお手本のない、みずからの創造の時代へと初めて突入することになるわけであります。

 それから、高齢化社会、この部屋は大半の方が男性ですけれども、本当は男性の方は余り高齢化に関係がないんです。それはなぜかというと、先に死んでしまうからでありまして、寿命が短いからであります。これは笑っている場合ではないような事態です。パネル30でございますけれども、これを見ていただきますと、六十五歳以上の男女格差というのは、圧倒的に女性が多いわけでありまして、高齢化社会が本格化するにつれて女性が非常にふえてくるわけです。それは女性にとって非常に喜ばしいことなんでしょうけれども、問題は、その格差がこの寿命の変化によって、最終的に五百万近くまで六十五歳以上でなるわけです。

 それで、男性よりも多いということは、多分未亡人になる可能性が極めて高いということでございます。その後は、何歳の人がふえていくかというと、八十五歳以上の女性が圧倒的にふえていくわけです、ひとりで。

 これは、会長は笑われていますけれども、この未亡人とかというのは、ここに書いていませんけれども、確率的にはほとんど独居化なんです。それで、女性の独居率が最終的に、我々のところでやった世帯推計では、二〇二五年で二五%から三〇%の女性がなります。そうなった場合に、未亡人で独居で、しかもかなり深刻な、もしもアルツハイマーとかそういった問題が出てきた場合には、こういった介護をどうするかというニーズがやはり出てくるのではないかということであります。

 そのときに家族はどのくらい支えるかというデータをパネル32、33、34、35、36で掲げてあります。

 この指標を使っているのは私しかおりませんけれども、私はこれは自分ではいい指標だなと思って使っています。これは、分母が六十五歳から八十四歳の高齢者、そして分子が四十歳から五十九歳の女性をとっています。私は女性が介護しろということを言っているわけではないですよ。これはぜひ誤解しないで、誤解する方がいらっしゃるんですけれども、そうじゃなくて、現状では女性がやる人が多いから、その比率をあくまでもプロクシーというか代用してやっているわけでございまして、要するにどういうことかというと、これは大体、老人が産んだ女の子の数に相当する数字なんです。

 ですから、自分で産んだ子供が大体何人ぐらいいるかなというので決まってくるわけですけれども、これを見ると、一九五五年のときには、これは市町村三千三百四十地点を全部点でかいていったものなんですけれども、日本国土全部がグリーンから黄色、このくらいまでは、子供が老人と一対一以上いたのです。だから子供が結構いたのです。七五年もいい時代だったのですけれども、隣の34を見ますと、九五年になると赤がいっぱい出てまいりまして、一を切ってしまって、黒いところは数値的に〇・五を切っておる状態でございます。二〇二五年になりますと、黒いところはすごい状態になりまして、二〇二五年になりますとすごいところが出てきまして、熊本県の阿蘇郡のある村では、老人百人に対して子供が五人という状況が出てまいります。

 これは市町村的に全部とっていったので、そういうデータを考えていくとほぼ間違いなく、市町村で点の位置、色が隣村とこっちの村とちょっと違う可能性、動きますから、それは動くにしても、日本全体として面積は余り変わらないと思います。

 そういう中で、介護保険をどのようにして維持していくのか、介護するマンパワーをいかに確保するかという問題が出てくるわけでございます。データ的に見てまいりますと、パネル37にありますように、家族の扶養能力というのは一九九〇年に一・三ありました。すなわち、今から十年前には、お年寄り一人に対して娘が一・三人いた。これが二〇一〇年になりますと、お年寄り一人に対して娘さんが〇・六しかありません。これは絶対に当たります、分子、分母も全部生まれちゃっていますので。

 こういう中で、家庭の介護問題、日本の介護をどうするかという問題を考えるには、もう否定することもどうすることもできない数値でございますので、そういう中で政治家の先生方が英知を絞ることが強く望まれるわけでございます。

 ただ、地方自治体が介護保険を実施していますけれども、これを見てもわかるように、物すごい地域格差がございますので、これは地域をどういうふうにしてまとめていくかという問題もあると思います。

 それから、二〇〇六年の家族の扶養指数を見ると、世界で最低になるのは日本でございます。ですから、先ほども言いましたように、これも世界じゅう全部生まれちゃっていますので、絶対に当たる数字でございまして、そういうことを考えると、そういう深刻な状態を今後どういうふうにして乗り切るか、政治力が問われると思います。

 パネル39でございますけれども、これは在宅で寝たきりまたは痴呆性老人を女の人が、専業主婦が見るという、これもまた決してやれと言っているわけじゃなくて、そういう状態があるということで、これもいろいろなところで誤解されるのではっきり申し上げますけれども、これはあくまでも現状の状態を続けた、別に私の価値観は入っておりません。そういうデータを見ると、四十歳から四十九歳の女性の負担率がめちゃめちゃに上がっていきます。

 問題は、さらにその四十歳代の女性の、二〇二五年で四十歳になる人は多分今日中学校へ行っている子ですね。そういう子供たちですから、これから私たちが考えなきゃいけないのは、パネル40にございます、価値観の変化なんです。

 今まで、日本の政府も含めてですけれども、マスコミも含めて、私たちを含めて全部だと思います。今、高齢化社会が来ると何人で何人を支える社会という議論が主に出ておりますけれども、これはいわゆる人口論といいますか、数だけの議論なんです。

 私が申し上げたいのは、このパネル40を見ていくとわかるように、ピンクの方の線なんですけれども、これは毎日新聞社の人口問題調査会がずっと行ってきたデータでありますけれども、同じ質問でやっています。あなたは年とった親を見ることをどう思いますかということに対して、よい習慣、当然の義務と答えた人が、一九八六年まではほぼ八〇%で維持できたのです。ところが、八六年から急激に下がって、前回の調査では四二%まで落ち込みました。

 私は、これは突然の変化で、データを一、二年は信用しなかったのですけれども、ずっとコンスタントに同じ質問をしてみて同じような答えが出てきているので、これは間違いないというふうに思っています。しかも、これを統計分析してみますと、だれがというリーダーはいないのです。この価値観の変動は日本社会全体、同時に起こりました。教育の高い人、低い人、それから働いている、働いていない、それに関係なく全部が同時に下がりました。

 それで、そういう同じ人が、ではあなたは老後をお子さんに期待しますかというと、そちらは連続的に下がってきました。日本の女性がずっと、子供に対しては期待しないけれども親は私たちが見ます、そういう答えが来たわけですけれども、八〇年代後半以降、これは特にこの辺が非常に難しいところなんですけれども、八六年、八七年の厚生白書を見ますと、この辺から在宅ケアを中心にしていこうという方針が打ち出されたことにもかなり関係があるのではないか、いわゆる建前論から本音論へと日本の女性が変化した時期ではないかというふうに思われます。

 ですから、私は、二十一世紀を考えると、人口問題は選択なき社会をつくるわけでありますけれども、さらに価値観の変動を踏まえた高齢化論はない、日本の社会には本格的な高齢化論はないと思っております、現在まで。ぜひこれからやらなきゃいけないのは、人口はもう既にわかってしまっているわけですから、さらに価値観の変化を踏まえた高齢化論というのを本格的に展開する時期に来ているというふうに考えております。

 そして、最終的に高齢化社会を乗り切る一つの方針としては、パネル41にございますように、老人の定義を変えればいいと思っています。

 これは、六十五歳以上の方が昨年は一七%になるのですけれども、ちょっと時期を失しちゃって、去年からやればよかったのでしょうけれども、二〇〇〇年から六十五歳以上の方を一七%だけという社会をつくった場合にどうなるかという計算をしてみますと、二〇二五年で七十四歳程度まで老人の定義を変えればいいわけでございまして、それによって就業形態を変えたり、定年延長をしたり、年金の支給開始年齢を変えていく。そういうことをすればずっと日本の社会は一七%だけで高齢化社会を乗り切ることができるということになるわけですけれども、ただ、これは至難のわざでありまして、今までに定年制の延長は、五十五歳から六十歳まで延ばすのに二十数年かかっておりますので、なかなかこれも簡単にできない問題、難しいかもしれません。

 ただ、私が最初に申し上げましたように、一九四七年から五七年、十年間で日本の出生力は人類史上初めて半減したわけでありますから、人類史上初めての高齢化対策が迫られるのは当然というふうに考えております。

 それから、パネル42を見ていただきますと、日本以外に今度は外国を見てまいりますと、アジアの諸国、日本以外の国でも、タイ、韓国、中国、シンガポール、ほとんどの国が十年間で、横は全部十年間です、時期こそ違えど、全部同じような出生力の低下をしております。その下で、高齢化のスピードで各国を比べていますけれども、日本が一番先頭で高齢化していくわけでありますけれども、シンガポールは本当は高齢化のスピードが日本より速いのです。

 そういう国がいっぱい来るわけでございまして、私は、こういった点で、外国人労働の問題を含めまして、アジアの諸国での連結といいますか協力というものがこれからますます必要だろうと思いますし、日本がアジアの諸国におけるリーダーシップ、高齢化対策を含めて政策的な面でもアジアのリーダーになれるのではないかというふうに考えております。

 時間が参りましたけれども、あと最後に、私一つお話ししたいことがあります。

 それは、アメリカのテキサス大学のロストウという教授、一九六〇年代、日本の中で経済発展の段階的な理論で有名なロストウという教授がいます。ケネディ大統領の経済顧問だったと思います。その方と、昨年アメリカ人口学会で同じパネルでお話しする機会がありました。その人が、少子高齢化の問題は日本の第四のチャレンジというふうに言っておりました。

 第一のチャレンジは何かというと、江戸時代に徳川三代によって鎖国政策を決めたこと。第二番目は、明治のときの文明開化、これが日本のセカンドチャレンジ。日本のサードチャレンジは何かというと、第二次世界大戦後の復興。そして今度は、二十一世紀にまさに高齢化、少子化の対策をいかに立てるかということが日本にとっての第四のチャレンジというふうに彼は発言しておりました。

 私は、彼の最大のメッセージは何かというと、今までの歴史を振り返って、三百年から四百年のタームで考えた場合に、日本の危機にとっては、常に政治家がすばらしいリーダーシップを発揮してそれを乗り越えてきました。今、この少子高齢化を乗り切るためには、まさに政治家のリーダーシップが問われている、そういう段階に来ているのではないかというふうに思います。

 どうもありがとうございました。(拍手)

中山会長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。

 速記をとめてください。

    〔速記中止〕

中山会長 それでは、速記を起こしてください。

    ―――――――――――――

中山会長 これより参考人に対する質疑を行います。

 まず、調査会を代表いたしまして私から総括的な質疑を行い、その後、委員からの質疑を行います。

 それでは、ただいまからお話を承りたいと思います。

 本日は、日本の二十一世紀の人口学的に見た非常に大きな問題を御提示いただきまして、まことにありがとうございました。

 日本の少子高齢化のスピードが世界一速いという中で、二〇〇七年から日本の生産年齢人口が下がり始める。こういった中で、それが日本の産業、それから社会全体にどういうふうに影響を与えてくるのかということが一番大きな課題でありますが、既に参考人は、もう日本の二〇二〇年ぐらいまでの人口学的な予測を御提示になりました。

 この予測は非常に確率の高い、確度の高いお話でございますが、生産年齢人口が減少すれば、その生産力を補うために、男女共同参画社会なんということを言っていますけれども、それだけで追いつかない時代がやってくるのではないか。それは、外国人労働者を日本が受け入れるかどうかといった選択が政治的に求められてくる時代が来るだろうと私は思うのです。

 ちなみに、日本に来て働いている外国人の数を調べてみますと、平成二年に百七万人でございましたか、平成十一年で百五十六万人にふえております。これは正規の就労許可をとった外国人の数でございます。

 これがやがて少子高齢化がきいてくるころになって、これも国連の人口部が昨年春に補充移民の研究をまとめて公表しております。参考人ももちろん御存じでございましょうが、高齢者一人を勤労人口四、五人で支えなければならない、その比率を維持するためには、毎年人口百万人当たり何人の移民労働者を受け入れる必要があるかという試算をしておりますが、日本の場合は、人口百万当たりで五千人強、総数で毎年六十五万人ぐらいの外国人の移民労働者の受け入れが必要になるだろうということを国連人口部が発表している。このことに関しまして、参考人はどのようにお考えでございましょうか。

小川参考人 まず、労働力に関しては、二十年間、今後間違いなく予測できるわけで、もう既に生まれた人、今後二十年間、労働力に入る人は決まってしまっているわけでございます。

 そういう点で、まず二十年間を考えていくときに、間違いなく高齢者の労働者が非常にふえていって、若い方が非常に少なくなってきて、しかも若い方が労働意欲を失ってしまうのではないかという一つポストレスの時代になってくるわけでございます。ただ、そういう人たちがいかに勤労意欲を持ってやれるかというので、そういう国内にある労働力をうまく活用することがまず大切だと思います。

 私は、外国人の前に日本の国内の問題をまず整理したいと思うのですけれども、減少する労働力の中で、特に日本の基幹労働をどういうふうに維持するかというのは、これは重要な問題だと思います。例えば日本の消防力とか警察力、いろいろな基幹になるもの、インフラになる労働力は必要ですけれども、こういうところまで外国人労働を使うのかどうかという問題があるわけであります。

 私は、基本的には、これから労働力、二十年間入ってくる数が決まっていますので、そういう人たちにやはり年齢相応に、若い人が非常に知識集約型、非常に頭のやわらかいうちに技術進歩に直結するような産業になるべく行ってもらえるような、いわゆるソーシャルエンジニアリングに近い考え方ですけれども、労働政策というものをもう一回考えてみる必要があるのではないか。四十歳になったら一回年金の一年前倒しをして、そして再充電をすることによって第二の人生を歩むという、一人で二つの人生をこれから歩むような、要するに適材適所的な発想がこれから必要になってくるのではないかというふうに思っております。

 ただ、先ほど言いましたように、七十四歳まで働いてもらえれば日本は大分労働力は支えることが、頑張ることができるわけですけれども、外国人労働に対しては、今までのデータ、ミクロデータを全国の世論調査から分析してみますと、日本の社会には外国人を入れることに対してアレルギー的なところがあって、反対する人が非常に多いわけであります。ただ、データ的に分析してみておもしろいなと思ったのは、外国人、単純労働の場合ですけれども、これを入れることに対して賛成する人はどういう人かといいますと、これはふだん、日常からNIES製品を積極的に買う人なんですね。これが統計的に出てきました。明らかに、いわゆる物の流れが人の流れへとつながる、そういう一つの構図がそこにあるのではないかというふうに考えております。

 ですから、トレード、貿易を通じて、物を通じて外国とますます交流が盛んになれば、アジアの国その他の国で盛んになればなるほど人を受け入れやすい、そういう下地は日本の社会で出てくるだろうとは思います。

 ただ、日本の需要サイドが、例えば日本が受け入れ側ですけれども、送出する外国の状況でありますけれども、国際人口移動の要因を見てみますと、需要要因と供給要因とどちらが大きく影響しているかというと、これは圧倒的に需要サイドであります。要するに、受け入れる国がどう考えるかによって幾らでも入ってくるわけです。

 ですから、そういう点では、日本の社会の中の受け入れ体制がどうなるかによって、需要サイドがどうなるかが大きいわけですけれども、ただ、最後に私が申し上げましたように、アジアのいろいろな国で出生転換が起こっていまして、タイでは既にもう新規若年労働の参入がマイナスに転じて、成長率がマイナスになってきております。

 ということは、高齢化社会が日本だけの問題ではなくて、アジアやいろいろな国で高齢化社会がどんどん出てくるわけでありますので、先ほど会長がおっしゃられましたように、日本が本当に必要になってくるのはもうちょっと後かもしれませんけれども、そのときにはもうアジアにはない。

 というか、アジアのほかの国も工業化してしまって、国内需要が高まることによって、ほかの国から外国人を受け入れたいという国がどんどん出てくる可能性があるわけであります。ですから、今、日本の中では、いつでも外国人労働は、供給サイドは十分にあるとお思いでしょうけれども、これは大きく変わることが今後予想される、これをぜひ頭の中に入れておいていただきたいと思います。

 ただ、私は、こういった中でも、インドを中心にして、インドも最近出生率がちょっと落ちてきましたので、アフリカですか、そういうところまで視野に入れなきゃならないような状況があると思うのですけれども、これだけコンピューターが進んできた場合に、今も日本政府は既にやり始めているようでありますけれども、コンピューターをつないでの、外国人が実際に来なくても、例えばインドならインドで外国人がコンピューターでこちらの東京の事務所と一緒にリンクさせて仕事ができる、そういったようなディスタンスを持って労働参加できる、そういう社会がこれから来るんではないかというふうに思います。

 ですから、実際に人の動きというのはそれほど多くなくても、国際労働力を使うことは可能な時代にだんだん来ていると思います。

 ですけれども、基本的には、建設業を初めとして現場がこちらのところがいっぱいありますので、実際にそういう人たちの労働力をいかに確保するかといった場合に、あと、先ほど言いました基幹産業を、日本のインフラをだれが担当するか、こういったものをこういう国会の場でも検討していただいて、そして長期的な労働政策を立てていくことが非常に重要ではないかなというふうに考えております。

中山会長 ありがとうございました。

 もう一点、お伺いさせていただきたいと思います。

 高齢化がどんどん進むといった中で、少子化と同時に国民負担率というものが大きな変化を起こしてくるだろうと思います。ここで先生にお伺いしたいことは、現在、相当大きな国債残高、地方債の残高を抱えて、この償還期限が十年、二十年、三十年先にやってくるわけですけれども、そういったときの日本の、例えば定年制を延長して七十歳にするといった場合でも、一人の働く人たちのいわゆる国民負担率というものは相当高くなっていくんじゃないか、この点について先生はどのようにお考えでございましょうか。

小川参考人 お答えいたします。

 私たちの研究所でも計量モデルをやっていまして、これは超長期のモデルをやっておりますけれども、最近のマクロ経済の動向をパラメーター化して長期展望をやってみますと、長期的には、経済成長率というのは、ポテンシャルとしては日本の経済、今二%ぐらいは維持可能な力を持っているわけであります。年金法の改正並びに減税の問題、こういったものによって、日本の手取り額といいますか可処分所得は、今のところ、長期的にそれほど落ちない。そうしますと、意外と個人消費というのは、長期的にそこそこ伸びていく形が見えてきます。

 そうしますと、経済成長率は恐らく二%から一%、実質で維持できるんではないかと思われますと、低成長で割と安定した、そこそこ豊かな社会が築けるように思いますけれども、問題は、意外とインフレが起こりそうもないような状況が出てまいりまして、財政の立て直しをするときに、低成長であった場合に税収が余り大きく見込めないわけでございますので、かなりこの辺は問題が深刻化しそうであります。

 税制の改革とか年金法の改正によって、国民負担率そのものはそれほど大きくは上昇しそうもないんですけれども、上がっていくことは間違いないんです。ただ、一九九六年に出された、いわゆるマスコミで言われている橋本ビジョン、あのビジョンに沿った数値は、ちょっと達成するのは極めて難しいんではないかというような推計結果が我々のところで出ております。いずれにしても、上がっていくけれども、一九九〇年代、バブル期の前に予想されたような国民負担率ほどは上がらないけれども、今後、長期的には上がっていくのではないかというふうに思われます。

 ただ、いろいろなところで、中央政府だけでなくて、地方のところでもいろいろな問題が出てまいりまして、赤字を抱えているところがいっぱいあるわけでございまして、そういうところが、国民健康保険とか介護保険とかを今後どういうふうに維持していくのかなという問題があります。

 先ほど言いましたように、まさに高齢化というのは、人口の変化が余りにも速いもので、それに追いつかないんですね、制度を変えていく。そういう問題ですので、なるべく長期的視点に立って早目早目に手を打つことが重要だというふうに思います。

 ただ、一つは、低成長になった場合に、企業が、ある程度そこそこの利潤は上がっていくんでしょうけれども、それほど大きな、高度成長や何かの時期と違ってなかなか社内留保ができないような状態になってきますと、投資がなかなかしにくくなってきて、人口の高齢化だけではなくて、資本そのものの高齢化が起こってくるというところが大きな問題になってくるのではないかなというふうに考えております。

中山会長 ありがとうございました。

 以上をもちまして、私の質疑を終わらせていただきます。

 次に、質疑の申し出がございますので、順次これを許します。伊藤公介君。

伊藤(公)委員 自由民主党の伊藤公介です。

 きょうは先生の、パネルを使っていただいた、歴史的な出生率、それから、これから社会的な問題、我々政治家が果たさなければならない役割など、いろいろ先生から御指導いただきました。我々も決意を持ってやらなきゃいけないということを、大変しみじみ勉強させていただきました。

 それから、家庭の中で父親がどういう暮らし方をしているかということも、大変身につまされる問題でございまして、私は、今夜からは炊事、洗濯もしっかり、子供のいるときには重点的にやろうと思っております。

 ちょっと、幾つかの質問をする前に、もし先生のところにデータがあれば、未婚で子供を持っている数というのは国際的にどんなふうになっているのか。つまり、私は、未婚で子供をつくるという場合にはいろいろなケースがあると思うんですね。先生が最後の結論にされたように、我々のこれからの生き方、二十一世紀の日本人の暮らし方、幸せ観、そういうことが今問われているように思うんですけれども、私は、一言で言えば、二十一世紀の日本は多様で選択肢の多い社会だろう。いろいろな生き方があっていい、AさんにはAさん、BさんにはBさんの生きがい、みんな同じになろうと我々は考えたり、教育をしてきた二十世紀から、我々はそれぞれ違いを大切にする二十一世紀ではないか。

 そういう意味で、私は、皆さんの意識の中にいろいろな意識があると思いますが、今、国会でかなり具体的なテーマになってきています夫婦別姓の問題ですね。私は夫婦別姓は認めるべきだとかねてから考えているわけですが、そのことも含めて、先生にちょっと御意見を伺えればと思います。

小川参考人 実際に未婚である人が子供を何人持っているか、そういう出生のデータはございませんけれども、ただ、アメリカが何で先進工業国の中でこんなに、今合計特殊出生率が二を超えているのはアメリカだけだと思います。アイスランドもありましたか、いずれにしてもアメリカは非常に高いんです。それはなぜかといいますと、一つは、一九八〇年代までは、黒人のアメリカ人の間での、結婚しないで子供をつくるということが、同棲して子供を持ってしまう、そういう傾向が強かったんですけれども、そのパターンが白人の間でも確実に八〇年代から定着してきたという、これも一つは、価値観が黒人だけではなくて白人の間でも広まってきたということが大きいと思います。

 ですから、そういったような、結婚を余り制度としてがんじがらめにしないで、割と緩やかに構えていった場合に、そういう産みやすい環境ができるかなという感じがします。ただ、いずれにしても、未婚女性の同棲率が日本は欧米に比べて四十分の一ぐらいでありますので、まだまだ、先ほどのデータでは、下地はあるんだけれども、なかなかそこが行動までいかないという現状ではないかなというふうに思われます。

 先生おっしゃられるように、二十一世紀は価値観が多様化した社会であろうということは、私も基本的には賛成でございます。ただ、そこを人口政策という視点から考えてみますと、まさにそれに対応したようなことが政策で打ち出せるのではないか。日本の社会保障を通じて、社会サービスを通じてもう一歩、日本の少子化対策というのは、どちらかというと児童手当を中心にして、私は児童手当は否定しませんし、非常に役に立つ政策だとは思いますけれども、その精神というか哲学そのものが、エクイティー、公平原理に基づいているわけであります。

 価値観が多様化してくると、それを本当に必要としている人とそれほど必要でない人と出てくるわけでありまして、本当にこれから少子化の対策を立てようと思った場合には、私は、これが最終手段ではないかと思いますけれども、出生促進の政策を打つ段階までひょっとすると追い込まれるんではないか。これは要するに、エクイティーを捨ててエフィシェンシー、効率のいい、出生を喜ぶ、産みたいという人もいっぱいいるわけですから、そういう人たちに、今二極化しているという話をしましたけれども、たくさん産む人と産まない人と二極化していますので、産みたい人にもう少し産めるような環境づくりをする政策に持っていくことも一つの方針ではないか。

 エクイティーで、皆さん公平に、画一的にいくんでなくて、もう少し政策的な効率を考えた、財政が非常に厳しくなった場合にますますそういうことを考えなきゃいけないのかもしれませんけれども、そういうこともぜひ考えなければいけないようなところまで追い込まれるんではないかなというふうに思っております。

伊藤(公)委員 ありがとうございました。

 中山会長から御質問させていただきましたように、恐らくこの少子化問題は高齢化の問題と裏腹だと思います。そして、高齢化の中では、少子化の中では、当然でありますけれども、社会保障制度、これは給付と負担をこれからどうするか、あるいは生産労働人口が非常に減少する、しかもそれはハイスピードだ。そのときに日本は、先ほど先生のお話ですと、アジアも同じようなグラフになっていることを考えますと、我々はアフリカまで、つまり地球規模でこの労働力というものを将来的には考えなければならないと思います。その点については、ちょっと時間がありましたら後で伺いますが、いずれにしても、少子化対策に我々は取り組まなければならないと思います。

 そして、先ほど先生のグラフで御説明ありましたが、父親、母親の経済的な問題が非常に大きな影響があるという御指摘をいただきました。多分、私はそれは非常に大きな原因だと思いますが、それに対しまして、今いろいろな国々が、子供を産みやすい、そういう環境のためにいろいろな方法を考えられています。

 例えばフランスでありますけれども、日本の場合は、一子、二子、今五千円、五千円ですね。それから、三子で一万円。これを倍額にしようという議論を今我々もしているわけでありますが、例えばフランスの場合は、今言うようなそれに対する、人数によって三万円、四万円、六万円、それから補足家族手当、乳幼児手当、育児手当、在宅児童保育手当、個別保育者雇用家庭補助、新学年手当、単親手当などなど、いろいろな補助をしているんですね。

 それでもなかなか難しいわけでありますが、経済的な問題ということを大変大きく我々は考えなければならないと思いますが、その少子化対策に対して、先生のもう少し突っ込んだ御意見を伺えればありがたいと思います。

小川参考人 フランスの例が先ほど出ましたけれども、フランスはもう随分長いことこういう手厚い保護をやっているわけでありまして、これは一つのレッスン、日本に適用するとき考えなきゃいけない要因としては、フランスの場合にはこれが一つのインスティチューション的なものになってしまって、常にそこにある、国民が安心して児童手当を計算に入れて子供づくりをできる、これは非常に重要なポイントではないかなというふうに思います。

 児童手当をこれからやっていく上で、私は先生方にお願いしたいのは、余り制度をいじって大幅に変えたりしないで、少しずつ、地道ではありますけれども積み上げていくような形にしないと、国民が信用しなくなるんではないか。長期的にもらうつもりでいたのが途中からぽろっと変わったりしますと、制度の有効性というのがなかなか発揮できないんではないか。ですから、長期に安定したサポートシステムとして政府はやるんだ、そういう確固たる姿勢を見せ、そしてそれを行うことが一つは国民の間での信頼をかち得るんではないかというふうに思います。

 フランスの最近の評価では、もしもこの児童手当を、ひょっとしたらきいていないかもしれないけれども、ひょっとしてこれをとっちゃうと物すごく下がる可能性もあるというふうにフランス人が言っておりました。やはり評価は非常に難しいんですけれども、私は、基本的には、フランスがこれほど長い間こつこつやってきたことが、今フランスが合計特殊出生率一・八、一・七というところで、これが不思議なくらいにこの国の出生率が落ちないんです、ここから横ばいでずっといいところを維持してこれたのは、そういった努力の積み重ねではないかなというふうに思います。

 先ほど申し上げましたように、もうちょっと頑張って、出生のタイミングを、おくれている要因を取り除いてあげれば、フランスは置きかえ水準二・一近くまで回復できる力があるわけですから、やはりそういった政府の持っている施策が、国民に対して、出生意欲を維持できる大きな要因になっているんではないかというふうに思っております。

伊藤(公)委員 日本は、先生お話をいただきましたように少子化でございます。しかし、私たちは、二十一世紀、地球規模で物事を考えなければならない時代でもございます。世界人口を考えますと、年間九千万人ずつ人口がふえている。しかも、隣接する中国は、年間千三百万人ずつふえている。その隣のインドは、やがてその中国を抜くであろうと言われています。今、この地球上の人口、六十億人と言われていますけれども、二〇五〇年には八十九億人の人口、やがて百億になるであろう、こう言われているわけでございます。

 先生は特に国連の舞台で人口問題を担当されたということでございますので、特に私たちの国は、今、世界資源の一〇%を消費して、そしてGNPの一五%を占める大変大きな経済的な国になりました。しかし、その日本は、一番エネルギーの大きい石油は九九・七%外国に依存していますし、穀物は自給率二七%です。つまり、これから世界の人口が八十九億、やがて百億になるときに、間違いなくこの地球上は、私は、食料、エネルギー、これは非常に大きな問題になってくると思います。そのときに、今申し上げたように、逆に日本はそのエネルギーと食料の大半を外国に依存しているわけであります。

 私たちは、そう遠からずやってくる世界のこの食料とエネルギーの問題に今から備えなければならないというふうに思っていますが、例えば穀物の自給率は、もう先生御専門ですから数字を言うこともないと思いますが、フランスは二二一%、アメリカは一〇九%、ドイツは一〇六%、イギリスは一〇五%、スウェーデン一二四%、デンマーク一一九%、日本は今申し上げたように二七%、これは中国よりも、そしてロシアよりも、アフリカや東南アジアの国々よりも低い数字であります。

 私たちは、真剣に未来の日本、そして世界、地球規模で物事を考えなければならないと思いますが、先生は、これらの世界のこれからの食料とかエネルギー、そして日本の将来についても、もしお考えがあればお話を伺いたいと思います。

小川参考人 大変大きな問題であれですけれども、まず一つ、世界人口はやはり中国とインドが非常に大きいものですから、二つ合わせて今二十二億近くいますけれども、世界人口の三分の一強であります。

 私は、一つ、この前アメリカの会議でショックを受けました。それは日本とアメリカとスウェーデンの経済学者が集まった会議だったんですけれども、日本についての議論が非常に多かった。二十一世紀の日本を展望する会議だったんですけれども、今度オックスフォードから本になって、今月ですか、出てまいります。それの会議に参加したときに、日本というのは今まで、エズラ・ボーゲルではないですけれども、ジャパン・アズ・ナンバーワンという言葉が結構九〇年代の頭にあったわけです。二十一世紀になったらどこが一位かというときに、参加者全員がEU・アズ・ナンバーワンということでほとんど一致しちゃったんです。それで、US・アズ・ナンバーツーだったんですけれども、その次は、ジャパンがぼちぼち出てくるかなと思ったら、出てこなかったんです。どこかというと、チャイナ・アズ・ナンバースリーという。

 そこで一つ考えておきたいことは、人口問題のベース。人口が中国に今十二億以上います。もしも中国の一人当たりの所得が日本の十分の一ぐらいになりますと、これは経済の総力としては中国の方が上になってしまうわけです。こういう点で、人口問題というのは国際政治とも密着しておりますので、そういう人口変化というのと政治力、国際政治の視点からも、ぜひ考えなければいけない問題だというふうに考えております。

 食料問題という問題は、基本的には国と国とのボーダーがあることが非常に大きな問題になっていると思います。非常にたくさん生産する国と、ない国。そのボーダーがあるがゆえにいろいろな問題があるわけでありますけれども、少なくとも、私は、これからは、二七%の自給率を維持しようというのは非常に難しい問題だと思います。

 私は、日本は、最終的に頑張れるのは人的資源しかないというふうに考えております。やはり日本は、もう一回教育制度から見直して、持てる人的資源で十分外国と交換できるだけの生産性を維持できるような、そういう体制をつくっていくしかないのではないかというふうに考えております。そのようなところです。

伊藤(公)委員 時間が来ましたので、最後の質問になるかと思いますけれども、今、中国の人口のことを申し上げましたが、中国は、今ちょっと経済成長率も下がっているようですが、もし中国が一〇%前後の経済拡大をこれからすると、四十年後には日本に追いつくであろうと言われています。日本の十倍の人口の中国がもし日本並みのGNPを達成するということになりますと、この中国も世界資源の一五%を消費するということになると思います。

 今、日本は車の台数が七千二百万台です。二人に一台の車を持っているという社会ですが、中国は今、二百人に一台と言われています。今、中国がもし日本に追いつくということになりますと、車だけでも百倍の約六億台、二〇一〇年には三億人分の食料が不足するであろう、こう言われています。

 私は、食料とエネルギーの問題を今伺いましたけれども、こういう、国際的に人口が急増していく、百億を超えてくるということになりますと、今日本の国内でも、例えばごみの問題が大きなテーマになっています。東京の私たちの地域は、ほとんどあの自然豊かな日の出町でごみ処理をしてもらっている。そこも法廷闘争しました。産業廃棄物にはどこの町でも今反対です。あるいは国際空港は、今日本は、十一時以降は離発着できないという国際空港、これも地域の皆さんの反対があります。あるいは原子力発電、恐らく、どこに行っても、賛成するところはほとんどないと思います。

 私は、今日本のこの国は、ダイオキシンだとか地球温暖化だとか、あるいは今申し上げた原子力発電の問題とか、いわゆる環境に対する警鐘のベルがまさに鳴り続けている社会だ。そうすると、世界の人口がふえてきますと、エネルギー、食料の問題だけではなくて、環境の問題が避けて通れない問題になってきているのではないかと私は思います。

 そこで、私はかつてドイツに二年ほどいましたけれども、今ドイツの憲法の中には、これは今世界で最も注目されている憲法でありますが、ドイツ憲法の二十条に、将来の世代に対する責任からも、憲法的秩序の枠内で、立法により並びに法律及び法に基づく執行権及び司法により自然的な生活基盤を保護するという有名な、注目をされている憲法に環境問題がうたわれているわけです。

 私どものこの会は憲法を考える会でございますけれども、参考人は、日本の環境問題というものを、私は当然、日本のこれから憲法見直しの中で一つの重要なテーマにしていかなければならない問題ではないかというふうに思っておりますが、世界の人口と、そしてこの環境問題、やがて私たちのこの憲法調査会におきます憲法の問題など、関連して先生の御意見を伺えればと思います。

小川参考人 環境問題は世界的に注目されておりますけれども、人口というのは、先生おっしゃられるように、一人ふえれば一人分だけ食料を追加して、そしていろいろな廃棄物も出てくるわけでございますけれども、ただ、私は、重要な点は、いろいろな国が、開発途上国が、今、出生力転換しております。出生力をどんどん下げています。

 問題は、そうすると、環境問題がなくなるんじゃないかというような誤解をする先生がいらっしゃいますけれども、そうではなくて、本当に日本なり、こういう国々もそうですけれども、人口も確かに影響があるんですけれども、環境に与える影響は、出生を抑えることによって生み出した経済的なゲイン、所得が高くなるわけですね、子供を余りつくりませんから。その経済的なゲインが豊かになることによって、さらに環境問題に拍車をかけるという。

 人口は二つのルート、人口の数だけではなくて、生活の豊かさ、人口を抑制することによって豊かさを生み出し、その結果として環境に影響を与えるというように、いろいろな複雑なルートが考えられておりまして、人口問題から考えると、簡単に、よく言われるように、環境というのは人口の数掛けることの一人当たりの消費量とか、それにあと技術水準、この三つの要素で単純に議論する人がいますけれども、そうではなくて、人口と環境との間は非常に複雑なつながりがあるのではないか。

 特に、環境との問題で私たち人口学者にとって関心が高いのは、環境ホルモンとの関係。環境が変わることによっていろいろなものに影響が出てきて、生物学的に、少なくとも人口の視点から見ると、男性の精子の数が、アメリカもそうです、イギリスもそうです、そして日本も、スパームカウント、精子の数を数えてみると半減しております、過去六十年間で。このスパームカウントというのが、環境汚染によってどのくらい落ちてきているのかということがまだ証明できないんですけれども、恐らく何らかの影響があるのではないかということを考えると、環境から逆に今度は人口へというフィードバックも考えられまして、この人口と環境との問題というのはなかなか複雑で、相互に今影響し合っている部分があるのではないかというふうに考えております。

伊藤(公)委員 どうもありがとうございました。

中山会長 鹿野道彦君。

鹿野委員 きょうは先生、本当にお忙しいところありがとうございます。貴重な話を、まことにありがたく私どもも承らせていただきました。

 私自身も、会長と一緒に国際人口問題につきまして取り組んでまいりまして、そういう中で、先生からもいろいろな御指導もいただいてきているところでありますけれども、世界の各国においては、人口の爆発的な増加に対してどう家族計画を推進していくかというふうなこと、我々もそういう意味で貢献をしていかなきゃならない。しかし、一方においては、こうやって我が国の人口というものが、出生率がだんだん下がって、深刻な問題になっておる。

 実質的に、複雑な気持ちでございますけれども、そういう中で、先ほど先生から、いわゆる日本の国においては、理想の子供の数というのは二・六から二・七という話もございましたけれども、そういう世界の、地球におけるところの人口増と我が国の人口の状況の違いというふうなものの中で、どの程度の人口規模が我が国全体に合っておるのか。適正なる人口規模というふうなもの、すなわち、これから分権社会を迎えるにしても、それぞれの行政サービスを行う中で、それぞれの地域にはどの程度の人口がふさわしいのか等々、そういう適正な人口規模というような考え方が成り立つのかどうかというようなところを、お考えがあればお聞かせいただきたいと思います。

小川参考人 極めて難しい質問でありますけれども、昔からよく、適正人口、オプティマムポピュレーションというのがあるのかないのかという議論がずっと人口学者の中で展開されてきております。

 適正人口というのは、ある一つの目標を立てて、こういう目標を達成するためにはどのくらいの人口が適正かというのは、数字の上では計算することができないことはないんですけれども、つくっても余り意味がない現象があります。

 これはなぜかというと、つくった段階で、もう既に次の瞬間、周りの事態が全く変わってしまっていて、物事が非常にダイナミックに変化していく点がございます。特に、このお話、私のポイントは、人口問題というのは国際的につながっていて、しかも同時に、あっという間に、すごいスピードで外国も変化していきますので、なかなか、動的な視点から最適な人口を考えるとなってくると、ほぼ実際には困難な、不可能な議論ではないかなというふうに思います。ですから、具体的にこれだけという、具体的な数字を出せと言われた場合には、できないというのが答えになると思います。

鹿野委員 ありがとうございます。

 それからもう一点。先ほど先生のお話のとおり、我が国の高齢化というものも急激なスピード、考えられないくらいのスピードで進んでおる。統計的に見ましても、高齢化率、一〇%から二〇%までになるまで、この一〇%増、二十一年間でもうそれだけ上がった。ほかの国々においては少なくとも四十年以上はかかっておる。そういうところから、二倍のスピードで高齢化が進んでおる。そういう中で、オイルショックが大きな変化であった、こういう先生のお話でございます。

 先生御専門のマルサスの人口の法則等々がありますけれども、いわゆる経済の生産力と出生率というものの調整というのでしょうか、関係というのでしょうか、それが崩れてきておるというか調整し合わなくなってきているというふうなことなのかどうか、もう一度確認の意味でお教えをいただき、そしてこれがまたもとに戻ってくるということもあるのかどうか、この辺の、実態を踏まえてのお話をお聞かせいただきたいと思います。

小川参考人 鹿野先生の御質問、マルサスは今でも正しいかという、そういう御質問ととらえてよろしいのでしょうか。

鹿野委員 一つの法則というふうな考え方があったのですけれども、それが今は変化を来しておるというふうなことかどうかということを。

小川参考人 マルサスの考え方は基本的に正しいというふうに私は考えておりますけれども、特に一九七二年のローマ・クラブの報告書にもその精神が出されています。

 考え方は非常に正しいと思いますけれども、現実的には、いろいろな国を考えてきた場合、マルサスが一八〇六年に書いた、そういう時代と、まさにあれは世界人口が十億に到達しようとする段階の考え方ですけれども、今六十億を超えました。そうなってきた場合に、マルサスは農業主体の社会を考え、そして人口を考えたわけですけれども、現実には、農業生産が結構伸びてきた国があるし、そしてもう一つは、国際貿易という、こういった交換経済が非常に大きく発達することによって分業制度が非常に発達してしまったので、農業を中心とする国もあれば、これは非常に人口と結びつきますが、ほかは技術進歩とか、そういう産業に頼る国、工業製品に頼る国、こういった国がいろいろ出てきたので、国際分業が盛んになることによって、人口が土地に縛られることもなくなってきたので、そういう点では、マルサスの考え方をベースにはしていますけれども、それをさらに一層飛躍、変えないと現状を説明できないような状態になってきている。

 ただ、地球はリミットがあります。最終的にはマルサスが正しいというような結論になるのではないかなという感じはいたしますけれども、そのリミットを破るような技術進歩が今までずっとなされてきたわけです。

 ですから、先ほど伊藤議員が御質問ありましたように、環境という問題とかいろいろなところから制約が地球に忍び寄ってきていますので、マルサスが考えていたドームズデーといいますか、いわゆる人間が死に追い込まれるような状態というのが意外と早い段階に来る、早いといってもいつになるかわかりませんけれども、いつか来る可能性はあるのではないかというふうに考えております。

鹿野委員 先ほど先生から、一つの今後の政策として、アジアの諸国での連携、そしてそういう中で日本の国が政治的なリーダーシップを発揮しなきゃいかぬ、こういうふうなお話もございました。

 一つの考え方をお聞かせいただきたいのですけれども、EUのように、日本の国もいわゆるアジア連合的な考え方を持ち、すなわち国境の垣根を低くした場合に、人口と資源の経済的な利用というふうなものが有効に行われるようになるのでしょうかというところをお聞かせいただきたいと思います。

小川参考人 経済発展段階がいろいろ違っておりますので、今アジア全体の中が非常に分業制度みたいになってきて、効率よく日本があって、そしてある段階を置いていろいろなものをつくる、分業的になってきておりますけれども、それが最終的に技術進歩に格差がなくなってきてしまった場合には、まさにサバイバルゲームみたいになって、先ほど申し上げましたように、外国人労働にしても、日本が入れたいときにはアジアのほかの国もかなり入れたいのではないか。そうなってくると、アジアの国が、自分の経済の成長、維持のために、日本と争うような形で外国人労働を希望する国が出てくるのではないかというふうに考えておりまして、それを避けるためにも、先ほど先生がおっしゃったアジア連合的な、今から、アジアの人口問題も含めてですけれども、資源それから環境、こういったいろいろネットワークづくりをして、できるだけ協調的な、そういうフレームワークをつくっていくことがアジアの生き残りに非常に重要ではないか。やはり近いですし、アジアでいろいろな文化的な共通項もありますので、ぜひここは共通の基盤をしっかり確保することが極めて重要ではないかなというふうに思います。

 ただ、今この時点では、ほとんどの方がアジアのほかの、まさか韓国と、まさかタイとそんな外国人労働で奪い合いになるということを考えている人はいないでしょうけれども、人口問題というのは正直で、二十年先までほとんど予測できてしまうわけですから、そういうことを考えると、今からそういうことを考えても決しておかしくないような人口変化が今もう既にアジアで起こっているということは、議員の先生方はぜひ頭の中に入れておいていただきたいというふうに思います。

鹿野委員 時間も限られておりますので、もう一点だけお聞かせいただきます。

 スイスの憲法においては、生殖医学なり、あるいは遺伝子技術についての規定、項目がございますけれども、憲法上、我が国においても人口の分野でこのようなことを規定した方がいいとか、規定した方が望ましいとかという考え方というものは何かございますでしょうか。

小川参考人 先ほど、寿命の話のところで出てきたのですけれども、やはりどうしても遺伝子技術というものが寿命の延びにこれからかなり貢献してくると思うのですけれども、これがどのくらいスムーズに実際の医療の現場に使われていくのかということが、最終的に寿命を決定することになると思うのです。

 あとは、人口問題そのものとしては、それを行ってみて、実際に遺伝子操作された子供がどんなふうに生まれてきたかというのまで私は現段階ではよくわかりませんので返答できませんけれども、少なくとも遺伝子技術が医療の現場に使われてきた場合に、寿命に極めて大きなインパクトが出てきて、そして高齢化社会像というのが、きょう私がお話ししたよりもはるかに違った形で登場してくる可能性はあるというふうに考えておりまして、そういう点で、ぜひ憲法調査会の皆さんも、遺伝子技術とかそういったものの使われ方で寿命がどこまでいくのかということを少し頭に入れておかないと、社会保障その他で大きな問題点が出てくるというふうに思います。

鹿野委員 ありがとうございました。

中山会長 上田勇君。

上田(勇)委員 公明党の上田勇でございます。

 きょう先生にはいろいろな図表を使っていただきまして、大変わかりやすくこの問題、いろいろと御意見をいただきまして、大変参考になりまして、御礼を申し上げる次第でございます。

 先生のお話の中で、とにかく、少子化の問題、出生率の低下の問題というのはこれから数年の間が大きな勝負であるというお話がございましたが、私も全く同感でありまして、そういった意味で、将来の我が国のあり方を考えるときに、これからの人口の構成といったものが非常に重要な課題になってくるということを改めて認識した次第でございます。

 きょう先生からいろいろと伺ったお話の中で、何点かお聞きをしたいことがございます。

 まず、きょう先生のお話の中で、最近の経済情勢、経済的な不安と出生数の低下との関係についてお話がございました。これは以前、たしか先生がエコノミストの方でも同じようなことを書いていただいているんですけれども、我が国ではバブル崩壊以降の経済不安が出生数の低下につながっているということであります。そしてさらに、どういう層の人たちにそういう傾向が特に顕著なのかということだと、きょういただいた資料の中で見てみますと、比較的学歴が低く、フルタイムの、これはブルーカラーのサラリーマンということなんでしょうけれども、それで、所得が比較的低く、都市部に居住しているというような特徴を挙げられているというふうに思います。こういったグループの方々がやはり経済の低迷による所得減少、雇用不安という影響を最も強く受けているということはよくわかるんです。

 こうした関連性の中で、私は、なぜ経済の低迷と出生数とが影響しているのかということに、二つ理由があるんじゃないかというふうに思うんです。一つは、生活に必要な所得を確保するために女性、妻が仕事をしたいけれども、保育サービスなどが不十分なので子育てと仕事がなかなか両立できないので子供をつくるのをあきらめるというような理由。もう一つは、やはり子供を育てていくためには、特に現代社会では、食費とか光熱費だけじゃなくて、住宅費、教育費といったことにもお金がかかるから、その負担を負担できないので子供の数を減らすというような、二つあるんじゃないかというふうに思うんです。

 今ちょっと私が言ったような理由、これらは当然相互に関連しているんですけれども、先生の見方では、仕事との両立の方の問題なのか、それともやはり経済的な負担に耐え切れないということの方が大きい影響を与えているのか、その辺、御見解をいただければというふうに思います。

    〔会長退席、鹿野会長代理着席〕

小川参考人 仕事と育児の両立の問題、または経済的そのものの理由ですけれども、これは両方とも影響していると思います。

 全国の五十歳未満の女性の、フルタイムで働いている人、パートタイムで働いている人に、働く理由は何ですかという質問をずっと世論調査で我々はやってきたんですけれども、最大の理由が、子供の教育費を稼ぐため、しかもこれは、統計的にきいてくるのは農村部の方で非常に高いわけです。今、都市部と農村部を調べてみると、農村部の方がフルタイムで働く女性の比率が非常に高くなっています。これは統計的に有意性もあるんです。なぜかというと、一つは、子供の教育に、東京に出す場合に、アパート代から全部、教育費が相当かかるわけですね、三百万とか三百五十万。二人子供がいると七百万です。それで、夫の収入を調べてみると六百万ぐらいしかないわけです、データ的には。そうすると、明らかに、女性がフルタイムで働かなきゃどうにもならないという、純粋な経済的な理由というのがあると思います。これは四十歳代の女性が中心です。

 それからもう一つは、二十代の後半から三十代の女性は完全に、今度は保育施設、こういったものが手ごろなところにはなかなかない、働きにくいということが出ております。

 それで、先生が御指摘されたのは、これはまさに日本の出生対策の難しさをあらわしている質問なので、教育費を支えるような政策をやった場合に、四十歳代の女性は助かるわけですね。ところが、保育施設とかそういうのは二十歳代です。要するに、どういう政策を望みますかという問題を世論調査で我々やったときには、年代によって、女性の置かれているライフサイクルによってニーズが全然違うんですよ。

 このニーズが違うがゆえに出生対策の難しさが出てくるわけで、一点でこれで正解というのはないんです。かなりパッケージで、しかも局地性がありますので、全体的に日本全国に展開してもだめですし、ある地域にはこういうパッケージを、ある地域にはこういうパッケージというふうに、その地域ごとに分けていく必要がありますし、出生対策といってもなかなか、私の話の、まずマクロの経済的な基盤をしっかりするというのはこれは全体的な問題ですけれども、さらに、地域にもう少し結婚生活、それから家庭生活を楽しくというような、そういう政策を打つためには、地域によって全く違う可能性がある。

 世論調査では、少なくとも女性の置かれているライフサイクルの段階によって全くニーズが違っている。この辺に着目して出生促進政策または生みやすい環境というのをつくる必要があるのではないかというふうに思っております。

上田(勇)委員 まさにこれからどういう対策を講じればいいのかという前提で今の現状分析をお伺いしたんですけれども、きょうの先生のお話の中で、一つは、日本の場合には若干欧米と違って、日本のお母さんというのは母親業には非常に大きな価値観を持っているというお話もありました。そうすると、保育事業だけでも多分お母さん方の価値観とは完璧に合うということではないというふうに思うんです。

 今いろいろこういう子育ての支援だとか少子化対策という議論をしますと、一つは、保育サービスを拡充していく、これはもちろん当然必要なことなんだというふうに思いますし、もう一つは、これは我が党がずっと言っている児童手当の問題で、直接的に所得を向上させようというふうな政策だとか、そのほかいろいろな政策があるんですが、きょうの先生の中で、公平な政策ということも一つだけれども、効率性を考えろというお話がありました。まさに限られた資源の中での配分をしていかなければいけないので、御指摘のとおりなんだと思うんですが、では、その効率性ということを考えると、こういうさまざまな政策というのはどうしても、一つ一つのケースごとに政策として実行していくというのはなかなか難しい面があると思うんです。効率性というと、具体的にどういうイメージをお考えなのか少し補足をしていただければというふうに思います。

小川参考人 効率性というのを私が言ったのは、具体的には、例えばさっき言った、日本のお母さんはマザーリング、母親業に非常に生きがいを見出してやっている。これは、アメリカでもやはり教育水準の高い女性は家庭で自分の手で育てたいという人は多いわけで、日本だけの問題ではないんですけれども、ただ、割合としては、日本の場合、そういうマザーリングを希望するお母さん、実際には保育園を使っていないお母さんの五五%ぐらいがそういう強い志向を持っています。

 ただ、私が、公平の原理と効率性の原理どちらを選ぶかという政策のときに、効率性と言ったのは、例えば児童手当も、働いているお母さんと働かないお母さんとで少し差をつけるとか、要するにポイントは、どういう人がもっと産みたいと思っている人かを見出して、そしてギャップの多い女性を見出して、もっと本当は産みたいんだけれども産めない、こういう人たちがだれかということをもう少し分析してみて、そういう人たちに援助を与えていけば、かなり政策的に反応できるのではないかというふうに思います。

 ただ、このアンメットニーズといいますか、理想子供数ほど産んでいないのはだれかという分析をまだ十分に私どものところでやっておりませんので現時点では申し上げられませんけれども、少なくとも欧米で議論されている、特にヨーロッパで議論されているのは、例えば、働いている母親と働いていない母親で子供に対するベネフィットの与え方を変えるとかそういうふうにしておりまして、そうしますと、やはり反応が違ってきている。要するに、給付に対して出生力の弾力性はどのくらいかということをあらかじめ計量的に計算しておいて政策を立てているようであります。

上田(勇)委員 もう時間がありませんけれども、今まさに先生がおっしゃったところが非常に重要なことなんだというふうに思います。

 それで、いろいろな対策、施策を行うときに、その効果というのが重要なんだと思うんです。今大体子育て支援や少子化対策というと、先ほど私がちょっと申し上げました、保育サービスを拡充する、仕事と子育ての両立という方向の施策と、それから所得施策、所得を確保していく施策という二つが大きくあるんだと思うんですけれども、確かに、今言われたように、それがお互いに関連しているし、その効果をこれから見きわめた上でいろいろと施策を確立していかなければいけないのではないかというふうに理解をいたしました。

 それでもう一つ、先生がいろいろと今まで書かれた文献の中で、マクロ経済対策を急げという趣旨で書かれております。これは確かに、最初の質問で、いわゆるバブル以降の経済の低迷が影響しているんだという話がありましたので、まさにそのことなんだと思いますし、アメリカが出生率が高いのはそういう経済環境がよかったということが影響しているということもうなずけるわけなんです。

 ということは、この少子化問題についても、やはり最も急がれるのは、景気対策、経済の再生ということが前提になるという御意見だというふうに理解してよろしいんでしょうか。

小川参考人 基本的にはそのとおりだと思っております。

 マクロ経済といいますか、やはり生活しやすい環境といいますか、所得があって、自分で生活のオプションを築ける、チョイスがあるという、経済的に余裕がない場合にはチョイスがありませんので、プライバシーにしても、いろいろなオプションができるというのは、やはり経済的な裏づけがないとなかなかできない。

 ちなみに、日本で一番出生率が高いのは沖永良部島というところだそうですけれども、これは五人以上いるんです。ここは、私は行ったことはないんですけれども、聞いたところによると、南の国で暖かくて、花か何かの栽培が非常に盛んで、世帯所得が二千万を超えるところもあるというぐらいに、経済的に恵まれてきて、安定して、環境がいい場合にはやはり産んでいるという一つの例かなとも思っているのです。

 そういった、生活が厳しい状態よりも、経済的にある程度安定して、子供をゆったり育てられるところは、やはり親も子供をたくさん産むのではないか。しかも、景気が悪くなったりして、自分の夫がひょっとすると解雇されるかもしれないということになると、なかなか子供を産むという気にはなれないのではないかなという感じがします。

 ですから、少なくとも今日本で急いでできることは、できるだけ早く国民の間で、経済的にこれなら大丈夫という安堵感を、まず経済のパフォーマンスで政治家がリーダーシップをとって示すことが極めて重要だというふうに考えております。

鹿野会長代理 塩田君。

塩田委員 自由党の塩田晋でございます。

 本日は、先生、参考人として人口に関する貴重な公述をしていただきまして、非常に勉強になりました。主として、日本のミクロの分析を非常に細かく、また新しい手法を用いての分析でございました。ありがとうございました。そしてまた、ヨーロッパあるいはアジア各国、アメリカも含めましての各国の最近の特殊出生率を通じての比較等、非常に参考になるところでございました。ありがとうございました。

 私は、時間の関係から二つお伺いしたいと思いますが、一つはマクロ的な問題、二つはミクロの問題でございます。

 まず、マクロの点から、今世紀、二十一世紀におきまして、あと百年の後、世界の人口は先生の推測としてどれぐらいのものになるかということと、日本の人口もその節はどうなっておるか、先生のお考えをいろいろなデータをバックにしてお聞かせいただきたいと思います。

小川参考人 百年後、私はここで何を言っても、多分私はもう既に死んでいるので責任を問われることはないと思いますけれども、ただ学者として言えることは、大体、人口は、よく当たる、予測ができるという点では、大きな特徴のある変数でございます。先ほどから申し上げておりますように、二十年後の労働力はほぼ確実に、二十年間は予想がつくわけでございます。そういう点でいいわけでありますけれども。

 ただ、最近の人口の予測、この限界を申し上げますと、まず、国連が九八年に出した人口推計は、二〇五〇年に八十九億という数字を出しております。ところが、私自身も国連に勤めてそうだったのですけれども、これは国から出される情報によって大分変わってくるわけなんです。ちなみに、その四年前に出した九四年の国連推計をごらんになると、驚くべきぐらい違うのです。わずか四年前に国連が出したときの二〇五〇年の値は九十八億だったのです。わずか四年間で世界人口が十億違っちゃうのです。

 それはいろいろな要因がありまして、一つは出生力が意外と抑えられてきた地域が多いということ、それからもう一つはエイズの影響が非常に大きいということ、こういった問題がありまして、なかなか予測がつかない。

 それでもう一つは、私は、人口推計の限界は、ワンジェネレーション、一世代が限界というふうに考えております。これはなぜかというと、一世代、一人の女性が生まれてその女性が次の子供を産むまで、これは既に生まれた人を前提にして、ある程度社会の環境も想像がつきますので、将来の推計をするときに比較的よく当たるわけでございますけれども、二十五年を過ぎてしまうと、ほとんど全く未知の世界を前提にして計算しますので、非常に当たらない。

 しかも、最近、世界の中で最もフロンティア中のフロンティアの人口推計というのはどういうのかといいますと、簡単に申し上げますと、これはバークレーを中心にしてやっている推計法ですけれども、確率的モデルといいまして、天気予報と同じような推計法をするんですね。要するに、二〇二五年に何%の確率でこういうふうになりますという確率をつけてくるんです。今、日本で、うちの研究所でも取り入れるので一生懸命やっているんですけれども、そうしますと、二〇二五年に九〇%で当てようと思うとこの範囲の人口ですよという数値が出るわけです。七五%ぐらいだったらこのくらいですよという、それぞれ信頼区間を設けて、それによって政策に対応しようというふうな方向に今来ておりまして、これが今一番世界で最先端の人口推計だと思います。

 そうしますと、アメリカ政府の場合ですと、もうアメリカは終わってしまったんですけれども、アメリカ政府の出してきた推計が当たる確率というのは非常に少ないんですね、実際には。だから、これからもう一回やり直すかと思いますけれども、そういった、もう少し人口推計そのものを考えて見直す時期に来ているというふうに思います。

 ですから、私のポイントは、二十五年が人口推計の限界ではないだろうか。それは、それ以上計算しろというと、幾らでも計算します、計算しますけれども、それほど自信を持って出すというふうには私はできません。

 もう一つは、人口推計そのものを変えるような方向に今世界が、流れが来ている。それは、先ほど言いましたように、確率的な値をつけて皆さんに提示する。そういうことによって、国民の方もその方が納得すると思うのですね。きょうの天気は降る確率が五割以上、五〇%というと、傘を持たなきゃという、そういうビヘービアになると思います。人口も、こんなような確率を実際に出されると、国民がおっという、説得力がもっと出てくるでしょう。

 日本の社会の中で、今あなたは、あなたのお子さん何人欲しいですかと聞くと、日本の女性は今、大半が二人と答えます。では、あなたは友達に何人産んでほしいですかと聞くと、三人と答えるのです。これはミクロとマクロの乖離なんですね。

 先ほど申しましたように、高齢化問題、少子化問題というのは、何とかなるさと思っている人が圧倒的に多いわけですけれども、何とかなるような状態に今ないということを国民の間で認識すると、もう少しミクロとマクロの乖離がなくなるのではないかというふうに思います。

塩田委員 ありがとうございました。

 私は、今言われましたように、人口というものはかなり推計が可能である、五十年、百年というのはかなりできるのじゃないかという考えで申し上げたのですが、先ほど来出ておりました中にも、今世紀の終わりには世界人口百億と。我が国の場合は、このままでいけば、外国から入れなければ五、六千万人になる、半減するということも言われております。

 私は、百年というのは短いと思っているのです。過去の三百五十年間、すなわち一六五〇年あたりの世界と日本、各国の状況を人口でずっと時系列的に見ていきますと、これはデータもいろいろありますから新しいのがまた出てきているかもわかりませんが、私がずっと以前に調べた中では、全世界が一六五〇年で四億七千万、日本の人口が二千三百万、英国が六百万、フランスが、ヨーロッパでは大国でございましたが、そのときに千六百万、こんなところから出発しているわけです。もちろんアメリカはもう一千万あったかどうかというようなことでございます。その後の三百五十年間の動きを見てみますと、各国、各民族、非常な消長、興隆と衰退を進めているわけですね。

 この状況を見ますと、先生は基本的には経済の問題だ、経済力との関係だということを言われました。いろいろな政策の点でも、経済力がなければ政策が打てないということで、これは理解できると思います。

 先ほども鹿野先生が言われましたマルサスの人口論、人口は幾何学的にどんどんふえていく、食料は算術的にしかふえない、したがって世界の人口というのは大変な問題を抱えている。そしてまた、最近においては地球の限界、成長の限界、あるいは環境問題、地球温暖化等々、いろいろな問題も出ておりますが、マルサスの言わんとしたところは基本的には正しい。そして人口に対しては、戦争、暴動あるいは戦乱によって、あるいは虐殺によって殺される、あるいは疾病、そういったものがマイナス要因になる。しかし、基本的には幾何学的にふえていくんだということで、非常に悲観的な、しかし、そこに新マルサス主義というのが生まれて、人口抑制、バースコントロールというものが一般化した時期がありました。

 先ほど来、ヨーロッパの状況、アジアの状況を見まして、先生が説明されたところでは、ヨーロッパもアメリカもアジアも、特殊出生率というのはどんどん下がっていくという見込みですね。そうすると、百億には達しない、また幾何学的にはふえないということも言えると思うのですね。

 そうしますと、ここで日本の過去のあれを見ましても、ちょうど日本が世界人口の中に占める、一番大きかったというのは戦国時代あるいは徳川の初めのころですね、五%になっている。現在は二%ぐらいでしょう。そして、いずれ百億と六千万になれば、二十分の一ですから、〇・五%になるということです。世界人口の中に占める日本の位置というのはそんなものになってしまうということが考えられるわけです。

 やはりそこは、国というもの、民族というものの活力といいますか、それが伸びているときは人口がふえている。イギリスもそうですね、あるいはアメリカもそうです。どんどん勢いづいて、国力が伸び、民族が旺盛なエネルギーを持って世界各国へ出ていった、こういうときはどこでも人口は非常にふえているのですね。

 それが衰えたとき、よく戦前も言われましたけれども、フランスですね。これは、文化が爛熟し、成長が行き着くところはヨーロッパの衰退ということも言われるように、人口は自然と少なくなってきた。よく例としてフランスが言われたわけですね。

 日本の場合も、従来、人口政策、産めよふやせよ、あるいは戦時中は外地に行っておる日本兵を国内へ帰すといったような政策をやったり、またそれなりの成果があったという面もありますが、いろいろなそういう政策がありますけれども、基本的には、やはり国力あるいは経済力、そういったものとの関係、すなわち、国民、民族の活力というかエネルギー、これだと思うのですね。それがだんだん、どこの国でも、先進国はそれが衰えてしまっているというところに現在の世界的な状況があると思うのです。

 そうしますと、先進国はどんどん人口が減っていく傾向、そして世界の人口は爆発的にふえている。となれば、これは貧困な、アフリカその他、低開発国あるいは開発途上国と言われるところでどんどんふえていくということではないかと思うのです。

 そこで、最後、ミクロの問題ですけれども、日本の人口をこれ以上減らさない、適正人口という話もありましたけれども、これ以上減らさない。また、外国から労働力を入れれば社会的問題もあるし、いろいろな問題が政治的にも社会的にも起こるわけですから、これについては問題がありますが、国内で少なくとも置きかえの水準まで持っていくにはどういう政策。

 諸外国の例、ヨーロッパについては五つの型を言われましたね。手当の問題、年金の問題、介護の問題、あるいは労働時間、あるいは所得の問題等々ありますが、ミクロ的に有効な手段というもの、人口を維持する、少なくとも停滞、減少させない方策といいますか、手段というものはどういうものがあるか、最後にお聞かせいただきたいと思います。

小川参考人 大変難しい問題なんですけれども、ミクロ的にどういう手だてをしたらいいかということでありますけれども、私は、まず日本の社会の中で大きく欠落している議論があると思います。それは何かというと、これほど少子化、少子化と言いつつ、子供とは一体何であるかという議論がないのです。経済学者が時として話すことは、子供とは公共財なのか私的財であるのか、こういう議論が九〇年代からずっとあるのです。

 本当に少子化対策を立てる場合に、我々の子供を、周りを見た場合に、皆さんの家庭を見てもそうでしょうけれども、この中で、子供が公立の学校に行っている子、その子に対しては、教育費はほかの人の税金で補助されているわけです。ただ、うちに帰ってくると、親が衣食住を与えている、私的財であります。そうすると、ずっと大学まで公立を行った子供と私立でずっと下から行った子では、その子供に占める公共財の割合と私的財が占める割合と全く違ってくるわけですね。

 私が申し上げたいのは、よく、少子化が続くと何で困るかというと、年金がもらえなくなるからという議論が非常に多いのでありますけれども、それは子供が公共財であるということを前提にして議論をしていると思うのですけれども、本当はもう少し日本の子供自身が変わってきていて、最近では私立に行く子供もかなりふえてまいりましたし、そういう点では私的財の要素が大きいのではないか。

 ですから、私はこの段階で、ミクロの対策を立てる前に、子供とは一体何であるかという、基本的に日本の子供にどういう資源が投入されてきているのか、ミクロのレベルで、家庭で、そして育つ環境でどのくらい公的な支援が入っているのかということを、もう一回本当は見る必要があるのではないか。そこからスタートしないと、本当は子供が圧倒的に私的財であるということがわかった場合には、余り政府が介入をしてもしようがないんではないかというところもあります。

 ですけれども、この時点で私はどのくらい日本の子供が私的財であり公共財であるかはわかりませんけれども、少なくとも九〇年代のヨーロッパには、子供のコスト、子供の費用に関して、私的財、公共財で分ける研究が非常に盛んに行われまして、そして、圧倒的にやはり公共的なものが大きいので、政府の支援とかそういったジャスティフィケーションがされたようでありますけれども、日本ではその議論がないというところが一つの問題点ではないかというふうに考えております。

塩田委員 ありがとうございました。終わります。

鹿野会長代理 瀬古君。

瀬古委員 日本共産党の瀬古由起子でございます。どうぞよろしくお願いします。

 先生のお話を聞いて、何かどきどきして、何といいますか、ツーアウト満塁というかもう後がないんだというか、そういうせっぱ詰まった状況にあるということを聞いて、そして同時に、その解決の方法は経済の安定が大事なんだというお話をされました。これが本当に決定打になるんだというお話で、私も本当にそうだなということを思いました。

 先生は人口問題の専門家でいらっしゃいますが、経済政策をどうとるかというのは私たち政治家がやらなきゃならないことです。しかし、先生の方から、今の日本の政府の経済政策、そういうのを見ていて、この少子化問題で、今どういうところに問題があり、どういう対策を考えないといかぬというふうに思ってみえるのかどうか、その辺、もしおありでしたら教えていただけますでしょうか。

小川参考人 経済政策そのものというよりも、政府のとっている政策が、先ほどの発言にも少し絡んでくるのですけれども、日本の社会の中で、私は出生率という問題が、これは古い話になってしまいますけれども、何か、なるべく皆さんに産んでもらう、そういう政策をしこうとすると、やはり、脳裏のどこかに産めよふやせのそういうイメージがあるのですね。そういうふうになってくると、何か本当に出生促進といいますか、出生力を支えるような、それを前面に出した、いわゆる効率性を前面に出した政策が打ちにくい。ですから、全般的にオブラートで包んだような、エクイティー、公平原理を前面に出した社会サービスというような形になってしまうわけですね。

 ですから、私に言わせれば、女の人で働いている人で、本当にもっと援助を必要としている人はいっぱいいるのですよ。多分いるはずなんです。そういう人まで現状は届かない。だから、もう少し、私が言っているのは、エクイティーじゃなくて、効率性を選ぶと今度は公平の原理が破られてしまうので難しいのですけれども、エクイティーをとるのかエフェシエンシーをとるのか、これはもう政治的な決断ですね、最終的には。そこまで人口問題というのが深刻になりつつあるということを、ぜひ先生方、その辺を頭にぼちぼち置きながら、経済政策でまず少なくとも立て直していただいて、さらに次のステップとして、そういった社会サービスに対する根本的な哲学といいますか政治姿勢といいますか、そういうことまで考えていただきたいなというふうに考えております。

 経済学そのもの自身が今混迷をきわめていまして、経済政策、私も経済学者ですけれども、議論がいろいろ分かれるところでありまして、それはまた別の機会にというふうに考えております。

瀬古委員 例えば、日本の今若い皆さんも含めて、将来に対する不安がすごく多くある。特に労働の分野では、若い人たちは就職難で、本当に就職できるかどうかという問題がありますし、また、リストラだとか首切りがどんどん行われている。今の政府なんかでいうと、首切りやリストラを前提として銀行や大企業に公的資金をどんどん入れるみたいな、そういう政策がとられている問題だとか、それから、年金がどんどん支給年齢が引き上げられるとか水準が切り下げられるとか、老後も不安で不安で仕方がないな、こういう中で、将来子供を産んで育ててというところに、その不安があってなかなかいかない。

 そして、個人消費も、先ほど先生は将来は見えてくるんじゃないかと言われたのですが、今どんと冷え込んでいて、全体では日本の経済の六割ぐらいを占める個人消費がもっと暖かくなるような施策がないと、なかなか、よし、子供を産んで、できたら希望どおりに二人、三人欲しいなというふうにならないんじゃないかと思うのですが、その点、いかがでしょうか。

小川参考人 基本的には私が申し上げたことと一致していると思います。

 確かに、我々がやっているのはあくまでも計量モデルのシミュレーションですけれども、最近の減税とかそれから社会保障制度の変化、こういったものが、その部分が抑えられているものですから、意外と可処分所得はそれほど減らないといいますか、ゆっくりながら伸びていくわけですね。

 ですから、本当は、国民の間での長期的な展望が開ければ、私は個人消費というのは一、二%でこつこつと回復していくのではないかと思います。そうしますと、意外と安定成長が開けてくるし、子供が産みやすい、結婚して子供を持とうかという感じになってくると思うのですけれども、ただ、私が言っているのは、あくまでも私たちのモデルではポテンシャルを話しているものですから、今、日本がそのポテンシャルまで届かないような状態ですので、ポテンシャルに達することができるような経済政策をまず行うことが極めて重要だというふうに思っておるわけであります。

 ただ、一つおもしろい分析を最近しまして、貯蓄率なんですけれども、これは全国のミクロ調査、統計局と共同でやっている研究なんですけれども、やってみましたら、親が幾ら資産を持っているかによって子供の世代の消費活動が全く違うのです。これは統計的に有意性が出てまいりまして、来月、日米の国際会議で発表するのですけれども、日本の場合に、親が幾ら土地その他の資産を持っていて、兄弟が何人いるかによって、エクスペクトなんですけれども、大体期待できる遺産があるわけですね。それが現在の子供たちの消費行動に明確にきいてきちゃうのです。

 ですから、そういうことを考えると、親の遺産とか、しばらくお金の豊かな老人がかなりいますので、そうなってくると、親が結構豊かだと、子供が本当はもう少し使ってくれる、消費がもう少し持ち直す、そういう基盤もあります。

 ただ、親が、実際に子供に今後どのくらい遺産を現実に渡すか、美田を残すか残さないのか、また、親が自分たちがリバースモーゲージ的に自分たちで使ってしまうのか、これが一つの日本の貯蓄率を大きく決める要因になっていくのではないかなというふうに考えております。それによっては、大分シナリオは変わってくると思います。

瀬古委員 もう一点お聞きしたいのですけれども、総理府の世論調査があるのですが、未婚の男性と未婚の女性の四割が結婚に対して負担を感じるというふうに答えているわけです。どのような負担を感じているかということに対して、未婚の男性は第一位が経済的な負担だ、未婚の女性の第一位は仕事と家庭を両立させるのが困難だというふうに答えています。

 先ほど先生はいろいろ、その人のライフサイクルに応じて、ある意味では困難な事情といいますか、いろいろ違ってくるし、また援助をする施策もやはり違ってくると言われたんですが、同時に、共通するものといいますか、財政的な、経済的な問題、そして仕事と家庭を両立させるという問題、こういうものが大きなプレッシャーというか比重となっているというのもまた否めないものじゃないかと思うんです。

 そういう意味で、家庭と仕事の両立という問題は、これは政府自身も、少子化問題でかなり重要な問題であるというふうに言っているわけです。今、働き方といっても、本当に長時間労働で、男性と同じように過労死するような状態で働くということを考えると、とても子供なんか持って働けない、こういうので仕事をやめざるを得ないとか、一方では、結婚なんかしないで独身で男と同じように働く、こういう感じになってしまう。この辺なんかは、仕事と家庭の両立という問題ではどのようにお考えでしょうか。

    〔鹿野会長代理退席、会長着席〕

小川参考人 従来は、結婚から何を得られるかというプラスが基準になっていたと思うんですけれども、最近、女性が結婚で何を失うかというマイナス、いわゆる経済学でいうと、昔は結婚による効用を極大化することを考えたわけですけれども、最近は失うものを極小化するような傾向があるというふうに私は考えております。

 ただ、確かに、仕事と両立させる、全国世論調査、九三年に我々がやった調査では、多くの女性が出産、育児の問題を抱えているんだけれども、何とかして頑張って両立させているんですね。これはもう明確に出てまいりました。問題あるんです、あるけれども両立させているんです。だから、かなり個人的なコストがかかっている。

 計量的に分析してみましたら、フルタイムの女の人が働いていて一人子供を産んだ場合に、これは育児休業法ができる前だったんですけれども、一人子供を産むと一三%時給が下がりました。ですから、二人だったら二六%。ところが、老人の親の介護をすると、十カ月介護した場合には同じぐらい経済的なロスが出るんです。

 そういうロスがあったんですけれども、九〇年代に入って、育児休業、介護休暇、こういったものが出てまいりましたので、昨年やったデータで、先週出したばかりの計算で意外とおもしろい結果が出てまいりました。それは何かというと、介護制度、育児休業制度を使って働いている女性は、使わなかった人に比べて時給にして二百円の違いがあるんですよ。明らかに、こういう制度を皆さんが立法化して実施することによって、女性がキャリアとして働きやすい環境が徐々にできていることは間違いないんですね。経済的にも測定できた。

 そういう点で、今後やはり、そういった地道な政策を積み上げることによって働きやすい環境というのはできていくことは間違いないのですけれども、まだまだ足りない部分は相当あるというふうには思っております。

 意外と介護の問題というのは、出産、介護でダブっているところがいっぱいあるんですね。今、三十歳代の女性で、介護と育児、大体五、六%の女性が両方ダブっちゃっているケースがあるんです。そうすると、余りこの辺に光が注がれていませんけれども、そういうところにも光を当てていくことは必要ではないかというふうに思っております。

瀬古委員 私は、人間らしく働き、暮らす、そういう働き方、生活の仕方というものが改めて問われているんじゃないか。そういう意味では、本当に憲法で保障された主権者としての人間らしい暮らしというのが、働くことも子育てすることもある意味では楽しめるような社会がやはり今必要だというふうに思っています。

 時間がございませんので最後ですけれども、その中で、今出ました、特に女性の果たす役割といいますか、まだまだ働く現場でも、賃金の差もあったり、女性が子供を産み介護しながらも頑張っているんだけれども、そこで物すごく差がつけられているわけですね。

 そういう意味では、結局、女性が育児や介護、そういうものをこなしながら人間らしく働く、女性の地位をうんと引き上げていくということが政策でも必要だと思いますし、憲法の中にもその問題が、ちゃんと平等とうたってはあるんですが、なかなかそれが保障されていかない。そういう意味では、少子化問題と女性の地位向上、こういう立場で先生はどのように考えてみえるでしょうか。

小川参考人 女性の地位向上、エンパワーメントとかいう言葉が世界的に使われていますけれども、要するに、経済的に自立できる女性、こういう女性をつくることによって自分で希望する子供を産みたいときに産める社会、まさにこれは世界共通のキーワードだと思うんですね。ところが、日本の場合には、産みたいときに産めないんですよ。産みたいほど産めない現状が、先ほど言いました二五%の女性が理想ほど産んでいないわけですから。この二五%の人が本当に産んでくれたら人口、出生問題は一気に解決しますよ。

 ですから、先ほどから言っているように、アンメットニーズという、まだ満たされていない部分が相当あるんですね。この満たされていない部分を、果たして政府がどこまでそれに支援することができるかということをもう少しきめ細かく見ていけば、出生力は回復できる。ただ、今のままでも、私が申し上げたいのは、少なくともマクロだけは、何とかして取り急ぎまずそこを改善しようよということが私の話のポイントでございます。

瀬古委員 どうもありがとうございました。

中山会長 原陽子君。

原委員 社会民主党・市民連合の原陽子です。

 小川参考人には、本日国会までお越しいただきましてありがとうございます。

 多分この中で私が一番若い年代だと思いますので、率直に、今私たち世代が結婚や子育てについてどのようなことを思っているかということも述べさせていただきたいと思います。

 それでは、早速小川参考人にお聞きをしたいのですが、参考人は御自身の論文の中で、「バブル崩壊とリストラによる経済不安が解消できれば、出生のタイミングの遅れを取り除ける可能性のあることが理解できよう。」と指摘していらっしゃいますが、厚生省の人口動態統計によりますと、受精するのが約一年前としても、まさにバブル期で日本の経済が活況に踊らされていた時期にも出生率が減少しているという実態も見られます。このことを小川参考人はどのように御説明されますか。

小川参考人 それは、日本の社会の中で、戦後ずっと出生数と経済変数を結びつけて考えますと、七三年オイルショックまでは圧倒的に所得効果がきいていまして、夫の所得とかそういったものによって大きく影響が出ました。ですから、そのころは割と横ばい状態というか、やや出生率が回復する傾向にあったわけで、これは黄金の六〇年代でありました。

 それが、バブル期以降急激に今度は、経済学でいうと所得効果と価格効果というんですけれども、価格効果の方がきいてまいりまして、価格効果というのは何かというと失うものなんですね。要するに、女性が労働参加したりなんかすることによって、失うものが非常に多くなってきた。ですから、八〇年代、バブル期で大分女性の所得は急増したわけですね。そうしたときに急激に失うものが多くなってきて、やめれば賃金を、失うものが多くなりますので、そうしたら出生率を抑えてしまう。

 最近はそういう傾向ではなくて、夫の方もちょっと給料が危なくなってきたのでなかなか持ちにくいという、今度はまた所得効果が非常に大きくきいてきているわけで、経済の発展段階というか、経済の状況によって、所得効果と価格効果がどちらが強くきくかによってそのときの要因が変わってくるというふうに思います。

原委員 また小川参考人にお聞きをしたいと思います。

 先ほど、私、この資料を読ませていただいたんですが、ちょうど私一九七五年生まれで、多分第二次ベビーブームのときの子供、世代になります。先ほどその第二次ベビーブームのときの世代がちょうど今適齢期にあると、参考人のお言葉をおかりすれば出生適齢期にあって、その五年間の間に政策をつくってどんどん産んでもらおうというようにおっしゃっているかのように私には聞こえてくるのです。それで、子供を産むということがそういった政策という言葉で政府がコントロールできることだというふうに思われますか、そうでないかということをお聞きしたいと思います。

小川参考人 産ませるとかそういう意味ではないのですけれども、確かに一九七一年から七四年までは第二次ベビーブームで、先生は七五年生まれですか。ちょっとその後なんですけれども、その七一年から七四年が、一年間に二百万以上生まれた。日本の歴史でひょっとすると最後の二百万コーホートになるかもしれません、毎年二百万以上生まれた。その第二次ベビーブームが今まさに出産適齢期に入ろうとしていて、データ的にも、そういう人たちが、結婚したい意欲が落ちていない、しかも、こういう未婚女性の人たちの理想子供数もそれほど落ちていないのです。それで、既婚の女性の理想子供数も、先ほどから言っているように、下がっていないのです。

 ですから、そういう人たちが産みたいという希望を持っているわけですから、ぜひ人数がたくさんいるときに、人数が少なくなってから対応策を打っても、全体的に減少をとどめるという、人口減の社会を避けようと思ってもなかなかできないわけです。そういう点で、言葉が適切でなかったかもしれませんけれども、二百万とか、全部で六百万以上いますから、この人たちのニーズを合わせたら本当は絶対量でまさにニーズが一番高くなっているときなんですよね。ですから、そのニーズに合わせて今まさに政策を打つ時期ではないかというふうに私は考えておるわけであります。

原委員 もちろん、今私たちが産みたいと希望していても、なかなか子供を産まなかったり産めなかったりということにはさまざまな原因というか要因があるとは思うのですが。

 一つ、リプロダクティブヘルス・ライツという権利があるのを御存じだと思います。これは世界じゅうの女性たちが長い年月をかけて手に入れつつある権利の一つだと思うのですが、残念ながら、いまだにこの権利は日本社会の中ではまだまだ発達していない権利だというふうに思います。

 私は、一昨年前に提出されて昨年廃案となりました少子化社会対策基本法案なる法案を拝見させていただいたのですが、もうまさに本当に日本というのは、この法案の中にも見られるように、権利発展途上国であるということに気づきました。もし本当にそうした少子化対策、女性の権利をというふうに思っているのであれば、そのリプロダクティブヘルス・アンド・ライツという言葉が出てきてもいいはずの法案であるのに、一カ所たりともそうした意味合いを含まれたものが出てきていないということは、今の日本社会において女性の権利とかというものが本当におくれている社会であるなということを痛感させられました。

 日本では昔から、よくうちの祖母の世代なんかは言うのですが、女性は子供を産んで一人前などと言われて周りから圧力をかけられてきたような時代もあったと思います。そして、子供を産みたくないにもかかわらず産まざるを得ない状況にあったり、子供を産めないような状況にある女性が、産めないということで自分をいかに責めて生きてきたかということがあったことも事実だと思います。

 それで、このリプロダクティブヘルス・アンド・ライツは、これは日本に限らず世界じゅうの女性が長い歴史の中でやっと手に入れた女性の権利であるというふうに私は思います。

 私は、少子化対策としてこの権利のことを言っているのではなくて、やはり今、女性の権利というか、このリプロダクティブヘルス・ライツ、つまり、産むこと、産まないことをどの立場の人も自分で選択できる、つまり、健全な母体でなくても、結婚していなくても、今、婚姻届を出さなくて産まれた子は婚外子というふうに差別されてしまうような現状があるのですけれども、そういった、結婚しなくても、とにかくあらゆる状況の中で、そして、産まなくても、産めなくても、そのことが差別されないような社会の実現を目指していくことこそが少子化社会の対策につながっていくのではないかというふうに私は感じているのですが、小川参考人はどのようにお思いになられますか。

小川参考人 おっしゃられるとおりだと思います。

 先ほども申しましたけれども、リプロダクティブライツというのは、産みたいときに女性が産みたい数産めるような、こういう社会をつくろうというのが精神であります。

 日本では、データ面から見ると、確かにそのアンメットニーズ、まだ満たされないニーズというのは随分あって、実際にいろいろな角度から調べてみても、日本みたいにどこへ行っても物がいろいろあって、何か十分満たされているんじゃないかなという、一見そういう感じを受けますけれども、意外に、心の中とかいろいろな実際の生活ではまだ障害がたくさんあるようでありまして、私は、このアンメットニーズが二五%日本の社会であるというのは、実際は本当に驚いているのです。

 そうすると、これを本当は真剣にとらえて、こういう人たちに本当に産めるだけの体制をつくってあげたら合計特殊出生率二は楽に超えるのではないかというふうに思います。

 そういう点では、先生がおっしゃられるとおり、女性が産みやすい、自律できるような、そういった環境をつくっていくことが極めて重要だと思いますし、伊藤委員がさっきおっしゃられていました、二十一世紀は価値観が多様化する時代である、私もそう思います。ですから、価値観が多様化する中で、そういうオプション、自分で選択できるような、そういったカフェテリア方式といいますか、好きな人に好きなものを与えられるような形に、そういう環境づくりをしていくことは有効な手段になるのではないかなというふうに思っております。

原委員 先ほどから、経済が豊かになれば子供を産む数もふえるのではないかという御指摘、御意見等々あったと思いますが、率直に、今の私たち世代は、経済的な豊かさよりも、今本当に原点に戻って、心の豊かさというものを求めたいという気持ちでいます。

 そして、先ほど述べましたリプロダクティブヘルス・アンド・ライツは、少子化政策の対極にあるものだというふうに思うのですね。つまり、私は、本当に皆さんがおっしゃっている、人口政策と称して人口を管理するということは、女性を管理するというように聞こえてしまうこともあると思うのです。本当に私たちが産みたいときに産める社会というのは理想の社会だと思いますし、やはりそれが理想というか当然だと思うのですよ。当然な社会であるべきであって、それは政策としてではなくて、もう実行すべきもの、実行されているべきものだというふうに私は感じています。

 昨年、児童虐待防止法が施行されましたが、それにもかかわらず、いまだにそういった児童虐待の悲しいニュースをなお聞きます。私も、児童相談所に訪問に行ったときに、やはり実際にベルトでたたかれて虐待を受けた子供と会ったりもしました。そういったときに、やはりいまだに女性だけが責められてしまっている社会の現実があると思うのですね。

 それと一緒に、女性に家事をすべて押しつけて、そして男性は外でとにかくばりばり働きなさいと。そして、その中でも働きたい女性は、勝手にやっているからいいでしょう、好きでやっているのだからいいんでしょうと言わんばかりの社会であるというふうに私は感じられてならないのですね、今の日本の社会の現実というものを。

 それなので、先ほども御意見があったと思いますが、憲法十四条にうたわれている男女平等の実現というものを本当に目指していくことがこれからの少子化政策に大きくつながっていくと私は思っております。

 以上で質問を終わらせていただきます。ありがとうございます。

中山会長 質疑時間は終了しました。

 小池百合子君。

小池委員 保守党の小池百合子でございます。

 この国会の中には、議員によってつくられる議員連盟、星の数ほどあるのですが、私は、一番最初に入った議員連盟は人口議員連盟でございました。食料、エネルギー、そしてまたそれに関連しての環境と、先ほどもお話出ておりましたけれども、そういうまさにグローバルな見方をした上で、我が国にとっての国益、そして一番重要な個々の幸せをどうやって確保していくのか、社会の豊かさをどう維持していくのか、そういう観点でいろいろな政策づくりをしていきたいとずっと考えておりました。

 先週、私は、エジプトのカイロの方に行ってまいりまして、そして、以前住んでいたところでございますが、私が住んでおりましたころは人口が九百八十万人だったのが、二十数年後の今、何と千六百万人であったということでございます。それから、私の母校であるところの大学の方で記念講演をしてまいったのですけれども、先生の今の大学も大変な学生数でございますけれども、私がおりましたころに既に十万人の生徒数、それが、二十数年後の先週参りまして伺ったのが、何と二十二万人の生徒数でございまして、一つの中堅都市ぐらいの数にふえているということで、少子化に悩む日本とは全く反対の社会、そちらでのまた別の悩みなども聞いてまいりました。そういった国々とのこれからのつき合いなども考えますと、我が国の少子高齢化に係るさまざまな負担と、例えばODAをどうするのかといったような考え方にも及ばざるを得なくなる、そういった時期が来るのだろうなということを考えてまいりました。

 それで、きょうお話をいただいた中に、大変おもしろいといいましょうか、非常に納得するような点が幾つもございました。その中の一つが、父親のビヘービアによって、結婚をしたくなる人、そして結婚なんてするものかと思う人、この辺が大きく分かれるという御示唆がございました。まことにそうかなと。こういう夫を持つとこんな苦労をしなくちゃいけないのかというふうに子供が見たら、なかなかそれは結婚には結びつかないのだろうな。非常に納得できるようなところもございましたし、また、よく考えてみたら、今の少子の問題というのは、私たちの、または親の世代の日々の行動が反映しているのだなということを大変参考に伺ったわけでございます。

 また、離婚率の上昇ということも、これも今のお話とつながってくるのではないかなと思うのですね。つまり、離婚がふえてまいりますと、その子供たちはそれを見ているわけでございますから、これはますますふえていく傾向というのはとどまらないのだろうなというふうにも感じたところでございます。

 それから、あと、きょうお話には出なかったと思うのですが、他国にあって日本でなかなかない、子供に関しての慣習といいましょうか社会的傾向として、日本は養子をとらないですね。それから、夫婦別姓の話もずっと国会で議論はしておりますけれども、血縁とか、もっと広げて言ってしまえば日本人なんでしょうか、そういった血の濃さということを余りにも重視する余り、養子ということが余り、かつてはあったのかもしれませんけれども、特に最近はないといったような、この社会的な意識というのもかなりいろいろなブレーキをかけているのではないかというふうに考えるのでございます。

 きょうは経済の面からお話も伺っておりますけれども、そういった社会の意識の面、特に養子縁組などのことについて、先生のお考えをお聞かせいただければと存じます。

小川参考人 外国なんかに比べても、養子にもらうといったようなケースは確かに少ないので、私が人口学者だけ見ても、アメリカの人口学者は結構養子でもらっている。ベトナム難民の子供をもらったりとか、いろいろそういうケースがあるのですけれども、日本人の間では確かにないわけでございます。確かに、血縁といいますか、血のつながりを非常に重視する。

 ただ、あなたは子供に何を期待しますか。子供の効用というのは、親に対して、一つは消費財効用といいまして、結構子供というのは楽しいものだ、そういう効用があります。もう一つは、親に対して一生懸命手伝ってくれる、家業も手伝ってくれる、そういう生産財の効用がある。それからもう一つは、老後保障の効用と、三つあるのです。

 ですから、そういう理由で子供をつくるのがあるのですけれども、ただ、全体的に社会保障は充実してくるし、生産形態も大分変わってきて、農業ではなくて、親子で違うところで職場を持ったりなんかすると、子供に対して余り、子供に家業を頼ろうという人もだんだん少なくなってきたりすることが、余り養子をとる必要がなくなってきているポイントではないかと思います。

 ただ、こういった血縁関係が弱体化している、これが意外と結婚に大きな影響を与えていると思うのですね。今までは、お見合いとかいろいろなものがありましたけれども、一九五五年のときには全結婚の六七%がお見合いだったのですけれども、最近はお見合いでやる人が一〇%を切ってしまった。それをだれによって紹介されたかというと、全部血縁関係だと。いわゆる日本の社会というのは、結婚も含めて、育児も全部、血縁によるネットワークづくりが非常に充実しているのですけれども、その血縁がだめになってきたというか弱体化することが、一つは少子化の大きな背景になっているというふうに思います。

 それでもう一つ、過去十年間で、女性に聞いたのですけれども、結婚したいときにあなたはどういうことを対象にして相手を選びますかといったときに、重要なのは、経済的な安定度とか雇用の形態、仕事のタイプ、この二つは前からあったのですけれども、十年間で突然急浮上してきたのは、相手の親との同居があるかないかなんですね。これが急浮上してきちゃって、みんな長男長女ばかりですので、だれが自分の親と住むかということが非常に重要な要因になってきて、血縁関係というのは、そういう点で最後の日本のとりでといいますか、だれが親の面倒を見るかということで、大分変わってまいりました。

 それで、データ的に見てまいりますと、夫の親と同居の形ががたがたとおっこちてきまして、結婚時から親と同居する子供は、今三〇%ぐらいしかないのです。三組に一組。夫の両親と住むのがそのうちの二〇%ですね。あとの一〇%、一二、三%は妻方になっています。それで、完全に、一つは日本の血縁関係というものを中心にした家族形態そのものが変わってくる可能性がありまして、私の予想では二〇一〇年までに、結婚したときには今度は女性の、妻方に住む同居の形態が主流になるというふうに私は見ております。

 それはそうなんですよ。経済がある程度豊かでない場合には、子供、長男を中心とした経済の安定性を保つために、長子相続がずっとあって、つながって、縦の家系が必要なんですけれども、ある程度経済的な豊かさがあって、先ほどから出されていた心の豊かさを中心とする場合には、どういうわけか、これは私はよくわからないのですけれども、アメリカでもそうなんですけれども、女の子の方がいいというのが圧倒的に多くなる。データ的に、日本でも一九八八年から、一人しか欲しくないという夫婦に対して、あなたはでは男の子が欲しいですか、女の子が欲しいですかという質問をしているときに、八八年に初めて大逆転が起こって、そこから女の子という志向が非常に強くなりました。

 ですから、子供に対しても、アジアのほかの国では圧倒的に男子が望まれているのですけれども、日本は女性。女性の方が、心のつながりとか、高齢化社会を豊かにやるためにはやはり心のつながりが非常に重要で、ある程度経済的なものが満たされていれば、あとは心のつながりということであって、そういう点では女の子主体の形になってきて、どちらかというと、従来のような子供の数が多かった時代、兄弟数が多かった時代の血縁ネットワークとは大分違ってきていますけれども、依然として、その辺で最後は血縁関係が維持されるのではないかなというふうに思っております。

小池委員 一言で言えばマスオさん型というのが今大変ふえてきているというのは事実だろうと思います。町を見ましても大体ダブル表札がかかっていまして、そして、お嫁さんというよりは自分の娘の家族と一緒に住むというのが傾向的には明らかに、二〇一〇年とかというのじゃなくて、今そうなってきているのじゃないかなというふうに思います。

 お話を伺っておりまして、つらつらと考えますと、やはり女性の自己実現というそちらの欲求も高まっている。ただ、この国の設計とすれば、私は、やはり明確にこの国の設計は男中心にできているというのが、そこがいろいろなギャップ、ひずみを生んで、そしてその分、女性が離職をすると自分が損をするからというので、働き続けるために子供を産む機会がないとか、経営者の方から見れば、やはり効率がいいと思えるのは男性社員なんでしょうけれども、その結果どうなったかというと、バブルがあって、そして今崩壊をしてということだと思います。

 その意味で、単に税金まけますから子供を産みなさいといって産む女性はいません。よって、私は、もっとソフト面の設計というかそのし直しをやることが少子化対策最大のポイントではないかというふうにも思うわけでございます。

 また、やはり何よりも意識変革というのがまだまだ十分起こっていると思いません。これ以上女が強くなったら、うちのかみさんだけでも大変なのにとおっしゃる方はここにも多いのではないかと思いますが、家庭内の問題はマネジメント能力の問題でございまして、しかし、社会の構造は男性中心でできているということはもう明確な事実だと思います。そこから変えていかなければ、先生のお話にありましたような方向に行ってしまうということを痛感いたしましたことを最後に加えさせていただきたいと思います。

 ありがとうございました。

中山会長 近藤基彦君。

近藤(基)委員 21世紀クラブの近藤基彦でございます。

 我が母校の教授に質問ができるというのは大変ありがたい話でありまして、学部は違うのでありますが、無事卒業させていただきましたので、感謝申し上げます。

 先生は人口問題に関しての権威であることは前から承知しておりますけれども、余り時間もないので端的にお聞きをいたします。

 マクロ経済が出生のタイミングのおくれを取り除く最大の要因だとおっしゃっておりますが、その理由が、二〇〇一年から二〇〇六年までで、ベビーブームが今訪れている最中、あと四、五年でとにかく何とか頑張ればこのベビーブームが、過去は三年続いたということでありますが、もうしばらく引き延ばせるのではないかというお話でしたけれども、どう考えても、マクロ経済的にあと三、四年でこの景気が、先生も経済の方が御専門でしょうから、出生率にかかわるほど伸びていくとはなかなか考えにくいだけの景気の低迷であります。

 マクロ経済はさておき、先生も、各国の政策、いろいろなことを研究されていらっしゃるので、ヨーロッパでも五つのタイプということでお話しされていますが、いろいろな政策が各国で多分打たれているのだろうと思います。その中で、これは日本に当てはまらなくても結構なんですが、この国ではこの政策をやったために多少なりとも上がった可能性があるとお思いになるような政策が幾つかありましたら、ちょっとお教えいただきたいと思うのです。

小川参考人 まず一つは、スウェーデンの余りにもよく知られたケースです。

 一九七四年に家族に優しい政策をしいて、しかも、スウェーデンの場合には、子供を産んでから次の子供を産むまでの期間が三十カ月以内であれば同じような給付が受けられるという、この三十カ月がキーポイントになったのです。二十四カ月ではだめだったのです、二年では。三十カ月に延ばしたときなら、ある程度下の子供が育ったところで次の子供を産めるという、この三十カ月になったときにぼんと出生率が上がってきたわけであります。

 そういう点で、かなり手厚い保護を与えればいいわけですけれども、ただ、スウェーデンの場合には、九一年以降、経済が非常に不調に陥って、今日本の出生力とそれほど変わらないところまで落ち込んでしまったわけであります。

 ですから、やはり経済政策というのは安定的に走っていかないと、人口問題に関する政策というのは先進国も開発途上国も同じなので、一番最初に不況になったときに切る政策というのはどうしても社会サービス関係なんですね。一番最初に切りやすいのですね。開発途上国を見てもそうなんですけれども、一番最初にやられてしまうところがそういうところでございますので、だから、人口にとって、マクロ経済を安定させるということが一つはベースになっている、前提になっていると思います。特に、この前のアジアにおける金融危機、このときにも、タイはやられて、インドネシアもやられてということになりますと、家族計画で買うお金もなくなってしまうという状況が来ますので、政府が一番最初にその辺を切ってしまう、そういう問題があります。

 ただ、もう一つアジアのケースを引き出しますと、シンガポール。この場合は、まあまあ出生率は持ち直した時期がありまして、また最近少し下がってきましたけれども、第二子を二十八歳までで産むとシンガポール・ドルで二万ドル、三子、四子と産むとさらに二万ドルということで、合わせて六万ドルぐらいもらえるわけでございます、これはタックスリベートシステムですけれども。そうしますと、かなり大型な、日本でいうと総額大体五百万円ぐらいになりますか、そういったものをもらうことによって産むという人もいます。

 ただ、シンガポールの場合には、この政策がしかれたときに、ドラゴンイヤーといって、たつ年だったものですから、たつ年は大体産むのですね、中国文化圏は。それですから、効果は、なかなか測定が難しい部分がありましたけれども、その後結構高い出生率、一・九、一・八、一・七ぐらいを維持しておりましたので、効果はあったのではないかなというふうに思います。

 ですから、私が申し上げたいのは、かなり大型な財政的な支援をしたところはある程度効果が見られたというふうに考えております。

近藤(基)委員 端的に言えば、財政支援と安定的な経済を与えればある程度出生率は上がるというのは無論わかる話であります。子供一人育てるのに相当な金がかかるということも確かであります。

 ただ、過去を見ると、では昔から経済的に豊かな人が子供をたくさん持っていたかというと、そうではないような気がするのです。逆に、経済的に余裕がなくても子だくさん、経済的余裕のない方が子だくさんだったような時代もあったやに思うのですが、それが大家族制だとかそういうのに守られていたのかもしれませんし、あるいは、集落という形の一定の範囲の中で子供を育てているという日本古来の精神的なものがあるのかもしれませんけれども、やはりそれが薄れていったというのも一つの要因として考えられるのでしょうか。

小川参考人 貧乏人の子だくさんとか、何かそういうことを言われることはありますけれども、これはインドやなんかでもそういった実証的な研究がありますけれども、明らかに、非常に経済的に苦しい状態に置かれた場合に、いかにして他のグループ、高所得グループに追いつくかといった場合に、もともと資本はないわけです、土地もないです。唯一あるのは生産手段で、子供をたくさんつくることによって生産手段を持つ。要するに、これをやるために貧しい国の場合には子供をたくさん産む、そういう傾向にあると思うのです。ですから、それが割と経済的に所得が低いところにたくさん子供が生まれる結果になるわけです。

 ただ、経済発展をした場合には、今度は逆に、先ほど申し上げましたように、所得と、それからもう一つ価格と両方ありますから、価格というのは失うものですね、だんだん先進国になってくると失うものが多くなってくるわけですね。失うものが多くなってくると、低所得層はまず子供をつくらなくなってくる、減らしてくる、そうすると、結果的に高所得層だけがたくさん子供を持つ、そういう結果にもなるわけであります。

 ですから、私の話のポイントは、二つの決定要素があって、経済的な所得効果と、それからもう一つは、子供を持つときの失うもの、これがプライス効果でありますけれども、価格効果、この二つが微妙に経済段階によって、どちらかが強くなってどちらかが弱くなったりして、そのときの決定因子となって出てくるわけでありまして、ですから、経済発展段階の状況によって所得効果が強いところと価格効果が強いところと、こういうふうになっていると思います。

近藤(基)委員 もう時間もありませんのであれですが、私はなぜこれを聞いたかというと、今、子育てをする環境、まず経済的な部分は比較的平均されてきていると思うのですよ、日本国内すべてにおいて。沖永良部島の話も出ましたけれども、その経済的な要因のほかに、要は子育てをできる環境、自然環境も含めて、今若い世代の大都会に住んでいるような方々は、もちろん教育レベル的な問題とは別に、自然のある豊かなところで子供を育ててあげたいという願望も実は少しある。

 私ども田舎に住んでいますので、Uターン組の人たちに聞くと、子供を育てるのに都会の環境よりは田舎の環境で育てたいんだけれども、教育レベル的にはどうですかという問い合わせみたいなのが結構あるものですから、ですから、やはり環境づくりも必要なのかな、第一子目ができた、あるいは第二子目ができた人たちにとって。

 それがひいては、親の環境で、経済的な部分を含めていい環境を与えれば、その次の世代の子供たちは子供を産んでもいいという考え方になる、先ほど父親の姿を見てという話だったんですが、その辺の環境づくりが大事だと思うのですけれども、先生のお考えは。

小川参考人 おっしゃられるとおりだと思いますし、出生率が高いようなところ、比較的高いところというのは、公園の面積も広いし環境も整っていて、イギリスとかあの辺は、別に政府が政策をしかなくても、自然環境が割と整っているところは頑張っているわけですね。ですから、子供を育てやすいようなそういった社会資本整備をしたところは、そういったものが下支えになっていてなかなか出生力は落ちない、かえって上がる、そういうことになってくると思います。

 ですから、一つの行き方は、少子化対策をするよりも、そういう社会基盤を整備する、それが長期的には非常に、ボクシングでいうとボディーブローみたいにだんだんきいてくるという形になるというふうに思っております。

 ですから、おっしゃられるとおり、環境づくり、非常に重要なんですけれども、私先ほど申し上げましたように、東京都の場合には、三十五歳から三十九歳の男性が今三二%未婚なんですね。これは二十年間で、八%から上がってきたんですからね、二十年間で四倍になったんですよ。

 東京都で、四十直前で三二%、三人に一人独身ということは、これは、ここに東京都に住んでいる人がいてその年齢層に入っていたら申しわけないのですけれども、確率的に、モデルをつくって計算してみると、結婚する確率はほとんどないのです。そうすると、東京都の生涯未婚率は、男性の場合、将来的には五〇%いくかもしれない、わからないですよ、けれども、かなり高いことは間違いない。

 そうなってくると、環境も、違ったタイプの環境が必要になってくるのですね。子供に優しい環境も重要でしょうけれども、実際に住む人の環境もつくらなきゃいけないわけで、ですから、子供一辺倒の環境だけではなくて、今度は、独身で老後を迎えなきゃいけない男性の高齢者用のそういった環境づくりもしなきゃいけないし、なかなか一概に、子供向けの遊園地をたくさんつくればいいかというものでもないし、難しい問題が出てくると思います。

近藤(基)委員 どうもありがとうございました。

 東京で住んでなくて大変よかったなと思いますし、子供も東京に住まわせないようにしようかなと思いますが、大変有意義なお話を長時間お聞かせいただきまして、本当にありがとうございました。感謝申し上げます。

 これで終わります。

中山会長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 小川参考人におかれましては、貴重な御意見を長時間お述べいただきまして、まことにありがとうございました。調査会を代表いたしまして、厚く御礼を申し上げます。(拍手)

 次回は、来る三月八日木曜日幹事会午前八時五十分、調査会午前九時から開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後六時五分散会




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