衆議院

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第3号 平成13年3月8日(木曜日)

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平成十三年三月八日(木曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   会長 中山 太郎君

   幹事 石川 要三君 幹事 新藤 義孝君

   幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君

   幹事 保岡 興治君 幹事 鹿野 道彦君

   幹事 仙谷 由人君 幹事 中川 正春君

   幹事 斉藤 鉄夫君

      伊藤 公介君    伊藤 達也君

      奥野 誠亮君    倉田 雅年君

      下村 博文君    菅  義偉君

      田中眞紀子君    津島 雄二君

      中曽根康弘君    中谷  元君

      中山 正暉君    鳩山 邦夫君

      二田 孝治君    三塚  博君

      森岡 正宏君    森山 眞弓君

      山崎  拓君    枝野 幸男君

      大石 尚子君    大出  彰君

      小林  守君    島   聡君

      筒井 信隆君    中田  宏君

      細野 豪志君    前原 誠司君

      松沢 成文君    上田  勇君

      太田 昭宏君    塩田  晋君

      藤島 正之君    春名 直章君

      山口 富男君    大島 令子君

      金子 哲夫君    土井たか子君

      小池百合子君    近藤 基彦君

    …………………………………

   参考人

   (ソフトバンク株式会社代

   表取締役社長)      孫  正義君

   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君

    ―――――――――――――

委員の異動

三月八日

 辞任         補欠選任

  渡辺 博道君     倉田 雅年君

  土井たか子君     大島 令子君

  野田  毅君     小池百合子君

同日

 辞任         補欠選任

  倉田 雅年君     渡辺 博道君

  大島 令子君     土井たか子君

  小池百合子君     野田  毅君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法に関する件(二十一世紀の日本のあるべき姿)




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     ――――◇―――――

中山会長 これより会議を開きます。

 日本国憲法に関する件、特に二十一世紀の日本のあるべき姿について調査を進めます。

 現在、情報通信技術の活用により、個人の活動、生活様式、社会経済活動、行政のあり方など広範な分野において、急激かつ大幅な変化が世界的規模で進展しております。

 公の情報公開、情報へのアクセス権を憲法上の規定として定めるとともに、情報通信技術を活用することにより、情報提供及び管理方法の改善を定めるフィンランドのような国もございます。

 フィンランドにおいては、全面改正された新憲法が二〇〇〇年三月に施行されておりますが、その第十二条において、「公共機関の有する文書及び記録は、その公開がやむを得ない理由で法律により明示的に制限されていない限り、公開される。何人も、公の文書及び記録にアクセスする権利を有する。」と規定されております。この点については、昨年九月の海外派遣において調査してまいったところでありますが、詳細は、昨年十月、委員各位に配付した報告書に取りまとめてありますので、御参照いただければ幸いであります。

 こうしたことを踏まえ、二十一世紀の日本のあるべき姿について本日は調査してまいりたいと存じます。

 本日の参考人は、経営者としてのみならず、IT戦略会議などでも御活躍されておりますソフトバンク株式会社代表取締役社長孫正義君に御出席をいただいております。

 この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただき、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 最初に参考人の方から御意見を一時間以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 御発言は着席のままでお願いいたします。

 それでは、孫参考人、お願いいたします。

孫参考人 ソフトバンクの孫でございます。本日は、このような機会をいただけましたことを大変光栄に存じます。

 せっかくの機会でございますので、きょう用意してまいりましたプレゼンテーションの資料を一緒にごらんいただきながら話を進めてまいりたいというふうに思います。その後の皆様の御質問にも誠意を持って一生懸命お答えしたいと思いますので、ぜひよろしくお願いいたしたいというふうに存じます。よろしくお願いします。

 着席にて発言するようにということでございましたが、せっかくプレゼン資料も持ってきておりますので、画面を一緒に見ていただきながらお話を進めてみたいと思います。よろしいでしょうか。

 まず、憲法に関することに直接入る前に、一体全体二十一世紀はどうなるのか、特にコンピューター、情報革命と我々人類のあり方がどのようにこれから推移していくのかということについて、私なりの考えを先に申し上げさせていただきたいというふうに存じます。

 人類はこれまで、二十万年あるいは五十万年と言われる歴史の中で、三つの大きな革命を経てきたというふうに思います。

 まず一番目の革命は、農業革命です。これによりまして、人類は初めて、ほかのけものたちに比べて、みずからの力でみずからの食するものをつくることができるようになりました。これが、決定的に我々人類とほかの動物を大きく分けることになったきっかけであろうというふうに思います。

 次に、我々人類は、産業革命ということで、みずからの筋肉の力を一万倍、百万倍というふうにより拡張することができるようになりました。この力によって、自動車を使い、飛行機を使い、あるいは洗濯機を使い、さまざまな動力、電力を使うことによって、我々の歴史的な発展を遂げることができるようになったわけであります。

 そして、ついに人類は、もう一つ大きな革命として情報革命、つまり、我々の脳細胞の働きを一万倍、百万倍というふうに助けることができる、そういう道具をつくり出すことができるようになったわけです。食べるもの、そして手足の筋肉の延長、そして三番目に、最も大きな革命であろうと思われますが、脳細胞の働きを拡張させる、そういうようなまさに革命と呼ぶべき変化をここで迎えることが明白になってきたわけであります。

 ショッキングなことでありますが、この脳細胞の働き、コンピューターというのはもしかしたら人間の脳細胞の数を超えるかもしれない、いや、超えるであろうということを予測することができるような事態になったわけであります。

 脳細胞の働きというのは、皆さん御存じのように、もともとシナプスがくっついたり離れたり、こういうことで、オン・オフの関係で、この膨大なオン・オフの関係の蓄積で物を記憶したり物を考えたりするわけであります。これは、まるでコンピューターのトランジスタが、オン・オフの関係で電流が流れたりとまったりというのと同じような働きであります。

 とすると、この脳細胞の数、大脳が二百億個で小脳が一千億個だとかいろいろ言われております。小脳の中でも、ある程度は物を思考したりするのにも役立っているという説もございますので、仮に脳細胞の数が三百億個だといたしましょう。コンピューターの半導体の中に入っておりますトランジスタ、これは約一千万個であります。一千万個対三百億個。そうすると、人間の脳細胞の方がワンチップの中に入っているコンピューターのトランジスタよりもはるかにはるかに大きい、やはり人間の方が賢い。だから人間はもっと微妙なことまで考えることができるし、すばらしい創造する力を持っているというようなことになるわけであります。

 ところが、ここでもう一歩深く踏み込んで考えてみたいと思いますが、この脳細胞の数ですけれども、仮に三百億個だとしましょう。二千年前、人間の脳細胞の数はどのくらいあったか。二千年前も、今の我々人類が持っている脳細胞の数とほとんど変わっていないわけですね、現在と。二千年後はどうでしょうか。今から二千年後もほとんど変わらないはずです。人間のDNAはもう十分ぐらい進化してきております。これ以上急激に二千年間で人間の脳細胞がふえるような進化というのは、物理的になかなかないんではないかなというふうに思います。ほとんど横ばいだということです。今を挟んで前後合計四千年間ほとんど横ばいである。

 しかし、コンピューターのトランジスタはどうかということですが、過去二十年間ずっと見てきて、大体一年半ごとに倍、十八カ月ごとにワンチップの中に入るトランジスタの数が倍、倍々ゲームをやっているわけです。倍々ゲームを十回やると千二十四倍です。二十回やると百万倍になるわけです。ということは、この倍々ゲーム、今のペースで続いていくとどこかでクロスオーバーするだろうということなんですね。

 もう一つ、最近わかってきたのは、脳細胞の働きのシナプスに結節点が、一本の脳細胞に結節点が一千個から十万個ぐらいあるだろう、こういうこともわかってきている。そうすると、単純に脳細胞の数だけでは比べられない、シナプスの結合点まで含めて考えなければいけない。そうすると、三百億個の脳細胞ということではなくて、掛ける千または一万あるいは十万ということをしなきゃいけない。

 しかし、脳細胞は必ずしも全部を活用しているわけではない。とすると、大体何個ぐらいを目指せばいいかということですが、ほぼ三十兆個ぐらいのシナプスの結合点が人間の脳細胞の働きを規定しているということになるならば、一体ワンチップの中に入るトランジスタが何個ぐらいになればいいか。これは仮定の話ですけれども、もし同じ三十兆個ぐらいになったとするならば、人間が物事を認知したり、あるいは自然言語を理解したり解釈したり、あるいは伝達したり記憶したり計算をしたり、こういうようなことは、脳細胞が物理的にオン・オフの関係で考えたり伝えたりということをするのであるならば、コンピューターも同じような、似たようなことをできるようになるんではないか。

 そのコンピューターのトランジスタの数が三十兆個になるのはいつかということで計算してみますと、二〇三〇年ということであります。つまり、二〇三〇年になると、物理的に、少なくとも器として、これは同等かそれを超える時代がやってくるであろう。つまり、二十一世紀というのは、まさにこの人類と人類が生み出した道具が、知的生産活動、知的活動においてもしかしたらクロスオーバーするかもしれないという、初めて迎える世紀であるということであります。

 これが大前提として、大きなビジョンとして物事をとらえるならば、さあ、果たしてここから憲法、我々が、人間が人間として生きるすべを規定する一種のプログラムですね、憲法というのは。我々が約束事として決めるルールでありますが、この人間がつくったルールに縛られて、人間がコンピューターよりも劣る、拘束されることになってしまったんでは、これはもう本末転倒であろう。そうするならば、我々が、人間が人間として生きるすべであるルール、これについても積極的に見直していかないと、どんどん我々の道具に抜き去られてしまう、あるいは我々がつくった道具によってみずからの破滅を迎えるかもしれない、こういうことになるわけですね。

 そういう意味で、私は、むしろ積極的にこれをうまく活用して、人間がより幸福に、より生産的であり、より楽しく、より人間らしく生きるためにこの道具を使いたい、こういうふうに思うわけであります。

 ちょうど一八六〇年代に、日本では明治維新がありました。アメリカでも同じように一八六〇年代に南北戦争がございました。この南北戦争、日本では南北戦争というふうに翻訳されておりますが、これは英語ではシビルウオーというふうに言います。これは、それまで南部を中心とした農耕社会から、つまり奴隷を使って手作業でやる、こういう農耕作業から工業社会に至ろうとする、そういう大きな社会のパラダイムシフトを迎えるにおいて、それまでの人間がつくっていたルールを抜本的に見直そうということで、話し合ってもなかなか解決つかないから戦争という形で、ついに南北戦争という形にまでなったわけであります。

 同じ一八六〇年代に、日本では、それまでの農耕社会、武士を中心として、農民を中心とした農耕社会であった社会構造から工業社会に打って変わろうという、この大きなパラダイムシフトのために明治維新が起きた。日本もアメリカも実は同じだったというふうに私は思っておるわけであります。

 まさにアメリカでは、一歩我々日本よりも先んじて、IT革命、情報革命に真っ正面から取り組みました。その結果、さまざまな法律に対する見直しが起きております。予算に対する見直しも起きております。物の考え方、教育のあり方、すべてにおいてパラダイムシフトを迎えようとしているわけであります。

 そういう意味で、もしかしたら二〇三〇年ではなくて二〇三五年かもしれません、二〇四〇年かもしれません、二〇二〇年かもしれない。まあその辺の十年、二十年は、長い人間の歴史から見れば誤差のうちだ。我々がここで考えるべき点は、そういう誤差の五年、十年を議論するのではなくて、大方向として、この二十一世紀において初めてクロスオーバーするであろう、この大前提に立てば、我々は大いに発奮して考えるべきであろう。

 このコンピューターの考え方ですけれども、脳細胞というのは、先ほど申しましたように、トランジスタのようにオン・オフの関係で、側頭連合野あるいは視覚一次野、これが大脳新皮質の間で情報のやりとりをして、扁桃体、視床、こういうようなところで、さまざまな、より潜在的な意識あるいは新しい知識、新しい記憶、思考、こういうようなものをつかさどっておるわけであります。

 コンピューターは今まで、プロセッサーということで、エンジンに相当するところがあって、プログラム、ルールを決めるところ、そしてデータ、この三つの部分の役割で物を記憶したり計算したりしておるわけですが、人間の脳細胞はメモリーベースアーキテクチャーということで、プログラムと記憶するところ、これが直接のやりとりをしておりますので、新しい脳型コンピューターのようなものが物理的にも設計可能な理論が出てきております。こういうものを使いますと、先ほどのような、もしかしたら二〇三〇年よりも早い段階で脳型コンピューターができるかもしれないということまで最近わかり始めてきております。

 ちなみに、認知ですけれども、これが飛行機なのか車なのか、鉛筆なのかボールペンなのか、リンゴなのかオレンジなのか、こういう認知、認識するということ、言葉、映像、音、におい、こういうようなものを認識する力は、恐らく十年間ぐらいで人間の百万倍ぐらいの力をコンピューターは持つようになるであろう。自然言語も、コンピューターはあと十五年から二十年ぐらいで、今僕が話しているこういう言葉すら直接コンピューターが聞いて、それを翻訳したり、言葉のやりとりができるように、自然言語の認識ができるようになる。これも論理的に人間が考え出したものですから、論理的にコンピューターもプログラムとして認識できるようになる。

 ですから、先ほどのように、トランジスタの数がクロスオーバーする前に、徐々にこういうような逆転現象が至るところで起き始めるということであります。願わくは、我々人間はコンピューターに使われる立場になるのではなくて、我々人間が継続してコンピューターを道具として使う、こういう関係でありたいものだというふうに考える次第でございます。

 ところで、憲法の話に入る手前、最後のポイントとして、背景として申し上げたいことがあります。

 それは何かといいますと、アジアが大変大きな時代的ポイントを迎えることになるだろう、これが二十一世紀にやってくるだろうと私は個人的に思っておるわけです。そのアジアの中で、最近IT戦略会議等でも議論されておりましたが、日本が実は大変おくれてきている、抜き去られてきているというような話を私自身もしておったわけですが、より具体的な数字を調べてみました。

 高速インターネット、ブロードバンドですね、高速インターネットをインフラとしてつくることによって初めて、人間が考えたさまざまな情報、つくった情報、これをお互いにやりとりすることができるようになるわけです。まるで工業社会における自動車のための道路のネットワークに相当するのが光ファイバーあるいは無線その他の情報ネットワーク網、インフラなわけですけれども、この高速インターネットのインフラ、つまり従来の電話線の遅いものではなくて、高速のインターネットの普及率において、去年の一月、韓国は五万回線だったんですね。

 日本は今二十万回線です。日本は今二十万回線か、そうすると、韓国の去年の一月の五万回線に比べて四倍かと思うかもしれませんが、実は、その韓国は今四百五十万回線になりました。このアジアの全体のパイチャートの中で黄色い部分は、日本ではなくて実は韓国なんです。日本は何と、この赤い部分の二%のところなんですね。アジアの中の高速インターネットのインフラに占める日本の比率というのは、もう決定的に抜かれてしまったということであります。

 ちなみに、アメリカは六百万から七百万回線です。アメリカが、あの人口、あのテクノロジー、あの経済の背景にして六百万から七百万回線で、それよりもずっと小さな韓国が四百五十万回線になりました。世界で二番目の経済大国であります日本、まさに産業革命の中で大いにその力を発揮した日本が、世界で二番目の日本が、アジアの中ですら後進国になってしまった。これは衝撃的な事実であります。

 しかも、その差がますます開いておるということ、これはゆゆしき問題だ。だから、我々の先輩の先生方、また先生方の先輩の先生方が日本の産業の発展のために道路をどんどんつくって整備したように、高速インターネットの道路、これを我々の子供たちのために、孫たちのために一刻も早くつくらないと、どんどんその差は開いていく。

 今、国連でもダボスの会議でも、世界じゅうのあらゆる会議の場で、デジタルデバイド、つまり、情報革命に早く取り組めたところと遅く取り組んだところの格差が世界的な問題として議論され始めておりますが、このデジタルデバイドにおいて、日本はまさに後進国になろうとしているという事実を大変重く私はとらえております。

 特にこの高速インターネットにおいて差が開いてきておるということで、一刻も早く規制緩和をして、一刻も早く競争政策をとって、一刻も早く日本の国民が自由に、まるで空気のように情報に触れることができる、そういう時代を迎えるべきであろうというふうに思う次第であります。

 そこで、日本の二十一世紀の憲法でありますが、今申し上げましたようなテクノロジーの進化を背景に、我々人間として、その生きていくルール、これについても若干の見直しがあった方がいいのではないかというふうに思われる点がございます。IT革命、情報革命、もう一つはグローバル化ということですね。

 百年前の明治維新の直後というのは、まさに藩だとか地方のそれぞれの中で、ルールも違う、生き方も違う、考え方も違う、文化も違うということでしたが、今は、産業革命の結果、交通手段も情報伝達手段もはるかに発達して、日本という国の単位で物を考えるようになりました。これから二十一世紀においてはもっとそれが進化して、一瞬のうちに世界じゅうに移動できる、コミュニケートできるという時代が来るならば、物の単位は、国の単位ではなくて世界の単位、人類の単位で考えなければいけない時代が来るであろう。そうすると、グローバライゼーションというのはやはり真っ正面から考えていくべきテーマになるであろうというふうに思うわけであります。

 まず、情報に関する基本的人権の点ですけれども、これは現在の憲法に触れられていない点、つまり、憲法ができたときには、まだコンピューターが世の中にほとんど機能していなかった時代、まだ発明の段階だったときですね。ですから、日本国憲法の中には、情報テクノロジーを前提とした条文が入っていないということですが、基本的人権として加えるものとして、ネットに対するアクセス権、情報に対するアクセス権ですね。インターネットで世界じゅうが情報伝達手段としてつながって、日々刻々と、毎日毎秒新しい情報が、人類がつくり出した知恵と知識がどんどん蓄積されていく。

 先ほどデジタルデバイドということを申し上げましたが、国家間におけるデジタルデバイドだけではなくて、日本の国の中においてもデジタルデバイドが起きていくであろう。日本の国の中でも、コンピューターをさわれる人、さわれない人、インターネットを自由にさわれる人、さわれない人で、情報収集能力、情報分析能力、情報伝達能力において百倍千倍の差が出てしまう。

 これは、義務教育を我々が現在の日本国憲法の中で定めておるわけですが、同じように平等に、日本国に生まれた国民は何人たりとも平等に、空気を吸えるように、水を飲めるように、我々人類の最も重要な知的財産であります情報に自由に、素早く、安く触れることができるように、伝達することができるように、もちろん国家機密に相当するもの、あるいはプライバシーに相当するものにおいてはこれを制限しなければなりませんけれども、それ以外のものに関しては、先ほど会長の方からございましたように、フィンランドでも、あるいはそのほかの国々でもこういうことの議論が始まっておりますが、我が国日本においても、当然二十一世紀における憲法においては入れるべきテーマではないかというふうに思います。

 あわせて、このように情報の技術が進んでアクセスすることができるということになりますと、同じぐらいプライバシーの保護ということに関しては、重要な、人間としての保護されるべき権利であろうというふうに思うわけであります。

 情報ネットワークが進むということは、クレジットカードできょう何を買ったのか、クレジットカードも今よりももっと進むでしょう、恐らく携帯電話にクレジットカード機能がすべて備えられるということにもなるでしょう。そうすると、携帯端末でこれを欲しいあれを欲しいと言っただけで、一瞬にして清算される。現金を持ち歩くというようなことは不要になる時代が二十一世紀にはやってくるでしょう。

 そうすると、人間が活動するもの、買ったもの、今晩のおかずの中身まで知られてしまうということになりますと、プライバシーの問題というのは大変人類にとって、先生方も時々、もっとプライバシーが欲しいと思うことがあるでしょう。私自身もそう痛感することがよくございますけれども、何人たりとも守られるべきプライバシーの範囲というのはどこからどこまでである、人が勝手に報道していい内容はどこからどこまでだ、こういうようなルールにおいても、やはりもう少し我々人類がお互いを守るためにやるべきことであろうというふうに思います。これは、情報時代が進むとなおさら必要なことであろう。車の排気ガスが公害であるように、情報の力が公害のように人間が住みにくい時代にしてしまったのでは、全くこれは本末転倒であろうというふうに思うわけであります。

 次に、インターネットが進むことによる最も大きなリスク、これに対するセキュリティーをもう一度考え直すべきであろう。

 私は、二十世紀というのは、人間がつくった核爆弾だとかミサイルだとか戦車だとか鉄砲だとか、こういうことによって生み出された悲劇を至るところで見た歴史、そういう歴史が二十世紀の一つの大きな特徴であったのではないかというふうに思うわけですが、二十一世紀において最もあり得る、最も現実的なリスクというのは、もしかしたら、核爆弾よりもミサイルよりも、コンピューターによって生まれるウイルス、コンピューターを使ったハッカー、テロ行為、こちらの方がもっと現実的に起き得る社会的リスクではないかなというふうに思うわけであります。

 先日も、フィリピンかどこかの一学生がアイ・ラブ・ユーというウイルスをつくりました、こういうふうに報道されておりますが、事実かどうかは知りませんけれども、アイ・ラブ・ユーという日本以外の国でつくられたウイルスが三日間で世界じゅうに蔓延した。日本でも、私自身のコンピューターにもこのアイ・ラブ・ユー・ウイルスが来ました。

 私どもソフトバンクでは、私どもの業界の人たちはコンピューターに毎日触れております。私自身のコンピューターに、一週間に大体平均三件から四件ウイルスがやってきております。幸いにして、私どもは、日本でも最も早くアンチウイルスというものに仕事として取り組んで、もうその株は上場して売っておりますけれども、ウイルスということに対して最も積極的に取り組んだのは、私自身その一人だったんではないかと思いますので、よく知っております。結果、私どもソフトバンクでは、アンチウイルスの対策用のソフトをいっぱい入れておりますので被害は最小限にとどめられておりますが、それでも、ウイルスがやってくる頻度は、私自身のコンピューターに週平均三回来ております。それは頻度がふえております。去年は月一回ぐらいでした。現在は週三回です。しかも、より悪質なウイルスがどんどん開発されているんですね。

 この間愕然としたのは、青山の本屋さんで、夜の十二時ごろたまたま本を買いたくて行ってみたら、何とそこに、ウイルスのつくり方という本が四種類か五種類日本語で出版されておるんですね。日本語でウイルスのつくり方、ばらまき方に関する本が四種類も五種類も出版されて売られていて、だれでもが千円、千五百円で買うことができる、二、三時間でウイルスをつくることができる、ばらまく技術を教えてもらえる。もしこれが、核爆弾のつくり方という本が四種類も五種類もつくられていて、一学生がパソコン一台で、その辺に売っている灯油かガソリンで核爆弾がつくれて、三日で世界じゅうにばらまくことができたならば、我々は何をしてみずからの生命をプロテクトしたらいいのか、恐ろしくて生きていけないというぐらい、心配で生きていけないというぐらい、皆さん心配されると思います。

 このウイルスが、つくり方の本までできて、たった一人の学生がたった一台のパソコンで三日で世界にばらまけるという事実があるのに、まだ何も明確な手が打たれていない。サミットで首相が、大統領が話をするならば、冷戦が過ぎた今、私はこれが最重要テーマではないかとまさに思うわけなんです。

 しかも、原子爆弾をつくってばらまいたならば、恐らくどの国の法律に照らしてみても、これは厳罰に処せられる。恐らく終身刑、国によっては即刻死刑ということになるんではないかと思うんです、原子爆弾をつくってばらまいたならば。ウイルスをつくってばらまいて、今の日本国憲法で、このつくった学生がどのくらいの罰に処せられるのか、私にはよくわからないんです。ウイルスをつくってばらまいた人、つくり方の本を書いて印刷して出版した人がどのような罰に処せられるのか、今の日本国憲法でまだはっきり明確にわからない。それはそうですね。日本国憲法がつくられたときにはコンピューターウイルスという言葉もなかった、世界じゅうどこにもコンピューターウイルスなんというものは存在していなかった、だから日本国憲法には書かれていないということですね。

 ということは、我々は一刻も早く、日本国のためだけではなくて世界のために、また、日本国憲法で定めるだけでは不十分で、どこかよその国でつくられたウイルスも、よその国で行われたこういう悪さも、一瞬にして、コンピューターのネットワーク、インターネットのネットワークで日本が危ないということがあり得るということですね。

 ぜひこれは、日本国から人類史上最悪の犯罪者を出さないためにも、日本国憲法でみずから早くそれを制定すべきだろう。それに対する道徳教育も、一刻も早く、小学校一年生の段階から、そういうことをしてはいけないよということを先生方が子供たちに教えるべきであろうというふうに思うわけであります。こういうことは大変重要な、我々人類の基本的ルールであろうというふうに思うわけであります。

 次に、電子投票制度でございますけれども、この間アメリカで大統領選挙のときに、パンチカードに穴があいているのかあいていないのかということで大騒動がございましたけれども、いまだにアメリカでパンチカードを使っていたのかということに私は驚いたわけです。あれはもう四十年ぐらい前のテクノロジーですから驚いたわけですが、それよりも日本はもっとおくれていて、わざわざ紙に先生方の名前を間違わないように書かなければいけない。漢字が一文字間違っただけで無効票になってしまう。だから、しようがないから、先生方が息子に名前をつけるときは、娘に名前をつけるときは、平仮名でつけようなんということになる。これは本末転倒じゃないかと私は思うのですね。

 平仮名で名前をつけなくてもちゃんと投票が間違いなくできるように、しかも、それを大勢の手間暇をかけて何日もかけて投票結果が見られるという状況ではなくて、電子投票制度になれば当然そんなものは一瞬にして結果が出る。もちろん、無効票も間違いもないということになるであろうということで、当然二十一世紀においては、紙をベースにしたものではなくて、電子投票をベースにしたものになっていくんだろうな、なるべきであろうなというふうに思うわけであります。これをインターネットでつなげば、一瞬で結果がわかる。

 もう一つ、これはセンシティブなイシューでございますけれども、仮にそういうふうに国民が一人一人自由に投票できるというふうな時代が来たならば、国民が国民のリーダーを直接選べる、そういう時代がやはり来るべきなんだろうなというふうに思います。

 この選挙制度の歴史を見ますと、ある時期は男性しか投票権がないという時代があった。その少し前は、ある特権階級の人にしか投票権がないという時代があった。現在においては、特権階級の人だけが投票するとか男性だけが投票するなんということは、憲法において定められて、間違っているということになったわけでございますが、特定の人のみが日本国のリーダーを選ぶというのはやはりおかしいんじゃないか。

 今から五十年、百年たった後に、我々日本国民の子孫が考えてみて、ああ、あの時代までは特定の何人かの方々が日本国のリーダーを選んでいた、そんな時代があったんだなというふうに振り返って笑う時代が来るのではないかというふうに思うのです。日本国の将来の運命は、日本国の現在のあり方は日本国民が選ぶ、こういうことがより当たり前のこととして語られるようになるのであろう、こういう時代が来るのであろうというふうに私は思います。

 センシティブなイシューでございますので、先生方ではない一般市民の私が差し出がましいことを言うのは、しかもコンピューター屋の私が言うのは出しゃばり過ぎだという話になろうかと思いますが、日本国民の一人として申し上げさせていただきたい。

 ちなみに、私は、生まれながらにして日本国民なのではなくて、生まれたのは日本ですけれども、育ったのも日本ですが、後々、今から七、八年前ですか、初めて、自分で望んで、自分で意思決定をして、お願いして、申し込んで、日本国籍を得た人間の一人でございます。

 多くの日本国民が、生まれながらにして自然に日本国民になれる権利を持っていて、その日本国民の権利を行使しない。日本国民として日本国のあり方について考えない、投票にも行かない、そういう人が多くいるということに私は何か不自然さを感じて、かつ、ぜいたくな、せっかく与えられている権利、自分の幸せを放棄するということ、自分の国民としてのアイデンティティー、国籍としてのアイデンティティーまでも場合によっては放棄しているんではないかと思えるような、最近の成人式の問題でもありましたが、私は悲しい現象だなというふうに思います。

 もし、一人一人の日本国民が自分の直接投票で自分たちのリーダーを選べる、こうなったならば、もう少しは関心が行くんではないかな。もしかしたら、今は、どうせ自分が投票しても自分たちのリーダーを決められないということが何か間接的な原因になっているのかもしれないなとさえ私には思えるわけであります。

 ともあれ、私は、より自然な姿として、よその国がどうだからではなくて、日本国のために、日本国民のためにそうあるべきであろう。しかも、そんなものは電子投票を使えば一瞬にして集計もできるということであります。

 もう一つセンシティブなイシューを申し上げますと、投票の事実上の義務化ということでございます。投票率が低いから偏った票の結果があらわれるというふうに思います。国民の正規分布、国民の声が正比例して投票の結果にあらわれるならば、もう少し違った結果になるかもしれない。特定の団体、特定の偏った人たちは投票率が高い、三無主義になっているような無気力層の人たち、あるいは無言の多数の人たちは投票結果にあらわれていないとするならば、本当に国民の声が正規分布として投票結果にあらわれているんだろうか。

 これを、もし事実上の投票の義務化――この事実上のというのは、義務だというと義務を押しつけられるのは嫌だという人はたくさんおりますので、例えば、投票した人には運転免許証を上げます、投票した人にはパスポートを上げます。それが言い過ぎならば、投票した人はパスポートが十年、運転免許証が六年、十年、投票していない人は次に投票したらまた切りかえができます、こうなったならば、今の現実主義の若者の世代というのは、もう急いで投票に行きます。投票率は九九・九%になるでしょう。

 おれは国の世話になっていない、そういう不届きな、成人式で酔っぱらうような人たちは国の世話になっていないと思っている若者でしょう。本当に世話になっていないと思うなら、運転免許証要らないんでしょう、パスポート要らないんでしょう。国家があるがために、どれほど我々人間は幸せな生活を送れているのか。国家があるがゆえに、どれほど我々はみずからの生命を、生活を保護されているのか、便利になっているのか、教育も受けることができているのか。こんな当たり前のことがわからない人には、私は、運転免許を取る手続が面倒くさくなるとかいうことをちょっと体験させた方がいいんじゃないかと思うわけであります。そうすると、義務だと言わなくても、自動的にほぼ投票率は九九・九%になるでしょう。そうすると、先ほどの正規分布になる。

 しかも、それが、わざわざ公民館に行って投票しなきゃいけない、小学校に行って投票しなきゃいけないというのではなくて、家庭のパソコンからインターネットで投票できる、家庭のテレビのリモコンで投票できる、コンビニで投票できる、こうなれば、はるかにこれは簡単になるであろうということであります。そうすると、若い世代も余り文句を言わないだろうということであります。

 もう一つ、先進国の中で日本と韓国だけが投票権は二十歳以上というふうに定めているということであります。日本と韓国だけが二十歳未満は投票権がない。国の方向を定める選挙の投票権がないということは、まだ考える能力がないと言っているに等しいことだと思いますが、お年寄りで八十歳、九十歳を超えても、一回二十歳を超えてしまえば永遠に投票権があるわけですね。この間聞いたら、病気になって、あるいは思考能力における病気になった人にも投票権はある。でも十八歳、十九歳で、運転免許証も持っていて、立派に仕事もしている人、税金も納めている人に投票権はない。

 税金も納めて、仕事もして、そういう人に投票権がない。これは本当に国民の正規分布と言えるんだろうか。先ほど申しましたように、投票していない人、構造的に投票できない人、十八歳と十九歳の人たちはその正規分布の中に参加できない。先進国の中でたった二カ国、そのうちの一つが日本だ。この事実は、もう一度やはり見直すべきではないかと私は思うんです。

 そういう人にも投票権があったならば、NTTのインターネット接続料金が高いとかいうような声も、日本は世界一高い国の一つだというような声も、もっと選挙結果にあらわれるのではないかなというふうに私は思うんですけれども、そういう意味でも、この点はぜひ考え直すべきであろう。

 もう一つセンシティブなイシューで、集団自衛権ですけれども、これも憲法論議の中には出てまいりますが、冷戦が過ぎた今、みずからの意思決定で攻撃をするというのは私はやはり行き過ぎなのではないかなというふうに思います。私は基本的に平和主義者であります。ですから、みずからの意思決定で攻めていくということはやはり行き過ぎだろう。せっかくこれだけコンピューターの技術が進んで、コミュニケートする手段もこれだけ進んで、世界じゅうのトップが一瞬にして集まれる、コミュニケートできるという時代が来たのだから、やはりミサイルを撃つ前にキーボードを打つ、この方がはるかに平和的だろう、話し合いもより解決するんだろう、私はそう思うんです。

 そういう意味で、みずから攻めるのは反対。仮に世界のどこかの悪い国が世界を破滅させるような悪いことをしようとしている、それは人間社会ですから間違ったことは起きます。そういうときに、警察のような形でこれをとめなきゃいけない。人間を攻撃するのは最小限にして、相手の武器を破壊する、こういうようなことは時には必要かもしれません。でも、そういうのに参戦するのは、あくまでも国連軍にのみ参加する。

 こういう意味で、私は、今まで藩の単位、県の単位から国の単位になったように、これから二十一世紀においては、グローバリゼーションということで、世界じゅうのトップが話し合う。世界じゅうのトップが話し合う場として、国連のポジション、世界銀行のポジション、IMFのポジション、こういうものをもっと重く日本国は見るべきであろう、世界じゅうが見るべきであろう、そういう時代が来るであろうというふうに私は思っておるわけです。

 ですから、一個人の判断で悪い人を撃ち殺してはならない、攻めてはならないというように、一会社の判断で決めてはいけない、一家族の判断で決めてはいけない。そうではなくて、国によって定められた警察によってそういうのを取り締まるように、国際社会のルールで定めた国連にのみ参加するということで攻撃はする。

 ただし、自衛ということに関しては、攻められたときは、国連の意思決定を待っていたらもう国が滅びていたということでは、これは手おくれですから、自分の国を守るときだけはみずからの判断でできて当たり前であろう。参戦するのは国連にのみということで、基本的には、平和主義者の私としては、みずからの意思決定、みずからの判断で勝手に攻めないということは、やはり憲法でもう一度明確にすべきであろう。中途半端なあやふやはよくないのではないかというのが、私の勝手な個人的意見であります。

 そういう意味で、先ほど申しましたように、国連の位置づけをもっと大きくとらえて、たまたま私は、先日から、ODAに関することで国連の委員に選ばれまして、アメリカのルービンさんだとかあるいはメキシコの元大統領だとかヨーロッパ、アジアから私がたまたまどういうわけか声をかけられて行っておりますが、見ましたら、国連というものに対する日本の関与の仕方、世界で二番目にたくさんお金を払っていて、しかもほとんどアメリカと同じぐらい払っていて、何かアメリカは時々支払いも滞っているなんという話がある中で、もしかしたら実質的に一番払っているかもしれない日本が、安全保障の理事会の常任理事国にもまだ入っていないということに私は驚きました。

 せっかくお金を払って、せっかく世界で二番目の経済大国としてこれだけのポジションにあるんだから、日本の国の中だけでリーダーシップを発揮するんではなくて、世界でもっと発言する。国連の場に、常任理事国として当然もっと積極的に関与して、先ほどのようなインターネットにおけるセキュリティーの問題、国際的なコンピューターを使ったハッカー、テロ、これに関しても、もっと積極的に日本がリーダーシップを発揮して発言すべきだし、平和のためにも日本がもっと積極的に、唯一原爆を体験した国として、常任理事国として、国連のあり方として、もっとリーダーシップを発揮してそこで発言すべきだろう。

 だから、当然のポジションとして常任理事国にも入るべきだ。そして、その重要なポジションとして、先ほどのように国際的な紛争にはそこを経由してのみ参戦する。そこに重要なメンバーの一人として入っていれば、当然その中でいろいろな発言もできるということになるんであろうというふうに思います。

 もう一つは、国際社会への貢献ですが、ODAその他、いろいろ日本はたくさんお金を出している国であるにもかかわらず、本当に応分の認識が世界でされているのだろうか。それから、それは、本当にフェアな形で、本当に世界の平和のために、世界の人々の幸せのために貢献するということにちゃんとなっているんだろうか。単なる政治的駆け引きだとか、あるいは一産業分野の駆け引きだとかということに偏った形に使われたり、あるいは認識されたりしていることが時としてあるんではないだろうか。

 そうすると、もう少し世界銀行だとかIMFだとかあるいはユニセフだとか、そういうものに積極的に日本がリーダーシップを発揮して関与することによって、世界からもう少し応分の尊敬を集め、応分のリーダーとしてそこにパーティシペートするということになるんではないか。

 そういう意味でも、世界銀行にも、何か専務理事のようなポジションの方がいつも欧米の方だ、日本からは一度も出ていない。この間、国連にも行ってきましたけれども、世界銀行にも行ってまいりましたけれども、なぜかそういうものは全部ニューヨークとかワシントンにある。なぜ東京で一度もそういうようなものができないのか、東京を中心にそういうものが議論の場として行われないのか、私には不思議です。

 憲法の中で、そういうことに関してももっと積極的に、日本国民は世界に対して、世界の平和のために、世界の幸福のためにその重要な一員としてリーダーシップを発揮し貢献していくというようなことについても、もう少し明確に触れていいんではないか。そうすると、当然、このような世界的アクティビティーにも積極的に関与するということに、より日本国民が目覚めるんではないかというふうに思う次第であります。

 次に、教育ですけれども、先ほど申しましたように、コンピューターが人間の能力を超えるかもしれないという時代がこの二十一世紀にはほぼ間違いなくやってくるであろうというときに、従来の日本国の教育のあり方のように、丸暗記が九〇%の労力として配分されている。物を工夫する、物を考える、道徳的なことを議論する、物を創造する、助け合う、こういうような人間らしいことについて費やされるのが恐らく一〇%以下で、公式丸暗記型、歴史の丸暗記型、その他さまざまな棒暗記、こういうのに九〇%使われて、入学試験もそういうことばかりテストするという教育のあり方はやはりおかしいんだろう。

 人間がコンピューターを道具として使えるならば、例えば、もし入学試験の会場に、腕時計を学生が持ち込み自由なように、インターネットの携帯端末を自由に持ち込めるようになったならば、恐らく二十一世紀には、すべての腕時計の中にコンピューターチップが内蔵されていて、すべての腕時計はインターネットにつながっているという時代が来るでしょう。そうなったならば、望む望まないにかかわらず、人間は肌身離さずインターネットに二十四時間触れることができる。

 こうなったならば、丸暗記型の教育よりも、もっと問題解決型、そういうものを道具として使って問題を解決する、人々を助け合う、より幸福を求めて創造していく、そういう時代が来るんではないか。そういう教育のあり方に教育の中身を変えるべきであろう。六・三・三の議論なんか、僕に言わせればどうでもいいことじゃないか、教育の中身を議論すること、この方が百倍も大事だというふうに思うわけであります。

 英語においては、どこの国がつくった言葉だということをもう議論するのはいいんじゃないか。もともとイギリスがつくった言葉かもしれないけれども、アメリカ人は使っているわけですね。アメリカは最初植民地のようだったわけですけれども、自分の国でつくった言葉じゃないものを平気で使っている。アジアの国々でも、もうそれを使っている。

 だったら日本も、せめて第二外国語として、しゃべれる英語、国際社会でリーダーシップを発揮するのでも、棒読みするのではなくて、お互いに議論できる、会話ができる英語教育を小学校一年生からやっていいのじゃないか。ここにおいて国粋主義である必要はないのじゃないか。もう道具だ。コンピューターも道具、インターネットも道具、人間がしゃべる言葉も道具、こういうふうにとらえていいのじゃないだろうか。ここに思想というのは余り関係ない、道具としてとらえて教育したらどうかというふうに思うわけです。

 そろそろ時間ですが、もうちょっとだけよろしいでしょうか。

 移民の必要性であります。

 人口がどんどん減っていく日本国。これから一五%も日本国民が減っていく。国の経済は、人間が減ったら、大きくなるということは難しいですね。極端に言えば、日本国民が一人しかなかったら、どんなにその人が頭がよくても賢くても、日本経済は伸びないですね。消費がないですね。一人分の消費では、食べる量だって、車の量だって一台、限られますね。やはり、人口というのは経済の大変重要な基本の一つだ。だから、日本国民が子供を産みたい国にならなきゃいけないし、急にたくさん産めないならば、賢い人間をどんどん積極的に移民として受け入れる。

 ITビザ、IT国籍、こんなものがあってもいいのじゃないかというぐらい、シリコンバレーはIC革命と今言われております。IC革命というのは何かというと、インド人とチャイニーズ、その頭文字をとってIC。つまり、シリコンバレーの新しいテクノロジー、先進的テクノロジー、この技術者は、最近は大半がインド人とチャイニーズの技術者になってきております。

 残念ながら日本国民は、日本民族はシリコンバレーの中では数少なくなっておりますが、アメリカ人のすごいところは、そういう自分の国に生まれたわけではない人間をどんどん移民として迎えて、あのシリコンバレーの活力を保っている。世界じゅうから日本国の進化のための知識、日本国の発展のための知識、こういうものはもっと積極的に取り入れるという移民政策についても、もっともっと取り入れるべきであろう。

 ちなみに私は、先ほど申しましたように、六、七年前に日本国籍をみずから望んで取りましたが、その前十年間近く、私は日本で運転免許証を持っておりませんでした。アメリカに学生としていたときは、毎日、アメリカのカリフォルニアの免許証を持って運転をしておりました。二十二歳か二十三歳で日本に戻ってきて、それから十年間、なぜ運転免許証を持たなかったかといいますと、いずれ私は日本国籍が欲しい、しかし、今までの日本のルールでは、もし私が運転中に事故を起こして、あるいはスピード違反をして、運転免許証の経歴の中にそういうことが記されたならば、私は一生日本国籍は取れないということを知っていたから、用心のために運転免許証を取らなかったのです。

 ちなみに、私の弟は、日本で立派に大学教育を受けて、会社も始めて、そして今四百人ぐらい社員を雇って、二十代ですけれども、インターネットを一生懸命やって、税金も納めて、まだ日本国籍をもらえていません。彼はもうあきらめています。なぜかというと、運転免許証で、スピード違反で一回捕まった。だから、もう自分は一生日本国籍はもらえないと。

 スピード違反した日本国民はたくさんいますよね。もちろん、スピード違反がいいとは言いません。スピード違反は悪いことです。悪いことですけれども、スピード違反をしても、成人式を迎えて、日本国籍として投票権も持って、堂々と日本で生きていける日本国民がたくさんいる中で、自分の親の代、おじいさん、おばあさんの代から日本に育っていて、もう何十年も日本にいて、日本で教育を受けて、日本で税金を納めて、でも、たった一回スピード違反をしたために、ほかの友達はみんな日本国籍を持っているのに自分は一生あきらめなきゃいけない。そういう狭い了見で本当にいいのかな。ただでさえ一五%国民が減る日本で、もっと人間をふやさなきゃいけないのに、そういう狭い了見、純血主義でいいのかなと私は思うわけです。

 そういう意味で、外国国籍の人に参政権を与えるよりも、何人たりとも、日本国民になりたいと望む人に、しかも資格のある人に、悪いことをしていない人に対しては、日本国籍を与えるということを妨げない。日本に生まれた人だけではない、日本に先祖がいる人だけではない、この国を愛する人には平等に日本国籍を与えるということを日本国憲法に明確にうたうべきであろう、私はそう思うわけであります。その方が日本国を愛する人がもっとふえるのではないか。

 日本国籍を取るときに、漢字で日本国の名前に変えなきゃ取れない。私は日本人で初めて孫という名前のままで日本国籍を取った人間です。これもルールがおかしいのじゃないか。闘って初めて自分の先祖の名前のままで日本国籍を取れる。

 日本の先祖の名前のままで外国で大統領にまでなった人がいます。立派にその国で活躍して、日本国の先祖の名前のままで立派にほかの国々で国籍を取って、日本国の名誉を、日本国民の名誉を広げている人々、活躍している人が世界じゅうにいます。同じように、世界じゅうからすぐれた人を日本国民として迎えていいのではないかというふうに思うわけであります。

 最後に、独占禁止法ですけれども、まだまだアンフェアな状況がたくさんあります。私は、独占企業はいかなる会社もその存在を認めない、それが電力であろうが通信であろうが交通手段であろうが水道であろうが何であろうが、いかなる企業にもその独占たる地位は認めないということを日本国憲法に定めるべきであろうというふうに思うわけです。それはさまざまなアンフェアな状況を生む元凶になる。日本国民は決してそれによってより安い、よりよいサービスを受けることにはならないというふうに思うわけであります。

 そういう意味でも、私は、独占禁止法というものをもっと重くとらえて、人間が特定の人間に特権階級を認めないように、特権階級の会社があるということはおかしいということが二十一世紀の憲法では明確になるべきであろう。生まれながらにして特権階級の人間があってはならないように、生まれながらにして特権階級の会社があってはならないということを憲法の中に明確にすべきであろうということであります。

 以上、私の話を終わらせていただきます。二十一世紀の憲法、よろしくお願いいたします。(拍手)

中山会長 ありがとうございました。

 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

中山会長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。伊藤達也君。

伊藤(達)委員 おはようございます。最初に質問をさせていただきます伊藤達也でございます。どうかよろしくお願い申し上げます。

 ただいま孫先生から、私たちにとって大変衝撃的で、そして多岐にわたって有意義なお話をいただきまして、本当にありがとうございました。

 そこで、私は、二つの視点から先生に御質問をさせていただきたいと思います。

 一つは、これからのIT革命が進展していく中で、将来の日本を見据えた場合に、どういうIT政策というものをしっかりやっていかなければいけないかという点。そしてもう一つは、IT社会における憲法のあり方について、もう少し突っ込んで先生のお話をお伺いしたいというふうに思っております。

 まず第一の、IT政策の問題でありますが、私も昨年通産省で仕事をさせていただいておりまして、孫先生には大変お世話になったわけでありますが、IT戦略会議のメンバーとして中心的に活躍をされて、そしてIT基本戦略を取りまとめられたお立場からして、先週の金曜日、三月二日の日に、IT戦略本部、本来であれば、私は、孫先生もこの本部のメンバーとして活躍をしていただきたいなという気持ちを今でも持っているのですが、ここで発表されたe―Japanの構想の重点計画、これをどのように見ておられるのか、この重点計画をつくっていくに当たって、何をしっかり押さえておかなければいけないというふうに考えておられるのか、その点についてまずお話をいただきたいと思います。

孫参考人 ありがとうございます。

 今お話ございましたように、IT戦略会議ではかなり私は過激的な意見を申し上げたつもりですけれども、少し言い過ぎたせいか、次の戦略本部では、控えよということでメンバーにはなっておりませんけれども、IT戦略本部でe―Japanという構想が出ました。基本的にはすばらしい内容ではないかなというふうに思っております。

 ただ、その中で、どんなにすばらしいことを決めても、これを不退転の覚悟でばりばり実行していかないと、先ほど申しましたように、アジアの中でも日本は大変存在感が薄くなってきているという状況の中で、この実行を不退転の覚悟で、しかも期限を決めてやるべきであろう。

 中でも一番大事なのは、やはりインフラですね。このインフラがないと、さまざまなアプリケーションというのは走らないわけです。道路のインフラがないと、どんなにいい車をつくってもその車の性能が発揮できないように、どんなにすぐれたドライブインができても、道路がなければその力が発揮できないように、やはりインフラというのが基本になるということであります。

 このインフラの点において、高速インターネットのインフラが日本は余りにもおくれている。先ほど僕は申しましたように、韓国では何と四百五十万回線になった。去年の一月が五万回線ですから、五万回線から四百五十万回線になった。一年間でこんなにさま変わりしたという原因は、恐らくたった一つです。何かというと、大統領が、韓国では高速インターネットのインフラを積極的にしくぞということを明確に決めて、あらゆるところに指示したということであります。

 一年半前に、たまたま私とマイクロソフトのビル・ゲイツ氏が韓国の大統領の顧問として参りました。意見を求められました。そのときに、ブロードバンド、ブロードバンド、ブロードバンドと記帳してまいりました。もちろんそのことを説明してまいりました。ブロードバンドというのは何かというと、高速インターネットという意味であります。この高速インターネット、ブロードバンドというものを国のトップが理解して、このインフラを何人たりともとめてはならないという勢いでしいて回った。

 日本では、IT戦略会議でも私申しましたが、これはまだ戦略本部の具体的な施策として動いていないと思いますけれども、何が一番大きな違いかといいますと、例えば光ファイバーを引くのにおいて、電柱に三十センチずつ間隔をあけて電線を引きなさい、こういうルール、これは六十五年ぐらい前に日本国の法律で決めたものがありまして、そのときは光ファイバーがなかったんですね。電線しかなかったから、電線は三十センチ以上間隔をとらないと、三十センチ未満にしますとノイズが起きる、雑音が起きるということで、物理的に三十センチ以上あけなさいというルールを六十五年ぐらい前につくっているんですね、日本の法律で。

 ところが、物理的に見て、光ファイバーは電流が流れていないんですね。光が流れているんです。ですから、三十センチ未満に近づけても、一センチでも、一センチ未満でも、光ファイバー同士はノイズなんてこれっぽっちも起こさないんですね、物理的に。ですから、これに反対する人は中学校の物理の教科書をもう一回読むべきだというぐらい、光ファイバーには電流が流れていない。したがって、電流が起こす電磁波のノイズは起きないという理解で、この三十センチというルールは外すべきだということを僕は申し上げました。

 それは大分今改正されつつあるんですが、それにしても、いまだにこの電柱の所有者が、NTTと、それからそれぞれの地域電力会社ということなんですね。彼らの許認可を電柱一本ごとに得なければいけない。ですから、二千万本の電柱に光ファイバーを引くのに、二千万回、NTT並びに電力会社から許認可を得なきゃいけない。競争する相手が、新しい競争相手にそんなに簡単に便利に許認可してくれるものか。当たり前ですね。

 だから、ぐずぐずして、面倒くさい手続を人間が人間に縛って、一本の電柱から許可をとるためにたしか三枚ずつぐらい写真を撮らなきゃいけないんですね。ということは、六千万回写真を撮って、しかも、電柱の写真を撮るときに、人間がそこに立って、何かさおのようなものを持って、何メートル間隔をあけましたとかいって証拠写真を撮って出さなきゃいけない。こんなナンセンスな話が、この文明国日本でいまだに要求されている。おかしいですね。

 さらに、すべての電柱は道路の上に立っているわけですが、これが国道、市道、県道、都道ということで、それぞれの自治団体の長から全部、一本一本の電柱に光ファイバーの線を張るごとに、二千万回、道路占用許可という許認可をこれまたとらなきゃいけないんですね。しかも、許可を届け出る相手がみんな異なっている。二千万回それをやる。もう僕は嘆かわしくて、おかしい。

 ちなみに、韓国はどうやって四百五十万回線が一年間でいったかといいますと、光ファイバーを先に引いてよろしいと、引いた後に事後届け出。事後許認可でもないんですね、事後届け出だと。だから計画的に引けるわけです。素早く引けるわけです。安く引けるわけです。

 一本の電柱に光ファイバーを張るのに、韓国は六千円です、日本は七万円です、工事代金が。一メートルの光ファイバーの材料代は、一メートルのおそばより安いんです、一メートルのうどんより安いんです。光ファイバーなんというのは大変なテクノロジーの道具だ、物すごい高価なものだと皆さん思っているかもしれませんが、実は、そんなものはガラスでできているんですね。ガラスは地球上で二番目に多い材料なんです。砂でできているわけです。これは、地球上で二番目に豊富な資源なんです。

 だから、おそばよりも安くて当たり前。うどんより安くて当たり前。そんな安い材料のものを何ぼでも引きゃいいじゃないか。何が高いかというと、工事代が高いんです。工事にかかわる届け出の許可の手数料が高いんです。だから日本国のルールが、六十五年前に決めたルールが日本国の進化を妨げているんです。テクノロジーではないんです、お金でもないんです、日本人のルールが日本人の進化を妨げている。こんなことはもう当たり前のこととして、これは省庁のルールに任せておったのでは日が暮れる、革命を起こしてでも変えるべきだというぐらいこれは大変な事態なんですね。

 ですから、これは先生方のまさにリーダーシップで、もう憲法論議の前に、一刻を争う事態としてやるべきであろう。当然のごとく二十一世紀の憲法には、日本人が空気を、水をだれでもが分け隔てなく得ることができるように、情報アクセス権として、空気のように、水のようにインターネットに対して安く、速くやれるべきだというふうに思うわけであります。

中山会長 参考人に申し上げます。

 質疑の時間がそれぞれ各質問者で限られておりますので、御答弁は簡潔にお願いいたします。

伊藤(達)委員 どうもありがとうございました。

 今、日本人のルールが日本人の進歩、進化というものを妨げているんだと、大変強い問題意識をお話しいただきまして、やはり私たち政治の役割ということを再認識させていただいたわけであります。

 私自身も、今の現状を見た場合に、もっとネットワークの経済性といいますか、インターネットの経済原理を十分生かしていく、そして、将来の見えない技術、今埋もれている技術というものも取り込んで、民間主導でオープンな仕組みをつくっていくということをしっかりやっていかなければいけない。そのために、やはりルールを変えて、規制を改革し、そして、先ほど独禁法を憲法にというお話がございましたが、競争政策の体系というものをしっかりつくっていかなければいけないというふうに思っております。

 そこで、具体論、ポイントを押さえてぜひお伺いをしたいというふうに思っているのです。

 一つは、今、電柱の開放等お話がございましたけれども、やはり独禁法の中に具体的なガイドラインの一群をつくっていかなければいけないだろう。その一つの柱に線路敷設権の問題があるというふうに思います。これは孫先生のお力で相当にこれから進んでいくのではないかというふうに思います。

 二つ目は、これはなかなか、政治の世界でももっとしっかり言わなければいけないと思いますが、NTTの持ち株会社に関するガイドラインという問題についても、やはりしっかりとしたものを出していく必要があるのではないかなというふうに思っております。特に今議論がある中では、NTTグループの競争環境の整備、NTTグループのカルテル防止、NTTグループとNCCとの公正競争の確保、そしてNTTグループと隣接市場における公正競争の確保という視点からガイドラインをつくるべきではないかというふうに思っております。

 そしてもう一点、やはり電波の問題。電波の配分及び利用に関するガイドラインというものもしっかり競争政策のガイドラインとしてつくり上げていく必要があるのではないかなというふうに思っておりますが、この点についてどう思われるのか。

 また、規制の部分について、今実は電気通信事業法で百三十五、電波法で百十六等々、七本の業法でたしか三百七近い許認可がまだ残っております。こういうものを見直して、そして、先ほど御指摘があったように、やはり市場の独占の弊害というものを排除していく、そういう新しい規制に大きく転換していくことが必要ではないかなというふうに思っておりますが、この点を含めて、ぜひ先生のお考えをお伺いしたいと思います。

孫参考人 全くおっしゃるとおりでありまして、先ほども憲法論議の中で述べましたように、独占的会社は、企業は、いかなるものもその存在を認めないということを憲法で二十一世紀においては定めるべきであろうというふうに私は思っております。

 そういう話の流れの中で、このNTT問題、あるいはその他の独占的企業においては、一刻も早く競争政策というものを導入すべきであろう。それが、日本国民がより安く、より高品質なものを、より自由な形で手に入れられるということになるのであろうというふうに思います。

 ちなみに、今回の省庁の改編においては、独禁法で取り締まる公取が同じ総務省の中に、つまり、通信政策をやっている、このNTT問題その他をやっている旧郵政省、旧通産省、これにあわせて、独禁法をつかさどるところの公取が、三権分立どころか一つの屋根のもとに全部入ってしまった。これは時代の逆行である。三権分立というのは憲法の基本である。にもかかわらず、立法するところ、方針を決めるところ、産業促進の政策をするところ、そして独禁法で取り締まるところが一つの屋根に入ったのでは、これは三権分立の逆行であるということで、これもあわせて検討いただきたいと思います。

 また、電波というのは、先ほどの光ファイバーと同様に重要なインフラの一つであります。携帯端末がいかに国民生活に大きな影響を与えるかというのは先生方も十分御存じのことだと思いますが、これを一日も早く開放して、多くの企業が自由に競争して、国民の資源である電波を活用して、技術の進化、サービスの進化に寄与できるというふうにすべきであろう。この国民の資源である電波に何十年も居座っている古い企業が、十分に活用し切れていない企業が、無料で国民の資源に何十年も居座っている事業者が、特権階級としているということは不自然なことであろうというふうに思える次第であります。

伊藤(達)委員 次に、IT社会における憲法のあり方について先生のお話をお伺いしたいというふうに思っております。

 先ほど、IT革命というものが私たちの生活全体に大変大きな影響を与えるんだというお話をいただきました。その中でも、やはりコミュニケーションにおける革命というものは非常に大きくて、不特定多数と不特定多数の人が、二十四時間といいますか、もう時間の枠を超えてあらゆるコミュニケーションができるようになる、これがIT革命の一つの特徴ではないかなというふうに思います。

 特に、政治、行政のあり方というものを考えた場合に、これからは、官の世界が圧倒的に独占をしていた情報というものが、あるいは知識というものが国民の側にどんどん移っていく。そうした中で、国民一人一人が直接政治や行政に参加できる可能性というものがどんどん広がっていくのではないかなというふうに思っております。

 そこで、私は、憲法の基本原理を考えていく場合に、もう一度基本的な人権のあり方というものを考えていく必要があるのではないかなというふうに思っております。

 そこで、一つ考えておかなきゃいけないのは、この基本的人権の西欧的な体系というものを考えた場合に、西欧の場合には国家権力と個人という二項対立が前提になっていて、その上で個人には国家以前の権利、いわゆる自然権というものがあって、それをもって権力による介入に対する最大の防御というふうにしてきたわけであります。しかし、これは私たちアジアの人間からすると、何か権力と個人との緊張関係の中で考えていくということはぴんとこない。なぜならば、アジアでは、個人よりも家族であるとかあるいは共同体というものを重視していく、こういう思想があるのではないかなというふうに感じます。

 私は、いたずらに個人主義対集団主義という対立で考えていくのではなくて、本質的には権力との関係をどう仕切っていくのか、その中でこうした問題を憲法の中でしっかり整理をしていくということが重要ではないかなというふうに思います。

 そう考えていくと、これからのIT革命が進展をしていく中で、アジアにおけるIT革命の進展の仕方と、西欧、欧米で起きるIT革命の社会のあり方というものは少しずつ違ってくるような感じもするのですが、これは全く同質のものとして展開をされていくのかどうか、この点について少しお話をお伺いできればと思います。

孫参考人 私は、長くアメリカに住んでいたり、あるいは行き来しておるわけですけれども、あるいはほかのヨーロッパ、アジアの国にも行っておりますが、基本的に人間は皆同じだなというふうに最近思い至っております。言葉の表現だとか文化のあり方ということにいろいろな差はありますけれども、彼らもやはり同じように個人の尊厳を大変尊重していますし、あわせて同時に、その集団のあり方ということについても大変に深く真剣に考えてやっているというふうに思います。

 ですから、本質的にはアジアも日本もヨーロッパもアメリカも皆、基本的人権ということにおいては同じではないかなというふうに思います。

 ただ、日本において、特に個人だけではなくて、家族だとか集団を守るということについても、これから二十一世紀の憲法で日本のためにもそういうことをより明確にしていくことは大事な、先生のおっしゃる点と全く同感であるというふうに思っております。

伊藤(達)委員 次に、今の話に関連をして、基本的人権の新しいパラダイムをどう考えていくかということの中で、今の状況認識というものをしっかり持たなければいけないというふうに思うんです。

 一つは、これは私たちが深く反省をしなければいけないんですが、国民の中で権力セクターに対する信頼感というものがだんだん落ちてきてしまっている。そして、これは言葉が言い過ぎかもしれませんが、戦後一貫してやはりアメリカというものに依存してきたんではないか、また、その裏腹に国民も行政に依存してきたんではないか、こういうふうに言われています。

 また一方で、学歴が人生を決定する、こういう認識もやはり日本の中に強くあるんではないか、こういう指摘もあります。そのことが、みずからがみずからの可能性というものを狭めてしまう、あるいは、それ以上の努力をする、チャレンジをしていくということを怠ってしまう。そして、その反面に、依存主義であるとか快楽主義であるとか利己主義、こういうものも広がってきているんではないかということも言われます。

 また、高齢者の方からは、年をとればとるほど何か日本の社会は肩身が狭いね、こういう声も聞きます。そして、その国家自体がやはり経済文脈でしか海外では語られていない、こういうふうに見られているんではないかなというふうに思うんです。

 そうすると、私は、これからの憲法を考える場合に一番大事なことは、国民一人一人のやる気というか可能性というものを引き出していく、そのための憲法があるんだ、このことをしっかり押さえておかなければいけないという気持ちをすごく強く持っているんですね。

 そこで、基本原理を考えた場合に、先ほどの孫先生のお話ではないですが、日本国民として生まれ、あるいは日本国民になった人に対して、あなたの人生の充実のために国家があるんですよ、このことをしっかり宣言をしていくということがこれからの憲法の中で重要ではないか。自由主義というものを自己実現の保障としてしっかり定義していくことが、私はとても大切ではないかなというふうに思っております。

 そして、その上で、自己実現を保障するためには、やはり社会には一定の規範が必要であります。そのために、それを維持、確保するために国家の役割というものがしっかりあるんだ、その基本に、憲法においてそこをしっかり定めて、また、個人では解決できない課題を克服していく、そのことに国家の任務というものがあるんだということを明確にしていく必要があると思います。

 そして、その自己の決定の集積あるいは自己実現のフィールドを広げていくことによって統治の核が形成をされて、そして、責任の主体が自己にあるんだということの中で民主主義というものをもう一度考え直していかなければいけないんではないかなというふうに思っているんです。

 そういう意味からも、二十一世紀の日本の憲法を考えた場合に、先ほども何点かお話がございましたが、基本原理としてさらにこの点をしっかり考えておかなきゃいけないという点がありましたら、ぜひお話をいただきたいと思います。

孫参考人 今先生から話があったのと全く私同感でありまして、日本国民が、みずからがみずからの国に対し誇りを持ち、みずからの国を愛し、みずからの幸せのために、みずからの家族のために、友人のために、多くの人々のために、それが自由に、フェアに、そしてかつ、みずからの国だけではなくてグローバルにその幸せを分かち合うことができるように生きていくということが大事であろう。そのためには、憲法においても、先ほど幾つか申し上げましたような点に留意して、新しい時代の付加すべき基本的人権、より明確化すべき基本的人権について議論が進められるべきであろうというふうに思っております。

 テクノロジーを道具として使うことによって国民が一人一人参加できるような、そういう国政のあり方あるいは教育のあり方、社会生活のあり方というものがなされていくであろうというふうに思います。

 IT革命の基本的成果というのは、三つのC、つまりコミュニケーション、コンテンツ、そしてコマース、この三つが一気に革命的に進化するということにございます。そういう意味でも、こういうものを上手に道具として使うことによって人々の幸せがより具現化できるのではないかな、こういうふうに思います。

 それがさらに、それに向かった教育をすることによって依存の度合いを減らし、それぞれが独立自尊、すぐれた社会的生活、誇れる国家のあり方というのにもつながっていくのであろう、こういうふうに思います。

伊藤(達)委員 最後の質問をさせていただきたいと思います。

 国際関係について少しお伺いをしたいというふうに思っているんですが、先ほど国連のあり方についていろいろお話がございました。私は二国間関係についてもお話をお伺いしたいというふうに思っているんですが、今ITをベースにして、例えばシンガポールとの自由貿易協定についての協議が進んでいるわけでありますが、これからIT社会において、今後の例えば日韓関係あるいは対中国、アジア、アメリカとの関係というものをどういうふうに考えていったらいいのか。孫先生の場合には、もう六百以上、七百近い会社を世界じゅうに持っておられると思いますので、そうした目から見たこれからの二国間関係のあり方について、最後にお話をいただくことができればと思います。

孫参考人 やはりフリーでフェアでグローバルであるということ、そして人々をお互いに尊重し合って愛し合うということ、これが基本的思想だろうと思います。これは二国間においてもあるいは多国間においても同じことであろう、一人対一人の人間においても同じであろうというふうに思います。

 ですから、そういう意味では、それぞれのアジアの国々あるいは欧米に対しても、お互いにフェアな立場で、相手が大きな国だからとか小さな国だからとか、力があるとかないとか、そういうことで物を判断するのではなくて、個人対個人でも、国対国においても、やはりフェアな形でお互いが尊重し合うということでやるべきであろう。

 しかし、デジタルデバイドでよく語られますように、残念ながら、歴史的に貧しい国がある。そういうところに対しては、歴史的貧しさがあるわけですから、一時的にこれを少し助けて、我々のためにも、人類のためにも、お互いに少し助け合って、一時的な補助をするということは当然検討されるべきことであろうというふうには思います。

伊藤(達)委員 とても重要なお話をいただきまして、ありがとうございました。

 以上で質問を終わらせていただきます。

    〔会長退席、鹿野会長代理着席〕

鹿野会長代理 細野君。

細野委員 民主党の細野豪志と申しますが、よろしくお願いをいたします。

 大変刺激的な話を伺いまして、いろいろ聞きたいことがあるんですが、私からは割と具体的な話をぜひ孫さんに伺いたいなと思います。

 まず一点目なんですが、恐らく話の中で一番力が入っていたのがブロードバンドの部分じゃなかったかというふうに思うんですが、だれが見ても、韓国四百五十万回線で日本が二十万回線、この数字を見ると焦るわけですね。政治に携わる人間として、私も全くその焦りを共有するわけですけれども、じゃ具体的にそれを整備するのはどうやったらいいか、いろいろ迷いがあるわけです。

 孫さんのお話というのは、やはり競争政策をしっかり導入して、民間の参入を促すことによって整備を進めようというお考えだとは思うのですが、今、日本でどういうことが行われているかというのをちょっと見てみると、むしろ、例えば国土交通省が、情報ボックスとか共同溝という形でそういう光ファイバーを敷設できるような箱をつくっていたり、また、下水道管の中にも同じような空間をつくるというので、例えば情報ボックスなどには年間二千八百億円ぐらいお金をかけている。ですから、競争政策による方向よりは、むしろ、ある程度それを国が補助していくことによって整備を進めていこう、そういう流れがあるのだと思うのですね。

 私は、明らかにメーンは競争政策の方にあるとは考えるのですが、こういう政策はむだなのか、はたまた、韓国でこれだけのスピードで進んだときに、こういった政府による補助的な政策というのはとられなかったのかどうか、この辺についてちょっとお話を伺いたいのです。

孫参考人 基本的には、やはり民間主導の競争政策でやるべきだろうという思想を私は持っております。ですから、フリーでフェアであるということ、これが基本ではないかなというふうに思います。

 ただ、そういう中で、どうしても後回しになってしまうような市町村が出てしまう。へんぴなところ、僻地、こういうようなところは、どうしても民間はもうかるところから先にやりますので、そういう僻地に住んでいる人々に対しては、まさに国内におけるデジタルデバイドが生じてしまう。これはやはり政治として配慮した方がいい点かもしれないという意味で、公共的な投資というのは、むしろそういう僻地だとか民間企業が行きにくいところを中心にやるべきであろうというふうに思います。

 都心においては、むしろ規制を撤廃するということ、規制をなくすということですね。原則事後届け出制度というような形にすれば、民間が勝手に競争してどんどんやってくれるわけですから、情報ボックスがあろうがなかろうが、どんどん自助努力でやっていくのにこしたことはないというふうには思います。

 ただ、中には、同じ都心でも、非常に進んで、電柱がないようなところもある。こういうところには、下水道だとかあるいは無線というものを使わざるを得ないということになりますので、民間の手で電柱に引きにくいような、つまり下水道を使わざるを得ないようなところにおいては、公共的な投資があってもいいのかもしれない。

 しかし、そういう場合も、すべて平等に、フリーに、フェアにこれが民間企業に競争的に提供されるべきであろうというふうに思います。何人たりともこれを独占してはならないというふうに思います。

 ちなみに、欧米では、独占禁止法の考え方は、従来独占していた巨大な大きなところを規制して、新規参入者と競争を促進させることによって、よりフェアな形にしていくというのが独禁法の基本的考え方であります。ところが、日本においては、新規参入者を規制して、古く、長く、大きな独占者を助けるというのが従来の独禁法の基本的あり方あるいは規制のあり方だったのではないかなというふうに思えてならないのですね。

 ですから、そういう点においても、公共投資もいいのですけれども、もっと独禁法のあり方を積極的に見て、去年の暮れには、公取がNTTに対しても警告を発するというようなこと、初めて動きがあったわけです。この新年から新しい省庁になって、その動きがぱったりとまったように思えてならないということは私だけの危惧であればいいのですが、いまだに、我々民間企業がNTTの局舎を使いたいというときには、さまざまな実質的遅延がある。手続が余りにも面倒で、民間企業が接続がしづらい。公取の警告が全然効果を発揮していないというふうに思えてならない。こういう点も大きな問題だろうと思います。

細野委員 ありがとうございました。

 バランスが、政府による部分から、むしろ競争政策に移るべきであるというお考えだというのはよくわかったのです。

 あと一点。これもまた技術的な話になるのですが、私が、常々迷いがあるというか、わからないなと思っているのは、果たしてどの分野がこれからインフラでデファクトになるのかということなんです。

 日本の場合は古くから光ファイバーに重点を置いてきまして、それが今普及率何%かということが盛んに話題になるのですが、孫さんもおっしゃったとおり、無線もあり、またケーブルもあり、DSLみたいなものもあり、はたまた衛星もあると。どの部分の規制緩和が優先であって、どこの部分に日本は一番力を入れるべきなのか。その辺に関して、これはもしかしたら、政府が判断すべきじゃなくて、すべてを自由化して企業が判断すべきだという御判断なのかもしれないのですが、その部分も含めてお答えいただきたいのです。

孫参考人 全部だと思います。

 交通手段で、バスがあり、電車があり、タクシーがあり、自家用車があり、飛行機があり、船がある。それぞれ役割が全部違うわけですね。飛行機だけあれば自動車は要らないのか、自動車だけあれば鉄道は要らないのか、そうじゃないですね。

 同じように、インターネットの情報のネットワークとしてADSLも必要なんです。今すぐ効果が発揮できるのはADSLです。長い目で見ると、光は当然本命です。携帯端末を考えると、無線は当然もっと自由化されるべきです。ケーブルももっともっと使われるべきです。そういう意味で、すべての情報ネットワーク手段、インフラ手段の基本的規制をすべて撤廃すべきであるというふうに思うのですね。

 先ほどの公共投資においても、どうせ公共投資が何らかの形でいろいろなところに使われるのであれば、優先順位としてどうかということを考えると、情報ボックスであれ何であれ、ダムをつくるよりは優先かもしれない、河川の何とかをつくるよりはもっと優先かもしれないという意味で考えれば、情報ボックスであれ何であれ、民間の企業が競争して使えるのであれば、それはそれでやはりプラスであろうというふうにも思います。

細野委員 明快なお答え、ありがとうございました。

 ちょっと憲法の方に話を移したいと思います。

 情報通信がこれだけ発達した時代に、五十年前の憲法で必ずしもきちっとした対応ができていないのではないかというお話は、私も全く同感でございます。ただ、一方で、これだけ情報環境が整いつつあって、ネット上でさまざまなことができるようになった時代に、果たして憲法に書くことがどれほど効果があるんだろうかというところで若干迷いがあるのも事実でございます。

 例えば、ネットのアクセス権は確かに重要ですけれども、憲法に一文書いたところで、社会政策、経済政策、さまざまな面で対応が必要になる。国内法との問題が必ず出てきます。また、プライバシーの保護の問題であるとかネットセキュリティー、この問題に関しては、日本だけでこれをやってもどうしようもない。例えば、プライバシーの問題にしたって、日本のサーバーだけ管理してプライバシーを保護できるわけではなくて、アメリカのサーバーに暴露されているようなものは、今いっぱいあるわけですね。それを日本で憲法に書いたところで、決してうまくそれを保護できるものではないわけで、国際法との関係も出てくる。

 その状況の方が先に行っている中で、憲法にこれを書くということに関してどれほどの重きを置くべきかというあたりについて、ちょっとお考えを聞かせていただきたいのです。

孫参考人 すべての法律の基本は憲法であろうというふうに思います。ですから、やはり憲法に明確に入れるべきであろうというふうに思います。人間がつくったルールですから、人間が見直すのは当たり前だ。テクノロジーが進化し社会が進化するのだから、進化した状況に合わせて人間がつくったルールも進化すべきだろう。

 そういう意味で、日本国憲法は、私はすぐれた憲法だと基本的に思っております。改めて読み直してみましたら、なかなかいいことが書いてあるじゃないかということで、私は改めて日本国憲法が大変すばらしいものだというふうに感じ入ったわけです。

 ただ、先ほども述べましたように、例えば情報に関する基本的人権の問題においては、この情報革命が最近生まれた革命であるがゆえに、この憲法に触れられていないということで、情報に関する基本的人権その一として、ネットのアクセス権、情報アクセス権ですね。それから、その二として、プライバシー保護権。そして、その三として、ネットのセキュリティーに関するポイント。この三つは、特に情報に関する点として憲法に定めるべきであろう。まあ、電子投票制度その他というのは、これは憲法というよりはもう少し下のレベルの法律かもしれませんけれども、少なくとも、憲法で基本的人権としてはやはり触れるべきであろうというふうに思います。

細野委員 国際法の方に関してもうちょっと詳しく聞かせていただきたいのですが、結局、憲法でつくるよりは、情報国際法的な、ある程度強制力のあるものでないと意味がないのですが、私は、そちらを志向した方がはるかに手っ取り早いのじゃないかという気がしてならないのですが、それについてはいかがでしょうか。

孫参考人 両方だと思います。

 やはりみずからの憲法で明確に定め、そして日本国民の意思を統一し、さらにその意見を日本国のコンセンサスとして、日本国のリーダーがリーダーシップを発揮して、国連あるいはその他に対して明確に意見を述べていき、国際的法律として定めていくべきであろうというふうに思います。ですから、これは両方が大事な点であろう。

 おっしゃるように、セキュリティーその他は国内の法律だけでは、憲法だけでは不十分だというのは、私の持説でもあります。

細野委員 次に、ちょっと選挙のことについて、電子投票制度を御提案いただいておりますので、質問させていただきたいのです。

 私は、去年の六月に初めて選挙に出て、初めて当選をいたしました。今二十九歳なんですが、インターネットというのは、私自身が知的な好奇心を持ったときからある程度インフラとして整いつつあった時代ですので、それとともに社会を一歩一歩進んできたという意識がございまして、とにかく、選挙をやるときに、そのなれ親しんできたツールを使い、しかも金のかからない方法としてこれをいかに有効利用するかというのを当然考えるわけですね。

 ただ、実際の制度の問題としては、これは私は聞いて驚いたのですが、選挙中はインターネットを全く使うことができないということになっております。従来は、何でも、そもそもサーバーの中から取り除かなければならないということだったらしいのですが、去年の選挙においては、一応出してもいい、そのかわり更新してはいけない、当然投票依頼などを書くと全部アウトという規定がございます。

 もしかしたら、投票制度を提案していただいている孫さん、このことを御存じないのじゃないかなとちょっと思いまして、指摘させていただくと同時に、ぜひこういう部分の規制撤廃のスポークスマンになっていただけないかな、これはお願いに近いような話になるのですが、いかがでしょうか。

孫参考人 驚きました。私、知りませんでした。

 ちなみにアメリカでは、ケネディ大統領が、テレビが新しく普及し出した時代にそれを最も上手に活用して大統領になったというふうに言われておりますけれども、今回の大統領選においても、あらゆる候補がインターネットを最大限に活用し、例えば選挙資金なんかにおいても、インターネットを使ってクレジットカードで百ドルとか十ドルとか、多くの国民から広く浅く選挙資金を得るというようなことも、選挙中にもまさにこれをやっておったというような状況でありますが、一番お金のかからない、一番広く浅くやれる方法として、当然これは積極的に活用されるべきであろう。

 実は私、不勉強で、今の点初めて知りましたが、これからはぜひそういう点についても十分認識して発言していきたいなというふうに思います。ぜひ使うべきだと思います。

細野委員 ありがとうございます。

 次に、電子投票制度なんですが、これは私もやれればいいなととにかく思うわけです。

 ただ、技術的な問題というのは常につきまとっていて、この分野は日進月歩の分野ですので、果たしてどの時点で技術的な部分が可能になるのか、これを視野に入れないと、実際に導入という話には恐らくならないテーマなんだろうというふうに思うのです。

 この問題について、孫さん、今どのような、技術的な問題はもうクリアされたというふうにお考えなのかどうかというあたりをお聞かせいただきたいのです。

孫参考人 まさに、技術的問題においては、ほとんど全部道具はそろったというふうに認識してよろしいと思います。

 ちなみに、アメリカでは個人の株式投資の五割以上がインターネットを使っておりますし、日本は今三割ぐらいになりつつあるというふうに思いますが、韓国では六五%です。何百万円、何千万円のお金のやりとりを個人が行うものにおいても、十分なセキュリティーが確保される形で、インターネットを使って株式の売買が行われるようになりました。インターネットを使ってネットバンキングも行われるようになりました。さまざまな意味で、ハッカー対策だとかあるいはその他コーディングを含めてセキュリティーの問題もできておりますし、ネットワークの技術も進化しております。

 ですから、基本的な技術は全部そろっている、あとは普及を待つのみということと、それを制度として、eガバメントということで電子政府をより積極的に進め、そのインフラをまさに活用していくという意味でも、この電子投票というのは、僕はまさに先生方がリーダーシップを発揮して積極的に進めるべきであろう。道具はそろった、あとは決定次第ということだと思います。

細野委員 ありがとうございました。

 最後にもう一度、在日外国人の方への地方参政権についてもう少し詳しくお聞かせいただきたいんですが、先ほど孫さんの方からは、日本国籍を取りやすくして、その方に投票権を当然持っていただくというのが優先だろうというお話がございました。その部分で、先ほどスピード違反のお話、非常に切実な問題としてお聞かせいただいて、非常に身につまされる思いが我々もするわけですけれども、そのほかに名前の問題、この二つは御指摘いただきましたけれども、あと具体的にここをクリアしなければならないというところがあれば教えていただきたいということが一点。

 そして最後に、優先順位としては国籍の変更を緩和すべきではないかというお話だったんですが、それでもそれはしたくないという方が一方でいらっしゃる。そういう方に地方参政権を持っていただこうという今の政治の動きに関しては、優先順位の問題ではなくて、そこに特化した部分に関してはどのようにお考えかということ。この二点をお聞かせください。

孫参考人 地方参政権の問題、特に歴史的な経緯で、例えば強制的に連行された人々の子孫がこの国にたくさんまだいる。望まなくても強制的にこの国に連行されてきた人々の子孫が長くこの国に住んでいて、かつ、税金も納めていて、にもかかわらず地方への参政権が本当になくていいのかどうかというのは、これから十分に議論をしなければいけない点ではないかな、場合によってはそういう点は十分な配慮があった方がいいのかもしれないというふうには思いますね。

 ただ、それに対する問題は一長一短あるのかもしれませんので、私自身まだ個人的意見が定まっていないんですが、少なくとも、先ほど申しましたように、この国を愛し、この国に永住したくて、かつ、日本国の国籍を望む人には何人たりとも基本的にそれを制限しない、これが十分に確保されれば、今の議論も少し和らぐのではないかなという気もいたします。ただ、これは別、両方重要な議論であるというふうには思います。

    〔鹿野会長代理退席、会長着席〕

細野委員 ありがとうございました。丁寧に答えていただきまして、感謝しております。

中山会長 次に、小池百合子君。

小池委員 お許しを得まして本日三番目の質疑者を務めさせていただきます。保守党の小池百合子でございます。

 参考人におかれましては、本日は幾つもの切り口で示唆に富んだ御意見をお聞かせいただきましたことに、心から御礼を申し上げたいと思います。

 その中で共通して感じられましたのは、どうも技術革新、特に世の中の情報を取り巻く産業、その改革のスピード、いわゆるドッグイヤーと言われております。それと、現実の日本の姿、そしてなおかつ、全くこれまで変更のなかったこの憲法、動くことのなかった憲法ということで、スピード感の違いからくるある種のいら立ちを私はきょう感じ取らせていただいたわけでございます。

 その中で、幾つもの切り口ということで、先ほども御質問ございましたけれども、在日の外国の方々に地方参政権を、これは限った形でございますが、その議論がずっとなされている。今既にお答えになったかと思いますが、一方で、国籍の取得をより簡単にするということが一つ方法であると思われるわけでございます。先ほどお話しにならなかった点での御示唆をもう少し賜れればと思うわけでございますが、いかがでしょうか。

孫参考人 最も新しい国の一つであるアメリカが、なぜこんなに継続して次から次に新しい技術、新しい社会改革を行い得ているのかということを考えますと、これは移民の歴史だったんではないかというふうに思えるわけです。

 もし日本が純血主義をこれから百年、二百年、三百年ということで続けて、かつ、人口が一五%、二〇%と減っていくならば、一体全体二十一世紀、二十二世紀どうなるのであろうかということを考えると、やはり構造的に、移民をもっと積極的に受け入れて、まさにDNAの進化まで含めて僕はこれは考えてもいいんではないかなというふうに思える次第であります。まあ、どの国のどの国民のDNAがすぐれているとかすぐれていないとか言い出すと、これは大変な道徳的な話にまでなりますので気をつけなければいけませんけれども。

 少なくとも新しい技術、新しい知識、新しい気概を持った、しかもこの国を愛するであろうという人々、もちろんこの国に害を与える人々を入れるわけにはいきませんけれども、この国を愛するという気持ちを持っている十分な資格のある人々には、これは何人たりとも妨げないということで、積極的に移民を取り入れるということがやはり日本国の発展につながるのではないかな、進化につながるのではないかな。また、新しい議論がそれによって生まれてくるし、日本国がグローバル社会におけるリーダーとしての地位をより確立していくためにも、開かれた国であるというポジションをとることが大変重要なんではないかなというふうに思うわけであります。

 ちなみに、私は、小学生のときに、自分が将来大人になったならば何になりたいかということで、小学校の先生か、事業家か、または画家あるいは政治家、この四つの選択肢に一つ、これが私の人生の夢だというふうに思ったわけです。そのうちの二つは強制的にあきらめざるを得ませんでした。何かというと、小学校の先生と政治家でありました。これは、日本国籍を持っていない、この国に生まれこの国を愛しているにもかかわらず、日本国籍を持っていないから、子供としての自分の四つの夢のうちの半分は選択肢として与えられないというのが私の置かれた環境であったわけです。子供心に大変心が痛んで、自分の父親と一週間けんかしたことを覚えております。日本国籍を僕は取りたいということを叫びました。それは、自分に選択肢を欲しい、自分の人生に対する選択肢を欲しいということで父親とけんかしたわけであります。

 そんな不幸がこれから多くの子供たちに生まれないように、また、日本国が国際的リーダーシップを発揮するためにも、そういう点の配慮があっていいんではないかなというふうに思いました。

小池委員 ありがとうございます。

 アメリカの場合は、移民をとるということを国策として持っているわけで、そのためによくグリーンカードの抽せんが行われるほど大変な人気と申しましょうか、アメリカ人になりたいという人が世界じゅうから押し寄せるというような国であると聞いております。

 その意味で、きょう御示唆のございました、移民を受け入れるか否か、そして先ほどの国籍の取得の要件云々も、これは国としてその意思を持つかどうかによって運用の部分も大きく変わってきますでしょうし、このあたりは本当に、私どもしっかりと、今後日本をどうするかといったところから考えていかなければならないというふうに思いました。また一方で、そうした場合には、ぜひ日本に来たいというような国家にすることが、すなわち今の私たち、今既に日本人である人たちの自己実現、そしてまた、この国に生まれてよかった、住んでよかったと思える国になっているだろうなというふうに感じたわけでございます。

 ただ、アメリカという国も、そうやって非常に可能性のある国でございます。その意味で、非常に個人的な質問になって、またある意味では大変失礼な質問かもしれませんが、孫さんの場合、そこにアメリカという選択肢はなかったんでしょうか。

孫参考人 ありました。私は、十六歳でアメリカに渡りまして二十二歳まで、アメリカの大学を卒業するまでいたわけですけれども、既に学生時代に会社をアメリカで始めておりましたし、アメリカの社員を多く抱えておりましたので、このままアメリカに住んで、アメリカのグリーンカードを持ち、将来は市民権も取ろうか、またその方がいろいろな選択肢、自由度、発展性はあるかもしれないということで、大変そのことを一時あこがれもし、また実際にそういう選択をしようかと思いました。

 ただ、私は十六歳のときに、アメリカに行くとき、日本を離れるときに、日本に住んでおります母親と、大学を卒業したら必ず日本に戻ってくるという約束をしておりましたので、その約束を果たすために日本に帰ってまいりました。

 日本に帰ってきてみますと、やはり日本はすばらしい国だ。大変治安もよいし教育レベルも大変すぐれている、経済もすぐれている、だからこの日本で自分の家庭を持ち子供を育てたい。この日本のよさもさらに再認識したわけであります。

 そういう意味で、私は、両方の国ともすばらしいというふうに思っておるわけですし、また、先祖のおりました韓国だとか、あるいはさらにその前の祖先の中国というものに対するあこがれもございます。それぞれすばらしい国ですが、少なくともこの日本国が、世界じゅうの多くの学生たちあるいはその他の人たちにあこがれられる国、愛される国、しかも、そこで学んだ学生たちがいずれこの国にそのまま住みついて、そして国籍まで取得したい、その可能性が十分開かれているということでこの日本国に来る人々がふえたならば、すばらしい国になるんではないかなというふうに思います。

小池委員 それでは続きまして、きょうの、情報の方のお話を伺いたいと思っておりますが、まさにこの情報革命というのは、政治を大きく変える大きなツールであるというふうに私も体感をいたしております。

 例えばメールでございますけれども、これによって、全然見知らぬ人からいろいろな陳情事が舞い込みます、個人的なこと、そして社会的なこと。これは、これまでの対面型と違いまして、また、単にお手紙で来る、はがきで来るというのはございましたけれども、メールの中身というのはより個人的になってくるな、より本音的になってくるなということで、大変大きなツールであるなということを感じております。これまで政治にかかわったことのない人、一言で言うならば、いわゆる無党派層の方がメールを多用しておられるということを体感いたしている次第でございます。

 その意味で、おっしゃるように、電子投票、そしてまた、ひょっとしたら大統領選も電子投票によって行うというのは、これは革命的なことになるなというふうに思うわけで、それだけにそうしたくないというところも出てくるのかもしれません。しかし、パラダイムを変えるという意味での道具としてのe、eポリティックス、この重要性を憲法にどのように盛り込むかというのは、これは知恵の出しどころであるなというふうに感じたわけでございます。

 これは私の意見になってしまいますけれども、ことしの参院選は初めて非拘束という形の新しいシステムを取り入れられるんですが、それによってポスターが全国に計算上は大体二千万枚ぐらいあふれることになって、これは町の美化からもよくないし、かえって、こういうはっきりとした目標があるときにこそデジタルデバイドをなくすいい方法ではないかというふうに考えましたので、ネット上の掲示板のみを許すというような、ちょっと過激かもしれませんが、そんな方向もこの際だから示せたのではないかなというふうに思っております。

 ですから、eポリティックスというのは無限の可能性を秘めているということを、きょう孫さんのお話を伺ってますますその意を強くしたところでございます。まさにパラダイムの変更につながるという、情報革命とのつながり、これを憲法にどのように書き込むかは別にいたしまして、きょうお話しいただいたことをより盛り込めるような、そういう論議をこれからも深めていきたいと思っておりますので、この調査会に対しましての期待などを最後、伺えればと思います。

孫参考人 全く同感であります。

 また、センシティブな大統領制ということですけれども、なぜ今、直接国民がみずからの声で直接みずからのリーダーを選べないのか。もしかしたら、今の仕組みというのは、国民を信用してないのではないか。もし直接投票制にしたら、とんでもない人がただの人気投票で大統領になってしまうかもしれない、これを本質的に恐れているのではないだろうかというふうに思えるのですけれども、長い経験と歴史の中で、では、アメリカは本当にそれで国がだめになっているのか、直接国民が投票したらだめになるのか。僕は、決してそうはなっていないのではないか、やはり国民も学習効果が出てきているのではないかというふうに思うわけです。

 そういう意味でも、やはり日本国民が一人一人電子投票で直接の声を反映できるということになれば、国政への参加も積極的になるでしょうし、また道具としても十分それを可能にするものになるでしょうし、そうすると、派閥政治だとかなんとか言われるようなことももっとオープンな形になるのではないかというふうに私には思えるわけであります。そういう意味でも、これをいいパラダイムシフト、いい議論のきっかけとしてさらなる革新がされることを、あるいはそのような議論がされることを望む次第であります。

小池委員 ありがとうございました。

中山会長 藤島正之君。

藤島委員 自由党の藤島正之でございます。

 先ほど、先生まさに、もう二、三十年もすると技術として使っていくべき道具がクロスオーバーする時期が来るかもしれないというお話を伺って、非常に怖いような感じがしたんですけれども、それはそれとして、やはり先ほどの数字にありましたように、韓国で四百五十万件、日本で二十万件、こういう話を伺ったわけです。その中でも、フリーでフェアでなければならない、これは私ども自由党が最大に今言っているところでありまして、チェックは後でいいわけでありまして、基本的にはフリーでフェアな競争でなければならない。独占の問題はまたちょっと違うんだと思うんですけれども。

 それで、先ほどちょっとお話しになった電柱の使用の件なんですけれども、私も実は古いマンションに住んでおりまして、三十軒ぐらいなんですけれども、ケーブルを引こうという話になりました。あるケーブル会社に相談しましたら、すぐ近くまでケーブルはあるんだというんですね。ただ、道路を一本またぐだけで数百万かかる。それで、昨年秋、一応依頼しましたら、調査にまず二カ月かかる。それから、電柱、それぞれ使用のいろいろな手続等をやりますと、また数カ月かかる。これでは韓国と差がついてくるのもむべなるかな、こういう感じがしたわけであります。

 情報革命、情報革命と大上段に行く前に、まずそういった既存の規制社会を行政の面からあるいは政治の面から直していかないと、これはどうにもならないなという感じがしたわけです。その辺、私は孫さんを世界人間と見ておるわけですけれども、日本というのはもっともっとそういう点がたくさんあるんだろうと思うんですけれども、どういうふうにお感じになっていますでしょうか。

孫参考人 全く御指摘のとおりでありまして、このルールが日本人の進化を妨げるという問題はゆゆしき問題であろう。

 実際に、私は、電柱に光ファイバーを引くのに妨げになっている某電力会社の、電柱の許認可を持っている本部長に電話で問い合わせました。なぜ引けないんですかということを言いましたら、これはもう六十五年来、昭和の初期からのならわしである、しかもルールであるというようなことで、私はもう目が点になりました。それを何か番人のように、本当に後生大事に守っている、それが自分の正義だというふうに思い込んでいる状況があるというのは、これは大変な勘違いではないかなというふうに、その方が頑張れば頑張るほど、日本の国がおくれてしまうということなわけです。

 しかも、その方は、ちゃんと法律でそれを定めているんだということまで盾にとって、電気通信法があるんですけれども、これを盾にとって言っておられましたけれども、そういう方がそういうものを言いわけとして使わないように、法律を変えるのはやはり先生方でありますので、先生方がまさにリーダーシップを発揮して、そういうものをどんどん変えていくということをやっていかれれば、そういうものを言いわけに使う方がいなくなるんではないかなというふうに思います。

藤島委員 どうもありがとうございました。

 視点をちょっと変えまして、日本の資本市場の問題です。孫さんは非常にアメリカで成功されて、日本でもどんどんそういう方に進出しているわけですけれども、やはりこれから、成功したところだけではなくて、ベンチャーをどんどん育成していかなければいけないと思うわけですけれども、そういう中にあって、日本の資本市場というのは本当に現在のような状態でいいとお考えなんでしょうか。

孫参考人 私ども、実はそれが大変な問題だと思いまして、なぜこの国で、日本でベンチャーが育たないのか、その大きな要因の一つとして、資金の流れがある。資本市場に対するアクセスがほとんど事実上閉ざされているということが長く続いたわけであります。

 これまで店頭市場に公開するのに平均二十八年かかっていたんです。株式公開するのに平均二十八年かかったならば、もうIT革命は半ば終わっちゃうというということで、日本が大変だということで、私どもは、どうしても改革しなければならないということで、ナスダック・ジャパンというものを名乗りを上げました。

 その結果、東京証券取引所でも新たにマザーズという市場をつくり、また、日本の店頭市場もこれを改革して、競争して、この三つの市場が、従来一つしか入り口がなかったのが三つの入り口でお互いに競争し合って、新規株式公開を促すということになりました。その結果どうなったかというと、過去の歴史上最大の株式公開ラッシュが去年やってきて、ことしもそのペースが落ちていないという状況であります。

 ですから、競争政策というのがいかに大事かということを、ここでも目の当たりに私ども体験したわけですけれども、そういう意味でも、資金の流れが、株式市場だけではなくて、間接金融である銀行からも積極的にそういうものが流れるように、ぜひさまざまなリーダーシップを発揮していただきたいものだ。私どもも、民間の力でやれることはぜひやっていきたいというふうに思っております。

藤島委員 そういう新しい市場をつくられたのは、非常に私は敬意を表するものでありますけれども、それはそれとして、ベンチャーに対する国の助成といいますか、アメリカなんかでもかなりやっているわけです。それが成功に直ちに結びつくようなものでない分野でも、どんどん国の助成が行われている。

 こういう中にあって、我が国は、かけ声だけは結構いいんですけれども、実態面でかなりおくれているような感じがしておるんですが、その辺、いかがに。

孫参考人 ベンチャーの会社に国が助成資金を出す必要は、私はないと思っております。

 それよりも、構造的な改革で、ベンチャーの会社がベンチャーキャピタルから、事業としてお金を投資するベンチャーキャピタルから自然の競争原理でお金を得ていく、また戦い抜いて勝っていくという形があればいいと思います。

 ですから、むしろ大事なのは、助成資金を出すよりは、規制を緩和し、ベンチャーの企業が独占企業とも戦えるように独禁法の適用をもっと促進し、こういうことの方が大事ではないかな。

 さらに、外国では、ベンチャー企業に対する税制の優遇、成功したときにおける税制の優遇というのが積極的に行われ、それが大変機能しているという事例もたくさんあります。ですから、助成金を出すよりは、リスクを大変伴う事業なので、成功したときの見返りがそれなりに配慮されている、これはあってもいいのかもしれないというふうには思います。

藤島委員 確かにそこは重大な、重要な視点じゃないかなというふうに私も思うわけですけれども、まさに孫さん、そういう点、自分でやってこられたということで、非常に迫力のあるお話だ、こう思います。

 最後に、私は、本当に先ほどのように、孫さんは世界人間じゃないかと思っていたんですが、国を愛するとか日本を愛するとかいう言葉が非常に多かったので、実は私は非常にうれしく思ったものであります。

 しかし、この情報革命、情報に関していいますと、まさに世界的なものが大事なので、例えばウイルスの問題もかなりお話ありましたけれども、こういうのは一国だけで抑止できるものでもないので、その辺、世界が同時に規制をするなり罰則を強化するなり、そういった点をやっていく必要があるんじゃないかな、こう思うわけですけれども、いかがお考えでございましょうか。

孫参考人 全くおっしゃるとおりでありまして、やはり、国際的な共通の話し合いの場あるいは実行部隊であります国連だとか世界銀行、IMF、そういうようなものにもっと積極的に日本が関与して、リーダーシップを発揮してやっていくことで、世界的に解決しなければならない問題に対して、発言する国として、貢献する国として僕は関与すべきであろうというふうに思います。

藤島委員 私どもも、これからフリー、フェアという点を強調して頑張っていきたいと思います。

 時間の前ですが、終わります。

中山会長 春名直章君。

春名委員 日本共産党の春名直章です。きょうはどうもありがとうございました。

 二点、最初に私の意見を申し上げておきたいと思います。

 第一点は、集団自衛権のところで、日本は勝手に攻めないということを明記してほしい、高らかに宣言すべきだということなんですが、御承知かと思いますが、憲法九条第一項、二項もそうなんですが、そのことをはっきり宣言して、平和主義国家として生きていくということを世界に宣言しています。と同時に、日本国憲法の先駆性のゆえんは、この九条の二項のところに、陸海空戦力を持たない、常備軍を持たないということまで明記しているんですね。

 この点が非常に私は重要でして、二十世紀の後半は戦争違法化という流れの時代ですから、それを二十一世紀に、いよいよこの憲法九条が、そういう方向に進んで、値打ちを持っていく。孫さん、平和主義者だというふうにおっしゃいまして、やはりそのお気持ちを全面的に生かしていく憲法がこの九条であるし、憲法だというふうに私は思うのですね。これは私の意見で、申し上げておきたい。

 同時に、孫さん、国際貢献について、エネルギー問題や温暖化問題などで大いに国際貢献してほしいということをその次の項でおっしゃいました。まさに私も賛成で、核兵器の廃絶とか南北問題の解決とか、それから地球環境の破壊の防止、こういうものは憲法、特に前文にそういう精神が明記されていまして、この精神に沿って、こういう国際的な平和貢献を今やっていくということが二十一世紀の日本として私は大事だな、お話を聞いていて非常に感じた次第です。

 第二点目は、新しい人権の問題のお話がされまして、ネットアクセス権、それからプライバシー保護の権利等々についてなんですが、私も、そういう権利をしっかりと守っていく、当然のことだと思うのです。

 憲法の中に、言葉としてはそれは出てきません。ただ、ネットアクセス権というのは、広く国民の知る権利に属しています。それから、プライバシー保護の権利ももちろん大事です。そういう問題は、日本の憲法というのは三十条の人権規定がありまして、十一条で基本的人権をしっかり守る、第十三条で幸福追求権、幸福に生きる権利があるんだ、そしてそれの具体化として二十一条の表現の自由、そして通信の秘密、これを守る、そういう権利等々が非常に包含をされているわけなんですね。

 ですから、今おっしゃったその気持ち、私、この憲法のこの精神をしっかり守れば、実際に法律の分野でそれを実現していくということが今問われているように感じるわけです。実際、今度の国会では個人情報保護法が議論されます。それから、昨年、私も議論しましたが、不正アクセス防止法を議論して、通過しています。そういう立法の作業をこれに合わせて大いに進めていくということを重視すべきではないかということを最初に申し上げて、感じたことですので、これは私の意見です。

 それで、インターネットとIT革命で、孫さん、お話がありましたように、人類にとっては本当に大きな進歩の画期をもたらすことになると思います。そこで、私、非常にお聞きしたいのは、その大きな進歩、その恩恵をすべての国民がいかに享受できるようになるのかということが非常に大事じゃないかなと感じるんですね。そういう観点から、幾つかお聞きをしたいと思います。

 先ほど細野さんもお聞きしたことが一つあるんですけれども、参考人は、IT戦略会議の委員をされて、非常に示唆に富んだ御意見をお述べになっているわけなんです。そこで議論された目玉が、世界最高水準の高度情報通信ネットワークの形成ということで、IT基本法にもそのことが明記をされているわけです。

 そこで、それを具体化した来年度の予算案が、二千百八十八億円計上されているんですが、よく見てみると、国土交通省所管が二千百八億八千百万円で、九六%を占めているんです。その大部分は、お話があったとおり、国道に沿って光ファイバーを通すための管路、つまり共同溝を掘る予算なんです。一生懸命穴を掘っているわけです。既にある管路に民間が実際光ファイバーを通した距離というのは、管路の延べ二万キロ中、今わずか千キロ程度、ほとんど穴だけということになっている。都市間を結ぶ光ファイバーの幹線は既に大量に余っている、こういう指摘は広くされている。

 だから、率直に言って、こういう穴掘りが世界最高の高速ネットワークづくりと本当に言えるんだろうかという気もしますし、そこに大量のお金を使うことが最も有効なんだろうかという気が私もするんです。その点でのお考えをぜひ聞かせていただきたいと思います。

孫参考人 まさに、日本国憲法は大変すぐれた憲法であるのではないかなというふうに、私も、改めて読み直してみて感じました。ですから、誇りに思っております。

 二十一世紀の長い時代を考えたときに、そこに幾つか、より明確化した方がいい、あるいは、先ほどから出ておりますような、直接国民による投票だとかその他においては、憲法のレベルまで含めて、場合によっては議論してもいいのではないかなという重大なテーマかもしれないというふうに思えるわけです。

 例えば、十八歳以上投票権を持つとか、そういうようなことについても、この憲法に関する議論をきっかけにして、どのレベルは憲法レベルまで踏み込むとか、どのテーマは商法でいいとか、あるいは民法でいいとか、その他の法律で済むという次元のものもあるかもしれません。ただ、抜本的な議論を一回する、二十一世紀のために行う、こういうプロセスは大変重要なプロセスではないかなというふうに思うわけであります。

 内容によっては、人間が決めたルールですから、人間が変えてもいいのではないかな、もし変えた方がいいというコンセンサスができたものがあれば、それはあってもしかるべきだろうというふうには思います。

 次に、情報ボックスで穴を掘ることに大半のお金が、予算が行っているという点については、同じ二千八百億あるいは三千億を使うならば――僕は、情報インフラをつくるためにもっと一兆円、二兆円使ってもいいのではないかというふうに思うのですけれども、先ほど言いましたように、これから二十一世紀の基幹的インフラですから、道路よりも大事だ、鉄道よりも大事だ。インターネット、コンピューターは電話よりもテレビよりも自動車よりも大事な人類の発明品であろうというふうに私は思っておりますので、そのインフラを強化するために優先的に予算を使うことはあってしかるべきだというふうに思います。

 ただし、その予算配分の分配の中で、情報ボックスに九六%行っているとするならば、私はそこまでの分配配分になっているというのは今改めて認識しましたけれども、そういう偏りであれば、もう少し優先順位として使うべきテーマは幾つもあるのではないかなというふうには思います。それは御指摘のとおりだと思います。

春名委員 先ほど十八歳選挙権の話が出まして、私は本当に絶対やらなきゃいけないと思っていまして、これは国民主権という原則から見ると、直ちに立法化しないといけないというのを私は実感しています。

 それで、二つ目にお聞きしておきたいことがございます。電子商取引における消費者保護、個人情報保護の問題についてです。

 人権ということを考えたときに、消費者保護、個人情報の保護というのはどうしても避けて通れないと思うのですね。そのことが非常に後回しにされている傾向があるのですね。

 例えば、国民生活センターに寄せられたインターネット関連の消費者の苦情が急増しているのですよ。九五年度は六十三件だったのが九九年度には六千件を超えて、非常に苦情が殺到しているという状況になっているわけです。

 業界、業者の自主規制も必要だと思いますけれども、国として、政府として、悪質業者を締め出す問題だとか、あるいは消費者保護の何らかの立法的なことも含めた対策だとかいうことが、これからインターネット社会になっていく中でいよいよ必要になってきているなというのを私は実感をするわけなんですが、孫さんのお考え、この点ではどうすればいいのか、お聞かせいただけたらと思います。

孫参考人 基本的に、消費者保護、特に、例えばあるウェブサイトでクレジットカードを使って物を買った、その人のeメールアドレスだとかクレジットカードのアカウント、あるいはその他の情報がほかの業者に勝手に知らないままに分配されるということがかなり不法地帯のように行われている場合がある、これはやはりよくないことであろうというふうに思いますね。

 ですから、そういう点においては、情報社会が進化していく上において新たに生じるより大きな問題というのは、ちゃんと脚光を当てて議論をして、定めるべき点は定める。これは、自動車社会になって、公害を法律で取り締まるとか、交通違反を法律で取り締まるのと同じように、情報社会になって新たに生じる問題は情報社会としての新たなルールがあって当然だろうなというふうに思います。

 ただし、規制が行き過ぎて、それがゆえに進化を妨げるということがあってはいけませんので、その産業界の実際のプレーヤーの人々と、それからルールをつくる人々が十分に議論を交わすということがあわせて大事であろうというふうに思います。

春名委員 ありがとうございました。

 次に、雇用問題についてお考えをお聞きしたいと思います。

 現在、日本の失業率は四・九%です。最悪の状態です。ITは新たな雇用創出の重要な手段たり得る可能性があると思います。と同時に、効率化ということだけが進んでいくと、雇用の受け皿が減少したり、失業増大の要因にもなりかねないという両面があるのかなという感じを受けているんです。

 孫さんがインタビューに答えて、週刊東洋経済の八月二十六日号で、アメリカでは、IT革命の結果、失業率は歴史上最高レベルにまで下がってきているんです、逆に人手が足りないぐらいです、むしろ雇用が促進されているということをお話をされているのを興味深く読みました。それが事実とすれば、アメリカのように日本もこのIT革命を雇用拡大に結びつけるということが大事だと思うんですね。逆にそれが余計足を引っ張るということにならないようにするということが政策上大事なんだろうと思います。

 そういう点で、私たち政治家あるいは政府は、雇用拡大に結びつけていくということでいえば、どんな責任を果たせばいいのか、どうすればいいのか、アメリカの経験などもあればお教えいただければと思います。

孫参考人 アメリカが証明したものは、IT革命によって、雇用の数の拡大と同時に、クオリティーのレベルアップ、質の向上もあわせて伴って、一人当たりのレベルの高い、生産性の高い、賃金がふえる形での雇用をふやしていったということがあわせて言える点ではないかなというふうに思うんですね。やはり、付加価値の高い雇用を促進することによって人々はより豊かになるわけですし、国力そのものも増していくということになるんではないかと思うんですね。

 国際社会、自由貿易はますます進めなければいけない、進むであろうという状況の中で、単純な組み立て作業とかにおいては、これはやはり多くの海外の国々に移転していくという時代がますます進んでいくと思うんですね。そうしたときに、日本が空洞化現象が起きる、これは大変ゆゆしき問題であります。ですから、そういうところにおられる雇用の比率を、これからできるだけ若い世代には、学生の間からデジタルデバイドをなくし、国民の一人一人がすべてひとしく新しいすぐれた情報教育を当たり前のこととして受けて、質の高い雇用が促進されるということが同時に必要であろう。

 そのためにも、先生方が政治的リーダーシップを発揮して、教育の内容を変えるということ、そして雇用の自由化というものももっと推し進めるということ、これが大事なんではないかな。そして、どんどんと競争促進の環境が整うことによって、先ほどの独占禁止法をもっともっと進めて、ベンチャーカンパニーが生まれてくることによって新たな雇用が生まれていく、そういう面でもこれは大切なことではないかな。

 先生方のリーダーシップは、教育の面、制度の面、政策の面、法律の面ということで、大いに活躍を期待したいところだというふうに思っております。

春名委員 どうもありがとうございました。

中山会長 大島令子君。

大島(令)委員 社会民主党・市民連合の大島令子でございます。

 早速、質問に入らせていただきますが、孫さんにおきましては、私は、現行憲法は犠牲を重ねた上での、そういう歴史の上に築かれたものというふうに認識しております。

 同じ戦後生まれの孫さんと私でございます。そのような中で、きょうのお話の中で孫さんは、国連軍にのみ参加するべきだというふうにおっしゃいました。そこで、私はすごい心配しているのですが、では日本は軍隊を持つべきである、そういう認識でよろしいのでしょうか。

孫参考人 私は基本的には平和主義者でございます。ですから、人が人を傷つける、しかも意識して傷つけるということは、決してあってはならないことだというふうに思っております。ですから、戦争のない平和な世界にしていくということが第一義的なことであろうというふうに思っております。そういう意味でも、国連に常任理事国として積極的に参加し、戦争を違法であるという形で、世界じゅうから戦争をなくしていくということを積極的にリーダーシップを発揮してやっていくべきではないか、こういうふうに基本的に思っております。

 そういう中で、もし世界の中で、たしか二百カ国以上ある中で、一カ国か二カ国かのどこかが何かの間違いで世界じゅうに攻撃をし始めたとか、あるいはある地域に壊滅的な問題を起こしそうだというときに、ではどうやってそれをとめたらいいのかということですね。これは大変難しい問題だと思います。できることであれば、人命を一人も傷つけることなく、そういう戦略兵器のみを破壊するということができれば一番いいと思っております。

 日本の国内で、警察が鉄砲を持っております。けん銃を腰にぶら下げております。もし日本国内に一人もけん銃を持っている人がいなくて、一人も刃物を悪さに使う人がいなくて、けん銃を一回も使わないで済むならば、こん棒だけで事がおさまるのであれば、けん銃がないにこしたことはないというふうに思います。しかし、中にはそれでおさまらない場合がある。

 でも、このけん銃の弾を撃つときには、あるいは撃った後には、膨大な手続があって、なぜそれを使わなければならなかったのか。これをみだりには使わない。これを勝手に発砲しない。しかも、個人の判断で発砲しない。国家の仕組みとしてこれをルールで定めて、警察ではない個人が勝手に鉄砲を持ってはならない。警察ではない一家族が勝手に鉄砲を持って人を傷つけてはならない。同じように、国際ルールで定めて、国際的にこれはとめなければならないというときのみ警察のような形でとめるということは、もしかしたらあってもいいのかもしれない。

 しかし、もし我々日本国が、国連の常任理事国として一切けん銃を使わなくて平和が保てるような、すべての国から核兵器その他をなくすことができるというのであれば、平和にこしたことはない。また、そういう議論を促進すべきだろう。二十一世紀においては、日本国がリーダーシップを発揮して平和な世界にすべきであろう、私はそういうふうに思っております。

大島(令)委員 ということは、日本にやはり軍隊は必要がないというふうに考えていいのでしょうか。

孫参考人 長い目で見たときには必要がなくなる。また、必要がなくなる世界にしなければならない、そういうようなリーダーシップを日本が発揮すべきだろう。

 もし警察のような機能を一時的に一部持つとするならば、それは国際社会のルールに基づいてのみ、コンセンサスによってのみ参画すべきものであり、しかも一時的なものでなければならないし、制限的なものでなければならないのではないかというふうに私は思っております。

大島(令)委員 イギリスの前の首相、アトリー首相という方が戦後見えました。その方が、戦後間もないある会議の講演で、歴史を振り返ってみると、戦争は武器のできる前からあった、武器の数が戦争を起こすのではなく、戦争は人の心の中に起きる、芽生えるものだということを言われまして、非常に私もそうだなと実感しております。であるならば、戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。

 孫先生は、先ほど、近い将来、人間にかわるほどコンピューターが能力を発揮するのではないかというふうに申されました。であるならば、私は、コンピューターを戦争を抑止する方法としてもっと活用する方法があるのではないか。例えば、憲法九条との関係で言えば、湾岸戦争は情報戦争でしたね。勝った国はほとんど犠牲者がない形で戦争をやりました。しかし、情報通信というのは、戦争とともに発展してきた技術というふうに言われております。

 であるならば、孫さんは、ITというコミュニケートする手段ができたのだから、ITを戦争を起こさない条件づくりのためにもっともっと活用していただきたい、そういうふうに思うわけなんですが、実際的に、私は専門家ではございませんので、今までそういうお仕事をしてきた中で、どういうふうに平和的にITが貢献できるのか、考えを聞かせていただきたいと思います。

孫参考人 おっしゃるとおりでありまして、私も、基本は全く平和主義者でありますので、人間が人間を傷つけてはならないと思っております。

 また、ITの技術が、実は人を傷つけずにそういう戦略的兵器のみを破壊する、よりピンポイントがさらなるピンポイント、スーパーピンポイントという形で武器のみを破壊する、あるいは抑止するということにも技術的に可能な時代が二十一世紀にはやってくるんではないかな、こういうふうにも思っております。

 そのためにも、こういう平和に対する議論というのは、国際社会の中で、唯一原爆を体験している日本がリーダーシップを発揮して、いかなる武器も国際社会の中で違法である、こういうようなものを積極的に発言し、またリーダーシップを発揮してやっていくべきであろう。そういうような武器を持った国、あるいは持っているということを、コンピューターその他の力でいち早く認識し、またそれを取り締まるというようなことにも活用していくべきであろう、こういうふうに思います。

 そういう意味で、私は、基本的に、二十一世紀は血を流さなくて済むような時代が来るであろうという意味で、基本的には楽観主義者でおります。

大島(令)委員 では、少し違う観点から、情報通信産業というのは、具体的に体を動かし機械を使って物をつくるという部分から、非常に頭を使う、創造力を使う産業、そういう形に産業構造がシフトしていく中で、働く人の労働条件ということに関して考え方を伺いたいと思います。

 九八年の労働基準法の改正で、ホワイトカラーの人たちに対しても、裁量労働制というのが認められるようになりました。今まで裁量労働制が認められている職種は、弁護士、公認会計士、医師ですとかプロデューサー、デザイナーとか、限られた職種でございました。しかし、このとき社民党は反対したんですけれども、今、企画業務型の仕事が必要である、企画、立案、調査、分析に関しては、本人の同意があれば企業としては裁量労働を認めていいんだよということに今なってきたわけなんですね。

 そうすると、例えば、今まで、残業した場合には残業代が支払われます。基本給三十万で残業代が十万とすると、四十万の月給がいただけた。ところが、裁量労働だから、三十万円基本であとは裁量労働手当として五万円、そうすると三十五万という形で、結局は労働者にとって、それが賃金と豊かさとの駆け引きの中でマイナスの方向に行くのではないか。

 憲法の絡みで言えば、憲法二十五条には、私たちは健康で文化的で豊かな生活をする権利が保障されているわけなんですね。しかし、裁量労働というのは、ノルマとか、何日までにこれをしなさいということでございますので、夜中まで自分の家で仕事を持ち帰ってする。きのうの新聞でも過労死の問題が出ていました。

 そういう観点から、こういう情報産業の分野でこれから、孫さんは会社をたくさんお持ちで、御自分の会社の中にも社員の方がたくさんお見えだと思いますけれども、御自分の会社の労働者をそういう方向に持っていくのか。または、きちっとした労働条件の中で、憲法でうたわれている基本的人権、文化的で豊かな生活をする、ノルマ、ノルマで締めつけられないような豊かな生活を送るために、この情報通信産業がそういう雇用形態を、リーダーシップとなるような会社経営のあり方を私は希望したいわけなんですが、御自分の会社を運営されていく上で、この点に関してどのような考え方をお持ちでしょうか。

孫参考人 私は、フリーでフェアでグローバルで、しかも、人が人をお互いに尊重し、愛し合う、そういうものが基本であるべきだろうというふうに思っております。そういう意味で、どういう職種はどうである、こうであるというものを余りルールで縛るのではなくて、ルールはできるだけフレキシビリティーがあってフリーな方がいいと思います。また、あわせて、ルールはフェアになっていなければいけないというふうに思います。

 ですから、もしさまざまな規制が、ルールとしてそのフレキシビリティーをなくし、国際競争力あるいは企業間競争力を損なうような形になったんでは、これは本末転倒だと思います。ですから、そこの点はできるだけフレキシビリティー、フリーさというものを、私は規制を緩和していった方がいいんではないかなというふうに思います。

 ただ、それによって生じる問題点は、さまざまな愛情とさまざまなフェアさ、正義感、こういうようなものをもってカバーしなければいけない、自由にすることによって新たに生じる問題点は、ピンポイントでそれを救うための新たなルールづくり、配慮というものをやっていくべきではないかな、こういうふうに思います。

大島(令)委員 ありがとうございました。

 評論家の佐高信さんが、会社というのは憲法番外地であるというふうにおっしゃっていましたので、一言こういう産業界で働く方々の労働条件に関してもお尋ねをさせていただきました。ありがとうございました。

中山会長 斉藤鉄夫君。

斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。きょうはお話を伺いまして大変感銘を受けました。ありがとうございました。

 私は、三点御質問をさせていただきたいと思います。

 最初の二点は、フリー、フェア、オープンな、基本的に自由な競争を原則とする情報社会における国の役割、国策の役割ということに関しての二つの質問でございます。

 一つ目は科学技術政策でございますけれども、自由な競争社会といいましても、その競争力の基礎になる技術力、これはやはりパブリックセクターがある程度支援をし、お金を出し、その競争力をつけていく基本的な力を持っていかなくてはならない、国が科学技術に対してある程度の支援をしなくてはならない、これがあると思います。そういう意味で、日本の科学技術政策に対して何か御意見があればということ。

 それから、二十世紀は物理の世紀、そして今世紀は生命科学と情報科学の世紀、このように言われております。その生命科学については、余りのスピードの速い進展ということもありまして、生命倫理についても国がきちんと定めなきゃいけないというふうなことがありまして、昨年も、初めて研究者の権利を縛るような形でヒトクローン個体産生禁止の法律をつくりましたけれども、そういう意味では、情報科学の社会、情報社会にあって情報倫理というある程度一定の縛りも持たなきゃいけない社会になるのかな、これも科学技術政策の一つの大きな課題でございますが、この点について御意見があればお聞かせ願いたいと思います。

孫参考人 全く重要な問題でありまして、その点は、私も先ほど冒頭に申しましたように、科学技術が大変進化する、特に情報革命が一気に進む。

 この生命科学の点は、特にコンピューターの情報革新の技術と、それから従来のライフサイエンスの技術の融合体であります。欧米ではバイオインフォマティクスという呼び名で呼ばれておりますが、バイオの世界とインフォマティクス、つまり情報の世界、これの両方が結合して生まれた新しい科学技術であり産業である。これがゲノムあるいはポストゲノムということで、次々に今DNAだとかあるいはプロテオミクスというものの解析がなされてきております。

 これが生み出すものは、先ほど私は冒頭に、コンピューターが脳細胞の働きを超えるかもしれない、しかも二〇三〇年ぐらいに機能的にはクロスオーバーの時期がその前後にやってくるかもしれないということを申しましたが、それはまだコンピューターで済んでいる話なんですけれども、このバイオインフォマティクスの世界が、もし我々人類がこのバイオインフォマティクスに対する情報科学技術倫理というものを明確に定めておかなかったならば、我々人類のDNAそのものにもしかしたら大きな障害なりあるいは新たなウイルス、こういうものを生み落としてしまうかもしれないというぐらい危険なことであろうというふうに思っております。

 人間の複製コピーがクローンでどんどんつくられて、しかもそれが特権階級の人にだけ、自分の臓器をどんどんつくるということになったり、あるいは脳細胞まで含めてクローンなどがやられたら、これは大変なことになるというふうに思っております。

 ですから、私は、この生命科学においても、あるいはコンピューターにおける問題においても、先ほど申しましたコンピューターウイルスについても、ハッカー、テロにおいても、まさに情報科学技術倫理に関することではないかなというふうに思います。

 そういう意味でも、いち早く、小学生のときから教育でこういう倫理に対するものをしっかりと指導していく、議論しておくということは大変重要なことであり、また法律の面でもそういうことを定めることが肝心なのではないかなというふうに思っております。

斉藤(鉄)委員 二つ目の質問は、セーフティーネットとしての福祉についてでございます。

 自由競争社会での情報化社会というのは、物すごい格差を生む。これまでの農業社会、工業社会とは格段に違う格差を生むと思います。そういう中で、セーフティーネットとしての福祉ということも私ども重要だと考えておりますが、この点についての孫先生のお考えをお伺いいたしたいと思います。

孫参考人 福祉の問題は大変重要であると思っております。

 これまでの産業革命による時差というのは、早く取り組んだ国と遅く取り組んだ国に百年の時差がありました。いまだに電気が通っていない市町村がたくさんある国が世界の中にはあります。この産業革命に対する取り組みの時差百年の結果、どういう経済格差が起きたか、教育格差が起きたか、これはもう歴史的に証明されております。もし、この情報革命の情報化社会になるこの二十一世紀において、また五十年なり百年の時差が生じたならば、もう取り返しのつかないぐらい決定的差になるであろうというふうに思っております。

 ですから、国際社会の中においても、このデジタルデバイドというものは、薬だとか食料とかその他と同等に、あるいはそれ以上に知的格差が大きな社会問題になると思いますが、日本国内においても、もし、この情報技術に対する教育が義務教育の中に必須科目として十分に入っていなかったならば、それを若い段階で教育を受けた人とそうでない人の格差が余りにも出過ぎて、国民の中に二つの階層が出てしまう。これは、特に我々の子供の時代、孫の時代にはあってはならないことだろう。

 そういう意味でも、基本的総合的福祉という面で、食べること、生きること、病気に関すること、生活する資金の面に加えて、知識の面における格差が起きないような意味でも、福祉政策というのはトータルで考えなければいけないんだろうなというふうに思います。

 また、この情報技術の革新が、生活に困った方々に対する福祉政策の面においても、大変効率よく機能するのではないかな。こういう面でも、私は技術革新を信じたいところだというふうに思っております。

斉藤(鉄)委員 最後に、孫先生のお話の中で大統領制という話がございました。この点についてお話を伺いたいのですが、我々は、よく首相公選制という言葉を使います。この首相公選制は、あくまでも現在の議院内閣制というこのシステムを維持したままで直接国民が総理大臣を選ぶということでございます。大統領制となりますとちょっとまた話が違ってきまして、ある意味では天皇制ということとも触れる問題になってくるわけでございますが、ここで孫先生が首相公選制という言葉ではなくて大統領制という言葉を使われたのには何か特別な意味があるのか、それとも、我々国民が直接リーダーを選ぶということの象徴としてこの言葉を使われたのか、その点を最後にちょっとお伺いさせていただきたいと思います。

孫参考人 私は、国民が直接みずからのリーダーを選ぶということに力点を置いたのみでありまして、それが首相制であろうが大統領制であろうがどちらにも一長一短はあると思いますので、それは、十分これから先生方あるいは国民が議論をしていけばいいのではないかなというふうに思います。

 また、それが大統領制であれ議院内閣制であれ、両方ともに、この二十一世紀という中で徐々に機能も進化していくものであろうというふうに思いますので、それは、これから進化のプロセスを私は信じていきたいと思いますが、最も重要な決定的違いは、国民がみずからの意思でみずからのリーダーを選べるのか選べないのか、これは決定的、思想の問題にかかわるぐらいの重要な点であろうというふうに思います。

 ですから、この点においては私は、国民がみずからのリーダーを選べる、また、国は国として、みずからのリーダーを選ぶ能力を国民は持っているということを信じて、もともと国というのは国民によってつくられた団体ですから、その団体が国民を信じなくてだれを信じるんだ。長い目で見たときに、そこにゆがみがあったら、それはやはりゆがみとして国民から不評を買うことになるのではないか、それは長続きする構造ではないのではないか、フェアな形ではないのではないかというふうに思えるわけであります。

 ですから、二十一世紀において、国民が直接みずからの手でみずからのリーダーを選ぶという権利を得るべきであろうというふうに思うわけであります。

斉藤(鉄)委員 大変すばらしいお話、ありがとうございました。

 終わります。

中山会長 次に、近藤基彦君。

近藤(基)委員 21世紀クラブの近藤と申します。最後の質問者でありますので、いましばらくおつき合いをしていただきたいと思うのです。

 まず初めに、インパクのことをちょっとお聞きしたいのです。これはインターネット上の博覧会みたいな企画で、私自身は、IT革命を実現する上で、魅力のあるコンテンツを一堂に集めて、そのことでネットの利用を促進したり社会経済活動の活性化を図ろうという考えは大変評価できると思うのですが、孫先生はどうお考えでしょうか。

孫参考人 思想として私は大賛成なんですけれども、その手法論として、現実的にはインパクに参加したのは、ほとんど地方自治体がその参加メンバーで、地方自治体博覧会みたいな感じに実態としてなっているような気がいたします、一部企業も参加しておりますけれども。もっと広く、国民全体が参加できるような、つまりインターネットというのはもともと草の根運動から来ておりますので、国民全体が、あるいは世界のあらゆる人々が自由に参加できるような、また参加することにメリットを感じるような、そういうものに進化していった方がいいのではないかなというふうに思っております。

近藤(基)委員 大変滑り出しがよかったように聞いていますけれども、その後アクセス数も下落の一方ということで、これは、一つは、今孫先生言ったように、オープンになってない部分、それからPR不足ということもあるのだろうと思います。

 そのほかに、高速通信のインフラ整備が非常におくれていて、これをつくっているクリエーターの人たちが大変工夫を凝らしていろいろなコンテンツを入れてきて、特に動画などの大容量のデータが非常に多いということで、一般のインターネットの人たちがダイヤルアップするときに表示に時間がかかったりして使いにくいという面も一面あると思うのです。

 一つに、先ほど孫先生おっしゃっているように、インフラの整備のことでありますが、徐々にではありますが進んでいることは確かなのでありますが、革命的に進めるために、いろいろな工夫があるとは思うのですけれども、これをインフラの整備に限って、例えば公共事業的な部分がどの程度入り込めるのか、それとも全くフリーにして、各民間企業の競争に任せて整備を行った方がいいのか、その辺ちょっとお考えがあったら教えてください。

孫参考人 基本的には民間主導型でいくべきだろうというふうに思っております。

 先ほど申しましたように、電柱に一本一本許可をとらなければいけない、事前許可をとらなければいけないというナンセンスな点を即刻改めて、電波の周波数を開放するということ、この二つをやることによって、この高度情報通信インフラというもののインフラ投資が民間主導型で行われます。この規制を二つ取っ払うだけで、私の試算では、設備投資とサービス投資、合計で約百兆円民間による投資が行われます。

 百兆円というと、今日本のGDPが五百兆円ぐらいですから、二〇%に相当するぐらい大きなインパクトですね。これが仮に四、五年で起きるとするならば、年率に直すと四、五%に相当する。ですから、これだけ日本の経済が苦しんでいる状況の中で、私は、たった二つの、人間が定めた、日本人が定めたつまらない規制を取っ払うだけで、年率四、五%の日本の経済発展の促進が行われるということで、ほかのことを全部後回しにしてもいいからこの二つのことを重点的に、一日も早く規制を取っ払うべきではないかというふうに思うわけであります。

 ですから、先ほども言いましたように、二千万本の電柱、事前許認可制から事後届け出制、ただし、この工事業者は、高圧電流が流れておりますので、この技術主任の資格を持った人だけが電柱に登る、そこだけをきちっと担保しておけば変な事故は起きないわけですから、この工事業者の技術主任の資格をきちっと持った人が工事をする限りは事後届け出でいいよと。このルールに変えるだけで、先ほど言いましたように、民間主導で膨大な、それぞれ何十兆円の投資が行われますので、合わせて百兆円。何も公共投資は、先ほど出ていましたような二千八百億だとか一兆円だとか、その程度のお金はどうでもいいぐらいのお金だ、早く言えば。それよりも、民間が競争して、競争政策で、合わせて百兆円ぐらい投資する、これを促進する、この方が百倍重要な意思決定であろうというふうに思うわけであります。

近藤(基)委員 その点は私も賛成なんですが、それを推し進めていく上で一番私が心配しているのは、地域間格差、いわゆる地域間のデジタルデバイド。

 要は、民間企業はとりあえず営利を目的とするわけですから、やはり人が一番アクセスしやすいところを主に重点的に整備をしていく。本来ですと、情報の公平化を図るためには、あるいは過疎と言われている地域の人たちへの光の当て方は、情報が一番早い。病院がない、施設がなかなかない、あるいはいい医者がいないんだけれども、それがテレビあるいは通信を通じて指導ができるとか、いろいろな意味で過疎地域においての情報の公平化が一番図られるべきだと実は思っているんですが、それを民間の競争力に任せておいて果たして全国津々浦々まで高速通信網が行くのかどうなのか、それが一番私自身は懸念しているところなんですが、その点はどうお考えでしょうか。

孫参考人 おっしゃるとおりであります。その点は大変重要で、公共投資が何らかの形で補助できるとすれば、まさにそういう情報過疎地にこそ重点的に行われるべきであろう。それも方法論がありまして、公共投資を公共投資として特定の公共事業者に任せてやるのではなくて、民間が競争してそういうところに、例えば、情報過疎地域に一回線引くごとに、一回線ごとにその部分を税金を免除してあげる。あるいは、情報過疎地域に対する設備投資は、どの民間企業が行っても無利子融資をしてあげるとか、そういう政策をとることによって、みずからの事業のメリットのために過疎地域にも民間が競争して入っていく、こういう手法は幾らでもあるのではないかなというふうに思うわけです。これを特定の事業者にあるいは特定の公共投資の名のもとに偏った形でするのは、やはり間違いを重ねることになるのではないかなというふうに思います。

近藤(基)委員 もう一つお聞きをしたいことがあるのですが、ハードの面で。

 二〇三〇年ぐらいに人間の脳を超えるかもしれない、その前後十年ぐらいあるかもしれないということですが、もっと以前に、インターネット、あるいはパソコンそのものでもいいのですが、今現在使いこなせる人と使いこなせない人と、使いこなせない人も年代的にはかなり多いのだろうと思います。ただ、使いこなさなくてもよくなる時代が実は来るのではないか。

 変な話ですが、しゃべれば済む、タッチボードがなくなる時代が実は来る、その二〇三〇年以前に、もう既に目の前まで来ているのではないかと思うのです。技術的に高度な技術を習得しなければいけない部分はもちろんあるのでしょうが、一般生活をするにおいて、通常のインターネットの売買、あるいは買い物、株の取引、タッチボードなしでも、あるいは障害を持った方でも自由に使えるような時代がすぐ目の前に来るだろうと思ってはいるのです。それと、先ほど先生がおっしゃった、義務教育の中での技術的な部分をきちっと教えなければいけないという以前に、もうそれを超えてしまうのではないかというような気がしてならないのですが、どうお考えでしょうか。

孫参考人 両方大事だと思います。使いこなさなくても使えるように技術が進化しなければならないと思います。ですから、自然言語で入力したり、つまり声で入力したりアウトプットを聞けたりということは当然なるでしょうし、また、ならなければならないというふうに思います。

 ただ、携帯電話で最近、若い女子高生、大学生が、電話でしゃべれるのにわざわざ携帯電話から電子メールでたくさん送っているというのを御存じだと思いますね。つまり、声でやるよりも電子メールでやる方が、より的確に、より便利に使えるという場合も結構あるのですね。ですから、僕は毎日キーボードを使って毎日インターネットで電子メールその他やっておりますけれども、キーボードでやった方が音声入力より速いのですね、なれるとはるかに速い。

 ということで、そういう意味でも、せめてキーボードが、読み書きそろばんよりも最近電卓だと思うのですけれども、読み書きキーボードぐらいは義務教育の中で当然あってしかるべきだと思いますし、また、自分が一生の中に一度も行かないようなどこかの国の川の名前を丸暗記するよりも、コンピューターがどういう仕組みで機能しているのかとか、小学校のときから電池の仕組みとか電流の仕組みとか、何かオームの法則とかいっぱい習いますよね。同じように、コンピューターの仕組みがどうなっているのかということを義務教育の早い段階で原理原則を学んでおくということ。それから、使い方においても自由にどんどん使いこなせるようなトレーニングをしておくということ、技能教育ですね。両方ともやることによって、継続的進化をこの日本に若い世代がもたらしてくれるのではないかというふうに思っておるのですね。

 ですから、技術は使いこなさなくても使えるようにならなければならないし、かつ、その上、教育においてもぜひ深く広くやっていくべきだ。両方必要だというふうに思っております。

近藤(基)委員 最後になりますが、情報に国境はないわけでありますので、特にインターネットには国境がないと等しい、水際で抑えることもなかなか難しいわけであります。先ほどもどなたか国際法というお話が出ていましたが、私はそれ以上に、情報分野の国際憲章的なものが実は必要なのではないのか。日本国憲法にもIT関連のものをぜひ入れなければだめだ、私もそう思いますが、その国際憲章を見据えた上での日本の憲法づくりがまずは必要なのではないのか。あるいは、それ以上に、日本国憲法に入れずに、国際憲章的な部分で全世界が批准するぐらいのことがないと、ハッカーなりウイルスなり、とにかくあらゆるものが国境なしで入ってきますので、その辺はどうお考えでしょうか。

孫参考人 全く同感であります。ぜひ国際憲章を、日本のリーダーの先生方が積極的に発言しながら、そういうものを提唱していくべきであろうというふうに思っております。もちろん、我々民間の人間も、民間の立場からできることは精いっぱいやるべきだというふうに思っておりますし、既にそういう努力をダボス会議その他でもやっておるつもりですけれども、ぜひ日本のリーダーの方々が、国際憲章づくり、あるいは国際法づくり、あるいは国連への関与その他において、積極的にリーダーシップを発揮するということが肝要であろう。

 また、サミットのテーマも、こういうコンピューターウイルスだとかハッカーだとか、あるいは先ほど出ておりましたライフサイエンス、バイオインフォマティクス、こういうような面において、まさにサミットで議論すべき重要テーマにこれからなっていくのではないかな。そういう意味でも、ぜひ先生方の活躍を期待したいところだというふうに思います。

 また、最後に、先ほど国民が選ぶ我が国のリーダーということを申し上げましたが、アメリカにおいてもイギリスにおいても、四十代のリーダーが国を引っ張っている。ロシアですら四十代の人間が国の改革を引っ張っていっているということでございます。日本の今のルールで、四十代の方が日本の総理大臣あるいは大統領になるということが事実上可能かというと、なかなかこれは難しい問題があるということではないかと思います。

 少なくとも選択肢として、少なくとも可能性として、そういうことが開かれている、必ずしも四十代がいいとは限りませんけれども、物理的年齢に何ら貴賤はないわけですけれども、あるいは優先順位はないわけですが、少なくとも選択肢として、そういう人々ですら名乗りを上げることができる、また力を発揮することがルール上可能であるということを担保することは、大変重要なことではないかな。

 少なくとも、二十一世紀にこれから入る日本が、これからの将来を考えると、我々の子孫のためにはそういうルールづくりを今から議論して変えていくべきではないかな、こういうふうに思います。

近藤(基)委員 どうもありがとうございました。

中山会長 これにて参考人に対する質疑は終了しました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 孫参考人におかれましては、貴重な御意見を長時間にわたりお述べいただき、まことにありがとうございました。調査会を代表いたしまして、心から御礼を申し上げます。(拍手)

 次回は、来る三月二十二日木曜日幹事会午前八時五十分、調査会午前九時から開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後零時二十四分散会




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