衆議院

メインへスキップ



第4号 平成13年3月22日(木曜日)

会議録本文へ
平成十三年三月二十二日(木曜日)

    午前九時四分開議

 出席委員

   会長 中山 太郎君

   幹事 石川 要三君 幹事 新藤 義孝君

   幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君

   幹事 保岡 興治君 幹事 鹿野 道彦君

   幹事 仙谷 由人君 幹事 中川 正春君

   幹事 斉藤 鉄夫君

      伊藤 公介君    伊藤 達也君

      奥野 誠亮君    梶山 弘志君

      倉田 雅年君    菅  義偉君

      田中眞紀子君    高木  毅君

      谷本 龍哉君    津島 雄二君

      中曽根康弘君    中谷  元君

      中山 正暉君    西田  司君

      鳩山 邦夫君    二田 孝治君

      三塚  博君    森岡 正宏君

      森山 眞弓君    山崎  拓君

      渡辺 博道君    生方 幸夫君

      大石 尚子君    大出  彰君

      小林  守君    島   聡君

      筒井 信隆君    中田  宏君

      細野 豪志君    前原 誠司君

      松沢 成文君    上田  勇君

      太田 昭宏君    塩田  晋君

      藤島 正之君    塩川 鉄也君

      春名 直章君    山口 富男君

      金子 哲夫君    重野 安正君

      土井たか子君    原  陽子君

      小池百合子君    近藤 基彦君

    …………………………………

   参考人

   (学習院大学法学部教授) 坂本多加雄君

   参考人

   (東京大学社会情報研究所

   教授)          姜  尚中君

   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君

    ―――――――――――――

委員の異動

三月二十二日

 辞任         補欠選任

  伊藤 達也君     梶山 弘志君

  下村 博文君     高木  毅君

  山口 富男君     塩川 鉄也君

  土井たか子君     原  陽子君

  野田  毅君     小池百合子君

同日

 辞任         補欠選任

  梶山 弘志君     倉田 雅年君

  高木  毅君     谷本 龍哉君

  塩川 鉄也君     山口 富男君

  原  陽子君     重野 安正君

  小池百合子君     野田  毅君

同日

 辞任         補欠選任

  倉田 雅年君     伊藤 達也君

  谷本 龍哉君     下村 博文君

  重野 安正君     土井たか子君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法に関する件(二十一世紀の日本のあるべき姿)




このページのトップに戻る

     ――――◇―――――

中山会長 これより会議を開きます。

 日本国憲法に関する件、特に二十一世紀の日本のあるべき姿について調査を進めます。

 本日、午前の参考人として学習院大学法学部教授坂本多加雄君に御出席をいただいております。

 この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 最初に参考人の方から御意見を五十分以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと思います。

 御発言は着席のままでお願いいたします。

 それでは、坂本参考人、よろしくお願いいたします。

坂本参考人 坂本でございます。このような席でお話しする機会を与えていただきまして、皆様に感謝申し上げます。

 ずっとこの憲法調査会で、二十一世紀日本のあるべき姿というテーマで、いろいろな参考人の方々が既に何人かもうお話しなさっていると思いますが、私は、きょうお手元のレジュメに即してお話ししようと思いますが、そのサブタイトルに「国家をどう考えるか」ということを書いております。

 つづめて申しますと、私は、二十一世紀を迎えて、さまざまな具体的な政策論議というものは大事でありますけれども、政策が立案され実施される場である国、国家というものを改めて考え直す必要があるんじゃないか。日本の国家というのが戦後半世紀どういうものであったか、それがそのままでいいのかどうかといったようなことを考えるにつきましても、国家をどのように見ていけばいいのかなということを、考えている範囲でお話しさせていただきたいと思うのです。

 最初に、国家とは何かということは、きょうのお話のすべてにわたるわけでありますけれども、簡単な定義的なことでちょっと断っておきますと、そこに書いてありますように、基本的には、正当とみなされた暴力を独占している政府あるいは統治機関を中心にして営まれ、なおかつ多くの人々が期待し、かつ承認しているような一定の行動の仕組みだという言い方で考えておきたいと思うのです。

 何でこんなややこしいことを言っているかというと、国家というものが何であるかということが、後でお話ししますけれども、戦後半世紀の政治学で必ずしも正面から取り上げられてこなかったのですね。政府と人民、政府と民衆というテーマでさまざまな政治学の教科書が書かれておりますけれども、さて国家とは何かというと、どこかはっきりしないところがある。教科書によっては、国家というものは後ろの索引にも載っていないという場合もあるんですね。そこから往々にして、国家といえば政府のことだ、例えば国家対市場なんて言っているとき、それはどうも国家と言っているのは政府のことなんです。

 私は、国家はやはり政府じゃないのであって、むしろ国家というのは、政府を重要な要素としてはらみながら、政府と国民、その相互の間を規律する法、これによって構成される行動の仕組みなんだと言いたいと思うのです。

 政府というのは、厳密に分けますと、ここに集まっておられますような政治家の方々それからまた官庁、今日よく使われる言葉で言うと政と官、これが政府としますと、それと国民、民によって構成されているんだ。しかも、行動の仕組みだと言っていますのは、何か国家というのをそこら辺にごろっと転がっている実体、物というように見るんじゃなくて、あくまで我々の社会生活、日常生活の中で、人々がまとまって行動するときに国家というものがその都度あらわれてくるんだという、そういうことで見ていきたいと思いまして、このようなちょっとややこしい言い方をいたしました。

 それで、そのように出発するわけでありますけれども、二十一世紀を迎えて国家を考えたいと言っているときに、実は今日の一部マスコミ、論壇あるいは言論界の様子を見ておりますと、むしろどちらかというと、国家といったものについて改めて考えたりすることは実は時代おくれだ、国民国家の時代はもう終わりつつあるんだ、国境というものの壁が音を立てて崩壊しつつあるとか、物によってはそういう表現で語られたりしているんですね。だから、言論環境が、国家というものをそんなに改めて考え直すというよりは、むしろそういうものではない、国家というものを超えた思考をしなきゃいけないというような意見がある意味では強いような気もします。

 そこでよく引かれるのが、EUが成立した、ヨーロッパではもはや国民国家の壁は壊れつつあるんだというような議論が紹介されたり、あるいは、経済のグローバル化が進んで、今や国境を超えたボーダーレスな物や金の動きがあるんだ、国家という枠ではもうこれは対処できないんだ、国家の時代は今や急速に去りつつあるといった、こんな議論です。

 あるいは、地球市民という、これは今どの程度使われているかわかりませんけれども、国民とか民族という枠にこだわるべきでない、我々は地球市民の時代を迎えているんだ、ナショナルなものを超えて友好のつながりをつくっていかなければいけないといったような議論が非常に多いのですね。そういう議論を見ておりますと、何だか国家というようなことに今さらこだわってあれこれ議論するのも時代おくれだ、場合によっては有害であるという印象さえ抱きかねないわけであります。

 私は、こういう議論をするときに、一体どのようなタイムスパンで議論しているのかというのが実は非常に大事なことなんですね。そもそも、人類にとって国家というものが必要か必要でないかなどという議論をし出すと、幾らでもいろいろな結論が出るのですね。特に、原始時代には国家なんかありませんから、国家というような仕組みなんかなくたって生活してきたという事実もありますから、そもそも、そういう大きなきつい問いを立てれば、国家が必要かどうかなどということは一概に言えなくなってきます。

 しかしながら、大事なことは、二十一世紀というこの具体的な時点、特に十年ないし二十年、いいところ三十年ぐらいのタイムスパンで、なおかつ、この東アジアの、ユーラシアの端っこにある日本というこの地理環境、両方を、具体的な時間と空間を特定した上で、国家は必要なのかどうかということを考えなければいけないのだと思うんです。

 そうして考えたときに、EUの成立というのは、実はいろいろな意見がありますので、既に参考人の方で何かこれについてお話しになった方もいるかと思いますけれども、EUの成立でよく言われるのが、国民国家の枠が音を立てて崩壊していると言っておりますが、本当にそうなのかどうかというのは、なかなかこれはわからないところがあるのですね。仮にそうであったとしても、EUの中のドイツとかフランスという国の仕組みが壊れたとしても、実はそれはひょっとすると、EU、ヨーロッパという大きな国家が生まれるということではないか。要するに、かつての小さな国家ではなくて、ヨーロッパというまとまった国が生まれるということなのであって、国家という仕組みそのものが超越されたかどうかはわからないという気がするんです。

 なぜかといいますと、もともとEUというものが成立し出したのは、実は、第二次大戦後にヨーロッパが世界の中心の地位から没落したのだ、それで、ソビエトとアメリカという両翼、両側の大国が台頭してきた。それに対して、ヨーロッパが内輪争いしているときではないということからヨーロッパの統合という話が出てきているわけでありまして、これもヨーロッパという具体的な地理、歴史の事情の中からそういう動きが起きてきているということであります。したがって、それは別に、最初から国家という枠組みを持っていること自体が悪いと考えてそういう統合へ向かっているわけじゃないのでありまして、ヨーロッパに特有の事情から生まれているということであります。

 さて、ヨーロッパのそうした事情をつかまえてきて、日本のことを議論するときに、ヨーロッパではこうなっているから、今や国民国家の時代ではなくなったと言っているのは、私はどうも、話が非常に飛躍している。それは、明治時代以来、ヨーロッパで起きていることはすべて世界の模範を示しているのであって、ヨーロッパで起きることはいずれアジアでも起きるべきだと考えている、そういった明治以来のコンプレックスといいますか、田舎者意識を引きずっているだけだという気がいたします。

 そもそも、一体、東アジアでEUのようなことが本当にここ三十年ぐらいに実現するかというと、そんな見込みは全くないわけでありまして、EUの例を引いてくるというのは、私には、さっき言った地理、歴史、空間、時間の、具体的な日本という場を離れた議論をしているという気がします。

 それから、経済のグローバル化ということなんですけれども、これはいろいろな考え方があると思います。ただ、私はこういう気がするんです。

 経済は確かにグローバルになっているのでありますけれども、物とかお金、これは直ちに非常によく動く、国境を越えて動いていく。特にお金なんか、動き過ぎて困るぐらいだということですけれども、問題は人なんですね。人というのは本当にそれほど動くのかということであります。確かに、世界各地で出稼ぎの移民の人々があっちこっちへ移動していることは事実なのでありますけれども、しかし、その移動というのは、果たして物や金がグローバルに動いていることと同じことなのかどうかということであります。

 もしも、物とお金が自在に動いているというような意味で人が自在に動くとすれば、それはどういうことを意味しているかといいますと、例えば、私は大学におりますけれども、大学の学生が就職先を探そうかというときに、今は通例、大体日本の会社に行っているわけでありますけれども、例で言えば、ニューヨークのオフィスに行くか、ザンビアの鉱山事務所に行くか、あるいはカラチに行くか、それともロシアに行くかという、世界じゅうのいろいろな地域の職場がひとしく選択の対象になっている。しかもその際、本人の技量と賃金、それだけを見て自在に選んでいる、恐らくはこういう状況なんですね。平気でみんながそれを当然のごとくにしている、そういう状況が恐らく人が自在に動くということだろうと思うのです。

 しかし、そんな動き方をしているかというと、実はそういう動き方はしていないのですね。厳密に言うと、しているといえばしているのです。それはどういうことかというと、小沢征爾さんとか五島みどりさんとか、要するに、世界水準でだれもが評価し得る仕事をしている人、こういう人は、世界じゅうをまたにかけて自在に動いて活動しているわけですね。だから、いろいろな文化とか言語とかそういう壁を超えて評価できる仕事、作品をしている人、これは自在に動いているということです。

 他方、もう一つ動いているのは、実は文化とか言語とかそういうものを介した複雑なコミュニケーションを必要としないような仕事ですね。よく言われる底辺労働とか三Kとかそういう仕事の場合は、これもまた動きやすいといえば動きやすい。複雑なコミュニケーションを必要としませんで動いている。

 実はそういうことなのであって、通常の多くの労働というのは、基本的には、そのある地域の生活様式、言語等々の中で初めて発揮できる技能なんだ。私の大学の学生は、それはいろいろいますけれども、通常は日本の職場において一番技量を発揮できる、そういうことなんですね。だからよそには行かないということであります。

 実際、国際移動の時代と言われて多くの移民があったりしますけれども、これも実際は自在にすいすい動いているのではなくて、行くけれども、文化の壁を、ハンディを背負って何とか溶け込もうと必死になって努力するということであります。だから、すいすい行くというのではないのですね。

 そのように考えますと、私は、グローバルだといっても、人が物や金と同じレベルですいすい動くかというと、そうではないだろうという気がするのですね。これが実は国家ということにかかわってきます。人というものは、生まれ落ちた言語、文化の環境からそうそうすいすいと離れられないという、このことは、後に話します国家ということの存在意義にかかわってくると思うのです。

 そのように考えていきますと、それで地球市民になってくると、これはオリンピックのときの各国の選手が手をつなぎ合って交流しているという光景を思い浮かべてよく言われたりするわけでありますけれども、そういうことは大事なことは事実でありますけれども、実際上この世界じゅうに紛争と対立が絶えないときに、地球市民とばかり言っているわけにもいかないではないかという気がしますので、この三つの現象というのは、私は、それが直ちに国家が必要でなくなるということを意味するとは必ずしも思えないのです。

 しかし、にもかかわらず、国家の相対化とか国家の壁がなくなったということがよく言われるということは、本当は、恐らくもう一つ隠れた理由があったのだろうと思うのです。

 実は、そのことをちょっとうかがわせるのが、昨年の一月二十一日ですか、読売新聞の世論調査がありまして、この中で、アンケートをとりますと、二十歳代の女性で五〇%の人が、外国籍を取ってみたい、外国人になってみたいと答えた。日本国籍とか日本の国の枠に余りとらわれない、こう答えているというのですね。そのときのある回答者の理由が、そこにも書きましたけれども、戦争のない時代に生まれた私たちは、国の違いとか国籍の違いというものにこだわりませんと答えたというわけであります。実は、これは別にその回答者個人の問題ではなくて、こうした国の枠を超えたいとか外国籍を取ってみたいという願望の奥に潜んでいるある一つの物の見方というかをよく示していると思うのです。

 この発言の中で、戦争のない時代と言っているわけでありますけれども、これは実は間違いなんですね、端的に言って。戦争のない日本と言えばよかったのですけれども、戦争のない時代というのは間違いです。一九四五年以降、五十年間戦争が一度もないという国は恐らく日本を入れて数えるほどしかないのでありまして、アメリカ、中国、ロシア、韓国、至るところ戦争だらけなんですね。だから決して、世界は戦争が絶えたことはないのであります。したがって、国籍や国の枠にこだわらない人が世界にそんなにいるかどうかというのは、実は非常に疑問であります。

 また、よその国籍を取ってみるといって、よその国籍を取った場合は、徴兵義務とかああいうものがありますから、そうそう簡単に取るというわけにいかないのですけれども、しかし、それにもかかわらず、戦争のない日本を直ちに戦争のない時代と読みかえて理解してきてこういう回答をしているという中に、戦後の国際政治に対する一つの見方が反映していると思います。

 それは、一つには、多くの方がおっしゃっていることでありますけれども、日本国憲法前文と憲法第九条に示された、ある一つの物の考え方であります。

 これは、一九四五年八月時点での連合国側の第二次大戦の見方を反映した考え方でありますけれども、要するに、世界というのはもともと平和を愛する諸国民が集まっている、それで公正にして信義を持っているんだと。ところが、日本は一国だけそれに逆らって攪乱者になった、その上でこういう手痛い敗戦をこうむったんだ、こういう前提になっているんですね。だから、今後はそうした平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して自国の安全を守ると決意した、そう前文に書いてある。それが第九条と結びついているということであります。

 実は、当のアメリカ合衆国は一九五〇年にはこの認識を変えちゃって、日本が攪乱者じゃなくて、新しくソビエトが攪乱者だと認識を変えちゃったんですけれども、しかし、その認識が憲法の中に残ったままその後ずっと続いたということであります。

 それで、この平和を愛する諸国民という前提に立ちますと、これは後で述べますように、通常の国家が前提にしている、他国に対して防衛するというようなことを最初から考える必要がないんですね。もともと世界は平和愛好国である、それで、日本のみがそれに反したことをやったんで大変なことが起きたんだということでありますから、日本が静かにしていれば世界は平和だという、そういうことであります。現に日本は静かにしておりまして、今言ったように、戦争のない時代に生まれたという認識がここから生まれてくるということになってまいります。

 この戦後の平和主義に関しては、無理もない点もあるんですね。それは、日本の敗戦が初めての敗戦であり、なおかつ総力戦時代の徹底した総動員体制をとった後の敗戦であった。しかも、日本の戦争の戦死者というのは、実は正真正銘の戦死者は少ないんですね。多くは餓死とか戦地に行く途中で沈められて死んじゃったという、こういう戦死が多いわけですね。これは、特に餓死になると、戦場で武勇の華と散るという、ある意味で人間の尊厳がかかわっているということと真っ向から反するような経験をしなきゃいけなかったということがありまして、このことが戦争は本当に嫌だということを培ったのはやむを得ないところがあるんですね。それと、今言ったような戦争の解釈が結びついていた。こうした第九条を中心とする平和主義が、その後、戦後日本の少なからざる人々の中で抱かれてきたというにはそれなりの理由があったと思います。

 しかしながら、そこの前提となっている国際認識、世界は平和を愛する諸国民がいるんだというのは、しかしそれはやはり間違いであって、間違いであるということの理由は、どっちがいいか悪いかは別にして、日本以外の多くは、ほとんど大方の国が何だかんだ戦争にかかわってきていた。イギリスもしかり、フランスもしかり、オーストラリアやニュージーランドでさえベトナム戦争に参戦していますので、戦争にかかわらなかった国というのはほとんど数えるしかないということであります。

 そういうことを考えますと、この戦後の平和主義というのは、少なくとも国際政治の認識としては、どこまで正しかったか非常に疑問になってくるということなんです。

 実は、そういうことが最近になってだんだんわかってまいりまして、憲法九条に関しても、改正した方がいいかというのが国民世論の中でも非常に多数を占めてきたということがありまして、そういう中で、改めて国家というものを考えなきゃいけないんじゃないかなというのが出てきたわけであります。

 実は、そういう戦後の平和主義にかわるものとして、EUの成立とか経済のグローバル化ということが持ち出されてくる。新しい国家無用論というか、国家を相対化したいという願望がずっと戦後引きずられておりまして、その支えとして、こういう憲法九条の平和主義ということが何となくアピールがなくなってきて、殊さらに今言ったような最近の現象が引っ張り出されるんだということだと思うんですね。そういう世論状況が一つあると思います。

 それから、さっきちょっと申しましたけれども、戦後、今言った国家というもの、日本がひとり国家という立場に立って世界を攪乱したんだ、それで世界の平和が破れたということがあったために、国家という言葉をなるたけ使いたくない、見たくないということが、実は政治学といった学問でもそういう傾向が見られたのであります。

 戦前に国家学という学問があって、これはどういう学問かというと、国家というのは要するに法律の固まりだと。もともと法解釈学があったわけでありますけれども、そうした個々の法律を取りまとめた、束としての国家というものはどんなものかというのを説くのが国家学だったわけでありますけれども、戦前から、国家学から政治学を解放しなきゃいけないという運動が一つあったんですね。

 政治現象というのは必ずしも別に国家に限らないじゃないか、人が人を支配したりあるいは教導したりするという現象はすべて政治現象であって、国家というものに必ずしも固執する必要はない、こういう意見が戦前からあったんですけれども、戦後になって、それが非常に今言ったような世論状況とドッキングしまして、国家学というのをやめて政治学になる、そういうことになってきました。

 今日、日本政治学会という学会がありまして、政治学者が千何人か登録しておりますけれども、その中で国家論とか国家学をやっている人は二、三十人しかいないんですね。国家というものを正面から論じるという傾向がやはり非常に弱い。そこでは、国家という言葉は必ずしも使わなくても政治現象を説明できる、さっき言ったように、政府と人民、その間の政府に対する要求あるいは政府からの政策といったことを分析する、あるいは選挙の研究をするというようなことが主流になっております。

 ただ、一部、日本の学問の世界で国家ということにこだわった立場がありまして、それは実はマルクス主義なんですね。マルクス主義はなぜこだわったかというと、単に政府が一方にあって他方に人民があるという、こんな単純なものじゃない、人民内部の間にさまざまな闘争があって、実はこの中に階級闘争があるんだ。政府というのは要するにどこかの階級を代表しているのであって、したがって、一つの階級が他方の階級を抑圧する仕組みが国家なんだ。だから、単に政府対民衆なんという図式じゃだめで、階級支配の構造としての国家というのを見なきゃいかぬと。これがマルクス主義の立場で、マルクス主義の人は比較的国家ということを言っていたようであります。

 ただ、この場合も、国家というものが基本的には階級支配の道具だということですから、何かマイナスのイメージで受けとめられるということがありまして、世論の中でもあるいは学問の中でも、国家というものを正面から扱っていこうという意欲に何か乏しいような結果になることがあったように思われます。

 そこで、ではどう考えていけばいいかということであります。

 さっきちょっと申しましたけれども、国家が相対化されている、あるいは国境の壁が音を立てて崩れつつあるんだ、こういう議論に共通して見られる特徴がありまして、それは実は進歩の観念です。しかも、その進歩の観念が、物事がAからBに完全に変わっていく、こういう進歩観なんですね、国家から人類へといった言い方であります。そこに必ず二者択一が持ち込まれて、国家か市民かとか、よくそういう問いを立てるわけですね、あるいは国家か人類社会かという、どっちかをとる。一方から一方に不可避的に進歩が流れているということがありまして、そこから、今やもうこういう時代だ、そういうことになって、バスに乗りおくれるなという言い方が当然出てきます。

 実は、進歩というのは私は否定しないんですけれども、進歩の考え方というのは、何かAが完全に変わってBになっていく、例えば国家が完全に廃れて人類社会になる、そういうものじゃないんじゃないだろうか。むしろ、進歩というのは蓄積していく、堆積していく歴史じゃないか。過去にできたものの上に新しいものが次々と積み重なっていく、それで一見、新しいものの積み重なった以前の古いものは見えなくなるけれども、しかし、それは決して存在をやめたわけでもないし、完全に役割を終えたわけでもない、何かの局面には古いときに蓄積したものが何か意味を持って存在している、そのようにとらえるべきじゃないかというように思います。

 現に、一人の個人を見たところで、子供が大人になるといいますけれども、子供が完全に変質して大人になっているかどうかは非常に疑問なんですね。どことなく心の隅に子供みたいなところを残しているけれども、世の中まさかそれで生きていけないからまあ大人になる、場合によっては無邪気になったりする。一人の人間ですら、そういう重層的な形で成長していっているんじゃないか。

 その例で考えますと、刑罰の考え方に、これはちょっと話が飛びますけれども、応報刑から教育刑になったなんという、よくそういう言い方がされるんですね。かつては、応報だ、人を殺した者はおまえも殺されるんだ、そういう応報刑の思想が進んで教育刑になった、専ら犯罪者を矯正して社会復帰させることが目的だと。

 大学の法学部で刑法の時間なんかによくこんなことを初歩で教わるわけでありますけれども、このときに私はちょっと思うんですけれども、応報という考え方が完全になくなって、専ら教育刑になるのかということですね。応報という考え方はもうだめなんだ、今は専ら教育ということでやらなきゃいけないということであるのかどうか、まず非常に疑問なんです。

 なぜそうかというと、もしも、応報というのはだめだ、教育だということになると、犯罪の被害者ないしは被害者の家族も加害者の更生をひとしく願うんだ、そういう立場に立つんだということになってきます。何かこれはちょっと不自然なんですね。現に、最近のあれを見ますと、量刑とかその他に関して被害者の家族の不満等々が訴えられておりまして、応報ということを一切否定しちゃって教育刑だけでやっていると、実は国家の刑罰に対する信頼性が失われていくのじゃないかという気さえするのです。

 だから、これはどう考えればいいかというと、私はこうだと思うのです。

 かつては応報だけでよかったのだけれども、それだけじゃだめだから教育ということも考えよう。要するに、観点がたくさんふえてきたのだ。だから、刑罰を決定するときに、応報だけじゃなくて教育も考える、かといって応報を全く考えないわけじゃない。幾つも物を考える基準が複雑化していく。これが要するに進歩なのであって、何か単純にAからBに変わるというものじゃないのじゃないか。

 そのように考えますと、私は、国家ということを考えるときに、国際連合というものができたりするのでありますけれども、それは別に国家が解消して国際連合になったりするのじゃない、国家は国家として存在する。国家相互の二国間の同盟関係も存在するし、その上に国際連合という包括的な秩序も存在する、あるいはASEANのような緩い協議機関もあるだろう。さらに言えば、国家より下の地域のローカルな自治体のようなものも依然として存在している、あるいは家族も存在している。そのように非常に重層的に折り重なって存在しているし、個々人の意識の中にも、それに応じて、家族の一員であったり、地域の一員であったり、国家の一員であったり、それこそ世界市民だという、そういう面もいろいろ重なり合って存在している、そのように考えていけばいいのじゃないか。そういう個人が国民としての意識に立って行動するときに、その行動は国家としての行動ということになっていくのじゃないか、そのように考えるわけであります。

 さて、そのように準備した上で、一体国家とは何かということで問うていくわけであります。国家というものが往々にして、最近よくある議論でありますけれども、国家というものは人々によって想像された共同体なんだ、人々の想像の中にしかないんだとか、あるいは、近代国家のさまざまな儀礼で、一見して古い伝統を帯びているようなものがあるけれども、これはつくられた伝統にすぎない、こういう言い方がよくなされるのですね。これは欧米のアンダーソンとかホブズボームといった学者の意見が移入されて、そのように議論がされているわけです。

 往々にして、こういう議論が、国家はフィクションにすぎないという言い方でよく言われるのですね。国家はフィクションだ、単なる人々の約束事にすぎない、それはそのとおりなんですね。人間の目に見える人とか物以外の世界はすべてフィクションといえばフィクションです。地球市民もフィクションなんですね、こんなものは。大方、すべての約束事はフィクション。大事なのは、フィクションが要るか要らないかという問題であります。あるいは、そのフィクションがどれだけ人々の間にリアリティーを持って抱かれているかという問題であります。

 そこで、私、さっき、国家というものを政府と国民だということを言ったのですが、実は、国家というものは個人の外にあるのじゃなくて、個人の内にあるんだということです。心の中にあるんだと思う。外にあるのは、政とか官とか言われる具体的な人。確かに人は外にいる。政府の人、政府の官庁あるいは政治家の方々、これは外にいる。だけれども、国家そのものは人々の心の中にある。

 なぜかというと、当然こういうときにはこうすべきだ、あるいは、当然だれかがこうすべきだという、こういう行動の仕組みというのは、人々は心に持っていて、それを共有しているということであります。だから、心の中に実在しているということなんです。これは国家否定論者といえども、実際はそうなんですね。国家を口で否定している人ですら、心の中に国家が実在しています。

 それはどういうことを言っているかというと、そこにちょっと出しましたけれども、うちに帰ったら、窓ガラスが破れていて物がとられた、そういうときどうするかというと、当然のごとく警察を呼ぶわけですね。それで、警察がやってくる、事情を聞く、調べる、周囲の人に話を聞く、そういうことを当然のごとく我々は期待しますし、警察の人も当然のごとくにやるわけですね。実は、最初に私が言いました、人々が期待し、かつ承認している行動の仕組みというのはそういうことであります。我々は当然そういうことをするだろうと思うし、当然その期待にこたえて行う人はいるわけでありますし、何か起きるとそういう仕組みが実際に動いていく、これが国家であります。

 あるいは救急医療でもそうですね。救急車が当然来るようになっていると我々は思っているわけです。その期待にこたえるために来るわけですね。そういう仕組みを我々は共有して、それはしかも心の中にあるのだということです。国家を否定していても、実は多くの人は心の中に国家をそうやって持っているということです。

 その場合に、特に警察という例が典型的でありますけれども、今、正当な暴力を独占する政府・統治機関、これを中心にして営まれている行動、これを国家というわけです。

 念のために言うと、人々がお互いに期待したり承認したりし合っている行動の仕組みというのは、ほかにもいろいろあるのですね。家族もそうです、あるいは会社でもそうです。みんなそれぞれにそういう仕組みがあって、これを単純に制度と呼んでもいいのですけれども、そうした多くの制度の中で政府や統治機関が暴力を独占していて、暴力を独占しているがゆえに、その行動が確実に行われるということが担保されている、これが国家という仕組みだ、そういうふうに考えればいいわけであります。

 それでは、こうした仕組みが一体どの範囲の仕事をするものなのかということです。これは、実は時代によっていろいろ違うわけであります。かつてのように、それこそ警察ぐらいをやっていればよいという時代から、今は、景気が悪いと、政府は何をしているとみんな言うわけでありますから、景気に関して政府が当然何かするだろうという期待を持ち、政府は政府で、景気をよくするにはこれこれこういうことを我慢してもらわなければいけないということをまた言うわけであります。現実の問題においては、お互いの期待と承認の間にそごが生じることは多々あるわけでありますけれども、少なくとも、不景気のときには政府は何かするのだろうというのは、国家の仕組みとして我々は共通して期待して承認しているわけであります。だから、それも現在では国家の一定の仕事になっている。

 ただし、最近の難しい問題は、小さな政府か大きな政府かというような議論に見られますように、実際上の経済政策の中で本当にどの程度国家という仕組みが関与するかしないかは実は非常に微妙な問題でありますから、いろいろな立場があると思われますけれども、ともあれ、そういう形で国家というのは現にある。現に心の中に、人々の期待とか承認とかそういうことで実在しているということであります。

 したがって、そのように考えますと、国家否定論者といえども、みずからの内の国家というものを否定はできないのでありまして、あとは、実際そういう個々の仕組みをどのように維持していくのか、あるいは変えていくのかという問題なのでありまして、国家というものが不要だとか音を立てて壊れたと言ってみてもしようがないのですね。

 仮に、国家が心の中に実在しているのは、それはもう国家がある時代に生まれたんだからしようがないんだ、もしもそうでない時代に生まれれば必ずしもそうではないという議論は、さっき言ったように幾らでもできるのです。ただ、そういう思考をするのは実は非常に大事なことであって、現在の国家のあり方というのをちょっと距離を置いて見るには非常にいいことなのでありますけれども、国家というものが一切なくなると一体何が起きるかということであります。

 それは、政府に独占されている暴力が、私人がそれぞれ暴力を持つという事態になるか、あるいは国家にかわる民間団体、暴力団か何かわかりませんけれども、そういうものが暴力を所持して動くようになるか、要するにそういうことなんだろう。国家というものが解体した後に何が起きるかというと、そういう状況になってくる。

 これは西欧でホッブズのような人が思考実験でやったところですね。自然状態というものを想定して、各人がすべてあらゆる権利を持っているとする。それで、国家というものはない。そうすると何が起きるかというと、一瞬先、隣に座っている人が飛びかかってくるのか、おとなしくしているか、要するにありとあらゆることをやる可能性があるわけですね。そういう中でどういう事態が起きるかということを考えて国家というものが生まれてくるということを説いたのがホッブズですけれども、そういう思考実験をしてみると、国家がない状態というのは、ある意味でけんのんな事態だという言い方ができるわけであります。

 そのように、国家というのは、基本的には人々が、さまざまな欲求、治安から始まって今言った経済政策等々あるわけでありますけれども、さまざまな便宜のために協力し合う仕組み、それを政府という強制力によってその行動が確実になるようにする、こういう仕組みを人類がつくり出したということです。

 実は、ここまでの説明ですと、国家というのは、ある意味では、さっき言いましたように個人が生活の便宜のためにつくった仕組みですから、言ってみれば生活協同組合のようなものだという言い方ができるわけです。それで、国家というと直ちにナショナリズムだと言って批判する人がいるのですけれども、国家というのは、ここまででとらえている限り、ナショナリズムとは実は全然関係ないのですね。要するに、便宜のためにできた。

 ところが、問題は、一体国家の構成員というのは、どういう人たちが国家のメンバーになるのか、どういう人が国民になるのかという議論に移りますと、今言ったナショナリズムということがかかわってまいります。ナショナリズムというのは、幅広くとりますと、自国を中心にする自国中心主義、仮にそのようにとらえておきますと、だれがメンバーかという問題が必ず起きてくるのです。

 実は、ここに、国家とは要するに生活協同組合であるととらえ切るだけでいいかどうかという問題が横たわっているわけです。よく我々が政治学なんかで学ぶ社会契約論などという考え方は、基本的には生活協同組合モデルです。要するに、個々人が自分の生活のために協力し合って組合をつくった。

 ただ、これでおさまり切らないのは、こういうことなんですね。もしも国家というものが生活協同組合であるとしますと、個々人は自分にとって一番有利な国家に属するはずなんですね。要するに、一番義務が少なくて見返りが多い国の国民になる。日本の国民になるのはやめてアメリカ国民になろうかとか、そういう自在に国民になるということが動くはずであります。生活協同組合ですから、別にそこの組合員になっている必要はないので、世界を転々と自分の適した一番好きな国の国民になるということをやっているはずでありますが、実際はそういうことは一般に起きておりません。

 そこから、どうも国家の構成員というのは単なる人間ではないのじゃないか、人間というのは普遍的な意味での人間であります。そうじゃなくて、さっき言った、人がグローバルに本当に動くかどうかという問題が実はここにもかかわってくるわけでありますけれども、国家というのは、やはりある特定の地域に何らかの理由でいざるを得ない人たち、あるいは、いざるを得ないと言うと何か消極的な言い方ですけれども、そこにいたい人たち、それは、その地域のさまざまな歴史的な変遷とか文明とかあるいは文化とか言語、そういう事情からその地域にいる人たちがいて、その人たちの中において国家ができるのだということであります。

 だから、単純に社会契約論ではどうも説明できないところがあるのですね。それぞれの地域の特定の言語や文化、伝統を持った人々の間の中に生まれ、かつその特定の地域の文化や伝統を持った人々のそれぞれの欲求、そういうものを果たすものとして国家は実は生まれてくるということであります。

 すなわち、先ほど言いましたように、国家というものが、治安といったようなだれでも欲しているもの、そういうものを提供するのは当然でありますけれども、それだけにとどまらない、その地域に特有の、これは民族と呼んでもいいのですけれども、そういう人々が欲求するところを実現する、こういう特有の課題をそれぞれ帯びている。したがって、国家というものは、それぞれの地域によってその地域の住民が経験してきた歴史あるいは文化その他のさまざまな欲求をそれぞれに果たす、そういうことになってきているということであります。

 しかも、この場合、非常に悲劇的なことでありますけれども、隣り合っている人々というのは往々にして必ずしも平和共存しないのですね。昔から民族対立したりするということがありまして、実は、国家というのはそういう民族間の相互の争いをお互い防衛するという動機ででき上がっている場合が非常に多いのですね。現に、ヨーロッパの国民国家は大方みんなそうであります。各国が戦争する中で国民国家はできていった、こういう事情があるのですね。

 だから、内に対して治安を維持しますけれども、外に対して防衛する、こういうことで国家というものはできてくる。多くの国で自衛権というものが国家の必須の要件とされているのは、実は国家の成り立ちが、そうした他の人々からその地域の人々の安全を守るという課題を担って登場してきているからであります。

 そうだとしますと、ちょっと補足しますと、それはもちろん一民族が一国家をつくっているかどうかわからないですね。多くの場合は一つの民族が核になって一つの国民になっておりますけれども、例えばアフリカのように複数の民族にまたがっている地域が一緒くたにフランスの植民地だったというようなときに、その民族両方が協力し合って独立闘争して独立したというような場合は、二つの民族で一国をなしているということが出てきます。そうなってくると、そういう国家は、今度はこの二つの民族の調和を目指す、このこと自体が国家の大きな仕事になっているということも当然あるわけです。

 あるいは、しょっちゅう干害や干ばつが起きている地域は、これをいかに治めるかが国家の大きな事業だとか、それぞれ自然環境も歴史環境も、その他を含めて国家それぞれ固有の課題を抱えて成立しているんだ、だからそれぞれ個性がある、役割があるということになってまいります。

 したがって、人間直ちに国民とは言えないんでありまして、国民という一つの層、特定の歴史、さらにそれにはぐくまれた文化、言語、さらにはさまざまな政治的な事情、そうしたものを担った存在としての国民というものが存在している。これは単なる人間ではない、国民だということであります。正確に言えば、もちろん人間という共通の属性を備えておりますけれども、それにとどまらない、国民というものを持った人々がここに存在しているんだということであります。

 それで、ちょっと時間が少なくなりましたけれども、二十一世紀の日本のことであります。

 私は、日本というのは、日本人というのは、今言った日本人という民族意識は非常に旺盛であります。これほど一体感の強い人々もないんですね。ところが、日本国民なのかという問題です。国民になるということは、要するに国家を構成するということであります。国家を構成するというのは一つの政治意思を持つということでありますけれども、そういうことがどこまで本当にあるのかどうか、この辺がちょっと疑問なんです。

 実は、日本人という意識も我々の中に現にあるんです。単に個人じゃない、日本人だと。どういうことにあらわれるかというと、例えば、数年前にアメリカで原子爆弾のキノコ雲の切手が発行されて、多くの日本人は不愉快に思ったんですね。我々当然不愉快に思うんですけれども、よく考えたらそれは不思議なことなんですね。我々単独の個人として生きていれば、広島、長崎に自分の家族の方がいて被爆されたという方も当然おられると思いますけれども、多くの大多数の日本人は個人としては関係ないんですね、五十年前に原爆が落ちたということは。にもかかわらず不愉快に思うのはなぜかというと、同じ日本人だ、五十年前に広島にいた人たちが自分たちと同じ日本人だと思っているという、この同じという意識です。

 だから、我々は、単独の個人でそれぞれの人生は五十年か七十年か八十年ぐらいしかありませんけれども、実はそれを超えて、ずっと長期に存在する日本人というものの中に属していると思っているんですね。これが民族意識です。これが非常に強い。これは各国もそうなんです。

 そうした民族の上に実は国民というものは成り立つわけでありますけれども、実はその国民という意識でつなぐことができない。どういうことかといいますと、これは実は、さっきから申しております憲法第九条その他の問題でありますけれども、日本の外からの侵害とかそうしたことに対して、我々はある種戸惑いを感じているんですね。

 一番わかりやすい例は、ずっと国会の方でもいろいろ問題になっていると思いますけれども、日本人が隣国に拉致されたかもしれない、これはどうしたらいいのかといって戸惑っているわけです。戸惑っているということは、要するにこれは、こんなときにこうすればいいんだというさっき言った国家という仕組みがこれに関しては十分できていないということなんですね。あるいは、有事の立法といったこともできておりません。これは、国民の側にこの面に関しては国家というものがまだ実在していないというか、はっきりした行動の仕組み、国家という名前のこういうときにこういうことをするんだという行動の仕組みができておらぬのだということです。

 なぜそうであったかということですけれども、さっきからずっと言っておりますように、戦後の特別な問題だということでもあるんですけれども、実は日本というのは並外れて平和だったということです。日本が本当に対外戦争をしたというのは、古代の時期と元寇のときと秀吉の朝鮮出兵と、それから一八九四年から一九四五年の五十年間、これ以外は日本ほど平和な戦争をしなかった国はないんですね。それは要するに、ユーラシアの東の方にいた。ユーラシア大陸の中はしょっちゅう民族移動があり、せん滅があり、さまざまなことがありましたけれども、無風地帯でいられたということです。実は、非武装中立論というのが割とリアリティーを持って受け入れられたというのは、こういう歴史もあったんですね。

 ところが、日本が国家を構成するというのはどういうときかといいますと、実は、東ユーラシア大陸に巨大な勢力が成立して、これが玄界灘を渡って影響力を及ぼしてくるときは、日本は国家を形成したんですね、危機感を感じて。それが古代の律令国家でありますし、それから近代の明治国家であります。明治国家は、北の方のロシアが膨張して下ってきた、一方でイギリスがずっとユーラシア大陸を迂回してきて、両者がぶつかったのが日本と朝鮮の付近だ、日本はこれをどうしたらいいのかという話になって、必死になってイギリスと結んでロシアに対抗するという道を選んだというのが近代の日本です。

 そのようにユーラシアが膨張してきたというときが大変なんですね。元寇のときもそうです。あるいは朝鮮戦争もそうです。朝鮮戦争のときはソ連と中国が一枚岩でしたから、これがばっと出てくるというときですね。ただ、幸いなことに、ユーラシア大陸というのは大体は中ですったもんだして、なかなか外まで出てこないで、それで日本は安全だったということであります。

 そのように長期の歴史を見たときに、二十一世紀はどうかというときに、若干心配な点があるのです。小さい例でいえば、北朝鮮がそうでありますし、中国の軍事拡張はどうかということです。これも余り過度に警戒的にならなくてもいいかと思いますけれども、少なくとも、この戦後五十年間とは違った形でユーラシアからの圧力が強まってくるだろう。

 そういうときに、我々は何がしかのこれに対処する国家の仕組みというものをやはりここで考え直さなければいけませんし、そういうときに国家に対する義務として、単に納税の義務だけじゃない、何がしか国防の義務、これは別に徴兵とかそんなことを言っているんじゃなくて、いろいろな意味でのさまざまな負担、そういうことの準備をやはりしなければいけないんじゃないかということであります。

 国際社会というのは、一元的に敵対するとか友好的とか、そんなものじゃなくて、半ば灰色のものなんですね。そういうぐあいに心を決めて、なるたけ戦争にならないように共存するんだという構えで、日本の国家のあり方、こうしたものをこれからつくっていく。特に、外に対する国家の仕組み、この辺のところがどうもやはり不十分だ、そういうことをちょっと整えていくんだと。

 我々は、どうも弱点は、余りにも民族紛争も何もなくて、世界が平和なんだという中で、そっちの歴史が長いですから、こういうことを歴史的な想像力で補いながら、外に向けての国家というものを改めて考え直していく必要があるんじゃないか。

 その意味では、大げさに言えば、二十一世紀は、古代の時代、それから明治維新に続く第三の、対外的な意味での国家の形成期を迎えているんじゃないかなというようなことを考える次第でございます。

 ちょっとお話しすることは残っておりますけれども、これは後の質疑の時間にでも補足できればと思います。どうもありがとうございました。(拍手)

中山会長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

中山会長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。保岡興治君。

保岡委員 坂本先生、本当に貴重な国家論、ありがとうございました。

 まず私は最初に、国家論を改めてよく考えてみる必要があるという、二十一世紀を展望して、国家というものを国民がきちっと考える必要性を言われたと思うのでございますが、これは、憲法を改正したり見直したりする、新しい二十一世紀の国の形を求める基本法、最高法規としての憲法を考える上で国家論がなぜ必要なのかということを、重ねてその必要性というものを伺う観点から御質問したいと思うのです。

 一つは、国家というのは国民との関係の仕組みというお話がございました。しかし同時に、今は非常にグローバル化が進んでいて、国際関係が非常に緊密になってきている、また地球規模で考えなければならない問題がたくさんある、それが各国の国民の幸せや安全などにつながるという側面があるんじゃないか。

 そういった意味で、例えば、世界株安という現象に対して、世界が経済政策や金融政策を協調するとか、そのことは、世界全部が各経済単位に協調するということは不可能ですから、国家単位でやる以外ない。あるいは安全保障という点でも、各国が協調し合って戦争がない状況を安定的につくり上げるという意味での集団安全保障ですか、そういった観点の、世界的な関係で国家の果たす役割というものも非常に大きいのじゃないだろうかと思いますが、この点、憲法を考える上で私たちがきちっと論議を詰めておかなきゃならないという観点から、先生のお考えを聞かせていただきたいと思います。

坂本参考人 先ほど進歩の説明をしましたときに、堆積的な歴史だということを言いました。それは要するに、我々の意識の中に、それに応じたいろいろな、さまざまな一種の層があるということです。

 それで、一方で二者択一的な思考を排すべきだと言ったのは、実は今のお話にかかわってくるところでありまして、国家ということを考えるときに、国家か世界かという二者択一じゃないんだということです。国家のことを考えるから世界のことがおろそかになるというんじゃなくて、むしろこういうことじゃないかと思うんです。要するに、国家というものを考えた上で、我々は、世界人になるんじゃなくて、日本国民だという前提に立った上で、一体日本国民としてどこまでそういう世界的な課題を受け入れることができるか、こういう発想をしなきゃいけないということなんです。

 ちょっとお話とずれるのかもしれませんけれども、話し落としたことは、実は、二十一世紀に少子化が進行して、日本国民がどんどん減っていくということがあるんですね。そのときに、いろいろな意見があります。私は、これは難しい意見で、とりたててこれが正しいということを、私自身もちょっとわからないんですけれども、例えば多くの移民が必要だ、移民を入れて労働力の不足を補う、こういう議論があるんですね。この人たちを国民にするかどうかという問題であります。

 これはいろいろなやり方があって、何か、国民としての完全な権利義務は持たないけれども、一定程度の権利は持つが、そうじゃない、やや、ある別のカテゴリーの人々として置くかどうか、いろいろな議論があるんですけれども、仮に国民にしたとする場合に、我々はどういうことを迎えるかというと、日本人ではない日本国民という可能性が出てくるんですね。

 さて、そのときに我々が何をしなきゃいけないか。仮にそうなったときに、今おっしゃったグローバルな時代を迎えたときの日本国のあり方ということと実は切実にかかわってくるんですけれども、日本国民というものをちょっと考え直さなきゃいけないんですね。これまで日本人というと自明の存在で、これは日本人だ、日本国民だと言っていたのが、もう目の色も違えば生活様式の違う人を日本国民とする場合に、一体どれをどういうぐあいに考えて日本国民にしなきゃいけないのか、こういう問題です。

 だから、それは、私は、むしろ日本国の歴史を振り返ってみて、日本国というのが実はそういうさまざまな異質な人を入れ得る可能性を持っているんだというようなことの確認はやはりしていくんだろうと思うんです。

 実は、これはもう話が古くなっちゃいますけれども、日本のまさに律令国家のころに、大陸の方から大量の亡命してきた人がいて、彼らの文化を輸入しながら日本が発展したというような歴史事例があるんですね。だから、日本人は必ずしも閉ざされていないんだろう、そのようにみずからを納得し、あるいはみずからを考え直したりしながら日本国民を新たにつくっていく、こういう努力が必要となるかもしれない。

 同じように、世界の協調ということも、日本国民というものは一体それをどの程度にできるのかという問題です。これも歴史をさかのぼってみるしかないですね。私は、アメリカのような国に比べたら、さっき言った日本人以外の人を国民にするというのはなかなか難しい面がありますけれども、完全にゼロではない、何とかできるだろう、そのように考えております。一言で言いますと、ややもすれば、国と世界というのが正面から矛盾するということになるんじゃないか、日本国民という意識の上で、世界とかそういうものをどこまで受け入れるように努力をするかしないか、そういうことになってくるんだろうと思います。

保岡委員 それから、先生の国家の定義として、先ほど、正当な暴力を独占して内外の脅威から安全を確保する機関、それを支えるというか承認したり期待する人々の行動の仕組みというようなことを言われたんですが、そうなると、国家という議論をするときには、やはり外からの脅威に対して自衛権というのは国家の根幹にかかわる問題、一番重要なテーマじゃないかと思うんですね。

 この点が、実は日本国憲法は九条の解釈をめぐって非常に解釈がいろいろ変転とするわけですね。これは特に内閣法制局の解釈というものが非常に有権的な解釈として機能してきたということがあるんですが、こういう国家論あるいはその必然的な自衛権というものについて、こういう内閣法制局の解釈でいいのかどうか、その辺、憲法のあり方として、先生のお考えを伺わせていただければと思います。

坂本参考人 憲法九条に関しましては、よく言われていることでありますけれども、政府の立場は、九条第一項に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」二項に「前項の目的を達するため、」とありまして、この前項の目的というのは、要するに、国際紛争を解決する手段として武力を用いることはしないんだ、そこだけに係っているので、自衛のための武力は禁じるものではないという、それが例の有権解釈なんですね。

 ところが、実際は、法制局の見解は、これにさらに条件が加わっていまして、前項の目的というのに自衛戦争は入らないんだ、だから自衛に関してはどういう軍備もできるんだという解釈を必ずしもしていないんですね。あたかも九条第一項の精神が二項にも及ぶというような感じがあって、自衛力は持てるが、しかしそれは最小限度だ、こういう絞りがかかっちゃっているんですね。私は、だから二重に拘束している、こういう気がします。

 もともと、九条の前項の目的を達するためというただし書きに着目して何とかかんとか自衛力を持とうというのも、実は本当に苦しい解釈なんですね。素人の人が見れば、恐らくこれは一切の武力を禁じているんじゃないかというように素直に読めちゃうということがありますから、やはり九条というのは、法制局の見解云々と言っている前に、少なくとも九条二項を削除する。九条一項は、これは一九二八年の不戦条約の精神でありまして、このことは問題がないというか、今の国々が当然遵守しているところでありますから、私は、だから法制局の見解云々より、九条の二項の削除という形の憲法改正がなされた方がよいというように考えております。

保岡委員 ありがとうございました。

 それから、逆に、国の自衛権に対して、その構成している日本国民の国を守る義務というんでしょうか、国という存在を守るという点についてどういう義務があるか。それは、直接侵略を受けた場合の大変な戦争状態の中で、国民がやはり一致協力して外敵と戦うという意味で、いろいろ権利の制限とか義務というものが当然法制化されて存在すべきものであると思いますし、また周辺事態に対応するとか、あるいは国家そのものの存立を守るために、広義に考えれば、国際警察みたいなものに協力する責任とか、兵役というんですか、あるいは志願にしても徴兵にしても、そういったいろいろな国を守る国民の義務、責任というのはまた国家の根幹にかかわる問題になるんじゃないかと思うんですけれども、憲法上、先生はどうお考えでしょうか。

坂本参考人 国家の前提として、今おっしゃったように、自衛権は当然あるし、自衛の義務が当然あると思うんです。ただ、それを憲法上どのような形で条文化すればいいかといいますと、これは非常に法技術的な問題があるんですね。ある意味では、抽象的に、日本国民は国防の義務を負うというだけでよいのかもしれませんけれども。

 ただ、そういう規定が必要でないか必要であるかというのは、これはちょっと難しくて、必要でない場合でも、むしろ日本国民がそれこそ国防の義務があるんだという共通了解をしておれば、あるいはそういう了解が熟しておれば、実は、例えば憲法の第十三条、公共の福祉というところでくくれる。よく有事立法のときに、法律をつくらないで勝手に人の家の庭にざんごうなんかをつくったら、これは住居不法侵入罪になったりするので、これを公共の福祉だと、何とかくくるということもありますけれども、法律というのはやはり単なる条文じゃなくて、結局人々の法意識なんです。

 法意識の中で防衛意識が熟しておれば、必ずしもそういうことを明記する必要はないのかもしれませんけれども、ただ、全体の趣旨からしますと、これまで公共の福祉というのがそのように必ずしも理解されてきておりませんから、やはりおっしゃるように、防衛の義務というような形で抽象的に規定を置くということも一つのやり方かなと思います。

 これは法律専門家の方とか、どの程度のレベルの条文にすればいいかというのはちょっと難しい話で、これからも勉強させていただきたいと思います。

保岡委員 先生の国家論には、確かに仕組みとして、政府、国民と法の関係を言っておられる側面と、それを裏づける日本人としての意識、アイデンティティー、歴史や伝統、こういったものがベースにあるんだよというお話が一つ基本になっているように思うんですね。

 そうすると、日本国の憲法を考える上で、実は天皇制というのは確かに日本の歴史、伝統の基本をそこに書いてある唯一の例で、あとはほとんど日本の歴史や伝統は排除、これは占領政策のために意図的に排除されたということは制定経緯から如実に我々それを感得することができるわけですが、天皇制を含めて、国民主権主義との関係とか日本の歴史や伝統や文化、アイデンティティー、先生の国家論のそういった基礎の点から、憲法上どう考えていくべきか、最後にお伺いしたいと思います。

坂本参考人 実は、この天皇制度、私は天皇制という言葉を使いませんので天皇制度と申しますけれども、このときに多くの誤解は、天皇の位についておられる個人の人格、この方のことを思っているという場合が多いのですね。こういう考え方をしていると、この理解は深まらないと思います。

 天皇制度は、まさに制度なのであって、言ってみれば皇位ですね。要するに、代々天皇の位におつきになるのですけれども、その皇位ということが大事である。しかも、もう一つ大事なのは、日本の政治空間といいますか、これは基本的に天皇が主宰するという大前提がずっと受け継がれてきているんだと思うんです。そのときに、天皇の位についている方がどういう方で何を思っておられるかということは、実は余り関係ないのですね、関係ないと言うとちょっと言い過ぎですけれども。律令体制以来、ずっと大体天皇が主宰する政治空間なんだ、こういう前提です。

 それで、征夷大将軍が武家政治では権力を握っておったのですけれども、この征夷大将軍も基本的には律令国家体制の役職なんです。したがって、当然天皇が任命しているという前提に立っています。それがずっと続いてきていて、どんな政治勢力に交代しても、自分で勝手に指導者の名前をつくり出して支配するということはなかったのです。その理由は何であるかというのは非常に難しいのですけれども、ともあれ、そういう空間の中でずっと生きてきている。

 これが明治憲法に引き継がれて、律令制度ではなくなりましたけれども、天皇を統治権の総攬者にして、そのもとで政党政治をやるというふうなことをずっと続けてきたわけでありまして、これはどういう例えで言うといいかというと、中国では、伝統的に天があって、天が皇帝に命令を下して統治がある。ヨーロッパでは、長い間、神がいて、ゴッドがいて、そのもとで国王がいて、こういうあれが続いていた。キリスト教なんかの力が弱まっておりますけれども、基本的にはそういうスタイルをとっているのですね。日本は、どうも天皇のもとの政治空間だ、天皇が何がしか頂点に立つような、こういう仕組みがあって、その仕組みのどこの位置を占めるか、やはりここの位置を占めて初めて統治者になるんだ、こういう了解でずっと来ていたのだ。これは実は今でも潜在的に残っているのじゃないか。

 多くの日本国民が、天皇制度を支持しますかというと、大体八割ぐらいがそうだと答えているというときに、事細かいことまでどこまで共通の知識になっているかどうかは別にして、何がしか天皇様がどこかにおられるんだろう、そういう政治空間の中にいるんだろうということは今日まで引き継がれてきているんだと思います。

 国民主権という議論もそうした中で考えるべきであって、天皇の存在と国民主権は矛盾するとか、そういう議論はヨーロッパの君主について言えることであって、日本は日本の伝統に即してそういう国民主権と天皇の関係も考えていかなきゃいけない、そのように思っています。

保岡委員 あと二分ほど残っているので、もう一問だけお許しいただきたいと思うんです。

 日本の憲法は、自由とか権利はたくさん書いてあるんですね。だけれども、権利に内在する責任とか、自由の反面の責任、義務、あるいは全体と個との関係、公と私の関係と言っていいんでしょうか、他人の幸せとの調和とかそういったことですね。確かに公共の福祉の原理はありますけれども、わかりやすく、権利や自由の反面には義務や責任があるんだよ、全体がよくなって自分たちもよくなることがあるんだよ、そういう要素が非常に希薄になっていたために、自由と権利で社会が力強く発展していくという利点もあったけれども、逆に、いろいろな分野で今いろいろな不祥事が起こっていますね。

 ああいうのを見ると、やはり、義務とか責任とか他人との関係とか、そういうことのルール、社会性というんでしょうか、こういったものが非常に希薄になってきて、これもまた社会の中に大きな問題を抱え込ませている。このことは、やはり憲法改正というんですか、新しい国家の理想を考える上で私は非常に重要なテーマだと思いますが、時間がないので簡単で結構ですけれども、お教えください。

坂本参考人 こういうことが言えると思うんです。さっき申しました、国民というより人間なんですね、人間を主体に置いてさまざまな権利を定めた。ところが、人間がある一定の団体なり組織に属した場合は、当然そこでの義務が加わってくるのでありますけれども、建前が普遍的な人間という前提でつくられておりまして、そのことで、さまざまな義務ということについての配慮がなくなってきているんだろう。

 また、さらに言えば、すべてが、ある普遍的な人間ばかりがいる市民社会のモデルで物を考え過ぎる風潮をつくっちゃった。学校でも、対等な個人が出会う場だ、こういう前提で議論する人が結構多いんですけれども、それだけじゃ成り立たないんですね。学校では、当然、教師は教師の権利と義務があり、生徒は生徒の権利と義務がある。より踏み込んで言えば、教師は教師らしいことをし、生徒は生徒らしいことをしているから学校は成り立つのでありまして、それが、対等な個人に還元しちゃって、お互いが権利だということでやっていると、そういう場が成立しなくなっちゃうということがやはりあったんだろう。憲法のときの精神が何かしらそういうことに反映しているんじゃないかなという気がいたします。

保岡委員 ありがとうございました。

中山会長 大出彰君。

大出委員 民主党の大出彰でございます。きょうはありがとうございます。二十分間質問させていただきます。

 先ほどお話を伺いまして、何となく政治学の講義を受けているような気持ちでございました。その中で、余り政治学の中で国家というものを論じていないというお話があったんですが、いや、そうではないんではないかと実は思いまして、モダンポリティックスの中でも、国家論、先生が定義なさっているような暴力というところ、物理的強制装置というような名前で権力論の中で論じていると思っております。

 それからもう一つ、応報から教育刑へという刑事政策の話をなさいましたが、これも、私は菊田幸一さんという教育刑論の刑事政策の方に習ったんですが、通説は、どちらかというと応報と教育を折衷したのが主流でございまして、こういうことになっていないんではないかというのをちょっと指摘させていただきます。

 そして、本日は、どうも先生は、本当のおっしゃりたかったことというのは最後のところではないかと実は思っておりまして、いろいろな御本も出しておられますので、それも含めまして、実はこの憲法調査会、日本の中の例えば象徴天皇制の問題だとかあるいは憲法九条の問題とかございますので、それにも触れながら質問させていただきたいと思います。

 先ほど自民党の方から御質問があったので、その中でちょっと気になったものですから、一つお話をさせていただきたいと思うんです。

 九条のところで、法制局の見解が自衛権を認めながら二重の絞りだ、こうおっしゃるんですが、そうではないと思います。というのは、自衛権というのは国家の正当防衛のようなものでございますから、正当防衛というのはやむことを得ざるということがあるんで、そこで必要最小限度ということが出てくるんで、別に二重に絞っているわけではないということでございます。

 それから、二項削除がいいという点については、私は反対でございます。これはまた後で質問させていただきたいと思います。

 もう一つ、徴兵制度の問題、国防の義務の問題でございますが、現実に今憲法がありまして、立憲主義の国ですので、今段階では、徴兵をすれば憲法十八条の意に反する苦役になると、議事録にも残っておると思います。その憲法を変えまして、一般論で言えば、国家というものが徴兵をする、あるいは国を守るために兵役に出るということは、当然のことでございますが、立憲主義者でございますので、あるいは立憲主義国家でございますので、十八条に違反するというふうに思っております。

 そこで、問題なんですが、先生は教科書の問題等にもおかかわりになっておられまして、トータルでちょっと話をさせていただきます。

 四、五年前から問題になっていると思うんですが、先生のお考え方の中に、きょうお話をなさっていただきませんでしたけれども、どうも過去の神権天皇制に基づくような歴史観をお持ちになっているんではないかというような気が実はいたしているんです。そのことがあるものですから、過去の事実を誤りと認めるわけにはいかないというような心理が働いて、戦争には善悪がないんだというようなことになるのではないかと、推測でございますが、いたしております。

 私は戦争違法論だと思っておりますので、その点についてひとつ、根本のお話ですので、お伺いをいたします。

坂本参考人 戦争に関しまして、私はこう考えています。

 十九世紀から大体第一次大戦までは、国際世界において戦争というものは違法ではなかったんですね。外交手段の一つのやり方だとされておった。ところが、第一次大戦で、この惨禍が余りに激しかった。それまでのように戦争それ自体を外交的な手段の一つだと認めるわけにいかないんじゃないかというのが、第一次大戦の戦場であったヨーロッパから出てきた。

 と同時に、アメリカ合衆国が急に台頭してきまして、アメリカ合衆国という国は、それまでのヨーロッパの、同盟関係で、バランス・オブ・パワーで平和を維持するという考え方に対して非常に不信感を持っていた。アメリカのモデルというのは、要するに、世界政府のようなものができればいいんだ、こういう考え方だったと思うんです。国内において中央政府があるから安全なんで、世界も、世界に中央政府があればいい、それが国際連盟というような形に結実したんだと思うんです。

 それで、ヨーロッパのそうした考え方と、アメリカが台頭したということがあって、大体第一次大戦後、国際世論として、戦争というものは違法じゃないかということが強くなってきた。それが一九二八年の不戦条約で、各国がそれを結んで、アグレッシブウオー、先制攻撃する戦争はだめだ、そういう形になったんですね。

 ところが、それは逆に言うと、自衛戦争はいいということになりまして、ただ、自衛戦争をだれが判断するかということが起きて、それは各国の判断にゆだねるということになったんですね。しかも、その自衛の範囲は一体何であるかというのも、アメリカ合衆国のケロッグ国務長官は、アメリカ合衆国が海外に有する資産に対する侵害も含むという非常に大きな自衛戦争の範囲になりました。

 それで、私は一つの世論が大きく変わったということは事実だと思うんですね。ただし、問題は、一体国際世論の、戦争が従来のように合法じゃないんだという世論が、どこまで国際法上の規範として各国を拘束しているのだろうか、こういう問題だと思うんです。

 私は、これはさっき言いましたように、第二次大戦が終わっても、その都度侵略戦争はよくないということはお互い言い合って非難し合いますけれども、実は戦争はずっと絶え間なく続いているわけです。そうしますと、この問題もなかなか難しくて、一概に、国内法のように、戦争違法化だ、違法だという立場をとられるのは自由ですし、そういう意見があるというのはわかりますけれども、国際社会に、戦争は違法だということを本当に法観念として、どこまで現実的な法として拘束するかが疑問である。

 ということになると、一国の防衛政策を考える上でも、現に世界で戦争は違法であるという法規範があるという前提に立つのじゃなくて、むしろ現実に合わせて考えていく方がいいのじゃないかな、そういうことを考えているのです。

大出委員 お伺いいたしました。

 ただ、おっしゃるように一九二八年にケロッグ・ブリアン条約、不戦条約ができましたね。そのときに、第一次世界大戦があって、厭戦気分になるわけですよ、いろいろな方が死にますから。それででき上がったのが不戦条約で、侵略戦争だけを規制したわけですが、その後に、アメリカの方では戦争はやはり違法なんだという運動が起こったのも事実で、そのことを受けたにもかかわらず、本当は第二次世界大戦になってしまうのですが、その結果、手痛いしっぺ返しといいますか敗戦をこうむった日本の憲法の中に、国連憲章も含めまして戦争は違法だという基本線で、まさに平和憲法と名がつくような憲法ができたのが事実だと思うんです。

 その中で、私は、そのことが九条の二項に特にあるように、当然自衛戦争というのは、自衛権というのはあると思っていますが、九条二項があることによって、戦争という名前で人を殺すことが違法なんだという、要するに合法化されないのだということが残っていると思うので、二項が大切だと実は思っているのです。

 それとともに、戦争は違法であるということを言っている理由の中に、戦争が行われたときに、いつもこれが正義の戦争なのかあるいは自衛なのかというのはわからないことが結構あるわけですね。と同時に、アメリカの例もそうですが、国内で人を殺したら違法である。ところが、国際政治になりますと、パワーポリティックスが働くからいいのだとおっしゃいまして、大量殺人を褒めてしまう。つまり、勲章まで与えて、よくやった、こうなるわけですね。余りにも人間の理性として、英知として、ばかなことを言っているんじゃない、国内で一人殺して殺人罪なのに、何で国際的に大量殺人しているのに罪にならないのだというふうに強い思いがあります。

 特に、クリントンさんが、アメリカで女性問題が起こったりしますと、勝手にイラクに空爆したりするわけでしょう。そのとき、帰ってくれば褒めているのです。何を考えているんだというふうに思いまして、少し国民の皆さんも考えなきゃいけないなと思いながら、やはり戦争は違法だという方向で考えながら、違法だというからには、戦争のいろいろな手段がございますね、戦争の法規等がございますので。それを、核兵器をやめたりとかいろいろなことがあるでしょうけれども、徐々にルールを厳格にしていくことによって、やはり戦争をやめた方がいいのではないかと実は思っておりまして、そういう意味では、戦争違法論でいくべきであろうと実は考えているわけなんです。

 そこで、今戦争の話だけになってしまいましたが、その前提の、先ほど申し上げた神権天皇制に基づくような歴史観ではないのでしょうかという点についてお話をお伺いしたいのです。

坂本参考人 最後の方におっしゃったのにちょっとこっちから補足させてください。

 今の大出議員のおっしゃる議論、私、こう考えているのです。一国内の我々の市民社会というのは非常に文明的で、これはやはり道徳水準が高いのです。殺人事件なんか起きたら異常なことなんですね。ただ、国家国家で構成する社会の道徳水準というのは、遺憾ながら非常にやはり低い、まだ国内社会ほどには文明的でない。そういう中で、では国としてどの程度のことをやらなきゃいけないのか。個人でピストルなんか持っていては当然これは違法なんですね。だけれども、そういう非常に道徳水準が低くて、そういう社会が現に続いている。おっしゃるように、戦争は違法だという世論は、十九世紀に比べれば非常に強くなっていますけれども、現実に、国際社会というのがそれほど文明的でない場であるとすれば、遺憾ながらそれに対する生き方なり考え方をしなきゃいかぬのじゃないか、こういうことです。

 それで、神権天皇制ということでありますけれども、これはおっしゃっている意味がちょっとあれなんですけれども、これはどのように説明すればよろしいですかね。

大出委員 ちょっと抽象的にといいますか、実は歴史教科書を見まして、この中学の歴史、社会なんですが、これを見たときに思ったのですが、先生も執筆なさっていますね。つくる会の方々の関係の本なんですが、そこに実は仁徳天皇陵の記述が出てくるんです。

 これは、仁徳天皇陵と、それから秦の始皇帝の、墳墓と書いてあるのですが、墳墓と、それからクフ王のピラミッドを比べまして、何でこういう比べ方をするのかもよくわからないのですが、仁徳天皇陵の底辺部の方が大きいんだと書いてあるわけですよ。ところが、おかしいのは、秦の始皇帝の墳墓と書いてありまして、陵になっていないのですね。陵ということになると全体ですから、もっと広いわけですね。それからクフ王のピラミッドも、スフィンクスから始まって周りを入れたら大きいのですが、なぜか仁徳天皇陵についてはお堀も入れまして、これは墳墓と書いていないのですよ、それをあえて大きかったんだと言わなければならないのか、これが私はちょっと理解ができませんでね。これを見たときに、ちょっと待ってくださいよと、極端な何か優越史観といいますか、そんな気がしまして、これは確かに神話の話ですよ。

 神話というのは、こういう古墳のこともそうですし、先ほど言った政治学の中でもフィクションという意味で神話は使いますね。そういう意味のものだと思いますが、これをなぜここでやるのかなと考えたときに、そういえば、先生が天皇制の話を、今の憲法の中で象徴天皇の話が当然出ておりまして、国民主権との整合性をとるために解釈に御苦労なさっているというのはわかりますが、この歴史教科書を見たときに、あれ、この方々は違う考え方を基本的に持っておられるのではないかと実は思ったものですから、それでお聞きをいたしているのです。

坂本参考人 お手元にあるその教科書ですが、これは本来こういうところへ流出していないはずのものですね。それをもとに議論するというのは私は応じかねますし、現在報道されておりますように、私は執筆者の一人でして、この教科書に関してはちょっと発言を慎みたいと思うのです。だから、それに対して直接お答えいたしませんが、天皇観に関しては、では次のように説明したいと思うのです。

 天皇、神権とよく言うのですけれども、神というのは、これはよく誤解がありますけれども、日本で例えば天皇が現人神だという言い方をしたときに、この神は当然ゴッドじゃないのですね、神です。

 この日本語の神が何を意味するかというのはいろいろ議論がありますけれども、通常これは、本居宣長が言った、要するにくしくあやしきもの、世の常ならずしてくしくあやしきものを神という、これは尋常ならざるものなのですね。尋常ならざるものが神だという言い方をしておりまして、例えば那智の滝が御神体だというのは、これはなかなか立派だとみんな感銘したので神になっている。そういう形でさまざまな神々があるということです。

 それで、天皇も恐らくそういう神だとされていたのが、何がしか農耕儀礼等がかかわっていて、恐らく今日の言葉でいえば、たぐいまれな霊力とかそういうのを持っている存在が神だという形になったのでしょうね。それが恐らく、血統的な相続によってそういう霊力が維持される、それを証明するのが大嘗祭のようなお祭りだろうということになってきたと思うのですね。その意味で神だというのならば、天皇は神だということだと思うのです。

 ただ、天皇という中には、天皇の根幹は多分それですけれども、その後に例えば儒教の有徳君主、徳のある者が統治するというああいう思想がまた天皇の上に積み重なっていく。それからその後に、例えば文化ですね。勅撰集をつくったりする、ああいう文化の保護者、そういうのも積み重なっていく。明治維新以降になりますと、ヨーロッパの当時の立憲君主としての要素も積み重なっていく。こういう天皇という観念自体が非常に堆積的な、蓄積的な歴史であったということだと思うのです。

 それで、さっきちょっと大出議員の方からも御紹介いただいたので、国民主権と天皇の関係ですけれども、これは私はこう考えているのです。

 これは明治憲法の井上毅なんかの議論を見たときに、要するに、天皇が治めるときは知らすということだった。その知らすというのは何であるかというときの議論が、要するに、鏡のごとくすべてを映し出すかのようにする存在なんだと。それをなぜ強調したかというと、井上が、天皇が統治者であるということと議会政治というものを矛盾なくくっつけようとする非常に理論的工夫だったのだろう。

 それをまた、リアリティーが必ずしもなくはなかったのは、よくよく考えてみると、律令制時代から日本の天皇というのは中国の皇帝に比べると専制機能が非常に弱いんですね。実際上は太政官制度をやっている、こういう状態です。そういうことがあって、天皇は基本的には下の者が行ったことをよく見てオーケーと言う、こういう存在だったということは伝統としてずっとあるのですね。それが恐らく井上毅の頭の中にあって、要するに、天皇が統治権を総攬するということと議会政治ということが矛盾なく接合するというのが彼の努力だったと思うのですね。

 その後、実際上どうなったかというと、実際上は議会がだんだん優位していく、こういう歴史でして、一九三〇年代に軍国主義の時代という中断があったわけでありますけれども、今の日本の議会政治というのは、その意味では明治以降のそうしたあれが延長して続いているんだ。日本国憲法の中に実は残っている。天皇が解散したりするという例のあれですね。そういう慣例が残って継承されているので、その意味では天皇のもとで、国民主権というのをフランスのように君主を打倒した後に成立するものだと考えると日本では矛盾が起きますけれども、要するに、議会によって、民意によって政治が決定されるんだというぐあいに解釈しておけば、天皇の存在と国民主権というのはそうそう矛盾すると考えなくていいだろう、こういう趣旨です。

大出委員 お考えは承りました。

 ただ私は、立憲主義でございますので、象徴天皇制度は大切なものだと思っております。しかしながら、本来、明治憲法と新しい今度の日本国憲法との間にやはり断絶があるなと実は思っておりまして、御承知のように八月革命で一たん切れたと思っておりますので、象徴天皇制度を新たに創設したと私は思っております。

 それとともに、やはり主権者が国民であるということ、民主党でもございますから、国民を重視した方がいいだろうと思っておりますので、そこは、残念なことでございますが、敗戦によって一たん切れたと実は思っているということを申し上げまして、時間になりましたので、議論を終わりたいと思います。本当にありがとうございました。

中山会長 上田勇君。

上田(勇)委員 公明党の上田勇でございます。

 坂本先生、きょうは国家論につきましていろいろと貴重な御意見を賜りまして、ありがとうございます。

 先生のお話を伺いまして、国家の存在、その必要性といったことは認めた上で、ただ、私、先生のお話の中で少し疑問に思った点があるのです。

 今、国家の性格というのは変質してきている、これはもう間違いないのではないかというふうに思います。特に先進諸国においては、国の相互関係が非常に深まっていて、単独の国家だけでは意思決定ができないという状況になっていますし、先生のお話の中で、金や物は自由に動くけれども、人は余り動かないというようなお話もあったんですが、それは確かに日本という国ではそうなんでしょうけれども、アメリカとかヨーロッパを見ると、もっとはるかに自由に動いている事例が見受けられます。例えばアメリカでは、シリコンバレーとかニューヨークの金融界の技術者、そういう高度なホワイトカラーというのは、アメリカの国の人に限られているわけじゃなくて、アジアも含めていろいろなところから人材が集まってきているし、ヨーロッパでも、町を見てみますと人の動きというのは非常に活発になっているというふうに思います。

 また、欧米諸国の中では、政府の要人、高官とかにも外国人が採用されているというようなことがあるわけでありますので、むしろ国家という概念が、どうも日本だけが人、物、金の自由な移動に逆に取り残されているという面があるのではないかというふうに思うのです。

 そうしますと、国家、国の持つ重要性というのは変質、むしろ低下する傾向があるし、これがさらに強まってくるのではないかというふうに思うんですけれども、その辺のお考え、もう少し補足をしていただければというふうに思います。

坂本参考人 こういうことがあると思うんですね。

 要するに、アメリカという国の例をお出しになったんですけれども、アメリカの国の成り立ちが、この国は基本的には俗にWASPと言われるいわゆる民族属性を核にしておりますけれども、基本的にはそういう、あの国の特別な事情ですけれども、民族を超えたアメリカ国民というアイデンティティーが非常に強くて、むしろそれを常に教育するという形で国を維持してきている、そういう国だと思うんですね。

 しかし、そのままそれが世界のモデルかというと、そうじゃないんであって、アメリカというまさにその国の特有の成り立ちと歴史によってでき上がった国のあり方であって、そういうアメリカという国がさまざまな国から人々を比較的入れやすい、そういうことはあると思うんですね。

 私がさっき言いましたのは、国際的な中で外国の人々を一体どの程度受け入れられるのかという、これはまさに国民としての心構え、気構えの準備の方にかかわってくるというのはそういうことでありまして、それも任意に、では決意してアメリカ並みに入れようと思っただけじゃ、これは不可能なんですね。やはり日本は日本でこういう事情があったわけでありますし、アメリカやヨーロッパの例が直ちにそういう例になるとは思えないですね。

 ヨーロッパの場合、これは各国入ってきますけれども、確かに植民地をたくさん持っていて、その地域に例えばフランス文化を植えつけたというのは変ですけれども、そういうところの人は結構入ってくるわけです、フランスの方に。そういう形で移動が起きやすい条件がまたあって、一方、宗主国であった国としては、かつて植民地にしていた国の人々を入れるというのは、それなりの事情があって入れるということもあると思うんです。だから私は、これも一概に、同時並行的に、各国それぞれ人々が動くようになっていて、同じような進歩で進むべきだということには必ずしもならないと思うんですね。日本には日本の事情がある。

 私は、きょう強調したかったのは、国には国のそれぞれの事情があるんだから、この事情と条件に基づいてやっていかなきゃいけないんだ、こういう趣旨でございます。

上田(勇)委員 今のお話で、もちろんいろいろの国の内政上の事情もありますし、また、国を取り巻く周辺の環境というようなことも大きく影響してくることだというふうに思いますので、必ずしもそういう欧米モデルに合わせるべきだというふうに私も言っているわけではないんですけれども、ただ、やはり国家という概念が大きくそういう意味では変質しているんではないのかなということでお話を申し上げたんです。

 もう一つ、それに関連して、先ほど先生、EUとの動きの比較において、日本ではそういうようなことは当分の間は起きないだろうというお話がありまして、私も全くそのとおりだというふうには思います。このアジアの地域でそういう統合というのがそう近々起こるとはちょっと考えられないわけなんですが、ただ、EUも、初めはいわゆる経済関係の協力から出発して、発展して政治的な統合へ動いたわけでありますので、手始めとしての経済的な協力というのは場合によってはあり得るんではないのかな。

 そうすると、EU、当時のECなどであったように、経済政策など主権の一部をそれぞれの国が放棄するというんでしょうか、それをもっと広い地域で共有化するということになりますと、やはり国家の性格というのはそういう動きの中で変わってくるというふうにお考えなんでしょうか。ちょっと御意見あればお願いします。

    〔会長退席、鹿野会長代理着席〕

坂本参考人 先ほどちょっと申したんですけれども、これはやはり地域によって違うと思うんですね。

 ヨーロッパは、基本的には、ヨーロッパでそもそも国民国家に分かれる以前は、キリスト教の共同体という一体感があった地域ですね。基本的には、ローマ帝国の遺産と、ギリシャ、ローマ法文明とキリスト教という共通遺産を持っている地域ですね。

 私は、東アジアというのはそういうことが語れるんだろうかなと。確かに漢字文明圏とかそういう言い方で一応は言えますけれども、ヨーロッパと同じような意味でのそれこそ東アジア・アイデンティティーというものが、どこまでリアリティーを持って語れるのかなという気がちょっとするんです。

 それで、おっしゃるように、経済のさまざまな必要性から、各国が、日本を含めた国々が何らかの協議機関をつくったりするということは起きてくるんでしょうけれども、しかし、それを何かEUをモデルにするというような形で進行するかどうか、これは非常に疑問だな。それをやるには、乗り越えなきゃいけないハードルが非常に高いなという気がちょっとしているんですね。

上田(勇)委員 もう一つ、先ほどの先生のお話の中で、日本として外国人をどれだけ受け入れるかという意思決定をまずしなければいけないというお話がございまして、まさに今私たちはそういう具体的な判断をせざるを得ない状況になっているんじゃないかというふうに思います。

 現実に外国人の労働者などの移民の増大ということから、先ほど先生のペーパーの中でも日本人ではない日本国民というような表現がありましたけれども、日本人ではない社会の構成員がもう既に相当増大していますし、これはもっと長い期間で見てみますと、在日韓国・朝鮮の方や中国の方というのは日本人でない社会の構成員だったわけでありますけれども、あえて先生が日本人ならざる日本国民という言い方をしたということは、それは国籍の問題といったことも関係してきているのではないかと思います。

 民族的にはもともと日本人ではなくても、日本という国に属する国籍という意味は大きいのではないかと思うんですけれども、従来日本の場合は、国籍については、こういう言い方が適切かどうかはわかりませんが、純血主義を基本としてきたんだというふうに思うんですけれども、これはやはり変えていくべきだという御意見なのか、もう少し補足をしていただければというふうに思います。

坂本参考人 私は、これは非常に判断に迷っているんです、正直なところ。

 といいますのは、これほど日本人としての一体感が強い我々なんですね。それで、そのときに日本人の側にそれなりの準備が整っていくということがあればいいんですけれども、そういう準備を見定めないで行政や政治の方の力だけで先にそういうことを進めていくと、またこれは混乱起きるかもしれないという気もちょっとするんですね。

 ただしかし、人口が減っていくんだ、何とかしなきゃいけないんだというようなことで合意が起きれば、それはそうするしかない。しかし、そうなってくると、その場合に、日本国民になってもらうという準備を整えなきゃいけないですね。日本語の教育とか日本の社会での暮らし方とかそういうことを、国民化していくということをある程度やらざるを得ない。それは、さっき言ったように、人が動かないと言ったのは、個々人、個々の我々がいや応なく文化的に属性を帯びているからですね。

 これは、抽象的なレベルの話というのは幾らでも議論は可能なんですけれども、実際に例えばこういうことが起きると思うんですね。人に家を貸した、畳の上をマットかと思って土足で普通に歩く、それで家主が困るとか、小さいレベルではそういうことが起きます。そういう場合に、いわゆる日常生活の中で、どこまで外国の人を同胞として、日本国民として受け入れるだけの用意が我々の中に育っていくだろうか。かけ声だけじゃなかなか難しいんだろう。どういう準備をしていくか、そういういろいろなことを考えていかなきゃいけないんじゃないかな、そういうことですね、私が今考えられることは。

上田(勇)委員 ありがとうございます。

 最後に、きょうのお話とは直接関係ないんですけれども、先ほど大出委員からもありましたが、いわゆる歴史教科書に関するお話で、先生は新しい教科書をつくる会のメンバーとして、私も事前にこの「歴史教育を考える」という先生の著書も読ませていただいたんですけれども、その中で、先生の御意見をちょっと私なりに解釈してみますと、いわゆる第二次大戦における日本の中国やアジアに対する進出、侵略については、これはいろいろと詳細について議論することは避けますけれども、歴史的な事実としては認めた上で、一つは、先生の論点というのは、当時のいわゆる法律ないし国際常識に照らしてそれを正しく評価すべきであるという点と、もう一つ、それを教科書という形で子供に教育するのが果たして適切なのかどうかという二つの点が疑問であるというふうにおっしゃっていたと思うのです。

 今、この問題については、内外とも大変な話題というか関心が強まっているんですけれども、今こちらで勝手に解釈させていただいた考え方が先生のお考えの基本なのか、あるいはまた、それについて何かもし言及されることがあればよろしくお願いいたします。

坂本参考人 今取り上げていただいた本に関して、こういう前提で読んでいただきたいんです。それは、一切白紙の段階で歴史教科書がどうあるべきかと議論しているのじゃなくて、現在の歴史教科書の一般がどうなのかという前提で私は書いているんです。

 それで、特定の教科書はどうだということを申しませんけれども、私は、現在の中学校の歴史教科書は非常に不公平な教科書だという気がするのです。不公平という意味は、日本に対して不公平だということです。例えば一例が、一九四〇年代の戦争の記述の中に、東条英機も近衛文麿も出てこないけれども、蒋介石もルーズベルトもチャーチルも、金日成まで出てくる、こういう教科書もあるんですね。そういうのはやはり何か不公平なんですね。まずは日本を公平に見なきゃいけないじゃないか。そういう趣旨で私は書いているわけです。

 それで、日本の過去の悪、そういうことも日本だけを浮き上がらせて書いている。こういうことは、そういう研究を学問としてなさるのは自由なんですけれども、一体、中学校の教科書で、そういう教科書が本当によいのだろうか。

 よくよく見ると、各国も、普通は多くの似たようなことをやっているんですね。実は、そういう過去のことを触れれば、ああ世界というのはこういうものかということが子供の認識の中にはぐくまれるわけですけれども、それを日本だけ不公平に書いてあると、これは誤った日本のイメージをつくってしまう、そのことを前提に私は書きましたので、そのつもりで読んでいただければと思います。

上田(勇)委員 この問題が、特に諸外国の反応がある中で、そこだけが何か取り出されて報道されがちなんですけれども、やはりもっと国内的に、個々の内容まで実は吟味した冷静な議論が必要なんだろうなというのを感じているところでございます。

 もう時間が過ぎましたのでこれで終わらせていただきますが、きょうはいろいろと貴重な御意見ありがとうございました。

鹿野会長代理 藤島君。

藤島委員 自由党の藤島正之でございます。

 四点ほどお尋ねしたいと思います。

 まず第一点は、組織と国家との関係でありますが、我々、小さいものは家庭に始まって、いろいろな組織に属しておるわけですが、いろいろな組織と国家との決定的な違いといいますか、そういうものについて先生はどういうふうに認識されておりましょうか。

坂本参考人 さっき言いましたように、これはある意味でみんな共通する面があるんですね。ただ、国家というのは、さっき言いましたように、そこでの行動の仕組みが基本的には強制によって保たれて、それゆえにそこの行動のなされる確実性が保障されている、そう考えればいいんじゃないでしょうか。

 それで、非常に重要なことはやはり国家にかかわっているんですね。犯罪者を捕まえたり、そういうのは国家にかかわりますけれども、我らが例えば夫婦げんかしているときに、国民も国家も関係ないんですね。町内会の祭りに出ているときも国家は関係ないんですね。ところが、泥棒に入られたとなると国家が関係する。そういう個々の問題問題によって、どのレベルの団体がかかわってくるか、そういうことを判断するということになっていくと思います。

藤島委員 国家否定論者あるいは不要論者もおるわけで、フィクションと考えるべきだと言う人もいるんですが、私はやはり、今先生おっしゃったような、内に治安の問題と、もう一つは外に防衛の問題といいますか、国民の安全保障、国民の安全を守る、この部分が非常に大きな部分としてあるんじゃないかなと。これは時代によってもかなり変わってはきておりますけれども、やはり国家の基本的な役割は国民の安全を守る、これではないかなと思うんですが、先生の御意見はいかがでしょうか。

坂本参考人 申し上げたかったのはそのとおりでございます。

 ただ、最後にちょっと申しましたのは、日本が歴史的に見て地理的に非常に安全だったんですね。そのことで、国際社会というものに対しては、もともと非常に厄介なところで、当然ながら防衛しなきゃいけないということが来るんだという自覚を余りしなくて済んだ。

 だから、対外防衛の意味で日本が国家を持ったのは実は古代の律令国家と明治以降の国家しかないので、あとは中世国家とか幕藩体制国家とかいいますけれども、これはそうした意味での対外防衛ということはほとんど考えなくてよかった、せいぜい国内の治安だけでよかったということなので、この歴史が非常にある意味では特殊な歴史なんですね。そのことを我々は想像力で補っていかなきゃいけないというように考えています。

藤島委員 第二点目は、日本人は国民か、こういう問題なんです。

 現在は、国と国を行ったり来たりするのに、飛行機で行って、ほんのちょっと手続するような形でみんな済んじゃうものですから、国家と国家との関係というのは余り意識しないで済んでいるわけですけれども、私は数年前、カンボジアのPKOのときにカンボジアの現地に行きまして、ベトナム国境に行ってみましたら、本当に昔ながらの国境で、非常に強烈な印象を受けたわけであります。

 私は、日本人の国民意識というもの、第二次大戦前は非常に日本人はいい国民だった、そういう意味で国家意識の非常に強いいい国民だった。しかし、現在の国民はどうなんだろうといいますと、先ほど先生は日本人でない日本国民というようなことをおっしゃったんですが、私は、日本国民でない日本人というような形に逆に置きかえてもいいぐらい国家意識が薄い。よその国に行きますと、大体、祝日でもないのにちゃんと国旗を立てている国が多い。それに対して我が日本は、この国会の先生方も、自分の事務所に国旗を立てていらっしゃる先生は何人おいでになるのかというぐらい、本当に何か薄いような感じがしておるわけです。

 日本人と国民という意識、そういうものについての先生のお考えはいかがでございますか。

坂本参考人 今おっしゃったんですけれども、国旗・国歌をめぐってあれだけ論争が起きるということが、これはある意味不思議なことですね。それから、戦後五十年間自衛権あるかないかをめぐって議論していること自体も、これも非常に不思議なことなんですね。これはやはり、おっしゃるとおり、国民というものを考えなくていい、あるいは考える必要がない、あるいは考える方がむしろまずいことが起きる、そういうことを考えているから一九四五年の失敗をやるんだ、こういうことがずっと続いてきたと思うんですね。それで何とか半世紀何もなかった、このことが幸いでは幸いであったんですけれども。

 これは、しかしながら、別に、日本人がそういう自衛権に関して議論していたり国旗・国歌について議論しているような状況が正しい状況なので、そのおかげで平和だったというわけじゃないので、むしろ外部的条件によるということですから。二十一世紀になると、本当にそれでいいのか、そういうことを私も考えているということでございます。

    〔鹿野会長代理退席、会長着席〕

藤島委員 ありがとうございました。

 第三点は、先生も先ほどおっしゃっておりましたけれども、本当にボーダーレス化が進んでいる、あるいは経済のグローバル化、あるいは地球市民、こういった言葉がどんどん使われているわけでありますけれども、確かに、現実にはそういう面がこれまでと大きく変わってきている分野だと私は思います。

 しかしながら、最初に申し上げたような、国家とは何ぞやというところにもう一回戻ってきますと、やはり結びつきとしていろいろな形があるわけでありまして、国際連合を主体としていこうというところもあれば、通貨統合でEUみたいな形にしようというところもあれば、ASEANのようなところもあれば、完全に独立して自分だけでいこうというところもあるわけですが、やはり基本的に国防というか国民の安全というのを基本にした国家というのは、先々これはなくなるというようなことはないと私は確信しておるのですけれども、その辺、先生のお考えはいかがでしょうか。

坂本参考人 先ほどもお話の中で申しましたけれども、人類にとって国家が要るかどうかという議論をし出すと、これはいろいろな回答が可能なんです。ただ、要するに問題は、これを二十年、三十年、四十年というタイムスパンで考えるということをしたときに、恐らく東アジアや日本が国家ということを考えなくてよいということじゃないんだろう、むしろ考えなきゃいけないんだろうと。

 それで、国家というときに、依然として、こういうお話をしますと、二者択一という発想をなさる方が多くて、そんな国家ばかり言っておったら国際社会はどうなるんだとか、国家なんて言うと一般の個人の生活が圧迫されるとか、そういう議論にすぐなってしまうんです。そうじゃなくて、人間というのはそんなに国家だけで生きているわけじゃないので、普通の私生活もあれば会社でも生活しているわけですから、いろいろなアイデンティティーを持って生きているんですけれども、どうもよその国と比べてみると、日本の場合は、日本人の生活の中で国民としてのアイデンティティーということに心的な、心のエネルギーを使う量がやはり少ないんじゃないか。そういうことをちょっと考えればいいんじゃないか、こういうことなんです。

 ところが、国家ということを言うと、直ちにいや軍国主義だ、ナショナリズムだとなっていくというのは、これはやはりある時代の記憶に余りにも過大に固定化し過ぎてしまっているんだ、もうちょっとそれをいろいろな意味でゆとりを持って考えるべきじゃないかな、そんなように思います。

藤島委員 確かにゆとりを持って考える、そういう大人の分野じゃないかなという感じもするのですけれども。

 最後に、今先生、東アジアのことをちょっと触れられたのですけれども、これから国家としての我が国を考えていく場合は、大きくはやはり中国とか北朝鮮の問題、これを二、三十年の次元を考えた場合は当然最も重要な分野になろうかと思うわけです。先生は、軍事面だけの負担というのじゃなくて、さまざまな負担というような表現をされたのですけれども、例えばどういうものがあって、これからどういうふうな方向に行くだろうと想像をされているのか、最後にお伺いしたいと思います。

坂本参考人 先ほど国防の議論のときのお話に、こういうことを言うと、直ちにまた徴兵制という話になってしまうのですね。私は、徴兵制をとるかとらないかということは、その時々の国防のさまざまな技術水準の問題があって、今の戦争で本当にそんな一人一人兵隊さんをとらなきゃいけないような体制かどうかということが一点ありますし、別に議論すべきことなんです。

 ただ、国防の議論はもっと広くて、例えば、かつて自衛隊の戦闘機を一機つくるぐらいだったら小学校が一軒建つんだという議論があったのです。要するにそういう問題なんです。国防である以上、小学校も大事だけれども、戦闘機も大事かもしらぬ。国防の意識というのは、そういうようなバランスなんです。広くはそういう予算上のさまざまなことを考えるときの一つの良識でもありますし、実際には、有事立法なんかになったときは、例えばいざとなったときには、何か法に基づいて自分の庭に自衛隊員が入ってきてざんごうを掘るかもしらぬ。そういうことを甘受するとか、そういうことはいろいろあると思うのです。

 それを常に徴兵制とか、自分が生きたり死んだりという極限状況ばかり考えるから議論が進まなくなるのであって、多くの国々の防衛義務というのは実はもっとそういう幅広いことを言っているので、その辺から議論すればいいのであって、何か極端なことばかり議論するから話がまたはかどらなくなってきて、そういうことを言うと、すぐ戦争になったときをまた考えてしまうのですね、実際に。

 しかし、実は戦争にならないためにそういう防衛措置をするということですから、その辺はまたもうちょっと、さっきの同じことの繰り返しになりますけれども、ゆとりを持って考える必要があるんじゃないかなというように考えます。

藤島委員 ありがとうございました。

 終わります。

中山会長 塩川鉄也君。

塩川(鉄)委員 日本共産党の塩川鉄也です。

 本調査会での御意見、本当にありがとうございます。

 私、二十一世紀を展望したときに、今の憲法のこの五十年余りの歴史と、歩みと切り離して論じることができないと思います。

 国家と国民とのかかわりについてですけれども、私は、近代の憲法において、やはり常に国家を意識してつくられてきたものだと考えますし、国民が国家に権限を信託するとともに、国家権力の行き過ぎをチェックして、国民個人の自由と権利が現実に保障されることを国家に求めてきたと考えます。

 その上で、今の憲法は、三十条にわたって国民個人の人権についての規定が盛り込まれているわけです。この点がやはり他国にない日本の憲法の特徴だというふうに思います。政治的な権利とともに生存権など社会的な権利が盛り込まれておりますし、全体としても、世界でも先駆的な、豊かな内容を持っていると思います。

 しかしながら、今の政治のもとで、現状ではこの人権規定が十分に生かされていないというふうに考えますが、この憲法の先駆的な人権の規定と日本の現実との乖離について、参考人はどのようにお考えでしょうか。例えば二十五条の生存権の問題ですとか、社会保障への支出が現実に削減されているような、憲法で目指しているものと現実の政治とのギャップがあるということを。

坂本参考人 今のお話、それは、私はこう考えます。

 国家の憲法というのは、ある意味で理念を語っているんですね、こうあるべきだと。法律、すべてそういうものですね。ところが、理念どおりいかないことが事実あります。例えば刑法で、人を殺したら死刑もしくは十五年以上という、ああいう規定がありますけれども、実際上は、捕まらないで逃げちゃう人もいるわけですね。そういうように、実際上の理念としての国家ということと現実になされていることというのは、常に開きがあるということがあると思うんです。

 それで、今の憲法で、人権の規定でありますけれども、これもいろいろ議論があって、例えば、その人権の中でも、逮捕状もなしに逮捕されたというような事例、こういうことは実はあってはいけないことなんですね。

 ところが、今おっしゃった生存権となりますと、これは私ちょっと古い例しか知りませんけれども、これに関しては、プログラム規定というんですか、ある種、国の政策を方向づけるものであるけれども、これが直ちに権利になるかどうかわからないという議論があったりしまして、その場合、それは直ちに今言ったように憲法違反ということになるのかならないのか、これはちょっと議論しなきゃいけないなという気がします。

塩川(鉄)委員 しかし、現実のギャップを現状に合わせるのではなくて、やはり憲法の規定に沿ったものにより発展させていくことが基本だというふうに考えています。

 それから、二十一世紀の日本を考えたときに、二十世紀の日本が何をやってきたのかということが、やはり国際社会の中で問われてくると思います。その点での二十世紀での最大の問題は、侵略戦争の問題だと考えます。一部の政治家の植民地支配を合理化するような発言ですとか侵略戦争の美化発言が行われるたびに、アジア諸国から、さまざまな懸念の声、きちんとした歴史認識を日本は持っていないんじゃないかという声が上がるわけです。

 私は、過去のこの侵略戦争と植民地支配に対して、侵略されたアジアの国々と共通の歴史認識を持ち得なければ、二十一世紀のアジア諸国との真の友好関係を築くことができないのではないかと考えますが、参考人はどのようにお考えでしょうか。

坂本参考人 それは非常に難しい問題なんですね。私はこのように考えております。

 よく、日本の政治家の方とか、日本国民もそうなんですけれども、例えば、韓国の日本の植民地の支配がどうだったこうだった、いいこともあったと言って、それで韓国の人が怒る。私は、韓国の立場に立てば、不愉快だということはあると思うんですね。ただ、そのことと、では日本がそれをどう考えるかというのは、ちょっとまた別の視点があるはずなんだ。

 例えば、話が具体論になってしまいますけれども、私は、韓国を併合したという事実は、これは日韓だけの問題でとらえられないと思うんですよ。実際上は、あそこで起きたことは、さっきもちょっと申しましたけれども、それまで数百年間何事もなかった東アジア、この中が動揺を始めたということです。それは、ロシアが東に進む、一方、イギリスが来る、一方、韓国に宗主権を持っていた清国が弱っていく、こういう不安定な状況が生まれた。

 この中で、日本は何とか朝鮮半島にロシアが入ってこないことを望む、こういうことがあったんです。そのことが一連の日清戦争、日露戦争ということを生んだので、私は、そういう当時の国際政治上のさまざまな側面ということをやはり日本人として理解することが必要だ。韓国の人にそう言っても、韓国の人はそういう話までうんうんと受け入れるかどうか、それはわからないですけれども、日本人としては、当時の日本が東アジアの国際情勢の中で置かれていた選択としてああいう道をとったということをやはり念頭に置く必要があると思うんです。

 それからもう一つ、私は、各国間の戦争が終わった後の処理というのは、基本的には、講和条約と国家による賠償ということでこれは終わるんだという、これは約束事だと思うんです。実際問題、両国のさまざまな被害を受けた人が国家同士の賠償とか講和条約で満足するかどうかわからないですね、これは。わからないけれども、一応国家の間ではそういうことにするという約束事で国際社会が成り立っているということだと思うんです。私は、そう見たときに、日本というのは、賠償も行い、講和条約も結びということで、あの時代の戦争の基本的な後始末は終わっているんだ、そういう認識に立つべきだ、そう考えております。

塩川(鉄)委員 十九世紀末から二十世紀初頭の歴史の中で、韓国においては、やはり韓国の民衆、国民の主体性というのは現に発揮をされているというふうに私は考えます。

 その上で、私は、今日の日本が進むべき道というのは、日本政府としても九五年の村山談話を基本として、ここを歴史認識の出発点とすることが少なくとも今の段階では必要ではないかと考えます。我が国が、過去の一時期に植民地支配と侵略により多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えた事実を謙虚に受けとめ、これらに対する深い反省とおわびの気持ちに立って世界の平和と繁栄に向かって力を尽くしていく、こういうふうに述べておりますけれども、これに逆行するような発言が続く。ここにやはり日本に対する十分な理解が得られない、国際社会における問題が出ているんだというふうに思うんです。私は、やはりこの村山談話が今日における歴史認識の共通認識の立場だと思いますが、参考人はいかがでしょうか。

坂本参考人 私は、こう考えますね。

 国が各国とどういう関係を結ぶかというときには、これはその都度、どういう発言をしているのが自国に有利なのかということを想定していろいろなことを考えるべきだと思うんです。

 戦争に関しては、私は、さっき言ったように、基本的にはそういう前提、講和条約で処理が済んでいる。その上に何か発言するというときに、実はこういうことがあるんじゃないでしょうか。要するに、例えばおわびをすれば相手が受け入れるだろう、当然そういう前提があると思うんです。しかし、それはどうも日本の文化じゃないのかな。講和条約を結んだけれども、しかしまだ謝らなければいけない何か負債が残っている、そういう推定が働いたときは、では、国際政治の中ではどういう負債をやっていくかという話にまたなっていく、少なくともそういうことがあり得る。

 例えば中国の場合でも、ODAなんかが、実際のところ本当にODAなのかどうかわからないですね、あれも。賠償なのかもしれない。実は、賠償というつもりでやっているかもしれない、向こうもそのつもりで受け取っているかもしれない、こういうことがあるわけですね。

 そうなってくると、実際、国家と国家の関係というのは、さっきもちょっと申しましたけれども、文明化された市民社会の個人間の関係とは非常に違った、非常に即物的で、何というか、さほど上品でない関係はやはりあるんだろう。そういうことも考慮して対応していかなきゃいけないんじゃないか、今議員のおっしゃったあれに関しては私はそのような感想を持ちます。

塩川(鉄)委員 上品ではない関係というお話がありましたけれども、私は、例えばヨーロッパにおいて、ドイツがポーランドやイスラエルと歴史の共同研究を進めて共通の教科書をつくったということもお聞きをしておりますし、二十一世紀におけるアジアにおける共生のためにも、やはり歴史の共有が求められているというふうに考えます。また、日韓の間でも、この共通の教科書づくりというのは民間のレベルでいろいろな取り組みがある、こういう方向にも大いに学ぶべきではないか、これは私自身の率直な思いであります。

 その上で、二十世紀の戦争をめぐる歴史の流れについてですけれども、参考人がお話しになりましたように、二十世紀は、二つの大戦の大きな惨禍を経て、戦争の違法化というのが大きな歴史の流れとなっているのはそのとおりだと思います。その点での国際連盟規約での戦争の規制ですとか、パリ不戦条約での戦争の一般的な禁止、第二次大戦を経た国連憲章での武力行使、威嚇の禁止へと、やはり戦争の違法化が国際ルールとして進められたと思います。その中で、日本国憲法の第九条が、戦争は合法ではないという国際世論の反映として、また日本国民の多大な惨禍を受けた戦争に対する痛苦の思いから生まれたものとして、この流れの最も先駆的な到達点として誇るべきものではないかと思います。

 その点、参考人は、現実は戦争の絶えない世界というお話をされました。確かに第二次大戦後も百数十の武力紛争が起こっておりますけれども、しかし、そういう中で、いわゆる侵略戦争、侵略が行われたケースというのは、軍事同盟がてことされた場合、また民族内部の対立が口実とされた場合、さらには領土問題が口実とされた場合がほとんどであります。

 参考人も、なるたけ戦争にならないよう共存することが大事だというお話もされていましたとおり、私はやはり、憲法九条の立場にしっかりと立った紛争の平和的解決のために積極的に取り組むことが、この二十世紀、戦後の歴史の流れを大きく前に進める、いわば今日日本が求められる外交の基本姿勢ではないかと思いますけれども、参考人のお考えはいかがでしょうか。

坂本参考人 御意見のような立場があることは承知しております。その努力をするということは、私は別に否定しません。

 ただ、ちょっとコメントさせていただきますと、世の中には進歩があるべきだ、進歩の先駆けにならなきゃいけない、何かそういう思いが非常に強くおありになるような気がする。それで、世界は確かに進歩する面もあるだろうけれども、そうでない面もあるんだ、そういうこともやはり考えなきゃいけないんじゃないか。

 それからもう一点、ちょっと申しますと、世の中が平和に向かって進歩しなきゃいけないんだという前提とドッキングして、何か国際親善でなきゃいけない、要するに国同士が親しく、むつまじくなっていなきゃいけないんだ、こういう前提もあるような気がするんですね。私は、なかなかそれは難しいことであって、要するに共存できればいい、何であれ、まずそういうことが大事であって、国同士が仲よくするというのは、もともと国というのは人の集まりですからなかなか難しいんですけれども、国際社会というと、必ず進歩して、和気あいあいで、国が友好関係になっていなきゃいけないんだ、何かこういう前提がどうもあっていろいろな議論がなされているような気がしますので、私は、それはちょっと過大な期待である。

 私は、一国の日本の例えば外交政策や防衛政策がその過大な期待によって左右されるべきでない、むしろ、ほどほど共存するというようなことにはどうしたらいいのか、こういう方向に知恵を働かすのが大事じゃないかな、そういう気がしております。

塩川(鉄)委員 時間が参りましたので、終わります。

中山会長 金子哲夫君。

金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子哲夫です。

 先生のお話を伺いまして、そして事前に二冊ほど本のコピーをいただきましたので、そういうことの中から幾つか御質問させていただきたいと思います。私は、両方の本で触れられておりますけれども、広島ということについて少しお話を伺いたいと思っております。私自身が広島の出身ということもありまして、お伺いしたいと思います。

 その中で強調されておりますのは、唯一の被爆国ということが強調されて、その中からの発展としていわば非武装中立が出ているということも、それでいいのかというちょっと半問い的な感じでお書きだと思います。それと同時に、もう一カ所別のところで、原爆投下という事実は、日本がそこから酌み取ったような教訓を果たして各国に対してもひとしく伝達するものだっただろうかという指摘をされていらっしゃいます。私も、そのことは非常に重要だと思っております。

 それで、まず先生にちょっとお伺いしたいのは、広島、長崎で起きたことから先生御自身また日本の政府が酌み取ったものは一体何かということについて、御見解をお伺いしたいと思います。

坂本参考人 当時の広島の被害は、それは惨たんたるものだったんですね。恐らく、日本がその後急速に終戦に向かっていったというのに、原爆投下がそれなりに大きな意味を果たしたと思うんです。当時は、原爆の規模はどういうものかが、新型爆弾とわかっていても、その規模というのはさほどあれだったんですけれども、戦後になって、被害の規模がだんだん大きくなるにつれて、これは相当大きなことだという理解が広まっていったと思います。それと同時に、先ほどちょっと申しましたけれども、日本の敗戦が惨たんたる敗戦だったんですね。十九世紀の勝った負けたの敗戦じゃない。

 この両方があって、しかも、なおかつ、日本は、ずっと戦争をしていましたけれども、負けたのがほとんど初めてだった。初めて負けた戦争があれほど大きな戦争で、しかも原子爆弾が落ちたということがあって、私は、日本人がそのときに、日本はやはり世界でもまれな体験をしたという意識を持ったと思うんですね。そのことで、今度は逆に、日本こそ世界とは違った特別に平和に邁進する義務を持っている国だ、こういう認識が生まれたんだと思うんですよ。

 ところが、世界が本当にそうだったのか、日本の体験を特別なものとして見ていたのかということなんですね。

 私も本に書きましたけれども、一九四五年の暮れに、後に米ソ核戦略交渉の代表になるポール・ニッツェがやってきて、長崎を調査して、私は正直、読んで驚きました。地下室に隠れていた人間は生き残っている、要するにこれは全滅する兵器ではない、ということは今後とも使われるだろうといって、核爆弾の情報はいずれ外へ漏れるだろうから、各国というか、要するにソ連でしょうね、ソ連もいずれこれを持つだろう、そうなってくると改めてそういうことを想定して核戦略を立てなければいけない、こういうことを考えたといったようなことを読んで、何とギャップが大きいのかと。

 日本人の持った経験は日本人として確かに大事なことだったんですけれども、逆に言えば、それだけで、戦後の日本人は、我々を外の人間はどう見ているのかというのは余り注意を払わなさ過ぎたんじゃないか、そういうことを私は読んでいただいた本に書いたんです。

金子(哲)委員 私も、日本の広島で起きた悲惨な事実というのはそのとおりで、やはり結局はそこをどう見るかということで、おっしゃったとおりだと思います。地下室で何名かの命が助かったことを見るのか、それとも、たった一発の原子爆弾によって一瞬のうちに十数万の命が奪われ、そして後遺症に悩む人たちをつくり出してきた、その核兵器というものについてどう考えるのか。

 とりわけ、私は、やはり広島で起きたことというのは、本来は国民の命を守るべき戦争であったはずのものが、そのほか沖縄もそうですけれども、特に広島、長崎においては、この核兵器の使用によって、いわば非戦闘員が大量に、つまり無辜の民が被害者となったというのが非常に大きな特徴だと思っております。そういう意味で、しかも、先ほど言いましたように、原爆という、被爆という後遺症の問題も含んで非常に苦しんでいることを考えますと、まさに核兵器が無差別の大量殺人兵器だということが言えると思います。

 そのことを広島の人たちは、それが絶対平和主義とかいうことでなくて、そのみずからの一人一人の命の体験として、その出発の中に、再び核戦争、核兵器は使ってはならない、また同時に、核兵器使用につながった戦争というものに対して、命の尊厳といいますか、一人一人の命を奪ってはならないということで出発したと思うのですね。そういう意味では、そのことが十分に世界の人たちに伝わっていない、まして被害も伝わっていない。

 私は、その意味でいいますと、日本の政府が、国連やいろいろな場所に行って、唯一の被爆国と発言をしながら、おっしゃるように、広島や長崎で起きた出来事というものを世界の人たちに伝える努力を一体どれだけ本気になってこの戦後五十五年間やったのだろうかというふうに思うのですけれども、その辺、そういう日本政府の努力ということについて先生はどのようにお考えでしょうか。

坂本参考人 政府がどれだけその努力をしたかというのは、私は、率直に言って、十分であるか十分でないかというのはちょっとわからないのですね。

 といいますのは、こうも考えるのです。広島の原爆の惨禍を仮に十分に理解したとして、米ソが本当に核戦略の軍拡をやめたのだろうかどうだろうか、こういう問題なんですね。いろいろな資料を持っていって読ませて、うん、そうだと言って、やはりやめようかという、それはある程度、例の核軍縮交渉が進むのは多分にそういうことがあるから、こういうものを本当に使えば大変だからというのを知っていてそれは起きるのだと思いますけれども、実際上は、核兵器があるからというより、基本的には両国間の対立があるからという問題なんですね。

 米ソの対立があって、たまたまその手段として核兵器を使っているということであって、問題がちょっと逆であって、対立の方がやはり根源にあるのだ。この対立というものが解消されない限り、要するに、核兵器という能力というものが既に人間によって発見されてしまった以上、相手は使うかもしれない、ひょっとしてどうかという、お互い同士の猜疑心ですね、これが結局なくならない。使えばこうなるとわかっていても、結局、自分はつくらないのに相手がつくったらどうしよう、こういう猜疑心ですね。要するに、人間相互のゲームのようなことになっちゃうのですけれども、そういうことだったのじゃないか。

 広島、長崎の被害を見ていて、起きたらこれの何十倍だということは観念的にもわかりますので、結局、何が起きたかというと、核戦略というのは、王手を指さないで将棋をやっている感じなんですね。角をだれか配置すると、対抗して飛車を打って、五手先にどうかこうかといってお互い読み合っていて、自分が王手を打ってしまうと自分も王手がかかるので、これは大変だと思いながら頭の中でシミュレーションのゲームをずっとやっているという、見ようによっては非常に非合理的なことなんですけれども、そういうことが続いていった。

 だから私は、情報が伝わらないというより、むしろ基本的には対立があって、既に発見されてしまった以上、これを相手が使うかもしれないという猜疑心があって、その悲惨な惨禍を知りながら核戦略競争をやってきたのじゃないか、そういう気がしているのです。

金子(哲)委員 そのことでいえば、私は、憲法の平和に関する条項というものは、そういう広島や長崎の体験も一つの大きな背骨にあるというふうに思っております。だからこそ、その平和憲法と、そうした戦争に対する、核に対する、一人一人の命が奪われていくことに対する認識というものを日本政府が常に持ちながら外交を進めるべきだというふうに思っております。

 そういう意味でいいますと、先ほど先生が、いわば殺人の問題と戦争の関係でおっしゃっておりましたけれども、国内には文明があって、国家間にはまだ文明的なものがない中で戦争による殺りくが許されている現状というふうに考えた方がいいと思いますけれども、しかし、先ほど言いましたように、核戦争の時代を迎えれば、いわば軍人やそれを遂行しようとする人たちだけでなくてすべての市民が巻き込まれるという中で、私は、日本の憲法というのは、先生の言葉をかりれば、国家間が文明的ではないところを先取りして、いわば文明的な国家間の関係をつくろう、そういう崇高な使命の中に日本の憲法というものがあって、それはしかも、第二次世界大戦後の、二十世紀の最初の四十五年間の日本の歴史の反省の中に私はあるというふうに思っておりまして、やはりそういう視点でもこの問題をとらえなければならないんではないかというふうに思っております。

 次に、もう一つ御質問をさせていただきたいのですが、先ほど先生の話の中で国旗・国歌の問題がありまして、先生から見ると、国旗・国歌の問題がこのように論議になることがというお話がありましたけれども、私は、いわば国旗・国歌の問題をそのように自由に討論できるところに日本国憲法のよさがあるのでありまして、帝国憲法の時代であれば、こんなことを論議しておればどうなったかということを考えますと、日本国憲法の時代というものが、そこにも逆に象徴されていると思います。

 それで、先生は、二月の十一日、建国記念日の日の産経新聞の「正論」に、政教分離の問題について触れておられまして、ちょっとそのことをお聞きしたいのですけれども、アメリカ大統領の就任式にかかわる宗教的儀式とかかわって、「さて、ここで不思議なのは、日本のマスメディアが、これについて政教分離の見地からの疑念を抱いた気配がいささかもないことであった。」そして、森総理の日本は天皇を中心とする神の国発言に対するマスメディアの批判を、「政教関係への真剣な配慮からするより、単なる言葉狩りに過ぎなかったのかもしれない。」という形で批判をされていらっしゃいます。

 私は、この問題というのは、先生もおっしゃいましたように、それぞれの国のいわば歴史の積み上げの中で現在があるわけで、そうしますと、この森総理の発言に対して、マスコミを含めて、私たちもそうですけれども、多くの批判の声が上がったというのは、そういう歴史的事実の積み重ねの中にあると思うんですね。

 憲法の中でも、第二十条で信教の自由の保障ということと政教分離の原則というものを言ったということは、戦前の帝国憲法下における国家神道やまた神権天皇制への崇拝など、しかもそれに基づいて、先ほど話がありました、三〇年代から四〇年代にかけて、神州日本、神国日本、神州不滅などの言葉とともに国民総動員の体制の中で戦争に組み込まれていった、あの苦い反省の歴史の上から、とりわけ日本の憲法の中に政教分離ということを明示しなければならなかった問題があると思うんですね。

 そういう歴史的な事実の中で、森総理の発言に対してもしっかりと意見が出てくるのは、私はある種当然のことだと思うのですけれども、それをただ単に言葉狩りというふうにとらえていくことこそ、いわば戦前のそういう反省といいますか、平和憲法をつくってきた、政教分離を明示してきた歴史というものを逆に覆い隠していくことになるのではないかという意見を私は持っておりますけれども、先生のもし御意見があればお聞きをしたいと思います。

坂本参考人 戦後の政教分離の考え方に、今議員のおっしゃった、戦前に国家神道があって、この国家神道があったために日本は戦争になっていった、そういう歴史解釈があるのですね。

 私は、実はそうじゃないんだと思うのですね。これは、あの戦争全体の評価の仕方になりますけれども、例えば、日本が明治憲法のような憲法を持っていて、そこに国家神道といっても、実際は、あれは最近の研究によれば神社を内務省が管理する、そういうことであって、いわゆる国家神道という言い方が出てきたのは昭和もかなり後の時期です。それはちょっと置いておきまして、そういう日本の国内の体制とか考え方に戦争の原因があったという前提があるのですね。だから、戦前的なものをなるたけ排除すれば平和の道になる、それが歴史の反省だ、こういうことだと思います。

 ただ、私はむしろ、戦争というものを、ひとえに日本の国内体制によって起きたと言うのは間違いであって、やはり基本的には国際情勢があるのですね。国際情勢の中で起きてきた。そのときに、戦争が総動員体制の戦争になってくる、一切のものが動員されてくる。神道も何も動員されて、むしろ神道的なものが戦争に動員されていったんだ。それが原因じゃなくて、戦争の方が先であって、戦争は独立条件としてあって、そういうことだったんじゃないか。

 だから、私は、歴史の反省というときに、その反省の仕方というか歴史の前提の見方が、ちょっと議員とは違うかもしれないということであります。

金子(哲)委員 ありがとうございました。

中山会長 小池百合子君。

小池委員 保守党の小池百合子でございます。本日は、国家学についてお話を伺うことができまして、大変うれしく思っております。

 そもそも、国家学というのが、名前も変わって、中身も変わって、政治学、そして国家学的なことを論じておられる方はわずか二十人ぐらいだというお話が冒頭にあったかと存じます。なぜ、その国家学なるものが、日本の学問として、またそれを研究する分野として、ある意味で希薄になってしまったのか、きょうのお話の中にそのヒントはたくさんあったかと思います。

 平和主義といいますか、平和ということと国家というのが、何か日本の場合はマスコミ的にも相入れないといいましょうか、そういった空気がある、これは山本七平さん的な空気という意味でございますけれども。そしてまた、国家ということを言うのはかえって国家にとって危険ではないかというような、さきの大戦のいろいろなマイナスイメージがあったということなどなどで、国家学なるものに人気がなかったからではないかなというふうに考えるわけでございます。

 そのあたりで、その国家学を論じておられる先生からして、非常にフラストレーションもたまっておられるのではないかなと、お話を伺って私は感じたわけでございますが、もう一度、国家ということを考えることが希薄になったこの日本という国家について、その背景、原因について伺いたいと思います。

坂本参考人 繰り返しになるんですけれども、国家ということを考えるのが嫌になっている。一つは、やはりずっと出ております敗戦の体験が大きいんですね。国家に全生活を動員されて、惨たんたる敗戦であった。そういう経験と、さらに言えば、先ほどから出ております戦争に対する解釈です。日本が明治国家以来営々とやってきたことが、営々とやってきたことというのは要するに近代国家づくりだったわけでありますけれども、結局この最後はこうした徹底した敗戦だったということがありまして、国家にかかわるということが何か非常にむなしいものになった。それから、一九四〇年代の体験ですね。これが、異常なナショナリズムが高揚された。たくさんだということはあったと思うんです。

 先ほどからちょっと申しておりますけれども、国防の義務なんというと、直ちに徴兵とか実際の戦争ということを想定してしまうというのは、やはり一九四〇年代のああいう強権的な体験が常に念頭にあって、それをもとに物を考えるからそうなる。国家のことを考えるのも、そうした一九四五年の未曾有の敗戦ということが常に頭に浮かんで、国家というものを一生懸命つくってきたというような体験自体が無意味であったという、明治維新以降の歴史に対する否定的な見方というようなことがやはりあったと思います。

 そのことが、国家ということを考えたくない、極端なことを言えば、私は、反国家フェティシズムといいますか、国家という言葉をもう使いたくない、国民ならいいけれども国家は使いたくないという、国民というのは国家なくしてあり得ませんから実際はそれはちょっと無理な話ですけれども、そういう発言が出たりするのを見ますと、やはり四五年のあの意味が大きかったろうと。

 さらに言えば、最後に申しましたように、もともと対外的な意味での国家というのを考えなくていいような地理環境にあったということが大きな背景にあって、そのことがやはり国家ということに関して、何がしか考えたくないし、考えなくていいというような空気をつくってきたのかなと思います。

小池委員 ありがとうございます。

 ただ、世界は大きく変わって、冷戦構造が終わったということは非常に大きな意味の変化であると同時に、民族紛争の多発など、別の危険が新たに出現しているかと思います。

 きょうのお話の中で、防衛が国家の基本課題であるということで、今もお話あったとおりでございますけれども、ただ、この防衛ということも、やはり危機意識がないところにはなかなか防衛というのは生まれないのではないか、もしくはそれに対しての国民的サポートも生まれないというふうに思うわけでございます。

 そこで、危機を感じない、また感じる必要性もなかった、また地理的な要因、そして、さきの敗戦からのいろいろな歴史的な流れ、政治的な流れからいって、その危機を感じずに済んだということは大変喜ばしいことであると同時に、今の新たな国家的危機管理に対しての処方せんを持ち得ていないというのが、私は今日本が直面している大きな危機だというふうに感じております。

 ただ、危機管理でございますけれども、なかなか日本の場合、戦略的にとらえることができないというような、精神的、教育的な土壌がないんじゃないかと思っているわけでございまして、今後、日本の国家戦略というものを描く上にどういったものが必須要素とお考えになるのか、どういったことを提言なさるのか、伺わせていただきます。

坂本参考人 先ほど冷戦後の新しい情勢というお話がちょっと出ました。それで、冷戦後、どういう世界の構造になるかということがいろいろ議論されているんですけれども、私はこのように考えるんです。

 先ほどちょっとユーラシアというようなことを言いましたけれども、冷戦とは何であったかというと、結局、これはユーラシア中心部の国、ソビエトと中国ですけれども、この国々に対して、ヨーロッパとかその他のユーラシア周辺諸国がこれを包囲する形で続いている緊張だ。アメリカも、メルカトル図法の世界地図を見ているとわからないんですけれども、地球儀のようなものを北極圏から見ると、ユーラシア大陸の中心部を、周辺部とアメリカというこれまたそれを囲む大きな島ですね、これが包囲する形で続いていた対立だった、このように思われるわけです。

 それで、そういう歴史を見たときに、じゃ、日本はどうだったかというと、基本的には、私は、ユーラシアと適当な距離をとりながら、あるいは交流しながら独立している、そこからの進出に関しては常に防いでいる、これが多分日本の長い歴史の一つのあり方であろう。白村江の戦いの終わった後、律令国家をつくりまして、あのときは都を近江に移しますけれども、あのときは、唐と新羅の軍隊が本土に上陸してくる、本土決戦かもしらぬ、こういうことで国家をつくった。それが終わってちょっと緩んで、次は元寇でまたおりてきて、これを何とか防いだ。

 十九世紀になると、さっき言ったように、今度、ユーラシア周辺を取り囲んできたイギリスとロシアとが対立する、こういう構造であった。それで、ソ連ができちゃった後、冷戦というと何か人ごとのように言っているんですけれども、私は、治安維持法を日本が制定して日本共産党を取り締まったといっても、どうもあれはソビエトと日本の間の冷戦じゃなかったのかという気がするんですね。あのときに非常に激しいナショナリズムを高揚する。アメリカはその後、戦後になってソ連と冷戦を始めた。すると、やはりアメリカでも同じように、マッカーシズムのような、非常にああいうのがしょうけつする。似たような現象が起きるんですね。それでずっと続いてきた。

 冷戦が終わったんですけれども、じゃ、このユーラシア中心部とユーラシア周辺部のこういう緊張というのは本当に解消しちゃったのかどうか。一時期解消しちゃったように見えましたけれども、プーチン政権の復活とか中国を見ていますと、やはりまた何か、形こそ変わったけれども、ユーラシア周辺部対中心部の拮抗関係は今後続いていくんじゃないか。特に日本の場合、それがかなり厳しい形でこれまでよりは感じるような事態になりつつあるのかもしれないな。それが国家について二十一世紀考え直さなきゃいけないと言っている、私の基本的な地理学的な見方で考えているわけです。

小池委員 また、先生の御著書の中には象徴天皇という大変力作があるわけでございまして、拝読もさせていただきました。その意味ではこの質問は愚問になるのかもしれませんが、首相公選論というのがよく引き合いに出されます。これまでお手本にしようとしていたイスラエルでは、この首相公選論を実施した上で、これはやめようということでまたUターンしてしまうというような形になっておりますが、先生のお立場からして、この首相公選論の導入についての御意見を伺わせていただきたいと思います。

坂本参考人 私は、これは日本の根本的な国家体制の観点、実は三つの観点から考えなければいけないと思うのです。基本的な国家体制の観点、それからもう一つが、いわゆる国民を代表するというときの、一体何が合理的な国民を代表する形式なのかという、ある意味ではよその国にも通じる、普遍的な政治学的な見地ですね。それから三番目に、現実性ですね。実際できるのかということです。

 最初の問題からいいますと、当然ながら、これは、国民統合と、日本国を象徴している天皇と公選された首相との関係は一体どうなっていくか。私は、法理論上は区別することはできると思うのですね。

 要するに、天皇というのは長い時代を超えた、その時々の国民じゃなくて、長い歴史性を帯びた日本国と日本国民を象徴するし、首相というのはその時々の国民の意思決定だという形で、区別して論じることは可能だと思うのですけれども、これまでのように天皇の位置づけがはっきりしない段階で首相公選制を持ってきたときに、一方で、公選された首相は大統領に近くなる。そうすると、元首に近い存在になる。一体、天皇と首相との関係はどうなっていくか。場合によっては、天皇の意義があいまいになっていくということがありますので、その場合は、私は、天皇がやはり基本的には元首であるというようなことを決めた上で首相公選制にしなければいけないと思うのです。

 それから二点目ですけれども、公選された首相が強力な指導力を発揮できるというのは、ある意味では議会のコントロールが及ばない行政をつくれ、こういう主張なのですね。

 私は、これはいい面もあれば悪い面もあって、議会のコントロールがないから幾らでもばっさばっさといろいろなことができるということはありますけれども、他方で、ある意味では民衆翼賛型独裁制ということもなきにしもあらずなのですね。現に、公選された首相にかえればさまざまなしがらみを断ち切って何でもできるという言い方をしているときには、半ばそういう大統領の独裁的権力ということを待望している面がなきにしもあらずです。

 私は、これは果たして本当に好ましいかどうか、むしろ首相の指導力が発揮されていないから問題だというのであれば、もっと別の方向があるのだろう。例えば、小選挙区制を徹底して、要するに、ある政党が勝ったということは当然その党首が首相になるのだということが自明に前提になっているような制度であれば、行政府のトップの指導力の問題はそっちで解決するだろうという気がするのです。

 それから三番目の問題ですけれども、これは今言ったことと関係するのですけれども、首相公選というと、何か憲法改正しなければいけないのですね。憲法改正がそんな簡単にできるのかということです。ここでこのように憲法調査会を開いておられるわけですけれども、首相公選、現在の憲法に則する限りは議院内閣制で選ぶしかないので、これを全面的に改めるというようなことが本当に近々にできるかというと、私は、どうもできないのじゃないかな。そもそも、議員ではないメンバーによってつくられる行政府はどんなものかというのは、これまた、さっき言った政治学の関係からも議論百出してなかなか容易じゃないだろうという気がしております。それよりはむしろ、もっと首相の指導力を高めるやり方は幾らでもあるのじゃないか、そういう気がします。

小池委員 イギリスの場合も議院内閣制でございますが、サッチャーさんのときなどは、本当に彼女の実力等々も加味して非常なリーダーシップを振るわれたということで、今のような形の首相の選び方が悪いというだけではなく、その周りの運用面での問題も多々あるということ、よく承知もしておるところでございます。

 最後に、先ほどから出ております天皇でございますが、皇室の運用の部分で皇室典範というものがございますが、これについては、先ほどからお話を伺っておりますと、天皇という個人ではなくて、それに連なる属性の部分の重要性のことを説いておられたかと理解をいたしております。皇室典範には、男系ということで、男子ということを明確に記してあるのでございますが、その意味では、女性でもいいというふうにとってよろしいのでございましょうか。先生のお考えを聞かせてください。

坂本参考人 これも、天皇とは何ぞやということにかかわってくるのですね。天皇は何ぞやというときに、我々個人が勝手に考えて天皇はこうであってほしいというわけにはいかないので、これはやはり歴史的な概念ですから、歴史上どういう場合に天皇は天皇であったのかということにかかわってくると思うのです。

 その場合に、女帝という例がありまして、それは、ある意味では臨時であるとかさまざまな、皇位継承者がいなかったときに女帝というケースがやはりあるのですね、過去の例で。そうしますと、女性の天皇というものが日本の天皇という概念から一義的に排斥されるということはないのであって、場合によってはそういうことがあり得るだろう、そういう理解でおります。

小池委員 時間が参りました。ありがとうございました。

中山会長 近藤基彦君。

近藤(基)委員 21世紀クラブの近藤でございますが、私で最後でございますので、もうしばらくおつき合いをしていただければと思います。

 小池先生と若干重なるかもしれませんが、私もちょっと危機管理に対してお聞きをしたいと思っておりましたので、危機といっても、非常に多岐に、多面的にわたると思っております。戦争も一つの危機でありましょうし、あるいは阪神大震災のような自然災害、あるいはオウム真理教のような国内での問題、あるいは先日のハワイ沖での不幸な事故も、ある意味では危機管理の部類に属するのだろうと思いますが、そういった目に見える事象的なものではなくて、私自身は、政治的な危機管理といいますか、こういったものに非常に今鈍感になっているのではないか。例えば、現在も何となく政治的に空白と言われ、最高責任者がやめる、やめないという、世界から見れば今日本の政治は空白になっているのではないか。あるいは、昨年ですか、小渕総理が亡くなったときに、約一日弱最高責任者がいないという時期があった。

 そういったことに関して、大変愚問かもしれませんが、日本人にとって、政治的なこういった危機に関して大変鈍感だ、鈍感な人が非常に多いのではないかと思うのですが、そうなってきた背景といいますか、歴史的な部分からかもしれませんが、危機意識のとらえ方の弱さといいますか、薄弱さがどういったことに起因しているのか、もし先生の御見解がありましたら。

坂本参考人 これは直接的には、きょうもずっとお話ししておりますけれども、戦後半世紀の日本がいろいろな意味で非常に幸福だったのですね、基本的には。右肩上がりの、経済はどんどんよくなっていく、豊かになっていきますし、それから、外の戦争の脅威はほとんどない、しかも内乱もない。こういう中では、危機というものに対する対処とかそういうことも余り考えなくていいということですね。それがやはり大きかったのじゃないかと思うのです。

 それからもう一つ、一九四五年までの歴史が、ある意味では危機だらけであった。特に、第一次大戦から第二次大戦までの日本というのは、何だか泣き面にハチみたいな、第一次大戦後のあの戦後恐慌が始まって、その後また回復しようと思ったらだめになり、関東大震災が起きるわ、金融恐慌が起きるわ、世界恐慌だ。しかも、対外的には、非常にいろいろ大陸で激しくなってくる。

 私は、こういう体制だと、これはどんな憲法を持っていたってもたなかったのじゃないかという、これほど危機状況だった。それが、一九四五年に一切が解除されて、むしろこれが本当だ、本来こっちなんだというあれが広がったのですね。だから、そういう意味で、幸せゆえののんきさということがやはり基本的には大きな原因なんだろうと思います。

近藤(基)委員 さりとて、この平和というか、こういったことが半永久的に続けばいいのですが、我々とすれば、やはり危機を想定しながら事を進める。先生が、国家とは正当な暴力を独占する政府、統治機関を中心にという、正当な暴力を独占するということは、ある意味ではこういったことを使って国民を守るという契約社会というか、ですから、そういった危機に関して、確実にその危機がとめられるという方法を常に我々は考えていかなければいけない立場にいるのだろうと思うのです。例えば、憲法に危機管理能力を有する最高責任者が規定されていない、あるいは自衛隊の最高責任者がだれなのかという議論も実はあるのですが、そういったことの、恐らく先生も明文化するべきだろうとお思いかなと思っておるのですが、先生の御意見を。

坂本参考人 さっき言ったように、日本国憲法ができたときの事情、占領軍のあってほしい日本が反映されていたということがありまして、確かに、非常事態に対する規定がないというのは普通じゃないのですね。普通という意味は、正しいかどうかは別にして、各国の例と比べた場合に、これがないというのはやはり普通ないことです。

 普通でない状況ならそれでいいのですけれども、各国並みの体験をするとなれば当然こういうことが必要になってきますし、それは一体どういうような条文にするか、これはいろいろ考えがあるでしょうけれども、憲法の基本的な前提として、私は、非常事態にだれがどうしてどういうことをする、非常事態とは何であるかということを決めた条項が必要だろうと思っております。

近藤(基)委員 先生は、ある新聞の対談で、オウム真理教のことに関して若干お触れになっていらっしゃって、これが危機管理のひょっとするとターニングポイントになるのではないかという、先生がお話しになったのか対談の方がお話しになったのかあれですが、そういうことについても、ちょっと先生の御見解があれば。

坂本参考人 あれほどの大犯罪を犯した団体がそのまま存続しちゃっているわけですね。その結果何が起きているかというと、結局市民が自分で防衛しなきゃいけないということになっているのですね。市民が防衛するのですけれども、よくよく事態を見ると、オウム真理教の関係者の子供が小学校に行けないとか、場合によっては人権の保護にかかわることも起きているわけです。

 しかし、その問題をもともと考えてみると、こういうのは国家がちゃんと責任持ってやるべきだったのを、人々が自分で防衛しなきゃいけないという事態が起きていますので、これは言ってみれば国家の役割が非常に欠けつつある。私は、まだ日本国民は国家の仕組みに対する信頼をそう失っていないと思いますけれども、こういうことが起きたり、他方で、警察官の不祥事がしょっちゅう起きていますけれども、これがずっと続いていくと、実は私が最初に言いました、人々がそれに期待し、承認している行動の仕組み自体がむしばまれるのですね。警察が来たからといって安心とは思えないというふうになると、これは国家が成り立たなくなっていく。

 だから、そんなに私は悲観はしませんけれども、対外的な問題だけじゃなくて、国内の治安に関してもこういう状況が続いていて、市民が自分でやらなきゃいけないのだ、警察官だってわけがわかりはしない、あるいは裁判に訴えたって何だかちゃんとやってくれないじゃないか、こういう意識が広がり出せば、人々の心の中にある国家というのは実はもうその中で解体していっちゃうのだ、そういう意味でやや大げさにターニングポイントという言葉を使いました。

近藤(基)委員 もう一点だけ最後にお聞きをしたいのですが、危機管理に関連して、安全保障の問題であります。

 冷戦が始まってから、アメリカから言われたというかどうなのか議論のあるところですが、自衛隊が対ソ連向けにつくられたといいますか、冷戦の産物。その後、日米安全保障条約ということに向かっていくわけですが、幸いに日米安全保障条約が今のところ機能したことは多分ないのだろうと思いますが、今後ないとも限らないというのは、結構多くの国民の皆さん方が、これだけ平和を甘受している中でも、まだ依然として将来的に戦争が起こる可能性を否定していない。

 その際に、日米安全保障条約を締結して、アメリカ側とすれば、今の自衛隊で、ある意味で国防が両方で、例えば法律を改正したとして、集団的自衛権にしても、お互い共同してできるかどうか非常に不安がっているような気がしてならないのです。

 もし万が一、日米安全保障条約が、もう冷戦が終わったらなくてもいいという議論もあるのですけれども、現行、どちらかというと沖縄の基地問題もそれに派生して出てくるわけですが、先生自身の安全保障の考え方の中で、日米安全保障の立場というのはどういうふうに先生はお考えになっていらっしゃるか、教えていただきたいと思います。

坂本参考人 憲法で第九条が定められまして、その後、自衛隊がまたアメリカの要請でつくられた。これは要するに、一九四五年八月のアメリカの国際認識と、一九五〇年ごろのアメリカの国際認識が違ったのですね。日本が攪乱者だったのが、ソ連が攪乱者になったというので、そのアメリカの認識の変化の結果起きた両者の矛盾に日本人が悩んできたということがあるわけですね。

 それで、自衛隊というのは、日本人の頭の中で、そういうアメリカの違った国際認識をそのまま日本に憲法と自衛隊という形で置かれてしまって、当の日本人が、すんなりそれを受けとめることができないまま来てしまった。その結果、自衛隊についても、一体これはどういう軍隊なのかということを考えないままに、基本的には米軍を補足するような軍隊だ、補充するような軍隊だという理解で来て、ガイドラインでも、とにかく米軍の日本での行動を円滑ならしめるという観点がずっとあるわけですね。

 私は、それはやはり本末転倒していて、基本的には、日本の軍隊というのは日本を守るということである。その上で、アメリカとの協力はどのように位置づければいいかというぐあいに筋道を行くべきなのですけれども、初めにアメリカのサポートありきだけが先行してしまっている、これはちょっと本末転倒だろうと思います。

 ただそのときに、では、アメリカの安保条約のようなかかわり方で極東にアメリカが介入する必要があるかというと、私はこれはあると思うんです。それは、さっき申し上げたユーラシア大陸とその周辺との緊張関係、これはよくランドパワーとシーパワーという言い方をしますけれども、私はむしろ文明的な違いということもあると思うのです。ユーラシア中心部というのは、基本的には専制体制なんですね。それに対して周辺部というのは、基本的には封建制を経て、何となく議会制民主主義で資本主義が発展する。なぜそうなるかは、なかなかこれは突き詰めるのは難しいのですけれども、単なる陸と海という手段の問題じゃなくて、文明上の違いがやはりこのユーラシアをめぐるところにあるのじゃないか。

 それで、しょっちゅうユーラシアが海に出てくるかどうかというのは、歴史上それほど断定できないのですけれども、何がしか、ユーラシアの周辺部で事ごと時々起きる。それに対して、一体日本が独力で対処できるかどうか、なかなかこれは疑問なところがあって、アメリカが何らかの形でアジアにかかわっているということが、実は日本のみならず、東南アジアを含めた各国にとって、これは必要だということはほぼ合意になっているんですね。

 日本もそういうことを、単に日米関係だけじゃなくて、東南アジアを含めたユーラシア周辺部のユーラシア中心部に対するかかわり方ということで、日米安保を位置づけ直すということが必要だと思います。

近藤(基)委員 大変貴重な意見をありがとうございました。

 これで質問を終わらせていただきます。

中山会長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 坂本参考人におかれましては、貴重な御意見を長時間にわたりお述べいただき、まことにありがとうございました。(拍手)

 午後二時から調査会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午前十一時五十八分休憩

     ――――◇―――――

    午後二時三十四分開議

中山会長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 日本国憲法に関する件、特に二十一世紀の日本のあるべき姿について調査を続行いたします。

 本日、午後の参考人として東京大学社会情報研究所教授姜尚中君に御出席をいただいております。

 この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたく存じます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 最初に参考人の方から御意見を一時間以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 御発言は着席のままでお願いいたします。

 それでは、姜参考人、お願いいたします。

姜参考人 それでは、着席して話をさせていただきます。

 先生方に今、簡単なレジュメが手元にあるのではないかと思います。私は、きょうは非常に大きな話で、二十一世紀の日本という、ある意味では先生方にとって骨太なビジョンを出さなければならない、そういうテーマを御依頼いただき、非常に雑駁な話でありますが、私のふだん考えていることを述べさせていただきたいと思います。

 まず、話の内容についてはレジュメを簡単に見ていただければわかるんですけれども、話の内容以前に、一体どんな人間がどんな立場で語るのかということも非常に重要なことでありますので、個人的な話でありますが、私の個人史にかかわることを若干述べさせていただきたいと思います。

 私は、生まれは熊本県でありまして、ある意味で、明治憲法をつくった、あるいは教育勅語、教学聖旨をつくった方々は私の高校の大先輩でもあります。熊本県においては、横井小楠、宮崎滔天、徳富蘇峰、蘆花等々、非常に傑出した人物が明治維新において大きな働きをしております。また、私の父親の弟に当たる人物は、一九四五年八月十四日まで憲兵をしておりました。非常に高位の憲兵のクラスにおりまして、そういう奇縁もあり、私自身は日本の社会の生理というものを一番よく知っている人間であるというふうに自負しております。そういう点では、メード・イン・ジャパンであるということをある意味においては誇りに思ってもおります。そういう人間の立場からきょうお話をするということを、まず先生方に御了解していただきたいわけです。

 その話をまずする前に、私が思いますに、この十年にわたる日本の一九九〇年代というのは非常に無残な十年であったと思います。これは私が皆様方にお話をするよりも前に、選挙区で一般の方々の声を聞いていらっしゃる先生方が何よりもよく知悉されていることと存じております。

 この十年、あの日本の社会の繁栄、あれは一体何であったのかということが、非常に多くの国民の中に痛切に今感じられているのではないかと思います。一般的にはこれは失われた十年と言いますけれども、私は、冷戦が終わったときに、これは、奇跡的な成功というものは日本の蹉跌の原因になるのではないかというふうにあるところに書きました。つまり、個人の人生も、また国民の歴史も、余りにも目のくらむような成功であったがゆえに、逆にそれが蹉跌の原因になるということも往々見られることが歴史の現実だと思います。

 この十年間にわたって、日本の中に不安というものが増幅され、そしてかつてのジャパン・アズ・ナンバーワンはそれこそ世界恐慌の引き金を引きかねない、そういうところまで追い込まれているのが今回の日米会談でも明らかにされたのではないかと思います。

 そういう非常に苦しい立場、そういう中で、政治は、いわば一般の有権者、国民にプラスサムを配分するというよりは、マイナスを強いるという方向に大きくかじをとらざるを得ないのが政治の今日の現実であると思います。五五年体制というものは、ある意味において、与野党を問わず、国民にプラスサムをどうやって配分するかということが政治の要諦であったと思います。しかし今、国民に対してマイナスサムを強いるという、今までなかったような新しい政治が必要とされているような時代でもあります。一般の有権者は、恐らくプラスサムがもう既に成り立たないということをだれよりも知っているのではないかと思いますし、そういう意味において、おいしい話はもう有権者はほとんど飛びつかなくなっている、それが政治の現実ではないかと私自身は察しております。

 そういう中で、マイナスサムを強いる政治であるがゆえに、二十一世紀に向けて、ある元気のいいビジョンというものがまた必要ではないかというふうに私は常日ごろ考えておりました。そういうような大きなビジョンというものを、私は一言で、北東アジア共同の家というふうに申し述べておきたいと思います。もちろんこれは、非常に架空の、絵にかいたもちになるかもしれません。しかし、二十一世紀に向けて、北東アジアに共同の家ができるかもしれないということをぜひとも日本の立場から立ち上げていただきたい、そういうような願望を込めてきょうお話をさせていただきます。

 言うまでもなく、二十一世紀のあるべき姿の日本を考えていきますときに、キーワードとして北東アジア共同の家、そんな絵にかいたような理想的な話があるのかどうか、それ自身については政治の力量というものが試されると思いますけれども、私自身は、マイナスサムを強いなければならない政治であるがゆえに、逆にそのような遠大な目標をビジョンとして日本の政治家が掲げていただきたいという願望を込めてお話ししたいと思います。

 その前に、二十一世紀とはどんな時代かという未来展望を語る前に、二十世紀とはどんな時代であったのか、このことについて、北東アジアにおいて若干のスケッチをしておきたいと思います。

 イギリスの著名な歴史家ホブズボームという人は、二十世紀を極端な時代と言いました。戦争、内乱、革命、過剰殺りく、そしてもう一方においては未曾有の豊かさ、戦争と豊かさが光と影のようにあるような時代、これを極端な時代というふうに彼は言っております。

 私が考えますに、後々歴史家は、二十世紀、北東アジアの時代を振り返って、北東アジアの二十世紀とはどんな時代であったのかといえば、恐らく一言で言えばパクス・ジャポニカの時代であったというふうに総括すると思います。この百年、少なくとも日清戦争から、日清戦争は言うまでもなく前の世紀の大きな事件ではありましたけれども、少なくとも二十世紀の北東アジアの日本は、敗戦という未曾有の大きな体験を経て、この百年にわたって隆々たる時代を築いてきたと思います。それは名実ともにパクス・ジャポニカと言っていい時代だったと思います。

 しかしながら、このパクス・ジャポニカは、同時に戦前においてはパクス・ブリタニカとセットになっておりました。日露戦争になぜ日本が勝利をおさめたのか、その背景には日英同盟を考えなくして日露戦争の勝利というものもあり得なかったと思います。日本が日英同盟を破棄し、みずからの力で北東アジアに覇権を求めたとき、満州事変からあの十五年戦争が始まりました。戦後の最大の政治家でもある吉田茂は、その痛切な反省のもとに、日米安保を日英同盟のいわば戦後版として考えたと思います。そういう意味において、戦後は、パクス・アメリカーナのもとにおいて、日本は北東アジアにパクス・ジャポニカの時代を築き上げたと言っていいと思います。

 こういうふうにして申し上げると、日本の繁栄というものは、一国によってではなくして、その時代ごとの世界最大の覇権国家との親密な同盟関係によって北東アジアにおいて非常に大きな軍事力と経済力を誇ることができた。恐らく、それが二十世紀百年の北東アジアの、日本の世紀として総括される一世紀ではなかったかと思います。

 私は、この極東アジアの小さな国が、幕末期においてそれこそ閉鎖的な鎖国国家としてヨーロッパにおいてもさほど名が知れなかったこの国が、司馬遼太郎の言葉を使えば、極東のいとも小さき国家が、この百年において、いわば世界の覇権国家アメリカに次ぐ第二位の経済大国にのし上がってきたということは、恐らくこれは二十世紀のミラクルと言っていいのではないかと私は思います。

 しかしながら、その負の遺産も余りにも大きかったということもまた自覚しておかなければならないことであります。その成功の裏には負の歴史が常につきまとっております。

 その負の歴史は何かといえば、一言で言えば、日本は、古代以来、中世を通じて、その最も長い長い歴史を、そして交流を持っていた近隣諸国の中に隣人を持ち得なかったということであります。旧西ドイツのカンツラーであったヘルムート・シュミットは、日本には近隣アジア諸国の中に隣人がないということをあるところで述べております。

 それは、戦前においては朝鮮半島、台湾、中国が植民地、半植民地でありましたし、戦後は朝鮮戦争、さらには中国内戦、現在の中台関係というように、日本を取り巻く北東アジアの国際情勢というものは、日本を除けば、国民国家として独立した国家が一国もありませんでした。現在も、南北両朝鮮は分断され、中台関係も今申し上げたように依然として分断の中にあることは知ってのとおりであります。

 これは、ドイツを取り巻く西ヨーロッパの国際情勢と根本的に違います。戦争の主要な原因になった国家が東西に分断され、植民地であった国が南北に分断されるという構造的な違いが西と東であったということであります。ここに、日本がいわば近隣諸国の中に隣人を持ち得ないがゆえに、アメリカとのパートナーシップを西側諸国の中でも異常なほどに強くしていかなければならないという遠因があったと思います。すなわち、玄界灘の向こう側の国よりは、太平洋の向こう側の国とのいわば親密な関係を通じて、日本は北東アジアの中にある経済的な権益というものを確立してきたのが、戦後日本五十年の歴史だったと思います。

 今回のえひめ丸でも見られますように、今、日米関係が決して盤石であるというふうには私は思いませんし、この二十一世紀百年にわたって、果たして従来どおり日米関係が盤石な二国間関係として推移していけるのかどうか、そのことも非常に不分明であると思います。

 現に、現在の金大中政権は、御案内のとおり、陸軍から海軍、空軍へ、軍事力のいわば力点をシフトさせつつあります。私は恐らく、アメリカが北東アジアにコミットする時代というものが、五十年先には今考えられないような状況になるのではないかということを金大中政権は一応想定しつつ、海軍と空軍にみずからの軍事力のいわば力点を移動させようとしている。それは、来るべき二十一世紀の北東アジアの安全保障というものが、アメリカのコミットメントというものがこれまで以上に少なくなるのではないかという想定が多分金大中政権の中にあるのではないかというふうに私はそんたくしております。

 そのように考えてきますと、日本にとっての最大のテーマは、戦前のパクス・ブリタニカ、戦後のパクス・アメリカーナに依存した、そのようなバイラテラルな二国間関係だけで日本の進路というものを従来どおり構築できるのかどうか。

 私が思いますに、現在の日本の国民の心の底の中には、アメリカに対する親密感と同時に、アメリカに対する反発というものも非常に累積しているのではないかと思います。真に日米関係というものを盤石なものにしつつ、いかにして近隣アジア諸国の中に本当に隣人と言えるようなパートナーシップを築き得るのかどうか、そのことが二十一世紀日本の進路の最大のテーマではないかというふうに私自身は考えている次第であります。

 そういう中で、一つのスローガンとして、アメリカをも含むような北東アジアの共同の家、コモンハウスというものができるのかどうか、それをどうやって構築したらいいのか。日本が控え目ながらその設計図をかくような、そういう二十一世紀を展望していただきたいというのが私自身の個人的な願いでもあります。

 そういうことを踏まえまして、もう少し具体的に申しますと、日本の近代国家の基礎を形づくった明治憲法、そして明くる年に渙発された明治天皇による教育勅語、あるいはそれよりも八、九年前に渙発された軍人勅諭。日本の近代国家というものは、一言で言えば、臣民としての国民をつくるというところに大きな力点がありました。臣と民、本来ならば封建時代において矛盾しているこの臣と民という言葉を一つの合成語として、一君万民思想の中ですべての人間が平等であるような、そういう国づくりというものを日本は百年前になし遂げたわけであります。これは北東アジアの中で日本一国だけがなし遂げた、ある意味において非常に偉大な歴史的遺産であったと思います。

 しかしながら、その負の遺産が三代目には、御案内のとおり、一九四五年八月十五日という悲惨な状況を迎えました。そのような痛切な反省のもとに戦後の新生国家日本が出発していったわけでありますけれども、私は、国の考え方、理念、仕組みというものは違いながら、その中で一つ共通していた面があったと思います。それは、一言で言えば、お上としての国家、公としての国家が国民をコントロールするということであります。

 それは、戦後日本の言葉で言うと福祉国家でございました。あるいは、専門的な経済学の用語で言えばケインズ主義国家、つまり、国の中央官庁が資源、さまざまな国民のパワーあるいは富というものを長期的にわたって計算し、それを政治を通じて配分していく、そういうシステムというものを、戦後の日本は憲法二十五条で保障されたような文化的生活という名のもとにおいて、実態は中央官庁のコントロールのもとに、世界でもまれな福祉国家というものを実現したと思います。

 西側先進諸国の中でこれほどまでに格差というものが比較的少ない社会は、日本を除けば、現在のドイツを除くと、恐らくそれ以外の国々の中に発見することも難しいのではないか。つまり、戦前も戦後も総動員体制、戦後は福祉国家という形で、いわば国家という管制装置が社会をコントロールするというのが二十世紀百年の日本の仕組みだったと思います。

 先生方を前にしてこのようなことは非常に口幅ったいことでありますけれども、政治というものは、言ってしまえば国民と官僚との間のブローカーだったと思います。悪い言い方を使えば、ブローカーとして政治というものが成り立っていたというふうに私自身は考えております。この百年、少なくとも戦後の五十年において、ビジョンというよりはブローカーとしてプラスサムを国民に、あるいは有権者に配分するというのが政治の要諦であり、それを成り立たしめている構造というものが戦後五十年ございました。

 しかし、具体的には一九七九年、一九七九年というのは私は戦後五十年の大きな変革期だったと思います。なぜならば、この一九七九年において初めて、アメリカのモデルを日本に移植したニューディール型のケインズ主義的な福祉国家は破綻しました。マーガレット・サッチャーが保守党政権を担い、中国のトウショウヘイが社会主義市場経済の大号令を発し、そしてイランではイラン革命が起き、そして極東アジアでは朴大統領が射殺されるという形でアメリカ型の近代化政策というものが挫折し、いわば国民に痛みを強いる、そしてマーケットの力によって資源の配分を行っていくような理念とシステムというものが初めて一九七九年にはっきりとあらわれてきました。

 時の大平内閣は、そのような新しい大きな節目を敏感に感じながらさまざまな政策のかじ取りをしようとしましたけれども、御案内のとおり大平さんは急死し、そして大平内閣がやろうとした改革路線というものは一時的に挫折しました。そして臨調路線があり、中曽根さんによる行革もありましたけれども、基本的には、日本は構造改革というものを先へ先へと延ばしてきたというのが実態であったと思います。八五年のプラザ合意によって、日本は、円は名実ともに世界ナンバーワンになりました。そのような中で、日本が痛みというものをいかにして有権者に強いるのか、そして、それに基づいて国内の構造改革を断行するのかということが結局はなされずに、そして九〇年代の失われた十年を迎えたということであります。

 そのように考えていきますと、その大きなうねりをもしグローバリズムというふうに申し上げるならば、これは明らかに重厚長大型の社会というものが終わったということであります。考えてみますれば、私のようなマイノリティーがこのような席に呼ばれていること自体が、恐らく二十年前には考えられなかったことであります。つまり、資金がなくても、マイノリティーであっても、いかにしてソフトウエアをつくり出すかによってマジョリティーに比肩できるような富というものを生み出すことができる。そのような大競争の時代に実はグローバル化は入っていったということであり、今までのような重厚長大型の戦後日本の国づくりというものがそれにいわば適応できなくなったということを、七九年以降の変化は我々に示しているわけであります。

 そう考えていきますと、国家というものが一体どんな役割を果たすべきなのか、国家とは何であるのか、国家の必要性とは何か、なぜ膨大な官僚制が国家の集権的な管制装置を握っているのか、なぜ有権者は一人一人の政治家に一票を払い、そして税金を払わなければならないのか、国家の役割とは何ぞやということが痛切に今問われるようになりました。

 皆さんは御存じのとおり、日本の国、地方合わせて六百数十兆円の天文学的な負債を抱えております。これは、あのイタリアを凌駕するほどの負債というものを日本の国と地方が抱えているということであります。日本の資産が世界ナンバーワンであっても、同時に、その負債というものも世界ナンバーワンであります。こういう中で国家がプラスサムを国民に配分できるような政治がもう成り立ち得ないということは、先生方が私以上に熟知されていることと存じます。

 こういう中で、いわば国家というものに依存し、お上としての国家に寄りかかっていくだけではもう生きられない、そういう地域社会や企業というものが出てまいりました。そういう地域社会が、さまざまな情報メディアやコミュニケーションの発達に乗ってネットワーク型の社会というものを、アメリカでもヨーロッパでもアジアでもつくり出すようになりました。明らかに流れは、名実ともに分権化とネットワーク化へと向かっていっているわけであります。こういう中で、国家の役割というものは、中央の管制装置としてのいわば集権的な力というものを失いつつあります。

 しかしながら、もう一方で、御案内のとおり、アジアは、グローバリズムに乗って金融破綻の連鎖というものが、タイから始まり、インドネシア、そして韓国にまで波及してまいりました。日本は、宮澤構想を通じて甚大な努力を払い、差し当たりアジアの金融破綻をせきとめました。これは、日本の政府がやったこの金融破綻に対する非常に大きな手当てだったと私は思います。

 明らかにグローバリズムは、今申し上げたような国家の役割の相対的な低下、国家の退場とともに、同時に危機の連鎖が至るところに増幅される、そういう時代になったということをも一方では示しております。この中で、いかにして北東アジアから東南アジアにかけたいわばトランスナショナルな危機管理に対するネットワークをつくることができるのかどうか、なかんずく金融システムの国際的な管理ということが非常に大きなテーマとして浮上してまいりましたし、日本は、私から見ても、宮澤構想を通じてそれに対する非常にいい対応をしてくれたと思います。

 しかしながら、現在の段階は、日本の円というものが、日本のGNPのこれだけの大きさに比べると世界的な流通度というものが非常に低いということも、皆さん知ってのとおりであります。ドルとユーロに比べますと、円の役割というものは世界的には非常に相対化されております。現在のいわばアジアの通貨危機に対する対応は、通貨のスワッピングで、差し当たり各国通貨をバスケット方式にして融通し合うという、そこまではいっておりますけれども、円を国際化して、そしてアジア的な形での基軸通貨にしていくということは時期尚早であり、アメリカがそれに対していわば間接的に反対の意思を表明しているということも、皆さん知ってのとおりであります。

 韓国社会の中には、円の国際化、円を準基軸通貨として、そしてアジアの通貨の安定を図るべきであるという考え方も一方においては出ております。かつての反日色が強かった韓国では考えられないような考え方が一方で出ているということも事実であります。

 私は、いかにしてこの円というものを、かつてのような円の大東亜共栄圏ではなくして、この円が、北東アジアから東南アジアの通貨危機を差し当たりせきとめるような、そういう安定した役割を果たせるのかどうか、そこに日本の大きな役割の一つがあるのではないかと思います。

 そのためにはどうしたらいいのか。私は二つほどの要諦があると思います。

 その一つは、言うまでもないことですけれども、日本の金融機関の不良債権を処理しなければならないということであります。

 もし万が一、都市銀行の一つか二つが破綻するという事態になれば、これは、国内のみならず、アジアに波及する金融不安というものがいかに大きいかということは、皆さん知ってのとおりであります。かつての昭和金融恐慌のときには、日本のGNPは現在の何十分の一でありました。しかし、現在の日本のこれだけの巨人的な大きさからすれば、日本の金融破綻は、実は、世界恐慌のみならず、北東アジアがまず甚大な、大きな影響をこうむるということは、皆さん知ってのとおりであります。もしこのままの状態で日本の金融破綻の危機を放置するならば、日本は国際的な管理の中に入らなければならないほど政治が破綻状態になるような、それほど屈辱的な状態をも想定されるということを、私の同僚である東京大学の佐々木毅氏はある新聞の中で語っております。

 つまり、金融機関の破綻を処理できない日本というものは、日本の国内政治について完全に世界から信用を失うということであり、日本に対して国際管理が必要であるという議論すらも先進諸国の中から出てきかねないということをぜひとも御了承していただきたいわけです。

 第二番目は、日本の円の役割を大きくしていくためには、日本の経済構造を抜本的に改革し、日本がアメリカにかわる輸入大国にならなければならないということであります。

 御案内のとおり、アジア諸国は日本からさまざまな素材や、あるいはさまざまな製品、生産財を輸入し、製品を加工し、それをアメリカに輸出し、その輸出代金の多くが日本に支払われる、そのような構造が依然として続いております。皆様方には、一九六五年の日韓条約以来、韓国は日本に対してどれだけの貿易赤字になっているかということを少し考えていただければ、その額は天文学的な数字に上っております。いかにアメリカに対して韓国が貿易黒字を蓄えても、そのほとんどは日本に支払われるという構造になっておるわけです。依然として、日本は膨大な貿易黒字を国内の中に累積し、結局それがウォール街に流れるという構造がつくられております。

 韓国のある経済学者の言葉を使えば、日本は井の中の膨大な鯨である、井の中の鯨は井戸からどうしても大海に出なければならない、しかし、なかなかその鯨は井戸の外に出ないというふうに皮肉っております。日本ぐらいの大きな大国であるならば、それこそ井戸の中から大海に出て、そしてアメリカが果たしているような、いわばアジア諸国に対する輸入大国になっていく、そういうような大きな役割を果たす社会へと脱皮していくことが、今、少なくとも北東アジアあるいはアジア的な規模での経済的な安定のためにどうしても必要なことであるというふうに私自身は考えるわけであります。

 そのようにして初めて、円というものは国際的に信用を得、そして円がアジア諸国の中でもこれまで以上に使われていくという、円の名実ともの、いわば国際通貨としての信認というものが可能になるのではないかと私は思います。果たして、政治家の皆様方が、みずからの選挙地盤を掘り崩すような構造改革をなすことができるのかどうか、そのことが恐らく今、痛切に問われているのではないかと思います。

 そういう中で、恐らくは午前中の参考人の中からも意見が出たと思いますけれども、ナショナリズムというものが日本の社会の中にも、あるいはアジア諸国の中にも、至るところに妖怪のごとくばっこしているということは、皆さん知ってのとおりであります。共産党宣言の言葉を使えば、一匹の妖怪が北東アジアを徘回している、ナショナリズムとしての妖怪が。これは日本、中国、韓国、至るところにナショナリズムというものはばっこしております。

 国家の役割の相対化そしてグローバル化の中で、国家の持っている権威や信任というものが失われる中で、国民の国家への忠誠心や国家への依存度というものが薄れていくということは、自分たちは一体何者であるのか、日本国家とは何であるのかということを痛切に問わなければならない時代に必然的にグローバル化は我々を押し込んできた、そういう非常に難しい時代に我々は今立っているわけであります。これは韓国においてもしかりであり、中国においてもしかりであり、そして東南アジアにおいてもしかりであります。

 こういう中で、このナショナリズムというものは一言で言えば魔物であり、これを安直に政治家がある有権者を引きつけるために利用しようとすれば大変な結果になるということを、戦前の日本の歴史は我々に教えているわけであります。政治家が火をつけたナショナリズムは、やがて民衆がコントロールできないほどにファナティックなものへと向かい、やがて、いわば理性的な判断を狂わせるような、それほどの破綻へと導いていくということも歴史が我々に教えてくれていることであります。

 現在の中国でも、気功集団に対して中国当局はなぜあれだけ神経をとがらせているのか。それは言うまでもなく、ナショナリズムが共産党、中国国家のコントロールの範囲を超えて、民衆的な基盤としてばっこした場合に、不測の事態が中国に生じるということを中国の党及び国家の要路にある人々が理解しているからだと思います。

 また、韓国においても、日本に対する反日意識というものは根強い。これは歴然とした事実であります。しかしながら、一方において、金大中政権は、日本に対するいわば文化政策として大胆な開放へと向かっていきましたし、現在の韓国の若者にとって、日本の文化、日本の社会というものは、一方においてはあこがれの対象でもあります。そのようにして、アジア社会の中に、日本に対する開かれた態度というものが、一方においてはそういう新しい世代とともに大きく芽生えつつあるということも歴然とした事実であります。

 私は、このナショナリズムという劇薬を使わない、取扱注意の赤札を張って、ナショナリズムのボルテージを上げないような、そういう仕組みを国内的にも対外的にもいかにしてつくっていくのか、これが二十一世紀の知恵の時代に政治家の先生方に託されている一番大きな課題ではないかと思います。それを私は、北東アジア共同の家として皆様方にお考えになっていただきたい。

 まず、具体的には、経済という面について、私は一つ見ていきたいと思います。

 既に、通貨の安定と域内の基軸通貨としての円の役割、そして日本の輸入大国への転換ということについてもお話を申し上げました。さらに、前小渕内閣の二十一世紀日本の構想の中では、日本は、二十一世紀において、膨大な外国人労働者を導入しなければ日本の現在の豊かさというものは維持できないという答申が既に出てきております。

 私もまた、この十五年から三十年にわたって、今まで考えられなかったような膨大な人口が外側から日本の社会の中にいわば流入してくるのではないか。これはだれもとめられない必然的な流れであります。IT革命、福祉、介護、さまざまなこの社会を支える必要な人材を日本の外側に求めざるを得ないような時代を二十一世紀の日本は迎えつつあるということであります。

 そしてまた、形を変えて、韓国社会においても外国人労働者が大きな問題になっていることは皆さんも知ってのとおりであります。したがって、北東アジアから東南アジアをひっくるめて、アジア的な規模での人の移動に対していかにして共同管理システムをつくるかということが、そのような二十一世紀を展望するときに非常に大きな課題として浮上してくると思います。

 つまり、二国間関係の中で労働人口の国際移動を考えるのではなくして、もっと重層的な労働人口の移動をアジア的な規模で共同に管理していく。その中には、人々の基本的な人権の問題や、さまざまな経済的なベネフィットや、あるいは犯罪の問題やいろいろな問題が含まれると思いますけれども、私は、そういう課題を今後日本は率先して果たさなければならない、そういう課題を背負っているということを私自身の中から申し述べておきたいわけであります。

 そして、もう一つは、私が最近フランスに行きまして非常に驚いたのは、ドイツとフランスがバイリンガルのテレビ放送をつくっておるのです。既に皆様も御承知のとおり、ドイツとフランスは、ビスマルク帝国以来、百年以上にわたって戦争を繰り返してまいりました。このドイツそしてフランスという二つの隣国がタイアップしたということが、EUという大きな統合に向かっていった大きな機関車であったことは、皆さん知ってのとおりであります。

 そのためには、何が何でも日韓関係をこの独仏関係とアナロジカルなものにしていかなければならない。日本は、アメリカのみならず隣国である朝鮮半島とスクラムを組むことによって、日本一国ではできないことをなし遂げるという大きな役割を朝鮮半島とともに進めていかなければならないということを、後々私の方から力説したいと思いますけれども、そのためにはどうしても、国境を越えた通信システム、なかんずく衛星放送の国際化、これが非常に大きな役割として浮上しているということを申し述べておきたいわけであります。

 さらには、これは情報ハイウエー構想として、玄界灘を越えて、そしてさらには朝鮮半島から北京あるいはロシアからヨーロッパへ、これは皆様も御存じのとおり、現在、北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国と韓国との間に途絶した鉄路というものが今開通しつつあります。これによって、朝鮮半島は、シベリアからロシアを通じて西ヨーロッパにまで、陸路でさまざまな物資交流ができるような時代に入りました。

 もちろん、今、公共事業や国家財政の破綻状況を考えていきますと、玄界灘にトンネルを掘って、フランスとイギリスのドーバー海峡のような形で、いわばそのような交通機関、運輸システムをつくり上げるということが現実的に可能かどうかは別にしましても、いわば北海道から陸路でヨーロッパまで行けるような時代が来るかもしれないという、二十一世紀はそのような新しい時代を我々に今示しつつあるわけであります。

 したがって、北朝鮮と韓国との鉄路が開かれるということは、これは日本にとって大きなメリットがある。海を通じてヨーロッパに通じていく物流の流れと、陸路を通じて流れていく物流、人の交流というものは、コストがいかに違うかということは、皆さんも知ってのとおりであります。そういう時代に二十一世紀は向かおうとしている。

 こういう中で、日本は、そのような通信、情報、運輸システムのインフラストラクチャーに対してどのような援助あるいは技術的なさまざまな供与ができるのかどうか、こういうことをぜひとも日本の方で率先して考えていっていただきたいと思うわけであります。

 第二番目に、非常に難しい話でありますけれども、外交・安保システムについて私の所見を述べさせていただきたいと思います。

 一言で言いますならば、日本は、いかにして日米安保という基軸的な安全保障システムを少しずつ少しずつ対等な普通の関係にしつつ、多極的な安全保障をつくることができるのかどうか、そこに私は二十一世紀日本の外交、安全保障システムにおける最大の課題があると思います。

 皆様も知ってのとおり、アメリカという大国の中で、言ってしまえば日本はモラトリアムをやってきていたと思うんです。いわば日本の外交・安全保障の声はアメリカのかいらいであるというのがほとんどアジア諸国の共通した認識でありました。日本の外交・安全保障政策はワシントンを見ればわかるというのが一般的な通り相場であったのが、この戦後五十年だったと思います。こういう中で、日本はさまざまにやらなければならないことをやらずに済んだ、そういう側面がございました。

 しかしながら、今、一方において、日本の中に、アメリカに対する対等なパートナーシップを意見としては持ちながらも、腹の中では持ちながらも、依然としてアメリカの顔色をうかがわなければならない、そういうような外交・安全保障、こういう現実があるのではないかということを国民は薄々気づいていることもまた事実であります。今回のえひめ丸の事件においても、そういう国民感情というものが率直に吐露されたというのが現実ではないでしょうか。

 このような日米のゆがんだ従属関係というものを清算し、日本が名実ともに対等なパートナーシップをつくり出すためには何が必要でありましょうか。それは、日本が最も近い国と隣人になるような、二国間関係の非常に強力なパートナーシップを形成することであります。その要諦は何かというと、それは日韓及び日本と朝鮮半島との、隣国のパートナーシップであります。

 皆さんも知ってのとおり、二十世紀日本の歴史は、考えていきますと、明治維新以後の征韓論から、日清戦争からさらに朝鮮戦争に至るまで、日本の大きな歴史の転換点には必ず朝鮮半島がかかわっておりました。日本が征韓論から日清戦争を経なければ、日本の歴史は大きく変わっていたでありましょう。また、一九五〇年の朝鮮戦争が起きなかったならば、日本の歴史はまた大きく変わっていたでありましょう。五十年刻みで大きな変化が朝鮮半島をめぐって日本に大きくインパクトを与えるような、それが百年の歴史的な通説でありました。

 そういう点で、今初めて日本は、好むと好まざるとにかかわらず、日韓のパートナーシップをつくり、そして朝鮮半島全体とのパートナーシップを通じて日米関係のゆがみを少しずつ是正していく、こういうような多極的な関係へと軸足を動かしていかなければならない時代に来ているのではないか。ただただワシントンとウォール街を見ていれば、二十一世紀の日本が安泰である時代は終わったということであります。日米安保を基軸としつつも、いかにして近隣アジア諸国との多極的な関係をつくり出すことができるのか、これが私は二十一世紀の日本の大きな要諦であるというふうにまず申し上げておきたいわけです。

 そのためにはどうしたらいいのか。これは二十一世紀に向けた、五十年後に対する一つのメッセージでありますけれども、朝鮮半島永世中立化論というのが私の持論であります。

 考えてみますと、世界の中で、米、中、ロ、日本という四大国が地政学的に接し、そしてその中で角逐し合うような場所というものは、恐らくは朝鮮半島を除けば世界じゅうにそれを探すことは難しいと思います。ベトナムやあるいは旧東西両ドイツがそれに値するような地政学的な場所でありましたけれども、東西両ドイツもせいぜい米ソであって、中国や日本まで含んだような、そのような大国が角逐し合う場は、これは朝鮮半島を除けば世界的にはないということであります。そして、この朝鮮半島に、南北合わせると百万の大軍が三十八度線を通じて対峙し合うという非常に厳しい現実があることも、皆さん知ってのとおりであります。だからこそ、この朝鮮半島を完全に永世中立化する。

 そのためにはどうしたらいいのか。幾つかのプロセスがございます。

 私は、皆様方に非常に耳に聞き心地の悪いことを言うかもしれませんが、まず日朝交渉を速やかに進めていただきたい。

 現在の北朝鮮がいかにアブノーマルな体制であるかということは、だれよりも私自身は熟知しているつもりであります。ある意味において、現在の北朝鮮の体制というものは神聖国家であります。戦前の日本の天皇制国家と同じような神聖国家。このような国が二十一世紀も生き残っているということ自体が非常に悲劇的なことではあります。しかし、現在の北朝鮮がそう簡単に内部崩壊しないということも、この数年にわたる北朝鮮の現実を見て皆様方が痛切に理解されたことではないかと思います。

 私が思いますに、北朝鮮が内部崩壊することはまずあり得ないと思います。ならば、どうしたらいいのか。この北朝鮮という特異な国家を北東アジアのシステムの中に引き入れる以外に方法がない。もし北朝鮮という国がコラプスした場合に、内側から解体していった場合に、何が起きるかということを想像していただきたいと思います。二千数百万の人口を抱えた国が、流民となって、中国、さらには三十八度線及び日本海を越えて日本に流入してきた場合のカオスというものは、我々が想像しただけで、これは背筋が寒くなるような事態であります。そういう最悪の事態をいかにして防ぐのか。どの国もどの国民も、北朝鮮の内部崩壊を望んでいる国は恐らくアジアの中に一国たりともないと思います。

 私が思いますに、現在の北朝鮮は、言ってしまえば張り子のトラであります。エネルギー、そして軍隊を動かすための石油資源がいかに枯渇しているかということは知ってのとおりであります。もちろん、中距離ミサイル、短距離ミサイルあるいは核の問題が大きな問題として浮上していることは、皆さん知ってのとおりであります。現在の北朝鮮の安全保障政策というものを大きく変えていくためにはどうしたらいいのか。

 これは僣越でありますけれども、皆様が見ている世界地図を逆さまにして見ていただければすぐおわかりになると思います。朝鮮半島が日本列島によって囲まれているということが歴然として北朝鮮から見えてくるはずであります。かつて、口さがない人は、朝鮮半島とは日本列島に突き出されたあいくちだと言いました。それは日本列島を中心にして朝鮮半島を見るからであります。しかし、地図を逆さまにして見ていただければわかるとおり、日本列島がまさしく半島を取り囲むようにして見えてくることもまた事実であります。

 世界のナンバーツーの経済大国と世界ナンバーワンの軍事大国とが同盟関係を結び、そして日本列島が朝鮮半島の北側の国を取り囲んでいるという、そのような異常なほどの危機意識と脅威感というものを現在の北朝鮮が持っていることも歴然とした事実であることを理解していただきたい。

 その上で、この国が破綻しないためにどうしたらいいのかということを知恵を絞っていただきたいわけです。もしこれが破綻すれば、恐らく、二十世紀の日本あるいは北東アジアの諸国が一度たりとも経験しなかったような国家の破綻、そして流民という現実が日本にも襲いかかってくるということであります。

 私は、そのためにも、日朝交渉を進める大きなとげである二つの点、すなわち、ミサイルをめぐる安全保障の問題、そして拉致疑惑をめぐる問題、この二つは、ツートラックシステム、つまり、日朝交渉という外交交渉を一方で進めつつ、もう一方でその問題について審議し合う場をつくるという、同時並行的なツートラックシステムを北朝鮮首脳部とつくることによって、速やかに日朝交渉の展望を開いていただきたい。

 考えてみますれば、現在の北朝鮮というものは、世界の中でも異常なほどに閉鎖的な国であることも皆さん知ってのとおりであります。もし、この国家が配分している資源や食料やさまざまな富の配分すらも破綻した場合には、恐らく戦争とは違った意味で、北東アジアに巨大なターモイルが、巨大な混乱が起きるというふうに皆様方が理解され、その大局的な観点から北朝鮮との国交交渉に臨み、いわば北朝鮮を内側から変えていく方向で皆様方が外交交渉に臨んでいただきたい。

 そのためには、2プラス2プラス2、南北両朝鮮、米中、そして日ロを含んだ六カ国の国際的な多国会議というものの場を開くべきであります。そして、この場の中で、南北両朝鮮の休戦協定を平和協定に切りかえ、そして平和協定の名のもとにおいて軍備管理、軍縮を進め、南北共存の枠組みをつくり、将来的には四大国の国際的な保障のもとにおいて南北両朝鮮が中立化へと向かっていくような構想というものが、最もふさわしい朝鮮半島のあり方だと私は思います。

 四大国に囲まれたこの国をいかにして安全地帯としてソフト化するかということが、四つの国が直接的に角逐し合わないような、そういう国際関係をつくっていく重要な場でもありますし、今後六カ国のヘッドクオーターをソウルに置くということが最もふさわしいやり方ではないかと私は思います。経済、安全保障あるいは労働、政治、通信、こういうような国際的なヘッドクオーターというものを朝鮮半島に置くということであります。

 皆様もおわかりになるとおり、現在のEUのほとんどのヘッドクオーターは小さな国にある。ベルギーやオランダや、あるいはフランスでもごく限られた地域にあるということは、皆さん知ってのとおりであります。そのような形で朝鮮半島を永世中立化し、四大国の国際保障のもとにおいて北東アジアの集団的な安全保障システムをつくる、これは集団的自衛権とは違う、集団的な国際的警察機構であります。

 この六カ国が加わったような集団的安全保障システムをつくることによって、北東アジアの中に、これまでとは違った外交・安全保障システムというものがつくり出されるのではないかというふうに私自身は考えております。二十一世紀という百年の単位でありますから、私自身は、一つ大きな話を述べさせていただきました。

 時間がありませんので、社会、文化について言っておきますと、まず一つは、大学間の単位の互換性を進め、現在のソウル大学と東京大学が進めていっているような交流を国際的な規模で深め、アジアからの留学生を大量に日本に導入できるようなシステム、さらに、アジア諸国と日本の大学との間に単位の互換性が可能になるような、そのような開かれた大学のシステムをつくっていくということでありますし、さらには、中国、韓国あるいは日本の中で、それぞれの国の標準的な歴史教科書をそれぞれの国の言語に訳し、それをサブテキストとして学校現場の中で使うということであります。

 すなわち、例えば、韓国において今問題になっている新しい歴史教科書をつくる会の教科書がもし検定合格になった場合には、それをもサブテキストとして、韓国、中国において学校現場の中で使う。その見返りとして、日本の学校現場においても、中国や韓国で使われている標準的な学校教科書を日本語に訳し、これをサブテキストとして使う。相互にそのような国々の標準的な教科書をそれぞれの国の言語に訳して相対的にサブテキストとして使いながら、いわば歴史観というものを共有できるような教育システムというものを一方ではつくっていくということであります。

 私はそのことなくして、不毛なナショナリズムの消耗戦というものは、二十一世紀のあるべき姿を阻害するのみならず、ナショナリズムの消耗戦というものはいかに生産的でないかということを、我々は二十一世紀のいわば入り口に立ってもう一度反省すべきでもありますし、そのような相互の、他者の視線に開かれた歴史観というものを次の世代につくっていくようなシステムをぜひともこの中韓日の間でつくっていただきたい、そのように考えております。

 また、映画や映像やポピュラーカルチャーや、そういう面における国際的なイベント、あるいはそのような共有ということが私は非常に必要ではないかというふうに考えております。そのことについての具体的な案については、後で御質問があれば私は答えさせていただきたいと思います。

 最後に、日本がどうあるべきかというよりは、日本の課題とは何なのか、その課題について政治はどうこたえられるのかということを、六項目にわたって、今まで述べてきた私の意見を敷衍して述べさせていただきたいと思います。

 まず第一番目に、日本は基本的に米中の覇権競争に対してどんなスタンスで臨むのか。

 歴史的に見れば、二十一世紀は中国の大国化ということが必然的に迫っていることは皆さんも薄々感じていることであります。歴史が教えること、それは、すなわち新興の大国が覇権を求めるときには、国際政治は不安定化し、往々にして戦争や戦争に準ずる大きなコンフリクトが起きるということであります。こういう中で、米中日のいわば北東アジアにおける覇権競争というものが始まった場合には、北東アジアの安全保障や政治的な秩序にとって非常に大きなデメリットが生じるということは、皆様方も大体予測できる事態であります。

 一体、日本はどうすべきなのか。日米安保を通じて中国を封じ込めるのか。あるいは、米中の覇権的な対立に対して仲介者として日本は臨むのか。一体、日本はどのような基本的なスタンスを持ってこの米中と渡り合うのか。そのための基本的な構え、国のあり方とは何なのかということをまずしっかりと腰を据えてつくっていただきたいということです。

 さらに第二番目は、そのことと関係しますけれども、また前にも述べましたが、日米安保のバイラテラルな二国間の安全保障システム、それを基軸としながらも、アジアとの多極的な安全保障システムをいかにしてつくっていくのか。その整合性はどうしたら可能なのか。私は、そのことが朝鮮半島の平和の問題とかかわっているというふうに申し上げました。

 すなわち、それは、南北両朝鮮の共存そして統一に向けて、日本は一体どんなポリシーで臨むのかということであります。

 南北統一がなし遂げられることは日本にとってデメリットなのか。いや、そうではなく、日本にとって長期的に見ればそれが最大のメリットになる。南北両朝鮮とのパートナーシップを築き上げることによって、日本は、二十世紀の日本ではなし遂げられなかった新しい外交・安全保障システムをつくり上げられる足元の大きな基盤というものをつくり出すことができるということであります。そのことを日本の中でどのようにして国民と分かち合っていくのか。

 皆さんも知ってのとおり、北朝鮮という国は、なるほど私から見ればアブノーマルな、本当に閉鎖的な神聖国家であります。しかし、ぜひとも皆様方に御理解していただきたいことは、二千三百万の泣きもし笑いもする普通の庶民が生きている社会でもあるということであります。

 日本が聖戦貫徹を言っていたあの三一年以降、日本に住んでいるこの国民は邪鬼のような国民だったでありましょうか。そうではないと思います。空襲があれば逃げ惑い、泣きもし笑いもする普通の国民が、あの三一年から四五年の異常な状態ではあったにせよ、普通の民衆として生きていたはずであります。アメリカから見て、いかにあの日本の軍事国家というものが異常であったにしても、そこには泣きもし笑いもする普通の民衆が生きていたということも歴然とした事実であります。いかにアメリカがならず者国家と言っても、そこに住んでいる民衆は、血も通い、泣きもし笑いもする普通の民衆であるということであります。

 その常識的な線を踏まえるならば、やはり私は、北朝鮮との交流というものがいかに必要かということを大局的な観点から皆様方が決断され、そして、北朝鮮との懸案については国交交渉に向けてツートラックシステムの中で解消していくような、そういうような決断というものをしていただきたい。今申し上げたような南北両朝鮮の共存なくして、北東アジアの家というものは絵にかいたもちであります。そういうことを私はぜひとも申し上げておきたい。

 さらに四番目には、円の国際化を推進できるために、果たして日本は国内改革を断行できるのかどうかということであります。

 このことは、自民党が解消しても日本の政治は残るというような選択をできるのかどうかということであります。これは自民党の先生方に非常に言いづらいことではありますけれども、たとえ一つの政党がつぶれても日本の政治は生き残るような選択ができるのかどうかという、それほどにシリアスな改革を断行しなければ、私は、輸入大国にふさわしい、そして、円の国際化を名実ともに進めていけるようなそういう構造改革は絵にかいたもちではないかと思います。

 もう既に、劇薬を飲まなければ日本の今の病というものは解消できないようなところまで進んでいっているというのが私の判断であります。それをだれができるのか、そのためにはどうしたらいいのか、これは国内に対する公約のみならず、国際的な公約だと私は思います。

 さらに第六番目には、私が思いますに、ナショナリズムの要件をいかにして引き下げていくかということは、これは国家や国籍というものを通じて、人の身体、運命を決定する事態がますます少なくなっていく時代が来るということでもあります。

 なるほど、人間の管理、出入国のために、国籍、国籍に準ずるような、人を分けていく、そのような資格要件がなければ国家間の関係が成り立たないということも私は重々承知であります。しかし、私が冒頭申し上げたとおり、日本に生まれたような私でも、メード・イン・ジャパンに対してある意味においては誇りを持っております。そのような人間が、国籍は違っても、日本の社会が理不尽な形で対外的な圧力を加えられ、もし国際的に見ても理不尽な侵略を受けた場合に、日本国籍を持っている人間が日本の国から逃亡しても、日本の社会に私個人はとどまってこの社会の防衛に当たるというような考え方もあり得ますし、ずっと前、私自身は参議院の公聴会の中でそのように申し上げました。

 つまり、日本の社会に根づいている人間であれば、国籍を持たなくても、この社会を守るということが必然的に国際正義に妥当しているならば、この社会を守るということを、義務としてでなくても、そのように願望し、また、必然的にそのような行動をとるということであります。この社会が住みよい社会であり、そこに自分の本拠地があり、住民として生きていくということが普通のこととして考えられるような人々がいる限りにおいて、あえて国家やナショナリズム、愛国主義というものを唱えなくても、この社会をいわば守り、そしてこの社会の健全なあり方のために、場合によってはみずから進んで犠牲になることもいとわないということを、私自身は先生方の中に理解していただきたいということを申し述べておきたいわけです。

 そのためには、やはりこの日本の社会が多民族、多文化的な社会へと変わっていかなければならない。なぜ日本はアメリカにおくれをとったんでありましょうか。なぜ日本は西ヨーロッパにおくれをとったんでありましょうか。それは一言で言えば、同じ者が一億二千万人もいるような社会の中であえて外国人をも同化しなければならないような社会というものは、必然的に自家中毒に陥るということであります。組織や社会も、自家中毒に陥れば、これが最悪の状態になるということを今の日本の社会は示しております。

 なぜ優良企業が破綻するのでありましょうか。これまで日本の世界に誇るような組織がなぜ内側から腐敗を起こすのでありましょうか。それは、異なった意見、異なった考え、異質なものを積極的に導入し、その組織や社会というものを絶えずイノベーションしていくような活力というものが失われてきたからであります。自家中毒に陥った社会は必然的に守りの姿勢になり、結局は自分たちの権益を擁護することだけが組織運営のために一番重要なかなめになることも、皆さん知ってのとおりであります。

 そう考えていきますと、私は、今後の日本の社会が生き延びていくためにも、この社会に、多民族的な、多国籍的な、そして多文化的な社会状況をつくっていただきたい。そのことが、日本がより国際化され、日本の国際的なプレステージというものがより高まる、そのような国内的要件だということを皆様方に述べておきたいわけであります。

 どうか、日本の社会はもっとタフになっていただきたいわけであります。これだけの国際的な大国が、なぜそれほどの被害者意識を持つ必要があるのでありましょうか。これだけの国であるならば、国民も政治家も自信を持って、異質なものをどしどし自分たちが導入しても社会のたがが決して外れない、それほどの自信を持って、私は、より開かれた、多文化的な、多国籍的なあるいは多民族的な社会へと移っていただきたいわけです。

 交通マナーの標語に、狭い日本そんなに急いでどこへ行くということがあります。これだけの狭い国土に一億二千万の日本人がひしめき合っていて、そして、六十五万あるいは百万の定住外国人を日本人にして何がおもしろいのでありましょうか。むしろ、そういう異質な人々を、どしどし日本の活力を活性化するような、そういう人々として活用していただきたい。

 恐らく、私より前に、孫正義という人物がこの調査会においても発言をしたと思います。彼と私は同じ九州で育ちましたけれども、彼は日本国籍を持ち、私は日本国籍を持たずに、しかしながら名前は孫と姜という形でこの社会に生きております。そして、お互いにメード・イン・ジャパンをある意味においては誇りに思ってもいます。

 こういう人間が自分たちのルーツを、いわば自分は青森であり、熊本であるというふうに何のてらいもなく語れるような社会になったときに、日本は名実ともに、恐らくアメリカと対等にやっていけるような、そういう開かれた多様な社会へと移り変わっていく。そういう社会でなければ、来るべき資本主義の競争に勝てないということを私自身は一方においても述べておきたいと思います。

 雑駁な話でありますが、時間が五分ほど超過いたしました。一時間少しではありますけれども、私の所信を述べさせていただきました。どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)

中山会長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

中山会長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中谷元君。

中谷委員 自由民主党の中谷元でございます。

 姜さんからは、貴重な二十一世紀の日本のあり方についてのお考えを聞かせていただきまして、ありがとうございました。また、姜さんは、大学で教鞭をとられる傍ら、テレビ、新聞等言論界でも活躍され、また、民間外交等も実践していただいておりまして、敬意を表するわけでございます。

 きょうは、東北アジア共同の家の構想を聞かせていただきました。家を建てるなら土台が必要なんですけれども、その土台プラス、実際家を建てると、玄関、母屋、庭はどうするかとか、ローンはどうするかとか、内輪もめしないように共通の家をつくらなければなりませんが、やはり民族、歴史、言語、ライフスタイルも違いますから、何を共通の認識とするかということが極めて大事だと思います。

 日米安保の話もいたしましたけれども、日米安保締結から五十年たちました。夫婦でいえば金婚式を迎えたわけでありますが、この間、ベトナム戦争とか湾岸戦争とか経済危機とか、今えひめ丸の事故がありますし、日本のデフレの問題もありますけれども、やはり安全保障というのは運命共同体で、日本とアメリカはそういう意識で共通の家に住んできたと思います。

 ここへ来て、共同の家をつくるなら、中国、北朝鮮、韓国が本当に日本と運命共同体と言ってくれるかどうか。どうも、報道を聞くと、いつまでも日本を敵視して、一緒に住むのを嫌がっているのじゃないか。私、戦後生まれの世代ですけれども、いつまでも戦前の歴史等でもめて、本当に一緒になってくれるのかという点で、いつも足踏みをしているような気がするわけでございます。

 そこで、共同の家構想を構築するには、私ならば、まず価値観が一緒の、自由民主主義、自由民主経済、これを土台にすべきだということで、とりあえず韓国と日米韓共同の家を建てた後、中国も一緒になって、そして北朝鮮とも一緒に住もうというふうなアプローチをするのが一般的だと思いますけれども、この点につきまして、何を共通の認識にしたらいいかということについて、姜参考人の御意見を聞かせていただきたいと思います。

姜参考人 簡単に言っておきたいと思います。

 まず、アメリカの世論調査をした場合に、日本が第三国に攻撃を受けた場合に、アメリカ国民の血をあがなっても日本を防衛するかということについて、恐らくアメリカの世論は、なおかつ血をあがなっても日本の防衛、安全保障にはせ参じるという答えは、私はかなり少ないのではないかと思います。

 残念ながら、日米安保について言いますと、なるほどそれが盤石の基盤にあって初めて日本は対外的な外交の発言権を持つということは言うまでもありませんけれども、アメリカ国内の一般的な世論からすれば、極東アジアにある日本が攻撃を受けた場合に、みずから血をもって日本の安全保障に当たるということが、アメリカの国論、少なくとも世論のマジョリティーを占めているというふうには私には到底考えられないと思うんです。

 もっとドライな関係、それこそ、言いますれば国家理性というものがあります。国家というものは、みずからのパワーを維持し、そして拡大し、そしてみずからの生存権を維持するために、異常に緻密で、場合によってはこうかつ的な外交交渉をやらなければなりません。

 しかし、その場合に、アメリカの国民が、日本が第三国から攻撃を受けた場合に、血をもってあがなうほどに日本の安全保障にアメリカがコミットするという前提は、私は正直に申し上げて、イリュージョンではないかと思います。幻想であると申し上げても過言ではないと思うんです。

 じゃ、なぜアメリカは日本が必要であるのか。言うまでもないことですが、日本の基地がなければ、アメリカはグローバルな軍事パワーとしては成り立ち得ないからであり、また、日本の協力なしに、アメリカの覇権というものは成立し得ないからであります。

 そのようなもっとドライな関係の中で日米安保というものが築かれていると私は思いますし、今後新しい世代は、日米安保についてもっとドライな、しかしながら、ある意味において、国家理性の立場に立つがゆえに日米安保が必要であるという当たり前の関係になっていくのではないかと私は思います。

 そういう関係を考えていきますときに、私は、かつて朝鮮戦争のときに中国と北朝鮮が、いわば連合国であった南側の国と血をもってあがなったような同盟関係、そういう関係は、実は日米の中には一度たりともこれまでなかったと私は思います。なぜならば、日米が一緒になって第三国と戦闘行為を行ったという歴史が一度もないからであります。

 そのように考えてきますと、運命共同体という考え方よりは、二十一世紀の安全保障は、国の安全保障のまさしく要諦にある国家理性のためにも、相手との計算ずくの同盟関係というものをつくっていく、そういうことが一番必要であると私は思いますし、その限りにおいては日韓関係も、場合によっては日中関係も、もっと幅広く考えていってもいいのではないかというふうに私自身は考えております。

 それからもう一つは、今後、日米の中に、果たしてこれまで考えられてきたような相互の信頼関係のもとに日米安保が運営できるのかどうか。これは、沖縄をめぐる問題やあるいは日米のパートナーシップという問題を考えていきますときに、いかにして日本の権益や発言権というものを日米安保の中に確保していくのかということが非常に大きな問題点として浮上してくると私は思いますし、その点を諸先生方の中でもう少しリアルに考えていっていただきたい。

 さらに、最後に述べますと、安全保障のために価値観の共有が必要であるということを先生の方から御指摘がありました。まさしくそうであります。しかしながら、価値観の共有がなくても、あるいは制度的な障害があっても、日中はあの田中総理によって開かれ、そして日中関係というものは、ある意味においてもう後ずさりができないほどに大きな関係が今現在つくられておりますし、さらには、日韓関係も、これだけ敵対しながら、実は日韓の貿易額というものは日米に次ぐほどの巨大な額に上っております。

 いわば価値観の共有というものは、経済的な交流や安全保障や文化、社会の交流が進んでいくならば、やがて少しずつお互いに相互にシェアし、そしてお互いの相互安全保障というものが必然的に盤石の基盤の上に成り立つような、そういう基盤づくりというものは私はできるのではないかと思います。

 六五年の段階で、恐らく日本の政府は、だれ一人として韓国がパートナーになり得るというふうに考えた人はいなかったのではないかと思います。恐らく、アメリカのケネディによって、嫌々ながら日韓条約が妥結しました。しかし、今日、日韓関係なくして日米関係のもう一つのいわば柱というものも成り立ち得ない、そういう時代になってきております。

 したがって、私は、日中であれあるいは日朝であれ、国の決断のあり方によって局面は打開できる。六五年において、日韓関係がここまで豊かになり、大きく変わっていくということは、だれも予測できなかったと思います。

 私が思いますに、韓国ほど日本を知り、そして日本語の人口が一番多い国は実はどこかというと、韓国であります。こんな状況が今、日韓の中でつくられているわけであります。なるほど反日論がベースにあるにせよ、同時に日本に対する親日意識が強いということも、韓国の現在の現実であります。

 では、翻って、日本の中にどれだけの人が、政治家としても、学者としても、学生としても、ハングルを流暢に話す人がいるのでありましょうか。韓国のことについて、どれだけの人が一般の社会常識を持っているのでありましょうか。それに対して、韓国にいる人々は、日本のことを日本の人が韓国を知っている以上に知っているわけであります。

 このような不均等な、非対称の関係というものが存続している限り、私は、価値観の共有はあり得ない。もっともっと相互に関係を深めていくならば、私はふさわしいパートナーシップができると思いますし、そういう点でも、日中関係というものは、今後、体制の違いを超えてもっと深まれば、現在の日韓関係と同じようなものが私は構築可能だと思います。その点において、少なくとも田中角栄氏が開いた大きな歴史的意義というものはあると思いますし、それをもっと生かしていくような、そういう外交政策というものをとっていただきたいと思います。

中山会長 この際、参考人にお願いいたします。

 各質問者の質疑時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡単にお願いいたしたいと思います。

中谷委員 まず、今、血をもってどこまでアメリカがやってくれるかというお話がありましたけれども、私は、現実に沖縄の海兵隊の兵士に会ったときに、本当にいざというとき日本のためにあなたは戦ってくれますかと質問をしたら、いざというときには本国の命によって私は喜んで血を日本のために流す覚悟はできていますというふうに言われたことを思い出しております。

 これはお互いこれから、日本の考え方もございますし、日米間で話し合いをする問題だというふうに思います。

 次は、姜さんのお話の中で、日本の課題ということで、円の国際化を推進するためには国内改革を断行できるのかという問いかけがございます。私も、共通の家をつくるには、今から十年前の一九九〇年ごろの、日本の円もパワーがあって国際的に信用のある時代なら、ひょっとしたらそのときできたというふうに思いますが、今は日本の円の信用はがたがたで、非常に日本のパワーが低下していると思います。そして、不良債権処理とか経済構造改革をするにおいても、それを実現するにはやはり政治のパワーが必要であって、そのためには国内の求心力、内なる力がどうしても必要になってまいります。

 この国内の求心力という面におきましては、やはり、戦後民主主義の教育の中で失われたと言われております国家への愛国心とか国民道徳とか日本人の心、これを取り戻さなければならないということが今マスコミでもようやく言われ始めたんです。

 具体的に言いますと、先生、朝日新聞の「私のメディア批評」のシリーズを担当されていますけれども、二月九日付の先生の欄の中に、一月の山手線のJR新大久保駅の事故で、韓国からの留学生と日本人のカメラマンの方がお二人、命を救うために犠牲になったというようなことで、マスコミの報道としては、朝日新聞にしても読売新聞にしても、命をかけた二人とか正義感が強かった二人とか、こういうふうなことで普通の日本人の当時の感覚を活字にして、紙面にしてありのままの感情を書いてくれたわけです。それに対して姜さんのコメントとして、頭の中で釈然としない違和感が残る、それは、何やら国民道徳臭い大げさな物の言い方が、感傷的なムードに便乗して広がっていくことへのざらざらした感触があるというようなことで、国民道徳というような大それたことを言わなくてもいいんじゃないかと。

 先ほど、愛国心というような言葉で表現しなくても日本人はそれができるんじゃないかというふうなお話もありましたけれども、残念ながら、最近の日本の現状を見ますと、地下鉄のサリン事件、松本のオウム事件とか和歌山のカレー事件とか、世界どこの国を見ても、サリンが社会の中でまかれるというような、国としては恥ずかしいそういう凶悪事件、また、家庭内暴力、学級崩壊もそうなんですけれども、私は、戦後民主主義の、自由放任、押しつけはだめ、体罰はだめ、そういうふうな教育の結果、こういう凶悪事件も起こるような国にもなったし、破防法という法律がありながら、こういう大量殺人をしたカルト集団にさえ適用できないような、国としてのけじめのつかないような国になってきたというふうに思っておりまして、マスコミもやっとその辺がおかしいなということに気がついて、新聞等も、心の教育とか心主義とかそういうことを啓発として書き始めてくれました。

 そういう意味で、国が国民に対して、国民道徳とか国家意識を高揚するということは私は必要なことではないかと思いますが、その点につきまして、姜先生のお考えを聞かせていただきたいと思います。

姜参考人 時間がありませんので簡単に申し上げると、中谷先生が、例えば戦前の軍人勅諭あるいは教育勅語を見られればわかりますとおり、そこには真心と書いてあります。真心があればすべてがうまくいくんだというふうに書いてあるわけですけれども、私が思いますに、先ほどの山手線の例は、人が危ないときにその人間を助けるということは、その人間が日本人であるのか韓国人であるのかアメリカ人であるのかにかかわらず、たまさか電車を待っていた人がプラットホームからそのような状態で落ちた場合に、道徳や国籍ということを考えなくても、人を助けるということは当たり前のことであります。

 現在の若者は、いわば上から押しつけられた心とかあるいは道徳心とかそういうことについて、建前としてそれに対して従っていても、実は心の中では非常に違和感を持っているというふうに私自身は若い学生諸君を見ながら感じるところがあります。

 しかしながら、もう一方において、日本の若者に対して私は決して絶望していないのは、いわばふだん着の中で、人道的なあるいはNGOのような形で活躍しようという学生あるいは青少年がいることもまた事実であります。そのことは、例の神戸大震災において若い人々が自発的にいろいろなボランティア活動に参画したことを見れば、知ってのとおりでございます。

 そういう点で、私は、もう一度国家が道徳心や愛国心というものを上から垂れるということについて、もう既に一般の若い人にはそれがなかなか通じなくなっている。その現実を直視した上で、私は、もう少しいろいろな工夫が社会の中にできるのではないかと思います。

 具体的に申しますと、例えば、どうやったらある社会の中で人々が人間として真っ当に生きられるような場をつくり出すことができるのか。それは、私の経験から申しましても、一言で言うと、学校教育の荒廃ということを一つ挙げてみましても、学生諸君にとって学校というものが、自分がおもしろいという場になっていないからであります。

 例えば、東京大学の学生に面接をした場合に、君は東大法学部を出ているならば国家の官僚になるのかと聞きましても、今の学生諸君は官僚になることに違和感を持っております。むしろ、ある学生は、自分はほかの仕事をして国際ボランティアになりたいとか、そのように価値観というものは国家から離れて、もう少し自己実現という方向に向かいつつあるわけであります。

 なるほど、例えば野球でいえば、イチローという人がアメリカに行った場合に、日本というものを背負わなくてもイチローという人物はアメリカで自己実現が図れるわけですし、イチローという名前がある限り、その人間が日本人であるということはアメリカ人はだれでも知ることができるわけであります。イチローという人物に道徳を垂れなくても、彼は自分の野球選手としての自己実現のためにアメリカに行き、そこでプロとしての能力を発揮すれば、それが必然的にいわば日本人としてのイチローになるわけであります。道徳をイチローに説教したから彼がアメリカで活躍できるかといえば、そうではないわけであります。

 私が言いたいことは、自己実現を図っていくような日本の若い世代が、結果として、その人間が日本人であれば、そのことが世界に活躍する日本人になるということであります。したがって、今必要なことは、人々が思う存分自己実現を図れるような社会の条件をつくるということ、それを阻むような条件を除去するということであります。そのことが最も必要なのではないかというふうに私自身は考えております。

中谷委員 そういうお話をしたそもそもの発端は、先生が提案した、日本の円が国際通貨になれるかというところからきておりまして、そのためには日本の再生をしなきゃならない、そのためには国民に対してつらいことを言えるかどうか。例えば税金にしても、医療費にしても、同じ日本の国民のために自分の収入をそれだけ分け与えるマインドが国民に持てるかどうかということがまさしく日本の将来にかかっているというところから質問させていただいております。

 昭和三十年当時に、池田総理大臣が、貧乏人は麦飯を食えと国会で言って大問題になって、当時大蔵大臣だったと思いますが、辞職をさせられましたが、それはまさしく国民が国家のためにつらい思いをできますかという問いかけでありまして、今の東大生のお話がありましたけれども、自己実現をして世界のために役に立つというのはまことに結構な考え方だと思います。

 しかし、それを一歩国に目を転じて、自己実現をして日本のために役に立とうということが、何やら教育の世界ではよくないようなことであって、そのために日本の教育も経済も企業もがたついてきて、それを立て直すには、やはり国のためにお互いが協力していこうという、国を愛する気持ちがないと日本の再生がないという事態に至ってきているのじゃないかと思います。

 そういう意味では、アジアの共同の家構想も、やはり日本がしっかりしていると、ほかの国も、それは頼もしいから一緒にやろうじゃないかというふうに来ると思うので、日本が今しなければならないことは、国のことを国民レベルで考えることじゃないかなというふうに思いますけれども、この点についてもう一度御意見を聞かせていただきたいと思います。

姜参考人 同じことの繰り返しになるかもしれませんが、私は、二十世紀とは、やはり国家というものが社会の秩序を采配できる時代だったと思います。しかし、二十一世紀は、少しずつ、そのような国家を管制装置とするような社会の秩序というものが大きく変わっていかざるを得ない。この中で、なるほど痛みはありますけれども、社会の中でかけがえのない個々人が自己実現を図れるような制度、秩序、社会のシステムをつくっていくことが、少なくとも要点としては一番大切なことであります。そのために果たして愛国心というものがどこまで有効な対応策となり得るのかどうか。

 私が思いますに、結局、今日本が抱えているテーマは、心を切りかえれば解決するという問題ではないと思います。もっと構造的かつ制度的な問題をきちっと議論し、どこに病巣があって、その病巣を変えるためにどうしたらいいかというようなリアルな議論が私はやはり必要なのではないか。それを心の問題に移しかえていった途端に、問題がなるほど簡単に理解できるような錯覚に陥るかもしれませんけれども、構造的な問題は依然として放置されたままだと思います。

 具体的に言いますと、また先生方には非常にお聞きづらいことかもしれませんが、例えば世界じゅうで国会議員の世襲制ということが、世襲制というよりは少なくとも二世、三世議員ということが必ずしも悪いというふうには私自身は考えません。やはりそれは人によって違いますし、すぐれた政治家もたくさんいることも私自身は熟知しております。

 しかし、日本の国会議員になるための新規参入の機会はどこまで開かれているというふうに考えたらいいでありましょうか。どんな人間も、マーケットと同じように、自分も議員になり、議員になる資格があれば新規参入できるようなシステムが政治制度としてつくられているでありましょうか。あるいは、資産価値を持った人間が富ますます富み、そしてそれがない人々がますます貧しくなっていくような構造を放置しておいて、貧しい人に国に対する愛国心を持てと言っても、果たしてどこまで理解できるでありましょうか。あるいは、失業になった人間に対して、もっと心を入れかえれば豊かになると言って、果たしてそれで済む問題でありましょうか。

 あるいは、戦争中において、天皇陛下万歳、そして出征兵士を見送った人々の中にも、そそくさとやみ米を蓄えることに余念がなかった人々がいたことも事実であります。つまり、お国のためと申しながら、一方においては、庶民はしたたかに生きるために、自分の生きるためのすべをそのような形で、やみ米をせっせと蓄えるというようなこともやっていたわけであります。

 今のような愛国心や心という問題が建前で終わる限りにおいては、それはやはり基本的に人々の中に通じない、そして通じないだけではなくて、構造的な問題に目が向かないということを私は申し上げておきたいわけであります。失業がなくなり、そして経済的な格差がなくなり、政治がもっと活性化し、そして人々の実現の能力が制度的に保障されているような社会であれば、どこのだれがその社会を否定するようなことへと向かっていくでありましょうか。

 したがって、大切なことは、そのような心や愛国心という茫漠とした問題ではなくして、今の日本はどんな構造的な問題を抱え、それを解決するためにどのような制度を変え、そのことが人々に訴えかけていくというふうに考えていくべきではないかと私は思います。言ってしまえば、精神主義というものはある意味において危機の中で必ず何度も唱えられるわけではありますけれども、精神主義によっては今日本が抱えている構造的な問題は解決できないというふうに私自身は申し上げておきたいと思います。

中谷委員 では、最後に、国籍のことについてお伺いをさせていただきます。

 国籍とは、国際法の世界で、所属している国がその人を保護し、人権を与え、生命財産を守らなければならないという義務を生じるものでありまして、いわゆる国際ルールであります。

 日本の国際化の中で、私の感覚では、ほとんどの日本人は、日本で生活をして仕事をされている外国人の方に偏見を持ったりする人はなくて、もう一緒の仲間だ、一緒に仕事をするパートナーだというふうに思っております。しかし、参政権という問題になりますと、これは国の運命、将来を決めるものでありまして、地方だからいいんじゃないかということも言われておりますけれども、地方であっても条例をつくったり、安全保障に関連した項目もありまして、地方がよければ今度は国もいいんじゃないかというような話になってきまして、やはり参政権のそもそもの定義を考え直す必要もございます。

 国籍というのは、私は、結婚をして二人で夫婦になろうといういわゆる入籍という手続がありますけれども、それと同じで、その国と自分は運命をともにしよう、そのかわり国はその人を守ってくれるんだという契約のようなものだと思います。

 そういう意味で、孫さんは、この国を愛する人には平等に日本国籍を与えるということを日本国憲法に明確にうたうべきであるという提言をされまして、やはりその国に籍を移すということが大事なんじゃないか。もし日本が気に食わないならほかの国の籍を持っても結構なんですけれども、その国を愛し、運命をともにするという決意でおられると思うんですけれども、この点につきましての姜先生のお考えを聞かせていただきたいと思います。

姜参考人 二つほど要点をかいつまんで申し上げておきたいと思います。

 その一つは、なぜ私は地方参政権が必要であるかということを申し上げたかということは、残念ながら、今の韓国は日本以上に単一民族意識の強い、逆に言えば韓国内のマイノリティーに対する差別が日本以上に厳しい社会でもあります。現実的には、韓国の内部にいる華人、中国系の人に対する差別がやはりさまざまな形で問題になっておりました。

 私は、日韓が進んでお互いが地方参政権を、いわば法律を改正することによって、五年もしくはそれ以上在住する外国人に地方参政権を与えるということを、韓国も年限を決めて実施するということを金大中政権は約束しました。つまり互恵的に、日本もやるし韓国もやるというような形で、つまり韓国に在住している日本人も一定の要件を満たせば韓国に対して地方参政権を持つということが可能になる、そういう条件でありました。

 私は、韓国社会がより開かれていくためには、まず率先して日本からやっていただきたい。それは、日本が率先してやることによって韓国社会が変わっていくということであります。

 それから第二番目は、これは二十一世紀ですから、私は、少々非学問的な、したがって少し荒唐無稽というふうに先生方は思われるかもしれませんけれども、百年を見越してお話ししたいことがあります。それは二重国籍ということであります。最近も、旧西ドイツあるいはドイツのSPD、社会民主党は、二重国籍法案ということを考えたときがございました。しかし、CDU、キリスト教民主同盟の反対によって事実上それは挫折しましたが。つまり、日韓の間で、私は、これから五十年を見渡すと、二重国籍ということをお互いが許容し合う関係をつくっていくべきではないか。

 二十一世紀の最大のテーマは、国家の主権を二つの国あるいは複数の国が共有し合うということであります。恐らくそのことが先ほど先生がおっしゃった運命共同体ということだと思います。つまり、憲法というものは主権を持っている国の基本的な法律であります。近代憲法というものは、主権国家が単独で主権のいわば規範に従って国家のルールをつくるというのがその国の主権が存在し得る国民の権利でございました。しかし、今後の国際社会というものは、主権というものを複数の国が共有し合う、したがって、場合によっては国籍を二重国籍という形で私は可能なのではないか。

 例えば、具体的に言いますと、日本に在住している韓国人は、韓国における国政参政権を、日本において国政参政権を行使するその期限においてはサスペンドする、つまりそれを停止するということであります。それを停止する限りにおいて日本に対しては国政参政権を持つ。あるいは、韓国に在住している日本人がいわば韓国国籍を持って韓国社会の国政に参政権を行使する場合には、日本への国政参政権をそこでサスペンドする。このような関係というものを、五十年後を考えますと、私は、決して荒唐無稽な単なる理想論ではなくして、あり得る。こういう関係をつくっていく、そういうものが最もリアルな意味を持つのは恐らく日韓関係ではないか。

 私が思いますに、そのためにこそ地方参政権が過渡的な措置として必要である。なぜならば、地方参政権を取るためには日本の国籍を取得せよということは、実は在日韓国・朝鮮人がモグラになるということであります。モグラになるということは、日本人になるということであります。日本人になるということは、異質な在日外国人が日本には存在しなかったということになるわけです。

 そうではなくして、その人間が少なくとも日本で違う国籍を持って生きられる条件が地方社会、地域社会の中にあるということがあって初めて、将来的に二重国籍の中で自分のいわば民族的なアイデンティティーというものを、例えば具体的に言いますと、孫という名前であれ姜という名前であれ、日本国籍を持ちそして韓国国籍を持つような、そういう状況というものを私はやはり考えていくべきではないか、そういうふうに申し上げました。

中谷委員 どうもありがとうございました。以上で質問を終わります。

中山会長 大石尚子君。

大石(尚)委員 民主党の大石尚子でございます。尚という字は姜先生の尚中の尚という字でございます。

 きょうは、姜先生に、大変広大な、グローバルな、私ども日本の国の二十一世紀を展望していただきまして、本当にありがとうございました。大いに参考にさせていただきたいと思っております。

 私は、いろいろな国をお訪ねしたときに、それぞれの国の風土、町並み、社会で皆さんがどんなふうに生きていられるか、それから人、食べ物、そして歴史の一部分に手に触れて帰ってくる。そこに新しい感慨を覚えたり感激したり、あるいはまれには憤りを持ったりして帰ってまいります。

 ところが、韓国に参りましたときに、博物館に行ったとき、私は日本の国の博物館にいるのではないかという錯覚を起こしました。それから、帰ってまいりましてしばらくして、先生は九州でお育ちと伺いましたが、宮崎県でございましょうか、西都原というところがございます。あそこの古墳群を見に参りました。すると、韓国で見てきた、その中に入った古墳と、規模は小さいのでございますが、大変よく似ておりました。

 そして、その土地の小さな民話の本に神話のように書かれていた物語がございまして、昔々神様たちが、天からか海からかちょっと失念いたしましたが、見えて、巌のようにコケむして立っていたその土地の神が、よみがえって動き出して、どうぞ御案内いたしましょうと言って御案内された、そういうようなくだりからの話を読みました。そう思いますと、昔々からやはり韓国は日本の隣人だったんだな、隣国だったんだなと思います。そこで、司馬遼太郎先生も、朝鮮の神様を祭られた神社が日本海の近くの町にあるというようなお話をしていらしたのもちょっと思い出します。大変昔から御縁の深い韓国あるいは朝鮮半島の皆さんと日本列島の私たちだろうと思います。

 そこで、先ほど先生が私どもに対して、もっとタフになれ、自信を持って、異質なものが入ってきてもどんどん受け入れて大丈夫だという自信を持つ民族になってほしい、そういうふうにおっしゃられたような気がいたします。先生がごらんになっておられます日本民族と申しますのは、どんなふうにお考えでございましょうか。それで、日本の伝統的な文化や生活文化、それに対する先生のお考えも、できれば長所、短所織り交えてお示しいただければありがたいのでございますが。

    〔会長退席、鹿野会長代理着席〕

姜参考人 非常に自分の個人的な話を言いますと、先ほど冒頭申し上げたとおり、私のおじは熊本県で憲兵をしておりましたが、彼は、こんなに貧しい社会で生きるよりは大日本帝国の臣民になった方がいいではないかというふうに私に戦後語ってくれたことが非常に印象に残っておりますけれども、ある意味において、小さな差異があるがゆえに、この朝鮮半島と日本との和解というのはなかなか難しかったと思うのです。

 例えば、欧米人が来た場合には、日本の人々は一般的には非常に親切になり得るわけですね。それは、単に文明がすぐれているというよりは、その開きは大きなものですから。しかしながら、アジア諸国との関係においては、非常に微細な差異があるがゆえになかなかそれが難しい、その小さな差異が大きく見えてしまうということがありますね。

 しかし私は、日本の社会が持っているこれまではぐくんできた歴史や伝統というものは、やはりそれなりに、私自身もその中でそれを空気のように吸いながら生活してきたわけでありますし、そういうものに対して自分たちのアイデンティティーを持つということは、一つの社会に生きていて当然のことだと思います。これは、中国においても、また韓国においてもそうだと思います。

 ただ、一つだけはっきりと言えることは、例えば戦前においては、東郷外務大臣が帰化人であったということは御承知のとおりであります。大日本帝国の中にも、いわば戦争中においても、外務大臣の中にそういうルーツを持った人々がいた。

 したがって、日本の社会というものは、そういう意味で、かなりいろいろな異質なものを積極的に社会の中に組み込みながらいろいろと活性化してきた歴史があると思います。ところが、幸か不幸か、現在の日本は、これだけ豊かになり、世界の経済大国第二位という大きなキャパを持ちながら、やはり私は、戦前でいえば持たざる国ではなくて持てる国になったのだと思います。そうしますと、必然的に、いわばステータスクオ、つまり現状維持ということがどうしても社会の慣性になってしまうわけですね。そういう慣性の法則が働いていきますと、どうしても異質なものが入りにくくなっていく。

 今の若者の中に、学生といろいろ話をしましても、外国人と接することを妙に怖がるような風潮が一方ではあります。しかし、もう一方では海外にどんどん出ていく学生もおります。

 私は、今の日本がやはりどうも内向きになっているのではないか。内向きになりますと、いわば自分たちの最も内向きのコミュニケーションしか成り立たないような空間が一番大切な社会になってきます。ですから、どうしてもそれは歴史に回帰していこうとするわけですね。あるいは、自分たちしか通じないような、そういうような内輪だけの価値というもの、それが世界に誇るべきものであったとしても、今私たちが直面している社会は異質なものとやり合っていかなければ社会が成り立たない、それが当然であるような時代に我々は今直面しているのだと私は思います。

 残念ながら今の日本の社会は、言ってしまえばツベルクリン陰性反応であります。陰性反応である限りはこれは健康体である、陽性になった途端に結核になるのではないか、ああ困ったと。私は、やはりそれは外部との接触をもっとタフにやってこなかった社会のツケが今来ているのではないかと思いますし、もう少しそういう異質なものとタフにやっていけるような伝統も日本の社会の中にあると思いますし、そういうものをもっともっと生かしていっていただきたいと思います。

大石(尚)委員 ありがとうございます。

 タフなものが日本民族の中にはあるという最後のお言葉を伺って、ちょっとほっといたしました。

 お互いにわかり合うために、先ほど先生がおっしゃいました歴史教育に関して、それぞれの国の標準的な教科書を翻訳し合って副読本としていったらいいのではないか。それももちろんのこと、私どもには国定教科書はございませんので、いろいろな種類の教科書があるわけでございます。また、日本の国では、教科書を使わずに、指導要領に準じて自分が教材を用意して指導していらっしゃる先生方もかなりおられます。教科書を教えるのではなく、教科書で教える、そういう建前からだと存じます。

 その場合に、共通の教材をお互いに使い合いながら歴史を学んでいこうという先生の御提案だったかと存じます。これは、試みとしては大変いいことではないかなという気がいたします。韓国の教科書を翻訳したのを拝見させていただいた場合に、ああ、これは残念だなと思うような記述も中にはございますし、また、韓国の方たちがお読みになれば、ここはもうちょっとこう書いてほしいというような思いもきっとおありかと思います。ですけれども、とにかく、共通の教材によって、どの史実をお互いに拾い出しているのか、この教科書は何を拾い出して何を語ろうとしているのか、そういういろいろな史観に基づいたものを勉強し合うことによって、それぞれの歴史認識というものができてくる。私自身は、歴史認識をイコールで共有するというのは無理なことだと思っております。これは、日本国民の中でもAさんとBさんと歴史認識が違って当然だと思っております。

 そういうことから、先生の御提案、私も考えさせていただきたいと存じますし、また、大学の単位の互換性を図っていく、これも既に、私ども考えさせていただきたい。これは、韓国のみならず、民主党としては、他の国との大学教育の単位の互換性というものをもっとみんなに享受できるようにしていかなければいけないという考え、これは私自身は持っております。

 今の歴史教育に関する先ほど先生がお話しくださいましたこと、私が今申し上げたことで先生のおっしゃることと違っていないかどうか。もし違っておりましたら、いや、そういう意味で言ったんじゃないんだとおっしゃるところがありましたら、御指摘くださいませ。

 それと、時間がございませんので、続いて質問の方を進めさせていただいて、お答えをまとめていただければ幸いなのでございます。

 あと、「日本の課題」の五番目、輸入大国になった方がいい、そしてそれにふさわしい構造改革を実行できるかどうかが大事なことなんだという先生の御指摘。もし先生が日本の総理大臣に御就任になられたといたしましたら、この項目に関して、まずどこからどういうふうに手をおつけになるのか、それを教えていただきたいと思います。

 それから最後に、先生は東大の旧新聞研究所、今、社会情報研究所の教授をなさっておられます。明治以降のでございますか、日本のジャーナリズムに対する御研究も進めておられるやに新聞で読んだ記憶があるのでございますが、ざっくばらんにお話しいただければありがたいのですけれども、今の日本における特に新聞、テレビ、こういうジャーナリズムの国民へ及ぼす影響に関しまして、これは世論をつくるのに大変大きな影響力を持つメディアでございますので、何か先生のお考えがございましたらお伺いいたしたいと存じます。

 欲張っちゃって申しわけなかったのでございますが、十分なお答えはいただけないかと存じますが、かいつまんでよろしくお願いいたします。

姜参考人 三点ほどあったと思いますが、かいつまんで言いますと、歴史認識を諸民族や諸国民が完全に一致させるということは確かに不可能だと私は思います。思いますが、何が違うのかということを理解することは可能だと思います。

 そのために、先ほど申し上げたとおり、少なくとも東アジアのレベルで、国定教科書の制度をとっている国やあるいは特定政党が非常に強い指導力を持っている国、それもありますけれども、差し当たり、それぞれの国のスタンダードな教科書の中で、ある歴史的項目がどのように触れられているのかということを相互に理解することは必要だと思います。

 それから第二番目に、輸入大国になるためにどうしたらいいかということであります。

 これは非常に難しいテーマで、まずそのためには、はっきりと申し上げてかなりの量の失業がふえることは間違いないと思います。その場合に、セーフティーネットを社会的にどれくらい張れるのかという問題が一つあります。セーフティーネットをある程度社会的に張っていなければ、構造改革というのは実現できない。セーフティーネットをいかにして構造改革とともにきちっとできるのかということがまず一つであります。

 それから二番目には、日本の現在のさまざまな富や資源、こういうものが成長産業ではなくてむしろ衰退産業に回っているというふうに考えざるを得ない面があることは、皆さん知ってのとおりであります。新しい企業を起こせるような、ベンチャーを初めとするさまざまな成長産業に、金融や情報や資源の配分というものがうまく行われておりません。

 例えば、私が勤めている大学の中で、新しく企業を起こす、いわゆる起業ですね、これを大学を卒業してやる人間がどれぐらいいるかというふうに考えていきますと、百人いる生徒の中で恐らく十人もいないと思います。これが例えばアメリカのハーバードやバークレーであれば、九割から八割は新しい企業を起こすというふうに手を挙げるのではないかと思います。

 事ほどさように、日本では新規の企業参入ということが非常に難しい。それは、やはり構造的に、成長産業にリスクが大きい場合に金融がうまく働いていないということがありますし、そして、銀行を通じて資金を借り入れなければならない。そういう金融の構造を、株式市場やあるいはそれ以外の方法で潤沢に資金が調達できるような制度を日本はもっともっとつくっていくべきであります。

 これはやはり、それをやっていく場合に、いわゆる重厚長大型の産業の中にかなりの失業やリストラが起こることは不可避だと思いますし、その社会不安を初めとして、それをどこまで防げるか、それは私は、さまざまなセーフティーネットをどのくらい国が準備できるかにかかっていると思います。しかし、今必要なことは、やはり資金の流れを、もっと成長セクターに潤沢に流れていく、そういう構造をいち早くつくるべきであります。その前提には、何が何でも金融の不良債権を処理しなければならないと思います。それがあって初めてそういう方向へ向かっていく可能性が出てくるわけですし、それは全部どこかでつながっていると私は思います。

 ですから、日本は、なるほど旧三菱、住友のような財閥系がありましたけれども、世界に冠たる日本の資本主義は、旧財閥系ではなくて、ホンダやソニー、そのような企業によって日本は世界に冠たるブランドをつくったと思います。そういう人々は今日で言うベンチャー企業だったと思いますし、そういう人々がもっともっと自由に至るところから活性化して出てくるような、そういう金融の、資金のいわば循環構造というものを大胆につくらないと、今後ますます日本の経済は縮小していく。デフレというものは、恐らく戦後日本が経験した初めての出来事ではないでしょうか。そういう危機的な段階に日本は今入りつつあるということですね。

 それから最後に、日本のジャーナリズムを考えていきますときに、私は、日本はクオリティーペーパーは一つもないと思います。

 例えばフランスのル・モンド、ドイツのディ・ツァイト、アメリカのワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズ、これはせいぜい購読者は五十万以下ぐらいだと思います。読売新聞がギネスブックで一千万以上と公称言われています。朝日ですらも数百万単位です。つまり、日経、産経、毎日を入れて五大新聞が全国紙として何千万の購読者を持っているわけであります。これは世界じゅうどこを探してもありません。

 そのような非常に大きな新聞メディア一つとっても、膨大な規模の読者を抱えている中で、結局、新聞の世論が全国紙によってつくられていく場合には、極めて水増しされた中級紙にならざるを得ない。つまり、中級紙という意味は、パック型で、大体このあたりが穏当であろうというような平均的な読者像を想定して、そこで記事をつくっていると思います。したがって、朝日の場合も、読売や産経よりはリベラルといっても、全体から考えていくと、一〇〇%質的な差があるわけではありません。

 私は、今後、社説も入れて新聞はもっと小ぶりになり、そしてクオリティーペーパーを日本から輩出すべきだと思います。つまり、世界のル・モンドやディ・ツァイトやワシントン・ポストに比肩できるような日本のクオリティーペーパーができる、そのことを通じて、日本の新聞世論というものが即アメリカの世論にも影響を与えるような、こういうものを今つくっていくべきではないか。今のままでは、私は、新聞メディアの将来は非常にじり貧になると思いますし、そして映像メディアもやはりそういう現象が出ていると思います。

 ですから、大切なことは、規模は少なくても、クオリティーペーパー、あるいは映像メディアもそのような非常に質の高い、BBCのような、あるいはアメリカのABCに対応できるような、そういうものを日本の社会の中につくり、それがグローバルに世論の一角を占めるような、結局、考えていきますと、なぜアメリカやイギリスやヨーロッパが大きな世論の形成力になり得るかというと、通信社を全部その国々が持っているからなんです。UPI、AP、ロイター、ほとんどこれは欧米系であります。これだけの経済大国でありながら、通信社としてそれに比肩できるものを持っていませんし、クオリティーペーパーも持っていないわけであります。

 ですから、日本は、まず今必要なことは、クオリティーペーパーをつくり、そして新聞メディア同士がもっと論争ができるような、そういう個性のある新聞メディアというのを私はやはりつくっていくべきではないかというふうに考えます。

大石(尚)委員 ありがとうございました。時間になりましたので、終了いたします。

鹿野会長代理 太田君。

太田(昭)委員 公明党の太田昭宏です。

 私は、二十世紀というのは、いろいろな言い方があるんでしょうが、ネーションステーツ、ネーションとステーツという違うものが一つとなって猛威を振るった時代とも言えるかな、こう思っています。

 その中で、ハンチントンは「文明の衝突」ということで、文明という言葉より、私は文化というものの衝突の時代というものが、もっと小ぶりになってぶつかり合うということがもう既に出ているわけですが、より強くなるのかなと思うとともに、ステーツという点での機能国家というものの方向に一方では行くという感じを持っているわけです。先ほどから姜先生の話を聞いて、民族的アイデンティティーという言葉も使われていたわけですが、私は、日本文化の原像というものを一体どこに見られているのかなということについて意見を聞きたい、こういうふうに思うわけです。

 それは、先ほどから中谷さんがおっしゃっていたんですが、愛国心とか道徳とか国家意識とかいうようなことではなくて、私はむしろ共同体の崩壊、これはドナルド・リースマンが一九五〇年代に砂の大衆と言って、まさにそういう時代が、ずっと五十年間で、さらに激しい形で形成されてきた。そのところの共同体の崩壊というものの中で、一人一人の中に、豊かさの中での共同体の崩壊現象というものが、日本人の弱さという形で露呈をしているというような気がしてならないわけです。これは見逃せないことで、むしろ共同体の紐帯というものを、これを天皇制であるとかというもので結びつけようというものではない。

 私は、例えば日本文化というのは、宗教との関連でいいますと、自然を原像で見るというのは、そのまま神道あるいは天皇制という一つのジャンルだと思います。仏教ということでいうならば、生命の永遠性という、個人の尊厳というものが一つの文化の形態として定着していると思います。あるいは、キリスト教的な、神と人間との対立の中からの倫理観というものもまた我が国の中には影響があって、形成されてきた、こういう感じもしているし、あるいは、儒教が入って以来、家族というものの中に、むしろ血のつながりの中での永遠性というものを見ている。

 時代の進展とともに、歴史軸というかあるいは時間軸というものが日本の中にないがゆえに、保守主義的なものとか、あるいは右傾化傾向というものがその中で論じられてきているような気がしてならないわけですが、その辺の、国家というよりもむしろパトリというような郷土、あるいは日本の文化、そこをくみ上げていく力、そして哲学性の不在、さらには精神性の欠如、こういうものに対して先生はどういうふうにお考えになっているかということを、ちょっと広範囲になったかもしれませんが、お考えをお聞きしたいと思います。

姜参考人 その答えの一つとしては、例えば明治国家をつくる場合の伊藤博文が何を考えたかということを考えていきますと、新しい大日本帝国憲法を起草する場合に、国体、国の形というものはヨーロッパと同じような文明のスタンダード、つまりそれは立憲主義ということであります。つまり、憲法というものにのっとって君主制というものをつくる。その場合に、日本の国というものはどこに一つのよりどころを持つのか、神道なのか仏教なのか、いろいろなものがあったと思うのです。ところが、伊藤博文は、なるほど非常に啓蒙主義的な、その意味では非常に近代的な人だったと思いますけれども、彼は、国教をつくらないというところで一応明治憲法体制をつくったと思います。しかし、ヨーロッパにはキリスト教がある。では、キリスト教に対応できる国家の基軸とは何か。結局、考えた末に天皇というところに行き着いたのだと思います。

 しかし、大日本帝国憲法は、一応、ある意味において非常に立憲主義的な立場に立っており、必ずしも専制主義ではなかったわけです。ですから、今私たちが日本の国のアイデンティティーという問題を考えていくときに、明治以来つくられてきた日本の伝統は少なくとも立憲主義、つまり近代憲法の基本原則というものを踏まえて国づくりをやっていこう、その限りにおいては、日本の国は決して専制的なあるいは前近代的な国家ではない。そのことを改めて戦後の日本国憲法は確認したわけであります。

 憲法というのは、基本的には国の形であり、国の権力というものをいかにして国民がきちっと受け入れられるようにそれを制約するかというところに眼目があります。したがって、その国を支えている国民がどこに自分たちのよりどころを持つかということは、本来ならば、憲法が明文化するよりは、もっと違う形で、戦前の時代であればそれを教育勅語がやろうとしたわけであります。

 私が考えますに、では今の日本はどこに求心力を持つのか、日本の国を支えている国民はどこにアイデンティティーを持つのか。戦後のある一時期、平和主義というのがございました。しかし、それも今、平和主義という言葉が非常にうつろな言葉になっていることは、先生も御承知のとおりです。

 では、日本の実体は何か。経済大国でありながら政治的には非常にひ弱な、そして世界のODAをこれだけ一手に引き受けながら、具体的に協力をすべき場には日本人の顔が見えないではないか、では、一体日本の顔はどこにあるのか、こういうことがいろいろな形で言われ、また国内でもそう言われていると思います。私は思いますに、今の日本がどこに進んでいくべきなのか、その求心力となるような一つの理念というものが今存在しないということがもし今の日本の最も大きな混迷の根幹にあるとするならば、それを何に求めるかということにすべての議論が帰着すると思います。

 日本がやるべきことは何か。それは、先ほど申し上げたように、アジアの共同の家を日本がつくる、その大きな機関車になるということであります。これは、日本一国だけのアイデンティティーや日本一国だけの価値観ではなくして、それを超えて何かをつくり出していかなければなりません。

 では、それをつくり出すような日本の一つの普遍的なものというのは何なのか。私は、いろいろあると思うのですが、一つは、この日本の近代の百年の中で日本が最も大きな成果としてなし得ること、それは、少なくとも戦後に限って言いますと、豊かさというものを軍事力を使わなくてもなし得るということを世界で初めてやったというのが日本だと思います。少なくとも、これは世界に誇っていい。軍事大国にならなくても社会の豊かさというものをつくり出し得るということを、日本は初めて結果としては世界に示しました。たとえ、それが憲法第九条があったとか日米安保があった、そういうようなさまざまな制約があったにしても、結果としては、民生部門に日本のさまざまな知恵やエネルギーや創意工夫というものが注がれることによって、日本はこれだけの豊かさを達成したわけであります。その実験の成果というものを日本は誇り得る。

 それから第二番目は、その結果として生まれてきた世界の公害大国として、さまざまな環境問題その他についての痛切な反省の上に、それを克服していくソフトウエアや技術というものも日本は世界に冠たるものを持っておると思います。私は、熊本県の水俣の近くで生まれましたから、水俣病というものがどんなものかということを熟知しておりますし、公害先進国と言われた日本がそこからどのようなことを学んだかということも知っております。これは今後、日本が世界に誇っていい、その痛切な反省の上に成り立った環境問題に対する日本にしかできないいろいろなノウハウというのが私はあると思います。

 このように考えていきますと、日本という国は、恐らく東アジアの中で、ナショナリズムを超えて共同の家へと向かっていけるような、さまざまな社会的に高度なソフトウエアを蓄積し得る、また蓄積し得てきた唯一の国なのではないか、そこに日本の活路というものがありますし、日本の求心力があるのではないか。

 したがって、環境問題を支えていく場合には、日本の伝統的な自然観の中にそのようなものを支えていく積極的な面があるならば、それをもっともっと世界に伝えていくべきでありましょうし、あるいは今申し上げたように、技術というものを支えていく日本の創意工夫や知恵というもの、これが何によってつくられてきたのか、これをもっともっと世界に伝えていくべきでありましょうし、こういうようなものがあって初めて日本の求心力というものが出てくるのではないか。

 結局、軍事力によって日本は破綻しました。その反省の上に、軍事力ではない豊かさを求め、日本は成功をおさめ、同時にある限界に今逢着しております。その限界を突破するためには、日本一国ではできない、いかにして一国ではできないことを二国や三国を通じてできるのか、そこに二十一世紀の日本の国の新しい知恵があるのではないかというふうに、私自身は考えております。

    〔鹿野会長代理退席、会長着席〕

太田(昭)委員 もう二分ぐらいしかないので簡単に聞きますが、私は、日本は明治までは多元的な、共生的な国家であったというふうに思うんですね。明治以来、なぜそれが変わってきたとお考えになるのかということと、永住外国人の地方参政権付与の法案について我々公明党が今一生懸命やってきているのも、多民族、多元的な国家という軸と地方分権ということの軸の上に、そしてより安定した地位を永住する外国人に保障して、公共的問題についてもより積極的に参画をするという社会の方がはるかにいいということを我々は志向しているからであるわけですが、教科書の問題にしても、永住外国人の問題にしても、非常に不幸なことは、その法案とかそうしたこと自体について、きりもみ状態になって論議がされるということ。もう少し幅広く、人権とかあるいは社会のあり方というものについてのさまざまな仕組みがあって、その上に法律とかあるいは論争というものがあることが望ましいというふうに思っているわけです。

 時間がないので一言で結構ですが、お話しいただきたいと思います。

姜参考人 基本的には、日本が多元的な社会になることが、日本が活力を回復する唯一の道であると思います。

 アメリカあるいはヨーロッパのように犯罪がばっこするような社会に、日本がすぐになるというふうには私は考えませんし、日本の社会における犯罪率を世界的に、G7の中で比較してみればおわかりになるとおり、まだまだ日本の社会の犯罪率というのはそう高い方ではございません。私は、日本の社会はそういう点ではまだまだセキュリティーはしっかりしていると思いますし、そういう社会が、なぜここまでに過剰なほどに、そのようないわば脅威感を持ったり、防衛的になるのか。

 前にも申しましたとおり、自家中毒になっていく社会というのはどうしてもそういうふうになっていくわけで、私は、多様な要素をどしどし日本の社会が吸収することによって、日本をもっと支えていくような産業や物の見方や考え方や文化というものが日本に育っていくと思いますし、それをすることによって日本はやはりこれまでいろいろな創意工夫ができるような社会になってきたのではないかと思います。ぜひとも、そういう方向で二十一世紀の日本の社会の基本的なデッサンというものを考えていっていただきたいと思います。

太田(昭)委員 ありがとうございました。

中山会長 塩田晋君。

塩田委員 本日は姜先生から、非常に鋭い、深い切り口で、言うなれば外から、日本の現状あるいは日本の国のあり方等について示唆の多いお話をいただきまして、ありがとうございました。

 まず最初にお伺いしたいのでございますが、いわゆるコモンハウス、共同の家、この構想は、私はいい方向だと思って伺ったわけでございます。その中で、米国も入れてというお話もありましたが、北東アジアの諸国が一つの家の中で仲よく暮らせるような、そういう形を目指して進むということでございますが、今、現実の問題として、ここ数年あるいはこれからの五年、十年、二十年という先を見ましたときに、中国という存在、これは現在軍事費を毎年一八%、一七%というふうに非常にふやしていっております。もちろん核兵器も持っております。また、兵器を輸入したり輸出したりしている。それから海空軍力を最近特に増強しておるわけでございます。南西、東南アジア等に対する脅威も云々されておるところでございます。また台湾に対しましては、内政問題だとはいいながら、はっきりと武力行使をするということも言明したやに聞いております。

 こういった中国の動きに対しましてどのように評価をされ、どうすべきだというふうにお考えか、お伺いいたします。

姜参考人 中国は韓国と違って巨大な国家であるがゆえに、中国の今後の動向というものは、御案内のとおり、北東アジアにとって決定的な影響を与えると思います。

 中国共産党の首脳部は戦前の中国の歴史のトラウマに非常に駆られていると思います。したがって、中国国内の分裂要因に対して断固とした、武力制裁をも辞さない、ある意味においては非常にハードな対応を、これは中央アジア方面の異民族の問題についても、チベットの問題もそうですし、あるいは台湾問題にも。

 しかしながら、私が思いますに、現在の中国が何を望んでいるかと考えますと、やはり私は平和的なステータスクオ、現状維持の秩序だと思います。それはなぜかというと、中国の、少なくとも国家が首脳部として考えていることは、今の中国の国力を支える経済力が順調に発展していくための内外の環境が不可欠である、そのためには、東アジアあるいは北東アジアのパワーバランスが変わったり、あるいは、国内において急速にある秩序攪乱要因というものが台頭することに対する危機意識というものを中国の首脳部は持っていると思います。

 そういう点では、中国が外側にエキスパンド、拡大していくというよりは、今の中国の首脳部が考えていることは、まず内外に中国の安定した経済発展が可能な国際的条件、国内的条件を死守するということですね。したがって、中国は今世界的なヘゲモニーに対するある種の挑戦者として台頭しているというよりは、むしろ逆に、現在の秩序の維持というところに中国の執行部の大きなポイントが置かれているのではないか。

 ですから、例えば南北両朝鮮に対しても、ドラスチックな形で南北両朝鮮が変わるのではなくして、現在の南北の秩序をドラスチックに変えずに少しずつ平和的に共存体制ができるような、言ってみれば南北両朝鮮の現状維持が中国首脳部にとっては一番望ましい、それが私はやはり本音だと思います。

 そう考えていきますと、必ずしも短期的には中国脅威論というものはさほど考える必要がないのではないか。むしろ中国は、内外の現在の秩序、現行秩序を維持するところに彼らの大きな国家運営のポイントがあるというふうに考えるべきではないか、私はそういうふうに考えております。

塩田委員 中国は、以前は、国境線がソ連との距離が長いし陸軍は大軍を要するんだ、こういう説明もありましたが、今やソ連の軍事力の圧力というのは余り感じなくても済む状況であります。もちろん、ウイグルとか蒙古だとかあるいはチベットに向かってのいろいろな問題があるわけでございますが、しかし、毎年十数%という軍事力を、そういった陸軍を縮小しながらも海空に力を入れているということ、これは非常に問題ではないかと私は思います。コモンハウスを構成する上では、日本の場合は、もちろん、御承知のとおり五兆円の頭打ちで、ここ数年それからふえていない、人件費がふえるのにいわゆる防衛費は横ばいのまま、こういう状況でございますし、中国だけがひとりコモンハウスの中でどんどんふえていくことについては、これは日本国のみならず他国も脅威になるだろうと思います。

 これはこれといたしまして、先ほど先生のお話の中で米国についてお話がありました。日米安保という体制の安全保障システムから、徐々にそれを薄めてといいますか多極化していく、北東アジアの諸国との関係を深めていく、そしてその全体の中での安全保障システムを考えるべきだ、こういうお話を伺いまして、それは一つの考え方としては十分にあり得る問題だと思います。また、アメリカが本当に有事の際にみずから日本防衛のために血を流すということはありませんよ、世界戦略の上でどうしても日本の基地が必要だという上から今関係を持っているんであって、こういうお話もありました。そういう面もあるかと思います。

 確かに、日米安保条約といいましても、これは双務的なものでなくして片務的ですね。ガイドラインの法案を見ましても、日本は後方支援、先頭に立ってやらないということが基本になっております。日本はそういう態度でいっておるわけですが、確かに、日本が動かないのに、アメリカの青年が血を流して日本を死守する、もしものときには日本が助けてくれなくてもやるんだということは、なかなかそれは難しいことだろうとは思います。

 そういった中で、先生が以前にほかのところで書かれたものを見ますと、アメリカの対日占領政策というのは、連合国といいながら、アメリカ単独で独占的に日本という一国の国家改造までしてしまった、こういうような表現もあろうかと思うんです。また、二度と軍国主義が台頭しないように、完全に日本を無力化するということに成功した、それから、反共の防波堤にするので経済的発展、復興を助けた、そして、米ソ冷戦の最大の受益者は日本である、世界第二の経済大国にまでなったけれども、それはそういった事情だ、バブルの崩壊で今や世界から管理されなければならないような日本の経済の状況ではありますけれども、そういった認識について、やはりアメリカの対日占領政策というものは成功したと見ておられますか、いかがでしょうか。

姜参考人 私が思いますに、戦後日本は、ある意味では、矛盾した言い方ですけれども、アメリカ印の国産品として憲法をつくったと思います。アメリカ印の国産品が憲法だった、つまり日本の国の体制でした。純国産というよりは、アメリカ印の国産品であるところにみそがあるわけですね。これをあるアメリカの著名な歴史学者は、談合システムと言っております。つまり、談合というのは、なるほど敗戦だったんですけれども、これはドイツ、ルーマニア、イタリーと比べても、一国がこれほどまでに国の改造までしてしまうということは、比較占領史的に見ても異例でございました。

 今、アメリカは、日本にとっては切っても切り離せない我が内なるアメリカになっているわけです。こういう中で、いわばアメリカ印の国産品として日本の戦後の国の体制ができ上がったわけで、ですから、日米安保というものはそういう延長上につくられていたと思いますし、ある意味において、これほどまでに日米関係がアメリカから見てうまくいったというのは、アメリカの観点からすれば非常に成功だったと思います。

 日本にとっては、それは経済的な復興として、また経済大国化として、これもまた日本の観点から見れば成功だったと思います。今吉田茂が生きているとしたならば、吉田さんは、やはりおれの選択は間違っていなかったと言うと思います。

 しかし、同時に、その成功が今蹉跌の原因になっているということも事実であります。まさしく、余りにも成功したがゆえに、今日本は、政治的には、対外的に見ると準禁治産者扱いを受けているわけですね、ある意味において。そのような日本の現実というもの、その現実の中で、日本の国民は、対米関係を重要なものにしなければならないという考え方を持ちつつ、アメリカに対する反感も、一方では私は以前よりはふえているのではないかと思います。

 そういうような非常に難しい段階に来ているわけで、成功か失敗かといえば、日本から見ると、成功であると同時に、ある意味においては、失敗とは言わなくても余りにも大きな犠牲を払った。そのことが今徐々に明らかになりつつあるのではないでしょうか。

塩田委員 最後にお伺いしたいと思いますが、姜先生が見られて、日本人というものが今や、戦前なりかつての日本と非常に変わったものになったかどうかということについてお伺いしたいのです。

 私が考えますのは、戦前は、日清戦争の後の講和条約にしても、あるいは日露戦争の終わった後、交番を焼き討ちするような激しい民衆運動が起こったり、米騒動もあったですけれども、そういった激しい日本人、言うならば、気概というか、やるぞという非常に激しいところがあったわけですが、戦後の日本というのは、教育の関係かもしれませんけれども、非常におとなしく、先生がタフになれと言われたのは、結局、反対側から見ますと、ひ弱な日本になっている、日本人になっている。もっと元気を出せ、そして民族の活力を活用しろ、こういうふうに言われる今の日本というのは、非常に弱々しい、自信喪失、そして他に頼りがち、甘い、そういう日本人になってしまっているのではなかろうかというふうに思うわけです。

 例えば、もっと具体的に言いますと、アメリカによって原爆を投下され二十万の人たちが亡くなり、そして、東京大空襲にしても、無差別の殺傷が行われた。あるいは、戦後、ソ連の侵入によって六十万人の人たちが国際法に違反して連れていかれて、抑留され、強制労働させられた。それから、北方四島も無法に占拠されている。あるいは、竹島も、あるいは尖閣もといったこともあるわけですけれども、これに対しては、昔のような激しさはない。おとなしく、やむを得ない、仕方がない、長いものに巻かれよ、和の精神で、寛容で、そしておとなしく見守っておる。日本人が拉致をされている、それすらそんなに国を挙げての問題としてこれに立ち向かわない、あるいは、世論が沸騰するようなことはない。

 こういうのを見ますと、日本人というのは本当に変わってしまっているのかなというふうに見る向きもありますけれども、どのように思っておられますか。ナショナリズムが妖怪だと言われますが、それはもう全く崩壊して、物は豊かだけれども心が本当に失われている日本人になっているというふうに考えられる向きもあるんですけれども、いかがでしょうか。

姜参考人 私が考えますに、やはり百年にわたって坂の上の雲を見て、戦後は豊かさを渇望してがむしゃらに上り詰めてきたのがこの国の姿だったと思いますし、もちろんそのために大きな犠牲をたくさん払ったと思います。

 ただ、私が思いますに、あの大英帝国ですらも、一時期膨大な植民地を持っていた国が、戦後、先進国病という形で、マーガレット・サッチャーが出る時代には非常に社会も混乱しておりました。もちろん、今のイギリス社会が私は理想だとは考えませんが。

 問題は、社会が、GNPが一人当たり三万ドルを超えてしまえば、その社会の中でいわゆる飽和状態というものが達成されると思います。そういう飽和状態に達した社会が、いかにして少しずつ懸命に、その社会の持っているいわばインテリジェンスといいましょうか、あるいは文化のソフトパワーといいましょうか、こういうものをつくり上げていくというところに今の日本の新しい段階があるのではないでしょうか。

 非常に過激な言葉を使うと、日本のそのような現状から見ると、アジアの国々は、これは非常に問題のある表現かもしれませんが、いわばある種ナショナリズムの発情期を迎えているように一般の人々は思っているんじゃないかと思います。

 でも、現実的に考えていきますと、百年間、朝鮮半島も中国もまともなネーションステートをつくった歴史がないわけです。そのような国々が一つの国民国家をつくろうというのは当然なことであって、日本はいわばナショナリズムの発生、起源、成熟、衰退、一応一循環したのではないかと思います。

 そういうふうにして一循環した社会が今後何を求めるべきかというと、それはその成熟した社会にふさわしいソフトパワー、つまり社会の中にある、これは情報にせよ何にせよ、文化もそうですけれども、そういうソフトなパワーというものをやはり日本が率先してもう少し広げていく、そういうところに日本の豊かさの新しい段階が来ているのではないか。またもう一回ハードなパワーを求めようとするのは時代錯誤的であって、同時に、これは百害あって一利なしだと思います。

 ですから、何とか日本はソフトパワーを、そのためには言葉の力というものが必要になってくると思います。つまり、言語力ということです。言語力のない社会は、二十一世紀の中で一定の存在価値を求めることは不可能である。そのためには、私は、やはり言葉の力が影響力を持つような政治、あるいはメディア、情報、学校教育というものが必要なのではないかと思います。

塩田委員 ありがとうございました。

中山会長 山口富男君。

山口(富)委員 日本共産党の山口富男でございます。

 二十一世紀の北東アジアの展望というのは、経済の面でも外交、文化の面でも、どの問題をとってみても日本と世界の非常に重大な問題だと思うんです。それで、私自身は、日本が二十一世紀の日本社会と北東アジアを展望する場合、その立脚点として、一つは、過去と現在をきちんと見詰める立場に立つこと、それからもう一つは、日本国憲法の平和と民主主義の諸原則を生かす立場に立つこと、これが非常に大事だと思うんです。

 といいますのも、日本の憲法は、日本軍国主義による植民地支配と侵略戦争への痛切な反省ですね、いわば参考人が冒頭でおっしゃいました二十世紀の北東アジアはどんな時代だったのか、このことを踏まえた法規範だからなんです。

 参考人は、きょう、憲法論については案外禁欲的にお話しになったように思うんですが、この共同の家の提起にもかかわる問題として、初めに二点お尋ねしたいのですけれども、第一は、この北東アジアの人々あるいは国々が、武力の行使や軍事力を禁じた憲法九条についてどのように評価をしてきたと見ていらっしゃるのか、この点をお尋ねしたい。

 それからもう一点は、関連した問題ですけれども、参考人が隣人なき日本と日米安保ということで、ドイツのシュミット元首相の発言も引用されて紹介されていましたけれども、私は、安保と憲法九条の矛盾については、九条の完全実施の方向で解決すべきものだと考えますけれども、それはなぜそう考えるかというと、やはりこの隣人なき日本と指摘された問題をクリアしていく道がそこにあるからなんですね。それは、参考人がおっしゃった活路という言葉にもつながるように思うんです。

 としますと、参考人は、憲法九条の存在と理念が今後この北東アジアにおいてどういう役割を果たし得ると考えていらっしゃるのか。ここにはそれぞれの国のアイデンティティーの問題もあれば、より広い国際性、国際的な言語の問題もあるでしょうけれども、いろいろな意味合いを持ってくると思いますが、その二点をまず初めにお尋ねしたいと思います。

姜参考人 武力行使をめぐる問題点、つまり憲法第九条のことについてですが、先生から御案内にあったとおり、私自身は、憲法を改正すべきか、あるいはしてはならないのかということについては、比較的禁欲的に考えてまいりました。

 憲法第九条の内容についてアジア諸国はどのように理解をしているかということです。これは、少なくとも日本には憲法第九条あるいは憲法の基本的な原則の中に、武力による威嚇や行使、その点について非常に縛りがあるということをうっすらと理解していることは事実だと思います。

 しかしながら、もう一方において、非常にリアリズムとして言いますと、中国は今、日米安保を廃棄することについては非常に警戒的になっていると思います。これは、果たして瓶のふた論が妥当するかどうかは別にして、日本の軍事力がアメリカの統制下にある限りにおいて、日本の軍事的脅威というものが中国には当たらないという考え方を少なくとも今の中国の執行部は持っているからだと思います。

 もちろん、アメリカは、中国に対して、ブッシュ政権になって対決姿勢が明確になりましたけれども、中国の場合も、アメリカに対する軍事的な劣勢ということを非常に今痛感しておると思いますし、ユーゴスラビア問題における中国大使館の爆撃ということは非常にショックだったと思います。

 そう考えていきますと、この憲法第九条と同時に、日米安保があるということが日本の軍事的な暴走を防ぐ有力な手だてであるというふうに、少なくとも中国は理解しているのではないかと思います。

 考えてみますと、憲法第九条と日米安保は水と油のようにずっと考えられてきたわけです。そして、今もその矛盾が解けないまま現在に至っていることは御理解のとおりです。その矛盾をどうやって解くのかということが早晩問われるかもしれませんが、今少なくとも中国の理解の仕方はそのような理解をしているということですね。

 それから韓国も、少なくとも憲法上縛りがあり、同時に、日米安保の中に日本の自衛力というものが封じ込められているというふうに理解はしていると思います。

 それから第二番目に、隣人なき日本という言い方を私はいたしましたけれども、これは日本にとっても不幸なことではないか。つまり、ドイツと日本を比較していく場合に、NATOという大きな機構の中でアメリカがありますから、日米のような突出した関係はございません。したがって、ドイツはアメリカとの関係においてはかなり自律性を持ち得るわけです。また、御案内のとおり、フランスは独自の核政策を持っておりますし、フランスはアメリカに対してかなり警戒の念を持つ場合もありますし、そして、アメリカとフランスが、国際政治上においても、例えばイラクに対する制裁措置においても違う政策をとる場合もあります。

 ところが、日米安保は、これは、アメリカに対して、いわばTPOを通じてなかなかノーと言えないような事実上の仕組みになっておりますし、また現実がそうだと思います。

 例えば、アメリカが制裁措置としてどうしてもイラクを爆撃しなければならない、その場合に、西側諸国の中で、イギリスはアメリカと共同歩調をとっても、フランスやドイツが共同歩調をとらないという場合に、例えば日米安保が運用される場合に、アメリカがどうしても爆撃という強硬措置をとろうとした場合に、果たして日本は、独自の立場から、今回のフランスとドイツのように、爆撃は日本の方針でもないし、後方支援についても日本はその任に当たるべきではないというようなノーが言えないという実態があるのではないか。

 したがって、私が思いますに、日米安保を普通の関係にしていくためには、二国間関係ではなくして、もう少し多極的な安全保障体制を考えることによって、その中で、一つ一つのケース・バイ・ケースを通じて日本の独自な判断が生かされるような、そういうような可能性を私はやはり求めていくべきではないか。

 今のまま日米関係がより密接になり、日本がより踏み込んだ形でアメリカと共同歩調をとろうとする場合に、アジアにおいてアメリカが血を流すならば日本も血を流さなければならない、そのような運命共同体的な関係だけで日本の安全保障を考えることが正しいのかどうか。時と場合によって、アメリカの政策について日本は共同歩調をとるべきではないという判断もあった場合には、それに対して日本独自でノーと言えるような立場を日本はきちっと留保すべきだと私は思います。

 それがないと、ドイツやフランスのように、中近東の対イラン、イラク政策についてもそごが出てきた場合に、果たして日本は独自の立場をとれるかどうかと考えると、それは非常に難しくなってくるのではないか、そういうふうに私自身は考えております。

山口(富)委員 ちょうど今話に出ました中国大使館へのNATO空爆の直後に私は北京におりまして、中国側が、NATOの問題だけでなくて日米安保についてもなかなか厳しい目を持っているという姿は実際見てきたんです。

 それで、もう少しお尋ねしたいんですけれども、共同の家の構想をしていく場合、その土台となるものとして、今参考人からお話ありましたように、その国の自主的立場が必要ですし、どの国も、お互いの国の形の違いを認め合って、敵視しないで、侵すこともしないし平和共存の関係を貫くということが土台になると思うんです。

 その意味では、私、今の段階でも日本はアジア中心の平和外交にもっと力を発揮すべきだと思いますし、安保の軍事同盟型の関係から抜け出して、日米の間でも平和友好の関係を持ってこの北東アジア地域への平和と安定の貢献をしていくべきであるというふうに考えているんです。

 それで、今の参考人の説明ですと、安保という二国間関係の問題を多極的なシステムに切りかえていくという、この中で軍事同盟というのはどういうふうに位置づけられているんですか。ちょっと時間がないものですから、もう一問聞きたいもので、簡潔にお答え願いたいと思います。

姜参考人 私は、究極的には、北東アジアにある種の、最終的には武力制裁ができるような国際的な警察機構のようなもの、これは僕は集団安全保障機構と言いましたけれども、つまり、今後、十九世紀や二十世紀の前半にあったような、二国間同士が宣戦布告をし合って戦争をするような、そのような事態というのはもう私はないのではないかと思っております。

 したがって、逆に、いろいろな形での脅威は、むしろ国家間関係というよりは、それ以外のところから出てくる可能性が大きいので、そういうものに対して対応できるようなある種の集団的な安全保障機構というものをつくる、それに向けていわば軍事同盟というものを、可能な限り軍事色というものを薄めていかざるを得ないと思うんです。あるいは軍事力を集団的に共有し合うような関係ですね。

 そのためにはどうしたらいいのか。それはまず、さまざまな軍事演習やあるいは実戦演習に対して相互査察、これは北朝鮮に対してもそれを求めなければなりません。自分たちの軍事力について可能な限り相手国が透明になれるような国際的な査察制度をお互いにつくっていかなければならない。そして、軍事力に突出した軍事同盟の性格というものをできる限り薄めていく、もしくは共有し合うような関係を国際的に私はつくっていくべきだと思うんです。

山口(富)委員 薄めていった場合も、我が国の場合は憲法九条がありますので、やはり軍事同盟型でなくて、どんな問題でも平和的に解決する方向で北東アジアの諸国との共同の努力を発展させたいというふうに私どもは考えているんです。

 それで、最後にもう一点お尋ねしたいんですが、きょう、文化と教育、社会の問題で、随分相互の交流の問題が出されたのですけれども、その提起が実を結んでいく上で、繰り返しになりますけれども、侵略戦争と植民地支配にかかわる過去の清算の問題というのが非常に大きな位置を占めると思うんですね。それは、フランスやドイツの関係でも、きょうお話がありましたけれども、今、日本と韓国の間では、民間で歴史研究者が相互に歴史教科書を検討し合うというような相互交流を続けているようですけれども、こういう歴史にかかわる問題、これが、北東アジアの共同の家構想では一体どういう位置を持つのかということを最後にお尋ねしたいと思います。

姜参考人 二つあると思います。

 第一点は、金大中政権がやったとおり、歴史をめぐる問題は、日本の中にいる人がまず自主的に判断し結論を出すべきであるという考え方ですね。つまり、外圧を通じて何かを操作したり変えるということではなくして、すべてボールは日本の側に一応投げたというのが金大中政権がやった新しい政策だと思います。私は、基本的にはそれは正しいと思います。

 それから第二番目は、中学生、高校生の相互交流の中で、それぞれの国のモニュメントとなるような場、そこを相互に訪問するような制度をつくったらいいのではないか。例えば、中国からあるいは韓国から広島や長崎やあるいは東京大空襲の悲惨なつめ跡の場を学生たちが訪れる、あるいは逆に、日本から中学生が韓国の独立記念館やあるいは中国のそのようなモニュメンタルな場所に訪れる。そのような相互交流を深めることによって、歴史観の違いがなぜ生じているのか、どことどこにお互いのギャップがあるのか、こういうことを相互に知り得る。私自身は、若い感性に次の世代を託したいと思いますし、そういう点では、それぞれの相互のモニュメントとなるような場、それを相互訪問できるような制度をもっともっと今後活用すべきではないかというふうに考えております。

山口(富)委員 憲法九条を守って、この北東アジアの平和と民主主義の安定が進むように努力したいと思います。

 ありがとうございました。

中山会長 重野安正君。

重野委員 きょうは、姜先生には大変貴重なお話を聞かせていただきましてありがとうございました。限られた時間でありますので、かいつまんで質問したいと思います。

 私は、ヨーロッパにおけるドイツ、アジアにおける日本、この二つの国をこの間の状況を比較しながら考えて、なぜかということについて意見をお聞かせいただきたいと思います。

 日本もドイツも、共通の負の遺産を持ちながらこの間歩き続けてまいりました。いずれの国も、他国を侵略するという第二次世界大戦の一方の主役であったことは間違いありません。そして、この二つの国は敗戦という事態に立ち至った。問題は、そこから先のこの二つの国の歩みというものを比較したときに、そこに歴然たる差異を否定できない。かのドイツの大統領を務められましたワイツゼッカーさんが申した、過去に目を閉ざす者は現在に盲目であり、未来を見誤るという有名な言葉がございます。

 戦後のドイツはひたすら、あのヨーロッパ戦争を引き起こしたナチスに対する責任追及を徹底的に行いました。今なお、時々新聞の紙面に南米のどこどこでナチス・ドイツの将校が捕まったという記事が続いている。そのことに象徴されるように、あの戦争に対する清算ということを執拗に行っているドイツ。そして、今やドイツは、東西ドイツが統一をされ、EUの中心であり、そしてヨーロッパはユーロという新しい通貨の枠組みの中で二十一世紀を迎えた。

 他方、我が国を見ますときに、あの十五年戦争を引き起こしたその主役の方々の罪もあいまいに追及をされる、A級戦犯がその後この国の首相を務めるという紛れもない現実。そして、今なお、先生が提唱されました共同の家構想のパートナーたる国々に対しての本当の意味での理解というものを得るに至っていない。確かに経済大国日本と言われますけれども、先生が提唱されました共同の家を構成する国々から本当に信頼され、尊敬される国になり得ているのか。私は、そうではないのではないか。

 果たしてこのままで、我々が背負っている負の遺産を名実ともに清算するという努力を放棄して、二十一世紀、このアジアの中で、先生が指摘をした共同の家を構成するであろうそういう国々とまともに向き合って、つき合っていくことができるのかどうなのかということについて、私は甚だ懐疑的でありますが、私のそういう思いというものを先生どういうふうに受けとめられるか、お聞かせいただきたいと思います。

姜参考人 御指摘のことは、非常に重いテーマであると思います。私自身もドイツに長くおりましたので、その状況もよくわかっていると思います。

 ただ、私は、ドイツと日本を比較するときによく言うのですが、モラルにおいて、人間的にも、日本国民がドイツ国民より劣っているわけではない。なぜそういう違いが出てきたのかということは、一つは、やはり敗戦後の国際環境が余りにも違い過ぎたということがあると思います。

 これは、御案内のとおり、ドイツが分断され、周辺国は分断国家は一つもありませんでした。それに対して、極東アジアは植民地の国が分断されたということと、そしてもう一つは、やはり占領政策の違いが大きかったと思います。日本に対して、ある意味においてはアメリカ一国が、極東委員会を通さずにかなり独断的に国家改造をなし遂げてしまったということ、それに対して、ドイツは連合国のソビエトを入れた主要国間によって共同管理下に置かれたということですね。この違いというものは、私は決定的に大きかったと思います。

 したがって、一九四五年から五〇年、五年間に、さまざまな可能性があったとは思いますが、そういういろいろな変化の結果として、最終的には日独の違いというものが今日に至るようにできてしまった。

 しかし、現在の東ドイツでネオナチがばっこしていることもまた事実であります。これは東ベルリンに行かれればおわかりになることですが、本当にナチズムの亡霊というものが東ドイツの中にまだばっこしている。こういう現実をドイツは抱えながら、そうであるがゆえに、つまり、EUの中で信頼をかち得るためにもナチズムとのいわば対決というものをせざるを得ない、そういう現実があることが今のドイツの現状ではないかというふうに私は理解しております。

重野委員 それで、先生が先ほどから強調されております北東アジアの共同の家という構想です。

 私たちも、うちの党首もそういう意味では今積極的にそういう提案をしておるのでありますけれども、その共同の家を語る前提として、この国が今なおし残していることがあるのではないか、そのことに目をつぶって先が語れるのかという点を私はどうしても引きずるわけですね。

 B級、C級戦犯の扱いにしても、あるいはこの戦争に駆り出されて、強制的にこの国の軍隊に徴用されて、そのあげく、その国の方々も日本の兵隊と同様に戦犯として裁かれる、これについての後始末も私はなされていないというふうに理解をするわけです。

 これは、この国の今の時代に生きる我々にとっては大変重い負の遺産だと思うのですね。それをどう解消していくのか、どう克服していくのか、そのことを抜きにして北東アジアの国々の方々と対等に向き合えるのか、そういう疑問というものを持つわけですが、それはどういうふうに理解をしたらいいのでしょうか。

姜参考人 私も言いたいことはいろいろあるのですが、やはり基本的には、金大中氏がやったとおり、ボールを日本に投げている現実があると思います。それは、九五年の国会決議及び村山元首相の談話によって一応決着がついたという前提のもとにですね。したがって、日本国内においてそれにどう対応するかは、日本の国民が自主的に決定すべき事柄だと思います。

 それを前提として、私は、超党派的に戦争の問題をひっくるめて今調査が行われていると思いますし、その調査結果を期限を区切って発表するということです。そして、それに基づいてどうすべきかということについては、やはり日本の国民が自主的に決定すべきであり、それについての決着を国民がどう判断するのか、私はそのことが基本的には一番大切な眼目だと思います。外側からの力、もしくは外側からのいろいろな外圧を通じてというふうに受け取られるような形で問題が決着された場合のまた負の遺産、いろいろな形でリアクションとして起こる可能性があると思いますので、私は、基本的にはそのような形で問題を処理していくべきではないか。

 非常に奥歯に物が挟まったような言い方かもしれませんが、今考えていることはそのことです。

重野委員 それでは、ちょっと視点を変えまして、戦後の憲法体制というものが、この国の今日の、表面的かもしれませんけれども、繁栄を導き出したということは否定できないと思います。そして、我々はその憲法体制の中で育った人間でありまして、憲法の条文を逐条読むとき、まだまだ我々はこの憲法の指し示す理念からすれば道半ば、いやいや三割ぐらいしか歩いてないのかなというふうな感じがするんですが、にもかかわらず、一方においては、この憲法は身の丈に合わないという議論があります。

 私は、まさしく今日までの日本の歴史そのものがつくり上げた憲法というふうに考えますときに、この憲法を暮らしに生かしていくという努力をなお一層強めていかなければならぬという立場に立つのですが、この日本国憲法に対する先生の思いは、どういうふうな見方をされているんでしょうか。

姜参考人 日本国憲法について、非常にいろいろな解釈があり、またいろいろな評価があることも私自身は熟知しておりますし、この調査会もそのことについて議論することを眼目としていると思います。

 基本的には、憲法は国を運営していく基本的なルールであることは言うまでもありません。ただ問題は、憲法を維持するのか変えるのかというより前に、もっと鋭く問われなければならないのは、政治への信頼がなし崩し的に壊れつつあるということであります。政治への信頼があって初めて、国を動かしていくルールについて国民はその議論に参画し、それを変えるべきか変えるべきでないのかということについて、もっと積極的な意見あるいは真情というものを吐露できるのではないかと私は思います。

 残念ながら、今世論調査においても、いわゆる支持政党なしが五割以上、六割に達している現実があると思います。それは何を示しているかというと、決して政治に対して無関心ではなくして、政治の現状に対する深いいわば信頼感の欠如のゆえに、政党支持というものがもう下げられないほどに下落している現状が私はあると思います。

 したがって、もちろん憲法について私自身の価値判断は明確に持っておりますけれども、それよりも前に、いかにして政治が信頼を回復できるのか、それをきちっと踏まえながら、二十一世紀の日本の国の将来についての根本法を変えるべきなのか変えるべきでないのか、そのことについて議論を深めるべきではないか。

 今、政治についての信頼が欠如し、これが株価の暴落と同じように地をはうような現実があるということを、それを何とか信頼を回復するためにはどうしたらいいのかということが私は憲法論議の大前提になければならないと思います。そのことを一応私の意見として述べておきたいと思います。

重野委員 ありがとうございました。

中山会長 以上で重野安正君の質疑時間は終了しました。

 小池百合子君。

小池委員 保守党の小池でございます。

 先ほどから日本を客観的に、そして主観的に語っていただきましてありがとうございます。また、我が国がなすべきことを、幾つかの御示唆をいただいたことを大変感謝いたしております。

 そういった中で、今のお話の流れではございませんけれども、今、我が国の政治への不信が大変高まっている、そういったことを、まずしっかりと安定した、また信頼できる政治に変えることが、それをまず築くことが、この日本国憲法をいかにするか、その大前提にあるというお話をちょうだいいたしました。

 ここは鶏と卵みたいな話でございますけれども、よく政治のリーダーシップをもっと持てということが言われます。そういった中で、首相公選制の導入を図ったらどうかというお話もございます。先ほどからお名前が出ております金大中大統領も、大統領ということで、その選出の仕方が我が国とは全く違うわけでございます。そういったことで、先生の、この首相公選導入論議についての御意見を伺いたいと思います。

姜参考人 非常に評価が分かれる問題だと思います。

 それで、イギリスの場合を見ていきますと、議院内閣制の首班である首相は、かなり大きな権限を本来は持っているはずであります。しかし、幸か不幸か、日本の場合、自民党が長い間政権を運営し、その中で、党の連合体としての自民党という党が、派閥力学の中でうまくある種の政権のリニューアルをなし遂げてきたというのがこれまでの自民党の政治だったと思います。例えば、田中角栄氏がスキャンダルでまみれたときには、三木武夫氏が椎名裁定によって立つ。そのような幾つかの選択肢が自民党の内部に一応ビルトインされていた。

 ところが、これが、私は、少なくとも昨今の事情の中ではもう働かなくなってきていると思います。そういう中で、いや応なしに権力の二重構造に近い事態が起きてしまう。つまり、最高の権力者である内閣総理大臣が、実はナンバースリーであったり、実力者でなかったりするような事態が現実的に起きてしまうわけです。それは、党内の派閥力学によって決定される場合が往々にして見られるというのが現実だと思うのです。

 したがって、私が思いますに、議院内閣制であるがゆえに首相の力が非常に制約されるというのは、制度的には誤りであって、イギリスの例を見ますと、議院内閣制であるがゆえにいわば首相がかなり大きな権限を持ち得る場合があります。そうでない日本の場合を考えていくと、今申し上げたような政権党内部の派閥力学の弊害ということが、首相あるいは官邸の持っている権限を非常に制約しているという面が一つあるのではないか。それを踏まえて、それでは首相公選制にすればどうかということです。

 私も一時期、首相公選制をすることはかなりおもしろいのではないかというふうに思ったときもございました。ただ問題は、首相公選制にした場合に、非常に大問題として、いわゆる国家の元首をだれにするのかという問題が必然的に一方では発生するわけです。もちろん、言うまでもなく、外務省は、ヘッド・オブ・ザ・ステートとしては、対外的には、憲法第一条の日本国を象徴している天皇が事実上の元首だという扱いを受けております。

 首相公選制というのは、ある意味において、限りなく大統領制的な人民投票制を導入した議院内閣制と言ったらいいのでしょうか。そういう点ではある種のハイブリッドな性格を持っているわけですけれども、首相公選制にした場合に、果たして、アメリカの大統領や韓国の大統領が想定しているような、それだけのリーダーシップを持った、名実ともにすぐれた政治家がそこで選択されるかどうか、このことについては私は、一面においては懐疑的な面もございます。

 したがって、首相公選制を実行する場合には、その前提として、まず今の議院内閣制の弊害を完全に除去しなければならない。それは、政権を担う政権党の名実ともの実力者が内閣総理大臣になるということを実際にやってみなければならないということです。このことが現実的に自民党の中でどれだけなし遂げられたかというと、私はやはりレアケースだったと思います。佐藤内閣、このときには沖縄返還を佐藤首相は断行しました。池田内閣、このときには所得倍増を断行しました。田中角栄氏のときには日中国交回復を断行しました。比較的党の最高実力者と首班指名が合致したケースであります。

 しかし、そうでない場合には、首相権限というものが非常に弱体であり、そして、内閣総理大臣が短期にかわっていくという弊害が生まれました。それを果たして首相公選制によって代替できるかどうか、これはフィフティー・フィフティーではないかというふうに、私自身の直観ではそういうふうに理解しております。

小池委員 まさに今いろいろな最近の動きを見ておりますと、これからのリーダーということの選び方などもそろそろ議論がされているやに聞いておりますけれども、なかなかこの辺のところは表現が難しいですが……。

 かつて新進党のときに、党首公選という形で大々的にやらせていただきました。本当にいろいろな方に参加していただいた。ただ、野党だったということもございますが、政権党が、第一党が公選なるものをやられたら、まあ間接的な首相公選になるのではないかなと。憲法改正も要らないというふうに、これは内政干渉に当たるので余り申し上げませんけれども、いいチャンスを迎えておられるのではないかなと私は考えているところでございます。

 ただ、そうはいっても、日本の場合は首相がなかなか実力というか力を発揮できないのではないかという御指摘もございました。一方で、総理大臣の職務ということを明確に規定いたしております内閣法においても、改正もされてはおりますけれども、まだまだ閣議の議長役というような形で、実際のところは総理のリーダーシップを振るうような場面がまだ十分確保されていない。

 これは、なぜそうなったのかというと、かつてはそれが余りにも強大過ぎたということで、なますを吹くと申しましょうか、自己規制が激しいということから、その後現状に至るといったような部分がございます。

 これが、憲法の中でというよりも、それぞれの各法の中に入ってくる問題かと思いますけれども、我が国も、根本問題を考えると同時に、トップの人材、そしてその人材に与えるべき権限と、それからやってはいけないこと、これをもう少し明確にしていかなければ、きょういろいろとお話もいただきましたけれども、国家の意思をきっちりと受けとめて、そしてまたその人物の、人材の、この国をどうするというビジョンを対外的にも明確にした上でそれを実行する、こういう土壌がなかなかつくられないのではないかと思っております。

 今申し上げました件についての先生の御意見を伺いたいと思います。

姜参考人 今先生がおっしゃられたことはそのとおりだと思いますが、ただ問題は、これはスポーツに例えると比較的わかりやすいと思うのですが、非常にすぐれたスポーツ選手をなぜある社会がつくり得るかというと、やはりスポーツについてのすそ野が広いからだと思いますし、同時に、新規参入が絶えずできるということです。先ほど私は、今の実際の議員ができ上がっていくプロセスを考えていきますと、かなり新規参入が難しい。つまり、国内のすぐれた人材である人々が、企業には向いても、政治にはなかなか目を向けないのはなぜなのか。ましてや、現在の東京大学では、もう官僚になることも非常にはばかられるような、そういう風潮も一面では見られるのが現実であります。

 こういう中で、なぜ政治に若い人材、優秀な人材が流れてこないのか。これは残念ながら、政治という、これをマーケットに例えるのは不謹慎でありますけれども、政治市場の中に新規参入ができない構造的な仕組みがあるということです。実態としてそうだと思います。もっと活性力を持ち新規参入ができるような、すそ野の広いそういうベースがあって初めて、私は、トップのリーダーというものが非常にすぐれた人材として出てくるのではないか。

 そういうものがない中で、いい悪いは別にして、やはり現在の国会議員になる場合の要件や条件を考えていきますと、非常に限られた人しか国会議員になり得ないということが現実だと思います。ましてや、地盤の継承ということを考えていきますと、政治家として大胆な国政のかじ取りをやるようなビジョンというものが打ち出せない構造が既にでき上がっている。ですから、私は、今先生がおっしゃったようなすぐれたリーダーの輩出のためには、それを支えるすそ野をもっと広くし、そして新規参入ができるような、そういう政治の仕組みをつくっていくべきではないかというふうに個人的には考えております。

小池委員 今御指摘の新規参入が可能な政界にということでございますが、かつて私どもも、公募という形で随分、新しい人材をこの政界に送り込むことができた。今この国会においても随分、公募で政治に身を投じられた方が活躍しておられます。その意味では、決して限られてはいない、その道は開けているというふうに感じております。

 それからまた、お伺いしたいことがもう一点ございまして、先ほどからの歴史教育の話でございますが、この四月から憲政記念館で伊藤博文の展示会が行われるということでございますが、伊藤博文の韓国における存在、そしてまた、我が国においてはその逆で安重根の存在、これは、違いはわかるけれども、そのとらえ方というのは、日本と韓国ではなかなか相入れないということではないかと思っております。先生がおっしゃりたいのは、多分その違いを理解する歴史教育をすべきだというお話ではないかと考えているのですが、いかがでしょうか。

姜参考人 非常にシンボリックな例を引かれて、私もその点については同感なんですが、例えば安重根と伊藤博文を比べてみますと、実は、安重根の方が非常に経済的には富裕な階層で、伊藤博文は、旧幕藩体制の中では事実上のもう地をはうような出身階層であったということは、司馬遼太郎氏がいろいろなところで書いてあるとおりです。

 韓国において、伊藤博文がどんな人物からいわばはい上がってきたのかということはほとんど知られていないと思うのです。また、安重根という人物が、単なるテロリストではなくして、熱烈なクリスチャンであり、そして、彼がかつて、東方合邦といいましょうか、つまり、欧米列強に対して日本、中国、韓国が協力して当たるべしという、その後に出てくるある種の大アジア主義のようなものを唱えていたということも、日本ではなかなか知られていないと思います。そう考えていきますと、私は、この二人の人物は非常におもしろい。そして、なかなかお互いが知り得なかった事実がそこからいろいろと浮かび上がってくるわけです。

 私は、明治憲法の作成過程で伊藤博文がどれほど苦労を重ねたかということと同時に、伊藤博文という人物がどれほど近代的な啓蒙主義者であったかということもよく理解しております。そう考えていきますと、やはりイメージによってステレオタイプ化された人物像というものが歴史教育の中で大手を振っている。したがって、二人の相対立する人物が同時に教えられることによって、意外な面がたくさん出てくるということもまた事実でございます。

 なぜ日韓は協力できなかったのか、韓国の中にどんな問題点があったのか。そういうこともひっくるめて、私は、単に、安重根をヒーローとして扱い、伊藤博文を極悪人として扱うような、そういう単純な歴史観は克服されるべきでありますし、また、安重根一人を単なるテロリストとして葬り去るのも、余りにも惜しい人物だと思います。

 したがって、私は前に申し上げたのですが、この安重根と伊藤博文をめぐって日韓の間で共同で映画をつくってみたらどうだろう、そして、伊藤博文を韓国人がやり、安重根を日本人の役者がやる、こういう形で、日韓がお金を出し合って、安重根と伊藤博文という映画をぜひつくってもらいたい、そういうことを一つ申し上げたことがあります。

 したがって、歴史というものは我々が知っている以上にいろいろなあやと影を持った部分がありますので、そういう点でも、この安重根と伊藤博文をもっともっと多面的に日韓の中で教育していくということは必要なことではないか、そういうふうに私は考えております。

小池委員 時間が参りました。ありがとうございました。

中山会長 近藤基彦君。

近藤(基)委員 21世紀クラブの近藤でございます。

 大変長時間、姜先生にはありがとうございます。私で最後でございますので、もうしばらくおつき合いをしていただきたいと思うのです。

 先生のきょうの表題であります「北東アジア「共同の家」をめざして」、大変興味深く聞かせていただいたのですが、この北東アジアという地域的なもの、先生は日本と韓国あるいは朝鮮半島を主にお話をなされ、中国が多少お話の中に出てきておりましたけれども、極東アジアの中にはいわゆるロシア、ハバロフスクとかイルクーツク――私は選出が新潟なものですから、航空路を実はハバロフスクと持っておる関係で、ソ連が崩壊後、ロシアということで、モスクワとハバロフスクの距離的な関係で、いっとき経済特区的なものが独立をしかかるというような場面もなきにしもあらず。ただ、非常に重要な軍事港でありますので、モスクワもその辺は放さなかったやに聞いておりますが、先生の北東アジアの中に極東ロシア的な部分が入っているのか、あるいは、入っていないにしても、日本とロシアとの関係、それをどのように今後進めていけばいいとお考えになっているのか、ちょっとお聞かせいただければと思います。

姜参考人 今おっしゃったことは非常に重要なことで、私は極東ロシアを当然含めて考えております。

 現在のプーチン政権がどのような政策を考えているかについてはいろいろな判断があると思いますけれども、少なくとも、例えば韓国とロシアの関係は非常に密接な関係であり、これは経済的にも、韓国資本及び企業、労働力の進出が極東アジアではかなり急速に進んでおります。また、極東アジアには、旧高麗人と言われている、スターリン時代に中央アジアに拉致されていったような人々が、今もロシアの極東部、沿海州には居住しております。

 そういう点で、ロシアの役割をどう考えるかというのは非常に重要なことであります。その場合に、日ロ関係においては北方四島問題があり、まだ懸案事項がございます。ところが、韓ロ関係においては、少なくとも政治的あるいは歴史的に懸案となる事項がほとんどございません。したがって、今の現実から考えていきますと、アメリカ、中国、ロシアと最も良好な関係を持ち、政治的な宿題を持っていないのは、実は意外にも韓国であるわけです。これは、米韓関係、韓中関係、韓ロ関係が最も良好であるということは皆さん御存じのとおりです。

 日中は、歴史をめぐる問題やいろいろな問題で今ぎくしゃくしていることは御案内のとおりであり、また日ロ関係も、北方四島をめぐって依然として宿題があります。こういうときに、その三つの大国と良好な関係を持っている韓国と日本が良好な関係を持つことは、日本の外交を考えていく上でも非常に重要なことだと思います。

 そういう点で、私は、北東アジアの共同の家の中には、当然のことながらロシアを含んで考えております。

近藤(基)委員 私どもと極東ロシアの方と大変経済的にも親密に関係をしているものですから、ちょっとお聞きをさせていただきました。

 もう一つ先生のお話の中で、日米安全保障の問題で、少しずつでも対等なものに近づける、これは多分日米関係をお話しになったんだろうと思いますが、その安全保障に関して、対等なものに近づけるという近づけ方の問題なんです。一応日本は後方支援どまりという形で、軍事力を外に出さないという形で、ある意味では自衛権は認められているという解釈的なものでありますが、対等に近づけるということは、日米安全保障条約を将来的には破棄をする、あるいは別な形のものに持っていくことを想定してお考えなのか。それと、対等の立場という部分で、どういった形になれば対等になっていくのかということをお聞かせいただきたいと思うのです。

姜参考人 国益が一〇〇%合致するということは日米関係においてもあり得ないと思います。それは通貨政策においても、例えば、なぜ日本がゼロ金利をせざるを得ないのかとか、あるいは日本の貿易黒字の問題や産業構造の問題、あるいは農業問題を見ましても、日米関係の中で一〇〇%アメリカと日本との国益が合致するということはあり得ないわけで、したがって、安全保障政策においても、日米が一〇〇%運命共同体的に利害を共有し合うということは私はあり得ないと思います。

 私が日米安保に対等と申し上げたのは、日本は日本の独自の判断で、ケース・バイ・ケースにおいて、アメリカに対してある一定の日本の独自の判断を留保できる条件をきちっと確保しておくということ、そのことが必要だということであります。と同時に、そのことを通じて初めて、互恵的といいながら、現実的には、アメリカの極東政策や世界政策の下請的な部分にさせられている懸念がある日本の安保政策を、もう少し日本の独自の判断でフリーハンドをふやせる。

 そのためにはどうしたらいいかということは、一時期、全方位外交ということがリップサービスでもありました。私は、やはり極東アジアにおけるアメリカ以外の国々との多極的な安保・外交政策というものを広げていくことによって、日米安保が崩れれば、日米関係が危うくなったり、あるいは日本のアジアにおける地位が危うくなるような、そのような関係をできるだけ避けるべきだと思います。いわばリスクを分散するということであります。

 今の日本がやっていることは、絶対安全だと考えられている生命保険の会社に自分のすべての財産をはたいて、これで大丈夫と言っているようなものであります。もし万が一でもその生命保険の会社が破産した場合、破産と言わなくても非常に大きな問題が起きた場合に、リスク管理からすれば、リスクを分散するということは当然のことであります。

 私は、日米安保をより当たり前の関係にするということは、日本がリスクを分散し、リスク管理をし、そのためにはアメリカ以外の国々との多極的な外交・安全保障関係をつくるということが、結局は日本の選択肢をより広げ、そして日米安保がだめになればすべてだめになるというオール・オア・ナッシング、そのようなリスクの大きい選択肢ではない外交・安全保障ができ上がるのではないか、そういう意味で申し上げました。

近藤(基)委員 もう一つ、共同の家ということでありますが、韓国あるいは北朝鮮の側から見て、日本という国が、経済大国に発展をし、しかも日米安保のバックである程度軍事力を持ち、現段階で、私自身は、その共同の家という、これはあす、あさってということではないのは重々承知をしておるのですけれども、今後、例えば歴史認識の違いだとかそういうことの理解がどの程度進むのか、そういったことはちょっとよくわかりませんけれども、ある意味で、こういう構想を日本が打ち出し始めてきたときに、どうも日本がその共同の家の大家さんになるのではないか、我々はたな子になって、またその下に入れられるのではないかというような危惧を多分持つだろうという気がするのです。

 そうされないために、日本がどういった面で現段階で一番努力をすべき、私自身はこういったことを、別に北東アジアに限らず、東南アジアの方にも隣国があるわけでありますから、いろいろなところでそういう部分でふえていけばいいなという気持ちでお聞きをするのですが、現段階で日本にとって、こういった構想を打ち出すための準備として何が一番必要なことなんだろうという、御示唆があればお教えください。

姜参考人 時間がないと思いますので、一言で言うと、私は、朝鮮半島の南北の共存関係に、2プラス2プラス2で六カ国がそこに何らかの形でコミットし、そこの中から安全保障のネットワークができ上がるのではないかと。つまり、茫漠として何か集団安全保障や共同の家ができ上がるというよりは、まず、北東アジアにおける大きな危機の芽を摘み取る。それは、差し当たり、今、中台関係を除きますと、この南北両朝鮮の問題であります。

 日本が南北両朝鮮の平和的な共存体制に積極的な役割を果たすということが、私は、東アジア、北東アジア共同の家へ向けた一歩前進だと思いますし、韓国も北朝鮮も日本の役割をかなり重視していると私は考えております。今回の金融危機における日本の役割、さらには、将来の北朝鮮の経済開発やさまざまな開放政策における日本の資本、技術、ノウハウ、これは最も重要なファクターでございます。

 したがって、日本は、南北両朝鮮の共存体制というものが日本が最も近隣のイコールパートナーシップをつくれる、そういう新しい国ができ上がるということが日本の発言力を高めるというふうに理解すべきではないか。

 残念ながら、征韓論以来、日本は、朝鮮半島を無力化するというところで最終的にはその権益を求めてきました。今度は逆に、それを対等なパートナーシップとして生かすことによって、日本一国ではできないことをより大胆にやれる、そのような強力ないわば隣人ができるということです。私はその可能性はあると思いますし、現在の韓国の国民感情は複雑ではありますけれども、若い世代の中には反日という意識はほとんどございません。

 したがって、二十一世紀の日韓関係はかなり良好な関係になり得る、そういうふうに私自身は理解しております。

近藤(基)委員 もう一つだけ。

 私自身もほぼ先生と同世代で、戦後生まれでありますが、特に大戦のときの歴史的認識の違い、特に日韓での違いというのは、歴史的な部分で重々承知をして、残念ながら、体験をその場でしておりません。

 ですから、我々より次の世代というのはますます歴史的な中での認識という形になっていくんだろうと思いますが、その歴史的認識をお互い理解をする努力というのは当然今後とも続けていかなければいけないんだろうと思いますが、その違いの認識度がやはりだんだん薄れていくんだろうと思いますので、そういった意味では、これからこういった北東アジアの共同の家という構想は私にとっても非常に興味深いものでありますので、またいずれの機会に先生にお勉強をさせていただければと思います。

 どうもきょうはありがとうございました。

中山会長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 姜参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。調査会を代表いたしまして、厚く御礼申し上げます。(拍手)

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後六時二十九分散会




このページのトップに戻る
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.