衆議院

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第7号 平成13年6月14日(木曜日)

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平成十三年六月十四日(木曜日)

    午前九時二分開議

 出席委員

   会長 中山 太郎君

   幹事 石川 要三君 幹事 津島 雄二君

   幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君

   幹事 保岡 興治君 幹事 鹿野 道彦君

   幹事 仙谷 由人君 幹事 中川 正春君

   幹事 斉藤 鉄夫君

      伊藤 公介君    伊藤 達也君

      今村 雅弘君    奥野 誠亮君

      高村 正彦君    下村 博文君

      菅  義偉君    谷川 和穗君

      中曽根康弘君    中山 正暉君

      鳩山 邦夫君    松本 和那君

      三塚  博君    森岡 正宏君

      山本 公一君    生方 幸夫君

      枝野 幸男君    大石 尚子君

      大出  彰君    小林  守君

      島   聡君    筒井 信隆君

      細野 豪志君    前原 誠司君

      松沢 成文君    三井 辨雄君

      上田  勇君    太田 昭宏君

      塩田  晋君    藤島 正之君

      春名 直章君    山口 富男君

      金子 哲夫君    東門美津子君

      松浪健四郎君    近藤 基彦君

    …………………………………

   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月二十四日

 辞任         補欠選任

  野田  毅君     松浪健四郎君

同日

 辞任         補欠選任

  松浪健四郎君     野田  毅君

同月三十一日

 辞任         補欠選任

  野田  毅君     小池百合子君

六月五日

 辞任         補欠選任

  小池百合子君     野田  毅君

同月十四日

 辞任         補欠選任

  西田  司君     谷川 和穗君

  桑原  豊君     三井 辨雄君

  土井たか子君     東門美津子君

  野田  毅君     松浪健四郎君

同日

 辞任         補欠選任

  谷川 和穗君     西田  司君

  三井 辨雄君     桑原  豊君

  東門美津子君     土井たか子君

  松浪健四郎君     野田  毅君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法に関する件

 派遣委員からの報告聴取


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     ――――◇―――――

中山会長 これより会議を開きます。

 日本国憲法に関する件について調査を進めます。

 去る六月四日、兵庫県に、日本国憲法に関する調査のため委員を派遣いたしましたので、派遣委員より報告を聴取いたします。鹿野道彦君。

鹿野委員 団長にかわり、派遣委員を代表いたしまして、その概要を御報告申し上げます。

 派遣委員は、中山太郎会長を団長として、幹事中川昭一君、幹事葉梨信行君、幹事中川正春君、幹事斉藤鉄夫君、委員塩田晋君、委員春名直章君、委員金子哲夫君、委員小池百合子君、委員近藤基彦君、それに私、鹿野道彦を加えた十一名であります。

 なお、現地において、奥谷通議員、砂田圭佑議員、石井一議員、赤松正雄議員、藤木洋子議員及び北川れん子議員が参加されました。

 六月四日、神戸市のホテルオークラ神戸会議室において会議を開催し、まず、中山団長から今回の地方公聴会開会の趣旨及び本調査会におけるこれまでの議論の概要の説明、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序を含めてあいさつを行った後、兵庫県知事貝原俊民君、川西市長柴生進君、神戸市長笹山幸俊君、学校法人大前学園理事長大前繁雄君、神戸大学副学長・大学院法学研究科教授浦部法穂君、弁護士中北龍太郎君、兵庫県医師会会長橋本章男君、兵庫県北淡町長小久保正雄君、会社経営塚本英樹君及び大阪工業大学助教授中田作成君の十名から意見を聴取いたしました。

 その意見内容につきまして、簡単に申し上げますと、

 貝原君からは、二十一世紀において、我が国は、医療、福祉、防災等に関する平和の技術を提供して国際貢献を図り、また、地方分権を進めていくべきであるとの意見、

 柴生君からは、地方行政においては憲法の具体的な実践が重要であり、子供の人権保護及び国際社会に連帯した平和と人権への取り組みがなされるべきであるとの意見、

 笹山君からは、阪神・淡路大震災の教訓として、災害時における市町村長への十分な権限の付与、及び憲法の生存権を踏まえた被災者支援が重要であるとの意見、

 大前君からは、世界から評価されている日本人のよさを見直し、立憲君主国家であることの明示、義務規定の創設等の点につき、憲法の見直しを行うべきであるとの意見、

 浦部君からは、人間の安全保障の観点に立ち、軍備に巨額を投じるのはやめ、大規模災害、食糧・エネルギー問題等への取り組みで世界をリードすべきであるとの意見、

 中北君からは、二十世紀の戦争の過ちを克服し、非核神戸方式の法制化、日米安保条約の友好条約への転換等、平和憲法を守り生かす政策を実施すべきであるとの意見、

 橋本君からは、憲法に、大規模災害に対する国の責務に関する規定を設けるとともに、生存権の保障を充実させ、国民の健康権の保障を憲法に明示すべきであるとの意見、

 小久保君からは、憲法は時代に応じて変えていくべきものであり、天皇が元首であること、自衛のための交戦権、自衛目的の軍事力の保持等を明記すべきであるとの意見、

 塚本君からは、社会情勢の変化を踏まえ、すぐに変更すべき項目、追加すべき項目、今後も議論していく項目に分け、憲法改正に着手すべきであるとの意見、

及び

 中田君からは、憲法は住民運動の基礎でもあり、憲法改正が軽率に議論されてはならず、また、政府は憲法を軽視せず、現実を憲法の理念に近づけるべきであるとの意見

がそれぞれ開陳されました。

 意見の陳述が行われた後、各委員から、首相公選制、地方自治のあり方、災害に関する規定を憲法上明記する必要性、災害時の国と自治体の権限分担、天皇を元首とする規定を設けることの可否、憲法の観点から見た被災者に対する公的支援の問題、日米安保体制の強化の憲法適合性等に関する陳述者の見解などについて質疑がありました。

 派遣委員の質疑が終了した後、中山団長が傍聴者の発言を求めましたところ、傍聴者から、自然災害時の法制度の不備と憲法との関係、歴史や伝統を踏まえた憲法の制定、地方公聴会の運営方法等についての発言がありました。

 なお、会議の内容を速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと思います。また、速記録ができ上がりましたならば、本調査会議録に参考として掲載されますよう、お取り計らいをお願いいたします。

 以上で報告を終わりますが、今回の会議の開催につきましては、関係者多数の御協力により、極めて円滑に行うことができました。

 ここに深く感謝の意を表する次第であります。

 以上、御報告申し上げます。

中山会長 これにて派遣委員の報告は終わりました。

 ただいま報告のありました現地における会議の記録は、本日の会議録に参照掲載することに御異議ございませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

中山会長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

    〔会議の記録は本号(その二)に掲載〕

    ―――――――――――――

中山会長 これより委員間の自由な討議を行います。

 御承知のとおり、本調査会は、昨年九月より、さまざまな分野の参考人をお招きして、二十一世紀の日本のあるべき姿について調査を進めているところであります。本日は、これまでの議論を踏まえて自由濶達な御意見を拝聴したいと存じております。

 本日の議事の進め方でありますが、まず、各会派一名ずつ大会派順に十分以内で発言していただき、その後、順序を定めず討議を行いたいと存じます。

 委員の発言時間の経過につきましてのお知らせでありますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。

 それでは、葉梨信行君。

葉梨委員 自民党の葉梨でございます。

 今会長からもごあいさつがございましたが、この国会、憲法調査会が数次にわたって開かれました。そして、各委員の質問を拝聴しておりまして、憲法の各条章について自由な御意見が聞かれ、大変実り多い会期であったと考えております。

 また、この憲法調査会は昨年の二月から開会されましたが、一年半顧みまして、大変感慨深いものがあるのでございます。

 また、今お話もございましたが、ことしは、四月の十六日に仙台、六月四日に神戸と地方公聴会が開かれまして、多数の傍聴人、また熱心な陳述人の御出席を得て、いろいろ一般の国民の皆様の憲法についてのお考えを伺い、大変意義深いものがあったと思うのでございます。

 これからも引き続いて公聴会を開かれるということで、その公聴会が、さらにたくさんの方が発言でき、また、もう少し質問時間を長くやってくれというような御要望も神戸の会のときに出たようでございまして、会長初め皆様と御相談をして、できるだけいろいろの御意見を聞き、憲法に対する認識、意見を広めていきたいと思うものでございます。

 この機会に、私個人の考えをまとめてみたいと思いますが、二十一世紀の日本を導くべき新しい憲法、私は、新しい憲法を、見直しながらつくっていくべきであろうと思っておりますが、広く国民の参加を得まして、議論を重ねて探求していくべきものと考える次第でございます。明治憲法も現行憲法も、実質的には、国民の意見を広く聞いてできたものではないのでございまして、二十一世紀の日本を導くべき憲法につきましては、国民の皆様の御意見を十分に拝聴しながら、みんなでつくり上げていきたいということをかねてから考えておりましたが、この機会に申し上げたいと思うのでございます。

 それから、仙台で公聴会が終わりまして、記者会見がありましたときに、記者の諸君から、護憲が六で改憲が四ですねという質問がございましたけれども、私どもはもちろん、与党も野党も、この一年半の議論を重ねている間に、自民党にも、今の憲法で守るべき理念、原則がたくさんある、同時に、野党の皆様にも、どこからどこまで守らなきゃいけない、変えちゃいけないということではないというふうに私は受け取っているわけでございます。

 そういう意味で、やわらかい気持ちで、護憲、改憲の枠にとらわれない発想が特にこれから必要ではないかと思います。そして、その発想が国民の間にも広く広まって、憲法についての議論が行われることが好ましいと思うのでございます。

 この会期はこの春からでございますけれども、昨年の一月に憲法調査会が発足いたしましたころからのことをちょっと顧みてみたいと思うのでございます。現行憲法制定時よりの経過を振り返ってみたいと思うのでございます。

 第二次大戦後のアメリカの基本的な対日政策は、日本が二度と再び米国を相手に戦争を始めることがないようにすることでございました。そのために、憲法の制定を当時の政府に慫慂し、しかも大変厳しい検閲、言論統制のもとに、自主的な改正という形をとりながら強制的な審議を行い、成立させたものであると心得ている次第でございます。

 アメリカの方針としては、物的な日本の武装解除を行いました。これは比較的簡単に実現をいたしました。また、将来にわたり日本の非武装化を法律的に担保するために、戦力の保持を禁止し、交戦権までも否認する条項を憲法に置いたのでございます。

 同時に、マッカーサー総司令官は、日本の平和主義への転向を確実に担保するために、真の民主主義を定着させたいということで、女性の参政権の付与とか、言論、結社の自由とか、政党活動の活発化等々が、その最高最強の権力を背景として一気に加速し、決定されたのでございます。

 経済面につきましては、厳しい日本経済の弱体化政策が行われました。財閥の解体とか、労働者の団結、団体交渉権の確立とか、農地解放、特権的地位の廃止等々でございましたが、これは、昭和二十二年ごろからでございましょうか、終戦後間もなくでございましょうか、冷戦が進展をいたしまして、こういう経済面のGHQの施策は穏健化してまいりました。それが皮肉にもその後の日本の民主化と経済の強化を結果したことは、皆様御承知のとおりでございます。

 そして、日本が、昭和二十七年でございますか、独立をいたしましたが、その間、現行憲法につきまして、改憲論がタブー化してまいりました。

 敗戦直後、当時国民は、当然でございますけれども、私もその一人でございますけれども、虚脱状態に陥り、戦争は懲り懲りだという平和主義が国の隅々まで行き渡りました。大変結構なことであったわけでございますが、新憲法の標榜します平和主義に強い国民の支持があったのでございます。

 日本の主権回復後、日本が講和条約を結び独立した後、顧みますと、日本の多くの言論人は現行憲法に表立った批判をしなかったという歴史的な事実も見てとれると思うのでございます。国会審議の段階では、実は共産党あるいは社会党の当時の議員からいろいろと改正の意見も出ておりまして、現行憲法につきまして、そのままではいかがかという御意見が出ていたことも承知しているのでございます。しかしながら、革新勢力の強い支持によりまして、憲法改正は九条の改正と同じ意義となりました。そして、改憲論が長く一種のタブーになってしまったという事実がございます。

 戦後の平和が守られたのはこの規定ゆえであるとの幻想を国民に抱かせ、現実には、講和と同時に結ばれました日米安全保障条約により、日本を含む極東の平和が守られてきたという事実を覆い隠してしまったと思うのでございます。

 現行憲法により戦後新しく日本に定着した多くの制度は、新しく生まれたものであり、我が国の国際社会への信頼を得るのに大きな役割を果たしましたが、多くのものが消え去った事実も見逃せないのであります。これら消え去ったものをすべて永遠に消えるに任せてよいかという問題がございます。日本の伝統の中から何を今後とも残し、何を思い切って捨て去るかをよく考えなければならないと思います。我々日本人は、貴重なものを永遠に失うことになることを恐れるものでございます。

 この意味で、次国会できるだけ早い機会に、現行憲法につきまして、前文を手始めといたしまして、順次、着実に、それこそ何のタブーもなく、徹底的に国民参加の議論を始めていただきたいと申し上げ、私の感想とさせていただきます。

中山会長 次に、仙谷由人君。

仙谷委員 民主党の仙谷でございます。

 まず、私の方からは、民主党の立場、すなわち今なぜ論憲かということについてお話をさせていただきたいと思います。

 民主党は、憲法議論を大いに展開しようという立場でこの憲法調査会に臨んでまいったところであります。いわゆる押しつけ憲法論あるいは旧国体、明治憲法的国体でありますが、これらへの郷愁に裏打ちされたいわゆる改憲論と、そしてまた、憲法の文言修正につながりかねない議論はいかなる議論も封じ込めるべきだと言わんばかりの護憲論を超えて、今この時代の政治を担おうとする者にとって、国家、憲法を論ずることが重要だとの立場をとってまいったところであります。

 平成十二年一月二十日以降、二十五回にわたる調査会における参考人意見聴取と自由討議、二回の地方公聴会における意見陳述、ヨーロッパにおける憲法調査は、私たちに論憲という立場の正しさについて改めて確信を深めさせていると言っても過言ではございません。

 つまり、日本国憲法制定の経緯を振り返って、現時点で、EUという経済統合から通貨統合、政治統合へまで進もうとするヨーロッパの憲法事情調査によって、今、近代主権国家とは何かということを調査し、加えて、二十一世紀の日本のあるべき姿の意見聴取を通じて、日本という国家が今国際社会においてどのような位置にあって、二十一世紀に日本と日本人が何を価値としてどのような国家の体制をつくるか、日本人として、アジア人として、地球人として、この二十一世紀を生き抜いていくかを冷静かつ柔軟に、そして深く考えるときが現在である、改めて感得しているからでございます。

 すなわち、今私たちにとって決定的に重要なことは、二十世紀の総括、評価と反省を踏まえた上で、国の形、国家論等、人間の尊厳、人権論を構想し、論じ合い、でき得れば国民の合意形成へと練り上げることであると考えているからであります。

 簡単に二十世紀の総括を私なりにしてみたいと思います。

 日本国憲法もある意味での歴史的な産物であると考えております。十九世紀の最も遅い時期から二十世紀前半期の日本は、大ざっぱに言えば、近代主権国家列強の植民地収奪の戦いに参戦し、結局は敗れたわけでございます。敗戦は、ポツダム宣言の受諾を伴いました。周知のように、ポツダム宣言の受諾は、軍国主義的傾向の排除と真の民主主義的な政治体制の確立を伴ったわけでございます。

 これは、後に世界人権宣言、国際連合憲章として結実する、当時の連合国主導の思想潮流に沿うものであったこともまた歴史的な事実でございます。すなわち、戦争の否定あるいは回避という平和主義、基本的人権の尊重、国民主権・民主主義の原則が、第二次世界大戦という惨劇を経た近代主権国家の骨格として取り込まれなければならないということを意味していると考えております。

 第二次世界大戦後の日本が、仮に天皇の神格的な主権、神聖にして侵すべからざる天皇の主権に基づく政治体制にあって、かつ、国民の意思に基づかないそのような政治権力が独立の軍事統帥権を有する国家のままであったとするならば、そしてまた、基本的人権のほとんどが法律の留保のもとに制約されていたとするならば、二十世紀の後半五十年間あるいは五十五年間、国際社会において日本が認知され、行動することができたか否かという点を考えれば、明治国家回帰願望に源を持つ押しつけ憲法論あるいは自主憲法制定論の時代錯誤性というのは余りにも明らかであると私は考えております。

 二十世紀は、ナショナリズム、デモクラティズム、インダストリアリズムの時代でありました。人間の諸活動をより自由にし、これを保障する政治体制、このことによって貧困から脱却し、物質的豊かさをつくり上げたわけでございます。しかし、みずからの自由と豊かさの際限のない追求は、ともすれば他民族を抑圧し、同一民族内においても差別をつくり出し、暴力あるいは武力の行使をすら正当化して、戦争を巻き起こしたわけでございます。

 続きまして、二十一世紀の国の形として、私どもが考えなければならない点を申し上げたいと存じます。

 ヨーロッパの憲法調査で、EU統合が単なる経済統合ではなくて、いかに民族自決の原則に基づいて、細分化されたヨーロッパ主権国家間の戦争をなくするかという信念に裏づけられているということを確認しなければならないと思います。

 冷戦の崩壊後、より大きな潮流となった市場経済は、より自由な経済活動と利潤の拡大を求め、市場の単一化に向かっております。それに対応して、国家の主権は、徐々に主権国家を超えた国際機構への移譲をされざるを得ないわけであります。

 他方、個々人にとっては、生活の安定と生活を良質なものにするという欲求、加えて、生きがいや働きがいという充実感を求める動きとなってあらわれております。そのことは、自分の身近なところで、みずからが参画して公共的な意思決定をしたいということでございまして、これは分権化が促進されざるを得ないと考えております。

 日本においても、いわゆる先進国を取り巻く状況と無縁であるはずはありません。加えて、ITの出現はこの動向を加速させ、複雑化させているというふうに考えます。つまり、人、物、金、技術、情報、そして環境汚染や伝染病がいともたやすく速いスピードで国境を越えるという事態は、主権国家、すべて同一であるとは申しませんけれども、中央政府が絶対的な存在として国民の生命と財産を、そして諸権利を一元的に守るという建前が虚構となりつつあることを示しているのではないでしょうか。

 近代主権国家の持つ単一民族による中央集権的なやり方は、超国家的な国際機構への主権の移譲と地方への権限移譲を進めざるを得ない。しかし、国家が消滅するには至らないのであります。中央政府の役割の限定と、地方政府の役割の設定、地域市民社会における新しい公共の創出を考えるときが来ていると考えております。

 憲法は国の形、国家のありようを示す諸原則であり、基本法であると考えます。そして、国の形とは、人権の形であり、中央政府と地方政府の形であり、国際機構と日本という主権国の関係でございます。日本と日本人を取り巻く諸条件や環境の変化は、今の国の形で対応し得るか否かが真剣に論議されなければならないと思います。

 国の形の論議の方向性でございますが、一つは、国民主権制を豊富化するということが考えられなければならないと思います。

 第二番目には、法治主義の深化がいろいろな制度的な担保とともに考えられなければならないと思います。

 三つ目に、戦争の否定の上に立った安全保障が国の形として考えられなければならないと考えております。

 四つ目が、新しい人権あるいは国家の義務として、環境、生命倫理、あるいは知る権利、外国人の人権というふうなものが構想されなければならないのではないかと考えているところでございます。

 終わります。

中山会長 次に、太田昭宏君。

太田(昭)委員 まず第一に、昨年の一月から憲法調査会が始まりまして、中山会長、鹿野会長代理を初めとして、一貫して丁寧に論議が常にされてきたということについて、大変よかったと敬意を表したいと思っております。

 と申しますのは、我が党は論憲ということを掲げておりますが、この論憲ということの憲法的な問題だけでなくて、国会の運営ということを考えてみましても、今我が国で一番大事な国会論戦としてやるべきことは、二十一世紀の国のあり方をどうするかという骨太の論議であろうというふうに思っておりますが、なかなか、各委員会でなされるものは、法案の、目の前の問題の処理ということに明け暮れ、また、本来は、党首討論というのは骨太のそうした論議であるはずなんですが、それ以上に、この憲法調査会の中で骨太の論議が行われているということは大変すばらしいことであろうというふうに私は思っております。

 さらに、国会内のそうした論争だけでなく、この国のあり方の行方を探るということが、地方の公聴会とか、あるいはインターネットを使っての意見の糾合であるとか、さまざまな形で展開されてきたことは大変大きな意義があったというふうに思っておりまして、さらに国民的な議論を起こす主導のエンジン役として、この憲法調査会が機能していくことが大事なことだというふうに思っております。

 第二番目に、この憲法調査会の中で議論されてきましたことは、憲法制定過程、そしてまた二十一世紀日本の国のあり方はいかにあるべきかということであったと思います。私は、憲法制定過程も学んだことは大事であったと思いますし、しかし論議は、より一層未来志向の憲法論議でなくてはならない、このように思っております。

 憲法制定当時、日本の大きな理念の変換があったわけですが、例えばノートルダム女子大学の学長であります梶田先生が四つおっしゃっていますが、戦前は軍国主義であった、そして戦後理念の転換があって、軍国主義が平和主義になった、しかし現実にはその平和主義が一国平和主義に陥っているという現実から論議が展開されていかなくてはいけない。また、梶田先生は、軍国主義から平和主義へとともに、全体主義から個人主義へ、日本主義から国際主義へ、そして国家神道体制という、まあ一宗統制というようなことから社会の無宗教化へということが大きな特徴であったということを指摘されておりますが、私も全く同感でありまして、実は平和主義が一国平和主義になったというその地点から、憲法論的には九条の中身を問うという作業になるのではないかというふうに思います。

 また、個人主義が一たんはいいと思われていたのですが、現実には脆弱な私生活主義に陥っているという、そこの現状から物を論議しなくてはいけないというふうに思っておりますが、憲法論的には憲法第十三条、個人の尊厳というものがアプリオリに提起されているということの、その個人、インディビデュアルというものの意味が、実はヨーロッパ近代からの、人は生まれながらにして自由で平等であるというような、そうした観点からの個人、その個人という言葉の使い方の中に歴史や伝統や時間軸というものが非常に必要であるというふうに実は私自身思っております。その意味では、個人主義から脆弱な私生活主義に陥ったというそこのところの論議は、憲法論的には十三条の、一番憲法の骨格となっております個人というものが、一体どういう定義の中で制定されているかという論議は極めて大事なことだというふうに思っております。

 また、日本主義から国際主義ということはいいのですが、しかしナショナルアイデンティティーの欠如ということが今大きな課題になっているんだというふうに思っております。その意味で、前文と第一章の天皇、そして第一条の天皇と主権在民というあたりをもっと掘り下げた思想的な論議というものがこの憲法調査会では行われるべきであろうという考えを私は持っております。

 また、第四の国家神道体制から社会の無宗教化というものが、現実には社会の哲学不在というこれまた深刻な問題になっているというふうに思いまして、その意味では、教育とか信教の自由であるとかあるいは政教分離ということも含めた包括的な論議がされていかなくてはいけないというふうに思っております。

 未来志向の憲法論議というふうに申し上げましたが、私は、未来志向というのは、五十年、百年という長期にわたっては、私たちの頭脳ではなかなか難しかろうということで、二〇二〇年、二〇三〇年というようなことで、またそのときに考えればいいのではないかというふうに思っております。その意味では、二十一世紀の冒頭のこの社会がどういうふうに想定されるかというと、IT、ゲノム、環境、住民参加、私は、四つのマグマといいますか、四つのキーワードがあるように思いまして、その一つ一つについての論議もまた大事だというふうに思っておりまして、ここで科学技術についての論議とか宇宙についての論議が若干されましたけれども、さらにそれが大きく論戦として展開されていくことが必要じゃないかというふうに思っております。

 三番目に、日本の国のあり方とナショナルアイデンティティーということについては、私は、ナショナリズムということについて最近大変危惧をしている問題がございます。文化とか伝統とか共同体ということについての論議は当然大事なんですが、国のナショナルアイデンティティーという論議の中で、私は、二十一世紀の日本というのは、二十世紀の日本が、ある意味では奪い合う二十世紀から分かち合う共生の二十一世紀というようなスローガンがあるわけですが、この共同体というものについての議論、そして愛国心とナショナルアイデンティティーというものをもう少し掘り下げる必要があろうというふうに思っております。

 私は、最近の論議の中で、どうもナショナリズムというのは本来感情的なものだというふうに思っておりますが、しかし感情的なものとしても、その上でも理性的なナショナリズムと感情的なナショナリズムというものがあるような気がいたします。ほかの国に言われる筋合いはないなどという論議が現実に今いろいろな問題で起きていて、そんな声が高まっていることは大変私は問題だというふうに思いまして、まさにそれは私の言葉で言うと感情的なナショナリズムにすぎない。弱いからこそ強がりを言うということがありますけれども、日本はもっと思想的にも経済的にも強い国家をつくり上げなくてはいけないし、強い一人一人をつくり上げなくてはいけないというふうに思っております。

 二十世紀はネーションステーツということがさりげなく言われておりますが、ネーションとステーツという違うものがともに一体となって、そして殺りくを繰り返したというような悲劇が私はあったというふうに思っております。二十一世紀はどちらかというと、文明の衝突ということでハンチントンは言うわけでありますが、私は、ハンチントン流の文明の衝突というよりは文化の衝突の時代である、こういうふうに思っておりまして、ネーションという部分は、ナショナルアイデンティティーと通じることになろうかと思いますが、それはもう少し狭くなってくる。

 そして、二十一世紀の国家は、やはりステーツという部分の機能国家的なものがありながら、しかも精神的なものの中では地域とか共同体とか、むしろ愛国心、パトリ、郷土愛というような中で展開されていかなくてはいけないのではないかというふうに思っておりまして、地域の中での共生あるいは共同体意識というものを形づくっていく方が、私は、二十一世紀は文化の時代であって、ナショナルアイデンティティーとしての地方主権というような角度がますます必要であろうというふうに思っております。

 四番目に、その意味で、二十一世紀これからの憲法論議で必要なのは、そうした思想的論議というものをさらに深めて、国家のあり方というもののもう少し思想的な問題についての論究をするとともに、これから国民が参加をしていくことがさらに大事でありましょうから、国民憲法というもの、そしてまた環境とか人権という二十一世紀を志向しますと、国民憲法、環境憲法、そして人権憲法という方向での大きな論議が必要だというふうに思っております。

 以上でございます。

中山会長 次に、藤島正之君。

藤島委員 自由党の藤島正之でございます。

 私は、昨年九月に始まりました二十一世紀の日本のあるべき姿についての論議からこの憲法調査会に参加させていただきました。そこでは、各界で先頭に立って御活躍されている参考人の大変貴重な意見を伺うことができたと思います。中には議論のかみ合わない方もいらっしゃったわけですが、総体的に見ますと、今後の日本の進むべき道を模索する上で大きな役割を果たすことが十分期待される内容であったと思っております。

 さて、私ども自由党の基本的な態度といたしましては、昨年八月三日のこの調査会における我が党の塩田委員の発言にありますように、現行憲法を改正するという立場でございます。改正するというか、むしろ二十一世紀を担う新しい憲法をつくるというのが我々の基本的な立場でございます。

 そもそも、この調査会が設置された趣旨は、日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うためということでありました。その背景は、戦後五十年いろいろな意味で変化が起こっておるわけですが、特に冷戦の終えん、あるいは日本の東アジア地域における立場の変化、あるいは我が国が世界第二の経済大国にまで成長しましたが、その後、右肩上がりの経済が終息、終えんし、従来の経済社会システムでは対応し切れなくなってきていること、また、そういったことに応じまして国民の意識が大きく変化してきていることがあるものと思います。そうした国内外の環境の変化を見たときに、国家の基本法たる憲法自体も現実の変化への対応を迫られているのではないか、そのように私は考えておるわけでございます。

 このような視点に立ちますと、今後の憲法調査会の運営につきましては、昨年の自由討議のときに塩田委員からも提案がありましたけれども、憲法の条文と現実との乖離の問題を明らかにしていくべきだろうと思っております。

 これまで、二十一世紀の日本のあるべき姿について議論を積み重ねてきましたが、今後は、私は、各分野別にもう少し掘り下げて議論を進めていくべきではないか、こういうふうに考えております。今日、制定から五十余年を経た日本国憲法が想定していなかった重要な課題が山積しておるわけでございます。

 まず、基本的人権についてでありますが、近代的立憲主義思想に基づく自由権の発想は、常に国家権力対国民という構図がベースにありましたが、現代では、国家のみならず私人や私的団体からの人権侵害が深刻な問題となってきております。

 また、基本的人権は、国民に保障されるべきものであると同時に、国民が社会共同体の構成員として国家社会を維持し発展させるための公共財的性格を持つものであると思います。そういう位置づけをすることが必要になってきている、こういうふうに考えるわけであります。そのためには、人権制約の根拠とされてきた公共の福祉について深く議論し、その概念を明確にする必要があるというふうに考えております。

 さらに、情報公開制度や、あるいはマスメディアが発達した現在では、国民の知る権利やプライバシー権を精査し、憲法に明示することも必要ではないかというふうに考えております。

 また、外国人の人権保障とその限界についても、今後少子化が進む中で、我が国は外国人政策をどのように見据えてグローバル化時代に対応するかという、長期的な視野に立って検討しなければなりません。

 また、経済的自由権についても、官主導ではない自由で公正な市場の確保をうたうことも必要ではないかと思います。また、そのような自由で公正な社会のもとで国民が創造性を発揮するためには、だれもが安心できる税制や基礎的社会保障の制度を整備していくことが重要である、こういうふうに考えております。

 また、国民が良好な環境で生活することを保障する環境権を明確にするとともに、すべての国民が人類存続の基盤である地球環境の保全に全力を尽くす義務を負うことを定めた規定を設けるべきであるというふうにも考えております。

 次に、安全保障の問題でありますが、冷戦の時代には、日米安全保障条約のもと、米国がソ連という明確な敵対国から同盟国である日本の独立と安全を守ってくれておりまして、日本は米軍の駐留に依存しているところが大きく、またそれなりに機能してきたという面がありました。しかし、冷戦終結後は、核の拡散、テロの多発、地域紛争の激化など、より突発的で不確実な要素が大きい危機の状況が東アジアにおいても危惧されるようになりました。

 そのような中で、我が国が自国民の生命及び財産を守るには、自衛隊が明確に憲法上位置づけられ、内閣総理大臣の指揮権のもと迅速に活動ができるようにすることが必要であると思います。加えて、非常事態の制度を憲法に明記することも視野に入れるべきだと考えます。もちろん、自衛権の名のもとに、武力による威嚇またはその行使は一切認められないとする現行憲法九条の理念は継承すべきであると考えております。

 そして、日本が平和を維持し存続させていくためには、国際社会との真の協調を図らなければなりません。そのための外交努力に全力を尽くし、また、国連平和維持活動を初めとする国連の平和活動への参加、協力体制を整備することも必要であると考えます。

 次に、統治機構の問題です。我が国では、長らく行政国家現象と呼ばれる、行政が事実上国政を支配するという状況が続いてきました。しかし、我が国は議院内閣制を採用し、行政権たる内閣は、国会に対して責任を負っております。国会が実質的に国権の最高機関として機能するように、諸機関の抜本的な整備を行うべきであります。二院制をより意義のある形にしていくことも必要でありますし、情報技術の発展により容易となった国民投票等の直接民主制による補完によって議会制民主主義をより健全で強力なものとし、真の国民主権を確立することができると考えております。

 この点に関しまして、首相公選制の問題が小泉総理から提案されていますが、私ども自由党は、天皇制との関係とかいろいろな問題がありますし、あるいは議院内閣制でも同様な政治は実現しようと思えばできる、現に小泉内閣はかなりそういった面が実現されているようでありますが、そういう考えから、私どもは首相公選制はその必要がないというふうに考えておる次第であります。

 一方、行政権については、中央政府の役割は国家の維持と発展に必要かつ最小限のものとし、大胆な地方分権を進めることが必要であると考えます。

 司法権は、現行憲法の枠内にとらわれず、国民への司法サービスの飛躍的な充実を目指す抜本的改革が必要です。我々は、憲法裁判所を設置し、立法だけでなく、司法も憲法問題を正面から扱い、我が国のあるべき姿について活発な議論を提起することが変化に対応する力を高めるものと思います。

 この憲法との関係でいきますと、我々は改正手続をまず改正し、発議要件を各議院の過半数の要件に改める、これをまずやるべきではないかというふうに考えております。

 それから、さきの仙台市における地方公聴会で、このままでは憲法調査会は五年間の憲法放談会に終わってしまうのではないかという危惧を述べる方がおられましたけれども、まさにそういうことのないように私どもはやっていかなければならない、こういうふうに考えておる次第でございます。頭から憲法改正に反対だという意見もあるようでございますけれども、我々は、そういう意見には賛同できないというふうに考えております。

 以上、憲法調査会のあり方について意見を述べさせていただきましたが、国民をこの憲法議論の中に取り込んでいくということがこれから非常に重要なことではないかと思っておりまして、この国民のエネルギーこそが我が国にとっていろいろな意味で必要なものだというふうに考えております。

 以上で私の意見を終わります。

中山会長 次に、春名直章君。

春名委員 日本共産党の春名直章でございます。

 憲法調査会が発足して一年半が過ぎました。この間、二十一世紀の日本のあるべき姿をテーマにした参考人質疑と、仙台市と神戸市での地方公聴会が開催されました。その中で何が明らかになり、何を今後の本調査会の調査に生かすべきか、このことを中心に発言したいと思います。

 改めて申し上げますが、本調査会は、日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うことを目的としたものです。改憲のための調査機関ではありません。にもかかわらず、これまでの議論では、論憲だけに終わるのではなく、憲法改正の素案づくりまでこの調査会でやるべきなどの発言が繰り返し行われ、参考人への質疑もこうした立場で行っておられる同僚委員もいらっしゃいます。

 しかし、この間の仙台市と神戸市の二回の地方公聴会で感じたことは、地方公聴会に出てこられた意見陳述人や傍聴者の多くの方々が、憲法をどう変えたらいいかではなくて、憲法の理念を現実の社会にどう生かしていくのか、このことを各人が模索し、苦労しながら実践されているということではなかったでしょうか。つまり、改憲志向と地方、国民の側の憲法意識には大きな乖離があるということが明らかになったと思います。

 例えば、議論の焦点とされている憲法第九条についても、本調査会では少なくない委員の方々が九条の明文改憲を主張し、また、今日では、小泉総理も集団的自衛権の行使についての研究を提起しておられます。

 しかし、仙台公聴会では、九条は今後ますます輝きを増してくる性質のものとの志村憲助東北大学名誉教授の意見。九条というのは教師の夢とロマンを語っていく、あすの日本の若者を育てるにはとても大切な条文という濱田武人弘前学院聖愛高校教諭の意見。それから、日本国憲法が一番すぐれているのは九条。基本的人権、自由、民主主義、社会権、生存権が見事に一体的なユニットをなして構成されているところが日本国憲法のすぐれたところとの小田中聰樹東北大学名誉教授の意見など、九条への思いとその先駆的な内容についてこもごも語られました。

 さらに、神戸公聴会では、貝原俊民兵庫県知事の平和の技術の開発による国際貢献、浦部法穂神戸大学副学長の国家の安全保障から人間の安全保障への転換など、憲法の恒久平和主義に根差した積極的な提案がなされたのであります。

 ことし五月二日付、朝日新聞世論調査でも、七四%の国民が憲法第九条は変えない方がよいと明確に答えております。本調査会での議論と国民意識との間に大きなギャップがあることを指摘せざるを得ません。

 首相公選制についても、本調査会でたびたび論点の一つに取り上げられてまいりました。

 仙台公聴会では、手島典男仙台経済同友会代表幹事が、議院内閣制においても立派な首相は選ばれる、憲法を変えてまで公選制に踏み切る必要があるのか疑問と述べられました。神戸公聴会でも、三人の自治体首長が、分権というものがはっきりしていないということでは公選制について少し早過ぎるのではないかと述べるなど、いずれも、首相公選制を論点に憲法論議を行うよりも、憲法理念に沿った地方分権の充実など、もっとやるべきことがあるはずという趣旨の意見が述べられたのであります。

 国民の権利についても、本調査会では、知る権利、環境権などの新しい人権を加えることを改憲の論点の一つとして取り上げられることがあります。地方公聴会では、憲法にうたわなくても情報公開が不可能でないことは既に実証されているとの鹿野文永鹿島台町長の発言など、憲法の豊かな人権規定の中にこれら新しい人権も内包されているということが語られてまいりました。

 むしろ、本調査会が今日注目しなければならないのは、去る五月の十一日、国の強制隔離政策は憲法違反と断罪したハンセン病の熊本判決であります。この判決は、強制隔離政策は、住居移転の自由を包括的に制限し、奴隷的拘束などの禁止を定めた憲法十八条よりも広い意味での人身の自由や、さらにはより広く憲法十三条に根拠を持つ人格権そのものに対する侵害であると判示しているのであります。そして、こうした人権侵害の隔離政策の継続を許してきた国会の立法不作為責任をも厳しく問うたのであります。

 先日、国会は全会一致で謝罪決議を行いました。その国会に設置された憲法調査会として、今、日本国憲法のもとでの人権状況を調査することが何よりも強く求められていると考えます。生存権、労働基本権、財産権、教育権などの基本的人権がどうなっているのか、どういう状況に置かれているのか、憲法の視点からの現行の法制度あるいは運用の実態などを徹底して洗い直すことが本調査会に課せられた使命であります。

 このことは神戸での地方公聴会でも多くの意見陳述者から提起されたことでもあります。神戸では、憲法二十五条の生存権規定からも、さらに十三条の個人の尊重という憲法の基底的な原理からも、当然要請されていた被災者に対する公的支援が実現されてこなかったことの問題が語られました。神戸で公聴会を開催したことが意義あるものになるためにも、公的支援の実現を阻害している要因についてぜひ本調査会で明らかにすべきだと思います。

 長引く不況とリストラ、最悪の失業、連続する社会保障制度の改悪など、私たちは憲法の生存権を踏みにじるものだと批判してまいりました。国民の生きる権利そして国の責務は、憲法二十五条に照らしてどういう状況にあるのか、これが今調査の対象だと思います。読売新聞、四月五日付世論調査では、生存権が守られていないと実感している国民が、二十三年前の同調査の二四%から三六%へと急増しており、守られているの一六%を大きく上回ったことを報道しております。生存権を初めとした国民の権利の実態調査を本調査会で本格的に行うべきだと私は思います。

 今、本調査会に関心を寄せている国民からは、本調査会がまるで憲法改正のために調査を行っているかのようなその様子に憂慮する意見が出され、地方公聴会開催に当たっても、国民の意見を十分聞く機会もない公聴会は形式的で、改憲のための道筋をつけるために開催しているのではないかとする厳しい批判の意見が少なくなく寄せられております。

 そして、憲法調査会は、本来憲法改正を目的とする機関ではなく、憲法調査というのであれば、憲法の基本である平和主義、基本的人権の保障、民主主義などが現実の社会で実現されているのか否か、現実の社会では憲法の理念が十分に生かされていない実態やその原因を調査すべきであるとの意見も寄せられております。

 中山会長も日ごろから、憲法は国民のためにあると述べておられます。今こそこうした国民の意見に真摯に耳を傾け、国民の目線に立って調査会の調査のあり方や内容を見直していくことが必要であると強く痛感をするものであります。

 このことを主張いたしまして、私の発言といたします。ありがとうございました。

中山会長 次に、東門美津子君。

東門委員 社会民主党の東門美津子でございます。

 私は、沖縄と憲法について述べたいと思います。

 ことしもまた、沖縄が過ぎし戦争を思い、未来永劫の平和を祈念する季節になりました。四月から六月にかけてのこの三カ月間、県民にとって恐怖の記憶と鎮魂の祈り、そしてさらにやりきれない怒りと不安、焦燥感が複雑に交錯する季節です。何とかして、我々自身が不運だった歴史、負の遺産を克服して、後世に平和な世界を残さなくてはならないと決意を新たにする季節でもあります。

 一九四五年四月一日は、三月末の慶良間列島の悲惨な集団自決を経て米軍が沖縄本島に上陸した日です。その日から鉄の暴風が吹き荒れ、三カ月後の六月二十三日は、沖縄の終戦記念日で沖縄慰霊の日。一九五二年四月二十八日は、戦争の結果、沖縄を長期にアメリカの施政権下に置くことになったサンフランシスコ平和条約発効の日です。それから二十年後の一九七二年五月十五日、日本に復帰した記念日はことしで二十九回目になりました。その間に、五月三日の憲法記念日があります。これは七二年の復帰後の施行ですから、記念日は一九七三年が第一回のはずですが、実際には憲法が高ねの花であった一九六五年に、日本国憲法の施行を記念し沖縄への適用を期すると、当時の立法機関、立法院で全会一致で決議して住民の祝日とした歴史があります。ですから、ことしは二十九回目ではなく、三十七回目の記念日になります。つまり、沖縄にとって憲法は、県民総意でみずから積極的に選んだものなのです。

 戦後五十六年がたちました。この間、沖縄は、国策によって分断され、自由を奪われ、犠牲を強要されながら、それと闘い続けた五十六年であり、今なお闘い続けています。太平洋戦争敗北から占領の七年、サンフランシスコ講和条約によって北緯二十九度線で日本から分断され、天皇メッセージによって米軍直接支配にゆだねられた二十年、そして、人々の反戦復帰の願いもむなしく、今なお米国の世界戦略基地であり、そして人々の生きる権利が侵害され続けている施政権返還後の二十九年です。

 数えてみれば、占領、軍事支配の二十七年よりも、返還後、復帰後の方が二年ほど長くなりましたが、人々の暮らしはどうでしょうか。温暖な気候の沖縄では、街路樹のデイゴ、フクギ、ヤシの木など、しっかり手をかけて植えつければ、およそ二年で活着し、日陰をつくり、花を咲かせ、心を和ませてくれます。適用から二十九年たった憲法はどうでしょうか。平和主義、基本的人権の尊重、そして地方自治は、沖縄の人々の暮らしに根づき、そして心のよりどころとなっているでしょうか。

 ここで、米施政権下での平和的生存権を検証してみたいと思います。

 壮絶な地上戦が行われた沖縄には、敗戦後もそのまま占領軍が居座り、朝鮮戦争を契機に、次々と新たな基地建設が図られ、布令百九号、土地収用令を公布し、抵抗する住民に銃剣を突きつけ、家屋をブルドーザーでひきつぶすという強硬手段で軍用地を接収していきました。抵抗した住民と完全武装した米軍との間で流血の騒ぎが繰り返されました。

 一九六五年、アメリカのベトナム戦争への本格的介入に呼応して、沖縄基地はますます拡大されていきました。米国の核戦略基地として、毒ガスが持ち込まれ、B52爆撃機が飛来し、連日、ベトナム爆撃が繰り返され、太平洋戦争で大変な被害を受けた沖縄が、今度はベトナムの人々への加害の島と化していきました。

 朝鮮戦争、ベトナム戦争、その他アメリカが行う世界戦略で、沖縄基地は常に太平洋のかなめ石として位置づけられ、兵たん補給基地、発進作戦基地、輸送、通信の中継基地、訓練基地など、不沈空母沖縄として機能しました。

 土地取り上げ反対、ベトナム戦争反対闘争とともに、人間らしく生活したい、平和な島を取り戻したいという熱い反戦平和の願望は、やがて祖国復帰運動へと集約されていきました。それは、主権在民、平和主義、基本的人権を高らかに掲げた再生日本への復帰であり、その当時人々が掲げた日の丸の小旗は、そのシンボルでした。

 一九七二年五月十五日、沖縄の施政権は日本に返還されましたが、その内実は、県民の期待を裏切るもので、日米政府の返還協定に見られるとおり、米国主導による、人々の悲願を逆手にとった、米軍基地の恒久的な強化案でした。返還までの二十七年間、米国の世界戦略の展開と深くかかわる基地周辺の住民は、前線へ向かう荒れすさんだ米兵によるおびただしい事件、事故、凶悪犯罪と人権侵害に苦しめられ、環境汚染に泣かされました。七二年の日本復帰は、平和憲法のもとへの復帰であり、沖縄にとって、名実ともに一大転機となるはずのものでした。復帰に際し、県民が切実に求めたのは、少なくとも本土並みの基地の縮小であり、人権の回復、自治の確立でありました。

 しかしながら、復帰後二十九年たった現在も、沖縄の状況はほとんど変わっていません。依然として、広大かつ過密な基地は存在し、基地に起因する事件、事故や基地公害も絶えることなく発生しています。米兵による殺人、放火、女性や子供に対する性暴力、航空機騒音、実弾射撃演習による環境破壊、有害物質による水質、土壌汚染等、危険と隣り合わせの生活を県民は余儀なくされています。これは、県民が望んだ日本復帰とはほど遠いものです。

 在日米軍地位協定第二条は、安保条約に基づき、日本国内のどこにでも基地を置くことが許される、全土基地方式と言われています。ですから、なぜ沖縄だけが過重な負担を背負わなければならないのか、理解に苦しむのです。安保条約が日本にとって重要だというのであれば、その責任と負担は全国民で引き受けるべきではないかと思っています。そうでなければ、それは差別であり、法のもとの平等に反するのではないかと沖縄県民は主張しているのです。

 復帰に際し、国会では、速やかに基地の整理縮小を行う趣旨の決議が採択されましたが、それはほとんど実現しませんでした。沖縄に基地があるというより、基地の中に沖縄があると、ある著名なアメリカ人記者をして言わしめたように、沖縄の軍事基地は過密をきわめています。

 沖縄の面積は国土面積の〇・六%にすぎませんが、在日米軍の専用施設の約七五%がこの狭い県土に集中しています。米軍基地は、県土総面積の約一一%、沖縄本島の約二〇%を占めていますが、とりわけ、基地施設は日本でも有数な人口稠密地域である沖縄本島中南部に集中しています。その上、地位協定によって、二十九カ所の水域と十五カ所の空域も米軍の管理下に置かれています。その結果、陸地だけでなく海も空も自由に使えず、これでも主権国家と言えるのだろうかと県民は疑問を抱いています。

 一体、いつから日本は、主権在民と民主主義、平和主義を放棄し、米国に追随し、国民を締めつける道をたどり始めたのでしょうか。沖縄の人々が追い求め、探し求めた祖国、再生日本はこんなものではなく、世界に向かって高らかに積極的平和主義を誓った、誇りと気品のある社会だったのです。

 日米安保条約を締結した自民党政権の外交政策は、アメリカの核の傘意識がありました。その前提には、もし敵国が撃ってきたら撃ち返す、目には目を、力には力でという武力によるバランス意識が根底にありますが、日本は、敗戦ですべてが灰じんに帰した時点で、二度と武力行使はしないと世界に誓ったのです。軍事バランス論が際限のない軍備拡張を招くことは、東西冷戦時代の米ソの軍拡競争が既に実証しています。

 世界で初めて原子爆弾の被害を受けた日本、中国、朝鮮を初めアジア諸国を侵略し、多くの犠牲者を出し、その経験を踏まえて戦争放棄を誓った日本がアジアや世界の人々から信頼される唯一の道は、たとえ正義の戦争と米国が判断しようとも、他国と同じように武器をとって殺し合うことではなく、徹底して非戦、不戦に徹することではないでしょうか。そして、同じ思いの非戦、不戦国家を一つでも二つでもふやしていく努力を、日ごろから交流でつくり出す努力が大切ではないでしょうか。

 今、憲法調査会でなすべきことは、憲法を改定するための議論ではなく、世界に誇る規範を持つ憲法がありながら、なぜいまだに差別がなくならないのか、なぜ人権が脅かされ、安心して平和に暮らすことができないのか、憲法が暮らしの中に生き生きと輝いていないのはなぜなのかを検証するための真剣な調査が行われるべきだと私は思います。

中山会長 次に、松浪健四郎君。

松浪委員 保守党の松浪健四郎でございます。

 私は、基本的人権について述べさせていただきたいと思います。

 一九四八年に制定された世界人権宣言は、次のような文章で始まっています。「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」、こうあるわけであります。そして、日本国憲法は、第十一条で基本的人権の原則規定を設けておりますし、九十七条では、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、」「過去幾多の試錬に堪へ、」云々とあります。

 私は、この基本的人権の問題、これは極めて大切な問題である、こういうふうに認識するものでありますけれども、きょう新聞を開いてみますと、このような記事がありました。田中眞紀子外相は、「国会での質疑の際の報道各社のカメラ取材を規制するよう、代理人である弁護士を通じ衆参両院事務総長らに文書で要請した。」これは個人的な一挙一動がねらいで、追っかけ取材は人権侵害に当たる、こういう抗議である、このように思います。そしてまた、きょうの新聞広告に大きく、「野放しだった「凶暴男」を「人権のカベ」で無罪放免するのか」、このように報道されておりました。

 このような、毎日のように新聞に人権の問題が報じられておりますし、また、せんだっては、ハンセン病患者、元患者らに対する熊本地裁の判決、これは明らかに人権侵害についてのものであった、こういうふうに認識いたしますし、北海道のあるふろ屋さんでは、外国人お断りというポスターを張って外国人を締め出すというふうなことも大きな問題になったのは、皆さん御案内のとおりであります。

 そしてまた、大きなニュースとして報じられたことに、ネパールの王室でのあの問題がありました。あの問題は、報じられるところによりますと、王子のフィアンセがカーストの低い女性であったがために結婚の反対をされてあの事件を生んだ、こういうふうに報じられております。ヒンズー教徒のカーストの問題、これは私たちはどうすることもできませんけれども、今もヒンズー教徒の中に大きく横たわっている問題であるのは事実であります。

 そして、一九七八年にアフガニスタンで革命が起こりました。以来、紛争は今も、ずっと二十数年間続いてまいりました。最初はイデオロギー対立のように映りました紛争でありましたけれども、今日の紛争は、やはり民族対立の様相を呈しております。しかし、よく見ますと、その民族も、ヒンズー教徒のようなカーストではありませんけれども、歴然とした差別があります。

 このような差別が今もあって、そして不幸にも大きな紛争を生み、国連もどうすることもできない状況にある。このことを大変残念に思いますけれども、世界の人々はこの紛争の問題も何ら手をつけることができないでいる。これだけ基本的人権、世界の人々が理解しているにもかかわらず、どうしようもない。また、他人事である、こういうふうにとらえている一面もあるような気がしてなりません。私たちが幾ら人権運動をやっても、また国連がそのことを唱えても世界に徹底することができない、このことを大変残念に思うものであります。

 そして、昨日の夕刊によりますれば、オウム真理教は、団体規制法は違憲であるということで、きのう初めて司法の判断が出されました。そして、団体規制法の限定運用も指摘されたところでありますけれども、これも基本的人権の問題、そして、憲法第二十条の信教の自由、これらの問題をもはらんでおります。私たちは、いろいろな法律の中において、基本的人権の問題をもっと真摯に考えていかなければならないということを毎日のように教えられているわけであります。

 そして昨日、文部科学委員会では、学校教育法の一部を改正する法律案など教育三法が通過いたしました。ここで問題になりましたのは、社会奉仕体験活動、自然体験活動、これらは極めて強制的であって、国連の子ども権利条約に違反するし、子供の人権を無視するものであるという意見が一部の議員から提案されました。これが本当に人権無視になるんだろうか、それとも高い教育効果をねらった法改正であるのか、議論が沸騰いたしましたけれども、いずれにいたしましても、私たちは人権というものを無視することができないでいるわけであります。

 昨年の暮れに、人権教育・人権啓発を推進する法律が成立いたしました。私もこの法律の提案者でありました。これは、いまだに人権教育、人権啓発が十分ではなくて、全国的に差別が横たわっておる、いろいろな差別がある、身体障害者に対しての差別、またエイズの人々に対する差別、そして部落の出身者に対する差別等いろいろな問題があるがゆえに立法的措置を講じなければならないという視点で、この人権教育・人権啓発を推進する法律が生まれたところであります。

 そしてまた、この前は、人権擁護推進審議会は、仮称人権委員会というものをつくるべきだという答申を出されました。これは憲法第十四条と深くかかわるものでありますけれども、これも、差別を受けた人たちをどのような形で救済していかなければならないかという大きな問題を抱え、それに対応しようとする委員会であります。強い調査権を持つ委員会にし、政府から独立したものにしようとする考え方が横たわっております。これも、基本的人権の問題が我が国にあっては十分国民の中に理解されていない、そういう発想のもとで設けられるんだ、私はこのように思います。

 そして、部落解放同盟の人たちは、ずっと部落解放基本法の制定を強く望んでおります。この人たちの言い分は、いまだに自分たちは差別をされている、大変つらい思いをしておる、憲法第十一条が生かされていない、第十四条が生かされていないという強い思いであります。もちろん、これらの考え方を補完する意味で、また補遺するためにたくさんの法律がつくられてまいりました。しかし、本当に十分であるのか、このことを我々国民はもっともっと真剣に考えていかなければならない問題だ、こういうふうに思います。

 当調査会にありましては、この基本的人権の問題について、さらに深く調査を進めていく必要がある、このように強く思うものであります。

 そして、もう一つの大きな問題は、公の問題と個の問題であろう、こういうふうに思っております。これらの問題についても、本調査会ではさらなる調査を進めていく必要がある、このように認識するものであります。

 いずれにいたしましても、この調査会の果たしてきた役割、今までの役割は大きなものがあったということと、それを運営されてまいりました会長に敬意を表して、私の報告とさせていただきます。ありがとうございました。

中山会長 次に、近藤基彦君。

近藤(基)委員 21世紀クラブの近藤基彦でございます。

 私は、この調査会に、委員に入れていただきましてからちょうど一年になります。その間、幹事会にも参加をさせていただいており、中山会長、鹿野会長代理、葉梨筆頭を初めとする皆様方の大変公平で公正な会の運営を心より感謝を申し上げるものでありますし、また、今後とも同様の会の運営に期待を申し上げておりますので、よろしくお願いを申し上げたいと思います。

 さて、私どもの21世紀クラブというのは大変人数の少ない会派ではありますが、憲法の話になるとやはりそれぞれの思いがあるようであり、改憲から護憲まで、それぞれの考え方を持っていらっしゃる先生方がいらっしゃるということで、毎回熱心な議論となっております。

 ただ、一点に関してだけは意見が一致をする点があります。それは、この憲法が非常に読みにくくてわかりにくいということであります。最高法規でありますから、尊厳のある言葉で書いてあるべきだということはよくわかるのでありますけれども、内容や解釈を変えずに、もう少しだれにでもわかる言葉で書いてある副読本的なものがあれば、子供たちから大人までもっと現憲法に興味を持ち、そして理解を深めていただけるんではないかと思うものであります。

 そんなことを話している折に、本屋さんでこんな本を見つけました。もう皆さん方もごらんになった方もたくさんいらっしゃると思いますけれども、「あたらしい憲法のはなし」という本であります。これは、一九四七年、昭和二十二年の八月に文部省が発行いたしました、中学一年生用の社会科の教科書を復刊したものであります。ただ、これは一九五二年、昭和二十七年の三月までのたった数年間だけ使用されたものであります。これを読んでいただけばわかるんですが、この本の一部には、やはり現在の解釈と若干異なる表現や、現在では若干不適当と思われる部分もあるのですけれども、終戦直後に書かれたものであり、何とか子供たちにも新しい憲法を理解してもらおうという当時の熱意が感じられる内容になっているものと思います。

 少しだけ御紹介をさせていただきますと、この本は十五の節に分かれております。現憲法は補則まで入れると十一章でありますが、それに沿って書いてあるというわけでは決してありません。「一 憲法」「二 民主主義とは」「三 国際平和主義」「四 主権在民主義」「五 天皇陛下」「六 戦争の放棄」「七 基本的人権」「八 国会」「九 政党」「十 内閣」「十一 司法」「十二 財政」「十三 地方自治」「十四 改正」そして「十五 最高法規」という、この項目でそれぞれを易しく説明しているというものであります。

 最初の、「一 憲法」という節の出だしをちょっと読んでみます。

  みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本国民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかかわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。

  国の仕事は、一日も休むことはできません。また、国を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろいろ規則がいるのです。この規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法です。

  国をどういうふうに治め、国の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本になっている規則が憲法です。

という書き出しから始まって、各項目をいろいろ易しく紹介しているという本であります。

 私がこの本の話を申し上げたのは、現憲法を改正するあるいは改正をしない、この論議の大前提には、国民にもっともっと現憲法を理解し、そしてその論議に参加をしてもらわなければならないと感じているからであります。

 ですから、今国会から始めた地方公聴会も、やり方の改善はあるにしても、できるだけ多くの場所に出かけていって、我々がもちろん国民の生の声を聞くこと、これは一番大事なことでもありますが、もう一方で、逆に、国民にもっと憲法に興味を持ってもらい、大いに理解をしていただき、大いに議論をしていただく一助になるのではないかと思っております。ですから、これからも、地方公聴会ばかりでなくいろいろな場面で国民の憲法への興味を引く努力をし、理解を深めていくようにするのもこの憲法調査会の、ある意味では一つの目的だと思っております。

 それから、今後の憲法調査会の進め方でありますが、前国会から、二十一世紀の日本のあるべき姿というテーマでいろいろな参考人の方々から意見をお聞きし、大変勉強になっております。ただ、整理をすると、まだお聞きしたいテーマがかなり残されていると感じております。例えば環境問題、教育問題、安全保障問題などなどありますが、私の個人的な意見では、もう少しそういった問題の専門の方々の意見をじっくりお聞きをし、我々も勉強し、また広く国民の皆様にもそういった議論を周知し、また地方公聴会等でそういった国民の皆様方の声をお聞きし、しばらくこれをもう少し深く掘り下げて続けていっていただきたいというのが私どもの意見であります。この点では御配慮のほどをよろしくお願い申し上げて、私どもの会派の意見といたしたいと思います。

 ありがとうございました。

中山会長 これにて各会派一名ずつの御発言は終了いたしました。

    ―――――――――――――

中山会長 これより委員各位による自由な討議に入りたいと存じます。

 一回の発言は原則五分以内におまとめいただきますようお願いいたします。

 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをこのように立てていただき、御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。

 なお、議事整理のため、御発言は、会長の指名に基づいて、所属会派と氏名を述べられてからお願いをいたします。

 それでは、津島雄二君。

津島委員 自由民主党の津島雄二でございます。

 発言の機会を与えていただきまして、ありがとうございました。この機会に、私は、一九四九年、私が法律学徒として勉強を始めたとき、それから五一年の司法試験を受けたとき、それまでの二年間のことを思い起こしておるわけであります。

 御案内のとおり、新憲法は一九四六年の十一月に公布をされましたが、当時はまだ、新憲法の解釈と意味合い、特に旧憲法との関係、形式的には連続しているが実質的には断絶がある、それをどう考えるかというような議論が集中をしておりました。それが、今日では、既にそのような成立過程の問題はほとんど議論される必要もなく、また、いわゆる憲法の理念というようなことも当然のように言われるようにまでなってまいりました。

 また、基本的人権は侵すことのできない永久の権利であるということも国民全体で自然に受けとめられるようになったわけであります。すなわち、成文となった憲法以前に成立した人間の固有の権利と、これに基づく人間同士、そして人間と国家社会のかかわりについての基本的規範というものがあるんだということが今の憲法の基礎にあると言えるわけでございます。

 これは御承知のとおり、イギリスでいえばコモンローの世界でございますけれども、実は、イギリスのコモンローの歴史をひもといて見ますと、びっくりするような話がいっぱいございますね。例えば、十九世紀の初め、一八一八年に、ある重大事件の訴訟の中で、被告側がいわゆる神裁裁判の手続を要請した。つまり、神が裁く。どうやって裁くかというと、実は、事実上の決闘をやることなんです。その決闘で勝った方が正しいというのは、神様はおのずからお決めになるというのがイギリスのコモンローの昔に判例としてありまして、それを覆すことを裁判所はできなかった。そこで、議会が急遽立法によって神裁裁判の手続を消去したわけであります。

 ここに示されるように、今私どもは不滅の法典というものがあると思っていたらこれは間違いであって、非常に厳しい努力の上に積み重ねられてきたということを忘れてはならないわけであります。

 そういう立場から申しますと、今の日本の憲法でも、例えば二十五条の生存権というものが書かれている中で、日本の現況に本当に合っているかどうか、一例ではございますけれども、私どもは議論をしてみなければいけない。例えば、今の社会保障というものが、個人と国の間の関係だけで成り立っているのではなくて、社会を構成する人々の間の共助、助け合いによって支えられているとすれば、この二十五条の規定の中に全くその要素がないというのは、果たしてこの生存権の規定を今後生かしていくのにふさわしいかどうか、一つの問題点として御指摘を申し上げたいわけであります。

 いずれにしても、私たちは憲法が死なないような努力を日々やっていかなければならないということをお訴えいたしまして、私の話を終えさせていただきます。

中山会長 次に、中川正春君。

中川(正)委員 民主党の中川正春でございます。

 この一年余り、憲法調査会に席を置いて、憲法を論じるという機会を与えていただきました。日常の政治活動の中に憲法がいかに反映されなければならないか、あるいは、我々、おのずと憲法の原点に戻っていってこの国の形を考えていくということ、これがいかに大切かということを改めてこの一年の議論の中で私自身もかみしめているところであります。

 また一方で、今、国の情勢、特に国会、それから内閣、あるいは司法、裁判所の問われているところ、新しい時代変革のさなかで、一つの統治能力、ガバナビリティーというのですか、そうしたものが欠如をしておる。立ち往生しながら、どこへ行こうかということで今迷い続けている、そんな状況がこの日本の現状の中に浮かび上がってくるんではないだろうかというふうに思うわけであります。

 そうした意味から、憲法をてこにしながら、このガバナビリティーをもう一度私たちの手にしっかりとよみがえらせる、新しい国のエネルギーとしてそこに集中をしていく、このことが私たち政治家にとって改めて大切なことなのではないかということを思っております。

 その上に立って、具体的な問題、特にこの調査会、正直、私の気持ちから言えば、現状の形で五年間推移をしていくんではなくて、もっとダイナミックに、そうした意味ではこのガバナビリティーにもっとエネルギーを注入できるような役割というか、そういうものを模索していく必要もあるんではないだろうか、そんな素直な気持ちも表明をさせていただきたいというふうに思います。

 そうした中で、具体的に例をとってお話をさせていただきますと、例えば、財政再建という問題が日本で今本当に大きな課題となっておりますが、アメリカでは、一九九七年、オーリン・ハッチ上院議員によって、第百五回連邦議会に財政の均衡を図るための憲法改正案が出されております。財政赤字を解消するために、各院の総議員の五分の三以上により賛成されない限り当該会計年度において支出が収入を上回ってはならない、そういう内容でありますが、実は二度出されまして、必要な三分の一に一票差で廃案となっております。しかし、これが出されたということで、クリントン政権の中でその次の手だてというのが起き上がってきまして、ダイナミックに財政再建に向けた考え方が整理をされました。

 これは一つの例でありますが、日本では、ブッシュ政権にかわってから、また外交課題の中で、この間から話に出ておりますTMDやNMDに対してどういうスタンスをとっていくか、日本の一つの生きざまがここで問われるような国際環境でもこれあり、あるいはまた社会的には、時代の急激な変化から社会的なドロップアウトを生み出して、家庭の崩壊や人間疎外などの社会現象によって多発している病的犯罪や子供たちの無規範な社会行動、こうしたものが、どうするのかということで、私たちに差し迫った課題として出てきております。

 こうした現実的な課題が、私自身が考えなければならない大きな問題として目の前にあるだけに、もっと言えば、憲法改正の発議権というのはこの国会にありまして、憲法第九十六条、国会議員しかこの発議はできないということでもあります。そんなことを考えていけばいくほど、私たちのこの議論というのも、ただこうした形、勉強会で終わるだけじゃなくて、この調査会も含めて、あるいはまたほかのいろいろな組織も含めて、さらに活発な、具体的な憲法議論というものに進めていきいたい、そのことを改めて表明させていただくところでございます。

 以上です。

中山会長 次に、上田勇君。

上田(勇)委員 公明党の上田でございます。

 私は、本年の一月からこの憲法調査会に所属をさせていただきまして、これまで非常に幅の広い分野の有識者の方々から意見を聴取し、いずれも貴重な御意見であったというふうに考えております。そうした御意見を総括してみますと、今の憲法と、それに基づいて形成されてきました今日の日本の社会に対する評価というのは、部分的にはさまざまな意見があるものの、おおむね評価するというものが多かったんではないかというふうに考えております。

 しかし一方で、憲法制定時から、我が国を取り巻く国際環境や国内の情勢も劇的な変化をしてきているのも事実であります。その代表的な問題は、国際的な環境についていえば、東西冷戦構造が崩壊をしたということと、我が国が経済力を背景として、国際社会における地位、影響力が格段に増大したということではないかというふうに思います。国内の情勢を考えてみますと、かつて私たちが経験したことのない少子高齢社会が進行しているということ、それから、従来の物質的な豊かさを至上とする価値観から、極めて多様な価値観、ライフスタイルの社会になってきているということが挙げられるのではないかというふうに思っております。

 私は、私たちが今議論をしている二十一世紀の日本の憲法のあり方というのは、そういう意味で、今の憲法の考え方、理念を基礎として、こうした環境の変化にいかに対応していくものにしていくかということがこれから必要であろうというふうに考えております。

 これからこの調査会での論議の方向性について私なりの若干の考え方を御提案させていただきたいと思いますが、これまで包括的にこの国のあるべき姿という議論をしてまいりました。それはいずれも、冒頭申し上げましたように貴重な御意見であり、評価できるものではありますが、こうしたこれまでの議論を踏まえまして、今後は関心の高いテーマごとに焦点を当てて、もっと具体性のある、より深みのある議論を行ってはどうかというふうに考えております。

 いろいろな御意見があろうかと思いますが、私が、当面論議する必要性の高い、また早く議論を深めるべきであると考えている課題は、一つには、日本国憲法の最大の特徴であります第九条の平和主義の考え方であります。

 この平和主義の理念、私は、非常に貴重なものであり、守っていかなければいけないというふうに考えておりますけれども、今の国際社会の中において、我が国に対する期待、我が国がもっと積極的な役割を果たしていくことに対する期待は年々高まっており、それにいかにしてこたえていくかということが今大きな課題になっているのではないかというふうに思います。その代表的な例が、例えば国連のPKO活動への参加についてどこまで考えるかというようなことをもっと議論し、それに伴う憲法のあり方も考えていかなければいけないというふうに考えております。

 二つ目には、現憲法でも国民主権がうたわれているわけでありますけれども、これをいかに実質的にもっと深めていくのか、あるいは現代に合ったような形でどれだけ展開できるかということではないかというふうに思っております。

 その論点には、最近話題になっております首相公選制の是非の問題、二院制のあり方を含む国会の機能の問題、あるいは住民投票等直接民主主義のあり方なども議論すべきだろうというふうに思っております。

 三つ目には、立法、行政、司法の三権のあり方、これも改めて見直す必要があろうかというふうに思っております。特に、非常に強大化している行政権をどういうふうに位置づけていくのか、そして、それにかわる司法の機能拡充といったことも大きなテーマとしてこれから論議をしていただければというふうに考えているところでございます。

 以上です。

    〔会長退席、鹿野会長代理着席〕

鹿野会長代理 谷川和穗君。

谷川委員 発言の機会を与えていただきまして、ありがとうございます。

 京都から大阪湾へ向かって流れる淀川に沿って、秀吉がつくった京街道が走っておりますが、伏見、淀、枚方に続いて守口、その守口のすぐわきに門真市がございます。この門真市一番町に、幣原喜重郎とそのお兄様の坦博士のお生まれになった土地に公園がございまして、終戦後、対馬が日本領に帰属したのは坦博士の研究によるものですという記念碑が建っております。さらに、吉田茂首相の「幣原坦博士の学徳は万世の師表 同喜重郎首相の経綸は永遠の平和 この偉大なる兄弟の生地を敬存して切に次代の奮起を待つ」という言葉が刻まれております。

 第一次世界大戦が終わって十年目、フランスのブリアン外相がアメリカのケロッグ外相に、せめて二国間だけでも戦争放棄の協定を締結しようと呼びかけたのが始まりで不戦条約が締結されました。

 ここに不戦条約を持ってきております。この不戦条約というのはわずか三条しかない条約ですが、第一条、「締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス」とございまして、この条約は誕生するまでに実に難しい国際環境だったんですが、ついにこれがやり遂げられました。日本国でこの条約を推進しました内閣総理大臣が浜口雄幸、そして外務大臣男爵幣原喜重郎、こういう署名になっております。

 戦後つくられました各国の憲法には、国際紛争解決の手段として武力を使わない条項が入っている憲法がたくさんございます。日本が不戦条約締結のオリジナルメンバーカントリーの四つのうちの一つであった。しかも、これだけ難しい中でこの条約をつくり上げるまでに日本が実に懸命に働いて、その中心的な働きをしたのが日本であったということは、今日の我々日本人にとっても十分誇りとしてよろしい問題だ、こう思っております。さらに、この条約そのものは昭和二年から三年にかけてつくられた条約でございますけれども、まさに当時の大正デモクラシーの息吹がそのまま国際会議の中で反映した、私はそう思っております。

 ところで、戦後、我々日本人が何となしに誇りを失ったのは、日本民族というのは、日本の国民というのは極めて好戦的な国民である、日本は侵略国家であるという烙印を押されたことがその原因の一つだ、こう思いますけれども、不戦条約をつくり上げる立て役者が日本人であった、日本だったんだということを忘れる必要はさらさらないと私は思います。誇るべきことは、いつ、またいかなるときでも誇り続けるべきだ、こう考えます。

 さて、私の驚きは、この二十世紀が終わって振り返ってみて、後半の五十年のうちの四十年間は冷戦時代における比較的な平和が、それに先立つ前半の五十年、あの類を見ないほどの野蛮さに比べて余りにも対照的だということでありまして、それがここへ来てさらにもう一つ輝きを増しつつあるように私は見えておるわけです。

 ペルー日本大使館人質事件の折、ペルー政府はシュプリアーニ大司教を交渉担当者に起用するという決定を行いました。いかに宗教的な問題を抱えている国とはいえ、外国公館内の事件に政府以外の民間人を調停役に起用するというようなことは普通では思いも及ばないことだと思いますが、これはやはり時代の転換が始まってきたんだ、私はこういうふうに解釈いたしております。

 国連は、既に第二国連と呼んでもいいほどNGOの活動を大事にしております。国際間の紛争の間に立ってみずからの使命感と信念に燃えて調停あるいは和解に奮闘するNGOの姿は、今や世界のあらゆるところの紛争地帯で見受けられます。私は、個人としての尊厳、人間としての誇りを持って立ち上がる次世代の若者を一人でも多くつくり上げる、そうした国家に日本がなる、これが新しい憲法に求められる一つの大きな理念だ、こう考えております。

 以上でございます。ありがとうございました。

鹿野会長代理 筒井信隆君。

筒井委員 民主党の筒井信隆でございます。

 近代の国家は、主権を強化して主権国家として成立する、その過程だったと思います。しかし、現在は、分権化、国際化の時代に入って、逆に主権の一部が移譲される時代に入りました。国家主権の一部は下に、つまり地域に一部移譲され、上に、つまり国際機関、国連やEUが典型でございますが、そこにも一部移譲される、こういう時代に入りました。がちがちの主権国家、主権を強化する、こういう時代は終わったんだという時代認識を持つ必要があると思います。武力の行使とか軍事力の行使は主権の重要な構成要素でございますから、これもやはり武力の行使の時代は終わった。逆に、個別国家としては武力を縮小あるいは弱体化して最終的な解消を目指す、そういう時代の緒についた、こういうふうに考えるべきだと思っております。

 しかし、そういう点で考えますと、憲法九条は人類の究極の理想を規定した唯一の世界に冠たる条項である。これは改正するんではなくて、逆にその理念を広げていくべきでございます。

 しかし、同時にまた、その究極の理想はいまだ実現しておりませんし、そのめどもついておりません。そして、自衛隊は国民の安心感のもとになっております。専守防衛の自衛隊は軍隊として合憲である、こういう憲法修正条項を付加すべきだと考えております。もちろん、個別的自衛権は合憲である、ほとんど一致をしておりますが、そういう点でのいろいろな議論、論争に関して終止符を打つべきではないかというふうに思っております。

 同時にまた、仮想敵国を前提にして、仲間内だけで武力対応をする、この集団的自衛権は、やはり時代に逆行しております。これは否定すべきだと考えております。少なくとも、今の時代において、冷戦が終わって、分権化、国際化の時代に入る中で、新たに集団的自衛権を認めるというふうな、あるいは強化するような、こういう方向は絶対にとるべきではない、こう考えております。

 そして、お互いに武力攻撃を一切しない、こういう約束をして、その約束違反をした国に対してすべてが共同して対処する、こういう普遍的安全保障に関しては、これは私は今の憲法でも合憲だと思っておりますが、これに関しても明確に合憲である、こういう点を憲法修正条項として付加すべきではないかというふうに考えております。

 PKO、それからまだできておりませんが国連警察軍、これらについては、日本が国連の指揮下において積極的に関与していく、こういう方向性も明確にすべきだ。それがやはり国際化の時代に合っているし、また、国際化の時代において日本が要求されている対応ではないかというふうに考えております。

 ですから、安保条約は片務条約ですから個別的自衛権として考えることができると思いますが、その範囲で合憲である。これを双務的なものにして集団的自衛権にしたら、これはやはり違憲である、こう考えるべきだと思っておりまして、今小泉総理が出されているのがそういう方向のものであるとすれば、これは反対をせざるを得ない。

 それから、TMDに関しては、これも個別的自衛権に関する一つの発動だという考え方で今研究に参加されておりますが、最近ブッシュ大統領が出されたのは、そうではない方向のものを含めて日本の参加を求めている。これもやはりそういう観点から慎重に考えていかなければいけない、こういうふうに強く思っていることを申し上げまして、私の発言とさせていただきます。ありがとうございました。

鹿野会長代理 塩田晋君。

塩田委員 自由党の塩田晋でございます。

 現行日本国憲法について広範かつ総合的に調査をするという目的で設置されました本憲法調査会、ここで、昨年から、我が国の二十一世紀におけるあるべき姿について議論がなされてきておりますことを、まことに意義のあるものと考えております。

 自由党としての考え方は、先ほど藤島委員が申し述べましたので、繰り返すつもりはございません。

 私、率直に申し上げまして、現行日本国憲法の前文、これはどう読んでも日本語としては非常にまずい、いわゆる翻訳調であるということは、だれからも認められることだと思います。そこで、日本国憲法の前文を改めるとすれば、美しい日本語でこれを書くべきである、このように思います。

 内容についても非常に問題だと思いますのは、幾つもありますけれども、その一点は、我が国の安全と生存を諸国民の公正と信義にゆだねるという他人任せを日本国憲法が宣言をしたというところは、これはいかにもまずいところだと思います。

 日本国憲法、これは日本国国家の憲章でございます。したがいまして、日本国国家というものはいかなる使命、いかなる機能を果たすべきか、国家の役割というものをやはり鮮明にすべきだと思います。そして、国家が国民のためにいかにするかと、向かうべき方向というものを明示すべきだと思います。その骨格は、現行日本国憲法にあります天皇、基本的人権、国民主権、国際協調、平和、これについては基本的には堅持すべきだと私たちは考えております。

 そこで、前文に書くとすれば、国というものは何をやるべきものかと。これは、国民の生命財産、そして人権をしっかりと確保する、守るんだ、これが役割として示されなければならない。それに対して国は最大限の努力をするということを言明すべきだと思います。我が国の歴史と伝統を尊重し、擁護し、そしてまた発展させるということも書くべきだと思いますし、また、世界各国から日本国が、あるいは国民が尊敬される、そのような国になるためには、やはり道義、これが非常に普及をし一般化しておって、日本国というところは非常に道義の行き渡っているところだと、かつて明治維新の前にもそういうことを外国の人が言ったようでございますが、そういったこともやはり目標として書くべきだ。そして、世界をリードするような文化、これもやはり高度なものにしていくという努力目標を掲げるべきだと思います。

 言葉自体も、現在の旧仮名遣いでいくか。前文でも、誓うは「誓ふ」になっていますね。第三条でも、責任を負うが「負ふ」になっていますね。こういった旧仮名遣いでいくのかどうか。骨格をそのまま堅持していくとして、仮名遣いもそういうことでいったらいいではないかと私は思います。

 それから、だれが読んでもわかるような憲法ということになりますと、どうしてもわかりにくいのが憲法第九条です。現実の日本の状況と憲法と乖離している面、これが一番大きいのはやはり第九条だと思うんです。これははっきりと、中学生が読んでも、小学生が読んでもなるほどとわかるように書くべきだと思います。

 それはやはり、日本国としては、日本国民を守る自衛権があるんだ、これを明記すべきだと思います。そして、だれが読んでもわかる、単なる今のような解釈改憲で、どんどん解釈で変えていくようなことであってはならない、このように思いますから、はっきりと書くべきだと思います。

 以上一、二点申し上げましたが、私の個人的意見として申し上げた次第でございます。あくまでも、論憲を積むだけでなくして、論憲するからには、自分は改憲、非改憲、護憲だというならば、一言一句変えない護憲なのか、ここはこう直すべきだという具体的な案を提示して論議をしなければならない、各党はやはり素案を出すべきだと私は考えます。以上です。

鹿野会長代理 奥野誠亮委員。

奥野委員 おととい、きょうの自由討議に五分間しゃべらないかというお誘いを受けまして、けさになってやっと、私なりにこれから政治課題になると思われる二点について御報告をさせていただくことが、その責任を果たすことになるのかなと思いついたばかりでございます。

 今の憲法、マッカーサー司令官の三つの原則に基づいてスタッフが素案を書いたわけでありますけれども、その一つに、日本はいかなる陸海空軍も許されないし、自衛のための戦争も認められないという項目があります。スタッフとしては、そのとおりの表現は使えないけれども、ちゃんと織り込んだつもりだということでございます。

 吉田総理が、国会答弁におきましても、自衛のための戦争も許されないのだと答えておられるわけでございまして、しばしば自衛と称して侵略戦争をやってきたからだと答えておられます。

 そして、昭和二十五年に朝鮮戦争が起こりますと、総司令部から警察予備隊をつくれという命令が日本政府に参ります。隊長が林敬三さんでございまして、私の内務省の先輩でございまして、しばしば内務省へおいでになって私たちと雑談をされました。最初から、新しい国軍のバックボーンをどこに置くか、その精神をどうつくり上げていくかというようなことが話題でございました。

 そしてまた、その翌年の二十六年には日米安全保障条約が締結されることになるわけでありますが、その前文に、「平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。」というくだりがございます。

 どんどん日本側の考え方も変わっていくわけでございまして、吉田さんの発言も、独立国である以上は当然に自衛の権利はあるのだということが言われるわけでありますし、日本が独立を果たしましてからは、この警察予備隊が保安隊となり自衛隊となってきているわけでございます。

 したがいまして、国際的な日本の地位が変化するとともに、私は、安全保障条約のあり方も変わっていかなければならない性格のものだ、こういう考え方をしております。

 もう一つは、小泉総理が靖国神社に参拝すると言っておられる。中華人民共和国からは既にいろいろな意見が寄せられているわけでございます。日本国憲法がつくられる原案、また二十条には「国及びその機関は、」「いかなる宗教的活動もしてはならない。」と書かれております。国会の論議の中で、大事な宗教教育ができないことは困るじゃないか、総司令部がどうしても文言の訂正を許さないなら何らかの決議をしようじゃないかという質疑応答が残されておるわけでございます。

 しかし、それを是正するより、教育基本法が同じ国会でつくられているわけでありますが、「宗教教育」の上に「特定の宗教のための」という言葉が入っておるわけであります。もう一つ、「宗教的活動」の上に「いかなる」という言葉がありましたが、教育基本法ではこれを削っているわけでございます。

 そういう変化も出てきているわけでございますが、一昨年、三権の長は靖国神社に公式参拝しろという請願行進が国会にありました。

 私は、それを受けまして、中華人民共和国の日本にあります大使館に陳健大使を訪ねまして、一時間ほどいろいろな議論をいたしました。トウショウヘイさんが、靖国神社にお参りすることは侵略戦争を美化するものだとか、そんなに参りたければ極東国際軍事裁判で絞首刑になった方々をよそへ移せとか言っているわけでございますから、そのことを頭に置いてお話をいたしました。

 そして、陳健大使に対しまして、昭和四十七年に台湾から国交の相手を中華人民共和国にかえる、そのために北京に参ったときに、日本が侵略戦争をやったということを周恩来さんがきつく非難される、田中総理は日本には侵略の意図がなかったということをまたきつく反論される。翌日、毛沢東さんを病室に見舞ったら、毛沢東さんから、田中さんの顔を見るや否や、あなた、きのうは大げんかしたそうですね、けんかして初めて仲よくなるものですよ、こう言われたものですから、温かい言葉に感激して、日本は大変御迷惑をかけましたという話をしましたら、あなたは謝ることはありませんよ、日本のおかげで革命を達成することができたのですよ、こう答えられたという話も私はそこで申し上げましたら、十分に向こうも知っておったわけでございました。

 同時にまた、日本では、人間が死ねば、神道では神、仏教では仏として、肉体は滅んでも魂は永遠に生き続けていくものだ、こういうように考えられておるものだから慰霊の行事は欠かせないのだ、生前に何をしておったかということは一切問わない、元寇の役のときにも鎌倉幕府は元軍の死者と日本軍の死者とを一緒にして大法要をやっているのですよ、こういうことを申し上げましたら、中国も同じですよ、こういう陳健さんのお答えが返ってまいりましたので、共産主義は、宗教はアヘンと言うじゃありませんか、こんなことを申し上げたわけでございました。

 そして、お互いに内政干渉をしないようにしなければ、せっかく友好関係を確立しようと思ってもできないじゃありませんか、あなたは中国の大使だから、中国の政策を変えることはできない、しかし、日本の事情を正確に本国に伝える責任があるじゃありませんかというような式のことを申し上げたわけでございまして、帰るときには笑顔で、向こうからは、内政干渉という言葉は使わないようにしてくれませんかねということと、またこうした機会を持ちたいですねという二つの希望を受けて帰ったわけでございました。

 私は、今後、この問題をめぐりまして、かなりな摩擦があるかもしれませんが、摩擦があっても、私は、とことんまで話し合って問題の理解を求める努力をしなければ永久にこの問題は解決しない、こう思いますので、日本人は根性を決めて話し合いをしていかなければならないという考えを持っているということを強く申し上げて、報告を終わります。

    〔鹿野会長代理退席、会長着席〕

中山会長 山口富男君。

山口(富)委員 日本共産党の山口富男でございます。

 きょうは冒頭に、神戸地方公聴会について鹿野会長代理から報告をいただきました。その中で、川西市の柴生市長は、地方行政においては憲法の具体的な実践が重要であり、子供の人権保護及び国際社会に連帯した平和と人権への取り組みがなされるべきである、それから、神戸市の笹山市長からは、阪神・淡路大震災の教訓として、災害時における市町村長への十分な権限の付与、及び憲法の生存権を踏まえた被災者支援が重要である、こういう意見があったということが報告されました。

 私は、これらの意見というのは、憲法の大事な規定や理念を実際の行政の場で生かそう、しかも、住民の皆さんと密着した方々の御意見ですので、大変重みのある内容だというふうに思いました。しかも今、国の政治でも、ハンセン病訴訟で国の隔離絶滅政策が憲法の人権規定に反したものだという厳しい判断が下されて、その点で、国民の皆さんの間からも、憲法の実際の定めと政治や行政の食い違いということについて非常に厳しい目が注がれていると思うのです。

 その上、私が留意しなければいけないと思いますのは、今の長期の不況と、デフレと認定されるようなもとで、戦後初期を除けば経験したことのなかったような経済的苦境に国民の皆さんが追い込まれている。そのために、各種の世論調査を見ましても、生存権の規定の問題で、これが十分に守られていないじゃないかという声が広がっている。この点にも調査会として留意を向けるべきだと思うのです。

 もともと本調査会は、議案提出権を持っておらず、もちろん改正の結論を出すことを目的にしたものでもなくて、日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行う、これがこの調査会の性格なわけですけれども、二十一世紀を迎えた今日、今紹介しましたような憲法の定めと、政治、行政、暮らしの実際をめぐる問題に正面から目を向けていくことが本調査会に求められていると思うのです。

 調査内容といたしましては、憲法の原則が実際の政治と生活の中で生かされているのかどうか。それから、もし憲法に反するような実態があるとすれば、なぜそういうことになっているのか。そして、平和と基本的人権、民主主義の尊重を初めとして、憲法と現実に食い違いがあるのなら、現実を憲法の方向で改めて、憲法を育てていく。そういうことが政治の務めだし、いわゆる調査会としての広範かつ総合的な調査ということになると思うのです。

 さて、発足後、憲法の制定経緯、それから二十一世紀の日本のあるべき姿について、意見の聴取と質疑を行ってきたわけですけれども、今後の具体的な調査内容として、時間が限られておりますので、二点挙げたいと思うのです。

 一つは、憲法の場合、前文の規定を受けまして、第三章で三十条にわたって非常に豊かな人権規定を定めているわけですけれども、この人権規定が実際に生かされているかどうかという調査が必要だと思うのです。

 例えば憲法二十五条の問題なんですが、ここで、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利、いわゆる生存権が明記されたわけですけれども、その上に、国の責任として社会保障の増進に努めるということが定められたわけですね。これが日本国憲法の特徴なわけですが、こういう点で、実際には社会保障への国の支出を抑制、削減することが続いているわけですし、当然この点は憲法の規定との関係で調査すべき内容になると思うのです。

 それから、環境権などのいわゆる新しい人権規定も、第十三条の幸福追求権などで憲法規範としては裏づけを持っておりますので、そういう裏づけを持っているのに、それがどうしてうまく生かされていないのかという角度での調査が必要じゃないかというふうに考えます。

 それから二つ目は、やはり九条なんですけれども、これは、戦争をしないことを定めた非常に大事な規定で、その戦争をしないという大原則を、軍隊を持たないというところまで徹底したわけですね。その点に世界からも注目が寄せられているわけですし、各種の調査でも、この規定を改めるべきでないというのが国民の皆さんの御意見です。ですから、これを生かすことの意義について積極的な調査を行うべきだと考えております。

 なお、集団的自衛権については、これは戦争にかかわる議論になりますので、憲法の枠内での検討ということはやはりできないし、恒久平和主義を壊すものになるというふうに思います。

 以上、二点挙げましたけれども、調査会として、憲法の大事な原則に光を当てて、これを生かすような調査活動、これが国と地方の政治でも、暮らしの実際の中でも求められているのじゃないかと思います。

 以上で発言を終わります。

中山会長 次に、中山正暉君。

 中山正暉君の発言につきましては、自由民主党から、自由民主党枠の二人分、十分とするという申し出がございますので、これを許します。

中山(正)委員 御配慮いただきまして感謝をいたします。自由民主党の中山正暉でございます。

 私は、三十二年間この国会に籍を置かせていただいておりますが、直接こうして国会の議場、委員会の場で憲法の問題を語れるようになったということに大変時代の推移を感じますし、世界の平和に貢献をする機会をどんなふうに国会がつくるかというためには、有意義な時代が来たと思っております。

 ただ、むなしいのは、五年間論議をしても、改正案はつくらないということになっている。私は若いときから改憲論者でございまして、何としても日本独自の憲法というものをつくらなければいけない。

 特に私は、これからの国際社会を見ますと、アジアが一番危険な問題を含んでいると思います。朝鮮半島問題。百八十九カ国と日本は国交がございます。百八十五カ国が国連に加盟しておりますが、それ以上に国交を結んでいる国家があるわけでございます。ただ一つ、朝鮮民主主義人民共和国とは関係がありません。共産党さんでさえ、ラングーン事件以来縁を切っておられまして、最近、共産党さんは在日の朝鮮総連と関係が復活したようでございますが、まだまだその関係はそんなに深くないようでございます。

 その意味で、誤解のないようにしておかなければいけないと思いますのは、私はアメリカが大好きでございます。アメリカが世界の警察的行動をとって、平和な世界を築こうとしている行動はところどころに見えるわけでございます。しかし、なかなか計画もある国家だということを考えておかなければなりません。

 ここに「オレンジ計画」という本がございます。これは、明治三十七年、三十八年の日露戦争の直後に、もう日本との戦争計画を立てています。昭和七年、私がちょうど生まれました年でございますが、その七年にハワイ真珠湾でアメリカ軍が演習をしまして、在米の日本大使館武官の山本五十六は、ハワイ真珠湾が奇襲攻撃を受けたらという訓練を武官として見ております。そのとおりにハワイ真珠湾攻撃をしているのですから、何という、私は、子供のときは、山本五十六というのは大変な神様、軍神だと思っていましたが、もうあっけにとられるばかり。

 特に、ミッドウェーの海戦にも戦艦大和は参加しておりません。二百キロメートル後ろにおりました。世界最大のアンテナを持っていて、米連合艦隊接近中という情報をとっていながら、僚艦にそれを知らせなかった、自分の居場所がわかると。そして、四十一・四キロメートル先の敵艦に照準を合わせる世界最大の照準器を持っておりましたが、その大戦艦大和はついにミッドウェーの海戦に参加せず。

 山本七平という文芸評論家が「空気の研究」という本を書いておられますが、この「空気の研究」の中には、戦艦大和も空気で沈んだということを書いておられます。なぜかといえば、終戦のときに戦艦大和は残っておりました。沖縄に向けて出撃せよというのに対して、艦に乗艦していた人たちは、護衛戦闘機もない、護衛駆逐艦もない、今出ていっても必ず沈められると言ったのに対して、海軍の上層部、及川海軍大臣は、君たち、そんな空気じゃないよと言って、出ていって、その空気のために戦艦大和は沈んだと書いておられます。日本は空気で動く国だと。何かいったら揺さぶって、どっち向いて走るかわからない。

 その日本。国家というものは何かということをちょっと表示したいと思います。

 Pp=(C+E+M)×(S+W)、実はこれは国家をあらわす方程式でございます。Ppはプレシーブドパワー、Cはクリティカルマス、人口と領土。二〇八〇年には日本の人口は六千万人になると言われております。Eはエコノミックケーパビリティー、三千七百億ドルの外貨と千三百七十七兆円の郵便貯金、銀行預金。借金は確かに六百六十六兆ありますが、まだまだ経済力は、世界の預貯金の六割を持っているという国です。

 ところが、その次のM、ミリタリーケーパビリティー、これは御承知のとおりでございます。自衛隊の中でだれかが悪いことをしたら、警察が捕まえに行く、これは軍隊でないという最大の証拠だと思います。昔は、憲兵が守っていて、兵営の中には一歩たりとも入れない、軍隊は軍隊でちゃんと規律を守る。今は、自衛官が悪いことをすると警察が捕まえていく。これだけでも、自衛隊は軍隊ではないという最大の証拠でございます。

 その次は、×(S+W)、Sはストラテジックパーパス、いわゆる国家戦略目標ですね。戦略目標プラスW、ウィル・ツー・パース・ナショナル・ストラテジー、いわゆる国家戦略を遂行する意思。この括弧の中は、日本はゼロです。幾ら掛けてもゼロです。これが日本の現状でございます。

 私は、なぜ改正しなければならないかということだけを申し上げて、中身には触れません。中身は、これから五年の間にここの雰囲気を変えて、何とか皆さんで、本当の平和憲法というのは、これからアメリカと中国が対決をする真ん中に入って、その中で、我々がまあまあといって間に入る憲法をつくらなければいけないと私は思っております。

 私も実は、日中条約のときには、国会で、外務委員会では私たった一人反対いたしました。福田総理大臣に手を合わせて拝まれましたが、私は頑として、私の前には石原慎太郎が座っておりましたが、振り向いて私に、正暉さん、今しか賛成するときないよと言いました。あの人も賛成しました。テレビを聞いたら反対したという話をしておられたが、本会議では林大幹、浜田幸一、中山正暉、これが、共産党から自民党まで全部起立して賛成する中で、たった三人座っていました。参議院では、源田実と玉置和郎、この二人が出席をして反対しました。だから、台湾の新聞にはなぜか、三勇者二賢人、二人の賢い人と三人の勇敢な男と新聞の記事に書かれたことがあります。今、二人が死んで二人がやめましたから、私たった一人しか残っていません。これが日中条約。私は、これから起こることを予測したからあのとき反対したんです。

 大平幹事長は偉かったです。私が、反対しましたので除名をしてくださいと言いに行きましたら、中山君、お父さん死んで大変だったねと、前の日に私のおやじが死にました、あしたからまた頑張ってねとおっしゃっただけでした。

 これは、実は背後はアメリカだったんです。アメリカという国はすごい国で、一九四九年、朝鮮動乱の一年前に、日本の経済力で中国を支えてソビエトと分断せよというアチソン秘密文書、トルーマン大統領の国務長官アチソンが秘密文書を出しています。その秘密文書によって日本は、ニクソンが頭の上を越えたから、キッシンジャーが頭の上を越えたからといって中国と結ばされて、アメリカは思うつぼ、日本の経済力で中国を復興したわけです。

 私も、日中条約には反対しましたが、竹下総理大臣が、中山君、ODA八千二百億で中国へ行ってくれと、わかりましたと言って行きました。楊泰芳という郵電大臣に、私は六十万回線の電話回線を郵政大臣として渡しました。天津―上海間の光ファイバー、これも渡しました。

 しかし、今アメリカが一番慌てているのは、思いもかけずソ連が七十二年で崩壊したことでございます。これが一番アメリカの誤算。

 特に、今月号の文芸春秋を見てください。文芸春秋には、おもしろいことに、「真珠湾の真実 ルーズベルト欺瞞の日々」、ロバート・スティネットという方が一九九九年の暮れにアメリカで上梓いたしまして、二〇〇〇年六月、日本語でも訳されて文芸春秋で刊行しております。この方は戦史研究家で、BBCなんかの主要メディアの日米戦争についてのアドバイザーでございますが、この人が、御承知のように、ハワイ真珠湾の米国海軍のハズバンド・E・キンメル司令長官、それから陸軍の方はウォルター・ショート陸軍長官、この方々が、戦争が済んでから十三年たってアメリカの大統領を訴えています。情報を知っていたのに自分たちには知らせなかった。それが今度は堂々とアメリカの下院でこの人たちの名誉回復がなされました。去年でございます。

 これを考えていただいても、私どもは、アメリカの大戦略によって、本当は一九一〇年のハーグにおける陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約というのがあります。これは、相手の国を、沖縄の先生もいらっしゃいますが、一万八千人アメリカ人も死んでおります。今の宝塚劇場は、アーニー・パイル劇場と私ども学生のとき言っておりました。アーニー・パイルという有名な記者が死んだ、それを記念して進駐軍は、今の宝塚劇場、帝国ホテルの前をアーニー・パイル劇場という名前をつけておりましたが、バックナーという司令官も日本の狙撃兵に撃たれています。日本人が十八万死んだ。その陸上戦闘をやって占領をしても、その国の法律を変えてはいけないというのは一九一〇年に決まっています。それをアメリカは無視して、日本にこの憲法を押しつけた。

 その憲法の中で占領政策がいまだにきいているのは、リベンジ、リフォーム、リバイバル、これが三R。

 それから、五Dというのは、武装解除、ディサーマメント、それから軍国主義排除、ディミリタライゼーション、環境庁は省になっても防衛庁は省にならないというのはこれです。いまだに占領政策がきいているんですね。

 それから、工業生産力の破壊、これはそうでしょう。YS11を木村先生というゼロ戦をつくった人がつくって以来、昭和四十七年生産停止。軍艦は日本はつくっていません、ふろおけを並べたようなタンカーだけつくっています。

 それからその次は、中心勢力解体、これは、天皇中心、神の国という、森総理大臣が神社の人たちの前で、その人たちに対する好意で言ったことにマスコミが襲いかかってきました。これはいまだに中心勢力排除。

 それから、民主主義化、これは、私が建設大臣のとき、吉野川で、百九十四キロを十四キロだけの徳島の住民投票で変えるわけにいかない。日本の憲法では、投票が許されているのは、憲法の前文に、「日本国民は、正当に選挙された国会」「を通じて行動し、」と書いてあるから、これは最高裁判所の判事とそれから憲法改正のときだけ。何がねらいかというのは、私は建設相をやめるときに、私は川と闘ってないよと。最後は、天皇は日本国民の象徴の総意である、総意とは何か、これを最後には投票にかけようという大きな陰謀がこの裏にはあるわけでございます。

中山会長 申し合わせの時間は既に経過しております。

中山(正)委員 またの機会をいただくことにしまして、この五つの政策、これを排除して、とにかく本当の平和憲法、アメリカに守ってもらってのうのうとガラスの城に住んでいる平和では、これは平和じゃありません。ポリティックス ウイズアウト アーマメント イズ ミュージック ウイズアウト インストルメント、軍事を抜いた政治というのは楽器を抜いた音楽だといいます。

 終わります。

中山会長 金子哲夫君。

金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子哲夫です。

 私は、まず最初に、憲法調査会のあり方について意見を申し上げたいと思います。

 私が言うまでもなく、憲法調査会の設置趣旨は、日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うこととなっております。私たち社民党は、これまでもこの趣旨に沿い、憲法調査会がやるべき任務は、日本国憲法が今国民の中にどのように定着し、またその理念を実現させるための努力がどのようにされ、どう実現しているのか、そして憲法と現実が乖離しているのであればそれはなぜかということを積極的に調査すべきであるということを主張してきました。

 しかし、憲法調査会の今日までの活動は、必ずしも十分にこの趣旨を実現しているとは言えません。私は、改めて、これからの調査会が今申し上げましたような方向で活動されるよう強く要望したいと思います。

 そうした立場に立ちながら、昨日の党首討論でも論議になりました、去る六月一日の在韓被爆者郭貴勲裁判に対する大阪地裁判決を中心にして意見を述べたいと思います。

 この大阪地裁判決については、神戸の地方公聴会でも意見が出されましたように、憲法にかかわっても極めて重要な、画期的な判決であったというふうに思っております。

 その判決で一番重要に主張されていることは、法律に明文規定がないにもかかわらず、解釈のみによって国民の法律上の地位ないし権利の得失という重要な事項について失効すべきでないということであります。

 今回の裁判は、被爆者援護法によって被爆者健康手帳を取得した者が、国外に出たとき被爆者としての地位を失うかどうかが争われました。裁判所は、被爆者援護法には、失効するときとして、被爆者が死亡したときしか決められていない限り、国外に出たからといってその地位を失わせることはできないとしております。明確に法律の優位性ということを示していると思います。

 また、判決文では、昨日の党首討論で、これは非常に残念なことですけれども、小泉総理は判決文全文をお読みになっていなかったようでありますけれども、党首討論の中では、援護法成立時の国会論議があったということを述べられておりますが、この点についても明確に、立法時にそのような議論があったとしても、既に国外在住の問題はありながらそのことを規定する条文が設けられなかったのであるから、海外在住者を排除することはできないと明確に述べております。また、これに加えて、国会における答弁などを過大視することは許されないとしております。

 憲法第七十三条は、内閣の職務権限として、その第一項で、内閣は「法律を誠実に執行し、国務を総理すること。」としております。これは当然のことですが、内閣は、法律に基づいてそれを執行すべきであるとしております。今回の問題の、在外被爆者への援護法適用問題についても、旧厚生省が出した局長通達が法律を上回って運用されるという、法治国家にあっては当然あってはならないことが行われているわけであります。しかも、今回の判決では、海外にいる日本人被爆者も被爆者援護法が適用されないことに対して、憲法十四条に定める法のもとの平等にも反する疑いがあるとも指摘しております。

 私は、こうした問題を考えてみますと、今回の判決は憲法上大きな問題を指摘していると考えております。こうした点からも、本当に今、憲法と法律との関係、そして国会でつくられた法律がどのように執行されているかなどについて、改めてしっかりとした調査を行うことが本調査会の任務であると考えております。そうした本調査会の任務をしっかり行った上で初めて、地方公聴会を開催して意見を聞くことが重要だと考えているということを申し述べて、私の発言を終わります。

中山会長 細野豪志君。

細野委員 私、最後の発言者になろうかと思います。

 私自身は、去年の六月の衆議院選挙の後からこの憲法調査会に参加させていただきまして、二十九歳ですので、恐らく最年少かというふうに思うのですが、いろいろな一流の方の話を伺って、非常に勉強になったという思いは持っております。

 ただ、今の、つい私の前にお話をされました金子委員のお話、またその前の中山委員のお話を聞いておりまして、今までの憲法調査会での議論というのは、遠大なテーマに取り組んでいるということは当然差し引かなければならないにしても、少し議論の成立がしにくいような状況にあるのではないかということを率直に感じているところでございます。民主党は論憲の立場を示しているわけですけれども、やはりもう少し、少なくとも議論が成立するような仕組みづくりをそろそろ考えていくべきときに来ているのではないかというふうに思っております。

 せっかくの機会ですので、私の立場を一言だけ申し上げますと、二十一世紀に入って、我々として果たしてどういう世界をつくっていくのか、その議論に積極的に参加したいというふうには思っております。ただ、その前提として、先ほど来金子委員等も指摘されておりますとおり、今の憲法がどう社会で生かされているのか、そのこともやはり議論していきたい。両面持っているわけでございます。

 この私自身の考えからすると、やはり議論のテーマを少し区別して考える必要があるのではないか。例えば前文を初めとする理念の部分は、一つの大きなカテゴリーとしてあると思います。人権については、きちっとまた別の議論が必要だというふうに私は思います。また統治制度の問題、これは先ほど来さまざまな議論が出ておりますとおり、住民参加の枠組みなどを二十一世紀に向けてどういうふうに取り組んでいくか、大きなテーマだと思います。また平和主義というのも、当然これも、九条を中心として議論していかなければならない。少なくともこの四つぐらいには分けて、今回は一体どこの部分を我々は議論しているのかというコンセンサスを持った上でこの憲法調査会を行っていかなければ、憲法調査会が五年間という期間に国民の期待にこたえていくのは非常に難しいというふうに思います。

 具体的な中身については、きょうはもう時間もございませんので省きますけれども、私は二つのことに留意して、それぞれのテーマについて話をしていきたいというふうに思います。

 一つは、やはり国民の関心であります。今、憲法に関してさまざまなアンケートが出回っておりますので、例えば理念の部分、人権の部分、統治機構の部分、平和主義の部分、それぞれ国民の関心がどの辺にあるのかというのは皆さん大体、薄々もう気づかれているところだと思うのです。例えば、まさに首相公選制の部分などは今一番国民が強い関心を持っているところでございますので、統治機構の部分ではこういう部分もきちっと議論していく下地をつくっていく必要がある。

 もう一つ私が申し上げたいのは、今の内閣が出してきているテーマに対しては、憲法調査会が余り浮世離れせずに、きちっと回答を出していくような仕組みをつくっていきたいというふうに思います。

 私は外務委員会に属しておりますけれども、田中眞紀子外務大臣は、再三、集団的自衛権については憲法調査会での議論をまつということをおっしゃいます。ただ一方で、憲法調査会に属する人間として、それにこたえるカウンターパートとして、全くここは機能していないという思いがございます。首相公選制については小泉総理大臣が言われているわけですけれども、少なくともこの二つのテーマについて、我々として、憲法調査会としてどういうリアクションがし得るのかということを議論する下地をつくっていきたいというふうに思います。

 特に九条問題については、最後に一言だけ申し上げますと、日本の場合は司法消極主義という形で、司法は積極的に判断をいたしませんし、これからも恐らくしないと思います。そうなりますと、どこが判断するのだということになって、今までは内閣法制局が非常に大きな解釈の重みを置いてまいりました。これは国会の役割の怠慢を意味しているのじゃないかというふうに私は思っておりまして、九条とは一体何なのか、どこまでが許されるのかということをきちっと議論をして、それで不十分であれば改正の議論をする。この区分けをした上で、九条についての解釈を国会がやっていくのだという努力も、この憲法調査会の大きな仕事ではないかというふうに思っております。

 以上です。

中山会長 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。

     ――――◇―――――

中山会長 第百五十一回国会も、残すところあと二週間ほどとなりました。ここで改めて、今国会における本調査会の活動を御報告いたしたいと存じます。

 今国会では、先国会に引き続き、二十一世紀の日本のあるべき姿をテーマに、参考人質疑を中心に活動してまいりました。二月八日から五月十七日にかけて五回にわたり、参考人より意見を聴取し、質疑を行っております。お呼びした参考人は九名、質疑を行った委員は、私を含め延べ七十一名でございます。

 また、各参考人が提示された論点といたしましては、科学技術の役割と課題、グローバリゼーションと国家、遺伝子解明の進歩と生命倫理の問題、少子高齢化社会の到来と労働生産性低下の問題、社会保障制度のあり方、IT革命による人間社会の変化への対応、国家概念とその再構築の必要性、北東アジアにおける日本の役割、国と地方との関係などがございましたが、これらの諸問題に関し、憲法との関係あるいは憲法のあるべき姿について、多岐にわたって熱心な議論がなされました。

 さらにこの国会では、日本国憲法について国民各層の意見を聴取するため、四月十六日に宮城県仙台市において一回目の地方公聴会を、今月四日には兵庫県神戸市において二回目の地方公聴会を開催いたしました。両会議の概要は、四月二十六日及び本日、鹿野道彦会長代理から御報告をいただいたとおりでありますが、公募を含め二十名の意見陳述者から日本国憲法についての意見を聴取し、私を含め延べ十八名の派遣委員が質疑を行い、七名の傍聴者からも意見を聴取しております。

 また本日は、日本国憲法に関する件について、特にテーマを設けずに自由討議を行いました。発言された委員は十九名であります。

 今後も、憲法は国民のものであるとの認識のもと、地球環境問題への対応、首相公選制の問題、国家の安全保障の問題、生命倫理の問題、国連協力等、山積する諸問題について議論を行う必要があると考えており、幹事会において協議してまいりたいと存じますが、人権の尊重、主権在民、再び侵略国家とはならないという原則を堅持しつつ、日本国憲法についての広範かつ総合的な調査活動がなされていくものと信じております。

 最後になりましたが、本日までの調査会において、幹事、オブザーバーの方々、そして委員各位の御指導と御協力により、公平かつ円滑な運営ができましたことに厚く御礼を申し上げます。

 本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時三十九分散会

     ――――◇―――――

  〔本号(その一)参照〕

    ―――――――――――――

   派遣委員の兵庫県における意見聴取に関する記録

一、期日

   平成十三年六月四日(月)

二、場所

   ホテルオークラ神戸

三、意見を聴取した問題

   日本国憲法について(二十一世紀の日本のあるべき姿)

四、出席者

 (1) 派遣委員

      座長 中山 太郎君

         中川 昭一君   葉梨 信行君

         鹿野 道彦君   中川 正春君

         斉藤 鉄夫君   塩田  晋君

         春名 直章君   金子 哲夫君

         小池百合子君   近藤 基彦君

 (2) 現地参加議員

         奥谷  通君   砂田 圭佑君

         石井  一君   赤松 正雄君

         藤木 洋子君   北川れん子君

 (3) 意見陳述者

      兵庫県知事       貝原 俊民君

      川西市長        柴生  進君

      神戸市長        笹山 幸俊君

      学校法人大前学園理事長 大前 繁雄君

      神戸大学副学長・大学院

      法学研究科教授     浦部 法穂君

      弁護士         中北龍太郎君

      兵庫県医師会会長    橋本 章男君

      兵庫県北淡町長     小久保正雄君

      会社経営        塚本 英樹君

      大阪工業大学助教授   中田 作成君

 (4) その他の出席者

                  井上  力君

                  池田三喜男君

                  藤本 龍夫君

                  湯口 澄一君

                  岡本 浩和君

     ――――◇―――――

    午後一時二分開議

中山座長 これより会議を開きます。

 私は、衆議院憲法調査会会長の中山太郎でございます。

 私がこの会議の座長を務めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 この際、派遣委員団を代表いたしまして一言ごあいさつを申し上げます。

 本調査会は、昨年一月二十日に設置され、現在、二十一世紀の日本のあるべき姿について調査を行っておりますが、調査を行うに当たり、広く国民各層の皆様方から日本国憲法についての御意見を拝聴するため、宮城県仙台市に引き続き、御当地で会議を開催することとなりました。

 ここで、意見陳述者、傍聴者の皆様の御参考のため、本調査会における現在までの議論の概要を御報告申し上げます。

 本調査会では、まず、日本国憲法の制定経緯の調査から始めることとし、昨年の二月から四月にかけて、十人の参考人から御意見を拝聴し、質疑を行ってまいりました。

 この参考人との議論を踏まえ、五月には、委員間で日本国憲法の制定経緯について締めくくりの自由討議を行い、日本国憲法の制定経緯に関する調査を終了いたしました。

 次に、憲法制定以来今日に至るまでの日本国憲法の歩みを、司法権による違憲審査を通じて検証するため、戦後の主な違憲判決をテーマとし、五月に最高裁判所事務総局より説明を聴取し、質疑を行いました。

 九月には、衆議院から欧州各国憲法調査議員団が派遣され、ドイツ、フィンランド、スイス、イタリア、フランスの欧州五カ国の憲法事情について調査をしてまいりました。

 調査内容を一部御紹介いたしますと、ドイツ基本法が規定する兵役義務及び良心的兵役拒否制度、フィンランド憲法におけるIT社会化に対応した情報アクセス権規定、スイス憲法における生殖医学・遺伝子技術の乱用からの保護及び移植医療に関する規定、イタリア憲法が規定する祖国防衛義務、ドイツ、イタリア、フランスの憲法裁判所制度等がございます。

 これらの五カ国を調査いたしました結果、訪問したすべての国において、憲法がその国の事情や社会の変化に応じて改正されているということ、しかも、政治の具体的な課題が、まさに憲法の条文をめぐって公明正大に議論されているということを痛感いたしました。

 そして、昨年九月からは、二十一世紀の日本のあるべき姿について、参考人から御意見を拝聴し、質疑を行っております。

 各参考人が提示された論点といたしましては、二十一世紀の世界の展望と国家の役割、良心的軍事拒否国家の実現、憲法の誠実な実践、科学技術の進歩と将来の課題、教育改革、グローバリゼーションと国家、国際社会における発言力と競争力、遺伝子解明の進歩と生命倫理の問題、避けがたい少子高齢化社会の到来と労働生産性低下の問題及び社会保障制度のあり方、IT革命による人間社会の変化への対応、特にプライバシー保護の問題、国家概念とその再構築の必要性、北東アジアにおける日本の役割、国と地方との関係などが挙げられます。これらの諸問題に関し、憲法との関係、あるいは憲法のあるべき姿について、多岐にわたって熱心な議論が現在行われております。

 また、去る四月十六日には、国民各層の方々の御意見を拝聴するため、宮城県仙台市において第一回目の地方公聴会を開催し、十人の意見陳述者の方々から日本国憲法についての御意見を拝聴いたしました。

 各意見陳述者がお述べになられた御意見といたしましては、社会の変化に対応した憲法、憲法の理念を生かした町づくり、環境問題への対応、我が国の伝統に則した憲法、憲法の現代的意義、女性の権利、九条のロマン、改正手続の整備、憲法の誠実な遵守などがございました。

 その後、委員から、憲法の定める公務員の憲法尊重擁護義務と改正条項の関係、九条、環境権、情報公開、首相公選制、憲法裁判所制度等について質疑が行われ、さらに、お二人の傍聴者から御意見を拝聴いたしております。

 今後も、憲法は国民のものであるとの認識のもとに、環境に関する権利、首相公選制度等国民の権利の問題、国家の安全保障、自然災害における危機管理のあり方等について議論を行いたいと考えており、幹事会において協議してまいりたいと存じますが、我々は、人権の尊重、主権在民、再び侵略国家とはならないという原則を堅持しつつ、日本国憲法についての広範かつ総合的な調査を行うこととしております。

 意見陳述者の皆様には、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。どうか忌憚のない御意見をお述べいただくようお願いいたします。また、多数の傍聴者の皆様をお迎えすることができましたことに深く感謝をいたします。

 それでは、まず、この会議の運営につきまして御説明申し上げます。

 会議の議事は、すべて衆議院における議事規則及び手続に準拠して行い、衆議院憲法調査会規程第六条に定める議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたしております。発言される方は、その都度座長の許可を得て発言していただきますようお願い申し上げます。

 なお、会議におきましては、御意見をお述べいただく方々から委員に対しての質疑はできないこととなっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 また、傍聴の方は、お手元に配付しております傍聴注意事項に記載されているとおり、議場における言論に対して賛否を表明し、または拍手をしないこととなっておりますので、御注意ください。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 最初に、意見陳述者の皆様方から御意見をお一人十分以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 意見陳述者及び委員の発言時間終了のお知らせでありますが、ブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。

 なお、御発言は着席のままで結構でございます。

 それでは、本日御出席の方々を御紹介いたします。

 まず、派遣委員は、民主党・無所属クラブ鹿野道彦会長代理、自由民主党葉梨信行幹事、自由民主党中川昭一幹事、民主党・無所属クラブ中川正春幹事、公明党斉藤鉄夫幹事、自由党塩田晋委員、日本共産党春名直章委員、社会民主党・市民連合金子哲夫委員、保守党小池百合子委員、21世紀クラブ近藤基彦委員、以上でございます。

 なお、現地参加議員といたしまして、自由民主党奥谷通議員、自由民主党砂田圭佑議員、民主党・無所属クラブ石井一議員、公明党赤松正雄議員、日本共産党藤木洋子議員、社会民主党・市民連合北川れん子議員が参加されております。

 次に、御意見をお述べいただく方々を御紹介させていただきます。

 兵庫県知事貝原俊民君、川西市長柴生進君、神戸市長笹山幸俊君、学校法人大前学園理事長大前繁雄君、神戸大学副学長・大学院法学研究科教授浦部法穂君、弁護士中北龍太郎君、兵庫県医師会会長橋本章男君、兵庫県北淡町長小久保正雄君、会社経営塚本英樹君、大阪工業大学助教授中田作成君、以上十名の方でございます。

 それでは、貝原俊民君から御意見をお述べいただきたいと思います。

貝原俊民君 中山会長初め憲法調査会の諸先生には、真摯な御努力をしておられますことに敬意を表しますと同時に、このたび神戸で公聴会を開催していただき、発言の機会をいただきましたことを御礼申し上げる次第であります。

 御存じのとおり、六年余前、当地は、高齢成熟化した大都市直下型地震に見舞われましたが、これは人類史上初めてと言われております。こういった経験の中から学んだことにつきまして、本日は二点、提案をさせていただきたいと思います。

 まず第一点は、平和の技術の開発に関する国際貢献という点であります。

 世界的ベストセラーとなりました「文明の衝突」の著者で政治学者のサミュエル・ハンチントン教授は、二十世紀はイデオロギーと国民国家の対立の時代であったが、二十一世紀は文明と文明が競い合う時代となり、その中で二十一世紀の日本は小さな役割しか果たさない国になるであろうというように主張をいたしております。私は、この意見には賛成しがたい考えを持っているところであります。

 ここで、私たちは、明治初期前後に日本を訪れた欧米人が一様に日本文化の中に美しい資質を見出し、それを絶賛しているということを思い起こすべきではないかと思っております。

 当地で新聞記者等も行いました文学者のラフカディオ・ハーンは、その著書の中で、日本人の親切さと礼儀の厚さは想像を絶し、言葉に絶し、他の国ではありませんというような記述をしておりますし、プラントハンターのロバート・フォーチュン氏は、もし花を愛する国民性が人間の文化性の高さを証明するものとすれば、日本はイギリスに比べてずっと文化性が高いのではないかというようなことを書いておりまして、日本人の生活態度や文化の高さを絶賛しているのであります。

 このような記述は枚挙にいとまがないほどたくさんありまして、日本を非難している文言は私は見たことがありません。このような中でたたえられている日本人の美質は、自然への畏敬の念をもとに、緑豊かな大地を培い、人を温かく気遣い、助け合いながら、公共心を持って勤勉に行動するという、私たちが本来大切にしてきたものであります。

 今日、このような日本人の美質は失われているのではないかというように思う人も多いかもしれません。しかし、あの阪神・淡路大震災時に見られました若者たちのボランティア活動、あるいは家族同士、近隣の住民同士が助け合う姿につきましては、世界の人々が驚いたという声を私どものところにも寄せていただいておりまして、このような日本人の美質は、今日なお日本社会に色濃く息づいていると私は考えるものであります。

 恐らく、このような日本人の美質は、今後人類の共通課題となるであろう高齢社会におきます福祉、あるいは地球環境問題、自然災害、あるいは町づくりといった、人間のあり方に関する課題に対します対応能力としては非常に高いものではないか、このように思っております。

 日本国憲法におきましては、その前文で、平和を希求する国際社会の中で尊敬される地位を占めたいということを高らかにうたい上げております。そして、恐らく、このことにつきまして、日本国民の大半の人たちがそのような考え方を今も持っているのではないか、このように私は理解いたしております。

 憲法改正につきましては、ある程度理解をする国民がふえてきておりますが、九条に関する改正につきましては、ある意識調査によりますと、七割以上の方が反対だというようなことを答えておられることにもそのようなことが反映されているのではないか、このように思うのであります。

 ただ、私は、そうであったとしても、単に平和の大切さを観念的に主張するだけで外国から称賛を受けるということにはならないであろう、このように思います。私は、そのことについて、亡くなられました宮沢俊義東大教授が指摘されておりますことが今も記憶に残っているのですが、日本は平和憲法を提示し、武力を否定している、武力を否定することによる平和だというのなら、世界に対して、平和の理念だけではなく、平和の技術について提案し、この憲法にふさわしい仕組みづくりに貢献していかなければならないということを説いておられます。

 私といたしましても、単に観念的に平和が大切だということを我が国が主張するだけではなくて、武力による解決を否定するならば、武力にかわる平和の維持あるいは発展ということについての技術を日本が提案をしていかなければいけないのではないか、このように思っております。そのようなことを我が国が実行することができれば、恐らく、明治初期の我が国に対して外国から評価を受けたと同じように、まさに日本国憲法にある平和を願う国際社会における名誉ある地位を日本は築くことができるのではないか、また、そういう方向への努力をすべきだと思うのであります。

 具体的には、震災復興の中で、この地域はかつては日本の近代化をリードしてきた地域でありますが、二十一世紀におきましては、国際的な平和に貢献する医療、福祉、環境、防災、こういった分野における国際レベルの研究施設、あるいは人材養成機関、情報発信機関を集積してまいりたいということで努力をいたしているところであります。

 次に、かつて私は中央集権制限法を提案いたしましたが、地方分権の推進ということについて提案をいたしたいと思います。

 地方分権の動きは国際的な潮流となっていることは、御案内のとおりであります。その原因は幾つもありますが、もうここでは時間もございませんので、その点は省略をいたします。そういう潮流の中で、我が国でも、地方分権一括法の制定等、今までと百八十度違った方向へ皆様方の御努力で進み出しているということは、私としても高く評価するところであります。

 ただ、昨今の動きを見ておりますと、例えば地方自治の典型だと言われております介護保険についても、国会、政府の方で微に入り細に入り制度設計がなされておりまして、自治という機能が働く分野が非常に小さいという状況になっています。また、市町村合併についても、国会あるいは政府におきます一方的な主張で事をどんどん進められている。あるいは、昨今、交付税の問題等が突如俎上に上がってまいりましたが、地方財政についても国会、政府の方で仕組みづくりがされている。こういうことになっておりまして、我々地方自治体の意見がほとんど反映をされる仕組みになっていない。このようなことについて、これでいいのだろうかという疑問を私は強く感じております。

 これはもちろん、日本国憲法におきまして、国会は国権の最高機関だと位置づけられており、租税法律主義のもとに、地方税も含めまして租税は法律で定める、あるいは、地方自治の組織、運営につきましては、法律でこれを定めるということになっておりまして、現日本国憲法下におきます地方自治は、全く国が定める法律の範囲内でしか認められないということになっているわけであります。こういうことの結果、先ほど申し上げましたような現実の地方分権を進めるに当たって大切なことが一方的に国で議論をされ、決めていかれる。こういうことの中で、これが本当に地方分権なのかという思いをいたしております。

 そういう考え方で外国の制度を見てみますと、連邦制の国におきましては、各連邦を構成する州政府と連邦政府との間に、憲法上、役割分担が当然のことながらきっちりしておられますから、地方自治のことは各州が相当大幅な権限を持って、住民自治の原則で働いていくということになっています。また、フランスなんかにおきましては、市町村長が国会議員を兼務するというような形で事実上のチェック・アンド・バランスがとられておりますが、こういうことについて将来検討すべきではないかという思いを強く持っておりますので、提案をさせていただきます。

中山座長 ありがとうございました。

 次に、柴生進君にお願いいたします。

柴生進君 私は、市議、県議を経て、現在、十五万都市の市長を務めております。

 この間、既に四半世紀が経過いたしましたが、私は、地方行政は、住民に最も近いところで住民の日々の生活に責任を負うものであって、住民とともに地域社会の願いを実現していく民主主義の具体的な実践だ、このように考えてきました。したがって、私たちにとっての日本国憲法は、住民一人一人の人権を尊重するためのその大もとになるもの、つまりは地方自治の羅針盤に当たるものだと私は考えております。

 私たちの自治体行政には、生活に根差したさまざまな訴えが住民から寄せられます。多くは、憲法の理念からすれば正当なものと考えられます。しかし、残念なことに、必ずしもそれらのすべてに十全にこたえ切れるものとなっていないのが現状であります。そこで強く感じますことは、住民の期待にこたえていくためには、その取り組みの大もととなる憲法に根差した国の施策のさらなる充実、殊に自治体への積極的な国の支援が何よりも必要だということであります。

 そこで、第一に、このような現状から申しますと、今必要なことは、憲法の具体的な実践、憲法に基づく民主主義の実践であると感じます。憲法論議は、このような認識のもと、住民の生活にどう向き合うのか、その声にどうこたえていくのか、そういう視座を持って行われるべきだと考えます。

 第二に、この民主主義の実践にかかわって、特に私ども川西市での経験から訴えたいこととしては、未来を担う子供たちの問題であります。

 未来を担う子供と申しましたが、しかし、子供の教育や福祉などをめぐる現状は課題山積であります。それだけに、その現状、その中にある子供たちのSOSに私たちが真正面から向き合い、最大限の努力をもって子供たちを支援していかねば、子供たちが真に未来を担うことは極めて困難であります。この問題においても憲法の実践が不十分であると痛感します。

 そこで、川西市では、我が国が子どもの権利条約を批准いたしました翌年、一九九五年から、憲法とともに条約をどのように生かしていくか、微力ながらも取り組んできました。と申しますのも、条約の批准とは裏腹に、九四年、九五年は子供のいじめが全国で急増し、そのために子供たちが相次いで死に至らしめられるという痛恨きわまりない深刻な事態が広がっていたからであります。

 地域社会や基礎自治体においては、子供をめぐる問題は、子供たち自身の実際生活の現状に根差して、かなりの具体性を持って検討していかねばならない課題であります。現に苦しんでいる、困っている、つらい思いをしている子供や家族がごく身近に、あるいは目前にいるわけですから、抽象論やだれかの責任を云々しているだけでは間に合わないのであります。まさに子供の問題は待ったなしであります。それだけに、子供の問題は、大人たちが具体的な現状に正面から向き合って、互いに建設的な対話に徹していくならば、さまざまな違いを超えて、地域社会として一致して取り組むことができるものだと考えます。

 このような観点から、本市では、九五年以来、さまざまな調査や検討を独自に積み上げてきました。その間の調査では、いじめを受けて生きているのがとてもつらく思うという子供が、小学校高学年と中学校の一学級に一人あるいは三人までいるという現状が報告されました。これに対して、九八年十二月に、本市の子どもの人権オンブズパーソン条例が議会の全会一致で成立しました。これにより、子どもの権利条約に基づく公的第三者機関として本市の子どもオンブズパーソンが活動を開始し、ことしで三年目に入ります。この二年間でも、子供や家庭、学校や保育所の現場、さらに福祉や教育などの行政をめぐるさまざまな問題や課題がこの公的第三者機関を介して打開され、あるいは展望が示され、あるいは貴重な解決モデルが提示されてきました。

 こういった経験から言えることは、憲法を論議するならば、このような子供施策の根幹となる最も基本的な理念や精神、すなわち憲法と子どもの権利条約をいかに具体的に実践していくか、未来を担う子供たちのためにそれをいかに社会に根づかせていくか、そのことをまず何よりも議論すべきということであります。

 子どもの権利条約第四条は、条約が認める権利実現のために、あらゆる立法措置、行政措置その他の措置を講ずることを締約国に課しております。そのために、条約の締結に際して憲法を改正した諸国も少なくないと聞きます。他方、我が国が条約を批准するに際しては、特段の立法措置、行政措置は必要ないとの国の見解でありました。果たして、我が国における現状はそのように言い切れるものでありましょうか。

 九八年六月の国連子どもの権利委員会の日本政府に対する総括所見を見ても、そうでないと私は感じます。御承知のように、総括所見は、子供の救済、擁護のためのオンブズパーソンなどの制度設置を日本政府に勧告いたしております。本市の子どもオンブズパーソンはこの国連の要請にこたえる形となりましたが、国のレベルにおいても、独自な立法、行政の措置、殊に地方自治体での取り組みを積極的に支援する措置が強く求められると考えます。

 この条約の理念、すなわち、子供の固有性を十分尊重するとともに、とりわけ子供を権利行使の主体と受けとめることは、戦争の世紀と言われた二十世紀末になって、国際社会が子供たちに未来を託すためにこぞって合意することのできた世界の行動基準であります。それだけに、これは、我が国の憲法を論議するならば、何よりも不可欠な論点であると考えます。

 第三に申し上げたいことは、今日のグローバリゼーションの時代にあって、私ども地方自治体はどのような町づくりをしていくことができるかという問題であります。

 グローバリゼーションの進行は、国際社会の役割と同時に、国内の地方社会の役割をますます大きくしていくと言われます。特に、生活に密接な教育や福祉、環境など地方社会の課題は、自治体とNPO、NGOを含む市民参加によるガバナンスによって取り組むことが必要だと考えます。

 そこで強調したいことは、地方社会のガバナンスには、平和と非暴力の人権文化への志向が不可欠であるということです。それがなければ、地方社会は生き延びていくことができないからであります。それゆえに、地方社会も国際社会に連帯していくことが必要ですし、それはもちろん、平和と非暴力の人権文化を目指すための連帯であります。これは、今日の世界がグローバリゼーションの中で確かに共有している精神だと私は感じます。したがって、民主主義を実践していくための地方主権の確立と、そのための国家政府の役割について、あくまで平和と人権を基調に議論を尽くすことが時代の要請にこたえるものだと考えます。

 最後に、以上申し述べました諸点からも、私は、我が国の平和主義が世界の潮流の中にあると感じます。平和主義は、国際社会が戦争の世紀をかいくぐって、今、人権の世紀を創造しようとまさに目指すところのものであります。この世界潮流に呼応していくことが、我が国が我が国の独自性を十全に発揮し、そうして国際社会に貢献して名誉ある地位を占めることのできる方途である、このように考える次第であります。

 以上でございます。

中山座長 ありがとうございました。

 次に、笹山幸俊君にお願いいたします。

笹山幸俊君 私からは、今回の大震災に当たりまして、いわゆる大規模な自然災害に対する危機管理のあり方について感じたことを申し上げたいと思います。

 まず、大まかに二点申し上げます。

 大規模な都市災害時に、現場に身近な市町村長が直接対応する仕組みが必要であるということが一つ。それから、憲法の生存権の保障規定などをどのように具体化していくかという実践過程、方法でございます。その中で、被災者支援のために現実的に必要な施策と法律とのギャップがあるということでございます。特に、前例や明確な基準がなかったための自治体としての苦労、苦慮、こういうものがあったということでございます。

 少し細かいことになりますが、具体的な事例を申し上げます。

 まず、災害時におきます最初の仕事でございますけれども、防災行政といいますのは、住民と密着した行政でございますので、第一義的には市町村長に責任がある、こう考えます。しかし、今回の震災には、責任に対応した権限の面で必ずしも十分ではなかったのではないか、こういうことがございます。それから、災害の状況をいち早く把握できるのは、やはり基礎的自治体である市町村ではないか、こう思います。特に、支援策として考えられますのが、まず消防はもちろんみずからやるべきですが、警察はいわゆる啓開道路をやりますが、通行ができない状態のところをできるだけ早く通れるようにするという道路の関係の警察、それから、実際に自衛隊の皆さん方にそれぞれ派遣要請をする必要があります。それで、その要請について、市町村長にも直接要請権限があって望ましいのではないか、こう思っております。指定市の場合には、それぞれ自衛隊等に申し上げるわけですけれども、これは通知ということになっております。要請ということにはなっていないということでございます。

 それから、第二の例としまして、非常に難しい話ですけれども、仮設住宅を大量に建設をするという考え方でございます。これは公共用地だけでは不足をいたします。当時、民有地等の活用はできないか、こういうことを申し上げたわけですが、これにも問題がございます。そういうことで、できませんでしたが、こういったことの反省も含まれてございます。これは、個人の敷地等については、お借りしたところもございますけれども、問題が先送りになる、こういうことでございます。

 それで、できるだけ公の土地を使うということでやってまいりましたけれども、もし個人の土地を使わせていただけるということであれば、用地が少ない場所、地域、都市、そういうものの場合に、新たに必要な用地が少なくてもいける、こういう利点があります。それと同時に、コミュニティーが維持できる。ということは、現地を余り離れなくても済む、こういうことがございます。ですから、新たなコミュニティーの形成が現在課題となっておりますけれども、そういった変更が少なくて済む、こういうことがございます。

 これは、なぜそういうことを言うかといいますと、憲法二十五条、生存権、あるいは国民生活の社会的進歩向上に関する国の義務というものがございます。それに対応できる一つの方策ではないか、こう思います。ですから、生活環境の継続性というものを維持する観点から災害救助法を運用する必要があるのではないか、こう思っております。

 また、今、議論になっております住宅再建の支援制度を申し上げてきております。これは、あくまでも自然災害による個人の住宅被害は自立による再建が原則、こういうことになっております。しかし、大規模災害では、個人の自力再建の基盤自体が失われることになるわけですので、公的な支援制度の創設は不可欠ではないか、こう思っております。これに対しまして、国の検討委員会で昨年報告をいただいておりますが、住宅再建の公共性を認める、こういうことをいただいております。憲法二十五条の生存権、あるいは国民生活の社会的進歩向上に関する国の義務の中に含まれておるのではないか、こう思います。住宅再建支援制度の早期創設ということでお願いをいたしております。

 それに加えて、再建だけではなくて、実際に起こった問題は、建物の補修に対する支援制度がございません。制度としてはあっても、非常に少ない額でございました。ですから、むしろそれの何倍もの修理費が要った、こういう事例もございます。そういうことで、これをやりますと仮設住宅の建設戸数が少なくて済む、こういうことが一方で言われます。それから、それに付随して発生をしました瓦れきの撤去、こういった問題も減る、こういうふうな利点がございます。

 そういうことで、種々考えていきますと、細かい話をきょうは特に申し上げましたけれども、こういった問題を、いわゆる憲法から見て、例えば憲法の中でいろいろと議論を今されておりますが、特に住民の意思というものをできるだけ採用していく、こういうふうなことから見ましたら、よく法律に書いてございますが、たくさんの例として、いわゆる公共の福祉とは一体何かと。いろいろな事業をやりますけれども、必ず法律にはそういう表現がございます。憲法にもあるわけですね。その確認というもの。あるいは、社会福祉とは一体何か、これがどうも考え方として薄くなっておると思います。ですから、いろいろと議論をしていただいておられる専門家の方々の中でも意見が分かれる、こういうことでございますから、そういった意味では、はっきりした方がいいのではないか、こう思います。

 それから、自然災害に対する国の補償を実際にやるのかやらないのか。いわゆる基本法ではございますけれども、これも昭和二十二年にできた、五十年前の法律を今適用しておるわけでございますので、こういった点について、憲法の規定と現行制度、法律の間には、解釈の仕方のギャップがあるのではないか、こう思われますので、ぜひこのギャップを埋める議論もしていただければ、こう思います。

 それから、最後になりますけれども、こういった大規模災害では、市、町、行政の対応には限界があるということでございます。それから、地域のコミュニティーを基盤にして、協力して安全が確保される、こういうことがあるということでございます。このコミュニティーは、地域の方々が事業者もあるいは行政も含めてやっていこうということでございますので、行政の役割、計画等について、今後のコミュニティーの問題については御支援をいただきたい、こう思っております。

 以上でございます。

中山座長 ありがとうございました。

 次に、大前繁雄君にお願いいたします。

大前繁雄君 それでは、早速意見を述べさせていただきます。

 私は、昨年の夏、ひょんな偶然が重なりまして、わずか一カ月の間に三度、韓国、中国、マレーシアというアジアの代表的な国々を旅する機会を得ました。それらの旅を通じて私の心を大きくとらえた事柄が一つございます。それは、日本の国内にいて考える日本と、外国、特にアジアの国々から見る日本の像が百八十度違っているという点でございます。

 今、私たち日本人の目に映る日本と申しますのは、連日の子殺し、親殺し、人殺し報道に見られるとおり、道徳は地に落ち、政治は混乱を続け、経済はバブル崩壊後の長い不況からいまだ脱却し得ず、停滞のきわみにございます。国まさに亡国の兆しありというのが実態で、国民なべて、一体この国はどうなっていくのだろうかという不安に駆られているのが我が国の姿ではないでしょうか。

 ところが、アジアの人たちの日本に対する見方は全くその逆でございます。今日の日本は、彼らにとって夢にまで見る理想の国であり、地上の楽園、パラダイスなのでございます。

 最初の旅で中国の大連空港に着いたとき、出迎えの現地ツーリストの中国人男性がまず述べたのは、皆さん方が一番最後に空港から出てこられるのはよくわかっていました、日本人は、中国人や他のアジア人のように割り込みなどせず、整然と入国審査の列に並ぶのでいつも一番びりですという言葉でしたが、この言葉は、今なお日本人の礼儀正しさ、遵法精神が高く評価されていることを意味しております。

 また、三度目の旅で訪れたマレーシアで、日本と合弁企業を営んでいるマレー人に、どうしてマレーシアにはこんなにたくさん日本を含めて外国企業が進出しているのですかと尋ねましたら、彼は、恐らく政治が安定しているからでしょうと答えました。そして続けて、マレーシアは日本と同じ、アジアで数少ない立憲君主国家です、安定した日本の政体をモデルに三十年前、立憲君主国になったのですと述べ、戦後日本の政治体制を最も安定した形と見ておられました。

 こういった日本理想論のきわみは、韓国・釜山で聞いた、バスガイドの次のような話でございます。

 釜山で私の乗ったバスの若い女性のガイドさんは、日本は敗戦国であるにもかかわらず、今世界一平和で豊かで民主主義の行き届いた夢のような国です、ドイツや韓国のように分断や戦争を経験していない戦後日本に、韓国人は一種ねたみに似たあこがれの心を持っていますと語りました。

 そして、続けて彼女が語るには、日本だけがなぜそんなに恵まれているのかとそのわけを韓国でいろいろ研究したところ、結論として、日本は国民統合の中心としての天皇を象徴としていただく立憲君主国家だからだということになり、韓国も、大統領制ではなく、日本や北欧のような立憲君主国になろうと、日本の植民地になる前、約五百年続いた李王朝復活の方策をいろいろ研究したのだそうでございます。

 ところが、無私と慈愛を最高道徳とする日本の皇室と違って、私腹を肥やすことと国民を虐待することばかりの歴史で埋め尽くされている李王朝では、仮にその末裔を捜し出してきたとしても国民は尊敬しないであろうということになり、結局、韓国の立憲君主国家論は消滅したそうでございます。

 私は、この若いガイドの説明を聞いて本当にびっくりしました。表面的には反日、特に天皇に対しては敵対心の強い意見が支配的な韓国の言論界ですが、一般の人たちは極めて常識的なというより、最近の私たちの平均的な感覚では買いかぶりとさえ思えるような日本観を抱いているということを女性ガイドの言葉からかいま見、みずからの認識の変更を迫られる気がしたのでございます。

 以上、少し長きにわたって、私が三度のアジア旅行で得た見聞録をるる申し述べさせていただきましたが、こういった見聞体験から私が何を申し上げたいかと申しますと、それは、敗戦後、ともすれば自虐的に陥りがちな私たち日本人が、もう一度そのよさを見直すべきではないかということでございます。そして、もしそのよさが失われようとしている、損なわれようとしているのであれば、各分野で補正、改善策を講じ、今後も引き続き、日本が他のアジア諸国、否、世界から思われているようなあこがれの国であり続けるよう努力しなければならないのではないかということでございます。

 そういう観点に立って、憲法につきましても補正、改善を行うべきという考えを私は持っておりますが、そういう立場から、以下数点意見を申し述べたいと思います。

 その第一は、我が国が立憲君主国家であるということの明確化でございます。

 アジアにおけるタイ、マレーシア、ヨーロッパにおける北欧諸国、イギリス、オランダなどを見ればよくわかるとおり、政治の安定している国の多くは立憲君主国家でございます。恐らく、歴史と伝統を背景とする世襲の王とか女王が権威の部分を担い、現実政治を扱う権力の部分を選挙で選ばれる政治家の役割とする統治形態が安定したバランスをもたらすからでございましょう。

 我が国も、憲法第一章第一条で、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると規定しておりますので、立憲君主政体であると推定されますが、極めてあいまいでございます。今後、首相公選制の議論なども進んでまいりますので、ぜひ国の代表者としての天皇を明確化し、世界最古の歴史を有する皇室の存在を十分に生かした立憲君主国家として発展を目指すべきだと思うのでございます。

 第二は、権利と義務のバランスについてであります。

 戦後教育の問題点が各方面で議論されておりますが、私は、その最大の問題点は、規律の排除としつけの喪失にあると思っております。

 家庭におけるしつけ、学校における規律は、教育の根幹ともいうべきものでございますが、この二つが戦後半世紀の間に失われ、それが今日の教育の混乱、徳性を欠いた若者の大量生産につながっているのでございます。

 特に、家庭におけるしつけについては、戦前戦後で価値観が根本的に変わったために、しつける側の親がどのようにしつけてよいのかわからなくなり、近年、家庭でのしつけは事実上消失してしまっていると言っても過言ではございません。このことは、私自身、長らく高等学校教育に携わってきて、日々痛切に感じているところでございます。

 私は、こういった家庭教育の立て直しのために親の再教育が必要であり、親もしくはこれから親になろうとする人たち対象のしつけのマニュアルをつくり、保護者教育をすることが不可欠だと思っております。

 ところが、その場合の価値観の基準となる憲法には、よく指摘されるとおり、権利の規定は至るところにちりばめられているのでございますが、義務についてはほとんど規定されておりません。わずか第三章に、申しわけのように勤労と納税の義務が書かれているだけであります。

 早急に憲法の全般にわたって見直しを行い、個人の権利尊重と同時に、必要な義務規定を盛り込んでいただきたい、このようにお願いをしたいと思います。

 以上でございます。

中山座長 ありがとうございました。

 次に、浦部法穂君にお願いいたします。

浦部法穂君 神戸大学で憲法を教えております浦部でございます。

 時間が限られておりますので、早速意見を申し述べさせていただきます。

 今、国際社会では、安全保障についての新しい考え方が一つの大きな潮流となっております。それは、国家の安全保障から人間の安全保障へという考え方の転換であります。この人間の安全保障という考え方は、国連開発計画、UNDPが毎年出しております人間開発報告書の一九九四年版で提唱されたものであります。

 それはどういうことかといいますと、安全保障についてのこれまでの伝統的な発想、すなわち国境に対する脅威に対処することを専ら考える発想では、今日、人々の生活を脅かすさまざまな脅威に有効に対処することはできないという認識に基づくものであります。

 今日、私たちは、まさしく地球規模の困難な問題に直面しております。地球温暖化など、地球環境の破壊、開発がもたらす大規模災害あるいは毎年八千万人もの爆発的な人口増加、さらには水や食糧の不足、資源エネルギーの枯渇あるいは貧困、飢餓の深刻化等々といった問題であります。これらの問題が、私たちの生存への脅威として現実に今襲いかかってきているわけであります。

 日本に暮らす私たちには現実感がないかもしれませんが、しかし、世界全体を見れば、例えば、およそ十三億人もの人々が貧困、飢餓に苦しんでいると言われておりますように、恐怖と欠乏は既に現実問題として多くの人々の生活を脅かしております。もしもこれらの問題がこのまま放置されるというようなことがありますと、恐らく二、三十年後には確実に、日本に暮らす人々にも、この恐怖と欠乏が現実のものとして降りかかってくるはずであります。その人々の安全を保障するためには、これらの問題の解決が今緊急に要請されていると思います。

 そして、これらの問題は、国家という枠組みの中だけで考えていたのでは決して解決できません。これまでのように国家の枠組みにとらわれて、各国がそれぞれに自国の利益を主張していたのでは、問題はますます深刻化するだけであります。そのようなことになったら、大げさではなく、人類の滅亡につながりかねません。国家の安全保障ではなく、人間の安全保障へという安全保障観の転換というのは、こうした認識に基づくものと言えるように思います。

 そういう観点から日本国憲法を見てみますと、その前文で、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認している、このことが改めて重い意味を持っていることに気づかされるはずであります。

 憲法制定当時には、当然、人間の安全保障という概念自体は知られていなかったでしょうが、しかし、この憲法前文で述べられていることは、まさに人間の安全保障そのものだと思います。「恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」というのは、人間にとっての平和が、単に戦争がないというだけではなく、あらゆる恐怖と欠乏から免れている状態を指すということをあらわしております。それは、平和とか安全保障の問題が、一人一人の人間にとっての問題としてとらえられるべきものだということを含意しております。

 五十数年にわたってそういう理念を掲げてきた日本が今なすべきことは、この理念を捨て去ることではなくて、今までは単に掲げていただけであったかもしれませんが、今後は、この理念を実際に具体化する政策を率先して実行し、国際社会をリードしていくことだと思います。二十一世紀の国際社会で日本が名誉ある地位を占めるには、それしかないというふうに私は確信をしております。

 具体化するための政策、これはいろいろなものが考えられますけれども、私は、とりわけ今差し当たり重要な課題として考えられますのは、一つには、これまでの日本のいわゆる使い捨て型の経済から、持続可能な経済というものを日本自身も目指すと同時に、そのようなもう既に我々が手にしている技術等によって、いわゆる途上国の発展をも持続可能な形で後押しをしていくということが、一つ重要な点として挙げられるであろうと思います。

 それからもう一つは、いわゆる国際的な人権保障の枠組みというものを確立するということであります。

 この点につきましては、例えば、ヨーロッパにおきましてはヨーロッパ人権条約、あるいはアメリカにおきましてもアメリカ人権機構等があります。それから、アフリカにおきましてもアフリカの人権憲章というものがございます。しかし、アジアにはまだそうした国際的な人権保障の地域的な取り決め、枠組みというものが存在しておりません。このような枠組みを日本が率先してつくっていくということがもう一つの重要な政策として掲げられるべきであろうというように思います。

 それから三つ目は、先ほど言いましたような、恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利というものを実現するためには、当然、軍隊、軍備というものを世界からなくしていく、そのための努力を日本が率先してやっていくことが要請されているというふうに思います。

 憲法の前文の性格につきましては、憲法学におきましても、これが法規範性があるのかどうかといったことが議論されておりますけれども、確かに、これをそのまま裁判所によって適用できるという意味での法規範性というものは前文には薄いかもしれません。しかし、この憲法前文に掲げられていることは、日本という国の政策指針として掲げられていることであるわけですから、裁判所で適用されるかどうかということにかかわりなく、日本の政策は、これは外交も内政も含めて、この前文を基準にして、それに適合するような形で行われなければならないということが、憲法というものの性格から当然に導かれることだろうというように思います。

 私が人間の安全保障という概念に注目するようになりましたのは、実はあの震災がきっかけでありました。人間の安全保障という観点に立つことの重要性を、震災は私たちに教えたと思うのです。

 大地震というのは、何十年、何百年という単位で、いつあるかないかわからない、そういう性格のものでありますから、そのようなものに備えて巨額のお金を投ずることはできないというそれまでの行政の支配的な考え方は、ある意味では自然なものであったかもしれません。しかし、よくよく考えてみますと、同じくあるかないかわからないどこかの国からの侵略に備えて、国は毎年巨額のお金を投じております。しかも、大地震の発生は人間の力で避けることのできるものではありませんが、どこかの国からの侵略は努力すれば避け得る可能性のあることであります。避けられないものと避け得る可能性のあるもの、一体どちらに備えるべきなのか。これは、人間の安全保障の考え方に立てば、答えは明らかだと思います。

 人間の安全保障にとって、軍事力はほとんど何の役にも立たないということを震災は実証しました。役に立たないだけではなく、理論的に、軍事力は人間の安全保障に反するものであることも明白であります。憲法が掲げている人間の安全保障を確固たる哲学として、自信を持ってそれを貫くことのできる、そういう国であってほしいと思っております。

 以上でございます。

中山座長 ありがとうございました。

 次に、中北龍太郎君にお願いいたします。

中北龍太郎君 まず、結論から申し上げます。

 私は、端的に言って、二十一世紀の日本のあるべき姿は、戦争の世紀、二十世紀の誤りを克服し、二十一世紀を文字どおり平和の世紀につくり上げていくことだと確信をしております。そのためには、平和憲法をしっかり守り、平和憲法を文字どおり生かすことだと思っております。

 以下、その理由を順次申し述べていきます。

 二十世紀の前半は、二つの世界戦争によって、比類のない戦争の惨禍をこうむりました。その象徴がホロコーストであり、南京大虐殺であり、広島、長崎でありました。日本も戦争に参加をし、アジア太平洋地域を中心に大きな戦争の惨禍を与えました。それとともに、被爆、都市空襲に見られるように、日本の市民も大きな戦争の惨禍を受けたわけであります。

 この戦争は、自衛あるいは正義の戦争あるいは東洋平和の名目で行われたわけであります。この歴史をしっかり心に刻むことが今こそ求められていると思います。歴史の忘却や、ましてや歪曲は、新しい戦争の芽をつくり出すことになります。

 憲法九条、前文を柱とする平和憲法は、まさにこの戦争の反省から生まれました。人類の、もう戦争を廃絶したい、戦争を起こしてはならない、そうした悲願と決意から生まれた、そうした心と思いが結実したのが平和憲法でございます。

 平和憲法は、何よりも一人一人の人間を大切にする、このことを原点にしております。こうした原点に立って、戦争は絶対悪だという基本的な認識に立ちまして、非暴力平和主義を貫いております。他国を軍事力で支配するのではなしに、お互い話し合いで友好関係を築いていく、そして戦争のない世界を目指していく、これが平和憲法の心でございます。また、先ほど浦部先生がおっしゃいましたように、文字どおり人間の安全保障政策を実行することによって、戦争の原因を根元から断ち切る、これが平和憲法の精神でございます。

 それとともに、政府の政策により市民が大きな人権侵害をこうむったという反省に立って、平和の保障を人権の問題として構成をしております。平和のうちに生きる権利、平和的生存権がそれでございます。まさに戦争は最大の人権侵害であり、こうした人権侵害をやめさせる権利を国内外の人々が手にしている、そのことを確認しているのが平和憲法のすばらしい点であります。また、実際、戦後日本は一人の戦死者も出しておりません。これは大きな平和憲法の力です。また、世界の多くの人々が世界平和への希望の灯台として高く評価をしています。この誇り得る憲法をなくすということは、日本の誇りを捨て去ることにほかならないわけであります。

 ところが、東西冷戦時代、日本は、朝鮮戦争を契機にアメリカと日米安保条約なる軍事同盟を結び、再軍備を開始し、今や海外最大の拠点と言われている米軍基地が日本に置かれ、そして世界有数の軍事力を自衛隊という名で持つようになってきております。憲法の空洞化は、冷戦時代、確実に進んできたわけであります。この空洞化について、歴代政権は世界内外の人々に対して大きな責任を負っております。

 そして、この冷戦は終わりました。冷戦が終わって、新しい平和の世紀を私たちは自覚的に努力してつくっていかなければならないはずでございました。冷戦の終わりは平和憲法を生かす、実現する大きなチャンスであったわけであります。しかし、現実はどうだったのでしょうか。周辺事態法の制定に見られるように、これまでの冷戦時代の惰性あるいはアメリカの攻撃的な世界軍事戦略によって、ますます米軍の戦争に協力する体制は強まってきております。

 こうした戦争政策の延長線上に、集団的自衛権の行使ができるように憲法を変えようという動きが強まってきております。まことに残念なことであります。平和憲法を戦争憲法に変えることは、世界平和と人権を根こそぎ破壊することは火を見るよりも明らかであります。この憲法調査会が改憲の地ならしになるようなことは決してあってはならないと強く訴えたいと思います。

 今まさに平和憲法を生かさなければなりません。平和は戦争や軍隊で築くことはできません。このことは、戦争の世紀、二十世紀の大きな教訓でありますし、非暴力平和主義の平和憲法を具体的な政策として結実していかなければならないと思います。例えば、この神戸にあります非核神戸方式を国会で法律として法制化し、そして、それをアジアに広げ、東アジアを非核地帯にしていくことも平和憲法実現の第一歩であります。これをステップにし、さらに平和外交を展開し、戦争のないアジアをつくる、アジア平和機構を平和外交の力でつくり出していかなければならないと思います。

 それとともに、日本の非軍事化を進めていく。例えば、日米安保条約を友好条約に転換していく、自衛隊を災害救助隊に改編をしていく、こうした非軍事化政策によって日本を世界平和の発信基地にしていかなければならないと思うのであります。その上に立って、浦部先生のおっしゃられた人間の安全保障政策を世界的、国際的に展開をしていかなければならないと思います。これこそまさに世界平和の道であります。

 繰り返しますが、平和憲法を変えることは、日本が世界に誇れる貴重な宝を失うことになります。それはまさに子々孫々に対する暴挙でございます。憲法調査会のなすべきは、改憲の方向ではなく、憲法をどう実現していくか、憲法尊重擁護義務のある政治家として丹念に検証をしていく、調査をしていく、これこそ憲法調査会の真のあり方だということを最後に訴えて、私の発言を終わりたいと思います。

 どうもありがとうございました。

中山座長 傍聴人に申し上げます。

 お手元の注意事項にありますとおり、拍手をしないことになっておりますので、御注意を申し上げます。

 ありがとうございました。

 次に、橋本章男君にお願いします。

橋本章男君 橋本でございます。

 まず、大災害時におけるリスク管理条項の明文化について提言いたします。

 一九九五年一月十七日未明に発生し、甚大な人的、物的被害を生みました阪神・淡路大震災から、はや六年以上が経過しました。この地に住むものの一人として、また一人の医療担当者として、生涯私の記憶からあの惨状が消えることはありません。

 被災地は復興に向けて着実な歩みを続けております。しかし、一方で、震災のために奪われた六千人以上のとうとい生命は二度と戻ることはなく、今なお多くの住民が肉体的、精神的な後遺症に悩まされているのもまた事実であります。私たちは、震災の惨状と経験が時間の経過とともに風化されないよう、今後の教訓としてこれを十分に生かしていく責任があるのではないでしょうか。

 阪神・淡路大震災の際に最も大きな課題として指摘されたのが、国家の危機管理システムの脆弱さと、縦割り行政の弊害による救助活動の立ちおくれであります。

 地震列島と呼ばれる我が国において、阪神・淡路大震災は決して対岸の火事ではありません。大規模災害時においては、人命救助活動、ライフラインの確保等、国と被災地のみでなく、周辺の地方自治体とが密接な連携のもとに迅速かつ的確な対応をとることが必要であります。その基盤となるのは、国家レベルでの明確な指揮命令系統の確立と、すべての省庁が、公共の安全と秩序の維持回復のために、相互にでき得る限りの職務上の援助を実施することであると考えます。

 しかしながら、現行憲法上では、自然災害を初めとして、大規模災害対策に係る国家の対応については何ら明記されておりません。御高承のことと思いますが、諸外国の例を見ても、ドイツにおいては、ドイツ基本法第三十五条において、自然災害または特に重大な災厄事故時の中央政府と州政府の権限と役割等について規定を明文化しています。

 私たち医療担当者は、震災のとき、みずからの医療機関が被害を受けながらも、地域住民の生命と健康を守ることを第一義に、瓦れきの中を東奔西走いたしました。その中で、家族や知人の安否を気遣い、この地で再びもとの生活に戻れることを希求しながら亡くなっていった多くの住民を目の当たりにしています。

 地震を初めとした自然災害の発生を未然に防ぐことは困難だといたしましても、国や地方自治体の対応によって被害を最小限にとめることは可能なはずです。国民の生命を守るという観点から、ぜひとも日本国憲法において、大規模災害に対する国家の責務と緊急対応に係る規定を設けていただきたく、お願いを申し上げる次第であります。

 次に、生存権条項について申し上げます。

 日本国憲法第二十五条は、国民の生存権について、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定しています。これを受けて、生活保護法、児童福祉法、身体障害者福祉法などの各種社会福祉関係法や、国民健康保険法、国民年金法、雇用保険法などの社会保険関係法が戦後次々と整備され、国民の生活基盤の安定化と生命の確保、健康の保持増進に大きく寄与してきたことは言うまでもありません。

 しかし、昨今の経済財政諮問会議の議論の流れや、政府・与党が発表した社会保障改革大綱の内容を見ますと、公的制度の役割と個人の責任の明確化、経済成長の伸びと医療費の伸びのバランスの確保、高齢者に偏った給付の是正などの文言があふれています。これでは、国の責任として果たすべき社会保障の役割を縮小する方向にあるような印象をぬぐい切れず、強い危惧を抱いております。

 先ほど述べましたとおり、日本国憲法第二十五条においては、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とあります。問題は、この「最低限度」の解釈によるものと思われます。当初、日本国憲法が施行されました昭和二十二年という戦後の混乱期真っただ中の社会背景においては、文字どおり貧者救済のための最低限度の生活の保障ということを目的としていたかもしれません。しかし、戦後の目覚ましい経済的発展に伴う生活水準の向上、健康の著しい増進、国民の権利意識の高まり等の社会環境の変化にかんがみ、この二十五条に示す権利も常により高いレベルで維持するという発想が国家の理念として必要なのではないかと考えます。

 日本国憲法第十三条においては、国民の権利として、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しています。このことからも、国民の平均的な生活レベルや健康度が向上したことを理由に社会保障の役割を縮小させるということは、国民の生命や幸福追求の権利を最大に尊重するという観点からも、決して適切な対応だとは思えません。

 国民の生命、健康は国家の最も大切な財産だと考えます。日本国憲法第二十五条においては、「最低限度」という文言を削除するとともに、国民のだれもが条文を見て安心できるよう、国民一人一人の健康権というものを明確に規定すべきだと思います。国家の責任として、より高いレベルで国民の健康を保障することを明らかにするため、条文の見直しを切に希望するものであります。

 あわせて、現行の社会保障関連諸法とは別に、健康権の保障をより具体的に示す法律の制定が必要だと考えます。

 現行の法体系においては、疾病予防を中心とした保健事業への取り組みは、母子保健法から始まって、学校保健法、労働安全衛生法、老人保健法と、根拠とする法律がばらばらであるため、個人の健康情報も生涯を通じて有効に活用されているとは言いがたい状況にあります。個人情報の保護に十分な配慮をしながら、国民の生涯にわたる健康の保持増進を目的として、国家が責任を持ってこれに取り組むことを規定する健康基本法の制定について早急に御検討をいただきたく、あわせてお願い申し上げる次第でございます。

 以上で終わります。

中山座長 ありがとうございました。

 次に、小久保正雄君にお願いいたします。

小久保正雄君 憲法につきまして、私が常々考えていることにつきまして申し上げたいと思います。

 まず、基本的な考え方ですけれども、憲法とは、その国を運営または存続させていくための一つの装置または道具であって、日本の一部の人たちが主張するように、過度に神聖視した考え方はとるべきではないんじゃないかというふうに考えております。したがって、憲法の内容については、そのとき、その時代の状況によって変更して、常にアップ・ツー・デートなものにしていくべきではないかというふうに考えております。ましてや、不磨の大典といったような見方はナンセンスだというふうに思います。

 あと少し具体的に申し上げますと、前文についてでありますが、日本国憲法はマッカーサー司令部によってつくられ、当時の日本政府と国民に押しつけられたものであるという主張もあるようでありますけれども、憲法の前文を読むと、これらを事実と認めざるを得ないというふうに私は感じております。文章もまれに見る悪文、悪翻訳であり、日本人が書いた日本文であるとはとても思えないからであります。

 また、その内容も空想的平和主義とも言えるようなものであって、制定時にはともかく、現在の国際情勢からすれば考えられないような、ひとりよがりな内容であるというふうに思います。したがって、この前文、すなわちこの憲法全体でありますけれども、日本を再びかつてのような強国にしてはならないというような多分に報復的な意味と、GHQ内部の急進的平和主義者の願望がつくり上げた憲法ではないかというふうに考えております。

 そういう点にかんがみ、戦後半世紀以上も過ぎた今日、今の時代の国内、国際情勢を踏まえた、日本人と日本国の新しい自覚の上に立った憲法を制定すべきときに来ているというふうに私は思います。

 第一章の天皇のことでありますが、第一条については、冒頭に、天皇は日本国の元首でありということをはっきりと文章の中に書き入れるべきではないかというふうに思います。

 それから、第二章、第九条、戦争の放棄でありますが、第九条については、自衛のための交戦権を認め、シビリアンコントロールのもと、陸海空の軍事力を保持することを明記すべきであるというふうに思います。

 それから、第十二条、国民の権利及び義務でありますが、公共の福祉の概念をもっと出すべきである。今は、個人の権利や自由が余りにも前面に突出し過ぎた国民性というものを形づくってしまっておるんじゃないか。個人の自由や権利というものも公共の福祉の中にあるんだということをもう少しはっきりすべきじゃないかというふうに考えております。

 以上、まことに簡単でありますけれども、そういった点から考えまして、このいささか時代離れのした古色蒼然たる憲法に固執し、その時々の解釈によってそのほころびを直していくような今までのやり方はもはや通用しなくなっており、国民の遵法精神を損ねていくようなものであると考えます。したがって、国会におかれましては、現在の国内外の諸情勢を踏まえて、早期に憲法の改正に取り組んでいっていただきたい、このように考えております。

 以上です。

中山座長 傍聴者は、拍手は御遠慮ください。

 ありがとうございました。

 次に、塚本英樹君にお願いいたします。

塚本英樹君 御紹介をいただきました、大阪市は港区からやってまいりました塚本英樹と申します。

 本日は、神戸における憲法調査会におきまして意見陳述をさせていただく機会を得ましたこと、心より御礼申し上げます。

 二十一世紀の日本のあり方、憲法のあり方ということで私の意見陳述をさせていただきます。

 戦後五十年以上経過し、憲法制定当時と今日では社会情勢が大きく変化しております。日本社会だけでなく、世界においてもさまざまな情勢の変化がある中で、日本国憲法の改正が行われないというのは、むしろ日本そのものが後退し、国際社会から取り残されていくのではないかということを自覚し、行動していかなければなりません。

 今日、企業経営者は、経営努力をし、ようやく現状維持を保っております。時には、必要に応じて、社会の情勢、変化に合わせて、会社の憲法である定款を改正することもあります。日本が今後とも国内外の発展に寄与するためには、二十一世紀の情勢、変化に対応し行動すべく、憲法の改正に着手しなければならないと考えます。

 個別的に考えますと、すぐにでも変更できるもの、そして、追加すべきもの、今後も議論をしていくべきものというように大別できるのではないでしょうか。

 第一に、変更すべきもの、改正すべきものでは、まず前文が挙げられます。「日本国民は、正当に選挙された国会における」と始まるくだりでございますが、この「日本国民」という文言を単に国民という表現にしますと、どこの国の憲法かわかりません。子供から大人まで、一読すれば日本の憲法であるというような、親しみやすい、日本の伝統、文化、歴史のくだりを入れていくべきだと私は考えます。

 また、だれが読んでもおかしいのは、私学助成の問題でございます。憲法八十九条には、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」とあります。現在、公の財政の助成を受けている私立の学校があることは明白であり、助成金の必要性はだれもが認めるところでございます。私学助成を可能にするような内容に改正してもいいのではないでしょうか。

 また、総選挙という表現はおかしく、第七条四号には、天皇の国事行為として「国会議員の総選挙の施行を」とありますが、来月行われます参議院議員の選挙は通常選挙であって、総選挙ではないということは明らかでございます。

 第二番目でございますが、追加すべき点では、中山会長からの宿題にもありましたが、危機管理体制、緊急事態について検討、追加すべきであります。公聴会の開催場所である神戸は、平成七年の阪神・淡路大震災で大変な被害を受けました。危機管理体制、緊急事態について整備されていたならば、その被害を最小限に抑えることができたと考えます。

 私も、震災のボランティアとして神戸に来ましたが、ボランティアは二次的なサポートしかできないということを実感いたしましたし、早い段階での政府の対応がいかに重要かということを、振り返ってみると感じます。

 また、天災だけでなく、他国からの侵略等を考えた場合も、それらの諸課題に備えるのは当然のことであります。一国民でさえ自分に対してさまざまな保険を掛けるのに、国家が危機、緊急事態というまさかのときに対応し得ないということは、国民の生命財産を守るという視点から怠慢に値するのではないでしょうか。最も重要な課題は、災害等が起こったときの初期段階での対応への早さであると思います。

 ほか、二十一世紀は環境の世紀でもあります。環境というキーワードにおいて、地球規模で起こっている自然破壊などへの対応をうたうべきでもあります。国民の投票などについては、自分たちの国は自分たちでつくるということを明確にするために、権利や自由の裏側にある義務や責任という文言も追加すべきでございます。

 引き続き議論すべきものとしては、第九条や参議院の不要論などを挙げたいと思います。首相公選論については、政治を身近なものと感じることができる一方で、国の統治機構を考えざるを得ないので、引き続き議論していくべきであると考えます。

 改正するしないということでなく、社会情勢に合わせ、改正を前提として、そして九条にとらわれることなく、改正できるものから、国民の審判を受けて改正していくべきだと思います。

 以前、アメリカのクリントン前大統領は一般教書演説の中で、我々の敵は行動しないことであると述べています。今まさに、日本が国内外の発展に寄与するためには、憲法改正を行い、行動していくべきだと考えます。

 以上をもちまして、私の意見陳述を終わらせていただきます。

中山座長 ありがとうございました。

 次に、中田作成君にお願いいたします。

中田作成君 ありがとうございます。中田です。

 小泉内閣の成立以来、首相の公選制などを名目に憲法改正の声がとみに高まってきましたが、私は、この風潮に対して極めて重大な憂慮を覚えるものであり、憲法改正反対の立場から意見を述べたいと思います。特に、二十年近く、環境、情報公開、住民投票などの住民運動に携わり、微力ながら住民自治の確立のために努力してきた経験を踏まえて意見を申し述べます。

 初めに、この調査会及び公聴会のあり方です。この調査会の根拠とその権限、権能が明確であるのかどうか、疑問であります。

 きょうの傍聴者は、百名に対して三百五十九人の申し込みがあり、一般公募者の枠はわずか二名に対して、応募者は六十一名です。十名の公述人のうち、自治体の首長さんが四名を占めるというのも、率直に申し上げて疑問です。

 公聴会は、形式的な儀式であったり、改憲のためのお膳立てに利用されてはならないと思うのです。国民の関心の高さや、きょうの公述意見をどう受けとめ生かされるのか、責任は重いものがあります。

 第二に、憲法をめぐる現下の社会情勢です。

 小泉内閣の支持率八〇%以上と言われていますが、それに対して危うさを感じます。社会の閉塞感と、小泉内閣が掲げる改革という言葉との相乗作用ではないかと思うのです。

 英雄待望論は危険であり、ナチスの前夜を思わせるとさえ考えられます。今後、言論統制につながらないのか。社会のあり方に対して警鐘を鳴らすのは常に少数者であり、少数意見がいかに尊重されるかがその社会の成熟度を決めるものです。私は、一九四五年、終戦の年に小学校に入学しました。そのときの経験を、いまだありありと思い起こします。

 第三に、憲法改正の問題についてです。

 現行憲法は、第二次大戦の苦く重い経験の過程を経て制定されたものであり、その理念を生かすべく、最大限の努力がされるべきであります。しかし、現実を憲法の理念に近づける真摯な努力が十分にされてきたでしょうか。政府は、これまで、現行憲法を国民に定着し浸透させる努力を怠って、憲法を実質的に骨抜きにすることに意を用いてまいりました。憲法をなおざりにし、憲法を生かす努力を怠って、声高に改憲を主張するのは本末転倒と言わねばなりません。過去の歴史を直視せず、憲法から目をそらしてきた人たちが、どうして未来へ向けての創造的な憲法をつくれるのでしょうか。かつてのドイツのワイツゼッカー大統領の演説を思い起こしていただきたいと思います。

 あるいは、新しい歴史教科書をつくる会の動向についても憂慮すべきものがあります。第九条についても、集団的自衛権等の見地から改正を求める声がありますが、平和は、基本的に諸外国との信頼関係の維持を目指す営々たる外交努力によって築かれるべきであり、国際間に新たな緊張関係を増幅するような方向は厳に控えるべきであります。震災時の自衛隊派遣をもって、自衛隊は容認されたとしてはならないと思います。これは、非核神戸方式のあり方ともかかわりを持ってまいります。

 現行憲法が現実に合っていないとの意見もありますが、際限なく現実追認を容認すれば、憲法はもはや国の基本法たる意義を失ってしまいます。改憲どころか、憲法廃棄につながりかねません。日本が世界でどのような位置を占め、どのような責任を果たすべきか。世界から尊敬をかち取る国になり得るかが今問われているわけです。

 環境権などが明文化されていないことを改憲の理由とする意見もありますが、これらは環境基本法等の法律を充実することによって十分対応できるはずであります。

 憲法改正以前に、国家として本来なされるべきことがなされていないという現実を直視すべきです。強力な権力を掌握した国家による個人の人権が侵害されてはなりません。物心両面について個人を守れない国家が、そもそもあってよいのでしょうか。阪神大震災のときの個人補償の問題、最近の社会に見られる弱者への配慮の欠如、靖国問題に見られる内心の自由の保障問題、憂慮されるべき点が多々あります。

 目下憂慮されるのは、個人より国家といった新たな国家主義の台頭です。権利ばかり主張して義務を果たさないなどの論調と、全体的な人権感覚の希薄化が憂われます。住民運動がしっかりと行えるのも、現行憲法の基盤があるからこそであり、人権、特に言論の自由が保障されているからであります。震災後、被災地では、公的支援法制定へ向けての運動、住民投票運動、笹山市長さんには恐縮ですけれども、神戸市長リコール運動など市民の主体的な努力がなされてきたのも、憲法に支えられ、憲法の精神を具現化しようとしたものであります。昨今の憲法改正論の台頭は、住民自治への脅威でもあると受けとめています。

 読売新聞に報道されましたが、神戸市が行いましたアンケートで、日本は人権を尊重する国かとの問いに対して、神戸市民三人に一人がノーと言っています。憲法改正という重大事項が、余りにも軽率に扱われているように思われ、現下の政治情勢の混迷の解消こそ急務であり、優先順位を大きく誤るものであります。

 最後に、傍聴の方々を含めて申し上げます。

 今こそ私たち国民自身が問われています。一人一人がしっかりと、みずからの立つ位置と座標をよく見きわめるべきであって、私たちは、実は大きな岐路、いや、がけっ縁に立たされているということを認識すべきです。小泉政権のように、格好いい、おもしろいというのと、具体的施策の内容、方向の是非とは別物であり、賢い有権者であり得るかどうかが問われているわけです。

 過去のことについても、忘れっぽい日本人であってはならないと思います。僕の好きな宮沢賢治は、怒りの苦さということを「春と修羅」という作品の中でうたいました。私たちは、今本当の意味の怒りと苦さを忘れてしまいつつあります。それを忘れたとき、ファシズムは訪れてまいります。

 護憲、守るという姿勢は、一見弱く思われがちですけれども、現実に軽視され、生かされていない憲法を生かし、貫くには、強靱な意志とたゆまぬ努力が必要で、実は強いものです。いま一度、一人一人が憲法を見詰め直すことです。特に十二条の、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」という文言をかみしめるべきです。ひるまず、たゆまず、絶望することなく努力することから、真の震災復興への道も開かれると思います。二十一世紀の日本のあるべき姿も、そこからおのずから浮かび上がると思うのです。

 以上、住民運動に携わりました立場を踏まえながら、私たち市民として今何をなすべきなのかということも踏まえて申し上げました。

 どうもありがとうございました。

中山座長 傍聴の方は、拍手は御遠慮ください。

 ありがとうございました。

 以上で意見陳述者からの御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

中山座長 これより意見陳述者に対する質疑を行います。

 まず、派遣委員団を代表いたしまして、私から総括的な質疑を二、三行い、その後、委員からの質疑を行います。

 最近、小泉首相が登場されて以来、国民の手による首相公選制の導入ということを提唱されておられます。

 ここで、貝原知事さんは県民からの直接投票によって選ばれておられるわけでありますし、また、川西市長の柴生さんも市民の投票によって選ばれている。神戸市長の笹山さんも同様でございます。このお三方から、首相公選制についてどのようにお考えになるか。どういうふうに物事を考えてこれをするべきか、この点について、御意見があればお述べをいただきたいと思います。

貝原俊民君 首相を公選制にした場合には、昨年のアメリカの大統領選挙でも顕著にあらわれましたが、五十一対四十九で首相が選ばれるということがあるわけであります。

 今の日本の議院内閣制のもとにおきます首相は、憲法の規定におきましても大変大きな権限があると私は思います。そういう状況の中で、四十九の死票が出るというようなことになりましたら、私は、必ずしも適切なことではないのではないか。

 特に、現在のように価値観が多様化しておりまして、この分野についてはAという人がいい、この分野についてはCという人がいい、あるいは、この分野はBがいいというように、価値観は恐らく分かれるはずであります。一人の権力者に対して、こういった公選制をとるということは、そういった意味では必ずしも適切ではない。

 私は、公選制をとる場合は、むしろ権力者をできるだけ分散をすることが必要なのではないか。現に大統領制をとっているような国では、連邦大統領と各州のガバナー、こういったことの間にしっかりした権限の分担がなされているわけであります。

 したがいまして、公選されている大統領といっても、その国のすべての権限について権力を持ち、あるいは責任を持っているというような仕組みにはなっていない。フランスの大統領の選挙におきましても、首相と大統領というものの機能分担がなされている。このことから見てもわかりますように、公選をするという場合には、その公選をされる立場の方に権力がたくさん集中しているということでは問題があります。

 私は、むしろ権力の分散、具体的に言いまして、私どもは地方自治体ですから、地方自治体と国との責任分担ということを申し上げておりますが、こういったものがきちんとなされた上でないと現代の社会情勢に合わないのではないかなというような感想を持っておりますし、公選制を実施するなら、そのような分権、これは地方自治体と国というだけではなくて、いろいろな国の機関が幾つかに分かれていくというようなこともあっていいと思います。そのような分権型の社会システムにしていった上で公選制を実施すべきではないか、このように思います。

柴生進君 小泉首相の国会での御答弁等を聞いていますと、何かしら新鮮な感じがいたしましたけれども、しかし、首相公選制への移行につきましては、各方面から言われていますように、さまざまな問題、無理があるのじゃないかなと私は思います。

 首相は日本独特の公選制ということをおっしゃられていましたけれども、その案が出ない限り、私たちとしてもちょっと判断にとまどいます。それと、欧米のように、政権が絶えず交代して、その中で政策に差異が余りない場合でしたら、公選制もいいのじゃないかと思いますけれども、現在の段階では余りにも政党の政策に差異があり過ぎるように感じます。そうした場合に国民がかなりとまどうのではないか、このように考えております。

笹山幸俊君 現在の議院内閣制度、直接民主主義、間接民主主義それぞれやってきておりますから、先ほど知事からも話がありましたように、地方と国との関係、いわゆる分権というものがはっきりしていないということでは、公選制にするということについては少し早過ぎるのではないかな、こう思っておりますし、これはやはり住民意思の反映の問題でもありますから、直接的にはお答えすることは私としては非常に難しいのですけれども、議論はしていただいたらいいのではないかと私は思います。

 といいますのは、先ほど申し上げましたように、地方としてほとんどと言ってもいいぐらい仕事ができる、こういうような状況にならないと、一つの大きな権力だけが集中する、こういったところでは地方はちょっと困るのではないかな、こう思っております。

中山座長 ありがとうございました。

 以上をもちまして私の質疑を終わらせていただきます。

 次に、質疑の申し出がございますので、順次これを許します。中川昭一君。

中川(昭)委員 自民党の中川でございます。

 きょうは、お忙しいところ、大変貴重な御意見をお伺いいたしまして、心から厚く御礼を申し上げます。決して本公聴会が儀式ではないということを今実感しておるところでございます。

 皆様方は、この地域で大震災という大変な御苦労を経験され、また努力をされて、きょうも駅に着いてからすばらしい町づくりに感服をしておるところでございます。知事さん初め皆様方は、非常事態、そしてまた危機管理、そしてお立場と住民の皆さん、お立場と国の関係というものを、どの地域よりもいろいろな体験をされた御経験をお持ちだと思います。そういう意味で、まず貝原知事さんにお伺いをしたいのであります。

 地方自治とは何かということでございますが、憲法にも一章を設けて、四条条文があるわけでございますが、制定から五十五年たって、地方自治というものもやはり変わってきたと思います。そして、地方自治あるいは地方分権というものに反対をする国民あるいは国会議員というのは、私はほとんどいないと言ってもいいと思っておるわけでございますが、これだけ大事な地方自治というものが憲法の中に、特に前文が非常に大事だというさっきどなたかの御意見がございましたが、私は、前文の中に一項目あってもいいのではないかというふうにすら考えるわけでございます。

 この前文というのは非常に読みにくい文章でございますが、個人の権利、あるいはまた国と世界のこと、そしてまた理念のことが書いてありますけれども、個人、家庭、地域、国、世界という、人のいろいろな重層的なつながりの中で、地方だけがこの前文に抜けているのはいかがなものかと私は思うわけであります。

 これについてどうお考えになるかということと、知事は地方行政に大変長い間従事されてきた大ベテランでございますが、私は常に疑問に思うのは、憲法九十二条の、地方自治は云々、地方自治の本旨に基づくと書いてございますが、この本旨とはどういうふうに御理解されておって、この本旨というものが仮にわかりにくいとするならば、知事さんは、憲法において、地方自治のまず一番最初の文言をどういうふうに書くべきかというようなことについて、お考えがあればお聞かせ願いたいと思います。

貝原俊民君 中川先生には大変お世話になって、今日まで復旧復興にも努力をさせていただきました。改めてこの場をかりまして御礼を申し上げます。

 今お尋ねの二点でありますが、地方の立場を憲法の前文に位置づけるべきではないかということでありますが、私は必ずしもそのことは必要ないのではないか。憲法は主として、政府と国民との間の取り決めを決めるのが基本的な性格なのではないか、このように思っておりまして、中央政府と地方政府との関係につきましては、必ずしも前文で書くことまでは、正直言いまして私は意識したことはございません。

 ただ、おっしゃいますように、地方自治という考え方は、今の二十一世紀の日本を考える懇談会で、ガバナンスということについて議論があり、統治という日本語ではなくて協治という考え方を入れるべきだということが提案をされておりましたが、私はそのことに大変共感を覚えておりまして、まさにそういった意味では、地方自治というのは、住民の権利がしっかり保障されておれば、むしろおのずから地方自治体の存在価値というものは、中央政府と地方政府との間でより重要性を持った存在として導き出されるのではないか、このように思っております。

 そういうことになりますと、質問の第二点の九十二条の問題になってまいりまして、「地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」ということが書いてあります。したがいまして、今の地方自治制度というのは、国会で制定される法律にすべて任されているということでありますが、私は冒頭の意見陳述でも申し上げさせていただきましたが、今世界的潮流として、地方自治と申しましょうか、先ほど公選制のところでも申し上げましたけれども、いろいろな形での権力の集中を排除して、分散をした分権型社会に進んでいこうという潮流の中にありまして、議院内閣制をとっている国が、すべて地方自治の仕組みを法律で定めたら、どういう定め方でもいいというようなことであってはならない。

 それが、「地方自治の本旨に基いて、」という言葉だけで片づけられているわけでありますが、私は、言葉でこういうことを書くよりは、国の法律の立法権について、地方に関する限りは、地方の意見が反映されるような制限を加えるべきではないか。

 この制限の仕方というのはいろいろなやり方があると思います。私がかつて提案しましたのは、中央集権制限法という法律でもって、国が定める分野はこういうことだというように限定をすべきだという提案をしていますが、そういうやり方もありましょうし、逆に、ドイツあるいはフランスのように、地方の代表がその国会の意思決定に参加をする仕組みを事実上つくることによりまして反映をされるということもあろうかと思いますが、こういったいろいろな仕組みの中で、制度論として地方自治の本旨を担保すべきではないか、このように考えます。

中川(昭)委員 ありがとうございました。

 地方自治行政の大きな部分に教育があると思います。教育はなぜ地方自治にとって大きな仕事かと私なりに考えますと、国が一律に教育というものを上から決めつけるのではなくて、個人、家庭、地域が、それぞれ伝統文化が違うわけでございますから、その地域に合ったよりきめ細かい教育というものが必要ではないかという配慮が絶対に必要だからと思います。その違いというのは、伝統であったり文化であったり、また自然条件である、いろいろなファクターがあるから違うのだろうと思います。

 そういう意味で、憲法においても、教育というものの重要性と同時に、地域に合った教育というものが地方においてますます重要になってくると思いますけれども、学校経営者の大前さんと、多分子育て世代である塚本さんに、そういう地方における教育の特色、それからまた日本に合った教育、そして現状との違いというものを、地方のお立場から、御意見を簡単にお二人からお聞かせ願いたいと思います。

中山座長 陳述人に申し上げますけれども、意見の陳述につきましては、時間が限られておりますので、御発言はできるだけ簡単にお願いをいたしたいと思います。

 それでは、大前繁雄君。

大前繁雄君 今お聞きした趣旨がもうひとつよくわからないのですが、地方における教育のあり方ということですか。(中川(昭)委員「今の教育の現状をどういうふうにごらんになっていらっしゃるかということです、教育行政ですね」と呼ぶ)

 私は、戦後の半世紀の日本の教育というのは、戦前の遺産を食いつぶす過程ではなかったかと思っているのです。今、戦前の教育を受けた方は、学校の先生にも教頭にも校長にも、あるいは教育長のところにもいないわけで、特に徳育教育を戦後全くしてこなかったということが今大変深刻な問題を招いていると思っております。戦前の遺産も徳育面では全部食いつぶしてしまったと思っておりますので、これをいかに立て直すかということが一番大きな二十一世紀の課題だと思っております。

塚本英樹君 教育行政については難しい部分があるのですけれども、今海外に出ますと、いや応なく日本人を意識せざるを得ない状況にあります。そういった中で、ほかの国の人たちとお会いしますと、必ず他国の人は、自分たちの国が、自分たちの地域はというような、すごく誇りやそういったものを持った話をされます。

 そういった意味で、やはり日本人も、自分たちの生まれ育った地域や国というものに対して誇りを持てるような教育をしていかなければならないのかなと私は思っております。

中川(昭)委員 ありがとうございました。

中山座長 傍聴人の方に再度御注意を申し上げます。

 議場における言論に対して拍手をしないこととなっておりますので、御注意をお願いいたします。

 なお、本調査会の公聴会は、衆議院憲法調査会規程第六条並びに国会法第四十八条、衆議院規則第六十六条によって運営されております。場内が混乱した場合は、座長によって退場を命じることがありますので、その点御留意を願います。

 次に、中川正春君。

中川(正)委員 きょうはたまたま中川という名前が続きましてややこしいんですが、私は、民主党に属しています中川正春でございます。

 陳述人の皆様には、本当にありがとうございました。こうやって地方へ出てきますと、本当に実感のこもったといいますか、実のある御意見をいただくということだと思います。そんな意味で、私も、大いにこれから私たちが地方に出かけていくという、そんな議論を繰り返していくべきだと改めてきょうは感じた次第でございます。

 そして、憲法について、私の今のスタンスといいますか、基本的には、運用という問題について二つ大きな課題があるというふうに思うんです。

 一つは、解釈ということで憲法を現実に合わせてきたこのあり方はもう限界が来ておりますし、それをやったがために、日本の国家の意思というものが外からも見えなくなってしまっているということ、ここに問題があるように思います。

 もう一方は、この憲法の理念、平和、人権、それから主権在民、民主主義、こういう理念について、きょう皆さん方のお話を聞いて改めて感じたんですが、私はこの理念、一番大事なところだと思いますし、これは守っていくべきだというふうに思うんですが、これがどこまで我々の社会で実現をされているのかということ、これについて本当に検証をしていかなければならない。その上に立ってこれから憲法議論があるべきだということ、このことをきょうも改めて感じさせていただきました。それが皆さん方の中に本当に共通してある御主張であったとも理解をさせていただいたようなことであります。

 その上に立って、一つは、地方分権の問題をもう少し掘り下げてお話を伺いたいんですが、柴生川西市長さん、私たち、今、地方分権の流れ、一括法から財源移譲に進みつつあるという自覚があるんですが、その受け皿として市町村合併が具体的な日程に上ってきています。私は、今の議論でいくと、どうも上からの議論じゃないかと。それともう一つは、財政ということで、緊縮型あるいはリストラをしていくのにどうしていくか、そういうところが強調され過ぎているというふうに思うんです。

 本来は、先ほどからそれぞれの皆さんから御意見が出ていたように、分権も、国民個人、一人一人が自立をしていくような仕組み、その中で物事を組み立てていくという、その原点に戻っていくということだと思うんですが、それでコミュニティーということが大事なんだろうと思う。

 先ほど、子どもオンブズパーソンのお話が出ました。これこそ、コミュニティーとのかかわりの中で御苦労をされて組み立てられた、新しい、人権ということを中心に掘り下げていく政策だと思うんですが、ここについて、もう少しコミュニティーとの関係、行政の第三者機関としてオンブズマンをつくったというお話はわかるんですが、それを取り巻くコミュニティー、それから、コミュニティーの自立という形の中で人権をどうしていくか、そんな観点、それから、もっと広く言えば、このコミュニティーをどう生かしていこうとされるのか、そんなところをもう少しお聞かせをいただけないでしょうか。

柴生進君 答えになるかどうかわかりませんけれども、たまたま私ども川西市、宝塚市、伊丹市、猪名川町、三市一町でもって、合併も視野に入れた形で今研究会を持っているわけでございまして、決して国から県から言われたのでなしに、私ども、自然発生的に今研究会を持っているわけです。

 私どもは、単に大きければいいことだということだけではなしに、これからの分権の中で、自治体のあり方としては、広域行政的にやっていかなきゃならないものと、より細かく、小さくやっていかなきゃならないものとすみ分けをしていかなきゃならない時代に来ているのではないか、そういうことを感じているわけです。ですから、特に少子高齢化における子供の教育の問題とか福祉の問題は、コミュニティーを含めた形で、より緻密に行政をしていかなきゃならないし、我々行政を預かっている者にとっては、何といっても効率というのはどうしても頭に置くわけでございますが、そういったものにつきましてはやはり広域的に考えていかなきゃならない、こういうように今この研究会を進めているところです。

中川(正)委員 ありがとうございました。

 もう一つ、同じ、個人ということが大切だという観点から笹山神戸市長さんにお尋ねをしたいんですが、大震災の後の一つの大きな議論としては、個人に対する支援、いわゆる自立支援、当初は個人補償という名で議論が始まったわけですが、最終的には支援という形で基金をつくって、何とか今第一歩を踏み出したということだと思うんです。考えてみれば、公共の福祉がもう一方にあって、公共ということになると、ライフライン含めて、迷うことなくどっと税が入って、それでそこから起き上がってくるという形ができるんですけれども、しかし、基本は、個人が起き上がらなければ、どれだけ周辺がよくなっても人の幸せにつながらない、いわゆる自立につながっていかないということだと思うんですね。

 そういう意味で、もう一度思いを込めて、この自立支援のあり方、それから、それが憲法との関係、いろいろ御議論があったと思うんですが、整理してお話をいただければというふうに思います。

笹山幸俊君 確かに、問題になりましたのは、支援といいますか、自立するために必要なお金が実際には要るわけですね。住居からその他あらゆる問題についても、家財道具一つにしてもどうしても要る。こういうことで、その支援をするという考え方でお話をさせていただいたわけですが、これは個人補償になるということで、制度としては、基金をつくっていただいて、その中から支援をしようと。これは、生活の問題あるいは中小企業の方々に対する支援、あるいは家賃補助等の支援、いろいろなメニューで、ほとんど項目としては上がっておるのではないかと思っております。

 ですから、それをどう使うかということについては、いろいろと制約も中にあるわけですけれども、そういうことをクリアしながら皆さんにそれを使っていただいておる、こういうことでございまして、今の段階では、国の方でも、これをつくっていただいたときに附帯決議で、問題も相当残っておるから、施行してから五年たってもう一回見直しをしよう、こういうことでやっていただいておりますので、この問題はもうそろそろ議論をしていただく時期に来ているのではないかな、こう思います。これは、最近いろいろな災害が起こっておりますので、できるだけ早くこれに対する結論を出していただければ、こう思っております。

中川(正)委員 ありがとうございました。

 最後に、貝原知事さんにお尋ねをしたいんですが、私たちも、連邦分権国家、こういう政策を掲げてやっていますけれども、その中で迷いがあるのは、県のあり方、ここなんですね。これを連邦制にしていくということは、司法権も含めて県に分権化していく、連邦という名でいけばそういうことだと思うんですが、そこまでのことを考えられているのか。先ほど連邦というお話が出たものですから。県のあり方をどのように発展的にイメージされているのか、もう少し掘り下げてお願いします。

貝原俊民君 連邦制を一挙に実施をするということは、なかなか現実的には難しいんだろうと思いますね、日本みたいに平等主義を大変大切にするというような国民性では。

 ちょっと古いことになりますが、関西ではかねてから道州制の議論が盛んでして、関経連を中心として、阪奈和合併論とか、そういう議論があったんですが、そういう時期に松下幸之助さんが発言されたのが私は非常に記憶に残っているんですが、道州制を議論する場合に、小を大にするのではなくて、大を小にするという考え方をとるべきだということをおっしゃっているんですね。

 要するに、小を大にすると、今よく議論がなされているのは、都道府県が小さいから、これを合併して道州にしたらどうかという議論があるんですが、そんなことをしても、松下さんの意見では、大した道州にはならないんじゃないかと。今の府県にちょっと毛が生えた程度の道州制ができて、かえって住民からすると、広い地域に一つの県しかないというふうなことになると不便になってしまう。そういう考え方でなくて、大を小にするというのは、要するに、国という大きなものを小さくしていって道州をつくるという発想をしなければいけないのではないかと。そこら辺がどうも、今、この道州制の議論の場合には、小を大にするのか、大を小にするのかという議論があいまいなままに議論されている。そこら辺をしっかり押さえた道州制論でなければいけない。

 橋本行革で省庁再編が行われて、地方分権とセットでやるべきだと我々が言ったときに、その答えとしては、国の地方機関に権限とか資金をたくさん配分するからこれで分権構造になるんだというような説明だったんですが、それは確かに大を小にするということでしょうが、国から地方機関へ移したものの、機関の長を公選制のポストにするところまでいかないと、大臣は東京にいらして、ここに地方機関の長がおられて、この方が権限とか財源とか物すごく大きく持ってしまったら、公選制の市町村長や知事との間で何かバランスがおかしくなっちゃうんですね。

 したがって、私は、どんどん国の地方機関に権限、財源を移すんだったら、国の地方機関の長を公選制にする、あるいは都道府県知事の同意人事にするとか、あるいは住民議会、その地域の住民の代表の意見が反映されるような仕組みにしていく、そのような形での分権を目指すべきではないか、このように考えます。

中川(正)委員 ありがとうございました。

中山座長 以上で中川君の質疑は終わりました。

 次に、斉藤鉄夫君。

斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。

 きょうは、意見陳述者の皆様、大変貴重な御意見、ありがとうございました。

 まず最初に、笹山神戸市長にお伺いいたします。発言の最後の方で、町づくり、コミュニティーづくりについて御発言がございました。この点について、もう少し詳しくお伺いします。

 この五十年は、地方から都市への人口流入がすさまじい勢いで進みまして、地方、都市ともにコミュニティーが喪失されつつある、何百年かかってつくり上げてきた日本のコミュニティーがなくなりつつあるというのを本当に私も強く感じております。人間、一人で生きていけない以上、コミュニティーが文化的な生活を営む本当に重要な要素であるわけですが、この町づくり、コミュニティーづくりについてどのようにお考えか、お伺いいたします。

笹山幸俊君 神戸市で、かねてコミュニティーづくりということで、震災前からですけれども、いわゆる福祉にかかわるコミュニティーをつくろうということで、小学校区、百七十三ほどありますが、もう既に百五十三地区でできております。これは福祉の関係で、地元の自治会なりあるいは婦人会、PTAあるいは民生委員、消防団、または企業の皆さんが一緒になってこのコミュニティーを育てようと。

 これは、震災がありましたので、消防団あるいは企業の皆さん方も入っていただいておりますが、仕事は、平時はいわゆる福祉活動をやる、こういうことにしております。そして、いざというとき、何かあったときには救助救援活動を行おうと。そのためには、ふだんからそういう気持ちで地域の皆さん方がお互いに協力し合えるような雰囲気といいますか、そういうものをつくっておく必要があるわけです。

 三年ほど前に、姉妹都市でございますシアトルへ行きましたら、アメリカの方々が、日本には昔から向こう三軒両隣という制度があったではないですかと。それから、これは戦時中の話ですけれども、隣保とか隣組とか、そういうものが町づくりの原点ではないですか、こういうことを言われたのです。

 そして、その向こう三軒両隣の方々が今回の震災で具体的に出てきましたのは、避難をしました、みんな家が壊れたりしたのですが、子供さんは何とか避難をした、ところが、お年寄りの方々がまだ来ておられない、ではどうするか。こういう事件があったのですけれども、それは、やはり隣近所の方々の生活の中にどういう方がおられるかということが平時からわかっていないと、いざというときには間に合わない、こういうことがありますので、アメリカの団体の方ですけれども、そういうのを持っていながらそれが最近はなくなったのではございませんか、今アメリカ自身もそれを勉強しておるのです、こういうことを言っておられます。

 ですから、まず最小単位で、やはり自立ができるようなタイプをつくる。そのときに、高齢者の方もありますが、子供さんを必ず参加させる。それで、防災福祉コミュニティーのときの訓練も、小学校あるいは中学校の生徒が参加しております。

 ですから、そういうことがコミュニティーを将来に向かってつくり上げていく一つの大きな役割を演ずるのではないかということで、この防災福祉コミュニティーを、今百五十三地区でございますから、小学校区に一カ所ということでやっておりますから、そういった活動が今後のために町づくりに役立つのではないか。

 それで、区役所には既にまちづくり推進課というのを設けておりますので、そこで相談をしていこう、こういう段階でございますので、子供さんがそういうところに参加する、例えば町内でお祭りがあればそこへ参加する、こういうふうな制度をつくっていこうというふうに考えております。

斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。

 次に、貝原知事と柴生市長さんと、それから小久保町長さんにお伺いいたします。危機管理と地方自治体という観点でございます。

 二年前でしょうか、東海村の原子力の事故、JCOの事故が起きました。あのときに、村上村長さんの言葉が今でもよく残っているのですが、村民の安全の責任を持つのは村長だ、しかし、事故が起きたときに、あの緊急事態で何ら情報は入ってこなかった、そういう中で、自分の村長の首をかけて三百五十メートルの範囲の方に避難命令を出した、もしこれが間違っていたら自分は本当に辞職するつもりだった、このようにおっしゃっておりました。

 そして、その上で、今の国の法律、法体系の中で、緊急事態が起きたときの地方自治体、その首長さん、そして国の役割が非常に不明確だ、この点をもう少しはっきりさせなければ自分たちはやっていられない、このような発言をされたのを今でもよく覚えておりますが、この点に関しまして、憲法ということも含めまして、お考えがあればお伺いをいたしたいと思います。

貝原俊民君 御案内のとおり、現在の日本の災害救助体系は、第一義的な責任は市町村長、そして、それがもう少し広域的になりますと都道府県知事が責任を負うということになっております。

 そのこと自体は、国際的に調べてみましても、アメリカあたりでもそういうシステムになっておりまして、あれだけ大きな広い国でもそういう形になっている。恐らく、災害といいましても小さな災害から大きな災害までありますから、小さな災害のことをまず考えてみますと、町の津々浦々まで承知している市町村長が対応することが第一義的で一番適切だということは、それはそれで正しいのではないか、私はこのように思います。

 阪神・淡路大震災のときに私痛感しましたのは、広域的になりますと災害対策本部長は都道府県知事ということになるのですが、災害対策の実動部隊は消防、警察、自衛隊、こういう組織であるわけです。消防は市町村長、警察は国家公安委員会が任命する本部長、もちろん自衛隊は防衛庁長官、こういう人たちが責任を持って動かしますから、確かに、災害対策本部長としての知事は指示をすることができる、あるいは自衛隊には要請をすることができるということが書いてありますけれども、全組織を統率して災害対策に対応するというような仕組みにはなっていないのですね。

 県の直属の実動部隊というのは、都道府県全部そうだと思いますが、せいぜい課が一つあるぐらい。地方自治法上もそういう組織が位置づけられてもいませんし、財政措置もそんなになされているわけではない。それなのに、広域的な災害の場合は都道府県知事が全責任をあたかも持つような仕組みになっているのですが、これは恐らく、いま一度他の地域で阪神・淡路大震災と同じ程度の災害が発生した場合には、一般の国民が期待されるほど知事は機能しないのではないか、そのことを私は前から強く訴えていまして、これに対して、それではどうすべきかということは当然国としても検討されました。その検討の結果なされたのは、内閣の危機管理体制の強化です。ところが、地方の危機管理体制の強化については全然手がつけられていない。

 私は、冒頭申し上げましたように、災害対策というのは、基本的にはやはり現地対策本部が一番有効に機能するわけですから、ここの部分を強化しなければならない、そのことを訴えてきたのですが、先ほど市町村長が第一義的に責任を負うべきだと申しましたけれども、実際、非常に大規模の災害の場合は市町村長が機能しないのですね。現にあの阪神・淡路大震災のときは、四時間以内に私のところに電話をかけてきた市町村長さんは一人もいません。自衛隊を要請すべきだなんて電話をかけた人は一人もいない。これは県の判断でやったのです。

 そういうことで、災害が非常にひどい場合には広域的な団体が責任を持っていかないといけないという部分はあるのですが、そうかといって都道府県に自衛隊とか警察とか消防を全軍指揮するような組織を置いておくのかということになると、これは事実上、財政的にも非常に問題があるわけでして、私は、この部分を、広域的な防災支援体制をつくるべきだと。西日本に一つ、東日本に一つぐらいそういったものをつくって、都道府県知事あるいは市町村長が対応する場合にいろいろな情報提供をする、あるいはネットワークを使って支援体制を立ち上げる。

 これは、アメリカの連邦危機管理庁、FEMAがそういう仕組みになっているわけですが、そういうものをぜひ日本でつくるべきだということをずっと提案していまして、やっと阪神・淡路大震災メモリアルセンターが来年春完成することになりました。これは政府の資金を入れていただいておりまして、広域的な、実践的な防災研究あるいは人材養成ネットワーク、こういったものがここで構築をされることになっていますので、一歩前進しているのではないかと思いますが、ここらのことを現実的に対応しませんと、実際の危機管理は前に進まないのではないかというのが私の実感です。

中山座長 意見陳述者にお願いをしますが、質疑時間が限られておりますので、その点、十分御理解を願いたいと思います。

柴生進君 貝原知事さんが答えていただきましたが、若干重なりますので省略させていただきますけれども、私は市役所の近くに住んでいる関係で六時ごろに市役所に行きました。そして、六時三十分に災害対策本部を設置いたしまして、後、被害状況の把握に努めたわけでございます。そして、九時ごろに登庁した職員は約七〇%でございました。

 そういう中で私が感じたのは、いかに被害状況を的確に把握するか、このことが一番じゃないかなと思うわけです。私どもの町の、夕方六時に把握した情報は、後になって三カ月後に比べてみますと、全被害の約一〇%しか初日に把握していなかった、そういうことでございます。

 黄金の時間というのがあります。人の命が途絶えてしまうまでの時間です。大体四日間、七十二時間までに救出すれば人が助かる。そういうことで神戸市の消防局の方でレポートを出されていますけれども、そういう点では、七十二時間までにいかに我々が的確な判断を下すかということが大きなポイントではないかなと私は思います。

 そのためには、今知事さんがおっしゃいましたように、アメリカのFEMAみたいな組織を近くにつくっていただいて、ライフラインあるいは道路すべてが破壊された状況では我々といえども把握できませんので、例えばヘリコプター等できちっと被害状況を早期に把握していただく、このことが大事ではないかなと思います。

 以上であります。

小久保正雄君 お二人から非常に詳しいお話がありましたので、私の方は似たようなことになりますので、差し控えさせていただきます。

中山座長 それでは、次に、塩田晋君。

塩田委員 自由党の塩田晋でございます。

 本日は、この席に、貝原兵庫県知事、笹山神戸市長初め、兵庫県そして近畿ブロックの各地域のそうそうたる方々が参考人として御出席を賜り、私たちが今審議を進めております二十一世紀の日本のあるべき姿につきまして、非常に示唆に富む、また貴重な御意見を賜りましたことを、心から厚く御礼を申し上げます。

 特に、大前参考人の実体験を通じましての天皇観、憲法上の位置づけ、こういったものを率直にお述べいただきまして、ありがとうございました。私といたしましては、小久保参考人の御意見とともに、深く、重く受けとめさせていただきました。

 終戦のとき、私はまだ二十前の青年でございましたが、新しい日本の国をどう再建するか、連合国軍の占領下でどのように国体を護持していくか、そのことに日夜専心をし、人々と力を合わせて努力をしてまいっておりました。

 戦後間もなく、憲法改正の論議が進められておりましたある夜のことでございますが、私の田舎の生まれ育った町の小学校講堂、あふれるばかりの人々が集まって、憲法制定をめぐる論議が交わされておりました。会場は熱気に包まれ、なかんずく天皇に関するところで最高潮に達したものであります。

 一部の人からは天皇制打倒の主張がありましたが、これは大衆の怒号によってかき消されてしまいました。それでは、なぜ天皇を守るのか、その根拠は何か、こういう質問が出ました。一人の青年教師が立ち上がりまして、それは古いから守るんだ、皇統連綿二千年、世界に冠たるもの、他に例がないから、我々日本人がその歴史と伝統を守るんだ、大事にするのは当たり前じゃないか、こういうふうに叫びましたところ、拍手喝采、あらしの中で大集会が終わりました。私は、そのときの情景をいまだに脳裏に深く刻みつけておるところでございます。

 そこで、大前参考人にまず第一問、申し上げます。我が国の姿について、現在の日本国憲法によって我が国の国体は変更せりという佐々木惣一博士の論と、政体は変わったが我が国古来の国体は変更せず、こういう金森国務相を中心とした論議がありました。大前参考人はこのことについてどのようにお考えか、お聞きいたします。

 第二問。私は、現行憲法は、形式上、法理上は、手続上もそうでありますが、欽定憲法である、次の改正をすればこれは民定憲法になるんだ、このように教えられておるところでございます。また、一部には、八月十五日、あの終戦のとき、革命により現憲法は日本国共和国憲法になったんだ、こういう議論が一部にありまして、これはもう害毒を流したと私は思っておりますが、この論は論外といたしまして、大前参考人は、我が国が立憲君主国かどうかあいまいと言われておりますけれども、どういう点を言っておられるのか、お伺いいたします。

 第三問。最近、我が国で憲法改正案を提示される方がございますが、その中に、天皇条項を、現行の第一章、一条から八条までありますが、これを第二章に移すという案がございます。また、諸外国の王制をとっておる国を見ましても、その憲法の中で第二章以下というところもかなり認められるわけでございますが、大前参考人はこの点についてどうお考えか、お伺いいたします。

 あわせて、天皇を元首として規定するということの可否、そして、可とすればどのように規定するかをお伺いいたします。

大前繁雄君 お答えします。

 大変深刻なテーマでございますので、数分で答えられる問題じゃないと思いますが、簡単にお答えしたいと思います。

 まず第一問、我が国の姿が戦前戦後で変わったかということでございますけれども、憲法学者の佐々木惣一博士と金森国務大臣の議論につきまして、私はその詳細に立ち入るだけの知識は持っておりませんけれども、大ざっぱに申し上げまして、お二人の説はどちらも正しいと思っております。

 と申しますのは、我が国の国体というものを明治維新以後の帝国憲法のもとでの姿に限定して考えますと、佐々木先生の言われる、我が国の国体は変更されたということになりますし、また、もっと歴史をさかのぼって、古代から現在まで連綿として続く皇室のありようを我が国の国体と考えますと、金森大臣のおっしゃられるとおり、我が国古来の国体は変わっていないということになります。いずれにいたしましても、明治維新などの一時期を除きまして、いつの時代も、天皇という存在は、権力的な存在と申しますより、権威的な、シンボル的な存在であったということでございます。

 次に、二つ目の御質問、我が国が立憲君主国かどうかについてどういう点があいまいなのかという点でございますけれども、どの国の憲法でも、政体規定と申しますか根本規定と申しますか、最も大事な事柄を第一章に持ってくるというのが常識でございます。そういう意味で、現行憲法が第一章に天皇の項を置いて、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と規定しておりますのは、我が国が立憲君主国であることを宣言していると推定はされます。

 しかし、それに続く「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」という国民主権の明記、さらには、帝国憲法では第四条で明確に規定されておりました元首という言葉が現行憲法ではなくなっていることから、天皇が今日、対外的に日本を代表する元首であるかどうかということについては、定かではございません。

 実際には、外国からは天皇が元首とみなされて、外交上、そのような取り扱いがなされておりますのは周知のとおりでございますけれども、国内的には必ずしもそうではなく、日本の元首の地位については留保されたまま今日に至っているというのが実態でございます。

 憲法に国を代表する者の明記がないというのは極めて異例でございますので、もうそろそろ天皇を元首として明記し、日本が立憲君主国家であるということをより鮮明にした方がよいのではないかと思っております。

 それから、三つ目の御質問ですが、天皇条項を現行の第一章から第二章に移すとする改正案がちまたで議論されていることをどう考えるかという点でございますが、私は、これについては反対でございます。

 私はかねてより、民政論として福祉国家論者でございまして、日本は北欧のような福祉国家であるべきという考えを持っておりますので、憲法についても、王制を採用しております北欧諸国をモデルにしたらよいのではないかと考えまして、向こうの憲法をいろいろ調べたことがございます。

 ところが、それらの国の憲法を見ますと、冒頭から、行政権は国王に属するというような、まるで絶対王政の見本のような規定が並んでいるのに圧倒されまして、とても我が国の憲法改正案のモデルにはならないとあきらめたわけでございます。

 しかし、これはあくまで建前と申しますか修辞と申しますか、これらの国の歴史的な文言を並べただけで、実態ではないということは言うまでもございません。要するに、その国の歴史、伝統を尊重するための規定であると考えられます。そこで、我が国も、古来からの国のありようと申しますか伝統と申しますか、最も大切な皇室、天皇についての規定を最初に置くのがごく自然だと思っております。

 元首という言葉をどういうふうに規定するのがいいかと申しますのは、やはり国民主権との関係もございますので、天皇陛下は、会議で申し上げましたら会議の議長のような存在だと私は思っておりますので、日本国民の代表としてというようなことで、元首に変えたらいいのではないか、そのように思っております。

 以上でございます。

塩田委員 ありがとうございました。終わります。

中山座長 次に、春名直章君。

春名委員 日本共産党の春名直章でございます。

 きょうは、十名の陳述人の皆さん、本当にありがとうございました。

 最初に、浦部陳述人にお伺いしたいと思うのです。

 憲法十三条には、個人の尊重が、幸福追求権と一緒に記されています。二十五条には、生存権が明記されています。この見地からいいますと、震災で生活の基盤そのものを失った個人、一人一人の住民の皆さんへの公的な支援、今議論になっていますが、これはまさに憲法上の当然の要請だと私たちは考えます。

 この点で、憲法上から見た個人補償、公的支援という問題をどう考えたらいいのか、御見解をお聞かせください。

浦部法穂君 震災の公的支援に関しましては、先ほど来お話がありますように、例えば、個人の私有財産に対する補償が、私有財産制の仕組みを損なうからできないといったようなことが言われてきたわけでありますけれども、しかし、今春名委員の方からもお話がありましたように、憲法の基本的な立場は個人の尊重というところにあるわけであります。

 憲法十三条が、「すべて国民は、個人として尊重される。」この「個人として尊重される。」ということの意味は、個人が個人として自立して生きていけるということを前提にしているわけでありまして、震災におきましては、いわば自立の基盤そのものが根こそぎ奪われてしまったという状況であるわけで、したがいまして、少なくとも自立できるところまでは公的な支援というものを行わないと、十三条の要請する個人の尊重ということは到底実現されないのではないかということになります。

 先ほど意見陳述の場でも申し上げましたが、震災を機に、人間の安全保障という概念の重要性というものを私も再認識したわけでありますけれども、やはりこれまで日本のとりわけ国の行政の姿勢は、制度とかシステムというものをうまく機能させることばかりにどうも注意が行っていて、実際に被害を受けた、あるいは被災をした人をどうしたら救うことができるのかという、この観点が抜け落ちてしまっていたのではないか。先ほどの、私有財産制度をゆがめるから補償はできないのだというのは、まさに私有財産制度という制度そのものを維持することに主眼が置かれてきてしまった。

 そうではなく、一人一人の人間の生存をいかに保障していくか、その安全をいかに確保していくかという、この観点がとられなければならないというように感じているところであります。憲法の要請という点からいえば、自立できるところまでの公的支援というものは、これは憲法上要請されていると考えないといけないだろうというように思っております。

春名委員 未曾有の災害を受けたこの神戸の地だけに、やはり憲法の要請を全面的に実践することが本当に大事だなと、改めて私は痛感をさせられました。

 もう一点、別の角度から、憲法九条と集団的自衛権の問題について、浦部陳述人にお聞きします。

 小泉さんが登場されて、憲法の範囲で集団的自衛権を行使できるかどうか検討する、こういうことをおっしゃっております。私は、これは無理だと思います。集団的自衛権というのは、日本が攻められていないのに、ほかの国々が攻められていて、それを一緒に武力行使をする、そういうものですので、やはり憲法が想定していることとは全く違うことだと思うのですね。憲法九条と集団的自衛権の行使云々、この関係、学界の通説あるいは浦部陳述人の御見解をお聞かせいただきたいと思います。

浦部法穂君 まず、九条と集団的自衛権の関係ですが、そもそも、九条のもとで自衛権というものが一体どう扱われているのかということが実は大問題でありまして、自衛権に関しましては、独立国家に固有の権利だ、したがって憲法も当然予定しているのだ、こういう議論がありますけれども、問題は、自衛権というものをどういうものとしてとらえるかということであります。

 自衛権というものを、武力によって守る権利というふうにとらえた場合には、憲法第九条は一切の武力、一切の戦力の保持を禁じているわけでありますから、日本はそのような自衛権は持たないということに当然なるはずであります。しかし、そうではなく、武力によらない自衛権というものが想定できるとすれば、そのような自衛権というものは憲法は否定しているわけではないということになる。

 問題は、自衛権といった場合に、どちらの概念が妥当かということでありますけれども、自衛権というものは、歴史的には、武力による急迫不正の侵害の排除という内容を含んでおります。したがって、もしそういうものとして自衛権を考えるのであれば、日本国憲法は自衛権を否定しているというふうに言わざるを得ないということになります。したがって、個別的、集団的を問わず、そういうふうに考えれば、自衛権は否定されているということに当然なるわけでありまして、従来の、個別的自衛権であればいいけれども集団的自衛権はだめだという解釈も、実は、自衛権ということで何を言っているのか、そこで言葉のごまかしが多分に行われているんじゃないかというふうな気がしております。

 結論的には、私は、憲法は自衛権に関しては放棄するとも何とも言っていない、認めるとも言っていない、それが憲法の立場であるというふうに思っております。

 集団的自衛権に関して、学界におきましては、自衛権に関してはあるという説の方が支配的でありますけれども、しかし、その場合には、九条がある以上は武力による自衛権は認められないというのが学界での支配的な見解というふうに申し上げていいかと思います。

春名委員 憲法九条では、今おっしゃったように、戦力の不保持、そして、戦争をしないと高らかに宣言をしていまして、それを、海外で別の国々がもし武力介入したときに一緒にやるというようなこの集団的自衛権という中身、それが通常ですので、それができるようにできるかどうか検討すること自身が憲法違反というふうに言わざるを得ないなという印象を私は受けております。

 貝原陳述人にお聞きしたいと思うんですが、冒頭のお話の中で、平和の技術での国際貢献が大事なんだということをおっしゃっていまして、非常に共感を持って受けとめました。今、日本がどういう分野でどういう努力を、もっと平和の貢献をすべきだという点で、項目はおっしゃっていただいたんですが、その点について知事さんがお考えになっていることを少しお聞かせいただけませんか。

貝原俊民君 私の考えを申し上げるというよりは、現実に今私たちがどういう努力をしているかということを御説明させていただきたいと思います。

 一つは、WHO神戸センターを誘致いたしました。これは、ちょうど震災の年ですから一九九五年、設置するかどうかという議論がジュネーブのWHOで行われていたのですが、今はちょっと情勢が違いますが、当時のWHOの考え方としては、感染症対策については、エイズ以外はほとんど撲滅できた、次に、二十一世紀にWHOは何に取り組むべきかという議論がありまして、最終的に健康問題を決めるのは、経済的にも豊かでなければいけないとか、あるいは都市がクリーンでなければいけないとか、医学以外のいろいろな政策手段を議論しなければいけない。その研究センターをどこかにつくろうということで議論されたときに、実は、神戸の地にそのセンターを設置するということについて我々は協力しますということで誘致をしたわけであります。

 それが今、設置以来本格的に三年目の稼働をしていますけれども、まさにグローバルセンターとして、人類の健康政策についての研究ですとか人材養成というようなことをやるメッカになりつつありまして、国際会議も、この面に関して既に毎年二回程度は大きな会議も開催されているということであります。

 そういったことを説明し出すと切りがありませんが、環境の問題でいいますと、閉鎖性海域の環境保全に関します国際環境の研究機関、あるいはOCHAという国連の人道問題のユニットでありますが、これがこちらにアジアユニットとして設置されているんですが、これも、今の災害対策と難民なんかの対策と非常に共通しているので、もっと充実したようなユニットをこちらにつくるべきではないかという国連側の提案がありまして、そういうことについて、我々は地元としても協力をしようというようなことを言っております。こういった環境問題とか人道問題ですとか医療問題。

 それから、神戸市が医療産業都市構想をどんどん進められておりますが、こういったことも含めて、医療、福祉、健康、環境、さらには町づくり、防災、こういったことについてのメッカにこの地域をしていきたいという努力をみんなでいたしているところであります。

春名委員 どうもありがとうございました。

中山座長 金子哲夫君。

金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子哲夫でございます。

 きょうは、十人の陳述人の皆さん、大変ありがとうございます。

 私、この神戸に参りまして、大震災の被災のことはもちろんでありますけれども、戦争中における神戸大空襲というものを一緒に思い起こすわけであります。私自身が広島から参りまして、戦争被害ということに強い関心を持っているからであります。

 最近、小泉総理が靖国神社の参拝問題で非常に強硬にその参拝をおっしゃっておりますけれども、そのこととあわせまして、私が大変問題だと思っておりますのは、これまでの戦争被害に対する国家の責任のとり方という問題であります。軍人軍属、いわば国家との一定の身分関係にある人たちに対して、国家は確かに戦争被害についてその補償を行っておりますけれども、ヨーロッパの諸国と比べてみても、一般市民の戦争被害に対して、いわば戦争被害受忍論の形で、結局、一般の戦災者は国家からの補償というものがいまだ行われておりません。

 特に、国が国民の生命と財産を守ると言いつつ、戦争によって起こった被害に対して、その被害を謝罪していないということを、私は、小泉総理があの発言の中で、例えば、国のために命を失ったということを強調しておっしゃるわけですけれども、本当に命を失ったのは軍人ばかりではないということをこの際申し上げなければならないし、そのことは、ヨーロッパの諸国と同じように、再び戦争の惨禍を起こさないと誓う日本国憲法の精神からいうと、一般市民の戦争被害に対してもしっかりと救済するという国の姿というものがこれからの日本の不戦の誓いの根本になければならないと考えておりますけれども、弁護士をされております中北先生、法律上、一般市民に対する国家の補償というのは本当に行えないものでしょうか。

中北龍太郎君 都市空襲など、軍人軍属以外の一般市民の戦争被害に対して、ほとんど、全くと言っていいぐらい補償されてこなかった歴史が戦後ずっと続いております。こうした市民の被害は、日本国内のみならず、アジア各地で、日本の戦争政策によってさまざまな被害をこうむった人たち、強制連行であるとか従軍慰安婦、そしてまた、日本国内の強制連行されてきた外国人の人々も被爆や大きな空襲を受けています。こうした日本の戦争政策による内外の一般市民の被害に対して、戦後、日本は補償をしてこなかったわけでございます。

 しかし、憲法の前文、これがやはり憲法の精神を明確に表現しているわけですけれども、そこでは、政府の行為がもたらした戦争の惨禍に明確に責任を認め、それらの損害に対する補償を行う、そのことが国際社会で名誉ある地位を占めることだというふうに明記をしています。したがって、国内外の一般市民の戦争被害に対して手厚く戦後補償をするのが憲法の精神であり、強い要請であるというふうに言えると思います。

 他方、金子委員もおっしゃいましたように、軍人軍属に対しては軍人恩給など手厚い補償をしてきました。一般市民に対する補償がなく、軍人軍属への補償が手厚い、この大きな落差、政策のへんぱさというものは、まさに、国のために命をささげることがとうといという観念、政策に基づく差別であるというふうに言わざるを得ないと思います。こうした政策なり考え方と靖国神社公式参拝という動きとは連動していると言って間違いないと思います。

 戦前、靖国神社は軍隊が管理をしておりました。そして、国のために、天皇のために命をささげることが最もとうとい国民の行為だということで、戦死をしますと靖国神社に神、英霊として祭られる、そしてそのことが褒めたたえられる、こういう歴史でありました。そういう意味で、戦前の軍国主義の大きな精神的基盤になってしまったわけでございます。戦後、軍国主義一掃という民主改革の流れの中で、政治と神道とのこうした癒着というものは排除され、憲法で政教分離原則が定められたわけでございます。

 そういう意味で、小泉首相がこの八月十五日に踏み切ろうとしている靖国神社公式参拝は憲法違反であるということであります。私が大阪高裁で担当していた裁判でも、大阪高裁は、中曽根首相の公式参拝についてでありましたけれども、違憲の疑いが強いという明確な判断が下され、その判決が確定をしております。こうした違憲の行為を繰り返し、アジアの人々に対する大きな憤激を買うような政策は誤りであるというふうに言わざるを得ないと思いますし、公式参拝は新たな戦争の火種になっていく危険性を持っているということを強く指摘せざるを得ません。

 本当に今求められていることは、政府が戦争政策の誤りを正面から認め、すべての戦争犠牲者を分け隔てなく追悼し、戦後補償を尽くすことにある、それが憲法の精神であり、世界平和への道であるというふうに確信をしております。

金子(哲)委員 浦部先生にお聞きをしたいんですけれども、自衛権の問題、先ほどもうお話をいただいておりますので聞きにくいのでありますけれども、先ほどのお話の中で、私は、日本の平和にとってアジアの地域は非常に大事だと思います。その中で、残念なことですけれども、今の日本の政策、方向は、日米安保を見ましても、日米間の軍事同盟の強化の方向が非常に強調されている。

 特に、今日の世界の状況の中で、二国間の軍事同盟が先進国の中ではなくなっていく状況の中で、日本だけが日米安保を強化していくというのは、アジアの地域の安全保障にとっては、危惧の念を諸国に与えることによって、むしろ危険な状況をアジアの地域につくり出していくのではないかという危惧を私は非常に持っております。憲法九条との関係でもちろん日米安保条約が認められないということを承知しつつ、しかし、現実の政治の状況の中で日米安保を重視していく、さらに強化をされていく方向について、先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。

浦部法穂君 もちろん、原則論的には、九条のもとで他国の軍隊の駐留を認めるということ自体の問題があるわけですけれども、しかし、最近の安保をめぐる動きは、実は安保条約の枠自体も乗り越えてしまっているというところに、法治主義あるいは立憲主義の観点から見て非常に大きな問題があると言わざるを得ないだろうと思います。

 安保条約そのものは、日本の国内における日米いずれかに対する武力攻撃があったときに共同して対処するということになっているわけでありまして、それを、日本の領域におけるではなくて、外で起こったことであっても、アメリカの軍事行動に対して後方支援をしていくといったような形で協力を広げていくというのは、これは安保条約の本体そのものにも実は反していると言わざるを得ないわけでありまして、そういう形で、どんどん法律の枠というものが取り払われていってしまう。この場合は条約でありますけれども、条約もやはり法規範でありますから、その枠がどんどん取り払われていってしまうというところには非常に大きな危惧を感じざるを得ないと思っております。

金子(哲)委員 ありがとうございました。

中山座長 小池百合子君。

小池委員 保守党の小池百合子でございます。

 本日は、衆議院の憲法調査会に、意見陳述者の皆様方、大変な御協力いただきましたこと、心から御礼を申し上げたいと思います。

 その中で、本日、この神戸で調査会が開かれるというのは大変意義深いことでございますし、また陳述者の方々、やはり大震災のことから憲法と関連をしてお話をいただいたと思っております。

 特に、その中におきまして、兵庫県医師会の橋本会長から極めて具体的な御提言もいただきました。後に、行政を担当しておられる四名の方々に、この件について改めて伺いたいと思っておりますが、橋本会長の御提言の中には、例えばドイツにおける基本法第三十五条、これについては、この憲法調査会の冊子の三十八ページの中に詳しく書いてあるので、傍聴人の方々も後でお読みいただければと思いますが、このように、いわゆる戦争状態ということではなくて、別の意味の危機管理、つまり自然災害に対して、連邦、そして地方自治体がどのような役割を担っていくかということをドイツの憲法にきっちりと規定をしてあるということから、橋本会長の方は、日本国憲法においても、大規模災害に対する国家の責務、そして緊急対応に係る規定をしっかりと設けて明文化すべきではないかという御提言でございました。

 先ほど来、皆様方から、特に行政の御担当の皆様方から、あの阪神大震災でのさまざまな経験則から、どうあるべきかという御提言もいただいておりますが、あの折、例えば災害対策基本法を見直してみようじゃないか、そしてまた、災害に向けまして、自衛隊の派遣が実は大変おくれたということも問題になりました。その意味で、自衛隊法の、災害派遣を規定しております八十三条並びにその権限についての九十四条、この改正ということも試みたわけでございますが、まだそれには至っておりません。

 そしてまた、関連した災害救助法というのもございますけれども、あの阪神大震災の中から、ああいった自然災害が起こったときに何をしなければならないのか、どの法律を変えなければならないのか、それによって現実のそれぞれの組織がきっちり動くのかどうか、かんかんがくがくの議論をしたのをよく覚えているわけでございます。

 その意味で、憲法にこういった自然災害のことに対しての項目を明記するというのは大変重要な御指摘だと思うわけでございますが、実際にあの折もそれぞれ行政を御担当なさった四名の方がいらっしゃいます。先ほどから貝原知事からの順番でお話しいただいておりますので、今度は逆に小久保町長の方から、憲法に明記をする必要があるのかどうか、もしそれが無理ならば、何をどうすればいいのかという御提案をいただきたいと思います。

小久保正雄君 人間が起こす戦争というものはあってはならないわけで、いろいろな軍備を整えたりするのも、これは何も戦争をしようと思ってやっているわけではなくて、抑止力としてやっているのだろうと思うのですね。

 そういう点からいったら、どうしてもやってくるのが自然災害、人間が起こした災害ではなくて自然が起こした災害、これは必ずやってくる。ただ、どこへ来るか、いつ来るかわからないだけのことだという点からいったら、私は、憲法の条文の中に災害のことについて一条を入れていただくということは非常に意味のあることじゃないか、このように思っております。

 以上です。

小池委員 続きまして、神戸市長、よろしくお願いします。そして、その後、柴生市長、貝原知事、よろしくお願いします。

笹山幸俊君 確かに、自然災害、ドイツでは人的災害も含まれておりますけれども、自然災害についてはいろいろな内容がございますけれども、ちょっと被害を少なくすることはできても、とめるわけにいかない、こういうことでございますので、私の気持ちは、憲法の中には人命尊重とか、そういうものが書いてありますから、むしろ法律の方できっちり書いていただいた方がわかりやすいのではないか、こう思っております。

中山座長 傍聴の方は、拍手は御遠慮ください。

柴生進君 先ほども申し上げましたが、自然災害、特に大規模災害については、時間と規模によって前提条件がすべて狂ってくるわけです。例えば、今現在あのような地震が起こったときには、家族がばらばらになってしまっているわけです。そういうときにどうしたらいいのか、まずお互いの安否の確認というようなことから出発だと思うのですね。

 そういう点で非常に想定が難しいのですけれども、もう一つ私が経験したものでは、旧厚生省と旧建設省、旧国土庁、気象庁と、いろいろな縦割り行政の問題に当たったわけです。そういう点では、憲法に明記しないまでも、とりあえずは法律で、先ほども申し上げましたような、FEMAのような組織をまずつくる、そのことが大事ではないかなと私は思います。

貝原俊民君 憲法の書き方も、小池議員が専門ですから、私が言うまでもないのですが、連邦制をとっている場合の連邦憲法と、日本のような単一国家制をとっている国の憲法のあり方では、書き方あるいは書く内容もおのずから違ってくるだろうというように私は理解しています。そういった意味で、ドイツの場合は連邦憲法に規定があるということではないか。単一国家制度である日本国憲法の場合は、国会が国権の最高機関である、国家がすべて責任を持つということになっていますから、危機管理についても、わざわざ規定がなくても、当然そうなのではないかというように考えていいのではないかと思います。

 連邦制をとっているアメリカの場合に、そういう規定が逆になくて、危機管理についてはむしろ各州自治体の方に第一義的な責任を負わせている。これは恐らく、ドイツの場合とアメリカの場合とでは沿革的な国の姿が違うからなのではないか、このように私は思います。間違っているかもしれません。

 そして、日本国の場合に、どうあるべきかということは、確かに国のあり方というのは大いに議論をして、国の方で御検討をいただきたいと思います。

 今、自衛隊のあり方につきましても、私も、自衛隊法の一部改正をすべきではないかということを当時提案しましたが、そのことについては、改正ではなくて、防衛大綱というものの改正の中で自衛隊の位置づけをするという措置がとられたところであります。それで十分か不十分であるのか、これは全国的な見地から、国の方で御議論をいただきたいと思います。

 ただ、私は、自衛隊に関しまして、過度に第一義的な救助体系に期待をするということは無理ではないか、そのことに余り幻想を持たない方がいいということだけは申し上げておきたいと思うのです。

 現に、兵庫県内あるいは近畿全体で、自衛隊の数は数千人規模であります。警察でいいますと、兵庫県だけでも一万人いるわけであります。自衛隊は、全国では確かに三十数万人ですか、いますから、これが全部動いてきたら大変な力がある。だから自衛隊が初動体制において大変意味があるということはわかりますが、現実の問題として、自衛隊がそんなに早期に、先ほど柴生市長がおっしゃいましたように、三日間、七十二時間ぐらいですとかなりの時間はありますが、一番初動体制として大切な十二時間以内にどの程度動けるかということは非常に限られておりまして、その場合に最も必要なことは、今現地に所在している警察、消防あるいは自治体職員、こういうものをいかにうまく動かすかということについてのマネジメントシステム、それを私は先ほど広域防災支援体制ということを申し上げたのですが、そのことをFEMAのような組織でつくるということが最も現実的ではないか。

 自然災害の場合には、非常に縦構造の組織が動くのは、もうそれこそ二十四時間、三十六時間たってからの話でありまして、最も大切な初動体制では、木下藤吉郎が墨俣城をつくったような現場対応というのが最も求められるところでありまして、そのことについての対策を早急にとるべきではないか、私はこのように思っています。

小池委員 ありがとうございました。

 いずれにいたしましても、昨日も雲仙・普賢岳の十年たっての慰霊祭が行われました。日本は災害列島であるということを改めて認識した上で、どうあるべきかを考えていかなければならない。

 保守党といたしましては、五年間ほどかけて、この憲法を日本の今後のあるべき姿に合わせた憲法にすべきであるということで、改正を唱えております。

 ありがとうございました。

中山座長 次に、近藤基彦君。

近藤(基)委員 21世紀クラブの近藤基彦でございます。

 大変長時間、陳述人の方々には御苦労さまでございますが、私で最後でございますので、もう少しおつき合いをいただきたいと思います。

 私自身は、新潟二区を選挙区にしておりまして、小さいころ新潟市に住んでおりまして、新潟地震を経験いたしております。昭和三十九年のことでありますので、随分昔の話であります。

 そこで、北淡町の小久保町長さんに、重なっての質問になるかもしれません。神戸で今回地方公聴会を行うという話の中で、阪神・淡路大震災を経験なされた方々に、危機管理と憲法のことについても何かお話が聞けるのではないかということで、公聴会の開催地として選ばせていただいた経緯がありますので。

 小久保町長さん、阪神・淡路大震災の震源地だとお聞きをいたしております。大変な被害にお遭いになっただろうと思います、想像にかたくないわけでありますが。その当時、瞬時において、当然災害救助を一義として町の行政としては動かれただろうと思うのですが、その上のいわゆる県あるいは国のレベルで、こういうところに初動の災害救助で最大の不満が残ったというような点がありましたら、ちょっとお聞かせいただきたいと思うのです。

小久保正雄君 私のところも三千五百世帯ぐらいあるわけなんですけれども、そのうち全壊が三分の一、千戸、それから半壊が千二百戸、一部損壊が千戸ということで、ほとんどの家が影響を受けた。人口一万一千ほどの中で四十人が亡くなっているというようなことであります。

 地震が五時四十六分でしたか、発生しまして、私が役所へ入ったのが六時前でありました。六時半に災害対策本部を設置したのですが、それからずっとやっていたことが、県庁と連絡をとるということであったのです。それが、神戸の県庁と全然連絡がとれなくて、電話が通じないということで、朝の九時ごろになりまして、ようやく淡路島における県民局と連絡がとれました。そしてずっと考えていたことは、この災害の状況を見まして、我々、とてもじゃないが、自治体の職員、自治消防団程度ではもう対応できない、こういうことがわかっていたものですから、開口一番、県民局の幹部の方にお願いしたのは、自衛隊の出動を頼んでくれということであったというふうに記憶しておるのです。

 そうしたら、十一時ごろになりまして、姫路の特科連隊の方からヘリコプターが二機来てくれました。私にも一緒に乗ってみないか、こういうふうにお誘いがあったので、我が町の惨状を見て回った。そのときに感じたことは、もうこの町は全滅したなという印象であったのです。

 私のところは田舎なものですから、大きなコンクリートの建造物がなかったということが一つ不幸中の幸いで、地震が起きて最初の二時間以内に、生き埋めになった人も三百人ほどいたのですけれども、亡くなった方はほとんど圧死で、即死という状況でありましたが、生き埋めになった方は全員、みんなで引っ張り出したというようなことでありました。

 そういった中で、新聞社や報道機関の皆さんからも非常に不思議がられたというか関心を持たれたところは、なぜ北淡町においては死亡者の確認あるいは行方不明者の確認が早くできたかということに質問が集中したわけなんです。

 それは、田舎のことですので、いわば隣の家の米びつにお米が何ぼ残っているかというようなことまでお互いわかっている。何々のところのおじいちゃん、おばあちゃんは奥の八畳の間に寝ているというようなことまでお互いにわかっている、そういうコミュニティーであったものですから、生き埋めになっていても、最短時間と最短距離で生き埋めになった方に到達できた。最初の二時間というのは、人間の生き死ににとって、そういうときには非常に大事なものだというふうに言われておるわけですが、それが実践できたということ。

 それから、そうした中で非常にいら立ちを感じたのは、地震から少し日にちがたって、ぺしゃんこになったお家の瓦れきの撤去を一体だれがやるのか、だれの費用でやるのかという問題になったときに、そのころ、自衛隊の方、第三師団長さん初め陸幕長さん、統合幕僚会議の議長さん、こういった制服組のトップの方も皆さんいらしたのですが、私は、これを何とか自衛隊の方で片づけてくれぬか、とても個人でやれ、あるいは自治体でやれといってもできないということを申し上げたのですが、この状況を見たら何とかしてあげたいという気持ちはいっぱいあるけれども、法律上できない、なぜかならば、自分のところの屋敷でつぶれたものは、これは一般廃棄物だということだから、それは自分でやれと。

 最初はそういうことであったのですが、貝原知事さんは大変国に対して言っていただきまして、最終的には、これは政治の問題であると。私も制服組の方にそれをお願いしましたら、これは私が何ぼ聞いてもどうもできない、政治の世界の問題であると。私は、当時村山内閣でしたから、村山さんがオーケーと言ったらよろしいのですかと言うたら、そうですというようなことで、いろいろなルートでお願いをして、緊急避難措置みたいなことで、災害被災地の首長と出動しておる自衛隊のトップとが覚書を交わすことによってやろうというような、玉虫色というのですか、緊急のそういう便宜的な解決方法で瓦れきの撤去が始まったというのがあります。

 こういったところも、何か自衛隊法を改正できないのかというような話までありまして、それは時間がかかってしまうというようなことで、そういったところがスムーズにいけるようになれば、もっと大災害後の救出救援活動もやりやすいのじゃないかなというふうに私は感じております。

 以上でございます。

近藤(基)委員 大変な惨状が目に浮かぶようでありますが、憲法の中に危機管理の問題を、自然災害や最大の事故等に遭ったときの明文化がやはり何らかの形で必要ではないのか。そうしないと、憲法が最高法規でありますので、その下の法令、条例あるいは命令等がつくりにくい部分がもしかするとあるのかなという気がいたしてきております。

 そういう点では、重ねて尋ねることになるかもしれませんが、貝原知事にお聞きをいたします。今回、北淡町の町長さんが先に電話で指示を仰いだのが県である、それは当然のことだろうと思います。知事の場合は当然国という形になるのだろうと思いますが、国の対応として当初御不満な点があったとすれば、ちょっとお聞かせいただけるとありがたいのですが。

貝原俊民君 地震直後に第一にやらなければいけないことは人命救助であります。と同時に、どの程度の余震が来るのか、実際、被災者は、自分の家が半分倒れかけていても、財産を中に持っていらっしゃる、あるいは人命救助の途中だということもありますから、二次被害が起きるというようなことについてどう対応していいのかということが、当時、私は、現地の責任者としては非常に問題に思ったのですね。

 ところが、そういうことについてどなたかにアドバイスを求めるといいましても、気象庁にももちろん連絡をしまして、どの程度の地震が来るかとか、あるいは、余震が来たときに、この程度の建物だったら倒れるか倒れないかとか、そういうことについて権威を持ってきちんとアドバイスをしてくれるような立場の人がいない。

 これは、橋本医師会会長もいらっしゃいますけれども、救急医療とかいろいろな分野で同じような問題で、要は、自然災害に対する実践的な対策、非常に高度な研究というのは、それは大学の防災研究所とかなんとかでなされていますけれども、メスがないときにけがをしている人をどう処置するかというふうなことだとか、情報がないのに市町村の皆さん方に対してどういう判断をするべきだということを指示を出すかとか、こういう実践的な対応ということについて、今の日本でどこかに知識、経験の集積があるか、あるいはそういうマンパワーがいらっしゃるかということになると、いらっしゃることはいらっしゃいますが、本当に限られた人しかいない。そういった層の薄さですね。

 地震はないのだというようなことで我々生活しておりましたから余計のことですけれども、そういうことについて実践的な対策をアドバイスする、あるいは指示をする、あるいは情報提供をするというようなことについての機能が、中央政府にしても我々地方政府にしても本当に欠乏しているということについて私は大変ないら立ちを覚えまして、そういうことは、やはり緊急なことで対応はできませんから、災害列島と小池議員おっしゃいますように、常時いろいろな災害があるわけですから、そういうことをずっと積み重ねていく中で、人材もつくっていき、対策も研究していくというような組織をぜひつくるべきだ。

 それを各都道府県にやれといったって無理ですから、私はたびたび申し上げておりますように、そういった実践的な防災を担当する広域的な支援機構をつくって、そこで知識を積まれた方、経験を積まれた方が日本の権威者になっていって、いろいろな場合にどんどん支援体制をつくっていく、こういうことをやっていくべきではないか。これはもう国とか地方ということよりは、日本としてそういうことについて対策をしなければいけない、このようなことを痛感いたしました。

近藤(基)委員 ありがとうございました。

中山座長 これにて委員からの質疑は終了いたしました。

    ―――――――――――――

中山座長 この際、暫時時間がございますので、本日ここにお集まりをいただきました傍聴者の方々から、本日の公聴会に対する御感想を承りたいと思います。指名した方にマイクをお渡しいたしますので、お名前と職業をおっしゃった後、御意見をお述べください。

 それでは、御意見のある方は挙手をお願いします。

井上力君 公述の申し込みをいたしましたが、幻の公述人になりました。補欠で、順番が回ってまいりませんでした。神戸市灘区に住む井上力と申します。会社員です。神戸市会議員待遇者であります。

 私は、人様の前で初めて父や母のことを申し上げますが、私の父は、戦前戦中、予科連の教員をしておりまして、南方地理を教えていたと聞きました。小さいときに聞きまして、予科連とは何か、特攻隊とは何か、南方地理とは何か、聞きますうちに、若い特攻隊員に死に場所を地図で教えていたと、少し愕然としたわけであります。

 その父も、私が一歳半のときに亡くなりまして、ほどなく死因の結核は不治の病ではなくなりました。戦争の加害者である父は、戦争の被害者でもあったのだと思います。私の年代の少し上の皆さん方というのは、ほとんどの方が戦争の加害者であり、被害者であるという経験をされてこられたわけで、その上に今日の日本国憲法、随分きょう不評でありましたが、前文あるいは第九条があるということを忘れてはならない。

 この後、私は母に育てられましたけれども、人権や男女の同権を認めた日本国憲法のもとで母の労働というのは成り立ったわけでありますし、今日の私もその上に育ててもらったというふうに思っています。憲法は絶対に変えてはならない、これが私の随分若いときからの決意の一つになりました。

 震災のことがきょう随分テーマになりました。一月十七日、私は、バイクで町の中、少し水を運ぶ程度のこと以外は何もできなかったわけでありますけれども、見て回るといいますか、この際きちんとこの様子を見ておかなければいけないし、あしたからの暮らしに役立てなければならないと思って、見て回りました。

 屋根がわらをはがして、天井を一枚はいで、その下から出てまいりました畳をどけて、床をはいで、もう一枚天井をはがしたところに人の足が見えて、声がする。五人救いました、八人救いましたという話が、今も被災地では時折語られます。記録に全然残っておりませんが、恐らく数万の人々の命が民間人の手で救われたのではないかと思います。

 きょう、ちょっと逆転したお話を公述人の方の一部からも、あるいは国会議員の方からもお聞きをいたしました。法律の不備をもって憲法を変えなくちゃならない、法律が立ちおくれているから憲法を変えぬといかぬのじゃないか。まさかこんな議論を、このように傍聴者がいる、私たちの前で国会議員の方から伺うとは想定しておりませんでした。法律の不備というのは、国会の手によって直していただけるのではないのでしょうか。憲法が悪いから六千数百人の命が奪われたのですか、救援がおくれたのですか。とんでもない話だと思います。

 一月の十七日を中心にして、被災地では今も、震災にかかわるこの教訓を後世に残さなくちゃならないし、世界に届けようと、いろいろなパネルディスカッションが行われています。

 中山会長にお願いします。憲法調査会という場所でじゃなくて、こんな要らない議論をしていただくのじゃなくて、これだけのお金と人を使ってぜひ被災地においでいただいて、被災地の教訓を学び取ってください。貝原知事も笹山市長も、震災のことについては、いろいろな私どもの声を残していただいています。被災地の市民一人一人のこの六年半の思いを残していただいていますから、ぜひそれを勉強していただいてから、憲法調査会は神戸で活動をするというふうにしていただきたいと思います。

 以上です。

中山座長 傍聴の方は、拍手は御遠慮ください。

 改めて申し上げますが、憲法は国家の基本の法律であります。基本の法律は、それぞれの百三条の条項に理想を語られています。その理想を実現するために法律がつくられております。その法律を実施するために政令、省令がつくられて、皆様方の生活の中に入っております。

 このような法治国家における制度の中において、国民から選ばれた国会議員が構成する国会において正式に憲法調査会が設置されておりますので、国会議員に対しての批判、中傷というものはどうぞひとつお控えを願いたいと思います。

 秩序を乱した方は退場を願います。不規則発言は御遠慮ください。

 一番後ろの手を挙げた方。

池田三喜男君 神戸市垂水区に住んでいます池田と申します。無職です。

 この冊子の後ろの三ページの憲法十九条を見ていますと、私が学生時代に学んだこととちょっと違っているように思うんです。それは何かというと、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」となっていますが、私が学生時代に勉強したころは、思想、信条及び良心の自由は、これを侵してはならないとなっていたように思うんです。

 それで、これはどうなっているのか、この憲法調査会に手紙を出したんですけれども、まだ……。どなたかお答えいただいて、中山先生にまたお話ししていただいたらと思います。

 以上です。

中山座長 どうぞ、今手を挙げておられる方。

藤本龍夫君 兵庫県加古川市から参りました藤本と申します。

 初めて憲法調査会を傍聴させていただきまして、各党の皆さんの考えを聞きまして、なるほど、これは難しいものだなと思いました。

 私ら、常識的に考えましたら、古いものが悪ければ変えたらいいだろう、ただそれだけの気がするんですけれども、初めに結論が決まっているような御意見いろいろありまして、順番も何か見ていますと、芝居のような気もしたりして聞いておりました。先に結論があるような、そんな気がしましたけれども、実際、庶民の立場から見ましたら、憲法が悪ければ変えればいいし、悪くなければ変えなくてもいい、ただそれだけのことなんです。

 そして、震災に関連していろいろ御意見が出たんですけれども、やはり憲法は基本法ということですから、日本の伝統を踏まえて、そして理想もそこの中に入れてつくっていただいたらと思います。そのためにこういう憲法調査会という機関ができたわけですから、こういう形で各地でみんなの意見を聞いていただいて、そうして、なるべく理想に近いようなものをつくっていただいたらと思います。

 皆さんの、きょう御出席いただいた方の、ここで初めて聞きましたけれども、御苦労というのを実感いたしました。

 私が思うのは、この日本の歴史と伝統を体現したような憲法、こういうものをつくっていただいたら一番ありがたいと思います。

 私が思いますのは、やはり自立と自律ですね。自分の足で立つということと、自分を律するということ、これを私らは庶民としていつも心がけておるわけですけれども、自分の足で立つという点から考えれば、憲法の九条について少し問題があるんじゃないか。自分の足で立って、自分の国をつくっていく。それからまた、自分で律する自律の方も、憲法の改正条項をもう少し緩やかにして、庶民の実感がそこに入るように、そういう配慮をしていただいたらと思います。

 それからまた、個人の権利義務という言い方で書いておりますけれども、自分の家を守り、それからまた自分の会社を守る、そういうことから考えましても、自分の国を守るということで、国民が緊急のときには自分の国を守るんだ、そういう言葉でもって、権利とか義務とかいう言葉はどうもなじみがないんですね。江戸時代にもあったのかどうかと思いますけれども、どうも自分の頭の中に実感として権利とか義務というのが入ってこないわけです。江戸時代に銭形平次が、おまえの権利はないとか言ったのかどうかはちょっとわからないですけれども、自分の実感からしましたら、国家の緊急のときは国民はこいつを守れ、そういう一項目を入れておけば、自分の足で立つ、そういうことができるんじゃないかと思います。

 どうもありがとうございました。

中山座長 御出席の皆様方に、憲法調査会の考え方について御説明申し上げます。

 まず第一に、衆議院憲法調査会は、結論を今何にも出しておりません。私どもは、各党が構成する議院運営委員会の理事会において、この憲法調査会を設置するときに、憲法調査会はおおむね五年をめどに、日本国憲法について広範かつ総合的な調査を行うということによって設置されております。これが設置目的であります。その線に沿って私どもは調査を行っているのでありまして、今、何がどうなるというようなことは一切議論をしておりませんので、その点はよく御了承願いたいと思います。

 それでは、時間の都合がございますので、最後のお一人、お願いをしましょう。一番端の手を挙げていらっしゃる方、どうぞ。

湯口澄一君 中央区在住、七十七歳、湯口澄一と申します。

 学徒出陣で出まして、神戸に帰ってきました。焼け跡、あの状態で、マッカーサー司令部から二十一年二月、英文の原文が発表され、すぐ政府はそれを取り上げて国会にかけ、十月に通過しました。約七カ月ぐらいでこの憲法は成立したんです。私たち、学生でした。法学部の学生でしたけれども、何にもこんなことは、学校の教授が英文の憲法原案を解釈してくれた程度で、全く知らぬ間に成立しました。

 我が国は、千三百年昔、聖徳太子が十七条憲法、世界の初めての憲法をつくられた国でございます。これが、私たち、もう少しもんでおれば、そのときに議論しておれば、こんなに後まで尾を引かなかったと思います。

 それから日本は、どん底から世界第二の経済大国になりました。しかし、この焼け跡憲法、マッカーサー欽定憲法がそのままあるんです。これ、二十一世紀の私たちの子孫のために、何か、この原文を使ってもいいから、もう一度新しく根本的に日本国憲法をつくっていくべきだと思います。二千年の歴史を持つ民族として、このマッカーサー欽定憲法を不磨の大典、アンタッチャブルな聖典として大事にするのは少し悲しいと思います。

 戦争反対、九条もいいです。しかし、それも入れて、もう一度憲法を根本的に、皆さん、今の国会にお願いして、今のどなたも、憲法原文を作成した人は、日本人、いないんです。アメリカにまだ、前文をつくった御婦人とか、天皇、第一条をシンボルとした青年たちが、当時のホイットニー民政局長の下で、十九人の若い人たちが司令部でこれをつくったらしいんですけれども、皆さん、私たちの憲法を、改めて、これを土台にしたらいいですから、やり直してみませんか。

 以上でございます。失礼しました。

中山座長 最後に、学生の方、手を挙げられましたね。どうぞ。

岡本浩和君 最後にぜひしゃべらせてもらいたいと思います。神戸大学で勉強をしている学生です。

 私は、先ほどの市民の方の発言にまともに答えずに、憲法調査会は国会でつくられたんだということを言ったり、あと、中田作成さんが市民の代表としてしゃべっているのに、これに対する質問が一つも出ていないじゃないですか。そもそも、こういうふうに公聴会という場をつくって市民の声を聞くとか言いながら、実際、何一つこういうことを聞かないこの公聴会の場自身がごまかしなんじゃないかというふうに僕は強く実感しました。

 僕は、神戸大で勉強していて、地元神戸で、実際に神戸港やそしてこの大阪湾を使って一大軍事演習が行われているのを目の当たりにして、もう本当に日本は戦争ができる状態まで来ている。これは別に守るためなんかじゃ全然ないんですよ。僕は目の当たりにしてびっくりしました。「おおすみ」とかLCACとか、こういうのを市民の前で見せて、これは攻めるためのものですよ、間違いなく。こういうものを今持っておいて、これに憲法を合わせるなんていうのは全くおかしいと思います。

 憲法九条をこそ僕たちは武器にして、反戦の声を広げていくことこそ、平和を守るための唯一の道だと僕は思います。私たち二十一世紀を生きていく若い学生や若い青年は、このような声をこそ大きくしていくべきだと思いますし、九条を変えるなんていうのはとんでもないことだというふうに私は思います。

中山座長 ありがとうございました。

 まだ発言の御希望もあるようでございますが、予定の時間が参りました。

 もし御意見が憲法調査会におありの方は、衆議院憲法調査会に「憲法のひろば」というものが設けられております。はがき、封書でどうぞ御意見をお出しください。また、メールも受け付けております。あらゆる議事録をホームページに和文と英文の両方で記載しておりますので、十分御研修を願いたいと思います。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 意見陳述の方々におかれましては、長時間にわたりまして貴重な御意見をいただき、まことにありがとうございました。ここに厚く御礼を申し上げます。

 また、この会議開催のため格段の御協力をいただきました関係各位に対しましては心より感謝を申し上げ、お礼を申し上げます。

 それでは、散会いたします。

    午後四時四十四分散会


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