衆議院

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第1号 平成13年10月11日(木曜日)

会議録本文へ
本国会召集日(平成十三年九月二十七日)(木曜日)(午前零時現在)における本委員は、次のとおりである。

   会長 中山 太郎君

   幹事 石川 要三君 幹事 津島 雄二君

   幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君

   幹事 保岡 興治君 幹事 鹿野 道彦君

   幹事 仙谷 由人君 幹事 中川 正春君

   幹事 斉藤 鉄夫君

      伊藤 公介君    伊藤 達也君

      今村 雅弘君    奥野 誠亮君

      金子 一義君    高村 正彦君

      佐田玄一郎君    下村 博文君

      菅  義偉君    中曽根康弘君

      中山 正暉君    西田  司君

      鳩山 邦夫君    二田 孝治君

      松本 和那君    三塚  博君

      森岡 正宏君    山崎  拓君

      山本 公一君    生方 幸夫君

      枝野 幸男君    大石 尚子君

      大出  彰君    桑原  豊君

      小林  守君    島   聡君

      筒井 信隆君    細野 豪志君

      前原 誠司君    松沢 成文君

      上田  勇君    太田 昭宏君

      都築  譲君    藤島 正之君

      春名 直章君    山口 富男君

      金子 哲夫君    土井たか子君

      野田  毅君    近藤 基彦君

平成十三年十月十一日(木曜日)

    午前十時一分開議

 出席委員

   会長 中山 太郎君

   幹事 津島 雄二君 幹事 葉梨 信行君

   幹事 保岡 興治君 幹事 鹿野 道彦君

   幹事 仙谷 由人君 幹事 中川 正春君

   幹事 細川 律夫君 幹事 斉藤 鉄夫君

      伊藤 公介君    伊藤 達也君

      奥野 誠亮君    高村 正彦君

      下村 博文君    菅  義偉君

      中曽根康弘君    中本 太衛君

      中山 正暉君    鳩山 邦夫君

      松本 和那君    三塚  博君

      森岡 正宏君    山本 公一君

      小沢 鋭仁君    大出  彰君

      小林 憲司君    今野  東君

      近藤 昭一君    首藤 信彦君

      筒井 信隆君    中野 寛成君

      中村 哲治君    山田 敏雅君

      上田  勇君    太田 昭宏君

      都築  譲君    藤島 正之君

      春名 直章君    山口 富男君

      金子 哲夫君    日森 文尋君

      野田  毅君    宇田川芳雄君

    …………………………………

   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君

    ―――――――――――――

委員の異動

九月二十七日

 辞任         補欠選任

  生方 幸夫君     細川 律夫君

  枝野 幸男君     小沢 鋭仁君

  大石 尚子君     岡田 克也君

  桑原  豊君     小林 憲司君

  小林  守君     今野  東君

  島   聡君     首藤 信彦君

  細野 豪志君     中野 寛成君

  前原 誠司君     中村 哲治君

  松沢 成文君     山田 敏雅君

十月十一日

 辞任         補欠選任

  西田  司君     中本 太衛君

  岡田 克也君     近藤 昭一君

  土井たか子君     日森 文尋君

  近藤 基彦君     宇田川芳雄君

同日

 辞任         補欠選任

  中本 太衛君     西田  司君

  近藤 昭一君     岡田 克也君

  日森 文尋君     土井たか子君

  宇田川芳雄君     近藤 基彦君

同日

 幹事仙谷由人君同日幹事辞任につき、その補欠として細川律夫君が幹事に当選した。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 幹事の辞任及び補欠選任

 参考人出頭要求に関する件

 日本国憲法に関する件




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     ――――◇―――――

中山会長 これより会議を開きます。

 この際、幹事の辞任についてお諮りいたします。

 幹事仙谷由人君から、幹事辞任の申し出がございます。これを許可するに御異議ございませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

中山会長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

 次に、幹事の補欠選任についてお諮りいたします。

 ただいまの幹事辞任に伴う補欠選任につきましては、先例によりまして、会長において指名するに御異議ございませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

中山会長 御異議なしと認めます。

 それでは、幹事に細川律夫君を指名いたします。

     ――――◇―――――

中山会長 日本国憲法に関する件について調査を進めます。

 本日は、先般、ロシア等欧州各国及びイスラエル憲法調査議員団を派遣いたしましたが、議員団の調査の内容について、団長を務めました私から御報告を申し上げたいと思います。

 去る八月二十八日から九月七日まで、私どもは、これまで共産圏の国と位置づけられていたロシア及びハンガリーその他の東欧諸国を含めた五カ国、オランダ及びスペインを初めとする王室制度を有する五カ国、並びにイスラエルの合計十一カ国の憲法事情について調査をいたしてまいりました。

 この調査の正式な報告書は議長に対して提出することになっておりまして、現在鋭意作成中でありますが、私ども調査議員団は本調査会のメンバーをもって構成されたものでありますので、この際、その調査の概要につきまして口頭で御報告をし、これからの調査の参考に供したいと存じます。

 この憲法調査議員団は、私を団長に、会長代理の鹿野道彦君を副団長といたしまして、葉梨信行君、保岡興治君、仙谷由人君、斉藤鉄夫君、山口富男君、金子哲夫君及び近藤基彦君の九名をもって構成されました。なお、この議員団には、事務局及び国立国会図書館の職員のほか、二名の記者団が同行いたしました。

 私ども一行は、八月二十九日午前、最初の訪問地であるロシアのモスクワにおいて、日本の衆議院に当たる国家院で三つの会談を行いました。まず、ザドルノフ議員ら四人の国家院議員と、次にルキン国家院副議長と、そして憲法に関する諸問題を扱う国家建設委員会のルキャノフ委員長との会談であります。いずれの会談でも、一九三六年のいわゆるスターリン憲法の制定、その後約四十回に及ぶ憲法改正、一九七七年の憲法制定等々といったソ連邦の憲法史の中でも、一九九一年のソ連邦崩壊後に全面的に改正された一九九三年のロシア憲法は特筆すべきものであり、新しいロシアをつくっていくものであるとの認識のもとに、さまざまな意見が述べられました。

 まず、ザドルノフ議員らとの会談においては、この新しいロシア憲法の国民への浸透の実態のほか、家族の憲法上の位置づけに象徴される個人と社会との関係などが、また、ルキン副議長との会談では、新憲法の規定する強力な大統領中心主義のもとでの政府と議会との関係、特に大統領の大臣任命権に対する議会のコントロールのあり方の問題などが、さらに、ルキャノフ委員長との会談では、核家族化する中での家族・個人と社会・共同体との関係や、変転する社会の中にあっても維持すべき伝統の重要性のほか、スーパーパワーを有し、立法、行政、司法を超えた第四権力とも称されるロシア大統領の強大な権限に対して、議会がいかにチェック機能を果たすべきかといった問題などがテーマとして取り上げられました。

 個人的に特に印象に残ったのは、ルキャノフ委員長の次のような発言でございました。

 憲法は、かたい文章、決まった形の文章でできているけれども、我々を取り巻く社会情勢は、グローバリゼーションやインターネットの進展等に象徴されるように急速に変化している。この変化に対応するためには、我がロシアや多くの東欧諸国のように、全く新しい憲法をつくるという方法もあるし、また、漸進的に新しい憲法をつくり上げていくという方法もある。いずれにしても、世界の変化に合わせて新しい憲法をつくっていく必要がある、と述べられました。

 また、ロシア、日本ともに、元来伝統を重視する国柄である。特に日本は、象徴である天皇陛下が存在される一方、国民から選ばれた国会も活発な活動をしている非常にユニークな国である。その日本に憲法調査会が設置され、順調に、ゆっくりと調査をしながら、新しい憲法に関する検討を進めていることは全く正しいことだと思う、と述べられたことでありました。

 午後に入ってからは、法務省のエブドキーモフ第一法務次官ら七人の政府高官及び憲法裁判所附属憲法裁判分析センターのストラシュン副所長との会談を行いました。

 法務省での会談では、一九九一年のソ連邦崩壊から一九九三年の新憲法制定までの経緯や、新憲法下での外国人参政権の取り扱い、ロシアにおける司法改革の現状など専門的、実務的問題などが話題となり、また、憲法裁判分析センターでの会談では、ロシア憲法裁判所の審理の実態、裁判官の任命システムと政治性の問題などをめぐって意見交換がなされました。この中では、憲法裁判所の設置以来この十年間に三千件を超える訴訟が提起されていることや、ロシア市民から欧州人権裁判所への提訴件数が二千件に上っていることなどについても説明を受けましたが、私には、これらはロシアにおける人権問題への関心の高まりを示す一つの証左であるように思われました。

 翌三十日は、ハンガリーのブダペストに立ち寄り、日本国大使公邸において、ハンガリー、ポーランド、チェコ、ルーマニアの東欧四カ国の憲法に関して、それぞれの大使館から招致した書記官より、ソ連邦崩壊後の一連の民主的改革に伴う新憲法の制定、改正の経緯やその特徴などについて説明を聴取した後、質疑応答をいたしました。

 各国憲法の制定、改正経緯や特徴を簡単に報告すれば、まず、ハンガリー憲法の制定、改正経緯については、早急な体制転換を行うため新憲法を起草する時間的余裕がなく、三十七回に及ぶ改正を経ている旧人民共和国憲法の改正という形式がとられたため、その後も新憲法制定の動きがあったこと。また、その特徴としては、国会が国権及び民意の最高機関という規定がある一方で、国民投票の制度も設けられていること。実際、NATO加盟時にはこの国民投票の制度が用いられ、国民のコンセンサス形成が図られたこと。

 次に、ポーランド憲法の制定、改正経緯については、一九八九年の体制転換直後の時期においては、ワレサ大統領と旧統一労働者党政府の共存という状況から新憲法の制定が困難であったため、旧憲法の改正という形式がとられ、その後たびたびの改正によって漸次旧憲法時代の色彩が払拭されていったが、現在のクワシニエフスキ大統領の登場によって新憲法制定の機運が一気に高まり、一九九七年に至って、国民投票を経て新憲法が制定されたこと。また、その特徴としては、前文においてポーランドのカトリックの伝統等に言及していること。

 また、チェコ憲法の制定経緯については、当初スロバキアとの連邦制維持を前提に制定作業が進められたが、結局、両国は分離することとなったこと。また、その特徴としては、主に統治機構について定めるチェコ共和国憲法以外に、権利保障について定める自由及び基本権憲章と、憲法と同価値を有する憲法律が国の組織、活動や国民の権利について規定しているなど、法形式を異にする三つの構成要素をもって憲法秩序が構成されていること。

 最後に、一九九一年制定のルーマニア憲法の制定経緯については、チャウシェスク政権崩壊後の体制を共和制とするか君主制とするかの議論があったこと。また、その特徴としては、政治的プルーラリズム、多元主義や少数民族の権利保護の重視などが挙げられております、といった説明を受けました。

 また、以上のほかに説明の中で個人的に印象に残ったのは、多くの国々で、専制防止と人権保障のための専門機関として、憲法裁判所あるいはこれに類似する機関が設けられていることでした。

 本調査会においては、昨年五月に、最高裁判所事務総局の担当局長を招致して、戦後の主な違憲判決について調査をいたしておりますが、質疑の冒頭、私が調査会を代表して行った質疑、すなわち、いわゆる統治行為論等を理由に裁判所が憲法判断をしてこなかったことを指摘した上で、その理由について問いただしました質疑に対して、千葉行政局長は、「最高裁の判決では、直接国家統治の基本に当たるような高度に政治性のある国家行為、こういうものにつきましては裁判所の審査権の外にある、そして、その判断はやはり主権者である国民に対して政治的責任を負うところの政府や国会、最終的には国民の政治判断にゆだねられているものと解すべきである、こういう判断をいたしました。」と答弁しております。

 基本的に多数で行う国会の憲法解釈と、独立した憲法裁判所による憲法解釈の役割分担はいかにあるべきかといったことも含めながら、これまでの我が国の憲法解釈権の実質的な所在などについて思いをめぐらすとき、示唆的なものがあるように思われました。

 ブダペストでのヒアリング終了後の同日夜、直ちにオランダのアムステルダムに向かい、翌三十一日は、ハーグにおいてオランダの憲法事情及び王室制度を有する近隣各国の憲法事情について調査を行いました。

 午前中は、まず、アルテス上院議長を表敬訪問し、オランダにおける上院と下院の関係、第二次世界大戦時のドイツ占領下におけるオランダ憲法の法的状態などをテーマに懇談いたしました。

 この懇談の中では、ドイツ占領下においては、女王初めオランダ政府はロンドンに亡命したため、オランダ憲法は実際上効力を失った。したがって、当時のロンドン亡命政府の行動に対して議会のコントロールが機能し得なかったという観点から、戦後、ロンドン亡命政府の行ったすべての行為に関する調査がなされた。戦争といった緊急時の行為ではあっても、また、たとえ事後的にではあっても、政府の行為の憲法適合性をチェックすることは重要だ、といった興味深い話を伺うことができました。

 引き続いて、内閣の女王官房府のロディウス長官と会談し、ナポレオン失脚後から現在に至るまでのオランダ王制の変遷について詳細な説明を聴取した後、現在の女王の政府における地位と役割の実態などをテーマに懇談いたしました。

 さらに、午後に入って、内務省の憲法問題王国関係局を訪ねて、ピータース局長代理と会談し、オランダ憲法の三つの特徴と言われる君主制、民主制、地方分権のそれぞれについて概括的な説明を聴取した後、議会における立法手続や女王の役割、地方の自主財源その他地方分権の問題等について質疑応答をいたしました。

 引き続いて、日本国大使館において、スウェーデン、デンマーク、ベルギーといった王室制度を有する近隣各国の憲法について、ハンガリーの場合と同様、それぞれの大使館から招致した書記官等から、国王の権限と地位その他憲法における王室制度の位置づけとその運用実態などについて説明を聴取いたしました。

 これらの調査の中で、個人的に特に印象に残ったのは、オランダ王制の歴史に関する説明でありました。すなわち、そもそも共和国であったオランダが、十九世紀初頭のナポレオン戦争後に、国民の総意として王制を選択したこと。その後も、国王みずからのイニシアチブによってその権限をより一層制限するなど、立憲君主国として王権が憲法で厳格に規定されてきたこと。このように、国王や女王自身が、歴史の変化に対して柔軟に対応し、また、美術や芸術の庇護者としての役割も果たしてきたことなどを背景にして、オランダ国民は、システムとしての王制を支持しているという以上に王室に対して敬愛の情を抱いてきたこと。そうであったからこそ、他の諸国が王制を廃止する中で、王制が存続し続けたのである、といった説明です。

 また、デンマークでの地方分権の動きも個人的には印象に残った説明の一つでした。デンマークでは、一八四九年、憲法に既に地方分権の導入が規定されていたとのことで、これが一九六〇年代から本格化し、地方分権の達成度合いは世界的にも高いレベルになっていること。すなわち、基礎的自治体である市は、水道、ガス、幼稚園、初等教育等を、広域自治体としての県は、病院、国民健康保険、幹線道路、高等学校等を、そして国は、警察、外交、防衛等を主要業務とするなど、国民生活に密接なところは地方に行わせることを基本としている点、そして、このような事務配分を支えるため、国税のかなりの部分が使途を定めず、いわゆるひもつきではない形で地方に交付されております。具体的な数字を挙げますれば、税収ベースでは国対地方が六四対三六であるのに対して、予算配分上は三七対六三になっておりますことなども、地方分権推進が重要な課題となっている我が国の現状とあわせて考えるとき、大いに興味を抱いたところであります。

 翌九月一日は、アムステルダムからイスラエルのエルサレムに向かいました。去る九月十一日の米国での同時多発テロの発生前ではありましたが、空港等では、相次ぐ自爆テロ等に対して厳重な警戒がなされておりました。しかし、会談自体は極めて平穏かつ和やかな雰囲気の中で行われました。

 このイスラエルにおいては、最近まで導入されていた首相公選制が今回の調査の主要目的の一つであることもあって、その導入及び廃止の経緯等に関して、二日間にわたって合計八人の政府要人及び専門家と会談するなどして、詳細な調査をしてまいりました。

 まず、初日の九月二日には、ショフマン検事次長、シトリート司法大臣、我が国の国会に当たるクネセットの基本法委員会のショハム法律顧問及びピネス基本法委員長と会談いたしました。二日目の九月三日には、ペレス外務大臣のほか、首相公選制廃止論者であるカルモン博士やテルアビブ大学のセガル教授といった学識経験者と会談をした後、イスラエル日本友好議員連盟のアレンス会長との懇談も行いました。

 これらの会談及び懇談を通じて私自身痛感したことは、一言で言えば、首相公選制の導入は、国会との関係、天皇制との関係など統治機構に関する広範な論点について慎重な検討を要する問題であり、単なる思いつきなどであってはいけないということであります。

 すなわち、お会いしたほとんどの方々が異口同音に、イスラエルでは、元来政権安定のために導入したはずの首相公選制によって逆に小党乱立を許すことになってしまい、そのねらいは全く外れてしまったこと。今重要なことは、議院内閣制のもとでの選挙制度の改革、例えば、足切り率を一・五%から三%にアップするとか、選挙区制度を導入することなどによってこの小党乱立状況をまず解消することが重要だということでございました。そして、イスラエルと日本とでは、憲法制度も選挙制度も、また、政治、社会、文化の状況も異なるが、我々イスラエルの失敗を生かして、より慎重な検討をなさることをアドバイスとして贈りたいとも言っておられました。

 なお、この首相公選制導入あるいは廃止の際に行われたキャンペーン運動には、国外のユダヤ人たちからの資金援助が大きく寄与しているといった説明も受けましたが、我が国の政治資金の規制のあり方と比較するとき、イスラエル独立以来存在するユダヤ人社会のつながりという特殊性が見てとれるような感じがいたしました。

 また、これらの会談では、シトリート司法大臣やペレス外務大臣といった政治家と国家観や政治信念について意見交換をすることもできました。個人的に特に印象に残っているのは、シトリート司法大臣の次のような趣旨の発言です。

 オスロ合意が議会にかけられたとき、私は、平和のために、所属する政党リクードの党議に造反してオスロ合意に賛成した。そのほかにも私はいろいろ党に反対してきたが、まだ政治家として生き残っている。過去の遺産にしがみついたり、流れに身を任せるだけではなくて、政治家としては、そのような流れに抗しても生き残る道はある。私の場合は、常に支持者、国民とともにあること、これによって生き残ってきたと言える、といった趣旨の発言でありました。

 また、ペレス外務大臣の、次の一連の発言にも強烈な印象を受けました。

 世論調査は香水のようなもので、よい香りはするが飲むことはできない。これに引かれる人は多いが、その取り扱いには注意が必要だ。飲んだりするとおなかを壊すことすらある。とか、私は長く政治の世界に身を置き、どの政治家よりも多くの批判も受けてきた。その中で得た教訓は、このマスメディアの発達したテレビ時代にあっても、あなたのイメージではなく、あなたの人柄こそが最も大切だということだ。私はこれまでに多くの間違いをしてきたが、それにもかかわらずこの国で最も人気のある政治家の一人でいられるのは、私の見ばえがよいからでも、私が穏健になったからでもなく、私が国のために働いてきたからだ。そして、こういう姿勢を多くの国民が認識してくれているからである、といった発言でございました。

 また、今後の世界情勢に関する見通しを問うた私の質問に対する回答として述べられた次の発言も、心に刻むに値するものでありました。

 中東やアジアの和平など今後の世界情勢については、私は基本的に楽観的である。第二次世界大戦直後の時点でだれかが、近い将来、新しいヨーロッパや日本が誕生すると言ったとしたら笑われたに違いないが、現実にはそうなった。しかし、そうなったのは決して政治によってではなく、むしろ経済によってである。ジャン・モネが考えたEU統合は、ナポレオンが考えたよりもより大きな変化をヨーロッパにもたらしたと言われることがあるが、まさにそのとおりだ、といった発言や、これまでは土地と資源を求めて戦争が行われてきたが、もはやそんなもののために争う必要はない。これからは、ハイテク産業のような新しい知識を求めて、開かれた空間の中で行う競争が重要になっていくだろう。中東地域はいまだに過去のものにこだわっているが、しかし、もはやそのような考えは捨てるべきだ。我々は、年齢は変えられないが、考え方は変えることができるのだ、といった発言でした。

 翌四日は、エルサレムからスペインのマドリッドに向かいました。

 そして翌五日には、まず午前中に、政府の諮問機関として法律の合憲性の審査等に関与している国務院において、カベロ議長ら四人の高官と、また午後には、マリスカル下院憲法委員会委員長ら七人の議員らとそれぞれ会談をいたしました。

 カベロ国務院議長らとの会談では、一九七八年の現行スペイン憲法の概略について、フランコ政権崩壊後の議会君主制採用の経緯や、新しい権利を含んだ権利規定の充実ぶり、自治州制度の問題点などを中心に説明を聴取した後、質疑応答をいたしました。また、マリスカル下院憲法委員会委員長らとの会談においては、現行憲法の制定経緯について、各政党の立場からそれぞれの意見を聴取した後、質疑応答をいたしました。

 この会談では、憲法委員会第一書記官を務められているジャネー議員の、スペイン憲法が安定した憲法となったベースには、その制定過程でさまざまな政党が協議し、その合意を基礎にしたということがある。憲法のような国の基本法は、一つの政党がつくるのではなくて、さまざまな政党の協議により、議会全体としての合意を形成していく中でつくられなければならないとの発言が、個人的には極めて強い印象に残りました。

 また、スペインの王制に関しては、フランコ政権崩壊後の現行憲法の制定過程において、フランコ総統の後継者に指名されていたファン・カルロス国王自身が改革の擁護者として、政党の自由化等の民主化のため決定的役割を果たしたとの説明も、私には印象に残った発言でした。

 すなわち、一九八一年のフランコ体制維持派のクーデターの際には、民主主義を擁護する姿勢を断固として示される一方、その後、中道右派から社会主義政党への政権交代の際には、立憲君主としての御自分の立場をわきまえて、政治に干渉することなく着実に任務をこなされるといった姿勢によって国民の人望を集めている。実際、各種のアンケートにおいても、議会等よりも王室に対する信頼、評価が極めて高いということであります。

 以上のような極めて多忙な日程ではございましたが、無事これを消化し、私ども議員団は、去る九月七日、帰国いたしました。

 ごく短期間の調査でありましたし、また、各訪問国における調査事項が極めて多岐な問題に及びましたので、ここで結論めいたことを申し上げることは到底不可能なことではありますが、しかし、一言だけ個人的な所感を申し上げるとすれば、共和制にしろ王制にしろ、また大統領制にしろ議院内閣制・首相公選制にしろ、決定的に重要なことは、憲法に関する論議の素材が国民に対して十分に提示され、王制すら国民が選択する、すなわち、国の基本的なあり方は最終的に国民が判断するということ、そして、そのような国民の判断にとって決定的に重要なのは、権威の象徴である国王についても、また権力の中心である大統領、首相といった政治のリーダーシップをとる者についても、国民からの信頼、信任がその基礎になければならないということであります。

 また、EUへの主権委譲の問題と関連して、EU憲法の可能性についてもさまざまな議論があり、国民国家の枠組み自体が大きく揺らいでいることについても再確認いたしました。

 今回訪問した諸国と我が国とを対比しながら、これらの点に思いをいたすとき、我が国の皇室は千年以上の歴史を持ち、国民の信頼を集めていること、また政治に関与されず、象徴天皇としての役割を見事に果たしておられることに、改めて敬愛の念を抱いた次第であります。

 また、本調査会においては、二十一世紀の日本のあるべき姿について、党派を超えて、かつ、現在生じている諸問題への具体的な対処方針をも踏まえて、徹底した調査をしていく中で、国民にあるべき姿を提示し、そのことによって国民の信頼を獲得していくことが求められているのではないか、改めてそのように考える次第でございます。

 この調査の詳細をまとめた調査報告書は、議長に提出し次第、委員各位のお手元に配付いたす所存でございますので、本調査会の今後の議論の参考に供していただければ幸いと存じます。

 昨年、委員各位のお手元に配付いたしました海外調査報告書で御報告いたしました、ドイツ、フィンランド、スイス、イタリア、フランスの欧州五カ国と合わせると、イスラエルを含めて欧州各国を中心に合計十六カ国の憲法事情を調査いたしたことになりますが、いずれの国においても、憲法のありようが国のありように直結して国民的な論議がなされていることを、私自身、改めて認識させられた次第であります。

 最後に、今回の調査に当たり種々の御協力をいただきました各位に心から感謝を申し上げますとともに、充実した調査日程を消化することができましたことに心から御礼を申し上げたいと思います。まことにありがとうございました。

 以上、簡単ではありますが、このたびの海外調査の概要を御報告させていただきました。

 引き続きまして、派遣議員から海外派遣報告に関連しての発言を認めます。

 まず、仙谷由人君。

仙谷委員 仙谷でございます。

 二年連続いたしまして、海外の憲法事情調査に連れていっていただいたわけでございます。ただいまの会長の報告と重複を恐れずに、若干の感想を申し上げたいと存じます。

 御存じのように、ロシアあるいはハンガリー、ポーランド、チェコ、ルーマニア、東欧諸国は、社会主義体制からの体制の転換というものをなしたわけでございますから、当然のことのように、新しい憲法、そして憲法体系を大胆に変えなければならないという必要に迫られているんだろうなという思いで参ったところでございます。

 そこでは、やはり、政治権力の暴走をどう抑止していくか、そしてまた共産主義体制下の人権抑圧についての反省から、人権保障をどう制度的に担保しようかという発想が相当強いなと感じられたところでございます。ロシアあるいは東欧諸国において、憲法裁判所あるいは人権オンブズマン、あるいはポーランドに至りましては、児童権利擁護官というのが憲法上規定をされているということでございまして、まさに日本のこれからの人権保障の問題としても、制度的な担保が注目に値すると拝見をしたところでございます。

 それから、ベルギー等の北欧、西欧諸国では、やはりEU統合の深化に伴いまして、国家主権を国際公法の機関に授権することができるという規定が追加されたということでございまして、一方では、EUとの関係で、従来、国家主権の独占物とでもいいましょうか、専有物というふうに規定されていた権限が、その一部もしくは相当部分が国際機関に委譲をされるということが憲法上も規定をされております。

 そしてさらに、西欧あるいは北欧諸国のトレンドは、分権化を強力に推進していくということでございます。ベルギーにおきまして、分権化を推進する、あるいは連邦国家化を推進するに際して、その中で、各級政府の、つまり連邦国家あるいは共同体という名前でございましたが、あるいは地域政府の権限争いを解決することを大きな目的として、仲裁院、憲法裁判所がわざわざつくられたというふうな報告も聞いたわけでございます。

 イスラエルの首相公選制の導入とその廃止というのは、これはクネセット、議会の議員の選挙が比例選挙であるということにも相当規定されておって、要するに、小党が群立しているということ、そして、この小政党の力を相対的に少なくすることを期待して首相公選制を導入したようでありますけれども、実態は、小政党が政府権力をおどしたり、まさに恐喝という言葉をよく使っておりましたが、あるいは取引をしたり、そういうわけのわからない政治になった。つまり、小政党の力を公選制によって強くしたんだというふうな反省が相当な方から聞かれたところは大変興味深うございました。

 そして、もう少し概括的に申し上げれば、どうも民主主義の制度を取り入れた国々では、グローバリゼーションと国民の多様化、多元化、多元的な価値観のもとで、非常に背反する課題であるわけでありますが、効率的で強い政府をつくらなければならない、スピードのある政策決定をしなければならないという要請のもとにいろいろな試みをしている。

 それから、多様性を保障するためにどうすればいいのかということが、ある意味で民主主義の民主化というふうに呼ばれる、そういうふうに言われる課題として提起をされておりまして、先ほど申し上げましたサブシステムとして憲法裁判所、あるいは国民投票、あるいは会計監査院をもうちょっと本格的にしたGAOのような最高監査院というふうなものをつくったり、それから人権オンブズマンというふうなものが憲法上も規定されているのが一つの特徴であったと思います。

 そして、言うまでもないことでありますけれども、先ほど申し上げました国際機構と国家の主権の関係を整理するというのがやはり憲法上の課題であると同時に、今回の同時多発テロに対する対応を迫られた日本を見ましても、これはやはり国際機構と一主権国家の主権、例えばそれが軍事主権であれ、あるいは司法権であれ、それをどう委譲し整理するかということが現代においては大変大きな課題になっている。集団的安全保障としても、そこは非常に憲法上も整理をしなければならない大きな問題だなと改めて感じたところでございます。

 雑駁でございますが、そんな実感を持って今回の憲法調査をさせていただいたところでございます。以上であります。

中山会長 ありがとうございました。

 次に、斉藤鉄夫君。

斉藤(鉄)委員 先ほど中山会長の方から包括的な御報告がございました。私は、個別具体的に、特に感じたことを二点、もし時間があれば三点、ここで感想を申し述べさせていただきたいと思います。

 まず、先ほども仙谷委員がおっしゃいましたが、イスラエルの首相公選制でございます。

 選挙の役割といいますのは、民意の集約と民意の反映、ある意味ではこの相反する二つの機能を行うのが選挙でございますけれども、首相公選制と比例代表選挙というのは、民意の反映そして民意の集約を行う意味で理想的な形ではないかという考えを持って、このイスラエルに私は行ったところでございます。

 ところが、八人の方全員が、首相公選制は失敗だったと。中には、首相公選制は政党政治の死を意味するとまで発言される方がいらっしゃいました。

 その理由は、先ほど仙谷委員がおっしゃったような理由からでございますが、私一つ気になりましたのは、いわゆる制度の設計が本当によかったのか。非常に足切り率の悪い全国一区の比例代表選挙と首相公選制、かつ、そのクネセット、国会に首相の不信任権限も与えている。このような制度設計で首相公選制を行えば、ある意味で、今回イスラエルが失敗したようなふぐあいが当然予想されるわけでございまして、その制度設計の十分な検証を行わずして首相公選制は失敗だったと言い切るのは、少し早計ではないかということを感じました。

 しかし、先ほど中山会長がおっしゃいましたように、この首相公選制、統治機構と根本的に結びついた大きな問題だということを改めて痛感した次第でございます。

 二点目は、オランダで、女王官房府のロディウス長官と本当に長時間議論をすることができました。その中で私が特に感じましたのは、王室と学術、文化芸術政策の結びつきでございます。

 文化芸術振興については、今、各政党で振興基本法をつくろうという動きがこの日本でも起きてきておりますけれども、学術、これは科学技術も入ります、文化芸術というのは、本来、人間の自由な精神の発露でございます。

 片一方で、この近代社会においては、学術や文化芸術を公的なところが支援する、支援しなければ生き残っていけないということもまた事実でございます。

 一方で自由な精神の発露、しかし一方で権力がそれをサポートしなければ存続し得ない、ある意味では相反する事象なわけでございますけれども、これを解決する論理を与えたのが、実は、一九四六年のイギリスの芸術評議会、その議長だったケインズでございまして、国民の自由な精神を保障するために、その発露である文化芸術について国が支援をすると、非常に回り持った論理でございました。

 今回、オランダでその役割を王室が担当されている、全部ではありませんけれども、非常にその関与が深い。つまり、王制という制度を使って、直接国家権力がその自由な精神の発露である学術、文化芸術についてサポートをするのではなく、非常にやわらかい形で、直接の支援ではなくてサポートをしている。そういう体制を大変深く感銘を覚えてきた次第でございます。日本の皇室制度も非常にうまく機能しているというふうに感じてまいりましたけれども、このような観点で日本でも議論をされたらどうかということを感じました。

 あとちょっと時間がありますので、率直な感想ですが、各国の憲法、本当に国民の議論のもとに改正が何度も行われているということを改めて痛感をしてまいりました。そういう意味で、この憲法調査会での憲法論議が、二十一世紀の日本のあるべき姿について本当に重要だなということを感じて帰ってきた次第でございます。

 以上でございます。

中山会長 次に、山口富男君。

山口(富)委員 山口富男でございます。

 私は、各国での関係者との意見交換などを通じまして、日本国憲法をより深くつかみ直す二つの感想を持ちました。

 第一の感想なんですけれども、当たり前のことかもしれませんが、憲法がそれぞれの国の歴史と政治的な対抗の所産であって、憲法をめぐる問題というのは、世界の動きと関連し合いながらも、本来その国の政治や国民生活そのものの中に存在しているということを感じました。実際、訪ねた諸国それぞれに、憲法の歴史や運用の問題、それから当面している憲法上の課題など、実に多彩で個性豊かな内容を持っておりました。その一端は中山会長の御報告にありましたけれども、それと少し重なるかもしれませんが、以下その点で、各国どうであったかお話ししたいと思うんです。

 まずロシアなんですけれども、大統領権限への立法権力のコントロールが弱いとして、どうバランスをとるのかという発言がさまざまにございました。私、これを聞きまして、この十年間のあの国の政治闘争の深刻さが浮き彫りになっているなということを感じました。

 それから、オランダなんですけれども、あそこの憲法は、明治維新後日本に紹介された初めての近代憲法の一つです。このオランダの憲法では、この変遷が、一八四八年のいわゆるヨーロッパの革命、それから二十世紀の二つの世界大戦を初めとして、その時々のヨーロッパの変革や激動と非常に深く結びついていたというお話がありました。また、今日、ヨーロッパ統合の中で、国内の法制度と国際社会の枠組みというものをどう調整するか問題になっているという話があったんですけれども、憲法を考える際に世界的な視野の必要性ということをこの国では私痛感いたしました。

 それから、イスラエルを訪ねたんですけれども、私たちがお会いした方々は口々に、自国の経験として、この首相公選制の導入は失敗だったというふうに話していらっしゃいましたけれども、私は、制度上の比較や調査をする場合に、諸条件の周到な吟味が本当に必要不可欠だなということを改めて感じてきたところです。

 それ以外に東欧諸国やデンマーク、北欧諸国の憲法事情についても大使館で説明聴取したんです。私自身は、ロシアや東欧諸国の場合、あの旧体制というものは社会主義とは異質の体制であったというふうに見ておりますけれども、しかし、今起きている法制度や人権擁護の問題など、そういう問題にかかわる問題というのは、やはり二十一世紀の憲法上の問題として大いに関心を寄せるべき大事なことが起きているということは痛感いたしました。

 さて、二つ目の感想なんですが、この二つ目の感想は、日本の憲法は一体どういう条件のもとで今日に至っているのかということにかかわります。

 私たちの国の憲法は、平和原則と豊かな人権規定を初めとして、内容上も世界的に見て非常に先駆的なものを持っているわけですけれども、翻ってみますと、これは、二十世紀前半の専制政治や侵略戦争への反省、こういう実際に起こった問題と真剣に対話をし、考える中で生まれたものだと思うんです。ですから、日本の憲法の立脚点というのも、やはり他国と同じように、歴史と現実の中にあったなということを再確認できると思うんです。

 そして、今日求められているのは、その憲法の理念や平和の原則を、日本と世界の現実の中で確認し生かすことだなというふうに感じるんです。例えばテロ問題への対応でも、やはりこの基本点を踏まえておくべきだというふうに感じます。私は、今後ともそういう視点を持って仕事を進めていきたい、これが今回の調査で得た私のもう一つの感想なんです。

 以上、簡単ではありますけれども、派遣議員の一人として感じた二つの感想を申し上げて、発言とさせていただきます。

中山会長 金子哲夫君。

金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子です。

 今回の派遣委員の一人として幾つかの感想を述べさせていただきたいと思います。会長の報告や、今一緒に参加をしました皆さんとダブる点もあるかもわかりませんけれども、私自身の感想でありますので、お話をさせていただきたいと思います。

 第一には、私は、今回の海外調査の中の大きな目的の一つに首相公選制の問題があったというふうに思っております。皆さんの発言とダブらない方向で考えたいと思いますけれども、先ほどもありましたように、選挙制度の違いもありますので、必ずしも同一的にこの問題を考えることはできないと思いますが、直接選挙によってリーダーシップを発揮するということが強調されるわけでありますけれども、私自身が感じましたのは、より多様な意見というものを議会がしっかりと論議をして政策を決定していく議会制民主主義の前進といいますか、その発展を通じて国民の政治への関心を高めていくことが非常に重要ではないかということを痛感しました。

 特にその中では、反省点の一つとして、政治的関心が弱くなっている中で、国民も議会も何か変えなければならないという雰囲気の中で、十分な論議も余りできないまま短期間の準備で結論が出されたということが言われております。その点でいいますと、国民の政治的な関心が弱まっているということを、制度を変えることでのみ解決するということの問題がやはりあるんではないか。議会における私たちの役割というものがもっと重要ではないかということをまず感じたということであります。

 二つ目には、いわゆる憲法裁判所の問題でありますけれども、特にヨーロッパ各国で憲法裁判所のことがいろいろ報告で出ました。日本にも、先ほどの会長の報告にもありましたように、第八十一条において最高裁に法令審査権が与えられているにもかかわらず、その十分な機能を果たしていないというふうに思いますけれども、特にロシアの先ほど数字の報告がありましたが、例えばスペインでも二〇〇〇年で六千七百件もの申請があって、実際には六千百件は却下されたということでありますけれども、その圧倒的多くが人権にかかわる市民からの申請であったということが言われており、そのために事務が煩多になって本来の憲法裁判所の任務に支障を来しているということも言われておりました。

 それにしても、ある意味では、国民生活といいますか、国民自身がこのことを通じて憲法を身近なものとして感じていく、生活の中に憲法を意識していくということのかかわりということでは、日本よりもはるかに憲法をそれぞれが意識しているんではないかということがあったように思えてなりません。

 それから、特に重要な法案の問題についてでありますけれども、ある独立した機関によって、その時々の政治的な力によって憲法が一方的に解釈されるということでなくて、例えば日本の憲法でいえば、三権分立の建前からいえば、それぞれが憲法に沿って十分に機能を果たしていくという機能を与えるためにも、いわば憲法裁判所のような機能を日本の国内においてどう果たしていくかというのは非常に重要な問題ではないかということを感じております。

 三つ目には、これは当たり前のことでありますけれども、各国の憲法を考えるに当たっては、その国の文化、歴史を十分理解しなければならないということを改めて感じました。さまざまな国の憲法、その固有な条文があるわけでありますけれども、やはりその国の歴史的背景があってそのことが強調されているように思います。

 私自身が一番感じましたのは、スペインの憲法の中で、とりわけ第一編というところで、基本的権利及び義務ということで、基本的人権にかかわる項目が四十四の条文によってかなり具体的に規定をされておりまして、また、今日、この調査会でも権利と義務の問題が議題になっておりますけれども、私は、その中には、義務を強調するというよりも、基本的人権をどう保障していくかという視点で、とりわけ自由の保障ということが中心になっているように思えました。私は、これもやはり歴史的な背景があって、なぜここまで書くのかというような内容まであるように思いましたけれども、かつてのフランコ時代における権利抑圧の状況に再びスペインは戻らないという決意が強く感じられたというふうに思います。

 私ども、日本の憲法をそういう背景の中から考えてみますと、日本国憲法の中には、独自の成立過程や歴史的背景を持って生まれていることは当然のことですけれども、そのことを憲法の調査活動においても当然のこととして念頭に置きながら論議をしていかなければならないということを強く感じたところです。

 以上、とりあえず三つの点について、私の意見を述べさせていただきました。

中山会長 ありがとうございました。

 これにて派遣議員の発言は終了いたしました。

    ―――――――――――――

中山会長 これより、御意見のある委員から御発言をいただきたいと存じます。

 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートを立てていただき、御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。御発言は五分以内におまとめいただきますようお願いいたします。

 発言時間の経過につきましてのお知らせでありますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にブザーを鳴らしてお知らせいたしたいと存じます。

 それでは、お二人から既に発言希望が出ております。まず、春名直章君。

春名委員 精力的な調査、大変御苦労さまでした。私も昨年、ドイツ、フランス、スイス、イタリアの調査に参加をさせていただきました。本日の会長の御報告と各派遣委員の皆さんの感想も聞いて、海外調査の会談録の未定稿も読ませていただきまして感じたことについて、昨年の感想も若干交えて発言をさせていただきます。

 一つは、会長自身の御発言の中で、憲法のありようが国のありように直結しているということがございました。外国の憲法をめぐる実情というのは、憲法がその国の国のあり方にかかわる基本法ですので、その国の独自の歴史や文化、国の成り立ちを反映して、憲法の運用や直面するさまざまな課題も各国によって実にさまざまであると何人かの方が御発言されていますが、改めて、今回、前回の調査の中で感じました。したがって、当然のことですけれども、外国の経験を機械的に日本に当てはめることは戒めなければならないと思います。

 本調査会でも、例えば外国での憲法の改正の回数の問題が時々取り上げられます。一度も改正していない日本はおくれているかのような御発言もあります。昨年私も訪問させていただいたスイスでは、確かに百四十回の憲法改正が行われていてびっくりしたわけですが、とりわけ昨年の四月には全面改定も行われているんですが、ただ、それをよく聞いてみると、スイス憲法が日本の法律レベルのものを多く含んでいること、改正を常に迫られるという面があること、それから、何より国の成り立ちが、カントン、州ができてから国をつくるという過程を通っていて、常にその権限のあり方が問題になってきたという事情があることが改めて明らかになりました。

 今回の会談録の未定稿も読ませていただいて、例えばロシアや東欧諸国では、最近の大きな激動、ヨーロッパ各国のEUへの加盟問題等々、国の根幹をなす大変大きな変化があって、それに対応して真剣な議論がされているのが特徴だということを改めて感じました。この点、日本の実情とはやはり大きな違いがあるということが存在していると思います。

 この点、山口委員もおっしゃいましたが、日本の場合は、何よりも、あの侵略戦争や専制政治への痛苦の反省という重い重い歴史の教訓の上に今の憲法が生まれているという歴史や成り立ち、このことを改めて深く考えざるを得ないということを痛切に感じました。

 もう一点は、憲法の改正に反映しているかどうかにはかかわらないですが、多くの国で基本的人権の尊重を重視、その豊富化という太い流れがあるということが非常に印象深いものでした。

 昨年行きましたフランスでは、違憲立法審査の機関であるフランス憲法院が、純粋な違憲立法審査の機関から、今は、権利宣言に示された人権を守る機関としての役割の比重が重くなっているという御説明を聞きました。

 今回の調査でも、皆さんの精力的な調査の中で、ロシアの調査で、憲法裁判所設置以来、十年間に三千件を超える訴訟が提起されている。それから、ロシアの市民から欧州人権裁判所への提訴件数が二千件に上っていることなどの説明がなされておられます。東欧諸国でも、その設置の是非は別にして、専制の防止と人権保障という観点から憲法裁判所類似機関がつくられているという点を興味深く私も読みました。

 翻って日本の憲法を見てみますと、まさに三十条にわたる非常に詳細な人権規定がございます。世界的にも、この点では非常に先駆的なものがあると思いますが、外国では憲法裁判所を人権を守る機関として位置づけて活用しているという点が特徴的なようですけれども、日本では、まず何よりも、この豊かな人権規定を全面的にいかに花開かせるか、そういう憲法政治の実施ということが非常に大きな課題になっているということを感じました。

 私、今非常に思っていることは、今後ともその点で、憲法を暮らしの中にという精神で、憲法を日常生活に定着させる、花開かせる努力をまず尽くすことが非常に私自身に問われているということを感じた次第です。

 以上二点、簡潔ですけれども、私の感想とさせていただきたいと思います。ありがとうございました。

中山会長 次に、伊藤公介君。

伊藤(公)委員 自由民主党の伊藤公介です。

 中山会長を中心として各委員の皆さんが、それぞれの国の実情を報告されまして、そういう意味では、私たちも、これからの憲法のいろいろな調査をする上で大変参考にさせていただけるのではないかと思っています。

 その中で、特にイスラエルでは、首相公選について調査をしていただいたという御報告がございました。先ほど斉藤先生からも御報告がありましたけれども、私はこの報告書も少し見せていただいて、私なりに思いますのは、根本的にイスラエルの国情、憲法、選挙制度あるいは国の文化、政治の置かれている状況などなど、非常に日本とは違った状況にあるのではないか。もちろん、御指摘をいただいたように、思いつきで国の大きな制度を考えるべきではないということは当然のことでございますけれども、このイスラエルの首相公選をもって首相公選のすべてを語ることは、私はむしろ非常に危険だ。

 私たちは、今超党派で、首相公選を実現する会という中で、賛成の方も、そして慎重な専門の先生方も、それぞれかなり時間をかけて学習を続けてまいりました。また、今、日本の総理大臣のもとで、首相公選というものを本格的に、国の大きな議論をするテーマとして、その組織もつくられて、具体的な作業が開始されたところでもございます。

 報告の中にもございましたように、特にイスラエルは、現在十九の政党があります。その政党一つ一ついろいろ分析をしてみますと、非常に宗教的なそれぞれの政党がある。また、いろいろな民族の、何々系移民派だとかいうような、イスラエル独特の国情を反映した政党が非常に多党化している。しかも、御指摘をいただきましたように、政党の足切りが一・五%ということでありまして、たしかドイツなどでは五%だったと思いますけれども。

 というようなことを考えますと、日本は今、選挙制度が小選挙区になって、どちらかといえば、二大政党というのか二大政治勢力といいますか、政党が、時代の大きなテーマを、何を次の時代に私たちはやっていくのかというようなことを、国民、有権者にしっかりとした政策を訴えて、政党中心の政治にしていこうという選挙制度にも私たちは取り組んできたところでございます。

 そういうようなことを考えますと、イスラエルでの今度の皆さんの報告は、それなりの一つの参考にはしなければならないと思いますが、私たちのこの国でこれから首相公選というものを実現していくという意味では、イスラエルの首相公選というものをやってみてよくなかったということをもって、一つの参考にはしなければならないけれども、日本は違った角度から日本なりの首相公選というものを考えていくべきだということを、私はこの機会にぜひ申し上げておきたいと思います。

中山会長 ほかに御発言の御希望はございますか。

 藤島先生どうぞ。

藤島委員 短期間に本当にいい調査をやっていただきまして、御報告いただきまして、ありがとうございました。

 きょうの御報告の中で、議会君主制の問題とか、あるいは首相公選制の問題、あるいは憲法裁判所が現実にいろいろな活躍をしていること、あるいは地方分権で、使途を定めない、ひもつきでない形での財政の交付の問題とか、いろいろ我々の考えていることと共通していることがございまして、大変参考になりました。

 ところで、私は日ごろから、現在の我が国の憲法は一回も改正されていないわけで、改正規定が非常に厳し過ぎるというような感じがしておるわけです。今回の調査で、かなり各国は改正されているわけですけれども、その問題と改正規定の問題について、会長、何か御感想がありましたらお示しいただければと思います。

中山会長 改正規定の問題について、昨年とことし、ヨーロッパ、いろいろな国を見て歩きましたが、それぞれの国で、例えばドイツなどは国会議員の三分の二以上ということになっておりますが、国民投票制はとっていない、こういうふうな問題の違いもございます。

 いずれにいたしましても、我が国の憲法自身、九十六条で、憲法改正の場合は国民投票が要るということを規定しております。しかし、憲法の規定に基づいて行うべき法律が制定されていない。だから、国民投票をやる場合の国民投票法とか、あるいは憲法改正のための特別委員会法とか、その際に必要な両院議員の員数とか、そういったものが戦後五十数年間、全然放置されたままで、憲法の条項だけが残っている。こういったところが、よその国と比べて、我が国の憲法それ自身が立法不作為の行為に当たった五十数年間であった、そういう印象を強く持っております。

藤島委員 ありがとうございました。

中山会長 ほかに御発言ございませんか。

 それでは、葉梨先生。

葉梨委員 今の藤島委員のお話に関連しますが、今度行きました各国は、国会議員の三分の二の議決によって憲法改正が行われるというところがほとんどでございました。ですから、我が国においては三分の二というのが大きな壁というふうに認識されておりますけれども、憲法改正をしばしば行っている今度行った各国では、そういう壁があってもそれは壁になってないということで、一つ際立った、私ども勉強をさせていただいたというふうに思っております。

中山会長 中山正暉君どうぞ。

中山(正)委員 私は、この日本の憲法問題、戦後五十六年置いておかれたという中に、どうしても米国の情報公開法で明らかにしていただかなければいけないことがあると思います。

 今、世界情勢も大変な時代に来ましたが、日本というのは、冷戦構造の中で、アメリカとソ連と中国という、特にアメリカは、一九四九年、朝鮮動乱の一年前に、日本の経済力で中国を支援して、ソ連と中国の分断を図るという秘密文書、これは一九七五年に公開されております。ですから、情報公開法で、アメリカは日本に憲法を押しつけた、これはもう明々白々。

 日本では、一番最初に憲法改正案を提案されたのは昭和二十四年、日本共産党が一番最初でございます。その次は、三木武夫さんの政党、改進党が昭和二十七年に憲法改正案を出しておられます。

 ニクソン副大統領が日本に昭和三十七年に来たときに、副大統領でございましたが、日本に対してアメリカが憲法を押しつけたのは間違いだったと一回だけ言ったことがあります。しかし、アメリカの情報公開法というのは、いわゆる公開する部分と永久秘密にする部分がありますが、なぜかこれだけ世間に知れ渡っている、アメリカが押しつけたというその事実を、アメリカ自体がそうだと言ったことは一回もありません。

 私は、前に十分間の発言の時間を許していただいたときにも、アメリカの安保条約で、日本が平和憲法を持って、これで永久に世界の平和につながる日本の平和に対する協力ができるかというと、なかなか難しい問題がある。

 今も一神教同士の争いが起こっています。イスラエルに行ってこられたということですが、私は、世界のメッセンジャーというのは、最初はモーゼだったと思います。それまでは、ギリシャなんかは多神教の時代がありました。愛の神、それから酒の神、いろいろな神様がいらっしゃいました。今の日本と一緒です。しかし、モーゼが一神教をつくって、ユダヤ人だけがユダヤ教に入れるのではいかぬ、ユダヤ人以外も宗教に入れようというのがキリストだったと私は思います。

 キリストがユダヤ人以外にもユダヤ教を広げる、その意味がキリスト教だったと思いますが、紀元七三年に、死海の北にありますマサダのとりでで最後に滅びて、そしてその後は、御承知のように、ローマに軍事力で滅ぼされながら、今度はローマにバチカンをつくった。宗教の本山をつくった。軍事力で滅ぼされて、心で滅ぼしたという。それが、ユダヤ人に殺されたユダヤ人であるキリスト、そのキリストを殺したから、白人からユダヤ人が差別される。

 その悲しい歴史の中で、今度はムハンマドがその六百年後に生まれました。三番目のメッセンジャーは、私はムハンマドだったと思います。

 四番目が、宗教の争いではこれは結末がつかぬから、革命思想、暴力革命で宗教を否定して、世界を一つにしよう。四番目が、失礼かもわかりませんが、勝手な意見で恐縮ですが、マルクスだったと思います。マルクスのつくったのをレーニンが暴力で実現して、革命を起こして王様を殺して、そして七十二年間やりましたが、やはり、神様でなかった思想というのは、神様ならば平等に人を扱えるかもわかりませんが、生身の人間、レーニンは、次、特にスターリンには跡を継がせるなと遺書を書いていたんですが、これが否定されてしまいました。

 ですから、結論として申し上げたいことは、アメリカにそろそろ、情報公開法で秘密にしている部分、日本に憲法を押しつけたということをこの際言ってもらう。これを日本の外交の基本方針にしないと、アメリカの安保条約、アメリカは開戦するには必ず議会の承認が要ります。日本に何かあったときに、アメリカが今度のように積極的に開戦の決議を議会でしてくれるかどうか。そのときに日本が平和を守れるかどうか。一神教の世界に多神教の日本が間に割って入れる、このためには、アメリカに対して情報公開をしてもらうように憲法調査会でお取り計らいをいただきたい、かようにお願いをいたします。

中山会長 ただいまの中山正暉君の調査要求については、しかるべき措置をとらせていただきたいと思います。

 他に御発言ございませんか。――それでは、発言も尽きたようでございますので、これにて委員からの御発言を終了させていただきます。

    ―――――――――――――

中山会長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。

 日本国憲法に関する件、特に二十一世紀の日本のあるべき姿について調査のため、参考人の出席を求め、意見を聴取することとし、その人選等につきましては、会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

中山会長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

 次回は、十月二十五日木曜日幹事会午前八時五十分、調査会午前九時から開会することとし、国際連合と安全保障の関係について、午前午後にわたり論議をいたしたいと思います。

 本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時十二分散会




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