衆議院

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第5号 平成13年12月6日(木曜日)

会議録本文へ
平成十三年十二月六日(木曜日)

    午前九時二分開議

 出席委員

   会長 中山 太郎君

   幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君

   幹事 保岡 興治君 幹事 鹿野 道彦君

   幹事 中川 正春君 幹事 細川 律夫君

   幹事 斉藤 鉄夫君

      伊藤 公介君    伊藤 達也君

      今村 雅弘君    大野 松茂君

      奥野 誠亮君    高村 正彦君

      近藤 基彦君    佐田玄一郎君

      下村 博文君    菅  義偉君

      中曽根康弘君    中山 正暉君

      西田  司君    鳩山 邦夫君

      二田 孝治君    三塚  博君

      森岡 正宏君    山崎  拓君

      大出  彰君    岡田 克也君

      小林 憲司君    今野  東君

      島   聡君    首藤 信彦君

      仙谷 由人君    筒井 信隆君

      中村 哲治君    山田 敏雅君

      上田  勇君    太田 昭宏君

      都築  譲君    藤島 正之君

      赤嶺 政賢君    春名 直章君

      金子 哲夫君    原  陽子君

      松浪健四郎君

    …………………………………

   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君

    ―――――――――――――

委員の異動

十二月六日

 辞任         補欠選任

  松本 和那君     大野 松茂君

  山口 富男君     赤嶺 政賢君

  土井たか子君     原  陽子君

  野田  毅君     松浪健四郎君

同日

 辞任         補欠選任

  大野 松茂君     松本 和那君

  赤嶺 政賢君     山口 富男君

  原  陽子君     土井たか子君

  松浪健四郎君     野田  毅君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法に関する件(二十一世紀の日本のあるべき姿)




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     ――――◇―――――

中山会長 これより会議を開きます。

 日本国憲法に関する件、特に二十一世紀の日本のあるべき姿について調査を進めます。

 今国会中、二十一世紀の日本のあるべき姿の中で、国際連合と安全保障、統治機構に関する諸問題及び人権保障に関する諸問題について調査を進めてまいりました。

 本日は、このような論点及び年内最後の調査会であることを踏まえ、この一年間を振り返っての自由討議を行いたいと存じます。

 各会派に割り当てられている総発言時間は、自由民主党一時間二十分、民主党・無所属クラブ五十分、公明党十五分、自由党十五分、日本共産党十五分、社会民主党・市民連合十五分、保守党十分となっております。

 一回の御発言は、五分または十分以内におまとめいただくこととし、会長の指名に基づいて、所属会派、氏名及び五分発言されるか十分発言されるかをあらかじめお述べいただいてからお願いをいたしたいと存じます。

 委員の発言時間の経過につきましてのお知らせでありますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。

 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをこのようにお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。

 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。

鳩山(邦)委員 自民党の鳩山邦夫でございます。

 五分で結構でございます。

 今、中曽根元総理大臣お見えですが、大分前のことですが、中山会長主催の憲法調査会の夜の懇談会がホテルで開かれた折に、中曽根元総理大臣がごあいさつを求められたときに、東大の惑星物理学の松井孝典教授の話を例に出されて、憲法調査会の参考人に呼んだらいい、彼はすべての歴史というものを宇宙の誕生、地球の誕生から説き起こしているし、新憲法をつくるならば、そういう思想と哲学というものを憲法にも取り入れるべきであるというあいさつをされまして、大変感銘を受けた記憶があるわけでございます。

 私は、憲法は当然改正すべきものと思っておりますが、例えば今、国会あるいは行政の中で、改革だとか抵抗勢力だとかいろいろなことが言われておりますが、しょせん地球の歴史とかあるいは人類の歴史というものから考えれば、それほど本質的なことが議論されているようには残念ながら思えないわけでございまして、中曽根元総理のそのときのごあいさつにあったように、新しい憲法をつくっていくならば、人類は将来どうあるべきかというような基本理念がしっかりと示されるものでなければいけない、そう思うわけです。

 今の憲法にも当然、理念とか思想とか哲学がないわけではありません。国民主権とかあるいは基本的人権の尊重とか平和主義とか、そういうさまざまな哲学あるいは思想は含まれていると思いますが、それが二十一世紀、二十二世紀あるいは来るべき三十世紀というものを考えてみるならば、それだけでは全く足りない。新しい、地球の歴史や宇宙の歴史を踏まえた哲学や思想が必要ではないか、そう考えるわけです。

 私の最大の論点は、自然との共生という問題でございます。政治は、きょうよりあすをよくしなければいけない、ことしよりも来年をよくする、我々の世代よりも我々の子の世代を、子供の世代よりも孫の世代をよりよい社会に生きられるようにしなければいけないと、私のかつての恩師、田中角栄先生は教えてくださった。

 特に重要なのは、世代間の問題だろうと思っております。私は、決して年金とか保険のことを言っているのではなくて、今のように経済優先で、松井孝典教授の言葉をかりて言えば、人類は地球システムの中から何を奪ってもいいのだ、人類は万物の霊長であるから、何を奪ってどう使っても構わないのだという発想、これを続けていけば必ず人類には破局が訪れるに決まっております。

 今、世界のさまざまな専門家や有識者の中で、このままのスピードで例えば自然の破壊が進む、温暖化、酸性雨あるいは環境ホルモン、それらの問題が進んでいけば、人口はふえていくのに食糧生産はどんどん落ちていく、これ以上、五十年以上先進国が発展を続けられる、あるいは繁栄を維持できる、そういうふうに断言する学者は一人もいない。私もいろいろ聞いて歩きましたが、大体二十年あるいは三十年あたりが、先進国が今のような生活ができる一番長いタームではないか、そう思われるわけでございます。

 前にここで孫正義さんが、立派な講演というのか意見陳述をされた。大変頭のいい方で、三十年後に理想のIT社会が来ると彼は言ったけれども、三十年後に地球環境はどうなっているのか、あるいは食糧と人口の関係はどうなっているのか、その部分が見落とされていると思うわけでございます。

 結論を申し上げますと、私は、自然と共生をし、人類が万物の霊長であるというおごりを改める、そうしなければ日本も人類も将来はない、このことが確実にわかっているならば、我々は繁栄をした、しかし子、孫、ひ孫と、どんどん悲惨な生活を強いられていった、そういう政治をつくり出してはいけない。したがって、憲法にはそのような理念を新しく書き込むべきだと考えております。

斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。

 昨年の今ごろ、ちょうどこの憲法調査会での自由討議が行われました。その場で我が党の赤松委員は、次のような発言をさせていただきました。すなわち、憲法の問題について国民の関心が最も高い九条について、そこに焦点を当てて議論をすべきであり、また、憲法改正の問題についても、まさにその点から議論を始めるべきだ、このように赤松委員から発言がございました。

 きょう、私は、ある意味でそれとは対極になりますけれども、個人的な意見ですけれども、まず憲法九条の問題、これは当然議論を進めていかなくてはならないわけですが、この問題は議論を進めていくとして、そのほかの問題について改正も視野に入れて議論を進めていくべきではないかという趣旨で、十分間、発言をさせていただきます。

 憲法について議論をする場合、九条こそが問題の核心である、これは私もそのように思います。そのほかの問題については現在の憲法で十分対応できる、このような意見がございます。しかし、私はそうは考えません。憲法九条以外の問題につきましても、現在の憲法が大きな曲がり角に来ている、この内容では対応できないというものを多々見ることができます。

 先ほど鳩山委員の方から環境の問題もございました。私は、科学技術の進歩という点と文化という点、この二つの問題について意見を述べさせていただきたいと思います。

 まず、科学技術でございますが、現憲法第二十三条に「学問の自由は、これを保障する。」とございます。大変大事なところだと思っておりますけれども、現在、二十世紀は物理科学の世紀と呼ばれましたが、二十一世紀は生命科学の世紀と呼ばれております。大変な進歩でライフサイエンスが進んでおりまして、先日も、クローン人間のもとになりますクローン胚の作成に成功したというふうなニュースも流れておりました。これは、まさに人間の尊厳にかかわる、また人間存在の根本にかかわってくる問題でございます。このような問題に対して、「学問の自由は、これを保障する。」ということだけで対応していけるのかどうか。

 現在、総合科学技術会議の中で、この憲法二十三条をもとに研究の指針がつくられておりますけれども、国民総意のもとに、この生命科学、人間の尊厳にかかわる問題について議論をし、憲法の中で何らかの方向性を示すということも大事なのではないかと私は思っております。これは、人間の自由の中の大きな柱であります学問の自由にかかわる問題でございますので、憲法の中に入れるのがふさわしい、このように考えます。

 もう一点は、文化という点でございます。

 先日も超党派で文化芸術振興基本法という法律が成立いたしました。この法律の中に、文化につきましては、「文化芸術を創造し、享受することが人々の生まれながらの権利であることにかんがみ、」このような文章がございます。文化を享受し、文化的な生活を送るのは人間生まれながらの権利である、このように基本理念でうたったところでございますが、その根拠となる憲法の文章は、第二十五条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」このようになっております。

 しかし、非常にこの文章、この理念そのものは、文化といいましても、ある意味で物質的な側面が強調されているかと思いますが、私は、二十一世紀の日本のあるべき姿として、文化芸術大国というソフトパワーで生きていくということしか日本は考えられないわけですので、その文化というソフトの部分についても憲法できちんと方向性を示すということも大事なことではないか、このように考えております。

 このように、科学技術そして文化芸術、私は、この二つは今世紀の日本の生きていく非常に大きなすべになると思っておりますけれども、このような大事な部分についてもきちんと憲法で書くべきではないか、このように思います。

 憲法九条について議論をする、これも大事でございます。しかし、私もこの場で、また三回の地方公聴会にすべて参加させていただきましたけれども、大変な国民的議論、深い対立もございます。これについては、本当に時間をかけて慎重に国民のコンセンサスを得る議論を進めていかなくてはならない、ここを解決しなければほかは一切変えてはいけないということでは、なかなか二十一世紀のあるべき姿と日本の憲法が一致してこないのではないか、このように考えまして、個人的意見でございますが、発表させていただきました。

 以上でございます。

細川委員 民主党の細川でございます。

 五分でお願いをいたしたいと思います。

 私は、憲法におきます司法権の問題について意見を述べてみたいと思います。

 今年の六月に、司法制度改革審議会におきまして、「二十一世紀の日本を支える司法制度」という副題のついた意見書が政府に提出されました。この審議会からの意見に基づきまして、この臨時国会におきましても、これを尊重して、司法制度改革を行うための法律、司法制度改革推進法が成立したところでございます。

 この審議会は、現行の憲法を前提といたしまして、その中で次のような課題を設定したものでございます。「法の精神、法の支配がこの国の血肉と化し、「この国のかたち」となるために、一体何をなさなければならないのか」、「日本国憲法のよって立つ個人の尊重(憲法第十三条)と国民主権が真の意味において実現されるために何が必要とされているのか」、これが審議会の課題でありまして、この課題について議論を重ねまして、審議会からの意見が六月に出されたところでございます。

 非常に内容的にはよい内容になっておりまして、私は、審議会の皆さん方の御努力にも敬意を表しているところでございます。

 ただ、この意見書につきましては、現行憲法に条文あるいは規定があるにもかかわらず、きちんと実現されていない、例えば迅速な裁判を受ける権利、こういうようなものが実現されていない、それをどう改革したらいいかということでございまして、司法権と他の機関との関係、あるいはまた憲法そのものを改正しなければ解決にならないような問題については、当然触れられておりません。

 そこで、二十一世紀の司法制度を展望する上で、私の考えております特に最高裁判所の問題について、二、三ちょっと触れてみたいと思います。

 まず、現在の司法制度が行政権に対してしっかりとしたチェック機能を持っているかという点でございます。

 一つは、我が国の行政訴訟というものは、原告適格などの制限によりまして、数も大変少なく、原告が勝訴する例は大変少ないというふうに指摘をされております。もう一つは、この調査会でも指摘をされているところでありますけれども、どうも上級審に行くに従って判決が行政寄りになる傾向が強くて、特に憲法問題などでは、いわゆる司法消極主義をとるということがありまして、その判断を控える傾向にあるということでございます。

 そこで、現憲法で規定のあります、最高裁判所の長官は内閣が指名して天皇が任命、そして、最高裁判所の裁判官は内閣が任命するということでありまして、その任命そのものに行政権の意思が多く反映されている制度になっております。我が党などでは、最高裁判所の裁判官の任命については、その選任の諮問委員会なども設けるべきではないかというような提案をいたしておりますけれども、そういう、憲法論としては、最高裁判所裁判官の任命などについては、国会の承認とかいうようなことも視野に入れて議論をすべきではないかというようなことも考えています。

 以上でございます。

春名委員 日本共産党の春名直章でございます。

 十分間発言します。

 この一年間、特に本臨時国会での調査会を振り返って、感想を述べ、討論に参加したいと思います。

 九月十一日に発生したアメリカへの同時多発テロ、それに対する報復戦争という重大な情勢の中で、テロ根絶のために世界と日本が何をなすべきかが鋭く問われてまいりました。日本国憲法の広範かつ総合的な調査を目的とする憲法調査会でも、この間、国際連合と安全保障のサブテーマによる参考人質疑、国際社会における日本の役割とのサブテーマによる名古屋地方公聴会が開催されました。今、日本の貢献、進路をめぐって、憲法九条が熱い焦点となっております。

 調査を行って印象深かったことは、多くの参考人や陳述人から、米英軍によるアフガニスタンへの軍事攻撃とそれへの自衛隊の参戦という日本の対応について疑問視する意見が出されたことであります。

 大沼保昭参考人は、アメリカの武力行使はテロリストに対して勝利することができるかもしれないが、テロリズムを根絶することは困難と述べて、米軍の軍事行動について国際法上の根拠は乏しいと明言され、日本がなすべきこととして、国連を中心にした制裁と、国連の枠組みを通した復興問題、貧富の格差の是正、宗教的な憎悪を鎮静化させる問題の解決のために日本が主体性を持って一刻も早く行動すべきと提言されました。

 武者小路公秀参考人も、日本がアメリカの友好国であれば、アメリカが間違ったことをすればそれを正すのが友達、日本はただ言うことを聞くだけだから信用されていない、今度の米軍支援についても、アメリカに認められることだけを考えて、本当にテロ問題をどう解決するかは考えていないと厳しく指摘し、テロ対策は必要だが、それは軍事的にやるべきではない、憲法の制約ではなく、日本は一つの信念を持って、軍事的対応ではテロ対策にならない、そういうはっきりした立場をとるべきであったと述べておられます。そして、今こそ憲法の平和主義に立った国際貢献が求められているとの発言も多数寄せられました。

 名古屋の地方公聴会では、川畑博昭陳述人が、ペルー大使館への赴任の経験から、目の前でテロを経験し、それへの暴力による報復では何も問題は解決しないことを実感したと述べて、すぐに武力をという発想自体がその武力行使の悲劇を知らない平和ぼけそのもの、テロに屈しない姿勢とは、いかに忍耐と時間を要しようとも、対話による和解を実現することと発言されました。

 西英子陳述人も、テロに対する報復は次のテロを生み出し、際限ない悪循環に陥ること、テロの背景にある貧困の解決のために、中東諸国と友好的な関係にある日本は、自衛隊の派遣ではなく、NGOなどと協力して、被災者と難民救済のために人道支援を緊急に行うことを強調されています。

 田口富久治陳述人は、日本の貢献は非軍事貢献の方向をとるべきであること、国連難民高等弁務官事務所やユニセフなどの活動への協力が必要であると強調されました。

 日本政府がインド洋への護衛艦などの派遣を決めた瞬間に実施された世論調査では、派遣を支持しないが急速にふえ、五割を超えたことも注目しなければなりません。

 こうした参考人や陳述人の意見、国民世論には、私は根拠があると考えています。戦争を違法化した一九二八年のパリ不戦条約、そして一九四五年の国際連合憲章は、武力行使そのものを違法化することを明確にいたしました。その流れの先端にあるのが日本国憲法であります。九条一項で「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と宣言し、第二項で、そのための手段である「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と明記し、国連憲章の精神を一層進めているのであります。

 地方公聴会でも、田口陳述人が、脱軍事化の国際規範としての戦争違法化の規定という点では、この国連憲章の規定と日本国憲法の前文及び第九条には確固たる共通性がある、国連憲章も日本国憲法九条も、日本の国際貢献のあり方としては、軍事的貢献を原則として予想していないと陳述されています。

 こうした世界の流れに沿っているからこそ、日本国憲法が国民に信頼され、この憲法に沿ってこそ日本らしい貢献ができるとの発言が相次いでいるのでありましょう。ここにこそ、真に国際社会から信頼される日本の進路があると私は確信するものであります。そして、こうした意見を聞くにつけ、小泉内閣が米軍支援として強行した一連の法律がいかに憲法をずたずたにして、そして国民意識から乖離したものか、厳しく指摘せざるを得ないのであります。

 なお、憲法前文と九条には、すき間などありません。世界の人々との平和的共存への道へ日本国民が努力を尽くすという立場で、一体をなしているということをつけ加えておきたいと思います。憲法調査会として、政府の実施している憲法違反の実態をこそリアルに調査することが、切実に今求められていると考えます。

 また、今国会では、首相公選制についても議論がなされました。小泉首相がその導入に意欲を持ち、七月に私的諮問機関まで立ち上げるという状況のもと、当調査会でも、世界で初めて首相公選制を導入したイスラエルへの調査、また参考人からの意見聴取が行われました。そこで明らかになったことは、首相公選制を支持し推進する意見はほとんどなかったということであります。

 イスラエルの海外調査では、首相公選制は失敗だったということが共通して語られました。長谷部恭男参考人は、首相公選によって政党の役割が機能不全を起こし、議会に首相を支持する安定した与党が存在しなくなり、結局、首相が有権者に提示した政策を実行する手段を奪われ、指導力強化につながらないこと、そして国民の期待をも裏切ることになるとの見解を表明されました。また、これが改憲の入り口という文脈で出されていることについて疑義が唱えられました。森田朗参考人も、議会とは別な正当性の根拠を持たせることになる首相公選制に、積極的な賛成はできない旨を述べました。

 最後に、基本的人権の保障について述べたいと思います。

 武者小路参考人は、国連人権委員会の中の人種差別撤廃委員会が日本政府の報告を審議したときの最終所見から、日本の人権保障の問題点について指摘がなされました。今、こうした角度からの日本における人権保障の実態を調査することが非常に重要だと私は考えております。

 それは人種差別の問題だけではありません。例えば、国連の社会権規約委員会がことしの八月三十一日に出した日本政府に対する報告書を見ますと、労働者の人権問題として、長時間労働の問題、中高年の労働者に対する人権侵害の問題が指摘され、その是正を求める勧告がなされております。

 今、国際社会の中で人権保障はどこまで進み、日本の人権保障はグローバルスタンダードから見て一体どうなっているのか、この点の調査が不可欠であります。今日、大企業のリストラによる失業の増大、自殺者の増加など、ますます深刻化する人権状況が横たわっております。今こそ、生存権、労働基本権、財産権、教育権など、日本国憲法のもとでの人権状況についての掘り下げた調査が必要ではないでしょうか。これらの点を今後の調査の重要テーマとすることを強く希望いたしまして、私の発言を終わりたいと思います。

 ありがとうございました。

金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子哲夫です。私は、憲法をめぐる現状と本調査会の今後の進め方について、十分間で意見を述べます。

 まず最初に私が申し上げたいことは、自明のことですけれども、法治国家日本にあって、憲法は最高法規であり、そうあるべきだということであります。しかし、今臨時国会における国会の審議の状況を見てみますと、そのことが本当に守られ、尊重されているのかと疑わざるを得ません。

 九月十一日に米国で発生した同時多発テロ以降、とりわけテロ関連三法案の国会提出以降の国会審議の中身、審議の進め方を見ますと、憲法はないがしろにされ、そして国会自身が守るべき、国家における民主主義そのものが踏みにじられていると言わざるを得ません。テロ対策という言葉によって一切をうやむやにするのではなく、憲法とのかかわりの中で冷静に論じなければならないと思います。

 とりわけ、この間の小泉首相の答弁は、平和主義をうたう憲法の枠を大きく逸脱したものと言わざるを得ません。

 この点で最初に取り上げなければならないのは、今百五十三臨時国会の冒頭に行われた小泉首相の所信表明演説です。その所信表明演説で、小泉首相は憲法前文を引用し、これをいわば小泉流に解釈して、世界人類の平和と自由を守るために、国際協調の精神のもとで、我が国としても全力を挙げてこの難局に立ち向かうとの決意を明らかにしています。

 しかし、憲法前文は小泉さん流の解釈を許してはおりません。憲法前文は、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」そして、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」とうたっております。憲法前文が示す名誉ある地位を占める方法は、平和の維持であり、小泉流解釈に示す軍事的支援でないことは自明であります。

 また、小泉首相が十月五日の予算委員会において、憲法の前文と第九条にはすき間、あいまいな点があると発言され、時には常識的にとまで発言されております。

 日本国憲法の平和主義の背景には、かつての日本の無謀な戦争に対する反省があります。すなわち、この戦争によって、アジアの人々を初め国内外に多くの死傷者を生み出したこと、特に広島や長崎ではたった一発の原子爆弾によって一瞬のうちに多くの命が、とりわけ民衆の命が奪われてしまったことへの痛切な反省から、再び戦争はしない、再び過ちは繰り返さないとの反省と決意があるということであります。

 だからこそ憲法の前文があり、その精神のもとに各条があり、特に第九条があることは疑う余地がありません。そのことは、日本国憲法制定の際の、当時の国務大臣の答弁の中で強調されているとおりであります。決して憲法があいまいなのではないことを改めて強調したいと思います。小泉首相の常識によってではなく、まさに憲法に則して論議することこそが重要であることは言うまでもありません。

 テロ対策関連法案の論議との関連で指摘しておきたいことは、諸国民が日本に期待しているのはまさに平和的貢献であり、軍事的貢献ではないという事実です。

 私たち社民党は、衆議院においてテロ特措法が強行採決された直後の十月二十日に、アフガニスタン難民の実情を調査するため、調査団を派遣しました。この調査団の報告で特に私の印象に残ったことは、アフガニスタンの難民の人々から、広島、長崎の悲惨な体験をした日本がなぜ私たちのことをわかってくれないのですか、なぜ米軍の軍事行動を支援するのですかという厳しい問いかけがあったという事実です。広島に住み、平和を訴えてきた私にとって、この報告は大変衝撃的でした。広島、長崎で起きた悲惨な出来事を世界の人々は知っているのです。だからこそ、日本に対して、大きな平和貢献の期待を持っているということでもあります。

 また、憲法からの逸脱という点でさらに挙げなければならないのは、同じく予算委員会で、小泉首相は、法律的な一貫性、明確性を問われれば、答弁に窮すると答弁されていることです。ここでも、憲法との関係をあいまいにした答弁に終始しております。御承知のように、憲法第九十九条には、憲法尊重擁護の義務が明確に規定されております。今国会の小泉首相の一連の憲法にかかわる発言は、まさにこの憲法第九十九条に違反する行為であるとも言わざるを得ません。

 こうした一連の小泉首相の憲法にかかわる発言こそ、この憲法調査会でしっかりと論議することが求められているのではないでしょうか。

 次に、今国会における審議の状況についてですが、本当にこれでよいのかという思いを抱かざるを得ません。本格的な論議をと言いつつも、とにかく法案成立をという政府の意向が強調され、国会の審議権が全く軽視された国会であったと言ってもよいでしょう。

 また、トマホーク発射は戦闘行為ではないや、自衛隊は戦力、すなわち戦う力であるなどの一連の政府答弁も極めて御都合主義であり、これまでの国会議論の蓄積を無視するものであり、国会をないがしろにするものと言っても過言でないと思います。私は、このような状況が続けば、国会がみずから民主主義を破壊することになってしまうという危惧を持っております。

 また、自衛隊派遣の国会承認案件においても、政府は詳細な内容を伏せたまま提案を国会に行っており、これではシビリアンコントロールも有名無実であり、戦時のさなかにあっては法は停止するというさまそのものであります。

 日本国憲法の三大原則の一つである平和主義を本当に貫くためにも、かつて歩んだ戦争の道への反省をいま一度思い起こさなければなりません。私は、そのことが、今日、憲法を論議する出発点であると思っております。

 このように考えてみますと、これからの本調査会が行うべき作業は、日本国憲法が、現実の政治、経済、社会の中でどのように実践され、守られているのか、また、国民生活とのかかわりの中でどのように生かされているのかをしっかりと調査し、憲法を国民全体共有な価値とさせることであると思っております。本調査会の今後の調査がその方向で進むことを要望して、私の発言を終わります。

都築委員 自由党の都築譲です。五分間の発言をお許しいただきたいと思います。

 この臨時国会からこの憲法調査会に参加させていただきまして、三回の参考人質疑と一回の地方公聴会質疑に参加させていただきました。この中で、二十一世紀の日本のあるべき姿についていろいろな御意見を承ったわけでありますが、国家の基本理念をあらわす憲法そのものが、既にもう二世代前の考え方に基づいている、そういったもので今の時代を縛っていいのかという指摘もいただいたわけであります。

 まさに、この五十六年間の戦後の歩みを考えてみますと、あの当時の、本当に平和を希求する日本の姿、そしてまた人権を尊重する姿、そしてまた民主主義、国民主権、こういったものを希求する姿が今の憲法に反映されていたんだろう、こう思うわけであります。

 しかし、その後の日本の目覚ましい発展、そして、そのために幾多の先人が果たしてこられた貢献を考えますと、今日の社会が果たしてこの憲法にふさわしい状況になっているのか、そしてまた、その憲法の理念が完全に発現されているのか、そして、これからの五十年、百年を考えたときに、今のこの憲法のあり方でいいのかということもまた深く考えざるを得ない御指摘をいただいた、このように考えております。

 また一方、憲法そのものは国家の基本法であるからそう簡単に変えることはできない、しかし、だからといって硬直的になってはいけないということで、憲法そのものは柔軟な解釈が可能である、こういうこともあったわけであります。しかし他方で、憲法の現在の規定と日本の現状の乖離が余りに大き過ぎては、果たして法規範を守るという国民の規範意識の観点からどうかという指摘もいただいたと思います。

 こういったことを考えますと、今こそ本当に、この国の現状、そしてまたこれから起こり得るべき日本の将来を真剣に考えて、この憲法調査会が新しい憲法をどのようにして国民が納得できる形で提示していくのか、真剣に、また広範な調査をこれからもお願いしたい、こんなふうに思うわけであります。

 私自身、個人的に、この十年間が失われた十年と言われておりますが、しかし、それでも相当に大きな変化があった、このように思っております。

 一つは、やはり何といっても、これほど豊かな社会を築き上げたのは、この日本の歴史の中でも初めてのことでありますし、また、世界の国々を見ても、これほど豊かな地域はめったに存在しない、こんなふうに思っております。もう一つは、急速に情報化が進展している現状の中で、さまざまな価値観、あるいはまた大人や子供の関係、人間と人間との関係、そういったものにも何か揺らぎが見えているような気がいたしております。そしてまた、三つ目は、実は米ソの冷戦構造の終結が、この十年間で、さまざまな地域紛争、宗教紛争、民族紛争、こういったものを逆に大きくクローズアップさせる効果を持っているのではないか、こんなふうにも思うわけであります。そしてもう一つ、日本に特有の大きな変化は、急速に少子化と高齢化が進んでいる、こういう状況があるわけでございます。

 こういった変化にしっかりとした対応をしていくことこそが今政治に求められており、そして、そのためにこの憲法がどういう役割を果たしていくのか、そういったことを真剣に考えていく必要がある、こんなふうに感じた次第でございます。

 各論については、また後ほど申し上げたいと思います。ありがとうございました。

松浪委員 保守党の松浪健四郎でございます。このような憲法調査会で発言の機会をお許し賜りましたことを大変光栄に思います。

 けさの朝刊によりますと、やっときのう、ボンで行われておりましたアフガニスタン各派の会議が合意をしたということであります。これは、申すまでもなく、国連主導で行われてまいりました。

 一つの国の政治をどのような方向に導いていくか。これは、民族自決の原則、あるいは内政不干渉の原則、これらのことを考えたときに、一つの国が、自分たちでどのような方向に持っていくかを決めることができずに、国連が主導権を握ってやらなければならないということは、本当にそれはすばらしいことなのか、それともそれは間違っていることなのか、明確ではありませんけれども、はっきりしておりますことは、内政不干渉の原則というものがある、このことを忘れることはできません。

 この内政不干渉の原則は、第二次世界大戦前の国際連盟規約でできたと言われております。同規約第十五条八項は、国際法上専ら該当事国の管轄に属する事項については、国際連盟理事会は何らの勧告をもなし得ないと規定いたしました。その後、国際連合憲章もこれを受け継ぎました。本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項については、国際連合も干渉することはできないと規定しました。もっとも、何が本質上国内管轄権内にある事項かは必ずしも明確ではありません。そのこと自体が論議の対象となり得ることでありましょう。

 国際人道法の発展に伴い、人権問題は国際的関心事になったと言われますけれども、人道的干渉が許されるのかどうか、これもまた問題であると思いますけれども、私どもは、平和主義の憲法を持っております。そして、この人道主義に基づいて、アフガニスタンの難民を、国連を通じてずっと支援してまいりました。その意味におきまして、我々は、憲法前文に書かれてあるとおり、きちんと平和主義に徹してきた、こういうふうに思うわけであります。

 そこで、ボンの会議をずっと見ておりますと、ブラヒミ国連特別代表は、アフガンの和平について、そしてこれからについて、いろいろな私案を出されました。その案を見ておりますと、我々の憲法前文にありますように、選挙によって代表を選び、そして政治を行うという考え方は全く示されることはありませんでした。つまり、そのことは、アフガニスタンという国は部族主義に基づいて政治を行う国であるという認識をブラヒミ特別代表も国連も持っていたということを我々に示唆しているわけであります。このことは、我々はこれだけの平和憲法を持つ者として、民主主義というのは一体どういうものであるのかということをも同時に教えてくれているような気がします。

 アフガニスタンの政治システムは、元来、部族によって、ジルガという会議が行われました。そして、そこで部族長が決定され、部族のあり方、部族の方針、これらが決められて、そして、ロヤ・ジルガという、大部族長会議というものが設けられ、そこで決定されることがおおむねアフガニスタンの国の方針、こういうふうに決められてまいりました。そこで役員が決められる、あるいは指導者が決められる、最も正統性のあるものだ、こういうふうに言われ、それが伝統的にアフガニスタンの民主主義として機能してきたわけであります。

 この特殊なアフガニスタンの国のあり方、これを我々の憲法の価値観でとらえるとしたならば、アフガニスタンの政治のあり方、あるいはアフガニスタンの民主主義と甚だ大きく異なることに気づきます。憲法というものも、また国の政治というものも、地域によって大きな格差がある、そして、今までその国がたどってきた歴史と大きな関係がある、そういう気が私はしてなりません。

 その意味から、私たちは、幾度かの大戦を経て、そして平和を手中にいたしました。その中から生まれてきた憲法が現在の憲法だと思います。歴史も変わってまいりました、状況も変わってまいりました。経済状況も変わり、我々の日本という国が世界に果たす役割も変わってきたような気がいたします。その意味において、これらの事象を踏まえて、いかに我々の民主主義、そしてその根本をなす基本法である憲法がどのようなものでなければならないか、これを考えたときには、私は、小泉総理が発言されましたように、憲法前文と第九条の間にすき間がある。そして、そのことは、今金子委員からも指摘がありましたように、憲法違反ではないか、そうであるかもしれません。だとしたならば、国際社会にふさわしい新たな平和憲法を我々の手でつくっていくべきである、このように考えております。

 これで私の陳述を終わらせていただきます。ありがとうございました。

中山(正)委員 十分間の時間をちょうだいして、意見を申し上げてみたいと思います。

 憲法の前文についてでございますが、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、」その次でございますが、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、」という文章があります。

 中央教育審議会の委員をしておられた、脳生理学の日本の権威、故人となられましたが、時実利彦先生は、京都大学の教授もなさり、東大の教授もなさり、それから日本霊長類研究所の所長をしておられた方でございます。この方とある講演会の控室で面と向かっておりましたときに、中山さん、私の今までの脳生理学的、学問的見地から考えて、この憲法は、前文のこの文章からもう間違っていますよ、人間の脳の本性の中には殺しの本性しかないんです、こういうお話を聞きまして、私は実は驚いたわけでございます。

 中山さん、ライオンはライオンを殺さない、オオカミもオオカミを殺さない、人間だけが人間を殺す。親が子を殺し、子が親を殺す。このごろは、世の中に、そういうニュースはちまたにあふれているわけでございますが。そのことから考えて、長年人間の脳というものを研究してきた結果は、自分は、憲法が前文から間違っていると思っているということをおっしゃいました。

 平和とか幽霊というのは、確かに言葉はあるんですが、いまだかつて平和が永久に続いたことはないし、幽霊をつかまえた人はいません。次の戦争までが平和だというのが平和です。字の講釈で恐縮でございますが、平という字は、漢字はよくできていると思うんですが、上の一本は天でございます。下の一本は地です。間に人を入れて、やじろべえのように棒で支える。天と地の間に人を入れて、それを、差別をなくして、区別と差別は違いますが、差別をなくして平等に扱うというのが平という字の語源です。それから、和というのは、これは、のぎへんというのはアワ、麦、ヒエ、大豆、小豆、米、そういうものを口に入れる。平和というのは、食べ物を口に入れて、そして人を平等に扱うというのが平和です。その平和すら、言葉は存在しても、今まで確立したことはないわけですね。

 今まさに、戦争なのか犯罪なのかという、アフガン問題に見るように。また、イスラエルというところに、アラブは二十二カ国ありますが、国境も首都も、それから人口もはっきりしない、アラファト氏の、パレスチナの国家をこれからつくろうということで、これすらも世界の象徴とすべく、特にスペインでは五百年間ユダヤ教とキリスト教とイスラム教が仲よく住んでいましたから、マドリードで中東和平の協定が結ばれて、そしてイスラエルに乗り込んできましたが、いまだにうまくいきません。

 その時実利彦先生という方がおっしゃったのは、人間の心というのはどこにあるのか。人間の心といったら前頭葉にあるわけでございますね。昔は、すぐ胸をたたいて、心というのはここにあると。

 これは、一休禅師という方が、ある侍から、和尚、心というのはどこにあるんだと聞かれたときに、いや、ここにあると胸をたたいた。それじゃ、心とかを切り抜いて見せてくれと言われて、一休禅師が「年ごとに咲くや吉野の桜花木を切りてみよ花のありかは」とおっしゃった。心というのは、そのときが来て外へあらわれてこそそれが心なんだ、桜の花が四月に咲くからといって、木の幹を切ったって桜の花なんかその中にないよ、こうおっしゃったといいます。

 時実先生が、脳生理学上、人間の前頭葉には百四十億の細胞がしわしわの大脳皮質に包まれていて、これは開くと新聞紙の一枚の大きさになるんだそうです。情報源である新聞紙の大きさが人間の脳の前頭葉と等比に匹敵するのは非常におもしろい話だというお話も聞かせていただきましたが、人間だけが、百四十億から百五十億ある前頭葉の細胞一つずつに突起が五十本ぐらい出ている。それが三歳から十歳までの間に絡みつく。ところが、ライオンは初めからライオンの配線で生まれてくる、オオカミはオオカミの配線で生まれてくる。

 インドでアマラとカマラという二人のオオカミ少女が見つかったことがあります。一人は七歳で死にましたが、死んだときに顕微鏡で見てみたら、何とオオカミの脳の絡み方と一緒だった。だから、人間はオオカミに育てられたらオオカミになる可能性がある。絶対に手で御飯を食べなかった、成長してもなべの中へ顔を突っ込んで食べたと。オオカミの食べ方ですね。

 そのことから考えますと、「野生のエルザ」という映画にもなりましたが、英国の女性の動物学者がアフリカへ行って、ライオンを何とか人間にしようと思って教育したが、やはり野生に返っていった。

 これを考えても、人間の脳というのは、同じように大学を出て、会社へ一緒に入ったけれども、だれかが先に課長になる、いや、何とか君おめでとうと口で言っても、実は腹の中じゃ殺してやろうかなと思っているというんですね。

 それがしかし、教育とか宗教とか倫理とか道徳とか愛の精神、それを人間は教育というもので受けるから、人間は、相手の出世に対して、いや、おめでとうと、全然心とは違う、相手に対する愛情を持って対応する。そして、自分の子供が警察に捕まると、警察へ飛んでいって、うちの子に限ってそんなことするわけがありませんと、お母さんが机をたたいて警察官にどなる。これは、相手の存在を愛で認めているのです。飲んだくれの亭主で、ろくなものでないと、近所の人からもう別れた方がいいんじゃないのと言われても、あれでもいいところがあるんですよなんて言って添い遂げる。これも人間の、相手の存在を愛で認める行動です。中山さん、これが教育だと言われました。

 しかし、日本の憲法の前文というのは、これは幻想だと指摘されました。

 フランシス・ベーコンという人が、ギリシャのアリストテレスのスコラ哲学に対して、これを批判しました。その中に、いわゆる劇場のイドラ、幻想、これは劇場という権威の妄信を批判したのです。昔ならアリストテレスという人が言ったことに対しては逆らえなかったというようなことがあった。今ならテレビで聞いた、新聞に書いてあった、だからあなたは間違っていると。マルクスが言った、毛沢東が言った、レーニンが言った、だから間違いはない。そういう権威に弱い人間の状態、それをいわゆる劇場のイドラというそうでございます。

 それから、これはいわゆる市場のイドラというんだそうで、市場での交際から言葉を交わしているうちに、言葉で生まれる偏見です。さっきの平和と幽霊ですね。

 それからもう一つは、種族のイドラという、常識に関してのことです。常識として地球は平らだと言っていたときに、いや、そんなことはない、地球は丸いんだよと言ったら、もう少しで死刑になりかけた人がいるんですね。昔は、レコード盤みたいに、海の向こうへ行って帰ってこないのは、向こうに滝みたいなものがあって、落ちて、帰ってこないんだと思っていた。地球は丸い、それを言った途端にそれが罪になる可能性すらあったということです。だから、地球は丸いというのは今では当たり前の話なんですが、常識すら変わることがある。

 化け物というのは昔は信じられていて、雷なんていうのは化け物のしわざだった。天神様の話がいい例ですね。菅原道真が藤原時平にざん言を受けて、そして太宰府に追放されて、二十年後に雷になって帰ってきた。だから、不思議なことに桑原というところだけに落ちなかった。雷が鳴ると、くわばらくわばらと言うと、菅原道真の領地だったので落ちないんだというのがうわさで広がって、今でも難儀なことがあると、くわばらくわばらと言って避けるという風習がありますが、これもその話でございます。

 それから、洞窟のイドラ。これは、井の中のカワズ大海を知らず。個人の性癖による偏見です。

 この四つの幻想からいかに逃れるか、これが大切です。

 十分では時間がなかなか足りませんが、そういう幻想から離れて、前文から間違っている憲法は前文からひとつ考え直す必要があるのじゃないか。ないものを追い求める憲法では、国民の将来が心配です。我々はやがて死にます。「生まれては死ぬるものなり押しなべて釈迦も達磨も猫もしゃくしも」、一休の辞世の句です。みんな死ぬのですから、その後の、私どもの子供の時代、孫の時代を考えれば、間違った幻想にとらわれた前文から始まる憲法である上に、アメリカ人から押しつけられたものをいつまでも大事にしていることは、我々、現在生きている者として、責任を果たしていないということだと思います。

 ありがとうございました。

伊藤(公)委員 自由民主党の伊藤公介でございます。

 中山先生から、前文についての大変含蓄のある意見が開陳をされました。

 私は、非常に限られた時間でありますので、この憲法調査会の今後の進め方も含めて少し意見を述べさせていただきたいと思います。

 この憲法調査会は、調査期間はおおむね五年程度を目途とするということで始まりました。平成十二年一月二十日に設置をされてから約二年間、かいつまんで言えば三つのステージを歩んできたと思います。まず一つは、日本国憲法の制定の経緯。それから二番目には、戦後の主な違憲の判決が数々ございました、これらの学習もされてこられました。三番目には、今私たちが議論をし意見を述べております二十一世紀日本のあるべき姿、その中では、二十一世紀の世界と国家の役割あるいは世界の中の日本、人口問題、社会保障問題あるいは科学技術、ITなどなどでございます。

 そこで、実は、九月十一日のニューヨークのテロ事件のその日、私はアメリカのシカゴにおりました。シカゴの最も高いビルも実はテロの攻撃の目標になっていたということを後で聞いたわけでありますが、その二日後、ニューヨークの現地に参りました。私が感じました実感は、日本のさまざまな法整備を急がなければならない、そして憲法の見直しもむしろスピードアップをしなければならないのではないかというのが私の実感でございました。

 日本に帰りましてから、御承知のとおり、テロ特措法の議論がございました。私は、今の国際情勢の変化の中で、日本のそれぞれの、五五年体制と言われた時代から非常に大きく皆さんの認識が変わった、与野党の中でも日本の最も大事な安全保障という問題についてかなり共通の基盤ができてきた。もちろん、永久に議論を一つにすることができないという方たちもいると思いますけれども、大きな流れとしてはそういう環境が整ってきたというふうに思います。

 そういうことを考えますと、私は、むしろこの議論を、これまで外堀を埋めて、そして大きなテーマでいろいろ私たちは学習をしてきたわけですけれども、そろそろ憲法のそれぞれの各論についても議論を深めていく時期に来ているのではないかというふうに思います。

 限られた時間ですので、私なりにこれから憲法の各論についてどういうことが大きな論点になるかということを整理して、私の考え方だけ少し述べたいと思います。

 既に今、中山先生から御意見がありましたように、前文について、私たちがこれから二十一世紀の新しい憲法を想定したときに、今の前文をどう我々が考えるかということは非常に大きな一つのテーマだと思います。

 二つ目には、昨今、天皇家の内親王の誕生など国民の皆さんが非常に明るいニュースとして受けとめていただいていますが、天皇の地位というものを国家元首として定めるかどうかということも大変大事な論点ではないかと思います。

 三つ目には、テロ特措法で議論がありましたように、自衛隊が国連の軍隊や世界の国々の軍隊が集まってできますいわゆる多国籍軍に参加できるようにするのかどうかという問題点。

 それから四番目には、環境権の問題であります。先ほど鳩山委員からも御指摘がありましたけれども、私は二十一世紀の日本のキーワードは何かと問われたら、やはり資源のない日本は科学技術創造立国だ、しかしこれまでの五十年と次の世紀の違いは、科学技術創造立国と環境先進国日本、これが私は二十一世紀日本のキーワードではないかと思います。

 私は、最近、八王子にありますオリンパス工業が開発をしている内視鏡の現場を見させていただきました。人間の鼻からでも口からでも、あいているところどこからでも入っていって、私たちの内臓が手にとるように見える。そして、その後、青梅にあります東芝工場の、いわゆるロボットでほとんどの作業をやっている現場を見させていただきました。一ミクロン、千分の一ミリの分野をロボットが、世界の七〇%のシェアを占めているという日本のオリンパス工業の開発の内視鏡でやがて日本の医療を大きく変えていくことができる。日本はやはり二十一世紀は科学技術だ。

 そして、その後、私は山梨のリニアに試乗いたしました。私が乗ったときには四百八十キロでしたが、五百五十キロ、地上を走れば世界一です。宇宙競争では私たちは少し立ちおくれましたけれども、地上の競争では日本は世界一です。リニアに乗りますと、百七十キロぐらいで浮上しますけれども、非常に静かです。かつての新幹線のような公害がない。あとはコストの問題です。中国の朱鎔基さんは日本に来てこれに試乗していきました。まだ日本の総理大臣でリニアに乗った人はだれもいません。

 私は、今、科学技術創造立国、そして環境先進国、そういう二十一世紀を考えたときに、新しい憲法の中で環境権というものはしっかりと位置づけなければならないと思います。既に世界の主要な国々が環境問題をしっかり国の責任として義務づけていることは、御案内のとおりであります。

 ちょっと時間になりましたので、あとは羅列的に申し上げますけれども、参議院の権限や組織をこれからどうするかという問題は非常に大きなテーマだと思います。これは、私たちが地域を歩きますと、先生、参議院はもう必要ない。私が言っているのではありません、多くの方々からそういうことを耳にするときに、参議院の権限や組織をどうするかということは新しい憲法の中で大変大事な論議になる点だと私は思います。

 それから、首相公選については、先ほど委員から私とは全く違う考え方が述べられましたが、私は、イスラエルと日本の置かれている状況は全く違うと思います。そういう意味で、首相公選も大きな論議のテーマになると思いますし、していただきたいと思います。

 あと、私立学校の助成の問題はこれまでも指摘されていたところでありまして、一日も早く現実に見合った条文に変えるべきだと思いますし、憲法改正のための条件は今のままでいいのか。憲法改正をすることは私は間々あっていいと思います。そういう意味でも憲法改正のための条件を緩めるべきではないかと私は思います。

 限られた時間の中でありますので、羅列的に申し上げましたけれども、この議論を各論に移し、そしてスピードアップをして、大先輩の方々が御活躍をいただいている、新しい世代の人たちが国会に登場してきているというこの時期に、私は新しい時代の憲法をしっかりと位置づけるべきだということを申し上げて、意見とさせていただきます。

 ありがとうございました。

山田(敏)委員 民主党の山田敏雅でございます。私は十分間いただきましたので、意見を述べさせていただきます。

 九月八日に、私はサンフランシスコに行ってまいりました。シュルツ元国務長官、日米協会の方々の御尽力で、サンフランシスコ講和条約五十周年記念の式典がございました。それに伴って二日間の日米関係のシンポジウムがございました。その一九五一年九月八日、五十年目の日に同じ場所に行きました。

 サンフランシスコ講和条約はオペラハウスという場所で開かれたんですが、それに続いて、わずか一時間か二時間後に日米安保条約が吉田茂首相とトルーマン大統領の間で交わされました。その場所に私どもも参りました。プレシディオというサンフランシスコの一番大きな陸軍基地の片隅にあります小さな体育館、木造の体育館です。この木造の体育館の中で、日米安保条約に我が国の首相とトルーマン大統領が署名をされました。私は、その場に立ちまして、五十年前の日本、アメリカの従属国であった、まさに占領されていたんだな、日米安保条約というような重要な条約がこの小さな木造の陸軍基地の中にある体育館で行われたということは、非常に日本の国のその当時の状況がよくわかりました。

 そこで、日本国憲法でございますが、憲法九条、我が国は戦力を持たない、そして交戦権がない、戦う権利はありませんということでございますが、普通にこれは、皆さん御存じのとおり、憲法が成立したいきさつ、アメリカ軍、GHQの指示によって草案が書かれ、そして一九五一年に中国及びソ連が大きな脅威となって朝鮮戦争が起こり、そして日本がもうすぐ占領されるかもしれないというような状況になったときに、日米安保条約によって急遽自衛隊というものが誕生した。これはまさに、日本の都合でなったのではなくて、アメリカの都合でこういういきさつが起こったのだなということがわかります。今、五十数年たって、私たちは二十一世紀の憲法においては、この点については、日本人の日本人による憲法をぜひ実現しなければいけないと私は思いました。

 さらに、一月に中国に参りまして、李鵬さんにお会いいたしました。四十分時間をいただきまして、何でもいいから議論しましょうということになりましたので、日本の安全保障について議論をいたしました。李鵬さんがそのときに私どもに申されたことは、本当に私にとっては驚きでありました。何とおっしゃったかといいますと、日本は中国にとって脅威である、日本の軍事力は世界第二位、二十八万人の自衛隊と五兆円の軍事費、そして最新の設備、中国がかつて受けた侵略の記憶がまだ新しい、そのような中でこの日本の軍事力は非常に脅威である、これが日中関係の根底にあるというふうに言われました。

 これも私は、中国、ロシアは脅威であるというふうに日本側は考えているわけですが、中国はそのように考えておるんだなというふうに思いました。非常に日本国憲法の中のアンバランスな状況、これは本当に、日中関係の新たな展開においても、憲法において新しく我が国の安全保障を正しく規定する必要があるというふうに考えます。

 さて、この日本国憲法の前文でございますが、大変崇高な理想が書かれており、日本国民はこれに基づいて努力をしていくということでございます。過去五十五年間、日本はこの前文に書かれた思想、そして理想に向かって何か実現したのか、何をやってきたのかということを振り返ってみますと、国連において核廃絶の決議をした、こういうことがございました。しかし、実態上、この前文に書いてあるようなことは、かつて五十五年間において世界じゅうの人たちはまさに恐怖と欠乏の連続でありました。

 今の世界の平和を築いていくという機能が、私は国際連合で働いたことがあるんですが、この国連という機能が果たしていない、正しく機能されていないんではないか。二百カ国に及ぶ国がすべて投票権を持って投票する、決議については一切強制権はない、国際司法裁判所における判決は何の意味もない、こういう状況で、地域の紛争やそして世界を脅かすテロについて正しく国連が機能しているとは思えません。日本は、新しい憲法を策定するに当たって、世界の平和が本当に機能するものを考えていく、構築していく必要があるのではないかと思います。

 ここに一つの考え方がございますが、それは世界連邦という考え方であります。アメリカの合衆国連邦をまねたやり方でありますが、各国は連邦の一つとなって、そして世界連邦は一つだけの軍隊を持つ、そして司法裁判所は紛争の解決に当たっては強制力を持つ、そして軍事が必要なときにはこの世界連邦軍が当たる。そういうことになりますと、日本及び世界の国は軍事力を持つ必要がない。

 我が国における五兆円の防衛費においても、毎年五兆円というお金を地球環境のために使う、あるいはもっと前向きに、世界の人たちを救う金に使う。これは世界じゅうの国がそういうことになりますと、非常に大きなものになります。これは一つの理想でありますけれども、日本が今後二十一世紀に向かって、世界をリードしてこの理想の実現に向かっていくという考えが非常に大事ではないかと私は思います。

 最後に、第三章でございます。

 この第三章の国民の権利と義務をよく何度も読んでみますと、その当時の日本の状況が余りにも基本的人権を侵されていたということでありまして、日本国民の権利については大変詳しく、そしてしっかりと書いてあります。しかし、国民の義務についてほとんど義務らしいことは書いてございません。今日の教育問題を考えるときに、先ほどの中山議員のお話にもありましたが、小さい子供たちに権利そして自由というものを教える前に、国民としての義務、そして国を愛するという考え方、これが大きく欠如している、これが今の教育問題の大きな問題であると考えます。

 そして、教科書問題がございました。私は中国と韓国と日本、マレーシア、シンガポールの教科書を読んでまいりました。一番ひどいと思ったのは日本の教科書でございました。その観点は、今言いました日本の国が大切であると日本国民が誇りを持って言い切ることができる、そして日本国はすばらしい国であるという観点が全く抜けております。そして、国民としての義務、社会人としての義務、この観点も抜けておりました。

 中国の教科書を少し申し上げますと、小学校一年生の教科書では、「私は中国を愛する」という題の教科書でございまして、国旗や民族、そして共産党、社会主義、そういうものについて私は愛するという文章が延々と続いてまいります。すなわち、国を愛すること、それは非常に民族にとって前向きなエネルギーになるという面を私は感じました。

 ただ一つ、その中にこの文章がございますことを御紹介申し上げます。日本軍は我が同胞を何千万人も殺し、中国人民に、泥にまみれ、火に焼かれるような苦しみを与えたのですという一節がございます。何千万人の中国人を日本軍が殺したという事実はございませんが、こういう事実に反する記述が中国の教科書にはたくさん見当たりましたことを申し上げます。

 以上でございます。ありがとうございました。

森岡委員 私は自由民主党の森岡正宏でございます。

 憲法改正を前提として、二点申し上げさせていただきたいと思います。五分程度お願いいたします。

 第一は、人間の安全保障という理念についてでございます。

 私は、九月に、本調査会の中山会長を団長とするOECDの拡大議員会議に加えてもらって、出席してまいりました。OECD加盟三十カ国のほとんどの国は欧米の先進国であり、金持ちクラブという感じがいたしました。アメリカで起こった同時多発テロの直後でありましただけに、各国代表は、テロリストを生む土壌は貧困と教育の低さにあると異口同音におっしゃっていました。そして、今回のテロは文明社会への挑戦だということもおっしゃいました。

 ところが、その後、日本に帰りまして、イスラム諸国二十四カ国の大使のお話を聞く機会を得ました。すると、その中の一人が、アメリカも日本も一緒になって、今回のテロは文明社会、自由社会に対する挑戦だと言っている、イスラムは世界の人口の六分の一を占めているんだ、私たちの社会は皆文明社会、自由社会ではないのかと強い口調でおっしゃいました。

 私は、はっとしました。私たち日本人は、同盟国であるアメリカとの関係を最も大切にしていかなければならないということは当然でございます。しかしながら、欧米諸国と同じ視線で物事を見ようとし過ぎているのではないか、もっとイスラムの社会を知らねばならない、この人たちの気持ちを理解する努力が足りなかったのではないかと私は率直に思いました。冷戦後の新たな秩序を求め模索が続く中にありまして、また今回のテロが起こったことによりまして、世界で起こる問題は、超大国や先進国だけの力で解決できるものではないということを知らされました。

 私は不勉強で、今国会、本調査会で質問の機会を与えていただくまで、人間の安全保障、ヒューマンセキュリティーという言葉すら知りませんでした。人間の安全保障とは、人類が、環境問題、紛争、国際組織犯罪、貧困、難民流出、人権侵害、感染症、対人地雷等、さまざまな脅威に直面する中で、人間一人一人の生存、尊厳に対する脅威への対応を強化すべきとの考え方であります。

 世界は、二十一世紀に入り、ますますこの人間の安全保障が求められる時代に入ってきているように私は思います。新しい憲法をつくり、この人間の安全保障という理念を明確に位置づけ、世界の中でもっともっと日本が大きな役割を果たすべきだと私は考えます。

 もう一つ私が申し上げたいことは、家庭というものをどう考えるかであります。

 戦前までありました家の制度がなくなり、現憲法下では法のもとの平等がうたわれ、民法には子供の均分相続が定められております。

 戦後日本の半世紀を振り返りますと、個人主義が行き過ぎて利己主義となり、義務を果たすことよりも権利意識ばかりがはびこるような世の中になってまいりました。社会の一番小さな単位である家庭の中でも、個人の権利が優先され、家を守る、墓を守る、老親の介護をすることなどだんだんと疎ましく思われるような社会になってまいりました。そして、女性の中には、働きに出る人たちが多くなって、夫婦別姓を望む声も強くなっているようであります。子供が十八歳になったら家族の解散式をやろうなどと言う国会議員があらわれたりしている現状を私は悲しく思っております。

 今、選択的別姓が論じられておりますけれども、私は、夫婦別姓が親子別姓、兄弟別姓を生み、家族のきずながだんだん弱くなる日本社会になっていくと心配しております。

 自分で自分の氏、姓を選べない子供のことを何も考えないで、大人が身勝手に議論していることも問題であります。おじいちゃん、おばあちゃんが、自分と同じ姓の孫とそうでない孫とを差別するような問題も生まれてくるでありましょう。また、どうして僕はお母さんと別姓なんだ、愛されていないんだと悩むような子供もできるでしょう。そして、何よりも夫婦の結婚、離婚がルーズになり、事実婚のままで入籍しない人たちがふえてくるでありましょう。

 旧姓を名乗っていたいというキャリアウーマンや、家名が絶えるという人を救済する例外的な措置は別途考えるとしても、私は夫婦別姓の導入には慎重であるべきだと考えております。それよりも、民法を改めて、家を守り、墓を守る人、親の介護をする人には相続で恩典が与えられるようにすることが先決ではないでしょうか。

 そして、現憲法には婚姻や夫婦に関する規定はあるものの、社会生活の基礎単位としての家庭について何の定めもないこと、これが私は問題だと思っております。夫婦が家庭の中心であることは否定しませんが、家庭はほかに親や子供をも含んで構成されているものであり、家庭生活が円満であるよう、憲法には、国は、家庭を尊重する、これを保護しなければならないという規定を置くことを主張するものであります。

 以上でございます。ありがとうございました。

中村(哲)委員 民主党の中村哲治でございます。五分の陳述をさせていただきます。

 私は三十歳です。二十八歳で国会議員となりまして、新しい世代の代表として、憲法観を述べさせていただきたいと思います。

 私は、この日本という社会はまだ日本国憲法の理念を生かし切っていない、いわば社会が憲法に追いついていない現状にあると思っております。そういうことに関しまして、私よりいわば三十歳ぐらい上の世代の人たちからは、これは立法経緯が間違っていたからだ、これは日本の国民の民族の感覚で憲法を改正しなくてはならない、定め直さなくてはいけないという意見がありますが、それには、法律と社会の乖離というのはある種あるものであるということをまず主張させていただきたいと思います。

 例えば、道交法で定められているもの、皆さん守っておられるでしょうか。しかし、スピード違反をみんなしているからといって、それに道交法を合わすべきだという議論はないと思われます。

 人間は常に理性を持って行動できるわけではありません。しかし、その理性を規範として高め、規範として法律、また、憲法に定めるからこそ、それに向かって、人間は理性を持って、尊厳を持っていく存在として自分たちの社会を変えていく、そういうふうな運動をつくっていけるのではないでしょうか。そういう意味で、何のために憲法があるのか、それを私たちはきちんと認識しなくてはならないのではないでしょうか。

 言うまでもなく、人間一人一人が尊厳を持った存在であること、そして、そういう尊厳を持った存在であるからこそ、自分とは違う他人を認め合っていくこと、それが憲法の根本的な考え方でございます。私は利己主義は否定しております。利己主義と個人主義は明確に分けて考えなくてはなりません。ある個人が自分とは違う個人も尊重していく義務を持っていくこと、これが戦後の日本社会できちんと共通認識としてあったのかといえば、それもまた疑問であります。そういう意味でも、行き過ぎた利己主義が進んでいる、これも日本国憲法が認めていない状況であります。この件に関しても私たちは見ていかなくてはなりません。

 そういう観点で、本日私が述べたいことは、憲法解釈と憲法訴訟の問題であります。

 憲法解釈は、第一義的に国会議員の権能であります。憲法訴訟で合理性の基準が用いられ、合憲性の推定がなされているのも、これは、立法府が全国民を代表する国会議員で構成されており、そこで憲法解釈がなされて立法がなされているからでございます。

 よく内閣法制局が憲法解釈をするということが言われておりますが、そもそも内閣に法案提出権が認められているということも憲法上議論があります。ただ、七十二条前段の「議案」に法律案も含まれているということで、憲法学上、内閣に法案提出権が認められておるから、その範囲内で法制局は憲法解釈をしているわけでございます。

 先ほど環境権の話が出てきましたが、これも、私たち国会議員が憲法十三条に基づいて新しい人権だと認め、基本法で制定すれば、環境権は人権とすることができます。私たち国会議員の判断が問われております。

 憲法訴訟の制度について一言さらに述べさせていただきます。

 十一月二十九日の畑尻参考人の意見にもありました、最高裁に憲法部を設ける、そういうふうな仕組みでございます。憲法判断を最高裁が積極的に行っていく仕組みをつくっていくこと、これが、憲法の理念をこの社会で生かし切れているのか、それをチェックする大きなシステム、仕組みとなると思います。この畑尻参考人の意見は、下級審が違憲判断をしたときにそれを移送決定するということですから、下級審の判断も保障されることになります。どうか、検討をお願いいたしたいと思います。

 ありがとうございました。

菅(義)委員 自由民主党の菅でございます。

 私は、憲法改正必要という観点から、約十分以内に意見を申し述べさせていただきたいと思います。

 実は、ことしの四月に、私の選挙区であります横浜港にララの功績をたたえる記念碑というものを、地元のボランティア団体の皆さんや経済界あるいは青年会議所の皆さんと一緒に私は建設をいたしました。

 戦後間もない昭和二十一年、我が国の六分の一以上の一千万を超える多くの人口が食料難にあえいでいた。そうしたときに、アメリカの宗教団体を中心とするボランティア団体の皆さんが、日本に対して、缶詰や乾パンあるいは衣料や毛布など、そうしたものを支援物資として送っていただいた。そのことによって多くの日本人が食料難から逃れることができ、書類によっては二百万前後の日本人が飢え死にしなくて済んだという記述もありました。

 そして、そうしたララの救援物資が荷揚げされている横浜港の倉庫に、当時の天皇、皇后両陛下が御視察をされて、皇后陛下が涙を流しながら、アメリカの国民の皆さんに対しての感謝の気持ちと、そして、どんなに時代が変遷してもこの思いを日本人は忘れてはならない、そうした歌を実はお詠みになられました。その歌碑をこの四月に、地元の皆さんと一緒に横浜港に建設したわけであります。

 昭和二十一年、まさに憲法の公布をされた年であります。それがまさに我が日本の時代背景であったと思います。しかし、現実の日本を当時と比較してみると、物は町じゅうに満ちあふれて、そして、まさに飽食の時代でもあります。私どもの生活する環境というものが、この五十五年の間に極めて大きな変化を遂げました。

 しかし、憲法はそのままであります。これだけ大きな変化を遂げて、やはり憲法の中にも時代にそぐわない部分、あるいは新しい時代の要請にこたえなければならない部分というのは、私は数多く出てきていると思います。しかし、我が国の憲法は、硬性憲法の中でも極めてその改正については厳格であります。そして、その手続についても九十六条において定めがあるのみであって、必ずしも明確でないということも事実であります。

 私は、法律をもって憲法の改正手続というものをいち早く明確化すべきであると思いますし、時代の要請にこたえられるもの、時代にそぐわなくなったもの、こうしたものについては国民に改正案として提案する、このことが政治家の責務でもあるというふうに思っています。

 憲法改正といえば、九条問題が一番先にマスコミ等でも論じられます。しかし、まず憲法といえども変えることができるんだということをやはり国民に理解してもらう、そういう意味合いから、大方の国民が変える必要があると思っている部分から私は憲法を改正していくべきであるというふうに思います。

 先ほど来、私学助成の問題、憲法八十九条についてのお話もありました。確かに、私は、この八十九条については現実に即してないというふうに思っています。多くの国民が私学の必要性というものを認めております。そして、少子化が進む中で、やはり私は、私学の果たす役割というのは、今日までも大きかったけれども、これからますます重要で、さらに大きくなっていくというふうに思っています。私は、こうした問題については多くの国民の御理解を得られるのではないかなというふうに思います。

 それと、先ほど来話のあります環境権についてであります。

 私は、中村委員とは若干違いまして、第十三条の中で、包括的な中でということでありましたけれども、この環境問題というのは極めて大事であると思っていますし、そういう中においては、環境保全、良好な環境のもとで生活する、そうしたものをしっかりと時代の要請の中で明文化するべきであるというふうに思っています。環境破壊の予防や排除ということもしっかりと新しい憲法の中でうたう、こうしたことについても、私は当然、多くの国民の皆さんの御理解を得られる、このように思っております。

 私は、とにかく、憲法というものも見直しをすることができる、そうしたことの中で、まずこの二つについては憲法を改正するべきであるというふうに思います。

 さらに、これは中曽根先生もずっと持論でありますけれども、首相公選制、このことについても、私は憲法を改正する必要があると思います。

 ただ、この問題につきましては、与野党間で、あるいは党内でもまだまだいろいろな議論がありますけれども、こうしたこともさまざまな会合の中で議論をしていく。特にこの憲法調査会の中でも、この問題について、私は大いにこれからさらなる議論をしていただきたいというふうに思います。

 まさにこの新しい時代の中で、私は、やはり総理大臣のリーダーシップというものは極めて大事なものであると思いますし、ドラスチックな政策の展開、そしてスピード性というものも、当然、多くの国民から、あるいは国際社会の中でも望まれている、このように思います。

 私は、憲法改正というものも聖域ではなく、多くの国民の皆さんに十分な情報を提供する中、変えるべき点は変えていく、そうしたことをぜひ、この調査会でもっと踏み込んだ検討をしていただきたいと思います。

 以上をもちまして、終わります。

上田(勇)委員 公明党の上田勇でございます。我が党の残された五分間で発言させていただきます。

 この調査会で、本年、二十一世紀の我が国のあるべき姿ということで、実に多方面の有識者の方から幅広く、また、示唆にあふれたいろいろな意見を聴取してまいりました。私は、それらの意見を通して、先ほどから何人かの委員の発言にもございましたけれども、やはり、二十世紀の半ばに制定された憲法において必ずしも想定されていなかったような事態が今多々あるということを認識できたというふうに考えております。

 もっとも、私は、今の日本国憲法の精神、これは憲法の前文、本文も含めてでありますけれども、今日なお有効であって、今後ともそうした精神は大切にしていく必要があるというふうには考えておりますけれども、時代の変遷に伴い、今の憲法を補充し、見直すべき点も出てきているということを改めて感じているところでございます。

 これからのこの調査会のあり方について、私なりの考え方を言及したいと思います。

 これまでの、先ほど申し上げましたようなこの調査会での参考人の意見聴取、質疑を通じて、論点はかなり出そろってきたのではないかと思います。明年は、この調査会の委員、またはそれぞれの政党がこうした論点について見直しの具体的なアイデアを提示し、意見交換を始めるべきときに来ているのではないかと思います。もちろん、一切見直しは不要という意見も予想されますけれども、であるからこそ、一つ一つの事項ごとに具体的な議論を積み重ねていく作業が重要なのではないかというふうに思います。

 こうしたそれぞれの論点が出てくると、意見の違いが最も際立つのではないかと思われるのが第九条であることは、疑いがございません。ただし、その他の論点についても、実際に具体的な議論を始めれば、意見の違いは結構明らかになってくるのではないか。そういう意味で、コンセンサスが得られるまでには、相当時間をかけた議論が必要になってくるのではないかというふうに思っております。

 そこで、私は、第一段階として、こうしたさまざまな論点、きょうも幾つか委員の方々から御指摘がありましたけれども、これについてまずはコンセンサスづくりを目指して、その後、最も難しいあるいは意見の隔たりが大きい九条の論議について、そういう順番で議論を進めるのが賢明な方法なのではないかというふうに考えております。

 同時に、明年は、現憲法の改正手続の問題についてもこの調査会で協議する必要があるのではないかと思います。

 現憲法の改正については第九十六条にその手続が定められておりますが、具体的な手順は必ずしも明確にはなっておりません。そうした部分について論議をして、この調査会でも検討し、取りまとめていく必要があるのではないかというふうに考えております。

 この憲法調査会、設置されてから、残された期間があと三年であります。憲法改正についての論点が相当多岐にわたって出ていることから、その一つ一つに相当時間をかけた濃密な議論が必要であることを考えれば、残された三年間、明年は、具体的な事項ごとにそれぞれの立場からの意見を出し合って、コンセンサスづくりを始めなければいけないときに来ているのではないかというふうに考えているところでございます。

 一番難しいと申し上げました九条に関しても、私自身は、九条第一項の精神は極めて崇高なものであり、これは今後とも尊重していかなければいけないことであるというふうに思いますけれども、しかし、この条文には明記はされていない個別的自衛権、集団的自衛権を含みます自衛権のあり方について、これまで余りにも窮屈な解釈をとってきたという面もあるのではないか。そのために、国際社会との協調の上で必ずしも適切な対応ができなくなっている状態があるということも認識しなければいけないというふうに思っております。

 時間がございませんので細かい点は言及を避けますが、こうしたことも踏まえて、明年は、ことしまでのいろいろな幅広い意見を聴取した上で、今度は、調査会の中で具体的な議論を進めてはいかがかというふうに御提案をしたいと思います。

 以上でございます。

今村委員 自民党の今村雅弘でございます。

 先ほど来、憲法改正の話が出ておりますが、私もそこら辺について若干述べさせていただきます。

 この憲法、いろいろな議論があるわけでございますが、何といっても、戦後、大日本帝国憲法から新しい憲法と、もう二度と日本にこういう侵略戦争をやらせてはいけないとか、あるいは、そのもとになっている、まさに天皇をいただいた官僚制国家、そういったものを徹底的につぶして、まさに民権を主体とした国家につくりかえるということでつくられたわけでございます。

 ただ、この憲法の中身を見てみますと、つくりも極めて戦後のバラックづくりみたいな感じもあって、あっちこっち継ぎはぎという要素も一つ見られているわけでございます。そういったものをもう一回、つくられた経緯をよく点検して、やはりおかしいところはおかしいと、継ぎはぎのところはきちんとすべきじゃないかということを一つ考えております。

 それからもう一つは、そういう中で、やはり何といっても民主化という理念が極めて強く出てつくられている。それはそれで結構なわけでありますが、そういった理念はもうかなり達成されたんじゃないか。この達成度をここらである程度点検して、果たしてこのままでいいのかといったことを考えなければいけないんじゃないか。

 例えば、一つには権利義務の関係でございますが、この憲法にはむしろ権利というものが、第十条以下、強く出てきているわけであります。しかし一方では、義務の関係は極めて薄い。

 そして、これがいろいろな意味で、高齢化社会を迎えてくる中で、例えば、先ほど森岡先生も言われておりましたが、高齢化社会を迎えて親の面倒をだれが見るんですかと。確かに子供には権利はそれぞれ分けてありますけれども、では今度、親の面倒を見るのはどうするんだといったこと。これは、昔の家制度が旧体制のもとになっているということから、これを壊すということなんでしょうが、そういう意味では、むしろ今は、違う観点からこういった扶養義務をどうするかといったことも考えなければいけないというふうに思っております。

 これは笑い話でありますけれども、とにかく子供を育てて、そして東京だ大阪だ、あるいは海外へも出ていく。残った子供が親の面倒を見るんだけれども、その中で、いつも顔を合わせると、感謝する面もあるんですけれども、ついつい愚痴を言うこともある。そうすると、たまに帰ってきた子供の方がむしろかわいいというようなこともあって、親の面倒を見ている子供が恵まれていないということがよくあるわけであります。

 そういった意味で、やはり時代の変化をもっと取り入れて、これからの憲法改正に入れなきゃいけないんじゃないか。

 特にまた大きな問題でございますが、非常にグローバル化ということが進んでおります。今やまさに、世界は、大きな地球の中に離れて国があるんじゃなくて、IT化時代の中で、一つの小さな集団の中にそれぞれの国がある。地球全体、ある意味では地球国家という中にそれぞれの国がある。まさに連邦国家を地球が形成しているわけでありますから、そういったものにふさわしい憲法の体制に変えなきゃいけないんじゃないかというふうに思っております。

 そういう意味で、繰り返しますが、理念の達成度をもう一回点検する、そして、時代の変化に合わせて憲法の改正を進めていく、以上二点、ぜひ今後、真摯に検討すべきだと思います。

 以上です。

赤嶺委員 私は、日本共産党の赤嶺政賢でございます。

 当憲法調査会は、日本国憲法の広範かつ総合的な調査を目的とするもので、憲法改正のための調査会ではありません。このことを改めて申し上げて、私は、憲法九条について五分間発言します。

 私の住む沖縄で、今、ひめゆり学徒を引率した教師の一人で、初代ひめゆり平和祈念資料館館長の故仲宗根政善先生の日記が地元マスコミに公開されています。その中に、我々は、ひめゆりの塔に一切の行動の指針があると思う、この塔は、将来、人類の進むべき道を示しているのであるという一九六六年六月十日付の一節があります。

 ひめゆりの悲劇とは、沖縄女子師範、県立第一高等女学校の十五歳から十九歳までの少女たちを地獄の戦場にほうり出し、学徒兵、職員二百十九名がとうとい命を失った悲惨な体験を指します。仲宗根先生は、平和への思いを語り継ぐことが生徒への鎮魂と信じ、憲法九条に託してきました。ひめゆりの心は、憲法九条の心です。

 ところが、今国会は、憲法九条をじゅうりんする小泉内閣の政治姿勢が露骨にあらわれました。

 一つが、テロ特措法です。テロ特措法は、戦後初めて、現に起きている戦争に自衛隊が参加し、他国領土に出動するものであり、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と定めた憲法の平和原則に根本的に反するものです。

 政府の対応は、国際テロをどうやって根絶するかについての真剣な主体的検討を一切欠いたまま、米軍の報復戦争を無条件に支持し、テロ対策に乗じて、憲法違反の海外派兵を一気に実行に移すという対応に終始したものでした。

 第二に、PKO法案です。PKO法案は、いわゆるPKFの凍結解除によって国連平和維持軍への自衛隊の参加を可能にした上に、政府みずからが憲法違反とならないための大前提としてきた、PKO参加五原則の武器使用原則を根本的に覆したまさに憲法違反の法律です。

 戦争放棄した憲法のもとで、憲法をごまかしごまかしで自衛隊を出動させても、武力行使をしない建前のものは軍事活動の役に立ちません。結局、戦争にもっと本格的に参加できるように憲法九条を捨ててしまおうという議論に行き着きます。

 私は、日本共産党調査団の一員として、十月二十八日から一週間、パキスタン調査に参加してきました。その中で明らかになったことは、アフガニスタンの現状が国際社会に求めていることは、軍事活動ではなく、人道支援でした。地雷撤去の作業さえ国連は自衛隊の参加を求めているわけではなく、日本政府が二年間一円も出していない拠出金をぜひこたえてほしいということでした。

 私は、パキスタンの調査を通じて、二十一世紀は、軍事力による紛争の解決の時代ではなく、国際的な道理に立った外交と平和的な話し合いが世界政治を動かす時代になることを確信いたしました。

 この新しい世紀には、憲法九条の値打ちが地球的規模で生きることになることを強調して、私の発言にいたします。

中山会長 自由民主党から、中曽根康弘君の発言につきましては、自由民主党の発言時間の枠内で二十分といたしたいとの申し出がございますので、これを許します。

中曽根委員 私は、昭和二十二年の、新しい今の憲法が施行されました第一回国会からこの国会に出席させていただいております。言いかえれば、憲法と同じように歩んできて、憲法のもとに政治家として成長した者でありますが、今日の事態におきまして、政治と憲法というものがどういう関係にあり、どうすべきか、そういう観点から申し上げてみたいと思うのであります。

 歴史の流れと申しますか政治の流れと申しますか、いずれも生命力があるものであり、おのおの光と影を伴っているものであると思います。この憲法についても、それは歴史の流れで生まれ、歴史の過程でその成果が問われるものであり、いまだに生命力はあると思いますけれども、いつまでそれが続けられるかという問題もあると思うのであります。

 そこで、第一次の憲法調査会に私は出席いたしました。今、第二次の憲法調査会にも出席させていただいておる。そういう歴史の流れから見て、今日どこに問題点があるかという点も考えてみたいと思うのであります。

 第一次憲法調査会と第二次憲法調査会の相違はどこにあるかと考えますと、第一次のそれは冷戦下にあった。つまり、アメリカとソ連との冷たい戦争で、陰惨な対立の世界にあった。それから第二に、この憲法が制定されてからある程度時間がたっていますが、憲法調査会の第一回が開かれましたのは昭和三十二年八月であって、これは、いわば日本が政治の独立を回復してから数年後というまだ短い時間であります。現在、我々は、既に四十八年、約五十年近くを経過しておる、我々が第二次調査会をここにおきまして開始したときから考えてみますと。

 それから、あの当時は、国会につくるか内閣につくるかという問題がありましたが、内閣の方を選んだのは、国会の中でも社会党や共産党の人たちは賛成しないだろう、そういうところで、やはり内閣につくるのが適当だというので、自民党と参議院の緑風会を中心に、民間のいろいろな権威者を集めてつくったものであります。

 そういうようなものでありましたが、つくられた経過を私の経験から考えてみますと、私は、当時、GHQ、マッカーサー司令部に何回も通って、法律案の意見を聞き、修正させられたものであります。例えば石炭国家管理法とか、そのほか幾つかの問題があります。憲法も同じような状態で実はつくられ、それ以上に、強い米軍の指導力によってつくられたものです。ですから、マッカーサーがこの憲法をつくるというときに三原則を指示しまして、よく知られているように、第九条はそれによってできたということは御案内のとおりである。

 憲法がつくられた昭和二十一年というのはまさに敗戦直後であって、米軍にすれば、日本の解体の時期に当たっておった。日本の軍事的措置を全部廃止する、そういうような考えのもとに行われて、マッカーサー三原則もそのもとに提示されたものであります。当時でありますから、戦争直後で、平和を望み、厭戦思想が充満しておった時代であります。

 しかし、吉田内閣が終わって、鳩山内閣、岸内閣とできましたが、この両内閣ができた一番大きな理由は、吉田さんが占領政策のもとに管理的政治を行った、悪い言葉で言えば、下請的政治を行った。それに対して、独立体制を整備しよう、そういう民族的な情熱が沸き上がって、そして鳩山内閣ができたのは、一つは、憲法改正と日ソ交渉を選挙の最大の焦点にして訴えたものであります。

 当時、冷戦下にあって日ソ交渉を言うのは、やはりアメリカに対する独立体制の明示というような鳩山さんの意気もあったし、日本国民の意思もあった。その上に、憲法改正というものも、独立体制の整備、占領政策からの脱却という面で実は行われたものであります。これは私が経験したことであります。

 そういうような状況でできました憲法調査会において、最初の一番大きな問題は、今の憲法の性格でありました。我々は、他の大勢の諸君とともに、これは米軍が原案をつくって、米軍の大きな圧力下にできた、自由意思のない状態でできたものであるから、自由意思のもとに回復すべきである、そういう議論をいたしました。

 言いかえれば、デュベルジェが言っているように、主権在民と言うけれども、主権在民の根拠は、憲法を制定する力を持つことである。フランス語でプーボワール・コンスティテュアンという言葉をデュベルジェは言って、プーボワール・コンスティテュエ、憲法典とは違う、そうデュベルジェは言っていますけれども、憲法制定権力というものが主権在民の基礎にあるものである、それを我々はまさに実践すべきである、そういう議論でやったものです。それに対して消極意見も少数ありましたが、しかし、憲法調査会長をしておった高柳賢三博士は、これは日米合作憲法ですね、そういうようなことであり、いろいろな諸般の情勢も考えて、この憲法の性格に関する委員会の小委員長であった細川隆元さんが、これは米国の強い影響力のもとに日本がある程度自主的につくった憲法である、そういうような定義で締めくくった記録があります。

 今の第二次憲法調査会というものは、会議を始めたのは十二年の一月からでありますが、まず第一に、前と違うのは、冷戦後の時代である、もう一つは、独立後四十八年、約半世紀経過して、いろいろな経験を経た、歴史的な経験を経たということであり、そして世論も非常に変化してきた。

 あの第一回の憲法調査会の当時の世論調査を見ますと、昭和三十二年八月、憲法改正について賛成は四四%、反対が三二%です。朝日新聞は、昭和三十二年十一月、賛成が二七%、反対が三一%、答えがないが三八%。こういう状態で、この調査をしたときは、これは多分、岸内閣の時代あるいは鳩山内閣の末期であって、両首相とも憲法改正に非常に熱心で、そして国民世論も相当動いてきた、吉田さんの政治の時代からようやく動き始めたという時代であります。

 現在においてはどうかといえば、どの調査を見ても、賛成が六〇%から七〇%、反対が三〇%から四〇%ぐらいです。この国論の大きな変化というものを、やはり政治家は心にとめなければならぬものだろうと思うのであります。

 そこで、冷戦後の問題でございますが、冷戦中は、アメリカとソ連の大きな磁力のもとに、鉄くずがそこへ引きつけられておった、アメリカ圏、ソ連圏と。しかし、ソ連が崩壊して、これは一九九〇年ごろでありますけれども、電気が切れた。ソ連圏は散乱状態になって、ポーランド、チェコ、そのほかが独立した。アメリカも電気を切った。一番出てきたのはアイデンティティーの問題で、EUがロシアやあるいはアメリカに対抗して、あそこの共同体建設ということでEUが出現し、通貨の統一までやった。しかし、ほかの国々も、電気が切れたということで、自分は何だということを個人も民族も国家も自問自答し始めた。それが非常に強く出てきた時代であります。

 一番強いのは、やはり中国とかアメリカあたりでしょう。中国は、共産主義の腐敗を断って、そうして体制を整備するために、最近の江沢民政権はアイデンティティーを極めて強くしておる。アメリカは、依然として世界の支配力を握っている民族としてのプライドからも、非常に強いアイデンティティーを持って、この間のニューヨークの事件があれば、アメリカ国民がみんな国旗を手にするという状態になっておる。

 一番散漫で、放浪しておったのは日本である。その日本でバブルが崩壊して、政治のバブル、これは十年間に十人の総理大臣が出る。経済のバブル、これは不良債権、特に銀行の不良債権の処理ということが急務になってきている状態で、要するに護送船団方式の崩壊といってもいいでしょう。第三は社会のバブルの崩壊で、犯罪と教育の崩壊だろうと思うのです。

 そういうような中に、国民心理も非常に変化してきて、非常な不満があり、いわゆる自民党の密室談合の政策に対する猛反対が出た、マグマが動いた。それに火をつけて、爆発的に総裁になったのは小泉君だろうと私は見ておる。それはまだ続いているだろうと見ておる。これを小泉フェノメノンと私は称しておりますが、それだけ人心も変わってきている。

 一九九〇年代と二十一世紀に入ってからは、人心が非常に大きく変わって、これは持続していくだろう、そう見ておる。それはもう既に前兆として、千葉県知事で、全く千葉に住んだこともない女性が知事に当選するとか、長野県の知事選挙も栃木県の知事選挙もみんなそうです。そういうのを小泉君は見ていて、火をつけて爆発させた、そう思いますよ。

 そういうように大きく日本が今変わりつつある。そして、独立後四十八年の歴史的経験で、光と影を国民自体がわかるようになってきたし、政治家は最も敏感になってきた。その上に、世論の変化がそれを後ろで支持しておる。こういうことは何であるかといえば、特に世論調査を見ると、憲法改正に割合に消極的なのは六十、七十で、年寄りである。支持をして、改正すべしというのは三十、四十代が一番強い。これは、六十、七十は戦争のトラウマがまだ残っておるからだ。三十、四十は、いいはいい、悪いは悪い、そういうのは割り切りで、強く改正を主張してきている。

 私は、そういうのを見まして、これは、歴史を消化して、伝統的な自主的な国民の意識の力で新しい国家を形成していこうという民族的な、伝統的な同化力が出てきたものだろう、そう私は考えておる。言いかえれば、漢字が入ってきて、紫式部が流麗な「源氏物語」を書くというような同化力ですね。あるいは、プロシア憲法を大日本帝国憲法にして、日本化して、日清、日露の戦争に勝って国民共同体を建設した、そういう同化力。今また、同じような同化力が五十年たってこの民族に出てきたことを私は喜ぶものであります。

 それで、最近の政治の事態を見るというと、憲法的課題が現実に出てきておる。法的問題もあるし、政治的問題もあります。

 一つは、ニューヨーク・テロにかんがみた集団的自衛権の問題であります。

 これは日本人も相当やられ、米国がやられて、米国が今アフガニスタンで戦争と称するものをやっておりますが、これは本来ならば集団的自衛権の対象になるべきものであろう。しかし、政府は、集団的自衛権はとらないで、なぜなれば、行使ができない、そういうことを言ってきておるからであります。

 しかし、行使ができないという今の憲法論等には、私は疑問を持っておる。なぜなれば、行使ができないというのは、今の第九条に関するものもそうですが、必要最小限を超えるからだ、そういうことであります、法制局長官以下は。が、必要最小限というものは客観情勢によって変化するものである。今の言われている必要最小限というものは、マッカーサー司令部の相当な影響力のもとに指示されてできた法制局の解釈であって、平和で安全であって、米軍が完全に日本を守り、日本の軍事力を否定した時代の必要最小限、それを延ばすために必要最小限ということで自衛隊を認めた、その限度まで認めたというもので、そういう歴史的所産です。

 しかし、日本が、独立や平和が、国民の生命財産が危急存亡の場合になった場合には、そのようなあの時代の必要最小限より変わるはずだ、必要最小限というものは変化し移動すべきものだろう、そう私は思っている。だから、集団的自衛権行使は可能である、そう私は言ってきているものであります。

 この間も実は小泉首相に、特措法を出す、自衛隊をインド洋に出す、これは憲法何条によるのかね、そう質問したら、首相は、前文ですと。前文はどこだねと言ったら、「名誉ある地位を占めたいと思ふ。」そこにあると言う。あれはしかし、願望であって、実定法的な力はないんじゃないかね、もし前文を使うというならば、むしろ前文の一番最後の「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、」これが大事なところです、「普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」こっちじゃないかね、そう言ったら、まあそれも一つ考えましょうというような調子でした。しかし、条文からいったら七十三条、これは内閣の権限だよ、そう言っておきました。七十三条の外交権によるんだ、国連協力とか国連軍とか国際協力とかというものは外交権の手段だ、そういうふうに自衛隊法を直さなきゃいかぬ、そう言っておいたところであります。

 それから第二は、教育基本法の改正が中教審に文部科学大臣によって諮問されたことです。

 この教育基本法には前文があって、これは、今、憲法が制定されたことにより、その精神に従ってこの教育基本法をつくると書いてあります。これは憲法と一体である。

 これは大体前例があるのであって、明治憲法は明治二十二年に施行されましたが、教育勅語は明治二十三年にできている。現在の憲法は、昭和二十一年に制定されて、二十二年に施行された。そして、今の教育基本法ができたのは昭和二十二年です、同じ年です。つまり、憲法の心を教育基本法で出してきている。

 こういうような状況で、教育基本法の改正が問題になってきた以上は、憲法の改正も当然問題にさるべき段階に来たと思うんです。そういう時代的要請等も考えてみて、今、戦後日本のいろいろな歩みを総括して、新しい体制を確立する時代である。そして、日本の二十一世紀の新しい国家像を明確にして、国民とともに歩んでいく、そういう段階に入ったと私は考えている。

 そういう意味において、憲法の点検すべき点を申し上げてみると、まず問題であり点検すべき点は、前文である、九条である。それから、非常事態に対する条文がない。これは、安全保障も災害もあります。それから、私学助成に対する八十九条、この違憲的性格。それから、環境。憲法改正の条項。それから、首相公選。参議院のあり方。それから、最高裁判所の国民審査、あれもいろいろ議論がありますし、憲法裁判所設置の必要性。こういうようなものがやはりまじめに検討さるべき対象であり、改正さるべき内容を持っていると私は思うんです。

 憲法調査会については、でき得べくんば、五年間ということであるけれども、論憲は三年にして、四年は各党がその要綱を提出して、それをお互いが討論し合う、五年から憲法改正への予備運動、準備運動に入る、その程度でスピードアップしたらどうか。時代はどんどんどんどん激流のように流れているのであって、我々の政治もおくれてはならない、そう思っておるわけであります。

 どうもありがとうございました。

首藤委員 民主党の首藤信彦です。五分ということなので、限られた時間で三点ほど意見を述べさせていただきます。

 私はもともと経済の出身なんですが、経済学の中にマーケットフェイリア、市場の失敗という概念がございます。例えば環境問題のように、市場が十分に機能しない、あるいは市場に任せられない、そういった状況を市場の失敗と言うわけですが、もちろん経済的な考え方を憲法にそのまま移すわけにはいきませんが、ある意味においては憲法も、憲法の失敗というような考え方があるのではないか、そういうふうに思っております。それはすなわち、現在起こっているさまざまな問題、そして起こり得るであろう問題に対して対応箇条が不存在である、存在していない、あるいはあっても十分に現在の問題をカバーしていない、そういった問題があるのではないかな、そういうふうに考えております。

 どういう問題があるかということですが、限られた時間の中で三点ほど意見を申させていただきます。

 第一は、安全保障の問題です。これはやはり、冷戦構造崩壊後の世界システムの大変容に対応していないということはだれの目にも明らかだと思っております。

 現在の安全保障の考え方は、一六四八年、ウェストファリア条約によって、国家以外の組織が戦争をしないということを前提として成立しているわけですが、そうした安全保障の国家中心の考え方は現在さまざまな形で挑戦を受けております。

 世界で蔓延する難民や移動する人口の問題、地域紛争の問題、あるいは低強度紛争と言われるLIC、ロー・インテンシティー・コンフリクトと言われるんですが、そうした問題。そして、テロリズム、あるいはだんだんと深刻化している麻薬や重大犯罪。こうしたものを考えますと、我々の安全保障というものはより広域的なものに考えなければいけないし、またその主体も国家中心だけの問題ではないし、いわゆる人間の安全保障と言われるように、私たち人間一人一人の安全保障の視点からこの問題を再構築していかなければいけない、こういった問題に今の憲法は十分にこたえていない、そういうふうに考えております。

 第二点は、やはり危機管理の視点がどうしても必要となってきているという点であります。

 それは、私たちの現代社会を取り巻くものに非常に多くの巨大リスク、今までとは考えられないほどの巨大なリスクが私たちの市民社会を襲うようになったからであります。例えばグローバル経済あるいは近代化、近代技術、こうしたものが巨大なリスクをもたらすということがわかってきたわけでありまして、これに対しては、やはりそういう危機的な状況に対して、それを単に超法規的に対応するのではなく、一定の手続を明確化させていく必要があるのではないかと思っています。

 私の意見の第二点は、世界全体システムの問題であります。

 既に多くの委員から指摘されていますが、地球環境の劣化の問題、あるいは、ますます貧困が蔓延し、難民が多くなっているような現状、そしてまた、それを管理しようとしている国連などの国際機関、そしてさらに、そうした世界全体のものではなく、より地域的な対応をしていこうという地域機関との関係が今の憲法では明確ではない、そういうふうに思っているわけであります。こうした問題に関して、日本がどのように関係を持ち、またどのように貢献していくのか、こうした視点を憲法にも盛り込んでいく必要があると思います。

 そして、第三点目は、国家と市民社会との関係であります。

 先ほどから、憲法八十九条、私学助成の問題などが取り上げられていますが、さらに、最近ではさまざまな市民社会組織、例えばNGO、NPOというものが現代社会において欠くべからざるものであるとして市民権を得ています。例えば、アメリカにおいても、USAID、アメリカの公的な援助機関が、その資金の半分をこうしたNGOを通して現実の援助を行おうとしているように、国家がそうした市民社会組織と直接に契約し、直接に協力して世界の問題に取り組んでいく、こうした姿勢が世界でだんだんと広がっております。

 その意味で、市民社会組織、国家と個人の中間にある組織も憲法の中においてきちっと明確化して、そうした問題にどのように取り組んでいくのかを我々も研究していく必要があると思います。

 以上で終わります。

今野委員 今野東でございます。

 憲法についてはさまざまな議論がありますが、私は、本日は、外国人の人権と、もう一つ、安全保障という二つの点について意見を述べさせていただきます。

 外国人とは、日本の国籍を持たない者と定められておりますが、その中にも、外国籍の人、また無国籍の人がありまして、さらに、その中間に、まだ国家として独立していない地域の人々、あるいは、北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国や台湾のように、日本が国家として認めていない地域の人々が存在します。もっとも、この中には、実際には外国の国民としての地位を認めているという面もありますが、人権として考えていくときには、未承認国の国民、未国交、未回復国の国民も外国国民としての正当な扱いがなされるべきでありまして、無国籍の発生をできる限り防がなければなりません。

 一九四八年の世界人権宣言、一九五一年の難民条約、一九六六年の国際人権規約などの制定を通して、人権は国際的管轄事項だという認識が標準となっております。外国人の自由権を認める国はふえましたが、外国人の社会権については、日本も含めまして、問題を抱えている国が多いというのが現状であります。

 日本国憲法は、外国人の人権をどのように保障しているのでしょうか。憲法第三章、国民の権利義務には、外国人の人権は明文化されておりません。しかし、人権の自然権的性質から、外国人の人権を保障することについては見解の一致が見られます。また、外国人の人権享有主体性についてどういう見方をするかで、日本の憲法がどのように外国人の人権を保障するのかが分かれてきます。

 この外国人の人権享有主体性については、幾つかの説があります。一つは、全くこれを認めない保障否定説。それから、原則として憲法の書き出しによって、「国民は、」という書き出しと「何人も、」で始まる条項を分けて考えまして、部分的に保障しているのだという説。それから、人権の性質によって保障の有無を決定する権利性質説。そして、国民と同じような生活をしている者には国民と同等の保障をするのだという考え方の準用説などがあります。

 これらのことに基づきまして、私たちは、在日韓国・朝鮮民主主義人民共和国の人たちの再入国の権利ですとか、それから、外国人登録についての問題、外国人の入居差別、入店差別、受験差別、あるいは地方自治体における外国人の参政権等、さまざまな問題があって、これらについても私たちは論議をまだまだ続けていかなければならないと思っております。

 さて次に、安全保障についてですが、安全保障については日本とアメリカの関係を除いては語れない、これはだれでも共有して持っている意識だろうと思いますが、私は、これまでの日本とアメリカとの関係は多としながらも、その関係は冷静に見直していかなければならないと考えております。

 そこで出てくるのが人間の安全保障という考え方でありますが、国連では、一九九〇年になりまして人間の安全保障という言葉が使われるようになりました。一人一人の人間にとって最も大事なものは命であります。その命を支える物質的、経済的な基盤を奪われたり、脅かされたりしないように安全を保つという考え方は、これからの国際紛争解決のキーにしていかなければならないと考えております。

 人間の安全保障には国境がありません。それでは、人間の安全保障という観点から、だれがおびえている人を救うかといいますと、一つの国自身や国という単位で構成された軍隊ではそれを遂行しにくい、やはり国境が外れた国連軍であるべきではないかと私は考えます。しかし、大国の利益が大手を振って濶歩している今の国連では、国連として正しく存在しているとは思えませんし、その国連が国連軍を形成して人間の安全保障のためにその目的を遂行するとは考えにくい、日本はそのことをこそ叫ぶべきではないかと思います。国連の構成メンバーの一員である日本が、世界のどこかで起こる紛争解決のためにみずからの憲法を変えるという視点があるとすれば、それは慎重に訂正しなければならないと思います。

 日本が独自で定めた自主憲法を持つべきだという話もあります。確かに、現憲法は、第二次大戦後の、アメリカ主導によってつくられたもので、日本が二度と武力を行使して世界の国々と戦うことがないように、その方法のあらゆる可能性を抜き取ったものであります。

 しかし、この憲法こそ、世界の国々が定めるべきものではないでしょうか。日本は世界の国々に向けて、世界が平和であるための一つ一つの国のありようの理想の姿を、他の国々に先駆けて掲げたのだと、私は国民の一人として誇り高く思います。国がみずからに制限を加え、戦うためのすべをもぎ取っておくことこそ理性ある国の姿ではないでしょうか。そうしておいて、国連に本来の国連としての姿を求めていく、そして、国連軍ができて、国民のだれかがそこに個人として参加しようとするときに、その個人の世界平和への意思を国として拒まない、世界平和への秩序はそのように求めていけばいいのではないかと考えております。

 以上でございます。

小林(憲)委員 民主党の小林憲司でございます。

 今国会の憲法調査会におきましては、日本国憲法について、たくさんの参考人の皆さんから大変貴重な御意見を伺いまして、大変多くのことを学ばせていただきました。本日も、私の時間は五分でありますので、原稿などいろいろと書いておりましたが、先ほど中曽根元総理のお話を聞きまして非常に感銘をいたしたわけでございますけれども、森本参考人が見えたときに、私は質問させていただきました。憲法九条のことでございます。

 森本参考人も当時その作業の一端におられたということでございまして、この解釈というのは集団的自衛権と個別的自衛権のことに関してどうだったのですかという質問をさせていただきました。そのとき森本参考人がきっぱりとおっしゃいまして、これは、日本が集団的自衛権をみずから放棄することによって、個別的自衛権によってこの日本の国を守ろうとしたんだ、そして、それがちゃんと今の時代まで、しばらくの間はそれで日本の国は守られてきたんだ、その中で日本は成長してきたんだという御意見をされたと思います。

 どんなときでも、敗戦という大変なときでも、占領下において憲法を、自国の民族的な意識の中が戦争という痛手を受けながら、そしてまた自分たちが間違った道を進んだという中で、それでも日本を守ろうとしていた政府と政治家がその当時いたんだなということに私は大変感動いたしました。

 先ほど元総理がおっしゃったように、私は、昭和三十九年生まれ、三十七歳、戦争などは全く知らない世代でございます。そして、もちろん憲法は改正すべきである。この時代の変化の中で、二十世紀が終わりまして、二十一世紀、地球規模で、宇宙規模で考えなければいけない中で、我が日本の国がこれから先に世界においてどんな役割をしていくのか、そしてまた、世界の人が、日本という国はどういう国ですか、日本人というのはどういう人たちですかという、しっかりとしたアイデンティティーを築いていかなければいけないときだと思います。

 それには、もちろん日米関係もあるでしょう。しかしながら、我々はアジアの一員として、やはりアジアに基軸を置いてしっかりとした外交を進めていかなければならない。そういう新しい国の枠をつくらなければいけないときこそ、我々政治家が本当に、自分のことではなくて、その党のことではなくて、この日本の国の国益をしっかりと考えて行動しなければいけないのではないか、私はそう強く思います。

 憲法改正を言えば、平和を乱すものであるという意見が必ず飛び交います。しかし、平和憲法、平和憲法と言いましても、憲法は念仏ではありませんので、唱えておったら平和になるというものではありません。これは、しっかりとみんなで、平和憲法というものはどういうものなのか、黙っていたら平和になるのか、平和というものは、しっかりとその国に住む人たちの権利と財産を守るために戦うことも平和の一つである、その意識を持って、この憲法改正に向けては、本当に政治家が意欲を燃やして、その民族的な情熱を、今こそしっかりとした方向性を持って進めていかなければならないな、私はそう思いました。

 ぜひともまた、いろいろな分野の方々の御意見、そしてまたいろいろな方向性を持った御意見を聞きながら、慎重に進めていくべき問題ではありますが、今こそ、我々政治家の課題、そしてまた政治不信をなくすためにもしっかりとこの問題には取り組んでいきたいと思っております。

 どうもありがとうございます。

原委員 社会民主党の原陽子です。

 私は、五分間発言の時間をいただきまして、憲法調査会のあり方について再確認の機会とさせていただきたいと思います。

 社民党は、この調査会の設置に当たり、平和憲法を守る立場から改憲に反対し、今必要なことは、憲法条文の改正議論ではなく、日本の将来のビジョンの議論であると主張してきました。また、調査会の開始に当たっては、その目的が憲法について広範かつ総合的に調査を行うことであるということを確認してまいりました。そして、議院運営委員会でも、この調査会には議案提出権がないとしたことは、私よりも皆様方の方が御存じだと思います。

 ところが、最近の風潮を見ておりますと、小泉総理が憲法改正の筋道とすることをねらって首相公選制を発言されたり、憲法調査推進議員連盟という議員連盟からは、憲法改正国民投票法案なるものが出回ったりしております。しかも、この議員連盟は、衆議院の憲法調査会の会長であられる中山太郎議員が会長をなさっております。

 憲法を広範かつ総合的に調査を行うと国会で約束したにもかかわらず、調査会の会長みずからがこうした議連を立ち上げているということは、私にとってはルール違反なのではないかというふうに思えてなりません。そして、この憲法調査会でまだ何の報告も出ていないにもかかわらず、そしてこの調査会には議案の提出権がないということにもかかわらず、この議員連盟の方から憲法改正ありきのこうした法案を準備しているということを、私はこれは非常におかしいことであるというふうに思います。

 そして一方、国民の側から見た場合、現在の憲法によって多くの国民が不自由を感じていたり、また関心を寄せているならまだしも、九月十一日のテロ事件以来、憲法に不自由や関心を感じているのは、まさに自衛隊を海外に派遣したいと思っている方々ではないでしょうか。

 先ほど、憲法はアメリカによって書かれた押しつけの憲法なので新しい憲法をというような声が出ておりましたが、今回もまさに外交、防衛という国外とのかかわりにおいて憲法議論が高まっていることは、だれも否定ができないと思います。敗戦によってこの平和憲法を手に入れて、そして今度はテロによってその平和憲法を手放すことになるのではないか、私はそんな恐れを感じております。テロ対策を口実にして平和憲法を放棄した国とならないようにしなくてはなりません。

 そして、むしろ賛否も明確にしないサイレントマジョリティーの存在というものを私たちは自覚すべきではないでしょうか。現在の憲法に対して不満のない人は声を上げません。そして、声の上げ方を知らない人は声を上げません。つまり、先ほど中曽根先生の方から、六十代、七十代には護憲が多くて、三十代、四十代には改憲が多いと。二十代は、実はこの憲法に何の不満もないのです。声を上げていない、そうした人たちの存在というものを私たちは自覚すべきだというふうに思います。特定の目的意識を持った人たちだけによって憲法改正議論がひとり歩きすることだけは避けなくてはなりません。

 そしてもう一つ、私は、この憲法調査会、ごらんになってわかると思いますが、出席率の低さというものは非常に危惧しなくてはならないと思います。この出席率の低さで、そして憲法に対する議論が大して盛り上がってもいないこの調査会が出す報告というものは、何かしら報告を出したとしても、それは、私は、決して国民の代表が集まって出した報告書とは言えないというふうに思っております。それなので、ちょっと言葉は悪いかもしれませんが、今この状態で報告書を出したとしても、それは知らない人たちが知らない場所で書いたものぐらいの意味しか持たないというふうに私は思います。

 もちろん、憲法を私たち国民のものにするために、憲法に対する議論をしていくことは非常に必要だと私も思いますが、しかし、その前に、それ以外にも、例えば国会の民主的な審議のあり方とか、私たちにはやるべき課題がたくさんあるということを私は明言したいし、まさに二十一世紀を担っていく世代として、やはり日本国憲法の理念が現実に輝くものとしていきたいというふうに考えております。

 以上で終わります。

中山会長 ただいま原委員から、憲法調査会会長である私に対する御批判がございましたが、私は、憲法調査会会長として、広範かつ総合的な憲法の調査を行うという趣旨を厳守しております。はっきり申し上げておきます。それは、この運営については、各党の幹事及びオブザーバーの同意に基づいて議事の進行及び運営を決めておりますから、原委員の御発言はおかしいと思います。(発言する者あり)いやいや、私に対して……(発言する者あり)反論権って、ここは会長が議事の進行を行うことの権限を与えられておりますから、私とこの憲法調査推進議員連盟とを混乱して考えられるということは、私は非常に不愉快に思います。

 私は、一国会議員として、この憲法調査推進議員連盟というものを長年やってまいりました。それを承知の上で、皆さん方は私を調査会長に御推薦いただいたわけです。そこのところをどうぞ、ひとつ、新しく当選された先生でしょうからその経過は御存じないと思いますが、私は、その点は明確にこの際申し上げておきたいと思います。

下村委員 自由民主党の下村博文です。五分ほどのお時間をいただきたいと思います。

 九月十一日のアメリカの多発テロによって、世界じゅうの人々の意識が大きく変わる大きなターニングポイントになってきたというふうに思います。二十一世紀は国連の時代であるということは、二十世紀から言われてきたことでありますが、そして、これから国連の果たす役割は大変大きなものがあると思います。しかし、少なくとも、二十一世紀、国連軍がこれから活動するにしても、日本あるいはアメリカ、ドイツ、イギリス等、それぞれの国が国連に対して派遣をする、それが国連軍であったり多国籍軍であったりする。本籍はそれぞれ国家というものがあると思いますし、少なくとも二十一世紀中に国家がなくなるというふうな状況はあり得ないと思います。

 そういう中で、中曽根元総理が、我が国は自然発生的国家である、人工国家ではないという御発言をよくされておられますが、この国が、国家ビジョンとして、日本国民に対して日本という国のあるべき国家像、あるいは理想像を示すということは当然のことであり、それを基本法である憲法の中で明らかにするということは当然のことであると思います。そういう意味で、日本国憲法ができて半世紀以上たった今、戦後の呪縛から我々日本人は解放され、これからの未来に対して、明確な日本の方向性に対するビジョンをあらゆる部分でタブー視しないで議論するということは、これは当然のことであります。

 中西輝政京大教授が、国家が目指すものということで、三つ挙げておられます。一つは、国家が目指すものとして、個体の安全保障をすべきである。二つ目には、豊かさを求める努力をすべきである。三番目には、その豊かさを支える国としての価値観、理想、よりどころ、国家としてのアイデンティティー、これは教育であったり、社会規範であったり、まさに憲法そのものでもあるわけでありますが、これを国家の中できちっとつくれるかどうかということが、大きくその国の存亡にかかわる大変重要なことであります。

 そういう意味で、憲法の制定過程という発想からも脱却して、これからあるべき我が国における憲法を議論する、そして、各党各会派あるいは各層からあるべき方向性としての新たな憲法提案をするということは、その国の健全性として当然のことであると思います。

 その中の一つとして、先ごろ、教育基本法の改正論議もこれからされるということになっておりますが、この教育基本法は、極めて日本国憲法との関係の中でつくられたものであり、教育基本法の改正議論だけでなく、教育の中における例えば宗教との問題あるいは家庭という、家庭教育というものが教育基本法には明らかにされておりませんが、憲法の中での教育の位置づけ、当然、憲法九条の中における集団的自衛権の位置づけあるいは首相公選制の位置づけ等、それぞれ一つ一つ議論をする中で、この国のあるべき方向性、形づくりをする。

 そして、それはいつまでも小田原評定的な議論をすることではなく、ある一定期間の中で、これからの三年間なら三年間の中で、国家ビジョンづくりとしての日本国憲法の原案をそれぞれの党が持ち寄り、そして、今の日本国憲法がベストであるということであれば、それはそれで持ち寄ることによって、国民的な議論をすることによって、この国の国家像をつくる。そして、もう一度この国を再生するということが憲法改正の中で必然的な、歴史的な我が国における位置づけであるというふうに思っております。

大出委員 民主党の大出彰でございます。五分間の発言でございます。

 二十一世紀の日本のあるべき姿について、特に憲法についての考えを述べさせていただきます。

 二十一世紀の日本の憲法を考えたとき、私はやはり一番重要な権利は、自由、自由権だと考えます。しかし、自由だけだと、よく言われますように、王制をしいた国で王様だけが自由を認められていれば、たとえ国民が不自由でも自由主義国家となってしまいます。したがって、民主主義、すなわち主権者が国民でなければいけないと考えます。国家意思の最終的決定権が国民になければいけないということです。この自由主義と民主主義はセットで守り、発展させなければなりません。

 その際、現行憲法の天皇制をどうするかという議論がなされると思いますが、象徴天皇制を大切にしながらも、現行憲法「第一章 天皇」の部分は、「第一章 国民」とすべきだと考えます。

 主権者である国民が自由を謳歌できるとしても、その前提として平和のうちに生存できなければ、その自由は画餅と化してしまいます。その意味で、現行憲法前文の「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」という規定は、人間の安全保障政策とともに、その権利の内実を発展させなければならないと考えます。

 十月八日未明、日本を初めとした国際社会による外交努力が十分であったか疑念の残る中、いわゆる不朽の自由作戦が開始されてしまいました。まことに残念でなりません。またしても失われてはならない命が失われております。二十一世紀になっても、人間は国際紛争解決手段としての戦争を選んでしまうのか、いつになったら人間は国際紛争解決手段としての戦争という大量殺人をやめるのか、私の嘆きはとどまるところを知りません。

 人は何度も不戦を誓い、一九二八年には不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)を締結しました。悲惨な結末で終えんした第二次世界大戦後、この不戦の流れは軍縮、平和解決を基本とする国連憲章に実り、さらに日本国憲法第九条(平和憲法)に戦争違法論の帰結として結実しました。人類共通の遺産と言っても過言ではありません。

 私は、憲法九条一項、そして二項を守ることは、日本国民がこぞって声を上げ、アメリカに広島、長崎に原子爆弾を投下したことは誤りであったと認めさせるのと同じくらい重要なことだと考えております。そして、唯一の核被爆国日本は、核兵器廃絶、非核三原則を憲法に取り込むべきだと考えます。

 私は、二十一世紀の憲法は、現憲法で認められている言論の自由や表現の自由といった人権だけでなく、環境権を初めとしたいわゆる新しい人権をふんだんに取り込んだものでなければならないと考えます。なぜなら、人権は日々新しく生成され、その研究の成果を取り入れることは自由を広げることにつながるからです。そして、その中に動物愛護を取り込めたらベターだと思います。二十一世紀は、地上からあらゆる差別をなくし、個人は個人として尊重され、自然や動物とも共生できる社会であるべきだと考えます。

 私は、二十一世紀は地方分権の時代だと思います。国民主権のもとでは、国家意思の最終的決定権は主権者である国民にあります。しかし、中央集権国家では、その規模の大きさと権限の強さから、国民の意思と国家の意思に乖離が生じてしまいます。地方のことは地方が決める。権限も財源も地方に移すことによって、住民に身近な問題は地方みずからが決定する。そのことによって民主主義がさらに進み、国家からの自由も促進されると考えます。

 最後に、二十一世紀の日本は、地球環境、宇宙環境に配慮した国家でなければならないと考えます。言うまでもなく、太陽系第三惑星地球という私たちの星は有限であり、地球温暖化問題やフロン問題でおわかりのように、地球人のすべての意思をまとめて、宇宙的規模で救わなければ滅んでしまいます。この、病んではおりますが、緑が茂り、多くの生物を宿し、青く輝くかけがえのない地球は、未来の私たちの子孫から借りているものなのです。二十一世紀のうちに地球を救う国家をつくらなければいけないと私が考えるゆえんでございます。

 私の発言を終わります。御清聴ありがとうございました。

島委員 民主党の島聡でございます。

 私も、当初、憲法調査会の幹事をやらせていただきましたが、そのとき中山会長は、本当にオブザーバー、幹事の発言を、十分公正に運営されていることを私は身をもって体験しました。その上で、この憲法調査会の進め方について、私なりの思いを申し上げます。

 改憲対護憲ということも含め、いろいろな議論はありますけれども、論点が随分出てきた。新しい経済社会に生きていく憲法にしていくために、憲法調査会として、例えば、一つは憲法の条文を変えるべき明文改憲の部分もある。それが第一です。あるいは、今の憲法の中で、法律がどうも憲法とうまく合っていない部分もある。それは法律を変えて、憲法の精神に合うようにすべきだという第二の点。そして、解釈がどうも合わなくなってきているという部分。今内閣法制局がいろいろな解釈をしていますが、それに合わなくなってきた部分ということがありますので、その三つに分けてきちんと憲法調査をしていくということが必要なのではないのかというふうに思っております。報告書はそういう形で出していただくといいなということを思いつつ、そのために、特に統治行為の議論のときには、統治行為を現実にやっておられる小泉首相を参考人として招いていただきたいと思っています。

 小泉首相に私が聞きたいことは二点あります。

 一つ。まず、今、首相のリーダーシップ、首相公選制の話がございますが、それだけじゃなくて、例えば憲法六十六条一項で、「内閣は、」「その首長たる内閣総理大臣」としております。しかし、内閣法四条では、「内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとする。」「閣議は、内閣総理大臣がこれを主宰する。」という、座長になっています。国家行政組織法五条では、「総理府及び各省の長は、」「内閣総理大臣及び各省大臣とし、」「主任の大臣として、」と、同格になっています。これで本当に首相になってリーダーシップをとっていけるのかどうかということも含めて、もしこの六十六条一項といろいろな意味でそごがあるならば、きちんとそういうふうにするんだということも憲法調査会の一つの流れとして出すべきだ。

 現在、与党の事前審査、与党と内閣の一元化が議論に上がっておりますが、そこには政党が憲法の中にきちんと位置づけられていないということがあると思います。政党の存在は、トリーペルの四段階説じゃありませんけれども、敵視から始まって、無視、政党の承認・法制化ときて、第四段階に政党の憲法的編入とあります。ドイツ基本法二十一条、フランス憲法四条、イタリア憲法四十九条には、政党が入っております。現在議論になっております与党と内閣の一元化の議論も含めて、そういうことを議論するためにも、小泉首相をぜひ参考人に呼んでいただきたいと思います。

 第二点、集団的自衛権の問題でございます。

 我が党は、安全保障政策の中で、安易な憲法解釈変更で集団的自衛権を認めるべきでないという立場に立っておりますが、これは国会で、この憲法調査会で議論すべき点だと思っています。といいますのは、テロ特措委員会、私は現実に聞いておりませんが、報道でしか聞いておりませんが、今回の行動については、国際的に見たら集団的自衛権だというような言葉を小泉首相自身おっしゃっていたということが流れていました。

 集団的自衛権という概念は、例えば岸信介さんの答弁は、国際法上の集団的概念というのは、実力行使を含まないかどうかということがある。さらに言うと、例えば、他国に基地を貸して自国を守るということも集団的自衛権として解釈されているということを、六〇年安保当時の参議院予算委員会で述べています。

 その後、いろいろな議論がありまして、八〇年以降は、集団的自衛権は我が国の友邦に対する武力攻撃を、我が国が直接攻撃を受けていないのに、実力をもって阻止する権利という形で、いわゆる中核的な集団的自衛権という形で今解釈されているわけでありますが、これが本当に今後の時代にきちんとそぐうのかということについても、きちんとこの憲法調査会で議論すべき問題であると思っています。

 西ドイツ基本法は、九四年、NATOにおける自国軍の領域外派遣という、憲法解釈を憲法裁判所で変えて、その後、ボスニア派遣などをしました。ドイツに行ったときに、日本は国際貢献の面で二歩おくれているとドイツの学者に私は言われたわけでございます。そういう意味で、真正面から首相を招いて、統治行為の議論、一体どこが今の時代に合っていないのか、そういう観点から参考人としてお招きいただきたいと思っている次第でございます。

 以上です。

二田委員 自由民主党の二田でございます。

 約五分間、意見を述べさせていただきます。

 日本国憲法の特徴は、まず前文に平和憲法の特徴というものが多く占められております。それを受けまして多くの平和に対する条項、例えば九条もその一つじゃないかな、こう思っておるわけでございます。ではありますけれども、憲法といえども不磨の大典ではない。九十六条に、第九章、憲法改正の要項を、それ自体の改正を求めておるわけでございます。

 しかし、実際的にこの改正が実現可能かどうかというと、大変厳しい条項でございますので、この辺をどう考えていくかということをやはりひとつ議論していかなければいけないのじゃないのか。憲法は、みずからの改正しづらい一つの条項を九十六条に設けておるんじゃないかな、こう思っております。ですから、これをどう扱うかということは、これはまた大変難しい問題だな、こう思っておるわけでございます。

 といいますのは、幾ら憲法といいましても、それみずからにも改正の要項を一つ設けておりますとおり、永久不滅のものじゃない、その時代時代に応じた改正というものはやはり非常に必要とされると思います。

 日本国憲法における種々の解釈論によって今までいろいろな問題を処理してきた、これはまた大きな一つの議論を呼んでおるということは論をまたないところでございまして、こういった面からも、ぜひやはり九十六条のあり方を、これはどうしていくのか。九十六条それ自体を改正しなきゃいけなくなるわけでございます。そうなりますと時宜に合った憲法になっていくのじゃないかな。そしてまた、多くのプログラム規定を設けられておるわけでございますけれども、こういったものもまた改正し、時代に合った法律がそれに基づいてスムーズに制定できる憲法のあり方というものが求められていくのじゃないかな、こう思っております。

 法律といえども人間がつくるものでございますから、そういう面におきまして、私どものこの日本が、よりよき法を制定しながら、よりよき憲法の精神を生かしていくというのは、やはり実行可能な制定というものを強く推し進めていく必要があるのではないかと今強く感じておる次第でございます。

 こういった意味におきまして、九十六条それ自体のあり方、これを改正する手続というのは、これは大変また難しいと思うのでございますけれども、一回諮ってみたらいかがなものか、国民の世論を求めてみたらいかがなものか、こういうふうに強く感じておりますので、お話を申し上げて、終わりたいと思います。

 以上でございます。

藤島委員 今回のテロにかかわる政府の対策特別措置法あるいはPKO法にしましても、憲法九条の関係で集団的自衛権を認めないままでなし崩し的手法でやっているということは、私は、法律に対する国民の信頼といいますか、あるいは憲法に対する国民の信頼を非常に揺るがしているというふうに感じられるものであります。

 同じような点で私学助成の問題もあると思います。あるいは、違憲立法審査権の関係でいえば、統治行為ということで裁判所は逃げたような形になっている、こういうことに対して、憲法裁判所の問題。あるいは地方の独立、独立といいながら、予算面では完全に国が握っておって、実質的には地方の独立が果たされていない問題。こういった問題を放置しておくことは、非常に国民の憲法に対する信頼を損ねていると私は思っております。

 先ほど中曽根委員からもお話ありましたけれども、今の日本の社会の変化は大変スピードが増してきておりますし、人心といいますか、国民の気持ちもどんどん変わってきておるわけであります。そういう中で今のままずるずると時間を過ごすことは許されないんじゃないか、私はこう思うわけであります。

 一方また、憲法は国家を引っ張っていくといいますか、理想に向けて持っていくという面もあるわけでありまして、そういう面からもう一度この憲法を見直す、こういう作業も必要だろうという感じがしてなりません。特に非常事態等に関していえば、かつての日本でいえば必要なかったのかもしれませんけれども、今こう見ますと大変重要な問題であろうと思っております。

 そのようなことから、私は、五年ということにとらわれることなく、もっと前向きに早い結論というようなことも念頭に置いて、審議を進めていただきたいと思います。

 以上です。

中川(正)委員 民主党の中川正春でございます。

 どうも私が最後らしいということでございます。

 この一年は、日本のあるべき姿を私たちは求めてきたような議論であったんですが、私の原点も、何とか日本に国家の意思、戦略、そんなものが形成されるべきだ、その意思が外から見ていて日本を透明性にして、日本が何を考えているかということを理解した上でそれぞれ対話が始まる、そんなことではなかろうかというふうに思っています。

 そういう意味で、憲法を通じて日本の国家の意思を形成していく、特にこれだけ世界の構造が変わり、そして社会全体、日本の民族としても、いわゆる価値観の多様性の中でその方向性を模索しているというこの段階にあって、まさにそのことが今問われているんだろうというふうに思うんです。

 その上に立って、これからの議論の運営に二つほど希望を申し上げたいというふうに思うんです。

 一つは、具体的な事象の中でもう少し討論というか、それぞれの政党がその課題を持って、政党の中でその討論を集約していくというプロセスを持ってここに上がってきて討論をする、そういう形が入れられないかということであります。

 今それぞれの皆さんがそれぞれのことを言われましたけれども、これはみんな個人の考え方でありまして、これをそのまま続けている限り、一つの方向性なり集約ということがこの国ではできないんじゃないか。できないということは、これまでと同じで、国家の意思が決まっていかないということなんだろうというふうに思うのですね。そこを一つ提案させていただきたいということ。

 それから、国会の議論の中で、例えば今回PKOがありましたが、私は先般カナダのPKOの訓練センターへ視察に行ってきました。そのときに、カナダでは、このPKOをこんなふうに定義しているのですね。アメリカがいて隣にカナダがいる。例えばカナダがアメリカのような超大国になるというふうなことはおめおめ私たちは考えていない。そうじゃなくて、アメリカの隣にいるカナダとしてできることは何なんだということを精いっぱいに考えていった上で、結論として出したのが、PKOを国際戦略の中でカナダの存在感と世界貢献ということに精いっぱい使っていこう、そういう戦略を持った。その上に立ってこの訓練センターがあって、それぞれこれまでの活動がある。これは評価はさまざまに分かれるけれども、おおむねカナダはそれで生きてきた、こういうことですね。

 時間が限られておるのであれですが、どっちにしても、そういう議論が実は委員会の中で日本はやられていないのですね。どちらかというと、その事象、事象をつかまえながら憲法の議論の中にそれが集約されてしまって、武器使用の限度がどうだということ、あるいはそれが集団的な自衛権の範疇に入るのか入らないのか、そういうところに集約をされてしまう。これは私たちの国家として、やはりどこかで克服していかなければならないところだというふうに思うのです。それをやるとすればここしかないように思うのです、今の現状の中では。そうした意味で、個別的なそういう問題をこれから先ピックアップして、それについてとことんやるということ、このことをもう一つ提案させていただきたいというふうに思うのです。

 以上、二つの点を申し上げまして、私の陳述とします。ありがとうございました。

中山会長 他に御発言はございますか。――それでは、御発言がないようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。

     ――――◇―――――

中山会長 本日をもちまして本年の憲法調査会は最後となります。そこで、本年中の調査会の活動につき、改めてその経過を御報告したいと存じます。

 本年一月からの第百五十一回常会では、昨年より引き続き二十一世紀の日本のあるべき姿をテーマに参考人質疑を中心にして調査を行いました。二月八日から五月十七日にかけて、五回にわたり参考人より意見を聴取し、質疑を行っております。お呼びした参考人は九名、質疑を行った委員は、私を含め延べ七十一名であります。

 各参考人が提示された論点といたしましては、科学技術の進歩が社会に与える影響と課題、教育改革、グローバリゼーションと国家、遺伝子構造解明と生命倫理の問題、少子高齢化社会の到来と生産年齢人口減少の問題及び社会保障制度のあり方、IT革命による人間社会の変化への対応、国家概念とその再構築の必要性、北東アジアにおける日本の役割、国と地方の関係などがございましたが、これらの諸問題に関し、憲法との関係あるいは憲法のあるべき姿について、多岐にわたって熱心な議論が行われました。

 さらに、六月十四日には、特にテーマを設けず自由討議を行い、十九名の委員より日本国憲法についての意見を聴取いたしました。

 また、本年においても昨年同様、衆議院から本調査会委員をメンバーとする調査議員団が海外に派遣され、本年は八月末から九月上旬にかけて、ロシア及びハンガリーその他の東欧各国、オランダ及びスペインを初めとする王室制度を有する五カ国、並びにイスラエルの合計十一カ国の憲法事情について調査をしてまいりました。

 その調査内容につきましては、十月十一日の調査会においてその概要を御報告し、また先月、議長に対して提出し、委員各位にも配付いたしました報告書のとおりでございますが、調査内容の一部を御紹介いたしますと、ロシアにおける新憲法の制定経緯や国民への浸透の実態、大統領の強大な権限に対する議会のコントロールのあり方、憲法裁判所の審理の実態、東欧各国におけるソ連邦崩壊後の一連の民主的改革に伴う新憲法の制定、改正の経緯やその特徴、王室を有する諸国における国王の権限と地位その他憲法における王室制度の位置づけとその運用実態、イスラエルにおける首相公選制導入及び廃止の経緯などでございます。

 これらの調査を経て痛感いたしますのは、各国とも、政治体制がいかなるものであるにせよ、憲法に関する論議の素材が国民に対して十分提示され、国のあり方は最終的には国民が判断するということ、さらに、そのような判断にとっては、政治的リーダーに対する国民の信頼が重要であるということであります。

 そして、本年九月からの第百五十三回臨時会では、引き続き二十一世紀の日本のあるべき姿をテーマにしつつも、国際連合と安全保障、統治機構に関する諸問題及び人権保障に関する諸問題の三つの視点から、より焦点を絞って精力的な調査をしてまいりました。お呼びした参考人は六名、質疑を行った委員は、私を含め延べ五十名でございます。

 各参考人からは、各世代がみずから決定した理念に基づいて国家を運営するための護憲的改憲論、明確な国家戦略に基づく外交・安全保障政策再構築の必要性、討議民主主義の実現による一般利益と特定利益との調和、行政学の立場から議会と内閣の関係をとらえ直すことの有用性、我が国の人権保障の現実と平和的生存権及び人間安全保障の確立の必要性、司法権による違憲立法審査の実質化のための憲法改正によらない憲法裁判所の設置の必要性などが述べられました。

 小泉首相が検討を始めた首相公選制、九月十一日に米国で発生した同時多発テロ事件とその後の国際情勢及びそれに伴う国内情勢の変化など、時事的な諸問題と相まって、極めて有意義な議論がなされたものと存じます。

 さらに本年は、日本国憲法についての国民各層の意見を聴取するため、三回にわたり地方公聴会を開催いたしました。第一回目の地方公聴会は四月十六日に宮城県仙台市において、日本国憲法についてをテーマに、第二回目の地方公聴会は六月四日に兵庫県神戸市において、二十一世紀の日本のあるべき姿をテーマに、そして第三回目の地方公聴会は十一月二十六日に愛知県名古屋市において、国際社会における日本の役割をテーマに開催いたしました。十一名の一般公募を含め都合二十六名の意見陳述者から意見を聴取し、質疑を行い、また、十二名の傍聴者からも意見を聴取しております。

 若干の混乱はありましたものの、国民から直接に意見を伺う機会を持つことは、我々国民の代表者である国会議員にとって極めて重要であり、さらにこのことは、我々が現在行っている調査活動とその内容に対して国民の信頼を得ることにつながるものでもあります。

 このような議論を経て、本日は、この一年間積み重ねてまいりました議論を振り返りつつ、今臨時会における議論を踏まえ、本調査会の活動を総括する締めくくりの自由討議を行いました。発言された委員は二十七名でございます。

 来年以降の調査テーマ、手法及びその日程については、本日の各委員の御意見も参考にさせていただきながら、今後、幹事会において協議してまいりたいと存じますが、憲法は国民のものであるとの認識のもと、人権の尊重、主権在民、再び侵略国家とはならないという原則を堅持しつつ、今後とも、日本国憲法に関する広範かつ総合的な調査がなされていくものと存じます。

 最後になりましたが、本日までの調査会におきまして、会長代理初め幹事、オブザーバーの皆様、そして委員各位の御指導と御協力により、公平かつ円滑な運営ができましたことに厚く御礼申し上げ、本年最後の憲法調査会を終了したいと存じます。まことにありがとうございました。(拍手)

 本日は、これにて散会いたします。

    午後零時十五分散会




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