衆議院

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第3号 平成14年4月25日(木曜日)

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平成十四年四月二十五日(木曜日)
    午前九時四分開議
 出席委員
   会長 中山 太郎君
   幹事 高市 早苗君 幹事 葉梨 信行君
   幹事 島   聡君 幹事 中川 正春君
   幹事 中野 寛成君 幹事 赤松 正雄君
      伊藤 公介君    奥野 誠亮君
      久間 章生君    高村 正彦君
      谷垣 禎一君    土屋 品子君
      中曽根康弘君    中山 正暉君
      長勢 甚遠君    平井 卓也君
      山崎  拓君    大出  彰君
      小林 憲司君    今野  東君
      首藤 信彦君    中村 哲治君
      永井 英慈君    伴野  豊君
      松沢 成文君    江田 康幸君
      斉藤 鉄夫君    藤島 正之君
      春名 直章君    山口 富男君
      植田 至紀君    金子 哲夫君
    …………………………………
   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
    ―――――――――――――
委員の異動
三月二十八日
 辞任         補欠選任
  高村 正彦君     伊藤信太郎君
  土井たか子君     横光 克彦君
  井上 喜一君     西川太一郎君
同日
 辞任         補欠選任
  伊藤信太郎君     高村 正彦君
  横光 克彦君     土井たか子君
  西川太一郎君     井上 喜一君
四月十一日
 辞任         補欠選任
  土井たか子君     原  陽子君
同日
 辞任         補欠選任
  原  陽子君     土井たか子君
同月十六日
 辞任         補欠選任
  近藤 基彦君     久間 章生君
同月二十五日
 辞任         補欠選任
  土井たか子君     植田 至紀君
同日
 辞任         補欠選任
  植田 至紀君     土井たか子君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 日本国憲法に関する件
 派遣委員からの報告聴取


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     ――――◇―――――
中山会長 これより会議を開きます。
 日本国憲法に関する件について調査を進めます。
 日本国憲法に関する調査のため沖縄県に委員を派遣いたしましたので、派遣委員より報告を聴取いたします。中野寛成君。
中野(寛)委員 団長にかわり、派遣委員を代表いたしまして、その概要を御報告申し上げます。
 派遣委員は、中山太郎会長を団長として、幹事葉梨信行君、委員久間章生君、幹事島聡君、幹事赤松正雄君、委員藤島正之君、委員春名直章君、委員金子哲夫君、委員井上喜一君、それに私、中野寛成を加えた十名であります。
 なお、現地において、赤嶺政賢議員及び東門美津子議員が参加されました。
 地方公聴会は、四月二十二日午後、沖縄県名護市の万国津梁館において、二十一世紀の日本と憲法をテーマとして開催いたしましたが、それに先立ちまして、二十一日午後、沖縄県庁において、稲嶺恵一沖縄県知事及び県職員から、沖縄振興計画の素案、沖縄の米軍基地問題、沖縄の観光産業の現状等について説明を聴取するとともに、翌二十二日午前には、平和祈念公園に赴き、国立沖縄戦没者墓苑、平和の礎を視察いたしました。
 地方公聴会においては、まず、中山団長から今回の地方公聴会開会の趣旨及び本調査会におけるこれまでの活動の概要の説明、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序を含めてあいさつを行った後、平和憲法・地方自治問題研究所主宰山内徳信君、弁護士新垣勉君、ビジネススクール校長恵隆之介君、沖縄国際大学法学部教授垣花豊順君、大学生稲福絵梨香さん及び沖縄県議会議員安次富修君の六名から意見を聴取いたしました。
 その意見内容につきまして、簡単に申し上げますと、
 山内君からは、憲法九条は国民の命そのものであるから、政治家は憲法を尊重擁護し、また、我が国は平和国家のモデルとして、九条の精神を世界に広めるべきであるとの意見、
 新垣君からは、さきの沖縄戦の教訓は、軍事力で国民の生命は守れないということであり、個人の尊厳の観点からも、非武装平和主義を体現する憲法九条を守るべきであるとの意見、
 恵君からは、交戦権は国の当然の権利であり、また、武力の裏づけなくしては国家の独立と平和は維持できないので、憲法九条を改正すべきであるとの意見、
 垣花君からは、憲法、教育基本法の基本理念である個人の尊厳が普及徹底するよう、国会議員、教員等は、憲法の個人の尊厳を尊重擁護すべきであるとの意見、
 稲福さんからは、学ぶことは義務ではなく権利であるので、奉仕活動の義務化は行うべきではなく、ボランティア活動では、地域に支えられて地域とともに生きる関係が重要であるとの意見、
及び
 安次富君からは、戦争放棄の理想は保持しつつ、必要最小限の自衛力の行使及びその際の国民による直接的コントロールを憲法に明記し、また、立法権と行政権の完全な分立、地方自治の充実を憲法に明記すべきであるとの意見
がそれぞれ開陳されました。
 意見の陳述が行われた後、各委員から、我が国の安全保障体制、自衛隊、日米安全保障条約の合憲性、九条以外の条項に関する改正の是非、災害時の自衛隊の役割、国家による国民の安全保護のあり方、非軍事面での国際貢献、日米地位協定の見直し、有事法制の問題点、教育問題などについて質疑がありました。
 派遣委員の質疑が終了した後、中山団長が傍聴者の発言を求めましたところ、傍聴者から、平和憲法の重要性、国家主権の確立の必要性、沖縄で憲法が十分に守られてこなかったこと、有事法制の問題点等についての発言がありました。
 なお、会議の内容を速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと思います。また、速記録ができ上がりましたならば、本調査会議録に参考として掲載されますよう、お取り計らいをお願いいたします。
 以上で報告を終わりますが、今回の会議の開催につきましては、関係者多数の御協力により、比較的円滑に行うことができました。
 ここに深く感謝の意を表する次第であります。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 これにて派遣委員の報告は終わりました。
 ただいま報告のありました現地における会議の記録は、本日の会議録に参照掲載することに御異議ございませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
中山会長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    ―――――――――――――
    〔会議の記録は本号(その二)に掲載〕
    ―――――――――――――
中山会長 これより派遣委員からの発言及び委員間の自由討議を行います。
 本日の議事の進め方でありますが、まず、派遣委員から発言していただき、その後、派遣報告及び派遣委員からの発言を踏まえ、特に我が国の安全保障について自由討議を行いたいと存じます。
 ただいま聴取した派遣報告にもありましたように、沖縄地方公聴会におきましては、武力攻撃事態への対処に関連する三法案の国会への提出などを受けて、我が国の安全保障、有事法制等について多くの意見が述べられました。
 ちなみに、今国会冒頭に各委員にその要約版を配付いたしました昭和三十九年の内閣憲法調査会の報告書におきましても、戦争等の有事のほか、自然災害や経済的混乱を含む非常事態に関しては、それに対処するための措置がとられる必要があるということは、委員全員の一致した見解であったようでありますが、それに対処するための措置については、憲法に根拠規定を設けるべきであるとする見解と、憲法に根拠規定は不要であるとする見解とがあったようであります。
 内閣憲法調査会の報告書が提出されてから約四十年を経過した今日、世界の情勢は大きく変化しておりますが、沖縄地方公聴会での議論その他の資料を踏まえて、本日は、特に我が国の安全保障について、委員間の自由活発な御議論をちょうだいできればと存じております。
 御発言を希望される方は、お手元にあるプレートをお立ていただき、御発言が終わりましたら戻していただくようお願いいたします。
 なお、議事整理のため、御発言は、会長の指名に基づいて、自席から着席のまま、所属会派と氏名を述べてからお願いいたしたいと存じます。御発言は五分以内におまとめいただきますようお願いいたします。
 発言時間の経過につきましてのお知らせでありますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたしたいと存じます。
 葉梨信行君。
葉梨委員 私は、このたびの沖縄地方公聴会に自民党委員として参加させていただきまして、憲法をめぐりまして、賛成あるいは護憲、反対、いろいろな現地のお声を伺いまして、大変勉強になったと思っております。
 簡単に感想を申し上げさせていただきますが、その中で、あの沖縄戦のときに、日本軍は沖縄の県民を守ってくれなかった、守ってくれると思った軍が大変むごいこともしたという発言に衝撃を受けました。私は、沖縄戦というのは日本のあの太平洋戦争の中の末期的な最後の戦いであり、もう混乱のきわみにあったということがそういう経験をされたことにつながったんだろうと思います。十万人近い民間人も兵隊さんたちと一緒に亡くなったということは、本当に残念なことで、心から御冥福をお祈りしたいと思っております。
 もう一つは、発言者の中に、基本的人権を守るということをこれからもかたく、ひとつ憲法に書いてあるように遵守してほしいという発言でございました。これは、沖縄の方々が、敗戦した後アメリカ軍に占領され、そして農地や民有地、いろいろ接収されて基地ができた、その過程においてまた大変つらい経験をされた、そのための基本的人権を守れという御発言につながっていると思うのでございます。
 そして、この基本的人権を守るということは憲法の三つの理念の一つでございまして、私どももそういう御発言を深く胸に受けとめながら、日本国民全部が、戦後五十数年たっておりますけれども、引き続きそういう気持ちで生活をしているということを沖縄の方々にも認識していただきたいなと思った次第でございます。
 憲法について、護憲という立場と、今のままでは、日本の安全保障について憲法を改正していかなければならないという御意見、二つの御意見が出たわけでございますが、この安全保障については後ほど各委員からいろいろ御発言があると思いますので、私も時間があればちょっと申し上げさせていただきたいと思います。
 この公聴会に出られた方の中で、女子学生がおられました。稲福さん、この方が教育課程の改訂について、社会奉仕活動が義務化されるということは納得できない、社会奉仕というのは自主的にやるものだ、こういうお話がございました。私は、ちょうど発言をいたしませんでしたけれども、会議が終わってから稲福さんに申し上げましたことは、これは義務教育の課程において社会奉仕という観念を子供たちに植えつけるためにそういう規定を置いたわけで、決して国民に強制するということじゃなく、育ち盛りの子供たちにそういうよき生活の仕方を学ばせるという意味の義務化なんだから、そこを勉強してくださいよということを申し上げた次第でございました。
 沖縄の知事から、いろいろ沖縄振興特別措置法についてお話を伺いましたが、沖縄も五十年たちまして、占領中、そして祖国復帰後、目覚ましい復興を遂げてこられました。その状況を見ますと、日本全体がそうであるように、戦後五十数年たって、また世界第二の経済大国となった日本が、世界の中においてどういう安全保障上その他の責任を果たしたらいいか、そういう一つの区切りがついた中での憲法のあり方を、沖縄の方々と一緒にこれからいろいろ議論をしていきたいと考えた次第でございました。
 まとまりませんし、大変簡単でございますが、一言申し上げました。終わります。
中山会長 島聡君。
島委員 民主党の島聡でございます。
 沖縄に行ってまいりまして、地方公聴会でお話を聞きました。私は、名古屋の地方公聴会も行かせていただいたのですが、沖縄の地方公聴会は、本当に沖縄は熱いといいますか、多くの方の意見が熱いものがありました。それはいろいろな歴史的な経緯もあるんでしょう。ただ、その熱さが、憲法調査会に対する誤解もあるのかなという感じがしました。ともかく、この憲法調査会は一応発議権はないわけでありますから、この憲法調査会公聴会が、何か改正するための手続論だというような話が随分出まして、それはちょっと誤解だなというふうに思いました。
 逆に、私は、中山会長、中野会長代理が座長をやっておられたのですが、本当に言論の自由が守られている日本だなということを感じながら、いろいろな意見を聞いてきた次第でございます。
 今から二点申し上げます。沖縄には、平和の礎というのがございます。そしてもう一つ、憲法九条の碑というのが読谷村と那覇にあります。そういう意味で、憲法九条というのは極めて重要なことと考えるところであるわけです。我が憲法調査会も、恐らくきょう今から自由討論があるんでしょうが、憲法九条を本当に真っ向から議論をすべきものではないかなと私自身は思っています。
 例えば、憲法九条を世界に輸出しようという意見がたくさんございました、その公述人の中から。百八十五カ国以上ある憲法を保有している国の中で、平和条項というものを持つのは百二十四カ国もあるということは皆さんよく御存じだと思います。だから、憲法九条一項はいい、ただ、二項をこれからどうしていくのか。そういうことをきちんと議論をしていかなくてはいけないのではないかということを痛感しました。
 次の話ですが、私は、基本的人権の小委員長をやっておりますので、例えば、新しい人権ということで考えたらどうですかという話をしましたら、これも誤解なのかもしれませんが、新しい人権ということを議論することによって、憲法を改正するための布石にしているんだろう、そして、その後ろには九条があるんだろうという意見を公述人の方々が随分言われました。
 これは、お互いに誤解があると思います。私ども、本当に新しい人権というものが必要であると思って基本的人権小委員会をやっているのでありますし、それをまた、九条を隠しているんだろうと思うのであるならば、今申し上げたように、憲法九条を本当にこの憲法調査会で骨太にきちんと議論をすべきだろうと思いましたというのが一点です。
 それから、今回の武力事態法に関しまして、稲嶺知事に私からお聞きをしました。今回の事態法では、十五条において、要するに、首相が知事にかわって代執行ができるという状況になっています。それについてどう思われますかというふうにお聞きしたところ、詳しくはまだ聞いていないけれども、ともかく、県とよく調整をする形でやってほしいという話をされました。
 当然これは、今回のいわゆる武力事態対処法は、憲法における地方自治の観点というものを実際にどう考えるか、沖縄自身がある意味で独特の歴史を持ったところでございますから、本当に、地方自治というものをどう考えるかということも議論しなくてはいけないなということを痛感して帰ってきた沖縄の公聴会でございました。
 憲法問題が、沖縄では特に九条というのが本当に熱いものである。熱いものであるゆえに、我々もそれを、何となく憲法調査会でもタブー視するのじゃなくて、徹底して議論すべきであるということを痛感して帰ってまいりました沖縄の公聴会でございました。
 以上です。
中山会長 次に、赤松正雄君。
赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。
 沖縄での憲法調査会公聴会、今お二人の方からお話ございましたけれども、若干、私にとって後味の悪いものでございました。
 といいますのは、今もお話が一部ございましたけれども、憲法のあり方をめぐって議論をすることさえ阻止したいという傍聴の人々によるやじ行為でしばしば会議が中断されたからであります。論憲の立場で、タブーを設けないで二十一世紀のあるべき日本の姿を探ろうとする私どもの立場からすれば、極めて不可解な行為でありました。
 沖縄が、戦前から今日まで、日本の中で特別な位置にあり、今なお米軍基地が集中的に存在する戦略的拠点であることを踏まえた上で、どう安全保障の問題を考えるかは大変重要であります。改憲と護憲とが真っ正面からイデオロギッシュに対立して、お互いの主張に耳を傾けないということではならないと思います。
 沖縄が、その特殊な歴史的経緯から、いまだなお冷戦、新冷戦というべきかもしれませんが、そのただ中にあるがゆえに、冷戦思考、新冷戦思考から抜け切れない現実は、ただただ不幸であると言わねばなりません。例えば、翌日の地元の新聞に、「平和外交で九条護持 自衛権の明記は必要 有事法制絡み意見対立」このように書いておりました。私は、平和外交を展開することと自衛権の明記ということは何ら矛盾しないと思います。軍事に偏重せず、非軍事平和外交に専念せよという主張に立つことと、国家として自衛権を持ち、その最小限の裏づけとしての力の備えを持つことは、当然、両立することであります。
 たまたま、憲法調査会の直後に、沖縄大学の下地玄栄教授を会長とする沖縄国連研究会の代表メンバー数人と私は懇談する機会がありました。この研究会の主張は、一言で言えば、沖縄に国連アジア本部を誘致し、世界に向けて沖縄の平和の心を発信しようというものであります。アジア本部の設置につきましては、私ども公明党も、かねて強く推進を提案してきております。軍事力に偏重するのではなくて、対話を中軸に据えて、アジアの諸課題を関係各国が議論したり、懸案解決への取り組みに汗を流すセンターをつくろうというわけであります。
 現時点では、外務省は、沖縄への交通アクセスが悪いとか、既に国連大学が東京にあるとか、あるいは同じアジアのタイに国連の機関があるとか、いろいろ理由を挙げて、後ろ向きの残念な姿勢を繰り返しております。また、アメリカのシンクタンクを使って調査をしたけれども、誘致をするに当たってプラスの結果は出なかったとして、この試みを封印しようとしております。とんでもないことであると私は考えております。沖縄こそアジアの平和戦略のかなめ石であり、そのかぎを握るのが国連アジア本部の設置であるということは、だれよりも現地沖縄の官民挙げての願望であることをしっかりその場で訴えられた次第であります。
 国連研究会の皆さんの熱い思いを聞いて、沖縄の憲法調査会公聴会でのいわばイデオロギッシュな意見ではない、具体的な平和の礎づくりに向けての主張に接して、救われた気分になって帰ってきたということを報告したいと存じます。
 今もお話がございましたけれども、この国会の後半国会における最大のテーマであります、いわゆる有事法制に関連する三法案の審議につきまして、万が一という表現がしばしば使われますけれども、万のうち九千九百九十九まで平和構築に努力をしても、残された一ポイントが有事に直面し、なすすべなくじゅうりんされるということであれば、すべては、その九千九百九十九の努力が水泡に帰すわけであります。
 文字どおり、万が一のケースに対応する法律を用意するのが政治の責務である、こういうふうに申し上げまして、私の報告並びに感想を終わらせていただきます。ありがとうございました。
中山会長 春名直章君。
春名委員 日本共産党の春名直章です。
 沖縄地方公聴会に参加して実感し、本調査会に問われていることを述べてみたいと思います。
 一つは、沖縄こそ憲法の実現を切実に求めているという、このことであります。
 地上戦で十万人を超える県民の犠牲者を生み出した沖縄。戦後も二度にわたって、銃剣とブルドーザーで米軍に土地を奪われ、長年憲法が適用もされなかった沖縄。七二年返還後も、憲法の光は当たらず、基地の島として、平和と人権が脅かされてきた沖縄。
 県民は、今日まで一貫して、日本国憲法の理念を享受されることなく生き抜いてきたと思います。憲法がないがしろにされてきたのが沖縄の現実でした。公聴会で、憲法前文と九条を守り、生かすことこそ、沖縄の現実が求めているとの発言が相次いだのは当然だったと思います。
 山内陳述人は、平和憲法は、沖縄戦を初めとする戦争の地獄を体験した日本国民の平和への願いが集約したもの、九条は日本国民にとって命そのもの、二十一世紀の人類の針路を示すものと述べられました。
 新垣陳述人も、憲法の非武装平和主義、個人の尊厳こそ、沖縄の地上戦で得た最大の教訓であると発言をされました。
 稲福陳述人も、高校三年間のボランティア活動を通じて、学ぶことは権利であり、憲法に学習権が保障されているからこそ、沖縄にある米軍基地の実態について学ぶことができたと述べられました。
 憲法理念の実現は道半ば、これを守り、全面的に花開かせることこそ、今政治に問われている根本問題だということを痛感させられます。
 ところが、本調査会では、憲法をないがしろにしてきた現実政治について掘り下げた議論がなく、ゆがんだ現実の方に憲法を変えてしまうという発言も少なくありません。まさに大きなギャップがここにあります。改めて、憲法が沖縄でなぜ実現していないか、その政治の実態を真摯に調査することが必要です。
 二つ目は、沖縄から見た有事法制の問題です。
 新垣氏は、日本が世界に率先して平和外交を展開し、武力紛争が起こらないようにすることが最大の備えであること、有事法制について、武力攻撃のおそれ、予測などのあいまいな要件で自由や人権を制限する仕組みとなっていると批判をいたしました。山内氏も、有事法制は、憲法体制そのものを無視し、戦争体制の具体的準備と批判いたしました。傍聴者からも批判の声が続出いたしました。
 沖縄県民が有事法制を拒否していることがはっきりしたと私は思います。それは、地上戦の生々しい経験から、軍隊は決して住民を守らないこと、武力による平和はあり得ないことを県民みずからが体験してきたからにほかならないと思います。
 この事実は極めて重いと思います。日本国憲法は、侵略戦争への深い反省から、国権の発動たる戦争、武力の行使、威嚇を禁止するだけではなく、常備軍を禁じ、平和外交によって日本国民の安全を守る、平和共存の道を進むことを世界に宣言いたしました。すなわち、有事イコール戦争を起こさない、平和の努力を行うことを政治そして私たち国民にも求めています。この日本国憲法の世界に先んじた平和原則を突き崩し、戦争をしない国から戦争を進める国づくりへと変貌させてしまう有事法制は、現行憲法のもとでは断じて許されないものであることを指摘しておきたいと思います。
 最後に、新垣氏が、沖縄での公聴会は、沖縄の体験、戦後二十七年に及ぶ米軍統治、復帰後も居座る米軍などの沖縄の実態を踏まえたものでないと意義がないと述べたことは大変重要です。今後、この指摘を真摯に受けとめた調査が極めて大切だと思います。そうしなければ、公聴会翌日の琉球新報が「傍聴記」として掲載した、改憲を目指した活動の一環として、国民の声を聞いた形を整えるというアリバイづくりの印象という批判に耐えられないと思います。そのことを強く申し上げまして、私の発言を終わります。
中山会長 金子哲夫君。
金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子でございます。
 さきの沖縄での地方公聴会を受けて、幾つかの御意見を申し上げたいと思います。
 さきの大戦において日本国内で唯一住民を巻き込んだ地上戦が行われた沖縄での地方公聴会に参加をしまして、改めて憲法に明記された平和主義について思いを新たにいたしております。
 とりわけ、人類最初の核兵器が投下され一瞬にして十数万のとうとい命が失われた広島、そして二十数万の命が失われた沖縄戦、いずれの地でも多くの一般市民の命が犠牲となったことを銘記しなければならないと思います。そして、その犠牲と反省の中に憲法の前文と第九条があることを、公述人の多くが指摘されたように思っております。
 復帰までの長い道のりがあった沖縄、そして今なお国内の米軍基地の七五%が存在する沖縄だけに、山内公述人が述べられた、平和憲法の果たしている役割は極めて大きく、戦後、今日までの日本の復興、発展の揺るぎない基盤となり、平和国家としてその手本を示すことができたのです、それは憲法九条と前文に打ち込まれた平和主義の存在のおかげであります、今日、日本で世界に誇れるものがあるとすれば、それは世界の頂点に立つ日本の平和憲法であると確信します、憲法九条は、制定当時も、現在も、これから先も、日本国民にとっての命そのものであり、二十一世紀の人類の指針を指し示すものでありますとの言葉を改めて認識したいと思います。
 さらに、沖縄での地上戦を体験された山内公述人は、武力による平和ではなく、平和的手段による平和を実現するという発想の転換が今求められていますと指摘をされ、さらに沖縄戦の教訓、それは戦争になれば軍隊は国民を守らない、守れないということですという言葉は、今日本の安全保障、有事法制の審議がされようとしておりますけれども、沖縄のこの体験をしっかりと受けとめて論議をしなければならないと考えております。何をもって平和を築くかということが極めて重要だというふうに考えます。
 また、安次富公述人の応募要綱にも、唯一の地上戦を経験し、数多くのとうとい人命と県全体が焦土と化した悲惨な歴史を原点としている、それゆえに、平和への思い、恒久平和を願う志向が強く、県政においても積極的に平和行政を推進しアピールしている、沖縄で生まれ、沖縄で育った者として、憲法で定める恒久平和の理念というものは、世界で最もすぐれた高度な理念であり、すべての国が持たなければならない理念であるとされております。
 備えあれば憂いなしということが言われておりますが、私は、まさに日常不断の平和的努力によって、憂いをつくらない政治こそが今求められているということが、沖縄の公聴会でも主張されたと考えております。
 憲法前文の最初に、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定すると述べ、第二段目では、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意したとしています。
 それは、戦争の惨禍が起こるのは、政府の行為によって起こるということを明記しているのであります。政府はそのような事態に至らせないための日常不断の外交努力こそが重要であることを、この憲法前文が明らかにしていると考えております。まさに日本国憲法こそが二十一世紀に最重要視されるべき憲法だということを、この沖縄の憲法調査会公聴会でも指摘されたと考えております。むしろ、その精神を世界に広げることによって、世界平和実現への名誉ある地位を占めることができるようにするべきだと考えております。
 特に、沖縄の公述人の皆さんから、沖縄にとって平和憲法は闘い取ったものだということが言われておりますけれども、この沖縄における憲法調査会に参加し、改めてそのことの意味というものを重く受けとめながら、今後の調査会活動を推進したい、そのことを強調して、私の意見といたします。
中山会長 これにて派遣委員の発言は終了いたしました。
    ―――――――――――――
中山会長 これより委員間の自由討議に入りたいと存じます。
中野(寛)委員 先ほどの続きのような形になるかもしれませんが、一言申し上げたいと思います。
 今回、沖縄で地方公聴会を開きましたことは、中山会長の歴史を踏まえた判断として、私は大変よかったと思っております。同時にまた、その地方公聴会において多くの厳しい発言も出ましたが、沖縄の歴史を振り返って考えますと、その気持ちもまた痛いほどよくわかりました。と同時に、私たちは、それらの意見を踏まえつつ、冷静な判断をしていくことも大事だと思っております。
 平和は何によって保たれるか、いろいろな判断があると思います。しかしながら、国際社会の実態を考えるときに、平和を維持するためには、ある意味では力の空白地帯をつくらないことによって、すなわちパワーバランスによって平和が維持されるという現実があることも否めないと私は思います。
 そしてまた、今日本が自衛隊を持っている。憲法の規定に、必ずしも国民の生命財産を守るための措置としての防衛措置について十分明記されていないということは、ある意味では憲法の欠陥の一つとも言えなくもありません。しかし、にもかかわらず、自衛隊が存在をしている。これらのことは、ややもすると国民の間の憲法や安全に対する議論を混乱させるもとになっている一つでもあるのではないかというふうにも考えるわけでありまして、むしろそこははっきりとさせていくということも大事ではないかと思います。
 よって、この憲法調査会というのは、本当に憲法のあるべき姿、また同時に、憲法の精神に基づいてあらゆる法律が運用されているかということの精査もしていかなければなりませんので、単に憲法を改正するもくろみの憲法調査会というのではなくて、本心から、いかにして憲法があるべきか、また憲法が守られているかどうかを精査する機関として、私は、常設の機関として常にあるべきものではないのかという感じを強くいたしております。
 沖縄でも実は、その地方公聴会も憲法改正の一環だと言った方もいらっしゃいました。また、憲法九条改正のために、例えば新しい人権であるとかその他のテーマを持ち出してカムフラージュしているにすぎないという発言もありました。これは、そういうふうに思っている人もいるかもしれませんけれども、しかしながら、この衆議院の憲法調査会全体の存在の意味からいたしますと、明らかにそれは過剰な反応といいますか、一つの誤解でもあると思います。
 我々は、憲法九条もさることながら、新しい時代に対応する人権や地方分権やその他国の機関のあり方等について文字どおりニュートラルにしかも真剣に考えたい、議論をしたいという気持ちでこの調査会に参画をしているわけでありまして、そういう気持ちを持っている我々からすると、一部の発言が、誤解に基づくまたは我々に対しては大変非礼な発言ではなかったのかというふうにも思ったりいたしました。
 しかし、国民の皆さんのあらゆる発言を謙虚に聞くことが我々の務めであると思いますので、それぞれの意見がありますことを改めて私どもも真剣に聞かせていただいたということであると思います。
 ただ、みずからこの憲法調査会のあり方、存在を卑しめることはしてはならないことだろうというふうに思っています。
高市委員 自由民主党の高市早苗でございます。
 沖縄公聴会での意見陳述者の皆様方御本人がここにおいででございませんので、お一人お一人の意見陳述に対してのコメントは避けたいと思うんですけれども、ただ、お二人の方は私に非常に近く、四人の方は全然違う考えをお持ちだな、概略版だけ読んでそのように感じました。
 昨今は、米ソ冷戦が終わったのに軍備は不要であるとか、一体どこの国が日本を攻めてくるのかとか、今は有事法制など議論するような時期ではないとか、こういった御意見が国会の中でも聞かれておりますが、私は、国際政治の原則、国際政治を見る場合の原則は、やはりネバー・セイ・ネバーであると思います。絶対に起こらないということなどは考えてはいけないということであると思います。
 現実に、イラクのクウェート侵攻、そして非常に悲惨なテロの発生、そしてここ数カ月のアフガンでの現状、そして拉致疑惑といったものも存在いたしますので、絶対にこの世の中は平和であり、日本が武力を持たなければ平和は維持されているものであるといった考え方は、私は正しいものではないと考えております。
 憲法に関しましては、私は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」ここは当然あっていいんですが、その実現のために貢献しようとする諸外国と協調し積極的な努力を惜しまないという一つの考え方を入れ込むこと。
 そしてまた、国民、国土、主権といったいわゆる国家の構成要件が諸外国等によって、この「等」というのはテロリズムのようなものも想定いたしますが、諸外国等によって侵害を受けたまたは十分に侵害の可能性が高いと判断される場合に限って、自衛権の発動としての交戦権を行使できるものとする。私は、自衛権の発動としての交戦権というものは、むしろ憲法に積極的に書き込むべきであると考えております。
 そして、自衛隊を国軍と位置づけ、この自衛隊は国民の生命財産を守ること、自衛、国際貢献、このような任につくということの書き込み。
 そして、最も重要なことでございますが、自衛権の発動としての交戦権の行使について、その意思決定にかかわる部分の文民統制をきちっとここに保障するということ、文民統制についての明確な記述、こういったものを兼ね備えて日本国の主権を守っていく。
 私は、確実に国民の生命財産を守り抜いていくという体制をつくるのは国家の責務であり、これは世界じゅうどこの国においてもそうあってしかるべきと考えます。そして、加えましたら、いわゆる外交保護権というものの位置づけも憲法で担保されるべきであると考えております。
 以上が私の考えでございます。ありがとうございました。
松沢委員 民主党の松沢成文でございます。
 沖縄に派遣をされて公聴会をやってきた皆さん、大変御苦労さまでありました。沖縄は、太平洋戦争の最終盤で、ある意味で日本本土防衛のために大変なつらい思いをされた。そういう体験のある方からの生々しい御意見を聞いてきたということで、本当に御苦労さまでございました。
 さて、そうした皆さんの御意見も受けて、きょうは憲法調査会で安全保障についての議論をするということで、私は、昨今の有事法制での議論でも言われておりますけれども、主権国家、独立国の安全保障の体系については、憲法にしっかりとまず明記しているのが当然だというふうに思います。
 残念ながら、日本国憲法は、その制定過程もかなり異常であったために、第二章九条で戦争放棄という二つの項目だけが述べられているわけですが、これは安全保障の体系を総合的に述べているものではありません。したがって、私は、今後もし憲法を見直していくというのであれば、安全保障の基本的な枠組みについては憲法に明記すべきだというふうに思います。
 もし憲法改正という形がすぐに成らない場合には、まず安全保障基本法というのを国会でも議論してつくり上げて、日本の安全保障のあり方の理念をしっかりと明確にする。その基本法をもとに、さまざまな安全保障措置の法案をつくっていく。したがって、有事法制もしかりでしょうし、周辺事態法もそうでしょうし、あるいは国連へ協力するためのさまざまなルールもそうでしょうし。残念ながら、今の国会での議論は、こうした日本の安全保障の理念の部分、基本部分を後回しにして、その場対応で、周辺事態法も必要だろう、今度は有事法制だということでやってきているところに、ちょっと順番が逆になっているのではないかなという感じがいたします。
 さてそこで、私は提案をしたいのですが、日本国憲法を、もしこうした私の考えで安全保障の理念をしっかり入れるということで見直していく場合に、まず第二章の戦争放棄、この言葉を安全保障という言葉に変えるべきだと思います。侵略戦争を放棄するのは、先ほどもお話ありましたけれども、世界じゅうの憲法、百二十の憲法で平和条項はできております。ましてやほとんどの国が不戦条約を結んでいるわけでありまして、今、侵略戦争を放棄するというのは日本の特許ではございません。これは、ある意味で平和国家として当たり前のことであります。むしろ安全保障という形にして、その条項の中には日本の安全保障の基本部分を書き込んでいくべきだと思います。
 まず第一項には、当然ですが、日本は侵略戦争は絶対に行わないということを、今の九条の一項の形でいいと思いますが、しっかりと第一項に掲げる。
 そして第二項には、しかし日本は独立国として、主権国家として自衛権を持っているんだということを明記して、それに応じて自衛軍を持つということを明記すべきだと思います。その自衛軍はシビリアンコントロールのもとに置くということを明記していくべきだと思います。
 ここで個別的自衛権、集団的自衛権、どう判断するのかという問題がありますが、私は、もし憲法に書き込む場合は、自衛権という言葉で十分だと思います。その集団的自衛、個別的自衛をどう判断するかは、そのときの政府の政治判断だというふうに思います。
 三つ目に、日本は国連中心主義の外交をとろうというのでありますから、国連の平和維持活動には全面的に協力するということを第三項に掲げるべきだと思います。PKO、PKF含めて、世界平和に貢献することなくしてみずからの平和は守れないという理念であります。
 それで第四項に、これは日本独自の理念でありますけれども、唯一の原爆被爆国でありますから、世界に、大量破壊兵器の根絶を目指して、日本はその先頭に立つということを宣言すべきであります。
 こういう四つの項目による安全保障という章を憲法に立てることができれば、日本は世界じゅうから見てどういう安全保障の理念を持つ国家かということがわかるわけでありまして、そういう意味で、私は、憲法に新しくこうした章を設けるということをぜひとも提案したいと思います。
 以上です。
首藤委員 民主党の首藤信彦です。
 日本の憲法がすばらしいということは、それは確かにそのとおりだと思うわけであります。特に、国際社会において平和を構築し、それを守っていくということをきちっと明記してある憲法として、その時代背景から出てきているものだと思いますが、それは各国の模範となるものだと私も思っております。
 憲法の前文に書いてありますように、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」本当に美しい言葉だと思います。しかし、ではそれを具体的に条文の中でどうやって定義してあるのか、一体何をすればそういうことになるのかということに関しては、憲法は必ずしも明確でない、そういうふうに言わざるを得ないわけであります。
 現在、平和を維持するには、単に軍事力だけではなく、民主化支援とか予防外交とか、あるいは市民による平和維持活動とか、そうしたさまざまな要件が今現実に行われて、世界の平和を維持するのに役立っております。しかし、そうしたものも日本の憲法というところからは導き出されていかないわけでありまして、世界では、例えば選挙監視、紛争に悩む国が民主国家として再生するための選挙などというものに関して、世界の市民が、あるいは世界の自治体がさまざまな形で職員を送ったり、あるいは市民がみずから組織化していったりしているわけですが、日本においてはそういう活動も非常に十分ではない、そういうふうに考えております。
 そう考えますと、日本の憲法は、その前文における高い精神性の一方で、具体的にどうすれば現実社会の中で平和が維持し構築されるのかということに関しては、必ずしも十分ではないというふうに私は考えておりまして、この点においては、こういうことこそ憲法においてどうすればいいかということを最低限盛り込む必要があるんだと私は考えております。
 同じような視点からもう一つ問題点を言えば、このような憲法がありながら、日本の現実の平和構築努力というものは必ずしもその精神を十分に生かしていないと言わざるを得ないわけであります。例えば、今、毎日殺りくが起こっているパレスチナであります。パレスチナにおいては、皆さん御存じのとおり、日本があれだけの貢献をして、パレスチナ和平ということに関してもさまざまな努力をしているにもかかわらず、今その和平がまさに風前のともしび、消え去ろうかとしている。一九九三年の歴史的なオスロ合意から積み上げてきた和平努力というものが一瞬にして水泡に帰そうとしている。こういうときに日本の外交は何もしていないわけでありまして、私は外務委員会で、このことを犯罪的な沈黙だというふうに表現させていただきました。
 そういうふうに、日本は必ずしも憲法に盛り込まれた精神を現実政治の中で、現実外交の中で生かしていないんではないかということで、私はその点も考えていく必要があると思います。それだからこそ、今国際社会の中で平和を維持するために取り組まれているさまざまな努力、例えば国際人道法の、これも有事法制で最近注目されておりますけれども、ジュネーブ四条約に追加された議定書の問題とか、あるいは最近論議になっています国際刑事裁判所、こうしたものに対しても全然取り組みが十分でないというふうに考えているわけであります。
 それからもう一つ、その日本のすばらしい平和憲法を外国へも輸出すべきだ、そういう御意見もあります。では、どれだけ努力をしてきたか。例えば日本の平和憲法を、別に外国でなくても、日本にいるさまざまな外国人の方も多いわけですね。私の住んでいる神奈川などでは、人口の三%に外国人比率がなろうなんというところもあります。こういうところに、例えば英語で憲法講座がどれだけ組まれているのか、ハングルでの憲法講座がどれだけ組まれているのかということは疑問であります。
 また、私自身は、平和再建NGOとして各地の紛争地でいろいろな平和再建努力をしています。そこで、最近では、例えば東ティモールにおいて今度大統領になるわけですが、シャナナ・グスマンさんなどからも盛んに、日本のすばらしい平和憲法の学者を東ティモールに送って、新しい国、新しい憲法に貢献してくれというふうに頼まれまして、いろいろコンタクトしましたけれども、結局だれも来てくれない、どこからも資金援助も得られないというのが現実であります。
 ですから、そういう点に関しても本当にいろいろな努力をして、憲法の前文に盛られた平和建設の精神性を具体的なものとして国際社会に示していただきたいと思います。
 以上です。
山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。
 沖縄の地方公聴会で、公述人の方から憲法の平和主義などについてこもごも発言があったという報告を受けました。私も、日本の憲法が、日本の国の安全保障、平和と安全の問題でどういう構想をしたのかということについて発言してみたいと思うんです。
 世界の憲法と比較したときに、日本の憲法の特徴の一つは、世界の平和と安全を目指すという立場を明確に示しながら、その中で私たちの国の平和と安全についてしっかりした構想を持ったことにあったというふうに思うんです。
 それで、きょうは委員の方々から憲法の前文がたくさん紹介されましたけれども、そこでも既に触れられていることですが、憲法の前文は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないようにすることを決意して、その上で、先ほども紹介されましたけれども、「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」このように、バランス・オブ・パワーの考え方をとらずに、諸国民の公正と信義に信頼して我々の国の平和と安定に向かうんだということを示したことは非常に重要だったと思うんです。
 しかも、それは待ちの姿勢じゃなくて、積極的に世界に働きかけるということで、自国のことのみに専念するんじゃなくて、他国との関係においてきちんとした努力をするんだという積極的な平和主義の立場を打ち出しました。そして、それを国内できちんとさせるために、九条に込められた国権の発動としての戦争の問題ですとか、それから、常備軍を持たない問題や、戦争放棄にかかわる一連の規定が生まれたわけですね。
 このように、日本の憲法というのは、平和と安全の問題についていいますと非常にきっちりしたものを示していて、しかも、それは第二次世界大戦という、日本だけでなくて、アジアと世界が受けた強烈な経験のもとで新しい安全保障の方向を打ち出した非常に大事なものだ。そこに、日本国憲法が世界の平和に努力しながら、軍国主義を清算して、非軍事に徹するという安全保障の中心内容があったというふうに思うんです。しかもそれは、憲法の場合は、単に日本国内でそのことを宣言しただけでなくて、それが国際社会に日本が復帰していくときの一つの公約にもなっているという点も今日重要だと思います。
 しかし、残念なことに、戦後の憲法制定後の現実政治というのは、自衛隊がつくられ、それから日米間の軍事同盟の存在によって、憲法の求めた構想とは異質のものになったと思います。
 先ほど、混乱の状態があるというお話もありましたけれども、それは憲法に混乱があるのでなくて、それと反する状態が生まれたところに一つの矛盾があるわけですから、それを二十一世紀に解消していくというのが政治の務めだというふうに思うんです。
 私は、その点で、政府の提出しております有事法制三法というのは、日本を守るという次元のものではなくて、アメリカが戦争状態に入ったときに、そこに日本の国民を巻き込んでいくということになるわけですから、これは私たち、戦争国家法案だという批判をしておりますが、今後、大いにこの国会の中でこの点の議論を進めてまいりたいというふうに思います。
 きょうは、私、有事法制の問題でアジア各国から警戒と強烈な批判の声が起きているということについて、時間が参りましたが、憲法論でいいますと、二つのことを注目すべきだと思うんです。
 一つは、今度の方向が憲法に反するじゃないかという声が非常に強いということと、もう一点は、イギリスのフィナンシャル・タイムズも報道していますけれども、これは日本において、アジア各国に対して侵略戦争の反省の問題がきちんと座っていない、この両方から来る批判と警戒の声だという論評があります。私も、その点は憲法の問題としてきちんと踏まえていく必要があるというふうに思うんです。
 憲法の精神は、軍事優先でなくて平和優先で物事に対応するということですから、北東アジアの平和と安定の問題でも、北朝鮮の問題でも、台湾の問題でも、そういう対応でやってこそ初めて前向きの解決ができるというふうに思うんです。その点で、私たちの国の憲法は、アジアと世界の平和の展望の点で生きる大きな力を持っているわけですから、その方向で大いに議論をしたい。
 それから、最後に一点だけ。常設化の問題なんですけれども、これは各委員会が憲法に基づいてきちんとすべきことですので、この調査会自体を常設化の方向に持っていくという方向については、私ども賛成いたしません。
 ありがとうございました。
藤島委員 自由党の藤島正之でございます。
 私は、まず、自分の国は自分で守るということを憲法上明確に規定すべきだと思います。だからといって、一国平和主義になってはならないのであって、国連を中心とし、自衛隊の派遣を含め、積極的に協力をしていくべきである。すなわち、自分の国は自分で守るというのを基本に、国際協力をして、自分の国を守る雰囲気をつくっていく、この両方がきちっと明確に憲法に書かれてしかるべきだ、こう思います。
 もう一つは、有事法制の問題でありますが、現在出されている政府案の中で、有事における自衛隊の行動の円滑化の部分については全く異存はないわけでありますけれども、その前に、体系的なものが考え方の中になければならないと思います。有事に、国民の権利との関係が問題になるわけですけれども、国民の権利を制限する規定は、今公共の福祉という形で憲法上は一般的な規定しかないわけですけれども、有事の場合には、これとまた違った形での国民の権利の調整が必要になってくるわけでありまして、これは一般的な公共の福祉ということから来る制限とはまた違ったものがある、もう少し大きなものがあるというふうに感じているわけであります。
 ただ、有事にもいろいろな段階があるわけでありまして、本当に国家危急事態の有事、それからその前の段階、それから大規模テロ、あるいは武装船、不審船、こういったそれぞれの段階によって国民の権利との関係が違ってくるわけでありまして、その辺も踏まえ、有事法制、あるいは緊急事態対処法と言った方がいいのかもわかりませんけれども、体系的なものを持って、その中にそれぞれのケースにおける位置づけ、こういったものを考えていくのがいいのではなかろうかというふうに考えております。
 以上です。
小林(憲)委員 先ほど来たくさんの派遣委員の皆さんからお話を聞きまして、沖縄地方公聴会はやはり非常に興味深く、これからの憲法を論じるに当たっての国民の皆さんの意見があったというふうに感じております。
 沖縄は、さきの大戦において、我が国の国土で唯一外国から侵略を受け、占領されていた地域であります。折しもこれから論議されようとしている有事法制、武力攻撃事態法案を考える場合、極めて具体的にイメージがわく地域と言うことはできるのではないでしょうか。
 そこで、今般の武力攻撃事態法案と憲法との関連、沖縄との関連について、少々お時間をいただいて、お話しさせていただきたいと思います。
 まず、武力攻撃を初めとする有事への対応は、本来、憲法で定められるべきものではないかと私はいつも意見を言っておるわけでございますが、日本は、危機が起こるたびに個別の法律をつくって切り抜けてきているわけでございます。国際緊急援助隊派遣法、国際平和維持活動協力法、周辺事態法、船舶検査法、テロ対策特別措置法など、たくさんの、何か起こればその都度こういうものをつくって切り抜けてきている。
 このような法体系の積み上げ方式はもはや限界に来ているのではないでしょうか。今日の紛争や事態が、単一でない、テロのようなことが複雑な様相で起こっておるわけでございますが、国家の対応は、事態によって法体系と手続が異なるので、効率的な対応が困難である。国家にとって最も重大で深刻な事態である緊急事態に対する対応のあり方が、米国、フランス、ドイツを初めとする先進国と同様に、憲法上にきちっと規定を設けるべきというのが私の意見であります。
 我々日本が敗戦をしたときに、東京裁判から始まり、受けたくもない裁判を受けて、そして憲法ができてきているわけでございます。
 去年の七月、石垣島に行きました。ちょうど、グラマン事件といいます、石垣事件というもののモニュメントをつくるということで、地域の方と交流があったので行ってまいりました。名もない日本の沖縄の兵士が、アメリカの若い兵隊さんたちがグラマンで石垣に不時着をしたときに、それを何の法規もなく、上官に言われて、死刑というか殺害をしてしまった。それに対して、今モニュメントをつくって、石垣事件があった、その三人の兵士の慰霊をする。しかし、アメリカの兵士を殺してしまったその名もない日本の兵士は、上官から言われてしただけである。それなのに、東京裁判にかけられて処刑されてしまった。その親族の方々がまだ生きてみえて、そのモニュメントを見て複雑な思いである。
 日本の国として敗戦をしたことによって、そしてまた、その危害を加えたことによって、人権が、そして自由が確保されないで、いろいろなこういう悲しい出来事ができてきた。こういうことはもう二度とあってはならないという沖縄の皆さんの怒りはあると思います。
 しかしながら、これからどんな事態になるかわからない日本において、しっかりとした国として、憲法上で、国民と国家を守っていくんだ、安全保障をしていくんだということは明記すべきだと私は思っております。
 特にまた、米軍が基地を有する沖縄においては、米軍が我が国の領域内で円滑に活動することを確保するとともに、日本国民の権利、自由をいかにして確保し調和させるかということは極めて大事であるというふうに思っておりますし、武力攻撃事態法において、米軍との関係については、本法律施行後二年以内に法整備するというのが、郷土を侵略された経験を持つ沖縄県民の心情を考えれば、他の事態対処法の中でも最優先で検討されるべき事柄であるというふうに私は思っております。
 以上です。
葉梨委員 浅学非才でございますけれども、少し勉強してきたことを皆様に申し上げてみたいと思います。
 平和憲法ということで、私どもは誇りに思って終戦後の日本で出発をしたわけでございますが、戦争の放棄とか武力行使の禁止など平和条項を掲げた憲法は、歴史的に振り返ってみますと、我が国やイタリー、ハンガリー等数十カ国ございます。そしてさらに、項目を細かく拾っていくと、百二十四カ国に平和憲法がございます。
 一七九一年フランス憲法にもそのような条項がある。一九〇七年十月、ハーグで国際紛争平和的処理条約というのが成立いたしました。そして、しかも、第一次世界大戦が勃発をいたしまして、その反省として、一九一九年、ベルサイユ平和条約が締結され、また、国際連盟規約が発効いたしました。一九二四年にはジュネーブ議定書、二五年にロカルノ条約、一九二八年には不戦条約が成立いたしまして、平和条項が一層推し進められました。国際紛争解決の手段としての戦争、国策遂行の手段としての戦争は違法とされたわけでございます。
 こういうように、平和主義志向の高まりにもかかわらず、第二次世界大戦が勃発し、御存じのような惨禍をもたらして、戦争が終わったわけでございます。そして一九四五年六月、国際連合憲章が制定され、国権の発動たる戦争、武力による威嚇または武力の行使はこれを禁止するという国連憲章が発表されました。我が国の憲法第九条はこのような文脈の中でとらえられているわけでございます。
 我が国の九条論議について考えてみますと、制定されました終戦直後から昭和二十五年六月、朝鮮戦争勃発までが第一期であろうと思いますが、朝鮮戦争から警察予備隊、保安隊を経て、昭和二十九年自衛隊が発足いたしました、これが第二期であろう。そして平成二年、一九九〇年八月の湾岸危機発生までが第三期であろう。そして、アメリカを初めとする諸国が参戦をしました後、現在に至るまでが第四期になるのではないか、こういう説を唱えている専門家がおられるわけでございます。
 そこで、我が国の九条論議でございますけれども、非常に文言が複雑であり、しかも大変多様な解釈ができる。その解釈の中で、自衛隊合憲論が我が国では確立して、自衛隊が憲法の条文のもとに活躍しているわけでございます。
 第三には、安全保障に関する無責任体制と申しますか、大変観念的な、特殊日本的な平和観念が横行しているということ。このことは、虚心に私は耳を澄ませる必要があると思うのでございます。
 平和を唱えることはすなわち非武装の状況にあるということ、武装するということは平和を破壊するという、まことに現実に合わない観念がまだ広く行き渡っているということ。実は、軍事力が平和に貢献し、一つの抑止力として機能し、そして平和状態を現出しているという状況が現実にあるわけでございます。
 我が国がアメリカとの安全保障条約を結び、沖縄に米軍が駐留することによって、我が国並びに我が国の近くの国々の力のバランスが保たれ、そして戦後、朝鮮戦争が終わりました後、ずっと平和が保たれているというこの事実をまず受けとめて、それから我が国のこれからの安全保障状況はどうあるべきなのかということをお互い議論をしていきたいと思う次第でございます。
中村(哲)委員 私は、安全保障の問題において、現行憲法解釈が、集団的自衛権を行使できないということになっていることに非常に大きな問題があると考えております。
 内閣法制局の憲法解釈では、現行憲法下では、国際法上集団的自衛権は持っているけれども、憲法上行使できないということになっています。しかし、その合理的理由についてははっきりしていないことになっています。
 先日、佐瀬昌盛さんの「集団的自衛権 論争のために」というPHP新書の本を読ませていただきました。そこで読んだ感想でも、なぜ国会はこの問題についてきちんと議論をしてこなかったのかということを深く感じざるを得ません。
 そもそも、沖縄に基地があって、そして日米安保の現状を見た場合に、今の現状が集団的自衛権の行使をしていないのかといえば、国際法上の普通の考え方から見れば、日本は既に集団的自衛権の行使に踏み切っていると言わざるを得ないのではないでしょうか。そういうふうな状況にある中で、口先だけ個別的自衛権の範囲内で対処をしているということを言うこと自体が、無限定無原則に関与を拡大させてしまっている、そういうふうなことになっているのではないでしょうか。
 テロ特措法の議論のときに、小泉首相は、現行憲法の範囲内でできる限りのことをするというふうなことをおっしゃっていました。つまり、私の考えでは、既に集団的自衛権の行使に踏み切っているにもかかわらず、現行憲法の範囲内でできる限りということになると、無限定無原則に、アメリカの言いなりになってすることをどんどん拡大させてしまう、それは非常に国益に反するのではないかと考えております。
 言うまでもないことですけれども、憲法解釈というようなものは、一般的、抽象的にどこまでできるのかということです。しかし、個別具体的な状況において、法をいかに制定するのか、そしてその法の中でどういうふうな政策決定を政府が行っていくかというのは別の問題であります。だからこそ集団的自衛権の行使についての憲法解釈を変える、しかし、立法や具体的な政策判断においては九条と前文の趣旨に従って極めて限定的に考えていく、こういうふうなことを国家としてとることが国益に資すると私は考えております。
 そして、皆さんに改めて訴えさせていただきたいのは、私がいつも繰り返していることでございますけれども、憲法解釈の第一次的な権限は国会にあるということです。皆さんは、憲法八十一条の違憲審査制が裁判所にあるから、憲法解釈の権限は裁判所にあると考えている方がたくさんいらっしゃるかと思いますが、これは誤った考えであります。
 憲法学上も、付随的違憲審査制また統治行為論のもとで、裁判所の違憲審査の範囲外というふうなことが言われるのはなぜか。それは、国民主権のもと、こういうふうな問題に関してはまず国会で判断する、国会が判断したことは合理的な判断がされているから、立法というのは原則的には合憲だし、そして統治行為論においては、最終的には国民が選挙のときに判断するということが理屈となっております。そういうふうな理屈のもとでは、やはり国会がまず、今ある憲法はどういうふうなものなのか、そういうことをきちんと議論しないといけない、私はそういうふうに思います。
 内閣法制局の問題がありますけれども、内閣法制局はなぜ憲法解釈をできているのかといえば、これは憲法七十二条に基づいて、内閣が国会に対して法律案を提出できる権限が認められているからです。つまり、法律案の原案をつくるためには、その前提となる憲法解釈を内閣がしなくてはならない。そのために内閣法制局が憲法解釈をしているにすぎないわけでございます。だから、私たち国会が内閣法制局の見解にとらわれて憲法解釈を限定的に考えるということは、憲法学上からいっても非常におかしなことだと思っております。
 とかく憲法解釈や基本法などの立法で対応できることをしないで、憲法改正を唱える方がたくさんいらっしゃいますけれども、これは正直に申しまして、国会議員としての責務を放棄していると考えております。憲法改正を簡単に言わないで、まず憲法解釈をしっかり考えていく、そして立法で対応していく、新しい人権も立法で対応できますので、それをしていただきたいと思います。
 以上です。
斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫です。
 沖縄の地方公聴会の報告、興味深く聞かせていただきました。私も過去三回の公聴会には参加をさせていただきましたが、その過去三回の公聴会の中でも、憲法を論ずること自体許せないことだといったような、それも暴力的な言辞でもって威嚇をするような場面がたくさんございまして、私も大変不愉快な気分になったことを思い出しました。この点については、もう少し、憲法について根本的に論ずるという風潮を国民の、また日本国の中につくっていくことが大事だということを改めて感じた次第でございます。
 さて、安全保障論議でございますけれども、憲法九条をめぐる安全保障論議、突き詰めていきますと、暴力に対する二つの考え方に行き着くのかな、本当に浅薄な、個人的な思考でございますけれども、そのように思います。
 一つの考え方は、いかなる場合であっても暴力は許されないという考え方でございます。私は仏教徒ですけれども、すべての生命の中に仏性があって、その仏性に対して暴力を振るうことは絶対許されないという考え方、これも日本の国民の中に深く浸透していると思います。たとえ自分が暴力で侵されたとしても、自分は暴力を振るわない、そのときに振るわないということを貫き通したその精神的な一貫性、自由、そのことの中に自分の精神の尊厳があるということを認める考え方でございます。
 もう一方の考え方は、暴力に対しては武力、この武力というのはまさに暴力という形をとります。外から見れば、暴力といわゆる正当防衛のための武力行使、これは差別はつきません。暴力に対しては武力というものでもって対抗し、自分の生命、そして精神的自由、自律を守る、そのときの最低限の暴力はいたし方ないという考え方でございます。
 私自身はこの二番目の考え方の方に軸足を置いておりますけれども、このような二つの考え方が国民の間にもありまして、そのぶつかり合いが憲法九条をめぐる議論の本質なのかな、このように思っております。
 そういう、かなり各自の生き方の問題、何に価値を置くかということの根本にかかわる問題でございまして、この問題で徹底して議論をすることは大切ですけれども、一つの国民的合意を得られるというのはかなり難しいのではないかなというふうに直感的に感じております。
 そういう意味で、私は、現在あります第九条は、国民の中にある大きなこの二つの考え方をある意味で包摂する、包含をする、そういう条項になっているものではないか、このように感じております。
 現在の自衛隊、また日米安保、それから集団的自衛権等に関する現在の九条の解釈も含めて、この九条については当分の間これを堅持するということ、ある意味でその二つの不毛な議論のぶつかり合いを避けながら憲法全般について議論をしていくためにも、この憲法九条については、議論は当然していくわけですけれども、当分の間堅持するということが妥当なのではないかと個人的には思っております。
 以上でございます。
中川(正)委員 ちょうど、連休明けから本格的な有事法制の議論が始まってまいります。そのタイミングで沖縄に出かけていって公聴会をやっていただいたということ、これは非常に時宜を得たことでありますし、これからの議論にこの今私たちが取り組んでいる問題というのが大いに生かされていくということ、このことが大切なんじゃないかというふうに思っております。
 その上に立って沖縄を考えてみますと、やはりこの憲法の矛盾といいますか、我々が抱えている憲法の理想と、それから現実というものの、いわゆるリアルポリティークというものの矛盾がこの沖縄にすべて集中された形で今あるということ、このことだというふうに思っております。
 先ほどから指摘されておりますように、特に憲法の前文の理想、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」これはもっと具体的に言えば、歴史の流れの中で、国連による平和構築、国連軍の創設等々も前提にした中で平和構築をしていくという世界の流れ、そしてそれぞれの国については不戦、戦うことをしないというはっきりとした理想があったんだろうというふうに思います。
 それが、具体的な朝鮮戦争の中で、その理想が現実のものになっていかない。しかし、現実対応として日本が独自の安全保障を考えていくとすれば、それはアメリカというものの存在の中で、安全保障条約を結びながら、そのシステムの中に日本が入り込んでいくということ、そんな決断をしたということ。そして、それが米軍基地ということで沖縄に集中されて今あるということ。このようなことが、恐らく沖縄の住民の皆さんにとっても、逆にこの憲法九条にこだわり、そしてこの憲法の平和主義という理想にこだわり、それを求めていくべきだというその気持ちがそれぞれの公述人の中から述べられてきたんだろうというふうに思っております。
 そうして考えていくと、実は有事法制というのは、その肝心のところの議論が、このままでいくとすぽっと抜け落ちていくんじゃないかというふうに思うんです。それはどう考えていっても、このアメリカのシステム、極東に対する戦略というもの、これを頭に置いて、日本がその中でどういう役割を果たしていくのかということ、これはアメリカにとっては当然前提としてあることだというふうに思っております。その中で、日米ガイドラインが定められて、周辺事態法あるいはテロ特措法という外枠が日本にとって固められてきて、いよいよ中の議論をしていこうかということなんですが、私は、日本は、国家として、この際もう一度立ちどまって、この基本を考えていくときだというふうに思うんです。
 特に日米ガイドラインなんというのは、アメリカ軍の指揮権と自衛隊の指揮権が、これは共同でやりましょうということで、あいまいな形になっておりまして、その協定そのものが、議論はあったんでしょうけれども、国会が決めていくということじゃなくて、それこそ手続的にといいますか、ガイドラインという形で定められていくというプロセス、これが問題なんだというふうに思うんです。
 そうした議論を含めて、この有事法制というのは私たちはしていきたいというふうに思いますし、最終的には、その上に立って考えていけば、先ほど話が出ていましたように、集団的自衛権を解釈でやるんじゃなくて、真っ向からここで取り上げて、憲法の中に明記をしていく、あるいは明記をすべきかどうかということも含めて真っ向から議論をするということ、このことが今この有事法制の中でも問われているんだというふうに思います。私は、解釈じゃなくて、明記をすべきだというスタンスに立って今話を進めていきたいというふうに思っております。
 以上です。
今野委員 民主党の今野東でございます。
 私は、かねてから沖縄という地域に強く関心を寄せておりまして、今回の沖縄公聴会もぜひとも参加したいと思っておりましたが、参加することがかないませんでした。
 しかし、今回は行けませんでしたけれども、数多く沖縄に行って、そして基地の近くにある安保が見える丘と俗称言われているところにも何度か立ち、基地の様子をかいま見たこともあります。
 また、去年の九月十一日アメリカで起きた同時多発テロの影響で沖縄の観光は大きく影響を受けまして、皆さん御存じのように修学旅行が次々とキャンセルになるという事態を憂い、党の調査会の一人として沖縄に行きました。
 その際、当然、米軍基地があることによって、危険だからというので修学旅行をキャンセルするという実態があるわけですから、経済界の方々からも、この沖縄の基地を何とかしてくれという意見が出るのであろうと想像して行きましたが、そういう意見は全く出ませんで、補助金を出すように考えてくれとか、そういう要請だけがありました。
 後で沖縄のある大学の先生にそういう実態を話しましたところ、基地経済で沖縄の経済が成り立ってしまっている、それからさまざまな振興策あるいは補助金行政というもので、口の中にたくさんのあめ玉をしゃぶらされていて、それが口の中にいっぱい入っているからしゃべられないのだという解説を受けまして、なるほどと思って帰ってきたわけですが、それが沖縄にとってはもちろん幸せな状況だとは思っておりません。
 そうしたところから、伺ったところによりますと、大変厳しい意見もこの公聴会の会場の中では出たようでありますけれども、それは当然のことなのだろうと思います。沖縄の方たちが、それ以外の都道府県の方々よりも、憲法あるいは安全保障について強くさまざまな意見を持っているということは納得できるところであります。
 さて、日本国憲法は、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有すると確認しております。さらに、基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、国民に保障しています。したがって、これらの権利、基本的人権を侵害するおそれのある有事法制を整備しようとすると、憲法上相当無理な解釈をしなければならなくなります。有事法制については、現行の自衛隊法などの有事法体系の中で、不十分なところは補充、強化すればいいのではないかと私は考えております。
 今回の有事法制を見ますと、まずは有事の定義があいまいでありまして、武力攻撃が予測される事態まで含まれていて、周辺事態とも区別がつきにくい、何でも有事にされてしまう。また、シビリアンコントロールの形骸化も懸念される、地方自治が侵害される危険性も大きい、基本的人権が不当に制限されるおそれが強い、どこまで制限されるのかまず見えないということもあります。
 それらさまざまありますが、我が国の憲法はいわゆる有事を想定しておりません。この本旨は、平和的手段によって有事を起こさないようにすることにあるわけであります。
 しかし一方、日米安保条約は、有事を想定し、その第五条において日米共同対処を定めています。この矛盾と相克の中で、また国際情勢の変転とアメリカ主導のパワーポリティックスの中で、我が国の外交安全保障は揺り動かされてきました。
 世界では、我が国を侵そうとする国は見当たりません。もちろん、我が国にはその意図はありません。したがって、我が国固有の理由では有事は起こり得ないだろうと思われます。有事があるとすれば、日米安保条約のもとで在日米軍基地を持ち、世界戦略を推し進めているアメリカの介入によって生ずるかもしれない日本有事であります。日本にとってあり得べき有事は、根本から問い直されるべきであろうと思います。日本有事の未然防止のために必要なのは、自立した平和外交の確立と、日米安保条約の見直しではないかと思います。
 九月十一日から有事について大きく議論が巻き起こっておりますが、その議論より以上に大きな、予防外交についての議論を私たちは膨らませていかなければならないのではないかと考えております。
葉梨委員 先ほど、多少私の考えを申し上げました。その後また、各先生から御意見が出ましたのを伺いながら、ちょっと足りなかったことがあるかなと思うことで、補足させていただきたいと思います。
 何といいますか、戦争になったら大変だ、平和憲法を守れという気持ちはお互いによく理解しているわけでございますが、お互いの気持ちの中に、戦争中の記憶がまだ強烈にあるわけですね。軍部が横暴で、軍部が統帥権を振りかざして政治のコントロールを侵し、戦争に突入し、無謀な戦争を遂行し敗戦に至った、そういう不信感があるのだろうと思うんですね。
 ところが、現行憲法制定過程で、総司令部と当時の日本政府の憲法担当の先生方とのやりとりの中で、それから対日理事会からのアドバイスもあったと聞きますが、シビリアンコントロールを入れたわけですね。軍部が飛びはねたことができないように、国民がこれをコントロールする、国民の代表の国会がそういうことに責任を持つという体制が現在できているわけでございます。私は、こういう意味で、この認識をお互いに持つことが一つ大事なことであろうと思います。
 もう一つは、外国を信ずるのか、我々自身を信ずるのかということでございます。
 具体的に申しますと、この間党首討論がありましたが、ある党首の方が、平和憲法があれば絶対にどこの国も攻めてこないとおっしゃいました。これは、外国は善そのものなんだ、侵略なんということはないとおっしゃっていることでございますね。
 だとすると、外国を信ずるならば、どうして日本国、日本国民を信ずることができないのだろうか。私は、それならまず日本国民を信ずる。その日本国民はあの三原則を掲げている憲法のもとに生活をし、この民主主義、平和主義をしっかり守ろうという国民の意向というものは揺るぎない、戦後民主主義に対して、私は確信を持っております。だから、外国を信ずるなら、まず日本人の気持ち、平和主義を信じなきゃいけないと思います。
 だけれども、逆に、日本人はみんな平和主義で民主主義だ、戦争なんか外国にしかけないと信じるから外国のことも信じなさいというのは、これは世界政治の現状、実情に対するやや甘い見方で、国民自身はお互い信じ合いましょうよ、国の政治も信じて、ひとつ政治を、国会で選出された首班による政党政治に任せようということであるけれども、外国の中には間違う国があるかもしれない、ここの認識をはっきり持たなければいけないと私は思うわけでございます。
 国の独立、それから国民の生命財産をしっかり守るというのは国政の使命でございます。そういう意味で、そういう気持ちを持って、一定の警戒心を持ってひとつ諸外国とつき合い、外交を行い、安全保障を果たしていくということが必要ではないであろうか、こう思っておりまして、そんなことをまた諸先生と議論してみたい。基本にそのことがあるんじゃないだろうかと思います。
 以上です。
伴野委員 民主党の伴野豊でございます。
 本日は、沖縄に派遣されました委員各位に心から敬意を表したいと思います。また、貴重な御意見を賜りまして、ありがとうございました。
 そうしたお話を伺う中で、やはり沖縄が今置かれている現状、そして過去の歴史に翻弄された沖縄のさまざまな出来事を思わざるを得ません。そのような沖縄を思うときに、あるいは沖縄でさまざまな事件が起きるときに胸にぐっと迫る、そんな思いは私一人ではないんだろうな、そんな思いで聞いておりました。そうした中で、政治家として今何をやらなければいけないか、そういう思いをはせました。
 先ほどからもいわゆる有事法制というお話が出てまいりましたが、私は、有事法制という言葉は余り適当ではないと思います。例えば、緊急事態法制、あるいはあってはならないことに対応する危機管理法制というのであれば、これは本来、生物学的に見ても、この世に生命を預かった者は、その生命を預かったときに同時に付与されるものであろう。みずからの命を守り、遺伝子を次に受け継ぐ、そういったときに本能的に命を守り、考え、そして行動する。やみくもに危機感をあおることは必要とはしないわけでございますが、健全な危機管理意識のもとに計画をし行動する、その準備をすることは、これはきちっとやっておかなければならなかったことであろう。
 ある方が、これは五十年間政治家の怠慢であったという発言をされましたが、私も、諸先輩方には申しわけございませんが、まだ国会に来させていただいて二年しかたっておらない自分自身を思いつつも、やはりこれは過去の諸先輩方の怠慢であったと思わざるを得ません。
 先ほども御意見がございましたように、有事のお話や、あるいはあってはならないときのお話や、あるいは憲法論議をすると、罵声どころではない、命も危ないという時代があったことも知っておるわけでございますが、ここはひとつ、こういった機において、国民的な論議として徹底的に、あってはならないことが起きたときにどうするんだということをあらゆる側面から検討し、そして、それが現行法とギャップがあるならば、きちっとそこも整えておかなければいけない、そういった思いをしております。
 いろいろな解釈があるようでございますが、その解釈を聞くたびに、私は、自分が受験のときに悩まされた古文解釈とか英文解釈を思わざるを得ません。憲法というのは、少なくとも日本国籍を有している人が、例えば中学生でも読んだらきちっとわかる。いろいろな解釈をしなければわからないというのは、私は、現行憲法としては不十分であると思います。九条等の解釈につきましては、先ほど同僚議員から同じような意見を発せられておりましたので、あえて触れるつもりはありませんが、少なくとも現在の中学生がさらっと読んでさらっとわかる、そういった憲法にしなければならない、そういう思いを強くいたしました。
 以上でございます。
中山会長 ほかに御発言はございませんか。
土屋委員 自由民主党の土屋品子です。
 同僚の議員の方からもいろいろ意見が出ていますが、今、伴野先生からもお話が出たように、何か起こると常に解釈論で結果を出さなければならない現行憲法の中では、どうしても学説の面でもいろいろな形で分かれてしまうし、政府の解釈も時によってかなり変化をしてしまっていることで、国民から見れば非常にわかりにくいということを感じます。
 そして、今、伴野先生がおっしゃったように、憲法を読むということも、国民一人一人がだれでも読んですぐ解釈できる、わかる憲法というのは非常に大事なことであろうと思いますし、世界から見ても、日本の憲法を読んだらすぐ理解できる、なぜこのような行動を日本がとったかというのを、憲法に明記されているからであるということがわかるような憲法をつくれればと思っております。
 そのためにも、もっともっと、今議会の中では非常に憲法論議は盛んになってきていますが、世論調査では憲法改正論が非常に大きくなっていますが、それは果たして国民の間で議論があって改正論なのかどうかということはもう少し考えるべきなのかなと思います。そういう意味でも、国会議員一人一人が地域でどんどん憲法についてメッセージを送るということが大事かと思います。
 いずれにせよ、今の憲法解釈の中で自衛隊を派遣するということには無理があると思いますので、私としては、できるだけ早い時期に改正をして、わかりやすい憲法、そして最終的に集団的自衛権も盛り込んだ憲法をつくれればと思っています。
植田委員 社会民主党の植田至紀です。
 我が国の安全保障にかかわって、きょうの課題にかかわって、若干の問題提起をさせていただきます。
 冷戦崩壊後の国際社会におけるいわば平和の確立に向けた取り組みの中での安全保障政策というのは、軍事ブロック間の対立と均衡のシステムから、多国間の信頼と協調に基づく安全保障、すなわち、従来の安全保障観というものを転換し、いわば人間の安全保障の観点を軸に据えた国際秩序を形成するとの問題意識がその底流にあるだろうと考えています。
 すなわちそれは、人権であり、経済であり、環境であります。例えば、地球環境の保全という課題が一国で完結するわけではないからです。多国間のそうした共同作業の中で新たな秩序を構築していくということ、そこに見出せるのは対立ではなく、むしろ多文化の共生の視点であろうかと私は考えています。
 かかる国際潮流というものは、日本国憲法の理念を広げ、そして軍事力によらない平和を目指すことと軌を一にするものでありましょう。そのことは、現行の日米安保条約に基づく日米安保体制を前提とした日本のアジア太平洋地域、そしてまた世界の平和秩序を構想すること自体、歴史が既にそれを過去のものとしているというふうに言うべきでありましょう。
 かかる理念から導出される政策というのは、具体的には、例えば、国会における不戦国家の宣言、国連に対してその承認を求めるということ、平和基本法制定、沖縄を最優先とした米軍基地の整理縮小、日米地位協定の改定による国内法優位の原則の確立、ODA基本法の制定、日米二国間同盟への依存からの脱却、そして、きょう一点、例として述べたい北東アジア非核地帯の創設などが挙げられようと思います。
 今回挙げさせていただきたいのは、北東アジアの非核地帯の創設についてであります。既に、NPT、CTBT、START交渉など、核廃絶というものが国際世論となっている一方、従来の核の脅威論、核の傘論というのも時代の化石となっています。既に、東南アジア、ラテンアメリカ、アフリカ、南太平洋地域など、ほぼ南半球全域が非核地帯として覆われています。
 では、それがなぜ北東アジアで可能であるのか。その条件は既に整っています。例えば、南北朝鮮間では一九九二年に朝鮮半島の非核化に関する共同宣言が既に発効しています。また、九二年にはモンゴルも非核国家宣言を行い、このことについては九八年、中国・モンゴルの共同声明の中で、モンゴルの非核の地位を尊重することを明記しています。言うまでもなく、日本も非核三原則を国是としている。
 とするならば、少なくとも北東アジアのこの四カ国が非核地帯化を先行させる、そして非核地帯条約の締結を図っていくということは、現実的に可能であります。
 同時に、アメリカ、中国、ロシアの核保有国に対して、この地域への核持ち込み、核攻撃を行わないことを約束させる、そして国際的にも認知をさせていく、こうしたことは少なくとも現状における現実的な選択肢であろうと私は考えています。
 平和憲法を守るという営為が、二十一世紀の日本、そしてまた世界にとって積極的意義を持つことはもちろん、それが普遍的であろうと私は考えています。平和憲法の精神の具現化こそが、日本を取り巻く国際情勢を見たとき、新たな国際秩序を構築する上で最も現実的な方法であろうと考えます。
 言うまでもないことでありますけれども、つけ加えるならば、今日本が有事法制に踏み出すことは、国際潮流に逆行するだけでなく、歴史における愚行であり、蛮行でありましょう。歴史は常に人類の英知によって進歩を遂げるものであります。それは常に直線的な発展段階をたどるものではありませんけれども、らせんを描きつつも、人類は平和の確立のために試行錯誤を続けてきました。今、有事法制がこの世界状況の中で日本で提案されること自体が、恐らくは、歴史を知らないか、もしくは歴史の進歩を否定するかのどちらかでありましょう。
 これだけは申し上げて、終わります。
中山会長 他に御発言はございませんか。――それでは、発言も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午前十時五十一分散会
     ――――◇―――――
  〔本号(その一)参照〕
   派遣委員の沖縄県における意見聴取に関する記録
一、期日
   平成十四年四月二十二日(月)
二、場所
   万国津梁館
三、意見を聴取した問題
   日本国憲法について(二十一世紀の日本と憲法)
四、出席者
 (1)派遣委員
     座長 中山 太郎君
        久間 章生君   葉梨 信行君
        島   聡君   中野 寛成君
        赤松 正雄君   藤島 正之君
        春名 直章君   金子 哲夫君
        井上 喜一君
 (2)現地参加議員
        赤嶺 政賢君   東門美津子君
 (3)意見陳述者
     平和憲法・地方自治問題
     研究所主宰       山内 徳信君
     弁護士         新垣  勉君
     ビジネススクール校長  恵 隆之介君
     沖縄国際大学法学部教授 垣花 豊順君
     大学生         稲福絵梨香君
     沖縄県議会議員     安次富 修君
 (4)その他の出席者
                 芳澤 弘明君
                 我那覇隆裕君
                 伊波 宏俊君
                 仲本 和男君
                 崎原 盛秀君
                 野澤明希子君
     ――――◇―――――
    午後一時開議
中山座長 これより会議を開きます。
 私は、衆議院憲法調査会会長の中山太郎でございます。
 私がこの会議の座長を務めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 この際、意見陳述者及び傍聴者の皆様方に対し、本調査会が今回沖縄で地方公聴会を開催するに至った理由及び本調査会における現在までの活動概要を簡単に御報告申し上げます。
 まず、今回、我々が沖縄を地方公聴会の開催地に選びました理由を申し上げます。
 日本国憲法草案を議論する議会を構成するために行われました昭和二十一年四月十日の衆議院議員総選挙に際しまして、沖縄県民の選挙権は停止され、その制憲議会へ県民代表を送ることができませんでした。その後も、行政分離覚書により日本国政府とは切り離されて、直接軍政下に置かれ、日本国憲法の適用はありませんでした。
 さらに、サンフランシスコ講和条約によって日本が独立を回復した後も、同条約第三条により沖縄は米国の施政権下に置かれたため、日本の潜在主権は沖縄に及ぶとされたものの、日本国憲法の実効的な適用はないと説明され、米国民政府のもとに設けられた琉球政府による統治が行われて、琉球立法院が制定する立法が適用され、日本の法令の適用はありませんでした。
 したがって、沖縄に日本国憲法が実効的に適用されるようになるには、昭和四十七年五月十五日の本土復帰を待たねばならなかったわけであります。
 そして、このような状況であるがゆえに、昭和三十年代に内閣に設置されました憲法調査会におきましては、全国四十六都道府県で開催されました地方公聴会も、当地沖縄県では開催されませんでした。
 このような事情にかんがみ、憲法は全国民のものであるとの認識のもと、現行憲法の制定時及びその後の調査の際に、憲法について発言する機会を持つことができなかった沖縄県の皆様方から、今回、二十一世紀の日本と憲法についての御意見を拝聴し、本調査会における議論の参考にさせていただくために、本年で本土復帰三十周年を迎える御当地におきまして、地方公聴会を開催することになった次第でございます。
 次に、本調査会の活動概要を簡単に申し上げます。
 本調査会は、平成十二年一月二十日に設置されて以降、日本国憲法の制定経緯、戦後の主な違憲判決及び二十一世紀の日本のあるべき姿をテーマに、日本国憲法についての広範かつ総合的な調査を進めてまいりました。
 この間、本調査会のメンバーをもって構成された調査議員団が二度にわたり海外に派遣され、昨年は、ロシア、東ヨーロッパ諸国、オランダを初めとする王政諸国及びイスラエルの憲法事情について調査をいたしました。
 また、国民各層の方々の御意見を拝聴するため、昨年四月以降、仙台市、神戸市、名古屋市において地方公聴会を開催してまいりました。
 そして、本年からは、本調査会のもとに、基本的人権の保障、政治の基本機構のあり方、国際社会における日本のあり方及び地方自治の四つのテーマをそれぞれ専門的に調査する小委員会を設置し、人権の尊重、主権在民、再び侵略国家とはならないという原則を堅持しつつ、引き続き議論を重ねているところであります。
 意見陳述者の皆様には、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。どうか忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。また、多数の傍聴者の皆様方をお迎えすることができましたことに深く感謝をいたしたいと存じます。
 それでは、まず、この会議の運営につきまして御説明申し上げます。
 会議の議事は、すべて衆議院における議事規則及び手続に準拠して行い、衆議院憲法調査会規程第六条に定める議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたしております。発言される方は、その都度座長の許可を得て発言していただきますようお願い申し上げます。
 なお、この会議におきましては、御意見をお述べいただく方々から委員に対しての質疑はできないこととなっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 また、傍聴の方は、お手元に配付しております傍聴注意事項に記載されているとおり、議場における言論に対して賛否を表明し、または拍手をしないこととなっておりますので、御注意ください。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 最初に、意見陳述者の皆様方から御意見をお一人十五分以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 意見陳述者及び委員の発言時間の経過のお知らせでありますが、終了時間五分前にブザーを、また、終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、本日御出席の方々を御紹介いたします。
 まず、派遣委員は、民主党・無所属クラブ中野寛成会長代理、自由民主党葉梨信行幹事、自由民主党久間章生委員、民主党・無所属クラブ島聡幹事、公明党赤松正雄幹事、自由党藤島正之委員、日本共産党春名直章委員、社会民主党・市民連合金子哲夫委員、保守党井上喜一委員、以上でございます。
 なお、現地参加議員といたしまして、日本共産党赤嶺政賢議員、社会民主党・市民連合東門美津子議員が参加されております。
 次に、御意見をお述べいただく方々を御紹介いたします。
 平和憲法・地方自治問題研究所主宰山内徳信君、弁護士新垣勉君、ビジネススクール校長恵隆之介君、沖縄国際大学法学部教授垣花豊順君、大学生稲福絵梨香君、沖縄県議会議員安次富修君、以上六名の方でございます。
 それでは、山内徳信君から御意見をお述べいただきたいと存じます。
山内徳信君 公述人の山内徳信でございます。
 意見を申し上げる機会を賜り、厚く感謝を申し上げます。私は、沖縄戦を生き残った者の一人として、本日は、率直な意見を申し上げさせていただきたいと思います。
 一、初めに、あの光景を忘れるな。
 かつて大英帝国の植民地下にあったインドを、不服従の闘いを通して独立に導いたマハトマ・ガンジーは、理想なき政治は罪悪であると喝破いたしました。
 今日、我が国の政治、経済、社会等、あらゆる面において混迷を来しております。理想や理念、政治哲学を失い、利欲にまみれ、夢も希望も持てない社会状況は、まさに罪悪であり、国民にとって不幸であります。
 ドイツの元大統領ワイツゼッカーは、一九八五年、ドイツの敗戦四十周年の節目に、連邦議会で、荒れ野の四十年という演説を行いました。その中で、国民に歴史と向き合うことを求め、過去に目を閉ざす者は未来を誤る、と指摘されたことは余りにも有名でございます。
 ガンジーといい、ワイツゼッカーといい、政治理念を掲げ、それを実践したからこそ世界の人々から尊敬されたのであります。どうして日本の政治家にそのような人材が出ないのでしょうか。第二次世界対戦のとき、日本とドイツはともに同盟国であり、戦争の罪を背負った国であります。歴史への向き合い方に大きな相違を感じます。
 凄惨をきわめた太平洋戦争、日本国内唯一の地上戦で住民を巻き込んだ沖縄戦、真珠湾攻撃のかたきとして、日本は人類初の原爆を広島と長崎に投下され、悲惨な体験をしております。惨たんたる光景を目の当たりにした当時の政治家は、将来への禍根を残さないため、勇気を持って日本の平和憲法を制定したのであります。それは、戦争の地獄を体験した日本国民すべての人々の平和への願いが集約されたものでありました。
 二、憲法九条は国民の命そのもの。
 平和憲法の果たしている役割は極めて大きく、戦後、今日まで、日本の復興、発展に揺るぎない基盤となり、世界に平和国家として、その手本を示すことができたのであります。それは、憲法九条と前文に打ち込まれた、平和主義の存在のおかげであります。
 今日、日本で世界に誇れるものがあるとすれば、それは、世界の法典の頂点に立つ日本の平和憲法であると確信いたしております。憲法九条は、制定当時も、現在も、これから先も、日本国民にとって命そのものであり、二十一世紀の人類の進路を指し示すものであります。
 仮に改憲論者がいて、憲法九条を改悪しようとするならば、それこそ時代錯誤であり、歴史の進展に逆らうものとなり、アジアの国々から猛烈な反発と不信感が起こり、再び孤立と自滅の道を歩むことを恐れるものであります。
 三、憲法九条発想の父は日本人であった。
 かつて、日本国憲法はGHQによる押しつけ憲法だと批判する団体や個人がおりましたが、どうやら調査をしていくと、問題は日本政府側にあったことが明らかになってまいりました。当時の関係者の記録を調べますと、憲法九条、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認の発想の父は、日本人幣原喜重郎首相であったことが判明したのであります。憲法化の発案決定はマッカーサーであったと言われます。
 日本の平和憲法は、核時代の平和を先取りした立憲、民主、平和主義の構想を成文化した世界で最も進んだ憲法であります。
 四、民主主義と平和主義は車の両輪。
 日本の民主主義、国民の基本的人権の保障、国民主権の政治、地方自治の本旨等が完全に保障される社会にするためには、平和の確立された社会でなければ成立いたしません。日本国民は、そのことを戦前戦中、嫌というほど体験を通して知っております。
 要するに、社会のすべてのものの基本は、平和でなければ存在し得ないということでございます。憲法九条と前文を基調とした日本の平和主義の健全な発展によってのみ、民主主義は定着、発展していくものであり、まさに車の両輪の関係であります。
 憲法第九条を目のかたきにする政治家や国民がおりますが、それはいつしか、日本の民主主義と基本的人権、地方自治をむしばみ、人権をじゅうりんし、再び戦争のできる国づくりに一歩一歩手をかすことになるのであります。日本の過去の歴史が、そのことを証明しております。
 組織や政党の力学の中にあって真実の姿を見失い、歴史の発展法則に逆らえば、再び戦前の政治家や軍人と同じ過ちを繰り返してしまうのであります。
 五、日本は平和国家のモデルに。
 主権在民の国にあって、政治家は謙虚さが必要であります。国民から信頼され、尊敬される政治家でなければなりません。おごれる者久しからずの教訓もあります。
 国民に対し、経済界に対し、各省庁に対し、構造改革を求め、法治国家を説くのであれば、権力の中枢、最高議決機関で働く政治家こそ襟を正し、憲法九十九条、憲法尊重擁護義務を守るべきであります。すなわち、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」とあります。政治家である国会議員は、まずこの憲法を守る模範を国民に示すべきであります。
 現在の混迷した政治状況、真砂のごとく出てくる不祥事、国民は怒りに怒っております。閉塞状況の打開を経済的側面だけから取り組もうとするところに、限界と政治哲学の貧困さを感ずるのであります。
 全国の三千余の市町村は、それぞれ特色のある個性豊かな町づくり、村づくりを目指し奮闘しております。政府も、各自治体に対しそのことを推奨してきたのであります。
 地球上には、今百九十二の国があります。大小さまざまな国々にとって、モデルになる国、参考になる国が必要であると思います。そのためにも個性豊かな日本の国づくり、魅力のある日本、人々が生き生きとした日本、平和憲法を基調とした日本の国づくり、こうしてつくり上げられていく日本の平和文化国家は、やがて世界各国のモデルとなり参考になるのではないでしょうか。
 敗戦後の日本の政治家は、将来を見据えて、総意として、日本の国家像、日本の将来像を日本国憲法の前文と九条の中に見事に打ち込み、国民に提示されたのであります。現在の日本政府、国会議員、国民は、憲法によって提示された国家像、将来像の実現のために奮闘する責任が負わされていることを自覚すべきではないでしょうか。
 六、憲法九条を世界各国へ提案を。
 憲法調査会の皆さんと日本政府への提案をさせていただきたいと思います。沖縄戦の極限状況を体験し、戦後の米軍統治下の無憲法、無権利状態の中を生き、基地の島の不条理を見てきた者の提案であります。
 日本の平和憲法のありがたさを失ってから気づいては遅いのであります。平和憲法は空気みたいなものです。蛇口から出る飲料水みたいなものです。空気と水を失えば、人間は生きていくことは不可能であります。人間が社会的動物として、その可能性を発揮し、幸せに生きていくためには、空気や水に相当する平和な社会が絶対条件として必要であります。憲法九条にうたわれている戦争の放棄を実践することが、前文にある恒久平和を達成する道につながるものであり、人類の長年の悲願であります。
 そのために、過去に国際連盟も、国際連合も創設されたのでありましたが、いまだ世界の平和は実現に至っておりません。昨年九月十一日のテロ、それに対する報復戦争、さらにパレスチナとイスラエルのテロ対報復戦争、血で血をあがなう悲劇の連鎖であります。人間が憎み合い、殺し合う時代がいつまでも続いていいはずはありません。
 この地球上に戦争を放棄し、戦力と交戦権を否認した国日本が、憲法九条を堅持し、平和国家創造の決意を固めることが重要であります。そこで、日本政府として、国際会議を開催し、憲法九条を世界の国の憲法の中に取り入れてもらうことを提案いたします。世界でこれを提案できる国は、人類初の被爆国日本であり、日本の責任であります。日本国憲法の提起している平和主義の歴史的課題は、時代おくれどころか、ますますその重要性を増し、時期到来の感を深くするものであります。武力による平和ではなく、平和的手段による平和を実現するという発想の転換が今求められているのであります。
 憲法九条を世界の憲法の中にという発想の転換を嘲笑する人も世間にはいると思います。しかし、人類が生きていく道は、最終的には、殺りくではなく、武力を放棄し、平和を創造する以外にありません。そういう政治的努力のできる国会議員を国民は待ち望んでおります。
 七、憲法違反の有事法案に反対。
 自公保連立小泉政権の本質はファシズムであります。蛮勇は国の将来を危うくする。経済政策のとんざや国会の底なしの不祥事から国民の目をそらす必要があったのだろう。平和憲法体制下にあって、歴代政権がタブー視してきた有事関連三法案を一気に提案した。
 備えあれば憂いなし、なぜ今までなかったのかと詭弁を弄し、国民を手懐けようとする。剣を持つ者は剣にて滅ぶ、戦いは戦わずして勝ての戒めを放棄した。有事法制化の動きは、憲法九条を初め憲法体制そのものをことごとく無視し、戦争体制の具体的準備である。
 政府みずからは憲法九十九条を守らず、国民や自治体、民間に対し、いろいろ要求してくる。主権者たる国民に対し、牛馬のごとく聞けというのだろうか。県民は、有事関連三法案の国会提案に大きな衝撃を受け、将来への不安と怒りが渦を巻き、やがて大きな闘いへと胎動するであろう。
 有事体制に入れば、国民生活のすべては国家統制となり、国民に取ってかわって、先頭に出てくるのが軍隊、すわなち自衛隊であります。
 沖縄戦の教訓、それは、戦争になれば、軍隊は国民を守らない、守れないということでございます。
 以上で終わります。
中山座長 傍聴席での拍手は御遠慮ください。
 ありがとうございました。
 次に、新垣勉君にお願いいたします。
新垣勉君 ただいま御紹介をいただきました公述人の新垣です。
 先ほど、中山座長から沖縄で公聴会をする理由の説明がありました。それを聞いていて思うのです。憲法が公布されてから五十六年間、ずっと沖縄は放置されてきた。なぜ今、憲法が改悪されようとしているこの時期に沖縄の公聴会なんでしょうか。沖縄で公聴会をする意義は、私たち県民が体験をした、あの悲惨な沖縄戦の体験、戦後の二十七年に及ぶ長期の米軍統治、復帰後三十年たったにもかかわらず、依然として米軍の集中があるこの沖縄の実態、これを踏まえた公聴会でなければ、私は意義がないと思います。
 そこで、限られた時間の中でありますので、県民の一人として率直な意見を申し上げたいと思います。
 改憲論者は、さまざまな理由を挙げますけれども、憲法改正の最大の動機は、何といっても憲法九条、平和原則の改悪ではないでしょうか。私は、県民の一人として、日本国憲法が定める非武装平和主義の原則は今後とも守り、発展をさせなければいけない、そのような立場から意見を申し上げたいと思います。
 非武装平和主義の原点は、一体何でしょうか。それは、私たち沖縄県民だけではなくて、あの太平洋戦争の中で、二百万とも三百五十万とも言われるたくさんの血を流した、その教訓が原点にあります。それは、個人の尊厳だと私は思います。個人の尊厳をいかに政治の世界で保障していくのか、それこそが憲法の精神であり、非武装平和を定めた憲法第九条の真髄ではなかったでしょうか。
 私は、この点について二つの指摘をしておきたいと思います。
 一つは、何といっても、私たち県民が、住民を巻き込んだ唯一のこの沖縄の地上戦、この中で得た教訓であります。御承知のように、沖縄戦で、米兵を含めて約二十万とも言われるたくさんの血が流れました。県民は、当時の国家総動員体制のもとで、陣地構築、弾薬運び、傷病兵の看護など、あらゆる戦争協力を迫られました。ある意味では、天皇制下の教育によって、自主的に協力をさせられました。
 しかし、その結果、どういう事態が起きたでしょうか。一体、住民を守ると称していた日本軍は、私たち沖縄県民を守りましたか。いざ戦争になったときに軍隊がどういう姿をさらけ出すのか、私たち県民はしかとみずからの目で見てきたではありませんか。軍隊というのは、平時は、国民のため、国民を守ると言います。しかし現実は、一たん戦争が起きたとき、軍隊というのは、軍隊の論理で行動をし、決して住民を守るものではありません。これは、立場の違いを超えて、多くの県民が共有をした貴重な体験です。
 このような体験の中から、自然と、ある言葉が県民の口に上るようになりました。命(ぬち)どぅ宝、命こそ宝という考え方であります。私は、沖縄戦の体験を経て県民の中に定着をしてきた、この命(ぬち)どぅ宝という思想、非常に意味のある深い言葉だと思います。
 国家の利益と個人の尊厳が衝突するとき、何を優先させるのか、私たち県民は学び取りました。国家の利益というのは個人の尊厳にまさるものではない、個人の尊厳こそ最も大切なものであり、守るべきものだということであります。もう一つは、軍事力では私たちの生命や財産、安全を守ることはできない。軍事力によって、時の政府を守ることはできるでしょう。しかし、私たち親兄弟、私たち地域住民の命や財産は決して守られない。これが沖縄戦を経た私たちの大切な教訓だと私は確信をしております。
 もう一つ、軍事力に頼ることがどれほど個人の尊厳を損なうものかという点について触れておきたいと思います。
 最近、テロ報復を名目に、米軍がアフガニスタン国内を爆撃しました。たくさんのアフガン住民が殺されました。しかし、皆さん、考えてみてください。もし、アフガン住民ではなくてアメリカ市民がそこにいたとしたら、アメリカはあんなに無差別な爆撃をしたでしょうか。答えは明快です。ノーという答えが返ってくると思います。
 つまり、アメリカにとっては、アフガニスタン住民の命、財産、生活と、アメリカ市民の生命財産、生活とは差別されているのです。もし、国境を超えて個人の尊厳の大切さを保障しようというのであれば、あのような米軍による他国の爆撃は許されないはずです。私はここに、アメリカが言う正義が自国民のための正義であり、私たち日本国国民があの貴重な戦争を経て学び取った、そして日本国憲法の最も大切な基礎にした個人の尊厳と全くかけ離れたものであることを指摘しておかなければなりません。
 私は、このような沖縄戦の体験や沖縄の現状、最近の世界の状況を見るにつけ思うのです。日本の政治は長い間、政治不信と言われます。しかし最近は、政治不信を通り越して、国民に不安感、恐怖感を与えるような状況がつくり出されてきております。
 私は、改憲論者の思想の根底に、武力、軍事力によらなければ、私たち市民の安全は保障できないという根強い確信が横たわっていることを見据えておくことが必要だと思います。そして、改憲論を議論するときには、この核心部分について真正面から論議をする必要があると思います。
 時間が限られておりますので、簡単に言います。
 皆さん、アメリカをごらんなさい。アメリカは自衛権を認め、銃の所持を認め、自分の銃で自分の安全を守るという発想で国家が成り立っております。それに対して、日本はどうでしょうか。日本は、銃の所持を禁止し、警察によって生活を守るという思想に立っております。ここには、軍事力に頼るのか、軍事力に頼らないで社会の安全を守るのかという基本的な考え方の違いがあります。
 どちらが皆さん、よりよい社会だと思いますか。だれしも、日本の治安は安全であり、日本の社会こそ住みよい社会だと思うでしょう。それは、銃によって自分の生活を守る、自分の命を守ろうとする軍事力思想がいかに今日の情勢に合わないかということを端的に示していると私は思います。
 私は、軍事力、力によらないで私たち市民の生活を安全にする道、それこそが日本国憲法が選択をした非武装平和主義の考え方だと思います。そういう意味で、私は全面的に、今の非武装平和主義を定める憲法を支持します。
 最後に、最近つとに、備えあれば憂いなしということで、有事法制の制定が合理化されようとしています。しかし、皆さん、備えというのは何でしょう。今ある事態に対するのが備えではないでしょうか。今ある事態とは何でしょう。それは、私たち日本が世界に率先して平和外交を展開して、武力紛争が起こらないような外交をするのが最大の備えなはずです。ところが、起きそうもない事態に備えて、備えあれば憂いなしとして有事法制を制定しようとする最近の動き、大変な事態だと私は思います。
 先ほどの例ですけれども、アメリカで銃の使用を認める、これも備えあれば憂いなしのための銃の所持だと思います。その結果、どんなことが起きますか。実際に、強盗や泥棒が入るときに使うよりも、それ以外の日常で銃が使用され、たくさんの死者が出るのがアメリカの実情ではないでしょうか。それと同じようなことが、有事法制は持っていると思います。私は、今日のこの危険な状況を、どうしても沖縄から一言言わなければいけない。
 最後に、私は、沖縄にとって日本国憲法というのは、長い復帰運動のもとでかち取ってきた平和憲法だということを指摘しておきたいと思います。
 ややもすると、憲法論議の中で、押しつけられた憲法とか、アメリカによってつくられた憲法だとかいう議論がありますけれども、それは沖縄では通用しない。沖縄は、本当に長い長いあの復帰運動を通じて、やっと平和憲法を獲得したのです。私は、本土の政治家の皆さんには責任があると思います。この長い沖縄の努力に対して、皆さんはこたえたでしょうか。私は、こたえていないと思います。
 発言を終わります。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、恵隆之介君にお願いします。
恵隆之介君 恵隆之介と申します。
 私はちょっと話が下手なので、時間もないので、原稿を主に読みます。
 私は、憲法九条の改正を主張します。
中山座長 傍聴席での発言を禁じます。
恵隆之介君 国際情勢は激変しており、今や我が国が憲法九条を墨守していたのでは、この変化に対応できないのであります。私は、この国とこの郷土沖縄を愛するがゆえに、あえて憲法改正について直言させていただきます。以後、敬語を略します。
 我が国は、生産拠点の海外移転等により、経済構造は著しく変化してきている。それに伴い、国民が海外で活動する機会が飛躍的に増大している。ところが、外国において在留邦人に不測の事態が発生した際、諸外国は邦人の保護救出を行う権利を行使できるが、我が国はどうすることもできない。それのみか、パレスチナ紛争等、今我が国が進んで国際治安維持部隊を派遣すべきときに来ているのに、これもできない。いずれも現行憲法九条に抵触するというのである。
 昨年九月十一日、米国で発生した同時多発テロ事件以降、米ロ二大核超大国が接近する等、国際社会のフレームは大きく変化してきている。にもかかわらず、我が国国民の思考過程はいまだ戦後体制、GHQ体制から脱し切れないでいる。このままでは、日本は、早晩国際的威信を失い、国力さえ失うことになるであろう。
 ところで、我が国と同様、第二次大戦で敗北したドイツは、主権回復とともに憲法改正を行い、国防軍を設立した。そして、PKF活動、ピース・キーピング・フォーシズにも積極的に参加しており、昨年九月十一日のテロ事件の際にはいち早く米国支持を表明し、アルカイダへの報復作戦にも参加している。米国との集団的自衛権を履行しているのだ。
中山座長 傍聴の方に申し上げます。
 議事の整理は委員長が責任を持っております。傍聴席での発言、拍手は御遠慮願いたいと思います。
恵隆之介君 ドイツは国土を二分されるという屈辱を受け、また二度の大戦でも敗北を喫しながら、我が国のような敗戦シンドロームから完全に脱却しているのである。
 ところで、日本とドイツとは、同じ敗戦国でありながら、テロへの対応も対照的だ。一九七七年、昭和五十二年十月十八日、ルフトハンザ機がドイツ赤軍にハイジャックされた。その際、ドイツは彼らの要求を断固はねのけ、国境警備部隊特殊部隊を派遣して、犯人数人を射殺、人質をも奪還してみせた。
 ところが、我が国は、同年九月二十八日、日航機がインドでハイジャックされたときに、政府は、人の命は地球より重いとコメントを出して彼らの要求に屈し、拘留中の赤軍派六名を超法規的に釈放、身の代金十六億円も持参させているのだ。
 それだけではない。一九九九年、平成十一年にウズベキスタンで起きた反政府組織IMUによる日本人技師拉致事件の際には、我が国政府はIMUに身の代金二億ドル、約三百億円を支払った模様である。そのグループの首領ナマンガリは、その後ウサマ・ビンラディンに重用された経緯を見れば、日本政府の拠出した身の代金は、九月十一日米国で発生した同時多発テロ資金に流用されたと疑っても過言ではない。このままでは日本人は、海外でテロリストや犯罪者集団のえじきにされるばかりか、世界からテロ支援国家とやゆされるであろう。
 ところで、憲法九条改正を主張するに当たり、次の五項目を御理解いただきたい。
 一、国家有事の際の私権の制限は国際的常識であり、なかんずく、現行の有事法制だけでは有事に対応できない。
 今月十七日に有事三法案が国会に提出されたが、その最中、国民の権利が侵害される懸念があるという反対意見が与野党内から起こっていた。制限されて当然ではないか。平時はともかく、国家存亡の危機に至ってもなお私権を制限しないという思考パターンは、戦後、片務的日米安全保障条約に守られてきた日本国民の甘えそのものである。
 ところで、隣国北朝鮮や中国は、平時にあっても国民の権利が著しく制限され、軍の行動が優先されている。また、自由を基調とする欧米諸国にあっても、テロ事件以降、社会秩序維持のための私権の制限や国家による諜報活動強化やむなしという国民的合意がなされているのだ。
 ところで、国内には、有事法制の国会審議にすら反対する世論もあるが、国際的視点に立てば、憲法九条を改正しない限り有事に対処できないのではないか。
 一例を示すと、軍刑法のない我が国は、有事の際も一般法令が適用される。このため、防衛出動中の自衛隊は道路交通法や航空法の解釈の一時的変更をもって行動するのであるが、有事という判定が困難なとき、あるいは政府の有事判定が遅延したとき、自衛隊の行動は著しく制約を受ける。まさに自縄自縛状態に陥るおそれがあるのだ。さらにわかりやすく言えば、有事が予想され、出動準備のため行動中の戦車が渋滞する一般市民の車列の中で信号待ちをするという光景が演出されるであろう。――ちょっと静かにしてください。
 一九四〇年六月、フランスが、当時大陸軍国と評されながら、ドイツ軍の侵攻を受け一週間足らずでパリを占領された歴史を見れば、この問題をおわかりいただけると思う。ドイツ侵攻直前のフランスは、政争中で、政府による有事の判定がことごとく遅延したのである。そもそも、このドイツの侵攻やその結果生じた第二次大戦の原因は、ドイツがベルサイユ講和条約に違反して再軍備したことにあるが、当時の英仏両国国民に厭戦思想が蔓延しており、両国国民はまさに日本国憲法九条のような意識に低回していた。
 すなわち、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永遠にこれを放棄するというものである。このため、英仏両国は、条約違反を繰り返すドイツに対し、妥協するだけで、武力行使を含む制裁措置をとれなかったのである。
 二、戦後の日本国民は、国家という概念を喪失しているのではないか。
 戦後、日本人の特異性は、国家の行為を人格の延長線上にとらえ、善悪で判断していることである。この論点でいくと戦争や侵略は悪であるが、国際社会は決してそうは思っていない。それのみか、外国では、平時においても、国家に敵対行為をする者に対しては、軍は迅速に交戦権を発動できる。
 この点、現行憲法制定の際、沖縄出身共産党書記長・弁護士の徳田球一氏は、人民の交戦権をも否定するのかと吉田茂首相に厳しく詰問しているが、徳田氏は、交戦権の否定は独立の否定と断じていたのである。ただ、現憲法が制定された五十五年前は、我が国が連合軍の統治下にあり、国家の主体性が発揮できなかった。
 翻って、国際的には、戦争行為も外交手段の一つとされている。そのためには、国際間ではジュネーブ条約等の戦時国際法が制定されており、各国国内では軍刑法が制定されているのだ。
 また、侵略に関する概念も、日本と対照的に異なる国もある。例えば中国政府、中国共産党は、国力の盛衰によって国境線は暫時変化するというポリシーを堅持しているのである。したがって、中国は、第二次大戦後九回も戦争をしており、軍事費も十四年間連続で前年比二〇%で拡大しているのである。
 三、憲法九条の内包する矛盾。
 憲法九条条文は聞こえはいいが、それでは国の独立と平和は維持できるのか。
 ソ連の崩壊で東西冷戦は終了し、多くの民衆が解放されたが、この原因はどこにあったのでしょうか。米国とNATO諸国の連帯によるソ連への武力の威嚇以外の何物でもなかった。
 戦後の沖縄の平和もまた米軍の存在を無視して語れない。
 平成八年三月八日、第二次台湾危機の際、中国軍が発射したミサイルM9が与那国島の西方五十キロに撃ち込まれた。町民はパニック寸前に陥っていた。国連も中国も、台湾は国内問題だ、訓練だと言うので、その行動には口を挟めなかった。そのとき与那国島はだれに守られたのか。まさしく米国の空母機動部隊による中国に対する武力による威嚇に守られたのではなかったのか。
中山座長 静粛に願います。静粛に願います。
恵隆之介君 入仲与那国町長は、米国は空母二隻を派遣しているのに、なぜ日本政府は護衛艦一隻も派遣できないのだと悲痛な表情で訴え続けていたではないか。
 もっとリアルな戦後史を披瀝すると、昭和二十三年六月、中国国民党の軍用機が石垣島の旧日本軍飛行場に強行着陸してきた。この年は国民党によって台湾住民三万人が虐殺された二・二八事件の翌年である。幸い同島駐留の米軍によって排除されたが、戦後沖縄に米軍の駐留なかりせば、沖縄は今ごろ北方領土と並んで南方領土と呼ばれ、台湾か中国の実効支配を受けていたでありましょう。
 そして最近は、国民党にかわって中国が沖縄進出をねらっている。
 近年、中国艦艇が沖縄周辺の排他的経済水域や領海をたびたび侵犯しているが、海上保安庁の警告に対し、ここはもともと中国の領土と反論するようになってきており、海保は拱手傍観するのみである。
 護憲派は米軍撤退を主張するが、万一憲法九条を改正することなく米軍が沖縄から撤退すれば、沖縄はたちまち東のチベットとなるであろう。護憲派の皆様にぜひ次の国際的おきてを認識していただきたい。一方的な戦争放棄や武力行使の否定は、他方に対しては侵略容認のシグナルになるということです。
 四、平和という文言の乱用。
 例えば沖縄県の場合、平和という文言を聞かない日は一日とてないが、県内の治安状況は全国的にも最低の水準にある。
 県民による重要犯罪率、強姦、殺人等の凶悪犯人口一万人当たり例年高位にあり、平成九年などは、強姦が全国ワーストワン、平成十年、殺人三位、強姦五位を記録している。とりわけ青少年の犯罪率は全国平均の二倍から三倍で推移している。
 そればかりではない。――ちょっと静かにしてください。
中山座長 傍聴人の方に申し上げます。
 本調査会の公聴会は、衆議院憲法調査会規程第六条並びに国会法第四十八条、衆議院規則第六十六条によって運営されております。場内が混乱した場合は、座長によって退場を命ずることがありますので、御了承を願います。
恵隆之介君 そればかりではない。
 沖縄暴力団の数は全国最多を記録しており、人口十万人当たりの数が六十三人と、全国平均の三十五人を大きく上回っているのだ。
 平成二年十一月の沖縄の暴力団抗争を皆さんは記憶しているだろうか。抗争の激化で、沖縄県警は単独では対処できず、九州各県より延べ四百八名の応援を得てやっと鎮圧したのである。これは要するに、県民が暴力団からの脅迫や報復を恐れて放置してきた結果であり、事なかれ主義の帰結である。
 五、国民は沖縄のドグマに振り回されているのでは。
 防衛庁の省移行が俎上に上がるたびに、元総理経験者が沖縄県民を刺激すると反対している。一方、沖縄にも、国内で唯一の地上戦を経験した、米軍基地の七五%が沖縄に集中しているという被害者意識によるドグマが横行している。
中山座長 傍聴席の方、静粛に願います。
 これ以上発言をされたら退場を命じますから、御了承ください。
恵隆之介君 地上戦は、硫黄島や北方領土でも行われており、その地は当時紛れもない国内であった。また、沖縄にある米軍基地は在日米軍基地総面積の二四・九%である。正確に言えば、米軍専用施設の七五%が沖縄にあるだけである。ところが、稲嶺知事を初め、最近では与党の関係者までこのドグマを引用し始めている。
 また、沖縄戦を殊さら引用する向きもあるが、では、県民に開戦責任はないのか。
 昭和十六年十二月九日、沖縄県議会は、敵性国家粉砕宣言を全会一致で可決しており、その二年前、昭和十四年七月八日、琉球新報社が主催して県民大会を開催し、スローガン「暴戻英米を懲らせ」を満場一致で採択している。そればかりか、同新聞社を初め県内ジャーナリズムは、その前日に支那事変二周年記念講演会を開催し、盛んに暴支膺懲キャンペーンを展開していたではないか。
 もう一つ史実を紹介すれば、これはちょっと名前を言うとまた皆さん騒ぐので、名前は隠しますけれども、戦後沖縄左翼運動の中核をなした○○氏と○○氏は、大政翼賛会でも活躍していた。ところが、戦後、彼らは、過去には一切触れず左翼運動を扇動していたのだ。
 ちなみに、昭和十六年三月一日、沖縄出身衆議院議員・海軍少将漢那憲和氏が、天皇陛下はあくまでも和平を望まれている、ところが、陸軍は陛下の御命令に従わない、彼らは武家時代の幕府的存在であると発言したところ、沖縄県大政翼賛会は一斉に漢那代議士を非難した。
 ところが、戦後、この二人に扇動された沖縄左翼は、天皇の戦争責任を真顔で叫んでいたのである。
 以上の論拠をもって、憲法九条の改定を提案します。
 皆さんが騒いでいる時間だけ私にくださいよ。大分邪魔されたんでちょっと……
中山座長 発言者に申し上げます。
 時間が終了しておりますので、終了にしてください。
恵隆之介君 わかりました。
 では、最後に一点。
 以上で私の主張を終えますが、どうか皆様が世界の現実を直視し、我が国の平和と繁栄を守るために、あくまでも演繹的に、かつ国際的視点に、科学的思考力をもって憲法九条を改正していただきたいと念じております。
 以上で終わります。
 御清聴とは言わないけれども、元気のいい方々、ありがとうございました。
 以上です。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、垣花豊順君にお願いいたします。
垣花豊順君 垣花豊順でございます。
 意見を陳述する前に、資料について御説明申し上げます。先生方の手元に三つのつづり、本が二冊あります。
 一番目にありますのは、きょう陳述する意見の要旨、骨子でございます。二番目にある「「社会を明るくする原動力」について考える」というのは、ほかの場所でシンポジウムを開いたときに、日本国憲法、教育基本法等を図解しましたので、その図を説明するために提出してあります。三番目のつづりは、「琉球大学の基本理念「真・公・和」に関する提言」というものでございます。これは、憲法普及協議会の会長、人権協会の理事長と一緒に、大学の理念はこうあるべきじゃないでしょうかというふうに提言を出したものでございます。
 それから、白表紙の本は、「個人の尊厳と教育の理念」という私の本でございます。これは、個人の尊厳がどのように現在の法体系に組み込まれているのかということについて書いた本でございます。もう一つの本の「教育の根本理念は「個人の尊厳」である」という本は、「総理大臣と文部大臣の設問 「教育の基本理念」は何か、「個と公についてどのように考えるべきか」」そういう設問について答えるために書いた本でございます。これから述べる骨子は、それらの資料に基づいてそれぞれ述べることにいたします。
 まず最初に申し上げたいことは、教育勅語に関する両議院の決議は尊重され、実行されるべきであるということでございます。一九四八年六月十九日、衆議院は教育勅語等排除に関する決議、参議院は教育勅語等の失効確認に関する決議を行いました。その骨子は次のとおりであります。全文は私の本に書いてあります。
 「民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。」これが衆議院の排除決議であります。
 参議院、「われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力を致すべきことを期する。」
 では、なぜそのような決議を行ったのか。こちらに図を描いておりますので、委員長の許しを受けて、図の前で立って説明したいと思います。
中山座長 結構です。
垣花豊順君 私は、声が大きいですので、多分大丈夫かと思います。
 まず、日本国憲法と明治憲法との相違を申し上げますと、明治憲法は、天皇を現人神として、それを核にしている、果物の種のようなものでございます。それを中心にして、天皇主権、家父長制、大東亜共栄圏の建設、だんだんと広げていく。それに対して、新しい憲法は、個人の尊厳を核にして、それがもとになって、国民主権、基本的人権の尊重、永久平和、そういうような基本原理をつくったのでございます。ここで皆さん方に注意していただきたいことは、物事には核があるということでございます。その核を中心にしてだんだんと考えを広げていくのでございます。
 先ほど、昼食会でちょっとお話をお伺いしましたところ、国会議員の先生方は平和の礎というところを訪れたようでございます。その平和の礎を注意深く見ますと、あれは曲がりくねっています。波型になっています。なぜ波型になっているのか。漠然と見るのと注意深く見るのとでは、その意味が違ってきます。波型になっているのは、平和の波よ永遠なれ、そういう考え方のもとに平和の礎というのはつくられているわけでございます。そういうふうな考え方に基づいてつくられたので、クリントン大統領は向こうで演説をしました。けさの新聞によりますと、総理大臣が靖国神社を参拝したことについて外国からいろいろな批判があるようでございますけれども、沖縄の場合はそういう批判はないのでございます。
 次に、それでは、明治憲法の核、現在の個人の尊厳を核とする教育はどういうふうな体制になっているかと申しますと、まず明治憲法の場合は、天皇は神様だ、そういう教えですから、教育は天皇、国家への絶対の忠誠を教えます。そして、東洋平和のためならば何で命惜しかろうというふうに教えます。最後は滅私奉公でございます。
 私は、鹿児島にある知覧飛行場に行ったことがありますけれども、一九四五年当時、千数百名の十七歳から二十一、二歳ぐらいの青年たちに、片道燃料で、アメリカ軍に突撃しなさい、そういうふうな命令を出して、そのとおり実行されたのであります。まさに、教育とは恐ろしいものでありますし、考え方を一歩誤りますと、人間を藻くずのように消費してしまうのでございます。
 それに対して、現在の教育基本法の考え方はどういうことになるのかと申しますと、まず、個人の尊重を核にします。それをもとにして、真理と平和、それに基づいて人格の完成をするということになります。人格の完成とは何かということになりますと、人間にはいろいろな伸びる可能性がある、後で図で示しますけれども、要するに、喜怒哀楽、真善美の方面に伸びる可能性がある、それを調和よく伸ばす、それによって公の貢献もすることもできる、そういうことになっているのでございます。
 それでは、生涯教育の理念、個と公との関係、生涯教育の目的はどういうことになっているのかといいますと、明治憲法の場合は、自分を殺して滅私奉公、そういうことでございました。しかし、新しい憲法の考え方では、まず個人がある。その個が確立されますと、家庭が円満になり、地域社会は平和になり、それに従って国家も豊かになり、それに従って世界、地球、宇宙、こういうふうにだんだんと広がっていく。そのように、まず個の確立を通してだんだんと広がっていくという考え方でございます。
 そして、最終的な生涯教育の目的としては、各人が美しい豊かな心をつくり、強い体をつくって、物事を処理する賢い知恵をつくって、もし神様がいるとすれば、神と人から祝福される生活を送る、そのようなことを目指しているのであります。
 ところで、ちょっと順序が違いましたけれども、ついでながら申し上げますと、私が長年勤めておりました琉球大学で、「真・公・和」という理念をつくっておりますので、私はこれをまじめに教えようとしました。私はまじめに教えようとしたら、教えられない、合わないんですよ。どうして合わないかといいますと、「真・公・和」といいますから、真理を探求し、公に尽くし、平和を求めるということになりますと、聞こえはいいです。ところが、よくよく見ますと、教育基本法に定めている個人の尊厳を公に変えているわけです。そのために、結局、個人の尊厳が消えてしまいますと全部が狂ってしまうわけでございます。
 それでは、それぐらいにしまして、先に急ぐことにしまして、二番目は、公務員は憲法を尊重し、擁護する義務を果たすべきであるということでございます。このことにつきましては、山内さんも述べましたけれども、どうしてこのように憲法、教育基本法が守られていないのかと申しますと、これは、総理大臣経験者を含め、政府の高官たちが憲法、教育基本法を教える熱意に欠けている、そういうふうに思うのでございます。
 「NHKスペシャル」によりますと、教育の理念が浸透しているのは大体二、三割ぐらいじゃないか、こういうことを言っているのであります。それは、この私の本とか、これにも書いてありますように、質問とかを見ましても、教育の理念は教育基本法に書いてあるし、個と公については憲法に書いてあるのに、改めて総理大臣が質問するような形からそういうことを言うことができるわけでございます。
 次に申し上げたいことは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成、「真・個・和」は人類普遍の原理であるということでございます。これは、教育国民会議の最終答申書でそのように述べておりますので、今後、教育あるいは憲法のことについて議論するにつきましては、その枠内ですべきだということを申し上げたいのであります。
 それから、個人の尊厳を普及徹底し、その内容を深化させることが今後の日本の課題であるということについて申し上げます。
 このことにつきましては、新垣さんもるる述べてくださいました。私も、その個人の尊厳ということの意味、内容につきましては、本の中でも、あるいはこのパンフレットの中でも述べております。ただ、ここで私たちが留意しておかなければならないことは、個人の尊厳という言葉は憲法二十四条にありますけれども、これをつくるに際して、日本の指導者は強く反対したという歴史的な事実でございます。私たちは、これを謙虚に受けとめて、忍耐強く個人の尊厳の普及に努めなければならないと考えるわけでございます。
 今の憲法のもとでは日本の伝統文化を教えることができないと主張する声もありますけれども、日本ペンクラブ会長梅原猛さんは、そういうことはない、今の憲法のもとで日本の伝統文化を十分教えることができるというふうに述べております。
 それから、日本の憲法、教育基本法は、日本を解体し、弱体化するためにつくられた憲法だというふうに言う総理大臣、文部大臣経験者等の指導者もおられますけれども、そういうことを言いますと、私たちのように教えている者は元気がなくなりますよ。そして、こういう意見は事実に反します。なぜかと申しますと、今の日本国憲法、教育基本法のもとで、日本は見事に経済的に復興し、それから国民は自由を享受し、日本から逃げ出す国民は犯罪者を除いて一人もおりません。日本はいい国なんです。どうして、弱体化するためにつくられた憲法、教育基本法のもとでこのようないい国になるんでしょうか。これは、事実に反することであります。
 それから、日本人が留意しなければならないことは、個人の尊厳の本来の意味を理解しないで、わがままとか利己主義とか、そういう悪意のある言葉に置きかえて誤解する傾向があることであります。これは、憲法二十四条の素案をつくったゴードン女史が著書でるる述べていることでございます。個人の尊厳の本来の意味は、自己本位で物事を判断する利己主義と公の名のもとに個人を不当に抑圧する全体主義を排除し、国民の一人一人を独立した人格者と認めて、真に国民主権を実現することであります。
 六十数億の人間は、それぞれ異なる存在で、永遠の時を今に生きる動物であります。換言しますと、人間がこの世に生きる時間は限られていますけれども、永遠のことを考えて活躍する能力を秘められていることを信じて、個人の尊厳を守ることがあるべき姿だと思います。
 どうもありがとうございました。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、稲福絵梨香君にお願いいたします。
稲福絵梨香君 私は、ことし三月に高校を卒業し、現在、沖縄大学人文学部福祉文化学科に在学中の稲福絵梨香といいます。よろしくお願いします。
 私が高校二年のとき、二〇〇〇年に、奉仕活動の義務化が教育改革国民会議で提言されていることを知りました。初めは、この義務という言葉が持つ意味を余り深く考えていませんでした。しかし、私が日ごろ行っているボランティア活動に対して、義務だからやりなさいと言われたらどうするだろう、ふとそう考えました。私がその活動に取り組んでいるのは、楽しいからにほかならないし、自発的にやっているという、大げさに言えば誇りを持っているからです。
 私は、高校三年間、学校で青少年赤十字、JRCというボランティア部に所属し、さまざまなボランティア活動に取り組んできました。それを始めたきっかけは、たくさんの方々と交流を通し、自分自身ができることを仲立ちにして、一人でも多くの人の役に立ちたいという気持ちからでした。とはいっても、活動を始めたころは、自分から積極的に行動することができず、ほかの人の後ろからついていくという感じでした。参加するのが精いっぱいで、どう動いていいかわからないというのが正直なところだったと思います。
 しかし、これでは自分がボランティア活動をしている意味がわからなくなる、人の役に立つどころか、自分から進んで行動できずにいる、このままではいけないと思うようになりました。そのことに気づいてから、少しずつ、いろいろなボランティアの研修や活動発表大会の実行委員など、大きな役割を担う仕事をさせていただくようになりました。正直、きついと思ったときもありましたが、ここまで私が成長できたのは、自発的に活動に参加し、考えて行動する環境を与えていただいたからだと思います。ボランティア活動を通じて、周りで支えてくれ、多くのチャンスを与えてくださった先生方や仲間に、心から感謝したいと思います。
 こうした経験を通して、奉仕活動を義務化すると、押しつけられている気がして、気持ちよく活動できないのではないかと感じました。法律で奉仕活動を強制すると、戦争の産物である勤労奉仕と本質的に変わらなくなってしまいます。私は、ボランティア活動は、活動する私たちとサービスを受ける側、お年寄りや子供、障害者がお互いに学び合う、いわば相互学習ともいえそうな、共生的な、ともに生きる関係を持つ活動だと考えています。
 強制、押しつけという外からの力が加わることで、その関係にゆがみが生じることを私は恐れます。何より、青少年のボランティア活動への関心は年々高まっており、社会福祉協議会の方の話によると、今では協力要請に対する反応がよく、介助者が足りなくて困る状況はほとんどないとのことでした。各学校のボランティア部や生徒会が積極的に申し出をしてくれるからだそうです。せっかく自主的にボランティア活動をしようとする人が少しずつふえている今、なぜ義務化なのでしょうか。全員を全く抵抗なく参加させるのは物理的に困難だと思われますから、結果的には青少年の自発的活動の場を奪うことになりかねません。
 私が高校三年間でのボランティア活動を通して強く実感したのは、学ぶことは権利なのだということでした。最近、それが学習権という言葉で憲法二十六条に保障されている権利であることを知りました。学習権は、子供たちに学ぶことの喜びを味わってもらうために保障されているのだと私は考えています。ですから、奉仕活動については、一緒くたにして義務化するのではなく、さまざまな選択肢、プログラムを用意し、地域の人々の意見を聞きながら、それぞれの地域に支えられた活動をすることが重要なのではないでしょうか。
 戦前までは、学ぶことはあらゆる意味で文字どおりの義務だったこと、それは、奉仕活動の義務化に対する私の恐れとつながっています。戦前は、お国のためにという考えが当たり前とされ、学校の式典では君が代斉唱、御真影への敬礼、国定教科書どおりの授業など、教育は、権利ではなく、義務だったそうです。自分のためにというより、お国のために勉強するよう明治憲法で決められていたと聞きました。
 私たちは、昨年の夏、この万国津梁館がある名護市で、肝清(ちむじゅら)祭という、全県四十の高校から二百名以上の高校生ボランティアあるいはボランティア活動に興味のある生徒が二泊三日のプログラムに参加する、そんな集会を開きました。そこで、みんなで、さまざまなことをそれぞれに学んでいきました。
 その大会のプログラムである記念講演で、「沖縄の現状と課題」というテーマで、戦後史について研究している先生の話を聞きました。沖縄にある米軍基地の多くは、戦後すぐの時期にアメリカの銃剣とブルドーザーによって強制的に取り上げられたものであること、そうした悔しさの積み重ねが、復帰前の沖縄の人たちが新しい憲法のもとに帰る闘いに取り組むエネルギーになってきたこと、せっかく復帰したのに、沖縄にはこんなにたくさんの基地があること。私は、沖縄にいながら、この話を聞くまで、沖縄の基地問題について余り詳しくは知りませんでした。
 この講演を聞いた後、戦争についてもう一度考えてみました。かつての日本は、明治憲法のもと、軍国主義政策によって戦争の惨禍を生み出してしまいました。この過ちを二度と繰り返さないようにとの願いを込めて、憲法九条で戦争放棄、恒久平和をうたっているのだと思います。
 今、有事法制についての話が持ち上がっていて、あらゆる有事に備えるべきだとの意見が出ています。私には、この有事法制がどういうものか、また、施行されたらどうなるか、正直言うと、まだはっきりとイメージがつかめているわけではありません。しかし、私たち日本人は、戦争という悲劇でたくさんの苦しみを体験してきました。有事法制は、こうした過ちにまたつながってしまわないか、また国民の権利が制限されないか、平和を脅かしてしまうのではないかなど、さまざまな疑問が浮かび上がってきます。
 また、この大会のフィールドワークと呼ばれるプログラムで、私は、これも名護市にある沖縄愛楽園で、ハンセン病回復者の体験を聞く機会に恵まれました。そこで、人権についても考えさせられました。戦前、ハンセン病は、治らない病気、感染する病気であるとの間違った認識が定着し、患者たちは社会から排除されていたそうです。偏見や差別を生み出した原因、それは、らい予防法という非科学的な法律による強制的な隔離だったのです。
 ハンセン病患者は、子供をつくってはいけない、仕事についてはいけない、外出制限など、さまざまな形で法に縛られ、人間らしい生活を送ることができなかったそうです。医者や看護婦でさえも完全防備で接していたりして、全く人間扱いされていなかったという話を聞いて、とてもショックを受けたし、何より、こんな法律が最近まで九十年間も存在し続けたということに最も驚きました。そして、人間らしく生きるために基本的人権の保障をうたっている今の憲法がどんなに大切なのかを感じました。
 一方、ハンセン病患者自身が、病原菌は空気感染せず、菌の力も弱く、発病しない場合も多いし、自然に治るケースもあるということなど、科学的な知識を身につけ、それを武器に、自分たちの権利を広げるために闘っていた話に感動しました。
 私の学んでいた高校にも、女生徒に全盲の先輩がいました。彼女とは、ボランティア活動を通して少しかかわりました。正直言うと、先輩はどういうふうに学校の授業を受けているのだろうか、ふだん一人でバスに乗ったりして大丈夫なのかなと思ったことがありました。しかし、健常者である私たちとほとんど変わらず接することができたのにかえって驚かされてしまいました。
 間違った認識を持つことで差別や偏見が生まれ、人々の心を傷つけてしまうのです。無関心で真実を知ろうとしない姿勢を大勢の人が持ってしまうことで、これほどまでに悲しい出来事が起こってしまったのです。正しい知識を身につけることがどれだけ大切なことか、改めて実感しました。
 今、障害者や女性、子供といった弱い人たちの権利が確立されつつあります。しかし、夫婦間の暴力や女性の人権など、さまざまな課題が残されています。例えば、いわゆるDV法が施行されましたが、今でも、夫や恋人の暴力による女性の人権侵害がまかり通っています。女性を暴力から守るため、こうした法律をもっと多くの人に知ってもらいたいと思います。
 そのためには、知らせる活動を強化する、相談所を各自治体単位で設けるなど、行政での取り組みが必要です。また、よく報道される子供への虐待についても、よりよくするよう改善しなければなりません。どちらも、今の憲法にうたわれている精神を大切にすることで十分実現できると考えています。
 学ぶことは、義務ではなく、権利である。高校三年間のボランティア部での活動を終え、大学に進学して、いろいろなボランティア活動に挑戦しようとしている今、私は、胸を張ってそう言いたいと思います。
 共生的な、ともに生きる関係をつくっていくため、憲法の精神を大事にして、地域に支えられた体験活動を大切にしたいと思っています。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、安次富修君にお願いします。
安次富修君 こんにちは。安次富修と申します。私は、沖縄県本島中部の宜野湾市にあります普天間基地のすぐそばで生まれ、今日までその普天間基地のすぐそばで生活をしております。現在は沖縄県議会議員の職にあります。
 本日は、衆議院憲法調査会の各委員の先生方におかれましては、公務御多忙の中、沖縄での地方公聴会を開催していただき、感謝と歓迎を申し上げます。さらに、専門的な知識を有する皆さんと一緒に、若輩の私が意見を述べる機会を与えていただきましたことに改めて感謝を申し上げます。
 それでは早速、私が日ごろ感じております憲法問題全般について、県民の一人として、県民の視点に立って所見を述べさせていただきます。
 さて、我が沖縄県は、去る太平洋戦争において最後の地上戦の場となり、二十万人余りのとうとい生命と貴重な文化遺産が失われました。沖縄県民は、このような深い悲しみを背負い、それでもそれを乗り越え、南国特有の楽天的な明るさで生き抜いてきたところであり、平和を非常に誠実に受けとめ、深い平和思想が根づいているところであります。
 だからこそ、沖縄県政におきましても、平和行政が力強く推進されているところであり、平和の礎、平和祈念資料館の建設、沖縄平和賞の創設など、平和を希求する沖縄の心をアジアや世界に発信し、恒久平和の創造に向け、独特のメッセージを持った地域であると考えております。
 また一方で、戦後二十七年にわたる米軍施政下の歴史があり、今なお広大な米軍基地が沖縄に存在しており、米軍基地の整理、統合、縮小は、そのアプローチにおいて方法は異なっていても、保革の思想を超えた県民の総意であると考えます。
 しかしながら、厳しい国際情勢の中で、日米安保条約のもとに、沖縄における米軍のプレゼンスが、日本を初め東アジア太平洋地域の平和と安全、安定に寄与していることも現実であり、まさに平和と沖縄、基地と沖縄というように、沖縄問題を真正面からとらえ議論を深めることが、日本国憲法をより客観的に理解し活発化させることにつながると確信しております。特に、憲法前文の恒久平和の理念、第九条の戦争放棄、地位協定に見られる人権の問題など、沖縄にその縮図があると言っても過言ではないと思います。
 そこでまず、いわゆる平和憲法についてでありますが、御承知のとおり、憲法改正論議の賛否両論の根幹をなす条項は第九条であります。前半部分は戦争の放棄、後半の部分は、陸海空の戦力はこれを保持しない、国の交戦権はこれを認めないということでございますが、実際には、自衛隊の存在を、自衛のための武力の保持まで否定したものではないとし、武力を行使しなければ自衛隊を海外に派遣しても構わないと解釈するものであり、これに基づき国際平和維持活動や後方支援活動が行われており、この立場から政治も進められており、私もそれを支持するものであります。
 ただし、この第九条の背景をなすものは、平和の構築であり、戦争の放棄に向けて前進する理念であると思います。そういう意味からしますと、より未来的で射程の長い高度な理念であります。
 しかし、残念ながら、世界の諸国はいまだ日本の憲法九条のような高い理想を現実とするレベルに達していないのであり、イスラエル・パレスチナ紛争や民族紛争、宗教戦争などの地域紛争は絶え間なく続いており、昨年のアメリカ中枢を襲った同時多発テロはもはや問答無用のテロ戦争であり、絶対の平和や絶対の安全というものからはほど遠く、世界は流動しており、日本が国際社会の中でどう生きていくのか、そのために何を行わなければならないのか、どんな国際的な役割を担っていくのかということを真剣に考えるときにおいて、日本は自衛のための必要最小限度の武力の行使ができる現実的有効性を持った自衛力を保持すべきであり、自衛隊は市民権を得ているという考え方に立ち、よりわかりやすく憲法に明記すべきではなかろうかと考えます。
中山座長 静粛に願います。
安次富修君 それでも、戦争の放棄という理想への道は決して閉ざすことなく、自衛力を行使するためには、国民の直接コントロールシステムをつくることが必要不可欠であると考えます。例えば国民投票のような、重要事項の決定について、いつでも国民に開示されているシステムがなくてはならないという思いです。
 さらに、沖縄県民としての平和論議や防衛論議、先日国会に提案された有事関連三法案の議論に向き合うには、沖縄県民にとってはより真剣で切実なものがあり、国民の生命財産を守り、平和を近隣にもたらすためのナショナルセキュリティー、つまり安全保障の枠組みを具現化する上での沖縄の重要性、しかし、それがゆえに起きる米軍の事件事故は地元の人間の尊厳にかかわる問題であり、ヒューマンセキュリティーとして、人間の安全保障が確立されなければならず、人権尊重の面からも、日米地位協定の改定も視野に入れた議論がなされるべきだと考えます。
 次に、昨今の国会議員による不祥事や汚職事件、族議員の問題や各省庁への圧力や公共工事での口ききの問題など、政と官をめぐる議論がクローズアップされる中で、憲法第四章国会の条項について所見を申し上げます。
 第四十一条「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」とあり、司法、立法、行政の三権分立の国家であります。ところが、第六十三条には、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、」「何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。」とあります。つまり、国会議員は大臣を兼務しているところでありまして、これでは立法権、行政権が完全に分立できていないのではないか。さらに、第五章内閣における第六十八条には、国務大臣の任命について、その過半数を国会議員の中から選ばなければならないとされており、立法府の人間が行政府の長となるところから三権分立の精神が崩れ、政と官との癒着やよどみが生じているのではなかろうかと感じます。
 米国においては、憲法上、連邦政府の閣僚はすべて非議員でなければならないとされ、連邦政府と連邦議会とが対峙する三権分離主義がより明確にされているということですが、日本においては、政党政治、議院内閣制がとられております。
 そこで私は、国会議員は、大臣に就任すると同時に国会議員を辞職するとか休職するとかの何らかの改正が必要ではないかと考えます。そのことによって三権分立がよりはっきりすると思います。
 次に、第八章地方自治についてでありますが、地方の時代とか地方分権が叫ばれて久しくなりますが、二十一世紀を迎えた今日、まさに地方の時代にふさわしい憲法のあり方が問われているのではないでしょうか。なぜならば、現憲法の第九十二条から九十五条にかけての地方自治の項目は、地方の時代や地方分権が力強く反映されておらず、いかにもなおざりであり、時代の流れに取り残された感があります。日本という国家が明るく生き生きと運営されていくためにも地方自治の充実が不可欠であり、憲法において、国家のシステムにおける地方自治の位置づけや、国と地方との役割分担をもっと明確にすべきであると考えます。
 日本は、狭い国土にもかかわらず、地域社会はそれぞれにその地理的条件、歴史、文化、人口構成、産業構造などが違い、個性的であります。沖縄県を例に挙げますと、全国の中でも際立った地域特性を有しており、これらの特性はそれぞれに優位性と不利性の両面を持っており、これからは、沖縄の特性を積極的に生かし、アジア太平洋地域の社会経済及び文化の発展に寄与する特色ある地域として整備を図り、平和で安らぎと活力のある沖縄県を実現することを目標に、新たな沖縄振興や新たな沖縄新法が策定されたところであります。地方自治の自己責任の原則にのっとり、自主財源の確保や市町村合併の推進、大胆な規制緩和など、住民の自律と地方経済の発展を後押しするための憲法の確立を目指すべきだと考えます。
 最後に、我が沖縄県は、二十一世紀に入っても、なお当分の間はその地政学的な重要性は変わらず、特に日米安全保障体制のキーストーンの役割を果たすものと考えられます。そのような中で、沖縄は、自立経済の発展をアジアに求め、アジアと共生することを新たに打ち出しました。日本の南の玄関口として、金融特区の実現や自由貿易地域の指定など、一国二制度的導入の実験は政府の熱い期待を集めているところであり、二十世紀の不幸な歴史を乗り越えて、この沖縄が品格ある国家の一員として力強く前進しなければならないと考えます。
 既に世界はボーダーレス化し、地球主義の時代に入り、もはや一国平和主義から脱却し、国家のあるべき姿、日本のあり方を深く考え、国家の基本となる憲法を見詰め直す、決して性急ではなく、広くオープンな全般的にわたる改正論議が必要だと考えます。
 以上です。どうもありがとうございました。
中山座長 ありがとうございました。
 以上で意見陳述者からの御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
中山座長 これより意見陳述者に対する質疑を行います。
 まず、派遣委員団を代表いたしまして、私から総括的な質疑を行い、その後、委員からの質疑を行います。
 先ほどから注意申し上げていますように、傍聴席からの御発言につきましては、委員からの質疑の後に時間があれば――再三注意しておりますから、この際、議場の整理の都合上、退場を命じます。
 傍聴人の方に申し上げます。
 皆様方は、法律をお互いに守ることが原点であります。国会法四十八条、五十二条、衆議院規則六十六条、同七十四条によって、委員長は委員会の秩序を維持するため、必要があるときは傍聴人の退場を命ずることができると決められております。よって、これに基づいて退場を命じます。
 御静粛に願います。傍聴席からの御発言につきましては、委員からの質疑の後に発言をする機会を考えておりますので、この質疑が行われておる中間点での御発言は認めません。――この会場の運営につきましては、憲法調査会規程第六条の規定によって運営されております。それが原点でありますから、その原点に反対する人は退場をしていただかなければなりません。――国家権力のやり方ではないと私は信じております。国民の代表者が集まって決めた規則に基づいて運営しているのでありますから、そのような暴言は認めません。――発言を御希望の方は、あらかじめ衆議院憲法調査会が公述人の一般公募を行っておりまして、公募をされた方の中からきょう御発言をいただいているわけでございますから、すべての沖縄県民に対して公募をいたしました。それをよく御理解してください。
 それでは、議事を進めます。
 まず、参考人の方に申し上げます。
 現在までいろいろ御発言をいただきましたが、ちょうど、この沖縄という島は戦争によっていろいろ悲惨な経験をされましたし、その点について私もよく存じております。その沖縄県できょうお伺いしたいことは、日本の安全保障についてどうお考えかということについて、公述人から、私の持ち時間が十五分ですから、二分で結構でございますから、お一言ずつおっしゃっていただきたいと思います。
 山内徳信君、お願いいたします。
山内徳信君 今、中山会長から、日本の安全保障についてどのように考えておるかという質問でございました。
 私は、今の憲法に接しましたのは、敗戦後六年目の一九五一年、読谷高校の生徒になったときでありました。その当時、私たち高校生に配られた教科書は、文部省発行の「民主主義」という表題のついた教科書で、その中に、初めて平和主義あるいは主権在民、基本的人権の尊重等々が書かれております。そして、いよいよ日本は、この憲法にのっとって平和国家をつくっていくんだ、もう戦争は真っ平だ、再び武力を持つことはしない。
 それはなぜかというと、過去の戦争とは違う、広島、長崎を初め沖縄のこの戦争、本土の大都会の空襲を目の当たりにした戦後の政治家たちは、これからもっと軍事力あるいは軍事技術は向上していく時代に、まともに戦争をしたときには大変なことになる、そういう立場からこの憲法を制定した、こういうふうに当時の文部省もあるいは関係者は口をそろえて言っております。さらに、「あたらしい憲法のはなし」、そういう本も出てまいります。したがいまして、私などは、そういう憲法を大事にしなければいかない。
 私の同級生もそばで死んでいきました。私の先輩後輩たちも爆弾を撃ち込まれてあの洞窟(がま)の中で死んでいきます。そういう体験をして生き残った者として、再び銃をとるまい、再び武力国家になってはいかない、アジアの国々とともに生きていく、そのことが最も大事だ、そういう立場に立って今日まで私も生きてまいりました。
 したがいまして、日本の安全保障は、武力によって国の安全保障を考えるんじゃなくて、今の平和憲法に示されておる理念を積み上げていくその努力が大事であって、過去的な、後ろ向きな、武力を持てば国が守れるなんというのは間違っております。
 明治のスタートをしたときに、富国強兵という、国を富ませて強い軍隊を持つことによって日本は発展すると思ったんですが、そういうスタートが間違っていた。だから、日清、日露、第一次、第二次大戦、そして最後は原爆を撃ち込まれる。これだけの歴史的体験をした日本国民として、同じ過ちを踏んではいかない、こういうふうな立場に立ちますので、日本の国の安全保障も、あるいは人間の安全保障も含めて、平和憲法の実現を積み重ねていく、その努力が今、とりわけ政治家に問われておるし、国民に問われておるものだと思います。
 以上です。
中山座長 ありがとうございました。
 傍聴人の方は、拍手は御遠慮ください。
 新垣勉君。
新垣勉君 今座長から質問がありましたけれども、私は常識だと思います。国の安全保障の基礎は何か、それは諸国間の信頼関係だと思います。どのような場合であれ、安全保障の原点は、信頼がなければならないと思います。
 次に、憲法九条は理念ではありません。これは憲法の規範なんです。私どもが守るべき大切な国の基本なのであります。ところが、どうでしょう。憲法九条は明確に書いております。陸海空軍その他の戦力を保持しない、これほど明快な日本語がありますか。そうであるにもかかわらず、あれこれの口実をつけて自衛隊を持ってきたのは政治であります。自国の憲法を守らない政府を国民は信頼できますか。ましてや、外国が日本の国を信頼できますか。できるはずはありません。
 もう一つ。私たちは、これまでたくさんの国民を殺りくしてきました。あの太平洋戦争で二百万から三百五十万の人が死んだ。なぜ日本国は、あれが侵略戦争だったという厳然たる事実を認めて反省しないんですか。反省なき者の言葉は、どんなに美辞麗句を言っても信用しません。私は、この二点が日本の安全保障を危うくしている最大の原因だと思います。
中山座長 ありがとうございました。
 質疑時間が限られておりますので、十分御理解をいただきたいと思います。
 次に、恵隆之介君。
恵隆之介君 私は、昭和五十二年から五十五年までは実は海上自衛隊の士官でありまして、護衛艦に乗って日本海をパトロールしておりました。
 今だから申し上げますけれども、当時、日本海は、ソ連、北朝鮮、中国の不審船のオンパレードでありました。そして、この不審船が、我が方の漁船とか、不審な行動を目の前でしているんだけれども、我々はどうすることもできない。艦長に、何とかせにゃ、これは弾を撃ったら国際問題になるから、せめてアイスランド海軍がタラバガニの紛争でイギリスのフリゲート艦に体当たりしたみたいに、少しでも意思表示しましょうと言ったけれども、いや、おれは退職金がもったいないからなということでなっちゃった。
 今見ましたら、日本からかなりの方々が拉致されたりしている。皆さん、自分の娘がもしそうでもなったらどうしますか。世の中、きれいごとばかりじゃないですよ。それをよく認識していただきたい。
 やはり、国家の主体というのは、ある程度の警察権、交戦権をもって不正な者にはその場で臨機応変に対応しないと、幾ら政治が何だのかんだの、平和が何だの言っても、失われたものはなかなか回復できないんです。
 それと、もう一つ。復帰して沖縄県は十兆円も国からもらった。戦前よりははるかに生活もよくなった。そういう点で、やはり日本国民として苦難を分かち合う、沖縄だけ被害を受けたからもっとくれじゃいけないと思います。そういうことであります。未来に向かって生きたいと思っております。
 以上です。
中山座長 ありがとうございました。
 垣花豊順君。
垣花豊順君 私は、二十年ばかり保護司という仕事をしております。少年院とか刑務所から帰ってきた人たちの生活指導をすることであります。
 どうして犯罪をやるのかという学問もありますけれども、どうして被害者になるのかという学問もあります。被害者には、被害者になるだけの理由が多かれ少なかれあるわけです。もちろん、犯罪者が一番悪いですけれども、被害者にも被害者になるだけの何らかの落ち度があるのが普通でございます。
 これを大きく考えますと、国の場合もそういうことが言えるだろうと思うんですよ。だから、国が外部から侵略を受けないためには、侵略を受けないようなことをすればよろしいわけです。そうしたら、どういうことをすればよろしいかということになりますと、それは国連憲章前文とか世界人権宣言などにありまして、結局、各人が、先ほどの言葉で言いますと、個人の尊厳を守る、家庭をよくし、それが地域社会、国、こういうだんだんと広げていくことが大きな抑止力になります。
 ついでながら申し上げますと、地味な組織ですけれども、東京・府中には、アジア犯罪防止研修所という国連の機関がありまして、アジアの諸国を中心に世界各国から、そういう犯罪防止、麻薬等も含めて、研修所があります。
 軍備力をふやすよりは、そういうソフトの面から外交も深めて、人と人とのつながりを深め、それから内部的な犯罪を深めていくことがより戦争の抑止力になるのではないか、そういうふうに考えております。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、稲福絵梨香君。
稲福絵梨香君 武力によっての安全保障は間違っていると思います。戦争という忌まわしい過去があるにもかかわらず、また武力によって、軍事力によって国を守るということはおかしいと思います。そういうことをするのではなく、戦争放棄、恒久平和追求など、平和憲法を他国にも広げていくべきだと思います。
 以上です。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、安次富修君。
安次富修君 安全保障の観点から申し上げますと、積極的に国際貢献をするべきだと考えます。そして、国連のもとに国際平和維持活動、もちろん、平和主義を掲げ、それが受け身であってはいけないと思っております。積極的にこの国際平和に貢献する立場が、グローバルな安全保障に貢献するものと考えております。
中山座長 以上をもちまして、私の質疑を終わらせていただきます。
 傍聴席からの発言は禁止しております。不規則なことをやると退場を命じますよ。――退場を命じます。再三の注意にもかかわらず静粛に願えないようでありますので、会議の秩序を乱す傍聴人に対しては退場を命じます。
 次に、質疑の申し出がございますので、順次これを許します。久間章生君。
 別に、今憲法を改正することの議論をしているわけではありません。それを御理解いただきたい。――予定の質疑が終わりましたら、若干時間が残っておれば傍聴人からも発言を認めます。今はできません。会議の進行上できません。あなたもおかしいですよ。先ほどから再三私は法律に基づいて発言しているんです。法治国家では決めたことに従ってください。――何を言っているんですか。公述をしていただいている方は、こちらにいらっしゃるわけです。――退場を命じます。これ以上は、あなたにはもう答えられない。――傍聴者は傍聴者です。原則を守ってください。傍聴人の発言を禁じます。
 久間章生君。
久間委員 時間がありませんので、一番考え方の違いがはっきりしております山内さんにお尋ねいたしたいと思います。
 先ほど、インドのマハトマ・ガンジーの無抵抗主義を例に出してお話しされました。私も、インドが独立するときに、あの強力なイギリスを相手にしていろいろなことをするよりも、さぞかしつらかったろうと思うけれども、あのやり方は非常によかったと、ガンジーに対しては尊敬をいたしております。しかしながら、そのインドも、独立しました後は、やはり自分で軍隊を持って、中国あるいはパキスタン、そういったところに万一に備えておるわけであります。
 そういうことを考えますと、御承知のように、我が国が、敗戦の中でああいう憲法をつくって、平和主義としてこれから先生きていこうと決意した、私は、それはそれで非常によかったことだと思っております。しかしながら、独立をすると同時に、我が国としても、やはり自衛隊は必要だということと、自衛隊だけでは十分ではないからということで安保条約を結ぶということをやったわけであります。
 こういうような結果、我が国は、戦後五十年以上にわたって平和が続いてきたということは、我が国としては大変よかったというような思いがしておりますけれども、やはり今日においても、山内さんにおかれましては、自衛隊すら要らないと考えておられるのかどうか、その辺をもう一度お聞かせいただきたいと思います。
 それからもう一つ、憲法九十九条で遵守の義務があるからと言われました。これは確かに、私たち政治家にしても、また公務員にしても、地方自治体にしても、憲法は守っていかなければならないわけであります。しかしながら、守るということと、その憲法が五十年以上たった今日、それの改正について検討しようかということはまた別じゃないか、そういうような思いもいたします。
中山座長 傍聴人の方は静粛に願います。
久間委員 こういう会場でも、このように憲法の改正をどうしようかという議論をすることすら許されないような、そういうような意見を出されること自体が、まあ沖縄は確かに特殊なところかもしれませんけれども、相手の意見を封じるような空気。憲法改正について、わざわざ憲法の中にそういう規定があるにもかかわらず、遵守義務という名前のもとに、憲法を改正しようとすることについて議論すること自体もいけないのか、許されないのかどうか、その辺についてのお考えを聞かせていただきたいと思います。
山内徳信君 私は、地方自治体の首長を六期させていただきました。そして今、日本は世界一の長寿国を誇っております。二〇二〇年、二五年、それは大変な状態になります。少なくとも私は、自治体におりますときから申し上げておりますことは、今の自衛隊がそのままの性格で存在していては、日本の国そのものが崩壊してしまう。これだけの離島を抱えている日本にあって、自衛隊を思い切って二つに改編をしていく。
 一つは、福祉貢献隊という、若い青年たちが離島のヤングパワーのいないところへ行って介護に従事をする、その他福祉関係に貢献をする。そういう意味で、福祉貢献隊というのはおもしろいねと、私の施政方針には何度かそれが書いてあります。あと半分は、天災地変に備えて、日本の天災地変に対するレスキュー隊的な存在に変えていく。そうすれば、今のような見解が二つに分かれるということもありません。
 そして対外的には、日本の貢献は、何も自衛隊をインド洋まで派遣するとか、あるいは他国の戦争の後方支援に頑張ってもらうとかいうことじゃなくして、世界の国々がやれないほどのたくさんの貢献の方法はあります。それは、むしろ相手の国から喜ばれる、そういう貢献は、教育、医療、福祉あるいは道路をつくってあげる、井戸を掘ってあげる、いっぱいあるわけです。
 そういうふうなところに思い切って発想の転換をしていくことが、諸外国から日本は信頼され、尊敬されていく道だろう。そのことは、とりもなおさず憲法が提起しておる、そういう日本の国づくりに結びついていくと考えております。これが久間さんへの第一番目のお答えにさせていただきたいと思います。
久間委員 今言われました九十九条と改正について、それに対してはどう考えておられるのか。
山内徳信君 九十九条については、実は私は、私の執務室には、憲法九十九条を額縁に入れて張っておいたんです。それはなぜかといいますと、政治にくちばしを入れてはいかないはずの人々が、戦後、憲法が制定されてから、例えば天皇メモというのが二回出てまいります。
 したがいまして、今の長期にわたって沖縄がアメリカ軍の基地を背負わされて、大義名分は地政学云々で言われておりますが、地政学というのは、戦前までの戦略上の話であって、これだけ技術が進んだこの時代まで過去の地政学をもって沖縄に半世紀以上も基地を押しつけるということは、これは政治が間違っておると思います。
 そういうことを許した天皇メモというのが、細かいことは申し上げませんが、対日講和条約発効の前に既にアメリカに届けられました。そして、二十五年で短いならば、五十年以上も沖縄の統治を皆さんにゆだねても結構ですよという趣旨のメモが渡されております。
 そして、その次に内閣という言葉が九十九条の中に出てくるわけですが、敗戦後の日本のあの五年間ぐらいの政治家たちは、広島を見て、アジアのあの悲惨な状態を見て、そして若い青年たちが神風特攻隊として飛び込んでいく、軍艦とともに南海の藻くずに消えていった、そういう状況を知っていた政治家たちは、ここで思い切って戦争を放棄し、戦力を否定して、交戦権を否定して、そのことが日本の恒久平和に結びつくと、本当にまじめにそう思ったんですね。
 ところが、五〇年代に入りますと、自衛隊は、国民の求めに応じてできたものじゃなくして、当時の国際情勢の中で、アメリカに求められてスタートをしていく。その後、ずっと歴代内閣は、そういう状態が続いてきたわけでございます。
 したがいまして、二十一世紀に入って、思い切ってそういう安全保障のあり方を人間の安全保障に切りかえていく。そして、沖縄の基地問題についても、聖域なき改革とおっしゃっておるならば、沖縄に新しい基地を二十一世紀になってなおつくらすということは、これは大変な時代錯誤と申し上げなければいかないわけであります。
 以上申し上げまして、もう時間も制約がありますから、以上でお答えにさせていただきたいと思います。終わります。
久間委員 どうもかみ合わないようでございますから、もうやめます。
 それでは、違った角度から恵さんか、あるいはまた安次富さんにちょっとお伺いしたいんですけれども、日本がまだ国連に入る前にこの憲法はできておりました。その後、国連に入りました。国連は、幸い今国連軍というのはありませんけれども、安全保障体制の中に入ったときに、日本がどの程度これに貢献できるか、そういう中において今の憲法で十分かどうか、この議論が今実は我々の仲間でもされておるわけです。
 だから、本来ならば、国連に入るときに同時にこういうものは整理しなければならなかったんじゃないかなと思っておりますけれども、おくればせながら、今日、これからそういう国連の一員として活動するに当たって、現在の憲法で十分かどうか、その辺についてのお考えを恵さんから、そしてまた安次富さんから、簡単で結構ですから御意見を伺いたいと思います。
恵隆之介君 現行憲法では、国際治安維持部隊とかピース・キーピング・フォーシズに参加するのは、憲法の集団的自衛権とか戦力の行使につながりますので、とてもできないという状況がありますから、我々が平和を標榜するのであれば、我々の身の危険を冒しても、ある程度国際平和に貢献せないかぬ。そのためには、現行憲法ではできませんので、現行憲法を変えて、集団的自衛権を行使するということだけでもせめて明文化できれば、もう少し我が国が大人として国際社会に貢献できるんじゃないかということを思っております。
 以上です。
安次富修君 国連における日本の国際平和維持活動、後方支援活動、これは大事だと考えております。これは、ハード面、ソフト面、大事だと考えております。これからも積極的にそれはなされるべきだと思いますし、そのために、現行憲法の中でその制約があるとするならば、私は、積極的に国際貢献できるように憲法を改正すべきは改正すべきだと思っております。
久間委員 それから、ボランティア活動に参加されたという稲福さん、大変貴重な御意見ありがとうございました。
 今、稲福さんが言われるのは、これから先、新しい憲法をつくっても、義務化するのは余り好ましくないと。そういうふうにすべきじゃなくて、むしろもっと参加できるような雰囲気づくりをすることが大事だとおっしゃられた。
 そのとおりだと思いますけれども、ただ、現行憲法は、戦後から今日までもうかなりたっておるものですから、そういう福祉の問題とか、あるいはまた環境の問題とか、当時は余り表に出ていなかった問題等を社会自体が含んできているから、そういうことについても規定したらどうかという意見が結構あるんですけれども、これらについては、またそういう角度からの改正というのは賛成なのかどうなのか、御意見があったらお聞かせ願いたいと思います。
稲福絵梨香君 奉仕活動やボランティア活動というものは、本来自発的に行うものであって、義務として押しつけられてやるものではないと思っています。
 ですから、義務として押しつけるのではなくて、青少年が積極的に活動しやすいような地方自治体での場をたくさんつくっていくことが必要だと思うので、義務化するのは反対です。
久間委員 ありがとうございました。
 最後にもう一点だけ山内さんに、ちょっと気になったんですけれども、自公保連合はファシズムだというふうなことを言われましたけれども……
中山座長 静粛に願います。
久間委員 何をもってファシズムというふうに言われたのか、若干ファシズムという言葉にひっかかったものですから。
山内徳信君 私は、ファシズムという言葉を書きながら、歴代の内閣を全部チェックしてみたんです。そうしますと、ごく最近までの内閣も、靖国神社の問題をめぐっても、思い立ったが、隣国の動きとかいろいろな国内の状況を見て、思いとどまる心のゆとりが過去の内閣総理大臣などにはあったんです。行かれた方もいたんですが、行かれた内閣でも、その後は待てよと、こういうふうなのがあったんです。
 しかし今、小泉首相を見ておりますと、私は、あの勢いは、勢い余って、国民の存在、主権在民ということをもっと大事にしてほしいのに、したがって、全体主義的な、あるいは軍国主義的な、とりわけこの有事三法案を、歴代内閣は研究をしてこられた、専門家も研究はしてきたわけですが、ここに来て一気に提案をするというこの状況は、将来を見通してみたときに、やはりそういう表現をせざるを得ない、こういうふうに私は考えたからああいう表現をさせていただいております。
 以上です。
中山座長 これにて久間君の質疑は終わりました。
 次に、島聡君。
 傍聴席の発言は認めません。
島委員 もう私の発言が始まっておりますので、お静かに願います。――私の発言が始まっておりますので、お静かに願います。
中山座長 今委員が発言の最中でありますから、御遠慮願いたいと思います。
島委員 本日、私は、平和の礎を拝見したりしまして、非常に厳粛な面持ちでこの憲法調査会に向かいました。ところが、こういう状況は極めて残念に私は思っています。
 まず、憲法の議論でございますので――私の時間でございますので、お静かに願います。
中山座長 再三の注意にもかかわらず静粛に願えないようでありますので、会議の秩序を乱す傍聴人に退場を命じます。
 島聡君、どうぞ続けてください。
島委員 本当に今、決して、このすべてが沖縄の姿ではないと私は信じておりますが、私どもがきょう平和の礎を見、そしてかつ、ここには憲法九条の碑というのがあるということも聞いております。そういう流れの中で、幾つか御質問をさせていただきます。
中山座長 静粛に願います。
島委員 ちょっと、私、質問がきちんとできませんので、お静かに願えないでしょうか。公述人の方にも失礼に当たりますので、お静かに願いたいと思います。
 それでは、質問に入らせていただきます。
 今の非常に大きな話の中で、きょうは、憲法九条と有事法制の話と新しい人権の三つを聞きますので、手短に御示唆の方をお願いしたいと思っています。
 まず、恵さん、そして安次富さんにお尋ねします。
 今国会では、武力事態法案、いわゆる有事法制三法の議論がされています。
 私たちはこう考えています。きちんと法制度をつくらなければ、本当に緊急事態あるいは有事が起きたときに基本的人権が守られない。だから、憲法の基本的人権を守るためにも、法制度をきちんと整備すべきである。その内容についてはまだいろいろあると思います。例えば、きのうも稲嶺知事にお聞きしましたけれども、県に首相が代執行を命ずるとか、そういうところに対しては慎重な議論が要ると思いますが、基本的人権を守るためにも、法制度の整備が必要であると私は思いますが、特に恵さんなんかそういう実体験もあるということでありますが、それについて、沖縄にお住まいで、実際に日本において有事を経験された場所でございますから、その観点を踏まえてお答えいただきたいと思います。
恵隆之介君 まず、これは二段階にわたって申し上げたいと思います。一つは、基本的人権とおっしゃいますけれども、公の安定秩序のためには、基本的人権は時によっては制限されてしかるべきじゃないか。これはちょっと例えが悪いかもしれませんけれども、今沖縄の国道沿いで暴走族の音が非常にうるさい。そして、この国道沿いの病院では睡眠薬を患者に配っておる。警察に一一〇番したって、警察も怖がって追っかけ切れないという状況でありますから、やはり安定秩序を維持するためには、ある程度の基本的人権は抑制されてしかるべきじゃないか、そう思っております。
 それともう一つ、米軍が悪かった云々と言いましたけれども、これはちょっと横道にそれるかもしれないけれども、基本的人権を尊重したのは、私は、戦後の米軍だったと思いますよ。
中山座長 傍聴席の方、静粛に願います。
恵隆之介君 だって、らい病だって、今そこのらい病患者の愛楽園には、米軍の民生部長の遺骨が大切に保存されています。それは、米軍が沖縄に来て、らい病はうつりません、オープンシステムでいきましょうと言って、相当日本と違うシステムでやったんですよ。
中山座長 静粛に願います。
恵隆之介君 ですから、基本的人権、人権と言いますけれども、これは国家社会があっての基本的人権でありますので、そこを御理解いただきたいのと、そして、有事にあってもなお基本的人権と言っている自体が、それは極端に言うと有事じゃないですよ。
 今、アメリカを旅行されたら御理解いただけると思います。ヨーロッパを旅行されても御理解いただけると思いますけれども、靴の中までチェックしますよ。これも、基本的人権からいえば、人間の尊厳を害していますよ、足の裏を見るのと一緒ですから。そういうことを、今の先生方は少し平和に甘んじておられるのじゃないかというのが私の感想であります。
 以上です。
安次富修君 万が一というのはあり得るという観点に立たなければならないと思っております。特に、米国のあのテロからしますと、いろいろな意味で、万が一はあり得るという観点、そして私は、自衛隊はもう市民権を得たという考え方を持っておりますし、実はことしも二月に沖縄から百名余りの若い青年諸君が自衛隊に入隊をいたしまして、千人余りの中から百名が試験の結果入隊をいたしまして、堂々と誇りを持って、私もまた大いに激励をしていきたいと思っておりますし、自衛隊を信頼していきたいという観点から、万が一に備えるべきだと思っております。
島委員 稲福さんに、大学生ということなのでお聞きしたいと思います。
 稲福さんの御意見じゃなくて結構です。若い皆さんがどう思っていらっしゃるか。
 先ほど、久間先生もおっしゃいましたけれども、今憲法調査会に基本的人権の小委員会というのがあって、私そこの小委員長をやっておりますけれども、新しい人権という概念があるんですよ。久間先生おっしゃったように、環境権という概念、つまり、この沖縄のようなすばらしい環境はずっと守っていくべきである、そういう環境権というのを憲法にきちんと書き加えたらどうか、そういう意見が出ているんです。
 例えば、読売新聞なんかだと、憲法改正をしてもいいというのが五四%ぐらいですね。その中で、特に環境問題、環境権というのを入れたらどうかというのは四五%ぐらいなんです。これは日本全体の数字であります。そういうことの中で、御自身の御意見じゃなくて、若い人の意見、もしそういうような意見があって、環境権というのを、沖縄もこういうすばらしいところだから、それを守るためにも、新しい憲法の中に入れてみたらどうかというような議論があったとしたら、どんな反応があると思いますか。
稲福絵梨香君 憲法に明記しなくても、実質的には、判決で認められていたり、定着しているという状況があると思うので、憲法に明記する必要はないと思います。
中山座長 静粛に願います。
島委員 ありがとうございました。
 次に、時間がありませんので、山内さんにお尋ねしたいと思います。
 実は、先ほど申し上げたように、一時期暗たんたる気持ちでいたのです。議論ができないのかなと思っていました。だけれども、決して沖縄はそんなところじゃないと思って私はお話をします。憲法九条の問題を申し上げます。
 憲法九十九条、遵守義務が国会議員にもありますが、同時に九十六条に、憲法改正の発議は、国会の総意の三分の二によってできると。つまり、国会議員には憲法改正をするための議論をする義務もあると私は思っています。憲法九条は、第一項は完全に私も賛成であります。いわゆる平和条項、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」これを世界に輸出するという議論がありますが、世界に憲法は百八十ぐらいございますけれども、いわゆるこの種の平和条項は百二十四カ国が持っています。日本だけじゃありません。
 問題はといいますか、特殊なのは第二項でありまして、「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」というものであります。
 先ほど、山内さんがおっしゃった、例えば福祉貢献隊ですか、あるいはレスキュー隊ですか、例えば九条一項をそのままとして、自衛と国際平和維持活動あるいは人道活動に限定した通常の兵力を持てるような形にすべきだ、そういう規定をきちんと置くということをするという提案があった場合に、山内さんはどうお考えになりますか。
山内徳信君 今の憲法九条は見事にできていまして、脱法行為を後世の人々がやるかもしらぬからということで、一項、二項というふうにきちっと、それはあの惨たんたる光景を見た人々は、再びそうあらしめてはいかぬと言うのです。私は、九十九条を考えるときに、天皇から摂政から国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員、こう入っています。私も、村長時代はその他の公務員の一人です。
 どうして九十九条に国民はという言葉が出てこないんだろう。これも考えてみると、将来この憲法を改正しようという人々が出てくるとすれば、国民の間からじゃなくして、天皇、摂政、内閣、裁判官あるいは国会議員その他の公務員から出てくるんだろうと。だから、そういう職責にある人々の職名がきちっと憲法九十九条には書かれておる。これは見事だなと思っているんです。
 それと同じように、九条は、一項で戦争の放棄がうたわれていて、そして次に、陸海空軍その他の戦力は、これを持たない。ですから、やはり自衛隊という言葉で登場してきたわけですね。戦前の日本の戦力を上回る戦力を持っていて、なお今のものを戦力ではない、こういうように言う人もおるわけです。それだけではまた危ないから、最後、とどめを刺したのは、国の交戦権は認めない、戦争は認めませんよと。それは、自衛も集団的戦争も含めて認めないというのが、憲法ができた当時の認識だと私は理解しております。
 以上です。
島委員 時間ですので、これで終わりますが、先ほど申し上げましたように、九十六条に、国会議員は当然憲法を議論する義務があると私は思っていますので、議論をします。そしてまた、そのためにも、きょうお話を伺いまして、ありがとうございました。
中山座長 次に、赤松正雄君。
赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。
 本日は、六人の参考人の皆さん、大変に貴重な、さまざまな角度からの御意見、ありがとうございました。
 やじは言論の華というんですけれども、やはりある程度ユーモアがないと。どうも沖縄の皆さんのやじはユーモアがなさ過ぎる、余りにも殺伐としていると思いますね。それはいいですけれども。
 私は、実は兵庫県の生まれでございまして、兵庫県の私の先輩、地域の先輩、私は神戸で育ちましたけれども、最後の沖縄の官選知事島田叡さん、この方が実は兵庫の出身です。私は神戸三中出身なんですが、島田さんは神戸二中出身ということで、きょう先ほど、平和の礎、あの公園を見てまいりまして、そのお墓、あるいはまたその周辺のことを見るにつけて、沖縄と兵庫の関係に深い思いをいたした次第でございます。
 実は、私どもの知事をやっておりました貝原俊民という知事が先般辞任をされたわけです。それは、あの阪神・淡路の大震災から七年がたった、実は、昨日、人と防災未来センターという、あの阪神・淡路の震災の記憶をしっかりとどめておこうという意味で、非常にユニークなセンターができたわけですけれども、そういうことができたということもありまして、貝原さんはやめました。
 この貝原さんがやめるときに当たって言ったことは、先ほど言った島田叡さん、沖縄の最後の官選知事、そしてわずか六カ月であったけれども、この沖縄の県民の皆さんと、いわゆる命を賭して県知事としての責任を全うされた、こういう人のことをよく私どもの兵庫県知事は話をいたしました。そのときに、県土の一木一草まで責任を持つのが県知事の覚悟である、こういうことを言っておられたということを、私どもの兵庫県の知事がよく例を出して、県知事たるものそういう姿勢でいなくちゃいけない、そんなふうなことを言っておりました。
 あたかも、県知事に就任して十五年で彼はやめたわけですけれども、そのやめるに当たっても、あの阪神・淡路大震災で六千人になんなんとする人々が命を落としてしまった、そのときの知事として大いなる責任を感じるということで、一つの復興の形をつくることができたということで区切りをつけてやめられたわけです。私は、沖縄と兵庫に関係の深い地方自治の分野におけるこの先輩を思うにつけまして、国の平和と安全ということを狭い角度ではなくて広い角度でしっかりとらえたい、そんなふうに思います。
 片や戦争、片や大きな自然災害、大震災、こうした緊急の非常事態にどう対応するか。時あたかも、武力攻撃事態に対処する法律の国会審議というものを目前に控えておりまして、本日の公聴会の持つ意義も大変に大きいと思うわけでございます。
 日本の現行憲法は、三原理を初め世界に誇るべき内容を持っております。ここに込められた精神、原理の中で適切な対応が求められていると存じます。私ども公明党は、先ほど来出ております新しい人権と含めて、さまざまな新しい時代、状況に応じるものについて、この憲法にどう取り込むかということを含めて議論をしていくのにやぶさかじゃない。しかし、憲法第九条についてはしっかり堅持をしていくべきだ、これが公明党の基本的な姿勢でございます。
 私は、個人的には、九条を、先ほど来お話ありますように、一項、二項ともにかたくなにそれを守るということについては、多少個人としては議論を持っております。しかし、公明党の基本姿勢としては、九条厳守、そしてそれ以外の部分については大いに議論をしていこう、こういう姿勢でございます。
 そういう中で、私は、先ほどの話に関連をいたしまして今から若干具体的に御質問いたしたいと思うんです。
 貝原さんの一つの反省は、あるいは神戸市の反省は、日ごろから自衛隊との連携ができていなかった。兵庫県も神戸市も、自衛隊との共同訓練というものを余りしない、災害に対する共同訓練をしないといういわば習慣がありました。そういうことを受けて、あの震災の日に、いわば自衛隊に対する反発、そういう気分があって、感情があって、なかなかすぐに自衛隊の出動を要請することができなかったということが背景にあって、実は初動におくれを来した。それには痛切な反省をしているというのが兵庫県であり、神戸市の受けとめ方であります。
 したがって、私は、自然災害や武力攻撃から守る力としての自衛隊の位置づけというものを明確にしなきゃいけない、そのことと平和憲法には何ら矛盾するところはない、こんなふうに思っているわけであります。
 そこで、先ほど来質問が及んでいない新垣先生に御質問をいたします。
 さっき山内さんからもお話があって、自衛隊を二つの新たなる性格を付与したものにスタイルを変えたらどうだというお話がありましたけれども、地域住民の財産を守るというのは、阪神・淡路の震災を経験した兵庫県民として、自衛隊の役割は大きい、こういうふうに私は思っております。そして、いわば、あってはならない、本当にあってはならない万が一の状況において自衛隊の果たす役割も大きい、こう思っておるんですが、新垣先生の御意見をお聞かせ願いたいと思います。
新垣勉君 政治を見るときに大切な点があります。本音と建前をきちっと見分けることが重要だろうと私は思います。改憲論の中心は、何といっても第九条でしょう。恐らくこの点は異論がないと思います。先ほど、神戸の関西大震災の例を出しましたけれども、私は、自然災害に対応する日常的な組織を保有してこなかった政治の責任大だと思います。みずから自然災害に対応する専門的なきちっとした組織を持たないまま、安易に違憲の自衛隊に依存するのは、国民の目から見て到底納得できるものではないと私は思います。
赤松(正)委員 ありがとうございました。
 先ほどからお話を聞いておりますと、山内陳述人、新垣陳述人、稲福陳述人あるいは垣花先生もそうだろうと思いますけれども、恵陳述人のお立場というのは際立って少数のように見えます。そのことについて、恵さんは果たして沖縄においてごく少数派なのか、それとも自分と同じような考えを持っている人は結構いるんだということか、その辺を聞かせてください。
恵隆之介君 まず、ここで大きい声を出されている方は余り地元の人は少ないと思いますよ。沖縄県民はもともと平和を愛する県民で、人の立場で物を考えていくものでありますから、私は誤解されて心外であります。まず第一に、これだけは言っておきます。
 沖縄県民は情報をちゃんと持っているのかというのが疑問であります。例えば、問題点を二つ申し上げます。昭和四十七年、沖縄が返還されると同時に、災害救助要請も、警察署長からランクアップされて県知事になりました。ちょうど復帰して施政権が返還された直後に、粟国島で急患が発生した。ところが、当時の県政は左翼県政でありまして、自衛隊大嫌いでありますから、全然出動命令を出さない。粟国島の警察署長は、それを無視して、頼むから人命を守ってくれと言っているけれども、なかなかレスキュー隊の指令が、県庁に問い合わせても全くナシのつぶて。とうとう、辞職覚悟で独断で出ました。それで人命を取りとめました。それで、沖縄県庁は二日ぐらいして、追認という形で来ました。
 もう一つ。大田県政のときに、名護で女子中学生が誘拐されて行方不明という第一報が県警に入った。そうしたら、県警は、当時ヘリコプターのオーバーホール中でヘリコプターを飛ばせない。同じような時刻に沖縄の南部でもまた婦女暴行事件が出たものだから、県警のパトカーは二分されて手薄になっちゃった。自衛隊は、出動命令来次第、出るつもりでエンジンも回転しているのに来なかった。結局、一年後に、この女性は白骨死体で出てきたんです。
 そういうのを見ますと、やはり指揮権限というのはもっと明確にしておかないと、いざ緊急の時に、ややもするとイデオロギーが災いして、とうとい人命が失われてしまうということであります。そういうことを考えておりますと、我が日本はまだ……
中山座長 静粛に願います。
恵隆之介君 まだ普通の国になり得ていない。余りにも戦争被害、戦争被害、福祉、福祉と言って、本来、国家の……。いや、あなた、民主主義守らないとだめですよ。
 以上で終わります。
中山座長 傍聴人の方に申し上げます。場内のルールを守ってください。
赤松(正)委員 それじゃ、垣花先生、先ほど大変にわかりやすい図を使っての、教育の根本理念は個人の尊厳であるという非常に大事なお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。
 そこで、ちょっとテーマが変わりますけれども、二つお伺いしたいんです。
 一つは、保護司をなさっていたということですけれども、私のとらえ方がちょっといびつなのかもしれませんが、沖縄における犯罪は結構多い、そういうふうな認識を持って、どうしてなんだろうという疑問を持っております。これに対する先生のとらえ方、保護司をなさっての経験を踏まえてのとらえ方。
 もう一つは、今日本の教育で、先生が大学の改革ということについて触れておられますけれども、いわゆる子供たちの、大学に行く前の義務教育段階でゆとりの教育を導入しようということにしておりますけれども、このゆとり教育を今導入する中で、その御懸念というか、それに対するとらえ方について、垣花先生の今の時点におけるお考えを聞かせていただきたい。以上、二点についてお願いいたします。
垣花豊順君 どうして沖縄で犯罪が多いかということですけれども、犯罪というのは人格のあらわれですよね。どういうふうにして人格ができるかといいますと、まず母親における子宮内の生活があります。母親があります。家庭があります。社会、地球、こういうものの影響を受けて犯罪というのは起こるわけです。どうして沖縄で犯罪が多いのかということになりますと、沖縄はたしか離婚率も多いですね。また、正直申し上げて、酒気運転、無免許運転も高い方だと思います。
 どうしてそうなのかといいますと、一つは、戦後、沖縄は、男はみんな死んじゃったわけですから、そして、アメリカさんといろいろなそういうのがあったし、正直申し上げて、夜の女性の働きとかなんとか、そういうのがあった。それから、基地が隣にありますから、戦後ですけれども、そこに山積みされている物資をとるのは、沖縄の人はこれは泥棒とは言わない、戦果と言っていたんですよ。指導的地位にある人たちでとった人もたくさんいますよ。それから、立入禁止区域などがありますから、そこに入るのも犯罪というふうに評価されたりしますので、そういう面から見ますと、戦後の社会的影響、基地、そういうことなどが犯罪に影響しているかなというのも考えております。
 しかし、そうだからといって、私は、沖縄の人がいいとは申し上げませんよ。私は、米軍の犯罪に対して抗議するのに、どうして沖縄の人が犯罪を犯したら抗議しないのか、そういうふうなことをいつも言っていますので、まず自分たちをきちっと引き締める、そういう点が欠けるし、沖縄は南国ですから、南国はちょっと、どこでもそういうところですよ。ニューヨークのこじきは非常に勤勉ですけれども、カリフォルニアのこじきは非常に怠け者です。大体そういうふうなところがあって、沖縄は非常にのんびりしたところがあるということは少しあるんじゃないかなと思いますね。
 しかし、そんなに、言われているほど悪い犯罪者というのはいないですよ。よく、本土から来られた方々が、沖縄の少年犯罪というのは余り進んでいない、これはちょっと手を入れれば直る可能性がいっぱいあるというのがあります。
 それからもう一つ、私は、実はその本を書くにつきましては、公明党から出されているとか、そういう本も参照しまして、公明党の議員は、この三つの原理のもとには個人の尊厳があるということを言っておられました。ですから、個人の尊厳というのが非常に大事だということを繰り返し申し上げておきます。
赤松(正)委員 時間が来ましたから、ありがとうございました。
    〔座長退席、中野(寛)座長代理着席〕
中野(寛)座長代理 次に、藤島正之君。
藤島委員 私は、国の安全を保つのは、なかなか一国だけではできないので、国際的な機関、今で言えば国連なんですけれども、国連を非常に重要視して、我が国の安全を守っていくべきだというのが基本でありまして、それは先ほど安次富さんもおっしゃっておりましたけれども、基本は、今後の方向としてはそういう方向が大事なんだろうと実は思っております。
 一方、日米関係でございますけれども、これは御承知のように、我が国の安全保障という観点では、今まで両輪だったわけですね、自衛隊と米軍という関係で。ただ、両輪ではありましたけれども、ほとんどの力は米軍に頼っておった。その分のしわ寄せが在日米軍基地ということで、沖縄に七五%あるということで、かなりしわ寄せが来ておったということだろうと思うんですね。
 ただ、自衛隊もここまで大きくなってきますと、その関係が、私は、日本の国を守るという観点からいえば、やはり自衛隊を中心にして、日米安保の米軍の役割は少しずつ減らしていく、これがあり方だろうと思うわけであります。
 その中で、基地の問題に関していいますと、特に米軍の役割が、本当に日本を守るために在日米軍としておるのか。あるいは、アメリカの国益という面で、アメリカの国益がかつてはヨーロッパにかなり依存しておったんですけれども、経済関係がもうアジアにかなり来ておる、ヨーロッパ以上にアジア、日本に来ておるわけですね。中でも、日本以外のアジアに大変な経済関係ができておって、そこに国益が非常に集中してきておる。
 米軍がフィリピンから、クラークとかスービックからいなくなった関係上、今アジアにおいて非常に頼りにしている基地は、米軍としては、日本の基地、中でも沖縄の基地になっているわけですけれども、これはアメリカの国益になっているということであって、本当に我が国の国益になっているのかどうか。こういう観点を全体的に、日米安保のあり方を見直すとともに、基地の関係あるいは地位協定、こういうのを対等の関係で見直していく、そういう時期に来ているんじゃないかな、こう実は私は思っているわけであります。
 きょうは、陳述人の皆さんからいろいろな観点からお話があったわけであります。例えば、新垣さんや垣花さんは、個人の尊厳ということをかなり強調しておられましたし、山内さんは、平和の確立した社会、こういうことを強調されております。あるいは恵さんは、徳田さんの交戦権の否定は独立の否定、こういうお話もあります。あるいは稲福さんは、学習という観点から見て憲法の精神の重要性、こういうふうなことをそれぞれおっしゃっておりまして、これはなかなかいいお話だなというふうに私は承ったわけですけれども、その前提となるものは、やはり国家が基本的に守っていく必要がある。すなわち、国の独立あるいは生命財産を国家がきちっと守る、こういうことがあってこそ、今おっしゃったようなものがすべて守られていくんだろうと思うんですね。
 そこで、皆さんに一言ずつお伺いしたいんですけれども、十三年前にイラクがクウェートを侵攻しました。突然でしたけれども、結局、クウェートの国民はかなり被害を受けたといいますか、侵されたわけですね。その際に国民は、国家は一体何をしていたんだ、自分らの安全を、こんなことしかやっていなかったのかという大変な国に対する不満が出たわけですね。
 結局、自力で回復できず、国連に頼って回復した。これが事実で、国家国民の被害が大変大きかったわけですけれども、皆さんに、この事実に関してどういうふうに考えておるのか、あるいは、そういう悲劇がないためにどうしたらいいとお考えになっているのか、時間の都合がありますので、一言ずつお伺いしたいと思います。
中野(寛)座長代理 全員の方ですか、藤島さん。
藤島委員 はい。全員に一言ずつ。
中野(寛)座長代理 そうすると、あと残り時間から考えますと、一人一分以上は無理になりますので、よろしくお願います。
 まず、山内さん。
山内徳信君 国家の名において、沖縄が戦中戦後、そして日本の独立のために異民族統治下に置かれ、沖縄は屈辱の四・二八と言いました。独立国家日本に他国の基地がこれだけあるということは、これは独立国家のメンツからしても望ましくない。この政策で減らされた基地の大半は、日本であるはずのこの南の県、沖縄にさらに押しつけられてきたわけです。
 沖縄戦の話をやると長くなりますから申し上げませんが、国家を代表していたはずの日本軍は、戦争までは、友軍だ、友軍だと言って、県民は自分たちを助けるものだと思っていたんですが、結局、あの極限状態に追い込まれてしまったときに、軍隊は沖縄の県民を守らなかった。国民の安全保障を守り切れなかった。
 そういう意味で、私は、広く見たときに、先ほど提案しましたように、日本の憲法の精神を世界に広めていく、時間がかかるでしょうが、そういう努力をしてほしい。そして、国民の安全保障を守っていく、それが一番であって、最初、国家の安全保障から議論するから、人民の、国民の安全保障はどこかに追いやられてしまった。余りにもそういう過去の歴史は、沖縄県民の立場からすると、非情でありました、不条理でありました。
 以上です。
新垣勉君 当時の状況を見ますと、イラクがクウェートの主権を侵害してクウェートの住民を殺りくしたことは、明らかに国際法違反で許されないものだと考えます。
 問題は、その後だと思います。そのような事態にどう対応すべきであるか。私は、やはり国連が主導して、その後の事態に対応すべきだったと思います。
 ところが、御承知のように、アメリカを中心とする多国籍軍と称するアメリカの意向を受けた軍隊が対応しました。その結果、どのような事態が起きたでしょう。たくさんのイラクの人々が殺されました。どうして予防という名のもとに、あれだけ無差別に一方的に殺りくを行うことが許されるのでしょう。私は、これも国際法に違反していると思います。
恵隆之介君 私は、国家は国力相応の防衛努力をする必要があると。そして、足りないところを同盟でカバーする、そして方向的に国連と共同歩調をとるというシステムをとるべきだ。
 それともう一つ、これは個人の尊厳ということにもかかわりますけれども、国民の精神、理念も大事でありまして、命(ぬち)どぅ宝、人間は高い精神があるから人間であって、何でもいいから命だけ助かればいいやとか、金だけもうければいいやというよりも、私は、人間本来の本性を大事にしたいと思いますから、それは何かというと、人間一人一人が不正に対しては断固と妥協しないで戦うという意欲が大事だと思うんですよ。それは日ごろからの教育が大事だと思うんです。
 以上です。
垣花豊順君 私は、アメリカにいたときに、クウェートの人と一緒に住んでいたんですけれども、向こうの人は、石油が出て金持ちで、ちょっとぜいたくな生活をしていたわけですよ。私は詳しいことはわかりませんけれども、そのぜいたくな生活に甘んじて、外国から攻撃を受ける何らかの誘発的なすきがあっただろうと思うんですね。そういう意味では、国民も国も経済に浮かれて怠けている。はっきり言えばそういうのがあると思う。
 もう一つだけ言いますと、七月二十六日にポツダム宣言が発表されているんですけれども、それを日本政府が受諾していれば、沖縄戦争の被害者も原爆もありませんでした。これは天皇を守るためでした。政府による被害です。
稲福絵梨香君 イラクのクウェート侵攻ということについては、勉強不足で余りよくわからないのですが、政治は、そういうときのためにあって、平和的に解決するべきものであると思います。その努力が必要だと思います。
安次富修君 私は、先ほど藤島先生がおっしゃっておりましたように、アメリカの正義がすべての正義だとは思っておりません。多国籍、多民族が国連の場で結集して、対等な立場で地域紛争やそういう地域の民族紛争等に積極的に関与していくべきでありますし、日本も積極的にその国際平和に向かって関与していくべきだと思っております。
 さらに、そのためには、日本の自衛隊が専守防衛に徹して、最小限度の自衛力は保持すべきだと考えております。
藤島委員 終わります。
中野(寛)座長代理 次に、春名直章君。
春名委員 日本共産党の春名直章でございます。
 六人の公述人の皆さん、本当にきょうはありがとうございました。大変貴重なお話だったと思います。
 先ほど、平和の礎に私も行ってきたんですが、その前に行ったときに、平和祈念資料館に行きまして、「展示の結びのことば」を印象深く残しております。
 戦争というものは
 これほど残忍でこれほど汚辱にまみれたものはない
 と思うのです
 このなまなましい体験の前では
 いかなる人でも
 戦争を肯定し美化することはできないはずです
 戦争をおこすのはたしかに人間です
 しかしそれ以上に
 戦争を許さない努力のできるのも
 私たち人間ではないでしょうか
 戦後このかた私たちは
 あらゆる戦争を憎み
 平和な島を建設せねばと思いつづけてきました
 これが
 あまりにも大きすぎた代償を払って得た
 ゆずることのできない
 私たちの信条なのです
この「結びのことば」を読んで、すべての沖縄県民の皆さんの願いがここに込められているということを私は実感をしてきました。
 そこで、幾つかお聞きしたいと思うんです。
 まず、山内さんと新垣さんにお聞きしたいんですが、憲法九条と前文の話なんですけれども、日本国憲法の前文、九条は、単に平和を守るという後ろ向きの話ではありません。平和外交によって積極的に平和を創造していく、そしてそのことによってみずからの安全や命を守っていく、そういう方向を指し示しているものだと私は思います。平和共存の道、諸国民の公正と信義に信頼してこの道を歩むということを宣言しているのが日本国憲法前文であり、九条だと思うんですね。
 その点で、いろいろな努力がもっとできるんじゃないでしょうか。非軍事の分野で、平和の方向でもっともっとやるべきことがあると思うし、そのことが、今議論になっている有事を起こさない一番の保障だと私は思っております。
 その点、山内さんと新垣さんの御見解をお聞かせいただきたいと思います。
山内徳信君 戦後日本は、これほど立派な憲法が制定されたのに、その憲法に依拠した日本の国づくりを、特に政府、国会議員の皆さん方は努力されなかったと思います。敗戦の中から目指したのは新生平和国家日本でありましたが、あのような苦しい生活状況でございましたから、経済へ経済へ、こういう方向にいちずに走ったわけです。したがいまして、私は今でも遅くはないと思っています。
 地方自治法は、各市町村に対して基本構想をつくれという指示を出しておりますよ。日本のこの平和憲法は、日本の国に対して、このような国をつくれという、市町村でいえば日本構想と同じことなんです。
 したがって、この憲法に基づいて、これからでも、世界に輝く平和国家をつくっていく。同時に、対外的なNGOも頑張っております。今まで私たちの意識の中に、国を守るのは武力でなければいかない、そういう過去の認識しか持っていない人々がいらっしゃるわけですね。
 新しい世紀はそうじゃない。この憲法が示したのは、実現させるのに価値がある、そして、二十一世紀の日本の針路をきちっと指し示しておる。世界の現実は、申し上げましたように、アメリカにおけるあのテロ、アフガンのあの報復戦争、そしてイスラエルとパレスチナのあのテロと報復の戦争を見たときに、そこから私たちは何をさらに学ぶかというと、それでもなお日本国民は武力をとるんですか。武力では解決できぬのじゃないですか。
 ならば、憲法が提示しておる平和の創造に改めて努力していくというところに価値があるんだろう。そういうことをやって初めて、原爆を撃ち込まれた日本として、人類に対する責任としても、武力じゃなくして、平和的手段でもって、平和国家、世界の平和に貢献しよう、そういう努力が今問われておるんだろうと思っています。
新垣勉君 まず第一点目は、今日の日本の豊かな平和と安定を築いたのは、私は、何といっても平和憲法が最大の貢献者だと思います。しかし、それにもかかわらず、日本はまだ国際的な高い地位を獲得していないのも現実だと思います。なぜなのでしょう。私は先ほど申し上げましたけれども、それはひとえに、戦後、自民党政治が歩んできた政治のあり方にその原因があると考えています。
 まず第一点目は、なぜ日本国憲法を守らなかったんでしょうか。もしあの敗戦後、憲法を手をしたときに、政府が非武装平和主義の原点をかみしめて、軍隊を持たないで外交政策を展開したら、事態は大幅に変わっていたと私は思います。もう一つは、冷戦構造のときに、一方の当事者に日本が加担した点であります。いわば、けんかをしているときに、けんかの一方の当事者に味方するわけですから、到底、憲法が予定している平和の仲介者、実現者にはなり得ないのは当たり前のことだと思います。
 私は、日本がこれから憲法問題を考える際に大切なのは、過去の誤った政治を心底から反省をして、その上に新しい外交を展開することだと思います。
 一つ例を申し上げますと、国際刑事裁判所というのが近ごろ発効をして機能を始めました。しかしまだ、世界の大国であるアメリカは、この刑事裁判所の創設に反対して、署名をしておりません。つまり、アメリカ兵が国際法廷で裁かれることは潔しとしないという独善的な発想に基づくものだからです。私は、こういう唯我独尊といいますか、自国のことのみを考えるアメリカこそ一国平和主義、武力信奉の国だと思います。
 最後に、問題の焦点は何か。それは、武力に依存して私たちの平和をつくるのか、武力に依存しないで平和をつくるのかというこの原点だと思います。
 軍事力で我が国の安全を確保したいと思う人々、たくさんいると思います。それでは皆さん、そういう方々は、日本でけん銃の所持を認めてほしいと思いますか。皆さんの考え方からすれば、けん銃の所持を認めて、みずからけん銃で、入ってくる不法侵入者を撃退すればいいじゃないですか。しかし、それでは私たちの生活や生命の安全は確保できないことは、私たちが長い歴史の中で十分受けとめてきた問題ではないですか。アメリカをごらんなさい。私は先ほどその例を出しました。
 私は、改めて申し上げたいんです。軍事力に依存する安全保障はもうさようならをするべき時期だと思います。それが、私たちの教訓だと私は思うからです。
春名委員 ありがとうございました。
 安次富公述人にお伺いしたいと思います。
 先ほど、人権尊重の面からも、日米地位協定の見直しが大事であるということを御発言いただきました。私も同感で、あの九五年の少女暴行事件が起こって、県民的な大運動に広がって、十一項目の改定ということを県を挙げて出される、今そういう到達になっているということだと思います。
 憲法の基本的人権の尊重という角度から見ても、この地位協定の見直しということはどうしても避けられないんじゃないかと私も考えているんですが、どのような内容を見直せばいいのか、そしてその実現の展望、その点をどうお考えになっているのか、お聞かせください。
安次富修君 米軍による凶悪犯罪、そして軽犯罪を含めまして、平成十三年度で七十件起こっております。それから、事件事故等は大体三十件近く起こっております。そういう中から、凶悪犯罪に関しては速やかにその身柄を、日本政府に司法権をゆだねるという点から、沖縄県議会におきましても、さらに今の沖縄県政におきましても最重要課題として、地位協定のその部分の改定をお願いしているところでございまして、そこが、先ほど私が言いました個人の尊厳、基本的人権の尊重ではないかというふうに考えております。
春名委員 ありがとうございました。
 それから、新垣さんにもう一問だけ。
 弁護士として、今、日弁連でも有事法制問題について御検討されていると聞いておりますけれども、先ほどの議論もありましたが、憲法の枠内の有事法制という議論もありますし、憲法を変えて有事法制という御意見も恵さんはおっしゃっている。私は、もちろんこれは憲法とは相入れないものだというのははっきり思っているんですけれども、法律家から見て、武力事態法、これはどういうものなのか、どういう御検討をされているのか、少し御紹介いただけたらと思います。
新垣勉君 私たちは法律家ですので、抽象的な議論はしません。具体的な事実に基づいた議論をします。
 今回上程をされた有事法制三法案、中身を詳しく検討してみました。先ほど、国会議員のある方から、有事に備えて事前につくっておくことが必要ではないのか、それが人権保障のためになるのではないか、こういう説明がありました。しかし、実際に法案の中身を見てみると、全く国民がコントロールできるような仕組みがどこにも用意をされていません。
 これは、具体的な法案に即した議論をすべきだと思います。私たち法律家は、現在提案されている有事法制は、戦争のときに備えて、一切の権限を包括的に政府に授権をする法律であって、国民がコントロールする構造を持った法制ではないというふうに分析をしております。ここは立場の違いはともかくとして、具体的な法律案の中身に即してきちっと議論をすべきです。本当にあいまいな要件で私たちの自由や人権を制限する仕組みが仕組まれています。
春名委員 どうもありがとうございました。
 最後に一言申し上げて終わりたいと思います。
 憲法九条についてはいろいろな議論がありますが、国権の発動たる戦争、武力による威嚇、武力の行使、これを放棄したという特徴と同時に、陸海空、その軍隊、戦力を保持しない、一切の常備軍を持つことを禁止する、こういう規定になっているわけです。この点でいいますと、ここまで恒久平和主義を徹底した憲法というのは世界で珍しいと思います。
 それだけに先駆性があるということで、私たちの誇りであり宝だというふうに確信をするわけですが、現実にはそれと乖離している実態があるわけです。この乖離を憲法の方向で解決していく。私は、乖離が一番激しい沖縄だけに、そのことが本当に問われているなということを、改めてきょう参りまして感じてまいりました。そういうことを申し上げまして、質問とさせていただきます。ありがとうございました。
中野(寛)座長代理 次に、金子哲夫君。
金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子でございます。
 私は、広島におりまして、先ほどもお話がありましたように、今日の平和憲法が、広島や長崎そして沖縄のいわば軍人のみならず一般市民の多くの犠牲の中に、再びその過ちを繰り返してはならないという思いの中に平和憲法は生まれてきたというふうに思っております。また、そのことが我々にとって一番大事なことだし、二十一世紀にとって、日本国憲法の平和主義というものが世界に広がっていく時代にならなければならないというふうに私は思っております。そのことを前提にしながら、お話をさせていただきたいと思います。
 私もきょう平和祈念公園に行きまして、沖縄では、沖縄の戦争の犠牲者に対して、あの平和の礎に、奪われた命、失われた命を一人一人大切にするという意味で、お一人お一人の名前を刻むことがやられたということは非常に大切なことだったというふうに私は思います。
 残念なことですけれども、広島では、長崎もそうでしょうけれども、すべての原爆による犠牲者の名前が明らかになっておりません。国連に報告されている数字でも、十四万プラスマイナス一万とかいう数字になっているごとく、本来、最も大切にされるべき一人一人の国民の命というものが、本当に、今この戦後の政治の中で大事にされているかということを思わざるを得ない点もあります。その点で、私は、平和の礎に対しての取り組みについて敬意を表したいというふうに思っております。
 今、ちょうど有事法制が出されておりますので、そのことについて最初に山内さんに、この六人の方の中で唯一沖縄戦を体験された方ですのでお聞きをしたいと思います。
 今度の有事法制でも、憲法が保障する国民の自由と権利が尊重されなければならないという文言は入っておりますけれども、実際に有事の事態が起こった、有事というのは戦争の事態が起こったときに、軍事行動を展開する自衛隊、軍事行動の前には国民の権利はほとんど奪われていくというふうに私は思っております。しかも、日本の場合には、専守防衛ということが言われておれば、そのとおりだとすれば、国内戦ということになってくるわけでありまして、まさにその点では沖縄はその体験をしたわけで、その体験の中から、今、軍事行動と国民の権利とかいうことについて、どのように体験上からお考えか、お聞かせをいただきたいと思います。
    〔中野(寛)座長代理退席、座長着席〕
山内徳信君 戦前の有事体制を体験した唯一ではございませんで、たしか垣花先生も戦前世代でございます。
 私は、沖縄戦がひたひたと迫ってくるその当時のことを、この有事法制が提案されました四月十七日でしたか、地域の婦人たち、地域のおじさんたちが、再び戦争体制に入るんだねという電話が私の事務所にも何通か来ました。それは、本土でもほぼ同じ状態だと思います。
 しかし、地上戦が行われたこの沖縄の戦争を見てきた世代というのは、これは有事法制の中身を全部見て体験して生きてきたわけです。だからこそ、私は、きょうはこの場所で、憲法の話ですが、この有事法制ができたときには、憲法にうたわれておるすべての権利が全部崩壊しておる、それを戦前のあの状況から推して考えております。
 昭和十三年にできた国家総動員法によって、日本の国の人々の精神も物資も、ありとあらゆるものが戦争に全部徴用されていきました。国会議員の皆さん方に申し上げますが、そのときに接収された旧軍飛行場用地の問題さえまだ解決をしていません。戦争のために奪われた集落が、まだまだ読谷や嘉手納や沖縄市その他に残っております。ふるさとにまだ帰れない、そういう人々が生きておるこの時代に、再び有事法制を確立して国民の権利を奪っていく、財産を奪っていく、自治体の立場も全部奪っていく、そういうことが今の憲法体制の中で許されるのかというと、これは許されないことなんです。
中山座長 傍聴者は、拍手は御遠慮ください。
山内徳信君 私たちは、小学校生も、高学年は読谷飛行場をつくるのに動員されていますよ。学校は、校舎は兵舎に変わったんです。公民館も全部兵舎に変わっていった。そして、これ以上は申し上げませんが、経済も教育も生活も、ありとあらゆるすべて、国の方が物を言ってくる。聞かないのは、罰則でもって罰金を課していく。そういうのを二十一世紀に入ったこの時期に制定をする。それは、いかなる美辞麗句を並べても、現存する憲法と整合性の立つ法律にはなりません。またここで、国会が九十九条を侵して、法律違反の法律を制定をしていくという話になるわけであります。
 したがいまして、有事を想定しての法律をつくるというお話でございますが、有事を起こさせないような国のあり方をきちっとしていただきたいと思います。
 以上です。
金子(哲)委員 ありがとうございました。
 安次富さんにお伺いをしたいんですけれども、今度の有事法制では、日本が攻撃を受けたときのみならず、攻撃が予想される事態をも含むということになってまいります。今、中谷防衛庁長官などの発言の中にもありますように、周辺事態との関係の中で非常にあいまいなグレーゾーンもあるということが言われております。
 そうしてまいりますと、日本の米軍基地の七五%がある沖縄、周辺事態の際に有事法制を発動することが予想される。例えば、日本が攻撃を受けるのは、中谷防衛庁長官でも三年から五年以内にそういうことを想定できないということをおっしゃっているということになると、予想される事態の方が非常に問題になってくると思うんです。そういう事態は周辺事態ということになると、米軍の軍事行動が発端になることが多いと思いますけれども、そうしてまいりますと、七五%の基地を抱える沖縄にとっては、非常に重大なことになってくるというふうに思うんです。むしろ米軍の軍事行動によって巻き込まれる、とりわけ沖縄がそういう事態に巻き込まれるという想定が予想されるやに思うんですけれども、この有事法制の中では。その点については、どのような御見解をお持ちでしょうか。
安次富修君 今の日米安保体制、そして日米安全保障条約のもとに、今沖縄に政府は米軍基地を提供し、こうして今米軍基地の存在があるわけですけれども、この米軍が県民を脅かすようなことがあってはならないと思いますし、また、有事法制整備というのは、そのようなことがない、自衛隊と米軍がいろいろな共同歩調をとっていく、そして国民にも、沖縄県民にもいささかも不安やそういう危機を与えないための法整備だというふうに私は考えております。
金子(哲)委員 わかりました。ただ、どう読んでみても、予想される事態ということから展開されることは、周辺事態、直接攻撃を受ける事態以上のものが想定されることが、これから国会論議が始まりますけれども、となってくると、かなり米軍出動とのかかわりが深まってくる危険性はあるように私には思えますので、我々国会の中でこの点についてはもっとしっかりと論議していきたいというふうに思っております。
 それから、最後の質問になるかと思いますけれども、新垣さんにお伺いしたいんですけれども、今度の有事法制もそうですけれども、国民の生命と財産を守るということがうたわれているわけですけれども、日本のかつての第二次世界大戦、それ以前の戦争もそうですけれども、一般戦災者についての補償というものが実はやられていないというふうに私は思っております。
 私は、本当に国民の生命と財産を守るということ、軍人軍属、国との身分関係のある者については、言葉が過ぎるかもわかりませんけれども、ある意味では手厚く保護されているというふうに言われておりますけれども、しかし、一般戦災者については、戦争受忍論ということでこの被害の救済がされていない。こうしてまいりますと、本当の意味で生命と財産を守るということになるのだろうかということを、有事法制が出る以前からそのことはずっと私は思っておりましたけれども、改めてそのことを、国の政策として、政治として、そういう事態になったときに、一般戦災者であろうとも、国家は補償すべきだというふうに考えるんですけれども、その点についてどのようにお考えでしょうか。
新垣勉君 戦後補償問題について言いますと、何はおいても、政府が戦争を行ったことについての自覚と反省がないと、戦後補償問題というのは処理はできないんだろうと私は思います。現在まで戦後補償の問題がなおざりにされておりますのは、ひとえに政治の責任にあると言って間違いないのではないでしょうか。
 それからもう一つは、有事法制の場合に大切なことは、国民の保護を図るための制度は必要だろうと思いますけれども、今回の有事法制を見てみますと、それは全く先送りされています。最も中心になっているのは、武力を用いてどう事態に対応するかという一点のみに集約された法制度になっております。ここは非常に危険なものであることを改めて申し上げざるを得ない。
金子(哲)委員 最後に、先ほど大変失礼をいたしまして、垣花さんに、沖縄戦の時代を生きてこられたお一人として、先ほど私は有事法制の問題を山内さんに御質問をさせていただきましたけれども、同じ質問でお答えを、当時の状況を考えて、今の状況をどのようにお考えかをお聞かせいただければと思います。
垣花豊順君 私は、戦争が終わったときは小学校五年生でしたけれども、日本が負けるということは知っていましたよ。学校では戦争は負けない負けないと言うけれども、日本の兵隊さんのやるのを見ていると、上の人が下を殴るし、食べ物もないし、日本の軍隊はアメリカの飛行機に向かって鉄砲で撃つものですから、鉄砲で飛行機が落ちるんですかと聞くと、いや、日本の軍隊は技術がいいから人を撃つんですよと。これは、小学五年生でもわかりますよ。だから、戦争は負けるということはわかるわけですよ。
 そして、戦後、勉強しますと、六月二十三日に組織的に戦争は終わっておって、ポツダム宣言を受諾しないかと言われているのに、日本政府はノーと言った。その理由が天皇制を維持するためだというんですから、そのために原爆が広島や長崎に落ちて、ソ連の参戦もあって、何十万という人が亡くなったことを考えると、政府はありがたい面もあるけれども大変なこともある、そういうことをよく理解しておかなければいかないと思います。有事法制についてもそうです。
 それから、有事法制については、アメリカの布令でいっぱい参考になるのがあります。
金子(哲)委員 ありがとうございました。
中山座長 次に、井上喜一君。
井上(喜)委員 保守党の井上喜一でございます。
 公述人の皆さん、きょうは本当にありがとうございます。
 私、何人かの方に順次御質問したいと思うんでありますが、ざっと質問事項につきまして申し上げたいと思います。
 まず、山内公述人につきましては、憲法九条の改正反対であるという御趣旨はよくわかりましたが、その他の事項、例えば、今までお話に出ました環境権の問題でありますとか、あるいは地方自治の条文、非常に簡単過ぎる条文になっておるんですが、この関係とか、あるいは危機管理、地震等についての初動対応の根拠規定等々、議論されているところはたくさんあるんでありますけれども、九条以外の条項の改正にも反対であるのかどうかというのが第一点です。
 第二点は、自衛隊は違憲だというお立場だと思うんでありますけれども、日米安保条約については、いいとか悪いとか、あるいは賛成とか反対とか、そういう立場を別にしまして、憲法に法律的に違反しているのかどうか、違反と思われるのかどうか、それへのお考えを伺いたいということであります。
 次に、恵公述人でありますけれども、安全保障につきまして十分にお考えをお聞かせいただいたんでありますが、それ以外の憲法の事項につきまして、改正すべき点があるとお考えのところを、あればお聞かせをいただきたいと思います。
 それから、垣花公述人には、自衛隊それから日米安保条約、これについて憲法との関連をどういうぐあいにとらえられているのか、それをお聞かせいただきたいんです。憲法違反なのか、そうでないのか、伺いたいと思います。
 それから、安次富公述人に、全体にバランスのとれました意見をいただいたというふうに思いますけれども、特に地方自治のところですね。私は、今の憲法がどうしてあんなに簡単な規定になったのかよくわからないんでありますけれども、ちょっと言及されておりましたので、どういうことを憲法に盛り込んでいくべきなのか、お考えがありましたらお聞かせいただきたいということであります。
山内徳信君 山内でございます。
 憲法九条以外について、どういう見解を持っておるかというのが一番目の御質問でございました。
 例えば新しい人権とか環境権だとか日照権だとか、戦前戦後、日本国民が知らなかった権利が、既に、戦後半世紀の間に次々と確立されて、判例としても出ております。それを改めて憲法に打ち込まなければ日本の国の存在はあり得ないということではないんだろうと思います。
 それは、ずっと戦後一貫して改憲を主張してこられた政党もございますし、そういうふうなことを考えてみたときに、別の分野から憲法改正の取っかかりをつくっていこうという意図が政府やその改憲の立場にある政党にありはしないか、そういうふうな気持ちがあるんです。
 それは、なぜそういうことを申し上げるかといいますと、沖縄から見ますと、戦中、日本軍がどういうことをやったのか、日本政府がどういうことをやったのか。一九五一年から五二年のあの対日講和条約前後、沖縄に対してどういう仕打ちをやったのか。そして、復帰前の首相は、核抜き本土並み返還と県民に対して華々しくいいことをおっしゃったのに、本当に核抜き本土並み基地になっているかというと、なっていないわけですね。全国の七五%の基地が沖縄にあるということは、本土並みにさえなっていない、こういうふうなこと。
 そして、私たちが、基地所在市町村長たちが何度もアメリカまで訴えに行っても、上下両院からペンタゴンからハワイの司令部へ行っても、日本政府は立ち上がらなかった。きさまたち、何しに来たんだという外務省のあの態度は、沖縄側からすると、沖縄は日本の独立や日本の政府の起こした戦争のいけにえにさえなっておる、こういうふうな気持ちを、言葉には出さないが、多くの沖縄の人々は思っていますよ。思っています。
 したがいまして、地方自治の問題とかその他いっぱいありますが、あえて憲法改正して、そのすきに、憲法九条を多数決で国会の手続をやればいいじゃないか、少なくとも憲法を守る立場にあるどこかの知事は、公の立場で、国会で憲法九条を否決すればいいじゃないかとさえ言っておるわけですね。それは、外国から見たときに、こんな知事がおるのかという話になっていくわけです。
 ですから、日本がもっと品格のある国、そして安保ぼけしない国、そして、基地を沖縄に押しつけていても痛みを感じない国になって、そういう人々が憲法改正の仕事を進めていくときに、私たちは安心してお任せしますということにはならぬのです。
 それから、日米安保体制は憲法に……(井上(喜)委員「違反するかどうかです」と呼ぶ)これは、意見は二つあるわけですね。憲法が優先すべきであってという意見と、国際条約が優先すべきであって、こういうふうにあるわけですが、少なくとも日米安保体制に入ってもう五十年超すわけですね。その間ずっと、日本の政治は、そういう安保体制を盾にして、アメリカに引きずられてきたということは言えるわけですが、少なくとも、日米の関係は、今までどおりを二十一世紀も引きずっていくべきじゃなくて、アメリカとももっと平和、文化交流をしていけるような条約にすべきであって、軍事同盟的なものはもうやめるべきだと思います。
 そして、アジア全体の国々と日本も一緒になって、アジア全体の平和と文化交流、人的交流に貢献できるような日本をつくっていく。その基盤になるのはやはり憲法ということになるわけであります。
 以上です。
恵隆之介君 憲法九条以外に、憲法問題で提案したいのは二点あります。
 一つは、地方と国との関係を従来のままでいいのか、これも審議の余地があると思います。
 例えば沖縄県の場合、県民一万人当たりの役付職員の数を比較しますと、沖縄県が二十四・六名に対して福岡県が九・四名。沖縄県の場合は、外郭団体まで入れますと、県民一万人当たり四十六名と非常に肥大化しておりまして、これは全部国の交付金頼みであるんですけれども、沖縄県の県民所得は全国最下位と言われつつ、一千万円以上の高額所得者は二十四位であります。この人たちを見てみると、ほとんど公務員なんですね。これで地方の活性化、日本の活性化につながるのか非常に不思議でありまして、ここのところを少し憲法問題でも取り上げてほしい。
 あと一つは、司法制度も、外国に比べて日本の司法制度は少しおくれていると思いますので、陪審員制度の導入とかですね。
 時間がないので、あと一点。教育の問題なんですけれども、飛び級とか、戦前の日本教育でいい点はどんどん踏襲していいんじゃないか。そうしないと、国際競争に生き残っていけないんじゃないかと思っております。
 以上です。
垣花豊順君 自分の家はみんな戸締まりしますよね。泥棒が入ってきた場合、自動銃が発射して泥棒が死ぬような防衛の仕方は、これは今の法律でも違反だと思うんですよ。それを、自衛隊について申し上げますと、自衛隊、安保条約は、それは国会の先生方が慎重につくったことですので、すぐいきなり憲法違反だとは申し上げません。しかし、今、有事法制みたいにどんどん進めていって、自動銃みたいな形、勢力が出てくることになりますと、これは憲法違反だということになるだろうと思うんですね。
 ですから、進む方向は、むしろ自衛隊の力を縮小していくという方に行くべきじゃないか。安保条約についても、必要があってやったことでしょうから、軍事面の色彩をどんどん弱めていく、そういう方向に行くべきだろうと思うのです。
 戦争は人の心の中で生まれるんだということですから、まず日本人の心の中に平和のとりでを築かなければならない、そこに重点を置くべきだろうと思います。
安次富修君 私は、日本国憲法は一字一句動かさないということには反対であります。特に、この地方自治の九十二条から九十五条にかけては、まさに地方の時代と言われ、地方分権の時代と言われていることからすると、今の憲法は迫力不足だと私は思っております。
 特に、福祉国家の充実ということからすると、地方の福祉の充実が叫ばれなければならないと思いますけれども、これに憲法の裏づけがないというようなことも思いますし、それから市町村合併、国税、地方税の問題、自主財源の確保をどうするかということとか、今国の持っている権限を大胆に地方に移譲していく規制緩和の問題にいたしましても、市町村議員の問題、首長の多選の禁止とか、私は、憲法の中で明記しながら、よりよく地方の充実が大事じゃないかなというふうに考えております。
井上(喜)委員 それでは、最後に垣花公述人にお伺いするんですが、教育の大切さみたいなことを強調されたんでありますが、今現実に学校で何が起こっているかということです。学級崩壊とか学校崩壊なんということも言われておりますけれども、規律が守れないとか、あるいは倫理観がいま一つだと。これは人間形成の問題ですね。これに問題があるとか、あるいは基礎学力が低下をしている、こういうことが言われているんですね。
 ですから、教育の場合には、掲げている理想的な目標と現実が非常に乖離してきているわけですね。その原因は何にあると思われますか。
垣花豊順君 その原因は、臨時何とか教育会議というところで詳細な研究がありまして、教育基本法の理念を具体的に実践しないからだというふうに言われております。
 教育勅語については、その当時の指導者は一言一句覚えてそのとおり教えたわけですよ。ところが、今の教育基本法については、先ほども申し上げましたけれども、文部大臣が教育の根本理念は何かということを考えてくださいと言うんですから。教育基本法に書いてあるんですよ。個と公について考えてください、これは憲法に書いてあるんですよ。それを具体的に実施する努力を怠っている、そこに原因があると思うのです。
 それから、それに備えて義務的に奉仕活動どうのこうのというのがありますけれども、私は保護司をしておって感じるんですけれども、強制的にやりますと、目の前ではお利口になるけれども、陰でこそこそ悪いことをするんですよ。だから、やはり根本に、人の心の中から改めていく教育ですね。私は、奉仕的な教育をするのが悪いとは考えませんよ。義務的な、人を押さえつけようというところが問題だというふうに考えておるわけであります。
井上(喜)委員 ありがとうございました。
中山座長 これにて委員からの質疑は終了いたしました。
    ―――――――――――――
中山座長 この際、暫時時間がございますので、本日ここにお集まりいただきました傍聴者の方々から、本日の公聴会に対する御感想を承りたいと思います。発言者は五名ということでさせていただきたいと思います。指名した方にマイクをお渡しいたしますので、お名前と御職業をおっしゃった後、御意見をお述べいただきたいと思います。
 それでは、御意見のある方、挙手をお願いいたします。そこの紙を持った男性の方。
芳澤弘明君 弁護士の芳澤弘明です。
 原稿を出しましたけれども、不採択になりました。二点だけ申し上げます。
 一つは、中米にコスタリカという小さな国があります。このコスタリカという国は、憲法によって常備軍を廃止しました。本当に軍隊はおりません。私は行ってきました。中米近隣の諸国は紛争が絶えない地域です。しかし、この国の指導者は、例えばアリアス大統領ですが、近隣諸国の紛争解決のために本当に献身的に働いて、それが評価されてノーベル平和賞を受賞したほどです。このことについても、調査会の皆さんは心にとどめておいてください。コスタリカの指導者とも会って意見を聞いていただければと思います。
 二点目。一九九九年にハーグで国際市民平和会議というのが開かれました。私も参加しました。その平和会議で、日本国憲法第九条、これを世界各国に普及しようと。これは世界に範たる大切な条文ですよということが、この国際会議で評価されました。このことについても、調査会の先生方は心にとどめておいていただきたい。このことこそが、世界から高く評価されることになるんですよ。戦争の準備をしては世界から尊敬されません。
 以上です。
中山座長 ありがとうございました。
 はい、それではそちらへいきましょう。
我那覇隆裕君 名護市、自営業我那覇隆裕といいます。
 皆さん、本当にお疲れさまでございます。遠路はるばるありがとうございます。
 もう既に、結論が出たかと思います。憲法を改正すべきかどうか。つまり、国家主権を守るにはどうすればいいのか。憲法を改正する必要があるのかどうなのか。これは、結論が出たと思います。
 というのも、現在、座長の中山先生には強制力がありません。ですから、憲法調査会の主権を守ることができません。ルール違反の人間をコントロールする力が座長には現在ございません。この場には警察官も警備員もいませんので、つまり、強制力がないので、座長は憲法調査会の主権を守ることができません。そうじゃないですか、皆さん。
 結局、国家も一緒なんです。強制力がなければ、防衛力がなければ、それを実現ならしめる憲法を改正しなければ、国家主権は守れないんです。この現状が証明しているではありませんか。答えはつくるものではありません、発見するものであります。そうじゃないでしょうか。
 答えは発見するものなんです。現状をごらんください。ルールを平気で破り、恵さんの主権を平気で破る連中がいっぱいいるんです。でも、守れません。自分の意見と相違する人たちを攻撃します。でも、中山座長は恵さんの主権を守ることができないんです。なぜか。強制力がないから。警備員もいません、警察官もいません、秩序が守れないんです。
 ですから、答えはごく単純なんです。憲法九条改正、これしかございません。国家主権を皆さんで守りましょう。
 そしてあと一言、座長は、広い意味では職務怠慢なんです、主権を守れないから。国会議員の皆さんも一緒。こんな欠陥の憲法をずっと放置してきた皆さんは職務怠慢、私はそう思います。国会議員の皆さん、しっかりなさってください。
 それと、やじの諸君、諸君は恥ずかしくないですか、ルールを平気で破って。いいですか。道を走れば道交法があります。諸君は、平気でルールを破る社会の異端児、左翼。そのうち、諸君は消えてなくなる。待っていらっしゃい。
 日本はよくなります。国会議員の皆さん、ぜひ頑張ってください。
 以上で終わります。
中山座長 その青いカードを挙げた人。
伊波宏俊君 石川市から来ました。私、三十五年学校の理科の教師をしていましたが、憲法について、私は、日本国憲法は、戦後まだ一回も日本国に完全適用されていないということをまず初めに訴えたいと思います。
 私の姉は、昭和十八年十二月二十二日に、湖南丸で鹿児島に行く途中、米軍の魚雷にやられました。ところが、この真相自身が明らかになったのは、問題が起こってから三十五年目なんです。いまだ、こういう沖縄戦の中で起こったいろいろな災害に対して、海上で死んだ人たちについては、一人の補償も行われておりません。こういうことが日本国民の中にあるのに、日本国憲法が戦後五十八年たったから古くさくなったなんという論議はやめてほしい。
 同時に、あの沖縄戦の中で問題になっている普天間飛行場、あれは、米軍が戦争状態の続行の中で、海兵隊、マリーンの工兵隊によってつくられた軍事基地なんです。戦争中に取り上げた、戦闘行為の中でつくられた基地なんです。嘉手納飛行場もそうです。こういうことがなぜ日本国憲法の中で、ここの地主たちは、五十何年たっても、この権利が侵されている。この復権をやった後で今の憲法改正の話はやってほしい。
 もう一つ、日本で今教育基本法の問題が問題になっていますが、子供たちが非常に荒れている、学校荒廃と言われています。一番大きな問題は、政治家の皆さん方、模範を示してほしい。何ですか、国会議員とか総理大臣経験者などが汚職をしたり腐敗をしたら、みんな秘書のせいにして、知らぬ存ぜぬ。
 私も学校で投書もしました。いろいろな問題が起こったときに、これはどうしても父母に知らさなければいけないと思って、訴えようとしたら守秘義務がひっかかってきます。
 ぜひ、国会議員の皆さん、日本国憲法に合致するような、部下の公務員の告発は守秘義務から外してほしい。そうすれば、今問題になっているあの国会議員さんの偉い皆さん方は、全部有罪になりますよ。何かあると、部下職員を守秘義務で押さえつけていくようなシステムで憲法を形骸化させながら、こういうふうなセレモニーだけで、もし憲法改正の論議をしようとするなら、今言うように、みんな黙っていません。
 私は、この日本国憲法を本当に体現するために、教員になるときも、五、六名の親戚からも、運動しなければ採用してあげるという誘惑も受けました。私の同僚はほとんど全部高校に採用されていますが、私一人だけは小さい田舎で採用されました。そのとき、校長からこういうことを言われたんですよ。伊波君、君は相当リストに載っているが、しかし、この若い情熱は絶対なくさないでほしい。そういうふうにして、戦前特高にパクられた校長先生が私を採用してくれました。こういう問題が、戦後、今だって沖縄ではまだ残っているんですよ。これを日本国憲法の中でなぜできないんですか。
 安保条約があるという。安保をつくっているのは日本の自民党政権じゃないですか。軍隊を置いて、憲法のいろいろな精神をじゅうりんするような米軍を置いて、婦女暴行などいろいろなことをしても、治外法権で逮捕されない。こういう不平等なことをなくするためにも、沖縄県議会で超党派、自由民主党や皆さん方を支持するような人たちも含めて、超党派でやったことでさえもなぜできないんですか。こういうことを実現することが、憲法を本当に日本国に生かす道だと思います。ぜひよろしくお願いします。
 こういうすばらしい憲法公聴会を沖縄で持っていただいて、私たち物を言えない人たちの意見を聞いてくれたことに対して、本当にありがとうございます。終わります。
中山座長 その一番後ろの立ち上がった方。
仲本和男君 仲本といいます。余り大衆の前で雄弁には語れないんですけれども、きょうの感想を申し上げます。
 先ほどの恵さんの論述、大変御都合主義的に、県民の意見とは遊離した発言で、であるから、会場の傍聴人は大変怒ったわけです。であるから、学生もいても立ってもいられない気持ちで、あなたへの抗議であったわけですよ。同時に、それは我那覇さんにも言えます。
 では、私の考えを申し上げます。
 私たちは、あらゆる基地の建設・強化に反対するネットワークというものを組織しまして、今基地の強化に反対する運動を展開しています。きょう私たちは記者会見を行い、今小泉内閣が進めている有事法は戦争へつながる道だ、そういうことをはっきり記者会見で申し上げました。
 小泉さんは、備えあれば憂いなし、そのように語っていたように思いますけれども、五十二年間、ずっと第九条のもとで、憲法こそが備えで、憂いなくやってこれたわけです。今小泉内閣がやろうとしていることは、憂いの道に再度舞い戻るということです。私は、絶対、改憲につながるようなことをやってほしくない。有事法制反対です。
 ぜひ、きょうの代議士の先生方に申し上げたいんですけれども、きょうの公聴会をもって、沖縄県民の声を聞きました、沖縄県民納得でしたということにならないようにお願いしたいと思います。
 そしてまた、若い稲福さんでしたね。あなたの奉仕活動義務化反対ということを聞きまして、私も教師の端くれでしたけれども、沖縄の教育は生きているなと思いました。頑張ってください。
 以上です。
中山座長 そこの白い髪の方にやってもらいましょう。
崎原盛秀君 農業をしております崎原といいます。
 いろいろなお話を聞いて、今私は非常に怒っています。先ほどもいろいろな話がありましたけれども、皆さんが憲法改正ということをする前に、憲法を具体的に国民の中に生かす運動というのをどれだけやってきたかということなんです。それをまじめにやってこなかったんじゃないですか。
 もっと具体的に言いましょう。皆さんは沖縄をどう考えているんですか。一九五二年、皆さんの日本が独立をするために、引きかえに、沖縄を過酷な米軍の戦略の中に落とし込めたんじゃないですか。
 私、今さっき皆さんの出されている憲法のを見ましたら、一地域に関係するような法律をつくるときには、地方の意見を聞くということがありますよね。全くそのことをやりませんでした、こういうことをはっきり言いましょう。そして、沖縄は布令第九号によって、基地が強制的に取り上げられました。これをブルドーザーで強硬にやられていったんです。沖縄の人たちの人権や財産が全く無視されました。
 ところが、九七年に、これは復帰の年の七二年の五月にもありますけれども、公用地暫定法という法律をつくって、皆さんは、沖縄の基地を勝手に使用できるように沖縄の民衆の権利をまさに剥奪したんじゃないですか。そして、一九九七年、沖縄で、基地を返せ、土地を返せと叫ぶ地主たちの意見を全く無視して、法律を改悪して土地収用法さえ適用されないような状況をつくったんじゃないですか。そして、もう一回改悪をしました。
 今では、総理大臣の意思によって、沖縄の土地を強奪することができるこの悪法まで今つくっているじゃないですか。まさに沖縄は、そういう意味では、有事法制下の中に今あるということですよ。布令九号と米軍のあのひどい状況のものと、日本政府が今沖縄民衆にやっていることと全く同じだと私は思っています。
 そういうことを皆さんは一つ一つ解決もできない。先ほど地位協定の問題もありました。これは沖縄の民衆のみんなの要求でした。その地位協定の問題もさりながら、かえって皆さんは、沖縄の人たちに多くの犠牲と差別と抑圧を強いてきている、これが現在の日本の政治の姿ですよ。そうやっている人たちが人権や民主主義を守ろうなんて、僕はちゃんちゃらおかしい。
 政治がやるべきことは、国民の平和と安全、そして民主主義を実現するために政治はあると思う。ところが、今やっていることは、それとは全然逆の方向。今回、有事法制とか出されています。
 先ほど、いろいろな質問の中で、環境の問題はなんて言っていますよ。そんなことは、恐らく憲法を改悪するための一つの手だてであって、こんなことは許されません。皆さんも真正直に言ってください。憲法は改悪すべきだということを言うならちゃんと言ってみてください。それを言わないで、いろいろな形で、いかにも民主的な顔をして、そして今、国民をあざむきながら、憲法改悪に走ろうとしている。
 僕は、沖縄の立場から今までのことをるる述べました。そういうことを見たときに、皆さんにもう一度言います。日本憲法をじっくりと地域の中におろすための努力を今やってください。
 以上です。
中山座長 それでは、その有事法阻止をやっている方の発言で最後にいたします。
野澤明希子君 沖縄の大学生です。
 沖縄戦でたくさん、無惨にも無念の思いで犠牲になった人たちの思いを込めて、受け継いで、若い世代として発言します。
 私は、憲法改悪、そして有事法制定には絶対に反対です。
 きょうの論議で、万が一のためとか、国家の安全保障はどうするか、そんなような論議が繰り広げられていました。私は、このような国家の安全保障なんという言葉を聞くと物すごく頭にきます。これは昔で言う国体護持じゃないですか。沖縄ではかつて、日本じゅうでも、国体護持の名でどれだけ多くの人が犠牲にされ、虐殺されていったことか。こういうことを考えれば、国家の安全保障という名のもとに私たちは再び戦争に動員されていく、そのような法律が制定されようとしていることには絶対に反対です。
 そして、あたかも私たちのためであるかのように押し出されているけれども、きょうのこの場を見ても、戦争に反対したり、憲法改悪に反対する、そういう私たちの意見を、強権を発動して、形式を盾に抑圧して、そして退場させていく、このようなでたらめな行為それ自体に、私たちのための法律、このようなものでは決してないということが明らかではありませんか。これこそはまさしくファシズムそのものじゃありませんか。
 私は、今ここで繰り広げられたそうした国の政策に批判的な意見を言うこと、そして、戦争反対、このような声を上げていくこと、これを弾圧していく、そのようなこと自体が有事法の目指しているものではないか、そういうふうに思い、絶対に許してはいけない、そのような決意を新たにしました。
 では、有事法制は一体何のためにつくろうとしているのか。私はまさに、国家の安全保障、万が一のためなどというのはごまかして、対イラクへアメリカが戦争を今拡大しようとしていますけれども、これに日本も一緒になって参戦していく、そのために日本全体を、有事などと言いながら、戦争のもとに動員していく、そのための法律だと思います。絶対にこうしたことは許してはいけない。
 アメリカが対テロ戦争を正義だと言っているけれども、パレスチナで、アメリカの武器を使ってイスラエル軍がパレスチナ人民を虐殺している。これを支持しているのがアメリカじゃないですか。こうしたアメリカと一緒になって日本が参戦していく、このようなことは絶対に許せないし、私たちはそういうことに対して絶対に協力するわけにはいかない。
 私は、沖縄に住む大学生、沖縄で学ぶ大学生として、絶対にこの有事法制、そして憲法改悪を許さないし、沖縄から米軍が出撃することも許さない。今の小泉政権の戦争政策に対して断固として反対していく、このような闘いをこれからもずっと続けていくことを、絶対に阻止するまで続けます。
中山座長 以上で、御発言の方の御希望もありますが、終わらせていただきます。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 意見陳述の方々におかれましては、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。ここに厚く御礼を申し上げます。
 また、この会議開催のため格段の御協力をいただきました関係各位に対しまして、心より感謝を申し上げ、御礼の言葉といたします。
 それでは、これにて散会いたします。
    午後四時五十七分散会


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