衆議院

メインへスキップ



第5号 平成14年7月25日(木曜日)

会議録本文へ
平成十四年七月二十五日(木曜日)
    午前九時二分開議
 出席委員
   会長 中山 太郎君
   幹事 高市 早苗君 幹事 中川 昭一君
   幹事 額賀福志郎君 幹事 葉梨 信行君
   幹事 保岡 興治君 幹事 島   聡君
   幹事 中川 正春君 幹事 中野 寛成君
   幹事 赤松 正雄君
      伊藤 公介君    伊藤 達也君
      奥野 誠亮君    高村 正彦君
      近藤 基彦君    谷垣 禎一君
      谷川 和穗君    土屋 品子君
      中曽根康弘君    中山 正暉君
      長勢 甚遠君    西田  司君
      平井 卓也君    森岡 正宏君
      山崎  拓君    渡辺 博道君
      大出  彰君    鎌田さゆり君
      今野  東君    首藤 信彦君
      仙谷 由人君    筒井 信隆君
      永井 英慈君    伴野  豊君
      松沢 成文君    山田 敏雅君
      山村  健君    江田 康幸君
      太田 昭宏君    斉藤 鉄夫君
      武山百合子君    藤島 正之君
      春名 直章君    山口 富男君
      金子 哲夫君    北川れん子君
      井上 喜一君
    …………………………………
   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
    ―――――――――――――
委員の異動
五月二十三日
 辞任         補欠選任
  土井たか子君     植田 至紀君
同日
 辞任         補欠選任
  植田 至紀君     土井たか子君
六月六日
 辞任         補欠選任
  中村 哲治君     大谷 信盛君
  井上 喜一君     西川太一郎君
同日
 辞任         補欠選任
  大谷 信盛君     大島  敦君
  西川太一郎君     井上 喜一君
同日
 辞任         補欠選任
  大島  敦君     中村 哲治君
七月五日
 辞任         補欠選任
  中山 成彬君     谷川 和穗君
同月二十五日
 辞任         補欠選任
  中村 哲治君     山村  健君
  土井たか子君     北川れん子君
同日
 辞任         補欠選任
  山村  健君     鎌田さゆり君
  北川れん子君     土井たか子君
同日
 辞任         補欠選任
  鎌田さゆり君     中村 哲治君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 日本国憲法に関する件
 派遣委員からの報告聴取
 小委員長からの報告聴取


このページのトップに戻る

     ――――◇―――――
中山会長 これより会議を開きます。
 日本国憲法に関する件について調査を進めます。
 去る六月二十四日、北海道に、日本国憲法に関する調査のため委員を派遣いたしましたので、派遣委員より報告を聴取いたします。中野寛成君。
中野(寛)委員 団長にかわりまして、派遣委員を代表いたしまして、その概要を御報告申し上げます。
 派遣委員は、中山太郎会長を団長として、幹事葉梨信行君、幹事中川昭一君、幹事中川正春君、幹事赤松正雄君、委員武山百合子君、委員春名直章君、委員金子哲夫君、委員井上喜一君、それに私、中野寛成を加えた十名であります。
 なお、現地において、山内惠子議員が参加されました。
 地方公聴会は、六月二十四日午後、札幌市のホテルニューオータニ札幌の会議室において、二十一世紀の日本と憲法をテーマとして開催し、まず、中山団長から今回の地方公聴会開会の趣旨及び本調査会におけるこれまでの議論の概要の説明、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序を含めてあいさつを行った後、大東亜商事株式会社代表取締役稲津定俊君、農業石塚修君、北海道弁護士会連合会理事長田中宏君、大学生佐藤聖美さん、小樽商科大学教授結城洋一郎君及び弁護士馬杉榮一君の六名から意見を聴取いたしました。
 その意見内容につきまして、簡単に申し上げますと、
 稲津君からは、日本の伝統、文化を踏まえた普遍的価値を基本理念とする新憲法を制定し、二十一世紀初頭の世界秩序の維持に積極的に貢献するべきであるとの意見、
 石塚君からは、日本は、憲法前文及び九条の徹底した平和主義の理念を貫いて、政治的にも経済的にも自立した国になるべきであるとの意見、
 田中君からは、憲法九条の改正や有事法制を検討するよりも、アイヌ民族に対し、反省とより温かい目をもって民族政策を展開するべきであるとの意見、
 佐藤さんからは、憲法十四条に保障された男女の平等を実現させるためには、女性に正当な権利が保障されるように、今後一層の法整備や意識改革が必要であるとの意見、
 結城君からは、憲法九条は、我が国が世界に誇りを持って提示し得る手本というべきものであり、これは堅持すべきであるが、国民投票制度の導入、憲法裁判所の設置、大統領制の導入など、現行憲法には改善すべき余地もあるとの意見、
及び
 馬杉君からは、二十一世紀にこそ日本国憲法の平和主義の理念が発揮されるべきものであり、また、憲法を守り、人権を守るためには司法制度改革が不可欠であるとの意見
がそれぞれ開陳されました。
 意見の陳述が行われた後、各委員から、北海道における国際化の問題、憲法九条と自衛隊、日本における国際貢献のあり方、日本の非核政策、司法制度改革、女性の社会進出、教育改革、農業政策などについて質疑がありました。
 派遣委員の質疑が終了した後、中山団長が傍聴者の発言を求めましたところ、傍聴者から、憲法九条の意義、有事法制の問題点、地方公聴会の開催が憲法改正につながる危惧等についての発言がありました。
 なお、会議の内容を速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと思います。また、速記録ができ上がりましたならば、本調査会議録に参考として掲載されますよう、お取り計らいをお願いいたします。
 以上で報告を終わりますが、今回の会議の開催につきましては、関係者多数の御協力により、円滑に行うことができました。
 ここに深く感謝の意を表する次第であります。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 これにて派遣委員の報告は終わりました。
 ただいま報告のありました現地における会議の記録は、本日の会議録に参照掲載することに御異議ございませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
中山会長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    ―――――――――――――
    〔会議の記録は本号(その二)に掲載〕
    ―――――――――――――
中山会長 この際、基本的人権の保障に関する調査小委員長、政治の基本機構のあり方に関する調査小委員長、国際社会における日本のあり方に関する調査小委員長及び地方自治に関する調査小委員長から、それぞれ発言を求められておりますので、順次これを許します。基本的人権の保障に関する調査小委員長島聡君。
島委員 基本的人権の保障に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。
 本小委員会は、計五回の会議を開きました。それぞれの回につきまして、参考人をお呼びしてまいりました。
 二月十四日、第一回は、成城大学法学部教授棟居快行君から、新時代の人権保障について、三月十四日、第二回は、成蹊大学教授安念潤司君から、外国人の人権について、四月十一日、第三回の会議では、広島大学法学部長阪本昌成君から、新しい人権について、五月二十三日、第四回では、日本政策研究センター所長伊藤哲夫君から、基本的人権の保障について、さらに、七月四日の第五回の会議では、日本労働組合総連合会事務局長草野忠義君から、労働基本権と雇用対策について、それぞれ御意見を聴取いたしました。
 各回の会議における参考人の意見陳述の詳細につきましては、小委員会議録を参照いただくこととしまして、概要のみ簡潔に申し上げます。
 棟居君からは、
 現行憲法の特徴と限界について、
 西欧的・古典的自由主義理念に二十世紀的な社会権規定を接合しており、両者の体系的な統合に成功していない、
 経済的自由に関し、行政主導の積極規制を判例や学説も容認してきたため、本来の理想である自由主義経済体制が現実化しなかった、
 精神的自由が公民の権利としてとらえられておらず、民主主義との関係は希薄になった、
 人権保障に関しては、国家対国民という内向きの保障のみとなっている、
 私人間関係における人権保障が不十分である等の意見が述べられました。
 そして、現行憲法の課題としまして、国家が積極的に自由を保障する国家による自由の必要性、旧来の人権の分類の枠を越えた複合的な人権の理念の必要性、人権の国際的保障と国内的保障の連携の必要性、憲法による国家、市民社会、個人の三面的関係の保障の必要性等について意見が述べられました。
 安念君からは、
 判例、学説は、外国人は憲法上の権利を享有するが、それは外国人在留制度の枠内で与えられたものにすぎないとしているが、外国人には入国や在留の権利がない以上、憲法上の権利を享有しないと解するのが妥当であるとの意見が述べられました。
 そして、外国人を法律によって日本人と同等に扱うことは可能であること、国籍は法律によって定められるので、日本人の地位でさえも憲法上はあやふやであることから、外国人にも日本人と同じ権利をできるだけ認めるべきだとの意見が述べられました。
 また、憲法を改正して外国人の地位を明記すべきではないかということに対しましては、抽象的な規定にならざるを得ず、その具体的内容は裁判官が判断することになる、法律によりこれを定めることにしますと判断は国会が行うことになるわけでありますから、試験に合格した裁判官の判断よりも、有権者の代表である国会議員の判断に任せた方がいい、そういう考えであるという話が述べられました。
 阪本君からは、
 近代立憲主義において確立した公的領域を支配する公法と私的領域を支配する私法との峻別を維持した上で、私的領域における問題の解決は私法にゆだねられるべきである、
 人権は、公的領域における国家に対する不作為請求権または妨害排除請求権を意味する自由権を中核として理解すべきであるとの認識のもとに、プライバシー権、自己決定権等のような、一般に新しい人権として挙げられている法益は、私権または私法上の法処理により保護することができるので、あえて基本的人権とする必要性が低いとの意見が述べられました。
 そして、新しい人権を憲法典に組み入れる場合の留意点として、
 私的自治等にゆだね得る論点について国家が介入し、あえて憲法的に解決を図るとすれば、人権のインフレ化、統治の過剰、社会の国家化等を招くおそれがある、
 それゆえ、私権または私法上の法処理によって法益保護を図るべきであり、そのような私法上の法処理ができない場合には、法律の制定による解決を第一順位とすべきである、
 新しい人権を憲法上の権利として認定するには、その権利が高優先性を持ち、その外延と内包が明確であり、相手方の憲法上の自由を不当に制限しない等の要件を満たす必要がある等の指摘がなされました。
 伊藤君からは、
 基本的人権とは、人が人であることに基づいて生まれながら当然に有する前国家的な自然権であって、日本国憲法もそれを前提としているとの通説的見解に対する批判がなされた上で、権利とは、共同体の歴史、文化、伝統の中で徐々に生成されたものであり、その背景には共同体独自の法の精神が存在すると解すべきであって、自然権論から脱却する必要があるとの意見が述べられました。
 そして、平和で秩序ある国家があって初めて権利が保障されるのであるから、公共の福祉の解釈に当たっては、国家及び公共の利益や道徳の明確な位置づけが必要であるとの意見が述べられました。
 さらに、みずからの国をみずから守ることが民主主義の基本原則であることから、国防の義務を憲法に明記し、また、家族を保護するために家族の尊重に関する規定を憲法に明記すべきであるとの意見が述べられました。
 草野君からは、
 憲法二十八条は団結権、団体交渉権及び争議権を保障しているにもかかわらず、公務員の争議行為が法律で禁止されていることは問題であり、これに取り組んでこなかった政府の姿勢は今や国際的にも批判されているとの意見が述べられました。
 また、憲法二十七条一項は、政府に、
 一、国民が完全就業できる体制をつくること、
 二、失業者に就業の機会を与えること、
 三、失業者に生活資金を給付することを義務づけていると解釈できることから、政府はこれらの趣旨を踏まえた雇用対策をとるべきであるとの意見が述べられました。
 その他、職場での男女の不平等、過労死、セクシュアルハラスメントなどを防止するための法整備の必要性等について意見が述べられるとともに、雇用平等、職業能力開発等の新しい労働権等についても検討が必要であり、憲法調査会において、労働権及び社会権について十分審議を深めるよう求める旨の意見が述べられました。
 このような参考人の意見を踏まえまして、質疑及び委員間の自由討議が活発に行われました。
 そこで表明された意見を小委員長として総括するとしますと、日本国憲法の基本的人権の保障に関する規定は、諸外国と比べても、質、量ともに極めて豊富な、先駆的な意義を有するものであるとする指摘があることは認めます。しかし、その一方、科学技術、経済等の著しい発達、国際化の急速な発展等を背景にしまして、国家、社会の枠組みが激しく変化している現代であります。国家、社会を構成する人々の基本的人権の保障のあり方も、従来の観点のみからだけではなく、多角的に検討する必要がある旨の指摘が非常に多く見られた、私はそう思っております。
 例えば、知る権利であるとか環境権であるとかプライバシー権であるとか、そういうような議論が多くなされました。
 今後は、この基本的人権、憲法には人権と統治の二部の章がございますけれども、できるだけ、今度は人権の各条文にわたって一つずつ精査して、その中に、例えば環境権が入っているとか、知る権利が入っているという議論もありましたけれども、各条文をきちんと精査して、本当にそれが入っているかどうかということもきちんと議論していく段階に入っていると思います。
 二十一世紀における人権保障のあり方についてはさらに議論を深めていって、本当にこの日本国憲法、もちろんすばらしい憲法でありますが、時代に適合する形で徐々に議論をし尽くしていくべき、そしてまた、改正も十分考える時期にあるのではないかということを小委員間の議論の中で感じた次第でございます。
 以上です。
中山会長 次に、政治の基本機構のあり方に関する調査小委員長高市早苗君。
高市委員 政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。
 本小委員会は、これまでに計五回の会議を開き、それぞれの回につき、参考人をお呼びいたしました。
 まず、二月十四日の第一回の会議では、東京大学教授高橋和之君から、議院内閣制のあり方について、また、三月十四日の第二回の会議では、北海道大学大学院法学研究科教授山口二郎君から、統治機構を再検討する視点について、また、四月十一日の第三回の会議では、京都大学教授大石眞君から、両院制と選挙制度のあり方について、また、五月二十三日の第四回の会議では、大阪大学大学院法学研究科教授松井茂記君から、司法審査制度のあり方について、さらに七月四日の第五回の会議では、高崎経済大学助教授八木秀次君から、明治憲法体制下の統治構造について、それぞれ御意見を聴取いたしました。
 各回の会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会議録を参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、
 高橋和之君からは、
 現在の日本のような積極国家における政策推進には、内閣が統治を行い、国会がこれをコントロールするという図式の中で政治のリーダーシップが発揮されることが必要であり、そのためには、国民が選挙を通じて、政策プログラムとその実行主体である首相とを一体のものとして、事実上、直接的に選ぶ国民内閣制の導入が有用であるとの意見が述べられました。
 その導入に当たっては、
 一、国民の多数意思が明確化されるような選挙制度のあり方、
 二、多数の支持を受ける政策プログラムをつくり上げるという政党の役割、
 三、選挙等において多数派形成を意識し、明確な意思表明を行うことを求められる国民の心構えについて検討を要するとの指摘がなされました。
 また、国民内閣制の導入には、憲法改正は不要であるが、参議院は権限行使を自制する等の憲法習律の確立を図るべきであるなどの意見が述べられました。
 山口二郎君からは、
 我が国の議院内閣制について、
 一、与党の暴走と頻繁なリーダーの交代、
 二、官僚機構の巨大化に伴う内閣の弱体化、
 三、内閣と与党との不透明な関係といった運用上の問題について指摘がなされた上で、
 イギリス型議院内閣制のような、
 一、内閣と与党の一元化、
 二、与党の政権参加を通した政策の実現、
 三、政治主導による政官関係の確立を図るべきであり、
 その際、制度に合わせた新たな憲法習律等をつくっていくことや、国民主権の観点に立った行政のあり方について考えることが必要であるとの意見が述べられました。
 その改革に向けた提言として、
 制度の面では、
 一、内閣における国務大臣の分担管理原則の克服、
 二、政策決定手続の一元化、
 三、国会の行政に対するチェック機能の強化が、
 また、慣習の面では、
 一、政党、指導者、政策を一体のものとして選ぶ選挙、
 二、与党の意思決定機関と内閣の重合、
 三、与党の所属議員が内閣の一員として政策形成に当たるような党運営、
 四、透明で開かれた与党の党首選出等が、それぞれ挙げられました。
 大石眞君からは、
 一院制では多様な有権者の意思を集約できるかは疑問であり、両院制を維持すべきであるとの認識のもと、両院がそれぞれ独自の機能を果たすことにより両院制を意義あるものとするため、国民の利害や意見を公正かつ効果的に国政の運営に反映することに配慮しつつ、両院組織法をできるだけ異なった原理に基づくものにすべきであるとの指摘がなされました。
 その上で、
 一、参議院に期待される、衆議院のダイナミズムを緩和するという役割を選挙制度にどう反映させるかが重要であること、
 二、参議院の現在の権限を見直し、衆議院が法律案の再議決を過半数で行うことを認めるとともに、内閣総理大臣の指名権は衆議院のみに認めることなどの意見が述べられました。
 松井茂記君からは、
 八十一条の規定は、事件性、争訟性を要件とする司法権に付随して行使される司法審査権限を確認したものであるが、現状では、違憲判決が少なく、また国民が司法審査を求めることが困難であることもあり、司法審査権限が適切に行使されていないとの認識が示されました。
 このような認識のもとで、裁判所は民主政の過程に不可欠な権利を厳格な審査を通じて擁護する責任を有し、一方、そのほかの権利については、全国民の代表から構成された国会によって制定された法律が尊重されるべきであり、これにより国民の権利が侵害された場合には、選挙を通じて是正が図られるべきであるとの、プロセス的な司法審査理論が示されました。
 その上で、前述のような責任を踏まえた積極的な司法権の行使がなされるよう、硬直的な最高裁の人事制度の是正、事件性、争訟性要件の柔軟な解釈により、法律の違憲性の確認や執行差しとめのための訴訟提起を容易にすること等を含めた、制度改革と意識改革が必要であるとの主張が述べられました。
 八木秀次君からは、
 まず、憲法論議は国柄に関する論議でなければならず、明治憲法については、その制定に際して、国柄に関する論議が重視された姿勢に学ぶべきものがあるとの認識が示されました。
 その上で、明治憲法体制は、
 一、内閣と天皇との関係については、政治の中心の所在をめぐり、その解釈、運用に明瞭さを欠いていた、
 二、実際の国政では、首相を中心とした運用がなされたが、首相の統制権は弱かった、
 三、天皇を輔弼する機関が割拠していたため、その調整に当たった元老の消滅とともに、実質的な統治の中心が不在となってしまった、
 四、天皇は名目的統括者であり、したがって、その政治体制は立憲君主制であったとの意見が述べられました。
 また、日本国憲法の定める象徴天皇制は、君主を目に見える統合の象徴とする英国流を取り入れたばかりでなく、明治憲法体制における立憲君主制をも受け継いだものであるとの意見が述べられました。
 これらの参考人の御意見を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われ、委員、参考人の間で毎回活発な意見の交換が行われましたが、五回の会議を通じての小委員長としての感想を申し上げます。
 日本国憲法制定当時に比べますと、国民の政治参加意識、納税者としての権利意識は高まり、さらにはマスメディアの発達により、瞬時に多くの国民が国政に係る情報を共有し、世論が大きな流れをつくる時代となりました。経済情勢や外交問題等、国内外の新たな課題に迅速な対応が必要とされる現代社会において、改めて政治主導という観点から、議院内閣制のあり方や両院制のあり方、国民の参政権を担保する選挙制度と政党のあり方を考えてみる必要性を強く感じました。
 さらに、違憲審査制度のあり方についても、民主主義と立憲主義の緊張関係等に留意しつつ、引き続き議論を深めていく必要があると感じました。
 また、本小委員会では、明治憲法体制下での統治構造についても調査し、立憲君主制などにも触れたところでありますが、今後の調査においては、憲法の背景にある歴史や伝統をも踏まえつつ、天皇制のあり方等を含め、二十一世紀における政治の基本機構がいかにあるべきかについて議論を深めてまいりたいと考えております。
 以上、御報告申し上げます。ありがとうございました。
中山会長 次に、国際社会における日本のあり方に関する調査小委員長中川昭一君。
中川(昭)委員 国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。
 小委員会は、これまで五回の会議を開き、それぞれの会について参考人をお呼びしてまいりました。
 まず、二月二十八日の第一回の会議では、名古屋大学の松井芳郎君から、PKO、PKFを中心とした国際協力のあり方について御意見を聞きました。
 松井君からは、
 我が国は、憲法の理念に基づいた国際協力を積極的に行うべきであり、また、紛争の未然防止、紛争の平和的解決、紛争後の社会経済発展の支援こそ積極的な協力が可能かつ必要な分野である等の意見が述べられました。
 また、三月二十八日の第二回の会議では、ジェトロ、日本貿易振興会畠山襄君から、FTA、フリー・トレード・アグリーメントを中心とした国際社会における日本のあり方について意見を伺いました。
 畠山君からは、
 我が国は、FTAによりWTOを補完する重層体制への移行が必要である、また、主体的なFTA交渉を通じて国際的なリーダーシップをとるべきである等の意見を述べられました。
 また、五月九日の第三回の会議では、三井物産戦略研究所所長寺島実郎君から、国際社会における日本のあり方全般について意見を伺いました。
 寺島君からは、
 我が国は、日米安保のあり方を見直すとともに、専守防衛を維持しつつ、東アジア地域において予防外交の理念に基づく多国間フォーラムの形成を図るべきである等の意見が述べられました。
 また、六月六日の第四回の会議では、杏林大学の田久保忠衛君から、日本の安全保障のあり方について意見を伺いました。
 田久保君からは、
 我が国の安全保障のあり方について、国際環境の変化に対応してきたドイツを見習い、普通の民主主義国家へ脱皮すべき、また、日米の安全保障関係において、我が国は徐々に片務性から双務性の方向に進むべきである等の意見が述べられました。
 さらに、七月十一日の第五回の会議では、東京大学の中村民雄君から、EU憲法の動きと各国憲法について御意見を聴取いたしました。
 中村君からは、
 EU統合過程における経験を踏まえた上での日本に示唆的な事項として、国境を越えた各国協力が不可欠となっている現状においては、EUのメカニズムが参考になり、また、各国協議を重ねて公序を築いてきたEUの形成過程は、国際協調主義のあり方の参考となる等の意見が述べられました。
 これらの参考人の御意見を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われ、委員、参考人の間で毎回活発な意見の交換が行われました。
 そこにおいて表明された発言を小委員長として総括すれば、我が国の安全保障、国際協力等のあり方については、平和主義を掲げる日本国憲法や国際間の協力による平和の維持を目的とする国連憲章の精神の実現に向けて努力すべきであるとの指摘がなされる一方で、冷戦の終結、グローバル化の進展等急激に変化する国際情勢に日本が主体性を持って対処していくためには、従来の枠組みだけにとらわれることなく、より広範かつ多角的な観点から、憲法改正をも見据えた検討が不可欠であるとする指摘も多く見られたところでございます。
 今後も、これらの指摘を踏まえ、国際社会における日本のあり方について、引き続き積極的に議論を深めてまいりたいと思います。
 なお、詳細にわたりましては、論点メモ九十七ページ以降をぜひごらんいただきたいと思います。
 以上でございます。
中山会長 次に、地方自治に関する調査小委員長保岡興治君。
保岡委員 地方自治に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。
 本小委員会は、これまでに計五回の会議を開き、それぞれの回につき参考人をお呼びしてまいりました。
 まず、二月二十八日の第一回の会議では、筑波大学教授岩崎美紀子君から、地方分権改革と道州制、連邦制について、また、三月二十八日の第二回の会議では、東京大学大学院法学政治学研究科教授森田朗君から、市町村合併を初めとする分権改革の課題について、また、五月九日の第三回の会議では、東京大学教授神野直彦君から、地方自治と地方財政について、また、六月六日の第四回の会議では、鳥取県知事片山善博君から、地方分権を実現するための諸課題について、さらに、七月十一日の第五回の会議では、三重県知事北川正恭君から、三重県における生活者起点の観点からの取り組みについて、それぞれ意見を聴取しました。
 各回の会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会議録を参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、
 岩崎君からは、
 機関委任事務制度廃止等を柱にした前回の地方分権改革後の課題として、税財政面での権限移譲、自治体の広域化、市民社会の自治への参加等があるとの指摘がなされた上で、諸外国の基礎自治体のあり方を類型化しつつ、我が国では、社会サービスを提供する能力が持てるように、基礎自治体を再編して規模を拡大した北欧型の制度を目指すべきであるとの意見が述べられ、
 また、道州制、連邦制を採用する場合の課題に言及した上で、我が国では、憲法の改正が必要な連邦制を導入せずとも、執行における地方の裁量を認め、かつ、中央の決定に対し地方が影響を及ぼす制度を整えることで分権を図ることが可能であるとの意見が述べられました。
 森田君からは、
 地方分権推進委員会による改革では、地方分権一括法により機関委任事務の廃止等一定の成果があった、しかし、財政面の改革には不十分な点もあり、地方財政が危機に瀕していることから、今後は、地方への税財源の移譲等を進めていくべきであるとの意見が述べられました。
 また、現在の行政サービス水準の維持や住民の生活圏の変化、人口減少、高齢化社会への対応などの要請から市町村合併を推進する必要があり、その際、一律的な合併推進や数値目標的な市町村数のひとり歩き等は避けるべきであり、個々の自治体の事情に応じたきめ細かい対応が必要であるとの意見が述べられました。
 そして、国主導の現在の合併推進策は地方自治の理念に反する、合併は地方のコミュニティーを破壊する等の批判に対しては、今次の合併推進は、個々の市町村の観点からだけではなく、地域や国全体の観点から推進されなければならないので、地方自治の理念を尊重しつつ、国や県もその調整を行う必要があるという反論が述べられました。
 さらに、合併が進んでいった後の市町村と都道府県のあり方にも慎重な検討が必要であるとの意見が述べられました。
 神野君からは、
 大正デモクラシー運動やシャウプ勧告といった過去からの教訓、及びヨーロッパ地方自治憲章の制定等のように、グローバル化が進む一方でローカル化が進行している近年の諸外国の動きにかんがみると、地方分権を進めるためには、地方への税財源の移譲、地方政府間の財政格差を是正するための制度が不可欠であるとの意見が述べられました。
 そして、今後の我が国の課題としては、さきの分権改革による機関委任事務の廃止によって地方に多くの行政任務と決定権が与えられたものの、課税権についてはいまだ十分に与えられていないという事態を解消するため、個人所得税と消費税を地方に移譲することにより、地方に課税権や決定権がない集権的分散システムから、地方が課税権や決定権を有する分権的分散システムに移行させることが重要であるとの意見が述べられました。
 片山君からは、
 知事としての経験を踏まえ、地方分権を実現するための主な課題として、
 自治体が多様性、地域性を持つ組織等を設けられるように、地方自治法の画一的な規定を改正すべきである、
 独立行政委員会は専門性、当事者能力を欠き十分に機能していないので、民主主義的な要素を注入すべく、委員を公選にする等の方法を考えるべきである、
 多様で自主的な地方議会のあり方を認めるとともに、サラリーマン等の生活に密着した者がその身分のまま議員になれるようにすべきである、
 地方財政は、公共事業等のハード面の政策を重視するか、人材の充実等のソフト面の政策を重視するかという自治体の政策選択に対して中立であるべきである、
 都道府県税を安定的なものにするため、法人事業税に外形標準課税を導入するか、あるいは、法人事業税を国に、個人所得税を地方に移譲する等の対策を立てるべきであるとの指摘がなされました。
 北川君からは、
 これからの行政は、税金を納める側の立場に立って、その満足を第一に考える生活者起点の理念が重要であるという認識を前提に、三重県ではその実践として、請求を受けてから意思決定がなされた結果のみを情報公開するのではなく、政策形成過程をもみずから積極的に情報提供しており、民間企業の経営手法に倣ったニューパブリックマネジメントを導入し、業績評価型行政の実施、予算主義から決算主義への転換等を行っていること等について、知事の経験を踏まえて説明がなされました。
 さらに、今後我が国は、集権官治、官僚が治めるという意味だと思いますが、集権官治から分権自治へ転換して、各地方の特色を生かしたモザイク国家を目指し、地方の発展を図るべきであるとの意見が述べられました。
 これらの参考人の御意見を踏まえて、質疑、委員間の自由討議が行われ、委員、参考人の間で毎回活発な意見の交換が行われましたが、そこにおいて表明された意見を小委員長として総括するとすれば、日本国憲法において制度的に保障されている地方自治を今後さらに充実させるためには、現在進められている地方分権改革を一層推進する必要があり、これに対しては、国から地方への権限移譲のみならず税財源の移譲が不可欠であるということは、委員及び参考人に共通した認識でありました。
 また、市町村合併のあり方や今後の都道府県のあり方、さらに道州制の導入を検討する必要性など、統治構造全般にわたり多くの意見が述べられました。
 今後は、これらの指摘を踏まえ、二十一世紀における我が国の国家像をにらみつつ、地方自治制度を一層充実させる観点から、さらに議論を深めていきたいと考えております。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 以上で小委員長の報告は終わりました。
    ―――――――――――――
中山会長 これより委員間の自由な討議を行います。
 御承知のとおり、本調査会は、今国会より、個別の論点についての専門的、効果的な調査を進めるため四つの小委員会を設置し、調査を進めているところであります。本日は、これまでの議論を踏まえて自由濶達な御意見を拝聴したいと存じております。
 本日の議事の進め方でありますが、まず、各会派一名ずつ大会派順に発言していただき、その後、順序を定めず討議を行いたいと存じます。
 各会派に割り当てられている総発言時間は、自由民主党六十五分、民主党・無所属クラブ三十五分、公明党十分、自由党十分、日本共産党十分、社会民主党・市民連合十分、保守党十分となっております。一回の御発言は五分または十分以内におまとめいただくこととし、会長の指名に基づいて、所属会派、氏名及び五分発言されるか十分発言されるかをあらかじめお述べいただいてからお願いをいたしたいと存じます。
 委員の発言時間のお知らせでありますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。
 それでは、まず、葉梨信行君。
葉梨委員 自由民主党の葉梨信行であります。
 自由民主党の発言時間の枠内で二枠分、十分間で発言をさせていただきます。
 ただいま四小委員長から各小委員会における調査の経過及び概要について御報告がございましたが、私ども衆議院の憲法調査会では、これまで、日本国憲法の制定経緯、戦後の主な違憲判決、二十一世紀の日本のあるべき姿と調査を進めてまいりまして、この国会からいよいよ小委員会による個別論点の調査に入ったわけであります。
 私は、基本的人権、国際社会、地方自治と三つの小委員を兼ねておりますが、政治機構の小委員会にも毎回出席し傍聴しておりますので、自分なりに全体を総括して、一言感想を申し述べたいと思います。
 まず、端的に申し上げまして、四つの小委員会いずれにおきましても、憲法の各条章について突っ込んだ御意見を聞くことができ、また、自由討議では小委員間の意見の応酬などもあり、大変に実りの多い調査のできた会期であったと思っております。
 その中でも特に印象に残りましたのは、基本的人権小委員会において、権利と義務に関して御意見を述べられました伊藤哲夫参考人の御発言であります。伊藤先生は、国家に対するさまざまな義務規定を設けている中華人民共和国憲法に言及しながら、憲法にさまざまな義務規定を置く必要はない、ただ一点、国防の義務を規定すれば足りると断言されました。
 伊藤先生の言われるこの国防の義務は、いわゆる兵役の義務とは区別されるもので、その趣旨は、公に対する最大の義務は、国家の存立が危うくなったときに、国民としてそれを守ること、すなわち、みずからの国をみずから守ることは民主主義国家の最大の国民連帯の精神である、それが端的にこの国防の義務にあらわれている、そういった趣旨であったかと存じます。いずれにいたしましても、大変示唆的なお話であったと承りました。
 政治機構小委員会での議論では、八木秀次先生の明治憲法に関するお話が印象に残っております。八木先生は、今日、明治憲法は甚だ評価が低いものとなっているが、その政治体制は民主的な立憲君主制であり、明治憲法から今なお学ぶものは多いこと、また、憲法論議は国柄に関する論議でなければならず、明治憲法は、海外各国の成法という普遍的な価値とともに、建国の体、すなわち国柄という我が国の特殊性を融合させたものであることを述べられましたが、これらの御発言には深く感銘を受けました。
 これまで、国会の場で明治憲法を議論すること自体が反動的と指摘される雰囲気すらあったように思いますが、各会派から特段の御反対もなく、何のタブーもなくこのような議論ができるようになったことは、この憲法調査会の堅実な調査のたまものであるかと存じます。
 また、この政治機構小委員会では、首相公選制や両院のあり方に関する議論もなされました。首相公選制につきましては、私自身は、昨年の海外調査におけるイスラエルの首相公選制の調査などにかんがみて、その導入には否定的で、導入論者の説く首相あるいは政治家のリーダーシップの強化は、現在の議院内閣制のシステムの中で発揮すべき事柄だと考えております。
 要するに、首相選挙においてあらわれた民意と議会選挙においてあらわれた民意との間にギャップが生じた場合どうするのか。イスラエルでは、小党分立を招来し、結局は、政党の野合による政権運営によって、民意から離れた政治が行われることとなったわけであります。イスラエルでは、次回から、首相は、前に戻りまして、議会で選出されることとなっていると聞いております。
 もちろん、現在の議院内閣制の運用については、内閣と与党の関係をどうするか、政党の規律というものをどう考えるかなど、検討すべき課題は多いと思いますが、この国会での政治機構小委員会での議論でも、東大の高橋和之先生の言われる国民内閣制的運用など、いろいろ示唆的な発言があったように思われます。
 なお、その際には、立法府の優位性と三権分立の関係といった根本的問題にも検討が及ぶことになりましょう。
 ところで、首相のリーダーシップの強化の根底にある政権の安定といったことを考えた場合、ある程度の任期を首相に保障するような制度的仕組みを講ずることが重要かと存じます。すぐに成果を出さないと、与党内からも首相の足を引っ張るような動きが出てくる政治風土と申しますか議院内閣制の運用がなされておりますと、首相サイドとしても、目に見える成果を性急に出そうとする余り、落ちついた政権運営、政策展開ができない状況になってしまいます。現在の小泉内閣を見ておりますと、若干そのような感じがいたしております。
 憲法の問題であるのか運用の問題であるのか、議院内閣制のもとにおける安定した政権運営を担保するような憲法上の仕組みを講ずることも、課題の一つかと存じます。
 また、両院制のあるべき姿についてもさまざまな議論がなされました。私は、より的確な民意反映の観点から、衆議院と参議院の機能分担を明確にするべきこと、そして、その前提として、衆参の議員の選出方法に違いを持たせるよう工夫すべきであると考えます。参考人及び委員の御発言を伺っても、この点については大方の御賛同をいただけるものと確信いたしております。
 地方自治小委員会では、市町村合併や地方財政問題など多岐にわたる議論がなされました。
 参考人のお一人としてお呼びしました鳥取県の片山善博知事は、私が自治大臣を務めていたときの秘書官だった方でありますが、その活躍ぶりには改めて感心させられました。二期八年全力投球すれば、アイデアとかエネルギーは枯渇するのではないか、アメリカの大統領が三選禁止されているのは一つの英知であるという多選禁止論や、地方議会との間でも根回しをしないで、よい意味での緊張感を持って政策論議をしている様子など、一つのあるべき地方自治の姿だと感じました。
 ただ、この片山知事のほか、三重県の北川正恭知事からも、現場の経験を踏まえた御発言を伺ったわけでありますが、それらを通じて感じておりますのは、個々の自治体においてそれぞれ創意工夫を凝らしながら、より一層地方分権を推進していく必要性を痛感すると同時に、他方、都市部、農村部、あるいは過密過疎など、国土全体の均衡ある発展といったこととのバランスをどのようにとるのかといった問題もあるということであります。
 また、道州制の議論もなされましたが、これについてはまだまだ議論は緒についたばかりであり、今後は具体論を詰める必要があると思っております。
 すなわち、これまでの道州制論議はどちらかというと中央政府の側からの議論、すなわち国の権限の受け皿としての道州だったように思いますが、地方自治小委員会での議論では、それとは違った、下からの道州制といいますか、都道府県では対応できない広域的な仕事を、道州をつくって下から上に持ち上げていこうという都道府県連合的なものが出てまいりました。このように、具体的なイメージを明確にして議論をしていく必要があるかと存じます。
 国際社会小委員会では、平和主義と安全保障の問題、国際協力の問題などが集中的に議論されましたが、日本のみの安全だけではなく、国際協力の観点から、世界の安全、地域の安全、人間一人一人の安全に対してどのような貢献ができるのかという視点が重要であることを痛感いたしました。それこそが、憲法前文に規定する「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」、そして「自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である」とする国際協調主義の精神だと信ずるからであります。
 国際社会小委員会では、参考人質疑だけではなく、小委員間で意見の応酬もなされましたが、平和憲法があるから我が国の安全は保障されるという、ひとりよがりの平和主義から脱却することが極めて重要な課題であると思います。
 ところで、この国際社会小委員会での議論を伺っておりましても、戦争の放棄という憲法九条第一項が定める平和主義の理念自体に反対する会派、論者は全くないわけであります。おのずと議論の的は、理想主義的な軍備の全面的放棄を定める九条二項にあること、この点までは議論が煮詰まってきていると言ってよいでしょう。
 そうなりますと、一、全くの非暴力抵抗主義でいくのか、二、万が一の場合に国民の生命財産を守るための必要最小限度の自衛力を保持することを憲法上明記しておくべきなのか、三、そのためには、二項を書き直すか、二項を削除でいいのか、それとも三項を追加する形で確認するのが適切なのかといった、わかりやすい議論になっていくことが必要ではないかと思います。
 いずれにいたしましても、より真摯なかつ具体的な議論をしてまいりたいと思っております。
 以上、四つの小委員会での議論に即して簡単に感想を申し述べましたが、今後とも、各会派それぞれの立場を超え、二十一世紀の日本国、そこで活躍する日本国民のための憲法論議という大きな目標を見据えて、同じ土俵の上に立って、着実に、何のタブーもなく、自由濶達な議論が繰り広げられるよう、中山会長初め委員各位とともに努めてまいることを申し上げ、私の意見表明とさせていただきます。終わります。
中山会長 次に、山田敏雅君。
山田(敏)委員 民主党の山田敏雅でございます。
 私は、国際社会における日本のあり方に関する小委員会に属しまして、議論を進めてまいりました。その中の議論について、五分間意見を述べさせていただきたいと思います。
 この中で、国際社会の中で日本は一体どういう地位を今占めているのか、あるいはどうあるべきなのかという議論が活発に行われたと思います。
 この中で行われたこと、一つは、EUのケースを見て、経済統合から政治的統合、そして軍事的統合、そして恒久的な平和への道を歩んでいく、この考え方。もう一つは、自由貿易協定によって経済のブロック化をしていく、この流れの中で、日本は今どうあるのか。残念ながら、この意見の中で、日本は世界の中でそのプレゼンスは非常に小さくなっている。そして、むしろ、世界をリードして恒久的な世界平和に持っていくという理念とは反対に、孤立して、その力は弱まっているんではないか、こういう議論がございました。
 自由貿易協定については、EUにどんどん参加国がふえていって、将来二倍とか三倍、そういう規模になっていく、こういう自由貿易協定によるブロック化が進んでいる。アメリカについては、南北アメリカ大陸はさらに自由貿易協定を進めていっている。アジアにおいては、中国がASEANすべての国と自由貿易協定を結ぼう、こういう傾向がさらに強まっている。
 それに対して日本は、シンガポールという、ほとんど貿易に何の摩擦もない、実質的に何の意味もない貿易協定が一つできた。日本が、この自由貿易協定を通してブロック化していくという中では、本当に孤立してしまっている。
 憲法前文にあります、国際社会において名誉ある地位を占める、そして恒久的な世界平和のためにリーダーシップをとっていくということについて、憲法上のいろいろな規定が今の日本の歩んでいる道に足かせとなっている点が指摘されると私は思います。
 国家の果たすべき役割、すなわち国家のアイデンティティー、あるいは国の使命、天命といいますか、やるべきことは、世界で唯一の被爆国である日本は明らかであります。核兵器をこの世界から廃絶すること、これが我が国の国家としてのアイデンティティーではないかと思います。しかし、過去五十年間、日本は、アメリカ、中国等に対して一度も核兵器をやめろと言ったことはない、こういう事実もあると思います。
 そこで、私はこの小委員会の中で意見を申し上げましたけれども、国連の発展的な解消。国連が十分な役割と機能を果たしていない。国際的な紛争を速やかに解決し、そして裁判権を持っていないということが重要な点であると思います。日本がこれからリーダーシップをとってやるべきことは、各国が個別に軍隊を持つのではなく、世界連邦という考えのもとに一つの軍隊を持つ、各国は警察権だけを持つ、そして、国際紛争については、実質的な裁判権を持つ、この考え方を日本は世界をリードして進めていくべきではないかと思います。
 以上でございます。
中山会長 次に、赤松正雄君。
赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。
 衆議院の憲法調査会も、スタート以来二年半を経まして、ほぼ中間の折り返し点を迎えました。
 先ほど来、小委員長からの御報告、また自由民主党、民主党の委員の方から、これまでの、今国会の小委員会における御発言のエッセンスのようなものが述べられました。私も、国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会に所属をしてまいりまして、五回にわたっての参考人に対する発言にさまざまな議論をさせていただいたわけでございますが、その中身につきましては、議事録あるいは調査会発行の論点整理メモに譲るといたしまして、きょうは、沖縄に続きまして北海道での公聴会に参加をいたしまして、強く印象に残ったことを中心に申し上げたいと思います。
 まず、基本的に、護憲の立場に立つ公述人におきましても、憲法第九条については断じてさわるべきじゃないというものの、それ以外のテーマにつきましては柔軟に対応する余地があるとする発言が、北海道での公聴会において非常に特徴があったと見るべきだと私は思います。
 これは、憲法調査会に対して寄せられる一般の国民の皆様の意見の中身と共通するところでもあろうかと思います。つまり、テーマを明確にした上での護憲論は圧倒的に憲法第九条に関するものが多くて、改憲論についてはそれ以外のものに関するテーマのものが多い、そういう傾向が見られるからであります。
 例えば、北海道ではこういう公述人の意見がありました。いかなる困難があっても憲法三原理は堅持するべしとされた公述人が、それでも改革の余地があると思うテーマとして、一つはレファレンダム、国民表決の明記、二つは憲法裁判所の設置、三つは首相公選制の検討、四つは公共の福祉概念の明確化、五つはプライバシー権などの鮮明な規定、この五つを挙げられました。
 私は、問題の所在をよりはっきりさせるために、これらは憲法明文の改正か、それともいわゆる改革で済むと思っておられての発言なのかと詰めて、二者択一的に聞きました。それに対して、公述人からは、論理的な感覚と政治的な感覚とが自分の中でもなかなか整合していないとか、いささかアンビバレントな悩ましい感じを持っているとの苦衷を率直に述べられて、最後に、国民にその考え方を問うのが筋だと思うとされたのが極めて印象に残りました。
 特に、この学者の公述に対して、終了後に会場から、なぜはっきりと憲法明文改正には反対だと明言しなかったのか、あいまいな言い方は許せないとする若い学生の傍聴人からのいかにも乱暴な発言がありました。そのときの公述人の苦笑いを含んだ複雑な表情を私は忘れることができません。私はここに、憲法明文を改正することについて、最初の一歩すら踏み出せぬちゅうちょとでも言うべきものを感じる向きがいまだ日本に多いとの現実を集約的に見る思いがいたしました。
 従来からの憲法論議は、ややもすれば、憲法は現実に合っていないから現状に沿って変えようとの立場と、逆に、憲法に現実を合わせるべきだとする立場のぶつかり合いが繰り返されてきています。
 それに対して、憲法か現実かの対立の図式ではなくて、憲法も現実も変化する対象ととらえて、しかも、それを二十一世紀のあるべき日本の姿から照らして考えてみようというのがこの憲法調査会のスタートの考え方であったと思います。改めて原点を確認する必要があります。
 残された後半の議論を前に、タブーを設けないで、変化をもたらすべき対象としての憲法と現実の双方をしっかり見据えて議論をしてまいりたい、そういう決意を申し上げて私の発言を終わります。
 以上でございます。
中山会長 次に、春名直章君。
春名委員 日本共産党の春名直章でございます。
 まず、札幌地方公聴会について申し上げたいと思います。
 最大の特徴は、陳述人の大多数が、憲法第九条を日本の平和を守ってきたものとして高く評価するとともに、今後も日本の平和と安全の道しるべとして一層重視すべきという立場を表明したことです。そして、憲法違反の有事法制への深い疑念も語られました。
 結城陳述人は、九条は我が国の平和と繁栄の基礎をなすもので、世界に誇りを持って提示し得るものであるとの意見が出されました。馬杉陳述人は、九条の理想的な平和主義は先駆的で、二十一世紀にこそ真価が発揮されると強調しました。
 北海道は、恵庭事件や長沼訴訟などがあり、今日では矢臼別での米軍実弾演習が行われています。憲法九条と安保条約をめぐって非常に鋭い対決があるところでもあります。同時に、憲法違反の有事法制が国会で審議されているさなかであったことから、それが、地方公聴会では九条を守り、生かすべきとの声となって反映したものだと思います。
 外務省が三月に行った世論調査でも、日本の平和と安全を守っているのは平和憲法との答えが六四%と、最も多いものとなりました。ここにも、九条への国民意識が示されています。二十一世紀の平和と安全は、九条を投げ捨てるのではなくて、逆に九条を生かし切ることこそ重要だということは疑いありません。
 第二に、憲法に示された先駆的な規定に沿った政治こそ今求められているということ、そして、現実にはその理念が生かされていないことがさまざまな具体的事実に基づいて改めて明らかにされました。
 九条だけではなく、アイヌの人権保障とこれまでの政府の怠慢を告発した田中陳述人、女性への就職差別や暴力など、法のもとの平等を現実化する努力こそ重要と強調した佐藤陳述人、国家主権の回復の問題として食料自給率の向上を述べた石塚公述人などなどです。本調査会として、こうした国民の率直な声に真っすぐに耳を傾けなければなりません。
 基本的人権小委員会で感じたことですが、日本の人権状況についての調査がいよいよ大切になってきているということを感じます。連合事務局長の草野参考人は、労働三権が憲法で保障されたにもかかわらず、いまだに公務員には争議権が認められず、公務員制度改革でも後回しになっていることを強く批判いたしました。こうした問題は、他の人権規定でも同様であります。
 逆に、防衛庁の情報公開請求者のリスト化問題、個人情報流出の危険を飛躍的に高める住民基本台帳ネットワークシステムの稼働など、憲法の規定した三十一カ条にわたる豊かな人権条項が、目の前で一層踏みにじられている実態が進んでいることを直視しなければなりません。国連も、国際人権規約の規定の多くの部分が既に憲法に規定されているにもかかわらず、国内法が未整備であったり、実現していないことに懸念を表明しています。
 小委員会では、プライバシー権、その他新しい人権についての意見もありました。こうした現実に起こっている人権問題、憲法と現実との乖離の実態とその原因などをしっかり調査してこそ、新しい人権の問題も地に足がついた調査になると考えます。
 今日の日本の人権状況は、憲法に明文規定があれば必ず保障されるということを意味しておりません。現行憲法が守られていない状態を放置したままで、幾ら条文をいじったり外国の憲法を参考にしたところで、国民にとっては空疎な議論にしかならないのではないでしょうか。
 地方自治小委員会では、多くの参考人が憲法第八章に地方自治の章が盛られた意義を評価し、これを二十一世紀に生かすという立場が表明されたことは大変重要でした。住民自治、団体自治という地方自治の本旨の内実を一層豊かにすることがこれからの大きな課題で、それは、ヨーロッパ地方自治憲章など、世界の流れに沿ったものだと思います。実際、それぞれの現場ではその努力がなされていることに目を向ける必要があります。
 鳥取県の片山知事は、鳥取県西部地震への対応の際、憲法に保障された人権を守り地域を守るためには住宅再建がかぎとの立場で、再建資金をダム建設の中止によって捻出した経験を述べましたが、教訓的でした。
 こうした自治の内実を豊かにしようとする努力をしている活動を、憲法調査会としてしっかり調査することがこれから重要です。そこから離れた、住民の意向を無視した上からの市町村合併、道州制の導入論は、地方自治の本旨の実現にとって逆に有害でありまして、自治をゆがめるものとならざるを得ないことを述べまして、私の発言といたします。
中山会長 次に、金子哲夫君。
金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子であります。
 この百五十四通常国会の最後の憲法調査会になると思いますので、この通常国会の憲法調査会のまとめ的な意味で、私なりに二つの点について意見を述べたいと思います。
 第一は、地方公聴会についてであります。
 今国会中に二度の地方公聴会が実施されましたけれども、この地方公聴会での意見陳述人の発言をどのように本調査会論議に反映していくかという問題であります。
 沖縄、北海道の二会場で開催されましたが、いずれの会場でも、多くの陳述人から憲法九条についての発言が行われたことは周知のとおりであります。その意見は、憲法前文、九条にうたわれた平和主義を高く評価するものであったと私は感じております。私たちはこの発言を率直に受けとめることが重要だと考えております。
 これらの発言を一部の地域的なもの、沖縄特有のものとする意見もあるように聞こえてくることを、私は非常に残念に思っております。特に、沖縄の発言では、沖縄戦の教訓は軍事力で国民の生命は守れないことなど、さきの大戦での国内唯一の地上戦という具体的な体験を通してのものであっただけに、その意味は大きいと言わなければなりません。憲法の中にうたわれている平和主義というものが、こうした過去の戦争体験と反省の中から生まれたことを改めて強調したいと思います。
 しかも、この時期は、憲法の平和主義、基本的人権の尊重などに真っ向から対立する有事関連三法案が国会に提出されていた時期であったことも思い合わせて考えなければなりません。私は、再び過ちは繰り返してはならないということを強調したい、またそのことが強調されたと考えております。
 また、その後開催された北海道での地方公聴会においても、憲法の平和主義を守る立場から憲法九条などの改正に反対する意見が、六名中五名もありました。
 このことを考えてみますと、国民の中に、憲法九条を中心とする世界に誇る平和主義に対して強く支持する声が強いということを示しているというふうに私は考えております。むしろ二十一世紀に向けて世界に広げるべきという指摘がありましたが、これらの論議は、これまでの各地方公聴会でも同様に出された意見であるということも重要に考えなければならないと思います。
 先ほど申し上げましたけれども、こうした意見を地域的なものとか一部のものとか考えることはできないというふうに考えております。私たち憲法調査会は、こうした地方公聴会での意見を真摯に受けとめる姿勢が求められていることは当然のことだということを改めて強調したいと思います。
 意見陳述者は、この二回の場合は、すべて一般公募により応募された方々の中から私ども幹事会の協議において選ばれた人々であるということであります。つまりは、すべて調査会の責任において人選された人たちによって地方公聴会における意見陳述がなされているということを改めて申し上げたいと思います。また、地方公聴会の意見陳述について今後どのように本調査会に反映させるかについても、さらに幹事会などを中心に検討されるべきだというふうに考えております。
 次に、今国会から始まりました小委員会について少し意見を述べたいと思います。
 先ほど小委員長の報告ありましたように、四小委員会において精力的に調査活動が進められたと私も考えております。しかし、いまだ調査すべき事項がたくさん残っているということも事実でありまして、私は、引き続き、小委員会においてこれらの事項について調査を続行すべきだということを考えております。
 小委員会において、新しい試みとして自由討論を行うこととしたことも一つには成果があったというふうに考えておりますが、ただ、残念なことでありますけれども、参考人に対する質疑が終了した時点で委員会の空席が多くなっているということも多々あったわけでありまして、今後のこの小委員会の運営のあり方、また委員相互の討論の進め方などについても、さらに工夫、努力が必要だということを最後に申し上げて、私の意見としたいと思います。ありがとうございました。
中山会長 次に、井上喜一君。
井上(喜)委員 いろいろな意見が今開陳されたところでありますし、会議録におきましてそれぞれのところが記録されておりますので、それらの点については繰り返す必要はないと思います。私は、どちらかといいますと、議事運営につきまして、私の感じたことを申し上げたいと思います。
 まず、地方公聴会、この札幌の地方公聴会なんかを見ておりますと、あそこに出てこられました意見陳述人というのは、広い意味で北海道の人たちの意見を代表しているのかということについて、大いに私は疑念を持つ者でございます。地方で公聴会を開きます以上、その地方の特色が出るということは当然だと思います。それには、地方の平均的な意見といいますか、代表的な意見が開陳されるような、そういう運営、陳述者の選任、選択をぜひともお願いいたしたいと思います。
 それから、二番目に感じますことは、私は、憲法は国の基本法であるということは言うまでもないわけでありまして、どういうような国をつくっていくのかという国の目標みたいなものがありまして、そういうのを前提として基本法の中にどういうものを入れていくかというような議論があってしかるべきだと思うんでありますけれども、地方公聴会なんかで聞いておりますと、必ずしもその辺のところがはっきりしていないというような感じを受けるわけであります。字面を読みまして、だからこうだああだというような議論をしている、そういう感じを私は受けたんであります。
 したがいまして、議事運営といたしまして、どういう国家を目指すのか、どういう国家をつくるんだというようなことをぜひともはっきりさせてもらって、その上で意見陳述をしていただくような、そういうお取り計らいをいただきたい、こんなふうに思います。
 それから、この憲法調査会の審議期間を一応五年といたしますと、その半分が過ぎたわけでありまして、いよいよ取りまとめの段階に入っていくと思うんであります。どういう取りまとめをされるのかはこれから議論されることであろうと思うんでありますけれども、取りまとめる以上、具体的な取りまとめじゃないといけないと思うんですよ。ただ審議をこうしましたということだけでは、この調査会としての責任を果たしたことにはならないと思います。具体的な取りまとめをするというようなことをイメージしながら、これから議事運営をやっていただきたいと思うんです。
 これまで学識経験者のいろいろな御意見を聞いて各党それぞれの立場から質問がされております。これはこれで結構でありますけれども、大体それで終わっていると思うんですね。
 私は、そこで、その時々の議事に応じまして、会長さんなりあるいは小委員長がテーマを特定しまして、議論を深めるというようなこともあってもいいんじゃないかと思うんです。単なる議事の取りまとめ、進行係をされるだけではなしに、このテーマはここでもう少し議論した方がいいだろうというようなことにつきましては、会長あるいは小委員長の責任においてその議題を取り上げ、さらに議論を深めていく、そういったようなことをぜひお願いいたしたい。そういうことをしなければ、どうも五年のうちにきちんとした憲法についての取りまとめができないんじゃないかということを私は恐れるからでございます。
 以上であります。
    ―――――――――――――
中山会長 これより委員各位による自由な討議に入りたいと存じます。
 御発言を希望される方は、お手元にあるプレートをこのように立てていただき、御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
 それでは、御発言の希望のある方はお願いいたします。
伊藤(公)委員 地方自治に関する調査小委員会と政治の基本機構のあり方について、二点ちょっと申し上げたいと思います。
 地方自治については葉梨先生から御報告がありまして、私はそれにほぼ尽きるというふうに思っていますが、なお若干の考え方を申し上げさせていただきたいと思います。
 今、構造改革がこの内閣でも進められているわけですが、日本の将来のあるべき姿、国家像というものをどうするかということが大変大事な問題になってきている。その中で、この小委員会の中でもそれぞれの先生方が述べられてきたところでありますが、地方分権一括法が成立してから、各都道府県自治体において、地域の税というものが非常に大きな広がりを持ってきている。環境税だとかあるいは水源税だとか、そういうことが具体的に提案されてきている。実際に、既にスタートしているところもあるわけであります。
 しかし、そうはいっても、国と地方との根本は、税財源を基本的に見直さなければならないということを、それぞれの御指摘も強くあったわけでありまして、これらのことを、日本の構造改革という点では、むしろ時間を短縮して、あるべき将来の姿を我々は明らかにしていく必要があるんではないかということを、大変痛切に感じています。
 そういう中で、町村合併、あるいは、御報告の中にもありましたが道州制の問題、外国におきます連邦制や州制度なども学習しながら、我が国の今日におきます県というものの存在をどうするのか。特に、今、具体的には道州制のようなことがいろいろ議論されてきているわけでありますが、こういうことを総合して、将来の日本の国と地方との関係をはっきりとしていかなければならないときが本当に来ているなということを、私は感じました。これは、憲法調査会におきます、先ほどお話がありましたように、五年とかという時間的な計画もあるようですけれども、私は、日本の国の構造を本当に変えるという意味では、もう少し時間を短縮してその作業を進める必要があるということを、大変強く感じました。
 それからもう一点、政治の基本機構のあり方に関してでありますが、これは、葉梨先生の御報告と、私は考え方を若干異にするわけであります。
 最近、例えば、現在の小泉内閣にしても、比較をすることがいいかどうかわかりませんが、長野県の、具体的には田中知事の昨今の問題などを含めていろいろな議論があるところであります。私は、日本の長い間のいろいろなしきたりというものを変えていくときに、強力なリーダーシップがますます必要なんだなということを思っているわけであります。
 ただ、例えばトップリーダーだけかわる、そのことによって大きく変わることも事実でありますけれども、しかし、根本的には、トップリーダーがかわったときにそのスタッフをどうするか。周辺が全くそのままで、トップリーダーだけがかわるだけでは、その構造を大胆に変えていくときに、非常に時間がかかるということもあります。
 そういう意味で、私は、首相公選制というものは、むしろ時代の中で本格的に考えていくべき問題になってきたのではないか。それは、そのまま首相公選という形がいいのか、あるいは、そういう制度を取り入れた仕組みを考えていくのか。
 いずれにしても、新しいリーダーがもっとスピードアップをしていろいろな改革ができるようなシステムを、国も地方もやるべきではないか。イスラエルの例だけを見て、日本もだめなんだということではなくて、日本は日本なりの新しい強力なリーダーシップを発揮できるシステムを我々なりに考えていくべきではないかということを、私なりの考え方を申し述べさせていただきます。
大出委員 民主党の大出彰でございます。五分ということで。
 私は、基本的人権の保障に関する調査小委員会におりましたが、今回、憲法との関係で、いわゆる有事法制といいますか、武力攻撃事態法が出てきて、それと憲法を比べながら、大変憲法にとっては考えさせられる材料だなと思いながら、片や憲法破壊というのはどういうのをいうのかなと考えたりいたしたわけなんです。
 私個人は、有事法制、いわゆる武力攻撃事態法制については、今の九条がある憲法のもとでは、本来は接ぎ木ができないような法案を出してきたことになるんではないかと実は思っています。
 それと同時に、それ以上に、武力攻撃事態、抽象的でプログラムみたいなものですのでよくわからないところがありますが、どうも、いろいろ選択していくと、残っているのは一個しかなくて、周辺事態のときにおける有事ACSAといいますか、それをねらっている法案でしかないのではないかということを考えますと、私は、これを、使いっ走りの、パシリ法案ではないかといって、こんなアメリカ軍を後援するような法案は主権国家としては屈辱的である、だからこんなものはやめなさいと、そんな考え方を実は言っているところなんです。
 それよりも、今回、憲法との関係で見たときに、どういう形で憲法破壊が起こるのかというときに、例えば、条文はそのままになっているんだけれども、実体の法律が、全然違う法律でずっと運用されてしまうというのがそうなのか。
 あるいは、そうではなくて、確かに憲法に対する認識、憲法というのは非常に抽象的に書いてありますし、その時々の政治的妥協の産物であるということも、歴史上の事実です。そういう意味では、逆説的なんですが、具体的に書いてある法律よりも、抽象的であるがゆえに、頻繁に改正をする必要があるということも逆に言えるものなんだと思うんですね。ところが、それは、憲法がねらった価値観をどこに置くか、どれが重要であると思うかによって、多分変わってくるんだと思うんです。
 それと同時に、さらに、日本の憲法の場合には、硬質憲法にしてあって、そう簡単に変えられないぞということになっているわけですね。その部分が、多分、今までの憲法九条議論の中で、変えた方がいいんではないか、変えてはいけないんではないかという議論になってきたことだったと思うんです。
 そこで、私は、立憲主義ということが余り言われていないものですから、憲法に基づいて政治をすることによって、特に国民の自由が、そして平和が守られるんだというのが基本ですので、もし九条にたがえるような法律をつくるんだとすれば、これはやはり九条を改正してからやるのが本来の立憲主義の姿ではないかと、そんなことを実は考えているんです。
 ここで、価値観の違いで意見が変わるわけなんですが、憲法九条の場合には、明らかに、戦争の放棄という言葉が、言葉として出ているわけですね。
 これは、いわゆる昔の神権、神勅天皇制が、外に対しては侵略という行為に出て、国内においては、宗教を含めて弾圧ということが行われて、それを戦後反省して、神勅の部分については政教分離という規定ができて、天皇制については、片方は象徴天皇になっていますけれども、国民主権ということになって、そして、さらに三章以下に人権保障をすべからく認められるようにした、こういうことになっているんだと思うんですね。
 そうなってきますと、戦争違法論というものが憲法九条に書かれているわけですので、二項の方を変えてしまうと、戦争違法論の基本が違法でなくなることになるから、やはり変えない方が得策なんではないかと実は思っているわけでございます。
 時間が来ましたのでこれ以上は申し上げませんけれども、そんな意味で、立憲主義に基づいて、もし不都合であると考えるならば、やはり憲法を改正してやるべきだろう、私は反対ですが。
 以上でございます。
今野委員 私は、基本的人権の保障に関する調査小委員会に所属して、参考人の方々からさまざまな意見も聞くことができました。中には、日本政策研究センター所長の伊藤哲夫さんの意見に見られるように、権利とは、共同体の歴史、文化、伝統の中で徐々に生成されたもので、その背景には共同体独自の法の精神が存在するのだという、とても承服できない意見もありましたが、多くは有意義で示唆に富む話でありました。
 私は、民主党の人権調査会の、また難民問題小委員会の事務局長として、きのう、大阪・茨木市にある西日本入国管理センターに行ってまいりました。今、このセンターには、百七十二名の中国、韓国あるいはフィリピン、タイなど、さまざまな国籍の方々が収容されています。
 その中に、アフガニスタンからの難民の方々も収容されているんですが、この方々は、二カ月から九カ月という非常に長い間、希望がなく、しかも十四畳ほどの部屋に十一人収容されている。プライバシーも、精神的、肉体的バランスを保つ工夫も全くありません。そして、罪を犯したわけでもないのに、おりの中に入れられているという状態であります。
 被収容者の処遇は可能な限り自由を与えるとともに、被収容者が属する国の風俗習慣、生活様式を尊重した処遇に努めていると収容所の概要で定めておきながら、例えば食事は三食とも御飯を詰めた弁当が支給されておりまして、生活様式を尊重しているとは言いがたいものでありました。また、健全な収容生活を図る上から運動及び娯楽を奨励していると言いながらも、被収容者が戸外の運動場に出られるのは一回三十分、週四回だけという実態、これはとても運動を奨励しているというものではありませんでした。
 我が国は、難民条約あるいは人権条約を批准しているわけでありますが、それに基づいて、国連の委員会から、日本の対応は不十分であるという勧告を受けております。その勧告への我が国が出したカウンターレポートも、例えばインドシナ難民と他の難民との扱いに大きな差があるのではないかという指摘に答えていないなど、十分な内容ではありません。
 私たちは、国会でこうして憲法について議論を重ねているわけでありますが、もちろん議論は大いにすべきとは思いますが、同時に、私たちが持っている憲法の理念が、私たちの暮らしの中に、あるいは国際社会の中で、その一員として果たして責任をきちんと果たしているのかどうか検証すべきではないかと思います。
 以上でございます。
山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。
 私は、今度の国会では、政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会と国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会の二つに出席いたしました。そこでの参考人の陳述については、先ほど小委員長からそれぞれお話がありました。
 私は、その中で感じた点を幾つかお話ししたいと思うんですけれども、まず一つ感じましたのは、私たちは憲法を考える場合に、二十一世紀の日本と世界の現実の中で考えていくわけですから、その二十一世紀の時代状況がどういうことになっているのかという深いとらえ方が必要だなということを痛感いたしました。
 参考人の方々も、例えば国際社会でいいますと、やはりアメリカの動向が非常に大きな位置を占めてきますけれども、今世界で、軍事の問題でも経済の問題でも、アメリカの単独行動主義に対する批判の広がりがあるという指摘がさまざまにありました。国連論でも、PKOが大きくさま変わりする中で、非同盟諸国を中心にして、軍事偏重に関して批判の声が出ているという指摘もありました。それから、アジアについて述べますと、日本が提起してまいりました自由貿易協定について、アジア各国からは相当批判の声があるという指摘もあったと思います。
 また、私、感心しましたのは、EUの統合の努力の過程で、その背景になっているのが、二つの世界大戦が起こったあの惨害を二度と繰り返さないという、その決意が共通の土台になっているという指摘があった点にも大変興味を覚えた点なんです。
 このように、国際、それから日本でもそうなんですが、どういう時代状況にあるのかという点を踏まえての憲法の調査が大事になる。その際に、五十数年前に国連憲章がつくられて国際連合が出発して、平等互恵で平和の秩序をつくるという方向が打ち出され、その後、日本国憲法でそれをさらに進めて戦争の放棄にまで進んだわけですけれども、その方向が二十一世紀の時代的状況の中で本当に生かされる条件が生み出されている、そこに着目することが一つ大事じゃないかということを、私は今度の調査の中でも痛感いたしました。
 二つ目に、私は、今の日本の状況から考えまして、憲法が、平和の問題でも民主主義の問題でもきちんとした原則を定めておりますから、これを改正したり改める必要はないと思います。
 今度の参考人の方々のお話の中でも、一番力説されたのは、憲法の定めている規定を日本社会の中でどう生かすのか、どう具現化するのかというところに一番のポイントがあったように思うんです。統治機構の問題でも議院内閣制の問題でも、主権在民の原則や民意の反映がきちんと行われているかどうか、これが出発点だということが何人かの参考人から指摘がありましたし、選挙制度でも、平等選挙で、きちんと票の格差も是正しながら進んでいくということが大事だという指摘もありました。また、違憲審査の問題では、これが憲法上定められているのに、司法審査としてきちんと機能していないという点での意見表明もあったと思います。
 このように見ますと、憲法の規定が現実の中に生きているかどうかという問題は、憲法調査会だけでなくて、立法府としての不断に努力すべき問題としてとらえ、考えていくことが必要になるというふうに思います。
 最後に、きょうの討論の中で出てきた幾つかの点について発言したいと思うんですが、まず、明治憲法の問題なんですけれども、私は小委員会のときにも発言いたしましたが、あの憲法を立憲君主制とみなすことはできないと思います。天皇の絶対的権限を保障したのがあの憲法であって、その点では、今日の日本国憲法との共通性だとか共通の基盤ということを見ることは、前文で排除した一つの原理ですから、そういうものとして扱うことが妥当であるというふうに考えております。
 それから、もう一つ、九条の問題で、九条論議をわかりやすくするというお話がありましたけれども、一項と二項というのは文字どおり一体のもので、一項は置いておいて、二項をいじるか、三項をつけ加えるかという議論は、わかりやすい議論というよりも、私は無理のある議論だと思います。
 例えば、二項で、戦力の放棄、実動部隊を持たないという規定があるわけですけれども、そういう規定があるからこそ、六十六条で文民規定というのが生まれてくるわけですね。
 ですから、日本国憲法全体の構造からいっても、あの条文は、憲法全体を貫く平和主義、民主主義の大事な柱になっておりますから、やはり九条の問題は、今日の現状とそぐわない問題については是正をしていく、九条を生かす方向でいくというのが基本の考え方だと思います。
 以上で発言を終わります。
北川委員 国際社会における日本のあり方と、先ほど民主党の今野東委員もおっしゃいましたが、憲法と難民について述べさせていただきたいと思います。
 日本国憲法がその信頼を置いた国際連合の理念は、一九四八年十二月十日の第三回国連総会にて採択された世界人権宣言に明確にうたわれています。それによれば、すべて人は、迫害を免れるため、他国に避難することを求め、かつ避難する権利を有していると定めているわけです。
 帝国憲法改正案を審議した衆議院の委員会において、当時の国務大臣である金森徳次郎は、一九四六年七月一日、政府案の趣旨説明においても明白でありました。すなわち、憲法の前文は、日本が当時の時代認識を背景に国際連合を基礎とする国際社会秩序に依拠するべきことを宣言し、道義的鎖国方針を退けたのであります。
 憲法前文の審議にありまして、一九四六年七月二十七日の衆議院小委員会第三回において、北れい吉委員は、前文に関連し、「人種的偏見ノ打破、移民ノ自由ト云フモノヲ入レテモ宜イ」と述べ、これを受けて芦田均委員は、前文に「良イ文字ヲ使ツテ入レレバ、却テサウ云フコトモ含マレテ、面白味モ出テ来ルノデハナイカト思ヒマス」と応じています。
 すなわち、衆議院小委員会は、前文が難民保護、より広くは移民の自由の趣旨を含むものであることを自覚していたと思います。
 ところで、日本の難民政策はどのように評価されているのでしょうか。憲法前文が退けたはずの鎖国方針となっているのではないでしょうか。また、専制と隷従、圧迫と偏狭の本国を脱出し、恐怖と欠乏から免れようとしている難民を庇護することを拒否し、難民の平和のうちに生存する権利を否定してはいないでしょうか。難民を受け入れないという国民的合意があるかのように論じる者もおりますが、そこで言うところの国民的合意とはいかなるものでありましょうか。仮に明文化された国民的合意があるとすれば、それは憲法をおいてほかに存在しないのではないかと思っております。上述するとおり、憲法は、全世界の国民の平和的生存権を確認しており、憲法は、本国での迫害を逃れてきた難民を庇護することが日本の責務であると規定しているわけです。
 しかしながら、現実は、六月二十日の世界難民の日に当たって、アムネスティ・インターナショナルは、国際社会に対し、アフガニスタンの国内情勢が危険かつ安全が確保できない状況であることにかんがみ、難民を同国へ帰還させないよう訴えました。しかしながら、政府は、アフガニスタン難民申請者に退去強制令書を発付し、収容し続けています。
 私も、西日本収容センターを五回、そして東日本収容センターを四回視察してまいりましたが、その実態における処遇の問題は人権侵害であると言わざるを得ないものがあります。入国管理局の職員たちは日々職務を遂行しようと頑張っておりますが、その予算において、人員の面においても、これは余りにも、人権侵害をせざるを得ない状況に追い詰めているのではないかと思わざるを得ませんでした。
 そして、七月十七日には、西日本入国管理センターにおきまして、七月一日よりセンター内の診療室に医師が不在という異常事態が続いている、そのセンター内で、アフガニスタン人、クルド人難民ら長期に収容されている庇護希望者による自殺未遂、自傷行為が相次いでいると、カトリック大阪シナピス難民委員会は警告を発しています。私も面談に応じ、その人々の暗い表情、そしてうつの表情、なぜ難民申請をして収容されるかという悲痛な訴えを聞いてまいりました。
 私たちは、憲法の精神にのっとって、政治の急務の課題として、難民法の改正を今早急にするべきではないかということを表明して、私の意見を述べさせていただきました。
伴野委員 民主党の伴野豊でございます。
 本日は、私自身が今国会からこの調査会に加えていただいたということで、自分自身がこの調査会を通じて何を強く感じたかを述べさせていただきたいと思います。
 各参考人から非常に貴重なお話を賜りまして、また、それを交えた自由濶達な委員の御意見陳述、そうした中で、非常に有意義な委員会であり、私自身も非常に有意義な時間を過ごさせていただいた、そう思っているわけでございます。憲法初めその周辺の事柄がいろいろ論じられるわけでございますが、そういった中で私自身何を考えたかといいますと、やはりすべては、さまざまなステージで教育と不可分であるなということを強く感じさせていただきました。
 私自身の政治姿勢の中で、子供たち、次の世代にどう何を伝えていくかというのが非常に重要なテーマであるわけでございますが、今回この委員会でさまざまな御討議、これを私自身が子供たちにどう正確に伝えていけるかということを、非常に強く自分の一つの悩みとしても感じました。
 例えば、基本的人権あるいは政治の基本機構、国際社会における日本のあり方、地方自治に関するさまざまな事柄を、今の子供たち、次なる世代にどう伝えていけるのか、これは私自身のこれからの最大のテーマにもなりつつあるのかなと思っているわけでございます。
 とりわけ七月十九日、これは全国的に終業式があったわけでございますが、私ごとで恐縮ですが、私の娘も初めて通知表をもらってまいりまして、今我が家でも教育問題というのは最高の政治課題になっております。国会中は、国会永田町周辺で禁足がかかるわけでございますが、国会が閉まった後、私は家庭で禁足がかかっておりまして、多分この後軟禁状態になるんじゃないかと思っているわけでございます。
 それと同時に、子供たちだけではなく、成人の皆さんにも今のこの現状をどう伝えていくかというのがいま一方で沸き上がってまいりまして、例えば、憲法記念日だけに憲法のことを考えていればいいのか。決してそういうわけでもなく、日常に流されてしまっている現状、その中で、日常を生きていく上で、極めて重要な事柄である憲法初めさまざまなその周辺の事柄。例えがいいかどうかわかりませんが、免許更新のときに、一日いろいろ道交法初め車社会のことを考える機会が制度としてあるわけでございますが、それと似たようなと言うといろいろ御意見があろうかと思いますが、何らかの形で、成人になっても再学習の機会といいますか、関心が持てるといいますか、モチベーションを与えられる機会が明るく楽しくあってもいいんではないか、そんなことも最近考えております。
 いずれにしましても、非常に有意義な時間を過ごさせていただきまして、本当にありがとうございました。感謝しております。
藤島委員 自由党の藤島正之でございます。
 私も、政治の基本機構のあり方に関する小委員会と国際社会における日本のあり方に関する小委員会、それと一部地方自治に関する小委員会も出させていただいたんですが、率直に言って大変有意義な小委員会制度だったというふうに感じております。この取りまとめについては、先ほど井上議員の方から意見がございましたけれども、できれば具体的にきちっと取りまとめいただいた方がいいんじゃないかなという感想を持っております。
 それからもう一つ、地方公聴会につきましても、いろいろな意見もありましたし、若干のトラブルもありましたけれども、これも率直に言って、私は大変意味があったなというふうに実は感じております。先ほど春名委員と金子委員の方から、九条について、あるいは人権について、大多数が強い意見があったというふうにおっしゃいましたけれども、私は必ずしも全体を見てそう思っていないということもつけ加えておきたいと思います。
 それから、これまで成立経過あるいは二十一世紀の日本のあり方についていろいろ議論されてきて、非常に意味があったわけでありますし、今回この小委員会制度で内容を深めているということも大変意義があるわけでありますけれども、私はやはりもう少しスピードアップをしていく必要があるんじゃないか、これはかつて中曽根委員の方からもそういうお話があったわけですけれども。
 そういう中にあって、いわゆる勉強のための勉強に終わる調査会ではなくて、憲法各条文等について、こうあるべきだということについても議論をしていただいて、これは恐らく調査会全体としてこうあるべきだという議論にはまとまらないと思うんですけれども、それなりに委員相互にこういうふうにあるべきだという議論をぜひやっていただきたいな、こういうふうに要望しまして、意見を述べさせていただきました。
島委員 民主党の島聡です。
 今回基本的人権の小委員長をやらせていただきました。有意義な委員会を皆様の協力によりできたことを感謝申し上げます。
 憲法調査会について、全体に今後のことで申し上げたいことがあります。
 憲法を論じ、憲法がどうあるべきかを発議までできるのは国会議員だけであるということをよく言われるわけであります。この憲法調査会、勉強のための勉強だけで終わらせてはいけないということは皆さんよく言われております。
 私、具体的なことから申し上げますが、憲法調査ですから、各条文で本当に今の実態に合わないところ、時代に合わなくなっているところはどういうところがあるのかということをきちんと明示する時期にそろそろ来たんじゃないかというふうに思っています。各条文を見て、本当にこれが今の時代に合わないのか、そういうことをきちんと明示する時期が来ていると思っています。
 現在は、例えば内閣法制局が、この法律は憲法の範囲内であると言うわけでありますが、内閣法制局は内閣の一部門でございますから、その内閣の一部門が、内閣が出してきた法律を憲法の範囲内でありますと言うのは当たり前の話であります。それを解釈、解釈でやってきたのが非常に問題があるわけで、今、大出さんもおっしゃいましたが、有事立法の問題、これはいろいろな意見があると思いますが、テロ特措法のときなんかは、たしか小泉首相みずからが、いや、これは憲法上あいまいな点が幾つかあるというような答弁をしておられたと思います。
 そういうようなこと、一体、本当に時代に合わなくなっている、各条文どうか、そういうことをきちんと出していく、憲法調査会も今後そういう方向で進めていく必要があると思っています。それが一点。
 それから、今まで参考人の意見を随分お聞きいたしました。大変勉強にはなりました。しかし、何度も申し上げますように、憲法というものを、どこが今時代に合わなくなり、かつ、最後は発議までできるのは国会議員でございます。国会議員が構成する政党があるわけであります。私ども民主党も、中野寛成民主党衆議院憲法調査会座長のもとで、憲法に対する考え方、憲法調査会の最終報告書を間もなくまとめる予定でございます。
 各党、一体どのように憲法を考えているのか。既に各党で、こういう憲法であるべきだということがあるならば、それを持ち寄って、そして議論をしていく。参考人には、逆に言えば、こういうようなことを各党考えているけれども、専門家の立場からどう考えるんだ、そういう国会議員の方が主体的な議論をしていく方向性にこの憲法調査会を持っていくべきであると私は思います。
 そういうことでやっていって、本当に時代にどうも合わなくなった、そして国民の、私も沖縄の地方公聴会に伺いまして、沖縄の思いもよくわかりましたが、いろいろな世論調査なんかで聞いてみるものと、ちょっと違和感があった点があります。つまり、サイレントマジョリティー、本当の国民の声をどう聞くのかというのは、逆に言えば、国会議員がこう思う、あるいは政党はこう思うというのを出して、それで国民がどう思うかを問いかけないといけないと思いますので、ぜひともそういう運営に一歩進めていくべきではないかという御提言を申し上げます。
 以上です。
奥野委員 十分でまとめにしたいけれども、十分ちょっとになってもお許しをいただきたいな、こう思います。
 いろいろ話を伺いながら、ある程度客観的な事実ぐらいは共通認識に持っていないと議論が空回りするおそれがあるなという気持ちを持ちました。そういう意味合いで、皆さん方には大変失礼だと思うんですけれども、あえて私からお願いを申し上げたいと思います。
 憲法を調査ということになりますと、今の憲法の反省の上に立っていろいろ考えていかなきゃいけないんじゃないかな、こんな思いがするわけでございます。
 不幸にして日本は、敗戦とともにこの憲法が生まれてきたわけでありますけれども、昭和二十年八月にポツダム宣言を受諾して戦闘が終わった。私たちはそれで戦闘が終わったと思っておったわけでありますけれども、連合国軍はそうはさせてくれませんでした。日本を占領いたしまして、連合国軍総司令部が東京に置かれたわけでございます。
 そして、日本は無条件降伏したんだと一方的に言われました。ポツダム宣言を受諾したので、私たちはそれでおしまいだと思っておったんですけれども、連合国総司令部の権限のもとに天皇や内閣の権限は従属するんだというような姿勢であったわけでございました。
 したがいまして、日本が独立を全うしたのは昭和二十七年の四月二十八日からじゃないだろうかな、こう思っているわけでございまして、戦争状態はずっと続いておった。その戦争状態が続いておったときにも、占領軍から指図されたいろいろな指令がもう無効になっているわけでありますけれども、無効になったんだという宣言をしていない。個々の条項がそのままに来ているわけでございまして、例えて申し上げますと、昭和二十年十二月には神道指令が出ました。そこで、神道とかかわり合いのあるような記事は教科書から全部抹殺するということが命ぜられたわけでございますし、あるいは、大東亜戦争、八紘一宇等々の言葉を使ってはいけないということになったわけであります。
 しかし、日本はあの戦争は大東亜戦争と呼んだわけでございまして、それはいささかも変更はしていないわけであります。占領軍総司令部の命令で大東亜戦争という言葉は禁ぜられたわけでありますけれども、もうそういう制約はないはずでありますけれども、いまだに大東亜戦争と呼ぶ方は極めて乏しいわけでございます。これは一例なんですけれども、そういう意味で、戦争は二十年八月で終わったわけじゃないんだ、二十七年四月二十八日まで、要するにサンフランシスコにおける講和条約が発効するまでは戦争状態のもとにあったんだということ。
 したがいまして、その間に行われたことが今どうされているのかということをもうちょっと明らかにするような調べができないものだろうかな。そうなりませんと、個々に言いますと時間がかかりますから申し上げませんけれども、お互いの共通認識の上に立っての議論がかみ合わなくなってくるんじゃないかなという気がするわけでございます。
 一つの話が、昭和二十年八月のポツダム宣言受諾のときに、閣議が、日本の国体がどうなるのかということでまとまらない。そこで、時間の猶予も許されないものですから、国体が護持されると思うがどうかということを聞いたときに、向こうから、天皇や内閣の権限は総司令官に従属する、サブジェクト・ツーという言葉を言うてきたわけでございますけれども、従属するなんて言ったら軍隊がおさまらない。そこで、意訳をして、制限される、こう訳したわけであります。なかなか知恵のある人間もおるんだなと私は当時思ったわけでございまして、制限されるならやむを得ないなということになって、閣議もおさまっていったわけでございました。
 私が法務大臣をしているときでございますから、二十二年ぐらい前になるんでしょうか、予算委員会で、当時日本は主権がなかったんだ、こう言ったら、野党の方々が騒がれるし、法制局の方々もけげんな顔をするものでございますから、施政権がなかったんだと言い直したりして、結局、休憩になりました。午後から再開されることになったんですが、一体どう言えばいいんだいと言ったら、主権が制限されておった、こう言えばいいんだ、こういう話でございまして、制限されるようなものは主権じゃないじゃないか、絶対的な権限が主権じゃないかと。まあ敗戦時代から相も変わらずずっと同じ言葉を踏襲しているんだな、情けない法制局なんだな、こう私は思っているわけでございますけれども、そういう事例もあるわけであります。
 もう一つ申し上げたいことは、占領下であの憲法が生まれてきているわけでありますから、当時のアメリカの占領政策がどうだったのかということぐらいのことは、やはり客観的にお互い認識しておいた方がいいんじゃないだろうかなと思います。
 こういうものは、私は、事務当局でアメリカの日本管理政策はこうだったんだということを参考に配っておいてくれればいいんじゃないかな、こう思うわけでございまして、言葉の中では、日本が再びアメリカの脅威となるような存在になってはならないと書いてあるわけであります。そういうところからあの憲法が生まれてきているわけでございますから、やはりアメリカの管理政策がどうだったのかということもお互いに知らせてくれた方がいいんじゃないだろうかな、こう思うわけでございます。
 先ほど、伺っておりますと、金森徳次郎さんの名前も出てまいりました。昭和二十二年に書かれた色紙だと思うんですけれども、真ん中にだるまをかいてあります。右に「安定の為である 徳次郎」と書いてあります。金森徳次郎さんであります。左に「素淮」と書いてあります。吉田茂さんであります。「新憲法棚のだるまも赤面し」と書いてあります。「新憲法棚のだるまも赤面し」、これが憲法制定に携わった二人の気持ちを私は率直にあらわしているんだと思います。そこの憲政記念館に寄附されておりますので、いつでも見せてくれますし、コピーもくれるわけでございます。
 そういう意味で、過去の客観的な事実をまず明らかにして、お互いがそれを参考にしておくことは、私は大事じゃないかな、こう思うわけでございます。
 もう一つ言いたいことは、当時の世界と日本、今の世界と日本、これもよく理解していかないと、客観的情勢が変わりますと、いろいろな制度も変わっていくわけであります。
 当時は、アメリカは世界の総生産の半分以上をつくっておったと思います。アメリカ一国で世界を相手に戦っても勝てる、こう言われておったと思います。アメリカ人が、世界の問題は自分たちの問題だと考えるように変わってきたという話も、当時聞かされました。当時は、日本は焼け野原でございますし、軍隊は一兵も持っておりませんし、国民総生産も世界の恐らく一、二%じゃなかったかなと思います。今は、日本は一五%前後、いろいろな計算があるだろうと思います。アメリカは逆に二五、六%じゃないだろうか、こう思うわけでございます。
 そういうこともございますだけに、私は、当時の世界と日本、今の世界と日本、どう違ってきているんだというようなことも、やはり事務当局でおまとめいただいて、我々に参考に配っていただいたらいいんじゃないだろうかな。これからの憲法を考える場合には、私は大事なことじゃないだろうかな、こう思っておるわけでございます。そういう意味で、少し事務局にいろいろな資料をつくってもらって、我々に配る。ある程度客観的な事実でいいんですから、客観的な事実なら、お配りいただいても異論がないんじゃないだろうかなというふうに思うわけであります。それを知らないで議論をしていると、空回りしてしまうんじゃないかなと大変心配をするわけでございます。
 殊に国連も、当時は侵略戦争を許さない、そのためには国連自身が軍事力を持たなきゃならない、こんな気持ちであの国連憲章ができているんだと私は理解しております。しかし、結果はできなかった。できなかったけれども、世界の紛争をほっておくわけにはいかないものだから、そこからPKO活動が生まれてきた、国連規定の中には入ってないんじゃないかと思っているわけでございます。
 そういうふうにいろいろな変化があるわけでございますから、変化ぐらいはお互い知っておきたいな、私の希望として申し上げておきたいな、こう思います。
首藤委員 民主党の首藤信彦です。
 憲法調査会で憲法のあり方を研究しているわけですが、やはり一番大きな問題は、多くの方が指摘されるように、環境変化が、憲法ができた時点と今の時点と余りにも違っているということです。
 これは特に、一九八〇年代、冷戦構造がまだ残っていた時期と、さらに冷戦構造が崩壊している時期と、また大きく違っていると思うんですが、そういうものに対して、果たしてどのような憲法があり得べきなのかということが十分に研究されていないのではないかと思っています。
 憲法の問題というのは、憲法がつくられた時点には予想だにしなかった事態がたくさん起こっているわけであります。例えば、遺伝子工学なんというものも、人間がやがて同じような人間が再生されるというような、そういう話はただのSFの話であったのが、現実化しつつあるわけであります。
 このことは、そうした問題だけではなく、例えば臓器移植の問題に関しても、あるいは我々が食べている遺伝子操作の食品に関しても、多くの点で実は我々の基本的な人権とも関係してくるわけであります。
 また、憲法で予定されていない条件としては、例えば日本がこのように大きな国になり、海外援助をするようになる、こういう国になるということもまた予想されていなかったわけであります。また、国際秩序の中において日本が積極的に貢献するということも書いてございません。
 例えば、最近我が党では、日本の外務省を刷新するために、海外はどういう外交を外務省はやっているのかということでヒアリングを行いました。例えばオランダでは、憲法の中に、国軍の存在を、国を守ることと同時に国際秩序を守るためということが記載されているということもわかりました。
 かように、国際秩序に対して日本がどうすべきかということも憲法の中には明記されていないわけであります。
 それから、既に我が同僚議員の今野委員からも指摘がありましたけれども、難民の問題も、多くの難民が日本を目指してやってくる、こんな状況もまた考えていなかったわけであります。
 さらに、我々が今回のこの国会で行われた有事法制の論議で愕然としたのは、外国の軍隊が日本に駐留しているということはどういう根拠があるのか、一体、有事になったときには、その軍隊は日本の憲法をどういうふうに守るのかという、考えてみれば当たり前な現実を我々は目の前に突きつけられたわけであります。この点に関しても、憲法は沈黙しているというよりは、その部分は欠落しているわけであります。
 かように考えますと、日本の現在の憲法というものが、現実の日本の社会から多くの逸脱した部分を持っているということがわかってくるわけであります。ですから、この憲法調査会においては、今後はぜひ、そうした、今、日本の社会を構成する、そして私たちの平和と安全を守るために必要な要素というものを、もう一度徹底的に深く広く研究していく必要があるんだと思っております。
 その点におきまして、私は、参考人の方からいろいろな意見を聞きましたが、残念ながら、多くの参考人の方からは参考になるような話が聞かせてもらえなかった。参考人が余りにも悪いと言わざるを得ないということであります。
 いろいろな党がいろいろなことで呼んでくるわけでありますが、本当にこの方が現代の日本の社会の欠陥を指摘しているのかというのは、かなり疑問があることであります。多くの有名な方にも会いました。私のよく知っている友人の方もたくさんおりました。しかし、そういう方はもう既にいろいろな評論として書いておられるわけでありまして、私たちが必要なのは、今、社会の最前線で、憲法と現実社会との接点で苦しんでいる人ではないかと思っております。
 その意味で、社会のそうした問題に直接関係しているさまざまな活動家やNGO、NPO、それからさらに外国の方、日本にもたくさんの研究者がおられます。そういった意見を入れて、やはり私たちが参考になるような、本当に私たちが新しい憲法を目指すのであれば、本当に私たちが現実の社会をきっちり把握して、新しい、これからまたさらに半世紀生きるかもしれない憲法をつくるためにも、そうした参考になる意見をきっちり私は把握していかなければいけないんだと思っております。
 そうした意見を今回の憲法調査会で感じて発言させていただきました。
保岡委員 私は、先ほども御報告申し上げたとおり、地方自治の小委員会の委員長を務めさせていただいたわけでございますが、私自身が地方自治の憲法問題について一番感じていることをちょっと申し上げたいと思います。
 それは、日本の統治機構、これは国の形として一番重要なことでございますが、民主主義の実現あるいは国民主権の実現の具体的な国の体制、制度のあり方ということにもなるわけですが、これは私は、憲法にはあらわれておりませんけれども、最も強烈なのは、日本の場合は中央官僚主導体制の徹底ということであろうと思うんです。
 日本が今日、近代国家を一気に進められたこと、強兵の部分を失敗して焼け野原になって、新しい平和な豊かな民主主義の日本というものを求めて立ち上がった戦後の歴史もありますが、要するに、国家目標が欧米モデル、それに追いつけ追い越せということが目標であり、その目標を達成する手段としての統治システムとして中央官僚主導体制というものを、特に戦中から戦後、強化した。これが、一気呵成に、世界が脅威と言うような発展を遂げた成功の根幹にある仕組みではないだろうか、そう思っておるわけであります。
 戦後、焼け野原から、今申し上げたように、五十年足らずで、世界の経済の半分とは言わないけれども、四割、奥野先生が言われたように、日本が一割四分、アメリカが二割六分、こういう経済の成功をおさめた、アジアで一国で六割の経済を占める、これは世界が脅威と見たと思います。それぐらい、奇跡といった発展を成功せしめたシステムというものは、そこに秘訣があったと思うんです。
 そこで、今、欧米モデルがなくなって、新たな国家像を求めなきゃいけないのは当然なこととして、この中央官僚主導体制をどう改めるかということが最大の日本の課題だ、私はそう思えてなりません。
 それから考えると、官から民へという規制緩和、あるいは特殊法人の見直しなどの努力、あるいは中央から地方へという地方自治の問題、これはみんな一体の問題だと私は思えてなりません。国民が、身近なところで、みずからその条件を生かして最大に自己実現、地方の特色を実現して国力にしていく、国の成熟につなげていくということではないかという気がいたしております。
 そういった意味で、もう一つ、今申し上げた地方自治の観点からいえば、住民直接の生活に関係するレベルはやはり基礎自治体でほとんど決めるべきである。そして、それでは賄い切れない、広域でやらなきゃいけない経済とかいろいろな調整を道州でやる。そしてさらに、国家単位でやらなきゃいけない外交、防衛、通貨、こういったものを国がやる。したがって、官僚も、中央には専門的なものを置くが、地方がみずから決定していくために必要な官僚は道州や基礎自治体に移っていくということでなければならないと思っております。
 そういうことに加えて、行政から司法へという大きな転換も官主導体制の問題の重要な部分であると思いますし、こういった官のあり方の根幹を改めて、新しい日本の形をつくっていくとすれば、官僚に答えを求める姿じゃなくて、やはり政治家が国民と大きな絵を描いてマネジメントして新しい国の形を求めていくということがなければ、新しい日本は誕生しない。そういうことを大きく絵をかいて、基本をはっきりさせた上、すべての政策を整合性を持たせて進めていくということで、これからの地方自治も日本の形も生まれていくのではないか、そういうふうに考えております。
永井委員 民主党の永井英慈でございます。
 地方自治に関する小委員会に所属いたしまして、いろいろな皆さんからお話を聞いてまいりました。くしくも今、保岡小委員長が御発言をされまして、私は、その趣旨、まさにそのとおりだと思っております。
 憲法調査会ですから、内外すべてにわたって国家の大事なことを規定する法律に関する勉強会ですから、多岐にわたるのは当然でありますけれども、私は、一点申し上げたいことがあるんです。小委員会に所属して、とりわけ痛切に感じたことでございます。
 それは、金融の危機、経済の危機、産業の危機、あるいは司法の危機が叫ばれ、教育の現場が成り立たないほど教育の危機が叫ばれておるんですね。確かにそうだと思うんです。その危機の時代でも、どれが最も緊急を要する処理をしなければならない、取り組まなければならない危機かということをいろいろ考えてみました。
 そうしましたら、日本人の精神構造の崩壊、あるいは全分野にわたってと言っていいほどモラルハザード現象が起きてしまっていることです。これ、一体どうして、あの健全な日本人の精神が、日本社会が音を立てて崩れて、もう国家が存立することができないほどの危機に立ち至ってしまったのかということでございます。
 浅知恵でございますけれども、今保岡小委員長がお話しされた、この日本という国の統治の構造が余りにも時代に合わない、余りにも中央に権力があるいは財源が集中してしまっている日本のこの国の形に原因があるように思えてなりません。
 そこで、伊藤公介委員も言っておられましたし、こちらの藤島委員も言っておられたし、島委員も言っておられたと思うんです、同じようなこと。議論を延々とエンドレスにやるのが憲法調査会ではないと思います。緊急に解決すべきこと、この国の形をどうつくるか、次の世代へどういう日本を渡していくかということを真剣に議論して、可及的速やかにその形を提示して実現していくことが大事ではないかなと思っておるんです。
 それは何かといえば、中央集権から地方分権、分権型の社会であります。そして、そこに、地域住民あるいは地域の自律性、主体性、あるいは自己責任、こういうものをしっかりと確立した社会でなかったら、この国はもたないと思います。
 そういう意味で、地方制度、統治構造、統治システムがいかに大事なことであるかということを痛切に感じましたので、最後に申し上げますけれども、できるだけ早く具体化をしてほしい、議論の時代ではない、こういうことを申し上げて、私の発言にさせていただきます。
谷川委員 発言の機会を与えていただきましてありがとうございます。
 私は、この会期の後半になってからこの委員会に参加をさせていただいた委員ですけれども、したがいまして、皆様方が今日までずっとやってこられた小委員会その他にもたった一回しか出席できておりませんが、ここへ座っておりまして、今日に至るまで、さっき井上先生は二年半越しつつあるというようなことをおっしゃいましたが、二年半にわたって実に真摯な議論をなさってこられた皆様方、今日までの委員の方々の努力に対して本当に敬意を表させていただきたいと思います。
 しかし、これは憲法調査会でございますので、私の平素感じておりますもの、あるいは疑念を持っておることについて、一言だけ申し上げさせていただきたいと思って発言を求めました。
 条文についてですが、その条文は九十六条。九十六条は、両院、各議院の総議員の三分の二の賛成を得て、国民に対して発議する、こうございます。各議院の総議員の三分の二の賛成。賛成というのはもう一カ所出てまいりますけれども、それから発議、国会の中では採決とか議決とかいうふうに国会法では書かれておると思うんですが、ここで何で発議という言葉が使われておるのか、その発議という内容はどういうことを意味するんだろうか、極めて大きな疑念を持たざるを得ない。一体、どういうところでこの発議という言葉が出てきたんだろうか。
 私は私なりに調べてみましたが、非常におもしろい調査資料を見つけたんです。さっき奥野先生の御発言にサブジェクト・ツーという言葉が出ましたけれども、マッカーサー草案の中では、この発議に当たる言葉はイニシエートという言葉になっております。イニシエート・ツーという言葉を日本語に改めるときに発議という言葉を使ったという資料が残っておりまして、ああ、なるほどそういうものかと思ったわけです。
 その次なんですけれども、もともとこの九十六条が置かれたときの発議は、国会が国民に対して発議する、イニシエート・ツーするという意味で使われたというふうに私は解釈をしたんでございます。ただ、非常に気になっているのは、何かこの条文が、極めて憲法そのものに手を加えることを制限するための条文だという形になっておって、世界で最も難しい改正手続だ。
 先ほど、どなたかが生硬、かたいという言葉を使われましたね。これは、国際政治学界ではリジッドという言葉を使っているようですが、本当に世界で一番リジッドな改正手続を持っているのは日本の憲法だ。ただ、私が非常に気になることは、これは随分たくさんの委員の方々が発言されておりますが、どんどん時代が変わっていったときに、成文憲法を持っている国は、常にその時代に合ったような成文憲法についての手直しというんでしょうか、加えていかないと、ついには最後は何になるか。もしそれが非常に大きな政治的なクレバスを引き起こすようなことになったときには、最後には暴力に訴えて自分の政治主張を通すという動きを引き起こしかねない。
 かつて、かつてといったってつい最近ですけれども、ヨーロッパで起こったことは我々は記憶に残っているわけです。それからいいましても、私は、やはり疑義のあるようなところ、表現、こういう問題については、できるだけ詰めてみるという作業はぜひこの調査会で進めていっていただきたい。ここしか場所はないんだ、ほかにはないというふうに感じるものですから、発言をさせていただきました。ありがとうございました。
井上(喜)委員 島委員その他の二、三人の方から既に発言がありましたので、重複いたしますけれども、私の考え方を述べさせていただきたいと思います。
 憲法改正が議論されるようになりましたのは、現実と憲法との乖離があるということだと思うんです。日本の社会あるいは国際社会と乖離がある、それを埋めていく、こういう視点からの論議だと思うんであります。いろいろな乖離がありますが、現行憲法からいいますと、憲法九条を除きましては、議論をすれば、いずれ同じような結論になるか、多少の意見の相違がありましても、議論を通して大体まとまっていくような性格の問題だろうと思うんですね。
 ところが、この九条だけは性格がちょっと違う。日本の国民生活を守っていく、基本的人権を守っていくためにはこの九条のままでいい、あるいは、国際社会と協力していくためにも九条があった方がいいという意見と、全くそれは違うんだ、九条は全面的に改正をしないといけないんだという議論があるわけでありまして、ここが一番違っているわけですね。
 私は、ことしからメンバーになりましたので、どういう議論がこの点について行われてきたかわかりませんけれども、この非常に違っているところを徹底的に議論したらよろしいと思うんですね。本当に日本人の生命とか財産を守るためには現行憲法のままでいいのか、あるいは、国際社会と協力していくためには現行のままでいいのかどうかという議論、これを徹底的にやっていただきたい、こんなふうに思います。これが一つです。
 それからもう一つ、今、日本の社会の中で改革がおくれているというようなことをよく言われるのでありますけれども、突き詰めてみますと、やはり政治の改革がおくれているということだろうと思うんですね。ほかの要因があるかもわかりませんけれども、それに関連するところが多いんじゃないかと思うのでありまして、これについては、憲法との関連でいいますと、私は、選挙の制度が非常に大きく関係するんじゃないかと思うんです。意外と選挙の制度は、この憲法の中ではそんなに大きくは取り上げられていないんだけれども、私は、選挙制度はどういう制度がいいのか、これはもっと議論を深める必要があるんじゃないかと思います。
 それと、もう一つは二院制です。現行のような衆議院と参議院の制度がいいのかどうか。これはなかなか触れにくい問題だろうとは思うんだけれども、これは議論しないと、ある意味で、日本の政治がなかなか事態に対応できないような、そういう原因の一つにもなっているんじゃないかと思うんですね。ですから、それこそ聖域を設けないで、政治改革が進むような関連の事項について、さらに議論を深めていただきたいと思います。
 それと、谷川先生の今御議論ありましたけれども、これも非常に大事なことだと私は思います。
 そんなようなことを今申し上げたかったということで、発言をさせていただきました。ありがとうございました。
斉藤(鉄)委員 皆様の御意見と重複することが多いかと思いますけれども、憲法の理念と現実が乖離をしてきているということについて、二点具体的な話をさせていただきたいと思います。
 一点は、私も統治機構の分科会で議論をさせていただきましたけれども、最初の東大の高橋参考人、北海道大学の山口参考人の議論の中で、いわゆる議会制民主主義の基本原理を支える三権分立、その三権分立の一つの形である議院内閣制、このあり方について、実はこの五十年、大きく内実が変わってきたのではないかということを勉強させていただきました。
 一般には、三権分立に基づく議院内閣制、国会と内閣と裁判所が、ある意味ではモンテスキューの基本的な考え方でありますけれども、ちょうどじゃんけんぽんのように、それぞれ制肘し合っているということを私は思っていたんですが、現実には、それでは現代社会に応じられなくなって、高橋参考人がおっしゃった国民内閣制、内閣に社会のリーダーシップ、ある意味では権力の集中と言っていいかと思いますけれども、というものを行う上での議院内閣制、それをチェックするための国会という位置づけに変わってきつつあるし、またそうでなければ、変化の大きいこの現代社会に対応し切れていっていないんだという勉強をさせてもらって、なるほどなと思いました。
 その上で、では、それに対応した憲法にすべきではないか、まさに憲法の大きな目的の一つは統治機構を定めることですから、そういうことの提案もあったわけですけれども、現実には、政治的な理由から、憲法を改正するということは、ここ五年、十年でやるのはほぼ不可能であるからして、現実的にそういう新しい議院内閣制の明確な理念を盛り込んだ憲法にすることはできないというふうな結論になったような気がいたします。何か本末転倒しているような感じがしたのを覚えております。
 つまり、何が本末転倒かというと、あるべき姿を考えて、その理想の姿に向かって憲法を考えるんではなく、現実問題、政治問題として憲法を変えるのは無理だから、こういうあるべき姿を考えること自体半分むだなんじゃないかというふうな雰囲気も出ているというのを非常に心配したわけでございます。これが一点です。
 もう一点は、第二十三条の学問の自由に関することでございます。
 先日、いわゆる現代のバイオテクノロジーの最先端と言われております発生分化研究施設、それから遺伝子の研究施設を見てまいりました。先ほど首藤委員もおっしゃっておりましたけれども、まさに、これは学問の自由と、何も考えずに言っておられる状況ではないな。
 遺伝子の場合は、我々の過去の情報が、これは何億年と言われる我々の先祖の情報がその遺伝子にすべて詰まっている。それも、今後の情報科学の発展によって、私の命に入っている何億年の情報も含めて、ある意味ではオープンになる、そういう時代を迎えているとき。それから、発生分化の研究を見ますと、まさに生命の尊厳、倫理との問題を現場の研究者は直接に感じている。先日、クローン禁止法ができましたけれども、あれもよく厳密に考えると、この憲法二十三条と相入れないのではないか、そういう法律を私たちはつくったんではないかというふうなことも研究現場に行って感じてまいりました。
 私は、そういうことも議論をしていかなければならない、もとの原点でありますけれども、憲法を変えるのは政治的に無理だから、そういう議論をすることさえ意味がないんだということになってはいけないということを痛感いたしております。
 以上です。
中山会長 他に御発言はごさいませんか。――それでは、発言も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。
     ――――◇―――――
中山会長 第百五十四回国会も、残すところあと一週間ほどになってまいりました。ここで改めて、今国会における本調査会の活動を総括したいと存じます。
 今国会では、日本国憲法に関する個別の論点についての専門的、効果的な調査を行うため、調査会の下に四つの小委員会を設置いたしました。すなわち、基本的人権の保障に関する調査小委員会、政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会、国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会及び地方自治に関する調査小委員会の四小委員会であります。
 各小委員会における議論の内容は、本日、各小委員長より御報告いただいたとおりでありますが、二月十四日から七月十一日まで都合二十名の参考人より御意見を聴取し、熱心な議論が行われました。
 さらに今国会では、日本国憲法について国民各層の意見を聴取するため、四月二十二日に沖縄県名護市において第四回の地方公聴会を、六月二十四日には北海道札幌市において第五回の地方公聴会を開催いたしました。
 両会議の概要は、四月二十五日及び本日、中野寛成会長代理から御報告いただいたとおりでありますが、公募の十二名の意見陳述者から日本国憲法についての御意見を聴取し、私を含め延べ十六名の派遣委員が質疑を行い、七名の傍聴者からも意見を聴取しております。
 ただ、両地方公聴会におきまして、一部の傍聴者により、執拗な発言要求など議事運営に支障を来す行為が時折なされました。このようなルールを無視した行為は、国民とともに憲法について考える場にふさわしいものではなく、まことに残念であり、遺憾に思うところであります。
 また、四月二十五日には、沖縄地方公聴会を踏まえ、二十一世紀の日本と憲法、特に我が国の安全保障についての自由討議を行い、本日は、札幌地方公聴会及び四小委員長の報告を踏まえ、日本国憲法に関する件についての自由な議論をちょうだいしました。
 次国会以降におきましても、人権の尊重、主権在民、再び侵略国家とはならないという原則を堅持しつつ、引き続き、小委員会形式により日本国憲法に関する専門的な調査を行う必要があると考えておりまして、テーマ等につきましては、幹事会において協議してまいりたいと考えております。
 また、私といたしましては、国民的な論争の対象となっている時事的な諸問題につきましても、当調査会が日本国憲法についての調査を行うに際し、あわせて議論を行うことが、その広範かつ総合的な調査にとって極めて有益であると考えております。
 また、比較憲法の視点から、本院より派遣された海外派遣議員団の調査成果を参考に議論を行えば、さらに有効な調査となるのではなかろうかと存じます。
 例えば、この国会におきまして、有事法制の問題が議論の焦点となりました。有事の際に、我が国及び国民の安全をいかに確保するか、その法体系のあり方等について本調査会において議論する際には、自然災害発生時の災害救助、暴動等の憲法上の緊急事態や、外国から攻撃を受けた場合の防衛事態等に関する規定を置くドイツ基本法が参考になろうかと存じます。
 すなわち、ドイツ基本法第三十五条第三項の、「自然災害または災厄事故が一つの州の領域を超えて危険を及ぼすときは、連邦政府は、その有効な対処のために必要な限りで、州政府に対し、他州の警察力を使用する指示を与え、並びに警察力を補強するために、連邦国境警備隊及び軍隊の部隊を出動させることができる。」との規定、同法第九十一条第一項の、「連邦及び州の存立または自由で民主的な基本秩序に対する差し迫った危険を防止するために、州は、他州の警察力並びに他の行政機関及び連邦国境警備隊の力と施設を要請することができる。」などの憲法上の緊急事態に関する規定、同法第百十五a条一項の、「連邦領域が武力で攻撃された、またこのような攻撃が直接に切迫していることの確認は、連邦議会が連邦参議院の同意を得て行う。」との規定より始まる防衛事態に関する全十一カ条にわたる詳細な手続規定などでございます。
 また、同じく議論の焦点となっております個人情報保護の問題や住民基本台帳ネットワークシステムの施行の問題につきましても、オランダ憲法第十条第一項の、「何人も、法律による制限を受けることなく、プライバシーを享受する権利を有する。」との規定、及び同条第三項の、「自己に関して記録された情報及びその使用状況を知らされ、並びに当該情報の修正を求める個人の権利については、法律で定める。」といったプライバシー権に関する規定、フィンランド憲法第十二条第二項の、「公共機関の有する文書及び記録は、その公開がやむを得ない理由で法律により明示的に制限されていない限り、公開される。何人も、公の文書及び記録にアクセスする権利を有する。」との情報アクセス権規定などが参考になろうかと思います。
 さらに、遺伝子工学や臓器移植などの分野における近年の著しい技術革新と生命倫理の問題につきましても、スイス憲法第百十九条第一項の、「人間は、これを生殖医学及び遺伝子技術の乱用から保護する。」との規定のほか、同法第百十九a条第一項の、「連邦は、臓器、組織及び細胞の移植に関する法令を定める。この場合において、連邦は、人間の尊厳、人格及び健康を損なわないように配慮するものとする。」との規定などを参考にしつつ、議論を行うことも必要であろうと考えております。
 最後になりましたが、本日までの調査会において、小委員長、幹事、オブザーバーの方々により、そして委員各位の御指導と御協力により、公平かつ円滑な運営ができましたことを厚く御礼申し上げます。
 以上、私の所感を申し上げましたが、この国会における皆様方の御協力に対し、最後に御礼申し上げて、ごあいさつを終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。(拍手)
 本日は、これにて散会いたします。
    午前十一時四十分散会
     ――――◇―――――
  〔本号(その一)参照〕
   派遣委員の北海道における意見聴取に関する記録
一、期日
   平成十四年六月二十四日(月)
二、場所
   ホテルニューオータニ札幌
三、意見を聴取した問題
   日本国憲法について(二十一世紀の日本と憲法)
四、出席者
 (1) 派遣委員
      座長 中山 太郎君
         中川 昭一君   葉梨 信行君
         中川 正春君   中野 寛成君
         赤松 正雄君   武山百合子君
         春名 直章君   金子 哲夫君
         井上 喜一君
 (2) 現地参加議員
         山内 惠子君
 (3) 意見陳述者
      大東亜商事株式会社代表
      取締役         稲津 定俊君
      農業          石塚  修君
      北海道弁護士会連合会理
      事長          田中  宏君
      大学生         佐藤 聖美君
      小樽商科大学教授    結城洋一郎君
      弁護士         馬杉 榮一君
 (4) その他の出席者
                  石川 一美君
                  市來 正光君
     ――――◇―――――
    午後一時開議
中山座長 これより会議を開きます。
 私は、衆議院憲法調査会会長の中山太郎でございます。
 私がこの会議の座長を務めさせていただきますので、どうぞよろしく御協力を願います。
 この際、意見陳述者及び傍聴者の皆様方に対し、本調査会の現在までの活動概要を簡単に御報告申し上げます。
 本調査会は、平成十二年一月二十日に設置されて以降、日本国憲法の制定経緯、戦後の主な違憲判決及び二十一世紀の日本のあるべき姿をテーマに、日本国憲法についての広範かつ総合的な調査を進めてまいりました。
 この間、本調査会のメンバーをもって構成された調査議員団が二度にわたり海外に派遣され、昨年は、ロシア、東ヨーロッパ諸国、オランダを初めとする王制諸国及びイスラエルの憲法事情について調査をいたしてまいりました。
 また、国民各層の方々の御意見を拝聴するため、昨年四月以降、宮城県仙台市、兵庫県神戸市、愛知県名古屋市及び沖縄県名護市において地方公聴会を開催してまいりました。
 そして、本年からは、本調査会のもとに、基本的人権の保障、政治の基本機構のあり方、国際社会における日本のあり方及び地方自治の四つのテーマをそれぞれ専門的に調査する小委員会を設置し、人権の尊重、主権在民、再び侵略国家とはならないという原則を堅持しつつ、引き続き議論を重ねているところであります。
 そこで、憲法は国民のものであるとの認識のもと、広く国民各層の皆様方から日本国憲法についての御意見を拝聴し、本調査会における議論の参考にさせていただくため、御当地で地方公聴会を開催することと相なった次第であります。
 意見陳述者の皆様には、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。どうか忌憚のない御意見をお述べいただくようお願いを申し上げます。また、多数の傍聴者の皆様方をお迎えすることができましたことに深く感謝をいたしたいと思います。
 それでは、まず、この会議の運営につきまして御説明申し上げます。
 会議の議事は、すべて衆議院における議事規則及び手続に準拠して行い、衆議院憲法調査会規程第六条に定める議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたしております。発言される方は、その都度座長の許可を得て発言していただきますようお願い申し上げます。
 なお、この会議におきましては、御意見をお述べいただく方々から委員に対しての質疑はできないこととなっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 また、傍聴の方は、お手元に配付しております傍聴注意事項に記載されているとおり、議場における言論に対して賛否を表明し、または拍手をしないこととなっておりますので、御注意ください。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 最初に、意見陳述者の皆様方から御意見をお一人十五分以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 意見陳述者及び委員の発言時間の経過のお知らせでありますが、終了時間五分前にブザーを、また、終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。
 御発言は着席のままで結構でございます。
 なお、委員からの質疑終了後、時間の余裕がございましたら、ここにお集まりいただきました傍聴者の方々から何人かの方に、本日の公聴会に対する御感想を承りたいと存じます。
 それでは、本日御出席の方々を御紹介いたします。
 まず、派遣委員は、民主党・無所属クラブ中野寛成会長代理、自由民主党葉梨信行幹事、自由民主党中川昭一幹事、民主党・無所属クラブ中川正春幹事、公明党赤松正雄幹事、自由党武山百合子委員、日本共産党春名直章委員、社会民主党・市民連合金子哲夫委員、保守党井上喜一委員、以上でございます。
 なお、現地参加議員といたしまして、社会民主党・市民連合山内惠子議員が参加されております。
 次に、御意見をお述べいただく方々を御紹介させていただきます。
 大東亜商事株式会社代表取締役稲津定俊君、農業石塚修君、北海道弁護士会連合会理事長田中宏君、大学生佐藤聖美君、小樽商科大学教授結城洋一郎君、弁護士馬杉榮一君、以上六名の方でございます。
 それでは、稲津定俊君から御意見をお述べいただきたいと存じます。
稲津定俊君 大東亜商事の稲津と申します。
 二十一世紀の日本と憲法を、公述を始めたいと思います。
 一、結論ですが、日本国憲法の改正の必然。
 私は、日本の伝統、文化の内発的自立性により形成された、民意の結晶ともいうべき普遍的価値を基本理念とした新憲法を制定し、二十一世紀初頭の世界秩序維持に積極的に貢献する道義国家建設をなすべきと考えます。
 二、理由、二十一世紀初頭における世界秩序の構造。
 冷戦構造終えんの現在、世界秩序は新たに再編されましたが、この新しい枠組みは、冷戦期、世界秩序を規定したパラダイムを大きく転換させております。この観点から、二十一世紀初頭の世界秩序を決定づける特質として、六つの要素を挙げることができます。
 一つは、世界的な政治的課題の優先順位の非明確化。二番目は、政治、経済、文化の世界的影響の高速伝播化、グローバリゼーションと申しております。三番目は、自由主義的民主主義の拡大。四番目は、伝統的政治経済主体の多様化と複雑化。五番目は、多民族国民国家、ネーションステートの新たなる求心力の形成。六番目といたしましては、先進諸国と開発途上国との間の緊張をはらんだ国際関係の二重構造というものが挙げられます。
 次に、これらポスト冷戦構造を規定する六つの特質を簡潔に説明いたします。
 第一に、世界的な政治的課題の優先順位の非明確化とは、冷戦終えんによりアメリカの一極体制と多国間協調主義との調和という観点から、世界的政策課題の優先順位を決定してきた価値観が転換をもたらし、端的に言えば、各国の政策目的の優先順位が複雑化し非明確化したということであります。
 第二に、グローバリゼーションによる先進国の政治的、経済的、文化的影響の伝播は、地球規模での標準化をもたらす一方、伝統的な民族意識、文化、言語と結びついた国民国家の主体概念が希薄化し、欧州連合、EUのごとく、地域という主体概念が実現してきております。
 第三には、第二次世界大戦後に独立したアジアの諸国や、二十世紀末の冷戦終えん後に共産主義イデオロギーの全体主義から解放されたロシアや東欧諸国にも、政治の民主化、すなわち個人の尊厳に普遍的価値を認める自由主義的民主主義が拡大したのであります。
 第四番目には、伝統的政治主体の多様化と複雑化という意味でありますが、政治的な意思決定の主体が、伝統的な国民国家にのみ限定することなく、国際組織、NGO、多国籍企業等に多様化し、この多様な主体間における利害調整が複雑化してきております。
 第五に、二十一世紀初頭の世界では、開発途上国の政治的目標であった、民族自決による国民国家体制と国民主権の原則という国民国家の神話が崩壊してきております。事実、単一民族国家などというものは地球上にほとんど存在しないのであります。一つの国家の中に複数の民族が雑居している状態が一般的であり、国民国家を形成し得ない民族も数多いのであります。例えば、現在、民族の数は世界で一千程度あると言われているのに対し、国連で承認されている国家の数は百九十一程度である事実を見てみましても、その間の事情は明確にわかると思います。
 多くの多民族国家は、イデオロギーの時代が終えんし、帰属意識なりアイデンティティーの再構築、すなわち国家の求心力の形成に努力をしています。なぜなら、多民族を束ねて外部より保護し、その利益を確保、維持、増進する法的政治的社会団体としての最も有効なるものは、今もって国民国家以外には存在しないからであります。
 第六に、冷戦終えん後の世界の政治構造を簡潔に示しますと、基本的には現状維持的な民主主義先進諸国の平和な国際関係と、第二次世界大戦後に植民地状態を脱却した開発途上国の国々、その多くは、国内に経済的困窮や政治的迫害、さらには内乱の危機をはらみ、現状に不満を抱いている、そういう国々の相互間、及び途上国と先進民主主義諸国との間の、武力行使の可能性をはらんだ国際関係の二重構造が存在しております。つまり、一方での民族紛争頻発型の国際政治構造であります。そして、途上国間の紛争や内紛を抑制する能力を保有しているのは、先進民主主義諸国以外にはないのであります。
 三番目といたしまして、国民国家の役割の説明をいたします。
 グローバリゼーションが進んでいく今日の中で、国民国家は、一定の領域に定住し、この地域の地理、歴史、環境にはぐくまれた伝統、文化を共有する人々、エスニシティーですが、こういう民族で構成される個人は、家族や地域社会、国家といった重層的な構造の中でそれぞれに応じた帰属意識を自覚しており、また国家に対する帰属意識を自覚する限りにおいて国民となり得ます。
 国民国家の第一義的目的は、国家の独占する強大な実力により国民、主権を対外的に保護し、また、対内的強制的法秩序維持により彼らの利益を集約、維持、増進するということ、すなわち個人の自由と権利の保護とが法治の究極的目的となり、正義を実現するという点にあります。
 ところで、国民意識の希薄化に伴い、国民国家の相対的影響力は低下したと指摘されております。恐らく、国民国家や国民に対する反対概念としての市民社会や市民を措定した、戦後のゆがんだ社会思想の状況の経緯によるものと考えられます。言うまでもなく、近代国民国家の成立なしに市民社会の法的成立基盤は存在せず、国民たるの資格なきとき、市民の権利保護は望むべくもないのであります。例えば、国籍なき難民の権利をだれが適切に保護し得るかを考えるとき、国家なき民の惨状は察するに余りあるものがあります。
 次に、国民国家の第二義的目的は、国連等の国際政治社会における領域の代表としての点を挙げることができます。
 四、日本の二十一世紀型国益の概念を考えます。
 二十一世紀初頭の現在、我が国の立場を考えるとき、先進民主主義国として、GDP、人口、先端技術、教育等の水準が極めて高い、世界のトップクラスの大規模国家であります。だが、ポスト冷戦後の世界秩序の中では、一方で、重要な資源地帯や通商ルートの近隣で、民族紛争頻発を招くパワーポリティックス信奉が再来しております。
 この政治経済構造は、複雑な民族問題の解決や途上国の資源ナショナリズムの回避、先進国と途上国との経済格差解消のための大規模支援プログラム開発等の一層困難な政治問題の解決を我が国に求めております。なぜなら、この資源市場、海外生産拠点、製品市場、優秀な人材の確保等にとって、安定的な世界秩序の維持が不可欠だからであります。
 換言すると、海外で活動する日本企業の国際市場での安定的発展が可能な政治経済環境を主体的に構築しなければ、二十一世紀の日本の発展はないのであります。その本質的な理由は、国連加盟国の中で、日本は先進国の中でもトップクラスであり少数派であります。むしろ、大多数の途上国との利害が一致することの方が少ないのであります。また、このような日本に対する価値観が保持されるとき、海外から有能な人々が、新日本人として迎える日本を選んでくれることになります。
 したがって、我が国の外交政策が全力を賭して確立すべき国益、ネーションズインタレストというものは、相互補完的な日米同盟を基軸とした、国際政治経済環境の優位性を確保する世界秩序の維持に尽きると考えます。もちろん、日本の利益のみを図る利己的国益ではなく、長期的視野に立ち、自国の利益を尊重するがゆえに他国の利益も尊重するエンライテンド・セルフインタレスト、互恵的な国益という、そういうものを目指しております。そして、これは、日本の希求する理想であって、国際的政治責任の宣明であると考えます。これが政治的道義性の確立にほかならないと私は考えます。
 五、それでは、新憲法制定案の基本原理を説明したいと思います。
 現在、日本の置かれている立場と二十一世紀で守るべき国益を見てきましたが、この視点から、我が国の伝統、文化の内発的自立性より形成されるべき、民意の結晶ともいうべき普遍的価値を基本的理念とする新憲法案に具現すべき大綱を示したいと思います。なお、議論の焦点を絞るため、以下五つの点に限定いたします。
 一つ目は、天皇。具体的に申しますと、日本は立憲君主国である。天皇は日本の元首であり、この地位は、主権の存する日本国民の伝統的総意に基づく。国民主権、天皇元首制、立憲君主国という立場の明記であります。
 二番目は、安全保障。日本国は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、自衛権を行使する場合を除き、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は、永久にこれを放棄する。日本国の主権と独立を守り、国の安全を保つとともに、国際平和の実現に協力するため、内閣総理大臣の最高指揮権の下に国防軍を保持する。侵略戦争の放棄、国防軍の創設、文民統制の確立の明記であります。
 三番目、国際協力。日本国は、共生の精神に基づき、国際連合の決議による積極的な国際貢献を行う。
 四番目は、国民の権利及び義務であります。日本国民は、法律の定めるところにより、国家の安全に寄与する義務を有す。国民徴兵制度の明記であります。
 五番目は、憲法裁判所であります。憲法裁判所を設置し、違憲立法審査を所管する。
 以上の五つの点は、現行日本国憲法の固有の欠陥に基づく緊急度、優先順位の高いものであります。したがって、ある意味で、現行憲法中の中核的問題点を反映したものと考えられます。
 第一の項目は、我が国の伝統的政治的権威の淵源が天皇にあるという歴史的事実関係の明記であり、天皇元首制は国民主権の原則と矛盾はしないのであります。また、この国の形は、対外的に認知されております立憲君主国と明記することで、一部の憲法学者による共和国との錯誤の生じる余地をなくします。これが、二十一世紀型多民族国家日本の新たなる求心力となり、日本文明が形成してきたこの国の形を世界に発信することになります。
 第二の項目は、国際社会における平和が所与のものとして存在するという、明らかに誤った認識に基づく日本国憲法の前文及び九条の日本的平和主義、いわゆる主権制限条項でありますが、こういうものの放棄であります。歴史の教訓から、力の空白地帯をつくらないため、近隣核保有国の恫喝に屈することなき精強な国防軍の創設を念頭に、国民みずからの手で守る気概を安全保障条項に明記いたします。
 なお、我が国の近隣の核保有国の一方の指導者は、いまだ国民の選挙による統治の正統性を担保されたこともなく、他方の指導者は、前体制崩壊に伴う戦略核のブラックマーケットへの拡散をコントロールできない状態にあります。
 第三の項目は、日本の国際的政治責任を担う意思表示であり、世界秩序維持への積極的貢献を通しての道義国家建設というこの国の理想像の宣明であります。
 第四の項目は、国家という利益共同体の防衛は、集団安全保障があるとしても、国家の目的が正義の実現にあることにかんがみ、その構成員たる国民共有の責任と解されます。したがって、国民徴兵制度は、先進国においてもさまざまな形で存在しますが、平和主義に抵触するものではないと考えられます。いわゆる侵略戦争の放棄であります。これは共生社会の権利と義務の論理的帰結であります。
 第五の項目は、違憲立法審査権のあり方でありますが、最もゆがめられている形は、内閣法制局が最高裁判所にかわって事実上大きな権威を持っているという現状にかんがみ、司法権による本来の姿である憲法裁判所の設置であります。
 現行の司法制度下では、多くの憲法判断が、統治行為論を根拠に、司法判断になじまないとの理由で判断を回避されております。このため、高度な政治判断を行う違憲立法審査は憲法裁判所に所管させる必要があります。
 そして、民主主義の原則から、憲法裁判所が国民の選良たる国会議員の意思決定を違憲立法審査できる根拠は何かということを考えますと、広く国民的基盤に立つことによるものであると考えられます。これは、民主政治の仕組みの中で、三権分立のあり方をもう一度考えてみようという点であります。
 以上、発表を終わります。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、石塚修君にお願いいたします。
石塚修君 石塚でございます。
 私は、東京の隣、工業都市の川崎で生まれ育ちまして、二十七歳のときに勤めていた会社をやめ、その後、埼玉での農業実習を経て、九年前に現在地で農業を始めました、いわゆる新規就農の農家です。
 私の農業は、農薬や化学肥料を使わないということだけではなく、循環ということを大事にしています。大変規模は小さいのですが、平飼いの鶏、水田、野菜をつくっており、その間で養分を循環させています。つまり、鶏ふんを田畑に入れ、田畑でとれた米や野菜は人間が食べ、もみ殻や米ぬか、野菜くずは鶏に上げたり堆肥にしたりする。人間のふん尿も堆肥にする。また、直接提携している消費者のお宅で出る台所の生ごみも発酵させて鶏に上げております。そして、肉や卵や野菜に変えて消費者に戻す。こういうことを私はずっとやっております。
 これが環境に負荷をかけない食料生産のあり方であるし、安全な食料づくりでもあるし、また、自分が必要以上につくらず、同時に他人の食料や養分を奪わないということで、平和を維持する最良の方法であるとも思っています。循環というのは、自給するということと表裏一体のことであります。そして、何よりも私自身、この自給的暮らしは楽しくて心地よいものとなっています。
 さて、本日は、このような場で意見を述べる機会を与えられ、大変ありがたいことだと思っています。私は、自分の循環農業の取り組みを通して見えてきた日本社会の問題点を指摘し、二十一世紀の日本のあるべき姿を私なりに提案させていただきます。
 その前に、まず、私の憲法に対する基本的な立場を明確にしておきます。
 私は、現在の混沌とした世界にあって、日本国憲法に掲げられている理念こそが私たちの未来を指し示していると感じています。特に、それは前文と九条においてです。前文には、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と書かれておりまして、今の世界情勢の中でも大変ぴったりくる宣言となっています。九条は、一々読み上げるまでもありませんが、武力を永久に放棄し、陸海空軍その他の戦力を持たないと明確な平和主義で貫かれています。
 このように世界をしっかり視野に入れ、徹底した平和主義を掲げる日本国憲法を私は大切にしていきたいと考えています。当憲法調査会は、日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うことを目的にしていますが、その先に改正、すなわち平和主義を放棄または弱めるような改正があるとするならば、私はそれに徹底的に反対いたします。日本は、理念なき国家とか米国の属国などと諸外国でやゆされていますが、しかし、この憲法に限っては実に明快で正々堂々とした理念であります。これがまともに生かされてこなかったところに日本の不幸があると思います。
 押しつけ憲法との批判もありますが、確かに、日本がみずからこのような崇高な理念を掲げる憲法を草案できなかったのは残念ですが、しかし、たとえ押しつけであっても、要は中身です。中身がよければいいのではないでしょうか。
 押しつけというなら、米国からの押しつけは憲法だけではありません。自衛隊の創設、日米安全保障条約、それに日米防衛協力の指針など、日本の安全保障に関する政策はことごとく米国からの押しつけで来ました。今また有事法制づくりを急いでいるのも、米国の意向が強く働いていると言われています。
 さらに、国民の命や健康に直接かかわる農業・食料政策もこれまで米国の押しつけで決められてきました。この押しつけによって、国内的にはつじつまの合わないことがたくさん起きています。そのため、たびたび法改正が行われたり、農薬の残留基準を引き上げたりしてきました。ついには、農業基本法の改正まで行いました。これは国際社会との整合性を持たせるための改正でもあったと思います。
 安全保障の分野でも、自衛隊の活動や米軍への協力など、憲法のねじ曲げ解釈では限界があるのでしょうか。今や九条を変えるしかないと考えている人も政府の中にはいると聞いております。もし、矛盾を解消するために、自国の大もとの基本を変えてつじつまを合わせてしまおうというのであれば、いかにも乱暴です。これは独立国家のやることではありません。そろそろ、何でも米国の言いなりの国から、しっかりと理念を持った自立した国になるときではないでしょうか。こういう議論をすると、軍国主義の議論にすりかえられてしまうことが多いのですが、私が言いたいのは、徹底した平和主義を維持しながら、日本を政治的、経済的に自立した国にしたいということです。
 では、真に自立した国にするためにどうしたらいいか。もちろん、私たちの一人一人が変わる、自覚するという意識の問題が最も重要ですが、法律や制度を変えることも必要かもしれません。
 私は、今の情勢下では憲法改正には反対ですが、将来、もし平和憲法の精神を尊重できる政権ができたときには、ぜひ憲法に加えてもらいたい項目があります。それは、我が国は、国民の生活に必要な食料、エネルギー、資源をできるだけ自給する、みずから賄うというものです。ついでに言えば、財政も政治も自給するということです。国が真に自立していくために、自給国家になることが必要だと考えるのです。
 日本は、さまざまな鉱物資源やエネルギー資源を輸入に頼っています。北海道では天然ガスが豊富に産出されていますが、余り知られておりません。決して日本はエネルギー源のない国ではないと思っています。その気になればエネルギー自給率を引き上げられると思っています。
 さらに問題なのは、食料の自給率がずっと落ち続けていることです。私の配付資料の二枚目にありますが、これは農水省の食料・農業・農村白書の中の一ページで、大変有名な表ですから説明するまでもないんですが、下の方に穀物自給率が二八%、それから主食用の穀物自給率六〇%、それからカロリーベースの食料自給率が四〇%となっています。異常に低い数字となっています。ほかの国と比較しても、これほど低い国は先進国の中では本当に珍しい存在であると思います。
 米の自給率についても、以前は一〇〇%だったのですが、今では下がっています。毎年、北海道の米の生産量を上回る量が義務的に輸入されています。一方で減反面積がふえていく。日本国内の水田だけで余るほど米をつくる力があるのに、七十万トンも八十万トンも輸入すればあふれる、余るに決まっています。余るから米をつくるな、こんなことを食料が不足している国の人に説明できますでしょうか。わかってもらえるように説明できますでしょうか。理解不能だと思います。
 食料自給率が低いと何が問題かといいますと、一つは、安全保障の問題。トウモロコシや大豆、小麦など、日本人が毎日摂取する基本的食料の大半を米国に頼っている状況ですが、大豆ですと年間五百万トン以上が輸入されていますが、そのうちのほとんどがアメリカから入っています。小麦も半分以上はアメリカから入っています。トウモロコシなんかは千六百万トンぐらい輸入されていますが、これも九〇%ぐらいはアメリカから入ってきています。こういう状況で、過去に経験がありますが、米国が輸出できないという事態になったら、日本は大混乱になります。
 二つ目は、安全性の問題です。
 穀物に加えて、最近では野菜の輸入が急増していますが、先日も、中国の野菜から、日本では許可されていない農薬が残留していたということで問題になりましたが、私たちの体、健康にとって、非常に危ない状態がこの輸入野菜の急増で起きていると思います。
 三つ目は、国内農業の衰退を招くということです。
 このまま輸入農産物、安い価格でどんどん入って流れ込んでくれば、当然国内の農業は太刀打ちできず、今、現に農家戸数は年々急減しています。このまま農業が衰退し、農業のできない国にもしなっていくんだとすれば、日本という国の存立基盤自体が危ういと考えます。
 また、四つ目は、日本が金に任せて買い占めるために、結果的に諸外国の食料や環境を搾取することになっているということです。
 五つ目に、大量に輸入された食料は、最終的には日本の国土にごみやふん尿の山となり、つまり養分が滞ってしまうということです。循環を阻害するということです。
 さて、そこでもう一つ、一枚目の資料ですが、これは環境省が作成したもので、我が国の物質収支、マテリアルバランスをあらわしています。日本で一年間に使われるすべての物質の流れを示しています。総物質投入量は二十億トンですが、そのうちの半分以上は国産のもので、出入り、つまり輸出入を見てみると、先ほど申し上げた食料、えさのほかに、石油や鉄鉱石などの輸入資源が毎年七億トン以上入ってきています。出ていくのは自動車などの工業製品を中心に約一億トン、環境中に放出されるものを差し引くと、およそ三億トンほどの物質が、毎年毎年、日本にふえ続けていくという計算です。これでは幾らリサイクルだとか循環型社会だと叫んでいても、しょせん限界があります。食料やえさは養分として国土にたまり続け、その他の物質はごみとしてたまり、あるいは二酸化炭素として大気中に放出されていきます。
 はっきり申し上げて、日本は世界でも有数の非循環国、循環していない国です。私は、近い将来に、早急にマテリアルバランスを均衡とれたものにしていかないと、日本は立ち行かなくなるのではないかと心配しています。これは日本の問題だけではありません。このような国の存在はほかの国にとっても迷惑です。何しろ、お金の力で世界の天然資源や食料を買いあさっている状態なのですから。日本は厄介者の国になっているんではないかと私は心配しています。
 地球は有限です。そして、地球という惑星は、大気も水も養分も、物理的な力と生物が介在することでうまく循環させています。循環しているから地球は何十億年も生き続けているのです。循環がとまれば、地球は死の星となるでしょう。二十一世紀の日本は、この地球の循環構造に学び、みずからが循環する国になっていくべきであると思います。江戸時代にはできていたこの循環の国家を、もう一度再生できないものでしょうか。
 養分も含めた物質を国内でうまく循環できれば、それはすなわち自給している国ということであり、環境に負荷をかけない国ということになります。そして、自給こそが、国家の自立への道に直結すると思います。インド独立の父であるマハトマ・ガンジーの思想の中に、スワデシ・スワラージという言葉がありますが、スワデシは自給、みずから賄うということであり、スワラージは自治、みずから治めるという言葉であります。今日本に必要なのは、このマハトマ・ガンジーの思想ではないかと思っています。
 繰り返し申し上げますが、私は、今の政治状況では憲法をいじることに反対ですが、将来、環境が整えば、現行の憲法に足りない部分をつけ加えることはあり得ると思っています。そのときには、ぜひとも自給国家の条項を創設してもらいたいと希望します。また、できれば、前文はそのまま生かし、第二章「戦争の放棄」第九条を第一章第一条に移動し、第三章「国民の権利及び義務」を第二章に、そして第一章「天皇」を第三章に移動してはどうかと思っています。より平和主義を鮮明にするために、九条をトップに持ってくればいいかなと私は思っています。
 以上で私の意見の陳述を終わります。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、田中宏君にお願いいたします。
田中宏君 北海道弁護士会連合会理事長の田中宏であります。
 まず、私は、現在、国会において焦眉の課題となっております有事法制法案について申し上げます。
 日本弁護士連合会は、二回にわたり有事法制法案に反対する理事会決議を行いました。決議は、皆さんにお配りしてあるとおりであります。また、札幌弁護士会も、有事法制法案に反対する会長声明を出しました。これもお配りしてあるとおりであります。
 反対の理由は、要約いたしますと、この法案は、日本国憲法の平和主義、基本的人権尊重主義等の基本原理に抵触するおそれが極めて大きいこと、地方自治の本旨をゆがめ、民主的な統治の構造を大きく変容させるものであること、報道機関を指定公共機関として、政府にとって必要な責務を実施させるなど、メディアの規制を強化し、報道の自由を侵すおそれが強いものであること、その他、構成要件があいまいであることなど、幾つもの指摘事項がありますが、省略いたします。北海道弁護士会連合会としても、強くこの法案に反対し、廃案を求めるものであります。
 北海道内では、旭川弁護士会においても、有事法制反対の街頭宣伝活動を行っております。まして、国家として、日本国が戦争をいつでも可能にする憲法改正には強く反対いたします。私は、こうしたことを検討する前に、より多くの人権課題と積極的に取り組み、憲法の理念を実現することが重要であると考えております。
 次に、私は、北海道特有の人権課題として、アイヌ民族の人権状況についてお話ししたいと思っております。
 同様の課題は、北海道のみならず、沖縄県においても当てはまると思いますが、道内の四つの単位弁護士会、札幌、函館、釧路、旭川をまとめる道弁連としては、この四つの弁護士会にいずれも共通し、かつ避けることのできない人権課題として、アイヌ民族の人権状況を指摘したいと思います。
 道内には約二万五千人のアイヌ民族に属する方がおり、札幌弁護士会管内では白老、静内、二風谷、釧路弁護士会では白糠、阿寒、旭川弁護士会では近文、そして函館弁護士会では八雲というように、四弁護士会のいずれにもアイヌの方が居住されております。このアイヌの人権状況について承知していただきたく、お話しする次第であります。
 また、私は、二風谷ダム裁判の原告代理人を務めておりましたが、この事件を通して受けとめた国の対応などについても話をしたいと思います。なお、二風谷事件につきましては、既にお配りしてあります判例評釈を参考にしてください。
 まず第一に言いたいことは、単一国家発言であります。
 日本という国は単一民族国家ではないということであります。日本国の主権のもとに、全く異なる言語と全く異なる文化を有する民族がいるということであります。一九八六年、時の内閣総理大臣中曽根康弘氏は、日本国が単一民族国家であると発言し、アイヌ民族から猛烈な反発を受けました。その後も、閣僚による単一民族発言は繰り返し行われております。小泉内閣になってからも、尾身幸次沖縄北方担当相が、日本は単一民族と発言し、同氏は、アイヌ民族からの抗議を受け、発言の不適切さを認め、謝罪いたしました。
 さらには、北海道選出の鈴木宗男代議士が、昨年七月二日、日本は一国家一言語一民族であり、アイヌ民族は今は全く同化されたと発言しました。同じ日に、平沼経済産業相も単一民族国家発言をされました。平沼氏は、アイヌ民族からの抗議に対し、不用意であったことを認めました。しかし、鈴木代議士は逆に、理解していないのはどちらだなどと述べ、全くアイヌ民族の独自性を認めておりません。特に、鈴木代議士の場合、自分の選挙区に白糠、阿寒という地区を抱えているのですから、その発言は理解できないものがあります。
 どうしてこのような閣僚による発言が続くのでしょうか。今回来道された憲法調査会の皆様には、少なくとも日本は単一国家、単一言語、単一民族でないということを御理解いただきたいと思います。
 二風谷裁判のエピソードを一つ御紹介いたします。
 原告の萱野茂さんは、最初の口頭弁論において、裁判に臨む心境等をアイヌ語で陳述しようとしました。しかし、裁判長は、アイヌ語による意見陳述を許しませんでした。裁判所法第七十四条は、「裁判所では、日本語を用いる。」と定めております。アイヌ語は日本国内で話される外国語なのです。言語学的には、アイヌ語は日本語と全く異なりますし、法廷のだれもが理解できない言語なのです。
 今、二風谷などを中心に、アイヌ語の伝承、民族文化の伝承が盛んに行われるようになりました。どうか、先生方には、日本の中に独自の言語と文化を持つ異なる民族がいることを御理解いただきたいと思います。
 次に、アイヌ民族の先住性について申し上げます。
 先住民族とは何かについて、いろいろ定義が難しいものがありますが、国連の経済社会理事会の中に人権委員会というのがあります。その中で、先住民族の権利に関する世界宣言が現在審議されております。この委員会において先住民族の定義がなされておりますが、先住民族とは、歴史的に見て、ある地域で自分たち独自の社会的な生活、経済的政治的なシステムを持っていたという歴史的事実がある人々であると定義されております。アイヌ民族がこの定義に該当することは言うまでもありません。
 また、二風谷ダム裁判で、判決は、アイヌ民族を先住民族であるとはっきり認めました。しかしながら、日本政府は、アイヌ民族を先住民族と認めたことは一度もありません。裁判の中で、国は、先住民族なる概念の意味内容はいまだ国内的にも国際的にも明らかにされていないと答弁し、先住民族であるかどうかについての認否を避けました。日本政府がアイヌ民族を先住民族と認めない理由は明らかです。先住民族という概念は先住権と不可分一体だからであります。
 アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドに見られるように、先住民族の権利回復の作業が展開されております。特に、オーストラリアでは、政府がアボリジニーに正式に謝罪し、和解の日というナショナルホリデーまで設け、政府と先住民族が一体となって権利回復へ向かっております。昨年、シドニー・オリンピックで、聖火リレーの出発点がアボリジニーの聖地であったこと、聖火のホルダーもアボリジニーで始まりアボリジニーで終わりました。
 ところが、我が国政府は、二風谷裁判の判決が出た翌日、梶山官房長官は、アイヌ民族が少数民族であることは認めるが、だからといって先住権は発生しないと発言しました。先住民族であると認めていないにもかかわらず、先住権は発生しないというのであります。日本政府は、もしアイヌ民族を先住民族と認め、先住権を認めるならば、膨大な権利回復の作業が待っているからであります。これを避けるために、いまだ日本政府はアイヌ民族を先住民族と認めていない状態であります。
 アイヌ民族である個人には、自己の文化を享有する権利が認められ、政府はその文化に影響する政策の決定及び遂行に当たって、十分な配慮を払う責務があると判決は述べております。アイヌ民族が自己の文化を享有するためには、平面的、空間的なスペースが必要になります。このスペースのことをアイヌ語でイオルと読んでおります。日本政府は、せめてこのイオルをアイヌ民族に返還すべきではないでしょうか。このイオルの中で、アイヌ民族が文化を享有し、文化を伝えていく仕組みをつくってはどうでしょうか。イオルとまでいかなくても、国有林のうち、アイヌが自由に伐採したり狩猟できるエリアを設定したり、漁業権のあるなしにかかわらず、アイヌ民族の主食であるサケをとることなどは、今実行しようと思えばすぐにでもできる政策であります。
 第三に、アイヌ基本法の制定について。
 二風谷ダム裁判を遂行する中でわかったことは、国の事業展開の中で、アイヌ民族やアイヌ文化に対する配慮が全くうかがえなかったことであります。
 判決は、「アイヌ民族独自の文化を衰退させてきた歴史的経緯に対する反省の意を込めて最大限の配慮がなされなければならない。」とまで述べております。このことは、地方自治体を含めて、国において、アイヌ民族に対する基本的政策が欠落していたからにほかなりません。
 国の基本的政策がなければ、場当たり的な政策たらざるを得ません。今から五年前、一九九七年に同化政策の基本であった北海道旧土人保護法が廃止され、国は公式に同化政策の廃止を認めました。しかし、権利回復を目的とする基本法制はいまだ実現しておりません。
 私は、国のアイヌ民族に対する基本的政策として必要なものは以下のとおりであると思います。
 一、国は、アイヌ民族政策によりアイヌ民族に与えた歴史的経緯について謝罪する。
 二、アイヌ民族という先住民族を正式に認知する。
 三、アイヌ民族との共生という哲学を徹底する。もちろん、憲法十四条による差別は禁止されます。
 また、この共生という哲学の中で少数民族の文化の尊重をする。
 五、そのための積極的な政策展開を行う。
 六、国政の場における民族議席を保障する。
 この点について一言付言しますと、多数決原理が民主主義の根幹であることはそのとおりであります。しかし、多数決は、少数民族にとっては数の暴力と映るのであります。多数決原理と少数民族の政治的発言の場を保障することの調和として、民族議席が必要と思われます。
 これらをアイヌ基本法として宣言し、この基本法に基づく政策展開がなされることを希望するものであります。
 終わりに、現在、アイヌ民族が置かれている状況は十分なものではありません。もちろん、アイヌ民族の一人一人の個人の責めに帰せられるべき部分もあるかもしれませんが、大半は政策的結果に基づく貧困が原因であろうと思われます。ちなみに、北海道におけるアイヌ民族の生活保護の受給率は和人の二倍近い率であり、逆に、大学進学率は三分の一程度であります。また、一九九七年、文化の伝承という意味でアイヌ文化振興法が制定されましたが、文化の伝承というのは日々の生活の中で行うものであり、その仕組みをつくらなければ、政策的な伝承にとどまり、不十分であると考えます。日々の生活の中で文化の伝承を行うことを可能とする政策が必要になります。
 このように、現在、アイヌ民族が置かれている人権状況はまことにもって好ましいものではなく、改善すべきものであると考えております。要するに、単なる福祉政策ではない、民族政策を展開すべきものと考えます。
 他方、日々の生活の中で、アイヌ民族に対する目に見えないさまざまな差別も残っております。北海道の生活実態調査でも、就職、結婚、学校教育の現場などでの差別が認められております。こうした点を改善しなければなりません。
 最後に、私は、さきに述べましたように、国家として、日本国が戦争をいつでも可能にする憲法改正には強く反対します。逆に、こうしたことを検討する余裕があるならば、アイヌ民族に対し、反省とより温かい目で政策展開をすべきではないかと考えております。
 どうか、調査会の先生方におかれましては、北海道にアイヌ民族がいること、そしてその先住性を破壊して和人が北海道の開拓を進めたこと、こうした歴史的背景に十分に思いをいたし、今後の憲法論議に生かしていただきたいと考えております。
 以上でございます。ありがとうございました。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、佐藤聖美君にお願いいたします。
佐藤聖美君 ただいま御紹介いただきました佐藤聖美です。大学の法学部で憲法を初めとする法律を学んでいる者として、意見を述べさせていただきます。
 私は、日本国憲法の規定と現実とのギャップについて、憲法二十一条の表現の自由と、憲法十四条の法のもとの平等の二つを例に取り上げてお話しさせていただきたいと思います。
 まず、憲法二十一条の表現の自由に関してですが、今国会に人権擁護法案が提出されました。この法案は、人権侵害の被害者を救済するために人権委員会を設置することなどを目的としています。人権の世紀と言われる二十一世紀にこのような新たな人権救済手続を整備するのは、憲法でうたわれている基本的人権の尊重を実現するという点で見るべき点があると思います。しかし、この法案は、公権力による救済の対象に、新聞などを初めとするメディアを含めていることに大きな問題があると思います。
 二〇〇一年四月に、国民主権、民主主義の理念に基づき、政府の国民に対する説明責任を全うさせ、国民の理解と批判のもとで公正で民主的な行政を実現することを目的として情報公開法が制定されました。
 しかし一方で、防衛庁に情報公開を請求しただけで、知らない間に身元調査が行われ、情報公開請求者リストの中に入れられるという事態も発覚しています。この事実はどのようなことを意味しているのでしょうか。このようなことが起こると、私たちは怖くて情報公開も請求できません。また、それだけでなく、証拠隠滅が図られ、その事実に関する報告書も与党筋でつぶされるなど、二重、三重の統制が行われているのです。
 このように、個人の力で情報を得るのはまだまだ難しいと言えます。つまり、今の状態では、私たちが知りたいと思う情報を手に入れるには、ほとんどの場合、マスコミを利用するほかありません。
 また、マスコミの報道の中から、国民の新たな関心事が生まれるということも多々あります。例えば、桶川のストーカー殺人事件で、メディアが家族に取材を行った結果、埼玉県警の対応のミスが暴かれたということがあります。ただ、松本サリン事件のように、マスコミが容疑者扱いの報道を行い、人権を侵害された場合もあります。しかし、その後、警察の見方に疑義を持って、動きを牽制したのもまたマスコミです。
 人権擁護法によって、メディアによる報道は人権侵害の類型に含まれ、特別救済の対象となります。メディアに対する規制につながるのではないかという批判に対して、政府からは、報道や取材に何ら新たな規制を設けるものではなく、現行法で既に違法とされる人権侵害について範囲を明示し、事後的な救済手続を整備するものだという説明があります。しかし、どの程度の頻度の電話やファクスがこの法案に定める過剰な取材に当たるのかという明確な基準はありません。状況や内容によって判断すると述べるにとどまっています。
 これでは、恣意的な運用が行われる可能性があり、私たちが本当に知りたいと思う情報をマスコミが取材することを萎縮する可能性があります。これは、マスコミの取材の自由、ひいては表現の自由を侵害することにつながるのではないでしょうか。マスコミが取材できないということは、国民が本当に知りたいと思っている情報は報道されません。その結果、国民は情報を手に入れることができないという状況が生まれます。これは、国民の知る権利を制限するのと同様の結果をもたらすと言えます。
 現在、鈴木宗男議員に関するさまざまな疑惑、国会議員の秘書給与疑惑など多くの腐敗や退廃が明らかになっています。このような状況下でマスコミの取材活動に政府が介入する余地をつくる法案をつくるということは、国民の真実を知りたいという欲求を抑えようとしているととらえられても仕方がないと思います。
 民主主義社会では、主権者たる国民が国政の行方を左右することができるわけです。その国民には最大限の情報が与えられるべきであり、そうあってこそ、真の民主主義社会と言えるのではないでしょうか。
 次に、憲法十四条に関する問題についてお話ししたいと思います。
 一九九〇年代、日本の女性政策は、ジェンダーの視点を導入し、婦人問題の解決から、男女共同参画社会の形成というように変遷を遂げました。二十一世紀に入り、内閣府には男女共同参画会議と男女参画局が置かれ、法的な基盤を持った初めての総合的な男女共同計画が実施されることになります。
 憲法では、十四条で法のもとの平等がうたわれており、男女平等もその中で保障されていると言えます。男女共同参画会議、男女共同参画基本法は、その意味で、憲法の理念を実現するものと言えると思います。
 しかし、女性に対する暴力の根絶や、女性の雇用や就業など、解決しなければならない問題は多くあります。
 就職活動をしている友人から聞いたところによると、女性にだけ、結婚した後は仕事は続けるの、結婚しても仕事を続けると言うけど、相手の理解は得られるのなどといった質問が行われるそうです。確かに、女性は結婚を機に仕事をやめることもありますし、出産時には必ず一定期間の休暇をとらなければなりません。ですが、それだけを理由に女性の社会進出を制限しようというのは、許されないことだと思います。出産は女性にしかできないことですし、そのときに一定期間の休養が必要というのはある意味当然と言えます。
 そして、結婚を機に仕事をやめるというのは、男女でどちらかが仕事をやめなければならないとしたら女性がやめるべきだという風潮があったり、女性は家庭に入って家事をするべきだという旧態然とした思想が男性にも、そして結婚した先のしゅうとめにもまだ残っているということが背景にあると思います。
 さらに、結婚をしても共働きを続けていいという男性も、暇なときは家事を手伝うよといった感じで、あくまで家事は女性のもの、自分はあくまで手伝いだという意識から抜け切れていない場合が多いです。厚生労働省に入って女性の労働問題の改善に取り組みたいと言っている男性ですら、そのように言っていました。私は、どうして、同じように働いているのに、男性は手伝いで女性は主に家事をしなければならないのと尋ねてしまいましたが、このように、日本の男性の女性の社会進出に関する認識はまだまだ甘いと思います。このような意識の改革を図らなければ、真の男女平等社会は生まれてこないと思います。
 また、逆アファーマティブアクションとして女性の採用数を一定に限定しているというお話を新聞社の方から伺いました。取材先が女性が来るのを嫌がることがあったり、女性はなかなか夜遅くの勤務が難しいということが理由のようでしたが、それでは全く入社試験の意味がないと思います。実力では男性にまさっていても、女性というだけで男性に敗北することになる。こんな理不尽なことが許されていいのでしょうか。これはまさに憲法が禁止している性別による差別ではないでしょうか。
 男女雇用機会均等法は改正されましたが、このようなところでの男女差別はまだまだ残っているのです。看護婦さんから看護師さんへと名称を変えるといったような小手先の改革だけではなく、実質的な平等がもたらされるように法制度を整備してほしいと思います。
 そして、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律、いわゆるDV法が二〇〇一年十月に施行されました。十月の施行からことしの一月末までに全国の警察に寄せられた被害相談は四千八百四十一件で、九八%が女性です。また、DV法に基づき裁判所が出した保護命令は百八十五件で、命令を無視したとして五人が逮捕されています。
 皆さんは、この数字をどう思いますか。私は、決してこの数字は少ないものではないと思います。そして、この数字のほかに、泣き寝入りしているたくさんの女性がいると思うのです。
 今まで、ドラマや物語の中では、酒に酔って妻を殴る夫の姿が多く描かれて、まるで、ある意味それが当然であるかのような認識を刷り込まれてきました。しかし、自分より弱い存在である女性に暴力を振るう男性は最低です。傷害罪として告訴されても仕方がありません。それなのに、夫婦というだけで泣き寝入りしなければならないのは、全く道理にかなっていなかったわけです。このような状況に置かれている女性を救うためには、DV防止法を今後もっと見直していく必要があると思います。
 まず、現在は婦人相談所などに限定されているDV相談支援センターの機能を市町村の施設に持たせて、被害を受けている女性が救済を求めやすくするということが挙げられます。さらに、配偶者と内縁関係の者からの暴力が対象とされていますが、その暴力の定義の中に、頻繁にどなるなどの精神的暴力も加えていく必要があると思います。夫に頻繁にどなられたりする女性のストレスは、身体的な暴力を受けた場合の被害と何ら変わりがないと思うからです。
 現在の日本社会は、少しずつ制度が整ってきているとはいえ、まだまだ完全に女性に対して正当な権利が保障されているとは言えません。憲法十四条の理念を実現するために、もっと法制度を整備していく必要があると思います。
 時間の制約上、二つの条文についてしかお話しできませんでしたが、日本国憲法には、ほかにもまだまだ、すばらしい規定を持ちながら、それが現実社会においては生かされていないものが少なからずあると思います。憲法は古くなって現実社会に適合しなくなった、だから改正しようというのは本末転倒だと思うのです。立法者の方々を含め、私たちの意識そのものを改めて、少しでも憲法の理想に近づけるような努力を積み重ねるべきではないでしょうか。
 以上で、私の意見陳述を終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、結城洋一郎君にお願いいたします。
結城洋一郎君 結城でございます。
 公述に先立ちまして、このような機会をお与えくださいました憲法調査会の関係者の皆様、また、詳細な資料を御送付くださいました事務局の方に厚く御礼申し上げたいと思います。
 さて、私は、大きく次の四つの柱に分けて自分の考えを述べさせていただきたいと存じます。
 第一の柱は、日本国憲法全体に対する私の基本的考え方あるいは評価についてであります。第二の柱は、現在の憲法状況を改善しようとした場合、憲法改正が必要になるであろうと思われる点。第三の柱は、必ずしも憲法改正によることなしにも対応できるけれども、もし憲法改正が現実化した場合には、あわせて改正を行った方が好ましいと思われる点についてであります。そして最後に、第四の柱は、もし憲法改正が提起されることを想定した場合、その方法に関する私の考え方でございます。
 まず、日本国憲法全体に関する私の評価でございますが、以下のように考えております。
 日本国憲法の立脚する諸原理、すなわち、第一に基本的人権の不可侵、第二に国民主権原理、第三に恒久平和主義、第四に権力分立の原理、第五に地方自治の尊重、第六に国際協調主義は、人類長年にわたる知的、政治的な営みの到達点であり、いかなる困難があろうとも堅持すべきものであって、これは今後さらに継承、発展させていくべきものと考えております。
 この中で、基本的人権、すなわち、すべての人間の本質的平等あるいは人格的尊厳と言ってもよいと思いますけれども、これは、あらゆる社会における最高の価値であり、国民主権原理を初めとする他の諸原理の基礎をなすものであります。したがって、他の諸原理は、相互に補い合いながら、人間の自由性の確保という究極目的に奉仕する手段であると考えます。
 このことから、世界の多くの国はこれらの原理を国の基本方針として掲げているわけですが、世界に余り例のない日本国憲法の特色としては、何よりも第九条を挙げることができると思われます。
 ここで、特に第九条に関して一言申し上げておきますと、まず、その解釈といたしましては、第九条は、一切の戦力の保持を認めず、あらゆる場合における国家の交戦権を否定しているものと解すべきであって、昨今流布され続けているような、自衛のための戦力の保持と自衛戦争は認められるというような解釈は誤りと言うほかないと私は考えております。
 このような自衛戦力肯定論の解釈は、憲法の文言に反するのみならず、憲法制定議会における吉田茂総理大臣を初めとする為政者の発言、すなわち、いわゆる立法者意思にも反するものであると言わざるを得ません。
 自衛のための戦力をも放棄し、軍事力に頼ることなく平和のうちに国家の存立を図ろうとする、ある意味では生死をかけたこの決意は、その後五十年以上にわたる我が国の平和と繁栄の基礎をなすものであって、私個人といたしましては、我が国が世界に対し誇りを持って提示し得る手本ともいうべきものであると考えております。
 さて、私は、日本国憲法の基本原理そのものに関してはこのように考えているわけですけれども、しかし、このような考えに立った場合でも、現行憲法にはなお幾つかの点につき改善の余地があると考えております。
 その中には、第一には、憲法改正を伴わざるを得ないものと、第二には、必ずしも憲法改正は必要としないけれども、趣旨の明確化という観点からは、現憲法に追加修正を加えた方が好ましいものという二つのジャンルが存在すると思われますので、以下、これを分けて申し上げたいと存じます。
 まず、憲法改正を必要とするものから述べてまいりたいと思いますが、その第一は、国民主権原理に関する点であります。
 現憲法の採用する代表システムは、古典的な代表制、つまり議員任せの代表制の色彩が色濃く、国会議員に対する主権者国民の優位性を確保する手続が不完全であると思われます。
 すなわち、国政次元において国民が政治決定に参画する機会はほぼ選挙に限られ、選挙における投票行為以外には、例外的に、憲法改正における国民投票、最高裁判所の裁判官に対する国民審査及び地方自治特別法における住民投票に限られている現状であります。そして、これら三つの例外的参加手続は、その存在意義の重要性はともかくとしても、憲法施行五十五年の間、さしたる現実的機能を発揮してこなかったことは周知の事実であろうかと存じます。
 この結果、国民の主権は、結局のところ国会議員を選挙する機能に限定され、あとはすべて議員任せという状態に陥っていると言って過言ではないでしょう。
 国民主権、民主主義の眼目は、みずからがつくったルールに従うという点にあるわけですから、国民の恒常的な主権性をできる限り担保し得る制度、すなわち、直接民主主義的諸手続の併用を検討すべきであると考える次第です。その例としては、スイス憲法に定める国民表決、レファレンダム、あるいは国民発案、イニシアチブ、国民拒否といったものが最も参考になると思われます。
 なお、地方自治法に見られるような議院の解散請求制度なども検討の余地があるのではないかと考えております。もしこれらの手続を導入するということになれば、憲法を改正する必要が生じることになるはずであります。
 次に、第二の点は、違憲審査制度に関するものであります。
 現行の違憲審査は、司法審査に伴う付随的違憲審査に限定されておりますが、これによりますと、事件争訟性や当事者適格などの要件によって裁判所による判断が遅滞する場合が生じますし、本人の利益に基づかない争いの場合は司法判断を求められないことも起こり得ます。この結果、例えば内閣総理大臣や閣僚の公式参拝とそれに伴う公費の支出などに関しては、現在、司法判断を求める道がありません。
 こうした不都合に対処するためには、付随的違憲審査制に加え、独立した抽象的違憲審査を可能とする憲法裁判所を設置すべきものと考えます。学説には、現行憲法上も最高裁判所に抽象的違憲審査権を付与することが可能であるとするものもございますけれども、判例及び学説の主流はこれを否定しており、憲法改正によることの方が論理的問題は少ないものと考えられます。
 第三の点は、権力分立に関するものであります。
 私は、今日における議院内閣制度は、その本質上、権力分立システムというよりは、立法権と行政権の二権統合システムであると考えております。
 君主や貴族といった身分制度が消滅し、これに伴い、君主と内閣、これに対抗する国民代表としての議会といった緊張関係が消滅した今日、議会と議会によって選出される内閣との原理的対抗関係は本来解消しているのであって、両者間のチェック・アンド・バランス機能は極めて微弱なものとなりました。
 また、我が国における慣行のように、解散権は首相の専権とされるならば、本来は、議会と内閣に対立が生じた場合に国民に信を問うべき手段であったはずの解散権が、政府・与党勢力の維持強化の手段に化してしまうことは自然の流れであると思われます。すなわち、内閣総理大臣は、政府・与党が最も人気が高いとき、すなわち、最も解散が必要ないときに解散権を行使しようとするはずだからであります。
 かくして、議院内閣制度は、立法権と行政権の統合化と、政府・与党の基盤強化に奉仕する機能を営むことになると考えます。
 したがって、私は、権力分立を追求する以上、行政権の長が独立して公選されるシステム、すなわち大統領制が好ましいと考える次第です。ただし、大統領制といってもその形態はさまざまあり得るのであって、議院内閣制との混合形態、すなわち半大統領制と呼ばれているようなシステム、これもまたさまざまな形態があるわけですけれども、これも検討に値すると考えます。
 このほか、現在はいわゆる首相公選制も考案、提唱されているわけでありますが、私は、イスラエルの失敗をもって直ちに首相公選制を否定すべきものとは考えておりません。
 いずれにせよ、権力分立という観点からは、大統領制を中心に検討することが望ましいと考えている次第です。
 次に、必ずしも憲法改正を必要とはしないかもしれないけれども、憲法改正を行う場合にはあわせて考えた方がいいと思われる点について意見を述べさせていただきたいと思います。
 憲法の趣旨を明確化するという次元でいいますと議論は尽きないと思われますけれども、ここでは人権規定にかかわる主要な点に焦点を絞ってお話をさせていただきたいと存じます。
 まず第一は、公共の福祉という文言であります。
 憲法は、十二条、十三条という包括規定と、二十二条、二十九条という個別規定の両者にこの文言を用いており、そのため、この概念の意味及び適用範囲の理解に関し、学説上の対立を引き起こしました。
 また、一部学説や判例のように、この概念を国民全体の利益と解した上で、あらゆる人権は公共の福祉によって制約されるとする見解をも生み出すことになったのであります。このような見解は、個人は全体のために犠牲になれと言うに等しく、人権の至高不可侵性に正面から矛盾するものと考えます。
 このような誤った解釈の余地を残すことのないよう、人権一般の制約原理としては、他人の権利を侵害しないことというふうな表現に変更することが望ましいと考えております。
 第二は、抵抗権でありますが、民主主義・国民主権原理は、個々人の人権の承認を出発点とし、最後に個々人の抵抗権に帰着する一つの完結した論理体系を持つものであって、このことに対する国民的理解を促すためにも、抵抗権を憲法上明記することが好ましいと考えております。
 その他の権利を幾つか考えてみますと、いわゆる新しい権利としてのプライバシーの権利や国民の知る権利などは、憲法上明記しておいた方が好ましいと考えております。
 また、外国人の参政権につき、定住外国人に対しては地方参政権を付与すべきものと考えますし、さらに、いわゆる在日と称される我が国の政策に起因する特殊な永住外国人に対しては、その生活実態に即して、国政に対する参政権も保障すべきものと考えます。
 このほか、刑事手続に関する規定などについても、より明確にしておいた方が好ましい幾つかの点を感じておりますが、ここでは省略させていただきたいと思います。
 最後に、憲法改正の提示方法に関する私の考えを申し上げて、結びとしたいと存じます。
 今後、もし万一憲法改正を提起する場合には、特に相互不可分の条項以外には、各条項ごとに賛否を問うべきであって、全体を抱き合わせにして問題の所在をごまかすべきではないと考えております。
 現在、我が国の憲法論議の不幸は、憲法改正といえばまずもって九条の改正をいい、護憲、改憲という問題があたかも九条のみの問題であるかのように扱われてきたことであります。私は、このことが、一方において、憲法改革論議があたかもタブーであるかのような雰囲気を醸成し、他方において、押しつけ憲法論のごとく、憲法の他の条文の意味や価値を深く考察することもなしに、ただひたすら憲法改正を叫ぶような風潮を生み出しているのではないかと感じております。
 憲法を改正すべきかせざるべきかということは、言うまでもなく、一つの条文に限定されるべきものではありませんし、九条であれ何条であれ、これを改正しようとするのも守ろうとするのも個々人の思想、信条の自由であります。自由な思考こそが人権保障の根幹でありますし、国民の意思によって憲法が定まることこそが国民主権の大原則であります。
 重要なことは、国民一人一人が、自分が究極的に何を望み、何を望まないかを真摯に考えることであり、一方、為政者の任務は、国民が何を望み、何を望まないのかを明確に問うことであると考えます。抱き合わせ的採決は、この原則と目的に明らかに背反すると考える次第です。
 これで私の公述を終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、馬杉榮一君にお願いいたします。
馬杉榮一君 札幌で弁護士を開業しております馬杉でございます。
 札幌における本日の地方公聴会で発言の機会を与えていただきましたことを心より感謝申し上げます。
 本日の発言をするに当たって、これまで開催された仙台、神戸、名古屋、沖縄での地方公聴会の議事録を拝見させていただきました。多岐にわたる論点に関する公述人の意見、なかなか難しい、厳しい国会議員の方々からの質問、わずか四回とはいえ、問題点はかなり明らかになったと思われます。
 これらの公述を拝見しますと、現行憲法を基本的に守っていこうとするのか、あるいは積極的に改正しようとしていくのか、立場が割合とはっきり分かれていたように感じました。そして、そのポイントは、やはり憲法九条をどうとらえるかに大きなウエートが置かれているように思われました。
 私は、弁護士の立場から、これまでの公述人の方が触れられていない司法制度改革の視点から、二十一世紀の日本と憲法を論じさせていただこうと思います。しかし、今までの公述の流れからいって、現行憲法をどう見るかの立場をあらかじめ明らかにしておいた方がよいと考えますので、まずそこから話を始めさせていただきます。
 私は一九四六年の生まれです。この年の十一月三日に憲法が公布されていますので、憲法とともに人生を歩んできた者であります。
 小学校に入り、クラスに父親のいない友達が何人もいることに気づきました。また、私の父方と母方のおじが一人ずつ戦死していることも知りました。私が母のおなかにいるときに、その両親の家が空襲に遭い、焼夷弾で丸焼けになったことも聞きました。東京の世田谷に当時住んでおりましたけれども、古材を組み、トタンを張っただけの家が昭和二十五、六年にも多数ありました。渋谷の駅前に行きますと、アコーディオンを弾いている足のない白い服の男の人が、お金をくださいと私の方に寄ってこられました。母親に聞きますと、傷痍軍人さんですよと教えてくれました。母から五円玉をもらって、その方が首からつっている白い箱に入れた記憶があります。
 私は戦争を直接は知りませんけれども、戦争の傷跡は当時まだたくさん残っておりました。このころに憲法の話を聞いた記憶が、わずかですが残っています。男女平等とか選挙権とか、そして戦争は放棄したとか、子供ですから意味はわかっていなかったと思います。しかし、話をする人は、私の両親だったり、学校の先生だったり、近所のおじさんやおばさんだったり、いろいろな人たちでしたが、新しい時代を示すものとしてすばらしいものだとの説明をしてくれたように私は記憶しております。
 恐らく、当時のほとんどの人がそのような考えを持っていたのではないでしょうか。その時点で、憲法を嫌々押しつけられたと考えた人は少なかったように感じられます。
 このような子供のときの情緒的な原体験からだけではなく、その後の日本の歩んだ道を振り返りますと、もちろん、種々の問題を抱えながらであったとはいえ、憲法の原則、すなわち国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を柱としたものであり、その大筋において肯定すべきものだったと私は考えております。
 したがって、私は現行憲法を擁護する立場でありますし、この憲法は、一九四六年段階では、憲法前文や九条に示されている理想的な平和主義も含め、実は早過ぎた生まれであり、五十年たった二十一世紀にこそその真価が発揮されるはずのものだと考えております。この私の現行憲法に対する立場を明らかにした上で、本論に入らせていただこうと考えます。
 私たち弁護士は、法律を扱うことを業としております。そして、この業務を通じて基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命としております。多くの弁護士の先輩たちが、そして同僚たちが、さまざまな人権、平和の擁護、確立のために活動をしてまいりました。その活動のうち、歴史に残るものの多くは、個別の法律には直接書き込まれていない権利を守るため、あるいはそれを発展させるためのものでありました。そのときに頼るのは、まさに憲法でありました。
 そのすべてを紹介する時間はありませんけれども、今、一部の論者の人たちが、現行の憲法は二十一世紀の憲法としては古いと言い、その理由として、環境権とか情報公開の権利とかが現行憲法に記載されていないことを挙げておりますが、これは誤りと言わなければなりません。環境権という言葉も情報公開権という言葉も、私が弁護士を開業しました三十年前には、日本語としてはほとんど実は使われておりませんでした。
 しかし、環境権については、公害裁判を憲法十三条、二十五条をもとに闘い、それまで被害を受忍しろと言われ続けていた患者さんを救済し、さらにそれが、単に損害賠償を求めることから、公害発生源の差しとめに、次いで、そもそも企業活動や国の公共事業において環境を守らせることを求め、実現する活動の中で一般的な用語として定着し、現在、だれもが肯定し理解できる言葉となったのであり、改めてこれから明文で憲法上の権利として定める、逆に言えば、それまで待っているような状況では既にないのであります。ましてや、現行憲法を時代おくれと論難する材料には全くなりません。もしそのようなことを述べるとすれば、逆に、三十年の年月をかけて環境権をつくり上げてきた活動を知らない、時代おくれの感覚とむしろ言わざるを得ません。
 情報公開の権利についても同じことが言えます。山形県金山町で先駆的に制定された情報公開条例をモデルとして、弁護士もその中心となって、地方自治体や国に対し情報公開条例や情報公開法の制定を働きかけ、不十分な点はあるとはいえ、その前と比較いたしますと、状況は格段の進歩を示しています。
 私は、地方自治体の職員の方々から行政上の相談を受けることがありますけれども、情報公開制度があることがインパクトとなり、情報開示請求のある前に、できるだけその情報を事前に開示するように努力しよう、あるいは説明責任を果たしていこうとの意識が地方公務員の方々に非常に強くなっていることを感じます。これは極めて大きな進歩です。
 この情報公開制度の確立に向けても、現行憲法は大きな働きをしました。私どもは、憲法二十一条一項の表現の自由から導かれる知る権利や、憲法前文の国民主権、憲法十五条の参政権をもとに情報公開権を構成し、今では十分な位置づけがされていると考えます。したがって、これもまた既に現行憲法の中にあり、現行憲法の今なお新鮮さを失わない価値を示している証左だと言えると考えております。
 ここで私は、現在進行中の司法制度改革について述べさせていただきます。
 現在、二十一世紀の日本の制度改革の大きな一つとして司法制度改革が挙げられております。二〇〇一年六月に、二年にわたる司法制度改革審議会の調査審議を経て、最終意見書が内閣総理大臣に提出され、これを受けて司法制度改革推進本部が設置され、現在、目標期限の二〇〇四年十一月に向けて、十の検討課題について論議が進行しています。その詳細を述べる時間的余裕は残念ながらありませんので、この司法制度改革と憲法問題に限ってお話をさせていただきます。
 現行憲法は国家権力を三つに分けています。司法、立法、行政の三つです。権力の独占は、国民主権、基本的人権を侵害するおそれがあるからであります。これは近代憲法の原則的思想であります。
 我が国の憲法はさらに一歩進んで、法による国家権力のコントロールのみならず、議会の制定する法律すらもが憲法に基づくものか否かについて裁判所の審査を受けるという司法権優越、すなわち権力作用の法への服従を司法によって担保する制度を定めております。これを法の支配と言うことは御承知のとおりです。それだけ高い、強い地位を司法に与え、現行憲法の国民主権、基本的人権の擁護、平和主義を守る制度にしようと現行憲法は考えているのです。
 しかし、皆さん、現実は極めて貧弱な司法制度であります。それは予算と人において明らかです。ちなみに、裁判所の予算はわずかに三千百七十億円、国家予算の〇・五%にもなりません。憲法三十二条の裁判を受ける権利の実現のための法律扶助の経費は、国家予算で三十億です。わずかというより惨めです。司法を直接担う法曹は、簡裁判事、副検事を含みますが、裁判官三千人、検察官二千三百人、弁護士約一万八千人しかおりません。弁護士の少ない県では、県会議員数より少なかったり、市長や町長、すなわち首長の数より少なかったりする例もあります。
 裁判所の判決もまた、憲法を積極的に活用したものは多くはないように思います。また、人権を守るという立場においても、我々弁護士から見ると不満足な状況です。
 しかし、二十一世紀を迎え、憲法を守り、人権を守るために司法制度が充実する必要があることが多くの人々に理解されるようになりました。まず、司法を担う人的基盤の拡充が求められました。今まで長いこと、毎年五百人から一千人の法曹しか世に出なかったものが、毎年三千人を目指すことになりました。これだけでも大きな変化を生むでしょう。
 法の支配は、さきに述べたように、司法が憲法をもとに立法、行政の行為の適法性を判断するシステムです。しかし、今進行している司法制度改革は、その範囲にとどまらない法の支配、これを私は広い意味の法の支配と言いたいと思いますが、それを目指しています、あるいは目指すべきだと考えます。
 すなわち、多数生み出される新しい法曹、とりわけ弁護士が地域や社会の各層の隅々にまで存在する社会が実現し、地域社会のあらゆる場面で適正な法律に基づく行為が行われる、すなわち企業や行政の行動が法にのっとって行われ、また、個々人の人権が尊重される。一方、裁判官もふえ、裁判所が大きく頼りがいのあるものになるとともに、司法に国民が直接参加する制度、例えば裁判員制度や裁判官の任命に市民が参加する制度などが実現し、国民と司法とが身近なものとなる。もちろん、法律扶助資金も、今の十倍、少なくとも数百億円の単位になるべきでしょう。それでも、イギリスと比べれば何分の一にもならないのです。
 これらの改革により、社会全体に法が行き渡り、司法に国民が参加して身近なものになる、裁判所が市民の権利を守る強い大きなとりでとして信頼を得る、これが広い意味の法の支配であります。
 私は、弁護士として、この実現が必ずしも平たんな道を歩むとは思っておりませんけれども、この課題に取り組んでいこうと考えています。この方向は、三権分立、そしてそれを一歩進めた法の支配、さらにもう一歩進めた広い意味の法の支配、社会全体に法が行き渡ることの実現であり、現行憲法を具体的に、実質的に充実させる枠組みとなるものであります。
 現在、有事立法が国会で審議されています。私の属する札幌弁護士会は、先ほども出ていたと思いますが、会長名でこの立法に反対しました。その基本は、憲法の平和主義に反し、国民の基本的人権を侵害するおそれがあるというものでした。その見解を私も正しいものと思います。
 しかし、政治状況によっては、基本的人権を侵害するような立法が今後なされるかもしれません。また、現在国会に上程されている有事立法もその一つですが、憲法の平和主義を侵害する状況が生まれるかもしれません。
 その場合、私たち弁護士は、憲法を武器として、司法をとりでとして、基本的人権や平和主義を守る職責を果たすことになるでしょう。もちろん、そのような状況にならないことを願うとともに、万一の場合、それこそ基本的人権や平和主義の有事に備えて、現在の司法制度改革を、二十一世紀の日本における現行憲法の柱、原則を守るための法の支配の確立に向けたものになるよう努力したいと決意しております。このことを、ここにお集まりの国会議員の皆さんや傍聴席の皆さん、そしてすべての国民の皆さんに御理解をいただきたいと願うものであります。
 御清聴ありがとうございました。
中山座長 ありがとうございました。
 以上で意見陳述者からの御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
中山座長 これより意見陳述者に対する質疑を行います。
 まず、派遣委員団――御静粛に願います。傍聴席からの御発言につきましては、委員からの質疑の後に予定しておりますので、御了承願います。――傍聴人の皆様方に申し上げます。
 この調査会の公聴会は、衆議院憲法調査会規程第六条並びに国会法第四十八条、衆議院規則第六十六条によって運営されております。場内が混乱した場合には、座長によって退場を命じることができますので、その点御留意願います。
 これより意見陳述者に対する質疑を行います。
 まず、派遣委員団を代表いたしまして、私から総括的な質疑を行い、その後、委員からの質疑を行いたいと思います。
 私のお尋ねしたい点は、この我々の調査会の小委員会におきまして、国際社会における日本のあり方小委員会がございます。そこで、二十一世紀の新しい時代の中で、日本がどのように生きていくような考え方で私どもは進んでいかなければならないか、こういう観点でいろいろな参考人からの意見を承り、また議員からの発言もございますけれども、今日、皆様方にお尋ねしたいことは、まず、新しい世紀を迎えて、新しい社会の枠組み、世界の枠組みが今構築されつつある。その一つの方向性というものは何によって生まれてきたかというと、それは科学技術の発展だろうと思います。
 例えば、東京から新幹線で北海道へ来られる、その結果青函連絡船は廃止される、こういう結果が出ています。また、貨物の輸送の大型化、つまり、コンテナ船が大型になった、機械化されて大量の貨物が一斉に運ばれる時代がやってまいった。また、航空機の発達によって、プロペラからジェットになり、今五百人乗りの航空機が人を運んでいますけれども、数年後には八百人乗れる航空機が登場するという時代であります。
 このような時代にあわせて、ビル・ゲイツの発明したコンピューターによって、世界はインターネットを通じてあらゆる情報が手に入るようになりました。そして、世界の金融機関もインターネットを使っていろいろな情報を処理して、短期の流動性資金が地球を駆け回る時代がやってきたわけであります。
 そのような中において、日本というアジアの北の方にある国がどのように将来生きていくことが好ましいのか、そういう点について皆様方にお尋ねをいたしたいと思いますが、私が率直に申し上げたいことは、サハリンの石油と天然ガスの発掘が成功したということであります。
 そうすると、ここで産出される石油とガスをどのようにして日本に運ぶかということが、まず北海道の国際化の問題に大きな関係を持ってくると思います。現在、政府の外郭団体の機関あるいは民間企業において、サハリンから出るガスと石油をパイプラインによって北海道へ揚げて、東京地域あるいは新潟地域まで運ぶという計画が調査されています。
 こういうふうな情勢の中で、我が国はその輸入する油の八七%を現在中東地域に依存しているという状況であります。アジア各国もそうであります。こういう点から考えて、北海道の持つ地位、そしてこの地位が、極東ロシアあるいはアメリカのアラスカ、カナダ、こういったところとの将来における考え方というものをどのように皆様方はお持ちなのか。
 御案内のように、カナダ、アメリカ、メキシコ、南米のチリは既に自由貿易協定を結んでおります。南米の数カ国は、メルコスールという自由貿易協定を結んでいる。ヨーロッパでは、EUという十五カ国が自由貿易協定を結んでいる。さらに、二年の間に十三カ国がこれに加盟してまいります。そして、軍事的には、ロシアとNATOとの協定ができ上がった。
 アジアではどうかというと、ASEANが十カ国ございますけれども、先般、中国の江沢民主席が行かれて、この十カ国と中国との間に自由貿易協定を結ぼうという申し入れを行いました。我が国の小泉首相は、このASEAN十カ国と中国と韓国と日本とで自由貿易協定を考えようという申し入れをしております。そういった中で、日本は既にシンガポールとの間に金融投資に関する自由貿易協定を締結しております。
 こういう観点から、北海道における国際化の問題についてどのようなお考えか、御意見を順次伺わせていただければ大変結構かと考えております。
 まず、稲津定俊さんからお願いします。
稲津定俊君 お答えいたします。
 地域経済システムとして、欧州連合、EU、北米自由貿易協定、NAFTAが一九九四年にメキシコ加入で完成し、米州自由貿易協定の創設が二〇〇五年に合意されております。
 現在、自由貿易協定の計画がシンガポールやメキシコ、韓国との間にもありますけれども、北海道の地理的条件を考えますと、まず北米自由貿易協定地域のカナダの西岸、及び資源大国ロシアの極東地域とアクセスする基本的なインフラは北海道はほぼ完備しております。日ロ平和条約締結ができれば、今座長が言われたような問題もかなりスムーズにいくのではないかというふうに考えております。
 この両地域との間では、FTA締結により、北海道という地域を考えますと、世界的傾向であるバーター貿易、原料資源と製品の交換、こういうことが非常に可能となりまして、この地域にも既にあります情報先端技術や高度医薬品の開発、それから日本の輸出品目の中で非常に高い額を占めます光学精密機械、これは千歳にも関連大学ができておりますけれども、あるいは帯広畜大における畜産のバイオテクノロジーとか、そういう集積地として、可能性は北海道は非常に高いものがあると思います。
 そういうことを考えますと、苫東などというのは、今非常に厄介者扱いされていますけれども、よくぞ今まで残してくれたというような考え方を私は持っております。二十一世紀の北方圏のナショナル貿易センターとして、世界の自由貿易地域圏に最も近い位置に北海道がありますので、これをどうぞ国策として生かしてもらいたいというふうに私は考えております。
 以上であります。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、石塚修君にお願いします。
石塚修君 今座長が言われましたように、確かに、世の中は今グローバリゼーション、貿易・投資の自由化という流れで進んでいます。しかし、私はこの流れに若干危惧を抱いています。
 先ほど座長の言われた、コンピューターを使った、瞬時に短期資本が移動するというこの部分に関しては、アジアとか南米において起きた通貨危機に見られますように、早急に何らかの規制をしていかないと、経済がめちゃくちゃにされてしまうようなことがまた起きるのではないかと思っています。
 また、物の貿易の自由化についても、先ほど私の意見の中でも述べさせていただきましたけれども、余り過度に進みますと、物質循環が阻害される問題とか、さまざまな環境の問題が発生する。それから、自由化によって、一層世界の貧富の差が拡大したり人権を抑圧されたり、そういうことが起きることを私は懸念しています。ですから、物の貿易自由化についても何らかの措置が必要だろうと思っています。
 一方、人とか文化の交流については、これは積極的にグローバリゼーションを進めて交流を図っていくべきだろうなと思います。
 特に北海道は、本州とは気候、風土が全く異質でありまして、どちらかというとロシアとか北欧、カナダなんかの気候、風土に近いものがありますから、私は、北海道は、東京の方ばかり目を向けているのではなくて、近隣のロシアなどにもっと目を向けて、特に人の交流を積極的に図っていくべきだと思います。
 先ほどお話に出たサハリンも、天然ガス、石油のプロジェクト関係の商売だけではなくて、本当に近いですから、人がもっと行き来して交流でき、そしてそれがこの地域の安定した平和に寄与していくようなことをやっていくべきじゃないかなと思っています。
中山座長 ありがとうございました。
 田中宏君にお願いします。
田中宏君 国際社会のグローバル化が今後一層進展することは、容易に予想されるところであります。問題は、そうした流れの中で、どのような基本的スタンスでこうしたグローバル化、自由化に対応するかであります。
 その一つのかぎは、個々の国の特殊性あるいは文化性の相違を十分理解した上でグローバル化を進めなければなりません。なぜならば、それぞれの国にはそれぞれの国の歴史と文化、そしてその文化のもとで人々が生活しており、その実情を無視することはできないからであります。
 先ほど来、人の交流を介して文化的な理解を進めるということが言われております。私ども弁護士に関して言いますと、ロシア、特にサハリンの弁護士と交流を行ってきております。彼我の制度の違いのみならず、考え方から生き方、哲学までいろいろ違います。それは交流を通して体験的に理解することができました。この違いを理解した上で、さらに統一化といいますか、より共通のルール化というものを図っていくことが必要であると思います。
 また、弁護士業務に関して言いますと、WTOのもとでサービス貿易に関する一般協定というのがあります。日本もこれに参加しております。条約としての効果があります。その中でも、日本の司法制度の特殊性や日本の弁護士の特殊性などを考慮して、譲許表、いわゆる約束表ともいいますけれども、これに記載された分はその国の自由にしていいよというふうになっております。これが私の言う全体と個の関係であります。個を尊重しながら全体化を図っていくということが必要であります。
 それから最後に、北海道とロシアのことですが、ロシアとの間では、地理的には確かに近い関係があります。しかしながら、なお交流を行う上でグローバル化が進んでいるとは言えません。特に、ロシアの関係者の行動原理がわからない、つまり、予測可能性がないためになかなか進展しないという事情もあります。
 今後は、こうした障害を取り除くために、より広範な、文化的なあるいは実務的な交流が必要であると思います。
 基本的には、ロシアの経済社会における予測可能性を確保するシステム、社会的なインフラと言ってもいいと思います、それがなければなかなか交流は進まないのではないかと危惧しておるところであります。
 以上です。
中山座長 ありがとうございました。
 私の質問に時間の制限がございますので、答弁はできるだけ簡潔にお願いしたいと思います。
 佐藤聖美君。
佐藤聖美君 北海道が最も身近に接している国際社会の一員はロシアです。ですから、まず北海道は、通商などを行う上でも、国際社会との関係において、ロシアとの関係を充実させる必要があると思います。
 しかし、グローバル化を図ろうとしても、現在、日本とロシアとの関係は、逮捕された鈴木宗男議員の利権に関する問題、そしてロシアからの密漁水産物上陸を水際で阻止する目的での規制強化、公衆浴場のロシア人立入禁止などで揺れています。
 北海道は、ロシアの方が訪れることも多く、ビザなし交流も行われているのに、ロシア側にとっても日本側にとっても、お互いにまだまだ知らないことが多い、近くて遠い国だと思います。
 例えば、鈴木宗男議員の疑惑がマスコミで取りざたされるようになったころ、国後島のロシア男性は、今まで島に尽くしてきてくれた日本の政治家が逮捕された、今後、日本からの援助はなくなると心配していたそうです。そのころはまだ鈴木宗男議員は離党したのみであり、一連の疑惑や離党に関する報道が島内でひとり歩きしていたようです。
 そして、ウラジオストクで札幌出身の留学生が殺される事件の後、ロシアに住む日本人に対しては、治安が悪いのに大丈夫などといったメールが届いたそうです。しかし、サハリンは絶対に安全とは言い切れないものの、護身具を持ち歩く人もほとんどいないし、毎晩事件事故を報道する番組などでも、凶悪犯罪は決して多くないということです。
 このお互いに対する情報不足が、日本とロシアとの距離をさらに遠くしているような気がしてなりません。このような状況下では、自由貿易協定を結んだりグローバル化を図っていくのは難しいと思います。まずはお互いのことを理解することも大切ではないでしょうか。
 ですから、北海道はせっかくロシアの人々がたくさん訪れる場所にあるのですから、積極的に交流を図り、全国にその情報を発信していくべきだと思います。また、国内に発信するだけでなく、ロシアにも情報を発信し、隣国との関係を充実したものにするための先駆けの役割を果たしていくべきだと思います。
中山座長 ありがとうございました。
 発言時間がほとんどもう切れておりますので、あとお一方、結城洋一郎さんにお願いしたいと思います。
結城洋一郎君 私は法律をやっているものですから、余り大きな経済的な問題についてはわかりませんけれども、カナダ、ロシアとおっしゃいましたが、とりわけロシアに関しての交流については、ほとんど北海道の人の考え方は一致しているんだと思うんですね。交流を拡大すべきだという考え方でやっていると思います。
 私は、自分が参画したところで感じることだけ申し上げますと、そういう大きなプロジェクトや息の長い研究があるのだけれども、なかなか結実しない。このためには、余計な規制を取っ払っていただくことと、それから、そういう試みに対するさまざまな地方自治体や国の協力が必要なのではないかと思います。
 具体的には、いろいろな研究がなされているわけでして、私がここでとやかく言うべき中身ではないと思いますが、例えば、人的交流を積み重ねていこうとしてもビザをなかなか出さない、出発日の前日しか出さないとか、ロシア人に海岸線を歩かせるなとか、そういう規制があります。
 それから、研究家に対して企業がお金を出すときに、税制が問題になって、最近はNPO法ができたのでちょっと楽になりましたが、金を出してくれないんですね。先ほどもお話がありましたように、ロシアの行動形態がなかなかわかりにくいということで、冒険的な経済的つき合いをなかなか進めたがらないわけですが、それに対する国あるいは地方公共団体のバックアップがあれば、私はかなり進むのではないかと思っています。
 小樽はナホトカと姉妹都市ですが、そこに航路がないわけですね。私、経験したのは、航路でナホトカに行こうとすると、一回飛行機に乗って羽田におりて、横浜に行って一泊して、そこから船に乗って、船の中で一泊して、やっと着いたら津軽海峡であるという、そういう状況であります。そうやって行くわけですね。ナホトカ―小樽間に航路が開かれれば、時間的にも経済的にも非常に身近なものになりますから、そこで人的交流から積み重なっていくのではないかというふうなことを考えております。
 それから、例えばカナダについては、ツーバイフォーの寒冷地仕様の安い家のセットがあるわけですが、これがなぜか日本に入ってくる段階では物すごく高くなるわけです。これは、建築基準法の問題とか代理店の問題があるんだと思いますが、その辺は私余り詳しくわかりませんけれども、そういう、向こうのものを輸入して日本人が買おうとすると、なぜか猛烈に高くなってしまうという、そのような状況を少しずつ克服していくことによって、身近な交流が積み重なっていくのではないかな、こんなふうな感想を持っているところでございます。
中山座長 ありがとうございます。
 事務局から、もう一方お話しいただく時間も、数分間余裕ができたそうですから、どうぞひとつお話をお願いします。
馬杉榮一君 もう話さなくていいのかと思って、ほっとしていましたけれども。
 中山会長が非常に幅広い立場で御質問されましたので、何を答えていいのかがなかなかうまく考えつかないんですけれども、例えばWTOと地域貿易協定との関係でいえば、どちらがいいのかということで日本は迷いつつここまで来ているわけですから、あるいはアジアの状況の中でそれができるかどうかという問題もあるわけですので、ちょっと私は自分の経験だけ話させていただこうと思います。
 私はロータリークラブに属しておりまして、一年置きに数カ月間、海外の、要するに日本人でない留学生を預かっております。また、いろいろ勉強に来る人たちも預かっています。ロータリークラブ全体としては、毎年、東南アジアの留学生のお世話をしております。
 北海道の感想を聞きますと、北海道は何でもあると。海もあり、山もあり、平野もあり、そして人口も五百七十万もいる、資源もある、非常にまとまったいいところである。季節もきちっとある、冬は雪が降る、夏は泳げる、こういうことを感想として帰っていきます。これはヨーロッパからの子供も同じようなことを言いますし、東南アジアの子供たちはもっと強くそういうふうに言います。
 ということは、北海道というのは、そういう海外の青年、学生の人たちに来てもらって、この場所で双方、要するに南も北も西も東も、いろいろな人たちが日本のいろいろなことをフルに経験してもらえる、そういう地域ではないのかなということを私は思っているわけです。
 その意味で、この北海道で、私は民間でそういうことをいろいろな友人たちとロータリークラブでやっているわけですけれども、これをもっと広くして、北海道にそういう重層的に行うようなシステムをつくっていく、国全体のいろいろなことはあるかと思いますけれども、北海道に住んでいる私としては、そのようなことを地方自治体の人たちに働きかけていってつくり上げていきたい、こういうふうに思っております。
中山座長 ありがとうございました。
 以上をもちまして、私の質疑を終わらせていただきます。
 次に、質疑の申し出がございますので、順次これを許します。中川昭一君。
中川(昭)委員 自由民主党の中川昭一でございます。
 本日、意見陳述をされた方々には、お忙しい中、貴重な御意見をいただきまして、厚く御礼申し上げます。
 まず冒頭、この公聴会のルールを守ることができない人に、国民全体の基本的なルールである日本国憲法を守れとか守るなとか言う資格はないということを、私はこの場で申し上げさせていただきたいと思います。
中山座長 静粛に願います。
中川(昭)委員 さて、憲法上、あるいはまた、現在国会で議論されていること、多岐にわたっておりますので、なるたけ多くの方にいろいろな御意見を伺いたいところでありますけれども、少なくとも、二年半の我々憲法調査会では、憲法九条の議論も大変多く出ました。重要な一つだと思います。しかし、この平和主義を含めた三原則をなくすとか、あるいは九条の議論の中で平和主義を捨てるとか、戦争をいつでも始められるようにするというような意見は決してない、一度もなかったということはぜひ御理解をいただきたいと思います。
中山座長 静粛に願います。
中川(昭)委員 さて、この憲法調査会でございますけれども、憲法のために人があるんじゃなくて、国民のために憲法があるわけでありますから、条文そのもののことと同時に、我々国民生活、あるいは将来の日本がどうなっていくかということの根源としてのソフトと言っていいんでしょうか、そういうものが非常に重要だろうと思います。
 そういう中で、我々に与えられている大きな責務の一つは、やはり国民、人づくりだろうと思います。そういう意味で、教育ということになってくるわけでありますけれども、残念ながら、我が北海道は、教育現場が非常に荒れている、ルールが全国に比べて守られていないという現状があることはまことに残念なことであるわけでありますけれども……
中山座長 静かに願います。
中川(昭)委員 さてここで、稲津陳述人と、現に大学生としてこの会に来ていただいているということ自体、この会の成功の一つの原因だと思いますけれども、稲津さんと佐藤さんに、憲法と直接関係あるかどうかも別にいたしまして、現在の教育、ゆとり教育というふうに最近言われておりますが、ゆとりというよりも緩み教育と言っている人もいるわけでありますけれども、現在の日本の教育について、まあ佐藤さんの場合には高等教育ですから、学問の自由の世界の方に入っていっているんだと思いますけれども、御意見を簡潔にお二方にお願いいたしたいと思います。
稲津定俊君 お答えいたします。一つ、教育という点で焦点を絞ってお答えいたしたいと思います。
 実は、教育の、例えば歴史教科書の問題点について、日本の歴史教科書というのは、例えば中学生に絞ってみましても、まずどの教科書も非常に偏った記述がなされているというふうに私ども考えております。これは、歴史教科書ではなくて、国語あるいは保健体育の教科書等につきましても、非常に我が国の伝統、文化をおとしめるような記述が多くなされていて、子供が我が国の伝統、文化あるいは正しい歴史を継承していくという観点から見ると、非常に危機感を私どもは覚えております。
 ゆとり教育に関しましては、これは紛れもなくたるみ教育ですので、私の考えでは、我が国は技術立国ですので、そういう点をおろそかにしては全くいけないというふうに考えております。
 以上です。
佐藤聖美君 私は、教育の中でも、実際の憲法教育についてちょっと話させていただきたいと思います。
 私は、日本国憲法は、戦争の放棄や平和主義という崇高な理念もうたわれているすばらしい憲法だと思うのですが、実際に今まで中学校や高校で学んできて、憲法の何を学んできたかと言われると、憲法の条文の穴埋めができるように条文を丸暗記したり、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という単語だけを丸暗記させられたというような記憶しかありません。そして、大学で法学部に入って、講義を聞いたりいろいろな本を読んだりして、ようやく憲法にどのようなことが書いてあるのか、そういう本質的な部分を知ることができました。
 憲法十三条に言う基本的人権の尊重の条文も、条文自体は暗記していても、この条文が実際に何を意味するのかはわかっていませんでした。この条文は、一人一人の人間はかけがえのない価値のある個性を持った人間だから、その一人一人を人間として最大限に尊重しようという思想をあらわしているというのがわかったときに、とても衝撃を受けました。
 このような理念はもっと子供たちに伝えていくべきだと思います。大学の法学部に入ってようやくわかるというのでは意味がないと思います。今、ゆとり教育などといって、科目などが減らされたり教える内容が減らされたりしていますが、こういう憲法教育はもっと取り上げていってもいいのではないかと思っています。
中川(昭)委員 ありがとうございます。
 佐藤さんからは、法学部に入ってやっと憲法の条文を考えるようになった、理解できるようになったと。あるいはまた、ゆとり教育が、憲法上保障されている権利と義務、義務教育を受けさせる義務がある親が現在大変不安に思っているという現状、やはり非常に大きいものがあるというふうに、改めてお二方からのお話で私は印象を持たさせていただきました。
 さて、石塚陳述人にお伺いいたします。
 私も農政に携わっている人間の一人でございますけれども、日本が七億トン世界から輸入をして、一億トン出している。三億トンがごみになっている。アメリカは、たしか三億トン入って、三億トン出して、ほぼバランスがとれているわけですけれども、そういう中で、基本法のお話もありましたけれども、日本は、国内生産を主体として、そして、どうしてもそれができないから、備蓄と輸入という体制で自給率を向上させようとしているわけですが、なかなか難しいわけであります。
 しかし、石塚陳述人のお話の中で、将来改正するとなると、自給ということ、つまり自己完結型の食料供給体制を憲法に決めたらどうかというお話であります。
 私も、食を安定的に確保すること、あるいは食の安全に対する責任等は憲法に入れてもいいぐらいに非常に大きな問題だろうと思っておりますけれども、現実には、これだけ狭いところに一億二千六百万人が住んで、御承知のとおり、畜産、酪農の家畜のえさ、さっきもおっしゃっていましたけれども、トウモロコシだけでも千六百万トン輸入する。これを日本の耕地でやるとすると、今の耕地面積の倍要るわけですね。
 そういうことで、現実に、牛のえさですらとても現実不可能。あるいは小麦あるいはトウモロコシといった、米以外、あるいは野菜で八十何%の自給率ですが、それ以外のものは、経済的な状況を無視しても、現実にはなかなか難しいんじゃないか。
 ですから、憲法前文のように、国民的な一つの努力目標といいましょうか、それに向かって努力していこうよということを憲法上書くということは私も賛成でありますけれども、自給するべきだということを憲法上明記するというような趣旨の御発言は、現実問題として、私は不可能ではないかと思います。その辺は、理念としては評価いたしますが、その辺についてもう少し御意見があれば聞かせていただきたいと思います。
石塚修君 一つは、憲法は理念を描くものでもあると私は思っていますから、そういう意味では、自給の国づくりを目指すということを憲法に入れ込むことは別におかしなことではないなと思います。
 それから、では、現実にその自給をどう達成していくかということですけれども、確かに、今の日本人の食生活を続ける限りにおいては、自給は非常に困難だと思います。例えば、鳥肉を一キロ生産するのに穀物二キロ必要ですとか、豚だと四キロですとか、牛肉ですと、一キロ生産するのに六倍の穀物が必要だということで、私は、日本人はちょっと肉食に偏り過ぎているのではないかなというのがあります。もう少し、四十年ぐらい前の食事に戻すことで、健康にもいいですし、それから自給率を上げるという意味でも、最近粗食ということがブームにもなっていますけれども、そういうものをまた取り戻すことが一つの方法かなと思います。
 それと、農地が、一時は五百万ヘクタール以上もあったわけですけれども、最近は、放棄されている農地ですとか、いろいろなものに転用されていく部分が多くて、実際に耕作されている面積はかなり減ってきていますし、今も減少を続けています。これは、何が原因かを考えれば、急速な自由化の中で、どんなに努力しても対抗できない部分というのはやはりあると思います。だから、その部分で、農家の戸数が減ってきているということが一番大変な問題だなと思います。
 私は新規就農で都会から農村に入ったんですけれども、こういう新規就農する場合でも、もともとお金もないし、土地もないし、情報もない、技術もない、人脈もない、販路もない、そういう中で始めるわけですね。だから、この辺がもう少しやりやすいような整備をしていければ、農家をやりたい人はたくさんいるわけですから、農家の戸数をふやしていくことはできるかな、そういうふうに感じています。
 それから、ちょっとまだいろいろありますけれども……。
中川(昭)委員 ありがとうございます。
 結城陳述人にお伺いいたします。
 国民投票制度をもっと活用すべきというか、直接民主制、私は、スイスというのは、あれはたしか八百年ぐらいのカントンの連邦制の中での一つの手法だったと思いますから、必ずしもスイスをお手本にする必要はないと思いますけれども、そういう議論があることは私も重々承知していますが、例えば、国民にとって短期的におもしろくないもの、新しい税を導入するとか、重要な売上税、消費税の議論なんかを国民投票にかければ、国民は、そんなもの嫌だね、税金は払いたくないねというのが自然な気持ちだろうと思うんですね。
 我々が、選挙という洗礼の中で、ある程度選挙の危機というものも認識しながらも、中長期的な観点からやっていこうということで議論をしてきて導入したわけでありますけれども、そういう、国民にとって短期的におもしろくないというかなり抽象的な部分も含めまして、国民にとって必ずしも受け入れにくいもの、しかし国家的には重要なもの、それが果たして国民投票の中できちっとした判断ができるのかということが一点。
 それからもう一点は、大統領制的なという話がありましたが、当然先生も御承知だと思いますけれども、天皇との関係、一条との関係、これとの整合性について、この二点、お答えをお願いいたしたいと思います。
結城洋一郎君 直接民主制的な話になると、今のような話が必ず出てくると思うんですね。私は、結局どちらをとるかということになるんだと思いますが、国民の直接的な判断に任せると、ある意味ではろくなことにはならない、そういう考え方が一方にあって、それは、私は、最終的には愚民視なんだと思うんですよ。どっちに転ぶかはなかなかわからないですが、かといって、じゃ人に任せてやったときに、果たしていい選択をなせるかということが起きてくると思います。
 消費税が現に例に出ましたが、例えば消費税は導入しませんと言って導入するようなスタイルがそのまま認められていいものやら、あるいは、例えば国民が、目先の利益といいましょうか、苦痛を嫌って、結局国家がやや衰退するといいましょうか、そういうのは、私はむしろ国民の自業自得だと思うんですね。そういう国民の判断の結果を国民が負うというところから積み重ねていく方が、私ははるかにいいというふうに思っています。そういうことを続けていく中で、いわば国民が学んでいくのではないかというふうな気がする。これが一つです。
 それから、大統領制と天皇制の矛盾はないのかという議論はほかにもあるようですけれども、私は、全然ないのであって、矛盾のないようにつくればいいだけの話だと思います。
 これは、例えば、かつて大統領制対議院内閣制と言っていたのが、大統領もいれば総理大臣もいるなんという制度だってあるわけですよ、世の中に。ですから、さまざまなものを矛盾なくどう組み立てるかの話なんであって、大統領がいれば天皇制と矛盾するという論理的な関連はないと私は考えています。
中川(昭)委員 終わります。
中山座長 次に、中川正春君。
中川(正)委員 民主党の中川正春でございます。
 きょうは、こうしてさまざまな御意見をいただいたこと、改めてお礼を申し上げたいと思います。
 この憲法調査会を通じて、ちょうど半世紀のところで時代が激しく変わってきている、また国の形を再び問えるというか、そんな絶好の機会といいますか、どうしても私たちがクリアをしていかなければならない、そんな局面に来ているんだろうと思うんです。そんな中で、守っていくもの、改正していくもの、そして新しくつけ足していく理念、こんなものを国民の皆さんと一緒に考えていく、ぜひもっともっと広い参加の形を私たちも工夫をしていきたいなというふうに思っております。
 その上に立って、端的にそれぞれ質問をしていきたいと思うんですが、まず、さまざまなバックを持っておられますので、アカデミックな方から、結城洋一郎先生にお尋ねをしたいんですが、憲法九条の話が出ました。非常にクリアに自衛権というものを否定した立場で発言をいただきました。私は、その考え方については反対なんですが、違った立場に立つ者なんですが、もう一つ、現実問題として、国連というものの存在を前提にした議論があるわけですね。
 そんな中で、世界にどういうふうに貢献をしていくか、平和を世界と一緒に構築していくかということですね。現実には、PKO、それから多国籍軍、これは国連の中にあるといいますか、意思の中にある多国籍軍、それから国連軍、これは形成されたことはないわけでありますが、こういうそれぞれの活動に対して、日本もそろそろ頑張ったらどうだ、そうした意味合いで、さまざまに積極的な議論が出てくる。その折り合いの中で、いわゆる軍事と一体化しない立場の中で後方支援的なものをやっていこうということで今あるわけでありますが、この分野について、先生はどのように考えておられますか。
結城洋一郎君 まず最初に、私は、日本国憲法第九条が自衛権を放棄しているとは考えておりません。自衛権は認めているけれども、そのための戦力と国の交戦権を否認することによって、結果として戦争ができない、こういうことになっているんだと考えております。
 次に、国連を通した貢献についてどう思うかということでありますが、PKOが例に出されておりましたけれども、私は、PKOのようなものに対しては、参加できるし、積極的に参加していくべきだと思っています。問題は、自衛隊をそれに参加させるからであって、つまり、戦力に当たらないような人的貢献ということは幾らでもあるはずなのに、そのための部隊をつくるわけでもなく、すぐに自衛隊を出すということが私は問題だと思っていますから、戦力には当たらないチームを編成し、そして戦闘行為にわたることのない国際協力の姿を追求していけばいいのであるし、また追求すべきであるというふうに考えております。
 それから、多国籍軍と国連軍ですが、多国籍軍に参加できないことは、これは軍事行動でありますから当然であると思いますけれども、国連軍については若干微妙な考え方を持っています。つまり、世界国家的なものができて、それがいわば警察的な機能を果たすような、遠い将来、そういう状況になった場合に、そこに我が国が人員を派遣し、国連の中央政府的な存在のもとにそれが警察活動を行うというふうな形であれば、私は、交戦権の否認にも戦力の保持にも矛盾しないので、遠い将来はそういうことは可能になるかもしれない。むしろ、そういう状況に向かって、日本国は努力を続けるべきではないかというふうに思っています。
 それから、最後の、軍事と一体化しない後方支援というお言葉を使われましたが、そのようなものはあるのかどうか、私は相当疑わしいと思っておりまして、軍事行動があるから後方支援があるんであって、それは結果として一体化しているということになるのであろうというふうに私は考えております。
 以上です。
中川(正)委員 ありがとうございました。
 次に、北海道ということから、そしてまた、この中で経済活動をしていられる稲津定俊さんと、それからさっきちょっとサハリンとの関係を述べられました田中宏さんにお尋ねをしたいんです。
 私、この間、さっきの鈴木宗男さんとの関係で、ユジノサハリンスクとモスクワに行ってきました。北方領土なんですね。向こうの人たちのさまざまな議論がありますが、そこでちょっと共通項として出てきた話が、日本のロシアに対する投資が少ないのは、アメリカ、ドイツが今活発にロシアに投資あるいは貿易を始めていますけれども、これに対して極端に日本が少ないのは、どうも北方四島の問題がとげのように刺さっていて、日本人のイメージの中にそれがあるからロシアが疎ましいというか、遠い存在であるんじゃないかと。ついては、これはさまざまに議論が出てきたところですが、この北方四島を棚上げするというか、ちょっとそれはそれ、経済は経済ということで割り切って考えて対応ができないだろうかというような、向こうサイドの話がしっかり出ておったんですね。
 この考え方について、お二人にそれぞれ、今北海道では、北方四島を、さっきの油田の問題であるとかガスの問題も含めて、極東ロシアとの関係を結びつけていくのにどういう位置づけでこれからやっていったらいいのか、ここのところをお聞かせいただけませんでしょうか。
稲津定俊君 お答えいたします。
 ロシアとの関係は、まずドイツの例を考えてみますと、実はドイツはNATOに入っておりまして、安全保障がしっかりしております。その上で、ドイツとロシアの歴史的な経緯という点で、非常に関係が深いと思います。
 今先生御質問にありました、北方領土問題は一度棚上げしてというお話ですけれども、これは我が国の国是に反する話でありまして、やはりまず第一番目に日ロの平和条約締結ということが、長い目で考えてみましても一番妥当な道であろうと考えております。
 特に、我が国の年輩の国民の方におかれましては、さきの大戦の終結時にソ連の行動がどういう行動であったかということが非常に色濃く残っておりますので、そういう評価も踏まえまして、ロシアの国民性というものを注意深く考えていきたいと考えております。
田中宏君 先ほど、座長からサハリンの天然ガスの発掘の話がありました。これに協力したのが日本の大手商社であります。この際に、どういうことが投資行動につながったかということが一番の問題であります。
 実は、札幌の方で、ロシアに資本出資してホテルをつくった方がありました。アムール川のほとりにつくったホテルサッポロというのですが、開業して非常に盛況でした。三年ぐらいして、突然税制が変わったということで、全部そのホテルを召し上げられたということがありました。それによってどうなったかというと、投資の意欲は全部なくなりました。
 したがって、先ほど私は座長の問いに対して、要するに行動の予測可能性がない。これがなければ新しい投資はできませんということですが、現在、サハリンの石油、ガスを発掘した会社は、はっきり言って幾らまでということを割り切りまして投資を行った、その結果今回うまい結論に結びついたということです。
 しかしながら、一般的には、相手の行動の予測可能性がなければ、つまり、没収された、そのときに、どうしてくれるんだという、これに対する政策がまさに社会的インフラだと思います。これをロシアが整備しないとなかなか進行しないんじゃないかなというふうに考えております。
 以上です。
中川(正)委員 私もそのホテルサッポロへ泊まってきたんですけれども。さっき言われたと同じような話でして、北方四島の話じゃないんだ、ロシアの制度そのものに対して私たちが信頼性を持っていないんだ、そういうことだと私も思っております。
 次に、これは田中先生と馬杉さんにお尋ねをしたいのですが、先ほどアイヌ民族のことを取り上げられました。
 私たち国会の立場では、アイヌ民族の権利ということももちろんでありますが、それと同時に、最近は北朝鮮の難民問題が出てきておりまして、難民を受け入れるかどうか、日本はそういうことに対してどのくらいオープンな国であるべきか、そういう議論がこれから始まってくるということですね。
 私は、受け入れるべきだという立場に立っております。同時に、そういうことを、韓国やアメリカの勢力、同じ問題意識を持っている人たちと一緒に協力して解決をしていくというスタンスを日本の外交はとるべきだというふうに思っているのですが、そんなこともあわせて、日本の外国人労働者、それから国籍を持っていない人たち、そして難民、こういう分野でのお話をもう少し聞かせていただければありがたいと思います。
田中宏君 私は、格別難民等についての意見があるわけじゃありません。
 我が国においては、出入国及び難民認定法という法律があります。この法律に従って難民を受け入れているわけですが、この難民の受け入れという点について、法務省が非常に厳格であるということは御承知のとおりであります。
 そこで、先ほど馬杉さんも言いましたけれども、それに対して司法的なチェックがどこまであるかということについて、私はちょっとだけ意見を述べたいと思います。
 要するに、例えば、難民でないと認定された方はどうなるかというと、直ちに強制送還ということになります。その難民か難民でないかというときに、法務省の認定が間違っているかもしれない。そういう場合に、直ちに強制送還という手続になりますと、それはそれで終わってしまう。そこで、裁判所に執行停止の申し立てをする。これが本当に機能しているかどうかという点が問われなければなりません。
 先日も、アフガニスタンの難民が、半分ぐらいの人ですか、東京地裁で強制送還を免れて難民として認定されたという事件がありました。これなんかは、裁判長が行政部で非常に行政的な才覚がある方だったためかもしれません。通常の裁判所でそのような認定が行われるかどうかは、はっきり言って保証の限りでない。
 つまり、役所のした判断を裁判所は第一義的に尊重するわけです。ですから、その場合にどうしたら難民で強制送還をうまく免れることができるかとなると、結局裁判官にかかってくる。そうすると、よい裁判官をたくさんつくらなければならないという結論になってくると思います。
 ちょっと論点がずれましたけれども、難民についてはそんな意見です。
馬杉榮一君 お答えさせていただきます。
 まず一つ、自分の経験から述べますと、大学時代ですけれども、ベトナム戦争が非常に激しくなりまして、日本におりますベトナムの私の友人の留学生が、強制的に帰れという命令が本国から来る、帰れば前線にやられて多分死ぬ、要するに合法的な死刑を宣告されたのと同じ状況に陥りましたが、日本国政府は政治亡命としては認めようとしませんでした。また、韓国から、政治的に、船に乗って密航をしてきた友人もおります。彼も、結局大村に収容され、執行停止をとった後、難民ビザというのがあるので、そのとき初めて知ったのですが、国際赤十字の難民ビザでエクアドルに行ってから、フランスで政治的亡命として受け入れてもらいました。
 その当時からずっと、日本は難民や政治的亡命者の外国の人たちに対して温かくはない、広いものではないというふうに私も感じておりますので、これは、法律問題はひとまずおいて、是正していかなければならないという点が第一点。
 それからもう一つ。現在、周辺事態法とかいろいろな法律があり、これに対する私の考えはあるわけですけれども、それをひとまずおいて、私どもは、日本が国際政治の中で果たすのは、やはり日本国憲法九条を持っている以上、比較的後方部分であるというふうに思います。
 そのときに、例えばアフガニスタンで、今アメリカ軍の攻撃によってどの程度の難民が出たか。これはすごい数ですね。二十万、四十万、五十万という難民が出ています。その後方支援を武力的な意味との接点のぎりぎりのところで日本は現在行っておりますけれども、そのことについて、私たちは、難民のところもきちっと対応しなければ、後方支援を基本とする日本の考え方が果たせないのではないか。
 その意味で、私どもは今後、単に北朝鮮という地域的な難民ではなくて、全世界でこのような中で出てくる難民の人たちとどう対応していくかということをきちっととらえなければならないなというふうに感じております。
中川(正)委員 ありがとうございました。
中山座長 赤松正雄君。
赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。
 きょうは、北海道・札幌に来させていただきまして、六人の皆さんからすばらしい、貴重な意見を聞かせていただきました。
 私は、前回、沖縄にも参加したのですが、あるいは現地議員として神戸も参加いたしましたけれども、皆さんのお話に場内から笑いが出るというのはここが初めてであります。前回が非常に殺伐とした雰囲気だったもので、北海道の人はいい人が多いなと思っております。いささか、その笑いの根源は違うのかもしれませんけれども。じっと聞いていただいて、どなっちゃいけないと言うし拍手もいけないと言うし、感情表現は笑いしかないのかなという感じがいたしております。
 まず、結城陳述人にお伺いいたします。
 きょうのお話の中で、最も具体的に、憲法をめぐってのこれからの取り組みようといいますか、ありようといいますか、そういうことについて詳しくお述べいただいたと思います。
 基本的な取り組みのお考えを聞かせていただきたいと思うのですが、実は私どもは、この五年間、非常に自由な立場から、日本の憲法のありようというもの、また二十一世紀における国家のありようというものをいろいろな角度から議論をしていこうということで、今ちょうど半分ぐらいの時期に差しかかっているわけですけれども、私は、それが終わってからなるべく早い段階に、日本の憲法について、改めるべきは改める、しっかりそのまま保持していくものは保持していく、そういったことを整理する必要があるだろう、そんなふうに思っておるのです。
 きょう結城陳述人がおっしゃったことで、基本的なスタンスがちょっとよくわからないなと私が思っておるのは、このいただいたペーパーで、いわゆる憲法三原理を初めとする五つの原理というものについて、いかなる困難があろうとも堅持すべきだ、こうおっしゃった上で、「改革の余地を感じる点」ということで、いただいたペーパーには五つ挙げてあります。その後、「憲法改正の提示方法」ということで書いてあるんですが、この中で、万一という言葉が二カ所出てきます。
 要するに、結城さんは、基本的には憲法については今のままでいい、ただ、もし万が一変えるとしたらこんな点だよ、こういうふうなお立場なんでしょうか。それとも、もう少し積極的に改革をしていくべきだと思っておられるのか。あるいは、別に憲法を、明文を変えなくても、さまざまな形で改革の可能性はあると思うのですけれども、そういったことで済むと思っておられるのか。その辺の基本的なお立場を聞かせていただきたいと思います。
    〔座長退席、中野(寛)座長代理着席〕
結城洋一郎君 論理的な感覚と政治的な感覚とが自分の中でもなかなか整合していないという気持ちを感じますが、憲法を改正しないと改善できないであろうという部分については、私は、理論的には、積極的に改めるべきであるというふうに思っています。
 ただ、そういうことをやり出すと、もちろん自分の思ったとおりには憲法は改正できないわけです、自分が改正するわけじゃありませんので。一番最後に書いたように、いろいろなものが一緒くたに改正されていって、結局でき上がったものがろくなものじゃなかったということであれば大変困ると思っているわけです。
 いささか、アンビバレントなといいますか、悩ましい感じを持っていますが、どちらをとるかということになると、国民の意思で憲法が決まるわけですので、私の政治的な感覚はともかく、国民にその考え方を問うべきが筋だというふうに私は思っています。
 それから、先ほどほかの方からも御発言がありましたように、多くのものは現行憲法の中で解決できるものが多々あると思っていますが、現実的にそれがなされていないということの方が本当ははるかに問題であって、例えば、私は議院内閣制よりは大統領制がいいと思っていますけれども、議院内閣制の中でだってもっとよくなると思うのですね。そういうことをやらない。
 例えば、現在の付随的司法審査制度の中であっても、裁判所がそれをもっと積極的に活用するという道があっていいはずだと思うのです。それが、ある意味では自制するという現実の中で、これを打破していくには、結局は裁判制度のあり方を変えなければならないのかな。
 こういう順番になっていきますから、現行憲法の中でやるべきことをまず徹底的にやるというのが、本当は、政治的にいえば本筋なのだろう。理論家はそういうものとは離れてもっと抽象的に議論をするわけですけれども、現実的観点から見たら、私は、そちらの方の努力をもっとはるかに行うべきであろうなというふうに思っています。
赤松(正)委員 ありがとうございました。
 次に、石塚陳述人にお伺いいたします。
 今の私の質問とちょっと関連するんですが、先ほどのお話の中で、憲法を変えることについては、今の政治状況では反対だと、今の政治状況ということをつけ加えられて、将来、この憲法についてはつけ加えることがあるかもしれない、そういうときが来るかもしれない、こうおっしゃいました。
 今の政治状況がどう変わればそういうときが来るのかということが一つと、時間的にどういうふうに思われるのかということが一つ。簡単にお願いします。
石塚修君 時間的にどのくらい将来になればというのはちょっと私はよくわからないんですけれども、今の政治状況というのは、米国の軍事戦略と一体化したような今の政府の姿勢というものがある以上、憲法を改正するということになれば、先ほどほかの意見陳述の方もおっしゃいましたけれども、もちろん足りない部分がありますから、そういうところにつけ加えたいものはたくさんあるんですけれども、そういうことをやっていく中で、平和主義が薄められてしまうんじゃないかという心配を私は持っているんです。
 ですから、どうなればというのはちょっとわからないんですけれども、少なくとも今の小泉政権のもとではやるべきではないと私は考えています。
赤松(正)委員 では、引き続き石塚さん、それから田中陳述人にお伺いいたします。
 さっき、石塚さんが、変える場合には第九条を一番最初に持ってきてもいいぐらいだ、そういう平和主義の大事さということをおっしゃいました。私もそのとおりだと思いますけれども、ただ、九条第一項、戦争放棄はいいんですけれども、第二項の戦力の不保持、交戦権の否定、この部分については、いわゆる現実との乖離、今の自衛隊の現状との激しい乖離というものが日本社会にどういう影響をもたらしているのか、このことの持つ影響をどのように感じておられるかということについて、お考えを聞かせていただきたいと思います。
石塚修君 自衛隊が創設されたのは私が生まれる前ですけれども、この憲法の趣旨にのっとった政治運営が行われていれば、恐らく自衛隊のようなものはできなかっただろうなと思います。ですから、憲法のこの平和主義に沿った政治のあり方でなかったというところに、私は日本の不幸があったなと思います。
 現に、今、自衛隊は大変強大な軍事力を有していて、在日米軍と一体化したような形で活動をしています。これを、私は、将来的には、こういう強大な軍事力を持った自衛隊ではなくて、災害救援隊のようなものに段階的に変えていくべきだろうなと思っていますけれども、確かに、今すぐに急にそれをやれというのは無理な話だろうと思います。ただ、そういう地点を目指していくという姿勢は絶えず持ち続けていたいなと思います。
 そのため、世界の今の情勢、米国が思うままに自分勝手な行動で軍事力を行使していくというこの流れを、少しでも外交努力なり日本の政治で変えていく中で、そういうものを実現していけたらなと思っています。
田中宏君 私は、九条二項の戦力の不保持という点との矛盾について、ちょっとだけ印象を述べたいと思います。
 この憲法の大原則があって、平和主義というものを宣言しましたけれども、先ほどだれかが述べたように、不幸な生い立ちのもとで自衛隊は生まれたわけです。そして、現在、世界第二位とか第三位の戦力を保持するまでになりました。この現実と根本規範とのギャップ、これほど大きいものは世の中にないと私は思う。憲法という根本規範がありながら、それに最も根幹的な部分で反しているんではないかなと私は思っております。
 しかも、その点について司法審査が及ばない、いわゆる統治行為論というのが行われています。
 そうしますと、これはどういう影響を与えるかというと、なるようにしかならないというような、いわばあきらめのムードが出てきます。例えば、よく解釈改憲なんということが言われますけれども、それもその一つだと思います。
 要するに、こういった現実と規範のギャップがありながら、それに司法が手をつけられないでいるということが、何といいましょうか、多くの失望と言ったら変ですけれども、あきらめといいますか、そういうものを生んでいるんではないかなという気がいたします。
赤松(正)委員 馬杉陳述人にお伺いいたします。
 先ほど司法改革についてるる御意見が述べられましたけれども、現状、五百人から千人の法曹しか世に出なかったものが、毎年三千人を目指すことになることについて、結果的に、量的に弁護士さんがふえてもバラ色になるのかどうか。依然として大都市偏重が続くんじゃないかとか、弁護士さんのお立場から見て、あえて、皆さんの側から見て現状のマイナス点といいますか、どういうところに危機意識を持っておられるのか、その辺についてお考えを聞かせていただきたいと思います。
馬杉榮一君 危機意識というよりは、要するに、ちょっと舌足らずの公述にはなっておりますけれども、日本国憲法が司法に与えている地位、立場、それと、現実の、非常にそれが小さいというところのギャップ、それによって、日本のさまざまな社会の分野で、法律と全く違う論理や倫理が中心となって物事が解決されていく。そのようなことはもはや今の時代には合わないということを多くの人たちが考えたからこそ、今の、二十一世紀に向けての司法制度改革が提起されたというふうに私は思っています。
 ですから、まず最初に手をつけなければならなかったことは量的な拡大、司法を担う、いわゆる法曹という言葉を使っておりますけれども、その量的な拡大である。しかし、私どもは長いこと、一年五百人、あるいは最近になって千人という単位の同業者しか迎えておりませんでしたから、私たちはこれから大量の同業者を迎える、それは個々の事務所の経営という意味では極めて厳しい状況であるわけです。
 ですから、この件に関して、日本弁護士連合会は、十年間にわたって、極めて激烈な議論を続けてまいりました。その結果、やっと、我々の経営のところはそうだけれども、やはり今の時代に合わせていかなければならないという流れが多数を占めて、今日に至っております。
赤松(正)委員 最後に、佐藤陳述人にお伺いいたします。
 ついせんだって発表になった男女共同参画社会に関する白書で、日本にだけ際立って特徴的なこととして、女性の結婚の晩婚化の傾向が著しい、こういう傾向が出ているんですが、佐藤さんはどこにその原因があるというふうに考えますか。
佐藤聖美君 今おっしゃられたのは、いわゆるパラサイトシングルの増加という問題と関係があると思うんですが、やはり世帯を持つとお金がかかるということが挙げられると思うんです。普通に、実家から通って、お給料をもらってというのはお金にも余裕があると思うんですけれども、そういうところで、お金の余裕がなくなってしまうのが原因にあると思います。
中野(寛)座長代理 次に、武山百合子君。
武山委員 自由党の武山百合子でございます。
 きょうは、本当に忌憚のない御意見を伺わせていただきまして、ありがとうございます。
 ちょうど佐藤さんに今御指名が行ったところでございますので、私も佐藤さんにお話を聞きたいと思います。
 今、政治の世界でも、社会でも、選択的夫婦別姓という話が問題提起されております。女性が一生仕事を持って生きていきたい、結婚もし子育てもしというところで、まず選択的夫婦別姓に対しての御意見を一つ承りたいと思います。
 それから、女性が一生職業を持って生きていく上で、今こうなったらいいなという政治の側への注文がございましたら、御意見を伺いたいと思います。
佐藤聖美君 まず、選択的夫婦別姓の問題についてなんですが、婚姻の際、同姓にするか、それとも別姓を選択するかを選べるようにしてほしいと思います。
 それは、現状では、女性だけが名字を変えなければいけない、結婚したら姓を変えなければいけないということがあって、働いている女性にとっては、結婚した後、名刺を刷り直したりとか、そういうような手間もあると思いますし、以前聞いたことがあるんですが、ころころ名刺の名字が変わると、あなたまた離婚したのとか、そういうことが言われるという話を聞いたことがあって、どうしてそれが女性だけなのかなとすごく思うので、男性も女性も同じような条件になるように、同じ名字にするか別の名字にするかを選べるようにしてほしいと思います。
 そして次に、女性が働く上でどうしてほしいかという御質問があったので、一つだけ答えさせていただきたいと思います。
 まず、産休をとりやすいような環境をつくってほしいと思います。そして、現状では、男性が産休をとってくれるというケースは非常に少ないです。これではますます育児は女性のものという観念が固定されてしまって、働く女性にとっては育児をする期間は絶対に職場から離れなければならない。そうすると、男性とのキャリアの差とか、そういうものがすごくついてしまうと思います。ですから、一人の子供に関する育児休業を父親が必ずとるように割り当てるというパパクオータ制というものの導入も検討してほしいと思います。
武山委員 どうもありがとうございました。
 それから、きょうは、意見を述べる方に女性があなただけで、こちらは女性国会議員が二人おるわけなんですけれども、なぜ女性が勇気を持って、国会議員になりたいとか市会議員になりたいとか、政治に進出しないんだと思いますか。
佐藤聖美君 まず、国会議員になられる方というのは、弁護士さんであったり、そういう社会的にある程度地位を持った方とか、何かお金というのがすごくあると思うんです。やはり社会的な地位を持った方がなられるので、まずその前提として、女性は社会に進出していないですね。さっきも女性の弁護士の数が少ないとか、そういう話でした。まず、基本的に女性が社会に進出していける地盤がないというのが、国会議員に限らず、原因としてあると思います。
武山委員 あなたに一言お話ししておきたいと思います。
 政治の世界は、お金をかける方もたくさんおりますけれども、女性は、ほとんどの方は比較的お金をかけない政治をやっておりますので、ぜひ認識を新たにしていただきたいと思います。
 それから、皆さんの御意見をお聞きしておりましたら、憲法改正、憲法を何とか新しくしなきゃという御意見の方が少ないように見受けられたんですけれども、二十一世紀の日本は、今本当にIT革命、世界じゅうがそうなんですけれども、第三次産業革命の真っただ中なわけですね。それで、いながらにして世界じゅうの情報がインターネットを通して得られ、そしてまた、自分からの情報も世界じゅうに行けるわけです。
 そういう中で、社会が激変していきまして、例えばヨーロピアンユニオン、EUのように、もう国境がなくなって、今まで考えられなかったユーロという一つの通貨になって統一されたわけですね。片やそういう国があるというときに、日本は憲法を改正しないでいいのかなと、私自身は思っている一人なんです。
 私は、憲法をやはり改正した方がいいと。新しい時代に合わせた、二十一世紀の日本は大きく今変わりつつあるわけですけれども、その中で、司法制度改革の方で、非常に司法が国民にとって身近じゃないという部分は、私も、欧米の社会と比べまして、アメリカに長いこと住んでいたものですから、そういう司法が身近にあった社会で生活してみまして、非常に日本は異質な国というふうに思っておるんですけれども、これから制度改革をしていこうという馬杉さんにお話を伺いたいと思います。
 どのくらいの年月をかけて欧米に追いつくかなという感じの、青写真を示していただきたいと思います。
馬杉榮一君 お答えさせていただきます。
 まず第一に、欧米に追いつくかどうかという設問に対しましては、私どもは欧米に追いつくべきかどうかということは考えていません。要するに、日本で今どうするかということを基本に置いておりますので、欧米がすべていいとかアメリカがいいとかいうようなスタンダードを持っているつもりはありません。
 しかし、今、日本では余りに、先ほど申し上げましたとおり、改革というようなレベルにも司法制度はなっていない。それで、先ほど三千億円程度の、国家予算の〇・五%しか裁判所の予算がない、それから、裁判を受けるための費用がない人のための扶助、リーガルエード、これはわずか三十億円。しかし、それでも、この流れの中で何倍にもなっているんですね。しかし、ヨーロッパから比べれば少ない。スタンダードとはしませんけれども、余りに惨めな状態。だから、まずそこを是正する。
 国レベルでいけば、御存じのとおり、二〇〇四年までにということですけれども、私たち弁護士としては、それより先に、制度がなくても、例えば当番弁護士だとかいったいろいろな制度を、自分たちの力、自分たちの費用でまずやっております。しかし、一番問題なのはやはり予算です。ですから、このことを、ここの方々だけではなくて、すべての国会議員の皆さんに御理解をいただいて、スタンダードというより、まだ出発点のずっと手前にしかこの五十年なかったというところを一番基本的な認識と今はしているところであります。
武山委員 結城さんにお尋ねしたいと思います。
 違憲審査、ドイツ型の憲法裁判所を設けるべきだ、私もその考え方に賛成なんですけれども、なぜ日本ではそういう土壌が育たなかったんでしょうか。
結城洋一郎君 土壌が育たなかったという趣旨があれなんですが、つまり、そもそも憲法に書いていないからつくろうとしなかったということにしかならないんだと思うんです。
 議論はあったわけです。ドイツ型の独立した違憲審査制をつくったらいいのではないかとか、それから現行憲法の中でできるのかできないのかとか、そういう議論はされておりましたが、判例においても学説の有力説においても、アメリカ型の付随審査制を定めるのみであるというところで落ちついたということだと思うんですよ。戦前はなかったわけですので、戦後はゼロのところにあれほどの裁判所ができたわけですから、まずもって、満足したというのが最初の状況じゃないでしょうか。
 それで、余り問題を意識しないできて、警察予備隊違憲訴訟のときに初めて司法型の限界を見せつけられる。そこで、じゃ、ドイツ型がいいかなというふうなことがやられてきたけれども、多分、ドイツ型の違憲審査制度に対してかなり危惧を持った方々もいるんだと思うんです。
 例えば、事前審査をされて安保条約がつぶれてしまうとか、あるいは逆に言うと、今違憲審査制度をつくって、裁判官が安保条約違憲ですと言ったときにどうなるんだというようなことも現実問題としては考えられますから、余りドラスチックな変化を求めるよりは、現在の付随型の司法審査の中でできるだけ改革していこうというあたりに多くの意見が集積しているのかなというふうに思いますが、私は、今後新たな違憲審査制というものを設けるときには、既存の問題をどう扱うかということが大きな問題だろうと思っております。
武山委員 ありがとうございます。
 田中さんにお聞きいたします。
 世界じゅうでは、先住民族がそれぞれの国によって保護されておりますけれども、日本は、この北海道には五万人余りのアイヌ民族が居住していたと。国が認めなくても、北海道独自で、なぜこういう結果になっておるんでしょうか。その経緯と理由、それで、今後、反省点として、どうあるべきかということを御説明いただきたいと思います。
田中宏君 今、アイヌの方の件で、各国ですべて先住民族に対して保護政策が行われているというわけでもありません。それぞれ進展度が違って、それぞれの国の事情に応じてやっております。
 問題の御質問は、北海道において、どうしてアイヌ民族に対する同化政策が早くなくなって、もっと民族の自立を促す政策が行われなかったかという質問ですね。そういう質問でよろしいんですね。
 結局は、はっきり言いますと、それは北海道独自の問題ではなくて、日本国のアイヌに対する政策の問題だったと思います。北海道は北海道なりに、地元ですから、それなりにいろいろなことはやっていたと思います。
 ただ、国の基本政策が、先ほど申しましたように、同化政策の象徴である旧土人保護法というものをずっと維持していた。今から五年前にようやく廃止された。つまり、アイヌは自分の独自性を捨てて日本人と一緒になりなさいという政策をずっとやってきたわけですね。これがようやくなくなって、これからスタートというところだと思います。ですから、国の政策が立ちおくれたとしか言いようがないというふうに思います。御理解ください。
    〔中野(寛)座長代理退席、座長着席〕
武山委員 今の点ですけれども、北海道としては、国にそれを、自分たちの先住民としての権利を認めていただきたいという努力を十分なさったんでしょうか。
田中宏君 いや、北海道は、自治体あるいは自治体の長である知事とか市長さん方も、北海道ウタリ協会というところを通して、例えばの話ですけれども、ウタリ予算の増額だとか、そういう在来型の手法はとっていたと思います。
 ただ、先ほど僕が述べましたように、先住民族であるということを認めて、そしてその文化を尊重するという基本政策はなかったんではないかと思います。
武山委員 ありがとうございます。
 それでは、石塚さんにお尋ねしたいと思います。
 私も、日本の国は本当に農耕民族で、農業というものは、本当に情けないぐらい自給率が低くなってしまったんですけれども、何が原因だと思われますか。
石塚修君 私は、やはり一番の原因は政策的なものだと思います。国の政策に誤りがあったと私は思っています。
武山委員 それでは、その政策の誤りを何点か出していただきたいと思います。国の政策に誤りがあったから日本の農業の自給率が下がって農業が廃れた。国の政策に誤りがあったと。その国の政策を何点か挙げていただきたいと思います。
石塚修君 一番最初は、やはり、昭和三十六年にできました旧農業基本法です。この法律に基づいて、農村から都会へと人が大量に流れていくように政策誘導をしました。これは結局、日本国が工業化を進めていく中で、人手をどんどん工業の方に持ってくるという政策でした。これによって、農村は、三ちゃん農業と言われるような形で、非常に働き手が不足してきたということがあります。
 それともう一つは、先ほどから申し上げていますけれども、自由化の推進です。これも、アメリカからの要求にことごとくこたえるような形で、自由化を次々に進めてきた。とうとうお米まで八十万トンも輸入しているなんという状況になっているのは、これは、農家がどうだとか国民がどうだとかいうよりは、完全に政策的な誤りだと思います。
武山委員 それでは、石塚さんにもう一度お聞きいたします。
 では、どういう政策を打っていったらいいと思いますか。
石塚修君 ですから、まずは過去の経緯の認識をしっかり持っていただきたいということと、その反省の上に立って、自給率を上げたくないというのなら別ですけれども、もし自給率を上げたいというのであれば、やはり、農村にもう少し人が入りやすい、今農家人口は本当に減っていますから、農家をしても、私の周りの農家も、朝から夜遅くまでみんな物すごい労働時間で働いていますけれども、それでも所得が非常に低いです。こういう状況では、なかなか農家を、後継者がいないとか、そういう問題が起きていますので、私はやはり、ヨーロッパや韓国で行われているような直接所得補償ですとか、そういう形での政策が必要かなと思います。
 あとは、誤った政策によって農家とか農村のいい取り組みの足を引っ張らないでほしいということです。例えば、有機農業ですとか、また農家のお母さん方の朝市ですとか、いろいろなおもしろい取り組みがあるんですけれども、そういうものを、今まで、国は後から追っかけてきて補助金をつけて、それで攪乱して、せっかくのいい取り組みをつぶしてしまうということがありましたので、いい取り組みについては足を引っ張るような政策をしない。それから、今ないけれども、あった方がいいなと思う政策はどんどんやっていただく。
 ただ、補助金といっても、農家ではなくて、農家の周辺、土建ですとか機械屋さんに流れるような補助金ではなくて、農家の生活がより自立できていくような補助金、もし補助金をやるとすれば、そういう仕組みが必要だろうなと思います。
武山委員 どうもありがとうございました。
中山座長 次に、春名直章君。
春名委員 日本共産党の春名直章です。
 きょうは、六人の陳述人の皆さん、本当にありがとうございました。
 最初に、田中陳述人にお伺いしたいと思います。
 北海道は、自衛隊の違憲性が正面から問われた恵庭事件、それから長沼事件、それから公務員の選挙活動の自由にかかわる猿払事件、それから学問の自由や教育を受ける権利にかかわる旭川学テ事件等々、まさに憲法訴訟といいますか、憲法と現実の乖離を解決する上で非常に大事な訴訟や裁判が数多く行われてきている、そういう土地だと思います。
 同時に、五月三日の憲法集会だとか、田中陳述人が先頭にお開きになって御努力もされている。そういう人権を守る先頭に立っていらっしゃる田中陳述人から見て、この日本国憲法が持っている現代的な意義、それから、今議論にも少しなっていますが、改正論議についてどう見ていらっしゃるのか。私たちは、改正は全く必要ないというふうに思っているんですけれども、その点について、ちょっと大きな視点ですけれども、御意見を伺いたいと思います。
田中宏君 北海道でさまざまな憲法訴訟がありました。古くは恵庭事件、長沼事件というのがありました。それは憲法九条に関してです。それから、公務員の争議権を制限した猿払事件というのもありました。どうしたことか、なぜ北海道でと言われると、それはちょっとわかりません。たまたま事件が起きて、それを担った先輩の弁護士たちがいた、そして頑張って結論に持っていったというぐらいしか評価できません。
 ただ、今おっしゃるように、じゃ、そういう憲法訴訟の多い北海道から見て、現代の憲法が持っている意義は何かと言われますと、僕は、先ほど馬杉さんが言ったように、この憲法は五十年前にできましたけれども、先進性があったということであります。この先進性というのは、理念の先進性があった。そしてそれを、逆に言えばきっちり裏づけてこなかった政治もあったということが言えます。そのギャップが訴訟となってあらわれたんだろうというふうに思っております。
 それから、きょう初めてわかったことですけれども、九条に限らずいろいろな点が議論されているということはよくわかりました。ただし、この九条の議論というのが、どうも改正先行というような意味でとられることが多いというふうに受けとめさせてもらいました。
 私、先ほどちょっと舌足らずだったんですが、いつでも戦争ができる体制になるというふうに表現しましたけれども、これはちょっと誤解で、憲法上のチェックがなくなってそういう戦争が可能になるという趣旨で、いつでも戦争をやるとかそんなことを言っているんじゃないのです。憲法上の制約がなくなったときにそういうことが起きますよということを言ったということで御理解ください。
春名委員 ありがとうございました。
 馬杉陳述人にお伺いしますが、先ほど、陳述の中で、今お話しにも出ましたけれども、五十年たった二十一世紀にこそ、この憲法はその真価が発揮されるはずのものだと考えております、こういう陳述をしていただきました。
 その真価が発揮されるべきものであるということの根拠、どういう点がこれから真価として発揮されなければならないのか、またそういう値打ちを持っているのかということについて、お考えをお聞かせください。
馬杉榮一君 憲法はたくさんの条文を持っておりますので、幾つかだけ話させていただこうと思います。
 私どもが、自分自身も幾つか、そして多くの先輩、同僚の人たちが、いわゆる憲法をもとにの裁判をしてまいりました。それは、憲法が指し示している状況と現状とが、先ほど憲法九条でありましたけれども、やはりギャップがあったからであります。そのギャップを訴訟という形で埋めていくときに、憲法を引用したということは、憲法の方が先に行っているということのあらわれであります。
 それは、本当に今の時代でもまさにそうです。
 昨年、大きな憲法事件がありました。国会議員の先生方皆御存じのとおり、ハンセン病に関する憲法裁判です。これは、一九六五年以後は、まさに憲法違反を国会がしている、立法の不作為をしている、そのことによって人権を侵害している、こういう判断になっているわけです。
 まさしく、私たちが憲法に依拠しながら、憲法ができてから五十数年たった現時点においても、弁護士の日常的な業務の中でそのことを遂行しているわけです。
 そのような意味合いにおいて、憲法は、古くなっているどころか、まだ私たちが十分活用し切っていない現状にある。この時点で、憲法ができたあの貧しい時代、その時代にできた憲法を、今これだけ国が富んでいる時代に、私たちがどうやってさらに理想と現実を埋めていくか、こういう時代に来ている。
 私はここに、憲法は理想主義的であるということを書きました。それは、憲法のできた時点ではまだ理想であって、現実化することが非常に難しかった。例えば、ハンセン病でもそうです。既にアメリカでは特効薬もできておりましたけれども、日本では、それがお金のために入ってこない。ですから、沖縄の方が先に、いわばアメリカ軍のおかげで、沖縄のらい患者さんの方が早く治療されたという現状があります。
 そういった理想と現実のギャップを、やはり経済力がなければ埋められていかない、こういうところがあるだろうと思います。
 私たちは今、戦後五十年、私たちの親がつくってくれたこの日本を、その経済力、そして指し示してくれた憲法とあわせて、新しい時代をつくる、そういう時代というふうに認識してよいのではないかと思います。
春名委員 どうもありがとうございました。
 佐藤陳述人にお伺いします。
 先日、非核三原則の見直しの趣旨の発言が飛び出して、私も大変驚いたんです。
 そのときに私も、初めてではないのですけれども、知ったんですが、憲法九条の解釈として、小型の自衛型の核兵器は持つことができるというのが解釈なんだそうですね。それもびっくりするんです。戦力を持たないこの国で、核兵器を持てるなんという解釈をしているということ自身が驚きなんですけれども、この問題は、若い世代にとって絶対にゆるがせにできない、非常に大事な問題だと思うのですね。この点についてどういう御感想を持っているか、お聞かせください。
佐藤聖美君 福田官房長官や安倍官房副長官が、オフレコということながらも、非核三原則を見直していいというような発言をしたことは、私はとても許せないことだと思います。核兵器は、どんなことがあっても排除しようと努力していくべきだと思います。
 私は新聞で読んだんですが、最近発見された原爆投下直後の広島を視察した赤十字職員の機密報告書には、以下のようなことが書かれていました。
 市の八〇%が吹き飛んだように見える、筆舌に尽くしがたいだとか、多くの被爆者らは治療が受けられず、身体の大部分がやけどで覆われ、傷口にはハエがたかっている、病院での状況は想像を絶する、患者はコンクリートの上に寝かされ、畳の上の人はわずかしかいない、患者に巻かれた包帯は古く、うみがいっぱいたまっている、原爆の影響は、毒ガスも含めた既知の兵器をはるかに上回る、赤十字国際委員会は、核のエネルギーに関する国際的な議論に参加し、破壊的な力を持つ核兵器を非合法化するために影響力を行使すべきだというようなことが書いてありました。
 原爆投下直後の広島はこのような悲惨な状況だったこと、原爆はこのような恐ろしい兵器だったということを、国会議員の方々は、そういう発言をされるような方はすっかり忘れてしまったのでしょうか。
 唯一の被爆国である日本は、このような悲惨な体験を語り継ぎ、これ以上だれにもこのような思いをさせないという強い決意のもと、核兵器廃絶を訴えていくべきだと思います。核兵器の恐ろしさを知っている日本、たった一カ国なので、その日本が核兵器を持つということはあってはならないと思います。
春名委員 どうもありがとうございました。
 石塚陳述人にお伺いします。
 政府の政策で自給率が下がったということで、政策の間違いの象徴が、今、BSE問題ですね。このBSE問題の、北海道における農業、酪農家に対する大きな影響という問題をどういうふうにごらんになっているのかということ。
 それから、国政として、国が、法律もつくって今努力していますが、努力すべきことについて御発言ください。
石塚修君 このBSEは本当に大きな問題で、私たちも、実は仲間の勉強会のグループで先日BSEの勉強会をやったんですけれども、そこに酪農家とか畜産農家の方も何人か来ていただいたんですけれども、大変ぴりぴりした状態で、日々不安を持ちながら大変なストレスの中で生きている。
 しかも、これが、自分のやった行為によってはっきりこれがこうだったからこういうものが起きたというのがわかればいいんですけれども、そうではなくて、知らない間に感染していて、出荷をしてみたら発見されたというような状態では、本当に言葉では言い尽くせないような大変な苦しみを持って皆さんやられています。
 これは、もし肉骨粉に原因があるんだとすれば、先ほどから申し上げていますけれども、物のグローバルな動きという中の一つの欠陥が象徴的に出てきたことではないかな。肉骨粉を牛に上げること自体がまずおかしいんですけれども、やはりえさも含めた形で自給率を上げていく、そういうことが必要だろうと思います。
 それから、国に求めるのは、BSEの原因です。武部大臣は、生産者の集会の中で、原因なんかわかったって別に生産者にとっては必要ないでしょうというような発言をされたんですけれども、大変耳を疑ったんですが、私たちは原因を知りたいんです。感染経路ももちろん知りたい、それからBSEが発生するメカニズムも知りたい。本当の意味での原因を知りたいわけです。
 それを、国を挙げて何とか、国の研究機関も使いながら、本当の原因、一体どういうメカニズムでそれが発生するのか、その辺をもっと徹底的に究明していただきたいと思います。
春名委員 ありがとうございました。
 自給国家を目指すということで、もし将来つけ加えることがあればということをおっしゃったわけなんだけれども、私は、今四〇%の自給率、二九%の穀物自給率というこの事態は、まさに憲法の生存権を脅かしていることになるし、国家主権、国民主権を脅かしている根本になっていると思うのですね。まさにこの数字自身に、私は、憲法の理念が実現されていない、現実とのギャップがあるということで、その現実の方を変える努力が本当に今大事だということを感じるわけです。
 最後に、結城陳述人にお伺いして終わりたいと思いますが、先ほど、憲法九条と現実の乖離の御質問も出ました。最大の乖離はここにあると思うのです。実際、戦力を持たないと決めている憲法ですので。その戦力を持たないと決めている憲法で、世界第二位の軍隊が実際はあるということになっているわけです。したがって、この憲法の理念にいかに現実を近づけていくのかということが私たちの努力の一番の方向じゃないかと思っているんですね。
 そのギャップをどうやって解決していくのか。このことについて、結城陳述人から、お考えがあればお聞かせいただきたいと思います。
結城洋一郎君 全く個人的な、こんなふうな道はないのかなという程度の話なんですけれども、私は、急に自衛隊をなくしたり安保条約を一気に解消するということは、もはや現実的でないと思うのです。
 ですから、例えば、自衛隊は災害救助などによって国民に親しまれてきた、その努力をしてきたわけですので、そういうふうな形に次第に解消していくべきではないか。国内の災害救助、あるいは対外的な、例えば先ほどPKOの話も出ましたが、そういうふうなものへと改編していって、非軍事的な組織へ転換していくということを重ねていく道があり得ないのかな。
 それから、自衛隊、安保条約を一気に解消できないとしても、少しずつその役割を縮小していって、その理解をアメリカ及び周辺諸国に認識してもらうというふうな、少し気の長い仕事を積み重ねていくということ以外には多分ないのかなと思っています。
春名委員 どうもありがとうございました。
中山座長 金子哲夫君。
金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子でございます。
 きょうは、六人の陳述人の皆さん、ありがとうございます。
 私は、六人の陳述人の皆さんの中で、五名の方が、今、我が国の平和憲法九条をしっかり守れ、むしろ現実と乖離しているこの姿を正して、平和憲法に徹していくべきだというお話を伺って、私自身広島の出身でございまして、その思いをお互いに共有しているところですけれども、そういう思いの中で、幾つかの御質問をさせていただきたいと思います。
 馬杉さんに、確かに、私も憲法の平和主義というのは理想だと思うのですけれども、先ほど佐藤さんに質問の中で非核三原則のことで出てまいりましたけれども、この論議をするとき、ただ理想主義ということではなくて、きのうは沖縄の慰霊の日でもありましたけれども、広島や長崎、沖縄、そしてアジアの人たちのそういう体験といいますか、本当にとうとい命の犠牲の上にこの憲法が生まれたということをもう一度、そこにあって初めて平和憲法があったんだということについて考えるべきだというふうに私は常々思っております。
 その上に立って、理想的かもわからないけれども、しかし、理想というよりも、そういう現実の上に立って平和憲法が生まれたというふうに考えておりますけれども、馬杉さんの方で何か御意見があればお伺いいたしたいと思います。
馬杉榮一君 今の議員のおっしゃる歴史的な認識、憲法ができたときの状況に関しましては、全く同じであります。
 しかし、私は弁護士でありまして、法律の実務家です。常に法律と現実のギャップというものはあり得ると思っています。現実とぴったりとした憲法、それが果たして本当の憲法かどうかも私は疑問です。やや現実と離れているけれども、しかし、それを追い続ける。それは全く架空のものではいけませんけれども、やはり理念、理想としての部分が憲法の中にはあるだろうと思います。
 憲法のできた一九四六年、その時点において、果たして全く武装も何もなく、どの国もあるいは日本が何の問題もなかったかというと、やはりそれなりの疑問はあります。そういったものが何らかの形でずっと今の九条問題を引きずってきているのではないかなというふうに思います。
 しかし、五十年たった現在においては、日本が非軍事的に国際的な問題の場面で十分な働きができる、そういう実力をつけているこの現在においては、この九条をきちっとした形で世界に発信できる、やっとそこまで来たというふうに私は思っています。
 ですから、委員の御質問にうまく答えられるかどうかわかりませんけれども、大きくは違わないのではないかというふうに思いますが、しかし、あくまで私は実務家として発言は続けていきたい。
 ですから、現在、自衛隊が違憲であり、それは直ちにあしたからなくなるべきだというような感覚は持ってはいません。しかし、追い求めていく方向はこの憲法が示しているということは申し上げたい、こういうふうに思います。
金子(哲)委員 ありがとうございました。私もその意見には同感でありますが、その点だけ表明しておきたいと思います。
 石塚さんにお伺いしたいんですけれども、もしそういう運動をされていたらお答えをいただきたいと思います。
 エネルギーのお話も出まして、北海道もいわゆる核の廃棄物処分場になるのではないかという問題も含めてあるわけですけれども、先般の、先ほどお話がありました福田官房長官の非核三原則見直し発言などにも各国が非常に敏感に反応したというのは、例えば、日本の核政策の中で、確かに平和利用ということを言われておりますけれども、大量のプルトニウムを保有している、こういった問題が出てきております。それから、プルトニウムの半減期は随分長いわけですし、少量でも大変な被害を受けるという問題がありまして、先ほどエネルギーの自給率のお話がありましたけれども、核政策について、何か石塚さん、お考えがあれば御意見を伺いたいと思います。
石塚修君 私は、先ほどエネルギーの自給率をもっと上げられるのではないかというお話をしたんですけれども、これは核エネルギーのことではなくて、自然エネルギーとか、北海道とか北海道近海で産出されている天然ガス、これによるエネルギーの自給というものが今以上にもっとできていくのではないかということで申し上げました。
 それで、日本は原発が五十基あって、「もんじゅ」も、あれだけの事故を起こしながら、また再開するということで動いています。そして今、余剰プルトニウムを抱えて、その処理に困っているわけですね。プルサーマルでやるといっても、なかなか地元の同意が得られないとか技術的な問題とかがあって、プルトニウムを抱えているということに諸外国からどうも疑いの目がかかっているのではないか。私自身も日本国内にいますけれども、何でこんなにプルトニウムをつくるんだろうかという疑問を日々思っています。
 原発とかそういうものは、エネルギー政策というよりは、私は、もっと広い意味での核政策の中で見ていかなくちゃいけないなと思います。ですから、「もんじゅ」の再開とか、それから再処理工場でプルトニウムを抽出するわけですけれども、それが果たして日本のエネルギー政策の中で必要なのか、本当は、エネルギーとして必要なのではなくて、核兵器をつくりたいがためのプルトニウムの抽出ではないかという、そうではないと信じていますけれども、そう思いたくなるような、無理やり「もんじゅ」を動かすとか、その辺の施策はちょっと疑問があります。
 ですから、先日の福田官房長官の、核兵器の保有もあり得るという発言を聞いて、やはりそうなのかということで大変ショックを覚えたわけです。
金子(哲)委員 ありがとうございました。
 田中さんにお伺いをしたいんですけれども、実は、私は、在外被爆者の皆さんに被爆者援護法適用を実現させる議員懇談会をつくって、その活動をしているんですけれども、裁判の判決と国の行政のあり方の問題で、ちょっと御意見があればお伺いしたいんです。
 在外被爆者に援護法を適用するということで、韓国の被爆者の皆さんが地方裁判所に随分提訴をされて、昨年は、六月の大阪地裁と十二月の長崎地裁、いずれも、海外にあっても援護法を適用すべきだという判決が出たわけですけれども、国の側は、下級審ということもあり、もう一つ、ちょっと違う問題で在外被爆者問題が広島地裁では逆転しているというようなことで、行政サイドは変更しないというままいっているわけですね。そのうち高裁、最高裁へと行くということですけれども、最近の裁判の状況を見ると、高裁、最高裁、なかなか下級審がそのまま通らないという現状もあります。
 ただ、そのとき、在米の被爆者からちょっと声が出ましたのは、例えばアメリカであれば、二度も続けて、下級審とはいえ、裁判で同じような判決が出れば、それに対して、行政が一定のそれに対応した行政措置を行うというのが普通の考え方だというお話が出ております。
 司法に携われる弁護士さんですけれども、そういう立場から見て、今の裁判、違憲審査の問題はとりあえずおきましても、行政にかかわる裁判とその判決、そしてそれにかかわっての行政のありよう、最高裁まで行けば時間が随分かかるという問題もあり、その辺について、何か御意見、お考えがあればお伺いしたいと思います。
田中宏君 今の御質問ですけれども、私も、裁判所の判断が出ても、確定するまでに時間がかかります。このかかっている間にいろいろな事情が変化してしまう。それからもう一つは、控訴審に行ってひっくり返される、こういう問題があります。
 それで、行政事件訴訟法という法律がありますけれども、私は、今の行政法の構造を変えないといかぬと思っています。
 それはどういうことかと申しますと、行政行為には公定力というのがありますね。行政がやったことは、一回結論を出したことは、司法によってひっくり返されるまでひっくり返らないんだと。
 そうすると、例えば、今の場合は給付の確認ですから、給付の資格を与えてくださいということですけれども、逆に、必要なのは義務づけ訴訟で、国の方があるいは自治体の方がこの人にこれだけの支給をしなさいという判決を出す仕組みをつくらないと、それを今の取り消し訴訟にかえて義務づけにしていかないと、いつまでたっても時間がかかって、そしてひっくり返ってしまう、こういう状態が続きますので、私は、行政事件の構造そのものが今問われているんではないかというふうに思っております。それがまず第一です。
 それから、被爆者援護法の適用が地裁段階で認められながら行政は変わらない、この対応はどうかということですが、今言ったように、取り消し訴訟ですから、あくまでも公定力がある以上、役所は、これは最高裁でひっくり返されるまで変えないよというスタンスをとるわけです。それを変えるのは政治の力、あるいは運動の力なんです。
 ですから、僕が言いたいのは、行政事件訴訟法というこの構造を変えないと、今みたいに、いつまでたっても毎回同じ繰り返しが起こるというふうに思っております。
金子(哲)委員 ありがとうございました。
 結城さんにお伺いしたいんです。
 情報公開法ができて、それは一つの民主主義の発展というふうに思うんですけれども、今防衛庁のリスト問題が出ております。きょうも国会で論議になっております。論議の中でも、そのリストをつくったことが問題か、またはLANに入れたことが問題かという話も出ているようですけれども、そもそも情報公開の請求者の身上について調査を行うこと自身がこの情報公開法の精神からいってあってはならないことだというふうに、リストをつくるとかいう以前の問題だというふうに私は思うんですけれども、その点について、結城さんの方でお考えがあればお伺いしたいと思います。
結城洋一郎君 全くそのとおりに思うというほか言いようがないですけれども、そもそも、そういうものを調べることがよくないという意識がないということが既に問題だと思いますね。
 それから、いい悪いを超えて、私は、そういう仕事をずっとやってきたんだと思うんです。自衛隊のいろいろな研究の中にはそういうことが書いてありますし、それから自衛隊の関係者が日ごろ言っていることの中にもあるわけでして、一方には、自衛隊の協力者と密接につながるというのはリストアップしておくし、逆に、反自衛官的な人間をちゃんと調べておきましょうと言っているわけですので、やったからといって、私はちっとも不思議はないというか、やはりやっていたんだなということだと思うんですけれども、それになれちゃったらいけないんで、それは決して許されないんだということをわからせてあげなきゃいけないだろうと思います。
 それはやはり、マスコミとか皆さんのお力が大きいんだと思うんです。市民が一人で声を上げてみたって大して影響がないわけですので、国政の中心に携わる人々が厳しくその責任を追及していただきたいと思っております。
金子(哲)委員 では、時間になりましたので終わります。ありがとうございました。
中山座長 井上喜一君。
井上(喜)委員 保守党の井上喜一でございます。
 六人の方、きょうは本当に御苦労さんでございます。時間も限られておりますので、簡潔に御質問をいたしますので、要領よくお答えをいただきたいと思うんです。
 まず、稲津陳述人でありますけれども、日本の天皇を元首にする、制度として立憲君主制にするというふうなことを言われたと思うのでありますが、今の憲法は、天皇は、限られた国事行為、それも内閣の助言と承認によって行う、こういうことで、いわゆる国政に関与するということは認められていないわけですね。しかし、日本国民の統合の象徴ということで、元首とする説が今やや強いんじゃないかと私は思うんです。
 片や、行政権は内閣にありまして、内閣総理大臣の権限が明治憲法に比べまして一段と強くなっております。閣僚の任免権なんかを持っているわけでありまして、そういうことから内閣総理大臣が元首だという説もあるように私は聞いているのでありますけれども、憲法上、稲津さんのようなことになりますと、天皇のことについての記述、これは多少変わってくるんですか。
稲津定俊君 お答えいたします。
 天皇の元首制ということなんですけれども、例えば西欧の各国にも王室は多数あります。一般的に統治権は既に持っていないわけです。我が国と同じように、国事行為のみという国がほとんどであります。現実的に、外交上、接受なんかに対しまして、実際的には元首というような形で海外では認識されております。
 憲法上で、我が国の天皇は全く政治上の権力は持たないのでありますし、それはまさしく西欧の王室でも同じような例が多数見られます。そういう意味では、象徴天皇ということで、元首規定というのはあっても、全く国民主権ということとは矛盾がないわけです。現に、西欧の国では、元首規定があるから民主主義でないなんといったら、デンマークだとかそんな国はみんな民主主義の国ではなくなります。そういう意味です。
井上(喜)委員 ありがとうございました。
 次に、石塚陳述者、私は、あなたの言う食料自給率を高めていくということには賛成でありますけれども、どうも、ここのこの要約にありますように、自給をしていくということにつきましては、私は、賛成ができないといいますか、これは事実上不可能だと思うんですね。
 御承知のとおり、今、日本の農用地の面積は四百七、八十万ヘクタールでしょう。終戦当時も大体こういう面積とそう違わなかったと思うんでありますが、当時の人口は今の半分近かったんじゃないかと思うんですね。それでも、あの当時の生活は米と麦とサツマイモですよ。そういう生活ですよ。それはもうひもじい生活をしたんですよ。今のような、乳製品があったり卵があったり畜産物がある生活じゃないんですよ。なかなか、この四百数十万ヘクタールでは、そういう農産物を供給することができないんですね。ですから、私は、自給をしていけというのはいささか問題があると思うんです。
 ただ、農産物というのは、極力自給率を高めていくということは大事だと思います。だから、そのためにも、例えば、必要なエネルギーは輸入しないといけないとか、やはり国際社会が、あるいは日本が平和と安全でないと、この食料自給率だってなかなか高められないんですね。
 あなたは食料安保論を言うんだけれども、それは裏を返して言えば、国際社会の安全ということを言っていると思うんで、食料では安保と言いながら、国の骨格、非常に重要なところの安全保障については、九条を改正反対だと言われる、そこがよくわからないんですよ。それは論理矛盾しているんじゃないかと思うんですが、いかがですか。
石塚修君 私自身は別に論理矛盾していないと思っているんです。国際的な平和があるから食料を自給するというのではなくて、日本が食料を自給することによって世界の平和に貢献することができるというふうに思っているんですね。
 それで、確かに完全自給は、今の食生活ですとか農地それから農業従事者の数からいうと、なかなか難しいところはあります。だけれども、かなり高いレベルまで高めていくことはできると思っています。
 それは、例えば今、輪作とか田んぼの裏作とかが壊されています。壊されているというのは、政策的に、そういうことをしてもしようがないということで、本州では、昔は水田の裏で麦をつくっていましたけれども、今はつくらないとか、それから、あぜに大豆を植えていたけれども、今はそんなことはしない。それから、畑でもマメ科とかナタネ科とかイネ科をうまく輪作して、畑の回転率を上げるといいますか、そういうことをやっていましたけれども、今はかなりゆとりを持っているといいますか、遊ばせている部分が多い。その辺を、輪作と裏作をうまくやっていくこと。
 それから、今、食品が年間二千万トンも廃棄されていますけれども、この廃棄されている部分を、食べなくても、うまくまた循環させていくようなことをすれば、まだまだ自給率を上げていけると思います。
井上(喜)委員 はい。わかりました。
 そういう二毛作、三毛作ができるところは全部やりましても、私は戦争直後の水準を保つことは非常に難しいと思うんです。まあ、これは議論しません。これは、よく勉強していただいたらいいと思います。
 それから次に、田中陳述者にお伺いしたいんですが、私は、戦争がすぐに開始される改正には反対だと言われたんで、そこをお聞きしようと思ったんですが、訂正がありましたから、それはそれで結構でございます。何か歯どめがあればよろしいということですが、歯どめがあれば憲法九条の改正は賛成されますか。
田中宏君 それは、憲法九条があること自体が歯どめという趣旨なんです。私が言っているのはそういう趣旨です。
井上(喜)委員 次に、結城先生、法学部の先生ということをお伺いいたしましたので、私は改めて、法とは何かということを考えさせられたんです。法というのは、国内政治に直に関与していく、あるいは国際政治に関与していく、ある場合は強制力を伴ってやるとか、あるいは強制力がなくても事実上実行させていくような、そういう状況にあるルールが法じゃないかと思うんですね。
 今の憲法九条を考えてみますと、陳述者の御意見ですと、戦力は自衛隊を含めて持てないんだ、こういうことでありまして、これが、いわゆる憲法とか何とか法という法はあるけれども、実際問題として、現実に機能する法としてはなっていないんじゃないかと思うんですね。陳述者の御意見でもそうじゃないかと思うんですよ、現実はそうじゃないんですからね。
 だから、それで本当にいいのかどうか。法を現実に合わせるか、あるいは法に従って改正すること、例えば憲法九条の関連でいえば、それが本当に日本の安全保障になるのかどうか。何か、私は、どうも非常に中途半端な感じで、陳述者の御意見としてはどっちかじゃないかと思うんですが、それはどっちなんでしょうか。
結城洋一郎君 御意見の趣旨がよくわからないんですけれども……
中山座長 傍聴席での拍手は御遠慮ください。
結城洋一郎君 仮に、九条があるにもかかわらず自衛隊が存在する、つまり、現実は戦力を持っているではないか、これは九条が現実に合っていないということになるのであろうという趣旨であれば、それは現実と法が乖離しているという事実の摘示だけなのであって、そういうことはしばしば起こり得まして、殺人罪を設けて殺人行為を禁止しているにもかかわらず人を殺す人間がいますね。それは、刑法百九十九条が機能しないわけでもないし、現実に合わないわけでもなくて、人を殺した人間が法を犯したのであって、その人間が罰せられるべきである。
 すなわち、九条が戦力の保持を禁止しているにもかかわらず、現にそれを保持せんとする者がいれば、それは法に違反しているのであって、その責任を問われるべき筋のものである、私はこのように考えております。
中山座長 拍手は御遠慮ください。
井上(喜)委員 わかりました。
 私が言うのはこういうことなんです。理念としてはわかりますよ、九条の理念は。そういう理念は法なのかということを私は質問しているわけですよ。それは、努力目標であって、現実の問題としては、そういうことで国際社会の平和と安全が、あるいは日本の安全保障ができない、こういうことになるんじゃないんですか、法というのはそういうものでやっていいんですかという今の質問なんですよ。
結城洋一郎君 それがまさしく九条をめぐる認識の対立だと思うんですよ。例えば、最近話題になっているコスタリカは軍隊を持たないわけですね。これが現実に合わなくて、国が消滅したわけでもありません。それから、世界のほとんどの国は、自分の軍隊だけで安全を守れるほどの軍事力を持っていないわけですよ。
 ですから、軍事力を持たずに安全が確保できるのかと言う人々の中に、それでは、これぐらいの軍事力を持てば国の安全が絶対守れるという指標を示すべきだと思います。僕は、それはできないと思っているんですよ。例えばアメリカとか、それぐらいの世界最大の軍事国家になろうというのであれば別ですが、現実的には、軍事力によらずに平和を維持している国がほとんどであると私は思っていますので、そちらの方がはるかに現実的であり、理念としても正しいと私は思っています。
中山座長 傍聴席の方に申し上げます。
 国会法の規定によって、場内の傍聴人の方の拍手は禁じられておりますので、どうぞ御遠慮ください。
井上(喜)委員 次に、馬杉陳述者にお伺いしますが、この日本の安全保障につきまして、国際的な平和と安全が必要である、それはお認めになりますか、どうですか。
馬杉榮一君 もう一度お願いいたします。
井上(喜)委員 日本の平和と安全を守るために、その前提としてとあるいは言った方がいいかもわかりませんけれども、国際社会の平和と安全は必要であるというぐあいにお考えですか。
馬杉榮一君 もちろんですよ。
井上(喜)委員 そうしますと、そういう国際社会の平和と安全に対して日本が努力をしていくということは、私は当然なことだと思うんですね。したがって、そういう中に日本の平和と安全を守るということも入っていると思いますよ。日本の安全保障をやりながら、あるいは国際社会の平和と安全を守るために、日本としてできることをやっていくということは必要じゃないかと思うんですが、その点についてのお考えはいかがですか。
馬杉榮一君 少なくとも、御質問に対してはそのとおりだと思います。
 ただ、問題は、国際的な安全保障の中で日本が果たすべきものは何かが今議論の対象になっているんだろうと思う。その点で、日本がきちっとした軍事力を持って、その軍事力の一部を国際的に提供するということが日本にとって一番正しい道なのか、そうではない道を私たちは歩もうとしているのか、そこが大きな分岐点だというふうに思います。
井上(喜)委員 ですから、国際社会がどのように判断をするかということだと思うんですよ。
 今、国際連合憲章がありますね。あれは、ある意味の国際社会の常識でしょう。ですから、ああいう考え方を基本にしながら、日本も努力をしていく、あるいは日本の安全を守っていくというようなことについてはどうお考えですか。
馬杉榮一君 もちろんそうだと思います。
 だから、今おっしゃっていることは、国連憲章の七章までいくのか、六章なのか、六章半なのか、六章四分の三なのか、それぞれ考え方の違いはあるだろうと思います。しかし、私は、国際社会が、日本が現在定員で二十六万人、実勢で二十四万人の自衛隊を持っていますね。これが五十万人あるいは百万人になることを国際社会が望んでいるというふうには思いません。
 むしろ、私は、先ほど述べましたように、例えばアフガニスタンでああいう状況があった、アメリカ軍がああいう攻撃をした、そのことの当否はひとまずおきますけれども、少なくともあそこで大量の人が亡くなり、また難民が出ている。その部分に私たちがどうしていくか、ここが私たちの、日本の果たすべき最大の役割だろう、これを果たせるのはむしろ憲法九条を持っている日本であるだろう、このことが私たちの一番尊敬される道であるだろう、あるいは評価される道であるだろうというふうに考えています。
中山座長 拍手は御遠慮ください。
井上(喜)委員 終わります。
中山座長 これにて委員からの質疑は終了いたしました。
    ―――――――――――――
中山座長 この際、暫時時間がございますので、本日ここにお集まりいただきました傍聴者の方々から、お二人の方に限って御発言を認めたいと思います。指名した方にマイクをお渡しいたしますので、お名前と御職業をおっしゃった後、御意見をお述べください。
 真ん中の左の人。
石川一美君 石川一美と申します。団体役員をしております。
 きょうのこの憲法調査会の札幌公聴会に参加いたしまして、本当に私どもが憲法を守っていく、そういう方向が示されたなというふうに思います。
 三年前のオランダのハーグで開かれました国際平和市民会議に私も一員として参加しまして、この日本国憲法九条を各国の国会で議決する、そして国家権力による戦争を起こさない、そういうことを世界に広めようということを、オランダのハーグ会議の十項目のトップで、一万人の世界じゅうの方々が集まったこのNGOの会議で議決されました。
 そのことは、侵略戦争を反省して日本国憲法を持った私たち自身の決意であるばかりでなく、世界の平和を希求する人々が本当に望んでおり、当時NATOの空爆が盛んな中でしたけれども、アルバニアの女性から、ユーゴの手を縛ってくれという中で、空爆もやむを得ないのではないか、そういう発言もされ、激論が闘わされた中で、目には目、歯には歯の、そういう武力によるものでは解決できない、世界の平和を保っていくためには、日本国憲法のようなものが世界に行き渡ることが必要だということで、二十一世紀に向かって国際的な平和を守る灯台である憲法ということが、世界で希望の星になったわけです。このことを思うときに、私、この札幌公聴会の中で、そのことが本当に再び確認されたのではないかなというふうに思いました。
 そして、有事法制が今国会で論議されておりますけれども、憲法九条を否定するこういうものがアジアの人たちにかえって不安をもたらし、日本が再びあの戦前のような道に向かうのでないかという、平和に対する不安をもたらすものだと思います。
 そういう意味で、これからも草の根から頑張っていく決意を新たにする非常に有益な公聴会だったと思います。
中山座長 もうお一方。左側の男性の方、どうぞ。
市來正光君 北大農学部の市來正光といいます。
 きょうの話を聞いていて非常に思うのは、今まで、九条がやはり僕は焦点になるんだろうなというふうに思っていて、何でかといいますと、先ほど意見陳述の中で話がありましたが、今日本が実際に、アメリカの対テロ戦争というんですか、あれで今アフガニスタンに対してアメリカはまだ爆撃していますけれども、それに対して、日本の自衛隊の船が出ていって支援しているという意味で、僕は実際に参戦しているんじゃないかというふうに思うんです。
 それで、今こういう中で有事法制とか論議になっていて、有事法制が通って、最後に障害になってくるのが憲法九条だろうというふうに多分自民党の先生方は思っているんだなというふうに僕なんかは思っていて、この憲法九条をめぐる改憲論議、そういうのに弾みをつけていくというか、改憲をやっていく上で、公聴会をやって国民の意見を聞きました、国民の意見を聞いた上で決めましたというような形をつくるためだけにこういう公聴会はやられているんじゃないかというふうに思って、非常に僕は頭に来ます。
 こういう公聴会というものに対して、共産党の議員とか社民党の議員とかは、憲法九条を守れと言っているんだったら、こういう改憲を前提にした公聴会自体がおかしいじゃないかとまず一言言ってほしかったというふうに思います。
 何か環境権がないとか、プライバシー権がないとか、時代に憲法は合わないんだとかいうようなことを自民党の議員なんかも言っていましたけれども、ちゃんちゃらおかしいというか、よくあなたたちが言えるな。今まで、プライバシー権とか環境権とか、そういうのをつくろうという運動に対して弾圧してきたのが自民党じゃなかったのか、よく言うなというふうに思います。
 僕は、この憲法九条を変えていくための改憲というものに対しては明確に反対だし、結城先生も、僕はちょっと話を聞いていてもどかしいなという思いがしたんですけれども、論理の上と政治的なものとのギャップがあるとか、そんなことを言いながらちょっと言葉を濁していたかな。論理の上では変えた方がいいんだけれども、政治の上では、改憲というのは九条を変えることを目指すのじゃないかなというようなことを言いながら、明確に今やられている改憲反対という姿勢を示してくれなかったことに僕はちょっと失望しているんです。
 僕は、今やられている国会内での改憲論議というのは、文字どおり、最近ガイドラインとかつくって、実際に対テロ法をつくって自衛隊の船が外に出て、有事法をつくったら今度はああいう船が実際に米軍と戦争をやっていく、こういう事態の中にあって、改憲されるということの意味を僕らは絶対考えなきゃいけないと思うんです。結城先生もぜひその辺、何か名指しして申しわけないんですけれども、びしっと言ってほしかったなというふうに思います。
 僕は、この憲法公聴会ということ自体が、先ほども言いましたけれども、改憲に向けての布石といいますか、僕らの声を聞いた、たった六人の意見を聞いて、国民の声を聞いたも札幌の声を聞いたもないと思うんです。
 そういう中、僕らが会場から意見を求めたりしたら、第一、公聴会はおかしいと思うんですが、何で拍手したりやじ飛ばしたりしてはいけないんですか、国会の中でさえ許されているじゃないですか。そういうものを、あなたたち、自分らがやっていることを何で封殺しているんだというふうに思います。拍手ぐらいいいじゃないですか。そういう意見表明ぐらいできなくてどうするんだ。会場の意見も聞かなくてどうするんだ。こういうのが大体セレモニーだと思うんですね、改憲に向けての。
 自民党議員とか、そういう人たちの欺瞞を僕ら今暴かなきゃいけないんじゃないか。今、政府が有事法を制定して戦争をやろうとしていること、憲法九条を変えてそういう体制をつくろうとしていること、こういうことに対して僕らは今反対の声を明確に示さなきゃいけないというふうに思います。どうもありがとうございました。
中山座長 予定の時間が参りましたので、これで傍聴者の御発言は終わりにさせていただきます。
 念のため、憲法調査会会長として申し上げておきますが、皆様方が自由に御発言をいただいた、今お二人の方の意見もそうですけれども、こういう機会に、きょうの陳述人の方々も公募して、そして発言をしていただいて、この選考は各党の幹事が合意した上で決めているわけでございますから、民主主義を否定していないということだけははっきり申し上げておきたいと思います。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 意見陳述の方々におかれましては、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。ここに厚く御礼申し上げます。
 また、この会議開催のため格段の御協力をいただきました関係各位に対し、心から感謝を申し上げ、御礼のごあいさつといたします。
 それでは、これにて散会いたします。
    午後四時五十一分散会


このページのトップに戻る
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.