衆議院

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第5号 平成15年3月27日(木曜日)

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平成十五年三月二十七日(木曜日)
    午前九時一分開議
 出席委員
   会長 中山 太郎君
   幹事 杉浦 正健君 幹事 中川 昭一君
   幹事 葉梨 信行君 幹事 平林 鴻三君
   幹事 保岡 興治君 幹事 大出  彰君
   幹事 仙谷 由人君 幹事 古川 元久君
   幹事 赤松 正雄君
      伊藤 公介君    奥野 誠亮君
      倉田 雅年君    近藤 基彦君
      佐藤  勉君    下地 幹郎君
      谷川 和穗君    谷本 龍哉君
      中曽根康弘君    中山 正暉君
      長勢 甚遠君    額賀福志郎君
      野田 聖子君    野田  毅君
      平井 卓也君    福井  照君
      森岡 正宏君    山口 泰明君
      生方 幸夫君    大畠 章宏君
      小林 憲司君    今野  東君
      島   聡君    首藤 信彦君
      末松 義規君    中野 寛成君
      伴野  豊君    水島 広子君
      遠藤 和良君    太田 昭宏君
      斉藤 鉄夫君    武山百合子君
      藤島 正之君    春名 直章君
      山口 富男君    金子 哲夫君
      北川れん子君
    …………………………………
   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
    ―――――――――――――
委員の異動
三月二十七日
 辞任         補欠選任
  桑原  豊君     生方 幸夫君
同日
 辞任         補欠選任
  生方 幸夫君     桑原  豊君
同日
 辞任
  中川 正春君
同日
            補欠選任
             川崎 二郎君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 日本国憲法に関する件
 小委員長からの報告聴取


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     ――――◇―――――
中山会長 これより会議を開きます。
 日本国憲法に関する件について調査を進めます。
 本日は、各小委員会において調査されたテーマについて、各小委員長からの報告を聴取し、委員間の討議に付したいと存じます。
 本日の議事の進め方でありますが、小委員会ごとに、まず小委員長の報告を聴取し、その後、そのテーマについて自由討議を行います。
 なお、各テーマごとの自由討議における最初の発言者については、幹事会の協議決定に基づき、会長より指名させていただきます。
 自由討議の際の一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、会長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。
 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
    ―――――――――――――
中山会長 それでは、まず象徴天皇制について、最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員長から、去る六日の小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員長保岡興治君。
保岡委員 最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。
 本小委員会は、三月六日に会議を開き、参考人として、元最高裁判所判事園部逸夫君をお呼びし、象徴天皇制について、特に天皇の権限・国事行為等を中心として御意見を聴取いたしました。
 会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会の会議録を参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、
 参考人からは、
 象徴天皇制は、現行憲法の理念に基づき規定されているが、歴史や伝統等を反映した独特の制度であるとの認識が示された上で、権力に正統性を付与するという、天皇が歴史上果たしてきた機能の一側面でもある統治機構の基軸としての役割は、象徴天皇制のもとでは国民からゆだねられているものとして理解できることなどが述べられ、
 続いて、天皇の権能と行為について、
 天皇が象徴であるためにはその機能を果たす場が必要であるとする積極的象徴の見地からも実情等を考慮しつつ探求すべきこと、
 天皇の行為の分類に当たっては、象徴に由来する価値を実態に即して分析するなどの観点から五分説を提唱することなどが述べられました。
 さらに、天皇は国事行為や公的行為により象徴性を発揮することが重要であると同時に、公的行為については、その意味にふさわしい制度上の位置づけを慎重な配慮のもとに行うことが必要であるなどの意見が述べられました。
 このような参考人の御意見を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われ、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われました。
 そこにおいて表明された意見を小委員長として総括するとすれば、
 まず、天皇の国事行為については、これは憲法によって主権者である国民から天皇に委任されたものであって、その責任は内閣にあり、またその性格は形式的、儀礼的なものであるという点については、各会派に共通の認識であったと理解いたします。
 次いで、天皇の行為の分類の仕方につきましては、国事行為のほかにそれ以外の行為が存在することは認識するものの、国事行為以外の行為について公的行為、私的行為等に細分するか否か、さらに公的行為を認識する場合、公的行為についても何らかの基準を設けるか否かについては、見解の分かれるところでありました。
 最後に、前回及び今回の参考人からの意見聴取を踏まえ、天皇の行為に関しましては、その運用実態等につきまして具体的な事例を取り上げながら調査を進めることが、ありのままの象徴天皇についての議論をしていく上で必要なことであると認識した次第です。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 これより、象徴天皇制について、特に天皇の権限・国事行為等を中心に自由討議を行います。
 まず、平井卓也君。
平井委員 まず初めに、私は、天皇制は日本の国の文化であり、ナショナルアイデンティティーであって、我々がこれからも守っていかなければならないものだと考えております。この天皇制について規定する憲法第一章に関しては、これまでのいろいろな議論にかんがみれば、いずれの政党においても当面のところ基本的に改正する必要はないと考えていると思います。
 したがいまして、今回はそれを前提に、国事行為を中心とした天皇の行為について申し述べたいと思います。
 まず、天皇の国事行為についてであります。
 園部参考人からは、天皇は憲法の規定に基づいて主権者たる国民から国事行為を委任されていると理解すべきであるとの意見がございました。そのような見地に立ちますと、天皇の国事行為については、その運用の実態をすべて国民の前にオープンにしていく必要があるのではないか、また、そうすることが象徴天皇の地位を安泰ならしめるためにも有益なことではないかと考えます。
 例えば、これは前回の高橋参考人、そして園部参考人、お二人に同じことをお伺いしたのでありますが、現在の象徴天皇制のもとでは、天皇の国事行為とは、天皇みずからが決定して行うものではなく、すべて内閣の助言と承認に基づいて行われる、受動的かつ儀礼的なものであるわけであります。ところが、内閣総理大臣その他の国務大臣や人事官などの任命の認証の際の助言と承認に用いられる文面には、「右謹しんで裁可を仰ぎます。」というぐあいに裁可という文言が使われています。通常、裁可といえば、裁可の権限を行使する者に決定権があると考えられるわけですから、これではあたかも天皇が任命権者であるかのような誤解を与えるのではないでしょうか。
 この点について、両参考人とも、現在の天皇が任命を裁可しないということはあり得ないとしながらも、園部参考人からは、そういう言葉を使うこと自体が、何か戦前の言葉をそのまま使っているのではないかということであれば、これはある意味ではこの問題を議論する一つの大きな契機になるとの意見があったわけでございます。
 あるいは、外交関係の文書の認証に関しては、内閣総理大臣のほか外務大臣が副署することになっておりますが、これは、旧憲法下の、各国務大臣が個別に天皇の輔弼をし、また内閣総理大臣の地位も同輩中の首席にすぎなかった状況では意味があったと思いますが、現行憲法では、内閣総理大臣は内閣の首長であり、行政各部を指揮監督する権限を有することとなっているわけですから、もはや外交関係の文書の認証に外務大臣が副署する必要はないのではないかとも考えられるわけであります。
 次に、行為の分類論でありますが、通常は天皇の行為を国事行為、公的行為、私的行為に分ける三分説であり、これが政府見解でもあることはよく知られているところであります。これに対し、園部参考人は、これを費用負担の問題等に対応させる形での五分説を提唱されました。また、単に国事行為とそれ以外の行為に分ける二分説というのも存在するわけであります。
 私は、こうした行為分類論には一長一短があって、どれがすぐれているということは断言できないと思いますが、このような行為分類論が行われる背景には、天皇も一人の人間である以上は国事行為のほかにもさまざまな活動をされるのであって、しかも、そうした活動と天皇が我が国の象徴であるということが密接に関係していることがあると認識いたします。
 最後に、前回の総会でも議論がございました天皇を元首として憲法に明記すべきか否かの問題につきましては、私個人といたしましては、天皇陛下は、現行憲法下においても対外的に我が国を代表するとともに、日本国及び日本国民統合の象徴としての国家の尊厳を体現しているということを考えますと、やはり元首であるとした方がすっきりするのではないかと思います。
 しかしながら、園部参考人からは、天皇の元首的側面は否定しないものの、国内的には元首というよりはもう少し広いお仕事をなさっておられるのではないかという認識が示された上で、むしろ象徴という基本的なお立場の中で外国に対する代表として、あるいは国内に対するヘッド・オブ・ステートとして活動されるものがあるという理解が必要であって、象徴をやめて元首にしてしまうことにはちょっと抵抗を感じるとの意見がございました。
 以上、天皇の行為について私の見解あるいは小委員会における議論を通じての感想を述べさせていただきましたが、天皇の行為につきましては、具体的な事例を公開の場で議論していくことによって行為の輪郭や実態を明らかにしていくことが必要であり、そうすることによって、象徴天皇にふさわしい行為のあり方、内閣による助言と承認のあり方、皇室経済など天皇制を支える制度のあり方などが定まっていくのではないでしょうか。また、こうした議論をしていく中で、憲法に天皇を元首として明記すべきか否かという問題に対してもおのずと結論が導き出されてくるのではないかと考える次第です。
 以上。
中山会長 それでは、御発言希望の方は名札をお立てください。
山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。
 私は、二回の小委員会を通じまして、二人の参考人が強調されたように、現憲法下の天皇制というのは、主権在民下の天皇制であるというところの基本を押さえることが非常に大事だと思いました。平井委員が指摘されましたように、国事行為のそれぞれについても、その面から見てオープンにどういう問題があるのかということの検討が必要だという御意見はこもごもに出された問題でした。
 それから、もう一点の元首の問題なんですけれども、私は、今冒頭に申し上げましたように、主権在民ということからいきますと、やはりその点が、それぞれとの関係が問われますので、明記することには賛成いたしません。
 それから、前回の調査会でも議論になりましたが、この問題は、結局元首とは何かという問題にもかかわってきておりますので、それぞれの委員が内容として持っている、こういう中身で元首という規定を設けたいということと、それぞれの意見が、元首として定めている中身が違いますので、議論がすれ違う点もありますが、私は、主権在民という点でいえば、元首の規定には反対でございます。
中山会長 では、象徴論、象徴ということでございますね。山口委員、象徴ということで了承されますね。
山口(富)委員 会長から質問をいただきまして……。
 現行の規定ということですね。
中山会長 はい、わかりました。
 ほかに御発言ありますか。
中山(正)委員 昔、共産党の榊理論委員長と正森成二議員と、それから自民党側から私と石原慎太郎、この四人でNHKの三分間討論会というのをやったことがあるんです。前日にNHKの方から何を質問するかという問い合わせがありましたので、私は愛国心について問いたいということを言っておきました。実はこれは、中身は天皇制をどうするかという意味を持たせていたんです。
 討論が始まりまして、真ん中に電球がついて、その電球のついている間発言をするんですが、それが三分間。私に、中山さんから愛国心について共産党に質問されるということですが、どういうことでしょうか、御発言願いたいということでしたので、私は、それでは愛国心の象徴的な問題で天皇制をどうなさいますかと言って聞きました。そうしましたら、大変雄弁な正森先生と榊さんが、お二人が譲り合われまして、君が答弁しろ、君が答弁しろと譲り合われて、そして最後におっしゃったことが、天皇家は残すけれども天皇制はやめるということをおっしゃいました。それで私は、この現憲法の天皇制の象徴性というのは大変意味のあることだけれども、その象徴たる地位は国民の総意に基づくと。総意に基づくというのは、一体、何だろうか。総意は何だと言って国民投票にかけられたら、一体、将来どうなるのか。
 最近、いろいろなところで住民投票というのが行われます。憲法の前文の冒頭には、「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、」ということが書いてございます。その意味で、今地域地域でいろいろなものが住民投票にかけられますが、私が建設大臣をしておりましたときに吉野川の住民投票というのがありまして、私は最後の建設省の省議のときに言いました、私は川と相撲をとっている気持ちはありません。こういう民主主義の誤作動という形で住民投票というのが重ねられてくると、最後は、象徴たる天皇の地位は国民の総意に基づく、これを一遍住民投票にかけてみようじゃないか、そういうことになると日本の国の制度というのは大変不安定なものになるのではないか。だから私は、住民投票というのは民主主義の誤作動だということを言って、私は川と相撲をとっているつもりはありません。日本の国の根底にかかわる問題について考えたと言いました。
 私は、日本の天皇制というのは、聖徳太子様という、推古天皇の摂政をなさいましたこの方の大変な知恵だったと思います。いわゆる易姓革命とかそれから天命思想とか、これが英雄だといって中国では秦だ周だ何だかんだと国の形が変わるたびに、民衆は塗炭の苦しみに陥って、そして英雄が安定した政権をつくるまでは国内を逃げ回るような政治が行われる。それは国家のためによくないということで、聖徳太子様という方は、権威とそれから権力というものを分けた、そして天皇制というものを護持した。私は、日本の百二十五代にわたる天皇制の知恵というのは、国民に政治の変動によって迷惑をかけないという大変な知恵の所産だ、かように思っております。
 今、イスラエルのテルアビブ大学のシロニーという先生が、私に最近、日本の天皇問題について「母なる天皇」という、日本人が気がつかないような大変な知恵のあるお話の本を講談社から、これは日本語で書いてございますから皆さんも一遍お読みいただくとおもしろい。一歳から十一歳まで天皇を務めた最年少天皇は四条天皇でございます。それから、天皇というのは万世一系を保つために子供さんをつくられる。それで、景行天皇は八十人の子供さんがおられました。日本は、天皇制を維持するためにいろいろな知恵が長い間の伝統の中で築かれてきた。
 私は、国民の総意に基づく、その総意はどういうふうなものであるかということを討議の対象にして、これが定着できるような、非常に不安定なものにならないような、伝統の知恵を生かせていくような方法はどうあるべきだろうか、そんな疑問を皆様方に呈して、今、何も考えておりませんでしたが、突然のお話でございましたので、自分の所感を申し述べてみました。
中山会長 予定の時間もございますので、象徴天皇制に関する御発言は、現時点で名札をお立てになっておられる委員までといたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。
北川委員 社民党の北川れん子と申します。
 先日の、園部参考人が、一番初めに、新憲法は新理念だというふうに切り出しをされました。私も、そうだというふうに思います。それで、新理念になったときに真に継承されたのは名称と一定の象徴機能だけであり、日本国憲法下で、象徴天皇制は、国民主権、議会制民主主義、人権尊重などという新しい憲法原理と共存するものとして存在しているというふうに思っています。
 国事行為のお話がありましたが、国事行為の助言、承認者と実質的な決定権者は全く違うということは、理論的に成り立っているわけであります。そして、私は、あの折にも申し上げましたけれども、国事行為はもうふやせないという立場をとっております。ということで、国事行為にかかわりのない私的立場の天皇は日本国及び日本国民の統合を象徴するわけではないという説に、私は、賛意を示すものであります。
 二〇〇〇年現在、日本の中にも、外国人と言われる方が百六十八万六千四百四十四人といらっしゃり、国民が統合のシンボルを必要とするのかどうかという点、また、国家とは何かとはなかなか難しいものであるというふうに思うんですが、国家の犠牲になるということの終えん、そういう意味というのが、戦後は模索されてきているのだというふうに思います。
 先ほど、天皇制はなくなっても天皇家が存続するというお話も出ましたけれども、天皇家の人々にとっても、犠牲になるという面がないというのをどう担保できるかということも含めて、私たちは、もう少し慎重な議論が必要である。その慎重な議論の折に、先日の、高橋参考人が昭和天皇の話というものを避けて議論を進めていかれた点をも、やはり深く見詰めなくてはいけないのではないかというふうに私は思っております。
奥野委員 先ほど、参考人は、天皇の国事行為、国民から委任されたものであるという説明があったお話がございました。また、今、元首という言葉を置くか置かぬかについて、反対論もございました。
 この憲法は、アメリカが書いた、そのときには、天皇は元首とすると書いてあった。元首では明治憲法と同じようになるものだから、知恵を絞って、象徴という言葉を使うようになった。むしろ、これは日本の本来の姿であったんじゃないかな。委任じゃなくて、天皇が任命権者であられたことは事実であります。ずっと任命権者でした。急に、国民が委任するようになったというような表現をとられたことは、極東委員会からの申し入れで、「日本国民の総意に基づく。」上に「主権の存する」という言葉を入れろという話になってきて、連合国軍が日本側に、国会修正で入れてくれという強い要請をされて、これが入ったわけであります。それを今とやかく言うつもりはございませんが、その結果、天皇の地位があいまいになってきた、だから元首という言葉を入れようじゃないかという話がまた出てきているわけであります。
 私はやはり、国民から委任されたと、殊さらそんな言葉を使うよりも、ずっとこういう姿で来ているんだ、同時に、その地位というものは日本国を代表する地位にあるんだというような、やはり元首という言葉を入れなければ、日本国を代表する地位にあるんだというような文言を入れて、はっきりした方がいいんじゃないかなと。私は、「主権の存する」という言葉が入ったために、大変あいまいになってきたんじゃないかな、こう思うわけであります。
 そういう意味で、元首という言葉を使うか使わないかは別にして、委任を受けてというような、殊さら理屈をつけるようなことはやめて、従来からずっと天皇はこういう地位に、千何百年来あられたわけでございますから、それをそのまま表現したものだ。私は、こういう理解をするのが正しいんじゃないかと思いますだけに、天皇の地位というものを明確にする、そのために、元首であるとか日本国を代表する地位にあるとか、何らかの表現が妥当ではないだろうかなと思っていることを申し上げておきたいと思います。
仙谷委員 私も、象徴天皇制、甚だたえなる制度だなというふうに考えておりまして、この象徴天皇制を根幹から揺るがす必要もないというふうに考えているところでございます。
 しかし、園部参考人がおっしゃらなかった、言及をされなかった点で、絶えず私は、この象徴天皇制との関係で気にかかっていることがございます。それは、憲法第十四条の二項、三項に記載されたいわば栄典の授与、あるいは天皇との距離感において、日本人の、あるいは外国人も含められるのかもわかりませんが、人間の値打ちが決まってくるような意識が、日本の中にも残っているのではないか、あるいは、この栄典の制度と法のもとの平等というのはどのように考えていったらいいのかということでございます。
 とりわけ、現在は、等級がついている勲章が毎年春、夏に授与されるという形の中で、そしてまたそれが、官尊民卑と言われるように、官職についた者に非常に手厚く、そして民間の仕事しかなされなかった方には、ある種、一段低い等級が授与されるというような実態がある中で、憲法的な考え方の問題として、栄典の授与の改革とでもいいましょうか、この問題を考えるべきなのか、あるいは、栄典制度自身の改革でそのことが是正されるのか、あるいは、日本人の意識まで変えることができるのか、そこが大変私自身には気にかかっているところでございます。
 現時点の私自身の考え方は、一切の等級をなくすることで、栄典の授与だけは残すというのが穏当な方向なのかなというふうに考えておりますけれども、この問題は、日本に残る差別の問題というのは、私は、少なからず、象徴天皇制等、天皇がいわば下賜される等級づきの勲章といいましょうか、栄典と関係があるのではないか、日本人の意識の中にはまだまだそのことについてのこだわりがあるのではないだろうかな、そんな気がしているということを申し上げておきたいと存じます。
中山会長 予定の時間もございますので、象徴天皇制に関する御発言は、改めて、現時点で名札を立てておられる委員までといたしたいと存じます。
中野(寛)委員 民主党の中野寛成でございます。
 私は、天皇制を考えるときに、やはり今の日本の中で権力と権威をむしろ分ける。権力は、内閣総理大臣を中心とする行政機関または国会が行使をする。そして、権力なき権威として、天皇が象徴として、国民の代表といいますと、また国民を代表して国政に従事している国会議員は代表ではないのかという変な議論になってしまうのもいかがかと思います。そういう意味では、現在の国民統合の象徴という表現は大変よくできた文言ではないかというふうに思いますし、また、元首と称しますと、これまた権力もついて回るもののような誤解も招きかねないということで、私は、象徴天皇制は今後とも基本的にこのまま維持することの方が望ましいと思います。
 ただ、国事行為に関する表現など、もう少し整理をする。よく例えて使われます七条四項の国会議員の総選挙の施行とありますが、総選挙と通常言いますと衆議院のことをいいますし、参議院は半数改選でありますから、このような幾つか、送り仮名などのことも含めまして、工夫をすることまたは修正をすることがあり得べしというふうに思いますが、それ以上のことを私は考えなくていい。
 むしろ、今考えるべきは、女性天皇のことについては議論を深めておく必要がある。それは皇室典範にゆだねられていることでいいと思いますが、これも、現在皇孫に男子がいらっしゃらないということなどで慌てふためくような形で議論をするのではなくて、むしろ、現在から将来に向かっての日本の国の象徴のあり方という考え方で女性天皇についての議論もするということが、皇室に対しても失礼にならない議論であって、ふさわしいことではないか、このように思います。
斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫です。
 私は、象徴天皇制はすばらしい制度であり、これからもしっかりと日本の根幹として維持していかなくてはならないと思います。
 私、二回の議論を通じて感じましたのは、その天皇の権威の源泉がどこにあるかという点でございます。この権威の源泉を憲法の中に書くべきなのかどうかということを、これからまた議論していくべきではないかと感じました。
 現在の憲法には、主権の存する国民の総意に基づくということで、その権威の源泉は国民そのものにあるという立場でございます。しかしながら、私自身の経験からして、子供のころ、天皇陛下というのはなぜいらっしゃるんだろうかという素朴な疑問を持って、どう考えてもわからない、親に聞いてもわからないという経験がございます。しかしながら、日本の歴史を勉強し、かつこの日本社会の中に五十年生きてきて、何となくわかったという点がございまして、しかし、そこが大事だと思うんです。
 そういうことを子供にもわかるように、なぜ象徴天皇制が必要なのか、その権威の源泉を賢い人にすばらしい文章を書いてもらって明記することが、これからの日本国憲法には必要なのではないか、私はこのように考えております。
中山会長 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて象徴天皇制について、特に天皇の権限・国事行為等を中心としての自由討議を終了いたします。
    ―――――――――――――
中山会長 次に、地方自治について、統治機構のあり方に関する調査小委員長から、去る十三日の小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。統治機構のあり方に関する調査小委員長杉浦正健君。
杉浦委員 統治機構のあり方に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。
 本小委員会は、三月十三日に会議を開きました。参考人として、新潟県亀田町長阿部學雄君をお呼びいたしまして、地方自治、特に小規模自治体の実態について御意見を聴取いたしました。
 会議における参考人の意見陳述の詳細につきましては小委員会の会議録を御参照いただきたいと思いますが、その概要を簡潔に申し上げますと、
 まず、亀田町が地理的にも日常生活においても新潟市との関係が密接であるということについて詳しく説明がなされました。
 その上で、新潟市等との合併構想の経緯につきまして、当初は市制化を目指し、次に隣接する横越町との合併を行う五万人都市構想を持たれたということでございます。その後、地方分権一括法の施行や合併特例法を背景といたしまして、町内の諸団体からの要望を契機といたしまして、平成十三年から一市二町で合併協議が進められてきたとのことでございます。そして、平成十四年には、さらに広く近接市町村を含みまして、新潟市を中心とする四市四町四村、十二市町村による政令指定都市を目指す新潟地域合併問題協議会が設けられ、協議が進展していることなどが述べられました。
 政令指定都市の実現によりまして、人口面や地理的な利点を生かしつつ、空港等の拡充、近隣県との交流、商業の集積等を図ってさらなる発展を目指し、亀田町としても、新しくできる市の副都心として発展していきたいという考えが述べられました。
 このような参考人の御意見を踏まえまして、質疑及び委員間の自由討議が行われました。委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われ、広域合併により政令指定都市を志向する理由、都道府県の役割と道州制の導入、合併における地域住民の声の反映等についてさまざまな意見が述べられました。
 会議を通じての小委員長としての感想を申し上げますと、
 亀田町のような小規模自治体のあり方については、現状のような地方財政が厳しい状況においては、亀田町のような比較的豊かな町であっても、スケールメリットが生かせないとか、あるいは行政運営の効率化という点についてさまざま、効率化がなかなか困難であるというふうに拝察されました。
 交通の発達あるいは情報化の進展に伴いまして、住民の社会的、経済的活動範囲が拡大し、市町村が相対的に狭小化しているという実情でございますが、そういう実情のもとにおいては、市町村合併を強力に推進いたしまして、この新潟政令指定都市構想、四市四町四村、十二市町村の合併、これは画期的なことだと思いますが、そのような合併の進展によって市町村の規模、能力を拡大するということが必要なんじゃないだろうかと思うわけでございます。
 そうして、今全国的に市町村の合併が進展しておるわけですが、そのような進展によりまして、市町村の規模、能力が拡大いたしていく場合には、都道府県のあり方についても、道州制の導入等を視野に入れて検討する必要があるということも改めて痛感いたしましたし、それを通じて、国の統治機構のあり方についてもあわせて考えていく必要があると感じておる次第でございます。
 次回の小委員会におきましては、司法制度及び憲法裁判所、憲法の有権解釈権の所在をテーマとしておりますが、今後とも、さまざまな角度から二十一世紀におけるこの国のありようというものを考えてまいりたいと思っております。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 これより、地方自治、特に小規模自治体の実態についての自由討議を行います。
 まず、島聡君。
島委員 日本国憲法第八章の地方自治というのは、第二章とともに新しい憲法に盛り込まれた章であります。この阿部参考人のお話を聞きながら、憲法九十二条にあります地方自治の本旨というか、地方自治というものが本当に実現されつつあるんだなということを感じながら、この前の参考人の意見を聞いていたわけでありますが、この憲法九十二条の地方自治の本旨というのは一体何なのかということがきちっと議論されていないんじゃないかというふうに私は思うわけであります。
 憲法九十二条、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」とあります。この地方自治の本旨、一体何なのか。
 合併の話でありますが、例えば、地方自治の本旨というもののグローバルスタンダードというのには、例えばですが、欧州評議会というものがつくった欧州地方自治憲章というのがあります。あるいは国際自治体連合というものがつくった世界地方自治宣言というのがあります。その中で、世界地方自治宣言をとりますと、これは十一条から成り立っているんですが、自治体の境界の変更ということに関しましては、四条で、これは自治体との事前協議があるべきであるというふうにされ、その廃置分合に関しましては、例えばイタリアの憲法などは憲法に規定されていると思います。そういう廃置分合というものに関して、合併というものに関しては、きちんと憲法で規定するほど住民の意思を重要視しなくちゃいけないんだというような、そういう地方自治の本旨というものをきちんと整理して、そして日本全体の市町村の再構成というものを考えていくべきであるというふうに思っております。
 今から、今杉浦小委員長のお話があった中の道州制の話を申し上げますが、地方公共団体という言葉は、当初のGHQ案ではローカルガバメントということでありました。ローカルガバメントというのを、日本の方がローカルセルフガバメントというふうにしました。そして、地方公共団体という形に改めたわけであります。
 これは、いいこともあります。つまり、ローカルガバメントだけ、地方政府だけのときの案では、その中の、いわゆる市とか県とかいうものを規定されていました、町とか村とか、憲法上に。ところが、地方公共団体という形にして、都道府県とか市町村とかいうことをきちんと明記しませんでしたので、それは立法政策にゆだねられまして、道州制というのを憲法改正することもなくできるというふうに私は解釈しています。
 したがって、それはいい点なんでありますが、となると、国の形とか国家の構造というものを考えることなく、単に規模の都道府県合併だけが道州制と言われる危険性すら持つことになってまいります。したがって、これから先、本当に道州制というものを議論すると、今杉浦小委員長おっしゃったわけでありますが、その際には、本当に国の形というものがどうあるべきなのかということをきちんとこの憲法調査会として議論してから道州制論に入っていくべきだと思うわけであります。
 それに関しまして、一つ申し上げておきますが、民主党の代表であります菅直人代表が一九九六年十二月六日の予算委員会でした質問があります。この質問は憲法六十五条の行政権の話をしておりまして、憲法六十五条が言っている行政権というものには自治体の行政権は含まれているのか、含まれていないのかという質問をしました。そこで、当時の大森法制局長官が、憲法六十五条の「行政権は、内閣に属する。」という意味は、行政権は原則として内閣に属するんだ、逆に言いますと、地方公共団体に属する地方行政執行権を除いた意味における行政の主体は、最高行政機関としては内閣であると。なかなかわかりにくいことを言っているわけですが、これは、地方の行政権が内閣の行政権に含まれ、その一部を譲り受けるということではない、内閣とは別で、独立して持っているものだということを示したというふうに民主党の菅代表はその後の「大臣」という岩波新書で書いているわけです。
 具体的に言いますと、地方自治の本旨というのは、国家が後見的な監督の範囲において存在理由があると強調するのは後見的自治観、これに反して、国家といえども侵すべからざる地方自治の原理があると主張するのが自立的自治観、それで、この大森答弁は、国家といえども侵すべからざる地方自治の原理がある、そういうことを言っているんだというふうに、法制局長官の答弁の中で言っておるわけでありますが、これは、法制局の答弁じゃなくて、憲法調査会としてはこうなんだということをきちんと言う必要があると私は思っております。
 以上、終わります。
大出委員 民主党の大出彰でございます。
 州の話なんですが、ちょっと一つ例を出してお話をしたいと思うんですが、州になっても実態を踏まえた部分で見ないとなかなかうまくいかないのではないかなと思ったりしているものですから。
 実は、アメリカの大統領選挙のときの例をとってみたときに、ブッシュさんとゴアさんが戦ったわけですね。最終的に三百五十七票の差だったのですね。ところが、全国ではゴアさんの方が五十四万票、実は多かったんですね。
 ところが、何で負けたかというと、フロリダだったですね。フロリダで負けたことになったものですから、結果的に、それで票の数え直しということを裁判所に訴えたわけだけれども、どういうわけか裁判所が数え直しを中止させたという事実がありましてね。
 フロリダでどういう問題が起こったかというと、日本の場合には、有権者の投票権について、例えば、過去に重罪を犯した人は投票権がありませんなどという法律はないわけですね。ところがフロリダ州では、過去に重罪を犯した人は選挙権を排除するという法律、州法がありまして、それを選挙のときに適用したんですね。そうしたところ、それとコンピューター時代だというのが絡んでくるわけですが、八千名の人が過去に重罪を犯したという理由で排除されたんですね。
 ところがですよ、コンピューター時代ですので、その八千名を選ぶに当たって、検索をするわけですね、名前で。社会保険の名前とかいろいろな名前で。その検索のうち、正解度が八〇%でいいというふうにやるわけですよね。ということは、二〇%間違った人が排除されちゃうわけですね。現に、その州の選管委員であった女の方も排除されたりして後で文句を言っているわけです。そのことによって、要するに八千人のうち二〇%の誤差があると三百五十七票を超えるんですね、はっきり言いますと。
 それで、これはおかしいというので、当然日本でも数え直しをやりますね、最後のときに。数え直しをやって裁判所に持っていったら、裁判所は、何人かの裁判官がお父さんの方のブッシュと関係のあるところの人でございまして、女性も入っているわけですが、何という判決を出したかというと、要するに数え直しを中止させたんですね。それは、ブッシュ陣営にとって不利益になるからと言うんですね。そのことは国にとっても不利益になるからということで、要するに歴史に残る最悪判決を出して打ち切った。そのことによって実はブッシュさんが大統領になってしまったというのが現実なんですね。
 このときに、コンピューターであるということ、選挙法を州で決めることができるということ、そして裁判所の実態によってはどういう裁判が出るかというか変わってくるということ、このことが、法律自体の制度としてはいいんですが、その実態を踏まえてみると、こういう現実が起こってしまう、そういうことを主張したかったんでございます。
 以上でございます。
古川委員 民主党の古川元久でございます。
 私は、先日の小委員会でも亀田町長のお話を伺いまして、また、別の機会のところで市町村長のお話も伺いますと、今進んでおります市町村合併については、自治体によって相当温度差がある。先日の小委員会で出られた亀田町のように非常に積極的な市町村もあれば、いわば中央から強制的に合併を促進される、背中から押されるような形での合併に対しては非常に後ろ向きな話もある。
 この温度差はどこに原因があるんだろうかなというふうに考えてみますと、やはりそこには、市町村合併の後にこの国の形がどういう形になるのか、その全体像が見えていない。ただ数が多いから数を減らそうという発想の中でやられているとしか当事者の方には見えていないんじゃないか。
 私はそこに、今のこの市町村合併というのが、本来議論しなければいけないこの国の将来の形というものを考えるときに、中央集権の体制をそのまま維持するのか、あるいは、道州制というような形で地方に大きく権限といいますか、主権と言ってもいいと思いますけれども、振ってしまって、地域主権の国家をつくるか、やはりそこのところがきちんと見えていないところの中で、一番末端の市町村の合併からかなり中央集権的に強権的な形で進めているというところに大きな問題があるのではないかという感じがいたしております。
 ですから、本来は、この市町村合併など小規模自治体の将来のあり方を考えるに当たりましても、道州制という形で地域主権の国ということにするということがまずあって、それぞれの道州において、その中に今存在する小規模自治体、市町村をどういう形に再構成するのか、それはそれぞれの道州の中で考えて決めていただくということが本来のあり方ではないか。
 そういう意味では、今進められている市町村合併というのは、中央集権の発想のままで、一律の基準で市町村を合併させていこうという形につながって、その辺が、本来の市町村合併の先にあるはずの道州制という議論がきちんと踏まえていない、そして、その部分がきちんと明確に見えていないことから今の混乱が起きているんじゃないかなというふうに私は思っております。
 そういう意味では、繰り返しになりますけれども、まず、この市町村合併、小規模自治体の合併問題については、そもそもこの国のあり方をどうするのか、地域主権の道州制の国にするということがあるのかどうか、まずそこの部分が決められた上で、そのもとで、それぞれの地域がそれぞれの地域の小規模な自治体のあり方についてまた自主的に決められる、そういう形で進められるべきであるという感を強く持ちました。
 以上でございます。
中山会長 予定の時間もございますので、地方自治に関する御発言は、現時点で名札をお立ていただいている委員まで、奥野、伴野、山口、金子、四委員といたしたいと存じます。よろしく御協力願います。
奥野委員 先ほどの報告を伺っていますと、道州制の問題とか小規模自治体の問題等々のことが議論になっているように伺ったわけであります。
 そういうことを伺いますと、憲法に書いてあります「地方自治の本旨に基いて、」という言葉、これをどう理解するかによって変わってくると思うのであります。
 私は、道州制をつくるのなら、府県制度は廃止しちゃって、すぐ市町村に結びつく、市町村を大きゅうしていかなきゃならない、そういう課題にもなると思うのであります。
 これから地方自治を言う場合には、基礎的地方公共団体は市町村ですから、市町村が本当に、住民がお互いに気持ちを合わせて、地域のことについては積極的に協力をし合っていこうじゃないかというように自治体が発展していくことが一番望ましいんじゃないかなと。単に行政の効率とか経済的な効率とかいうことを中心に、区域だけを頭に置いたような地方自治を考えたらいけないんじゃないかなと思ったりしているわけでございます。
 かつて、学校統合の問題が強い勢いで進展したことがございました。大きな学校にした方が、いろいろな専門の先生方を持つことができるわけだから、教育の内容も浸透するんだ、だから、五キロ、十キロの離れたところに通うことも意としないで合併が推進されたときに、それはとても困るんだということで強い反対の意見もございまして、私は、人口の少ない地域で学校をそのまま維持していきたいというところはやはりそれなりに意義があるんじゃないかな、こう思います。
 スイスは連邦国家でございまして、帰化を許す場合にも、基本の自治体が賛成しないと認めないんだそうでございます。私は、そういう地方自治体の方がいいんじゃないだろうかなと思うわけでございます。しかしそれは、行政運営上、経済効率的にも悪い、不便だ、いろいろな問題はあり得ると思いますから、それはまたそれなりに、今でも連合の組織を認めているわけでございまして、広域連合で消防の仕事を一緒にやっていこうじゃないかというのがあるわけでございますので、それは、行政運営のあり方として地域をどうとらえていくかということは考えたらいいと思うわけであります。
 だからといって、地方自治を無視するような、本当に住民がお互いで解決していくんだという気構えを崩すようなことにならないようにしたいなと。広域合併を言われる方が、それでは、その市町村の中へ、また地域を限ってある程度の自主的な運営を認めることにしてもいいじゃないかという議論もあるようでございますけれども、どちらを選ぶかということだと思うのであります。効率を中心にして広い単位の自治体を考えるのか、そうじゃなくて、やはり住民の、あるいは地域の地勢とか従来からの経緯とかいろいろなことはあるわけでございますから、本当に住民がお互いにやっていこうというその組織を壊さないように考えていくのが、これはやはりよく詰めた上で考えていかなきゃいけないんじゃないかな、こう思ったわけでございました。そういうことを小規模地方自治体についてもお考えいただいたらいいんじゃないかな、こう思います。
 財政的には、そういう地域でもやろうとすればやれるような仕組みが今日はできているわけでございます。いささか小規模自治体に対して配慮し過ぎた結果、合併を阻害している点もあるだろうと思います。それはそれなりに改めるべき努力がなされているわけでございます。
 いろいろなことを申し上げましたが、せっかくの実りある結論が実態に合ったように願う余り、ちょっと申し上げさせていただきました。
伴野委員 民主党の伴野豊でございます。
 先ほど小委員長の御報告にもございましたように、ぜひとも、私の立場からしましても、道州制の議論を積極的に進めていただきたいなと思うわけでございますが、その中で、先ほど島委員、古川委員の指摘にもございましたように、やはり国と地方のあり方といいますか、その行政単位に何を期待するかという根本的な議論からぜひ推し進めていただければ、こんなふうに思うわけでございます。
 そうした中で、私の持論を少しつまびらかにさせていただければ、私自身は、おおむね三十万から六十万ぐらいの都市が大体三百ぐらい全国にあって、それを緩やかな道州制で統治していくというのが理想ではないかなという持論を持っているわけでございます。
 そうした適正規模を考える上で、今回、小規模自治体の実態について御議論をいただいたわけでございますが、私は、もう一方の究極の形として、いわゆる大規模自治体の実態についてもぜひ御議論いただければなと。
 私は、確かに小規模の自治体の弊害というのもあるわけでございますが、もう既に政令指定都市を初めとする大規模自治体の限界というのも随分見えてきているんではないか、あるいは、その弊害というのも随分あるんではないかなと。今期待すべき行政区としては、随分その適正規模を超えている、特に機動性という面では超えているようなところが随分あるのではないか。ですから、合併論を議論されるならば、やはり分割論というものも議論すべきではないかなと考えます。
 そうした中で、どうしても行政区と選挙区というのはそもそも目的が違うから、いろいろな知恵を出せばいいんだという方もいらっしゃるかもしれませんが、私は、そこに住む住民の立場からすれば、できるだけそういった単位というものはシンプルであるべきだと思います。そういった場合に、どうしても衆議院の小選挙区を初めとする選挙区と行政区との兼ね合いというものは、ぜひ一度これも議論していただければな、そう思うわけでございます。
 以上です。
山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。
 小委員会については先ほど小委員長から概要の報告があったんですけれども、ですから、やや感想めいた話になるんですが。
 一つは、亀田町長の阿部町長が、今この町の抱える広域行政や合併をめぐる問題を随分詳しく報告されました。リーフレットも配付されまして、この地域はこういう施策をやっている地域だとか、四つほどでしたか、ゾーンまで示されて、詳しい話があったんですけれども、それを聞きながら私が感じましたのは、やはり一つは、どういう亀田町長なり新しい町を構想するのかという場合に、地方自治法が定める住民福祉の増進というところが基本に置かれるべきだなというふうに感じました。この点では、阿部町長がみずから、実は御自分はお医者さんなんだということで、その点は一貫して重視しているつもりだという話がありました。それからもう一点は、新しい町づくりにかかわりますので、やはり住民の皆さんがどう考え、また説明を受けているのかということが大事になりますので、この点についても、亀田町としての努力の方向は示されたと思います。
 私は、その上で感じましたのは、小規模自治体については、全国町村会の皆さんも随分意見を表明されておりますので、今回の場合は新潟県という、町村合併の問題ではかなり広くいろいろな仕事をなさっている県のところからの報告だったんですけれども、ぜひ全国町村会からの参考人という形での実現も図っていただきたいということを要望しておきたいと思います。
 それから二つ目なんですが、地方自治の本旨なんですけれども、憲法上は短い言葉ですが、これは地方自治法によってその後具体化されましたように、地方の行政については地方の公共団体が住民の皆さんの責任と負担に基づいていろいろな行政を進めるという点では、中身は非常に明瞭だと思うんです。
 それと、先ほどヨーロッパなどの自治体の動向の紹介もございましたが、これは前回の調査会のときに、谷川委員から随分詳しくヨーロッパの地方自治をめぐる問題の発言がありましたので、これはやはり引き続き検討すべき事項になっているというふうに思います。
 以上です。
金子(哲)委員 私は、合併の論議が進んでおりますけれども、二つの視点から問題を考えるべきだというふうに思っております。
 一つは、やはり合併ということで広域化をしますけれども、私が住んでおります広島県のある町長がおっしゃいましたけれども、合併をすれば、当然、広域化することによって住民への福祉、行政のさまざまな直接的なかかわりというのが遠くなる、それを受ける場合に何が重要かといえば、やはり地域コミュニティーというものがどれぐらい確立しているのかということが重要だという話が出てまいりました。地域のコミュニティーが、広域になった場合に支えていく大きな役割になると。その点でいいますと、それらの町づくりといいますか、そういったことが本当に今十分に果たされているだろうかということを考えます。そのことを抜きにして広域化をしたときの弊害というものについてどれだけ論議が進んでいるかということをまず指摘しておきたいというふうに思います。
 もう一つは、先ほどの論議の中で住民投票の問題が出てまいりましたけれども、やはり私は、この合併問題にしてもそうでありますけれども、基本的に、地方自治にかかわる問題については、住民の合意というもの、また住民の意見というものがどれだけその中で反映をされていくのかということが重要だと思います。
 この間の合併論議、私は先日のお話を直接小委員会に参加しておりませんから聞いておりませんので、亀田町長のお話の場合どのように努力されているかを十分把握せずに発言をしておりますけれども、全体的に、全国的な状況を見てみますと、一定の中央から示した日程に従いながらということで、住民の合意というもの、合意づくりということについて、もちろん首長や議会の代表が法定協議会などで討論されていることは承知をしておりますけれども、しかし、住民個々の意見というもの、また、それをどのように集約されているかということになりますと、極めて不十分だと思います。それはなぜかといいますと、具体的な合併の論議が進展していく中にあって、そういう問題や弊害が出て、それが阻害される要因になっている事例がこの合併論議の中に多々あるということであります。
 もちろん、首長にしても、議会の議員にしても、選挙を経ておりますから一定の住民の民意を反映しているということになると思いますけれども、必ずしもそれは、例えば合併なりある一つの重要な事項のみを、選挙の争点とか公約として掲げて住民の意思を問うたということではありませんから、私は、そういう重要な点については、やはり住民投票等を含めた直接的なそういう意思表示、意思を確認するというようなことを経なければ、本当の意味で住民の合意をつくったということにはならないのではないか。その辺が今、新たな地方自治ということが言われながらも、その最も重要な住民の参加という点について、今進んでいる合併論議というのが、全国的な状況を見ても必ずしも十分ではないのではないか。そして、それらを補完する意味で、また、そうした住民の意思をはかる意味でも、こうした重要な案件については、住民投票などというものがしっかりと行われてその意思を決定していくということが重要ではないか。
 そういう意味では、私は、むしろ住民投票というのは、そういう役割を持ったものとして、今後、ある意味では積極的に、何でもかんでも決めるということではありませんけれども、その自治体にかかわって極めて重要な案件、それは議会でも論議しなければならないと思いますけれども、そういったことは住民投票を経てやはり決定をしていくというシステムも今後は極めて重要な問題になってくる。そして、そういうことを通じて、より住民が直接的に参加をする、住民の声が本当に反映をされていく地方自治というものを確立していくということがやはり重要ではないかというふうに考えております。
 以上です。
中山会長 それでは、これにて地方自治、特に小規模自治体の実態についての自由討議を終了いたします。
    ―――――――――――――
中山会長 次に、労働基本権について、基本的人権の保障に関する調査小委員長から、去る十三日の小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。基本的人権の保障に関する調査小委員長大出彰君。
大出委員 基本的人権の保障に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。
 本小委員会は、三月十三日に会議を開き、参考人として、東京大学教授菅野和夫君及び内閣府情報公開審査会委員・元労働省女性局長藤井龍子君をお呼びし、公務員制度改革及び男女共同参画の視点から、労働基本権について御意見を聴取いたしました。
 会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会の会議録を参照していただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、
 菅野参考人からは、
 まず、公務員制度の構築に当たっては、その労働基本権制約の枠組みの成立過程の検討が重要であるとの認識のもと、その枠組みの理論的基礎となった二つの大きな流れが紹介されました。
 その一つは、米国における主権理論とそれを基礎とする初期の全体の奉仕者論や後期の全農林警職法事件判決であり、もう一つは、ドライヤー報告とその理論を承継する東京中郵事件判決であります。
 そして、今回の公務員制度改革においては、重要な論点についての議論の先送りが散見される点に懸念が示されるとともに、ILO中間報告からは労使関係の構築について十分な協議が必要であるというメッセージを酌み取るべきであるという指摘がありました。
 その上で、今回の大改革に値する戦後の公務員制度における労使関係の十分な再検討が必要であり、総じて広く意見を徴するプロセスを重視すべきであるという意見が述べられました。
 藤井参考人からは、
 男女平等を定める憲法が、雇用の場における女性の地位の向上に大きな影響を与えたとの認識のもと、男女共同参画社会基本法の制定に至るまでの経緯が紹介され、また、女性の基幹労働力化等が進む一方で依然として採用差別等が存在すること、出産時の離職と育児一段落後の再就職の傾向が諸外国に比べ顕著であることといった我が国の女性労働者の特徴が指摘されました。
 その上で、雇用の場における男女の機会均等のための提言として、
 一、強制的な命令権限等を有する救済機関の設置など救済措置の拡充
 二、育児が一段落した後の再就職のための施策の拡充
 三、家庭と仕事の両立のための環境づくり
の三点が提示されました。
 このような参考人の御意見を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われ、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われました。
 そこにおいて表明された意見を小委員長として総括するとすれば、
 平等権、労働基本権に係る憲法上の規定については特に問題はないとする意見が大勢であったように思いますが、家庭や家族など憲法上規定が設けられていない事柄についてどのように評価するかについては意見の分かれるところでありました。
 公務員制度改革については、特にILO中間報告をどのように評価するかについて意見の分かれるところであり、活発な議論が行われました。
 また、男女共同参画については、参考人より示された三つの提言を実現するためにどのような施策が必要かについて意見の交換が行われました。
 今後、公務員制度改革、特に公務員の労使関係のあり方について及び雇用の場における男女共同参画について、憲法の理念を実現するために議論を深めていくことが必要であると感じた次第です。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 これより、労働基本権について、公務員制度改革及び男女共同参画の視点から自由討議を行います。
 まず、谷本龍哉君。
谷本委員 自由民主党の谷本龍哉でございます。
 私は、労働基本権を公務員制度改革という視点それから男女共同参画という視点、この二つの視点から議論するに当たり、それぞれ次の点を申し述べたいと思います。
 まず、公務員制度改革の視点からの労働基本権の議論ですが、これは、一方には憲法二十八条の要請、そしてもう一方には憲法四十一条及び憲法八十三条の要請、この両者のバランスをどうとるかということを議論すべきであると考えます。
 まず、憲法二十八条では、労働基本権はすべての勤労者に保障されるものであること、そしてこの勤労者には公務員も含まれるとするのが慣例、通説であります。この点から導けば、団結権、団体交渉権そして争議権も公務員にも認められるべきではないかというふうになります。
 しかしながら、一方において、憲法四十一条は、国民の代表者から構成される国会が唯一の立法機関であることを定め、また憲法八十三条は、財政民主主義、つまり「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。」というふうに定めております。
 ここから、公務員の使用者は政府ではなくて主権者たる国民自身であること、したがって、公務員の労働条件は国民の意思を代表する国会が決すべきであって、政府には本来決定権がなく、公務員と政府の間に団体交渉権はあり得ない、そういういわゆる主権理論が導かれ、公務員が労働条件に関して労働基本権を行使することは民主主義の決定過程をゆがめることになるのではないかという疑問が浮かびます。
 それでは、この両者のバランスをどこでとればよいのか。現行の公務員制度は、勤務条件の法定主義に加えて、代償措置たる人事院制度を設けることによってこのバランスをとろうとしていることは周知のとおりでございます。そして、今回の公務員制度改革においては、能力主義、新人事制度などの導入が検討されており、一方では人事院の権限を各省大臣に移すことについても検討が行われております。その是非も踏まえ、両者のバランスをどこでとるかということについて、より十分な議論が必要であると考えます。
 次に、男女共同参画の視点から労働基本権を議論するに当たりまして、雇用の場において男女共同参画をどのように実現していくかの手法について議論する必要があると考えます。
 男女平等という場合の、この平等という言葉には二つの意味があると思います。一つは結果の平等であり、そしてもう一つは機会の平等であります。
 例えば、国によっては、議会において一定数の議席を女性に割り当てるクオータ制というものをとっているところもありますが、これは結果の平等を重視する手法と言えます。しかし一方で、アメリカにおいて、従業員の採用に際し人種などの強制的な採用枠を設けている企業が、逆に機会の平等を害された、逆差別だとして訴訟を提起された、こういう事例も耳にいたします。
 我が国において、雇用の場における男女共同参画を実現するためには、ある程度強引であっても結果の平等を推し進めるべきなのか、それとも機会の平等の観点から、男女共同参画の実現を促進するための環境整備、制度づくりに重点を置いて行うといった手法が適しているのか。私は、個人的には、当然機会の平等というものを原則としながら結果の平等に少しだけ踏み出した政策をとらなければ、なかなか男女共同参画は進まないというふうに考えますが、このバランスについても十分な議論をする必要があると考えます。
 以上です。
今野委員 この小委員会で、ILO勧告を無視するかのような政府の姿勢が確認されたのではないかと思います。また、(b)の十四条で性差による差別を禁止しているにもかかわらず現実には差別が存在しているという意見も各委員から出されました。また、藤井参考人もそのように述べておられたと思いますけれども、藤井参考人の指摘のとおり、採用差別の点で見ましても、男女の性差による差別、年齢あるいは人種によって差別が現在も行われております。
 ただ、こうした年齢あるいは性差、人種による差別というのは、差別の問題ということからすると非常に大きな範囲を占めていると思われますが、そういうところからこぼれている人たちも採用の差別について苦しんでいるという実態があります。
 例えば、性同一性障害の方々ですけれども、この性同一性障害の方々は、精神的な、つまり心の性と肉体的な性が同一ではなくて、そのはざまで苦しんでいる。心の性に自分の体を合わせたい。また、そうしたその方々の要求によって埼玉医大等でそういう手術もされている。そういう肉体的な希望する性を獲得したにもかかわらず、戸籍上はそのように生きていくことができないという障害があって、戸籍法の改正をこの方々は望んでいるわけなんですけれども、そういうことと一緒に、採用の差別についても、やはり私たちは考えなければならないのではないかと思います。憲法十三条によって、みずからの自由、幸せを追求する権利が保障されているわけでありますから、こうした方々への採用差別もあってはならないという目配りを、また制度的にも整備をしていかなければならないと思っております。
 採用差別に当たって行政が指導的な立場に立って対処していくには限界があると藤井参考人はあのときに話しておられました。また、そうしたことから、強制的な命令権限等を持つ救済機関を設置する必要があるのではないかということも話しておられました。
 こうした少数と思われる方々の採用差別にも対処し、また命令権限を持つ救済機関を設置する、整備をしていく必要があるのではないかと、このときの小委員会では私は強く思いました。
 以上でございます。
島委員 民主党の島聡でございます。
 実は、ILO勧告に関しまして、昨年の十二月に私はジュネーブまで行ってきました。当時、民主党の次の内閣の総務大臣をしていた関係がありまして、ジュネーブまで行ってきました。
 ですから、皆さんに、議論につきましては出尽くしている感がありますが、これは特に与党の皆さんにきちんと申し上げていかなくちゃいけないと思いますが、公務員改革大綱というものの出し方に関して、ILOは、非常に強い確信を持った態度で、あれはILO条約に対しておかしいということを言っております。私は、特に組合の活動等の経験はない人間でございますので、割と白地の目でILOというものを見ることができたわけでありますけれども、これは極めて、今の日本のやり方に関して、グローバルスタンダードから考えたらどうもおかしいということを明快に感じているということは事実であります。
 今後、労使関係、つまり公務員の労使関係をどう構築していくか、公務員の労使関係に関して検討をする方法がきちんとされていないということがあった場合、これは非常に大きな問題になるということを私は肌で感じてまいりました。
 日本にとっては、これを機に、公務員の労使関係というものをどうきちんと改革していくかというゴールデンオポチュニティーであるという、ゴールデンオポチュニティーという言葉を何回も使っておりましたので、そういうことを認識していくべきだと思います。
 憲法調査会ニュースで、今拝見をしておりますと、いろいろな議論があるようでございますが、憲法の問題でいきますならば、憲法九十八条における国際条約、憲法の最高性と条約及び国際法規の遵守ということでいけば、ILO条約というのはこれに当たるのかということに対する私の予算委員会の質問に対して、川口外務大臣は当たると明快に言っておりますので、そういう状況の中でこれは議論をするべき問題だと思います。
 それから、人事院とか公務員制度改革における評価、大臣が評価したりする問題につきましては、憲法十五条の公務員は全体の奉仕者であるべきということが本当に守られるかどうかという議論をする必要があると思います。
 今、議院内閣制であって、政党というものがいろいろな形で政治的な大きな影響を及ぼします。そして、大臣は、あくまでも当然、全員がそうではありませんけれども、憲法上国会議員であることが何分の一かは要請されているわけでありますので、そうすると、政党政治というものをきちんと体現する政治家が、大臣として行って、そしてそこの人事能力及び権限を強化していく。
 人事院というものを縮小していくことに関しては、全体の奉仕者である公務員というものをきちんと維持できるかどうかということの観点からも、これは整理をしていく必要があると思います。
 何より、何につきましても、この公務員制度改革の大綱に基づく日本の進め方に関しましては、ILOは本当に厳しい態度をしているということを改めて申し上げたいと思います。
 以上です。
春名委員 日本共産党の春名直章でございます。
 今の島委員のお話の続きということになるかもしれませんが、労働基本権と公務員制度を検討するに当たって、ILO勧告、中間報告をどう受けとめるかは決定的だと思っています。
 一つは、日本の公務員制度、とりわけ労働基本権の制約という実態が、今お話も出ましたが、国際水準から立ちおくれているということを指摘されているわけであって、これを真っ正面から受けとめるということが大事です。二十一世紀の公務員制度を展望したときに、避けて通れないと考えます。日本の特殊事情があるといってお茶を濁すのではなくて、政府もグローバルスタンダードと言われるわけですので、今は、そのことの実現がまさに図られるべきであるということの問題提起であるということだと思います。
 第二は、政府は、この中間報告、勧告を尊重し生かす国際的責務があるということについても、認識を深める必要があります。
 日本がILOに加盟した際に、ILO基準が各国に一律に、かつ、一貫して適用されることを確認しています。あらゆる政府がILO条約を批准することにより負うコミットメントを十分尊重する義務がある、こういう原則を受け入れております。
 そして、一九五三年に九十八号条約、これは言うまでもなく団結権及び団体交渉権についての原則の適用に関する条約を批准し、六五年には八十七号条約、結社の自由及び団結権の保護に関する条約を批准しているという事実もあります。
 日本政府は、こうしたみずからとってきた今までの姿勢に照らして、今回の中間報告、勧告を真摯に受けとめて、国際的な責務を果たすという方向で努力を尽くす必要があります。
 三つは、この勧告の内容が、日本国憲法の基本的人権の保障の大きな柱の一つの実現という性格を持っていることを深く受けとめるべきだと思います。
 そもそも、憲法二十八条ですべての労働者に労働基本権を保障しています。公務員だけいつまでも例外でいいのかが今問われていると思います。いつまで憲法理念に背いた実態を放置するのかということだと考えます。今ある憲法理念を実現せずして二十一世紀は決して展望できないということではないかと思います。
 政府は、ILOの方が誤解したり間違っているという認識を吐露されておられますし、同時に、ILOが憲法や国内法に優位するものではないという議論があって、参考程度のものだという議論もあります。しかし、これらは、ILO勧告を実施しなくてもよいとするような見地からの理由づけに思われます。私は、その姿勢自身が今国際機関から問われているという問題提起だと思うんですね。
 戦後、現行の公務員制度が生まれてから、初めての大改革に今臨もうとしているときです。このILO勧告を正面から受けとめる必要があると考えます。この機会に、ILOから繰り返し指摘されなくてもいいように、憲法理念の実現に踏み出すことが重要になっておりますし、目の前にこういう憲法と現実との乖離の問題が提起されているわけですので、大いに深めていく重要課題である、憲法調査会としても大事な課題であると認識をしているところであります。
 以上です。
中山会長 予定の時間もございますので、労働基本権に関する御発言は、現時点で名札を立てておられる委員まで、すなわち、水島、金子、平林、大出の四委員といたしたいと存じますので、よろしく御協力をお願いいたします。
水島委員 男女共同参画について発言をさせていただきたいと思います。
 この前の小委員会での議論を総括いたしますと、日本国憲法が定めている働く権利を男女平等という観点から見ますと、まだまだ憲法が定めているところには達していないというのが大方の理解であったと思いますし、参考人もそのような意見表明をされておりました。雇用機会均等法、男女共同参画社会基本法が制定されたとはいえ、まだまだこれから取り組まなければいけないことはたくさんございますので、それについてはまた国会の中で審議を続けてまいりたいと思っているところでございます。
 どうしても、このように女性が働くということになりますと、必ず典型的な議論が起こってまいります。この前の小委員会の中でも、典型的な意見が出ておりました。つまり、女性が働くのは結構だけれども、家庭はどうなるのだ、子供はどうなるのだ、そういう意見でございます。
 そんな意見を反映してか、憲法上に家庭を守る義務というのを規定すべきではないかなどというようなおもしろい意見も出たわけでございますけれども、日本は、御承知のように、子どもの権利条約を批准している国でございまして、憲法上これを遵守する義務を負っているわけでございますけれども、子供の権利という観点から見ますと、当然、子供が健やかに育つ環境を提供する義務を周りの大人たちは負っているということになるわけでございますから、今さらこれを憲法に書いてもらわなければわからないなどという情けないことをおっしゃらないで、ぜひ、子供の権利という観点から、親が働くあるいは地域の大人たちが働くという問題を考えていただきたいと思っております。
 その上で、今は少子高齢化社会でございまして、子供にとって、周りの子供の数も少ないですけれども、身近な大人の数も少ないという、もうかなり大きな変化を社会は遂げているわけでございます。親はもちろん、地域の大人たちが子供に対してもたらす影響というのは非常に重いと思っております。
 そんな中、一人一人の大人たちが、これは男性だろうと女性だろうと、どれだけ自分の子供あるいは地域の子供たちと向き合う時間を持てるか、向き合うだけの精神的な余裕が持てるかということが、日本の子供たちを健康に育てていく上で、もうこれは至上命題だと思っておりますので、この女性が働くという問題、女性が働くと家庭はどうなるのだという、そんな卑近なレベルで考えるのではなくて、男性も女性ももっと家庭に帰れるように、自分の仕事と生活とをバランスさせられるように、そのための施策を講じていくのが国会の役割ではないかと思っておりますので、ぜひそこのところの考えを一度きちんと整理していただきたいと思っております。
 データを見ますと、母親が子供と長時間一緒にいるからいい子が育つというのではなくて、一緒にいるときの母親がどれほど安定した精神状態でいるかということが子供の発育に直接の影響を及ぼすということがデータからもわかっておりますので、きちんとそれぞれの人の仕事と生活をバランスさせて、非常にバランスのとれた精神状態に置くということが男性にとっても女性にとっても極めて重要なことであるということをぜひ皆様の念頭に置いて議論を続けていただきたいと思っておりますし、少子高齢化社会の中、これは机上の空論ではなく、そのような現実に目を向けなければ日本は立ち行かないのだということをぜひ真剣に考えていただきたいと思っております。
 これから、働く権利と男女平等ということを論じる際には、ぜひ、そこで子供がどのように育っているかということを観念論ではなく現実論としてとらえていただけますようにお願いを申し上げたいと思います。
 また、この働く権利と男女平等ということで考えますと、もう一つ大きな問題がございまして、私もかつて法務委員会で取り上げたことがございますが、例えば交通事故などで子供が亡くなったときの逸失利益の算定方法、これが男女で異なっているという現実がございます。
 これは、男性と女性の平均賃金が違いますので、その子があと何年生きていたら幾らお金を稼いだかということで考えますと、男女別に計算している限りどうしてもその値段が違ってくるということになります。私にも娘と息子がおりますけれども、例えば残念なことにこの子たちが何らかの事故で命を落としたときに、この子たちの命の値段が違うとはとても思えない。私の自分の家庭で見ればどうも娘の方がお金を稼ぎそうだとか、いろいろそういうこともあるわけですけれども。
 そうやって考えますと、逸失利益が男女で異なるというのは憲法が定めている性別による差別にもしかしたら当たるのではないか、ちょっと素人ながらそのようなことを考えておりまして、これは、働く権利を男女ともに保障するということと、さらに現状に基づいて男女の逸失利益を算定するということ、これはまた違う話として論じてもよいのではないかと思います。
 私が質問をしましたときの法務大臣の答弁は、まずは男女の賃金格差をなくすことが先かと存じますという極めて冷たい答弁でございましたけれども、これは、憲法が定めている男女平等という観点からもぜひ委員の皆様にはお考えをいただきたいと最後にお願いをいたしまして、以上、発言とさせていただきます。
金子(哲)委員 社民党の金子です。
 労働基本権問題について意見を申し上げたいと思います。
 ILOの勧告、中間報告などについては、既に島委員そして春名委員から意見が出されておりますので、私もそのとおりだと思います。日本の政府というのはなぜこれほどまでにILOについては冷たい態度をとるのかということですね。この問題に限らず、この間のさまざまな対応を見ておりますと、常にILOの問題については無視をするという態度を一貫してとり続けてきたのが日本の政府だというふうに私は思っております。
 今回の公務員制度改革の問題をちょっと考えてみますと、本当にこの労働基本権にかかわる問題について真剣に論議をされたのだろうかということを疑問に思わざるを得ません。これらILOの勧告のみならず、先進国の国家において、公務員の労働基本権というのがこれだけ制約を受けている国がどこにあるだろうかということであります。だからこそILOもそういう勧告を出すわけであります。
 私たち憲法調査会も、その意味でいいますと、各国の憲法状況も調査をいたしましたけれども、公務員における労働基本権の状況というものについてもきっちりと調査をしていく必要があるのではないか。その上に立って、今我が国がとっているこのような問題がどうであろうかということを論議すべきだというふうに思っております。例えば、この前の小委員会でも申し上げましたけれども、消防職員の団結権すら認められていないような現状が一体妥当かどうかというようなことは、本当にもっと突っ込んで論議をすれば、当たり前のこととしてそれぐらいは認められてもいいというのが結論として出てくるのではないか。
 私は、そもそも、憲法第二十八条にうたわれている勤労者の団結権及び団体行動権は、長い歴史の中にあって、世界的な長い歴史の闘いによってこれらが認められてきた経過がありますから、そういう歴史的な流れの中で、ある時期、政治的な思惑の中でこういう公務員の労働基本権が制約を受けた。これまた、そのときの力関係とかさまざまな政治状況とかで、私は反対でありますけれども、いろいろ歴史的な経過があると思います。しかし、今日、二十一世紀を迎える時代に至って、五十年間も公務員から労働基本権のほとんどを奪っていることに対して何らの疑問も起きてこないというこの感覚が私には極めて疑問に思えてなりません。
 そういう意味で、私は、今回の公務員制度改革の中で本来すべての労働基本権、二十八条に保障された労働基本権は回復すべきだと思いますけれども、しかし、すべてが無理だとしても、徐々にであっても憲法二十八条に近づけていく努力といいますか、そういったことがなければならない。
 公務員が、例えば今回業務評価なども行われてくるわけですけれども、これは極めて働く人々にとっての労働条件の基本にかかわる問題であります。労働組合、労働者が一切関与することなくこれらが決められるような今のシステムというものが当然なことだというふうに言われること自身が私には到底納得がいきません。
 ですから、私自身は、皆さんがおっしゃっております、もし、与党、野党とかいうことではなくて、今のILOの中間報告に対しても御意見があるのであれば、国際的な今の公務員に対する労働状況、労働基本権の状況などももっとつぶさに調査をしていただいて、我が国がそれでもなおかつこれを制約しなければならないとするなれば、それに具体的な根拠をもっと与えるべきだというふうに思います。しかし、今の状況の中ではそれを説得し得る根拠とはなり得ていない。また、公務員制度改革論議の中でそれらが十分に委員間の中でも論議をされていたとは、その形跡として私には納得がいかないというふうに思います。
 そういう意味で、私ども憲法調査会ですから、憲法二十八条の憲法条文に照らしながら、そして、やはりそれに近づけていく努力を政府が行っていくという方向で論議が行われるべきだ。その一つの大きな根拠となってILOの中間報告もあり、そしてまた、国際社会における公務員の労働基本権の状況というものもしっかりと見詰めていくことが重要だということを申し上げておきたいと思います。
平林委員 私の意見は先般の基本的人権の保障に関する調査小委員会で申し述べましたので、重複は避けて、時間の節約をさせていただきたいと存じます。
 ILOのことにつきまして、特に、前回の小委員会でも議論があったところでございますが、私は、先ほど谷本委員がおっしゃった意見に賛成でございます。今後議論を深めるとしても、憲法の条文に照らしながら、しかも、労働基本権の日本におけるあり方というもの、実態というもの、そういうことを総合的に十分に勘案して将来の方向を定めるべきであると思っております。
 以上申し上げておきます。
大出委員 今、平林先生がおっしゃいましたけれども、先ほどの谷本さんの御発言の中にありましたのを反論しようと思って実は手を挙げたんです。憲法二十八条と憲法四十一条と憲法八十三条をお出しになったんですね。憲法二十八条は御存じのように労働基本権、憲法としての権利として書いてあります。四十一条は唯一の立法機関ということを書いてあります、要するに法律をつくりますよということですね。八十三条は財政民主主義、これも、法律で財政については決めますということですね。
 四十一条と八十三条を出されたんですが、二十八条の労働基本権というのは憲法上の権利ですので、法律で云々というのは、憲法の方が上位規範ですから、法律で憲法を説明することになるので、ちょっと無理があるわけですね。そういうふうに言われておりまして、これではちょっと説得的ではないなということなんですね。
 それとともに、NTTが民間になったら、すぐストライキ権オーケーになるわけですね。つまり、実態が変わらないわけでございます。ですから、労働者というのは賃金をもらって働いていれば労働者なんだ、公務員から民間になったらすぐストライキ権があるわけですから、そういう意味で、雇用関係にないというのはやはりうそでございまして、実態を見たときに、やはり政府と公務員労働者の中に雇用関係というものがあるということだと思うんですね。
 問題になさっているのは、公務員にストライキ権なんか与えたら何するかわからないとよくおっしゃる、古いなと石原さんはおっしゃったりしているんですが、そうではないのではないかと思うんですね。まさにILOが言っているように、話し合ったらいいものがちゃんと、わかり合って解決つきますよという話なんですね。公務員労働者に聞いてみても、今どきストライキは無理です、やらないでしょうという話で、昔の激しいストライキのときとは違うだろうというふうに思うんですね。
 例えば、きょう先ほども私読み上げた全逓中郵事件でございますけれども、これは私の父が被告でございます。そういうことがありまして、ドライヤー報告ということですが、田中二郎裁判官だったわけですが、そのころからのずっと懸案で、日本では、四十年間、この間も申し上げたんだけれども、専門官の方が、四十年も辛抱したんだ、今度は日本の政府が公務員制度改革というのを行うんだから、世界の常識に合わせたものを出してきてくれよ、こういうことを言っておられるので、そこのところは、公務員労働者と話し合いをしながら、しっかりと合意のあるいいものをつくっていただきたい、そういうふうに考えているところでございます。
 そしてもう一つ。男女共同の話でございます。
 先ほど、水島さんが逸失利益を計算なさったという話が出て、あ、ライプニッツ式なのかな、ホフマン式なのかなと思ったところでございますが、もし実態が同じであって男女が別に扱われるんだとすれば、それは当然憲法違反だろうと思いますね。そういうことがどうも日本は実態的に多いんですね。前に草野さんが来られたときも、どうも日本は男女の賃金格差がまずあり過ぎるという話から始まりましたけれども、私も本当にそう思うんですね。
 悪気があるわけじゃないんですね。現場の人に聞いてみると、いや、女性はこれくらいなんだよと言うんですね。要するに、やっている仕事が違うんだと言いたいらしいんですが、私なんか見ると、同じことをやっているのに何で違っていて認めちゃうのかなと思うんですが、悪気はなくて、我々が考えている以上に実態の格差があるんだということを再認識して、変えていかなければいけないのではないかと思っているところでございます。
 以上です。
中山会長 これにて労働基本権について、公務員制度改革及び男女共同参画の視点からの自由討議は終了いたします。
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中山会長 次に、非常事態と憲法について、安全保障及び国際協力等に関する調査小委員長から、去る六日の小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。安全保障及び国際協力等に関する調査小委員長中川昭一君。
中川(昭)委員 安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会における調査の経過及び概要について御報告申し上げます。
 本小委員会は、三月六日に会議を開き、参考人として、国際政治・軍事アナリスト小川和久君をお呼びし、特に自然災害等への対処を中心として、非常事態と憲法について御意見を聴取いたしました。
 参考人の意見陳述の詳細については小委員会の会議録を御参照いただくとし、その概要を申し上げますと、
 小川参考人からは、
 我が国では、法の制定等が自己目的化する傾向があるが、法制度の完成度を高めるためには法改正を通じた不断の努力が必要であり、憲法についても同様に、憲法違反状態を是正するとともに、憲法の完成度を高める必要があるとの見解が示されました。
 その上で、我が国が、世界平和の実現への積極的な努力を意味する平和主義や、その手段である国連中心主義等の憲法の精神に基づいて行動してきたかについて、
 国家生存権の観点からは、湾岸戦争時に我が国が存在感を発揮できなかったことを見据えなければならないとともに、テロリストと大量破壊兵器開発国の結合は国防上の脅威であることから、個別的自衛権による対処が可能であることを認識した上で事態の平和的解決に向けて努力すべきであり、
 また、国民の生存権の観点からは、武力攻撃事態に際しての国民の避難、誘導等に関する仕組みを、警察、消防、自治体等による対処の視点を通じて構築すべきであるとともに、交通事故に対処するためのドクターヘリの整備がおくれていることは憲法違反状態であるとの指摘がなされました。
 そして、これらを踏まえ、憲法を機能させるためには、防災、医療、交通事故といった基礎的問題を解決した上で、外交、安全保障という応用問題に対処すべきとの見解が示されました。
 その後、参考人の意見陳述を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われました。
 前回のテロ等への対処とあわせまして、参考人の意見陳述や質疑、自由討議で出された意見を小委員長として総括すれば、
 招致した各参考人からは、憲法に非常事態に関する規定を設けるべきであるという意見を初めとして、非常事態体制の整備に関する国会の責任について厳しい指摘を受けたことを深く受けとめたいと思います。
 参考人質疑や自由討議で表明された委員の発言を見ると、テロや自然災害への対処は、国民の生命財産を守るという共通の目的を有しており、これにどのように対処するかをきちんと検討しておくことが政治の責務であるという点については共通の認識があったと思います。
 具体的にどのように対処していくかということにつきましては、非常事態における国の権力行使のあり方や国民の権利義務制限に関する規定を憲法に設けるべきであるという意見や、住民避難や米軍の行動に関する法制を含めた有事法制を整備すべきであるとの意見が述べられた一方、前文及び九条の精神に基づき、有事を生じさせない努力をするべきであるとの意見や、生存権保障の観点から災害時の対応を考えるべきであるとの意見も述べられました。
 今後も、このような問題を初めとして、我が国の安全保障及び国際協力等のあり方についてさらに議論を深めていき、早急に共通認識に基づく合意形成を図る必要があると痛感しております。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 これより、非常事態と憲法について、特に自然災害等への対処を中心に自由討議を行うのでありますが、幹事会の協議決定に基づき、イラク問題、北朝鮮問題についてもあわせて行うことといたします。
 まず、首藤信彦君。
首藤委員 民主党の首藤信彦です。
 イラク問題、北朝鮮問題その他多くの問題を抱えているわけですが、この小委員会のテーマに基づいて考えると、やはり日本において何らかの緊急事態あるいは非常事態に対してのきちっと法的な整備がなされるということが重要であるということに関しては、ここの委員のほとんど総意であるというふうに考えてもおかしくはないと思います。
 しかし一方、憲法という点に関しては、この憲法がこうした問題に対処するには、ただ緊急事態権、非常事態対処というものを考えるだけではなく、現代社会そのものが内包しているリスクの問題についてきちっと対応していく必要があるのではないか、すなわち、憲法とリスクという視点でこの問題を大きくとらえていくということが必要ではないかというふうに考えるに至りました。
 例えば、私たちは非常に高齢、長寿の社会に入ってきているわけでありますが、その高齢、年をとっていく、長生きするということも、現代社会においてさまざまなリスクを社会にもたらしてきているということであります。
 例えば、百歳を超える長寿の方が日本でも一万人を超えるというような事態になってきて、そうすると、一体、定年後どうやって生活をしていったらいいのか、年金はどうしたらいいのか、あるいはそうした貴重な財源に対しての世代間の競争も出てくる。こういうことで、今までは社会におけるリスクとしてとらえられなかったものが、非常に多くリスクとして登場してきているということが着目されているわけであります。
 現実に、世界でも多くの社会学者、例えば、「リスク社会論」というものを書いた、リスク社会という言葉を提言したウルリヒ・ベックや、社会システム論のニコラス・ルーマン、あるいは「第三の道」で第三の道を提示したアンソニー・ギデンスなど、そうした世界の社会学者というものもリスク問題に着目しているわけであります。
 現代社会がとてつもない巨大リスクを内包する社会であるということがやはり理解されなければならないわけでありまして、冷戦構造の崩壊、蔓延する地域紛争、二千万人を超えるとされる難民や避難民、そして一方では、NGOの台頭に見られるような国家や国境の意味の変化、オゾンホールのような地球全体の環境劣化、グローバリズムのような世界各地の直接的な相互影響関係、一国の経済運営を一瞬で崩壊させるような通貨操作、クローン生物の誕生や遺伝子操作による農作物、それから世界で蔓延するテロリズムなど、我々が全く経験したことのない危機の要素というものが生まれ、そして拡散しているわけであります。
 そうした視点で現代社会を見ますと、日本国憲法というものがそうした現代社会のリスクというものに十分対処していないということが考えられるわけであります。
 日本の現憲法において何が欠けているかを考えてみたいわけですが、まず第一に、日常性を超えた危機が存在するという危機認識というものが明確ではありません。未曾有の破壊と人的被害をもたらした戦争が終わった反省に基づく憲法ではありますが、そうした危機が次にまた起こる可能性、そういうものを前提としてつくられているわけではないわけであります。それゆえに、この憲法が想定している事態を超える状況の出現にどう対処するかということに関して、これから真剣に考えていく必要があるということであります。
 第二に、世界がそうした危機状況に直面しているわけですが、それに対して日本がどう能動的に、積極的に行動するかということが明記されていないわけであります。もちろん、憲法前文にその精神が書いてあるわけですが、憲法の内容においてはその具体性が明確ではありません。したがって、そうした危機に直面する世界において、平和で安全な世界をつくるために日本が何をするかということが考えられていないわけであります。
 また、その危機がすぐ近くの国から発生するという認識もまた、この憲法の精神の中には存在していないわけであります。旧植民地であったような国が経済的に日本にとって非常に脅威となったり、あるいは旧植民地であった地域が相互に攻撃し合うような可能性というものは憲法において想定されておらず、またさらに、弾道ミサイルというような技術の進展が日本の平和と安全にどのような脅威になるかということも理解されておらず、また、ジュネーブ条約の追加議定書など、世界での人権、人道問題に対する進化や、あるいはNGOのような新しいアクターの存在が理解されていないわけであります。
 そしてさらに、自然災害という点に関しても、日本で都市化が進行し、極めて人口が集積している、そういう社会における社会経済システムにおける安全という点が非常に明確でない。ここから、日本の緊急事態法制というものは一体何をしていいのかということが非常に明確でないわけでありまして、具体論を現実に世界で起こっているさまざまな事例からもう一度きっちりと構成し直す必要があるんではないかと思っております。
 例えば、最近の有事法制論議においても、何か攻撃があったときには、あるいは安全が侵されたときには、自衛隊が住民を安全な場所に誘導するというようなことが言われておりますが、世界の紛争地に行けば、紛争が起これば、真っ先に起こるのは外出禁止令あるいはチェックポイントということでありまして、家から一歩も出さないあるいは通行をとめるというような最も基本的な人間の行動を阻止していく、そうしたことが最も最初に出てくる問題としてあるわけです。日本においてそうした事例が過去に余りなかったために、憲法においても、そういうものをどういうふうに扱うのか、最も基本的な人権をどのように制限していくかということに関して、明確な規定がないわけであります。
 ですから、この調査会としましても、総論において緊急事態法制あるいは緊急時におけるさまざまな法的整備が必要だという論議と同時に、やはり世界で起こっている現実の具体例の詳細を研究して、そしてそれに対処する、本当にどのような法的な整備が必要かを考えていく必要があるのではないかと考えております。
 以上です。
谷川委員 我が国成文憲法の一つである昭和憲法ができて五十年になるわけですが、今ここで、この五十年間の変化というものを一遍総括してみていいんじゃないかと私は思っておるんです。
 特に、安全保障の問題について、この五十年間に日本外の国々でどんなことが起こっているんだろうかという中で、私は、特にドイツとフランスの間で起こった事柄について非常に関心を持っておるわけです。
 過去百二十年間にドイツ、フランスは、ゲルマン、フランコで三回にわたって殺し合いを続けた。特に、アルザス・ローレンス、ザール、何回も国境が変わったわけですが、第二次世界大戦後、特に一九八七年の夏以降、コール首相とミッテラン仏大統領が実にすさまじい話し合いをやって、その翌年の一月にドイツとフランスの合同旅団というものの創設が決まった。今まで戦っていたものが、ひとり司令官のもとにスタッフを集めて旅団ができる。しかも、すべての演習が両国の間で実に細かく打ち合わせをしてあるようなことが起こってきた、私はそういうふうに判断するんですが、戦わない、不戦への相互醸成措置が人間の知恵でつくり上げられた、これは最大の芸術品だと私は思っております。
 問題は、ソ連崩壊後、ヨーロッパの一角でつくり上げられたこういう実験がヨーロッパの外でも動かすことが可能かどうかというところが、現在、ドイツとフランスとの間での最大の関心なんじゃないかと思うんです。
 もう一つ、これは日本の国内の問題です。
 日本が独立を回復して国連に加入するときに、非武装中立の議論がありましたが、国連創設の当時、既に五十一カ国が国連に加入しておったが、そのうちの二カ国が軍備を持っておらなかった。一つがパナマで、一つがコスタリカ。日本が加入する一九五六年までにさらに加盟国が増加しましたが、その中で軍備を持っていなかったのがアイスランド。つまり、国連というところは軍備を持たなくても加入ができるのかできないのか。
 あのときに日本の国内で非武装中立というような議論が出たんですが、ちょうど朝鮮戦争が始まってすぐ後だから、実は、そのときに憲法九条問題について十分議論がされずにそのままの形で、国連加入の方が先だということで加入を果たしましたけれども、私は、経済的に見ても戦後の復興にこれだけ成功した日本、経済的には世界第二位の経済力を持っている国が、安全保障といわゆる信頼醸成という問題に全然タッチしないで、国際社会で今後も世界の国々から期待される地歩を築き上げられるかどうか、今まさに、日本の国内だけの問題じゃなくて、外からも日本が見られているという時期になってきているんだろうと思うんです。
 それで、当委員会でぜひ協議してみていただきたいことは、実を言いますと、憲法九条、日本には二章で「戦争の放棄」と一条しかございませんが、あの条文は、実は国際政治学界の中でも、非常にわかりにくい、理解しにくいと言われている条文です。その中身については今後議論ができる機会があると思うんですが、私は、やはりここで一遍この五十年間を総括してみて、日本には日本としての憲法での安全保障の問題についての取り上げ方が議論できる時期はもう来ているのではなかろうか、国際的にそういう時代になっているのじゃないかということを感じております。
中山(正)委員 中山正暉でございます。
 今もお話がございましたように、日本国憲法の第二章の第九条、戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認、何もできないということが書いてあるわけです。憲法が決まった経緯をアメリカは永久秘密にしています。アメリカは情報公開法で、二十五年たちましたらすべてのことを公開するということになっていますが、永久秘密というのが、日本に与えた憲法の問題です。
 そのころはアメリカは武器貸与法で、ソ連にも金を貸し、英国にも、世界じゅうに金を貸して、アメリカの連合国の司令官は指揮の統帥権を持っていた、アメリカが勝利をするようにということで、日本との戦争に勝ったときはすべて連合国の頂点にいて、もうアメリカに逆らう国はない、日本を占領しているんだから、日本は何もする必要はない。特に、朝鮮動乱、一九五〇年の六月二十五日に突然起こりましたが、その一週間前には国務長官のダレスが三十八度線に行って、無事平穏と言って帰った後に突然、戦争が起こっています。
 そのことを考えると、これからどうするのか。私は、政治というのは、将来に対する想像力と空想力をたくましくして危険を回避するということが、我々政治家に課せられた一番大事な義務だと思います。
 私はたまたま、かつて三木内閣のときに、核拡散防止条約が日本の国会で批准されたときに賛成討論をしています。賛成討論をする前に、これは世界一の不平等条約ですよと。松野頼三政調会長でございましたが、政調会長のところへ行きまして、いいのですか。五つの国だけが核を持って、そしてほかの国は持ってはいかぬ、持ったら、相手の国の中身は見に行くけれども、おれたちの中身は見せないという。特に今、北朝鮮が核拡散防止条約から脱退をしました。これをどうすることもできないという形になっています。それからまた、生物化学兵器禁止条約を、私が外務委員長のときにこれも批准しました。
 これからの世界を見ていると、中国は二十四発の原子爆弾。日本からODAを三兆円もとって、二十四発の原爆を持っている国にODAを出すというのは一体どういうわけだろう。五十四回の実験をしていますね。これは無宗教の国です。
 今、アメリカの百年前のマハン戦略理論という、マハンという人が書いた戦略理論では、朝鮮半島からペルシャ湾まで、このリムランド、いわゆる弧状地帯を制覇する者はやがてハートランド、今もちょうどアメリカがイラクとかアフガニスタンとかに行っている、この地球の心臓部。アメリカにはいろいろな戦略計画があるのでしょうが、世界の平和をどういうふうに保つかという、アメリカ一流の、世界の警察国家としての責任を果たしているのかもわかりませんが、今、中国とは、イラク問題に対しても大変大きな対立をしています。
 アジアには、朝鮮半島、台湾海峡。台湾は、李登輝さんは今度は台湾共和国という名前に変えようと提言しています。東ドイツが国連に入って、東西ドイツが統一する。北朝鮮も国連に入っています。ところが、二千二百万の人口のある台湾が国連には入っていません。大変な紛争の種になる、特に、ミンダナオはイスラム、ルソン島はキリスト教徒、マレーシアからボルネオのサバ、サラワクからミンダナオまでつながるとイスラムの大きな輪ができますし、インドネシア一万五千の島々はイスラムです。アジアでもしアメリカと中国という核拡散防止条約の中で核を持ってもいいとお互いが認め合っている国が対立したときに、一体、日本はどうするのか。
 私はこの間から、自社さきがけの三党訪朝団で、私が副団長として一時間半拉致問題を、そのときは七件十人でしたが、これを説明しまして、その資料を向こうに受け取らそうとしたら受け取ってくれませんでした。私は、よど号が拉致した話もそのときはしました。八尾恵という人が有本恵子というのを誘拐したそうですからと。これが五年たってから七件十人が八件十一人に追加されたのは、私は、不思議でならないんですよ。私は五年前にこの有本恵子事件を言っています。
 その資料を渡そうとしたら、向こうが受け取らない。私は、昼食のときに、これは森団長にも野中広務事務局長にも相談をせずに、背中にその資料を隠しておきました。その資料を隠して、そして金容淳さんに、あなたがもしボタンを押したら、日本に八分間でミサイルが到達する、四分で見つけて四分で撃ち落とすのは不可能だということを私が言って、TMDは役に立たない、距離が近過ぎて上空でうまく会わないかもわからないという話をしたときに、そんなことはしないとおっしゃるから、それじゃこれを見てくれと。その場はまるで冷凍庫に入ったようになりましたが、私は背中からばっといきなり資料を出した。それを、いや、私が直接受け取るわけにいかぬから、それではあなたの隣の隣に座っている黄哲という審議官に渡してくれと。これが初めて、私が持っていった拉致の資料が北朝鮮に伝わった理由でございます。
 しかし、百九十カ国とおつき合いがあるのに、日本は一カ国だけ、北朝鮮とは国交がありません。北朝鮮は孤立しているように見えるけれども、百五十四カ国と国交があります。韓国は百八十四カ国とあります。
 そして、拉致の五人が帰ってきたのを、それを後ろで支援している支援の会の佐藤勝巳という会長は、北朝鮮から一九六二年と六四年の二回、九万四千人、そして日本人妻千八百三十二名が入っている、六千人の混血児を北朝鮮に送り返した功績で北朝鮮から勲章をもらっている人が、この拉致家族の後ろに支援の会の会長としているということは一体どういうことなのか。
 こういうことを考えると、日本の安全をどう確保するのか。かつては戒厳令規定というものが十四条に、帝国憲法の中には入っていましたが、戒厳令規定すらないというこの日本国憲法の安全の問題に対する大変大きな問題を、私は、この論憲において大いに討議するべきだと思っております。
春名委員 日本共産党の春名直章でございます。
 イラク戦争が開始されて一週間になりました。前回の自由討論で、この戦争が国連憲章、国際法違反の先制攻撃であること、査察強化による平和解決の道を断ち切ったこと、罪のない市民への大きな犠牲を生み出すものであること、こういう三つの点で、この戦争の不法性、不当性を強調させていただきましたが、現実の展開がこの指摘を裏づけるものになっています。
 第一に、罪のない市民と子供たちの命を奪う事態が現実のものになっているということです。
 カタールの衛星テレビ、アル・ジャジーラが、二十二日、バスラで投下したクラスター爆弾で市民五十人が死亡、四百人が負傷、二十四日には、前日からの首都バグダッドへの猛爆でイラク人四十五人が死亡、四百人が負傷し、ほとんどが民間人と報道しています。二十六日にも、市内住宅地域と市場周辺を爆撃し、二十九人のイラク民間人が死亡、数十人が負傷、イラク国民の犠牲の姿を連日報道しています。
 直接の戦闘だけではありません。ユニセフとWHOが二十四日のアンマンでの記者会見で、バスラでは、給水を断たれて、五歳以下の子供たち十万人が危険な状態になっているという警告を発しています。激しい爆撃が五百万の首都バグダッドで強行される中、ピンポイントどころか誤爆が次々起こり、事実上無差別殺りくになっているとの報道もなされています。今後、一層の悲劇が待ち受けていることは確実です。アフガン戦争で国際的非難を浴びた無差別殺りくクラスター爆弾も使用されています。
 政府はイラク復興支援と言います。しかし、人の命は決して復興できません。直ちにこの無法をやめていただきたい、戦争を中止すべきだ。
 第二に、この戦争が国連憲章、国際法違反の無法な戦争であることが改めてはっきりいたしました。
 日本政府がこの戦争を支持するよりどころにしているのが、一四四一、六七八、六八七決議です。しかし、六七八はクウェートからのイラク軍の排除の武力行使を容認したものでありまして、今回の戦争の根拠にはなりません。六八七も湾岸戦争の停戦の条件を定めたもので、停戦協定違反をもって武力行使の根拠にすることはできません。一四四一は武力行使の自動性を排除していることは、政府自身も認めてきたことであります。ですから、小泉首相は、決議一四四一に基づきさらなる重大な違反が生じているというところに武力行使の正当性を述べようといたしました。ところが、二十四日の予算委員会で、その首相自身、さらなる重大な違反という内容について、安保理で一致結束した認定はしていないとみずからお認めになりました。
 事実、安保理はさらなる重大な違反を認定していません。米、英、スペインはそれを認定するために新決議案を提出しましたが、賛同が得られずに撤回したという事実は重いものがあります。三つの決議を使って武力行使を正当化しようとしていますが、完全に破綻しています。
 第三に、査察を打ち切り、戦争に切りかえねばならない理由が全くないことです。
 首相は、イラクの姿勢が根本的に改められない限り査察は有効たり得ない、イラクの対応を根本的に変えるための見通しが全く見出せないというところに戦争に切りかえていく根拠を得ようとしました。しかし、二十四日の私どもの党の議員の質問に対し、首相は、それは私自身の認識であるとお述べになって、これも国連安保理で一致していないことを認めざるを得ませんでした。
 逆に、安保理の多くの国、十五カ国のうち、米、英、スペイン、ブルガリアの四カ国を除く九カ国は、多数が、査察継続で平和解決は可能という認識を持っていました。大量破壊兵器の廃棄計画がイラク軍備解体を平和的に行う明確で信頼に足る展望はいまだに存在する、フランスのドビルパン外相などなどの発言、アナン事務総長も、もう少し長く辛抱していればイラクを平和裏に武装解除できたであろうと述べているとおりであります。この戦争に正当性がないことは明らかです。
 最後に、この憲法調査会は、二十一世紀のあるべき姿がよく強調されます。今回の戦争を支持する日本政府の姿が日本のあるべき姿にふさわしいのかどうかが根底から問われております。
 ブッシュ大統領は、最後通告演説で、敵が攻撃した後に対処するのでは自衛にならない、自殺行為だと述べて、先制攻撃を行っています。その目的がフセイン政権の打倒だともしています。これらは、いずれも国連憲章が厳しく禁止している無法行為でありまして、これまで人類が二度の大戦を通じて積み上げてきた平和の国際秩序を根底から覆すものです。これを支持するということになりますと、一体、日本政府はこれからどんな国際秩序を展望していこうというのかが問われると思います。
 やはり、世界と日本の将来像を展望した場合、日本国憲法の国際協調主義、恒久平和主義の原則に基づいて、日本政府が戦争支持を直ちに撤回し、イラク戦争を即時中止させるようにアメリカに働きかける、このことが非常に今大事な局面に来ているということを申し上げて、発言を終わります。
    〔会長退席、仙谷会長代理着席〕
中川(昭)委員 私の小委員会での二回、それから前回の全体調査会での議論で、テロそれから大規模な自然災害、そして今議題になっております北朝鮮、イラク、これはいわゆる国家犯罪、国家テロという次元で同列に扱いながら議論をしているわけでございます。
 特に、国民的関心、また、本調査会初め国会でもこういう議論が活発かつ真剣に行われるようになったのは、言うまでもなく、九月十一日のあのテロが、アメリカに対するテロではなくて、日本の犠牲者を含めた世界に対するテロだということが世界じゅうの人々に強く印象づけられ、また考えなければいけないということになったからだろうと思います。
 しかし、実はそれ以前に、日本においても、この平和と言われる日本においても、果たしてテロはなかったのかといえば、自然災害はもとよりでございますけれども、テロと今呼ぶべき事件が幾つもあったのではないかと私は思います。
 例えば、社会党の委員長でありました浅沼稲次郎さんに対するあの事件、あれは政治テロと言っていいのだろう、言わなければいけないと私は思っております。また、宗教団体としての活動なのかどうかわかりませんけれども、あのオウムの地下鉄サリン事件等々の一連の事件、これもやはり、一般人を特定の目的を持って殺傷しようとしたということで、私はテロというふうに言っていいこと、ほかにも多々あると思います。
 そのときに国会で多少の議論はあったと思いますけれども、だから、国民やあるいは国家の生命財産を守るためにどういうふうに早急かつ適切な行動をしてきたのかということが、参考人の方からの過去における、強い反省を我々が求められているわけでございます。
 そういう意味で、先ほど申し上げたように、早急に、この共通認識はあるということで議論を進めさせていただきますけれども、どういうふうにしていったらいいのかということを、内外の、そしてまた過去にわたる議論をきちっとしていかなければならないわけであります。
 そのときに、最初に九条があるからとか、あるいは国連ではこういう議論があったからとか、あるいはまた、今回のイラクに対するアメリカのやり方が、今春名さんからも、もちろん、いろいろな悲劇、被害が人の命も含めてあることは事実であると思いますけれども、その表面的な、我々が今、日々知っておる事実だけでもって、本質を覆い隠すのではないかという誤解を与えるような発言は、この議論の根本をあえて憲法調査会で議論することにとってみれば、ある意味では惑わされることに、我々はしっかりとした対応でこの議論の本質論をしていかなければいけないというふうに私は思っております。
 例えば、子供たちあるいは一般人が殺りくをされておる、これは意図したものではないとはいえ、大変残念なことであり、本当にお気の毒なことだと思いますけれども、では、イラクは自国民に対して、他国民に対してどれだけのことをやったのかということがこの議論の出発点でなければならない。あるいは、これは全く北朝鮮においても言えるわけでございまして、大量破壊兵器、あるいは日本を中心としたテロというものに対してやっていることは、まさにイラクと北朝鮮は国家によるテロだというふうに私は認識せざるを得ないわけであります。
 したがって、民主党の委員長が、イラクはイラク、しかし、北朝鮮は、日米同盟があるから、当然向こうが助けてくれるに決まっておるといったような議論というのは、同盟の本質というものを紙切れ一枚という次元におとしめているものであって、アメリカの人たちは、知恵も、場合によっては命も含めて日米同盟というものを守る意思を双方で確認しない限りは、私は、東アジアにおける日米同盟というものは機能していかない。
 だから、イラクと北とは別なんだ、イラクは関係ない、北に対してはアメリカは守る義務があるんだ、当然なんだといって開き直るような国際政治、国際的な約束ではないということを、現状を十分認識しながら、本質論というものからそれずにこの議論を進めていく必要があると思っております。
 以上です。
杉浦委員 我が国憲法に危機的事態に対する対応についての根拠規定がないという点については、首藤委員の御指摘に全面的に賛成でございます。私は、中山委員が御指摘なさったように、旧帝国憲法であった十四条ですか、戒厳令等の危機的事態に対する国としての対応の根拠を憲法改正の中で明記すべきだというふうに思います。
 それからもう一つは、イラク問題で痛感しておることの一つでございますですけれども、国連、今度の場合、安保理で分裂してしまったわけですが、湾岸危機のときあるいはアフガニスタンに対する対応、要するに国連が憲章に基づいて行う武力行使あるいは治安維持、アフガニスタンは治安維持ですが、あるいはPKO活動、そういうものに協力するということの根拠規定をやはり憲法の中に置くべきだというふうに私は思っております。
 今度のイラクの問題についても、戦後、イラクの復興について特別法を制定しなきゃならぬというような話が政府部内で検討されているようなことが伝わってまいっておりますが、アフガンで起こったら特措法等をつくり、イラクの事後についてはイラク復興法をつくる、そういう場当たり的対応ではなくて、今度憲法を改正される際には、国連憲章に基づく国連の行動についての武力行使を含む日本の協力のあり方について根拠規定を置き、それに関連してさまざまな法制を整備すべきだというふうに思っております。
    〔仙谷会長代理退席、会長着席〕
金子(哲)委員 私は、イラク問題について少し意見を述べさせていただきたいと思います。
 まず、私は、我が国がこの問題に対応する、そしてまた今後の国際社会の中にあって対応すべき点は、やはり平和主義と国連を中心とした国際協調を基本とすべきだというふうに考えております。
 小泉総理の表明の中では、日米同盟を基軸としてということでありますけれども、先ほど来意見が出ております北朝鮮問題にしても、日米同盟のみでこの問題を解決するということではなくて、今、ロシア、中国、韓国を含めた国際社会の協調関係の中にあって平和的に解決しようということを目指しているわけでありますから、私はやはり、我が国が平和主義と国連を中心とした問題の解決ということにもっと基軸を置くべきだというふうに考えております。そういう点でいいますと、米国、イギリスの軍事攻撃に対して明確にやはり支持できないということを言うべきであったというふうに考えております。
 特に、今回の攻撃は、いわばアメリカの国家安全保障戦略、いわゆるブッシュ・ドクトリンによる先制攻撃が行われたということでありまして、これが正当化をされていくということになれば、今後の二十一世紀の社会はこれによって律せられるということになるわけでありまして、その点からも、新決議なしの軍事攻撃を開始したことについて到底認めることはできないというふうに思います。重ねて言うようでありますけれども、国連憲章が武力攻撃を認めているのは二つの場合だけでありまして、侵略攻撃への自衛、集団で脅威に対処する行動を安全保障理事会が認めた場合の二つでありますから、このいずれにも該当しないことは明確だと思います。
 国連決議の一千四百四十一号は、確かに深刻な結果ということはうたっておりますけれども、それは武力行使を意味するものでないということを確認して採択されたものであり、またさらに、小泉総理は先般、この支持の表明の際に国連決議の六百七十八号、六百八十七号を出されましたけれども、そもそも、その前提が違うものの国連決議を出してくる、特に六百八十七号の場合は、配付いただいた資料の中でも三十三段落で、それは国連事務総長、安全保障理事会とのかかわりを明確に規定しているわけでありまして、もし仮に六百八十七号違反とするとしても、その規定を行えるのは国連事務総長であり、そして安全保障理事会が行うべきであって、今回はそういうことが行われていなかったということでありますから、これらも根拠として持ち出すことはできないというふうに私は考えております。
 しかも、また、もし仮にこれらがフセイン政権の打倒ということでの武力行使であるとすれば、これまた内政干渉の問題であって、この点からも違法性があると言わざるを得ないと思います。
 私は、そういう意味で、一日も早く戦争を中止して、先ほど申し上げましたように、国連を中心とした国際間の協調、多国間の枠組みに戻って、平和的な解決の手段ということで今この問題を解決すべきであるということを重ねて申し上げたいと思います。
 もちろん、私は、今民間に起きている被害だけを強調するつもりはありませんけれども、少なくとも、先ほど少し発言がありましたけれども、さまざまないわば市民の被害があったからといって、武力によって再びそれを行使することは許されないというふうに私は思います。そのことを理由にして、武力行使によって新たにまた生命を奪うということは、被害を拡大する。戦争による民間人の被害、生命を危険にさらすということは絶対に許されることではないというふうに考えております。
 さらに、もう一つ特に指摘しておきたいのは、昨日の報道では、劣化ウラン弾の使用が行われたという報道が行われております。さきの湾岸戦争でも、米英両軍はウラン238を使った劣化ウラン弾を多数使用しております。これは、核爆発や核融合を伴う原爆や水爆とは違う、いわば放射能兵器であります。停戦成立から既に十年以上がたっておりますけれども、今、米軍やイギリス軍の退役軍人や家族に健康障害が出ており、さらに、イラクでは軍人や市民の間で放射線被曝などによる白血病など深刻な健康被害が広がっております。特に子供に対しては深刻な被害だと言われております。
 このような、人道上も許されるべきでない兵器が使用されていることは極めて遺憾だと思います。この間、この問題が多く国際社会の中でも問題になりましたけれども、米国は、残念ながら、真剣にこの問題を検証し、この問題の事実を明らかにすることをしてきておりません。
 私は、やはり今のこの時期、こうした戦争がもたらすものを改めて直視しながら、一日も早く停戦をして、そして、国連を中心とした国際協調による平和の枠組みによってこの問題を解決する道を選ぶべきだということを改めて強調して申し上げたいと思います。
今野委員 今回のイラク攻撃が、国連中心主義を掲げる国として、日本はそこから大きく踏み外したということを指摘しておきます。その象徴的な出来事の一つとして、アナン国連事務総長は、今回のイラク攻撃を国連憲章違反だと言いましたけれども、国連中心主義を掲げる日本は、その言葉に背を向け、国連の権威者が発するメッセージを軽く扱っているのではないかと思います。
 川口外務大臣は二十四日の予算委員会で、我が党の前原誠司委員への答弁の中で、アナン事務総長に安保理の決議を有権的に解釈をする権限がなぜあるのですかと言っております。これは、国連中心主義を掲げる日本の国の外務大臣として見過ごすことのできない大きな問題とされるべき発言です。その場しのぎの答弁をして重要な原則から踏み外してしまうような軽率な発言がされる傾向は、憂慮すべきことであると思います。総理、外務大臣初め政府関係者は、しっかりとした原則とビジョンを堅持して外交に取り組まなければならないと考えております。
 今回のイラク攻撃への賛成を正当化するロジックとして、川口外務大臣は、政府は、一四四一が過去の六八七の停戦に関する決議の基礎をとり、六七八の武力行使容認に関する決議が作動できるようにしたということを予算委員会の答弁で語っております。
 しかし、一四四一の決議をよく読みますと、第一項に、イラクが関連決議に基づく重大な違反をしてきたことを述べています。そして第二項で、最後の機会を与えることを言っています。つまり、一四四一では、まだ判断を下すプロセスにあるということを言っているわけであります。しかも、その判断を下す機関はどこだと一四四一決議は言っているでしょうか。第四項には、安保理が、イラクが関連決議に反する重大な違反を犯しているか評価する。第十一項に、安保理が、イラクが査察妨害をしているか、軍備解体義務の不履行を犯しているのかの報告を受け、第十二項で、安保理がそれを判断するとされております。安保理にすべて決定権限が与えられていたのでありまして、安保理にその権限があると明記されているのであります。
 日本は、一四四一国連決議で記された安保理の判断が下されるのを待たずに開始された戦争を支持しています。このことは非常に深刻な誤りであることを指摘し、反省を急がなければならないことを指摘したいと思います。
 また、北朝鮮問題でアメリカが日本に協力してくれるかどうか心配だから、イラク攻撃については日本はアメリカを支持したという説明もされておりますけれども、日米安保条約は、決して、一方的にアメリカが日本を守ってくれることを定めたのみの片務的条約ではないと考えます。
 アメリカが日本の防衛義務を定めた条文は、日米安保条約の第五条でありますけれども、そこには「自国の平和及び安全を危うくする」とありまして、アメリカの国益に資するものであることを忘れてはならないと思います。さらに、日本は、米軍基地駐留経費に毎年六千億円以上も予算を充てておりますし、また、日米安保条約の六条では「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。」と、極東での米軍行動のために在日駐留軍の使用を認めているわけであります。
 この見方に立てば、北朝鮮があるからイラク攻撃に賛成という追従外交をする必要はありません。日米安保条約が双務的な内容を帯びた互恵的条約であることを確認して対米外交に当たる必要がある。そうでなければ、むしろ大きく国益を損ねるものだと考えております。
 以上です。
大畠委員 民主党の大畠章宏でございます。
 私は、三点発言をさせていただきたいと考えるわけであります。
 第一点は、先ほど中川委員から我が党の党首の発言についての御発言がございましたけれども、同盟国というものはそう甘いものじゃないんだというお話がございましたが、確かに、日本とアメリカは、日米安保条約というものを結んでいる同盟国と言ってもいいでありましょう。しかし、フランスとアメリカ、あるいはドイツとアメリカ、これは同盟国ではないんでしょうか。NATO軍というものを創設しておりますが、まさに日米安保条約以上に強力な関係を結んでいる同盟国であります。同じフランスやドイツも同盟国でありますけれども、きちっと自国の中の論議を踏まえてアメリカに対応しているというのが実態であります。したがいまして、同盟国だからアメリカの行動を支持しなければならないという論議は当たらないものということをまず最初に申し上げさせていただきたいと考えるわけであります。
 二点目でありますが、このイラク問題に関して、小泉総理が、日本は核を持っていないからアメリカに全面的に協力をしなきゃならないというお話があったと伺っているわけであります。これを言うのであれば、これからの日米経済問題に関する論議あるいは食料問題等々も含めてすべて、日本は核を持っていないからアメリカのそういう状況には従わざるを得ないという話になってまいります。これでは日本国憲法もあるいは国連憲章も何もないことになってしまうわけでありまして、このような観点から発言するというのは、まことに的を射ていないんじゃないかということを二つ目には指摘をさせていただきたいと思います。
 三点目には、前回、イラクに関する日本の行動についてあるいは総理の行動については、日本国憲法上あるいは国連憲章上非常に問題があるということは指摘させていただきましたが、きょうは、別な観点から指摘させていただきます。
 こういう状況に至ってしまった以上、日本国としてはどうすべきかということについて発言をさせていただきます。
 同じように、ドイツもフランスも、参戦はしておりませんという状況の中で大変苦悩していると思うんですね。日本としては、これまで平和主義あるいは国連中心主義というものを中心として外交政策を進めてきたところでありますが、今回の小泉総理の発言で、平和主義と国連中心主義を放棄したという見方が広まっております。
 しかし、私は、憲法調査会の会長に御要請したいわけでありますが、やはりこれまでの平和主義、国連中心主義、特に国連中心主義というものをもう一回取り戻さないと世界の秩序というものを維持できない。そういう意味からしますと、会長の方におかれましても、何とか、国連の秩序というものを回復するために、国連の安保理を再開しなさい、してほしい。そしてその中で、アメリカ、イギリスから、あるいはオーストラリアも参戦しておりますが、各国から情勢を伺って、そして今後どうすべきかという、国連の秩序回復のための行動をぜひ行うように会長にはお願いをしまして、私の発言を終わります。
中山会長 今委員から、私あてにいろいろ御要望がございました。私は、おっしゃる点は十分理解をいたしております。
 なお、日本政府が国連を中心に外交をやるという基本方針に基づいて、一九九〇年の私の外務大臣時代から歴代外務大臣及び総理は、国連の総会におきまして、日本の意思として、大量破壊兵器の即時廃棄、化学兵器、生物兵器の廃棄、核兵器の廃棄ということを毎年言い続けてきたわけでありますけれども、全然この意向というものは国連の安保理で取り上げておられない。しかも、二〇%の分担金を日本が払っているという点から、これから国連の改革については、日本政府も二〇%の負担金を出す以上は、柔軟な態度で取引をやはり国連とやらなきゃいけない。
 私はそういうふうに、今委員のお話を聞いて、日本の外交政策というものは、国連中心主義でやるなら、拠出国としての発言を十分認めさせるような努力をするべきだ、このように考えております。
 中川幹事。
中川(昭)委員 済みません。今、大畠委員から私を指名していただきましたので。
 フランスとアメリカは、NATOを中心にした同盟関係にあると私は思っております。そもそも独立国家は、まず自分たちの国の国益というものを第一に考えるということが当然であろうと思っております。国益と例えば世界平和、世界の発展、貧困や飢餓の脱却といったものには、日本もアメリカもフランスも、特に先進国という立場から、その責任というものも大きいということも同時にあるんだろうと思います。
 そういう共通点があると同時に、今私が申し上げたことと、アメリカとフランスとは違うじゃないかということは、私は違うとは思っておりません。あれはあくまでも、国連手続の中でアメリカとフランスとが激しく最後までやり合ったということは事実だろうと思っておりますけれども、私は、国連ももちろん、三つの、日本の安全保障、日本の基本的な外交方針の大きな柱の一つでありますから、極めて重要だろうと思います。
 私は、前回この場でも、国連憲章云々の手続との整合性がないということはない、要するに整合性に矛盾をしていないという発言をいたしましたけれども、とにかく、フランスがやっていることも、何も同盟を破棄して最後まで戦っていくんだ、自分の考えを押し通していくんだということは一言も言っていないわけであります。むしろ、報道によりますならば、仮にイラクが化学兵器を使うという場合には、フランスもこの戦いに参加をする、参戦をするということまで表明しているわけでございます。
 そういう意味で、日米同盟関係というものと米仏同盟関係が全く一緒だとは思いませんけれども、同盟関係というのは、お互いに紙一枚で、文言でもって、義務だあるいは義務じゃないという次元の短絡的なものではないということを私は申し上げたかったわけでございます。
中山会長 ただいま中川委員を指名いたしましたが、大畠委員の発言の関連として議事整理をさせていただきました。
大出委員 大出彰でございます。
 法律議論をするというのは、まずは立憲主義の国だからなんですね。法治主義の国だから、一四四一だとか六八七、六七八という議論をやっているんで、それは要するに、いろいろな実態みたいなものがあった上で法律議論をやるということが法治国家には当然のことなわけです。
 考えたときに、まず、このイラク攻撃、いいのか悪いのか、こういうことになっているわけなんですが、私は、ぶっちゃけた話をさせていただくわけだけれども、どうも、疑問に思うことがいっぱいあるんですね。
 というのは、例えば九・一一自体も、あれがあったから、アルカイダが犯人であるとして、アフガニスタンに侵攻するということをやったわけですが、その主犯格のビンラディンとやったわけですが、本当に事件とビンラディンの関係が証明されているのかどうかというのがまず疑問に思うんですね。それから、九・一一自体も、イギリスのガーディアンという新聞が書いていますが、防空体制が弱められた、ダウンされているんじゃないかということを主張しているんですね。
 そのほかに、いわゆるネオコンの方々が出している報告書には、最終的にはアメリカが覇権を確立するためには、どこかで事件が必要だということを書いたりしているんですね。それが一致してくるわけですよ、どう見ても。
 それで、イラク攻撃についての計画があるというのを我々が国連で議論している間にもうリークされているわけでしょう。そうしたら、ラムズフェルドが、だれがリークしたんだと、しゃべらせないようにしているわけですよ。そういうのは新聞にも載っている話ですけれどもね。
 こういうのを見てくると、イラク攻撃はするんだったんですね。だとすると、政府の立場と我々とは違うと思いますが、それを認めたとしたらどうなるのかまで考えないとまずいと思うんですね。そして、アメリカの戦略が変わっていって、先制攻撃戦略になっているとして、そうすると、では今度は、イラクが終わりました、次はイランです、シリアです、こうなってくる可能性もあるわけでしょう。北朝鮮とやるときも、どうですか、どうしますかと考えなきゃいけないわけですよ。最後には中国までいくかもしれない。ロシアも入っているわけですからね、場合によっては。
 もっとおもしろくないのは、二月二十六日にブッシュが演説している中で、広島、長崎の話をして、イランを例えているわけでしょう。私は、あれは文句を言わなきゃいけないと思うんですね。もともとが、広島、長崎に核兵器を使ったということは、本当はもうこの間に謝罪なりしてもらっておかないと、あれは誤りだったと言わせていないのが、アメリカに核兵器を使われる可能性を広めてしまったのではないかと思うところがあるんです。
 それで、これから当然、復興の問題になるんだと思いますけれども、ラムズフェルドが報告書を書かせているんですね。今の危機という報告書の中に、自分たちを上回るようなことがあったらつぶしてやるということを書いてある中にドイツと日本が入っているんですね。こんなことを言わせておいて、復興の金を出したりすることになるんだとすると、よほどお人よしだなと思いまして、やはりしっかりとクレームをつけるところはつけなければ、とてもじゃないけれども属国で終わってしまうということですね。それを考えてきたときに、その方向性、やはり先制攻撃戦略というのを引っ込めさせないと、危なくてしようがないんですよ、どこの国だって言い始めるわけだから。
 それで、うちの小泉さんは一生懸命、日本が攻撃されたらアメリカが攻撃されたとみなすと言っているけれども、安保条約があるからだ、当たり前に書いてあるといえばそうなんですが、とても信用できないのは、では、拉致されたら、アメリカが拉致されたと言いましたか。言わないじゃないですか。では、不審船が来たら、アメリカが侵略されたと同じだとは言わないわけでしょう。こういうことを考えてみると、あの言葉だけに酔っていたのでは、現実はそんなものじゃないだろうから。
 それと、確かに日本に核がありませんから、先制核攻撃までも平気だという戦略をとってぎゅんぎゅん締めていけば、北朝鮮だって暴発する可能性があって、日本に核が飛んでこないとも限らないということはだれでも考えるわけですね、それは。韓国には落とさないだろう、なぜなら同胞だからということ。アメリカには届かないだろう、まだ届かないだろうということで、届く前にたたくんでしょうから。そうなったときに、日本はつぶれたけれどもアメリカは大丈夫というのだとすると、信頼していたけれども日本はだめになりましたというのでは、意味がないわけですよ。だからこそ、平和でやるしかないのではないかと思っていますよ。
 それで、北朝鮮との関係、場合によってはちょっとアメリカに待ってもらって、我が国のことだけを考えたら、北朝鮮と不可侵条約を結ぶぐらいのことまで考えないと危なくてとてもやっていられないなというのが、法律構成する前の段階では、頭の中で考えているところでございます。
 以上でございます。
中山会長 予定の時間もございますので、御発言は、現時点で名札を立てておられる六人の委員までといたしたいと存じます。なお、ぜひ御発言したいとの御希望のある委員は、直ちに名札をお立てください。
首藤委員 民主党の首藤信彦です。
 まず最初に、先ほど、中川委員の方から、民主党代表の話だ、演説だという話で、民主党は、イラクではアメリカの単独主義的な行動を非難し、一方北朝鮮に関しては、これは別で、アメリカに頼ろう、こういう発言をしたと言われておりますが、それはどういう典拠に基づくものか。それが事実でないならば、それは我が党の代表に対する誹謗でありますから、謝罪していただきたい。
 また、そういう発言は、この憲法調査会のあり方、そうした党派的な話ではなくて、いろいろな視点で、日本の将来を見据えて、いろいろな立場を超えて話していこうというこの調査会のあり方にマイナスではないかと私は思って、こういう発言に関して、調査会として、会長として、どのようにお考えか、会長の御意見もお伺いしたいと思います。
 我が党が主張しているのは、こういうことです。我が党は、単独主義的なアメリカの攻撃によるのではなく、国際協調、国連を中心とする国際査察などによる平和外交によってこの問題を解決していこう。そしてフランス提案、それにはロシア、中国、ドイツが乗っているわけですが、などと協力して、この問題を平和裏に国際そして国連の枠組みの中で解決していこう。そして、もしそれが解決できたならば、その枠組みを北朝鮮問題にも適用して、そして同じように、国際査察を行ったり、さまざまな国際的な圧力によって、武力によるのではなく、国際社会のあるいは世界の人々の努力によって、この問題を平和裏に解決していこうということであります。
 こうしたことは、単に理念だけではなく、また実利的な意味も持っております。特に、北朝鮮の地政学上の位置を考えると、その後背地にあるのは言うまでもなくロシアであり、中国であり、そしてまた、一九五〇年代に起こった悲惨な朝鮮戦争において、この二国が事実上その戦力の根源たる資源を提供していたということもあります。したがって、この朝鮮半島における平和の維持という点においては、ロシア、中国というのは決定的な役割を果たすわけでありまして、その意味でも、今回提出されたフランス案に中国やロシアが賛同しているということは意味があった、そういうふうに考えてもおります。
 また、この問題に関して、もし、北朝鮮において、北朝鮮の核武装を廃絶させるために武力行為を伴うかもしれない、そうしたアメリカの単独行動があるかもしれないという考えがあるにしても、我が国ができることは憲法上極めて限られているということであります。もちろん、拙速に憲法を変えるという考え方もあるんでしょうが、そういうことは非現実的であるというふうに考えますと、やはり憲法の精神を生かしながらこの問題に対処していく必要がある。その意味で、国際協調というものが非常に重要だということが当然考えられるわけであります。
 むしろ、日本の憲法の精神を生かすならば、例えば、国際社会における核というものが、核保有国だけではなく、それに挑戦するならず者国家だけでなく、さまざまな国家に核が持たれている。例えば、前から指摘されているように、イスラエルもあると言われております。それからさらに、最近ではインド、パキスタンにおいて、単に核を保有している、核実験を行う、さらに核の小型化にも成功し、さらにその輸送手段、運搬手段も実験して成功している。こういった国の存在をどうするのかということを考えると、やはり核というものを持ってはいけないんだということを世界全体で大きな運動として展開していくその中核となるべきであります。
 イラクにおいてなぜアメリカの攻撃が行われるかといえば、それは、我々はアメリカが行動をとったと思いますが、イラク側から見れば、あるいはイラクの行動を見ているまた別のならず者国家、そういうものがあればですが、から見れば、やはり核を持っていないから攻められたのではないかというような曲解すら生まれてくるわけであります。そうした間違った幻想を持たせないためにも、核を持つということがいかに世界平和にとってマイナスであるかということの運動の中核に日本はあるべきではないかと思っております。
 また同じように、平和外交においても積極的に行動すべきでありました。今回の機会というものは、日本が唯一の大量破壊兵器の現実的な被爆国であったということを考え、また武器輸出をしたことがないというような経験を踏まえて、日本がもっと主体的にリーダーシップをとって平和に導くことが可能であった数少ないチャンスであったはずであります。それを失ったということは非常に残念でありますが、今の時点においても、戦争を短期で終わらせ、そしてもう一度国連の場に、あるいは外交の場に、平和裏な解決の場にこの問題を引き戻すことができるということを考えると、我が国の役割というのは非常に重要であり、国会議員が国民を代表して、総力を挙げてそうした方向に取り組むべきであると考えております。
中山会長 委員から、調査会長である私へ御意見、御要望がございました。私の拝聴している限りで、公党への誹謗中傷はあってはならないというふうな基本的な考え方を持っておりますし、同時に自由濶達な議論も重要である、こういうふうに認識しておりまして、今後とも、国の形をどうするかということを中心に、各党とも冷静な御意見をちょうだいしていただければ大変ありがたい、こういうふうに思っております。
島委員 民主党の島聡でございます。
 いろいろな意見が出ていますので、私の方は、先ほど国連中心主義の話が出ました。中山会長は外務大臣の御経験もある。私が憲法を読み直しましたが、憲法の前文にも主文にも国連という字はありません。これはなぜかというと、当たり前でありまして、憲法ができたのは昭和二十二年五月三日でありまして、日本が国連に加盟したのは昭和三十一年でございます。何が言いたいかといいますと、今のいろいろな議論、私は、戦争になると法律が沈黙するというキケロという哲学者の言葉がありますが、そうなってはいけないと思って、立法に身を置く者として、法律に基づく、あるいは憲法に基づいた議論を展開しておりますが、余りにこの日本の状況というのはいろいろな議論が混乱をするようなことになっています。
 それは、憲法が昭和二十二年につくられて、自衛隊法は昭和二十九年につくられています。国連加盟は昭和三十一年、日米安保条約が昭和三十五年。そういう流れの中で、いろいろな議論をこれは整理しないと、片方はある意味で、政権与党の方はと言っては失礼で、またそういう話になるかもしれませんが、そちらの方はやむを得ないということで説明のないまま進めていく、私どものは方はあくまで立法者としての議論を展開していく、それだけで日本の外交というのは本当にいいんだろうかということをつくづくここのところの議論を見て感じております。
 憲法調査会としてと私よく言うんですが、憲法調査会として一体何がやれるのか。内閣がいろいろな解釈をしています、具体的には内閣法制局が解釈しています。なかなか憲法は改正できないとするならば、内閣の解釈が、これはもう本当に時代に合わない、だめだと思ったときには、憲法調査会として解釈をこう変えた方がいいという提言をすることはできないんだろうかと私思っているんです。
 具体的に言います。例えばの話です、もし仮に私どもの隣国、本当に仮にの発言ですが、北朝鮮としておきましょう。北朝鮮に非常に危険が伴っていて、安全保障理事会が決議で北朝鮮に対する制裁を、国連憲章四十二条に基づいて軍事的措置をすると決めた場合、私たちはどうするのかということであります。それは、整理されていないはずであります。
 先ほどILOのときも話がありましたが、憲法の九十八条の二項の国際遵守義務を本当に徹底してきた場合、国連憲章の四十二条というのは、安全保障理事会は、不十分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持または回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができるんです。海軍または陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができるんです。そういうときに、本当に身近、もちろん自衛権、国連憲章五十一条の自衛権で処理することができるかもしれませんが、どうも本当に立法論としてきちんと、立法者として言えるかというと、議論が残っている。
 例えば、すぐ憲法改正ができないなら、今、衆議院法制局は、九十八条二項の国際遵守義務というのに対して憲法優位説をとっています。外務省は国際条約優位説をとっています。せめて憲法調査会は、これは同格である、そういうふうに解釈すべきだとか、そういうふうにしてきちんと提言して、そうして例えば次の自衛隊法等の改正が立法論としてきちんとできるように整備していく、そういうことがこれから殊に必要であると思います。
 中山会長や、この関係に関する中川小委員長にも私の意図するところを御理解賜りまして、いろいろな議論をしていただくことをお願い申し上げます。
中山会長 憲法九十九条には、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」こう書いてありますが、その前の九十八条の二項に、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」こういうふうに憲法上規定されておりますので、私は、国際法よりも憲法の方が優位権を持っている、このような認識を持っております。
 今委員からの御指摘のような、いろいろな周辺国における問題と、国連安保理の決議が行われた場合に、一体、日本としてどう対応するのか、こういうことは極めて直近の大きな問題でございます。国民のためにも活発な御議論をいただくことが好ましい、このように考えております。
山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。
 イラク戦争の問題というのは、やはり国連憲章が国際紛争の平和的解決を基本的立場に置いて、先制攻撃ですとか勝手な武力行使を禁じているわけですから、そういう点から見てどうなのか。それから、日本国憲法も国際紛争において武力の行使や威嚇を禁じておりますから、そういう面から見ても、私たちがイラク戦争についてどういう態度、認識を持つかというのは、本当に二十一世紀に問われる重大問題だと思うんです。
 既に、残念ながら戦争が始まっておりますから、先ほど春名委員が指摘されましたように、一般の市民の被害の問題ですとか、それから国連決議とのかかわりの問題ですとか、大量破壊兵器をなくしていくかかわり等の問題ですとか、大事な面からの指摘はあったと思うんです。特に私は、アメリカなどが国連決議に一つの根拠を置くと言っているわけですけれども、これについては、今野委員からもアナン事務総長の発言も引用されて、アナン氏はこの合法性に疑問があるというふうに言ったわけですけれども、わかりやすく言えば、これは無法な戦争であるということだと思うんです。そういうものとしてやはり見ていかなければ、日本は国際社会の中で非常に大変な道を歩むことになってしまうというふうに思うんです。
 それからまた、先制攻撃論の問題でも大出委員から詳しい指摘がありました。大量破壊兵器についても金子委員からも指摘がありまして、やはり現実に大量破壊兵器をなくすということを標榜しながら、実際には国際赤十字も使用するなと言っているような大量破壊兵器を使用し始めておりますから、その点でも、日本の憲法の立場からいって、これは支持できないということが当然の結論になると思うんです。
 私は、もう戦争が始まっておりますから、では日本政府としてはどうするのかという問題なんですけれども、先ほど憲法九条が何もできないんだという指摘がありましたけれども、決してそんなことはなくて、積極的に国際平和に、世界平和に貢献するという立場をとっておりますから、その立場からいけば、今度のイラク戦争はやはり無法な戦争であると。それは世界が長年かかってつくってきたこの先制攻撃を認めないという世界の平和のルールを覆しますから、その点においても認められないということをきちんと述べて、そしてやはり、即時にこの戦争を終結させて、国連を舞台にした外交の場でのこの解消を積極的に目指すという外交方針をとるべきだというふうに思います。
 それからもう一点は、谷川委員から、日本が国連に加盟した際に、パナマやコスタリカが軍備のない国として既に加盟していたという紹介がありました。それで、あのときに日本は、国連に加盟する際に、どうしても国連憲章上の国連軍の参加が問題になりますので、憲法九条の制約があるということを表明して国連に加わっておりますから、その意味では、憲法九条の立場と国連憲章の問題についてそれなりの整理をした上での国連への加盟だったというふうに思っております。
葉梨委員 自由民主党の葉梨信行でございます。
 今話題に上っておりますのは、国連のあり方についてどう考えていったらいいかということであろうと思います。
 国際連盟がかつてあって、いろいろ失敗してしまった。戦争終了直前に国連ができて、今日に至っております。ただ、冷戦時代は、米ソの対立がありまして、拒否権の発動がしょっちゅう行われて、機能していなかった。ソ連の崩壊以後、大変活発に国際平和維持のために国連が機能してきたということを私は認めるものでございます。
 ただ、先日、私ちょっと簡単に申し上げましたが、コソボの事件がありましたときに、フランス、ドイツがNATO軍としましてコソボに出動しました。あのときに、当然これは国連安全保障理事会が招集されて議論をすべきであったけれども、招集されなかった。それはなぜかと申しますと、そのときに、中国はチベット問題を抱えている、ロシアはチェチェン問題を抱えている。そこで、コソボについての矛盾する問題を抱えているために招集をしなかった。そして、ドイツとフランスを中心とするNATO軍がチェチェンで行動しました後も非難を加えなかったということが、事実としてあるわけでございます。
 ということは、安全保障理事会、特に常任理事国等々につきましても、それぞれが世界平和を確保するという大変崇高な大事な理念のもとに行動していると同時に、それぞれ自国の利害というものを基本に持っているということを認識しなければいけないと思います。
 それで、先ほど中川委員の最初の発言の中でイラクについてのいろいろなお話がありましたが、イラクが湾岸戦争のときに自国民を三万人化学兵器で殺傷したということを私はつけ加えたいと思います。化学兵器あるいは生物兵器も恐らく保有しているであろうイラクの危険性というものを踏まえてアメリカは行動した。それは九・一一のあの同時多発テロ以来の危機感につながるわけでございますが、それはアメリカのみの危機ではなくて、全世界各国の危機である、こういうことを踏まえて我々は議論をしなければいけないと思うのでございます。
 そして、三月六日でございますか、小川参考人が見えまして、今我が国は憲法違反をしているという大変率直な指摘があり、憲法の完成度を高める必要があるということを提言されました。これは、与党、野党問わず、国会に対する大変大事な提言であったと思います。
 その意味では、先ほど首藤委員が一回目の発言でいろいろおっしゃいましたことは、大変私はうなずけるものがあったわけでございます。国際連合をこれからも大事にしながら、それぞれ国際の平和を維持し、発展させていかなければならない。我が国が世界の経済大国として責任を果たすべきであるということも、改めて申し上げるまでもございません。
 そこで、もう一つ、実はこのことと別でございますけれども、先ほどの水島委員の御発言に対します私の感想を、水島先生は今もう退席されましたけれども、申し上げてみたいと思います。
 児童権利条約が批准されて、子供は大事にされるということが確定しているから、家庭の大事さとか家族の大事さということを憲法に書くことは必要ないとおっしゃいましたが、現に、そういう条約が批准されている我が国で、子供に対する大変な虐待、あるいは母親が子供を殺すというようなむごいことが起こっているという事実を踏まえて、私どもは、いわゆる権利義務あるいは法律事項というだけでなくて、ここで憲法にしっかり家族、家庭の大事さということを書くということが、男女同権に矛盾するものではなくて、今の日本、これからの日本にとって大変大事なことであるという認識を持っているということ、また、水島先生にもそのようにお考えいただきたいということを申し上げたいと思う次第でございます。
 終わります。
赤松(正)委員 一週間前のこの場でも発言させていただいたので、一部重複するかと思いますけれども、各党の皆さんが活発に話をされましたので、若干つけ加えさせていただきたいと思います。
 前回も申し上げましたけれども、私は、今回のこの事態というのは、人類にとって、そして世界にとって、私たち日本人にとって極めて重要な問題が突きつけられていると、当たり前のことかもしれませんけれども、改めて感じます。
 先ほど島さんが、野党としては法の観点からこの事態をどう見るかということを言う、与党の皆さんはやむを得ないというふうに言うという話がありましたが、私流に言わせますと、要するに、野党の側の皆さんはやはり、あるべき論というか、法を根拠としてこうあるべきだというふうなことになられるんだろうと思います。かつて野党、今与党の私からしますと、要するに、国際政治のリアリズムというか、そういう部分でやはりいろいろと考えをめぐらさざるを得ないという側面がある。
 そういう点で、今回のこの事態というのはいろいろな角度から考えなくちゃいけないということで、先ほど来、この国連憲章、共産党の皆さんや社民党の皆さんは、明々白々に違反であるというお話がありました。私は、必ずしもそう言えるのかな、全否定もできないし、全肯定ももちろんできない、際立ってグレーゾーンだなという感じがいたしております、こう言うと反論が来そうですけれども。
 要するに、アメリカは自衛権と言い、また、国連安保理決議の過去の三つで十分だと。これについてもいろいろな見方があろうかと思いますけれども、私はもう一方で、人類が今やはりテロ、国際テロ、そして大量破壊兵器という過去に類例を見なかったものの挑戦を受けているというのを一つ考える必要がある。私は、何もアメリカの肩を持つ、そういうつもりではありません。アメリカも褒められないことはいっぱいある。しかし、では、ほかの国も同時に褒められるのかという部分がフランスも含めてあると言っているわけです。
 例えば、一九七〇年以降の主要国際テロというのがどれぐらいあるかというのを、法務省が出している参考資料で調べましたところ、一九七〇年から約三十年間に、何と、トータル三百八十回にわたるテロが発生した。もちろん、大は九・一一から小は随分小さいものまで。しかし、主要テロと日本の法務省が規定した事件というのが三十年間で三百八十ということは、月に一回どこかですさまじい事件が起こっている。その象徴があの九・一一だと。そして、同時にNBC兵器というものがいろいろなところに拡散をしている。こういった事態を前に、どうやってこれに対応するのかというのは、やはり私は、そう簡単にはいかないことで、しっかりと知恵をひねっていかなくちゃいけない。
 そういう意味で、前回も申し上げましたけれども、若干、現実というものが先に進んじゃって国際法が追いついていっていないんじゃないか、法が現実についていっていないという側面もあるんじゃないか、そんなふうな気がするわけでございます。
 国連中心あるいは平和外交、そのとおりだと思います。私たちもそういうことを言ってまいりましたし、ぎりぎりの段階まで平和外交を追求する、本当にそうありたいと思いますし、そうやってまいりました。
 そういう中で、私は一つ、きょうはもうあとお答えいただくいとまがないので、またベルが鳴りますからあれですけれども、ぜひとも憲法調査会という観点で私は聞いてみたいなと思うことは、要するに、公明党は、領土、領海、領空、領域保全のために、言ってみればやられたものを押し返すという、そのための自衛隊である、それを憲法は認めているという憲法解釈に昭和五十六年、それまでの自衛隊は憲法違反の疑いありという角度から、もう大変な議論を経た上でそういう憲法解釈に変えました。そういう歴史を持っています。
 という観点からすると、もうきょうは時間がないのでどこのどなたと言いませんけれども、要するに、日本の自衛のための戦争というものをこの憲法が認めていると思われているのか思われていないのか。このことは一にかかって、イラク以外の、この北東アジアにおける日本という存在を見たときに非常に重要な意味を持ってくる。
 私たちは、そういう解釈の上に立って、日本が盾、アメリカが矛という日米安保条約に基づいて日本の安全を守っていく、こういう観点に立脚している、こう思っているのですが、どうも学者の皆さんの中にも、この憲法は自衛のための日本の戦争を認めていない、それにほとんど同じような物の考え方をしておられる人がいるのかなという気がします。そうなって、同時に、アメリカとの関係も極めて厳しい見方をしておられる。それは、どうやって日本の国を守ろうとしておられるのか、ぜひ聞いてみたいなと思う次第でございます。
 以上です。
北川委員 社民党の北川れん子です。
 私は、第二章九条、戦争の放棄があるわけですが、自国はさることながら、他国も武力解決という道をとらせないように日本がどういうふうな具体的な行動をとったかというところがポイントだろうと思っています。
 今回の、イラクへの空爆が始まってしまったわけですが、そのことに対して、日本政府が小泉首相中心に何をしたのかという具体的な説明がないまま今日に至っています。三月二十日、小泉首相は、イラクに対する武力行使後の事態への対応についての報告というのを六分ばかりおやりになりましたけれども、この中にも、具体的な行動という、日本がとるべき道のものはなく、いかにイラクに攻撃していいのか、そういうイラクが悪いからだという論調ですべてが指し示されておりました。
 ということになりますと、どの皆さんからも出ておりましたが、もう人民、市民への被害というものが出てきています。そして、今後、本当に新証拠というものが発見されないという事態ということの可能性も含めまして、停戦をいつに置くのか、その論議をアメリカに向けて発信できる日本の姿がこの演説からはなくなってしまったと言わざるを得ないという点が、私は、大きな、返す返すも取り返しのつかないことに一歩踏み込んだのではないかというふうに思っています。
 核の査察の問題においては、エルバラダイ事務局長が、イラクが核開発計画を復活した証拠は発見しておらず、数カ月もあればイラクに核兵器開発計画がないことを保証できると言明したわけであり、生物化学兵器を保有している疑いは強いけれども、実態はまだ不明でありました。そして、アメリカが二月五日、安全保障理事会に対して新たな証拠を示しましたけれども、これは国際社会を十分に納得させるものではなかったことは、皆さんもう御存じのとおりであります。
 そして、きょうの議論の中にも出ておりましたけれども、大量破壊兵器を保有していることが攻撃の理由になるならば、確実に核兵器を保有しているイスラエル、インド、パキスタン、また保有している可能性が高い北朝鮮などの方がより問題は大きいはずだというふうに思います。
 しかしながら、今回のアメリカやイギリスの行動を見ておりますと、イラクのように核査察を受け入れたとしても、その結果にかかわらず攻撃されるという事実を目の当たりにした折には、今後、ほかの疑惑国は査察を受け入れる可能性がなくなるということも含め、かなり国連の健全な維持というものが難しい状況に、先ほど世界の秩序が変わっていく可能性があるという御指摘もありましたけれども、このことをもう一度どう戻していくのか、再生のために日本がどう努力できるのかの議論を深めていくことがまずは大切ではないかというふうに思っております。
 イラク・フセイン政府とウサマ・ビンラディンとの関係自身も、納得できる合理的な解明というものはいまだされてはおりません。そして、破壊をしておいて、今、復興という話に目が向きがちでありますけれども、これが果たして本当に若い世代や次世代にとって納得ができることかどうかというと、まず破壊をしなければいいのではないかという声がもう既に聞かれております。環境破壊の最大は戦争であると言われておりますし、油田のすすというものがもう日本にも運ばれてきているという事実も指摘がされております。
 そして、私が皆さんにお伝えしたいのは、小泉首相は、アフガニスタン空爆の折にも、難民支援には力を尽くすと申されておりました。しかし、残念ながら、本年三月十五日、アフガニスタン難民申請をしながら西日本入管センターに収監をされていらっしゃいました男性の方でありますが、ドバイ経由で日本初の国費送還という、本人は、帰りたくないということを支持者にも伝え、送り返されてから以降も、支持者に対して、帰りたくないということを言ったけれども帰されてしまったということを伝えてきております。小泉首相が言われている実態と、日本がとっている現実の、本当の水際のところで何をしているかというのは、違うということをぜひ知っていただきたいと思います。
 国連難民高等弁務官の方からも、今まだアフガニスタンに帰すべきではない。そして、このイラクの空爆が始まったと同時に、もう一度アフガニスタンへの掃討をやるということで空爆が開始されたとの報道もありました。その以降、彼の命がどうなったかというのはまだつかめていないわけですけれども、こういうふうに一人の人の難民申請という事実にも、日本政府は本人の意思を無視して送り返すという事実をつくってしまったという点においても、今、イラクへの復興支援という言葉がとてもむなしく感じるということをぜひお伝えしておきたいと思います。
谷川委員 山口委員から私の名前が出ましたので、弁明をちょっとさせていただきます。
 私、さっき最後のところで言葉が足りなくて、まことに申しわけございませんでした。憲法調査会で議論をする場合には、やはりこういう感覚というんでしょうか、事実といいましょうか、考えながらもぜひ議論していただきたいという意味で非武装中立と申し上げました。
 中立には中立の義務というものがあって、バルカン戦争のときに、ベルギーはついにドイツ軍の通過を許したためにその瞬間に中立が崩れたわけです。スイスは長いこと自分は永世中立だということで国連に加入をしておりませんでした。
 非武装だから中立ではなくて、中立という国の政策を続けるためには別の政策をとらないと中立は維持ができない、それが国際的な義務である、こういうことを申し上げたかっただけのことです。
 以上です。
中山会長 それでは、予定の時間も既に過ぎておりますので、これにて自由討議を終了いたします。
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後零時十八分散会


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