衆議院

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第6号 平成15年4月17日(木曜日)

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平成十五年四月十七日(木曜日)
    午前九時二分開議
 出席委員
   会長 中山 太郎君
   幹事 杉浦 正健君 幹事 中川 昭一君
   幹事 葉梨 信行君 幹事 平林 鴻三君
   幹事 保岡 興治君 幹事 大出  彰君
   幹事 仙谷 由人君 幹事 古川 元久君
   幹事 赤松 正雄君
      伊藤 公介君    奥野 誠亮君
      倉田 雅年君    近藤 基彦君
      佐藤  勉君    谷川 和穗君
      谷本 龍哉君    中曽根康弘君
      中山 正暉君    額賀福志郎君
      野田 聖子君    野田  毅君
      平井 卓也君    福井  照君
      森岡 正宏君    山口 泰明君
      大畠 章宏君    桑原  豊君
      小林 憲司君    今野  東君
      島   聡君    首藤 信彦君
      中野 寛成君    伴野  豊君
      三井 辨雄君    水島 広子君
      遠藤 和良君    太田 昭宏君
      斉藤 鉄夫君    武山百合子君
      藤島 正之君    春名 直章君
      山口 富男君    金子 哲夫君
      原  陽子君    山谷えり子君
    …………………………………
   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
    ―――――――――――――
委員の異動
四月三日
 辞任         補欠選任
  金子 哲夫君     今川 正美君
同日
 辞任         補欠選任
  今川 正美君     金子 哲夫君
同月十七日
 辞任         補欠選任
  今野  東君     三井 辨雄君
  北川れん子君     原  陽子君
  井上 喜一君     山谷えり子君
同日
 辞任         補欠選任
  三井 辨雄君     今野  東君
  原  陽子君     北川れん子君
  山谷えり子君     井上 喜一君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 委員派遣承認申請に関する件
 日本国憲法に関する件
 小委員長からの報告聴取


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     ――――◇―――――
中山会長 これより会議を開きます。
 委員派遣承認申請に関する件についてお諮りいたします。
 日本国憲法に関する調査のため、来る六月九日、香川県に委員を派遣いたしたいと存じます。
 つきましては、議長に対し、委員派遣の承認を申請いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
中山会長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
 なお、派遣委員の人選等につきましては、会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
中山会長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
     ――――◇―――――
中山会長 日本国憲法に関する件について調査を進めます。
 本日は、まず、去る三日に開会された最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会及び安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会において調査されたテーマについて、各小委員長からの報告を聴取し、委員間の討議に付したいと存じます。
 議事の進め方でありますが、小委員会ごとに、まず小委員長の報告を聴取し、その後、そのテーマについて自由討議を行います。
 なお、各テーマごとの自由討議における最初の発言者については、幹事会の協議決定に基づき、会長より指名させていただきます。
 自由討議の際の一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、会長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。
 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
    ―――――――――――――
中山会長 それでは、まず硬性憲法としての改正手続について、最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員長から、小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員長保岡興治君。
保岡委員 最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。
 本小委員会は、四月三日に会議を開き、参考人として、国立国会図書館調査及び立法考査局政治議会調査室主任・北海道大学名誉教授高見勝利君及び日本大学法学部教授長尾龍一君をお呼びし、各国憲法の改正手続の解説及び国民投票制度のあり方等を含めた硬性憲法としての改正手続について御意見を聴取いたしました。
 会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会の会議録を参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、
 高見参考人からは、
 まず、諸外国の憲法改正手続は、通常、憲法の安定性及び国民主権に由来する要請を満たすように仕組まれており、これらの要請は各国憲法において種々の方式となってあらわれるとの意見が述べられた後、議会、国民の投票、特別の憲法会議、連邦を構成する支邦という改正の決定、承認主体に着目した改正手続の四分類が示されました。
 また、九十六条の沿革について、
 GHQによる憲法草案の起草当初は、十年ごとに憲法改正について検討する国会の特別会の召集を義務づけようとしていたが、憲法は永続性と弾力性をあわせ持つ文書でなければならず、その改正手続は簡明なものでなければならないとの考えから、最終的に、一院制の国会の三分の二以上による発議、国民の承認、天皇による公布を内容とする九十六条の原型がつくられ、これが、日本政府への交付後、二院制の採用により発議要件がより厳格なものになったこと、
 九十六条の原意には、金森国務大臣の答弁によれば、国民が有する憲法制定権と国会の有する立法権との観念的な区別があり、前者は国民がその意思を直接表明することにより行使され、後者は国会によって表明されることになるから、憲法改正案の発案は国会の権限、改正の承認は国民の権限とされているということがあるとの説明がありました。
 そして、これらを踏まえて、最後に、九十六条のハードルは高いが世界的に見て最も高いとは言えない、また、形式的な改正のハードルの高さから諸外国の憲法の改正頻度が直ちに導き出せるわけではないとの意見が述べられました。
 長尾参考人からは、
 法哲学の観点から、憲法改正に特別多数を要するとするのは立法者のエゴであり、憲法が通常の法律に優越する理由として、伝統は子孫の世代の多数決では変えられない尊厳を持つものとする伝統主義の考え方や、敗戦時など感激時の意思は平常時の意思に優先するとする感激時の決意などが挙げられるが、その多くは妥当性を有するものではないとの意見が述べられました。
 しかし、他方で、憲法改正が単純多数決で決まってよいかについてはなお考えなければならないことであり、憲法が硬性であることの意義として、多数意見をもってしても変えられないものがあるという自然権思想の立場や、少数者の意見を常に尊重するセルフクリティカルな社会の観点から導かれる少数者保護があるとの見解が示されました。
 さらに、ジョン・ロックの思想によれば、憲法は啓蒙思想の落とし子であり、歴史とは啓蒙と伝統との対立の繰り返しであったが、二十一世紀においては啓蒙と伝統の調和を図っていくことが必要であるとの意見が述べられました。
 このような参考人の御意見を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われ、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われました。
 そこにおいて表明された意見を小委員長として総括するとすれば、まず、憲法改正のための国民投票法について、実際に憲法改正を行うこととなった場合にはその制定が必要であるという点については、各会派に共通の認識であったと理解いたします。
 ただし、制定時期については、来るべきときに備え可及的速やかにその制定を図るべきであり、現在の状態は国会の不作為に当たるとする見解と、憲法改正案が具体化しているわけではないことや憲法改正の発案権の所在など事前に検討すべき多くの事項があることなどから、現時点において直ちに国民投票法の制定を行う必要性はないとの見解とに分かれるところでありました。
 また、各委員からは、憲法を論じるに当たっては、憲法解釈だけで時代の変化に対応することはもはや不可能ではないかとの観点や、現行憲法のどの条項を改正すれば制度改革が進むかとの観点、すなわち国の形との観点などが重要ではないかとの見解が示される一方で、現行憲法の理念が下位法令に反映されているのかについて検証することが必要ではないかなどの見解も示されました。
 最後に、今後は、高見、長尾の両参考人の意見陳述を踏まえ、硬性度の高い日本国憲法の改正手続についての理解を深めた上で、憲法改正のための国民投票法の制定等の問題について、活発な議論を行っていくことが重要ではないかと感じた次第です。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 これより、硬性憲法としての改正手続について自由討議を行います。
 それでは、まず、葉梨信行君。
葉梨委員 自由民主党の葉梨信行であります。
 私は、小委員長報告にもありました憲法改正のための国民投票法制にポイントを絞りまして、これを早急に制定すべきとの立場から意見を申し述べたいと思います。
 先日の小委員会におきまして、長尾、高見両参考人からは、人民は常に自身の憲法を再検討する権利を有し、一世代はその制定した法律に将来の世代を従わせる権利を有しないといういわゆる世代理論の考え方について御紹介がございました。
 日本国憲法制定の際にもこの考え方を明文化しようとした動きがあったようでございますが、そのことの是非はさておき、国民主権をより実質化する立場から申しましても、憲法の運用が正しく行われているかどうかについては、我々国会議員はもとより国民一人一人がそれこそ不断の努力によって絶えざる検討をしなければならないこと、当然のことであります。そして、その結果として、法律に不備があれば新たな立法措置を講じ、また、法律の運用に問題があれば行政府に対してそれを改善すべきことを求めていくことが私ども国会議員の使命であります。
 同時に、憲法それ自体が時代の趨勢の中で改変を迫られているとの認識に至ったときは、これまでの憲法の基本原則を守りながらも、新たな状況変化に対応した新たな理念を追加するべく、憲法改正案を主権者たる国民に発議することも、もう一つ私どもの責務でありましょう。それを果たすことこそがこの国の民主主義と立憲主義をより一層強固なものにすることになるものとかたく確信いたします。憲法改正のための国民投票法制の整備は、そのために不可欠な制度なのであります。
 したがって、憲法改正のための国民投票法制が整備されていない現状については、私は、立法の不作為であり国会の怠慢というそしりを免れ得ないものと考えておりますが、一部には立法の不作為には当たらないとする意見があります。それは、この法律が制定されていないからといって国家賠償請求の訴訟が起きるわけではないという理由によるもののようであります。
 しかし、そのような主張は、憲法が予定している基本的な法制度の整備を裁判所における訴訟手続の枠内の議論に矮小化するものであり、適切でないと考えます。訴訟手続に乗る可能性が低いものだからといって、我々政治家が取り上げなくて済むなどということは全く当たらないからであります。
 私が立法の不作為と言うのは国会議員としての基本的責務を申し上げているのでありまして、その重要性については、一、日本国憲法は九十六条で改正手続の骨格を定めているがその詳細は法律にゆだねていること、二、したがって憲法改正のための国民投票法制は憲法自体が当然に予定している基本的な憲法附属法規であること、このことを指摘すれば十分でしょう。
 また、立法の不作為という主張を、法律の制定に向けた運動論としては理解するが、実際に憲法改正を行う際にあわせて制定すればよいではないかと言われる方もおります。運動論という意味はあいまいですが、それが今申し上げたような、欠落している憲法附属法規を整備する政治家としての責務を果たすための積極的な活動という意味であれば、全くそのとおりだと存じます。
 しかし、実際に憲法改正を行う際にあわせて制定すればよいとする部分につきましては、残念ながら賛同いたしかねます。私は、この種の手続法は、具体的な憲法改正の内容の是非と一緒になって議論されることを避ける意味からも、憲法改正とは切り離して、ふだんの冷静な議論の中で制定した方が望ましいと考えます。
 さらに、小委員会での自由討議では、憲法九十六条の改正手続に関して、一、内閣の発案権の是非、二、各議院における三分の二の基礎数となる総議員の意味、三、国民投票における過半数の意味などについて議論しておく必要があるとの御意見もございましたが、私もメンバーとして加わっております憲法調査推進議員連盟の作成に係る国会法改正案及び国民投票法案では、御指摘の諸点はすべて取り上げており、そのほとんどはクリアされております。
 現在、議連所属議員の属する各党内で党内論議が進められていると承知しておりますが、既に案はでき上がっているのですから、これをたたき台にして、各党内でより具体的な議論をし、早急に国会に上程すべきものと考えます。
 以上、簡単でございますが、憲法改正のための手続法を制定する必要性を申し述べさせていただきました。各会派におかれましても、真摯に御検討いただき、一刻も早い憲法改正、国民投票法の制定に御協力をくださいますようお願い申し上げ、私の発言を終わります。
中山会長 ただいまの葉梨委員の御発言につきまして御意見をお述べになる方は、名札をお立ていただき、その上で御発言を指名に基づいて行っていただきたいと存じます。
仙谷委員 仙谷でございます。
 今の葉梨先生の立法不作為論でございますが、つまり政治論としての立法不作為という概念と法律論としての立法不作為を混同されているんじゃないか、そういうふうに感じました。
 つまり、法律論としての立法不作為というのは、不作為の結果もたらされる法律行為というのを考えますと、国家賠償の問題であるとかあるいは何らかの、もう少しより強烈なといいましょうか、強い義務が課されるということが法律効果として出てきませんと、それは法律論としての立法不作為という概念には当てはまらないということになるわけでございます。
 したがいまして、ちょっと発言の中でもお触れになっておりましたけれども、政治家としての国会議員が、政治的なある種の義務として手続法を議論し、制定する義務があるという意味であれば、それはまさにそのとおりでございますけれども、それは例の生存権規定を初め諸規定が憲法上にはあるわけでありますが、これは法律社会学のレベルでいえば、すべての法規範的なるものは抽象化の階段あるいは反対に言うと具体化の階段の中を上がったり下がったりするわけでありますから、憲法のような最も抽象的な基本法が存在するとすれば、その下には当然それを具体化していく手続法も必要であれば実体法も必要である、このことにすぎないわけであります。
 したがいまして、確かに、我々の政治的な義務として、国民生活に関係するあらゆる問題について、憲法から演繹をしながらすべてを具現化していくという作業は政治的な義務としてあると思いますけれども、それは別に憲法九十六条の具現化の話だけではない。そして、今私が運動論と申し上げておるのは、つまり、何らかの憲法改正をしようとする国民の機運といいましょうか、民主主義的な成熟した国民の合意が高まりつつあるというのであれば、それはそれで政治的な意味での立法不作為と言われるようなこともあり得るのかなと思ったりもしますけれども、今、果たして国民的議論としてそこまで成熟しつつあるのかと。
 私は、この間の憲法調査会の議論を拝見しておりまして、やや盛り上がりに欠けるのではないかというふうにむしろ懸念をしております。時代は、憲法九条をめぐる改正論というのがいまだに最も関心が高い、メディアにおいても国民においても。今もこの調査会ニュースの「憲法のひろば」のところの分野別内訳というのを拝見しておってびっくりしたわけでございますけれども、憲法九条をめぐるいわゆる護憲、改憲論争というのが最もやはり関心を呼んでおるようであります。
 私は、実は、日本はその問題も、今回のイラク戦争によって、改めて、我々が安全保障の問題を憲法上どう位置づけ、あるいは憲法上の文言としてどう規定するのか。あるいは、緊急事態の問題を憲法上の規定としてはっきりと書くべきではないかという議論を私ども党内でしておりますし、私もむしろそういう論者でありますけれども、そのことについても、やや国民的な盛り上がりに欠ける。
 さらに、その他の、日本の統治機構というふうに言われておる国家の枠組みについて、早急にこれは大改革的な制度改革を行う、その場合には、特に中央政府と地方政府の関係については改革を行わなければならないというふうに考えておりますけれども、その場合には、やはり憲法上の規定あるいは憲法上の文言としてやるべきだと考えておりますが、容易にそれが憲法上の議論として、憲法問題として議論されてきていないというのは、まだ熟していないのかな、そういうふうに私は考えているところでございます。
 以上です。
中川(昭)委員 今の仙谷委員のお話は、熟しているか熟していないかということと、それから、制度として改正のためのシステムが整っているかどうかということに大きく分けられるんじゃないかと思います。そういう中で、制度として不備があるということは、これは共通認識だ、今葉梨幹事の御指摘のとおりだろうというふうに私は思っております。
 他方、憲法改正の議論が熟しているか熟していないか、これは極めて政治的あるいはまた国民一般の認識として、この九条に限らず、やはり五十数年間の、憲法の現時点における不備、あるいはまたあるべき憲法というものをまさにこの場で四年以上かけて議論をしてきているわけでございますから、制度としての改正手続の欠陥ということのみならず、国民的な改正の機運というものが非常に高まってきているというふうに私は思いますので、これはもう端的に、私としてはそういう認識を持っておる。各種の調査を見ても、何も九条に限らずあらゆる部分で、より身近でより大切な憲法というものを多くの国民が求めているという認識でこの議論をしていかなければならない。そうしないと、国民と政治、国会が乖離してしまうことを私は非常に恐れるものであります。
 以上です。
山口(富)委員 仙谷委員の方から発言があったんですけれども、私は、法律論と政治論というのを区別するという立場に立たないんです。やはり憲法は基本法ですから、その点からいきましても、先日の小委員会で高見参考人がお述べになった、立法不作為という考え方を自分はとらないという点を調査会としては踏まえるべきであるというふうに思います。
 それと、憲法上に改正規定が規定されているわけですけれども、これについては、高見参考人の方から、一つは憲法の安定性の問題と憲法制定権力である国民主権の原理そのものに根差したものだというお話がありました。
 それからまた、質疑の中では、世代論が出ました関係で、先発する世代が次に来る世代を拘束するという面からいくと、憲法改正規定を設けているというのはそれに対応する面があるという指摘もありまして、そういうものとして、総体としてこの憲法の改正規定のところをよくとらえることが大事だというふうに思います。
 それから、国民投票について言いますと、私は、今日特段その制定の必要はないという立場をとっております。
谷川委員 私は、これから先の問題よりも、現在の問題について関心を持っておるんです。九十六条の条文そのものについて、この条文は非常にわかりにくい条文じゃないのかな。
 国会が発議し、国民に提案、こうあるんですが、発議というのは、国会図書館にある英文憲法で調べると、イニシエーテッド・バイという言葉を使っておりますが、どうもこの発議というのは、その他の法律に使われている発議と、例えば国会法の中にその言葉はありますけれども、ちょっと持っているニュアンスが違う。なぜここへこの言葉が使われているのか。どうもこの条文そのものがよくわからないところがあるような感じがいたしまして、まず、そのようなものについても、当然ここは憲法調査会ですから、この九十六条という条文について議論をしてみるということは大変大事なことなんじゃなかろうかという感じがいたします。
原委員 社会民主党の原陽子です。
 私は、憲法の改正の手続については、急いで結論を出す必要はないというふうに思っています。
 前回の調査小委員会での同僚議員の発言をちょっと整理してみたんですけれども、まず、憲法の理念というものが一般法にどう組み込まれて表現されているのかということを考える必要があるのだと思います。参考人の方からも、憲法という基本的な枠が制定された上で、そこは法律でもって非常に多様に対応していくという考えをとっているという発言がありました。この点では、新しい権利が憲法に書き込まれていないから法律を変えなければならないという意見もあったと思います。
 しかし、憲法に新しく条文を設けなくとも、基本的に解釈で導けるのだから、立法措置で新しい権利の中身というものを具体化していくのが、ある意味では非常にスマートなやり方だという発言も参考人からあったように、新しい権利を憲法の理念に照らしてどう法律の中に生かしていくのか、あるいは生かせているのかということを私たちは考える必要があるのではないかというふうに考えています。
 また、一人一人の個人、市民から見ると、権力を持つ、あるいは権力に近いところにいる国会議員や最高裁判事などが立法をするときとか外交をするときなど、私たちが仕事をするときに守らなければならない理念を書いてあるのが憲法だと思います。基本的な権力の行使を制限することになるのが憲法だというふうに言いかえることもできると思います。だからこそ、いわゆる権力に近い側がそうした憲法改正の手続自体の議論をするのではなくて、声を上げない、声の上がらない声を聞き取って、酌み取っていくことを私たちは検証していくべきだと思います。
 このことを考えると、やはりこの改正手続に早期に結論を出すことよりも、今ある憲法の理念を生かして、私たち議員の物差しといいましょうか、私たちが仕事をするときに守らなければならない理念であると実感できるようにしていきたいと考えております。
平林委員 私は、ただいまの葉梨委員の御発言に賛意を表するものでありますけれども、どうも、常識的に考えてどうであろうかと。今日の憲法のもとにおける法律を整備していく段階で、憲法に基づいた手続の国民投票の法規というのがいまだ整備されておらないということは、どうも今日の日本の法体系の中の欠陥の一つではないかと思うのであります。
 でありますから、今改めて私どもが提案するまでもなく、やはり憲法調査会において、国民投票法の制定方についてさらに議論を深めて、できるだけ早く現行の法体系の欠陥を改めておくということが必要ではないか。いざというときになって慌てて議論を始めれば、これは手おくれになる可能性もあり得るわけでございますから、国民に対する義務的な考え方として、国民投票の手続を法的に決めておくということを積極的に議論して、できれば決めてしまうという方向に進むべきではないか、これは国会の責任であると思っておりますので、そういう意見を申し述べておきます。
遠藤(和)委員 先日の小委員会ではお二人の参考人をお招きして意見を聞いたわけですけれども、私、そのときに、今の日本国憲法を改正できる限界はあるのかないのかという質問をしたんですけれども、お二人の参考人は全く違った見解を示されました。お一人の方は限界がある、一人は全く限界はないという認識でした。
 憲法の中身なんですけれども、日本国憲法には三原理、平和、人権、民主ということが書かれているんですけれども、ここの部分についても改正ができるのか、あるいはここは改正できないのかとか、あるいは今、九十六条の、憲法の改正権を定めているんですけれども、これを改正できるのかどうか、これを改正するということは、ある意味では自己否定になるのではないかという認識を私、示したんですけれども、そのとおりであるという意見があれば、それは自由に改正していいんだという意見がもたらされたわけです。
 憲法というのは、私は、ある意味では日本の国の形を設計図のような形で書いたものだと思うんです。そうした憲法の中身、憲法の精神、そういうものが全く煮詰まっていない状況の中で、単に改正の手続の一つの法律といたしまして国民投票制度の法律を早くつくるべきだという意見、それから、それは全体が決まってから同時でいいんじゃないかという意見、この二つがあるんですね。
 私は、不作為論の立場はとらないんでして、そんなことを言ったらすべての法律は不作為である、できていない法律はみんな不作為だ。憲法に精神を書いているけれども具体化されていない法律はいっぱいあるわけでして、その中の一つにすぎないわけでして、それは不作為とは言えないのではないかなと思います。
 したがって、もっと大切なことは、憲法の議論を通して、本当にこの国の形をどうするべきなのか、こうした意見の集約を図ることが大切であって、そちらの意見が拡散するばかりで改正手続の法律をつくっても全く意味がないのではないかな、このように思っている次第でございます。
春名委員 先ほど平林委員がおっしゃったことで、一言だけ申し上げておきます。
 あたかも憲法調査会が憲法の欠陥について改めておくような提案をすべきであるというような御発言をされましたが、改めて申し上げますが、憲法調査会は、広範かつ総合的な日本国憲法の調査を行うこと、五年をめどに報告書を議長に提出すること、もちろん議案提案権はないこと、これはもう自明の前提で、その上に立って真摯な議論をする、調査をするということがこの調査会の目的でありますので、その立場から調査をする。したがって、改めるべきものを議論したり、議論といいますか提案をするとか、そういうことの権能はありませんので、その点は改めて、当たり前のことですが、確認をしておきたいと思います。
 以上です。
中山会長 他に御発言ございませんか。
    ―――――――――――――
中山会長 それでは、次に、国際協力について、安全保障及び国際協力等に関する調査小委員長から、小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。安全保障及び国際協力等に関する調査小委員長中川昭一君。
中川(昭)委員 本小委員会は、四月三日に会議を開きまして、国際協力、特にODAのあり方を中心としてをテーマに、まず、野田毅委員及び首藤信彦委員から基調発言を聴取し、各会派から質疑または発言を行った後、委員間の自由討議を行いました。
 両委員の基調発言の詳細につきましては会議録を御参照いただくこととし、その概要を申し上げますと、
 野田委員からは、
 国際協力は国際社会と自国の平和と発展に不可欠であるとの認識のもと、国連決議の履行確保のため安保理改革及び紛争解決制度の実効化を図る必要があり、日本も、みずからの安全保障及び国際貢献を踏まえた憲法改正を視野に入れ、安保理常任理事国入りを求めるとともに、経済社会分野での国連活動に積極的に関与する必要があるとの意見が述べられました。
 また、ODAの今後のあり方として、戦略性重視、人間の安全保障等の概念の必要性、要請主義の見直し等主体的判断に基づく実施、国民の理解を求める努力、関係機関の連携強化が挙げられました。
 そして、日本が独立を回復した四月二十八日を独立回復記念日とすべきとの提案がなされ、また、みずからの国をみずから守るという独立国として当たり前のことを憲法に規定することは政治家の責務であるとの意見が述べられました。
 続いて、首藤委員からは、
 ODAの憲法上の根拠はグローバル社会における人間の安全保障を求める前文にあり、国際社会の新たなニーズに応じてODAを実施する際には前文の価値を積極的に展開すべきであるとの認識のもと、冷戦後の激変する世界に対応するため、国際機構の変容と再編が求められるとともに、日本は、安全保障と経済協力の相関性、国家と国境の変容、グローバル視座、人間の安全保障、貧困等へ国際社会が対処するためのガバナンスと民主化の概念、市民社会組織に期待される役割と八十九条との関係等の憲法制定時に想定されていなかった要素を勘案して国際協力を行うべきであるとの意見が述べられました。
 その上で、海外援助の理念、海外援助に対する議会の関与、国益と世界益とのバランスを図るための価値基準と第三者によるチェックについては、憲法本文上に規定すべきであるとの意見が述べられました。
 野田、首藤両委員の基調発言や質疑、自由討議で表明された意見を小委員長として総括すれば、各意見は、ODAを中心としつつ、国際協力全般に幅広く及ぶものでした。
 まず、ODAについては、ODAの実施等に係る憲法上の根拠規定を新たに設けるべきか否かについて意見の分かれたところでありますけれども、普遍的価値の追求と国益をともに満たす形で実施されてきたか、ODAの不透明性や理念のなさ等に対する国民の不信感があるのではないか、人道分野における援助が不十分ではないかといった我が国のODAの現状に対する問題点を踏まえて、実態に応じた多面的視野からのODAを実施していく必要があるという点で、共通の認識が得られたと思います。
 次に、国際協力全般につきましては、特に国連のあり方と我が国の関与のあり方に関して多くの意見が述べられました。例えば、イラク攻撃において機能不全を来した国連の機能強化、我が国の安保理常任理事国入りや国連憲章の敵国条項の削除、国連による平和維持機能を補完するための安全保障システムの確立、地域的な安全保障の枠組み構築の必要性について発言がなされました。
 我が国が、国際社会の平和と繁栄のために、ODA等を通じた積極的な国際協力をしていかなければならないことは言うまでもありませんが、この点に関しまして、野田委員から、大国としての思い上がりからくるばらまきともらって当たり前というODAから、国益を考えたODAへという問題提起を深く受けとめる必要があると考えます。
 また、国際協力を考えるに当たっては、国連の役割や我が国の安全保障のあり方をどのように考えていくのかという問題を切り離して考えることはできません。これらのことを踏まえた上で、我が国の安全保障及び国際協力等のあり方について、今後も引き続き総合的見地から議論を深めていきたいと考えております。
 以上、御報告を申し上げます。
中山会長 これより、国際協力について、特にODAのあり方を中心に自由討議を行います。
 それでは、まず、赤松正雄君。
赤松(正)委員 公明党の赤松正雄です。
 今小委員長からお話ありましたように、前回の安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会では、初めての試みとして、野田委員そして首藤委員からの基調報告を受けての議論が行われました。極めて示唆に富んだ、すばらしいお話があった。それを受けての重要な意味のある会議であったと思います。
 私の方からは、この国際協力及びODAにつきまして、公明党の考え方を若干紹介させていただきます。
 公明党は、その外交政策の基本に、人間の安全保障という観点が重要であるとしまして、深刻さを増す国境を越えた人道の危機や環境破壊をもたらす開発に歯どめをかける手だてを求めてきました。これらへの真剣な取り組みこそが、結果的にテロを生み出す温床を除去することに連動するものと確信しているからであります。
 その上で、国連を中心とした国際協力の枠組みをつくることが世界平和を実現し得る要諦だとして、一つは人間の安全保障、二つは持続可能な開発、三つは文明間の積極的な対話を推進する姿勢を重視した平和外交を展開するべきだ、こうしてまいりました。そんな中で、特に人間の安全保障の推進につきましては一項を立てまして、一つは国際人道援助システムの提案、二つは人間の安全保障基金の積極活用、三つは対人地雷禁止への国際ネットワークの構築、四つは難民受け入れへの積極対応、五つは国際平和貢献センター設置の推進、こういったものを挙げております。
 ちなみに、国際人道援助システムの提案というのは、人間の生存、生活、尊厳を脅かすさまざまな脅威から人間一人一人を守るために国際人道援助システムを構築するということを提案しております。具体的には、開発途上国の日本大使館に人道援助担当官を設置して、政府機関とNGO、国際ボランティアとの連携を図る、あるいは国際緊急援助隊の活動を通じて各種災害の被災民への支援を行い、また紛争による難民に対してPKOの活動を通じて難民の緊急生活支援に対応する、また、ケシの転作への技術面や財政支援などを含む麻薬撲滅への取り組みの推進をする、あるいは青年海外協力隊等の大幅拡充と社会的地位の向上を図る、さらには、稲の新種開発や食糧増産など、飢餓撲滅への積極支援などを提案いたしております。
 また、人間の安全保障基金の積極活用につきましては、国際社会における環境、地雷、エイズ、麻薬、飢餓等の地球的諸問題に対して日本が積極的に貢献することが求められていることから、具体的には、我が国のイニシアチブで国連内に設置された人間の安全保障基金を積極的に活用して、これら地球的諸問題を解決するためのプロジェクトの充実、人材育成や人的派遣を支援していくことを強調しております。加えて、地球的視野に立って国内外で活動しているNGOや国際ボランティア等に力を入れて支援することを強調しておるわけでございます。
 また、ODAにつきましては、持続可能な開発と人間の安全保障を重視して、参加型、草の根型へ転換する必要があるということを強調した上で、具体的には、経済インフラの整備のための大規模プロジェクト中心型から、環境、麻薬撲滅、飢餓、教育、感染症対策、地雷除去支援などに関する分野に重点化することを強調いたしております。
 こういった点につきまして、さきの小委員会では、両委員からも、ODAについては大きく今転換の時期を迎えているというお話がありましたが、私は中国に対するODAについてのあり方を両委員にお尋ねをいたしましたけれども、従来、この中国に対するODAが持つ性格として、戦後賠償を経済協力として行ってきた経緯があるものの、現在の状況に踏まえて見直しを行うべきであるという角度から両委員から指摘があったということは、私も強い同感を持つものでございます。
 いずれにしても、こうした姿勢というのは憲法前文にある国際協調主義を具体化するものである、そんなふうに考える次第でございます。専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から除去しようとする手段として、今なお国際社会では武力の行使をもってするしかない現状があるのは極めて残念と言うほかありません。国家を構成する人民、大衆の命や生活を守らない、主権国家とは呼びがたい国家が、国家の安全保障の名のもとに自己保存を図ろうとする、その事態を打開するために武力で介入することが、一時的にせよ、人間の犠牲をもたらす。国際社会の一致した動きの前には無謀な戦いを挑むことは無意味なことを一日も早く国際社会のすべての構成メンバーが気づく状況をどうつくっていくか、人類の知恵が問われ続けていると思います。
 以上です。
中山会長 ただいまの赤松委員の御発言に関して御発言を御希望の方は名札をお立てください。
斉藤(鉄)委員 先ほどの議論にぴったりフィットする話になるかどうか自信がありませんが、ODAと世界の人口問題、これは非常に深い結びつきがあるのではないかという話をちょっとさせていただきたいと思います。
 人類は、狩猟社会、農耕社会、その数千年間、ほぼ地球上の人口は二億人から三億人と言われてまいりました。それが、ある意味で地球が持っている能力と人類が自然の中で生きていく一つのバランスだったんだと思うんですけれども、現在は産業革命以降急速に人口がふえて六十億、いずれ百億を超えると言われておりまして、基本的にこの人口問題をどうとらえるのかということは日本にとっても大変重要な課題であるし、日本の今後のあり方という面でもしっかりとした議論をしていくべきだと思います。
 そういう中で私、ODAは、基本的には人口問題、これは環境、エネルギー問題とも結びついてくるわけですけれども、そういう方向性を持ったODAということで理念、方向性を持たせるべきと考えます。
 それから、この人口問題を解決するのは、やはり教育、科学技術しかないと思います。人口がふえている地域というのは、物の生産力の向上と、それから人々の科学技術に対しての知識のギャップ、その時間的ギャップがあるわけですが、その期間に大幅な人口増加がもたらされます。そういう意味で、その地域の教育にどうODAを使っていくのか。子供たちを教育する権限は第一義的には親にあるわけでして、またその地域の人にあるわけでして、外からとやかく言うことはできませんけれども、その問題を解決しながら、生産力の向上と知識の向上、この時間ギャップをどう縮めていくかが今後の人類にとって非常に重要だと思います。
 以上です。
金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子です。
 私は、今、イラク問題なども非常に重要な案件になっておりますけれども、テロとのかかわりの中においてどう考えるかということを申し上げたいと思います。
 先ほど来お話がありますように、憲法の前文の中に、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」というのが憲法の中に明確にうたわれておりますけれども、テロに対する対策ということについては、今、武力を中心にしてその問題を解決しようということが強調をされておりますけれども、決してこのことによってテロを世界から撲滅することはできないのではないか。基本的には、やはり、この前文にもうたわれているような、いわば貧困の問題、格差の問題、こうした経済的な多くの側面があるということをもう一度改めて思い直していく必要があるのではないか。その解決なくしてテロの問題を解決することはできないということであると思います。
 武力によるテロの解決によって新たな憎しみを生むということは言われているとおりでありまして、いっときは抑えることができたとしても、潜在的な問題を根本的に解決することにはならない。ということになれば、やはり、指摘をされているように、経済的な貧困の問題を全力を挙げて解決していく。また、それが我が国がとるべき最も、この憲法の前文にうたわれた、人間の安全保障という言葉が今言われておりますけれども、そういう側面に立てば、そのことを強調して、そのことに我が国が全力を挙げるということの方がはるかに、憲法との関係の中にあってもやはり当然のこととしているというふうに思います。
 今や世界の軍事費を、残念ながら、冷戦構造が崩壊をし、新たな世界秩序と言われつつも、しかし、我が国の軍事費を見てもそうでありますけれども、非常に多くの膨大な軍事費が今日なお使われているということを考えてみますと、その軍事費の多くをこのような貧困の解消のために使うということになれば、むしろその方がこういうテロの問題を含めた世界秩序というものをつくっていくことになってまいるということで、今、ODAの見直しなど言われておりますけれども、しかし、我が国はもっと積極的に、この側面、平和憲法を持つ、人間の安全保障ということを主張する我が国としての立場からいえば、むしろ、ODAとか経済援助というものに対してもっと積極的な役割を果たしていくことが、今、国際社会の中で求められているのではないかということを申し上げたいと思います。
中山会長 他に御発言ございませんか。
首藤委員 ODAのことについて、最近はよく戦略性という言葉が使われるわけですけれども、何のための戦略性かというと、日本にとっての戦略性という考え方が非常に強い。それは、日本の国民からの税金で行われているというところから、税金を払っている者への便益の直接還元的な意味があるんだと考えられるわけですけれども、問題なのは、世界の平和や安定のために日本は何をするかという視点が、ODAにおいてはやはり非常に重要なことだと思うんですね。
 この視点というのは、実は憲法においても必ずしも明確ではない。それは、前文においては大変崇高な理念が述べられているわけですけれども、実際に、憲法の内容に関しては、そうした世界の人たち、同じ地球に住む人々がどういう生活を享受できるのか、そのためには日本は何か貢献することがあるのかということに関しては何も触れられていないわけであります。また、世界秩序、世界の平和をどうやってつくっていくかということに日本がどう貢献すべきかということもまた述べられていないわけであります。
 ですから、そういうふうに、今まで世界平和とかそういうものは、我々は考えなくていいとは言っていないわけですけれども、決して我々の中心的な概念ではなかったわけですが、最近の地球環境の劣化とかあるいは大量破壊兵器の問題とか、最近のイラク戦争を見れば、世界で起こっていることがとりもなおさず直接的に私たちの平和や自由や人権に関係があるということがわかってきたんだと思うんですね。
 ですから、憲法においても同じだと思うんですが、世界の平和、世界に住む人々の平和、自由、人権、これに日本がどういうふうに貢献するかということが今求められているんだと思うんです。そのためには、例えば日本がもっと積極的に行動をとらなければいけないわけでありまして、日本は軍縮においても、軍縮は熱心な国という評価に一応なっているんですけれども、現実的に何か一歩踏み込んでやっていくかというと、決してそういうことはない。
 例えば、今回のイラク戦争においても、デージーカッターとかバンカーバスターとかあるいは劣化ウラン弾、もう明らかに準大量破壊兵器と言われるような兵器が大量に使われています。そうすると、たとえそれが独裁的な政権、人権抑圧的な政権を打破するためであっても、結局はそれによってまた新たな問題を生じさせてしまうわけであります。
 ですから、そういうことを考えると、今日本に問われているのは、最初の話題に戻ってODAも同じですが、やはり、ODAの戦略性というのは、単に日本で生み出された富をどのように日本にまた還元させていくかということと同時に、日本が依存しているところの世界、これをどのように安全で平和なものにしていくか、そこに住む人にどのように平和と自由と人権を約束していくか、そういうことに向けて使われるべきだ、そういうふうに思います。
 以上です。
春名委員 日本共産党の春名直章です。
 昨年十月に実施した内閣府の世論調査なんですが、経済協力について、今後なるべく少なくすべき、それから、やめるべきというのが三〇%に迫って、この二十年来最高になってしまいました。
 その理由として、内容の不透明性、現地住民への配慮不足、これが増大しているとのことです。宗男疑惑に見られるような腐敗の温床になっている問題だとか、それから日本のODAのゆがみの問題がここに横たわっていると思うんですが、同時に、その中でも、進めるべき理由ということで国民が支持しているのが、開発途上国の安定に貢献し世界の平和に役立つ、先進国として開発途上国を助けるのは人道上の義務、開発途上国の環境問題などの解決のために日本の技術や経験を生かす。こういう回答の割合は、一年前と比べてもふえているという状況になっております。
 したがって、国民は、真に役立つODA、とりわけ人道的な分野への支援あるいは環境問題、こういうものの解決に役立つODAを望んでいるということは明らかだろうと思います。その上に立って、やはり、日本の人道支援、日本のODAは、人道的分野への支援をもっと強化することが非常に大事ではないかと思います。
 例えば、小委員会でも申し上げましたが、FAOが昨年十月に発表した報告書によりますと、九八年から二〇〇〇年の世界の栄養不足人口が約八億四千万人いて、その九五%が発展途上国に集中しているという中で、徐々に供給量は、先進国はずっと減少させて、日本も例外ではなくて、随分減少している問題があります。二国間ODAに占める食糧援助の割合は、開発援助委員会加盟国の平均三・八%を大きく下回って、わずか〇・四%しか日本の場合はないという問題だとか、そういう点で、むしろ、人道的分野に支援を重視してほしいという国民の声もあるにもかかわらず、後退している面もある、こういう点を解決していくことが大事だと思います。
 それから、今後のODAの問題では、環境分野を重視することが私は大事だと思います。
 今、世界の環境破壊が大問題になっていますので、環境保全に寄与するものへの改革が必要だと思っています。ところが、日本のODAは、その環境を破壊するものとなっている面もあります。
 ケニアのソンドゥ・ミリウ水力発電所は、この建設に伴って、ソンドゥ川の水源の上流の森林伐採が急速に進んで、川の水量、土砂流出に非常に深刻な影響が出ています。インドネシアのコタパンジャン・ダム、ここも、発電に必要な水量が確保できないで、住民に役に立たない。一方、ダムの貯水池の造成で、地球上で最も豊かな熱帯動植物の一つの宝庫が沈められてしまう。樹木を取り除かないまま貯水して、水質悪化が進んで、マラリアの大量発生の懸念すら指摘されるという事態も少なくありません。
 こういう姿を見て国民の批判があるわけでありますので、環境を守るODAに重点を置く、その内容が環境を逆に破壊する、そういう事態を正していくというような努力が今こそ大事になっていると思います。
 最後に、ODAのやり方と進め方についてですけれども、やはりODAの決定過程が不透明さがあって、これを改める問題は広く指摘されているとおりです。住民や現地で活動するNGOなどの参加、第三者を交えた監査、評価の充実、情報公開、透明性の確保などの改革が必要だと思いますし、人道援助額やODA案件も公表して、国会審議の対象としていく、こういう改革をぜひやっていく必要があると思います。
 以上です。
平林委員 私は、ODAの問題について、必ずしも詳しく承知しておるものではありませんが、私の考え方を御披露させてもらいたいと思います。
 ただいまお話のありましたテロとODAとの関連とか貧富の格差とODAとの関係とか、そういうものは確かに間接的な関係はございましょうけれども、直接的な関係で物を見ては、ちょっと危ないところがあるんではないかと思います。
 例えば、独裁国家で日本を敵視するというような国家に対してODAを供与するということについては、私は熟慮を要すると思います。全く人道的な善意というものが単なるお人よしの行為に終わってしまう、場合によれば逆効果を生むというようなことを一方で考えながらODAのやり方を決めていくべきではないかと思うのでございます。
 いささか抽象的な言い方をすれば、日本の国益に応じた国際貢献が必要で、国益に反する国際貢献というのはかえって有害な場合がありますよということを言いたいわけでございます。
 それから、やはり軍事力もそうでありますけれども、ODAに関しても国力相応ということを頭に置いておかなければいけないなと思います。
 日本はかつて、戦前のことでありますけれども、国力不相応の軍事力を持ったために大変な不幸を招いた。戦争に負けた。こういうようなことを振り返ってみれば、ODAも国際協力であり、国際関係の一つでございますから、戦争はもちろん血を流す国際関係で決してよくないわけですけれども、ODAに関しても国力相応ということを考えながら、世界全体を見回した日本のやり方、日本の金額というものを決めていくべきではないか、そう考えております。
 以上でございます。
仙谷委員 我々が、今、地元といいましょうか、国民の多くの方と対話をする中で、相当多くの方々からの注文といいましょうか、あるいは抗議的言論を聞かされるものの一つに、このODAがございます。つまり、国内がこれだけ景気が悪くてといいましょうか、経済的にある種の劣悪な状況になりつつあって、国民に対して政府がそれほどの支援措置もしないのに、国外に我々の税金を持っていくのはどういうことなんだ、ODAをやる余裕があるんだったら、もう少し国民にいろいろな手当てをすべきではないかという議論は、皆様方もよく聞かされるんではないだろうかと思います。
 そしてまた、財政の方から物事を見ますと、税収といわゆる政策的経費というのを大ざっぱに見ておりましても、これは到底他国に経済援助を含めたいろいろな施策を行うということができる状況でないこともまた明らかだと私は見ております。つまり、将来世代の借金でODA予算も組まれ、使われているという状況であるというふうに考えた方がいいのではないかと思います。
 他方、憲法の前文からも明らかなように、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を全世界の国民が有することを確認するということでございますし、それから、我々も戦後、大変経済的困難な状況下では、マーシャル・プランを初め、いろいろな諸外国のあるいは連合国の経済支援のもとで復興を図ってきたという歴史的な事実もございます。
 そしてまた、多くの議員の方々がおっしゃるように、全世界的な経済の格差、あるいは現時点では経済だけではなくて、情報の格差、あるいは自然環境及び環境破壊の問題についての格差というのは、どうしても、経済的劣位にあるといいましょうか、経済的な貧困の中にある国ほど多くの犠牲あるいはしわ寄せがいっていることも間違いがないわけでありまして、このことを放置して平和とあるいは国際的な協調がうまくいくということもまたあり得ないことも明らかです。
 一方で、EUのいわゆる補助金というのを最近ちょっと調べてみたわけでありますが、EU内での先進地域といいましょうか先進国から相当の補助金を一方ではEUに上げて、EUの内部での途上的地域といいましょうか後発的地域に、それを補助金としてあるいは助成金として配付するというふうなことがEUでは一方では行われているということでございます。これは、言葉としては国際的な連帯というふうに言えるんでしょうか、連帯の問題、そして、でき得る限り経済格差を少しでも少なくしていくということが今後とも大事だということでございまして、我々も、この財源をどう認識するのか、どう捻出するのかということを、これからある種の国民に対する説明、イデオロギー的な説明になるかもわかりませんけれども、そのことと同時に、真剣にこの財源の捻出を考える必要があるというふうに考えております。
首藤委員 首藤です。
 今同僚議員からもお話ありましたが、不況になるとODA削減圧力がかかってくるというような傾向があると思うんです。しかし、より客観的に考えると、そのODAのもとの原資は何であるかということなんですね。それは、当然のことながら、我々の考え方としては、国内で生み出された富である、したがって、それを外国の貧しい人たち、困っている人たちに分けてあげる、そういう考え方をしているわけです。しかし、よく考えてみれば、そのお金というものは、日本が例えば輸出することによって得た外貨であったりするわけですね。
 しかし、そういうことはどうして可能かというと、結局、日本で生み出された石油、日本での鉄鉱石、日本でのさまざまな重金属を使って物を輸出しているのではなくて、それはほとんど外国から来ている、しかもその多くがアフリカとかあるいは中近東とか、そうした貧しい地域から来ているという現実であります。石油に関しては九九・九%、もうほとんど一〇〇%が海外から来ているということでありますし、多くの戦略的な重金属もアフリカの最貧地域から来ているわけであります。
 こういうふうに考えると、実は我々は、何か世界に我々の余ったお金から支援しているような、そうした誤解をしておりますけれども、もともとこのお金というもの、ODAとして出している原資というものは、世界の国がひとしく共有しているものの一部であるというふうに考えることもできるわけであります。
 日本において欠けている発想というものは、いかに日本が世界に依存しているかという基本的な世界観だと思うんです。日本が、本当に例えば日本の近海漁業だけに頼っている、日本の貧しい天然地下資源に頼っている、あるいは石油から生み出された石油製品や化学肥料などを使わずに伝統的な江戸時代的な農業を展開している、こういう国であれば、確かに、余ったお金を貧しい国に供与するという考え方があり、さらに、日本の経済が不振だということでそのODAを減らしていくという発想も当然出てくるわけでありますが、しかし現実には、日本というものはすべて世界に依存しているという現状であります。そして、その世界への依存度は近年ますます高まっていると言わざるを得ないわけです。
 ですから、私は、今必要なのはそうした世界観、日本の世界観をやはり現実に合わせていく必要があると。すなわち、日本がいかに世界に依存しているか、日本がいかに世界の環境に依存しているかということを理解することが非常に重要でありまして、その意味で、平和教育、環境教育あるいは国際教育というものを、改めて新たな次元でつくり直していかなければいけないんだ、そういうふうに思っております。
 同時に、憲法においても、先ほどから何度も言っておりますように、この視点は明確ではないわけであります。例えばオランダにおいては、国際平和維持活動への貢献という点に関しても、例えばオランダ憲法においては、オランダは国を守るために軍隊を持つ、同時に、それは世界秩序を維持するためにも貢献するというような形でできていると聞いております。
 また現在、日本のさまざまな国内的な資源、例えば警察とか環境問題や、あるいは選挙監視といった、そういう自治体が持っている能力、こういったものも世界に実は貢献する必要があるし、世界からも求められているわけですが、こういうことに関しても、日本はどのように日本が持っているさまざまな資源、人的なものを含めて貢献していくかということも、やはり憲法においてある程度明記されておく必要があるのではないか、そういうふうに考えております。
 以上です。
野田(毅)委員 今お話のありました、仙谷委員、首藤委員の発言に関連するんですけれども、ODAに対する評価といいますか、特に納税者、国民からの目というのは従来以上に厳しくなっている。この点で、特に国内の経済、特に地方の経済が、いわばのたうち回っていると言っていいぐらい疲弊している。しかも、さらに空洞化という現象が進んで、なかなか地方自身が容易に自立しにくい今日の状況の中で、ODAに関して今まで以上に大変厳しい目というのがあることは十分念頭に置くことが必要だと思います。
 そういうミクロの世界をどう考えるか。マクロ面でいえば、今、日本全体からいえば、確かに世界経済との連動の中で、その中にしっかりと組み込まれてきたから今日の日本があるわけだし、今後のそういった国際的なつながりというものをより重視しなければ日本が生きていけないということは、そのとおりだと思います。
 そういう中で、もう一つの視点からいえば、ODAの原資、中身が、円借款もみんなODAにカウントしているんですね。総額でみんな表示しているものですから、国民から見れば、全部が全部、税金でいくんだ、あるいは借金でいくにしても、将来は必ず税金で返していくんですというふうな意識で見ていると思うんですよ。だから、円借款というのは返ってくるんですね、原則。期間は長期、低利かもしれないが、決してただでいっているのではないんですよ。特に対中円借款に関して言うと、相当、入りと出の数字の関係が、いずれ間もなく逆転する可能性だって出てきているということです。
 そういう点で、一概にODAの総額を表示して、国際社会の中ではこんなに日本はやっているんですよと、少し数字を大きく見せたいという思いもあるんだけれども、一方で中身からいくと、必ずしも出っ放しの贈与という部分ではなくて、かなりの部分は返ってくる金であるし、しかも返ってくる金であるということは、その財源が税ではなくて、実は財投資金で充てているということもあるわけですから、そろそろそういったODAの財源の内容を、もう少し詳しく納税者、国民にアピールするということが、より正しい理解と協力と認識をいただく大事な視点の一つではないか、こういうことを申し上げたいと思います。
遠藤(和)委員 私は、ODAでは、やはり生きたお金の使い方ということを考えていかなければいけないんじゃないかと思うんですね。財政上の理由で総額は減少せざるを得ないわけですから、限られたものをどういうふうに生きた形で使うかということが大事だと思います。
 少し前にカンボジアの政府の方とちょっと懇談する機会がありまして、カンボジアの戦後復興に日本は大変協力したんですけれども、一番うれしかったことは何かということを聞いたら、魚を贈ってくれるのではなくて魚のつくり方を教えてくれたことが大変うれしかった、こういうふうなことわざを引いて、国づくりは人づくりですから、人づくりのための支援をしてくれたことがうれしい、こう言っておりました。
 やはりこれは、それぞれの国はそれぞれの国民がつくっていくわけですから、その人づくりにどんな支援ができるのかという角度で、教育のプログラムだとか、あるいはいろいろな技術者育成のためのプログラムだとか、いろいろな人間に即したプログラムが考えられるわけですけれども、こうしたことに対する重点化、そちらの方向に重点化してODAを考えていくという形になれば、生きたお金の使い方ができるんじゃないかなと思うんですね。しかも、支援を受けた側からも大変喜ばれるものになるのではないかな、こう思います。
 そうした観点から、ODAのあり方そのものについてもう少し考え直して、お金が有効に、生きた形で使われるようなものにつくり直していくことが大事ではないかな、こんな気持ちでおります。
中川(昭)委員 日本は戦後、軍事的なコミットメントができないということで、日本の貢献できる分野として、金、人、そして技術、情報ということだろうと思います。先ほど野田先生からもお話がありましたが、中国は有償資金が今中心になっているわけでありますけれども、他方、日本から安く金を借りて、利ざやを取って途上国に又貸しをしているというような議論もあるわけであります。そういう中で、本当にODA対象国にとって期待にこたえられるような支援が何があるのか、他方、彼らの期待には沿えるかもしれないけれども、やっちゃいけないこともあるのではないか、その辺を緊張関係を持ってやっていかなければいけないのかなと思います。
 今、WTOの議論をずっとやっておりますけれども、例えば森林の違法伐採の問題、特定の国々が非常に違法伐採をやりながら、しかし外貨稼ぎに利用している。あるいは、知的所有権で先進国と途上国との間で非常に大きな対立点があるわけでございますから、そういうこと等を含めまして、彼らのニーズにこたえられればいいんだということではなくて、本当に持続可能な発展、長期的な発展、あるいは地球というもののために何ができるのかということを、少し辛口といいましょうか、緊張関係を持って、やるべきことはやる、あるいはやっちゃいけないことはやっちゃいけないんだというODA政策、あるいは広い意味の途上国あるいはまた貧困にあえいでいる国に対して、きちっとしたものを日本としても原則を立ててこれからやっていくことが必要なんじゃないのかなというふうに思います。
 以上です。
中山会長 他に御発言はありませんか。
 それでは、討議も尽きたようでございますので、国際協力について、特にODAのあり方を中心とした自由討議を終了いたします。
     ――――◇―――――
中山会長 御承知のとおり、来る五月三日は憲法記念日であります。憲法記念日を迎えるに当たりまして、これより委員間の自由討議を行うことといたします。
 議事の進め方でありますが、まず、各会派一名ずつ大会派順に発言していただき、その後、順序を定めず自由討議を行いたいと存じます。
 一回の御発言は五分以内におまとめいただくこととし、自席から着席のままお願いいたします。
 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
 それでは、まず、葉梨信行君。
葉梨委員 自由民主党の葉梨信行であります。
 私は、今国会の四つの小委員会の議論と本調査会での議論を自分なりに総括して、一言感想を申し述べたいと思います。
 まず、冒頭に申し上げたいことは、私どもの調査活動が開始されて四度目の憲法記念日を迎えようとしている今日まで、各会派とも立場の違いを超えて実に濃密な議論をしてきたということであります。それが昨年十一月の中間報告書の作成、提出と本会議における中山会長の御報告に凝縮してあらわれたのだと存じます。
 この常会からは、それを踏まえた上で、一、日本国憲法百三カ条の全体について、残り一年余りで計画的な調査を行う、しかも、二、委員間の自由討議を活性化させて、憲法各条章の問題点と意義を浮き彫りにしながら議論を収れんさせていく、こういうぐあいに議論が新しいステージに入っているわけでありまして、今後とも、世の中の動きに対応できるように、できるだけ迅速に、かつ建設的な調査を進めてまいりたいと思っております。
 各小委員会の議論の中で特に印象に残っているものを挙げますと、まず、最高法規小委員会では、先ほどの基調発言でも申し述べました憲法改正のための国民投票法制の整備の必要性のほか、象徴天皇制の問題が取り上げられました。
 ともすればタブー視されがちなこの種の議論が、公開の国会の場におきましてこのように大々的に行われたことはいまだかつてなかったのではないでしょうか。憲法調査会ならではの調査として大変意義深いものであったと思います。私といたしましては、権力の所在と権威の所在とを区別した上で、そのような意味での元首としての象徴天皇を憲法の中に明確に位置づけるべきであるとの思いも改めて強く持った次第であります。
 安保国際小委員会では、非常事態と憲法について、テロや自然災害などへの対応も含めて全般的な議論がなされましたが、同時に、イラク問題、北朝鮮問題といった現在進行中の問題についても、緊急総会を開催するなどして、活発な議論がなされました。
 日本のとるべき態度、憲法と国際法との関係などについては私もたびたび意見を述べたところでありますので、ここでは繰り返しませんが、ここで一言付言するとすれば、時事的な問題についても、時宜に応じて憲法的観点から議論をするということは極めて重要なことであり、五年とされている本調査会の設置期限とは別に、国会の中に諸問題を常に憲法的観点から調査審議する機関が恒常的にあってよいのではないか、そう感じた次第であります。
 基本的人権小委員会では、何といっても教育基本法の改正に関する議論が重要であったと思います。
 学級崩壊、犯罪の低年齢化など子供たちを取り巻く問題には、家庭崩壊、モラルの低下など、大人社会のありようが大きく影響していると思いますが、それを再構築するに当たっては、日本社会に根差した伝統や習慣、よき共同体としての支え合いを再認識した上で教育基本法の改正を行うべきであり、将来的にはそれを反映した憲法改正が求められているのではないか、そのことを問題提起として指摘しておきたいと思います。
 統治機構小委員会では、地方自治の現場からの意見聴取を踏まえて、道州制、市町村合併など、具体的な諸問題について活発な議論がなされましたが、これらの諸問題は、とりもなおさず国家の統治機構全体のありように直結する問題であることを改めて痛切に感じました。
 今後は、道州制導入の是非の問題を念頭に置きながら、より具体的な制度設計を踏まえた議論に移っていくべきであると存じますが、その際には、すべてを地方自治の本旨という文言の解釈から導き出すのではなく、基本的な中央、地方のありようは憲法の中で規定するとの考えを前提とすべきものと考えております。
 時間がなくなってしまいましたが、最後に一言申し上げたいことがございます。
 これからは、徐々に残りの調査期間を考慮しつつ調査を行わざるを得なくなってまいります。今後もより一層タブーのない憲法論議を精力的に積み重ね、国民に対しこの国のあるべき形を提示するのが私ども政治家に課せられた責任だと存じますが、しかるべき時期が参りましたら、それまでの議論を踏まえて、各会派から憲法改正の要綱案あるいは憲法に関する基本的な考え方をお出しいただいて、それを議論の俎上にのせることが重要かと存じます。国家のありように関する各会派の基本的なスタンスを国民の前にわかりやすい形で提示することも、我々憲法調査会委員の責務であると感ずるからであります。
 今後とも、立場の違いを超えて、認識を共有できるところを確認しながら、できるだけ実り多い調査ができるよう、協力していこうではありませんか。
 そのことをお願い申し上げまして、私の発言を終わります。
    〔会長退席、仙谷会長代理着席〕
仙谷会長代理 次に、古川元久君。
古川委員 民主党の古川元久でございます。
 私は、この国会から初めて憲法調査会の委員として参加をさせていただきました。ほかの委員会と違って、議員同士の自由な討論が行われるこうした憲法調査会のあり方というものは、これは国会全体の審議のあり方としても私は非常に有意義なものではないかという感じがいたしております。
 本日は、お時間をいただきましたので、憲法記念日を迎えるに当たってということでもありますので、私の考える、そもそも憲法とはどういうものかという視点から少しお話をさせていただきたいと思います。
 憲法がどういうものかということに思いをいたしますと、やはり国の最高法規として、そしてまた一番の根幹をなす基本法として、この調査会でもたびたび言葉が上がっておりますけれども、この国の形を示す、そうしたものでなければならないというふうに考えております。
 それでは、あるべきこの国の形というものはどういうものか。憲法の議論をしていくに当たりましては、あるべきこの国の形を描き、それに現行憲法がどのような形でマッチしているのか、あるいは足らないところがあるのか、あるいは変えるべきところがあるのか、そのままでいいのか、そうした観点で現行憲法と照らし合わせた議論というものが必要ではないかというふうに考えます。
 憲法論議をする際に、このようにトータルとしての日本の国の姿をイメージした上での議論が行われなくて、現行憲法の一部のみを取り出してその改正の是非を議論しているようなそうした議論が行われる限りは、本来あるべき国の形というものはその議論からは見えてこず、そうした中での憲法論議というものは国民からも理解されないのではないかと私は思います。そういった意味では、あるべき国の形は何なのか、そうしたことをまず常に念頭に置いた上での議論が必要ではないかというふうに考えます。
 それでは、あるべき国の形とは何か。これは、国内としての対内的な形でのあるべき国の形、そして、対外的に国際社会の中で日本という国がどういう国としてあるべきか、そうした両面から考えなければならないと思います。
 例えば、対内的なあるべき国の形という形で考えれば、これまでの我が国の形は官主導の中央集権体制であったと言っても過言ではないと思います。しかし、このような官主導の中央集権体制はもはや今の時代にはそぐわず、また国民の求めるものではないということは明らかになってまいりました。
 今後、この国の形としてあるべき形は、民が主導の地方分権体制、私は、これが単なる地方分権ではなく、地域がそれぞれ主権を持って、外交、防衛、国としてやらなければならないこと以外は地域で独自に決めていけるような、そうした地域主権のあり方、そして最終的には、私は連邦制という形にまで進んでもよいと思いますけれども、そのような民主導の分権連邦体制というものをこの国の形として考えていかなければならないのではないかというふうに考えております。
 そのような分権連邦国家という立場に立った場合、国の基本法であります憲法に、どのような事柄が、どのように規定されていなければならないのか。それは、そうした分権連邦国家という発想に立てば、そこからおのずと明らかになってくるのではないでしょうか。
 これまでの、私も参加をさせていただいた統治機構に関する小委員会などの議論を踏まえましても、今の規定で、このように地方に主権を与えるというほどの大きな国の仕組みを変えるということには限界があるのではないかというふうに考えます。
 日本の国のあり方、これからのこの国の形というものを考えた場合には、まさにこうした分権連邦国家にふさわしい、地域にきちんとした権限を与える、そうした仕組みを憲法の中に規定していくということを考えていかなければならないのではないかというふうに思っております。
 思い起こしますと、私自身、二十五年ほど前に小学校で初めて日本国憲法を学んだときに、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重、この三原則が日本国憲法の原則だということを学んだことを今でも覚えております。こうした現行憲法の基本原則は、私はこれからの時代の中でも続けていかなければならないものだと思いますけれども、ではそうした原則を、これからの時代の中で、そしてこれから日本が目指していく国の形の中でどう具体的に現実化させていくのか、そしてそれを担保する形として憲法はどうあるべきなのか、そうした議論をして、そしてそれを具体的な形にまとめていく、そうした努力を引き続きしていかなければならない、そのように考えております。
 以上です。
    〔仙谷会長代理退席、会長着席〕
中山会長 次に、遠藤和良君。
遠藤(和)委員 私もこの国会からこの憲法調査会の委員にさせていただきました、遠藤和良です。
 憲法というと日本では日本国憲法のことを直ちに指すというふうに理解されるわけですけれども、もともと憲法という言葉は、いわゆる英語のコンスティチューションの訳語であるということはよく知られているわけですね。このコンスティチューションというのを辞典で引きますと、憲法という訳のほかには、構成だとか組織、あるいは体格とか体質、制定とか設立、そういうふうな言葉が見られます。もっと易しい言葉であらわしたらどんな言葉があるかなと思うんですけれども、司馬遼太郎さんが「この国のかたち」というエッセーを書かれているわけですけれども、平易な日本語で言えば、やはりコンスティチューションというのは国の形と言っていいのではないかと思うんですね。国の形というものを憲法法典の中に書くということが憲法の意味ではないかな、こう思います。
 そういう目から見ると、明治憲法から日本国憲法に推移したときには、天皇主権から国民主権になった、あるいは臣民の権利から個人の尊重に基礎を置く基本的人権に変わった、それから法治国家から法の支配ということに変わった、あるいは富国強兵の国家から平和志向、国際協調志向の国家に変わった、こういうふうに、ある意味の革命憲法と言っていいんでしょうか、国の形が革命的に変わったというのが見えてくるわけです。
 今、現時点というものを考えると、世界的に見れば、イラクの戦後、国連というものを中心にした世界秩序がどのように回復していけばいいのかという大きな問題がありますし、また、日本の国というものが世界に対してどんなメッセージを絶えず発する国家であればいいのかとか、こういうふうな、世界の中における日本の役割あるいは存在意義、そういったものが問われているわけです。
 あるいは、閉塞状況と言われているんですけれども、これは何も経済が閉塞状況なだけではなくて、日本のあるべき国の形が見えていないということに対する閉塞状況もあるのではないかなと思います。
 二十一世紀の初頭という今の時代に置かれている日本を考えると、これは、例えば江戸時代から明治に変わった、それから太平洋戦争が終わって新しい日本国憲法ができた、その次の大きな時代の変換点にあることは確かではないかと思うんですね。そうしたものを考えてみると、やはり今まさに考えなければいけないのは、新しい二十一世紀の日本の国の形をどのように基本設計するのかということが大変大事だと思います。
 そうした議論をきちっとした上でこの憲法の議論をするということが大事な視点だろうと思うんですけれども、そこまで本当に国民の皆さんの熟度が高まっているのか、あるいは政治のレベルで議論が収れんしつつあるのかということを考えますと、何か議論は拡散をするばかりで一向に収れんはしない、閉塞状況がますます深まって、混迷が深まっているようなことを危惧するわけでございます。
 したがって、もう一回、この憲法調査会で議論をしているということは大変大切なことなんですけれども、一つ一つの細かい議論は、まあこれも大切なんですけれども、大きな枠組みで、ワンパッケージで、この日本の国の役割とか、あるいは国の形をどうあるべきかとか、そうした骨格の議論をきちっとするのが本当は重要なのではないかな、こういうふうに私は思います。何を世界にメッセージできる国なのか、こうした日本のイメージといいますか、そういうものをきちっとする必要がある。
 そして、憲法の中には、日本国民としての権利とか義務とか、あるいは統治機構のあり方といったものを書くことになるわけですけれども、そうした中でも、きちっとした日本の国の世界に対する宣言のようなもの、そういうものがきちっと託されているような、国の形を世界に向かって、また日本国民に向かっても理解してもらえるような設計図を早急につくる必要があるのではないかな、こんなことを憲法記念日を迎える気持ちとして述べさせていただきたいと思います。
中山会長 次に、武山百合子君。
武山委員 自由党の武山百合子です。
 憲法記念日を迎えるに当たって、自由党の考えていることをお話ししたいと思います。
 現在の憲法は、施行から五十六年を迎え、戦後既に五十九年を経て我が国を取り巻く状況は内外ともに大きく変わり、憲法制定時には想定されていなかった問題が多く発生しています。
 憲法は国家の基本であり、我が国の発展に大きく寄与してきました。自由党は、特に国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義、国際協調主義などの基本原理を継承し、発展させるとともに、二十一世紀を担う新しい国家目標を構築すべく、新しい憲法を創る基本方針を決定したところです。今後、自由党の基本方針について広く国民に理解を求めていきたいと思います。
 国会に憲法調査会が設置され、三年半にわたり議論が続けられてきました。今日、各種の世論調査で国民の過半数が憲法改正を支持していますように、いつまでも憲法論議を続けていればよいという状況ではありません。
 自由党は、平成十二年十二月に決定しました基本方針に基づき、新しい憲法をつくり、長い歴史と伝統を踏まえた日本を目指します。
 日本一新のための新しい憲法を創る基本方針の中から、何点かに絞ってお話しさせていただきます。
 第一に、国及び国民のあり方についてです。
 現在の憲法の基本原理を継承し、発展させるとともに、日本の伝統・文化を尊重し、自由で創造性あふれ、思いやりのある自立国家日本をつくることを宣言します。
 日本は戦後、一貫して経済発展を国家目標に掲げそれに専念してきました。それによって失ったものも多く、いわゆる戦後政治は経済発展による利益の配分に終始してきました。その結果、今、日本は方向性を失い、混迷のふちをさまよっています。一日も早く戦後政治と決別し、新しい国家目標を掲げて、自由で創造性あふれる自立国家日本をつくらなければなりません。そのため、次の四つの事項を新しい憲法をつくるための指針とします。
 日本人の心と誇りを取り戻す、まずこれが第一です。二つ目に、自己中心的な社会から、規律ある自由に基づく開かれた社会に改める。三つ目に、経済の活力を回復し、だれもが生きがいを持って暮らせる社会をつくる。四つ目に、地球の平和と環境にみずから進んで貢献する。これらの指針に沿って、政治、行政、司法、地方自治、経済、教育等のシステムを抜本的に改革する。
 第二に、教育及び文化についてですが、人づくり、国づくりの基本は教育にあります。教育及び文化の章を設けて、教育の基本理念と教育・文化行政のあり方について明記します。
 人間は、生物的にも生理的にも社会的動物としてつくられています。また、進化の過程で、精神的にも肉体的にも長期間の教育としつけが欠かせない動物となった人間は、文化的動物でもあります。文化的とは、祖先がつくったものを踏襲して、さらに改革する能力を持つことです。教育の原点はここにあります。
 日本人は古来、世界のさまざまな文化を取り入れて融合し、独自の文明をつくり上げてきました。この日本人の心と誇りを取り戻すことが必要です。その上に新たな文明を築いて人類に貢献しなければなりません。祖国と世界の平和と繁栄に寄与する知識と志と活力を持つ青少年の育成が教育の目標です。
 現行教育基本法では、人類の福祉と個人の価値が力説されていますが、類と個の間に必要な種の役割が欠落しています。種とは、家庭や郷土や国家共同体であり、これらは、青少年にしつけを通して人間形成の基本を学ばせる場です。
 特に重要なのは義務教育です。基礎学力を重視するとともに、日本人の伝統的な資質をはぐくみ、次の時代を担い得るよき日本人を育てる責任を持っています。そのために、官僚支配の教育行政を改革し柔軟で民主的運営を図るため、地域に教育オンブズマン制度を設けます。また、教師が次代の日本人を育てる崇高な職務であることにかんがみ、地位と名誉等の保証を国が行うなど、必要な制度を整備する根拠規定を設けます。
 最後に、環境についてですが、環境問題は、人類存続の基盤である地球環境の保全に全力を尽くさなければならないと位置づけます。国民の環境権の確保という立場からだけでなく、保全の義務として憲法に規定を設けます。
 環境破壊は、人間が生きること自体から発生して資本主義のあり方と直結する問題です。自然といかに共生していくかが、これからの人類の課題であり、自立した国家として人類・地球の問題を自分自身の問題として考え、地球の一員としてその解決に積極的に参加、貢献します。
 以上が、自由党の考えです。
 以上です。
中山会長 次に、春名直章君。
春名委員 日本共産党の春名直章でございます。
 イラク戦争という世界の平和秩序を揺るがす大問題が起こる中での五十六回目の憲法記念日を迎えることになります。
 まず第一に、戦争が始まって四週間が経過した今日、一体、何のための戦争だったかが改めて問われる事態です。
 第一に、そもそもの大量破壊兵器の廃棄という目的は後景に追いやられ、この戦争を、フセイン政権打倒、イラクの民主化などで合理化を図ろうとしていることについてです。この問題の出発点は、イラクの大量破壊兵器保有の疑惑を査察によって解決しようということにありました。それを米英が強引に断ち切って武力行使に打って出ました。しかし、イラクはこの戦争において生物化学兵器は使用しておらず、今日まで大量破壊兵器は発見されていません。フセイン打倒、イラクの民主化でこの戦争を合理化できないことは明らかであります。
 第二に、罪のない市民、女性や子供の多大な犠牲が生まれていることであります。クラスター爆弾、デージーカッター、劣化ウラン弾の使用が強行されました。大量破壊兵器を廃棄すると始めた戦争で、その兵器を使用し、無差別殺りくを強行するなど、許されることではありません。
 爆撃によって家族を亡くし、みずからも両腕を失い、胸に大やけどを負ったアリ・アバス君は、僕の両腕は戻るのか、戻らなければ自殺したいと言い、僕たちを殺すことが解放なのかと述べました。
 アルジャジーラとロイターの記者三人が米軍によってねらい撃ちされ、殺害されました。戦争の実相を世界に伝えようとする歴史の証人を抹殺する行為であって、多くのジャーナリストから厳しい批判の的になっています。このような蛮行を犯しておいてイラクの民主化を語る資格があるのかが鋭く問われていると考えます。
 第三に、イラクの現状は占領下での無法な状態となっており、フセイン政権崩壊後どうなるのか全く見通しが立たない状態となっている、そのことについても重大だということを指摘しておきます。
 この戦争の野蛮性、残虐性、そして非人道性は、非常に明らかになっていると考えます。
 第二に、この戦争について支持を表明したことは間違っていなかったと言い放つ小泉政権の責任は重大であります。国際紛争を解決する手段として武力行使と武力による威嚇そのものを禁止し、平和的な話し合いによってこそ解決することを示した日本国憲法のもとで、この政府の態度は許されません。
 イラク戦争は、政府提出の武力攻撃事態法の危険性を浮き彫りにしております。先制攻撃を戦略とするアメリカが引き起こす無法な戦争に日本を巻き込む仕掛けがこの法案でありまして、日本国憲法と相入れず、日本の進路を誤らせるものとして指摘をせざるを得ません。
 第三に、イラク戦争によって国連の機能低下、国連の敗北という論調もありますが、今、国連の役割、機能はかつてなく高まっていると私は考えます。
 国連での議論は、イラク攻撃に何の道理もないことを浮き彫りにいたしました。安保理は、武力行使容認を盛り込んだ米英の決議案を拒否し、査察による平和的解決の道筋を明確にした決議一四四一を採択いたしました。さらに、査察打ち切りと武力行使に道を開く米英の新決議案も断念させました。安保理の公開討論が三回にわたって開催され、国連の枠内での平和的解決を求める国が世界の圧倒的多数の国であることが示されました。これらは、ベトナム侵略戦争のときにもなかった国連の役割発揮の姿であります。この国連の枠組みから一方的に出ていったのがアメリカであります。
 政府レベルでも、非同盟運動、アラブ連盟、イスラム諸国会議機構が相次いで首脳会議を開催し、いずれもイラク戦争を拒否する声明を採択しました。その数は百二十二カ国に達しています。
 また、こうした国連の努力、政府レベルの取り組みと結んで、世界と日本で国民の空前の反戦運動が広がったことも希望であります。これを利敵行為、誤ったメッセージと敵視をした日本政府・与党の姿勢がいかに世界の流れから反したものであるか、改めて強調するものであります。
 この上に立って、二十一世紀の世界の進む方向はどうあるべきか。数千万人の犠牲と荒廃をもたらした侵略戦争の断罪の上につくられた国連憲章は、自衛と称して戦争を行う余地をいささかも残さないために、国際紛争における武力行使はもちろん、武力による威嚇も禁止しました。例外として認められるのは、実際に武力行使が発生した場合の反撃と安保理が国連の集団的措置として決定した場合だけとの平和の秩序を明確に定めました。また、国連憲章は、世界大戦が他国の内政への干渉から始まったという歴史的な教訓に立ち、すべての国の主権平等、内政不干渉を厳しく定めました。
 二十一世紀は、人類が痛苦の戦争から生み出した国連を中心としたこの平和のルールが一層力を発揮する世紀となるでありましょうし、しなければなりません。その流れもはっきり見えていることも確かであります。日本国憲法の平和主義は、この平和のルールの最先端にあるものであります。改正どころか、今後とも世界の平和秩序と安定を進める役割を発揮するだろうし、しなければなりません。
 憲法記念日を前に、憲法九条に沿った日本の進路がここにあることを申し上げまして、私の発言を終わります。
中山会長 次に、金子哲夫君。
金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子です。
 憲法が施行されて五十六回目の憲法記念日を迎えますが、改めて、日本国憲法がうたう平和主義の重要性を強調したいと思います。
 まず最初に申し上げたいことは、今もなお続いているイラクでの軍事行動は、どのような精密兵器を使ったとしても、武力攻撃による人々、市民の被害を排除することができなかったということであります。結局、戦争で常に犠牲となるのは罪なき人々であるということを、今回の武力攻撃も示したということであります。
 しかも、今回の軍事行動は、国連決議もないばかりか、予防的先制攻撃として行われたものであり、国連憲章上からも、そして武力による威嚇または武力の行使は国際紛争を解決する手段として永久に放棄するとした憲法を持つ我が国が支持することなどできないにもかかわらず、小泉首相が米国の行動を支持したことは、到底許されるものではありません。
 この違法な米英両国による軍事行動に対し、世界世論は、各地で起こった大きな反戦行動でこたえました。日本国憲法は、その前文で、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」としていますが、これは、各国家だけではなくその国々の平和を愛する国民の世論にも依拠するというものであり、今回世界で起きた反戦、平和の大きなうねりこそが、我が国が依拠すべき世界平和への力であることを示したものと言えます。
 さて、米英両軍によるイラクへの軍事行動の根拠は、この間、変転してまいりました。その幾つかについて指摘をしたいと思います。
 まず第一には、テロの問題であります。
 ブッシュ大統領は、一昨年九月十一日の同時多発テロを二十一世紀最初の戦争と指摘をし、その後のアフガニスタン、イラクへの軍事行動の正当化を主張していますが、テロを戦争と位置づけることは大きな誤りであります。テロはあくまでも国際的刑事犯罪であることは、否定しようがありません。そのことを明確にすることは、極めて重要であると考えます。
 既に、国連は、テロなど国際的犯罪を裁くために、国際刑事裁判所を昨年六月に設立しました。当初、非常に熱心に設立を訴えてきた我が国が、今日極めて消極的な立場をとっていますが、本来、我が国こそが国際刑事裁判所や国際的な法の支配を強化、発展させていくための非軍事的分野における中心的役割を果たすべきであります。同時に、あらゆる国々と協力して、テロの温床となる貧困、飢餓、圧制、隷従という状況を克服することこそ、憲法前文の精神を生かす我が国外交の柱とならなければなりません。
 第二には、大量破壊兵器の問題です。
 大量破壊兵器を世界から廃絶することは、人類共通の課題であります。ですから、今我が国政府が大量破壊兵器廃絶の先頭に立つことは当然のことであります。
 こうした時期だからこそ、大量破壊兵器廃絶の先頭に立たなければならないにもかかわらず、その決意が全く見えてまいりません。唯一の被爆国といいながら、憲法上は核兵器保有も可能などと政府首脳が発言し、アメリカの核の傘に守られている現状を容認していては、到底他国から信頼を得ることはできません。
 今回のイラクへの軍事行動を見るまでもなく、米国は圧倒的な軍事力を誇っております。そして、米国こそが大量破壊兵器である核兵器の世界最大の保有国です。この根本的問題を解決するためには、すべての核兵器保有国に対してその廃絶を求めることこそが、平和憲法を持ち、世界最初の核兵器使用による被爆体験を持つ我が国としての果たすべき国際的役割であります。そのことを真剣に取り組むことが、二十一世紀の世界平和を実現するために我が国がイニシアチブを発揮できる道であり、名誉ある地位を占めることになることを強調したいと思います。
 今このときとばかり、有事法制の成立をさせようとする動きが強まっていますが、大事なことは、イラクへの軍事攻撃が何をもたらしたのかをしっかりと検証して、平和外交の努力に全力を挙げるべきであります。
 いたずらに国益を強調し、戦争法である有事法制をつくることは、過ちは繰り返しませぬからという誓いを忘れ、武力による問題の解決という憲法とは相入れない誤りを犯すことになることを指摘して、私の意見を終わります。
中山会長 山谷えり子君。
山谷委員 保守新党、山谷えり子でございます。
 これからの時代、どのような憲法が望ましいか、考えはございますけれども、本日は私、長年ジャーナリストとして教育現場を取材し、また教育委員として、PTA会長として過ごしてきたことなどから、雑感を述べさせていただきたいというふうに思います。
 まず、憲法記念日なのでございますけれども、最近の教育現場では、祝日の意味を教えなくなっております。したがいまして、憲法記念日が五月三日であるということを知らない子供たちが大変多うございます。
 私などは、昭和二十一年十一月三日に公布され、昭和二十二年五月三日に施行された憲法の意味というものを、担任の先生、また校長先生からお話しいただいたことを記憶に鮮やかに持っておりますし、また、当日は、地域の中で子供会のようなものが催されたことも記憶しております。
 また、私は、祝日に日の丸を掲げるのが家庭の中での私の役割でございましたので、風薫る緑輝く五月に日の丸の旗を掲げるというのは、大変誇らしい思いがございました。国民としてのつながり、共同社会の温かさ、そのようなものを体で感じたように記憶しております。
 エドモンド・バークは、国民とは既に死んでしまった人、祖先と、これから生まれてくる子供たちとのつながりと申しておりますけれども、そのようなものを私はそのとき感じたのかもしれません。あるいはまたプラトンは、国家は大文字の個人であると言っておりますけれども、あるいはそのようなものを私はそのとき感じたのかもしれません。
 現在、教育現場で大人たちが、先生が、PTAがもっともっと工夫すれば、もっともっといい憲法記念日の過ごし方といった事例を情報交換すれば、私たちの生活の中に、憲法記念日と暮らしとの距離がもっと近く、以前のように近くなるのではないかというふうに感じております。
 最近の憲法記念日の報道といえば、記念式典かあるいは改悪阻止の集会かといったような特定の人の動きが専ら報道されますけれども、そのようなものではなくて、日常生活の中に憲法記念日というものの位置づけが以前のようにあっていいのではないかというふうに思っております。
 私は、チリ、IPUの会議に行って帰ってきたばかりでございます。上院下院の本会議場を見せていただきましたが、それとは別に、憲法改正のための会議場という大変立派な大理石の会議場がございました。いつ改正するのですかと言いましたら、この次は来月の五月です、毎年改正していますというような答えでございました。
 現在、成典憲法を持っている国は約百八十ございますが、日本は古い方から十三番目になっております。憲法改正、例えばアメリカですと十八回、ドイツ五十一回、フランス十五回、スイス六回、イタリア十三回、オーストラリア八回、ベルギー五十回。現実と社会の状況に乖離現象が生じたならば改正をというのが世界のトレンドであるわけでございますが、日本の場合は、どこか社会全体として後ろ向きな感じがいたします。
 教科書を見ますと、憲法三大原則、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、これを子供たちは覚えさせられるわけです。また、国民の義務として、普通教育を受けさせる義務、勤労の義務、納税の義務、この三つだというような形で、暗記暗記で憲法と対するわけでございますけれども、本当にその中身というのがどれだけおなかの中にすとんと落ちてきているのかというのは、非常に疑問に思います。
 例えば、勤労の義務あるいは勤労の権利を、二十七条、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」というこの一条だけとっても、働くとはどういうことなのだろうか、いろいろな議論ができると思います。大卒で無業者が二〇%、三年以内に三人に一人がやめてしまうというような状況の中で、どのように私たちは、これを読みながら、いかに生くべきか、美しい生き方とは何か、社会とのつながりは何か、そういったような学び方があっていいのではないかというふうに思います。
 現在、教育基本法改正が今国会に出されるかどうかということになっておりますけれども、教育基本法九条、第一項はともかく第二項、「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。」とあります。そして、憲法二十条では、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」とあります。
 これが拡大解釈されまして、学校現場では、例えば子供たちがおみこしをつくって運動会でおみこし合戦、応援合戦をしようとした、それは宗教行為だからやめなさいとおみこしが壊されたり、給食の前に、合掌、いただきますと言ったら、それは宗教教育だからやめなさいというような圧力がかかったり、あるいは神社に遠足に行ったら、鳥居の手前で解散、奥に行くのは宗教教育だから自由に後は勝手にしなさいというような、明らかに行き過ぎなどもございます。そういったようなさまざまな矛盾やいろいろな新しい問題意識で考え直していかなければならないのではないかと思います。
 法は倫理の最小限、憲法の外に倫理の体系があり、憲法の横に倫理の体系があり、それが法によらず人の生き方に指示を与えている、それが近代法の大原則でございますけれども、そうしたものがばらばらになっているのではないか。これを一つにして、学習の場でそのようなインスピレーションを与えるような教え方をして、これから責任ある階層をどう育てていくか。
 このようなことをもっともっと、例えば先生の養成過程で話し合ってもいいわけでございますし、さまざまな場面で憲法とともに生きること、あるいは内なる憲法として私たちが生きること、そのような視点から憲法を読んで、国と社会のありようを考え、人としていかに生くべきか、あるいは美しい生き方とは何かということをセットとして考えていくというようなムーブメントがあってこそ、私たちの国民の中に憲法というのは根づいて、息づいて、人々をよりよく、より美しく生かしていくのではないかというふうに思います。
中山会長 これにて各会派一名ずつの発言は終わりました。
    ―――――――――――――
中山会長 次に、委員各位からの発言に入ります。
 御発言は、会長の指名に基づいて、所属会派と氏名を述べられてからお願いをいたします。
 それでは、ただいまから御発言をお願いしたいと存じます。
 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。
中野(寛)委員 民主党の中野寛成でございます。
 憲法記念日を迎えるに当たってということで発言の機会を与えられましたが、私も私なりに特別の感慨を覚えております。国会に憲法調査会を設けるか否か、そのことでも大議論がなされたことを思い起こしますが、こうして憲法調査会がつくられて議論が重ねられてきたこと、大変今にして思ってもよかったと思います。
 いろいろな各論にわたっての議論、現行憲法がきちっと実行に移されているかどうか、またそれが今後ともこの憲法でもつのかどうかなど、多岐にわたっての議論ではありますが、しかし、テーマごとにそれほど議論が分散しないで、中には議論が相反して激論になることもありますが、各党がおおよそ心を一つにして取り組むことができる、前向きの一致した意見になったことも多々ありました。それこそ一昔前までは考えられなかった憲法に対する認識というものが広く生まれてきたのではないかという感慨を覚えます。
 同時に、今後この憲法論議をどう進めていくかのときに、余り具体的なことは申しませんが、先ほど来複数の方から司馬遼太郎さんの言葉を引用されて、国の形という言葉をお使いになられました。私は、必ずしもその司馬遼太郎さんの言う国の形の真意を十分そしゃくはいたしておりませんけれども。
 そこで思いつきましたのは、EUをリードされている方とお話をしたときに、それぞれの国家と、そしてEUとの関係をどう考えていますか、国家のいろいろな力がEUによって分散をされて少なくなっていくということ、ある意味では、国粋主義者的考え方からは反発があるのではありませんかという質問をしたときに、そうではなくて、EU加盟国の国家の目的を実現するためにEUが存在する、EUがあることによって、それぞれの国の国家目的がより大きく実現をしていくのだということを答えられました。
 同時にまた、それぞれの国家の文化や名誉、誇り、そういうものがEUによって阻害されたりということがあってはならず、むしろ、そのことが、より一層理解が深まり、尊重し合うことができるようになる、それができなければ、EUは失敗なのだとも答えられました。私は、大変名言だと思ったのであります。
 これを今度は逆にして、イギリス労働党の方に、大変地方分権を進めておられるが、そのことと国との関係はどうなるか、こう問いましたところ、地方分権こそ、イギリスの国家目標、国家目的をより大きく達成するための方途であるというふうに答えられました。
 言うならば、国の形も大事でありますが、私は、国連とかEUとか、またはEU的リージョンステートのことなどを考えるときに、内向きに考えるのではなくて、日本の国の国家目的、国家目標を達成するためにはそういうものが必要なのだという考え方、ODAもやはりそういう視点で考えていくべきことなんではないか。
 地方分権も、また逆に、我が国の、日本の歴史や伝統をより一層細かく生かしていくためにこそ、地方分権というものが我が国の国情にも合っているのだという前向き、積極的な評価の中で、それらに取り組んでいく。国の牽引力や力を単に分散するということではなくて、日本の国情、国柄、そして日本人の持っているアイデンティティーこそ地方分権を求めているのだという国家目的、そのことを、憲法の論議の中で、むしろこれから、より一層深めていきたいものだというふうに思います。
伴野委員 民主党の伴野豊でございます。
 本日は、憲法記念日を迎えるに当たってということで、自由討議ということでございますので、自分なりの考え方を申し上げさせていただければ、そう思っております。
 先ほど来、各党の委員の方々がお話もされておりましたが、その中で、私の心に残っておりますところから申し上げれば、まず古川委員の、憲法とはあるべき国の形とおっしゃっていましたが、まさに私はそのとおりだと思っております。
 憲法は、その国の、あるべき国の形を示すものであるわけでございますが、憲法に限らず、すべての人間のつくったルールというものは、常に、時代、時のチェックを受けるべきだと思います。常に読み直し、見直しをされるべきだと思っておりまして、とりわけ、日本国憲法におきまして、憲法記念日において、きちっとそれを国民の総意のもとにやるべきではないかなと思います。
 日本国憲法が公布、施行されたときの様子を、先ほど山谷委員が、御自身の経験も踏まえておっしゃっていましたが、まさに、かわいい女の子が、自分の国の憲法と国旗に自信を持ち、そして家族にも自信を持って、日の丸を高々と掲げる、五月の風薫る季節にというお話をされていました。
 非常にその情景はほほ笑ましい光景であると思うと同時に、中学生ぐらいの方が、ある面、義務教育を終えた方が、きちっと、自分の国の憲法、根本的なあるべき国の形を理解するということは非常に重要でございます。
 今の日本国憲法がそうであるかということをかんがみますと、例えば、仮名遣いにおきましても、古い仮名遣いが行われておりますし、九条初め、非常に難しい解釈をしなければなかなか読み込めないという点があろうかと思います。
 また、それがつくられたときというのは、先般、長尾参考人も申していらっしゃいましたが、いわゆる感激時につくられたものであるわけでございまして、また、それが非常に硬性であるということは、本来のあるべき国の形が、時、時代のチェックを受けるべきものということから考えると、極めて軟性である方がいいんではないか。何回見直しをしても、結果として変える必要がないものというのが本当は望ましいものであって、憲法記念日において、日本国憲法というものも、常に時代の、時のチェックを受けるシステムが本来あるべきではないかな、そんなふうに思っております。
 以上です。
奥野委員 自由民主党の奥野誠亮でございます。
 先ほど来お話を伺って、いささか感情が先に立っているなという思いをした御意見もございました。私は、我々の姿勢としては、過去を振り返る、将来を展望する、そしてあり方を考えていくことが大切だと、常日ごろ、我が身を振り返っておるわけでございます。
 私は、今、世界も大きく変わろうとしているんじゃないかな、こう思っているわけであります。
 第一次世界大戦の後で国際連盟が生まれました。日本は、その中で、人種の平等を規約の中にうたい込みたいという主張を強くしたわけでございましたが、果たすことができませんでした。
 第二次世界大戦の後で国際連合が生まれました。連合国中心の考え方でございまして、連合国に敵対したものは、日本もドイツも、いまだに規約の中で敵性国家とされているわけでございますし、主要な連合国五カ国が安保理事会の常任理事国になりまして、拒否権を持っているわけであります。一国が拒否したら何もまとめることができない。
 この間のイラク戦争のときにも、よいか悪いかは別にいたしまして、アメリカは各国の同意を取りつけようと努力した。フランスやドイツやロシアが査察の続行を主張した。なお努力を続けておったわけでございますけれども、最後は、フランスが拒否権を発動する、こういう意見を表明するに至って、アメリカは踏ん切りがついたんじゃないかな、私はこんな思いがするわけでございます。
 そういう国際社会のありようでいいんだろうか、どうだろうか、これは私は疑問でございまして、恐らく私は、やがて拒否権というような存在あるいは敵性国家というような存在、改めていかなきゃならないんじゃないかなと。やはり、いつでも国際社会の大多数の意見が決められるような方向をとったらいいじゃないかな。多数決で、その多数決が三分の二であるとか四分の三であるとか、いろいろ決めようがあるじゃないかな。敵性国家も、もう五十八年もたって、何が敵か味方というようなことを言っているのかと私は言いたいわけでございます。
 しかも、今は、国際連合の経費を負担しているのが、アメリカの比率がだんだん下がりましたが、それでもまだ二二%じゃないかなと思います。日本は二〇%弱であります。ドイツは一〇%強でございます。敵性国家とされている国が、二番目、三番目の負担をしているわけでございます。こういうことを考えますと、やはり国連のあり方も考えていかなきゃならない。
 また、日本のことを振り返りますと、第二次世界大戦の際に、主としてアメリカと戦うことになって、敗北をしたわけでございます。昭和二十年の八月十五日を戦争終結のときと考えておられるわけでございますけれども、それから連合国軍が軍事占領したわけでございます。
 軍事占領いたしまして直接統治をしようとしたのを、日本側が、それでは困るということで、頼み込んで間接統治にしてもらったわけでございますから、日本人の多くは日本人が政治をやっているものだと誤解しておったと私は思うのでございます。その軍事占領で、アメリカの指揮を受けているさなかでこの憲法がアメリカによってつくられたわけでございます。アメリカによってつくられたと申し上げた方がはっきりするんじゃないかなと私は思うのでございます。
 先ほど学校教育の混乱を御指摘になりました。あの憲法国会におきまして、今の憲法の宗教に関する規定では大事な宗教教育もできなくなるじゃないか、何か考えてくれという話があって教育基本法も生まれたわけでありますけれども、その教育基本法の規定は憲法とは若干変わっているわけであります。しかし、日本側では宗教情操の涵養という言葉もあの中に入れたいと考えたわけでありますが、占領軍は許しませんでした。それが一層、事宗教に関しては何もできないような誤解を生んでいるわけでございます。
 しかし、そういう混乱は至るところにあるわけでございます。個人主義に徹した憲法でございますから、いろいろな制度も変わってまいりました。やはり、日本は日本としてよいところもあったわけでございます。だんだんよいところが消えていく、占領政策のねらいがだんだん実現していく、それが教育界の混乱に今出てきているのじゃないかなと私は思います。
 戦後教育を受けた人たちがこの国に直接関与しているわけでございますから、やはり今のうちに昔のよかったものは残していく。私は、占領政策によって日本が大変よくなった、よみがえったと言えるぐらいによくなった、しかしながら悪い点もたくさんある、こう思うわけでございます。
 湾岸戦争のときには、一兆三千億円の負担をしながら、何にも評価をされなかった。掃海艇を出してやっと日本は認められるようになったわけでございます。きょうの話を聞いておりましても、日本が国際社会に貢献する、国際協調を大変主張しておられたわけでございますが、憲法は、日本はそんなことは必要ないよと言わんばかりに、アメリカに任せておけというような姿勢に立っていると私は思うのでございまして、九条の規定もそういうところからも出ていると思うのでございます。
 国際社会も改めていかなきゃならない、国内も今がチャンスだ、こう思うわけでございます。本当に、今、日本が立ち直らなきゃならない気持ちがみなぎっている。そのためには教育が大切だという気持ちにもなっているわけでございますが、教育界は混乱している。世界一安全な国だと言われておったのが、だんだん世界一悪い国になってきているんじゃないでしょうか。この十年で刑法犯罪が二倍になっていますよ。刑務所はもう定員をオーバーしていますよ。今のうちに、私は、憲法から改めていって、新しい日本をつくる気迫を培っていく大事な責任を政治に携わる者は負っているんじゃないかな、こう思っておることを申し上げておきたいと思います。
 ちょっと時間が過ぎて済みませんでした。
赤松(正)委員 今、大先輩の奥野誠亮委員からのお話にあったことにも関連するんですが、そして最初に葉梨委員からも御指摘があったことに関係するんですが、要するに、今、憲法と教育基本法、ある意味で車の両輪であると私は思うんです。憲法はこの調査会で五年をかけて議論する、そして教育基本法の問題についてはかなり今喫緊の課題として上がってきているというふうに見えるわけです。しかし、私は、憲法についても教育基本法についてもこの大きな時代の変革の流れの中で変えていくべきだとは思っておりますが、やはりしっかりとした議論が必要である、そんなふうに思って、とりわけ、教育基本法について早急な改正は必要ない、そういう立場であります。
 それはなぜかといいますと、先ほど奥野委員からもありました。私も、事実認識として、今、日本における教育崩壊あるいは家庭崩壊、こういう言葉がどなたかからも出ましたけれども、そういった実態がある。それは必ずしも憲法であるとか教育基本法に直接その責めを負わせるべきものではないのではないか。もちろん、全く無縁と言うつもりはありませんけれども、もうちょっと前に考えなくちゃいけないことがあると思います。
 というのは、第一義的には、戦前の滅私奉公という生き方、つまり公に奉じて私を滅する、それに対して戦後は、全く逆に、滅公奉私というふうな言い方ができるかと思うんですが、個人を尊重するという角度で、全体を強調するという部分が薄れた。これは、物事の表と裏を両方から対決させているという、結局、戦後生まれの私がやがて六十になるという時代を迎えて、戦前的物の考えと戦後的物の考え方がイデオロギー的にぶつかっているということを意味しているというふうに思います。
 そこで、そういう角度が提起している事態を一時棚上げにしておいて、今、教育をめぐる問題を考えるに当たって一番大事なポイントというのは、要するに、社会の仕組みそのものが大変に大きく変わってきているということを意識しないといけない。
 とりわけ、産業構造の変化や企業の変化対応というものがあって、一九七〇年代から八〇年代にかけて、日本の産業が工業化から情報化の段階に入った。そういう流れの中で、工業化のもとでは男女の性差が職業選択の自由の条件となっていたけれども、情報化のもとでは能力や個性、すなわち個人差が必要な条件となってきた。一九六〇年代以降に生まれた人たちにとっての社会とそれ以前に生まれた人間たちとの間に、社会がもう大きく違ってきているという事実があります。とりわけ、女性が働くことが当たり前になってバックアップ体制がつくられて、少なくとも、女性が結婚せずに一人で生きていける社会になった。
 しかし同時に、一方で、仕事を続けながら結婚、出産という選択をしようとしたときに、企業や社会のバックアップがほとんどない、そのために女性たちは結婚のメリットに疑問を持つようになって非婚、晩婚化に拍車がかかり出した。同時に、男性の単身者がふえてきている。未婚の男性がふえてきている。実際には、絶対数の差もあって、未婚者は女性よりも男性の方が多くなってきている。そういった事態が急激に今、日本の社会の中で進んでいっているという事態があります。
 つまり、個人化が進んでいることで、今後日本の政策上必要とされてくることは、個人化の流れに対応した制度の転換、やはりそういったことが必要となってくる。つまり、そういう社会の仕組みそのものが大きく戦後、とりわけ一九六〇年代以降変わってきているという事態の中で家庭の崩壊や教育の崩壊というものが起こってきている、そういった点を認識する必要があるのであって、教育基本法とかあるいは憲法の規定とかということから直接的に教育基本法あるいは憲法を変えるということに直結しないんではないか、そんなふうな感じを持ちます。もちろん、そういうことも含めて大議論が必要でありますけれども、急ぐと事をし損ずる、こんなふうに思う次第でございます。
 以上です。
森岡委員 自由民主党の森岡正宏でございます。
 私は、先ほど葉梨幹事から御報告がありまして、春名委員の方からそれに対する御批判がございました。この憲法調査会の持つ意味、五年間、この国の形をどうするのか、そして憲法のあるべき姿、どうあるべきなのかということを大いに議論する、その場であることはよく承知しているわけでございます。
 今までの、少なくとも私がこの会に所属をさせていただいてからの議論を見ましても、いろいろな分野でいろいろな問題が指摘をされ、そして、これは変えた方がいいのじゃないか、これは現行のままではふさわしくないなと。また、先ほど来議論が出ておりますように、戦後、もう五八年目を迎えまして、この国のあり方ということを考えますと、安全保障の問題でありますとか教育の問題でありますとか、あらゆるところでそごを来してきている。しかも、先ほどお話がございましたように、世界じゅうの中で古い方から数えて十三番目に当たるような憲法になっている。
 そういうことを考えますと、各党それぞれ議論をしているこの中身を精査して、そして一つの方向性を出していくということは非常に重要なことではないかな、私はそう思っているわけでございます。
 そんな中で、私は、日本共産党が一九四六年の六月二十九日に出しておられる日本人民共和国憲法草案というものを拝見いたしました。
 そうしましたら、ここには、今の日本国憲法を指して、平和的、民主的諸条項を持っているけれども、他面では天皇の地位についての条項など、草案の方向に反する反動的なものを残している。山口委員が書いておられたものを読ませていただきましたけれども、そんなことを「憲法の原点」という本に残しておられます。
 そんなことを見ますと、春名委員がおっしゃるように、憲法は今のままでいいんだ、改正の方向へ持っていくことはだめなんだというようなことをおっしゃることに矛盾があるんじゃないか。日本共産党は、私たちと考え方、方向は違うかもしれませんけれども、今の日本国憲法を変えたいと思っておられるんじゃないか。にもかかわらず、変える方向は反対だとおっしゃることが矛盾しているんじゃないかというふうに思えてならないわけでございます。
 それともう一つお聞きしたいのは、この日本共産党がつくられました日本人民共和国憲法草案の中身を見ましたら、その百条に、「憲法改正」のところでございますけれども、「人民共和国の共和政体の破棄および特権的身分制度の復活は憲法改正の対象となりえない。」こう書いてあります。すべての人民は法律の前で平等だということを規定しておきながら、人民共和国の共和政体、国のあり方を破棄するということと特権的身分制度の復活は憲法改正の対象となり得ない、こう書いておられる。おかしいじゃないか、おっしゃっていることが矛盾しているじゃないかと思うわけでございますが、お答えをいただきたいと思います。
 以上です。
山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。
 私は、憲法記念日を迎えるに当たってということで三つ発言したいんですけれども、一つは、世界を見たときに、立憲主義といいますか、法の規範とか法のルールと言ってもいいんですけれども、それをめぐる新しい動きが起きているなという認識を持つんです。
 といいますのも、今度のイラク戦争をめぐって、世界が大きく意見が食い違い、そして各国ごとに真剣な討論やいろいろな運動が起きたと思うんです。そのときに共通に出てきたのは、国際連合の憲章が定める世界の平和のルールとは何かということが議論されました。
 私は、五十数年たちますけれども、これだけ世界が国連憲章に立ち戻って、二十世紀から二十一世紀にかけて世界は一体何をつくってきたのかということを議論したことはなかったと思うんです。例えば、トルコの国会が自国の憲法との関係で、アメリカとのかかわりの採否が話題になりましたけれども、それはいろいろな形で各国であらわれてきたと思うんです。
 そういう意味で、私は、日本国憲法についても、これが第二次世界大戦というああいう惨害のもとでつくられてきた、そのもともとのところの意味をよく考えていくことが二十一世紀を考える上でも大事ではないかなということを第一に感じるんです。
 それから二点目は、暮らしと経済にかかわる問題なんですけれども、第二次世界大戦後の一時の社会的、経済的混乱の時期を除きましたら、これほど暮らしが大変な時期はなかったと思うんです。
 そういう時期に、例えば、もちろん法案については各委員会で審議するわけですが、私が所属しております厚生労働委員会で今度、労働法にかかわる一連の改正案が出てまいります。これを見たときに、憲法二十五条の生存権規定や二十七条の勤労権の規定などからいって、定められた一連の労働法制の基本の理念を変えていくような方向が打ち出されてきている。
 こういう点については、私は本会議でも所属の委員会でも議論するつもりですけれども、今日の憲法状況の問題として、やはり暮らしにかかわる憲法の定めというものをよくつかむことが大事ではないかというふうに感じております。
 さて、最後に三点目なんですが、今森岡委員から言われたことともかかわって述べたいんですけれども、まず四六年の憲法の草案の問題なんですが、これは当時、憲法制定議会が開かれるもとで、私どもだけではなくて、各党がみんな憲法改正案を出したんです。そういう中の、歴史的文書の一つだということで御理解願いたいと思います。
 それから、天皇条項について反動的という規定の問題なんですが、これは憲法に定められた制度なんですね、主権在民下の象徴天皇制という。歴史の大きな流れでいったら、私は、主権在民ということと矛盾して、これはやがてのことですけれども、解決はされるだろうと。そういう大きな流れで見たときに、歴史の中では前向きというよりも後ろ向きの規定だという意味で、そういう特徴づけをしました。
 それから、もう一つ共和政体の問題が出されましたけれども、これは、今日の日本国憲法でも、先ほど遠藤委員が指摘されました憲法改正限界とかかわりまして、基本的原則のところで改正し得ないものは何かという問題があるわけですね。この間の小委員会では、高見参考人の方から、それは、主権在民規定であり、平和主義であり、基本的人権というものが、いずれも憲法の改正限界に当たるというふうに紹介がありましたが、そういう法規範の問題としては、そういう内容を取り入れたものだというふうに考えております。
 それから、葉梨委員から憲法調査会の今後の運営やあり方の問題で幾つか提案がありましたが、私は、これについては、調査会の規程の第一条の「憲法調査会は、日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うものとする。」という立場で吟味が必要だというふうに思います。
 特に、常設化の問題については、私は、憲法とのかかわりは各委員会が議論すべきことであって、常設化の必要はないということと、それから、各会派がいろいろ持ち寄ってという提案があったんですけれども、もともとこの調査会は別に各会派の意見の調整機関ではありませんので、そういう性格づけを今後の運営に盛っていくというのは、私は賛成できません。
 以上です。
大出委員 民主党の大出彰でございます。
 憲法記念日を迎えるに当たってということで、この間、福岡の公聴会等も出席をさせていただきながら、その後にイラク攻撃などがあって、どうも今、日本は平和主義の国といいますか平和憲法を持っている国というのがなかなか胸を張って言えないような状況になっているのではないかと実は思っております。
 イラク問題でもそうですが、アメリカ、イギリスの攻撃について日本が支持をしてしまったときに、私は即、あれ、九条には国際紛争解決手段として武力の威嚇または武力の行使は永久に放棄すると書いてあるのに、日本がやっているわけじゃないかもしれないけれども、なぜそういう態度をとるんだろうかと憲法に根差したときに不思議に思いました。さらに、国際協調主義ということでやってきたわけですが、残念ながら、今回に関しては、国連の安保理の多数意見も、国際社会の多数意見も、平和解決ができるのだから平和解決にしろということだったわけでして、そうでない方にかじを切ってしまっているという点は非常に残念でありますし、憲法そのものと現実の乖離というものが如実にあらわれた事例ではないかというふうに思っております。
 一方で、イラクで何が起こっているかというと、二〇〇二年の七月にアメリカがイラク攻撃計画というのをつくっていたことがニューヨーク・タイムズで暴露をされてきて、私はそのときにもう既にイラク攻撃が決まっていたと思っておりますし、逆に、三月二十日に開戦が行われたその二カ月前に、ちょうど日本でいえばODAを行う組織ですが、USAIDという、国際開発資金支援機構と訳すんでしょうか、そういった機構の中でユーフラテス川にかかっている橋の入札が既に行われており、それがチェイニー副大統領の関係の会社であるというのが報道されたりしておりまして、そういう部分の認識もしっかりして、一体、この戦争は何なんだということも考えなきゃいけないと思うんですね。
 それについては、どうも外務省初め事実を見ないようにしているといいますか、あるいは正確な情報がないからそうなるのかわかりませんけれども、情報の重要性を考えると同時に、どうも外務省の今までいろいろな、我々は英語が余りよくできないわけですから、安全保障理事会なんかのを訳してもらって読むわけですね。ところが、原文を見たりすると、必ずしもそういう簡単な訳じゃないんではないかと思うのが多々あるんですね。特に、一四四一から始まって、あるいは六七八、六八七決議がありますが、あの決議なんかの大概最後に、外務省は、この件に関して引き続き関与することを決定するというような簡単な訳にするんですね。
 ところが、原文を見てみますと「Decides to remain seized of the matter.」というふうに書いてありまして、「Decides」というのは決定ですね。「to remain」の「remain」というのは残るですから引き続きというような訳し方をしますね。「seized」というのは奪うだとか、法律用語では占有するというような意味で使っているようなんですね。「the matter」、「matter」は問題です。
 この事態を安全保障理事会が決定する決定権を占有するというような意味で、強い意味で訳さなきゃいけないんではないかと思うような節がありまして、首藤議員もよく、外務省のこんな訳はおかしいじゃないか、ミスリードだとおっしゃったりするんです。どういうことかと言えば、アメリカではなくて安全保障理事会がこれを厳に決めるんだよ、一応停戦が成り立っていれば、その後はまた再び安全保障理事会が決定するんですよ、勝手に決めてはいけないんだという意味なんですよ、はっきり言いますと。
 ところが、そうではないところに、外務省はほとんどアメリカ側の言いなりになっているように思えてならない。その点については、主権国家でございますので、主権の対外的独立性というところで、本当に独立国家なのかと言いたいところが一つございます。
 当然、日本の憲法の主権と自由と平和を守るべきだと考えておりますが、中でも一番重要なのが、やはり自由を守るというために憲法があるわけでございまして、前にも申し上げましたけれども、日本の憲法は個人主義ででき上がっていて、それを貫くことによって個人個人の自由が守られ、しかしながらそれはエゴイズムでもなく全体主義でもないという、この部分をやはり未来に向かっての憲法にも生かしていくべきだ、そんなことをつくづく考えて調査会に臨んでいる今日でございます。
 以上でございます。
仙谷委員 いろいろな議論が自由濶達になされて、望ましい憲法調査会が行われているんではないかというふうに思いますけれども、今、日本を取り巻く環境を含めて置かれている状況というのは、決して安穏としていられる状況ではないのではないだろうか。
 従来、ここ数年前までは、日本はカンファタブルシンキング、緩やかな沈下路線をたどっているな、こういうふうに考えておったわけでありますが、今や、急激な断崖絶壁から突き落とされるような、沈没間近のところに立ち至っているのではないだろうかというふうに見ております。
 それは、何よりも、先ほど我が党の古川委員からも申し上げましたけれども、中央集権的な発想と、国民あるいは地方自治体含めて、あるいは経済界も含めて、中央政府過剰依存症候群に取りつかれているのではないかという思いがしてならないわけであります。この文脈の中から、多分、今分権とか地域主権、地方主権、これが急がれるという議論が出ているんだろうと思います。
 私は、中央政府の財政あるいは地方政府の財政という立場から見ましても、あるいは金融あるいは経済政策、マクロ経済政策を含めてでありますけれども見ましても、日本が最も急がれるのは、どうすれば自立した地方政府をつくれるのか、あるいは中央政府と対等の立場に立つ地方政府をどうやって制度的につくっていくのか。その地方政府は、今や情報公開の地方政府でなければならないと思いますし、住民主権とでもいいましょうか、住民が参加する地方政府でなければならないというふうに考えているところでございます。
 つい先般、この問題をめぐってだろうと思われるわけでありますが、塩川財務大臣のうそっぱち発言というのが行われました。経済財政諮問会議の議事要旨を取り寄せて拝見いたしますと、背景には、総務省と財務省の深刻な既得権争奪戦がここに露呈をされておって、どうしてもこの財源、税源をめぐる本音のところの彼らの既得権争いが決着がつかないというのが、うそっぱちであるとかうそっぱちでないとかいうばかばかしい話に象徴をされておるわけであります。
 非常に大胆に言いますと、やはり霞が関の解体的な改革といいましょうか変革がない限り、私が申し上げたこの国の資源配分の現在の目詰まり、そして国民のある種の依存症候群というのは是正されないのではないかという気がいたします。
 今の日本の官僚的なこのいびつさ、つまり既得権の固守をしようとする本能と行動、これはもちろん全般的には現状維持という路線になってくるわけでありますが、このことを、内閣の優位性とでもいいましょうか、政の官に対する優位というようなことを言われておりますけれども、必ずしも実態としてはそうなっていない。このことを、やはり制度の運用でも、あるいは制度でも、ここをもう少し自己否定的に総括して制度改革を行う必要があるのではないかなという思いにとらわれております。
 このことは極めて急がれる話でありまして、放置をしてずるずると二、三年が経過いたしますと、私はもう一遍出直すのはより困難な状況に立ち至るんではないかと思います。
 最後に一つ。先ほど、森岡先生や奥野先生のお話を聞いておりますと、諸悪の根元はアメリカ進駐軍の占領行政であり、その現実的な生産物が日本国憲法であったり教育基本法である、こんな議論が今の段階でもなされておりますけれども、私は、このバブルの生成それから崩壊、その後の各業界でのリーダー層の諸行動を見ておりますと、必ずしも日本国憲法と教育基本法が悪かったからこういうでたらめな、無責任なリーダーが輩出をしたり、あるいは判断停止をするリーダーが多いということではないのではないか、もっと違うところに原因があるのではないかと考えているところであります。
水島委員 民主党の水島広子でございます。
 私も、今までいろいろと御発言をいただきました委員の皆様と、恐らく今の日本の大人たちまた子供たちに関する危機感という点では共有をしていると思います。
 確かに、普通に暮らしておりましても、あいさつをしないとか他者への思いやりがないとか他人の迷惑を顧みないで好き勝手なことをしているとか、そういう人たちが非常に多いということは私自身も同じく認識をしているところでございますけれども、ただ、私はそれが、日本国憲法や教育基本法が間違っているからというのではなくて、日本国憲法や教育基本法の理念がまだきっちりと定着していないことに大きな原因があると考えているものでございます。
 そして、ぜひこの調査会の委員の皆様にお願いを申し上げたいのは、もうそろそろ、自由がいいのか抑制がいいのかという、そのレベルの議論を終わりにして、自分の自由を大切にするとともに相手の自由を尊重する社会というのは何なのかという、もう一段高いレベルに達していただきたいということを、僣越ながら御意見を申し上げたいと思います。
 つまり、思いやりというものがどうやって生じるかというと、それは他者の人権を尊重するところから始まるわけでございまして、困っている人に対して共感をするから生じるわけでございます。
 そして、日本国憲法は公共の福祉というものを規定しているわけでございまして、公共の福祉に反しない限り個人の尊厳が尊重されるということであるわけですが、この公共の福祉というものは、私は、要するに他者の人権を侵害しないというふうに理解しております。ですから、よく公共の福祉ということをかさに着ていろいろなことをおっしゃっている方を時々見かけるわけでございますけれども、これは公共の福祉というものがあるのではなくて、目の前にいる人の人権を侵害しないということを原点にして考えていかなければ公共の福祉などというものは語れないと思います。
 そんなふうに考えていきますと、今、日本の国にございます法律、制度の中には他者の人権をきちんと尊重できていないものがまだまだあると思います。思いやりの精神に欠けているものがまだまだ残されていると思います。
 本日、この委員の皆様の名札を拝見してみますと、例えば選択的夫婦別姓制度に反対していらっしゃるお歴々の方たちの名札を拝見するわけでございますけれども、この制度というのも、私は思いやりの欠如に立った制度だと思います。確かに、選択的別姓が認められていないことで困っている人は少数派かもしれませんけれども、その人たちの人権、その人たちの生活というものに配慮することができないでどうして公共の福祉が語れるのだろうかと思います。
 結局そうやって、少数派ではあっても、価値観を押しつけられて、また我慢を強いられている人たちがこの日本に存在しているということを、ぜひ委員の皆様には思いをはせていただきたいと思いますし、そういったところを地道に取り組んでいかない限り、恐らく今の日本、確かに他者への配慮がなさ過ぎます。人の顔を見たらちゃんとあいさつをするとか、相手が迷惑そうだから電車の中では携帯を使わないとか、そういった当たり前の判断ができなくなってしまっている原点に、やはりいろいろな大義名分のもとに他者の人権というものを余りにも考えない、そんな大人社会の仕組みがあるのではないかと私は考えております。
 ですから、今必要なことは、まずは、憲法の理念に合わせて、そうやって日本の一つ一つの法律をいま一度チェックをして、改正が必要なものを改正していくということではないかと思いますし、そのような地道な努力を通して、他者の人権とは何か、他者を大切にするとは何か、どういうときに自分が譲らなければいけないのかということを子供たちも学んでいくのではないかと思います。
 憲法を変える、教育基本法を変えればすべてがうまくいくなどという、そんなウルトラCがあるわけはないというのが現場でいろいろな問題に取り組んでまいりました私の実感でございますので、こんな若輩の私が言いますのも僣越ではございますが、くれぐれも地道な努力を怠らずに、こうすればすべてがバラ色に変わるということはないわけですので、まずは、この日本国憲法に定められている当たり前の理念を一つ一つの法律に照らし合わせて、法改正の努力をしていただきたい。
 そして、ぜひきょうを機に、今まで選択的別姓に大反対という論陣を張ってこられた大先輩の皆様方には少し、日本の中におります少数派、本当に困っている、一人息子、一人娘で、もう十年も結婚できないで待っている人もいます、またどうしても仕事上不利益をこうむっている人もいます、そういう少数派の人たちの気持ちにぜひ思いをめぐらせていただければとお願いを申し上げまして、発言を終わらせていただきます。
中山会長 他に御発言はございませんか。
 それでは、発言も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。
    ―――――――――――――
中山会長 本日は、来る五月三日に本憲法調査会が設置されましてから四回目の憲法記念日を迎えるに当たって、委員各位の活発な御議論をちょうだいしてまいりましたが、最後に、会長として、一言ごあいさつを申し上げたいと思います。
 これまでの調査の経緯についてでありますが、本調査会は、平成十二年一月二十日に設置されて以降、日本国憲法の制定経緯、二十一世紀の日本のあるべき姿など、日本国憲法について広範かつ総合的な調査を進めてまいりました。
 また、昨年からは、四つの小委員会を設置し、個別の議論についての専門的かつ効果的な調査に入るとともに、地方公聴会、海外調査も順調に進めてまいりました。地方公聴会は、本日議決をいただいた高松での地方公聴会で全国八カ所の実施となり、中国地方での開催を残すだけとなりましたし、また、海外調査も、平成十二年、十三年の、ロシア、東欧を含む欧州各国及びイスラエルの首相公選制の憲法上の問題、昨年は、英国及びアジア各国の憲法事情に関する調査を行い、ほとんどの国に憲法裁判所があったことも事実でございます。
 これらを踏まえて、昨年十一月には中間報告書を取りまとめたわけでありますが、今国会になってから、残された調査期間も考慮しつつ、日本国憲法百三条の全条章について網羅的な調査ができるよう小委員会を改組するとともに、それぞれの調査テーマをあらかじめ設定し、同時に、本調査会においても、小委員会での調査経過について定期的に小委員長から報告を受け、委員間の討議に付するなど、より充実した調査を行ったところでございます。
 さらには、幹事会での協議に基づきまして、先般の三月二十日の緊急総会のように、国民が重大な関心を抱いておりますイラク問題、北朝鮮問題のような時事的な問題についても、憲法的見地から自由討議を行うなど、調査の実を上げてまいったと自負しております。
 現在、日本の国力の衰亡、また国内においては、少子高齢化の問題、社会保障の財政の問題、あるいは家庭教育の問題、いろいろな問題が世間で騒がれておりますが、これらの問題も含めて、これからの議論の中で浮かび上がってきますのは、我が国と国連とのかかわりをどのように考えていくかという問題であるように思いますので、この機会をかりて、この点に関して所見を申し上げたいと存じます。
 そもそも、サンフランシスコ平和条約の前文は、国連憲章との関係について言及しておりますし、また、日本国憲法は、国連憲章を念頭に置いて制定されたものであります。日本国憲法、サンフランシスコ平和条約及び国連憲章は、いわば三位一体の関係にあり、我が国の外交は、それらの定める原則にのっとり進められてまいりました。我が国は、国連安全保障理事会の非常任理事国を八回務め、PKOを初めとする人的協力もさまざまな分野で行っておりますし、また、国連大学本部を初め、多数の国連機関が国内に存在することも御存じのとおりであり、七つの在日米軍施設・区域においては、国連軍地位協定のもとで朝鮮国連軍に対してもその使用が認められており、国連軍後方司令部要員や連絡将校が我が国においても駐在をしております。
 しかしながら、国連は、長期にわたる冷戦のもとで、安保理におけるソ連などの常任理事国による拒否権行使によりその機能を十分果たすことができませんでした。冷戦終結後は、湾岸戦争において一連の安保理決議が行われ、その中で停戦協定が成立し、国連の機能回復が期待された時期もございましたが、その後十二年間にわたり、イラクにより国連決議が尊重されることもなく、今回の事態に至ったわけであります。しかも、今回のイラク攻撃に当たって、フランスの拒否権行使の表明などによって事実上国連安保理の決議が不可能となるという見通しが立った段階で、武力行使の容認の新たな決議がなされないなど、再び国連の機能不全が露呈してまいったと言わざるを得ません。このようなことについて、委員各位も同様の認識を持っておられると思います。
 第二次世界大戦後の世界秩序の再構築のために設けられた国際連合でありますが、その創設時には五十一カ国であった加盟国が、現在では百九十一カ国と四倍近い規模となっております。しかし、その基本的仕組みは、第二次世界大戦の戦勝国である米英仏中ロがそのまま常任理事国となり拒否権を持つなど、当時の国際情勢の影響を色濃く残しており、複雑化が進む現在の国際情勢の中においては対応は困難になってきております。その中で、国連予算の約二〇%を拠出している我が国としては、機会のあるたびに国連改革の必要性を主張してまいりましたが、十分な改革が行われないまま現在に至っております。この点については、国連憲章第百八条及び第百九条を読めば一目瞭然でありますが、その改正には極めて厳格な手続が規定されていることも十分考慮する必要があります。
 このような国連が置かれたこのような状況を踏まえて、我が国が自国の安全保障のあり方を考えるとき、国連中心主義は重要な原則ではありますが、同時に国連中心主義だけでは、現実の外交を展開することは限界があるのではないか、これまでの調査会での議論の中から、このような問題点がはしなくも明らかになってきたのではないかと存じます。
 現在、イラク問題の焦点は復興支援、暫定政権機構と憲法の制定の問題が議論になろうと思いますが、この点に関しまして、戦後イラク問題の処理と第二次世界大戦後の占領下の日本とを対比させて論じたものが、今月五日付のアエラに、長谷川熙氏執筆の興味深い記事が掲載されておりますので、御紹介をしたいと思います。
 第二次大戦に敗北したドイツのポツダム市内で四五年七月二十六日に米、英、中華民国の三首脳が日本に降伏を迫った十三項目がいわゆるポツダム宣言でした。
 最終的に日本政府はこれを受諾して日本軍は無条件降伏をし、米進駐軍の先遣隊が到着した四五年八月二十八日から対日平和条約が発効して独立が回復する五二年四月二十八日までの六年八カ月の間、日本は、ポツダム宣言に基づいて連合国側に占領されました。日本の主権はダグラス・マッカーサー連合軍司令官に移りました。マッカーサー総司令官の連合軍総司令部は事実上、日本打倒を一手に引き受けた米軍の司令部に等しい実体でありました。
 日本占領を開始するや、マッカーサー総司令官みずから、そしてGHQは矢継ぎ早に口頭、文書で、また命令、指令、覚書の類を日本政府に発し、日本という国家の換骨奪胎を断行する。そのほんの幾つかを時系列的に追っただけでも、陸海軍の解体、東条英機元首相など戦争犯罪人容疑者の逮捕、政治的、公民的、宗教的自由に対する制限の撤廃、財閥の解体、教育勅語の廃止、学校からの奉安殿の撤去、修身、地理、歴史科目の授業停止、農地改革、国家と神道の分離、好ましくない人物の公職からの追放、日本国憲法草案の交付といったぐあいであります。新聞の事前検閲も始まる。好ましくない人物の公職からの追放とは、戦犯容疑者の訴追、裁判と並行して、職業軍人などAからG項の七分野にわたる計二十万六千人が一切の公職から追放されたことをいいます。
 さらにこの記事は次のように続きます。
 憲法とは、諸外国のそれを参考にしつつも、その国の人々がみずからの頭で知恵を絞り、甲論乙駁しながら練り上げて完成し、直し続けなければならないものと記者は考える。そうしてこそ、少なからざる国々の憲法に共通する普遍的な要素とその国の歴史、伝統、美風を吸収したものをつくり出せる可能性があるのではないか。
 この記事にもありますような我が国の占領下における憲法制定の事実は、イラクにおける戦後復興のあり方を考えるに当たって極めて参考になると考えますとともに、我が国の憲法制定の経過をこの機会に客観的に振り返りながら、イラクの暫定政権への日本政府の関与のあり方の参考にすべきものと考えております。
 今後の調査の方向性については、日本国憲法の制定、施行から五十六年の歳月を経ようとしている今日、少子高齢化の進行や世界的な自由貿易協定締結の流れなど、国内外の情勢は、制定当時には想像もできなかったほどの変貌を遂げてまいります。このような状況の中、憲法について広範かつ総合的な調査を行い、その結果を国民に提示することは、国権の最高機関たる国会の使命であります。本調査会の調査期間は、議院運営委員会理事会の申し合わせによりおおむね五年程度を旨とすることになっておりますので、残された期間はほぼ一年半であり、調査をより一層充実させていく必要があると痛切に感ずる次第でございます。
 この常会の会期も残すところ三分の一ほどになりましたが、今会期中において、各小委員会において、さらに、明治憲法と日本国憲法、国際機関と憲法、情報アクセス権とプライバシー権、司法制度及び憲法裁判所等について調査をそれぞれ行うこととなっております。
 もちろん、今後の課題といたしましては、国民にとって最も身近な問題の一つである医療、年金の問題につきましても、少子高齢化が進む中で、その財政基盤は危機的状況にある。憲法第二十五条の規定をどのように具現化していくべきか、より深い議論を積み重ねていく必要があろうかと存じます。国と地方との関係、そして、それを踏まえた両院制のあり方といった統治機構の問題や、私学助成の問題と憲法八十九条、裁判官報酬の引き下げと憲法第七十九条、第八十条といった、憲法との関係について問題があるのではないかと言われている事項も多々ございますので、これまで同様に、憲法は国民のものであり、その議論も国民から乖離したところにあってはならないとの認識のもとで、人権の尊重、主権在民、再び侵略国家とはならないという三つの原則を堅持しつつ、日本国憲法に関する広範かつ総合的な調査を行ってまいりたいと存じます。
 改めまして、会長代理初め、幹事、オブザーバーの皆様、そして委員各位の御協力をいただきますようお願い申し上げまして、憲法記念日を迎えるに当たっての私のあいさつとさせていただきます。
春名委員 会長、会長。
中山会長 春名君。
春名委員 今の御意見にちょっと一言、意見がありますので。
中山会長 これは私のあいさつですから。
春名委員 それでは、個人的発言なのか、会全体を代表する会長の発言なのか、もし後者であれば同意できない部分がたくさんございますので、そこを明確にしていただけませんか。
中山会長 これは私の意見です。会長としての意見です。
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後零時八分散会


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