衆議院

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第8号 平成15年6月12日(木曜日)

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平成十五年六月十二日(木曜日)
    午前九時一分開議
 出席委員
   会長 中山 太郎君
   幹事 杉浦 正健君 幹事 中川 昭一君
   幹事 葉梨 信行君 幹事 平林 鴻三君
   幹事 保岡 興治君 幹事 大出  彰君
   幹事 仙谷 由人君 幹事 古川 元久君
   幹事 赤松 正雄君
      伊藤 公介君    奥野 誠亮君
      倉田 雅年君    河野 太郎君
      近藤 基彦君    佐藤  勉君
      下地 幹郎君    谷川 和穗君
      谷本 龍哉君    中曽根康弘君
      中山 正暉君    野田  毅君
      平井 卓也君    福井  照君
      森岡 正宏君    山口 泰明君
      大畠 章宏君    桑原  豊君
      小林 憲司君    今野  東君
      島   聡君    首藤 信彦君
      末松 義規君    中川 正春君
      中野 寛成君    水島 広子君
      遠藤 和良君    斉藤 鉄夫君
      武山百合子君    藤島 正之君
      赤嶺 政賢君    春名 直章君
      金子 哲夫君    北川れん子君
      井上 喜一君
    …………………………………
   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
    ―――――――――――――
委員の異動
六月五日
 辞任         補欠選任
  井上 喜一君     山谷えり子君
同月十日
 辞任         補欠選任
  山谷えり子君     井上 喜一君
同月十一日
 辞任         補欠選任
  石川 要三君     河野 太郎君
同月十二日
 辞任         補欠選任
  山口 富男君     赤嶺 政賢君
同日
 辞任         補欠選任
  赤嶺 政賢君     山口 富男君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 日本国憲法に関する件
 派遣委員からの報告聴取
 小委員長からの報告聴取


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     ――――◇―――――
中山会長 これより会議を開きます。
 日本国憲法に関する件について調査を進めます。
 去る九日、香川県に、日本国憲法に関する調査のため委員を派遣いたしましたので、派遣委員より報告を聴取いたします。仙谷由人君。
仙谷委員 団長にかわり、派遣委員を代表いたしまして、その概要を御報告申し上げます。
 派遣委員は、中山太郎会長を団長として、幹事葉梨信行君、委員平井卓也君、幹事古川元久君、委員遠藤和良君、委員武山百合子君、委員春名直章君、委員金子哲夫君、委員山谷えり子君、それに私、仙谷由人を加えた十名であります。
 なお、現地において、近藤基彦委員が参加されました。
 地方公聴会は、六月九日午後、高松市の高松国際ホテルの会議室において、日本国憲法について、特に非常事態と憲法、統治機構のあり方及び基本的人権の保障のあり方をテーマとして開催し、まず、中山団長から今回の地方公聴会開会の趣旨及び本調査会におけるこれまでの議論の概要の説明、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序を含めてあいさつを行った後、弁護士草薙順一君、四国学院大学教授根本博愛君、学生高木健一君、元中学校社会科教師西原一宇君、主婦坂上ハツ子さん及び香川大学法学部助教授鹿子嶋仁君の六名から意見を聴取いたしました。
 各意見陳述者の意見内容につきまして、簡単に申し上げますと、
 草薙君からは、平和の維持には、秩序ある、力を伴う法の支配が必要であり、日本の安全保障は将来創設される国連軍により保障されることを目標としつつ、それに至る過程として、北東アジアの地域的安全保障体制を構築すべきである、また、九条改正には反対であるとの意見、
 根本君からは、新しい人権の保障に必要なことは、憲法上に規定することよりも立法化による具体化である、人権を制限するよりも人権を最大限尊重することを通して生まれる公共の福祉が大切である、また、国内における人権保障の充実が積極的な国際貢献につながるとの意見、
 高木君からは、戦後の日本の平和は、九条によるものではなく、日米安全保障条約の恩恵によるものであるが、在日米軍は九条との整合性において問題があるので憲法を改正すべきである、また、九条改正により、自衛隊を正式に軍隊として明示すべきであるとの意見、
 西原君からは、教育権は、平等権の保障の前提となるほか、主権者としての権利行使の前提として大切であるが、現実には、不登校、低学力の問題など憲法や教育基本法の軽視に起因する弊害が生じており、憲法を改正するよりは、憲法を生かすよう努力すべきであるとの意見、
 坂上さんからは、日本を取り巻く安全保障環境が大きく変化する中で、憲法と現実の矛盾が深まっていることを踏まえ、安全保障の分野など見直しを急ぐべき分野は、当面、解釈変更で対応し、その後、世論等を踏まえて憲法改正を考えるべきであるとの意見、
及び
 鹿子嶋君からは、合併による地方自治体の規模拡大は、財政問題等から必要な場合があるとしても、住民自治の実質化の観点から、その具体的仕組みや、地方自治は直接民主制を基本とすることを憲法に規定すべきであり、また、基礎自治体の強化の観点から、法律と条例との関係や課税自主権を憲法に規定し、一定の行政組織権限が地方自治体に認められるようにすべきであるとの意見
がそれぞれ開陳されました。
 意見の陳述が行われた後、各委員から、今後の社会保障のあり方、地方自治の本旨の意味、我が国の今後のあり方、新しい人権を憲法に明記することの是非、教育問題が生じている原因、憲法の平和主義を踏まえたイラク問題への対処のあり方、武力攻撃事態法に規定されている首相のいわゆる代執行権限と地方自治との関係、教育の現状と勤労観の関係などについて質疑がありました。
 派遣委員の質疑が終了した後、中山団長が傍聴者の発言を求めましたところ、傍聴者から、憲法を踏まえた主体的な外交の必要性、軍事力ではなく外交や信頼醸成による自衛の必要性、米国追随的な行動により国益を見失うことへの懸念、憲法に基づき政治を行うことと世界の共有財産として日本国憲法を大事にすることの必要性等についての発言がありました。
 なお、会議の内容を速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと思います。また、速記録ができ上がりましたならば、本調査会議録に参考として掲載されますよう、お取り計らいをお願いいたします。
 以上で報告を終わりますが、今回の会議の開催につきましては、関係者多数の御協力により、円滑に行うことができました。
 ここに深く感謝の意を表する次第であります。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 これにて派遣委員の報告は終わりました。
 お諮りいたします。
 ただいま報告のありました現地における会議の記録は、本日の会議録に参照掲載することに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
中山会長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    ―――――――――――――
    〔会議の記録は本号(その二)に掲載〕
    ―――――――――――――
中山会長 次に、去る五日に開会された統治機構のあり方に関する調査小委員会及び基本的人権の保障に関する調査小委員会において調査されたテーマについて、各小委員長からの報告を聴取し、委員間の討議に付したいと存じます。
 議事の進め方でありますが、小委員会ごとに、まず小委員長の報告を聴取し、その後、そのテーマについて自由討議を行います。
 なお、テーマごとの自由討議における最初の発言者については、幹事会の協議決定に基づき、会長より指名させていただきます。
 自由討議の際の一回の御発言は、五分以内にまとめていただきたく、会長の指名に基づいて、御着席のまま、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。
 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
    ―――――――――――――
中山会長 それでは、まず財政について、統治機構のあり方に関する調査小委員長から、小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。統治機構のあり方に関する調査小委員長杉浦正健君。
杉浦委員 統治機構のあり方に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。
 本小委員会は、六月五日に会議を開き、参考人として、神戸学院大学法学部法律学科助教授窪田好男君及び新潟大学助教授桜内文城君をお呼びし、会計検査制度と国会との関係を中心に、財政について御意見を聴取いたしました。
 会議における参考人の意見陳述の詳細につきましては小委員会の会議録を御参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、
 窪田参考人からは、
 まず、政策評価が近年注目される背景として、アカウンタビリティーの重視、政策の効果等が不確実な中での政策決定の必要性、行政監視等の重要性が挙げられるとの御指摘がありました。また、国会の政策評価機能の強化を図る平成九年の民主党の行政監視院法案の提出、廃案の経緯等について御説明がありました。
 その上で、国会独自の立場から政策評価を行うためには、国会みずからがデータを収集し、省庁から提供されたデータを国政全体のかじ取りという国会独自の観点から分析することが野党のみならず与党にとっても必要であり、国会附属機関として、議員の政策評価に係る活動を専門的立場から補佐する機関を設置すべきであるとの御意見が述べられました。
 さらに、憲法改正によって参議院を決算審査、政策評価のための院にするという改革案につきましては、参議院の選挙制度のあり方や地方分権と二院制の関係等を踏まえ、慎重な検討が必要であるとの意見が述べられました。
 桜内参考人からは、
 国民は委託者として受託者である政府に対して納税を行うと同時に政府の財政活動の受益者として位置づけられるが、財政立憲主義の形式的な適用だけでは、将来世代を含む受益者たる国民の利益を守ることはできず、財政運営上の意思決定者、すなわち現役世代の受託者責任を明らかにすることを通じてパブリックガバナンスを強化し、その利益を保護すべきであるとの意見が述べられました。
 具体的には、公会計制度の整備、財政規律の確保、行政評価との連携、予算を経常的収支勘定と中長期的な影響の大きい資本的収支勘定とに区分する複会計予算制度等の導入、財政面における国家緊急権の明記などが必要であると御指摘された上で、二院制、会計検査制度との関連では、将来世代の利益を反映するという観点から、参議院を特定の選挙区を持たない機関とすること、中長期的な財政運営に係る参議院の予算編成権限を強化すること、会計検査院を中立性を保ちつつ国会に属する機関とすることが考えられるとの見解が示されました。
 このような参考人の御意見を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われ、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われました。決算審査と参議院改革、会計検査院のあり方、政策評価機関のあり方、財政システムを見直す必要性等についてさまざまな意見が述べられました。
 会議を通じての小委員長としての感想を申し上げれば、
 複雑な社会経済情勢に迅速かつ適切に対処する必要性から、政策に対する需要が拡大する現代において、厳しい財政事情のもと、国や自治体にはシビアな政策選択が迫られており、政策評価、財政システムの見直しが重要となっていることを改めて認識いたしました。このような状況のもと、政策判断に責任を負う我々国会議員の果たすべき責務の重さに思いをいたしますとともに、政策評価を支えるという観点から、国会事務局のあり方についても検討する必要性を感じました。
 今回のテーマである財政の問題は、まさに統治機構のあり方そのものに直接かかわる問題であると考えておりますが、今後とも、さまざまな角度から日本のあるべき姿を考えてまいりたいと思っております。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 これより、財政について、特に会計検査制度と国会との関係を中心に、両院制の問題を含め自由討議を行います。
 それでは、まず、井上喜一君。
井上(喜)委員 保守新党の井上喜一でございます。
 きょうは、特に今問題となります会計検査院、会計検査等を中心にした行財政の検査あるいは評価、監査に関連をして意見を述べたいと思います。
 まず第一に、憲法第九十条は、決算について国会の関与を規定しております。すなわち、1.「国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。」2.「会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。」と規定をしております。
 会計検査院は、内閣に対し独立の地位を持つとともに、国会の機関でもありません。そういったことから、独立性が担保されている機関とも言われているわけであります。
 会計検査院が国会の機関とならなかったのは、指揮監督の多様化を排除していかなくちゃいけない、あるいは意思決定の停滞を避けること、客観的、中立の立場に立って厳正、公平に国の会計経理を批判することができること、ある程度一貫した方針とか基準によって内閣の財政処理を監督することなどによるものと言われております。
 会計検査院は、正確性、合規性、経済性、効率性、有効性の観点等から検査を行うことになっております。
 次に、二番目、行政の監査といいますか評価について申し上げたいと思います。
 内閣は国家行政組織法や行政機関が行う政策の評価に関する法律などによりまして、毎年、評価の実施状況及びこれらの結果の政策への反映状況に関する報告書を作成し、国会に提出することになっております。
 行政機関は、政策について、その必要性、効率性、有効性等の観点から、みずから事前及び事後に評価するとともに、この評価の結果を政策に適切に反映させることになっているわけであります。これは、国民に対する行政の説明責任を徹底するとともに、効率的で質の高い、そして成果重視の実現を目的としております。
 米国ではよくGAOのことが言われます。議会にGAOが置かれておりまして、議会の要請等に基づいて政策評価を実施しております。
 御承知のとおり、米国では、我が国と異なりまして、予算の提出権を議会が持っているわけでありますし、大統領は毎年予算教書を議会に送りますけれども、これは予算審議の単なる参考資料にすぎない、こういうことでありますから、GAOにおきましていろいろな政策評価をする、そういう必然性があるというふうに考えるわけであります。
 三番目、衆議院、参議院にそれぞれ決算行政監視委員会が設置されるなど、国会による行政監視制度の整備が行われてきております。
 こういった委員会は、例えば衆議院の場合でいいますと、衆議院における行政監視の中核的な役割を担う委員会として位置づけられておりますこと、それから、各議院または各委員会の内閣等に対する報告、記録の提出要求の整備が行われるとか、会計検査院に対しまして、特定事項について検査報告をする制度の創設とか、あるいは衆議院におきます予備的調査制度を創設するというようなことになってきております。
 私は、これらの制度につきまして、実質的に、今の制度といいますのは、会計検査にいたしましても平成十年ごろからでありますし、決算行政監視委員会も平成十年からのものでありますし、行政の評価の制度も平成十四年からでありますから、まだ歴史が浅いので、この制度を云々することは少々時期尚早じゃないかと考えております。私は、その運用につきまして、これが適切に行われているということがむしろ問題でありまして、若干その運用の実績を見なくちゃいけないと思います。各機関が切磋琢磨して、これからそれぞれの職責を果たしていくことが大切であろうと思います。
 憲法改正との関連において言いますと、最近における行政評価の重要性の高まりに応じまして、内閣による行政評価を義務づけ、その結果を国会に報告するとする旨の規定を憲法に明記することも検討に値するものじゃないかと思います。
 以上であります。
中山会長 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。
島委員 今会長の方から、会計検査院及び参議院のあり方も含めてということでありましたので、参議院のあり方についての私の意見を述べたいと思っております。
 まず、現行議院内閣制で小選挙区比例代表並立制が導入されて、政権交代可能な政治というものが目指されたわけでありますが、御存じのように、憲法五十九条第二項で、法律に関しましては、参議院と衆議院が違った議決をした場合、衆議院に戻ってきて三分の二以上の多数で再び可決しなくちゃならないことになっております。これにおきますと、参議院に要するに実質上の拒否権が持たれるということになっていますので、これは、五十九条の二項は削除も含めて再検討すべきだろうと私は思っています。
 せんだっても申し上げましたが、参議院の位置づけということから考えれば、会計検査院を参議院に置くというのは、これは議院内閣制下でぎりぎり私は可能であるというふうに思っていますので、そういう形で会計検査院は進めるべきではないかと思っています。
 それから、同じく、例えばアメリカの上院のように、外交権を参議院にきちんと持たせるという話になりますと、憲法六十一条が問題になってきまして、条約の締結に必要な国会の承認は、これは現行では、いわゆる参議院で衆議院と異なった議決をした場合には、参議院が三十日以内に議決しないときには国会の議決とするということになっておるわけでありますが、これを参議院の強化の形にするように、例えば六十一条を、条約の方は参議院の方が優先権を持つというような形にしていくのがいいのではなかろうかというように考えている次第でございます。
 それから、今この話をすると、そんなことは非現実的だという話がありますが、私が学生時代に、財政の問題においてブキャナンとかいう財政理論学者がいました。それが、例えば、憲法に財政均衡主義をうたうべきだという議論をしたことがあります。つまり、民主主義においては必ず財政というのは肥大化するものでありますから、もちろん赤字国債等々が財政法で制約されているのは存じ上げておりますけれども、本当にこれから先の財政、ケインズ以来どんどん膨大な赤字を出しても普通であるというのが一般的になっておりますけれども、ひとつ財政において本当に財政均衡主義ということを憲法にうたうべきだというような議論すらあるわけですので、それも含めて総体的に財政の問題については考えていくべきではないかと思います。
 本当に、ローマ帝国なんかは、道路は全部公のものでつくった。ほとんどがいわゆる税金でつくったものでありまして、あのローマのアッピア街道は全部そういうのでできているんだそうであります。これはもう単純な議論でありまして、お金が入ってきた、入るをはかって出るを制するで、入ってきた分だけつくる、そういうことであれをつくったんだそうであります。
 そういう意味で、私たち、どうしても財政というのは、まあ今でも四十数兆の税収で八十兆近い歳出があって当然だというような発想をしておりますが、憲法というのは根本的に、長期的に、総合的に考えるものだと思っていますので、そういうことも含めて議論をしていくべきではなかろうかということを問題提起として申し上げます。
 以上です。
平井委員 憲法八十六条「内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。」この毎会計年度というのが、これは会計法、財政法で、要するに一年ということになります。
 これは、問題意識としては、単年度予算になった場合に、いろいろとリスクの多い、国としての調達があるのではないか、その意味において、予算の硬直性というものがこの憲法に縛られている可能性はないのか。また今、国の中では、複数年度予算制度の検討の中で、例えば国庫債務負担行為でありますとか繰越明許とか言われていますが、これは、財務大臣の許可のもとにそういうことができたとしても、実際使われていないケースが多い。そのことを考えたときに、今後厳しい財政の中で効率性の高い運用をしていこう、執行をしていこうというふうになった場合に、やはりこの財政民主主義と財政の透明性そして効率性という観点から考えて、さらに一歩踏み込んだ違った考え方もあるのではないか、そのように個人的に思っています。
 もう一つ、いろいろ今、会計検査の問題でありますとか政策評価の問題がありました。平成十四年からスタートしている政策評価については、これはやはりもう少し予算の編成に影響するようなタイミングで今後運用を図れるようにすべきではないか、そのようにも思っています。私は、この国の構造改革はやはり徹底した歳出の改革からやらなければならない、そのためには、やはり過去のいろいろなシステムに縛られてはならないというふうに考えています。その意味で、未来型の財政なり歳出改革というのがどのような形で今後考えていけるか、我々が議論しなければならないのではないか、そのように思っています。
 以上です。
仙谷委員 この間、国会の審議等々を行っておりまして痛感をいたしておりますのは、議論の前提としての客観的な事実、つまり、これはある種どこまで客観的なのかということは争う余地があるわけでありますが、しかし、そこの客観的な事実の部分をできるだけ党利党略とか党派を超えて共通の認識を持つとすれば、その一つの大きな武器は数字であると私は思っております。とりわけ、日本のいろいろな行き詰まりというふうに皆さん方が感じていらっしゃる事態は、現象としては、あるいは表現としては、現在は、財政の眼鏡をかけて見てみれば、相当鮮明にわかる部分が大きいのではないだろうかなというふうに考えるわけでございます。
 中央政府、地方政府、あるいはその他各省庁の問題、つまり、資源配分の問題というのは、本来的には予算、決算にあらわれてくるはずであります。一般の企業経営とは異なる要素という部分も、国家あるいは中央政府、地方政府、それぞれ違った立場からあるわけでありますけれども、同様の考え方で臨む必要がある部分もあるのではないだろうかなというふうにも思います。つまり、ある種の業績をどう評価するか。つまり、決算をどう客観的に見て、その評価の上で、その総括の上で次の政策展開が図られなければならないということは常識、常識というよりも当たり前ではないかと私は思っているわけであります。
 私どものある種の個人的な能力不足を少々棚に上げて話をさせていただきますと、やはり国会がその数値を調査し確定するという機能を持つべきではないだろうか。
 会計検査院は、憲法九十条において二行といいましょうか三行書かれておるわけでありますが、これの憲法的な位置づけは、現時点ではある意味ではっきりしていないというふうにも言えるのではないかと私は考えておりまして、会計検査院はまさに国会の業績評価、決算業務の重要な調査評価機関として位置づけるべきであるというふうに考えます。そこをはっきりさせて、国会議員がこれを駆使する能力を身につけなければならないわけでありますが、そのことのために、調査機能、評価機能を果たすべき重要な機関としてこれが機能しなければならないと私は考えているところであります。
 最近、この間、自民党の堀内総務会長なども主張されておるわけでありますが、国会議員が特別会計というものについてほとんどこの数十年アンタッチャブルで来た。そこで行われていることが官僚機構のある種の拠点として、この跳梁ばっこが日本の財政をわけをわからなくしていると同時に、さあどこから改革の手をつけようかというときに大変困難な作業になってきているというのが私は実態だろうと思っておりまして、制度的には、やはり会計検査院は、国会の下部機関として重要な機能を果たす、そういう再編成をされなければならないというふうに考えております。
 以上であります。
斉藤(鉄)委員 新潟大学の桜内先生のお話、公会計と憲法との関係について、大変難しいお話で私はよく理解できなかったんですが、ただ一つ大変印象に残りましたのは、現在のこの膨大な財政赤字に対して、我々は将来世代に対して責任を持たなくてはいけない、国会は将来世代に対して責任を持たなければならないし、またそういう国会でなければならない、こういう趣旨の御発言がありまして、大変深く考えさせられました。
 それをどういうふうにこの国会のシステムの中に取り込んでいくかというのは、大変難しい問題ではあろうかと思います。私たちが今つくっている予算がまだ生まれてこない人たちに大きな影響を及ぼすというのは、これは明らかでございまして、しかし、まだ生まれてこない人たちの意見を聞くわけにもいきません。そういう意味では、私は、国会そのものが将来世代に対しての責任を有するというふうな理念的なことを憲法の中に書くということも、今後重要になってくるのではないかなということを感じました。
 また、二院制との関係で、参議院を将来世代の声を代弁する院として、例えば選挙区を設けない、選挙区を設けないというのがどういう意味か、ちょっと私も後から考えてよくわからなかったんですけれども、そういう選出方法ということもあっていいのではないかという提言も桜内先生からなされまして、大変深い提言だなということを感じた次第でございます。
 以上です。
杉浦委員 今度の小委員会、窪田先生、桜内先生という三十代の極めて若い先生をお迎えしてやったわけですが、その初々しいといいますか新鮮なといいますか、さまざまな示唆に富んだ御意見を拝聴していて、やはり若い世代はいいものだな、こう思う反面、やはり私ども、国会のあり方についてもっと、今あるものを当然と思うのではなくて、根本的に考え直してみる必要があるんじゃないかということを改めて痛感した次第でございます。
 例えば、会計検査院を国会に持ってくるとかいろいろ政策評価の機関を設けるとか、さまざまな検討をするのはそれで意味のないことではないと思うんですけれども、今のような国会の状況でそんなものをつくってみて本当に意味があるのかとか、会計検査院を持ってきてどうかという点をまず考えてみる必要があるんじゃないかと思います。
 例えば事務局も、調査室というのがありますし、委員部というのがありますし、また調査室というのは各省の出先機関みたいな感じで、あんなの必要ないんじゃないかという感じもいたしますし、本会議、各委員会の審査も極めて形式的であります。国会議員の時間をあんなふうに拘束して果たしていいのかとも思うわけでございます。
 明治以来、伝統的なこの院の構成、運営が行われてきているわけでありますけれども、窪田参考人が強調しておられました大きな時代の変化、政策評価あるいは会計検査、監査というのが我々国会議員の立場で目を光らせることが重要な時代になってまいっておることを考えますと、国会の改革をもっと真剣に我々考られていい。
 例えば、この調査会の運営は、私は大変すばらしいと思います。自由討議でみんな自由に、党派に関係なく個人の意見をどんどん言えるということは、これはもう極めてすばらしいことでございまして、これは全委員会でやったらいい。本会議の質疑なんというのは質問する人と政府がいればいいわけで、我々、趣旨説明はテレビでも見られるし、議事録を見ればいいわけでして、拘束される必要はないと思います。そういった意味で、さまざまな改革を心がけていく必要があるんじゃないかということを申し上げさせていただきます。
中山会長 他に御発言御希望の方、いらっしゃいませんか。
 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて財政について、特に会計検査制度と国会との関係を中心とし、両院制の問題を含めての自由討議を終了いたします。
    ―――――――――――――
中山会長 次に、基本的人権と公共の福祉について、基本的人権の保障に関する調査小委員長から、小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。基本的人権の保障に関する調査小委員長大出彰君。
大出委員 基本的人権の保障に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。
 本小委員会は、六月五日に会議を開き、参考人として、千葉大学法経学部助教授小林正弥君をお呼びし、基本的人権と公共の福祉、特に国家、共同体、家族、個人の関係の再構築の視点から御意見を聴取いたしました。
 会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会の会議録を御参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、
 小林参考人からは、
 まず、従来国家と個人の二元論を主張してきたリベラリズムが自由主義思想を極端に急進化させたために、貧富の格差、市場の失敗、モラルの衰退、人間関係の希薄化などの弊害をもたらしたという指摘がありました。この弊害に対処するために、コミュニタリアニズムは、リベラリズムへの批判において、倫理、道徳、伝統、責務や共同体、コミュニティーの必要性を主張し、その基礎を、国家でも個人でもない家族、コミュニティー、NGO、NPOなどの共同体、コミュニティーに求めたという説明がありました。これがリベラル―コミュニタリアニズム論争であり、国家、共同体、家族、個人の関係の再構築は、コミュニタリアニズムの大きな主題の一つであることが説明されました。
 しかし、コミュニタリアニズムであっても、憲法は国家対個人の関係を、権利を中心として規律するものとする近代憲法の枠組みを崩すものではなく、直ちに道徳規定や義務規定を法規範である憲法に書き込むことに結びつくものではないという指摘がありました。
 そして、このコミュニタリアニズムの観点から日本国憲法の解釈を試みることにより、これまでのリベラリズム的な憲法解釈では不可能であった幸福追求、共同体の中の国家の相対性、地球的アイデンティティーなど新しい時の要請にこたえる解釈が可能になるとの考えが示されました。その上で、日本国憲法の規定ぶりはかなりコミュニタリアニズム的であり、当面それを改正する必要は見出せないのではないか、国家、共同体、家族、個人の関係の再構築のためには、憲法改正ではなく、むしろ憲法に内在する潜在的意義を最大限引き出し、具体化させることが重要であるという意見が示されました。
 このような参考人の御意見を踏まえての質疑応答を通じて、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われました。
 そこにおいて表明された意見を小委員長として総括するとすれば、
 現在の日本において、公と私の対立において私が余りにも強調され過ぎているために問題が生じていること、これに対しコミュニタリアニズムがどのような回答を用意しているか、そして、コミュニタリアニズムの言う公や道徳とは何かという点について議論が行われました。
 特に、1.公や道徳の内容を考えるに当たっては、日本と欧米には宗教観の相違があることを見逃してはならないのではないかという点、2.コミュニタリアニズムの教育問題や政党政治のあり方への応用という点、3.環境権や美しい都市をつくる権利を憲法上規定するという点などについて意見の表明がなされました。
 従来、日本国憲法は主にリベラリズムの観点からの解釈が行われてきましたが、憲法が規定する公共の福祉を考える際の新たな視点として、リベラリズム的な公私二元論を乗り越え、公共哲学という学際的なアプローチが始められていることにつきましては、注目に値するものであると考えられます。その考え方については、公共の福祉の解釈や家族の位置づけといったものを考えるに当たり、検討すべき事項はなお多いと思われますが、今回、新しい視点が示されたことにおいて非常に有意義な議論であったと考える次第であります。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 これより、基本的人権と公共の福祉について、国家、共同体、家族、個人の関係の再構築の視点から自由討議を行います。
 それでは、まず、春名直章君。
春名委員 日本共産党の春名直章でございます。
 基本的人権と公共の福祉について、二点に絞って発言いたします。
 まず、日本国憲法のコミュニタリアニズム的解釈と新しい人権の問題について述べます。
 小林参考人は、日本国憲法をコミュニタリアニズム的に解釈することによって、環境権、プライバシー権、知る権利などの新しい権利は、憲法改正によることなく法律の制定によってその保障が可能であること、公共の福祉の概念を人権相互の矛盾や衝突の調整という従来の解釈の有用性を踏まえつつ、それを超えて国民全体の利益を構想する学説が有力になりつつあることを述べられました。
 振り返ってみますと、かつての憲法学における公共の福祉論と異なって、日本における公共性についての今日的意味が積極的に意識され始めたのは、大阪空港訴訟や名古屋新幹線訴訟を初めとした公共事業をめぐる公害訴訟においてでありました。公共事業を進める当局側は、公共事業の社会的有用性のみをもって公共性を論じました。それに対して住民側は、それらの公共事業によって損なわれる被害者の生活環境や文化などの公共性を鋭く対峙させました。この公害訴訟によって、公共論議に新たな局面が開かれたとされています。こうした歴史的経過を見たとき、参考人が指摘された公共性概念は、まさに環境権などの新しい人権を獲得する運動と一体に発展してきたものとも言えます。
 小林参考人が、リベラリズム、社会的保守主義との対比で日本国憲法を読み直してみたとき、第十二条は、新しい時代の要請に対応するためには、解釈改憲ではなく、むしろ逆説的に憲法の文言そのものに戻れということを述べられました。また、公共哲学で重視している幸福については、第十三条の幸福追求権が存在しており、これを私的幸福だけではなく公的幸福の追求へと発展させることも可能であることも述べられました。さらに、「われらとわれらの子孫のために、」という前文の文言は将来世代をも射程に入れており、これらの要素に注目すれば、日本国憲法の発展上に新しい時代の理念を考えることができるとまで述べられたことを大変印象深く受けとめました。
 そして、結論として、国家、共同体、家族、個人の関係の再構築という重要な課題を遂行するためには、憲法改正ではなく、現行憲法をコミュニタリアニズム的に再解釈し、それとともに政治的、社会的改革を遂行して、現行憲法に内在する潜在的意義を最大限に引き出し、具体化させることと述べられたことは、私たちが日本国憲法を改めて再認識すること、日本国憲法によって二十一世紀の日本を構想し得るというふうに受けとめました。
 日本国憲法の人権規定は、今日焦点となっている環境権、プライバシー権、知る権利に対応できるのみならず、さらに将来生起するかもしれない新しい人権にも対応し得る、懐の深い構造を持っていることを改めて認識するとともに、現行憲法の潜在的力を引き出す立法作業こそ、今日、国会に問われている憲法問題であると考えます。
 第二に、公共の福祉の通説的解釈の意義と、公共の福祉の名のもとに国民の自由と権利を制限し得るという議論についての批判的意見を述べたいと思います。
 憲法学における公共の福祉の解釈は、国家権力が公共の福祉を理由に過度に人権を制限することを防ぐことに力点が置かれて、積み上げられてまいりました。それは、小林参考人も、その有用性を認めているとおりであります。
 その背景は、一つは、戦前の日本においては、国民、当時は臣民ですが、その権利は法律によって幾らでも制限が可能という明治憲法のもとに置かれていたという歴史を持っていること。二つは、戦後も、日本国憲法によって何の留保もつけずに保障されるようになったはずの人権に対して、国家による国民への不当な人権侵害が相変わらず続いているという事情があるからだと説明できます。
 小林参考人は、公共の福祉の解釈は限定的なものにとどめず発展させることを指摘しましたが、日本の政治状況は、戦前はともかく現在においても、本来、人権を実現する意味も含めて説明されるはずの公共性が展望しがたい状況にあります。つまり、公共概念が現実の政治的、社会的関係に投入されますと、専ら個人を超越した国家的公共として作動していく現実があるからです。その端的なあらわれが、今回の武力攻撃事態法における公共の福祉論でありましょう。これは、国及び国民の安全を保つという高度の公共の福祉を理由に国民の自由と権利を制限できるとするものですが、しかし、個人の尊厳、法のもとの平等の原則、軍事力をも放棄した徹底した平和主義を貫く日本国憲法のもとでは成り立ち得ない立論であります。
 こうした公共の福祉を悪用する今日の政治状況をかんがみたときに、国家権力が公共の福祉を理由に過度に人権を制限することを防ぐことに力点を置いた公共の福祉論は、今日なおその重要性が確認されるべきであると考えます。小林参考人が、憲法の再解釈とともに政治的、社会的改革の遂行を述べたとおり、公共の福祉を悪用する今の政治改革こそ、今日直面する憲法問題だと考えております。そうしてこそ、これまで展望しがたかった公共性も構想できる展望が開かれるのではないでしょうか。
 以上で終わります。
中山会長 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。
島委員 島聡でございます。
 小林参考人のコミュニタリアニズムの立場というのは、非常に私も今興味深く聞かせていただきました。ブレア政権が「第三の道」といったときに、やはりコミュニティーを重視するということを用いたわけであります。
 憲法というのは、いわゆる英語で言うとコンスティチューションですが、もちろん憲法という意味はありますが、いわゆる国の形とか、これは私の電子辞書では、国体とそのまま書いてあります。体質、性質、気質、そういう言葉をあらわします。つまり、日本国憲法が、長年の間において、日本の中で、性質、気質とあって、そして新しい、いわゆるコミュニタリアニズムに基づいた、日本はそもそもそういうものに基づいていたこともあって、そういう形で理解されるようになったのではないかというように私は思っています。
 憲法というのは、そもそも国の歴史とか民族精神の発露というものをもとにして書かれるものであるというのが私の思いでありますので、そういう意味で、例えばこの中で儒教に似ているという言葉がありますが、それは恐らく、法家というのは秦の始皇帝などがやった厳格なものでありますけれども、それよりも、朱子学あるいは論語等の儒学が日本に根づいてきたことがこのような形になったのではないかというふうに私は理解をしております。
 ただ、その中で、現在の日本国憲法というのは、いろいろな制定過程も含め、かなりまだきちんと議論しなくちゃいけないことが多いと思いますので、やはり、コミュニティー概念、日本の民族精神の発露ということをかんがみながら、基本的人権の章も、よりきちんと精査をしていく必要が憲法調査会としてはあると思います。
 私は、基本的人権と統治機構と分けたならば、改正するに当たりましては、統治機構の方がより緊急性は高いと思っています。ただ、基本的人権においても、例えば環境権であるとかそういう新しい権利の概念につきましては、やはり新しくきちんとコミュニタリアニズムに基づいた、つまり日本の民族精神と言っていいんでしょうか伝統精神と言っていいんでしょうか、それに基づいた形で基本的人権というのを解釈していくということは私も賛成であります。
 極めて今、日本国憲法、余り解釈解釈で進めるんじゃなくて、きちんとした言葉で直していくことが必要であるので、基本的人権の問題もきちんと議論し、今の時代に合わせていくということが必要であると私自身は思います。
 以上です。
北川委員 小林参考人から「基本的人権と公共の福祉(権利と義務)――国家・共同体・家族・個人の関係の再構築の視点から」をお聞きし、日本国憲法はアメリカ憲法以上にコミュニタリアニズムの原理と一致する規定を相当体系的に含んでおり、したがって、コミュニタリアニズムの観点からすると世界に冠たる理想的憲法ということになる、したがって、この点においても憲法改正の必要性は存在しないとの部分は特に印象に残り、力づけられたところであります。
 リベラリズムとコミュニタリアニズム、この両方を批判する人々ともに共通しているのは、日本は非常に排除性の高いコミュニティーだという認識です。
 リベラリズムが自由主義と訳されるが、誤訳だと言う方もいます。価値対立状況のもとで多様な価値観を抱く人々が公平に共生し得る枠組み、これを模索するのがリベラリズムの基本だと再定義されています。このように、コミュニタリアニズムもこれからどういう日本語訳が一番ふさわしく、本来の言葉として機能していくに有効になるかは、未知なる感じを持ちました。
 コミュニタリアニズムを批判する人たちが言っている、あいまいな伝統や徳や共同性という概念をそのまま日本に持ち込んだときには危険なものになるだろうという警戒心があるという指摘は、私も同感するところであります。自立した個人、女性の自立等と表現されますが、どの範囲まで自己決定できるのかがこれからの時代問われてくると思います。
 カースト制度や家父長的な家制度がアジアの伝統ではセーフティーネットになっていますが、古い共同体の中でのもろもろの搾取や差別と結合した相互扶助の構造がセーフティーネットになっている部分があります。現実を改革しようとしないで、共同体、道徳、儒教、公共なる、従来使用してきた年月における歴史性を慎重に腑分けしないで、同音語で表現するのはなかなか難しいのではないかという気がしています。
 公共とは、例えば、多くの民族を抱えるなどの多様性を持ち国家の枠組みにとらわれない地球的なものであり、人々が自発的に形成していくものでありながらも、過度な権利行使を避け、責任と義務をみずからで制御できる空間なのではないだろうか。例えば、それを個人に着目してとらえるならば自発的に政治参加する市民であり、集団に着目してとらえるならば多種多様なNPO、NGOのようなものではないだろうか。しかしながら、私自身も、単語的にどういう言葉が対応できるのかはなかなか見つけ出すことは無理でありました。
 しかしながら、小林参考人みずから言われているように、リベラリズムとコミュニタリアニズムのいいとこ取りをした、哲学的に統合することを主張し新公共主義を提唱される姿勢には、まさに共感するものであります。この地平が開拓されることにおいて、社会的保守主義、復古主義の人々が使われてきた家族、共同体、道徳とは一線を画すものであることが明確になり、多くの人々に誤解を招くことがなくなっていくだろうと思われます。
 また、着目されている中間集団、家族、共同体、NGO、NPOが書き込まれてありましたが、他の方から言われているように、この範囲に私自身は産直運動や第三者機関も含まれていくものだと思います。この中間集団の広がりが場を持つことで、ライフスタイルの多様性が獲得でき、自発的自己決定権が確立されると思うからです。
 コミュニタリアニズムに対して、歴史認識が乏しいとの批判があります。しかしながら、小林参考人においては、反テロ世界戦争の拡大に抗してなる論文において、アメリカ超国家主義がもたらす戦争拡大の危険に対して、私たちは日本超国家主義の反省から学んだ平和主義を実践し世界に提唱しなければならない、小泉首相の訪朝は非常に貴重な歴史的成功だったと評価している等々の論文を書かれているゆえ、彼に限ってはこの批判は当たらないということも確認した次第です。
 私にとってもとても有意義な一日であったということをお伝えし、私の意見を終わらせていただきます。
中山会長 他に御発言はございませんか。
 それでは、討議も尽きたようですので、これにて基本的人権と公共の福祉について、国家、共同体、家族、個人の関係の再構築の視点からの自由討議を終了いたします。
     ――――◇―――――
中山会長 御承知のとおり、今国会は、各小委員会においては専門的かつ効果的な調査を行い、調査会においては小委員会での議論を踏まえた全体的な討議を行うとともに、国民的に関心の高い時事的な問題であるイラク問題、北朝鮮問題について、憲法的見地から三度にわたり自由討議を行ってまいりました。
 そこで、本日は、これまでの議論を振り返りまして、改めて安全保障と憲法についてを中心に、憲法に関する諸問題について自由討議を行うことといたします。
 議事の進め方でありますが、まず、各会派一名ずつ大会派順に御発言していただき、その後、順序を定めず自由討議を行いたいと存じます。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、自席から着席のままお願いをいたします。
 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
 それでは、まず、平井卓也君。
平井委員 私は、この国会における調査を振り返りまして、特に印象に残った点に絞って発言をさせていただきたいと思います。
 まず、今国会におきましては、最高法規小委員会において、明治憲法の制定過程についての調査を行いました。これまで余り顧みられることのなかった明治憲法を調査のテーマとして取り上げて議論ができたことは、大きな収穫であったと思います。
 私は、明治憲法の制定の過程において、起草に当たった先人たちが、海外各国の成法という普遍的な価値ばかりでなく、我が国の伝統や文化といった建国の体、すなわち国柄というものに非常に注意を払ったということに着目をしております。
 坂野参考人の意見陳述によれば、明治憲法の根本には英国流の立憲主義の思想が流れていったということになろうかと思いますが、そこで思い起こされるのは、イギリスの十八世紀の思想家エドマンド・バークが歴史の中で時間をかけて生成された伝統に重きを置く立場から、ルソーに代表される社会契約論のような抽象的な思弁や、古い伝統を破壊する形でなされたフランス革命を徹底的に批判していることであります。恐らくや、バークにあっては、古きよき伝統を廃して新しいものを植えつけても、それは真に国民の間に根づくものではないという考えがあったからでしょう。
 このことに関連して申し上げれば、先ほど、基本的人権小委員会についての大出小委員長からの報告では、お招きした小林参考人から、コミュニタリアニズムといういわば舶来の共同体主義についての御紹介があったようですが、これは大変参考になる考え方であると思います。できれば我が国古来の純風美俗といったものと親和的であるよう、議論を深めていきたいと感じた次第であります。
 次に、これまでの憲法調査会における安全保障に関する問題についての議論についても、一言感想を申し述べたいと思います。
 先日、多くの会派から賛同を得て、有事関連三法案が成立いたしました。国際テロリズムと大量破壊兵器の問題や北朝鮮問題を初めとする今日の緊迫した国際情勢にかんがみれば、私は、万が一、その一の事態に備え、国民の生命財産を守る体制を整えておくことこそが政治の責任であると考えております。そして、この政治の責任を踏まえれば、国民の生命財産を守る組織として、自衛隊を法的にきちんと位置づけることが最終的に求められるのであります。差し当たっては、有事法制の体系を整えることは国民に対する当然の義務であると考えます。
 このような考え方に対して、日本を再び戦前のような軍国主義に向かわせる危険な考え方であるとの批判がございます。私も派遣委員として参加いたしました高松地方公聴会においても、九条を堅持するべきとの立場の方々からは、自衛隊の海外派遣は武力行使への道を開くものであるとか、憲法九条の精神をねじ曲げるものであるといった、有事法制反対の声が聞かれました。むしろ、私は、世界における経済大国としての我が国の国際協力への期待にこたえるものであると確信いたします。
 敗戦から五十有余年が経過し、我が国の民主主義は非常に成熟し、制度的にもシビリアンコントロールが確立されており、何よりも、日本国民全体が紛争のない世界を望む平和主義者であります。このようなことを踏まえれば、私は、日本国民はもっと自信を持ってよいのではないか、またそのような正しい自信に裏打ちされた防衛体制の整備、国際協力は、近隣諸国にも必ずや理解されるものと思っています。
 また、今回のイラクへの対応については、米国追従であるとの批判がありますが、我が国は、日米同盟を堅持するという基本的立場を踏まえつつ、国益を確保するという観点から、米国への支持を決断したものであります。今後ともこのような立場に立って、我が国の安全保障、ひいては北東アジア地域における平和と安全を確保するため対応していくことが重要であると考えます。
 以上、私の感想を述べさせていただきましたが、最後に、改めて、憲法の議論は、我が国が歴史の過程でつくり上げてきた伝統や文化に依拠したものでなければならない、また、平和主義の考え方を堅持しつつ、現実的に平和を確立するために九条を改正するという方向で議論を進めていきたいという強い願いを表明いたします。
 以上です。
中山会長 次に、首藤信彦君。
首藤委員 民主党の首藤信彦です。
 私は、憲法と現実世界で起こっている安全保障システムにおける課題について問題を提起したいと思います。
 特に最近、イラクへの自衛隊の派遣が論議を呼んでいるわけですが、私個人も、先週、六月二日から六日までイラクに入り、ナジャフ、カルバラの激戦地を見てまいりました。そうした体験から、現実世界で日本の安全保障システムをどのように対応させなければいけないかということに関してコメントさせていただきます。
 まず、イラクの現状でありますが、さまざまな援助が必要だと言われているんですが、イラクにとって最大の援助は何かというと、経済制裁の解除であります。
 経済制裁の解除が決められた途端に、国境地帯にはもう三千台近い車が集中しまして、地平線までトラックが並んでいるということで、大規模な民需、供給の流れができておりまして、もう既に、必要な物資は大量にイラクの中に入っているということであります。
 それからまた、イラクは通常国家でございまして、つい一月二月前、戦争の前までは、通常のまともな社会主義国家でありました。したがって、カンボジアやルワンダや東ティモールのように、もう何もかもが破壊されている、また破綻国家として定義されるような国とは本質的にその体制は違っているということでございます。また、アフガニスタンのように、内戦が長期化し、全面的長期戦争が行われた地域と違いまして、非常に短期で小規模な戦争破壊が現実だということであります。
 そこで、やはり重要なことは、今国際社会が言われているような緊急援助ではございませんで、むしろ、経済制裁がもたらした長期疲弊あるいは貧富の地域格差の是正、こうした長期的な取り組みが必要だということであります。
 このような状況において、自衛隊であろうがなかろうが、武装集団の唯一のニーズというものは、セキュリティーの確保、その地域の治安維持でございますが、これがまた大変でございまして、日中でももう銃声が絶えることがない、夜においても銃声が絶えることがなく、車の渋滞のときにクラクションのかわりにピストルを撃つ、それをとめるために米兵がまた威嚇射撃をするというような状況の中で、武装した集団の唯一のニーズは治安維持にあるということであります。
 さて、自衛隊派遣に関してはいろいろな問題がございます。簡単に「十の疑義」と書かせていただきましたが、まず、憲法的にそんなことがあり得るのか。憲法には自衛隊という言葉は出てこないわけですが、当然のことながら、自然権的な自衛権に基づいてそういう存在があるということは私たちもよく理解しております。
 しかし、それが、ここはお国を何千里、何千キロ離れたところで、果たしてどういう根拠に基づいて自衛権が行使できるのか。それ以外の状況であれば、国連が国際の平和のために要求するということがございますが、今回の場合は、御存じのとおり、国連がそれを求めているわけでもございません。
 そしてまた、専守防衛の国是、国連中心主義、あるいは今回の戦争の根拠となる国連決議が欠如していること、そうした問題が指摘されなければいけません。
 また、現在アメリカが行っているアメリカ単独の行動、連合国との行動でありますが、それも当初のORHA、復興人道中心の小規模な組織から、CPA、すなわち連合国暫定当局と言われるように、明らかに占領行政、直接統治ということが明らかになってきたときに、果たして占領行政に日本がどれだけ加担するのかというのは大きな問題となると思っております。
 また、国連の決議が一応出ているわけですが、それは制裁の解除やあるいはその復興への貢献ということを指示しているわけでありまして、今までのPKO派遣にあるように、PKOの部隊を派遣しなさいというようなことを言っている決議ではないということを指摘させていただきます。
 そうなりますと、自衛隊をイラクに対して派遣する根拠はほとんどない。
 さらに、受け入れ国の要請、承諾もなく、また先ほど言いましたような治安状況の中では、現実的な交戦規定を持たなければ、すなわち、今までのように正当防衛を前提とする交戦規定だけではなく、本当に威嚇のような行動も場合によっては必要となるということで、我が国の自衛隊の行動に関しても、根本的に対応を考えていかなきゃいけないという大きな課題があると思います。
 そうした状況において、自衛隊の派遣というものが全く根拠のないもの、非現実的なものであるということを指摘させていただきます。
 そして最後に、一番求められることは、やはりイラクにおいて、イラク人によるイラクの立ち上げということであります。
 そうした暫定政権をみずからの手でつくり出していこう、あるいは多様性のあるイラクの存在において、宗教や地域的な、民族的な問題を解決するために連邦制をつくっていこうというイラク人の主張というものが、現在のアメリカのブレマーを中心とする暫定政権、暫定当局によって否定されているわけですが、そうした状況をかんがみても、やはり早期にイラク人によるイラクの立ち上げ、そして、そこでどのように自分たちを統治できるのかというところにこそ我が国の貢献は求められるべきものである、そういうふうに考えております。
 以上です。
中山会長 次に、遠藤和良君。
遠藤(和)委員 私は、憲法と現実の乖離の問題につきまして、若干感想を述べたいと思います。
 国民の皆さんも、この憲法改正問題に大変強い関心を持っておるわけでございますが、私は、この国会の開会中に行われました地方公聴会、金沢市とそれから高松市、両方に出席をさせていただきました。そこで一般公募の陳述人の皆さんの意見を伺ったわけでございますけれども、どなたも憲法と現実の乖離の問題については皆さん認識していらっしゃるわけですけれども、現実に合わせて憲法を改正すべきという意見と、それからもう一つは、憲法の理想、理念が現実に生かされていないのが問題であって、憲法に合わせて現実の改革を行った方がいいのではないか、こういうふうな意見が多かったように思うわけでございます。特に、安全保障の問題について、それが非常に端的にあらわれているような気持ちがいたします。
 例えば、憲法は国連軍の創設ということを期待していると思います。これは、自前の軍隊を各国が持たないで、軍隊という武力部隊は国連の統治下に置くということですけれども、そうなれば、まさに憲法の理念、憲法の条文とも合致すると思うんですけれども、現実には、各国の主権国家がみずからの軍隊を国連にギフトするということはなかなか難しい問題でございますし、その間をどう埋めていくのかというものが今日的な安全保障の問題になっているのではないかと思います。
 それから、安全保障の問題以外にも、憲法の理念がいまだ実現されていないのではないか、したがって、むしろその部分を総点検した上で最後に議論すべきが憲法改正の問題ではないか、入り口が間違っているのではないかというふうな主張もあったように思います。
 そこで私は、この機会に一つだけ意見を述べてみたいのですけれども、これは広い意味の安全保障の問題になるかもしれませんし、また、憲法の理念がまだ具体化されていないという現実の問題として考えられることは、いわゆる靖国神社の問題でございます。
 追悼平和祈念施設の設置ということにつきまして若干申し上げたいのですけれども、毎年、首相や閣僚の靖国神社への公式参拝が憲法や外交上の問題として繰り返されているわけですけれども、これはやはりきちっと早急に結論を出して、決着をさせるべき話ではないかと思います。
 そんな考えのもとで、小泉内閣のもとで、官房長官の懇談会、いわゆる追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会が最終報告を昨年の十二月二十四日に出しているわけですけれども、ここでは、結論といたしまして、「国を挙げて追悼・平和祈念を行うための国立の無宗教の恒久的施設が必要である」、こういうふうに言っているわけでございます。そして、この施設では、いわゆる将兵も民間人もあるいは国籍をも問わず、戦争のために命を失ったすべての人々を追悼の対象として、憲法の示す不戦の誓いをして平和を祈念するんだ、こういうふうに言っているわけでございます。
 私は、これは憲法の期待している現実的な対応の中の一つではないのかなと思いますし、憲法の平和主義というものを世界にメッセージとして伝えるためにも大変大事な事業ではないかと思います。
 また、一部に、この追悼施設を新たに設置することにつきまして、靖国神社を形骸化するものではないかとか、靖国神社の存在意義を損なうものではないかという批判があるわけですけれども、今回の報告書を見る限り、靖国神社は宗教法人の施設である、つまり、個々の死没者を慰霊する施設であるのに対して、新たな施設は無宗教の施設、つまり死没者全体の追悼と世界の平和を祈念する施設でありまして、全く異なった社会的意義を保障するものですから、両立ができる、このようにしているわけでございまして、したがって、一宗教施設としての靖国神社やそこに参拝することを何ら否定するものではないということは大変明確であると思います。
 政府は、この憲法を尊重し擁護する義務を負っているわけですから、現実と憲法との乖離をできるだけ少なくする努力を不断にするということは大変大切なことでございまして、したがって、この懇談会の最終報告を具体化いたしまして、何人もわだかまりなく戦没者等に追悼の誠を捧げ平和を祈念することができる施設を早急に実現することを強く要望したい。この機会に意見として申し上げたいと思います。
 以上でございます。
中山会長 次に、藤島正之君。
藤島委員 自由党の藤島正之でございます。
 安全保障と憲法の問題及び国連との関係について、今回のイラク戦争との関係で意見を申し述べたいと思います。
 今回のイラク戦争は、国連の機能あるいは存在意義あるいは重みが問われる非常に重要なものだったと思います。私は、個人的には大変残念なことであったというふうに考えております。
 およそ、ある国が他国に軍事力を行使するには、自衛権の行使か、あるいは国連の決議に基づく以外は許されないというふうに考えます。今回の米英によるイラク戦争は、その根拠、正当性が非常にあいまいであり、厳密に言えば許されなかったのではないでしょうか。この点については、かつてこの委員会で私の意見として申し上げさせていただいたところでございます。
 理由の一つには、大量破壊兵器の問題があったわけでありますけれども、確かにイラクはかつて使用したこともあるわけですが、この武力行使を行った際に、本当に大量破壊兵器があったのかどうか。この点については、昨日、党首討論で、ある党の党首の方から質問があったときに、小泉総理は、フセインが見つからないじゃないかということでごまかしの答弁をしたわけでありますが、非常に問題のあるところだと私は思っております。
 国連中心主義と米国の協調との関係でございますが、先ほど来意見も出ておりますが、必ずしも私は矛盾するものではないというふうには考えております。今回の政府の判断は、結果的には必ずしも間違っていたとは思えないわけであります。我が国の立場としては米国を支持せざるを得ない、そういう立場であったのではないかと思います。
 といいますのは、フランス、西ドイツは、自国の安全保障を、かつては米国に大変依存していたわけでありますけれども、現在はそれほど依存していない。しかし、我が国の場合は、これまで日米安保と自衛隊という、国家の安全保障に、その両輪でやってきたわけでありまして、現在もそういうことでありまして、米国に対する依存が大変大きい。これに対してフランス、ドイツは、かつてのワルシャワ機構のようなものがないわけでありますから、それほど依存していない。あるいは、我が国の場合は身近に北朝鮮問題を抱えている、これに対処していくには、やはり米国をおいては考えられない、こういった事情があるわけでございまして、そういう意味で、今回の選択についてはやむを得ない面があったというふうに私は考えております。
 ただ、政府は説明責任を果たすべきである。民主主義の国である以上、政府の選択について国民に事前に意見を開陳して説明すべきである。
 この点について、英国のブレア首相は大変立派な態度だったと私は思います。英国であっても一〇〇%賛成だったわけではなくて、かなりの反対があったわけでありますけれども、その中で、ブレア首相は、堂々と今回の選択について事前に意見を述べ、国民の意見を聞いて、やった。我が国は全くそういうことをやらないで、結果的に英米と共同行動をして、やむを得なかったんだというだけの説明、これは民主主義の国家として私は大変問題だったというふうに考えております。
 米国に対する協力ということは大変重要だとは思いますけれども、私はやはり、協力すべきことと言うべきことを言うということとは全く別の問題であって、盲従することは許されない、そういうふうに考えております。
 ところで、イラク復興支援については、その根拠を明確にすべきであるというふうに私は考えております。政府は、五月二十二日の採決、千四百八十三号を根拠としているようでありますが、私は、これは根拠にはならないというふうに考えております。
 また、自衛隊の派遣、これはやはり国の究極の国家権力の行使でございますので、憲法との関係を明確にすべきであるというふうに考えております。後方支援であれば何の問題もないというふうに考えるのは欺瞞であり、私は間違いだというふうに考えております。
 今回の復興支援については、先ほど首藤委員の方からありましたけれども、本当のニーズを調べた上で、可能な範囲で参加すべきであって、まず米国に対する協力ありきというものであってはならない、我が国は主権国家なわけでありますから、というふうに考えるわけであります。
 最後に、自衛隊による協力のあり方というのはまさに明確にすべきであって、ずるずるとなし崩し的に行ってはならないというふうに考えるべきでありまして、できれば憲法に若干の規定、あるいは、少なくとも法律は恒久法にして、枠組みを考えておくべきだろう、そういうふうに考えております。
 以上、終わります。
中山会長 次に、春名直章君。
春名委員 日本共産党の春名直章でございます。
 私は、これまでの自由討論で、イラク戦争が国連憲章、国際法に違反する無法な戦争であることを批判してまいりましたが、今この戦争の正当性が改めて問われる事態となっております。それは、戦争の最大の口実とされた大量破壊兵器がいまだに見つからず、何のための戦争だったかが根本から問われる事態となっていることであります。
 核兵器開発の根拠とされた情報は、例えば国際原子力機関にお粗末な偽造文書と否定されました。国防情報局は化学兵器が存在する信頼できる十分な証拠はないと昨年の秋に既に報告していたことも明らかになりました。タイム誌は、大量消滅兵器との皮肉な題名をつけた特集を組んでおります。イギリスでも下院で、この問題をめぐって証人喚問調査が決定されています。昨日の党首討論で、イラクは大量破壊兵器を持っているとの断定の根拠を問われた小泉首相は、まともに答えることができず、アメリカのオウム返しだったことも改めて浮き彫りになりました。日本政府にはその責任が今厳しく問われていることを指摘するものであります。
 戦争の正当性が根本から問われているそのとき、政府・与党はイラクへの自衛隊を派遣する新法を準備していることは重大であります。法案は、国連加盟国が行う安定回復活動を支援するとして、現に軍事占領を続けている米英軍を兵たん支援するもののようであります。イラクの復興は、何よりも国連が中心的役割を果たすべきであって、米英軍は軍事占領を続けるべきではありません。ここに自衛隊が参加することは、イラク国民の意思を尊重した本当の復興に逆行するものになります。
 また、軍事占領行政への参加は、かつて、一九八〇年の政府答弁書では、自衛のための必要最小限を超えると政府自身が述べていたとおり、憲法違反そのものであります。自衛隊派遣は決してできませんし、やってはなりません。
 世界の進むべき方向では、この間、アメリカの一国主義への批判が広がっていることは注目すべきであります。
 先日、エビアン・サミットが開催されましたが、そこでも無法なイラク戦争の追認は行われませんでした。シラク・フランス大統領は、正当性を欠く戦争というものは、戦争に勝ったとしても正当性を得られるものではない、アメリカは単独主義的な世界ビジョンを持っているが、私は明らかにこれに反する多面的な世界ビジョンを持っている、ヨーロッパもあり、中国もあり、インドもある、こういう多極的ビジョンを持っていると述べています。
 中国の胡錦濤国家主席とプーチン大統領の共同声明でも、アメリカの一国主義が新たな不安定要素だと指摘をし、公認済みの国際法上の原則を基礎として、多極的で公正かつ民主的な国際秩序を確立すべきだと述べています。
 イラク戦争に反対、異議を唱えた国は、国連加盟百九十一カ国の中で百三十カ国にも上り、平和を守れ、国連憲章を守れとの数千万の世界の人々が声を上げています。
 世界はアメリカの一国主義、単独行動主義を容認しておりません。とりわけ、国連無視の先制攻撃に異を唱えているのであります。国連憲章に基づく世界の平和秩序を構築する力が私はここにあると思います。日本政府のアメリカ追随姿勢は、この世界の流れに反する逆流となっていることを強く指摘するものであります。
 今日本がアジアの国々、そして世界に行うべきことは何でしょうか。この点で、先日来日された韓国盧武鉉大統領の国会演説は深く受けとめるべきものであります。大統領は、平和と繁栄の北東アジア時代を開くために朝鮮半島の平和体制の定着が必要であること、そのため、北朝鮮の核問題を平和的に解決することを目指して日韓が協力することを強く訴えました。その上で、歴史問題、防衛安保体制、これは有事法制のことですが、防衛安保体制と平和憲法の改正議論について、韓国を含むアジア諸国の国民が疑いと不安の目で見守っていると率直な懸念を表明いたしました。また、首脳会談後の記者会見では、今後日本が北東アジアの平和をリードしていく勢力として周辺国家に認識されることが重要とも述べています。
 さらに、有事法制に対し、シンガポールの新聞、聯合早報は、専守防衛を攻撃型の対外拡張に転換させるものと批判し、中国の人民日報も、有事法制でアジアの安全保障は新たな危険に直面することになる、マレーシアの南洋商報は、軍事的野心をますます大きくする日本がこれまでどおり平和憲法の非戦の精神と専守防衛、武力で他国を威嚇しないという大原則を堅持するかどうか注意を払うべきと報じております。こうしたアジア各国の不安と批判の声を直視すべきであります。
 すなわち、今世界とアジアの国々に対し日本が行うべきことは、有事法制やイラク新法で自衛隊を海外に出し、アメリカの戦争に従い、憲法違反を積み重ねることでは決してありません。何よりも国連憲章とその精神をさらに推し進めた日本国憲法に沿って平和の国際秩序を守り、発展させるために全力を尽くすこと、ここにあるということを強く指摘いたしまして、私の発言を終わります。
中山会長 次に、金子哲夫君。
金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子です。
 私は安全保障問題を中心に意見を述べます。
 米英両軍によるイラク攻撃は一体何だったのでしょうか。イラクが保有しているとされた大量破壊兵器がその目的であったはずです。そもそもこの攻撃は国連を無視した違法なものでありました。そして、既にバグダッド陥落から約二カ月がたちますが、米英両軍はいまだイラクが大量破壊兵器を保有した証拠を示すことができていません。このことは、両国が攻撃前に戦争を正当化するために主張していたイラク攻撃の根拠そのものまでもが偽りであったことになり、国際社会に対する欺瞞と言わざるを得ません。そうであれば、この米英両国のイラク攻撃を支持した小泉首相の判断もまた誤りであったことになります。残念ながら、報道されている限りでは、さきの日米首脳会談においても、小泉首相がこれをただしたとは聞いていません。
 国連中心主義を放棄し、日米関係を最優先させた小泉外交は大きな誤りを犯したと指摘せざるを得ません。武力攻撃の根拠が失われたことを国民にどのように説明しようとされているのでしょうか。
 米英両国のみならず、小泉首相にも重大な説明責任があります。この武力攻撃によって失われた一般市民の命は、さきの湾岸戦争を上回ると言われています。この失われた命に対しどのような償いがされるのでしょうか。
 次に、イラク復興支援について述べます。
 戦争目的そのものが根底から否定されかねない状況にありながら、その問題の解明もされないまま自衛隊派遣を最優先に考えるイラク復興支援の考え方は改めるべきであります。
 イラクの状況は、いまだ新たな政権の樹立の見込みすら立っておらず、米英両軍の占領状況にあるということです。今この時点で我が国の自衛隊が派遣されることは、まさにこの占領軍への協力ということにしかすぎないのではないでしょうか。これまでの政府見解は、憲法第九条に関連し、相手国の領土、そこにおける占領行政などは、自衛のための必要最小限を超えるものと考えられるので認められないとしてきました。つまり、占領行政を我が国は認めないということであり、いたずらに解釈を拡大することによって対処することは、とるべき策ではありません。
 ましてや、テロ特措法でも論議となり、その活動範囲から除外された武器弾薬の輸送までも行うというのですから、ただ唖然とするのみであります。イラクの現状は、正規軍との戦闘は終結したとはいえ、治安状況はいまだ不安定であり、ゲリラ的攻撃も発生しています。そのような状況にある国において、戦闘行動と同様と言われている武器弾薬の輸送まで拡大することは、我が国の憲法上からも到底許されるものではありません。
 次に、核兵器をめぐる問題について述べます。
 いかなる理由であれ、いかなる国であれ、非人道兵器である核兵器の開発、保有は許されるものではないということは当然であります。二〇〇〇年NPT再検討会議では、核兵器廃絶の約束が核保有国を含めて確認されました。その誠実な実行が求められており、日本の役割も重要であります。このことを実行しない限り、そして核抑止力論から脱却しない限り、核兵器拡散の危険性は続くと言わざるを得ません。
 もちろん、たとえどのような理由があれ、北朝鮮の核兵器開発も許されないことは当然であります。北朝鮮が核兵器を保有することになれば、北東アジアの平和と安全は一層不安定になることは必至であります。しかし、逆に言えば、この問題を平和的に対話と協調によって解決することができれば、将来の北東アジアの関係に大きな寄与をすることになると言えます。あくまでも平和的に解決することが強調されなければなりません。そのこともまた我が国憲法が示すところであります。
 いたずらに力を強調することは真の意味での核兵器廃絶への道とは逆行するものであることを指摘して、私の発言を終わります。
中山会長 次に、井上喜一君。
井上(喜)委員 保守新党の井上喜一でございます。
 安全保障と憲法というテーマでありますけれども、遠藤委員が発言されておりましたけれども、これの最大の問題といいますのは、安全保障に関係した憲法上の規定と現実とが余りにも大きくかけ離れているということだと思います。この大きな乖離をどうやって埋めていくかということが憲法論議を進めていく場合の最大の核心だろう、私はこんなふうに思います。
 安全保障を一般論として議論していく、それはあくまで抽象論でありますけれども、そういうアプローチの方法もありますし、もう一つは、やはり現実的に、世界や日本の現実に目を向けて考えていくというようなことも必要だろう、こんなふうに思います。
 今の状況でありますと、恐らく日本に安全保障上の危機が来たとき、現実化したときにどうなるかということでありますけれども、やはり日本国民の生命財産を守っていく、国土の保全をしていくというような点からいいますと、恐らく超法規的な措置がとられるだろうと。これがやはり常識じゃないか、恐らくだれしもがそんなことを考えているんじゃないか、私はこんなふうに思います。
 私は、今のような状況でありますと、自衛権の発動の枠組みといいますか、限度みたいなものが、ある意味で外されているような状況でありますから、自衛権の発動の限界のようなもの、これは個別的自衛権、集団的自衛権、ともに自衛権でありますから、それを含めた自衛権の発動の枠、これを決めておく必要があるんだろうと思います。それを憲法上、明確に規定するということでありまして、そのことが日本の安全保障に役立つと同時に、また他国に対する脅威を排除していく、そんなことになってくるんじゃないかと思います。
 それともう一つは、安全保障といいますのは国際的にも担保されていく必要があると思います。そのために、日本は国際的なもろもろの平和維持のための活動とか、あるいは他国に対する協力活動なんかをする必要が出てくることもあろうと思います。それを可能とする根拠規定、どういう状況のときにどういうようなことができるのかというような根拠規定もあわせて置いておく必要があるんじゃないかと思います。
 以上、私は、安全保障に関します憲法上の規定につきまして、大変不備であるといいますか、現実と大変乖離をしておりますから、その乖離を正すとともに、今申し上げましたようなことで、日本の安全を守ると同時に、世界の安全保障のためにできることについて参画をしていく、そういうような枠組みをつくっておくべきだ、こういうことを申し上げた次第であります。
 以上であります。
中山会長 一応、発言御希望の方の発言は終わりましたが、今回の委員会におきましても、自衛権の範囲、また憲法九条の解釈の問題をめぐって各発言者から御意見がございました。現実との乖離の問題をどう考えるのか、こういうことの御意見もございました。ここが一番大きな問題でございます。
 私は、会長として絶えず感じておりますことは、日本国はサンフランシスコ講和条約において個別的自衛権それから集団自衛権、そして地域の安全保障に関する取り決めを結ぶ権利を連合国が認めているわけです。また国連憲章でも、個別自衛権、集団自衛権を認めている。日本国においては、内閣総理大臣は、集団自衛権はあるけれどもこれは行使しない、こういう発言をしてきている。
 この国会を通じても、イラクの攻撃の問題それから戦後復興の問題について、委員各位から各党ともいろいろ御意見が出ております。このようなところを整理しないと、主権者である国民から見ると非常にわかりにくいと私は思っております。
 こういう意味で、これから国会が延長されるかどうかはまだ決まりませんけれども、引き続き、私は、この憲法の基本的な問題と国際環境の変化それから国連憲章、講和条約の条項、そういったものを一回よく議論をして、将来の国家はいかに守るべきか、あるいは国際協力はどうするかというようなことも自由にひとつ御議論をいただくことによって、国民の期待にこたえることができるんじゃないかと思っております。
 これは十分論議をされているようでございますけれども、徹底的な議論が行われていない、こういうことで、もし幹事会においてお諮りをいただき、日本の安全保障全般について、また憲法との関連について御協議をいただきたい、このように思っております。
 以上です。
    ―――――――――――――
中山会長 次に、委員各位からの御発言に入ります。
 御発言は、会長の指名に基づいて、所属会派と氏名を述べられてからお願いをいたします。
 それでは、ただいまから御発言をお願いいたしたいと存じます。
 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。
大出委員 民主党の大出彰でございます。
 うちの首藤議員がイラクへ行って、いろいろ大変だと思いますが、ありがとうございます。
 その絡みがありまして、もともと、イラクの問題が起こったというのが、九・一一から始まっているわけですね。私は安全保障委員会で、外務省の方を呼んで、九・一一がどうしてイラクにつながるのかという検証をやってみたんですね。本当ならば、九・一一、ビンラディンだ、タリバンだ、アルカイダだ、こうなったわけですね。それがどうしてイラクにいくのか。イラクとタリバンというのはもともと敵対関係にあるわけなんですね。おかしいではないかということで、では九・一一の犯人は一体だれだったんだということで、実は質問したんですね。
 御存じのように、捕まっているわけですよね、犯人が、死んだ人以外。アッタという人が捕まっているんですよ。ところが、アッタという人に送金をしているやつがいるんですね、十万ドルぐらい。その送金をしているのがサイード・シェイクという名前で、これはパキスタン人なんですね。サイード・シェイクの後ろにはだれがいるのかといったところ、実はいるんですよ。これはだれかというと、パキスタンのISI、統合情報局というところのマフムード・アーメードという人が送金をしているんですよ。これはパキスタン紙もインド紙もそのことを認めているんですよ。それは、私もそのデータも出しましたけれども、今はここに持っていませんけれども。
 ということは、そのパキスタンの情報を、いわゆる統合情報局というのは、この方は将軍なんですよね、将軍なんですが、要するに諜報機関の長が送っていたわけですから、その人が犯人だということは、パキスタンが出どころなわけなんですね。何でそれを捕まえないのかというと、多分、要するに、ソ連とアフガニスタンで戦っているときに、アメリカのCIAから含めて、マフムード・アーメードさんという方を育てたわけですね、結局。
 もっと不思議なのは、九・一一のときに、マフムード・アーメードさんはアメリカにいたんですね。それも実はデータでちゃんと出しましたけれども、九月四日から十二日ぐらいまでいるんですね。その間何をやっていたかというと、CIAの長官テネットさんに会ったりとか、アーミテージさんにも会っているんですよ。その方が送ったということになれば、言うならばパキスタンなんですよね、本当を言うと。
 もしイラクのように、やったところはどこなんだといったらそうなるのではないですかという質問をしたんですが、外務省さんは、言い方は悪いけれども、アメリカ情報に基づいてそう言っていて、私の情報はちゃんと確認をしましたと。ただ、マフムード・アーメードさんは捕まってはおりませんね。だとすると、もともと証拠が不十分だったんだと私は思っていて、イラクに何でつながるのかなということで、実は大量破壊兵器にだんだん論点がずれていくわけですね。
 総務委員会に、実は田原総一朗さんが放送の関係で来たときに私は質問したんですよ。というのは、十二年前の湾岸戦争のときに、水鳥だとか、子供さんがイラクはひどいというようなことを言った、その映像がありましたよね、真っ黒な水鳥の映像とか。あれがうそだったわけですよね。田原さんに、あれがうそだということをあなたはいつ知って、あなたは何をしましたかと聞いたんですね。そうしたら、あの二つの映像がうそだったことを一年後に知ったので、即自分の持っているテレビの番組で流しました、こう言うんですね。
 だったら、今度のイラクの問題で、大量破壊兵器があると言っているけれども、スコット・リッターさんという査察官の「イラク戦争」という本の中に、この査察は非常にダーティーだということが書いてあるわけですよね。これを読みましたかと外務省にも言ったんです。
 その中に書いてあるのは、要するに化学兵器、生物兵器があるけれども、例えばいわゆる炭疽菌なんかはどうかというと、あれは三年が寿命だというんですね。培養土は五年だというわけですよ。だとすると、三年だから、もう九六年からの話だから既に無効になっている、ごみになっているといいますか、泥になっていて、培養土もだめになっているわけだから、無害のものなんじゃないのかという報道があるが、あなたはどう考えていますかと言ったら、いや、そういう報道もあると。ただ、錯綜していて、自分たちが直接その報道、ニュースをとれないからはっきりはわからないというのが正直なところだと田原さんは答えましたね。
 そうなってくると、今度はそこがまた問われるんですよ、これだけやって、大量破壊兵器がもともとなかったのではないかと。つまり、スコット・リッターさんは、九五%もう全部破壊したんだと言うんですよ。製造する研究所まで破壊をしたんだと言うんですね。いわゆるECHELONを使って、偵察衛星ですよ、偵察衛星で、もしつくっていれば煙が出るので、その煙も自分で探知したと言うんですよ、それでもなかったんだと言う。帰ろうとしたら、帰るな、帰るなと言ったというんですよね、イラクにいてもっとやれということを言われたと。ダーティーな査察であったということを、一生懸命述べているわけですね。
 だから、もともとそうではなくて、一年前の七月の段階でもうイラク攻撃計画というのができ上がっていたわけですから、それで、二カ月前にもう終わっていたことになるんですね。
 鳴りましたので、そういう意味で、私は非常に疑問であり、ちゃんと検証をするべきだとは思っております。
 以上です。
今野委員 安全保障と憲法についてのこの議論で、有事法制の整備は国民への義務であるという話が出ました。それを言うのならば、私は、基本的な考え方、基本法の整備をまず行って、次いで国民をどのように保護するのかという国民保護法制を整備するという順番で行くべきだったのではないかという反省をすべきだというふうに、聞きながら思いました。
 次に、イラク復興支援について意見を述べたいと思いますが、政府が国会に提出を予定していると言われておりますイラク復興支援特別措置法案ですかでは、自衛隊の任務として、イラク国内での武器弾薬や米英兵の陸上輸送を想定しているということが報道されております。皆さんもさまざまな、同じような意見が出されておりましたけれども、この武器弾薬や兵士の輸送は、アフガニスタンにおけるアメリカ軍の展開を後方支援するテロ特措法の国会審議の過程でも、武力行使と一体化するという判断でこれは除いたもののはずであります。また、大量破壊兵器の破棄、処分、処理することを支援するということもその任務と言われておりますけれども、発見もされていない大量破壊兵器をどのように破棄し、また処理するというのでしょうか。
 有事法制に続き、イラクへの自衛隊派遣を容認するということは、自衛隊の役割を際限なしに拡大する危惧を抱かせるものであります。しかも、今回のイラク攻撃の根拠となった大量破壊兵器は、先ほども申し上げましたが、イラク陥落から二カ月たった現在も発見されておりません。
 イギリス議会では、大量破壊兵器の証拠を集めた政府報告書が捏造されたものではなかったかという調査をすることが決まっておりますし、アメリカ議会でも同じように、国防情報局が政府に提出した大量破壊兵器の存在する可能性が低いと記された報告書がどう扱われたのか調査するということであります。アメリカを支持した日本でも、小泉首相の判断の正当性を議会が評価することなく自衛隊の海外派遣を許すということは、憲法の前文と九条の精神をなし崩しにするものでありまして、立法府としての存在意義が問われると言っても過言ではないのではないかと思います。
 私は、イラクについては、イラク人の、イラク人による、イラク人のための政府を実現させるために、国連中心の国際協調的支援を行うべきだと考えております。米英のイラク攻撃は正しかったのか、また、その米英に対して、復興支援の中に自衛隊を潜り込ませて派遣することが憲法上どのようにとらえられるのか、イラク復興支援法を採決する前に、小泉首相にこの調査会への出席を求めて議論をし、確認をすべきであるということを提案して、私の意見とさせていただきます。
中山(正)委員 自民党の中山正暉でございます。
 ヘーゲルという人の言葉に、「神は世界を統治する、その統治の内容、その計画の遂行、それが世界史である」という言葉があります。一七七六年にアメリカは独立をしまして、五十の種族による二百二十七年間の今、アメリカの歴史が経過しました。
 アメリカというのは、いわゆる世界統一の縮図だと私は思います。今、世界の軍事費の三七%、ことしだけでも四十四兆ばかりの軍事費を使っております。アメリカは世界戦略のためにその時々政策を転換してきたのは、これはもう当然のことと思わなければなりません。
 例えば、第二次世界大戦の最後に、ビルマ、今のミャンマーにハーレーという米国公使と、それからスティルウェルという将軍がいましたが、これが蒋介石に向かって、おまえたちは日本とまじめに戦っていないからおれたちは毛沢東と組むぞと言いました。これは自由主義国家としては考えられないような大政策転換をやったわけですね。そのために、テヘラン会議にもヤルタにも、それからポツダム会議にも蒋介石は招待されておりません。
 ですから、ころころと、世界戦略のためには、アメリカは堂々と政策をそのときそのときに合わせて変えていく。アメリカには三百人委員会というのがあって、議会の関係者じゃなしにほとんどCIAとか軍部、それからその時々に大統領が出て、その時々の世界情勢に合わせて政策を転換していく。
 アメリカのマハン戦略理論という、百年ぐらい前にマハンという将軍が立てた戦略理論によると、いわゆるイラクとかアフガニスタン、あの辺はハートランドなんですね。リムランドというのは朝鮮半島からペルシャ湾まで、この湾岸地域を制覇する者はやがて世界を制覇するという、マハン戦略理論というのがあります。それに従ってアメリカは行動したんだと私は思います。
 それは、アメリカの一ドル紙幣が象徴するように、アメリカの一ドル紙幣にはワンと、一ドルですからワンと書いてあるのは当たり前ですが、五ドルにはファイブとも、十ドルにはテンとも書いてありません。そして、その裏面、ワシントン大統領の肖像が表の一ドル紙幣の裏には、片一方はピラミッド、そのピラミッドの頂点には神の目、神様の目玉がお札の裏の三角の窓からのぞいているというのはアメリカのお札だけでございますが、反対側のアメリカのシールの上にはダビデの星、いわゆるイスラエルのキングソロモンの軍隊がエチオピアのシバの軍隊と戦ったときに持って走った盾、これが大統領の、白頭のワシの頭の上にあります。アメリカの一ドル紙幣の裏には、今まさに中東で行っているいわゆるアラブとイスラエルの、PLOとそれからイスラエルをこの間ヨルダンで会談をさせ仲介をする、そのとおりの一ドル紙幣の裏になっているわけですね。ですから、イラク攻撃というのは何であったか、中東を安定させるためだと私はニヒルに見ております。
 日本は政党を超越して、日本の将来というのはどうなるのか。今、日本でも、本当を言えば、集団自衛権を国連憲章五十一条で認めている条項があるのに日本ではそれは憲法違反だから認めていないというならば、国連に入っていること自体が憲法違反じゃないですか。
 これは、本当に基本的に、我々、将来の日本を考える者が真剣に考えなきゃいけないのは、アメリカは二〇〇一年の九月十一日にテロの攻撃を受けました。アメリカは連邦法の二十二章の二千六百五十六号fの(d)という独自の国内法を持っていまして、攻撃をされたら必ず報復する、そのとおりにアメリカはやっただけの話で、日本は、第二次世界大戦前に、スペインのフランコ総統に心を寄せたドイツとイタリーと協調してしまいました。三国同盟の時代となり、それがアメリカのいわゆるげきりんに触れたのです。
 今度、六月十四日ぐらいからリヒャルト・ゾルゲというソ連の大スパイの話が映画になって出ます。これは、フランクフルター・ツァイトゥングというドイツの新聞社の記者だと思っていた人が実はソ連の陸軍情報部、GRUのスパイだったわけですね。この人が全部情報を流して、日本が真珠湾攻撃することなんか早くからアメリカは知っていたわけです。ルーズベルトは、戦争が済んでから十三年たって、日本のハワイ真珠湾攻撃当時の司令官だったショートという陸軍の司令官と、それから海軍のキンメルという大将が少将に格下げされましたので、裁判が起こりました。この裁判はうやむやになりましたが、なぜおれたちに知らせなかったかと大統領に対して訴えをしています。議会では大戦終了後五十年に資格を回復しています。
 時間がありませんから長い話は大変やりにくいんでございますが、これは、戦略的にアメリカがそんな簡単なことは考えていない国だということです。
 やがて、私は、沖縄の基地がなぜ撤去できないかといえば、将来は、二十一世紀の最後には中国とアメリカが対立する、その図式を考えてアメリカはいろいろ考えているんだろうと思います。その中で日本がサンドイッチのハムにならないように、どっちにつくのか、世界を一つにするためにはどうするのかということを真剣に討議をする必要があります。
 この憲法調査会でも、前の憲法改正のときには三カ月で調査会は終わって、憲法改正委員会に移行しております。五年間というのは三カ月に比べて大変長い話でございますが、これもアメリカの世界戦略の中で、いわゆる日本が憲法を改正して力強くすると中国が恐れる、それを恐れているのはアメリカだという、アメリカの世界戦略の最後の対決する相手というものはだれだということを考えてこの日本の憲法がこれでいいのかという議論をしないと、日本はとんでもないのんきな、置き去りにされ、そして観光国ぐらいになって、アジアのスイスみたいになって終わるんじゃないか、それを私は大変心配しております。
下地委員 私は、四月二十九日から五月五日まで、イランからクルド人自治区に入ってバグダッドに入るという日程でイラクを訪問させていただいてきました。それで、いろいろなことを見させていただきましたけれども、政治家は自分の目で見ることが一番大事だろうという思いで、クルド人自治区でいろいろな方々の話を聞いてまいりました。
 そのとき、ハラブジャという地域に私は行ったんでありますけれども、向こうでは、ハラブジャという地域はハラシマと言っておりまして、何でそう言うかというと、原爆の落ちた広島とダブった形でハラシマと言うというふうなことを私たちに向こうの大臣が説明をしておりました。そして、私たちがそこで聞いた話というのは非常に悲惨な話でありまして、イラクのフセイン政権がクルド人自治区のハラブジャでやったことは、VXガス、それとサリンの混合を上から落として、三十分以内に五千人の人が亡くなった。そして、それが何カ所も何カ所も、二十三カ所ぐらい落とされて、最終的には十万人の人が亡くなったということを私たちに説明をしておりました。私は、それを聞きながら、イラクのフセイン政権が、世界の目が届かないところでどんなことをしてきたのかということを政治家として感じたわけであります。
 そして、その後病院にも行って、私たちは患者の方々を見ましたけれども、この化学兵器は、DNAが、原爆が落とされたと同じような現象が出ている。足がない、手がないというふうなこと、出産率が、死産の比率が高い、いろいろなことがあるので、日本はぜひ、原爆を落とされた国として、その経験に基づいて、私たちのところに医療チームを派遣してくれというふうな要望がありましたので、総理にもお話をし、外務大臣にもお話をして、ぜひ、私は、大出先生が言っている検証という意味でもやるべきだというふうに思っておりまして、フセイン政権が今、イラクが大量破壊兵器を持っているか持っていないかじゃなくて、彼がどんなことをしてきたかということを私はぜひやるべきだというふうに思って、そのことからスタートしてもいいのではないかというふうな思いをお話をさせていただきたいと思っております。
谷川委員 先ほど会長の御発言の中に、これからのこの委員会の運営について、安全保障と憲法の問題に特化し、それで議論をしようと思うんだという御発言がありましたので、それに関連してちょっとお尋ねも、それから私の希望も申し上げてみたいと思います。
 テロリズムがここまでこういうふうにしょうけつし始めると、どこかで何らかの形で武力制裁というものを考えていかない限り終わっていかないのかもしれないなという感じがしますが、ドイツにもフランスにも基本法というのはあると思います。しかし、あの二つの国、あの二つだけじゃないかもしれませんが、とにかくあの二つの国を考えると、あの二つの国が今回イラクに武力制裁のための行動を起こさなかったのは、実は、あの国の内部で憲法問題が論議されて、そのために行動を起こされなかったんではなかったんじゃないだろうか。時の行政府の、政府の判断として、あるいは国民の多くの人々の判断として今回は参加しないということであって、決して憲法の解釈論があって行動を起こさなかったわけじゃないんだろうと思うんです。
 しかし、不幸なことに、日本は成文憲法というのを二つしか持ったことがない。その二つともに、過去の憲法においては、明治憲法十一条でその問題が起こりましたし、今回は、戦後の憲法で、九条の問題で今はまさに国論が分かれていると言ってもいいぐらいなことが起こっているんですが、このままの状態で、二十一世紀、我々の子供たちにこの国を任せていけるんだろうか。やはり憲法の中における安全保障の問題というのは徹底的に一度議論してみる必要がある、私はそういうふうに思っております。
 そこでお尋ねなんですが、先ほどの会長の御発言は、これはこの委員会を運営する幹事会で既に決定されたことを会長が述べられたのか、あるいは会長が御自分の希望としてお述べになったのか。
 それからもう一点、これは事務局に聞いた方がいいのかもしれませんが、少なくとも私の理解する限りにおいては、この委員会は、審議が開始されてから今日まで、少なくとも時間数においては、二百九十時間以上、恐らく三百時間を超えているんじゃないでしょうか、議論をしたと思うし、四つの小委員会もあるから、それまで全部加えると随分の時間をやってきていると思いまするし、回数そのものを見ても、恐らく九十回以上の会合をしているんじゃないんでしょうか。さらに、既に八つの地方公聴会をやった。九つ目の地方公聴会も次にやろうかということまで幹事会で決まっておられるというんです。
 三年、あるいはもう既に四年でしょうか、平成十二年の一月から始まったんですからもう四年かもしれませんが、これを議論しているんですが、この形をそのまま続けていくのか。さっき言われた、安全保障と憲法の問題を特に集中的に一遍やってみようということは、幹事会での御決定なのかどうか、それをお尋ねしたいと思います。
中山会長 幹事会では、本日、この議論をしようということでは各派とも御了承いただいていると思いますが、これから先、もし国会が延長になった場合にどうするかということについてお諮りをして、いずれ幹事会で御協議をいただいて結論を出さなければならないと思いますが、会長として、今新しくイラク新法とかいろいろな問題が出てきておりますから、この機会に国民が理解がいくような議論を展開しておくことが必要なんじゃないか、そういうふうに感じたわけでございます。
金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子です。
 いずれ幹事会でも協議されるということでありますけれども、今の議論についてもちょっとだけ最初に触れさせていただきたいと思います。
 私ども、少なくとも、イラク問題が発生したとき、テロの問題が発生したときも含めて、この問題については、憲法調査会としては、その時々のテーマに沿いながら十分論議をしてきたというふうに私自身は思っております。今回も、今国会の最終の調査会になるかどうか、まだ国会日程の問題もありますけれども、そういうことで、その中にあって、あえて中心的には憲法と安全保障ということをテーマにしてきたということでありますので、これ以上この問題だけを集中的にやる必要があるのかどうかということは、後ほど幹事会でも議論になると思いますけれども、その点は、その時々の課題に焦点を当てながらかなり論議をしてきたように私は思いますので、そのことは十分踏まえながら今後の憲法調査会のあり方を論議すべきだというふうに思っております。
 それで、私は、下地委員からお話があった点に賛同しながら、先ほどの、最初の討論のときには、イラクの復興支援の問題について、自衛隊の派遣の問題について意見を申し上げましたけれども、イラクの復興について我が国が何ができるかということは、本当に真剣に考えなければならないというふうに私自身も思います。
 その中で一つの大きな問題は、先ほどの下地委員から提起をされた問題とあわせて、先ほど私が申し上げましたように、一般市民の大きな被害の問題についてどう復興していくのかということもやはり大きな課題でありますし、実は、イラクの問題でさらに重要な問題は、さきの湾岸戦争から引き続いている劣化ウラン弾による被害の問題であります。
 イラクを訪れた日本人に対して、特に平和運動をやっている者に対してイラクの国民からよく言われることは、広島や長崎を体験した日本、そしてそこの中から平和的な再建、復興を果たした日本に対する大きな期待ということが言われておりますし、そのことを学びたいということも強く言われると指摘をされております。
 同時に、湾岸戦争、また今回の戦争でも大量の劣化ウラン弾が使用されたと言われております。米国は、この問題についてのイラクにおける被害について、事実を、事実というか、その放射能被害の問題をまだ認めておりませんけれども、しかし、米国においても、その劣化ウラン弾を使用した兵士の中に劣化ウラン弾症候群とも言われる状況が出てまいりました。このことについては米国は既に対応をとっておりますけれども、それが使用されて起こっているイラクの国民の中における被害というものは実情もほとんど調査をされておりませんし、湾岸戦争以降の経済制裁によって医薬品の問題なども大変深刻な状況が当時イラクにあって、この劣化ウラン弾の被害の問題に対する医療措置などもとられていなかったということが言われております。
 聞いておりますと、この劣化ウラン弾というのは、劣化ウラン弾と言いますから、何かウランとは関係ないように思われておりますけれども、これは必ずしもそうではなくて、まさにウランそのものが使用されていて、放射能被害そのものでありまして、しかも、そういうものが実戦上に使われたということによる残留放射能等々も含めまして、特に子供たちを含めて、深刻な、長期的な被害が出ていることが指摘をされております。
 日本はこのイラクの問題を考えるときには、そういう人道的な側面をもっとしっかりと見詰めて、今イラクの国民が本当に何を願い、何を求めているかということをしっかり検証していくということの方が、そしてまた、例えばそういう放射能被害については、チェルノブイリの被害の後にもそうでありますけれども、日本に対する期待というのは極めて大きかったわけでありますけれども、日本にしかできない役割というものも一方にあるというふうに私は思います。
 その点について、やはりもっと日本の国内において真剣に論議をし、外務省も含めてそういうところを実情調査をして、我が国がもっと具体的な復興支援政策というものを立てていくということの方がむしろ重要であって、何かそこの具体的な内容もわからないままに、いたずらにイラクの復興支援という大義名分だけを掲げてこれら論議が進むということに、大変問題があるというふうに私は思います。
 今イラクの国内に起きている状況というものを、今回の戦争のみならず湾岸戦争以降に起きているさまざまな問題についてしっかりと調査をし、その中で我が国にしかできないことをもっと強力にやるということの方が極めて重要だというふうに思い、意見を述べさせていただきます。
中山(正)委員 自民党の中山正暉でございます。
 再度発言を許していただくということに感謝をいたします。
 古きをたずね新しきを知るというのが将来の予測を立てるのに非常に大事なことだと私は思うんです。
 日本で二・二六事件という事件が起こりました。真崎甚三郎、真三郎という兄弟の大将を首班にする軍事政権樹立が目的でした。自由主義政治家を皆殺す計画でした。例えば高橋是清のように明治の日露戦争のとき、十八億の戦費のうち六億を外債、ユダヤ財閥のクーン・ロエブとかシフから借りてきて、日本は日露戦争を米英と組み勝ちました。高橋は親米政治家でした。だから、アメリカは、貸した金が取れなくなったら困るので、ポーツマス条約というタオルを投げてくれた。
 第二次世界大戦というのは、とめ役がなかったんですね。ですから、日本の悲劇は、広田弘毅という吉田茂の後輩が総理大臣になってしまった、中国と何とか和解したいと広田弘毅は何度も英国大使の吉田茂に英国に中国との仲介を頼む手紙を出しておりますが、これは「落日燃ゆ」という小説の中によく書いてありますが、それを全部吉田茂が握りつぶしております。それを握りつぶして、ついに日中戦争。特にあの盧溝橋事件というのは、宋哲元の二十九軍と日本の清水中隊が対峙している真ん中で、後の劉少奇将軍、当時胡服と言いました、胡服という名前の劉少奇が間で爆竹を鳴らしたんですね。これがいわゆる日中戦争の始まりです。
 それまでに、中国と仲よくしようということで、実は梅津、何応欽将軍の間で敦睦邦交令というのが結ばれておったんですが、それが、西安事件でつぶれました。蒋介石が西安にいわゆる張学良を説得しに行きましたが失敗。父親張作霖を日本の河本大作大佐に殺されたものですから、腹いせに、息子の張学良が毛沢東と組みました。西安に説得に行った蒋介石を一晩じゅういすも何にもない部屋に入れて、下から暖炉をたいたんですね。いかに立派な人物でも、一晩じゅうつま先立ちで頑張っても、フライパンの上に乗ったようになり、もう一人で踊りを踊っている状態のところまでいったんですが、耐えられず、それが、ついに日本と戦争するときには参加すると署名させられ、その翌年に盧溝橋事件というのは起こっております。
 これは歴史です。塩川訪中団で行ったときにも私は中国の代表の方に言いました。あなた方の教科書を見たら、昭和二十四年に、中国の教科書には、盧溝橋事件というのは、劉少奇将軍の青年時代の偉大な功績であると書いてありましたよという話を私は中国の代表の方にもしました。
 朝鮮動乱のときに、アメリカはその一年前にトルーマン大統領のアチソン国務長官が秘密文書を出して、中国とソ連が一つにならないために、つまりユーラシア大陸の真ん中ですけれども、これが一つになったらアメリカの世界計画が狂うわけですから、そのために日本の経済力で中国を大きくする。日本の企業は今みんな中国へ出ていってしまいました。大阪なんか十年間の間に九千社、そのうちの大変たくさんの会社が中国へ行ってしまいましたが、その中国を経済力で大きくする、大きくしてソ連と分断する。まさかソ連がつぶれると思っていなかったアメリカは、ソ連がつぶれたことに驚愕をしたわけですね。そこで、また新しい世界戦略を立て始めた。
 朝鮮動乱、休戦協定しかないんですね。マッカーサーは上院外交委員長とそれから下院の軍事委員長に手紙を書いて、朝鮮動乱を勝つためには満州に二十六発の原子爆弾を落とす、台湾軍を朝鮮動乱に投入するということを書いたために、トルーマンが、世界戦争になるその危険性をはらんでおるマッカーサーというのを突然首にしました。
 アメリカはそのときに、日本の憲法改正で中国をおどかしちゃいかぬと考えて、鳩山内閣は憲法審議会をつくって、憲法改正の案は今でも倉庫いっぱい残っているはずです。それなのに、なぜそのときに日本の憲法改正がとめられたかというと、やはりそれは中国をおどかさない日本であってほしいというアメリカの願い。
 ですから、これからのことを考えると、アメリカは日本と中国をてんびんにかけて、一体これはどっちが大事かということを考えたときには、日本が捨て去られる可能性があります。
 特に、百九十一カ国の国連加盟国のうちで日本は一カ国だけ、国交のないのは北朝鮮です。私などは村山訪朝団の準備を小渕総理大臣から頼まれてやっていましたが、今拉致家族の支援の会の会長という人は、北朝鮮から一九六二年と六四年に二回も勲章をもらっている人です。万景峰号を一番利用した人が、今新潟の埠頭に立って万景峰号寄港反対とどなっているのをテレビで見ると、私は異常な感じがするんです、これはだれのためにやっているのか。
 北朝鮮というミサイルをぶち込んでくるかもわからない国、イラクをアメリカがせん滅してくれましたので、北朝鮮は恐れをなして、当分その危険性はなくなったと私は思いますが、しかし、これは将来の問題として、北朝鮮という国は日本に対して殺し屋の役割を務めるかもしれない国です。靖国神社の裏に北朝鮮は大使館以上の立派な建物を持っていますが、六十八万の在日朝鮮半島出身者がいるのに、日本は北朝鮮に事務所のかけらもありません。
 そういうものを一体どうするのか。それをこれからの国家の問題として、アジアの中でいかなる問題をこれから提起していくのか。特に、私は、拉致家族を返せ、よど号の犯人を引き渡せという要求をしました。ところが、よど号の犯人を引き渡せという声は今全くありません。なぜなんでしょうか。有本恵子を誘拐したのはよど号犯の妻だった八尾恵だということははっきりわかっているのに、なぜよど号の犯人引き渡しを北朝鮮に要求しないのか。それが圧力なのかという疑問を感じています。
桑原委員 憲法とこの現実がこれほどまでに乖離をしている。とりわけ、安全保障の問題で。一体どうしてそういうことになったのだろうか。
 私は、いろいろな理由、原因が考えられると思いますが、一つは、やはり戦後の東西冷戦といいましょうか、そういうパワーゲームの現実の中で、我が国がアメリカの圧倒的な力に依拠して、あるいはそれに追随をして、いろいろな現実に対して力で対応していく、そういう道を歩んできた。
 その最初の出発が、いわゆるサンフランシスコの片面講和といいましょうか、そういう状況の中で日米安保が結ばれていった。そして、一定程度、東西の冷戦というようなものがいろいろな緩和過程をたどって終結していくという中で、今度は日米安保そのものを再定義して、極東に限られていたものを事実上アジア太平洋全域に対象範囲を広げていく、そういう形で再定義をしていって、また位置づけをしていく。その線上で、いわゆる周辺事態法、安全確保法、そして今回の有事法制という形で、力に対しては力で対処していくというアメリカの大きな戦略の中に組み込まれてきた、そういう現実がこういった憲法との乖離を一つ生んだだろうというふうに思います。
 それといま一つは、やはり我が国が憲法の中でつくった平和主義というものを、単に字面でなしに、お題目でなしに、どうそれを現実のものにしていくのかという、ある意味では非常に大きな戦略というものが欠けていたのではないか、私はこんな気がいたしております。
 特に、先般、盧武鉉大統領が国会で演説をされました。その中で、彼は、北東アジアというものを一つの視野に入れて、朝鮮半島の平和、繁栄というものを一つのてこにしながら、将来的に北東アジアに平和協力機構というものをつくっていく、あるいは経済的にも非常に問題の多いところであるわけですから、北東アジア開発銀行のようなものをつくって、いろいろな国々の開発というものをどう支援していくのか、協力していくのか、そういう一定の戦略的な展望を持ってこの地域の平和というものを、繁栄というものを実現していこうという、韓国の大統領はそういう一つの戦略的な展望を持っているがゆえに、あの演説というのは非常に感動的に受けとめられたんだろうというふうに私は思うんですが、私は、あの言葉を本当は日本の小泉さんが、経済力も一番、そして平和主義というものを掲げている憲法を持っている、そういう国の総理大臣があの戦略的展望を本当は語らなきゃいかぬのじゃないか、こういうふうに思うんですね。
 そういう意味で、私は、やはり日本がちゃんとした自分の足で立って、自分の頭で考える、そういう戦略的展望というものをつくり出していく、このことがあって初めて憲法の平和主義というものが現実のものとして力を発揮することができるのである、憲法との乖離を埋めていく、そういう力になり得るんだというふうに私は思うんですが、残念ながら、日本の総理は、そういう展望をどこでも聞いたことがございません。自由党の小沢党首から質問をされても、みずからのそういう考えとして述べるのではなしに、盧武鉉さんの考え方に対する評価ということだけで終わってしまっておるわけでして、非常に私は、そこら辺に、日本の憲法と特にこの平和主義というものを現実化していく意味での努力というものは、これからそういう戦略的な展望を持ってやはり求められているのではないかというふうに思うということを申し上げておきたいと思います。
中山会長 安全保障と憲法に関する御発言をちょうだいしておりますけれども、それ以外のテーマも含めて、今国会での議論を振り返っての御発言があれば、さらに御意見をお述べいただきたいと思います。
葉梨委員 今会長からのお話がございました。
 今国会での議論の中で、もう一度よく考えなきゃいけないということは、平和、平和と武力との関係、それから国ということをどう考えていったらいいか。それから家族、家族を大事にしなきゃいけない、あるいは家族を尊重するということは、昔に返って、家父長制に返るのじゃないかというような御意見もございましたが、国、家族それから平和というものをどうしたら実現できるかというようなことが、底流にある大きな課題であろうと思います。
 会長が、これからまた会期延長になりましたら議論をしたいとおっしゃいました中で、それらのことについても、与党、野党、この委員の皆様と隔意のない意見交換をして、合意といいますかコンセンサスを取りつけるように努力をしたいと考えております。
中山会長 他に御発言はございませんか。
谷川委員 では、それ以外の財政の問題で、やはり国柄を議論するときにはこの財政の議論は非常に大事だと思いますが、憲法九十条との関連において議論されました。その中で、一つさらに加えて議論しなきゃならぬと思うことに、地方財政の赤字がなぜ今日できているのか。それに対して、地方には地方の方々が納税義務を負っているわけですが、私ここへ一九七八年六月十日の、アメリカで起こった新聞の切り抜きを持ってきているんですけれども、ここには「広がる納税者の反乱」と。
 アメリカは、日本と違って各州に憲法があって、それぞれの州でその財政の問題、ある州においては赤字の債券を発行することはできないということが州憲法上書かれているところもありますが、日本の場合には、国と地方との関係において中央集権的な行政がずっと続いておりましたから、憲法九十条、国の決算云々の問題がありまして地方独自の決算というのはなかなかできない。これもやはりこの憲法調査会でも議論してみなきゃならない問題ではないかと思います。
末松委員 憲法と安全保障でもちょっとよろしいでしょうか。
 私、発言を控えようと思ったんですけれども、おとといイラクから帰ってまいりまして、イラクの実情について民主党の調査団として見てきたわけでありますけれども、自衛隊の派遣問題でずっと事情も見てきました。
 そのときに、イラクの国民に目にわかるような形で、復興支援というものが軍隊にあるかというのを調べてみたら、これは多国籍軍を一つのマネジャーとしてつかさどるポーランドの臨時代理大使に聞いたんですけれども、そのときに彼が言っていたのが、反乱鎮圧それから治安維持、そしてローカルな政府との調整あるいは立ち上げだというふうに言われておりました。そういった意味で、この多国籍軍のメンバーに憲法上なり得ない自衛隊がどういう形でサポートできるのかというのが、私がこの課題として考えたことなんです。
 ただ、自衛隊がもしイラクに行っても、やはり軍として見られますから、イラク人からもろ手を挙げて歓迎されない。要するに、さまざまな見方がやはりアメリカ軍に対してもありますし、また、日本の自衛隊にもあり得るということを感じてきたわけであります。
 そして、自衛隊の派遣が、治安状況からいけば必ずしも安全な状況にない。今、いろいろと米軍から聞きましたところ、平均すると一日に大体五件から十件のアメリカ軍に対する攻撃がなされている。その攻撃が、対戦車ミサイル砲とかあるいは手りゅう弾とかあるいはマシンガンとかでやられている状況を見ると、とてもじゃないけれどもピストルだけで太刀打ちはできないだろうということで、本当に戦闘地域、非戦闘地域も分けられないような状況が現実として横たわっているわけであります。
 そういった中で、武器の使用基準や武器の携行についてもいろいろとまた議論があって、そして武力行使ができないという憲法上の制約という話がまたあるわけでありますが、こういうふうなことを考えても、イラクに自衛隊を送るということで、なぜ送るのかなということを考えてみたら、やはりこれはアメリカとの関係を大切にしたいという中での、そちらの政治問題じゃないだろうかということを感じたわけであります。
 なぜそこまでアメリカを気にしなきゃいけないんだろうということを掘り下げて考えていくと、やはり憲法そのものもアメリカから大きな発案があったということは事実でしょうし、その影響下に当然あったことも事実でしょう。これからイラクが、アメリカを中心とした占領の当局という中で、新たな憲法をつくっていく過程に入っていきます。多分これは、この大きな歴史的な占領から、ひょっとしたらアメリカの影響のある中での政権づくりが行われるわけですけれども、そのときにどんな憲法ができるのか、非常に私は個人的に興味津々に見ているわけであります。また、イラクに対して、憲法九条のような形の規定ができるのかどうなのか、その辺についても極めて興味深いことであります。
 ただ、そういった中で私が感じるのは、アメリカの呪縛といいますか、極めて貴重な文言を入れてくれたアメリカにはある意味では感謝すべきだけれども、また一方では、ちょっと呪縛が強過ぎて、日本人自身の独立した気概がそがれているのかなと。先ほど桑原委員が言われましたけれども、独自の国家戦略を持たずに、どうもアメリカからの評価だけを得たい、そういうふうなことが間々あるのではないかというのを私自身感じております。そこを払拭しないと、アメリカは大切ですが、アメリカだけではないということを本当に具体的に示していかないと、この国の国民がみずからの足で立っていく外交もあり得ないし、また経済もあり得ないということを強く感じた次第でありますので、議論をまた本当にしたいと思っております。
 ありがとうございました。
金子(哲)委員 安全保障問題以外で、私は、実はこの国会で労働基本関係の改正法案が、三本も重要法案が出されました。雇用保険法、労働者派遣法、そして、憲法の二十七条二項に該当する労働基準法の問題についても改正法案が出されてまいりました。そしてさらに、一方、公務員制度改革論議の中で、公務員における労働基本権問題も非常に重要な課題として提起をされて、この調査会の中でも一度、労働基本権の問題について小委員会の論議があったように私も記憶しております。
 特に、今日、長期の不況の状況の中で、三百六十万を超える完全失業者が存在すると言われておりますし、さらに、失業期間が十カ月を超える、雇用保険の給付期間を超えてもなお再就職できないという深刻な状況にあること、さらには、高校、大学を卒業しても就職先が見つからないこと、またさらには、派遣法などとも関連をしますけれども、若年労働者のフリーターの問題が日本の将来の経済構造にどのような影響を与えるかというような問題も出てきております。
 そういうことからいいますと、この二十七条の「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」という、その「勤労の権利」が保障されているかという問題も含めて、ある意味で労働の問題というのは日本の根幹にかかわる問題でありますけれども、その点についてはこの調査会でもまだ必ずしも十分に論議がされていないのではないかというふうに思っております。そういう意味では、憲法にかかわる問題としての労働基本権の問題のみならず、働く権利という問題と憲法のかかわりというのは、もう少しこの憲法調査会でも、今この時期にあって論議をしておかなければならなかったのではないかというふうに思います。
 特に、労働基準法の今回の改正は、解雇ルールをめぐってかなり労働基準法の本質そのものをも変えかねないような法案の改正案が出されて、つまりは、使用者は解雇ができるという条文を労働基準法に盛り込むということで、これは野党のさまざまな動きもあって修正をしたわけでありますけれども、しかし、これらは本当に憲法上からいってもどのような関係にあるかということは極めて重要だったというふうに思いまして、その点が論議されなければならないというふうに思います。
 先ほど申し上げました公務員制度の問題についても、憲法の二十八条にうたわれた勤労者の団結権及び団体行動権とのかかわりの中にあって、今論議されている中身だけでいいのかということは、やはり憲法調査会としても論議をしていかなければならないんではないかと思います。
 その論議の際に、やはり私たちはもう少し、その論議の過程の中で、とりわけ我が国の労働関係においては、ILOとの関係も極めて重要になってくると思いますけれども、我が国は、ILOの勧告などについて批准をしていない問題がかなりの部分で散見をされるという状況になっておりまして、これらも、憲法の論議の中で、国際条約との関係についての検証というものが今、本来はやるべき大きな課題になっているのではないかというふうに思っております。
 特にこの国会が、先ほども申し上げましたように、労働関係にかかわる重要な、一つの国会でこれほどまとまって労働関係諸改正案が提案されるということはかつてなかったわけでありますけれども、そのような状況の中での憲法調査会の役割というものは、私はやはり、憲法の条文に則しながら、どうあるべきかということを少し深めて論議をしていく大きな課題ではないかというふうなことを考えているということを問題提起したいと思います。
水島委員 民主党の水島広子でございます。
 今国会での議論全体を振り返ってみまして感じたことをお話しさせていただきたいと思います。
 今ずっと安全保障に関するいろいろな御意見を伺っておりまして、一度も人間の安全保障という言葉が出てこなかったのはどういうことだろうと思いながら伺っていたところでございますけれども、やはり、本当に一人一人の人間の安全保障という概念に基づいて、これから日本がどう歩んでいくべきかということを議論していかなければいけないと思っております。
 もちろん、現状と憲法との乖離というような観点も立法府としては重要かもしれませんけれども、それとともに、憲法というのは国の骨格をなす枠組みでございますから、日本がこれからの社会の中、どのように国際的な社会の中で歩んでいくかということをきちんと示せるような議論を、人間の安全保障、世界に暮らすさまざまな事情を負った一人一人の人たちにとっての本当の安全というのは何なのかということを、ぜひさらに議論をしていただきたいと思います。
 また、このときには当然、いつも安全保障というと、国民の生命と財産を守るというのが定型句として使われるわけですけれども、守らなければいけないのは生命と財産だけではないというのは、もう皆様も十分御承知だと思います。例えば、変な例えで申しわけないんですけれども、子供をひどく虐待して、ひどい育て方をしている親であっても、最低限、子供の生命と財産は守っているという人は結構たくさんいまして、そうやって考えましても、人間の幸せ、人間の健康というのは一体どういうところにあるのかというのは、いろいろと想像をめぐらせることができるのではないかと思っております。
 また、人間の安全保障ということを考えますときには、やはり、今までのいろいろな心のバリアを取り払っていかなければいけないと思っているわけですけれども、これは私の個人的な印象です、印象を言わせていただきますと、多分、これを個人的な印象じゃなくて正確なデータとしてきちんとするには、議員の皆様がアンケートに協力していただければ、私はその相関性ということでデータをお示しできるんじゃないかと思うんですけれども。国の主権、国家の主権ということをかなり声高におっしゃる方というのは、割と、憲法上で権利の抑制をすべきだとか義務の規定をすべきだというようなことをおっしゃる相関が非常に高いなと感じておりまして、これは大きな目で見ると、ちょっと矛盾しているような気がしないでもございません。
 私はまた、憲法調査会、今全体を振り返って意見を言わせていただきたいのは、小委員会がそれぞれございますけれども、小委員会での議論というのは、そこで完結して、ああよかったというものではなくて、そこで得られたことを、それぞれの小委員会同士でその結果をきちんと交流させながら、またこの総会で議論を発展させていくべきだと思うんです。
 そういう観点から申しますと、先日、私が所属をしております基本的人権の保障に関する調査小委員会で、小林参考人からいただいたコミュニタリアニズムという考え方、実は私は、ほかの分野にも非常に含蓄に富む話だなと思って聞かせていただいたわけでございます。
 そこで、国をコミュニティーとしてとらえていくのであれば、それは押しつけられる公というものではなくて、やはり一人一人が積極的に参加をしていく、そういうコミュニティーであるべきであるわけですし、また世界というのもそういった場になるんだと思いますので、そういうときに、何らかの価値観を押しつけていくような制度をつくってしまうとかえってゆがんだ結果が出るということも、この前、小林参考人が今までのデータを挙げて説明をされていたわけですけれども、ぜひこれから、こういう国の枠組みを考えるときにはそこのコミュニティーで、一人一人の人が積極的に他人のために善意で参加していけるような、そういう枠組みをつくらなければかえっておかしな関係を生んでしまうことにもなりますので、ぜひそのコミュニティー論をほかの分野、特に安全保障の分野に関しても応用して、いろいろと議論を深めていただきたいと思います。
 また、武力について考えますと、確かに自分の、本当に最低限の身の安全も保障されないような社会がよいなどとは私は口が裂けても言うつもりはありませんし、そういう意味では、治安の維持というのは大切なことだと思っておりますけれども、それと同時に、武器が身近にあることで、暴力が身近にあることで非常に不健康な心の状態になったり、いろいろと人格が侵害されるというようなこともございます。
 また、今イラクにおいても、結局この不安定社会の原因は武器を各自が持っていることだというようなことから、武器回収が最近行われたということを、イラクからお帰りになった首藤さんから先ほど聞いたところでございますけれども、アメリカが銃社会の結果としてどういう状態になってしまっているかというようなことも頭に入れながら、武力というものに関してはまた特別な観点から考えていって、本当の意味での人間の安全保障が実現できるような世界の構築に向けてのこの憲法調査会でのさらなる議論をお願い申し上げたいと思います。
 以上でございます。
古川委員 民主党の古川元久でございます。
 私はこの国会から初めて憲法調査会に加えていただきまして、また統治機構のあり方に関する調査小委員会に所属させていただいての感想を一言述べさせていただきたいと思います。
 この統治機構の部分というのは、実は非常に地味で、またかなり細かい、細部にわたる部分があるんですけれども、憲法の人権部分とか、あるいは安全保障の仕組み、いろいろなほかの部分を実質化していく、そしてきちんとそれを実現していくという意味では、この統治機構部分をどう組織するかというのは非常に重要な課題であるというふうに私は考えます。国民主権ということは自己統治をするということでありますので、どういう形で、自分たちが議論をしてきたものを、あるいは権利として掲げられているものをまとめ、あるいはその権利をちゃんと実現していくのか、その仕組みがなければ、これは絵にかいたもちになってしまうわけであります。
 そういう点からしますと、日本人はともすると、小田原評定という言葉もあるように、議論はして、いいことを言う人はたくさんいるんですけれども、しかし、なぜかそれが、意見もまとまらなくて、それも実行がされない。特に、先ごろの政治状況に対する国民の不信というのは、いろいろなところでいろいろなことを言っている人たちがいるけれども、それがまとまってもいかないし、それがきちんと政策としても実行されていかない、そこにやはり不満を持っている、不信感が政治に対して持たれているということもあるのではないかと思います。
 そう考えていきますと、どうして議論がまとめられないのか、そしてまた、決めたことがきちんと実行される、また権利が侵害された場合には、きちんとそれも担保されるとか、そうしたことがなされないのかということを考えていきますと、やはりこれは統治機構のあり方というところに問題があるのではないかというような感じがいたします。
 そういった意味では、我々自身がこれからの国のあり方を決めて、それをきちんと自分たちの意思と行動によってマネジメントしていくための統治機構のあり方、それは、先ほどちょっとお話があったように、国と地方との関係のあり方もあります。また、立法府がどうあるべきなのか、そして行政府がどうあるべきなのか、司法権がどうあるべきなのか、そしてまた財政は、予算編成のシステムはどうあるべきなのか。
 かなり技術的になるかもしれませんし、また地味な部分であるかと思いますが、まさにそうした部分についての議論というものもより深めていかないと、そして一つ一つその辺について、こういう形が、例えば人権のところで書かれている権利をきちんと確保していくために必要だということにもつながっていくと思いますし、そういった意味では、統治機構の部分についてもう少し精査というものを急いでしていく必要があるのではないか、そのような感想を持ちました。
中山会長 他に御発言はございませんか。
 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて本日の自由討議を終了いたしたいと存じます。
 本日は、これにて散会いたします。
    午前十一時四十分散会
     ――――◇―――――
  〔本号(その一)参照〕
   派遣委員の香川県における意見聴取に関する記録
一、期日
   平成十五年六月九日(月)
二、場所
   高松国際ホテル
三、意見を聴取した問題
   日本国憲法について(特に、非常事態(安全保障を含む)と憲法、統治機構(地方自治を含む)のあり方及び基本的人権の保障のあり方)
四、出席者
(1)派遣委員
    座長 中山 太郎君
       葉梨 信行君   平井 卓也君
       仙谷 由人君   古川 元久君
       遠藤 和良君   武山百合子君
       春名 直章君   金子 哲夫君
       山谷えり子君
(2)現地参加委員
       近藤 基彦君
(3)意見陳述者
    弁護士         草薙 順一君
    四国学院大学教授    根本 博愛君
    学生          高木 健一君
    元中学校社会科教師   西原 一宇君
    主婦          坂上ハツ子君
    香川大学法学部助教授  鹿子嶋 仁君
(4)その他の出席者
                竹内  功君
                加藤 繁秋君
                渡辺 智子君
                中内 輝彦君
     ――――◇―――――
    午後一時開議
中山座長 これより会議を開きます。
 私は、衆議院憲法調査会会長の中山太郎でございます。
 私がこの会議の座長を務めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いをいたします。
 本調査会は、平成十二年一月二十日に設置されて以降、日本国憲法についての広範かつ総合的な調査を進めてまいりましたが、憲法は国民のものであるとの認識のもと、広く国民各層の皆様方から日本国憲法についての御意見を拝聴し、本調査会における議論の参考にさせていただくため、一昨年四月以降、宮城県仙台市、兵庫県神戸市、愛知県名古屋市、沖縄県名護市、北海道札幌市、福岡県福岡市及び石川県金沢市において地方公聴会を開催してまいりました。
 そこで、本日は、御当地にて地方公聴会を開催することとなった次第でございます。
 ここで、意見陳述者及び傍聴者の皆様方の御参考のため、本調査会の現在までの活動概況を簡単に御報告申し上げます。
 本調査会は、平成十二年に設置されて以降、日本国憲法の制定経緯、戦後の主な違憲判決及び二十一世紀の日本のあるべき姿をテーマに、日本国憲法についての広範かつ総合的な調査を行ってまいりました。
 昨年からは、本調査会のもとに小委員会を設置し、専門的、効果的な調査を進め、今国会においても引き続き議論を重ねているところでございます。
 また、本調査会のメンバーをもって構成された調査議員団が三度にわたり海外に派遣され、一昨年は、ロシア、東欧諸国、イスラエルなどの憲法事情について、昨年は、英国、タイ及びシンガポールを初めとする東南アジア五カ国、中国及び韓国の憲法事情について調査をしてまいりました。
 そして、昨年十一月一日には、それまでの調査の経過及びその概要について取りまとめました衆議院憲法調査会中間報告書を衆議院議長に対して提出し、さらに同月二十九日には、中間報告書の提出の経緯及び概要について、衆議院本会議において報告を行ったところでございます。
 本調査会におきましては、今後とも、人権の尊重、主権在民、再び侵略国家とはならないとの三つの原則を堅持しつつ、新しい日本の国家像について、全国民的見地に立って、日本国憲法に関する広範かつ総合的な調査を進めてまいる所存でございます。
 意見陳述者の皆様には、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。どうか忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。
 また、多数の傍聴者の皆様方をお迎えすることができましたことに深く感謝をいたしたいと存じます。
 それでは、まず、この会議の運営について御説明をいたします。
 会議の議事は、すべて衆議院における議事規則及び手続に準拠して行い、衆議院憲法調査会規程第六条に定める議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたしております。発言される方は、その都度座長の許可を得て発言していただきますようお願い申し上げます。
 なお、この会議においては、御意見をお述べいただく方々から委員に対しての質疑はできないこととなっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 本日の地方公聴会の議事は、衆議院における議事規則に準拠して行われます。
 衆議院憲法調査会規程第二十二条第二項には、「会長は、秩序保持のため、傍聴を制限し、又は傍聴人の退場を命ずることができる。」との規定がありますし、国会法第五十二条三項には、「委員長は、秩序保持のため、傍聴人の退場を命ずることができる。」との規定が、また、衆議院規則第七十四条には、「委員長は、委員会の秩序を保持するため、必要があるときは、傍聴人の退場を命ずることができる。」との規定がございます。
 傍聴されている方は、これらの趣旨を踏まえ、改めてお手元の傍聴注意事項をお読みいただき、御理解をいただきたく存じます。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 最初に、意見陳述者の皆様方から御意見をお一人十五分以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 意見陳述者及び委員の発言時間の経過のお知らせでありますが、終了時間五分前にブザーを、また、終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
 御発言は着席のままで結構でございます。
 なお、委員からの質疑終了後、時間の余裕がありましたら、本日ここにお集まりいただいております傍聴者の方々の中で何人かの方に、本日の公聴会に対する御感想を賜りたいと存じます。
 それでは、御出席の方々を御紹介いたします。
 まず、派遣委員は、民主党・無所属クラブ仙谷由人会長代理、自由民主党葉梨信行幹事、自由民主党平井卓也委員、民主党・無所属クラブ古川元久幹事、公明党遠藤和良委員、自由党武山百合子委員、日本共産党春名直章委員、社会民主党・市民連合金子哲夫委員、保守新党山谷えり子委員、以上でございます。
 なお、現地参加委員といたしまして、自由民主党近藤基彦君が参加されております。
 次に、御意見をお述べいただく方々を御紹介させていただきます。
 弁護士草薙順一君、四国学院大学教授根本博愛君、学生高木健一君、元中学校社会科教師西原一宇君、主婦坂上ハツ子君、香川大学法学部助教授鹿子嶋仁君、以上六名の方々でございます。
 それでは、草薙順一君から御意見をお述べいただきたいと存じます。
草薙順一君 意見陳述者、草薙順一でございます。
 私は、日本国憲法の平和主義を貫徹しつつ、日本の非常事態、安全保障に対処すべき方途について意見を陳述いたします。
 要旨は、日本の安全保障は将来創設される国連軍によるべきであります。しかし、現状にかんがみ、それに至る過程として、北東アジアの地域的安全保障協定を創設すべきであるというものでございます。
 第一、日本の平和戦略構想の確立。
 我が国は、世界全体から見た長期的な日本の平和戦略構想を確立する必要があります。核兵器、生物化学兵器、精密ミサイルの存在は、人類の滅亡をも予感させます。抑止的手段を目的として対抗的軍備を保持することは、果てしない軍拡競争を招き、やがては経済的にも耐えられず、破綻を来します。そして、現代においては、もはや一国だけで平和を確立することはできません。世界の一員として、他国と共同での平和を考えるときです。国際的見地からの平和戦略構想が必要になっています。
 日本の安全保障は、最終的には国連あるいは世界連邦を中心とする国連軍によって保障されることを目標に置きつつも、いまだ国連軍が存在しない現状を考えるとき、それに至る過程として、近隣諸国の北東アジアの地域的安全保障協定を創設すべきであります。日本の平和戦略構想を内外に公表し、その方向に向けて外交努力をすることです。
 第二、北東アジアの地域的安全保障協定の創設。
 平和は近隣諸国から築いていかなければなりません。過去の戦争で一番多いのは隣国同士です。殊に、朝鮮半島でのかつての戦争は、今も我々の記憶にあり、現状では、世界で最も戦争の危険度の高い地域になっています。ここでの戦争をさせてはなりません。このために日本が何をすべきかについて真剣かつ冷静に考え、あらゆる努力を傾注しなければなりません。
 北東アジアにおける協調的平和外交努力が必要です。朝鮮半島の二カ国、米国、ロシア、中国、モンゴル、カナダ、日本の八カ国で、地域的安全保障協定を創設することが望ましいと言えます。一度にできなければ二カ国だけからでも安全保障協定をし、だんだんと広めていくべきであると思います。
 一九九四年、東アジア全域の安全保障対話を目指すASEAN地域フォーラムが発足し、日本、韓国、北朝鮮、中国を含む東アジアすべての国が参加しています。ASEAN地域フォーラムを発展させ、ヨーロッパの欧州安保協力機構のようにしたいものです。日本が中心になり、共同で呼びかける国を募り、努力すれば不可能ではないと確信します。二〇〇三年二月に韓国大統領に就任した盧武鉉大統領も、就任演説で、北東アジアがEUのような共生の共同体になるのが夢と熱く語っています。
 ところで、北東アジアにおいて地域的安全保障協定を創設するためには、日本が非核、不戦国家であると承認され、信頼される国づくりを目指さなければなりません。特に、過去の歴史認識を解決する必要があります。十五年戦争における日本の犯罪、戦勝国の犯罪を国家の責任において明確にすることです。底流に歴史問題があると、真の信頼関係は生まれません。アジアの人々と共通の歴史認識を持つことは日本の国益にかなうことであります。
 現在の日本において平和外交努力で特に大切なことは、日朝平壌宣言に基づき、早く国交を正常化することです。拉致問題も、国交正常化しないままの解決は困難と思われます。ソ連の脅威も中国の脅威も、日本との間の条約によって次第に言われなくなりました。日朝条約によって、北朝鮮の脅威を払拭すべきです。
 さらに、北朝鮮の核開発問題は、北朝鮮の核開発を断念させ、それと同時に日本と韓国がアメリカの核の傘から離脱し、朝鮮半島と日本を非核地帯とし、アメリカ、ロシア、中国が武力行使をしないという非核地帯条約を結ぶことです。平和的安定のための提案を日本は積極的にすべきであります。
 第三、国連軍の創設。
 人類は、当分の間、民族問題などで、国家間に紛争が避けられそうにありません。したがって、平和の維持には秩序ある力の支配が必要となります。ただし、戦争などによる暴力の支配ではなく、法の支配でなければなりません。戦場に栄光はなく、悲惨なだけであります。聖戦であろうが、人道目的であろうが、正義の戦争であろうが、名目を問わず、戦争という悪夢の選択は許されません。
 憲法第九条の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」との規定は、同趣旨の国際連合憲章二条の規定とともに、人類の到達した金字塔であり、目指すべき方向であります。
 法の支配は、具体的には、現在の段階では、国連憲章に定める勧告措置、非軍事的制裁措置、そして国際司法裁判所などへの訴えであります。最終的にはやむを得ず、憲章四十二条に定める軍事的措置に至りますが、四十二条措置は法の支配の範疇であると私は考えています。力なき法の支配は絵にかいたもちであるからです。国際法、あるいは、将来は世界法による法の支配を願うものでございます。
 先月末、欧州二十八カ国の代表が集まり作成された欧州憲法の原案が発表されましたが、国連が主体となって、国際平和を目的とし、国連軍の創設を盛り込んだ条項の国際連合憲法ともいうべき原案を早く作成したいものであります。
 法の支配を実効あらしめるための国連軍の創設は必要です。国連軍創設に至るまでには、国連憲章自体の改正もしなければなりません。日本に対する敵国条項の削除、安全保障理事会など検討課題はありますが、現在、国際社会にあって、正当性を付与できるものが国連のみであることを考えるとき、国連を世界平和のために活用する以外方法はないのです。
 私が国連軍の創設を願うのは、次のような理由からです。
 第一は、現在において、アメリカの軍事力に対抗できる国やブロックはありません。それを証明したのが、二〇〇三年三月のアメリカによるイラク攻撃の際の衝撃と畏怖作戦でした。弱い者の国同士が軍拡競争するほど愚かなことはございません。隣国同士が領土不可侵条約を結んでおれば十分です。自国の軍隊で自国の平和と安全を守るという考えは既に過去のものとなりつつあります。軍事費を福祉や教育に回した方が得策であることは明白であります。日本の場合、ロシアや中国に対抗して軍備を持とうと考えただけで膨大な費用を必要とします。さらに、日本が軍備を拡張すればするほど、隣国は軍備を拡張し、軍拡競争となることは必然でしょう。
 日本に対するミサイル攻撃があった場合、現在の自衛隊には防衛能力はございません。だから、弾道ミサイル防衛に関して日米で共同研究しようということになるのでしょう。しかし、最新鋭の地対空誘導弾パトリオットPAC3を将来配備したところで、これで十分であるということはあり得ません。独自の軍隊を持たない方がむしろ安全な時代になりつつあります。
 第二に、現在のアメリカの独善的一国主義は長続きしないとの見通しです。しかも、現在のアメリカは好戦症に罹患しています。膨大な軍産体制によって、平時が重荷になっています。しかし、この現象は異常であり、一時的なものと私は思っています。国力は軍事力だけではありません。経済、教育、福祉などの総合力です。「剣をとる者は、剣によって滅びる」との言葉は真理であります。
 アメリカの実態は、双子の赤字を抱え、特に財政赤字は四十四兆ドルという天文学的数字であり、毎年、日本円で四十兆円の軍事費を余儀なくされて、国民が幸せになるのでしょうか。六%を超える失業率、百万人と言われるホームレス、犯罪の増加、そこには、あえぐアメリカの姿が浮き彫りになっています。冷戦の終結はソ連の膨大な軍事費の支出でした。アメリカが軍事費に耐えかね、極東アジアから米軍を引き揚げるという事態が突然来ることも否定できません。
 第三に、日本の安全保障は日米安保条約に負っていると言えますが、アメリカの起こす戦争に日本が巻き込まれるおそれが多分にあります。現在では、日米安保条約の存在が日本の国益に沿わないばかりか、日本を危険な方向に向けていると思われます。このままだとその傾向はますます強まります。日米安保条約という日米軍事同盟を日米友好条約に変えるべきです。
 第四に、憲法九条の戦争放棄条項について、憲法制定議会においても、日本の安全保障は国際連合による安全保障の方式にゆだねていたのであります。したがって、国連軍によって日本の安全は保護されるとの考えは、国際協調主義のもと、当初から憲法が予想していたものであります。憲法の平和主義は無抵抗、無防備を定めたものではございません。したがって、憲法の精神に合致し、憲法違反という問題は起こらないのであります。
 以上のとおり、私の結論は、最終的には国連軍を創設し、国連軍によって日本の防衛をゆだねるとの考えであります。国連軍によって防衛される国々は自前の軍隊を持たないということです。現在の日本の自衛隊も米軍も国連軍に編成されるのです。多国籍出身の国連軍に、現在の自衛隊の基地も米軍基地も提供するのです。そして、遠い将来、国連軍自体が不要となるときの来ることを夢見ております。
 最後に、私は、日本国憲法九条の改正には反対するものであります。
 二十世紀は戦争の世紀でした。しかし、明るい面もありました。アジア、アフリカ、ラテンアメリカの国々が独立し、植民地支配は一掃されました。また、政治の上では、個人の尊厳が普遍的価値とされ、民主主義が根づいた世紀でした。
 二十一世紀は平和のルールを定着させる世紀です。それが今世紀に生きる者の責任であり、後に生きる者への最大の遺産です。日本国憲法は、徹底した平和主義で世界史的意義を有するものです。武力では、環境や貧困などの問題を解決できません。憲法の精神を世界に向けて発進し、発展させることが日本の使命であると確信します。
 万一憲法九条が改正されたならば、その影響は絶大であります。国内においては、平和志向者といえども軍国愛国者にのみ込まれてしまうおそれが十分にあります。さらに、日本が侵略した東南アジアの国々にとっては脅威となり、強く反発され、そのことが日本の安全と平和の脅威となってはね返ってくることは必然であります。
 高松市郊外で生をうけた私は、五歳のとき高松市の夜の空襲を恐怖を持って見たのを今も鮮明に覚えています。何の抵抗もできなく、多くの人たちが、空から雨のように降ってくる焼夷弾の犠牲となりました。これが戦争の実態です。平和憲法はこれら犠牲者の遺言ともいうべきものであると確信しています。痛苦を忘れた民には再び痛苦が訪れるでしょう。
 約二千七百年前のイザヤの言葉があります。「こうして彼らはその剣を打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国に向かって、剣を上げず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。」この言葉がこの世界に実現することを願って、意見陳述を終わります。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、根本博愛君にお願いいたします。
根本博愛君 御紹介いただきました根本でございます。
 私がこの意見陳述に選んだテーマは、基本的人権の保障のあり方というテーマを選択いたしましたので、このことについて、ただいまから意見を申し上げます。
 まず、一九九〇年代以降、御承知のように多くの改憲案が発表されて今日に至っております。その改憲案の中の、特に人権条項の内容を見てみますと、特徴的なこととして、基本的に四点ほど私は感じております。
 まず第一点は、プライバシー、知る権利、環境権などの、いわゆる新しい人権の保障をつけ加えるべきである、これが第一点です。それから第二点は、公共の福祉によって人権制限を強化すべきである。それから第三点は、国民の義務を強化すべきである。これは具体的に申し上げますと、例えば国防の義務ということも改憲案の中に示されております。そして四番目は、直接これは人権保障条項ではありませんけれども、しかし、後で申し上げますように深いところでは密接につながっている問題ですが、いわゆる戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認という、第九条、平和主義の改正。この四点にあるように思われます。
 そこで、まず人権保障について、いわゆる近代市民社会の登場以降、近代市民憲法、そしてその延長上にある今日の現代市民憲法、この人権保障の流れを少し巨視的に、歴史的に眺めてみますと、御承知のように、十八世紀、十九世紀のいわゆる古典的自由権の保障、身体的自由権、精神的自由権、経済的自由権を中心とした、自由権を中心とした人権の保障、そして二十世紀に入りまして、生存権を中心とした社会権の保障、そして、いわゆる国際人権規約に象徴されますように、人権の国際的保障、こういうふうに人権保障が発展的に進んできております。
 そして今日、非常に大切な問題としては、特に発展途上国、世界の諸国、大ざっぱに言いまして約二百の国と地域があるとしますと、圧倒的な数が発展途上国であります。その中でも、後発発展途上国、いわゆる最貧国と言われている国がやはり五十近くあります。そういう発展途上国に必要とされている民族自決権の尊重、あるいは発展の権利、平和への権利、健康な環境を求める権利、そして食料への権利、こういう権利が切実に求められておりますけれども、これは世界的な協力という地球規模での平和的手段によって実現されていかなければならないと思います。
 例えば、今、一日一ドル以下といいますと、日本円に直しますと百二十円前後でしょうか、一ドル以下の生活を送っている人口が約十二億人、これは五人に一人に当たります。そういう、特に途上国にある切実な問題があります。
 そして、人権の国内的保障と国際的保障というのは相互補完関係にありますので、今述べましたように、例えば日本の国内の人権保障をきちんと果たしていくこと、それは同時に、国際的な人権保障を補強していく。逆も言えます。国際的な人権保障が進んでいくことによって、それが国内によい意味のインパクトを与えて、国内の人権保障の進化を果たしていくということにもつながってまいります。
 そこで、最初に述べました、九〇年代以降今日まで、さまざまな改憲案が発表されてきているわけですけれども、特に特徴的な、先ほど言いました新しい人権ですね、別名形成されつつある人権とも言われますけれども、その必要性を改憲案の中でかなり強く言われながら、他方で権利の制限、義務の強化、とりわけ第九条の改正ということには私は強い疑問を持っております。
 まず、新しい人権の実現、これは大変重要なことなんですけれども、今大切なことは、これを憲法上に規定する、それも一方では大切ですけれども、そのことよりも、例えば現行憲法の十三条あるいは二十五条等々を根拠にして、それをより具体的に立法化する、つまり法律に定めて実現していくということが大切なことじゃないかというふうに考えております。
 それから、公共の福祉による人権の制限の問題ですけれども、改憲案を拝見しますと、どうもこれは、憲法学界の方では学説としてはもう乗り越えられた考え方なんですが、一元的外在制約説という、つまり、人権の外に抽象的な公共の福祉ということを持ってきて、それで人権を制約する。そうしますと、そこで言われる公共の福祉というのは、例えば公益とか公共の安寧秩序とか、場合によってはある種の国益とか、そのためには人権を制限してよろしいという、外から人権を制約する、どうもそういうニュアンスが強いんです。
 これはもう学説上乗り越えられて、その後、公共の福祉と人権の関係というのは、非常にきめ細かい、具体的な人権内容と個々の問題に応じて、例えば比較考量論、それから二重の基準論。二重の基準論というのは、精神的自由権と経済的自由権を制約する場合に、そこを非常に具体的に、事柄に即して、例えば精神的自由権というのは非常に大事な民主主義の基礎を形づくる、基礎になるものだから、これを制約するときにはよほど厳格な合理性がなければ制約は慎むべきだ、それに対して、経済的自由権の場合は合理的な基準に合っていればよろしいと。そういう人権のカタログに即して考えていくというのが、公共の福祉と人権の関係で非常に大事なことじゃないかというふうに思います。
 最後に、九条の改正のことですけれども、人権との関係でいいますと、これは憲法学界で樋口陽一教授が提起した考え方なんですが、第九条が示している非軍事化条項ですね、戦争否定、軍備の不保持、交戦権の否認というあの非軍事化条項というのは、単に軍事のことじゃなくて、それが実はさまざまな批判の自由を下支えする大切な役割を持っているのであって、九条と、つまり平和主義と人権というのは密接に結びついているわけです。九条が果たす人権保障への大きなプラスの働き、これをやはり見逃してはいけないのではないか、そういう意味で九条は非常に大切な点だろうと思います。
 特に安全保障については、私は今回選びませんでしたけれども、これはやはり、憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」安全保障の基礎を、戦力や武力じゃなくて、国と国、人と人との信頼関係を忍耐強くつくり上げていくことによって初めて安全保障というのは確かなものになるんです。つまり、武力よりも信頼の方が強い、これは二十一世紀の方向を指し示している、日本国憲法の重要な点だろうと私は思います。
 憲法は国の最高法規ですから、特に大切なことは、二十年、三十年、五十年かけて一つの国が国際社会の中でどういう方向に進んでいくのか、方向性が大事なんですね。だから、軍備を使う方向に行くのか、忍耐強く信頼関係をつくっていくというそっちの方向に行くのか、私は当然後者の方が大切だというふうに考えております。
 以上です。
中山座長 傍聴人に申し上げます。
 お手元に配付しております傍聴注意事項に記載されていますとおり、議場における言論に対しての賛否を表明したり、また拍手をしないこととなっておりますので、御了承願います。
 ありがとうございました。
 次に、高木健一君にお願いいたします。
高木健一君 今紹介にあずかりました意見陳述者の高木健一と申します。
 若輩者の私に、この調査会で意見陳述の場を与えてくださいまして、ありがとうございます。このように幅広い階層の人々が自由に意見を述べても罰せられることがないのは、憲法で定められた基本的人権の尊重のおかげだと思っております。
 私は学生です。京都の仏教大学の史学科で日本史を専攻して、今は博物館学芸員の資格の課程に行っております。日ごろから歴史の本や史料を読み、日本という国の成り立ちであるとか、先人たちは国の危機のときにどのように対処し、判断したかということを学びました。さまざまな辛苦、例えば、さきの太平洋戦争の戦禍をこうむり、原爆を落とされ、たくさんの人たちが犠牲になって今の日本という国があるのだと痛感しています。
 しかし、日本の現状、特に我が国の安全が揺さぶられかねない国際情勢になり、私自身、少々日本の将来を不安に思っています。
 このような流れの中で、今回の憲法調査会という報を聞き、応募いたしました。新聞のわずかな見開き程度でしたので、全員、何か意見を書かなければならないと思ってしまい、初めは傍聴希望だったのですが、自分の意見を言いたい欲求に駆られ、意見陳述者の方に、何とか強引に八百字を書いて応募しました。多分、広範囲にわたる募集だろうと思い、たくさんの知識ある方たちが選ばれるだろうと思っていたのですが、まさか私が選ばれるとは思っていませんでした。先月の二十八日に山のような書類が送られてきました。大変な役目を引き受けてしまったと内心後悔しています。
 では、今から私の意見を述べさせていただきます。
 なお、初めにもお話ししましたように、意見陳述者に選ばれてから、急いで憲法や安全保障のことについて半ばつけ焼き刃的に調べまして、何とか自分の意見をつくり上げてきょうここに来ましたので、論旨の中身があやふやなところもあるかとは思います。それに、十五分という持ち時間まで足りるかどうか心配ですし、何分文章能力がつたないものですから、そのあたりのことは御勘弁お願いいたします。
 改めて憲法について考えますと、私たち一般庶民にはほど遠い存在であり、日ごろから余り認識することはないような感じがあります。小学校や中学校の社会科で学ぶぐらいで終わっています。しかし、憲法は国の根幹であり、私たちが意識するしないにかかわらず、国民の生活を支えていることも忘れてはならないものだと思っています。
 日本国憲法は、公布、施行されてから半世紀以上経過しました。この憲法の趣旨は国民主権と基本的人権の尊重と戦争放棄ということはだれしもが知っていることです。その中でも第九条が最も象徴的なのですが、恒久平和と戦力不保持を唱え、そのため、我が国の憲法は世界じゅうから尊敬もされ、畏敬されてきました。
 確かに、この九条の理念は、人類が最終的に目標とすべき指針を述べていて、崇高なる意義を持っていることは疑いのないことではありますが、果たして我が国がこの九条の理念だけで平和を保てたのでしょうか。私は必ずしもそうは思いません。確かに、太平洋戦争が終結し、日本国憲法施行以後、我が国が戦場になることはなく、再び戦禍を受けることもない平和国家ではありましたが、これは第九条を持っているからではなく、日米安全保障条約の恩恵であるからだと思います。
 日米安全保障条約は、一九五一年にサンフランシスコ平和条約と同時に調印され、一九六〇年に岸内閣のもとで、改定した日米安保を調印しました。この条約の締結で、日本はアメリカの軍隊の駐留とそのための軍施設の提供を求められ、特に沖縄がその最たる例なのですが、多くの私有地が基地となり、現在の在日米軍の駐留地になりました。
 ただ、条約締結当時は、旧ソ連とアメリカの両大国間の冷戦状態に突入という国際情勢の中、日本が好むと好まざるとにかかわらず、この苦渋の選択をのまなければなりませんでした。しかし、この条約で、日本は建前上、非核三原則を標榜しながら、その実、アメリカの核の傘に組み込まれ、そのために、日本は他国から戦争を仕掛けられることもなく、高度経済成長をなし遂げたのだとも言えます。
 ただし、裏を返せば、我が国の安全保障はアメリカ頼りになってしまい、自前での国土の安全ということを真っ正面から議論することなく、国防という概念そのものが脆弱であったことは否めません。何も日本だけが米軍の駐留を認めているのではありませんが、我が国はさきの大戦でさんざんにアメリカに負けたものですから、強者に逆らい切れない弱者の論理となり、アメリカに追随するかのような印象を持たれやすくなりました。
 しかし、ここで我が国は自己矛盾を抱えたことになります。それは、日本国憲法第九条と在日米軍との整合性がつかないことです。
 第九条の二項では、陸海空軍その他の戦力は保持しないとされており、厳密に憲法と照らし合わせれば、在日米軍は憲法違反であると言えます。しかし、憲法の解釈を変えれば、安保条約自体は、国と国との外交交渉で定められたものであり、憲法には抵触しないし、外国の軍隊である在日米軍に国内法である憲法を当てはめること自体がおかしいのではないかという考え方もできます。憲法九条の条文には、在日米軍の否定ということは一行たりとも書かれていないという解釈も成立するのではないかとも言えます。極めてあいまいなまま在日米軍の存在を認知してきたのが現状ではないかと考えます。
 しかし、我が国の体制と考えますと、日米安保は軍事同盟であると同時に経済同盟でもあったために、我が国は資本主義社会の一員となることができました。そして、戦後の高度経済成長をなし遂げた現実を考えてみますと、日本における在日米軍の存在、つまりは日米安保そのものを肯定しなければ国の根本が揺らぎかねなかったのが、日本の本音、いや日本国民の真実だろうと思います。
 それに、アジア各国からの要望もあります。戦前、我が国による植民地支配を受けたアジア各国では、日本が再び軍事大国化し、また侵略行為をするのではないかという危機感があり、そのためにも、在日米軍の駐留とともに、アメリカの強い監視のもと、まさしく瓶のふたのように日本を押さえつける役割をこの日米安保に求めていることも、現実的には存在しています。私たち日本人から考えてみますと、軍事大国化することなど到底あり得ない非現実化した想像だと思うのですが、被害者感情が強いアジア各国の本音はそこにあるのではないかと思います。
 さて、これから日米安保の問題点ということを挙げますと、さきにも述べましたが、沖縄の在日米軍の基地負担軽減ではないでしょうか。
 日本にある在日米軍の基地のおよそ七割強を占めている沖縄は、日米安保の犠牲になっているのが現状です。しかし、現実問題として沖縄は、基地で働いて生活を送っている人たちが多数存在しており、基地を全廃することは不可能なことは明白です。
 ただ、在日米軍兵士の沖縄における犯罪は後を絶たないのも不幸なことです。八年前に起こった少女に対する暴行事件はまだ記憶に新しいものですし、この反響を受けて日米地位協定までも見直されることになりました。しかし、その事件以降も米兵の犯罪はおさまりませんでした。事件が起こるたびに、在日米軍の基地関係者は、再発防止を含め、兵士に倫理徹底を実行することを約束するという言葉を何回も繰り返しますが、一向に兵士の素行が改まりそうにありません。こういった現状が続くと、沖縄の人たちは、安保体制そのものに不信感を持っても何ら不思議ではありません。
 この不満と不信をぬぐい去る努力を私たち国民はしなければなりません。具体的に言えば、沖縄に集中する基地をできるだけ本土に移転させて、痛みを分かち合いながら、沖縄の負担を少しでも減らすことこそが我々がすべきことではないでしょうか。さきの大戦で唯一地上戦が行われ、多大な犠牲をこうむった沖縄に、いつまでも日米安保のしわ寄せを押しつけるべきではないと思います。
 少しわき道にそれてしまった感はありますが、私の言いたいことは、日米安全保障条約は、憲法の整合性云々という問題ではなく、我が国の国防上、経済上、政治上、なくてはならないものになりつつある日米両国の現状を考えれば、憲法そのものを変えるべきではないかということです。
 次に、これも我が国の安全保障にかかわる問題として、憲法九条と自衛隊の存在について述べたいと思います。
 このことは、自衛隊創設当初から、合憲、違憲の論議が行われ、いまだに決着がついていません。そもそも自衛隊は、日本を反共のとりでとすべく、アメリカの強い後押しのもと創設されたのが始まりで、我が国の防衛と他国による侵略を防ぐのを主目的とする軍事組織です。しかし、憲法九条では戦力不保持を明記しており、事実、司法においても自衛隊を違憲とする判決が出されるなど、自衛隊の存在が危ぶまれることもあったほどです。
 日本国政府は、確固たる自衛隊の存在意義を認めたい政府見解として、一九五四年、これは余りに古い政府見解ですが、この見解は自衛隊設置の年に出されたもので、そのときの政府方針がうかがえますので、ここに述べます。
 一、自衛権は国が独立国である以上、当然に保有する権利で、憲法はこれを否定していない。二、戦争と武力の威嚇、武力の行使が放棄されるのは、「国際紛争を解決する手段としては」ということである。他国からの武力攻撃を阻止することは、自己防衛そのものであり、国際紛争を解決することとは本質が違う。国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。三、自衛隊のような自衛のための任務を有し、そのため必要とする範囲の実力部隊を設けることは、憲法に違反しない。四、自衛隊は外国からの侵略に対処する任務を有するが、これを軍隊というならば、自衛隊も軍隊ということができる。しかし、実力部隊を持つことは憲法に違反するものではない。五、憲法九条についてはいろいろ誤解もある。そういう意味で、これらの空気をはっきりさせるため、機会を見て憲法改正を考える。
 少々長い見解ですが、自衛隊の存在意義を、憲法九条と照らし合わせながら、何としてでも国民に理解させ、合憲としようとする意気込みが伝わってきます。素直に見解を読めば、なるほどもっともと思うのですが、見方を変えれば、憲法に書いていないことを巧みに利用して、言葉の解釈そのものを変えている印象もぬぐい切れません。第一、憲法九条第二項で陸海空軍の戦力は保持しないと明示しており、この文脈をどう読めば自衛隊の存在を是認しているのか、私にはわかりません。大多数の国民も理解に苦しむのは当然だと思います。
 このような疑問は、この政府見解以後、憲法学者や有識者の間からもさまざまに指摘されましたが、その中でも戦後の憲法学に影響を持った清宮四郎氏は、自身の著書「憲法I(第三版)」で氏独自の憲法第九条解釈を述べていて、九条での戦争放棄は自衛戦争を含むと解するのが正しい、その理由は、国際紛争解決の手段でない戦争は実際にはほとんどあり得ず、自衛戦争も国際紛争を前提として行われており、従来の実例に照らしても、侵略戦争と自衛戦争との区別は明確にしがたいとし、さきの政府見解に沿った形で、この部分では評価しています。
 しかし、清宮氏は、政府見解の自衛権に関する解釈は憲法九条の拡大解釈とし、九条は、自衛権に基づくものであっても、戦争や武力の行使は放棄すると明言し、戦力は保持しないとも言っている、したがって、自衛権と結びつけて、直ちに自衛戦力及び自衛隊を憲法の容認するものとみなすのは、憲法の真意を曲げる論理の飛躍というべきであるとし、自衛隊の存在を違憲と言明し、政府見解とは真っ向から対立する意見を述べています。先ほどの政府見解よりも、清宮氏の憲法九条解釈の方がはるかにわかりやすいという印象を感じます。
 確かに、憲法九条では、国が本来持つべきである防衛の権利そのものを否定するという条文はどこにも書かれておらず、自衛権は保持しているとも言えますが、それだからこそ自衛隊を持つべきだとする政府見解はかなり無理があるのではないかと考えるのは私ばかりではなくて、国民みんなが持つだろうと思います。
 しかし、歴代の政府は、憲法九条の拡大解釈だけで自衛隊の存在を認め続け、極めてあいまいなまま、憲法との整合性という根本的な問題を避けてきたのが今現在の状況です。ただし、幾ら憲法の解釈範囲を広げたとしても、第九条そのものを改正しない限り、自衛隊は違憲状態であり続けるのではと思います。
 だからといって、即時に自衛隊の解体という乱暴な論は、現実的には、日本各地に自衛隊の駐屯地もあり、そこで駐留している隊員たちや生活をしている人たちのことを考え合わせれば無理な話であり、余計な大混乱を発生させるばかりになることも考えなければなりません。
 私の意見としましては、速やかに第九条の改正をし、正式に軍隊の創設を明示すべきではないかと思っております。
 国民の間からも、自衛隊の存在は欠かせないという世論もあり、軍隊として正式に承認すれば、今までのような憲法の拡大解釈をし続けることをせずに済むばかりではなく、自衛隊創設当初から行われてきた憲法九条と自衛隊の整合性についての議論も決着することにもなります。それに、先述したように、一九五四年の政府見解でも機会を見て憲法改正を考えたいとしており、今がその機会ではないかと考えます。
 最後に、憲法改正についてですが、最近になって、憲法改正を真っ正面から議論できる環境にはなりました。今回の憲法調査会がその最たるものだと思います。改憲、護憲などの論を持つ人々が議論を重ねることによって、憲法改正をより進めることができるのではないでしょうか。
 先月の二十九日には自民党の憲法調査会が憲法改正要綱案を作成されましたので、これから本格的な改正議論を深めていくことができるものと希望します。
 以上で私の意見陳述を終わります。御清聴ありがとうございました。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、西原一宇君にお願いいたします。
西原一宇君 私は、今までの方々と少し角度が違うんですが、三十四年間教師として教育を見てきた、その観点から、憲法のありようが現在どうなっているのかという点について、意見を述べたいと思います。
 すべての国民に平等な学習権が与えられているのは、学習が原因で不平等が起こることのないようにという平等権を保障するためであり、教育権は大切な国民の権利だったと思います。しかし、憲法が国民に保障する教育権は、それ以外に国民の基本的人権としても大切なものです。国民は、子供のうちからしっかりした教育を施されることで、主権者になったときにもこの権利を正しく行使できるようになるからです。
 国民の子女は、学校で科学的思考をはぐくまれなければ、カルト集団の誘惑に対処できにくい。また、政治の仕組みがわかっていなければ、参政権を行使する年齢になってもその正しい行使は困難でしょう。ところが、現実には、カルト集団の問題、選挙の投票率の低下、少年犯罪、そして所得格差の累年的拡大など、憲法、教育基本法軽視による教育不足の弊害は既に日本社会に満ちあふれていると思われます。
 学校も、現状は憲法違反状態です。その第一は、多数の子供が落ちこぼれ(さされ)、そして一度落ちこぼれると再起が不能の残酷な現実。学校における競争については議論がありますが、私は教育にも競争が必要だと考えます。ただし、必要な競争とは、競争を交えてみんなが成長することが前提のはずです。
 しかし、現状の競争は、子供を選別する手段になっています。子供たちは小さいうちから生き残りゲームで競争させられており、胸が痛みます。もし小中学校で一応すぐれた成績であっても、高校では似たような集団の中で競争に追い込まれる。そして、大学でも就職活動でも激しい競争です。こうして大半の学徒が、学業の途中どこかで落ちこぼれの憂き目に遭うのが現在の仕組みです。
 この落ちこぼれは自然現象でないことは、三浦朱門という人の意見に明瞭です。同氏は、学力格差結構、落ちこぼれはそのままでいい、などと大胆な発言をしています。江崎玲於奈氏は、成績は遺伝子によって決まるのだから早いうちに選別をと、この方針を追認しています。
 この三浦朱門氏は文部科学省の教育課程審議会の前会長で、現行の学習指導要領の編成に大きな影響力を示した人ですが、教育基本法第一条に言う、教育は人格の完成を目指して行われなければならないという精神を理解している人だとは思われません。こんな人を、文部省は、この日本の教育を左右する大事な場面の要職につけてはばからないのです。
 これで明らかなように、大半の子供が落ちこぼれの憂き目に遭うのは、現教育の制度的誤りによるものです。そして、こうした競争体制についていけないで、学校に行きたくても行けない登校不能の児童生徒が全国で十四万人で、この十年間に倍増している、こんな教育の現状を、文部省はおおむね良好と評価しているのです。
 資料には一カ所だけですが、文部科学省は近年、成績以外でもこんなひどい日本の教育の状況を、おおむね良好という評価を連発し、教師や教育関係者を激怒させています。これが違憲でなくて何でしょう。憲法を調査するなら、この差別、選別の教育、その解決法こそ調べてほしいものだ、こう思います。
 子供が学校に入学するというのは、人生でいうたら非常に晴れなことだし、何年も前から待ち焦がれるような状況ですが、実際に入学時が来ても一向に用意をしていない、家庭訪問してみたら、かばんも買うてない、こんな子供も現実にいるんです。憲法二十六条に言う「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」は、そんな子には当てはまらないのでしょうか。これは、家庭が悪いでは済まないと思うんです。
 ところが、現状では、この子は一〇〇%落ちこぼれます。それも小学校の早い段階、遅くとも掛け算が始まったり、そして分数あたりではもう絶対に対応できないだろうと言われています。そういうふうな子がいるのをわかっていながらやっておるわけですから、私は、三浦朱門氏のような考えを文部科学省の教育施策に取り入れることに加担する人々は鬼に見えます。とても全体への奉仕者などと言えるものではないと思います。
 この三浦朱門氏ですが、この人には教科書改善連絡協議会会長という顔もあります。この会は、戦争賛美の歴史教科書として知られる、新しい歴史教科書をつくる会教科書の普及を推進するための団体で、その会長です。愛媛県の加戸知事は、この三浦氏に薫陶を受けたことを自認し、つくる会教科書の導入に邁進していることは御承知だと思います。元文部官僚の知事が、憲法に抵触し、そして熟知しているはずの教育基本法違反を平然と推進することの不当性を、県民の一人として、仲間とともに告発し続けているところです。
 ここで、昨今からの議論の多い学力問題、特に低学力の問題に言及しておきます。
 子供の学力が低下していることは、否定できないと思います。そして、それがゆとり教育のせいだ、現行学習指導要領のせいだ、子供はもっと勉強すべきだとの議論があり、東京の渋谷には、高校生は早く家に帰って勉強しましょうと書かれた大看板ができたそうです。しかし、それは見当違いだと思います。低学力は、今の大学生以上の世代にまで行き渡っている現象です。それは、学校の教育体系で、子供の競争が激化するにつれて深刻になった事項です。
 考えてもみてください。子供たちは、一日じゅう学校で過ごし、だから勉強しているんでしょう、その上で塾で勉強し、さらに家に帰って宿題をする。これが地方でも普通になっているんです。こんなことがそもそも異常ではないですか。それなのに、これだけ勉強させてなお、もっと勉強をふやせというのは、だれが考えてもおかしいことです。
 実は、学校では通塾生の多くは勉強していないのです。塾で既に学習済みですから、授業中は見学している。体育の授業や水泳の授業を見学する、あれと同じです。何をしているのかというと、ここがテストに出るのかな、それをうかがっているだけです。そして、テスト期、彼らは出そうな事項をひたすら暗記します。幾何の証明を一番最初から丸暗記するというんですから、これは大変です。これを勉強だと考えている。だから、子供たちが勉強がおもしろかったり好きになったりするはずがない。
 この覚えた量が、そのときのテストの結果に影響するのは確かですが、暗記した事項の多くは、時間とともに忘れられるのも当然でしょう。何かの都合でテスト範囲が前回と重複すれば、けなげにもまた同じことを暗記しようとする。そして、高校入試の前などには、忘れるスパンがもう少し長くなるような工夫をしながら覚える。もちろん、入試が終わったら忘れてしまいます。そんなことを繰り返しているのです。これでは本当の意味の学力が低下するのは当然でしょう。ましてや、人間に本来的に求められている創造力などが学習の成果として生まれてくるはずがないでしょう。
 これが子供たちの低学力の原因なのです。だから、子供に努力不足を言ったら、一層覚えようとするだけです。彼らこそ被害者なのです。子供たちは今こそ、その本来の姿どおり、小さいうちから時間と空間を与えて思い切り遊ばせるべきだし、彼らもそれを渇望していると断言できます。
 ここで、落ちこぼれの問題で、生活指導と学力指導の問題に触れたかったんですけれども、よく子供を観察しながら丁寧な対応をしてやると子供は一度落ちこぼれても助かる方法があるということを申し上げたかったんですけれども、省略します。
 いつも監視と強圧的な指導をする教師の前では、子供は決して本心をあらわそうとはしません。そして、そういううっせきした気持ちを持ったまま学齢期を終えた者の中から、不幸にして犯罪に加担する者が生まれたとしても、あながち本人だけを責められないと私は思います。だから、少年犯罪のニュースを聞いたとき、多くの場合私は、被害者以上に、罪を犯した少年の方を哀れに思うことが多いのです。彼らは、不幸にして大切なことを教えられなかったのではないかと。
 立ち直ろうとする少年、それが学力でも性向でも同じことですが、これを立ち直らせるのには、子供を取り巻く健全な集団が必要です。健全な集団が、子供を、君もやるな、こういうふうに認めてやることでその本人は自信ができる。ところが、立ち直ろうとしておる子をやゆする、こういうことをやりますと、その子は前向きの姿勢を失ってしまいます。そういうことから見ますと、教師にとっては、ただ教えるというようなこと以上に、子供の集団の中でそれぞれを温かく包む、こういうことが必要なんです。
 教育を語るなら、そんな落ちこぼれや非行生などより、真っ当に育っている者をさらに伸ばすことこそ大切ではないかという考えもあろうかと思います。しかし、終始、真っすぐ、いちずに、失敗の経験がない者がたとえいたとしても、それが本当に社会の役に立つ人に育つでしょうか。一方、迷い、失敗し、そして曲折を経ながら立派に成長した経験者こそすぐれた結果を示すことは、世間の常識だと思います。
 だからこそ、失敗しながら学べる教育指導の必要性が一層大きくなるのです。ところが、今の教育の世界では、失敗が許されず、失敗した者は可能性を生かすチャンスが与えられず、宝を埋めたままにしているような現在の制度を私は心配しておるわけです。
 そういう点から、結論としまして、要するに、憲法の改正の論議なんかよりも、憲法を現在の憲法の精神どおりまず実行せよ、そのための調査をしっかりしてほしい、こういうふうに申し上げたいと思います。
 政治家が一人もいない明るい社会というざれごとがあります。結構受けています。元参議院議員の秦野章さんは、政治家に正義を期待するのは八百屋さんで魚を探すようなものだと述べています。私にこの場に発言のチャンスを与えてくれて、これは大変ありがたいと思います。知人の協力などを得ながら精いっぱい準備してきましたが、私の陳述はもしかすると八百屋さんでの魚探しだったのかもしれません。しかし、市民の心ある思いを、ほんの一片でも酌み取っていただきたい、こういうふうに思います。
 以上で終わります。
中山座長 拍手は御遠慮願います。
 ありがとうございました。
 次に、坂上ハツ子君にお願いいたします。
坂上ハツ子君 坂上でございます。
 発表の機会を与えていただきまして、ありがとうございます。
 私は、無党派です。
 私の生まれは徳島ですが、東京で家庭と仕事を両立させながら定年まで働き、平成五年、高松へ転居。以来、地域にどっぷり浸り、住みよい町づくり、暮らしづくりに微力をささげている全日制住民でございます。
 戦前戦後から平成の今日までの私の歩みを通し、世界のだれもが命の安全を脅かされることなく、人間らしく生き合うことができる保障、すなわち安全と人権の保障は必須不可欠と、いたく強く認識しておりますことから、非常事態(安全保障を含む)と憲法について、意見を述べさせていただきます。
 まず、この作業で踏まえておきたいことは、憲法についてでございます。
 憲法は、国家の統治体制の基礎を定める法、国家の根本法と辞書にありますが、国のあり方の根幹に係る最高のおきてであること。そして、我が日本国憲法は、前文で主権在民、平和の維持、人権尊重を高らかにうたい、国際社会で名誉ある地位を占めたいと思うと述べていますこと。加えて、どのようにして憲法がつくられたのかということでございますが、詳細は、当時草案作成にかかわりましたGHQのメンバーの一人でありましたベアテ・シロタ・ゴードンさんの著書「一九四五年のクリスマス」に記されておりますが、貧困や不平等や戦争のない平和な国づくり、世界づくりへ熱い思いを込め、寝食を忘れた努力のもと、世界に誇る人権と平和の憲法が誕生したことでございます。
 なお、ベアテさんは、この調査会関係で来日されましたほか、平成十年には高松市女性センター主催の男女共同参画推進講演で憲法草案作成に係るお話をされ、万丈の大きな共感と感動を呼びました。これは、憲法を見直す上での大きな足場と考えます。
 次に、テーマにつきまして、私の意見を述べさせていただきます。
 冷戦時代は終わり、一見、国際社会は安定した秩序を確立してきたかに見えましたけれども、残念なことに、衝撃的な米中枢同時テロ、日本の周辺でも北朝鮮の核開発、工作船事件やミサイル発射などが起き、一段と緊迫の度を増しております。また、日本を取り巻く安全保障環境も大きく変化しつつあります。
 その一方で、国の基本法制であります憲法は、五十六年前に施行されて以来今日まで、一度も改正されたことがありません。憲法の規定と現実との矛盾は、年々深まっているのではないでしょうか。憲法解釈に固執し続けることにより、安全保障の面で国益を害する事態が生まれております。
 例えば、持っているが使えないという集団的自衛権に関する内閣法制局の見解が端的な例でございます。日本は、アフガニスタンにおける国際テロとの戦いのため、自衛艦をインド洋に派遣し、米軍などへの支援を今も続けておりますが、これは集団的自衛権の行使だと思います。
 加えて述べさせていただきますが、国民の血税を搾り出し、百数十億ドルという巨額の財政支援をしましたのに、日本は小切手だけ切る国と言われました湾岸戦争、それから弾道ミサイルを撃ち込まれた際への自衛隊の対応に関し、最初は災害派遣を命ずるしかないなどは、対処が急がれる重要な課題であると思います。
 安全保障理事会は、フセイン政権に対する武力攻撃に踏み切った米英両国と、それに反対するフランス、ドイツ両国などの対立で、機能不全を露呈しました。小泉首相は、武力行使容認の新たな国連決議が採択されなかったにもかかわらず、米国を支持されました。国連決議を無視し続けたフセイン政権に非があることとあわせ、核開発を進める北朝鮮の脅威を念頭に置いたからだと思うのでございます。これは、正しい判断だったと思います。
 だが、イラクの戦後復興への自衛隊派遣に関しましては、国連決議を前提とすべきだと、きのうNHKの「日曜討論」でも論議されておりましたが、これは、自衛隊の活動はできるだけ抑制すべきだといった憲法解釈操作に基づく戦後政治の伝統的発想から今なお脱却できないでいることを物語るものだと思います。
 安全保障など、見直しを急ぐべき分野は当面解釈変更に対応するにしても、いずれは改正が必要になるのではないでしょうか。三日前、日本が他国から武力攻撃を受けた場合の対処方針であります有事法案が与野党の賛成多数で可決成立しましたことは、時代の流れであり、当然だと思います。
 読売新聞の「「憲法」本社全国世論調査」が昨年の三月二十三日から二十四日にかけて行われておりますが、その結果によりますと、憲法改正とそのための手続整備に賛成する人が約六割、賛成が六年連続で半数を超えております。
 改正の理由で最も多いのは、今の憲法では対応できない新たな問題の存在となっておりますが、回答者の、法体系の中での憲法の位置づけ、根本法であることによる読み方やリーガルリテラシーの問題などは、気になるファクターです。一般に法令等の解釈は難しく、憲法となりますとその道の専門家の意見も同じではなく、正直言いまして私にはさらに難しく感じますが、この調査結果からも、憲法改正論が国民の間に広く定着したことはもはや明らかであります。
 国家の課題は全国民の課題であり、主権者の理解がまずもって重要と考えます。どこがどのようにふぐあいなのかなど、具体的に意見を交換し、考え合うことで、理解が進み、すぐれた力強い合意形成に結びつくであろうし、このような場を計画的、発展的に推進、展開すべきと思います。法をつくるのも、使うのも、そして生かすのも人であり、内外の情勢、ニーズに柔軟に対応し、役立つものであることは当然と考えます。
 それでは、いかに対処するかでございますが、時代の潮流から、国際社会との協調、連携の重要性を踏まえ、国内法と国際条約との連携対処が適切と考えます。それから、憲法をどう考えていくかは国の将来像を描くことでもあり大切ですから、いま一度国民が主権者として憲法をしっかり読み解くべきだと思います。
 平成十一年六月公布、施行の男女共同参画社会づくりへの男女共同参画社会基本法制定の取り組みは、参考になる好例と思います。男女共同参画社会基本法は、世界女性の憲法と言われる国連女子差別撤廃条約の批准のもと、男女雇用均等法、DV法などの個別法を整備しつつ、国際的達成評価をあわせ、着実にその力を発揮しております。
 非常事態の概念や枠組みの明確化も求められるところですが、国の独立、国民の生命財産を脅かす事態などを想定いたしまして、国連決議に基づく、国際協力を組み込んだ国家安全保障基本法制定の検討を意見に添え、提案しまして、私の発表を終わらせていただきます。
 御清聴ありがとうございました。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、鹿子嶋仁君にお願いいたします。
鹿子嶋仁君 香川大学の鹿子嶋でございます。
 私は、日ごろ行政法を研究しておりまして、憲法専攻ではございませんが、高松市や香川県の審議会等において地方行政に関する若干の経験をさせていただき、また、善通寺市では、現在、自治基本条例の策定というお手伝いをしているところでございます。そういったことから、本日は、地方自治に関する部分で、日本国憲法について私見を述べさせていただきたいと思います。
 現在、平成の大合併と称せられる市町村合併が進行しております。香川県においても幾つかの合併が成立し、また、複数の地域で合併議論が進行中です。
 今回の合併は、地方分権の推進に伴い、地方への権限移譲により新たにもたらされる事務を処理する能力あるいは財政力を向上させる、いわゆる分権の受け皿として進められているということが言えますけれども、実際、今後の自治機能の維持のために合併が必要であるとの判断に至った地域もあり、また、議論の末、合併に至らない結論となってしまったところもございます。しかしながら、単に市町村合併ということで規模を拡大すればよいのかというと、それはやはり、自治という観点からおのずと限界があると私は考えます。
 最初に述べましたとおり、私は現在、善通寺市で行われている自治基本条例制定のお手伝いをしておりますが、そこでは一般市民と行政職員がワークショップの形式で共同して条例づくりを進めております。
 北海道のニセコ町の条例を先駆として、今、各地でその策定が広がりつつある自治基本条例でありますが、その核心は、住民の意見が自治体の意思決定に反映される仕組みをつくる、つまり住民自治の具体的な仕組み、そのルールを定めるところにあるのだと私は考えています。
 そのような作業にかかわらせていただいている中で、私自身、感心させられたり、あるいは非常に興味深く思った点がございます。二つほど述べさせていただきます。
 まず一つ、市民の方々は、現在の自治体の厳しい財政状況をかなりはっきり認識しておられます。そこで、従来のような行政に要求ばかりしている市民ではだめだ、それゆえ、むだなものがないか、あるいは節約できないかを監視するために、予算作成段階から住民参加が必要である、このような意識のもとに住民参加の意義がとらえられており、市民像というものがかなり成熟した段階に来ているような印象を受けました。
 それからもう一点ですけれども、善通寺市をさらにブロックに分けて、地域ごとに問題を考え、意見を集約する仕組みが必要であるといったような意見がそのワークショップで出され、議論されています。具体的には、既存の自治会を再生あるいは活性化して、新たな地域コミュニティーを創造するという仕組みとして考えられているわけです。
 特に、二番目に述べました点ですけれども、現在、自治を取り巻く状況としては、一方においては合併という規模拡大の方向があり、しかしながら他方では、地方分権をさらに進めた地域分権とでもいうべき地域の細分化という、二つの正反対の動きが同時に進行しているという状況にあると言えます。
 私は、もちろん、財政問題、行政能力という観点からの合併が必要となる場面が、これは確かにあるということは考えられるんですけれども、同時に、住民自治を実現化する、あるいは実質化する取り組みが伴わなければ、これは非常に危ない状況ではないかと考えます。そうでなければ、地方公共団体は残ったけれども自治は消滅したということになりかねない、そういう危惧を抱きます。
 この点に関連して申し上げるならば、憲法において、基礎自治体の重要性を明確に打ち出して、これを位置づけるような規定、あるいは住民自治を実質化するような手がかりとなる具体的な規定が必要ではないか、そのように考えます。その観点から見ますと、現行の憲法の規定で果たして十分かと問われますと、若干心もとないというのが率直な感想です。
 以上のような観点から、憲法における地方自治の定め方につき、幾つか私見を述べさせていただきたいと思います。
 現行憲法は、第八章に「地方自治」の規定を置いております。しかし、わずか四条のみの簡潔なものです。また、その表現や文言が地方自治の実現において十分なものであるかというと、幾つか問題を感じます。
 まず、九十二条に、「地方自治の本旨」という重要な文言が出てまいります。しかしながら、これが具体的に何を意味するものであるか、文言だけからでは定かではなく、その中身は解釈によらねばなりません。一応、憲法学においては、これを団体自治と住民自治という二つから説明するわけですけれども、憲法上の文言として、より明確な自治の基本理念、指導原理をあらわすことが必要ではないかとの意見も当然ながら出てまいります。
 団体自治それから住民自治という二つの要素から成り立つと理解されてきた憲法上の自治原理については、憲法規定あるいは地方自治法等によりこれが具体化されることになります。しかし、住民自治についていえば、例えば首長や地方議員の選挙、あるいは、これは自治法にありますけれども住民の直接請求権といった幾つかの仕組みを除いて、この住民自治を実現する具体的な内容というのはほとんど見られません。住民自治、すなわち住民の意思に基づき地方行政を行うということが実際にはほとんど実現されてこなかった点が、戦後、我が国の自治制度の根本的な問題点であろうと考えます。
 先ほど述べました自治基本条例というものは、戦後スポイルされてきた住民自治の実質化を図るという動きである、そういうふうな位置づけが可能ではないかなと自分では思っています。この点は、条例のレベルにのみ任せられる問題ではなく、むしろ自治の基本理念として憲法上明確に打ち出されるべきではないかと考えます。
 ところで、憲法九十三条二項は、首長の公選制という、国とは異なる仕組みを置いています。あるいは地方自治法における直接請求権、これらの規定というのは、直接民主制の性格を有するものです。しかしながら、憲法九十三条一項は、同時に、国と同様の議会制の規定を置いております。果たして地方自治が、間接あるいは直接、いずれの民主制が基本であるのか、学者の間でも見方が分かれるところです。この問題は、例えば住民投票の是非などが議論される際にも必ず問題として浮上してまいります。住民投票に限らず、地方自治を論ずる際、さまざまな局面でつきまとう問題です。
 私は、国と自治体とでは、規模という観点から、おのずと民主制の姿も異なったものであるということが自然ではないか、地方自治においては直接民主制が基本であり、この点を明確に憲法規定に打ち出す必要があるのではないかと考えます。
 次に、基礎自治体の強化という観点から、三点ほど、自主立法権にかかわる問題、自主課税権の問題、行政組織権について、簡単に意見を述べさせていただきます。
 まず、自主立法権についてであります。
 現行憲法には、「地方自治」の規定の部分ですが、「法律でこれを定める。」とか「法律の定めるところにより、」といった文言が非常に多用されております。もちろんこれは、連邦制とは異なり、単一の国家主権から地方制度も法律で定められるという流れの中から出てくるものですけれども、現行の憲法の表現では、あたかも地方政府が中央政府の下に置かれる、あるいは条例が法律の下位にあるといったような印象を与えます。
 国と地方は、異なる任務を処理するものとして対等であり、また、法律と条例も原則的には対等のルールであるという位置づけがなされるはずです。憲法九十四条には、「法律の範囲内で条例を制定することができる。」とありますが、これも決して、条例が法律の下位のルールであるといった意味ではなくて、法律と条例との矛盾を回避する、一種の交通整理的な規定にすぎないと私は考えています。
 ところで、近年、地方分権一括法により地方自治に関する大きな法改正がありました。地方自治法も、機関委任事務の廃止や国の関与のルールを定めるなど、重要な改正が施されています。その中で、現行法により、自治体の条例制定権が拡大されたということがよく言われます。
 今回の自治法改正においては、自治法の二条の十一、十二、十三項で、法律と条例との関係に関する重要な規定が盛り込まれています。
 概略申しますと、地方公共団体に関する法令制定においては地方自治の本旨に基づくこと、既存の法令の解釈、運用においても同様であること、以上のことは自治事務に関して特段の配慮が必要であること。総じて、今述べました法律の立法、解釈、運用指針であるわけですけれども、問題は、今後の立法はともかく、既に制定されている多数の法令が自治の極めて細かな部分まで規律しているという点でございます。これまで、法律がどこまで自治事項を規律できるか、明確なルールがなかった結果でもあります。
 その点で言えば、今述べました自治法二条の条項は重要な原則であるのですけれども、法律と条例との関係の基本原則、すなわち国内法秩序の原則的な部分に相当しますから、これを憲法に盛り込むということも十分考えられるのではないかと思います。少なくとも、現行規定の法律により云々という表現は改められることが望ましいと考えます。
 次に、課税自主権についてであります。
 これは実は、現行憲法九十四条において、「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を」有するという規定がございまして、ここから解釈として導き出されています。しかしながら、課税自主権についても、より明確な形で憲法にその存在を規定すべきであろうと考えます。
 三つ目として、行政組織権限についてであります。
 憲法九十二条は、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」としており、実際に、地方自治法が自治体の行政組織につき細かな規定を置いております。
 しかしながら、果たして地方自治法での一律の縛りが本当に必要であるか、個人的には疑問に思います。一定の組織権限が自治体に認められるべきであり、例えば、議会とは別途に、意思決定機関としての住民総会のようなものを正式に位置づけることが可能になるような仕組みが望ましいと考えております。
 以上、住民自治の実現及び基礎自治体の強化という観点から、現行憲法に不足すると思われる部分を述べさせていただきました。
 最後に、憲法改正の必要性という点について述べさせていただきます。
 一つの知見として、余り具体的な規定を憲法に設けることは、時代の変化に対応できる柔軟性を失わせる、それゆえ得策ではないという見方があろうかと思います。また、住民自治の実現も、現行憲法あるいは法律レベルにおいて十分可能であるという見方もあろうかと思います。確かに、地方自治法をさらに改正し、あるいは地方自治基本法といったような性格の法律につくりかえるという方策も考えられます。地方自治基本法というのは、個人的には非常に魅力的な考え方であると思うんです。しかしながら、同時に、憲法規範においても自治の理念や原則的な部分をより明確に定めておき、確固とした立法の指針を打ち出す必要があるのではないか、そう考えます。
 例えば、さきに述べました法律と条例との対等関係という問題については、自治との関係から、国の立法権限を制限するという手法もあり得ることが指摘されています。これは、国と地方の役割分担を明確化した上で、国が法律で規律し得る部分を限定しようという考え方であろうと思います。現行の地方自治法一条の二の二項でも、国が処理する事務が列挙され、国と自治体の役割分担を踏まえた国の関与が要求されているわけですが、このような原則的な部分も憲法規範として位置づけるのが適当ではないかと思います。
 以上、余りまとまりのない内容でしたけれども、地方自治といいますと、つとに道州制の導入といったような議論が表立って目立つのでございますけれども、私はむしろ、住民自治の拡充とか基礎的自治体の強化、これこそが日本再生のかぎを握る部分ではないかな、そのように日ごろ考えております。そこで、憲法における地方自治規定の発展に期待し、つたない意見を述べさせていただきました。
 どうもありがとうございます。
中山座長 ありがとうございました。
 以上で意見陳述者からの御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
中山座長 これより意見陳述者に対する質疑を行いたいと存じます。
 まず、派遣委員団を代表いたしまして、私から、社会保障の今後のあり方について参考人の御意見を伺い、その後、委員からの質疑を行いたいと存じます。
 御案内のように、憲法には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」こういうふうに明記されておりますし、また、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定しております。
 こういうふうな憲法のもとで、日本のこれから先の形というものはどうか、日本の形はどうなるかということを人口学的に調査しております厚生労働省の人口問題研究所の予測では、これから高齢者がさらにふえてくると。すなわち、男女とも余命は世界一でございまして、女性は平均八十四歳、男性が七十七・五歳ぐらい、こういったような長寿国になったわけでありますが、一方、この長寿の人たちに必要なものは、やはり医療と年金、福祉の問題がついて回るわけであります。
 ところが、その基本を支える生産年齢人口がこれから減少を始めてくる、少子化社会がやってくるわけでありまして、そういう中で、これに必要な税あるいは保険料というものがどうなっていくのか、こういうふうな議論がいろいろ行われ、また、国民の間には、将来の年金はどうなるのかという不安が持たれている当今でございます。
 これからの社会保障のあり方について、参考人の皆様方から率直な御意見を伺えれば、まことにありがたいと思います。
 それでは、草薙順一さん、お願いいたします。
草薙順一君 突然で、非常に難しい問題を投げかけられまして、正直言ってちょっと戸惑っております。
 これからの日本は、高齢化社会そしてまた少子化の時代、これはもう世界じゅうにない、日本だけが突入しなければならないところになったということだと思うんですよね。この問題につきましては、先ほども中山会長がおっしゃいましたように、一体年金がどうなるのかということが非常に不安、そういう問題を抱えておりまして、そうすると、そこには社会保障を支えるところのお金というものがどうしても要るわけでございます。そのお金をどうやってつくっていくのか、健全財政を国政として考える場合、どうするかということが大きな問題だと思うんですね。
 そうすると、やはり私は、一つには、今問題になっている国防費、自衛隊に今五兆円近くのお金を使っている、あるいはまた、思いやり予算で多額のお金をアメリカに援助しておるということについて、そういうお金を削減する。そしてまた、行政組織というものについて、政治についての、行政関係についてのお金も削減する。そしてまた、やはり一番大きな問題は、消費税をどうするかという問題になってくるんじゃないか。ですから、私自身の考えは、将来、消費税というものはできるだけ抑えたところで考えていかなければならないんじゃないかというふうに思います。
 いずれにしろ、富の分配をどうするかというのは、これから私も考えていかなければならないというふうに思います。
 以上です。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、根本博愛君。
根本博愛君 今の御質問、大変重要な、しかも憲法の根幹にかかわる生存権の問題ですね。私は、まず基本的に、従来のような大量生産、大量消費、大量廃棄、こういう経済的循環というのは、もはや限界に来ているだろうというふうに思います。
 それで、高齢者は社会の隅に行って、施設に行ってケアするというんじゃなくて、高齢者も例えば一日二時間なり三時間なり働く、もちろん若い人も働くんですけれども。ですから、生産年齢人口が少なくなってくる、高齢社会になってくる、大変だということですけれども、そんなに大変じゃない。高齢者も働くという場をつくっていくことが大切だろうと思います。
 それから、これから恐らく、もう少し規模の小さい、自然を生かした、循環型のそういう経済にゆっくり切りかえていくということが、地球資源の有限性ということから考えても言えるんじゃないかというふうに思います。特に日本は、原材料のほとんど大半、それから食料は今六〇%が輸入、エネルギー資源も九〇%輸入に頼っています。そういう状況ですから、先ほど来、九条との関係が出てくるんですけれども、戦争とか軍備に使う、これはある意味で最大の浪費だと思います。そして、戦争くらい大量人権破壊ということはないわけですから、何とかこれはやはりそういう方向に行かないように考えていかなければいけない。
 僕は、今の御質問を聞いた瞬間浮かんできたのは、今大変注目されていますけれども、コスタリカの例ですね。あの中米の小さな国が、人口約三百八十万ですけれども、四国よりもちょっと小さいぐらいですよね。ここは一割、難民や移民をちゃんと抱えている。この五十年間、軍事費をゼロにして、米国の基地要請をもはっきりと断って、国家予算の四分の一を教育費に充てている。だから、識字率も平均寿命も国内総生産も中米一位だと言われている。こういう人権尊重の志と、世界にもまれに見る豊かな自然環境を大事にしながら、武力なき平和がこれからの国際社会の進路だ、そういうことを誇りを持って、ある種、品位のある国のあり方を示している。
 私は、我々は日本国憲法九条を持っていますけれども、コスタリカはまさにこの九条の趣旨を実行していっている、すべてじゃありませんが、一つの重要な参考ではないかというふうに考えています。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、高木健一君。
高木健一君 若い世代から見たら、年金制度といったら随分先の話のような気がして、全然ぴんときませんけれども。
 いつまで年金制度がもつのかわかりませんけれども、やはり年金制度はあると思うんですけれども、その財源には限りがあると思うので。軍事費の削減というのも一考ではあるんですけれども、それも限定的なことしかできないと思うので、根本的に財政という感じでするのであれば、やはり消費税の税率アップはしようがないと思います。スウェーデンの例まではいきませんけれども、現行の五%では到底足りませんよね。やはり税率アップしかないのではないかというのが私の意見です。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、西原一宇君。
西原一宇君 団長さんの発問を聞いて直観的に考えるのは、答えがもう一定の方向へ行きそうだという気がするんですけれども。私、全体的に、議論をするということは現状を否定するということとは違うんじゃないかと思うんですね。現状の憲法なりをどう生かすかという側面も必要だと思うんです。
 その点で、御質問に私の見解を加えますと、一つは、私もその仲間の一人なんですけれども、年金生活者なんかがふえて若い人が減って今後大ごとになる、これはかなり前から言われてきたことではあるんですが、数字的にはそういうことは言えないというデータがあるはずです。
 生産年齢人口と老年人口を比較する、これだけやっておるけれども、若い人や学生、こういう年齢と老年人口を加えたものを生産年齢人口で割るんですね。それで年寄りと子供なんかを入れた人数を割ったら、今後ずっとほぼ変わらないというデータがあることを、何だったら調べてみてください。間違いないと思います。
 もう一点は、私たちは、言うたら非常に賢い日本人だと思っています。だから、そういうふうな場面に置かれたら、それなりの工夫で乗り切る方法があると思うんですよ。
 具体的に言いますと、即消費税にいく話ではないんです。私が教員で三十代のころ、これは人事院勧告なんかでも物すごい月給が上がる時代だったんですけれども、人事院勧告で上がったほど月給が入ってこない。おかしいなと思うて調べてみたら、結局、将来あなたたちの退職後の時代には年金なんかが非常に厳しくなるから、今から余分に取っておく、こういうことを言われていました。ところが、現実には、年とってから、その蓄えた年金は今もふえよるそうですけれども、それは全然別のところへ置いておいて、そして議論しておるじゃないですか。老人化社会どうするのか、こういう議論をしておるじゃないですか。
 そうじゃないんですよ。私たちが蓄えた分をどう使うかも議論の中に入れてほしい。私、これが言えるとは夢にも思うていなかったんですけれども、非常にうれしい機会ですから、ぜひその検討をしてください。現実には、そのお金を株価対策というて使うて、年に何兆円という損害を出しておるじゃないですか。私は、この株の損害を出した人を公務員の損害責任で訴えてみたいというぐらいな気持ちがあります。
 そして、もう一つ、スウェーデンなんかの例を見ても方法はあると思うんですが、はっきりしておるのは、企業負担がどんどん減っていますね。企業の年金や何かに対する負担がどんどん減っています。
 というようなことを含めて、国民が知恵を出し合えば、必ずいい方法がある、今後の社会はそんな悲観的なものじゃない。ただ、今の方法でそのまま行ったら、これはえらいことになるなという思いはあります。
 以上です。
中山座長 ありがとうございました。
 坂上ハツ子君。
坂上ハツ子君 私は、ずっと働いてきた者として言わせていただきますが、農村の方も漁村の方も、女性は年金をいただくために税を納めています。ですから、サラリーマンの主婦も税を納める姿が望ましいと思います。
 その理由を言いますと、先ほどの人口問題とも絡んでまいりますが、合計特殊出生率、六月六日の新聞によりますと、一・三二で過去最低でございます。
 それから、もう一つは、それに絡みますけれども、育児休業の取得率ですけれども、これに男性がかかわっているのは、厚生労働省の調査で、三十人以上の事業所で、育児休業を取得した社員が男性二・四%しかないわけです。女性が今高学歴化してきていますし、女性も、男性並みに働きたい人もだんだんふえております。ですから、先ほども申しましたが、男女共同参画社会づくりをまず大事にしていただきたいと思うんです。
 それで、今、育児休業をとりますと、現行の賃金四〇%が必要だと私は思うんです。未来の日本を支えるのは人材であり、子育て支援というのは未来への投資であり、未来への投資を怠る国に将来はないと思います。
 以上です。
中山座長 ありがとうございました。
 鹿子嶋仁君。
鹿子嶋仁君 社会保障制度、一番問題は、もちろん財源の問題、これが、今後制度が維持できるかどうかという点でしょうけれども、私は先ほど地方自治という観点から意見を述べさせていただきましたが、社会保障制度は一応、憲法二十五条、生存権規定では国の責務となっていますが、社会保障制度を現実に実施している大きな部分というのは実は地方自治体も担っております。そういった意味で、実は社会保障制度のあり方というのは、単に国家だけでなく地方自治の問題とも絡んでまいります。
 そんな中で、私が一つ、最近特に注目して見ているのは、介護保険制度の導入とその後の動きでございます。実は介護保険制度というのは、まず仕組みというのが、従来なかった新しい試みであるということはかなり注目に値するのではないかと思います。しかしながら、そういった形で導入されました介護保険制度も、実際にそれが運用されてどうなっているかという点を今検証する段階であろうかと思います。
 実は介護保険制度というのは、市町村合併を推し進める一つの理由として、介護保険制度を実施するために市町村合併が必要だという国の主張のもとに位置づけられたこともありまして、市町村合併などとも非常に密接に絡んでいます。もちろん、福岡県のように広域連合の巨大な形で対応している例もあり、対応はさまざまですけれども、しかしながら、果たして介護保険導入後どのような実態か、あるいは市町村合併を行ったところで、そういった介護保険のサービスの実施状況、水準、レベルがどうなっているかなんということは、今から細かく検証していき、問題があればこれを改善していくという段階にあろうかと思います。
 例えば、公共性の意義であるとか意味であるとか、あるいは、社会保障に関してはどこまでが公が負担してどこから民間か、そういった非常に抽象的な議論があり、実はそこに私自身も、行政法という立場から個人的には非常に興味を持っているんですけれども、なかなか抽象論でこれを片づけるわけにはいかないという気持ちが最近しておりまして、今述べました介護保険が実施、導入されてからそれ以降の具体的な個別の検証に基づいて、今後考える基礎を見つけていきたいな、そういうふうに思っております。
 お答えになっているかどうかはちょっとわかりませんけれども、以上であります。
中山座長 ありがとうございました。
 以上をもちまして、私の質疑は終わります。
 次に、質疑の申し出がございますので、順次これを許します。平井卓也君。
平井委員 自由民主党の平井卓也であります。
 きょうは、皆様方、本当に貴重な御意見を聞かせていただきまして、ありがとうございました。
 まず教育の問題、そして地方自治の問題、時間があれば安全保障の問題に入りたいと思いますが、時間が限られておりますので、お一人ずつお聞きしたいと思います。
 まず西原さんに御質問をさせていただきたいと思いますが、私自身、憲法を土台とした不毛な教育権の論争というものが今日の教育の荒廃を招いた原因であると考えています。
 教育権というのは教師にあるだけではなく、親であったり、大人であったり、地域社会であったり、国家など総合的な視野で考えるべきものであると私自身は考えています。また近ごろ、学級崩壊や犯罪の低年齢化に見られるような社会的規範の崩壊は、戦後の占領政策を背景に、戦前のよき価値をも否定し、個人主義のみを強調してきた教育に根源があるとの指摘もあります。
 また、ことし三月に出された中央教育審議会の答申が、教育基本法の見直しを求め、新たに規定すべき理念として、国を愛する心、公共の精神、伝統、文化の尊重等を挙げていることも踏まえて、西原さんの今後の教育のあり方についての御意見を伺いたいと思います。
西原一宇君 教育の権利についてですが、いろいろな考えもあろうと思いますけれども、私が申し上げたのは、終始子供の権利のことを申し上げました。
 中学生の指導をずっとしてきて、実は、子供が本当にうめきよるんです、うめいて呻吟しよる、その状態を知っていただきたい、こういうことでありまして、国家の教育権、親の教育権、その他というように並列に考えて言ったものではございません。現状をぜひ見ていただきたい、こういうように思います。
 それから、国を愛する心、二番目何やったですかね。平井先生、済みません。
平井委員 公共の精神、伝統、文化の尊重、国を愛する心等々が新たに規定すべき理念として挙げられていますが、どうお考えですか。
西原一宇君 国を愛する心は当然私は必要だと思います。思いますが、これも言い尽くされたことですけれども、強制されるような性質のものじゃないですね。これは自然の教育の中ではぐくまれる性質のものです。もし現状の日本を愛する子供が生まれたとしたら、こいつはちょっとおかしいと私は思いますよ。だって、こんなひどい国、愛していいですか。私は、本当に日本が現在は悪くてもいい方向へ向かっていたら、子供は絶対変な考え方にはならないと思うんですよ。ところが、それがないまま子供に押しつけようとするからややこしい問題が起こってくる、こういうことだと思います。
 二つ目も的確なお答えができると思ったのですが、何か聞き落としたみたいで、済みません。
平井委員 時間が限られておりますので、もう結構です。
 それでは、地方自治に関してお聞きをしたいと思います。
 私も先生のお考えと非常に同じような考えを持っておりまして、日本国憲法における地方自治の本旨という言葉の意味、これが私自身非常にあいまいなのではないかなというふうに思います。
 先ほど鹿子嶋先生が、団体自治、住民自治のことについてもお触れになりました。団体自治というのは、国から相対的に独立した団体として、自己の意思と責任を持って公共事務をするということであり、住民自治というのは、やはりベースには地方の自立の精神というものがあるんだと思います。
 そこで、地方自治の実質化ということを考えたときに、この地方自治の本旨という言葉の意味、これが非常にあいまいだと私は思っていますが、鹿子嶋先生はどのようにお考えでしょうか。
鹿子嶋仁君 地方自治の本旨というものは、私が意見陳述で述べたとおり、実はこれは、憲法上解釈として、団体自治それから住民自治という二つの要素から成り立つというふうに解釈されます。
 ただ、これは、一般の方が通常この地方自治の本旨という言葉を見たとしても、果たしてそれが何を意味しているのか、多分にわかには理解できないのではないか。よりわかりやすい言葉に置き直した方がいいのではないか。問題はこれをどういう言葉で置き直すのがよいのかということですけれども、どうしても抜けては困るのは、地方の行政等が住民の意思に基づいて行われる、そういったことが明確になるような表現が必要であろうかと思います。
 それから一方で、実は私は、先ほどの説明では住民自治のところを述べまして、団体自治に関しては余り述べていないんですけれども、国からは独立した法主体が地方の行政に当たるということは、言いかえれば、国の利益とは違う地方の利益を主張する場がきちんと確保されるということであろうと思います。
 その観点からいいますと、実は、私は、道州制、この道州制というのもさまざまな意見がございまして、一概に道州制という言葉一つで片づけられない難しいところがありますが、果たして道州制というのが、今言いました国の利害と異なる地方の利益を保護するのに役立つという意味での団体自治を体現できるかという点には、若干疑問を持っていたりもします。
 もっとも、今言いましたように、道州制といっても連邦制に近いような考えもございますので、一言でなかなか片づけられないんですが、そんなところでございます。
平井委員 私は、地方自治に関して最近問題意識として持っているのは、地方自治体の効率的で多様な業務執行を拘束する状況があるのではないか、それと、住民に明確に情報が開示されていないのではないか、あとは、税源移譲、補助金、交付金の問題等々は今新聞等々でも書かれています。また、地方分権と地方の自立、地方の行政改革、言いかえれば身の丈に合った地方行政というものを考えてきたときに、やはり地方の財政状況というものが非常に大きな問題になってくると思います。
 それと、直接いろいろな市場から地方自治体が資金を調達できる方法がないか、合併というものの本質の議論は何か、地方自治体が収入をふやして費用を削減することのインセンティブというものは何か考えられないかなというのが私の日ごろの考え方、問題意識であります。
 そういった中で、地方の財政がここまで悪化したということの理由には、やはり機関委任事務の仕事に縛られて、財源に縛られて、一方で国の景気対策の実行部隊としてつき合ったというようなところもあると思います。
 一方、事業評価を行ったり、組織や機構を簡素にして職員定数を大幅に減らすというような恒久的な改革に踏み込むということにはなかなかならないんだと思うんですが、今ちょっと私自身が考えておりますのは、昭和三十年に設置されております地方財政再建促進特別措置法、つまり地方における会社更生法のようなものでありますが、これはつまり、前年度決算の赤字比率が都道府県ベースで五%以上、市町村で二〇%以上のところが基本的に地方債の制限等を受けて再建をしていくというスキームでありますが、会社更生法と違うのは、要するにそこの首長も職員もそのままであるということであります。
 一方、アメリカの連邦破産法というものを考えてみますと、それは二通りの考え方がありまして、破産管財人が入ってすべての権限を持つ場合、また首長、議長の位置づけは変わらず入る場合、これも道州制の問題と絡めて、日本と全く同じ状況ではないと思うんですが、例えば再建団体に日本の地方自治体が一斉になった場合、これは逆に言えば国は破綻するわけで、国が地方を助けなければならないという義務はどこの法律上にあるわけでもないわけです。つまり、住民に迷惑をかけずに、短時間で地方自治体が再生できるようなスキームというものを今後やはり考えていかなければならないのかなと思うんですが、先生の御意見はいかがでしょうか。
鹿子嶋仁君 いろいろ、なかなか専門的なお話で、私の知識で十分に答えられるかわからないんですけれども、財政再建団体、現在のところ、小さな自治体が幾つか例があります。実を申しますと、財政再建団体に指定された自治体の方が、住民が自分たちの自治体の財政状況に気がついて、本当に住民自治に目覚めるといったような例もありまして、何か皮肉な結果なんですけれども、しかしながら、現在、財政状況でいいますと、もちろん大都市部分も大変危ない状況であることは間違いないと思います。
 お話のとおり、一度に多くの自治体が財政再建となると大変国が混乱しますので、これは何らかのセーフティーネットのような方策を考えておく必要があるのかなと思います。具体的に、私は、今すぐにどういう方策が考えられるか、よいかというのはすぐには思い浮かびませんけれども。
 ただ、おっしゃるとおり、いきなりどっと崩壊が来るというのは、実際にそれがどのくらいの蓋然性があるかですが、その前にできるだけの手を打っておくということで、そのためにも情報公開、それから住民参加、特に、例えば予算編成、それから執行状況の評価、この段階で住民参加を広げていくといったような、地道ながらもやがて実効性を上げていくような努力がまずなされるべきであろうと思います。
 以上でございます。
平井委員 それでは、憲法九条についてちょっとお聞きしたいと思います。
 草薙さんにお聞きをしたいと思いますが、やはり九条をめぐる論議は、神学論争と称されるように、国民にとっては非常にわかりにくいものになってしまったと思います。急激な国際状況の変化のもと、これまで安全保障や国際協力の分野で必要に迫られるたびに九条をいわば弾力的に解釈して法整備を図ってきたというふうに思うんですが、今後このような対応を続けることにはやはり限界があると私は思っています。
 また、調査会で前文や九条について十分に議論をして、国民の意見を踏まえて、我が国の安全保障や国際協力に対する考え方を明確にした上で、自衛権や自衛隊の位置づけ、国際社会における日本の貢献等を憲法に規定し、国際社会からきちんと認知される憲法にしたいと私自身は考えています。その方がかえって、先ほどお話しになった国連軍の話もわかりやすく国民が理解できるのではないかと思うんですが、いかがでしょうか。
草薙順一君 憲法九条の問題について今一番問題になっているのが、集団的自衛権をどうするのか、そういうことだと思うんですね。
 集団的自衛権というものは、私は自衛じゃなくて他衛だと思っておるんですね。いわゆる日米軍事同盟によって、アメリカの戦争、アメリカの必要とする戦争に日本が参戦していくということだと思うんですね。ですから、それはやはり憲法の破壊だというふうに私自身は考えております。
 ですから、我が国としては、個別的自衛権の範囲内でできるだけ国際協力をしていくという方向しか今のところないんではないかと思います。
 以上です。
中山座長 次に、古川元久君。
古川委員 民主党の古川元久でございます。
 本日は、参考人の皆様方には大変に貴重な御意見をお聞かせいただきまして、ありがとうございました。私からは、すべての参考人に同じ質問をさせていただきたいと思います。
 まず最初に、憲法というのは国の基本法で、いわば憲法を見ればこの国の形というものが見えてくる、そういうものであるべきだと思いますし、なければならないというふうに思うんです。ですから、憲法について議論する際にも、どういう国の形を、我々が、今、そして将来の日本の国の形として考えるか。まさに、この国の形を、どうあるべきといいますか、どういう国を目指すのか、またどのような国であるというふうに考えているのか。この国をどう見るかということによって、今の憲法がふさわしいのか、あるいは変えた方がいいのか、そうした議論もそこから導き出されてくると思うんです。
 各参考人の皆様方の目から見て、この国がどうあるべきなのかということについて、例えば安全保障の観点でも結構でございますし、また統治機構という観点でも結構でございます。あるいはまた、それぞれの参考人の一番関心のある分野から、日本の国というのは世界に対してもこういう国なんですよということがきちんとわかるような、そういう国であるべきだ、そういう皆様方のこの国のあり方に関する見方というものを教えていただければ幸いでございます。
草薙順一君 私は、個人の尊厳というこの価値というものは、人類のもたらしたところの普遍的な価値である、これを変えるわけにはいかない。そして、国の形というものも、個人の尊厳というところから形づくっていかなければならない。そうなりますと、必然的に、平和国家を目指したところの国の形になるというふうに思っております。だからといって、国には固有の自衛権というものがございますので、丸腰で、無抵抗の国というわけにはいかないというふうに私は思っております。
 したがいまして、私がきょう意見を申し上げましたのは、では、日本の国をどうやって守るのかというのは、やはり最終的には国際連邦あるいは国連の指揮命令下にあるところの国連軍によって守る。日本だけじゃなくて、アメリカもロシアも中国も、自分のところの持っている軍隊というものをすべて国連軍の指揮系統下にする。そうすれば、各国は軍隊を持たなくていいんじゃないかというのが私の理想とするところでございます。
 だから、結論といたしましては、国の形としては、個人の尊厳というものを最高格に置いて、平和国家を目指すというのが私の理想とする国の形でございます。
 以上です。
根本博愛君 今の御質問、非常に私、慎重に受けとめました。
 この間、有事関連三法案が通りましたね。その前からこのことは少し注目してきたんですけれども、私は、きょう時間がありませんのでそこに限定しますが、有事法制を中心として生まれてくる社会像、社会の状況、それから今の日本国憲法を軸として現実に生まれてくる社会像、社会の状況、この二つを対比してみたんですね。
 そうすると、有事法制の場合に私が一つ非常に気になるのは、市民監視、市民を監視していく、そして管理していくという、これは幾つかもう法律ができていますけれども、精神的自由権が非常に危ないなという感じを持ちます。
 つまり、憲法でいいますと、十九条、思想、良心の自由、二十条の信教の自由、二十一条、表現の自由、二十三条、学問の自由、この四カ条が精神的自由権の保障です。私は、精神的自由権の重要性ということを考えたときに、十八世紀のフランスのボルテールが言ったように、大体こういう意味のことだと思うんです。あなたの考え方、あなたの思想には賛成できるものが何もない、ことごとくあなたの考え方には私は反対だ、しかし、あなたが自分の持っているその考えを堂々と発表すること、それを邪魔する人間に対しては、私は命をかけて闘いますという非常に大事な精神的自由権のことを言っているんですけれども、有事法制を軸にして社会像を考えたときに、これは非常に精神的自由権が危ないなということを思います。
 ことしで憲法施行五十六年だと思いますけれども、そういう点で、一面で、憲法の非常に重大な危なさ、危機、そういうときにこそ実は憲法の真価というのは非常によく見えてきます。私は、日本国憲法を軸にして社会像を描いたときに、先ほどの二十五条の生存権のこともありましたけれども、非常に伸び伸びとした、風通しのよい、そして自由に物が言えて、お互いに助け合って、必要とし合って、そして人間というのは誤りを犯しますから、根源的には許し合ってともに生きていこうと。これは日本だけじゃなくて地球的な規模で、そういうメッセージを日本国憲法は全体として発しているというふうに思います。
高木健一君 日本という国をどう見るかという感じなんですけれども、史学科なもので、日本史を読んでいきますと、やはり日本という国は歴史と伝統を重んじた。その歴史と伝統の重みで今の日本が成り立っていると思います。
 そう考えていきますと、やはり日本はすばらしい国であり、自由があり、こういうふうに意見を言い合える国になったこと自体はすばらしいと思うんですけれども、どういうわけか、日本人というのは引け目を感じているような感じがするんです。伝統とか歴史とかを重んじながらも、何か引け目を感じている。やはり、その引け目というのは憲法九条だと思うんですよ。
 憲法九条がある限り平和であるという、理念だと思うんですけれども、その理念だけを押し通して、果たして平和は保てるのかという感じになりますと、やはり現実問題として無理だと思うので、これからの日本という国になるのであれば、やはり憲法九条を改正して、小沢一郎さんじゃないですけれども、普通の国のように自衛権を確実に持って軍隊を持って、なおかつ歴史と伝統を重んじる民主国家というふうになるべきではないかと思います。
西原一宇君 憲法に関しましてすごく思うことで、先ほど平井さんの質問に答えるべきだったと思ったんですが、憲法というのは国の基本法でありまして、公務員、国民、これはもともと守らないかぬものなんですね。そうすると、現実に憲法が守られていないから憲法を変えるなんというのは、論理的に逆立ちしておるでしょう。憲法が守られていないとしたら、その元凶を突きとめて、そして守るにはどうしたらよいのかということを調べるのが、実はこの会の本当の一番大事な仕事じゃないんでしょうか。
 ということを前提にしまして、私は、どんな国を目指すんだというたら、これは、日本の憲法が完全に、文字どおり、条文どおりに生かされた国を目指す、これでいいと思います。例えば、二十五条がきちっと守られたとしたら、どんなすばらしい国になりますか。そうすると、恐らく九条の問題なんかは飛んでいくと思うんですよ。国民みんなが、何で今さらそんなことをするんだ、この日本でいいじゃないかということになると思います。
 以上です。
坂上ハツ子君 憲法制定当時に比べて非常に大きく変化していると思うんです。自分の国は自分で守るということでしょうけれども、それが、今は自国の安全が確保できない時代になっているんじゃないかと思うんです。
 例えば、日本はまだ安保理の常任国ではないですね。ここに例えば北朝鮮の議題を云々と持ち込まれた場合に、日本は安保理理事国でないですから意見が述べられない。そうしたら、極端に言えば勝手にやられる、これでは困るわけですね。
 そうしますと、先ほどお話しさせていただきましたけれども、イラク攻撃のときに米国に同調したということは、やはり同盟国であるアメリカに協力しなければ日本の安全が保たれない、こういうことがありまして、自衛権にもかかわってきますので、私は、九条の二項を改定したらいいと思います。
鹿子嶋仁君 どのような国ということで、非常に難しい御質問なんですけれども、私は一つのイメージとして、我々の身近な行政は身近で行って、そうでない全国的なものを重点的に国が限定的に行っていくという考え方、実はこれはシャウプ勧告が日本の地方自治制度の改革で最初に出した提案なんですけれども、何かそれが今ようやく実現されているようなイメージを受けるんです。
 ただ問題は、では、国の機能として残るときに、やはり軍事という問題が大きな一つの焦点になってくることはそうだと思います。九条に関しては私もほとんど素人の状態ですけれども、個人的には、最初に意見を述べられています草薙先生の国連を重視するという立場に私も実は同感です。
 もちろん、国連がすべて正しいとか、今の国連で十分正当性が保障されるということは一つの問題で、より確かな正当性の根拠となるような国連の改革等、課題はあるんですけれども、しかしながらやはり、日本における一つの正当性の根拠としては、国連というものが考えられるのではないか。
 前回の戦争でも、日本の一つの反省点というのはやはり、一国主義、孤立主義に陥ったということが問題だと思います。その点で考えますと、実は今回のイラク戦争というのは、さまざま考えさせられる問題を含んでいたように思います。
 開戦時に国連の決議が得られなかったという大きな問題、それでも我が国は支持に回った。しかしながら、一方で、フランスやロシアのように、今でもあの開戦は間違っていたという考えを持っている国もあります。
 ところが、今度は戦後処理に入ってきて、自衛隊を出すかどうかというときには、国連決議が必要だという議論が始まって、開戦では必要ないのに出すときには必要だという議論が私にはよくわからないんですけれども。
 ともかく私は、国連の今の姿がどうであるかという問題はあるにせよ、国連というものに一つの国際協力の正当性の根拠を見出していくという考え方しか、今のところ、ちょっと個人的には方策というものを持ち合わせておりません。
 以上です。
中山座長 次に、遠藤和良君。
遠藤(和)委員 公明党の遠藤和良でございます。
 きょうは、大変御苦労さまでございます。短い時間ですから、私、おのおのの方々に一問ずつ、それぞれ別の問いかけをさせていただきたいと思います。
 最初に、草薙さんにお尋ねしますけれども、国連軍の創設というのは、確かに現行憲法が期待しているところだと私も思うんですね。ところが、いまだそれが創設されたことはありません。これは日本だけがそうしても意味がないので、各国が自前の軍隊を持たないで、あるいは自前の軍隊をそのまま国連の統治下に移譲する、こういう問題になるわけですね。それが現実の政治として本当に可能なのかということでございまして、その理想を実現するためのシナリオというものを具体的に考えていらっしゃるのかどうか。
 それから、恐らく一つの方法としては、何かある事態があったときに多国籍軍が構成をされる、それを国連が、これは国連軍だと認知する、こういうことが少し具体的には考えられるんですけれども、その辺をどのようにお考えか、聞きたいと思います。
    〔座長退席、仙谷座長代理着席〕
草薙順一君 今遠藤先生がおっしゃった問題なんですけれども、一足飛びに国連軍というのは、これは難しいです。ですから、きょう私が申し上げましたように、北東アジアでの安全保障協定を締結する。そしてまたヨーロッパにおきましては、現在、ヨーロッパの欧州安全保障協力機構というものが五十五カ国において行われております。そして、そこでも憲法が発表されている。そしてまたASEAN地域フォーラムという、これは我が国も入っておるんですけれども、そういうところでまず地域的な安全保障条約というものを積み上げていって、そしてそういうものが今度寄り集まって国連軍という方向へ、そういう安全保障協定というものを全世界の国がするようにしていくというふうに私は考えております。
 その根拠は、そうなるんじゃないかといいますのは、各国が軍隊を持って自分の国を守るというのはもう時代おくれだというのが私の考えです。
 以上です。
遠藤(和)委員 根本さんにお伺いしますけれども、先生は、新しい人権は法律の制定で足りるのではないかというふうなお話をされましたけれども、新しい人権というのは、そもそも憲法が制定されたときに想定されていない概念ですから、それは素直に考えれば、やはり憲法の中に明記すべきではないか、こう考えますけれども、どうして法律の制定でいいんでしょうか。
根本博愛君 おっしゃるように、もう憲法制定されて五十七年ですから、この五十七年の間、一言一句も改正されておりません。確かにそうですね。その間、大きな時代の変化が起こってきました。国内だけじゃなくて、地球環境問題という非常に深刻な問題、これは基本的には九つぐらいのいろいろな問題がありますね、地球環境問題。ですから、おっしゃるように、私は、憲法に環境権を初め新しい人権を規定することには反対じゃないんです。そういう意味では、憲法は改正すべきところは改正すべきだと私は思います。
 しかし、気になるのは、私は大変評価できるそういう新しい人権を憲法上に規定すべきだ、一方でそう言いながら、同じ政党が、その改憲を出している同じ方が、もう一方で九条改正を言うわけですよね。ここの整合性がないというのがまず私の考え方です。
 それから、先ほど、憲法が国の形だという御質問がありましたけれども、今の憲法をどこまで実現できているか、実現できていないか、その実現できていないところをまず実現していこう、これが第一段階。それから第二段階で、もう憲法はちょっと古い、今の現状に合わない、そこは変えよう、つまり改正を考えよう、そこで初めて改正の問題が出てくるわけですよね。
 新しい人権の問題は、プライバシーの権利も環境権も知る権利も、基本的には今の憲法の条文からとりあえず導き出せる。十三条、二十五条等からですね。それは、十三条、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と言っていますから、立法、行政、司法、地方自治を含めて最大の尊重を必要とするという、あそこから新しい人権はかなり引き出せるし、現に判例も、プライバシーの権利は認めています。十三条を根拠にして出てきています。
 それから、もう一つ申し上げたいのは、実はあの十三条というのは、私は、日本国憲法全百三カ条の中で非常に重要な一つの柱だと思っているんですけれども、実はあの規定は、一七七六年のアメリカの独立宣言からきているわけです。ほぼ同じ文言です。ということは、時間がたっても、状況が変わっても、深いものを決めているもの、憲法というのは本来そういうのがありますから、これはやはり大事にしなければいけない。しかし、そうでない、合わない条項は、もうある意味で生命の終わった条項は当然改正すべきだ、そう思います。
遠藤(和)委員 高木さんには、日米安保と自衛隊の例を引いて、現実と憲法が合わなくなっているから現実の方に合わせて憲法を改正しろ、こういう議論だったように思うんですけれども、この現実と憲法との乖離という認識ですけれども、そのほかにも大きく乖離していると考えられることはありますか。
高木健一君 意見陳述したとおりなんですけれども、それ以上の乖離という感じはないんですけれども、今の国情を考えた場合は、日米安保はやはり憲法には違反しておると思うんですよ。そういう考えからしたら、憲法に違反しておるから、それでは日米安保を破棄するのかというと、それはできないですよね。そう考えますと、やはり憲法そのものを改正するしかないというのが私の考え方です。
遠藤(和)委員 次に、西原さんに聞きますけれども、西原先生は、逆に、憲法の理想というものが今実現されていない方が問題、この現実が問題だ、憲法をそのまま実現する世の中をつくるということが大切なんだという御主張だったと思います。
 今、教育基本法、これは準憲法と言われているわけですけれども、この改正問題、見直し問題というのがかなり声高に叫ばれておりまして、現代の教育界の問題点がこの法律にあるのではないかというふうな議論が一部になされているわけですけれども、先生は、この教育基本法の見直し問題についても、憲法と同じように、教育基本法にすべて理想は書かれているんだから、これを見直すのではなくて、これをきちっと実行していく、こちらの方が大切だ、こういうふうにお考えなんでしょうか。
西原一宇君 一言で言えば、はいで済むかもわかりません。
 それでいいんですけれども、もうちょっと言いますと、やはり教員ですから、関心があって教育基本法改正論議を聞いていますけれども、どれを読んでみても私が納得するのは、教育基本法のどの条項をどう直したら教育のこの現実がよくなるのかというのに一切答えていない。つまり、問題が起こっておるというのが、そもそもどこかが恣意的につくっておる問題であって、実際は教育界なんかには、教育基本法が邪魔になって困っておるという課題はないというふうに感じております。
遠藤(和)委員 坂上さんにお伺いします。
 憲法と現実との間に矛盾がある、そしてその矛盾を解決するためにも憲法を改正した方がいいのではないか、こういうふうな御主張だったように聞くんですけれども、今この日本の中で一番矛盾を感じるとすれば、実際は、具体的にどういう問題でしょうか。
坂上ハツ子君 現行憲法には非常事態条項がありません。それで、いろいろな災害、自然災害とか、まだそのほかにもテロとかいろいろあると思いますけれども、それに即対応できない、自分の国の安全が守れないということです。
遠藤(和)委員 それでは、最後に鹿子嶋さんに聞きたいんですけれども、憲法というのは国の形を法令の中で示していると私は認識するんですね。国の形というのは、国と地方も国の形の大切な問題ですから、これをはっきりと憲法に書くべきだ。ですから、現在の地方自治の本旨というちょっと抽象的な言葉ではなくて、もっと具体的な明文規定にするべきだ、こういうふうな御主張だったと思います。私もそういう気持ちです。
 そこで、課税自主権の問題も若干話があったんですけれども、現在、三位一体の改革をしているんです。要するに、税源移譲、交付税、補助金、これを一体的に改革して、国と地方のあり方を財政面からきちっとつくり直そうというふうな議論がされているんですけれども、ちょっと憲法から離れますけれども、この三位一体の進みぐあいとか方向性、あるいは現実の議論、この問題について御意見がございましたら、この機会に聞きたいと思います。
鹿子嶋仁君 確かに今、国と地方、これは連関する財政状況を構造的に見直そうということで改革が進んでいるんだと思います。これはかねてより、地方分権を進める側から主張されていましたけれども、ともかく、単に事務だけを移譲しても地方はやっていけないのであって、それに見合う税源を同時に移譲しなければならない。
 現在、国が支出する金額と入ってくる国税の割合、それから同じく地方の入ってくる割合、出ていく割合、これは逆転現象、非常にねじれた現象があるという話があります。これを、地方が支出する分に見合う税源を国から移譲する、もちろんそういう必要性はあると私は思います。
 ただ、個人的に思いますのは、税源移譲という制度の改革が、私ども予想していたよりもかなりおくれているのではないかという気がします。なかなか具体的な姿が見えてこず、地方分権の進行状況でいうと、やはり権限の移譲とかあるいは市町村合併といった改革が先行している嫌いがあります。
 それからあと、地方交付税に関してですけれども、これは確かに今見直しがなされています。
 一つには、地方の自主的な改善、そういった努力をそいでしまう、国からどうせお金が来るんだからいいやといったような、そういった悪い側面もあることは確かに否定できないんですけれども、ただ、私は、全国を見回しまして、やはり田舎といいましょうか地方の部分、これは単独ではなかなか財政が成り立たないという部分を、地方交付税という制度を使うかどうかは別にして、何らか国全体で調整するようなシステムは最低限度必要ではないかなという気がしておりまして、地方交付税制度全廃といったような議論にはちょっと賛成できないところがあります。
 というのは、例えば、地方というのは若者が流出していくんですけれども、その若者が大きくなるまで、例えば高校を出るまでというのは田舎で暮らして教育を受ける、ところが大きくなると出ていって、税金はそちらの方、都心部で払う、そういったこともございます。そういうことを考えますと、やはり日本全体である程度調整的な機能が必要ではないかということを感じます。
 ちょっと時間が延びました。済みません。以上です。
遠藤(和)委員 ありがとうございました。
仙谷座長代理 次に、武山百合子君。
武山委員 自由党の武山百合子でございます。
 きょうは、参考人の皆様、それぞれの御意見を聞かせていただきまして、ありがとうございます。
 まず最初に、草薙さんにお聞きしたいと思います。
 極東アジアの非核地帯の創設ということで、我が国の安全を保持する努力は欠かせないというお話を伺いましたけれども、わかりやすい例を出しますと、きのう、万景峰号、北朝鮮からの船が入港しないということ、それから、大勢の日本人が拉致されているというこの北朝鮮問題、これに対しての率直な御意見を聞かせていただきたいと思います。
草薙順一君 私は、拉致問題につきましては、やはりこれは、国際的犯罪として糾弾しなければならないし、事実関係をただして、きちっとしてもらわなければならないというふうに思いますね。
 ところが、今のマスコミの状況を見ますと、北朝鮮の脅威をあおっているというのが私の率直な感想です。有事法案の関連があるのかもしれませんけれども、北朝鮮の脅威をあおることによって、有事法案を通そうとか成立させようとか、あるいは国民の世論を沸き上がらせるというのは、これはやはりいかがなものであるかというふうに思います。
 北朝鮮の国情というものを客観的に見なければならないと思います。そうすると、北朝鮮が日本に対して武力攻撃をするとか、そういうような問題はそんなに簡単に起きない、私はそう思っております。不審船の問題とかテロの問題は国防の問題じゃないです。これはあくまでも犯罪の問題なんですね。海上保安庁だとか警察の問題ですよ。だから、自衛隊が動く問題ではないというふうに思っております。
 ですから、この極東においては、やはり今一番大きな問題は北朝鮮の核開発問題ですけれども、これについては、冷静に対応し、そして非核地帯をつくり、朝鮮半島、日本、そこはもう非核地帯にし、そして、中国もロシアもアメリカもここへは一切の攻撃をしないというような協定をするのが非常に大事ではないか、それが日本の安全を図る道ではないか、こう思っております。
武山委員 それでは、根本さんにお聞きしたいと思います。
 先日、曽我ひとみさんの御主人の住所が、曽我ひとみさんは北朝鮮に拉致されて帰ってきた一人ですね。その曽我ひとみさんの住所の問題で、知る権利とプライバシーということで、この件に対しては根本さんはどのようにお考えでしょうか。
根本博愛君 まず、知る権利の方ですけれども、知る権利というのは、本来、主権者である国民が、主権者として当然知っておかなくてはいけないし、知る権利がある、そのいろいろな情報を知ることによって主権者が政治を監視する、政治を見張っていく、そのために知る権利というのは重要なんです。だから、知る権利というのはプライバシーを知る権利ではない。プライバシーは、はっきりそれは保護されなきゃいけません。そういう関係だと思います。
武山委員 それでは、報道の自由という立場で、ある新聞社がそれを報道したんですけれども、それに対してどう思いますか。
根本博愛君 その点もそうです。報道機関はきょうたくさんお見えになっていますけれども、報道の自由と知る権利というのは実は密接につながっていまして、だから、報道の自由が可能な限り保障されるためには、取材源を当然秘匿します。そうしないと、もう取材できなくなってくるという問題がありますから、これは記者のモラルも入ってきますけれども、当然、その場合にプライバシーも入ってきて、そこは公にはしないということが大事だと思います。
武山委員 それでは、高木さんにお聞きしたいと思います。
 私は自由党で、党首は小沢一郎でございます。先ほど、普通の国というお話がありましたけれども、今、日本はアメリカの言いなりの国という意味で、もろもろの問題に対して、日米のいわゆる安全保障の中でそういうふうに言われておるわけですけれども、それでは、例えば普通の国になりたいと国民は思っておると思うのですよね。その中で特に基軸は何に置いたらいいと思いますか。
高木健一君 アメリカの言いなりという感じではないんですけれども、今の日米関係を見てみますと、やはりそういう印象はぬぐえませんよね。今から普通の国となるとするのであれば、やはりアメリカに対しても言いたいことを言う、国連に対しても、安保理事国入りということをやはり求めなければならないと思います。
 やはり、国際連合に加盟している国の中で二番目の拠出をしている日本が発言権がないというのは、これはおかしい話なんですよ。非常任理事国で選ばれたことが何回もありますけれども、非常任理事国ではなくて、いつも安保理に投票する常任理事国入りを、やはりこれからはそれを目指すしかないんじゃないでしょうか。
 国連中心主義というのもかなり無理があると思うんですけれども、今世界を動かしているのは国連だと思うので、やはり、その中で確固たる地位を目指すのであれば、国連の常任理事国入りを目指した方がいいんではないのかと思うんです。
武山委員 それでは、西原さんにお聞きしたいと思います。
 先ほど、教育のお話、いろいろと聞かせていただきました。私も教育は本当に大問題だと思っております。この教育の大問題はもうずっと叫ばれておることでございます。
 まず、西原さんはどういう点にいろいろと問題があると思われますでしょうか。もちろん教育基本法の問題もあります。それから、教育委員会の問題もあると思います。それから、教員の資質も問題があると思います。また、生まれて、学校へ行くまでの間の家庭の教育力の低下ということもあると思いますし、また、社会の大きな激変によって地域から得るものも少なくなったという、もう多種多様な問題で今のような教育の現場というものが悪い相互作用でなっておると思いますけれども、西原さんはどのように分析しておりますでしょうか。
西原一宇君 いろいろなことが言えるのは間違いないんですけれども、一番はっきりしておるのは、文部科学省のやり方に民主主義がないというんですか、国民の声が全然文部省に届かない。警察行政をチェックする機関としては公安委員会というものがございますよね。ところが、文部省に関しては、何しても、直接的に国民が声を上げる仕組みは一切ございません。これに困っておるんです。
 何か新しい施策が出るときに、文部省という役所は、ほとんど現在までのところ、この前に例えばこういうふうなええ点はあったけれども、こういう問題があるからここはこのように改めるとか、そういう手法は一切とりません。この前やっておおむね良好である、だから次はこうするというのをもう何十年もずっと続けてきておるんですよ。歯どめのしようがない。民主主義を取り返したい、そういうふうに思います。
武山委員 それでは、坂上さんにお伺いしたいと思います。
 これも三十年も前から言われておることですけれども、少子化、すなわち日本の人口が今どんどん減っている。先ほど出生率の話も出ましたけれども、社会の激変、それから、女性が社会にどんどん進出するようになった。国は、政策として、待機児童ゼロ作戦とか、働く環境をつくろうとかいろいろ言っておりますけれども、しかし、その議論で何か根本が欠けているかなと思うんですね。
 それで、坂上さんのこの少子化に対するいろいろなお考えをぜひ聞かせていただきたいと思います。
坂上ハツ子君 子育てというのは瞬間的なものだと思うんです。ですから、男女が支え合って子育てをする。
 ですから、結論として言わせていただくと、育児休業の取得率を数値目標化するということです。企業に努力義務を課すこと。それから、先ほどもちょっと触れたと思いますけれども、所得保障、現行賃金の四〇%を拡充すること。要するに、子育てしながら女性も働ける環境づくりをするということです。そうじゃないと、今の女性は高学歴になっていますから、家庭にだけ住む人もいらっしゃるかもしれないけれども、そういう状態ではないということです。
 すべてに、先ほどお話がありましたけれども、社会保障にもかかわっていきますし、そういう方向を考えていただかなきゃいけない。特に代議士の先生方、よろしくお願いいたします。
武山委員 それでは、坂上さんにもう一度お聞きしたいと思います。きょうは、坂上さんが参考人としては女性一人なものですから。
 どんな環境をつくったら、結婚をするようになり、また、自然と子供を産み育てたいという気になると思いますか。
坂上ハツ子君 私は、子供は非常にかわいいです。日を追うごとに変化していきます。非常にかわいかったです。
 それで、私の場合は、子供が生まれたら会社をやめなければいけない、だけれども、それを我慢して働き通しました。そうしたら、そんなのおかしいんじゃないか。それで、東京におりましたから、いろいろな先生方に会社へ来ていただいて、講演をしていただいて、それはおかしい。企業の管理職を説得いたしました。それで、子育てしながら働いてもいいんですよという感じになりました。
 育児休業制度を設けるときには、私は一生懸命とりました。ですから、そういう権利を一つとるにも、たくさんの女性が犠牲になっているということを考えながら、とるのはなかなか難しい、カットするのは簡単ですよ、ですけれども、そういう現実の姿をよく御理解いただいて、そして、少子化になって先細りになるわけですから、そういう働いてきた現実の姿からしますと、もっともっと代議士の先生方に、子育てする環境づくり、要するに、保育所をつくるとか、学童保育ができる、安心して女性が働ける環境づくりをするとか、そういう具体的なことを考えていただきたい。
武山委員 今おっしゃったような具体的なものは、これから法制化していくという準備段階で今議論はしております。
 もう一つ坂上さんにお伺いしたいと思います。
 今、少子化ももちろん影響を受けまして、一人っ子同士の結婚というものがありまして、その中で、夫婦別姓という一つのそういう考えがあるわけですね。その夫婦別姓について御意見を伺いたいと思います。
坂上ハツ子君 夫婦別姓を思う人は少数だと思いますけれども、私は夫婦別姓に賛成です。私は研究所におりましたので、もとの姓を、後で結婚してから名乗るということは非常に不利でした。ですから、夫婦別姓は、その当事者がいいのであれば、国は認めるべきだと思います。それで、子供は選択権がないわけですから、その子供の選択は子供の意思に任せればいいんじゃないかと思っています。
    〔仙谷座長代理退席、座長着席〕
武山委員 最後に、鹿子嶋さんに地方自治の問題で一つお聞きしたいと思います。
 地方自治も、住民参加も叫ばれて、言葉はずっと来ておりましたけれども、実態が伴っていないわけですね。実際に自治と言われても財源がない、三割自治と言われているように。住民参加も、ずっと住民参加しておると思うんですね。しかし、住民が参加して意見を言っても、それが政策として認められない、ここに大きな問題があります。
 この財源の問題について、もう一度、どのように地方が財源を確保したらいいかという問題と、住民参加を今後どのような形で政策としてしていくのか、その辺の見解をお聞きしたいと思います。
鹿子嶋仁君 財源の確保につきましては、先ほど意見陳述で述べましたけれども、まず、課税自主権のような憲法上のシステムがしっかりしていること、こういった背景がありますと、もちろん、先進的な自治体あるいはかなり思い切った自治体では課税自主権を行使していますけれども、中には、東京都が行ったような外形標準課税等が、国の法令との抵触云々かんぬんで問題になることがあります。
 しかしながら、最初に述べましたとおり、私は、国の法律と抵触する、条例との抵触問題というのは、今後、なるべく自治体の自主性を尊重する形で国の法令等も解釈されていくべき必要があると思います。そういった意味で、今後、自治体が自主課税権を積極的に行使していくというのも一つだと思います。もちろん、財源確保にさまざまほかに手段があると思いますが。
 二番目の住民参加という点ですけれども、これは御指摘のとおり、実は、住民参加という言葉はもう昔からスローガンのごとく掲げられているんですけれども、これがなかなか実現しない。地方行政に関心を持つ人は非常に少数な人に限られる。
 この理由としては、もう既に御質問の中に一つお答えがありましたけれども、意見を述べても、実際には政策に反映されないというあきらめのようなもの、実際に意見が反映されるという何か制度的な保障もないということがあります。
 それからもう一つは、そもそも地方の行政事務自体、非常にありていな言い方をすると、余りおもしろくない。忙しい生活をしている中で、余りおもしろくない問題をそんなに関心を持ってくれと言われても、無理だと。
 実は私、善通寺市の自治基本条例をつくるときに一番ここがネックで、ネックといいましょうか、一番個人的には考えたところで、幾ら住民参加の窓口をつくっても、道具をつくっても、これは住民が関心を持って利用してくれなければ何にもならないんじゃないかということを考えました。それで、住民と一緒に考えたのが、では、実際にこの住民参加のさまざまな窓口なり制度をつくって、これが本当に住民が喜んで利用してもらえるようにするにはどうしたらいいかという次の段階を考えました。
 これには幾つかいろいろなアイデアが出てきました。おもしろくない地方政治、地方行政をおもしろくするにはどうしたらいいかとか、いろいろなアイデアが出てきまして、今、この点は各地の自治体でもきっといろいろな工夫がされて、取り組まれている分野だと思います。
 いずれにせよ、要は、御指摘のとおり、住民参加を実質化する手段、単に制度だけ設けても意味がない、仏つくって魂入れずということになりますから、どうすれば関心を持ってもらえるかということにあるというのは御質問のとおりです。
 以上でございます。
武山委員 ありがとうございました。
中山座長 次に、春名直章君。
春名委員 日本共産党の春名直章でございます。
 六名の陳述人の皆さん、きょうは本当にありがとうございました。
 お話の中で、憲法の理念と現実が矛盾し、そごを来しているという陳述が共通して寄せられました。とりわけそれが九条と平和主義を軸にして語られました。それは事実です。
 第一に、陸海空、戦力を持たないと定めているこの憲法を持つ国で、軍隊、自衛隊が持たれて、世界第三位から四位の軍事費が毎年投入されていること。第二に、自衛といいながら、専守防衛といいながら、イージス艦の派遣、海外への派兵が進み、ついに有事法制ではアメリカと一緒に武力行使も可能にする法律をつくる。つまり、その目で見ますと、まさに憲法が掲げているその内容と実際にやっていることは完全にそごを来している、これは共通しているわけです。
 さて、したがって、これからどうするのかということです。二十一世紀は、憲法が示す方向に進む努力をするのか、あるいは進めるために頑張るのか。それとも、その現実に合わせてしまって、憲法の方を変えるのか。これが今問われているのです。そこをぜひ議論したいと思います。
 第一に、世界の動向、流れをどうごらんになっているかということで、草薙さんと根本さんにお伺いします。
 二十世紀をちょっと見てみますと、一九二八年に不戦条約ができて、戦争違法化が始まりました。そして、戦後になりますと、国際連合憲章ができて、国際紛争は平和的に解決する、そして二つの例外しか認めないということが世界のルールになりました。それから、イラク戦争はその世界のルールを守り抜けという声が圧倒的になりました。百九十一カ国の国連に入っている国の中で、百三十カ国がアメリカのこの不法な戦争には反対であり憂慮するということを明確に言いました。
 したがって、世界の動向というのは、そういう角度で見たときに、平和の流れ、日本国憲法と国連憲章が示す方向に進めるべきだし、進んでいくし、そういう生命力を発揮しつつあるというように私は見ているわけです。その点についてお伺いしたいと思います。
草薙順一君 今春名先生がおっしゃった意見に私は同感です。
 今、日本とアメリカとの関係なんですけれども、やはりこのつき合い方が一番難しいというふうに私は思っています。
 考えてみますと、アメリカという国は世界から孤立しているということが言えます。一つは、環境問題で京都議定書からの単独離脱、そしてまた軍縮問題では米ロ弾道弾要撃ミサイル、ABM制限条約の失効宣言。そしてまた、法的には、二〇〇二年七月一日に発効した国際刑事裁判所、ICCへの非協力。これは世界の良識から反しているというふうに私は思っております。
 今先生がおっしゃいましたイラク戦争におきましても、百三十一カ国という多数の、半数以上の国が戦争に反対している。世界的に見ますと、ロンドンあたりでは二百万人の人たちが反戦デモをしておる。そういうことを考えてみますと、アメリカの孤立主義というものは明白である、私はそう思っています。そういう中にあって、日米軍事同盟で日本が置かれている立場で米国とどうつき合うのかというのが一番大きな問題だと思います。
 日本のアメリカに対するつき合い方の中で、例えば武力行使を日本はしないんだということを言える根拠は一体何か。それは憲法なんですよ。そういう、アメリカにきちっと、武力行使はできないんです、しませんよと言うその根拠を外してしまったら、これはアメリカと一緒に戦争してしまうというふうになる。だからどんなことがあっても平和憲法を守り抜かなければいかぬというのが私の考えです。
 以上です。
根本博愛君 まず、今おっしゃられた、現実が変わってきたので現実に合うように憲法を変えるのか、それとも現実を憲法に近づけていくのかという問いですね。
 私は、九条をもし中心に置いて考えるとしますと、よく、九条は理想だ、それは理想としてはいいけれども現実はなかなかそうはいかぬよという。そして、テロの問題や不審船の問題や、今朝鮮民主主義共和国がやっているいわゆる瀬戸際外交とか核疑惑問題を例に挙げて、九条は、理想としてはわかるけれども、現実はそうはいかないよ、だからミサイル防衛も大事なんだよ、こういう議論なんですけれども、私はそういうふうには思わない。
 つまり、軍備が必要であるという議論は、私はある種幻想の上に体系化されているというふうに認識しています。憲法は理想だとよく言われますけれども、逆で、憲法の規定が実は非常に深い現実性を持っている。極めて現実的だというふうに踏まえています。これは、少し巨視的に世界の動きを見て、同時に、もう一方で足元を微視的に、複眼的に見ていきますと、私はやはり、憲法の規定というのはむしろ現実を導いていく深い現実性を持っているというふうに思います。
 具体的な例を少し挙げますけれども、例えば九九年にオランダのハーグで、世界の約百カ国、八千人ぐらいでしょうか、NGOの方たちが集まって重要な会議をしたんですね。これは大変なことだと思います。しかもNGOですから、ある意味でこれは民衆レベルの非政府組織ですね。その方々、世界百カ国が集まって、あそこで二つの大きな、一つはアジェンダ21を出すし、もう一方で世界秩序のための十の原則を出した。その十の原則の第一番目に、世界各国の議会は、日本国憲法第九条のような規定を設けるべきだ、決議すべきだということを出しましたでしょう。これが一つ。
 それから、これも最近のニュースで知ったんですけれども、アメリカ人で、オハイオ州立大学の名誉教授をしているオーバービー博士という方がいらっしゃいますけれども、この方が、アメリカ人なのに九条の会というのをつくって、世界じゅうを飛び回って、日本にも何回も来られて、あちこちで講演された。このオーバービー博士が、ことしの五月に、アメリカの議会の国会議員を通して、アメリカの憲法の中に日本国憲法第九条のような規定を設けるべきだということを請願しているということを知りました。アメリカは、御承知のとおり、アメンドメント方式ですから、憲法条項につけ加えていくわけですね。これは非常に大切な動きだというふうに私は思います。
 それからもう一点。どうも現実に足を引きずられて進めていこうとしている政治というのは、何か古い国益観念に非常に足をとられているんじゃないかというふうに私は思えて仕方がないんです。古い国益観念というのは、国家生存とか経済繁栄、国力の増進、国家威信、国際的地位の保持向上、イデオロギーの保持拡張ですね。そうじゃなくて、これからはまさに人類益、人類の共通の利益、これは四つありますけれども、基本的人権の保障、世界平和と軍縮、飢餓や貧困など南北間の経済的、社会的格差の是正、地球環境と生態系の保全、これに各国の国益が合うように、両立するように進めていくべきではないか。そうすると、日本国憲法というのは非常に、理想じゃなくて、実は深い現実性がある、そう考えています。
春名委員 ありがとうございました。
 西原さん、続いてお願いします。
 もう一つ大事なことは、これ以上憲法違反を積み重ねちゃならぬということなんですね。やはり、引け目を感じるのは、憲法がありながら憲法に違反するような現実をつくることに引け目を感じるわけなので、憲法があるのであれば、憲法をきちっと守った上で物事を言わないとだめだと私は思っているんです。
 そこで、有事法制、それからイラク新法。イラク新法というのは、つまり自衛隊を軍事占領組織に派遣するという話なんですね。そういうことがまた今提案されています。このことについてどうお考えですか。
西原一宇君 全く論外だと思っております。
 つけ加えますと、憲法がほんの簡単なところから守られていない一つに、例えば衆議院議員の皆さんの任期は四年と書いてあるはずなんだけれども、これは政権党の都合でいつでもやめられるなんという解釈はどこから生まれたのか。今からでも遅くないから、任期は四年、特別の、総辞職がない限りは四年を通す、これをやってみたらどうですか。
 それとか、三権分立になっておるはずですけれども、現実には、外国への援助なんかはぼこぼこ気前よく与えるし、銀行に何兆円というお金を与えながら、一方で、内閣の一員が、財政赤字だから消費税を上げると。これはおかしいんじゃないですか。行政権は法律で定められた範囲で精いっぱい行使して、それを国民に訴える、それが立法に反映される、こういうのが筋じゃないかと思うんですね。そういうことを重ねておるわけですから、これは論外だというふうに思います。
春名委員 鹿子嶋さんにお伺いします。
 九十二条、九十三条、九十四条、九十五条と第八章があるわけですけれども、陳述人のお話では、ちょっと簡素過ぎるなという御意見が出されたと思うんですが、私はそれについては意見を異にしております。
 それはさておき、要するに、住民自治が根づいていないのはどこに原因があるかというのが問題だと僕は思うんですよ。例えば、九九年まで機関委任事務をそのまま放置してきた。それから、住民自治といいながら、住民投票法というのを私たちは提案していますけれども、それをまともに取り上げようとしない今の政治の姿。それから、合併問題に住民自治の破壊というのがもろにあらわれているわけですね。つまり、住民の代表である議会の数は激減する。そして合併のやり方を上から強制する。そういうやり方をして住民の声が行政に届かなくする。したがって、九十二条に基づいて住民自治を拡充するためには、今障害を持ち込んでいる現実をどうするのかということこそが焦点になっているんじゃないかと私は思いますけれども、その点はいかがでしょうか。
鹿子嶋仁君 済みません、最後の方がちょっと聞き取れなかったんですが。申しわけありません。
春名委員 現実に、九十二条には地方自治の本旨が掲げられていて、その中の第一の柱は住民自治であるということはもう定説であり、はっきりしているわけですね。しかし、現実の政治がそれを拒んでいるんじゃないかという具体例を今申し上げたわけなので、そここそが今問われている憲法的な問題じゃないでしょうかということを聞いているわけです。
鹿子嶋仁君 御指摘のとおり、住民自治というものが声高に、スローガンとして、例えば学者の間でも、あるいは自治体職員等の間でも叫ばれて久しいわけですけれども、それが現実になかなか具体化しなかったというのは御指摘のとおりだと思います。これを阻んでいたのが、現実には政治の壁があったのではないか。これは御指摘のとおりであろうと思います。
 というのは、私、仕事で、例えば高松市の情報公開の審査会の委員などをやっておりますと、なかなか行政の情報が外に出ていかないのはなぜだろうかとよく日ごろ考えるんですけれども、これは、正式な法とか条例の形式ではなかなか割り切れない、裏の、行政の慣行であるとか、どろどろした部分をまだかなり引きずっているというところがあります。
 情報が出ていかない以上、住民には何も判断材料がないわけですから、ここから住民が自律的に何か判断をしろと言われても、これは無理な話でして、これはニセコ町の町長さんもおっしゃっていますけれども、住民自治が確立するためには、まずは徹底した情報公開というのは大前提である、情報公開なしには住民自治などというものはそもそも成立しないんだということをおっしゃっています。
 私、住民自治の具体化、現実化という意味で、まさに情報公開、情報提供、ともかく透明な行政をまず確立しないと、これが急務であろう、そういうふうに考えます。
春名委員 どうもありがとうございました。
中山座長 次に、金子哲夫君。
金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子哲夫です。きょうは、六人の陳述人の皆さん、ありがとうございました。
 まず最初に、私は草薙陳述人にお伺いしたいと思います。
 前段でお話しになりました、北東アジアの地域安全保障協定の問題でありますとか北東アジアの非核地帯化の問題は、これは私ども社民党も土井ドクトリンという形で提唱していることでありますので、そのとおりで、私も異論がないわけでありまして、北東アジアの安定のためには、このことが今極めて緊要な課題になっているというふうに思っております。
 さらに、草薙陳述人は国連軍の創設ということをお話しになりましたけれども、私は、ある意味でいいますと、国連軍が仮につくられるような国際関係ができたときには、そもそも国連軍は要らない状況になっているのではないか。むしろ、そのことを考えれば、まさに軍隊による人の命を奪う行為というものをなくしていく努力をもって初めて、国連軍たり得るようなものにかわる現実の世界状況というものをつくることができるのではないかというふうに考えております。
 ですから、あくまでも私自身は、たとえ防衛といえども、軍事力によってそのことを守るという考え方というのは、やはりこの憲法の理念からいってもふさわしくない。むしろ私自身は、平和憲法の理念を広げることによって、今草薙陳述人があえて国連軍という形でおっしゃった現実の世界というものをつくっていくことができるのではないかというふうに考えておりますけれども、もし御意見があればお伺いしたいと思います。
草薙順一君 私は、この地球上において、やはり法の支配、これを確立しなければならないと思うんですよね。その場合に、法の支配という場合には、やはりそこには力が要る。力のない法の支配というものは、これはきょうも申し上げましたけれども、本当に絵にかいたもちであるというふうに思うわけですね。
 実は、ヨーロッパにはEUというようなものがありますし、それからアフリカではAUというようなものが考えられておりますね。ところが、世界を見てみますと、この極東アジアほどそういうものがおくれていると私は思っています。そのおくれている原因はやはり日米軍事同盟にあると私は見ておるんですけれども、いずれにしろ、この極東アジアで隣国同士がお互いに仲よくする方途を考えない限り、やはり私は日本の安全はないと思います。
 先ほども申し上げましたけれども、アメリカはいつこの極東アジアから兵を引くかもわからない。例えば冷戦のときに、ソ連があっという間に東ヨーロッパから手を引いてしまいました。私たちはそういうことは二十年前には考えられないことでした。そしてまたソ連は、ボスニア平和履行軍では、安保理の決議に基づいてですけれども、NATOの総司令官のもとでロシア軍は働きました。そういうことを私たちは考えられたでしょうか。
 だから、私たちは理想を追い求めていくということをあきらめてはならないというふうに思うのが、私の意見です。
金子(哲)委員 ありがとうございました。
 次に、根本陳述人にお伺いしたいと思います。
 実は私も、先ほどお話のありましたハーグの大会に出席をしていた、現場でそのハーグの行動決議に一緒に参加をした者の一人ですけれども、ハーグの大会というのは、NGOの大会ということで、基本的にはNGOの皆さんが多く占めておりましたけれども、実は各国の多くの政治家も参加をしていた。特に主催国になっておりますオランダからは、非常に重要な閣僚も含めて参加をしていたということの意味があるということで、どうもNGOということが強調されますけれども、そういう性格のハーグの大会であったということも、この次はぜひ強調していただきたいというふうに思います。
 それから、先ほどお話にあったこと、全体的にもう賛成をしておりますし、オーバービー博士に私もお会いしておりますので、その点についてはそのとおりだと思っております。
 それで、私は、きょうお伺いしたいのは、御承知のように、先週の金曜日、有事関連三法案が参議院で採決をされて成立をしたという状況になっておりますけれども、これは民主党と与党との間で修正協議が行われて、一気に加速をされたという側面があると思うんです。その中で、基本的人権の尊重ということが盛り込まれたことが大きな成果というふうに言われております。
 私は、根本的な、先ほど根本陳述人がおっしゃった、有事法制下の社会像か平和憲法下の社会像かという、その観点が非常に大事だと思いますけれども、そういう中にありますと、今回の基本的人権の尊重の修正というものが果たしてどれだけの意味を持つのだろうか、戦時というものを考えたときには、どれだけの意味を持つだろうかということを率直に私は疑問に思っております。その点で、根本陳述人の御意見をお伺いしたいと思います。
根本博愛君 まず、基本的に今の御指摘に私は賛成です。つまり、修正案の中に基本的人権を最大限尊重するという規定が入りましたけれども、ほとんど意味がないんですね、あれは。ほとんど意味がない。どうしてそれで賛成者がふえたのか不思議なんですけれどもね。つまり、そういうことを書かなくても、現行憲法の中に基本的人権の保障は具体的に丁寧にきちっとあるんです。ですから、あれは私は余り意味がないと思っています。
 それで、もっと大事なことは、有事法制三法案を二回ゆっくり読みましたけれども、いわゆる武力攻撃事態法、それから自衛隊法の改正、安全保障会議設置法の改正、この三つですね。これはもちろん全部有機的につながっているわけですけれども、特に自衛隊法の改正です。あれはゆっくり読んでいかないと非常にわかりにくいんですけれども、つまり、あの自衛隊法の改正というのは、今の憲法体系ででき上がっているさまざまな人権保障を、例外規定や除外規定でもって、つまり侵害していくわけでしょう。それは戦争状態になれば当然のことですよね。だから、有事法制三つが人権を侵害するから反対だというのはおかしいと私は思う。戦争状態になれば当然のことですよ、人権が侵害されるのは。だから、そういうことが起こらないように、起こらないようにというところに重点を置くべきだと思うんです。
 どうも有事法制に反対している論調が後追いであって、出てきたものを後ろから反対だ、これを変えない限りは、憲法を実現していくといってもなかなか実現できないと私は思います。
金子(哲)委員 ありがとうございました。ちょっと時間のこともあるので、まだお話があると思いますけれども、申しわけございません。
 先にお聞きしたいことを質問させていただきたいと思います。
 鹿子嶋陳述人にお伺いしたいんですけれども、有事法制との関連であります。
 地方自治の問題を特に中心的に研究をされて、きょうも陳述をいただいたわけですけれども、今回の有事法制の中には代執行の問題が新たに出てきたと思います。本来、住民の生命と福祉を守っていく場合には、直接的には最も住民に近い自治体が深い関与を持っていると思うんですけれども、それがいわば首相によって代執行が行われる。こういうことについて、地方自治を研究されている立場からどのようにお考えでしょうか。
鹿子嶋仁君 私も有事法制を専門に研究しているというわけでもございませんので、一般的なお答えしかできませんが、御指摘のとおり、実はこの有事法制というのは、基本的人権とのかかわりの側面で一つシビアな問題を含むと同時に、地方自治とのかかわりでもかなり深刻な緊張関係を持っているということは確かに言えると思うのです。
 今、代執行ということで御指摘がありましたけれども、例えば有事になったら、自治体の管理する港であるとか空港、病院とか道路、これを例えば米軍が使用する場合とかの警備、これを都道府県警察が警備する。水の補給とか汚水処理などといったものも、またこれは都道府県警察です。有事法制というのは、何か国と国との関係だけのように思えますけれども、実際の任務というのは、かなりの部分、自治体が関与するというのが大きいわけです。
 ですから、はっきり言えば、例えば国による自治の代執行などというものは、通常の地方自治の原則からいうと、最もあってはならない、国の関与としては一番遠いところにあるんですけれども、これが有事法制のときには真正面に立ってあらわれてきます。有事だからそうなんだと言ってしまうと、それはもうそれでおしまいなんですけれども。
 この点、地方自治、例えば神戸市なんというのは非核証明書のない軍艦の入港を拒否していますけれども、そういう、各地域でそれぞれ展開している平和運動というものもあります。那覇なんというのはやはり軍艦の入港が禁止されています。このような各地域での個別の政策が、有事になると一気にゼロになるのか。こういった感じで、私は、有事法制と地方自治というのは緊張関係が非常に高い領域だと思います。
 この点が実は余り詰められずに、この有事法制が何かいきなりできてしまったということに、私はかなり危惧するところがあります。
 以上です。
金子(哲)委員 ありがとうございました。
 高木陳述人に、私ちょっと最後に御意見をお伺いしたいと思います。
 最初のお話にありましたように、確かに言われたとおり、我が国の憲法というのはかつての戦争の体験の中から生まれたということは間違いないと思いますけれども、この陳述に応募された資料の中に、テロの問題に関してこういう表現があります。テロとの戦い、「これらとの戦いとなると、さしものアメリカ軍でさえ、手をこまねく有様である。そうなると我が国においてもテロとの戦いは必須である。日米安保に頼り切った今までの国防政策ではなく、」ということが言われておりますけれども、私は、反語的に申し上げれば、世界最大の軍事力を誇るアメリカですら、このテロの問題は軍事力、武力によっては解決できないということを逆に示しているというふうに思うんです。
 それで、私は広島におりまして、広島も間もなく五十八回目の八月六日を迎えるわけですけれども、原子爆弾の投下ということに関して言えば、アメリカに対して報復をしていくということが、それは人権的な問題からもなってくるわけですけれども、そこで広島の被爆者が導き出したことは、そういういわゆる恨みと報復という考え方では、再び同じような人々をつくっていく、だからこそ、例えば核兵器を使用させないんだ、そしてまたそれにつながる戦争をさせないんだ、つくらないんだという道を我々は選ぶことを通じて、それはアメリカとかということではなくて、そういう道を選んだわけですね。
 私は、そういう意味で、この平和憲法というものも、そういう精神を体現して、戦争放棄というものをうたい、武力を持たないということをうたっているというふうに思うんです。そのことがやはり今回のテロの問題でも、事実上そういう道を歩まざるを得ない、やはりこれからの二十一世紀の時代というものは、武力によってすべてを解決しようとする時代を乗り越えていかなければ、やはり新しい時代はつくれないということを、むしろアメリカ自身が、アフガニスタン、イラクのさまざまな軍事行動を展開してもこの問題が解決していないことでみずから証明しているように思うんです。
 そういう意味でいいますと、私は、二十一世紀の時代というのは、むしろ日本の憲法がうたう精神の方向に向かっていくことの方が、より世界の平和と安定をつくっていくというふうに考えるんですけれども、私の考えにはどのようにお考えでしょうか。
高木健一君 それは、テロはなければいいんですけれども、その背景を考えてみたら、それは貧困とか政治的抑圧ということもあります。アメリカの中枢のテロを見たら、話が通じる相手ではないというのはわかります。確かに、アメリカ軍の軍事力を用いたとしてもテロは防げないと思います。ただ、話がわからない相手に対して、我々は平和憲法を持っているから何もできないんだというのでは、それでは国民を保護できないのではないかと私は思います。
 テロを根絶するという大前提はあると思うんですけれども、やはり今の現実的な問題としては、テロを何とか防ぐためには軍事的な力がないと押さえつけられないのではないかと思います。それで根本的に解決するとは思いませんけれども、やはり今の段階でいえば、軍事力は持たないとテロとの戦いに臨めないんではないかと思います。
金子(哲)委員 ありがとうございました。
中山座長 次に、山谷えり子君。
山谷委員 保守新党、山谷えり子でございます。
 六人の陳述人の皆様、いろいろな御意見をありがとうございました。安全保障の問題、人権、公共の福祉の問題、教育問題、地方分権、統治の問題、社会保障の問題と、本当に、今日解決しなければならない問題をさまざまな形で浮き彫りにしていただきまして、大変参考になりました。
 まず、草薙陳述人にお聞きしたいというふうに思います。
 集団的自衛権のことに関してなんですけれども、岸内閣から今日まで、必ずしも解釈が一貫していたわけではないと。国連憲章の五十一条に集団的自衛権の存在が明記されていて、国連に入るときに、この五十一条は別だというふうには日本政府は言っていないわけですね。
 そしてまた、日米安保条約の前文にも、両国はともに国連憲章五十一条で認められた個別、集団的自衛権を持っていることを確認しとあって、そのことに対しても、政府はそのとおりだと言って結んでいるわけでございますが、この辺に関してはどのようにお感じになっていらっしゃいますか。
草薙順一君 日本が国連に加盟するときに、今先生がおっしゃった件について留保したということについては、私も承知しております。
 しかしながら、先ほども申し上げましたように、法の支配ということ、そしてまた、法の支配には力が要るんだということ、そして、私が最初に申し上げましたように、いわゆる孤立という状況に置かれ、将来的にはアメリカが極東から手を引くということも考えられる中で、そして、世界の潮流は、平和を希求するというところに大きな流れが行っていると私は思うんですね。
 先ほど、国連軍がない社会がいいんだと、私はそう思います。だけれども、そこを目標にして、とりあえず北東アジアから平和構築をしていくという構想が日本としては大切なんじゃないかというふうに思っております。
山谷委員 ありがとうございました。
 続きまして、高木陳述人にお伺いしたいというふうに思います。
 先ほどから、世界に誇る平和憲法というような話がありましたけれども、戦争放棄とか侵略的な武力行使をしないということを憲法にうたった国は百二十四カ国ありまして、何も日本だけが平和を求めているわけではなくて、世界じゅうの多くの人が求めているわけです。しかしながら、テロリストとか、必ずしもなかなか対話が通じない国もあるというのがまた現実ではございます。
 坂上陳述人が、事態が発生するたびにいろいろな国内法の制定がなされていくと。確かに、PKO法案が九二年に成立し、周辺事態法九九年、テロ特措法二〇〇一年、有事法制、そして、今度またイラク新法という形になっていくわけですが、国家安全保障基本法のようなものを制定すべきじゃないかというような意見がありました。高木陳述人は、その辺のことについてはどのようにお考えでございましょうか。
高木健一君 法整備もそれは確かに必要だとは思うんですけれども、やはりそれは、結局は間に合わせにしかすぎないと思います。今回の有事法制の成立にしても、何十年も前から議論してきてようやく成立をしたという感じなんですけれども、それでも遅きに失したという感じはします。
 ただ、有事法制があったとしても、やはり憲法九条の制約を受けるのではないかと私は思います。根本的に解決するのであれば、やはり憲法九条を改正した方がすっきりするのではないかと私は思います。
山谷委員 高木陳述人は、現実をあるがままに見ていきたいというような思いが強いというように感じますが、ちなみに、憲法の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」というこの前文については、どんな感想をお持ちですか。
高木健一君 それは憲法の制定段階の話ではないかと思うんですけれども、やはり、憲法を制定されたその当時は、第二次世界大戦が終わって、もう戦争はしたくないという雰囲気があったと思うんです。それを考え合わせて前文をつくったと思うんです。
 ただし、その前文をつくった当時と現状を考えてみたら、かなりそごがあるのではないかと私は思います。
山谷委員 続きまして、根本参考人にお伺いしたいと思います。
 新しい人権の保障、プライバシー、知る権利、環境権などが大事ではないか、他方で、権利の制限、義務の強化には疑問であるというようなことでございます。
 公共の福祉に関して、憲法は、十二条では自由と権利の保持の責任とその乱用の禁止、また、第十三条では個人の尊重、幸福追求権、公共の福祉について、二十二条で居住、移転及び職業選択の自由、外国移住及び国籍離脱の自由、二十九条で財産権等々が述べられているわけでございますけれども、公共の福祉と個人の権利、この辺のことについて、例えばこの四つの条文に関してはどういうふうにお考えでございますか。
根本博愛君 公共の福祉によって人権を制限する、今おっしゃられたとおり、四カ条ですね。十二条、十三条というのは、ある意味では総則的な規定、それから二十二条、二十九条というのは、個別的な人権ですね。しかし、両方とも公共の福祉というのがくるわけですね。
 私、一番最初に意見陳述のときに申し上げましたけれども、戦後の初期のころは、まさに一元的外在制約説という、これは美濃部達吉からずっと来ているんですけれども、それが主流だったんです。つまり、公共の福祉というのは人権の外にあって、外在的、外から人権を制約するんだ、公共の福祉に反しないように。その後、人権論というのは具体的にどんどん深まってきて、時間がないから簡単に申し上げますけれども、基本的人権を最大限尊重することによって生まれてくる公共の秩序、これが大事なんだ。ところが、外在的制約説というのは、人権を外から制約しようということなんですね。
 これはアメリカから入った理論でもありますけれども、例えば、明白にして現在の危険の理論というのがありまして、明白にして差し迫ったプレゼント、危険に対しては人権を制約しますよ、そうでない限り尊重していきますよという、非常にきめの細かい、具体的な人権の性質に応じて制約の仕方もきめ細かく対応していっているというのが現在だろうと思うんです。
 基本は、とにかく人権を尊重することによって生まれてくる秩序が大事ではないかというふうに思います。
山谷委員 少し現実的な問題を、根本陳述人に感想をお伺いしたいと思います。
 成田滑走路がなかなかうまく完成しないということとか、都市計画がなかなかできないということとか、それから、今中学生、高校生で、警察庁の調べなんですが、小遣いをもらってセックスすること、売春なんですが、本人の自由という子が四五%いるんですね。これは幸福追求権だと思っている部分もあって、高校の教科書で、一番使われている教科書の先生用の指導資料、愛がなければ性交、セックスしてはいけないという考えを押しつけてはいけない、性の自己決定権だ、多様な生き方、個の自由を尊重しなければいけない。これは私はゆがんだ考え方だと思っているんですけれども、その辺はいかがでございますか。
根本博愛君 非常に難しい問題ですね。
 ただ、私は、今の段階で言えることは、人権ということをどうも表層的、表面的に受けとめて、今おっしゃったように、何でもかんでも自由を認めていけば、それが人権尊重だ。それは違うと思います。
 もう少し人権というのは深みがあるんであって、あなたも生きるし私も生きる、そういう人権の両立というか、それはやはり深いところで両方が生きるんであって、そういう気がしますね。何か人権、表層的に対立してどうかという問題じゃないと思うんですね。感想としてはそういうところです。
山谷委員 最後に、鹿子嶋参考人にお伺いしたいと思います。
 地方分権の考え方でございますけれども、団体自治、住民自治、二つの要素の間に、これからは、NPOとか中間法人とかコミュニティーの位置づけなどというものがあると思います。それをどう位置づけるかによって、先ほど、介護保険の検証もしなければという、その辺とも連なってくる問題だというふうに思いますけれども、これから、そういったものの位置づけ、法的な部分も含めてどのようにお考えでしょうか。
鹿子嶋仁君 実際に一番現実的な問題というのは、やはり自治体も非常に財政難であって、本来自治体が行うべき任務を十分に今後遂行できるかどうか非常に厳しい状況に置かれているということは、これは否定できない事実だろうと思います。
 私も非常に日ごろ悩んでいるのは、どこまでが公共部門で、どこからが民間部門、そういった役割分担の何かよい、あるいは根拠のある線引きができるのかどうか、公共性とは何かとか、そういったところで実は私自身非常に日ごろ悩んでいるところでございます。
 ですから、実は、この場でこれはこうだというはっきりした答えはないのですけれども、ただ、私が今思っていることは、何が一体公共部門で、何が一体民間でもできるものかという役割の分担というものは、何か初めから定まったものがもはや今の世の中ではなくて、これを公の場で議論していくという過程の中から初めて公共性というものが生み出されていく、そういう時代に入ってきているのではないか、そういう気がします。
 ということで、私は、実は、初めからもう定められた公共性とかそういった公の概念というのは、今の時代はなかなかそれを措定できにくい時代で、むしろ、開かれた議論の場において、十分な情報が提供された状態で、つまり、例えば情報公開とか、きちんとそういった基盤が整った上で、あとはもうもちろん議会でもいいですし、あるいは、もっと広く住民の意見を巻き込んだ形の方が非常に望ましいと思いますが、そういった公の議論の場でそういった公と民間の線引きというものが議論されていく、そういう時代に入ってきているんではないか。まさに混沌とした時代で、私自身も答えを持ち合わせていないんですが、ただ、もうそうやって決めていくしかないんじゃないかといった基本的なイメージを持っております。
 その中で、NPOの活動範囲とか民間ボランティアの活動範囲、どこからが行政がちゃんと責任を持って住民にサービスを提供しなければいけない部分かというものが決められていくような気がします。あらかじめここまでですよとか、ここからはこうですといったような結論を今お話しすることが非常に難しい時代になったというのが、私の考えです。
山谷委員 まだ少し時間があるようでございますので、西原陳述人にお伺いしたいと思います。
 先ごろの統計で、フリーターが四百十七万人、それから、引きこもりが百万人弱いらっしゃるんでしょうか、不登校、高校中退等々の問題があります。これは、憲法二十六条の「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」ということと、「その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」という部分があります。それから、隣の二十七条には、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」というのがあるんですが、この二十六条、二十七条について、現状をどういうふうにお考えでございますか。
西原一宇君 フリーターと引きこもり、その他を同列に置いて、そして、問題をどう思うかというようなとらえ方自体、私は答えようがないといいますか、おかしいんじゃないかなというふうに思いますが。
山谷委員 このことを言いますと、一時間ぐらい教育論を交わされなければいけないと思うので、そのようなお答えでしたら結構でございます。(西原一宇君「つながるんですか、一時間や二時間」と呼ぶ)私は、一時間じゃ足りない。それは三時間かかるとおっしゃられればそのとおりでございますけれども、要するに、教育の現状と、それから、勤労観とか人の生き方というようなことについて感想をお伺いしたかったわけでございます。
西原一宇君 勤労に関しまして、今の子供は根気がないとか、そういうような評価をされることが多いけれども、私は全然そう思っていません。条件を与えてやったら、子供たちは非常にまじめで勤勉な場面が非常に多いです。それを、もし働かぬとしたら、なぜかなという環境としてとらえてやってほしいと思います。
山谷委員 ありがとうございました。
中山座長 これにて委員からの質疑は終了いたしました。
    ―――――――――――――
中山座長 この際、暫時時間がございますので、本日ここにお集まりいただいた傍聴者の方々から、本日の公聴会に対する御感想を承りたいと存じます。
 それでは、左の、眼鏡をかけた方。
竹内功君 高知県からはるばる参りました竹内と申します。
 意見陳述者の皆さん、本当に御苦労さまでした。私は、皆様方の御意見を聞かせていただいて、きょう帰ってから、本当に、憲法、教育基本法をもっともっと生かしていくという力がわいてきました。どうもありがとうございました。
 それからもう一つは、九条について、きょう手元にこの資料をいただきましたときに、ぱっと参考条文というのがあって、本当はこれは一番先にあけておってほしかったですが、参考条文の御名御璽の次に吉田茂氏の名前がありました。私は、彼が大臣のときに教員のスタートを切ったわけです。軍隊から帰りまして丸亀におりまして、それから、敗戦は高知の護土部隊で迎えました。きょうは自民党の皆さんもいらっしゃいますが、その中の野中さんという方と敗戦を迎えました。それで、今でも、全然立場は違いますけれども、本当に、日本の平和、二度とああいう過ちを繰り返したくないというやりとりはやっております。
 吉田茂さんを見て思い出したんですが、一番大事なことは、外交努力が足らなかったと。もちろん、長い間の占領政策と、これは吉田さんの大責任ですが、その次に続くサンフランシスコ条約、私たちは全面講和してほしかった、お隣の国とも含めて。しかし、これが今日の安保条約の土台になったわけですね。だから、これについては私は大変残念な思いをしていますが、しかし、吉田さんは、この憲法ができたときに、武器を持っておったら戦争がしたくなると国会で言っていますよ。調べてください。武器を持っておったら戦争がしたくなると。それから、自衛権については、彼は外交官でしたから、外交でこれからはできるということを言い切っております、国連も含めて。日本のあの外務省は一体なんですか。本当に私は、政府の方もいらっしゃるのに、恥ずかしい。
 私は、退職してから十六年間、アジアの留学生に日本語と日本事情を教えてきました。そして日本国憲法を見せました。それから、草の家とか、国際交流協会のボランティアですので、中国にも何回も行きましたが、行くたびに憲法を持って行っています。
 しかし、外務省は、戦後、本当に外交らしい外交はできなかった。それなりの理由はわかりますよ、アメリカのひもつきですから。しかし、少なくとも自主的な外交を――ああいう、暇だから、まじめにすることがないから、やみ金を配ったり鈴木宗男さんみたいな人が生まれたり、それから、田中さんという自民党の方でさえ伏魔殿と言われた。こういう自主的でない外交が、今日の九条云々という一番禍根を生んだんです。
 終わります。あとの方も言いたいだろうから。
中山座長 今の後ろの方。
加藤繁秋君 香川県から参加しました加藤でございます。
 陳述人の皆さん、御苦労さまでございました。そして、派遣委員の皆さんにもぜひ頑張ってもらいたいと思いますのは、これから憲法調査会の中で憲法の内容について議論すると思いますけれども、憲法九条を変えるということについては、中山座長さん、ぜひしないようにお願いしたい。
 なぜかといいますと、私は、自衛権の行使というのは、一方で軍事力による行使と、もう一つは、先ほど言われましたように、外交と信頼の醸成によって行使する、二つの方法があると思うんです。私は、信頼と外交によって自衛権を行使するという考え方でございます。なぜそのような考え方を持っているかといいますと、これは、日本の国内の現状がそうでございます。
 最近、有事法制をめぐって、国際情勢の変化というのがよく言われました。何か、万が一攻撃されたらどうするんですかという声が聞こえてきました。万が一攻撃されたときにどうするのかという、その攻撃する国の標的は、恐らく北朝鮮でしょう。ロシアでもない、中国でもない、韓国でもない。だとすれば、北朝鮮が攻めてくるんではないか、暗にそう言っているだろうと私は思います。
 だとすれば、もしそのような変化があって、北朝鮮が攻撃してくるときに、対処法を決めました。それが有事法制というんです。だけれども、決めた方に聞きたい。本当に侵攻してくると思っているんですかということなんです。本当に北朝鮮が日本にミサイルを撃つと。
 万が一ということは、一万分の一の確率であったとしても、あるということでございます。一万分の一の確率でくる準備と五〇%の確率で攻めてくる準備と違いがあるか。違いはないと思います。つまり、攻撃してこないか、あるいはくるか、どっちかです。したがって、もし万が一くるという立場に立つならば、我々としては、北朝鮮のミサイルに対してすべての面で対処法を立てなきゃいけない。その意味でいきますと、今回できた有事法案、上陸作戦に対応するようになっている。つまり法律は適用されない。
 だとすれば、上から降ってくるミサイルにどう対応するか。アメリカに頼まなきゃいけない。そのアメリカに頼む法律はまだできていない。その間にもし撃ってきたらどうするんですかという答えをお持ちでしょうかということです。
 そしてまた、もし攻撃してくるとしたときに、日本には、あの北朝鮮に一番近い敦賀あるいは柏崎、原子力発電所があります。日本には五十二基あるんです。この五十二基の原子力発電所の上にもしミサイルを撃ってきて、その上に落ちたときどうするんですか。この香川県も、四国も、もちろん日本全体が、チェルノブイリどころじゃないということなんです。
 したがって、もしミサイルを撃ってくるという立場に立つならば、その五十二基の原子力発電所の上に核シェルターをつくっておりますか、どうですかということなんです。あるいは、瀬戸内海には重油備蓄基地がたくさんあります。それに防護壁はできているんですか。化学薬品工場に防護壁はできているんですか。その指令は出しましたか。出していない。それにもかかわらず、万が一攻撃したらどうするかという前提で議論が進んでいる。
 つまり、結論は、万が一と言いながら、政府も賛成した人も、北朝鮮が来るとはみじんも思っていないということなんです。みじんも思っていないにもかかわらず、何でそんなことを言うのか。それは明らかです。今の自衛隊は憲法違反です。この憲法違反の自衛隊に法的な根拠を与えるだけなんです。だから我々は、そんな現実的じゃない有事法制は要らないと言っている。
 そして、私の結論は何かといいますと、そのような国内の状況を考えるならば、我々としては、我が国としては、万が一攻撃されたという前提には立てないということなんです。もし攻撃したとき、どうなるんですか。そのときには終わりです、原子力でみんな汚染されるということですから。したがって、周辺の国際情勢も変化した、しかし、国内の情勢も、原子力発電所を初めとしてさまざまな情勢の変化があるということ、ということになるならば、我々は戦争はできない状態に置かれている。
 そういうことから見ると、この憲法九条というのは、現状にマッチした法律だということなんです。その現状を無視して、周りが変わったから変えていこうということこそ、本当に我々国民のことを考えているんですか。こんなことを私としてはぜひ言いたいということなので、ぜひこのような意見をお聞きいただきまして、これからの憲法調査会の中で、この憲法九条を変えるというのは、現状に合わない、こういう点をしっかりと訴えて、私の発言を終わらせていただきます。
中山座長 ありがとうございました。
 もう一人、女性の方。
渡辺智子君 香川県の渡辺と申します。
 実は、意見陳述を希望しましたが、没になりまして、とてもフラストレーションがたまるのではないかと思いながらこの席におりましたけれども、とてもいい議論を聞かせていただいたと思っております。
 特に、古い国益観に引きずられてしまっているのではないかという御発言がありましたけれども、今アメリカにくっついておかぬと損やないか、日米安保というのは経済安保でもあって、アメリカにくっついておかぬと損や、これが本当に誇り高い日本というふうにおっしゃる方の言葉かなというふうに思います。
 その国益観に引きずられてしまっているために、本当の国益を見失う。というのは、例えばイラク戦争、攻撃が始まったのが三月二十日です。それで、私ちょっと驚いたんですが、三月十日付のウォールストリート・ジャーナルに、この時点でアメリカ政府は、大手のゼネコン五社にイラクの戦後復興支援の契約案件を示して、入札手続を始めていたということが報道されています。つまり、世界じゅうで戦争をやめてほしいという声があって、安保理でもそういう議論があったのに、アメリカは既に戦後復興の契約を進めようとしていた。しかも、その五社の中には、チェイニー副大統領が二〇〇〇年まで会長をしていた会社も含まれている。ちょっとやばいんじゃないかな。
 大量破壊兵器があるからといって攻撃したけれども、実際には見つかっていない。フセインは独裁政権で、人道に対する罪を犯したと言っているけれども、それならばなぜ、先ほど草薙弁護士のお話にもございました国際刑事裁判所、アメリカはクリントン政権のときに条約に署名をしていたのに、後、ブッシュさんはそれを撤回しました。国際刑事裁判所は立ち上がったけれども、それに加わらないと言っている。国際刑事裁判所に訴追することだってできた。
 実際には、けしからぬと言っていた相手を捕まえることもできなくて、今、民間の調査機関の数字ですと、五千人から七千人の民間人が犠牲になったと言われているあの戦争をした。本当に、このアメリカにくっついていて、国家益、国益になるんでしょうかととても思います。
 そしてもう一つ、人類益をというお話もありましたけれども、これも民間の市民のシンクタンクが出している資料で、世界の軍事費が、これは約七十八兆円となっていますが、一ドル百円のレートで計算していますので、実際はもっと大きいと思います。年間約七十八兆円、そのうち約三分の一ほどを使えば、飢餓とか地球の温暖化防止とか、さまざまな環境問題、人類の貧困の問題を解決するためのプログラム、これは架空の数字ではありません、国連のいろいろな関係機関の五年計画、十年計画、二十年計画の一年間分の支出というのを足し上げていって、それが、世界の軍事費の約三分の一、これを五年間あるいは十年間続ければ、人類のさまざまな問題が解決できる。これをお聞きになって、そんなあなた、何夢みたいなことを言っているのとおっしゃいますか。もう私たちには戦争なんかやっている余裕はない。
 そして、私、高校生の娘がおりますけれども、アメリカの十三歳の少女がある反戦集会でしたスピーチで、いつも物事を決めるのは大人たちで、私たちは参加させてもらえない、でも、そのことで決まった結果、その結果はみんな私たちのところに回ってくるという発言をして、それをうちの高校生の娘がいたく感動しておりました。
 先ほどからお話にありました、平和憲法は非現実的だ、理想論だ、夢みたいなことをいつまでも言っているというふうに私たちさんざん言われ続けてきました。もちろんこれは、平和憲法を神棚に飾っておくだけではそうなんですね。そうではなくて、本当に平和憲法の理念を生かして、もっと国際機関をきちんと機能させていく、国連を機能させていく、そういうことをしていくリーダーになることで初めて実現すると思うんですけれども、それは、決して理想論でもないし、決して夢物語でもない。これこそが、もし誇り高い日本というふうな言い方をなさるとすれば、私はちょっとこの言い方には引っかかるところがありますが、もし、今多くの力を持っていらっしゃる方が、日本人はもっと誇りを持つべきだ、誇り高い日本の未来を考えようとおっしゃるならば、ぜひそのように考えていただきたいなというふうに思いました。
 私、県議会の議員をしておりまして、いつも少数派で悔しい思いをしていますけれども、こういう議論がきっちりとされて、かつ、公聴会の結果が単なるアリバイではなくて、会長さんにも本当にお願いを申し上げます、この国の未来を決める調査会として機能するように、アリバイ的なものにならないように、ぜひともお願いをしたいと思います。
 長くなって申しわけございません。
中山座長 ありがとうございました。
 まだ御発言の御希望もあるようですが、予定の時間が参りましたので、ここで終わらせていただきます――それでは、最後、短く。
中内輝彦君 憲法は国の根幹と言いましたが、その根幹に沿うて政治をするのが立憲主義です。だから、政府が本当に戦争がないように平和外交を続けて、国民の人権も保障して、生存権も保障して、一生懸命に努力し続けてきた上でなくして、政府が憲法をさぼり続けた上に今日の現状がある。このことを僕は一番残念に思います。だから、今からこそ日本国憲法に基づく政治を行うように、これがまず第一。
 第二、この憲法は、単に日本の憲法だけではありません。全人類の共有財産です。日本が前のアジア太平洋戦争で三千万以上の人を殺しました。日本人も三百十万死んだ。そういうとうとい犠牲の上にできたのがこの憲法です。そういうアジアの人たちの共有財産、いやいや、これは世界の犠牲者の共有財産です。その共有財産を僕らはもっと大事にして、本当に未来をつくる大事な大事な、一層発展する財産にしてほしいと思います。それこそが日本の生きる道です。
 以上。
中山座長 これで終わらせていただきます。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 意見陳述の方々におかれましては、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。ここに厚く御礼を申し上げます。
 また、この会議開催のために格段の御協力をいただきました関係各位に対しまして、心より感謝を申し上げ、御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 それでは、これにて散会いたします。
    午後四時五十五分散会


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