衆議院

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第6号 平成16年4月15日(木曜日)

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平成十六年四月十五日(木曜日)

    午前九時二分開議

 出席委員

   会長 中山 太郎君

   幹事 小野 晋也君 幹事 近藤 基彦君

   幹事 船田  元君 幹事 古屋 圭司君

   幹事 保岡 興治君 幹事 鈴木 克昌君

   幹事 仙谷 由人君 幹事 山花 郁夫君

   幹事 赤松 正雄君

      伊藤 公介君    岩永 峯一君

      衛藤征士郎君    大村 秀章君

      倉田 雅年君    河野 太郎君

      下村 博文君    杉浦 正健君

      棚橋 泰文君    渡海紀三朗君

      中谷  元君    永岡 洋治君

      平井 卓也君    平沼 赳夫君

      二田 孝治君    松野 博一君

      森岡 正宏君    森山 眞弓君

      綿貫 民輔君    大出  彰君

      鹿野 道彦君    楠田 大蔵君

      玄葉光一郎君    園田 康博君

      田中眞紀子君    武正 公一君

      辻   惠君    古川 元久君

      馬淵 澄夫君    増子 輝彦君

      水島 広子君    村越 祐民君

      笠  浩史君    太田 昭宏君

      斉藤 鉄夫君    吉井 英勝君

      阿部 知子君

    …………………………………

   参考人

   (元早稲田大学教授)

   (早稲田大学国際バイオエシックス・バイオ法研究所元所長)  木村 利人君

   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月九日

 辞任         補欠選任

  木下  厚君     馬淵 澄夫君

同月十五日

 辞任         補欠選任

  小林 憲司君     水島 広子君

  山口 富男君     吉井 英勝君

  土井たか子君     阿部 知子君

同日

 辞任         補欠選任

  水島 広子君     小林 憲司君

  吉井 英勝君     山口 富男君

  阿部 知子君     土井たか子君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法に関する件(科学技術の進歩と憲法)


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     ――――◇―――――

中山会長 これより会議を開きます。

 日本国憲法に関する件、特に科学技術の進歩と憲法について調査を進めます。

 本日は、参考人として元早稲田大学教授、早稲田大学国際バイオエシックス・バイオ法研究所元所長木村利人君に御出席をいただいております。

 この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。

 本日の議事の順序について申し上げます。

 まず、木村参考人から科学技術の進歩と憲法について御意見を一時間以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることとなっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 御発言は着席のままでお願いいたします。

 それでは、木村参考人、お願いいたします。

木村参考人 中山会長先生並びに委員の先生方、きょうはこのような大変に大事な会議にお招きを受けまして、感謝にたえないところでございます。本当にありがとうございました。

 本日のテーマは科学技術の進歩と憲法ということでございますが、会長先生、事務局からの前もって御連絡によりますと、非常に幅広い視野で、大所高所からこの問題点について論じていただきたいということでございますので、話の途中で、その詳細その他についてもし御疑問にお感じの節は、後ほど御質問いただければというふうに思っております。

 私は、海外での研究生活が大変に長くございまして、大学を出ましてから、東南アジア比較家族法ということで、タイのバンコクにありますチュラロンコン大学というところで研究を続けておりました。タイに約五年おりまして、それから、その延長線上に、ベトナム戦争当時の、一九七〇年と七一年でございますが、サイゴン大学におりまして、二年間そこで研究、教育の生活をしておりまして、その後、ジュネーブ大学の大学院、エキュメニカル研究科というところでございますけれども、そこで三年間研究と教育に従事いたしまして、ここは人権論をやったわけです。

 一たん日本に帰ってまいりまして、アメリカに一九七八年に参りまして二十二年間、正式には二〇〇〇年までアメリカに、最初はハーバード大学におりまして、それからジョージタウン大学、これはバイオエシックスの研究の世界的なセンターのあるところでございますけれども、そこに参りまして、そこで国際アジアバイオエシックス研究部というのを立ち上げたというわけでございます。

 その間、一九八七年から、早稲田大学に初めてできました、百年を記念してつくり上げられました人間科学部というところで、世界でも最初のバイオエシックスの必修の講義を学部の学生並びに大学院の学生たちに行ってきたわけです。

 私は、背景が法学、法律学、比較家族法学ということでございましたが、実はサイゴンにおりますときに、私の学生が一人で私のうちにあらわれまして、先生、日本から着いたばかりだけれども、今何を食べていますかと聞かれたわけですね。うちに引っ越してしばらくたったところでございましたけれども、エビとか魚とか海産物がベトナム料理は大変おいしいものですから、そういうものを食べている、お米も食べている、水も普通に飲んでいるということで言いましたら、学生が非常に私の顔を真剣な顔で見詰めまして、先生、エビとか魚とかそういうものを大量に食べると大変なことになりますよ、毎日エビを食べるというようなことはやめてくださいというようなことを言われました。そして、彼がかばんの底に隠していたドキュメントを見せてくれたわけですね。それが、実はその当時行われていた枯れ葉剤による、その中に含有されているダイオキシンの影響で生まれた赤ちゃんの写真だったわけです。

 枯れ葉剤というのは、これはダイオキシンを含有しておりまして、大変な猛毒でありまして、これは当時言われていたことですが、ごく微量の、約八十五グラムぐらいダイオキシンがございますと、ニューヨークの市民が一挙に死んでしまうぐらいの効力を持つとされていた大変な劇薬でございまして、私は本当に驚きました。もうエビや何かを毎日食べた後なものですからちょっと遅いかなと思ったんですが、それから非常に慎重にして、水もろ過して煮沸してというような生活に入っていったわけです。

 これを契機に、私は、法律学の研究ということで、比較的社会とか文化とか家族関係とかということを中心にしておりました研究分野を、科学技術、特にそれに基づく兵器の悪用、誤用の問題と人間の生命の尊厳ということに焦点を合わせまして、そして、人権と科学技術の問題等を中心に研究を始めることにしたわけです。

 つまり、一九七〇年代の初めにこの問題に取り組んでいったわけですけれども、その契機となったのは、私とベトナムの私の学生とのこの出会いでした。この学生は片手がございませんでしたが、後にその学生の友人から聞いたところによりますと、みずから手を傷つけて、そうして戦争に行かないことを、拒否したということでありましたけれども。

 そういう状況の中で、私はサイゴンの街角で、アメリカ軍が放出した本を売っている本屋さんがありまして、そこの本屋さんで一冊買いました。その本のタイトルを今でもはっきりと覚えているんですけれども、それは「バイオロジカル・タイムボム」、生物学的時限爆弾という本なんですね。生物学的時限爆弾というその本の中に、既に一九七〇年代、これは六〇年代の終わりに書かれた本ですけれども、その中に、体外受精の問題とか死の問題、移植の問題とか、あるいはクローンの問題とか、そういうことが取り上げられておる。

 これはゴールドン・テーラーという人が書いた本で、後にみすず書房から渡辺格という方が訳されて出していますけれども、その方の本なんですが、その一章を読んだとき、私は大変に驚いたんですね。それは、ジーンウオーズ、遺伝子戦争というチャプターがあったんですね。七〇年代の初めに、これからの生物化学兵器は特定の人種の遺伝子に働くような爆弾を開発することになるだろうということが書いてあったわけですね。大変に私はショックを受けまして、実はその遺伝子戦争のただ中に私はいたということを実感して、脂汗が出てきたといいますか、非常に衝撃を覚えたわけでございます。

 この遺伝子戦争という、遺伝子というのは、先生方御存じのように、ジーンですね。それで、殺すというのはサイドと言うんですね。ジーンを殺す。これは英語ですけれども、ジェノサイドという言葉がございます。これは、通常ホロコーストと並べて一緒に使われます、いわば大量虐殺のことを言うわけですけれども、まさに遺伝子を殺す大量虐殺の中にいて、しかもそれは、その本に書かれてあったような特定の人種に対する遺伝子ではなくて、敵も味方もやっつけてしまう、遺伝子を攻撃する爆弾なわけですね。

 ですので、アメリカでは、枯れ葉剤による被害を受けたということで集団訴訟が起きまして、ベテランズアドミニストレーション、これは復員軍人局ですけれども、そこでは、集団訴訟を受けて立って、そして、枯れ葉剤による戦傷の度合いに応じて損害賠償金を払っているという事態になりまして、つまりこれは、韓国の人にも、オーストラリアの人にも、当時ベトナムに従軍していた兵士の間にも、いろいろな被害を巻き起こし、がんの多発とか皮膚病とかあるいは出生障害、そういうことを巻き起こしている。

 つまり、生物化学兵器というものは、敵、味方を超えて、実はさまざまな影響を長い世代にわたって及ぼす、これが一九七二年の私の体験でしたけれども、今から三年前にベトナムを再訪しました。再び訪れたわけですが、そのときハノイの赤十字で私が見せられたビデオフィルムがございますが、それは、現在も遺伝的な障害を持った方がお生まれになっている、その数はほぼ十万人というふうに、当時、ハノイの赤十字の方から言われたわけでございます。ということは、ベトナム戦争が終わってから二十五年たってもまだ遺伝的な障害を持った方々が生まれているという大変に悲惨な事態。

 果たして、私は、その私のベトナムの学生がうちに来たとき、それから二十年、三十年後のことを考えていたかというと、自分の身を守るためにそういうものは食べないということは誓ったんですが、ベトナムの学生が私に言ったように、これはアメリカによるジェノサイドですよと言ったそのことには、余り思い及ばなかったわけですね。

 まさにそういう被害が及んでいるということを、つまり、科学技術の悪用、誤用ということが人間の生命に極めて長期にわたって大きな惨害、被害を及ぼすということをベトナムで体験したわけです。

 今世紀は、前世紀から遺伝子の時代と言われておりまして、先生方御存じのように、今、世界的なスケールで、ヒューマン・ジーノム・プロジェクト、ヒトゲノム解析の研究が進み、そして、今から四年ぐらい前でございますけれども、クリントン大統領は、これは月へも到達する偉業に比べられる、あるいはそれ以上の大きないわば成果がヒトゲノム解析研究によって与えられる、人間の遺伝子の解析をベースにしたテーラードメディシンもできるかもしれないし、あるいは再生医療にもつながるかもしれないし、バラ色の未来がヒトゲノム解析の研究の結果得られるというふうにクリントン大統領は声明文の中で言っておりまして、そして、日本におきましても、ヒトゲノム解析研究の一端を担って研究が推進されてきていたという現状があるわけです。

 しかし、よくよく考えてみますと、このことについてはほとんど指摘されていないことなのでございますけれども、私の、Iの「環境破壊―ジェノサイドの悲劇」の2のところでございますが、「ヒトゲノム解析プロジェクトとヒロシマ・ナガサキ」というふうに書いてあります。ヒトゲノム解析プロジェクトというのは、アメリカで始まったときにはエネルギー省が、つまり、現在、厚生省、特にその管轄のもとにありますNIH、ナショナル・インスティチュート・オブ・ヘルスという一大研究機関、ノーベル賞学者が何十人もいるという世界最大の医学研究機関の中のヒューマン・ジーノム・プロジェクトの研究所としてあるわけですが、これが最初に出てきたときには、NIHでも厚生省でもなくて、エネルギー省から出てきたんですね。

 エネルギー省からなぜ出てきたかといいますと、ヒトゲノム計画とエネルギー省というのは普通結びつきませんが、これをさかのぼって考えてみますと、エネルギー省の前身は原子力委員会、その前身はABCCなんですね。アトミック・ボム・カジュアリティー・コミッションといいまして、これは、広島と長崎に原子爆弾が投下されてからすぐ遺伝子の専門家を広島と長崎に派遣して、それによって人間の遺伝子が、特に放射能によってどういうふうに変化したかという、放射能による遺伝子の変容を調べる、そういう科学研究技術プロジェクトがあったんですね。その膨大なデータ、つまり、広島と長崎の原爆のいわばサーバイバー、被爆者の方々の血液からとった遺伝的なデータをベースにして、これをベースにして何かできないかということを考え出したのがエネルギー省だったんですね。

 この膨大な遺伝的データの蓄積を人間のいわば未来への研究、新しい遺伝子の研究につなげることができないだろうかということで始まったのがエネルギー省の計画で、それにつなげていったのがアメリカの厚生省だったわけでございます。

 私たちは、そういう意味で、バラ色のヒトゲノム計画を見るときに、いつも私自身は、広島と長崎の被爆、そしてまたそれで亡くなった方々のことを思いながら、バラ色の未来というのは一体何だろう、科学技術というのは一体何だろうということを考えていたりしているわけです。

 ユネスコができましたときに、これは第二次世界大戦後の教育文化機構ということで、宣言をつくって、そしてユネスコができるんですけれども、ユネスコというのは、御存じのように、教育、文化、そして科学が入るわけです。サイエンスが入るわけですね。初めはサイエンスが入らなかったということなんですね。ユネコという名前だったらしいんですね。

 それは総会の議事録をごらんいただけばわかりますが、Sが入ってユネスコという、Sが入ることになった理由が、人間がつくり出した科学技術が、このように一瞬に大きなスケールで人間に危害を加え、そしてまた、それが長期にわたって人間に極めて激しい悲しみ、苦しみ、悩みをもたらし、そしてまた死んでいく、サイエンスの問題を入れなくちゃいけないということで、そしてユネスコという、Sが入ったんですね。

 私は、今世紀、「「戦争」の世紀から「いのち」の世紀へ」というエッセーを書いて、これは皆様方のお机の上にお配りしてございますけれども、戦争の世紀から命の世紀へということで、これだけ大きいスケールで起こったことへの命の反省が、これは基本的人権を基礎にしてなされねばならないということで、国際機関に、そしてまたそれぞれの国の多くの立法の中にいろいろな影響を与えたというふうに考えているわけであります。

 私は、サイゴンでの仕事を終えましてからスイスに行きましたけれども、スイスでは、ジュネーブ大学に行きまして、これもまた大変に感銘を受けたわけですけれども、先端医科学技術の問題をどのように人間の権利、人間の尊厳と重ね合わせて考えるかというプロジェクトが、一九七二年の段階でWHOで進行していたわけですね。

 ここにその当時のドキュメントも持ってまいりましたけれども、WHOでは特に、「ヘルス・アスペクツ・オブ・ヒューマン・ライツ・イン・ザ・ライト・オブ・ディベロップメンツ・イン・バイオロジー・アンド・メディスン」、生物学と医学における発展の光の中で見た基本的人権の健康的諸問題ということでドキュメントが出ておりまして、そういうドキュメントに基づいて、その後WHOはいろいろな文書をつくってまいります。

 特に、私が一九七二年にジュネーブに行った段階で既に、例えば目次にございますように、人工授精の問題、それから遺伝的障害を持って生まれた赤ちゃんの問題、あるいは胎児を使った研究の問題、あるいは断種の問題、そしてまた避妊の問題、予防医学の問題、人体実験、臨床治験の問題、インフォームド・コンセントと医学へのボランティアとしての参加の問題、そしてまた死をどのように定義するのか、それに関連して臓器移植をどう考えるかというのを、もう一九七二年、今から三十二年前の段階でやっていたわけでございますね。

 それに伴いまして、私も国際会議をジュネーブでオーガナイズいたしましが、その一つがチューリヒで行われたジェネティクス・アンド・クオリティー・オブ・ライフという会議でございました。このジェネティクス・アンド・クオリティー・オブ・ライフ、これは一九七三年、今から三十一年前の会議ですが、ここで出てきた国際的な意見というのがその後の世界の各国の立法府にいろいろな影響を与えている。

 どういう点で影響を与えていたか。三つあるんですね。一つは、命の問題については、命の専門家と称する方々、それが当然、今から三十年前ですから、命の専門家といえば、これは医師であり生命科学者であったわけですけれども、そういう方々に任せてはいけない、私たち一般の市民の一人一人が命の問題を自分の問題として考える方向を出していくべきだ。そのためには、さまざまな学問分野の領域を超えた共同の研究システムをつくると同時に、科学研究についてはある一定のガイドラインを設ける必要がある。そして、そのガイドラインを、特定の国でつくるガイドラインというものを踏まえて、国際的なガイドラインをつくる必要があるだろうということをこのときに話し合ったわけでございます。

 私が一番感銘深く思ったことの一つは、このときまだ、体外受精、IVFと言いますが、イン・ビトロ・ファータリゼーションですけれども、成功する前で、これは一九七三年のことでしたが、ロバート・エドワーズというケンブリッジ大学の体外受精の専門家、その後一九七八年に世界で最初の体外受精児を成功させるわけですけれども、研究の第一線の先陣争いのただ中にある研究者がスイスのチューリヒでの国際会議に来られて、宗教家、哲学者、科学者はもちろんのこと、政策担当官、スウェーデンからも元科学技術庁の次官、ドクター・アネーという方がおいででしたが、それから遺伝学者、さまざまな分野の方々がおいでになって、そのガイドラインのあり方について一緒に考えていたわけですね。

 私は、その当時考えましたのは、このような広がりの中で科学技術が方向づけられるということの非常に大きい意味、しかも、ディプロフェッショナライズといいますか、専門家が専門家であるがために見えなくなっている感覚がございまして、それを広げる形で、一般の参加者も含めてガイドラインを公開でつくっていく、ともにつくっていく。これをバイオエシックスという私の専門分野の用語で言えばパブリックポリシーと言うわけですが、そういうパブリックポリシーを国際的、国内的につくり上げていくということの意味をこのときに教えられたわけです。

 生殖補助医療にいたしましても、あるいは臓器移植にいたしましても、脳死にしても、遺伝子操作にいたしましても、このときの手法を取り入れまして、今までは学会の専門家中心、そしてまたあるときには行政担当官、特に健康、医療を中心にしている、アメリカでも厚生省の方々を中心にした専門家によるガイドラインというシステムが大きく変わるんですね。

 そして、公開の席で、しかも、委員の中には必ずレイパブリックの代表、つまり、専門家でない方々を、いろいろな分野の方々を入れてやっていこうということになっていくわけで、そういう点から考えますと、一九七〇年代の初めに、主催したのは世界教会協議会という、これは欧米の方々ならどなたでも御存じの国際的なキリスト教の世界組織、キリスト教の国際連合と言えるような組織、ワールド・カウンシル・オブ・チャーチスというところが主催したわけでございますけれども、その主催のオーガナイジングコミッティーのメンバーの一人としてこの会に私は参加して、いわば国際的なバイオエシックスのガイドラインづくりを今から三十数年前にやったわけでございます。

 アメリカでもヨーロッパでも、そしてまたアジアの各地でも、この会議に対する注目度は極めて高かったんですが、日本は余り注目しませんでした。当時、「世界」という雑誌が少しこれについて書いたわけですが。

 ジェネティクス・アンド・クオリティー・オブ・ライフという言葉に象徴されておりますように、いわば遺伝子の問題をどう考えていくのか、それを考えるときに、政策担当者並びに専門家だけではなくて、一般の方々を踏まえてこれを展開していく方向にしていかなければいけない。そのためには、公開のいわば検証が必要である。パブリックスクルーティニーが必要であるということで、NIHにいたしましても、あるいはアメリカの厚生省にいたしましても、さまざまな会議は公開でやっておりまして、今まさにそれから三十年を経て我が国も、これは閣議決定によりまして、さまざまな審議会、政府の関連の諸委員会、本日も含めて、公開という方向が出てきているというのは、ある程度時間的なギャップはございますが、大変にこれは望ましい形ではないかというふうに思います。

 私自身も厚生省の厚生科学審議会の委員として公開の主張をいたしましたし、その中には、いわば論議されている事柄の焦点になるべき方々、例えば遺伝子治療あるいは障害者の遺伝的な欠陥をめぐる諸問題について討議いたしましたときには、まさにそのような方々をも含めた公開の委員会が開かれ、そして、それがインターネットで公開されるという時代になったという、いわば三十年たって日本も随分変わったなということを感じているわけでございます。

 今、私は内閣の司法制度改革推進本部事務局の法曹制度検討会の委員もしておりますけれども、そこも、これは公開にすべきかすべきでないかという話がいろいろ出てきたわけですが、これは完全に公開にいたしまして、議事録ももちろん名前入りということで、日本としても大きな変革のときに来ているという方向を、私は大変に望ましいというふうに思っております。

 ジュネーブでの仕事を終えましてから、アメリカに行きました。アメリカでは、私はハーバード大学で、私は元来が法律出身なものですからロースクールと、それから私の宗教的な背景ということがありまして世界宗教研究センターというところでのプロジェクト、ロースクールといわば神学部そしてまた医学部との共同のバイオエシックスのいろいろな研究のプロジェクトがございまして、それに参加しました。それは一九七八年のことでした。

 ハーバード大学では、客員研究員をしておりましたので、先生方のいろいろな講義にも出ることになったわけです。

 私は、本日のテーマにもこれはそのまま関係してくることでございますけれども、ハーバード・ロースクールで憲法のセミナーに出ました。これはそのときの資料の一冊ですね。ハーバード・ロースクールでは、判例その他を全部読みまして、それから、関連するものも全部こうやってとじてあるわけです。

 私は、このハーバード大学でのセミナーをとって大変に驚いたんですけれども、セミナー、コンスティチューショナルローというんですね。コンスティチューショナル、憲法。アドバンスト、これはいわば上級コースです。上級コースの副題がこうなっているんですね。「バイオメディカル・テクノロジー・バイオファンタジー・アンド・ザ・ロー」、生命医科学技術と生命幻想小説、バイオファンタジーですね、そして法律。いろいろな教材を使いましたが、その教材はサイエンスフィクションです。私は大変にショックでした。憲法のセミナーでサイエンスフィクションを使って、そして論議をしている。

 例えば、今でもよく覚えております、これは、ローレンス・トライブというアメリカの憲法学の最高権威の一人の教授のゼミですけれども、将来、人間がクローン技術を開発して、人間のクローンだけじゃなくて、動物のクローンはもう容易にできるようになるだろうから、しかし、人間の持っている情報を例えば猫なんかに入れた場合、そしてまた猫の生態なんかを変えて猫人間みたいなのをつくった場合に、それを猫と見るのか人間と見るのか、猫人格か人間猫かというような論議をやっているんですね。

 法律というのは、時代の中で大きく社会を変化させる意味を持っているんですね。我々、一般的に考えますと、法律というのは後追いですね。大体、社会の後追いなんですが、このハーバード・ロースクールの教授は、法律がイニシアチブをとって社会を変化させるようなことも考えていこうじゃないかという非常に前向きの論議を、将来アメリカの大統領や国務長官になるような方々、若い優秀な方々を集めた、たった十五人のゼミで、これから五百年ぐらい先を見て憲法の論議をしようと、この人はマーシャル群島の憲法をつくった人なんですけれども、ということを言っているんですね。

 そのときに、今はっきりと思い出しますのは、君たち、人間でなくても人間として扱われているものがあるけれども、人間でないけれども人間、どういうものだと思うね、あるいは、人間なのに人間でないことも法律的に可能だったよね、それをどう思うと言うんですね。

 人間だったのに人間でないということをアメリカのコンテキストの中で言えば、これは、ロースクールの学生諸君ですと、人間なのに人間として扱われたことがなかった、アメリカの歴史の中でそれはどういう事例ですかと言われれば、これは、ここにいらっしゃる先生方もおわかりかと思いますが、奴隷のことですね。一八五七年の判例に至るまで、その段階でも、これは、人間で、ちゃんとした、れっきとした、本当の尊厳と人格とを持った黒人でありながら、これをいわば家畜と同じように蓄財の対象とし、それをふやしていく、そしてまた家族を分けていくというような、人間なのに人間でない。

 では、人間でないのに人間としたのは、君たち、どういうふうに思いますか、そういう事例が世界の歴史の中であったかねという質問をしたんですね。そのときに配られたドキュメント、一九一一年のハーバード・ロー・レビューの論文のコピーを配られまして、これは判例に基づいて書かれたものですけれども、人間でないのに人間というのは、私たち、言われてみればわかりませんよね、よく。

 しかし、ここに書いてあるのは、コーポレートパーソナリティーということです。法人ですね。法人というシステムを人間はつくり出して、これは、世界の貿易のいわば興隆期に当たって、十六世紀、十七世紀、そういう中で、法人という、そこに投資して、そして人間と同じように誕生して、人間と同じように法律行為ができて、そして人間と同じように死亡する、そういういわばリーガルフィクションをつくって、そして社会を変革していった、この法人という考え方があったために資本主義社会は大きく世界のスケールで定着していったと。

 つまり、法律家というのはそういうことを考えられるんだよ、将来の未来に向けて、私たちは、大体五百年ぐらい前から、そしてまた五百年ぐらいを展望して、ローヤーというのは考えていかなくちゃいけないんだよということを教育されるわけです。

 ロースクールが今度できまして、いろいろな形で実務との交流が起こるわけです。日本の大学の法学教育というのは、こういう発想は一切なかったんですね。私自身が、法学徒としてかつて勉強した者として言いますと、サイエンスフィクションを読むということすらほとんどなかったわけですが、それを教材の中に取り入れて、そうして実際にサイエンスフィクションを読みながらやったわけですが、私はこれをリーガルイマジネーション、法的な想像力というふうに言います。

 私の本の中に書いてあるんですけれども、米国でのイマジネーションの教育は、バイオエシックスや価値観教育の中で行われていますが、現実にSFを教材にして徹底的な学習をさせる例がふえてきているのが注目されます。ウィスコンシンのアルベルノ大学の価値観教育やハーバード大学法学部の憲法ゼミ、これはロースクール、法科大学院ですけれども、生物医科学技術と生物幻想物語・SF及び法律等々で取り上げられてきたテーマには次のようなものがあります。

 臓器移植の法的、倫理的問題はもちろんのこと、クローン人間の人権、地球外生物・動物と人間の合成生物、大脳機能の外的な操作、生命、死、人口のコントロール、中性人間並びに性転換の人権のあり方、あるいは試験管内授精、超人間計画、スーパーヒューマンですね、それから場合によっては人口増加に備えて、疫病の人為的流行計画、ある程度人間はふえ過ぎると困るのでそれを人為的に、他に及ばない形で減らしていくようなこととか、あるいは細菌戦用の遺伝子兵器等々、こういうことを実際に討議しているんですね。

 私は、こういう素養をアメリカのロースクールでやっているということに大変な衝撃を受けたわけです。

 そういう観点から見ますと、リーガルフィクションによる社会変革ということは、これはアメリカのニューディールの動向を見ればおわかりのように、アメリカの最高裁は、憲法の中身を変えるというよりか、条項でつけ加えていく、アメリカの場合には憲法に附帯条項がついていくわけですが、いろいろな裁判の判例を最高裁が下していくことによりまして、そして社会のイニシアチブをとっていくという方向が、アメリカの場合にははっきりと見えている。最高裁判事の任命にかなりポリティカルなエレメントが働いたということが、一九三〇年代、四〇年代にあって、ニューディールがいわば成功した。このいわばアメリカのニューディーラーたちが日本の戦後に来て、その理想主義に燃えて、そして占領政策をいろいろつくっていくことになるわけですね。

 アメリカは、いろいろなことをやりました。アメリカというのは、いろいろな人体実験を含めて、極めて人権侵害を意図的に、大胆にやってきた国の一つでありますし、そしてまた、広島、長崎という、人間が、人類が絶対起こしてはならない犯罪的戦略によって日本の人口に対するアタックをしたわけですけれども、アメリカがしたもう一つの実験の一つは、日本に優生保護法をつくったということです。

 これはもちろん、戦前に国民優生法というのがありまして、これをなくしまして、戦後に優生保護法というのをつくるわけですが、この優生保護法というのは、私たち日本人は、これの持っている国際的な意味合いを余り感じないままに法律として受け入れてきたわけですね。つまり、簡単に言いますと、刑法にあります堕胎罪の違法性を阻却して、優生保護法の適用によって人工妊娠中絶を可能にしたわけです。

 これは、アメリカ占領治下に可能になった法律でありますので、アメリカの戦後の統治の文献などを読みますと、日本にやらせてはいけないことの一つとして、人口の増加ということがあります。人口を極力抑えるということも踏まえて、そして、この優生保護法がマッカーサーの監督下にできることになるわけですが、これについては、アメリカ側から、予想外ですけれども、大変な反発が起きるんですね。

 特にバージニア州のカトリックの方々からマッカーサーに対していろいろな手紙が来ます。このような優生保護法を日本でつくったら、あなたは日本人をジェノサイドしたゼネラルと呼ばれるだろう。ジェノサイドゼネラルと呼ばれることになると。日本人の人口を集団的に、大きいスケールでいわば滅ぼしていく人工妊娠中絶をやめるようにという投書がアメリカから来るんですね。

 日本側は、論議がないんですね。日本側は、背に腹はかえられない。これはいろいろなことがございまして、戦時下の状態の中でどうしても、生活困窮、要するに、背に腹はかえられないということで、苦しい中でいろいろな決断をしなくちゃいけないということが先に立ちましたが、アメリカ側から見ると、これはジェノサイドゼネラルということで、アキューズされるんですね。

 これは、日本で比較的有名で、御存じかと思いますが、マーガレット・サンガーというファミリープランニングの専門家がおりまして、戦前に日本に来て、演説をするわけですが、軍部によって退去を命ぜられるわけです。つまり、人口増加を国是としていた国に来て産児制限を説くとは何かということになったわけですが、このマーガレット・サンガー、彼女が残したすべてのドキュメントがアメリカの国会図書館にありまして、その中で見た、マッカーサーがサインした手紙がございます。

 今、マッカーサー資料室にもありますし、日本側にも恐らくコピーが来ていると思いますが、その中には、ダグラス・マッカーサーが自分でサインした手紙、私は、日本人をジェノサイドするつもりはないと。これは当然ですよね、私は関係ありませんと。日本では御存じのように、太田典礼とかあるいは加藤シヅエとかそういう方々が、当時の衆議院議員の方々ですが、国会に出して、そしてこの法律を通した。このときの日本医師会も、これに対してはやや肯定的であったということになるわけです。

 そういう形で、いわば人工妊娠中絶を極めて世界的なレベルで、結果的にその違法性を阻却した世界で最初の国の一つに日本がなって、そして、これは非常にドラマチックに日本の人口の下降現象が起き上がったわけでございます。

 そういうことから考えると、法律というのは、日本では特に、法律があればモラルがそこにあるというふうに思っちゃうんですね。ですから、人工妊娠中絶がいいとなっちゃうんです。アメリカの場合は、これは一九七三年のロー・バーサス・ウエイドという人工妊娠中絶についての最高裁の判例がございますが、これは、女性のプライバシーの権利として認めた。

 これは、人工妊娠中絶をプライバシーの権利として認めるんですが、法律が認めようが認めまいが、やらない人は絶対にやらない、道徳的に反していると。これは、特にカトリックの方々、バージニア・カトリック、マッカーサーたちに手紙を送った方々ですけれども、そういう方々はもう絶対に反対なわけですね。

 マッカーサー司令部の中にはナチュラル・リソース・セクションというのがあって、そこにはジョンズ・ホプキンス大学のトンプソンという、これは元来人口制御論者なんですけれども、日本の人口をふやさないという論者ですが、この人がつくったドキュメントがあって、それを全部マッカーサーが回収して、我が占領軍は関係ないという形で、日本人がつくったという形になっていますが、そのことにつきましても私は論文に書いております。

 そういう人間の命の問題にかかわりを持って、どこかの国がそれをいわばジェノサイドしていくということを徹底的に避けなければいけない。つまり、私たちは、戦争という形ではなくても、いろいろな形でジェノサイドが起こりつつある、その現状を見ていかなければいけないというふうに思うわけでございます。

 私たちは、自分の健康についてのいろいろな情報、今までの日本の中でありますと、特に医療の現場では、患者に対して、その患者ががんの末期であるとか、あるいはさまざまなその他の病気についての情報を流さないことが当然であると。これはいわば、セラピューティックプリビレッジ、治療の特権といいますか、そういうこととして、患者側にその診断の結果の内容を告げるも告げないも自由ということで、日本のみならず、世界の諸国でそういうことが行われてきたわけですが、こういう時代の中で、私たちは、きちんと自分の命に関する情報については、それを自分が手にして、それに基づいて自分が判断を下すという時代になったということが言えると思うんですね。

 私が、一九七〇年代の終わり、特に八〇年代の初めから、インフォームド・コンセントということを臨床の現場で使うように、私自身がこの片仮名用語で、いろいろな形で、病院や医師会あるいは医学会その他で講演をし、またキャンペーンをしてきたわけですが、そのときに、医師会の先生方を初め、いろいろな方々から忠告を受けました。あなたみたいに若いアメリカ帰りの法律家が、医療という経験と教育と、いわば実践等を踏まえた方々に対して何を言ったって意味がない、医療のことは医者に任せなさいというふうに言われたわけですね。

 私自身も患者になりまして、これはサイゴンにいたときですけれども、結石が発病いたしまして、日本に帰ってきて手術を受けましたが、そのときには、もうほとんど医師には何も言われませんでした。診察室の中にいた医学生と、これはどうだねとレントゲンの写真を見ながらやっていた主治医との間の会話で私の手術を翌日すると決まったわけですが、アメリカで、ハーバード大学におりましたときに結石の手術になりまして、もう一遍病院に行ったときには、約一時間時間をかけてレントゲンの写真を見て、詳しく説明してくれて、そして、最後に言われたことが私は大変に、これまた大きいショックだったんですね。

 それは、日本では有無を言わせず、これは当たり前だと思っていましたからいいんですが、有無を言わせず手術です。ところが、アメリカでは何と言ったか。医者は、これがあなたの病状です。そしてまた、この病状を避けるためには、薬を飲む方法、手術をする方法、それからまた、セカンドオピニオン、ほかの医者に聞く方法、いろいろありますよ。そしてまた、手術を受ける受けないは、私でなくてもいいですと。ドクター・レザビッツというハーバード大学のマウント・オーバン・ホスピタルの医者でしたけれども、私でなくてもいいです、どこか行きたいならどうぞ行ってください、情報は全部上げますと。ですけれども、最後に言った言葉が、ユー・アー・ザ・ファイナル・ディシジョンメーカー、あなたが最終的な決定者ですよ、手術するのもしないのも。

 私は、医療における裁量権は医師側にあると思っていましたので、そのときを契機に、情報を十分に受けて、自分がこの医者に手術してもらいたいとか、あるいは自分がいわば違う形の治療を受けるとかいうことを基本的にわきまえる時代にならなければいけないなということを一九七九年の手術のときに知ったわけです。

 一九八〇年に、私が日本でその経験を踏まえてインフォームド・コンセントの話を片仮名用語で言ったときに、日本の医師会の方々は、ここに医師会の方々もいらっしゃるかもしれませんが、説明と同意でどうして悪い、今までは説明も同意もしていなかったので、説明と同意をする時代になったらそれでいいじゃないですかと言ったんですね。

 私は、私の「バイオエシックス・ハンドブック」という本の中にも書いてありますが、新しい酒は新しい皮袋にという、これは聖書の中の言葉ですけれどもございますが、新しいコンセプトは、古い言葉、説明と同意という言葉よりも、インフォームド・コンセントという片仮名用語でアピールした方が、非常に日本の医療に対するチャレンジングなアイデアになるし、患者さんにとってもいいと思うから使っているんですと言ったんですね。これを使ってくださいと言ったんですね。そうしましたら、いや、これは説明と同意でいきましょう、そして、片仮名用語で長いから、これは定着するはずがないというふうに言ったんですね。私は、いや、五年のうちには定着します、一九八〇年でしたが、八五年ぐらいまでには定着しますと言ったんです、ちょっと時間がかかりましたが。

 今、インフォームド・コンセントという言葉は大学に入ってくる学生のほとんどが知っています。これは、二十年前にはほとんどだれも、ここにいらっしゃる先生方も、ほとんどインフォームド・コンセントという言葉を御存じなかったと思うんですね。国語の字引にも入って、最近はこれを納得診療とか日本語にまた変えようという動きもございますが、インフォームド・コンセントが説明と同意や納得診療とどこが違うのかといいますと、私のアメリカでのショックの体験の中にございますように、ともかく本当のことを言うということですね。

 説明と同意というのは、医療側が自分で裁量して本当のことを言わなくてもいいんです。しかし、本当のことを言う、本当のことに基づいて、そして診断のためのいわば検査の内容についても正確にそれを伝える、どういう検査を何の目的でやるかということを伝える。そして、具体的な処置について、医療側はこれを提案する。

 大事なことは、説明と同意の場合には、私はこれをやりますよと一生懸命説明してくれるわけですね。しかし、インフォームド・コンセントの場合には、その選択肢を言わなければいけないんですね。どういうやり方があって、どういう選択肢があるのか。日本の場合の説明と同意の中に入ってこないのは、リスクということですね。これをやった場合にどういうリスクがあるのかということを言わなくちゃいけない。

 今起こっている医療事故の大半は避けられたでしょう、もし患者に本当のことを言っていたら。そして、リスクについても、これだけのリスクがあるということを言っていたら、患者がもしかすれば避けた可能性がある事故が極めて多いんですね。それをいわば説明と同意という形で、医療の分野ではムンテラ、ムントテラピーという言葉が伝統的に使われておりましたが、口の治療ですね。要するに、口でごまかすと言うと語弊がありますが、口でうまく言いくるめるという形でやっていた。そして、リスクを踏まえた上で、その処置をやらなかった場合にはどうなるのか、予後はどうなのか、それ全体をわかりやすい言葉で相手に伝えて、相手が納得したかどうかを確認するということがインフォームド・コンセントなんですね。

 インフォームド・コンセントという考え方は、診療の、医療の現場の中の問題だというふうに大体普通の人は思うんです。しかし、私が唱えておりますバイオエシックスの考え方からすると、これは社会の基本の考え方。政府は政策について国民に十分な情報を出す、それはこの最後のところにもなりますが、インターネット時代の中でさまざまな形でその情報を出し、そして、その情報について国民が選択して、いろいろな形でこたえられるようなシステムを、つまり、双方向性の社会をつくり上げていくという展望がこれからは必要になってくるというふうに思うわけです。

 いわば、インフォームド・コンセントという考え方が患者側にぴったり入ったんですね。ですから、言葉は定着しました。言葉が定着すれば、それを定着したままで使っていくのが新しい文化のあり方です。日本語という言葉自体がいろいろな言葉を入れて成り立っている。漢語がなければ日本語は成り立っていないわけですね。そしてまた、平仮名のほかに片仮名があり、いろいろな洋語が入って日本文化が現代に至る形で形成されてきているわけで、そういう意味で、インフォームド・コンセントという言葉が、私から発して、こうやって日本社会の中に定着するようになったということは、これは極めて望ましいことであったというふうに私は思いました。

 これは、ついでながら余談ですけれども、この国際シンポジウムを日本でやりましたときに医学研究振興財団、当時の学術会議の会長の塚田裕三先生、慶応義塾大学の名誉教授を今されておりますけれども、その先生のお招きなんかで来たわけですが、そこに武見太郎先生がおられて、武見太郎先生が、これは私に直接言ったんではないんですけれども、アメリカ帰りのあんな若造が何を言ったって、医療は医師中心じゃなくちゃだめだよと言っていたんですね。

 そうしたら、その後のパーティーで、木村君、武見会長はああ言うけれども、君が本当に信念を持っているならそれを言い続けなさい、君みたいな法律家が日本の医師の前で話す時代が来た、早稲田大学など、大体、医学部がないところの人がアメリカへ行って勉強して、そして、世界をまたにかけて勉強した人が帰ってきて日本の医師にチャレンジするのはすごくいいから、君、それをやり続けなさいと言った人がいるんですね。それは、私が大変敬愛する井深大さん、ソニーの当時の会長でした。ソニーの当時の会長はパイオニアとしての生き方を私に示したかったんだと思うんですね。パイオニアというのは大変だ、大変だけれども、やることがあったら徹底してやり続けなさいというふうにして私を激励してくれたので、現在の私があるということになると思うんです。

 そういう意味で、インフォームド・コンセントという考え方が日本の社会に定着する、それは、アメリカの場合には医師と患者との関係だけではなくて、政府も、そしてまた地域の病院も、いろいろな形で情報を流し、そしてそれを踏まえて地域の住民が、どこの病院がいいか、どこの医師がいいかということを判断できるようなことを考えていくような方向にあるわけです。

 健康情報ということにつきましては、そういうことで、本当のことを正しく知らせるということになるわけですけれども、これはさまざまな問題が出てきます。

 例えば、BRCA1とここに書きましたが、家族性のいわば乳がんの場合に、医師の守秘義務というのは、患者といわば専門家としての医師の倫理的な規定の根本にある考え方ですけれども、このBRCA1というのは家族性であるためにそのお子様やあるいはごきょうだいの方に絶対に発症する可能性があるので、BRCA1の遺伝子があった場合にどうするかという問題がありますし、それからHIVの場合もそうですけれども、診断については、例えば夫なり妻なりが診察を受けてそれが判明した場合に、その夫なり妻なりが配偶者に言っていない場合に医療側は言っていいのか。

 アメリカではタラソフ・ケースというケースがありまして、精神的に疾患を持った方があの人を殺すと言っていたのを知っていたわけですね。しかも、その殺すと言っていた相手方も医師は知っていたわけですね。何回かこれはアドバイスをしまして、そしてキャンパスの警察官がそばに張りつくようなことをやっていたわけですが、本人には言っていなかった。最終的にその人が殺されてしまったという大変に大きい事件がありまして、急迫不正の侵害に伴う可能性がある場合には、生か死かという問題にかかわる場合には、医師の守秘義務を超えた倫理的な原則に基づいて、他者に情報を与えるということも許容の範囲内ではないかという説も今できているわけです。

 時間が迫ってまいりましたが、「おわりに」というところで、「未来ジェネレーションの人権と法の支配」ということで、きょう先生の方にもお配りしてございますけれども、資料の出典「バイオエシックス・ハンドブック―生命倫理を超えて―」というところがございます。この中で、少し後ろの方になりますけれどもごらんいただきますと、四百二十四ページですけれども、ユネスコで未来世代の人権に関する世界宣言というのをアイデアとして出しました。

 これは、そのところを読んでいただければおわかりいただけるかと思いますけれども、その次のパラグラフです。「地球の保全への権利、未来世代の選択肢の自由の権利、生命と人類保存の権利などをはじめ、個人と民族の出自を知る権利、所有権、文化財産権、生態的に調和のとれた環境への権利、平和への権利、未来の差別禁止、未来世代の人権保障」ということで、ユネスコでは未来を展望しながら新しい人権ということを考えているわけです。

 私たちはやはり、この現代の日本の中で今の問題を考えると同時に、恐らく日本のこれからの百年先、二百年先、ハーバード・ロースクールでやったように、五百年前の日本はどうだったのか、五百年後の日本はどうなるだろうかというふうなスケールの中で、人権と平和と、そしてまた私たちの人間の尊厳、生命の尊厳、環境の保全ということを踏まえた大きなスケールで、日本の国のために新しい方向を見出していくような努力をしていきたいというふうにかねがね思っているものでございます。

 ちょうど時間になりましたので、これで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)

中山会長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。

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中山会長 これより参考人に対する質疑を行います。

 それでは、まず、私から先生にお伺いをさせていただきたいと思います。

 まず第一は、先生がきょういろいろとお話をいただいたバイオエシックスの問題でお尋ねをしたいと思います。

 このバイオエシックスに関して、生命科学技術に関する規制というものが、アメリカ、ヨーロッパ、日本、それぞれ異なって言われていると思います。アメリカは、連邦法レベルの法的規制には消極的ですが、ヨーロッパは、包括的な法的規制を設ける傾向にあると聞いております。これに対し日本は、クローン技術規制法を制定して、ヒトの細胞クローン等の個体をつくることを禁止しつつ、ヒトクローン胚を使用した研究自体は法律で禁止をしておりません。

 このアメリカやヨーロッパ及び日本の規制の違いが生じた背景は、どのような観点から求められるのでしょうか。まず、それをお伺いしたいと思います。

木村参考人 会長先生から、大変にこれは基本的に重要な問題についての御質問をいただきましたが、これは、ヨーロッパといっても、実は国によっていろいろ違いもございます。例えば、イギリス、ドイツ、フランス、それぞれ違うんですけれども、ただいま御指摘していただいた問題点から考えると、何といっても、第二次世界大戦下のナチス・ドイツの非人間的、非人道的な医学人体実験の影がヨーロッパを覆っておるんですね。

 ですので、ドイツの憲法の中には人間の尊厳条項が入っておりますけれども、これは、再びそのようなことが起こってはならないし、起こしてはならないという、いわば国としての姿勢がそこに入ってくるわけですね。ヨーロッパ全体がそういう、いわば国として人間の生命の尊厳をとうとぶような方向性、国としてその方向をつくっていこうということで、その背景には、ナチス・ドイツの、これはもう先生方御存じのように、最も科学技術を巧みに使ったユダヤ人の大量虐殺があるのです。これはもう名前を出して差し支えないと思いますが、御存じのように、IBMという会社がありますが、このIBMという会社は、ナチス・ドイツにいわば最大の、多大な貢献をしたということで、その当時の会長は勲章をもらっています。

 これはどういうことかというと、ユダヤ人の住んでいるところとかその血統とか血筋とか、そういうものを全部、コンピューターは当時ございませんが、ソーティングマシンみたいなのですけれども、そういう科学技術のその当時の最先端のものを使って、だれがどこにいて何をやっているかということをずっと調べ出したわけですね。そして、アウシュビッツに行く列車のダイヤグラムも全部IBMの会社がつくったわけですけれども、そういう「IBMとホロコースト」という本がアメリカで出ていますが、大変な科学技術のいわば組織的な使用、そしてまたチクロンのガスによる殺りくですね。

 そういう意味で、人間の尊厳を守るための基本的な考え方をきちっと憲法の中へ入れようという考え方が出てきたというのが私どもの考え方ですし、アメリカの場合には、今会長の御指摘のように、研究の自由をなるたけならば保障していきたい。ただし、連邦政府は、これは通常の本になかなか出てきませんけれども、大統領の選挙のもとでのさまざまなポリティカルパワー、特に、ライト・ツー・ライフという人工妊娠中絶あるいは胚の使用に極めて積極的に反対しているグループがあります。その反対しているグループの票を失うと大変なことになるので、そういう意味では、連邦政府としては、特にブッシュ大統領としては、胚を利用するような研究その他に対して、連邦政府は許容するような方向で決断できないということがございまして、政治的な理由が極めて強いと同時に、民間では割合に野放しでやっていこうということになってくるわけです。

 私は先般、先年の五月でございますが、「クローニング・イン・バイオメディカル・リサーチ・アンド・リプロダクション」という、この報告書は前半ドイツ語で後半英語ですけれども、この会議に出ましたが、日本の場合には、これはヒトクローン規制法を見てもよくおわかりのように、社会と科学技術との調和、日本はこの調和という考え方ですね。調和させて何とかこれをうまいぐあいに持っていけないものだろうかというような、そういう発想が極めて強いので大変注目を浴びました。ハーモニーという考え方ですね。そういう言葉が法律の中に出てくるんです、調和という言葉が。

 これは、ヨーロッパなんかですと人間の尊厳という言葉が出てくるんですが、日本は調和が出てきて、アメリカの場合には、いわば研究の自由の保障というようなことが連邦政府の考え方の基本にありながら、しかし政治的な背景があって胚の利用については決断できないという状況にあるかと思います。

中山会長 先生御指摘のように、ドイツの基本法では、人間の尊厳条項が明記されております。それで、この同条項が先端生命科学技術に関する規制にどのような影響を及ぼしているのでしょうか。

 また、スイス憲法は百十九条で、人間の領域における生殖医療及び遺伝子技術について規定をしている、こういう条項がございますが、ざっと見てみて、各国の憲法で生命倫理に関係する条項を持っている国家の憲法というのは、ギリシャ憲法、それからコロンビア憲法、スイス連邦憲法、パラグアイ、ブラジル連邦共和国憲法というところで、大体一九八八年から二〇〇一年の間にこういう条項がつくられている。

 こういうことを見ながら、私ども、これからどのような考え方を持っていくべきか、先生のお考えをまずお伺いしたいと思います。

木村参考人 私は、大変な生命医科学技術の進歩の中で、やはり人間の生命の尊厳、そしてまた基本的人権が侵される危険性が極めて大きなスケールで、これはもうナチス・ドイツの体制下で明らかになってきたわけですが、それとはまた違った意味で、非常に大きく侵害の可能性が出てくるわけですね。

 そういう観点からしますと、私は、特に遺伝的マテリアルの保全、環境の保全、そしてまた人間の生命の尊厳ということについては前向きに検討して、そして新しい時代の新しい憲法をつくるということであれば、そういうものを積極的に取り入れていくことが必要になるんではないかと。

 むしろ私は、ドイツ憲法では人間の尊厳ということなんですが、バイオエシックス、バイオというのは命という意味なんですね。バイオエシックスというと、臨床現場の医師と患者関係の、先ほどちょっと申し上げましたが倫理問題、特に先端医科学技術の倫理問題というふうにお考えの方が多いんですが、バイオエシックスというのは、基本的には環境問題とのかかわりで最初成立してきて、その後医療に入って、私のように、またその形成の中で、倫理学の分野でもなく、医学の分野でもなく、法律学の分野でもなく、いろいろな専門分野の交流の中で学問の領域を超えて、学際の領域を超えて、超学際的な、例えば宗教とか倫理とか法律とか経済とか、新しい命を考える学問として構想したわけです。私はバイオエシックスのパイオニアの一人ですけれども。

 そういう観点からいいますと、新しい命の尊厳、生命の尊厳、人間の尊厳ではなくて、動物の権利の問題その他、これは世界的なスケールで大きな問題になっておりますが、恐らくは生命の尊厳ということを含めた、それを踏まえての科学技術の振興と推進ということを、会長御指摘のようにスイスの憲法ではその中に入っているわけでございますけれども、そういうような形での科学技術の振興、推進を、命の尊厳ということを踏まえながら進展させていくということが私は非常に大きな意味がある、それを新しく入れていくことに非常に大きな意味があるというふうに考えます。

中山会長 ありがとうございます。

 今、先生は、人間の生命というものを中心にいろいろお話しをいただいていますけれども、ベトナム戦争のお話もきょうはございました。この西洋近代文明を生み出した科学技術がジェノサイドを行っている、導いているということ。それで、西洋近代科学に内在する問題点を根源的に問い直す必要が、現代必要になってきていると私も思っております。このバイオエシックス研究を進める大きな原動力というものがそこに根差している。この考え方の基本というのは、命を守るということと、それから、先端科学技術の人の命を軽く扱うおそれがあることに対して警鐘を鳴らしている。

 きょうは、医療問題についていろいろと先生の御高説を拝聴いたしましたが、私はやはり、医師出身の一人の政治家として、日本の少子高齢化の進行状況というものに非常に大きな関心を抱いてまいりました。国会でも少子化社会対策基本法というものができた。

 しかしここで、平均余命を戦後と今と比べてみますと、大体、戦後の一九四七年で男性が五十歳、女性が五十三歳、二〇〇二年で男性が七十八歳、女性が八十五歳まで高齢化している。健康で高齢化していくのはいいんですけれども、やはりそれには、近代医学の進歩によって、いろいろな疾患が起こってくる、そこでできるだけの治療を行う。これは医道の基本原則だろうと思うんですが、ここで延命治療というものが相当行われておると思います。延命治療は患者の自己決定権を侵害しているのではないかという議論も起こっております。

 御案内のように、また、オランダの法律、死を選ぶ権利というものが公式に認められている。それの条件として、患者本人の耐えられない痛み、これは治らないという医学的な病気、明確に死を希望している患者本人の意思、それからその処置を行う場合の同僚の合意、こういったような五つばかりの条件がこの法律の基本を構成している。日本の場合に死ぬ権利というものは認められていない、こういうことについて、尊厳死の問題が現在出てきておりますけれども、先生は法律家としてどのようなお考えをお持ちでしょうか、お尋ねしたいと思います。

木村参考人 これも私たちの命の終わりに関する大変に重要な問題でございますが、私は、会長がただいま言われましたように、高齢者のクオリティー・オブ・ライフといいますか、本当にそういうことが充実されるような制度をつくっていく、つまりそれをサポートする医療なり社会制度ということが極めて重要になってくるわけで、高齢者が命の終わりまで、最後の最後まで健康に生きられるような社会づくりを、日本でもいろいろな形で、高齢者をめぐる関係法律、制度ができています。

 今先生の御指摘されました命の終わりの問題をめぐって、特に日本ではそういう法律がないということになっておりますけれども、これは、医療の現場ではいろいろな形の操作が行われてきているというのが現実なんですね。これは表になりませんので、では、だれがどこでどういうふうに操作したかということは無理かと思いますが、私はそれはかえって危険なことではないかというふうに思っております。

 ですので、日本でも一九六二年に安楽死をめぐる判例が出ているわけですが、命の終わりについてはある程度明確なガイドラインをつくる。日本学術会議でもそうですけれども、むだな延命治療をしないということを基準にしたガイドラインが必要だということを学術会議の死の問題をめぐる委員会で言っておりますが、何といいましても大事なことは、バイオエシックスの基本原理である自己決定という考え方なんですね。みずからがみずからの命についての最終的な判断を行う。

 しかし、もちろん死が近づくわけですので、意識に混濁が生じ、私の命をとめてくださいといっても、そこで医療側が判断するわけにはいかないわけですね。しかし、今、むだと思われる延命治療についてはこれを中止するという形での医療の停止、つまりフューティリティーという言葉があるんですけれども、それを停止するということは医療の現場では行われているわけなんですね。

 何が言いたいかといいますと、結局、みずからが、意識が非常に明らかなときに、正常な判断能力のあるときに、何らかの形での明確な書面をつくっておきまして、これに基づいて医療側が判断できるようないわばシステムが必要になってくるだろう。

 現在の段階で、世界の諸国で基本的に、本人の同意のない安楽死というのは認めていないんですね。本人の同意のない安楽死というのはどういうことかといいますと、安楽死というのは通常、積極的安楽死と消極的安楽死と二つに分かれるんですけれども、つまり薬物などを注入して命を終わらせることですね。これは、本人の同意なしにやった場合には、世界のどこの国でも今でも犯罪です。安楽死は犯罪です。

 本人の同意があれば、これは世界の諸国で自殺幇助とかなんとか、そういう関連の法律がある国々もございますが、オランダの場合には、ただいま会長が言われたような、きちんとした手続に沿って安楽死を許容するということになるわけですけれども、この場合には安楽死という形の言葉、安楽死を許容するというこの場合の安楽死は、私が前に使ったような意味での積極的な安楽死ではなくて、命の終わり、安らかな命の終わりを迎えるという意味での尊厳死という言葉に近いと思うんですね。本人の意思があくまでも大事なわけですね。

 私は、この点につきましては、日本とドイツとアメリカとを比較いたしまして、「アドバンス・ディレクティブス・アンド・サロゲイト・デシジョン・メーキング・イン・ヘルスケア」という、これはジョンズ・ホプキンス大学出版から私が編集して書いた本ですけれども、友人とともに編集し著作をいたしましたが、この中で言っておりますように、前もって書類をつくる、そういう事前指示文書、日本では尊厳死宣言と呼んでいますが、それが基本的には法的な効力を日本では全く持っておりません。アメリカでは、州によってはそれに医療側が従うことが要請されることになっております。そういう意味で、恐らくは私たちの命の安らかな終わりというものを踏まえたこういう形での宣言書を出していく必要が出てくるのではないか。

 ただ、先ほど会長が一番最初に言われたように、高齢者がやはり伸び伸びと自由に、豊かに、命の終わりまで活発に、日野原先生が新老人の会というのを七十五歳以上の会員でやっておりますが、ああいう形での生き方が豊かにできるような社会をつくるという方向をはっきりさせないままに、こういう形で、何か生きていくことが苦しいから、つらいから、一人で寂しいから、そしてまた命を早めて終わらせた方が社会のため、世のためになるというような方向にもし行けば、これは大変に恐ろしいことになると思うんですね。

 私たちは、そういう意味で、生き生きとした、命の豊かさを日本こそが世界に誇れる、高齢者の方々がこんなに元気で丈夫で豊かに生きているということを踏まえて、その上でこういうものもまたあるということにしていきませんと、何か高齢者の方々が寂しい命の終わりを迎えるような方向になってしまうと、大変にこれは国内的、国際的に問題になるのではないか。何か、日本には昔から美しい死に方、死を美化するところがございますので、そういう点で、高齢者の方々を命の終わりに追い込むようなことになるような形の立法は極めて危険であるというふうに私は考えております。

中山会長 ありがとうございます。

 今バイオエシックスのお話をいただいたんですが、最近の日本の状況を見てみると、少年たちによる暴力犯罪とかあるいは殺人が増加しております。私ども高齢者もまた自殺がふえている。こういった中で、生命のとうとさといったものを教育の場でどのように教えることが必要なのか。

 私、かつて横浜のドイツ人学校へ一回視察に行ったことがありますけれども、あそこでは一週間に一時間、宗派を問わず、人間にとって何が最も必要かということを宗教の時間に教えております。そういった意味から考えて、日本の学校教育、こういったところで生命のとうとさというものを教えていくことがやはり非常に大事じゃないか、そのように思っております。これは、法律に書き込むかあるいは教科にするのか、それはまた別でありますけれども、一つの考え方というものを国家として打ち立てる必要があるのじゃないかと思っておるんですが、いかがお考えでしょうか。

木村参考人 これは会長、全く御指摘のとおりでございまして、私がこの問題に取り組むことになった大変に大きいきっかけの一つも、アメリカでの私の子供たちの教育の現状を見たからなんですね。

 アメリカでは、PTAの会というのが、昼間にやりますと父兄が集まらないものですから、夜にやるんですけれども、子供のとっている授業の時間に合わせて各クラスを回る。音楽とかアメリカ史とか体育とか、いろいろ回るわけですが、健康の時間というのがありまして、健康のテキストを見ましたら、その中には、もう患者の権利というチャプターが入っているんですね、一九七〇年代の半ばでしたけれども。

 そして、あなたの体はあなたのものなんですから、何でも医療側に聞きましょうという形で教科書の中に組み込んであって、そして、アメリカのペーシェンツビル・オブ・ライツという、アメリカの病院協会が一九七二年につくった条文が入っているんですね。そして、あなたの命は大事にしなければいけない、と同時に、あなたの周りにいる人たちの命も大事にしましょうというような書き方になっていますが、その高校の教科書、ABCで始まるんですが、最初に出てくるのが、その健康の教科書で、Aからいきますと、アボーション、人工妊娠中絶はなぜだめか、そしてまた、麻薬の問題、そういう事柄がいわば教科書の中に組み入れられております。

 その話をしましたのが一九八〇年代でしたが、つい先月、私は、今使われている高校の倫理の教科書を全部集めた、約三十二冊、いろいろな出版社から。これは私自身が大変驚いたんですが、一九八〇年代には全くなかった項目が入っているんですね。それは恐らく文部省の御努力によるのかと思いますけれども、科学技術の進歩と生命の尊厳というチャプターがどの教科書にも入っているんですね。そして、今会長の言われたような中身の、命の大事さ、命の尊厳、アルベルト・シュバイツァーから始まって、ガンジーさんの平和の運動に至るまで、さまざまな命の尊厳の具体的な事例を入れて、臓器の移植の問題の統計上の賛成、反対みたいなことも含めて書いてあるんですね。

 私は、アメリカの子供たちの教育を見ておりまして、PTAの親として参加して、子供たちが高齢者のホームに歌を歌いに行ったり、あるいはショッピングモール、一番にぎやかなショッピングアーケードで、子供たちの学校のオーケストラの演奏をして臓器移植のカードを配ったり、その前に、臓器移植、是か非かというような討論をしたり、もう中学のころからいわばそういうことについて討論をして、自分はこうと言うことになれているんです。日本の場合は、本当にそういう自分の意見を出すことが下手なわけなんですね。私も、早稲田のバイオエシックスの講義のときには全体討議をするようにしておりますけれども、最初はしない学生たちが、グループに分かれてやりますと大変にいろいろな討議をするようになるわけです。

 そういう中で、命の問題というのが今、日本の教科書の中にも入ってきました。高校の倫理の教科書、これは選択する人しない人がいるので問題なんですけれども、高校の教科書であれば、それはもうほとんど全部に入ってきましたし、中学にも去年あたりから入ってきましたし、小学校では、命の教育ということで、虫の観察、動物の観察に始まって、日本も、そういう意味では、この二十年間、大きな変革期で、命の尊厳の問題を一生懸命取り上げようとしているということについて、私は感慨深く、やはりバイオエシックス、そういうものの背景に、一番日本の問題点は、バイオエシックスという新しい歴然とした学問分野、バイオエシックス、生命倫理というふうに訳しますが、私はあえて片仮名で使っているわけですが、臓器移植、遺伝子治療、遺伝子操作、あるいは末期のケア、ホスピスケア、そういうものを全部包括する、命のことをまとめて考える学問分野が厳然として存在するということがまだ日本人はわかっていないですね。

 「バイオエシックス・ハンドブック」というのを去年の十二月に出したんですけれども、これを見ますと、「豊かに生きるための新しい「いのちの考え方」」ということで、その全体像が先生方の目に入るかと思いますけれども、そういう意味で、命の問題を、少なくとも私たちの生きているこの時代から幅を広げて、百年前後の間隔で、例えば日本の明治期の、そのことについても書いてありますけれども、教育勅語の時代から現代の民主主義の時代の中に至るまでの教育の中でも命の問題が、例えば、私たちはお国のために死ぬということを教育されたわけですね。そういうふうにして、私は集団疎開の世代ですけれども、育ってきたわけですね。

 そういう命の問題をどう考えるかということを含めた新しいやり方を今会長先生の言われたような形で教育の現場に生かしていくということ、しかもそれを、一方的な教育じゃなくて、対話する、ディベートする、その教育の中で生かしていくことが必要な時代に今こそなっているというふうに私は思います。

中山会長 ありがとうございます。

 もう一つのテーマは、知る権利の問題でございます。

 高度工業化社会が先進国で一応一つの上限に達してきた形の中で、通信回線とコンピューターが接続されて、大量の情報が一瞬にして処理される、こういうふうな新しい情報化社会というものに我々は足を踏み入れているわけですね。そこで政府は、結局、小泉内閣になって、二〇〇七年までに電子政府をつくる、国民に対してこういう宣言をしているわけです。

 電子政府がつくられると、個人の情報が行政府に集まってくる。そういう中で、個人がいかに自分の情報を守るか、また知る権利を与えられるか、こういった問題が一つの大きな課題になって、これから生きる日本人にとっても必要になってくるんだろうと思います。

 私は、各国の憲法で個人情報保護に関する憲法規定というのはどれぐらいあるのかということを調査いたしましたが、まず、オランダが一九八三年に憲法でこれに規定をかけている。それから、カーボベルデ共和国憲法が一九九二年、スイスは一九九九年、スウェーデンが一九八八年、スペインが一九七八年、ハンガリー共和国が一九八九年、フィンランドが一九九九年、ポーランドは一九九七年、ポルトガルが一九七六年、ロシア連邦憲法が一九九三年。この年次で憲法が改正されているということを見まして、OECDの理事会勧告とか、あるいはまた一九九五年のEU指令で、この個人情報の保護が我が国においても喫緊の課題とされて、それで個人情報保護法が制定されて、一年後に本格施行に入ってくる見込みでございます。

 このように、海外の個人情報に関するアクセス権、プライバシーの保護権、こういったものが規定されていますけれども、日本の場合、非常に大量の情報が最近流出して、社会の大問題になってきています。つまり、情報処理を専門にやる企業が情報を流しているという、故意に流している悪い人がいるわけですね。そういうことによって多くのプライバシーが侵害されてくる。こういったことについて、憲法上、こういうものをきちっと処理する必要があるんじゃないかというふうに考えておりますが、参考人はどういうふうにお考えでしょうか。

木村参考人 私は、会長の意見に全面的に賛成です。憲法上きちっとした対応をしていきませんと、これは、これからの日本の国の根幹、情報については、漏えいの問題とか自分のプライバシーの保護とか、もう根幹にかかわる問題だと思うんですね。

 特に、情報化時代の中で、私たちは間違った情報にいろいろ惑わされることも多いわけですし、コンピューターの分野では、バイオエシックスに関連してコンピューターエシックスという分野がありまして、膨大なハンドブックが出ております。これをやった場合にどうなるのかというようなことも含めて、さまざまな事例が書いてあります。

 私は、スウェーデンでしばらく研究していたことがございますけれども、例えば臓器移植ネットワーク、スウェーデンにもございますが、これはユーロプラントというのと直結しているわけですけれども、それにアクセスできる人は、スウェーデンでも五人しかいないんですね。そして、しかも、五人しかいないそのパスワードも、三日ごとに変えているというくらいに厳しくしているんですね。

 スウェーデンでは、特に、健康保険に全部、その当時、改正されていたわけですけれども、健康保険に臓器提供の意思について書いてあるわけですので、それが国の、いわばIDカードにもなっているわけですが、そういう関連もございまして、いろいろな情報が特定の人に集中しないような形で、極めて厳重な情報のいわばコントロールを、コントロールというのは、いい意味の管理を行っている。

 そういう意味では、これはこれから、例えば遺伝情報にしましても、特定の企業に勤めていらっしゃる方々が遺伝子の研究をしていて、その情報をコンピューターを使ってほかのところに流してしまったりとか、いろいろな情報の漏えいについては大きな問題があるわけでして、基本的に、今会長の言われたような方向での、憲法の中にきちっと書き入れるということについては、私は前向きに考えていきたいというふうに思っております。

中山会長 ありがとうございました。

 個人情報の保護と並行して起こってきているのが知的財産権の保護問題ですね。

 知財高裁というものが今回日本でもつくられることになって、東京高等裁判所で十七年に設置されるということが決められております。現在法案審議中ですね。そこでいろいろな、生命倫理とか知的財産権とか、あるいは医療事故とか理工系の事故、犯罪、これが非常に多くなっているわけですね。この多くなっている案件について裁判所に提訴があった場合、この提訴を受けていろいろ審査して、判決を下す裁判官はどの程度あればいいのか。

 これは私、ちょっと調べてみますと、全国で裁判官というのは三千人おられるわけです。その三千人の方々が五百四十七の裁判所で働いておられる。その中で理工系の出身者はわずか八人です。ここで判決を下すわけですね、この考え方に基づくか基づかないかは別として。全部この八人に問い合わせをすることはないと思います、全国の裁判所、これだけあって。最高裁では調査員が一人いるだけです。

 こういう新しい、知的財産権とか個人情報の保護の問題、いろいろと科学技術に関する訴訟というものが、公害問題もそうですね、日本の社会にどんどん起こってきている。これに対して、司法の分野で、こういう科学技術による社会への影響を与えた者に対する判断をする人たちをどういうふうにそろえるか、これは国家としての一つの大きな課題じゃないか、私はそういうふうに考えておるんですけれども、先生、どういうふうにお考えでしょうか。

木村参考人 この点は、世界的に見ましても非常に大きい問題の一つになってきているわけですね。つまり、司法が科学の具体的なデータについてどういうふうに判断するのか。ですから、国によってはサイエンスコートみたいなものをつくっている国もございますが、日本では今度新しくそういうことで、知財の方面の、特定の機能を果たすような裁判所を高裁の一部局に設けるということも、私がメンバーであります法曹制度検討会でも話し合いがなされたことがあるわけです。

 今度の新しいロースクールのシステムというのは、まさに今会長の言われたような、システムをある程度補っていこうという方向でできているわけなんですね。科学教育あるいは工学あるいは生物学、いろいろな分野の教育を教養課程並びに専門課程で終えられた方々を法科大学院の中に組み込んで、そして現実に社会の中で大胆にいろいろな形で判例と取り組み、そして新しい方向性を見出すことができるような方々を養成しようというような流れの中で、ある程度時間はかかるわけですけれども、変革を出していこうというわけでございますので、そういう点では、今すぐというわけではなくても、将来構想としては、日本も大きな転換期になっているという点はあり得ると思うんですね。これはもう、特に生命体への特許その他をめぐりましてはさまざまな問題が出てきますので、これは専門家でないと判断できない問題もあるわけです。

 しかし、基本的に大事なことは、その人の人権あるいは特定の人々をめぐる生命の尊厳、そういうことが、専門でない方々の判断をベースに展開されるようにしていきませんと、極めて精緻な専門的な議論の中に組み込まれていってしまう可能性があるので、これは私としては、法律家ではありますが、判例あるいは法律その他は易しい言葉で、わかりやすい言葉でこれからは書かれるような教育もなされねばならないのではないかというふうに思いまして、会長の意見には賛成でございます。

中山会長 この知的財産権を憲法で保障している国家はどれくらいあるかということを、一応、国立国会図書館で調査をいたしましたが、上がってきた報告では、大体二十ぐらいはありますね、憲法で規定している。それから、環境問題に関しての憲法条項を持っているところは二十三ぐらいございます。

 そういうふうに、そこの国に生きる人間の、言えば安全保障あるいは知的財産の保護、そういったものを基本法で決めている国家はこれだけあるということについて、私は大変驚いたわけでございますが、これはいずれもこの二、三十年の間に制定しているんですね。

 つまり、我々が戦後に、終戦のときに占領軍が来て、それから数年間占領していましたけれども、そのころでは、社会の変化がこれだけ起こってくるという予測は、占領軍の中にも予測している人はなかったと思います。こういう中で、この新しい時代に生きていく我々日本人として、科学技術立国をやる以上は、こういった原則論をきちっと基本法に書いていく必要が求められているのではないかというふうに私は思っておりますけれども、いかがお考えでしょうか。

木村参考人 本日御配付されました資料の中にも、三十三ページでございますか、そこに、「各国憲法における科学技術・生命倫理に関する規定」ということで、さまざまな国の事例が出ておりますが、私は、今の会長の御質問に直接お答えするという形でいえば、これは基本的に大変に大事なことになってくるだろうと。

 そういう知的財産権の保護あるいは情報の規制に関する、特にプライバシーについては憲法の中に組み込んで、我が国の憲法は一応あって、そして最高裁の判例の中で、それに中身を与えていくようなさまざまな判例も出てきて、蓄積はあるわけですけれども、その蓄積を踏まえた新しい時代の新しい憲法をつくるということであれば、その蓄積を踏まえた上での考え方の展開、これは突如として何かをやるのではなくて、例えば環境権につきましても最高裁の判例が出ているわけですけれども、そういうことを踏まえた新しい提案、それを国民がまたどういうふうに受け取るのか、あるいは議会の中でそれがどういうふうになるかは、これはいろいろな対応があるかと思いますが、少なくともそういう形での新しい展開を考えることは極めて意味があるというふうに私自身は思っております。

中山会長 ありがとうございます。

 最後、時間が余りなくなりましたので、結論に入らせていただきたいと思います。

 我々人類の歴史の中で、ずっと振り返ってみると、石器時代に始まって青銅の時代、鉄の時代、そして鉄を使った蹄鉄等によって人間の移動距離が非常に長くなる、こういったことでいろいろと文明が変わっていく、こういう歴史があったと思います。そういう中で、天文学が発達して航海術が開発される、それから、グーテンベルクの印刷機ができて、聖書が、印刷されたものがいろいろな地域に散らばっていくということで教義の対立が起こってくるというようなおもしろい歴史があったと私自身思っております。

 そういう中で、ちょうど第二次世界大戦前に、アインシュタインやフェルミとかいろいろおりましたが、原子核の分裂が学問の領域として出てきた。米国に亡命したアインシュタインや学者たちの協力のもとに政府がマンハッタン計画を成功させて原子爆弾を完成させた。

 そういう時代にドイツではロケットの研究が盛んだったですね。フォン・ブラウンが中心になったロケット研究所がつくられて、V1、V2のロケット爆弾がロンドンを空襲するという事態があった。戦後になって、フォン・ブラウンとそのグループがアメリカへ亡命する。研究所の職員の多くはソ連に連れていかれる。こういうことでロケット技術が二極化していくわけですね。

 それで、アメリカはアポロ計画をつくる。その前に、それがまだ進行中に、ガガーリンが乗った人工衛星が地球を周回する、こういったことでアメリカは驚いて、一九六〇年代の終わりまでに月に人間を送り込むというアポロ計画を実現するわけですけれども、それと並行して、今度は、月から地球に向かって月の映像をテレビで送ってくるという驚くべき技術が発達してきた。

 こういった中で、日本も放送衛星によるテレビ時代に入って、二十四時間、いろいろとチャネルを回せば世界の映像が見られる、こういう状況に現在入ってきていると思うんです。

 これだけの科学と技術の進歩が人間社会に影響を与えてきた中で、教育の面でもいろんな問題が起こってきました。犯罪の面でも異常な犯罪が起こり始めた。こういうことについて、先生がおっしゃっているエシックスの問題、これがやっぱり基盤になってくるんだろうと思います。

 ここで、私は、憲法調査会の調査団がアメリカに参りまして、ワシントンのジェファーソン・メモリアルホールへ行ったんですね。あそこで、壁に書かれたジェファーソンの言葉を私たち調査団一同が大変感銘深く見たことがございます。

 そのところに何て書かれていたかというと、憲法の父であるジェファーソンが、私は法律や憲法の頻繁な改正を主張するものではない、しかしながら、法律や憲法は人間の知性の発達と密接な関係があるものである、それがより発展し、啓発されるにつれて、また新たな発見がなされ、新たな真理が発見されて、風俗や世論が変化するといった環境の変化に応じて、制度は時代と足並みをそろえて進歩していかなければならない、こういうことを書いておりました。文明化社会に対して、いまだ未開であった祖先のころの制度を存続させようということは、人に、彼が子供のころに着ていたコートをずっと着るように要求するものである、こういうことがジェファーソンの言葉として刻まれておりました。

 私どもは、これだけの大きな社会の変化、あるいは未来の人類社会はどうなっていくのか、こういうことの中で、国の基本法というものも、この時代を原点として新しい時代の展開に備える必要があるということで、現在、憲法調査会がこうして各分野の専門家を集めて議論をいただいているところでございます。

 こういうことで、先生からきょうは大変貴重な御意見をいただきまして、私ども大変参考になりましたことを厚くお礼を申し上げて、私の質問を終わらせていただきたいと思います。

 ありがとうございました。

 次に、質疑の申し出がございますので、順次これを許します。水島広子君。

水島委員 民主党の水島広子でございます。

 木村先生、本日はお忙しいところ貴重なお話をいただきまして、本当にありがとうございます。

 インフォームド・コンセントの木村先生と「幸せなら手をたたこう」を作詞された木村先生が同一人物であるということを私は本当に最近まで存じませんで、非常に驚いておりますけれども、そんな木村先生らしい、愛と知識に大変あふれたお話をいただけたと本当にありがたく思っております。

 今、中山会長が全般的に大変重要な御質問をしてくださいましたので、私もそれを踏まえまして、三十分いただきまして質問をさせていただきたいと思っております。

 木村先生がこのバイオエシックスの世界に入られたきっかけとなったのが、枯れ葉剤の被害であったということでございますけれども、それにつきましては、今もまた劣化ウランなどで同じことが繰り返されているわけでございます。

 これは質問ということではなく、ぜひ、きょう御出席の委員の皆様にも十分な関心を持ってこの問題を見詰めていただきたいと思っておりますし、私は、こういった問題が今なお続いている、その枯れ葉剤の被害が、結局、今なお毎年十万人もその被害を引きずった子供が生まれているというような状況でありながら、また同じことを繰り返そうとしているというようなことについて、まだまだ社会的な議論が少な過ぎると思っておりますので、ぜひ、会長を初め皆様も御協力をいただきたいと思っております。

 さて、質問に入らせていただきたいと思いますけれども、まず最初に、バイオエシックスが扱う領域ということについて少し確認をさせていただきたいと思います。

 大体、先生のお話を伺ったところ考えますに、一つは、今現在だれかの尊厳に抵触するような問題もそこに含まれるでしょうし、また、将来に向けての問題をはらんでいるもの、つまり、将来何らかの尊厳を脅かしていく可能性があるもの、そういったことが、時系列として考えると守備範囲になるのかなというふうに聞きました。

 またもう一つは、命、これが、人間の命にとどまらず動物の命も含めてというふうに先ほどお話をいただいたわけですけれども、逆の観点からしますと、これは、命そのものにとどまらず、人間の価値観であるとか、またそれぞれの人がいろいろ大切にしているもの、そういった部分も当然守っていくものとして含まれるというふうに理解させていただいてよろしいでしょうか。

    〔会長退席、仙谷会長代理着席〕

木村参考人 そのように御理解していただいて結構でございます。

水島委員 ありがとうございます。

 そしてもう一つ、基本的な点でございますけれども、先ほど先生は自己決定というのがこのバイオエシックスの中でのかなり根本的に重要な考え方であるというふうにおっしゃいまして、私も本当に大変重要なことだと思っております。

 その一方で、先生が先ほど御紹介くださいましたように、広く一般市民も巻き込んで社会的なガイドラインをつくっていくということも、これまた重要な作業であるわけでございますけれども、これらの領域におきましては、自己決定の結果、自分が自分の尊厳を守るためにはこれが必要だと考えたその結論と、社会的なガイドラインが要求しているものが相反するということが往々にしてあると思います。

 このあたりの考え方というのは、どのように整理したらよろしいんでしょうか。

木村参考人 これは大変に重要な御質問をいただきまして、感謝にたえません。

 きょう、先生方の机の上に配付されてあります資料をちょっとごらんいたただきますと、そのことが今御説明できるかと思います。「生命操作の時代」という三ページばかりのプリントがございますが、これは「看護に生かすバイオエシックス―よりよい倫理的判断のために」という本の中からとったプリントです。

 ただいまの水島先生の御質問にお答えする形で申し上げますと、これの二十ページ、つまり三枚目の表I―2「バイオエシックス形成の社会的要因と問題点」。これは私がつくり上げてきましたバイオエシックスの社会的な背景になるわけですけれども、この3のところをごらんいただきますと、「個人主義を超える発想の必要性―個人と社会・公共政策の問い直し →グローバルな視座と未来への責任」。水島先生の最初の質問にも未来という言葉が出てまいりました。

 確かに、自己決定ということはバイオエシックスを考える場合の基本的原理の一つではあります。これは譲ることができない原則なんでございますけれども、にもかかわらず、パブリックポリシー、先ほどもちょっと問題提起のところで申し上げさせていただきましたが、私たちが個人で考えている、いわば非常にインディビジュアリスティックなそういう発想を超えて、個人と社会、パブリックポリシーをどう問い直していくか。

 例えば、臨床治験その他をめぐって、医療側には技術がある、そしてまた薬剤がある、患者も同意している、それでどうしてやっちゃいけないの、自己決定だからいいでしょう、こうなりがちですけれども、そうではなくて、やはり国全体として、どういうポリシーで、どのようなシステムが必要かということがあるから、パブリックポリシーとしてのガイドラインができるわけなんですね。

 ですから、以前でしたら、例えば生体部分肝移植のときもそうでしたけれども、百万人といえども我行かんと、どんなに反対されても私は医師としての責任においてこれをやるというような形で、生体部分肝移植が最初島根医科大学の裕弥ちゃんのケースで行われたわけですが、そういうことではなくて、やはりそれをやるための社会的なシステムづくりということが基本的には大事になってくる。そういうことを私は言いたいので、先生のおっしゃった意味での自己決定と公共政策との兼ね合いというのは大変に大きい問題になるというふうに思っております。

水島委員 つまり、何か社会的に大体の枠組みとされるようなガイドライン外のことをもし個人が求めるようなことがあった場合、それは当然、それを遂行していく上での社会的なサポートシステムもないであろうし、それに関しては余りにもリスクも高いというような観点の御意見であるのか、ちょっとそこのところをもう少し整理させていただきたいんです。

 つまり、これはあくまでもガイドラインであって、当然将来への責任などを考えればこのガイドラインの枠内でやっていくことが望ましいという、恐らく価値観の最大公約数的な部分がガイドラインとなっていくのではないかと思っておりますけれども、その枠外というのをどう扱っていくかということについて、これを例えば法律として定めてしまって、それが違法なものとして罰していくというようなスタンスが正しいのか。あくまでもガイドラインとして持っておいて、それより枠外のことは個人が本当に全面的に自己責任を負う、リスクが高いということも承知でやっていくというような考え方が望ましいのか。

 このバイオエシックスの領域では、それはどうなるんでしょうか。物によってその二つを使い分けるというようなことになるんでしょうか。

木村参考人 これも大変に重要な御質問をいただきましたが、先生のおっしゃるように、やはりガイドラインはガイドラインで、きちんとした法律があった方がいいという説もアメリカ、ヨーロッパ諸国ではございますね。

 ただ、専門的な学会で、例えば代理母の出生その他については認めないというガイドラインを学会で出しておりましても、やる人が出てくるわけですね。そういうときには、これは、バイオエシックスの立場からは、学会の制裁ということによる会員資格の剥奪というようなことを含めて極めて厳しい制裁がありますが、しかし、医師免許が剥奪されるわけではないので医療行為は継続できるんですね。

 私の考えとしては、恐らくは、ガイドラインという形でやっていきますと、日本のような状況では非常にフレキシブルになりかねないのできちんとした法律をつくった方がいいというのが私の考え、これは、法律が専門の立場から申し上げますと、そういうふうになるというふうに私は考えております。

水島委員 先生がお考えの法律にした方がいいというのは、かなりぎりぎりの問題というか、かなりいろいろ議論が分かれる中でも、恐らく、先生として、この一線を踏み越えてはいけないというところを法律にしたらというような御意見かなと伺いました。

 その場合に、先ほども、一般市民を巻き込んで、公開された状態での議論を経てガイドラインをつくっていくということ、その手法は本当に私も正しい考え方だと思っておりますし、万事においてそうすべきだと思っております。

 その一方で、このようなきちんとした議論、討論を行っていく場合に、どれだけ十分な情報が与えられているかということが結局その議論の性質を決めていくというようなところもございます。私も時々、国会で議論をしておりまして、お互いに持っている情報がこんなに違うのに感情的な議論をしていても仕方がないのにと思うようなときもあるわけでございまして、やはり十分な情報を与えられた上で議論していくということにこそ意味があるのではないかと思っております。

 そのような中で、特にこのようなバイオエシックスにかかわるような問題につきましては、もう少し知識を持っているだけで、また考えが百八十度変わり得るようなことも確かに中にはございますので、そのような情報提供をどのように行っていくかということは非常に重要だと思っておりますけれども、その情報提供をどのように担保していくかということについて、何か先生のアイデアがございましたら教えていただきたいと思っております。

木村参考人 これは大変難しい問題ですが、先生が何回か繰り返して使われました言葉で、市民を巻き込んでやっていくのは大変結構であるという御指摘をしていただきましたが、これは巻き込んでではないんですね。それは、専門家の学会があり、あるいはれっきとしたいわば官公庁のシステムがあって、そういう中で市民を巻き込んでやりましょうという発想ではなくて、バイオエシックスがつくり上げられてきたのは、むしろ市民の側からの、自分の命の情報を、きちんとそれを持って、いわば自分がそれなりに覚悟していかないといつの間にか命は消えてしまう、殺されてしまう。

 これは、御存じのように、当時の世界的な状況が、少数者の人権を守る、コンシューマーの権利を守る、あるいは患者の権利を守る、そしてまた、学校教育の中での学生のイニシアチブを明確にするというような、世界的な大きなレベルでの、グラスルーツレベルでの異議申し立ての中でバイオエシックスは形成されてきたというふうにして私は理解し、かつ展開してきたものであります。巻き込むのではなくて、むしろ市民がイニシアチブをとった展開であって、その中でその運動が、これは、一九七〇年代の反戦ベトナム運動の中に、つまり、情報を十分に出して、そして、自分の命にかかわる戦争に関連していく、かかわっていくというようなことから出てきた問題なわけなんですね。

 ですから、そういう意味では、これは、情報公開法というのはそれからできるわけですね、日本でもいろいろな形で今情報公開を求めて制度的に整備が進んでおりますので、そういう形での整備を推進していく。特に、きょうのこういうところも含めて、政府の政策過程へ国民が直接、間接に参加できるようなシステムをいわばきちっとつくっていくというところに非常に大事なポイントがあるというふうに私は考えております。

水島委員 ありがとうございました。

 今ので非常によくわかりました。つまり、当事者が、むしろ自分の当事者としての意識を何とか形にしたい、解決してもらいたい、そういうことで向かっていくということで、勘違いが今解決されました。

 さて、そうでありますと、ますます、自分が当事者になったときに、ちゃんとそのような形で自分の意見を表明していけるのだとか、それがまた世論を形成していくような力を持ち得るのだというようなことも含めまして、こういった問題を、先ほど、中山会長はむしろ命にかかわる教育ということで教育を取り上げられましたけれども、それも含めまして、やはり、自己決定、また自分の意思の表明、またこういう自分にかかわることについては自分がちゃんと情報を持って自分で選んでいくことができるのだというようなことを、かなりこういう基本的なことを教育の中で教えていく必要があると思っておりますけれども、そのあたりについては逆にどういうアイデアがございますでしょうか。

木村参考人 先生のおっしゃるとおり、自分の命を自分で守る、そして、いろいろな形で命を自分で守るんですが、それを支え合うというプログラムを学校教育の現場でつくり上げていくことが大事だとかねがね思っているのですね。

 先ほど申し上げましたけれども、単に教科書を勉強するというだけではなくて、いろいろな課外実習を含めた、例えば臓器移植のセンターへの訪問とかあるいは病院――私、ちょっとした小さい事例で申し上げますと、私の息子が手術をすることになりまして、地元の病院に行きました。ハーバード大学のあります、地元の病院でしたけれども、チルドレンズホスピタルというところです。

 病院に行きますと、御両親を含めて、この病院というのはどこからの予算でどういうふうに成り立っているか、そして、どういう人がいてどういう働きをしているかというようなことを、子供たちを集めて、まるで社会科の授業のように説明があって、そうして、病室を見て歩いて、最後にレストランに行って、アイスクリームがありますよというような話をいろいろするんです。

 何かそういう学校教育の現場が、学校のいわば建物の中だけじゃなくて、地域のコミュニティーの中で、病院とかあるいは一般の企業だとか会社だとか銀行だとか、そういうところとの連携を保ちながら、例えば、病院に入るときには、電話を、ちゃんと番号を置いていってクラスの友達がかけられるようにしなさいとか、病院にだって電話をどんどんかけるというような、日本の学校で余り行われていなかったような、そういう組み合わせの教育の必要性、そういうものが非常に大事になってくるのではないかと。

 恐らく、これはやられていないわけではないんですね。学校によっては、日本でもかなり最近いろいろな形でやられていますが、そういう形でのダイナミックな教育の展開が、特に命の教育の場合には必要になってくるというふうに思います。

水島委員 先生のお話、本当にすべてもっともだとうなずいて伺っていたんですけれども、一点だけちょっと首をかしげた箇所がございまして、ちょっとそこについて、もう少し御説明をいただきたいと思うんです。

 先ほど、戦争以外のジェノサイドというような部分で一つ、中絶の話を取り上げられました。これはやはり、戦争、いろいろなジェノサイドがある中で、それらの何かの意図なりなんなりを持っての他人を攻撃するジェノサイドというものと、女性が自分の心と体を傷つけて、やむなく最後の手段として選択しなければならない中絶というものは、やはりちょっと同列には論じられないのではないか。もちろん、そこで失われる命としては重みは同じだと思います。ただ、そこにかかわる当事者の立場ということで考えますと、やはりそこの一くくりの中に入れられるのはどうかなというふうにちょっと伺っていたわけでございます。

 まず、この人工妊娠中絶、私もこれは決して、日本の法律で今当然確保されてはおりますけれども、先ほど先生は、法律があることでモラルがついていくとおっしゃったんですが、中にはそういう法律ももちろんあると思います。例えばセクシャルハラスメントなんというのは、法律ができたからようやくみんなの意識がそっちを向いたなんといういい効果があったわけでございますけれども、この中絶に関しては、やはり、やろうとすると、本人にとって、もう体も大変傷つきますし、心の傷も、その後恐らく一生引きずるようなものがある、個人差はあると思いますけれども。そういった、本当に最後の手段としてやむなく選ばざるを得ないというのが多くの場合の実態ではないかと思っております。

 そういった点も踏まえまして、この問題、どういうふうに先生がとらえていらっしゃって、また、我々はどういうふうに考えていくべきなのだろうかということをちょっと、もう少し御説明いただきたいと思います。

木村参考人 これはもう水島先生から大変に核心を突いた御質問をいただきまして、もし私が人工妊娠中絶をジェノサイドだと議事録の中で発言していたとしたら、それは間違いなんです。そういうつもりで言ったのではなくて、アメリカのバージニアのカトリックの方々が、ゼネラル・ダグラス・マッカーサーについて、あなたはジェノサイドゼネラルだと言われるようになるよということを言ったんですね。そういうことからいうと、人工妊娠中絶の件数が極めて多く、日本の人口の増加にもある程度影響を与えたというカトリックの人たちの考え方から見れば、ジェノサイドというふうに考えられる可能性もあるんじゃないかということを言ったわけです。

 私自身はそういう考え方には反対です。人工妊娠中絶がジェノサイドなんて思ってもいません。それは個人の非常に厳しい、苦しい、悲しい決断でありまして、アメリカの場合にも、これはプライバシーの権利、日本の場合にはこれは、私は現在の優生保護法には反対ですけれども、母体保護法になってしまいましたけれども、あくまでもメディカルインディケーションなんですね、医療側の判断による。事実上はそうでないと言っているんですけれども、女性のいわばみずからの決断を尊重するというやり方の立法になっていないんですね。

 この点につきましては恐らく水島先生も同じお考えかと思いますけれども、私は、女性の生命、身体についての最終決定権を女性が持っているという立場からすると、これは、やっていいというわけではなく、それが処罰の対象になるというようなことであってはならないと。選択権の一つとして、これは基本的に女性の判断にゆだねられて当然であるというふうに私自身は思っておりますので、私はジェノサイドというふうに一切考えておりません。

 誤解を与えたとしましたら、大変申しわけないと思います。

水島委員 大変失礼な誤解を、私も聞き違えてしまったようで、本当に申しわけございませんでしたけれども、先生がそういうお考えだということを伺って、ますます尊敬の念を深めるわけでございます。

 きょう、本当に、御出席の委員の皆様もいらっしゃいますので、ぜひこの機会に改めて申し上げておきたいと思いますけれども、今、この堕胎ということ、中絶ということに関して、政治の場でもちょっと議論が混乱しているなというふうに思っております。

 これは、当然、今、立法としては女性の権利としての枠組みの立法にすべきだ、いわゆるリプロダクティブヘルス・ライツの枠組みの中にこれを持ってくるべきだという議論は正当な議論だと思っておりますけれども、だからといって、女性が決して喜んで中絶をしているという現実はないのだということをぜひ御理解いただきたいと思っております。

 これはあくまでも本当に究極の最後の選択であって、そのようなことにならないのが一番いいに決まっているわけであって、また、中絶をしたことによって責められる女性もいるようでございますけれども、だれよりもやはり本人が一番傷ついているわけですし、場合によっては、それがその後ずっと体に大きな障害を生じてしまったり、時には命の危険にもつながるということにもなる。それほどのリスクを負ったものでございますし、実際には、レイプの被害に遭ったりとかいろいろな事情によって、本当に最後のこの手段を選ばなければいけないという現実がございますので、議論をしていただくときには、ぜひそういった現実を踏まえて御議論をいただきたいとお願いを申し上げておきたいと思います。

 また、特にこの中絶の議論をする場合には、アメリカでもこれはもちろん、国を二分するような大きな議論になっているというふうに聞いておりますけれども、例えば、そこで中絶をしなかった場合に、生まれてきた子供をその親以外の大人がちゃんと責任を持って育てることができるのかとか、本当にその子にその後の人生をきちんと保証してあげられるのだろうかとか、やはり、それを議論していく上には、そのかわりになる、裏側にある議論というのが常に必要になってくると思っております。

 先ほど、先生と中山会長の議論の中でも、例えば安楽死のことを論じるときには、当然その裏側には、高齢者が幸せに暮らしていける社会があるかどうかということが、それを選択していく上での根拠として重要になってくるわけですので、もしこれをしなかった場合にはどうなるかという、そちらの部分の議論というのが、実は私も、このバイオエシックスを考えていく上でもかなり中核的な問題になってくるのではないかというふうにも思っております。

 例えば、今議論がありますのは、着床前遺伝子診断などがございまして、これは、例えばいわゆる出生前診断だったら、その子を中絶するということを選んだときに、女性が実際に中絶をしなければいけない。でも、例えば着床前遺伝子診断であれば、実際の遺伝子操作の中で、体の外でそれを選ぶことができますので、そして、卵だけまた女性の体に戻せばいいというふうに、そういう意味では科学的に考え方が進化してきているというような、そういう今実際に議論になっているものがございます。

 このように、出生前に診断をして、その命を産むべきか産まないべきかというような議論だけが進んでいくということに、私は非常に危惧を抱いているんです。

 なぜならば、例えば、一昔前までは、ダウン症のお子さんが生まれるということになると、それは真剣にどうしようと考える親が随分いたのではないかと思いますけれども、実際には、今、ダウン症の親の会などがきちんと機能しておりまして、本当にダウン症のお子さんのかわいらしいところ、本当に価値の高いところ、そういうところをみんなで認め合いながら、本当に楽しい育児をされている。そして、そのお子さんも当然幸せに、これはまた寿命の許す限りでございますけれども、ちゃんと成長していくことができている。

 そういう現状を見ますと、どれだけそれを支えていく仕組みがあるかどうかによってこの出生前診断という議論も大きく左右されるのだなというふうに私は現実を見て思っているわけでございますけれども、実際に、そうやって環境を整備すれば、失われなくて済む命が失われるというのは大変悲しいことだと思っております。

 ですから、このバイオエシックスというのは当然のことであるとは思いますけれども、もしもそれをしなかったときにはどういう人生が待っているのかという、そちらの議論が非常に重要だと思いまして、例えば不妊治療の技術にしましても、どうしても自分の価値観で最後までお子さんを欲しいという方はいらっしゃると思いますが、では、例えば今、子供が生まれない女性がどうなっているか。

 いまだに日本の社会には、子供が生まれない女性は一人前ではないというふうに見る空気があったり、またそれに対する周囲からのプレッシャーもかなり厳しいものがあったりということを、私も不妊の女性のサポートをずっとしてきておりましたので、そういう現実を嫌というほど見てまいりましたけれども、そういうふうに裏側の議論というのは非常に重要なことで、先端技術がいいか悪いかということというのは、むしろ本当に小さな領域の話なのではないかなというふうにも私は思っているところでございますけれども、そのあたりを総合的に見て、先生の御見解をお聞かせいただければと思います。

木村参考人 今水島先生から御指摘いただいた問題は、これはもう本当に大きい問題でございます。

 先生の言われた支えていく仕組みを大事にするということは、私のつくり上げてきたバイオエシックスの基本的な理念の一つです。ですから、選択肢として、産むか産まないかというのではなくて、やはり、例えばアメリカの場合ですと、ワシントンDCで遺伝子診断を受けて、遺伝的障害を持って生まれる可能性があるというふうに仮に判断された場合に、隣のメリーランド州だったら、そういう人たちを迎え入れて教育を行う将来計画、そういうところもあるというようなことを判断して、州の居場所を変えるとか、つまり、出生前診断というのは、中絶を条件にするのではなくて、自分のよりよい、あるいは家族のよりよい生活環境を求める判断の素材にしようというような方向もまた大きくあるわけですね。

 ですから、ジェネティックディジーズのためのアライアンス、連盟というのがあって、いろいろな遺伝病が今あります。そのいろいろな遺伝病の方々が、一体どの地域で、どういう生活ができるかというようなことを含めて、この情報交換をし合い、そしてまた、議会に働きかけて、その人たちの立法をいわばサポートするようなロビー活動もしております。

 ですから、先生のおっしゃったことに全く賛成です。女性の自己決定を尊重する立場から、選択肢としてそういうようなことを、いわば方向性としてはあり得る。しかし、基本的に、バイオエシックスで大事なことは、支えていく仕組みをきちっとしてつくる、そういうようなことにつきまして、先生のお考えと全く同じであるというふうに私は思います。

    〔仙谷会長代理退席、会長着席〕

水島委員 ありがとうございました。

 大変心強く考えさせていただきました。

 最後に、もう時間が終わるところなんですけれども、知る権利といたしまして、私たちは、やはり、医療の現場でいけば、今、日本における大きなテーマはカルテの開示ということになっていると思います。

 これは、私たち民主党でつくりました患者の権利法という法案がございまして、その中では、医療情報というのは患者と医療者との共同作業のものである、そのように両者によって共有されるべき、当然、ですから、患者側もそれを持つべきということになるわけですけれども、そのような考え方からの法案をつくらせていただいております。

 そういう考え、恐らく先生でしたら御賛同くださると思うんですが、その中でも、やはり、私はもともと精神科医なんですけれども、精神障害のある一部分であるとか一時期であるとか、そういったとき、どうしても例外規定を設けざるを得ないような部分があるというふうにその法案の中でも考えているわけなんですけれども、そのあたり、知る権利を保障する、あるいはそれを別の形であっても担保する、そういう本当に、現実的にかなり、限界領域みたいなところにつきまして、何か先生の御意見ございましたら、時間が終わるところで申しわけないんですけれども、一言いただければと思います。

木村参考人 先生がただいま御指摘の、特に、心に病を負ったそういう方々のための権利をどのようにして守っていったらいいのか。実は、バイオエシックスというのは、そのような方々をサポートするために生まれたという側面もあるんですね。

 ワシントンDCにあります世界で最大のセント・エリザベス精神病院という病院がございますけれども、そこは、壁に張ってあるのは精神病患者のための権利の宣言、これが一九七〇年代の後半にできています。

 私は、学生たちを連れてそこによく行って、患者の権利担当官と話すわけですけれども、基本的に、精神病者の方々の権利を、その人たちの考え方に沿った形で認めていく。しかも、その場合に、家族の方々も含めて慎重な話し合いをするというような事柄を実践していて、そして、大きな被害が起こったということはありません。

 精神に病を持っているということが、何か全部その人の人格が否定されるわけでは決してなくて、これは先生の御専門でございますが、たまたまうちの中でたき火をしたとか、そういうことがいろいろな問題を起こすということになるわけですけれども、私が行きましたときには、ベトナム戦争の従軍によって心に病を負った方々、よだれを流しながら麻薬のために歩いている方々、危害を加えてくるわけではないわけですね。レーガン大統領を撃った方もその隣の病棟に入院していたわけですが。そういう方々を中心に、ノーマリゼーションといいますか、コミュニティーの中でケアしていくような方向性を考え出していこうということをアメリカでは現実にやっておりました。

 それを踏まえて、日本でも、一九八〇年代の初めに、これは初めてですけれども、患者の権利の担当の職員というのを長野県の安曇病院というところでつくりまして、ボランティアがいっぱい行って、私もアメリカからのボランティアとしてその精神病院に参加して、そして、患者の権利のためのいわばガイドラインをつくるということをやってきました。そのそばにあります佐久の総合病院では、若月俊一先生が直ちに、一九八〇年代の初めですけれども、患者の権利宣言というのを出しました。

 私は、そういう意味から考えますと、そういう方々の権利を守る方向に、その人たちを抑え込むのではなくて、大事にするというような方向で、心に病を負った方々の患者の権利宣言というのを日本でもつくり上げていく必要がある。これはついでながら言いますと、患者の権利宣言というのは日本でも私が唱えてきたことの影響を受けて出てきたものであるというふうに私は自負しておりますので、そういう点で、先生の政党でもこれを取り上げていただいたことに、ここで改めて感謝申し上げたいというふうに思います。どうもありがとうございました。

水島委員 どうもありがとうございました。

中山会長 次に、斉藤鉄夫君。

斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫です。

 真横から失礼いたします。

 きょうは大変すばらしいお話、ありがとうございました。十五分与えられまして、五問ないし六問、質問させていただきたいと思っております。

 まず最初に、命、それから、エシックスといいますと、やはり宗教的な土壌ということとも関係してまいります。先生は、アジア、ヨーロッパ、それからアメリカと、それぞれ宗教的バックグラウンドの違うところで研究してこられて、また暮らされてきて、この宗教的な土壌とバイオエシックスという観点から、何かお考えがあればお聞かせをいただければと思います。

木村参考人 これは大変に大きいテーマでございまして、できればあと二時間ぐらい話をしたいんですけれども、今の先生のお考えでいいますと、バイオエシックスという学門自体がどのように発生したのかという根幹にかかわる問題なんですね。これは、私は、シビルライツといいますか、人間の命の尊厳を求めて、つまり、それまでいわば医師、政策担当者、あるいは専門家に金縛りに遭って、身動きとれなかった一人一人の人間の命の尊厳を求めての叫び声の闘いの中から生まれてくるんですね、バイオエシックスというのは。

 しかし、それの最初の担い手は、アメリカではシビルライツの運動を担った人々の中でも、特にキリスト教の神学者だったんですね。キリスト教の神学者が、これは御存じのように、例えば日本でもそうですけれども、病院にチャプレーンという形で入っております。これは病院つき牧師ということです。そういう方々が、患者さんの現実の問題に苦しんでいるありさまに直面して、そして、医療側と対話をすることの中で、つまり、神様によってこういう命に定められて、こういう遺伝病を持っているんじゃないか、しかし、これを治すことができるんじゃないか、本当のこと言ってくれないけれども、どうしたらいいんだろうかというような悩みを治すような形で、キリスト教の神学の素養の中で、何人かの方々が先端医科学技術の問題に集中しながら、バイオエシックスを展開させていったわけですね。

 これは、ヨーロッパにおいても長い長い、これはもう、そもそもキリスト教が背景にあって、病院とかホスピスケアのシステムが中世からできてくるわけですので、ホスピスケアというのは、十字軍のケアをしたセンターがあったわけですけれども、ホスピタルとかホスピスという言葉自体がこれは歴史の古い言葉ですけれども、いわば宗教的なそういう背景があってバイオエシックスが出てきた。しかし、その中でセキュラーな、非宗教的なバイオエシックスに変わってくるわけですね。

 バイオエシックスの問題については、タイではラタナクンという、大学の教授ですけれども、この教授が専門的に取り上げておりますし、それから、中国では邱仁宗という、儒教の精神に立ったバイオエシックスを展開していますし、いろいろな国々で医療の文化を踏まえながらバイオエシックスを非常にダイナミックに展開されている。

 そういう点で、私は、カイロで開催されましたイスラム医学評議会のバイオエシックスの会議にも出まして、こういう会議で、コーランを読むところから始まったわけですけれども、そういう宗教的な、いわば人間のそれぞれの場所での極めて日常生活に密接にかかわりを持ったところから命の問題が展開されてきている。そこにシビルライツの問題とか人間の尊厳の問題とか人権の問題が入って重ね合わさってきているというところに、大きなバイオエシックスの、これは今までになかった新しい学問の体系として出てきたことになるわけです。

斉藤(鉄)委員 大変おもしろい議論で、もっとやりたいんですが、あと一点だけ。

 いわゆるキリスト教、イスラム教的な一神教的なバックグラウンドと、それから、アジアは、自然と人間は一体というふうな、一神教では説明できないバックグラウンドがございますが、バイオエシックスまた命に対しての考え方で、やはり基本的な考え方に違いがあるというふうにお感じでしょうか。

木村参考人 先生の御指摘は大変に示唆的といいますか、例えば、キリスト教の基本的な原理は、一神教であるところのイエス・キリストの父なる神、創造者としての神をこれは念頭に置いて、旧約聖書その他から私たちはその信仰を受け継ぐわけですけれども、聖書の中には、神が人間をつくって、そしてその人間に、産めよ、ふえよ、地に満てよというふうに言ったんですが、ほかの動物その他を支配して神様の栄光のために使うということを許容している文言で理解されるわけですね、旧約聖書のところなんかは。

 それが、つまり、人間至上主義、神様に一番近い人間、そういう物の考え方が、結果的には、人間が知識として得た科学技術を自由に使うことによって、つまり、神様の名によって環境や動物を破壊してきたんではないか。つまり、キリスト教が実は環境破壊の元祖じゃないかという、アメリカの有名な科学史家リン・ホワイト氏は「機械と神」というタイトルの本の中でそういうことを言っています。

 これに対して、仏教ですね。これはアメリカで仏教をやっている人の考え方ですけれども、自然との調和、そしてまた、生きとし生けるもの、つまり、人間が特別にとうといというよりか、あらゆる生命あるものはとうとい、かたじけない恵みの中で私たちは仏様の光の中に照らされて生きているという考え方の方が命を考える場合にはいいんじゃないかということで、アメリカでも仏教に基づいたバイオエシックスをやっている人がいるんですね。

 そう思って日本に来たら、何だか日本では非常に動物を虐待していて、例えば、牛にビールを飲ませて、それをバットでたたいておいしい神戸ビーフをつくっているとか、そう誤解される人もいろいろいたり、あるいは、海岸に来ているイルカを殺したりとかと、動物の権利を言っている人から見ると、何だ、この日本というのは仏教国であると思って来たのに生命を大事にしていないじゃないかというようなことを言われたこともございましたけれども、基本的に言うと、自然とそれから他の生命との調和といいますか、一緒に共存していく。

 科学技術庁の最近の法律でも、こうやって社会と科学技術との調和、何かそういうハーモニアスな考え方があるのに対して、ヨーロッパには、支配していこう、コントロールしていこうという考え方がありまして、そこら辺でバイオエシックスの基本理念にもしかすれば大きな違いが出てくる可能性がある。今そういうことを考えていろいろな学問的な業績が上がってきているというところにあるわけです。

斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。

 次に、これは中山会長の最初の質問ともちょっとダブるのですけれども、現在、個の尊厳ということを憲法で規定されております。これは大事なことだと思いますが、しかし、この議論は、個の尊厳、そして個人の権利ばかりが強調されて、公共に対しての責任というふうなことが書かれていないのではないかというふうな議論になっているんです。その議論は議論として重要だと思うんですが、やはり、その議論のもう一つ上に、いわゆる生命の尊厳ということを憲法上もはっきりと明記すべきだと私自身は考えておりますけれども、この点について、先生のお考えをお聞かせいただければと思います。

木村参考人 まさに、その点につきましては、先ほど申し上げましたように、新しい時代の中での新しい憲法に、このような科学技術の推進を日本国としてこれは全面的にサポートする、知的財産権のことも含めまして、と同時に、それにさまざまな形での障害といいますか弊害が起こらないような形の命の尊厳ということをきちっと入れるべき時代に到達しているのではないか。

 そうしないと、私が一番最初に申し上げましたように、非常に大きいスケールでの環境破壊、これは、枯れ葉剤を使った環境破壊が命の破壊、つまり、樹木の遺伝子も、そしてまた動物の遺伝子も、人間の遺伝子も、全部が破壊されて、そしてそれが三十年、四十年、五十年とつながっていくような現在の悲惨な状況。そしてまた、未来のジェネレーションということから考えますと、何としてでもこのような形でのいわば命の尊厳ということを基本的に踏まえた条項を入れる必要があるのではないかという点で、先生のお考えに全く賛成でございます。

斉藤(鉄)委員 次に、ちょっと個別具体的な話になってまいりますが、日本のクローン産生禁止法の考え方、先ほど、調和という考え方でできている一つの非常に特徴ある法律だというふうにおっしゃっていただきましたけれども、クローン個体の産生、これはもう厳然と罰則をもって禁止する。しかしながら、ES細胞、万能細胞等の、将来の人類にとって福音を与えるかもしれない技術についての研究については道を開く、ガイドラインをもって道を開くということだと思いますけれども、実際の研究の対象とするのが、いわゆる受精卵を研究の対象とするわけで、そのときに、どこから命なのかという議論がその委員会の審議の中でも出てまいりました。

 そのときは、受精卵については、命ではないけれども生命の萌芽である、したがって、できる限りの考えられ得る最大限の敬意と尊重の念を持ってこれを研究対象として取り扱わなければならない、このような議論もされたところでございますが、受精卵を研究の対象として使うということ、そして、生命の萌芽として我々は受精卵に対して一つの位置づけを与えた、こういう議論についての先生の御見解をいただければ、このように思います。

木村参考人 この点は、宗教的な見解で、欧米諸国、特にカトリックの信仰者の方々からは極めて大きな異論のあるところなんですね。これは、生命は受精の瞬間に始まる、つまり、人間としての非常に重要な意味合いを持ったものとして、受精卵を使うということには全面反対ということで、米国大統領の生命倫理の諮問会議は、レオン・カスという、私の友人でもありますが、この方はユダヤ教の出身の方ですが、そういうことで、極めて否定的。したがって、連邦政府としては、現在ある細胞株を使うことは許容しましたが、新たに受精卵を使うことはやめる。

 ドイツの場合には、これを輸入して使うということになっておりますが、基本的には、生命といいますか人間として、着床のところから大体一週間、二週間あたりをボーダーラインにしているという状況があるわけで、私が一九七二年にスイスでロバート・エドワーズ先生が体外受精の研究をしておりましたときにも、大変宗教的な立場の方々から大きな問題提起をされたわけです。

 基本的には、やはり科学研究、特に、苦しんでいる人、悩んでいる人、病気の人、難病の人、そういう人を助けるための科学研究のシステムづくりというものを、インフォームド・コンセントを中心にして、例えば、今も倫理委員会その他でもって、研究についてはプロトコルを審査するという形にしておりますけれども、そういう形で、専門家が暴走しないような、オープンなディベートがなされるような環境の中で枠組みづくりをしていくという、つまり、プロシード・ウイズ・コーション、非常に注意深く、慎重に、少しずつでも進んでいくというようなあり方の方が、これは絶対だめというあり方よりは受け入れられる可能性が多いのではないかというふうに私自身は考えております。

斉藤(鉄)委員 最後でございますが、そのこととも関係しますが、パブリックポリシーということを先生おっしゃいました。一つの問題は私、今、専門技術者集団と対社会というふうな、何か対立関係が徐々に生まれてきているような感じがしないでもありません。そして、その間に介在するのがマスコミでもあるわけですけれども、この社会と専門技術者集団、もしくは研究者集団と言ってもいいかもしれません、それとマスコミ、この三者、済みません、非常に脈絡のない質問で申しわけないんですけれども、ある意味で、これからの社会を形成していく上で非常に重要だと思いますけれども、この点についての先生の御見解をお伺いできればと思います。

木村参考人 これも大変に重要な問題でございまして、マスメディアの果たす役割というのは先端医科学技術については極めて大きな影響力を持っております。

 アメリカでは、御存じのように、一九三〇年代から、タスキギー・ケースといいまして、黒人の梅毒患者を、治療する群と治療しない群、そのグループをつくりまして、それを、アメリカ連邦政府の研究、実験の一環として、治療をしているという名のもとに、しかも、ペニシリンその他の薬剤があるのにそれをやらないままに、一種の生体、人体治療実験を続けてきたわけですね。

 これがわかってくるのが七〇年代なんですね。七〇年代にこれがマスメディアの報道によって出てきて、そして、アメリカでは大変なことが起こっている、つまり、一般の人たちに情報を知らせないまま黒人を対象にした梅毒実験をやっていたということがわかった。梅毒実験をやっていたというのは、患者さんを治療する群と治療しないグループとに分けたということですけれども。治療しない場合にはどうなるかということを、要するに、バッドブラッドだから、非常に悪い血なんだからということで、普通の水みたいなのを飲ませて、そして亡くなった方の骨、細胞組織をとったりしてやっていたわけですけれども、これをマスメディアが、ワシントン・ポストがやはり大きく報道しまして、そしてアメリカで最初のナショナルコミッションというのができて、人体実験に関する基準ができてくるわけなんですね。

 ですから、社会に警鐘を鳴らすという点でいうと、マスメディアがある程度報道することによって連邦政府が動いて、そして専門家が招集され、しかも一般の市民が中心になって委員会が形成されていくという形になってくるわけで、私は、そういう意味では、社会と専門家集団とをつなぐ非常に重要な役割をマスメディアは果たしてきたというふうに、特にバイオエシックスの分野では言えるというふうに思います。

斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。

中山会長 次に、吉井英勝君。

吉井委員 日本共産党の吉井英勝でございます。

 先ほどお話ししておりましたときに、先生は南ベトナムで、私はちょうど同じ時期に北ベトナムで、お互い生命の危険を感じながらおったという共有するような土台を持って、今、生命と人間の尊厳という問題について考えているという、非常に大事なテーマだというふうに感じております。

 それで、私、原子力をやっていたものですから、やはり先生のお話にもありましたけれども、二十世紀の前半に、エンリコ・フェルミであるとかアインシュタインであるとか、あるいはオットー・ハーンであるとかさまざまな、原子物理学の世界で名前の出てきた著名な方たちが原爆製造にいろいろな形でかかわっていって、原爆ができたときに、もう歴史的には使う必要なかったんですけれども、人体実験の意味も持ってそれが使用されてしまう。

 そのときに、使われる前に、多くの物理学者、科学者、技術者は、反対の声明を出したり、大統領に要請したりするんですが、結局押し切られてしまったというところから、戦後、科学者の皆さんの間で、科学技術者の社会的責任という考え方、非常に深刻な反省の中からそういう声が広がり、それが哲学者のバートランド・ラッセルだとかアインシュタイン博士や、日本でいえば湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一など著名な物理学者たちを中心にしてパグウォッシュ科学者会議というふうに発展していって。私は、そういう一連の、やはり戦後の科学技術者の持つ社会的責任を科学者の側と国民的な立場からそれを求めていく、考えていくということが非常に大事な時代になっていると思うんです。

 その後、先生がさっき枯れ葉剤のお話をされたので私も思い出したんですけれども、一九六六年四月の日本学術会議四十六回総会で、農薬の軍事使用について世界の科学者に訴えるということを、要するに、南ベトナムで枯れ葉剤の脅威が生まれている中で発せられるんですね。ですから、そういう点では、日本の科学者、技術者が、憲法の前文、あるいは九条とか十九条の良心の自由に沿って、やはり国際的に非常に進んだメッセージを発してきたということは非常に大事な内容だと思っているんです。

 こういう点では、今、日本国憲法のこういう豊かな内容、そういうものを、科学者、技術者はもとより、世界にそういう立場で働きかけるということが非常に大事な時代ではないかと思うんですが、この点についてお考えを一言伺っておきたいと思います。

木村参考人 先生と時代を同じくして、私は南、先生は北ベトナムにいたという話ですけれども、まさに私は、サイゴンで遺伝子戦争、ジェノサイド、ジーン殺しのただ中にいて、大変な恐怖に襲われました。ゲリラ戦争が続いておりましたし、私たちの行く先々でいろいろな、爆弾、手りゅう弾、いろいろな形の被害、惨害に遭ったわけですが、私は無事に帰ってまいりましたけれども。

 私は、バイオエシックスの一つの大きな学問的な基盤は歴史的忘却症との闘いだと思っているんですね。そういう観点からいいますと、私たちは大変に大きなスケールで悲惨な原子爆弾を二回も経験した。しかもこれは、それを開発した科学者たちが、今先生の御指摘のように、反対したけれどもどうしようもない政治的なパワーが働いて、そしてこれを使われてしまった。使われてしまった中で、再びこの惨害が起こらないようにという願いを込めて、私たちは新しく出発したことになると思うんですね。

 そういう観点からいいますと、私は、先生の言われたような平和を中心にした、それを基本原則にした考え方を世界に発信し、一九九九年の五月に行われましたヘーグの平和会議では、十の原則というのがあって、百カ国から一万人が集まった会議でヘーグ宣言を出しているんです。それの第一項は、日本の国是であるところの平和、これを世界の国々が共有するような、そういう時代をつくっていこう、再び戦争をしないという時代をつくっていこうという宣言であったわけですが、今の吉井先生の御指摘のとおりであるということで、私は賛成いたします。

吉井委員 次に、日本の科学技術とか学問研究の自由の問題ですけれども、これはやはり歴史的な経験の中から出てきているということがあって、一九四九年一月二十二日の日本学術会議の第一回総会の、ここでの決議というのは、学術会議発足に当たっての決意表明というのを示しています。

 これまで我が国の科学者がとってきた態度を強く反省し、憲法の保障する思想、良心の自由、十九条、学問の自由、二十三条及び言論の自由、二十一条を確保するとともに、人類の平和のために努力を尽くすということを、学術会議は、戦後、最初に発足したときうたっていますが、私は、だんだん時代とともに、忘却の中には、そういう憲法の、戦前、抑圧されて、弾圧されて、学問研究の自由がなかった中から、滝川事件その他いろいろありましたけれども、あるいは、キリスト教でいえば無教会主義の内村鑑三さんやら矢内原忠雄さんらがなかなか自由に活動できないというさまざまな問題がありましたけれども、やはりそういう点では、今の憲法のこういう規定を生かすということについては不断の努力というものが非常に大事になっているときではないかと思いますが、この点についても一言伺っておきたいと思います。

木村参考人 これは、吉井先生の言われるように、憲法の中自身に、不断の努力でもってこれを私たちは内容を豊かにするようにというような規定があるわけでございますので、吉井先生の言われるような、私たちは歴史的な過去を忘れることなく、これはもう、戦前、どういうひどい状態にあったか。私のおじも医師でしたけれども、投獄され、かつ束縛され、外に出てこられないという期間が長く続いたわけですが、そういう中で、死んだ方、虐殺された方がいっぱいいるわけです。

 やはり私は、先ほど申し上げましたが、五百年先を考える場合に、プロシード・ウイズ・コーションなんですが、バイオエシックスというものがつくり上げられてきた背景に、先ほど中山会長がロケットの話をされましたので、大変に私は、私の本の中にもそのことをちょっと書いてあるのですけれども、ドイツの科学技術というものが極めて組織的に悪用されて、V2号なんかをつくったわけです。その過程で、これは話が長くなりますので短くしますが、脳死という概念なんかは、ダッハウの収容所でユダヤ人を氷漬けにして、もとへ戻らない境界点があるということで、一九三〇年代に脳死という概念を人工的につくり出して、そして、ドイツ人のパイロットの救命に役立たせるようなデータをつくり出しているわけですね。すごいことをやっているわけですね。そういう人たちがNASAとかモスクワとかに行っているわけですね。

 ですから、そういう人たちは免責したわけです。免責して、そして受け入れたわけですね。アメリカの国立公文書館に行って私は文献を実際に自分の目で見てきましたが、ニュルンベルク裁判でそういう人たちを裁判しました。そして死刑にしたんですね、十一人の医師たちを。日本では七三一部隊というのがあって、データの交換でもってこれは全部釈放しました。訴追しなかったわけですね。

 そういうことから見てみますと、アメリカのナショナルセキュリティーのトップシークレットの判この押してあるものを、情報公開法の中で私は実際この目で見て、そのことを本にも書きましたが、そういう観点からしますと、私たちは、歴史的な過去、今、吉井先生が言われました、どんなに私たちは悲惨な、残虐な、学問の自由が抑圧された時代に生きてきたかということを踏まえて、そして、新しい時代を展望していくということが必要になってくるというふうに思います。

 その点で、吉井先生の言われたことは大変に意義深いことであるというふうに私は考えております。

吉井委員 それから、先ほど斉藤さんからもお話がありましたが、一九九八年に国会の方でヒトクローン禁止の法律をつくりましたけれども、このときに、やはり親の意思でヒトクローンを生み出すことが許されるのか、それはできない、それから、やはり生まれてくるクローン人間が、生まれながらにして個人として尊厳が侵される、そういう存在になっていることについて、そのときの参考人の方からも、科学者によるプライバシー、遺伝子の選択決定ということがなされているという意味で、生まれてくる時点で個人の尊厳が侵害される、その意味でヒトクローンは許されるべきでないと。いろいろな議論を私たちもやりまして、これで禁止法をつくったんですが、いずれも、これは今の憲法のもとでも、憲法十三条、個人の尊重、二十四条、個人の尊厳にかかわる部分からして、今の憲法からして、こういうヒトクローンの禁止は当然だということで、議論をして実現していったわけです。

 私は、新しい言葉が生まれてきますと、それを憲法に書き込まなきゃいけないようなそういう議論もありますが、そうじゃなくて、この憲法の規定に基づいて必要な法律をつくることできちんと対応することができるもの、それは、今の生命の尊厳の問題もそうですし、個人情報の保護やアクセスの問題にしても、あるいは、その他、知的財産にしろ何にしろ、プライバシーにしろ、今の憲法の規定の中から必要なものは法律にしてきちんと生かしていくということができますから、そういう点では、憲法は三十カ条に及ぶ人権条項があり、とりわけ、二十五条、生存権保障の問題とか、十三条、二十四条とかさまざまありますから、大事なことは、そういう今の憲法を本当にどう生かしていくかということが、新しい単語を書き込むよりも、やはりそれを生かすということが本当に大事なときではないかというふうに思っているのです。

 憲法第十一条では、「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」こういう点では、さまざまな問題について非常に今の日本国憲法は懐の広い内容を持っておりますから、問題は、新しい社会の発展とともにいろいろなことが出てくるのは当たり前の話でして、そのときに、右往左往するんじゃなくて、その憲法をきちんと生かして、どのように、必要な法律は法律をつくって、法律なしにやるんじゃなくて、法律を生み出すことによってきちんとルールを定めていくとか、やはりそういうことが今非常に私は大事になっていると思いますが、この点について先生のお考えを伺いたいと思います。

木村参考人 これは大変に重要な国の基本にかかわる問題かと思いますが、吉井先生おっしゃるように、現行の憲法の内容を充実させていく、そしてそれで、判例その他が出てきて、それを補充する形でやればいいのではないか。それはそれとして大変に大事な、基本的にまだ憲法の条項にそぐわないいろいろな事態が起こっている。個人の尊厳や男女の基本的な平等が憲法の言っているようにちゃんと保障されているかというと、そうでない場面、局面がいろいろございますので、今、吉井議員の言われたような形で新たな法律をつくればいいじゃないかということになるかと思います。

 しかし、私は、やはりいつもイメージとして、五百年ぐらい先を考えた現代での日本の未来の方向性を、今こそ考えるべきだと思うのですね。

 それは、バイオエシックスの場合もそうですけれども、インフォームド・コンセントにしましても、新しい酒は新しい皮袋にという形で、国の基本法の形に、今、現代、日本で私たちが取り組んでいる大きな問題、特に科学技術の悪用、誤用の問題、これがもたらす人権侵害の問題のスケールの度合いが、我が日本国憲法ができた時代とは根本的に大きく変革しておりまして、現代の新しい時代の中で新しい生き方を国民的な世論の中でつくり上げていくためには、新しい酒袋が必要になるのではないか。

 そういう意味では、内容的に論議を重ねて、きちんとしたものをつくっていく必要があるというふうに私自身は考えております。

吉井委員 どうも大変貴重なお話、ありがとうございました。

 ただ、上野原遺跡から見てもまだ一万年ぐらいの歴史ですが、その単位の中から見れば、五百年はうんと短いのですが、新しいことが出るたびにハツカネズミのように書き込むと、やはり基本法としては問題があるということを私の考えとして申し上げて、終わりたいと思います。

中山会長 次に、阿部知子君。

阿部委員 社会民主党・市民連合の阿部知子です。

 私は、まだ国会議員になって四年目なのですが、実は、木村先生が一九八〇年代から各地でバイオエシックスのお話をなさるときに聞きに参りまして、大変に先見性のあるお話をしておられるなと思ってお名前をよくよく覚えておりまして、実は本日は、本来、我が党は土井たか子がここの委員なのですが、土井の方から、阿部さん、木村さんが来られるので、あなたに質問をさせてあげたいと思うわと言われまして、喜んでやってまいりました。

 国会というところに来て、各委員会に出席する都度、非常に速いペースで、本当に審議とかが進まないまま、法案対応に追われるという日々を送っております身にとっては、きょうのように、五百年か一万年か先、未来に向けた骨格のあるお話を伺えるというのは、非常に大学の授業のように参考になるなと思って伺っておりました。

 私は、まず一点目、やはり先ほどの先生のお話をずっと伺いながら、日本国憲法の成り立ち、特に、アメリカが、戦前の最高裁判決に基づくところの、あるいはニューディール政策に基づくところの一つの理想としての平和やあるいは非暴力主義の延長上に我が国の憲法を置いて制定されてきた過程と、それを簡単に要約すると、今、木村先生のお立場からは、さらに科学技術が非常に想像を絶するところまで踏み込んできた段階で、それをもう一度バイオエシックス並びに命という観点からとらえ返した新しい憲法制定作業も必要なのではないかという御提起と受けとめました。

 私も、そのような考え方もあり得るのかなと思っております立場ですが、一つ、やはり我が国の場合に、例えば、ドイツにおけるナチス・ドイツの悲惨がドイツにおいて憲法の中にも人間の尊厳ということを強く意識した法体系をつくったのに比べますと、先ほど来先生がおっしゃいました歴史的健忘症といいますか、七三一部隊や、それから、最近明らかになっております中国での毒ガス被害等々の我が国の対応を見ますと、必ずしも、私は、十分に、七三一でも南京大虐殺でも、あるいは、戦争中のさまざまな医師も加担したいろいろな医療技術の操作にいたしましても、非常に人間の尊厳を侵しておったのは我が国においても同じであろうかと思います。

 そのことに対して、ドイツでは、例えばドイツの医師会がみずから検証する作業もやってきた。しかし我が国は、一言で言えば、歴史的健忘症に等しく来たのではないかという思いが私にもありますために、今新たに憲法のさまざまな規範を生命倫理的な、バイオエシックス的な、命を基本としたものに持っていくに際して、もう一度我が国の成り立ち、そして現状でもなお、毒ガス問題も含めて、日本の過去の負の遺産としての相殺がなかなか済まされていない社会構造をとっている中ですので、そのあたりをどうお考えかということを一点目、お願いいたします。

木村参考人 今先生の御指摘につきまして、既に私がるる御説明申し上げましたが、まさに歴史的健忘症との闘いを出発点にしたバイオエシックスということで、これは、私たちの国のかつての政府並びに軍部がアジア近隣諸国にいろいろな形での積極的な侵略行為をしたということのほかに、そういうことも踏まえて、国内におきましても、例えばハンセン病患者への長期間にわたる立法上の差別の問題とか、さまざまな問題がありまして、命の問題というのは大きな広がりを持っている。その大きな広がりを持っているということを踏まえて、新しい憲法をつくる場合にはどうしたらいいかということを基本的に考えていく。つまり、命の尊厳を入れるということが、基本的には非常に重要なことになってくるというのが私の考えです。

阿部委員 二点目は、現状において、例えば今の生体の移植あるいは脳死からの移植にいたしましても、個人の意思というものを最大限尊重するような法体系もつくられておりますが、ただし、例えば受精卵の取り扱いや、あるいは、今後問題になります人間の人体を用いたさまざまな医療技術ということに関しまして、例えばフランスにございます生命倫理法のような、要するに、人体を一つの人権の主体とみなすような、人間の体そのものを主体とみなすような法の枠組みをここに、生命倫理法というふうな近い名前でもたらすことによって、さらに、逆に言えば、人体への科学技術の負の影響といいますか、侵襲を食いとめられるというふうに昔から思う立場に立っておりまして、何とか日本の中でも生命倫理法的な基本骨格法を、私の場合は、今憲法を変えようというよりは、まずそのことをつくって何としてでも歯どめをかけていきたい。

 特に、実は私は小児科医で、先ほどの水島さんの御意見の中の、優生保護法やあるいは名を変えた母体保護法が女性たちのある意味でのぎりぎりの選択であるということはわきまえながらも、逆に、余りにも軽んじられている生まれ出るものの命ということも非常に感じざるを得ない立場でずっと暮らしてまいりました。

 そうなると、受精卵というものも、そもそも人体の最初の、そこからしか生まれないわけで、人権の発生の大もとに置いておくようなもう一方の法規範がないと、科学技術の進歩と相チェック・アンド・バランスがきかないのではないかという観点に立っておりますので、先生の、フランスの生命倫理法的な取り組み、これはもう各国、事情と歴史と、例えば人権というのはフランスでも最大価値の根幹に置かれるようなものと思いますから、そういう枠組みの中で出てきていると思いますが、我が国においても、まず人間の体、身体というものにも人権というものをきっちり保障していくような枠組みについてのお考えを二点目はお願いいたします。

木村参考人 これは、先生のおっしゃることに私も個人的に全く賛成です。生命倫理法のような形で新しい時代に対応した、例えば生殖医療技術にしろ臓器の移植にしろ、あるいは生命体の細胞の利用にしろ、そういう形での対応がこれは緊急かつ極めて重要な問題になる。なぜならば、それによって私どもの人格権が侵害される可能性が極めて多いからなんですね。

 これは、時間が長くなりますので申しわけございませんけれども、アメリカでは、先生方御存じのように、ジョン・ムーアという患者さんがカリフォルニアにおりまして、この人が脾臓の手術を受けたんですが、何回も病院に来るように言われたので、余りにも不思議に思って弁護士さんに連絡したら、コンピューターですぐ探し出しまして、この人の脾臓の細胞の一部を利用して、それに特許をかけて特別の薬剤を開発していたんですね。しかも、それを売却して巨大な利益を受けていた。非常にコンピューターというのはネガティブな面とポジティブな面がありまして、医師が論文を書いていればすぐわかってしまうわけですね。しかし、それを患者に知らせていなかった。

 それで、今、こういう時代になってきますと、私たちの体というのはどこの部分でも使えますし、特許をかければ、これについて、脾臓はもう手術したので本人から離れている。例えば、中絶した胎児の胎盤その他は本人には関係なく今利用されている状況ですね、化粧品のベースになったりしているわけですので。そういう点から考えると、これは、人間の体の組織の一部をそれらの提供者である患者の許諾なく使っていいのかどうか。それで金もうけで、一銭も患者、生体細胞がなければ特許はかけられないわけですから、そういうことでいいのかどうかということは大きい問題で、アメリカも非常にこれは慎重に対応していますが、このケースでは患者側には利益の配分はないということになってしまって、立法が必要だということになっています。

 しかし、先生のおっしゃるように、新しい時代の中で、本当に私たちの髪の毛一本からつめの先に至るまで、いろいろな形で金もうけの対象になる時代になってしまったんですね。そういう点について果たしてどれだけ私たちは認識があるかどうか。そういうことから考えると、ある意味では大変に恐ろしい時代になってきた。そういう観点から、生命倫理法みたいのをつくりまして、そしてきちっとした対応をする必要があるというふうに私は考えております。

阿部委員 では、最後の一問になるかと思いますが、実は私もことし年頭にベトナムに参りまして、ベトナムの戦争資料館等々も拝見し、先ほど先生のお話にありましたが、今もって十万人近い、例えばおじいちゃんがベトナム戦士であった人の孫が奇形を持って生まれたり、あるいはさまざまな健康障害を持っているという現実を見聞してまいりました。

 現時点で、もう一方で大変気になりますことが、イラクでの劣化ウラン弾の使用問題でございます。

 実は私も、昨年と一昨年、二度イラクに参りまして、イラクの病院の中で、特に白血病の患者さんの実際をちょっと拝見させていただきました。もともと小児科医で白血病の患者さん等の治療にもかかわってまいりました私の目から見ても、非常に勢いの強い白血病と言うと変ですが、非常に重い、状態の悪い子供たちが、特に湾岸戦争の以前と比べますと五倍から七倍の頻度、これはバグダッド大学の医学部の教授ともお話しして、彼らのお持ちな疫学データを見た場合に、非常にふえている。この間の経済制裁の影響での栄養不良もあるだろうが、やはり何らかの遺伝子への作用が考えられるのではないかということを非常に案じて指摘しておられました。

 先ほどの先生のお話の中で、ユネスコのさまざまな規定の中にも、これから及ぼし得る未来の世代への影響とか考えた場合に、現在の劣化ウラン弾の使用というのは、まだもちろんWHOでも害があるものと確定したわけではないのですが、要は確定されてからでは遅いというような側面もございまして、これは、私もイラクへは広島の市民団体と一緒に行ったのですが、ぜひとも今警鐘を鳴らしておく必要がある。

 あるいは、ドイツのNGOなどは、残っている劣化ウラン弾を防御服を着て全部取り除いておるような状態で貢献をしておりますわけで、環境への負荷が証明されてからでは遅い。懸念、疑いがあるうちに対処しないと未来への責任は果たせないと思いますが、現状で、劣化ウラン弾使用、一九九〇年代から戦争の中で使われておりまして、このことに関して先生はどのようなお考えをお持ちかということを最後にお願いします。

木村参考人 今先生の御指摘のように、やはり未来のことは、それを踏まえて現段階で取り組むべきであるということに私は賛成です。

 実は、アメリカにかつて、議会の技術評価局、オフィス・オブ・テクノロジー・アセスメントというのがございまして、そこで、世界諸国の医療や健康やあるいは科学技術その他をめぐるいろいろな技術評価を議会に直結の事務局を持っていたわけですね。そこには、ヒトゲノムを含む遺伝子研究の未来その他もあったわけですが、ぜひ議会直結の何かそういう生命倫理の事務局のようなものがあれば、本当はすばらしいことになるかと思うんです。

 私は、技術評価局から依頼を受けまして、そのとき、今から二十年ぐらい前ですけれども、日本の高齢者の、先ほど会長の御質問にありましたが、末期の医療について日本はどのような展望を持っているかということ、例えばどういう形で患者をケアしていくのかというようなことを含めた日本の高齢者の調査をやる、それを引き受けたんです。

 それで、アメリカに行って原稿を書きました。どうして書いたかというと、実は、日米科学技術協定というのがあって、厚生省のドキュメントはアメリカの国会図書館の中に来て読めるんですね。その当時厚生省のドキュメントは、普通の一般市民には読めないドキュメントだったんです、つまり公開されていませんので。それが、アメリカに来ていますと、アメリカは公開されているので、アメリカにいて、日本の厚生省のドキュメントを使って日本の高齢社会についての分析を行ったということができるわけですね。

 今の御質問の劣化ウランの問題につきましても、これは世界に先駆けて、平和国家であるところの日本が中立な立場から、これらの現状その他について、例えば今も特定の大学で日本から行った研究者が枯れ葉作戦の後遺症についての調査などをしておりますが、劣化ウラン爆弾の問題を含めて、こういうような研究調査を日本こそがやはりでき得る極めて有利な立場にあるのではないかというふうに私は考えますので、先生のおっしゃるような意味での未来に備えての調査をするということに私は賛成したいというふうに思います。

阿部委員 ありがとうございました。

中山会長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 木村参考人におかれましては、長時間にわたり貴重な御意見を賜りまして、まことにありがとうございました。憲法調査会を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手)

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後零時五分散会


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