衆議院

メインへスキップ



第7号 平成16年6月3日(木曜日)

会議録本文へ
平成十六年六月三日(木曜日)

    午前九時一分開議

 出席委員

   会長 中山 太郎君

   幹事 近藤 基彦君 幹事 福田 康夫君

   幹事 船田  元君 幹事 古屋 圭司君

   幹事 保岡 興治君 幹事 枝野 幸男君

   幹事 鈴木 克昌君 幹事 山花 郁夫君

   幹事 赤松 正雄君

      伊藤 公介君    岩永 峯一君

      小野寺五典君    大村 秀章君

      倉田 雅年君    柴山 昌彦君

      下村 博文君    棚橋 泰文君

      渡海紀三朗君    中谷  元君

      永岡 洋治君    野田  毅君

      平井 卓也君    平沼 赳夫君

      松野 博一君    森岡 正宏君

      森山 眞弓君    綿貫 民輔君

      大出  彰君    鹿野 道彦君

      楠田 大蔵君    玄葉光一郎君

      小林 憲司君    園田 康博君

      田中眞紀子君    武正 公一君

      辻   惠君    計屋 圭宏君

      古川 元久君    本多 平直君

      馬淵 澄夫君    増子 輝彦君

      村越 祐民君    笠  浩史君

      太田 昭宏君    斉藤 鉄夫君

      福島  豊君    山口 富男君

      土井たか子君

    …………………………………

   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月二十日

 辞任         補欠選任

  岩永 峯一君     西野あきら君

  小野 晋也君     川崎 二郎君

  馬淵 澄夫君     稲見 哲男君

  山口 富男君     吉井 英勝君

  土井たか子君     照屋 寛徳君

同日

 辞任         補欠選任

  西野あきら君     岩永 峯一君

  稲見 哲男君     馬淵 澄夫君

  吉井 英勝君     山口 富男君

  照屋 寛徳君     土井たか子君

同月二十四日

 辞任         補欠選任

  仙谷 由人君     枝野 幸男君

同月二十七日

 辞任         補欠選任

  園田 康博君     金田 誠一君

  土井たか子君     照屋 寛徳君

同日

 辞任         補欠選任

  金田 誠一君     園田 康博君

  照屋 寛徳君     土井たか子君

同月二十八日

 辞任         補欠選任

  川崎 二郎君     福田 康夫君

六月三日

 辞任         補欠選任

  衛藤征士郎君     柴山 昌彦君

  二田 孝治君     小野寺五典君

  伊藤 忠治君     本多 平直君

同日

 辞任         補欠選任

  小野寺五典君     二田 孝治君

  本多 平直君     伊藤 忠治君

同日

 幹事小野晋也君五月二十日委員辞任につき、その補欠として福田康夫君が幹事に当選した。

同日

 幹事仙谷由人君五月二十四日委員辞任につき、その補欠として枝野幸男君が幹事に当選した。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 幹事の補欠選任

 日本国憲法に関する件

 小委員長からの報告聴取


このページのトップに戻る

     ――――◇―――――

中山会長 これより会議を開きます。

 この際、幹事の補欠選任についてお諮りいたします。

 委員の異動に伴いまして、現在幹事が二名欠員となっております。その補欠選任につきましては、先例により、会長において指名するに御異議ございませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

中山会長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

 それでは、幹事に

      福田 康夫君 及び 枝野 幸男君

を指名いたします。

 なお、現在欠員となっております会長代理につきましては、議院運営委員会理事会の申し合わせにより、野党第一党の幹事の中より指名するとのことでございますので、民主党・無所属クラブ所属幹事枝野幸男君を会長代理に指名いたします。(拍手)

     ――――◇―――――

中山会長 日本国憲法に関する件について調査を進めます。

 本日は、各小委員会において調査されたテーマについて、小委員長からの報告を聴取し、委員間の討議に付したいと存じます。

 議事の進め方でありますが、小委員会ごとに、まず小委員長の報告を聴取し、その後、そのテーマについて自由討議を行います。

 なお、各テーマごとの自由討議における最初の発言者については、幹事会の協議決定に基づき、会長より指名させていただきます。

 自由討議の際の一回の御発言は、五分以内におまとめいただきたく、会長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。

 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。

 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。

    ―――――――――――――

中山会長 それでは、まず、地域安全保障について、安全保障及び国際協力等に関する調査小委員長から、去る四月二十二日の小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。安全保障及び国際協力等に関する調査小委員長近藤基彦君。

近藤(基)委員 安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会における調査の経過及び概要について御報告申し上げます。

 本小委員会は、四月二十二日に会議を開き、参考人として、青山学院大学国際政治経済学部教授菊池努君をお呼びし、地域安全保障について、憲法の視点からのFTA問題を含めて御意見を聴取いたしました。

 会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会の会議録を御参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、

 参考人からは、

 アジア太平洋の地域安全保障を考えるに当たっては、国際社会との協力、協調関係の重視や軍事力だけではなく、経済活動等総合的な取り組みのほか、テロ等の新しい脅威への対応が重要であるとの認識が述べられました。

 そして、アジア太平洋地域には、近代化を終えて安定した国家、近代化の途上にある国家、国家体制が脆弱な国家が存在し、後者二つの分類に属する国家群は、国内体制の脆弱性に伴う問題、国家間紛争及びテロや経済問題などの新しい問題を抱えており、これらが同地域の安全保障上の課題となるとの見解が述べられました。

 さらに、これに対する地域諸国の対応として、地域安全保障の環境整備としての同盟の機能強化、政府間または官民合同での地域安全保障対話の拡大、内政への地域諸国による共同介入、共同関与が挙げられるとの見解が述べられました。

 最後に、FTAが地域安全保障にもたらす効果について、FTAは地域経済の安定化や国境を越えた利害の共有等のプラス面を持つ反面、締結国間の利益の不均衡を生じさせることによる国内政治の対立の惹起等のマイナス面を有することから、多少の効果は期待できるが、過剰な期待はできないとの見解が述べられました。

 その後、参考人の意見陳述を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われました。

 そこで表明された意見を小委員長として総括すれば、

 地域安全保障のあり方についてさまざまな角度から意見が述べられたと思います。その主なものを紹介しますと、アジアにおける地域安全保障の枠組みを考える際には、集団的自衛権の行使を認めるか否かが重要なポイントとなるが、認めるに当たっては、何らかの条件を設けるべきかどうかについて検討を要するとの発言、アジアにおいて有事が発生した際に我が国がとり得る行動について議論すべきとの発言、冷戦崩壊後、二国間同盟関係から多国間の協調的安全保障が重視されるようになってきており、憲法は軍事的手段を否定していることから、我が国は平和的な外交手段を充実させるべきとする発言、アジアの地域安全保障において北朝鮮をめぐる六カ国協議を活用すべきとの発言等がありました。

 我が国の外交や安全保障のあり方については、国連の機能が完全に発揮されていない中で米国との協調は不可欠であるが、国連に対する働きかけを積極的にしていくべきとの発言、ODAのあり方について検討が必要とする発言、FTAを締結することによる我が国の経済的なプレゼンスの高まりがアジア諸国の脅威となるのではないかとの発言、アジアにおける我が国の役割を考える際に中国の存在を念頭に置くことが必要との発言等がありました。

 大量破壊兵器の拡散、頻発する国際テロ、北朝鮮の核問題等の最近の国際情勢の変化や、国際の平和と安全の維持を担う国連機能の不完全が指摘される現下の情勢を踏まえ、我が国の安全保障や国際協力のあり方について、さまざまな角度から調査をしてまいりました。そこでは、憲法前文や九条についての幅広い論点についてこれを掘り下げる調査が行われ、具体的には、自衛権行使のあり方や自衛隊の憲法上の位置づけ、国際協力と九条や前文との関係、国連の集団安全保障への参加の是非や国際協力についての規定を憲法上に設けることの是非、自衛隊の海外における活動と憲法との関係等、多岐にわたって議論がなされました。

 また、非常事態については、昨年調査をいたしましたテロや自然災害等への対処に引き続き、国民保護法制をサブテーマとして掲げつつ、非常事態と憲法をテーマに調査を行いました。

 これまでの議論を踏まえつつ、今回の地域安全保障をテーマとした小委員会における議論を見ますと、不安定な要素を含むアジア地域全体を念頭に置いた安全保障の確保が我が国にとって喫緊の課題であること、また、それを実現する手段としては、防衛という側面のみならず、経済的な結びつきを強めていくこと、各国間の対話を通じて信頼関係を築くことなど、多様な取り組みが存するということを感じた次第であります。

 我が国の安全保障や国際協力のあり方について、九条や前文をめぐる争点に関する憲法上の問題の所在が次第に明らかになってきたと思います。今後も、そうした問題に関して、引き続き調査会においてさらに議論が深まることを望むところであります。

 以上、御報告申し上げます。

中山会長 これより、地域安全保障について、憲法の視点からのFTA問題を含め、自由討議を行います。

 それでは、まず、楠田大蔵君。

楠田委員 民主党の楠田大蔵でございます。

 本日は、四月二十二日の小委員会における菊池参考人からの御意見をお聞きし、また、ただいまの委員長の報告を受けまして、以下発言をさせていただきます。

 菊池参考人の話、また委員の方々との質疑を聞いておりまして、やはり一つ気にかかりますことは、朝鮮半島や台湾海峡などアジアの中に厳然と国家と国家の深刻な敵対関係が存在する、こうした地域全体の安定に対する脅威への対処として、軍事的な対処、抑止力の維持が極めて重要という論理であります。これ自体は確かにそうかもしれません。しかし、だけれども、この論理から派生して、こうした脅威に対して日本が軍事的にしかるべき役割を果たすのは、単なる日本の国益の発露にとどまらず、より大きな公益を守る一環であり、集団的自衛権が認められないために日本がその役割を果たせないのであれば憲法を変える必要もあるであろうという参考人の発言は、いささか危険ではないかと思います。

 同じ論理で、アメリカのアフガニスタンやイラクへの軍事侵攻もテロとの闘いという公共的な利益のために許されるという話になってきますが、その結果が、現在のイラクでの泥沼状態、そしてそれに伴う虐待行為といった非常に悲しむべき現状であります。異なる民族が異なる民族を統治しようとすれば必ず失敗するという過去の歴史が物語ることでございます。イギリスもフランスも日本も、そしてアメリカもその失敗を経験してきました。やはり、軍事的な行動というのはよほど抑制的でなければならないと考えます。

 参考人は、世界のすべての国が支持するということはあり得ないとも述べ、有志連合の必要性にも触れられましたが、今回のイラク侵攻のケースを見ても、それだけの支持がないところでの軍事的な行動はやはり誤りである可能性が高く、国連の正当な決議が最低限必要との認識を改めて強く持つ必要性を感じたところでございます。

 その上で、今回の小委員会での議論でも話題となりました政治、経済、社会にわたる総合的な取り組みというものを、いかに実質を伴うものにしていくかが重要と考えます。例えばFTAに関しては、参考人の話では、二国間の新たな利益の不均衡を生み出し、政治的な対立が惹起されるというマイナス面も挙げられ、過度の期待をかけることへの疑問も投げかけられましたが、日本がある種戦略的にFTAもしくは一歩進んだEPAをアジア各国に投げかけることは、私は極めて有効だと考えております。

 約一カ月前、EUが十五カ国から一挙に二十五カ国に拡大をし、特に旧社会主義国を初めて受け入れました。ここで見逃せないのが、こうした新規受け入れをする際の条件として、開かれた経済運営であるとか、財政赤字の是正であるとか、人権の尊重であるとか、そうしたハードルを設けているということです。相互の発展を図る前段階として、問題を抱える国家を先進的国家にキャッチアップさせるという効果を生んでいる。

 アジアの各国も、近代化の点でそれぞれ大きな格差があるというのは参考人の話でも明らかにされました。環境であるとか麻薬、疫病、人身売買あるいは海賊行為という問題がますます深刻化しています。経済面では、中国を初め、WTOルールすら守られていない。こうした状況を是正し、アジア全体での底上げを図るためにも、日本は主導権を持って経済連携を早急に仕掛けて、相互の依存関係をより強め、平和的な安全保障環境を維持することこそがアジアの共通の利益であるという状況をつくり上げていくべきと考えます。こうしたいわば内側からの取り組みこそが、行く行くはアジアの地域安全保障につながるはずです。

 そのためにも、政府中心のフォーラムに加えて、官民合同のフォーラムという観点はさらに重要と考えます。民間主導の生活に根差した経済もしくは文化面での交流と、そこから生まれる提言にこそ、真のアジア間での相互理解のかぎがあるのではないでしょうか。こうしたコーディネートを我々若い世代もアイデアを出して進めていかねばならないと考えております。

 以上です。

中山会長 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。

棚橋委員 私の方からも、地域安全保障という観点から少し意見を述べさせていただきたいと思います。

 私ども、この議論をするに当たって二つの本質を忘れてはいけないと思っておりまして、第一は、日本国憲法は、ある意味では本当に世界に冠たる高邁な理想を掲げた。二度と、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないようにするということを前文に掲げ、また憲法九条においては、これまた皆様方御承知のように、国権の発動としての戦争を、永久にこれを放棄する。そして、そういう観点からこの国の平和主義を世界に発信し、曲がりなりにも戦後五十九年、我が国は平和であったという事実をまず私どもは深く認識すべきだと思っております。

 しかし、一方で、この憲法ができたときの前提条件、プラスの面とマイナスの面があったでしょうが、米ソの冷戦構造の中での資本主義陣営に属している中で、例えば日米安保条約のように片務的な条約であっても、我が国の防衛が基本的に担保されたという状況が非常に流動化してきて、そして地域紛争が起きやすくなっている状況になっていること、あるいは、残念ながら、軍事的な技術が進歩して、我が国の近くでも地政学的なリスクを抱えるような状況になったこと、こういう中で、我が国の国益をどういうふうに守っていくかということから私は改めてこの安全保障問題というのは議論されるべきだと思っております。

 その中で、当然のことながら、いわゆる集団的安全保障、これに踏み込まなければ我が国の安全は基本的に守れないんではないかという意見も当然一つの理解をしなければいけない側面があるとは私は思いますが、しかし、今楠田委員のお話にもございましたように、国の安全というのは単に軍事面においてのみ守られるものではなくて、むしろ、本来、政治、外交、そしてさらには私どもの経済、生活に一番密着する経済的な、ある意味では運命共同体をつくるという観点からも私はこれは十分考えていけるんではないかと思っております。

 FTAの問題なんかはまさにその最たるものだと思っておりますが、私どもは、この二十一世紀の国際関係が流動化する中で、日本の安全保障、日本国民の生命、財産を守るにはいかなる方法が一番効率的で、なおかつ私どもが掲げてきた平和主義というものを侵すことがない方策であるのかということをまず虚心坦懐考えて、そして、当然のことながら、憲法九条を柱としてきた我が国憲法の議論の中においては、まず平和主義を大原則とする、そして、流動化する国際関係の中で、経済面あるいは外交、政治面も含めた地域安全保障を考えていく、そしてその中で、国際状況がどうしてもこれを許さないのであれば集団的自衛権の議論もやっていくというのが私は筋ではないかと思っております。

 私は、集団的安全保障の議論を否定するものではございませんし、これはやはり虚心坦懐議論をすべきだと思っております。しかし、安易にこちらに走るべきではなくて、この国の国益を守るためには、現状の国際社会の現実を認識した上で、どの方法がまずベスト、ベターなのかということを虚心坦懐議論すべきでしょうし、軍事面ばかりにやはり物を考えずに、今楠田委員のお話にもございましたように、例えば外交、政治面における国際的な枠組みの強化、そして何よりも、意外とこれがきいてくると私は思っておりますが、経済面における国際的な連携、あるいは運命共同体としての何らかの枠組みの強化あるいは枠組みをつくること、こういった視点から考えていくべきだと思っております。

 以上でございます。

船田委員 自民党の船田元でございます。

 アジアあるいはアジア太平洋と言っていいかもしれませんが、この地域の安定そして成長といいますか繁栄というのは我が国の国益に直結をする、こういう非常に重要な地域であるという認識であります。これらの地域にいかに我が国として貢献をしていくか、このことはとても重要なことであると思っております。

 確かに、戦前、我が国がアジアの諸国に対してさまざまな侵略的行為を行った、あるいは過剰にその国の政治に介入をした、こういった大変痛ましい、そして反省すべきことはあったと思いますけれども、かといって、我が国のアジア政策、とりわけアジアの平和と安定を維持するために何ができるかということに対して余りにちゅうちょしてしまうということは、私はよろしくない、こう考えております。我が国の現行憲法ある限り、やはりそれをもとにした対アジア、日本の役割というものはもう少し積極的に考えてもよろしいのではないかという気持ちでございます。

 それから、参考人からいろいろお話を伺いましたけれども、アジア地域においては、今までは、それが国ごとに非常に多様である、あるいは非常に複雑であるということで、アジアにおいてはいわゆる地域システム、アジア全体の、例えば安保あるいは危機管理、そして経済、あらゆる面でのシステムができないのではないか、こういう今までの固定観念みたいなものがございましたが、やはりこれからはアジア地域における多国間のさまざまなシステムを構築していくということは大変重要であると思っています。そういうアジア地域全体の公共財、これを構築していく、そのために日本が貢献をしていくというのは、これはこれからの非常に大事な方向性であると思っております。

 現在、ASEANプラス3ということで、日本、中国、韓国を含めた集まりがございます。それから、もうちょっと広く考えれば、アジア太平洋全体を含むAPECというグループもございます。もちろん、これは経済的なつながり、あるいは経済協力などを中心としておりますが、例えば、そういう中でARF、そのような集まりはだんだん地域の安保について議論を始めている、そういう状況でございまして、このような動きを我が国として後押しをしていくということが重要であります。

 ただ、そういう中で、やはり中国の存在というのはとても大きいと思っています。世界最大の巨大市場でありますし、あるいは軍事的にも非常に大きなポテンシャルを持っております。もちろん、文化的にも大変大きな影響力がある中国であります。この中国には、これからも政治的、経済的両面においてオープンでありフェアである、そういう国づくりをぜひ続けてもらいたい、そういう気持ちであります。

 また、我が国として、中国に対しては決して内向きにならないように、常にそのような働きかけをしていく必要があると思っております。このアジア地域においての中国の果たす役割、それを十分に認識し、また、よい方向に進めていってもらいながら、我が国としてのアジア政策をしっかりと確立していく、これが大変重要な時期になってきたと考えております。

 以上でございます。

山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。

 私は、地域の安全保障を考える場合に、一つは、二十一世紀を迎えたアジアに対する現状認識の問題、それから、それに対して日本が持つべき平和外交戦略の中身の問題、そしてもう一つ、その際依拠すべき憲法原則、それらが当然問題になってくると思います。

 まず初めに、アジアへの現状認識の問題なんですけれども、参考人もさまざまな角度からお述べになったわけですが、私は、アジアは、この二十一世紀の世界の動向を見る中軸になると言われていますけれども、他の地域に見られない非常に多面的な特徴を持った地域だと思います。

 それは、国の構成で見ましても、社会主義を目指す中国、ベトナムがあり、また、日本のように発達した資本主義国があり、そして一方では、経済的発展の点では発展途上と言われるようなさまざまな諸国がそこに存在します。

 それからまた、宗教の面で見ましても、いわゆる世界の四大宗教と言われるような国が、それぞれの自国の中にそういう宗教の面での問題を抱え込むというような地域で、なかなかこれはほかのところに見られない問題だというふうに思うんです。そして、今この地域が世界の非同盟運動の発展の一つの大きな力をなす地域になっているというところも注目すべきだというふうに思うんです。

 私は、それだけに、日本がこういうアジアでの平和外交戦略、経済戦略をきちんと据えることが大事だと思うんですけれども、その際に、やはり憲法論的に考えれば、日本国憲法の平和主義の問題、それと、侵略戦争の反省の上に立って考えるということが基本であって、集団的自衛権については、私はこれは憲法が認めるところではないというふうに思います。

 問題は、アジアでの平和関係に絞って考えてみますと、東南アジアでは、先ほど船田委員が指摘されたように、このASEAN地域フォーラム、ARFという安全保障対話が始まっていますし、また、東南アジア友好条約のように、紛争の国際関係について、平和的な解決を目指すという流れが非常に強力に生まれている。同時に、東南アジアではそうですけれども、北東アジアを見ますと、やはり朝鮮半島の問題、それから台湾海峡をめぐる緊張の問題という、さまざまな不安定な要因を抱えている。この問題を解決していくことが、長期的には北東アジアの平和と安定にとっても欠かすことができない課題になるだろうというふうに思います。

 北朝鮮問題では、五月の日朝首脳会談で、私は、一昨年の日朝平壌宣言が日朝関係の基礎として再確認をされて、拉致問題、それから核、ミサイル問題、人道援助問題などで、懸案事項が引き続き残るわけですけれども、一定の合意を見て、国交正常化への前進の方向を確認したことは重要なものだというふうに考えております。

 そして、北朝鮮との関係の問題について言いますと、ここできちんとした両国関係の安定化が図れるような方向が生まれれば、これは、六者協議を含めまして、北東アジアにおける二十一世紀の長い目で見たときの平和と安定の国際関係の確立の上で非常に大きな役割を日本が果たし得る分野に逆になるというふうにも考えるんです。

 それからもう一点の、台湾海峡をめぐる問題なんですけれども、台湾問題については、日本は平和解決の独自の役割があると思います。それは、あの地域を五十年間植民地支配した問題がありますし、その後ポツダム宣言によって中国に返還したという経過がありますから、やはり台湾住民の合意のもとに、中国大陸との平和的な統一が実現されるということを私は希望したいというふうに思います。

 最後に、FTAの問題なんですけれども、これを考える場合に、やはり国連憲章が定めております主権国家の平等原則の問題、それから、憲法が打ち立てている国際協調主義や平和的生存権にかかわる問題、こういうことをきちんと踏まえることが大事だ。特に、アジアは、八〇年代末から九〇年代のアジア通貨危機を契機にして、自主的な経済圏をつくるという動きを非常に強めましたから、FTAを考える場合も、やはり各国の経済主権と平等互恵の立場に自覚的に立って、問題にリアルに対処していくということが日本には求められているというふうに考えます。

中谷委員 集団的自衛権や集団的安全保障についても、ただいまの意見であれば、悪いものであって危険なものであるというようなことも伺いましたが、現にヨーロッパにはNATOという機構がありまして、また、現在EU軍なども創設をされていまして、地域の安全保障の、この平和の維持のために各国が実力組織を提供して、みんなでルールを定めて守っていこうということが行われております。また、国際的にも、アフガニスタンの地域安定のために、NATOなどが中心になって平和維持を実施しているわけでありますが、このように、集団的自衛権にしても、集団的安全保障また地域安全保障にしても、国連憲章で認められている事項であって、この憲章の中に記述もありますし、加盟国においてはそれを行うことが容認されております。

 憲法も、戦後の議論の中で、集団的自衛権は、国家として権利を持つが行使はできないというふうに現在政府は考えておりますが、行使できない権利など、これは常識の概念、言葉では理解できないわけでありまして、まさにこの点が憲法の持つ自己欺瞞と現実逃避ではないか。やはり憲法においては、権利としてあるのならば、それを行使することは国家としてできるというふうに考えるのが通常でありまして、そのほかのことは、安全保障基本法とか今の自衛隊法とか、そういう法律で定めるべきではないかと思っております。

 それから、脅威につきましては、科学技術の進展とともに、生物化学兵器とかハイテク兵器また核兵器など、テロが安易に起こる時代になりました。また、海賊行為も今後の課題になっておりまして、ひとりで国家を守るということにつきましては、非常にコストのかかることでもあり、不可能でもあるような現状が来ておりますので、どうしても、この地域の安全保障において、アジアにおいてもこのようなものを考えるべきである。

 そうすれば、日本もそこで定められたことを実行することも必要でもありますし、将来、国連の集団的自衛権に基づく行為においても、日本としては国家としてこれに参画をしていくということは私は当然のことでもありますし、また、常任理事国入りを目指すのであれば、やはりそれなりのことができることを国家として築き上げておかないと、しっかりとした国際的な地位というものも保てないのではないかと。

 安全保障というのはなぜ軍事的対処があるかといいますと、その脅威に対してしかるべき役割を果たしていく、要は、そういった事態を抑止をし、また自立をし、また協力をしていくという高い見識に基づいて考えるべきでありまして、日本というのは、こういった安全、地域平和においては、人任せにするものではなくて、みずからの努力と責任において、こういった脅威に対する備えというものを考えていかなければならないと考えております。

赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。

 先ほど来、地域の安全保障ということに関して、極めて具体的また包括的なお話がなされておりますが、先ほど来交わされているような議論につきましては、私もこの場で既に何回か申し上げてまいりましたので、ちょっと違った角度で若干お話をさせていただきたいと思います。

 といいますのは、今憲法を取り巻く状況というのは、いろいろな場面で、いろいろな論者が、さまざまな時間的経緯の中で区切りのような、そういう時代的区分というか、時代的気分を期限的な区切りでもって示される傾向が強い。つまり、ムード的に、雰囲気的に、憲法をめぐる状況、つまり日本にとって今一つの大きな転機であるというふうな論考が多い、そんなふうに思います。

 例えば、明治維新の第一の開国、そして、あの第二次世界大戦、アジア太平洋戦争の終わった時期の第二の開国、そして今、第三の開国を迎えている、こういう開国に合わせての憲法の新しい取り組み方が必要である、こんな意見とか、あるいは、ことしが日露開戦百年あるいは日米和親条約締結から百五十年あるいは日清戦争から百十年と、こんなふうな時代的区切りといいますか、そういったものを指摘される流れの中で、日本が今、憲法について、憲法も含めてでありますけれども、大きな転換期に来ている、こんなふうな議論がされるわけで、私もそういった議論には強い関心を持つわけです。

 問題は、そういう時間的経緯とは別に、日本並びに日本の関係国との間のいろいろな意味でのそうした時代的な経緯はたっているけれども、国家と国家の基本的な関係というものには意外と余り大きな変化がないんじゃないのか、こんなふうな感じを抱きます。

 そんなときに、例えばヨーロッパとアメリカとの関係においてしばしば言われるのが、一九九五年におけるドレスデンの和解、一九四五年二月に東部ドイツの都市ドレスデンに米英軍が非軍事都市破壊作戦を行った、その犠牲者に対する追悼、鎮魂の儀式のようなものもやった。この米英とドイツとのそうした儀式の持つ意味というのは、けじめをつけるという意味で非常に大きな意味があった。

 そういう意味合いからいって、地域安全保障という観点で、日本とアメリカ、あるいは日本とアジアの間に真実の意味で、その米英対ドイツの間におけるところのいわゆるドレスデンの和解のような、そういった国家と国家の間における、さきの大戦、あるいはその前後におけるさまざまな出来事に対するお互いのけじめとしての和解、そうした意思表明、そういうものが必要ではないのかという指摘は、私は、結構大きな、意味深い指摘ではないのかな、そんなふうな気がいたします。

 では、具体的に、どういう場所で、どういう形でそういうことをやるのかということについては、なかなか考えが及ばない。福田前官房長官がいらしたら、その辺、元政府担当高官として意見を聞きたいなと思ったんですが、いらっしゃらない。質問通告をいたしておりませんので、また後に、機会があればお聞かせ願いたいな。そういうふうな、国と国との地域の安全保障における過去の経緯の中でのけじめというふうな問題について、いささか考えるところがございます。

 以上でございます。

土井委員 あるいは、私の発言は最初に申し上げればよかったかもしれないなと思いながら、今、ネーミングカードを立てたわけですが。

 実は、きょうは小委員会の報告を小委員長がされるということで日程が組まれまして、そして事前に事務局の方が文書を用意されたのを小委員長がお目通しをされて、ここに案として出されるという形なんですね。私どもは事前にその文書を配付していただけるので、大変に便利です。そして、中身に対して目通しができるというのはありがたいと思っております。

 きょうは、この安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会の案文を事前に読ませていただいて、実は、この文書の中で、小委員長御自身が総括ということでまとめられている部分が後半にあるわけです。そこの部分を見ますと、最後の方の、締めくくり中の締めくくりと申し上げてもいいと思うんですが、「我が国の安全保障や国際協力のあり方について、九条や前文をめぐる争点に関する憲法上の問題の所在が次第に明らかになってきたと思います。」というふうに述べられているんですね。

 何が明らかになってきたのかというのが私にはもう一つわからないんです。幾たびかこの案文を読ませていただいた上で、もう一度ここについて見てみると、「九条や前文をめぐる争点に関する憲法上の問題の所在」と。これは非常に高度といえば高度なんですが、文章として認識しづらい、読みづらい中身だったものですから、ちょっとこれは、端的に言ったらどういうことなのか。

 むしろ、これは限定的に委員長御自身がお考えになっていらっしゃるということだったら、それ自身がちょっと違いますよと私は思うので、この辺について、何が明らかになってきたとお思いになっているのかということを小委員長からお聞かせいただければと思って、私はネーミングカードを立てました。

近藤(基)委員 私も、この文章を書くに当たって、どういう書きぶりがいいのかなという思いが実はあって、ただ、論議をしてきた、積み重ねてきたこと、これは土井先生ももちろん御存じだろうと。

 一点、私がこの書きぶりでいいのかなと思って考えたのが、「憲法上の問題」という部分であります。いろいろなとらえ方があり、そして、憲法を変えた方がいい、あるいは、この憲法は大変いい憲法なのだがその運用の仕方が少し間違っているんではないかという御意見ももちろんあります。

 ですから、そういった意味で、論議を高めてきたという御解釈、これは議事録に残りますので、私自身の考えは、憲法上の問題の所在が明らかになってきた、これは憲法そのものが悪いのではなくて、その政治的な運用の仕方がまずい、これも一つあるでしょう。あるいは、時代に合わなくなってきているんではないかという御意見もあったということの論議を積み重ねてきたと御理解をいただきたいと思っておるんです。

 具体的に、例えばここが明らかになってきたとかあそこが明らかになってきた、そういう話になると、これはちょっと、視点的には、ここは発議権もありませんし、論議が高まってきたという部分で、論議を積み重ねてきた結果いろいろな御意見が出てきて、憲法上に問題がある、あるいは、これは平和憲法で大変いい憲法で問題はないが、しかしその憲法の運用の仕方に問題があるんではないかという議論もあり、それをさらに深めていってはいかがかなという部分でとらえていただければありがたいなと思っているんです。

土井委員 今、委員長からの御説明をいただきましたが、この文章では、今委員長がおっしゃったとおり、憲法全体についてあたかも問題にされているわけじゃないんですよ。文章を見ると、「九条や前文をめぐる争点に関する」が前提でございまして、「九条や前文をめぐる争点に関する憲法上の問題の所在が次第に明らかになってきた」とおっしゃっているわけですから、どうもこれは限定的なんですね。憲法全体じゃないんです。

 だから、その辺で、非常にこれは限定してその所在についての認識ということをお持ちなんではないかと思ったものですから。ちょっとこれはわかりにくいですよ、委員長。

近藤(基)委員 議事録に残りますので、書きぶりが云々ということはもちろんあるでしょうけれども、そういった意味で、私が受け持っている小委員会というのは安全保障や国際協力に関する小委員会でありますので、その中での議論で、全体をというと、これは会長の取りまとめになりますので、そういった意味で、その中でもそういった憲法の論議をさらに深めていきたい。そして、論議の中でそういった争点が幾つかの部分であらわれてきている。例えば、集団的自衛権の問題もそうですし、いろいろな、国連軍あるいは多国籍軍、あるいはそれに対しての御反論、そういった論戦が今までなされてきて、さらにその論議を深めていきたいという思いでこれを書いたと御理解をいただければと思うんです。

土井委員 今、また繰り返しになりますけれども、「九条や前文をめぐる争点に関する憲法上の問題」ということでおっしゃっているわけですから、もちろん大きなテーマになっている安全保障、国際協力というのは、これは九条、前文だけに限りません。もちろん憲法の中で言ったら、九条、前文が枢要な条文であるということは言うまでもございませんけれども、憲法全体にかかわる問題でもあります。

 したがって、特に「九条や前文をめぐる争点に関する憲法上の問題の所在が次第に明らかになってきた」とおっしゃっているわけですから、これはおっしゃることに意味があるんだろうとやはり思いまして、したがって、その辺をしつこいようですけれどもお聞きした次第です。

中谷委員 今の九条と前文の抱える問題としては、国会でも争点になっておりますが、現実に、政府の行為として、PKOにしてもイラクの派遣にしても、これは憲法の範囲でやるということでやっておることに対して、これは憲法違反だと言う政党もあれば、国会でそのような意見もあります。

 要は、九条と前文によりましてさまざまな議論が行われていることにつきまして、やはりこの辺はきちんと、国民がだれしも理解できるような文章に改めて、できることとできないこと、こういうことをきちんと制定するということが国家の基本法であろうかと思いますので、現実に国会論戦で、さまざまな問題点、論点がこの憲法によってなされているというのは事実でありますから、そういうことでこの憲法の抱える問題点として指摘をしたことでございますので、この点につきましては、私は正しい記述ではないかというふうに思っております。

中山会長 時間が大分押しておりますので、簡単にお願いいたします。

山口(富)委員 土井委員と近藤小委員長はしばしば議論しておりますが、私も中谷委員としばしば議論しておりまして、先ほど言及がありましたので、その点に限って申し述べたいと思います。

 私は、大体、集団的自衛権について悪者論というような言葉は一切使っておりません。それは、委員の方はまとめておっしゃったことですけれども。しかし同時に、私は、集団的自衛権について、これを世界の自明のものとして扱うという姿勢は正しくないと思っております。というのは、国際法の規範の理解の問題という側面と、もう一つは歴史の実態の理解の側面と、両方からそのことは言えると思うんです。

 まず、国際法の問題でいいますと、確かに国連憲章五十一条に初めてこの集団的自衛権という言葉が書かれたわけですけれども、これが持ち込まれた経過というのは、既にいろいろな文書で明らかになっているように、軍事同盟を認めるために最終盤でアメリカが押し込んだ規定であるということはもう明らかです。ですから、私は以前の委員会でも申し上げたんですが、これはあくまで例外的な規定であって、普遍的な固有の権利という形での理解はできないものであるというふうに考えております。

 それからもう一点は歴史の実態なんですけれども、自衛権という名前はついておりますが、集団的自衛権の名前で行われたものは、実際には集団的な攻撃権なんですね。アメリカの場合はベトナム戦争であり、ソ連の場合はアフガニスタンへの侵略であるという形であらわれてきたわけです。しかも、現実には、今、世界の多数の国々は非同盟諸国となっておりまして、既に軍事同盟から離脱しておりますから、その点では、集団的自衛権の行使というものがあたかも世界で自明であるかのような立場でこの問題を考えることは正しくない。

 ですから、私は、冒頭一言、日本の憲法は、前文でも九条のもとでも集団的自衛権を認めるものではないということ、以上の点を踏まえながら述べたわけです。

中山会長 まだ御発言の御希望もございますが、これにて地域安全保障について、憲法の視点からのFTA問題を含めての自由討議を終了させていただきます。

    ―――――――――――――

中山会長 次に、憲法と国際法について、最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員長から、去る四月二十二日の小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員長保岡興治君。

保岡委員 最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。

 本小委員会は、四月二十二日に会議を開き、参考人として、北星学園大学経済学部助教授齊藤正彰君をお呼びし、憲法と国際法、特に人権の国際的保障について御意見を聴取いたしました。

 会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会の会議録を参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、

 参考人からは、

 まず、憲法と国際法の関係について総論的な説明がなされ、その中で、国法体系における条約の取り扱いという問題を考える上では、各国の憲法規定や国家機関の実行などの分析に力を注ぐべきであるという意見が近年の主流であること。従来は、憲法と条約が矛盾、衝突するケースが重要な論点となったが、憲法と国際人権条約は人権保障を目指すという点で共通しており、完全な矛盾、衝突は必ずしも多くはないこと。法律に対する条約の優位は、憲法の国際主義を基調として、他の憲法の諸原理との調和を求めた結果と解するのが整合的であることなどが述べられました。

 次に、国際人権条約の内容の実現のためには、国内裁判所による国内的実施が重要であるが、現状では、国内裁判所は国際人権条約の活用に積極的であるとは言えないとの指摘がなされました。その上で、国際人権条約の国内的実施に当たっては、国際人権条約の内容を違憲審査制の枠組みで実現する違憲審査制とのすり合わせとして、憲法の条約適合的解釈など国際人権条約の憲法解釈の基準への援用、及び国際人権条約違反を理由とする最高裁への上訴の容認が必要であるとの意見が述べられました。

 また、近時問題となっている国際人権規約における自由権規約の規約人権委員会の意見、見解と国内裁判所の関係について、国内裁判所において当該意見等を可能な限り顧慮することは、条約の誠実な遵守をうたう憲法九十八条二項の要請にかなうものであるとの指摘がなされました。

 このような参考人の御意見を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われ、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われました。

 そこにおいて表明された意見を小委員長として総括すれば、

 憲法が定める人権保障をより充実させるための手段として、国際人権条約を憲法へ取り込んでいくことは有用であるという点については、各会派に一致した見解であったと思われます。ただし、我が国の国際人権条約の批准の状況、国内適用の現状に対する評価については、意見の分かれるところでございました。

 このほか、質疑の中では、条約の国会承認手続の要否及び条約内容の留保の判断権を内閣が有している問題等の条約と立法、行政の関係のあり方、国内裁判所による条約の直接適用の可否の問題などの条約と司法の関係のあり方につきましても議論がなされました。

 これらの議論を通じ、憲法と国際法のあり方を考えるに当たっては、国際協調主義を基調とする憲法が有する国際法に対する尊重的態度をより具体的な形で実現していくために、立法、行政、司法の幅広い視野から、それぞれの国際法への関与のあり方について総合的に検討を行うことが必要であると認識した次第です。

 以上、御報告申し上げます。

中山会長 これより、憲法と国際法、特に人権の国際的保障について自由討議を行います。

 それでは、まず、大出彰君。

大出委員 最初の発言者担当の民主党の大出彰でございます。

 この齊藤参考人のお話というのは、法律の条約適合性というのが中心でございましたので、その話でございます。

 私は、常日ごろ、裁判所は法律の憲法適合性審査と同様に、どうしてもっと法律の条約適合性審査をやらないのだろうかと思っていましたので、その観点から齊藤参考人に質問しました。

 まず私は、私が国際法学者に会ったとき、裁判所は法律の条約適合性審査をやらない傾向があるのはなぜでしょうかと問い、それに対して、我々国際法学者は憲法をよく勉強するけれども、憲法学者は国際法を勉強しないことが裁判にも影響していると答えられた話を出して尋ねました。

 その点について、参考人の直接的な答えの部分は、「憲法学者が国際法を勉強していないということで言いますと、国際人権条約の規定が憲法の人権規定と同じように、」「裁判で使うためには、いろいろとその審査のための基準ですとか厳格度といったものについて議論を詰めなければいけない。にもかかわらず、実際にはそれがまだ十分に行われていない面がありまして、そういう面で、憲法学の人が、憲法の規定については違憲審査基準ということでいろいろ論議しているけれども、国際人権条約については足らないのではないかということを国際法の先生がそうおっしゃったのであれば、そういう面もあり得るかなというふうには考えます。」とおっしゃった部分でした。

 裁判所が法律の条約適合性審査を余りやらない原因の一端に、憲法学者が、憲法と異なり、条約についてはその審査基準とか厳格度といったものについて議論が不十分あるいは足らない面があることを認めた形になりました。

 この質問は、決して憲法学者を責めるための質問ではなく、また事がそう単純でないことも認識した上での質問であり、さらに何よりも人権擁護への強い気持ちから出た質問であったことを御理解いただきたいと思います。

 この問題の基本には、参考人がおっしゃるように、条約と法律の関係が、憲法と法律の関係や法律と地方自治体の条例の関係と同じと考えるかという問題があります。

 そこで、次の質問をしました。

 国際人権規約自体が、条約で、セルフエクスキューティング、自動執行力があるというのであれば、即適用してもいいのではないかと単純に考えますし、日本では法律よりも条約が上だというのが自明の理として考えられているのであれば、なぜ適用が遅いのだろうかと、適用を催促している気持ちをあらわしました。

 それに対して、参考人は、「本当にそれができるか、あるいはしてもいいのか、その根拠が十分に説明できるかというところが非常に困難な問題で、日本の裁判所がちゅうちょする理由もそこにあろうかと思います」と述べられ、さらに、憲法、条約と法律の憲法上の具体的な問題点について、次のように述べられました。

 「憲法の場合ですと、憲法と法律の関係で、法律の違憲審査をするということになりますと、これは憲法に基づいてやるということで、民主主義に対して立憲主義といったものを持ち出して正当化が何とかできるわけですけれども、条約の場合に、では、条約の条文にどこまで法律にまさるだけの民主的根拠があるのかということを考えていきますと、多少難しい問題にも突き当たる面がございまして、そうすると、裁判官として、立法府がつくった法律を、条約を根拠として簡単に適用しないと判断ができるか、あるいはどれだけできるのかということにはためらいが生じるのも無理がないところはあろうかという趣旨でございます。」と。

 このことから、参考人は、法律に対する条約の優位性の根拠については、憲法の国際主義を基調としてほかの憲法の諸原理との調和を求めた結果と解するのが整合的であるという点に求められておられました。

 さらに、いわゆる上乗せ条約あるいは横出し条約について質問しました。

 基本的には、法律と衝突して排除するという問題が生じないので、困難に行き当たらないというお答えでした。

 しかし、「最高裁判所に上訴をする場合に、条約ということを争いとしてはいけないということがありますので、そうなると、上乗せ部分あるいは横出し部分といったものを憲法の規定の中に読み込む、あるいは、読み込む対象の規定が見出せないという場合には」、条約の誠実な遵守をうたう憲法「九十八条二項を使った方法でいくということが必要ではないかというのが陳述の趣旨でございます。」と述べられました。

 そのほか、私の質問に対して、憲法解釈を通じた上訴の容認についての見解、また条約のセルフエクスキューティング、自動執行性と条約の直接適用性との関係について、イコールだというふうに考えても説明は成り立つのではないかという見解が述べられました。

 以上です。

    〔会長退席、枝野会長代理着席〕

枝野会長代理 ありがとうございました。

 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。

下村委員 今回は、特に憲法九十八条がポイントになるというふうに思います。第一項の中で憲法は最高法規であるという規定がされており、また、第二項では国際協調主義に基づいて日本も条約あるいは国際法規についてそれを遵守する必要がある、この二つの規定があるわけでございます。

 当初、日本国憲法ができた直後においては、条約優位説が学説の中では主流であったというふうに思いますが、歴史的な経緯の中で、現在においては憲法優位説というのがだんだん学説の中で主流になっている。その中で、政府の解釈によっては、条件つき憲法優位説ということでケース・バイ・ケースによって議論がされるけれども、基本的には憲法が優位に立つというのが今の学説上の通説であるということが参考人からもお話があったというふうに思います。

 一方、今お話がありましたが、法律と条約との関係において、現在においては、学説上、こちらの方は条約優位説というのが通説である、こういうのが学説の中で一般的に認識されているものであるというふうに思うわけでありますが、それだけ、憲法九十八条の中で二つの規定があることによって、非常に、歴史的な経緯を含めて不明確な部分がある。そういう意味では、憲法九十八条を改正することによって、わかりやすい解釈、これを別の項目にする、あるいは九十八条そのものを改正する、このようなことをしていくことが、私はこれから求められるのではないかというふうに思うわけであります。

 特に今回は、我が国の憲法と、それから条約の中では、人権関係における条約についての議論があったわけでございまして、現在、我が国は、二百六十を超える未批准条約、まだ結んでいないという指摘がございました。その中で、ILOに関係する条約が八十三、また、特に人権関係の未批准条約が二十七あるということで、我が国の法整備がおくれているのではないかという指摘があったわけでございます。

 端的に申し上げると、一九九三年に、自由権規約四十条に基づき人権委員会から勧告を受けたことがありましたが、その中で、我が国の死刑廃止への取り組みがおくれているという指摘を受けたわけでございます。実際に、国会の中においても、死刑廃止の議員連盟もあるわけでございますが、しかし、我が国の世論調査等によりますと、死刑を存続すべきであるという声が九割近くあるわけでありまして、多くの国民の方々は、圧倒的にこの死刑制度の存続を求めているわけでございます。

 私は、ある意味では、このことというのは一つの文明観、文明史観、これはサミュエル・ハンチントンが「文明の衝突」という著書で著したわけでありますが、この人権についての考え方というのも文明観によって異なっている部分があるのではないかと。それを画一的に全部統合するということが必ずしも適切であるとは思わないわけでありまして、その国のあるいはその文明における価値観ということを一方で大切にするということが求められるのではないかというふうに思うわけであります。

 特に、この死刑廃止問題というのは、ある意味では、これは我が国の文明観として、死生観といいますか、人は肉体は死ぬことによって滅びるけれども、ある意味では魂は永遠であるというような輪廻転生観、こういう部分もあるわけでありまして、これが死刑廃止に結びつかないということが、我が国が、ほかの世界から見た人権条約から見て、劣っている考え方であるとか劣った文明であるというふうな見方をすることは、これはこれからの二十一世紀の将来において適切でない、こういうふうに逆に思うわけでございます。

 以上でございます。

武正委員 民主党の武正公一でございます。

 条約優位説についてなんですけれども、条約が国内法を規定する、条約を結んだことによって国内法の整備を図る、こういったことを憲法七十三条第三号ということで、内閣の事務としているところでございます。

 例えば、今国会でサイバー条約というものが批准をされたわけでございます。これについて、四カ国が既に批准をして五カ国目が批准をしたことでようやく発効する。ヨーロッパから発議があったサイバー条約について、欧米が、非常に人権あるいはまたプライバシーの侵害、通信の秘密を侵害するおそれありということでためらっているこのサイバー条約に、日本がいち早く署名そして批准をしたわけでございます。言ってしまうと、政府、内閣が国内法を整備したい、その理由に条約を挙げる、条約を署名、批准したから国内法を整備しなければいけませんねという意味では、条約が国内法を非常に縛るということは申すまでもありません。

 ですから、政府が恣意的に、この条約は、署名しよう、批准しよう、この条約は、やっぱり国内法を整備しなきゃいけないから署名、批准したくない、こういったところが見え隠れしているのが、先ほど下村委員が挙げられたILO八十三条約、そして人権関係二十七条約であるのかなというふうに考えております。

 そういった意味で、今回、齊藤参考人に私の方からただしたのは、今、国会における条約審議が非常に短時間でなかなか深まらない。その理由として、先ほどの憲法七十三条三号から派生をしておりますが、すべての条約が国会承認の対象ではないという政府見解が出されていること、そしてまた、条約の審議において、例えば、附帯決議も国会はつけられないという今の現状、あるいは条約の留保、これをするかしないかについて一切国会が関与できない、こういったことはやはりおかしいんじゃないのか。条約が国内法を規定するというこの今の仕組みの中において、立法府、国権の最高機関たる国会が、なぜこのように国際法あるいは条約について物が言えないのか、影響を与えられないのか、これはおかしいというふうに齊藤参考人にただしたわけでございます。

 特に、留保という条約のことについて、齊藤参考人いわく、一対一のバイの条約であれば、政府が条約を結んできたときに、署名してきたときに、これは留保する留保しないと、それはやはり相手があることですから、それを後でまた、国会がああだこうだ変えると当然相手国に対して影響があると。これはわかるとしても、例えば、サイバー条約のように、複数の国が、たくさんの国が結んだ国際条約について、どれを留保する留保しないということが、国会が後から物を申しても全体の条約に与える影響というのは少ないんだ、だから、国会として、この条約について、特に国際的な、多くの国が参加しているような条約について留保を与える与えないということを、国会として物申す、あるいは国会として、当然、附帯決議も含めてきちっと政府に対して影響を与えていく、こういったことはあってしかるべきというような参考人の意見が述べられたわけでございます。

 私も、こうした思いを同じくするものでありますので、国会における条約審議というものは、大変大事であるし、それが国内法に与える影響、そして立法府、国会の権能、こうしたものが今回この審議の中でも明らかになってきた点でございます。

 以上です。

山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。

 私は、憲法と国際法という場合に、日本にとって幾つか大事なことがあると思うんですけれども、時間が限られていますから一つだけお話ししたいと思うんです。

 それは、既に三人の委員からも指摘された点なんですけれども、日本は、いろいろな国際機関から勧告という形で、人権や民主主義の現状について改善を繰り返し求められる国の一つになっています。その中には、先ほどの紹介もありましたけれども、子供たちの今の現状に対して、先日の胸の痛む事件もありましたが、競争教育やストレスが子供にたまっている、そういうものをきちんと改善しなさいという勧告が出たり、男女平等の点でも繰り返し出ております。

 私がそういう国連機関などの勧告を読んで感心しますのは、例えば、これは女性差別撤廃委員会から出た勧告なんですけれども、冒頭にこういうふうに書かれています。憲法は両性の平等を規定してはいるが、国内法には差別の明確な定義が含まれていないことに懸念を表明すると。私は、やはり国際社会というのはなかなか厳しい目で各国の憲法状況を見ているなということを痛感するわけです。

 振り返ってみると、では、なぜ国際社会は、こういう勧告という形で各国の人権や民主主義の状況について繰り返し意見を表明するのかということになりますと、一九四八年に世界人権宣言が生まれ、その後、世界人権規約、女子差別撤廃条約、子どもの権利条約など、一連の具体化が図られていくわけですけれども、年度は違うんですが、何年か置きに必ず実情を調べて、政府の報告をもらって、それについて、労働団体や市民団体の意見も含めて、委員会を開いて検討し、改善が必要なら勧告する、そういう形で進んできた。

 これは、私は、二十世紀から二十一世紀にかけての世界の一つの知恵だと思うんです。それは、各国ごとに、憲法の規範で人権や民主主義の状況について改善するということをやると同時に、世界の目で見ながら、その改善状況を促していく、改革を促していく、そういう流れがやはり二十世紀から二十一世紀にかけて生まれている。

 そうである以上、日本の場合は、日本国憲法を生み出した力が、いわゆる二つの世界大戦、それから生存権を初めとした社会権の規定というのが豊かになる時期に生まれた憲法ですから、そういう憲法を持つ国として、国の中でそれに反するような事態を改めていくということが、日本の国内にとっても、世界の人権や民主主義の前進にとっても大きな意味を持つ。そういう目で、この憲法と国際法をめぐる問題について見ていく必要があるんじゃないかなというふうに感じております。

土井委員 先ほども少しこの問題が出ていたんですが、非常に大事なことだと思いますので、蛇足になるかもしれませんが、一つだけポイントを指摘させていただきたいと思います。

 条約は国際法なんですね。憲法は国内法なんですね。法律は言うまでもなく国内法なんですね。そういう点からいたしますと、この齊藤参考人の御意見を聞いておりまして、やはり一元論の立場に立って、条約と、それから今の憲法という関係をお考えになっていらっしゃるところが、ちょっと私は基本的に考えが別なんです。

 つまり、国際法は国際法、国内法は国内法、法の体系が違うという二元論の立場で考えなきゃならない。だから、いずれが優位であるかという考え方というのは、本来は二元論から出てこないので、一元的にこれを考えるがゆえに、衝突を起こしたときには、どちらが優位かということによってその解決を図るという問題の立て方をするんですけれども、この二元論の立場に立っても、一元論の立場に立っても、今から申し上げる点というのは、私は、どう考えたらいいかというのは、一つは大事なポイントだというふうに思います。

 それはどういうことかというと、条約ということについて言うと、必ずしも名称は条約と呼ばれるものに限りませんで、範囲は非常に広いんじゃないんでしょうか。協定も、議定書も、約定も、憲章も、協約も、覚書も、取極も、恐らくは、さらに宣言という名称についても、これを条約の範疇に入れて考えなきゃならない。取極もそうですね。非常にこれは範囲が広いというふうに考えなきゃならないと思うんですが、憲法でこの七十三条の三号を見ますと、条約を締結する、事前に、あるいは時宜によっては事後に、国会の承認を必要とすると言っている条約も、特定的にこれは規定しておりませんで、条約の範囲は非常に広いんですね、きっと。これは齊藤参考人もそのとおりとおっしゃいました。

 その次に、条約はその名称にかかわらずその中身で判断をして考えなきゃならないと常識的に判断すればそうなるんですが、しかし、現実においては、承認をするしないという判定というのが内閣側にございます。政府側にあるんですね。したがって、恐らく、協定というのは国会の審議を経なければならないということではない。したがって、国会の承認を得ない協定というのが、現に、旧安保条約のときの行政協定がそうでございました、いろいろあると思うんですね。現に、政府の方がそれを判断して、取捨選択をするということにゆだねられてしまっておりますから、現実は大平三原則に従って運用されておりましても、その中身はあくまで政府側が判断するというところが私は一番のポイントだと思うんです。

 そのために、例えば、近々の問題からいうと、一九九六年から九七年にかけて、アメリカとの間の日米安保条約に対するガイドラインがニューガイドラインに変わりました。しかし、この中身は国会の承認を経ていないんですね、条約の中に入っておりませんから、政府の判断で。したがって、これが一たん締結されたら、その次に、遵守しなきゃならないという義務が日本に当然出てまいります。この中身からして、現に、立法していかなきゃならない国内法の数々が周辺事態法を初めとして引き起こされてきているわけで、これは、事柄から考えたら非常に大きいと思うんですね。

 したがって、国会が、少なくとも、事前に、あるいは時宜によっては事後に承認を必要としている条約に対して、条約を必ず国会の承認を必要とするしないということを判断できる、判断しなければならないということが考えられていなければならないんじゃないかと私自身は思っています。このことがやはり憲法と条約ということを考えていく場合の一つの大事なポイントであることを引きずりながら今日まで来ているというふうに思うわけで、国会が判断することは憲法違反にならない、憲法から考えて、国会が条約に対して中身を必ず承認が必要だということを判断するということは憲法違反にならないというふうに私は考えておりますから、このことを申し上げさせていただきたかったんです。

 終わります。ありがとうございました。

枝野会長代理 他に御発言はございませんか。

 それでは、討議も尽きたようですので、これにて憲法と国際法、特に人権の国際的保障についての自由討議を終了いたします。

    ―――――――――――――

枝野会長代理 次に、経済的・社会的・文化的自由について、基本的人権の保障に関する調査小委員長から、去る五月二十日の小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。基本的人権の保障に関する調査小委員長山花郁夫さん。

山花委員 基本的人権の保障のあり方に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。

 本小委員会は、五月二十日に会議を開き、参考人として、関西大学法科大学院教授野呂充君をお呼びし、経済的・社会的・文化的自由、特に、職業選択の自由・財産権について御意見を聴取いたしました。

 会議における参考人の意見陳述の詳細につきましては小委員会の会議録を参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、

 参考人からは、

 まず、土地所有権とは、土地という財産に特有ないわば普遍的な制限を伴うもので、一般的な経済的自由の理論には解消できない特殊性があるとした上で、財産権に関連して、都市計画法制、都市景観法制及び財産権保障のあり方の三点について、日本とドイツを比較しつつ、意見陳述がなされました。

 第一に、都市計画法制について、新規開発、建築のコントロールには、ドイツでは計画なければ開発なしの原則が妥当するのに対し、日本では開発、建築自由の原則が妥当すること。

 第二に、都市景観法制について、日本では、都市計画法に定める美観地区等の制度があるが、それらはドイツのような計画なくして開発なしの原則を前提としていないため十分活用されておらず、日本でもこれからは計画なくして開発なしの原則に少しでも近づけるような制度改革を進めていくことが必要であるということ。

 第三に、憲法による財産権保障とまちづくりとのかかわりについて、日本国憲法第二十九条とボン基本法十四条二項との規定上の差は実質的な問題には余り影響がないが、ドイツの判例が、所有権の制限等の判断に当たって土地所有権の社会的制約を強調し、状況拘束性の理論に依拠している点は重要であることの以上三つが示されました。

 そして、ドイツの景観保護法制が日本と異なって強制力を持っている理由として、まだ試論ではあるが、ドイツでは土地所有権について、特定の場所で特定のデザインの建築を行う権利が相対化されるという特殊性が認められているためではないかとの意見も示されました。

 このような参考人の御意見を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われ、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われました。

 そこにおいて表明された意見を小委員長として総括すれば、

 まず、日本の景観は、経済性や効率性、機能性を重視したため雑然とし、無個性、画一的であるということは委員間の共通の認識であったと思われます。その上で、良好な景観を守り、あるいはつくり出すための手段として、憲法上、景観に関する規定あるいは都市計画権限に関する規定を設けるべきか否かについては、意見が分かれるところでありました。

 この点、文化、景観について、公共性との関係の中で新たな枠組みをつくる必要があることなどの理由から、景観や都市計画に関する規定を憲法に置くべきであるとの意見が出されました。

 また、これに関連して、国の将来の世代に対する責任について定めるボン基本法二十a条について、この規定は、国家目標としての環境保護を定めており、そこに、従来の国家権力の制限規範としての憲法概念からの転換を見出すことができ、人権観念の再構築を試みる上で非常に参考になるのではないかとの発言がありました。

 このような意見に対しては、国家の努力目標としての規定を置くことにどの程度意味があるのかという見解が示され、また、例えば東京国立市のマンション訴訟の事例で、地域住民が長年守ってきた景観が事業者の経済的自由の名のもとに瞬時に壊されてしまったことに見られるように、憲法の理念が正しく実現されていない現状を改善することこそが重要であり、景観保護のためには憲法を改正する必要は全くないとする意見が出されました。

 一方、日独の差異の背後にある問題として、ドイツの基礎的自治体には、ボン基本法により都市計画権限が自治権の一部として認められており、景観形成や都市計画においては地方分権が重要であるという指摘もありました。

 経済的自由は、そもそも国家からの自由として成立し、かつては絶対不可侵の権利として厚く保護されてきた権利であります。しかし、社会国家思想の進展の結果、現代においては、むしろ社会的拘束を負ったものとして、法律による規制を広範に受ける人権と理解されるようになったことは、ルーズベルト演説の四つの自由のうち、欠乏からの自由に示されるところであります。

 しかし、日本では、経済的自由が強調される余り、事業者の経済活動の自由が放任され、そのことが景観形成や都市計画において障害となっている面は否定できないと考えます。

 そして、参考人が紹介したドイツの包括的で精緻な都市計画、景観保護制度、そしてこの制度を下支えする地方分権、特に基礎自治体重視の思想は、日本における景観保護・形成の推進にとっても参考になると感じました。

 以上、御報告申し上げます。

枝野会長代理 これより、経済的・社会的・文化的自由、特に、職業選択の自由・財産権について自由討議を行います。

 まず、船田元さん。

船田委員 自民党の船田元でございます。

 この分野につきましては、やはり憲法二十九条の財産権の規定というところを中心として議論がなされました。二十九条第一項は、財産権は、侵してはならない、不可侵であるということ。しかし、第二項におきまして、公共の福祉に適合するように財産というものを所有しなければならないという規定がございます。

 ほかの条項で、例えば精神的自由を述べた条項の中では「公共の福祉に反しない限り、」という表現ですが、この財産権については「公共の福祉に適合するやうに、」ということで、「公共の福祉」の部分は共通していますが、その次に続く言葉が違っております。

 これは、やはり財産、とりわけ土地とか建物もそうでしょうが、要するに、限りがある、そういう財産、そういったものについては、やはり公共の福祉という概念あるいは要素というものをより強く意識せざるを得ない、そういうところがこの憲法の書き方の中にも反映をされているんではないかというふうに感じた次第でございます。

 ただ、この財産権における公共の福祉も、いろいろと時代によって変化をしているというふうに私は考えています。

 過去におきましては、例えば、道路の整備であるとか、あるいは暴れ川の河川改修であるとか、そういった市民の安全あるいは利便、こういうものに財産権を一部制限する、公共の福祉のために制限する、こういうことでやっていたわけでありますが、最近は、やはり、その地域ごとのまちづくり、そういうことのためにこの財産権が一部制約をされる、また制約してもいいんではないか、こういう方向に大分変わってきたと思います。

 いわゆる公共事業的公共の福祉の考え方と、そこから、最近はまちづくりのためにこの財産権を一部制限する、そういう意味の公共の福祉。過去においては、市民の関与はごくわずか、行政が主導、主体であるということ。最近の動きは、市民がまさに公共の福祉というものに関与し、そして市民みずからが選択をしていく、コミュニティーが選択をしていく、こういう方向に変わってきたと思っております。

 憲法上今までの動きをどのように反映させるか、憲法上どのように書いていくかということは、なおさまざまな議論が残るところでございますが、このような財産権をめぐる公共の福祉の概念の変化というものに我々は大いに注目をしていかなければいけないと思っております。

 それから、今国会で議論をされ、そして衆議院を既に通過しております、いわゆる景観法というものがあります。

 これは、今まで公共の福祉という概念の中のまさに市民の安全あるいは市民の利便、こういった要素を重要視する公共の福祉からさらに進んで、やはり市民が快適に生活をする、心地よさとかあるいは美しさとか、そういったものにだんだん変わってきているような感じがしております。このような動きは非常に画期的だと思っております。こういう問題について、やはり憲法上どのように規定をしていくのかということは大いに議論をすべきもの、こう考えております。

 最後に、ドイツと日本の都市計画のあり方について、参考人から大変示唆に富むお話をいただきました。

 日本の場合は、なかなか都市計画が十分ではない。ドイツの場合には、計画なくして開発なし、こういう根本的な思想がある。そういった法律上見えないバックボーンというものを強く感じた次第でございます。これをどう規定するかということも、また大事な問題ではないかと思っております。

 以上であります。

枝野会長代理 発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。

山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。

 今、船田委員から、二十九条二項の公共の福祉にかかわって少し発言があったので、まず初めにそのことについて述べたいのです。

 憲法上の公共の福祉論というのは、先ほど公共事業型とかまちづくり型というとらえ方もありましたけれども、基本的には、それぞれの持っている侵すことのできない人権が矛盾を起こしたりぶつかり合った場合に、調整する機能を果たす憲法上の一つの大事な規定としてあるというふうに思います。

 ですから、まちづくりの点では、例えば、具体的に言いますと、事業を行おうとする開発業者の方とその地域住民がそこで平穏に暮らそうという場合対立したときに、憲法上でいえば、公共の福祉での調整機能が働いて、それが裁判という形でも行われますし、法的な規制や条例という形でも起こり得るわけですけれども、さまざまな深みを持った対応ができる仕組みを日本国憲法は持っているというふうに私は思っています。

 それからもう一点なんですが、委員長報告にもありまして、また船田委員からも指摘があった点で、ドイツと日本の対比の問題なんです。先ほど委員長の報告で、意見陳述の冒頭のところで、ドイツとの比較で、日本は、計画なくして開発なしという原則、これに近づく制度設計が必要だという指摘があったんです。

 その裏づけとして、事務局から配付された資料、これは委託研究ということで、参考人が研究された「日本とドイツにおける都市計画・都市景観形成と財産権制限」という資料を私たちはいただいたわけですけれども、これを見ますと、結局、都市計画における地方自治の問題でこういうふうに書かれております。都市計画決定の際の住民参加や議会の関与について、日本とドイツを比較して、結論として、早期の住民参加の義務づけ、及び計画案について出された住民の意見への応答義務、こういうものがドイツの場合あるという指摘があって、私は、そういう面で見たときに、日本の都市計画法や先日衆議院を通過した景観法でも、計画段階での住民参加の権利が十分保障されているのかどうか、それから、これからの法の運用について、その視点からの立法府としての点検が欠かせないなというふうに感じています。

 以上です。

岩永委員 我々、政治家は特にそうでございますが、この国に国民として生まれ育ってきた過程の中で一番大事なことは、やはり自分が生きている過程でどうすばらしいものを次の世代に残し伝えていくか、このことが我々の大きな使命であろう、このように思うわけでございます。

 そういう状況の中で、一番大きく果たさなきゃならないのは、世界から見て日本の景観のひどさというのは顕著に出ているわけでございまして、我々、ヨーロッパだとかアメリカだとか方々の国へ行きますと、帰ってきてがっくりするのは日本の景観の貧弱さであります。そういうことから、この日本の景観を、東南アジアの一国ということではなしに、これだけすばらしい文化性、経済性を持つ国家にふさわしい景観を次の世代に立派に引き継いでいく、すばらしいものとして渡していくのが我々の務めだろう、このように前々から私は思っておりました。

 それで、私も政治家になって、そのことを第一義的に考えてずっと勉強してきたわけでございますが、先輩にいろいろとお話を聞きますと、このことに対する取り組みをやろうと思うけれども、日本の財産権に対する感覚というのは諸外国と違うんだ、目で見る部分は何ら規制をされていない、むしろ個人の財産だったら何をしてもいいんだというところに大変大きな壁がある。

 だからこれは、電線、電柱の見苦しさ、それから特に日本の看板は、大きければいい、目立てばいいというような状況、そして各家庭には、自分のものだということで、庭へ廃材を置いたり、そして工場でも、スレートぶきの本当にひどい工場が、大変人の目に訴える場所でも平気で建てられる、こういう部分を考えるときに、何とかしなきゃならぬというのが我々の率直な気持ちでございます。

 私の党の中に国家戦略本部というのがございまして、そこで私がこの問題を訴えたときに、やはり前森総理以下多くのリーダーの皆さん方が、いや、我々も何年も何年もこの問題に対して取り組もうと努力してきたけれども、やはりそういう私権にかかわる部分で阻害されて、どうもこの問題を乗り越えることができなかったんだ、ひとつ党を挙げてやろうということで、私が街並み景観小委員会の委員長という立場の中で、今回の景観緑三法というところにやっとこぎつけてまいりました。ただ、うれしいことには、国土交通省、そして農水省、環境省、文部省も含めて、すべての省庁が合体の中で、税制、補助金、それから罰則等々多くの分野を総括して、今回の景観緑三法というものができたわけでございます。

 今、参議院で本当にこれがうまく上がるかどうか大変大きく心配をいたしているわけでございますが、上がったら今度は、これは市町村の条例、県の条例、それから大きな運動に展開していかなきゃならぬ、そして、次の世代に本当に、五年、十年、二十年の先に、日本のすばらしい景観というものをつくっていかなきゃならぬ、そういうようなことを考えますと、我々の大きな責務だ、こういうように考えておりますので、ぜひとも憲法の中で、景観という部分に対する、ひとつ、お取り上げというのか、その部分の位置づけというものを私は明確にしてほしい、このように思います。

 いっぱい言いたいことがあるんでございますが、時間がございませんでしたので、ほんのさわりだけを申し上げておきます。

斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫です。ちょっとまとまってうまく言えないかもしれませんが、お許しいただきたいと思います。

 私も、計画なくして開発なしという考え方に基本的に同意をしておりますけれども、私、事情があっていろいろ引っ越して、国内各所また海外も含めていろいろなところを見て、確かに日本の景観、本当に貧弱だ、このように思います。ただ、私がいろいろなところで住んだ中にいわゆる大規模ニュータウンというのがございまして、ここはまさに都市計画、真っさらな地に都市計画を基本にしてつくられた町、すばらしい景観です。緑も多い、子供たちが学校に行くのに自動車と接触しないですべて住居から学校まで行けるようになっているということで、まさにすばらしい都市計画のもとでつくられたところに住んだことがございますが、これが意外と住民に人気がなくて、自殺者も多いという町でした。要するに、人間味のない町という形になったんです。

 いろいろな人に聞くとやはり、景観のいい町よりも、駅前をおりると赤ちょうちんがあってパチンコ屋もあって、人間味の温かみがあるような町でないと何か暮らしていきにくいよねというのがそのいわば結論のような形で言われておりました。

 そういう意味では、景観といいましても、歴史的な文化の伝統に基づいたものでないと、人工的に押しつけたとしても、これはなかなか人間が生きるということと直接マッチしないのかなと。ドイツの場合は、歴史的な伝統、文化に基づいたそういう都市計画だったんだろう、こういうことを個人的に実感をしておりますので、このことだけちょっとお話しさせていただきます。

 もう一つ。建築基準法ですけれども、非常に細かい規制になっております。しかしながら、いわゆる仕様規定から性能規定へということで自由化が進んでおりますけれども、もう一つ、最近の動きとして、いわゆる建築家の方々が、この建築基準法についても規制が多過ぎる、もう少し、いわゆるアーティストとしての建築家として自分たちの作品を世の中に表現したい、その意味で、もっともっと規制を撤廃してほしい、ある意味では建築基準法をなくして建築基本法というふうなものを提案するというふうな動きもございます。私は、基本的にはその動きに賛同しているわけではありませんけれども、一つの都市景観との絡みでこういう動きも出てきているということもつけ加えさせていただきたいと思います。

 以上です。

古屋(圭)委員 今岩永委員の方からも憲法に景観の位置づけをしろという趣旨のお話がございましたけれども、また一方では、計画なくして開発なし、これはごもっともだと思います。

 ただ、私、もう一方で必要な視点は、やはり、失われてしまった景観を再生するというか、これが私は非常に重要な視点であるんではないかなというふうに思っております。小委員長の総括の中でも、「日本では、経済的自由が強調される余り、事業者の経済活動の自由が放任され、そのことが景観形成や都市計画において障害となっている」ということが指摘されております。これは、過去に、そうしたことに対する責任でございますので、やはり将来に対して、喪失してしまった文化、景観というものをどうやって後世につないでいくか、私はそういう視点も必要ではないかなというふうに思っています。

 最近は、そういう流れが少しずつであるけれども出てきている。例えば、奈良の駅舎を改築するときに壊してしまおうという話がありましたけれども、最終的にあれは何十メーターか移築して、そのすばらしい建造物を保護していったということがございます。したがいまして、やはりそういう視点に着目をして取り組んでいく必要がある。

 ただ、これは私は、最終的にはやはり、教育であるとか、あるいは日本のそういう持っていたいい意味での文化、歴史、伝統、精神文化を大切にする、そういう理念というものを醸成していくということが極めて重要だと思いまして、そういった意味においては、私は、憲法の中にもそういうものを書いていくということが、今後、ごく自然に、地方においても、あるいは全国どこにおいても、そういう運動あるいは景観保存というものにごく当たり前のように取り組んでいくことができる、こういうふうにつながっていくのではないかなと思っております。

 ちなみに、私は、地元の実家が建ててから二百数十年たっているんですが、今それを壊すことをせずに非常にだましだまし住んでいるんですけれども、極めて高コスト構造になっていまして、これが、いろいろな支援がほとんど皆無に近い。ただ、文化財の指定をされておりますので壊すことはできない。しかし、全部私費で維持をしなくてはいけないということで非常に苦労しておりますが、ただ、私は、そういう景観をしっかり大切にしていく、制度上の問題ももちろんでございますが、やはりそういう考え方、理念というものを大切に醸成していく、失われたものをもう一度見直していく、この気持ちが重要ではないかなと思います。ぜひそういうことを憲法の中にも入れていくべきだと思います。

 以上です。

渡海委員 渡海紀三朗でございますが、最初の議論を聞いていなかったので、斉藤委員の議論に少しお話をしたいと思います。

 実は、いわゆる設計家の中に、今の建築基準法は憲法違反だという意見があるということは、私もよく存じております。また、斉藤委員とも実はそういったことについていろいろな方々の意見を聞かせていただいたりしておるわけでございますが、やはりこの根拠というのは、創造権といいますか、そういった自由な発想に基づく創造権というものを著しく制限している、創造権というものがあっていいはずだという主張でございます。

 ただ、一つ大きな問題は、今の法制度が基本的に何でできているかということを考えたときに、多くは、安全規制というものが非常にたくさんあるわけでございまして、そういったものをでは設計者自身が自分で担保することができるのかどうか、こういったあたりが大変な問題になっておるわけでございます。

 先ほどの景観の問題というものも実は同じでございまして、ある意味、ではどれが残すべき景観であって、どれが壊してもいいものか、こういったことになりますと、大変多くの意見に分かれるところであります。

 そこで、私がいつも考えていることは、これはやはり社会全体がかなりコンセンサスを持って決めていくような、そういった意見の集約方法というものを日本の社会というのはつくっていかなければいけないんだろう。

 例えば、経済行為が行き過ぎるが余り、多くの人が、実はこれは日本の伝統、文化であり、なおかつ、例えば都市景観の中で残した方がいいと言っておられるような景観であるにもかかわらず、所有者に権利があって、自分のものだから、自分の会社の権利だから簡単に壊してしまっていいとか、そういったところに実は何らかの、これは法整備でいいのか、憲法にそういったところを書くべきところを探すのか。

 これは、今の憲法はたしか公共の福祉という言葉がたくさん出ていると思いますが、そういった切り口で恐らく憲法上問題にするとするならば問題にしていただいて、そして、多くの人がそれを利益と考えるような、そういったものを文化的、伝統的に保存すべきものとして、憲法をベースに法整備をして保存をしていくというか残していくというか、そういった国づくりをしていってはどうかなというふうに今ちょっと、これは今この場での思いつきでございますが、先生方の議論を聞いておりまして感じましたので、意見を言わせていただきました。

枝野会長代理 予定の時間もございますので、御発言は、現在プレートをお立ていただいている山口富男君までとさせていただきます。

山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。

 実は、今渡海委員が指摘された点を最後に話そうと思ったところなんです。

 といいますのは、私も日本の歴史的風土を愛する者で、この景観が壊されていくことに非常に心を痛めますが、その解決の方向として、ではそれを憲法に書いたらいいのかということになると、そこは話が違うぞと。やはり現実にそれを壊してきた政治の姿があるわけですから、これまでの政治のあり方を含めた改革をまず考えて、その後に、公共の福祉論が先ほど出ましたけれども、問題を立てていくというのが筋であって、私はここから、とにかくいろいろな問題が起きますと憲法に入れるという発想は、この問題についてもやはりとるべきではないという考えを持っております。

枝野会長代理 それでは、これにて経済的・社会的・文化的自由、特に、職業選択の自由・財産権についての自由討議を終了いたします。

    ―――――――――――――

枝野会長代理 次に、刑事手続上の権利・被害者の人権について、基本的人権の保障に関する調査小委員長から、去る五月二十七日の小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。基本的人権の保障に関する調査小委員長山花郁夫さん。

山花委員 基本的人権の保障のあり方に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。

 本小委員会は、五月二十七日に会議を開き、参考人として、早稲田大学法学部・法務研究科教授田口守一君をお呼びし、行刑上の問題を含む刑事手続上の権利・被害者の人権について御意見を聴取いたしました。

 会議における参考人の意見陳述の詳細につきましては小委員会の会議録を参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、

 参考人からは、

 まず、刑事手続上の人権に関する憲法規範の意義について、刑事手続条項が十カ条にも及ぶことは比較憲法的にも珍しく、憲法が刑事手続規範を重視している点、今後の刑事手続における人権を考える際、被疑者等の具体的な自己決定を尊重するという積極的人権をも保障していくことが大きな課題である点などが述べられました。

 その上で、被疑者の人権に関しては、憲法三十一条の適正手続規定の意義、刑訴法二百十条の緊急逮捕の合憲性、被疑者の公的弁護制度の導入、通信傍受法による傍受手続、電磁的記録の押収手続の整備によるサイバー犯罪、ハイテク犯罪への対処について、また、被告人の人権に関しては、裁判員制度の導入や裁判の迅速化、刑事免責制度と有罪答弁制度の導入、裁判員制度の合憲性等について、受刑者の人権については、死刑制度の合憲性と行刑のあり方について述べられた後、被害者の人権については、その法的地位を考える上で、被害者保護の必要性、被害者の手続参加及び被害者の救済の三点が問題であり、法改正等による改善が図られているが、これを新たに憲法に書き込むことには慎重であるべきとの見解が示されました。

 また、司法制度改革は、司法のみならず「この国のかたち(constitution)」にかかわる問題であり、国家権力が民主主義化し、国民が統治客体から統治主体へと変化してきている動きととらえることができるとの見解が述べられました。

 このような参考人の御意見を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われ、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われました。

 そこにおいて表明された意見を小委員長として総括すれば、

 まず、明治憲法下に過酷な人権侵害があった歴史的経緯を踏まえ、充実した刑事手続規定が設けられたことからすれば、憲法と乖離した運用実態こそ問題とすべきとの意見が出された一方、国民の司法参加や有罪答弁制度といった新たな司法制度について憲法に規定していく必要があるとの意見も見られました。

 刑事手続規定の各論において、まず、被疑者の人権に関しては、取り調べにおける弁護人立ち会い権が認められていないなど、その人権保障はいまだ不十分であるとの意見が出された一方で、国民全体の人権という観点からすれば捜査権限の強化を図るべきであるという意見が出されました。

 次に、裁判員制度等に関しては、国民に新たな義務を課す点、被告人の防御権や裁判を受ける権利を侵害するおそれがある点、憲法が国民の司法参加までは要請していないと考えられる点などを理由に、その導入に一定の評価を加えながらも、なお検討を要するとする意見が大半を占めました。

 続いて、死刑制度に関しては、代替刑として、仮釈放のない終身刑を置くことなどを提案して、死刑の廃止を主張する意見があった一方、刑の本質は応報刑である点、死刑の抑止効果が自由刑と変わらないことは証明できない点などから、これを存置すべきであるとする意見が見られました。

 そして、被害者の人権保障に関しては、我が国は国際的に見て立ちおくれており、議論を深めていくべきであるとの指摘がありました。

 今回、議論が行われました刑事手続上の人権に関する規定は、まさに憲法規定のおよそ十分の一、人権規定のおよそ三分の一を占めるという、諸外国に例を見ない詳細なものとなっております。これは、旧憲法下において、国家による不法な逮捕、監禁、拷問などにより人身の自由が不当に踏みにじられたという苦い歴史に対する深い反省に基づくものであり、こうした人間の尊厳に反する非人道的な権力の乱用を排除することが求められたためであります。

 そして、折しも現在、司法制度改革の一環として裁判員制度の導入や刑事手続の改正が行われ、また、凶悪犯罪の増加に対応して被害者の人権への関心が高まる一方、刑務所内における受刑者の人権の問題など行刑改革も進行中であります。これらはいずれも、国民の生活と深いかかわり合いを持つ動きであり、または、人身の自由の規定を具体化する流れと言えるものでもあります。この点でも、人身の自由の分野においては、国民の基本的人権の保障を主眼とした憲法の運用が大切であるということが示されていると言えるのではないでしょうか。

 以上、御報告申し上げます。

枝野会長代理 これより、行刑上の問題を含む刑事手続上の権利・被害者の人権について自由討議を行います。

 それでは、まず、倉田雅年さん。

倉田委員 自由民主党の倉田雅年でございます。

 ただいま小委員長の御報告にありましたとおり、五月二十七日に田口参考人をお呼びして、刑事手続における適正手続というところから始まりまして、かなり詳しい議論が行われました。

 憲法三十一条は、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」これが適正手続の根本条文でありますが、外国ではデュープロセスとも言われております。

 田口参考人は「法学教室」の二〇〇三年一月号でこういうことを言っております。もともと、デュープロセスは、犯罪者の処罰は、権力者(国王)によってではなく、人民による裁判あるいは国の法律による裁判によってなされるべきであるという思想から生じたものであると。

 そういうことはどういうことかといいますと、権力者による裁判というのは、いわゆる糾問主義あるいは職権主義と言われるものに通ずるわけです。一方、人民による裁判あるいは法による裁判というのは、弾劾主義ないしは当事者主義、こう言われるものでございます。

 田口参考人によりますと、私も実はそう思いますけれども、日本の現憲法は、十カ条にも及ぶ非常に詳細な刑事手続規定を定めて、日本の過去の歴史の反省のもとに、人権保障というものを非常に強く書かれたものがあります。

 しかしながら、実際の刑事訴訟手続の場においては、殊に捜査段階においては、私の意見も含めまして、戦前の職権主義的な考え方が非常に強く現実問題としては行われておる。これをどういうぐあいにするか。職権主義の中で適正手続を求めていくというのが一つの方向ですが、それでは基本的に人権を尊重した制度にはなり得ない、こう田口参考人も私も考えるわけでございます。簡単に言えば、職権主義というものを全面的に当事者主義へと転換することこそが本当の人権の保障につながる刑事手続になる、こういうことを考えるわけでございます。

 そうした一連の当事者主義と職権主義、当事者主義への転換という考え方の中におきまして、弁護士会が、もう十年ほど前から、いわゆる当番弁護士制度というのをつくりまして、被疑者段階で弁護士をつけるというのを実体化いたしました。

 その結果として、二〇〇一年の六月十二日だったと思いますが、司法制度改革審議会がいわゆる意見書を出しまして、被疑者段階でも弁護士をつけるというのを公的制度にすべきであるという意見を出しました。これは今回の国会で、御承知のとおり、刑事訴訟手続の改正ということでなし遂げられてきております。また一方、同じ意見書では裁判員制度というものが取り上げられまして、御承知のとおり、裁判員制度というものも法制化されました。

 ということはどういうことかといいますと、職権主義から当事者主義というものへと全体として日本の司法制度も転換しつつある、こう考えられます。

 その中で、私は、当事者主義の貫徹という点において、被疑者の段階ないしはその前の参考人段階における弁護人の立ち会い権が認められていないということを大きく取り上げたいと思います。

 このことは、必ずしも憲法まで改正しなくても、私は三十一条の適正手続という中でできるとは思うんですけれども、しかし、三十四条ないしは三十七条という弁護人の選任権を認めている場面に、被疑者という明快な言葉もないし、それ以前の参考人段階のことも書かれていない。こういうことを考えますと、改正をするならその部分をはっきりさせた方がいいのではないか、こんなことを考えます。

 そのほか、裁判員制度に関しましては、三権分立という観点から司法権も独立した裁判官がやっているわけですから、被疑者に裁判員による裁判以外に職業裁判官による裁判をも選択できる制度をつくってはどうか、こんなことも考えております。

 時間がありませんので、以上にいたします。

枝野会長代理 発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。

辻委員 民主党・無所属クラブの辻惠でございます。

 田口参考人、今、倉田委員もおっしゃられましたように、世界の中で見ても、三十一条から四十条という十条にわたる刑事手続を規定している憲法というのは非常にまれなものである、問題はこの憲法の規定をどれだけ現実に即したものにしていくのかであって、憲法改正の必要は少なくとも刑事手続上の人権に関しては存在しないんだというような意見がありました。私もこの点は同感であります。

 ただ、小委員長の報告でも指摘されておりますけれども、田口参考人が司法制度改革に言及して、国家権力が民主主義化し、国民が統治客体から統治主体へと変化しているんだということを是認する意見を述べられました。

 これは非常に危険な考え方ではないかと私は思います。政治改革、財政改革に引き続いて司法改革ということで、小泉改革の大きな軸をなすものとして登場しているわけでありますが、この国民が統治客体から統治主体へ転換したんだというのは、会長である佐藤幸治教授の言であります。

 しかし、憲法を論ずる場合に、国と国民との関係というのは対立的な関係であって、憲法の人権保障というのは国家からの自由ということであります。このことを、国家権力が民主主義化した、そして国民が統治客体から統治主体に変わった、つまり、国家からの自由として基本的人権、とりわけ刑事手続上の人権が保障されなければならないというその対立関係、対抗関係があたかもなくなったかのように描いて現在の現状を見る、そして憲法の理解に際しても、そのような観点で評価していくということは非常に危ない。

 やはり、これは一つの、現状の中で、ますますある意味では人権についても多様化しておりますし、利害関係についても非常に錯綜、複雑化しているわけでありまして、一概に国民が統治客体から統治主体へ変わったというふうに言うことは、まさに現実を直視すれば、そういうことはむしろあり得ない、逆の状況であるというふうに思います。

 今問われているのは、国家からの自由としての基本的人権、とりわけその中での刑事上の人権手続を、本来の理念に従って、現実の必要性という中でそこが極めて緩和されていっている、憲法の人権保障規定が弱められているという現実を、そうではなくて、人権保障をむしろ拡充していくという観点で個々のいろいろな事案について対応していくべきなのではないかと思います。

 例えば、通信傍受法の問題で、やはり憲法三十一条の問題、適正手続の問題、そして令状主義の問題が潜脱されているのではないかという問題がありますし、今国会で成立した裁判員法案も、そしてまた公判前整理手続という、戦後の刑事訴訟法が起訴状一本主義を採用して、予断排除の原則、公判中心主義で、直接主義、口頭主義でやらなければいけない、そういう本来の国民の裁判を受ける権利、刑事弁護人の反対尋問権、被告人の防御権というものがむしろおろそかにされるような現状に対して、むしろ憲法の規定をもっと充実する方向で考えるべきであって、統治客体から統治主体への転換というのは、これは非常に思想的な立場としては間違っているのではないか、私はこのように強く思います。

 以上です。

枝野会長代理 恐縮ですが、予定の時間もございますので、御発言は、現在プレートをお立ていただいている棚橋さん、下村さん、山口さんまでとさせていただきたいと思います。

棚橋委員 自由民主党の棚橋泰文でございます。

 私も、今の刑事手続上の権利その他について、少しだけ簡潔に申し述べさせていただきたいと思います。

 今、辻議員からも大変熱心な議論がございましたが、もともと憲法は、国が人権を侵害することに対しての、国民個々人が人権を守るという歴史的経緯から発生した、あるいは成立したものであるということは私も重々認識しております。ただ、またこれも委員の皆様方御承知のように、現代ではむしろ、国家による国民の人権侵害と同時に、あるいは場合によってはそれ以上に深刻なのが、私人間における人権侵害、場合によっては国家よりも、特定の分野においては大きな権力を持った団体等による人権侵害、これをどうしていくかということも考えていかなければいけないというのが憲法上のテーマであることは、まず私どもは認識していかなければいけないと思っております。

 議論になりました、特に刑事手続上の権利につきまして、今の日本国憲法は大変詳細にこれを規定しておりますが、私は、これは本当に世界的に見てもまれに見るきちんとした手続規定を置いた憲法だと思っております。

 ただ、大変難しいのは、我が国法制は、これまた委員の皆様方御承知のように、明治のときに基本的には大陸法系の実定法を中心に法系を継受し、そして戦後、特に刑事訴訟法を中心に英米法系の手続的な視点からの法を継受したという、少し別の木にまた木を接いだような、そういう側面がある。

 そして、そういった中で、特にまた、我が国のどちらかといえば普通の国民感覚では、例えば、罪を犯した人間は、基本的にみずからそれをやはり認めて謝罪すべきではないかというような国民感覚があることを私どもはまず認識しなきゃいけない。もちろん私は、このことをもって自白の強要を当然認めるわけではございませんし、まず、被告人、被疑者の第一の権利として、黙秘権というものは最大限尊重されなければいけないということは当然だと思っております。

 ただ、そういった前提の中で、さらに、今価値観が多様化してまいりまして、犯罪の発生も残念ながらふえてきている、検挙率も低くなっているという中で、もう一度考えていかなければいけないのは、国による国民の人権侵害、これに関しては、憲法という中で、当然のことながらこれが一番大事なことですから、きちんとしていかなければいけないし、この大事な刑事手続上の規定は守り、実行していかなければいけませんが、一方で、犯罪を初めとする私人間の人権侵害がふえることが最終的に国民の人権に大きくマイナスになるという観点から、やはりこの部分の観点も忘れてはいけない、この部分のバランスが崩れることによって、最終的に国民の人権が、現実として見たときにトータルとして損なわれる、こういう視点もやはり常につけ加えていくべきではないかと思っております。

 以上でございます。

下村委員 今国会、百七十五の法律改正、条約改正の中で、代表するものとして裁判員制度、そしてこれに関係する刑事訴訟法の改正があるというふうに思いますが、特に、今回の裁判員制度ほど憲法との関係で議論された法律はないのではないかというふうに思います。

 裁判員制度を導入する時点から憲法違反ではないかというような指摘がございました。実際、現憲法は、裁判員制度については特に否定も肯定もしていない、参考人のお話によれば、沈黙をしているという表現をされておりましたが、そういう意味で、裁判員制度を導入するということは、主権在民の精神からすると、国民の司法参加を期待しているのではないかということを述べられたということでございます。

 一方で、裁判員制度を導入されたということで、された後に憲法に抵触するのではないか、憲法違反になるのではないか、こういうふうに小委員会でも指摘をされたということでございまして、この裁判員制度というのは、ある議員が、その意に反して人を裁くことを国民に強制し、厳重な守秘義務を刑罰をもって科すなど、憲法上に根拠のない新たな国民の義務を生じさせるものであり、十三条、十八条、十九条及び二十一条に違反するのではないか、こういう意見を述べられているわけでございます。

 しかし、実際、今回、圧倒的な賛成によって今国会において裁判員制度が導入され、また、三権分立の立場から、司法における国民参加をしていくということは、あるべき成熟した民主主義国家の我が国として、当然私は目指す方向であるというふうに思うわけでございます。

 一方で、ごく最近、五月二十七日の読売新聞の世論調査によれば、裁判員制度の導入については、過半数の国民が賛成をしているけれども、七割近くの方々が裁判員には参加したくない、こういう調査も出ているということでございまして、これから五年間における施行にかけての準備の中で、この辺の理解を得るということと同時に、目指すべき方向として、私は、この裁判員制度に指摘をされた関連する憲法についての修正、改正をすることによって、明確にこの国において裁判員制度、憲法上制定をされるべき、保障されるべき制度の位置づけとして、あわせて憲法改正を考えていく必要があるのではないかということを申し上げたいと思います。

 以上です。

    〔枝野会長代理退席、会長着席〕

山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。

 まず、きょう各委員から、刑事手続上の問題で、三十一条から四十条にかけて詳細な規定がある歴史的背景について発言がありました。

 私も、当日、小委員会で参考人にお尋ねして、大変印象深かったんですが、その歴史的な背景のとらえ方の問題として、田口参考人はこういうふうに述べられました。「御指摘のように歴史的な経緯がございますが、それを単なる過去の遺産にとどめないで、将来にわたって日本の刑事司法システムが人権を重視するシステムであるということを積極的にアピールしていく」、そのためにもこの歴史的背景をきちんと押さえることが大事だということを述べられたので、この点は私、適正手続をめぐっては非常に大事な視点だというふうに考えております。

 それから二点目に、憲法というのは、制定されて約六十年たちますが、それで終わりでなくて、その後の憲法の運用や刑事司法の実態から、当然、どういうことが起きているのか、今の到達点はどうなっているのかという吟味が必要だと思うんです。

 先ほど倉田委員から、当事者主義という問題が提起されましたけれども、やはり、被疑者段階での長期の身柄拘束というのが、結局、戦前の治安維持法体制での人権弾圧の一番の中心部分になったものですから、これが引き続き問題として残っているということは、私は、憲法の立場からいって改善が求められるものだというふうに思います。

 それからもう一点は、被害者の人権保障の問題なんですけれども、参考人の方からは、総括的に十三条の幸福追求権の中に組み込まれるという指摘と同時に、救済の問題もありますし、社会的な連帯の問題もあるので、二十五条の生存権としても被害者の人権保障を考えなきゃいけないという話がありました。その点では、私は、起こってくるさまざまな事象をよく見ながら適切な方策を講じていく仕事が我々に求められているというふうに感じています。

 最後に、裁判員制度等の問題なんですけれども、司法への国民参加を進める点では、私どもも賛成し、積極的な意味があるものなんですが、これが国民の皆さんの間に定着し、実際に運用を始めていくまでの五年間、その仕事がどれだけやられるかが非常に大事になってくると思うんです。やはり、参加しやすい制度にしていく上でも、引き続きこの問題について大いに議論をする必要はあるというふうに感じています。

 以上です。

中山会長 これにて行刑上の問題を含む刑事手続上の権利・被害者の人権についての自由討議を終了いたします。

    ―――――――――――――

中山会長 次に、中央政府と地方政府の権限のあり方について、統治機構のあり方に関する調査小委員長から、去る五月二十日の小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。統治機構のあり方に関する調査小委員長鈴木克昌君。

鈴木(克)委員 統治機構のあり方に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。

 本小委員会は、五月二十日に会議を開き、参考人として、財団法人地方自治総合研究所理事・主任研究員辻山幸宣君をお呼びし、中央政府と地方政府の権限のあり方、特に課税自主権について御意見を聴取しました。

 会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会の会議録を参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、

 辻山参考人からは、

 まず、分権一括法の効果の現状について、地方議会の活性化や市民の条例づくりへの積極的参加等の例はあるが、依然として、通達にかわる助言、勧告や各省大臣による政省令、告示が地方自治体を拘束しているとの説明がなされました。

 次に、中央と地方の権限配分のあり方について、当該区域内における全権限性の原則を含み、第一義的には基礎自治体に付与され、いずれの事務、権限を実施、執行するかの判断権を含む自治権を法律上及び憲法上明確に位置づけ、基礎自治体において実施、執行されないこととされた事務は、補完性の原理に従い、より広域的政府の事務として配分されるべきこと等が述べられました。

 その上で、今日の地方自治には、法令の規律密度、行政統制、税財政制度の問題はあるが、原則的に憲法規定の不備が地方自治の発展を阻害しているとの認識はなく、あえて憲法改正を行うとすれば、憲法九十三条に関連して、首長、議会の二元制を地方自治体の選択制とすることや、組織構成、担任事務、課税等について、米国諸州のように、地方自治体がチャーターに規定し、国会で承認する制度を導入することが考えられること、連邦制を採用しない以上、ナショナルミニマム保障のための財源は、中央政府が調整義務を負わざるを得ないこと等が述べられました。

 さらに、地方自治体の適正規模については、実現可能な自治の内容を権限、財源、事務量との兼ね合いにおいて考えるべきであり、道州制の概念も明確にせずに市町村合併を推進する現状には懸念を持つとの意見が述べられました。

 このような参考人の御意見を踏まえて、質疑が行われ、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われ、中央政府と地方政府の権限のあり方等についてさまざまな意見が述べられました。

 そこで表明された発言を小委員長として総括すれば、

 多様な地方自治体のあり方、首長の多選禁止の是非、交通、通信手段の発達により都道府県を越えた生活圏が成立していること、行政を統制するためにも地方分権が重要であること等をめぐり、多様な見解が示されました。

 地方分権の進展に伴い、我が国における中央政府と地方政府の権限のあり方に係る問題は今後ますます重要性を増してくると考えられること等にかんがみれば、引き続き総合的見地から議論を深める必要があると感じました。

 今後も、本小委員会のこれまでの議論を踏まえた上で、今後の国の統治機構のあり方について議論を深めてまいりたいと考えております。

 以上、御報告申し上げます。

中山会長 これより、中央政府と地方政府の権限のあり方、特に課税自主権について自由討議を行います。

 それでは、まず、永岡洋治君。

永岡委員 私、自由民主党の永岡でございます。

 当日も辻山参考人に対しまして御意見を申し上げましたが、きょうは、国主導による市町村合併推進の必要性、それから都道府県廃止と道州制のあり方、そして多様な地方自治の統治システムの三点について意見を述べさせていただきたいと思います。

 まず、国主導による市町村合併の必要性でございますが、これまでの中央集権体制の結果、経済は発達いたしました。明治維新のときの四倍の人口を抱える国家ともなると、国家の運営が中央集権のみでは難しくなると考えます。そのため、この中央集権体制から地方にその軸足を移し、税源も財源も人材も、地方を中心にして国家を動かしていくという時代に入ったものと考えます。

 その際に、最大の問題となるのは、地方に人材がどれだけいるかということであります。今の行政の構造を見ますと、中央には人材が厚いのに対しまして、県や市町村に行くに従って少なくなるという逆ピラミッド型になっており、これを解消して、きちんと、権限の配分に応じたピラミッド型にすることが必要であると考えます。

 また、「地方自治の本旨」という憲法に書かれた文言も、その内容が明確にされないまま今日に至っておりますが、私は、この地方自治の本旨に基づき、地方が自立をして、みずからの持つ歴史的あるいは社会的財産の個性を生かしていくためには、ある程度の自立した能力と規模が必要であると考えます。

 そのためにも、地方の合併は、地方自治の本旨を実現していく上でどうしても進めなければならないことだと思っておりまして、少なくとも人口規模として二十万ないし三十万の基礎自治体をつくっていくことを、当面は、中央主導ということでやっていかなくてはならないのではないかと考えております。

 次に、都道府県の廃止と道州制のあり方ということであります。

 地方自治においては、住民自治という基本的で末端に一番近いところで行政を行いながら、同時に効率性も要求されるという、矛盾する二つのことを追求していかなければならないものでありますが、その際に、どのようなプロセスでやっていくかが問題になると考えます。

 私は、市町村合併が進み、市町村が地方行政の受け皿として一定の規模と体制を整えたとき、国と市町村の間の中間的な存在である都道府県という組織の必要性も薄れていき、現在の地方自治体の二層制は、最終的には市町村の一層制に移行していくべきものと考えます。今、道州制の問題が出ておりますが、私は、道州制というものを恒久的な制度としてではなく、このような二層制から一層制へ移行する際の過渡的なプロセスとしてとらえるべきではないかと考えます。

 そこで、むしろ基礎自治体としての市町村の規模を大きくして、地方自治の基礎的単位にしていくという方向が望ましいものと考えております。

 ただ、市町村が十分に力をつけるまでの間、道州が国と市町村の間に立って、現在の都道府県より広域的な見地から市町村をフォローすることが考えられます。この点、道州によるフォローが必要ないほど市町村が力をつければベストであり、道州制が最終的な形として適切なものであるかどうかはさらに慎重に検討していく必要があると考えます。

 最後に、多様な地方自治の統治システムということでございますが、これは、辻山参考人からは、地方自治体の組織にもう少し自由裁量を与えてよいのではないかという主張もなされましたが、私も基本的にこれに賛成であります。現在の地方自治体に与えられている権限や組織体制は、非常に中途半端なものとなっているからであります。

 中央政府は三権分立であるのに対しまして、地方政府は首長と議会とのいわば二権分立制とも言える二元制となっております。直接民主制で選ばれてくる両者を比べた場合、首長の権限は非常に強大である一方、議会には百条調査権など限られた権能しか与えられておらず、議会の権能が非常に弱い、あるいは明確でない状況にあります。

 地方自治のあり方というのは、その規模あるいは地域の状況に応じてさまざまでありますが、委員会制あるいはシティーマネジャー制等を含む選択肢を広げていくという考え方には非常に合理性があるのではないかと思っております。ただ、これは憲法改正を伴う問題と考えられ、今後さらなる検討が必要であると考えております。

 以上をもって私の発言とさせていただきます。ありがとうございました。

中山会長 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。

大村委員 自由民主党の大村秀章でございます。

 地方自治につきまして、簡潔に発言をさせていただければというふうに思っております。

 まさに今、ちょうど私どもの党の中で骨太方針二〇〇四の議論をやっておりまして、その中で、三位一体の改革、税源移譲三兆円といったことをどう扱っていくかという大変大きな議論になっておりますけれども、まさに、この地方分権をどういうふうに進めていくか、今、国政の本当に大きな課題だろうというふうに思っております。

 そういう中で、この憲法との絡みの中で、先ほど鈴木小委員長の方からも御報告がありましたが、この小委員会での参考人からの御意見等々を踏まえますと、憲法上この規定が、現行の規定でも地方自治の発展を阻害するということではないということのお考えも確かに成り立つかとは思いますけれども、私は、今のこの政策課題の中で地方分権、地方自治をさらに推し進めていくということからすれば、やはりこの憲法上の規定もさらにもう少し書き加えるべきではないか、書き込んでいくべきではないかという感がいたします。地方自治、地方分権がまさに国家の統治機構の一つとして中心なんだということ、そして、財源、税源につきましても、これを国と対等、もしくは、まさに根源的な行政執行体として財源も確保するんだということ、これをむしろ書き込んでいく必要があるのではないかというふうに思います。

 それからまた、先ほど永岡委員からもお話がありました道州制につきましても、私もこれも賛成でございまして、都道府県を廃止して道州制を導入するということであれば、むしろ私は憲法上これも書き込んでいくべきではないかという感がいたします。

 その上で、基礎的な自治体である市町村につきましては、これも合併の規模等々にはいろいろな御意見があるところでありますが、基本的には、この合併を進めていく中で、ただ、実際の組織につきましてはこれも憲法上書き込んで、今の体制でいくところももちろん当然多いと思いますけれども、裁量によるというところも、これも憲法上書き込んでいくべきではないかというふうに思うわけでございます。

 その上で、これは憲法上の議論とは別かもしれませんが、地方自治で今まさに一番問われている、いろいろな政策分野がありますけれども、私は、教育の分野でこそ地方自治、地方分権で進めていくべきだというふうに思います。

 私、昨年、自分自身の政策提言集という本を出させていただきましたが、その際、特に今の公立の学校、基礎的な小中高、そうしたところの子供たちの学力の低下等々、いろいろな問題が起きております。それはまさに、国が、一律的に文部省が学習指導要領という形でやっている。いつのまにやら何かゆとり教育とかいって三十年間で教育内容を半分にして、それを批判されるとまた学力の向上といって朝令暮改のようなことをやっていくという形で、教育をまさに国の一律的な、集中的な、一元的な関与の中でやっていくということにもう限界があるというふうに思います。

 まさに教育こそ私は地方分権、地方自治体、すべて地方自治体に任せる、その上で文部省は、もうこの際、そこの教育のところを、まさに学習指導要領とかそういったところの内容を決めるところは全部廃止するということをやるべきじゃないかということを私自身は思っておりますし、そのことを引き続き提言していきたいなと思っておりますが、そういったことも含めまして、地方自治を憲法上さらにもっと書き加えて、そしてもっともっと進めていくということをやっていくべきだというふうに思うわけでございます。

 以上、自分の感じも含めて、感想も含めまして申し上げさせていただきました。

 以上です。

中山会長 予定の時間もございますので、御発言は、現在プレートをお立ていただいている山口富男君、辻惠君までとさせていただきたいと思います。

山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。

 先ほど、憲法九十二条の地方自治の本旨について、明確にされていないという意見がありましたが、しかし、憲法制定後の憲法理論の発展でも、また判例解釈でも、この分野ぐらい非常に豊かに発展してきた分野はないと私は考えております。

 地方自治の本旨につきましても、例えば通説的にはこういうふうに言われています。従来の中央集権的な官僚行政を排斥し、地方分権的な民主行政を確立する意図を示したものであり、地方自治の本旨は、地方的行政のために、国から独立した地方公共団体の存在を認め、この団体が、原則として、国の監督を排除し、自主自律的に、直接または間接、住民の意思に基づき、地方の実情に即して、地方的行政を行うべきことをいうと。

 ですから、地方自治の本旨というのは、言葉としては憲法典ですから抽象的に書いてありますけれども、その中身が何かという点では、この六十年間の積み上げの中で私は明確になってきているものだというふうに思います。

 その上で、参考人が述べられた、そういう地方自治の四カ条の規定からいって、そこに問題があって地方自治体、地方分権をめぐっていろいろなことが起きているというとらえ方は自分はしていないということを述べられたわけですけれども、その中でも、地方分権一括法の効果と現状についてかなり厳しい指摘がありました。

 それは、現実に今、中央から地方へのいわば行政密度がかえって逆に強くなっているという指摘もあって、第二の地方分権改革が必要だという議論になったわけですけれども、やはり本来的に地方分権といえば、住民の身近な暮らしにかかわるところの権利を擁護して、しかも、その住民が暮らしている政治の場でそれを実現していくということになりますから、やはり今日の地方分権論が地方自治の位置づけという点で大きな問題を抱えてきていたというのが参考人の先日の意見だったというふうに思います。

 それから、道州制なんですけれども、これにつきまして先ほど委員長の方から報告がありました。それは、委員長の報告のとおり、参考人からは、「地方自治体の適正規模については、実現可能な自治の内容を権限、財源、事務量との兼ね合いにおいて考えるべきであり、道州制の概念も明確にせずに市町村合併を推進する現状には懸念を持つ」という意見が表明された。そのとおりだと思います。

 私も、この点では、結局、肝心なのは、住民の自治という憲法の規定がどうなっているのかということになりますから、道州制の問題につきましても、やはりきちんとした基礎的自治体、そこに住んでいる方々が主体になるわけですから、その方々たちの権利なり憲法での地方自治の規定が十分生かされるかどうか、そういう点から見るべき問題だというふうに考えております。

辻委員 民主党・無所属クラブの辻惠でございます。

 地方自治の充実、地方分権ということが時代の趨勢として言われておりますが、地方分権一括法によって機関委任事務が法定受託事務に変わったということがありつつも、しかし、現状は、決して地方分権として前進は非常に不十分であるというふうに思わざるを得ません。例えば、依然として中央省庁の行政指導や行政計画や通達や、それが地方に影響を及ぼしている。

 例えば、この国会で、行政事件訴訟法の一部改正ということで、行政統制に対するチェック機能を強化するという法案が上程され可決されたわけでありますけれども、例えばその中で、大分県の日田市で突然、中央省庁が競輪の場外車券売り場を設けるという決定を下した。それに対して、古くからの町である日田市は反対をして、日田市としてそれを争うという、取り消しを求める訴訟を起こしたんだけれども、原告適格がないということで一審も二審も敗訴してしまうという現状があります。つまり、地方分権と言いながら、中央省庁の統制下に、影響下に非常にまだあるということが、この例においても端的だろうと思います。

 それはほかにも、人材の問題もそうでありましょうし、条例制定権の範囲についてもそうであろうし、この辻山参考人が述べられた課税自主権の問題についても、非常に極めて限定的であるということであります。

 これをどのように考えていくべきなのか。やはりこれは、私は、基礎的な自治体、基礎自治体をきちっと位置づけて充実させていく、そこに権限を拡充していくということが非常に重要な問題であろうと思います。現在、市町村合併が上からこれまた押しつけられている。この中で基礎的自治体がどのように本来の機能を発揮できるものとして位置づけられているのか、極めて疑問であります。むしろ、地方分権に逆行するような合併が強要されている、強制されているということであります。

 私は、行政的な合意について、まさに下から、例えばまちづくり条例とか、地域のコミュニティーの中でそういうものが形成されていく。先ほど永岡委員は一層制と言われましたが、私はむしろ、二層制、三層制として地方自治の問題は考えるべきであろうと。基礎的自治体のもっと下にそういうコミュニティー、住民の自治の充実したもの、その中でいろいろな地域の合意を図っていく、そういうコミュニティーもきちっと位置づけた、そういう基礎的自治体を拡充していくということが今問われていることなのではないかというふうに思います。

 以上でございます。

中山会長 これにて中央政府と地方政府の権限のあり方、特に課税自主権についての自由討議を終了いたします。

    ―――――――――――――

中山会長 次に、二院制と会計検査制度について、統治機構のあり方に関する調査小委員長から、去る五月二十七日の小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。統治機構のあり方に関する調査小委員長鈴木克昌君。

鈴木(克)委員 統治機構のあり方に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。

 本小委員会は、五月二十七日に会議を開き、会計検査院当局の出席を求め、また、参考人として、一橋大学大学院法学研究科助教授只野雅人君をお呼びし、二院制と会計検査制度について、会計検査院当局の説明及び参考人の御意見を聴取いたしました。

 会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会の会議録を参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、

 会計検査院当局からは、

 会計検査院の厳正、公平な職務遂行のためには、独立性の確保が何よりも重要であり、その保障のために人事権の独立、規則制定権の保持及び二重予算制度があること、会計検査院は独立機関であるが、検査官の任命について国会の同意が必要であること、国会が決算検査報告の提出先となっていること、各議院または各議院の委員会は会計検査院に対し、特定の事項について会計検査を行い、その結果を報告するよう求めることができること等、国会と密接な関係を有していること、検査成果を制度、予算等に反映させるため、検査結果の国会への報告、処置を要求した事項等の事後処置状況の把握及び国会への報告、財務省主計局等との連絡会の開催等が行われていること、主要諸外国における会計検査院の地位等について説明がなされました。

 続いて、只野参考人からは、

 単一国家の二院制の場合、第二院の独自性が問題になるとし、第二院の分類の方法とともに、世界全体では一院制採用国が多数であるが、人口が一定規模以上になると二院制が採用される傾向にあることについて説明がありました。

 そして、日本と同様に単一国家で二院制を採用するフランスでは、第二院である元老院の政党化も生じているが、両院の構成が似通っている場合にむしろ元老院が有益な役割を果たしているとの見解が述べられました。

 その上で、参議院は独自性を模索してきたが、必ずしもそれは成功しておらず、その発揮のためには、政党本位の選挙制度の改革を再検討し、国会法ではなく、議院規則によって議院の組織を定めるべきであり、参議院の役割として、多様な民意を反映し、長期的な視野に立った調査活動を行い、行政に対するコントロール機能を持つことが期待されるとの見解が述べられました。

 さらに、衆議院、予算審議、参議院、決算審査という役割分担は、権限の弱い参議院が有効な統制をすることができるのかという懸念から好ましいものではなく、また、憲法政策的に見て、現行の二院制は是認できるとの意見が述べられました。

 このような参考人の御意見を踏まえて、質疑が行われ、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われ、二院制のあり方や会計検査院と国会との関係等についてさまざまな意見が述べられました。

 そこで表明された発言を小委員長として総括すれば、

 二院制維持の必要性、両院の選挙制度、役割分担、会計検査院の国会附属機関化等をめぐり、多様な見解が示されました。

 両院制、特に、参議院の独自性のあり方や会計検査院の位置づけ等に係る問題は今後ますます重要性を増してくると考えられること等にかんがみれば、引き続き総合的見地から議論を深める必要があると感じました。

 今後も、本小委員会のこれまでの議論を踏まえた上で、今後の国の統治機構のあり方について議論を深めてまいりたいと考えております。

 以上、御報告申し上げます。

中山会長 これより、二院制と会計検査制度について自由討議を行います。

 それでは、まず、船田元君。

船田委員 二院制のあり方についてという議論が中心であったかと思いますが、参考人も指摘をしましたとおり、連邦国家におきましては、それぞれの国、それから連邦全体をつかさどる部分、そういうことでおのずから二つの院というものの役割分担ができる、しかしながら、日本のように単一国家である場合には、この二院制というのはなかなかその機能分化も含めまして非常に難しい、こういう御指摘が一方でございました。

 また、現実の問題として、かつて、昭和二十年代の終わりぐらいから三十年代にかけて、参議院は緑風会という大きな会派がございまして、これが、衆議院の政党政治に対して、良識の府としてやっていこうではないか、このような動きがあり、参議院の存在理由というのもその当時非常に高められた、あるいは叫ばれた時代であったと思いますが、やはり、参議院の政党化によりまして、参議院は衆議院のカーボンコピーであるというふうにやゆされるような状況にもなってしまいました。

 しかしながら、私は、やはりこの二院制というもののメリット、つまり問題を、法律にしてもあるいは予算にしてもダブルチェックをするというようなこと、あるいは、お互いにその行き過ぎを統制するという点では、二院制というものはメリットがあるというふうに思っております。また、二院制のその政治的な知恵をもう少し我々は考えていくべき必要があるのではないかというふうに思います。

 例えば、このようなことが考えられます。一つは、衆議院、参議院それぞれの選挙制度をもう一度根本から見直してはどうかということであります。

 例えば、衆議院は、現在、小選挙区比例代表並立制になっておりますけれども、これを小選挙区のみにするということ、単純小選挙区というようなことで、衆議院の選出基盤を決めていったらどうか。参議院の方は、むしろ、比例代表制度あるいは大選挙区制度、そういったものに特化してはどうか。このようなアイデアが一つあると思います。

 小選挙区制度は、民意を集約して、政権を選ぶ選挙にかなり近くなっていくと思います。比例代表に特化する参議院の場合には、民意を鏡のように反映する、そういう選出の手段になるかと思っております。このような選出方法の違いを明確にすることによって、衆議院、参議院の違いというものを際立たせることは可能であろうと思っております。

 もう一つ、衆参の役割分担ということを考えますと、その機能を意識的に変えていくということも大変重要な方向ではないかと思います。参考人は必ずしも賛成はされませんでしたけれども、例えば、衆議院を予算中心の審議にする、参議院については決算中心の審議にする、こういうことが考えられると思います。

 現在の衆議院、参議院の力関係というものから、参考人は、参議院を決算中心主義にするのはいかがか、このようにお話しになっておりますけれども、やはり、がらがらぽんということで衆議院と参議院の役割を大きく分けるということを最初から考えれば、今申し上げたようなアイデアは一つの方向性であると思っております。

 加えまして、会計検査院からもお話を聞きました。

 会計検査院が、衆議院、参議院、議会とのつながりが非常に強いということを改めて痛感したわけでございますが、アメリカ議会、イギリス議会にありますように、議会に会計検査院を附置する、中に置くということも考えていいのではないか、しかも参議院の附属機関という形で会計検査院を置いてもいいのではないか、こんなアイデアもあるかと思っております。もちろん、会計検査の独自性、独立性は、これは侵してはいけないと思いますけれども、一つの方向性ではないかということであります。

 このようなことで、二院制のメリットを生かす、その知恵を出し合うということが今後の憲法の見直しの中でも重要であるという認識に至りました。

 以上でございます。

伊藤(公)委員 自由民主党の伊藤公介です。

 船田委員から御発言がありましたけれども、私は、どちらかといえば二院制を見直すべきだという立場から意見を述べたいと思います。

 今、実際に、日本の場合には二院制はその存在理由がほとんどないのではないか。我々がいろんな地域活動をしていても、参議院という存在がそれだけの役割を果たしているかという疑問を持っている国民の方たちも非常に多いように私は思います。再審の府としてのいわゆる存在理由というものが非常に希薄になっているというふうに思います。

 今お話にもありましたけれども、全体的に言うと、世界は、百八十三カ国のうち六二・八%は一院制であります。二院制の場合は、参考人の意見にもあったようでありますけれども、連邦制の国家の場合は二院制が非常に多い。また、人口が比較的大きな国はという御指摘もあったようでありますけれども、単一国家の場合には圧倒的に一院制が多いわけであります。

 最近は、政治が非常にメディアによって議論があっという間に国民の皆さんにも理解をされる、そういう時代にもなっているわけでありまして、政治のスピード性、あるいは採算といいますかコスト、そういうことを総合して考えれば、むしろ一院制を我々は考えていく必要があるんじゃないか。万一、二院制を維持するにいたしましても、今御指摘もございましたけれども、現在の選挙制度をやっぱり考えるべきだ、あるいは、議会のあり方、例えば、参議院はいずれの政党も党議拘束をしないとか、政党を離れて一人一人の議員が賛否を決めていく、そういう大胆な参議院改革をしていく必要がある。

 今、一院制を実現する会というものも国会の中でできました。私もそのメンバーの一人でありますが、参議院だけなくすというと、これは、憲法改正がありますから、なかなかできない。だから、衆議院、参議院含めて、ある一定期間の間に議論を詰めて、憲法改正のときにできればあわせて一院制というものを実現していくべきではないかというふうに思います。

 あえて発言をさせていただきたいと思います。

大村委員 自由民主党の大村秀章でございます。一院制につきまして、私も発言をさせていただければというふうに思っております。

 今まさに伊藤委員が言われたとおり、同じような趣旨でございまして、私も一院が望ましいのではないかというふうに思います。

 これは、もう既に議論を尽くされたことだろうと思いますけれども、世界じゅうで三分の二といいますか六割を超える国が一院制であるということ。それから、二院制をとっているのは連邦制というところが多いと思いますけれども、日本は単一国家であるということ。

 それからまた、選出方法、選挙も、もともと衆議院と参議院では違った制度が、両方とも選挙区と比例代表を組み合わせた制度になってきているということ。それからまた、衆議院の優越が言われますが、権能もほぼ、法律をつくるということは一緒であるということ等々を考え合わせますと、やはりこれだけ時代の流れが速い今の状況、そしてまた、国際化がどんどん進んで、国際社会の中で日本が次から次へと決断を迫られる事態になってきていると思います。それから、時代の流れに合わせて、内政でも、議論ももちろんですけれども、どんどん決断をして物事を決めていく、そういうことがまさに迫られている。そういう状況であるわけでありまして、そういう意味では、まさに今こそ思い切ってこの一院制を導入すべきだというふうに私は思います。

 これは、もちろん参議院がということではありませんで、この際、衆議院をまず廃止し、そして参議院も廃止をして、あわせて新たな一院をつくる、そして七百数十名に上る定員を半減をする。私どもの地元を回っておりまして、やはり、地方議会は定数を減らしておるけれども国会は何をやっておるのだ、おまえらだけのうのうとしやがって、こういうふうな話を結構よく、言葉は適当でなかったかもしれませんが、言われるわけでございます。

 私は、この際、一院制にして、定数四百という形で、小選挙区と比例代表を組み合わせて、二百五十と百五十でもいいのかもしれませんが、そういう意味での一院制というのがこの際望ましいのではないか。やはりまず国会から範を示すということがあってしかるべきだというふうに思うわけでございまして、そういう意味で、こういったことを引き続きいろんな場で私は申し上げていきたいというふうに思っております。

 ただ、これも、もしこの一院制がすぐにできないということであれば、先ほどの伊藤委員とまさに同じような意見でありますけれども、選挙制度のあり方を見直す、参議院だけは全部比例にするとか、また、権能を見直して、決算の審査とか外交、そういったものに特化していくというようなあり方をやはりまず当面やるべきではないか、その上で私はあくまでも一院を目指すべきだということを申し上げたいというふうに思っております。

 以上です。

中山会長 時間の関係もありますので、御発言を希望の方は直ちに名札をお立てくださるようお願いいたします。

山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。

 先日の小委員会では、参考人からは、憲法での二院制という制度設計の積極的意義を認めて、その上で参議院の独自性の発揮を提起されるということだったと思います。私も、現行憲法での二院制の設計については、これは賛成ですし、その上で独自性を考えるというアプローチが必要だと思います。

 その際に、国民代表議会としての両院、国会に、主権者である国民の多様な意思が多元的に反映されるというのが、やはりこの問題を考える上での基本として絶対にゆるがせにできない問題だというふうに思います。

 まず、選挙制度の問題なんですけれども、先ほど船田委員から幾つかアイデアが出されましたが、少なくとも小選挙区制について言えば、これはやはり大政党に有利な制度であって、民意の多元的な、多様な反映ということで言えば、これはそれこそ、集約と反映を区分けされましたけれども、とても私は反映される制度になっていない、弊害の大きい問題である、基本的には比例代表という方向がやはり望ましいと思っております。その点では、今回、参議院が定数の是正を見送っておりますので、これは批判が当然免れない問題だというふうに私は思います。

 それからもう一つ、参議院の独自性の問題なんですけれども、これは今国会でも政府提出の年金法案をめぐりまして、保険料でも、それから給付水準の問題でも、参議院段階に行って明らかになった問題が多々あるわけですね。そういう意味で、現実の審議の実態からいきましても、私は、参議院の存在意義、今度の国会では大いに示されたんじゃないかというふうに考えております。

 それからもう一点は、会計検査院にかかわる問題なんですけれども、近代憲法の原則の中で、特に財政立憲主義が占める位置というのは非常に高いわけですけれども、会計検査院との関係でいきますと、国会の財政に対するコントロールというのは、事後的に会計検査院の報告を受けて審議していくというふうになるわけです。

 となりますと、これはやはり両院のうちのどちら側に特化させる、あるいは附置する、そういう形での設計は、これは二院制をとる以上やはりやるべきじゃない、二つの院がそれぞれ予算と決算の審査をきちんとやるというのが基本であるということを申し述べておきたいと思います。

中山会長 予定の時間もございますので、御発言は、現在プレートをお立ていただいている辻惠君、増子輝彦君までとさせていただきます。

辻委員 民主党・無所属クラブの辻惠でございます。

 一院制か二院制かという議論が出ておりますが、只野参考人からは、単一国家の場合には、一定規模の国家、ある程度の規模以上の国家はやはり二院制が多いということを指摘されました。私も民意を多元的に、多様に反映させるために、やはり今の二院制を維持すべきであろうし、その中で創意工夫を凝らすべきであろうというふうに考えます。

 只野参考人からは、現在の参議院が本来の二院制をきちっと機能していない、それは今の政党政治のあり方で、参議院でも多数派を形成するんだという、そういう参議院の対応を見越した形で今の連立政権が成立しているという、その結果として参議院が十全に機能していない現実があるということを只野参考人は指摘されました。私もそのとおりであって、二院制がもっと、今の政党政治のありように従属するのではなくて、多元的、多様な民意が反映されるような制度として考えていかなければならない、このように意をさらに深くいたしました。

 そのときに、私は、現在の東京一極集中の国のあり方に対して、地方分権ということを、これは多くの政治家、国民の多くの人々もそれが望ましいということを言っている現状に踏まえて考えれば、地方の意向を国政に反映させる、そういう回路を開くということが二院制の中で保障されてもいいんではないか。例えばフランスでは、地方自治体の首長が二院制の議員になるというような制度が設計されているように聞いております。日本におきましても、そのようなシステムの導入も含めて、選挙制度のあり方も含めて、工夫するべきである、多元的な、多様的な、地方からも含めた民意が反映するような二院制を充実させる方向で議論が深められるべきだと思います。

 以上でございます。

増子委員 民主党の増子輝彦でございます。

 一院制か二院制かの件について、私の考えを申し上げたいと思います。

 結論から申し上げますと、私は二院制度であるべきだというふうに考えております。先ほど来、二院制に対する弊害あるいは国民の批判等も出ているということでございますけれども、私は、この二院制についていろいろな問題、弊害が出ているという指摘があるとすれば、それは政党の党利党略の問題や、あるいは議員の資質的な問題についての国民の皆さんの私は大きな批判があるのだと謙虚に受けとめなければならない、そのように受けとめているわけでございます。

 先ほど船田委員からもお話がございましたとおり、衆議院はやはり政権の選択、集中であります。そして、参議院はやはり意見の、民意の反映ということが基本的にこの二院制度の私は存立の根本だと思っておりますので、これはやはり守るべきだろうというふうに思っているわけであります。

 と同時に、衆議院の審議過程の中で、これも先ほど出ましたけれども、やはり衆議院でなかなか十分な審議が行われない場合に、参議院でさらに深める議論というものは当然必要になってまいりますので、そういう意味で私は二院制度というのを存続すべきだと思っております。

 ただ、もう一つ、選挙制度の問題については、私はかねてより単純小選挙区論者でありますので、衆議院はやはり単純小選挙区にすべきであろう、参議院についても、この七月に行われますが、やはり比例の部分についてはかなりこれは過酷な、あるいは非常に大きな問題があると思われますので、この選挙制度については、さらに大きな私どもは議論をしながら改正していくべきだろうというふうに思っております。

 加えて、もう一つ大事なことは、一票の格差という問題についてもこの二院制度のあり方の中で十分考えていくべきだろうということ。そして第二点は、これは統治機構小委員会の中でも申し上げましたけれども、道州制あるいは連邦制というようなものに仮に地方分権が進んでいく中で、その首長という方々の権限が極めて大きなものになってまいるだろう。そうすると、大統領型の首長というものが出てまいれば、これに対する多選禁止ということが一つの問題点として出てくるんではないだろうか。

 ただ、立候補の自由制限という問題もございますけれども、やはり多選ということについてのいろいろな形の中で、制度的にできるならば歯どめというものを考えていく必要があるのではないだろうか。この一院、二院制のあり方の中で、これらの問題も十分私どもは議論をしてまとめていく必要があるということを申し上げさせていただきます。

 以上でございます。

中山会長 それでは、これにて自由討議を終了いたします。

 次回は、来る十日木曜日午前八時五十分幹事会、午前九時調査会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時五十八分散会


このページのトップに戻る
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.