衆議院

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第8号 平成16年6月10日(木曜日)

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平成十六年六月十日(木曜日)

    午前九時一分開議

 出席委員

   会長 中山 太郎君

   幹事 近藤 基彦君 幹事 福田 康夫君

   幹事 船田  元君 幹事 古屋 圭司君

   幹事 保岡 興治君 幹事 枝野 幸男君

   幹事 鈴木 克昌君 幹事 山花 郁夫君

   幹事 赤松 正雄君

      伊藤 公介君    岩永 峯一君

      大村 秀章君    倉田 雅年君

      河野 太郎君    柴山 昌彦君

      下村 博文君    棚橋 泰文君

      渡海紀三朗君    中谷  元君

      永岡 洋治君    野田  毅君

      平井 卓也君    平沼 赳夫君

      二田 孝治君    松野 博一君

      森岡 正宏君    森山 眞弓君

      綿貫 民輔君    伊藤 忠治君

      鹿野 道彦君    楠田 大蔵君

      玄葉光一郎君    小林 憲司君

      園田 康博君    武正 公一君

      辻   惠君    計屋 圭宏君

      古川 元久君    馬淵 澄夫君

      増子 輝彦君    村越 祐民君

      笠  浩史君    太田 昭宏君

      斉藤 鉄夫君    福島  豊君

      山口 富男君    土井たか子君

    …………………………………

   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法に関する件


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     ――――◇―――――

中山会長 これより会議を開きます。

 日本国憲法に関する件について調査を進めます。

 本日は、今国会最後の調査会であることを踏まえての自由討議を行います。今国会の議論を踏まえた現行憲法に対する委員各位の自由濶達な御意見を拝聴したいと存じます。

 議事の進め方でありますが、まず、各会派を代表して一名ずつ大会派順に十分以内で発言していただき、その後、順序を定めず自由討議を行いたいと存じます。

 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 それでは、まず、保岡興治君。

保岡委員 私は、今国会における我が党の憲法調査会における議論、及び国民投票法等に関する与党協議会の実務者会議における我が党の主張を踏まえ、まず、憲法改正に関連する手続法につきまして所見を申し述べ、続けて憲法の改正条項について意見を開陳したいと思います。

 アメリカ独立宣言の起草者で、第三代アメリカ合衆国大統領でありますトーマス・ジェファーソンは、次のような言葉を残しておると伺っています。「人間の作品で、完全なものは存在しない。時代の流れのなかで、成典化憲法の不完全さがあらわになるのは、避けられない。さらに、時代の経過は、憲法が適合しなければならない社会に変化をもたらすであろう。それゆえ、憲法を改正するという現実的な方法を定めておくことは、絶対に必要なのである」。

 憲法九十六条は、このジェファーソンのその言葉が示すとおり、時代の変化に応じて憲法制定権者の意思により憲法が改正されることを見通した上で、国の最高法規として、その改正方法を明示しております。憲法改正の主役はあくまでも憲法制定権者たる国民であり、国民は国民投票を通じてその意思を表明することとなっております。ところが、このような国民投票実施のための法律は、憲法制定後、半世紀にわたった現在に至るまで、制定されておりません。国会がその発議のできる状態を待って国民投票の手続を整えるというのは、憲法制定権者たる国民の信託を受け、国民にとって最も根幹的な主権行使である憲法改正の手続、すなわち、その道筋を用意するという国会が一番大切な任務を怠っているということになると言わざるを得ません。

 今こそ、憲法九十六条の精神に立ち返って、憲法改正に関連する手続法を整備し、我が国憲政史上初めて憲法に国民の意思を反映させ、我が憲法を名実ともに国民憲法と呼ぶにふさわしいものにすることは、我々国会議員に課せられた急務であると考えます。

 平成十三年の十一月、本調査会の会長である中山先生が会長を務める憲法調査推進議連が、まさに私が今指摘申し上げたことと同じ趣旨のもとに、苦心の末、国会法の一部を改正する法律案及び日本国憲法改正国民投票法案を作成されました。これは非常に意義深いことであり、でき上がった法案も大変すばらしいものでございます。しかし、この二本の議連案をたたき台として、今国会、我が党とまた公明党とで行いました与党における議論を通じて、幾つかの問題点や考えなければならないことが浮き上がってまいりました。

 まず、国会が各議院の総議員の三分の二以上の賛成で憲法改正を国民に発議するまでのプロセスに関することでありますが、議連案では、憲法改正案の付託委員会についての規定が設けられておりません。この点に関し、与党協議会の実務者会議の場におきまして、我が党は、憲法改正の重要性にかんがみ、平素から憲法について広範かつ総合的な調査を行う機関を常設的に設けておくことが望ましいことから、衆参両院に常任委員会として憲法委員会を設置することが適当であるとの意見を表明いたしました。

 憲法改正案の付託委員会については、院の構成に係る事項であり、最終的には、両院議院運営委員会において与野党の審議、検討を要することであります。と同時に、これは衆参両院の憲法調査会の後継機関、すなわちポスト調査会に関することでもあります。日本国憲法について広範かつ総合的な調査を行った結果出てまいりました成果を、どのように次のステップにつなげていくかを議論することも、本調査会の所管に属することであると存じます。本調査会設置の際に各党で申し合わせた五年の調査期間の大詰めを迎えている今こそ、このポスト調査会の性格づけについて、本調査会においても早急に御議論していただき、しっかりした結論を出していくべきだと考えますので、そのようによろしく御審議のほどお願い申し上げます。

 次に、議連案では、憲法改正案の原案の発議要件を、衆議院において議員百人以上、参議院において議員五十人以上の賛成を要するものとしています。この点に関し、実務者会議で、我が党からは、常時憲法について調査や議論をすると同時に、国会の会派を構成する各党が憲法改正案を出し合って議論を深めることが、国民にとって常に憲法のあり方を考える機会を持っていただくことにもつながり、憲法議論を国民に身近なものにすることにつながることから、この憲法改正案の原案の発議要件を緩和すべきであるとの意見を出したところであります。

 また、議連案では規定が設けられておりませんが、憲法改正の発議があった場合には、国会により憲法改正の発議があったこと及びその発議に係る憲法改正案の内容を、速やかに国民に対して周知する必要があり、衆参両院議長連名で憲法改正の発議の公示を行うことが適当であるとの意見が出されました。

 次に、憲法改正が発議された後の国民投票についてでありますが、議連案では、公職選挙法の選挙人名簿とは別に投票人名簿を調製し、被登録資格として三カ月間の居住要件を設けないなどとしております。しかし、国民投票の投票権は、国民の国政への参加の権利として国政選挙の選挙権と同等のものと考えられること、また、投票人名簿を選挙人名簿と別に調製することに伴い実務上さまざまな問題が生ずることから、国民投票においても選挙人名簿を利用することが適当であるとの意見が出されました。

 また、議連案では、国民投票の際に用います投票用紙に憲法改正案を記載することとしていますが、在外投票、洋上投票等の特殊な投票方法による場合、投票用紙の調製が時間的に困難であること、また全面改正の場合には、投票用紙への記載が事実上困難なことなど、原案では対応しがたい事情もあり、適切な代案を考えるべきとの意見が出ております。

 最後に、議連案は、国政選挙と国民投票の告示日をそろえるなど両者が同時に行われる場合を明確に区別して規定しておりますが、与野党が政権の維持、獲得を目指して相戦う国政選挙と、憲法改正に対する賛否を争点とする国民投票との性格の相違にかんがみれば、国民投票と国政選挙は別個に行われることが適当であり、また、仮に両者が同時に行われると、原則として自由であるべき国民投票運動と、管理、規制が多い選挙運動との適切な調整が必要となるところ、これは相当困難が予想されることなどから、あえて両者が同時に行われる場合を明確に区別せずに、国民投票の期日の告示日を定める方が適当であるとの意見が出されました。

 さらにつけ加えますと、内閣に憲法発議案を出す権限があるかどうかなども明確にするべきだという意見も出ております。

 次に、憲法の改正条項について、意見を申し述べたいと思います。

 憲法九十六条一項は、国会が憲法改正を発議するには各議院の総議員の三分の二以上の賛成を要すると規定しています。しかし、この要件が厳格に過ぎて、今の憲法を改正することが困難になっているとの指摘が出ております。

 世界は今、時代の大転換期を迎えており、内外の諸情勢は大きく移り変わっています。このような時代にあって、憲法に対して、主権者である国民の意思はどうなのか、どういう憲法であってほしいと願っているのか、そういうものを問うてみる機会がもっと必要ではないかと考えます。

 冒頭で申しましたが、憲法改正手続において中心的役割を果たす国民に憲法について考える機会を多くしていただくためにも、私は各議院の総議員の過半数の賛成で国会が国民に憲法改正案を発議できるとすべきであると考えます。この点に関し、委員各位の御意見をちょうだいできればと思っております。

 なお、この際つけ加えさせていただきますと、憲法九十六条一項では、国民投票について、「その過半数の賛成を必要とする。」となっておりますが、この「過半数」が何の過半数かについて解釈が分かれています。この点について、議連案は明快に、有効投票総数の過半数であると規定して問題に決着をつけたわけでありますが、そもそもこのように解釈が分かれるような規定が憲法にあること自体が問題であると思います。

 本調査会においても、憲法全体について徹底的にこのような規定の洗い出しをしていただき、最終報告においては、現憲法の解釈の疑義がいかに憲法の権威を損ね、憲法の最高法規としての機能を希薄なものにしているか、軽いものにしているかを明らかにしていくべきだと存じます。

 以上で、私の十分間の意見の表明にさせていただきます。ありがとうございました。

中山会長 次に、山花郁夫君。

山花委員 民主党・無所属クラブの山花郁夫でございます。

 今国会中、大変多くのテーマについて議論がなされてまいりましたので、そのすべてについて総括的な意見を申し上げる時間はございませんので、何点か印象に残ったポイントについて意見を述べさせていただきたいと思います。

 特に、この通常国会では、広島における地方公聴会、そしてまた中央公聴会が開催をされました。中央公聴会では、五月十二日に行われました猪口参考人のお話が大変私は印象に残りました。猪口参考人は、二〇〇二年四月から二年間にわたって軍縮会議日本政府代表部特命全権大使としてジュネーブに赴任されまして、その外交実務に携わる経験に基づいて意見の開陳をされております。

 その中でも、主たるテーマは軍縮の話でありました。我が党の大出委員は、「日本はこの軍縮問題に取り組んでいることがかなり有名なんだぞ、そういうふうに私は思っているんですね。」こういう発言をされておりますけれども、ただ、果たして十分にそういったことが我が国の中で紹介されているかどうか、またそういった実績が広く認識されているのかどうかということについては、私自身は若干疑問が残ります。

 同僚委員との質疑の中で猪口参考人がお話しになられていたことで、少々長くなりますが、紹介をさせていただきたいと思います。

 猪口公述人の発言です。

 日本の核廃絶決議案でございますけれども、NPT条約上の核兵器国、核兵器を保有している国の支持を取りつけることができるかどうか、ここが大きな一つのポイントになりましたが、ある核兵器国は、昨年の総会第一委員会におけます投票を終わった後、その投票においてはついに支持票を入れてくれましたが、以下のように述べました。日本提出の本決議の内容のある部分については我が国の国防方針に抵触する可能性が十分にある、しかし、本決議は日本提出のものなので賛成票を入れると。非常に重い言葉ではなかったかと思いました。

  ほかの国が提出したならば賛成票にはならなかった可能性があるということをその政府代表は国連の議場で堂々と述べ、日本提出であるから賛成票であるという立場を表明した。日本の、軍縮外交におけますやはり特別に重要な役割が世界の側で認識されていたと感じました。

  あと、もう一つは、先ほどの小型武器軍縮のことでございますけれども、国連の多国間主義はさまざまな分野で行き詰まっております中、私は、やはりこの兵器範疇が今日最大の戦争関連死の原因となっているということから、つまり、年間五十万人ということは毎日千四百人ぐらいでありまして、一分一人ぐらいですので、こうして私たちがここで議論している間も、もう何十人も亡くなるということでございます。いや、百人以上ですね。

  そういう兵器範疇ですので、何としても軍縮が必要という観点から、国連での、一国も取り逃さないといいますか、一国も置いていかない全会一致での多国間主義というものを推進しようという語りかけをして、そして先ほど申し上げたような結果を得たんですけれども、その過程においても、やはり日本議長の言うことであるから一応協議には応じなければならないと。

  何度も決裂する非公式協議を経て、しかし、日本議長がここまでの合意を世界でつくりつつあるので、自分の一票で全会一致を崩すということはやはりやり得ないのであるというところまで各国を持っていきました。国連議場ですので多くの国、最近国際政治でいろいろと指摘される多くの国、例えば北朝鮮、リビア、イラン、イラク、いずれも私の議場で全会一致に参加してくれました。

  このようなことは、ほかの国もできたかもしれず、あるいはできなかったかもしれません。それを検証することはなかなか難しいですが、私は、自分の印象論からのみ述べることができますけれども、やはり日本が積極的に軍縮、不拡散、人道支援のような分野で強い主張をし、かつ強く世界を率いていこうとしたときに、ほかの国にはできない力を発揮できることがあろうと思います。

このように述べられております。

 特に、安全保障などの分野では、湾岸戦争のときのトラウマと申しましょうか、そういったことが多く喧伝されるケースが見受けられますけれども、こういったことについては、もっと広く紹介をされていいのではないかと思いました。

 また、その猪口公述人の日本国憲法についての御意見ですけれども、

  日本国憲法を再検討するどのような試みも、その点、すなわち、戦後日本の国家と社会の努力の評価と、それが現にもたらした世界における貴重な存在感についての深い認識を出発点とする必要があるように感じます。そうすることにより、仮に国民世論が今後、憲法の修正を求めることとなった場合にも、軸足が浮遊して過度な修正へと漂流することなく、必要最小限の簡潔な修正によって連続性を保ち、既に日本国として国際社会において築いた地位や評価を混乱させることなく発展させ、将来の国民に引き継いでいくことが可能になると考えます。

このように述べられております。

 憲法の改正について、どういうスタンスをとるかということについては、学者の方ですのでやや慎重な言い回しなのかなという印象も受けましたけれども、しかし、こういった経験を踏まえての発言ということですので、大変重く受けとめるべきではないかと感じました。

 ところで、私は、人権の小委員会の小委員長を務めさせていただきましたけれども、人権の分野では、特に出版物に対する司法的事前抑制であるとか、あるいは靖国神社に対する内閣総理大臣の参拝など、トピックになる事柄については全体会でも、意見の相違は見られましたけれども、多くの発言がなされました。この分野では、しばしば、権利の観点でなく義務も記述すべしという意見も聞かれましたけれども、比較憲法的にも日本国憲法の第三章は人権宣言と位置づけられるべきものでありまして、そういった意見には、私は違和感を覚えます。また、そういった論旨は、憲法十二条の規定によって既に包含されていると見ることもできるのではないかと考えております。

 また、これは人権の分野に限ったことではありませんけれども、時として、議論の中で、立法的な解決を進めるべき問題なのか憲法次元で検討すべき問題なのかの混同があるように見受けられたような印象を持っております。もちろん、新しい人権であるとか、すべて憲法十三条の解釈にゆだねるべきであって字句修正をしてはならないと主張するつもりは毛頭ありませんけれども、ただ、憲法次元の解決が必要か否かということは、もっと吟味されてしかるべきではないかと思います。

 つまり、法律で規定するということと憲法で保障するということで法的効果に相違が生まれるのかどうか、また、国のあり方として、人権に対してどう向き合うかなど、多面的な考慮が必要ではないかと思います。

 具体的な例を申し上げます。

 過日の憲法調査会で、刑事手続上の人権及び犯罪被害者保護についての議論がありました。死刑制度についても議論がございました。私は、六月一日に、アメリカからレニー・クッシングさんという方からお話を聞く機会がありました。クッシングさんという方は、一九八八年に、自宅玄関のスクリーンドア越しに見知らぬ人間が撃った二発のショットガンによって実の父親を亡くされた方であります。この方は、犯罪の被害者ではありますけれども、死刑廃止運動に取り組んでおられる方です。

 彼は、このように言っております。

 私は、殺人事件が起きたとき、私たち殺人被害者遺族の心の傷をいやすものとして、死刑存置論者が独善的に死刑の執行を主張するとき胸が悪くなる。このように死刑執行という一つの行事を心の痛みに対する解決策として主張する人々は、いやしに対する理解が皆無である。いやしとは過程であり、一つの行事ではないという御意見の持ち主です。

 もちろん、犯罪の被害者がすべてこういう意見の持ち主だということを主張するつもりはありませんし、ただ、事実として、アメリカでは、MVFRといって、殺人被害者遺族であり、かつ、死刑廃止を求める人々が五千人規模の団体を持っているということは御紹介をしておきたいと思います。

 その上で、既に死刑廃止国が世界では存置国を上回っているわけですけれども、ここで死刑存廃についての是非を議論するということではありません。印象的だったのは、死刑廃止は人権問題であるというふうにクッシング氏がとらえているということであります。欧州評議会と私はセッションを持ったことがありますが、そのときも、死刑は人権の問題であるという発言が相次いでおりましたし、この憲法調査会でも紹介されましたEUの憲法草案にも、死刑廃止が人権としてうたわれております。

 我が国では、少なくとも政府は、刑事政策の問題であるという認識だと思われますが、このような意識のギャップについては驚かされるものがあります。

 このように、立法政策として廃止をするのか、あるいは憲法レベルの課題として取り上げるのか、死刑存廃に対する意見の相違は別として、人権の分野での憲法論議は、その時々の政策論なのか、あるいは普遍的な課題と認識するか、こういった視点が必要なのではないかと思います。また、人権保障の最後のとりでが司法権であるとするならば、現在の司法手続の中でのみ憲法問題を提起できるというシステムがよいかどうかということは検討される価値があるのではないか。その意味で、人権と憲法裁判、人権と統治機構のあり方は、関連する問題があるように思われます。

 以上です。

中山会長 次に、太田昭宏君。

太田委員 公明党の太田昭宏です。

 私たちの党としましては、現憲法に対する姿勢は、一昨年の十一月二日、党大会で示したわけですが、国民主権主義、恒久平和主義、基本的人権の保障の憲法三原則は不変のものとして堅持する、そして、憲法第九条を堅持した上で、時代の大きな進展、変貌の中で提起されてきた環境権やプライバシー権等の新しい人権を加えていくという、加憲という立場が我が党の立場でございます。

 非常に重い問題でありますので、党大会という全員集合の場できちっと見解を示しながらということをやっていこうと思っておりまして、ことしは、この六月に論点をある程度整理して、そして秋に党大会が行われるわけですが、そこに何らかの憲法に対する見解を示したいということで党内でも論議をしているということでございます。

 加憲という言葉がやっと定着してきたような気がいたしますが、今まで、この衆議院の憲法調査会の中でも、修憲という言葉が出たり、あるいはまた増憲とかプラス改憲とか、あるいは創憲――護憲、論憲、改憲ということと違って、どうするかということでありますが、我が党のように、いわゆる護憲という立場を長い間続けてきた党が、憲法というものは大事であり、すぐれたものであるという上に立って、憲法をどのように考えていくかということが非常に大事なことだというように私は思っておりまして、我々としては、増加ということも含めまして、加憲、加えていくということが適当ではないかということで、加憲という言葉を使わせていただきました。

 加憲というのは、私は実は非常に現実的なことではないかとも思っておりまして、例えば、九十六条の第二項に、「憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。」ということが九十六条の二項にうたわれております。「国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、」という表現は、まさしく今までの憲法というものの上にこれを加えていくというイメージというものがあって、いわゆるアメリカのアメンドメント方式、加えていく、そして従来のものもそのまま置いておくというようなことが九十六条自体に登用されているというふうに思っております。

 現在行われておりまして、そしてまた、ここの調査会で行われている憲法論議は、一番最初は、憲法制定時のことというのがスタート時の論議でございました。

 当時から、時代というものの進展に合わせての憲法論議ということは当然あったわけですが、その当時から私が注目をしましたのは、アメリカから押しつけられた憲法であるというようなこと以上に、押しつけられたからどうというような論議ということを超えて、むしろ、その憲法というものをつくった背後にある思想、つまり、それが、いわゆる日本の思想というよりも、あるいはグローバリゼーションの中で日本という位置づけの中の思想というよりも、欧米の思想というものの上につくられた憲法ということではないかという、非常に思想的、哲学的論議というものは、私は、非常に注目をしなくちゃならないというように思ってまいりました。

 例えば、憲法第十三条に個人の尊重ということがうたわれて、これがある意味ではこの憲法のかなり骨格をなすものであって、それゆえに、一人一人の価値というものを最大限に発揮するということの基本的人権の尊重というゆえに、だから平和というものがあったり主権在民ということがあるというような位置づけがこの憲法の基本的構成であるというように思っております。

 この個人の尊重という概念自体についても、個人というものが余りにも、権利は書いてあるが義務がないというようなこととか、個人というものが利己的な個人というものに成り下がっているから公というものが必要だというような今日的な論議というものは十分あるわけでありますけれども、本来の個人の尊重という、個人の概念というものがヨーロッパ的思想の上に成っているということは事実でありますが、そのヨーロッパ思想においても、私は、例えばマルクス主義においても、類的存在としての人間という位置づけをしていて、単なる利己というものではないということに注目をしたいというふうに思っております。

 それ以上に、今の我々の時代からいきますと、個人の尊重ということは、実は、より言うならば、人間の尊重という言葉の方が私にとっては適当であるというふうに思っておりますし、その人間の尊重という背後には、人間中心主義的な物の思想ではなくて、人間も自然も、そして動物もということを含めた生命の尊重という概念の上に立つ人間の尊重というものがあって、そして、人間という言葉が、東洋思想の中には、人という字が、人と人との間ということであると同じように、人間ということも、東洋思想においては、ジンカンというふうに読んで人と人との間の社会を表現するということであったり、あるいは、和辻哲郎さんが「人間の学としての倫理学」という中で、倫理の倫というのはともがらであるというような表現をしているわけでありますけれども、そうした我々の持っている深き人間洞察というか、そうした上からの個人の尊重という概念をもう一度立てて、そして憲法というものを考えていかなくてはいけないというふうに思っております。

 こうした憲法の背後にある、欧米の思想というものではない、これからの日本の哲学的、思想的な位置づけというものの上に立って、同時に、現憲法におきましては、やはり物事というのは当然時代性の中の産物でありますので、戦後を色濃くこれは反映している、投影しているというふうに私は思います。

 例えば、前文の表現というものはまさにそういうことでありましょうし、そしてまた、例えば二十六条に教育ということが書いてあるわけであります。この教育を受ける権利と受けさせる義務、例えば義務ということの中でも、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」という表現があるわけですが、当時の、戦後、なかなか子供を学校に行かせない、せめてそれぐらいはちゃんとやりなさいよという親に義務を課したという表現は、今、高校以上にかなりの人が行くというような時代ということとは違った、そうすると、もう少し積極的な教育というものあるいは生涯教育というようなものを含めた、そうした憲法の表現というものがあっていいのではないかというようなことを感ずるわけでございます。

 過去から比べて現在が時代にそぐわないということは、当然憲法ということで論じなくちゃいけない項目はあるわけですが、やはりここで行うべきは、将来の日本、百年後とかいうことは想定できないかもしれませんが、二十年とか三十年後の日本ということを想定する、そうした未来志向の憲法論議というものが必要だというふうに思っております。

 今後の未来志向の憲法論議ということで言うならば、そのキーワードは幾つかあると思います。例えばITであるとか、ゲノムであるとか、あるいは環境であるとか、住民参加というようなことはかなりキーワードになってくるというふうに思っておりまして、そういう意味からいきますと、そうした未来志向というものを踏まえた、国民主権というものをより確立していくという意味での国民憲法という方向での論議が大事だし、人権ということをより明示する人権憲法という方向が大事であるし、あるいは環境ということを、二十一世紀の日本は環境という立国にしていかなくてはいけないという意思を表明した環境憲法ということが私は大事なことであろうというふうに思っております。

 環境権やプライバシー権などの意義ということについては、やはりこの憲法調査会の中ではいろいろな方から、あの権利、この権利というものを明示する、読めるからそうしたことを加える必要はないかもしれないという学者の方々の意見がございました。権利のインフレというものを起こしてはならないという、憲法はどこまで表現をするかということと法律事項ということのバランスをしっかり考えなくちゃいけないということを考えると同時に、私は、未来志向というと、政治家の論議としては、今後の日本をどうするかということを鮮明に打ち出すというのが、学者の憲法解釈ということや憲法論議とは違ったものでなくてはならない、このように思っております。

 そういう意味で、新しい人権を明示するということは、現在の憲法で読めるということではなくて、これから日本をどういう方向に持っていくか、それを明示して、そして日本の国のあり方というものを問いかけるというようなことも含めて、私は新しい加憲という方向での論議というものが非常に大事だというふうに思っております。

 以上でございます。

中山会長 次に、山口富男君。

山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。

 日本国憲法は、戦争と戦力、交戦権を否定した憲法九条を初め恒久平和主義の点でも、主権者である国民の人権を豊かに、多面的に保障している点でも、二十一世紀の世界において誇るべき内容と値打ちを持っていると思います。今後とも、私たちの暮らしを守り世界の平和に働きかけていく際の重要な指針になっている。日本共産党は、憲法の制定経過や憲法の基本精神などを織り込んだ前文を含めまして、憲法の全条項を守り、二十一世紀の日本の国づくりに、平和、人権、民主主義の憲法原則を生かし、具体化するという立場に立っております。

 問題は、この憲法が国政の土台に据えられないばかりか、むしろないがしろにされてきたという現状にあると思います。今必要なのは、憲法の改正ではなく、憲法を土台にして現実政治を改革することだと思います。今国会の四つの小委員会での参考人質疑でもしばしば、憲法の改正でなく憲法原則の具体化こそが必要だという提議が各分野から行われてきたところです。

 二十一世紀を迎えた世界では、イラク戦争への各国の対応ぶりでも示されましたけれども、無法な侵略を許さない、国際紛争は平和的な手段で解決を図る、こういう原則を掲げた国際連合の憲章や世界の平和のルールというものは各国によって受け入れられております。それだけに、世界に対して日本は、自衛隊の海外派兵ではなく、戦争放棄を定めた九条を堅持して、世界とアジアの平和と安定を図るために積極的な役割を果たすことが今強く求められていると思います。

 また、年金や暮らしへの不安と痛みが広がっている中で、健康で文化的な生活を国民の権利とし、社会保障の充実を国の責任とうたった憲法二十五条の実現が求められています。

 また、両性の同権、平等を規定した憲法十四条、二十四条、四十四条を生かし、男女の平等、同権を社会の隅々で擁護し、保障することが求められます。この点は、国際機関からも繰り返し、日本の政治の現状として、社会の現状として改善が求められてきた点です。

 そのほか、参考人の皆さんからも、国権の最高機関である国会に多様な民意が多元的に反映するような努力をしていただきたい、あるいは違憲立法審査の活性化の問題や、地方自治の本旨を踏まえた地方分権の展開など、具体的に提起された問題も少なくなかったと思います。その点では、選挙制度や国会のあり方、行政機構、司法制度など、憲法の国民主権の精神に立った改革が引き続き重要であると考えます。

 さて、憲法九条について言いますと、この間、さまざまな名前で自衛隊を海外に派兵するための法律がつくられてきました。そこでも、海外で戦争はしない、武力行使はしない、これを建前にせざるを得ませんでした。憲法九条がやはり歯どめになって、戦争するとの法律はつくれなかったと言ってよいと思います。

 九条を変えようというのは、端的に言いまして、日本を米軍とともに海外で戦争できる国に変えてしまう道に入ることになります。こういう憲法改正論は、今国民の中からは生まれておりません。イラク戦争のようなアメリカの引き起こす戦争に、憲法の歯どめを取り外し、自衛隊を積極的に参加させようというアメリカからの要求を背景にしたもので、その一つに、いわゆるアーミテージ報告があります。

 憲法九条は、繰り返すまでもなく、戦争の悲惨な体験を踏まえ、国民が二度と戦争を繰り返すまいという決意を国の進路として刻み込んだものです。

 公聴会では、先ほども紹介が山花委員からありましたけれども、外交の現場と国際政治に詳しい参考人から、次のような発言がありました。

  我が国が憲法第九条一項において、国際平和を誠実に希求する志のあかしとして、国権の発動たる戦争等の放棄を掲げていること、また二項において陸海空軍その他の戦力は保持しないという考え方を示していることは、今日では広く国際社会において知られており、その志と理念は、戦禍に苦悩した歴史を真剣に受けとめるという国民の真摯な生き方及び国家の賢明な選択を伝えるものとして、世界で特別の評価を獲得するに至っていると感じております。

 私は、こうした指摘を正面から踏まえることが重要であって、集団的自衛権の明記を含めた九条改正論は、憲法の恒久平和主義にも、日本と世界の平和と安定の流れにも反したものと言わなければならないと思います。

 関連して、昨日、小泉首相が、日米首脳会談において、イラクにおける多国籍軍に自衛隊を参加させる方針を事実上表明したことについて、一言したいと思います。

 これは、イラク情勢の前向きな打開にとっても、憲法に照らしても極めて危険な表明だと考えます。

 政府はこれまで、多国籍軍などの任務、目的が武力行使を伴う場合には自衛隊の参加は憲法上許されないとの見解を述べてきました。連合軍機関紙などでも、反連合軍、反イラク勢力との戦争を遂行することをみずからの任務としている米英中心の多国籍軍への参加は、従来の政府の見解に照らしても憲法に反したものですし、ましてイラク特措法の規定からいえば決して容認されるものではありません。

 日本共産党は、改めて、自衛隊のイラクからの速やかな撤退を強く求めるものです。

 次に、今国会の参考人質疑などで繰り返し提議された中から二点指摘しておきたいと思います。

 一つは、近代立憲主義の筋をあいまいにしてはならないという提議が繰り返しなされました。日本国憲法は、個人の自由、権利の保障を目的として、そのために国家権力の抑制、制限を図るという近代立憲主義の流れの中に位置しております。この問題は、憲法九十九条の憲法尊重擁護義務にもかかわる問題ですけれども、いまだ本調査会ではこの点を主題にした調査は行われておりません。

 いま一つは、憲法規範が豊富になってきたという問題です。例えば、環境権にしてもプライバシー権にしても、憲法規範と無縁だったのではなく、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利、第十三条、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利、第二十五条を初め、憲法の規範に基づいて生み出されてきた権利であり、思想です。それらが今日、憲法の保障している基本的人権の重要な内容に含まれているものであることは国民の常識となり、国政、地方政治がよって立つべきものとなっております。

 このように、憲法制定後の憲法理論、判例実務、また主権者国民の運動は、法規範としての内容をさまざまな形で豊富にしてきました。だからこそ、参考人質疑で、各章や条文の憲法制定時の趣旨と同時に、その後の豊富化、あるいは実現に至らなかった阻害要因は何だったのか、この点が繰り返し私は述べられたのだというふうに考えております。

 振り返ってみて、日本国憲法は、侵略戦争とその惨禍をめぐる国民的な体験、またいわゆる社会権を初めとした国際的な憲法原則の発展を基礎に置きながら、その後の約六十年余り、社会の変化に見合う形でこの憲法原則を具体化しようとしてきたさまざまな営みによって支えられてきました。私は、これが憲法改正を現実の課題としない力にもなったと考えております。こうした到達点を踏まえ、日本国憲法を二十一世紀に生きる憲法として、私は守り、育てていきたいと感じております。

 最後になりますが、先ほど、改正手続法にかかわる問題といわゆるポスト調査会という話がありましたので、その点について意見を述べておきたいと思います。

 改正手続について言いますと、私は、現在、憲法改正が求められておりませんので、改正手続法の具体化は必要ないと考えております。それからまた、ポスト調査会について言いますと、本調査会はもともと定められた目的と期間の中で調査をやるわけであって、その中にはポスト調査会の審議事項というものは一切含まれておりません。

 また、私は、こういう憲法についての常設委員会化というものを図ろうとすれば、立法府の中に恒常的に憲法についてあれこれ論じ合うという場を設けることによって憲法が不安定になっていきますから、これは、これまでのとおり各常任委員会などで必要な討議をその分野で行えばいいことであって、ポスト調査会などの常設化の方向はとるべきではないというふうに考えております。

 以上です。

中山会長 次に、土井たか子君。

土井委員 第百五十九回国会、ただいまの国会で行われました当調査会での議論の内容については、その都度発言を私は、憲法尊重擁護ということが基本であるという立場で述べてまいりました。したがって、ここでは、この憲法調査会が設置されました経緯等を顧みながら、議論をめぐる二つの基本的な見解と、当調査会運営上、三つの提言を申し上げさせていただきたいと思います。

 まず、当調査会は、日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うため設置された、その目的からいたしますと、憲法改憲のための論議の場ではないということでございます。当初、常任委員会としての設置を目指していたことをやめて、議案提出権を持たない調査会として設置された経緯を見ましても、それははっきりいたしております。また、常任委員会とすると憲法の改憲に直結するという危機感から反対する意見が強かったという事情が、実は、常任委員会ではない憲法調査会という、この調査会を設置することになったということも聞いております。

 この基本的な認識からいたしますと、日本国憲法九十九条の憲法尊重擁護の義務ということに対して、一体実施状況はどうなっているかということを調査するということこそ命題であると申し上げねばなりません。現実は、自衛隊のイラク派兵に象徴されるように、これまで政府自身が自衛隊を合憲的存在とするために課してきた専守防衛や文民統制や武器輸出禁止三原則などなどの諸原則が次々と破られ、あるいは破られようとしております。日米安保共同宣言、新ガイドラインによって日米安保条約が変質をして、その適用範囲が大きく拡大されて、違憲の体制の中で憲法の空洞化が進みつつあるときに、憲法を現実に生かす努力が放棄されたままこの現実に憲法を合わせようという論議ほど本末転倒、主客転倒の議論はございません。

 それだけに、四つのテーマ、最高法規としての憲法のあり方に関する調査、安全保障及び国際協力等、そして三つ目には基本的人権の保障、四つ目は統治機構のあり方、それぞれの小委員会での参考人として出席されました各専門家の御意見を承っておりますと、その多くが、改憲よりも日本国憲法の実施に向けた立法、制度、政策の充実整備こそ先決であるという御指摘をいただきました。これは実に適切、示唆に富んだものだというふうに私は思います。

 二つ目に申し上げたいのは、さきの年金の問題、国民年金法等の一部を改正する法律、年金積立金管理運用独立行政法人法、この取り扱いの中身などを見ておりますともう端的なんですけれども、国民生活に直接かかわる最重要法案が次々と不十分な審議のままで打ち切られて強行採決されるという審議状況がこの節強まっております。質問予定者の質問が封殺されるということは、国会審議の封殺でもございます。国会軽視も甚だしいというばかりではなく、憲法前文の冒頭にもございます、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、」とございますこの国民に対して、これほど無視した国会の対応はございません。

 この国会に最高法規である憲法の改正を発議する場としての資格が認められるでありましょうか。少なくとも、憲法の改憲の是非を論議する舞台は国会であります。その国会に、国民からの信頼が損なわれていて、しかもこの憲法に対しての論議を国会がしてまいりますときに、国民が果たして支持するということがありましょうか。私は、この点を考えますと、非常に憲法調査の基本的姿勢が問いただされているというふうに考えます。

 さて、続いて、憲法調査会の運営上の問題として、三点申し上げます。

 一つ目は、当調査会の調査期間はおおむね五年程度を目途とするということに決められております。したがって、調査活動についての報告書を五年目にはまとめるということになるはずでございます。二○〇五年がその年に当たります。この常会を終えれば、恐らく次の常会でこの作業が問題にされるということなのでありましょう。中間報告の場合も、種々そのあり方と方向性について論議された経緯がございますけれども、最終報告書となれば、この討議はさらに私は非常に大事と思います。

 その際、当調査会が常任委員会とは異なりまして五十人の調査会として設けられたのは、調査会の中には小会派も委員として出せるように、小会派に対しても配慮されたと聞いております。かつ、当初は幹事に、小会派からオブザーバー幹事も認められていたことも聞いております。

 そうであるならば、最終報告書の編集方針についても、小会派も含めて全員討議の場に付して、編集方針、最終報告書の取り扱い方針などについては討議すべきであると思います。

 憲法について党派を超えての討議になる、与党も野党もなく、憲法についてこの討論をするということはあくまで尊重するという運営が考えられてきたというふうに聞いておりますから、したがって、今申し上げたことは、これはひとつしっかり受けとめていただきたいと思うのです。

 さて、この問題は、一九五七年から作業を開始した内閣の憲法調査会を見ましても、七年目のその最終報告書の作成のためには約一年という年月を要したということがございますので、実にこの点は重要な課題というふうに思います。

 二つ目。国民のための憲法でございますから、国民から広く意見を聞くということは大事だと思いますが、五月十二日、十三日、広島での地方公聴会に次いで中央公聴会の場はまた有意義であったと思います。

 公募された中から来られた公述人の方々に意見をお尋ねしたところ、この公聴会のありように対しては、憲法調査会の存在が知られていないという現状についても御指摘がありました。したがって、メディアを駆使して発信する必要性や、公募を幅広く募って、多様な市民の意見が反映できる公聴会を幾つか今後も実現してほしい、普通のサラリーマンは月曜日から金曜日まではなかなか休みがとれないから、土曜、日曜、祝日あたりに開催されることが一回、二回あってもよろしいのではないかというふうな御意見も聞かれました。

 中央公聴会を一度で終わりにするのではなくて、このような御意見も参考にして、中央公聴会は言うまでもなく、地方での公聴会もその機会を用意することが必要であるというふうに思われます。

 最後に三点目を申し上げたいと思いますが、調査会の審議、参考人聴取、自由討論、公聴会、いずれの場合においても、定足数を満たしていて開会されることは当然でございます。国会法の四十九条には、「委員会は、その委員の半数以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。」とある。特に、衆議院のこの憲法調査会規程十一条では、「憲法調査会は、委員の半数以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。」ということが決められているわけでございます。

 定足数を満たさない討議が認められるというはずはございません。特に、国と国民の政治の基本にかかわる最高法規に対する討議が不熱心であるとのそしりを免れないということにもなります。当委員会の討議の場が定足数を満たさない場面は、ただいままで一度だけではございませんでした。どうして、このようなそしりを受ける状況をそのままにして民主政治や立憲政治の将来に責任が持てるのですかという声を耳にしているということをここで申し上げて、終わりにします。

 ありがとうございました。

中山会長 これにて各会派一名ずつの発言は終わりました。

    ―――――――――――――

中山会長 次に、委員各位からの発言に入ります。

 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、会長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。

 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。

 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。

 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。

平沼委員 自民党の平沼赳夫でございます。

 会長、本当にこの五年の間、この調査会、その運営に当たって大変御努力されたことを心から評価させていただきたいと思います。

 私は、限られた時間でございますので、基本的な私自身の認識を申し上げたいと思います。

 今の日本国憲法というのは、定着したからいいではないか、あるいはまた、この半世紀以上、日本は戦争に巻き込まれなくて、そして平和裏に来た、だからこの憲法は非常によかったんだ、こういう意見があるわけでありますけれども、法治国というのは、言うまでもなく、法が支配、運営する体系の国家、これが法治国であります。その法律で一番必要なことは、どれだけ強弁しようとも、けじめが必要だと私は思うんです。そのけじめ、法治国としてのけじめということを考えたときに、やはりこの日本国憲法の出自に関して、私は、非常に大きな問題があった、瑕疵があった、こう認めざるを得ないわけであります。

 これはもう委員の皆様方もよく御承知でございますし、五年前に憲法調査会が始まったときにも各学者の先生からもいろいろな御指摘がありましたけれども、あくまでもこれは強権を持って、そして、日本が占領下という特殊なそういう事情の中で強権を持って押しつけられたという事実は、これは何人も否定できません。

 したがって、この憲法の問題を調査しているその学者の方々が、まだそのとき生存しておりましたケーディス大佐、そういったところにじかに面談をして会われたときに、そのケーディス大佐自体が、まだこの憲法を使っているのか、こういうふうに言ったことが象徴的でありまして、私は、やはり戦いに勝った側というのは、古今東西の歴史を通じて、打ち負かした側に基本的に二つのことをすると思っています。これは例外がありません。日本の戦国武将もそうだったし、世界の歴史の中でもそういう事例は事実としてあるわけであります。

 どういうことをするかというと、打ち負かした相手を、当たり前のことですけれども、二度と再び立ち上がらせない、こういう目的が厳としてあるわけでありまして、二つ目は、でき得ることならば、未来永劫、友好的な属国として位置づける、こういう基本的な方針が必ずあるわけであります。残念ながら、やはり日本は敗戦国でありまして、そういう目的の中で、言論封殺もされていた中で強権を持って行われたということは事実であります。

 したがって、けじめを守る法治国としては、やはり原点に立ち返って、日本の伝統、文化、歴史、そういったものを加味して、そして英知を集めて憲法を新たに制定しなければならない。

 私は自由民主党に所属していますけれども、まさに自民党もそういう理念で立党政綱の中に入れているわけでありまして、そういう一つの原点の中で私どもは新たな憲法を制定する、このことが必要だと思っております。

 私からは以上であります。

森山(眞)委員 自民党の森山眞弓でございます。

 既に保岡幹事、平沼議員からお話がありましたように、憲法が少なくとも六十年近くたったということ自体が、非常に国際情勢、国内情勢が大いに変わったということになるわけでありまして、この機会に、ぜひともいろいろな問題点を解消するべく改正するべきであると私は思います。

 いろいろ難しい基本的な問題が既に出ておりますが、私からは、時間も限られておりますので、特に私が個人として感じておりますことを三つばかり申し上げて、責めを果たしたいと思います。

 まず、先ごろ司法制度改革というのが行われまして、その中で導入されました裁判員制度につきまして、これは議論の中で憲法違反ではないかということを言われる方も一部ございました。それは結局、合憲であるということで成立し、これから五年後に施行されようとしているわけでございますが、例えばイタリーの憲法の百二条では、特定の裁判には裁判官以外の適切な市民に参加させることもできるというような文言があるようでありますから、このような類似の表現をもし設けることができると、司法への国民参加をさらにはっきりさせるということができるのではないかというふうに思ったところでございます。

 もう一つは、細かいことになりますが、七十九条と八十条で、裁判官が受ける報酬を在任中減額されない旨書かれておりますが、これは裁判の独立を侵すような減額はされないということであるというふうに理解されまして、すべての公務員が減額されました平成十四年、十五年は、裁判官も減額の対象となりました。これにも全く疑問はないんですけれども、念のためそのような趣旨を書き加えておいた方が、これから先の問題としてはよいかなとも思うのです。

 例えば、この報酬は、在任中いかなる意味においても、裁判官の職権行使の独立を侵すおそれがなく、かつ、国会、内閣及び司法の均衡を害するおそれもない場合において、法律をもって行うときを除くほか減額されないというようなことを言えば、念が入っていいかなというふうにも思ったわけでございます。

 それから、国会について申し上げます。

 私は、たまたま参議院と衆議院と両院に在籍した経験がありますので、その二院制の価値を十分認めているわけでございますが、最近は手早く対応するべきことが大変多くなってまいりましたので、一院制も具体的に検討するべき時代になったのかなというふうに思っております。

 さらに、現在、私は裁判官訴追委員会の委員長というのを仰せつかっておりますが、これは衆議院が十人と参議院が十人の計二十人で構成する委員会でございます。もし両院をそのまま現在のとおり衆議院、参議院と置くのでありましたら、例えば訴追委員会は衆議院、弾劾裁判所は参議院、あるいはその逆でもよろしいんですけれども、役割を分けた方がよいのではないかというふうに思います。現に、昭和二十二年から昭和三十年まで、訴追委員会は衆議院議員のみ二十人で構成されていたと聞いております。

 総司令部が示した憲法の最初の草案では一院制であったものが、後に日本側の意見で二院制になったと聞いておりますが、その間に、どういうわけでありましたか、第六十四条の文章として、「国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。」となっておりまして、この主語が「国会」となっているわけです。そして、かつ、弾劾裁判所のみ決められているわけでございます。ほかの条文では、衆議院とか参議院、あるいは両議院を主語にしてわかりやすくなっているんですが、ここは何となくはっきりしないままになっております。

 また、憲法で決まっているのが弾劾裁判所だけということになっておりまして、訴追委員会は国会法によるわけでございます。この項については読売新聞の改正第二次試案が大変明確になっておりまして、よろしいのではないかというふうに思った次第でございます。

 改正をする場合には、これらを明確にしたいというふうに私は考えております。

 以上でございます。

渡海委員 自由民主党の渡海紀三朗でございます。

 この憲法調査会、十二年一月の設置というふうに聞いておりまして、既に四年半が経過をしておるわけでございます。委員の先生方が大変精力的に広範な範囲にわたって審議をされてきた、そのように拝察をいたしておりまして、私が参加をさせていただいたのは実は今国会からでございますが、過去の議事録等を読ませていただくと、大変いろいろな分野にわたって、参考人の意見の聴取なり公聴会なり、また海外での調査なりが重ねられてきております。そういった意味では、私は、基本的に、憲法におけるさまざまな論点というものはかなり整理されてきたのではないかなというふうに考えております。

 そういった中で、先ほど土井委員から運営の話というお話がされたわけであります。これは当初のルールとしてそういうことであったという御主張でございますから、そのことに反論をするわけではございませんが、ことしから参加させていただいた私として、いささか、ちょっと違和感を覚えましたのは、憲法というのは確かに国の最高法規であります。そういった意味で、法治国家であるこの日本においてこの憲法が非常に重い意味を持つということ自身は、ここにいる我々は、もちろん国民もそうでありますが、どなたも否定されないというふうに思います。

 しかし、考えていただいたら、これは憲法があって国家があるということではないというふうにあえて言わせていただきたい。国家というものがあって、その国のあるべき姿があって憲法というものがつくられ、その目指すべき目標に向かって国民が努力をして国をつくっていく。現行憲法は、当時の社会的状況、また、先ほど平沼委員からも御発言があったわけでありますが、ある意味特殊な状況の中で、あるべき国家目標として、しかしこれは押しつけられたとかそういうことじゃなくて、国民も受け入れた形の中で制定をされたということは事実であろうというふうに思っております。しかも、結果的に見れば、これは小委員会で中谷委員からも発言があったわけでありますけれども、この憲法が日本の戦後の復興なり国民生活の向上、こういった点で果たした役割というものもまた大変大きなものがあったというふうに思います。

 しかしながら、戦後六十年になろうとしておるわけでございますが、その間にはやはり時代背景も大きく変わり、我が国の世界における果たさなければいけない役割、責任、こういったものも随分変わってきたわけでありまして、そのままでこれからもやっていけるという状況ではやはりない。そういう意味からも、私は、この広範な議論を通じて出てきたさまざまな論点をより国民的な議論にし、そして国民の中でコンセンサスを得たものについてやはり改正をしていくということを、我々立法府の役割としてやらなければいけないというふうに考えておるわけでございます。

 冒頭、保岡委員からも発言がございましたように、この憲法というのは、最終的には国民投票でと憲法で書いてあるわけでございます。主権在民のこの日本の国で、約半世紀以上にもわたって、国民に憲法に対して意見を表明する機会を与えていないというふうに私はこの調査会で言わせていただいたわけでありますが、これはやはり立法府としての責任を果たしていないというふうにも言えるわけでございます。

 最終的には国民主権、国民が投票して決めるというこのルールをしっかりつくり、そして国民に対して発議をするわけでありますから、決めるのは国民である、この原則に立ち返って、我々はしっかりとした、国民が判断をできる、そういった議論を展開し、議論の資料、論点整理を提供していくという役割があるというふうに考えておりまして、今後どのように進めるかというお話も出ておるようでございますが、ぜひそういった点を御考慮いただいて、今後の憲法調査会を発展させていただきたいというふうにお願いをさせていただきたいと思います。

辻委員 民主党・無所属クラブの辻惠でございます。

 この憲法調査会、五年という時限的存在の最後の一年間に参加する機会を与えられ、現在の憲法をめぐるいろいろな問題について考える機会を得られたということは非常に幸せだというふうに思っております。

 今の日本を考えた場合に、三権分立と言われながら、司法が十全にその機能を果たしていない、司法消極主義の問題があります。また、今、地方分権と言われておりますが、どのように地方自治を徹底させていくのか、このような問題も、憲法上問題にすべき点であろうかというふうに考えております。

 ただ、マスコミ等で、憲法改正の必要性ということでいろいろ議員にもアンケート調査等が回ってくるわけでありますが、部分的に、非常に答えにくい、ある意味では、マスコミが設定した課題、その切り口の中で答えを求められているというような場面をしばしば目の当たりにするわけであります。

 したがいまして、私は、今の憲法改正論議につきましては、マスコミ等で喧伝される切り口にとどまらず、もっと全般的な議論をしっかりとすべきではないかというふうに思います。そういう意味で、拙速的な改憲論議というのは避けるべきなのではないか。この中央公聴会においても、公述人の方が憲法調査会の存在すら余り十分には御存じなかったということも、国民的論議の土台がまだまだ不十分であるというふうに言えるのではないかと私は思います。

 憲法改正論議の導入部として、現在の自衛隊、実力的存在としての自衛隊と憲法九条が乖離しているではないか、こういう問題が指摘されるわけであります。確かに、そのことはそうであり、措置を講ずる必要があると私自身は思います。しかし、その論議の糸口と、先に論ぜられているものは、集団的自衛権をめぐる問題、外国へ自衛隊を派遣するべきかどうかという問題に、論議がそういうふうに展開していっている。

 したがって、問題は、私は、もちろん拙速を避けるべきだと申し上げても、政治家でありますから、日本の将来、世界の将来に対するリーダーシップをどのように発揮していくのか、そういう意味におきましては、世界観、国家観、そして、先ほど太田委員からも出ましたけれども、類的存在としての人類史的な観点からどのように考えるべきなのかという観点が重要であろうと思います。

 そのときに、私は、今焦点となるべきものは、集団的自衛権を認めるか認めないのかという問題と、それとリンクした形で、日本のスタンスを、確かに日米同盟を基礎とすべきではあろうというふうに思いますけれども、アジアとの関係でどのような関係性をとっていくのか、この二つをしっかりと議論すべきであろうというふうに思います。

 私は、現在の憲法、そして現在の日本国というのは、人類史的な流れでいえば、国民国家としての、ある意味で歴史的過渡の存在である。したがって、そのような国民国家を前提として国家主権を声高に語るような、そのような考え方というのは、やはり歴史的限界性のある観点であって、もっと広く歴史的に物事を考えていくべきだろうというふうに考えております。

 そういう意味におきまして、近隣のアジアの人々との連携を重視しながら、もちろん日米同盟を基底に置くとしても、そのような観点で物事を考えていくべきであろうと思いますし、必然的に、今論議されているような集団的自衛権という問題については、これは行使に否定的であるべきだろうというふうに思います。

 このような問題も含めて、議論を拙速的に進めるのではなくて、しっかりとした、もっと国民的な議論を、そのような広がりの中で問題点を論議していくべきであろう。憲法改正問題で取り上げるべきものは、司法消極主義をどうするのか、地方分権をどうするのか、そして、実力部隊としての自衛隊と九条との法文上の乖離をどのようにするのか、そのような問題点をまず出発点として議論すべきではないか、このように考えております。

 以上でございます。

伊藤(忠)委員 民主党の伊藤忠治でございます。

 私は、この通常国会で初めて委員会に参加をさせていただきました。したがいまして、それ以前の議論は経験をしていないわけですが、この一年間、諸先生方からいろいろな角度からレクチャーをいただいたり、あるいは先生方の相互討論を拝聴しておりまして、大変有益でございましたし、勉強させていただきました。

 そこで、私の感じておりますことについて述べさせていただきたいと思いますが、憲法といいますと、どうしても、憲法は統治法である、国家の基本法である、こういうことが前面に出るわけですが、憲法というのは一体どうあるべきなのかということとはまた別だと思います。つまり、この大命題に取り組むに際して、いつも私は思うんですが、今の憲法ができてから六十年を既に経過しているわけです。この事実はだれも否定することができません。それまでの間に、日本はどれぐらい変わったのか、内外情勢はどれだけ変化したのか。最近は、変化も極めて激しいわけであります。このことを無視して、つまり、六十年前にできた憲法、これがそのままでいいのか、一字一句変えちゃいかぬのかということについての疑問は、私だけではございませんで、有権者の多くも恐らく抱いていることだろうと思います。

 どういう結果をもたらすかといいますと、今日の実態と憲法規定との間の乖離の問題が随所に出ています。これは放置できない問題だと思うんです。つまり、基本法である憲法、しかも、法治国家でございますから、法律ではこう決まっているんだけれども、実態は全然乖離がある。それに基づいていろいろな法解釈が進められて、具体的に政治がどんどんと前に行くということだったら、これは政治不信にまで及ぶわけですから、真正面からそういう問題点をとらえて、さらに議論を深める必要がある、私はこのように考えているわけでございます。

 現行憲法に対するスタンスについては、各党それぞれ違いますし、中には絶対反対だという意見もあります。改正が必要だ、加憲という立場もあれば、創憲という言い方をしますが、要は、絶対反対なのか、それとも改正を必要とする立場に立つのかということに分かれるんじゃないでしょうか。

 改正が必要だとする立場から考えても、もとから、ゼロベースから新しくつくりかえるという、理想とする憲法はこれだというので、全面的な改正を主張なさる立場もあります。あるいは、少なくとも、戦後六十年たちまして、これから二十一世紀の向こう五十年間、少なくとも五十年間を展望したら、日本は一体、二十一世紀の国際社会の中にどういうスタンスで貢献をしていくのか、国際社会にどう貢献するのか、アジアの一員として、平和文化国家としてどのように日本は貢献をしていくのかという国家の戦略、そういう展望がなければ、どういうスタンスで憲法を変えていくのかということも問われるわけでございます。

 また、みずからの国家に対しては改革をどのように進めていくのかということでは、今、三位一体に象徴されますように、改革の論議が非常に盛んでございますが、そういうことも避けて通れない、憲法論議とは一体だと私は思っているわけでございます。

 したがって、なお続けていただきたいとは思っているんですが、これは調査会の役目もございますから一概に言えないとは思いますが、その中で、私は、避けて通れない課題として四点ほど考えてみました。

 一点は、皇位継承権の問題でございます。これは皇室典範の第一章第一条に規定されておりますが、男子に限定されているわけでございますが、それでこれから先も過ごしていけるんでしょうかというのが一点目でございます。

 二点目は、集団的自衛権と国連機能を含む安全保障問題だと思います。特にイラクの自衛隊派遣は、ああいう小泉発言がサミットでございますけれども、果たしてそれでいいんだろうか。現実との乖離、これがすごいじゃないですか。そこのところをきちっと国会審議で、当面はどうやっていくのか、あるいは、憲法ではきちっとそこをどう押さえるのかということが私は問われてくると思います。

 三点目は、行政組織のあり方でございます。道州制の導入を含めて、国と地方の新たな役割をどうしていくのか。そのために、我が国は、到達目標として、どういうふうに憲法に明記すべきなのかということは、ぜひともこれは一定の掘り下げた議論が要ると思います。

 最後の四点目は、やはり乖離の問題をいいか悪いのかという判断をするところが、今は、私流に言わせたら、最高裁判所はサボっていると思うんです。だから、憲法裁判所のあり方なんですね、実際に機能しておりませんから。法治国家としてそのことに適宜適切に判断を下していくということがなければいけないと私は思っているわけでございまして、こういう一連のポイントを絞った議論というのはなお続けられていくべきだろうと思います。

 最後になりますが、最後は、改正手続についてお話がございましたけれども、九十六条の具体化についてもこれは議論をいただいて、例えば、国民が本当に自分のものとして憲法をとらえて、改正するならする、しないならしないで判断が下せるような素地をつくっていくというのも私は調査会の役割ではないのかと。だから、なおそういう点についても御検討いただければありがたい。

 以上でございます。

二田委員 自由民主党の二田孝治でございます。

 憲法調査会も、大詰めに来た議論に到達したようでございます。大変勉強になりまして、ありがたいと思っております。

 いろいろ議論はありましたけれども、私は、憲法改正という問題点をとらえてみました場合に、やはり九十六条というものを一つよく考えてみなければならないと思います。

 先ほども伊藤先生からお話がありましたように、従来は、憲法は不磨の大典である、触れることはアンタッチャブルだというようなことで、つい七、八年前までは議論にさえなりませんでした。しかし、今は、こういう憲法調査会とかいろいろなものを通じて、国民も憲法というものに対して大変関心を持ってきている時代は非常にいいことだ、こう思っております。

 ではございますけれども、この九十六条をよく見てみますると、実際的にどういう議論をしようとも、やはり今の小党分立みたいな格好、それから今のような議会制度におきましては、三分の二の発議を得るということはこれは不可能になってまいります。

 でございますので、まず国民がどういう考え方を持っているかというようなことを問うてみる必要があるのじゃないのか。そういう観点から見てみますると、国民投票法みたいなものをまずつくって、その上に立ってどういう考えをしているのかというようなことを一回問うてみることがやはり国民主権の立場から見ますると大変大事なことじゃないかな、こう思っております。ですから、まず九十六条というものの厳格な、実際的には改正のできないような条項というものをもう一回議論してみなきゃいけないのじゃないかな、こんなような感を強くしておるわけでございます。

 それから、先ほどお話にもありましたように、参議院のあり方でございますけれども、最近はやはり、どうも二院制の意義が失われてきているのじゃないのかなという感を深くいたします。

 言ってみますれば、参議院が衆議院のカーボンコピーになっちゃこれはだめなんでございまして、そこはやはり正当な議論をする、そしてまた政党のいろいろな制約にとらわれない議論を活発に行って正していくところは正していくという制度を新たに構築するということが大変国益に沿う方向じゃないのかな。二十回の参議院選挙も行われますから、この議論をまた余り露骨にすることも私は何かと自民党の立場から見て思うのでございますけれども。ただ、むしろ戦前の二院制の機能がよく働いていたような感も深くいたしておりますので、この点もやはりよく考えてみなければならない問題である、こう思っております。

 それから、最近、町村合併が非常に進んでおります、三位一体ということで。九十二条以下、地方自治の本旨ということを書いておるわけでございますけれども、では、現在の町村合併の進行というものが果たして地方自治、住民自治の本旨に合って行われているものかどうかということをよく考えてみながら進めてまいらなきゃならない。そして、この問題が大きく地方自治に寄与していくためには、やはり将来は府県制度までの否定に到達していくのじゃないのかな、こんなことを思うておりますので、この地方自治の本旨という問題、何が地方自治体であるのかということもやはりよく議論してみる必要がある、こう思っております。

 以上をもちまして、私の意見といたしたいと思っております。

野田(毅)委員 野田毅でございます。

 私も、この調査会がスタートする最初から参加をさせていただき、途中で少し出入りもございましたのですが、まず、中山会長には敬意を表したいと思います。

 もう既に、先ほど来幾人からもお話がございました。私は、現行憲法につきましては、少なくともこの生い立ちについて詳しく論ずることはないと思います。率直に言って、暫定憲法的性格があったと思います。したがって、本来ならば、日本が独立を回復したときにきちんと改めてその時点でしておくというのが筋論であるということが一つであります。

 それからもう一つは、先ほど伊藤委員からも御指摘がありましたけれども、もうかれこれ六十年近くたってまいりまして、時代の推移に伴って非常に乖離現象が著しくなってきております。したがって、この乖離現象をそのまま放置しておくということは、結果において、法治国家の原点である憲法についての遵法精神そのものに大変大きな問題をつくり出していくということへの懸念がございます。

 そういう意味からすれば、この憲法調査会がそもそも衆参両院において設置をされたその背景を考えれば、間もなく五年という一つの区切りを迎えることによって、その次へのステップとして、具体的な国民への発議をしていくところに向けた作業に入っていく段階に来ているということをまず指摘しておきたいと思います。

 次に、中身に若干触れたいと思うんですが、その中身の中の一つは、安全保障に関する事項であります。

 これは、集団的自衛権について、常に長年我が国の国会で議論をしておりました。しかし、これは世界の中で特異な議論の仕方であったと思います。それは、集団的自衛権は持っているけれども使わないというこの議論をめぐって、非常に、政治問題であるにもかかわらず、現象的には内閣法制局の判断によって政治の方向が規定されるという逆転現象になってしまっている。本来なら政策判断でなすべき事柄がお役人の判断によって規制をされるということは、いかにも私は残念なことであったと思います。そういう意味で、少なくとも義務教育を終えた皆さんが素直に読んで素直にわかるような内容のものに改めていくということは当然のことではないかと思います。

 それからいま一つは、基本的人権に関して最近感じますのは、個人の尊厳が非常に大事に規定されていることは結構だと思うんですが、最近の社会現象の中で、家族というんでしょうか、そういったお互いの家族のきずなが今崩れつつある中で、それを社会の責任に一足飛びに持っていくというやり方で本当にいいのかどうか。少なくとも、家族間における支え合いといいますか、そういったものをもう一遍位置づけておくということが大事なのではないか。昨今のいろいろな、子供に関連する問題であったり、夫婦の問題であったり、親子の問題であったり、特に社会保障に関連してそういったことを痛感いたします。

 そして、この機会に若干問題提起を申し上げたいのは、国民年金もそうですし、いずれ介護、医療、いろいろあると思います。日本で皆年金、いわゆる強制加入ということを大変誇らしくお話しになっているのでありますが、私は、しょせん国民の恐らく八割はみんな未納経験があると思います。ということは、裏を返せば、その制度そのものに大変無理があったのではないか。私は、世界じゅうでそういったものはない、この機会に租税と社会保険料のあり方について憲法上の判断をしていいのではないかと実は思っています。

 それは、多少ずれるかもしれませんが、今の法律をよく読みますと、強制加入、皆年金といいながら、二十五年以上継続して払わなければ無年金になるというシステムになっているということ自体、どういうことなのか。しかも、申請しなければ実は年金は払わなくていいという、民間生保でもないようなむちゃなやり方をしているということ。あるいは、所得税の場合には、夫婦間、親子間の連帯納付義務はないんですが、保険料は納付義務をかけてあるという、非常に、率直に言って、私どもにはこの法律をつくった製造者責任がありますから、そういったことも含めて、租税法定主義という角度の中から社会保険ということについてもう少し憲法上の判断を、我々はきちんと筋を通した発想をもう一遍再検討することがあっていい。

 その上で、これからの日本の社会のあり方について、社会保障制度というものを、ただ漠然と二十五条にあるようなそういう生存権に関連することだけを背景とするのではなくて、きちんとした位置づけをつくった方がいいということをこの機会に提案を申し上げまして、私の発言を終わります。

 ありがとうございました。

枝野委員 民主党の枝野でございます。

 私からは、かなりこの間建設的で具体的な議論が進んでいるかと思いますが、若干違和感を感じ、整理をしなければならないと思われる点についてお話をしたいと思います。

 まず、憲法九条論であります。

 これは残念ながら、歴史的に、憲法九条について、武力行使に当たるのか否かということで解釈の限界について議論をされてきた。そのことが背景にあるという必然性はあるとは思いますけれども、どうも、この武力行使の禁止の例外についてきちんとした整理された議論がなされていないのではないか。

 一つには、もちろん自衛権というものがあります。その自衛権という九条の例外についてどこまで許されるのかという話、これは、いわゆる集団的自衛権の話につながっていく話だと思いますが、その議論と、国際協調主義のもとで、国権の発動ではない国際協調、国際機関などからの要請、あるいはそこに対する協力という形で行われる武力行使が、九条の例外として認められるのか、認められないのか。認められるとすればそれはどの範囲で認められるのかということについての、これは、解釈論としても、憲法の改正議論としても、自衛権の話と国際協調の話を明確に区別しなければ議論が混乱をするというふうに思いますけれども、残念ながら、いまだに混乱をしたまま。最大の責任は内閣法制局にあると思いますけれども、内閣を握っておられる与党の皆さんの責任でこの解釈論の混乱は整理をする必要があるのではないかというふうに思っております。

 二点目として、やはりいろいろと、憲法の議論のときに歴史とか伝統とかという議論が出てまいります。歴史とか伝統とかと言われている方の歴史とか伝統をお聞きをしていますと、しょせん、明治維新以降の短い期間の歴史と伝統に特化して、注目をして歴史と伝統を語っておられるような違和感を感じます。むしろ、日本史をしっかり振り返ってみると、明治維新から第二次世界大戦までの間というのは日本史の中では大変異色の期間であったということは、私はかなり共通認識が持てるのではないだろうかと。そして、本当の意味で日本の歴史と伝統というものを幅広く見てみると、日本の特徴というのは、多神教の方が大変多い国であるというのは、他国と非常に特徴的な国であるというふうに思います。

 それから、皆さんの前のプレートもすべてメード・イン・ジャパンではない文字であります。歴史的に外国から文字を受け入れ、あるいは今の日本語の中にも、片仮名言葉を初めとして、異様に、異常に他の言葉と比べて外来語が自然に同化をされている。

 もちろん、宗教であったり社会制度であったり、他国からのさまざまな制度、文化の移入について寛容な国でありまして、日本の伝統文化、歴史文化という、歴史や伝統といった場合には、こうした多神教の方が多い。他国のものを寛容性を持って受け入れるという大変リベラルな伝統と文化ということこそが、本来の日本の伝統であり、歴史である。その原点ということを見ずに、非常に特異な期間であった明治維新から第二次世界大戦までの間を特化して歴史と伝統というふうに位置づけると、誤るのではないかという違和感を感じております。

 三点目。どうしても憲法の議論の中で、義務規定が少ないとか、あるいは義務に関するような議論が時々出てきておりますが、これは、私たちは国会議員であって、国会は憲法に反しない限りでは国民の皆さんに義務を課すことは立法で幾らでもできるという、根本的な法制度を混同しているのではないか。国民に義務を課さなければならない必要性を感じているのであれば、憲法に反しなければ立法でできる。逆に言えば、憲法の意味というのは、法律をもってしても義務を課せない限界を定めるのが憲法なのでありますから、憲法に国民の義務を課すというのは、憲法の本来の意味からすると意味不明であると言わざるを得ないと思っています。

 最後に、この間、私もしばらく離れておりましたが、大変建設的で前向き、未来志向の議論がなされているかというふうに思っておりますし、そのことを評価しておりますが、いまだに残念ながら、古色蒼然とした制定過程論が議論をされる。これは、せっかく前向きで建設的な議論が進んでいることに対して逆行することになるのではないかということで、このことについては強い危惧を持っておりまして、ぜひ、前向きな未来志向の議論を進めていただきたいと思っております。

 以上です。

武正委員 民主党の武正公一です。

 この調査会で何度となく私も提起をさせていただいた点が、今般のイラクへの自衛隊派遣をめぐる首相の御説明でございました。すなわち、日米同盟と国際協調の両立というようなことを言われたことを、憲法調査会的に私自身皆様にも提起をさせていただきました。

 すなわち、憲法前文には、国際協調は書かれているが日米同盟は書かれておりません。つまり、日米同盟と国際協調は概念が違う、国際協調が日米同盟の上位概念である、これが両立というのはそもそもおかしいのではないかということを申し上げさせていただきました。

 日本の地理的、歴史的な特殊性をかんがみますと、やはり国際協調重視というのは、特にアジア外交も含めて欠かせない大事な側面であるというふうに思いますし、戦後、憲法における国際協調というものが前文にあったということが理由となるのかもしれませんが、国連中心外交、これが果たしてきた役割は重いものがあるというふうに考えております。

 私が、国会での活動の中で、国会に送っていただく前から疑問に思っておりましたのは、憲法四十一条、国会は国権の最高機関である、こういうふうに憲法に書かれているんでありますが、実際のところ、日本は行政権の大変強い国であるということは、もう皆様御承知のとおりでございます。また特に、その行政権が拡大をしていく、いわゆる裁量行政、さじかげんのきく行政というのは、やはり法治国家、立憲主義にあって、私は問題が多いというふうに思っております。やはり法律に明記をしていく、そして政省令はできるだけ少なくしていく、あるいは省庁間の覚書などはなくしていくことが必要と考えております。

 そういった意味で、今般、多国籍軍への参加を首相がアメリカで発言をされております。法制局長官からも問題なしということで、政令改正でオーケーという、その根拠とするのがイラク特措法における新たな国連決議、これが、実はイラク特措法、すなわち、新たな国連決議を条約と見るかは別にして、国連決議が国内法であるイラク特措法を規定する、こういったことでございます。

 私は、憲法七十三条第三号、条約締結権は内閣に与えられている、ただし、事前事後、国会の承認が必要、あるいは二号の、外交は内閣の事務である、こういった点については、やはり国会として物が言える、あるいはさまざまな注文がつけられる、こういったことがあってしかるべきと考えております。

 これは、既に大平元総理が、事後的に国会の承認を受けなくてもよい条約があるというのを政府見解として述べておりますが、私は、この政府見解はやはり正されてしかるべきというふうに考えております。

 今般の新たな国連決議が、国内法、イラク特措法を規定するようなところも含めて、私は、この政府見解の見直しとともに、国会と条約の関係、国内法を規定する条約は内閣に無条件の権限を与えるわけではないという意味では、イラク特、テロ特などの事後承認というものも、やはり事前承認であってしかるべきというふうに考えるところでございます。外交、そして条約締結といった意味での七十三条二号、三号、こういった点が裁量をもってねじ曲げられていってしまうのはよくないというふうに思うところでございます。

 以上です。

    〔会長退席、枝野会長代理着席〕

永岡委員 自由民主党の永岡洋治でございます。

 まず、基本的な認識といたしまして、現行憲法の制定経緯、そして戦後六十年経過をいたしまして、政治、経済、社会が大きく変化をし、国際情勢も変化をしたという中で、基本的に、憲法改正を行わなければならない時期に我々は入っているという認識を持っております。そのためにも、改正手続の具体化、あるいはこの調査会終了後の本院におきます憲法の改正作業についての体制の整備というものも具体的に検討していくべき段階に来ているのではないかと考えております。

 個別具体的な問題につきまして、三点ほど申し上げたいと思います。一つは、直接民主制に絡みまして、議会制民主主義。何事も、この議会制民主主義がうまくワークいたしませんと、憲法改正論議も内容のあるものにならないわけでありますが、この点。そして地方分権につきまして、第二点目。それから最後に、国会と条約との関係について述べさせていただきたいと思います。

 諮問型の国民投票制度について御議論がありました。私は、直接民主制というものは導入はなかなか難しかろうという立場でございまして、今の国会そして議会制民主主義というものを健全に機能させていくということが重要であると思います。そして、その中で最も危惧をいたしますのは、政治参加、投票率が極めて低下をしているという現状に対して我々がどう対応するかということであろうと思います。

 選挙は民主主義のぜんまいであると言われております。議会制民主主義に参加をするのは国民の権利でもありますけれども、義務でもあると私は考えておりまして、憲法上、権利として書かれている参政権につきまして、義務でもあることを明示するべきではないかと思います。その上で、公教育の場でその内容を的確に教育いたしますとともに、合理的理由のない棄権防止に対します対策というものも考えていかなければならないのではないか。

 さらにまた、国会議員による、直接国民に対する情報提供等のあり方、あるいは国政の内容の広報活動につきまして、より規制を緩和する。これは政治活動との区分けが難しいのでありますけれども、より規制を緩和するとともに、公共広報機関、テレビやラジオ等を使ってのこういう活動というものも、もっと規制を緩めてやっていっていいんではないかと考えます。

 それから、国会議員の活動をサポートするスタッフというのが非常に、実は諸外国に比べて手薄でございまして、アメリカと比較いたしましても、秘書スタッフ数でいきますと、アメリカが大体二十二名弱、日本が大体七名弱ということで、三分の一であります。このスタッフの強化ということも含めて、間接民主主義、国会の機能強化というものを図るべきだと考えております。

 それから、地方自治につきましては、人材の確保の重要性は何回か申し上げましたので、課税自主権について申し上げますと、地方自治体に、特に基礎的地方自治体に課税自主権、それから、みずからの税源というものを与えていく必要があると思います。国から地方への税財源の抜本的な移譲というのも重要であると思います。そのことは、つまり、みずから税を徴収する痛みを感じながら支出をしていくということで、地方財政の効率化、合理化につながるものと思います。しかし、その場合、徴税システムの効率化あるいは公平性、さらには徴税コストを軽減するという意味で、国税、地方税含めての徴税システムは一本化していくべきだと考えております。

 最後に、条約締結と国会の関与でありますが、先ほど武正委員からイラク問題に関しましてコメントがございましたが、私は、それとはやや異なった立場から、やや似ている部分もあるんですが、コメントをさせていただきますと、憲法七十三条三号に、「事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。」と書いてあります。基本的には署名後、批准前に国会に承認を求める手続をとるわけであります、一般的な条約につきましては。しかし、実は、国際間の取り決めでありますから、事後的に国会がこれを修正し、あるいは不承認をするということが極めて難しいケースが多いわけでありまして、その意味におきましては、現在問題になっておりますFTA交渉等の重要な交渉について、入り口のところで国会の関与をある程度認めることも考えていかなければならないのではないか、このことを憲法上明示していくことも検討する必要があると考えております。

 以上をもちまして、私の発言を終わらせていただきます。ありがとうございました。

下村委員 自民党の下村博文です。

 私は、天皇制の問題と、そして教育基本法改正に関係した憲法について発言をさせていただきたいと思っております。

 現在、皇太子殿下、皇太子妃殿下の御心痛等がメディアでも大変に報道されておりまして、これは皇室のあり方、また天皇制のあり方に深くかかわっているものであります。

 そういう中で、憲法の第二条の中で、皇位は世襲のものであって、皇室典範の定めるところによりこれを継承するというふうにあるわけでありまして、女性天皇について否定をしていないわけでございます。現在、皇室典範においては男子男系ということでございまして、実際、過去の歴史の中でも十代八人の女性天皇が存在されているわけでありますが、しかし、あくまでも例外的な規制の中でありまして、摂政を置くとか、あるいは独身であったとかいうような形で認められたものであります。

 これについて、私としては、男子男系においての継承ということの原則はそのまま踏まえながらも、現実的な中での対応をしていく必要があるのではないかと。これは、憲法の十四条の男女平等主義と、天皇における皇位継承というのは別次元の問題であるというふうに思います。そういう中での完全な男女平等ということではなくて、例外的な規定の中で、女性天皇を一代限りということで、女系ということでなく認めるというような形での、今後、皇室典範の改正が早急に求められてくるのではないかということを問題提起させていただきたいと思います。

 それから、近いうちに教育基本法の改正案も国会に上程されることになっているわけでございまして、今、いろいろなところでこの教育基本法の改正論議がされております。この中で、自民党の中においても、与党の中においても、あるいは我々超党派の議連の中でも、新たな教育基本法の改正の中で、現行の教育基本法改正にない一つの項目として、私学教育を挙げてあります。

 この私学教育ということでいえば、現行の憲法の八十九条、これが抵触をする可能性があるわけでございまして、これについては、明確に私学教育において公金が投入できるということでの規定を、これはきちっと変える必要があるというふうに思っております。

 また、私自身は、さらに憲法の二十条の中で第三項「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」というところがございますが、宗教教育については先ほどもほかの委員が触れられておりましたが、我が国における宗教教育という意味づけと、また当時の憲法を制定したときの宗教教育とでは概念が違うのではないか。一神教としての宗教教育ではなく、まさに我が国は多神教的な、やおよろずの神的な、特定の神を意識した意味での宗教教育ということではないわけでありまして、これはある意味では、宗派教育ということに文言を変えるということによって禁止をするということはあってしかるべきだというふうに思いますが、そもそも、教育においては、積極的な宗教教育等を行いながら、情操心をはぐくむ心の教育、徳育教育にもつながるような、感性を高める教育は積極的にすべきである。

 こういう点における憲法の改正、修正等が求められるわけでありまして、時代に即した、あるいはこれからの時代に対応した憲法改正ということでは、この憲法調査会からぜひ議案提出権を持つ常任委員会に変えることによって、積極的なさらなる憲法議論をしていく必要があると思います。

 以上であります。

    〔枝野会長代理退席、会長着席〕

河野(太)委員 自由民主党の河野太郎でございます。

 我が国は、半世紀以上の長きにわたりまして、現行の憲法のもと、平和と繁栄を享受してまいりました。そういうことでございますから、この憲法の制定が押しつけであったかどうかという議論を今さらすることは、私は、余り意味のないことだと思っております。むしろ、これから先、この憲法をどのように展開をして、二十一世紀の我が国の発展あるいは我が国の繁栄に寄与していくのかということを議論すべきだと思っております。

 また、憲法の中に、先ほど枝野委員でしたか、例えば国民の義務について、あるいは伝統について憲法に盛り込んではどうかという御意見があるのは承知をしておりますが、むしろ憲法というのは政府からいかに人権を守るかというのが基本の骨格であると思いますので、伝統ですとかあるいは国民の義務というものはこの憲法の中に盛り込まれるべきではないのではないかと思っております。

 そうしたことを申し上げまして、我が国の憲法は、憲法の改正についてもはっきりと憲法の中に規定をしているわけでございます。しかし、この改正を行うためには、改正手続をどのようにするかということを法律で定める必要があるわけでございます。私たちは、この改正手続に関する法律について、速やかにこれを制定する必要があると思います。

 そして、この憲法調査会を今後どのようにするかは、この改正手続を定める法律の中にそのことも規定され、発議をするための常任委員会なのか、あるいは常任委員会にかわる委員会の設置が必要なのか、そこで定めるべきだろうというふうに思っております。

 また、早急に憲法の中で改正をしなければならない一つに、今、下村委員から話がございましたような私学の問題にかかわる条文もございますが、何よりも、憲法九条をきちっと改正する。

 我が国は固有の自衛権があり、それは、個別的かつ集団的な自衛権を持っている、そして、この地球上の平和と安寧に寄与するためには、日本という国は応分の責任と義務を果たす必要があるということをはっきりと九条を改正して明記をする必要があると思います。逆に言うと、憲法九条の改正をする前に、解釈だけを一方的に変更して既成事実を積み上げていくということもするべきではないと思っております。

 また、もう少し長期的な課題になるのかもわかりませんけれども、この国の統治機構についてもう少し突っ込んだ議論をする必要があるのではないかと思っております。

 議院内閣制がこの国で本当にうまく機能しているのかどうかということについて、私は大いに疑問を持っております。国権の最高機関である国会の審議がやや形骸化しつつある、形骸化してきているわけでございます。そういう意味において、このまま議院内閣制を続けていくのか、あるいは行政府のトップと立法府をそれぞれ直接選挙で選ぶ大統領制を我が国にも導入するべきか、もう少し突っ込んだ議論をしていく必要があるのではないかと思っております。

 さらに、現在の憲法が規定している二院制で本当にいいのかどうか。衆議院と参議院が、首班指名、条約の批准、あるいは予算、それ以外のことについてはほぼ同じ権限を持っている二院制を我が国で維持していく必要があるのかどうか。むしろ、衆議院を残し、参議院は補完的な第二院としての位置づけにする、あるいは、将来道州制を導入するならば、地方自治体の代表による第二院を構成する、そうしたことも議論していく必要があるのではないかと思います。

 以上です。

園田(康)委員 民主党の園田康博でございます。

 また、私も今回、この憲法調査会、初めて委員として参席をさせていただきまして、そして諸先輩方々のお話、御意見をお伺いしてまいりました。総じて、私から皆様方に申し上げるのは大変僣越なことではあろうかと存じますが、一人の若輩者として御意見をさせていただきたいと思います。

 まず、今回のこの憲法調査会のあり方の議論の中で、やはり残念なことにきょうも一部から出ておりましたけれども、今し方河野委員からも御指摘がありましたように、憲法の制定過程に基づいてこの議論をスタートさせるということに対しては、やはり疑問を抱かざるを得ないというふうに考えております。すなわち、いつもいつも、憲法議論になったときに、国権の最高機関である国会あるいは国民的な議論の中で、いつも逆戻りをしてしまう、後戻りをしてしまってなかなか前に進まないということがございます。私の考えからすれば、押しつけられたものでもいいものはいい、いいものはいいというふうに享受できる、そういうものがあってしかるべきではないのかなという気がいたしております。

 すなわち、もっともっと私たちも前向きに考えていかなければいけませんし、これからの将来の子供たち、あるいは将来の国民生活に対して責任ある説得力ある言葉で物事を示していかなければいけないのが国権の最高機関であるこの言論の場であるというふうに考えているわけでありますから、なかなか前に進まないというのは少しいかがなものかなという気がいたしておりました。

 そして、あと、憲法の改正条項につきまして、さまざまなやはり議論がございます。確かに、憲法の九十六条にこのような改正手続があるわけでありますから、それに対して前に進めていくためには手続法なるものをつくっていかなければいけません。しかしながら、もう一つ議論を進めていくと、必ず次に出てくるのが、発議の緩和策といいましょうか、改正の条項そのものを緩和して発議をしやすくしようというのがすぐ出てきてしまうわけでございます。

 しかし、よくよく冷静に考えてみれば、この憲法そのもの、他国と比べてさほど硬性な憲法だと私は思っておりません。すなわち、アメリカではもっともっと厳しいハードルの中でもう既に二十回以上の憲法改正が行われていること、この事実を御認識いただきたいと思っております。

 すなわち、今まで真剣にこの国会が、あるいは議員一人一人が、国民に対して責任ある言葉で語ってこなかったこと、そして議論をタブー視してきたこと、これそのものを反省していただきたいと思っているのと同時に、硬性憲法だからこの条項を緩和すればしやすくなるんではないかということではなくて、この憲法の手続にのっとって、しっかりと前向きに、そして正面から議論をして提起するべきである、私はそのように思っております。

 同時に、もう一つ、この憲法の本質的な議論をさせていただきたいと思うわけでございますが、いわゆる国民主権、平和主義、基本的人権の尊重、三大原理と言われております。これは、私は本当にいいものを押しつけていただいたというふうに思っているわけでございますが、この三大原理の中で一番の根幹にあるのは、忘れていただきたくないのは、基本的人権の尊重であるというふうに思っております。

 この中心的原理があったからこそ、それを守るための補完的な形として国民主権あるいは平和主義というものがあるのであって、必ず、いつもいつも出てくるのが、九条論、九条論ということで、基本的人権を守らなければいけないというところから少し議論が外れてしまって、お互いの議論の中で、九条論、賛成、反対というような、何か肩に力を入れて、目をつり上げてお互いが議論、話し合いをしてしまって、なかなかまとまらない、先に進めないということがあるわけでございます。

 皆さんも御承知のように、もう戦後六十年以上たってしまっている現状の中で、過去の憲法制定過程のときから、もう既に今の現状と合わなくなってきた。憲法に今の現状を合わせるんではなくて、今の現状をよりよく、我々はこれから、よりよい状況、環境をつくっていくためには、憲法改正をきちっと提起していく、そういうことを責任を持ってやるべきではないかと思っております。

 以上です。

大村委員 自民党の大村秀章でございます。

 この憲法調査会におきまして、たびたびと発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。

 いよいよ四年半、五年間の議論を集約するということで、大変結構なことだと思います。その際、きょうは各委員の先生方からもたくさんいろいろなテーマで御提言がありまして、私も、拝聴させていただきました。

 その中で、私もこれまでの議論の中で申し上げてまいりましたが、今憲法を考える視点は、やはり、戦後五十数年間、五十八年、九年たつこの中で、日本が戦後、平和と安定、そして繁栄を享受してきたその憲法の役割は大変重いと思うのでありますけれども、そのことを十分認識しながら、今の時代の流れに合わせて、必要なところを、それも多くの国民の皆さんの共通認識に基づいて、私は思い切った見直しを進めていくべきだというふうに思うのでございます。

 その中での視点として、一つは、国際社会の中の日本ということを十分認識して平和と安全保障の問題を考えていくということが一点。それからまた、国内的には、やはり、自立と参加を基本とした、自分の足で立って考え、行動していく、そして自己責任でもって活動していく、そういう厚みのある社会をつくっていこう。そういう意味で、活力のある、風通しのいいそういう日本、国、社会をつくっていくためにも、この際、今、日本の国というものを形づくっているこの統治機構、そしてまた基本的人権などなども見直しをしていくべきだということではないかというふうに思うわけでございます。

 その中で、私がこれまで申し上げさせていただいた憲法改正の視点の中で、国内的には、一つは、基本的人権については、これも多くの委員の先生方から意見の御披瀝がありましたが、新たな権利概念、プライバシー権でありますとか環境権、そうしたものも加えていくべきではないかといった点。

 また、統治機構につきましては、前回も申し上げさせていただきましたが、この際、私は、一院制に思い切って踏み込むべきだというふうに思うわけでございます。そのことも大きな課題になろうかと思います。

 それからもう一つは、道州制の導入も含めた地方自治、これも思い切った見直し、踏み込みをすべきだというふうに思います。

 そういったことに加えまして、平和と安全保障につきましては、これはまさに、この調査会の中でも、そしてまた小委員会の中でも、いつもいつも大変大きな議論になるわけであります。平和憲法、九条の存在というのは私は大変重いと思っておりますし、これが果たしてきた役割というのはまさに戦後日本のシンボルだ、こういうふうに思うわけでありますけれども、そのことはそのことといたしまして、日本を取り巻くこの国際社会の情勢は大きく変わってしまったということを、これは認めざるを得ないと思うわけでございます。

 冷戦構造が変化をした一方で、北朝鮮問題、朝鮮半島、そして北東アジアの今の情勢、そうしたことをとにかく私は直視していく必要があるというふうに思います。

 そして、もう一つ、冷戦構造崩壊の中で世界各地で地域紛争が頻発をしている、そういったところに、人的な貢献、人の派遣といったことを、世界第二位の経済大国である日本に対して、やはり、どんどんどんどんその要求が高まっているということは、これまた事実だろうと思うわけでございます。

 そういう意味で、日本が今国際社会の中でどういうふうな行動をとるのか、どういうふうな動きをするのかというその一挙手一投足を世界がまさに注目しているというのが今の状況ではないかと思うわけでございます。

 そういう意味で、私は、この憲法九条を今のままにしておいて、自衛隊を憲法の範囲の中で、そして、国際平和協力という形で派遣をしていくということをまさに一つ一つの法律をつくりながらやっていくということが、やはり、ある程度限界が来ているんではないかと思います。この際、憲法九条を改正し、そして、自衛隊を日本の防衛と国際平和協力業務を行うという組織として明確に位置づけた上で、日本として、国際平和、人道復興支援を中心に世界に対して大きく貢献をしていく国際貢献を国として、日本の意思としてやっていくということを明確に位置づける、そして、世界へ向けてメッセージとして発信をしていくということが私は必要だというふうに思っております。

 そういう視点の改正案を、これからポスト憲法調査会をつくって、そういった発議案をぜひぜひ皆様とともにつくっていきたい、そんなことを申し上げさせていただきたいと思います。

 以上です。

伊藤(公)委員 自由民主党の伊藤公介でございます。

 この憲法調査会、中山会長を中心に、それぞれの政党の憲法に対する考え方がかなり鮮明になってきたなという実感であります。私たちは新しい憲法をつくるという立場でありますし、また、加憲という立場の政党もございます。あるいは創憲、護憲、それぞれの政党の憲法に対する考え方というものがいろいろな意味で集約をしてきている、また、細部にわたっていろいろな御議論がございました。

 私も幾つかの点についてこれまで発言をさせていただいてまいりましたが、きょうは総まとめということでありますので、多くの点について触れることはできません。安全保障について、やはり、新しい憲法をつくるに当たっては非常に大事な点だと思いますので、そのことについて触れたいと思います。

 今申し上げたような各政党のそれぞれの立場がありますが、私は、半世紀を超えて、少なくとも第二次大戦の呪縛から解かれた、そして、日本人が誇りと、それぞれの人たちが自信を持って国際的な分野で活躍ができる、あるいは国内の中でそれぞれ生き生きと皆さんが新しい時代に向かって生きていける、そういう自信と誇りを持った新しい憲法をつくるべきだというふうに考えます。そういう意味でも、新憲法を制定するということを明確にしていくべきだと思います。

 その中で、安全保障の問題について、私は、最近の国会のいろいろな議論のことを振り返りながら、私自身は、新しい憲法の中で、これまでの考え方とはきちっと変えた新しい対応をこの憲法の中には盛り込んでいくべきではないかというふうに考えているものであります。

 一九九六年に橋本・クリントン会談が行われました。ここで、つまり、ソ連という軍事的な脅威への対処をするということにかわって、いわゆるアジア太平洋の平和あるいは安定が日米安保関係の役割の基礎をなすんだ、こういうことでガイドラインの見直しに言及をされました。そして、一九九七年には日米新ガイドラインが成立をしたことは御存じのとおりであります。そして、その実施のために周辺事態法を私たちは国会で成立いたしました。

 この間に、実は極東の条項について、安保条約の第六条でありますが、あるいは周辺事態とは何かという議論に、かなり国会のエネルギーを費やしてきたところであります。

 極東の条項については、これは安保条約の六条でありますけれども、地理学上正確に画定されたものではなくて、在日米軍が日本の施設及び区域を使用して武力攻撃に対する防衛に寄与し得る区域であって、およそフィリピン以北並びに日本及びその周辺の地域にあって、韓国及び中華民国の支配下にある地域を含むとされております。

 この周辺事態法で、実は時の大臣はこう答えているわけであります。周辺事態については、「観念上、線を引くこと、あらかじめ特定できないということを申し上げておりますが、その周辺事態の定義が我が国の平和と安全に重要な影響を与える事態と、こういうことでありますから、極端に遠いところでは、ここは現実には想定できないだろうなということはそれははっきり申し上げることはできますけれども、」云々であります。

 つまり、私たちはこの国会で、日本の安全保障について、極東とか周辺事態とか、つまり日本の平和と安全に重要な影響を与える事態ということを常に想定して議論してきました。私は、新しい憲法を制定するに当たっては、我が国の平和と安全は当然なことでありますけれども、むしろ世界の平和と安全、そういう立場に立って新しい憲法を制定すべきだと思います。

 つまり、国会でのやりとりの中でも、遠いところ、極端なことを言えば、地球の裏側に対しては日本は参加しませんよということになるんだろうと思います。私は、これだけさまざまな、時代が変わって、瞬時に世界の平和も危機も侵されるという今日を考えましたときに、たとえそれが地球の裏側であっても、日本は果たすべき役割を果たしていかなければならない時代に来ていると思います。

 そういう意味で、これから私たちは、新しい憲法をつくるに当たっては、例えば今具体的にいろいろな議論のあります多国籍軍とか集団自衛権についても限定的にすべきではないというのが私の基本的な考え方であります。

 しかし、あくまでも一つの歯どめも必要であろうという議論は当然あると思います。それは、私は、もっと国連というものに対して日本は発言権やあるいは発言権を得られるような状況をつくる努力をしていくべきだと思います。国連が、世界の主要な国々が、たとえそれが地球の裏側であっても、世界の平和と秩序、人道支援のためにはみんなが協力をすべきだというときには、私たちのこの国もあらゆる協力をしていけるという状況にしておくべきだと思います。

 新たな二十一世紀に向かって、誇りと自信を持てる憲法を制定するという、私はそういう理念に基づいていくべきだということを申し上げておきたいと思います。

保岡委員 明治憲法を制定する際に、制定者たちは、西洋のさまざまな国の憲法の考え方を学んでおります。また、これと同時に、我が国の伝統や文化とどのようにこれを結合させるかということに大変腐心して、時間をかけて議論を尽くしたと伺っています。

 これに対して、日本国憲法は、制定過程において、GHQが占領政策を進める上で都合のよいように、日本の伝統や文化は邪魔者扱いやほとんど無視しているということが明らかになっています。結果として、我が国の長い歴史で培われたよいものを現代や将来につなぐということが全くと言っていいほどなされておりません。

 その結果、日本国憲法は、我が国の社会のあり方に大きな影響を与えており、特に、個人主義思想が急速に普及いたしております。特に、教育の分野におけるこの思想の浸透度、影響度は目をみはるものがありました。

 しかし、それと同時に、本来の個人主義とはかけ離れた風潮が日本社会を覆い尽くすようにもなっているかに思えます。他人に直接迷惑をかけなければ自由に何をやってもよい、親や先生に言われても私には自由がある、他人が何をしようが干渉しない、でも自分のやり方に干渉するのは許さない。子供だけでなく大人にも見られる態度です。それ自体、そんなに目くじらを立てるようなことはないと思われる方もおられますが、これが高じて大きな社会的風潮になりますと、それは、自分のことだけを第一として、積極的に他人や社会のために行動したり、みんなの幸せを確保する公正な社会をつくるために貢献したり協力し合ったりするということへの配慮や、それを大切にする精神文化というものが、基本において廃れていくことにつながるのではないでしょうか。

 人間は社会的な存在であり、そのような社会的な人間としての尊厳をもっと大切にするべきです。他人への配慮、社会に対する積極的な貢献を果たすことによって、自己の存在、尊厳もまた大事にされるのではないでしょうか。このように、人間の本質である社会性が個人の尊厳を支える器であることを考えると、人間の自然な集まりである家族、共同体、ひいては国際社会も、公共の基本をなすものとしてとらえ直さなければならない時代になっていると私は率直に申し上げたいと思います。

 とりわけ、日本人というくくりで見たときに、人間の本質である社会性に加えて、礼を重んじ、和をとうとび、命とそれをはぐくんでいる自然を慈しむという歴史、伝統や文化に基づいた道徳心があります。私は、今の憲法の国民主権主義、平和主義、基本的人権の尊重という三原則など人類の普遍的な価値を発展させつつ、我が国固有の価値、道徳心という長い間歴史の中で培った健全な精神文化に基づいて、二十一世紀にふさわしい新しい憲法を論じたいと思っています。その際我々は、憲法には、近代立憲主義的な国家権力の民主的統制という、先ほど枝野さんがおっしゃったような法的な側面ばかりでなく、国民の行為規範としての側面があり、それが国民の精神や社会の形成に与える影響についても考慮に入れながら、議論を続けていく必要があると思います。

 最後に、地方自治についてでございますが、道州制を含めた新しい地方自治のあり方について、法律の範囲内での課税自主権の付与等自主財源の確保、自己決定権と自己責任の原則、補完性の原則など、憲法にその基本的事項を明示する必要があると思っています。

 この場合、例えば道州制というと、すぐに道とか州の権限、組織などに目が向きがちですが、私はむしろ、コミュニティーの重要性を指摘しておきたいと思います。コミュニティーこそ究極の自治の原点であり、我が国の伝統、文化が受け継がれていく場であり、地域によってはそこが国民の生産活動、社会活動の場であり、生活そのものでございます。こうしたコミュニティーのよさ、その復活は、重視してもし過ぎることはないと思います。

 そういった意味で、地域が果たす治安や福祉、教育、文化活動などの機能を、生活の質の充実向上とそれを支えていく活力を求めていかなければならないこれからの日本にとって、憲法上もそのことの意義を明確に位置づける必要を検討すべきだと思っております。

鈴木(克)委員 民主党の鈴木克昌でございます。

 今ここに私、憲法記念日の各党の談話を持ってまいったわけでありますが、大変失礼でありますが、ちょっと御紹介をさせていただきたいと思うんです。

 自民党さんは、「国際社会から尊敬され、国民誰もが誇りに思う品格ある国家を目指し、守るべき国柄と伝統を見極めた新憲法を作りたい」。民主党は、「現行憲法の根本規範たる「国民主権」などは大切にすべきだ。安全保障のあり方などもタブーを設けず検討を進める」。公明党さんは、「性急な改憲論とかたくなな護憲論を橋渡しし、コンセンサスを形成する公明党の役割は誠に重要である」。共産党さんは、「憲法のすべての条項をしっかりと守り、平和・人権・民主主義の原則が生きる日本を目指す」。社民党さんは、「憲法を変えるのではなく、憲法の理念や内容を社会のすみずみに生かしていく努力こそ必要だ」。こういうことでございまして、これは新聞の記事でございますから、違っておったらお許しをいただきたいと思うんですが、それを読み上げさせていただきました。

 何が言いたいかということなんですが、四年半、本当に各委員の皆さんが大変な御議論を進めて、大変な努力をされてきたわけでありまして、そのことに対して私は本当に敬意を表する次第でございます。ただ、あと半年間の期間で、中山会長を中心にどのように本当におまとめいただけるのか、これはもう大変な作業だなということを実は老婆心ながら感じまして、改めてことしの憲法記念日での各党の談話を読まさせていただいたということでございます。

 そういう中で、私は、いつも申し上げることでありますが、国民の目線というものをひとつ大切に、我々はやはり議員として行動すべき、また考えを進めていくべきではないのかな、このように思うわけでありまして、余り党とかそういう立場ではない進め方というのがやはり必要ではないかなと。これは私の所感でございますので御批判をいただくかもしれませんが、そんなふうに感じておるところでございます。

 そこで、私も二、三、制定以来五十有余年経過をして、現実との乖離を考えたときに、やはり少しく新たにつけ加えたり、また考え直していかなければならないところは出てきておるのではないかなというふうに思っておりまして、とりわけ、家族条項だとか生命倫理だとか、それから国会の役割だとか地方財政の基本原則というようなところで、やはり明確に盛り込んでいく必要があるのではないかな、私はこのように思っておるところであります。

 それぞれ細かく申し上げておる時間はないかもしれませんけれども、家族条項につきましては、言うまでもなく、今さまざまな社会問題が顕在化をしておるわけでありまして、社会の基礎としての家族の重要性というのをやはり再認識していく必要があるのではないか。とりわけ高齢者介護というものは、日本は美徳として家族が非常に大きな役割を果たしてきたわけでありますが、今それが国、社会にゆだねられた結果が、やはりある意味では非常に大きな問題も抱えてきておるのではないかな、そんなようなことを思ったときに、やはりこの家族条項というのはきちっとしていく必要があるのではないかなというふうに私は思っております。

 生命倫理につきましては、科学の急速な進展、高度情報化の到来等、当時制定されたときとは相当状況が違っておるわけでありまして、この辺につきましても、やはり生命の安全、社会秩序など公益に重大な影響を及ぼすおそれがある場合は法的な規制をしていく必要があるのではないかな、このように思っております。

 一つ飛ばしますけれども、地方財政の基本原則につきましては、これだけ地方の財政が逼迫といいますか、こういう状況の中で、やはり地方主権、そして道州制、小さな政府等を真剣に考えていく必要があるのではないのかな、そういう意味で地方財政の基本原則をきちっと憲法に盛り込む必要があるのではないかな、このように思っております。

 以上、まだまだ申し上げたいことはありますけれども、いずれにいたしましても、この四年半の議論を踏まえて、すばらしい形での、国民の期待する方向でまとめ上げていっていただきたいし、またそういう責務が我々にあるのではないか、このことを申し上げて、私の意見とさせていただきます。

 ありがとうございました。

楠田委員 民主党の楠田大蔵でございます。

 私も今回初当選でございまして、この憲法調査会、初めて参加をさせていただきました。昭和五十年生まれ、まだ二十代の若造としまして、大変、今までの積み上げに関して未熟な意見を述べさせていただいて、失礼したかもしれませんけれども、その反面、同世代の感覚というものをわずかでも伝えられたんじゃないかな、そのようにも考えております。特に、アジアの中の日本という観点で発言をすることができたんじゃないかなと思っております。

 正直、中身に関しましては、先輩いろいろ申されましたけれども、まだ私、断言できない点も多々ございます。ただ、国会に初めて参加をさせていただきまして、この手続ということに関しては、今まで以上に思いを強くしたところがございます。

 改正手続に関して、冒頭、保岡幹事の方から発言もありましたけれども、私が初めて、この憲法調査会に限らず国会というものを見ておりまして、少なくとも議論を尽くして、議員が納得をして、国民が納得をして法律というのをつくり上げていくのが国会の場ではないかな、私はそのような理想も抱いておったわけでございますけれども、今まで見ておりまして、最初はイラク自衛隊派遣の強行採決、そして今回の本会議の最後も年金法案でのこのような混乱、強行採決という部分がやはりあったと思います。

 私は、そういうものを見ておりまして、やはり多数の議決で最終的には決められていく、野党の無力さというものも感じたわけでございますが、そうした中で、そもそも投票率が六割前後という中でその半分をとったとしても、国民の三割しか支持を得ていない国会議員がすべて決めていくということ自体に対して、国民が厳しい目を向けているということも私は国民の声だ、そのように自覚をしております。

 先生たちにおかれましては、国民自体が自分たちの義務、権利というものを考えなくなった、そのような批判をされるかもしれませんが、私は、こうした棄権も含めての声というものもすべて政治の責任ではないか、そのように、きれいごとかもしれませんが、強く思っておるところでございまして、そう考えますと、三分の二の発議、これを緩和するということは、私は大変慎重に考えなければならないのではないかなと思っております。

 今までのように、ないとは信じたいと思いますが、やはり過半数をとる与党が憲法に関しても、これが緩和された場合に強行に採決をしていくということもないとは言えないんじゃないかな、私はそのように危惧をしております。三分の二の発議というのはやはり必要な線であり、その後の国民投票での二分の一、過半数という部分も、有効投票二分の一、全国民の二分の一というのはきついかもしれませんけれども、やはり投票率が低い状態では、この二分の一の条項も、どれぐらいのものにしていくかというのはもう少し慎重に考えていくべきではないかなと私は思っております。

 この点に関して、中曽根元総理は、三分の二の発議があれば国民投票なしで、二分の一の国会議員の発議であれば国民の二分の一の賛成でというような中間的な緩和策も、私はなるほどなと思ったところもありますけれども、こうした案等も含めて、私は、この改正手続に関してはより慎重に考えていく必要があるのではないかなと思っております。たかが手続、されど手続でございますので。

 今回の国連の決議に関しても、そのお墨つきを得るために、アメリカという国も妥協するわけでございます。やはり私は、この手続、大変慎重に考える必要があると申させていただきます。

 以上でございます。

中山会長 この際、委員各位に申し上げます。

 なるべく多くの委員に御発言をいただけますよう、御発言時間につきましては御協力をお願いいたします。

森岡委員 私は、自由民主党の森岡正宏でございます。

 今国会の議論を踏まえながら、私は、天皇制と女性天皇問題について意見を述べさせていただきます。

 皇太子様が訪欧前、雅子様のキャリアや人格を否定するような動きがあったと発言されたことの真意を先日文書で公表されました。いわゆるお世継ぎ問題について過度に注目が集まっている、また伝統やしきたり、プレスへの対応等、皇室の環境に適応しようとしてきた過程でも大変な努力が必要でしたと吐露しておられるというところを見ますと、宮内庁や皇室の改革、そして女性天皇問題についても結論を急ぐべきものと私は考えるものであります。

 だからといって、我が国の国柄、アイデンティティーを考えたときに、天皇制が果たしてきた役割は非常に大きい、皇室を抜きにして日本の歴史も文化もあり得ない、そう思いますだけに、伝統を踏まえ、天皇制が維持できるような形をつくっていかなければなりません。

 千数百年も前から天皇制を維持してきたのは、世襲で、しかもほとんど男系男子の継承を貫き、国民から見れば、天皇は敬愛する存在、仰ぎ見る存在、権威はあるが権力を持たない、象徴としての役割を果たされてきたことが大きかったと思います。この伝統を大切にしながらこれからも、現憲法に記されておりますように、日本国の象徴、そして日本国民統合の象徴であって、主権の存する日本国民の総意に基づく、この憲法第一条に位置づけられている重みを欠いてはならないと思います。

 また、いわゆるお世継ぎ問題を考えるときに、参考人のお話の中にございましたけれども、旧皇族の復帰論を持ち出すことは私は現実的でないと考えております。そして、女性天皇に反対するものではございませんが、この憲法改正の問題じゃないんだ、男女平等原則を持ち出して、皇室典範の第一条を改正すれば事足りるんだというように突き放してしまうほど、私はこれは単純な問題ではないと考えております。

 先ほど下村先生のおっしゃったように、かつて女性天皇は十代八人おられたわけでございますが、いずれも寡婦または独身の方でありまして、今まで女系天皇は存在いたしませんでした。女性天皇を認めるとしても例外的で、男系女子に限るのか、それとも女系男子、女系女子まで広げていいのか、この議論を詰めなければならないと思います。

 ヨーロッパの王室では、男子優先、女子も可という国は、英国、デンマーク、スペイン。そして、長子、第一子優先は、スウェーデン、オランダ、ベルギー、ノルウェーということであります。私は、他の国を参考にすることはいいとしても、やはり日本独自の伝統を踏まえた解決策を探るべきだと考えておる一人でございます。

 また、奈良時代、弓削道鏡という人物が孝謙天皇という女帝をたぶらかして、こういう表現がいいのかどうかわかりませんけれども、天皇以上の力を持ったという史実を見ますと、女帝の配偶者にどういう人を迎えるのか。道鏡は配偶者ではございませんでしたけれども、この問題が非常に大事だと私は思っております。配偶者にどのような地位を与えるのか、大きな問題だと思います。女帝の御威光を利用して、その配偶者が政治権力を振り回すようなことでは困るわけでございます。

 もう一つは、帝王学の問題です。神事を大切にすること、学問、教養を深めること、万人に公平であること、常に一般の国民のことについて忘れてはいけないことなど、学ぶべきことがたくさんあるようでございます。もしも愛子様を次の次の皇位継承者とするならば、そろそろ帝王学が必要なときを迎えておられると思います。物心ついてからでは遅いと思います。

 以上のような課題に決着をつけて、雅子妃を安心させてあげることが大事だと思います。と同時に、私情に流されることなく、あくまで日本の国の将来、日本の国柄を考えて、速やかにお世継ぎ論に終止符を打つべきだと考えます。

 以上でございます。

岩永委員 私もことしから参画させていただいて、本当に光栄に思っていると同時に、大変すばらしい勉強をさせていただいたと思って喜んでおります。また、ことしのこの調査会が本当にこれからのすべての方向性を握るという話をお聞きしておりますので、しっかりと勉強してまいりたい、このように思っております。

 一つは、私は、今回の憲法改正で、今の時期に憲法を改正すべきだと思う点の論点の一つに、諸外国から見ますと、日本人の国を愛する心、俗に言う愛国心というのが大変揺らいできている、そして希薄になってきているというのが心配でございます。そのことに対しては大変憂いを感じております。国民の国家に対する責任、国家はみずからの生活のすべてであるとの認識、こういうことに対してもっとしっかりした国民の意識を持たなきゃならぬのではないか、このように思っているところでございます。

 憲法は、国民が目指すべき国家像等を示すものでございまして、国民にとっての自己の価値観の指標ともなるものであります。それだけに新憲法に示される国家像は、だれしもがみずから誇りとするものでなければならないし、また、国家社会が、国際社会から尊敬される、品格のある国家でなくてはならぬ、このように思っております。

 国とは何か。個人と国家との関係をはっきりさせること、そして、そのことの系統的な考え方というものが憲法に示されることによって愛国心というのが目覚めるようなものでなくてはならぬ、このように思っているところでございます。

 次に、具体的な話をさせていただきます。

 私は、今回、景観法ができたわけでございますが、景観法を審議する過程の中で、財産権に対して大変疑問を持っているわけでございます。財産権は社会生活を営む上での基本的な権利である、こういう認識に立ってはおりますけれども、憲法に所有権の責任と義務というものをきちっと明記すべきではないかと考えているものでございます。憲法に、公共の福祉に反する場合は財産権は制約を受けるということを明記してはどうか、このように思っております。

 公共の福祉の内容というのは、時代の状況に応じて、適時法律によって定められていくものと考えられるわけでございますが、具体的に、公共の福祉の内容を判断するに当たって学説上考慮すべき項目を整理したものでなければならぬ、このように思っております。公共の福祉の内容として、限られた資源のもとに分かち合い、最大限、効果的に社会の利益のために使われるという文言というものを明記してはどうか、このように考えているところでございます。

 それから最後に、安全保障、九条について私も意見としてきちっと申し上げたいと思うわけでございます。

 自衛のための戦力の保持というものをやっぱりきちっと明記すべきであると思っております。特に今回整理していただかなきゃならぬのは、個別的、集団的自衛権の行使に関する事項、総理大臣のシビリアンコントロールの原則に関する事項、非常事態全般に関する事項、人間の安全保障の問題、それから国際協力の問題、集団的安全保障、地理的安全保障に関する事項、こういう部分というのはやっぱり今回の憲法できちっと整理して、国民がわかりやすく国家に対する安全保障の考え方を整理するものでなくてはならぬ、私はこのように思っております。

 あわせて、食料の安全保障だとかエネルギーの安全保障などに対する事項も、国家が存続し国民が生存していく最大の問題だ、私はこのように思っていることをつけ加えておきます。

 ありがとうございました。

赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。

 この憲法調査会の議論は、私もきょうも聞いておりまして思いますことは、憲法をどうするかということにつきまして、全面的に、先ほどどなたかがおっしゃっておりましたように、ありとあらゆる分野で改正すべしという意見から、一方、全く変える必要はないという意見まで、まさに百家争鳴、百花繚乱という感じがいたしますが、この憲法調査会の中、あるいはまた国民、皆さんの間の中でもまだまだいろんな意見がある。

 そういう中で私が思いますのは、ここの、時間が四年半たったから云々というのではなくて、やはりより一層、問題、事の所在を整理する必要があるんじゃないかと思います。

 といいますのは、いわゆる行政の改革という部分で済むテーマ、あるいはまた解釈をきちっと確定するということで済むテーマ等々あって、必ずしもあれもこれも変えなきゃいけないということには一気にはならない。もちろん、いろいろな考え方があってやがては変えなきゃいけないこともあるでしょうが、今この時点で、明年、五年を迎えたからといって一気に変えるというのは、なかなか国民の皆さんの全体の総意を得る、合意を得るというのは難しいかなという感じが実はいたしております。

 そういうことを踏まえまして、公明党の現在の議論というのは、先ほど同僚の太田委員が述べたと思いますけれども、私は、そういったものを集約して、憲法の三原理、基本的人権そして国民主権、恒久平和主義というものの原理をより一層深める格好で段階的に改革をしていく、段階的憲法改革論というものを提唱したいというか、そういうものを常に個人的には思っているわけでございます。

 そんな中で、一、二、具体的な思いというか、実際にはかなり悩みは深いわけでありますけれども、悩みの一端を申し上げますと、例えば、九条の問題につきましては、やはり先ほど来お話が出ておりますように、現在の一項、二項における規定の仕方というものが、やはり一方でいわゆる個別的自衛権の存在すら否定をする、そういう解釈が生まれてきている、そういうものから、そうじゃないという、集団的自衛権の問題も、これは憲法の解釈によって、今の憲法でも解釈を変えることによって十分に可能だという見方に至るまで、極めて幅広い議論が今の現行憲法をめぐってさまざまな解釈を生み出している。

 これは極めて不幸な事態だと思うわけでありまして、私は、個人的には、余りいいやり方であるとは思わないんですが、一項、二項をそのままにして、三項で二項の意味するところを確定するというふうなやり方も一つの考え方ではないかなというふうな議論を党内でやるわけです。

 やはり、それは極めてこそくなやり方であるという意見もあり、一方で、九条が持つ、世界における果たしてきた役割、また、現在の国際政治の流れの中で、先般も当調査会に出られた学者がどなたかおっしゃっておりましたけれども、どなたかというよりも複数の方がおっしゃっておりましたけれども、むしろ、国際政治の流れというものは九条の存在というものを肯定する格好で流れていると言っても決して間違いではない、そういうとらえ方も、いろいろ御異論はあろうと思いますけれどもある。そんなことを踏まえたときに、あえてこれをどうこうさわるということはいかがかなという議論もあると思います。

 もう一つ大事なことは、この憲法は国際協調という部分について具体的に何も触れていないということであります。

 今、イラクの状況、イラク事態をめぐってさまざまな議論がなされております。国際協調という分野において、九条からそれをどうこうという判断、今のイラク事態について、イラクに対して自衛隊を送るということについて憲法違反だという議論をされる方がいらっしゃいますけれども、そういう言い方はおかしい。私は、九条とは超越した形で起きてきているテーマだという意味で、国際協調主義にかかわる条項というものを新たにつけ加える、ある意味で加憲という観点の中にこういったものをつけ加えるというのは非常に意義のあることかな、そんな思いもいたすわけでございます。

 いずれにしましても、冒頭申し上げました、段階的に憲法を改革していくということでは、当面、この場においても国民的合意を一番得やすいテーマからまず憲法の改革というものを考えていくことが大事ではないか、そんなふうに考えるところでございます。

 以上です。

倉田委員 自由民主党の倉田雅年でございます。

 基本的人権の保障に関する小委員会にいました関係上、まず、そこから申し上げたいと思います。

 司法改革についてでございますが、現在の刑事訴訟法は間違いなく当事者主義というものに立っている。当事者主義に相対するものは、権力による裁判といいますか権力による取り調べ、糾問主義あるいは職権主義といいますが、当事者主義への志向をしているにもかかわらず、運用がそうでない部分があります。それを全面的な当事者主義に転換するという意味で、今回の、例えば刑事訴訟法の改正による被疑者の公的弁護制度あるいは裁判員制度、こういうものは制度として一歩前進だと思っております。

 しかしながら、幾つか問題点があります。

 最も大きな問題点は、被告人ないしは被告人の前の拘束された被疑者に対する弁護人の依頼権は憲法に書かれておりますが、それ以前の参考人に対するものが書いてない。三十一条から、法律で定めればできるところでありますが、できれば憲法上もはっきりさせたい、こう思うわけでございます。

 参考人の弁護人依頼権ということですが、内容は、参考人に限らず、被疑者もそうですが、弁護人の立ち会い権というものをきちんとしたいということであります。

 参考人の段階でどういうことが起こるかといいますと、弁護士が時に相談に乗ることもありますけれども、一日十時間以上に及ぶ取り調べが行われます。机もたたいて、どうだどうだとやられます。そこで、逮捕されるのではないかという恐怖のもとにうその自白をします。迎合します。そういう心理になります。そうすると、その間違った自白に基づいて逮捕状が出ます。それで逮捕されます。いざ、裁判になりますと、実はあれは違いましたということで、長い長い裁判になってしまう。こういう悪循環があるわけであります。

 被疑者の段階でもそうです。弁護人の接見というのはせいぜい二、三十分です。ところが、十時間以上、毎日毎日調べられる。どうしても事実と違ったことが裁判所へと出てきてしまう。これを防ぐのには、参考人段階からの弁護人の依頼権のみならず、立ち会い権というものを憲法上はっきりさせたいものだと思うわけでございます。

 もう一つ、裁判員制度ですが、調べられる側の人間、被告人の立場ですね。司法権の独立ということで、権力から司法も独立しているわけでありますから、職業的裁判官による裁判を望む被告人がいた場合には、それに選択権を与えるべきではないか、こう考えます。

 ところで、憲法改正全体について、特に憲法九条でございますが、私は、どなたかおっしゃっておられました、自衛権の問題と、それから集団安全保障、国際協調主義に基づく集団安全保障の問題と区別しなければいけないという議論は正しいと思います。

 自衛権としては、端的に申しますと、地域に限定した集団的自衛権の行使、これをはっきりさせるべきではないかと思います。

 それから、しかしながら、日本の現行憲法の国権の発動としての戦争はなしにするというのは、これは人類永遠の理想であると思います。これを放棄することは必要がないと思います。

 それでは、国際協調主義の場面でどうするのか。その場合に、例えばEU連合で、各国が今憲法をつくりつつありますが、主権の一部を統一的な安全保障機構に移譲するという考え方があります。そういう意味で、集団安全保障については、将来、すべての国が国権の発動としての戦争をやめると同時に、しかしながら、国際ルールを破った者に対する制裁はあくまで必要ですから、統一的な安全保障機構こそ理想ではないかと思います。

 日本は、一方で、国連の強化に、特に国連警察軍の創設、そうしたものに努力をしつつ、みずからは平和主義は置いておく、一部の主権の移譲ができるという形にしておいたらどうか。そういう意味では、段階的な改革論でもあります。

 以上でございます。

中谷委員 自由民主党の中谷でございます。

 今の憲法は、安全保障に関しましては、日本は余りにも日本のことしか考えてこなかった、自分の国さえ平和ならいいんじゃないかという概念が定着していたような気がいたします。

 新憲法は、現在の国際情勢の冷徹な分析に基づきまして、我が国の独立と安全をどのように確保するかという明確なビジョンと同時に、我が国が自由と民主主義という価値を同じくする諸国家と共同して国際平和に積極的、能動的に貢献する国家であるということを内外に宣言するようなものでなければならないと思いますし、さらに、このような世界平和への貢献を行う際には、他者の生命、尊厳を尊重し、公正な社会の形成に貢献するという公共の基本的な考え方を国際関係にも広げて議論をする必要があると考えております。

 戦後六十年、いろいろありました。イデオロギーの東西冷戦の時代もありましたが、今は新たな脅威との冷戦時代というふうになっていまして、国際テロをいかに抑止できるかが世界の安全保障の課題となっております。

 我が国の安全保障も、専守防衛の着上陸とか二百海里シーレーンなど地域限定的な観点ではなくて、テロ、ゲリラに対応するというふうにしなければならない状況でありますが、現実には、二〇〇一年以降、あの九・一一のテロが米国で発生をし、これを防止するためにインド洋やイラクに現在自衛隊が派遣をされておりますが、もう既に国際的には多国籍軍のコアリションの一員として活動をしているわけであります。

 今まではそのことをはっきりと言ってこなかったわけですが、きのう総理が、国連決議の多国籍軍に参加すると表明をされました。しかし、もう既に多国籍軍的なものにはともに行動をしてきたという実績がありまして、根本的には日本の対応が変わるというものではありません。むしろ国連決議が出たという点が変わるわけでありますが。政府なりに今後も多国籍軍との関係を説明すると思いますが、しかし、幾ら説明しても、この憲法によるあいまいな中での説明でありまして、現場の混乱や国民の理解をきちんと受けるということは限界があろうかと思います。

 そして、さらに、多国籍軍に参加するとなりますと、派遣される自衛官にとりましては、現場の悩みや、またさらに状況判断の困難さには拍車がかかることが予想をされておりまして、多くのチームの中で行動するようになりますと、そのチームの役割を果たす使命感と国際的な立場の中で非常に肩身が狭い思いをするかもしれません。

 したがって、国家として、やってもいいということは堂々とやれるように、その本分と本質を踏まえて、人道支援や国際貢献をどうするのか。私は、古来日本には武士道といった、弱い者を助ける、そしていいことは勇気を持って行動する、そのような日本人の心構えがあるわけでありまして、義理と人情のある日本の心を持って、世界の困った問題に対してより熱意を持って堂々と行動できるような、そういう我が国の役割と責任というものを憲法に書く必要があるのではないかと。

 そういう観点におきますと、個別的、集団的自衛権の行使ルール、地域安全保障、集団的安全保障における軍事的制裁措置への参加のルール並びに国際的平和維持活動参加へのルールはいかにあるべきか、しっかりとした根拠を規定する必要がございますので、今後、国会として、この調査会をさらに発展する形で具体的な案づくりのための議論をする場が必要であるというふうに思っております。

山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。

 私は、二点発言したいと思います。

 一点は、日本国憲法の制定過程にかかわる問題なんですけれども、これを押しつけとくくるわけにはいきませんが、私は、制定過程にきちんと調査の光を当てるということ自体は、憲法の豊かな内容をつかむ上でやはり欠かせない作業だというふうに思います。

 一九四五年の八月に日本がポツダム宣言を受諾した際に、世界に対して政治、行政、社会の民主主義化というものを公約したわけですけれども、実際にはそれは憲法の制定となって形になるわけですが、当時の政府はその力がなかった。そういうもとで、極東委員会が開かれる直前にアメリカが、GHQが素案を提議してきたわけですけれども、日本政府に手交した際の決め文句が、これでいわば天皇の制度は残すことができるということでした。その際の天皇の制度というのは、明治憲法体制のもととは全く異なる、国政に関する権能を有しないという非常に大きな制約を受けたものとなったわけです。

 さて、制定過程そのものなんですけれども、私は、今私たちが憲法の大事な原則としていっております、例えば、主権在民を前文と第一条に明記した問題でも、それから九条に国連憲章を踏まえた記述を加えた問題でも、二十五条の生存権を新たに制定議会でつくった問題でも、憲法自体を制定過程の中で豊かにしていく作業がなかなかよく行われた、そういう議会だったというふうに考えているんです。

 そして、そういう過程をきちんと見ないと、先ほど刑事手続の詳細な規定の話も出ましたけれども、なぜ日本国憲法が徹底した平和主義の立場をとり、詳細な人権規定を定めたのか、そういう過程がわからなくなってまいりますから、日本国憲法を二十一世紀に生かしていく上で、私は制定過程論というのは非常に大事な問題になるというふうに思うんです。

 なお、押しつけというところに着目するならば、私は、再軍備を含めまして、九条を中心として改憲論自体が一九四八年以降アメリカから起こってきたというところを直視して調査をきちんとやるべきだというふうに思います。いわば改憲論自体が押しつけなんだという提議です。

 二点目に発言したいのは、憲法制定後五十七年の歴史と現状をどう見るのかということですけれども、私はここには二つの面があると思います。

 一つは、磨きをかけるといいますか、新しい人権もそうですけれども、憲法の原則というものを、この五十数年間の社会の変化や発展に応じて力を持たせるように立法も含めていろいろやってきた、そこのところをきちんと見るということが一つ大事だというふうに思います。

 もう一つは、実際には、憲法の原則との乖離が起きている。これは憲法学界では、例えば、憲法の法体系と安保の法体系という二つの法体系が生まれている、そこに矛盾とあつれきがあるというふうに言うわけですけれども、やはり、憲法の九条に反して再軍備され、自衛隊を持つようになる、そしてそれが海外にまで出かけていくということで、九条との関係では極限状態です。

 そういうものをどういうふうに直すのかということになりますと、私は、憲法の原則の方に現実を引き寄せてくる、現状の政治の改革自体をやるというのが憲法を一番生かすものだというふうに思うんです。ですから、憲法を守るあるいは生かすというのは、何か憲法の条文の一条一条にこだわるだけじゃなくて、日々の政治や生活の現実の中でそれを生かすという非常に豊かな中身を持っているんだということを私は一言つけ加えておきたいというふうに思います。

 集団的自衛権や多国籍軍への参加が違憲であるという点は、冒頭の発言で申し上げましたので、ここでは繰り返しません。

松野(博)委員 自由民主党の松野博一でございます。

 憲法の前文について意見を言わせていただきたいというふうに思います。

 憲法の前文は、国家の包括的な意思を国内外に表明する極めて重要な部分であると認識をしております。現行の日本国憲法は、その前文において、日本国民が国家の名誉にかけて全力で達成すべき理念として、その方向、範囲に対して、大きくは二つの分野を挙げています。

 一つは、日本国内において日本国政府と国民の間において実現されるべき内容。主権在民でありますとか基本的人権を中心に規定をされておりまして、これを受けて、本文の各条項においてそれを具現化すべき条文が規定をされているわけであります。

 もう一つは、前文のかなりの部分を占めまして、全世界の国民に対して日本が果たしていくべき役割が掲げられております。平和の維持でありますとか、専制と隷従などの除去が挙げられているわけであります。幾分抽象的な表現でもありますけれども、しかし、問題は、この部分を具現化すべき条文というのは本文の中に規定をされていないということでありますし、今までも議論がありました、九条をめぐる議論というものが整理をされていない結果、これらを具体的に日本の行動として示していくことが現状において困難だということも挙げられるかと思います。

 人権に関しては、日本国内において保障されるレベル、これは日本国憲法が意図するものでありますけれども、国内において実現されるレベルと日本国憲法が望む全世界の国民において達成されるべき人権の性質とレベルというのは違うというような意見も小委員会の方の参考人質疑の中でも出ました。

 もちろん、それぞれの国家に主権があり、憲法やそれに類する基本法におきまして、その理念、守るべき人権が規定されております。独立国の主権、伝統、価値観を尊重するということはもう言うまでもないことでありますけれども、国際世論の中で集約されていく内容、全世界の国民に共通する普遍的な問題や危機意識に対して、今後日本が全世界に対して果たしていくべき使命を今よりもさらに明確に、具体的に前文の中にうたっていくということは非常に意味があることではないかというふうに思います。例えば、地球環境に対する日本の責任等を明確に記していく、そういう必要性を感じます。

 以上でございます。

中山会長 この際、一言申し上げます。

 本日は、午後、本会議の予定もございます。予定の時間もありますので、御発言は、現在プレートをお立ていただいている平井君、古屋君、柴山君、増子君、船田君、土井君までとさせていただきたいと思います。御了承を願います。

平井委員 それでは短く、憲法について私が今感じていることをお話しさせていただきたいと思います。

 私も、憲法調査会に入るまでは、憲法というものが、自分の生活からいくと、非常に遠い存在というか身近なものではありませんでした。こういう議論を積み重ねていくうちに、憲法というものはやはりその国家の形を決めていくものだなというふうに強い思いを持ちました。

 一方、世の中はこのまま何にも変わらないんじゃないかということも一般的な国民の中にある一つの閉塞感だと思います。ですから、憲法など変わるわけはないという国民のあきらめを一掃するというか、言ってみれば、究極の国民の認識の構造改革ということが憲法改正ではないかなというふうに思います。それを一たん突破すれば、この国は変わる可能性がある。各種制度や官僚機構であったり、規制だ、慣行だ、日ごろの障害となっているような、それであきらめて甘受しているような国民の意識が変化すると思います。

 また、そうならなければならないと思うのは、けさの新聞でも出生率が一・三を切るというようなことで、これは明らかに人口は減り、高齢者がふえる。そういう中で、国民一人一人がいかにして主体性を持っていくかということを考えた場合、やはり物事は変わるんだということの前提に立った憲法改正の議論をすべきだと私は思っています。

 それと、この憲法に関して言えば、もともと九条と改正手続の厳格化というものは、一度戦争を引き起こした我が国を硬性憲法の中に閉じ込めることが目的であったと思います。しかし、それを五十数年間使いこなす中で日本は繁栄をしてきたわけですけれども、みずから国家運営を行うことへの不信みたいなものはまだあるんではないかと思います。それは、当然、外交問題も含まれると思います。

 もう一つ、国民主権というようなお話は皆さんおっしゃるんですが、ここの国民主権というものが、総体としてとらえられていて、個人としてとらえられていないのではないかということを私常々思っています。これも、個人個人の自由な活動を実は正面から認めないという一つの国民不信ではないかな。このようなものもやはり多くの国民に関心を持っていただく、要するに、憲法というものに国民が夢を持つためには考えていかなければならない問題だと思います。

 もう一つ、憲法といいますか国の信頼ということを考えると、この憲法改正のプロセスというものを多くの国民に知っていただく、場合によっては、アジアを中心に国際的にもオープンにしていくということは、これは国の信頼という面では非常に重要かと思います。

 そういう意味で、憲法改正のプロセスという中で、多くの方々に憲法の問題点、そして次の時代というものに対して思いを持ってもらいたい。今の時代に憲法が合わなくなったから変えるというだけでは憲法改正ではない。次の世代に対していかに我々が責任を果たすかということが重要ではないかと思います。

 以上です。

古屋(圭)委員 自民党の古屋圭司でございます。

 私からは、きょうも大分議論が出ましたので、今後のこの憲法調査会のあり方について提案をさせていただきたいと思います。

 いよいよこの憲法調査会も今通常国会の会期末を迎えまして、大変大詰めとなってまいりました。来年の通常国会ではいよいよ最終報告を行う予定です。その最終報告に向けまして、やはり一つの方向性を見出していくという極めて重要な時期に差しかかっているというふうに認識しております。

 思い返せば、第百五十四国会より設置をされました各小委員会が延べ六十二回開催されました。小委員各位は、それぞれのテーマについて徹底的かつ広角的な視野から議論が積み重ねてくることができたと思っています。また、延べ五十九回にわたりまして調査会の本委員会が開会をされました。多くの委員から、現行憲法が現在の社会情勢に合わなくなっているという意見も出されました。

 世界の例を見ても、時代の変遷に対応し、憲法改正を行ってきたということは事実です。しかし、ここでまず指摘をしておきたいのは、特に九条に関する議論は多岐にわたりましたが、侵略戦争放棄理念そのもの、これは憲法を改正したとしても堅持すべきとの共通認識はあったと思います。

 また一方、自民党におきましても、来年は結党五十周年を迎えまして、憲法改正試案を発表することになっています。今週中には中間的論点整理の素案が発表される予定です。時間がないので内容は省略しますけれども、実質的には全面的な見直しに近いものであるというふうに認識をしております。これは戦後六十年近く一度も改正されていないということもありまして、議論を積み重ねてくれば至極当然の結果ではないかというふうに思っています。きょう、ここでの議論も現行憲法のふぐあいを指摘しているものが多いわけでありまして、これは改正が必要ということにつながるわけであります。

 そこで、この憲法調査会での五年間にわたる貴重な議論の積み重ねを立法府の責任として次のフェーズに移すためには、この憲法調査会の最終報告において、議案提出権を有する機関を早急に設置すべきとの考え方を盛り込むべきと考えます。

 冒頭、保岡委員が指摘しているように、憲法改正試案の付託委員会を衆参両院に常任委員会として設置すべきとの意見には賛成であります。それにあわせて、国会の不作為との批判に対応するためにも、憲法改正について定める九十六条を具体的に実施するための法整備、これをできるだけ早く成立させるべきだと考えております。

 以上、簡潔に提案をさせていただきました。

柴山委員 自由民主党の柴山昌彦でございます。

 今古屋委員から御指摘があったとおり、私も、日本国憲法制定六十年になりなんとする現在、また国民の六割から七割が改正を支持している現状においては、改正が喫緊の課題となっているという認識でございます。

 ただ、今御指摘のあったように、現行憲法では九十六条で極めて難しい改正手続が定められておりますので、私は、常任委員会として憲法改正に関する委員会を設けるとともに、当面、必ず改正しなければいけない規定というものについて、まず早急に改正のための具体的な議論に入るべきだ、このように考えております。

 具体的には、先ほど下村委員などから御指摘のあった私学助成の問題、あるいは憲法七十九条や八十条で裁判官の報酬は減免できないと明文上なっている規定、あるいは犯罪被害者の刑事手続における権利を何とかすべきではないか、そういった与野党を超えて合意が得られるような喫緊の課題について、まず改正の俎上にのせるべきだと私は思っております。

 また、改正手続の緩和についてでございますけれども、現在こちらの調査会でも、将来における参議院制度改革あるいは地方自治改革といった議論の中で、極めて改正が困難な状況にあることは、これは否定しがたいものがあると思っております。

 先ほど、民主党の委員より、国会での発議の要件を過半数にした場合、また与党が強行採決をするのではないかという懸念が示されましたけれども、私は、そうした強行採決に対する懸念というものは、国民投票によって過半数の支持を得なくてはいけないというプロセスを経ることによってこれをある程度緩和することができるのではないかということで、憲法の改正というものを真剣に現実化するためには、現在の改正要件を緩和することが必要であるという考えを持っております。

 なお、若干の時間を使いまして、私の憲法上のスタンスというものを申し上げたいと思っておりますが、まず、憲法上、公共性あるいは義務という概念を設けることについての意見でございます。

 先ほど来、若干の委員より、現行憲法というものは国家権力からの国民、個人の権利の防衛というものが主眼であるから、義務というものを創設するということはなじまないのではないかという意見がありました。

 しかし、そのような概念的な立場で物を言えば、現在の憲法が定めている教育を受けさせる義務、あるいは勤労の義務、あるいは納税の義務というものについても説明ができないのでございまして、私は、現行の憲法というもの、あるいは今後改正及び制定が必要となる憲法というものは基本法である、そのような観点から、こうした義務についてもやはり真剣に検討をしていかなければいけないのではないかと思っております。

 また、先ほど保岡委員より御指摘があったとおり、他者や社会をしっかりと尊重するというような観点につきましても、やはり公共性というものをもう少し、現在の憲法十三条あるいは二十二条、二十九条といった公共の福祉という規定以外に、きちんと内容を豊かにした形で公共性というものを何とか盛り込んでいくべきではないかなということも将来的な課題としては考えていかなくてはいけないのではないかと思っております。

 統治機構については、国会審議の現在の形骸化という御指摘が河野委員からありましたけれども、私も、今般、新人の国会議員となりまして、この国会審議というものを実質しなければいけないのではないかという問題意識を持っております。将来の課題として御検討をいただければ幸いです。

 以上です。

増子委員 民主党の増子輝彦でございます。

 きょうまでのこの憲法調査会、中山会長の御努力に敬意を表したいと思います。

 私も、この憲法調査会、初めて参加をさせていただきましたけれども、きょうはまとめということでございますので、総論的なことを申し上げたいと思います。

 一つには、さまざまな論点が出てまいったわけであります。その論点の中でも十分それぞれが調整可能なものと、どうしても相譲れないものというものがあるように強く感じられました。

 私は、特に第九条の問題については、なかなかすぐ簡単にこの調整は難しいのではないだろうかというふうに思っているわけであります。調整可能なものについて、私は、段階的にこの憲法改正手続に乗って改正するということに進んでもいいのではないかと。しかし、九条のような非常に国家の一番大事な問題についての改正等については、もっと慎重にあるべきではないだろうかというような感じを持つわけでございます。

 特に、先ほど国民の六割から七割が憲法改正をもう既に容認をしているというような御発言もありましたけれども、私は、果たして国民の中で十分憲法そのものに対しての認識が図られているのか、浸透しているのかということを考えると、今回の年金制度改革の問題を見ましても、総理以下私ども国会議員の中で、多くの方々が年金の未納、未加入というものを含めてこれだけの問題になったにもかかわらず、依然として、年金問題については、国民の中には十分なる認識というものが行き渡っていないことは事実でありますから、憲法問題についても、私は、世論調査のやり方によってはそのような結果が出るとしても、実態としてはそのような内容にはなっていないのではないだろうかというふうに認識をいたしているわけであります。

 しかし、段階的にやれるものからやるというこの方式をとることは、決して私は問題ではないと思っておりますので、先ほど申しましたとおり、整理のできる点から段階的にやっていくことに、私は進んでもいいのではないかと思っております。

 特に、この憲法調査会の初めから申し上げていることは、私自身の憲法の中で、第九条だけは堅持すべきだということを改めて申し上げておきたいと思います。それは、五月十二日の公聴会の中で、まさに軍縮大使をお務めになられた猪口邦子公述人のあの発言の中に、この九条のあり方というものが明確にあらわされているのではないのかと。私は、まさに同感の至りでございます。

 改めて申し上げますと、九条一項、二項に掲げられた考え方は、国際社会で広く知られ、特別の評価を獲得している。世界は、我が国が軍事面での国際貢献において制約を有することを了解し、その範囲内で国際貢献について著しい工夫を行っていることを評価している。我が国は、自国のあり方を過小評価するのではなく、むしろ国際社会への啓発力を信じて積極的に発信し、また日本の姿勢を肯定的に受けとめる各国の多様性の受容をより積極的に外交を通じて評価していくべきであるというこの発言に中に、まさに九条のあり方というものが象徴的に言われているものだと私は思っております。

 そういう意味で、私どものこの九条に関する考え方、非常にここ数年来危険な方向に行ってしまっているということに心配をいたしております。特に、今回の小泉首相がブッシュ大統領との会談の中で多国籍軍への参加を表明したということ、これは、与党の中でも政府内部でも十分な論議もなされず、何もなされないままトップでこのようなことを決めてしまっていくということについて、非常に危険性を感じていることを申し上げまして、私のまとめでの発言にさせていただきたいと思います。

船田委員 自民党の船田元でございます。

 この四年半、当調査会においては、まことに真摯で、そして緻密で、また広範な議論が展開をされたと認識しています。当事者の一人としても、これは大変な驚きであるというふうに思います。

 ただ、残念なことながら、国民の間には余りこの事実が伝わっていないということがあります。先日も、ある参考人から、憲法調査会というのは第九条のことばかり議論しているものかと思っていた、このような御発言もあり、ややショックを覚えました。やはり、この調査会の活動あるいは議論の中身、もっともっと広報しなければいけないということを感じた次第です。

 しかしながら、やはりこの存在が国民の憲法に対する意識に大きな変化を与えてきたということも否めないと思います。過去は、GHQによる押しつけではないか、押しつけ憲法論。それに対して、絶対に触れてはいけない不磨の大典論。この二つの不毛な対立が過去にはあったと思います。

 しかし、ようやくその議論がかみ合ってきました。五十七年にわたりまして長く同じ服をずっと着ていたために、汚れやほころびが出てきてしまった、そろそろ着がえなければいけないという憲法古着論や、あるいは、私たちの国あるいは私たちの生活をよくする道具として憲法というものを考えていこう、憲法道具論というものがかなり前面に出てきたなというふうに感じております。

 今後の調査会の運営についてですが、同僚議員からも触れられましたように、なお逐条の議論は、補充するべき部分は若干残っております。しかし、来年の最終報告に向けてそろそろ論点整理を行っていく段階に差しかかってきたと思っております。最終報告を出してこの調査会は役割を終えるわけでありますが、その後は、やはりステージを上げまして、議決権のある委員会、できれば常任委員会という形でこの憲法の問題にさらに議論を加え、そして実のある委員会としていくべきではないかと考えております。

 以上でございます。

土井委員 もう時間が時間ですから、簡単に申し上げたいと思います。

 近代国家の憲法というのは、総じて、個人の人権を尊重する、人間としての尊厳性ということをあくまでも尊重するというところにその存在意義があることは、もう明々白々ですね。その点から考えますと、日本国憲法は十三条で、個人の尊厳、幸福追求ということについての権利を非常に重視しております。

 最近、憲法を変えなきゃならないとおっしゃる改憲論の中では、個人よりは国、国家、そして個人の個よりも公ということが強調されます。これはまさしく、人権尊重という基本的姿勢からすると、個人の尊厳性だって、国の方は勝手なことできませんよ、国の名において人権を奪うことはなりませんよということが本旨である中身からすると、この改憲論の言われていることは誤りだというふうに申し上げねばならないと思うんですね。

 わけても、日本国憲法は、平和的生存権というのを最も根源的な人権と考えているところに、私は第九条の意味というのは大変に大きいと思っているわけです。しかも、憲法の前文の二段というのは、自分さえよければよいじゃないんであって、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」というふうに宣言しておりますから、この意味においても努力が肝要なんですよね。

 そういたしますと、この平和的生存権というのに立ち戻って考えたときに、二十世紀以降の戦争というのを考えてみますと、例外なくと申し上げねばなりません、一般市民が戦争の直接かつ最大の被害者であるということは動かぬ事実です。そういう点から、まず生命を尊重する、そして人権を保障する、それには戦争を否定する、拒否するということが、徹底した保障の中身でありまして、平和を維持するということ自体が人権そのものの保障に通ずる。平和的生存権というのはまさしく、そういう意味からすると、各国は、うらやましい憲法だ、我々もそういう憲法を持たなければならないと思っているという声が大変に強いということを、むしろ私たちとしたら自負心として持っていなければならない中身だというふうに思うんです。

 先ほど、改正の意見が国民の世論調査では六割から七割とおっしゃいましたけれども、憲法第九条に対しては、改憲は反対とおっしゃる方が半数以上、過半数あるということも現実ですね、これは調査結果に出ておりますから。なぜこうかということになると、国民の皆さんお一人お一人は、やはりこの問題に対して大変鋭敏だということだと私は思います。

 したがって、憲法の九十六条からすると、改正の手続ということがきょうも問題になりましたけれども、形式的に手続は合憲であっても、中身によったら、憲法から考えれば認められないという中身も時にあると思うんです。つまり、内容ですよ。形式と内容、手続上はこの二つの問題というのが大変に問題になるんじゃないでしょうか。

 この憲法が存立するまでの歴史的経過があります。現に存在している存在意義があります。今申し上げた平和的生存権というのは、動かしがたい日本国憲法の、一大、力点を置いて言わなければならない問題です。これに対して逆行するような憲法の変え方というのは、九十六条からしたら認められないというふうに言わなきゃいけないと私は思うんですね。特にこの九十六条で、三分の二の、国会では、発議権ということについて、これはきつ過ぎるという意見がありますけれども、政府の都合や国の機関の都合でもって改正が考えられるわけじゃないんであって、国民の人権というものをあくまで尊重するという立場に立って考えれば、三分の二ということを決めている硬式憲法の意義は大変にある、最高法規であるということをゆるがせに考えたらだめだと私は思います。

 したがって、九十六条を変えて改正がしやすいような条文に変えたいと言われるということは、これは法理から考えると憲法の自殺行為だというふうに私自身は思っているわけでして、きょうはあらまし、アウトラインだけを申し上げさせていただきましたけれども、まだこの問題に対しては時間をさらにいただきたいということを申し上げて、終わりたいと思います。

 ありがとうございました。

中山会長 これにて自由討議を終了いたします。

    ―――――――――――――

中山会長 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 第百五十九回国会において、現時点で予定されている調査会は、本日が最終回となります。

 今国会におきまして、従前より実施している日本国憲法の前文及び百三カ条の全条章の網羅的な調査を継続し、遂行すべく、調査会のもとに四つの小委員会を設置して、調査を進めてまいりました。

 各小委員会における議論の概要につきましては、毎月、各小委員長より御報告をいただいておりますが、いずれの小委員会におきましても、小委員各位による議論は極めて活発でありました。

 また、本調査会におきまして、その小委員長からの報告聴取及び自由討議のほか、科学技術の進歩と憲法というテーマを掲げて個別の調査を行いました。

 さらに、日本国憲法について国民各層の御意見を聴取し、憲法調査会における調査の参考にするため、三月十五日に広島県広島市において第九回目の地方公聴会を開催し、平成十三年四月の宮城県仙台市から始まった地方公聴会は全国一巡をいたしましたし、五月十二日及び十三日の二日にわたって中央公聴会も開催いたしました。

 このように、今国会におきまして、活発かつ順調に調査を進めることができましたことは、ひとえに委員各位の憲法調査に対する御熱意と御協力のたまものと、深く感謝する次第でございます。

 このように、委員各位とともに精力的に調査を進めてきました今会期の憲法調査会の調査を終えるに当たり、幹事会での申し合わせに従い、会長として、それらの調査を通じて特に印象深く感じた幾つかの点について、所見を申し上げたいと存じます。

 まず、何といっても印象が極めて深かったのは、本調査会において調査を行った科学技術の進歩と憲法の関係でございました。

 戦後の科学技術の進歩には、実に目覚ましいものがあります。これら科学技術の進歩は、自然科学の分野に限らず、憲法を含む国家の法制度に重大な影響を及ぼす可能性のあることが明確になってきたと存じます。

 例えば、近年、日本国憲法制定時には想像もできなかった遺伝子工学という分野が出現をしています。しかし、クローン技術、遺伝子組み換え技術などが乱用された場合の倫理面や環境面への弊害は予測できないものがあり、これは翻って、日本国憲法の最高価値である個人の尊厳に重大な影響を与えかねない問題であります。

 これを、憲法上のテーマとして具体的に構成すれば、いわゆる生命倫理規定や環境権・環境保全義務に関する規定の是非といった問題になるわけであります。事実、一九九六年に、イギリスでドリーと名づけられたクローン羊が誕生しましたが、その三年後には、スイス憲法が改正され、人間のクローン化を禁ずる規定が設けられております。

 このほかにも、通信衛星を初め、放送衛星等の打ち上げによる通信手段の革新、インターネットの普及等による情報通信技術の急激な進歩が新しい社会への影響を与えております。最近、佐世保市におけるインターネットを通じた少女の殺人事件もその一端ではないかと考えます。これに関連して個人のプライバシーの保護や国民の知る権利などの議論がなされているところですし、また、先端的研究によって生み出された知的財産権の保護は、世界各国でも喫緊の課題となっているところであります。憲法上に、これらの規定を有している国の数は、既に四十数カ国以上に上ります。

 確かに、法律レベルでは、我が国においても、科学技術基本法の制定、知的財産高等裁判所の設置の準備等、科学技術の進歩に対応した法制度が徐々に構築されつつあります。しかし、一方においては、その制度を支えるはずの人材は、医事関係訴訟、公害関係訴訟及び知財関係訴訟の地裁における新受理件数が年間約千七百件に及ぶ状況であるにもかかわらず、約三千人全国の裁判所にいる裁判官のうち理系出身の裁判官が八人しかおられないことに象徴されるように、十分なものではございません。

 科学技術の進歩に対応した法制度の裏づけとなる基本的な規定を憲法の中に設けるべきではないか、こういう御議論が、諸外国の例を参考にしつつ、さまざまな立場からなされたことは、大変有益な議論だったと思います。

 もう一つ、九条と国際協力に関する調査もまた、印象深いものでした。

 我が国の人的貢献の側面における国際協力のあり方及び国内体制の未整備が厳しく問われたのは、一九九〇年以後の湾岸危機を契機としたものであったと存じます。その後、一九九二年にいわゆるPKO法が成立し、周辺事態法、テロ特措法、イラク特措法というぐあいに、個別的、具体的な制度設計に当たっては、我が国憲法のもとで実施し得る国際協力の範囲に関して、集団的自衛権の行使の禁止及び武力行使との一体化論を含む九条解釈論が、繰り返し議論されてきたようなわけであります。

 このような議論の推移にかんがみるとき、法治国家として、国際社会において我が国がなし得ることとなし得ないことの基本を、国家の基本法において疑義のないように明確に規定していくべきではないか、そういう議論が出てくることは、当然のことであると存じます。事の是非に関する立場の違いを超えて、この憲法に基づく政治という立憲民主主義の要請について、委員各位とも共通認識を持たれたものと存じます。

 この九条と法治国家あるいは立憲主義の問題に関連して、私自身が常日ごろから疑問に思っていることがございます。

 それは、憲法規範と現実の乖離は、九条の問題に限られているわけではございません。先般来御議論のございました私学助成と憲法八十九条関係はよく引かれる例でありますが、それだけでなく、例えば、きょう森山委員が御発言になった裁判官報酬引き下げと憲法七十九条、八十条の裁判官報酬の減額禁止規定との関係も、その典型的な例であります。これらを憲法違反でないとする解釈は、学者あるいは役人的には不可能ではないとしても、決して、主権者である国民にわかりやすい解釈とは言えないと思います。最高裁判所が憲法判断に消極的で、憲法上の争点については公権的判断が的確に得られていないこともまた国民にわかりにくい法の解釈、運用を許す原因となっているのだと思います。

 国民にわかりづらい法の解釈、運用ということ自体、法治国家、立憲国家の観点から問題であるのみならず、憲法が国民に理解されにくい形で運用されているとすれば、国民の規範意識の希薄化、憲法に対する信頼性の喪失をもたらしかねない、それこそが最も重要な問題ではないか、そんな感想を申し添えておきたいと思います。

 他方、これらとは逆の問題もあります。憲法九十六条の憲法改正規定に基づく手続法が、戦後六十年、制定されていないことであります。憲法が当然に予定している法制度が、憲法施行後約六十年にわたって整備されていなかった。これに関する積極、消極の両方のお立場からの御議論も、活発になされたことも、また、印象の深いものでありました。

 最後に、天皇制に関する議論について、一言、申し上げたいと存じます。

 従来、ともすればタブー視されてきた象徴天皇制の問題についても、この憲法調査会ほど広範にかつ詳細に議論されたことはなかったのではないか、それほどまでに熱心かつ具体的な御議論が繰り広げられてきたのであります。

 この御議論を通じ、象徴天皇制それ自体の存続については、各党各会派ともに異論がないところと確信いたしますが、今国会において、特に、議論の焦点の一つとなったのは、本日も議論のございました女性天皇の問題であったかと存じます。女性天皇の問題につきましては、憲法事項か皇室典範という法律事項かの議論もございますが、いずれにしても国家の象徴である天皇制の問題と密接にかかわる問題でございますので、引き続き、議論に値する重要なテーマの一つかと存じます。

 以上、今国会における調査会の議論を通じての若干の所見を申し述べてまいりましたが、言うまでもなく、本調査会は、国権の最高機関に設置された機関として、国の内外の諸問題について、憲法的観点から大所高所の御議論を行うことができる唯一かつ最適の機関であります。国民の代表たる国会議員がさまざまな立場から討論し、意見の相違を尊重しつつも共通認識を醸成していくという作業は非常に重要な意義を持つものと存じます。

 本調査会では、人権の尊重、主権在民、再び侵略国家とはならないという三つの原則を堅持しつつ、日本国憲法に関する広範かつ総合的な調査を行ってまいりました。おおむね五年程度をめどとすることにされている調査期間も、残りわずかとなっておりますが、引き続き、この三原則を堅持しつつ、最終報告書の作成に向けて努力してまいりたいと存じます。なお、各会派におかれましては、調査会が調査を遂げた後において国会としてどのように対応していくべきかについて多大の御関心があるものと存じます。

 最後になりましたが、会長代理を初め、小委員長、幹事、オブザーバーの方々、そして委員各位の御指導と御協力により、今国会もまた公平かつ円滑な運営ができましたことに対し厚くお礼を申し上げるとともに、改めてさらなる御協力をお願い申し上げて、閉会の辞とさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)

 本日は、これにて散会いたします。

    午後零時三十五分散会


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