衆議院

メインへスキップ



第16号 平成13年6月6日(水曜日)

会議録本文へ
平成十三年六月六日(水曜日)

    午前十時一分開議

 出席委員

   委員長 高市 早苗君

   理事 斉藤斗志二君 理事 鈴木 恒夫君

  理事 田野瀬良太郎君 理事 高橋 一郎君

   理事 平野 博文君 理事 藤村  修君

   理事 西  博義君 理事 都築  譲君

      小渕 優子君    岡下 信子君

      河村 建夫君    杉山 憲夫君

      砂田 圭佑君    谷垣 禎一君

      谷田 武彦君    谷本 龍哉君

      馳   浩君    林 省之介君

      増田 敏男君    松野 博一君

      水野 賢一君    森岡 正宏君

      大石 尚子君    鎌田さゆり君

      葉山  峻君    肥田美代子君

      牧  義夫君    松沢 成文君

      山口  壯君    山谷えり子君

      山元  勉君    池坊 保子君

      斉藤 鉄夫君    武山百合子君

      石井 郁子君    児玉 健次君

      中西 績介君    山内 惠子君

      松浪健四郎君

    …………………………………

   文部科学大臣       遠山 敦子君

   文部科学副大臣      青山  丘君

   文部科学副大臣      岸田 文雄君

   文部科学大臣政務官    池坊 保子君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策

   局長)          近藤 信司君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育

   局長)          矢野 重典君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局長

   )            工藤 智規君

   政府参考人

   (文部科学省科学技術・学

   術政策局長)       大熊 健司君

   文部科学委員会専門員   高橋 徳光君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第四三号)

 学校教育法の一部を改正する法律案(内閣提出第七一号)

 社会教育法の一部を改正する法律案(内閣提出第七二号)




このページのトップに戻る

     ――――◇―――――

高市委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案、学校教育法の一部を改正する法律案及び社会教育法の一部を改正する法律案の各案を一括して議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 各案審査のため、本日、政府参考人として文部科学省生涯学習政策局長近藤信司君、初等中等教育局長矢野重典君、高等教育局長工藤智規君、科学技術・学術政策局長大熊健司君、国際統括官白川哲久君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

高市委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

高市委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。松野博一君。

松野(博)委員 おはようございます。自由民主党の松野博一でございます。

 教育関連の三法案の改正と、今、私の教育問題に関します問題意識から質問させていただきたいと思います。

 私は、今回の改正というのは、国民の教育行政に対するフラストレーションにかなりこたえるものではないかなというふうに考えております。不適格教師を教職以外の職場に異動させること、問題児童の出席の停止の件、もちろん明確な基準、そして慎重な運営が必要なことでありますけれども、方向性としては、今国民が教育に対して、教育現場に対して望んでいるニーズに合致をするものではないかというふうに考えております。

 これらが円滑に施行されていくためには、今言いましたような案件が審議、決定される場というのは教育委員会でありますから、この教育委員会というのがますます重要な位置を占め、機能的かつ公平に運営をされていくことが重要だというふうに考えております。

 今回の改正の中で、教育委員会の活性化についてもありまして、幅広い、各層から委員を求めること、議論を公開する等があります。この二点も大変有意義で重要な改正だというふうに考えますけれども、教育委員会に期待される目的がどんどん高まっている、こういうことを考えますと、運営面からの検討も必要ではないかなというふうに考えております。

 そこで、教育委員会の運営に関して質問させていただきたいと思います。

 まず、任命された教育委員長、教育委員の権限と責任の問題でありますが、教育委員会は、教育委員が基本方針を示し、教育長を通して全体を監督指揮するというような運営方法でありますけれども、教育行政執行機関として、教育委員会の責任の最終所在はどういうふうなことになっているのか、そのことに関してお伺いをしたいと思います。

矢野政府参考人 教育委員会の最終的な責任はだれが負うのかという御質問でございますけれども、教育委員会は合議制の執行機関でございますために、その最終的な責任は教育委員の合議体でございます教育委員会が負うわけでございます。そういう意味で、一人一人の委員が責任を負う、そういう性格のものではございません。

松野(博)委員 教育委員は、単に答申を上げるとかいうことでなく、教育の行政上の最終責任者であると。大変重要な地位であるということかと思いますけれども、平成九年の例を見ますと、市町村の教育委員会が年平均開かれております回数は十一・六回であります。一月一回開かれない月もあるということでありますけれども、現状の教育委員会の幅広い役割から考えても、果たしてこれでうまく機能しているのかなという疑問がありますし、また、これから、より活性化をされた教育委員会、この活動が望まれるときに、果たして今後もこういった頻度で教育委員会の会議が開かれることがいいんだろうかというような考えもあります。

 そして、教育委員会の招集権というのは教育委員長が持っているわけでありますけれども、せっかく幅広い層から委員を求めるということで、委員の問題意識をより反映していったり、委員のアンテナを通して地域の教育問題にスピーディーに対応していくためには、委員からも招集を求めるというような方式もあってもいいのかなというふうに考えるんですけれども、この点についてお伺いをしたいと思います。

矢野政府参考人 先ほど御指摘がございましたように、教育委員長は、これは委員の互選により選出されまして、教育委員会の会議を主宰し、教育委員会を代表する役割を担っているわけでございます。そしてまた、「教育委員会の会議は、委員長が招集する。」ということになっているわけでございます。

 そういう意味では、形式的には会議の招集権者は委員長にあるわけでございますが、先ほど御提言がございましたように、実際の運用、運営としては、委員から会議の御提言があって、それを委員会として踏まえて委員長が招集するというふうな運営も、現実の運営としてはあろうかと思うわけでございます。

松野(博)委員 開催頻度の問題というのはお答えの中になかったようでありますけれども、私、個人的には、教育委員会をより活性化して幅広い意見を反映していくためには、年十一・六回というような状況ではとても対応できないなというふうな意見を持っております。

 今、教育委員に求められている役割というのは、教育委員は大所高所から基本方針を作成するということが役割となっております。これは、教育委員が非常勤でありますし、必ずしも教育の専門家ではありませんので、こういった基本方針ということになるのかと思いますけれども、例えば、児童の出席停止に対する審議、不適格教師への対応等は教育委員会の案件でありますし、また、今回の改正、努力目標でありますけれども、委員の構成員に保護者が加えられる、こういったことを考え、地域特性を生かした教育を推進していこう、こういう趣旨にのっとりますと、大所高所から基本方針を定めるという従来の委員に期待される役割というのが変わってくるのではないかなと。もっと積極的な、個々地域性に根差した、具体例にまで突っ込んだ議論というのがこの教育委員の会議の中で行われるべきだというふうに考えております。

 また、そのために、現状は、調査研究のスタッフというのは教育委員会の事務局部門が担っているということでありますけれども、スタッフ等の、教育委員をフォローするさらなる充実が必要と考えておりますけれども、この点に関してはいかがお考えでありましょうか。

矢野政府参考人 先ほどお話がございましたように、教育委員会におきましては、教育委員の合議によりまして教育行政の基本方針や施策を決定するのが教育委員会の基本的な役割でございまして、それを受けて教育長が具体的な事務を行う、執行する、そういう役割を担っているわけでございます。

 そこで、教育委員会が、ただいまお話がございましたように、児童生徒の出席停止や指導が不適切な教員への対応など、その権限を適切に行使いたしますためには、御指摘のように、調査や研究といったような機能を十分果たすことが必要であるわけでございまして、そのために教育委員会としてこうした調査研究機能の充実を図っていくことがこれから大変大事な事柄になろうかと思うわけでございます。

松野(博)委員 本当に、当初の目的からかんがみて、教育委員会の重要性というのはますます上がっていくわけでありますから、十分な調査研究等のスタッフの充実を図っていただきたいというふうに考えております。

 今回の改正の中で、教育委員会の議論というのが公開をされるということになりました。このことも、クローズドになりがちなこういった委員会の内容というのを広く一般の人に知らしめることによって、また外部からも御批判をいただく、御意見をいただくということで、活性化に向けて非常に有意義であるかと思いますけれども、今文部科学省で、そのほかのことで教育委員会の活性化策をどう考えているのか、このことについてお伺いをしたいと思います。

遠山国務大臣 今回の法案では、今お話しのように、教育委員会の会議を原則として公開にするということといたしておりまして、これによりまして、教育委員の合議体としての非常に熱心な御議論が展開されるようになるのではないかということと、情報公開も進むということで、かなりの大きな改善になるのではないかと思っておりますが、同時に、教育行政に関する相談体制の整備を図ろうといたしております。これによりまして、地域住民や保護者の意向を一層的確に反映した施策の展開がなされているものと考えております。

 これに加えまして、私どもで今考えておりますのは、一つは、定例会のほかに、臨時会あるいは委員協議会などの方式を活用してほしい、あるいは開催時日を工夫するなどして、例えば夜にでもやっていただくとか、いろいろな住民が、公開になっておりますから、それを見聞することができるようなチャンスを使うとか、日時についても考えてもらうなど、適時適切な会議の開催に努めてほしいということ。

 あるいは、会議におきまして、委員の活発な意見交換が行われますように、その場において資料を出すということではなくて、事前に議案についての説明をしたり、必要な資料を配付しておくようなことでありますとか、教育委員に対しまして、今のその地域で起こっている教育問題あるいは施策の状況等につきまして、情報提供をしたりあるいは研修の機会、さらには視察を行っていただく、そのようなことも大事ではないかということを、私どもとしては、今後、各教育委員会の取り組みについて助言をして、教育委員会が本来あるべき形の活発な議論が展開されるように、取り組みを促してまいりたいと思っております。

松野(博)委員 ぜひ、さまざまな観点からの活性化に向けての施策を続けていただきたいというふうに思います。

 私は、もう一点違う角度から、今日、国民的な関心も非常に高く、また私も個人的に問題意識を持っている問題、中学校の歴史教科書の問題について御質問をさせていただきたいと思いますが、中学校で今使用されている教科書で、いわゆる従軍慰安婦という記述があるのが、歴史教科書で三つ、公民教科書で一つであります。

 私は、どうもこの歴史教科書問題というのは、不毛なイデオロギーの対立でありますとか、政治勢力の対立や妥協、こういったものが前面に出て、本当に子供たちの健全な育成に関しての観点で検討がなされているのかなと疑問に思うところがあります。

 ある高名な宗教家が、自分の弟子たちに物事を教えるときに三つのことを考えている、三つのことをクリアして初めて教えることにしているということを聞きました。その一つは、自分が教えようとしていることが真実かどうか。二つ目は、そのことを教えることが相手にとって、利益を与える、得なことかどうか。そして三つ目が、今教えるべきかどうか、もっと相手の成長を待って、五年、十年後の方がいいのじゃないか。こういうような三つのことを検討して弟子たちに教えを説くという話がありました。

 これと同様の趣旨が、実は政府が出している文書の中にありまして、それは教科書の検定基準の中に種々、書かれている位置はばらばらでありますけれども、総合しますと、この三つと同様の趣旨があります。

 私は、真実かどうかという問題に関しては、さまざまなお立場の中で見解があることを承知しております。私個人としては、必ずしも歴史的に立証されたこと、確定されたことではないなという意識はありますけれども、そのことを議論していると趣旨から外れますので、議論を進める仮定として、私としては百歩譲って事実であるというふうにしたところで、本当にそのことを教えることが子供たちにとって益があることなのかどうか。国家の歴史というのは正の歴史、負の歴史、さまざまなことが織りなすものでありますけれども、その中から選択をして子供に教えるべきことなのかどうかというのは、疑問に思うところであります。

 それでも、日本が犯したすべてのこと、それも悪いことであっても子供に教えるべきだという考えの方もいらっしゃると思いますが、そこをもう一つ譲って、では、教えるべきだということにしても、それが果たして中学生の段階で生徒たちに教えるかどうかということに関しては、これは多くの方が否定的な考えをお持ちではないかなというふうに考えております。

 文部省の教科書検定基準に対する見解で、たとえ事実であったとしても、当該年齢にかんがみて高度過ぎる内容というのは除外する、教科書としては適さないという見解を示しているということでありますけれども、当時の国際知識、社会状況、また当時における倫理問題、また売春制度の問題、こういったこと、従軍慰安婦の問題を考えるに当たっては、高度な知識と判断力、そして冷静に物事を分析していく人間的な成熟度、こういったものが必要であると私は思います。

 文部科学省が検定に際し、従軍慰安婦問題が中学生にとって高度な問題ではない、そうする論拠についてお聞かせをいただきたいと思います。

矢野政府参考人 まず一点、歴史教科書のあり方について御説明申し上げたいわけでございますが、歴史教科書におきましては、学習指導要領の範囲内で具体的にどのような歴史的事象を記述するか、これは基本的には民間の執筆者の判断にゆだねられているものでございます。

 そこで、御指摘の慰安婦につきましても、これまで中学校の歴史教科書におきまして、それを記述した教科書が民間の教科書会社から申請されてきたところでございます。

 特に、中学校の歴史教科書に慰安婦を記述することにつきましては、先ほどの御指摘のような御議論もあることは私どもは承知しているわけでございますけれども、この点につきましては、教科用図書検定調査審議会におきまして、中学校の社会科の学習指導要領には、さきの大戦が人類全体に惨禍を及ぼしたことを理解させるというふうにされていることがあるわけでございます。

 このことを踏まえまして、中学生につきましては、いまだ心身の発達段階にあるとはいえ、さきの大戦の悲惨な歴史的事象の一つとしてこれを理解することは可能である、こういうこと等を教科用図書検定調査審議会におきまして総合的に勘案し認めることとされたわけでございまして、私どもとしては、それを受けて検定において許容をいたしたところでございます。

松野(博)委員 私の質問意図と答えが食い違っているような気もいたしますけれども、頭脳明晰な文部科学省の方をしても非常にあいまいな答えしかできないというところに、この問題の根深さがあるのではないかというふうに思います。

 もう時間でありますから、最後に、私は、過去の亡霊のような、これはいわゆる右も左も両勢力でありますが、こういった教条主義的な勢力、この対立に子供たちの健全な育成を巻き込まないでいただきたい、そのことを強くお願い申し上げて、質問を終わります。

 どうもありがとうございました。

高市委員長 平野博文君。

平野委員 おはようございます。

 きょう、この教育三法について質問をさせていただきたいと思っていますが、その前に、この審議を通じてすばらしい、遠山大臣が各委員の質疑に対する答弁を聞いておりますと、もっと踏み込んだ、もっと遠山さんらしい力強い御答弁をいただきたいと思って私も聞いておるわけですが、なかなか迷答弁でございまして、ぬかにくぎといいましょうか、何を答弁されているのかがもうひとつよくわからないわけでございます。

 したがって、それではこの委員会が、各委員の皆さんが真剣に、大臣はどう考えているんだ、このことを聞きたいわけでありますが、なかなかよくわかっていないように思う議員が多かろうと思いまして、私も頭がよくないものですから、しっかりとわかりやすく御答弁をいただきたい、このことをまず冒頭申し上げておきたいと思います。

 それと、これは通告をいたしておりませんが、けさの朝日新聞でございましたが、遠山大臣の秘書官が交代された、こういうことでございました。国会開会中に大臣の秘書官がかわるというのは、外務委員会は異例かもわかりませんが、文部科学相においても秘書官がかわった、こういうことでございました。もし差し支えなければ、どういう御理由でかえられたのか、お聞かせいただきたいと思います。

遠山国務大臣 多分、朝日じゃなくて産経新聞だと思いますけれども、私もあれを見ましてびっくりいたしました。

 というのは、私は秘書官について大変満足をしておりまして、非常に立派な働きをしてくれたと思っておりまして、できればこの国会、特に法案審査中でありますので、続けてもらいたいと思っていたわけでございますが、先生方の質問取りから始まって、大変過酷な労働が続いたということでありまして、私自身もよく生き残っているなというぐらいでございますけれども、そんなこともありまして、これは、やはり本人のことも考えて、それから事務遂行上のことも考えて、やむを得ないかなということでございました。私自身は大変残念でございます。

 ということで、あの記事は全く事実でない、事実といいますか、私の気持ちを勝手に推測されて、問題化しようというようなことが見えて大変残念でございます。

平野委員 いや、私、決してそれを問題にしようという意図はございません。病気、健康上の理由だ、こういうふうな記載もありましたが、ただ、わからない人が見ると、ああまたか、こういうことにもなりましょうし、特に、この教育三法の中でも、指導力不足の教員を配置転換させようというときに、人を人が評価する、またそれを措置としてやっていこうとするときに、その人が気に入らないから、こういう恣意的に動かされる懸念がもしあるとしたら私は非常に残念でございますから、遠山大臣は決してそういうことではないと信じて、この審議に入っていきたいと思っています。

 さて、今日の社会状況あるいはマスコミ等の記事を見ますと、少年犯罪が非常にふえてまいりました。学校の中での非行、暴力等々たくさん出ているのが昨今の社会状況の特徴ではないか。鈴木筆頭がよく言われるわけでありますが、新聞にはそういう記事がない日はないというぐらい荒れている、こういうことでございます。

 しかしながら、一方では、少子高齢化という大きな人口動態の変化に伴いまして、今まではそれぞれの世代の仕組みによって、それぞれ成長段階に、この年齢であればこういう役割を担ってもらいましょう、あるいは六十になればお勤めをやめていただいてあとは年金に入っていただきましょう、こういう時代から、あらゆる能力があるならば、エージレスと言われるように、世代というものは関係ない、こんなことを求める時代に入っていると私は実は思っているわけであります。

 しかしながら、それを認めていくためにも国民の合意というのが極めて大切でございます。勝手にやっていくというわけにはまいらないわけでございまして、国民全体の合意形成のもとにそういうエージレスの時代を我が国民一人一人がどう認識して対処していくか、このことが非常に大事でございます。

 そういうことを前振りで申し上げておきまして、まず、不適切教員の転職、いわゆる地方教育行政法にかかわるところについて質問をしてまいりたいと思います。

 指導力のない教員には教師を辞してもらわなければならない、私は全くそのとおりだと思っております。子供にとってだめな、指導力の不足している先生が居直り続けるということはあってはならないことだと思っておりますし、勤労者としてやる気のないあるいは能力のない職員が地位を保ち続けることも、国民の一般常識から見てもかけ離れているわけであります。これまでこうしたことがまかり通ってきたとするならば、これを改めることについては、全く当然のことだと私は思うわけであります。

 しかし、私が議論したいのは、だめ教員、だめ教員という表現は妥当ではありません、指導力の不足している教員を教育現場から排除する、このこと自体ではなく、制度が恣意的に運用されないか、なぜ指導力不足の教員が生まれたのか、そういう教員をつくらないために何が必要なのか、こういう視点が非常に大事だと思うのであります。

 議論に先立って、私はこういう視点で、まず大臣との間で、同じ認識に立っておられるかどうかだけ、イエスかノーかでお答えいただきたいと思います。

遠山国務大臣 今平野委員が御指摘のとおり、私は、今の学校教育の現場に、指導力において不適切である教員がいるとすれば、子供たちのために、あるいは教育を本来の目的に近づいた活動とするために、そういう教師については、この際今回の措置をもって対応するのが当然と考えておりますけれども、ただ、おっしゃいますように、一つは、それが恣意的になされてはならない、そのようなことでいろいろまた考えておりますが、これはまた後の答弁で出ると思いますが、そのことが一つ。

 それから、やはりそういう教員が出ないようにできるだけのことを考えていく。それは養成段階であり、採用の段階であり、また採用した後の研修、さまざまな段階があるわけですけれども、それらのすべての場面において十分対応していくということが大変必要だと思っております。

平野委員 たくさん質問しますから、イエス、ノーで答えてくださいと言ったときはイエス、ノーで結構でございます。

 今は、そういう共通認識にお立ちになれますねということですから、立っていただける、こういうことを前提に次の質問に入っていきます。

 まず、教職員個人を処分する新たな制度をこういう制度として法律で設ける前に、では文部科学省として、今日まで教員の指導力を確保するための責任をきちっと果たしてきたのか。果たさずして、こういうことがたくさん教育現場に出てきたからという対症療法で終わっているのではないか。今日まで、文部省としてこの責任問題をどういうふうに考えておられるのか、大臣にお聞きしたいと思います。

遠山国務大臣 不適切な教員が学校に存在するとすれば、それは大変な問題であります。そのことをできるだけ少なくするためにいろいろな角度の施策を講じてまいったと思っております。

 先ほども申しましたように、今やり得ることは、すぐれた教員を確保するために養成段階、採用段階、研修段階というそれぞれの段階を通じて、施策を体系的に推進することが大切ということでやってまいっておりました。もしその詳細について今申し述べるのであれば申しますし――後ほどでよろしゅうございますか。

平野委員 今日までこういう状態を迎えたということは、文部省として一定の今までの教育行政の推進に対しては問題があった、こういうふうに理解してよろしゅうございますか。イエス、ノーで結構です。

遠山国務大臣 まだまだ改善すべきことがたくさんあるというふうに認識しております。

平野委員 ありがとうございました。全面的責任は言わないけれども、問題点、課題はある、こういう理解で参ります。

 では、今後見直しをどのようにしていくのかということを聞きたいわけでございますが、近年、教員の養成課程について幾つかの変更がされてきたわけであります。教育実習を長くするなど、とってきたわけですが、長くするといっても、今までは二週間ぐらいのものをたかが四週間ぐらいにして、これは長くしたから大丈夫だ、こんな改革は本当に小手先の改革であると言わざるを得ないと私は思うのです。少なくとも、養成課程の中で、生徒の指導方法など、実践的な訓練を体系的に積み込み、プロの教員として技術を習得できる必要があるわけであります。

 したがって、そういう体系のカリキュラムを抜本的に見直しするおつもりがあられるのか、また、実習についても、週単位とかこういうものであったら、社会教育に出てきます体験学習みたいなものであります。実習とは言えない。少なくとも半年、一年、こういう実習の期間を取り入れるおつもりがあるのかどうかについてお聞きしたいと思います。

岸田副大臣 今先生から御指摘がありましたように、平成十年の教員免許制度の改正におきまして教育実習の延長等が行われたわけでありますが、この新しいカリキュラム、平成十二年度から実施がされているわけでありますが、ぜひこれからこのあたりをしっかりと活用されるべく努力をし、そして、それを実施していかなければいけない今の段階だというふうに認識しております。

 そして、教員の養成につきましては、先ほども大臣の答弁の中にもありましたように、養成、採用そして研修、この全体の中で資質向上に努めていかなければいけないというふうに思っております。

 ですから、養成の段階におきましても、このカリキュラムの活用、そして実効性をしっかりと検証していかなければいけないと思っておりますが、採用後、研修におきましても、初任者研修、今一年間にわたりまして学校内外で行っているわけであります。研修等も条件つき採用期間ということでこの研修期間が位置づけられているわけでありますが、この初任者研修等も活用していかなければいけないと思っておりますし、このあたりの連携の中で資質の向上に努めるということで考えていきたいというふうに思っております。

平野委員 今岸田副大臣がおっしゃられましたが、今でも採用後においては初任者研修というのは一年ぐらいあるのです、あるにもかかわらず、今日までのやり方が実効性に乏しいものだから新人教員が教室で立ち往生している。こういうことですから、この一年間やっておることは何の意味も持っていない。逆に言いますと、一年間まあやれば自動的にいくという一つの過程にしかすぎない。もっと実効性のある、中身のあるものにやはり変えていかなければならないと私は思うのであります。

 初任者研修及び再研修を、教師の指導力を向上させるノウハウを持つ実践的なものに変えていくことがなければ、同じ過程を踏むのではないか、このように危惧をしておりますので、採用段階、採用後の問題、さらには教職員課程の中にはきちっとそういうものを、プロの教員を育てるのだ、こんな意思をやはり文部省の中に明確に出していかないことには、この問題解決にはならないと思うのです。これは私の発言にとどめておきます。希望でございます。

 また、今現実の採用の過程を見てみますと、今日の教員は厳しい採用試験を通過しているわけであります。何十倍という倍率のもとに採用試験を通過して、試用期間も経過して本採用となっているのが今日の教員採用の実態であります。にもかかわらず、後日に指導力不足が問われる。当然採用した側の責任もやはりあるのではないでしょうか。

 私は、この転職制度で転職させる場合には、採用者側、教育委員会側の責任もきちっと追及する、こういう方向も考えているのかどうか、お聞きしたいと思います。

岸田副大臣 今先生の方から、採用する側の責任についての御指摘をいただきました。

 どの分野におきましても、人を採用するということ、大変難しいものだというふうに思っております。特に今日のように、価値観が多様化している、あるいは激動する現代にあって人を採用することの難しさを改めて感じるわけであります。

 しかし、そういった中にあって、教員の採用の重要性を考えますときに、よりふさわしい指導力のある人材を採用していかなければいけない、大変大きな責任も感じるわけであります。ですから、この採用に当たりまして、まずいろいろと工夫していかなければいけない部分があるとは思いますが、大きな方向性としましては、何よりも人物評価重視の方向、ここを大切にしていかなければいけないということで、いろいろな工夫をしているところであります。

 ですから、学力試験につきましては一定の水準の達成にとどめるとか、あるいは、面接、実技試験あるいは適性試験の実施等、こうした選考方法の多様化や活用化、こういったことに努めるとか、あるいは、社会経験の適切な評価、こうした選考基準の多元化、こういったことに努めるとか、こういったあたりで人物評価重視の方向をしっかりと打ち出していくこと、これが何よりも重要だというふうに考えております。

平野委員 いや、重要性はわかっているのですよ。みんなわかって今まで採用しているのですよ。それで、結果がだめだったら、その結果責任については、採用した部門なのか、任用した部門なのかはわかりませんが、そこの責任はとるのですか、とらないのですか。

岸田副大臣 採用を行った後に、研修等さらなる研さんの中ですばらしい教員を養成していく、こうした全体の中で指導力のある有能な教師を養成していくことによって、これは責任を果たすべきものだというふうに考えております。

平野委員 ということは、いい人を採用して、少しおかしくなった、指導力が不足と思ったら、その組織が責任を持ってカバーをしていくという、こういうことはやるという、こういう理解でよろしいか。

岸田副大臣 まず第一義的には、しっかりと研修を行う、あるいは自己研さんに努めてもらう、そういったことは必要なことだと思っております。

平野委員 採用したけれども、現場の教員が指導力不足だということで制度的に排除する、こういうルールをつくるようでございますが、それ以前に、なぜそういう教員に至ったかという原因及び背景をきっちりとする、また、そういう教員を採用、任用したセクション、責任者もやはりきっちりと責任を果たしてもらう、ここを明確にしておかなければならない、どんどん採用していって、後は現場で起こったら現場で起こった教員をバツにする、こういうことでは、私は問題があるような気がしてならないわけであります。

 さて次に、では、この制度の運用面での問題点についてちょっと聞きたいと思うのです。

 この法案は、指導が不適切な教員の転職の制度、こういうことになっていますが、実際の問題の教師、こういう場合の定義の中にはいろいろなケースが考えられてくるわけであります。国民が本当に、今回導入する制度によって、こうしたいろいろなケースに対処できるようになると考えるならば、この法案と国民の認識との間に大きな乖離があるように思えてなりません。

 私は、問題な指導力不足の教員については、現場からは排除されなければならないと私自身も思っています。しかし、もし国会の審議の場での想定されないようなケースまでこの転職制度が適用されますならば、これはまさに制度の乱用と言わざるを得ないわけであります。したがって、この制度の適用範囲ということは明確にしておかなければならないと考えますし、その要件と手続をきちっと示しておかなければならないと思いますが、そういう視点で質問に入ります。

 まず、指導が不適切な教員であることを認定する手続についてであります。

 ある教員が指導力不足であると思われるとき、まずだれが問題提起をする権利を持つのか。校長はともかくとしても、同僚職員なのか、地域住民なのか、子供の親なのか、あるいは児童生徒自身にまでこの発議する権利を与えてしまうのか。いろいろ難しい議論がございます。もちろん、保護者などからの訴えを誠実に受けとめ、問題点がないか、学校が考えることは必要であります。

 しかし、苦情が来るたびに、私を教員としますと、自分の進退が問題にされる。教員が今だめなのは、教員が勇気を持って生徒を注意したり、指導することなど、責任を持って教育に当たる環境が整備されているのか。ここが私は非常に気になるところであります。しかし、これは教員を擁護するという意味ではありません。だめな教員、だめというのは語弊があります。指導力不足をしている教員は現場から出てもらわなければならない、これは私の持論でありますが、余りにも教員が萎縮するようになったり、このことによって振り回されたりするとすれば、強制的に転職制度を導入することは、私は、教員自身が本当に萎縮してしまって、生徒におべっかを使う、保護者におべっかを使う、もしこんなことになったら大きな弊害になると思いますが、大臣、この点はいかがでしょうか。

遠山国務大臣 今回の制度は、現実に移される場合に、もちろん今のようなケースも想定していろいろ考えておくということも大事だとは思いますが、私は、その不適切という場合に、だれもが、やはりあの先生はちょっと十分でないのではないかということが認知されるような状況であろうと思いまして、だれかが、ある父兄が、保護者が、うまくいっていないとか、ある子供が何か言ったというような、そういうようなことで一々対応するようなことでは全くないと思っております。

 そのことは、校長先生もそうでありますし、周辺の教員もそうでありましょうし、より広い立場、より広い角度から検証されて、やはりあのままでは教えられる子供たちが十分な教育を受けられないということが広く認識されて、後に出てくるようなケースではないかと私は思っております。

平野委員 だから、できるだけ客観的に、なるほどと言われるような制度にやはりしていただきたい、こういうふうに思うわけでございます。

 さて、そういう制度の中で、ある教員の指導力に問題があるとして、教育委員会に申告するといたしましょう。多くは監督する立場にある校長、教頭であると思うのですが、例えば、きのうも少し議論があったかもわかりませんが、校長先生や教頭先生に不適格だ、こういう場合にもこの適用がなるのでしょうか、この点が一つ。そういう不適格な、校長、教頭の管理職に評価される教員というのはたまったものではないわけであります。その点は、学校長や教頭にもこの転職措置の対象とされるべきと私は思いますが、この点についてはどうでしょうか。

岸田副大臣 まず、本法律案における措置は、直接指導に当たる教員に対する措置ということでありますので、校長、教頭等はその対象とはしておりません。ただ、先生御指摘がありましたように、校長、教頭の責任の重大さはおっしゃるとおりであります。ですから、問題を有する校長や教頭に対する措置、厳正に対応することが必要だというふうに思っております。

 ですから、こうした管理職として必要な適格性に欠けると判断された場合には、分限降任や分限免職を初めとした人事上の措置を講じる、あるいは、みずから非違行為を行った場合には、他の教職員以上に厳正な懲戒処分等を行う、こういった対応が、任命権者であります教育委員会において必要だというふうに考えております。ですから、都道府県教育委員会等にこのあたりをしっかりと指導していかなければいけないと考えております。

平野委員 そうすると、校長、教頭は分限の処置として、指導力、監督の不足している者については、それで処理をしましょう。今回の法律は、一般職員、教員を対象とします、こういうお言葉ですが、しかし、教頭先生も現場で教えておられるのですよ。副大臣、知っていますか、現場で教えているというのは。

岸田副大臣 おっしゃるとおり、教頭先生方、教えておられるわけですが、教頭の職務には、児童生徒の教育をつかさどること、これも含まれておりますが、これは必要に応じて行うものでありまして、その主たる任務は、校長を補佐し、校務を整理することというふうに認識しております。

平野委員 大体、そこが現場を知らない副大臣だ。現場ではやはり教頭先生は教えているのですよ。私も習いましたよ。あなたも習ったのではないの。

 だから、やはり主たる業務はそれであっても、現実に科目を持って教えておれば、その科目に指導力が不足しているということであれば、この対象になってしかるべきではないのでしょうか、こういうことなんです。その点はどうです。

岸田副大臣 先生、理屈としてはそうなんでありましょうが、指導力不足の教頭は、逆に指導には当たらないというのがあるべき姿ではないかなというふうに思います。

平野委員 だから、これはそういう答弁が来ますと、本来あるべき姿がこうだから、もともとは指導力不足の教員なんて本来ないのですよ。

 だけれども、現実的にあるというのは、私もわかりますよ。だからやろうとしているのですから、当然教頭先生で、現場で教えておられる。校長だって、それは毎朝生徒に朝会、夕会させて、訓話をするわけですよ。これは直接科目は教えなくても、まさに、その校長の人格によって生徒に指導するわけですよ。これもやはり大きな指導だということですよ、学校運営ではないですよ。それぞれの学校にあの校長がいる、だから、すばらしいな、これもやはり生徒が誇りを持てる校長がいるということは、やはり指導ですよ。

 だから、そういう意味では、管理職は別だということではなくて、やはり現実にだめな教育現場に、校長さんは教育現場ではないというふうにとるのですか。僕は学校が教員現場だというふうに見ていますから、校長さんも教頭さんも一緒だ。こんな思いでおりますから、もし、今副大臣がおっしゃるような視点で言われるならば、これもまた問題だ。もっと現場、現場というのは、平教員だけではないのですよ。校長も教頭も、これも現場、学校現場という、こういう解釈で私は処していただきたい、このように思うわけであります。

 時間がありませんから、次の質問に入りたいと思いますが、先ほども言いましたように、指導が不適切な教員に該当するための要件でございます。すなわち定義について聞きたいわけでございます。指導が不適切、指導力が不足、具体的に何を指すのか、こういうことです。

 これまでの審議を通じて、三つの具体例なるものは、委員会の答弁等を含めて聞かせていただいたわけであります。また、施行通知でもう少し例を挙げたいとの御答弁もございました。

 しかし、例は幾つ挙げていただいてもそれは例にすぎないわけでございまして、国が指導力不足の最低限の定義、要件を示さないままに各教育委員会が処分を始めればどういう実態になるかということを想像されたことがあるでしょうか。たとえ手続がしっかりしていましょうが、判定委員会がいかにかけようが、国民の声にこたえようという義務感から、行き過ぎた処分が全国あちこちに起こることが予想されるわけであります。

 そのことは、現在、各自治体で行われております指導力不足教員に関する人事管理の在り方に関する調査研究ということで、指導力不足の例とされている例の多様さを見れば明らかであります。東京都では指導力不足という判断をするにはこういう項目、大阪ではこういう項目、ほかの都道府県ではこういう項目ということで、極めて指導力とはほど遠い項目まで入れて指導力不足、人事管理をしているというのが実態なような気がしてなりません。

 したがって、学級経営ができないとか体罰まがいの指導とか知識不足とか、これはそのとおりだと思うんです。しかし、私生活が乱れている、自己過信、職場の人間関係が築けない、これは問題教師かもしれませんが、人間性や資質を問うものまで、普通に考える指導力不足の定義からは、私はそういうところに項目があるとしたら、外れていると思えてならないのです。

 各都道府県から調査で出しているあれを見てみますと、評価項目がばらばらであります。したがって、私が言いたいことは、きちっとした要件を、最低限の定義をつくっておかなければならないと思うんです。

 この委員会で、これまで指導力不足という言葉をごく一般的な意味で考えて審議してきたと思いますが、一例で表現すれば、本人の能力や意欲が足りないために、子供に直接きちんとした学習指導、生徒指導ができない、このくらいの理解で我々は審議してきたんじゃないでしょうか。しかし、あらゆる問題教師に対処したいという思いの強い現場では、言葉の意味に関係なく、人格とか私生活とか、何でも指導力不足に含んでしまう状況になるのかなというふうに私は懸念をいたします。国がしっかりと定義を示さなければ、どんなことが処分の対象になるのかはっきりしないわけであります。逆に言ったら、私たちは、国会で責任ある審議をすることができない。

 さらに言えば、行政の処分の根拠となる法律で今回定める以上、その法律は明確性がなければ、憲法で保障されている適正手続の保障に反するケースだって出てくるわけであります。こんなことにならないように、私は、きちっとこの対象、基準、このことをやはり国でしっかりと明確に決めておく必要性があろうと思います。

 憲法上の手続の保障は、明確性の原則という、法律がございます。憲法三十一条、十三条、いわゆる行政手続に基づくものでありますが、対象範囲を明確にする、このことに触れるのではないか、私はこういう危惧をいたすわけで、明確に基準をつくってもらいたい、このことを思うわけでありますが、どうでございますか。

岸田副大臣 まず、指導力不足の教員の定義の問題ですが、各都道府県教育委員会が調査研究事業を行っている中にあっての指導力不足教員の定義、これは各都道府県教育委員会それぞれで定義を行っているということでありまして、その中身はまちまちであります。ですから、今回の法案におきます「指導力が不適切であること。」というその概念と、各都道府県教育委員会で行っております調査におけるこの概念、必ずしも一致していないということをまず申し上げさせていただきたいと存じます。

 その上で、基準等を明らかにすべきではないかということでありますが、とりあえずまず、その教員の技能ですとかあるいは指導方法、さらには意欲の問題、こうした例示を挙げて、後、各教育委員会におきましてこの手続を明らかにしてもらうという方向をとっているわけですが、具体的なケース、さまざまであることを考えますと、これ以上はっきりと基準を明示することはなかなか難しいのではないかなと思うのが一つ。

 それからもう一つ、ほかの法律におきます法律上の定義の仕方との比較におきまして、今回の定義は、決して、今回の方があいまいである、漠然としているというようなものではないというふうに思っております。

 ですから、そういった両方の面から、現状におきます例示、そして手続を明確化する、これが現実の対応として適切であると我々は考えております。

平野委員 まちまちになるということは、運用によって非常に恣意的に運用される可能性だってあるわけですよ。だから、恣意的に運用されないために、この基準の中でやってくださいということを明確に出してくださいよ、今だって、都道府県ですらまちまちになっているのですから。だから、これは地方分権だからまちまちでいいということではないのです。これは、人の、教員自身の人間性にかかわる問題ですから、私は、やはりそこはしっかりとやっておかなきゃならない、こう思うんです。

 これは、私、時間が来ますから、次のときにあれしますが、ここはやはりはっきりとしてもらわないと、この法律が通ったために、あとは教育委員会で勝手にやりなさいというわけにはまいらないのです。本来、私は、地方分権ですから、それぞれの地域に合った状態にしてほしいと思いますが、事人にかかわる問題ですから、それぞれに恣意的に勝手にやられるということは許されないことだと思っておりますから、何とぞこの点についてはしっかりとやっていただきたい。また、不明確な答弁があれば再度これはやりますから、何とぞよろしくお願いしたいと思います。

 さて、法文によれば、転職措置を行うときには、児童または生徒に対する指導が不適切なだけではなく、研修等必要な措置が講じられたとしてもなお指導を適切に行うことができないと認められること、こういうことが必要であると書いています。できないことではなく、できないと認められることであります。すなわち、研修等という、等という言葉とできないと認められる、このことでいいますと、改善しないと認められれば、研修をしなくても一発で転職措置が可能であるとも読めるわけであります。

 審議を聞いていますと、研修もしましょう、それでもだめな場合にはというアンド条件だと思いますが、この法文を読みますと、しなくても、認められた場合には研修を施す必要がない、こういうことにとれるわけですが、そういうことではないのでしょうか。

岸田副大臣 児童生徒への指導が不適切な教員につきましては、校長による指導や研修が平素から行われていることが一般的であります。ですから、今回の措置における判断をする際に、これらの、平素行われている指導や研修の結果に基づいて判断することが可能な場合もあるというふうに考えております。

 ですから、今の御質問に対するお答えとしましては、新たな指導や研修等を行うことを義務づけてはおりません。ですから、新たな研修等の措置を講じたとしても効果がないという判断、今までやってきた研修あるいは指導においてこうした判断ができる場合には直ちに本措置を適用すること、これは制度としては可能であるというふうに考えております。

平野委員 それが私はいかぬと思うんですよ。ですから、この制度というのは、恣意的に運用されるおそれがあるのです。

 例えば、先ほど言いましたように、校長として、研修まで行かせてももうだめだと勝手に判断をして、学校で校長が口頭指導をして、それでも言うことを聞かないからということでこの制度の適用になるおそれもあるわけですよ。

 やはり、人を動かすというのは、念には念を入れて、それでもだめだったら動かすというアンド条件でないとだめだと私は思うのですよ。この辺、すらっと読んだら、指導力が不足している、なおかつ研修等をしてもだめな場合というアンド条件に私はとったのですが、今岸田副大臣のお答えでは、別にアンド条件ではない、こういうふうに解釈いたしますが、よろしいのですか。

岸田副大臣 これは、今この措置の解釈として申し上げたわけでありますが、この段階に至るまでに、平素から研修、指導というのはずっと積み重ねてきているものだというふうに思います。こうした積み重ねがあった上でこうした措置があるというふうに考えますので、いきなり、突然その教員に対して、全く予想していなかったような事態が降ってわいて起こるというものではないのではないかというふうに思っておりますし、また、先生がおっしゃったように、恣意的な運用ということ、これはあってはならないというふうに思っておりますので、この辺の趣旨につきましては施行通知等によってしっかりと示していくこと、このあたりは考えていかなければいけないのではないかなと思っています。

平野委員 ということは、初めてのケースでこの法律によって配置転換されることはない、何回もそういうケースでやってきた結果、こういうふうに理解しておきますが、よろしいですね。もうオーケーでよろしいですよ。

岸田副大臣 そのとおりでございます。

平野委員 初めていい答えがいただけました。

 さて、そういう中で、免職し引き続き他の職場に異動する、採用される、こういうことでございますが、きのう我が党の藤村議員の方からの質問にもございましたが、制度が転職措置であるとする以上、採用は当然あってから免職する、こういうことで御答弁あったと思います。

 では、採用がなかったらその人は教育現場に残るということはあるというふうに解釈していいのかどうか。要は、悪い言葉で言えば、失礼な言葉で言えば、売れ口がなかったらずっと現場にその指導力不足の先生が、私の言う現場というのは学校現場を含めて教職の現場におられるのか、こういうことの質問でございます。

岸田副大臣 今回の措置はあくまでも、新たにつく職に必要な適性や能力、こういったものを判断し、そして定員上あきがある場合にこの措置を行うということでありますから、そうした条件が整わなければこの措置を適用することはできないと思っています。

平野委員 では、そのときには、指導力が不足して子供のためにだめなんだという先生の対処の仕方は、分限でやるのですか、どうするのですか。

岸田副大臣 それは、従来からの指導、研修、これをより徹底するという方向になると思います。

平野委員 何を言っているのですか。

 きのう我が党の藤村議員が質問されたときには、当然その人が他の公務員として採用される職場が確保できなければこれを免職して異動させません、その場所がなければ、教育現場から本当に子供に対して指導力が不足している人は外しましょう、外せないじゃないですか。どうするのですか、これは。

 結果的には、これはつくったけれども何の実効性もない、こんな法律ですか。どうなんですか。

岸田副大臣 ですから、今までは分限処分に至らない指導力不足の教員に対して対応する道がなかったわけでありますが、今回こういった措置によって、少しでも現場において指導力不足の教員を動かすということによっていい結果を導いていこうという新たな道を設けたということでございます。

平野委員 では、どれぐらいの枠を考えているのですか。一人でも異動したら、この法律によって成果が生まれたというふうに考えているのですか。

 国民の多くの皆さんの、やはり指導力不足の先生方たくさんいますよという声にこたえられるのですか。こたえられる法律でないのに、こんなものをつくったらだめですよ。

遠山国務大臣 制度の本来の考え方は、今副大臣からお答えしたとおりであります。

 ただ、平野委員もおっしゃいますように、この法律が出ることによって、不適切な指導力しか持たない教員がいる場合に、では、転職先がなければそのままかというのは、これは国民にとっても今回の法制というのは一体何だという疑問が生じることは当然だと思います。

 しかしながら、受け取るところがなければ転職させられないわけですね。この点については、私は、まだこれは十分、内部で検討したり、あるいは都道府県がどのように対応できるかというのはもちろん限界があるかもしれませんけれども、やはり本当に不適切な人というのはそんなに数はいないと思うのですね。

 でも、本当にそういう問題がある場合に、一たんやはり県の方に受け取って、そして何らかの、別の仕事のための資格を取っていただくとか、いろいろな措置を考えて、そして少なくとも今回の法律措置によって救おうとしている学校現場が救えるような人事上の措置を研究しなきゃいけないなと今思ったところでございます。

平野委員 だけれども、これは法律ということでやはり実行させるのですよ。なのに、そういうケースはじっと学校にいますよとしますと、これは実効性のない法律を、たまたま森総理が教育国会だといってこんな法律をつくって、これで改革したんだと言うのですか。教育三法なんて、そういう前振りで来ているのですよ。

 だけれども、実行できないような現実にある中で、ましていわんや、例えば都道府県の職員のところに持っていったら、今行革で職員を減らせと言われておる中で、指導力不足なんですがちょっとこっちで一遍お願いしますわと。そんなことが現実的に実行できる法律だとは私は到底考えられないのです。これは子供にとっては不幸なことですよ。明快な答弁を求めます。

遠山国務大臣 今回の措置は、指導上不適切な力しか持たない教員について、継続的に指導、観察、研修を行う体制を整備しながら、他方で、必要に応じ分限免職等の分限処分を迅速、的確に行うようにこれまではしてきたところであるわけですけれども、今回の措置によって、他職種への配置がえを命ずることを可能にする道を広げて、最終的には免職の措置を講ずるというようなことが国民会議で出されているわけでございますが、今の議論に即して申し上げれば、今回の制度は、教員の身分を一たん免職をして、そして新たに採用するということになっているわけでございます。

 ただ、本当に採用先がない場合に、そのまま放置するかということでございますけれども、いろいろな方法があると思うのですね。先ほど申し上げましたように、教員の身分のまま、むしろ現場からは離して、そしてセンターの方に、あるいは教育センターのようなところでさらに研修を積んでもらう、あるいは別途いろいろな資格を考えて勉強してもらうというようなことはあり得ると思います。

 ですから、我々がこれを考えましたときは、とにかく学校現場において、指導力が不適切な教員についてどう対応するかということで今回の道を広く開いて、その後はそれぞれの都道府県における人事、採用上の現実もあろうかと思いますけれども、それは十分に対応してもらいたいと思っているわけでございますが、仮に転職先がない場合でも、そのまま放置するというのは、これはこの制度を開いた趣旨に十分でないと思いますので、今申し上げましたようないろいろな方法を使いながら対応していくべきではなかろうかと思います。

平野委員 そうすると、現場で見ますと、採用がない、しかし教育現場からは、いわゆる教室からは外す。そうすると、その人はどこかぐるぐる学校を回るのですか。どうするのですか、これ。

 時間がないので、これはきちっと詰めておかないといけないと私は思うのです。これは物すごく大変ですよ、この法律をつくっても。実行できない。法律はつくったという成果は文部省はあるかもしらぬけれども、一番困るのは、それぞれの教育委員会なり学校の現場ですよ。

 それで、あなたは指導力不足ですよと言われた、レッテルを張られたその教員はどうするのですか。行き場はない。じゃ、行き場がない限りレッテルは張らないのですか。行き場が決まるまでは、あなたは指導力不足ですということを言わないのですか、これは。

岸田副大臣 まず一つ申し上げたいのは、先生、この制度、要するにポストがないからこの制度というのは活用できないのではないかというお話でありますけれども、やはり現実問題、今の現実において何か対応しなければいけない、この措置を講ずる。そして、その行き場としまして、各教育委員会の中に指導を行わないポストというのが全くなければ、この制度は使えないわけですけれども、指導しないポストというのは、それはそれぞれの地域によってみんな違うとは思いますけれども、ケース・バイ・ケースながらも、そんなに少ないということもないのではないか。これは、その現実の中でこうした道が開かれるということは、大変意義があるのではないかというふうに考えております。

平野委員 やはり人を動かすというのは相当大変なことなんですね。だから、やはりそういうことをきちっと、こういうケースにはこういう受け皿でやりましょう、その上でこの法律をつくってもらわないと、穴をあけたから、あと穴を大きくするかしないかは地方の問題だ、こんなのは、地方の人間にとったら極めて迷惑な法律ですよ。まして、教育現場にとったら迷惑な法律ですよ。

 ただ、子供のためには、指導力が不足している先生は外してもらう、これは大事なことだと思いますが、外された人にとっても、どうなんだということが、これはもう全くきっちりとしない法律だと私言わざるを得ません。

 さて、時間がどんどんたってきまして、まだ三分の一しか行っていないのですが、もう一つは、今回、県費負担の職員というふうになっていますが、これは、国立の附属小学校、中学校があるわけであります。市立の、政令指定都市の学校もあるわけですが、当然この方々についても、文部省は、今回の地教行法の部分ではありませんが、同じ適用でやられるのでしょうね。でないと、なぜ県費負担のところだけをやるのか、こういう不平等にもなるわけですし、現実的には、公教育を担ってもらう教職員という立場では同じでございますから、同じ判断でこのことが適用されるべきだと思っておりますが、その点はどうでございますか。

岸田副大臣 現行制度上、国家公務員や同一の地方公共団体内の地方公務員であれば、指導力が不適切であることに該当するか否かを問わず、当該教員を、本人の意思とはかかわりなく、教員以外の職に転任させることは可能になっております。ですから、国家公務員の場合は、現状で対応できると考えております。

平野委員 では、市立の場合はどうですか、政令都市の。

岸田副大臣 同一の市町村内であれば、現在の制度で対応できるということでございます。

平野委員 もう一つよくわからない。ちょっと時間がないので、これも飛ばします。

 もう一つは、この制度の運用の中において、新人教師の中には、熱意も能力もある、教員養成、研修の制度が不十分な中、生徒を指導する能力を経験で身につける直前に、現場でジョブ・オン・ザ・トレーニングをしている直前に、生徒の非行や暴力、学級崩壊などの事態に直面をする、こういうケースだってあるわけですね。こういった場合に懸念されるのは、その教師だけに責任が押しつけられてしまう、こういうケースがあると思うのです。

 そこで、能力不足の判定にはいろいろな事情を考慮すべきであると思いますが、少なくとも学級崩壊や生徒の非行の結果責任を問う制度にこの制度はならないですね。そういう制度にはいたしませんね、これは。

岸田副大臣 今の御質問の趣旨でお答えするならば、結果責任ではありません。

平野委員 結果責任でないということは、逆に、この制度によって、一生懸命トレーニングを積んでいったら大丈夫なのに、たまたまそういう学級に当たったためにその教員の資質がつぶされてしまった、そうしたら指導力不足だといって別のところに追いやるという制度ではありませんね。

岸田副大臣 先ほども例として申し上げましたように、技能あるいは方法、その能力においてどうかということでありますので、その置かれる現状はさまざまだというふうに思っております。ですから、そのようなことはないと考えております。

平野委員 いずれにいたしましても、この法律の持つ意味が非常に重要でございます。したがって、運用する上においても、極めてきちっと運用でき得る仕組みをつくらないといけないと思っています。逆に言いますと、行き場がないからこの運用ができないで現場で立ち往生しているということがあってはならないと私は思うのですね、本来の法の趣旨と違いますから。

 本来の法というのは、指導力が不足している人については現場からはちょっとどいていただこう。しかし、どいていただくにしても、その先生の人格があります。職業観もあります。そういうときには、やはりきちっとフォローでき得る場所、あるいは働く場所を提供しましょう。どちらが優先されることなんでしょうか。現場の方で、指導力が不足している、だから外すんだという考え方を優先させるのか、行き場所がないから置いておく、行き場所がある限り少しずつ解消していきましょうという、この法の持つ優先事項ですよ、これはどちらなんですか。

岸田副大臣 行き場につきましては、教育委員会におきます指導にかかわらない職等を考えるわけですが、さらにそこへ転職した後、知事部局等に転ずる、異動するというようなこともあり得るというふうに考えておりますので、こうした異動先というのはそれぞれやはり確保していかなければいけないと思いますし、そもそもこの制度の趣旨は、行き場がなければこの措置は適用しないということでございます。

平野委員 だからだめなんですよ。だからだめだと言っているんですよ。それだったら、子供は、じゃ、その間、犠牲になるのですか。

岸田副大臣 今、先ほど来先生からも御指摘がありました、現場の憂うべき状況があるわけです。それに対して、今までは何も、今申し上げたことすらできなかったというのが現状でありました。その中で、分限処分に至らない教師に対して一つこういった道を開くということ、これは大変意義があることだというふうに思っております。

 ですから、逆に言いますと、この措置をもちましてすべてが解決できるというような短絡的なことは決して考えておりませんし、そんな楽観的なことは考えてはならないと思っております。こうした新たな制度を積み重ねることによりまして、現場の憂うべき状態に対しまして少しでも改善を図っていかなければいけない、こうした重たい道のりや責任を感じておるところでございます。

平野委員 質問時間が終了いたしましたので終えますが、いずれにしましても、対症療法のあり方で処置をしていくということよりも、もっとその前にやるべきことをきちっとやる。こういう制度は文部省が本来、つくりなさい、現場は現場で対処しますと。ところが、対処できないから、文部省は、対症療法の法律は出てくるんですが、もっと抜本的に日本の教育のあり方、二十一世紀にこんな国民になってもらいたい、こんな骨太の議論をすることによってこそ教育国会だと言えるんです。この三法案を見ても、対症療法の法律ばかりじゃないですか。もっと抜本的なところをきちっとやってもらうことを遠山大臣に切に願いまして、私の質問を終わります。

 ありがとうございました。

高市委員長 山口壯君。

山口(壯)委員 山口壯です。よろしくお願いします。

 きょうは、出席停止の問題について質問をさせていただきたいと思います。

 きのう、もう既に質問は出しているので、まず最初、実態、出席停止として、この法令が改正される前に、既に、例えば過去においてどれぐらいの出席停止があったのか、教えてください。

岸田副大臣 出席停止の件数、過去三年間を見てみますと、平成十一年度が八十四件、平成十年度が五十七件、そして平成九年度が五十一件となっております。

山口(壯)委員 きょうは、これは非常に基本的な問題ですから、私はぜひとも遠山大臣にお答えいただきたいんです。技術的な問題は副大臣、答えてください。だけれども、まず遠山大臣にしっかり答えていただきたいと思います。

 八十四件あったわけですね。これは中学生の話ですか。きちっと答えてください。

岸田副大臣 八十四件、中学校の数字でございます。

山口(壯)委員 そうですね。小学生の場合よりも中学生に問題が多いというのがそこではっきりしているんです。

 そうしたら、出席停止、いろいろな理由があったと思います。それについて、どういう理由が重立った理由だったのか、ここをちょっとお願いします。

岸田副大臣 理由別に分けますと、対教師暴力が三十五件、生徒間暴力が十六件、器物損壊三件、授業妨害十二件、いじめ六件、そして、その他十二件となっております。

山口(壯)委員 対教師暴力というのが一番大きいわけですね。

 この出席停止の話の制定の趣旨というのは、ほかの子供の授業の妨害になるから、こういうことがあったと思うんです。今言われた、対教師暴力が三十五件。だけれども、授業妨害というのは十二件です。ということは、実態から見てみましたら、対教師暴力に対してこの出席停止というのが非常にたくさん行われている、こういうことが言えると思いますが、遠山大臣、どうですか。

遠山国務大臣 出席停止の規定は、実は非常に古い歴史を持っております。昭和五十八年の町田市忠生中学校の事件を契機として、そのときに、それまでほとんど活用されず、あるいは適用されずに死文化していた条文をきちんと使ってもらうということであのときの解釈通知を出したわけでございます。

 あの契機となった事件自体が、生徒が校内で暴力を振るい、教師に対して暴力を使うということで、教師がナイフをもって生徒を刺すという予想外の事件が起きたわけでございます。そういうことを契機にして、そういう事件が起きるような学校というのは、それはもう正常な、あるいは秩序ある教育が行われないということでありますので、そういう状況に一体どう対応するかということで、そのようなことを行う生徒については出席停止ということもありうべしというような解釈を明確にするということを目的にあの通知を出したわけでして、今回の法改正もその流れをくんでおります。

 ですから、対教師暴力が多くて、授業ができない、授業妨害の数が少ないではないか、したがってというような論旨というのは、私はむしろ当たっていないと思います。

山口(壯)委員 大臣、今、昭和五十八年の通達ということを言われましたね。昭和五十八年に大臣は初等中等教育局の中学校教育課長をされていたと思いますけれども、正しいですか。

遠山国務大臣 中学校教育課長、途中で局の編成が変わりまして、中学校課長になりました。

山口(壯)委員 途中で企画課長にかわっておられるのです。

 今、通達の話をされました。だけれども、大臣、申しわけない、今の答弁、間違っておられますよ。指摘しましょう。

 その通達は一九八三年の十二月五日に出されているんです。これは、初等中等教育局長の通達です。大臣のおられた部局の通達です。そして、そこに出ている出席停止の要件というのがどういうことに重点を置かれているか。言ってみましょう。

 「児童生徒が教職員に対して威嚇、暴言、暴行等を行い、授業その他の教育活動の正常な実施が妨げられている状況。」ここがポイントなんです。授業その他の教育活動の正常な実施が妨げられている状況。二つ目も同じ言葉が出てきます。「児童生徒が他の児童生徒に対して威嚇、金品の強奪、暴行等を行い、授業その他の教育活動の正常な実施が妨げられている状況。」三つ目も同じ言葉が出てくるんです。「児童生徒が学校の施設・設備の破壊等を行い、授業その他の教育活動の正常な実施が妨げられている状況。」すなわち、すべて授業妨害というのが一番大事なポイントになっているんです。対教師の暴行じゃないのです。

 今の答弁、間違っておられると思いますけれども、もう一回答弁してください。

遠山国務大臣 今回の出席停止の要件の構造というのは、性行不良と他の児童の教育の妨げの両方を満たす場合といいますか、両方について該当する場合でありまして、その性行不良の中に、先ほど申し上げましたような、職員に傷害または心身の苦痛を与えるような行為でありますとか、施設または設備を損壊する行為でありますとか、授業その他の教育活動の実施を妨げる行為、もちろん、他の児童に傷害、心身の苦痛または財産上の損失を与える行為ということは入っておりますけれども、そういう性行不良であることと同時に他の児童の教育の妨げという、二要件に該当する場合ということでございます。

山口(壯)委員 今の答弁も正確じゃないと思います。もしもそれだったら、この法案は書き直さなければいけないです。

 今、この改正案の二十六条ではどう書かれているか。繰り返す必要がない。そこには四つのことが書かれていますね。その四つ目が「授業その他の教育活動の実施を妨げる行為」になっている。しかし、その前では、「次に掲げる行為の一又は二以上を繰り返し行う」となっている。したがって、必ずしも「授業その他の教育活動の実施を妨げる行為」でなくても、これは出席停止の要件になるんです。違いますか。答弁してください。

遠山国務大臣 出席停止の要件の構造としまして、他の児童の教育の妨げということで、その内容として、先ほど申し上げたような四つの項目ということでございます。それを一ないし二以上を繰り返し行う行為ということで、今回の法律案はそういう構造となっております。

山口(壯)委員 ということは、必ず、その出席停止の措置をとるに当たっては、他の生徒の授業が妨害されている、これが一つの大事な要件になっている、こういうことですね。

遠山国務大臣 そこに書いてあります項目のすべてをということではなくて、どれか一つでもそれについて、その行為が許されないということで、許されないというのは適当ではありませんが、その行為があって、他の子供たちの授業あるいは授業の遂行に妨害を与える行為、そういう場合を想定しているわけです。

山口(壯)委員 今、権利としては二つ、これは問題になっている可能性があるんですね。

 一つは、例えば四十人学級であれば、三十九人の生徒がいて、そして一人のこの対象になり得る生徒がいる。どちらの権利も今問題になっているわけです。三十九人の生徒の権利というものが今この法案の中では焦点が当てられている半面があると同時に、もう一つは、この出席停止という措置を受ける生徒、この権利というものも焦点が当たっているわけですね。この権利というのは、もともとは憲法二十六条に関係すると思いますけれども、いかがですか、大臣。

遠山国務大臣 教育を受ける権利という憲法上の権利にかかわっております。

山口(壯)委員 憲法上の基本的権利にかかわっている。私もこの出席停止の措置というのは絶対だめだと言うつもりはないんです。だけれども、基本的人権が制限される場合には、慎重の上にも慎重を期してその法案を審議するのが我々国会議員のあるべき姿です。

 したがって、この出席停止の要件、それはどういうことなのか。例えば、この改正案に出ている四つの場合がその要件として尽きるのか、それはいかがですか。

遠山国務大臣 委員御指摘のように、学校における教育の秩序を乱すような、暴力を働くようなそういう子供に対して出席停止をするということは、その児童生徒に対して、その持つ教育を受ける権利を一たん外すということになりますけれども、そのほかに、その児童生徒の行為によって教育を受ける権利を妨げられている児童生徒の権利というものを守るということが主たる目的であるわけであります。

山口(壯)委員 他の生徒の学ぶ権利を守るためにその生徒の人権が無制限に制限されていいわけはないわけです。

 さっきの質問に答えてください。四つの場合に要件は限られますか。

遠山国務大臣 この法文に書かれておりますように、性行不良であって他の児童の教育に妨げがあると認められる児童があるときということは、明快であるわけでございます。

山口(壯)委員 基本的人権を制限する法案を我々は審議しているんですから、この文言が明快であるというには余りにも国会の審議としては低調だと思います。この性行不良であって他の児童の教育に妨げがあると認められる場合、極めて主観的な言葉です。そのことが明快であるというのはおかしいと思います。

 では、その後に書かれている四つのこと、これは何ですか。事例ですか、それとも要件ですか。

遠山国務大臣 法文上余りにも明確なので申し上げなくて失礼をいたしましたけれども、「次に掲げる行為の一又は二以上を繰り返し行う等」の、それらが「性行不良であつて」ということでございますので、この一から四号というのがその該当する事項でございます。

山口(壯)委員 ということは、これ以外の場合はあり得ない、こういうことですか。

遠山国務大臣 恐らく私はこの四号がほとんどの場合だと思いますが、法文上も「次に掲げる行為の一又は二以上を繰り返し行う等」とございます。この「等」において四号だけかと言われますと、法文上はそれ以外の措置もあり得るということを想定していると思います。

山口(壯)委員 今の大臣の答弁であれば、四番目の趣旨は相当広く解せるからこれで全部対応できるだろう、こういう答弁ですか。

遠山国務大臣 申し上げましたように、四号が中心でありまして、「等」というのがついておりますけれども、私どもの解釈といたしましては、ほぼ、四号に掲げられていることが出席停止の対象となる行為であるというふうに考えております。

山口(壯)委員 問題を整理しますと、それでは、この四つの場合に限られる、これでよろしいですね。まずそこを確認してください。

遠山国務大臣 法文をお読みいただけば、四つがほとんどでありますから、したがって、明言的に書いてあるわけでございますけれども、「等」がありますので、そこのところは、それだけかと言われますと、これは法律学上そうは言えないわけでございますが、くくっておりますのが「性行不良であつて」ということが明確になっておりますので、しかも、その例示された事柄が非常に明快でありますから、私どもの解釈としては四号がほぼ中心的であると。

山口(壯)委員 今の答弁は、この四つに限られない、こういう答弁ですね。

遠山国務大臣 今のは法律の読み方の話でございまして、四号だけではないということを法律上も想定しているということは確かだと思います。ただ、その法文のねらいとするところは、四つに代表される、あるいは四つがもうほとんどだと思いますけれども、そういう性行不良であることと、他の児童の授業の妨げにならないという二つの要件に該当する、そういう場合を出席停止の要件としているわけでございます。

山口(壯)委員 申しわけない、法律の議論としては物すごくわきが甘いんです。今、基本的人権の制限についての議論を我々しているんです。その憲法の二十六条にも関係する人権の話をしているんです。その中で、法律のねらいとしているところはという、そういう甘い議論では済まされないと思うんです。この人権が制限される場合はこの場合に限る、そういう法案でなければ私はこの基本的人権は制限できないと思うんです。それはいかがですか。

遠山国務大臣 これは法制局とも十分相談をいたしました結果の法案でございます。

 では、「繰り返し行う等」の「等」といったのは何かということでございますけれども、各号で規定した行為そのものではないけれども、それらの各号の規定に類似する行為を繰り返して行うような場合でありますとか、あるいは各号の対象に類似した物や、ブツとしての物ですね、それから人の者でございますが、者や物等に対し各号に規定した行為を繰り返し行う場合を指しているわけでございまして、例えば次のようなものが考えられるということでございます。

 一つは、例えば校内でシンナーを公然と乱用して教育の妨げとなるような状況を生じている場合、あるいは教育活動に欠かせない者であるけれども、学校の職員でない者、例えば外国語指導助手、ALTでございますけれども、そういう人たちに対する暴力行為というものもあり得るであろうということでございまして、四つの非常にリジッドな各号だけでは覆い切れない場合もあるであろうということで「等」が入っているということでございます。

山口(壯)委員 申しわけない、大臣、今の答弁はやはり問題だと思います。類似の事例を想定されておられる。そのことによって基本的人権を制限しようという法案を今提案されているんです。法制局がこう言っている、私には関係ないです。法制局の役人がどう言おうと、国会議員の我々には関係ない。立法機関は国権の最高機関なんです。そのことをないがしろにして、どうして国会の審議が成り立ちますか。今の答弁は問題だと思います。訂正してください。法制局がそう言っているからそれでいいだろうという議論にはならない。

遠山国務大臣 法制局が言っているからと申し上げたわけでないと思います。法制局にも相談して、私どもとしての行政の立場ということも考えてということでございまして、しかも、法文上、「等」と書いてある以上は、その「等」の中身は何かという御質問でございますから、今御説明したとおりでございます。

山口(壯)委員 わかりました。

 そうしたら、「等」の具体的な事例というものをしっかりリストアップしていただかないと、この基本的人権の制限を認める法案を審議するわけにはいかないと思います。出していただけますか。

遠山国務大臣 基本的人権から説き起こされた御質問の趣旨というのはもちろん理解できますけれども、主たるねらいは、授業を受けようとしている他の子供たちの基本的人権である教育を受ける権利をどう守るかということでありまして、そのときに、十分に受けられない状況になったときに、教育委員会が十分に判断をして出席停止という措置をとるということであります。

 それが基本的人権にかかわるから、したがって、すべてすべてを書き込んで、詳細に書くというのは、私は、法律としてはなかなかそこまでは書き込めない、法律の体系というものがございます。ということで御理解をいただきたいと思います。

山口(壯)委員 今、基本的人権にかかわるポイントについて、出席停止の対象となる生徒の人権よりも残された生徒の人権の方が大事だ、こういう答弁なんです。

 私は思うんです。これから我々がどういう社会を目指すべきか、それは、ともに生きる社会ということが非常に大事だと思います。そういう意味では、例えばハンセン病の話があった。隔離して切り離せばいいか、そうじゃないと思います。この生徒が、最後まで可能性を信じて、立ち直れるか、それを我々は無限の愛を持って考えなければいけない。そういう意味では、この生徒が例えば投げかけている問題、その生徒の問題じゃないと思うんです。それは我々に投げかけている問題です。この事態は何を問いかけているのか、そのことを我々は問わずして、この生徒を隔離すればそれで済むのか、こういう生徒を家庭に戻せばそれで済むのか。例えばそれに対応する措置というのが以前の質問の中で、各県二名、生徒指導の先生をふやされたといいますけれども、それで十分じゃないと私は思います。

 そういう意味では、これは例えば小泉内閣がどういう社会を目指そうとされているのかに大いに関係すると思うんです。強い者はさらに強く、弱い者は取り残される、そういう社会を目指されるのか、あるいは、一人たりとも、だれも取り残されることのない社会を目指されるのか、すべての人にチャンスが与えられる社会を目指されるのか、一人一人が使命感を持って社会に貢献できるそういう社会を目指されるのか、その辺の大きな議論にかかわってくる話だと思うんです。

 そういう意味では、三十九人の生徒が困るからこの一人の生徒に対して出席停止の措置をとりやすくする、そういう発想は私は間違っていると思います。大臣、いかがですか。

遠山国務大臣 まだ御質問がないので御説明しておりませんですけれども、この際明確に申し上げたいと思いますが、当然ながら、出席停止を受けた子供に対してどう対処するかということは最大限の関心事の一つであります。

 では、どういう教育上必要な措置を行うことを義務づけているかといいますと、単に都道府県に二名ずつ配置してそれで十分などということは思っておりませんで、むしろどういう対応をするか、出席停止を命じられた、保護者でありますとかあるいは児童生徒のそれぞれの状況に応じて、地域における関係施設あるいは関係機関の配置状況などを踏まえて、いろいろなことを考えております。

 一つは、学級担任あるいは生徒指導主事等の教職員によって、その子供がいる家庭、あるいは家庭以外にもし預かってもらっている場合にはその場所に赴いて、学習課題を与えて指導したり教育相談を行うということが一つでございます。

 それからさらに、よりふさわしい施設として、家庭自体の状況によっては、必ずしもその家庭にとどめ置くことが十分でないような場合には、青少年教育施設において、自然体験でありますとか、あるいは生活体験などの体験活動に取り組むプログラムを組んで指導を行う。

 さらには、それでもなおかつ十分に対応できないようなケースについては、児童相談所でありますとか、あるいは警察などの関係機関と連携をしてその専門的職員などによって指導助言を行うというような、何段階にもわたった、十分その子供の学習内容、あるいは考え直してもらうことについての説諭でありますとか、いろいろな方法を用いてその子供たちの人権に十分配慮しながらやっていこうというのが今回の制度の内容でございます。

山口(壯)委員 今、考えておられると言った。既にそういうことができる体制があるんでしょうか。

遠山国務大臣 もちろんもう今すぐにでもできるわけでございますけれども、それぞれの教育委員会なり地域の実情によってまだ取り組みが十分でないところもあろうかと思いますけれども、これらのことは、何ら予算措置とか何か人員の措置を要しないでもできることです。しかし、それ以上に、なおかつ今回の措置に対応して、より指導を充実していくためにいろいろな措置も考えているというのが実情でございます。

山口(壯)委員 大臣、今、私は、助け船を出したつもりなんです。大蔵省じゃないんです、文部科学省なんです。教員の数が足りなければ、我々はこれで足りないから今から充実させていく、そのために助けてくれ、こういう議論もあっていいんじゃないですか。ただ単に守るべき答弁しなくてもいいんです。我々はお互いに教育をどうやってこれからよくしていこうかという共通の目的のもとにやっているんです。そういう意味では、私は、今の体制では足りないと思います。

 この間、三十人以下学級法案を私も提案させてもらったけれども、足りない、足りないけれども今の財政状況だからしようがない、こういう結論で二万二千五百人の加配でとどめたわけです。だけれども、文部科学省としては、これからも引き続き学校の先生の数をこういう事態にも対応できるように整えていきたい、こういうのがあるべき答弁じゃないですか、政治家として。

遠山国務大臣 この問題についてもそうでありますし、教育の充実のために、さらに教員定数でありますとかいろいろな面の措置をしなければならないと思っております。今、委員の力強い応援のお話を聞いて私ども大変心強く思っておりまして、その方向で検討していきたいと思います。

山口(壯)委員 ぜひともその答弁が欲しかったんです。

 三十人以下学級で議論したときもそうだった、大蔵省の立場を代弁する必要はない、今は財務省となっている。我々は教育に携わるそのことを一番の主の関心にしている者です。だから、そういう意味では、目的は一緒なんだから、足りないものは足りないと言っていって一緒に要求していけばいいと思うんです。

 もう一つ、さっきの議論に戻りますけれども、基本的人権の制限ですから、ほかに代替的な手段がない、かわりの手段がない、最後の手段だというようなことが今回のこの法案を通すかどうかということに対しては大事だと思うんです。だけれども、今の法案の形では必ずしも、これが最後の手段だからこれでいきたい、あるいはその停止の期間についても最小限の期間でいくという縛りがないわけです。

 そういう意味からいけば、この法文の書き方というのは、基本的人権の制約をする場合の書き方としては、非常に不十分なものになっていると思います。私は、法案、この法文の訂正をぜひとも、まず、この期間について必要最小限の適切な期間だという文言、そして、このほかに他に代替し得る手段がない、そういう最後の場合だというその二つについて、これを書き加えるべきだと思います。大臣、いかがですか。

遠山国務大臣 御趣旨は全くそうだと思います。

 ただ、どのような指導の期間を設けるかとか、あるいはその方法なり預ける先なり、そういったものについてはそれぞれのケースに応じて違うわけでございますので、一律に何か法律上明記するというよりは、指導上そこのところがきちんと適用されるように、私どもとしても最大限今後の実施上の指導にあるいは助言に当たってまいりたいと思います。

山口(壯)委員 今、基本的人権の制限の話について、指導の上でこれから遺漏なきを期したいというのは、それは私は、基本的人権の議論をこの国会の場でする答えとしてはなじまないと思うのです。そういう恣意的なこともすべて可能性として排除してしまう、その縛りをしっかりかけた上でこの法案というのは議論されなければいけないと思うのです。今の大臣の答弁では不十分だと思いますけれども、再答弁をお願いします。

遠山国務大臣 従来からも、著しく長期にわたって出席停止の措置をとるというようなことがないように配慮を求めてきておりまして、それは通知上も明確です、あるいは指導上も明確でありますし、今後とも、引き続きそういう指導を行ってまいりたいと思います。

山口(壯)委員 ここは私と大臣とで基本的な見解が違うのかもしれないけれども、やはり基本的人権の制限だということを、私は、ここにおられる同僚議員すべてに共通の認識を持っていただきたいのです。

 我々が、これから二十一世紀を迎えるに当たってどんな社会を目指すべきか、そういうことを大きな発想で持った上で、教育という、日本に唯一ある豊富な資源、人材、それをどういうふうに教育で人づくり、国づくりに結びつけていくかということが問われていると思うのです。その一人が、確かにお行儀が悪いかもしれない、ほかの生徒にとっては大変な迷惑かもしれない、そのことに我々が対応するに当たっては、やはり無限の愛を持っていきたいと思うのです。

 最後に、そういう私の気持ち、遠山大臣にも分かち合っていただけるかどうかお答えいただいて、私の質問を終わります。

遠山国務大臣 十分参考にさせていただきます。

山口(壯)委員 ありがとうございます。

高市委員長 午後零時五十分から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午前十一時五十一分休憩

     ――――◇―――――

    午後零時五十二分開議

高市委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。大石尚子君。

大石(尚)委員 民主党の大石尚子でございます。

 去る五月の二十九日に、教育改革三法に関連いたしまして本会議で質問させていただきました。その質疑に関連してきょうは質問させていただきたいと存じます。

 その前に、質問に先立って、遠山大臣に、同じ世代を生きている女性の一人としてまずエールを送りたいと思います。

 いろいろお疲れだと存じます。私、思うのですけれども、やはり人生限りがございまして、私たちは先人の、先代あるいは先輩の方々の命や仕事を受け継いで、そしてまた次にバトンタッチしていく。遠山大臣が今文部科学大臣に就任されましたということは、これはやはり、そうどなたかが取ってかわれる問題ではないものをお持ちだと思います。それは、本会議でも申しましたように、文部省に長く、その文部行政の中枢にいらして、そして、日本の教育の、特に戦後の教育をつぶさに御自分で体験して今日までいらした、そういう御体験をお持ちの女性文部科学大臣が誕生されたということ、これはぜひ、御自分の人生として大いに体当たりしていただいて、遠山さんでなければできなかったという日本の教育改革を手がけて、そしてそれを成就していっていただきたい。

 したがって、小泉大臣のように、聖域なき改革として、もう思う存分御自分の全霊を発揮されて頑張っていただきたいと思っているのでございます。今までは、行政の中においででございますといろいろとのりを越えられない面が多かったと思いますが、今度は大臣でございますので、政治家の立場も加えて、そして、ぜひ英断を、手腕を振るってお進めいただきたいと願っております。

 それでは、最初に、これは本会議では小泉総理大臣に質問させていただいたのでございますが、IT革命の落とす影の部分で、特に、児童生徒、中でも児童に対して、その心身の成長発達に及ぼすマイナスの影響、これを私は大変危惧いたしております。本会議でも取り上げさせていただきました内容の幾つか、こういうものに対して本当に子供の心身の成長発達にマイナスの影響を及ぼす危険性があるのかないのか、ここいら辺の調査研究がどこまで進んでいて、そして、それに基づいていろいろな施策が進められつつあるのかどうか、その辺を念頭に置きながら、まず子供の視力について、これは、私たちがコンピューターで一日仕事をいたしましても、目がちかちかいたします。子供の視力、成長発達に悪影響があるのではないか、体力とか運動能力が落ちていくのではないか。

 というのは、これからますます子供の生活にコンピューターが取り入れられてまいりますので、学校でも、または家庭でも、子供がコンピューターに向かい合う時間が決して減らない。これからはますますふえてくるのだと思います。そのときにどういう影響を及ぼすかということで、現に、これは文部科学省からいただきました平成十一年度の体力・運動能力調査の概要を拝見いたしましても、ここのところ大変、体力、運動能力ともに子供たちの状況が下降線をたどっている。そういう状況下において、なおなおそういった能力を低下させる危険性があるのではないか。

 私、十年以上前のことなんですけれども、ある中学校の卒業式に参りました。そこは生徒数が少ないものですから、全員私どもの前を通って壇に上がって校長先生から卒業証書をいただくという卒業式でございました。それで、一人一人を見ていると、緊張して直立不動になる。それからこちらへ向いて歩いてくる。その姿を見ておりまして、体の左右のバランスが崩れている子、足がO脚の子、X脚でかかとがつかない子、あるいはズボンのすそが、足の長さが、何というのでしょうか、発達がバランスよくいっていない、ほとんどの子供がそういう状況にあったということで、私はもう大変びっくりしたことがございます。

 そういう問題をなお一層抱え込んでしまうのではないか。それから、感性や情緒の発達障害を今以上に起こすのではないか。人間関係の障害、コンピューターと一緒にいればだんだんコンピューターに似てしまいますので、人間関係を良好に保つことができない、つくり上げることができない、そういう子供がなお一層ふえてくるのではないか。

 それから、自分自身の情動の抑止力が、何かかっとするとすぐ行動に移してしまう、我慢することができない。ある意味では、抑止力がどれくらい働いていくかということが、これは人間の成長発達の一つのバロメーターではあるかと思うのですけれども、ここいら辺が低下するのではないか。

 また、虚構の世界と現実の世界との混同による問題行動の出現率が高くなるのではないか。これは一概に結びつけられないかもしれませんが、かつて起こった酒鬼薔薇聖斗事件、あるいは、これは豊川市の高校生でございましたか、格闘ゲームが好きで、テレビゲーム、そして人を殺す経験を実体験したかった、実際に人を殺すことで自分が成長できると納得して、そして若い人を殺しては済まないから高齢者の御婦人を殺してしまった、そういう事件もございました。また、最近よく報道されますメル友殺人事件、こういったようなものは、バーチャルな世界と現実の世界とどこか乗り入れた、虚構と現実との混同による何かが生じているのではないか。これは、幼ければ幼いほどそういう現象を自分の成長発達の中に組み入れていってしまうのではないか、そういう心配をいたしております。

 まず第一点、このような調査研究の結果をお持ちでいらっしゃいますでしょうか。

遠山国務大臣 まず、大石委員に大変温かいエールを送っていただきまして、ありがとうございました。

 御指摘の点でございますけれども、IT教育が及ぼす影響というのは本当に、メリットもございますけれども、デメリットも多いということは皆漠然とは知っているわけでございます。しかし、それは科学的なデータできちんと積み上げられていく必要があろうかと思っております。この問題について個々にいろいろな研究はもちろんなされているわけですし、私どもも必要に応じてそれを参考にしているということはあるわけでございますけれども、今おっしゃったようなことが、体系的にデータを集めているかと言われますと、そこまでまだ至っておりません。ただ、中央教育審議会でも平成八年のときに既にその影の部分をきっちりと分析してくれておりまして、そういうことをもちろん参考にしながら、今日いろいろな問題に対処していこうという姿勢は持っております。

大石(尚)委員 ありがとうございます。

 その調査研究の結果に基づいて、子供たちに、この程度なら大丈夫、そういうものが何か必要だろうと思うのです。

 なぜかと申しますと、これは旧労働省、現在の厚生労働省でございますが、昭和六十年十二月二十日付で「VDT作業のための労働衛生上の指針について」、こういう文書を発しておられます。これは、要するに事務所等でコンピューターに向き合って仕事をする人たちのための一つの指針だと思います。

 それで、「本指針を参考にして労働衛生管理を行うことが望ましい。」というものがございまして、その中にどういうことがうたわれているかと申しますと、作業環境管理として照明及び採光の問題でございますとか、それからグレアの防止、目がぱちっとくらむ、そういうようなことを防止しなければいけないとか、あるいはプリンター等によって発せられる騒音をどうするかとか、あるいは換気、空気の調和とか、静電気除去等に関してうたわれているとか。

 それで、静電気除去で思いつくのですけれども、最近OAエプロンというのが売られているのを私は知らなかったんですが、これは電磁波やそれから電界波、大体同じように解釈していいのかどうかと思いますけれども、それを遮断するためのエプロンというのが世の中で売られているわけでございます。本当にエプロンがなきゃいけないものかどうか、これはわかりませんけれども、いずれにせよ、旧労働省のこのような指針があるということ。

 その中で、こういうコンピューター等に向かい合っている一日の作業時間が短くなるように配慮することが望ましいとして、連続作業時間、あるいは作業の休止時間等の指針も出しているわけでございます。一連続作業時間、一連の作業時間が一時間を超えないようにとか、それから、次の連続作業までの間に十分から十五分の作業休止時間をとるとか、そのようなことに至るまでかなり細かい指針が打ち出されておりました。

 こういうことを考えましたときに、やはり子供はなお一層、このような機器から受ける、あるいは機器とともに生活することから受ける障害、あるいは成長発達に与えるマイナスの影響というものが想定されますので、ぜひ子供のためのITガイドライン、学校へ入る前の子供さんももちろんコンピューターをいじると思います、こういったものをつくっていく必要があるのではないか。特に細かい調査研究が必要な場合は、これは機器をつくる側の責任もあろうかと思いますので、メーカーとも協力されていろいろと研究結果を積み重ねていただいて、そして、今でもできるもの、またそういう調査研究結果を待ってつくるもの、いろいろございましょうが、早急に子供のためのITガイドラインをつくっていただくということはいかがでございましょうか。

遠山国務大臣 委員御指摘の点は私も大賛成でございまして、この点は今、どちらかといいますと、IT教育を充実しようということでコンピューターの設備を充実するとか、それからそれをいかに教えていくかということに力点が置かれておりますけれども、でも、同時に、それの及ぼす子供への影響、先ほど来じゅんじゅんとお話しいただきましたけれども、身体に及ぼす影響だけではなくて、心理的な面、感性の面、いろいろありますので、そういうことについてよく考えた上でということはもうそのとおりでございまして、特に体力、健康面への留意というのは大変大事だと思います。

 今も、これは文部省の委託事業の成果でございますけれども、インターネット活用ガイドブックというのを作成いたしておりまして、「モラル・セキュリティ編」という中に、「健康面への留意」ということで、照明や姿勢などの環境を整備したり、作業に適度な小休止を設けるというようなことでありますとか、VDT作業の留意点を一人一人が心がけるような必要性があるということで、これはどちらかというと学校向けではございますけれども、でもやはり、学校でインターネットを活用したりあるいはコンピューターを使ったりという場面がございますので、児童生徒の健康面も十分留意した指導が、同時的に、インターネットといいますかIT技術を教えるというだけではなくて、そのことも留意した観点から指導が行われていったらいいと思いますし、またそういうことについて、さらに必要であれば、これはぜひ力を入れていかなければいけないと思います。

 今世紀のまさにその一歩を踏み出すときに当たって、確かにこれからはIT時代と言われておりますけれども、今もうかなりマイナス面がわかっておりますので、それに対応したいろいろな留意点も十分反映させながら指導が行われますように、私どももこれは努力をしていかなくちゃならないと思います。

大石(尚)委員 子供の、特に小学校の教育にIT機器が入ってまいりましたときに、今世の中にあるコンピューターが導入される必要は全くないように思うんでございます。特に子供用のものがつくられてもいいだろうし、あるいは今は先生がお使いになるのが主だろうと思いますが、行く行くはもっと、一人一人の子供がコンピューターに向かうような時代が来てしまわないとは限らないので、コンピューターを販売する側、メーカー側にも、やはりこれを子供に使わせる場合の注意点を、お薬を買うとそれにいろいろと飲み方が書いてございますけれども、そういうようなものとか、あるいは、今学校向けの冊子の御紹介ございましたが、各家庭向きの一つのガイドラインをつくって各家庭にもお配りできるようにするとか、これは文部科学省の領域でできることではないかと思います。

 やはりそういう方向を念頭に置きながら、正しく子供たちがコンピューターに向かい合うことができるように、ゆめゆめ、コンピューターに育てられてはいけない。コンピューターの前に幼い子供が座っているときは、必ずだれか大人がついている、コンピューターと一人だけにしてはいけないというようなことも大事なことではないかと思いますので、ぜひ家庭に、そういう子供のためのITガイドラインをお配りできるようなことも含めて御検討いただければと思います。副大臣、いかがお考えでございますか。

岸田副大臣 内容につきましてはこれから検討していかなければいけないとは存じますが、そういった趣旨は大切なことだと思いますし、また、おっしゃったように、これは文部科学省だけでできる問題ではありませんので、こうした問題意識を持ちながら、その情報収集に当たる、実態を把握する、こういったことは大切なことだと思っております。

大石(尚)委員 それでは、二番目の質問に移らせていただきます。

 本会議の遠山大臣の御答弁の中で、この教育改革三法に対して、これからの教育改革を推進していくための極めて重要な法案と位置づけておられました。それからまた、私どもの松沢議員への御答弁の中にも、これは教育基本法の見直しなどの一節でございますが、教育の根本にさかのぼった改革を進めていくという姿勢であることは確かでございましてとか、いろいろと教育改革についての御発言がございます。当然でございます。

 今回の教育改革三法というのは、これは大臣がみずから手がけられたものではございません。行政の、あるいは政治の継続性でございますか、前内閣によって提案されたものを引き継いでおいでになるわけですが、これから大臣が教育改革に臨まれる、その教育改革の根幹にある理念というものはどういうものをお持ちで教育改革に臨もうとしていらっしゃるのか。また、そういう改革を断行していく上には、どう構造を変えていこうとしていらっしゃるのか。何か一つでも二つでもございましたら、お示しいただきたいと思います。

遠山国務大臣 これからの教育がどうあったらいいかということは、国民のお一人お一人がそれぞれのお考えをお持ちだと思います。ただ、そういう民意を吸い上げた上でいろいろな議論がなされておりまして、その成果を反映して、今日の法案にも教育改革の内容が盛り込まれておりますし、また二十一世紀教育改革プランということで提案されております。

 したがいまして、それとは全く別に何か私が考えつくというようなことは大変難しいわけでございますけれども、しかし、もう少しその目的とすることを簡明に申し上げれば、やはり新しい世紀に、一人一人の子供が本当にその力を十分につけて、その持っている能力を伸び伸びと発揮していくような、そういうことができる教育でありたい。それにはまず学校が変わらなくてはならない、そしてもちろん家庭も変わらなくてはならない、そういったことを十分に支援していく、そのことが行政にとって大変大事であります。

 その目指すところは、子供たちが伸び伸びと自分の個性を発揮し、また自分の能力に自信を持ちながらしっかりした足取りで人生を歩んでいく、そのことを助けていく、それにはどうあったらいいかという角度を忘れずに、これからの教育改革に取り組みたいというふうに考えております。

大石(尚)委員 一人一人の子供の持つ能力を最大限に伸ばしていきたい、画一的にならないで一人一人を大事に伸ばしていこうという根本的なお考え、これは私も大賛成でございます。

 大臣の趣旨説明の中にも、地方分権の時代にふさわしいというお言葉がございました。当然のこと、大臣は、教育の場においても構造を改革していきたい、地方分権を実施していきたいと。今度の法案にもそれに準じたことが幾つかございますね。地方分権、それから規制緩和、選べる教育、あるいは多様化されていく教育、そういう構造の改革視点というもの。

 それからさらに加えて、学校というものの存在が、今まではどちらかというと地域の中に点として存在していた。それを今度は、一つの学校を地域全体で支えていこう、そして学校も地域に役立っていこう、こういう、地域全体で学校を支え、双方協力し合って、全体の責任で子供を育てていこうと。

 これはやはり一つの構造改革、学校は点から面へという構造改革の一つの視点であろうと思うのですけれども、今申し上げました中でも、主として地方分権、規制緩和、そして学校の存在は点から面へ、これらの方向性は、大臣も今後おとりいただく方向性と考えてよろしゅうございますか。

遠山国務大臣 今御指摘になりました点を一言で申し上げると、これは開かれた学校にしていくということではないかと思います。

 それは、学校が地域の、特に今の話は小中学校ないし高校、主として小中学校でございますけれども、地域の中での存在として、地域住民の教育を専門的につかさどる場所として、これまではどちらかというと閉鎖的な運営がなされていたと思うのですけれども、それではこれからは成り立たない。やはり学校というのは、単に先生だけではなくて、外のいろいろな力も使いながら、それが保護者であれ、あるいはいろいろな専門的な知識を持った人であれ、あるいは社会教育団体であれ、そういういろいろな人たちの協力のもとに、学校の教育活動というものを、もう少し広がりを持った、かつ体験的なことも加味した、そういう教育にしていくという面が一つありますから、その意味での開かれた学校にしていくべきだと思います。

 同時に、学校にいる先生方も、できるだけ外でのいろいろな体験を積んでいただく。勤労体験なり、あるいはいろいろな手法があろうかと思いますけれども、その一つとしては、例えばさらに上級の学校に行っていただいて研修を積んでいただくとか、いろいろなそうした手法を今回可能にするようなことも法案の中に盛り込まれておりますし、今までやってきたいろいろな施策を総合化すれば、学校が閉じた社会ではなくて、本当に開かれた存在として、学校における教育そのものが充実していく、そういうふうな視点というのは、私はこれからのあるべき学校の姿の一つの重点的なポイントであると思います。

大石(尚)委員 学校と地域のかかわりというのは、これから本当に重要な視点として私どもも取り組んでいかなければならないことと思っております。と同時に、小学校、中学校、高等学校と、だんだんと子供のかかわる地域社会というものが大きくなっていかなければならないということも、私は一つの大事な視点ではないかと考えております。これは御答弁はちょっと、時間が足りなくなってまいりましたので、意見として述べさせていただきます。

 それでは、次の三点目でございますが、子供の教育にかかわる人材の育成について。

 これは、人間の子供は早産児と言われるほどに、どのような大人が周りにいて、そして私たちがどのような後ろ姿で子供を育てることができるかということを考えますと、本当に教育の場で、どういう人材をその場にお招きすることができるか、あるいは、養成して、そして子供の育成に当たっていただけるか、そこいら辺が大変重要な問題になってまいります。

 先ほど、平野議員への御答弁に関連いたしまして、教員養成の新しいカリキュラムを改変されて、そして新しい教育課程で養成がなされている。その新しい課程で育ってこられた、育成された先生方の特性というのをごく簡単に申しますと、どのように変わってまいりますのでしょうか。これはどなたが御答弁くださっても結構でございます。

岸田副大臣 先生御指摘いただきましたように、平成十年から、教員免許制度の改正によりましてカリキュラムを変えているわけであります。そして、そのカリキュラムの内容としましては、教員としての使命感の育成、教育実習の充実、あるいはカウンセリングに関する学習など、こうした部分におきまして特色を持ち、また、力を入れていくような内容になっております。こうした部分において、このカリキュラムが生かされることを期待して、平成十二年度大学入学者から適用されているという現状でございます。

大石(尚)委員 質問終了の時間になってしまいましたので、意見にとどめさせていただきます。

 向こう数年後に先生方が大量に退職なさる時期が参ります。そのときに、子供の減少傾向が底をついて、やや微増してくる。この期にどのような充実した養成課程のもとに育たれた先生方が教育界に就職していただけるかというのは、これは一つ教育改革の大変大きな視点になろうかと思います。ですので、本当の教員養成課程というものが四年間でいいのかどうか。それから、カリキュラムの内容を、もっと実体験をふやしたもの、あるいは、教科教育、教材、その他いろいろなものに深くかかわれる内容にしなければいけないのではないかとか、いろいろな思いを持っておりますものですから、これからぜひ、ともに研さんを積んで本当の意味でのプロとして頑張っていただける教員養成の課程を改革していく仕事にぜひ取り組んでいただきたいと思います。私どもも取り組ませていただきたいと思います。

 どうもありがとうございました。

高市委員長 斉藤鉄夫君。

斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。

 私は、二十分という限られた時間でございますので、飛び入学と大学改革という点に絞って、このテーマで質問をさせていただきます。

 一昨日の読売新聞に、遠山大臣と小泉総理とのやりとりが出ておりました。大学改革ということで、独立行政法人化または民営化ということが話題になり、総理から遠山大臣に対して「「聖域なき改革」への奮起を促した。」と、このように書かれております。これは新聞記事ですのであれですけれども、私も、日本の改革の中の非常に大きな一つが大学の改革だ、このように思っております。

 しかし、大学に競争原理を持ち込めばいいとか経営を民営化すればいいとか、それが即大学の活性化、大学の改革ということには、ちょっと私も疑問を持っております。大学の改革の議論の本質に戻る必要があろう、このように思っておりまして、きょうは飛び入学との関連で質問をさせていただきます。

 まず、大学の使命とは何かということを私なりに考えまして、簡単に言えば教育と研究、この二つであろうと。この二つの教育と研究という仕事を、限られた原資の中でどう最大限の効果を上げていくか、どう最大限の効果を生み出すようにするか、この観点からの改革でなければならないと思うわけでございます。

 この観点からすれば、現状の日本の大学は改革すべき点は多い、私もその点は認めているところでございます。特に理学、工学、医学、生物学等の分野では日本の大学に改革が必要だということは、欧米の大学と比較すればこれは一目瞭然でございまして、研究、学術、また産官学の連携、アウトプットという面からも明らかに劣っている、こう思うわけでございますけれども、大臣、日本の大学制度の問題点、大学改革が叫ばれるゆえんはどこにあるとお考えでしょうか。

遠山国務大臣 大学改革についての必要性については、私自身も、これからの二十一世紀の日本を本当の意味で知的な存在としてプレゼンスを高めていき、それがまた人類の英知に何らか貢献していく、そのためにはやはり大学がしっかりしていただかなくてはならないというのは、同意見でございます。

 大学改革という言葉でございますけれども、このことは、実は前世紀の末のころから頻繁に取り上げられておりまして、特に八〇年代の終わりから九〇年代にかけまして、大きな大学改革の必要性についての議論がなされ、また、大学審議会も設置され、そこでさまざまな討論も行われ、大きな改革の方向性は出されたと思っております。

 そのこと自体、今日でも通用できる面がありますし、さらに、新たに時代が変わったということで、時代が大きく変動しているということで追加していくべき面があると思いますけれども、一つには、各大学における教育の機能が、もっと個性を持った、大学ごとに個性と特色を持った形で多様なニーズにこたえていってもらわなくてはいけない。その中には、非常に水準の高い教育を必要とする大学もありましょうし、それから、市民としてゼネラルな、教養を十分に持つような市民を育てていくというような使命を持った大学もありましょうし、また、プロフェッショナルをきちんと教育してもらう大学もありましょう。そのことが一つ。

 それからもう一つ、大学には、やはり高度の研究能力を持っていただかなくてはならない。すべての大学がそうである必要はありませんけれども、特に日本では大学院の整備がおくれているわけでございまして、そこを中心として高度の研究ということにさらに取り組んでいただいて、創造的な知をさらに深めていただくということが大事だと思っております。

 それと同時に、各大学の運営のあり方ですね。運営のあり方をもっと弾力化し、大学が陥りがちな閉鎖的な体質から脱皮していただいて、さきに述べたような二つの事柄が可能になるような運営がそれぞれの大学でなされなくてはならないと思っております。そのことを可能にしていくためには、さらに行政としてもいろいろ手を尽くさなくてはならないと思いますけれども、大きな方向性としては、やはりすぐれた教育をやっていただくこと、そして、先進的な、あるいは創造的な研究をしていただくことという先生の御指摘が中心的な目標であろうと思います。

斉藤(鉄)委員 多分、私と大臣と同じ問題意識だと思います。

 ちょっと今の大臣の答弁を私なりに理解し、まとめますと、一つは、大学の持っている教育という機能と研究という機能が、現実には、日本の場合はごちゃごちゃになっていて明確に分かれていない、これをもっと分けて考える必要があるのではないかということ。それから、そのそれぞれに、評価と、そのフィードバック機能が働いていない。努力してもしなくても同じという現状。それからもう一つは、産官学、この場合の官は、お役所という意味と国立研究所という意味が入りますが、産官学の連携、これは、お金、情報、人事、すべてにおいてですが、連携がとられていないのではないか。私はこのように、日本の大学制度の改革に必要な点を考えております。

 教育と研究ということですが、まず研究に的を絞りますと、この問題点が浮き彫りになるような気がいたします。

 日本の研究の問題点ということで、これは常々言われていることですが、欧米に比べ、民が強い。つまり応用研究が多いということ。これは、逆さまに言うと、官と学が弱い、基礎研究が弱いということだと思います。

 先ほど申し上げましたような日本の大学が抱えている問題点、その結果として、基礎的な研究が日本の場合は非常に弱い。基礎研究を担う官、学の研究者を育てる教育、そして基礎研究能力がないということに尽きるのではないかと思います。ここを改革するということこそ、真の意味の大学の改革につながるのではないか。飛び入学ということも、この観点から論ずることがあってもいいのではないか、このように思います。

 そこで大臣にお聞きいたしますが、官、つまりこの場合は国立研究所ですが、国立研究所、それから大学、これは国立大学や私立大学があると思います。社会の中における本来の使命である基礎的な研究、応用的な研究は、今、日本の場合、民間がしっかりやっております。その基礎的な研究を花開かせ、欧米に負けないレベルに追いつかせる、欧米に負けないレベル、文化的な貢献をするためには、何が必要とお考えでしょうか。

遠山国務大臣 先生のおっしゃる官と学との研究水準を高めるために何が必要かということで考えますと、これまでのような研究のやり方をさらに発展させる、あるいは活性化させるためには、幾つかの方途が必要だと思っております。

 一つは、研究費についてももっと競争的な資金を拡充していくということが大事でございましょうし、それから若手研究者ですね。若手研究者はいろいろな可能性を持っているわけですけれども、そういう人たちの自立性を向上させるための支援策を充実していく必要がありましょうし、また、日本の、特に基礎研究の重要な部分を担っております国立大学でありますとかあるいは国立の研究所のファシリティー、研究施設が大変貧弱なわけでございます。そういうことで、十分な研究環境が整っていないのをどうするかというような問題もございましょうし、それからさらには、もう少し先を見ますと、大学に来るまでの間の子供たちの科学教育をどうやっていくかというような問題ももちろん絡んでまいります。

 と同時に、大学の中で私が非常に大事だと思われる点は、先ほどの運営の柔軟化ということにも関連いたしますけれども、すぐれた研究者を国際公募していくぐらいの意気込みでやらないといけないのではないか。私はトルコでの滞在のときに、トルコの大学というのも数が必ずしも多くはないわけですけれども、私立の大学でも、教官、教員を募集するときには、国際公募しているんですね。そして、国際的な評価にたえ得る教員を持ってきている。そういう努力をしています。

 日本の大学の場合は、まだまだその辺は十分でございませんし、競争的資金を配分する際にもきちんとした評価がなされているかどうかというような面でも、さらに改善を尽くしていく必要があろうかと思います。

斉藤(鉄)委員 大臣の御答弁、私も同感でございます。競争的資金、また人事の面でも競争的な部分をふやすべきだということ、その点については、私は異論もございません。

 しかし、それにプラスして、やはり基礎的な研究という場合、大学の中で自由な発想が許される、そしてその自由な発想が濶達に議論される、そういうことが奨励されるような場面、雰囲気ということも、基礎学問、基礎的な研究については非常に重要ではないかと思います。

 このことは決して、先ほど大臣がおっしゃった競争的な環境、競争的な雰囲気とは矛盾するものではないと思いますけれども、運用を間違えますと、往々にしてその二つは相反するものになってしまう、そうであってはいけないわけですけれども。そこら辺、競争的な雰囲気、つまり、評価をきちんとやって、その評価に対してフィードバックをするということと、それから自由な発想。少々とっぴなことを言っても決してつまはじきにされない、かえってまた、そういうとっぴな発想なり、これまでの価値観に基づかない発想の方が尊敬される、そういう雰囲気。この二つはなかなか共存は難しいと思うのですが、共存するような大学、そういう大学を目指すことが真の大学改革なのではないか、このように思うわけでございます。

 この点については、そういう意味では今の大学には評価がないということでございますが、ある意味では全く別な評価軸を持ってきて、基礎的な学問、ここ五十年、百年では役に立たないかもしれないと思われるようなものについてもきちんと評価をする全く新しい評価軸を持ってくること、これも大学改革の非常に大きな点ではないかと思いますが、いかがでしょうか。

遠山国務大臣 基礎研究の評価に当たりまして、御指摘のように、早急な成果を求めるということは決してすぐれた研究を生み出す条件にならないと思います。したがいまして、長期的にすぐれた研究をはぐくむという視点をもちろん重視しながらも、しかし、どれが本当にすぐれている研究であるかということをきちんと見分ける目ききの存在というものも大変大事でございます。

 それから、新しい発想で出てきた論文であるとか、あるいはアイデアに対して、今までなかったではないかとか、これは大先生の何々に反するというようなことで排除するようなことは絶対にあってはいけないと思うのですね。それはまさに、知の殿堂たるゆえんをみずから崩壊させているようなものだと思います。

 ですから、それぞれの分野での目きき、自分もすばらしい成果を上げられた研究者のような方が、次代を育てるという観点で、新しいものもどんどん奨励をし、むしろ励ましてそれをやってもらうような、そういう風土でなくてはいけないと思います。

 それは、もうまさに、あすからでもやろうと思ったらできるのですね。何か物的な条件が整わなくてはとかいうことではなくて、日本の大学が、みずからの大学なり研究所なりがみずからの使命を自覚して、そしていい研究を伸ばしていこうという姿勢になれば、それはすぐにでも取りかかれることだと思っておりますが、しかし、そういうことを可能にしていくいろいろな手だても必要かと思います。

 例えばピアレビューですね、その分野の研究者による評価というものを重視する。その中に若手研究者の視点も入れていく、さらには論文の量ではなくて質の観点からの評価というものを重視していくようなこととか、いろいろやるべきことはあろうかと思いますが、でも、大事なのは、やはり大学人なり研究者の自覚であると私自身は見ております。

斉藤(鉄)委員 その観点から今回の飛び入学という制度を考えてみますと、大学の使命が教育と研究であるということから考え合わせますと、やはり飛び入学の場合、将来のすぐれた研究者を教育する一つの制度、ある意味では、研究のトップを、頂上を上に上げる制度、このようにとらえることもできるかと思います。

 そういう意味では、大学の使命が基礎研究ということから考え合わせて、そして、それには非常に柔軟な発想、新しい考え方、これまでの物の考え方を壊すような、そういう思考方法が非常に有効だということを考えますと、ただ単に成績がいいということではなくて、研究仲間から見て、非常に自由な発想による独創性があるとか、既成の概念を超えた発想、そういう新規性を持っているとか、そういうことで飛び入学ということをとらえ直した方が、より、大学の改革ということからも生きてくるし、飛び入学をするその本人にとっても、将来自分は研究者になるのだ、これはどの分野でもいいと思います、数学、物理に限らないと思いますけれども、そういう形でとらえ直した方がいいのではないかと私は個人的に考えておりますが、大臣、いかがでしょうか。

遠山国務大臣 飛び入学の考え方は、全教科で成績優秀な、いわゆる受験エリートを対象とするものではございません。特定の分野で他にぬきんでてきらりと光る才能を有する者というふうに言えると思います。それは、だれでもなれることではなくて、衆目の一致するところ、非常にすぐれた能力があるな、何かこう、光っているな、そういう能力を持つ人がいるとすれば、既存の学校の枠内で何年ということで抑えるのではなくて、さらに可能性を伸ばすために、まあ十七歳からですけれども、上級の大学がきちんと責任を持って指導するよと。自分たちの目で見て、その才能なら伸びるよということを確認できた者が、選ばれて飛び入学をできるということであると思っております。

 その意味では、先生の御指摘のとおりですが、ただ、従来にない発想ができるような子供というようなことに全部変えていきますと、なかなかそれは規定の仕方が大変難しいわけでございまして、とにかく規定の仕方としては、その分野を広く求めて、そして受け取る大学側のいろいろな準備条件も考えながらそういう制度を開いていくというところに、今回の制度改正の意味があると思います。

斉藤(鉄)委員 一つの提案でございますので、また参考にしていただければと思います。

 最後に、きょうは大学改革ということで、評価ということが重要だという議論がございました。現在も、大学評価・学位授与機構というものが文部科学省の中にあるわけでございますけれども、これは一体、大学改革という観点から踏まえて大学の何を評価しようとしているのか、この点についてお伺いします。

池坊大臣政務官 我が国の大学が、各国のトップレベルとともに発展していくためには、多元的な評価システムが必要だというふうに思っております。そのような観点から、昨年四月に、今おっしゃいました大学評価・学位授与機構というものを創設いたしました。国立大学の教育研究について、透明性の高い第三者評価を開始したところでございます。

 この機構においては、大学関係者はもとより、産業界、その他の大学以外の幅広い分野の有識者も参画して、全学テーマ別評価、分野別教育評価、研究評価を行っております。平成十二年度には、全学テーマ別評価として、教育サービス面における社会貢献、教養教育を、また分野別教育評価、研究評価として、理学系、医学系の分野の評価に着手したところでございます。また、機構の評価結果は、各大学にフィードバックして、その教育研究活動の改善に役立てるとともに、広く社会に貢献し、大学に対して研究費などの資金を提供してくださいます機関や団体が、より適切に、かつ効率的な資源配分を行う、そのような参考資料として活用していただけたらというふうに考えております。

斉藤(鉄)委員 大学の本来の使命が知の殿堂、そして基礎的な学術研究にあるということを踏まえていただいての正当な評価をその機構がしていただくことを望みまして、私の質問を終わります。

高市委員長 都築譲君。

都築委員 自由党の都築譲です。

 昨日に引き続いて、今回の教育改革三法案、そして各論のパートワンということで、体験活動の充実の問題について、政府の考え方をただしていきたい、こんなふうに思います。

 今回の改正法によりまして、学校教育法の中に、第十八条の二という条文が設けられるわけでございます。基本的には、第十八条で小学校の学習活動の目標といったものが掲げられ、きのうもここで一部朗読させていただきましたが、一号、二号、三号というふうな大変中身のある活動をすることに実はなっておるわけでありまして、さらに十八条の二で、社会奉仕体験活動あるいはまた自然体験活動、こういったものを児童に、あるいはまた生徒にやってもらうということで、具体的には何を充実していくことになるのか。まず、そういったところをもう一度お伺いしたいと思います。

岸田副大臣 御指摘の「充実に努める」という部分でありますが、学校が児童に対して教育指導を行う際に、特別活動、総合的な学習の時間、各教科等において、体験的な学習活動、とりわけ期間的、内容的に一定のまとまりのある活動を身をもって経験する体験活動を、質的にも、量的にも豊かに取り入れるよう努めることを、この「充実に努める」という部分に含んでおります。

都築委員 今の副大臣のお話を聞いておりますと、そうすると、具体的にまとまりのある活動、総合的学習の時間とかいろいろな時間があるわけでありますが、その中でやっていく。そうすると、教育現場に対して、具体的にはどういうふうな指示を出していかれるのか。

 今までの役所の慣例でいきますと、法律が一本成立をすると、法律が成立しましたよと、そしてその内容を具体的に詳細に説明をする、例えば次官通牒、次官からの通達といったものが流れる。あるいはまた、今度は関係の政令、省令、そういったものが改廃をされて、それの具体的な説明といったものを行っていく。さらに、教育行政の場合は学習指導要領、こういうふうな話になっておるわけでありますが、教育現場に対する今回のこの改正法に基づく活動をどういうふうに実行していくのか、それについては具体的な指示内容はどうなるのか、そこら辺のところをちょっと御説明ください。

岸田副大臣 まず体験活動につきましては、各学校におきまして、それぞれ判断をし、そして適切に実施されるものだというふうに思っておりますので、画一的にこの活動について文部科学省で示すことは適当でないとは考えております。

 ただ、その参考になるものを示す、こういったことは重要だと考えておりますので、法改正後、速やかにその法改正の趣旨、それから校内や地域における推進体制づくりの留意事項、こういったあたりはもちろん示していきたいと思っておりますし、そして、体験活動の具体的な事例等は示して、取り組みの参考に供していきたいというふうに考えております。

都築委員 ではちょっと、もう少し視点を変えたいと思います。

 質問の順番がちょっと変わってくるかもしれませんが、そうすると、一つは、その体験活動の期間、教育改革国民会議の提言の中では、小中学校では二週間、あるいはまた高校だったら一カ月ぐらい、こういうふうなことが提案をされております。これはどういうふうにお考えになっているのか。そういったことは通達をするのか、しないのか。そこら辺のところは、いかがでしょうか。

岸田副大臣 体験活動につきましては、先ほども申し上げましたが、各学校が、各地域の事情ですとか、さまざまな条件を勘案して柔軟に対応するのが適当であるというふうに思っております。ですから、その期間につきましても、特に明示することは考えておりません。要は、こうした体制づくりを進め、一定期間の体験活動が確保されるよう努めていきたいというふうに思っております。

都築委員 そうすると、活動期間ゼロというものも許されるということになりますか。あるいはまた、例えば一日、二日間、この程度のものでも許されることになるのですか。それとも、何か基準みたいなものを示すことになるのですか。そこら辺、いかがですか。

岸田副大臣 あくまでも各地域の事情、学校の判断で行っていただくわけですが、やはり体験活動の重要性はぜひ認識していただきまして、しっかりとこの体験活動を活用し、そして促進していただくよう、その理解に努めたいと思っておりますし、そういったことを促していく努力はしっかりとしていきたいと思っております。

都築委員 そういうお話を聞いていると、何というのか、国家行政組織という大きな組織、そしてまた地方自治体の行政組織も巻き込んだ取り組みというものを運営していくことに実はなるにもかかわらず、例えば一つの小さな企業の組織やあるいはまた官庁の組織でもそうですけれども、これをやれと大変大ざっぱなことを言っておいて、後はお前たち、自分勝手に、部下がみんな考えて中身を詰めてやれと。こういうふうな形でうまくいくときは、それはなかなか立派なお殿様の組織があって、トップがいて、いい。ただ、実際にうまくいかないときは、結局トップの方から、お前たち、何をやっていると、問題が起こるたびにいろいろごちゃごちゃ叱責をされて、ますます何をやっていいのかわからなくなってしまうような、本当にだめな上司、そういっただめ上司の典型的な指示を今回の法律改正でやる。そんなことを国会にやれということ自体がおかしいのじゃないのかという気がしてしまうのですよ。

 一体、具体的に何をやろうというのか。そして、本当にそれが正しい目的なのか。そしてまた、そのために正しい組織や人員を持ってやっていくことになるのか。ある程度のものは示してやらないと、では、実際にどうなるのか。

 さらに、きのうの議論の中で、私自身には、強制とか義務とかそういったものはないという文部大臣の御発言がありましたけれども、ただ、ほかの委員の質問に対しては、評価の対象にはなると。生徒自身の評価、生徒の成績評価というか、あるいはまた生活態度の評価というか、その中にはそれは入るのだ、こういうことを言っているわけですから、そこら辺のところは、本当にそんなことでいいのですかという思いが実はするわけでありまして、もう一度、ちょっとそこら辺のところをお聞かせいただけますか。

岸田副大臣 その辺、混乱がないように、法の趣旨あるいはその留意事項というもの、学校に対するものあるいは教育委員会に対するもの、こういったものを示し、なおかつ具体的な参考例も示した上で、こうした体験活動を実施していただくということであります。

 そういったものを参考にしていただきながら、その体験活動、具体的な現場におきましてはいろいろ事情が違います、その条件の中で、有効に活用していただくというお願いをすること、これは現状あるべき姿だと思っています。

都築委員 それでは、そういう御答弁が続くのだったら、もう一度、ちょっとまた角度を変えて議論しましょう。

 この施策のために、具体的にどれだけの予算、そしてまたどれだけの人員を見込んで、それぞれの現場に配賦をすることになるのですか。それをお答えください。

岸田副大臣 体験活動につきましても、その経費につきましては、通常の学校教育の活動と同様に、設置者及び参加する児童生徒、その保護者において負担されるべきだというふうに思っておりますが、ただ、これは、一定程度まとまった実施が行われる、やり方につきましては各学校、現場の判断にゆだねるわけでありますから、ある程度まとまった活動が実施される等々、こうした状況の中で、さらなる支出や負担が必要となる、こういったことも当然想定されるのではないかというふうに思います。こうした取り組みの状況等も見つつ、なおかつ、予算措置の状況等も参考にしながら、その支援体制については考えていかなければいけないと思っています。

都築委員 この法律は、一体いつから施行されることになるのですか。

岸田副大臣 公布後すぐということでございます。

都築委員 そうすると、公布後すぐということであれば、この通常国会で成立をして、そして公布をされる。こういう状況になったら、この条文に基づいて、当然また、先ほどの次官通牒なども踏まえて、各教育委員会、各学校で判断をして、早速やりましょう、この夏からでもやりましょう、こうなったときは、どういうふうにやっていかれるおつもりですか。

遠山国務大臣 学校の教育活動の中で、指導方法の一つとして、体験活動をできるだけ取り入れてほしいというのが今回の趣旨でございます。必ずしも、人員を増したり、あるいは何か予算措置をしなければできないということではないと思います。

 ただ、実際にこれを走らせてみまして、本当に必要であれば、いろいろな措置もやっていくべきだと思いますけれども、今、この法改正でねらいとしているところは、学校のいろいろな活動の中で今回のようないろいろな体験活動を入れてほしいということでありまして、可能なものから順次実現されていくことであろうかと思いますので、膨大なお金を投入して、あるいは人員も投入してというようなことは今のところ考えていないわけです。しかし、公布の日に施行になりましても、それは十分、それぞれの地域で考えて、可能なところから実現してもらえると思います。

都築委員 今文部科学大臣に御答弁いただきましたが、私はそんなのでは済まないだろうと思うのですね、正直申し上げて。

 多分、教育改革国民会議の中の、二週間とかあるいは一カ月程度とか、そういったものを一つの目安として動き出す可能性だってあるわけでありまして、そういった一定のまとまりを持った活動、例えば児童生徒百人、二百人を動かしていこうとしたら、一体何人の指導者がつかなければいけないか、そして何人の教員がそれに対して連動しなきゃいけないか、そしてまたそれを受け入れてもらう施設、みんなお金がかかる話に実はなるわけでありまして、そんなことで済むような話ではないんじゃないのかなという気が私はいたします。

 ただ、このことは、実は私は、だからしっかり予算をつけろという面もありますけれども、本当にそういったものを、今、一律ではなく、画一的ではなく、地元の地域の現状を十分勘案しながら、また現場の皆さんの判断で工夫を凝らしてやってもらいたいという思いを持っているということでありますが、ただ、それでも、全体、画一的なものとして、こういったものをやりなさい、こういったものに努めなさいという法律が実はできてしまうわけでありまして、そういったことを考えたら、本当にそれでいいのだろうかと。

 きのうからの私の問題提起の一番の根本は、一人でも救える人がいたら本当にしっかりとした対策を講じていく必要がある、ただ、だからといって、そのために全体にばさっと網をかけるような政策を本当にやっていいのですかと。そして、全体にばさっと網をかけることによって、結局、本当に救わなければいけない子供たち、そしてまた恵まれない子供たちがもっと恵まれなくなってしまうような状況というのをどう改善していくのか。そういったことに関心を寄せなければいけないのに、形だけ、社会奉仕体験活動をやったら、自然体験活動をやったら、みんな社会性ができてきて立派な人間になる。そんなことは私は絶対ないと思うのであります。そのことは、また後ほども触れたいと思います。

 今の質問の中で、人員や予算の問題もそういうふうに抽象的にしかお答えにならないというのは、どうも学習指導要領との関係もあるのではないのかなという気がするのです。

 平成十四年度から新しい学習指導要領が施行予定になっております。そうすると、今までも、学習指導要領の中に、社会体験とかあるいはまた自然体験、こういった体験活動に関する記述が実はあるわけであります。

 例えば「総合的な学習の時間の取扱い」、これは小学校学習指導要領、来年の四月一日施行予定でございますが、ここでも、第3の5の(1)で、自然体験やボランティア活動などの社会体験、観察・実験、見学や調査、発表や討論を積極的に取り入れることと。そしてまた、第三章の「道徳」の中でも、いろいろな取り組みがありまして、集団や社会とのかかわりに関することも取り上げると。さらに第四章の「特別活動」。学校行事の中、こういったところでもいろいろな体験活動を行うということがそれぞれ書いてあるわけであります。ここら辺の学習指導要領というのは、今回の、内容をさらに充実するという法律の条文を受けて実際に改訂をすることになるのかならないのか、ちょっとお聞かせください。

岸田副大臣 平成十四年度施行の新しい学習指導要領におきましても、豊かな人間性や社会性などを育成し、生きる力をはぐくむ観点から、社会奉仕体験活動や自然体験活動、そして障害のある人や高齢者等との交流などについて充実を図ったというところであります。

 ですから、この趣旨は今回の法律改正と軌を一にするものであると理解しておりますので、今回の法改正に伴って、この新しい指導要領を特段改訂する必要はないと考えております。

都築委員 特段改訂をする必要はない、こういうことでございまして、私は実は唖然としてしまうのです。実は岸田副大臣は先般就任されたばかりだから責任はないのかもしれませんが、学習指導要領の中身を実現するために国会で法律を通す、本末転倒なんですよ、はっきり言って。学習指導要領をこういうふうに書くのだったら、その時点で法律はこういう規定がある、なぜこういうふうになっていないのか。

 むしろ国の方針として、国会議員が国民の皆さんの意見を聞いて、そしてまた今の国の教育の現状やあるいはまた社会の状況、そういったものを踏まえて、どういうふうに教育を正していかなければいけないのか、そういったことをしっかりと議論を尽くした上で法律ができ上がって、それに基づいてさまざまな政令や省令ができ、さらに学習指導要領という形で実際の運営に当たっての留意事項というものが流れていくのだったらいいけれども、既に文部科学省の役人の皆さん方がつくり上げたこういった仕組みの中、これを後から正当化するために法律を議論しろと、そんな話になるじゃないですか。

 だから、これを今文部科学省の皆さん方に申し上げてもしようがないのだけれども、本当は、国会の議論のあり方として実は逆転しているのじゃないのか、やはりまだ役人主導の政治といったものになってしまっているのじゃないのか、官僚主導の国会運営になってしまっているのじゃないのか、そういったことを我々は本当に反省しなければいけない事象だ、こういうふうに思うわけでありまして、ちょっと副大臣、もう一度。

岸田副大臣 ですから、物の考え方としまして、平成十四年度から新しい学習指導要領をスタートさせる、これは議論があり、そしてそれを決定して、もう予定されているわけであります。ですから、そういった、指導要領に合わせてさまざまな体制の充実を図る、それで法律の改正を今お願いしているということでありますので、流れとしまして不適切ではないというふうに思っております。

都築委員 それは私は極めて不適切なものだと思います。

 正直申し上げて、先ほどの人員や予算の措置の関係とか、そういったものを聞いても、今回の法律を通すことでこれだけ充実をさせていくのですというものが本当に出てくるのかといったら、出てこない。では、実際の運営の現場は、指導指針はどうなっているかということで学習指導要領のお話を聞いたら、そういう実態である、こういうことであります。だから、それは本当に正しく国民の皆さんの声をしっかりと聞いて、教育といったものを改めていく、そういうものにならないのではないか。

 もっとうがった見方をすると、教育改革国民会議、きのうも申し上げました、一年近い期間をかけて各界各層の皆さんが出てきて議論をし、本当に貴重な提言をしていただいた、こういうことになっておりますが、それだって、実は文部省の皆さん方がもう既に考えておられることを、ちゃんと正当化していくためにいろいろな意見をうまく出してもらって、それをうまく整理した十七の提言という形になってしまっているのではないのか、そんな思いもしてしまう。

 だからこそ、繰り返しになって恐縮でございますが、きのうも申し上げたのは、本当に国会の審議も、それこそ教育改革国民会議がかけたと同じような労力と時間をかけて十分議論をする必要があるのではないのか、こんなことを、繰り返しになって大変恐縮ですが、重ねて申し上げる次第であります。

 それで、ちょっと視点を変えまして、今の社会奉仕体験活動、自然体験活動、きのうも申し上げてまいりましたが、本当に一体どの層を、どういう政策効果を期待するか。社会性が豊かな、心の豊かな日本人を育てるために、子供たちが育ってほしい、こういうことでやるということであります。ただ、では本当にそうなのということを考えると、随分いろいろな事例がございます。

 教育改革国民会議の中でも既に提言されておりますが、もともとは大人の問題だ、こういう話もあるわけであります。例えば、最近の事例でいきますと、裁判官とか検事さん、あるいはまた、少し前だと、神奈川県警の本部長さん、新潟県警の本部長さんあるいはまた大蔵省の幹部の皆さん、金融機関の大幹部の皆さん、こういった方たちが本当にさまざまな不祥事といったものを起こして、新聞をにぎわしたのは記憶に新しいわけでありますし、また、政治家でも、本当に大変立派な活動をされておられると思いながら、国会でたった一問質問して五千万円もわいろをもらってしまったということで逮捕された国会議員もいる。こういった状況を考えると、そういった人たちは本当に、それこそ立派な見識を持った、そしてまた立派な常識を持った方たちではないのか、こう思うのですが、何でそんな人たちが、逮捕をされてしまうようなそんな不祥事を起こすのか。ああいった人たちは体験活動が足りなかったのだろうか、そういう気がしてしまうわけです。どうですか。どうお思いになりますか。

岸田副大臣 なかなか難しい問題だとは思いますが、今先生から御指摘をいただきました問題、言うなれば社会全体のモラルの低下の問題ではないかなという気がいたします。そうなりますと、子供だけの問題ではなくして、大人を含む社会全体の問題だと認識しなければいけないと思っております。ですから、こうした学校、家庭、地域の連携とか、あるいは心の教育の推進ですとか、さまざまな要素において努力をしなければいけないと考えます。要は、その背景にはいろいろな要素が絡んでいるというふうに思っております。

 体験学習の重要性は自信を持って申し上げるところでありますが、今の御指摘の問題につきましては、さまざまな要素が絡んでいるということを感じます。

都築委員 ちょっと年齢が、本当に分別盛りの五十歳とか六十歳、そういった方たちの非違行為でありますから、大分要素が違うのかなという思いがいたしますが。

 もう一つは、これは質問項目として挙げておりませんが、資料として出してくださいということでお願いをしました。昨年のゴールデンウイークのときに、佐賀県、福岡県で、バスジャック殺人事件というのが十七歳の少年によって引き起こされたわけでありまして、この年齢層の犯罪事件としては、豊川の、それこそ人殺しを経験してみたかったという大変びっくりするような事件、そしてまた、その前ですと神戸の酒鬼薔薇事件、いろいろなものがございます。

 佐賀のバスジャック事件の少年は、報道によりますと、バスの中での応対は大変丁寧なものがあった、にもかかわらず、キレてしまうと何をするかわからないという、大変よくわからない状況があったわけであります。そしてまた、彼が変わっていくきっかけというのが、中学校を卒業し、高校受験をするときの直前に、いじめによって二階か三階から飛びおりて腰の骨を折って、高校受験を、実は本来の希望校とは違うところを受験したというふうな話などを聞きますと、学校教育の中でそういったものを真剣にとらえて分析をし、どういう対応を講じていくのか、本当にやらなければいけない課題ではなかったのかな、こんなふうに思うわけであります。

 そういった問題について、実際のところ、ちょっとこれは通告をしてなかったので恐縮でありますが、そういったものの分析、特に佐賀の少年の事件について分析をしたものがあるかどうか、政府参考人でも結構ですから、ちょっと答えていただければ。

矢野政府参考人 これは去年、一年前でございますけれども、少年の問題行動に関する調査研究協力者会議というのを設けまして、今御指摘のようなケースも含めて分析調査をいたしまして、ことしの四月でございますけれども、その報告書をいただいているところでございます。

 その中では、やはり一つのポイントは、心のサインを見逃すなということで、そうした事件を起こす子供たちの中でそういうある兆候がある、そういうものを早い段階で的確に把握をして、そして関係機関等と連携して対応するということが大変大事である、そういう意味で情報連携から行動連携といったような対応策が今後必要である、そういう指摘をいただいているところでございます。

都築委員 対応として情報連携、行動連携ということの重要性はわかりますし、心のサインを見逃すな、そういったところもわかるんですが、私自身は別に心理学の専門家でも何でもありませんけれども、ただ、地元の方で、地域の方で、不登校になった子供たちの面倒を見ている方やいろいろな方たちのお話を聞くと、やはり一人でもいいからしっかりとその子供の存在を受けとめてくれる人がいることが何よりも大切だというような話を聞くわけであります。

 今の局長さんの御答弁に心のサインというところがございますけれども、そういったものが、あのとき、親御さんたち、そしてまた学校の先生方あるいはまた警察の皆さん方、だれも彼の気持ちをわかってくれなかったのではないのか。そういったところからすべての、世間に対する憎しみとか、あるいはまた憎悪というか、かたきの思いというか、疎外感というか、そういったものを膨らませていって、ある時点で暴発してしまったのではないのかなというふうな印象を私は持っております。

 例えば、そのいじめに加わった加害の少年たちが正しく補導され、あるいはまた制裁を受けたのか、そういったところの問題もあったのではないのかなというふうな印象を持っております。そういったもので実はむしろいろいろ、子供たちが大変だ、子供たちがキレてしまうと。私は、幾ら社会奉仕体験とか自然体験とかそういったものを積み重ねていっても、現実、いざ本当に本人がテストされるような場面に来たときに、だれも自分のことを理解してくれない、支えてくれないという状況になったら、やはりキレてしまうんじゃないのかなと。

 そして今、普通の大人の皆さん方でも、私も含めてでありますけれども、いざというときに本当に自分が正しく行動できるかという保証などだれも持っていないんじゃないのかなというふうな気がするわけでありまして、本当に困ったときに、本当に大変なときにだれか手を差し伸べてくれる人がいるような仕組みをつくっていくことの方が、より大切ではないのかなと。

 だから、今、いじめとか、あるいはまた不登校に陥った子供、あるいはまた校内暴力をする子供、さまざまな子供がおりますけれども、そういった個別の対応といったものを充実することの方がより大切であって、むしろ、本当にこんな、十把一からげと言ってはあれでございますけれども、全員に網をかけて、もう既に赤い羽根募金に協力をしたり、あるいはまたリサイクルで缶や瓶の回収に協力したり、あるいはまた堤防の草刈りをやったり、さまざまな社会奉仕というかソーシャルサービスというか、そういった体験活動にもう取り組んでいる子供たちまでひっくるめたような政策を打っていくこと自体が問題ではないのかなという思いがいたします。

 それで、そういう指摘を申し上げておきながら少し矛盾するかもしれませんが、現実に社会奉仕の体験とか自然体験、人間が生まれ落ちてからずっと自然と接し、また社会の中で生きていくわけでありますが、そういった体験活動といったものを、先ほどの期間の問題はちょっと明確にお答えいただけなかったのは大変残念でありますけれども、もう継続的にずっとやっていく必要があるのであって、私は、小学校、中学校で二週間とか高校で一カ月間、そんなもので本当に身につくような経験になるんだろうかという思いがするわけでありまして、そこら辺の問題。

 それからまた、同時に、そういったものが本当に効果を持つ年齢層というのもやはりあるのではないのか。やはりある程度、自意識ができてくる、知識がついてくる、そうなると新しいものに、何か恥ずかしいなとか面倒くさいなとかそういう思いがあるけれども、本当にわいわいと喜びながら、がやがやとみんなで取り組んでいけるような、そういった年齢層を重点的にやるとか、そういう発想はお持ちなのかお持ちでないのか、そこら辺についてちょっと見解をお聞かせいただけますか。

岸田副大臣 体験活動につきましては、地域の事情はもちろんですが、それとともに、児童生徒の発達段階を踏まえて適切に実施されることが大切だというふうに思っております。ですから、その発達段階、学年等によりまして実施される体験活動の種類、それぞれいろいろなものが考えられるのではないかなというふうに思います。

 ですから、例えば小学校低学年では、学校周辺の清掃ですとか、地域のお年寄りに手紙を書いたりプレゼントをつくって届けるといった活動があるでしょうし、また小学校高学年においては、その地域の花壇の世話、あるいはひとり暮らしの老人との触れ合い、あるいは中学校においては、その地域の公園、道路、海岸の清掃ですとか、老人ホームで世話をするとか、あるいは高等学校では、幼稚園や保育園で保育や清掃を行う、こういったことも考えられるでありましょう等々、その発育段階によっていろいろな活動が考えられるというふうに思います。

 それからまた、先生の最初の方の質問が、この程度で効果が出るのかというような趣旨の御質問だったと思いますが、こうした活動がどのような効果をもたらすかというのは、いろいろな見方があると存じます。ほかの学科、教科との連携という意味もあるでしょうし、また、こうしたさまざまな経験をする、そうすると、子供たちにとっては恐らく初めての経験ということも随分多いことだと思います。これから社会において生きていく、さまざまなボランティア活動、奉仕活動を行っていく際に、そういったきっかけをつくるということにもなるでありましょう等々、いろいろな効果、成果が期待できると思っておりますので、一概に期間で体験活動の意味を割り切るわけにもいかないのではないか、そんなふうに考えております。

都築委員 確かに、いろいろなきっかけを与えていくということではいい面もあるだろう、こういうふうに私も思います。

 ただ、結局、今副大臣が言われたような、低学年では、小学校高学年では、中学校では、あるいは高等学校ではというふうな形で実はぶつ切れになってしまうと、本当にそのスポットスポットで、そこさえうまくこなしていけばいいや、そしてまた、学校の成績、評価でも、適当にこなしておけば済むんだ、こういう発想だって出てくるだろうと思うわけでありまして、本当にそれで効果が上がるものになるのか。新しい自分のきっかけとして本当にそれをつかまえていく子供がいれば、それはいいだろうと思います。

 ただ、私自身が常々思っておりますのは、以前の文教委員会でも指摘をさせていただきましたが、私自身は剣道、実際には高校でやった程度でありますが、剣道の大会とか、あるいはまた茶道とか華道とか書道とか、いろいろな道のつくそういう団体の会合にも呼んでいただいてごあいさつをする機会があるのであります。そういったところは、茶道、華道はやはり女性が圧倒的に多い。剣道、柔道、こういったところになりますと、やはり男性が多い。それでも、男も女もやはりいる。そして、特に大事なのは、年とった、名誉的なポストについておられる大変高段位の方たちから、本当に入門したばかりの若い子供たちまで、実はたくさんの年齢層が満遍なくいるのが実態であろうと思うわけであります。

 社会というのはもともと、小学校四年生だったら四年生で全部が構成されているわけではなくて、本当に一部の年齢層にすぎないわけでありますから、そういった社会の凝縮した図というのが道というものに取り組むグループの中にはあるのかなと。そういったところで、大人から若者へ、若者からまた後進の子供へと、いろいろな知識や経験や何かがつながっていく。そしてまた、礼儀あるいはまた言葉遣い、こういったものも、交流する中で自然と伝わっていく。そういったものが、実は一人の人間としての成長、同時にまた、相手の存在を敬いながら、自分もその中で位置づけをしっかりと与えられて存在感を満たしていくことになるのではないか、そんな思いがするわけであります。今申し上げたような、本当にぶつ切れのような状況で、形だけやることで本当にいいんだろうかという思いが私はいたします。

 むしろ、既に行われている学校教育の中で、例えば、先ほども出しました赤い羽根募金の問題、それからまた瓶や缶の回収の問題、こういったものも実際のところは、赤い羽根募金は確かに駅頭などに子供たちが立つことがありますが、ただ、立ちますけれども、役割を与えられてただ声をかけている。もちろん本人たちにとっては、これで恵まれない人たちに少しでも豊かな物資が届くように、そういう思いはあるだろう、こう思うんですが、それでも役割を与えられているだけにすぎないのではないのか。

 それから、瓶や缶の廃品回収といったものについては、最近は私どもの地域でも、現実には分別回収とかそういったものになってしまって、さらにまた、回ってくるときも、新聞の回収といったって、実はPTAのお父さんやお母さんたちが車でぶうっと来て持っていってしまう。こういう状況の中では、昔のようにリヤカーを大人と子供が一緒に引きながら町の中を回って歩いていく、そういう状況にはないと思うんです。だから、便利になった以上、それを昔のように、もう一度リヤカーを引っ張り出してきてやれなんというわけにはいかないだろうと思うんですが、そういったいろいろな年齢層が入って、そして継続的にやっていく活動の方が、より私は効果があるのではないかと。

 だから、社会奉仕体験あるいは自然体験というような形で、何かすばらしいことのように聞こえますけれども、実は、その内実は非常に空虚なものになってしまって、形だけ済ませておけばいいというものになってしまうのではないのか、そういう懸念を持っておるんですが、そういった点についてどうお考えになりますか。

岸田副大臣 今先生から御指摘がありましたように、いろいろな年齢層、さまざまな方々との接触によって大きな成果が出てくるということは同感でございます。ですから、今回、学校の場におきましても、体験活動の支援というものを盛り込んだわけですが、この社会教育法の改正の中で、学校の外でもこうした体験活動を支援していくような雰囲気、これを盛り上げていこうということになっております。こうした学校における体験活動というものがやはり社会全体の体験活動と連携していく、その中でいろいろな年齢層、いろいろな立場の方々と触れていく、こういったことによって成果が上がっていくということ、これは期待したいところだと思っております。

都築委員 ちょっと議論を進めてまいりますと、今度は、こういった社会奉仕体験活動などを推進するに当たって、また社会教育関係団体等との連携も具体的にやっていくということでありますが、具体的にはどういうふうにやっていかれるおつもりなのか、そこら辺のところをお答えいただけますか。

矢野政府参考人 各学校におきましてこうした体験活動を行っていくためには、各学校のみの取り組みでは、活動を行う場の確保、あるいは指導者の確保などの面で限界があるわけでございます。このために、学校が体験的な学習活動を充実するに当たりましては、社会教育関係団体等の関係団体あるいは関係機関との連携に十分配慮する必要があるわけでございまして、改正案ではその旨の規定を設けているところでございます。

 具体的な連携の内容あるいは連携先でございますが、例えば社会奉仕体験活動をとってみますと、社会教育関係団体やあるいはボランティア関係団体、さらには福祉施設等との連携が必要になってまいるでございましょうし、自然体験活動をとってみますと、これもまた社会教育関係団体、さらには青少年教育施設、また行政機関等との連携も必要になってまいろうかと思うわけでございます。

 私どもといたしましては、こうした関係機関、関係団体との連携ということがこうした体験活動を充実していく上で大変必要なわけでございますので、そういう意味で、円滑にそうした体験活動を実施できますような体制づくりが必要になるわけでございますので、国といたしましても、そうした体制づくりの観点から今後どういう形で支援をしていったらいいかどうかということも検討してまいる必要があろうかと思っております。

都築委員 今回の社会教育法の改正の法案は、その受け皿となるべく社会奉仕体験活動などについての施策の充実というか、体制の充実を考えていくということでございますが、実はもう一つが、家庭の教育力の向上といった問題についても踏み込んでやっていくことになっているんだろうと思います。

 そして、現実には、既に平成十三年度における予算措置として、家庭教育の充実ということで、家庭教育手帳やノートの作成、配付、こういったものが具体的に上がっておりますが、このほか、家庭の教育力、こういった問題についての考え方をちょっとお聞かせいただけますでしょうか。

池坊大臣政務官 今お話にございましたように、確かに家庭の教育力というのは低下いたしております。

 今までも具体的な事業といたしましては、おっしゃいましたような、家庭教育ノートそれからまた家庭教育手帳、これは家庭のしつけのあり方等を盛り込んでおります。それからまた、子育てに関する親の悩みや不安に答えるための家庭教育相談体制の整備、また、きめ細やかなサポートが必要なんじゃないかというさっきのお話でございましたので、十把一からげでない、さまざまな悩みに対しての子育て支援ネットワークというのをもうやっておりまして、これは警察だとか児童相談所、さまざまな方々がネットワークを組んで子供たちや親に対処しようということでございます。子育てサポーターなどを配置いたしております。

 それからまた、平成十三年度の新規事業といたしましては、小学校入学前の子供を持つ親が参加する就学時健診や母子保健活動の機会を活用した子育て講座などを実施する子育て学習の全国展開などをいたしております。

 今回の社会教育法の改正は、各委員会における家庭教育に関する講座の実施を促進するものであり、さらに、国と家庭とが連携をとりながら家庭教育の向上を図っていこうというものでございます。

都築委員 いろいろな施策を講じていかれるということで、家庭の教育力の低下といった現状、こういったものが改善されていくということが本当に期待をされるのだろうと思います。ただ、私は、本当にこれでいいのかなと。どこの提言でも書いてありますが、そもそも家庭の問題はやはり家庭が本来やるべき話であって、行政からあれこれ、家庭のあり方はこうですよなんということを言われるというのはおよそ大変おかしな現象ではないか、こんなふうに思うわけであります。

 ちなみに、例えば、かつての通産省の外郭団体が、かつて十一月二十二日を「いい夫婦の日」にしようというふうな話をしておりましたが、いい夫婦であるかどうかなんというのは本人たちの勝手でありまして、そんなことを何も、行政が補助金を出して、その補助金を使う団体が音頭をとってやること自体が、個人の生活に対する行政の過大過ぎる干渉ではないか、こんな思いがするわけです。

 ただ、現実に本当に国民の中で困った人がいたら、それは、みんなでこの社会を支え合っていくというこの国の仕組みからしたら、それに手を差し伸べるのは当然のことだろうと思うわけであります。だからこそ、私は今池坊政務官のお話を聞いておりまして、大変いい政策もあると思うんですが、例えば、私自身が先ほど申し上げました家庭教育手帳とか家庭ノート、こういったものは一体どれぐらいのところにお配りになる予定なのか。全戸配付される予定なんでしょうか。

池坊大臣政務官 家庭教育手帳や家庭教育ノートにおきましては、ことし二月から三月にかけて、家庭教育に関するフォーラムやPTA研究発表会などの参加者を対象にしたアンケート調査によりますと、大変によかったというのが八割以上ございまして、これは全部の方々にお手渡しするようにしております。

 私も、土日に教育関係の講座、講習会に参りますときには、若いお母様方に必ずそれを読んでほしいというようなことも申しております。

都築委員 もらった方たちは、本当にいいフォーラムだった、いいノートだった、こういうふうなお話なのかもしれません。

 ただ、私自身は本当にそれでいいのかなと。先ほど申し上げた家庭の自治とか家庭の自立といったことを考えたら、何でもかんでも行政におんぶにだっこで、いざとなったら全部行政が家庭生活まで、個人の生活まで面倒見てくれるなんて思ったら大間違いだというのが国民の自立の原点ではないか、私はこんなふうに思うわけであります。

 実は私の地元の方でいろいろ応援してくださる方たちの中で、「友の会」ということで、もうそれこそ戦前から羽仁もと子さんが一生懸命取り組んできたこういった活動が、地域で細々と実は伝えられて、そしてまた、子供の教育の問題について、お母さんたちが悩みを相談したり、あるいはまたみんなで支え合っていこうということで取り組んでいる。あるいはまた宗教団体、あるいはまた倫理の実践の団体、さまざまな団体が実は私はあると思うのであります。

 そういったところが実はそれなりの力を、今これだけ便利で豊かになったから発揮できなくなってきているのかもしれないんですが、逆に行政が、でもここまで、こんなにたくさんの予算をつけてやっていくということ自体は、本当はそういう必要性が十分にあるということを明らかにあらわしていると思うわけであります。

 むしろ逆に、行政が一律に家庭ノートとかそういったものを、私は見ていないので大変失礼な言い方になるかもしれませんが、そういった一定のものを、いろいろな執筆者がおられるでしょうから、バランスもよくとられてこれは公平だということをやっておられるんでしょうけれども、それでも一つのものを提示していくということについては私は本当にいいのかなと。

 例えば今も、家庭教育の充実ということで今回の文部科学省関係の予算の中では十三億九千万円というふうに言われております。それで、先ほどのように、たくさんのノートや手帳といったものを必要のない方たちにまで配付をするよりは、例えば本当に困った家庭が実際にいろいろな援助を、金銭的な援助ではなくて、いろいろな指導とかカウンセリングとか、あるいはまた相談とか助言を受けるとか、そういった形での専門家を雇う費用として、例えば年間一千万円かける。そうすれば、十三億九千万円だったら百三十九人の家庭を、あるいは子供を救うことが現実にできるのかもしれない。ただばあっとばらまいてしまって、それは参考になりましたという程度で、本当はなくたってよかったかもしれないところまで実は何億という金が使われてしまっているんではないか。

 そういうことを考えると、本当に予算の有効活用といったものを考えるときに、私は、今の家庭教育の充実の問題、あるいはまた今回の社会奉仕体験、自然体験活動の充実の問題などを考えると、実はどうも視点が違っているのではないか。そしてまた、限られた資源、人員とか予算とか、そういったものの振り向け方、そういったものが違うのではないか。そしてまた、今回のこの法案のきっかけになった今日の教育の現状、社会の現状に対する認識といったものの根本が、実は十分にまだ議論され、分析され尽くしていないのではないか。そういうことを指摘して、各論の一の部分を終わりたいと思います。

 次回はまた金曜日にやりたいと思います。よろしくお願いいたします。

高市委員長 午後四時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午後二時三十六分休憩

     ――――◇―――――

    午後四時一分開議

高市委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。石井郁子君。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子です。私は、本日は学校教育法の一部を改正する法律案と、引き続いて指導力不足教員の問題で質問をいたします。

 まず学校教育法でございますが、今回五十六条の第二項に「特に優れた資質を有すると認めるものを、当該大学に入学させることができる。」とし、いわゆる大学への飛び入学が、これまで数学、物理に限定してきたものが全分野へと対象が広がります。そして、大学の自主的判断にそれがゆだねられています。また、博士課程のある大学という要件がございましたけれども、これも撤廃される。四年制でも短大でも、また専修学校にも拡大しているわけであります。

 まず確認したいのですけれども、この法改正は、教育改革国民会議の報告を受けてのものでしょうか。これは大臣にお願いいたします。きょうはもう大臣でよろしく。

遠山国務大臣 もちろん国民の間で広く、今の一律的な教育制度をより規制緩和してという要望が背景にあるわけでございますけれども、教育改革国民会議から昨年十二月、飛び入学について提言があり、我が省で本年一月、今後取り組むべき教育改革の全体像を示す二十一世紀教育新生プランを策定して、国民の皆様にその改革の方向を示したところであります。また、平成九年の中教審の答申でも、飛び入学の拡大は検討課題として示されていたところであります。このため、一定の要件を課すということを含めて、今回の改正案提出に至りました。

石井(郁)委員 教育改革国民会議の提言を受けてということを確認したいと思うのですけれども、昨日も山元議員や中西議員からこの点での御質問がございましたけれども、今回の提案は、やはりこれまでの中教審の論議と全く違うのではないか、これは大変重大な問題だというふうに私は感じております。

 そこで、九一年の第十四期の中央教育審議会の答申では、大学への飛び入学についてどのような答申であったでしょうか。簡潔にお願いします。これも大臣に。

遠山国務大臣 平成三年四月の第十四期中教審答申では、個性を尊重するこれからの時代においては、特定の分野において特に能力の伸長の著しい者に対して、その能力の一層の伸長を図るため、教育上の例外措置の導入を検討することが適当である旨提言されております。その際、当面「数学や物理などの特定の分野に関しては、特に能力の伸長の著しい中等教育段階の生徒に対して大学レベルの教育研究に触れる機会を与えること」「また、数学に関しては、大学入学年齢制限の緩和を試行的に実施することが望まれる。」ということを述べておりまして、これらについて専門的な調査研究を行う必要がある旨提言されております。

石井(郁)委員 今御答弁いただきましたけれども、十四期中教審では、しかし、学校制度小委員会で大変審議が重ねられておりまして、平山郁夫東京芸術大学学長や数学、物理、音楽、体育の専門家を招いての意見聴取などがあったと思います。

 そこで出された結論は、各分野ごとに異なった教育上の例外措置を考慮することを提言するということで、殊に芸術方面の専門家は、人間的成長なくして才能の真の開花もない、学年制を守るべきことを強調している。ただし、数学や物理は事情が異なるので、我々は数学に関する限り大学入学年齢制限の緩和を試行的に実施することを要望しておきたいということがあったかと思います。だから、数学と物理の分野に限って大学レベルの教育研究に触れるチャンスを与える方途ということで、パイロット事業などが提唱されてきたと思うのですね。

 では、続いて九七年の第十五期中央教育審議会の第二次答申では、この問題はどのような結論だったのでしょうか。これも大臣からお示しいただきたいと思います。

遠山国務大臣 第十五期中央教育審議会では、平成九年六月に取りまとめられた答申におきまして、数学や物理の分野において希有な才能を持つ者について、当面、高等学校に二年以上在学した十七歳以上の者を対象に、大学への入学を特例的に認める措置を講じることが適当であるとの提言が行われました。また、その際、「将来的には、対象分野の拡大も考えられるところであり、本答申に基づく実施状況を踏まえつつ、この点について検討を行っていく必要がある。」ことについても提言されております。

石井(郁)委員 第十五期中教審でも小委員会で検討がされていたと思うのですが、どうして数学、物理なのかということに対しては、前期の答申、十四期ですね、これを踏まえることが絶対必要だということがあったかと思います。それで、今お話しのように十五期中教審では、特定の分野の希有な才能を有する者について、教育上の例外措置として大学入学資格を認めるという制度改革を行うことが適当であると考えたということで、当面数学や物理という分野に限られたわけであります。

 このことに対しても、日本数学会からは、飛び入学というのは大局的に見て問題点の方が大きいと言わざるを得ないという異論が出されています。また、日本物理教育学会からも、物理学の研究にふさわしい希有な才能を有する生徒を高校二年の段階で見つけ出すことは現実的に極めて困難という異議も唱えられていたものであります。

 十四期と十五期で、このように飛び入学について数学と物理の分野に限定してきたわけであります。しかも、慎重に議論をされてそうなったというふうに私は思っています。今回このように全分野に拡大することになったわけですね。しかも、短大にも拡大をする、対象も広げると。重大な変更ではないでしょうか。そこで、教育改革国民会議では、この問題をどのようにクリアして、こういう全分野に拡大ということになったのでしょうか。

遠山国務大臣 平成九年の中教審答申の解釈でございますけれども、ここでは、先ほど申し上げましたように、飛び入学に関しまして、「将来的には、対象分野の拡大も考えられるところであり、本答申に基づく実施状況を踏まえつつ、この点について検討を行っていく必要がある。」とされたところであります。したがいまして、対象分野の拡大については、一定の方向性をお示しいただいていたものと承知いたしておりまして、今回の制度改正は、その延長線上にあるものと考えております。

石井(郁)委員 お尋ねしたのは、教育改革国民会議ではこの問題をどのように議論され、クリアされたのかということでございますが。

遠山国務大臣 教育改革国民会議では、総会の議論のほかに分科会でかなり突っ込んだ議論がなされたところでありますが、第三分科会を中心に、これは主として大学における創造的な人材養成のようなことを議論していただいた分科会でございますが、そこを中心に、独創的、創造的な活動ができる人材の育成の観点から、飛び入学について議論が行われました。その第三分科会の議論におきましては、一人一人の才能を伸ばし、創造性に富む日本人の育成に向けて、大学への飛び入学の一層の推進が必要であるとの合意が形成されまして、その結果、平成十二年七月の審議報告に、「特に優秀な子どもでその大学の教育目標に合う者は飛び入学ができるよう、現在、原則十八歳となっている大学入学年齢制限を撤廃する。」これは十七歳どころかずっと、もう原則外してしまえというふうな提言がなされたところであります。

 その後、分科会での提言を踏まえまして、平成十二年十二月の報告において同様の提言が取りまとめられたところであります。

石井(郁)委員 確かに、創造的な人材をどう育てるかだとか、そういうことでの各委員の議論はいろいろあったかと思いますが、私がお尋ねしているのは、飛び入学という、しかも制度上重大な変更をもたらす問題についてどれだけ、参考人を呼んでのヒアリングだとか、あるいはいろいろな調査研究等々がされたのかという問題なんですね。今お示しいただきましたけれども、どうもそういうまともな議論を国民会議の第三分科会ではしている気配はないのですよ。そこが一つ大変重大な問題ではないかというふうに思うわけです。

 つまり、全分野に拡大をするというのは、十四期で将来的にはという一言はあったかもしれませんけれども、まさにどのように拡大するのか、それに伴ってどういう問題が生じるのかとか、当然いろいろな議論があるわけじゃないですか。将来的には拡大するということがあるから今回拡大しましたというのだったら、余りにも十四期、十五期の確認と今回の間は、もう間は何もないということになるわけでしょう。

 そこで、今回の法改正では、特にすぐれた資質を有すると認める者を入学させることができるというのですよね。これは、これまでの議論とは全く違うものだと言わなければなりません。十四期では、特定の分野に特に能力の伸長の著しい者について飛び入学ということは考えられるということだったわけでありまして、こういうふうに言っているのですね、一分野の天賦の才があり過ぎて、全教科の平均的能力を試される現在の受験体制に不向きな者に限って適用される救済措置だと。非常に、ある面での厳格な定義づけでされているというふうに思います。十五期はどうかといいますと、これは先ほどありましたけれども、特定の分野について希有な才能を有する者ということですよね。特にすぐれた資質を有する者とこれは全然違った定義ではないでしょうか。

 しかも、その飛び入学の対象が、博士課程を持つ大学という枠が外されて、短大にも専修学校にも入学できるということになるわけでしょう。だから、分野の拡大、それから対象、進める学校も拡大されているということですよね。もう大幅なというか、むちゃくちゃなというか、無限定な拡大になっているというふうに私は思うのですね。

 そこで、ぜひこれは伺いたいのですけれども、特にすぐれた資質を持つ者と、一分野に天賦の才があり過ぎる、そういう人、希有な才能、これは明らかに定義は違うのではないですか。これはどのように解釈されていますか。

遠山国務大臣 今の制度化されている飛び入学の要件につきましては、「数学又は物理学の分野における特に優れた資質を有し、」ということを要件といたしております。

 確かに、平成九年の中教審答申は、特定の分野においてすぐれた能力や意欲を有する者のうち、特に、現在の学校教育制度の枠内における取り扱いでは、その個性や才能を十分に発揮できないほどの希有な才能を有する者について、数学や物理学の分野を対象に、十八歳未満であっても、教育上の例外措置として大学入学を認めるという制度改革を行うようにという提言をいただいたわけでございますが、これを受けての現行の飛び入学制度については、冒頭に読みましたように、特にすぐれた資質を有しているということを今も要件といたしております。

 したがいまして、今回の「特に優れた資質」という文言と、平成九年の中教審の答申に述べられた「稀有な才能」というのは、いずれも、現在の学校教育制度の枠内に置いておくのにはもったいないといいますか、そこでは十分に個性や才能を発揮できないほどのまれに見るすぐれた能力、特にすぐれた資質ということで今回の法改正を考えているところでございまして、私どもとしては、これは同趣旨のものというふうに考えております。

 では「特に優れた資質」というのはどういうことかということでございますが、それは特定の分野で、他にぬきんでてすぐれた資質のことでありまして、これはだれが見ても本当にすぐれているなという才能であろうかと思います。その中には、総合化する思考力でありますとか、構想力でありますとか、斬新な発想、あるいは独創的な考えを提起する力、理解の早さ、意欲の強さなどの点において極めて高い能力を有するということで、他にぬきんでて、きらりと光る才能であるということでありまして、通常見られる高校教育の中でのすべての科目にすぐれた点数を示すような、そういう人というのとは一味違った、そういう才能を持つ人について、将来の可能性をさらに高めるために広く道を開こうという趣旨でございます。

石井(郁)委員 私は今いろいろ伺って、何かやはり、十四期、十五期中教審でかなり定義づけをして、限定的にとらえて数学と物理にした、そして博士課程を持つ大学への入学ということにしていたものが、分野も広げる、それから大学におろしてきている。短大にも専修学校にも。ということというのは、質的には全然違うわけでしょう。

 それは、まさにここで言う「特に優れた資質」という言い方と、「稀有な才能」、一分野に天賦の才があり過ぎるということで規定していたことにあらわれていたわけでしょう。だから、それは同じ趣旨だと言ったら、これは十四期と十五期の中教審の議論を大変ゆがめることになりませんかということが一点です。

 私は、だから十四期、十五期の中教審の趣旨と、今回の、まさに提起されている中身というのは、質的に全然違うものだということなんですね。そういう内容で出されてきたことですけれども、この法案化に当たって、なぜ中教審にこういう重大な内容をかけなかったのかということなんですね。それはいかがでしょうか。

遠山国務大臣 今御説明しましたように、特にすぐれた資質を有すると認める者を早期から大学に進学させるという基本的な枠組みというのは、今回の改正案でも、現行の飛び入学制度と同様でございます。

 また、対象分野の制限の撤廃、それから実施し得る学校の範囲を拡大することとしておりますが、飛び入学の拡大については、平成九年の中教審答申におきましても、今後の課題として一定の方向性を示されているものでありまして、改めて中教審に審議を求めるまでもないということで、行政府の責任と判断によって、また、今回御審議いただいているように、ここ立法府での御審議を得て、対応可能なものと理解いたしております。

 先ほど党首討論でもございましたけれども、改革というものはスピードがなくてはいけないということでありまして、全体の大きな教育改革を進めていく際の、今回の全体的な改革の中にこれが盛り込まれたものと解釈しております。

石井(郁)委員 私は大変重大な御答弁をいただいたと思っているのです。

 教育改革国民会議の第三分科会の第二回議事録を私も見てみました。こういうやりとりがあるのです。これはもう名前ははっきりしていますから読み上げます。

 これはクラーク委員ですね。きのう、うちの大学で教授会があった、飛び入学を許可する、大学は許すけれども文部省は禁止するでしょうと。それに対して大学課長がこう説明しています。中央教育審議会の議論で飛び入学を検討するに当たって賛否両論がある、その中でとりあえず数学、物理の分野に限った、この分野だったら合意が得られるのだというふうに申しました。するとクラーク委員は、けど、もし直すべきだと思えば直しますかと。それに対して大学課長は、もしそういうことであれば、改めて中央教育審議会で御審議をいただく必要があると思います、こう述べているのですよ。クラーク委員が、文部省が自主的にできないのかと重ねて言いますと、課長は、はい、これは中央教育審議会の御指摘を受けて制度改正したものであるということですと。そうしたら委員は、では我々は何のために集まっているという話で終わっていますけれども、こういうやりとりです。これが旧文部省のスタンスだったのじゃないですか。

 だから、大学課長が言っていましたように、教育改革国民会議の報告ができても中教審にかけるべき内容なんだ、そういうものなんだという認識をこれまで文部省はとっていた。どこで変えたのですか、なぜ変えたのですか、説明してください。

遠山国務大臣 そういう分科会の検討の結果、教育改革国民会議において先ほど申し上げたような提言があったという事実でございます。それを受けて、我が文部科学省として、新たなプランの中にきちんと盛り込んで、改革の大きな柱として位置づけたということでございます。

石井(郁)委員 全然答弁になっていませんね、なっていませんよ。

 教育改革国民会議の分科会で議論をされた、提言を受けたとおっしゃいますけれども、ぜひごらんください、まともに議論している形跡はありません。これは皆さんが読まれますから、だれが見たってすぐわかりますよ。何を議論しているのですか。ただ各委員が個々の意見を、創造的な人材が必要だ、能力を伸ばさなきゃいけないと述べ合っただけだ。そして、今申し上げましたこれが唯一ですよ、このクラーク委員と大学課長とのやりとりがあったという部分が。

 だから、一委員がとにかく飛び入学をやりたいという希望はあったでしょう。一委員の希望でこの法改正までやるのですか。やったというのが今度の問題じゃないのですか。これは重大ですよ。文部省の答弁をひっくり返している。中教審が二回にわたって議論をしてきた、その結論もひっくり返している。こういうことは許されるのですか。

遠山国務大臣 この場で分科会のそれぞれの委員の御発言内容に深く立ち入ることは私はしたくないわけでございますが、今ごく一部をかいつまんでおっしゃった中身でありますので、私どもの手元にある議論、たくさんございますけれども、例えばこういう議論になっております。

 一人の方は、エリート教育のためには飛び入学がある、だが、日本は非常に消極的である。また、現状のような飛び入学をした学生への特別なチュートリアルは必要ないというようなことを言っております。それに対して、飛び入学反対の理由としてまだ人格が完成していないという意見がある、だが、人格は個人個人形成のスピードは異なるものであって非常にナンセンスな議論であるということを責任ある立場の委員が言っておられます。

 その他、議論は非常に活発をきわめた記録がきちんと残っておりまして、その一部分のところだけを取り上げて今の御議論でございますけれども、私としては、そのいろいろな御議論の結果を踏まえて教育改革国民会議における結論が出たものと解しております。

石井(郁)委員 私の質問に対してまともに御答弁いただいていないと思っているのです。

 これまでの文部省大学課長の御答弁、中教審で議論をいただかなくちゃいけないことなんだと答えているわけでしょう。なぜそれをやらなかったのですかという問題が一点。

 それから、国民会議で今いろいろ議論されているというのをおっしゃいましたけれども、私も引いてみました。確かに、第三分科会をつくっているのですから、ここではエリート教育は議論になった。それは、各委員はそれぞれ持論、いろいろな意見を出されるでしょう。ただ、そのことと、今、本当に今、数学、物理の分野に限っていたものを対象を拡大する、それから博士課程を持つ大学というふうに要件をつけていたものさえも撤廃する、短大でも専修学校でもいいとなると、質的に全然違うことでしょう。それをごちゃごちゃにして、提案を受けたから私たちはやるんですだったら、本当にこれは文部科学省の姿勢が問われますよ。そういうことを文部科学省はやっていいんですかということを問われますよ。それはとんでもない話ですよ。

 だから、先ほど大臣は改革はスピードだとおっしゃいましたけれども、手続もむちゃくちゃにして、これまでの答弁もひっくり返して、中央教育審議会の結論もひっくり返して、または国会のこういう委員会の審議もそういう意味ではほごにしてやっていくというのは、これはむちゃくちゃなことになりませんか。重大な問題だというふうに思うのですね。

 私どもは、教育改革国民会議については、あくまでも懇談会ですから、懇談会というのは、昭和三十八年に行政管理庁から「審議会と懇談会の差異について」という文書があるでしょう。それによると、「国家行政組織法第八条にいう審議会といわゆる懇談会との差異は、審議会にあっては、合議機関そのものの意思が公の権威をもって表示されますのに反して、いわゆる懇談会にあっては合議機関としての意思が表明されることなく、出席者の意見が表明されるにとどまるところにあります。したがいまして、懇談会は、出席者の意見の表明又は意見の交換の場であるにすぎないのであります」とちゃんと書いていますよ。

 そういう懇談会でいろいろ議論されましたということを持ってきて、中教審で慎重に議論を重ねて結論を導き出したことをひっくり返すということは、それこそできないはずですよ。それだったら、もう私的懇談会がすべて先にありきです。そういうことをやっていいのですか。私は、到底この委員会としてそれは認めるわけにいかないと思うのですけれども。はっきりしてください。(発言する者あり)

高市委員長 御静粛にお願いいたします。

遠山国務大臣 まず、手続の点でございますけれども、中教審の二回にわたる答申を得まして、将来方向としては、分野を特定しないで飛び入学を考えていくということについて検討することについてのサジェスチョンをいただいたわけです。

 そして、今、懇談会とおっしゃいましたが、それは、単にそれぞれの行政官庁の局長クラスなりあるいは課長クラスが主宰するような懇談会ではございません。教育改革国民会議は、総理のもとで開かれた、極めて日本の英知を代表する方々による懇談会でございます。したがいまして、その懇談会についての性格論も、ややそれについては当たらないと私どもは考えております。

 また、最終的な判断につきましては、国民の現在の教育状況に対するいろいろな意見あるいは国民会議の御意見、そして中教審が示された将来方向についての方向づけ、それらを勘案した上で今何をすべきかということで判断をして、行政府として今回の法律案をまとめ、そして立法府であるこの国会に御議論をお願いしているということでありまして、私どもはそれが、全く覆すとか、あるいは全く根拠がないとかというふうな御批判には当たらないというふうに考えております。

石井(郁)委員 分野の拡大というのは、「将来的に」ということが盛り込まれたということをもってしてこれができるという大臣の御答弁かと私は思いますが、百歩譲ってそうであったとしても、分野の拡大ですよ。今度は、進む大学自身だって拡大しているわけでしょう。中教審のどこにもそこまでの話はなかったじゃないですか。どこにもないと思いますよ。

 物理と数学ということに限っていたけれどもそれは拡大という話になったかもしれないけれども、要件をすべて撤廃して、四年大学にも、短大にも、専修学校にもというところまではなかったはずですよ。ですから、特にすぐれた者というその定義の中身も非常にあいまいです。非常に幅があるという中で出されてきているわけですから、ここは本当にはっきりさせていただかなくちゃいけないというふうに私は思います。

 時間がありませんので少し進めますけれども、実際にこういう、飛び入学ということでこれほど拡大をさせて、いわば定義もあいまいに進めますと、高校教育に対する影響というのははかり知れないというふうに私は思います。

 これも、昨日でしたか、影響はそれほどないというような御認識を出されたと思いますけれども、これから十八歳年齢の減少が始まるでしょう。大学、短大、いわば生き残りをかけての青田買いが始まるんじゃないですか。そういうことを推進しかねないということだと思います。

 だから、高校教育が大変混乱を受ける。そして、二年で大学、短大へ進めるということになるわけですから、やはり高校教育三年というこの高校教育が崩されることにもなるのですよ。事実上、現在の三年制の高校教育がやはり崩されかねない、崩されていくという点でも非常に大きな影響を持つ内容だというふうに私は指摘をしたいと思います。

 これほどたくさんの中身を抱えていて、しかも、あいまいな御答弁です。全然私は納得がいきません。拙速は避けるべきであります。この飛び入学の分野についても撤回をする、法案としてこんなむちゃくちゃなことを出さない、撤回をして中教審で十分納得いくまでやはり議論すべきです。文部科学省はやはりそういう道を歩むべきですよ。どうですか。

 審議会の上に懇談会がある。この懇談会についても、大臣はいろいろおっしゃいますけれども、本当に評価は分かれるところです。だから、これまでの国会での答弁の逸脱にならないようにしていただきたい。重ねて、いかがですか。

遠山国務大臣 高校教育への影響があるようなことになれば、これは大変ゆゆしき問題だと思います。しかし、それをさせないために、飛び入学については、これまでかなり厳格な条件を課してまいりましたものを、より弾力的に実施することとはしますけれども、高校卒業後に大学に進学するという原則、あるいは飛び入学は、特にすぐれた資質を有する者を対象とする、学校教育体系上、例外的な制度であるという従来の位置づけが揺らぐものではございません。

 今回の飛び入学制度は、多くの生徒が受験対策をしたり、あるいは一般の試験で競ったりというものではありませんで、るる御説明しましたとおりでありますが、また大学側の都合による学生集めに利するというようなものではないわけであります。

 これは、千葉大学におきます経験からいたしましても、大学側のしっかりした受け入れ体制、そして高校側との密接な連携というものが確保されれば問題はないと考えておりまして、そのことを確保するためのいろいろな措置を私どもとしても考えているところでございます。

石井(郁)委員 次に、指導力不足教員の問題で、残る時間、一、二問だけ質問させていただきます。

 先般来、私は、文部科学省が委嘱をしている新しい教員の人事管理のあり方に関する調査研究、ぜひこの報告の提出をと求めてまいりましたところ、報告書を出していただきました。大阪、京都、埼玉、神奈川、高知、北九州なんですね。こういう形でいただきましたので、もし、いろいろ委員の皆さんも関心があればごらんいただきたいと思うのですけれども、これを見まして、今進めている国会の審議と実際とが随分違う内容になっているという点で、やはりぜひ質問をしなければならないと思っているわけです。

 一例ですけれども、指導力不足教員と疾病、精神疾患とは切り離すべきだと私どもの児玉議員が質問いたしまして、文部科学大臣も、指摘のとおりとお答えになりました。精神疾患である教員については、医療的観点に基づいた措置が講じられるべきで、今回の措置の対象とはならないということでございましたね。

 ところが、この報告書を見ますと、児玉議員は大阪、神奈川の二例について申し上げたのですけれども、資料をいただきますと、北九州でもあります。疾病等により指導力が欠けるということで、指導力不足教員の範疇に疾病を加えています。高知県でもそうです。京都も精神疾患を背景に挙げています。埼玉だけが、病気等以外の理由で児童生徒を適切に指導できないためというのを切り離しています。

 だから、六府県・政令市のうち、五府県で指導力不足教員の範疇に疾病を加えているわけですね。これは、大臣の答弁と実際が余りにも違うのじゃありませんか。これはいかがですか。

遠山国務大臣 それは、各都道府県の調査の段階ではいろいろな表現を用いて調査をしていると思います。指導力不足、そういう名前を用いたり、いろいろな名前を用いておりますが、とにかく、どのような教員に今後指導や研修をし、人事上の措置を講ずるべきかという観点から調査をしているわけでありますので、いろいろな立場の人が入ってくるわけでありますが、それが仮に精神疾患である教員につきましては、先般御答弁したのと同じように、医療的観点に基づいた措置が講じられるべきものであって、今回の措置の対象にはならないということは、そのとおりであります。

 したがいまして、この法律案におきましても、指導が不適切であることなどの要件に該当するものであっても、心身の故障については、分限免職あるいは休職で対応すべきものであると考えておりますので、対象から除くということであります。

 今のお話、つまり、本法案における指導が不適切であるとは別個の概念として調査の対象として含まれたということでありますので、対応についてはこの前の答弁と同じであります。

石井(郁)委員 時間が参りました。この問題は大変重大でございますので、私は引き続いて質問をさせていただくわけですけれども、本当に、こういう形での人事管理のあり方、不適切ということが各県でばらばらに行われているという問題は見過ごすことはできません。そして今、実際に教師の間には病気、疾病が大変広がっているということは、これは六月四日、読売新聞が大きく報道しています。

 だから、そういう問題で、不適切だから排除するということじゃなくて、文部科学省がやるべきことは、なぜこんなに心を病んだりあるいは病気になったりする教師がふえるのか、ここをやはり見なければいけないわけでしょう。その議論こそ大事だというふうに私は思いますし、そのためにきちんとした行政の役割を発揮するということかというふうに思いますので、また引き続いて質問させていただきます。

 以上で終わります。

高市委員長 山内惠子君。

山内(惠)委員 社民党の山内惠子でございます。

 今回の学校教育法の一部改正にかかわっての奉仕活動の部分についての質問を中心にきょうは質問したいと思いますが、その前に、幾つか大臣にお聞きしたいということがあります。

 本会議場でも申し上げましたけれども、ハンセン病の訴訟、控訴しないというところまではよかったのですが、その後、国会決議を上げるという段階になって、立法の不作為の文言を入れたくないとか、名誉回復の言葉とか、強制隔離政策の継続を許してきた責任という言葉を入れないということを随分こだわられたというお話を聞いて、本当は私はとてもがっかりしています。

 子供たちにとって政治は最大の教育だというのを何回も言っていますけれども、道理が通らない状況が続くことが、子供たちがこの時代の中で閉塞感を持っている、そういう状況にあるときに、道理が通る政治をするということが大変重要だというふうに思うのです。子供たちは国会を見ていると思います。政治の進みぐあいも見ています。

 それにしても、閉塞状況の中で、ムカつくとか、キレるという言葉が出てくることについて、前にこの委員会でも申し上げたことがございますけれども、腹が立つとか、煮えくり返るという言葉のときには、自分の気持ちをコントロールすることができる言葉だと言われています。しかし、ムカつくとかキレるという言葉になったときには、もう生理的に感情化してしまっているだけに、これをコントロールするのが大変難しい状況にあるわけです。

 その意味でなのですが、きのうも児玉議員がおっしゃった、つくる会の教科書の市販とPR、宣伝の問題について、大臣にここでお聞きしたいというふうに思っているのです。

 採択終了までは市販は望ましくない、そしてこの間そのことを指導していらした。教科書会社では内規をつくったりして一般にPRすることを自粛してきたという状況にある。しかし、きのうの毎日新聞や読売新聞やその他の新聞に大きな新聞広告が出され、この国会の本屋さんにもこの新しい教科書がどんと積まれて販売されているという状況を文部科学省は容認するのでしょうか。採択中の宣伝ということでは、本当に無法行為だというふうに思います。

 望ましいことではない、しかし、勝手にやられてしまっているのだから仕方がないと言うのでしょうか。このことについてぜひお答えをいただきたいと思います。

遠山国務大臣 市販されている状況が望ましくないという点は変わりません。こうした懸念は十分持っておりますけれども、各発行者の出版を規制するということは、憲法で保障されている出版の自由との関係もあります。したがいまして、これについては慎重に対応する必要があると考えております。

 繰り返しますが、しかし、行政府の立場としては、今の市販されている状況というのは望ましくないということは明確でございます。

山内(惠)委員 望ましくないということだけははっきりしているというのであれば、表現の自由との絡みとおっしゃいますけれども、基本的にこれは、文部科学省として、検定を通すという手続上の中で採択前は望ましくないとおっしゃっているわけですね。しかも、これは子供たちの教育にかかわる教科書の問題です。

 では、望ましくないので、どのような対応をなさるのでしょうか。

遠山国務大臣 憲法の出版の自由の権利とも絡むことでありますので、これ以上何か積極的に当省として、発売をとめるとか、そういう権限は残念ながら持ち合わせておりません。

 今できることは、望ましくないという態度を鮮明にしておくことと、それから各地における採択が公正に行われるようにそれぞれの地域においてきちんと対応してもらいたいということの指導をしていくということでございます。

山内(惠)委員 今おっしゃった、その望ましくないということをどのような形で鮮明にされるのか、お聞きしたいと思います。

 小学校の高学年であれば、この問題はもう新聞その他でも見ていることと思いますし、中学生の教科書ですから、中学生は自分たちが使うことにかかわる教科書問題ですから、望ましくないのに、約束違反でやられている状況を子供たちはどう考えるとお考えでしょうか。子供たちはこのことをどういうふうに思うとお考えでしょうか。

遠山国務大臣 今回、望ましくないと言っておりますのが、採択が公正に行われるということを考えますと望ましくないということでありまして、子供たちがどうかということよりは、採択権者の方々がしっかりと対応してもらいたいということに尽きると私は思います。

山内(惠)委員 鮮明にされるとさっきおっしゃった、その部分をお答えください。望ましくないということを鮮明にしていきますとさっきおっしゃったことに対しての、どのようにということをお答えいただいていないと思います。

遠山国務大臣 国権の最高機関である国会においてこれだけ鮮明に申し上げている次第であります。

山内(惠)委員 このことを子供たちはマイナスイメージで見ると私は思います。約束事を破っていくことをどうすることもできない大人たちの姿として、本当に残念な状況だと思います。

 もう一つ、従軍慰安婦問題の部分について、一言だけ、これは前にも私も質問していますので、終わりにしたいと思いますが、悲惨な戦争状況の中で従軍慰安婦の問題があったということは、私は、小学校の高学年を担任した経験からいうと、小学生でもこの勉強について受けとめる力は十分あるということだけ申し添えておきたいと思います。

 ところで、今回の教育改革関連法案、提出されるに当たって、教育改革国民会議の問題点は前にも申し上げておりますので、先に内容に入ります。いじめとか不登校とか問題行動に関しては、何の原因分析もされていない報告です。私は、特にこの「問題行動」は子供たちの成長苦悩として受けとめるべきだというふうに思っています。そして、過酷な受験制度の中で、それから子供たちが遊びを奪われてきた、この間の人間関係の問題点も含めています。

 そういう状況の中で、この教育改革関連法案が対症療法的だということをたくさんの方が指摘されていますけれども、例えば、先生が悪い人がいる、転職へ、問題行動を起こす子がいる、出席停止へ、そして子供はひ弱で欲望を抑えられず、苦しみに耐える力、自制心を発揮する意思を失っている、だからこそ抑えつけて奉仕活動と読み取れるようなこの教育改革国民会議の発想でした。

 そして、前の町村文部科学大臣が言った言葉の中に、日本の教育はエリートを育ててこなかった、そういうふうに申しましたが、だから飛び入学というこの発想は、教育にかかわって大変貧しい内容だと私は思います。

 先ほどの指摘もありましたけれども、二十一世紀に向けての教育の理念というものを感じることがなかなかできません。もし対症療法としてとお考えになっているとしたら、本当にこれがそれなりの対症療法でいい成果が上がるかという疑問を私は持っています。

 いじめや不登校、それを抑えつけ、出口のない状況にしながら奉仕活動ということであれば、学校はますます楽しくなくなるであろうということが予想されるということを申し上げておきたいと思います。

 その上で、大臣に質問いたします。

 子どもの権利条約が一九八九年の十一月に国連で採択され、日本は九四年に批准しました。文部科学省は条約を批准する前と批准後で子供観をどう変えられたのでしょうか、お聞かせください。

遠山国務大臣 児童も人格を持った一個の個人として尊重していくということが児童の権利条約全体の趣旨と認識しておりまして、本条約は、児童を含む、個人が当然有している基本的人権について、特に児童という観点から明確に規定したものと考えております。

 なお、児童の権利条約に規定された諸権利につきましては、我が国の憲法や国際人権規約の規定によって既に児童に保障されているものでありまして、本条約は憲法や国際人権規約の人権保障の考え方と軌を一にするものと考えております。

山内(惠)委員 子どもの権利条約を批准する前はどうだったかということのお答えがいただけなかったのですけれども、前も後も同じというお答えでよろしいでしょうか。

遠山国務大臣 子供観が同じかという御質問かと思いますけれども、児童の権利条約といいますのは、憲法や国際人権規約の人権保障の考え方と軌を一にするものであると今申し上げたとおりでありまして、本条約の批准によって子供観が変わったとは認識しておりません。

山内(惠)委員 子供観は変わらなかったとおっしゃったということを押さえて、次の質問に行きたいと思います。

 一九九四年、子どもの権利条約を批准した同じ年ですけれども、スペインで開かれた特別なニーズ教育に関する世界会議で採択されたサラマンカ宣言というのがございますが、この宣言と子どもの権利条約を今回の教育改革にどのように活用されたのか、お聞きしたいと思います。

遠山国務大臣 サラマンカ宣言及び児童の権利条約はそれぞれ、すべての子供たちの教育を受ける権利を保障すべきという重要な国際的な宣言、条約であると考えております。

 教育改革を進めるに当たりましては、こうした宣言、条約の精神にのっとって、一律主義を改めて、一人一人の才能を伸ばし、個性や創造性に富む人間を育成する教育システムを導入するということ、あるいは、授業を子供の立場に立った、わかりやすく効果的なものにするというなど、各般にわたる施策に積極的に取り組んでおります。したがって、その精神を反映していると思います。

 特に、障害のある児童生徒に対しては、その可能性を最大限伸ばし、自立し社会参加するために必要な力を培うために、盲・聾・養護学校や特殊学級、通級による指導等、さまざまな指導形態によって児童生徒のニーズに応じた適切な教育を行うとともに、障害のある子供とない子供の交流教育を積極的に推進しているところでありまして、今後とも、一人一人の特別なニーズに対応した教育的支援の充実に努めていきたいと考えております。

山内(惠)委員 子供観が変わっていないということの発想と、このサラマンカ宣言の受けとめということを考えると、だからだったのかというふうに思うのですけれども。

 今回の教育改革国民会議で分科会、それぞれ持たれて、そこで資料を配付したということを記録として私は見ていますが、例えば、国民実践要領、一九五一年の天野貞祐文相作成のもの、「期待される人間像」、これが六六年中教審答申、五つの大切、十の反省、これが七四年田中角栄作成が配付されたのだけれども、残念ながら、政府も批准している肝心かなめの子どもの権利条約は参考文献として配付されていないということを、私は愕然としていましたが、今のお答えであれば、そういうことだったのかというふうに思います。

 時間がありませんので、きのう出しておきました質問とちょっと順番が変わりますけれども、急いでお聞きしたいので、短くお答えください。

 寮母の名称変更につきまして、今回の名称変更の主な理由は何でしょうか。

池坊大臣政務官 委員も御承知のように、寮母というのは、盲・聾・養護学校の寄宿舎において、幼児とか児童生徒の日常生活の世話及び生活指導をする、学校教育法上に位置づけられているものでございますけれども、女性だけでなくて、前から男性も指導をする人々がおります。男女共同参画の観点から、これは寮母ではなくて寄宿舎指導員とすることにいたしました。

山内(惠)委員 そのお答えには本当に賛成です。内容についてお聞きします。

 障害のある子供にとって、今後の寄宿舎が果たす役割についてはどのようにお考えでしょうか。寄宿舎についてです。

矢野政府参考人 盲・聾・養護学校の寄宿舎は、近年の児童生徒の障害の重度・重複化に伴いまして、通学が困難な児童生徒の受け入れ、こういう役割に加えまして、入舎している児童生徒が生活のリズムをつくるなど、生活基盤を整え、自立し社会参加する力を養う、社会参加する力を培う、そういう重要な場となっていると考えているところでございます。

山内(惠)委員 大変重要な役割を果たしているというふうに思います。

 その意味で、今回、障害児教育で重要な寄宿舎で働く寄宿舎指導員ということを、名称変更するそうですが、この方たちの研修を含めた専門性の確立と処遇問題についてどのように対応していくお考えか、お聞かせください。

矢野政府参考人 先ほど申し上げましたように、近年、児童生徒の障害の重度・重複化に伴いまして、生活指導の重要性が高まっているわけでございます。このため、寮母にはより専門的な知識が必要となっている状況があるわけでございまして、文部科学省といたしましては、寮母の研修の充実、そしてその処遇の改善に取り組んできたところでございます。

 まず、研修につきましては、文部科学省といたしましては、全国の指導的立場にある寮母を対象といたしまして、寮母指導者講習会を行ってきているところでございます。また、給与でございますが、給与につきましては、寮母に適用される教育職俸給表(二)の一級の号俸の増設など、給与の改善について要望をしてまいっているところでございます。

 今後とも、寮母の研修の充実と処遇の改善に努力してまいりたいと考えているところでございます。

山内(惠)委員 サラマンカ宣言の中では、すべての政府に対して、やむにやまれぬ理由がない限り、普通学校にすべての子供を在籍させるインクルーシブな教育の原理を採用することということを求めています。

 その意味では、私がいました地元の学校にも、車いすの子供が一年生に入り、全校生徒の拍手で迎えられたという体験があります。しかし、学校というのは本当にこの日本において貧しい発想でつくられているということを、その子が一人来てもっとよくわかりました。この子が来るに当たって、玄関のスロープをやっと一つつけただけです。この子が六年間、階段を自分で車いすをおりて上るという暮らしをせざるを得なかった。本当に先生方も子供たちもみんな応援態勢は見事でしたが、この子が中学へ行ってまた同じ暮らしをし、高校は、先日会いましたこの子は地元の高校には通えず汽車通をしています、車いすで。これはもう親の同伴はない状況でしたから、あの子も頑張っている姿を見て、じんとくるものがありました。

 私は、一九九〇年、スウェーデンの学校に行きましたが、みんなと一緒に勉強する中で、重度の子供は三台の車いす、そして腕一つで戸があく学校、そういう状況を見てきただけに、日本の学校の状況はもっともっとインクルーシブな状況になるような改革が必要だということを申し上げて、次に参ります。

 子供観につきましては何ら変わらなかったとおっしゃったのは、子どもの権利条約を批准したということの重みをわかっていらっしゃらないと私はきょう思います。かつて、子供に対しては、保護するものという発想が強くあったはずです。そして、教育されるものという発想。しかし、子どもの権利条約では、子供は権利の主体者である、子供は表現者である、そして、子供には最善の利益としての教育を保障することだというふうに考え方が大きく変わったのが、この条約を批准する意味にあったと思います。

 外務省が批准した六年前に、世界じゅうの子供たちの幸せのためにと書かれているのですが、日本の子供たちのどこを直すかという方針がなかなかなかったのではないかと思います。それだけに、文部科学省が、この子供観が違うのだ、変わったのだということを、教育現場にいる者や子供たちにも伝える努力が必要だと思います。

 しかし、前にお聞きしたときは、それぞれの自治体でというお答えでした。これは五月の二十四日の新聞ですが、全国の新聞の一ページに載ったと思いますが、全国初の川崎市子供の権利条例スタートという新聞のコマーシャルです。そして実は、次の日の新聞ですね、私の北海道でも、奈井江町というところでは、子供の権利条例を制定すると。ニセコ町では町づくり条例の中にうたっている。こういう努力は自治体がしてきています。そして、川崎の子供たちのために今制定されたという内容は、子供の絵で、子供たちの努力でこんなすばらしいものが実現してきています。でも、これができた学校だけがこのことを知っている状況では、私はだめだと思います。全国の子供たちが子どもの権利条約は自分のものなのだという自覚をして初めて子供の意見表明権が生かされると思います。

 時間も相当短くなっていますけれども、きょう配付しました「子ども」という詩、これは実は、「あなた自身の社会」というスウェーデンの中学校の教科書に載っている詩を、ここで皆さんに配付させていただきました。この教科書を編集するに当たって、実社会への手引きとなる教科書だということがあって、この詩が載っているのは、家族と子供というところで、十八歳になればあなたたちは結婚ができるのだというページの中でこれが使われています。

 実は、先日の本会議で西議員が使われた、西議員の先日の発言の中にも、褒めることで育つとおっしゃったという意味では、高校の先生をしていらしたとお聞きしましたが、間違いだったらごめんなさい、子供に対する目線が私と共通したのかなと思います。

  批判ばかりされた 子どもは

  非難することを おぼえる

  殴られて大きくなった 子どもは

  力によることを おぼえる

  笑いものにされた 子どもは

  ものを言わずにいることを おぼえる

  皮肉にさらされた 子どもは

  鈍い良心の もちぬしとなる

全部読むには時間がありませんので、下の方へ行きますと、

  フェアプレーを経験した 子どもは

  公正を おぼえる

そして、友情を覚えれば親切、そして、安心を経験した子は信頼を、

  可愛がられ 抱きしめられた 子どもは

  世界中の愛情を 感じることを おぼえる

 しかし、今回の教育改革にかかわる体験学習としてのこの奉仕体験の部分で言えば、どうも国家が子供たちのわがままを抑えつける発想で出てきたのではないかと心配する声が相当たくさん新聞紙上にもあったように思います。

 時間が限られていますので、確認をしながら、この委員会の中でも、何度も出てきている部分の確認もさせていただきながら、次の質問に行きたいと思います。

 この子供にかかわる発想、視点というものをぜひ文部科学省としても持っておいていただきたいという意味で、この奉仕活動についての質問ですが、改正法案十八条は、言うまでもなく努力せよということですから、努力義務ととらえて間違いないであろう。もし間違いがあれば後でおっしゃってください。きのうの言葉では、義務でもなく、強制でもないとおっしゃったので、そのように確認をしていきます。

 国民会議の報告書には、活動の期間が書いてありますけれども、法案には書いていない。このことも明示はしていないけれども、理解を得るとおっしゃったわけですから、しかも地域での実情に合わせてというわけですから、合わない場合には、無理にできないというときもあるということを確認してもよろしいでしょうか。

矢野政府参考人 二点お尋ねがございました。

 一つは、十八条の二の規定の趣旨でございますが、これは体験活動を充実するよう、学校に対し努力義務を求めるものでございます。

 それから、奉仕活動の期間についてでございますが、学校における体験活動の実施期間につきましては、それぞれの学校が、地域の実情に応じて柔軟に行うことが適当であるというふうに考えているところでございます。

山内(惠)委員 ところで、皆さんも御存じの兵庫県のトライやる・ウイークの成果は大変大きかったと私も思っています。これは体験活動として実施されているものですけれども、これも社会奉仕体験活動の範疇に入ると文部科学省ではされていらっしゃることかどうか、短くお答えをお願いいたします。

矢野政府参考人 兵庫県のトライやる・ウイークの事業でございますが、いろいろな事業を内容としてやっておりまして、勤労生産活動、職場体験活動、福祉体験活動など、さまざまなものがあるわけでございますが、その中には、先ほど御指摘のような社会奉仕体験活動に当たる活動もあるというふうに理解をいたしております。

山内(惠)委員 ところで、このトライやる・ウイークには相当のお金がかかったと私は聞いています。体験学習として、総合学習で、一週間に五日間、中学二年生が全員。それで、これに費用はどれぐらいかかったのか、お聞きしたいと思います。

矢野政府参考人 トライやる・ウイークの事業費でございますが、昨年度の実施経費は約四億七千万円でございまして、うち三分の二が兵庫県が負担し、残りの三分の一を各市町村がそれぞれ負担している、こういう状況にございます。

山内(惠)委員 四億七千万というこの金額、これが兵庫県一つでこれだけかかった。そうなると、全国で行うとしたら相当の金額になると思います。

 ところで、この四億七千万円というのは、一校当たりにするとどれぐらいだったのか、子供の数が違うから難しいかと思いますが、それから、どのようなことに使われたのか、少し明らかにしていただきたいと思います。

矢野政府参考人 一校当たりとなりますと、今学校数を手元に持っておりませんから、申しわけございませんけれども、すぐにお答えすることはできません。お許しいただきたく存じます。

 具体的経費の中身でございますけれども、まず運営費でございまして、会議費等の運営費が一つございますし、それから指導等に要する資料代の経費がございます。さらには会議費、それから保険料といったような経費の内容となってございます。

山内(惠)委員 保険料は一人お幾らだったのでしょうか。

矢野政府参考人 ちょっと手元にございません。私の記憶では、一人六百円前後のお金だったと思います。

山内(惠)委員 このことだけでも、まだまだお聞きしたいのですが、もう時間が本当に少ないので、また次のチャンスのところで引き続きお聞きしたいと思いますが、これだけの金額がかかって実現して、やっと一人一人の感動も得て、例えば看護婦さんになりたいと思って病院へ行って、本当にいい体験ができたという感想も聞いています。それにしても人手がかかったと思います。

 それから、これは子供たちの希望を聞いてやったというふうに聞いています。希望を聞くということは、例えばおそば屋さんに行く、それから保育所に行く。今言ったように病院に行く。いろいろなその受け入れ先のオーケーもとらなければならない。その意味では、事前の取り組みにどれぐらいの期間かかったのでしょうか。

矢野政府参考人 申しわけございませんが、具体的な事業について事前にどれくらいの準備をしたかというのは、ちょっと私今承知しておりません。

 なお、委員御指摘の子供の希望も踏まえてというのはそのとおりでございまして、このトライやる・ウイークにつきましては、その実施に当たりまして、生徒の希望をとって、そして活動内容や受け入れ先を決定する、そういう形で事業が取り組まれたというふうに承知をいたしているところでございます。

山内(惠)委員 この活動が子供たちの希望をとったということで成功に導くことができたのだと私は思っています。行きたいところに行って体験ができた。そして、そこで教えていただくテクニックというのも、人間関係も、とても温かいものであったというのを、私もビデオで見ましたし、実際に体験した方からの感想も、お話も聞いています。

 それで、今保険料のこともお聞きしたのですけれども、外に一歩出るわけですから、交通費もかかります。もしも事故が起これば、治療費もかかります。それを、先ほどの大臣のお答えでは、何の見積もりもなく、ある意味では、地方自治体でどうぞ、そしてそれだけでなく、先ほどおっしゃったのは、家庭での保護者の持ち出しというのが想定に入っていらしたのではないですか。そのことができるような家庭もあれば、給食費も払えない家庭もいっぱいあるのですよ。その辺のことをどのように想定されて計画を練られましたか。

遠山国務大臣 先ほどの御質問は、今年度どうかというお話でございましたから、今年度まとまって何億ということは、まだそういう措置はないわけですけれども、今後のことについては、先ほどのようないろいろな例も検討した上で、適切に対応できるように、今後考えていきたい。

 更問いがあればお答えするつもりでございましたけれども、そのことを今御答弁できて、時間を使わせていただいて恐縮でございますが、答弁させていただきます。

山内(惠)委員 いずれにしても、もう既にトライやる・ウイークのことが、相当高い評価があるわけですから、恐れ入りますが、後で結構ですが、どのように使われたのか、支出の明細とまでいかなくても、大まかわかれば資料をいただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 今回の奉仕活動と言われる部分は、話が後先するかもしれませんけれども、私も本会議で言いましたように、昨年は平和の文化国際年であったのだけれども、二〇〇一年はボランティア国際年だというのを日本が提唱しているんですね。そのことでいえば、決して二〇〇一年を奉仕活動年とは書いていないんですよね。

 その意味で、この活動、体験は、やはり子供たちが自主的にして、そしてそこから得るものを重視して、社会に出たときに、進んで行動できる子供たちを育てることに目標があるとすれば、やはりボランティアとすべきだというふうに思いますし、この子たちがこの体験をすることで育つことを願うときに、自発的に自主的にと願っていることと思いますが、この願いについてはいかがでしょうか。

矢野政府参考人 この社会体験活動の活動のあり方でございますけれども、基本的には、体験活動の実施に当たりましては、教師の適切な指導のもとに、児童生徒の発達段階そして活動の内容に応じ、先ほど御指摘のございましたようなそうした内容に応じて、自発性に配慮するなど、さまざまな工夫をしていくことが、この活動がうまくいくかどうかということにとって大変大事なことであろうかと思っているところでございます。

山内(惠)委員 その意味では子供たちの自発性を育てるということも含めての取り組みだと思いますが、ある意味では、子供たちの自発性というときに、本人の希望を重視してほしい、それから、企画とか内容なんかについても、学年や学級での声、生徒会や委員会の活用など、本当に子供たちの意見を取り入れた活用の仕方ということに向かうことは保証されるでしょうか。

矢野政府参考人 今おっしゃられたことも含めて、それぞれの学校において、適切な計画を行い、そしてさまざまな工夫をして実施いただけるものと考えているところでございます。

山内(惠)委員 私は、この教育改革国民会議の報告を見ながら、子供たちがひ弱になった、それから自制心を抑えることもできない子供たちが育っているという視点から導かれた奉仕活動であれば、わがままになってしまった子供を国家が抑え込もうとするというふうに読み取れるような教育改革国民会議の報告書でしたが、文部科学省としては、今のように、子供の声を聞き、児童会、子供たちの声も受けとめてというところに方向が行くのであれば、私は、強制は従属が生まれるだけですから、子供たちが主体的に取り組めるような方向でこの取り組みが進むようにと願っているということを強く申し上げて、私の質問を終わりにいたします。

高市委員長 松浪健四郎君。

松浪委員 松浪健四郎でございます。

 きょうは、社会教育法の一部を改正する法律案についてお尋ねをしたいと思います。

 通告はしておりませんけれども、大臣に、余談ですが、お尋ねをしたいんですが、トルコ大使も経験されておりますから、おわかりになるかもわかりませんけれども、遊牧民は小さな子供をぐるぐる巻きにして育てるんですが、その意味、わかりますか。わからなかったらわからないで結構です。

遠山国務大臣 存じておりません。

松浪委員 砂漠社会で子供を育てるということになりますと、活発な行動力のある子供を育てると大変危険なんです。なぜ危険かというと、砂漠というのはかまぼこ形になっておる。子供が自由に遊びに行くとどこに行ったかわからなくなってしまう。同時に、砂あらしがやってくる。子供が親元を離れるほど元気な子供であると、その子は育たないんです。つまり、風土によって育て方やしつけが異なるということを私は言いたいんです。

 しかしながら、私たちは、これだけ進んだ社会の中で子供たちに教育を受けさせなきゃいけない。教育の原則は、家庭教育、学校教育、社会教育がしっかりしておるということであります。ところが、このごろ、子供のしつけがうまいこといっていない。そして、親が子供のしつけをきちんとしないくせに学校の先生に文句を言うんです。学校の先生は一人一人の子供のしつけをするというのは、私は学校の先生の仕事だとは思っていないんです。ところが、その批判があって学校の先生も大変だな、こういう思いがあるわけです。

 私は、家庭教育というものをきちんとしなきゃいけない。かつて我が国には、どの家にも家風というものがありました。そしてまた、家父長が制度がきちんとしておって、そして家父長がいろいろ子供をしつけたり教育したりしたわけでありますけれども、時代が変わって、そういう風潮が全くなくなってしまった。

 今の親が本当に家庭の中においてしつけをきちんとしているだろうか、私は不安で不安でしようがないわけでありますけれども、社会教育法の一部を改正する法律案、これで家庭教育をしっかりやろうとしたならば、これは行政の側も本気になって協力していかなきゃいけないんじゃないのか、そういうふうに思うわけですけれども、いかがでしょうか。

遠山国務大臣 家庭教育はすべての教育の出発点でありまして、その重要性は松浪委員御指摘のとおりであると思います。

 今回の法改正に伴って、いろいろな施策を同時に講じようといたしております。例えば、家庭教育に対する支援をするために家庭教育手帳でありますとか家庭教育ノートの作成、配付、あるいは子育てに関する親の悩みや不安にこたえるための家庭教育相談体制の整備でありますとか、さまざまに今施策を講じ、そして予算措置も行って、家庭教育に対する支援策というものを充実しようという姿勢でおります。

松浪委員 きょうの新聞は、梅宮アンナちゃんができちゃった結婚だ、昨年の暮れは、私の娘が大好きなキムタクがやはりできちゃった結婚。このごろできちゃった結婚が多いわけですね。このことについて批判はできないわけですけれども、こういう母親に、また父親に、きちんとした教育ができるだろうか。大変な虐待で子供が虐げられておるということは新聞が教えてくれております。

 かつて私が学者であったころ、アメリカにたくさんのピューリタンが移民をしていく、この人たちは、厳密なキリスト教精神にのっとって社会をつくろう、そういう思いを持ってアメリカに渡りました。ところが、開拓をしていくには人手が欲しい。人手が欲しいから、結婚をするときに子供をちゃんとつくれるかどうかということは重要な要素であったわけです。そこで、みんなできちゃった結婚になるんですね。結局は、現実の社会、そして理想、これに大分開きがあるということをそのときに教えられたわけであります。

 私たちは、若い人たちが愛を持って、そして子供をつくる、それは今の少子化時代にあっては非常にうれしいことでありますけれども、本当にこういった若い人たちに、子供をどういうふうに育てていくかというような心構えを持ってもらうような親育てを考えなければならない、私はこう思っておるんですが、これらについてはいかがでしょうか。

池坊大臣政務官 私も若い人の気持ちはすごく理解しているように思っておりますけれども、それでも今の若い人にはわからないことがたくさんございます。

 できちゃった婚のそういうような親、子供、子供が親になったような人もいるわけでございますから、文部科学省といたしましては、平成十一年度から、母子健康手帳の交付時に、子育てのヒントとなるしつけのあり方などを盛り込んだ家庭教育手帳とか家庭教育ノートというのを配付、作成しております。それからまた、家庭教育ビデオを公民館とか図書館とか保健センターなどに配付しておりまして、これを本年四月からは小児科とか産婦人科のところにも置くようにしております。さらに、今年度から新たに、一歳六カ月健康診断の乳幼児健診時の機会を利用して、子育て講座というのを実施しております。

 行政がこんなことをしなきゃいけないのかというようなお考えもあるかもしれませんけれども、何にもしないと、母親になっちゃった、なっちゃって、しつけはどうしていいかわからない、ミルクの飲ませ方もわからない、今度、しつけるとそれが児童虐待になってしまう。松浪委員とは児童虐待防止法を中心になってつくってまいりましたけれども、そういうようなことになってしまいますので、文部科学省といたしましてはそういうようなこと等を指導しております。

松浪委員 平成十四年度から学校が五日制になる。家庭、学校、地域、これが一体となってうまいことこの五日制を生かしていかなきゃならない。

 加えて、三連休もふえてまいります。子供の学校以外の時間の過ごし方、我々の時代はそれなりに地域では地域の教育力というものがありましたけれども、少子化時代に伴って、また地域の社会的状況の変化に伴って、教育力というものが物すごく落ちてきておる、私はそういう認識をするわけです。

 ですから、五日制になった、それについて、子供の受け皿について、文部科学省はどの程度のことを考えているのか、これをお尋ねしたいと思います。

岸田副大臣 完全学校週五日制におきましては、学校、地域そして家庭、これが一体となってそれぞれの教育機能を発揮する中で、自然体験や社会体験などを行う場や機会をふやし、豊かな心あるいはたくましさ、こういったものが育っていく、これは大変大切なことだと思っております。

 そして、文部科学省としての対応でありますが、例えば、平成十一年度より三年間で、地域で子供を育てる環境を整備し、親と子供たちの活動を振興する体制を整備することを目的とした全国子どもプラン緊急三ケ年戦略、こういったものがありますが、これを推進する。あるいは、学校の余裕教室等を地域ふれあい交流センターと位置づけ、センターを拠点とした、子供や高齢者を含めた地域の人々の触れ合い活動や通学合宿による世代間交流等を図る地域ふれあい交流事業、こういったものを展開する。さらには、青少年団体が実施する地域における子供たちの体験活動等へ助成金の交付を行う子どもゆめ基金の創設。こういったあたりを中心に受け皿づくりをしております。

 今申し上げました三つの事業、これを三本柱、中心に据えまして、受け皿づくりに鋭意取り組んでいっておるところでありますが、引き続きまして、先ほど言いました重要性にかんがみまして、受け皿づくりに努力をしていきたいと考えております。

松浪委員 今の副大臣の答弁、大変結構だ、こういうふうに思うのですけれども、それでもなお私は、十分に地域の教育力が向上するか、それだけではないと思うのですね。

 やはりNPOであるとか各種のボランティア団体であるとか、あるいは社会教育関係団体等、これを支援していって、そしてこの人たちにも協力してもらう、こういうことが大事だと思うのですね。それらの支援については考えておられるのかどうか、お尋ねしたいと思います。

岸田副大臣 今先生から御指摘がありましたように、現代社会におきまして、NPOですとかあるいは社会教育関係団体、幅広く活躍をし、そしてその役割、ますます重要度を増していると考えております。そういったNPOや社会教育関係団体と行政が一層連携していく重要性を感じているところであります。

 そういったことから、社会教育活動を行っている団体を支援するために、全国的規模の社会教育関係団体が行う社会、公共的意義のある事業に対する助成金の交付、あるいは地域レベルで民間の青少年団体が行う体験活動等の活動に対する子どもゆめ基金を通じた助成金の交付、さらには公民館等を拠点にNPO等がみずから企画し実施するまちづくりフォーラムなど、さまざまなモデル的な取り組みを支援する、あるいは地方公共団体が行う社会教育関係団体の指導者の研修事業に対する助成、こうした施策を展開しているところであります。

 こうした施策を一層推進し、さらにそれ以外に、いろいろと関係者との連携を図る中で、いろいろ工夫ができないかどうか検討をする等によりまして、地域の教育力の充実を一層図っていきたいと思っております。

松浪委員 ぜひ御協力をお願いしたい、こういうふうにお願いしておきたいと思います。

 ここにおもしろいアンケート調査があります。それは、平成十年度に財団法人日本青少年研究所が日本、アメリカ、中国の中学生と高校生それぞれ千人を対象に行った、中学生、高校生の二十一世紀の夢に関する調査なんです。

 それの、人生の目標として、社会のために貢献すると答えた日本の学生の割合は、中学生で一五・七%、高校生では一七・三%となっております。これは、中国の中学生五九・九%、高校生五一・二%、またアメリカの中学生四七・三%、高校生五四・六%に比べて際立って低くなっているのですね。このことは、日本の青少年には社会のために貢献しようとする意識が極めて低い傾向が見られるということであります。

 一方では、世界各地で活躍しておられます青年海外協力隊員は、途上国の国民の教育と福祉のために積極的に貢献しようという意識を持って活躍されております。

 私はかつて、議員になる前、八年間、青年海外協力隊の技術専門委員として選考に携わらせていただきましたし、私自身もアフガニスタンという国で三年間教員の活動をさせていただいたことがあります。このような青年海外協力隊の経験者の登用も含めて、社会教育の指導者の養成確保は非常に重要である、私はこういうふうに考えておりますけれども、具体的にどのように社会教育の指導者の養成確保に当たるのか、お示しいただきたいと思います。

池坊大臣政務官 私がお答えしようと思ったのを全部何か言っていただきましたけれども、確かに今の中学生、高校生というのは社会に貢献するという気持ちが大変少ない。それは他国に比べて極めて少ないと思いますので、私は、ある意味で社会奉仕活動などが必要なんだというふうに思っておりますけれども、その一方ではまた、二千名以上の人々が開発途上国で仕事をして、開発途上国の人たちを助けようという青年たちもございます。そういう人たちをこれからやはり社会教育関係団体の指導者として迎え入れることが大切だと思っております。

 教育委員会の中核的職員でございます社会教育主事の資格要件を今回の社会教育法の改正案によって緩和いたしまして、このような青年海外協力隊の経験を初めとして、地域の社会教育事業において活躍していらっしゃる民間の人材を教育主事として登用できるようにしようといたしております。

 また同時に、自然体験活動や環境教育などに取り組んでいる青少年団体を初めとするさまざまな民間団体がございます。こういう民間団体が、昨年五月に自然体験活動推進協議会というのをつくられました。現在、自然体験活動リーダーの登録制度の創設のための準備を行っております。文部科学省といたしましては、こういう方々を支援して、こういう方々に若者たちの指導等を行っていただきたいというふうに願っております。

松浪委員 そうした民間の社会教育団体、これらを支援し、そしてどういうふうに活用していくか、極めて重要な問題であるというふうに思いますけれども、家庭の教育力の向上を図る、そして青少年のさまざまな体験活動、特に親子が一体になって行う体験活動を充実させる必要がある、こういうふうに思うのです。

 そうしますと、民間の社会教育団体、これと連携していくのはPTAではないのか、このPTAの果たしていく役割は大変重要だというふうに私は考えますけれども、いかがですか。

池坊大臣政務官 私も松浪委員のお考えと同じで、PTAというのは大変に大きな役割を果たしていかなければならないと思っております。二十一世紀の教育改革の柱は、何といいましても、家庭と地域社会と学校との連携ということでございますので、PTAが中心となって、その役割を果たしていただきたいと思います。

 現在でも、子どもインターンシップなどがございまして、商店街などの職場体験は親子でともどもにする、あるいは清掃などもともどもにするということをいたしております。また、教育委員会の活性化の中に、保護者の代表を入れるというのは、こういうこともあって、PTAの方々のお力をおかりしようということでございますので、文部科学省といたしましても、これからPTAを巻き込んで、ともにできることの推進をしてまいりたいと思っております。

松浪委員 ちょうど今ごろの季節でありますと、我々、中学生あるいは高校生のとき、地方におりましたから、田植え休みというのがありました。そして、自分の家に田んぼがなければ手伝いに行くということで、学校が休みになりまして、泥んこになって田植えをしたことを思い起こしますし、また秋の収穫の折も同じでありました。

 そこでどうして米がつくられるのか、私は、田植えをしたときに、自分の植えた苗が本当に育つのか不安で不安で、あるときその田んぼをこそっと見に行ったこともありますけれども、貴重な体験でありました。そして、私の右手に、秋の収穫のときにかまで手を切った傷が今も大きく残っておりますけれども、貴重な体験でありました。

 このような体験は今なかなか学校ではできない、そういうふうになってまいりましたけれども、教育改革国民会議は、満十八歳後の青年が農作業や高齢者介護などのさまざまな奉仕活動を行えるような社会的仕組みをつくることが提言されているわけです。この点について、中央教育審議会で検討されているとお聞きしておりますけれども、具体的にどのように社会的仕組みづくりに取り組んでいくのか、お伺いしたいと思います。

岸田副大臣 先生御指摘の教育改革国民会議の報告等も踏まえまして、本年四月十一日、文部科学大臣から中央教育審議会に対しまして、青少年の奉仕活動そして体験活動の推進方策等について諮問を行ったところであります。

 その中で、初等中等教育を終了した十八歳以降の青年がさまざまな分野において奉仕活動を行えるような仕組みづくりにつきましても、例えば、奉仕活動の奨励、支援の方策、あるいは学校、地域、企業、団体が果たすべき役割、またそれらの連携協力のあり方、こういったものも含めまして幅広く御検討いただくことになっておりまして、その際には、奉仕活動の促進のための幾つかの活動のモデルをお示しいただくなど、可能な限り具体的な形で検討を進めていただく、こういったことになっております。

 文部科学省としましても、中央教育審議会の審議を踏まえつつ、また、関係行政、関係団体を初め、広く関係団体等と連携を図りまして、この社会的な仕組みづくりに取り組んでいきたいというふうに思っております。

松浪委員 家庭教育、社会教育、大変重要な教育であります。十分にいろいろな施策を講じられますようお願いを申し上げまして、時間が参りましたので、質問を終わります。

 ありがとうございました。

高市委員長 次回は、来る八日金曜日午前九時五十分理事会、午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後五時三十五分散会




このページのトップに戻る
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.