衆議院

メインへスキップ



第11号 平成17年4月22日(金曜日)

会議録本文へ
平成十七年四月二十二日(金曜日)

    午前十時一分開議

 出席委員

   委員長 斉藤 鉄夫君

   理事 伊藤信太郎君 理事 稲葉 大和君

   理事 中野  清君 理事 保坂  武君

   理事 奥村 展三君 理事 川内 博史君

   理事 牧  義夫君 理事 河合 正智君

      宇野  治君    小渕 優子君

      加藤 勝信君    岸田 文雄君

      近藤 基彦君    佐藤  勉君

      佐藤  錬君    下村 博文君

      鈴木 俊一君    鈴木 淳司君

      鈴木 恒夫君    西川 京子君

      西村 明宏君    葉梨 康弘君

      馳   浩君    古屋 圭司君

      保利 耕輔君    山際大志郎君

      青木  愛君    井上 和雄君

      加藤 尚彦君    須藤  浩君

      園田 康博君    高山 智司君

      永田 寿康君    肥田美代子君

      古本伸一郎君    牧野 聖修君

      松本 大輔君    若井 康彦君

      白保 台一君    石井 郁子君

      横光 克彦君

    …………………………………

   文部科学大臣       中山 成彬君

   文部科学副大臣      塩谷  立君

   文部科学大臣政務官    下村 博文君

   政府参考人

   (総務省行政評価局長)  田村 政志君

   政府参考人

   (財務省主計局次長)   松元  崇君

   政府参考人

   (文部科学省大臣官房長) 玉井日出夫君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局長)            石川  明君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局私学部長)         金森 越哉君

   文部科学委員会専門員   井上 茂男君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月二十二日

 辞任         補欠選任

  江崎 鐵磨君     宇野  治君

  加藤 紘一君     佐藤  勉君

  佐藤  錬君     鈴木 淳司君

  古屋 圭司君     西川 京子君

  城井  崇君     若井 康彦君

  古賀 一成君     牧野 聖修君

  高井 美穂君     井上 和雄君

  武山百合子君     永田 寿康君

  達増 拓也君     高山 智司君

  長島 昭久君     園田 康博君

  笠  浩史君     古本伸一郎君

  池坊 保子君     白保 台一君

同日

 辞任         補欠選任

  宇野  治君     江崎 鐵磨君

  佐藤  勉君     加藤 紘一君

  鈴木 淳司君     佐藤  錬君

  西川 京子君     古屋 圭司君

  井上 和雄君     高井 美穂君

  園田 康博君     長島 昭久君

  高山 智司君     達増 拓也君

  永田 寿康君     武山百合子君

  古本伸一郎君     笠  浩史君

  牧野 聖修君     古賀 一成君

  若井 康彦君     城井  崇君

  白保 台一君     池坊 保子君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 国立大学法人法の一部を改正する法律案(内閣提出第五四号)


このページのトップに戻る

     ――――◇―――――

斉藤委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、国立大学法人法の一部を改正する法律案を議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 本案審査のため、本日、政府参考人として総務省行政評価局長田村政志君、財務省主計局次長松元崇君、文部科学省大臣官房長玉井日出夫君、高等教育局長石川明君及び高等教育局私学部長金森越哉君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

斉藤委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

斉藤委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。横光克彦君。

横光委員 おはようございます。

 この国立大学法人法改正案の質疑も、きょうは二日目でございます。法人化されましてから一年が経過するわけで、その間のさまざまな浮き彫りになった問題点等々は、質問の論点は大体絞られているのではないかという気がするのです。一年が経過して、国立大学の法人化は国立大学に対する規制を緩和する、ある意味では国の関与をできるだけ減らす、そして各大学がそれぞれに個性を生かした戦略的な運営を実現することができるようにしたもの、そのようにされているわけでございますが、その一方では、やはり国立大学は運営費交付金、これが一%の効率化係数というものがかけられているために、毎年一%ずつ自動的に削減されていく、そういった仕組みにもなっております。そうしますと、自己収入の拡大など財政基盤強化のための独自の方策をそれぞれが探ることが必要とされている。

 また、受益者負担論というものがございますが、私立大学授業料との格差是正、こういったものを根拠として、今年度より国立大学の授業料の標準額が引き上げられております。学生や保護者の負担はふえる一方なわけでございます。

 きょうの日経新聞にも、かなりの量をとりまして「国立大法人化から一年」という、さまざまな問題点あるいは協議会委員の学外委員の意見等、アンケート等が載っております。

 これを見ますと、やはりそれぞれの大学が試行錯誤して、今、法人化の中で新たな動きをしている姿も見られる。また逆に、裁量が広がったのかということに対しては、やはりこれまでと変わらない、ほとんど自由がないというような意見もある。それぞれある。いわゆるまだまだ暗中模索の過渡期であるということであろうと私は思っております。

 そういった中で、文科省として、国民が国立大学にどのような役割を求めていると考えているのか、お考えをお示しいただきたいと思うんですが、いかがでしょうか。

中山国務大臣 おはようございます。

 国立大学の役割について国民は何を求めているかという御質問でございますが、国立大学法人法第一条におきまして、国立大学は、大学の教育研究に対する国民の要請にこたえるとともに、我が国の高等教育及び学術研究の水準の向上と均衡ある発展を図るために設置される、このように規定されているわけでございます。

 この条文にも示されておりますように、国立大学というのは、これまで我が国の学術研究と研究者養成の中核を担うとともに、全国的に均衡のとれた配置によりまして、地域の教育、文化、産業の基盤を支え、学生の経済状況に左右されない進学機会を提供するなどの重要な役割を果たしてきているわけでございますが、このような役割というのは、法人化を契機にしまして一層積極的に果たすことが国立大学に対する国民の要請ではないか、このように認識しておるところでございます。

横光委員 もっとわかりやすく言えば、私は、今、全国的に均一に配置された形で、学術研究あるいは研究員の養成ということもお話しされました。要するに、全国的に本当に均一に配置された中で、しかも私立大学と違うというところでの学費の安さ、そしてまたそれぞれの各県にとって、また存在として、地方の知的分野の拠点である、そういったところにやはり国民は国立大学の意義を求めているのではないかという気がするわけですが、我が国の高等教育に対しての公財政支出、これはGDP比でわずか〇・五%、経済協力開発機構、OECD平均一%を下回るという状況なわけですね。

 中教審の答申で、「我が国の高等教育の将来像」という項目において、「学生個人のみならず現在及び将来の社会も高等教育の受益者である。」このように答申では記されております。大学教育によって社会全体もまた利益を得ているんだ。学生個人が受益者であるということは、これはもう申すまでもないわけでございますが、そうしますと、社会も受益者であるとはっきり明確に打ち出されているわけですが、政府はどの程度の国立大学における私費、いわゆる個人負担が適正だと考えておられるのか、お考えを示していただきたいと思います。

石川政府参考人 お答えを申し上げます。

 高等教育に関しましては、学生個人のみならず、今お話ございましたように、高等教育を受けた人材によって支えられる現在及び将来の社会もまた受益者であるということでございまして、高等教育に要する費用というのは、学生個人のほか社会全体で負担すべきというふうに考えております。

 その際、どの程度の個人負担が適正であるのか一義的に定めるということは困難ではないかというふうに考えておりまして、高等教育を受ける者と受けない者との公平の観点ですとか、その時々の社会経済情勢等を総合的に勘案するとともに、学ぶ意欲と能力のある学生が経済的な理由により進学を断念することのないようにしていくことが重要であると考えております。このため、文部科学省におきましては、奨学金制度を設け、年々その充実を図るとともに、各国立大学法人におきましては、経済的理由によって授業料等の納付が困難である者等に対する免除措置等を講じているところでございます。

 文部科学省におきましては、今後とも教育の機会均等が確保されるように努めてまいりたい、このように考えておるところでございます。

横光委員 確かに、どの程度の個人負担ということを定めるのは困難である、私もそれは、数字を示せというのはどだい無理な質問だとは思っております。

 しかし、どの程度のお考えかというのは、やはり先ほど言いましたように、個人だけではなく社会も受益負担者であるというならば、政府の方はある程度の目安を、個人負担の方々に対する目安はやはりしっかりと把握しておかなければならないんではなかろうか、そういった思いで質問したわけです。

 例えばヨーロッパでは、国そのものが高等教育の受益者である、そういった認識のもとで、ほとんどの国立大学は授業料がないというのが現実でもあるわけですね。こういった諸外国の例等を勘案しながら、しかし、私立大学、そして国立大学、さらに全国の均一の配置あるいは機会均等、さまざまなことを考えてやはり取り組んでいってほしいという思いでいっぱいでございます。

 その授業料なのでございますが、授業料の標準額が、昨年の十二月二十二日、年末に、ぎりぎりに引き上げが通知されております。今年度の授業料ですね。ところが、これは昨年の八月の概算要求のときには、そうした話はなかったわけですね。いわゆる標準額の改定というのは、概算要求では盛り込まれていなかった。であるから、当然、法人化になって二年目になる各大学は、標準額の改定はないという思いで次年度の学校運営の準備に取りかかっていたと思うんです。そして、それが年末ぎりぎりになって突如、事前説明のないまま各大学に授業料標準額の改定の通知が来た。これでは、もう次年度の用意をするには余りにも時間がなさ過ぎて、ほとんどの大学が大混乱に陥ったというふうに聞いておるわけでございます。

 これはある意味では、授業料が不明のまま入学試験を受けることになる学生や保護者にとっては、私は非常に無責任な話になったのではないか、また、大学運営にも大変な支障を来すことになったのではないかと思うんですが、なぜ、この夏から年末の数カ月の間に突然標準額を引き上げることになったのか、その理由をちょっとお示しいただきたいと思うんですが、いかがでしょうか。

石川政府参考人 お答えを申し上げます。

 昨年の概算要求時点におきましては、授業料の標準額の改定というものについては盛り込んでおらなかったわけでございます。これまでも授業料の改定におきましては、概算要求時点ではそのように改定は盛り込んでおりませんで、予算編成の過程におきまして、その時々の社会経済情勢等を総合的に勘案して授業料の改定を行ってきたというような経緯がございます。

 今回の改定につきましても、このような経緯等を踏まえまして、予算編成の過程におきまして協議、折衝を通じまして授業料の標準額の改定を行うというようなこととなった次第でございます。

横光委員 今のような御説明ならば、何で大学で混乱が起きるんですか。これまでは、入学金、授業料交互に、毎年国立大学のときにはそういった対策をとってきたということを各大学は知っている。しかし、法人化になって一年目、そして二年目になろうとしているときに、突然年末にこのような授業料の変更を通知されて、今あなたがおっしゃるようなことであるならば、どこの大学も何ら混乱することはないじゃないですか。そうでしょう。大変混乱を来したんです。しかも、大学の授業料が上がるか上がらないか、幾らになるかわからないまま試験を受けた学生さん、いっぱいおるんですよ。これまでそういうことはあったんですか。

 だから、そういった説明じゃだめでしょう。これまでの国立大学と今の国立法人化大学はやり方が違うんですから。ですから、今回は、突如としてああいうことになったということに対して、もうちょっと説明不足だった、いろいろな理由で結局やむを得ずあのようなことになったんだということを説明しないと、やはり余りにも不親切ではなかろうかという気がしておるのでございます。

 また、この授業料引き上げに当たって、複数の学長さんは、運営交付金が標準額をもとにして措置されている以上、授業料の据え置きは困難であった、標準額が改定されますと、それでも上げないでいこうというところはやはり難しいんだ。それはそうですよね。上げなければその差額を埋めることはできないわけですから。事実、学部、大学院を通じて授業料の据え置きを決定したのは、大学では佐賀大学のみである。

 つまり、法人化によって授業料の設定の自由度が増した、あるいは増す、そういうふうに言われておるんですが、実際のところ、大半の国立大学が授業料を引き上げたことから見ても、事実上、大学には選択の余地がなかったということになるんじゃないかと思いますが、いかがでしょうか。

石川政府参考人 今回の授業料標準額の改定に伴って、運営費交付金等々、その財源の状況が厳しくなる、それが各国立大学の学長さん方を大いに悩ませたのではないかというお話でございます。

 授業料の標準額の改定について御心配をおかけしているということは、そういった状況があると思っておりますけれども、運営費交付金等の財源措置につきましては、授業料の改定額に伴います増収予定見込み額というのが大体八十億円程度と見込まれております。運営費交付金の算定ルールの基本的な考え方に従えば、こういった収入があるときには運営費交付金をその分減額する、そういったことがあり得るわけでございますけれども、今回の場合は、そういった減額を行っておりませんで、先ほど申し上げました増収の予定見込み額に相当する額を運営費交付金の中で別途措置をいたしておるところでございます。

横光委員 それでもやはり、こうして標準額が改定された以上、ほとんどの大学が、これに合わせて今年度の授業料を値上げしているわけでございます。一万五千円。全国の国立大八十九校のうち、八十一校が値上げをしている。あるいは、値上げ幅を抑えたり据え置く大学も八校あるわけですが、いわゆる全国一律だった国立大の授業料が、この四月以降、初めて横並びという形が崩れていったわけでございます。

 格差がここで生じ始めたのではないかということになるわけでございますが、まず、佐賀大学は値上げをしなかった。愛媛大学は九千六百円、三分の二だけ値上げをする。なぜ、大多数の大学が一万五千円という標準額どおりの値上げを行うのか。

 要するに、当然のごとく、財政上の問題ということになろうかと思うんですが、であるならば、やはり財務諸表の公開など、具体的に説明していかなければならないのではなかろうか。これだけ学校もいろいろな形で効率化を図り、努力をしているけれども、こういった状況でこれだけ苦しいんだ、そこで何とか御協力をという、せめてそういった形をこれからは、それぞれの大学の法人化の努力というものが受験者、保護者、国民に見えるような、そういった形がこれから始まるのではなかろうかという気がするんですが、その点はいかがでしょうか。

石川政府参考人 今回の授業料の標準額の改定につきましては、私どもといたしましても、予算の内容が決まりましてから、年明けには例えば各ブロックごとにそれぞれの国立大学に集まっていただきまして、そういった場で今回の内容ですとか趣旨を御説明、お伝えしておる、そういったことをやってきております。また、それぞれの大学におきましても、通知を御父兄に発出する、あるいは校内の掲示板で掲示をする、あるいはホームページでお知らせをする、さまざまな手段によりまして、関係者に対して、そういった内容、それから授業料改定の方向について御説明をし、御案内をしているということでございます。

横光委員 しかし、私は、まだまだそういった意味ではもう少し徹底を図って、これからやはり経済が、どちらかといえば、右肩上がりの時代が終わったにもかかわらず授業料だけは年々右肩上がり、こういった状況であるだけに、説明というものが非常に重要であるということを訴えたいと思っております。

 この中で、愛媛大が、ほとんどの大学が授業料を一万五千円上げている中で九千六百円だけ値上げする。これは、学長さんの話では、学生の負担が大き過ぎる、現在でも授業料は高いんだ、国の値上げ方針に抗議の意味を込めたということまで言っておるんですね。法人化になった以上、それぞれの学長さんの認識はこれから変わってくるかと思いますが、こういった学長さんもいらっしゃる。

 ですから、その足りない分を自主的につくらなければならない。いわゆる効率化とか、あるいはいろいろな形で寄附金を集めたりやらなければならない。約四千四百万円の財源不足が生じるというわけです。この愛媛大では中退や休学を防ぐ取り組みを行うということでございますが、結局、財源不足はもうしようがないんだ、それぞれの大学で知恵を絞って不足した分は補え、こういった形、いわゆる学校経営に別な形で負担をかけていくことになるわけです。

 学校の方は学生に負担をかけないように努力する、ところが学校はそのために大変な負担が生じる、こういった経営の姿が今回この愛媛大の場合は浮き彫りになったんですが、この点はやはり文科省としては、やむを得ないんだ、それぞれの学校の自助努力でやってもらうしかないんだというお考えなんでしょうか。

石川政府参考人 今委員からお話のございましたように、愛媛大学と一部の大学では、標準額どおりの改定をしないというような形をとっているところもあるわけでございます。また、その理由といたしまして、そういった財源不足にならないようなことで、例えば愛媛大学の場合には、増加傾向にある休学者とか退学者を減らすというような努力をしようというところもあると聞いております。

 ただ、財源論といいますか、運営費交付金のことに関しましては、先ほども申し上げましたけれども、全体としては約八十億円でございますけれども、これが算定ルールであれば減るということがあり得るところを、別途きちっと措置をしておるわけでございまして、運営費交付金全体としては前年度の水準を確保できておるものと私どもは考えております。

 その上で、それぞれの授業料標準額をどう改定するか、あるいはどういうふうに扱っていくかということにつきましては、各国立大学法人におきまして、学部や大学院の構成ですとか、あるいは外部資金等の自己収入の状況、経営効率化への対応状況、あるいは教育研究の充実方策なども考慮しながら判断をするということであろうかと思っておりまして、各法人の実情が異なるために、一概にその対応といったようなものを考えることもなかなか難しいのではないか、こんなふうに思っております。

横光委員 確かに、それぞれ学長のリーダーシップのもとで、それぞれの学生、学校の特徴を出して、生かしていくというのが法人化の一つの目的であるでしょう。ですから、そういった上げないところも出てくる、据え置きのところも出てくる、前期だけ上げないところも出てくる。いろいろな形で大学の取り組みが変わってきていると思うんです。

 私が心配するのは、そのことによって、先ほど言いました全国的な適正な配分、あるいは小さくなって財源が厳しくなって、結局最後また統合という道しか残されなくなるような地方の大学が出てくるのではないかということを心配しているわけでございます。

 今回の法人化になってから極めて特徴的なことは、現場の状況ですね、いわゆる財源不足に伴ったいろいろな状況が発生しております。非常勤講師の賃下げあるいは解雇の問題、そして不払いや残業の問題等が非常にこの法人化の後に際立って発生していることが多いんですね。

 これまでも、国立大学当時にもそういった問題はあったでしょうけれども、それでもそういった問題は、それなりの労使の協力によって、そんなに大きな問題ではなかった。ところが、今回法人化になってから、何と労働基準監督署が立ち入って調査をするとか是正をするとか、学校教育分野ではあってはならない、一番あってほしくないようなことが今回法人化の後に随分起きておるんですね。広島大では告発状まで出している。

 この内容は、国立大学のときは特別時間外労働を設けることをやむを得ず認めてお互いに努力してきた、ところが、四月の法人化後には、この特別時間外労働、さらにこの制限をオーバーする労働状況が恒常的になった、とうとう耐え切れなくなって告発という事態に至っているわけですね。すべては財源が削られることによって始まっているわけでございますが。つまり、このまま耐えていくと過重労働と不払い労働が未来永劫続くという不安感があったがために、ここは何とかということで告発に踏み切ったということですが、こういった非常に厳しい事態が、法人化後、広島大で起きた。さらには滋賀医大、ここでも残業代の未払いというものが膨大な数になっているわけですね。一生懸命働くけれども結局残業代が払われない。あるいは信濃大の附属病院、ここも未払いが多い。

 とりわけ国立大学法人化の中での医大関係、医学関係、このあたりのこういった問題というのは大変憂慮されることだと思うんですね。事は人の生命にかかわるわけですので、こういったところでの過重労働やあるいは不払いという問題は、それこそ先生や職員や看護師やいろいろな方たちに影響を与えることによって、果ては患者さんにまで影響を与えかねない。

 そういった意味で、地方は大学病院がある意味では医療のセンターでございますので、こういったところの信頼というのは非常に高い。ですから、患者さんも多い。ですから、このような過重労働というものが出てくるんでしょうけれども、やはりここは、じゃ、それを補うにはもう人材確保しかない、それには財源が足りない、この状況が起きてくることが私は非常に心配されるわけです。

 地方の医療センターでは、優秀な医師や看護師が出ていってしまう、こういう状況だと。そうすると、人材確保が難しくなる。地方の医学あるいは医療の中心である地方の医大の中でこういったことが起きるというのは、非常に問題があると思うんです。

 これらのことに対しましては、全国的にどれだけこういった不払い等が起きているのか、あるいはさまざまなこういった不払い残業等があるのかを文科省もやはり調査する必要があろうかと思うんです。問題が出てから対応するのではなくて、そういった調査も必要ではないかという気がいたしますが、それはされておるんでしょうか、いかがでしょうか。

玉井政府参考人 お答えを申し上げます。

 法人化いたしましたので、適用する身分関係が異なっておることはもう委員御案内のとおりでございます。国家公務員から非公務員型の国立大学法人の職員ということでございまして、したがって、適用される法令も、今の労働関係でいいますと労働基準法が適用になるわけでございます。したがって、こういう労働関係をきちんと理解し、諸規定を整え、そしてきちんとした取り組みをするということが基本になってまいります。そのための準備もし、そして今法人化が行われているというふうに理解をしておりまして、そういう意味において、使用者が労働者に時間外労働をさせた場合には割り増し賃金を支払わねばならない、したがって、このような場合には適切に支払うことが必要ということは当然の前提でございます。

 そして、御指摘のように、残念ながら残業手当の不払いということが、数大学において労働基準監督署の指導を受けているということも私どもは承知しておりますけれども、そこはきちんと労働基準監督署とも相談しながら改善が図られているということもまた、私どもとして承知をしているわけでございます。

 いずれにせよ、これは私ども、法人化ということでございますので、もともと大変柔軟な組織形態、組織運営ができる、管理運営ができるということでございます。そういう組織編制や人員配置あるいは勤務形態の活用、それから意識改革、こういうことを通じて各法人として適切に取り組んでいただきたいということが基本でございますので、こういう個別のことについて改めて調査ということは考えていないわけでございます。

 ただし、先ほど来申し上げておりますけれども、こういうことをきちんと各法人に御理解いただいて御努力いただきたいわけでございますので、したがって、労働基準法等の法令の遵守とかあるいは超過勤務の縮減について私どもは会議等を通じて要請を続けておりまして、こういう事例なども紹介しながら、きちんとした対応をされるように私どもとしてもさらに努力したい、かように考えております。

横光委員 終わります。

斉藤委員長 川内博史君。

川内委員 おはようございます。川内でございます。

 きょうは、私の後に我が党の真打ちであります松本大輔さんが控えておりますので、私はその前座として幾つかの事実の確認等をさせていただきたいというふうに思っております。

 まず、これは実は、大臣、済みません、質問通告をさせていただいていないんですが、けさの日経新聞に大臣の発言として、ちょっと大臣の御見解を伺わせていただきたいことが出ておりましたので、若干聞かせていただきたい。

 昨日、スクールミーティングで茨城大学教育学部附属小学校、中学校を御訪問されたというふうに承っております。

 その中で、中学校三年の男の子が、自分たちの代だけ上や下の学年に劣ることになるのではないか心配だというような趣旨、教科書が薄くなってしまっているという趣旨の発言があり、それに対して中山大臣は、「ゆとり教育の見直しで教科書のページ数も元に戻りつつある。皆さんには申し訳なく思う」と、日経新聞の書き方では謝罪をしたというふうに書いてあります。また、「ゆとり教育の導入は拙速すぎた。授業数まで削減したことは反省点。自分の頭で考える主体性のある子どもを育てたい」と述べられたというふうに出てございます。

 私は、ゆとり教育というのは私自身は非常にすばらしい、ゆとり教育という言葉が余りよくないのであって、総合学習という、子供たちが自分たちの力で考え、そして行動をし、成果物をそれぞれにつくり上げていく、私は自分の息子と娘が公立の小学校、中学校におりますので、そういう子供たちの活動を見ておりまして、総合学習の時間というのはすばらしいなというふうに評価をしておりました。

 また、ゆとり教育、この言葉がやはりよくなかったんだと思うんですが、総合学習ですね、総合学習の時間等については、臨教審の議論以来、オール文部省として長い長い時間をかけて世に問うていたものである、世に問われたものであるという意味においては、大臣のこの拙速過ぎたというお考えというのは、何が拙速だったのか。議論の時間が短かったのか、それとも、議論して案をつくり上げたことはよかったが、それを導入するのが早過ぎたのか、その導入の仕方が拙速だったのかという、その拙速の中身について、これからまた中教審でいろいろなことが議論されると思いますので、大臣のお心の内というのをもう少し詳しく御説明いただいた方がいいのではないかと思いますので、御見解をひとつお示しいただきたいというふうに思います。

中山国務大臣 川内委員のように、実際に自分の子供たちがそういう公立学校に通っている、この父兄といいますか保護者の方々がやはり一番関心を持っているというか御心配いただいているところじゃないかな、こう思うわけでございます。

 発言には十分注意するようにはしているんですけれども、きのう、水戸という地方だったものですから、あるいは記者もちょっとよくわかっていなかったのかと思いますけれども、ゆとり教育の導入が拙速だったとは言っていないので、総合的学習の時間というものの導入をもっと準備をしっかりしてからやるべきだったんじゃないか、こういうことは申し上げました。

 きのうは水戸の茨城大学の附属小中学校に参りました。まず、ここは子供たちも選ばれて入っておるところでもありますし、教育環境も非常に高い、恵まれている、私はそう思っておったんですけれども、その中でもいろいろな御意見がありました。

 小学校の先生からは、総合的学習の時間、最初は戸惑いもあったけれども、一生懸命頑張ってやってきた、かなりの自信もあるというふうな話もありましたし、また中学校の方では、選択教科なんかもうやめてもらいたいと率直な意見もありました。

 また、子供たちからは本当に率直なといいますかいろいろな御意見があったわけでございまして、今川内委員が話されたように、自分たちの世代だけが何か割を食ったといいますか、学ばないで卒業することになるんじゃないか、こんな話もありましたし、ゆとり教育の中で、学校よりも外で勉強しなければならなくなったということについてこれはちょっと問題ではないかという、本当に子供たちが率直にいろいろなことを言ってくれましたので大変勉強になったな、こう思っています。

 その中で私も申し上げたんですけれども、ゆとり教育、私もあなたと同じように言葉が悪かったなと思うので、このゆとり教育というのが、子供たちに、余り勉強しなくてもいいんだよ、あるいは先生方にもここまで教えればいいんだよという間違ったメッセージを与えることになったとすれば、これはいけなかったと思うというふうなことは率直に申し上げました。

 その中で、やはり総合的な学習の時間というものが本来ねらいとしていたものは間違っていないんだ、やはり基本的なことはしっかり覚えた上で、そして自分の頭で考え、判断できる、そういう主体性のある子供、これからどういう時代になるかわからない、どういう社会になるかわからないけれども、一人一人の皆さん方が自分の人生を大切にしながら充実した人生を送っていくためには、やはり勉強しなければならないし、総合的な学習ということを通じてそういった力も身につくんじゃないかな、こういうことを申し上げたんです。

 その総合的な学習の時間は、確かにいろいろ準備もあったし、準備もしていたと思うんですけれども、私が思いますに、もう少し文部科学省として、いろいろなメニューといいますか、こういうふうにやればいいんじゃないかとか、もっともっと現場の先生方が参考になるようないろいろなケースだとか、そういったものを提示すべきだったと思うんです。

 しかし、あのときの議論を聞きますと、そういうことをするとまた一方的に文部科学省の押しつけになるんじゃないかとか、あるいは画一的なことをやらせてはいけないんじゃないかという御意見もあったということで、どちらかといえば、現場の先生方に、丸投げという言葉は悪いんですけれども、考えてください、創意工夫してください、そういうふうなことの方が強かったんじゃないか。それだけに、それを受けた先生方というのは本当に苦労されたし、労力的にも時間的にも大変だったという話も聞くわけでございます。

 ですから、一生懸命取り組んでおられた先生方というのは、何だ、せっかくここまで自分たちが努力してやってきたのにもう変えるのかという話もありますし、一方ではほっとしたという声もありまして、また子供たちの中にも、附属中学校ですから小学校を経てきているわけですけれども、総合的学習の時間というのは余り意味がなかったんじゃないかというような発言もあったわけでございます。

 ですから、この総合的な学習の時間というのは本当に大事な時間だと思いますし、子供たちにとっては非常に貴重な一時間一時間、一日一日だと思うんですね。その中でどのように活用していくのかということはやはり考えていかなければいかぬ。そのためには、一体どうなっているんだ、今どういうふうに行われているかということを実証といいますか、まず調べることから始めなければいかぬ。

 そういう意味で、今スクールミーティングをやっているんですけれども、現場に行けば行くほどいろいろな課題が見つかるといいますか、出てくる。そういう意味で、私はもっともっと回らなければいけない。まだきのうのところなんかはいい方だと思うので、そうじゃないところ、なかなかこれは難しくて、来てください、来てくださいと言うところは自信があるから来てくださいと言うので、そうじゃないところにどのように行けるのかな。文部科学大臣が来るというと、やはり構えるといいますか、準備したり、最初物すごく緊張しておられるんですね。ですから、そうじゃない方法で本当の生の姿を見たいなと思っています。

 そういう意味で、努力もいたしますが、どうか、きょう、委員の先生方にお願いなんですけれども、地元の学校にすっと行って、どういう状況なのかということをそれこそ保護者の立場から見ていただくような、そういうこともしていただいて、またいろいろな御意見を聞かせていただければありがたいなと思っております。

川内委員 ありがとうございます。

 長い時間をかけて議論を積み上げて導入をされた政策でありますし、それを、現場がどうなっているのかということをしっかりとごらんいただいて、またその次の議論に反映させていただければというふうに思います。

 それでは、この委員会にかかっております国立大学法人法の一部を改正する法律案について、幾つかの点を聞かせていただきたいというふうに思います。

 まず、昔は国立大学、今は国立大学法人でありますが、一般には我々国民は、経営の形態あるいは組織のあり方が、国立であろうが国立大学法人であろうが国立大学というふうに思っているわけでありますが、国立大学の存在の意義というところを大臣にまず御見解をお示しいただきたいというふうに思います。

中山国務大臣 国立大学は、従来より、全国的に均衡のとれた配置によりまして、学生の経済的状況に左右されない高等教育の機会を提供しているということとあわせまして、地域の人材養成とか、あるいは教育、文化、産業の基盤を支えてきた、こう思っているわけでございまして、我が国の学術研究と研究者養成の中核を担うなど、大変重要な役割を果たしてきている、このように思っております。

 特に高等教育の機会提供ということでは、地方の大学におきましては、比較的所得の低い家庭の子弟を多く受け入れているという傾向があるわけでございますし、また、鹿児島県もそうだと思うんですけれども、我が宮崎県におきましても、高校ではまず国立大学、国立大学が非常に志向が強いわけでございまして、これはやはり経済的な観点がまず第一だ、こう私は思うわけでございます。

 また、国立大学全体の学生のうち六割以上が三大都市圏以外の地域に所在する大学に在籍しているという実情もあるわけでございまして、そういう意味で、経済状況とかあるいは居住地に左右されない高等教育の機会を提供しているということではないかと思うわけでございます。

 このような国立大学の存在意義といいますか、役割というのは法人化後も何ら変わるところはない。むしろ、法人化によりまして高まりました自主性、そして自律性のもとに、法人制度のメリットを生かして、国立大学としての役割を一層しっかり果たしていくことが求められておりますし、また、私はいろいろな国立大学法人の学長とか先生方といろいろお話をしますが、本当にそういう意味で活気が出てきたな、やる気が出てきたなと。それは、なかなか従来の考えから脱皮するのは難しいかもしれませんが、いろいろな新しい芽といいますか、萌芽が出てきている。そういう意味ではいい方向に進んでいる、このように私は思っているわけでございます。

 文部科学省といたしましても、この国立大学の研究、そして教育環境が一層活性化して、国立大学が国民あるいは社会の期待に一層こたえていくことができるように必要な支援を続けてまいりたい、このように考えております。

川内委員 きょうのこの日経新聞の国立大学法人化に伴う経営者の皆さんの意識調査でも、今大臣がおっしゃるように、「経営マインドが芽生えた」とか、「学長のリーダーシップが強まった」とか、あるいは、「地域社会とより密接な関係を求めるようになった」などの、意識が大きく変化をしているというお答えが多かったようであります。

 しかし、その一方で、裁量が広がったのかということに関しては、東京大学の学長が、両手両足を縛られて海に投げ込まれ、さあ泳げと言われているようなもの、これはおぼれてしまうわけですけれども、というようなお答えをしていらっしゃいますし、京大の学長さんは、文部科学省は国立大学の裁量が広がったとPRするが、実際はほとんど自由がないと、手厳しい意見も一方であるわけであります。

 今、法人化して一年ということで試行錯誤の時期であるということを考えれば、いろいろなとらえ方、見方というものがあるのもまた当然のことであろうと思います。しかし、今大臣がおっしゃられたように、国立大学法人自体の存在の意義というものが変わることがあってはならないというふうに思うんですね。

 実態としてどうなのか、私は数字をつかんではおりませんが、東京大学の学生さん方の親御さんの年収は一千万円を平均で超えていないと東大に子供を入れることはできないとか、それは有名私大もそうなんでしょうけれども、そういう状況があるというふうに言われている。しかしその一方で、経済的な理由で高等教育を受けることが断念をされるようなことがあってはならない。だからこそ、国立大学というものの存在意義があるんだというふうに思うんですね。

 そういう意味で、私、別に自分が東大じゃないから東大が憎いとか嫌いだとか、そういうわけでは決してないんですが、東大の学生さんの親の平均の年収とか、他の国立大学の親御さんの平均年収とか、文部科学省さんではお調べになっていらっしゃるのかどうか。あるいは、その数字をもしお調べになっていらっしゃるとしたら、その数字をお知らせいただきたいというふうに思います。

石川政府参考人 国立大学に子弟を通わせている家庭の年収についてのお尋ねかと存じます。

 今手元にあるものでしかお答えをすることが困難なのでございますけれども、たまたま委員から東京大学のお話が出ましたので東京大学について申し上げますと、年収額が九百五十万円未満の方が五〇・八%、ぎりぎりでございますけれども半数を超えておるという状況でございまして、また他の大学の状況につきましては、追って御報告をさせていただきたいと存じます。

川内委員 ぜひ、大臣の国立大学の存在意義の御答弁、見解の中に、経済的に困難な事情にある、状況にある学生でも、しっかりとした勉強、勉学ができるように国立大学法人というものはあるのだという一つの存在意義が示されているわけでありまして、親の年収を聞くというのは、個人情報ですから聞けるのかどうかもよくわかりませんけれども。しかし、文部科学省として、国立大学で学んでいる学生さんたちがどういう家庭環境にあるのか、状況にあるのかということをもしっかりと把握をしていただきたいというふうに思いますし、今お調べをいたしますということでありますので、また、わかる範囲で結構ですから、後日理事会なり委員会なりに御報告をいただきたいというふうにお願いを申し上げておきたいと思います。

 そこで、本委員会で再三にわたって議論になってまいりました授業料の標準額の件に関して、若干のお尋ねをさせていただきたいと思うわけです。

 経済的に修学が困難な学生であってもしっかりと勉学ができるようにというのが国立大学の存在意義の一つである。したがって授業料は、何か資料をいただいたものを見ると、昔はむちゃくちゃ安かったのですね。昭和五十年は年間の授業料が三万六千円、私立が十八万二千六百七十七円ということで約五倍ぐらいの開きがあったわけでありまして、ところが、最近になってくると私大の方とほとんど変わらない、大体一・五倍とか一・六倍とか、そういう金額になってきております。

 前回の委員会質疑の中で、石井先生の授業料の質問に対して大臣が、授業料というのは適正な水準の範囲内にあるもの、今後も適正な水準の維持ということをしてまいりたいというふうに御答弁をされていらっしゃいます。適正な水準の範囲内。適正な水準とは何か、適正な水準の範囲内とは何かということを、もう少し具体的に高等教育局長から御説明をいただきたいというふうに思います。

石川政府参考人 授業料につきまして適正な水準の範囲内ということがどういうことであるかというお尋ねでございます。

 国立大学の授業料の標準額につきましては、今般の経済状況にかかわらず学生に修学機会を提供するという国立大学の役割なども踏まえまして、適正な水準を維持する必要があるという考えのもとに今改定をしておるわけでございますけれども、従来から教育の機会均等の理念を踏まえまして、大学教育を受ける者と受けない者との公平の観点ですとか、あるいは私立大学の授業料の水準など、社会経済情勢等を総合的に勘案いたしまして授業料の改定というものを行ってきたところでございます。

 どの程度が適正な水準であるかということにつきましては、高等教育全体のあり方ですとか、その時々の社会経済情勢など、さまざまな要素が関連をいたしておりますので、必ずしも一定の数値で明示をできるという性格のものではないのではないかと考えておりまして、私立大学の授業料の水準ですとか、これまでの国立大学の授業料改定の経緯、あるいは国立大学の役割等からすれば、今回の改定につきましては適正な水準の範囲内である、このように考えている次第でございます。

川内委員 今の高等教育局長の御答弁は、御説明は、いろいろ御説明をされましたが、最終的には授業料を決めるのは行政の裁量だ、標準額を決定するのは行政の裁量であるというふうにおっしゃっていらっしゃるのだと思うんですが、それで果たしていいのかどうかと思うんですね。

 国立大学法人、法人化になりまだ一年たっていない、一年間の決算も終わっていないうちに授業料標準額が引き上げをされた。では、今回のこの標準額の引き上げに関して、高等教育局としてはどのような反省を反省点として持っていらっしゃるのかということをお尋ねいたします。

石川政府参考人 今回の授業料標準額の改定というものを結果的に決めるにつきましては、私立大学におきます授業料の平均額の傾向ですとか、そういった水準、あるいはその他の社会経済情勢など、さまざまな要素を勘案して、例えば私立大学におきましては平成十四年から十六年にかけまして授業料の平均額が約一万四千円上がっておる、こういったことも踏まえまして、今回、標準額につきまして一万五千円という改定をさせていただいたところでございます。

 この幅につきましては、いろいろな御議論があろうと思いますし、また授業料の標準額を変えるということにつきまして、国立大学の学長さん方からもさまざまな意見があったということはもちろん私どもも承知をいたしております。しかし、授業料の標準額ということが持つ意味というものを私どももしっかり踏まえた上で、できるだけ、必要最低限といいましょうか、できるだけ低く抑えるように努力をしたつもりでございます。

川内委員 局長、済みません、僕の聞き方がちょっとよくなかったのかもしれませんが、私は、引き上げた理由を説明してくださいというのは、もう先にさっきお聞きしたので、それはわかりました。

 ただ、今回の標準額の引き上げについて、各国立大学の現場で混乱をした事実があったと思うんですね。それはすべての大学で混乱したとは言いません、しかし幾つかの大学では、入学の試験のときに授業料が明示できなかったりとか、いろいろな出来事があった。混乱しましたね。そういう事柄について、文部科学省高等教育局として、幾つかの反省点というものを持っていらっしゃいますかということをお尋ねしたのですけれども。

石川政府参考人 私の理解と言葉が足らずに失礼いたしました。ただいまのようなお尋ねという前提でお答えを申し上げるとすれば、やはり授業料の標準額の改定を行うに際して、いろいろな各大学ですとか学長先生方の御意見というようなことも聞いてみるということを十分すべき、私どもももちろん聞かなかったというわけではございません。十分時間をかけて聞いてみるというようなことも必要であったかもしれませんし、また、方針が決まった後にはできるだけ多くの余裕のある時間を持ってお知らせをしたり、混乱ができるだけ少ないように、もっと何か工夫があるのか、そういったことを考えるべきであったかもしれない、このようなことを考えております。

川内委員 今の高等教育局長の、各大学の意見を十分に聞くべきであったと思う、これからは聞いていく、さらには、方針を決定した後は十分に学生さんあるいは親御さんに対してそれを周知する期間を設けなければならないというのが反省点であると。したがって、今後はそのような方向になっていくんだろうと思いますが、今の局長の御答弁を中山文部科学大臣に、大臣として、政府の見解として御確認いただきたいというふうに思います。

中山国務大臣 学長等に聞けば、それはもう下げてほしい、安い方がいいと言うのはわかっているんですけれども、やはり一応聞くというそういった手順も必要なのかな、こう思うわけでございます。

 先ほど話がありましたように、私学の方で一万四千円ぐらい上がっているということも一つのめどになったと思うんですけれども、私も、大臣になってすぐでございましたが、こんなのを何で上げるんだと実は思ったんですけれども、なかなか、主計局といいますか、きょう来ているかもしれませんが、かたいところでございまして、私もおりましたのでわかるんですが、それといろいろと折衝をしながら、本当にある意味では大変な折衝の中でこういう額になったと私は思っておるわけでございます。

 適正な範囲内が幾らかということはなかなか難しいんですけれども、先ほどから言っていますように、国立大学というのは授業料が安いということがやはり一つの特徴といいますか特色だったわけですから、そういったこともしっかり踏まえた上でやっていくべきだと私は思っております。

 今回のことについて、法人化してすぐのことでしたから、混乱、まあ何をもって混乱とするのか、多少の混乱というのは何をするにしてもあると思うんですけれども、余り遅きに失したと。私学はどうなのかなと今ちょっと聞いてみたんですけれども、私学の場合にはもっと早く値上げ等も公表しているというようなことも聞いているわけでございます。

 そういう意味で、学生とか保護者の立場に立って、申し上げなければいけないときにはやはり少し前広にお知らせするとか、そういったことも考えられるんじゃないかと思うわけでございますが、基本的には本当に抑制的にやっていくということを前提にして考えていきたいと思っております。

川内委員 私、ちょっと質疑が終了しましたという紙が入ったので、あと一問だけ、済みません。

 では、授業料についてはそういうことで、あと入学金ですね。入学金については、大臣も国立大学の方が既に私学より高くなっていると。平成十六年の私立大学の平均の入学金が二十七万九千七百九十四円、国立大学は平成十四年が二十八万二千円ということで、現時点においては既に国立大学の方が入学金は高いという状況でございます。

 入学金は、今までずっといろいろなことを値上げしてきたわけですから、たまには値下げもして、学生さんや親御さんたちに、なるほど、下がることもあるのかということを一度お示しになられたらどうかなと思いますが、ちょっと御見解をお示しいただきたいというふうに思います。

中山国務大臣 政治家としては、そういうこともできたらいいなとは思いますけれども、現実問題として、確かに逆転現象が起こっているわけでございまして、これはむしろ、国立大学が上げてきたというよりも、私学が下げてきたという要因の方が大きいと思うわけでございます。

 今委員御指摘のように、保護者の負担というようなことを考えますと、もちろんいろいろ課題があります、物価が下がっている中でなぜだと言われますけれども、物価にもいろいろありまして、サービス関係の物価というのはむしろ上がりぎみでございます。この学校の関係もやはりそういったものに入ると思うので、そういった中でなかなか難しいと思いますけれども、基本的には、できるだけ抑制していくということが基本であろう、このように考えております。

川内委員 終わります。ありがとうございます。

斉藤委員長 松本大輔君。

松本(大)委員 民主党の松本大輔です。どうぞよろしくお願いします。

 先ほど川内委員の方から国立大学の存在意義という御質問があったわけですけれども、やはり私も、そもそも国立大学の役割とは何なのかというこの点から、ぜひ本日の質問を始めさせていただきたいというふうに思うわけです。

 存在意義について問われた大臣が、先ほど、居住地ですとか経済状況に左右されない高等教育の機会を与えることというのをその存在意義の一つとして掲げられていたわけなんですけれども、私も教育の機会均等というのは非常に大事な概念だなと思っていまして、大臣は義務教育改革の際も「甦れ、日本!」という提言をされたわけですが、日本が活力ある社会によみがえるためには、やはりある程度は創意工夫ですとか切磋琢磨といった健全な競争がなければならないと思うんですね。

 ただ、健全な競争があるためには、その大前提として、やはり少なくともスタートラインは一緒だという大前提がしっかり守られていなければいけないんじゃないかなというふうに思うわけです。スタートラインが同じということはどういうことなのかというと、言いかえれば、チャンスは少なくともだれにでも平等に与えられているということじゃないかなと思うわけで、そのチャンスの平等というものを最終的に担保しているものが何かといえば、それこそがやはり教育の機会均等ではないかな、私はこのように思うわけです。

 大臣が高等教育の機会均等ということを先ほど国立大学の役割として掲げられたことについて、私も異存はないんです。ただ、だんだん何か言っていることとやっていることが逆になってきているんじゃないかなという疑問を私は実は持っておりまして、現代において高等教育の機会均等というものは本当に国立大学でしか担えないものなのかどうかというと、やや疑問が残るような動きをほかならぬ文科省さん自身の手で進められてきてはいないかな、このように考えているわけでございます。

 なぜそのような疑問を持っているかというと、ちょっと前置きがしつこくなってしまいましたけれども、本日川内委員も、先ほど横光委員も、それから水曜日、石井委員も取り上げていらっしゃいましたけれども、授業料の値上げの問題であります。先ほどの御質問もあったわけですが、改めて確認させていただきたいと思います。

 今回、一万五千円という形で標準額の値上げをされているわけなんですが、一体なぜ値上げを決定されて、そしてなぜ値上げ幅が一万五千円になったのか、客観的な根拠を示しつつお答えをいただきたいと思います。

中山国務大臣 教育の機会均等ということは、これは義務教育費国庫負担法の関係でしばしば御質問もありましたし、またお答えもしたわけでございまして、義務教育におきましては、少なくとも中学校を卒業する段階では、それこそどんな山間僻地、離島に生まれても、同じスタートラインで人生をスタートさせたい、これが国の責任ではないか、このようなことを申し上げた記憶があるわけでございます。

 そういう意味で、大学についても教育の機会均等が大事ではないか、こういう御質問だろう、このように思うわけでございまして、そのことはまさにそのとおりだと思うわけでございます。ただ、高等教育ということになりますと、大学に行く人と、行かないで働きながら税金を払っている方もいらっしゃる、そういった均等ということもやはり考えなければいけないんじゃないかな、こう思っているわけでございます。

 繰り返しになりますけれども、そういう意味で、大学に行く人と行かない人の関係、あるいは私学に行く人と国立に行く人の関係、均衡とかいろいろなことを考えながら、繰り返しのお答えになりますけれども、その時々の経済社会情勢等を勘案しながら授業料の標準額というのは決めていくべきものであろう、このように考えておるところでございます。

松本(大)委員 国立大学に行く人と行かない人の均衡、バランスというようなお話もあったんですが、それが果たして結果の平等まで行くのかどうかというのは、私は少し疑問に思っているわけなんです。

 それはおいておきまして、私学に行く人と国立に行く人ということなんですが、私大の授業料の状況というものが具体的には一体どういうことを指すのかということがちょっとまだ触れられていないように思いますので、例えば、今回の改定前、国立大学の授業料は平成十五年、五十二万八百円だったわけなんですが、そのときと今とを比較して、私立大学の授業料というものがどのように変化しているのかについて御説明をください。

石川政府参考人 お答えを申し上げます。

 私立大学の授業料につきましては、平成十六年の実績では八十一万七千九百五十二円、平均額でございます。例えばこれの五年前、十一年では七十八万三千二百九十八円……(松本(大)委員「平成十五年の国立大学の授業料の値上げ前の水準と比較してどうなのか、同じ期間で比べたいんですけれども」と呼ぶ)はい。

 十五年の値上げ前、十四年の場合ですと、私立大学の場合は八十万四千三百六十七円ということになってございます。

松本(大)委員 ちょっと最後まで御説明をいただいていないんじゃないかなと思うんですが、私大とのバランスというものを考えて今回の値上げを一万五千円にしたのであれば、私立大学の授業料は、要するに、さっきの御答弁だと、十五年当時が八十万四千円ぐらいとおっしゃったんですか。幾ら値上げをしているから、だから、同じ期間でこれだけの値上げになったんだ、そういう御説明をいただきたいんですが。

石川政府参考人 まことに申しわけございません。失礼をいたしました。

 直近の状況で申し上げますと、十四年の私立大学の授業料につきましては、先ほど申し上げましたように八十万四千三百六十七円でございまして、これが十六年度では八十一万七千九百五十二円というふうになっておりまして、その差は約一万四千円の増加ということでございます。

松本(大)委員 よもや、私大の授業料が一万四千円上がったから、だから国立大学もそのぐらい、ちょっと丸くして一万五千円上げたんだというような乱暴な議論が行われているなんということはないと信じたいわけですけれども。

 だからこそ、先ほど大臣も値上げの理由として経済社会情勢ということを挙げていらっしゃった。これまでの答弁でも、例えば水曜日の本委員会での石井委員の御質問に対しては、私立大学の授業料の状況等を勘案したものとか、これまでの国立大学の授業料の改定についても社会経済情勢を総合的に勘案してというふうにおっしゃっているんですが、私も、議員になって一年以上たちまして、役所の使う「等」というのは本当にくせものだなというふうに、ようやく、今さらながらといいますか、わかってきたわけなんですが、一体この「等」が何であるのかというのをちょっと具体的に確認させていただきたいなと思います。

 私立大学の値上げ幅のほかに経済社会情勢というものをもし挙げられるのであれば、それは具体的には何を指していらっしゃるのか、御説明をいただきたいと思います。

石川政府参考人 「等」の中身についてということでございますけれども、これについて、そのほかの要素として例を挙げるといたしますれば、例えば、学生の保護者の家計収入の動向でありますとか学生生活費、あるいは諸物価の状況、こういったものが考えられるかと思っております。

松本(大)委員 恐らくそうだろうなと思うんですね。価格設定をされているわけですから、価格設定が適正な水準なのかどうかを勘案される際に、社会経済情勢を一応踏まえたとおっしゃるのであれば、物価ですとか家計の状況、所得水準とかというのは当然考慮されてしかるべきだというふうに思って、私も資料をいただいたんですけれども、今局長は、家計の収入であるとか物価については社会経済情勢として一応踏まえたんだというような御答弁をいただいたんですけれども、私はそのようにはちょっと思えないんですね。

 これは文部科学省の学生生活調査というんですか、家庭の年間平均収入というものと、それからこれは総務省の調べになるんですが、消費者物価指数の推移というのをいただいたんですが、どう見ても、今の局長の答弁とは違って、それを勘案した授業料の引き上げが行ってこられたとは思えないんですね。

 具体的に言いますと、出していただいた資料、どうなっているかといいますと、平成十二年が消費者物価指数一〇〇というふうに置いていますので、その平成十二年を比べるとしますと、国立大学の授業料は、昭和五十年三万六千円から四十七万八千八百円、何と十三・三倍になっているわけですね。一方の私立大学がどうかといいますと、十八万二千六百七十七円から、平成十二年は七十八万九千六百五十九円、四・三倍ですね。

 一応勘案されたとおっしゃる、社会経済情勢に含まれているとおっしゃった物価の動向ですが、消費者物価指数を比べますと、昭和五十年を五四・五とすれば、平成十二年が一〇〇ということで、一・八倍になっているにすぎないわけですね。つまり、大ざっぱに言うと、物価は五十年から平成十二年まで約二倍になっている。同じ期間で国立大学の授業料は十三倍になった。しかし、私大の授業料は四倍であったということなんですが、私立大学の授業料水準にしても、国立大学の授業料水準にしても、物価の伸びに対して余りにも授業料の伸びが著しく大き過ぎるんじゃないか。社会経済情勢として勘案されたとおっしゃるけれども、それを大きく超えて、余りにも伸びが大き過ぎるんじゃないかなと思うんですね。

 しかも、問題はこればかりじゃないわけですね。ピークというものはもうとっくに打っているということなんですね。物価とか家計の平均年収についてはもうとっくにピークを迎えて、むしろ今は低下傾向にあるのに、減少傾向にあるのに、授業料だけがなぜか一本調子で引き上げられ続けているということであります。

 いただいた資料によれば、学生の家庭の平均年収は、平成八年に九百七十一万九千円でピークを打って、直近、平成十四年は八百九十七万円まで下がっているんですね。消費者物価指数がどうかといいますと、平成十年一〇一・〇、ここでピークを打ちまして、平成十七年は九八・一まで減少をしているわけであります。

 確かに、一本調子で授業料を上げたことによって私大との授業料格差だけは一・六倍に保たれたんですけれども、「等」の一つだと言われた社会経済情勢、それに含まれるのは物価の動向や所得の水準なんだとおっしゃられたけれども、そうした物価や所得のトレンドを無視するかのように授業料だけが今もなぜか上がり続けているわけですね。

 これでは、どんな人が聞いたって、社会経済情勢を勘案しましたというふうにはとても言えないんじゃないかなと思いますし、授業料の水準が適正な水準の範囲内という大臣の御答弁も、本当にそうなのかなと思わざるを得ないわけであります。

 ましてや大臣は、川内委員の御質問で冒頭でおっしゃられたように、国立大学の役割として、居住地や経済状況に左右されない高等教育の機会均等を実現するんだということをおっしゃっているわけですよね。高等教育の機会均等を、文科省さんが掲げていらっしゃる国立大学の役割に照らして考えるならば、こういった物価とか家計とか社会経済情勢に逆行する形で値上げをされてきた授業料というのは、どう考えても適正な水準の範囲内にあるとは思えないのですが、大臣、いかがですか。

中山国務大臣 確かに、今言われた数字、物価は一・八倍しかなっていないのに、国立大学の授業料は十三・三倍、これはやはり、私も大臣になりまして、ちょっと事務方に聞いてびっくりしたわけでございまして、どうしてこうなったのかなと。私立との格差を是正していくのだ、そういう方針もあったのでしょうけれども、やはり上がり方としては余りにも急激過ぎる。特に、経済情勢、財政といいますか家計の財政状況にかかわりなく、やはり高等教育の機会を与えるという観点からはちょっと問題ではないか、こう思うわけでございます。

 そういうことを申し上げた上で委員に申し上げますが、物価は確かに低下傾向にありますが、これは中国等からの安い物が入ってきたという、そういうデフレ要因もあるわけで、子細にまだ見ていませんが、サービス部門、特に教育関係のサービス部門の物価指数というのはかなり上がってきているんじゃないかな。これは確認はしていませんが、多分そうだろうということが一つありますし、経済社会情勢にプラスしまして、財政状況というのも加えた方がいいんじゃないかなと。国家財政が非常に火の車の中で、受益者負担ということから、こういった大学の授業料というものも引き上げざるを得なかった面もあるのかな、そう思うわけでございまして、ちょっと財政的な立場から言い過ぎではないかと思われるかもしれませんが、経済社会財政状況、もろもろ、そういった中で上がってきたんだろうと思うわけでございます。

 何度も申し上げますが、やはり、適正な水準とは言いながら、それはあくまで下の方に、できるだけ抑制的な、下の方で推移すべきであるという考えを私は持っておるところでございます。

松本(大)委員 今大臣の苦しい御答弁というか苦しい胸のうちを吐露していただいたわけなんですが、やはりそれにひるむわけにはいかないわけでありまして、政権準備党を自称するから物わかりがすっかりよくなってしまうのでは、それこそ自傷行為ではないかなと私なんかは思うわけでございまして、やはりここはもう少し御見解をただしていきたいなというふうに思うわけなんです。

 さっき大臣は、ちょっと問題ではないかとおっしゃったんですが、僕は大いに問題なんじゃないかなと思うわけであります。

 確認ですけれども、物価も、それから所得水準も低下傾向にある中で、私大が授業料を上げた、あるいは国の財政状況が厳しいのだなんという、今驚くべき御発言もあったんですけれども、だからといって国立もそれに追随するのであれば、結局、教育の機会均等よりも国家の財政の方を優先されたんだ。要するに、教育論ではなくて財政論なんだとおっしゃっているに等しいわけですよね。

 これは冒頭に、川内委員の御質問に対して大臣自身が御答弁をされた、経済状況に左右されない高等教育の機会均等という、文科省自身がのたまわっていらっしゃる国立大学の役割とか趣旨を没却せしめかねない行為だと思うんです。まさに自傷行為だと私は思うわけですが、国立大学の役割をみずから放棄されるに等しい行為だと思いますけれども、大臣、いかがですか。

中山国務大臣 家計の財政状況に左右されない、勉学に対して意欲と能力を持っている若者に、できるだけ高等教育の機会を与えていく、これはもう絶対進めていくべきだ、私はこう思うわけでございます。

 そういう意味で、何度も申し上げますが、国立大学につきましては、授業料、そして入学金も本当に抑制的であるべきだと思っておりますが、物価のことにつきましても、先ほど言いましたように、いろいろな物価があるわけでございまして、私立大学との均衡ということも考えなければいけないという観点もあるわけでございます。

 また、先ほど、とんでもないと言われましたが、やはり国立大学といえども国の財政の中で賄っているわけでございまして、御承知のように、今大変な赤字財政だということもあるわけでございますから、そういったことをもろもろ総合的に考えて国立大学の授業料というのも上げられてきたのかなと私は思います。

 しかし、それにしても随分高くなったものだなという感慨を持っていまして、特に、自分たちのころは九千円だったのにということが頭にあるものですから、もうとんでもないと思うわけでございますが、これもずっと、やはりこれまでの長い経緯があるんだろうと思うわけでございまして、そういう意味で、文部省はもっとしっかりせよと言われますが、本当にしっかりしなければいけない、こう思うわけでございます。

 とにかく、基本的に全国民、その所得にかかわらず教育の提供ということを念頭に掲げて、これからも文部科学省は頑張っていかなければならないというふうに思っております。

松本(大)委員 高くなったものだなというのは余りにも何か他人事のような、人ごとのような御答弁で、本当にしっかりしていただきたいなと思うんです。

 何よりも問題なのは、先ほど局長、勘案したとされる社会経済情勢については物価や家庭の所得水準というのがあるんだとおっしゃりながら、こうやって検証すると、実はそうじゃないわけですね。そうすると、虚偽答弁ともいうべきものじゃないかなと思うわけなんです。

 結局、値上げの理由として残るものが何かというと、先ほど来、大臣もおっしゃっているように、財政的な理由なのか、あるいは結局は、端的に言えば、私学との格差を縮小することだったり、あるいは広げないことだったのじゃないかなと。つまり、文科省が重視しているのは、御題目じゃないですけれども、教育の機会均等という御大層なあれではなくて、実は私大との格差を広げないことにすぎないんじゃないかと思いますけれども、いかがですか。

石川政府参考人 実際の問題として、我が国の高等教育の約八割を担っている私立大学、私立学校のあり方、その状況といったようなことを、私ども高等教育の振興を考えていく場合に忘れることはできないと思っております。そういった意味で、私立大学の存在あるいは私立大学のありようといったようなものは、国立大学の授業料だけでなくて、あり方を考えていく上でも、やはり見放せない、あるいは見過ごせない問題でございます。というよりも、むしろ大変重要な問題だろう、このように認識しております。

 そういった意味で、先ほど来お話出ておりますけれども、私立大学の授業料の平均額がこの直近の二年間で一万四千円上がっているということは、今回の国立大学の授業料標準額の改定に大変大きな意味を持つものだ、こう思っております。

 それから、諸物価の情勢ですとか家計の問題、もちろんこういったことも念頭に置いて、私どもも、そういった指数も見ております。そういった意味では、若干、例えば物価指数全体で見れば、少し減っておるというような傾向もございます。また、家計の動向などもそれなりの状況を示しておるわけでございますけれども、それが、もしもう少し上がっているような状況であれば、また今回の改定についても別の考え方もあったかもしれない。

 いずれにいたしましても、私どもはそういった状況を総合的に判断いたしまして、できるだけ値上げ幅といいましょうか、改定幅が小さくなるように最大限の検討と努力をしたものでございます。

松本(大)委員 いずれにいたしましてもとか総合的判断というのも、僕は非常にくせものだなというふうに思っている言葉の一つなんです。

 私大との格差を広げず、かつ国立大学の機会均等という役割を守るためには、私大の授業料を抑制していくという手もあったはずですけれども、これまでそうした方策はとられてきたのでしょうか。

金森政府参考人 お答えを申し上げます。

 私立大学における授業料等の学生納付金につきましては、私学自身の責任においてそれぞれ自主的に決定されるべき事柄でございますが、各私立大学の授業料等の決定に当たりましては、教育内容の充実や学生サービスの向上などを勘案して決められているものと考えているところでございます。

 また、文部科学省といたしましては、従来から、学生や保護者の修学上の経済的負担の軽減等に資するため、経常費補助を中心とした私学助成の充実を図ってきたところでございまして、また、授業料等の学生納付金による収入以外にも、外部資金の導入により経営基盤の強化が図られるよう、私学に対する寄附税制の優遇措置の充実にも努めているところでございます。

 さらに、奨学金事業の充実や各私立大学に対する学生納付金抑制の要請などをあわせて行っているところでございまして、今後とも、私立大学における学生の経済的負担の軽減が図られるように努めてまいりたいと考えております。

松本(大)委員 私学助成について触れていただきましたけれども、たしか一九七〇年から開始されたんじゃないかと思いますが、先ほども引用しましたけれども、文科省さんからいただいた資料によれば、一九七五年から二〇〇四年まで、私学助成は行ってきたとおっしゃるんですが、一貫してその間、私立大学の授業料は二十九年連続で引き上げられ続けておりまして、残念ながら効果は発揮されていないんじゃないかなというふうに思わざるを得ないわけであります。

 調査室の発行されている資料なんですけれども、十八歳人口は、平成四年、私が大学生だったころですけれども、私は第二次ベビーブーマーなものですから、この当時、平成四年の十八歳人口が二百万人、そこをピークに下がり続けているわけで、現在がどうかといえば、何と百四十万人なんですね。つまりこの間、十年間で十八歳人口は三割も減ってしまったということなんですね。これだけ減ってしまえば、当然それは大学経営を直撃したはずでございまして、私立大学の約三割が定員割れということも言われているところでございます。

 ところが、私学助成の伸び自体は、いただいた資料を見ましても、もはや頭打ちといいますか伸びが限定的になっている。したがって、経営が苦しくなってきた私立大学としては授業料を上げざるを得ない。物価が下がっていても、家庭の平均収入が下がっていても上げざるを得ない、こういうことなんでしょうけれども。

 二〇〇七年には大学全入時代がやってくる、さらにこの先、十八歳人口は百二十万人にまで下がると言われている中で、状況はもっともっと悪化していくわけなんですが、果たして現在の私学助成で本当に私学の経営難というのを支え切れるのかなと。つまり、もっと言えば、私立大学の授業料を抑制できるのかというところに私は大いに疑問を抱いております。

 問題がそこで終わればいいんですけれども、そんな中で、私立大学との格差を広げないようにという理由で、国立大学の授業料までが同様に値上がりをしている。つまり、世の中の物価とか所得水準とは無関係に引き上げを続けられて、今日まで至っている。私立大学の授業料が二十九年間連続で引き上げられていく、文科省の手によって国立大学もそれに追随させられる、そうした国立大学の授業料の状況を見ながら、私立大学も安心して値上げに踏み切れる、これではまさにインフレスパイラルじゃないかなというふうに思うわけです。

 文科省がこうしたこれまでの施策を抜本的に改めない限り、文科省自身が授業料のインフレスパイラルをあおるという状況に変わりはないんじゃないかと考えますが、いかがですか。

石川政府参考人 私学の授業料につきましては、私学助成を積極的に行うことによりましてできるだけ抑制をしようということでこれまで対応してきておりますし、また、国立大学につきましても、そういった状況を踏まえながら授業料等の問題については対応してきているところでございます。

 その一方で、私立大学につきましても国立大学につきましても、それぞれ授業料というのはできる限り低く抑えようというような気持ちで、もちろんそれを目指して対応してきたわけでございます。そしてその一方、また多くの学生さん方の教育の機会を確保しよう、経済的な理由で進学を断念することがないようにということで、例えば奨学金事業につきましても、積極的にこれに取り組んで充実を図ってきたところでございます。また、私立大学でも行われておりますが、国立大学等におきましても授業料の減免制度なども設けましてそういった学生さん方の支援に努めてきている、こういうことでございます。

松本(大)委員 努力目標を掲げられるのは結構なんですけれども、それで本当に大丈夫なのかなということなんですね。このままでは、経営が思わしくない大学のツケは、国立大学生も含めたすべての学生がそのツケをしょい込まされ続けることになる。そして、その片棒を担いでいるのはほかならぬ文科省自身だということになりかねないんじゃないんですかということが私が申し上げたいことなんです。

 さっきも申し上げましたけれども、少子化が進んで二〇〇七年に全入時代を迎える。ただでさえ大学が置かれている経営環境というのは厳しい。しかし、そうかといってすべてを国費で救えるかというと、先ほど大臣もおっしゃいましたけれども、厳しい財政状況にかんがみればそれも難しい。となれば、国立大学法人にも私立大学にも、ある程度の市場原理を導入していかざるを得ないんだろうなと。

 つまり、大学の側で、教育の提供者側に教育サービス向上をめぐる健全な競争原理を働かせて、一方で、教育の受け手、需要者の側には自由な選択をさせて、それによってある程度の淘汰が進むのもやむを得ないというところは恐らく国も考えているんじゃないかなというふうに思うんです。

 ただ、ここで重要なことというのは、国の支援のあり方を機関助成から個人助成に思い切ってシフトすることで、教育の機会均等だけはしっかりと守っていく、むしろそういった方向に転換すべきではないかというのが私の私見なんですけれども、これについて大臣はどのようにお考えでしょうか。

中山国務大臣 もう何度も申し上げておりますけれども、国立大学というのは、全国的に均衡のとれた配置によりまして、学生の経済状況に左右されない進学の機会の提供を行っている、特に高度な学術研究と理科系、理工系を中心とした人材養成の役割を担っている、このように思うわけでございます。文部科学省といたしましては、このような国立大学の役割が確実に果たされるように、運営費交付金という形で必要な財政措置を講じているわけでございます。

 一方ではまた、学ぶ意欲と能力のある学生が経済的な理由によって進学を断念することのないようにということで、奨学金事業にも力を入れているということでございまして、十七年度予算におきましても、対前年度比で六百九十億円増の七千五百十億円の事業費、それで、六万九千人増の百三万人余りの学生に対して奨学金を貸与するということにしているわけでございます。

 こういった形で、全体として運営費交付金という形で支援しながら、また、個人個人に対する助成ということもあわせて、バランスを考えながらそういった高等教育の充実向上ということに努めているということでございます。

松本(大)委員 理系を中心とした人材の養成というその人材養成については、ちょっと後ほど触れたいと思います。

 奨学金については大臣のおっしゃるとおりでして、平成十年の二千六百五十五億からことしは七千五百十億、七年で二・八三倍ということで、財政厳しき折、運営費交付金という、ある意味での機関助成が減っていく一方で、奨学金という個人助成の枠は拡大しつつある。これは、まさに先ほど私が申し上げたような流れを象徴するものじゃないかなというふうに思っております。

 教育の機会均等を経済状況に左右されず確保するんだという大臣のお訴えが、授業料とか入学金の水準が本当にそうなっていればそれを信じたいんですけれども、先ほど川内委員からの御指摘もありましたとおり、入学金ですら私立大学よりも高いような状況も出てきている。しかも、授業料についてはもう一・六倍という規模にまでその格差は縮小されてしまっているわけですね。

 居住地に左右されない教育機会の均等ということなのであれば、生活費の一部を貸与する形の奨学金制度を拡充していけば、居住地によって高等教育の機会均等が阻害されることはないと私は思いますし、地域への貢献という観点がもし仮にあるとしても、それは今後の税財源の移譲の中で公立の大学として移管していくという手も考えられるはずなんですね。

 ですから、私は冒頭にも申し上げたんですが、国立大学の持っている高等教育の機会均等という役割は、むしろ文科省自身の手によって、今日ではかなり限定的になりつつあるんじゃないかなというふうに思います。つまり、教育の機会均等をすべて否定しているわけではなくて、機関助成を受ける国立大学として守っていかなければいけない高等教育の機会均等というのは、むしろ、居住地とか経済状況以外の支障のために高等教育を受ける機会が不平等になっているケース、こういうケースで、市場原理とか個人助成では対応できないようなケースにこそ、私は国立大学に対する機関助成というものを行っていくべきだ、集中配分していくべきだと考えるんです。

 そこで、大臣にお伺いしたいんですけれども、居住地とか経済状況以外に、今の日本に高等教育の機会均等を妨げているものがあると私は考えているんですが、しかも、それは個人助成や市場原理では解決できないというふうに考えているものがあるんですが、もしあるとすれば、それは例えばどのようなものだと大臣はお考えですか。

中山国務大臣 急には思いつきませんが、委員はどういうふうなものがあるとお考えでございますか。それをまず教えていただきたいと思います。

松本(大)委員 なぜ大臣にお伺いしたかというと、まさに今回の法改正の内容にそれが盛り込まれているからなんですね。

 今回の法改正の対象である筑波技術短大というのは、聴覚、視覚障害者を対象とする我が国唯一の高等教育機関ですね。我が国唯一なんですね。

 つまり、身体的なハンディキャップというものは、もっと正確に言うと、それに対応する教育環境の整備のおくれというものこそが高等教育の機会均等を妨げているものなんじゃないかなというのが私の考えでありまして、その意味で、こういう問題の解決のためにこそ、機関補助によって、国立大学として高等教育分野におけるノーマライゼーションというものを全力で推進していくべきではないかと私は思うわけであります。

 先日も委員会視察でその思いを新たにしたところなんですが、大臣はこの筑波技術短大、ごらんになられたことありますか。

中山国務大臣 まだございません。

松本(大)委員 ぜひ御視察をいただきたいというふうに思います。

 先ほど授業料の値上げの話をしましたけれども、私は、やはり政治の仕事というものは、痛みを押しつけることではなくて、その痛みに耐えるだけの価値のある励みというものを用意しておくことじゃないかなと考えております。人が何で痛みに耐えるのかといえば、それは、生きて、より充実したあしたを迎えるためではないかなというふうに思うんですけれども、だからこそ、やはり政治の役割というのは、痛みを押しつけるのではなくて、励みというものを用意しておかなければいけないんじゃないか、社会の改革の本質はそこにあるんじゃないか、私はそのように思うわけです。

 では、一体励みというのは何だろうなということになるわけですが、教育の分野においては、例えばそれは、きのうできなかったことがきょうできるようになることだったり、あるいはきょうはできないかもしれないけれどもあしたはできるようになるかもしれないという期待だったり、あるいは今ある能力を、残存能力を最大限に発揮して自分を試すことだったり、あるいは社会に参加してだれかの役に立っているという誇りや手ごたえを感じることなんじゃないかな、私はそのように思いまして、月曜日の視察の筑波技術短大にはそれがあったと大変感銘を受けたわけであります。

 国家というものは、やはりこのための環境整備に全力を尽くすべきですし、自立と社会参加に向けて日々挑戦し続けていらっしゃるチャレンジドの皆さんを全力を挙げて応援すべきだと考えますが、大臣はいかがですか。

中山国務大臣 まさに御指摘のとおりだと思いまして、そういう頑張っている人たちをもっと頑張れと励ますような、そして、自分たちが努力して頑張ったことが社会にとって貢献できているなということが実感できるような、やはりそういう社会にならなければならない。また、政治の役目として、そういったものをもっともっと促進するようなことを考えていかなければならないと考えております。

松本(大)委員 その意味でも、ぜひ筑波技術短大を御視察いただきたいということを重ねて申し上げておきます。

 特に私の印象に残ったのは、そこの大学における教育研究内容というものもさることながら、全国のほかの大学で学ばれていらっしゃる障害をお持ちの学生の方のために、遠隔地からの教育支援というものをIT技術を駆使して行っていらっしゃるということです。

 それからもう一つ、逆に私がちょっと心配だなと思いましたのは、今回の三年制から四年制に変わることによって、収容定員というか学生数は二百七十人から三百六十人にふえるわけですけれども、教職員数は二百人のまま不変であるということなんですね。私ども、委員会視察で拝見させていただいたのは視覚障害をお持ちの方の授業だったわけですけれども、十一人のクラスに三人の教職員の方が当たっていらっしゃった。これが四年制になって学生数がふえた場合、しかも教職員定数が変わらない場合に、これほどきめ細やかな対応というのは果たして今後も可能になるのかな、どうかなというところ、私は非常に懸念を持ちました。

 点字の能力の習得というのはすごい難しいそうで、私もさわらせていただいたんですけれども、全くわからなかったんですね。伺いましたら、半年から一年かけて、大体半分の方が点字の能力というものを習得されるんだと。つまり、半分の方は習得されないということなんですね。では、その方はどうするんですかと伺いましたら、それは音声変換によるソフトなんというものがあるんですということだったんです。

 ただ、学長がそこで御意見をおっしゃいまして、そうはいっても、音声変換だけに頼っていたら、ちまたで言われている読書離れと同じことが起きやしないのかと。つまり、視覚障害の方にとっての点字による読書というのは、一般的な読書の能力と同じような効果を持っているんじゃないかな。その意味で、点字離れが進むことは、学習をされている方の日本語の思考能力の養成の過程で何か支障が出てくるのではないかなという点で懸念を示されていらっしゃいました。

 では、それをどうやって解消されるんですかというふうにさらにお伺いしましたら、今度、三年制から四年制になるので、例えば一年生と二年生については点字の能力の習得のためのカリキュラムを集中的にやるんだということを考えているとおっしゃっていたのと、もう一つは、今よりもよりきめ細やかな体制にしていくんだ、マンツーマンに近い形にしていけば点字の能力習得の確率というのはもっともっと高まっていくはずなんだということをおっしゃっていたんです。

 ただ、心配なのは、戻りますけれども、教職員の定数がふえないということなんですね。せっかくこういう大変すばらしい取り組みをされているわけですから、こういう場合こそ、個人助成や市場原理では解決できない分野こそ、国が機関補助によって教育の機会均等を全力で推進していくべきだというふうに思うんです。例えば、教職員の方の増員のために国として思い切って予算増額していくおつもりがあるのかどうか、お聞かせをいただきたい。

中山国務大臣 松本委員が大学を、現場を視察されていろいろお話しされること、なかなか迫力があるなと思って、一々納得しながら聞いていたところでございます。

 この筑波技術大学の設置に際しましては、現有の施設と教員スタッフを有効活用するということによりまして、組織が肥大化することのないよう組織の設計を行っているところでございまして、基本的には、四年制化することによる教育施設の増築とか、あるいは教員増に伴う大幅な経費増は要しないということになっているわけでございます。

 ただ、今お話がありましたように、聴覚、そして視覚障害者を対象とする我が国唯一の高等教育機関としての重要性もあるわけでございまして、障害者教育カリキュラム及び障害補償システムの研究開発を行う障害者高等教育研究支援センターに関して、必要な経費を措置したところでございます。

 なお、学生の受け入れが始まります平成十八年度以降におきまして、学部教育の充実のための経費が必要になるということも考えるわけでございまして、これを、学内資源において対応が困難な場合には、文部科学省といたしましても必要な支援を検討していくことになる、このように考えております。

松本(大)委員 ぜひ前向きに検討をしていただきたいなというふうに思うんです、組織が肥大化することのないようというようなお話は、何となく頼りないなというふうにも思ったんですが。

 もう一点だけ、ちょっとこの筑波技術短大のお話をさせていただきますと、委員会視察で一緒に行かれた方は御記憶に新しいところだと思うんですが、視察が終わった後、学長さんの方から、今後は入学倍率を上げていきたいとかセンター試験の受験者をふやしたいというようなお話が出てまいりました。

 高等教育のノーマライゼーションという崇高な目的を掲げられていて、私も感銘を受けていただけに、思いっ切り生活感あふれる言葉が出てきたのでおやっと思ったわけですけれども、ひょっとして、何でこんなことをおっしゃるのかなというふうにそんたくしますと、文科省の側が、入学倍率とか、合格者の、センター試験の何か平均得点とか、そんなしようもないものを本学への大学評価の基準にしているんじゃないかなというふうに私はうがった見方をしているわけなんです。

 よもやそんなことはない、ゆめゆめあってはならないというふうに私は信じたいわけなんですけれども、ほかの大学と同様に、同様なのかどうかわかりませんけれども、例えば入学倍率であるとかセンター試験の平均点とか、そんなしようもないものは運営費交付金の算定基準にしないんだ、少なくとも本学においては算定基準にしないんだということを、大臣にお約束をいただきたいと思います。

石川政府参考人 運営費交付金への反映等々の具体的なお尋ねでございます。私の方からちょっと補足的にお答えをさせていただきたいと思います。

 ただいま委員お話ございましたように、現在の筑波技術短期大学、視覚障害者の方あるいは聴覚障害者の方々に対してすばらしい教育を行っておると、私もお供させていただきまして見せていただきました。そういった国立大学法人につきましては、新しく中期目標、それから中期計画に基づいて、きちっとそれなりの目標達成の努力をしていくわけでございます。

 そして、この筑波技術大学につきましても、新たにそういったものを設定して、新しい歩みを始める努力をしていくということになっているわけでございまして、そういった筑波技術大学の持ちます特性、現在の障害者の方々に対します教育を、その特性を踏まえて一生懸命やっていくという中身が、その目標なり計画にしっかりとあらわれていくわけでございますし、また、これを評価し、それからまた財政的な支援を行っていくということに際しましては、当然のことながら、そういった特性なり個性といったものをしっかり踏まえ、それをきちっと評価しながら行っていく、こういった考え方で臨んでいきたいと思っております。

松本(大)委員 特性を踏まえてということがどこまで担保されるか、私は不安に思っておりますので、最高決定責任者である大臣にもぜひ御答弁をいただきたいと思います。

中山国務大臣 この筑波技術大学は、視覚、聴覚の障害者に対する我が国で唯一の高等教育機関でありますから、その特性を十分踏まえた上で、この大学の運営が適正に行われるように指導してまいりたいと考えております。

松本(大)委員 指導されるというのは、文科省内の方々を指導されるということですね。しっかりとお願いしたいと思います。

 先ほど、国立大学の役割について大臣とお話をさせていただく中で、理工系、理科系を中心とした人材の養成というようなお話もあったわけなんです。

 そこで、今後、国立大学が法人化されて、中期目標というのが設定されて、中期目標をどうやって達成するのかということについて中期計画が策定されて、その中期計画の進捗度合いについて評価が行われて、それが運営費交付金の算定にも反映されていく、こんなイメージを私は持っているわけなんです。ただ、評価を行うには、やはり、そもそもその評価基準が明確になっていなければいけないと思うわけですね。やはり、国立大学の果たすべき役割というのは何なんだというところを明確にするべきではないかというふうに私は思うんです。

 先ほど、理科系を中心とする人材の養成ということなんですが、この理科系を中心というのは、要するに、市場原理ではちょっと難しいようなリスクも、例えば、長期間、結果が出るかどうかわからないような基礎研究に携わる人材を、国費でなら見ることができるという意味では私もよくわかるんですが、では、それ以外に、私立大学とか公立大学では養成できない、国立大学でしかできないんだというような人材養成とは、一体どういうものを想定されているのか、お答えをいただきたいと思います。

石川政府参考人 これも具体的な中身のお尋ねでございまして、私の方から、私どもの方で考えている内容を少し申し上げさせていただきたいと思っております。

 国立大学が中心になって、あるいは国立大学でなければできないような人材養成ということにつきましては、例えば、非常に研究者が少ない、あるいは関心が少ない、けれども重要な分野、なかなか研究者、教育者が少ないような分野、例えば、よく例に挙げられるのでありますけれども、インド哲学でありますとか、あるいは古典の研究ですとか、そういった分野があろうかと思います。それから、極めて最先端のレベルを目指すような自然科学の分野……(発言する者あり)先ほどの例示、もし御関係の方がいらっしゃったら申しわけございませんけれども、それから、極めて最先端のレベルを目指すような自然科学の分野、こういったものが今のお話に当てはまるのではないか、このように考えております。

松本(大)委員 なぜ、インド哲学を国立大学として機関助成をして、そのための人材を養成していかなければいけないのか、ちょっと私にはすとんと落ちてこないんですけれども、大臣は、国立大学が担っている、担当すべき人材の養成というのはどういうものだ、どういう人材を養成すべきだとお考えになられていますか。

中山国務大臣 一義的には、私立大学ではなかなか対応できないような分野だろうと思うわけでございますが、特に理工系でありますし、今局長も答えましたように、本当にごくごく少数のものである、あるいはすぐに成果が上がらないもの、しかし長い目で考えると大事なんじゃないか、そういったものとか、いろいろあるわけでございます。

 では、イン哲が、インド哲学がどうかと言われますと、これは、考え方によると思いますけれども、やはりインド哲学みたいなものも、私は日本にとっても大事なものじゃないかと思いますから、ぜひそれも残していただきたい、こう思うわけでございます。

 これはなかなか難しゅうございますけれども、全般的に見て、なかなか人々が気がつかないけれども、しかしこれは大事なものだよという、そういうことを見出していくのが、私は国立大学、そして文部科学省の役目であろう、こう思うわけでございます。

 大きく見ますと、要するに、なかなか目先の効果はすぐに上がらないけれども、長い目で見て、それこそこれが教育の真髄ではないかと思うんですけれども、長い目で見て、我が国のために、そして世界のために貢献できるようなものであれば、そういったものについてもやはりしっかりと支援していくべきじゃないか、このように考えております。

松本(大)委員 やはり何度お伺いしても、長い目で見て大事な人材というのが、理工系の人材以外には具体化されていないように私は思うんですね。つまり、国として国立大学に何を期待しているのか、どういう人材を養成してほしいんだというその線が余り明確ではない中で、とにかく目標を設定して、それでも計画を設定して、進捗状況を管理して運営費交付金に反映するんだというのは無理があるんじゃないかなというふうに思うんですね。

 評価の根底を流れるものとしてやはり理念というものがなければいけないわけですし、では国立大学について、国としてどういう意思を持っているのか、どういう人材を養成すべきだと考えているのか、国立大学でしか養成できない人材とはどういうものなのかということについて、私は、今までの答弁をお伺いする中では、理工系の人材養成ということ以外に明確なことは何もおっしゃっていないと思うわけですね。

 何か水かけ論になってしまうかもしれないので、質問通告にはないんですが、川内委員と同じように、今日の日経から一つ何かお題を取り上げてみたいなと思うんです。

 今後、評価が行われる、その評価については文科大臣が決定した中期目標の達成手順を定めた中期計画の進捗度合いを評価して、それを運営費交付金にも反映していく、こんなイメージを持っているんですが、その中期目標の文科大臣の決定に際しては各国立大学法人の意見を聞くんだということになっているわけでして、法人化によって国立大学法人の裁量というものは拡大するんだということをおっしゃっていたんです。

 けさの日経の一面に、「裁量は広がったのか」という囲み記事がありまして、資料要求も以前させてもらったので、ちょっとついでに伺いたいなと思うんですが、本当に今裁量は広がったのかどうかということですね。

 その中期目標を、大学側がたたき台をつくっていくに際して、それに関与していると思われるような、例えば幹部職員に占める文科省出向者の割合というのはどうなんでしょうか。あるいは、役員会に席を置く理事の方のうち、文科省出向者の方の占める割合というのはどうなんでしょうか。国立大学法人化前と後でそれがどうなっているのかというところも含めて、ちょっとお聞かせいただきたいと思います。

玉井政府参考人 お答えを申し上げます。

 理事はまだ法人化されてからの形でございますので、まず、今法人化された理事の方々、ことしの四月一日現在で申し上げますと、理事が、国立大学法人の理事、監事、まず理事が四百十四名、国立大学法人にいらっしゃるわけですけれども、そのうちの文部科学省出身者という形で見ますと、五十八名ということになります。それから、監事は百七十八名おりますけれども、そのうちの文部科学省出身者は一名、これが今の数字でございます。

 それから、今国立大学法人にいる幹部職員のうち文部科学省経験者、どれぐらいいるのかということでございますけれども、これは十七年の四月一日現在で申し上げますと、六百二十四名ということになります。これは要するに、文部科学省経験者というのは文部科学省の係長級以上から国立大学法人の幹部職員に就任している者、こういう意味で申しました。

 幹部職員総数、ちょっとなかなかあらわしにくいんですけれども、ことしの十七年四月一日でいいますと、ちょっと数字が動くかもしれませんけれども、千八百九十七名が全体でございますが、そのうちの六百二十四名ということでございます。幹部職員総数千八百九十七名、そのうちの六百二十四人が文部科学省経験者数ということになるわけでございます。

 これは、国立大学が法人化するときに、その前に協力者会議を持って、どういう制度設計をするかということを十分議論しながらやってきたわけでございまして、その調査研究協力者会議の中でも、こういう人事にありまして、現に今行っている職員という者は、これはその前大学から来られて文部科学省で勤務され、さらにまた大学に行かれる方というのは結構いらっしゃいます。そういう方々がその大学に、十六年の四月一日に法人化したときにいらっしゃるわけでございますから、そういう方々について、そのままいらっしゃるのかどうか、あるいはまた動かれるのかどうか、こういうこともあるものですから、よくよく相談しながらそこは進めていくということになっています。

 しかし、基本は、法人化いたしていますので、これは各大学の学長がすべての人事権を持っておりますので、任命権者でございます。したがって、学長の任命権、こういうものを基本に置きながら、要請に応じて、私どもとしてはいろいろ協力をしていくということにしておるわけでございます。

松本(大)委員 総務省と財務省の方にお越しいただいたんですが、済みません、ちょっと質疑時間が終了しまして質問できなかったんですけれども。

 今の御答弁は、要するに千九百人弱の幹部職員のうちの三割は文科省の出向者で、それは国立大学法人になる前とほぼ比率としては変わらないんだ。理事は一割を占めているけれども、大学数でいえば八十九の大学法人のうちの五十三校ですから、過半数を占める、過半数の大学法人に出向者が行っている。

 きょうの議論で明らかになったように、教育の機会均等とかというような機能も、意義も、だんだん薄まりつつある。どんな人材をつくってくれと思っているのかというところも、余りはっきりしない。目標が非常にあいまいな中で、わけ知り顔の文科省の出向者の方がどかどかと乗り込んでいけば、それこそまさに裁量行政の最たるものでして、中央統制がそのまま続いていることの証左じゃないかなと。

 だからこそ、裁量は広がったのかというような疑問が大学関係者の間に広がっているのではないかというようなことを御指摘いたしまして、私の質問を終わります。

斉藤委員長 これにて本案に対する質疑は終局いたしました。

    ―――――――――――――

斉藤委員長 これより討論に入るのでありますが、討論の申し出がありませんので、直ちに採決に入ります。

 内閣提出、国立大学法人法の一部を改正する法律案について採決いたします。

 本案に賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

斉藤委員長 起立総員。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。

    ―――――――――――――

斉藤委員長 ただいま議決いたしました本案に対し、伊藤信太郎君外四名から、自由民主党、民主党・無所属クラブ、公明党、日本共産党及び社会民主党・市民連合の五派共同提案による附帯決議を付すべしとの動議が提出されております。

 提出者から趣旨の説明を求めます。松本大輔君。

松本(大)委員 私は、提出者を代表いたしまして、本動議について御説明申し上げます。

 案文を朗読して説明にかえさせていただきます。

    国立大学法人法の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)

  政府及び関係者は、本法の施行に当たり、次の事項について特段の配慮をすべきである。

 一 国立大学法人の再編・統合に当たっては、教育研究基盤の強化とともに、個性豊かな大学の実現に資するよう努めること。また、地域の知の拠点としての役割に鑑み、各国立大学法人は地域とのさらなる連携に努めること。

 二 障害者に対応した高等教育機関の整備については、筑波技術大学の整備・支援に努めるとともに、一般大学における受入れの促進を図ること。また、筑波技術大学は、聴覚・視覚障害者を対象とする我が国唯一の高等教育機関であることに鑑み、障害者教育に関する支援及び情報の発信等に努めるとともに、大学評価に当たってはその教育研究の特性に十分配慮すること。

 三 授業料等の標準額については、経済状況によって学生の進学機会を奪うこととならないよう、適正な金額・水準とするとともに、標準額の決定に際しては、各国立大学法人の意見にも配慮するよう努めること。また、日本学生支援機構等の奨学金の更なる充実を図るとともに、授業料等減免制度の充実や独自の奨学金の創設等の各国立大学法人による学生支援の取組みについて、積極的に推奨・支援すること。

 四 国立大学法人評価委員会による中期目標に対する評価の基準を示すとともに、運営費交付金を算定する際にその評価結果がどのように反映されるかを速やかに明らかにすること。

 五 国立大学において、質の高い教育研究成果を得るため、老朽施設の整備など研究環境の着実な整備を推進すること。

以上であります。

 何とぞ御賛同くださいますようお願いを申し上げます。(拍手)

斉藤委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。

 採決いたします。

 本動議に賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

斉藤委員長 起立総員。よって、本案に対し附帯決議を付することに決しました。

 この際、ただいまの附帯決議につきまして、文部科学大臣から発言を求められておりますので、これを許します。中山文部科学大臣。

中山国務大臣 ただいまの御決議につきましては、その御趣旨に十分留意をいたしまして対処してまいりたいと存じます。(拍手)

    ―――――――――――――

斉藤委員長 お諮りいたします。

 ただいま議決いたしました法律案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

斉藤委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

    〔報告書は附録に掲載〕

    ―――――――――――――

斉藤委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後零時十一分散会


このページのトップに戻る
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.