衆議院

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第9号 平成19年4月11日(水曜日)

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平成十九年四月十一日(水曜日)

    午後一時三十一分開議

 出席委員

   委員長 桝屋 敬悟君

   理事 鈴木 恒夫君 理事 田野瀬良太郎君

   理事 西村 明宏君 理事 平田 耕一君

   理事 松浪健四郎君 理事 藤村  修君

   理事 伊藤  渉君

      阿部 俊子君    秋葉 賢也君

      井脇ノブ子君    飯島 夕雁君

      宇野  治君    小川 友一君

      小野寺五典君    小渕 優子君

      大塚 高司君    加藤 紘一君

      小島 敏男君    佐藤  錬君

      鈴木 淳司君    冨岡  勉君

      西本 勝子君    馳   浩君

      福田 峰之君    藤井 勇治君

      藤田 幹雄君    馬渡 龍治君

      田島 一成君    高井 美穂君

      野田 佳彦君    牧  義夫君

      松本 大輔君    松本 剛明君

      横山 北斗君    西  博義君

      赤嶺 政賢君    石井 郁子君

      日森 文尋君

    …………………………………

   文部科学大臣       伊吹 文明君

   文部科学大臣政務官    小渕 優子君

   政府参考人

   (警察庁長官官房審議官) 野村  守君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          銭谷 眞美君

   政府参考人

   (厚生労働省医政局長)  松谷有希雄君

   文部科学委員会専門員   井上 茂男君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月十一日

 辞任         補欠選任

  江崎 鐵磨君     宇野  治君

  柴山 昌彦君     鈴木 淳司君

  鈴木 俊一君     小野寺五典君

  平口  洋君     大塚 高司君

  二田 孝治君     藤井 勇治君

  山本ともひろ君    冨岡  勉君

  石井 郁子君     赤嶺 政賢君

  保坂 展人君     日森 文尋君

同日

 辞任         補欠選任

  宇野  治君     江崎 鐵磨君

  小野寺五典君     鈴木 俊一君

  大塚 高司君     平口  洋君

  鈴木 淳司君     柴山 昌彦君

  冨岡  勉君     山本ともひろ君

  藤井 勇治君     二田 孝治君

  赤嶺 政賢君     石井 郁子君

  日森 文尋君     保坂 展人君

    ―――――――――――――

四月十日

 放射線を発散させて人の生命等に危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律案(内閣提出第五四号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 放射線を発散させて人の生命等に危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律案(内閣提出第五四号)

 文部科学行政の基本施策に関する件


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     ――――◇―――――

桝屋委員長 これより会議を開きます。

 文部科学行政の基本施策に関する件について調査を進めます。

 この際、お諮りいたします。

 本件調査のため、本日、政府参考人として警察庁長官官房審議官野村守君、文部科学省初等中等教育局長銭谷眞美君及び厚生労働省医政局長松谷有希雄君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

桝屋委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

桝屋委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。藤村修君。

藤村委員 民主党の藤村修でございます。

 きょうは、一般質疑ということで一時間いただきまして、既に法案提出がされている案件で、しかし、きょうここで法案審査をするというわけではございませんので、その点を前置きしたいと思います。

 教員の免許更新という問題で、実は私どもも教員免許法を、ある意味では抜本的に、大きく改正をしたいということで、今最終の段階に至っておりますが、検討を進めております。そんな中で、教員の免許更新というこの一点をとらえて、きょうはこのことのみを一般的な質疑という形で申し上げたいと思います。

 まず、これは中教審答申が昨年の七月にございまして、ここにこういう書き方であります。「教員として必要な資質能力は、本来的に時代の進展に応じて更新が図られるべき性格を有しており、教員免許制度を恒常的に変化する教員として必要な資質能力を担保する制度として、再構築することが必要である。」と。多分このことは国民的にも、あるいはこの委員の皆様にも、すうっと、なるほど、そうだなというふうに私自身も肯定的にとらえております。

 そこで、まず、きょうは参考人に他省から来ていただいているので、参考人に対する質疑を一、二問だけしたいと思います。

 今の「教員として必要な資質能力は、時代の進展に応じて更新が図られるべき」、このことは、主語を、教員というところを例えば医療従事者という言い方にかえた場合、医療従事者というのは、一般的には、医師、歯科医師、看護師、薬剤師、歯科衛生士、歯科技工士、救急救命士などなどとありまして、たくさんあるんですが、医師ということだけでもいいと思うんですね。つまり、お医者さん。お医者さんの世界も、日進月歩というか、どんどん時代が進み、そして技術が進み、新たな知見ができということであるから、やはりこれは、今の「教員として必要な資質能力は、」というところを、医療従事者、あるいは医者と言ってもいいんですが、「医者として必要な資質能力は本来的に時代の進展に応じて更新が図られるべき」、こういうふうに言いかえましても非常に自然に受けとめられる。

 教師は子供たちの教育の問題ですが、医師は、子供だけでなく、人間の身体、生命にかかわるというか、本当にそういう重要な役割を果たす資格、免許でありますから、「教員」というところを医療従事者としても至極当然のことであると私は考えるところであります。

 そこで、これは医療の分野ですので、厚生労働省からきょうは来ていただいておりますが、この考え方に対してどのようにお考えか、お聞かせください。

松谷政府参考人 医療の世界は日進月歩でございますので、先生おっしゃるとおり、国民の医療に対する安心、信頼を確保して、質の高い医療サービスを提供するためには、医師を初めとした医療従事者がその資質を向上し、その資質を担保する施策ということが重要だと思っております。

 こうした観点から、厚生労働省では、例えば医師に関しましては、医師国家試験の大幅な改善、また平成十六年度からは新医師臨床研修制度の導入を進めるとともに、昨年医師法の一部改正を行いまして、本年四月からは行政処分を受けた医師に対する再教育を義務づけることとしたところでございます。すべての医師が一定の水準の知識、技能を確保するような取り組みということで、これらの施策を進めているところでございます。

 もとより、医師には高い使命感や倫理観が求められるものでございまして、医療技術が日々進歩していく中で、多くの方々がみずから率先して自己研さんに励み、資質の向上に努めているものと考えております。

 こうした医師の資質向上に向けた取り組みといたしまして、例えば医師会では生涯教育制度を設けまして医師の生涯教育を支援しており、また各学会におきましても、それぞれの専門の立場から一定の研修や試験を前提とした専門医制度を設けまして、定期的に更新する仕組みをとるなど、さまざまな機会を活用して資質向上に向けた取り組みが行われているところでございまして、厚生労働省といたしましても、これらの取り組みを積極的に推進していきたいと考えております。

藤村委員 医師も免許制度でございまして、これは国家試験を受けての上での免許であります。

 免許というのは、一般的にというか、多分大半の免許がそうであると思いますが、有効期限を設けるという仕組みはきょうまで余り考えてこられなかった。

 医師免許というのも免許でありますが、今のるる説明は、医学の中でというか、医療従事者の免許の関係ではそういう説明で、特に医師の場合、一つありましたのは、行政処分を受けた医師については、これは再教育というんですか、ある程度その人たちについてはきちっと義務づけてやる。その他、全般的な医師免許に関しては医師会において種々努力されている、こういうことでございましたが、果たして、医師免許の更新制度というのは全く俎上に上っていないのか、あるいは全く考えていないのか、その辺のところをちょっとお聞かせください。

松谷政府参考人 医師の資質向上を図る上で、医師免許の更新制度を導入すべきとの意見があることは承知してございますし、今までも種々議論があったところでございます。

 医師免許の更新制の導入につきましては、臨床にかかわる医師に限るか、すべての医師に義務づけるかなど、対象者の範囲をどうするか、また研修を義務づけるとした場合、すべての対象者に画一的な内容の研修を行うのかどうかなど、またそのときの内容をどうするかなど、検討すべき課題が多数残されておりまして、これを直ちに取り入れることが適切かどうかにつきましては、関係者の意見も十分に聞きながら慎重に検討していく必要があるのではないかと考えております。

藤村委員 対象者の範囲ということを今おっしゃいました。あるいは臨床に限るかという。

 我々国民的常識からすると、臨床で日々患者さんと接する先生は、それなりにきちっと時代に即した技能、技術を更新させていただきたい、そういう気持ちがあるので、だから、対象者の範囲を絞るというのは、一つの考え方であろうと思います。ただ、免許制度をいじるというと、これは絞れないんでしょうね、きっと、免許を持っている人については更新だと決めてしまうと。

 きょう後ほどまたお話ししますが、教員の免許も免許制度でこれを行うとなれば、少なくとも免許を持っている人全員が対象者ということにはなるんですよね。

 それから、もう一つおっしゃったのは、その内容とおっしゃいました。これも、医療の分野、医師の分野では、さまざまな、今相当細分化されて、内科も、何とか内科、何とか内科で、さらに細分化されて、これを平均的にそれぞれ専門の分野でより刷新していただこうとするのはなかなか難しいという現実的な問題があると思います。

 ただ、今回の教員免許においても、御案内かもしれませんが、教員もいろいろな種類がございますが、教科もいろいろあるし、種類もいろいろある。ただ、今回の教員免許においての考え方は、いわゆる教師としての非常に基礎的、一般的な部分について時代の進展とともに新たに追加すべきことを問う、それで更新するという制度でございます。

 似たような制度は、難しいことはわかりますが、余り各科にまたがらないで、倫理、道徳も含めて、医師としてやはりこういうものが必要という声は今後高まってくると私は思っておりますので、もうこれ以上は聞きませんが、ぜひ今後俎上にのせていただければと。これは医師の免許の話、あるいは医療従事者の免許の話でございます。

 それから一方、更新制度がもう昔から確立しているものに自動車運転免許がございます。自動車運転免許というのは、先ほどの「必要な資質能力は、本来的に時代の進展に応じて更新が図られるべき性格」というふうに言えるのかどうか。

 自分の経験からすると、法律が変わったり、道路交通状況も大きく変わってきていることを勘案すると、確かに、時代の進展に応じて更新が図られるべき。事実、更新制度が三年ごとですかね、優良免許者は五年ですか、ございます。それが長年やってこられて定着している。ただ、自動車運転免許の更新制度については今のような考え方が基本にあるのか、あるいは別な考え方で更新制度があるのか、お聞かせください。

野村政府参考人 お答え申し上げます。

 運転免許証の有効期間の更新制度は、二つのシステムから成り立っております。一つは、身体機能の変化をチェックいたします適性検査、もう一つは、先生御指摘になりました、最新の交通法規等々を説明いたしまして安全運転を確保するための講習制度、この二つから成り立っております。

 それで、第一の適性検査でございますが、これは運転に不可欠でございます視力ですとか運動能力、こういった身体的適性につきまして、時が経過いたしますので、変化していないかどうか、こういうことを確認いたします。それで、劣化が見られる場合は、例えば目が悪くなられた方などは、眼鏡を使用していただくということを運転の際の条件に付しまして、運転を続けていただくということになります。しかしながら、そういった条件を付加しても安全運転を確保できない劣化が生じた場合は、運転ができない方、適性を失った者ということで、更新をいたしませずに、免許を失効に至らしめるというものでございます。

 それから、第二の、講習でございますが、これは、各自の過去の違反状況などに応じまして、安全運転に必要な指導を行いますとともに、これも御指摘になりましたけれども、交通法規等々は交通事情によって変わりますので、改正されました法規等の変更の状況、あるいは交通事故の実態等、安全運転に必要な知識について教育するというものでございまして、私どもの制度としては、必要最小限度のところをキープしたいということで、このような制度になっておるわけでございます。

藤村委員 ちょっと、さらに。今の後者の、いわゆる講習の部分ですが、これは時代の進展に即したという部分に当たると思うんですね。これは講習を受け、かつ修了の認定をするんでしょうか。

野村政府参考人 お答え申し上げます。

 先ほどちょっとお触れになりましたように、国民ほとんどの方が免許を持っておられるという状況になっておりまして、十八年度中の免許更新者の数は一千七百五十八万人ということでございますので、非常に膨大な数の処理をしなければいけないということになっております。

 この講習につきましては、事故を全然起こさない優良の方と、それから軽微な違反を起こした一般の方と、かなり違反を起こしたり事故を起こした方、この三つに分けまして、優良の方は、基本的に、きちっとした規範意識もあり、運転技能も大丈夫だろうということで、先ほど申し上げました交通法規の知識ですとか、最近の交通状況等を主に講習いたします。時間も三十分程度の講習でございます。

 それに対しまして、一般の方あるいは大きな事故を起こしたような方につきましては、実際に心理テストその他のチェックをして、安全運転に必要ないろいろな方法についてお示しをしたり、あるいはITの機械を用いまして一定の運転をしていただいて、それに対してきめ細かい指導をするということで、一時間ないし二時間の講習、このようにやっておりますが、大半の方は優良運転免許者ということで三十分程度で終わっているということでございます。

 それで、これにつきましては、講習をすることによりまして更新手続は終了いたしますので、講習の結果について是非を問うということはいたしておりません。

藤村委員 他の例をちょっと前提に、きょうはその後の議論を進めたいと思います。それで結構でございます。

 そこで、要は、免許に有効期間を設け、そして、資質、能力の有無を確認して更新をするというときの考え方が二つあると思うんですね。つまり、免許をされた時点で、必要な資質、能力をそれなりにクリアしている。その後に時代が変わり、種々のことが変わり、やはり付加すべきことが幾つも出てきた。ですから、ある年期を経て、そこでその部分をきちっとはかる。それをまたクリアしていただく。運転免許は両面があるんですが、ただ、クリアしている部分は認定しないですね、一般的に優良ドライバーに関しては。ですから、いわゆる更新といっても、どっちかというと、基本的な資質、免許当時のものがちゃんと確保されているということが多分大きく問われている。

 一方、今回の教員免許の更新制度、あるいは医療従事者にも求められるものというのはそうではなくて、やはりその後の、ある年数を経た中で付加すべき種々の技能や資質や、そういうものをきちっと問う、問うからにはきちっと認定するというのが今回の教員免許制度ではないかと思うんですが、基本的に、まず、そもそも教員免許という免許は何のためにあるのかということを最初に問いたいと思います。

銭谷政府参考人 教員免許制度は、公教育を担う教員の資質、能力を一定水準以上に担保しようとするねらいでございます。具体的には、大学の教職課程におきまして一定の単位を修得した者に対しまして免許状を授与し、それを所持する者のみが教育職員となることができることとする制度でございます。

藤村委員 すなわち、子供たちの教育という部分においては、だれもが担えるということではなしに、今おっしゃった一定の、これは単位認定でありますが、そういうものをきちっと認定された、これは科目ごとにでしょうけれども、そして総合的にそれらが必要単位を超したときに認定ができるという免許制度だと思います。だから、教育職員となる資格のあることをいわば公に証明するというものですよね。これは国家免許と言えるのでしょうか。それとも、公免許というんですかね。国の免許なのかどうかというのがちょっと。

 医師免許は、医師の国家試験に基づく免許ですから、これは国家免許と言えるんですが、免許でどっちに属するんでしたかね。

銭谷政府参考人 免許の授与権者は都道府県の教育委員会でございますけれども、国の法律に基づきまして、免許取得のための資格について一定の基準を国が定めておりますので、いわゆる国の資格であるところの免許ということが言えるかと思います。

藤村委員 ですから、教員免許も国の資格であるということでわかりやすいと思うんです。

 そこで、今もちょっとおっしゃった、つまり、免許を授与するのは都道府県教育委員会ですよね。ただ、免許の制度は国がつくり、かつ、免許するためのその内容は国が定めるということで、ここは二分されているんですよね。授与するのは都道府県、しかし免許の本来のものというのは、国家免許であるから国。これは役割分担なのか、あるいは過去の経緯がそうしているのか、その辺どうなんでしょうか。

銭谷政府参考人 ただいま先生からお話がございましたように、現在、教員免許は都道府県教育委員会が授与権者でございます。

 ただ、先ほど申し上げましたように、都道府県によりまして、免許取得の要件が異なるということは、全国的な教員の資質の保持及び向上の観点から問題が大きいわけでございまして、国の法令におきまして、教員免許に必要な単位など、教員になるための一定の基準、これを定めているわけでございます。

 授与権者を都道府県の教育委員会としておりますのは、国民の利便性あるいは事務処理の効率性などを考慮いたしまして都道府県教育委員会としているわけでございます。

 実は、平成十一年に、地方分権一括法によりまして、それまでの免許状の授与権というのは機関委任事務であったわけでございますけれども、これは自治事務に変更いたしているところでございます。

藤村委員 そこで、大臣に。考え方のことなんですけれども。

 私どもも、免許の更新をどのように仕組んでいくかということを考えるに際して、免許制度そのものを少し抜本的に、基本的に考え直しをしました。

 これは、伊吹大臣も御持論としてお持ちの、やはり国がしかるべく教育に責任をとるという部分で、我々も既に、今この国会にもまた再提出しておりますが、基本法においては、国の責任、特に普通教育において国が最終責任を持つというふうな考え方を持っておりまして、教育も大半のことは地方分権で行っていくとしても、教育の根幹にかかわるようなこと、あるいは教育の水準にかかわるようなこと、あるいは教育の財政にかかわることなどなど、国で最終的に責任を持つ部分の一部に、教員に免許を出すというか、あるいは教員の免許を更新させるというか、この辺のことはやはり国がきちっと考えるべきだというのが国の責任と私どもは考えます。

 そうすると、我々の考え方は免許制度自体を、さっきも国家資格というふうにおっしゃったわけですが、ただ、分権法で機関委任事務から自治事務に変わっているわけで、自治事務に変わったところでこれは国家資格でありますから、この際、授与権者を新たに国、文科省として、公教育の質の向上に対して国の責任を明確にするという考え方はとられないのかどうか。この辺、どう整理されたのかをお伺いしたいと思います。

伊吹国務大臣 さきの国会での教育基本法に対する御党の対案の流れからいうと、今藤村委員がお話しになったような御主張になるのが私は当然の流れだと思います。

 それで、十一年の地方分権一括法のことを先ほど政府参考人が申しましたが、それまでは機関委任をしておったわけですから、これはもう明確に国の免許であったわけですよ。ところが、十一年の地方分権一括法で、本来の国の事務を法定受託している部分と本来の自治事務で、これを自治事務に分けているというのは私はちょっとどうだったかなという気がしますね、率直に申せば。政権を預かって現実を動かしている立場からいうと、いろいろなしがらみを背負った中でできるだけ理想に近づけていくという立場をとらざるを得ないというのが今回の我々の、整理というか従来からの整理であり、今回、十年の免許更新の基準を示しながらやっていきたいという我々の考え方なんです。

 地方分権一括法は、先生のような御主張であれば、これは法定受託にしておくべきだったと思うんですが、先生を含めて民主党の皆さんは十一年に地方分権一括法に賛成されたんですよ。そういう前提の中で最大限の処理を、私は先生の御意見に非常に近いんですが、の方向へ持っていくという精いっぱいの努力をしているというふうに御理解をいただきたいと思います。

藤村委員 我々も一括法に賛成したことを否定いたしませんが、やはり個々に見直すことは必要で、この際免許法をある意味では抜本的に変えようと。教育再生だ、あるいは教育力の向上だという非常に大きな原点に立つわけですから。

 これは、かつてこうだったからということで、政府はしがらみとおっしゃいましたが、我々はしがらみなく、やはり見直すところは見直すという姿勢で、この際、免許状の授与権者を、普通教育に関し国が最終的な責任を有することにかんがみ、普通免許状は文部科学大臣が授与するものとするということ。これは授与するだけでなく、一方では取り上げるという行為も例外的には出てくるわけですし、そこはやはり文科大臣の、国の責任をはっきりさせるという意味合いでございますので、多分この辺は御理解いただけると思うんですが。

 ところが、しがらみに大分絡まれながら今回出してこられたのは、都道府県教育委員会が免許を持つ教員を採用した後は、もうほぼ、教員に関しては人事異動、研修、さまざまなことが都道府県教育委員会にゆだねられている。ところが、免許から十年たったときには、いきなりここに国が登場する。国家資格でありますからね、国が登場する。この更新制の仕組みに、十年目に国が唐突に登場するのがやや奇異な感じがするんですが。

 つまり、教育の、地方と国の責任分担というか、あるいは、教育は地方分権なのか、最終責任は国にあるのか、その辺のお考えをもう一度お聞かせください。

伊吹国務大臣 これはもう藤村委員は御専門ですから、私のような者がちょうちょう申し上げるまでもないのですが、今も法律上は十年の研修というものがあるんですね。ただし、この十年の研修というのは、法定はいたしておりますが、どちらかというと自分の専門分野を伸ばすというのか、自分の得意分野を深掘りさせるというねらいを持って行われていることが比較的多い。

 しかし、今般我々が、まだ法律に入っていないのに法律の議論をしちゃいけないのかもわかりませんが、一番最初の免許を取得させることについて、先ほどの参考人と先生との間の問答で、先生もある程度、それは国家資格としてということで御納得をいただいているように、国家がやはり基準を定めて、そして種々の利便のために免許の付与を地方にやらせているということですから、先ほどの先生と厚生労働省とのやりとりでいえば、全員を対象にして、当初与えたときの免許が時代の変遷とともに資質をしっかりと維持できているかどうか、そして同時に、生徒等に対する人間的な敬愛を受けられる組織人としての資格があるかどうかということをもう一度国の基準によって検証させようということを考えているわけですから、当初の免許を与えるのが国家資格であるということを御了解いただければ、私はそんなに奇異なことではないと思います。

 この制度で排除される教員は、私は本来ほとんどいないんではないかと思うんですね。むしろ、いずれ御審議をいただく教育公務員の特例の法律等の運用とあわせて、この研修の受講修了のテストというのでしょうか、そのところで排除される以外の部分については、やはり評定でもってやっていかないと、教員の資質というのは非常に多様なものがあって、単にもうけたから立派だという、会社のような評定ではいかないと私は思いますから、そこは両々相まって慎重に運用をするように全国の教育委員会にお願いしていくということだと思います。

藤村委員 伊吹大臣が時々おっしゃる、全国の教育委員会にお願いするベースですから、きちっとした国家資格の更新が、これもお願いベースであるのかないのか、その辺、ちょっと心もとないところなんですが。

 今ちょっと例に引かれた、地方で行ういわゆる十年研修、これは教育公務員特例法に法定されていて、これはもしかして都道府県教育委員会がそれぞれに、お任せと言うとちょっと言い過ぎかもしれませんが、ですから、基準が余りはっきりしなくて、この県はこういうふうにやっている、この県はこういうふうにと、まちまちでありますが、この十年研修と今回の免許更新、十年更新というのとは何か関連があるのかないのか、その辺は、これは事務方でもいいんですけれども、お尋ねしたいと思います。

銭谷政府参考人 いわゆる十年経験者研修は公立学校の教員が対象でございます。この公立学校の教員につきまして、各教育委員会の裁量によりまして、その教員の得意分野づくりを促す、専門性を深掘りするといったような制度として運用されているところでございます。

 一方、今回御提案申し上げております免許更新制の更新講習というものは、すべての国公私立の教員を対象に、基礎的な資質、能力を共通的にリニューアルしていただくということでございまして、十年経験者研修と更新講習というのはやはり目的を異にしているというふうに考えております。

 もちろん、だれが研修を実施するのか、実施の期間、教授内容、修了の認定、職務との関係等々、両者はいろいろと異なる性格を持っているものでございます。

藤村委員 目的が異なるということであります。

 ただ、十年という年月が何か、片や十年研修があるし、片や十年更新だから、ひょっとして同じ時期かなと思うと、そうではないんですね。

 もちろん、ストレートに大学を出、ストレートに教員採用され、つまり教諭の正職員として採用された人については確かに十年研修と近い時期、ただ、十年更新の方は、十年を経たら失効しますから、それの手前でやるわけですけれども、研修の方は十年を経てやるわけですよね。だから、そこでも若干の差はあるし。しかし実際は、非常勤で二年、三年やった人が、それから教諭に採用されてからの十年研修は十二、三年目になりますから、免許はそれより先に更新されている。そういうように、ばらばらですよね。だから、むしろ関連性がない方がいっそわかりやすいんで。

 ただ、受ける方にとっては両方、極端な例を言いますと、教員に採用されて、もう翌年十年更新だとかいうのもあり得るわけですよね。

 だから、ちょっとその辺の連関性というのはなかった方がいいのかあった方がいいのか、目的が違うのか、そういう話をちょっとだけ問題として今提起したんですが。

 今回の提案では、中教審が平成十四年に同じく更新制度というものの提案をされていたと思うんですが、今回はその十四年答申とは大分違うと今回の中教審答申にも書いていますけれども、基本的に大きく違うのはどの点なんでしょうか。

銭谷政府参考人 中央教育審議会では、平成十四年に一度、この免許更新制の可能性について検討をいたしております。その際、この十四年の答申では、教員の適格性の確保、それから専門性向上という二つの観点から、免許更新制の導入について検討をいたしております。結論としては、当時は、更新制の導入にはなお慎重にならざるを得ないとの結論でございました。ただ、その際にも、免許更新制の導入そのものを将来的に否定をしているということではなかったわけでございます。

 今回の考え方でございますけれども、国際化が進みまして、価値観が変化をし、自然科学が進化する等、世の中が日進月歩で進んでいくこの時代に、すべての教員がその時々で必要な知識、技能を確実に身につけさせるということが必要であるという観点から、十年に一度、定期的に必要な知識、技能を刷新する方策として導入をするということにしたものでございます。ですから、十四年の中教審答申で言われておりました教員の適格性の確保ということは、今回の免許更新制では重視をしていないといいましょうか、そこには余り触れていないというものでございます。むしろ、教員の知識、技能の刷新、専門性の向上ということが図られるということが今回の更新制の趣旨でございます。

 なお、もちろん、修了認定を受けられない場合には免許状の有効期間が更新されないということになるわけでございます。

 なお、あわせまして、教員の適格性の確保、このことにつきましては、先ほど大臣からもお話がございましたけれども、教育公務員特例法の改正によりまして、任命権に基づく人事管理の厳格化という観点から対応していくということとしているところでございます。これらが相まって、質の高い、すぐれた教員の確保が図られていくというふうに考えております。

藤村委員 さっきも、大臣もおっしゃいましたし、あるいは、きょうまでの国会答弁でも伊吹大臣も何度もおっしゃっているのは、今回の更新制度はいわゆる不適格教員の排除を直接の目的とするものではなくと、こういうことで、中教審もそういう考え方を今回採用した。ただ、世間というか社会の中では、更新制度いいですねという世論も相当多いわけですが、その方たちの理解は、あっ、それでだめな先生をそこでちゃんと排除してくれるんだという期待があるんですよね。それは否定できないと思います。しかし、もう国会に提出されましたので議論していいと私は思うんですが、今回政府が出された案は、いや、免許制度の更新というのはそういうことを目的としていないとしきりにおっしゃるけれども、一方で、教育公務員特例法でやるんですと。

 それなら、六年前に地教行法で、いわゆる指導力不足の教員の問題は、ある意味であそこで画期的に、指導力不足の教員はもう教員の職を外して、都道府県の別な職につかせるようなことまでできるようにして、それをきちんと運用すればいいのではないかというふうに思うんですが、大臣、それだけじゃ済みませんか。

伊吹国務大臣 先ほど参考人が申しましたように、教員の適格性というのはやはりなかなか、これはその判断が難しいですよね。どちらかというと、専門性というのは比較的、ペーパー試験等でわかりやすい。ですから、今考えております十年の研修の受講修了の認定をしなければなりませんから、その認定の際に、全くペーパーテストというか、専門的な知識だけを認定するというわけにはやはりいかないと私は思います。ある程度、生徒に対する指導力、組織人としてのあり方というものは、何らかの、例えば研修を一定時間、三十時間とか五十時間やった中で、その成果が出ているかどうかということは認定しなければならない。それで、その結果によって、不適切と思われた先生は、免許の更新がなされるまでは、免許がありませんから教壇に立てないわけです。ですから、その意味では、だめ教師の排除ということの一翼は担う。

 しかし、ペーパーテストだけで、先ほど参考人が申しました教員の適格性というものが完全に判断できるかというと、これはやはり、その人を日々見ている校長の評定というものをかなり重視していく。そして、先生がおっしゃったような、それを厳密に運用していけばいいじゃないかという地教行法の規定どおり地方が必ずしも動いていないというところに問題があるわけですから、そこのところを今回もう一度法定するという仕組みと両々相まって、一般の方が期待しておられるような結果をつくり出していくということで、まあ確かに、しがらみがあるといえば、しがらみはあるんですけれども。

 しかし、これは先生、もう今さら私がこういうことを申し上げるまでもありませんが、地方分権一括法という基本的法律を、一度通したものを、何度でも簡単に各法の附則で変えればいいということには、これはやはり立法政策上はいかないんじゃないでしょうか。今度は藤村先生が文部科学大臣におなりになったら、同じような答弁をやはりされると思いますよ。

藤村委員 私は、やはりこういう大きな、抜本的なというか、安倍首相に言わせれば戦後レジームの転換という、そういうときには、そりゃ国会で決めてきたことだけれども、変えるべきは変えるというのは、柔軟に対応できると思うんですね。

 そういう意味では、今回は、免許法について抜本的な、あるいは基本的な改革ですよね。大改革と言っていいんだろうと思うんですね、免許に有効期限を設けるということですから。

 ですから、そういう際には、きょうまでこうだった、ああだったというしがらみにとらわれないところが、これはまた政治の力ではないかなと思います。ぜひ大臣にも、しがらみにとらわれないで答弁もしていただければと思います。

 それと、私、指導力不足あるいは不適格という、非常にマイナーな、本当にわずかな部分なんでしょうが、その教員に対して、やはり世間は割に大きく関心を持っている。

 我々の案では、それは十年の更新でできるわけないので、逆に言えば、十年の更新をパスするとまた十年間、不適格な、指導力不足のままいきますから、これは毎年のように、ある意味では地方のそれぞれの地域ごとに、あるいは学校単位でチェックする、それが我々の学校理事会制度でありますので、本当はこういう制度の中できちんと毎年のように見ていただく。これは機関ですから、機関決定をすれば、きちっとそういう措置がとれるような仕組みを我々は考えている、こういうことでございます。

 免許制度そのものについて、もう一つは、先ほども医師免許のことで、もし導入するにしても対象を臨床医に絞るような考え方がございました。つまり、余りに多い全医師免許の更新かというと、いや必ずしもそうではないんだろうと。

 しかし、免許の更新というのは、基本的には免許を持っている人すべてを対象にするということでございますから、数でいうと、実際に教員免許を持ち、今学校で、現場で教員をしている方々が、多分これは百九万人というのが文科省の調べですか。十八年度学校基本調査で、小、中、高、中等、それから盲、聾、養、これで足し算しますと、平成十八年五月一日現在でいうと、私の計算では九十八万一千四百三十五人なんですが、あと十万人ぐらい多いんです。これはどういう人が入っているのかちょっとわからないんですが。大ざっぱに言うと百万人。

 ただ、一方で、教員免許で、一応働ける六十歳以下で、それで免許取得者数をずっと足し算しますと、五百二十三万人ぐらいになります。

 基本的には、国が法律でやるからには、免許の更新であれば、この五百二十三万人が対象ではないかと思うんですが、それでよろしいですか。

銭谷政府参考人 ただいま先生からお話ございましたように、現に教職についておられる方が百万人前後いらっしゃるわけでございます。それ以外に、免許は持っておられても教職についておられない方が相当な数おりまして、これは正確な推測がなかなか難しいんですけれども、五百万前後いらっしゃるのではないかというふうに思われております。

 今回提案をいたしております免許法の改正の中では、更新講習を受けることができる者を現に教員である方に限定いたしております。そして、教職についておられない方につきましては、その方が、免許を取ってから十年以上経過した場合でございますけれども、これから教職につくことが決まった、あるいはもう教職につくことになったといったような場合に、更新講習を受講して、免許の更新をしていただいて、そして教壇に立っていただくということにいたしておりまして、現に教職についていない方は更新講習を受講することができないという制度にいたしているところでございます。

藤村委員 そうすると、先ほど挙げた数字でいうと、大ざっぱには百万人ぐらいの現職の教員が対象である、こう言えるわけですよね。かつ、残りの四百万人の人は、もし今から教壇に立ちたいとなれば一遍それを受けてくださいよと。もちろん十年過ぎても構わない、こういうことでありましたよね。ですから、私は、大事なのは要は現職の先生がちゃんと資格、能力、あるいは刷新してもらいたいという、その仕組みだと思うんです。

 ならば、これは私どもの、というか、私の考え方で、私どもとはまだ言えないんですが、今行われている法定の十年研修。実際に現場で、それも十年やる。これを一区切りとして、この十年の法定の研修を、地方にお任せするのではなくて、むしろ国が、今の仕組みのような、後ほど詳しく聞きますが、大学などでの認定まで含めて、そこで国が一定基準のカリキュラムを持って、今政府が言っている三十時間程度の部分というのは一般教養などでしょうが、それ以外の部分も、十年研修のその他の目的も加味してやるのが現実的対応ではないのかな。

 つまり、先ほどちょっと申しましたように、免許の十年更新となると、教壇に立って三年目の人とか四年目の人とか五年目の人とか、いろいろ出てきますけれども、実際、教壇に立って十年たったときに刷新、リニューアル。それで、さらにまたその先十年というのはいいとは思うんですが、実際的なこととしては、十年研修と更新とをうまくリンクさせられないかなという考え方については、大臣、何か、そういう私どもの考え方でありますが、御所見をいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 先ほど来御答弁申し上げておりますように、現在の十年研修というのは、参考人の言葉をかりれば、得意分野を伸ばすとか深掘りをするとかということをやっておったわけで、今回は、免許を付与するための基準を定めた者である文部科学大臣が、研修の内容を具体的に示すことによって、教員免許取得者で教壇に立っている者、私学をも含めてですね、を国の責任においてリニューアルしてもらいたいということですから、私は少し性格が異なると思いますけれども、もちろん、将来的に現行の十年研修をどういう形にするかということは、別途議論があっても私は構わないと思います。

藤村委員 ちょっと性格を異にすると。しかし、実際的に、十年研修のあたりでまさにリニューアルしていただきたいという要請は、これはごく自然な要請だと思うんですね。

 というのは、免許の十年更新と言ってしまうと、さっき申しましたように、教壇に立って、いやあ、もう来年十年更新だとか、いろいろな年齢の人がいるけれども、まあ、一概に、やはり十年ぐらいやったときにきちんとリニューアルしてくださいよというのは割に普通の要請だと思うんです。

 それからもう一つは、今おっしゃったように私学ですよね。免許の更新制度とすると、私学の教員もすべて対象になる。そのことは決して悪いことではないんですが、一方で、私学にとっては、うちの学校はそんなの関係ないよ、ちゃんとうちの中できちっと毎年のようにリニューアルさせている、研修させているよと。まさに私立学校の自主性というか自治といいますか、そういうものがあると思うので、私学に対してまでは余計なお世話だと言われかねないのではないか。小中でいえば、多くの公立学校。それは、今の初任者研修も十年研修も、法定されているのはあくまで公立学校の先生の話ですから。やはり実際的なことを考えると、私は、今の教育公務員特例法における十年研修あたりのところで、国の要請もそこに加えてやるのが実際的なのかなとちょっと思っているんです。まだ我々の案をそうするかどうか、最後のところなんですけれども。

伊吹国務大臣 今度は逆に私から、先生そうしがらみにとらわれなくてもというお言葉を返したいんですが。

 やはり私学も、今の行政システムができ上がった後、昭和四十五年からは、国費というか、国民の汗とあぶらの結晶がそこへ投入されているということを考えますと、未履修の問題をも含めて、建学の精神というのは大いに尊重すべきだし、無駄な介入はするべきじゃないと私は思いますが、私学行政を預かっておられる地方議会あるいは知事が本来の地方自治の力を十分発揮していただけないのであれば、国はやはりある程度のことをしませんと納税者に対して申しわけが立たないということは別途あるんですね。

 ですから、余計なお世話だと言われないように注意はしてまいりますけれども、やはり、国民の負担を投入して、そして日本人を同じレベルで教育をするという学校教育法上の義務を負っておられる限りは、私は、教員免許の更新制はそうはおっしゃらずに受けていただきたいなという気はいたしております。

藤村委員 例の地教行法でも種々議論があったようでありますが、私学も公教育を担うわけですから私はその意見に全然反対じゃないんですが、ただ、免許の更新としてしまうときに、本当にすべての免許者が対象になってしまう。でも、我々がやはり一番期待するのは、公立の小学校、中学校の先生ちゃんとやってください、また、ちゃんと資質、能力を向上させてくださいというところが大きくあるわけです。

 今からちょっと具体的に聞きますが、免許法の改正を今回提出されましたが、これは直接的に予算措置を必要としない法律というふうに聞いていますが、しかし、新たに、多分三十時間、そして講習、それは多分大学に委託されるなどなどだと思うので、その枠組みについて、制度設計についてちょっと詳しく説明してください。

銭谷政府参考人 現在提案をしております免許更新制に当たっての更新講習の枠組みでございますけれども、これは、免許更新制を実効性ある制度とするために、まず講習の実施主体をどうするかということがございます。

 基本的には教職課程を有する大学を予定いたしておりまして、そのほか、都道府県教育委員会等が開設をできるということといたしております。

 なお、講習の実施主体につきましては、文部科学大臣が認定をするということを考えておりまして、質の保証ということを行っていきたいというふうに思っております。

 講習の時間は三十時間以上ということにいたしているわけでございますけれども、その時々に必要な教員の知識、技能の刷新のために必要な内容について講習を受けていただくということを考えております。

 実際に講習を行います際には、その講習の開設に要する経費でございますとか、あるいは免許状につきましてきちんと全国的なネットワークをつくっていくための経費といったようなものも今後必要になってくるかと思っております。

藤村委員 三十時間程度で全国共通に講習というのは、その内容を考えるのは難しいでしょうね。三十時間で、それも十年間のものをそこに凝縮し、それは一般的教養という部分が中心になるんでしょうけれども、あるいは指導方法なども大きく変わっている部分もあるんでしょう。そこに凝縮するのは、三十時間というのは非常に大変だと思いますが、その費用というのはどのように積算すればいいですか、総費用というのは。

銭谷政府参考人 費用でございますけれども、まず一つは、講習の開設、実施に要する経費というものがございます。直接的には、講師への謝金とか会場費等、こういったような講習開設経費というものがあるかと思っております。それから、間接的には、講習の開設に伴う、先ほど申し上げました免許状を含むシステムの構築費あるいは広報費、こういった経費も見込まれるところでございます。

 額につきましては、これからきちんと試算をしなきゃいかぬと思っておりますけれども、今、免許法上、認定講習といったようなものがございますけれども、そういった受講料を参考に考えれば、三十時間の受講で一人当たり三万から五万ぐらいの経費はかかるのかなというふうに思っております。

藤村委員 それで、年間十万人ぐらいが免許更新対象者と。三万から五万とおっしゃいましたよね。三万でもいいですけれども。そうすると総費用というのは三十億円ぐらいですかね。三万円掛ける十万人ですよ。そのぐらいの費用が新規に別途、政策経費として必要だ。この負担はどのように考えていますか。

伊吹国務大臣 これは先生、実際予算要求をしなければならないというのは二年後のことでございますから、どういうふうに仕組んでいくかということは考えなければいけませんけれども、やはり、自分の職業を担保する免許ですから、ある程度は自己負担というか、当然、免許保持者がその費用を負担するというのは他の免許においても同じなんですね。

 ただ、同時に、国が、これはこれから御審議をいただかなくちゃいけないんだけれども、国会の意思としてそういうことをやる。同時に、地方自治体が設置者として置いている公立学校、あるいは地方自治体が所管をしている私立学校の先生の資質を向上するという意味では、自治体のメリットもあるわけですね。

 ですから、国の補助を入れるのか、その場合補助率をどうするのか、本人負担がどの程度なのか、地方交付税上の基準財政需要としてどの程度の算定をするのか、これは少し国会の議論も聞かせていただいて決めたいと思いますが、国がまるっきり無関係で本人負担というわけにはいかないんじゃないかと私は思っています。

藤村委員 さっきの私学の話もありますしね。私学の先生にとってみたら、国が余計な法律を何か変えて、また自己負担、ポケットマネーでそれをやらないと仕事を続けられないよと、こういう話になってくる可能性もある。

 一方で、公務員の場合は、今までは研修は、初任者、三年、五年、十年、それぞれあって、少なくとも法定研修に関しては職務命令で、本人が負担するわけじゃないという、その辺の整合性が十分必要であろうと思います。

 私、我が方の、今、免許制度の抜本改正案を考える最終案で、一言だけ最後に申し上げたいのは、これは免許を取ってからの話ですが、やはり免許制度そのものを本当に基本的、抜本的に考えるならば、最初に免許を取る教員養成、この部分に今回手をつけられなかったのは、私は大変もったいないなと。戦後レジームというならば、採用以前の養成のところで、本当に今の養成でいいのか。開放制で全国八百大学ぐらいがそれぞれ養成できるとされていますが、開放制自体はいいんですけれども、やはり養成のところで、まさに基本的資質の部分を大幅に上げるというので、我々は修士六年と言っていますが、こういう考え方をいずれまた提示させていただいて、議論をさせていただきたいと思います。

 本日は、ありがとうございました。

桝屋委員長 次に、赤嶺政賢君。

赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢でございます。

 きょうは、文部科学委員会のお許しを得まして、当委員会で質問をさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。

 私は、最初に、文部科学大臣に、沖縄戦の認識について聞きたいと思います。

 私は、戦後すぐの沖縄の生まれであります。沖縄戦の犠牲者を周囲にいながら育ちました。私が父親の畑仕事を手伝えるようになった時代でも、私のその畑仕事の役割というのは、畑に、石ころにまざって人間の骨が粉々になって散らばっている、それを石ころと一緒に拾い集めて畑の隅に積み上げる、こういうのが私の役割でありました。終戦直後の沖縄では、芋や根菜類が大変大きく実った。何で大きく実ったかというと、戦死した人間の養分を吸って、そして大きくなっているんだという話もよく聞かされました。今でも、石垣に火炎放射器の跡や弾痕が残っている地域が見受けられます。

 まさに沖縄戦というのは、日本で唯一、住民を巻き込んだ地上戦であったわけですが、文科大臣は、沖縄戦についてどういう認識を持っておられますか。

伊吹国務大臣 沖縄での、第二次世界大戦というか太平洋戦争末期のあの戦争を、沖縄でやるまでに戦争をとめた方がよかったかどうかということについては、当時の指導者の判断でございますから、後で私から言わせれば、それは、なぜもっと早く手を打たなかったんだろうかなと思います。

 しかし、先生も含めて我々は、主権者から負託された意思決定の場にいる者として、我々も今ここで何か決めるときは、必ず後世の批判等、言えば、後世の裁判所に引き出される被告になる立場があるんだということを常々自戒しながら、物事に賛成、反対ということを決めていかなければならないと私は思っています。

 それよりも、私は、単に沖縄での戦争というだけではなくて、沖縄の今までたどってこられた歴史を考えますと、まず、日本軍によって自分たちの私有地を基地として強制的に徴用されてしまわれたわけでしょう。そして、戦争が終わってほっとされた後、今度は米軍の統治下において、それをそのまま軍事施設として引き継がれて、そしてまた、今、ありていに言えば、私は、日米安保条約というものがあるがゆえに日本は今日の平和を維持できていると思いますが、そのコストをほとんど沖縄の皆さんが担っておられるということ、そして、その原点が、先生がおっしゃった、沖縄というところで地上戦が行われて、大勢の方々の命が失われたということについて、私どもは戦争の体験はほとんどありませんけれども、沖縄という土地、沖縄の県民に対して常に贖罪意識を私は持っていなければならないと思っております。

赤嶺委員 大臣のお考えを今伺ったわけですが、ところで、文部科学省は三月の三十日に、二〇〇八年度から使用される高校教科書、主に二年生、三年生用ですが、その検定結果を公表しております。それによりますと、日本史のA、Bでは、沖縄戦の集団自決について、日本軍が強制したとの記述七カ所に検定意見がついております。

 具体的に、どういう記述に対して、どういう検定意見をつけたんですか。

銭谷政府参考人 平成十八年度の検定におきまして、教科用図書検定調査審議会の議に基づきまして、七点の教科書につきまして検定意見を付したところでございます。

 表現といたしましては、日本軍によって集団自決に追い込まれた住民もあった、あるいは、日本軍に集団で自決を強いられたものもあった、あるいは、日本軍に集団自決を強いられたといった申請図書の記述に対しまして、沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現であるという検定意見をつけたところでございます。

赤嶺委員 日本軍によって集団自決に追い込まれたものもあった、そういう記述が、沖縄戦の実態について、何で誤解するおそれのある表現になるんですか。これはどういうことですか。

銭谷政府参考人 教科書の検定につきましては、専門家による教科用図書検定調査審議会の答申に基づいて行っているところでございます。教科用図書検定調査審議会の専門的な調査審議におきまして、先ほど申し上げました記述につきましては、教科書の記述としては、軍の命令の有無について断定的な記述を避けることが適当である、こう判断をして、意見を付したものと理解をいたしております。

赤嶺委員 何で断定的な記述を避ける必要があるんですか。

銭谷政府参考人 先ほど来申し上げておりますように、教科書検定におきましては、教科書の記述につきまして、専門的な観点から調査審議を行って、検定意見を付しているところでございます。

 ちょっと、事務官である私が申し上げるのもいかがかと思いますけれども、従来、この集団自決が、日本軍の隊長が住民に対して集団自決命令を出したとされて、これが通説として取り扱われてきたわけでございますけれども、この通説について、当時の関係者からいろいろな証言、意見が出ているという状況を踏まえまして、今回の教科用図書検定調査審議会の意見は、現時点では軍の命令の有無についてはいずれとも断定できないという趣旨で付されたものと受けとめておりまして、日本軍の関与等を否定するものではないというふうに考えております。

赤嶺委員 当時の関係者から意見や証言が出ているというのはどういうことですか。

銭谷政府参考人 沖縄戦につきまして、最近の著書等におきまして、軍の命令の有無が明確ではないというような記述でございますとか、あるいは、当時の関係者が訴訟を提起しているといったような状況がございまして、現時点では軍の命令の有無についてはいずれとも断定できないということから、教科用図書検定調査審議会ではそのような意見を付したものでございます。

赤嶺委員 従来の諸説があったけれども、新しい著書も出ている。それは何ですか。

 それから、訴訟が起きていると言いましたけれども、それはどういう訴訟ですか。

銭谷政府参考人 沖縄戦につきましてはいろいろな研究や著書があるわけでございますけれども、その中に、軍の命令の有無は明確ではないというふうな著書もあるわけでございます。

 それから、訴訟につきましては、平成十七年の八月に、当時の日本軍の隊長等から、軍の隊長の命令があったということは事実ではないとして訴訟が提起をされていると承知をいたしております。

赤嶺委員 著書についてもう一度確認いたしますが、三月三十一日付のマスコミの報道を見ますと、文科省は、教科書各社の申請本を調査する上で参考とした主な書籍などの一覧を公表したということで、参考にした具体的な著書名を列挙しておりますが、これは文科省が公表したものですね。

銭谷政府参考人 私どもが平成十八年度の教科書の検定状況につきまして記者発表をした際に、文部科学省の記者クラブの方からの要請を受けまして、集団自決にかかわる記述のある主な著作物として審議会等で参考等に供された著作物を提供してほしい、名称を提供してほしいというお話がございましたので、教科用図書検定調査審議会の事務局を務めております教科書課において、その主な著作物の例を作成いたしまして、提供をしたものでございます。

赤嶺委員 その著作物の一覧表を詳しく見てみたんですが、沖縄戦というのは、一九八〇年代の教科書検定の後、教科書検定をめぐる裁判が起こり、沖縄戦が裁判で検証されて、十数年、一九九七年まで、最高裁の判決が出るまでかかったんですが、そこで論じられたものが大体沖縄戦の定説になった専門書でした。皆さんが参考にした図書というのは、それ以後出た新しいものというのはほとんどありませんよ。どういうのがあるんですか。

銭谷政府参考人 これは、まずお断りを申し上げておきたいのでございますけれども、教科書の検定は、教科用図書検定調査審議会の審議に基づきまして実施をしているものでございます。教科用図書検定調査審議会は、専門家の方が学術的な観点等を踏まえまして、公平中立に、学説状況や、最近のさまざまなその事案をめぐる状況について審議をして意見を付する、そういう性格の審議会でございます。

 その審議会におきまして、沖縄戦における集団自決にかかわる著作物としていろいろと取り上げ、あるいは検討した著作物につきまして、私どもの事務方として情報提供したものでございます。

 もちろん、それぞれの著作物につきましては、古いものでは昭和二十五年の八月発行のものもございますし、平成に入りましてから、平成十二年、あるいは十三年、十四年といった年に発行されたものもあるわけでございます。

赤嶺委員 ほとんど戦後積み重ねてきたもので、諸説の根拠になった問題について、ちょっと後でも触れますが、ただ、専門家が検討したといっても、審査会の議論を経て、最終的な決定権限は文科大臣にあるわけですから、これは文部科学省がきちんと国会に説明してもらわなければ困ると思います。

 そこで、さっき出ていました裁判の問題なんですけれども、訴訟が起きているということなんですが、この訴訟というのは今どういう展開になっているんですか。

銭谷政府参考人 ただいま先生がお話ございました訴訟については、承知をしている範囲で申し上げますと、平成十七年の八月に訴訟が提起をされまして、現在なお係属中であるというふうに承知をいたしております。

赤嶺委員 この訴訟を、隊長命令と言われている梅沢隊長本人が起こしている訴訟ですが、冤罪訴訟と名づけています。皆さんが出した資料の一覧表にも、冤罪訴訟ということで、原告の側の立場に立った文言が使われておりますが、これはそのとおりですか。

銭谷政府参考人 担当課におきまして記者クラブの方に提供いたしました資料におきましては、沖縄集団自決冤罪訴訟という名称を記した資料を提出しているところでございます。

 ただ、これは、原告の方がそのように使用している文言でございまして、裁判でございますから、被告の方は別の呼び方でこの訴訟を呼んでいるということもございますので、私どもとしては、こういう名称で資料を提供したということについては、やはり慎重であるべきであったというふうに思っております。

赤嶺委員 慎重であるべきであったと言いながら、皆さんが出した資料が一瞬のうちに全国に広がったわけですね。冤罪だというような雰囲気がつくられたわけですよ。

 ところが、この訴訟というのは、事実認定も証人尋問もこれからという段階ですよ。まだ原告が証言に立っているわけでもない。どちらが正しいというようなものが確定するはずもない。それを、一方の側の立場の訴訟の名称を使ったというのは、これは、そういうことが教科書検定にも影響した、いわば原告の側の意見が今度の教科書検定に影響したということになるんじゃないですか。

 公平やバランスという、教科書検定の基準から見ても重大な問題を含んでいると思いますが、文科大臣、いかがですか。

伊吹国務大臣 まず、先生、私は、法律上の検定権者に文部科学大臣としてなっておりますが、政党人として一番気をつけなければならないことは、議院内閣制で現在の日本の統治は行われているんですよ。ですから、政権をとった者の、政権政党、私は自由民主党でございますが、政権政党の価値観あるいは歴史観、あるいはまた文部科学大臣の政治理念で、検定権者であるから教科書の内容が左右されるということはあってはならないんです。

 だから、少し長くなりますが、家永裁判でどういうことが言われているかというと、教育の中立公正、一定水準の確保等の高度の公益目的のため行われるものであり、学術的、専門的、教育的な専門技術的判断を行うために、専門家である教育職員、学識経験者等を委員とする教科用図書検定審議会を設置する、そして、文部科学大臣の合否の決定は同審議会の答申に基づいて行われる。

 私の主観を入れるべきではない、議院内閣制のもとで、安倍内閣の主観を入れるべきではないということを常に自戒してやっているわけですから、本来、私がここで答弁をするほど怖い国であったら、日本はえらいことになるんですよ。逆に言うと、唯物史観の政党が政権をとったときに、その基準で教科書がみんな認定されたらえらいことになる。だからこそ私は、公正に、一言の言葉も挟んでいないんですよ、このことについて。

 ですから、先ほど先生が御指摘になったように、冤罪という言葉を使って出したなんてことも、報告も受けていません。後で私はそれを知りました。公平にやるためには、これは公表の仕方としては、委員の先生方にどういう資料を出したかは別として、クラブへの公表の仕方としては、これだけの、この項目だけで資料を出すというのは、やはり先ほど参考人が申したように極めて不適切だということは、私は、先生がおっしゃるとおりだと思いますよ。

 しかし、文部科学省の役人も、私も、ましてや官邸にいる安倍総理も、このことについては一言の容喙もできない仕組みで日本の教科書の検定というのは行われているんです。ですから、学者が、事実関係が正しいか正しくないか、一方に偏った表現になっているかなっていないかということの検定をして、私は言葉を挟まずにそれを受け入れているという立場だけなんです。そのことは、先生、よく御理解をいただきたいと思います。

赤嶺委員 その冤罪訴訟と名づけている方々のホームページを見たら、そこに弁護団として与党の議員の方々の名前もあるんですよ。そんなことを言ったら、今、私はかかわっていませんと言っても、そして文部科学省がああいう資料、一覧表を出したら、こういう誤解を受けるのは当然じゃないですか、これは。関係ありません、官邸も関係ありませんというのは、この問題では、これは言いわけできないような問題を引き起こしているということを指摘しておきたいと思うんですよ。

 それで、私は、沖縄戦というのは、今回の検定が問題にした、そういうところにあったわけではないと思うんですよ。先ほど文科大臣も、沖縄戦について、もっと早く終えることができなかったかというたぐいの議論について、御自分はどう考えているかということを触れられました。

 私たちは、沖縄戦というのは、やはり本土防衛のための捨て石作戦だったんですよ。もう負けることが明らかでした。そして、第三二守備軍が、今の戦力では持ちこたえられないという戦力増強も全部断ってしまいました。これはもう戦史の記録であります。したがって、当時の日本軍沖縄守備第三二軍、一木一草に至るまで戦力化する、根こそぎ動員ですよ。軍人と民間人との区別なしに戦場動員をする。それから、軍、官、民、共生共死の一体化、軍と官と民はともに生き、ともに死ぬという考え方を徹底して押しつけました。当時、沖縄守備の総指揮官である第三二軍司令官の牛島中将は、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし、こういう命令も下していたわけです。

 そういうもとで、各地の現場で具体的な命令があったかどうかという問題ではなく、まず、沖縄戦を見る場合に、追い詰められたら玉砕せよというのが当時の日本軍の方針だったと思いますよ。違いますか。

伊吹国務大臣 それは、先生、これはいろいろな判断があると思います。だから、今回の教科書の問題はそれとは違うんじゃないんですか、教科書の記述の問題は。

 ですから、いろいろな判断のあるものについては、一方に偏った記述を避けるということが教科書検定の意味合いであって、私は、日本軍の強制があった部分はあるかもわからない、それは当然あったかもわからないと思いますよ。しかし、今回言っているのは、なかったとは言っていないんですよ。日本軍の強制がなかったという記述を書けということは言っていないんですよ。

 一方に偏った記述は判断を誤るから公正に記述をしなさいということを教科書検定調査会は検定をされたので、私は今、先生のお立場に立って、それはだめだよ、あるいは、また別の立場の人の立場に立って、それはそうだ、こうしろ、そんなことを文部科学大臣が言えるほど怖い国だったら、私は、日本の教科書はめちゃめちゃになると思いますよ。

赤嶺委員 全体として沖縄戦は、追い詰められた県民は玉砕せよという大きな命令があったわけです。これは考え方の問題ではありません。そういう状況だったんです。

 それで、今回、教科書検定というのはどんなことをやったか。さっき、隊長命令があったかどうかの、そういう訴訟も起きていると言いました。教科書で、今回、検定で修正意見をつけたのは、隊長命令があったというようなところではないですよ。表現でいいますと、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民や、集団で自決を強いられたものもあった、こうなっているわけですよ。ところが、検定決定した記述では、集団自決に追い込まれたり、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民もあった。

 虐殺は住民もあったと言うけれども、今大臣がおっしゃるような立場で、否定していないと言うけれども、結局、隊長命令によって追い詰められたというので意見がついているところは一カ所もないですよ。日本軍によって追い詰めれた、集団自決に追い詰められた、そういう集団自決もあったということですからね。これは事実じゃないですか。なかったんですか。

桝屋委員長 大臣、時間が来ております。簡略にお答えをお願いします。

伊吹国務大臣 先生、何度も申し上げているように、検定の中身について私がお答えできるほど日本は恐ろしい国じゃないんですよ。そんなことを私がお答えできるということは、検定の内容に私が深くかかわっているということになるんじゃないでしょうか。私は、そんな国であってはいけないと思います。

赤嶺委員 終わりますが、あれだけ一方的な冤罪裁判を論拠にしたということ、そういう間違いをやった側が真摯に謝罪することなく、権限を持っている文科大臣が、私は権限を持っていない、持っていたら恐ろしいと言って真実を隠すようなことは、県民の立場からは許されないということを指摘して、質問を終わります。

桝屋委員長 次に、日森文尋君。

日森委員 社民党の日森文尋でございます。

 恐縮ですが、私も教科書検定の問題でお尋ねをしたいと思います。

 最初に、去年までは修正意見がつかなかった、〇六年になって修正意見がついた、それは審議会の答申なんだというお話、先ほど伺いましたが、その具体的な理由について改めてお聞かせいただきたいと思います。

銭谷政府参考人 まず、教科書検定は、検定時点におきますさまざまな事実や学問的成果に照らしまして教科用図書検定調査審議会の専門的な審議に基づいて、意見を付しているものでございます。

 ただいまお話がございました件につきましては、平成十七年度の検定では検定意見は付されていないわけでございますが、昨年度の教科用図書検定調査審議会におきまして、この点をめぐる最近の議論等を踏まえまして、検定意見を付すことが適切だと判断をされたものでございます。

日森委員 それは先ほどもお聞きをいたしましたが、最近の著書であるとか、書籍であるとか、あるいは学説と言っているんですよ。去年まではよしとしていたものがことしになって修正意見がつくということになって、それは、新たな学説だとかあるいは著書があったという判断に立っているからこういう変化があったということだと思うんですね。その新しい学説というのは一体どういう学説ですか。

銭谷政府参考人 まず、私は、この検定の状況について、ある意味で、御報告をする事務方の立場で申し上げるわけでございますけれども、沖縄戦における日本軍の隊長が住民に対して集団自決命令を出したとされるというのがこれまで通説として扱われてきたと承知をいたしております。この点につきまして、現在、さまざまな議論があると承知をいたしております。

 こういったことを踏まえまして、平成十八年度の教科書検定では、教科用図書検定調査審議会におきまして、教科書の記述としては、軍の命令の有無について断定的な記述を避けることが適当である、こう判断をして意見を付したというふうに理解をいたしております。

 今回の検定意見というのは、日本軍の命令の有無について、いずれかに決めるというものではありません。また、沖縄戦における日本軍の責任や関与というものを否定する趣旨でもなく、断定的な記述を避けるという判断であったと理解をいたしております。

日森委員 新聞の報道だと、最近の学説の変化が理由であったというふうに書いてあるんですが、今のはどう考えても学説ではないですよね。裁判が行われていて、原告側が、先ほども出ていたように、冤罪だと言って、大江健三郎氏やあるいは岩波を訴えているという裁判があるからということだけじゃないですか。新たな書籍もなければ学説もない。しかも、その裁判も、まだ何にも行われていないんですよ。

 これをもとに、去年までは何も言わなかったものに対して、ことし、何か、修正しろ、こういう意見を言うということについて、その審議会のあり方についてどう思いますかね。とても信じられないと思うんですが。

銭谷政府参考人 繰り返しになって恐縮でございますけれども、従来、沖縄戦における渡嘉敷島及び座間味島での集団自決につきましては、日本軍の隊長が住民に対して集団自決命令を出したとされ、これが通説として扱われてきたわけでございます。この通説につきましては、近年、当時の関係者等から、軍の隊長の命令を否定する証言等が出てきたり、沖縄戦に関する研究者の著書等で、隊長の命令は必ずしも明らかでないとするものも出てきているわけでございます。

 平成十八年度の教科書検定では、教科用図書検定調査審議会におきまして、こういった議論の状況を踏まえまして、教科書の記述としては、軍の命令について断定的な記述を避けることが適当であると判断をされたものと理解をしております。

 日本軍の命令の有無につきましては、いずれかに決めるというものではありません。また、日本軍の責任や関与を否定する趣旨でもないと理解をいたしております。

日森委員 審議会の話ですからそう言われてしまうんでしょうけれども、これは裁判の結論が出てから一定の方向性を示したって遅くはないわけで、裁判が始まった途端に修正意見を出すなんというのは、どう考えても、何か意図があるというふうに思わざるを得ないんですよ。大臣、何か感想があったらちょっと聞かせてください。いや、介入しろと言っているんじゃないですよ。

伊吹国務大臣 まず、もちろん私は介入はできないわけですが、これは先生、もう釈迦に説法ですけれども、日本の仕組みとしては、種々議論のあることは最高裁の判決をもって最終結論とするという取り決めをしているだけなんですよ。最高裁の判決だって裁判官の主観によって変わるわけですから、一審有罪、二審無罪、三審また棄却なんてことはいっぱいあるわけです。だから、裁判の判決が出ればそれが正しいからそれに従って史実を書き直せというのも、私はやや乱暴だと思いますね。

 むしろ、審議会の先生方の気持ちをそんたくすれば、そういう訴訟が起こされているという状況では、どちらも断定的に書くことは少し控えた方がいいんじゃないかというのが検定意見であったということで、先ほど参考人が申しましたように、沖縄でつらい、ひどいことがあった、そしてそういう中で苦しい目に遭われた方が大勢おられたということは決して否定した検定意見ではないというふうに私は理解しております。

日森委員 水かけ論みたいな話になってしまうと思うんですが。

 先ほど、私も随分こだわっているのは、文科省がプレスに配付をした資料、大臣は知らなかった、後で聞いて、冤罪というのはちょっとという率直な感想がありました。これは、冤罪って、別に隊長は罪になっているわけでもないんですよね。――いやいや、まあいいですよ。

 それで、慎重であるべきであったという御答弁をいただきましたが、なぜこんなに軽々しく、今争われている問題の裁判の名称を、これは新聞報道だって集団自決裁判とかみんな書いていますよ。これは当たり前の書き方なんです。それを文科省が、中立だってさっきだれか言っていましたよね、教育は中立だ、介入しないんだ、できないんだ。言っている文科省が、原告側の一方的な立場に立って冤罪訴訟などと言うのは、これはどう考えても、慎重であるべきであったなどというたぐいの問題じゃないですよ、たぐいの問題じゃないですよ。

 それで、冤罪というのは一体どういう意味に理解して、この冤罪訴訟という言葉を使ったんですか。

銭谷政府参考人 先ほど申し上げましたように、ことしの教科書の検定結果につきまして記者クラブに私どもの方で御説明をしたときに、どういう、沖縄関係、特に集団自決にかかわる著書や裁判があるのかということで、その資料が欲しいというお話がございましたので、慌てて、審議会等でいろいろ検討の際に委員の方々が参考にしたであろう著作物及び一昨年の八月に出されました訴訟について資料を提出したわけでございます。

 著書につきましては、いわゆる通説に立った著書もあれば、隊長の命令があったかどうかわからないと書いてある著書とか、私も後で見てみましたけれども、いろいろあるようでございます。

 それから、訴訟について、沖縄集団自決冤罪訴訟という、原告の方が用いている名称を出したのは、これはやはり慎重を欠くものであったと私も思っております。被告の方は別の呼び方をしているわけでございますので、この点、私ども、こういう名称で資料は提供すべきではなかったのではないかと思っております。

日森委員 まさにそのとおりで、幾ら慌てて出したといっても、これは許しがたい話ですよ。実際、裁判の当事者だけではなくて、沖縄の県民から見たら、文科省というのはそうなのか、文科省というのは慌てると一方の側について平気で文書を出しちゃうんだ。信頼をなくしますよ。そこはちょっと、文科大臣もきっちり指導していただきたいというふうに思います。

 問題は、裁判の中身はもちろんお答えになれないわけですが、沖縄史料編集所紀要というのがあります、資料の中に。それを出していますよね。その解説の中に、沖縄県史があるんですが、その中で、座間味島で、例の原告側の梅沢少佐が集団自決を命令したという記述があるんですよ、県史の中に。これに対して、梅沢元少佐本人から抗議があって、命令なんかしていないんだという抗議があったわけですね。沖縄県の教育委員会は、沖縄史料編集所紀要第十一号、これで梅沢元少佐の手記を載せたんです。載せて、座間味島集団自決に関する隊長手記というのを掲載いたしまして、これで訂正にかえたというふうに言われていたんです。

 しかし、これは裁判の中で陳述書も出されているんですが、当時、同手記を掲載した大城さんという主任研究員、この人は、沖縄県史の実質的な訂正ではないんだと、訂正したということは否定をしているということを言っているわけですね。

 こういうところまできちんと判断をしつつしていたら、それはさっきの冤罪もそうだけれども、修正意見を出すようなことにならなかったんじゃないかと思いますけれども、これはどうなんでしょう。

銭谷政府参考人 大変恐縮でございますけれども、先ほど、資料を急いで用意した、そして提出したということを申し上げましたが、この沖縄史料編集所紀要第十一号というのも、沖縄戦における集団自決に関する主な著作物等の中に記載をしてございますが、ただいま先生がお読みになりました部分については、この資料を出しました後すぐ私ども気がつきまして、訂正をさせていただいております。

 それで、訂正後のものをちょっと読ませていただきます。できるだけ沖縄史料編集所紀要第十一号に書いてあるのに忠実に書いた方がいいということで、このように訂正をしたものを後で記者クラブの方にお配りをさせていただいております。

 ちょっと、ごく短いのですが、読ませていただきますと、沖縄県教育委員会は、沖縄史料編集所紀要第十一号に、梅沢元少佐の手記、座間味島集団自決に関する隊長手記を掲載することとした。当該紀要には、「従来の「隊長命令説」は現地住民の証言記録を資料として記述されてきたのである。これに対し、一方の当事者である梅澤氏から「異議申立て」がある以上、われわれはこれを真摯に受け止め、史実を解明する資料として役立てたいと考えるものである。」とされている、というふうに資料を訂正してクラブに提出をしているところでございます。

日森委員 では、続けます。

 書籍であるとかあるいは学説など、審議会は、専門家によって調査をしてそれぞれ結論を出されていくということだと思うんです。

 これは文科省がやる仕事ではないと思いますが、例えば修正意見を出すときに、裁判だけの話というのはよくわかりましたよ、それだけが問題になったんだ、それで修正意見を出したというのは物すごいわかって、これはとてもとんでもない話よというふうに私は思っていますが。今一部お読みになりましたよね、その中で、住民の証言があるんだ、それで今までは、集団自決の原因について、強制力の問題について触れてきたというふうに言われているわけですね。今回修正意見を出すときに、じゃ、実際に、座間味や渡嘉敷とか、そういう集団自決があったところの方々、まだ生きていらっしゃる方もたくさんいらっしゃるというふうに伺っていますが、そういう方々の意見もちゃんと聞いたりして、そして判断されたのかどうなのか。

 裁判で原告が訴えているということだけでもしこんなことを出すとしたら、これはまさに問題ですね。同時に被告になっている人たちの意見もちゃんと聞くとかという、バランスというか公平性を保たないと、それはこんな修正意見をぽんと出すようなことにならないんじゃないかと思うんですが、その辺はどうなんでしょうか。

銭谷政府参考人 記者クラブの方に提供いたしました主な著作物の中には、先ほど申し上げたかもしれませんが、やはりいろいろな御意見が記述をされている著作物が載っているわけでございまして、私が知る限り、この裁判の被告になっている方の著作物もこの中には載っております。いろいろな意見あるいは考え方があるということでこの著作物等はごらんをいただけるのではないかと思っております。

 ただ、先ほど来繰り返し申し上げておりますけれども、沖縄戦の悲劇としていろいろなことがあったわけでございますけれども、私ども、こういったことについて、軍が関与していないとか、そういうことを申し上げているわけではないわけでございます。断定できない事柄についてはそのように、教科書として断定できない事柄については意見を審議会として付したということでございます。

 なお、教科用図書検定調査審議会は、いわば学術的な調査研究をみずから行う場ではなくて、あくまでも、検定事件におけるいろいろな研究成果に照らして教科書の記述が公平適切かということについて審議をする場でございます。ですから、教科用図書検定調査審議会として、お話がございました、当事者や関係者から直接見解や意見を聞いて判断をするということはしていないわけでございます。

日森委員 先ほど赤嶺さんもおっしゃいましたが、裁判は、軍の命令があったかどうかだけを問うているわけですよ。強制力が働いたという事実は厳然としてあるわけで、だれも否定できないというのが沖縄戦の実態だったということだと思うんです。しかし、この修正意見によって、その強制力まで排除されている、強制力があったということまで削除をされているような、そういう事態になっているわけですよ。そのことに対して心配しているんですよ。何度も言いますけれども、裁判は、軍命があったかどうか、これだけですよ。あったかないかだけを争っているわけでしょう。ところが、修正意見をつけたことによって強制されたということまでが排除をされている。

 これは今までの歴史をねじ曲げてしまうことになるんじゃないか、そういう気がしてならないんですが、そこはどんな感想をお持ちですか。

銭谷政府参考人 繰り返しになりますけれども、今回の検定意見は、昨年度の教科用図書検定調査審議会におきまして、最近の議論等を踏まえまして、教科書の記述としては、軍の命令の有無について断定的な記述を避けることが適当であると判断をしたものでございます。また、日本軍の責任や関与を否定する趣旨ではございません。

 したがって、日本軍が住民をごうから追い出した、日本軍が手りゅう弾を配った、スパイ容疑で殺害された住民もあった等、軍の関与に関する記述につきましては検定意見は付していないところでございます。

日森委員 自主規制してしまったという意味かもしれません。

 重複を避けてこれで終わりたいと思いますが、先ほど意見も出ました、軍の強制力が働いていたという事実は紛れもない事実であって、これは何人も否定できないというのが沖縄戦の実態だったと思うんですよ。皇民化教育や、あるいは、かつて、戦前、戦陣訓、教育勅語、こういうことで実は集団自決に追い込まれていった、せざるを得なかった、そういう悲惨な実態は、これは絶対に忘れてはいけない事実だと思うんです。そこから戦後の、平和をつくっていこう、そういう教育などが始まってきた原点でもあると思うんですよ、原点でもあると思うんです。そういう意味で、ぜひそのことを改めて申し上げて、あと五分あるんですが、終わりたいと思います。

 ありがとうございました。

     ――――◇―――――

桝屋委員長 次に、内閣提出、放射線を発散させて人の生命等に危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律案を議題といたします。

 趣旨の説明を聴取いたします。伊吹文部科学大臣。

    ―――――――――――――

 放射線を発散させて人の生命等に危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律案

    〔本号末尾に掲載〕

    ―――――――――――――

伊吹国務大臣 このたび政府から提出いたしました放射線を発散させて人の生命等に危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律案につきまして、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。

 政府は、今国会において、人の生命または身体の重大な傷害を引き起こす意図等を持って行われる放射性物質の所持または使用、原子核分裂等装置の製造、所持または使用その他の行為を犯罪として定め、その処罰等につき規定する核によるテロリズムの行為の防止に関する国際条約の締結について、御承認をお願いしているところであります。

 この法律案は、同条約等の的確な実施を確保し、核によるテロリズムの行為の防止のための国際協力に寄与するため、所要の規定の整備を行うものであります。

 次に、この法律案の内容の概要について御説明申し上げます。

 第一に、放射性物質をみだりに取り扱うこともしくは原子核分裂等装置をみだりに操作することにより、またはその他不当な方法で、核燃料物質の原子核分裂の連鎖反応を引き起こし、または放射線を発散させて、人の生命、身体または財産に危険を生じさせた者を処罰することとしております。

 第二に、第一の犯罪の用に供する目的で、その予備をした者、原子核分裂等装置を製造した者、または放射性物質もしくは原子核分裂等装置を所持した者を処罰することとしております。

 第三に、放射性物質または原子核分裂等装置を用いて人の生命、身体または財産に害を加えることを告知して、脅迫した者を処罰することとしております。

 第四に、特定核燃料物質を窃取し、または強取することを告知して脅迫し、義務のない行為をすることまたは権利を行わないことを要求した者を処罰することとしております。

 第五に、第一から第四までの国外犯について処罰規定を設けることとしております。

 以上が、この法律案の提案理由及びその内容の概要であります。

 何とぞ、御審議の上、速やかに御可決くださいますようお願いいたします。

桝屋委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。

 次回は、来る十三日金曜日午前九時理事会、午前九時十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後三時二十九分散会


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