衆議院

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第9号 平成18年12月13日(水曜日)

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平成十八年十二月十三日(水曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 櫻田 義孝君

   理事 伊藤信太郎君 理事 大村 秀章君

   理事 鴨下 一郎君 理事 宮澤 洋一君

   理事 吉野 正芳君 理事 三井 辨雄君

   理事 山井 和則君 理事 福島  豊君

      新井 悦二君    井上 信治君

      石崎  岳君    宇野  治君

      近江屋信広君    大塚  拓君

      加藤 勝信君    川条 志嘉君

      木原 誠二君    木村 義雄君

      岸田 文雄君    近藤三津枝君

      佐藤ゆかり君    清水鴻一郎君

      菅原 一秀君    杉村 太蔵君

      高鳥 修一君   戸井田とおる君

      冨岡  勉君    西川 京子君

      林   潤君    原田 令嗣君

      福岡 資麿君    松野 博一君

      松本  純君    松本 文明君

      松本 洋平君    御法川信英君

      山内 康一君    市村浩一郎君

      内山  晃君    大島  敦君

      後藤  斎君    郡  和子君

      園田 康博君    田名部匡代君

      筒井 信隆君    仲野 博子君

      細川 律夫君    柚木 道義君

      鷲尾英一郎君    坂口  力君

      古屋 範子君    高橋千鶴子君

      阿部 知子君    糸川 正晃君

    …………………………………

   厚生労働大臣       柳澤 伯夫君

   厚生労働副大臣      石田 祝稔君

   厚生労働副大臣      武見 敬三君

   厚生労働大臣政務官    菅原 一秀君

   厚生労働大臣政務官    松野 博一君

   衆議院庶務部長      山本 直和君

   政府参考人

   (外務省大臣官房参事官) 菅沼 健一君

   政府参考人

   (文部科学省大臣官房審議官)           合田 隆史君

   政府参考人

   (厚生労働省医政局長)  松谷有希雄君

   政府参考人

   (厚生労働省健康局長)  外口  崇君

   政府参考人

   (厚生労働省労働基準局労災補償部長)       石井 淳子君

   政府参考人

   (厚生労働省職業安定局長)            高橋  満君

   政府参考人

   (厚生労働省雇用均等・児童家庭局長)       大谷 泰夫君

   政府参考人

   (厚生労働省社会・援護局長)           中村 秀一君

   政府参考人

   (厚生労働省保険局長)  水田 邦雄君

   政府参考人

   (厚生労働省年金局長)  渡辺 芳樹君

   政府参考人

   (社会保険庁総務部長)  清水美智夫君

   政府参考人

   (社会保険庁運営部長)  青柳 親房君

   参考人

   (特定非営利活動法人日本移植者協議会理事長)   大久保通方君

   参考人

   (日本移植学会理事長)  田中 紘一君

   参考人

   (社団法人日本小児科学会会長)          別所 文雄君

   参考人

   (日本弁護士連合会人権擁護委員会特別委嘱委員)  光石 忠敬君

   参考人

   (神戸大学大学院法学研究科教授)         丸山 英二君

   参考人

   (財団法人日本宗教連盟事務局長)         佐藤 丈史君

   厚生労働委員会専門員   榊原 志俊君

    ―――――――――――――

委員の異動

十二月十三日

 辞任         補欠選任

  高鳥 修一君     山内 康一君

  松本 洋平君     松本 文明君

  御法川信英君     佐藤ゆかり君

  菊田真紀子君     仲野 博子君

同日

 辞任         補欠選任

  佐藤ゆかり君     宇野  治君

  松本 文明君     大塚  拓君

  山内 康一君     高鳥 修一君

  仲野 博子君     市村浩一郎君

同日

 辞任         補欠選任

  宇野  治君     近江屋信広君

  大塚  拓君     松本 洋平君

  市村浩一郎君     鷲尾英一郎君

同日

 辞任         補欠選任

  近江屋信広君     近藤三津枝君

  鷲尾英一郎君     後藤  斎君

同日

 辞任         補欠選任

  近藤三津枝君     御法川信英君

  後藤  斎君     菊田真紀子君

    ―――――――――――――

十二月七日

 療養病床の廃止・削減と患者負担増の中止等を求めることに関する請願(中川正春君紹介)(第一〇七六号)

 同(赤嶺政賢君紹介)(第一一三三号)

 同(吉井英勝君紹介)(第一一三四号)

 潰瘍性大腸炎・パーキンソン病の医療費公費助成適用範囲見直しの撤回及び難病対策予算増額等に関する請願(阿部知子君紹介)(第一〇七七号)

 同(高橋千鶴子君紹介)(第一一八二号)

 臓器の移植に関する法律の改正に関する請願(阿部知子君紹介)(第一〇七八号)

 身体障害者補助犬法の改正に関する請願(上田勇君紹介)(第一〇七九号)

 同(下地幹郎君紹介)(第一〇八〇号)

 同(武正公一君紹介)(第一〇八一号)

 同(阿部俊子君紹介)(第一一三五号)

 同(岩屋毅君紹介)(第一一三六号)

 同(戸井田とおる君紹介)(第一一三七号)

 同(鳩山由紀夫君紹介)(第一一三八号)

 同(伴野豊君紹介)(第一一三九号)

 同(鈴木恒夫君紹介)(第一一八三号)

 同(高橋千鶴子君紹介)(第一一八四号)

 同(山田正彦君紹介)(第一一八五号)

 国民医療を拡充し、建設国保組合の育成に関する請願(阿部知子君紹介)(第一〇八二号)

 同(岩國哲人君紹介)(第一〇八三号)

 同(小沢鋭仁君紹介)(第一〇八四号)

 同(岡本充功君紹介)(第一〇八五号)

 同(加藤公一君紹介)(第一〇八六号)

 同(小平忠正君紹介)(第一〇八七号)

 同(郡和子君紹介)(第一〇八八号)

 同(近藤昭一君紹介)(第一〇八九号)

 同(佐々木隆博君紹介)(第一〇九〇号)

 同(仙谷由人君紹介)(第一〇九一号)

 同(高井美穂君紹介)(第一〇九二号)

 同(武正公一君紹介)(第一〇九三号)

 同(中井洽君紹介)(第一〇九四号)

 同(中川正春君紹介)(第一〇九五号)

 同(仲野博子君紹介)(第一〇九六号)

 同(長安豊君紹介)(第一〇九七号)

 同(細川律夫君紹介)(第一〇九八号)

 同(馬淵澄夫君紹介)(第一〇九九号)

 同(牧義夫君紹介)(第一一〇〇号)

 同(村井宗明君紹介)(第一一〇一号)

 同(森本哲生君紹介)(第一一〇二号)

 同(大畠章宏君紹介)(第一一四〇号)

 同(金田誠一君紹介)(第一一四一号)

 同(佐々木隆博君紹介)(第一一四二号)

 同(神風英男君紹介)(第一一四三号)

 同(鉢呂吉雄君紹介)(第一一四四号)

 同(伴野豊君紹介)(第一一四五号)

 同(三日月大造君紹介)(第一一四六号)

 同(三井辨雄君紹介)(第一一四七号)

 同(小宮山洋子君紹介)(第一一八六号)

 同(西村智奈美君紹介)(第一一八七号)

 同(羽田孜君紹介)(第一一八八号)

 同(古本伸一郎君紹介)(第一一八九号)

 同(松原仁君紹介)(第一一九〇号)

 同(山田正彦君紹介)(第一一九一号)

 保育・学童保育・子育て支援施策の拡充等に関する請願(阿部知子君紹介)(第一一〇三号)

 年金・医療・介護等の社会保障制度充実に関する請願(下地幹郎君紹介)(第一一〇四号)

 同(照屋寛徳君紹介)(第一一四八号)

 患者負担増計画の中止と保険で安心してかかれる医療を求めることに関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第一一二一号)

 患者負担増に反対し、保険で安心してかかれる医療に関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第一一二二号)

 緊急の保育課題への対応と、認可保育制度の充実に関する請願(金子恭之君紹介)(第一一二三号)

 最低保障年金制度の実現を求めることに関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第一一二四号)

 同(石井郁子君紹介)(第一一二五号)

 同(笠井亮君紹介)(第一一二六号)

 同(穀田恵二君紹介)(第一一二七号)

 同(佐々木憲昭君紹介)(第一一二八号)

 同(志位和夫君紹介)(第一一二九号)

 同(塩川鉄也君紹介)(第一一三〇号)

 同(高橋千鶴子君紹介)(第一一三一号)

 同(吉井英勝君紹介)(第一一三二号)

 高校・大学生、青年の雇用と働くルールを求めることに関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第一一七二号)

 同(石井郁子君紹介)(第一一七三号)

 同(笠井亮君紹介)(第一一七四号)

 同(穀田恵二君紹介)(第一一七五号)

 同(佐々木憲昭君紹介)(第一一七六号)

 同(志位和夫君紹介)(第一一七七号)

 同(塩川鉄也君紹介)(第一一七八号)

 同(高橋千鶴子君紹介)(第一一七九号)

 同(吉井英勝君紹介)(第一一八〇号)

 雇用保険の特例一時金の廃止・改悪に反対し、国の季節労働者対策の強化に関する請願(高橋千鶴子君紹介)(第一一八一号)

同月十一日

 全国ペアーレ施設の存続に関する請願(田島一成君紹介)(第一二一一号)

 保育制度の改善と充実に関する請願(木村義雄君紹介)(第一二一二号)

 児童扶養手当の減額率を検討するに当たり配慮を求めることに関する請願(森喜朗君紹介)(第一二一三号)

 同(渡辺具能君紹介)(第一三一六号)

 国民医療を拡充し、建設国保組合の育成に関する請願(川内博史君紹介)(第一二一四号)

 同(田島一成君紹介)(第一二一五号)

 同(市村浩一郎君紹介)(第一二六五号)

 同(川端達夫君紹介)(第一二六六号)

 同(古賀一成君紹介)(第一二六七号)

 同(近藤洋介君紹介)(第一二六八号)

 同(下条みつ君紹介)(第一二六九号)

 同(高山智司君紹介)(第一二七〇号)

 同(筒井信隆君紹介)(第一二七一号)

 同(土肥隆一君紹介)(第一二七二号)

 同(平岡秀夫君紹介)(第一二七三号)

 同(北神圭朗君紹介)(第一三二六号)

 同(小宮山泰子君紹介)(第一三二七号)

 同(山井和則君紹介)(第一三二八号)

 同(柚木道義君紹介)(第一三二九号)

 同(横光克彦君紹介)(第一三三〇号)

 同(奥村展三君紹介)(第一三八三号)

 同(玄葉光一郎君紹介)(第一三八四号)

 同(渡辺周君紹介)(第一三八五号)

 保育・学童保育・子育て支援施策の拡充等に関する請願(内山晃君紹介)(第一二一六号)

 同(高井美穂君紹介)(第一三三一号)

 年金・医療・介護等の社会保障制度充実に関する請願(内山晃君紹介)(第一二一七号)

 同(下条みつ君紹介)(第一二七四号)

 同(横山北斗君紹介)(第一三三二号)

 最低保障年金制度の実現を求めることに関する請願(高橋千鶴子君紹介)(第一二四八号)

 療養病床の廃止・削減と患者負担増の中止等を求めることに関する請願(下条みつ君紹介)(第一二四九号)

 同(高橋千鶴子君紹介)(第一二五〇号)

 同(黄川田徹君紹介)(第一三一七号)

 雇用保険の特例一時金の廃止・改悪に反対し、国の季節労働者対策の強化に関する請願(飯島夕雁君紹介)(第一二五一号)

 国民健康保険の充実を求めることに関する請願(志位和夫君紹介)(第一二五二号)

 安心で行き届いた医療に関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第一二五三号)

 同(石井郁子君紹介)(第一二五四号)

 同(笠井亮君紹介)(第一二五五号)

 同(穀田恵二君紹介)(第一二五六号)

 同(佐々木憲昭君紹介)(第一二五七号)

 同(志位和夫君紹介)(第一二五八号)

 同(塩川鉄也君紹介)(第一二五九号)

 同(高橋千鶴子君紹介)(第一二六〇号)

 同(吉井英勝君紹介)(第一二六一号)

 同(内山晃君紹介)(第一三一八号)

 同(山井和則君紹介)(第一三一九号)

 同(柚木道義君紹介)(第一三二〇号)

 身体障害者補助犬法の改正に関する請願(川端達夫君紹介)(第一二六二号)

 同(福島豊君紹介)(第一二六三号)

 同(山本幸三君紹介)(第一二六四号)

 同(衛藤征士郎君紹介)(第一三二四号)

 同(山井和則君紹介)(第一三二五号)

 同(玄葉光一郎君紹介)(第一三八〇号)

 同(前原誠司君紹介)(第一三八一号)

 潰瘍性大腸炎・パーキンソン病の医療費公費助成適用範囲見直しの撤回及び難病対策予算増額等に関する請願(古屋範子君紹介)(第一三二一号)

 臓器の移植に関する法律の改正に関する請願(阿部知子君紹介)(第一三二二号)

 同(山井和則君紹介)(第一三二三号)

 社会保障制度拡充に関する請願(穀田恵二君紹介)(第一三七〇号)

 青年の雇用に関する請願(笠井亮君紹介)(第一三七一号)

 中国残留日本人孤児問題の解決に関する請願(穀田恵二君紹介)(第一三七二号)

 同(佐々木憲昭君紹介)(第一三七三号)

 同(塩川鉄也君紹介)(第一三七四号)

 同(高橋千鶴子君紹介)(第一三七五号)

 同(土肥隆一君紹介)(第一三七六号)

 中小自営業の家族従業者等に対する社会保障制度等の充実に関する請願(塩川鉄也君紹介)(第一三七七号)

 放課後子どもプランに関する請願(石井郁子君紹介)(第一三七八号)

 進行性化骨筋炎の難病指定に関する請願(川条志嘉君紹介)(第一三七九号)

 難病患者などの医療と生活の保障に関する請願(大野功統君紹介)(第一三八二号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 厚生労働関係の基本施策に関する件(臓器移植)

 厚生労働関係の基本施策に関する件


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     ――――◇―――――

櫻田委員長 これより会議を開きます。

 厚生労働関係の基本施策に関する件、特に臓器移植について調査を進めます。

 本日は、本件調査のため、参考人として、特定非営利活動法人日本移植者協議会理事長大久保通方君、日本移植学会理事長田中紘一君、社団法人日本小児科学会会長別所文雄君、日本弁護士連合会人権擁護委員会特別委嘱委員光石忠敬君、神戸大学大学院法学研究科教授丸山英二君、財団法人日本宗教連盟事務局長佐藤丈史君、以上六名の方々に御出席をいただいております。

 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 最初に、参考人の方々から御意見をそれぞれ十五分以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、発言する際は委員長の許可を受けることになっております。また、参考人は委員に対して質疑することができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 それでは、まず大久保参考人にお願いいたします。

大久保参考人 私は、全国の移植を受けた方々の団体でありますNPOの日本移植者協議会の理事長をしております。私自身も、今から二十二年五カ月前に妹からの提供で腎臓移植を受けた者でございます。なおかつ、現在は、臓器移植にかかわる患者団体でつくっています臓器移植患者団体連絡会という会の代表幹事をさせていただいています。

 こういった場できょう発言をさせていただくことにとても喜んでいます。本当にきょうはありがとうございます。

 それでは、お話をさせていただきます。

 皆様御承知のように、現在の臓器移植法は九年前に施行されております。このときに、この法律は三年をめどに見直すという条文がありました。今から十五年ほど前ですけれども、臨時脳死及び臓器移植調査会、いわゆる脳死臨調において、我が国においても脳死を人の死と認め、臓器移植を進めなければならないという答申が出されました。しかし、一九九七年に制定されました現臓器移植法は、その答申に沿ったものではありませんでした。

 私たち臓器移植にかかわる患者団体は、このような内容の法律ではほとんど移植は行われないだろうと反対をし、いっそのことなら法律すらつくらない方がいいのではないかとも考えました。しかし、まずは厳しい状況でスタートして実績を積んだ後に、条文にありますように、三年後の見直しにおいて私たちが希望する法律にぜひ改正をいただける、そう信じて、正直申しまして、本当に涙を流してこれを受け入れました。

 しかし、それからもう既に九年が過ぎてしまいました。移植の先生方、医療関係の方のお話によりますと、我が国で希望される心臓移植の方で、移植を受けずに亡くなっている方が大体年間三百人から四百人、肝臓移植で二千人と推定されています。そうしますと、この間にもう二万人を超える方が既に亡くなってしまっています。また、その他の腎臓、肺、膵臓などを合わせると、本当にはかり知れない数の方々がこの間に亡くなってしまいました。

 これらの方々の命は、他の先進国であれば救われた命なんです。たまたま我が国に生まれたために亡くならざるを得なかった命なんです。この後、恐らく日本移植学会の田中先生からお話がございましょうが、我が国の移植医療の水準は世界のトップクラスです。そして、この春から、四月一日からですが、ほとんどの臓器移植にかかわる医療について健康保険が適用され、一般医療として認められております。すなわち、移植医療、高度な医療技術とだれでも受けられる保険制度がありながら、我が国ではこれらの患者さんを救うことができないのです。

 皆様方は、御自身のお子さんが重い心臓病にかかられたとき、我が国に生まれたのが不幸で、死ぬしかないねと言えるでしょうか。ああ、アメリカで生まれれば助かったのにな、ごめんなさい、そんなことが自分の子供、家族に言えるでしょうか。私にはそんなことは到底言えません。だれでも、何としても我が子を救いたい、我が愛する家族を救いたいと思うでしょう。それも、救える命なんです。これは本当に、人としてそういうふうに考えるのは当然のことだと思っております。

 ここにおられる先生方は、我が国の方針を決める方々でございます。皆様方が議論され、法律は改正しません、我が国において臓器移植は進めないと決めました、我が国に生まれたことが不幸であって、助けられる方は移植を必要とする患者さんの一%です、どうしても助かりたい方は海外へ行ってください、国民の方々、済みませんねとおっしゃるのなら、これを御理解くださいとおっしゃるのだったら、国民の方々は納得されるでしょうか。国会というのは国の最高議決機関ですから、これは仕方ないことであります。

 しかし、我が国において移植医療を進めなければならないとなれば、現法律を改正しなければなりません。ぜひ臓器移植は進めなければいけないと思っているが法は改正しない、このような言い方だけはやめていただきたい。もう法を改正しないなら日本では臓器移植を進めないということなんです。

 今、我が国において臓器移植を進めるために、今回二つの案が提案されております。そのうち、本人の意思が不明なとき御家族の同意で提供できる、いわゆるA案に改正しなければ、恐らく日本の移植医療は進まないでしょう。

 それでは、なぜ今A案への改正が必要なのか、簡単に述べさせていただきます。

 現法律では、臓器提供に際し、本人の自署による書面の提示と家族の承諾を必須としております。二年前に内閣府の行いました世論調査においては、三五・四%の方が脳死下での臓器提供をしてもよいと回答されております。最近の読売新聞など、この本には載っておりますけれども、ほぼ六割の方が、脳死での臓器提供に承諾すると御返事をされております。

 そして、必須となる意思表示カードは、もう既に一億枚を超える数が配布をされております。しかし、実際に提供を承諾してそのようにカードに記入をしている方は六・一%にすぎません。また、こういったことは実際本当に、急に起こること、突然に起こることなんです、予期せずにして起こることなんですが、そのためにこのカードは常時携帯する必要があるんですけれども、実際に常時携帯している人は二・六%にすぎません。

 そして、脳死下での提供は、脳死になる方が日本では大体一万人ぐらいと推定されていまして、そのうち、恐らく臓器提供が可能であると思われるのは四、五千人というふうに言われておりますが、実際の提供はそのたった〇・一%にしかすぎません。

 私たちは、提供したくない方から提供してほしいと言っているのではありません。提供したい方から提供していただける制度にしてほしいとお願いしておるのでございます。

 我が国の臓器移植法は、唯一、臓器の提供に際し、本人のサインによる提供承諾書を必須としている国です。近隣の韓国や台湾、アジア諸国はもとより欧米諸国においても、このような制度をとっている国はありません。WHOも同様に、一九九一年に、臓器提供に関する指針で、本人の意思の尊重と本人意思が不明なときは家族の同意で提供できるようにとうたっております。ヨーロッパにおいては、提供拒否の登録を行い、登録しない者については提供承諾とみなす制度が今や主流になっております。

 年齢を引き下げるだけのB案では、成人の提供について現状と全く変わりません。また、やはり小さい子供たちは、日本国内での心臓移植は受けることができません。海外で、子供たちについて年齢制限を設けている国はありません。皆、親権者の同意で臓器提供を行っています。

 私たちは、特別な改正のお願いをしているのではありません。ただ海外と同じ法律にしてくださいとお願いしているのです。

 日本人の命は日本人が助ける、これは当然のことではないでしょうか。今はそのツケを海外に回しているのです。アメリカなどの国の善意に頼っているのです。腎臓や肝臓では中国へ行っています。この中国での移植には、いろいろな問題があります。皆様もよく御承知のことだと存じます。こんなことをいつまで続けるのですか。助けることができる力がありながら、制度改革を先送りし続け、これは率直に申し上げて日本の恥です。

 WHOでも公然と日本への非難が起こっております。これらの日本人の命は、制度を変えることによって、私たち日本人自身が助けることができるのです。

 後で発言されるでしょうが、日本弁護士連合会の方も、現法律制定前には、まず厳しい条件でスタートし、国民の信頼を得た後、新たに改正をする方が我が国にとって将来的によい、そうおっしゃいました。

 世界でも、我が国のように第一例から第三者による検証委員会を設け、全例、提供御家族への説明から医学的検証を行ってきた国は恐らくないでしょう。確かに数は少ないですが、ここまでやってきたことは皆さんよく御存じのことだと思います。脳死下での臓器提供と臓器移植は、数は少ないですが、当初から日本移植学会が目指しておりましたオープン、フェア、ベストを実践し、国民の信頼を得てきたものと存じます。

 今の法律は、提供したくない方の権利は尊重するが、提供したい方の権利はほとんど尊重されていません。移植医療は、四つの権利の尊重。すなわち、提供する権利、提供したくない権利、移植を受ける権利、移植を受けたくない権利、これらの権利が同じように尊重される社会でなければなりません。

 私たちは、現行法が施行されて以来、一日も早い臓器移植法の改正を訴え続けてきました。今ようやく改正の機会がやってきました。年齢のみを引き下げるB案では、小さい子供は日本国内で心臓移植を受けることはできません。そして何より、先ほど述べましたように、臓器提供を希望する方の意思を生かすことにはなりません。

 今も、日本各地で毎日毎日、移植を受けることができずに亡くなっています。この法律は、一日おくれるだけで多くの命が失われてしまいます。

 ここにいらっしゃいます国会議員の先生方、この問題は遠い世界の問題ではありません。拡張型心筋症は、いつどのように、どなたに起こるかわかりません。我が国では、B型肝炎、C型肝炎のウイルス感染者は、五百万人とも六百万人とも言われております。糖尿病患者は千三百七十万人と厚生省の統計に載っております。これらの疾患が悪化しますと臓器移植が必要となります。いつ御家族や、いや御自身がこれらの病気になり、移植が必要になるかわかりません。ぜひこの問題を自分自身や御家族の問題としてお考えいただきたいと思います。

 そして、きょうも、今もこの時刻にも、移植を受けることができずに亡くなっている患者さんがたくさんいらっしゃることを忘れないでください。このような患者さんとその家族にかわり、切にお願いする次第です。

 どうぞ、この患者さんにかわりまして、一日も早く現臓器移植法改正案の審議に入り、A案を可決、成立させていただくよう、切にお願いする次第でございます。

 以上で私の発言を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)

櫻田委員長 ありがとうございました。

 次に、田中参考人にお願いいたします。

田中参考人 日本移植学会理事長をしています田中でございます。

 こういう発言の機会をいただきまして、大変ありがとうございます。

 日本移植学会と申しますと、臓器の不全、これで不全になりますとお亡くなりになる状態ですが、組織の不全、あるいは白血病や糖尿病のように細胞の不全、こういうものを移植によって治そうという学術集団であります。他の学会と比べますと、社会性というんですか、そういうのを帯びた、だれでも入会できるという、非常に特異的な学術集団であります。

 我が国は、長い間、移植を推進するということを望みながらなかなかできなかったんですが、一九九七年に法を施行していただいて、そしてようやく臓器移植がスタートいたしました。この時点では、和田心臓移植の負の遺産、それから、当時はまだパターナリズムを中心とする医療そのものへの不信や、移植そのものに対する信頼がなかなか得られない、そういう状況下でこの臓器移植が施行され、この臓器移植を忠実に遵守するという形で日本移植学会は指導してまいりました。

 この当時の理事長をされていましたのは、今、日本臓器移植ネットワークの副理事長をされている野本亀久雄先生ですが、野本先生の我々学術集団の大きな方針は、オープン、フェア、ベスト、こういうことをポリシーにして、まず、何が何でも国民から理解される、あるいは信頼を得る移植医療を進めるという方針にいたしました。

 そういう意味では、法の運用にも書かれています移植関連学会が、どういう施設がいいのか、それから、少なくともナショナルチームによって移植医療をやるように、こういうような大きな方針のもとに、施設も絞り、現在では、心臓移植施設が七施設、肺移植が九施設、肝臓移植が十三施設、これは当初は二施設で始まったんですが、膵移植施設が十二、小腸移植が九施設、こういう非常に限られた施設で、集中的にナショナルチームとして行っています。

 そういう中で、オープン、フェア、ベストということで、一つ一つの臓器が生着し、それから長期にわたり患者さんが普通の生活に戻れるように、そのプロセスの中で努力してまいったわけです。

 幸いに、我が国の脳死移植の成績は、心臓、肝臓、腎臓、膵、肺、いずれをとりましても、移植先進国と言われる施設と比べて十分な成績を残しているわけです。例えば心臓移植ですと、海外ですと三年生着率が七九%ですが、我が国の三年生着率は九七%、こういう状態で、海外からも高く評価されているわけです。

 しかしながら、こういう移植のチャンスがあり、うまくいって、普通の生活をし、順調に社会復帰して社会に貢献していると言われる方は大変少ない数でございます。今大久保さんがおっしゃられたとおり、実態は、やはり年間五例、六例の移植にすぎないわけです。

 そういう中で、海外に渡航して海外で脳死の移植を受けるということはいまだに数多くありまして、これは臓器移植施行以来ほぼ同じような数で、あるいはむしろふえつつある、そういう状況であります。

 ちなみに、海外渡航移植、日本移植学会が中心で先日調べた中では、現在、腎移植では百九十三名の方が、肝移植では二百二十一名の方が海外で、主に米国、オーストラリア、最近は中国それからフィリピン、こういうところで臓器の移植を受けて帰ってこられているわけです。

 我が国の法律の大きな特徴の一つは、十五歳以上というドナー提供者の年齢がありますので、肝臓ですと成人の肝臓をある程度部分的に縮小して、小さな赤ちゃんにでも移植できるという技術はありますが、心臓ですとそれは全くできないわけであります。そういう中で、やはり海外に行く人たちが多いわけですが、心臓移植ですと海外では七千万から二億円というお金を用意して、そして、言葉の通じないところで、やがてやってくるであろうかというような臓器を待たないといけないわけであります。

 では、本邦におけるこういう希望者は多いのかということになりますと、日本臓器移植ネットワーク、これは臓器を公平に分配する組織なんですが、こういうところと連携しながら移植を進めているわけですけれども、登録者は依然として多い数であります。しかしながら、チャンスは非常に少ないので、肝臓の場合ですと、亡くなるか、生体移植か、あるいは海外に行かざるを得ない、こういう大変苦しい状態が続いています。

 実際、意思表示カードを持って、脳死下で臓器を上げてもいいよという人は、実際、数多くはあるんですが、いろいろなプロセスの中で数がだんだん減って、最終的に我が国では現在まで九年間で五十例にすぎない、こういう状況であります。したがって、今後、国民の理解を得られる、あるいは病気の人に役立つという医療のためには、やはりこの状況は何としてでも突破していただきたい、こういうお願いであります。

 海外とどこが違うのかといいますと、臓器移植の提供の決定をするプロセスが大変違いまして、海外ですと、これはWHOが主に推奨をしているんですが、臓器提供の意思が不明なときには家族の意思で臓器提供の思いを遂げますように、これが標準的ですが、ベルギーとかフランスとか、他の一部のヨーロッパの国は、拒否をしなければ臓器提供する、こういう仕組みもつくっているわけです。

 我が国の法律で大きな問題点は先ほど大久保さんが述べたとおりですが、今後、移植学会としても、病める人たちのために、骨髄移植もそうですが、オープン、フェア、ベストということで、こういう国民の理解を十分得ながら進めたいという所存でございます。どうか、臓器提供をしたい人、したくない人の意思を十分生かせるような法律に御努力いただきたいと思います。

 ありがとうございました。(拍手)

櫻田委員長 ありがとうございました。

 次に、別所参考人にお願いいたします。

別所参考人 それでは、私から意見を述べさせていただきます。

 こういうところでもって上がってしまいますので、ちょっと原稿を読ませていただきたいと思います。

 小児の脳死臓器移植については、日本小児科学会は、前会長の時代に、脳死を人の死として容認する、脳死移植を医療技術としても認めるということを言っております。そして、ただし、そのためには三つの点について基盤整備の必要性があるということを提言しているわけです。私もこの提言については全面的に従うものですけれども、ここでは、これらについて既に発表されている事柄はできるだけ繰り返すことなく、私の意見を述べさせていただきたいと思います。

 私は、この問題は単なる医療技術の問題に矮小化するべきではないというふうに考えます。そして、広く医療水準、社会状況、宗教、死生観、伝統などを総合して判断することが必要であるというふうに考えます。

 医療水準について見ますと、私がこの問題に関して大切だと思うことは、日本の医療には、みとりの医療、喪の作業、グリーフケアと言われるような面が欠落しているのではないかということを感じます。医者は、患者が死亡するとき、自分の力の至らなさを感じてがっくりしていることが多くて、医者自身がこのようなことをする心の余裕がないのが実情です。

 それで、この点も生前の治療の際と同じように、チーム医療によって対応することが必要ですけれども、この場合のチーム医療には、ぜひカウンセラーなどの、心の問題として死を扱うそれなりの専門家が加わっていることが必要だろうというふうに考えます。しかし、今の日本の医療事情では、その必要性がわかっていても、そのような専門家の参加を求める余力がないのが一つの実情であります。小児の脳死に関する実態調査で、厳密な脳死判定が行われた例が非常に少ないということが明らかになっておりますけれども、その理由は、家族への終末医療の対応によって、うまくそれができなかったというようなことがその理由として上げられております。

 みとりの医療は、愛する対象を失った人が、悲しみのどん底から少しずつ立ち直って、思い出を美しく昇華させて、現実に立ち向かえるようになるまでの心のプロセスを助ける作業というふうに言われております。この作業によって、移植に関しても、強制ではなくて、自然の過程として脳死を受け入れ、臓器を提供しようという気持ちをもたらして、提供者を増加させることがむしろできるのではないかということを言っている方もおられます。

 このことは、後で問題にする虐待の問題にも関係することですが、この場合は逆に、むしろ虐待した親は死を受け入れずに、臓器の提供も拒むようになる可能性の方が強いのではないかというふうに言っております。

 医療水準の別の面について見ますと、事故と救命が問題になります。

 日本は、周産期死亡率及び乳児死亡率が世界でトップクラスでありますけれども、一歳から四歳の死亡率は世界で二十一番目と、いわゆる先進国の中では決してよい方ではありません。この理由についての解明のための研究が今小児科学会でもって行われようとしておりますけれども、周知のように、子供の死因の第一は不慮の事故であります。それで、日本では残念ながら、PICU、子供のICUが余り普及していない状況にあることがありまして、このことは救命率の低さに関係があるのではないかというふうに私は考えております。一般に、米国と比べて救急救命率が大変劣っていると言われておりまして、救急救命センターの整備など、救命のためのシステムの整備が十分ではないのではないかと思われる節があります。死ぬ必要がない死を幾らかでも少なくする努力が必要ではないかというふうに考えます。

 平成十三年度の厚生科学特別研究報告によりますと、外傷死亡患者のうち四〇%が防ぎ得る外傷死亡であったことが示されております。米国では、一九六〇年代後半から一九七〇年代では、防ぎ得る外傷死亡率は二五から五〇%という高い数値でありましたけれども、そのシステムを整備することによって、一九八〇年代には〇・九から二一%と著しく減少したと言われております。

 このことはまた、虐待との関係でも重要になってきます。欧米では、ゼロから三歳までの頭部外傷の三〇%、骨折の五二・九%が虐待によると言われておりますけれども、日本でも、重症頭部外傷の二〇・四%、頭部外傷の一〇から四〇%は虐待による可能性があると言われております。

 虐待による脳死小児からの臓器採取を防ぐための整備とともに、救命率を欧米並みにすること、そのためにPICUの整備を行うことが大切であろうというふうに考えます。

 次に、虐待の問題を取り上げたいと思います。

 日本小児科学会では、脳死小児からの臓器移植実現のための必要要件の一つとして、被虐待児の排除を上げております。このことは、前述の委員会の調査で、十五歳未満の脳死は百六十三例で、年間四十から五十例の脳死例が発生しておりますけれども、その原病名としての虐待は乳幼児の八例に上るという事実が明らかにされておりまして、このような事実に基づいた見解です。

 日本小児科学会の虐待についての委員会が行った十六年度の調査で、小児脳死例から被虐待児を排除することが実質上可能な病院は極めて少ないということが明らかになっております。虐待の診断は簡単なものではなくて、脳死または重度の障害を残した虐待百二十九例のうち、被虐待の診断の確定に七日以上を要した症例は十九例、六十日以上を要した例は九例も存在しております。

 日本医師会なども、二〇〇二年に虐待の早期発見と防止マニュアルなどを発行しておりますけれども、これらの存在にもかかわらず、なかなか診断されるようになってきておりません。何ゆえ診断マニュアルがあってもなかなか診断に至らないのかということですが、虐待を疑わなければマニュアルを用いようという考えにも至らないわけですので、どのような場合に鑑別診断として虐待を入れるのかということが重要になってきます。

 私の所属する杏林大学の附属病院では、ユニークな虐待防止委員会が存在します。現在私がその委員長を務めておりますけれども、平成十一年にこの委員会が発足して以来、現在までに百五十例を超える虐待を扱っておりますが、虐待との診断を確定するには多大な努力を必要としております。日本小児科学会でも、学術集会の際にセミナーを行ったり、地方会で教育講演を行ったりしておりますけれども、小児科医に対する浸透は比較的進んでいると思うんですが、虐待に直面しているはずの他の領域の医師の関心はほとんどないに等しいのではないかと思われます。

 ところで、虐待はなくなりませんので、これがなくなるまで脳死小児からの移植はしてはいけないということは、これもまた現実的ではないことも確かです。しかし、年々ふえる一方の虐待事例を見ると、少なくとも被虐待児から臓器を採取することを避けるための仕組みを確立しておくことが必要であることを強く感じます。臓器提供施設の資格に、院内児童虐待防止委員会が設置されていること、全国的ではないにしても、対象となる地域に、米国では既に設立されて活動している公的な虐待対策部隊の存在が必要と思われます。日本では、医療施設ばかりでなく、地域においても虐待問題が十分な扱いを受けておりません。児童相談所がありますけれども、それが十分に機能していないことは、昨今のマスコミをにぎわしている虐待事件からも明らかです。

 社会的な状況としまして、この虐待に対する社会的取り組みが極めて不十分であること以外にも、防ぐことができる死を防ぐための施策が日本では極めて貧弱なことが上げられます。さきにPICUが極めて少ないことを述べましたが、ここでは一つ前の段階の問題、すなわちPICUの世話になるような事態に至る前の問題について述べたいと思います。

 小児の死因の最多は事故でして、死因の約四分の一を占めますが、その原因を見てみますと、一歳から二十九歳の不慮の事故の原因は四四%が交通事故であるというデータがあります。交通事故による死亡を防ぐのにシートベルトが有効であるということが言われておりますけれども、子供の場合にはチャイルドシートということになります。ところが、日本でのチャイルドシートの着用率は依然として低いままです。助手席でもって伸び上がって、フロントガラス越しに前を見ているような子供をよく目にします。ところが、それを警官が見ても注意する様子もありません。それから、罰則規定も非常に軽微です。米国では、州によって異なりますけれども、十ドルから五百ドルぐらいの罰金が取られます。イギリスでも同様です。罰金の金額もばかにならないようですし、場合によっては、児童虐待として取り締まりの対象にさえなるようです。ところが、日本ではほとんど野放しな状態にあります。

 以上をまとめますと、臓器移植によってしか助からない命があることは確かですが、しかるべき対策がとられれば脳死に至らなかったであろう命もそれ以上にあることも確かであること、それから、虐待の診断はマニュアルがあれば容易にできるというほど簡単なものではなく、被虐待児からの臓器移植を防ぐためにぜひ整えるべきシステムの整備が必須であることなどを考えますと、現在の日本の医療水準及び社会的状況は、脳死小児からの臓器移植のためにはいささか不十分であるのではないかというふうに考えます。これを十分なものにするために、必要な施策を早急に行うことが求められるのではないかと思います。

 以上、私の意見を述べました。(拍手)

櫻田委員長 ありがとうございました。

 次に、光石参考人にお願いいたします。

光石参考人 日弁連の人権擁護委員会の光石と申します。

 今お手元に、日弁連のことしの三月に出しました意見書と、それから私が書きましたレジュメ、これをごらんになりながらお話をお聞きいただければありがたいです。

 臓器移植一般についてということですが、臓器移植というのは、やはり特殊な先端医療である。健康な人、脳死状態の患者あるいは死者の体にメスを入れる。そして、この臓器を提供することになるドナーから臓器を取り出して、その臓器をレシピエントに移しかえる。そういう意味で、臓器を欲するレシピエント患者、その臨床上の利益を目的とする先端医療だ、こういうことです。

 もちろん、ドナーは、生きている人の場合と死んでいる人の場合があります。生体移植のドナーは、通常は健康な人ですけれども、近時問題になっているような、いわゆる病気腎移植のような場合には、病気の患者がドナーですね。いわゆる脳死移植の場合は、患者の心臓はもちろん拍動しています、ハートビーティングといいますが。それから、死んでいる人、死体からの移植というのもあります。

 医療現場では、臓器を欲しい人がいて、上げる人がいて、そして医療技術がある、それは問題ないではないかという考え方があります。その考え方には危ない落とし穴があるということをまず申し上げたい。

 一つは、ドナーの医療現場とレシピエントの医療現場は異なります。臓器移植というのは、レシピエント患者の臨床上の利益を目的としていますから、レシピエントを目の前にしている医師、医療者は、レシピエントのことを第一に考える。そうすると、ドナーの状況は背景に退きます。したがって、ほっておきますと、ドナーは全く他者の、あるいは社会のための道具に格下げされてしまう。そうならないためにはどうしたらいいか。ドナーの、人間の尊厳とか人権というものをどうやったら侵さないようにすることができるか、これは第一に考えなければいけないことだと思います。

 三徴候死とか心臓死というのが社会通念上、人間の死です。ドナーの患者から心臓を摘出する場合には、人間の死の概念を明確にしないと重大な問題を引き起こすわけです。それは言うまでもなく、死んでいると判定してしまえば、その時点からその人の人権の享有主体としての地位は失われる。そして、生きている人と同じ法的保護を受けることができなくなる。

 脳死移植の場合は、脳死の状態にある患者が死んでいるかどうかという問題は、医学のみが決めることではない。やはり法的、社会的意味を踏まえて、社会がその合意のもとに決めるべきことです。その際、我々の日常感覚とか文化や宗教などの観点からのみならず、科学的及び論理的観点からも吟味しなければならないわけです。

 脳死を人間の死とする科学的ないし論理的根拠があるかどうか、これはもう再検討しなければならない状況になっています。脳死臨調のときには、有機的統合性がなくなったら人間は死んだと言ったんですが、その有機的統合性の要素として、体温とか血圧などの恒常性の維持という、ホメオスタシスというものを掲げましたが、これは、脳死判定した後で四日たっても四割の症例で視床下部の神経細胞が生きていたという科学的知見がございます。そういうわけで、有機的統合性が脳死の場合に喪失したとは言えないということが出てきている。その後に、慢性脳死とか長期脳死という患者が存在していること、そうしますと、脳死状態は、たかだか一、二週間でもう心臓死に至る、そういう概念は成り立たなくなったんですね。

 そういう科学的報告をこれはアメリカの学者が報告しておりますが、そのアメリカでさえ、脳死が必ずしも有機的統合性を失わせるものではないという科学的知見に対する反証は見当たらないんですね。

 実際に、脳死状態の患者の方々には、自動運動とか脊髄反射というのが起こります。それから、ドナーから臓器を摘出するときには、麻酔とか筋弛緩薬とかモルヒネを使う、これは常識なんですね。何でそういうことをやらなくちゃいけないのか、その理由は何かという科学的な検討をしてみる必要があると思います。

 そういう意味では、脳死を一律に人間の死だとする、そういう改正A案というのは、まず第一にその科学的、論理的な根拠を十分に再検討しなきゃいけないんじゃないか、そのことを社会に対してきちんと説明する必要があるように思います。

 それから、年齢を問わず、本人がノーと拒否をしていない限りは、いわゆる遺族の承諾で摘出を可能にするというのがA案ですけれども、そうすると、およそ人間というのはそういう意思表示をしていなくても連帯的存在なんだ、それで死後に臓器を提供するという意思を現実に表示していなくても自己決定している、こういうことをA案は言うんです。

 しかし、これはよく言われるところの、であるというザインの問題と、であるべきというゾルレンの問題を全く混同しておりますし、そもそも世論調査を見ますと、先ほどもありましたように、脳死と判定されたとき心臓などの臓器を提供したいというのが三五・四%、それに対して、したくないが三二・七%、どちらとも言えないというのが三一・九%。こうなりますと、そういう市民の感情にも沿わないわけです。

 そもそも、何人の何の決定もない状況に至るまで自己決定だ、こういうふうに言うのは、これは自己決定という一つのプラスイメージの言葉を乱用している。そういう意味では、もし自己決定法理でA案を正当化するのであれば、それは人間の尊厳を侵すものだ、こういうふうに言わざるを得ない。

 しかし、我々の多くは漠然と、脳死といいますと脳が死んでいる、こう思っています。本当でしょうか。これは実は、専門家がいろいろ定義を操作しまして、かなり前の段階で、脳の最末期から少し前の段階で脳死というふうにしてしまいました。そのことを多くの市民は知らないんですね。

 これは詳しく言います時間がないんですが、そもそも脳という臓器の何に着目するのか、組織とか形態に着目するのか、機能に着目するのかという意味では、機能だけですね。そして機能の中でも、脳の全部の部分の機能に着目するのか、それともそうじゃないのか。これはそうじゃないんですね。ところが、広辞苑等なんか見ますと、あるいは内閣府の世論調査で脳死の定義のところを見ますと、脳全体、つまり頭蓋骨の中全部、このすべての機能が喪失した、こう言っているんですね。だから、普通の市民はそれが脳死だ、今の法律はそうなんだなと、こういうふうに誤解しています。

 いずれにしても、結局、今の法律は全脳という言葉を使いました。これは非常にあいまいな言葉で、主たる機能しか問題にしないということです。そうしますと、例えば視床下部なんかの機能はもう無視していいというのが現行法です。

 臓器移植ネットワークが意思表示カードとか説明文書を配布しています。それから、厚労省も中学校三年生向けの臓器移植に関する教育啓発パンフレットなんかを昨年配っています。それを見ますと、脳死が一律に人間の死である、そういう趣旨で説明していますし、脳死の定義も誤っていますし、それから脳死状態の患者がしばらくして心臓死に至るというようなことを書いています。これはみんな誤っている。そういう誤った状況で相当数の方が意思表示カードに丸印をつけているとすると、それらの方々の自己決定というのは錯誤に基づいている、ないしは誤解に基づいていると言わざるを得ないわけです。

 子どもの権利条約というのがあって、それによって意見表明を認めて、意見を表明し得る年齢を十二歳まで引き下げていいというような考え方もありますけれども、成人ですら誤解が多い内容について子供のサインを得て、そういうふうな臓器摘出を認める方向で子供の意見表明権を発動させるというのは、この子どもの権利条約十二条の趣旨に反することだと思います。

 それからまた、親権者の承諾のみで子供の臓器摘出を可能にするという考え方もありますけれども、しかし、子供の最善の利益という原則を考え、そしてまた、これは本人にとって臨床上の利益は何もありませんから、そういう意味では、そういう非治療的な介入について、親権者に、監護権といいましょうか、そういう権限はありますけれども、その権限を越えているだろうと思います、そういうことを親が子供本人を代行することは、許容できないだろうと思います。

 実際、これは生体移植なんかお考えいただくといいんですが、ドナーの体にメスを入れるということが、傷害罪とか死体損壊罪とか、そういう犯罪にならないようにしなくちゃいけないわけですね。日常の診療行為で患者さんにメスを入れる場合は、そこで医学的適応性と医術的正当性とインフォームド・コンセントがあれば、これは適法なんです。

 ところが、特殊な先端医療である臓器移植で、どういう条件を満たせばそういう違法性がなくなるかというようなことについては、その条件を規定する規範がなくちゃいけない。そうじゃないと、お医者さん、医療者にとってみれば、どうすれば違法性がなくなるかというようなことがわかりませんから、非常に不安定である。それから、ドナーにしてみますと、他者ないし社会のための単なる道具に成り下がってしまう。それが倫理指針というような規範で十分かどうか、これは次に述べます。

 今、生体移植を含めて、あるいは被験者に対する医学研究の場合もそうなんですが、ここ数年、日本では倫理指針ラッシュなんですね。それは国が定める指針とか、あるいは学会が定める指針とか、そういうものをソフトローと呼んで、ローというのは法的拘束力のあるものをローというんですが、法的拘束力のないものをローというのは、私に言わせると言葉が妙だなと思っていますけれども、この考え方、ソフトロー説というものにかなり依存しているんですね。

 このソフトロー説というのは、最上に、一番上に法律があると言っています。これは間違っていますね。やはり憲法とか条約とか国際人権法というのが、もちろん法の世界では一番上にあります。

 それから、このソフトロー説というのは、日本では法律に対して信頼感が薄くて距離感が大きいから、そして法の支配に対して意識が低いから、そしてまた医学の専門家たちはそういう倫理意識が高い集団であるから、したがってソフトローで十分だ、こういう言い方をする。そうしますと、我々市民としては、ロー、法的拘束力がある、法的規範のようなものがもうあるから、それなら法律は要らない、こんなふうに誤解する可能性があります。それはとんでもないことです。

 それからまた、倫理指針というのをそういった法よりも下に置くというのが、このソフトロー説。とんでもないですね。法というのはやはり社会基盤を規定するものだと思います。ところが、倫理指針とか、そういう学会が決めるようなことというのは、もっともっとレベルの高いところの問題を決めていくということだと思います。それは逆だと思います。

 それからまた、そのソフトローの説によりますと、倫理指針をみんな守っていますと言うんですが、それでは最近の宇和島のあの件は何なんでしょうか。あれは、学会の指針とかあるいは倫理委員会なんというのは無視されてきたんじゃないでしょうか。

 そういうことで、結局、生体移植の場合には、やはり法律が欠如している。これは絶対改めなくちゃいけないんじゃないか。そうしないことには、医師にとっては、どうすれば違法性がなくなるかということがわからない状況が続くというのはやはりまずいし、それから、ドナーの方を単なる社会、他者のための道具にしてしまわないようにするためには法律が必要だ。

 そもそもこのソフトロー説というのは、国会、立法府というものをどちらかというと外へ置いてしまって、行政と専門家だけでもって規範を決めていく、こういう考え方ですので、こういう社会の基本にかかわることについては法律で決めなければならないんだ、私はそういうふうに思います。

 それからまた、脳死判定に至る前提として、ドナーとなる患者に救命救急医療を尽くさなくてはいけないんですが、しかし、患者がどういう状態になったら脳死判定をするのかとか、そういう明確な基準がありません。それから、脳死にならないようにする脳浮腫に対する脱水療法と、それを今度は臓器を新鮮に保つための加水療法にいつ切りかえるか、これも明確な基準がありません。それから、いつカテーテルを挿入して臓器保存のための処置をするか、これもはっきりしていません。

 それからまた、今、健康保険の被保険者証に意思表示記入欄を設けるということがあります。そうなりますと、もう救命救急医療というのは多分劣化するんじゃないか、そういうおそれがあります。なぜかといえば、ドナーの候補者なんだ、この方は、この患者さんはそうなんだ、そういうふうに思ったときに、例えば脳低体温療法を開始するかどうかとか、あるいは救命蘇生手段はことごとく尽くされたのかどうかとか、そういったことは恐らくなおざりにされるのではないか。

 それからまた、先ほどもちょっと話がありましたが、日本における救命救急医療というのは、人的、物的両面において到底十分なものとは言えないんですね。そうなりますと、つくられた脳死というような懸念をどうしても払拭することができないんです。

 そして、現行の臓器移植法というのは、ドナー本人の提供の意思表示という第一の要件、それから脳死判定に従う意思表示という第二の要件、そして家族がノーと言わないという第三の要件、こういう、確かに諸外国に比べて厳格な要件です。他方、日本では圧倒的に生体移植がずっと多いです。それでも臓器が不足しているからということで、このA案とかB案というのが出てきているわけです。

 アメリカでどうだということをちょっと考えますと、アメリカでは本人の意思が不明でも家族の承諾のみで臓器摘出ができる制度ですけれども、これはどちらかというとA案が目指しているものだろうと思いますが、そのアメリカでも、当初はこういう健康な人にメスを入れる生体移植というのは控えていたんですね。ところが、アメリカでも、やはり臓器が不足するということで生体移植がふえてきて、今世紀に入ってからは、例えば、脳死の患者を含む死体腎移植よりも生体腎移植の方が多くなっているということが報道されております。

 諸外国のこれまでの実績から見ますと、ドナーからの臓器摘出についてどんな同意要件を決めていっても、やはりドナーの数よりもレシピエント、待機患者数の方がずっと多いわけです。そういう意味では、いずれにせよ、臓器が不足することは間違いないんですね。そうなりますと、仮に日本で臓器移植法改正A案で改正されたとしても、やはり臓器不足は解消されないんだ、そういうことが予測されるわけで、そのことも考えに入れておかなければいけないのではないか、こういうふうに思います。

 どうもありがとうございました。(拍手)

櫻田委員長 ありがとうございました。

 次に、丸山参考人にお願いいたします。

丸山参考人 神戸大学の丸山と申します。

 本日、私の見解を報告させていただく機会を与えていただきまして、ありがとうございます。

 では、早速内容に入りたいと思いますが、あらかじめ用意しましたレジュメに沿って話をさせていただきたいと思います。法文の推移というのを見てまいりますので、大学での講義のような形になりますが、お許しいただきたいと思います。

 まず最初に、本論に入る前に、基本的な立場としまして、私、研究者としましては、移植医療のあり方がどういうものであるべきか、救命のため、あるいは生活の質の向上のため、やむを得ずなされるべきものというふうに位置づけるのか、あるいは積極的に推進すべきものと位置づけるのかという点については、少し疑問を持っております。

 それから、今、光石先生の方からも少し疑問が投げかけられましたけれども、脳死を人の死とすることに対して理論的な疑問を、光石先生とは少し異なった観点から有しておりますが、きょうはそのあたりは飛ばしまして、次の、社会的政策といいますか、公共的な制度を構築する際に、正当性、英語でレジティマシーといいますが、正規の正当性を持った手続に基づいて政策決定を行うことが非常に重要じゃないかという観点からお話しさせていただきたいと思います。

 きょう問題となっております臓器移植に関しましては、国会によって制定されました臨時脳死及び臓器移植調査会設置法、これは平成元年十二月八日に公布され、翌二年二月一日に施行されているものでありますが、これに基づいて設置されました内閣総理大臣の諮問機関であります臨時脳死及び臓器移植調査会、いわゆる脳死臨調と呼ばれるものですが、その答申を踏まえることが必要ではないかというふうに思います。この答申の基本的前提を大きく変更するような事態が発生したり、新たに脳死臨調のような機関を設置して問題を再検討するというようなことがあるのであれば別ですが、それがない限りは、この答申に従うことが正当性を持つ政策形成につながるというふうに考えます。

 そういうことで、脳死臨調の答申の内容を、概要という形になりますが、見ていきたいと思います。

 まず最初、脳死は人の死であるかという問題につきましては、医学的に脳死をもって人の死とすることは合理的であると指摘するとともに、脳死をもって社会的、法的にも人の死とすることは妥当な見解であると思われ、また、脳死をもって人の死とすることについてはおおむね社会的に受容され合意されていると臨調答申は述べまして、ここにまとめて短く書きましたけれども、脳死を人の死とするという結論を下しました。この結論は、現行の臓器移植法の中に「死体(脳死した者の身体を含む。)」という形で法制化されているというふうに理解することができます。

 次に、移植用死体臓器の摘出に係る承諾要件について見ていきますと、その問題について、やや長くなりますが、重要なところかと思いますので、脳死臨調の答申をそのまま引用しております。

 臓器提供の承諾については、本人の意思と、近親者の意思のどちらを優先させるべきかという問題がある。この点に関しては、本調査会としては、本人の意思は近親者の意思に優先すべきものであり、脳死者からの臓器の提供にあたっては、本人の意思が最大限に尊重されなければならないものと考える。

  したがって、本人が何らかの形で臓器提供を否定していたときは、たとえ近親者が提供を承諾しても、臓器の摘出は認められるべきではない。また、反対に、臓器提供についての本人の承諾がドナーカード等の文書でなされていたときには、近親者はこれを尊重することが望ましいものと考える。

その後のところ、私は注目したいんですが、

  なお、臓器提供についての本人の承諾がドナーカード等の文書でなされていない場合においても、近親者が諸般の事情から本人の提供の意思を認めているときには臓器提供を認めてよいものと考える。

このあたりは脳死臨調の多数意見であったというふうに読めるところであります。その後、

 さらに、この点に関しては、本人の臓器提供についての意思が不明な場合であっても、近親者が提供を承諾する場合には、臓器提供を認めるべきであるという意見もあった。

この部分につきましては、「という意見もあった。」ということですから、脳死臨調全体の意見にまではならなかった。今、遺族の承諾で脳死者からの臓器摘出ができる案が提示されているようでありますけれども、そこまでは脳死臨調は踏み込んでいないということがうかがえるかと思います。

 時間の関係で、その後は、重要なことですが、省略させていただきます。

 続きまして、これまでの我が国の法律、法案における移植用死体臓器の摘出に係る承諾要件の推移を見てまいりたいと思います。

 一番初めに移植用臓器の死体からの摘出について法律規定を設けましたのが角膜移植法でございます。昭和三十三年の法律です。これでは遺族の書面による承諾が要件として課されております。それがあれば死体から眼球を摘出することができると定められております。

 続きまして、その後、昭和五十四年に制定されました角膜腎臓移植法では、角膜移植法と同じように、遺族の書面による承諾があれば摘出できるとされましたが、それに加えて、またはとしまして、(2)のところでありますが、死者の生存中の書面による承諾及び遺族の不拒という、変な日本語ですが、摘出を拒まないということであります。規定をそのまま読みますと、医師が本人の摘出承諾があるということを遺族に告知し、遺族がその摘出を拒まないときには、遺族の書面による承諾がなくても、死体から移植用の角膜、移植用の眼球、それから腎臓を摘出することができるということになっているわけであります。

 このあたりで、法文に当たりますと、遺族がないときということが出てまいりますが、少しまれなケースになりますので、今の議論では触れないで話させていただきたいと思います。

 こういう角膜腎臓移植法が制定されている段階で、脳死臨調の答申が下されました。脳死臨調の答申の後、最初に国会に提出されましたのが旧中山案と呼ばれるものであります。旧中山案におきましては、(1)というところですが、死者の生存中に死者本人が提供意思を書面により表示しており、かつ遺族が摘出を拒まないという場合が一つの選択肢でございます。または、もう一つの可能性として、本人意思が不明のとき、遺族の書面による承諾があれば、この場合にも脳死体を含めて死体から移植用臓器を摘出できるとされておりました。現在のA案がほぼこれと同じ趣旨を定めるものでございます。

 これにつきましては、国会で審議が進捗しませんでしたことが大きな背景としてあるんだろうと思いますが、二年後の平成八年六月に修正案が出されまして、それは4の旧中山案に対する修正案と書いてあるものですが、その二つの選択肢を定めておりました旧中山案から、後の、遺族の書面による承諾で死体から臓器を摘出できるという規定を削除してしまいまして、本人の提供意思の書面による表示があって、その旨を知らされた遺族が摘出を拒まないことのみが残されたわけであります。本人の意思の表明がなければ摘出ができないという現行制度はここに由来するものだと言えると思います。

 その後、一たん衆議院が解散されまして、この案が廃案になり、平成八年十二月に中山案という、平成八年六月の修正を経た旧中山案と同じ内容のものが法案として提出され、それが衆議院では可決されたんですが、参議院で修正が加えられ、脳死判定に従うことについても、本人意思があり、かつ遺族が拒まないという要件が加わったわけであります。6の修正された中山案のところの(1)として、死者の生存中に脳死判定に従う意思を書面で表示していること、そしてその判定を家族が拒まないこと、それから提供意思の書面による表示、摘出を拒まないことでございます。

 こういうふうな流れを見て、片や脳死臨調の答申を見ますと、脳死臨調の答申に従うと、移植用死体臓器の摘出に係る承諾要件といいますものは、その後に書いておりますようなものになるべきじゃなかったかというふうに私は考えるものであります。それは、一つは、死者の生存中の提供意思の書面による表示、または、もう一つの可能性としまして、諸般の事情から認められた本人の提供意思に基づく遺族の書面による承諾、このいずれかが満たされる場合でなければならなかったはずであるというふうに考えられます。

 しかるに、臨調答申後の国会に提出されました旧中山案では、臨調答申よりも緩い承諾要件が定められ、またその後、平成八年六月に修正された後は、逆に、臨調答申で認められていた遺族の承諾に基づく臓器提供の余地を全くなくしてしまうということがなされたわけであります。

 私は、今提案されておりますA案に真っすぐ進むよりも、まずはこの臨調答申に基づく要件をおさめる法案を採用するべきじゃないかと思います。私見では、臨調答申の基本的前提を大きく変更するような事態が発生したり、新たに脳死臨調のような機関を設置して問題を再検討したりということがこれまでなかったわけでありますから、臨調答申に従った承諾要件を改正臓器移植法に規定することが望ましいと考えます。

 それが望ましくないということであれば、臨調答申を内容的に再検討するための新たな調査会を設けること、現段階では、当時よりも、公共政策の形成におきましてパブリックインゲージメントというものが強く求められるようになっておりますので、国民的議論を広く展開させることが必要であろうというふうに思います。

 あと、四としまして、他の論点として、親族への臓器の優先的提供、あるいはその意思表示の効力を認めることの是非に関してでありますが、ほぼ持ち時間が参りましたので、これまで二回の機会に報告させていただきましたとおり、私は、生前意思による移植先の指定を認めることが望ましいんじゃないかというふうに考えます。

 どうもありがとうございました。(拍手)

櫻田委員長 ありがとうございました。

 次に、佐藤参考人にお願いいたします。

佐藤参考人 日本宗教連盟の事務局長をしております佐藤と申します。

 財団法人日本宗教連盟は、昭和二十一年に創立した日本における諸宗教団体の連合組織であります。現在、教派神道連合会、全日本仏教会、日本キリスト教連合会、神社本庁、新日本宗教団体連合会の五つの協賛団体から構成されており、日本における宗教法人数の九〇%以上が加盟しているのが日本宗教連盟であります。本日は、臓器移植法改正法案について宗教界の意見を聞く、そうした機会を設けてくださったことに心から感謝をしたいと思います。

 日本宗教連盟は、脳死臓器移植問題が人間の生と死の問題、加えて精神文化に深くかかわっていることから、これを重要課題と位置づけ、各宗教間で活発な研究協議がなされております。平成九年に脳死臓器移植シンポジウムを開催して以来、この問題について研究を重ねております。臓器移植法改正案がいよいよ具体的になってきました昨年から、昨年の二月と十一月、二度にわたってこの問題のシンポジウムを開催しました。脳死臓器移植法が国民に投げかけている問題について、宗教界として検討を重ねております。シンポジウムの内容については、お手元の記録集にまとめてありますので、そちらを御参照いただきたいと思います。

 これらの研究協議を踏まえて、去る十一月十六日、「臓器移植法改正問題に対する意見書」を発表いたしました。本日は、この意見書をもとにして、日本宗教連盟及び宗教界の意見を御紹介したいと存じます。

 七つの項目に分けてこれから意見を申し上げます。

 第一、脳死は人の死ではないということを申し上げたいと思います。

 臓器移植法が施行されて九年が経過しましたが、脳死状態であっても心臓が動き、温かい血液が循環し、汗も涙も流す人間の体を人の死とすることにいまだに国民的合意は得られておりません。そもそも死とは、肉体と霊魂が分離することであります。霊魂が肉体から離れるときは、息がとまる、呼吸がとまるときであります。人間は有史以来、心臓が停止し、呼吸がとまり、瞳孔が拡大する、これをもって死としてきた歴史があるのです。

 現在国会に提案されている臓器移植法改正案のうち、河野・福島案は脳死を人の死としておりますが、医学界のみならず科学者、法律家の中でも、脳死は人の死ではないとする見解が多く、こうした中で改正を強行することは、日本国民の将来に禍根を残すことを危惧するものであります。

 昨年五月、米国カリフォルニア大学の小児神経内科のアラン・シューモン先生が来日しました。衆議院の第一議員会館で講演をされましたその折、四歳で脳死となった子供がその後二十一年間生存し、十五キロだった体重が六十キロまでふえ、身長が百五十センチまで伸びたという報告がなされました。この方が亡くなった後、その脳を解剖したところ、脳の神経細胞は全くなくなっており、脳幹部分も石のように石灰化していたと報告されました。脳の機能が失われても二十一年間生き続け、身長も体重もふえ続けたわけであります。この一事をもってしても、脳死は人の死ではないことが証明されたものと考えざるを得ません。

 さらに、生命科学の最近の研究では、人間の体は約六十兆に及ぶ個々の細胞によって成り立っていること、そして人間の生命を支えているのは決して脳だけではないということが次第に明らかになってきております。こうした科学者の最新の研究は次々と発表されております。ぜひとも、人工臓器の開発とともに、脳の死に行く過程を研究し、科学的に明らかになる時期を待つようにとお願いを申し上げます。

 第二、本人の書面による意思表示が必要であること。

 河野・福島案では、本人が生前に臓器提供を拒否していない限り、家族の同意で脳死での臓器移植を可能にするとしています。ここに重大な問題が潜んでいます。

 愛の行為として本人がみずから進んで提供の意思表示をしているとき、臓器移植は崇高な行為であります。しかし、本人が提供の意思を表示していないときに臓器移植を実行するとすれば、そこには愛の行為の要素は全くなく、だれかが死ぬことを期待するという人間としてあるまじき状況が生まれ、日本人の精神文化はますます荒廃する道を広げることになると思料いたします。

 本人の書面による意思表示は、脳死臓器移植にとって欠くことのできない絶対条件であると私たちは考えます。本人の書面による意思表示を実質的に廃止することは、臓器移植法の改正案ではなくて、全く新しい社会の安寧を乱す法律の制定になると言わざるを得ません。この点、慎重に御検討いただきたいと存じます。

 三、十五歳以下への拡大。

 斉藤衆議院議員から提出された同法改正案は、臓器提供の年齢制限を十五歳以上から十二歳以上に緩める内容となっています。しかし、社会的に弱い立場にあり、脳死臓器移植に十分な理解を持ち得ない子供の臓器提供は、大人とは別のルールが必要であると考えます。また、親が子供の命にかかわる意思をどこまで代弁することができるのかなど、検討すべき多くの問題を抱えており、これらの問題が解決されない現状では、事の重大性を判断し、提供の意思を正しく表明できるかどうか危ぶまれる十五歳以下への拡大に反対します。

 今日でも、脳死状態での子供の蘇生力についてはまだ明らかにされていない部分が多いのではないでしょうか。子供への相次ぐ殺傷事件、幼児虐待などが大きな社会問題となっている現在、繰り返しますが、これらの問題に解決のめどがつくまで、十五歳以下への拡大は進めるべきではないと考えます。

 第四、生体移植への法規制。

 十月初め、愛媛県宇和島市で生体移植による臓器売買事件が明るみに出ましたが、この事件では、臓器提供者の書面による意思表示がなかったことが大きな問題となりました。この事件後、脳死からの臓器移植をもっと多くしなくてはならないなどの声が一部で起こりました。しかし、生体移植は、書面による意思確認を含め、法的に規制がなく、移植後のドナー、レシピエントとも健康状態の確認もされてこなかったことから、臓器移植法の改正の前に生体移植に関する何らかの法規制が必要ではないでしょうか。二度と臓器売買が発生することがないよう、早急に検討をお願いしたいと存じます。

 五、臓器移植は普遍的医療になりがたい。

 私たちは、医学や科学の進歩を否定するものではありません。しかし、医療技術の発達がもたらした脳死臓器移植という治療法は、他者の重要臓器の摘出を前提としている限り、普遍的な医療にはなりがたく、過渡期的な治療法と言わざるを得ないと考えています。

 臓器移植大国と言われる米国でも、脳死からの臓器移植が不足し、生体移植が増加してきております。肝臓、腎臓、肺などの生体移植では、その手術が成功したにせよ、多くの方々が術後の後遺症で苦しんでおります。

 また、年々救急医療の技術が進歩してきております。交通安全対策の充実により、交通事故による死者も減少してきております。これは、総体的に脳死状態になる人の減少を意味しております。

 こうした状況の中で、拙速に法律の改正を図ることが妥当なのかどうか、慎重に御検討くださいますように重ねてお願いを申し上げます。

 六、なぜドナーがふえないのでしょうか。

 ここで、昨年十一月、日本生命倫理学会で開催されたセッションでの興味深い報告を紹介したいと思います。

 これは、都内の大学の医学部で公衆衛生学と脳神経外科を学んでいる学生たちが行った調査であります。医学部の学生三百八十八人と一般学生百三十四人を対象に行った脳死臓器移植に関するアンケートであります。

 これによりますと、医学生の方は、患者に移植手術を勧めるという人が八三%でした。いざ脳死となったとき、自分の臓器を提供するかで、提供すると答えた人は四五%でした。もう一つ、脳死になった家族の臓器を提供するかの質問に対しては、二二%であります。この最後の二二%という数字は、一般学生の答えと何ら変わらない数字であります。

 このように、医学を学んでいる学生たちでさえ、他人には臓器移植を勧めようとしますが、いざ自分や自分の家族のこととなると、全く違う判断をしてしまうわけであります。こうした現実は、日本でなぜドナーがふえないのか、日本の脳死臓器移植が直面している問題を端的にあらわしているのではないでしょうか。要は、社会的なコンセンサスが形成されていないからであります。臓器移植を勧める医学生が社会的コンセンサスから自分たちを除いているわけです。

 臓器移植法改正に着手する前に、こうしたギャップを埋めていく作業が必要なのではないでしょうか。

 最後に、宗教者の役割として、私たち宗教者は、一人一人がみずからの命を生かしながら生きていくことを、また、死に直面する人に対して最後まで希望を抱き続けることを説いてきました。この世に生をうけた一人一人の命はかけがえのないものであり、その命をたっとび、死ぬ瞬間までよりよく生きることを説いていくのが宗教者の働きであります。

 人間の死は、単に科学だけの問題ではないと考えます。御承知のように、日本の古典、万葉集の約半分は挽歌、すなわち人々の死を悼み、嘆き悲しむ歌であります。万葉の時代から、人々は人の死の不合理さ、悲惨さを歌に詠み、死を受容してきたわけであります。

 すなわち、人間が生きること、死ぬことは、医学や科学だけではなく、哲学、倫理、そして宗教の重要なテーマであります。

 さきに申し上げましたが、この問題は国民の生と死にかかわる問題であることから、十分な論議を経ずに決定するのではなく、脳死臨調答申から十四年たっておりますので、この間に脳死についての科学者の研究も進んでいることでありますので、第二次臨時脳死及び臓器移植調査会などを設置し、脳死判定のあり方や子供への移植の問題を含め、科学的に、医学的に、法律的、倫理的、文化的、宗教的側面において、社会的合意が成立するまで慎重な検討を重ねられますように強く要望します。

 以上で意見陳述を終わります。ありがとうございます。(拍手)

櫻田委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人の方々の御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

櫻田委員長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。冨岡勉君。

冨岡委員 自由民主党の冨岡でございます。

 各参考人からは、大変重たい御意見、陳述をいただきまして、ありがとうございます。

 私は、二十数年外科医として、その後半は移植外科の教室に在籍した者として、今般はA案を支持する立場から、法案提案者の一人でございまして、そういった観点から質問をさせていただきます。

 まず、自分の経験からちょっとしゃべらせていただきますと、確かにいろいろな御意見をいただいたんですけれども、まず、例えば小児の外科手術を小児外科というのはやるわけなんですが、その際に、本人の意思、あるいは意思がなくても、あるいは意思に反しても、例えば虫垂炎とかがんの場合には、泣いておられてもそのお子さんの体にメスを入れて、その生命を助けるがゆえをもって親権者の同意をもって手術をしているわけでございます。そういうものが現実的に今も、この瞬間も行われているところであります。

 また、臓器についても、解剖という名で、難治性の疾患であれば、そのお子さんの意思がどうであったか、ある場合もあるでしょう、同意された場合もありましょうけれども、ない場合も、親御さんの意思をもって臓器を献体という形で摘出させていただいて、病因を究明するという名のもとに臓器をいただいております。

 また、移植に関しましても、腎臓や角膜は、先ほど参考人が述べられましたように、別枠の法律が既にもうあるわけでございます。

 そこで、まず、一般的に、我々人類がそういう発生段階、社会を発達させていく過程において、一応それでいいんじゃないかという概念を新たに組み立てて適応をはかっているわけでございます。

 そこで、私は、先ほど述べましたようにA案というのを支持しているわけでございますけれども、これは御案内のように、もう一度確認しますと、年齢を撤廃する、それも親の意思でできるようにする、細かいことは省きます。B案は、現在十五歳の年齢制限があるのを十二歳までにするということでございます。

 実際、国会は、この移植法案をなぜここで審議しているかと申しますと、今までの現行法がやはり不備であるということで両者は一致しております。両者というんでしょうか、提案者は。ほぼそれは、国会議員、いろいろ異論があります、佐藤参考人からも慎重な意見ということがありますが、いろいろ異論がある中で、やはり何としてでもこの不備を直すために、今回、こういう、参考人の方から意見陳述を行っていただいているわけでございます。

 そこで、確認をしたいんですが、大久保、田中両参考人は、恐らくA案ということで論点をまとめていただいたと思っております。それでよろしいでしょうか。

大久保参考人 先ほど意見陳述の中で申しましたとおり、私たちはA案を支持しております。

 以上です。

田中参考人 移植学会挙げてA案を支持しています。

冨岡委員 別所参考人は、結論的には、いろいろな虐待問題等問題があるということのお話だったと思いますけれども、例えば、移植法自体に反対するのか、A案なのかB案なのか、今のままでいいのか、そこら辺を、ちょっと確認というか、お聞かせ願いたいと思います。

別所参考人 お答えいたします。

 小児科学会の立場としては、基本的には、法律としてはB案ということです。ただし、その中で、A案にある虐待の問題に関して、B案の方にはちょっと抜けているんじゃないかなと私は思うんですが、やはり、虐待の問題というのを何らかの形で排除することが前提の上で、B案に今のところ賛成ということです。

 以上です。

冨岡委員 弁護士連合会の光石参考人は、これはちょっと確認しておきたいんですけれども、連合会全体で、満場一致ではないと思うんですけれども、大体比率として、この移植法全体にもう最初から反対意見なのか、それとも、現行法は問題あるんだけれどもよしとするのか、あるいは、今度改正法案が出る、それ自体に反対なのか、A案なのかB案、もしおわかりなら、全体の雰囲気として、雑駁な意見で、大体、三対三対三とか、何かそういう感じでいいんですけれども、お聞かせ願いたいと思います。

光石参考人 日弁連では、例の和田心臓移植のころからかなり丹念に意見を発表しておりまして、それはいずれも、脳死というのが人間の死だという社会的合意がないということは、お手元に配りました、ことしの三月の意見書でも従来のことを述べております。そして、現在でも、その点については変わっておりません。

 そして、今先生がおっしゃったような日常の子供の診療と、本件のような臓器移植、特に脳死移植のような場合とは全然本質的に違う。それは、先ほど私が申し上げたように、本人のための臨床上の利益があれば、さっき先生がおっしゃっているように、子供がノーと言っても親の意思でやるということは、それはそのとおりだと思いますが、しかし、この臓器移植、脳死移植については全然違うんだということだけは申し上げておきたいと思います。

冨岡委員 私も、解剖医免許を持って随分解剖していたんですけれども、そのときに、もう既に現場では、例えば脳下垂体の摘出とかホルモンを抽出するような場合、これは法律ではないんですけれども、本人のためになるのかどうかちょっと不明な点で、そういう作業とか、いろいろな臓器とか、骨も含めて、もう現実的にやっている状態がやはりあるわけで、それもやはり問題だというふうにお考えなんでしょうか。

光石参考人 申し上げますと、子供さんから心臓を摘出するというのは、その方が亡くなるんですから、その本人のための臨床上の利益がゼロなんですよ。それと、今先生がおっしゃるような、臨床の現場で日常、通常の診療において行われる子供さんに対する手術とか、そういうこととは本質的に違うから、そこは一緒にはできないと。

冨岡委員 それでは、丸山参考人の意見は多分A案だった、私はそのようにお聞きしたんですが、それでよろしいんでしょうか。いろいろ学説とかを拝聴いたしましたけれども、基本的には、我々、今この場は、AかBかを推進しよう、そういうどちらかという方向で進んでいる嫌いがございますが、その観点からもう一度確認をいたしたいと思いますけれども、いかがでしょうか。

丸山参考人 私の方は、申しわけないんですが、今この時点でA案の法制化というのは難しいというか不適切だというふうに考えております。将来的に、先ほど申しました脳死臨調の答申の線で条文化し、その内容が社会に受容されていけば、あるいはおのずと、あるいはというか可能性はかなり高いと思いますが、現在のA案を受容できる素地はできると思うんですが、現時点ではA案を内容とする法律制定は望ましくないと考えております。

冨岡委員 A案が望ましくないということは、現行法のままでいろいろな詰めをしてくれというふうに解釈してよろしいんですか。B案を推進するとかそういうお立場での発言ではないと解釈してよろしいんでしょうか。

丸山参考人 ありがとうございます。

 B案につきましては、私は問題は少ないと思いますが、しかし、解決できるところも限られているというふうに思っております。

 それで、繰り返しになりますが、先ほど示しました脳死臨調の答申に沿った法律を制定して、少しその実施状況を見、それを踏まえて、現在A案として出されているものを、どれぐらいでしょうかね、三、四年、あるいは六、七年後に導入するということは、見通しとしては十分あり得るんじゃないかというふうに思います。

冨岡委員 ありがとうございました。

 最後に、佐藤参考人の御意見は移植自体が非常に問題があるというような論調だったと思いますけれども、最初からこういう法律は必要ないというふうな御意見なのか、あるいは現行法のままでいけばいいのか、AなのかBなのか。もしそういうふうな、宗教団体全体が一枚岩で御意見がまとまっているとは私も思っておりませんけれども、代表としてどういうふうなことか、お聞かせ願えればと思います。

佐藤参考人 先生おっしゃいますように、日本宗教連盟は五つの教派が連合しておりますが、それぞれの教派の判断は若干温度差があります。概して、宗教界の最大公約数的な表現を使えば、脳死が死であるということには、これは絶対賛成できないというスタンスは全部一致していると理解しています。それから、二つ目の意思表示がないということは、これはもう絶対に認められない、こういうことが大体各派とも了解しているところであります。

 概して、今度の改正法については時期尚早、もうちょっとやることが先にある、研究とかそういうことを先にやって、その後にやって十分ではないか、現行の法律のままでしばらくいてもいいのではないか、こういうことを考えています。

冨岡委員 各参考人、ありがとうございました。いろいろな、A、Bほぼ拮抗するような御意見、あるいは、もとからそういう法律への疑義を御意見としていただきました。

 それで、もしこの法案が通ったらどういうことになるのか。例えば、A案御推薦というんでしょうか、田中教授の御意見をちょっとお伺いしたいんですけれども、つまり、私たちは、十年前にこの脳死移植法案が出たとき、非常に喜びました。ただ、現実的に、年間四、五例、今まで五十例という非常に少数の症例に限定しております。これを移植学会としてはどのようにお考えなのか。いろいろな、例えばドナーから摘出する際の保険点数の採用など、それなりに改良、改善が行われていますけれども、この新移植法が仮に御支持があっているAで通ったとして、移植学会としてはここまでやれる、そして患者様たちがこんなに喜んでいる、ぜひ任せてくださいとか、そういうお考えがあればちょっとお伺いしたいと思います。

田中参考人 移植には、移植に関連する学会の協議会がございまして、脳神経外科学会、救急、それからかなり多くの学会がこれに参加しているんですが、この学会もA案を支持するという立場ですけれども、先生の御指摘の一番大きな違いは、臓器提供の現場が大変整理されるであろう。

 と申しますのは、救急の先生、脳神経の先生方は救命に全力を挙げます。その全力を挙げた中で臓器提供ということになると、やはり家族との少し、いろいろな難しさが出てくると思います。そういう中で、家族との関係も非常に、このA案であると救急の現場の人たちの混乱がなくなる。

 また、私たちにとりましては、やはり臓器を摘出するわけですから、きちんとした人の死というのでないと、メスを加えるということは殺人罪になりますから、そういう意味では、この移植関連協議会を含めて、非常にこの法案はスムーズにいくだろうと考えているところでございます。そうなりますと、やはり私たちの学術としての立場は、悩める死に行く人たち、患者さんをいかに助けるか、こういうので、公平それから公正、こういうのをモットーとしていますので、そういう点では大変一歩も二歩も進むというふうに判断しております。

冨岡委員 ぜひそうあってほしいと思うわけでございますけれども、私自身も、この移植というのが人類にとって福音をもたらす方法ではあるけれども、それをやはり漫然と続けていっていいのかという疑問があります。つまり、いろいろ人類は、血液を輸血することによって新たなウイルスの病気、エイズを含めたウイルスの病気とか、GVHという難しい、相手の細胞がこちらの、自分の細胞をやっつけるようなそういう病態をも経験してまいった。やはり何か間違いかなという気持ちも私も有しているわけでございます。

 したがって、再生医療という、自分の細胞を使って細胞、組織、そして器官、臓器という新たな道をやはり我々は模索しているところでございます。ただ、現在、本当に困っている、命を落としている方が年間数百例、あるいはもっと多い単位で存在することは看過できないところであります。

 最後になりますけれども、大久保参考人にもう一度お伺いいたします。必要性について今いろいろな意見が参考人から出たと思いますけれども、現在、患者を代表して立たれたお立場から何か一言ございましたら、お聞かせ願いたいと思います。

大久保参考人 先ほどもお話をしましたが、年間に本当に何千人の方が亡くなってしまっています。それも、ほかの国なら救える命なんです。日本だけが救えないんです。これは何とかしていただきたい、そのツケを外国には絶対に回していただきたくないと今願っています。

 以上です。

冨岡委員 私、いろいろA案、B案の会議あるいは勉強会にずっと出させていただいておりますが、いろいろな脳死の判定の難しさ、そして宗教観の違いからくる臓器移植に対する違和感、本当に感じるところがあります。ただ、一番心を打つのは、きょう福島先生もお見えですけれども、患者さんの、相手の死によって得られる臓器、相手の家族の心をも気遣いながら、自分がその臓器をもらって、そして新しい生命をいただいた、その喜びというのが一番心を打ちました。

 私は、この法案、いろいろ問題があるかもしれません。行政、そして法律をつくる立場からいって、いろいろな改善点、そして不備な点を新たに見つけて進化させる、自分自身そういうものを心に誓いまして、きょう参考人の皆様方から貴重な御意見をいただきました。それを生かしながら法案を進めていきたいと思っております。

 本当にありがとうございました。

櫻田委員長 次に、福島豊君。

福島委員 本日は、参考人の先生方には、大変お忙しいところ貴重な御意見をお聞かせいただきまして、本当にありがとうございます。

 私は、今いわゆるA案の提出者の一人でございまして、河野太郎先生と法案の中身について検討してきた者でございますから、立場としては明確なのでありますが、そうしたことに限らずお聞きをしたいと思います。

 私の個人的な意見を申し上げますと、先ほど来参考人の先生方の御意見をお聞きしていまして、いまだに日本人の脳死また臓器移植に対しての考え方というのは分裂している、これは事実としてそうなんだろうと思います。臓器移植法の制定に際しましても、中山太郎先生と御一緒に仕事をさせていただきました。これはこの十年間の間に変わったかな、こういうふうにも思ったんですけれども、余り変わっていないというのが実際なのかなという気がいたしております。ただ、そこでどう思うかということは、それぞれの考え方の人がいる、それぞれ尊重されるべきなんだと私は思います。

 今回のA案の取りまとめに当たりましては、そもそもの臓器移植法が、本人の意思が明確でないと、脳死判定、臓器移植、一連のプロセスに入れないんだ、こういう非常に厳しい規定になっているわけです。それは一つの考え方として、そう主張される立場もあるんですけれども、ただ、本人の意思がはっきりしていない場合はどうするんだ、こういう話です。このグレーゾーンといいますか、この方々をどういう立場で取り扱うのが一番公正なのかということが今問われているんだろうというふうに私は思います。

 そのときに、はっきりしていない場合に、家族の方の同意でいいんじゃないか、私は実はそう思っています。ただ、いいんじゃないかといっても、議論の中で、一律に脳死判定が行われるというのは、やはり脳死に反対の人もいるわけですから、それはよろしくないな、そこで、脳死判定に入るというプロセスにも拒否権を設けるということによってこの二つの立場がそれぞれ守られるというか、その中で、臓器移植が進むためにはどうしたらいいかということで考えたつもりなのでありますけれども、それに対してもいろいろと御批判があるところはいまだに変わらないなというふうに思っています。

 この議論の中で特に問題になったのは、大久保参考人も御指摘ありましたように、小児の移植をどうするんだ、こういう話がありました。日本小児科学会の方からもいろいろとヒアリングしました。そもそも小児の脳死判定というのは本当にうまくできるんですか、こういう話、また、脳死判定されたとしても長期にわたって生存する例があるんじゃないですか、こういう御指摘、いろいろとありました。また、先ほどありましたように、虐待によって脳死に至る事例というのもある、それを確実に除外することができるか、今の日本の、小児救急医療だと思いますけれども、その体制から考えると、まだまだそれは不十分じゃないか、もう少し時間をかけるべきじゃないかと。

 いろいろとこれは傾聴に値する御指摘だと思うんですが、それぞれの点について、先ほど参考人からは救急の話がありましたけれども、脳死判定をめぐって、別所参考人の御意見をお聞きできればと思います。

別所参考人 脳死の判定に関しては、私自身それに今まで携わったことがありませんので実際の現場の状況はわかりませんが、報告による限りは、大人と違って非常に難しいということがあります。それから、非常に可塑性に富んでいる、特に年齢が若いほどそれが非常に著しいということがあります。

 それで、我々の病院でも、私が赴任する前の例ですが、三百日ぐらい生存した例を経験しているということがありまして、生存といいますか、心臓が普通の意味での死に至るまでにはそのぐらいかかるという例も存在したりしているということもありまして、脳死の判定というのは子供の場合は非常に難しいというふうに、実際にそれに関係した人から聞いております。

 以上です。

福島委員 参考人は御専門でないので大変恐縮ですが、問題は要するに、蘇生する可能性がそうした場合にあるのかどうかということなんだと思うんですね。長期生存例がありますよという話で、それはやはり脳死としてできないんじゃないか、こういう意見が一方ではあります。しかし、一番本質的なポイントは、蘇生する可能性があるのかどうか、そして脳の機能というのがまだ残存しているのかどうか、こういったところではないかと思うんです。

 小児の身体というのはある意味で非常に生命力にあふれた身体だろうと思うので、長期生存ということはあり得るのかなという気もするんですが、その点についてもう一度御見解をお聞きできればと思うんです。

別所参考人 実際問題として、今の判定基準に従って脳死と判定されたときに、完全に蘇生する、もとに戻るということは比較的考えられないのではないかなというふうには考えております。

福島委員 次に、私、日弁連の光石先生にお聞きしたいんですけれども、先ほど来お聞きしておりますと、臓器移植法について、そもそもどうなんでしょうか、こういう御意見だと思います。法体系全般にわたって御見解をお持ちなのが日弁連だと私は思いますけれども、余り適当な法律ではないということだと思うんですね。

 仮に、適当でない法律がある国におきまして、諸外国に渡りまして臓器移植を受ける国民の方がおられるわけです。それはやむを得ない行為でございます。法律家として、そういう行為は違法性のある行為だというふうに言わなければ一貫性がないんだと私は思うんですけれども、その点について参考人の御見解をお聞かせください。

光石参考人 現行法がこのままでいいとは私は思っておりません。それで、日弁連の先ほどの意見書でも、例えば生体移植についてはきちんと法律で定めるべきである、それからもちろん脳死の定義についても、先ほども申し上げたように、人々の常識に合うような定義にちゃんとするべきだというようなこと、その他いろいろと現行法でも問題があると思っております。ただ、A案とかB案については、先ほども申し上げたような理由で、とてもそれは日弁連としては賛成できないということを申し上げているんです。

 諸外国に日本人が出かけていく、これは例えば近年では、代理懐胎のことでも、有名な俳優さんがアメリカへ行ってアメリカの女性の子宮を借りる、こういうこともありました。人間の体というものをどういうふうに評価するかということについては、各国、それから文化、歴史、いろいろなことからそれぞれ違っております。

 今、グローバリゼーションというのがよく言われるんですが、例えばアメリカでは、医療一つとってみても、何千万の方々が病気になってもお医者さんにすらかかれない、ところが、物すごく私的保険を持っておられる金持ちの方は、それこそピッツバーグに行ったりいろいろなところへ行って、世界で一番進んだそういう移植医療も受けられる、そういうアメリカです。ですから、そういう国に出かけていくという日本人がいるということについて、それが違法だとか、それは一つの人情として、一つのやむを得ない状況だろう。

 例えば、中国へ行って死刑囚から腎臓を受ける、そういったことが違法か。それも私どもは、違法とは、つまり、その国へ出かけていくという、その国の生命倫理といいましょうか、そういったものがそれぞれ違っているということ、それでそれを統一しなくちゃいけないということはないんだ、これが考えていただかなければいけないことだな、そういうふうに思っております。

 手形・小切手法とか知的財産の一部とか、そういったものは世界で確かに統一していった方がいいだろう。しかし、人間の生まれるとか老いるとか病むとか死ぬとかという、こういう日本の仏教で言うところの四つの苦しみですか、こういったものについては、やはり日本人独特のいろいろな考え方があって、そしてそれを余り無視するわけにはいかないということを申し上げたいと思います。

福島委員 日本人独特のというのがどういうことなのか私はよくわかりませんが、いろいろとあるということはあるんだと思うんですね。その両方をそれぞれに認めて、グレーゾーンのところをどうするかということに知恵を出すというのが私はいいんじゃないかと。

 参考人の御答弁で、人情だから仕方がない、こういう話なんだと思うんですけれども、人情で片づけるのかなと私は思いまして、日本ではそういった法制定をして移植するということはけしからぬというのが日弁連の意見でしょう。外国に行って何千万かお金を払う人もいますね。それは人情だからいいんですよ、諸外国は諸外国で別の考え方でやっています、それはそのとおりなんです。ただ、その諸外国の別の考え方でやっている臓器を日本人が金を出してもらいに行くというのは人情だから仕方がありません、これは私は法曹の立場からいえば首尾一貫性がないなというふうに思うんですが、御反論があると思います。

光石参考人 諸外国に出かけていくことが人情だからいいということを言っているのではありません。法律というのは何から何まで全部定めなくちゃいけないというものではないと思う。諸外国で、違法じゃないんだ、やっています、だからといって、では日本では違法だから日本から出かけることを違法にするか、そんなこともできない。やはり、これは法律が規定する問題ではないだろう。

 日本では日本の、生きるとか死ぬとかということについての法律をつくる必要があるということを先ほどから申し上げているので、だからそれは、出かけていく方についてそれをストップする、行っちゃいけませんとか、そんなことはだれもできないでしょう、そういうことを申し上げているので、行くことがいいとも私は思いません。ただ、そういう現実というものをそれは法律が何とかしなきゃいけないとは思いません。

福島委員 脳死が人の死かどうかということはなかなか難しい話であると思っているんですね。

 人に説明するときに、私は、こういう思考実験をしてみたらどうですか、こういうふうに申し上げているんです。昔フランスでギロチンというのがありまして、首をちょん切る。首をちょん切った残りの体というものを、私は、今の医療技術であれば、例えば気管に挿管をして人工呼吸する、脊髄にはさまざまな神経刺激を与える、もちろんその端末の処理はしなきゃいけませんが。また、血液の循環に関してもそれなりの処理をするということもできるんじゃないかな。仮にそういう形で残りの身体を生存させ続けることができたとして、それは一体何なのか。その人が生きているということになるのかならないのか、どっちなんだとあなたは思いますか、こういうことを問いかけるのでありますけれども、田中先生、これはその人が生きていると言うに値する状況でしょうか。

田中参考人 やはり生きているというのは、喜び、悲しみ、いろいろなことをできるわけですから、その場合には全くこれは生きているとは言えないと思います。

福島委員 佐藤参考人、仮にこうした形で生きている場合は、それは自己が存続しているというふうに言えるでしょうか。

佐藤参考人 人の死は、やはり三徴候ですか、心臓がとまり、そして呼吸していない、瞳孔拡大している、こういう徴候から判断すると、その人はやはり生きているとは言えないと思います。

福島委員 瞳孔がないといえばないということになるんですかね。人の存在というのは何かという問題だなと私はずっと思ってきているんですけれども、自己があるかどうかということなんだろうな、本質的な問題というのは。

 脳死に関しての臨調では、有機的統合性という話でまとめたんですけれども、いささかあいまいだなと私は思っていまして、むしろ人の自己としての存在の一貫性というものがいかに保たれているかという問題なんじゃないか。そして、自己というものはどこに存在するかというと、やはり私は、脳という座においてしかないんじゃないかなと思うんですね。ただ、脳がどこまで破壊されたときに自己という存在がもう存続しませんというふうに言えるかどうか、ここのところはいろいろと議論があるんじゃないかなという気はしているんです。

 脳死の判定、先ほども光石参考人の方から御指摘がありましたけれども、機能停止と物理的な存在がなくなるということと違いますよ。機能停止といっても、シューモン博士なんかの話を言うと、一部残存している脳組織もあるんじゃないかね、こういう御指摘もある。ただ、一部残存している脳組織があるからといって、そこに自己が存在するかねと言われると、私はまたそれも違うんだろうな、こういう気がするのでありますけれども。

 先ほどの、脳死の判定というのは自己の存在そのものを失われたと言うに値するかどうか、こういう御指摘は私は一面傾聴に値するものだと思っているんですが、田中先生、この脳死判定ということに関して、死は何かということを踏まえつつ、先生のお考えをお聞きできればと思います。

田中参考人 私自身は、救急とかあるいはそういう脳神経にタッチしませんけれども、現在の医学のいろいろな方法論をもってすれば、脳の全体が不可逆かどうかということはきちんと判定できるというのが、脳神経、救急、いろいろ世界的な医学の成果ですので、そういう中では、やはり不可逆、もうもとに戻らないんだという判定は人の死というふうに考えるところであります。

福島委員 こういうことは御質問するとちょっとあれなのかもしれないんですけれども、佐藤参考人にぜひ教えていただきたいんですが、先ほど光石さんは、日本人は日本人の独特の生老病死の、これは仏教の考え方ですけれども、あると。神道は神道でまた違うんだろうなと私は思いますし、キリスト教はキリスト教でまた違うだろうと思うんですね。キリスト教が主たる宗教であるところの諸外国では、脳死臓器移植というのは非常に自然な形で私は受け入れられているんじゃないかと。個々の人は違いますよ、個々の人は反対な人もおりますけれども、おおむねそういうことではないかと思うんですね。

 ですから、宗教それぞれの立場で考え方は違うんじゃないかというふうに思うんですけれども、ただ、宗教連盟としては、こういう一つの意見の取りまとめに至る、そこのところで、それぞれの宗教の立場による違いの議論というのはどんなことだったのか、お聞かせいただければと思うんです。

佐藤参考人 日本宗教連盟の中には五つの協賛団体がありますが、四つの団体は、基本的に臓器移植そのものに対して積極的な賛成の立場を持っておりません。ただ、一つの教派だけは、愛の行為として本人の意思のある限りそれは認められる、これは欧米の考え方に近いスタンスだと思います。

 そこまでにしておきますが、いいですか。(福島委員「はい」と呼ぶ)

 では、もう一つちょっと加えさせていただきますが、今ちゅうちょしたのは、世界のベストセラーと言われる聖書の中にはこういうことがあるんです。人は、いわゆる命が絶つときは、霊を渡して息を引き取られた、これはキリスト教では、イエス・キリストが十字架の上で死ぬその場面でありますが、霊を渡して息を引き取られたんです。これが死なんです。ですから、そのところを御理解いただきたいなと思っています。

福島委員 いろいろと議論が尽きないところでありますが、最後に、大久保参考人、私、ちょっとお聞きする時間がなかったのでありますけれども、やはりそれぞれの立場を超えて、コンセンサス、できる限り、それは全員が満足するというわけじゃありませんけれども、グレーゾーンをどうするかということをしっかり私はやるべきだと思ってこの作業に取り組んできましたが、大久保参考人の御意見を最後にお聞かせいただいて、終わりたいと思います。

大久保参考人 先ほどお話もさせていただきましたけれども、基本的に、日本の国の中において臓器移植を進めるか進めないかということをやはり国会の中で決めていただきたいというふうに思っています。

 ですから、本当に、さっきのお話じゃありませんけれども、海外へ行け、今までどおり、海外へ行く人は行け、行けない人は死ねというのであれば、それはそれで国会の判断として我々は受け入れざるを得ない。

 でも、やはり意思がある人が、世論調査でも三五%、最近の読売では六〇%の方が提供してもいいとおっしゃっているんです。この方たちが全員意思表示カードを書いているわけじゃなくて、ほとんどの方が持っていらっしゃいません。やはり、この方たちの意見をどういうふうに反映させて、今日本で助からない命を日本人として助けていくかだと思います。

 以上です。

福島委員 どうもありがとうございました。

櫻田委員長 次に、郡和子君。

郡委員 民主党の郡和子でございます。

 きょうは、朝早くから、本当に大変重いお話ではございましたけれども、皆さんのそれぞれのお立場の御意見を大変興味深く聞かせていただきました。

 まず、今し方、福島委員とそれから田中参考人とのやりとり、さすがお医者様同士だなと。大変、人の死ということについてのドライな見方もされて、私自身は大変ショッキングなやりとりではあったわけなんですけれども、一人の人間として、医者という専門的な立場ではない普通の人間として、人の死をどういうふうに考えたらいいのかということを、先ほどのやりとりを聞かせていただいて、改めてまた私なりに自問自答したところです。

 私自身は、日本でこの臓器移植法が施行されまして三例目のドナーが発生した宮城県の出身でございます。地元で、初めての交通事故でのドナーでございました。私、報道する立場におりましたのですけれども、その折の病院の脳死判定につきまして、その後、基準を無視した判定が行われていたのではないかというふうな議論になったことも大変強く印象を持って受けとめているところです。

 きょうは、いわばドナーにもレシピエントにもなり得る立場、患者の立場、あるいは、一個人としての日本人としてこの法律についてどう考えるか、お話をさらに深く聞かせていただきたいと思います。

 先ほど来、脳死ということが人の死であるのかどうかというふうな御議論もありましたけれども、この臓器移植法、脳死に反対する人というのが、移植でしか助からないという多くの患者の方々に対して死を待てと言うのかというふうに批判をされるわけであります。脳死という状況は、どうせ助からないのだから、命のリレーをすべきであるというふうに、総じてマスコミも美談として報じることが多かったと私自身も承知しております。

 そこで、まず初めに、きょうお配りいただきました日本移植学会の田中参考人からの資料でございますけれども、この中で、「本邦における移植登録患者の予後」ということでグラフをお示しいただいております。心移植、それから肝移植の中に、緑のところでございますが、取り消しというふうになっている数が、心移植で十二、それから肝移植で三十七でございます。これは、移植を済まされたわけでもなく、渡航をされたわけでもなく、生体移植をされたわけでもなく、待機中でもなく、亡くなったわけでもなく、取り消しということでございます。

 これは、移植でしか助からないということでこちらに登録をされたんだと思うんですけれども、この方々は取り消されてどういう状況なんでしょうか。そこからちょっとお話を聞かせていただきたい。

田中参考人 私は主に肝臓移植専門ですので、この取り消された人たちは、例えば肺炎を起こしたり、あるいは他の臓器がもう完全に傷んで移植することもできなくなる、移植の適応から外れる。つまり、臓器移植のネットワークに登録される際には、肝臓病学会とかいろいろな方が、この患者さんは移植することによって普通の生活に戻れるというような場合を登録していくんですが、そういう中で、今度そういう病気が進行してしまいますと、次々といろいろな障害が起こりますから、その障害が起こってきたり肺炎が起こったり感染症を起こすと、もうそれは取り消さざるを得ない。したがって、多分取り消した後は、予後としてはお亡くなりになった、そういう可能性があると思います。

郡委員 今、可能性があるというお話でしたけれども、その点についての確実な調査というのは行われておりますのでしょうか。

田中参考人 これは、調査自体は行っていません。ただし、十分フォローすれば、各病院いろいろなところから登録しますから、確実にわかると思います。

郡委員 実は、私、今お尋ね申し上げましたのは、これは移植でしか助からないと診断をされる、これは医療機関でお医者様からそういうふうに診断をされるわけですけれども、その後、移植をせずともしっかりと生存を続けているという方々もここには含まれているのだろうというふうに私は見ているということを申し上げたかったわけでございます。

 これは移植でしか助からないという診断をされるのもお医者様でございます。私、そういうような事例もあるというふうに文献で見たことを思い出しまして、今伺ったわけですけれども、そういう中で、実は医療に対しての全幅の信頼というのがまだまだ十分ではない。移植をするしか助かる道がないのだという判断も医者のお立場でしかありませんし、実際は移植の必要がないという場合でも、お医者様が、こういう技術もあり、こういう状況、要するに臓器もあるのだから、それが今いい治療法なんだろうという、ほかの選択肢というものも本当に勘案されてのことなのかどうか、一抹の疑念を抱かざるを得ない状況もあるということを申し上げたわけでございます。

 今、脳死が人の死であるかどうかにつきましても、きょうの参考人の皆様方それぞれいろいろな御意見だったと思いますけれども、今度は、実際脳死と判定された方々でも、先ほども御紹介ありました、長くその後呼吸をされて、自発呼吸もされているというふうな例も御紹介いただきましたし、また回復した例もあるというふうに聞いております。脳死という状況がそもそも確実に判定できるものなのかどうだろうかというのが、私の一般人としての大きな疑問点ではございます。

 的確な救命技術と言われております脳低温療法など、これは保険診療には、つまり救命医療に関しては保険診療になっていないわけですね。一方で、移植に関しては保険適用が拡大してまいりました。これは、この国が、亡くなっていく方々を助けるよりも、移植医療に保険をつけて重点的にやっていくのだというような姿勢なのかというふうにも受け取られるのですけれども、それはやはり、同じ一つの命ということを考えますと、このことが、先ほどの光石参考人のお話にも出てきたかとも思いますけれども、早過ぎる脳死あるいはつくられる脳死というのが出てきやしないか、そういう危惧を持っているところです。

 脳死は人の死であるのかどうか、今いろいろと申し上げましたけれども、この点について、私の疑念について明快に、いや、そうではないのだという御説明を田中参考人に、そしてまた、光石参考人のお考えはどうなのか、伺わせていただきたいと思います。

田中参考人 日本で行われた脳死者からの移植に関しては、脳死になられた方は、後、検証委員会というのがありまして、これは、第三者を含めて、一例一例、本当に脳死であったか、判定がどうであるかという検証委員会ですけれども、そういう中で検証が行われているんです。これは諸外国からいうと非常に特異的でありますが、しかしながら、やはり国民の意識あるいは国民の理解を得るためには慎重に慎重にやっていかなければいけない、そういうプロセスだったと思っています。

 したがって、移植を私が脳死のことに関して言えば、そういう検証が行われて、すべて脳死であったというふうに理解されています。

光石参考人 きょう、参考人のほかの方々の意見を聞いただけでも大変びっくりしたんですが、例えば、田中参考人は、もとに戻らないのが、それが死ぬことなんだ、こう言われました。私もいろいろな病気にこれからもなるでしょうし、もとに戻らない状態というのは幾らもあるんですね、末期がんなんかも多分そうですし。そうすると、もとに戻らないというのを死の定義にするというようなことを移植学会の方がされているということは、私にとっては大変なショックなんです。

 つまり、現行法は、脳死臨調の考え方に従って、有機的統合性というのがなくなったらそれは人間の死だと言っているんです。もとへ戻らないのが死だと言ったら、かなり大勢の方がみんな死んでいるということになるんですね。日本の医療現場が、もとに戻らない方はみんな死なんだと言ってやっていったらどういうことになるのか。そういうことをぜひお考えに入れていただきたいんです。

 だから、保険適用をする云々というようなことの前に、そもそも、死に直面しているような、そしてドナーになるかもしれないような、そういう方々の命というものをどうしてもっと真剣に考えていただかないのか。そういう意味で、早過ぎる死、つくられた死というものに対して大変な危惧を私は持っておるということを申し上げたいんです。

 それからもう一つ、丸山参考人は、脳死臨調の多数意見を、現行法はそれに沿っているということをおっしゃいましたけれども、それも違いますね。つまり、現行法は一律に脳死を人間の死とはしていないんです。現行法は、あくまでも、ある限定的なドナーの方の要件、それから家族の要件、そういったものを満たした方について限定的にやっているのであって、一律に脳死が人間の死だというふうな立場に立った法律ではないということも申し上げておきたいと思います。

郡委員 今、光石参考人から、丸山参考人の意見陳述、やりとりの中でのお話も出てきたわけですけれども、丸山参考人は、その点について、人の死ということについてどういうふうなお考えなのか、ちょっと補足説明をしていただけましょうか。

丸山参考人 私の報告の最初に書きましたように、個人的には、脳死が人の死であるということについてはかなり疑問を持っております。

 先ほど福島先生の質問で、首をギロチンで切られた首の下の体に循環装置をつけた場合どうなるかということで、死体というふうな評価が多かったかと思うんですが、私は、かつて書いたものの中で、人の生死というのは、脳死臨調の多数意見である有機的統合性を中心に考えるというところを現在の医学状況に当てはめれば、栄養摂取ができ、排せつ物が除去でき、内呼吸、酸素の取り込み、二酸化炭素の排出ができるというようなものが実現していれば、生きているというふうに言えるのじゃないかと考えてまいりました。

 ですから、脳死体については、そういうことが維持されておりますので、生きているというように理解してきたんですが、その状態にある、あるいはそれに近い状態にある方に接する機会がありまして、拝見しますと、確かに循環は維持されているんですが、メカニカルな動きなんですね。こういうメカニカルな動きで維持されている循環の主体というのは、生きているかどうか、ちょっと自信がなくなってきているのが現状でございます。

 そういう状況、そういう私の考えもございまして、脳死が人の死であるかということについては、脳死臨調の答申の多数意見の述べるところに従っていいんじゃないか。それから、先ほど言いましたように、制度構築のためには、正規の手続を踏まえて決まったことをそのとおり実現するのが望ましいのではないかということで、先ほど述べたようなことを申しました。

 現在の法律がそうではない、読み誤っているという光石先生の御指摘については、そうかもしれない、あるいはそう読むのが正しいのかもしれないんですが、逆に、脳死を人の死というふうに少なくとも移植の側面では認めているともうかがえ、それだからこそ、法律として辛うじて成立したというところがあると思うのですが、私自身の脳死は人の死かということについての迷いもありまして、そのあたりは少しあいまいなところになりました。申しわけありませんでした。

郡委員 ありがとうございました。

 今度は少し対象年齢のことで、子供たちが海外での移植ということに、そういう状況が後を絶たないということを受けて、年齢を引き下げるというような案が出ているわけなんですけれども、子供の自己決定をどういうふうに尊重していくのかということをどうお考えになっているのか、伺いたいと思っています。

 現行法では、ドナーカードを持っていても、知的障害を持っている方だということがわかった場合には、これは脳死判定をしないということがガイドラインで、いわば弱者として守られているわけですけれども、子供たちの場合もやはり弱者であろうと思うのですが、家族の同意だけになりますと、これら弱者というのが安易な臓器の提供体になってしまうのではないかというような心配もあるわけで、この辺につきまして、先ほど、虐待の子供をどういうふうに排除するのかが課題であろうというふうな御意見も出されたわけです。

 小児科学会の別所参考人にお尋ねしたいと思うんですが、基盤整備が必要であるというふうなことをお話しになっておられました。この基盤整備というのは、具体的にどのような制度、仕組みをお考えになっていらっしゃるのか。それから、子供の意見表明権の確保ですとか、それから判定基準の検証なしに、現行制度の十五歳というのを、いわゆる斉藤案、B案で、十二歳に引き下げることというのは問題がないのかどうか、この辺についてお考えを伺わせてください。

別所参考人 一つずつあれしたいと思うんですけれども、最初、年齢の問題ですね。

 年齢の問題に関しては、十二歳というふうにしたところがありますが、我々は、実際に今、いろいろな治療、新しい治療をやったりとか、そういうふうなときに倫理委員会に諮ったりするんです。そのときに承諾書に何歳まで本人の署名を得る必要があるのかということを論議したりするんですが、我々、私が関係しているような小児科学会、そのほか、小児がん学会、小児血液学会等、倫理委員会等でも検討した結果としては、一応、十二歳ぐらいまでであれば自分の意思を的確に表明できるだろうということが言われまして、それで十二歳という数字が出てきているというところです。それで、実際に我々としては、そういう院内の倫理委員会に提出するときに、十二歳以上の場合には本人の署名も得るということをうたうことを今進めているところです。

 ところが、倫理委員会に含まれている法律家の先生に言わせると、そういうことを入れても、現在の法律の中では十二歳というところがどこにも出てこないので、余り意味がないから、そういうことを入れることは意味がないんだという意見があるんですけれども、我々が関係する学会の倫理委員会ではそのような形で、きちんとした教育をすればきちんとした自己の意思表明ができるのであるという、それをどのように科学的に証明するかというのは非常に難しいんですが、我々の経験上の経験則からいって十二歳は大丈夫であろうというふうに考えているところです。

 それから、虐待を排除する方法に関して、学会として最低限必要だろうと思っていることは、脳死判定する施設において虐待防止委員会がきちんと実質的に機能するような形で存在するということ、それから、現在、先ほど申し上げましたけれども、いろいろマスコミでもって話題になっているような形で、児童相談所というのが虐待を予防する、阻止するために余り機能していない状況があるということで、もう少しきちんと機能するような、そういう社会的な仕組みを一つつくることが必要であろうというふうに考えております。

 それで、実際に、先ほども申しましたように、虐待が全く世の中からなくなるということはありませんので、それからまた、いろいろな対策が完全にでき上がるまで本当に待たなきゃならないのかどうかというところも問題になると思いますので、それをどの段階で、どのようなことが実現すればその問題が解決の方向に向かっているというふうに判断して、その問題が解決したかということを、もう少し具体的な、今出している提言より少し先に進んだ提言を出すように、今、委員会に諮っているところです。

 以上です。

    〔委員長退席、吉野委員長代理着席〕

郡委員 ほかの参考人の皆様方にもお話を伺いたかったところですが、質問時間が過ぎてしまいました。きょうは本当にありがとうございました。

 質問を終わります。

吉野委員長代理 次に、高橋千鶴子さん。

高橋委員 日本共産党の高橋千鶴子です。

 きょうは、参考人の皆さん、本委員会に御出席をいただき貴重な御意見を賜り、本当にありがとうございました。

 脳死・臓器移植問題は、医療問題であるだけでなく、人の生死に直結するいろいろな問題を提起し、現行の臓器移植法の制定過程でも、国会を含め多くの関係者がたくさんの議論を重ねてまいりました。子供の臓器移植、生体からの臓器移植、臓器売買の問題など懸案事項があること、脳死は人の死かという根本問題でも、依然議論が尽くされておりません。現行法施行後の脳死移植の検証作業も不十分であり、脳死・臓器移植をめぐっては、なお十分な検討が求められていると考えております。

 初めに、大久保参考人に伺いたいと思います。

 救える命が救えない、提供したいと思う方の意思さえ生かされていないではないか、この御提案は大変重いものだと思いました。

 同時に、残念ながら、本日は参考人の皆さんの中に当事者がいらっしゃいませんけれども、直接、脳死状態のお子さんを抱えて、自分の子供は今生きている、そして温かいし身長も伸びている、そういう中でこの法案の行く末を見守っている方たちがいるということも踏まえなければならないのではないかと思っております。

 ドナーカードは、今日まで約一億枚以上配られたと聞いております。一番新しい〇四年八月の内閣府の世論調査によれば、九割がドナーカードを持っておりません。その理由は、抵抗感がある、よく知らない、合計で四割五分を超えております。ただ、カードを持っていても、まだ意思が決まっていない、よく知らないなどが七割五分を超えているということ、ここに今日の脳死・臓器移植に関する国民の理解の程度が示されているのではないかと考えております。

 この点についてどう受けとめていらっしゃるか、伺います。

    〔吉野委員長代理退席、委員長着席〕

大久保参考人 正直申しまして、日本の中に臓器提供、臓器移植に対する普及啓発が進んでいないのは事実だと思います。それはやはり、国を挙げて国民の方々にきちっと伝える必要があるかと思います。

 もう一つ、実際に脳死の患者さんの御家族という方々についてですけれども、もちろん、提供したくない方に私たち提供してほしいということは一言も申し上げたことはありません。

 ですから、きょう、福島先生もお話ありましたように、今回の法律A案では、脳死を受け入れがたいというふうに思っていらっしゃる御家族の方、もちろん御本人も含めてですけれども、その方たちに対しては脳死判定はしないということになっています。ですから、御家族も含めて脳死が人の死と受容され、そしてどなたかのためにこの臓器を役立ててほしいと願う方から臓器を提供していただきたいと思っております。

 私たちは、脳死が人の死であるから初めて臓器提供を受けられるのだと思っています。亡くなっているから我々は提供を受けられるのであって、生きている方から提供なんてとても受けられません。ですから、脳死は人の死だというふうに私たちは考えています。それが自分として受け入れられない方に対しては、もちろんそれで結構です、もちろん臓器提供はしなくて結構ですよ、そのまま病院での治療を続けられれば結構だと私たちは思っていますので、そこの点は、この法律、しっかりと違う点があるということだと思います。

高橋委員 今、最後におっしゃられた、自己決定の問題がすべてにおいて前提であろう、そのことが、今回、いわゆるA案と言われているものの中で見直しがかかっているということもまた事実であって、そのことをどう見るかということをもっと検討されていく必要があるのだろうと思うのであります。

 それで、別所参考人に伺いたいと思うんですけれども、現行法では事前に本人の意思が明示されていることを前提としております。民法上の遺言の規定に準拠して、十五歳未満の小児からの脳死判定はできない。

 このことを踏まえて、小児科学会では、九四年に批准した子どもの権利条約での小児の自己決定権の尊重の立場から、十五歳未満でも十分に自己決定ができるとして、対象年齢を引き下げることを主張しているかと思います。

 これに対して、脳死移植については成人でも理解が困難である、脳死移植に対する啓発や教育などの体制がないもとでは、小児にあらかじめ脳死判定や臓器提供の意思表示を求めることは困難ではないかという意見がありますが、どうでしょうか。年齢を引き下げるためにはどのような条件が必要と考えるのか、あるいは、同時に、適正な判断はできないから家族がかわって判断すればいいという考え方もありますけれども、それについてどうお考えになるか、伺いたいと思います。

別所参考人 年齢の問題ですけれども、それに関しては、実際にそれをどのような形でもって検証したらいいのかということに関しては、まだはっきりとした明確な方法がありませんけれども、先ほど申しましたように、経験的に、十二歳以上であれば自分の意思決定ができるということがあります。ただ、今質問されましたように、大人でも難しいという点がもしあれば、子供ももちろん難しいということになりますので、それは年齢の問題以前の問題になるのかなというふうに思います。

 ただし、今、学校とかいろいろ社会において、子供に対して死というものはどういうものなのかを教育するということがほとんど行われておりませんので、そのようなことがきちんと行われるということが少なくとも大切なことなのではないかなというふうに思います。

 もう一つのあれは何でしたか……(高橋委員「家族がかわりに」と呼ぶ)家族がかわって承諾するのはどうかということですけれども、私は、やはり自己決定権があるというふうに認めた場合には、家族の意向によって本人の自己決定を無視するということは行うべきではないだろうと思います。

 ただ、本人ができないということがあったときにどうするのかということは、やはり本人が何も意思表示をしていなかったときに家族が承諾してもいいのかどうかという、年齢に関係ない問題ともまた関係することなのではないかなと思うんですけれども、私自身としては、たとえ家族であっても、自分の生死を自分の意思じゃないところでもって決めてほしくないというふうには思います。

 以上です。

高橋委員 ありがとうございます。

 小児科学会が二〇〇三年の四月に「小児脳死臓器移植はどうあるべきか」という提言をされておりまして、その中に、チャイルドドナーカードによる自己意思の表明ですとか小児専門移植コーディネーターの育成ですとか、あと、今教育の話をされましたけれども、死を考える授業などを実践して、みずからの命をどう考えるかという教育をやっていくべきだという御提言をされておりまして、やはりそのことが本当にこれからの課題であるのかなというふうに思います。

 関連しますので、同じ趣旨になりますけれども、光石参考人に伺いたいと思います。

 きょうも資料で配られておりますけれども、日弁連の「「臓器の移植に関する法律」の見直しに関する意見書」を拝見いたしました。その中で、現行の臓器移植法が、我が国においていまだ脳死を人の死とする社会的合意が形成されていないことを踏まえ、自己決定をなし得る者だけが臓器提供を行い得るという大前提を忘れてはならないという指摘がされていることは大変重いものだと感じております。

 とりわけ、子供にとっては、子どもの権利条約十二条の定める意見表明権を尊重するべきとの指摘がございます。子供の身体、生命にかかわる事柄について、親が親権者として決定する場合にも、親は自由に決定することは許されない、子供の利益に合致する決定でなければならないという指摘がされております。

 重ねて、子供の人権との兼ね合いから意見を伺いたいと思います。

光石参考人 子供の自己決定権というのは子どもの権利条約でも大変重視しているわけですが、当然のことながら、子どもの権利条約の意見表明権というのは、子供の最善の利益という原則にのっとっていなくちゃいけないことと、あと、その子供さんの成長、発達を助けるというための意見表明のことであります。

 したがいまして、例えば心臓を摘出するというようなことについて、その子供が同意したからということで摘出するということになりますと、それは意見表明権の趣旨と全然違うんですね。その子供が成長、発達するというためのものでも何でもない。それから、最善の利益でも何でもない。

 このことを、例えば、子供だって大きな社会の中で、集団の中の一名なんだから、ほかの子供のために役に立つならば、その子供の臓器を摘出するということを、本人がそう思っていなくてもそう思っているということにして、親が許可してやっていいじゃないかという考え方は、私は、とんでもない間違いであると。つまり、親が子供のためにかわりにいろいろな同意をします。それは、民法でいいますと、監護権という一つの分野における権利であって、それ以上のものではないわけです。

 子供の自己決定という場合も、例えば文房具屋さんに買いに行くというような、そういう簡単な行為、これは多分自己決定できますね。しかし、脳死という状態になったときにどうするというようなこと、そして、そういう状態が一体人間の死なのかどうかというようなことについて、成人ですら、先ほどから何度も申し上げるように、間違えている方が相当おられると思います。そういう状況で子供の自己決定というのを言うのは、実は前提を全然満たしていないというのが現段階。

 だから、中学三年生向けの、先ほど申し上げた厚生労働省のあのパンフレットも、教育をする側が間違えている。まして、今、移植学会の方も、人間の死というのはもとへ戻らない状態が人間の死なんだ、こういうふうに言う。これはとんでもない、言ってみれば、人間の死の定義すらばらばらだということになるんですね。

 そういう状態で自己決定というのは、つまり、ある事柄を正確に理解して、説明が正確であって、かつ、それを理解するということですが、説明が正確じゃないですね、間違っていますね。そういう場合に子供の自己決定を言うのはおかしいというのが私の考え方です。

高橋委員 ありがとうございます。

 そこで、深く関連があるのかなと思うのが、先ほど来指摘をされています虐待の問題でありますけれども、先ほど別所参考人の発言の中でも紹介をされていたかと思いますが、二〇〇四年の小児科学会が実施したアンケートの中で、過去五年間に虐待が疑わしいケースが二百四施設で千四百五十二例、そのうち、明らかに虐待で脳死状態や重度障害に陥ったと見られる子供が百二十九例にも上っているというのは、非常に重大な数字ではないかと思います。同時に、それが虐待によるものなんだということを見分けること自体が難しいという指摘もまたされました。

 このことも含めて、懸念されている児童の虐待などによる臓器摘出を避ける方策はどうとるべきか、具体的にお願いいたします。

別所参考人 先ほどの御質問にもお答えしたと思うんですけれども、我々として最低限必要なこととして考えているのは、各病院における虐待防止委員会がきちんと機能する形で存在するということ、それから、社会的に、虐待の疑いがあるという通告があったときに、それに対して適切に対応するシステムがあるということの二点だろうと思います。

 後者に関しては、アメリカなどではきちんとした形でもって機能する組織があるというふうに言われております。

 以上でよろしいでしょうか。

高橋委員 虐待防止委員会が機能するということは、まだまだ現在の到達では非常に難しいことだろう。あわせて、先ほど別所参考人も光石参考人もおっしゃいましたように、そういう状況のもとで、親の同意があればということもまたさらにまだ困難な課題ではないか、あるべきではないと私も考えて聞いておりました。

 同時に、次にもう一度別所参考人に伺いますけれども、脳死の判定について、先ほど福島委員からの指摘もございましたけれども、六歳未満が脳死判定から除外をされておりました。その理由が、小児の脳の活動が未解明であり、慎重な対応がされるべきだったと思います。

 九九年度の厚生省研究班の小児における脳死判定基準では、従来除外されてきた六歳未満の脳死判定ができるとの方向を示し、六歳未満児に適応する脳死判定基準を作成いたしました。

 ただ、この研究班の報告でも指摘をされているように、脳死判定後、通常は一週間程度で心停止となるけれども、心停止まで三十日を経過した例が全体の二割あるということ、中には三百日に及ぶ長期脳死も二件あった。しかも、検討された症例はわずか百三十九例でしかなかった。ですから、まだ検討症例の絶対数も少ないということが言えるのではないかと思うんです。

 この脳死判定基準の一番最初に、「脳死と判定された症例で回復例は無く、臨床経過の中で全ての症例が心停止に至ったことが示された意義は大きい。」何といいましょうか、結論が前に来ているという印象を非常に受けました。このことは、ただ、若干まだそれを脳死とは言えないかもしれない症例が一〇%あったという指摘もついでに書かれているんですね。ですから、そういうことが前に来ていいのかなということは非常に疑問を持っております。

 子供からの脳死判定基準については一層の検討が必要ではないかと思いますが、この点、いかがでしょうか。

別所参考人 御指摘のとおり、その点に関しては十分な調査が必要、継続的な調査が必要であるというふうに考えております。適切な脳死判定が行われたものが極めて少ないということがあります。

 ということで、適切な脳死判定がされた例が非常に少ない、その中で、脳死判定が適切かどうかということを今の段階でもって完全に断定することはできないのではないかなというふうに私は考えております。

高橋委員 ありがとうございます。

 次に、佐藤参考人に伺いたいと思います。

 多くの宗教者の方々が集まっている皆さんの連盟がこのような場所で御意見を述べられるというのはもしかして初めてなのかな、大変貴重な機会だったのかと思います。

 傘下の団体の皆さんの御意見を新聞紙上で拝見いたしましたが、一様にやはり脳死は人の死ではないと強調されており、ここに皆さんの考えがあらわれているのかなと思っております。

 また、本日の意見でもありましたし、十一月十六日にも意見書を出しております。その中で、脳死臨調のような組織を再度立ち上げて、各方面からの検討を行うべきと述べておりますけれども、その理由について、また、具体的にどのようにその臨調を持っていくべきかということを簡単にお願いいたします。

佐藤参考人 宗教界としましては、脳死は死ではないというスタンスを堅持しております。脳死、いわゆる脳の脳幹と言われるところが死んで、不可逆性があるとしても、それは蘇生はしないという状況はわかりますが、蘇生しないことと死はイコールではない。脳幹の死がすなわち死であると言うことはできない、死とは、そういう脳の死が死ではないということを重ねて私たちは主張したいと思います。

 それから、第二次臨時調査会をつくって検討していただきたい理由は、その後、法律の制定後も随分科学の研究が進んでおりまして、いろいろな分野でこの法律ができた当時と違った展開があるのではないかと思います。

 先生おっしゃるように、宗教界もこうして初めて意見を求められたわけでありますが、こういう重要な問題についてはぜひ宗教界の意見をもっと積極的に取り入れて、そして法律をつくっていただきたいなとつくづく思います。

 宗教は目に見えない分野を扱っているものであります。この法律ができたときに日本全体にどんな目に見えない悪影響があるか。それは、先ほど弁護士の光石先生が言っておられますように、非常に悪い影響が出てくる。人の死を待ち望んでみたり、そういうこと。虐待もあるでしょう、売買も起こるでしょう。いわゆる自分の意思が表明されていないところでそういうことが行われるというところに問題があるわけであります。

 自分の意思があるからこれは愛の行為として今の法律が認められる、こういうわけであります。

高橋委員 ありがとうございました。時間が来てしまいましたので、実は田中参考人にも最後に一言伺いたかったのですが、残念ながら意見だけ言わせていただきます。

 今の最後の佐藤参考人の意見にもあるように、やはり脳死は人の死ではないという意見、これは医療スタッフの中にもまだ三割を超えてあるというふうな報道もございます。

 そういう中で、先ほど光石参考人が指摘をされましたように、各種のパンフレットやリーフレットなどに一律に脳死が死という評価が確定しているかのような表記があるということは、やはりどちらの側にとってもよくないのではないかと思っております。

 大久保参考人がお話しされたように、提供者の意思を尊重するということ、その意味を踏まえても、改めて正確な情報を国民の中にきちんと示して、その上でお互いの意思が尊重されるということがまず必要なのではないかなと思っておりますので、私たちも大いに勉強していきたいと思いますが、その点をぜひ御要望申し上げて終わりたいと思います。

 ありがとうございました。

櫻田委員長 次に、阿部知子君。

阿部(知)委員 社会民主党・市民連合の阿部知子です。

 きょうは、各参考人の皆様、長時間にわたり大変お疲れさまでございます。

 まず、本日の参考人の皆様においでいただきました趣旨ということに関しましては、平成九年に現在の臓器移植法が成立、そして施行になりまして、自来九年がたつわけでございます。

 参議院の方では、毎年一回、いろいろな移植の現状、脳死からの移植の現状も含めて論議をする場があると聞いておりますが、衆議院にとりましては、こうしたまとまった機会というのがこれまでなく、きょうは各方面の皆さんから、一体、脳死と臓器移植、あるいは生体からの臓器移植も含めて、これが実際にどうなっていて、何が問題で、また変えられるとすれば何であるのか、また変えないとすれば何であるのかという基本的なところについての御意見を伺う場と私は認識しております。

 各委員の御質疑の中には、A案はどうだ、B案はどうだ、こういう聞き方も、もちろん各委員の御自由ですからあると思いますが、私は、この場がそうした短兵急なものではなくて、むしろ本質的に、例えば、移植を待っておられる方もおる、しかし本人同意という厳密性を求める、これは宗教者の皆さんのお話もそうでありました。その中で各御意見を伺って、よりよい、例えば立法が必要であればそれに向けて準備をするというふうに考えておりますので、そうした趣旨で御質疑をさせていただきます。

 まず冒頭、田中参考人にお願いいたします。

 先ほど来何人かの方がお尋ねでございますが、果たして私ども医学者にとって、私は小児科医ですけれども、人の死ということをどう考えるかは、先ほど福島委員の言葉の中にありましたが、蘇生、生き返るというふうに普通の人にとっては思われますそのことを医学の中ではどのように取り扱っておるかに、一つ大きく詰めておかねばならない部分があると思います。

 先ほど参考人は、意識が戻らないという意味で、あるいはその方が死に向かっておられるという不可逆性において、蘇生しないというふうに表現されましたが、私ども医者は、従来、例えば心肺蘇生と申しまして、心臓と肺、呼吸の機能の再回復を目指して蘇生措置をするわけであります。

 田中参考人は、その蘇生という言葉に何をイメージしておられるのか。もしもそれが、例えば不可逆性とか意識の回復不能性であれば、少しやはり国民の実感とずれてきて、そこが先ほど来何人かの委員から質疑があったところかと思っております。参考人が御意見を言うチャンスがなかったかと思いますので、そのあたりからまずお願いします。

田中参考人 大変ありがとうございました。

 冒頭に、光石さんが私の話を少し曲解しているようですので、その点。

 私はあくまでも、脳死について質問された中で、脳全体がもうもとに戻らない不可逆性という言葉

を使った。もちろん、今まで私は、外科の手術もたくさんやってきました。がんの手術もたくさんやってきましたし、小児のハンディキャップの手術もたくさんやってきましたから、それはもう大変な誤解で、これは私の言い方が悪かったのか、曲解されたのか、それは抜きにしまして、そういう点も改めて言いたい。

 それで、今のお話ですが、私は、蘇生というのは、やはりその患者さんが助かるように、これは全力を挙げてきた、当然そうすべきだ。その中で、あらゆる手を尽くして、にもかかわらず脳が、脳幹部を含めて全部壊死に陥って、そしてもとに不可逆的、これが私の考え。こういう点では、日本医師会、それから先ほど言いましたように、日本脳神経外科学会、救急医学会、すべて脳死という定義をきちんとしている、そういうふうに理解。

 だから、何度も申し上げますが、私はあくまでも、小児外科医、移植外科医あるいは消化器外科、外科の一般です。脳死に直接携わる者でないので、蘇生という点では、そういうことが起こらないように全力を挙げている、そういうことに理解していただきたいと思います。

阿部(知)委員 脳の機能というのはなかなか外からは見えませんし、例えば現在の基準で脳死と判定されても、その方の意識の存在というのは、残念ながらまだ科学は解明しておらないのだと思います。

 そこで、この蘇生ということは、基本的には心肺蘇生、心臓と肺の機能というところで国民合意があるのではないかと私は思うわけです。もし一方的に、移植にかかわるお医者様方が、そうじゃなくて、意識が戻らないところから、脳の機能が戻らないところからなんだよというふうにおっしゃると、やはり受け手の、医療を受ける側との間にそごが生じてきて、ここがまた大きなブラックボックスになりがちなんだと私は考えています。

 そこで、別所先生にお伺いしますが、先生の大学で、三百日長期、私は生存だと思いますが、された脳死のお子さんの例があったと。先生は、長期脳死症例という形で生存という言葉を使われませんでしたが、もしかしてそれは親御さんにとっては過酷なことだと思うのですね。やはりそこに存在しておられれば、私は、生存として、それは権利の主体としてきっちりとケアするということがそこに立たされた者の原則だと思いますが、先生があえてお使いにならなかったのか、それとも、実は、いや、医師としては、そこに生存しておられて、ケアの対象であったとお考えなのか、まずこの一点をお願いいたします。

別所参考人 その件に関しては、やはり家族も医者も、きちんとしたケアをして患者さんに生きていていただいたというふうに思っています。ただ、脳死判定をされたという意味で脳死ということを申し上げたところです。

阿部(知)委員 私も、実は別所先生の教えを受けた研修医でございますが、こうやって患者さんを目の前にして、その方が最後の心停止の時間までをどう過ごしていただくかは、やはり回復の可能性がない方ほど現実には難しく、そして一生懸命にやらねばならないというふうに先生からも教えられて育ってきた者の一人であります。

 その点からいたしますと、例えば二〇〇四年に小児科学会で、小児脳死の実態と診断についての全国医師アンケート調査というのを行われまして、これは先生もよく御存じと思いますし、先ほど高橋委員も御質疑でございましたが、十五歳以下のお子さんの脳死判定がどうなっているかというのを学会の会員の、貴下の施設に尋ねたわけですが、約四十から五十例の小児脳死例の発生が報告されたということと同時に、実は、いわゆる判定基準、それは竹内基準であれ小児科学会がおつくりの基準であれ、最後まで基準をきっちりと検査できる症例は極めて少なく、特に、無呼吸テストというのをやりますと、子供の状態がががっと悪くなりますので、やれない。三例のみが、いわゆる無呼吸テストの完全なものをやったということになっております。

 私ども小児科医にとっては、この脳死判定をするということ自身が非常に患者さんに負荷を加えておるというところで、現場の深い悩みがあると思います。基準がつくられても、それを本当に実施できるのかということになってまいると思います。

 そうすると、複雑なのは、例えば御家族の意思でよしとした場合に、判定をする前に意思を問わねばならないような事態にもなってくる。ここは先生、現実でおわかりだと思いますが、無呼吸テストは三例ですけれども、そのほかにも、いわゆる脳波やあるいは脳幹反応等々を実施したのが十三例、逆に言うと、残る過半数はそれすらもできないという事態で私どもは患者さんに接しているのではないかと思うのです。

 そうしますと、まず、脳死判定をしていいのかどうかの了解をいただく。でも、そのときには、すなわち御家族は子供の臓器提供を決めていなきゃならない。あるいは、脳死判定をしたがゆえに決定的な脳死になってしまうこともあるというようなことはどうお話しされますでしょう。

別所参考人 私は、その場合に、一応臓器提供を前提にした形の脳死の判定ということの許可を得るということはしたくないというふうに個人的には思っております。

 それで、あとは、それをやると非常に状況が悪くなって、それまで、もしかしたら可逆的かもわからない、不可逆的になる可能性のある無呼吸テストとか、それに関しては、やらない段階で脳死の実態をもう少し明確にすることを念頭に置いた形で家族に説明をして、その判定を我々としては、ある意味ではデータをとるためということになりますけれども、そのような許可を得るということが必要なのではないかなと思います。

 ただ、そのためには、私が先ほど、一番冒頭のときに申しましたように、グリーフケアといいますか、喪の作業ですね、それがきちんとできる体制がないと、そういうことは事実上できないし、やるべきではないのではないかというふうに私は思っております。

阿部(知)委員 別所先生に聞きやすいので、立て続けで済みませんが、もう一つお願いします。

 実は、今この国会では、参議院で教育基本法の改正案というのが審議されていて、その中で明らかになってきたことは、いわゆるいじめ、自殺、これは並ぶものではないのですが、日本の場合は、このいじめということを原因にされる自殺が、特に中学、高校、あるいは小学校高学年で多く起きております。

 これの実態ということに対しまして、例えば文部科学省が調査いたしますと非常に低い数値が出て、警視庁が調査いたしますと、遺書があるものも含めて全く数値が違ってきてしまう。子供たちが学校現場で苦しいと言っても、死を選んでも、まだ気づかれない、サポートのない体制が一方でございます。

 小児科学会にあっては、十二歳にもし年齢を下げた場合に、逆に、今の子供たちが生きるということのメッセージを十分に社会から伝えられていない、サポート体制もないということも、もう一方、私は重大な問題であると思っておりますが、これまでの小児科学会の検討の中で、こうした子供の自殺あるいはいじめ問題、あるいは、日本は既に、子どもの権利条約締結後も、子どもの権利委員会から、このままでは日本の子供は、はっきり言っておかしくなっちゃう、過度の受験競争や、いわゆる自己確信、セルフコンフィデンスがなかなか育成されていないということで、九八年、勧告も出ております。

 こういう現状に対して、私は、十二歳まで下げるということを言い切るには、逆に、どのように子供たちが生きることをサポートされているかが小児科医の皆さんの中で真剣に論議されて、政策提言されてしかるべきと願っておりますが、いかがでしょうか。

別所参考人 おっしゃるとおりだと私は思います。もう少し子供のことに関して、社会的に非常に関心をもっと深めていく必要があるのではないかと思います。

 マスメディアの問題とかITの問題とかいろいろな問題がありまして、我々小児科学会の方でも、そこら辺の、こどもの生活改善委員会とか次世代育成委員会とか、そういうような委員会でいろいろなことを検討しておりますけれども、社会的な取り組みが非常におくれているのが現実だろうと思っております。

阿部(知)委員 なおそうした部分を、これは子供たちが本当に生きるということに向けてはぐくみ育てていかれるために、ぜひお取り組みを願いたいと思います。

 田中参考人に戻らせていただきますが、さっきの参考人の死についてのお考えと同時に、私がもう一つ懸念している点がございます。

 実は、参考人は野本先生のお話を引き合いに出されましたが、大変尊敬されるべき移植医の先生と思いますけれども、その先生が書かれた「生命重視型社会の実現のために」という中で、私は、国民にとってはおやっと思うような表現があるように思います。

 「脳死後の臓器提供を承諾された人は「自分の身体から離れたものはもはや自分のものではなく社会に帰属する」ことを認めてくれている。」要するに、臓器はだれのものであり、帰属という言葉がふさわしいかどうかわかりませんが、社会に帰属すると言われますと、実は、現在の法体系においてもやはり本人同意という枠を非常に重要視したということは、これは、臓器は物ではない。あるいは社会に帰属して、まだまだここには表現がございますが、「それは命をベースにして社会構造が変わり、新しい産業ができる、ということ」であると、何もそういうためにみんな臓器提供をしているとは限らないと思うのです。

 移植界に長く功績を残された先生がもしこのようなお考えであると、ちょっとこれは国民にとってはいかがなものかなと私は正直言って思いますが、今の移植学会もこのように、臓器は社会のものである、産業にも貢献すべきものであるというお考えでしょうか。お願いします。

田中参考人 野本先生がそういう文章を書かれたということの具体的な内容はわかりませんが、移植学会は、やはり基本的には、オープン、フェア、ベストということでずっと続いています。だから、脳死の判定のプロセスにも絶対かかわってはいけない、移植医はあくまでもその患者さんの、それをいただいて生きるという人たちのサポートという立場であります。

 したがって、非常に社会性のある医療ですから、やはり基本的には思いやりの医療、これが非常に重要でありますから、やはり脳死の提供者に対してはきちんとした礼儀をしますし、そういう人たちが皆さんに役立てていただきたいという臓器提供に対して私たちがこたえるというのが、日本移植学会の立場です。

阿部(知)委員 私は、臓器移植という医療が日本の中で平成九年の臓器移植法によって実施されるようになって、しかし、日本の社会は二つの大きな原則を守ろうとしてきたんだと思います。これは、一つは、臓器は物ではない、社会が云々して勝手にしていいものではない。もう一点は、やはり二つの人権、これは和田移植以来の、ドナーとレシピエントの人権という観点をどう組み入れていくかで実施されてきたものと思います。

 光石参考人にお伺いいたしますが、日弁連の皆さんは、この間の五十例の脳死判定、四十九例の脳死移植の中でも、人権侵害事案に当たるのではないか、例えば、治療がちゃんとされなかった、あるいは同意がどうであったか、説明はどうであったかということも含めて、人権侵害事案を検証会議にも御提言あったと思います。果たして、現在厚生労働省がやっておられる検証会議と、そうした人権侵害事案があったのではないかという提案があったときに、それはどのように話し合われ、解決されているのかということを教えてください。

光石参考人 日弁連の意見書にかなり詳しく書かれておりますが、この検証会議については、当初は、例の家族のプライバシーの問題ということが第一回の事件から発生しまして、それ以降、家族が嫌だと言えばもう公表しなくなってしまったということがあります。

 それと、どういう方が検証会議のメンバーになっておられるかという点についても、脳死移植について疑問がある方とかそういう方々は余り入っておらないというふうに伺っておりますし、そういう意味では、検証会議による今までの検証というのが、国民に対してどれだけ正確なことを流してきたかということについては大いに疑問がある。やはりこれはもう少しつくりかえていかなくちゃいけない。

 もちろん個人のプライバシーを守らなくちゃいけませんけれども、しかし、どういう状況の患者さんについて臓器が摘出されたんだろうかとか、それから、その方が一体どういう意思を本当に表明されていたんだろうかとかというようなことについては十分に検討する必要があると思っています。

 したがって、日弁連では、何件かについて、先ほどの古川病院のケースも含めて、こういう点はルールに従っていないのではないかというようなことを勧告してまいりましたけれども、その後、要するに情報が余り公にならないので、それ以外については日弁連としても何も言えなくなってしまった。

 では、やった四、五件についてどういう応答があったかということについては、私も正確にはわからないんですが、今の脳死の判定基準が本当にどの現場の医師でもやれるような基準かどうかとか、いろいろな意味でそういった点が検討されているというふうには聞いていません。

阿部(知)委員 私のいただきました時間が終わりましたので、実は丸山参考人には、この臓器移植の医療としてのあり方や、脳死を人の死とすることに関する理論的問題という、この本質的な問題を御提案いただきましたと思いますし、恐らく脳死臨調等々の再開ということの御意見でもあったかと思っております。佐藤参考人にもそのような御趣旨を伺いました。

 そして、何よりも大久保参考人には、この臓器移植という医療が定着していくために、本当に、今、オープン、フェア、ベストと言われましたが、そういうことに向けてのきっとたくさんおっしゃりたいことがあったと思いますけれども、時間がかないませんで、どうかお許しをいただきますようにお願い申し上げて、質疑を終わらせていただきます。

櫻田委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。

 参考人の方々には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして、厚く御礼を申し上げます。(拍手)

 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午後零時八分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時開議

櫻田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 厚生労働関係の基本施策に関する件について調査を進めます。

 この際、お諮りいたします。

 本件調査のため、本日、政府参考人として外務省大臣官房参事官菅沼健一君、文部科学省大臣官房審議官合田隆史君、厚生労働省医政局長松谷有希雄君、健康局長外口崇君、労働基準局労災補償部長石井淳子君、職業安定局長高橋満君、雇用均等・児童家庭局長大谷泰夫君、社会・援護局長中村秀一君、保険局長水田邦雄君、年金局長渡辺芳樹君、社会保険庁総務部長清水美智夫君、社会保険庁運営部長青柳親房君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

櫻田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

櫻田委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。大村秀章君。

大村委員 自由民主党の大村秀章でございます。

 いよいよこの臨時国会もあと数日ということになりました。あさってが閉会日ということになりますと、大臣と年内にこうして質疑ができるのはきょうが最後かもしれません。いずれにいたしましても、限られた時間でありますので、大臣に明快な御答弁をいただきたいと思います。

 きょう私は、あえてこの時間をいただきまして質問させていただきますのは、社会保険庁の問題につきまして、年内の最後の質疑の時間ということで、この場をおかりいたしまして、改めてもう一度確認をし、そしてはっきりとさせていきたいという思いで、きょうはこの場に立たせていただきました。

 社会保険庁問題は、国民注視の中で大変大きな関心事になっております。これをどういうふうに改革し、立て直していくかということが、今後の日本の社会保障制度、もちろん、社会保障制度に続く国のいろいろな制度、信用にもかかわるというふうに思っております。大変重要な問題だということで、私どもも真剣に引き続き取り組んでいきたいということをまず申し上げておきたいと思います。

 そこで、その社会保険庁の問題を申し上げる前に、まず、公的年金というものについての大臣のお考えを確認させていただければというふうに思います。

 年金というのは、我々の老後の生活を保障するまさに突っかい棒だと思います。日本の国民生活を支える支柱の役割、年金制度の安定があって初めて国民生活の安定が確保されるというふうに思います。そして、その年金制度を根底で支えているのはこの公的年金ということであるわけでございます。民間のいろいろな保険会社によります年金制度というのもありますけれども、これは、その時々の経済状況、また物価、運用状況などなど、特にインフレといったようなときには大変厳しい状況に直面をするのは御案内のとおりでございます。確実な保障がないといったことも懸念がされるわけでございます。

 しかし、公的年金制度ということであれば、最終的な後ろ盾は国家の信用ということでございます。金融の不良債権問題のときに、まさにそのラストリゾートが国の信用であるということと同じように、この年金制度もまさに最終的な信用、バックは国家の信用であるというふうに思います。年金制度への信頼というのは、この国の信用があって初めて保たれていると思います。

 しかし、この信頼がまさに今揺らいでいるというのが今の状況ではないでしょうか。年金を運営する国の機関であります、本来一番信頼されなければならない、信用を得なければならないこの社会保険庁という組織の信用が失墜をし、年金制度への信用も揺らいでいるというのが現状だというふうに思います。

 こうした状況は、この数年来、私もこの問題にずっと取り組んできましたけれども、まさにゆゆしき事態だというふうに思います。年金への信用が揺らぐことが、ひいては社会保障、国への信用も揺らいでいるということにつながっているのではないでしょうか。今こそ私どもは、こうした状況を抜け出して、公的年金への信頼を回復していくために、社会保険庁の抜本改革に取り組んでいかなければならないときだと思っております。

 そこで、まず、この社会保険庁の問題に、社保庁改革に取り組む大前提といたしまして、この公的年金というものをどういうふうにとらえ、どうあるべきなのか、どうしていくべきなのか、そして、そこから導き出される当然の結論だと思いますが、この公的年金をつかさどる組織がどうあるべきかといった、このまさに根源的な認識について、柳澤大臣のまず基本的なお考えをお伺いしたいというふうに思います。

柳澤国務大臣 ただいまは、大村筆頭理事の方から、公的年金をどうとらえているのか、それから、これをつかさどる組織はどうあるべきかという根源的なことについて、厚生労働省の見解を改めて御確認いただくための御質疑をいただいたもの、このように思っております。

 公的年金は、老齢、障害または死亡によって生活の安定が損なわれることを防ぐため、世代間扶養の仕組みによりまして、賃金や物価の動向に応じた年金を一生涯支給するものでありまして、まさに国民生活を支える柱である、このようにとらえております。このような役割と機能は、国が運営に責任を持つ公的年金だからこそ果たすことができるものでありまして、将来にわたって社会保険方式による国民皆年金を堅持しまして、少子高齢化が進む中にあっても持続可能なものとして国民の信頼にこたえていく必要があるものと考えております。

 平成十六年の年金制度改正は、こうした観点から、長期的な給付と負担の均衡を確保し、制度を将来にわたり持続可能なものとするための見直しを行ったものでありまして、先ほど冒頭に申した国民生活の柱としての公的年金について、より国民から信頼されるようなものになっている、このように考えております。

 引き続き、国民の老後生活等の安心を支える年金制度の意義や考え方について、国民の方々に十分御理解がいただけますよう、わかりやすく、意を尽くして説明をするとともに、年金制度に対する国民の信頼が確保できますよう、長期的な視野に立って取り組んでいきたい、このように考えております。

 また、公的年金の事務をつかさどる組織につきましては、国民の信頼が基礎にあるべき公的年金制度の執行を受け持つ機関であるということをまず押さえまして、したがいまして、その事務については、法令に定められたことにのっとり、国民の目線に立って的確にこれを行っていくこと、こういうことが肝要であると考えております。

 社会保険庁改革を推進していくことによりまして、国民の皆様からの信頼を何が何でも回復してまいりたい、このように考えております。

大村委員 今大臣言われましたように、この社会保険庁改革の根っこの部分で、公的年金をしっかり確立するんだ、国民の信用を回復するんだというところをまず押さえて、この改革を進めていきたいというふうに思います。

 そこで、社保庁改革につきまして申し上げたいと思います。

 社会保険庁のあり方、そして仕事ぶりといったものにつきましては、この数年の間に国民の高い関心を集め、国会、そして私ども自民党の議論の場でも、また、テレビ、新聞、マスコミ報道でも頻繁に取り上げられてまいりました。私も、この問題をたださずに、社保庁を本来あるべき姿にすることなくして社会保障制度への国民の信頼は回復できないという思いで、ある場面では徹底的に追及をし、あるときにはこうあるべきだという提言も行ってまいりました。

 そうした中で、社会保険庁が世間の耳目を集めたのは、三年近く前の、いわゆる年金改革の国会論議の中で、年金保険料の未納問題に端を発したその中で、職員が、それも相当数の職員がのぞき見をしていたといったことでありますとか、ずさんな情報管理があったといったこと、また、窓口に長蛇の列ができても対応しないなどといった仕事ぶりに大いに批判がなされたわけでございます。

 そうした状況を受けて、私ども自由民主党は、これは今の武見副大臣が当時座長をやられましたけれども、社会保険庁改革ワーキンググループというのをつくって、そこで徹底的に討論をし、昨年五月、社保庁の解体的出直しと新組織の設立といったものについての方向を取りまとめて、ことしの通常国会に政府・与党で法案を提出したということでございます。

 とにかく、一刻も早く現行の社保庁組織を解体して、新しい器をつくって出直さなければいけない、そして、その法案をできるだけ早く成立させて、とにかくまず現場の立て直しを急ぐんだという思いで取り組んでまいりました。

 しかし、今この段階で振り返ってみるとどうかと申しますと、その思いというのは、ある意味では裏切られたというふうに思っております。三十八万五千に上る不正の事案、千七百人を超える処分、事ここに至っては、うんもすんもないと思います。国民の信頼を得られない組織が何をやってもうまくいくはずはないわけでございます。ましてや、先ほど大臣も言われましたように、世代間の助け合い、そういうまさに崇高な理念に基づく公的年金制度を運営する責任が、この信頼のない組織でできるわけがないと思うわけでございます。

 そこで、今この時点で、私ども自由民主党の思い、私の思いも含めてでありますけれども、この社会保険庁改革についての考え方をここに改めて申し上げて、待ったなしの改革の決意表明としたいというふうに思っております。

 申し上げます。

 社会保険庁の改革は、これまでも私ども自由民主党が責任を持って進めてまいりました。しかし、今般明らかとなった不祥事などを踏まえ、国民の目線に立った改革をさらに進めていく必要があると考えます。年金、医療といった社会保障の重要な執行機関である社会保険庁の改革を進めていくことこそが、社会保障制度への信頼を確立することにつながるわけでございます。

 今こそ、社会保険庁のさらなる改革を進め、看板のかけかえでなく真の解体を行い、出直して再構築し、国民の信頼を回復していかなければならないと考えます。

 そこで、我々は確認をいたしたいと存じます。

 一つ、公的年金は必ず堅持する。公的年金に係る財政責任、管理責任は国が担う。

 一つ、ただし、その運営に関する業務は、新たに非公務員型の公的新法人を設けて、これに担わせることとする。

 一つ、そして、年金の運営業務の中でも民間にできるものは、可能な限りアウトソーシングを積極的に進める。

 一つ、そして、その際、特に徴収率を向上させるための方策を徹底的に講じる。

 一つ、組織、要員は必要最小限とし、一層の合理化、効率化を図る。

 以上、五点ほど申し上げましたけれども、こうした基本的な考え方を大原則といたしまして、早急に近々に、私ども自由民主党、そして公明党さんも含め、与党として大方針を決定したいというふうに考えております。

 政府は、これを踏まえて、的確にかつ忠実に対応してもらわなければならないというふうに思うわけでございますが、この社保庁改革に取り組む柳澤大臣の、まさに年金担当大臣としての、責任者としてのお考えを改めてお伺いをしたいと思います。

柳澤国務大臣 社会保険庁につきましては、これまで事業運営に関しましてさまざまな問題が生じたところでもあり、このため、業務面での改革を進めるとともに、組織改革についても、政府の有識者会議の取りまとめに沿って、ただいま大村委員も御指摘のような経緯で、さきの通常国会に改革関連二法案を提出いたしたところでございます。

 しかしながら、この法案を提出した後、時間がかなり推移をいたしまして、その間にもいろいろな出来事が生じました。そういった客観情勢のもとで、与党内で改めて社保庁改革のあり方について御議論をいただいてきたということを、私としてもよく承知をいたしているところでございます。特に大村委員には、その御議論の中で中心的な役割を果たしていただいていることに対しましては、心から私ども敬意を感じているところでございます。

 いずれにいたしましても、今委員がその検討のまとめとして大原則というものを五項目お示しになられたわけでございますが、こうした点を初めとする方針が今後においてしっかりと明確に示されるということがありました場合には、私としては、これを十分に受けとめまして、改革の具体的なあり方について検討を行い、そして、国民の信頼を得ることができる新組織の実現に向けて最善を尽くしていきたい、このように考えております。

大村委員 社保庁改革を大臣が先頭に立ってお進めいただきたいというふうに思います。私どもも、全力を挙げてこれを進めていきたいと思います。

 そして、要は、大事なのは、法案とか器とかそういった形ではなくて、やはり現場なんです。どんな仕事をやっても、現地、現物、現場が一番大事でありまして、そういう意味では、第一線で仕事をする現場が変わらなければ、どんな形をつくってもだめだと思います。したがって、現場を立て直して、そして社保庁の立て直しが初めてできるというふうに思います。

 そういう意味で、一日も早くこの社保庁を改革し、そしてつくり直す、法案をつくって現場の立て直しを進めていただきたいというふうに思います。

 最後に、もう残り少ない時間でございますので、締めくくりとして申し上げたいと思います。

 この国会はあと数日で閉じられるわけでございます。この社保庁問題につきましては、これまでもさまざまな議論がなされてまいりました。国民注視の問題でございます。これを真っ正面から解決して初めて年金及び社会保障への信頼が回復されると思います。残された時間は多くない、少ないというふうに思います。

 我々自由民主党、そして公明党さんを含め与党と政府とで、今考えられるベストの方策を考え、最も望ましい解決策を講じていきたいというふうに思います。近々に大方針を決定したいと存じます。

 大臣におかれましても、この問題を解決して、歴史に名を残す名大臣となっていただきたいと思います。そのための取り組み、私ども与党として惜しまないというふうに思います。

 そういう意味で、大臣の改革に向けての姿勢に対してエールを送らせていただきまして、その決意を促させていただきまして、ことし最後の厚生労働委員会での私の質問とその締めくくりとさせていただきたいと存じます。どうか引き続きよろしくお願い申し上げます。

 以上です。

櫻田委員長 次に、西川京子君。

西川(京)委員 自由民主党の西川京子でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

 実は、私も社会保険庁改革の座長を厚生労働大臣政務官のとき務めさせていただきましたので、その問題をと思いましたが、先輩が、ぜひそれは絶対に私が仕切るということでございましたので、私は、今の子供たちの現状を考えた中での私の結論に至ったことを中心に質問をさせていただきたいと思います。

 今、子供に何が起こっているのか。もう皆さん、私があえてここでいろいろ指摘するまでもなく、本当に今の毎日のマスコミをにぎわすさまざまな事件の中に、私たちからすると信じられないような、親が子を殺す、子が親を殺す、あるいは子供同士殺し合う。そして、小学校の中で、クラスで落ちついて座っていられない子、学級崩壊があちこちで起きている。そして、さらにそれが進んで、今は保育の中で、保育困難な状況があちこちにありますという声を地元からも聞いております。

 そういう中で、一体これは何なのか。少なくとも、私が子供時代にはなかった。ある程度、そのころまではそういう問題はまずなかったと思われます。やはり日本の社会が変質してきた、さまざまな経済活動の中で豊かになった反面、落ちついた本当に人間本来の生活、人間として、この地球上に生きている人類として、そういう当たり前の、動物の一人である人間としてのそういう力が物すごく弱くなっているのが根本にあるのではないか、そういう思いを持っております。

 その中で、子供のそういう問題にどうしても社会の目が行きがちですが、当然、それは子供の問題ではなく子供と一緒のその親に原因があるわけでございます。そして、親と子の相互関係でこの問題が、まさに今度は介護の世界ではまた親への虐待、すべてが連動しているということにやはり私たちの結論は行くような気がいたします。

 その中で、私は今回考えてみたかったのが、そもそも子供がこの世に生まれるそのお産のあり方、助産師の問題を含めてお産のあり方ということがこのごろ少し皆さんの衆目を集めるようになりました。それは、今回、いろいろな医療制度改革の中で一気に噴き出してきた周産期医療の危機的な状況、産婦人科が足りない、産婦人科医が足りない、安心してお産ができない、そういう問題の陰に隠れて、実はお産そのものが変わってきた、その背景をちょっと探ってみたいなという思いがありました。

 以前に読んだ本でおもしろい話があります。昭和三十五年あたりから、それまで家で、自宅であったり助産所であったり、そういうのがどんどん病院でお産が始まるようになった。それがちょうどそのころ、昭和三十五年あたりを境目に動いてきているわけですけれども、特別養護老人ホームをずっとしているある介護士さんのお話を聞きましたが、おもしろいんですよと。

 そこに入所していらっしゃるおじいちゃん、おばあちゃんたちの年代が、特におばあちゃんが、その当時ですから、今はもう八十五から九十近くになっていると思いますが、今八十から上の人たちは自宅でお産を経験した人たち、今七十代から下がみんな病院でお産をした人たち、その入っているおばあちゃんに対する親戚から家族からの見舞いの頻度が明らかに違う。明らかにたまにしか、義務的にやってくる人が多くなる中で、前は、その八十から上のおばあちゃんたちが入っていたころは、みんながもっと来ていましたと。

 これは、その原因が単にお産だけの問題でないことは確かですが、しかし、どうもその辺に私は原因があるような気がするんですね。やはり自宅でお産をしていたころ、それは、その部屋には入らないまでも、父親から子供たちから常にその瞬間を経験した中で、一気に一体感が出てくる。そして、母親と産んだ子供は即その場で目を見交わして、お互いの、一つのこの人生での出会いを確認し合う、そしてお母さんのおっぱいにそのまま吸いついて、その場での意思の確認をし合う。そういうことが当たり前であった時代には、子殺しや親殺しという話はやはり皆無なわけですね。

 今の産婦人科の病院の状況を考えると、やはり生まれてすぐに、子供は子供の新生児室に預けられ、お母さんはお母さんの個室にいて、おっぱいをやるときだけは会う。果たしてそういうやり方を、本当はもうちょっと考えないといけないんじゃないのか、そういう問題提起をさせていただきたいと思っております。

 今、ある意味で、世界的な傾向としてもみんな、特に母乳育児とかそういうことの本当のもっともっと大きな意味が考えられてきております。

 例えば、動物の場合、当然哺乳類というのは、臍帯でつながっていた子供を産んだ後はおっぱいでそれをつなぐわけですけれども、人間は未成熟で生まれるわけで、少なくとも一年間、おっぱいをやる間というのは、母親と一体感として一緒にいなきゃ本来はいけないわけです。それが、生まれて、早い話が二、三カ月でもう乳児保育に預けてしまう。そういう育ち方をした親、子がそれぞれ、母親に絶対的信頼感を持つか、母親の方も母性が育つか、それは私はやはり大変疑問だと思います。

 ですから、そのことについて、やはり今回の周産期医療の大変危機的な状況の中で、昔ながらの助産師さんというのが、今何%か、数は大変少ないんですが、まだ残っています。ぜひそういう方々をもっとお産の現場で活用していただきたい。そして、産婦人科の先生方と、正常なお産は助産師さんでもいいじゃないかという、非常にその辺のいい関係を構築していただきたい、私はそう思っております。

 その中で、今回、六月の医療法の改正によりまして、助産所の開設の要件が変わりました。ある意味では、辛うじて残っていらっしゃる助産師さんたちが開設するのがむしろ大変開設しづらくなったのではないかというお話も聞いております。

 なぜ助産師さんがいいかというと、ずっとその前から個人的につながりができて、それでお産した後にケアをしてあげて、一種の母親がわりにいろいろな産婦の、新しいお母さんになった人との人間関係が築ける、これはやはり大変貴重なことだと思うんですね。

 そういう意味で、今回の医療法の改正によってそういう懸念がありますが、その辺についてちょっとお伺いしたいと思います。

松谷政府参考人 助産所の件でございますが、現行制度におきましては、助産所の開設者は嘱託医師を定めることが義務づけられているところでございますけれども、嘱託医師に専門外の医師が選任されている場合があるとともに、異常産の中には、異常度や緊急度などによっては嘱託医師のみでは対応が困難な場合があるということは承知しているところでございます。

 このため、先生御指摘のとおり、先般の医療法改正で、助産所の開設に際しましては、現行の嘱託医師を定めることに加えまして、嘱託する病院または診療所を確保することを義務づけたところでございます。

 一部に、嘱託医師またはその嘱託する病院等の確保が困難であって、助産所の開設に支障が生じるとの指摘があることは承知しておりまして、こうした声も踏まえまして、来年四月の施行に向けて、関係団体等に嘱託医師等への協力を求めていくことによりまして、助産所が嘱託医師及び嘱託する病院等を確保できるよう努めていきたいと考えております。

 また、嘱託医師の選任に際しましては、嘱託する病院等の、その病院の医師を選任することとしても構わないという運用とすることで、新規に助産所を開設する助産師さんの負担にも十分配慮していきたいと考えております。

西川(京)委員 ありがとうございます。

 いわば助産師さんというのはもう過去の人だ、そういう認識がやはり私たちの中にもあったと思うんですね。実は、病院で看護師と助産師の資格を持っていらっしゃって、両方で頑張っている人も大勢いらっしゃるわけですけれども、病院の中だけでそれがあるというのでなくて、やはり個人的に助産所を開業して、本当に地域のきずなの中で自分は若いお母さんたちのリーダーになっていきたい、そういう思いの助産師さんたちもいっぱいいらっしゃいますので、ぜひそういう人たちをこの産科の危機のときに、産婦人科の先生も忙しさが少しそれで緩和される、お互いに幸せな関係の構築というのを、ぜひ厚生労働省、視野に入れて私はやっていただきたいと思いますが、大臣、いかがでございましょうか。

柳澤国務大臣 西川委員の仰せのとおりだと私も思っております。

 助産師さんという方々が現にいらっしゃる。しかし、最近では、それが助産所という形ではなくて、むしろ病院の中に大勢配置されるようになってしまった、こういうことが現実問題あります。

 しかし、では、病院が今お産をする女性たちの身近な存在としてたくさんあるのかというと、それはまたそうじゃない。我々は、この少子高齢化の中で、もう少し日本で子供が欲しい、一般的にはそういう大きな課題の前にいるはずなんですが、それが実際のお産ということになると、その体制が十分ではない。これは本当に矛盾だと私も考えています。

 そういう中で、とにかく助産師さんにも大いに活動してもらおうということで、一つには、やはり今医政局長から言ったように、地域にまず日ごろから助産所というものの形でできるだけ存在してもらう。しかし、なかなか難しいお産も現実にたくさん生じますから、それはあくまで嘱託医とか、さらにその先の中核的な拠点病院とちゃんとネットワークが組まれている、こういう形で助産所が十全の機能を発揮するようにしてもらいたい。それからまた、病院内で働く助産師さんにも、正常な分娩をなさる方々を中心としては、お医者さんと一応ちょっと独立したような形で働きができる。

 こういうふうに、いろいろな場所で助産師さんの能力というものを活用することによって、お医者さんの負担も軽くし、また、今委員が御指摘になられたような、産婦さんと、より身近な監督者というか、指導者というか相談相手というか、そういうような機能も大いに発揮していただくことを我々としては期待いたしたい、このように考えております。

西川(京)委員 ありがとうございます。

 ぜひ、そういう方向性をひとつ厚生労働省の周産期医療の中に位置づけていただけたらと思います。

 それと、もう一つ、お産の問題もそうなんですが、やはり母乳育児、この母乳育児ということの大切さを、今世界的傾向としてこのことが皆真剣に討議されておりますが、日本がいまいちその動きが鈍いと思うんですね。

 私、よく思うんですけれども、今なぜこういう親と子供の関係が希薄になる一番の原因は、やはりお母さんが、例えば働くということに関して、会社なりなんなり、とにかくよそに行かなければ働けないということですね。自宅ではお金になる働き方ができない、それが最大の問題ですね。

 それで、昔もやはり親は忙しかったわけですね。農家にしろ、あるいは商店にしろ、職人さん、物づくりの家にしろ、親も、お母さんもお父さんもみんなが働いていたわけです。その中で子供は育っていたわけですが、当然、例えば農家の子だったとしたら、寝ているときはこもに入れられて木の下か何かに寝かされていて、やはりお母さん、その過酷な労働の後に、おっぱいの時間というのは、そのお母さんにとっても最大の安息のときなわけですよね。そのときに、子供を手元に置いて、おっぱいをやる。それで、子供がおいしそうに飲んでいる。子供を見ながら、お母さん自身が本当にほっとする時間に、お母さん自身もいやされる、労働からも解放されている。

 そういう非常に厳しい環境の中でいながら、心は非常に豊かに育っていたという自然な環境があったと思うんですね。それを、今からそこに戻れというのは、それは無理な話ですが、少なくとも、意図的にそういう親と子の自然な人間的な関係というのはやはりもうちょっと構築しないと、これは明らかにおかしくなってくると思います。

 私は、いろいろな事件を起こした少年や少女の記録を読んだことがあります。失礼な言い方ですが、母親との関係が本当に希薄です。二、三カ月ですぐ乳児保育に預けたり、ひどいお母さんは、本当に生まれて一カ月のときに、おまるに座らせて、うんちをすることができた、それを大変喜んでいる。親の勝手な教育方針で、自然な親子の関係を築くというよりも、そっちの方に頭が行ってしまっている。

 そういういろいろな弊害が、今その結果としてこういうことがあるわけですから、私は、母乳育児の大切さと、実は働き方をやはり変えなきゃいけないんだろう。今、職業を持っているお母様の方が数として多いわけですから、少なくとも、乳児保育というのは少しずつ減らしていかなきゃいけないんじゃないでしょうか。

 私は、ずっと母親が家で子育てしろなんということを言うつもりはありません。しかし、少なくとも一年間ぐらいは母親がじっくり子育てにかかわって、自分自身も母性をゆったりと育ててほしい。それから職場に戻ってもちっとも問題ない、そういう働き方のシステムをつくらなきゃいけないと私は思うんですね。

 その間に、例えば、自分の職場の位置がなくなったとか、必ずそういう皆さんキャリア志向の方はおっしゃるんですが、自分の立場が、キャリアが腐るとかさびるとか、いろいろな問題があると思います。それはやはりやり方であって、週に一、二度顔を出して、一緒に、そういう職場の雰囲気もあれしながら、家で子育てができる、少なくとも一、二歳の小さな子供を抱えたお母さんたちは、そういう働き方ができる労働環境というのをこれからやはり経済界も考えていかなきゃいけないのではないでしょうか。

 やはり、二、三カ月で乳児保育に預けて、夜遅くその子供を連れて帰って、子供と物理的に一緒にいる時間が少ない、圧倒的に少ない中で、本当の母性というのがゆったりと育っていくとは私には思えないんですね。それは、ある程度大きくなってきてからは、いろいろな会話もできるし、可能でしょう。しかし、少なくとも生まれて一年、せめて私は百歩譲って半年、その間は乳児保育をしちゃいけないと思いますよ、正直。そのくらいの覚悟でやはり労働環境の整備という方向に私は行ってほしいと思うんですが、その点について厚生労働省の御意見をちょうだいいたします。

大谷政府参考人 お答え申し上げます。

 御指摘のように、母乳は乳児にとりまして最適な栄養であり、また、授乳期や離乳期は、子供の心身の発達が著しいので、育児上の不安やトラブルがあらわれやすく、母子の愛着形成の上で重要な時期でございます。

 こうしたことから、厚生労働省におきましては、母子保健分野では国民運動であります健やか親子21におきまして、出産後一カ月の母乳育児の割合の増加を目標に掲げる、また、本年十月から開始しました「授乳・離乳の支援ガイド」策定に関する研究会、こういうところにおきまして、授乳に関する適切な支援のあり方のための検討など、推進に取り組んでおり、また、こういったことについて市町村にも協力を求め、また、ホームページを拡充するなど取り組んでいるところでございます。

 また、働き方の問題がこれも大変重要でありまして、今御指摘ありましたように、働きながらお子さんを育てるということについて、例えば、育児休業をよりとりやすくする、こういった普及なり拡大をするなど、ワークライフバランスといいますか、そういったことについても、これは少子化対策の重要な柱として取り組んでまいりたいと考えております。

西川(京)委員 今までは、やはり母親の、主に母親ですね、この問題は母親の働き方に育児が合わせられてきた時代がずっと続いたと思います。エンゼルプランにしろ新エンゼルプランにしろ、すべてそうです。延長保育、二十四時間保育、保育所をふやせ、ふやせ、ふやせ。明らかに母親は子育てから離れていっています。その結果が、今子供たちに確実にあらわれているんじゃないでしょうか。その根本のところをみんなでもう一回真剣に考えなきゃいけないと思います。これは、決して女性が働くことを邪魔にするような、そういう考え方ではないんですね。働くお母さん、働く女性たちも、女として生まれて、自分の手で子供を育てたいと思わない方が不思議じゃないですか。私は、そのことを提言として申し上げておきます。

 そして、一つ……(発言する者あり)静かにしてください。

櫻田委員長 御静粛にお願いします。

西川(京)委員 今そういうさまざまな社会のひずみの中で、現実にやはり対応しなきゃいけないことも事実です。今、虐待の問題、私は、この虐待の問題もすべてその延長線上にあると思っています。

 その中で、今、いろいろな児童福祉施設に、いわゆる虐待ということは想定していないで、やはり、子供の親がわからない、いろいろな不幸な子供たちを預かる福祉施設がいっぱいあるわけですけれども、少なくとも、親の虐待から逃れるために子供を収容するということは、余り想定していなかったと思うんですね。今、どんどん虐待による子供たちの入所がふえている。その中で、本当に献身的に福祉の施設の人たち、本当に頑張っていらっしゃいます。

 私は、少しでもこの皆さんにこたえるためにも、今の福祉施設の配置基準を、もうずっと何十年来変わっていないはずですので、ぜひ職員と児童の配置基準を少しでも、もう少しいい方向にやっていただきたい、そのお願いをして、質問を終わらせていただきますので、ひとつぜひお答えをいただきたいと思います。

大谷政府参考人 児童養護施設におきまして、虐待を受けたお子さんなど、心に深い傷を持つお子さんが増加しております。大体、最近の入所では、六割ぐらいがそういうお子さんだというふうに承知しております。そのために、個々の状況に応じまして、より専門的できめ細かな手厚い支援を行う必要があるということで、近年、体制の増強を図ってまいりました。

 例えば、虐待を受けた子供に個別に対応する職員の配置であるとか、それから、ファミリーソーシャルワーカーといいますが、家庭支援専門相談員を配置する、また、心理療法担当職員を確保するための、虐待を受けた子供を受け入れた場合の運営費の加算、あるいは地域の小規模児童養護施設をつくりまして、小規模なグループでケアを行うといったための職員の配置、こういったものに取り組んでまいりましたし、十八年度の予算におきましては、この心理療法担当職員の常勤化を図りまして、さらに、来年度予算の要求におきましても、職員の常勤化を今折衝しているところでございます。

 そういった意味で、いろいろな加算なり新たな職員配置で、今後とも、養護施設の実態を踏まえながら、入所しているお子さんのケアに努めてまいりたいと考えております。

西川(京)委員 ありがとうございました。

 本当に身を削って、言うなればかなりうつ状態になっているような職員が物すごく多いという現実も聞いております。一生懸命頑張っている人たちが少しでも体が休められる程度の配置基準にぜひしていただけるように要望いたしまして、私の質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

櫻田委員長 次に、福島豊君。

福島委員 本日は、幾つかの問題についてお尋ねをしたいと思っております。

 まずその第一は、障害者の雇用の促進ということなのでありますが、先週の厚生労働委員会におきまして、障害者の福祉施策についてさまざまに議論が交わされました。特に午前中は参考人の方にお越しをいただきまして、障害者施策についての御意見をお聞きしたところであります。

 その中で、参考人の方から、まず隗より始めよというのでしょうか、国会で障害者の方の雇用は一体どうなっているのか、身体、知的とさまざまにありますけれども、まずは知的障害者の雇用にしても国会から始めるべきじゃないか、こういう御指摘がありました。

 衆議院事務局にきょうはお越しいただいておりますけれども、障害者雇用の実態について御報告いただきたいと思います。

山本参事 障害者の雇用の促進等に関する法律及び同施行令では、国の機関の障害者の法定雇用率を二・一%と定めておりますが、直近、平成十八年六月取りまとめの衆議院事務局における障害者の雇用率は二・二二%と、法定雇用率を達成しているところでございます。

福島委員 再度お尋ねをいたしますが、達成しておりますけれども、その内訳は一体どうなっていますか。身体障害、知的障害、どのような形で雇用がなされていますでしょうか。

山本参事 現在雇用している障害者の内訳は、肢体、内臓、視覚、聴覚等の身体に障害がある者でございまして、現時点では知的障害者は雇用されておりません。

福島委員 私は、ぜひ知的障害の方も国会において就労の場を与えていただきたいというふうに思います。国会という国権の最高機関において知的障害の方にも就労の場が確保されているんだ、こういうことを国民に向かって示す必要があると思いますけれども、お考えをお聞きしたいと思います。

山本参事 知的障害者の雇用に関しましては、十二月六日のこの厚生労働委員会における参考人質疑でも御指摘があったところでございまして、その重要性は十分認識いたしております。

 今後、衆議院事務局の職務の中で、そうした障害をお持ちの方々の職務としてどのような職務が最も適切か、国の他の機関等における実例も参考にしつつ、幅広く勉強させていただき、実際の採用及び雇用等について検討してまいりたいというふうに考えております。

福島委員 よろしくお願いいたします。

 衆議院の方には質問は以上でございますので、退席していただいて結構でございます。

 続いて、子育て支援の問題でございます。

 最近、いろいろと御相談があって、私が思いをいたしておりますのは、海外で育っておられる子女、お子さんたち、この子育て支援というものはいかにあるべきかということが改めて問われるべきではないかというふうに思っております。

 日本人が経済のグローバル化の中で世界各地で仕事にいそしむ、こういう姿は今後もさらに拡大をしていくと思います。その中にあって、単身赴任という場合もあるでしょうけれども、御家族ともども現地で働く方もふえているに違いありません。そのときに、そのお子さんたちの育ち、教育もありますし、また福祉的な側面もありますけれども、これをしっかりと確保していくのは私は国の責任ではないかというふうに思っております。国内に住んでいても国外に住んでいても、ひとしく子供が健やかに育っていくための支援の体制が構築されるべきではないか、そのように思っております。

 そういったことからお聞きしたいのでありますけれども、まず、外務省の方に、きょうお越しでございますが、海外で実際に養育されている日本人子女の実態、義務教育を受けている方に限定してもいいかもしれませんけれども、それについて御報告をいただきたいと思います。

菅沼政府参考人 お答えを申し上げます。

 本年四月十五日の数字でございますが、外務省として把握しております海外に長期滞在する学齢期の子女、この数、五万八千三百四名になっております。このうち、日本人学校在籍者が一万八千五百二十六名、補習授業校の在籍者が一万六千五十八名、そのほかに、上記のいずれにも在籍せず、国際学校、現地学校などのみに在籍する子女の数が二万三千七百二十名となっております。

福島委員 学齢期で約六万人。六歳から十五歳まで九年間だとすると、一年当たり七千人ですね。今、子供の生まれる数が百数十万ですから、その中で占める比率というのは決して無視できるほど私は小さくないんだろうというふうに思います。そしてまた、学齢期以下の子供さんも当然そこにはおられるというふうに考えると、十万人近いお子さんたちが海外で親御さんと一緒に生活をしているんじゃないか。この方々をどういうふうに支援をしていくのか。健やかな育ちといいますか、支えるために考えなければいけないことは幾つかあると思います。

 まず初めに、文科省がお越しでございますけれども、こうした海外で養育されている日本人子女に対しての教育の提供について、その体制はどうなっているのか、御報告をいただきたいと思います。

合田政府参考人 お答えをいたします。

 海外在住の学齢段階の児童生徒の方々に対する支援についてでございますけれども、私どもといたしましては、まず、在外におけるすべての学齢段階の児童生徒さんに対しまして、教科書の無償給与、それから教育相談事業を実施しているわけでございますけれども、これに加えまして、日本人学校や補習授業校に対しまして千三百人余りの国内の教員を国費により派遣をするということをいたしております。それから、それに加えまして、理科教材等の教材整備の助成でございますとか、あるいは海外子女教育の向上のための研究協力校を指定いたしまして研究をしていただく、あるいは教員の資質向上のための研修なり指導の充実といったようなことを実施してきているところでございます。

 今後とも、外務省等関係機関とも連携を図りながら、こういった施策を進めてまいりたいというふうに考えております。

福島委員 ありがとうございます。

 私は、問題があるなというふうに思いますのは、海外におられるお子さんたちの分布でございます。先ほど約六万人、五万八千人という話がありましたが、アジアで二万人、そしてまた北米で二万人、ヨーロッパで一万人、そしてその他地域ということになると思います。北米ですと、アメリカで教育を受けた方が日本で教育を受けるよりいいかもしれない、また児童福祉も充実しているかもしれない、幼児教育も充実しているかもしれない、こういうことが言えるのでありますけれども、アジアの場合にはなかなかそういうわけにはいかないというのが実態ではないかなというふうに思っております。

 先般、タイの日本人会の方が日本にまた帰国されたので、いろいろとお話を伺う機会がありました。タイでは約二千名を超える、二千二百名から三百名ですか、日本人学校の在籍者があるというふうに聞いております。ことしの通常国会で、特別支援教育についてさまざまな議論がなされました。文科省の公式のデータでも、さまざまな課題がある児童が六・三%存在する。これは国内の数字でありますけれども、これを、やはり同じようなことがあるのではないかというふうに考えると、タイ国だけで百二十人とか百三十人とか、そういう規模で一定の支援の必要な子供が学齢期でも存在するだろう。もう一つその前の、学齢期に達する前の子供たちもあるわけであります。

 この日本人会の方々は、そういった支援の必要なお子さんたちにどう支援をするのかということで、みずから取り組みを始められた。そして、日本から専門家を呼んで、保護者の方も研修を受ける、そしてまた日本人学校の先生方にも研修をしていただく、こういうようなことを今進めております。

 問題は、そういった専門家の方を招聘するとしても、日本からでありますから費用の負担をどうするか、こういう問題もありますし、そしてまた、回数にしましても、国内に在住しておりませんから、一年に数回という程度で、その間の期間、一体どうするか。

 これは、アメリカなんかですと、アメリカの幼児教育にしても特別支援教育にしても、体制が整っておりますので、むしろ逆に、はるかに日本よりもいい対応をしてもらった、こういう経験を持って帰ってくるわけで、それに比べて日本はどうかしら、こういうことになるんですけれども。逆に、タイの場合ですと、言葉の問題もありますけれども、やはり支援がほとんどなくて、そういう課題がある、支援の必要なお子さんを抱えた親御さんたちというのは、実は家庭の中に引きこもってしまうような形になる事例というのもあるんだというふうに聞いております。

 こうした方々に対して、決して少ない数ではありません、支援を私はしていく必要がある。そして、それは御本人の方々、親御さんの方々の努力だけではなくて、どこが所管するかという話はあるんですけれども、外務省、また文科省、そしてまたさらには厚労省というところが関与して、ぜひ取り組みを検討していただきたい、私はそう思っております。

 ここに厚労省というのがなぜ出てくるかといいますと、学齢期のお子さんたちには、先ほど文科省から御説明ありましたように、日本人学校等々の教育的な支援があるんです。しかし、その前の母子保健、いわゆる児童福祉と言われる領域については何もありません。何もありません。それは御自分たちがやるしかない、こういう世界になっているわけであります。ここのところをどうするかということをぜひ私は考えていただきたいと思う。

 また、学齢期の場合も、教師の方々は必ずしも発達障害という問題について知識が十分あるわけではありません。日本の国内でも研修が数年前から始まって、ようやくその知識が広がってきたと言えるような段階だと思います。そういう中にあって、海外の日本人学校に派遣される先生方においても、一定程度はやはり、こういった支援を必要とする児童に対してどういう形でかかわったらいいのかということについても理解を持って、その上で赴任をしていただければ、こういうふうに私は思っております。

 この点について、外務省、文科省また厚労省、それぞれの立場からお考えをお聞きできればと思います。

菅沼政府参考人 お答えを申し上げます。

 先生御指摘の、発達障害を有しておられる児童の方への支援ということで外務省としてやっておる事業でございますが、先生御指摘のとおり、タイほか一部の日本人学校においては、まず、子女の養護を担当する現地職員採用に対する給与の一部援助、これを行っております。

 それから、一般的に在外公館どこでも、特に医療事情の悪いようなところでは、現地の医療事情などの調査、それから在留邦人が利用できる現地医療機関に関する情報を在留邦人の方々に提供しております。

 それから、やはり一般的に全世界対象、特に医療事情が悪い地域対象でございますが、医師団の派遣をいたしまして、在留邦人からの健康相談に応じる。また、厚生労働省の所管の労働者健康福祉機構でも同様の事業を行っているというふうに承知しております。

 それから、厚生労働省と外務省の共管公益法人である海外邦人医療基金、これが、同法人の事業として、アジア地域に小児科医を派遣した上で、育児、発達相談などを含む小児健康相談を実施しているところでございます。

 海外に進出する日本人がふえているということで、発達障害を含む子供のケアの重要性ということについては外務省としても認識しております。今後とも、できるだけ在留邦人の方々の要望を吸い上げて、ニーズに合った事業を実施してまいりたいと考えております。

合田政府参考人 文部科学省関係の政策についてお答えをさせていただきます。

 文部科学省といたしましては、先ほど申し上げましたように、日本人学校等へ教員を派遣しておるわけでございますけれども、その児童生徒数に応じまして標準的に配置をされる教員に加えまして、発達障害を含めたさまざまな障害を有する児童生徒への対応のために、これに加えまして、追加的に教員を措置する、いわゆる加配措置を講じているわけでございます。

 平成十八年度現在、日本人学校におきまして、私ども把握しております範囲で、百六人の障害のある児童生徒が在籍をしておるのに対しまして、十九人の教員の加配の派遣をいたしております。しかしながら、率直に申し上げまして、すべての発達障害のある児童生徒さんに対しまして教員数の確保ができていないというのが現状でございます。

 そういうこともございまして、私どもの所管しております独立行政法人国立特殊教育総合研究所というのがございますけれども、こちらの方で、国外の在住者やあるいは日本人学校等からのメールや電話による教育相談を受け付けているわけでございます。

 さらに、先ほど、教員の問題だと思いますけれども、派遣される教員につきましては、派遣前に特別支援教育に関します研修を実施いたしまして、資質の向上を図っているところでございます。さらに、発達障害に対する教員の理解を深めるために、先ほどの国立特殊教育総合研究所で、「LD・ADHD・高機能自閉症の子どもの指導ガイド」というのを作成しておりまして、これを日本人学校等に今配付をして、校内研修等で活用していただく、そういったような施策を含めまして進めてまいりたいというふうに考えております。

石井政府参考人 先ほど外務省の方からも答弁ございましたように、私ども、昭和五十九年度から海外巡回健康相談事業という事業を行っておりまして、その中で、開発途上国に海外派遣されました労働者を対象に、独立行政法人労働者健康福祉機構が財団法人海外邦人医療基金に委託をしまして、労災病院の医師、看護師などを海外に派遣いたしまして、健康相談、健康指導などを行っております。

 この事業は、基本的に海外赴任者本人でございますけれども、ただ、御一緒に行かれていらっしゃいます御家族の方も含めて相談などを実施いたしております。健康管理対策として、一般問診、メンタルヘルスとか、あるいは寄生虫の検査とかそういうものになっておりますけれども、海外子女も含めまして対応をいたしているところでございます。

福島委員 どうもありがとうございます。

 いずれにしても、しっかりとやっていただきたいというふうに願うばかりでございますけれども、特に、今後もさらにこうしたお子さんたちはふえると思います。この海外邦人医療基金というのは、やはり労災の関係なんですね。現地で働いている方、いろいろと、メンタルヘルスとか病気になったときにどうするか、そもそもがこういう視点なんだと思います。むしろ母子保健という観点も含めると、厚生労働省も、例えばこども未来財団ですか、いろいろとあると思うんですね、そういったものの活用もぜひ考えていただければなというふうに私は要望させていただきたいと思います。

 最後に一点だけ、医療事故における無過失補償制度の問題でございます。

 先般、自由民主党でもお取りまとめをいただきまして、私どもも同様に勉強させていただきまして、産婦人科医の不足の問題等、産婦人科医が安心して働ける環境をつくるためには、出産にかかわる医療事故について、無過失補償制度の枠組みを早急に構築すべきである、このように考えておりますけれども、問題はそこにとどまらずに、医療事故の問題についてより幅広く紛争を処理するために、裁判外の紛争処理制度、これも創設をすべきだと考えております。

 また、それと連携した形で、無過失の場合でも補償がなされるような制度、これはフランス等々でスタートいたしておりますけれども、そういうことについても引き続き検討を進めていく。そして、そのことと連携をして、医療事故に関しての報告制度というものを整備することによって、日本の医療の質というものを将来に向かって改善していく、こういう包括的な取り組みが必要ではないかというふうに思っております。

 この点について最後に厚生労働省の御見解をお聞きして、終わりたいと思います。

松谷政府参考人 産科の無過失補償制度につきましては、今先生御指摘のとおり、産科医の確保や事故原因の分析等を通じて、安心できる産科医療を確保するために重要な仕組みであるということから、先日、与党から枠組みが示されたところでございます。

 厚生労働省といたしましても、これを尊重して、関係省庁間の連携を図りながら、早期の具体化に向けて取り組んでまいりたいと考えております。

 また、御指摘の医療事故に係る死因究明や裁判外紛争処理等のあり方につきましては、本年度内をめどに厚生労働省から試案を提示することといたしておりまして、来年度には有識者による検討会を開催する予定としておりまして、今後、医療事故に係る届け出のあり方、原因究明、紛争処理及び補償のあり方につきましても、具体化に向けた検討を進めていきたいと考えておる次第でございます。

福島委員 どうもありがとうございました。

櫻田委員長 次に、高橋千鶴子君。

高橋委員 日本共産党の高橋千鶴子です。

 きょうは、生活保護の問題について質問いたします。時間が限られておりますので、大臣にまず端的にお答えを願いたいと思います。

 生活保護法第一条は、「憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。」とあります。第二条には無差別平等の権利がうたわれておりますし、第三条では、この「最低限度の生活」とは「健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない。」と書かれております。

 この原則が今後も変わりはないことを大臣に確認させていただきます。

柳澤国務大臣 行政は、これはもう憲法のもとにあるわけでございまして、憲法の精神を酌んだ、そうした行政を展開するというのは当然だと思います。

 ただ、具体的な事柄につきましては、憲法の趣旨を生かして、そして国民の間の公平であるとか、その制度が持続可能であるとかというような総合的な観点から検討していかなければならない、このようなことも御理解賜りたいと思います。

高橋委員 私は、今おっしゃったその具体的な事柄、今日起こっていることが、既に憲法二十五条が棚上げされたのではないか、そういう気がしてならないわけです。

 日弁連が、ことし六月から八月に行った全国四十二都道府県の電話調査に六百三十四件の相談が寄せられ、保護が断られたケースを検証していくと、六六%が違法な対応をしている可能性がある、こういう指摘をされていることは大変重要ではないかと思います。

 今日、北九州での五月に起こった五十六歳の男性の餓死の事件、秋田での七月の抗議自殺、三十七歳、生活保護をめぐって人命を失うという非常に残念な事件が起こっております。

 まず、北九州の事件については福祉事務所の対応が適切だったと言えるのか、端的にお答えください。

中村政府参考人 お答え申し上げます。

 北九州市の事例は、昨年九月に水道がとめられているということから福祉事務所の方に緊急連絡があって始まったケースであり、九月三十日に福祉事務所の方にその方が御次男と一緒に来られて、いろいろ保護の御相談があり、十二月にも改めて相談があった、こういうようなケースでございます。結果として、ことしの一月に御相談に見えた方がお亡くなりになり、また、お亡くなりになっていることが発見されたのが五月というケースでございまして、こういう、お亡くなりになり、また、その発見がおくれるというような事態になったことは本当に残念であります。

 御指摘の事例については、一回目の、九月三十日の相談において、親族間の話し合いの結果次第でまた御相談に来るようにと助言し、十二月六日の御相談でも、長男の方の援助の可能性があるということで、まず御家族で御相談の上、援助が困難な場合にはいつでもまた御相談に見えるよう助言したということで、このことから生活保護における福祉事務所の対応に違法や不当な扱いがなされたとは認められないというふうに考えております。

 また、北九州市の方では、九月三十日にその男性の方の事例が発見されたときに、保健師さんが週に一回の訪問をするということで、健康状態の確認も十一月までされているなど、行政としての一定の支援が行われていることが認められておりますので、そういった点では行政の側も対応していたのではないかと思います。

 しかし、一方で、十二月六日、二度目に男性と次男の方が生活保護の相談に訪れた際、九月三十日に一度御相談されておりますし、その後も水道が引き続きとめられているままであったことなどを考えますと、この時点で男性の資力の有無等についてもう一歩踏み込んでより詳しいお話を聞く必要があったのではないか、結果論ではありますが反省点もございます。

 こういう反省を踏まえまして、北九州市の方でも緊急対応ガイドラインというのを十月十六日に見直しをして、担当者間の連携なり、御相談のあったケースのフォローアップについてきちんとしていこう、こういうことが部内でも改められたと伺っておりますし、また、本件のケースは、実は年末に民生委員さんがお見舞金を届けるなどの活動もしておりまして、ずっと民生委員さんがかかわってきたわけですが、民生委員さん自身が御病気になって、死亡の発見が五月までおくれたというようなこともありますので、民生委員さんを初めとする地域の社会資源との連携についても工夫をしていく必要があるのではないかというふうに考えております。

高橋委員 反省点があったと一言だけありましたけれども、非常に今の見方は不十分ではないかなと思います。

 きのういただいた調査結果についてというペーパーでも、まだこれは総合的なものではないと思いますけれども、それでも、関係各課の連携等の対応次第では本事例のような結果にならなかった可能性があることも否定できないと書いてあるのでありますから、せっかく昨年の九月に水道がとめられているという事態を発見して対応したにもかかわらず、しかも本人が申請をしたにもかかわらず、ことしの五月にそういう結果になったということを率直に認めるべきではないかと思っております。

 肝心なことは、北九州では今回のような事件は初めてではないということであります。昭和五十六年の一二三号通知によって、適正化という名の保護抑制が強まっています。また、北九州は独自の基準がございまして、ケースワーカー一人当たり五件、生活保護の廃止がノルマになっていた。おれは月に二枚しか申請書を渡さなかったと豪語する面接官もいるなど、やみの北九州方式という言葉が新聞紙上でも取りざたされるくらいであります。

 また、これは八月四日付京都新聞で、京都市が、自立助長推進世帯と称して、やはり一人当たり五件をノルマにしていたことが明らかにされていたように、北九州方式が全国に波及していることを示しているのではないかと思います。ことし三月に出された適正化の手引はこれをモデルにしたという指摘もございます。非常に重大ではないかと思います。

 十月に北九州で大規模な調査が行われました。集団で同行申請を行ったことにより二十七件申請が受理されました。何度も何度も窓口に行って帰されていたけれども、ようやく受理されたという実態が明らかになっております。

 これは、申請の全体の数を表にして資料の一枚目に出しましたけれども、申請率が全国大体三〇%、開始率が二八%、北九州は二五%なんですけれども、この国がとっている資料を見ても、どれほど窓口で帰されたのかという実態がないんです、そういう統計がないんです。これをきちんとつかむべきではないか、また、少なくとも申請権を守るという立場から窓口で拒否することはきっぱりやめるべきと思いますが、いかがですか。

    〔委員長退席、伊藤(信)委員長代理着席〕

中村政府参考人 お答え申し上げます。

 生活保護の相談と申請、それからそれが適用されるということについてでございますが、まず生活保護につきましては、生活に困窮する方が、その利用し得る資産、稼得能力、その他あらゆるものの活用を図って、なお最低限度の生活が維持できない場合に適用されるということでございます。

 委員からも資料として配付されておりますが、そういった意味で、福祉事務所に来所される方の中には、このような生活保護の仕組みについて十分理解されていない方や、ほかの福祉施策等が活用できる、そういった場合にはまずそちらの方を使っていただくということなど、そういう最低限度の生活が維持できることになりますので、保護の適用に至らない方もございます。

 このため福祉事務所においては、申請に先立ちまして、まず来所の方々の御相談を受けてその状況を把握し、これを踏まえて、例えば預貯金等がある場合には、まずその活用を図っていただくことを促す、活用できる他法他施策がある場合には、これを活用するよう助言すること等を行っているところでございます。

 この結果、平成十六年で、全国五十二万五千件の相談件数のうち生活保護の申請に至った件数は十六万一千件というふうになっております。

 ただ、申請の意思のある方の請求を阻害するようなことがあってはならないということで、今委員の方から御紹介がありました、これは実施機関であります都道府県、市の担当者の方々の御要望もあって、生活保護行政を適正に運営するための手引をことしの三月三十日に作成したところでございますが、この手引の冒頭におきましても、申請の意思のある方への申請手続の援助指導を行うとともに、法律上認められた保護の申請権を侵害しないことは言うまでもなく、侵害していると疑われるような行為自体も厳に慎むべきことというふうに手引で明記しておるところでございます。

 あと、委員の方から、全国におけるそういった問題事例などについて実態調査すべきではないかということでございますが、まず国の方では、調査というよりももっと徹底しておりまして、都道府県、政令指定都市に対しましては、本庁と福祉事務所に対して、これは福祉事務所の全部ではございませんが、選んだ福祉事務所について毎年現地での指導監査を実施しており、そういったことについて調査をいたしております。

 また、都道府県、政令指定都市も、国の実施方針に基づきまして、これは全数の福祉事務所に対して指導監査を毎年実施しているということでありまして、指導監査の際に、生活保護申請の意思のある方には申請を拒まないように指導しておるところでございます。また、相談件数等についても調査しているところでございます。

高橋委員 局長、時間が限られているのに長々と説明をしないでください。聞かれたことには答えてないんです。いろいろ言うけれども、監査をしていると言うけれども、窓口で帰された人、申請の意思があるのに、もうだめよと最初から帰された人はつかんでいませんねと聞いているんです。つかんでいないでしょう。それをきちっとやれということを言っているんです。いろいろ監査をしても、結局、いわゆる保護を受けさせないためにいかにやっているかという視点では、だめなわけですから。

 でも、今最初にあったように、意思のある方を阻害してはならないということをおっしゃっていましたので、そこを徹底されるように、そしてまた、そういう実態があるのかどうか調査をされるように、ここは要望にとどめます、時間がありませんので。

 それで、限られた時間ですが、どうしても紹介したいことがございます。北九州の教訓が生かされないで、秋田でもまた抗議の自殺事件が起きた。その方は、自分の死をもって福祉がよくなればいいのにということを述べていたということ、本当にこの遺志を酌んでいただきたいと思います。

 本当にいろいろなことが実は起こっているんですね。資料の三枚目をごらんになってください。毎日新聞の秋田県版、「出産に圧力」、こっちは朝日新聞、「秋田市職員が「暴言」」簡単に言いますと、生活保護を受けている夫婦が出産の意思を示したのに対してそれを抑制するような発言をした、妊娠の事実を伝えた際に、生活保護を受け、さらに出産費用を出すというのは常識的にどうかと言ったと。下の方、朝日の三段目を見てください。「産みます、はいそうですね、というわけにはいかない」「出産を望み、何でもかんでも面倒をみてもらえるならば、みんな生活保護を受けたいと思いますよ」、こんなことを職員が言ったと。生活保護世帯には当然、新聞にも書かれておりますけれども出産を無料にする制度もございます、それを一切教えませんでした。また、二十年前には、同じ秋田市で中絶強要事件というのも起こっています。

 こういう人権侵害が起こっているんだということに対して、やはりきちんと、いわゆる、皆さんの言い方で言えば適正化です、こういう行き過ぎた指導は徹底して改めるべきだと思います。一言、大臣、お願いします。

柳澤国務大臣 個々のケースについて、私はコメントをするだけの情報を持っておりません。しかし、いずれにしましても、福祉事務所に来られた方に対して必要な指導、指示をすることはできるとされておりますけれども、保護の目的の達成のため、必要最小限度で行うべきものである、このように考えております。

高橋委員 残念ながら時間が来ましたので、終わります。引き続いてまた次の機会に譲りたいと思います。ありがとうございました。

伊藤(信)委員長代理 次に、内山晃君。

内山委員 民主党の内山晃でございます。よろしくお願いを申し上げます。

 私は、臓器移植につきましてお尋ねをしたいと思います。なぜ死体腎移植が少ないのかということについて質問をいたします。

 死体腎移植が減少している原因として、脳死下の臓器移植と同じ手続が必要との誤解が患者や医療関係者にあると聞いております。

 臓器移植に関する法律の運用に関するガイドラインの中に、ちょっと読み上げてみますけれども、角膜及び腎移植の取り扱いに関する事項では、「角膜及び腎臓の移植に関する法律は、法の施行に伴い廃止されるが、いわゆる心停止後に行われる角膜及び腎臓の移植については、法附則第四条により、本人が生存中に眼球又は腎臓を移植のために提供する意思を書面により表示していない場合(本人が眼球又は腎臓を提供する意思がないことを表示している場合を除く。)においても、従来どおり、当該眼球又は腎臓の摘出について、遺族から書面により承諾を得た上で、摘出することができる」と記載されております。

 わかりやすく簡単に言いますと、専門家ではありませんけれども、腎移植は心臓死での提供が可能で、さらに、心臓死であればドナーカードが不要で、家族の同意のみで提供できる、このように理解しておりますけれども、よろしいでしょうか。

外口政府参考人 御指摘のとおりでございまして、心停止下での腎提供については、臓器移植法の附則第四条により、本人意思が不明の場合には遺族の書面による承諾により摘出可能とされております。

内山委員 医療関係者でもこのことをよく知らない人が多いという声があります。臓器移植法から、死体腎移植の数値が減少しました。施行前の平成八年でありますと百八十六件の死体腎移植に対し、施行後、平成九年の数値は百五十九件となり、減少傾向が続いております。

 煩雑な脳死判定の段階ではなく、心臓死の段階で、心肺停止した後で、数時間以内であれば臓器の摘出をしても移植が可能であると聞いております。やはり医療関係者にこのことの周知を徹底すれば、かなり臓器が出てくるのではなかろうかと思うんですが、いかがでしょうか。

外口政府参考人 心停止下での腎提供の扱いも含めまして、医療関係者に対し、移植医療に関する普及啓発を進めることは大変重要であると考えております。

 現在の取り組みでございますけれども、厚生労働省では、全国の医科大学の教育プログラムの指針におきまして、臓器移植の種類と適応を説明できる等の到達目標を掲げているほか、医師国家試験の必修の基本的事項として臓器移植及び脳死を上げております。また、日本臓器移植ネットワークと連携して、臓器提供施設に対しまして、研修会の開催、マニュアルの作成及びシミュレーション実施における支援、主治医による臓器提供の選択肢提示に関するDVDの配付、院内コーディネーターの設置支援等に取り組んでいるところであります。

 また、移植医療に関する国民の理解を深めるとともに、地域における臓器提供のための体制を整備していくことが不可欠でありますので、臓器提供意思表示カード・シールの配布、政府広報や公共広告機構等を活用した普及啓発、中学三年生向けのパンフレットの作成と全国の中学校への送付、臓器のあっせん業務への助成やコーディネーターに対する研修等、あっせん体制の整備等を実施することにより、一人でも多くの方が臓器提供に関する意思を表示されるとともに、その意思が尊重されるよう取り組んでいるところであります。

 先生御指摘のように、確かに、死体腎の移植の件数につきましては、いっときより減少している段階がまだ続いている状況にあります。まだまだ工夫は必要だと考えております。今後とも、医療関係者及び国民に対する普及啓発について、より効果的な方策を工夫して、移植医療の推進に努めてまいりたいと考えております。

内山委員 臓器提供を待つ多くの患者さんを救済するために、体制の整備とか維持に要する経済的な負担が大きいと言われております。臓器提供施設に対して、努力に見合う何らかの経済的なインセンティブを与える必要があるんじゃなかろうかと思うんですけれども、その辺はいかがでしょうか。

外口政府参考人 臓器提供に取り組むためのインセンティブと申しますか、臓器提供施設に対する支援でございますけれども、日本臓器移植ネットワークによる臓器提供施設に対する研修会の開催や、御家族に対する臓器提供の選択肢の提示等に関するDVDの配付等が行われているほか、死体からの臓器摘出については診療報酬上の評価がされており、日本医療機能評価機構が行う医療機関の機能評価においても、臓器提供施設について、臓器提供施設としての体制整備の状況が評価項目とされているところであります。

 また、脳死下での臓器提供について、臓器提供時における提供病院への支援としては、日本臓器移植ネットワークによる臓器提供施設への交付金、本年四月の診療報酬改定において、脳死判定及びドナー管理等に関する診療報酬上の評価等が実施されたところであります。

 臓器移植法では、死亡した者が生存中に有していた臓器提供に関する意思は尊重されなければならないとされております。こうした観点を踏まえつつ、今後とも臓器提供施設に対する必要な支援についてさらなる検討を行ってまいりたいと考えております。

内山委員 ドナーの家族が納得の上、死体腎の提供が進む環境整備がやはり必要だと思います。直接対面する医師に対しての普及啓発対策というのがどのように行われているのか、お尋ねをしたいと思います。

外口政府参考人 医師への普及啓発でございますけれども、先ほども申し上げましたように、まずは、新しく医療に参加してくる若い医師への対策として、医科大学の教育プログラムの中の指針にしっかり盛り込んでおくこと、それから医師国家試験の必修の基本的事項としておくこと、これは若い医学生にとっては大変な関心事でございます。また、臓器移植ネットワーク等と連携しながら研修会を進める、必要なマニュアルとか臓器移植の選択肢の提示に関するDVDを配付する、それから院内コーディネーターの設置の支援等を研修を含めて今進めているところでございます。

内山委員 この死体腎移植に関しても地域間格差が非常にある、こう言われているわけでありまして、地域によっては、医療機関相互、移植コーディネーター、腎バンクとの連携により、死体腎移植が増加している地域がございます。このような取り組みを広く進めていくためには地域の取り組みの格差を解消しなければならない、こう考えておるんですけれども、いかがでしょうか。

外口政府参考人 地域間格差についてのお尋ねでございます。

 心停止下での腎提供を例にとっても、御指摘のように都道府県間でかなり件数に差が見られるところでございます。県によって、提供件数が一年間に八件とか十一件とかいう県もございますけれども、それがゼロ件とか一件とかいう県もございまして、しかも、それは必ずしも人口の数に比例した数ではございません。その意味で、熱心に取り組んでいる県とそうでない県とあるように思います。

 このため、厚生労働省としての取り組みでございますけれども、ドナーの確保には地域に根差した取り組みが必要でございますので、各都道府県に対しまして、臓器移植普及推進月間、これは毎年十月でございますが、ここで地域の実情に応じた普及啓発をすること、都道府県内の医療機関、医療従事者に対する普及啓発をすること、それから意思表示カード及びシールの普及への協力依頼、関連する情報の提供等についての要請を行ってきているところでございます。引き続き、普及啓発へ御協力いただくよう、必要な要請を行ってまいりたいと思います。

 なお、都道府県の中では、独自の臓器提供施設の認定、支援の仕組みを設ける等、普及啓発に関して独自の取り組みを進めているところもあると承知しております。今後は、そのような熱心な取り組みについての紹介等も積極的に行っていきたいと考えております。

内山委員 善意によって提供される臓器の移植に当たっては、レシピエントの公正な選択が欠かせないわけであります。レシピエントの選択基準、臓器移植ネットワークの運営につきまして、より患者の意見を反映させるために、理事に患者の代表を半分加えるべきだという意見があるわけでありますけれども、現在、理事の数を数えてみますと、五十一名中患者代表は二名ということになっておりますけれども、患者代表をもう少しふやすという考えはないでしょうか。

外口政府参考人 日本臓器移植ネットワークは、死体から提供された臓器のあっせんを行うとともに、臓器移植に関する知識の普及及び啓発等を行う団体であり、その運営に当たっては、幅広い関係者の支援のもとで行われていくことが必要であると考えております。

 御指摘の理事の選任については、ネットワークの役員候補者選考委員会で選考した役員候補者について、総会において選任されているものと承知しております。

 この役員候補者選考委員会の中にも患者団体の代表の方は入っておるようでございますが、今までの選考の経緯というものもございましょうけれども、役員の選任の考え方等についても、私どもの方でもネットワークとも話をしてみたいと考えております。

内山委員 今回のように、病気腎移植というものはネットワークは関与しないものでありますけれども、やはりレシピエントに公平な配分を行うために、今までにない何か決めをつくらなければならないのじゃなかろうかと思うのですが、その辺はいかがでしょうか。

外口政府参考人 臓器移植法では、基本的理念として、移植機会の公平性の確保とともに、移植術の適正な実施が定められております。

 今般の病気腎移植につきましては、移植機会の公平性ということもございますけれども、移植機会の公平性の確保の問題以前に、医学的及び手続的な面においてさまざまな問題がある可能性がありまして、そこはまだ解決されておりません。そこで、厚生労働省といたしましては、まずこれらの実態について調査を行った上で、御指摘の面も含めた必要な検討をしてまいりたいと考えております。

内山委員 ドナーカードというのがあるわけでありまして、先ほども御説明ございましたけれども、今回、この質問をつくるに当たっていろいろ調べておりましたら、ドナーカードに準ずるシールというものがあるということがわかりまして、私初めてこれを知ったわけであります。

 携帯電話や保険証、運転免許証の余白に張れるような形になっていると思うのですが、私が初めて知ったから言うのではありませんけれども、こういうシールというのは余り普及されていないような気がしますが、もっともっとその普及を図るべきだと思いますけれども、どのようにされますでしょうか。

外口政府参考人 厚生労働省及び日本臓器移植ネットワークでは、臓器移植法施行から現在までに、臓器提供意思表示カードは約一億一千万枚、臓器提供意思表示シールは約二千九百万枚を作成し、地方自治体、郵便局、コンビニエンスストア等に配備するなど、その普及に取り組んできました。

 また、政府広報や公共広告機構等を活用して、テレビ、ラジオ、新聞等による多角的な広報を行うとともに、中学三年生向けのパンフレットを全国の中学校に送付するなど、臓器提供意思表示カード及びシールがより多くの方に認知され、所持されるよう努めているところであります。

 臓器提供意思表示シールについては、これは健康保険証や運転免許証の余白に張って使用するものであることから、記入方法等を説明したリーフレットを作成し、これとセットで運転免許試験場等に配備するなど、その普及に努めているところであります。

 今後とも、より効果的な方策を工夫し、移植医療の普及啓発に努めてまいりたいと考えております。

内山委員 最後に数値をお尋ねしたいのですけれども、人工透析を行っている患者数、そしてその患者数に対する医療費をお尋ねいたします。

外口政府参考人 慢性的に透析療法を受けている患者さんの数でございますけれども、二〇〇五年十二月現在で約二十五万八千人であります。透析に係る医療費は、これは推計になりますけれども、年間約一兆二千億円程度と推計しております。

内山委員 医療費が一兆二千億円と、非常に膨大な医療費が出ているわけでありまして、これはやはり、もっともっと死体腎からの臓器移植ができればもっともっと医療費も軽減できるし、さらには、人工透析を行っている患者さんというのは、週に三日も、一回当たり数時間そのままベッドの中で機械をかけて、大変苦しい思いをされている。

 ですから、こういう医療費の削減の観点からも、脳死の判定とはまた違う、心臓死下で摘出をできるわけであります、しかもドナーカードの提示も必要ない、家族の同意のみで可能であるということでありますので、やはり現場の医師にもっと啓発をしていただいて、苦しんでいらっしゃる人工透析の患者さんをぜひ救っていただけるようさらに御努力をしていただきたい、こう申し上げたいと思います。

 それでは、テーマをかえまして、社会保険庁改革につきましてお尋ねをしたいと思います。

 安倍総理大臣は所信表明のところで「解体的出直し」、こう述べておりますけれども、現在、社会保険庁の改革はどのようになっているかお尋ねをしたいと思います。

清水政府参考人 社会保険庁につきましては、これまで、サービスの質でございますとか予算執行のあり方、保険料徴収等に関しましてさまざまな御指摘があったところでございまして、また、不祥事案も生じたところでございまして、改めてこの場をおかりして心からおわびを申し上げる次第でございます。このため、国民の信頼回復を図ることができるよう、解体的出直しを行うことが必要というふうに考えておるところでございます。

 現在、社会保険庁改革関連二法案につきましては、国会に提出を申し上げ、継続審議にしていただいているところでございます。ただ、その後いろいろと時間が推移いたしまして、また、その間の出来事もございました。本日、午後の冒頭の質疑応答にございましたように、社会保険庁改革のあり方につきましては、与党内でも改めて議論が行われ、それが深まっているところかと承知しておるわけでございます。

 このため、先ほど大臣がその質疑の中で答弁申し上げましたように、そうした議論を踏まえまして、国民の信頼回復が得られるような一番よい結論を得て、新組織が実現できるよう努力してまいりたい、このように考えておるところでございます。

内山委員 なぜ社会保険庁を解体しなければならなくなったのか、時間的な経過がありますのでいま一度確認をしたいと思うのですが、どのように御認識をされていますでしょうか。

清水政府参考人 今ちょっと申し上げたところでございますけれども、社会保険庁のあり方あるいは仕事の仕方につきまして、さまざまな御指摘がございました。あるいは不祥事案も生じたところでございます。

 そういう中におきまして、公的年金制度の執行を預かる立場といたしまして、国民の信頼回復、これが不可欠であるというふうに強く思ってございます。したがいまして、社会保険庁につきましては、組織のあり方、それを含めまして、抜本的な改革が必要だ、したがいまして解体的出直しを行うことが必要だ、そのように考えておるところでございます。

内山委員 個別具体的にこんな事件があったというふうにお答えがあるのかと思っていましたけれども、私の方から確認をさせていただきたいと思うのです。

 十六年の年金改正法を審議しておりますときに、やはりさまざまな不祥事が出てきたわけでありまして、国民年金保険料の納付率が低下をした。そして特に、保険料徴収事務が市町村から社会保険庁に移管された平成十四年度に大きく徴収率、納付率が下がったわけであります。この下がったことによりましても適切な対応をとらなかった、こういうことが国民年金の空洞化を招いた一つの原因であった、これは間違いないところであると思います。

 さらには、国会議員や著名人の年金保険料未納情報というのを、社会的関心を集めることを機に社会保険庁の職員がのぞき見をしていた、業務外閲覧をしていたということであります。

 そして、年金相談に至っては、社会保険事務所に年金相談の方がたくさん押し寄せている中、お昼休みになりますと窓口を閉めて対応はしないという、やはり非常にサービスの低下というのがあったわけであります。

 それから、年金保険料を事務費に特例措置によりまして充てておりまして、社会保険庁長官の車だとか職員の宿舎だとか、福利厚生に使っていた。これはやはりとんでもない使い道であると国民の非常に大きな怒りがあったところであります。

 そして、グリーンピア、サンピア、こういう年金福祉施設に対して、利用者が少ない中、その整備に莫大な保険料が無駄に使われたという事実もあったわけであります。

 さらには、社会保険庁が大量に購入をしておりました出版物は、職員が多額の監修料を得ていた、裏金をつくっていた、こういう事実もあったわけであります。

 そして、新しいところでは、年金の不正免除、猶予、三十八万五千というような数値がありまして、不祥事のデパートとやゆされるほど組織や職員の規律が緩み切った、こういうことがありまして、国民の公的年金制度への不信感をさらに増幅させ、国民年金保険料の徴収、納付率をさらに下げてしまった、こういう悪循環を招いた記憶はまだ新しいところだろうと思います。

 さきの通常国会に出されました社会保険庁改革関連法案は、社会保険庁を廃止、解体する一方、国の特別の機関としてねんきん事業機構を位置づけ、国家公務員の身分を残しておりました。新聞の論調でも、公務員の身分に安住させるなとか、公務員のぬるま湯体質、職員の意識変革がなければどんな機構になっても何も変わらない、さらには、単なる看板のかけかえといった、やはり厳しい指摘が相次いでおりました。

 柳澤大臣は、九月の二十九日に社会保険庁改革について、前の国会で継続審議になった法案を中心に審議してほしい、こう述べられておりますけれども、今はどのようにお考えになっておりますでしょうか。お尋ねをしたいと思います。

柳澤国務大臣 私、九月の二十六日、安倍内閣が発足をした日に厚生労働大臣を拝命いたしました。その夜に臨時閣議がありまして、継続の審議になっておりました法案につきまして再度国会の御審議をお願いするという旨の閣議決定が実は行われました。そういう私の立場から申しますと、やはりこの際、提出をし、継続審議をお願いした関連二法案について御審議をお願いする、そういうことになるわけでございまして、この立場については御理解をいただきたいと思います。

 しかし、その後、国会提出をし、御審議に供するということをしつつも、いろいろな声がこの国会の中にもございまして、特に与党では、この法案ではその後のいろいろな出来事からして不十分である、そういう御主張がなされまして、そういうことから、それではさらにこの検討を深めよう、こういう動きになってございましたので、私どもとしては、国会でのそうした、内外とあえて言わせていただきますけれども、動きについて注視をしてまいったわけでございます。

 先ほど、本日の審議の冒頭、その与党内の検討の中心的なメンバーのお一人である大村委員の方から五つの大原則を決めたぞよというお話がございまして、どう考えるかということでございますので、そうした与党の考えも、もう少し明確な形で示された場合には、我々としてはこれを重く受けとめてその具体化という点で検討を進めていく所存である、こういうお答えをいたしたわけでございます。

 現況は以上のとおりでございます。

内山委員 物理的に、十五日で国会が閉じるわけでありますから、新しい法案の提出というのはなかろうということになるわけでありますけれども、いつ出てくるのかということで我々は楽しみにしておったわけでありますが、非常に残念でなりません。

 さて、新聞報道しか情報がありませんが、来年の通常国会には新しい社会保険庁改革法案を提出されるというようなことが出ております。

 社会保険庁改革が、いつの間にか公務員減らしが目的になっているような感がしてならないんです。年金加入者、やはり年金の被保険者が中心の改革でなければならない、こう思うわけでありまして、不祥事があったのはいたし方ないんですけれども、いつの間にか何か目的がずれてきているような気がしてならないんですね。また来年どういうものが出てくるか、これはわかりませんが、社会保険庁を解体したら解体したで、新しい運用面の問題点が出てくるのではなかろうか、こういうふうに危惧をしておりまして、わかる範囲で結構でありますけれども、少しお尋ねをしたいと思うんです。

 まず、組織が分断されるわけでありますので、組織間の連携というのは十分に図れるのだろうか、それを非常に危惧しておりますが、いかがでしょうか。

清水政府参考人 現在、私どもは法案を提出し、継続審議の形をいただいておるところでございます。その中におきましては、厚生労働省の特別な機関としてやるという形になっておるところでございます。そういう中では、必ずしも分断ということではないのかなというふうに思っております。

 ただ、今後、いろいろな御論議の中で、新しい形ということになるのであるならば、それに応じていろいろと検討していくということになろうかと思います。

内山委員 新組織が非公務員化されるのであれば、公的年金に対する国の責任というのをどのように位置づけるのか、これを明らかにしてほしいと思うんです。

清水政府参考人 繰り返しで恐縮でございますけれども、私どもは現在法案を御提出申し上げ、継続審議をお願いしているということでございます。その中におきましては、国の機関として公的年金制度の執行を預かるということを御提案申し上げておるところでございます。

 ただ、本日の午後の冒頭の御議論を聞かせていただいても、いろいろな議論の中では、公的年金に対する国の責任というものをしっかり果たすという中での議論も、一方、与党の中でも行われているということは承知してございます。

内山委員 分限免職処分、非公務員化、民間委託、こういうことが進みますと、人員削減が進んでいくと思います。現行の社会保険庁の職員は職を失う方も多数出てくるのではなかろうかと思うんですが、それに対する対応というのはどのように考えるんでしょうか。

清水政府参考人 繰り返しで恐縮でございます。

 私どもは、今法案を提出し、御審議をお願いするという立場でございますので、それ以外のことについて、なかなかコメントしにくいということについて御理解を賜りたいというふうに存じます。

内山委員 団塊の世代が来年大量に定年退職を迎えるわけでありまして、今のねんきん事業機構でいけば二十年の十月にそういう制度をつくるということでありますけれども、来年、再来年と団塊の世代の大量定年を迎えるときに、こういう組織をいじっておいて現場で混乱を生じないか非常に危惧をするわけでありますけれども、それはいかがでしょうか。

清水政府参考人 今、社会保険庁の人員に関しまして、七カ年の人員削減計画というものを考えて、それを策定しておるわけでございます。

 この考え方を申し述べますと、一つは、定型的業務の外部委託といったこと、あるいはシステムの刷新、そういう合理化を徹底するという考え方でございまして、そうすると、それに携わっていた人員というものがほかで活用できるということになりますので、強化すべき分野の業務にそこの人員シフトを図るということを考えておるわけでございます。

 したがいまして、御指摘ございましたような団塊の世代の方々が年金受給の年齢に達してくるということにかかわります給付、相談等、それは当然業務量の増が予想されますので、そういう分野にそういう人員シフトを図るということによって対応したいということを考えてございます。

 いずれにしましても、業務改革、組織改革といったものは、年金事務を的確に行うということを考えるのが大前提でございますので、そういうようなことに対応できるような形での運営を進めてまいりたいと考えてございます。

    〔伊藤(信)委員長代理退席、委員長着席〕

内山委員 保険料の徴収を民間委託したとき、個人情報がきちっと管理できるのか、非常にやはり危惧をするわけでありますけれども、その点はいかがでしょうか。

青柳政府参考人 保険料の徴収事務を民間委託するということについてのお尋ねがございました。

 これは現在でも、国民年金の保険料の収納業務について、一部民間委託をさせていただいているわけでございます。平成十七年度から、市場化テストモデル事業ということで実施をさせていただいております。強制徴収などの業務は当然のことながら社会保険事務所が行わせていただくわけですが、電話あるいは戸別訪問などによる納付勧奨業務、こういったことは民間を活用してやらせていただいているというところでございます。

 社会保険庁におきましては、現在、この市場化テストのモデル事業も含めて、個人情報を取り扱う業務を外部委託する際には、一つは、業者の選定に当たっての第三者評価がきちんと行われているかどうか、それから秘密保持義務違反の場合の契約上のペナルティーをどうするか、それから委託業務の監督等をどうするかというようなことを規定しております。

 具体的には、私ども、社会保険庁保有個人情報保護管理規程というようなことを定めておりまして、委託先の業者選定に当たりまして、プライバシーマークなどの個人情報の適切な取り扱いを行っている旨のいわば第三者評価を証する書面の提出を求めております。また、委託契約書には、個人情報の秘密の保持に違反した場合における契約解除、それから損害賠償責任等に関する事項を盛り込んでおります。さらに、委託業者における個人情報の安全管理についての実施体制を、私ども、監査を実施させていただくというふうにさせていただいております。

 なお、これも御承知のことかと存じますが、国民年金の保険料の収納業務につきましては、市場化テストモデル事業を現在実施しておるわけでございますが、これが平成十九年度から公共サービス改革法に基づくところの事業となります。この公共サービス改革法におきましては、この委託事業者は、法律上、秘密保持義務が規定されておりまして、違反した場合には罰則が科せられるほか、刑法の適用に当たりましては、いわゆるみなし公務員とされるというような厳しい守秘義務が規定されておるわけでございます。

 いずれにいたしましても、社会保険業務における個人情報保護につきましては、十分に私ども留意をしてまいりたいと考えております。

内山委員 社会保険庁の改革につきましては以上で終わります。

 次に、委員会や新聞でも取り上げております年金加入記録の消えた事件、その後どのようになっているかお尋ねをしたいんです。

 年金で大量に記録ミスが発生している。職員が旧式の記録をコンピューターに移しかえる際に誤入力したケースが相次いでいる、この件の進捗状況を御説明いただけますか。

青柳政府参考人 ただいま年金の加入記録についてのお尋ねをちょうだいしました。

 社会保険庁におきましては、年金の記録に不安あるいは疑問を持たれる方々に対しまして、御本人の年金記録の確認それから必要な調査に迅速に対応いたしたいということで、現在、社会保険事務所に専用の窓口を設けております。私どもといたしましては、年金記録相談のいわば特別強化体制を現在とらせていただいているという状況にございます。

 この特別強化体制の実施状況をお答え申し上げたいと存じますが、八月の二十一日からスタートいたしまして、十一月の二日までのいわば集計ができております。この間に約四十一万件の御相談をちょうだいいたしました。事務所のその場で年金記録が確認できた方が、このうちの九八%に相当する四十万四千件でございました。残りの二%、約八千件は、その場での確認ができず、改めて調査の申し出を受け付けさせていただいております。

 このほかに、あらかじめID、パスワード等により御自分で記録を確認されたりして、事務所にはおいでにならなかった、そういう方々が郵送等によりまして改めて調査の申し出をされるというケースもございますが、これがおよそ一万二千件ございます。

 合計二万件の調査の申し出を現在受け付けているところでございますが、これらのうち七割については、既に回答をさせていただいております。

 また、こうした手続を経てもなお年金加入記録の有無について御本人がどうしてもより調査をしてほしいという申し立てをされた場合には、社会保険庁本庁におきまして、その事務所において行った記録確認等の手続にそごがないか、あるいは新たに何か新しい資料等で記録の訂正のお申し出をいただいたものについてどういう判断をするかといった、記録訂正の要否についての事実関係の調査を行いまして、体系的に整理をさせていただいた上でその要否を判断するという形をとらせていただいております。

内山委員 お尋ねしたいのは、職員が旧式の記録をコンピューターに移しかえる際に誤入力したと、誤入力したというのは、これは確認がとれているんですか。

青柳政府参考人 私、承知しておりますところ、テレビ等で元社会保険庁職員と称する方が出てきて、そういうことがあったのではないかという御発言をされたということは仄聞をしておりますが、私どもといたしましては、いずれにいたしましても、誤入力というようなことは本来あってはならぬことでございますし、あくまでも御本人のそれぞれの記録の確認をきちんと行うということをもってお答えをしたいというふうに考えております。

内山委員 では、誤入力はなかったんですか。

青柳政府参考人 明確に、いつ幾日どういう形で誤入力があったということは確認できておりません。

内山委員 そんなに言い切っていいんですか。職員のミスによって誤入力が生じたケースが相次いでいると。では、本当にこれは、御本人の間違いとか、年金手帳を何冊も持っていてつながっていないというケース以外にないと言い切るんですね、本当に。

青柳政府参考人 大変残念ながら、社会保険庁はこの間、先ほど議員からも御指摘がございましたように、仕事のやり方等について幾つかのミスをしたことは事実でございます。

 したがいまして、社会保険庁が絶対にミスはないということを私が断言いたしますと、現実に事実はほかの分野であったかもしれないけれどもあったではないかという御指摘を賜るだろうと思います。しかしながら、この件について明確にこういう形のミスがあったということは、先ほどお答えを申し上げましたように、確認をしておりません。

内山委員 入力を再度検証すれば、手続が間違ったかどうか、それは当然わかってくるはずだと思うんですけれどもね。それは、こういう指摘がされたときには検証はされなかったんですか。

青柳政府参考人 私どもは、御存じのように、記録を現在は機械的に処理をしておるわけでございますが、これと例えば御本人のお申し立てが違った場合には、その記録のもとになった原簿というものをマイクロフィルム等で保管をしている、したがいまして、この原簿と突き合わせてみて、例えば、どのような事情であったかは別にして、食い違いがあったというような場合にはそのお申し立てに基づいて記録を訂正するというようなことがございます。

 ただ、その理由が入力のミスであったのかそれ以外の理由であったのかについては、現時点ではちょっと確認のしようがないというのが実態でございます。

内山委員 いずれ事実が出てくるでしょうから、ここで押し問答してもしようがありませんので、次に参りたいと思いますけれども、やはり、年金受給者は一番自分自身の年金加入歴のことがよくわからないわけでありまして、これから五十八歳になりますと年金の加入記録のお知らせが届くわけでありますので、きちっとこれから受給される方に、それぞれ皆さん御確認をいただかないとならないなというところでありまして、そこはさらに、年金加入、被保険者期間を確認するように要請をされるとよろしいかと思いますが、お願いをしておきます。

 大臣にお尋ねをしたいんですけれども、最近の新聞記事を見ますと、私ども民主党が提案をしております、保険料の徴収業務を歳入庁にして社会保険庁と業務を分離すべきではないかと与党の方から声が上がっているんですけれども、それに対して御意見をいただきたいと思います。大臣の方から。

柳澤国務大臣 社会保険料の徴収ということは、同じ徴収なので国税の徴収と同じように見て、これを一緒にして、それで、どうせのことだから国税庁ともあるいは財務省とも分離して歳入庁にしたらどうか、こういう御意見かと思います。

 しかしながら、先ほども申しましたように、年金は保険という形をとっておりまして、片や給付というものと見合っているという関係にあるわけでございます。これは、国税一般が公権力によって一方的に徴収をして、その使途については全く独自に、別途に国会の御審議をお願いする予算という形でもって使途が決まってくるのとは全く違うわけでございまして、私どもとしては、年金の保険料というのは給付と一連の、裏腹のものでありますので、まず基本的にそこが違うということを考えております。

 加えまして、特に国民年金、国年というようなことになってまいりますと、これはおよそ国税の納税義務者あるいは納付者というようなものと、全く重なり合わないということはないにせよ、かなりの部分実は重なることが少ないというようなことを考えますときに、納付、徴収といったところを統合したところで一体どういう効果があるだろうかということについても重大な疑義を持っているというのが現在の私の考えでございます。

内山委員 与党の方から、我が民主党案をまるでまねするような意見が出ておりますので、ぜひ、それはお尋ねをさせていただいたところでございます。

 それでは、団塊の世代の大量定年に伴う年金相談窓口業務の対応につきましてお尋ねをしたいと思います。

 二〇〇七年、団塊の世代の大量定年に伴いまして、大変な数の方が裁定請求手続に入ろうかと思うんですが、まず、六十歳になる方の人数をどのように把握しておりますでしょうか。

青柳政府参考人 平成十七年の国勢調査に基づきまして推計をいたしましたが、二〇〇七年に六十歳に達する人口については約二百二十万人から二百三十万人程度というふうに見込んでいるところでございます。

内山委員 そのうちの年金裁定請求を出されるような人数は六十歳、六十五歳でどれぐらいありますでしょうか。

青柳政府参考人 二〇〇七年度に裁定請求書を提出する人数につきましては、まず六十歳で特別支給の老齢厚生年金受給権の発生する方がおよそ百三十八万人、それから六十五歳で初めて老齢基礎年金受給権の発生する方が約二十四万人程度と見込んでおります。

内山委員 その百三十八万人、そして二十四万人に対する対応というのは何らかの形で考えているんでしょうか。

青柳政府参考人 団塊の世代の方々の大量退職に伴いますところの業務量の増加に対しましては、幾つかの対応を図っているところでございます。

 まず、五十八歳に到達する方、すなわち年金受給開始の直前の方ということになるわけでございますが、この方々に対しましては、それまでの年金加入記録をあらかじめ通知いたしまして、その記録の確認を行っていただきます。そして、希望される方には年金額の見込み試算を行う、これは十六年の三月から実施をしております。さらに、この事前通知に基づきまして記録の確認の行われた方々に対しましては、年金支給開始年齢の直前に、あらかじめ氏名、住所、それから年金の加入記録を記載した裁定請求書を御本人あてに送付する、私どもターンアラウンドと呼んでおりますが、こういったサービスを平成十七年の十月から実施させていただいております。

 また、社会保険事務所、大変混雑しておるという先ほど御指摘もいただきましたが、直接お越しをいただかなくても年金相談が行えるようにということで、インターネットを活用した年金個人情報の提供、これは十七年の一月から行っております。また、ネットワーク化によりまして、あいている拠点に電話相談がすぐつながるような、ねんきんダイヤルという形のサービス、これに十七年の十月から取り組んでおります。

 さらに、定型的な業務の外部委託とかシステムの刷新等によりまして合理化を徹底し、その一部を活用するというような、先ほど総務部長からも申し上げました人員シフトというような形を図る中で、団塊世代の方々が年金受給権を取得する世代となることによるところの給付あるいは相談の業務量に的確に対応してまいりたいと考えております。

内山委員 今お言葉にありました年金裁定請求書、ターンアラウンドの関係ですけれども、このターンアラウンドには、国家資格があります社会保険労務士の押印欄がないんですね。これはなぜないんだろうかと非常に疑問に思っておりまして、例えば税務署に申告する確定申告の用紙には税理士の押印欄があるわけでありまして、同じようにやはり一般の方がそれぞれ提出をする書類でありますけれども、それぞれの士業の専門家がいるわけでありますので、なぜ社会保険労務士の押印欄がないのか、お尋ねをいたします。

青柳政府参考人 今さら申し上げるまでもなく、年金の申請書あるいは届け出書につきましては、手続を行う方々にとっての利便性あるいはわかりやすさということで様式を定めるべきというのが原則であろうかと存じます。

 したがいまして、お話のございました年金の裁定請求書に社会保険労務士の提出代行者印の欄を設けろというようなお話であったかと存じますが、こういう形にいたしました場合に、年金を請求する個々人の方が社会保険労務士に現に依頼するということが余り例としてないということに加えまして、あたかも社会保険労務士の印が必要ではないかというような誤解を招くおそれがあるのではないかというようなことを懸念いたしまして、こういった欄を設けておらないという現在の状況になっております。

 ただ、これは議員も御存じのように、この裁定請求書につきましても、社会保険労務士がその請求書の余白に記名、押印をしていただくことによって提出代行が可能であるという扱いをさせていただいております。

内山委員 今、社会保険労務士が余り裁定請求書に関与をしていないような答弁がありましたけれども、それを数値で後で示してください。

 私は、この裁定請求書の作成等はかなり専門の社会保険労務士が関与をしておりまして、こういう専門家が関与することによって窓口の混雑緩和、いかに軽減されているか、これはやはり強く確認をすべきだと思います。

 残りの質問があったんですけれども、時間が来てしまいましたので、御用意していただいた担当者の皆さんにはまことに申しわけなく思いますが、これで質疑を終了いたします。

 ありがとうございました。

櫻田委員長 次に、園田康博君。

園田(康)委員 民主党の園田康博でございます。

 本日は、恐らくこの臨時国会最後の厚生労働委員会一般質問になろうかと思っておりますので、私も幾つかこの臨時国会で取り組ませていただいたこと、あるいはさきの国会からの懸案事項をちょっとまとめて大臣にお伺いをしたいと思っておりますし、また、きょうのこの質問時間、私に与えられた時間は三十分でございますので、三十分以内ですべて解決するというふうには思っておりません。恐らく、ことしから来年にかけての宿題といいますか、お年玉になるかどうかは別として、ひとつぜひ精力的に取り組んでいただきたいという事項を大きく分けて二点、お伺いをしたいと思います。

 まず第一点目でありますが、先ほど来お話を伺っておりまして、年金にまつわる話の中で、社会保険庁改革というものを通じて年金改革を行っていこうというお話は幾つかあったわけでありまして、国民の信頼を回復して、そして将来的に持続可能な年金をつくっていこうというものは、当然私も行っていかなければいけないというふうに思っております。

 そんな中で、社会保険庁改革というものはある種付随的なものであって、私は、年金財政そのものをきちっともう一度見詰め直しておく必要があるのではないのかなというふうに思っておる次第でございます。

 その過程の中で、本来ならば、国民年金もあわせて一元化、あるいは国民年金もあわせて、厚生年金、共済年金、それぞれの一体的な見直しを、しっかりと財政的な部分で見詰め直していかなければいけないんだろうなというふうに思っておるところでございます。

 しかしながら、今般、少し漏れ伝わってくるところによりますと、来年には出てくるであろう法案で、被用者年金の一元化というところがあるわけでありますが、私から言わせれば、残念ながら、これは一元化ではなくて単なる厚生年金と共済年金の一本化であって、本来の意味の公的年金制度の一元化ではないはずであろうというふうに思っております。

 そしてさらに、特別会計の見直しということが与党サイドからもお話が出てきておるところでありまして、今の三十一ある特別会計を、廃止が四つ、あるいは統合も合わせて十七に減らすんだ、これで改革を推し進めているというのを旗印に、これから来年度以降されるんであろうなというのは往々にして想像がつくわけでありますけれども、私から言わせれば、もう一つ、この特別会計の見直しというのは、会計の数を減らせばいいということではなくて、その中身がどのようになっているかということをきちっと国民の目に見える形で、なおかつそれが、無駄といいますか、おかしなところがあったらそれを是正していくという形こそ、私は、本来国民に対して年金財政全体をしっかりとお示しをしていくいわば姿勢ではないのかなというふうに考えておったわけでございます。

 その中で、前大臣にもお伺いをした、あるいは、坂口元厚生労働大臣のときからずっと私もこの問題を取り出してお伺いをしてきたところがあったわけでありますけれども、残念ながら、前大臣のときは、余りいいお返事といいますか御答弁をいただけなかったものですから、ぜひ、会計にといいますか金融財政にしっかりと目を向けていらっしゃる現柳澤大臣にひとつお伺いをしたいと思います。

 厚生保険特別会計の業務勘定でありますけれども、ここにおいて、特別保健福祉事業資金というものが一兆五千億あります。少し大きな話をいたしますけれども、一兆五千億の資金が置かれておりまして、これはいわばその一兆五千億の運用益によって特別保健福祉事業というもの、これを行っている事業でございます。国民保健の向上や、あるいは老人福祉の増進が目的という形で行われておりまして、平成二年度からスタートいたしたわけであります。

 これは、厚生保険特別会計法の附則の第十九条に書かれているわけでありますけれども、当分の間この事業を実施するという形でつくられたわけでございます。まず、この制度の創設当時、当分の間というふうにこれは附則に書かれているわけなんですけれども、この当分の間というのはどのように解釈をしておられましたでしょうか。

    〔委員長退席、吉野委員長代理着席〕

水田政府参考人 お答えいたします。

 御指摘の特別保健福祉事業についてでございますけれども、これは厚生保険特別会計の中に、一般会計からの繰入金をもとにいたしまして資金を設けて、その運用益を用いて、老人保健制度の基盤の安定を図る、こういうために助成等の事業を行っているものでございまして、御指摘のとおり、厚生保険特別会計法附則第十九条で、この特別保健福祉事業に関する政府の経理は当分の間、厚生保険特別会計において行うと規定されているところでございます。

 この導入の経緯について申し上げますと……(園田(康)委員「経緯は要りません、当分の間という解釈について」と呼ぶ)はい。

 これにつきましては、老人保健の方の事情、それから厚生年金に対する特例的な繰り延べの返済財源に充てるということでございますので、恒久措置でないということを明らかにするために、条文上当分の間としたものであると理解をしてございます。

園田(康)委員 おっしゃるとおりですね。当時の橋本元大蔵大臣は、この制度を採用した理由として、いわば平成二年度の特例公債依存体質の脱却を目前に控えておった関係上、ぎりぎりのところの選択の中からこういう方式を選択したというふうにおっしゃっておるわけでありまして、これが恒久的なものでないというのは、現在でも私は変わっていないのではないかなというふうに思っておるところであります。同時に、恒久的なものというよりも、これはもういち早く、見通しがついたならば、すぐさまこの一兆五千億、私は返すべきであろうと思っておるわけであります。

 その一方、今少し部長も触れていただきましたけれども、昭和五十七年度から平成元年度まで、一般会計から年金勘定への国庫負担金の繰入額の減額、すなわち繰り延べする措置が行われたわけであります。この繰り延べというのは、本来ならば払わなければいけないお金を減額していったわけですから、これがたまっていく分に関しては、これはいわば隠れた借金、国家の借金であると言えるのではないかなというふうに思っておるわけであります。

 これが、繰り延べ額という形で合計二兆三千九百七十億円ですよね。そうですね。六十三年度に一兆四百九十億円が返済されているわけでありますけれども、恐らくといいますか、平成元年度においては一兆三千四百八十億円、まだその時点で残っているというふうに私は理解をしておるんですが、その額でいいのかどうか。また、その後、平成七年度から十年度までにおいても同じような繰り延べ措置が行われたと伺っておりますけれども、それは事実かどうか、そして合計金額は幾らになっているのか、お聞かせください。

青柳政府参考人 厚生保険特別会計の年金勘定への国庫負担金の繰り延べについてのお尋ねでございました。

 整理をしてお答えさせていただきますが、まず、昭和五十七年度から六十年度までの間に行われた繰り延べにつきましては、元利合計一兆三千六百二十五億円を昭和六十三年度の補正予算において受け入れております。したがいまして、これは返していただいたという整理でございます。

 それから、昭和六十一年度から平成元年度分につきましては、先ほど来お話が出ております特別保健福祉事業資金という形で平成元年度の補正予算において、元利合計額の返済見合い財源というのが設置されておるということでございますので、年金の方にはお金は返ってきていない、厚生保険特別会計にはそのお金がある、こういう整理になっていようかと存じます。

 さらに、厚生年金の国庫負担の繰り延べについての平成七年度から十年度までの分でございますが、この元本総額は二兆六千三百五十億円になっております。

 以上でございます。

園田(康)委員 ということは、その後、平成十年度以降というのは、この繰り延べ措置というのは行われていませんね、確認ですが。

青柳政府参考人 行われておりません。

園田(康)委員 そうしますと、私の理解におきますと、返済見合い財源としての、先ほど申し上げた特別保健福祉事業でありますけれども、この一兆五千億円、まだ実際のところ完全な形で年金勘定の中には返されていないわけですから、返済の見合い分として別勘定に置いているということでありますから、これが、先ほどの平成七年から十年度の繰り延べ措置、減額措置と合わせていくと、もう四兆円近くの借金を背負ったと理解をするわけでありますけれども、なおかつ、それに対して一兆五千億を引いたとなると、それでも二兆五千億がまだ国の借金としてこの中にあるんだということで理解をしてよろしいですか。

青柳政府参考人 ただいま御整理いただいた点については厚生年金の方につきましての繰り延べということになるわけでございますが、実は、このほかに、国民年金につきましても平成六年度、七年度に繰り延べをしております。したがいまして、この繰り延べの合計額、厚生年金の平成七年度から十年度までの小計及び国民年金の平成六年度、七年度の合計、合わせたものは三兆八百四億円という金額になっております。

園田(康)委員 ちょっと驚きました、私、厚生年金の方だけしか見ていなかったものですから。国民年金においてもこの繰り延べ措置が行われていたということですね。これも合わせて、実は大変大きな借金を抱えているという現状が今明らかになっているわけでありますけれども、大臣、まず、この繰り延べ措置に関する現状の認識、これが正当な今の年金財政のあり方であるのかどうかということも含めて、少し大臣の御見解、御認識をお聞かせいただきたいなというふうに思うんですが、いかがでしょうか。

柳澤国務大臣 厚生年金にせよ国民年金にせよ、国庫負担というものを法律上規定をいたしておりまして、国庫はいわば特別会計、特にまたそれぞれの年金勘定に対してこれに繰り入れをする債務を負っている、こういうことでございます。それを、財政が非常に大変でございますので、したがって、資金繰り上困らないのであれば、こういうことですけれども、しばらくちょっと待ってくださいということで繰り延べ措置が行われているということでございます。

 本来、財政としてはそういうことは望ましくないことはもとよりでございますけれども、国民との間で、国の借金が幾らであるか、あるいは、そもそもそのことによって累積した長期債務というものがどのくらいであるかというようなことを考える観点からいえば、これがもし隠れて存在するということであれば、これはいわば、今委員の御指摘のとおり、まさに隠れ借金、こういうことになるわけでございます。しかし、こうした繰り延べ措置、予算に計上してこういう特別会計あるいはそれぞれの勘定に本来繰り入れなければならないものをこのように繰り延べておりますということを明らかにすることによって、財政の透明性は確保されている、こういう状況であります。

 いずれにせよ、繰り延べなんかがないことがいいに決まっている、こういうことでございます。

園田(康)委員 おっしゃるとおりでございまして、財政の健全化、これはもう全体の中からやっていかなければいけないのであろう、その中で、やはり、先ほど来申し上げているように、年金そのものに対する信頼性というものをどういうふうに高めていくかというのは、この辺もきちっと整理されていくべきであろうというふうに私は思っております。

 そこで、一方で、繰り延べ措置を行っていて、それの見合い財源として一兆五千億がこの特別保健福祉事業資金という形で創設をされてきたわけでありますけれども、これが十八年これで続いているわけでありますが、ここにおいて、本来、年金勘定の中にこの一兆五千億は返っておかなければいけなかった、返らなければいけないわけでありますけれども、その一部として返さなければいけないにもかかわらずこれが返されていない状況の中で、これが運用益という形でほかのものに使われているという現状があるわけでありますが、本来これが年金勘定に返っていたならば利子の相当分というものが発生するのではないかというふうに私は思うわけであります。

 すなわち、この年金勘定の本来あるところに入ってこそ全体の運用益というものも起きてくるわけでありますけれども、そこには入っていないわけですから、その利子相当分というものがこの十八年間損していたと私は思うわけでありますけれども、その利子相当分、これは幾らというふうに換算していらっしゃいますでしょうか。

    〔吉野委員長代理退席、委員長着席〕

青柳政府参考人 利子相当分についてお尋ねがございました。

 これは、この特別保健福祉事業に限らず、先ほど来、年金の国庫負担繰り延べにさまざまなものがあるというふうにお答え申し上げてきたわけでございますが、これらにある程度共通する考え方ということになるわけですが、返済に必要な額につきましては、それぞれの返済時点においていわば額が確定するという性格のものでございます。運用収入の相当額については、金利変動あるいは運用動向などの不確定な面もございますので、現時点でこれをお示しするということは甚だ困難であると御理解をいただけませんでしょうか。

 なお、いずれにいたしましても、年金の国庫負担の繰り延べ分については、法律上、運用収入も含め全額返済されるというルールは確立しておるということは申し添えさせていただきたいと存じます。

園田(康)委員 いや、それではちょっと私は実は納得をしないのですけれども、ちょっと時間がありませんので。

 そうしますと、今の時点でもし返すという形になれば、恐らく、利息分でいくと、今、平成十五年度からは毎年大体九十億の運用益、これを福祉事業に使っているわけなんですけれども、それを今まで、平成二年から十八年までに換算すると七千九百四十八億円になるというふうに私は手元の資料で持っているわけでありますが、この分が利息分だとするならば、毎年毎年これに三百から四百億ぐらいの利息分がどんどんどんどんこの事業を続ければ続けるほどたまって、借金がどんどん膨れ上がっていくという事態になっているのではないかというのを私は懸念しているわけなんです。

 したがって、今この時点で利息相当分、利子相当分は幾らになるのですかというふうに申し上げて聞いてみたかったわけであります。それは返済するときにしかお答えできないということでありますけれども、もう一度これを機会に、毎年毎年どのぐらいの利息分がついていくのかというところも念頭に入れておいていただきたいと思うわけであります。

 大臣、先ほど、この繰り延べ措置の形については望ましくないということで大臣の御見解をいただいたわけでありますけれども、この繰り延べ措置と含めて、この福祉事業が継続されていくことによって、その利息分も含めて借金が膨らんでいく、この構図をどこまでに解消していくと考えていこうと思っていらっしゃるのか、その見通し、私は、その大臣からの御決意といいますか、御見解をお伺いしておきたいというふうに思います。

柳澤国務大臣 この特別保健福祉事業というものについては、恐らく委員もこれはこれで必要なものだということは御理解いただいているのではないか、このように思います。言うまでもなく、新たな高齢者医療制度の創設に伴って、健保組合への影響を考慮してこういう事業をいたしておるということで、存続させる必要はある、これはもう当然だろうと思います。

 問題は、この事業を行うための資金をどこから捻出してくるか、これが問題でありまして、今は一般会計というか財政が非常に厳しい状況にあるということで、いわば一般会計からこの厚生保険特別会計への繰り入れ、本当は年金勘定にそれが投入されなければならないけれども、年金としては積立金も持っているというようなとりあえずの資金繰り状況にあるということから、これを一たんこの事業勘定にとどまらせて、そしてそこから運用のイールド、利回り分をこの事業に充てている、こういう仕掛けをとっているということでございます。

 いつまで続くか、これは本当にこの事業に必要な資金が一般会計にきちっととれればそのときには終わる、こういうことになるわけでございますけれども、これがいつになるか、これは本当に財政再建というかそういうものの進捗状況によるところが基本的には大きいと思います。

 財政の健全化というものが完全に成ってしまえば、これは言うまでもなく、そういう予算が計上されることになると思いますけれども、ずっとこれから努力をしてまいりますから、その努力の過程の中で、いろいろな財政需要との優先順位を競い合っていく中でこの問題が解決されていくということが今日の状況だろうと思うわけでございます。

園田(康)委員 これは、来年の通常国会で恐らく年金の一本化というか、我が党も年金に関する何らかの意見を持ってこの通常国会に臨みたいと思っておるところでありますけれども、これに対してのしっかりとした将来的なビジョンというものを年金の改革とともにお示しできるように、ぜひ年末年始頑張っていただきたいというふうに思うわけでございます。

 そして、あと残り時間わずかになってきております。やはり、私の最後を締めくくるのは、障害者自立支援法という形で締めくくらせていただきたいというふうに思うわけであります。

 先般、ようやく与党の皆さん方も、与党合意という形で、さまざまな障害者自立支援法にかかわる見直しといいますか措置を改善策という形で考えていただいたというふうに思っておりまして、内容はともかく、その姿勢に関しては私は大変敬意を払わせていただきたいと思うわけでございます。

 ただ、残念なのは、私どももずっとこの間、これについての問題点を取り上げさせていただきまして、厚生労働省の皆さん方にも鋭意取り組んでいただきたいという要望、あるいは要望がもう一つの形となって民主党の法案という形を出させていただいたわけでありますけれども、それがなかなかかなわなかったという形からすれば、残念であるなというふうに思っておりますが、与党の皆さん方が動いたらすぐに取り組んでいただけるような形もあったわけでありますけれども、この問題については、与野党問わず、厚労省の皆さん方にとってみればしっかりと耳を傾けていただきたいと思うわけであります。

 そこで、恐らくこれも来年に向けての宿題になろうかと思っておりますが、今、国連の権利条約、恐らくきょうかあすにでも障害者の権利条約というものが採択がなされるというところまでようやく来まして、我が国においても、これをさらにすぐ批准という形に持っていっていただきたいと思っておりますし、私もそれに対して、与野党問わず努力をさせていただきたいと思っておりますけれども、その中で、障害の定義といいますか、これはやはりまだ宿題としてこの自立支援法の中に残っていたんだろうなというふうに思っております。

 したがって、さきの与党からの申し入れといいますか、その中にはどうやらちょっと触れていただけなかったわけでありますけれども、利用者負担の見直しもさることながら、この障害の範囲、定義というものをもう一度しっかりと早急に見詰め直していただきたいというふうに思うわけでございます。

 したがって、きょうはちょっと時間がないので、提案だけにさせていただきたいというふうに思います。

 まず、難病等の慢性疾患の、自立支援法の対象外となっております現状というものは、私も大変憂慮すべきものであろうというふうに思っております。例えば膠原病全身性エリテマトーデスにおきますと、発熱や発疹が起こり、歩行困難となる場合もございますし、あるいは今、難病の患者団体の皆さん方が、その予算を切るなということで、潰瘍性大腸炎の、IBDの皆さん方が一生懸命取り組みをしていただいているわけでありますけれども、これにおきましても、下痢であるとか嘔吐であるとか、そういった症状が出てくるわけでございます。それによって日常生活の困難性というものが出てくるわけであります。

 したがって、この定義を見詰め直すという上においては、ぜひ、今、身体障害者の体幹機能障害、ここの部分の定義というものがあるわけであります。これは身障者の定義でありますから、内部障害については違うと厚労省さんはおっしゃるかもしれませんが、しかしながら、この中で、いわば定義をもう少し幅広くして解釈していくことによって、こういう難病の方々も内部障害という形で定義の中に入って救うことができるという現状があるのではないかなというふうに思っております。そういったことも広く定義として解釈をしていただきたいというのが一点。

 それから、その内部障害の中で、いわゆるHIV、ヒト免疫不全ウイルスの認定項目にも、やはり同じように、日常生活上の制限の定義というものが組み込まれているわけであります。したがって、HIVの、この免疫不全ウイルスの対象者だけではなくて、この辺もさらに広げて解釈できる余地はあるのではないかというふうに思っております。

 こういったことも含めて、ひょっとしたら御用意していただいた方もいらっしゃるかもしれませんが、大臣、今後の取り組みという形でぜひ教えていただきたい、全体的な今後の見通しということで大臣の御見解をお伺いしたいと思っておりますし、もし後ほど局長からも御答弁いただけるんでしたら、簡単に、今の障害の範囲、定義についての検討会、どういったところで今後検討会を持っていくのかということもあわせてお答えをいただきたいというふうに思います。

中村政府参考人 障害の範囲の問題については、自立支援法でも検討課題として附則に明記されているところでございます。

 今、さまざまな御提案をいただきましたが、身体障害については、今、厚生労働科学研究で調査研究を行っております。知的障害についても同様な研究を行っております。また、省内に次官を本部長とする障害者自立支援推進本部をつくっておりますので、まずこの厚生労働科学研究の成果も踏まえ、省内的にもいろいろな方面にも影響いたしますので、まずは省内の推進本部で検討させていただきたいと思っております。

園田(康)委員 ぜひ精力的に行っていただきたいんですが、もう一つ、少し気になりました。先ほどの、国会の中における雇用の部分で、身体と知的の部分にはあったわけでありますけれども、精神がなかった。今の局長の答弁の中でも、精神に関する定義づけというものもしっかりとやはり検討をしていただきたい、加えていただきたいというふうに思っております。特に、重度かつ継続のところは大変審議の対象となった部分でございましたので、この辺もしっかりと今後継続して検討をしていただきたいと思っております。

 そして、もう時間がありません、最後の質問になろうかと思います。

 その精神にかかわる、精神患者の退院支援施設というものが、当初はことしの十月施行という形で予定をされていたわけでありますけれども、それが四月一日施行という形を考えておられるようでございます。その部分におきまして、その要件そのものがまだ不明確、告示の中においてはお示しをされているわけでありますけれども、その対象が少し不明確な部分もあると同時に、これが本当の意味で精神障害の方々の地域移行、地域生活というものになり得るものであるのかというのは、私は大変疑問を持ってこの支援施設というものを見させていただいているわけでありますけれども、それについて、今どういう検討をやっている状況かということをまず簡単にお伝えいただきたいと思います。

中村政府参考人 精神障害者の退院支援施設の検討状況でございますが、これは、医療から福祉であるということを、切り離すということで明確にすることによりまして、退院、地域移行をする対象者を明確にする、精神科の病床もその分減らす、それから、福祉の場に移すことで地域生活移行に向けた支援が具体化される、こういうふうに考えております。

 そのために、まず、退院促進の取り組みの有効事例を収集し、運用に反映したいということで、今私ども、その有効事例の収集を行っております。また、関係者、自治体に対し、退院促進の趣旨を徹底するため、施行日も十月施行ではなく、十分時間をとろうということで、十九年四月一日としているところでございます。

園田(康)委員 まだその点については内容を詰めていかなければいけないというふうに思っております。

 本来、この精神障害については、やはり退院支援という形もさることながら、地域における移行を、しっかりと受け皿をつくっていくというのは、これは精神に限らず、知的も身体も当然やっておかなければいけない重点課題であろうというふうに思っておりますので、そちらもしっかりと、公営住宅の確保であるとか訓練の場の確保というものも含めて、ぜひ取り組んでいただきますようにお願いを申し上げまして、私の質問を終わります。

櫻田委員長 次に、阿部知子君。

阿部(知)委員 社会民主党・市民連合の阿部知子です。

 私にいただきましたお時間十五分の中で、なるべく効率よく質疑を重ねさせていただければと思いますので、よろしく御協力をお願いいたします。

 まず冒頭、私の一問目は、質問予告外のことですが、大変重要なことと思いますので、一つ大臣にじかにお伺いいたします。

 十二月一日の日に、神戸の地裁におきまして、中国残留孤児の問題で、国のいわゆるこれだけ彼らをその地に押しとどめたことに対する責任ということが判断され、何らかの対応が必要であるというふうに判決が下されております。これに対して、厚生労働省は、十二月十一日の日に大阪高裁に控訴をなさいました。

 安倍新首相のもとに戦後レジームからの脱却ということが伝えられます。しかし、私は思います。新たな時代に入り込むためには、過去をしっかりと、一つ一つ丹念になすべきことはなしていかねばならない。その意味で、実は、先週でしたか、総務委員会で、シベリア抑留強制労働に置かれた方たちの問題でも、与党の御提案は銀杯とか旅行券とかで、抑留された長い年月や強制労働のつらさを思えば、国がお渡しするものはそれだけかということで、大変に私は、棄民思想、この国は民を捨てるという思いを強くいたしましたが、この中国残留孤児の問題もまた、胸の痛まぬ人はないと思います。戦中、敗戦の、ソビエトが侵攻してくる混乱の中で、幼くして中国に残された、当時はまだ子供さんであった方々の問題であります。

 大臣に私がぜひお伺いしたいのは、このたび安倍首相は、きめ細やかな対策をしたいとおっしゃいましたが、それは何を意味するのか。

 もう一点は、実は、国家による国民の拉致問題は、シベリア抑留の問題、あるいは北朝鮮による拉致被害の問題、そして中国残留孤児問題も、恐らく戦争のその後のありさまは、押しとどめられたことによる、ある種の強制的に、本人の意思ではなくそこにとどまらざるを得なかった状態というふうに私は思っています。そうした状態に対して、例えば北朝鮮の拉致の被害の皆さんには、年金の保険料を国が負担するという形で、国民としての最低限の権利をそこで保障されました。しかし、この中国残留孤児問題は、結局のところ、税で補てんされている部分の年金の受給のみが決められて、かの地にいて、この日本で保険料も掛けられず、結果的に、今低年金、二万、三万の低年金で生活保護に頼らざるを得ない人をたくさん生みました。

 私は、この件に関しては国民が、きょう高橋さんもお取り上げでしたが、今、生活保護問題は大変に厳しい状況があります。最後のセーフティーネットとも言われています。その最後のセーフティーネットをより厳しくしている背景には、御高齢者のきちんとした年金の仕組みがない、国民年金問題はどうするんだということが非常に大きいと思います。

 大臣にあっては、なぜこの問題を控訴され、また、この方たちは本来は年金という形で、かの国にとどめ置かれた年月を我が国が保険料を負担し、しかるべく年金受給の対象者とすべきでないかと私は考えますが、いかがでありましょうか。

柳澤国務大臣 中国残留孤児の皆さんに関連する判決が十二月一日に神戸地裁でございました。そして、今委員が御指摘になられるとおり、政府は十二月十一日、これを高裁に控訴いたしたわけでございます。

 この理由としては、一番簡明に言いますと、それに先立つ大阪地裁、東京地裁の判決で、同じような論点について全く逆な、国側勝訴の判決があったということがまずあります。したがいまして、地裁段階でそういう区々な判決が出されたということもありまして、これはやはり裁判としては上級審の御判断を仰ぐべきだ、こういう考え方でこのような措置をとったわけでございます。

 と同時に、安倍総理がこの神戸地裁の判決の直後に、既に発言をなさいました。今委員の御指摘のとおり、きめ細かな支援を今後していく必要がある、何となれば、この対象の皆さんは非常に高齢化されている、それからまた、その間御苦労も多い、こういうようなことに配慮して、よりきめ細かな措置を講ずべきであるということを発言いたしました。私どもも同様に考え、また、総理のこの発言を受けまして、その具体的な措置について現在鋭意検討をし、そして、必要な予算の獲得のために、今、財政当局と折衝をしているということでございます。

 どういうことが基本の考えかと言われますれば、これは私ども、三年くらい日本語の教育を差し上げれば、そういう形で順応する力をそれぞれにお持ちいただけるんじゃないかというようなことを考えたのでございますけれども、やはり高齢でもあるというようなことがありまして、なかなか当初考えたようにはいかない。したがいまして、このような面については生涯を通じて御支援をさせていただこうというようなことを考えているわけでございます。日本語の習得、就労、またいろいろな面での支援をこれから予算折衝のもとで実現して、そうしたことできめ細かな措置というものを具体化してまいろう、このように考えております。

阿部(知)委員 ぜひ、立法府として早急なお取り組みをお願いしたいと思います。今大臣がおっしゃった言葉の問題、就労の問題、そして私が指摘しました、もう既に高齢者で、年金受給という年齢に達した方が多くおられ、そこを生活保護という形でやっていることの矛盾は、私はやはりこれは本来的な立法府の怠慢と思います。先ほど北朝鮮の拉致被害者の問題も申し述べましたが、その間、押しとどめられ、例えば一九七二年、日中国交回復後も、一九八〇年代に至るまで約九年近く、何ら対策されてこなかった、そのうちにどんどん年を召されたということでありますから、大臣も、ぜひ御采配、よろしくお願いを申し上げたいと思います。

 引き続いて、私の予告させていただいた質問に入らせていただきます。

 きょう午前中は、委員長初め与野党の理事の御高配で、移植問題の参考人に来ていただきました。改めて、移植問題の抱える光と影の問題、移植を必要とされる方、一方で、脳死として死を迎えざるを得なくなる方の問題がクローズアップされました。

 実は、私自身はこの九年間、いま一つの、臓器移植という、移植については何がどれだけ明らかになったのかということの論議がまだまだであると日ごろ思っております。もちろん、後段の脳死論議についても、きょう宗教連盟の皆さんがおっしゃいましたが、国民の意識のありかは、脳死を人の死とせず、ただし本人の同意に基づいて行うということを望んでおられるということも、きょう改めて伺いました。私は、前段の移植医療の現実、先ほど内山委員もお取り上げですが、これがなぜ定着せず、あるいは国民もまだよく理解できない状態であるかということにおいて、幾つかの問題点があるかと思います。

 一問目は、まずことしの三月、京都大学で行われました肺の移植の事案、私が既に取り上げましたが、この方は、いわゆる手術中の医療事故、医療ミスでレシピエントが亡くなられました。人工心肺を回していて、出血が多量になり、血圧が下がり、脳死状態になり、死亡していかれました。

 私が、きょうお手元に置いてございます皆さんにお配りした資料は、一体、脳死下臓器移植においてレシピエントはどのくらい死亡され、あるいは生きておられるかというものの一覧であります。

 心臓移植は、三十六件のうちお亡くなりは現在までのところ二件。ちなみに、これはこれまでの脳死判定の五十例からの国内におけるものでございます。

 次にごらんいただきたいのは肺移植でございます。移植件数は二十九件ございますが、うち死亡件数は十件となっており、三件に一つは亡くなられるわけです。亡くなられるまでの日数も、手術日に、その当日に、私どもが言うと卓上死と言うんですが、手術中に亡くなられた方が二例、十八日で亡くなられた方が一例、二十四日、あとは五、七、七カ月、一年、二年、四年と続いております。

 こう見てまいりますと、恐らく、このお一人お一人が移植をお受けになるときは、もっとよい予後を、少なくとも五年間生きられるかな、あるいはもうちょっと頑張れるかなと思ってこの移植という治療を選ばれたのではないかと思うわけであります。

 私が伺いたいのは、その次の肝臓の事案でも八例が亡くなっておりますが、これまでの厚生労働省の検証の中で、移植の予後ということについてはどのように点検されておるでしょうか。お願いします。

外口政府参考人 脳死下での臓器提供事例にかかわりましては、検証会議が、これは、臓器移植法の制定により脳死下での臓器提供が制度化されたことを受けたものでありますけれども、臓器移植に係る国民の信頼を確保し、その定着を図るため、脳死下での臓器提供の手続が適正に行われたかどうかについて、第三者の立場から検証を行っております。

 この検証会議では、ドナーに対する救命治療、脳死判定、ネットワークによる臓器あっせん業務の状況等の脳死下での提供に関する事項を検証対象としておりまして、議員御指摘の臓器の移植を受けた患者の予後等の検証につきましては、これは検証会議では行っておりません。

阿部(知)委員 私がこれを伺いますのは、移植は、もちろんそれしか治療法がないという光でありますが、同時にまた制約もあるものだということも国民に正しく知らせなければ、やはりこれからの我が国がどのような医療の方向性に進むべきであるかも出てこないと思います。

 あわせて、もう一点、現場サイドにお願いいたしますが、例えば、この間、宇和島徳洲会の問題があり、厚生労働省と宇和島徳洲会の方で、その事件に関する、あえて言えば、もっと言えば、瀬戸内グループという先生方がかかわられた生体移植については検証しておられるかと思いますが、果たして、国民から見れば、世の中にほかにもっともっと同じようなことがあったんじゃないのという疑義がぬぐい去れません。

 厚生労働省としては、これまで、移植学会に、こうした事案は、丸投げと言うと失礼ですが、お任せであったと思います。果たして、全国、移植すれば保険診療できちんとレセプトも上がってくるわけですから、全国で行われている生体移植、それは、ドナーとなる方、レシピエントとなる方の同意のありかも含めて、きちんと厚生労働省として検証すべきと私は思いますがいかがかという点を現場サイドに一点。

 そして、大臣にあわせてお伺いいたしますが、私は、やはり、これから先、本当に脳死臓器移植なるものが定着していくためには、本当のデータなり実態なりが知らされて、国民が選ぶ、ドナーになることも選ぶということも必要であると思います。ぜひ、検証会議の中に、もう一点、移植を受けたその方たちのその後も、あわせて検討していただく仕組みをお考えいただけまいかと思いますが、お二方にお願いいたします。

外口政府参考人 生体移植につきましては、もともとの基本的な考え方が、私どもは、生体移植というものは例外的に行うべきものである。やはり生体に侵襲を加えるような手術をするわけでございますから、やはり腎移植であれば死体腎移植が中心であるべきであろうという考えでありました。その点、生体移植についての今までの検討というものは、死体腎移植とかそれから脳死移植に比較して見れば、今まで、そういった情報等、取り扱い等について少しおくれていた面があるかと思います。

 そこで、今回、まず当面、今やっておりますことは、関係学会と連携して、特に先生御指摘の宇和島徳洲会病院関連の件でございますけれども、それにつきまして、今関係学会が当該医療機関の設置した調査チームに加わり、それから我々もオブザーバー参加をしております。そうした中で、そういった事例の調査が進むのを一緒になって検討しているのに加えまして、調査班ができないところについては、これは学会と厚生労働省が共同して調査班をつくって、例数が少なくて検討がなかなか進まないところについても、いろいろとそういった検討を進めるべく今対応しているところでございます。

 こういったことを受けまして、今後、関係学会とも連携しながら、臓器移植法の運用指針を改正し、生体移植にかかわる事項を盛り込むことを検討しているところでございます。今後の調査状況も踏まえまして、必要な対応について考えていきたいと思っております。

柳澤国務大臣 移植医療の問題の焦点は、これまでドナー側の問題に当てられてきたということでございます。私も、こういう立場に立たせていただいてから、若干、外国の行政の責任者などとも話をすることがございますが、その場合でも、臓器をとるところがどういう基本的な考え方で行われているかということが勢い中心でございます。だから、恐らくそのことはやはり国際的にもそうしたことになっているのではないか。

 それに加えまして、今委員の方からは、レシピエントの予後の問題にもっと注目すべきだ、こういうお話があったわけでございますが、私も、今委員のお配りになられた死亡例あるいは生存期間の表を見せていただきまして、なかなか難しいものだという感じを強く持たせていただきました。

 いずれにしましても、この点につきましては、それぞれの移植の症例の評価というものが、移植した臓器の種類、あるいは患者の御容体、こういうようなことで非常に区々になることで、難しいことなんだろうと思います。そういうことから、まさに医療そのもの、あるいは医学そのものの問題ということになりますので、私どもとして、今、委員の御質問に対して、評価を行うそういう一つのシステムというか、そういうものを行政の一環として持つというようなことをお答えするのは極めて難しいということでございます。

阿部(知)委員 臓器移植は、何度も申しますが、二つの人権がおのおのぶつかり合うところの医療でございます。これは、ある意味で現場任せにできない部分もあると私は思いますので、よろしく御検討をお願いいたします。

 終わります。

櫻田委員長 次に、糸川正晃君。

糸川委員 国民新党の糸川正晃でございます。

 さきの国会では、医療制度改革の議論というものをこの場で行い、そして小児科、産科を中心とした医師の過酷な勤務状況や、地域での医師の偏在問題、救急医療の体制整備の必要性について多くの意見が出され、そして、政府としても早急に対応をされる、こういうような考えを示されたというふうに思います。

 政府は、医師不足対策といたしまして、本年の八月に新医師確保総合対策を策定され、さまざまな取り組みの策を進めようとされております。

 その中の長期的な対策といたしまして、医師不足が深刻な十県を対象として、十年間、最大十人の大学の医学部の定員増を認めることというふうにされておるわけでございます。これについては大変よいことだと思いますけれども、そのための条件として、地方自治体は奨学金の拡充を行うことが要件となっております。では、具体的にはどの程度の拡充が必要なのか、また、財政が厳しい地方自治体にとっては大変な負担となるというふうに思いますが、国として財政的な支援というものはどのように行うのか、お聞かせいただけますでしょうか。

松谷政府参考人 今先生御指摘の新医師確保総合対策では、県による奨学金の設定につきまして、増員後の医学部定員の五割以上の者を対象とするということを求めているところでございます。したがいまして、例えば、現在の医学部定員が百名で、十名の定員増を行おうとする場合には、奨学金の枠を五十五名分用意するということが必要になります。

 ただし、五割というのは、あくまで奨学金の貸与希望者がいるにもかかわらず枠がないというケースが発生しないようにする趣旨でございまして、実績まで問うものではないということ、また、必ずしも年度当初予算において全額計上する必要があるわけではないことといった柔軟な取り扱い方針につきまして、全国医政関係主管課長会議などで周知をしているところでございます。

 また、県が講ずべき奨学金につきましては、地方交付金による一定の対応が必要であると考えておりまして、現在、総務省に相談をしておるところでございます。

糸川委員 当初の予算では必要ないというようなことでございますけれども、結果として必要になれば、出るものは出るわけでございまして、どちらにしても用意をしておかなければならないという現状があるわけです。

 ですから、過疎地域の場所では、本当に出ていくお金の方ばかりが多くなって苦しいという現状があるわけですから、この対策に関しましては早急に総務省と連携をとっていただいて、交付税の中にしっかりと盛り込んでもらえるように努力をしていただきたいと思います。

 また、この新医師確保総合対策では、小児科、産科の医療機関や医師の集約化、重点化、こういうものを進めていく、こういう方針を示されておりますけれども、十月の奈良県における妊婦死亡の事件のように、救急医療の体制が十分に機能しなかった地域があることを考えまして、この委員会でもこの問題についてはさまざまな議論がございました。最終的には、早急な対応が求められるというところに行き着くのではないかと思います。

 産科医師等の不足地域に対して、どのような緊急対策を講じることが国として有用だというふうに考えられているのか、大臣の御見解をお聞かせいただけますでしょうか。

柳澤国務大臣 奈良の本当に痛ましい、悲しい事案もありまして、産科医というか周産期医療の医療体制の不足というか欠点というものがそうした形で現実の問題として私どもに突きつけられた、こういう認識でございます。

 新医師確保総合対策におきましては、産科医師等を確保する対策として、まず、産科の拠点病院を整備する。一定の地域の中で、非常に難しいお産を含めて、安心なお産ができる体制をまず整える。それからまた、地域内のほかの場所でも、いわば拠点病院との連携のもとで、診療所等でもそこでお産ができる、こういう体制を整えるということを策定しているところでございます。

 ほかにも、特に産科医師を中心として、女性医師の確保ということで、一たん第一線を退いた方々が再び現場に復帰していただくための女性医師バンクの制度を設けましたり、さらには、医療資源の中で助産師の活躍を期待するなど、さまざまの対策を講じていくことといたしております。

 それからまた、今まさに、冒頭から私も触れました、先生が御指摘になられた産科と救急体制の連携につきましても、私ども、これは早急に進めなければならないと考えておりまして、周産期医療ネットワークにつきまして、未整備の県についてはこれを早急に整備する、それから、整備されるまでの間、現行体制での迅速かつ適切な医療の提供体制をしっかり整える、それからまた、既整備県につきましては、点検をし、その結果に基づいて、もっとそれの充実を図る取り組みを促していきたい、このように考えております。

糸川委員 では大臣、今、早急に整備されるというふうにおっしゃられたわけでございますが、おおむねどのくらいの期間で整備されるのか、医政局長でも構いませんが、お答えいただけませんでしょうか。

松谷政府参考人 産科の拠点病院等の整備につきましては、昨年の十二月に集約化の方針を出して各県を促しているところでございます。今その整備状況について調査をいたしたいと考えておりまして、その結果を受けて、またさらに促進策を進めていきたい。いつまでということを限っているわけではございませんけれども、できるだけ早くこの体制を、もちろん、しなくてもいい場所もございますので、するべき場合にはどういう形でということを、具体的なそれぞれの場合に即してやっていきたいと思っております。

 なお、それぞれの地域医療計画の中でこの体制をきちんと書いていただくことになりますけれども、それにつきましては、国の方としても、中央会議等を設けて支援をしていきたいと思っております。

 なお、周産期医療ネットワークにつきましては、早急な整備ということで、これも期限を限っているわけではございませんけれども、奈良県のケース等がございまして、各県とも非常に緊張感を持って進めているというふうに伺っております。

糸川委員 このことは、ぜひそれぞれの県に聞いていただいて、どのくらいどの医師が不足しているのかということも確認をしていただきたい。例えば私の福井県では、耳鼻科がいないとか、いろいろな声が上がってまいりまして、産科だけではない問題があるわけでございます。

 最後に、大臣に一問お聞きしたいんですが、救急医療体制の整備が急がれる中で、今回の奈良県のようなケースで、厚生労働省が進める医療機関等の集約化、重点化、こういう際における都道府県間の連携のあり方について、最後に御見解をお聞きして終わりたいというふうに思います。

柳澤国務大臣 救急医療体制につきましては、都道府県と消防機関等とが緊密な連携のもとで、救急医療機関の体系的な整備や、救急医療情報システムの構築、医療従事者の研修の実施などを通じまして、都会でも地方でも地域住民にとって安心できる体制の充実に努めているところでございます。

 今般、医療法改正におきましても、医療計画において救急医療を重点的に位置づけることといたしておりまして、各都道府県における医療計画策定の際には、地域の実情に応じまして、隣接する県との連携を明示するということも検討していただきたいと考えているところでございます。実際上の住民の医療のニーズというものは、別に県境というような行政区画に縛られるわけではありませんので、当然のことながら、しっかりした連携をとっていきたい、このように考えておりまして、その方向での行政の指導監督に努めていきたいと思っております。

糸川委員 今、住民の方、国民の方の医療に対するサービスの低下というものが言われているわけです。これはもう早急に取り組んでいただかないと、深刻な問題になっているということをぜひ大臣に認識していただきたいというふうに思います。

 終わります。ありがとうございました。

櫻田委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後四時十一分散会


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