衆議院

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第16号 平成21年6月5日(金曜日)

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平成二十一年六月五日(金曜日)

    午前九時八分開議

 出席委員

   委員長 田村 憲久君

   理事 上川 陽子君 理事 鴨下 一郎君

   理事 西川 京子君 理事 三ッ林隆志君

   理事 藤村  修君 理事 山井 和則君

   理事 桝屋 敬悟君

      赤池 誠章君    新井 悦二君

      井澤 京子君    井上 信治君

      猪口 邦子君    遠藤 宣彦君

      近江屋信広君    金子善次郎君

      川条 志嘉君    木原 誠二君

      木村 義雄君    清水鴻一郎君

      高鳥 修一君    谷畑  孝君

      とかしきなおみ君   戸井田とおる君

      冨岡  勉君    西本 勝子君

      林   潤君    福岡 資麿君

      矢野 隆司君    山本 明彦君

      内山  晃君    逢坂 誠二君

      岡本 充功君    川内 博史君

      菊田真紀子君    小宮山泰子君

      郡  和子君    園田 康博君

      長妻  昭君    細川 律夫君

      三井 辨雄君    柚木 道義君

      福島  豊君    古屋 範子君

      高橋千鶴子君    阿部 知子君

    …………………………………

   議員           中山 太郎君

   議員           河野 太郎君

   議員           山内 康一君

   議員           冨岡  勉君

   議員           福島  豊君

   議員           石井 啓一君

   議員           金田 誠一君

   議員           枝野 幸男君

   議員           阿部 知子君

   議員           根本  匠君

   議員           上川 陽子君

   議員           谷畑  孝君

   議員           西川 京子君

   議員           三井 辨雄君

   議員           岡本 充功君

   厚生労働大臣       舛添 要一君

   厚生労働大臣政務官    金子善次郎君

   厚生労働大臣政務官   戸井田とおる君

   衆議院法制局第五部長   岡本  修君

   政府参考人

   (警察庁長官官房審議官) 西村 泰彦君

   政府参考人

   (厚生労働省医政局長)  外口  崇君

   政府参考人

   (厚生労働省健康局長)  上田 博三君

   厚生労働委員会専門員   榊原 志俊君

    ―――――――――――――

委員の異動

六月五日

 辞任         補欠選任

  大野 松茂君     山本 明彦君

  杉村 太蔵君     近江屋信広君

  長崎幸太郎君     矢野 隆司君

  萩原 誠司君     猪口 邦子君

  園田 康博君     川内 博史君

  三井 辨雄君     小宮山泰子君

同日

 辞任         補欠選任

  猪口 邦子君     萩原 誠司君

  近江屋信広君     杉村 太蔵君

  矢野 隆司君     長崎幸太郎君

  山本 明彦君     大野 松茂君

  川内 博史君     園田 康博君

  小宮山泰子君     逢坂 誠二君

同日

 辞任         補欠選任

  逢坂 誠二君     三井 辨雄君

    ―――――――――――――

五月二十八日

 看護職員確保法の改正に関する請願(篠原孝君紹介)(第三〇〇五号)

 不妊患者の経済的負担軽減に関する請願(枝野幸男君紹介)(第三〇〇六号)

 同(小川淳也君紹介)(第三〇〇七号)

 同(郡和子君紹介)(第三〇〇八号)

 同(篠田陽介君紹介)(第三〇〇九号)

 同(高木美智代君紹介)(第三〇一〇号)

 同(照屋寛徳君紹介)(第三〇一一号)

 同(細川律夫君紹介)(第三〇一二号)

 同(大前繁雄君紹介)(第三一四六号)

 同(川条志嘉君紹介)(第三一四七号)

 同(菅野哲雄君紹介)(第三一四八号)

 同(北神圭朗君紹介)(第三一四九号)

 同(玄葉光一郎君紹介)(第三一五〇号)

 同(高井美穂君紹介)(第三一五一号)

 同(寺田学君紹介)(第三一五二号)

 同(古川元久君紹介)(第三一五三号)

 同(横光克彦君紹介)(第三一五四号)

 同(牧原秀樹君紹介)(第三二三六号)

 介護労働者の処遇改善を初め介護保険制度の抜本的改善を求めることに関する請願(太田和美君紹介)(第三〇一三号)

 同(和田隆志君紹介)(第三〇一四号)

 同(玄葉光一郎君紹介)(第三一〇三号)

 同(三谷光男君紹介)(第三一八七号)

 同(柚木道義君紹介)(第三一八八号)

 後期高齢者医療制度廃止法案の衆議院での速やかな審議と可決を求めることに関する請願(太田和美君紹介)(第三〇一五号)

 同(大島敦君紹介)(第三一八九号)

 同(岡本充功君紹介)(第三一九〇号)

 同(菅野哲雄君紹介)(第三一九一号)

 同(西村智奈美君紹介)(第三一九二号)

 同(日森文尋君紹介)(第三一九三号)

 同(細川律夫君紹介)(第三一九四号)

 同(細野豪志君紹介)(第三一九五号)

 同(牧義夫君紹介)(第三一九六号)

 同(山井和則君紹介)(第三一九七号)

 パーキンソン病患者・家族の生活の質の向上を求めることに関する請願(高橋千鶴子君紹介)(第三〇一六号)

 同(阿部俊子君紹介)(第三一九八号)

 同(津島雄二君紹介)(第三一九九号)

 同(宮腰光寛君紹介)(第三二〇〇号)

 肝炎対策基本法の制定に関する請願(小川淳也君紹介)(第三〇一七号)

 同(後藤茂之君紹介)(第三〇一八号)

 同(津村啓介君紹介)(第三〇一九号)

 同(中山太郎君紹介)(第三〇二〇号)

 同(保坂展人君紹介)(第三〇二一号)

 同(内山晃君紹介)(第三一〇五号)

 同(大野松茂君紹介)(第三一〇六号)

 同(清水鴻一郎君紹介)(第三一〇七号)

 同(辻元清美君紹介)(第三一〇八号)

 同(西川京子君紹介)(第三一〇九号)

 同(笠浩史君紹介)(第三一一〇号)

 同(新井悦二君紹介)(第三二〇一号)

 同(大串博志君紹介)(第三二〇二号)

 同(川内博史君紹介)(第三二〇三号)

 同(萩原誠司君紹介)(第三二〇四号)

 同(古屋範子君紹介)(第三二〇五号)

 同(三谷光男君紹介)(第三二〇六号)

 特別養護老人ホーム等介護福祉施設の介護報酬引き上げに関する請願(太田和美君紹介)(第三〇二二号)

 現行保育制度の堅持・拡充と保育・学童保育・子育て支援予算の大幅増額に関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第三〇二三号)

 同(石井郁子君紹介)(第三〇二四号)

 同(太田和美君紹介)(第三〇二五号)

 同(笠井亮君紹介)(第三〇二六号)

 同(穀田恵二君紹介)(第三〇二七号)

 同(佐々木憲昭君紹介)(第三〇二八号)

 同(志位和夫君紹介)(第三〇二九号)

 同(塩川鉄也君紹介)(第三〇三〇号)

 同(高橋千鶴子君紹介)(第三〇三一号)

 同(吉井英勝君紹介)(第三〇三二号)

 同(新井悦二君紹介)(第三二〇七号)

 同(萩原誠司君紹介)(第三二〇八号)

 社会保険二本松病院を公的病院として存続させ、地域医療の確保を求めることに関する請願(太田和美君紹介)(第三〇三三号)

 人間らしい働き方と暮らしの実現を求めることに関する請願(保坂展人君紹介)(第三〇三四号)

 同(下条みつ君紹介)(第三二〇九号)

 小規模作業所等成人期障害者施策に関する請願(赤城徳彦君紹介)(第三〇三五号)

 同(泉健太君紹介)(第三〇三六号)

 同(遠藤武彦君紹介)(第三〇三七号)

 同(太田和美君紹介)(第三〇三八号)

 同(川端達夫君紹介)(第三〇三九号)

 同(吉良州司君紹介)(第三〇四〇号)

 同(近藤三津枝君紹介)(第三〇四一号)

 同(佐々木隆博君紹介)(第三〇四二号)

 同(坂本剛二君紹介)(第三〇四三号)

 同(新藤義孝君紹介)(第三〇四四号)

 同(鉢呂吉雄君紹介)(第三〇四五号)

 同(鳩山由紀夫君紹介)(第三〇四六号)

 同(保坂展人君紹介)(第三〇四七号)

 同(馬渡龍治君紹介)(第三〇四八号)

 同(前原誠司君紹介)(第三〇四九号)

 同(森本哲生君紹介)(第三〇五〇号)

 同(山田正彦君紹介)(第三〇五一号)

 同(吉川貴盛君紹介)(第三〇五二号)

 同(和田隆志君紹介)(第三〇五三号)

 同(渡辺具能君紹介)(第三〇五四号)

 同(あかま二郎君紹介)(第三一一五号)

 同(阿部知子君紹介)(第三一一六号)

 同(伊藤忠彦君紹介)(第三一一七号)

 同(岩屋毅君紹介)(第三一一八号)

 同(内山晃君紹介)(第三一一九号)

 同(小野寺五典君紹介)(第三一二〇号)

 同(太田和美君紹介)(第三一二一号)

 同(北神圭朗君紹介)(第三一二二号)

 同(北側一雄君紹介)(第三一二三号)

 同(北村茂男君紹介)(第三一二四号)

 同(倉田雅年君紹介)(第三一二五号)

 同(玄葉光一郎君紹介)(第三一二六号)

 同(小宮山洋子君紹介)(第三一二七号)

 同(七条明君紹介)(第三一二八号)

 同(杉浦正健君紹介)(第三一二九号)

 同(鈴木克昌君紹介)(第三一三〇号)

 同(鈴木淳司君紹介)(第三一三一号)

 同(高井美穂君紹介)(第三一三二号)

 同(藤井裕久君紹介)(第三一三三号)

 同(冬柴鐵三君紹介)(第三一三四号)

 同(古川元久君紹介)(第三一三五号)

 同(古屋圭司君紹介)(第三一三六号)

 同(松浪健四郎君紹介)(第三一三七号)

 同(笠浩史君紹介)(第三一三八号)

 同(遠藤乙彦君紹介)(第三二一〇号)

 同(大串博志君紹介)(第三二一一号)

 同(大島敦君紹介)(第三二一二号)

 同(岡部英明君紹介)(第三二一三号)

 同(田島一成君紹介)(第三二一四号)

 同(土屋品子君紹介)(第三二一五号)

 同(寺田稔君紹介)(第三二一六号)

 同(中谷元君紹介)(第三二一七号)

 同(中野正志君紹介)(第三二一八号)

 同(長安豊君紹介)(第三二一九号)

 同(平野博文君紹介)(第三二二〇号)

 同(藤田幹雄君紹介)(第三二二一号)

 同(古屋範子君紹介)(第三二二二号)

 同(細野豪志君紹介)(第三二二三号)

 同(馬淵澄夫君紹介)(第三二二四号)

 同(宮腰光寛君紹介)(第三二二五号)

 同(渡部恒三君紹介)(第三二二六号)

 トンネル建設労働者のじん肺被害の予防と被災者の速やかな救済を求めることに関する請願(太田和美君紹介)(第三〇五五号)

 同(後藤茂之君紹介)(第三〇五六号)

 同(森本哲生君紹介)(第三〇五七号)

 同(玄葉光一郎君紹介)(第三一四二号)

 同(小宮山洋子君紹介)(第三一四三号)

 同(福田康夫君紹介)(第三一四四号)

 同(藤井裕久君紹介)(第三一四五号)

 同(阿部俊子君紹介)(第三二二九号)

 同(大野功統君紹介)(第三二三〇号)

 同(岡部英明君紹介)(第三二三一号)

 同(島村宜伸君紹介)(第三二三二号)

 同(中野正志君紹介)(第三二三三号)

 同(永岡桂子君紹介)(第三二三四号)

 同(古屋範子君紹介)(第三二三五号)

 高齢者に負担増と差別医療を強いる後期高齢者医療制度の中止・撤回を求めることに関する請願(古本伸一郎君紹介)(第三一〇四号)

 物価に見合う年金の引き上げ、最低保障年金制度の実現を求めることに関する請願(笠井亮君紹介)(第三一一一号)

 同(穀田恵二君紹介)(第三一一二号)

 同(志位和夫君紹介)(第三一一三号)

 同(吉井英勝君紹介)(第三一一四号)

 腎疾患総合対策の早期確立に関する請願(小宮山洋子君紹介)(第三一三九号)

 同(七条明君紹介)(第三一四〇号)

 同(高木陽介君紹介)(第三一四一号)

 同(新井悦二君紹介)(第三二二七号)

 同(古屋範子君紹介)(第三二二八号)

 国の乳幼児医療費無料制度創設に関する請願(泉健太君紹介)(第三一八五号)

 同(和田隆志君紹介)(第三一八六号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(中山太郎君外五名提出、第百六十四回国会衆法第一四号)

 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(石井啓一君外一名提出、第百六十四回国会衆法第一五号)

 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(金田誠一君外二名提出、第百六十八回国会衆法第一八号)

 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(根本匠君外六名提出、衆法第三〇号)


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     ――――◇―――――

田村委員長 これより会議を開きます。

 第百六十四回国会、中山太郎君外五名提出、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案、第百六十四回国会、石井啓一君外一名提出、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案、第百六十八回国会、金田誠一君外二名提出、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案及び根本匠君外六名提出、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案の各案を一括して議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 各案審査のため、本日、政府参考人として警察庁長官官房審議官西村泰彦君、厚生労働省医政局長外口崇君、健康局長上田博三君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

田村委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

田村委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。遠藤宣彦君。

遠藤(宣)委員 おはようございます。自由民主党の遠藤宣彦でございます。

 本日は、このような機会をいただきましたこと、心からお礼を申し上げたいと思います。

 また私自身、国会議員として、このような緊張、そして責任を感じる場面というのはございません。と申しますのは、やはりこの法案は、人間の生と死という本当に人の尊厳にかかわる問題、しかしながら一方において、こうしている間に移植を受けられずに死んでいる人たちもいる、こういったときに、どのように私たちは考えるべきなのか、そんな思いが今募っております。

 そしてまた、私ごとでありますけれども、私はきょう誕生日を迎えました。誕生日に思うのは、自分が今命をいただいて、先祖がどういう思いで命を紡いできたのか。私は、大体毎年お墓参りに行くんですけれども、自分が誕生日を迎えたときに、自分の先祖、親は二人、おじいちゃん、おばあちゃんは四人、二がずっと掛かっていって、十代さかのぼると千人も先祖がいる、その間の一人でも何かあったら今私はいないんだ、そんな気持ちでいつも誕生日を迎えます。そうしたときに、今我々が命というものを持っている、その重大さを改めてかみしめる日にこういう機会をいただいたことを心から感謝したいと思います。

 そしてまた、この厚生労働委員会に私は今所属させていただいておりますけれども、どういう立場で考えるべきなのか。障害者やあるいはさまざまな厚生労働にかかわる人たち、自分がもしかしたらその立場になるかもしれない、ひょっとしたら障害を受けるかもしれない、そして今回の件についても、自分の家族が移植を必要とする人になるかもしれない、そういった立場に置きかえて今考えなければならない。

 とりわけ私自身は、親がおととしの暮れにがんで亡くなりました。人間が死んでいくのをみとったのは初めての経験でありました。そしてまた、私は今八歳の娘と十一カ月の息子がいます。子供の顔を見たときに、子供がもしも移植が受けられなくて死んでいく、そうしたときに親としてどんな気持ちになるんだろうか、あるいは自分の子供が脳死になって、そして提供するときにどんな気持ちになるんだろうか、そんな思いを持ったときに、いたたまれないといいますか、胸に迫るものが多々ございます。

 しかしながら、今現状、一九九七年に施行されて以来十一年以上がたちますけれども、ある資料によると、臓器の提供が八十一例ぐらい、年間十前後である。一方、アメリカでは年間七千例以上。国内の一万二千人以上の移植待機患者の大半は、今、日本では希望がかなえられないままに亡くなっている。

 もしも移植が可能であれば、そんな思いでみとっている方々がいっぱいいるということは、私たち、ある意味で立法の不作為というものが、殺人とは言いませんけれども、立法さえしてくれればという思いを持っている人たちにとっては、見殺しにされたという気持ちを持たれても仕方がない。だからこそ、今回、人間の生と死についてのいろいろな考えがあることを踏まえつつ、ぜひともそういった人たちに対しての救いの道を開くべきだというふうに考えております。

 昨今、WHOの勧告の動きや、あるいは本当に移植が受けられずに死んでいく人たちの悲鳴が聞こえてくる。今回、行政やあるいは立法の不作為と言われないようにするためにも待ったなしの状態だと私自身は認識をしておりますが、今まで長きの年月がかかった理由、あるいは現行法の問題点、そして、今回ぜひとも改正を急がなければならない理由も含めて、今回の臓器移植法の成立に向けた認識と決意についてお伺いをしたいと思います。よろしくお願いいたします。

中山(太)議員 遠藤委員の御質問にお答えしたいと思います。

 この臓器移植法ができるまでの経緯についてちょっと御紹介をしたいと思います。

 一九六七年に、南アフリカでバーナードという医者が臓器移植をやったのが世界最初の例でございます。それ以降、キリスト教文化の社会で、自分の死後、自分の臓器が他人の生きる喜びに貢献できるなら臓器の提供をしたいというキリスト教的な精神のもとに、ヨーロッパ、アメリカ、そういった地域で盛んに臓器移植が発展していった。こういう歴史的な経過を見まして、日本でも臓器移植法を制定しよう、こういうことが最初の立法の際の環境でございました。

 そこで、日本の社会においては、どちらかといえば死というものが忌み嫌われる、家族にとっては大変悲しい出来事でございますけれども。その場合、死の診断をできる人は医師に限られているわけです。それで、そのときの死の条件というのは死の三徴候といいまして、私ども医師には法律的にも学問的にも規定がございました。瞳孔が散大して対光反応がない、あるいは呼吸が停止している、さらに心臓が停止しているという死の三徴候というのがございますが、それに合わせて脳死は人の死ということを改めて議論が行われまして、一九八八年の一月に日本医師会は生命倫理懇談会を開いて、脳死をもって個体死とするという決定をされました。こういうことで、その後、政府においても脳死臨調が開かれて、脳死は人の死という判断が行われました。

 そういう経過があるということを御理解いただきたいと思います。

遠藤(宣)委員 本当に、きょう、神に祈るような気持ち、あるいは神の前にたたずむような気持ちで私はここにおりますけれども、現実に今移植が受けられずに、そして死の定義というものが、中山先生おっしゃられましたけれども、さまざまな見方がある中で、現実に受けられずに亡くなっている方がいっぱいいらっしゃる。

 そして問題は、これがきちっとした形で動いていないために、生体移植と海外に頼らざるを得ない。これは、我々、先進国の一員という自負がありますけれども、本当にこの部分においてこのままでいいのかという気持ちが私自身はしてなりません。そしてまた、今、世界の方に臓器移植で出ていく、しかし国内ではなかなかできない、こういったものが海外から一体どういうふうに見られているのか、そういうような気持ちが非常に強くございます。

 今おっしゃられましたように、一人の人間の生、生きていくということを望むことは、同時に、一人の人間の死を待つことを意味するということがあるために、我々はどこか二の足を踏んでしまう。しかし現実に我々は政治家として、そして立法府として、今困っている人たちをどう救うかということが重要だと思います。今まで中山先生が長年やってこられたことを踏まえられまして、ぜひとも今回、成立に向けて皆様とすり合わせをした上で、御尽力いただきたいというふうに思います。

 今、脳死のことについてもおっしゃられましたけれども、私自身は今回のことについていろいろ勉強させていただいた中で、たしか一九六八年、札幌医大の和田教授が日本初の心臓移植を実施された。そして、そのときに脳死判定が確実に行われたのか、あるいは患者が本当に移植を必要としていたのか、密室での移植にそういったことの疑惑が噴出して、あげくの果てに殺人罪で告発されてしまった。そして一九八四年、昭和五十九年、筑波大の岩崎医師、脳死ドナーから膵臓と腎臓の同時移植が施行されましたが、医師を中心とした第三者によって殺人罪の告発を受けた。

 つまり、これから、死の定義とか非常にデリケートな問題に、医師を中心としたさまざまな方々がこの臓器移植法案に関係して携わっていくときに何が起きるのか。一つ間違えると裁判ざたになる、そして告発を受ける。臓器移植というものは、そもそも善意の臓器の提供者がいない限り絶対に成立をしない医療でありますけれども、臓器提供者がいても、さらに病院の医師の協力がなければ臓器提供にはつながりません。つまり、医師がこれをやっていくときに萎縮をしてしまう、厄介なことにかかわらなければいいということにならないようにすることが絶対の条件だと思うんですね。

 私自身は父方の本家がずっと医者だったものですから、医者の話は聞きますけれども、私自身は法学部の出身です。法曹改革がございました。法曹改革で弁護士がこれから増加する。そして何が起きるかというと、訴訟の増加が起きる可能性がある。そんな中で、ちまたでは、一番ターゲットになるのは医療関係と消費者関係だろうというふうに言われています。栃木の産婦人科の訴訟だけでも、どれだけ医師に萎縮効果をもたらしてしまったか、そしてまた、ひいては医学の進歩に対して足かせになったかということがございます。

 そんな中で、安心して医師が医療行為や臓器移植が行えて、そして多くの患者をためらいなく助けることができるように、訴訟の余地というものが極力ないように、つまり解釈の余地がないように、明確な基準で法律をつくるべきだと私自身は考えますけれども、今後の臓器移植と訴訟の関係についてどうあるべきか、その御見解を改めて伺いたいと思います。

中山(太)議員 今先生言われたように、札幌医大の和田教授の心臓移植が非常に疑問な点が多かったということで、長期の裁判に及んだことは御承知のとおりでございます。

 なぜ日本で移植がこれほどうまくいかなかったかということの中には、日本人の生死観というものが一つ大きくあると私は思います。

 もう一つは、ドナーカードを一億枚以上配りましても、実際にそれが果たして何%利用されているかという問題が一つございます。

 また、移植医療の中で裁判が起こる、こういったときに、判決ができる裁判官で医学部を卒業して司法試験を通った裁判官は、三千人の裁判官の中でわずかに十名前後です。こういう状況の中で司法が判断を下すということにも、これから日本の裁判制度にも十分配慮しなければならない。

 そして、提供する人があれば、それを受け入れる方の幸せのためにあらゆる医師が協力をして新しい命をそこにつなげる、こういったことで、ぜひ法律的な整備をお願いしたいと考えております。

遠藤(宣)委員 いずれにせよ、裁判になったら困るとか、医師の萎縮というものがないような環境をつくるということが非常に重要だと思いますので、この点についてもしっかりと考えていかなければならないというふうに思っております。

 先ほど申し上げましたように、今、海外か生体でしか、なかなか受けられない方がおる。それは言いかえてみると、お金があって海外に行ける人たち、海外にお願いできる人たちしか救われないということも意味する場合があります。一生懸命募金を集めて、一億何千万かかる、言ってみれば、命にお金で差がついてしまう可能性がある。

 そういった意味でも、ぜひとも国内において移植を受ける機会が公平に与えられるように、そして公正で中立的な臓器移植ネットワークの構築と完成というのがありますけれども、お金に差が出ない、そしてこれから臓器提供があったときに公平に機会が得られるように、このあたりについてどう担保されていくお考えがあるか、この点についてお伺いをしたいと思います。

中山(太)議員 脳死判定ができる病院は既に厚生労働省によって指定をされております。また一方で、移植医という専門医も存在する場所がはっきりしております。

 問題は、脳死判定というものをドナーが出た場合に正確にやるというシステムがどれだけ完備しているかというところが一番問題でございます。脳死判定を二回しなければ移植には移行できないようになっておりますから、二回目でも、そこで遺族が反対すれば拒否をすることもできるわけでございまして、そういうことをよく国民の皆様方に御認識いただくように、これから政府も一層の広報活動をやっていかなきゃならない、このように考えております。

遠藤(宣)委員 ぜひとも、提供の公平性とスムーズにいくシステムをお考えいただきたいと思います。そして、臓器提供が本当に困っている人に、そして自分のものを提供したい、こういったいい形でのリンケージができますことを私自身は心から願っております。

 最後に、一九九二年、脳死臨調の場で、会長の元文部大臣の永井道雄氏がみずから筆をとった最終答申の末尾でどういうことを言われていたか。脳死を人の死とすることについてはおおむね受容され合意されているという答申をまとめた上で、このように申されています。「「人の死」についてはいろいろな考えが世の中に存在していることに十分な配慮を示しつつ、良識に裏打ちされた臓器移植が推進され、それによって一人でも多くの患者が救われることを希望するものである。」とされています。

 あれから十七年たった現在、その原点を確認しつつ、政治家はまず、移植が受けられずに死んでいくのを見守るしかないという、やるせない思いを持つ人が一人でもいなくなるように努力すべきであり、そしてまた、何としても今国会で成立させる必要があると思いますが、最後にこの決意をお伺いして、質問を終わりたいと思います。よろしくお願いします。

中山(太)議員 先生の熱心な御希望に対して、私は感激をしております。

 政府が出した提案ではございません、議員立法で今回四案が出ているわけでございますが、この法案が成立することによって、多くの恵まれない困っている子供たちが助けられるような社会に移行していく必要がある。それが国際的に、海外での移植を排除されてくる今度のWHOの規定が出ると思いますけれども、移植学会は既にイスタンブール宣言で言っておりますから、どうか国内の皆様方の御理解、脳死に対する、または臓器移植に対する、そして新しい命に対する国民的なお考えをぜひ深めていただきたい、このように思っております。

遠藤(宣)委員 ぜひとも、命の尊厳を踏まえつつ、そしてまた日本の尊厳、そして我々国会議員のあるべき姿が試されている場面だと思いますので、しっかりとこの推移を見守っていきたいと思います。

 ありがとうございました。

田村委員長 次に、井上信治君。

井上(信)委員 おはようございます。自由民主党の井上信治です。

 本日は、大変貴重な機会をお与えいただきまして、大変ありがとうございます。

 先輩方の御努力によって平成九年に臓器移植法が成立をし、そして、附則の中では三年以内に必要な検討を加えて見直しをしていく、こういう規定があったにもかかわらず、なかなか見直しが進まなかった。私も大変じくじたる思いをいたしておりました。しかし、今般、そちらに座っておられる提出者の先生方を初めとして皆さんの努力で臓器移植法改正法案が国会に提出をされ、そして大いに議論されていることに、心より敬意を表したいと思っております。

 私は思います。医療の技術の発展などによりまして、これは臓器移植の問題だけではなくて、例えば生殖医療とか、クローン技術とか、尊厳死の問題など、個人の生死観や倫理観、宗教観などが問われる、そんな大きな課題が本当に多く提示をされております。このような個人の価値観にかかわる問題を、立法府を初めとして行政や司法など国家機関がどの程度関与して規律していくのかというのは大変難しい問題だと思っています。

 国会議員ごときが人の生死にかかわる判断をするのはおこがましい、そういったような御指摘もありましたけれども、他方で、我々立法府が考え方を示し行動しないことには、現場は現場で途方に暮れて対応に苦慮し、あるいは救えるはずだった命が救われずに失われてしまう、こういったことも現実であると思っております。ですから、当然のことながら、科学的な検証とかあるいは社会的なコンセンサスの醸成の状況、こういったものをしっかりと見詰め、また、個人の価値観、意思決定を最大限に尊重しながらも、やはり我々が一定の枠組みをつくっていくというのは、むしろ立法府の、国民の代表たる我々の責任ではないかと私は考えております。

 そのような信念に基づいておりますので、今、臓器移植が世界各国と比べてもなかなか症例がふえてこないという日本の現実にかんがみまして、そういう意味では、法案が成立すれば症例が最もふえるだろうと予想されるA案を私は支持しております。

 時間が大変限られておりますので、以下、A案とD案について、特にその違いなどについて質問をさせてもらいたいと思います。

 A案につきまして、ポイントは多くありますけれども、やはり大きなポイントは、脳死が人の死であるということを前提として考えておられる、そのことについて抵抗を感じている方も多いということだと思います。本当にそこまで社会的合意が進んでいるのか、それが他の案の賛同者の方々から疑問が呈されているという状況であります。

 しかし、先週のA案の方々の御答弁などを伺っておりますと、これは臓器移植法でございますから臓器の移植に関連しての法律であって、臓器移植以外の場面において、一般的な脳死判定の制度あるいは統一的な死の定義を定めるものではないということで、A案において、脳死を人の死とすることは臓器移植のときに限って認めていくということだと思います。そういたしますと、前提条件としての脳死の解釈が異なっているとしましても、実際の医療の現場における効果としては余りほかの案と変わらず、過度に心配する必要はないのではないか、そんなふうにも思います。

 先週、阿部議員などを初めとして、少しこの点について質疑がありましたけれども、大変重要なポイントであり、かつ、ちょっとわかりにくい部分もありますので、改めてA案の先生に御説明をいただきたいと思います。

冨岡議員 お答えします。

 非常に高い見識をお持ちの井上先生の御質問で、A案ということでございます。AとDの違いは何かということでございます。

 私たちは、脳死臨調の最終答申において、平成九年になりますけれども、脳死は人の死であるといっておおむね社会的に受容されていると考えております。また、提出者としては、したがって脳死は人の死であるという考え方を前提としてこの法律案を提出している。先生のおっしゃったとおりです。他方、D案は、一般には脳死は人の死とは考えていないと私たちは承知しております。

 実際の臓器移植の場面においては、私たちのA改正案では、年齢を問わず、本人の意思が不明な場合に家族の承諾で臓器の摘出を行うということになっております。つまり、十五歳以上の方でも、家族の同意、そして書面でそれが確認されれば、現行法と違って臓器移植への道が開かれるという点がD案とは異なっている点であります。

 また、D案では、十五歳未満の者についてのみ家族の承諾で臓器の摘出が行われることとなっておりますので、そういった意味では、A案は非常に間口を広くしたような案というふうに御理解いただければと思います。

井上(信)委員 脳死は人の死であるという前提が、あまねくほかのことにも適用されてしまうのではないか、そういったような心配があるのではないかというのが私の質問の趣旨なんです。

 あわせまして、ちょっと懸念をいたしておりますのは六条二項の話でありまして、現行法におけるこの規定をあえて削除したということであります。現行法の反対解釈をすれば、このことによって何だか、あまねく脳死を人の死とするということをこの法文で認めている、そんなふうな解釈もできると思うんですけれども、この辺のところについての御見解をお願いいたします。

冨岡議員 したがって、平成九年のころでは、脳死を一般的に人の死と認める方が四二、三%でありました。二十年度の調査ではこれが六一・七%まで上昇してきており、我々としては、おおむね脳死が人の死であるというふうに考えております。

 また、委員からお尋ねの点で、第六条第二項から「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」を削除しているのはどういう理由かという点につきましては、脳死臨調の最終答申において、何度も言いますように、脳死は人の死であることについておおむね社会的に受容されていると考えております。したがって、提出者としては、脳死は一般に人の死であるという考え方を前提として組み立てて、この案を提出しているところであります。

 その意味としては、「脳死した者の身体」の定義についても、このような考え方によりふさわしい表現ではないかというふうに考え、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」の文言を削除したものであります。つまり、衆議院を通過した法案が参議院で修正可決されましたけれども、その衆議院の原案を今回提出したというふうに解釈していただければと思います。

 ただし、臓器移植法は、臓器の移植に関連して脳死判定や臓器摘出等の手続等について定める法律であって、臓器移植以外の場面について、一般的な脳死判定の制度や統一的な人の死の定義を定めるものでないというのは委員も御承知のことと思います。したがって、この文言を削除したとしても、臓器移植以外の場面において、この第六条第二項の規定により、当然に脳死が人の死として取り扱われることはないと承知しているところであります。

井上(信)委員 ありがとうございました。

 若干ちょっと議論がかみ合ってなかったんですけれども、最後そういった御答弁をいただいたものですから、本当に、これは前提であるとしても、やはり今後とも慎重なる取り扱いをしていくべきことだと私は思っております。

 それと、ちょっと時間もないんですけれども、一つだけ、親族への臓器の優先的な提供についてであります。

 このことにつきましては、私は、臓器を提供する方のお気持ち、家族の愛あるいは親子の情、こういったものを考えますと、やはり優先的な提供というものを認めるべきであるというふうに考えております。臓器移植法の中の理念、公平性と本人意思の尊重ということで、なかなかこれはバランスの問題で難しいとは思うんですけれども、その点についてA案の方は認めていく、しかしD案の方では認めていないということであると思います。

 D案の先生方に、ちょっとこの見解についてお聞かせいただきたいと思います。

西川(京)議員 井上先生にお答えさせていただきます。

 確かに、今、A案の方々は親族の優先順位というものを認めるという方向になっておりますが、私どもは、この臓器移植法の基本理念、「移植術を必要とする者に係る移植術を受ける機会は、公平に与えられるよう配慮されなければならない。」この公平性の原理というのはやはり大変重いものがあると思います。その中で、血液型が適合するとか、そのときの緊急度とか、優先順位というのは大変厳しいものがあると思うんですね。そういう中で、やはりこの公平性の原理は貫かなければいけない、その立場に立っております。

 それと、私たちは本人の意思を大事にするんだから、その辺はちょっと違うんじゃないかという御意見があるかもしれませんが、あくまでも臓器移植法の御本人の意思というのは臓器提供をする意思であって、親族を優先する意思ではないと私たちは解釈しておりますので、これだけシビアな問題は、やはりあくまでも本当に法にのっとった公平性の原理をしっかり守りたい、そういう立場でございます。

井上(信)委員 そういう御答弁でありますけれども、私としては、家族のきずなとか親子の愛情、いつもほかの案件では西川先生が訴えていることだと思いますけれども、ですから、やはりそれは認めていただきたいなというふうに思っております。

 特に、これは優先でありますから、何も親族だけにということではありませんし、当然のことながら提供する者の意思によって判断できるわけですから、そういう意味では、あえてD案のように排除するというのは、本人の意思尊重ということを一番に考えているというD案の趣旨にはちょっとそぐわないような気がいたします。

 もう時間が来てしまいましたので、きょう、限られた時間ですけれども、それでも大変有意義なお答えをいただいたというふうに思っております。

 ただ、今回、国会にはA案からD案までの四案が提出されているということで、やはり一番心配なのは、それぞれ意見がまとまらず、結局どの案も成立しないということになってしまっては、これはやはり立法府の意思決定としてはいかがなものかというふうに私は思っております。

 もちろん、四案それぞれ、全く思想、信条も違うということでありますから、安易に妥協する必要はないと思いますけれども、しかし今申し上げたように、例えば、ちょっと論理の一貫性がないんじゃないかとか、あるいは我々からすると、この項目についてはこの案のここはいいけれども、この項目についてはこっちがいいというようなこともあるわけでありますから、特に提出者の先生方よく御協議をいただいて、そして、とにかく一日千秋の思いで臓器提供を待っている、そんな患者さん、御家族あるいは医療関係者のために、何としても何らかの成案を得るべく、そんな御努力を引き続きお願いしたいと思います。

 ありがとうございました。

田村委員長 次に、高鳥修一君。

高鳥委員 おはようございます。自由民主党の高鳥修一でございます。

 きょうは質問の機会をいただきまして、大変ありがとうございます。まずもって、今日まで非常に熱心にこの臓器移植法改正の問題について取り組んでこられました法案提出者を初めとする先生方に、心から敬意と感謝を申し上げます。

 臓器移植の問題は、死生観あるいは生命倫理にも通ずる重いテーマでございますので、慎重に議論を進める必要があると思っております。正直申しまして、そういう大変重いテーマでありますから、できれば専門の先生方にお任せしたいなという気持ちが過去にはなきにしもあらずでありました。しかし、前回十六人、そして本日も十三人が質疑に立つということは、この問題について、厚生労働委員会全員参加に近い形で議論に参加して考えなさいということであると思います。そして、最終的には立法府の一員として意思表示をしなければならないわけであります。そういう責任を持ってきょうの質疑に立たせていただいていると理解をいたしております。

 先ほど遠藤先生も述べられましたけれども、私は基本的に、幼い子供が国内で臓器移植を受けられないために、募金を募り、そして億に近いお金を集めて海外で移植を受ける、そのために渡航をしなければならない、しかし、費用を捻出できたケースだけに移植のチャンスが生ずるというのもやはり納得がいかない話であります。また、仮に渡航できても、ドナーが見つかる前に亡くなるケースもございます。助かる命があるならば、やはり助けたいと思います。

 そこで、質問通告をしてから、実は昨夜、過去の議事録を読ませていただいたんですが、読めば読むほどわからなくなってまいりまして、表現が適切でないかもしれませんけれども、いわゆる禅問答か神学論争みたいになっている部分があるのではないか。

 そして、私がお聞きしたいのはA案とD案の違いについてなんですが、この二つの案は、本来、よって立つ前提が違うはずなんですね。ところが、過去の議事録を読むと、A案は答弁者によって微妙にニュアンスが違うような感じがいたします。この点は川内先生それから岡本先生もお触れになっているんですが、大切な部分ですので改めて確認をさせていただきたいと思います。

 まず第一に、脳死は人の死かということについて、D案では、臓器移植が行われる際に限って脳死を人の死と認める、それに対してA案は、脳死を人の死と一律に規定すると一般に理解をされていると思います。これはもう基本的な脳死に対する理解とか哲学の違いであると。

 しかし、A案提出者によれば、脳死は人の死と認めるが、それは臓器移植を行われる際に限る、こういうお話を私は聞いております。では、これはD案とどこが違うのか。D案の方は、臓器移植をする際に限って脳死を人の死と認める。でも、先ほど申し上げたA案のある提出者によれば、脳死は人の死と認めるんだ、しかしそれは臓器移植が行われる際に限るということは、何か違いがないように思うんですが、A案の提出者に御説明をお願いします。

冨岡議員 この質問がずっと出てきます。

 ベースにある考え方が、脳死は人の死であるかということに対して、A案はそうですよと言っていると思います。ただし、その場合は、一般的にはそうですが、その及ぶ範囲は臓器移植法に関係した部分ですよというのがAの考え方です。D案は、脳死は人の死でないんだけれども、ないというか、それは認めたくないという方が多分大半だと私としては推察します。それでD案を出されたと思うので。その場合には、そう認めてはいないんだけれども、家族がやってもいいと言うときに限って、この脳死は人の死であります、臓器を提供してもいいんだと。そこの部分が、考えのベースになっている部分が若干違うんだ。若干というよりも、大きく違うという表現の方がいいかもしれませんが。

 したがって、何度も申しますように、我々A案としては、脳死臨調の最終答申において、脳死は人の死であるということについておおむね社会的に受容されていると考えております。十年前に比べましても二〇%程度、それを受容するような国民の世論があると考えております。したがって、提出者としては、脳死は一般に人の死であるという考え方を前提としてこの改正案を提出しているところであります。この考え方は、臓器移植が行われるかどうかにかかわらず、一般に脳死は人の死であるという社会的合意がほぼなされているという考えのもとであります。

 これに対してD案は、臓器移植が行われる場合に限って脳死が人の死であるという社会的合意があると考えられると私たちは理解しており、この点で、A案とD案とは、改正案の前提となる脳死に関する社会的合意をどのように考えるかという点において異なる立場に立っているものと思います。

 実際にも、十五歳以上では、我々A案は家族の同意で臓器移植ができるということをしております。これは年齢を問わず、十五歳以下でもしかりであります。一方、D案は家族の同意では、今までの現行法どおりで、書面による同意がないとできないということであります。

高鳥委員 ありがとうございます。

 今お聞きしてみて、確かによって立つ前提は微妙であるけれどもやはり明白に違うのかなという感じがいたしました。しかし、その効果はどうなんでしょうか。

 そこで、D案に対して、主にA案の支持者からですが、こういう批判的な意見があるんですね。それは、脳死と判定された子供が臓器提供する場合のみ死亡することになる、つまり、親が臓器提供を承認することによって子供を殺すことになる、こういう批判がございます。

 私の過去の理解では、今となってはこれは正しくなかったのかなと思っていますが、ちょっと聞いていただきたいんですが、A案は、脳死は人の死と認めるということは、脳死状態にある方は一応お亡くなりになっているんだという前提に立つのかな。それは、考えを拒否する方、また、受け入れないという方の立場も認めるけれども、前提は死亡していると。だから、法的脳死判定を受けることは死亡を確認する作業である、だから、親が法的脳死判定を受ける判断をしても、親が子供を殺したことにはならないんです、このA案の前提が。もし私の言っていることが正しければですが。

 ところが、D案は脳死を人の死とする前提に立ちません。臓器移植をする場合にのみ認めるから、脳死状態では死亡していない、生きているということになると思うんですね。だから、法的脳死判定を受け、臓器を提供するという判断を親が下すことで子供を殺すことになるという批判が成り立つし、実際にされているんだと思っておりました。

 しかし、これは結論的には、先ほどの効果のことを申し上げますが、結局、親の判断で子供の死が決まるという意味においては、A案もD案も実は同じなんじゃないかと思うんですね。つまり、同様の批判がA案にも当てはまるのではないかと思います。

 ちなみに、河野先生がこういう答弁をされておられます。脳死を一律に人の死としない、強制しないし、拒否できる、ここで定めている脳死は、法的脳死判定を受けて脳死と判定された場合には脳死となるということを定めているのであって、一般の病院で行われている臨床的脳死判定、脳死診断ということについては何ら規定をしておりませんと。続けて、A案の御両親に求められているのは、医学的、科学的な脳死判定を受けるかどうかということ。

 つまり、両親の法的脳死判定を受けるという判断で子供の死亡が決まるというのは、やはりD案と同じではないかと私は思うんですが、これについてはA案の提出者はどのように考えられますか。

    〔委員長退席、西川(京)委員長代理着席〕

冨岡議員 D案の考え方は、後でD案の方に聞いてください。

 A案の考え方は、脳死は人の死として、その大前提がございまして、実際に脳死判定というのは、一般的には臨床脳死判定と法的脳死判定がございます。したがって、A案は、客観的に、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止した状態になれば、臓器移植が行われるかどうか、それにかかわらず一般に人の死であるという考え方に立っております。

 したがって、脳死判定は本人がそういった一般的な死の状態にあるかどうかを確認するための行為であって、たとえ家族の承諾が脳死判定を開始する契機になったとしても、家族が承諾したから本人が死んだということになるのではありません。A案はそういう考え方であります。

高鳥委員 それでは、A案の方にちょっと確認なんですが、臨床的な脳死判定の段階、脳死状態にあるというときには、まだこの方は亡くなっていないということですね。それで、法的な脳死判定を受けた段階で亡くなるということですね。

冨岡議員 臨床的脳死判定というのは、一般的に行われる診療行為の一つと理解していただければいいと思います。血圧をはかったり体温をはかったりする。したがって、頭部挫傷とか脳挫傷が疑われたときに、検査の一環として脳波をとることはあります。

 法的脳死判定というのは非常に煩雑な作業をするわけでありまして、したがって、そういう意味では、人の死というのは、法的脳死判定が完成した時点までは、深昏睡、昏睡状態であるというふうに考えられ、その二回目の法的脳死判定がなされた時点で死亡ということになります。

高鳥委員 そうしますと、わかりやすく言うと、法的脳死判定の結論が出るまでは生きているということなんですね。

 それで、D案の方にお伺いいたします。D案では、子供の死亡というのは、どの段階で、だれの判断で決まるのか、教えていただきたいと思います。

根本議員 子供の死亡の前に、今の議論がいろいろありますから、私も多少整理をさせていただきたいと思います。

 まず、A案とD案の違いは、脳死が人の死かということを法律で決めるか決めないかということであります。

 A案は、六条二項を変えたように、A案の提出者が説明をしておりますが、A案では脳死は人の死であるということを法律で規定しております。そこははっきり答弁がありました。そこが私は大事な点だと思います。

 それから、我々は、脳死が人の死かどうか、これは宗教観や死生観や個人の人生観で変わりますから、人の死かどうかというのは人によって異なるだろう、ですから、脳死が、脳死判定を受けて医学的な脳死状態が、確かにこれは人の死ですよと受容できる方の臓器提供の意思を尊重しよう、実はこの立場に立っております。

 この立場の違いから、A案とD案の一番の違いは、生前の意思が不明であった方について、我々は、基本的に意思を尊重しますから、十五歳以上であっても認めません。ただし、A案では、十五歳以上であっても、脳死が死ですから、家族の承諾だけで意思が不明であっても臓器提供できる。ここに大きな違いがあると私は思います。

 それから、我々は基本的に臓器提供の意思というものを尊重しております。ただ、子供については、現行法でも、子供の意思能力、これは遺言の可能年齢で十五歳とやっておりますので、我々の理念、哲学、考え方である、提供する意思を尊重しようという考え方の中で、親と子のきずな、そして命の大切さ、尊厳、これをよく、子供の人格形成にもかかわる親が子供にかわって意思を表明し、そして家族が承諾することによって子供からの臓器提供への道を開こうということであります。

 では、子供の死がどこで確定するのかということでありますが、これは、A案もD案も死が確定する時期は全く同じだと私は思います。A案は、脳死判定を家族が承諾するわけですから、脳死判定をされて法的に脳死判定されれば、今お話ありましたように、そこで死が確定される。

 子供の脳死判定の基準をどうするか。これは、丁寧にさらに検討しなければなりません。なりませんが、子供の場合も、法的脳死判定で、これが医学的脳死状態ですよ、医学的な脳死状態となれば、それは人の死と認める方ですから、そこで死が確定する。その点ではまさに一緒なので、子供の死の判定については、A案もD案も親が判定を承諾するという点では同じ、そして法的に脳死判定がされたというところで死が確実に確定するというのも同じ。それは、D案の場合はそれを認めている、親ですからそれが認められるということであります。

高鳥委員 たくさんまだお聞きしたいことがあるんですが、時間が来たようですので答弁は求めませんが、A案では、脳死した方の身体の定義について、前段部分を削るんですね。そうはいいながら、河野先生の答弁……

西川(京)委員長代理 高鳥君、時間が来ていますので手短にお願いします。

高鳥委員 わかりました。では、簡潔にいたします。

 私は、現行法から前段の部分を、臓器移植に関係ないことについては法律で定めないという答弁をされていますから、なぜ削るのか、ちょっと意味がよくわからないということを一点指摘させていただきます。

 あと最後に、萩原先生が前回御指摘されたようなドメスティック・バイオレンスについてのこともありますから、私は、改正には賛成ですが、幾つかの問題について十分な審議がなされることを希望いたしまして、質疑を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

    〔西川(京)委員長代理退席、桝屋委員長代理着席〕

桝屋委員長代理 次に、とかしきなおみ君。

とかしき委員 自由民主党のとかしきなおみでございます。

 本日は、非常に重たいテーマでありまして、私も緊張しておりますけれども、心を込めて一生懸命質問をさせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 私たちは、生きるとは何なのか、死ぬとはどういうことなのか、多分、医療の技術の進歩によって、倫理観とかモラルとかこういったものが非常に問われるようになってまいりました。このときに答えを出す一つの方法として、私は、さまざまな人の立場に立って、その人の気持ちから見たらこれはどういうふうに見えるのか、ここをやはり想像を豊かにして考えていく、そこに解決策が見えてくるのではないかなと思います。

 きょうは、さまざまな立場からちょっと質問をさせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 この臓器移植法の厚生労働委員会での審議が始まりましたら、私のところにネットを通じましてたくさんの意見が寄せられてまいりました。その中で一番多かったのは、脳死を人の死としないでほしいという声でありました。私の子供はまだ生きているのに死とされてしまうのでしょうかとか、そういった意見がたくさん届けられたわけでありますけれども、これは大きな誤解であると私は思います。臓器法のA案は、脳死を人の死とする案ではなくて、脳死を人の死とする権利を認める案だと私は考えております。残念ながら、一部のマスコミの報道のように、簡潔な一覧表をつくられてしまって、このような誤解を生んでしまったんだと思います。

 そこで、A案の提案者の方にお伺いしたいんです。脳死を一律人の死とする案であるという誤解で多くの国民の方が受け取っていらっしゃるようなんですけれども、その点についてもう一度、さっきから何度もお話ししていますけれども、わかりやすい言葉で御説明をいただけますでしょうか。

冨岡議員 もう一度申します。

 提出者としては、脳死は一般に人の死であるという考え方を前提としてこの改正案を提出しております。

 ただし、ここで御注意いただきたいことは、脳死は一般に人の死であるというのは、改正案の前提となる考え方であるにすぎないということであります。臓器移植法は、臓器の移植に関連して脳死判定や臓器摘出等の手続等について定める法律であって、臓器移植以外の場面について、一般的な脳死判定の制度や統一的な人の死の定義を定めるものではありません。したがって、この改正案がもし仮に成立したとしても、臓器移植以外の場面における脳死判定によって、当然に脳死が人の死として取り扱われることにはなりません。

 なお、この改正案では、脳死を人の死と考えない人に配慮して、法的脳死判定を受けることを本人及び家族が拒否することができることとしており、脳死判定を受けることを強制されることがないようにしております。

 また、委員がおっしゃったように、権利を認める法律という表現は私自身も賛同するところであります。要するに、受けたい人、受けたくない人、どちらでもいい人、おのおのの権利が担保、留保される、そういう法律の成立を私たちは目指しているところであります。

とかしき委員 ありがとうございました。

 死というのは一体だれが決めるのか。本人か、医師か。私は、これはちょっと違うと思います。多分、これは家族が決めるのではないかと思います。脳死を人の死とするかどうか。今まで家族として一番長い時間をともに過ごしてきて、人生を共有してきた身近にいた家族が、生きるということとは、死ぬということとは一体どういうことなのか、本人の価値観も全部わかった上で、そしてこの人と決別をしようと決断したときに死が訪れるのだと私は思います。

 臓器移植を通して他者の体の中で生き続ける選択肢もあるのではないか、このように脳死を人の死として受け入れようとする家族、これも厳存すると私は思います。ですから、その権利をやはり法律としてしっかり認めてあげようよ、これがA案ではないかというふうに私は考えております。

 次に、臓器移植の決断をする家族の気持ち、こちらの方にちょっとスポットを当てて質問させていただきたいと思います。

 家族が脳死を人の死とお考えになった上で、臓器提供について承諾をされました。それに加えて、D案の場合は医療機関において確認を義務づけるということになっておりますけれども、これは家族にとってどのような心理的影響があるというふうにお考えでしょうか。

西川(京)議員 お答えさせていただきます。

 今回、D案では家族の承認、承諾に当たって書面の提出を求めていますが、その提出に当たって、やはりインフォームド・コンセントが適正に行われているか、これはかなり大事なポイントだと思います。脳死でこういう状況になられましたとお医者様が言う、その中で、実はこういう制度がありますが、臓器提供についてお考えになられますかという御説明をするときに、家族に何らかのそういう圧迫があってはいけない、むしろ家族の心情に圧迫を加えるようなことがあってはいけないという、客観的に検証するシステムをやはりつくらなければいけない。そういうことで、この第三者機関というのを設けております。

 それともう一つ、今、こういうことはあってはなりませんが、A案では例えば児童虐待の問題なんかについての検証システムがありませんので、こういう問題をどうクリアしていくのかというのは、私は大変、A案ではちょっと危ないのではないかなという思いを持っております。

とかしき委員 ありがとうございます。

 今、心理的圧迫を軽減するというお話がありましたけれども、私は、この手続で本当に家族の方々の心理的な圧迫が軽減されるのかどうか、正直疑問なところがあります。

 脳死を人の死として認めようというのは大変な決断だと思うんですね。まだ体温は温かいわけですし、当然人工呼吸器をつけて呼吸をしているわけですから、そんな本人を目の前に医師から脳死であると宣告をされて、それを受け入れようとした家族はどうするかというと、多分、複数の医師に確認をして、本当にこれは脳死なのか、本当に死んでいるのかというのを何度も確認を受けると思います。

 さらに、ほかの親族から、後日、あのときは実は死んでいなかったのではないかと言われる可能性も十分あるわけですから、当然親族と言われる人たちと十分話し合いをして、慎重なる話し合いを重ねて、その上において脳死を人の死として受け入れようと決断をするわけです。となると、これは想像を絶するぐらいすごい決断を家族は短時間にするということになるわけです。

 このように、本当に数々の障害を乗り越えて、自分の家族のことだけではなくて、この臓器をほかの人の家族のためにも役立ててもらおう、こういう本当に崇高なる決断をした家族に対してさらに医療機関の確認を義務づけしてしまうというのは、逆に、この崇高なる意思を尊重しないのではないか、心理的圧迫が増すのではないかというふうに私は考えます。

 私は、今本当に政治がすべきことは、この崇高なる家族の決断をやはり尊重して、その意思を最大限に生かすようにするためには、少しでも障害を取り除いていく、阻害する要因は少しでも取り除いていく、この努力をすることが大切ではないかと考えます。これこそが、大いなる決断をした家族への私たちができる感謝の気持ちの一番の表現ではないか、こういうふうに考えております。

 それでは、次にお伺いしたいと思います。

 今度は臓器提供する側の方々の家族の気持ちなんですけれども、親族に対する臓器の優先提供について、先ほど井上先生もお聞きになりましたけれども、D案はその優先権が認められておりません。先ほど臓器提供をするという本人の意思を優先させていくというお話がありましたけれども、このことについて、なぜここまで公平性を優先させていくのか、当たり前の感情よりも公平性を優先させなくてはいけないその理由についてお示しいただけますでしょうか。

    〔桝屋委員長代理退席、委員長着席〕

西川(京)議員 お答えさせていただきます。

 今回のこの臓器移植の問題、まさに今とかしき先生が、家族の死を受け入れる残された家族の思い、これは大変なものだとおっしゃいました。まさに、そういうことを乗り越えてこの臓器移植という行為が許されている、そのことに対して、やはり私たちは大変重く受けとめないといけないと思うんですね。

 ですから、家族の思いはとても大事なことですが、しかし、その思いを優先する余り、この崇高な医学的行為を、まさに公平性の原理、このことを否定することになってはやはりいけないのではないか。そういう中で大変崇高な思いでやることであるからこそ、まさに公平性の原理をしっかりと守らなければいけない、私はそういうふうに思っております。

 そしてまた、家族とか親族のそういう思いを優先する余り、今度はそれが逆に、あの子を救うためにあの人が言ってくれたら、家族間、あるいはそういう、今家族の形態は大変いろいろな形態があります。そういう中で一つの例として、再婚同士で、片方が重い病気を持っている、それで片方の子供が脳死状態になった、そういうときに一体どうなるのか。私は、そういうことまでもやはり考えて、この問題は私たちは責任者として考えていかなければいけないと思います。ですから、やはり公平性の原理というのをしっかり守るべきだと思います。

とかしき委員 ありがとうございました。

 私も、今のお話、少しはわかるんですけれども、やはり公平性というのがそこまで重視されなくてはいけないのかというのが正直私の意見であります。

 やはり、臓器移植をしようという一番の動機が、多分多いのは、親族にそういったものを必要としている人がいる、目の前で苦しんでいる人がいるから臓器提供をして、何かもし自分に万が一のことがあったとき、脳死状態になったときに提供してほしい、こういう気持ちを持つのは、私は自然の人間の行為ではないかなというふうに思います。

 その前に、これは公平性だから、その気持ちを無視して公平性を重視していきますよということになってしまいますと、やはり私は、臓器移植は逆に数がふえていかない、これは臓器移植をふやしていく上での一つの障害になっていくのではないかというふうに考えております。人間の素直な感情、親族への優先権、これにぜひ重きを置いて、血の通った法律にしていただく、これが私は大切ではないかなというふうに考えております。

 そして最後に、この臓器移植法の問題は、やはり個人の人生観、死生観、宗教観に深くかかわる、人間の根幹に抵触する問題であったために、今の臓器移植法が移植数がふえにくいという問題を抱えているという現状を把握しながら、その状況から目を背け、政治は一番選択すべきではない先送りという手段を無作為にずるずると選んでしまいました。

 その結果、ほかの国の人権を侵害する移植ツーリズムがふえて、先進国の中で臓器移植を海外に頼っている唯一の国とか、世界の臓器移植をあおっている国とか、そんなレッテルを張られてしまって、多くの国から非難されるゆゆしき事態となっているわけです。日本のこのモラルのない行動に対して、WHOもついに、日本を主要対象として、臓器移植は自国内でと決議しようとしているわけであります。

 このように、臓器移植の問題は、今や国内の自国民の死生観や人生観のみの問題ではおさまらないで、国際社会の中で、日本人が人の命をどう考えるのか、日本人、日本の国が考えている倫理観はおかしいのではないかと世界から突きつけられて、これが国際問題になっているわけであります。自国内の死生観に目を背けて、海外の人権を無視することでその負荷を解消しようというこの姿勢は、国益のみではなく、日本の国としての信用すらも傷つける、一刻も早く解決しなくてはいけない重要な懸案であると私は考えます。

 現在国際問題となっている臓器移植の課題を一番解決できるのは間違いなくA案であり、現行法を後退させるB、C案、現行法の微調整であるD案は、残念ながら、日本の国際的信用力を回復するには至らないと私は考えます。A案が今国会で成立して、日本の臓器移植を望む人と臓器移植をしようという崇高なる決断をした家族をお一人でも多く結びつけ、さらに、臓器移植の世界において、日本がモラルある行動をできる国として国際社会の中で一日も早く復権できることを切に望んで、質問を終わらせていただきます。

 本日はどうもありがとうございました。

田村委員長 次に、林潤君。

林(潤)委員 自由民主党の林潤です。

 本日は、前回に引き続き質問の機会をいただきまして、ありがとうございます。

 臓器移植法案をめぐりましては、各委員からの質問によりましてかなりの論点が出尽くしたように思いますけれども、大切なことは、今国会の成立によりましてまずは前進をさせることであります。各法案をどのようにまとめるか、これからにかかっておりまして、今回のこうした質疑の様子が、立法府の不作為と言われることがないように、納得できる方法できちんと採決し、今国会で何としても成立させたいと願うものであります。

 つまり、十五歳以下の臓器移植の道を開き、脳死の臓器がより提供されるようになり、そして一人でも多くの命が救われる方向に持っていくべきであると私は考えております。

 しかし、私個人の日本人の死生観というものを考えておりますと、脳死が人の死である、これを法律で規定してしまうという考え方に関しましてはやはり抵抗があります。A案の、臓器移植の促進が非常にこれはされると思います、それで世界の潮流にも恐らく従っているでしょう、そして異なる見解も受け入れるというような、こうしたさまざまなメリットを理解しながらも、D案を私は支持するものであります。

 このいろいろな四つの案とは別に、まず初めに訴えたいことは、特に政府に対しまして、臓器移植の機会をできる限り多く確保すべく努力してほしいということであります。

 前回も指摘させていただきましたけれども、過去十二年間で八十一件しか脳死による臓器移植の事例がないということは、欧米各国と比較いたしましても比べるべくもありません。不幸にも脳死になられる方が国内で年間で三千人ほどいらっしゃる状況でも、実際に移植されるのは年十件ほどでありまして、本当に国を挙げて臓器提供の機会を広げる努力をしているのか、こうしたことを感じます。

 つまり、まずは現行法のままでも本来はかなり努力する余地があるということであります。意思表示カードの常時携行者は二%ほどでありますが、これを向上させる取り組みが必要であるということです。脳死になる約三千人の中には、いざ脳死となったら臓器を提供してもよいと考えていたが、実際、カードに意思表示していなかった、所持していなかった、こういう方も相当数含まれているのではないかなと予想をしております。

 こうした潜在的な提供者の意思を表示させることがこれからも課題でありまして、少なくとも、心臓や肺、膵臓、大体百件台で推移しております、この移植を待つ方を救うことにもつながると思います。運転免許証や被保険者証に臓器提供を記載できるような方法を一刻も早く検討しつつ、国民的な関心を広げてもらいたいと思います。

 さらに、今後導入が検討されております社会保障カード、これも何らかの形で臓器提供の意思をできるようにすべきではないか、こう考えております。そうすれば、国内の移植は今よりも格段に促進をされ、多くの移植待ちの方が健康な体を取り戻すこととなります。

 こうした現行法を改正しようとする動きに乗じまして、国としてもこうした臓器を提供する意思表示をさせるすそ野を広げる機会とすべきだとまずは要望をさせていただきます。

 そこで、前回、十五分の持ち時間なので質問できなかった続きをさせていただきますけれども、まず、D案の提案者に質問させていただきます。

 D案は、臓器移植の場面に限り脳死は人の死であるとの立場に立ちつつ、意思表示ができない十五歳未満の子供については、家族の承諾を条件に臓器の摘出を認めています。脳死について日本人の死生観を尊重しつつ、国内での子供の臓器移植に道筋をつけ、前進をさせたいという点で高く評価できます。

 しかし、最大の課題は、子供の臓器を摘出するのに家族の承諾を条件としていることで、子供の臓器移植に道を開いたとしても、そのハードルは高いと思われるのが現状であります。D案によって臓器移植の提供の道が開けても、課題はまだまだあると認識しています。

 先ほど西川提案者からもありましたとおり、そうした家族の心理的負担を和らげるための第三者機関等、こうした話も出ておりましたけれども、もちろんD案では完全ではないと思いますし、仮にD案が成立したとして、こうした課題をどのように今後克服し、国内での脳死に関する議論をどのように高めていくべきと考えているか、お聞かせください。

岡本(充)議員 お答えいたします。

 今先生御指摘のとおり、D案では、子供の脳死判定については、大人と異なり、子供がそもそも意思の表示ができないこと、また、大人であれば、本人だけがその人格的生存にかかわる重要事項を決定し得ることは当然ですが、子供については、人格形成の途上にあり、重要事項の決定に当たっては、本人だけなく、子供の利益をあらゆる事情を勘案して総合的に判断することができる保護者の関与を認め、子供本人の意向をそんたくすることができる家族による承諾を条件に、脳死を人の死として取り扱うこととするというハードルをつくっています。

 確かに、それをハードルと言われるのか、この条項を子供の脳死に向けた一歩ととらえていただくのかは、考え方に差があると思います。また、子供の立場に立って、子供に何が一番いいのかということを判断するというのも、やはり家族にできることではないかというふうに思っています。

 あと、先生が御指摘になられております今後の、D案は見直しを三年を目途に行っていくということにし、そして、第二次脳死臨調を含め、さらなる脳死についての調査研究を進めていくということも考えています。

 もう質問が終わってしまって恐縮ですが、先ほどとかしき先生が、脳死は人の死と認める権利をA案は認めているという話でしたが、これは、A、B、C、Dどれも同じように、脳死は人の死と認める人の権利を認める法律案であることは変わりがないわけであります。そういう意味では、いろいろな考えはありましょうけれども、どの案がより脳死移植の症例数をふやすのかということについては、なかなか評価は難しいと私は思います。後ほど質疑の時間があるようですから、私がそこで時間をいただいてお話をしたいと思いますが、現時点ではそのように考えております。

林(潤)委員 確かに、一歩ではある、ハードルと考えない、その考え方もわかりましたけれども、現実的に子供の臓器移植促進をするためにはどうしたらいいか、この課題には、やはりかなりこれから踏み込んで議論を進めるべきだと思いますので、そういった今後の議論を高める努力というものをしていただきたいなというふうに思います。

 そして、脳死を人の死と認めないで、かつ国内での子供の臓器移植を広げていくためには、やはり親の承諾を条件とすることもやむを得ないと思います。ただ、臓器移植を承諾してくれそうな親族に対しましては、その道を開くために、臓器の提供でどれだけ救われる子供がいるのか、医学的、生命的な倫理の見地から懇切丁寧に理解を求めていくような場面が私は必要だと考えます。と同時に、日ごろから脳死と臓器移植に関する啓発、国民的理解が不可欠だと考えております。

 次に質問するのは、脳死が人の死であるかという命題に関することであります。

 A案では、脳死は一般に人の死であると考えない人に対しましても、いろいろな考え方を認める一定の配慮がされているように承知しておりますが、脳死は人の死であるという考え方を前提にはしていると思います。

 この考え方からしますと、遺体をだびに付することと臓器を提供することが同列に考えられるようになると思われます。しかし、だびは死者に対する尊敬であり、成仏して安心して死後の世界に旅立てるように願う、生きている者の死者に対する思いやりの意味も含まれていると思います。また、臓器の摘出というのは、数日で物言わぬ体になるとしても、遺体になる体を傷つけることにもつながります。

 A案が成立したと仮定すれば、脳死は死ではないとたとえ拒否できたといたしましても、脳死が人の死だということが法的にも医学的にもそして社会的にも認知される中、自分の死生観が世間の常識と違うということを改めて認識することにもつながりかねません。目の前に、心臓が動き、血が流れ、体も温かい、しかし脳死として死に至る家族がいる中で、二重の悲しみになるのではないでしょうか。

 したがって、生前の意思確認という点について、臓器摘出とだびを同列に扱うという考え方は、死者に対する尊厳という観点からも国民の間で受け入れがたいものでありまして、また、脳死になれば臓器移植のための資源となってしまう考え方にもつながりかねません。

 このような意見についてどのように考えるか、A案とD案の提案者からお聞かせください。

山内議員 確かに、改正案は脳死は人の死であるという考え方を前提としております。これは、脳死臨調の最終答申において、脳死は人の死であるということについておおむね社会的に受容されているということによるものです。また、移植術に使用されるための臓器は、人道的精神に基づいて提供されるものであると考えております。

 したがって、死者に対する尊厳という観点から国民の間で受け入れがたいということを林委員はおっしゃいましたが、我々はそういった御指摘は当たらないと考えております。また、身体の資源化につながるという御指摘についても、やはり私どもはそういった御指摘は当たらないというふうに考えております。

根本議員 A案、D案、あるいはB、C含めて、私は、林議員の言ったところが、まさに日本ではそこが大きな論点だと思います。

 林委員がおっしゃいますように、脳死が人の死かどうか、これはまさに死生観や人生観、宗教観、これによって異なるんですね。ですから私は、法律で脳死は人の死であるという定義をする、これは価値観を法律で押しつけるということになるのではないか。ですから、そこは今、日本では、脳死は人の死である、これを法律で定義する、この社会的合意は得られていないと私は思います。

 それから、脳死を人の死として法律で定義する、この法律に限ったことですよとはいいながら、定義と臓器移植法のそれぞれの条文の持つ法律効果、これは私は峻別して考えなければいけないと思います。臓器移植法で医学的な脳死状態が人の死ですよと定義をするわけですから、この移植法に限ってとはいいながら、この定義は私はさまざまな分野で恐らく影響してくると思います。ですから私は、やはりそこの社会的合意は得られていないから、医学的脳死は厳然としてあるわけですが、それを人の死として認め、受容できる方、その方の意思を尊重する、そして、その方の意思を尊重するということは、脳死は人の死ではないと思われる方も、その点については社会的にも受容できるだろうと考えております。

 この問題を考えるときには、西欧と日本の背景となる文化的な違い、これが非常に重要で、西欧の場合は心と体は二元論ですから、脳死となれば、これはもう公共のもの、死になりますから、死になれば、どうぞ奉仕してこれを喜びとしてくださいというのが西欧の社会です。ここが日本の場合は心身一元論で、遺骨収集が六十年後も行われている、これは私は死に対する日本の考え方が違うと思います。日本の場合は、臓器を移植するというのは善意の贈り物とよく言われます。そこは西欧の場合は、死になれば公共のものだから、社会に役立つのは正道である。私は、こういう西欧の社会と日本の社会の文化的な、文明論的な価値観の違いからこの議論が分かれるんだと思います。

林(潤)委員 時間になりました。

 根本提案者の方からありましたけれども、やはり西洋と東洋の、心と体、一元論、二元論、もしかすると政治や現実の医学的なものからは非常に理解しがたいことかもしれません。しかし、現実に目の前の家族が血が流れていて体が温かい状態で、それが死かどうかを法律で定めてしまうことは、私はやはり慎重であるべきだというふうに思います。

 脳死が人の死であるということは、いまだに国論を二分して、結論は出ていない状況でありますので、やはり人の死ということを前提に踏み込む考え方、慎重であるべきであるという考えを表明させていただきまして、質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

田村委員長 次に、桝屋敬悟君。

桝屋委員 御苦労さまでございます。前回に引き続いて議論をさせていただきたいと思います。

 ただいまのとかしき委員とか井上委員、同僚委員の質疑を聞きながら随分頭も整理できたのでありますが、ますます混乱も深まっているわけであります。

 最初に、A案の方に伺いたいのでありますが、先ほどから出ていますように、脳死は人の死かどうかというこの議論でありますが、先ほどの冨岡先生のお答えで大分わかりました。

 A案の方も、D案が出てきたということで、この局面、随分お悩みになっているな、何とか法律をまとめたいというお気持ちもあり、説明が随分丁寧になってきたなと。とりわけ、脳死は人の死かどうかという問題について、いみじくも先ほど冨岡委員はこういうふうにお答えになりました。確かに脳死は人の死である、まさにその原則に立って法律を整理しているのでありますが、ただ、それはあくまで法律の前提の考え方だ、このように入念におっしゃいました。その上で、しかしながら、脳死は人の死という考え方に立つんだけれども、その大前提には立つんだけれども、それを認められない人については断る道もちゃんと開いている、まさに脳死は人の死と認め得る人に対する臓器提供だ、こういう御説明があったかと思うんです。

 してみると、ちょっと質問の順番を変えるのでありますが、私はこの前から議論を聞いておりまして、先ほども議論がありました、六条二項を、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」という部分を削除されている。その削除されている理由は、ここは非常に大事だなというふうにA案を見て思っていたわけでありますが、その説明に立つと、逆にこの条文はあってもいいんじゃないかな、別に困らないんじゃないかなという素朴な質問を感じるのでありますが、冨岡先生、重ねて伺ってよろしいでしょうか。

福島議員 まず、若干議論を整理させていただきたいと私は思っているんですが、A案というのは、脳死を人の死として一律に定義をする法律ではないということがまず大前提だと思います。

 そもそも、現行法自体がどういうことを前提としているか。脳死臨調で、脳死を人の死として認めることはおおむね認められているんじゃないか、これが一つあると思います。もう一つは、さはさりとて、脳死を人の死としては受け入れられない、こういう方もいる。ですから、十分配慮をして法制をつくり、また臓器移植を適正に進めるべきである、こういうことが当初の出発点だろうと思います。

 そして、現行法ではどういう規定になっているかというと、脳死判定をする、それによって死を確定して臓器移植に至るプロセス、これは本人の意思が明確でなければできない、こういうことなんですね。

 私どものA案というのは、本人の意思が明確でない場合がある、特に十五歳未満の方々について、本人の意思は認められない、こういうことになっていますから、それをどうするかという問題であって、それを家族の同意で認めてもいいんじゃないか、こういう転換を図るということであって、改めて脳死を人の死とするというふうに定義を変えるんだということで法案を提出しているわけではない。現在、子供の臓器移植ができない、そしてまた海外への渡航移植も多い、こういうことに対してどういう転換を図るべきかということで、家族による同意ということで判断をしてもいいんじゃないかと。ですから、脳死判定によって臓器移植に至るプロセスについて規定をしているということであって、一律に脳死を人の死として認めるという転換を行おうとしているものではない、このところをぜひ御理解いただきたいというふうに思っております。

 そういう前提に立ちますと、前回の、現行法が参議院で修正をされて、今委員が御指摘になりましたような条文が追加をされたわけであります。これは、当時の議論を振り返ると、確認的に、脳死を人の死として認められない、こういう方々に対してどのように説明するのかということで規定をされた条文ではないかというふうに私は思っております。

 ですから、今回の法案の提出に当たりましては、その点については削除、これはもともとの中山案の条文ということを踏まえつつ削除させていただいたわけでありますが、しかしながら、このことが脳死を人の死として一律定めるという意図を持ってしたということではない、このように申し上げたいと思います。

桝屋委員 理解をしたいと思うんですが、実は、私も平成九年の法律をつくりますときに立法作業にかかわった一人であります。私は、一等最初の案が、きょう中山先生もいらっしゃいますが、当時、野呂先生なんかと一緒に、一等最初の案が一番いいと思っていたわけでありますが、今福島委員から御説明がありましたように、二つの修正が行われたわけでありまして、その一つがまさに、脳死に関するさまざまな意見を踏まえて、臓器移植に際して脳死を認める、こういう修正が行われたわけであります。

 ここは、確かに国民に理解を得るためには今の福島委員のような説明ぶりになるんだろうと思うんですが、実は、移植コーディネーターの皆さん方の意見等を聞きますと、もう一つの効果としてよく言われていることが、今日まで議論されてきましたが、まさに人の死の二元化という問題が片方で出てきているのではないか、こういう問題であります。

 いわゆる人の死について、法に基づく脳死判定と、それから、これは私はいまだに悩んでおりますが、臨床現場における脳死診断、その部分が医療現場において相当、この修正によって、専門家の皆さんにとっては死の二元化という問題が出てきたということもありまして、そこから臨床現場では、臓器提供をしない場合は脳死は人の死ではないわけでありますから、脳死状態と経験的にドクターが判断をしても、厳密的な臨床判断というのはどうしても、おろそかになるとは言いませんが、そこが注目されなくなる、あるいは、臨床的な脳死診断の不明確な状態というものも出てきているのではないですかという声を聞いたことが私はあるわけであります。

 そうしますと、こうした脳死の二元化をこの条文によって整理しよう、もっと言いますと、一等最初の議案に戻す、私はこういうところかなと。脳死は人の死という前提に一歩近づこうということはやはり意図としておありなんじゃないか、私はそれは大事な見識だと思っているのでありますが、その点どうでしょうか。重ねて伺いたいと思います。

福島議員 医師が脳死ということで一律に死の判定をするということに対しては受け入れられない人がいる、その思いというものをどう尊重するのかということが現行法の議論の中であって、そして、法的脳死判定に入るプロセスというものについて厳密な縛りがかけられた、こういうふうに理解いたしております。

 そのような状況でありますから、臨床現場におきまして臨床脳死判定と法的脳死判定の間にギャップがある、こういう指摘が出てくるということは当然だというふうに私は思っております。それがまた、国会における議論を反映した結果である。私どもとしては、A案を提出することによってこの事態を変えるということを意図しているわけではありませんで、厳密な法的脳死判定に入るプロセスについて、本人の意思がなければ行えないという現状に対して、家族が認めればそれを進めてもいいのではないか、こういう転換を加えるということに限定をしているというふうに考えております。

桝屋委員 今回の修正の意図は理解をいたします。ただ、六条二項のここを削除されたということはやはり大事な修正だな、こう私は理解をいたしておりまして、そういう意味では私自身が、正直申し上げて、一等最初の議案に戻るということは、できればそういうことがあっていいのではないかと思っているわけでありますが、先ほどから御説明がありましたように、四〇%から六〇%の国民の皆さんが受容されているということもあるわけでありますから、そこまでいければいいなと思うのであります。

 最後にD案の皆さんに伺いたいんですが、せっかくA案で固まりかけていたのに、D案なんか出されるものだから、かえって議論が混乱しているという御批判もあるのでありますが、D案の皆さんの、ただいまの議論を聞いての御感想を伺いたいと思います。

根本議員 A案、B案、C案、D案が出たことで、臓器移植についての論点がかなり整理されて、それぞれの政治家が、みずからの信条あるいは死生観、宗教観、人生観に基づいて判断できる環境がむしろ整ったと私は理解をしております。

 特に、A案とD案の違いも、再々申し上げますが、要は、この問題の一番のポイントは、脳死が人の死か、これが社会的に合意できるかどうか。私は、いまだなお脳死を人の死であるという社会的合意は残念ながらできていないと思いますから、そこがA案とD案の違いになります。

 それからもう一つは、脳死が人の死かで社会的合意が得られなくとも、しかし脳死は人の死だ、法的脳死判定を受けて、医学的に脳死状態、脳死ですよと言われたときに、これを人の死だと受容できる方もおられますから、その方の臓器を提供したいという崇高な気持ちは尊重しよう。そして、その考え方の上に立って十五歳以下の子供への道も開こう、こういうことで我々考えました。

 それから、一番の大きなポイントは十五歳以上で、ここは哲学的、理念的、基本的考え方の差になりますが、本人の意思が不明なときに家族の承諾で臓器を提供できるかどうか、実はここがやはり私は定義とかかわってくると思うんですが、脳死が人の死であると法律上規定されれば、定義されれば、これは死体解剖保存法と同じことで、遺体になりますから、ですからそこはまさに家族の判断で承諾できる、そういう論理構成になると私は思うんですね。

 その辺のところが非常に極めて明確になっておりますので、これは、それぞれの判断をする際に選択肢がむしろ一つふえて、そして、どの案が皆様にこの案だなと思っていただけるかどうかということだと思います。

 ただ、我々最後に出てきたものですから、そこは、何で今ごろ出してくるんだというお話もありました。しかし、これは極めて人の命にかかわる重い法案ですから、我々は政治の責任として、やはりきちんと最後まで十分に議論を尽くしながら、考え方をまとめながら、どの案を選択するか、そのための選択肢を我々も出させていただいたということで御理解賜りたいと思います。

桝屋委員 ありがとうございました。終わります。

田村委員長 次に、郡和子君。

郡委員 民主党の郡和子でございます。

 限られた時間ですので、質問に早速入らせていただきたいと思います。

 脳死臓器移植の数がなかなかふえない、立法の不作為だというような御指摘があることを真摯に受けとめてまいりたいというふうには思っておりますけれども、脳死移植が正しく実施されているのかどうか、これがしっかりと検証されて情報開示がなされているのかどうか、私はこの点からまず質問させていただきたいと考えています。

 脳死を人の死とするかどうかについては、私も今もって国民の合意は得られていないというふうに思っております。また、人の死という概念というのは、臓器を提供する本人やまたその家族だけの問題ではありませんで、これまでも議論がありましたように、社会全体の問題であります。だからこそ、私はこの検証作業というのが重要になってくるんじゃないだろうかというふうに考えているわけです。

 現法律下でも、厚生労働大臣の諮問機関として、脳死下での臓器提供事例に係る検証会議というのが設けられております。ここがしっかりと機能を果たして、情報公開を果たしているのかどうか、ここが重要なんだろうと考えているわけです。

 そこで、まず政府に伺いたいと思いますが、この検証会議の構成メンバー、それから人選はどのようにされているのか、また移植希望者の代弁者が入っているのかどうか、ドナーの家族は入っているのかどうか。いかがでしょうか。

上田政府参考人 御指摘の脳死下での臓器提供事例に係る検証会議は、脳死下での臓器提供に係る検証作業を行うことを目的としまして、厚生労働大臣が参集を求める形で、学識経験者等により構成されているところでございます。

 参集を求めております学識経験者の方々は現在十二名となっておりまして、まず救命治療に係る専門家、それから脳死判定の専門家、移植医療に係る専門家のほか、移植希望者の代弁者として全国心臓病の子どもを守る会の方に、それから、脳死患者の家族の方そのものは入っておりませんが、患者や家族の精神的ケアの分野において造詣の深い学識経験者に入っていただいているところでございます。

郡委員 それでは、A案の提出者の方に伺いたいと思います。

 公平性それから透明性の観点から、この検証会議の現在のあり方についてどのような御意見をお持ちでしょうか。

冨岡議員 この検証会議につきましては、臓器移植が一般の医療として国民の間に定着するまでの暫定的な措置として、厚生労働大臣が参集を求める学識経験者により、脳死下での臓器提供に係る検証作業を行うことを目的として開催されているものと理解しております。

 検証会議の学識経験者は、先ほど説明がありましたように、脳死判定や移植医療に係る専門家のほかに、移植希望患者の立場を代弁できる者や、患者、家族の精神的ケアに造詣の深い者など多様な関係者から参集を求めることとされており、検証会議のメンバーのバランス、公平性はとれているというふうに考えております。

 また、検証会議は原則として非公開とされているため、検証会議の透明性の観点から問題ではないかというような意見もありますが、これは、個別の脳死下での臓器提供事例に係る検証を行う上で臓器提供者等の個人情報を保護するためのものであって、やむを得ない範囲のものではないかと思っております。

 以上のことを考慮すると、検証会議の現在のあり方については、公平性、透明性の観点から特に問題があるとは考えておりません。

郡委員 ありがとうございます。

 〇六年の五月に脳死判定された五十代の男性患者の脳波記録が、これは現行法で五年保存しておくことが義務づけられているんですけれども、紛失したとして、これは金沢大学でのことでしたけれども、医療関係者らがこれを告発いたしました。それで、大学内に調査チームが設けられましたけれども、結果、記録の紛失の再発防止に努める、しかし脳死下での臓器提供は一切問題はなかったというふうにされました。

 この案件は検証会議でも取り上げられまして、〇八年の二月八日に報告書が公表されております。これなんですけれども、検証会議に出された資料というのは、予備的脳波測定時、つまり臨床脳死の状態であって、法的脳死判定の前に判断した記録が出されているんです。法的脳死判定の脳波記録がどこからも出てこない中でこうした評価がなされるということに対して、疑念が持たれてもしようがないんじゃないだろうかというふうに私は思っております。

 また、先ほども冨岡委員からもお話ありましたけれども、原則非公開というふうなことが多くて、これも問題があるのではないかと私は思っております。

 C案の提出者に、この検証会議のあり方について何か御見解があればお尋ねしたいと思います。

阿部(知)議員 御質問ありがとうございます。

 今回の改正案の審議に際して、十二年たっているわけですから、実は一番大事な原点は、実際はどうであったか、すなわち検証にあると思います。

 郡委員も御指摘ですが、この検証会議のメンバーにはドナーとなられる方の御家族あるいは御遺族は入っておられません。例えば日本では交通事故などでドナーになられる、御家族になる、御遺族になるわけですが、私は、公平性の観点からいってもレシピエント側だけでなくてドナーサイドの、先ほどはドナーのケアにかかわる方というふうに言われましたが、やはり当事者性は大事であると思うものであります。なぜならば、ほとんどのドナーサイドの偽らざる思いは、一体どこまでちゃんと治療されたんだろうかということ、これは生存権、治療権にかかわりますが、その部分の検証が極めて、検証会議に発表されているデータ全部に目を通しましたが、手薄であると私は思います。

 その中には、おっしゃったように脳波記録が金沢大学で保存されていなかったり、あるいは三十例目はCTすら撮られておりませんでした。CTすら撮っていなくてよく脳死というふうに判定できたなと思いますし、そうしたもろもろ、一つ一つ事案を挙げればガイドライン違反あるいは施行規則違反の数々がございますが、現状の検証会議ではそれも問題がないとされております。私は、この辺は改善の余地が大いにあろうかと思います。

 そして、もう一点大切な点は、公表、透明性のことでございます。

 この検証会議では、これまで八十一例行われた臓器移植、脳死下での臓器提供に関して、現在、四十八例目までの検証をいわば終わっておって、これからまだ数例が出される予定でありますが、その四十八例中、実は十四例は公開されておりません。すなわち、四十八例検証したものを、本来は公に国民に対して示されるもののうち三分の一近くが非公開、非公表である。例えば五例目は、原因になる疾患についても公表されていない。

 それらがすべて御家族のプライバシーの保護だというふうな形で言われておりますが、これは、今般WHOのガイドラインの、指針の改正の中でも、原則十一のところで、透明性こそが大事で、公開ということを最大限追求すべきであると。何も個人の名前を出せということではありません。どんな疾患で、どんな治療を受けて、そして臓器移植になっていったかということの透明性と公開性を求めるというのがWHOの原則十一であります。それから見ても、日本のこの非公開性は格段におくれております。

 そして、加えて言えば、検証会議にかかわる事務方のメンバーも年々少なくなっております。すなわち、検証会議は識者を集めて行うわけですが、そこに、もとを出す厚生労働省側の移植対策室の陣容もあろうかと思います。このたび、皆さんが移植をふやせ、ふやせとおっしゃいますが、では検証がどのように追いつくのか。スタッフは一々データを集めて、これは本当に綿密な作業となるわけですから、そのあたりも含めて、移植対策室の体制整備というものも追いついていないのではないかと懸念いたします。

 今だと、大体年に二回のペースで検証会議がいろいろな人を呼んで行われますが、到底追いつきません。八十一例中、まだ検討の途上が五十五例ということであります。

郡委員 ありがとうございます。

 私も、この検証会議の透明性、情報公開の大切さというのが今回の、移植をふやしていく上での大前提になるんじゃないだろうかというふうに思っているところです。今いろいろお話ございましたけれども、臓器移植に関する情報について内閣府の調査を見ましても、「臓器移植に関する情報を十分得ているかどうか」という世論調査では、「そう思わない」と答えている人が平成二十年でも八二・九%にも上っている。このことは大きな問題だというふうに私は思っております。

 次の質問です。A案の提出者に伺わせていただきます。

 親族優先規定の対象範囲ですけれども、これについて先般の審議の中で、親子と配偶者に対しては親族の優先を認めるということで、かなり厳しい枠を設ける、それ以上広げることは公平性の観点から現在では余りよろしくないと考えると答弁していましたけれども、法案には何の規定もないんですね。ただ「親族」とあるだけです。御承知のように、民法では親族というのは、血族六親等、それから配偶者と姻族の三親等であります。

 これはガイドラインに盛り込むということではなく、法案にしっかりと書き込むべきだと思いますけれども、いかがでしょうか。

山内議員 現行の臓器移植法にも家族や遺族といった文言が出てきますが、具体的には、ガイドラインで家族や遺族の内容を定めております。

 これに倣いまして、親族への優先提供に関する規定についても、法律上は「親族」と規定し、具体的な内容はガイドラインで定めるのが適当だと我々は考えております。現行法の体系に沿った形にさせていただきました。

郡委員 続けて親族の優先規定ですけれども、これはドナーとなる本人の意思が必須のようであります。これは、そもそものA案の皆さんたちは、家族の同意で法的脳死判定そして臓器移植を許すということですから、家族の同意でいいのではないかと思いますが、いかがですか。

山内議員 親族への優先提供は、生活をともにする中で強い信頼と情とをはぐくんできた家族には少しでも長く生きていてもらいたいと願う、人が持つ自然の心情に配慮しつつ、臓器移植の公平性の原則に極力抵触しないような仕組みにする必要があると考えております。

 家族の同意でよいとすれば、優先提供の範囲が広がることとなってしまい、公平性の原則の観点からは問題が大きくなってしまい、適当ではないと考えております。したがって、家族同意で足りるとは考えておりません。

郡委員 とすれば、その点で、A案というのは、最も重要な死ということについての判断は家族でできるけれども、提供の優先は家族では決められないということになります。一貫性がないというふうに指摘をさせていただきたいと思います。

 A案は、本人の意思が不明なときでも家族の承諾で臓器提供ができることになるわけですけれども、しかし、本人の同意なしに献体をすること、あるいは本人の意思がわからないのに、例えば墓への納骨ではなくて、海や山への散骨をすることを決めてよいとする国民的な合意というのはなされているのでしょうか。臓器移植もそれと同じではないかと私は思うのですが、いかがでしょう。

冨岡議員 お答えいたします。

 献体や散骨は、これらを取り巻く状況やそれぞれの経緯を踏まえて行われていると理解しております。

 他方、臓器移植については、現行法の制定から十二年の間に、生前の本人の意思がない限り死体から臓器の摘出を認めないこととなっているため、臓器の提供の件数が非常に少なくなっているほか、小児については、国内で移植を受けることすらできない状況であるため、海外に渡航して移植を受けるケースが後を絶たず、また生体間移植も多く行われているという問題が指摘されております。

 また、脳死臨調の最終答申においても、近親者が諸般の事情から本人の提供の意思を認めているときには臓器提供を認めてよいものと考えるとされているし、内閣府が平成二十年に行った世論調査でも、本人の意思が不明な場合に臓器提供を認めてよいとすることについて、約六〇%の人が賛成しております。

 このようなことから、臓器移植に関しては、家族の了解で脳死判定、臓器移植ができるということについて国民の理解が広がっているものと考えております。

郡委員 私は、自己決定という基本的な人権というのは死後も続くものだというふうに思っております。だからこそ、死体損壊というのが罪になるものだというふうにも思っているわけです。

 時間がなくなってしまいました。実は、日本では各国と比べて生体移植が大変多い。このことについても問題意識を持っておりまして、きょうお配りした資料もあるんですけれども、それに対してルールが全くないということ、これが我が国での脳死臓器移植の増加につながっていない遠因にもなっているのではないかというふうに私は考えているということを申し述べさせていただき、そして、なお慎重な審議をさせていただきたいということをお願い申し上げて、質問を終えたいと思います。

 ありがとうございました。

田村委員長 次に、川内博史君。

川内委員 川内でございます。

 二回目の質問をさせていただいて、心から委員長や理事の先生方に感謝を申し上げさせていただきたいというふうに思います。

 私は、前回に引き続いて、脳死が人の死であるということについて、まだ理解できないというか、納得できないというか、よくわからない部分がございます。

 昨日、新聞に、A案提出者である河野太郎さんが集会に出席をして、移植に関してのみ、移植に限定して脳死は人の死となるのだ、法的脳死判定というものが行われるのだというふうにおっしゃっていらっしゃるわけでございます。それは、法的脳死判定という、国民の皆さんには法的脳死判定という言葉は何かよくわからないと思うんですけれども、そういう言葉を使いながら、脳死は人の死、それは移植に限定されるのだというようなことを御説明されていらっしゃるわけでございます。

 では、六条二項の「「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」という、「その身体から」から「なる者であって」というところまでをA案改正案ではなぜ削除したのかということの意味がどうしてもよくわからないんです。

 そこで、きょうは衆議院法制局に来ていただいておりますので、臓器移植法改正案A案において、六条二項の今私が申し上げた部分、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」という部分を削除している、この削除した場合と削除しなかった場合の違い、何がどう違うのかということについて厳密に教えていただきたいというふうに思います。

岡本法制局参事 お答え申し上げます。

 委員お尋ねの趣旨というのは、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」という文言を削除することによって、臓器摘出の場合以外の場合にもこの六条二項の規定が適用されるということになるのではないかというお尋ねではないかと思います。

 そもそもこの臓器移植法というのは、たびたび今までも答弁ございますように、臓器移植に関連して、脳死判定や臓器移植の手続等について定める法律でございまして、臓器移植の場面以外の場面について、一般的な脳死判定の制度や統一的な人の死の定義を定めるものではございません。この趣旨というのは、現行の臓器移植法が制定された当時の国会審議でも、たびたびこの点は答弁されているところでございます。

 それから、もう一つコメントをさせていただくとするならば、この六条二項の条文の書きっぷりでございます。

 特に主語に御注目をいただきたいと思うんですが、この六条二項の主語は、「前項に規定する「脳死した者の身体」とは、」というようにここのところは書かれております。つまり、「前項に規定する「脳死した者の身体」とは、」ということでございますので、六条一項、つまり、臓器摘出がどのような場合に認められるかということについて書きました規定の中の「脳死した者の身体を含む。」そこの「脳死した者の身体」とは何かということについての定義づけというのをしているものでございます。あくまでもその範囲を出るものではございません。今回のA案も、ここの点の文言を削っているわけではないわけでございます。

 以上のことから、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」という文言を削除したといたしましても、この定義規定が適用される範囲というのは、これは臓器移植の場合に限られる、このことは、これはA案が仮に成立いたしましたといたしましてもこの点は変わらないというように考えております。

川内委員 あってもなくても同じなのだと。

 同じだと今おっしゃったんですかね。ちょっと確認させてください。あってもなくても同じだとおっしゃったんですか。

岡本法制局参事 お答え申し上げます。

 このところの文言を削除いたしましても、この定義規定が適用される範囲というのは、これは臓器移植の場面に限られるということでございます。

川内委員 この文言が入ったのは、参議院で修正されたというふうに聞いております。その入った理由は、もちろん臓器移植に関連して、死体とは何ぞや、脳死とは何ぞや、脳死した者の身体とはどういうものかということを定義している、しかし、それでは一般的に脳死が人の死ということにされてしまって、死に対する、あるいは脳死に対する国民的な共通の理解がない中で、一般的な規定としてひとり歩きしてはまずいよねということで、臓器移植、移植術に係るという限定をつけましょうということで入ったというふうに聞いております。

 そうすると、今の法制局の御答弁は、私はそのとおりだろうと思いますよ。この臓器移植に係るものについて、その身体から、脳死した者の身体というのを定義するんだというのは、そのとおりだろうと思います。しかし、本改正案が出されていることの立法事実は、再三この委員会でも出ているとおり、臓器移植法があります、成立しました、運用されてきました、しかし、なかなか移植が進みませんね、移植が進んでいきませんね、では移植医療を進めるために法改正しましょうねということになっているわけですよね。そこで四つの案が出てきている。

 だから、自分が、あるいは遺族が移植にかかわるんだという明確な意思を持っていなくても、全くそういう意識がなくても、この六条の二項で限定がかからない、脳死が人の死だと一般的に定められることによって、意識していない人も、先ほど根本先生が御答弁されていましたけれども、臓器移植にかかわらざるを得ないところに巻き込まれていくのではないかという懸念が相変わらず残るんだろうというふうに私は思うんです。

 だったらば、A案の提出者にお聞きいたしますけれども、この限定を私はかけておくべきだというふうに思っているんです、かけておくべきだと思っております。では、A案提出者として、あってもなくても同じだというのであれば、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」というものをしっかりと残しておくというふうにされたらいかがかというふうに思いますが、いかがですか。

冨岡議員 委員の御質問にお答えいたします。

 脳死臨調の最終答申においては、脳死は人の死であるということについておおむね社会的に受容されているとされており、提出者としては、脳死は一般に人の死であるという考え方を前提としてこの改正案を提出しているのは、先ほどから説明しているとおりでございます。

 提出者の意思としては、脳死した者の身体の定義についてもこのような考え方にふさわしい表現となるよう、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」の文言を削除したものであります。

 この臓器移植法が平成九年から施行されて、臨床の現場ではどのようなことが起こったかと申しますと、最初危惧されていた、人の死というものの定義がこの脳死ということをもってされるんじゃないか、そういう議論が随分ありました。でも、現場では、この臓器移植法に関してだけ法的脳死判定をされ、二回目の判断をもって死とされます。したがって、仮に今回このような法案が通っても、あるいは年齢を広げたとしても、現場が混乱することはないものと私自身は考えております。これは、前回と同じようなことが言われるものではないかと理解するわけであります。

 今回のこの法律を提案した一番の目的は、先ほどからいろいろ議論はありますが、人の死というものを定義する、これも大変重要なものだと考えますが、そうではなくて、十五歳以下の人たちの命を助けるため、あるいは、十五歳以下の臓器移植を必要とする人たちの生きようとする権利が保障されていない、そういう点を解消しようとする法律であります。これを間違えないように、委員、御理解いただければと思います。

川内委員 今先生がおっしゃることはだれも否定しないと思います。助けられるべき命を助けなければいけない。そして、助けられるべき命をみんなで助けていこう、救っていこうというのは、だれも否定しないし、むしろ、そうですね、それはみんなで考えていきましょうねということだろうと思うんですね。だからこそ、四つの案をみんなで議論しているわけですよね。

 そういう中で、移植医療は進めなければならないが、しかし、だからといって、言葉の使い方や定義をあいまいにしてそれを進めることがあったら、今度は違う部分で弊害、あるいは被害、あるいは間違いというものが起きてくるのではないかということをきちんと議論しておく必要があるからこそ議論するわけですよね。

 脳死臨調で脳死は人の死であるということがおおむね受容されているというのは、それこそ脳死臨調が言っているだけの話で、国民的にそれが、そうだねと、一億二千五百万人の国民の皆さんがそうだそうだと言ったわけじゃ全然ないですよ。それを前提にしているというのは、まさしく、この限定を外すことが臓器移植法の中だけの話なんですというロジックと全く同じなんですよ、ロジックとしては。脳死臨調が言っています、臓器移植法の中でこうしているんですというロジックでは、私は、後日、後年、国民的批判に耐えられないのではないかというふうに思います。

 では、この文言を残すと何か不都合なことがあるんですか。

冨岡議員 お答えいたします。

 法律上の効果という点からすれば、臓器移植法に定められている規定である以上、この文言を残しておいても、削ったとしても、臓器移植に関する定義であるという点で同じであり、何か不都合なことが起きるということではないと心得ております。

 ただし、脳死臨調の最終答申においては、脳死は人の死であることについておおむね社会的に受容されているとされており、私たち提出者としては、脳死は一般に人の死であるという考え方を前提としてこの法律案を提出しているということは、何度も申し上げているところであります。したがって、提出者の意思としては、脳死した者の身体の定義についても、このような考え方にふさわしい表現となるよう、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」の文言を削除したものであります。

川内委員 持ち時間が来ましたのでこれで終わりますが、法的効果は同じだが、しかしその文言を外すことによる臓器移植法以外に及ぼす影響というものは私は非常に大きなものがある、よく考えなければならないというふうに最後申し上げさせていただいて、終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

田村委員長 次に、高橋千鶴子君。

高橋委員 日本共産党の高橋千鶴子です。

 前回、四法案に対して、提出者に対する質疑が初めて行われて、きょうが二回目でありますけれども、多くの問いを残したと思いますし、また、議員立法とはいえ、詳細なことは条文にはなく、多くは政省令やガイドラインにゆだねなければなりません。そうした点でも、我々が、そうした点に対して国会の意思はどうなのかということをよく議論し煮詰めていくということがまだまだ必要なのではないか、そういうふうにまず最初にお話をしておきたいと思います。

 きょうも依然として、脳死は人の死かということが議論をされておりました。もう答弁が繰り返しされてあるように、脳死は人の死であるというのがA案の前提ではあるけれども、それが脳死判定に入れない臨床的脳死の患者さんやあるいは長期脳死の患者さんに影響を与えるものではないのだという答弁であったかと思います。

 この点で法制局に確認をしたいと思うんですが、簡潔にお願いします。

 六条一項において、死体(脳死を含む)とあるのは、法的脳死を指すということでよろしいか。また、脳死判定に入らない臨床的脳死の患者あるいは長期脳死の患者に対し一切の影響を与えないという説明が条文上担保されているのか。

岡本法制局参事 お答え申し上げます。

 現行の六条二項の書き方でございますけれども、「前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。」というように書いてございます。そして、三項で「臓器の摘出に係る前項の判定は、」次のような形で行うということになっておりまして、ここの「判定」というのは、これはいわゆる法的脳死判定、このように考えております。

高橋委員 影響を与えないということは条文では明確にはされていないと思うんですけれども、そういう法律であるという答弁であったかと思うんです。

 しかし、先ほど来、川内委員も繰り返し述べていらっしゃるのは、前提として、脳死は人の死である、こういうものに立っているわけですから、やはり社会的には死んだということなのよというふうな認識になってしまえば、やはり長期脳死の子供さんを抱えている家族など、その存在自体が否定されるのではないか。いわゆる社会的に否定される、このことに対する不安、これを払拭するものではやはりないと思います。

 また、前提として死であるということがもうまずコンクリートされていますよ、その上で拒否するか否かはあなたの自由ですよということで、家族にその判断が迫られるという点では、やはりそれは家族の判断においても大きく影響を与えると思います。その点についていかがでしょうか。A案の方に伺います。

山内議員 何度も繰り返しになってしまいますが、脳死臨調の最終答申では、脳死は人の死であるということについておおむね社会的に受容されているとされております。

 また、報道機関が行った世論調査によれば、脳死を人の死と判定してよいかという問いに対して、約五九%の人が賛成しているのに対して、反対という方は約二〇%程度にとどまっております。また、内閣府の世論調査等を見ましても、脳死が人の死であるということに対しては、六割程度の方が賛成しているというケースがあります。

 以上のようなことから、脳死は人の死であるということについておおむね社会的に合意が形成されていると考えております。

高橋委員 おおむね合意がされているということの根拠は後で聞く予定でありましたが、それについて今の答弁がございました。

 私が伺いたいのは、仮に、おおむね合意がされている、社会的にそういう状況が生まれたとしても、それが前提であるということが法律に書かれてしまった場合、脳死は人の死であるということが書かれてしまった場合、社会的に長期脳死の子供さんを抱えた家族が否定されることになるのではないか、あるいは、臓器提供の意思を確認される現場に影響を与えないかということに関して十分な議論が必要なのではないかということです。その点についてのお答えがなかったと思います。

冨岡議員 先ほどちょっと現場の話をさせていただいたんですが、平成九年にこの法案が通ったときに大変危惧したのがそういう点でございます。

 ところが、脳挫傷を起こした患者さんが救命救急センターに来てどういうことがされるかというと、まず救命措置がされ、そして脳が非常にダメージを受けた、そこで初めて臨床的脳死判定をします。家族が幾ら、法的脳死判定をしてくれ、臓器移植は嫌だけれども、してくれと言っても、それはその作業の中に入ることはできません。つまり、そこで法的脳死判定をして死亡宣告をするということは不可能であります。それは殺人になってしまいます。

 同じように、臓器移植に入った場合には法的脳死判定の作業に入るわけでございますけれども、それが例えば一回目で法的脳死判定が成立したとしても、そこには二人の医師の厳密な判定者がございますし、また、六時間たってもう一度判定をするようなそういう作業が待っております。したがって、患者さん自身にしても、深昏睡の状態でありますけれども、家族が、一回目の法的脳死判定をなされて二回目に移る間に、もうやめてくれと言われた場合は、そこで作業を打ち切り、深昏睡のままで生存しているということになります。

 私が何を申し上げたいかと申しますと、臓器移植の場合にのみこういった脳死判定が行われ、死の定義にいたしましても、三徴候をもってする、そういった死の定義がおよそ九九・九%程度で行われているという現状を十分認識していただければと思っております。

高橋委員 もちろん、やめてくれと言う権利を持っているというのは十分承知をしております。

 私がお話ししたのは、脳死判定を家族が許諾するその時点で、社会的にもう合意がなされているんです、脳死は人の死ですから判定して、多分そうなりますよということになっては困るということを言っているんです。それはもうやり返しません。それは厚労省の委託研究の中でも、ドナー家族がそこに至るまでのどれだけ長い時間を要したかという研究もされておりますし、もっともっとそのことが議論をされていいのではないかということを提起しておきたいと思います。

 先ほどお話があった、おおむね合意がされている、この中身でありますけれども、脳死臨調がそういう報告をしたからといっても、それからもう十数年たち、第二の脳死臨調が必要ではないかという議論がされているときであります。

 昨年の内閣府の世論調査で、提供を認めるか否かは家族の判断にゆだねるべき、家族の判断にかかわらず認めてよいが、合わせて六一・六%、あるいは、十五歳未満の臓器提供をできるようにすべきだが六九%であるということを言って、根拠にされているかと思います。しかし、三割は依然として、認めるべきではない、あるいは、本人意思としてどちらとも言えないと答えていることも事実であります。ここを、単におおむねという言葉でくくってよいのかということが問われると思います。

 現行法にある、第二条、個人の意見を尊重するという条文は、一切A案においてもさわっていないわけです。だとすれば、今意思を表明できないといういわゆる消極的な拒否、これをどう尊重していくのか、伺います。

冨岡議員 お答えします。

 提供したくないというのは、十分に意思として尊重されているものと私たちは考えております。

高橋委員 だから、どうしてそれは担保されるんですか。意思が表明されない場合は家族が許諾してよいという法律なわけですよね。

冨岡議員 それは、子供さんであれば、そんたくをし、家族がその子供の気持ちをもって臓器提供を許諾するようなシステムを私たちは考えております。

 この点につきましては、よく解剖体、献体ということがございまして、臓器移植法の場合には、亡くなられたお子さんの利益にならないんじゃないかという考え方があって、利益にならないのならやってはいけないのじゃないか、親御さんでも御両親でも、してはいけないのじゃないかという考え方がありますが、私たちはそうは思っておりません。

 すなわち、両親が子供の生前の意思をそんたくし、推しはかり、そしてそれを提供していくという考え方、これは解剖の場合にも全く一緒で、現行でも、例えば二歳で非常に難しい病気で亡くなられた方などはどうされているかというと、何とか子供を生かすことができなかったのか、その親の気持ちでもって、子供から得られるものを医学的に役に立たせてくれということで、解剖をお受けすることがございます。

 そういう意味で、この臓器移植法改正法案も、私たちA案提案者としては、そういった御家族の気持ちを、そんたくという言葉を使っておりますが、推しはかって、やれる道を開いたわけであります。

高橋委員 そんな質問はしておりません。私は、別に子供のことを聞いたわけではないんです。A案は、大人でさえも、本人の意思が明確でない場合、家族が書面で承諾をすれば認められるということですよね。だから、本人の意思が表明されていない、それは消極的拒否とも言えるのではないか、そこの尊重が、個人の意見を尊重するといいながら盛られていないのではないかということを指摘しています。

 ちょっと時間がないので、もう一度聞きますので、次に行きます。

 政府に伺います。

 臓器提供意思表示カードは、一億二千万枚以上配布され、八百万人が所持をしていると言われています。まだまだ少ないということが課題になっているわけですけれども、一昨年三月から運用を開始した臓器提供意思登録システムにおいて、登録されている人数と、そのうち、拒否の意思が登録されている方は何人。お願いします。

上田政府参考人 社団法人日本臓器移植ネットワークによりますと、臓器提供意思登録システムの登録について、平成二十年度末現在、累計登録者数が四万三百七十六件でございますが、そのうち、臓器を提供しないという意思が登録されているのは四百八十八件でございます。

高橋委員 非常に興味深い数字だと思うんですね。本当にまだ四万三百七十六件と少ないけれども、みずから提供したいということを。前回、小委員会でちょっと議論があったんですけれども、カードを書いたんだけれども持っていない人がほとんどであると。しかし、あえて提供したいということを積極的に意思表示をしている方が登録という形で四万人を超えているということ。一方、拒否している方が四百八十八件、これは非常に少ないけれどもあるんだということは非常に興味深い問題ではないかなと思うんですね。

 ですから、この間議論がされてきたのは、ドナーカードの普及はもうなかなか限界であるとか、臓器が足りない、不足している、海外へはもう行っちゃいけないんだ、そういう議論がされて、だったら、意思を聞かなくても家族がよしとすればふやすことができるのではないか、そういう理屈ではやはりうまくないんだろう。それは、子供の問題はまた別な角度で考えなきゃいけないんですけれども、しかし大前提として、やはりそうした意思を示す、拒否も含めて意思を示すということ自体をもっとふやしていこうということがあってしかるべきだと思いますが、A案の方にもう一度伺います。

冨岡議員 どのようにふやすかという話だと思いますけれども、臓器提供については移植コーディネーターがドナー、レシピエント間の調整を行っており、具体的には、臓器提供候補者の医学的な評価、家族への臓器提供に関する情報提供等を行っております。

 現在、臓器移植ネットワークに所属する臓器移植コーディネーター約二十名と日本臓器移植ネットワークから委嘱を受けた都道府県コーディネーター約五十名が活動しておりますが、さらにその人員等を拡充する必要があると考えております。

 また、今後、移植コーディネーターに係る体制がより整備されることにより、地方における受け皿の確保や人手不足の解消が図られることを期待しております。

 また、なお、これはA案としても、運転免許証とかあるいは保険証、将来的には社会保障カード等にそういった臓器提供に関する事項を書き込めるような、そういった制度を整備したいというふうに考えております。

高橋委員 親族の優先提供について、A案、B案の方にそれぞれ伺いたいと思います。

 六条の二でこの問題が盛り込まれているわけですけれども、その前提である第二条、「必要とする者に係る移植術を受ける機会は、公平に与えられるよう配慮されなければならない。」この点に関しては一切変わっていないわけです。それとの整合性が問われないかということが一点です。

 公平性について問題があり、家族に対する心理的圧力になったり、よしんば自殺や養子縁組など付随した問題が起きないのかという危惧を感じますが、これらについて両案の提案者に伺いたいと思います。

山内議員 移植の公平性についての御質問にお答えします。

 現在、臓器移植を望む患者さんは、血液型が適合するか、医学的に緊急度が高いかなど、臓器ごとの詳細な条件に照らして優先順位が決められております。親族への優先提供の意思表示を認めることは、こういう従来の優先提供のあり方を変更するものであり、公平性の原則に反するという御批判があることは承知をしております。

 ただ、公平性の原則が大事だということはよく理解しつつも、やはり自分の臓器は身近にいる親族に提供してもらいたい、そういう声が強くあることもまた事実であります。生活をともにしていく中で強い信頼と情をはぐくんできた家族には少しでも長く生きてもらいたい、そういうふうに願うことは人が持つ自然の感情として十分理解できると思います。そして、こういった感情というのは、移植医療がよって立つ人道的精神の根幹にかかわるものであり、考慮されてしかるべきではないかと思います。

 また、本人意思の尊重という立場からすれば、自分の臓器の提供先の指定がいかなる場合にも認められないというのはやや硬直的過ぎる考え方ではないかと思います。

 さらに、親族への臓器提供の意思表示を認めたとしても、これが臓器移植の公平性の原則を根本から否定するほど重大な影響を及ぼすほどの数に上るとは考えられません。

 したがって、親族に対する優先提供の意思表示は、強いきずなで結ばれた家族として自然に持つ感情への配慮を理由にこれを是認するのが適当であると考えております。

 ドナーになることへの圧力ということに関しては、御懸念はごもっともだと思いますが、普及啓発活動などによって国民が移植医療に対する理解を深め、適切な移植医療が行われるようにすることによって、そういった圧力に対しては対処していくことができるのではないかと思います。

 公平性の原則は大事だと思いますが、親族に限っては例外として認めることができると考えております。

石井(啓)議員 B案におきましても親族への優先提供の項目があるわけでございます。

 これは、やはり自分の臓器は身近な親族に提供したい、そういう自然な感情を尊重するというものでございますけれども、これがそうそう頻繁に行われるというふうには思いませんので、公平性の原則を崩すほどのものには、重大な影響を及ぼすことにはならないというふうに考えております。

 これがドナーになることへの圧力になるのではないかということでございますが、A案においては本人の意思が不明な場合でも家族の判断によって臓器提供が可能になるということですから、親族への優先提供ということがあると家族の判断にいろいろな影響を及ぼすのではないかということであろうかと思いますが、B案におきましては、あくまでも現行法の本人意思尊重、これを厳守しておりますので、したがって、本人の意思に反して家族がこれをやるということはあり得ません。そういった意味で、B案については御懸念は全く無用でございます。

高橋委員 ありがとうございました。

 公平性の原則ということに対して、頻繁でないからとか、まれであるから大丈夫であろうということではなかなか片づけられないのではないか、これはやはり生体間の移植とは一線を画すべきであろうということを指摘しておきたいと思います。

 そこで、大臣に伺いたいと思うんですけれども、やはりどうしてもまだまだ議論が足りないなと思うのは、救急救命の議論がどうしても置き去りにされがちではないかということであります。脳死のような状態が起きるような現場で、救命救急がまず大前提であるということは間違いないと思うんですが、しかし、そうなっていない現実があるのではないか。

 例えば二〇〇二年の厚生労働科学研究、救命救急センターにおける重傷外傷患者対応の充実のための診療実態調査の研究というものがございますが、救命救急センターでの外傷死亡症例のうち、適切な診療をしていれば救命できた可能性が高いケースが約四割存在すると言われています。診療成績には大きな施設間の格差があり、六五%以上の確率で救命できた可能性がある非常に問題がある施設が八施設あったというのが厚労省の研究の指摘であります。

 この問題については、交通事故の遺児の家族の会なども、本当にそこに対しての疑念がどうしても払拭されないということがあるわけであります。

 その課題については否定をされないと思うのでありますけれども、改善方について、大臣、どのように取り組んできたのか、取り組んでいくのか、伺います。

舛添国務大臣 救急医療の重要性、それは今委員がおっしゃったとおりで、まず命を救う、これが大前提であります。そのための施策をこれまでも、昨年度の二次にわたる補正、そして今年度の本予算、そしてまた今回の補正で医療体制の整備ということを行ってきたところであります。

 とりわけ、その中で、小児の救命が少しおくれている。先般、これは阿部さんからだったか、PICUの話がありました。これは、十八年度から重篤な小児患者に対する財政的な支援を行っているわけですけれども、特に専門家の間でも検討会を開いて、ちょうど先日検討会が終わったところなんですけれども、やはり発症直後に小児の救急患者を救うために、超急性期の救命救急医療を充実する、それからその次の急性期、この集中治療、専門的な医療の提供というようなこと、こういう取りまとめをいただいております。

 とりわけ、PICUの整備を含めて、今後さらに、命を救う、とりわけ今、小児の命を救うことに若干おくれをとっておりますので、全力を挙げてまいりたいと思っております。

高橋委員 先般、阿部委員からPICUの不足の問題が指摘をされました。

 また、今大臣が紹介された検討会の中間まとめが行われたわけですけれども、例えば三月四日の第一回の委員会では、順天堂大学浦安病院の山田、田中両先生が提出した資料の中でも、新生児死亡率が世界一低いのに対して、幼児の死亡率が二十一位となっているその理由の一つに「不慮の事故への対応のまずさがある。」として、「小さな施設で十分な集中治療を受けることなく亡くなっている。」こういうことが指摘をされたと思うんです。その点では、まだまだ、救命救急センターの場合、小児救急専門病床が六施設、十九床しかない、小児専門病院の中の小児集中治療室は十五施設、百六十床にすぎず、非常に少ないということがあるかと思います。

 大臣はその決意を述べられたわけですけれども、しかし一方では、そういう集中治療室を備えると同時に、二次救急の整備、後方支援というのがやはり大事だと思うんですね。例えば、全国の小児在宅人工呼吸患者が千六百名、長期人工呼吸患者が八百名あると言われています。慢性期にある小児患者への医療提供体制も確立していかなければならないということが指摘されているんです。

 つまり、今、少ないベッドの奪い合いになっている。小さい次に来る命を救うために転院を迫られるということも現実に起きている。当然、ここもあわせて整備をしなければならないと思いますが、局長でよろしいですが、答弁を一言。

外口政府参考人 御指摘の重篤な小児患者に対する救急医療体制の検討会の中で、先ほど大臣から申し上げましたような小児集中治療室、PICUの確保策について答弁ございましたけれども、このほかにも、小児救急患者の搬送と受け入れ体制の整備、そして、発症直後の重篤な時期、超急性期の救命救急医療を担う体制の整備、さらには、急性期の集中治療・専門的医療を担う体制の整備、この中で、超急性期から慢性期までを一体として整備すべき、こういう御提言をいただいておるところでございます。

 こういった専門家の先生方の現場の御意見を踏まえながら、必要な対策を検討してまいりたいと考えております。

高橋委員 私が危惧をしているのは、小児救急の現場が大変な実態になっている、こうした中、小児の臓器移植が可能となったとしても、現実には、期待を裏切り、現場の混乱をもたらすのではないか、ここに対する議論がやはり必要なのではないかと思うんです。

 それで、端的に伺いますけれども、今指摘をしたような小児救急の現場で対応する専門病院などが臓器移植の現場となっていくのではないかと考えられますが、そうした一定の専門の施設を備え、また、臓器提供できる指定病院であり、かつ倫理委員会を備えているなど、そうした条件をクリアして、子供の脳死判定あるいは臓器提供に対して一定対処できるであろうとされる施設は一体どのくらいあるでしょうか。

上田政府参考人 現在、脳死された方の身体からの臓器提供について、いわゆるガイドラインにおいて、高度の医療を行う大学附属病院などの医療機関、四類型施設に限って実施ができるようになっておりますけれども、現在、九月末現在で、このような脳死下での臓器提供施設として必要な体制を備えていると回答している施設が三百三十八施設でございます。この中で、小児の救急なり小児のそういう治療体制が十分整っている施設がどれだけあるかについては、ちょっと私どもで現在把握をしておりません。

高橋委員 今のお答えは、現在把握をしておりませんということでした。もちろん、決定をしていない中ですから、しかし、仮定の条件を入れた上でいうと、昨日担当課からいただいた数字は一つであります、子供の脳死に関して。

 ですから、私が言いたいのは、本当に子供の移植が可能にできるような状況を開きたいという気持ちは、だれもがそれはわかるわけであります。しかし、法律が改正されて一遍に進むのではないのだ、そこに大きな期待と失望が、そして大混乱が起きるようでは、本当に現場が破綻する。そういう点では、条件を本気で整備をしていきながら、そして本当に、国民的合意、あるいはドナーカードの問題やドナーの家族の問題、これらをクリアしていくということがやはり必要なのではないか。そうした点でまだまだ議論が必要であるということを重ねて指摘をして、終わりたいと思います。

田村委員長 次に、阿部知子君。

阿部(知)委員 社会民主党の阿部知子であり、C案の提案者でもあります。

 まず冒頭、ちょっと質疑の関係で委員長にお願いがございます。私の一問目は、できれば、この長い脳死論議の中で、平成六年に当初出された中山案というものがございまして、それから、先ほど来話題になるこの法律、現下の法律ができ上がった平成九年のときの提案者でもある中山先生にぜひいていただきたいんですけれども、いかがでしょうか。来られるまで待って、やれる部分はやりますから。でも、私の時間は三十分ですので。

 それから、前回私が質疑をして十分な御返答を得ていません河野先生についても、私は、質問を投げるときに指名をするのは失礼と思いますから、再度という言葉をつけて質問を投げたわけです。御答弁席におられません。そこで、大変申しわけないのですが、福島先生にお戻りいただきまして、本当にこういう逆指名は恐縮と思いますが、私は先ほど来の法制局の答弁であきれているわけであります。そのあたりも含めて、経緯をしっかりと御存じの方に御答弁をいただきたいと思います。福島先生には、ありがとうございます。中山先生が来られたら、追ってまたお尋ねをいたします。

 皆様のお手元に、私が「臓器移植法成立までの法案等の変遷」というもの一枚を配らせていただきました。どなたもお持ちの「脳死、臓器移植等に関する資料」、調査室の作成したものの一ページをとらせていただきました。これが、今日ただいまある、私どもの現行法といたしております法案の出生の経緯といいますか、今日ここにでき上がった経緯が一番よくわかるものと思います。

 実は、平成六年の四月に旧中山案が提案されて、これは森井案とも申しますが、これは脳死臨調を受けて、脳死は人の死である、臓器摘出は、本人の書面による意思表示、プラス、本人意思が不明のときは家族の書面。これは、いみじくも現在A案となっておりますものと同じと理解されます、骨格において。多少の違いがあれば、後で御説明をいただきます。

 そして、これに対して実は、平成八年の六月十四日、修正が一回かけられました。ここで、家族の書面による承諾で可能とすることを削除いたしました。この削除に至る理由は、やはり御本人が表明されているということが第一であろうということで一たん削除されて、それがさきの国会で審議された中山案となるわけです。修正中山案と呼ばせていただきますが、これが再提出後の中山案であり、一応衆議院で可決されて、参議院で現行ある形になりました。

 なお、衆議院での審議のときには、今回の私どもの提案者である金田誠一さんが提案されて、金田案となっているわけであります。

 旧中山案から新中山案というか一度修正された中山案の大きな違いは、先ほど言いました、家族の書面による承諾ということを削除いたしました。そして、削除した段階で、基本的に移植は御本人がそう望まれるということを前提に、脳死を死とするか、あるいは死とせず、違法性の阻却で、死んではいないんだけれども提供していただくかということで論議が行われ、そして、結果的には参議院でさらに修正を加えられて、この中山案であっては、臓器移植以外の場面に影響が及ぶことが考えられる、脳死は人の死としても、それが移植以外の場面に影響が及ぶことが考えられるから、脳死に関するさまざまな意見があることに配慮し、臓器移植に際して脳死を認めることとし、六条二項という現在の、臓器を提供する場合に限って脳死判定した身体を脳死体として使うという法の体系になったわけです。現行法は下に書いてありますが、それプラス、ここで見ていただきたいのは、脳死判定に至るまでの脳死の判定手続等を厳格化するということにおいて、ここで法的脳死判定というものが現状のように行われてきました。

 しかし、先ほどの法制局の御答弁であれば、一体この最後の参議院での審議と修正の過程は何であったのか。あってもなきがごとくの御答弁でした。法制局、いかに何でもそれはひど過ぎる。私ども立法府にいる者が一生懸命、その及ぼすところ、影響を考えて審議した結果の修正案でございました。福島先生もおいででありましたから、よく御存じだと思います。

 この修正案の論議につきましては、実は、私の先輩で、私とはスタンスを異にいたしますが、今井澄さんが、まだ御存命で、こう答弁されております。「実は大分前に脳死臨調で大方の社会的合意を得られているということが言われたにもかかわらず、」このときも同じでした、社会的合意はあるあるある、六〇%だ、四〇%だと。論議を、議事録を読むと全部出てまいります。「にもかかわらず、この間の審議を踏まえてもなかなか合意が得られないとなると、これが一般の脳死ということに拡張されるのを避けなければならない。」こういう趣旨でありました。

 果たして今回の提案者の皆さんはこの参議院での審議をどう見るのか。さっきの法制局の言い方だと、この一項はあってもなくても同じですと。そうではないんだと思いますね。あの参議院での審議時間は確かに修正案が出てから短くて、そのことについて問題は指摘されたけれども、そのとき立法府にいた者は真剣に論議し、そして一つの結論を得たんだと私は思います。

 この長い経過にかかわった福島先生は、なぜ二段跳びで元祖中山案まで戻していいのか。そういうことをしていくと、ここの審議というものの信義が問われる。やはり審議というものにみんな一生懸命熱を入れてやっているわけです。そこまで戻すなら、二度の修正の意味はあったのか、二度の修正を覆すだけの立法背景、立法趣旨はあるのか。この点について、一点、明確にしていただきたい。

福島議員 参議院での審議、私も、猪熊議員を初め多くの方といろいろと議論をさせていただきました。

 先ほどの法制局の説明というのは、法的効果としてはどうか、こういう説明だというふうに思います。ですから、参議院での議論を踏まえて修正をされたことがどうでもいい、こういう意味で言ったのではないというふうに補足しておきたいと思います。

 それで、私の答弁では、参議院でそういう議論がありました、そしてまた、脳死を人の死と認めない、受け入れることができない、こういう方がおられることは事実であります、ですから、そういった方の思いということを踏まえてこういう修正がなされた、こういうふうに申し上げているわけです。

 現状でも、脳死を人の死として受け入れない、こういう立場の方がおられるということも間違いがないと思います。ですから、今回の改正においても、そういった方々の思いということを十分踏まえて、しかし一方で、小児の臓器移植をどうするのか、海外の渡航移植をどうするのか、こういうことについてやはり立法府として何らかの答えを出さなきゃいかぬ、この二つなんだと思います。

 先ほどから申し上げておりますように、A案の提案というのは、家族の同意ということで、本人意思が明確でない場合に法的な脳死判定から臓器移植に至るプロセスというものを認めていただけないか、こういう話だと思います。一律に脳死を人の死とする、こういうことで法案を出しているわけではない。

 先ほど川内委員からもありましたけれども、この部分はなぜ削除したのか、こういう話だと思います。これは、今までの議論を聞いておりまして、これは提出者として正式に議論したわけではありませんからそのように受けとめてもらうと困るわけでありますけれども、そこのところが疑義を生むというのであれば、そういう修正をしていただくということも当然あるだろうと私は思っております。ただ、その上で、なぜ削除に至ったかということについては、この間、法律が成立して、法的脳死判定が厳格に行われ、そしてまた、こうした法律をつくることによって脳死を人の死とするということが臨床現場において拡大をされ、そしてさまざまな困ったことを起こすんじゃないか、こういう懸念については経験の積み重ねというものが十分解消してきたんじゃないかというふうに私は思っております。

 ですから、そういった意味で、前回の参議院での審議においてさまざまな議論があってなされたことについても整理をさせていただいて提出をさせていただいたということは間違ってはいないと思いますけれども、ただ、その上で、議論の中でどう対応するかということは改めて考慮する余地があるというふうに思います。

阿部(知)委員 非常に重要な御答弁ですので、これは修正していただけるなら修正していただきたい。

 なぜなら、かつての参議院の議事録、例えば、冨岡先生もきっとお読みいただいていると思いますが、何が論じられていたのか。これは、もしあの一項に、脳死せる者の身体のところに臓器提供という前段がなくなってしまうことによって脳死の概念が拡大する、これはいかぬだろう、ここを必死にみんな求めたものであります。確かに、この六条二項があるからこそ、現在、脳死の問題は逆に言うと移植現場に限定されているわけです。それを外すということは、参議院でのこの論議をやはり踏まえていないし、逆に、論議によって今日まで守られてきた、そこにある人権です。拡大しては問題が起きよう。

 さっき高橋さんもさまざまな呼吸器下に生きる子供たちのお話をされましたが、先生たちの意図もそういうところに拡大したいものではないんだと私は受けとめています。だったら、ここは良識の府です、衆議院も、参議院だけでなく。立法府です。法律というのは、その及ぼす範囲が本当にひとり歩きしかねないんです。あんな法制局の答弁だったら何も削る必要がないんです。あってもなくても同じなら、より厳密に影響が及ばないようにするのが立法の果たすべき役割だと私は思います。

 きょうが何だか審議の終わりで、経過報告を委員長が議長に上げると言いますが、まだ修正の余地があるなら、それを受けて私は審議したいと思いますが、どのように御配慮いただけますか。

福島議員 これは、委員会のA、B、C、D案の取り扱いということに密接に私はかかわっております。ですから、趣旨として修正するのはやぶさかでない、こう申し上げた思いはそのままでありますけれども、そういったことも含めて各案をどう取り扱うのかということについて、私は、また理事会で諮っていただく必要もあると思いますし、また、提出者の中でも、全員そろった場で委員会での審議ということを踏まえてどう対応するのかということを議論する必要があるというふうに思いますし、先生の御指摘は重く受けとめたいと思います。

阿部(知)委員 福島先生のリーダーシップに期待します。これは本当に非常に大きいです。

 次に、冨岡先生に具体的なところでなぜ大きいかをお聞きしますが、その前にもう一つ。

 実は、現在のA案は一足飛びに元祖に戻ったと言いましたが、もう一つ大きな変更をしてしまいました。それは、本人意思が不明な場合にどうするかということであります。

 ここについても、先ほど来何人かの委員の御質疑がございましたが、本人意思不明なものを移植の意思ありとみなしてといいますか、これをできる根拠は私はやはりないんだと思います。そのことがどうして可能なのかということを明確にしないといけないんだと思います。

 これについては、元祖A案のころはおられませんでした。では、中山先生がお帰りですので、これは元祖中山先生にお伺いいたします。

 ちょっと短く言わせていただきますが、現在出しておられるA案は、中山先生たちがもともと平成六年の段階でお出しくださいました案に二つの点で戻っております。本人意思がなくても家族の同意で可能にしよう、それから、脳死からの提供という場合に、その脳死せる者の身体のところで、臓器提供の場合に限ってというところを外しておられます。

 後段については今福島先生と論議いたしましたので、繰り返しになりますのでこれは提出者でお話しいただくとして、なぜ本人意思を外してよいのか。これは、中山先生がそもそも修正中山案の第一、平成八年六月十四日に御提出のときにみずから修正されたわけです。そもそもの中山案は、本人意思と家族の同意と二つありました。なぜここで修正され、なぜ今日そこを外してよいと思われるのか。この点について明確にしていただきたいと思います。

中山(太)議員 大変失礼しました。政府への質疑ということで失礼しておりました。

 今お尋ねの点は、かつて最初にこの案を御審議いただいたときに、衆議院で了承されたものが成立をして参議院に送られました。そこで、参議院で手を入れられて、現実的にはこの脳死下における臓器移植ができないような方の立場をとられたわけでございます。

 そういうことで日本における移植がおくれてきたわけでございますが、私どもはここで、どうしたら移植以外に生きていけない人たちを救えるかということでの、お互いの意見を最大限お互いが譲歩し合って、その目的に向かって努力をしたいという考えで整理をしたということでございます。

阿部(知)委員 私もC案の提案者ですから、適正な臓器移植が行われるように法律を出そうというのは中山先生と変わることがありません。

 今、中山先生に伺ったのは、平成六年の、私は元祖中山案と呼ばせていただきます、一回目の中山案と、平成八年六月十四日に先生が一回目の修正をかけられた、このとき、本人意思だけにしたんです。なぜ家族の同意でというところを外されたのか。そして、今日なぜそこを復活というかもとに戻されたのか。

 先生が平成八年の六月に、この提案趣旨の説明のところでは、「遺族が書面により承諾しているときは臓器を摘出することができると規定されていること等に関してさまざまな議論がなされております。」と。今も、きょうも、今日も、さまざまに議論されました。それはまだされておりますと言いましょう。だって、本人意思不明の場合が一番問題になるわけですよ。そうすると、中山先生、平成八年から今日まで、本人意思不明である場合の扱いについてどんな論議がなされたのか、そして、そこを外していいとどうしてお考えになるのか。

 ちなみに、例えば、昔からそうです、献体。医学生、先生も私も小児科の医者でありました、献体をしていただく御遺体も、まず御本人の意思と御家族の同意という二つで成り立っております。死体ですら、失礼ですが、そうであります。まして、臓器提供以前の臨床的脳死段階で法的脳死判定を受ける方は、死体ではない、生きておられます。なぜその方の本人意思をここで外してよいのか、外すことによって起こる弊害は何なのか、どんな論議がなされたのか教えていただきたいと思います。

中山(太)議員 この外す場合と外さない場合、もちろん先生のおっしゃるように、御本人の生存中の意思というものが明らかな場合、それは記録によって残すとかございますけれども、本人意思が明確でない幼少の人たち、子供たち、この人たちにその意思を明確に生存中に残させるということは実際問題として大変難しいということで、この家族の同意ということが必要になってくるという認識を持ったわけでございます。

阿部(知)委員 それであればD案でいいんだと思います。確かに今の法体系では、本人意思の表明は遺産等々にかかわる部分で十五歳以下はできません。そこでD案というのが登場されたんだと思います。D案については、親御さんの代諾あるいはそんたく。

 ここはD案の方にお伺いした方がいいと思いますが、今、中山先生の御答弁のようであれば、なぜ大人で、十五歳以上で本人意思の不明な方をここに対象として規定してよいのか、そのことにはどんな論議がなされたのか、特にデメリット、問題は何なのか。

 せんだって、この委員会でも萩原先生が、ではドメスティック・バイオレンスはどうするんだと。御家族の利害と御本人の利害が絶えず違うものであるのは、中山先生も長いことやはり医師として御経験もおありですし、おわかりだろうと思うんです。その極限が子供の虐待であります。

 でも、私どもがこの十二年で必死に築いてきたものは、医療における自己決定権の拡張だったんだと思います。それは、医師に対しても、きちんと患者さん本人が自分が自己決定できるように、そうしたことを提供しなさいというふうに進めてきた医療現場ではなかったでしょうか。

 私は、ここで、本人意思を外すということについて、その危険性について本当にどこまでA案の提案者が論議され、見識をお持ちなのか、ここを再度。ごめんなさい、しつこくて。でも、ここはすごく重要です。だって、ほとんどの方が今意思を決めておられないわけです。ドナーカードを一億何千万枚ばらまいても、しかし、一%くらいでしょう、現実に御自身の意思を決めておられるのは。なかなか決められないと。

 それには私は厚労省には責任があると思いますよ。脳死とはどういうことか、移植とはどういうことか、もっとアップ・ツー・デートに、例えば、脳死だって長期の生存例がありますよ、なぜ臓器をとるときに全身麻酔をかけるのか、これだって国民には説明されなきゃいけないですよ。ごまかしてふやそうなんて無理ですね。正面から述べて、そして、では医療現場はこれだけ頑張るから、どうかお願いしますくらいしかできないですよ。

 しつこくて済みません。なぜ本人意思を外してよいか、その場合の起こり得るマイナスは何か、ここの歯どめはこのA案ではどうなっているのか、これについて再度お願いいたします。

中山(太)議員 いろいろ先生の御意見も私どもよく伺っておりますけれども、臓器に関する意思表示がない場合は、臓器を提供したいという意思のみならず、臓器を提供したくないという意思もある場合がございます。このような場合に一律に臓器提供を否定することは、必ずしも本人の意思の尊重につながらない場合もございます。むしろ、本人の意思をそんたくし得る立場にある遺族の意思で臓器提供の可能性を認めた方が本人意思の尊重となる場合もあろうかと思います。

 また、現行法で生前の本人の意思がない限り死体から臓器の摘出を認めないことになっているために、臓器の提供の件数が非常に少なくなっているほか、小児については国内で移植を受けることすらできない現状がございます。そのために、海外に渡航して移植を受けるケースが後を絶ちません。また、生体間移植も多く行われている事実が起こってきております。

 こういうことで、内閣府が平成二十年に行った世論調査でも、本人の意思が不明な場合に臓器提供を認めてもよいとすることについて、約五四%の人が賛成をしたという調査の結果が出ております。主要国の立法例におきましても、本人の生前の意思が不明な場合は家族の判断で臓器摘出を認める例が極めて多いと思います。

 以上のことから、私どもは、本人の意思が不明な場合に家族の承諾によりできることとしたところでございます。

阿部(知)委員 私の伺ったマイナス面の影響はどうかということについては、残念ながら明確な御答弁がないわけです。そこの歯どめをA案は何に置かれているのかということがないことが、各委員何度も御質疑であるんだと思います。

 ちなみに、せっかくですから冨岡先生にお伺いいたします。

 資料の二枚目をおあけいただきたいと思うんですね。ここには、臨床的脳死から法的脳死判定を経て脳死体とされて、三つのコースがある。そのまま移植につながる場合と、脳死体と判定されて、死体であってもなお療養が続き、これについては、十一条でこの場合の医療費は療養については出るということを私は理解しております。それは現行法の枠でありますから。そして、心停止する方もある。こういう体系をとっています。

 この流れの中で、臨床的脳死から本人意思がある場合に法的脳死判定に行くというのが従来の流れで、これから先生たちがなさろうとすることは、臨床的脳死と判断されたけれども本人意思が不明な場合、書面による家族の承諾だと。これは、中山先生は五〇%、五〇%だから、要するに家族でいいよと言っている人がフィフティー、五〇だからこのままでいいんだという考え方と、五〇だから危険な場合を歯どめしましょうと。私は、法律はやはり後者のスタンスに立つべきなんだと思います。そこに人間の生存権がかかわってくるから。

 そして、ここで一つ明確にしたいのは、これは自然の流れではこうならないんです。一人の方が臨床的脳死と判定される、ここで法的脳死判定を行うには、必要な条件まで体のコンディションを変えなきゃいけないわけです。冨岡先生であればおわかりと思いますが、例えば臨床的脳死の段階で血圧がどんどん低下されている患者さんがいるとします。それを静かにみとるも一つのやはりみとり方です。ところが、法的脳死判定をしたいとなると、下がっている血圧も判定のためにもう一回上げなきゃいけないわけです、上を九十までは。これは明らかに、例えば死に向かう過程とか死後のだびとか、そういうことと違って、臓器移植を前提として、治療的ではない行為の介入なんです。治療的行為というものではないわけです。臓器移植の判定のために。

 そういたしましたら、再度伺います、生者である、この臨床的脳死判定されて本人意思不明の場合に、失礼ですが、なぜ臓器移植を前提とした次の段階に入れるのか。ここについて、前回明確な御答弁がありませんでした。冨岡先生は多少は侵襲的なことがあるよと、無呼吸テストも含めて。でも、侵襲以上に条件設定を変えていかなきゃいけない。多くの臨床をやっている医師たちが、ここにやはりためらいと人手不足といろいろな要素があるわけです。だって、御本人意思があれば、そのことにのっとって、もう一頑張りしましょう、法的脳死判定をしてみてということがあります。この点が一点です。

 それからもう一つ、もう時間がないので続けて申しわけありませんが、脳死体で三コースある中で、その後、ここでも死と判定されるのですが、あえて言えば、その後の療養も続けますという法の解釈にのっとって、しかし、脳死体の二回目の法的脳死判定で死とされます。それが必ずしも移植に行かない。例えば、その後感染を起こすとか、家族が考えを変えるとか、いろいろなことがあります。そうした場合は療養コースになるんです。でも、脳死の二回目の判定は済んで、それで死だと、この前河野さんも答えられました。そうすると、この療養中の方の年金はどうなるんでしょうか。もう死の判定はされているわけです。死なんだと、何度も法的脳死判定は死なんだとおっしゃいました。私どもは、先ほど福島先生に、臓器提供されるというそのときの脳死判定とくっつけるべきだというのはここなんですね。この方を権利の主体と残したい。当たり前なんです。だって、治療もされ、こういう問題も含んでいるんです。

 だから、後段については、提案者で相談するとおっしゃいましたから、ぜひお戻しいただきたいし、前段についても明確な御答弁をお願いします。

冨岡議員 かなり医学的な分野の質問だと思っておりますが、起こり得ることですので、お答えしたいと思います。

 まず後段の方から初めに言いますと、これはA案では、二回目の法的脳死判定が行われた際にはもうそれで死亡という診断がなされます。仮にそれから御家族が臓器摘出の直前になってやめてくださいということが出た場合には、やはりこれも死亡時刻は、死亡したことになります。したがって、後ほどの、医療費等はこの法案の中で賄われることになっておりますので、以後は死体としてすべてが扱われるというのがA案の考え方です。これは、B、C、D、どのようにお考えになるか、そこら辺はお聞きになられればと思います。

 それから、法的脳死判定をする際に昇圧剤、ホルモン剤、いろいろなことがやられるのは、これは臓器移植を前提としたような処置ではないか。それはそのとおりでございますが、その前に、例えばいろいろな事故で運ばれてきたときにはいろいろな、昇圧剤、そしてABCDを初め、エアウエー、酸素とか、そういうものが限りなく救命措置に投入されるわけでありまして、それもかなわなく、長い沈黙の後に深昏睡になられた患者さんがどうしても救命できない、そういうときに、多くは、多くはですよ、先生、御家族から臓器提供の話があります。実際、八十一例の臓器移植が過去に行われましたけれども、七十四例は御家族からの申し出でございます。何も主治医、そこに出くわした救急医がやっているわけではございません。わずか七例が、ドクターもしくはコーディネーターからの申し出で臓器移植が進むことになります。

 したがって、仮に患者さんの御意思がなくても、恐らく家族の意思でそれを遂行することによるわけなんですけれども、その際においても、先生が御懸念の、臓器移植の話がもう既に出ておりますので、そういった措置については、御家族も救命措置に携わった医師たちにも、それほど抵抗なく昇圧剤あるいはいろいろな薬物、そういうものは使えるのじゃないか、こういう感覚で考えております。

阿部(知)委員 今先生の御紹介いただいたのは、本人意思があるから御家族もそう思われるんですよ。私が聞いているのは、本人意思がわからないときに、家族にとって、この法的脳死判定に移していい根拠がないんです。そして、その法的脳死判定とは、普通に昇圧剤を治療として使うんじゃなくて、判定するために、判定条件を満たすために上げなきゃいけないんですよ。検証会議の三十一例目、これは、臨床的脳死の段階までも御家族はあきらめていましたと。血圧は五十でしたと。ところが、法的脳死判定をするという段で、九十に上げないと法的脳死判定ができないから、これは治療として上げるんじゃなくて、判定のための処置として上げていくんです。

 私は、皆さんにぜひわかっていただきたいのは、これは人をみとる自然な流れじゃないんです。もう一つ、例えばだびに付すとかなんとかとかよく言われますが、ここには明確に……

田村委員長 阿部君、時間が経過しております。

阿部(知)委員 はい、わかりました。法的脳死判定をしよう、そのことが是認されるもう一つの根拠が必要だということです。

 それから、後段の、療養中の人が死体で年金もないというのは、いかに何でもおかしいと思いますよ。だからこそ、何度も言いますが、移植を前提とした脳死せる者の身体に変えていただきたい。これは冨岡先生も今の論議でわかっておいでだと思います。どうか御検討の上、そして委員長には、A案が変わるのであれば、私たちはもう一回、修正ですから、審議をお願いいたします。よろしくお願いします。

田村委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午後零時二十一分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時四分開議

田村委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。福岡資麿君。

福岡委員 自由民主党の福岡資麿と申します。

 前回に引き続きまして質問の機会を与えていただきましたことを心から感謝申し上げます。

 きょうは、厚労省からも上田健康局長にお越しいただいておりますが、まず冒頭一つ申し上げさせていただきたいのは、やはり、仮に将来的にA案になるにしても、自分の意思表示を進める、自分がどうなのかという意思表示を積極的に進めていくということは一番大切なことだろうというふうに思っていまして、私も以前ドナーカードを書いた記憶があるんですが、率直に言って、どこにあるかわからない状態がしばらく続いておりました。この間、自分の家の近くのコンビニエンスストアに行ったらレジの横に置いてありまして、それをとって記入させていただいたわけでありますけれども、やはり、そういう知る機会であったり意思表示をする機会をなるべくふやしてあげるということは非常に大切なことだと思いますので、そういった点はぜひ、答弁は結構ですので、積極的に進めていただくことを冒頭お願いさせていただきたいというふうに思っております。

 まず、私自身のスタンスとしては、現状として非常に迷っているというのが率直なところでございまして、移植を前に進めたいという気持ちは大変強くあるわけでありますけれども、それぞれなかなか腑に落ちないところがある。

 まずA案については、脳死を人の死ということであります。それは、提出者の方は、脳死臨調の最終答申をもって、ある程度そういう合意がなされているんだというふうに言われておりますけれども、そこが本当に合意なされているのかなという部分でいうと、自分自身なかなか自信を持てないでいるというのが率直なところであります。

 また一方、D案については、現実の中で何か一歩前進させなければいけないという気持ちはすごくわかるんですけれども、現実を優先させたがために、一貫性に欠けるのではないかという印象を私自身持っているわけでありまして、自分なりに論点を整理させていただきたいというふうに思っています。

 まず、A案提出者の方にお聞きしたいんですけれども、法的脳死判定をもって脳死は人の死になるというふうにA案の方はおっしゃっているわけであります。しかし、無呼吸テストも含めて法的脳死判定では大変大きい負荷をかけるもの、要は侵襲性が高いものでありますから、それを行うことによって、本当は法的脳死判定では脳死と診断されない方の死を結果的に早めてしまうのではないかという指摘が今までもなされているわけでありますが、この点についてどうお考えになるか、御答弁をお願いします。

冨岡議員 お答えいたします。

 法的脳死判定を行う上で無呼吸テストの侵襲いかんやということで、これは前回の委員会でも阿部議員からも御質問があったかと思います。

 一般に、脳幹反射がすべてなくなっていても呼吸が出ることがあるので、無呼吸テストを行わなければ、完全に脳死であるとの判定を行うことができません。

 また、無呼吸テストについてはどういうやり方かというと、血圧が一定の数値、九十ミリHgであること、それから重篤な不整脈がないことといった条件が整っていなければ実施できないことになっております。

 これまでに無呼吸テストが行われた八十二の法的脳死判定の事例において、血液酸素分圧、PO2といいますけれども、下がった症例も、血圧が不安定になった症例もないということでございます。このようなことから、無呼吸テストは安全に行われているというふうに認識しております。

福岡委員 ありがとうございます。

 次に、D案の提出者の方にお伺いをしたいと思います。

 D案については、脳死が人の死かということについては、死生観や宗教観、人生観によって違うのではないかということを前提に、あくまでも本人の意思を尊重する、自己決定ということをなるべく尊重するような形をとられているわけであります。ただ、十五歳以下になるべく道を開こうという観点から、子供に関しては、親が子供の気持ちをそんたくして意思表示ができるというようなことを認めているわけであります。

 これは、前回の答弁をずっと読ませていただいてあったように、子供には意思決定権はあるんだけれども、子供は意思を表示する力に欠けるために、親が子供の気持ちをそんたくして、そのかわりに意思表示をしてあげるんだというような答弁をされていたかというふうに思っています。

 ただ、そんたくするとはいっても、最終的に意思決定するのが親御さんなわけでありまして、それについて、親が死を宣告するのではないかというような問いに対しては、前回、親が脳死を人間の死として認められるかどうかがポイントで、決して親が人の死を判定しているわけではない、親が、脳死が人の死かどうかというのが大切なポイントなんだというふうにおっしゃっていたというふうに、答弁を読ませていただくとなっているわけであります。

 そうすると、前段では、子供の意思のそんたく、要は、子供の意思を親が酌み取ってやるんだといいながら、親が死を宣告するんじゃないかといった問いに対して、それは、子供の意思を親が決めるのではなくて、あくまでも親御さんの、脳死は人の死かどうかという価値観をそこに当てはめて法的脳死判定をするんだというところは大きく矛盾するような気がしているんですけれども、その点についてどのようにお考えになるか、お答えいただけますか。

根本議員 まず十五歳以下の子供の臓器提供への道を開く、そのときに、我々の案はあくまで本人の意思を尊重するということに立っておりますから、それは、福岡先生から今お話がありましたように、脳死が人の死かではいろいろ意見が分かれますから、ですから、医学的な脳死状態になったらそれは人の死だと認めることの受容できる方、この意思を尊重しましょう、そして、その意思は、脳死を人の死ではないと思う方もそこは受容できるでしょうと。この基本的な考え方がまず前提にあります。

 では、子供の場合はどう考えるか。やはり子供の場合は、親と子のきずながありますし、親が一番子供の命の大切さあるいは尊厳というものをわかるわけですから、親が子供の心に心を重ねて、そして親が子供にかわって意思を表示する、判断する、家族が承諾するということを考える、これが合理的ではないかと思います。

 それから、死の判定というのはよくありました。死の判定を親がしているわけではない。要は、医学的に脳死と判定されれば、それは人の死として受けとめられます、受容できますというところが基本ですから、これはD案も一緒ですけれども、それで脳死判定を求めて法的な脳死状態になる。それは、医学的な脳死、そこが死になりますから、そこは親が基本的に子供の心と心を重ねて判断するということで考えておりますので、そこは親が死を宣告することではありません。

福岡委員 今、親御さんが決定するに当たって、医学的な人の死を人の死と認められるかどうかという、親の価値観というのが一つポイントだというふうにおっしゃっていまして、D案というのはもともと本人の意思を尊重するというようなことでありまして、それはやはりD案が、例えば十五歳以上の方については本人意思表示をあくまで前面に出していることを考えても、例えば同じ屋根の下でずっと暮らしても、どこまでそういう死生観とか人生観が一致しているか、どこまでそんたくできるかというのは非常に難しい部分があるんだろうということで、あえて十五歳以上は本人の意思表示ということをD案は前面に立てられているんだろうというふうに思います。

 その中で、心を重ねてというふうにおっしゃいましたけれども、やはりその本人の意思ではなくて、親が脳死は人の死と認めるかどうかという価値観をお子さんの脳死判定に対して当てはめるということについて、もう少しちょっと整理をして、どのようにお考えなのか、お聞かせをいただきたいと思います。

岡本(充)議員 今先生の御指摘のことを言わせていただくと、そもそも、親がその脳死判定のステップに入っていくという点は、A案も六条三項で親からの申し出で子供の脳死判定に入っていくという、ステップという意味では同じステップが入っています。

 先生御指摘の、子供の意思をそんたくして、要するに重ね合わせてと先ほど根本先生が言われましたけれども、判断をするということでありますが、親の意思がなければ、そもそもこれは家族の同意がなければ十五歳以上もできないわけですね。たまたま保護者である親の意思と、親が重ね合わせる子供の意思と、家族の第一義的な方、現行法でもいわゆる祭主となる、喪主となるべき方というのが家族の中での意思決定権の大きな要素を握ります、この方が同じ方なものですから、その方が判断をする、あたかも親の判断が前提で、親が脳死を認めている、脳死を人の死と認めるかどうかが前提でというふうに見えるんですが、それはたまたまそういうふうに重なって見えるわけですね。

 したがって、御本人の意思、御本人の意思をそんたくしている方と、同様に十五歳以上であれば家族の同意がそこに入ってきますが、同意するべき家族が同じ人になっているという意味では、確かに同じように見えるんですが、そこはその二つの観点でその家族の方が判断していると御理解いただきたいと思います。

福岡委員 ちょっと私にとりましてはわかりづらい答弁でありまして、やはり本当にお子さんならお子さんの気持ちをそんたくできるのかという部分がポイントになるんだろうと思います。

 仮にそんたくできるのであれば、A案のように、御本人の意思が不明でも御家族が同意すれば、十五歳以上でも御家族の方はその方の気持ちをそんたくできるわけですから、それで道が開けるというのはわかるわけですけれども、十五歳で線を引いて、そこから上は自分の意思表示じゃなきゃだめなんだ、そこから下については、親御さんが脳死を人の死とするかどうかという、ある程度その価値観とかも当てはめながら、心も重ねながらそこについては御家族の同意で道を開くというところは、非常にダブルスタンダードになっておりまして、極めてわかりづらい印象を持つわけでありますけれども、その点について何かもし御見解があればお聞かせいただきたいと思います。

岡本(充)議員 お答えします。

 今御指摘いただいた十五歳以上、先ほど来お答えをしておりますとおり、子供が意思決定をするに当たって、積極的な脳死について意思決定をするということがなかなか難しいだろうという子供の特性を考えてという部分を含めて、十五歳以下の本人の意思表示ができないことについては、ある程度御理解いただいていると思うんですね。

 今の御質問を聞くと、なぜ十五歳より上にはこれを適用しないのかという話ですが、先ほど来言われている、意思を表示しないということが、必ずしも、積極的なノーなのか、積極的なイエスなのか、そうではないけれども消極的なノーの方もいる可能性もある。ここの部分をやはりある程度カバーができるような仕組みにしておかなければいけないだろうということは、我々の中でも議論がありました。

 そういう意味では、今先生が御指摘をされておりますように、十五歳以上の方で意思が発出できるにもかかわらずそれをしてこなかったということについての一定の評価をやはり考えるべきではないかと私たちは考えているということです。

福岡委員 おっしゃっていることは何となくはわかるんですけれども、それは、例えば十五歳以下の方についても、さっきおっしゃったように消極的なノーの意思の人というのはいらっしゃるわけです。

 ましてや、長年生活をともにしてきたならともかく、特に小さい幼児の場合とかは、本当にその子がどういう気持ちなのかというのは、私は子供がいないですからわからないですけれども、親御さんもその子が本当にどういうのを望んでいるのかというのは、どこまでそんたくできるかというのは、極めてこれは難しい問題をはらんでいるというふうに思います。

 その点について、通告もしておりましたので、C案の提出者の方に、やはりC案もあくまでも自己決定ということを前面におっしゃっていますけれども、やはりその中で、子供の意思表示が十五歳以下はなかなか法的に認められない、だけれども、その子の人権をどうやって尊重するかという部分について、何か御見解があればお聞かせいただきたいと思います。

枝野議員 御指摘いただきましたとおり、私たちは、脳死体からの臓器提供というのは、本人の自己決定権ということを重視して位置づけるべきだ、そういう整理をしております。

 ただ、一方で、現実に今十五歳以下の方についての臓器提供がないということで、お子さんで臓器移植を待っていらっしゃる方の声に可能な限りおこたえをしたいという気持ちは強く持っております。ですから、そういう意味で、D案を提出された皆さんの思いというのは私どもも共有をさせていただいているつもりでおります。

 ただ、御指摘いただいておりますとおり、なぜ親が子供にかわって同意ができるのか、なぜ子供だけなのかということについての説明はなかなか広く受けとめていただける状況にはまだなっていないだろう。あえて言えば、今までこの国で子供の権利を親が法定代理人として代行するというこの概念から大きく転換する、踏み込む。法定代理人というのは、子供の利益を代理人が、つまり普通の場合は親が推しはかって、これは客観的に検証できるんですが、それこそ、五歳、六歳、七歳のお子さんが本当に望んでいたかどうかというのは検証不可能なことであります。

 それから、この臓器移植の場合には、虐待の問題というのも絡んでまいります。そうしますと、何とか一刻も早く、可能な範囲があるならば十五歳以下の方の臓器移植も可能にしたいという思いはありますが、今、拙速にそこまで踏み込むことはできないだろうと。

 このスタートのときにも脳死臨調があったように、少し専門家による、しかも国民的な議論を巻き込んで、この場合の専門家は、子供の場合の脳死判定基準というのが大人の場合と一緒でいいのかどうか、実際にお子さんの場合は脳死と臨床的に判断されながら何年も心臓が動いて成長されている方もいます、その基準がいいのかという医学的な見地も半分ありますが、もう一つは、法的あるいは哲学的な専門家の方にたくさん入っていただいたような子供の脳死臨調というような場をつくって、待っていらっしゃる方がいらっしゃるからできるだけ急いで、そういった場での議論を踏まえないと、なかなか整理した結論は出せないのではないかということで、我がC案の中でもそういった提案をさせていただいております。

福岡委員 時間が参りましたので終わりますが、親にどこまで法的に代理権を持たせるかというのは極めて大きい問題だと思いますので、そういったところもまた整理していただくことをお願いさせていただきまして、質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

田村委員長 次に、古屋範子君。

古屋(範)委員 公明党の古屋範子でございます。

 前回に引き続いての質問になりますけれども、前回、提出者に質問をいたしました。きょうは、提出者ではなく、大臣と政府に対してお伺いをしてまいります。よろしくお願いいたします。

 先週、脳死臓器移植の拡大や適正化を目指す改正四法案の質疑に立たせていただいたところでございますが、移植待機患者やその家族の方々は、この法改正で臓器の提供がふえることを大変に期待していらっしゃいます。その一方で、子供の臓器提供に道を開く改正には慎重論も根強くございまして、臓器移植を支える医療体制自体の不備を指摘する意見も多く出されております。

 臓器移植法の問題は、こうしたさまざまな課題に加えて、個人の人生観、死生観などに深くかかわるものでございまして、私は、社会的合意の得られる範囲で漸進的に進めるべきと考えております。国際的な動向も踏まえて、臓器を提供したいという人々の意思が生かされ、かつ、臓器移植を待ち望む多くの待機患者の皆様の声にこたえつつ、臓器移植に慎重な方々の心情にも配慮をした法改正をしていった方がよいのではないか、そう考えております。

 初めに、臓器移植の現状に関する舛添厚生労働大臣の御認識をお伺いいたします。

舛添国務大臣 私より年配の方々と臓器移植について話をしていますと、日本の最初の心臓移植の札幌医大の和田教授、もう若い方は御存じないかもしれませんが、まだその記憶が非常に鮮明であります。

 それで、臓器移植法が施行されてから十年たちますが、今、臓器移植に関する医療技術の向上というのは目覚ましいものがある。ところが、本当にその年配の方々は、和田さんの時代のことが念頭にあって、今の水準をよく御存じない。だから、非常に進歩していますよというのがまず一つ。それで、八十一例でしたが、実績も重ねております。

 それから、先般、私も大阪の循環器センターへ参りまして、本当に移植を受けたいと待っておられる方がおられて、立ち上がって、大臣、何とかしてくれませんかと。それでお手紙をいただいたり、待っていて命を落としたんだ、これだけ仲間がいますよと。そういう現状もあります。

 ただ、今委員がおっしゃったように、これは人の生命観にかかわる哲学、倫理の問題でありますから、いろいろな方のいろいろな考え方があってしかるべきだと思います。

 そういう意味で、厚生労働省としてやるべきことは、例えばドナーカード、これをちゃんと整備する、普及する、こういう環境整備、それから、必要なときに必要なものを準備する、こういうことだろうというふうに思います。もちろん、国立病院機構の中で、さらに移植のための設備、施設、こういうことの整備もまた必要だと思いますけれども、国会の御意思が示されたら、直ちにまたその御意思を政策の形で実現できるように全力を挙げてまいりたいと思っております。

古屋(範)委員 大臣、現場にも足を運ばれたということでございます。率直な御意見とともに、これからの厚生労働行政というものに対する御決意を伺うことができました。どうもありがとうございました。

 その次になりますけれども、日本で臓器移植法が一九九七年に御存じのように施行されまして十一年以上がたつわけですが、これまで臓器提供されたのは八十一例にとどまっているわけでございます。年間にいたしますと十例前後であり、これは、年間七千例以上の臓器提供がある米国などと比べましても、明らかに低い数字であると言わざるを得ません。その結果、国内にいる移植待機患者の大半は希望がかなえられないまま亡くなっているという現状でございます。

 この臓器移植小委員会で、海外で実際に御家族が移植を受けられた、そういう御家族の御意見も伺いましたけれども、費用の点もさることながら、渡航して移植を待ち、また手術をするという、患者のそうした心身の負担、あるいは、御家族にとっては言葉の壁というものもある。それも、非常に難しい専門的な医学用語も理解してコミュニケーションをとらなければいけない。また、日本との文化の差異もあるという、非常に御家族も大きな苦労を背負っていらっしゃるわけでございます。

 現在、臓器移植を待つ患者がどのくらいいるのか、これについてお伺いいたします。

上田政府参考人 社団法人日本臓器移植ネットワークに登録されております、平成二十一年、ことしですけれども、ことし三月三十一日現在の移植希望者数でございますが、心臓の方が百二十八名、肺が百十一名、肝臓が二百三十九名、腎臓が一万一千九百四十名、膵臓が百六十名、小腸が一名でございます。

 また、角膜につきましては、本年二月二十八日現在でございますが、二千八百十二名の方がお待ちになっているところでございます。

古屋(範)委員 非常に待っていらっしゃる患者が多い、そういう数字であろうかと思います。

 この移植医療をめぐりまして、最近では、病気の腎移植の問題、また、臓器売買事件が明るみになりました。これらの問題の背景には、こうした臓器移植を希望する患者に対して提供される臓器が圧倒的に少ない、こういう現状があるのではないかというふうに思います。このために、国内では、健康な家族の体にメスを入れて腎臓や肝臓の一部を取り出して移植する、この生体移植が増加をしていて、移植全体における依存度は世界でも突出していると言われております。

 そしてまた、この生体移植は、書面による意思表示を含めた法的な規則がなく、移植後のドナー、レシピエントとも健康状態の確認も十分行われているとは言いがたい。本来、避けるべき医療であるとの指摘もございます。一日千秋の思いで臓器の提供を待たれている多くの患者がいる一方で、臓器移植に対する国民の意識の低さも指摘をされます。

 そこで、我が国の臓器移植が進まないのはどのような理由からとお考えになりますでしょうか。

上田政府参考人 臓器移植には、脳死下と、それから心停止下があるわけでございますが、脳死下での臓器提供につきましては、これまでも申し述べておりますように、これまで八十一例ございまして、実績は積み重ねられてきておりますけれども、今なお制度への正しい理解が十分でない面があるのではないか。このようなことから、臓器提供件数が限られている一因というふうに思っております。

 また、心停止下が中心になりますが、腎臓及び眼球につきましては、臓器の移植に関する法律附則第四条に基づき、死亡した方の意思が不明な場合においても、遺族が書面により承諾すれば心停止下での臓器提供が可能なわけでございますけれども、臓器移植に関する世論調査、これは平成十八年の十一月、内閣府が行ったものでございますが、七割の方が知らなかったと回答されております。それから、国民や医療従事者が、家族の承諾のみでは心停止下での臓器移植はできないと誤解をされている面もあるのではないか、こういう指摘がございます。

 このように、制度が十分に理解をされていない面もあるというふうに考えておりまして、私どもといたしましては、中学三年生向けのパンフレットを毎年全国のすべての中学校に配付するなど、今後も引き続きあらゆる機会を通じて知識の普及に取り組んでまいりたいと考えているところでございます。

    〔委員長退席、三ッ林委員長代理着席〕

古屋(範)委員 この国会での法改正の論議が、国民全体にこうした臓器移植というものに対する正しい知識を普及するチャンスになればというふうに思います。

 現行の臓器移植法において、臓器を提供するには、本人の意思表示はあくまで尊重するという枠組みのもとで、あわせて家族の同意も必要としております。

 今回、四つの改正案について議論を進めておりますけれども、どのような改正をするとしても、提供者をふやすためにはドナーカードの普及に力を入れることが大前提だと考えます。そのためには、国民がふだんから脳死移植について考えることができるよう、学校あるいは教育現場、家庭において話し合っていくことも不可欠であると思います。

 さらに、臓器を提供したいという本人の意思が十分に生かされるよう、健康保険証や運転免許証などに臓器提供の意思を記載するようにするなど、さまざまな意思表示の機会の拡大、また啓発活動をさらに続けていかなければいけないと考えております。

 そこで、臓器提供者の意思を明らかにする方法の一つであるいわゆるドナーカード等はどのくらい普及されているのか、その現状についてお伺いします。

上田政府参考人 臓器提供者の方の意思を明らかにする方法の一つでございます臓器提供意思表示カード、いわゆるドナーカードでございますが、臓器の移植に関する法律が施行されました平成九年から平成二十一年三月末までで、コンビニエンスストアなどへの配置、新しいデザインのカードの作成、テレビなどによる広報などの取り組みを行って、現在約一億二千万枚が配布されているところでございます。

 また、医療保険の被保険者証に臓器提供意思表示欄を設けることを可能としており、一部の保険者においてこれは実施をされているところでございます。

 また、平成十九年三月には、社団法人日本臓器移植ネットワークにおいて、カード所有者の増加を図り、より確実に臓器提供の意思を生かすことを目的として、臓器提供意思登録システムを構築し、運用を開始したところでございます。

古屋(範)委員 御努力はされているようでございますけれども、さらにこのドナーカードの普及に力を入れていただきたい、このように思います。

 今回の法改正は、人の死における脳死の位置づけ、また、虐待されて脳死となった子供を見分ける体制整備など、詰めるべき論点は多いと思います。今後、いずれは国内での移植拡大を求めるWHOの指針改定も行われることとなり、国内で移植が受けられないから海外で受けるといった実態はやはり変えていかなければいけないと思います。

 しかしながら、医療の現場では、全国的な医師不足の中で、特に脳死患者の発生が多い救急現場での人手不足は非常に深刻であり、提供者の家族への説明、また判定作業に医師が長時間拘束されるなど、現場の負担が大きいために、脳死判定を経て臓器提供につながらない場合もあると伺っております。

 そこで、最後に、臓器移植を推進する観点から、厚生労働省として、今後、救急医療体制の整備も含め、どのように取り組んでいかれるおつもりか、お伺いいたします。

上田政府参考人 臓器移植法に基づく脳死判定は、原因となる疾患の確実な診断のもと、行い得るすべての適切な治療を行った場合でも回復の可能性がないと認められる方に対して行われるべきものと考えております。

 このため、移植医療を進めるに当たりましては、地域における救急医療体制の整備を初め、脳死や臓器移植に関する国民全体の理解を深めるとともに、臓器提供のための体制を整備していくことが重要であると考えているところでございます。

 救急医療に関しましては、平成二十一年度予算におきまして、休日、夜間の救急医療を担う医師の手当に対する支援の創設、重篤な救急患者を二十四時間体制で受け入れる救命救急センターに対する支援の拡充など、救急医療対策予算を大幅に拡充し、救急医療体制の充実を図っているところでございます。

 また、臓器移植に関する普及啓発につきましては、日本臓器移植ネットワークと連携しながら、政府広報などを活用した普及啓発、各種パンフレットの作成配布、臓器移植コーディネーターに対する研修などのあっせん体制の整備、医療関係者への普及啓発などに取り組んでいるところでございます。

 今後とも、地方公共団体、日本臓器移植ネットワークなど関係機関等の協力を得て、あらゆる機会を通じた普及啓発に努めるとともに、救急医療や移植医療が適切に実施されるよう、専門の方々を初め関係する方々の御意見を伺いながら取り組んでまいりたいと考えているところでございます。

古屋(範)委員 以上で質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。

三ッ林委員長代理 次に、岡本充功君。

岡本(充)委員 民主党の岡本です。

 きょうは、D案提出者でもありますけれども、とりわけ論点、いろいろ出てくる中、きょうの質疑者としては私が最後でありますけれども、改めて各案について確認をしておきたいことがあります。それについて順次質問をさせていただき、また、厚生労働省からの見解も伺おうと思っております。

 まず、前回に引き続いてでありますけれども、脳死判定についてです。

 D案に対して先ほども質疑がありました、親が子供の死のタイミングを決めるのではないかという指摘です。これはA案もそうでありますけれども、基本的に脳死移植に限局をして、先ほどそういう表現をされました、脳死移植に限ったときに脳死は人の死となるということで御答弁をされておるようでありますけれども、そこは後ほど伺うとして、基本的に、脳死判定をしてくださいという申し出を家族がしない限り脳死判定は行われない、この点は間違いないんですよね。

冨岡議員 お答えいたします。

 脳死判定というのは法的脳死判定ということでよろしいのですね。

 それは、臓器移植法に関してだけ法的脳死判定が行われることになります。一般に行われているのは臨床的脳死判定と、区別して使わせていただきます。

岡本(充)委員 そこは後ほど、確かに重要な点ですのでもう一度触れたいと思いますが、脳死は人の死であるかどうかということもかかわってくるわけですけれども、親が子供の脳死下での臓器提供を認める場合に、脳死判定の申し出をするという意味においては、そこまでは生きている子供の死亡宣告をしてくださいという申し出を親がすることになる、そういうことだと理解をする、その考え方についてはいかがですか。

冨岡議員 あくまでも法的脳死判定を行うときは臓器移植を前提とした話が進められているところであり、それ以外のときにはこういう言葉は出てこないのが当たり前であります。

 A案は、客観的に、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止した状態になれば、臓器移植が行われるかどうかにかかわらず、それは一般に人の死であるという考え方に立っていますので、したがって、脳死判定は本人がそういった一般的な死の状態にあるかどうかを確認するための行為であって、たとえ家族の承諾が脳死判定を開始する契機になっているとしても、家族が承諾したから本人が死んだということになるのではありません。

岡本(充)委員 そこが大変不思議で、三徴候死の場合は家族の申し出がなくても死亡診断をする。行為だと言われるけれども、三徴候死の死亡確認は、やはりその同じような考え方でいえば、先生が言うところの行為になるのではないかと思うんですね。

 三徴候死でも、あくまで蓋然性として死亡している可能性が高いとか、三徴候死の状況だろうという状況になり、そこへ医師が赴き、死亡確認をするというステップになるわけですね。そういう意味でいうと、この三徴候死の場合はコンセンサスが得られている、これはもうだれしもが認める死の定義でありますが、この場合には家族の申し出があるから死亡診断をするわけではありません。そうですね。それで、しかもそこは速やかに死亡診断が、宣告がなされる。そう間を置かずに死亡宣告がなされるにもかかわらず、脳死については、ではなぜ家族の申し出がなければ、脳死は人の死だというふうにお考えだという前提に立たれるのであれば、これは速やかに、当然のこととして、臨床的脳死だと疑われる場合には死亡診断をするべきじゃないんですか。

冨岡議員 それは違うんじゃないですか。三徴候といっても、まだ心臓が動いていますし、それは深昏睡の状態ですから。

岡本(充)委員 三徴候死じゃなくて、要するに、脳死判定をするに当たって。

 三徴候死の死亡診断は、臨床的に三徴候死でないかなとお考えになられたときに、その診断を速やかに行います。それは、家族の申し出があろうとなかろうと行うんです。

 ところが、脳死が人の死だとおおむね、おおむねというのが本当にいいのかどうかわかりませんけれども、まあおおむね認められている、ある程度コンセンサスになっているというお立場であるとするならば、同じ死亡診断であるにもかかわらず、結果として起こる現象は、起こるさまざまなその方に対する影響は同じことであります。死亡診断として同じであります。この死亡診断をするに当たって、片一方では家族の申し出がなければ死亡診断ができない、片一方はそういう意味では家族の同意がなくても死亡診断をするわけです。この差はどういうふうに考えるんですかということです。

冨岡議員 一般的に、死というのは三徴候がそろっておりますけれども、それは、場合によっては組織が生きているかもわからないし、救急車で運んでいるときは、三徴候そろっています、ただ、そこでは死亡診断しないわけですよ。救命措置をします。もう先生はこれは御存じのとおりです。

 したがって、同じような理論で、深昏睡の場合に、臓器移植をするかどうかを家族から恐らく、先ほどの私の答弁で、八十一例のうち七十四例は家族からの申し出で、臓器移植をするという申し出があった場合に初めてその行為がなされる手順に入っていきます。したがって、それまでは生きておりまして、深昏睡の状態で扱われるということです。

岡本(充)委員 それは、先ほど厚生労働省の答弁がありました。ちょっと正確な答弁は忘れてしまいましたけれども、いろいろな手を尽くしても助かる見込みがないときに脳死と判断をするんだという御答弁が先ほどあったと思います。

 そういう意味では、救急車が来たときに、助かる見込みがあるから蘇生を開始する、しかし、そのときに助かる見込みがないと判断をすれば、そこで蘇生を行わずに医師が死亡診断をするケースもあるわけですね。それからまた病床においても、何らかの患者さんが急変をされた。もちろん、いろいろな経緯があって、蘇生を試みないということをあらかじめある程度コンセンサスを得ているケースもあるでしょうし、それはいろいろあると思います。しかし、先ほどお話ししたように、三徴候死の場合であれば速やかに死亡診断をする。しかしその一方で、このA案については、脳死は人の死だとおおむねコンセンサスが得られているにもかかわらず、そこに要するに家族からの申し出がなければ死亡診断をしないというステップが入っているというのはダブルスタンダードじゃないんですかということを私は指摘しているということなんですね。

 これはちょっと時間の関係で、改めてもし機会があればお聞きをしたいと思いますけれども、今、おおむねという言葉がいいのかという議論をさせていただきました。

 法的脳死、それから臨床的脳死、確かに違いがあるでしょう。法的脳死というのは、A案であれD案であれ、これは臓器提供に結びついていくその道筋となるわけであります。

 今、おおむねコンセンサスが得られているという脳死臨調の話をよくA案の提案者は御答弁されるんですが、おおむねというのが、果たして六割という世論調査をもっておおむねというのかな。一般的な概念として、おおむねというと、やはり八割を超えているような方の御支持があるときにはおおむねというのかな。もっと言えば、この死の定義について、まだ議論が残っているということをA案の方はいみじくもお認めになられているのではないか。

 そこは、脳死は人の死でないと考える人への配慮だという表現も先ほど答弁の中でされていました。そういう意味では、法律の中で定義はしないけれども、脳死は人の死だということを波及効果を求めているのかなということも考えるわけですね。私は、それがいいとか悪いとか言っているわけじゃないんです。やはりそこは正々堂々と議論をしていかなきゃいけないし、尊厳死ともかかわる話でありますから、それはやはりきちっと別建てのところで議論をしていくべきじゃないかと私は考えているという意味で、D案の提出者になったところです。

 それからもう一つは、非常に気になるワード、言葉の使い方があって、要するに、脳死判定は煩雑だということも午前中の答弁の中でA案の提出者の方が言われました。今、現場で煩雑であると。これは、煩雑というより、やはり厳格さを求めているということであって、これを煩雑だというふうにお考えいただくとやはりまずいのかな。現場の方にもやはりここは大変なんです、負担がかかるというのは重々承知をしています。しかし、やはりここは、それを煩雑な作業だというふうな言い方をされると少し問題があるのかなという印象も私自身持ちました。

 私は、こういうところを含めて丁寧な議論を重ねて、多くの国民の皆さんの本当の意味でのコンセンサスをやはりとっていかないと、これは最終的に臓器提供例がふえないんじゃないかということをすごく危惧しています。

 また、これはもしお答えいただければお答えいただきたいんですが、十五歳以上で、家族の意思でいわゆる臓器提供を認めていくということになりますと、本当の意味で移植カードの普及をさせていこうという努力がそがれるんじゃないか。要するに、カードがなくたって家族の意思だけで臓器提供できるんだから。本来の本人意思の確認がまず尊重されるべきだと私は考えていますが、この尊重されるべき意思を確認する重要な、そして今は唯一のツールであるこの意思表示カードの普及、それから、そこへの記入が進まない可能性にもなるのではないか、要するに、意思不明の方の臓器提供が今後どんどんふえていくんじゃないかというような懸念も持つわけでありますが、それについて、もし御意見があればお聞かせください。

冨岡議員 先生御危惧のとおりなことが今起こっていると思います。なかなか普及しないという意味ですね。だから、それを何とかドナーカードも諸外国並みに一〇%ぐらいまでの保有率というんでしょうか、そういうのを図っていくのがなかなか難しいのは委員御承知のとおりであります。

 したがって、私たちも、D案の方が言っておられるように、もう既にガイドラインでそういった普及啓蒙については十分やっているつもりですけれども、また一層そういった普及啓蒙活動に努力をしていきたいと思っています。

 また、先ほど、脳死は人の死としてどの程度のコンセンサスが国民にあるかということで、同じような答弁をずっと繰り返しているんですけれども、一応、直近の値では六一・七%の支持率というんでしょうか、脳死を人の死と認めていいというような国民のコンセンサス、これを高いと見るか低いと見るか、少し異論のあるところですけれども、我々はかなり普及したなというような考えでこの法案を提出しております。

 これは、裏づけられる行為として、八十一例の脳死臓器移植が行われましたけれども、現場においてはほとんど混乱は起きておりません。どういうことかというと、法的脳死判定をして、後で家族がそれを例えば傷害罪、殺人罪で訴えるような、そういった事案もないし、それを聞いた国民が、それはおかしいじゃないかという、例えば弁護士会等の訴えも聞いておりません。

 したがって、脳死は人の死であるというのは、徐々にではありますけれども、国民の間でコンセンサスが得られつつあるというふうに理解しているところであります。

岡本(充)委員 その徐々の理解をやはり着実なものにしていくという法改正を僕はしていくべきじゃないかと思っているんですね。

 それで、今、どのくらいふえるかという話になりました。

 この話を先にするつもりはなかったんですけれども、私、資料をちょっとつくってきました。この一枚紙なんですけれども、実際に毎年の献眼者数がどうなっているかを見ました。それから、先ほどは、いわゆる死体腎の移植が年間百六十例だと。死体腎の場合には、後ほどちょっと議論しなければいけないと思っていますが、腎がん患者の可能性もあり、なかなか全員がその適応になるわけではありませんが、角膜の場合はここに悪性腫瘍があるという可能性は比較的少ないものですから、これはすべての死亡者が対象になるとすると、百万人程度毎年亡くなられる中で大体千人、千人に一人の提供だと。

 その一方で、腎移植は大体百六十人ぐらいです。毎年それで推移しています。これが著しく伸びるということはないです。これがずっと続いていて、これも百万人亡くなられる中でおよそ三分の一から半分はがんを患ってみえるとすると、五十万人程度の方が対象になるのかなとしていきますと、大体二、三千人に一人というぐらいの程度になってくるということをあわせて考えると、三徴候死という死の定義が定まっていても、実は千人から二千人にお一人か二人しか提供をされない。

 したがって、私は、ここは自分の中でも非常に今回、まあ、そういうことなのかなと思ったのは、要するに、脳死は人の死なのかどうかと今先生と大分議論しましたけれども、たとえ脳死は人の死なんだと確定をし、そしてすべての人から家族の同意だけでとれるんだ、いただけるんだ、提供していただけるんだという話になったとしても、死体腎ですらこの状況、それから献眼ですらこの状況であるとすると、先ほどの話です、いかに皆さんにいろいろな意味での移植についての知識を持っていただき、そしてその推進に御協力をいただけるか。教育もありましょうし、普及啓発もありましょうし、いろいろなことがあると思います。やはりそこが重要になってくるんじゃないかと。

 したがって、不明であれば臓器を提供していただけるというようなことがどんどん進んでいってしまうと、この死体腎や献眼がなかなか今でも、非常に頑張ってみえます、日本アイバンクさんも非常に頑張ってみえるんだけれども、進まないと同じ状況になって、結局、脳死症例、大体年間三千人から四千人程度と言われている、千人に一人だったら、やはり四、五人という状況は変わらない、そういうことに至りはしないかということを私は危惧をしているということを述べさせていただいているわけです。

 これについて、もしA案提出者の方から御意見があればお聞かせいただきたいと思います。

    〔三ッ林委員長代理退席、委員長着席〕

冨岡議員 これは委員御指摘のとおり、仮にこの新しい法律が通っても、急峻に提供者が伸びるかというと、大体百から百五十人ぐらいしか恐らく、いろいろな、臓器といってもたくさんございますから、ふえるとは思われません。

 したがって、私たちは、原点に戻りますと、臓器提供というのは最良の医療とは思っておりませんが、どうしてもそれが必要な人たちの権利が今確保されていないということで、このような法案を提出させていただいているわけであります。

 したがって、よく言われることですけれども、角膜に関しましては、今、東北大学の西田教授が、自分の口腔内の粘膜からそれを培養して、角膜潰瘍等の、以前だったら遺体からとった角膜移植でしか救われなかったような、そういう患者さんに自分の細胞からできる再生医療等を導入されていることがあります。

 また、同じように、心臓移植でしか救われなかったような心不全の患者さんに対しましても、大阪大学の澤教授グループは、本当に補助人工心臓でしか生きられないような方に、自分の骨格筋、大腿部の筋肉の培養をして、それを張りつけることにより心不全から離脱させたような経験があると聞いております。

 したがって、私たちは臓器移植が最良の医療とは思っていませんけれども、なるべく、今権利として認められていない十五歳以下の方たちにいかに門戸を開いてやるかということを委員と同じように考えているわけであります。

岡本(充)委員 十五歳未満の方については、D案とA案はほぼ同じ話になっている。ただ、コンセプトがちょっと違っていると言われますけれども、先ほど確認をしましたように、法的脳死に入っていく手続的なところも同じだということであります。そういう意味で、今指摘をしたわけです。

 ここでB案の提出者の方にちょっとお尋ねしたいんですけれども、ほかの各案もお伺いしたいんですが、今回は十二歳まで臓器提供年齢を拡大するんですが、今後B案が成立した場合には、法改正とか修正もしくは見直し、どういうふうにしていかれるんでしょうか。大体のタイムスパンをお聞かせいただきたい。

石井(啓)議員 B案につきましては、いまだ脳死は人の死であるという社会的な合意は得られていないという判断のもとに、現行法の、本人の意思を最大限尊重するという案でございます。

 現行法が民法の遺言状作成可能年齢を引っ張って十五歳という形にしていますけれども、私ども、少なくとも初等教育の終了段階である十二歳以上であればそういった判断は備えることは可能であるということから、今回の改正では十二歳ということにさせていただきました。

 今後ですけれども、まだ具体的に何年後ということを確定するのはなかなか難しいんですが、今回の改正案の中でも、学校における教育、また普及啓発活動、こういったことを進めるということにしておりますので、これをやることによりまして、さらに自己決定可能年齢というのを引き下げることは可能だと思っております。個人的には、小学校の高学年ぐらいまではいけるのではないかというふうに考えております。

 最大限に自己決定可能年齢を下げた後、では、それ以下の、それより下の年齢の子供さんについてはどうしたらいいのかということでありますけれども、これは、私どもはいろいろな条件整備をした上で検討をすべきだと思っております。

 その条件整備といいますのは、一つは、虐待児の方の紛れ込みの防止策であったり、あるいは子供の脳死判定基準の確立であったり、こういったことをしっかりと整備した上で検討すべきでありまして、その場合には、親御さんの代諾ということも含めて検討すべきだというふうに考えております。

岡本(充)委員 そういう意味ではどういう期日かというのがなかなかちょっと読み取れないところもあって、非常に難しい判断だなというふうに思っています。

 C案についてちょっと確認したいです。

 これは厚生労働省にもこれから聞いていく話ですが、脳死の判定基準の厳格化を求めるということを、厳格化というか、判定に必要な検査項目等を含めて改めて見直す提案をされたということは、これは大変意義深いと私は思っているわけですけれども、これは厚生労働省の脳死のガイドラインの変更ということでも可能であったかなという中で、あえて法律で提案をしたということについての意義をお聞かせいただきたいと思います。

阿部(知)議員 お尋ねをありがとうございます。

 実は、現法律ができ上がったときの参議院での最後の附帯決議で、脳死の定義や治療、判定方法については逐次見直していく、当然ですよね、医療は進歩するし。でも、逆に十二年間見直されていないわけです。

 私どもの法案では、今回二つのことを法定化いたしました。まず、その原因となる疾患が何であるかということを確定すること。そして、その原因となる疾患について、可能な限りの治療がなされるべきこと。これを、今までのガイドライン事項から法律事項に上げました。

 これはもう当たり前過ぎるほど当たり前なことをなぜやったかというと、これまでの八十一例の検証でも、施行規則違反、ガイドライン違反等々、数々ございます。そういうことから見れば、施行規則やガイドライン、省令事項では守られないということがあって、先ほど来委員の御質疑の、要するに、救命救急医療に尽くしたということに全幅の信頼を置けるために、一歩、法定化した。そして、実は脳血流の事項は、これは法律化ではございません。ガイドライン、施行規則等々にかかわる、主にはガイドラインにかかわる変更であります。

 私どもがあと一点法律で変えましたのは、脳死の定義を厳密化と。これは、今の定義ですと、さまざまな脳機能の停止、とりあえずそこでとまった、ないと思われるという方式ですが、喪失という言葉で、これが失われた、時間経過の中でも失われたということをより確定するものに近づけようということで、一つ脳血流もその補助手段である。これは、補助手段として血流を入れ、定義は停止を喪失に変えたということでございます。

岡本(充)委員 今、C案提案者の方からお話がありましたけれども、ガイドラインで見直すべきものもあるんじゃないかという声も幾つか聞こえてくるわけですが、大臣、どうでしょう、平成十九年に、後ほどお尋ねをする病腎移植に関しての部分を含め変更されたようですけれども、このガイドラインを変えていくということについて今検討されているか、もしくはその必要性があるとお考えか、お答えいただければ。

舛添国務大臣 一つは、今、阿部さんもおっしゃったように、医学の、医療技術含めて日進月歩の進歩を遂げていますから、その時代の水準に合わせたガイドラインというのは必要だろうというふうに思っています。

 御承知のように、昭和六十年のいわゆる竹内基準から始まって、平成四年の脳死臨調、それから六年の臓器提供手続に関するワーキング・グループ、これは、まさに私が申し上げたように、当時の医学水準に基づいてガイドラインを出したわけであります。

 一定の役割は果たしておりますので、これは今御審議いただいておりますこの四つの法案の行方を見据えた上で、それを踏まえて、また関係の審議会とも協議をして、ガイドラインの見直しということも含めて、視野に入れて準備をしておきたいと思っております。

岡本(充)委員 その中で、きょうは病気腎移植、病腎移植についてちょっとお尋ねしたいんですが、本当に腎移植を待ってみえる方からすると、先ほども答弁にありましたように一万人を超える方が待ってみえていて、死体腎の移植もなかなかふえない、生体腎に、親族からいただいているのに依拠しているところも結構ある。

 こういう状況の中、これで見てみますと、二〇〇七年、宇和島徳洲会病院がまとめた報告書、また、平成十九年度の厚生労働省の厚生労働科学研究費補助金を使った特別研究事業での研究報告書、これのどちらでも、病腎移植について積極的に支持するものではないが、可能性について研究をされてきている、米国、オーストラリアでは先駆的治療行為として行われていることも判明しているし、この研究班の方では、各国の移植学会及び泌尿器科学会の中で積極的に推奨した報告機関、学会は認めなかったものの、献腎移植における悪性腫瘍等の疾患を有する臓器の移植に関する報告内容によれば、予後不良の報告は多いけれども、これが実際にうまく機能しているものもある、標準的な医療とはなかなかできないけれどももう少し研究をしてみたらどうか、こういう提案がなされている。

 大臣、どうでしょう。もちろん私もにわかに、いい、もろ手を挙げてやろうという話じゃないんです。ちょっともう少し、これで終わりということじゃなくて、研究されたらいかがでしょうか。

舛添国務大臣 この問題を私もずっとフォローしてきて、むしろ、積極的にやるべきだ、諸外国においては一つの治療技術としてもう確立しているんじゃないかという御意見もあり、また、同僚の国会議員の中でもまさに賛否両論あります。

 今のところは積極的に進めるべきではない、今おっしゃったように、安全性ということについて本当に確立しているかということなので、臨床研究ということであれば例外的にできるということなんですが、これも、私自身が医者でもないし専門家でもないので、さまざまな専門家の御意見の今の日本での集大成はそういうところなんですが、ただ、今申し上げたように、委員の御意見も考慮に入れながら、どういう形でこれをやるのか、もうちょっと専門家の御意見、それから臨床例というのを積み上げてみたいなという感じがします。

 私が今独断的に、さらに進めろとか、やはり安全性の確立をもっと待てというようなことはちょっと申し上げられませんが、さらに注意深くこれは見守っていきたいと思っております。

岡本(充)委員 最後に、大臣にもう一つだけ御意見を伺いたいと思います。

 私の資料でも、なかなか日本で剖検の数もふえない、それから、献体は少しふえているようですけれども、献血ルームでの献血の回数も、ほとんどが再来の人、初回の人になかなか献血ルームもお越しいただけない。献血が一番身近な臓器移植、輸血がそうです。そういう意味で、皆さんのいろいろな英知を集めながら、やはり普及啓発をしていくことこそが大変重要で、もちろん、それぞれの判断があって、やりたくない、提供したくないという人の意思は尊重されながら、その有効性、またその意義をもっとアピールしていく、そういった方向に厚生労働省としてかじをとっていくべきだと私は考えますので、それについて一言だけ御意見をいただいて、私の質問を終わります。

舛添国務大臣 解剖を含めて、少し光が当たらな過ぎたと思います。ですから、死因の究明という大きな問題についても、これは非常に有意義なので、本格的に取り組んでまいりたいと思っております。

    ―――――――――――――

田村委員長 この際、ただいま議題となっております各案について発言を求められておりますので、順次これを許します。新井悦二君。

新井委員 自由民主党の新井悦二です。

 本日は、発言の機会を与えていただきまして、本当にありがとうございます。早速、時間がありませんので、発言をさせていただきます。

 今回の臓器移植法について、いろいろな意見や質問が出されましたけれども、たくさんの人の意見を聞けば聞くほど臓器移植法の難しさが浮き彫りになり、今回出されました四案について、それぞれの問題点も出てきているように思います。その中で、特に日本人の死生観とか宗教観などが争点となりましたが、本当の争点は、やはり本人の同意を必要とするかしないかにあるのではないかと思っております。そして、何よりも臓器を提供する側とされる側に立って考えていかなければならないと思っております。

 私の意見としては、国内での移植の数は余りにも少なく、現行法が壁になっていると思っております。そのために国内では生きる希望が持てないのが事実であり、法改正を進めていかなければならないと思います。そうなってきますとA案かD案がありますが、しかし、両案ともにやはり問題があると思っております。

 A案につきましては、脳の回復力が強い乳幼児の脳死判定は医者でも難しいと思いますけれども、特に長期脳死児を死者として受け入れることは、家族だけではなく医者側にも難しいと思います。医師の統一した見解が果たしてできるのかどうか。

 また、脳死を一律に人の死とすることに問題はないのか。脳死、脳死に近いなどと診断される子供たちが何年も生きるケースが少なくなく、自発呼吸など回復する例もあるわけでありますので、脳死診断のあり方についても考え直さなければいけないんじゃないかと思っております。

 さらに、脳死を一般的に人の死とすることと脳死を人の死と考えないダブルスタンダードが存在していると、やはり現場での混乱、また法的な問題も解決していかなければならないと思っております。

 また、親族への優先提供についても、臓器移植法の理念であるドナーの意思の尊重と移植機会の公平性ということも慎重に論議する必要があると思っております。

 D案については、十五歳以上について本人の意思確認が必要で、臓器移植が進まない現状の改善ができるかどうか、これはやはり厳しいのではないかと思っております。またさらに、十五歳未満については、家族に承諾するか否かの困難な判断を迫ることになりますが、これで本当に臓器移植の道が開けるのかどうか。

 また、海外の方が臓器移植が進んでいると考える人もいますけれども、海外の脳死診断は日本ほど厳格ではなく、治療を打ち切る場合もある事例も報告されていて、医療文化の違いなどもやはりしっかりと認識して考えていかなければならないと思っております。

 いずれにいたしましても、臓器移植法、臓器移植を進めていくには、やはり提供する側と受ける側の双方の理解が必要ではないかと思っておりますので、しっかりと考えていかなきゃならないと思います。

 以上です。ありがとうございました。

田村委員長 次に、木村義雄君。

木村(義)委員 私は、一九九七年の前回の法制定当時、臓器移植法案に反対をいたしました。なぜならば、当時の議論の方向性を聞いておりますと、これはまさに船頭多くして船山に登る、臓器移植禁止法案になることを恐れたわけであります。しかし、結果としてそのとおりになってしまったような気がいたしてなりません。

 今回は、私はA案に賛成いたしたいと思います。それは、やはり多くの患者さんが、天文学的な費用でもって海外で移植の手術を受けるというようなことをこのまま見過ごしていて本当にいいんだろうか。しかも、そのことも、これからのWHOの動きによっては受けられなくなるということになるからでございます。そんなようなことにならないように、国内でしっかりと手術が受けられるようにしていくのはある意味で当然のことではないか、このように思われてなりません。

 その中で、私はD案が出てきたことを非常に残念に思っておりまして、何か後出しじゃんけんでもって、A案つぶしのような気がいたしてならないわけでございます。

 それから、議論に多く出ていたわけでありますけれども、省令、通知、ガイドライン、これが結果としてまたブレーキにならないように、これからやはり議会においてもしっかりと見ていく必要があるんじゃないか。そのときのムードによって厳しい中身を決めてしまいますと、後々これが大きな足かせとなっていくことを非常に危惧するものでございます。

 今回の法改正によりまして、多くの移植を待っている方々に、生きる喜び、生きる光を与えることができるようになることを大きく期待させていただきまして、私の意見表明とさせていただきます。

 ありがとうございました。

田村委員長 次に、赤池誠章君。

赤池委員 自民党の赤池誠章です。

 今回の臓器移植法案ほど大変難しい議題はないと思っております。どのような境遇、立場に置かれているかによって見解が大きく異なるだけでなく、そのいずれもが正論であるからであります。しかも人の生き死ににかかわる問題となれば、簡単に結論など出せるものではないというのが正直な思いであります。

 突然自分が病に倒れたり、また近親者が臓器移植を待つ身であったり、募金で海外に行き、臓器移植によって元気になった方や、残念ながら亡くなられたりした方、そしてその方々の治療に当たり、患者を救いたいと懸命な努力を続けておられる医療関係者など、欧米のように日本国内で臓器の移植をふやせる法案にし、一人でも多くの命を救いたいという切実な思いがあります。

 その一方で、近親者が病や事故で生死の境をさまよい、それでも体は温かく呼吸をしているのを間近で看護している方々、そして治療に当たる医療関係者、また現在課題となっている小児医療に携わる方々、法律家や宗教家の方々は、臓器移植の拡大、推進について非常に慎重な考え方をお持ちになられています。なぜなら、臓器移植のためには、臓器を提供する側の死というものがそこにあるからであります。

 国家国民の意思決定をしなければならない私ども国会は、平成九年に臓器移植法施行以来十二年、議論は収れんするどころか、現在四つの改正案に見られるように、議論は拡大してまとまる可能性はありません。三年見直し規定が守られなかったのは国会の不作為という側面があったのかもしれませんが、それだけ関係者や専門家の意見、国民世論が分かれた難解な問題であるということが大きかったのではないかと思います。それでも今国会で意思決定しなければならないという中で、私自身、国会議員として大変難しい判断を迫られているというのが正直なところです。

 日本人の伝統的な死生観では、脳死判定を人の死として受け入れるのは難しいと思います。欧米のキリスト教的な、宗教的な確信、信条、すなわち究極の自己犠牲の精神がなければ、脳死を人の死とし、家族の臓器を取り出して他人に移植して、他人の中で自分の家族が生き続けることを受容するというのは相当難しいのではないかと思っています。まして、それが子供であり乳幼児となればなおさらであります。日本人の意識がついてこなければ、仮に推進法案が制定されたとしても臓器移植は進まないのではないでしょうか。

 臓器移植は他の人の死を前提とせざるを得ません。私は、あくまで臓器移植は過渡的な医療方法として、時間や予算の問題はあるにしても、最終的には人工臓器や再生医療などの研究開発の道に国家プロジェクトとして取り組むべきだと思っています。

 第二脳死臨調の設置、国民への情報提供、全国の地方議会での議論、私ども厚生労働委員会のみならず全国会議員の意見表明を求めた上で、国民的な議論がある程度収れんするまで法案採決を延長することを提案して、私の意見表明といたします。

 ありがとうございました。

田村委員長 次に、川条志嘉君。

川条委員 自由民主党の川条志嘉でございます。

 本日は、臓器移植法案に対しまして発言の機会を与えていただきましたことをお礼申し上げます。

 私はあちこちの場で、人は持って生まれた生命を最後まで全うすべきという意見を述べてまいりました。今回、なぜ、国民の生命及び治療権、人権に関する問題がこれほどまでに拙速に議論されるのか疑問に思っております。

 その理由は少なくとも三つあります。一つ目は、不正確な情報がこの拙速な議論の根幹にあることです。これは許せないことです。二つ目は、A案の、脳死イコール人の死という法律そのものの不備。そして三つ目は制度の不備です。私はこの三つを今から詳しく述べていきたいと思います。

 まず、正確な情報がマスコミ等で流されていません。例えば、臓器移植の際に、臓器摘出の際に麻酔を使うということを知っている国民がどれだけいるでしょうか。例えば、今回の拙速な議論の根底にある、WHOの指針が決められる。

 指針全文を今私は持っておりますが、この指針全文の中に、移植ツーリズムと臓器売買の禁止、生体移植のための法整備というのは書かれていても、移植に使われる臓器を国内で自給自足するようにという文言は一文も見当たりませんでした。国内で自給自足が書かれている、これはイスタンブール宣言の方です。移植者協議会や、移植学会が発表されたイスタンブール宣言だけなのです。にもかかわらず、WHOの指針というように国民はうそを伝えられ、うその情報に基づいて、国会議員すら早く移植をふやさなければという意識に駆られている現状に、非常に違和感を感じます。

 次に、私はA案そのものの不備を指摘したいと思います。

 A案の推進者からは、生前の承諾の意が免許証とか保険証、カード等に表示されないから移植数がふえないという指摘を聞きます。ならば、生前の拒否の意も表示されないことが多いということが予測されます。つまり、本人の意思がわからないまま脳死判定、ドナー対象者がふえることが予測されるわけです。そのときの家族の承諾が必要といいますが、だれをもって家族とするのか規定されていません。家族の意見が分かれるとき、そのときの判断が後々の家族の調和に禍根を残していくことが非常に高い確率で考えられるわけです。

 最後に、現状の制度の不備を指摘させていただきます。

 小児救急センターも、全国で十九床と非常に不備な現状があります。臓器移植よりも何よりも、助かるかもしれない、脳死に近い子供の早期治療、早期救命と言いたい。

 また、異状死の死因究明制度だって不備なんです。現状では、必要数の検視すら人員不足のために行われていません。例えば、時太山のリンチ死で、御遺体の検視から死因が判明しましたが、仮に遺体を、腎臓を摘出して臓器移植に回していたら、死因究明はあったと考えられるでしょうか。現在の不備な検視制度の下で仮にA案が成立すれば、異状死に対しても死因究明がなされないまま臓器移植がなされ、異状死殺人の温床あるいは保険金殺人の温床とすらなりかねないと私は危惧します。

 したがって、正確なWHOの指針を国民に伝え、臓器移植の際に麻酔を使用するとか国民に正確な情報を伝えた上で、かわいそうという感情論だけで生命の問題の議論を、しかも、この厚生労働委員会という……

田村委員長 川条君、申し合わせの時間を経過いたしております。おまとめください。

川条委員 少人数で早く終わらせるのは拙速過ぎます。制度整備の後、再度脳死臨調を開いて、もう一度議論する必要があると思います。

 以上です。ありがとうございました。

田村委員長 次に、冨岡勉君。

冨岡委員 衆議院議員の冨岡でございます。

 A案提案者として答弁に立ったんですけれども、答弁漏れじゃないですけれども、今のような御発言、それから小児の脳死判定についてちょっと補足説明し、また私の意見を述べさせていただきたいと思います。

 小児の脳死判定の難しさというのはやはりございます。したがって、現在のように八十一例しか脳死移植ができていない状態では、この提供施設、三百三十八の施設にとっては、何年ぶりか、あるいは初めてかという病院が多くなることが予想されます。

 したがって、小児の脳死判定はまだまだ詰めなくてはいけないような部分がございますけれども、そういった不安を払拭するために、やはり専門チームを派遣して、例えば脳死判定者を二名、あるいはコーディネーターを一名、あるいは事務的な処理をするような事務官一名を、おのおの日本を四カ所ぐらいに分けたブロックごとに配置し、これを補佐するような、脳死移植を推進するためにこういったチームが出かけていって、提供施設に派遣し、それを行うというようなことを考えております。

 また、今、川条議員からちょっと御指摘がありましたけれども、異状死死因究明制度、これは私もやらせていただいたんですけれども、虐待児あるいはドメスティック・バイオレンスという問題がありますが、こういったことが起こらないように、やはり検視制度もきちんとし、場合によってはいろいろな画像診断、オートプシーイメージング等を使いながら、不慮の事故か、あるいは虐待なのか、こういったものをきちんとする。そういった、マニュアルに近いような、内部のそういった判定委員会等を立ち上げ、チェックする予定にしております。

 さて、私はA案提案者としてこれを提案しているわけでありますけれども、もう一度、委員長を初め委員の皆様方に頭の中を整理していただきたいと思います。

 まず、患者さんがどの案を一番望んでおられるかを考えていただきたい。そして、臓器移植を遂行する医療提供者側は、日本医学会を初め、医師会、そして大学関連のいろいろな多くの学会がございますけれども、これがどの案を支援して、また支持しているかをもう一度お考えいただきたい。

 また、WHO等の話が再三出てきておりますけれども、このA案というのはゼネラルスタンダードな考えでございまして、日本国以外、十五歳で分離している国はございません、世界じゅうで移植をされている国では。そういったことを勘案して、どの案が一番この日本国にふさわしいかをお考えいただきたいと思っております。

 私たちは、死の定義を……

田村委員長 冨岡君、申し合わせの時間が経過いたしました。

冨岡委員 この議場でするつもりはございませんで、やはり権利として十五歳以下の人たちにも認めてあげたいということでございます。

 失礼しました。

田村委員長 次に、木原誠二君。

木原(誠)委員 自民党の木原誠二でございます。

 世界的にドナー不足、そしてまた渡航移植を自粛しようとする動きが一部にある中で、しかし一人でも多くの救える命は救いたい、こういう思いでこの審議に臨ませていただきました。この数週間、A案ないしはD案、どちらがより適切かということを私なりに考え、現時点では私はD案を支持させていただきたい、こう思っております。

 その思いは、今一っ飛びにA案に行くにはまだ二つの意味でハードルが高いかな、こう思っております。

 一つは、脳死を人の死として一般的に受容する国民的コンセンサスができているかと申しますと、まだそこまで至っていないのではないか、私はこのように感じております。そういう中で、A案の提案者の方々も、これは臓器移植の場面に限ってのことである、こういうことを御答弁いただいたわけでありますが、であれば、きょうも議論になっておりましたけれども、六条二項前段部分をなぜ削除しなければいけないのか。きょうは、修正もあり得るかもしれないという御答弁もあったわけでありますけれども、必ずしも説得的な答弁をいただけなかったのではないか、このように思っております。

 二点目は、こちらの方がより重要ではないかと思いますが、自己決定ということについて、我々はやはりなお一層尊重していくべきであろうと思っております。A案の提案者の方も自己決定ということを尊重する、こういうことでありましたけれども、やはりA案とD案では自己決定の中身が違うのではないか、私はこのように思っております。

 二つ申し上げたいと思っております。

 一つは、A案の場合は、BからD案そして現行法と明らかに違うところは、拒否という自己決定が非常に大切になってくる、こういうことでございまして、この拒否の自己決定というものをどういうふうに担保していくのかということについて、あわせて制度設計を示していただかないとなかなか踏み込めないのではないか、私はこう思っております。拒否をしていたけれども、その意思が明らかでなく、臓器移植が終わった後、その意思が明らかになったという場合に、違法性は本当に阻却されるのかどうか。こういうことも含めて、より慎重な議論が必要ではないかと私は思っております。

 同時に、意思が不明確であるということも、これは自己決定がないということでは決してなくて、あえて不明確にしている、そのことを選択されたという方もいらっしゃるのではないか。そういう意味でいえば、ここを家族の同意だけで進むことが本当に可能かどうかということについても、まだ私自身、十分納得ができていないところでございます。

 D案については、現行法の中で最大限の努力をしていただいたもの、このように思っております。十五歳を境に遺言の作成能力があるない、こういう今の法律体系の中で最大限努力をしたものである、私はこう思っておりますので、当面、私自身はD案を支持させていただきたい。

 いずれにいたしましても、四案の提案者の皆様に最大限の敬意を申し上げまして、意見表明とさせていただきます。ありがとうございました。

田村委員長 次に、三ッ林隆志君。

三ッ林委員 自由民主党の三ッ林でございます。

 このたびは、ただいま課題となっております臓器移植法の改正案について意見を述べる機会をいただきまして、まことにありがとうございます。

 私、本委員会に設けられた小委員会の小委員長も務めさせていただいて、参考人の皆様の意見、また施設の視察等、いろいろお聞きし、また勉強させていただいたわけでありますけれども、その中で、私としてはA案を支持する立場で話をさせていただきます。

 これまでの参考人の御意見をいただく場、また、前回と今回のこの委員会での質疑等を聞いておりましても、脳死に対する質問というのが大変多いというふうに感じましたし、ただ、その脳死に対して、それぞれ言っている脳死の内容といいますか、感覚が違っていながらも脳死という一つの言葉で表現されているところに、ちょっと混乱のようなところも出ているのではないかなと思っております。

 臨床の場では、やはり患者さんの今後の治療もしくは予後を判定するために脳死状態であるかどうかというふうなことを調べることは多々あると思いますし、そのような状態は、臨床的脳死という言い方であったり、または脳死状態というふうな言い方になっておりますけれども、それも脳死という表現になっていることもあったように思います。

 そして、ここで問題となっているのは、臓器移植をまず前に置いた法的脳死判断による脳死が、脳死イコール人の死というふうなところに続いていくわけでありまして、そこのところのそれぞれの違いというものをもう少しはっきりさせないと、臨床的脳死もしくは脳死状態というところで脳死と言われたら、呼吸器を外されてしまうのではないかというふうな誤解でありますとか、そういうのが生じている感じがしております。

 そこのところの、法的な脳死にたどり着くには、本人の臓器を提供するという意思があり、また家族がそれに同意する、またはそれに本人が拒否するなり家族が拒否することでそれぞれ違ってくるというふうなこともしっかりと考えていって、少しでも、不明な方に対して、今度A案というものが家族の同意によって初めて脳死判定ができるようにしようというふうな法案でありますけれども、それにおいても、拒否をするという意思表示も当然、今のドナーカードでもできるわけでありますから、ドナーカードを進めるのはもちろんだとは思いますけれども、それだけではなくて、国民全体での脳死移植に対する知識、また話題というものをより広く喚起していくということがぜひとも必要だと思っております。

 そして、その中で、やはり今まで二つ大きな課題といいまして、実際の臓器移植がふえない、それから小児に対して移植ができないというふうな……

田村委員長 申し合わせの時間が過ぎております。おまとめください。

三ッ林委員 はい。二つありますけれども、ぜひ、これらを少しでも前に進めて、実効ある改正案にするためにはA案しか選択の余地はないと思っておりますので、どうぞ多くの先生方の賛同をよろしくお願いいたしまして、私の意見といたします。

田村委員長 次に、谷畑孝君。

谷畑委員 臓器法が成立して十二年、臓器提供が八十一件、これをどうとらえるか。また、十五歳の子供さんが臓器提供でしか生きられない、こういう深刻な問題、しかもその両親にとりましたら助けたい、こういう気持ちだろうと思います。

 そういう意味では、現行法は十五歳以下は臓器提供、移植ができない、こういうことでもあります。また、世界の流れは自国の中で完結するようにという流れでありますから、そういう状況の中で、私ども立法府、立法機関の一員として、何としてでも今国会で臓器移植の道をさらに広げていく、可能な限りの方法で広げていきたい、これが私の意見であります。

 その中で、私はD案を支持したいわけです。

 当初はA案しか仕方ないかなと思っておったんですけれども、なぜD案なのかと申しますと、私自身、本来は、生老病死じゃありませんけれども、やはり人は死ぬときは死ぬ、そして花も時期が来れば散る、これが事実だといつも思っておったわけです。しかし、御存じのように、科学が発達し医療も発達する、そういう状況の中でやはり生かしたいというこのバランスをとる、ここが非常に難しい問題だろうと思うんです。そういう意味で、現行法は、臓器提供の場合に限り脳死は人の死であるという、これは本当にすばらしい、苦労した中ででき上がった知恵だと思います。私はこの知恵をぜひやはり生かしていきたい、これがD案に賛成する立場であります。

 そこで、十五歳以下になってきますと、やはり子供たちは人格形成過程の途中でもあるし、そういう状況の中で子供さんの意思というのか、それをそんたくして親が同意という、ここは僕は認められる範囲だし、そういうことを通じて道を広げていったらいい。

 しかし、これを限りなく認めていきますと、私が厚生労働の副大臣のときに、岸和田の児童虐待というもので、もう日本国じゅうが大きなショックになりました。本来子供を守るべき親が、中学一年生を餓死寸前まで児童虐待していくわけですから、私はこの事件を見て、人は本来善意であらなきゃならぬということも、そうじゃないんだとわかりました。そういう感じになって、やはり第三者委員会で児童虐待だとか、医者の誘導を含めてちゃんとされているかどうか、最低限そういうものが必要かなということであります。どうぞ、D案にお願いしたいと思います。

 ちょっともう一つだけ。だからといって、A案もD案も皆過半数に行かなかったら、これは私どもの責任は重いと思います。これが非常に僕らの悩みです。ぜひ知恵を出して、どれかに集約しながら通していかなきゃならぬと思います。

 以上。

田村委員長 次に、藤村修君。

藤村委員 民主党の藤村修でございます。

 私はD案の賛成者の一人であります。

 脳死は人の死、このことについてまず冒頭申し上げたいと思います。

 A案の答弁が、常に平成四年一月の脳死臨調答申をとらまえて、ここで脳死は人の死、一部そうでないと言う人もいたということが言われ、金科玉条のように御答弁がありました。その同じ平成四年十一月にマスコミが調べた調査では、脳死を人の死と判定してもよいかという一般的国民の意見としては、実は、死と判定してよいと言ったのは五二%。つまり、おおむねとかいうのはどちらかというと、これは純粋医学的、科学的に見れば私もそうかと思います。ただ、法律をつくる際、これは一般国民の皆さんの思いというものがやはり重要であるということだけまず申し上げます。

 そして私は、後の手続のことをちょっと申し上げたいと思います。

 平成九年に成立した現行の臓器移植法が、三年の見直し規定があるにもかかわらず、三年、三年、三年で来れば三回パスしたような、これは国会の不作為と言われてもしようがない事態であります。現在の衆議院議員が、今、平成十七年九月からの任期で既に三年九カ月、満期に近いわけです。また臓器移植法の改正案であるA案、B案が出されて足かけ二年余り、厚生労働委員会において審議が続行されていることにかんがみて、いよいよ任期満了に近い我々衆議院議員が、それぞれにおいて熟慮した上で一定の結論を導かねばならないと考えます。

 結論を導くに当たり、私ども民主党では、実は本委員会の委員の間で、私が認識する限り、C案支持三人、D案支持四人、不明とあります。先般、委員外で質問いただいた二人はA案支持でありました。ということで、民主党の中でも集約不可能。同様に、本委員会全体について言えば、政党にかかわらず、D案支持が今のところは多いように見受けます。すなわち、この委員会で採決をしたところ、多分どれも半数に満たないという結果になるのが何となく見えます。

 私ども民主党は、本件を算段するにおいては、議員個人個人の生死観、倫理観、宗教観など心の問題に深く立ち入ることになることから、いわゆる党議拘束を外すこととしております。他の会派におかれてもそのような取り扱いをされるところが多いと聞いております。

 そこで、本件については、委員会での採決に余り意味がないと考えるところから、田村委員長におかれては、本件法案の性格、本委員会での審議の状況などを衆議院議長に報告するとともに、今後の審議のあり方について御相談されるべきだと考えております。

 なお、私の意見を最後に申し上げますと、本件は、議長に御判断をいただいた上で、本会議に付する議案ではないかなと考えております。

 意見表明といたします。

田村委員長 次に、園田康博君。

園田(康)委員 発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。

 九七年に現行法が成立いたしましてから、これで施行後十年がたったわけでございますけれども、現在において、この国会における審議が大変熱心な御討議の中で積み重ねられていることに、私も大変重要な籍を置かせていただいているということで受けとめさせていただいています。

 同時に、二〇〇七年より本委員会に設置されました法案審査の小委員会、こちらの委員としても在籍させていただいていることに感謝を申し上げたいと思っております。

 この間、参考人といたしまして、医療界、法曹界、宗教界の方々のほかに、移植を受けられた方やあるいは御家族の臓器を提供された方、お子様が長期の脳死状態となった方、さらにはWHO、世界保健機関の移植医療の担当の方といった、本当に幅広い分野の方々からさまざまな御示唆をいただき、私もこの場をおかりして参考人の方々にも感謝を申し上げておきたいと思っております。

 さて、現行の臓器移植法につきましては、個人が書面をもって臓器提供の意思を表示していた場合に限って脳死判定、臓器提供ができるというふうにされているため、十五歳未満の、臓器移植によってしか治療することができない子供の多くが海外で臓器移植を受けているというのが現状であるわけでございます。これに対して何らかの糸口を突破していかなければいけない、していきたいというのも、私も同意見でございまして、この点は皆さん方と共有をさせていただいているのかなというふうに思っております。

 しかしながら、先ほども少し議論がありましたけれども、WHOでは、商業目的による移植ツーリズムの防止等を盛り込んだ新たな指針への努力というものが今行われているわけでございまして、御案内のとおり、参考人でいらっしゃっていただいたルーク・ノエル氏、この方からも、日本の臓器移植は欧米諸国と比較して非常に限られており、脳死を含め、死体ドナーからの臓器提供をより増大させることが重要であるという御指摘をいただいたところでございます。

 私といたしましても、D案の賛意者という形にしているわけではございますけれども、こうした国際的な動向を踏まえつつ、国内においても、臓器移植を待ち望む多くの待機患者の方々、こういった方々の声にしっかりとこたえながら、しかし一方で臓器移植に慎重な考え方を持つ方々、そういった方々の心情にも配慮をしていかなければいけないというふうにやはり考えております。

 委員会の質疑の中で、脳死を人の死とする社会的合意が得られているのか、また、脳死を人の死とする定義そのものを法律で決めることができるのかという御議論があったわけでございまして、それに対しても、私はやはりまだ少し不明ではないのかなというふうに思っております。

 また、小児の症例においては長期の脳死例があること、あるいはDVを含む虐待、虐待児の発見が困難であることなど多くの論点が出されてきたわけであります。さらには教育の充実であるとか、あるいは第二次の脳死臨調の設置、そういった必要性も議論されていたところでございます。

 改めて、私からも、委員長を含めて皆様方にそういった議論を感謝申し上げるわけでございます。

 この議題をしっかりと、個人の死生観や倫理観、宗教観にかかわっているわけでありますので、これをやはり委員会の審議のみではなくて、国会議員全員のそういった審議に付していただきたい、そのことを私からも委員長に申し上げさせていただきまして、私の意見とさせていただきます。

 ありがとうございました。

田村委員長 次に、柚木道義君。

柚木委員 民主党の柚木道義でございます。

 まず、四法案おのおのにかかわられたすべての皆様に心より敬意を表します。

 また、私自身は、自身の死生観を別としても議員という立場では、移植によって救える命を一人でも多く救える法体系を支持いたします。

 しかし、A案で議論が集中した現行法六条二項一部削除の修正を初め、小児を含む本人の意思の尊重、脳死判定手続厳格化も含めての救急医療体制の整備など、慎重派の方から指摘のあった懸念の解消も不可欠と考えます。

 各案について申し述べたいことはまだまだありますが、今回、私はそれ以上に、先ほどの委員の方もおっしゃられましたが、手続論について申し述べたいと思います。

 まず、各改正案の委員会採決についてです。

 私は、今回の法案については、委員会採決は行わず、厚労委員長から河野衆院議長への審議の中間報告を求めたいと思います。その上で、本会議での議決にゆだねるべきだと考えます。党議拘束のない党の多い中で、本法案の重みを思えば、前回、平成九年同様に、衆議院本会議全体の意思決定にゆだねることがより広範な意思決定になると考えるからです。

 さらに本会議での採決方法について、当然議運マターだと認識しており、大変恐縮でございますが、ぜひとも、本委員会の委員長そして理事の皆様方にお願いでございます。

 本会議での採決方法は、四案の採決の順番も含めて、平成九年の審議を見ると衆院議長からの諮問を受けて議運にゆだねられることになるのかもしれませんが、私は、ぜひ本委員会の理事会において、さらなる修正も含めて、四案のどれかが必ず過半数を得る形で議決される方法を御検討いただき、中間報告として申し入れていただきたいのです。

 拙速を避けることは重要です。もし衆議院成立後に参議院で必要な修正があるならば、必ず行うべきです。その上であえて私は、時は今であると申し上げたい。前回も、平成元年の脳死臨調設置法可決から、九年に臓器移植法可決。今回もそれから十年以上が経過しています。慎重論もよくわかります。しかし、コンセンサスの醸成自体も国会の責務と考えます。これ以上の不作為は許されません。ねじれ国会にあって、今回のようなケースこそ最終的に、場合によっては衆参両院協議会が機能し得る可能性にも期待します。

 このたび御勇退を表明されておられる、そして臓器移植に関して大変深い思いをお持ちの河野洋平衆議院議長と江田五月参議院議長が連携し、文字どおり衆参の英知を結集して、四案の中から修正も含めて必ず成案が得られることを強く望みまして、私の意見表明とさせていただきます。

 以上です。

田村委員長 次に、福島豊君。

福島委員 公明党の福島豊でございます。

 各委員の方々には、大変熱心な御議論をいただいたことに心から尊敬の念を表したいと思います。

 平成八年から審議をしたと思いますが、現行の臓器移植法案の審議にも携わらせていただきました。そして、今回のA案を提出させていただいております。

 ちょうど五年前であったかと思いますが、国立循環器病センターに伺いました折に、アメリカでの渡航移植を待つ患者さんとお話をさせていただきました。なぜ日本の国内でできないのでしょうか、一日も早く法改正をしていただきたい、こういう要請でありました。大変胸を打たれるものがありました。

 一方でまた、交通事故で脳死状態、臨床的な脳死状態だと思いますけれども、親族がなられた方からお話を聞きました。仮に医師が脳死だと判定したとしても、私としてはそれを受け入れることはできない、法律でそのようなことを定めていただくのには断じて反対であると、涙ながらの訴えをされた方もおりました。

 改めて、日本人の脳死に対しての考え方というものは二つあるということを認識せざるを得ない、このように思っております。

 しかし、脳死臨調におきまして、おおむね受け入れられているというのは、それに基づいて臓器提供を行うということについてそれを否定はできない、こういう結論なんだろうというふうに私は思っております。そしてまた、先ほどの審議の中でもありましたけれども、当時の永井大臣でありますが、脳死を人の死と受け入れない、こういう方々について十分配慮をして、そして法整備を行い、臓器提供、臓器移植を進めるべきであると。この精神というのは今でも私は残っているというふうに思います。

 今回の改正は、とりわけ小児の臓器移植が日本の国内ではできない、海外で渡航移植をせざるを得ない、こういう事態をどう解決するのか、大変重い課題を抱えているわけでありまして、それに対して立法府が一つの結論を出すべきである。しかし、その中にありまして、脳死を人の死とは認めない、受け入れられない、こうした方々の意向ということが損ねられないようにしなければいけない。脳死を拒否する権利というものは当然あります。その権利が守られる必要がある。一方でまた、臓器移植を受ける権利、臓器提供をする権利、そうした権利も同時に認められる、そのことが必要であるというふうに思っております。

 そしてまた、A案、D案それぞれありますけれども、仮に小児の脳死臓器移植に道が開かれた場合に、日本の小児医療の現場というのはこうしたことに今十分たえる体制があるだろうか、このことは問われなければならないというふうに思っております。

 小児の脳死判定についてどう考えるのか、どのように基準を設けるのか、これについては関係者の方々の徹底した議論が必要であると思います。そしてまた、小児の救急医療の充実、PICUの充実でありますとか、そういったことは前提条件としてしっかりしなければいけません。そしてまた、虐待に遭った児童をどのようにして見分けていくのかということについての体制整備も必要であります。

 いずれにしましても、この議論を通じて、そして賢明な結論が出されるということを望むものであります。

 以上でございます。

田村委員長 次に、高橋千鶴子君。

高橋委員 私がここで訴えたいことは、委員会審議をきょうで終わらせるべきではないということに尽きるものであります。

 移植を一日も早くと待つお子さん、あるいは待ちながら既にお亡くなりになられた小さい命を思うと、何とか道を開きたいと私自身も思います。しかし、命の問題を需要と供給のバランスで論じることはできません。もともと子供の脳死は、大人が一%の発生率に比べ、〇・四%にすぎないのです。限られた症例、決まっていない脳死基準、受け皿施設の整備不足など、今のままでは、道を開いたものの、大きな失望と現場の大混乱を招きかねないと言わなければなりません。

 子供の不慮の事故が多く、十分な救命医療を受けられず亡くなっているという現実、一週間に一人の子供が虐待で命を落としている現実をまずなくしていくことに力が注がれるべきです。そして、移植によらない医療へ国を挙げて取り組んでいただきたいと思います。

 自己決定を条件としないという段階にはまだ条件が熟していないと思います。今も自分を責めているドナー家族、心臓停止までのみとりの時間を大切にしたいという御遺族の声が尊重されるべきです。そして、脳死と言われても生きている、体も大きくなっているという子供さんの御家族に対し、A案は一切影響を与えないのか。また、十五歳以上は現行で、それより下は家族の意思とするD案のスキームは、やはり矛盾が生じるのではないかとどうしても言わざるを得ません。

 最後に、小委員会での参考人質疑はいずれも貴重な、心を打つ発言でありました。そこで出されたさまざまな意見に対し、本委員会が十分こたえる議論を行ったとはまだまだ言える段階ではありません。小委員会の枠にとどまらず、本委員会においてもぜひこうした機会を持つべきと提案をして、終わりたいと思います。

 以上です。

田村委員長 次に、阿部知子君。

阿部(知)委員 社会民主党の阿部知子です。

 三年前に提出されたA案を初め、今国会で提出のD案まで臓器移植改正の四法案について、五月二十七日に四時間、本日六月五日に四時間の審議を経て、委員からの発言ということになりましたが、果たして各法案について十分その内容が明示され、立法背景、趣旨、その法の及ぶ範囲などについて説明がなされたかどうかというと、全く不十分であります。とりわけA案については、本人同意というこれまでの法の枠組みを大きく逸脱していますから、現行法の改正案というよりも新たな法体系として、さらに慎重に審議されるべきと考えます。

 これまで進められてきた患者の権利の確立のためにも、自己決定を重んじ、サポートしていくという考えが第一ですし、加えて、三徴候死後の御遺体の献体ですら、まず御本人の意思が前提となっております。本人意思が不明の場合、なぜ臓器移植を前提とする法的脳死判定を行ってよいか、A案提出者からは終始十分な説明がありません。加えてA案では、現行法の六条二項から「移植術に使用されるための臓器が摘出される」という一文を削ることによって、救急医療現場や患者の治療権、生存権が奪われかねないという指摘が続いています。

 この短い審議時間の中では、これらは当然未消化のままで、この段階で採決等に付されることは、立法府としては絶対にあってはならないと考えます。

 さて、私どもが提案しておりますC案においては、まず今日の移植医療に求められるものは、これまで何らルール化されることのなかった生体移植や人体からの組織摘出等について、きちんと法的規制をつくることであると思います。それによって、より安全で質のよい移植医療を確立しようとするもので、これは、予定されますところのWHOの指針の改定の中でもまず第一に求められているものと考えます。

 また、今回、とりわけ我が国では脳死臓器移植の件数が限られており、十五歳以下にあってはドナーとなることがない等について、移植件数をふやす、あるいは小児からの臓器提供に道を開くということばかりに声が偏っておることも問題で、当然その裏側にはドナーとなり得る患者さんたちの声があり、また、その声がほとんどこの場で聞かれていないということも問題と考えます。

 この点に関してはやはり、まずこれまでの八十一例についての検証結果を国民的に共有することから始め、そもそも二十五年前の脳死の定義やイメージは近年とみに変化しておりますから、例えば、臓器摘出の際に全身麻酔が使用されることや、小児における長期脳死あるいは慢性脳死の存在例についても広く国民に知らせた上で判断を仰ぐ慎重さが必要とされると思います。

 私どもC案では、その点にかんがみて、脳死定義の厳格化や、あるいは小児の脳死判定についても今後の検討課題とするなど、さらに移植後のレシピエントの状態についての検証も必要としております。

 そもそも、圧倒的に多くの国民には、この間の国会の審議内容は全く伝えられていないに等しいと思います。ぜひとも第二次脳死臨調などで、社会的、文化的、倫理的、宗教的観点からの論議をすべきです。とりわけ小児をドナーとすることが可能か否か、小児の自己決定権、脳死判定基準、親権の及ぶ範囲などの観点から、国民的な合意の形成を待つべきであることをC案として提案いたします。

 終わります。

田村委員長 以上で発言は終わりました。

 次回は、来る十日水曜日午前八時五十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後二時五十六分散会


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