衆議院

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第3号 平成15年5月15日(木曜日)

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平成十五年五月十五日(木曜日)
    午前九時二分開議
 出席小委員
   小委員長 大出  彰君
      伊藤信太郎君    倉田 雅年君
      谷本 龍哉君    長勢 甚遠君
      野田  毅君    葉梨 信行君
      平林 鴻三君    小林 憲司君
      今野  東君    水島 広子君
      太田 昭宏君    武山百合子君
      春名 直章君    北川れん子君
      井上 喜一君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   憲法調査会会長代理    仙谷 由人君
   参考人
   (中央大学法学部教授)  堀部 政男君
   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
    ―――――――――――――
五月十五日
 小委員谷本龍哉君三月十八日委員辞任につき、その補欠として谷本龍哉君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員今野東君及び北川れん子君三月二十日委員辞任につき、その補欠として今野東君及び北川れん子君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員井上喜一君四月十七日委員辞任につき、その補欠として井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員野田聖子君同日委員辞任につき、その補欠として伊藤信太郎君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員伊藤信太郎君同日委員辞任につき、その補欠として野田聖子君が会長の指名で小委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 基本的人権の保障に関する件(知る権利・アクセス権とプライバシー権)


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     ――――◇―――――
大出小委員長 これより会議を開きます。
 基本的人権の保障に関する件、特に知る権利・アクセス権とプライバシー権について調査を進めます。
 本日は、参考人として中央大学法学部教授堀部政男君に御出席をいただいております。
 この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
 本日の議事の順序について申し上げます。
 まず、堀部参考人から知る権利・アクセス権とプライバシー権について、情報公開法制、個人情報保護法制を含め御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑に対しお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。
 それでは、堀部参考人、お願いいたします。
堀部参考人 おはようございます。中央大学法学部の堀部政男です。
 衆議院憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会におきまして、知る権利やアクセス権とプライバシー権について意見を述べる機会を与えられましたことを大変光栄に存じます。
 私は、四十年以上にわたりまして、知る権利、情報公開、プライバシー、個人情報の保護のあり方について研究してまいりました。また、地方自治体や国における制度化にもかかわってきています。プライバシーにつきましては特に国際的にも議論をしてきておりまして、さまざまな機会に国際会議にも出席し、そこでスピーチをしたりあるいは討論に加わってきております。
 国際的という面でいいますと、経済協力開発機構、OECDでも、また後ほど申し上げますようなプライバシーについてのガイドラインを採択しておりますが、それを現在どうするのかというような議論をしています情報セキュリティー・プライバシー作業部会というのがありまして、その副議長を一九九六年以降務めております。
 そのような経験をもとに、きょうの問題につきまして意見を述べさせていただきたいと思います。
 お手元に資料を、私の名前のものが三つあるかと思います。一つは「日本と世界の知る権利・情報公開論議」、二つ目が「日本と世界のプライバシー・個人情報保護論議」、三つ目が「日本と世界のアクセス権と知る権利・プライバシー権」というものです。これらに沿いながら、私が考えていますことをこれから申し上げていきます。
 自己紹介を兼ねて新聞の記事を幾つか用意いたしましたので、それをごらんいただきたいと思います。多分最初のところにあるかと思いますが、今から六年前に一橋大学を退官いたしますときに、最終講義をいたしました。それが記事として出たものであります。二つの記事を一緒にしまして送別会のときに配ったものです。この下の日付が抜けていますけれども、昭和四十二年、一九六七年ですので、それより三十年前の顔写真であります。こういう若いときがあったということをまず御認識いただきたいということで、これをごらんいただきたいと思います。
 まず、知る権利、情報公開について見ていきたいと思います。お手元の資料一をごらんいただきたいと思います。
 これまでの日本における知る権利、情報公開の議論を五つに分けて見るとよろしいのではないかと考えまして、そのように時期区分をしてみました。お手元の資料の一ページ目のIIのところに、「日本における知る権利・情報公開論議――知る権利・情報公開関係クロノロジー」ということで表にしたものであります。
 この中の、算用数字が三ページにわたりまして5までありますが、それぞれの算用数字のところが、私が仮に分類しています時期区分のそれぞれの期に当たりまして、第一期といたしますと、「知る権利認識・制度化提唱期」とでも言える時期であります。第二期が、「情報公開制度化提唱・実現期」とでも言えるものであります。第三期が、「自治体情報公開制度運用・情報公開法検討期」とでも言えるかと思います。第四期ですが、情報公開法要綱案、中間報告でありますけれども、これが公表されまして、自治体が情報公開制度の再検討を始めた時期であります。第五期といたしますと、情報公開法等が運用されている時期であります。
 まず、第一期から見てまいりますと、日本では、知る権利という言葉は比較的早い時期から使われていたと言うことができます。一九四八年の新聞週間の標語で、「あらゆる自由は知る権利から」というのが出ております。その当時は公募したものではありませんで、アメリカの同種の催しで使われた言葉をこのように訳したものであります。アメリカの言葉は、その後に書きましたように、「ユア ライト ツー ノウ イズ ザ キー ツー オール ユア リバティーズ」ということでありまして、あなたの知る権利はあなたのすべての自由へのかぎである。そのように散文的に訳したのでは標語にならないわけでありまして、それを「あらゆる自由は知る権利から」、このように訳したと言えるわけであります。
 その後も、知る権利につきましては法学界におきましてもかなり関心が高まりまして、検討してまいりました。これもアメリカの判例の中で、知る権利ですとか知る自由とか、あるいは情報を受ける権利とか聞く権利、読む権利、情報を受ける側からとらえる、こういう考え方がありまして、表現をする側の表現の自由は以前から認められているわけでありますけれども、それを受ける側の権利として構成する、こういう議論を日本の法学界でも五〇年代、特に後半に行うようになっております。
 そういう時期に、一九五三年の新聞週間の代表標語では「報道の自由が守る“知る権利”」というのが出ておりますし、全国図書館大会の「図書館の自由に関する宣言」の中では「知る自由」という言葉が使われております。これは一九五四年です。さらに、一九五八年には、東京地方裁判所が知る権利という言葉を判決の中で使っております。これは公職の候補者に関するものでありまして、このような用例がありました。
 日本でこういう知る権利を具体的にどのようにとらえるのかという議論に大きな影響を与えましたのが、アメリカの一九六六年の情報自由法であります。これは、フリーダム・オブ・インフォメーション・アクトというふうに言うものでありますが、これがアメリカでジャーナリストの運動として出てまいりまして、それを連邦議会が行政手続法の改正という形でこの法律を制定いたしました。日本でも、私たち研究者は、この法律を見まして、それまでにない考え方が出ているということで、日本でこの種のものはどうなんだろうかということを議論したことがございます。
 そういう中で、一九六〇年代も終わりの方になりまして、一九六九年に最高裁でも、悪徳の栄え事件の大法廷判決の中で知る自由という言葉が反対意見の中で使われる、さらに、博多駅テレビフィルム提出命令事件の最高裁大法廷決定の中で、報道機関の報道は国民の知る権利に奉仕するものである、このようなものが出てまいりました。
 そうした戦後における流れの中で、一九七〇年代に入りまして、一九七一年にアメリカのベトナム秘密文書報道事件が生じます。この際にも知る権利ということがアメリカでも議論になりましたし、日本でもかなり議論をいたしました。日本新聞協会が募集して新聞週間のときに発表しています新聞週間の標語というのは、その時代時代を映していると見ることもできるわけでありまして、一九七一年のアメリカのベトナム秘密文書報道事件のときの新聞週間の標語では、「知る権利知らせる自由が呼ぶ平和」、こういうものが出ています。
 そうした議論をしているうちに、一九七二年の三月になりまして、沖縄返還に伴います密約があったのではないか、それを示す電文漏えい事件が生じました。これをめぐって大きな議論になりまして、学界でもこれについて検討をいたしました。
 そういう際に、知る権利というのがどうなっているのかということで議論をいたしまして、その前から新聞界の人などといろいろ議論をしている中で、日本でもジャーナリストが知る権利ということをもっと主張してもいいのではないかというようなことも言ってまいりましたので、一九七〇年代に入る前後からそうした議論をしてまいりましたけれども、一九七二年に日本で沖縄密約電文漏えい事件が生じましたときにも同様な議論をいたしました。しかし、これらの時期におきましては、情報公開の制度化といいましても、ほとんど関心が払われなかったところであります。
 次いで、一九七〇年代の後半に入りまして、一九七六年の二月にロッキード事件が明るみに出ました。その際に、私の専門の分野からロッキード事件を見たらどうなるのか何かまとめてみてほしい、そういう依頼を受けて書きましたのが、新聞の記事で二枚目のところですけれども、昭和五十一年、一九七六年四月十二日の毎日新聞の社会面にこういう形で出たものであります。
 そこでは、ロッキード事件を見るに当たって、知る権利を請求権としての知る権利という観点からとらえてみまして、しかも、アメリカの一九六六年の情報自由法といいますのは、これはその後の判例による解釈ですけれども、何人、エニーパーソンに対して情報を利用できるようにしなければならない、言いかえますと、何人も請求権を持っている、こういう解釈をとります。しかも、その何人という中には外国人も含むんだという判決もあったりいたしましたので、それを念頭に置きながらこの論稿はまとめてみたものであります。
 この時期になりますと情報公開法という言葉を使うようになっていまして、そうした観点から一九七〇年代後半に議論が盛んになってまいります。
 いろいろ経過はございますが、そういう中で、地方公共団体の中でも特に神奈川県がこの問題に関心を示しまして、議論に参加したりする依頼を受けまして検討をいたしました。そこで、神奈川県では、日本の法制度の中で情報公開条例という形のものをつくることは可能かどうか、法的にも随分議論をいたしまして、それをもとに条例化を図る、こういうことをしてまいりました。ですから、第二期は、情報公開制度化につきまして提唱しまして、それが実現してきた時期でもあります。
 第三期になりましてそれが実際に運用されるようになりますと、他の自治体でも同じように条例をつくり、また運用していくという時期に一九八〇年代は入るわけでありますが、それとともに、国におきましても、七九年には既に国会でも情報公開についての議論が行われたりしていました。国では一九八〇年には、情報公開について、それを進めるための文書を出すというようなこともしてまいりました。
 そのころ、後に触れますOECD、経済協力開発機構のプライバシーガイドラインについて議論がありまして、当時の行政管理庁でいろいろ議論に参加しておりましたので、国における考え方、それから自治体における考え方、それらを調整しつつ、法令の範囲内におきまして制度化を目指す議論をしてまいりました。
 第三期になりますと、国でもこの問題に対する関心が高まってまいりまして、さまざまな検討をしてまいります。しかし、国で制度化に正面から取り組むようになりましたのは、一九九四年の行政改革委員会設置法の制定によるわけでありまして、この行政改革委員会が一九九四年の十二月十九日に発足いたしました。そのもとで、一九九五年の三月十七日から行政改革委員会行政情報公開部会が審議を始めます。専門委員というふうに部会の委員は全部呼ばれましたが、その一員といたしまして、日本における情報公開法のグランドデザインを描く仕事もしてまいりました。
 この行政改革委員会行政情報公開部会が、第四期として私は位置づけておりますが、九六年の四月二十四日に、行政改革委員会行政情報公開部会中間報告ということで、情報公開法要綱案を公表いたしました。この時期になりますと、地方公共団体で既に条例はかなりできていましたが、やはり国が一つの基準を示すということになりまして、自治体におきまして再検討するということが出てまいりました。そういう時期として第四期は特徴づけられると見ております。
 そして、情報公開法案が国会に提出されまして、成立いたしましたのが一九九九年の五月七日でありまして、五月十四日に公布されました。この情報公開法が二〇〇一年の四月一日に施行されまして、さらに、当時は特殊法人の情報公開をどうするのかという議論をしてまいりましたが、その特殊法人の情報公開について検討する委員会にも加わりまして、そのあり方を議論してまいりました。それが後に、独立行政法人等情報公開法ということで二〇〇一年の十二月五日に公布されまして、二〇〇二年十月一日、昨年の十月一日から独立行政法人等情報公開法が施行されています。これは、運用期としてとらえることができるところであります。
 このように、知る権利という、日本国憲法には明文の規定はありませんが、憲法二十一条の表現の自由の中に含めて学界では解釈をしたりいたしまして、その議論の上に立ちまして、知る権利を具体的に実現する方法といたしまして、情報公開の制度化ということを議論し、それが実現するに至ったところであります。
 次に、プライバシー、個人情報保護についてでありますが、資料二をごらんいただきたいと思います。
 これも同じように時期区分をしていますが、第一期は、「プライバシー権認識・制度化提唱期」であります。第二期が、一ページ目の下の方の「プライバシー権制度化提唱・実現期」であります。二ページの中ほどより少し下の第三期でありますが、「行政機関個人情報保護法検討制定・個人情報保護ガイドライン策定・都道府県個人情報保護制度化期」というふうに言っております。第四期としますと、三ページに掲げましたが、「個人情報保護基本法制提案・議論期」ということで、現在国会におきまして審議がされております時期をここでとらえております。
 情報公開法につきましては、既に施行されていますので、それを第五期といたしましたが、個人情報保護法につきましては、第五期がいつから始まるのか今のところまだわかりませんけれども、そういう状況で、第五期はここでは入れておりません。
 日本における議論は、ここでは第一期として一九五〇年代の議論を挙げておりますけれども、一九二〇年代、一九三〇年代におきましても、アメリカの議論の紹介が、新聞紙法が当時ありましたので、その新聞紙法の解説などでなされています。しかし、その時期は、この言葉に対する関心はありませんでした。
 第二次大戦後の日本国憲法の制定によりまして、二十一条で表現の自由が保障され、そういう中で、個人の私生活を暴露したりする記事等も多く出てくる。それに対して、学界としてどのようにそれに対応するのかということで議論がなされるようになりまして、その際に、アメリカのプライバシー権が研究の対象になってまいりました。一九五〇年代、特に後半におきまして、アメリカの論文などを日本でも随分検討しながら、日本においてどうあるべきなのかという議論をしております。
 そういう中で、一九六一年に、三島由紀夫氏の小説「宴のあと」によりプライバシーを侵害されたとする訴訟が提起されまして、ここでプライバシー権への関心が増大してまいりました。この訴訟に関する東京地裁の判決が一九六四年の九月二十八日に出まして、プライバシーの権利を、私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利と理解しております。
 このように、日本でメディアとの関係でプライバシーの議論が行われていた時期に、アメリカでは、コンピューター化との関係でプライバシーについての議論が盛んに行われるようになりました。
 そこでは、プライバシーというのは何なのか、あるいはプライバシーの権利というのはどのようにとらえるべきなのかという論争もありまして、そういう中から出てまいりましたのが、自己に関する情報の流れをコントロールする個人の権利というような考え方であります。日本では、これをさらに省略しまして、自己情報コントロール権などと呼んでいるところでありますが、こうした考え方がアメリカで出てまいりまして、これが世界に広がっていきます。
 ヨーロッパでは、そうしたプライバシーの権利と一対一で対向する言葉がないところから、これは日本も同じなんですが、当時プライバシーというのをどう日本語にするか、大分議論をいたしましたけれども、例えば、私生活ですとか秘密とか秘匿とか私事とか、それに権利をつけていろいろ言いましたが、いずれも日本語として定着することなく、片仮名でプライバシーと書いて日本語化したような状況であります。
 ヨーロッパ大陸におきましても、プライバシーという英語に対応する言葉がないものですから、例えばドイツですとプリバート・スフェーレという、私的領域とでも訳せる言葉を使ったり、フランスではラ・ビ・プリベという、私生活と訳すことができる言葉、これはフランス民法の中にある言葉でもあるんですが、そうしたものをプライバシーに対応する言葉として使ったりもしていました。
 そういう中で、ヨーロッパでは、考え方としますと同じような、個人の利益を保護する、そのためには、ヨーロッパでは体系的に法律をつくることにたけていますので、そこでデータ保護法というものが制定されたりするようになります。ヨーロッパでは一九七〇年代に入りましてそれが顕著になってまいりました。日本でもそうした状況を踏まえまして制度化を提唱いたしましたが、やはり七〇年代の前半におきましては、そうした認識は日本では広まりませんでした。
 七〇年代の後半に入りまして、ここが第二期でありますが、中葉から議論が活発化してくるということにもなります。その背景には、日本におけるコンピューター化の議論があるわけでありますが、そういう中で、一ページの一番下の一九七五年に、東京都の国立市が電子計算機処理条例の中で個人的秘密の保護ということを規定いたしまして、これが日本で最初のプライバシー保護条例であるというふうに見られたりもしております。この国立市の条例がきっかけになりまして、自治体で条例化が進んでまいりました。
 そのころ、この問題についてもいろいろ議論をいたしまして、ヨーロッパの状況、それからアメリカでも、一九七四年にプライバシーアクト、プライバシー法というもの、これは連邦の行政機関を対象にしたものでありますが、そうしたものができたりしていますので、日本でもそういうものを参考にしながら立法化の問題を考えてみてはどうかということを学界では議論をしてまいりました。
 そういう中で、アメリカとヨーロッパがそれぞれ個人情報の保護についても考え方が異なるところから、それを調整するための議論が一九七八年からOECDで始まります。当時は、日本国内におきましてその問題について意見を聞かれて意見を述べたりいたしましたが、一九七九年の秋に開かれました国際会議で、日本側からは私が出まして、あと、OECDのこの問題の担当者、アメリカの商務省の次官補で電気通信を担当している方、その三人が同じセッションで議論をいたしまして、その関係でこのOECDの資料等は当時かなり早い時期に入手いたしまして、それをまた分析をいたしました。
 このOECDの理事会勧告が一九八〇年の九月二十三日に採択されました。そこで八原則が示されておりまして、こういうものをもとに当時の行政管理庁でプライバシー保護研究会ができまして、そこで日本におけるあり方を検討いたしました。そのとき既に今日言う包括的個人情報保護法を考えてはどうかということをまとめております。これは一九八二年の七月でありますが、しかし同時に、行政改革の議論がありまして、その中では、一九八三年の三月に臨時行政調査会の最終答申が出まして、そこでは行政機関に対する信頼を確保するために個人情報の保護を図るべきである、こういうことになりました。
 そうした中で、今度は第三期になりますが、行政機関における個人情報の保護につきまして検討するようになり、そのときは総務庁でありましたけれども、そのメンバーとして海外調査などもして、報告をまとめました。一九八〇年のOECD理事会勧告の後の行政管理庁のプライバシー保護研究会のときにも、海外の幾つかの国の関係者とは意見交換などもしてきております。
 そうした中で、日本でも一九八八年には、行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律が制定され、今日に至っています。民間をどうするのかということが当時も大きな議論になりまして、衆参両院の附帯決議の中でも、民間部門について検討すべきであるということがありましたが、むしろ民間については八〇年代の半ばから関係省庁で検討するということで、法律の議論にまではいきませんでした。
 そういう経過の中で、これは第四期になりますが、一九九九年の五月六日に、衆議院の地方行政委員会で住民基本台帳法の改正法案についての参考人質疑がありまして、そのとき参考人で招致されましたとき、かなり多くの先生方から、包括的個人情報保護法が必要と思うがどうか、こういうことで意見を求められました。その段階では、包括的個人情報保護法ができればいいけれども、日本ではなかなかそういう状況にないということを申し上げましたが、その後、六月になりまして、住民基本台帳法改正法案の審議の中で、個人情報保護について議論が高まりまして、九九年の七月には、高度情報通信社会推進本部で個人情報保護検討部会ができまして、その座長としてその後の取りまとめに当たってまいりました。その後の経過もございますが、それが現在、参議院におきまして審議されております個人情報保護法案になっております。
 大きな第三といたしまして、これまで述べてまいりました知る権利、プライバシー権というのをちょっと別の角度から見てみますと、それがアクセス権ということでとらえることができるかと思います。
 日本では、海外の状況、いろいろ学界では検討はするんですが、どうしても日本国内との関係で論ずるものですから、トータルに問題をとらえていないところがあると言ってもいいかと思います。これまでのものも、英語圏ではむしろこのアクセス権、ライト・オブ・アクセスという言葉で表現している場合がかなりありました。
 資料三に、そのアクセス権という言葉の用例をかなり挙げておきましたけれども、ライト・オブ・アクセス・ツーという前置詞の目的語に非常に多くの名詞が来るものがあります。その中のライト・オブ・アクセス・ツー・マスメディアという、マスメディアに対するアクセス権というのを一九七四年に提起いたしましたが、それとともに、これまで述べてきたところからも明らかなように、その問題が論じられた時期には、情報公開ですとか個人情報保護についても同時に議論をしていましたので、その権利概念としてはこのアクセス権というもので整理してみてはどうか、こういうことも当時論じたことがあります。
 外国の立法例がこの二枚目のところにありますが、これは、英訳されたものを見ますと、かなり多くの法律の中でアクセス権という言葉が使われております。この点でいきますと、きょうの小委員会における議論も、知る権利・アクセス権とプライバシー権となっていまして、知る権利とほぼ同義のものとして使っている側面があるんですが、それとともに、自分の情報へのアクセス権、自己情報アクセス権という現代的なプライバシー権の中核になります考え方もこのアクセス権ということでとらえられております。それらの具体的事例をこの資料の中で、特にイギリスにおける用例を挙げております。
 日本でそのことを、アクセス権ということで議論もしてきておりますが、これもプライバシー権以上に日本語になりにくい言葉でありまして、いろいろ訳を試みましたけれども、どれもうまく日本語にならない。例えば、接近権というような訳をつけてみたりもしましたが、これもどうも日本語にならないというようなことで、アクセス権というふうに言っております。
 一九七〇年の半ばにそのことを議論いたしましたがなかなか理解されませんで、新聞社の試験問題などに私の本が出た年に出ているんですが、環境アセスと間違えて書いている答案があったというのもありますし、非常にこっけいなのは、この狭い日本でアクセスせずに生きる基本的人権とかという答案を書いた人がいるということであります。
 そのような理解しかなされていないところでありますけれども、むしろ国際的には、アクセス権というのはかなり広く、知る権利、プライバシー権も含めて、使われている概念でもありますので、そうした観点からこの権利についても検討する必要があろうかと思います。
 いろいろ申し上げたいことはございますが、とりあえず、最初の問題提起は以上で終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)
大出小委員長 ありがとうございます。
 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
大出小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。倉田雅年君。
倉田小委員 自由民主党の倉田雅年でございます。
 私は、長く弁護士をやってきたこともございまして、先生の御本、ジュリストで、たしか昔読ませていただいたこともございます。その後の先生の情報公開法を初めとする、開拓者といいますか、いわゆる官庁間革命も起こされたもとをいろいろ御発表なさっているということに大変敬意を持っておる次第でございます。
 きょう、私は、最後に先生がお話しになりましたメディアに対するアクセス権ということについて、少しお聞きをしたいと思っております。
 先生が、そもそも表現の自由というのは、表現の主体と国家との間の、国家からの自由、表現主体の自由、こういうことで長く来たんだけれども、これは二極構造だ、ところがこの二極構造が、今度は表現主体の方が市民とメディアとに分かれてきた、メディアがだんだん強大になったので、今度は国家とメディアと市民という三極構造になったんだと。この御説明は、私、大変わかりやすい明快な説明だな、こういうぐあいに感じているわけでございます。
 そこで、まず第一点としてお聞きしたいのは、メディアに対するアクセス権というものの中身でございます。
 通常言われますところは、有料広告の掲載請求権であるとかあるいは反論権であるとか、こういうことが一般的にメディアに対するアクセス権の中に入っているということを言われていることは知っておるんですが、私、聞きたいのは、先ほどお話しの自己情報に対するコントロール権、これが、国家に対してだけではなく、国家に対しては、これはもうわかっているんですが、メディアに対しても自己情報コントロール権というのは認められてしかるべきではないかと思うんですが、内容として、現在、そういう概念として認められているのかどうか、そこらについてまずお伺いしたいと思います。
堀部参考人 ただいまの倉田先生の御質問で、メディアに対する自己情報コントロール権は、理論的にはあり得るものであります。先生言われるように、国家に対して、公的機関が保有している個人情報についての自己情報コントロール権は当然といたしまして、民間が保有している個人情報についても、自己情報アクセス権、コントロール権はあるというのが各国の立法例であります。ですから、メディアも民間のものとしてそういう考え方はあるわけでありまして、そのことは各国で議論になってまいりました。
 しかし、一方で、表現の自由との関係で、メディアはそのことを主張いたしますので、メディアに対して法律でアクセス権を保障するとなりますと、取材した情報について本人からアクセスの請求があってそれを出さなければならないとすると、その取材を通して表現する自由が制約されるということで、多くの国でそれを適用除外するという考え方が出てまいりまして、一九九五年の欧州連合、ヨーロピアンユニオンの個人情報保護指令でもその考え方が明確に打ち出されております。
 理論的にはあるんですが、実際の制度化となりますと、それを除外して調整する、こういうことになっていると見ることができるかと思います。
倉田小委員 よくわかります、先生の御説明で。
 要するに、メディアも民間情報の一つなんで、参議院で今審議されている個人情報でも、確かに民間業者の一つ、それから適用除外するという形でメディアが除かれているんだ、こういうことでありますね。
 そうしますと、メディアの報道の自由といいますか、表現の自由といいますか、そういうものを強く考えますと、確かに適用除外というのはよくわかるんですが、制度の面として、あるいは現実に現在参議院で行われている法律に対する私の考え方もあるんですけれども、それでは市民とマスメディアとの関係で、マスメディアが非常に強大である。確かに表現の自由は重要なんだけれども、個人が、弱者といいますか、弱者と強者、強者がメディアですね、そういう関係に既に立ってしまっている。そうすると、弱者としての個人のプライバシーを守っていくという意味で、現在審議されている法律も、個人のプライバシーの方を、適用除外になったままというのでなく、もう少し何とかできないかなということを考えますが、いかがでございましょうか。
堀部参考人 そこが国会でも大変大きな争点になっていることは承知しておりますが、どうも法的に権利として設定してメディアに義務を負わせるということになりますと、憲法二十一条の表現の自由との関係でさまざまな議論が出てくることになるかと思います。そうなりますと、むしろ自主的に、メディアとしても、そうしたアクセスの要請といいましょうか、リクエストに対してはこたえていく、こういうことを考えるべきであるというふうに思います。
 ですから、今後、どういうふうにメディアが個人情報保護の問題を考えていくか、まだ余り具体的にはなっていないんですが、それぞれの社で、第三者によって構成される委員会等をつくって議論をしていますので、そういう中で、今先生言われたようなものを自主的に対応していくということをすることによって、むしろやはり市民の権利利益を守るということをメディアとしてもぜひしていただきたい、個人的にはそのように思っています。
倉田小委員 メディアの側で自主規制をするといいますか、自粛するべきであって、法でメディアを縛るべきではない、一般論としてそれも正しいのかなとも思うんですが、どうも、個人のプライバシーの方が弱くなり過ぎているという面も私も感じているということを申し上げたいと思うわけでございます。
 何かいい工夫はないでしょうかね。せっかく、現在参議院でいろいろ審議をしているという状況にあるのですから。
堀部参考人 ですから、各新聞社、放送の場合には放送法によりまして番組審議会、審議機関を設けることになったりしておりますが、新聞社は何も法的な根拠はありませんので、それぞれが自主的に現在対応しています。そういうものを、各社ではなく新聞界全体として、第三者機関のようなものを自主的につくりまして、そこで、そうした要望にこたえるというようなことも検討すべきではないかと思います。
 放送の場合には、NHKと民間放送連盟で放送と人権等権利に関する委員会を自主的に設けまして、アクセス権あるいはアクセス要求に対してどうこたえているかという詳細はわかりませんが、市民の側から放送と人権等権利に関する委員会機構に申し立てますと、そこでいろいろ調査をして、その結果を本人に通知するということになっていますので、新聞界でもぜひそういうことをしていただくといいのではないかというふうには個人的には考えています。
 そうしたことを新聞界の方にもこれまでもいろいろ提案しておりますが、現在のところ、新聞界全体としてとか、あるいは出版界や雑誌界全体としてそういうふうにするというところまではなかなか至っておりませんで、新聞の場合には各社、雑誌も一部、第三者機関を設けてそこで対応することになっていますが、最近の具体的な運用がどうなっているかまでは寡聞にして存じませんのでよくわかりませんけれども、そうした動きは出てきていることは確かであります。そうした形がよろしいのではないかというふうに思っております。
倉田小委員 先生の御説明の資料の中で、バロンが、メディアに対してレッセフェールは不適切だということを述べているということがございますが、何か、今回の法案の中でも、先生がおっしゃったような自主規制機関でもいいですから、法がメディアに対して自主規制機関をつくるべしというような条項も入れるということも考えられないかななんということを今お聞きして思ったんですが、いかがでしょうか。
堀部参考人 その辺になりますと、この法案の過程でのさまざまな議論がありまして、ちょっと、きょうの段階では私見を述べるのは遠慮させていただきたいと思います。
倉田小委員 わかりました。どうもありがとうございました。
大出小委員長 次に、小林憲司君。
小林(憲)小委員 民主党の小林憲司でございます。
 本日は、知る権利、プライバシー権の第一人者であります堀部先生のお話をお伺いすることができまして、大変勉強させていただきました。せっかくの機会でございますので、私、十分間いただいておりますので、幾つか御質問をさせていただきたいと思います。
 まず、知る権利でございますが、行政機関に保有情報を原則公開するよう義務づけました行政情報公開法が施行されまして、三年目に入っております。つい最近も、同法の利用によって、日本道路公団の酒食会議というものが明らかにされたように、その運用については大筋軌道に乗りつつあるようにも見られておるわけでございますが、この法律には、施行四年後の見直し規定というものがついておりまして、法の充実、改正を目指した議論が、先ほど先生からもおっしゃられたとおり、これから一段と活発化してくるものと思われております。
 既に満二年、今、運用の過程で、高裁所在地の八カ所の地裁に限られている公開請求訴訟を起こせる裁判所を全国に広げることや、法に知る権利を明記すること、あるいは手数料の値下げの問題など、さまざまな問題が浮かび上がってきておりますが、堀部先生は、今後、この法律の見直しに当たってはどのような観点に着目すべきと、幾つか大きな着目点はございますと思いますが、その中で重要と思われるものを、ひとつ御見解をお伺いしたいと思いますので、よろしくお願いします。
堀部参考人 ただいまの小林先生の御指摘は、大変重要な意味をこの情報公開法にとっては持つわけでありまして、四年後の見直しをいつの時期から始めるかということにはなるかと思いますが、これまで二年余の運用の状況、それから、独立行政法人等につきましては半年、七カ月ちょっとでしょうか、ということでありますけれども、一つは、やはり、この制度の利用しやすさということを念頭に置いて見直しをすべきではないかと思います。
 いろいろなホームページで、情報公開についての案内なども随分出てきていまして、かなり情報は出ているように思いますが、一般の市民が実際に利用するとなりますと、それぞれの省庁の窓口に行くこと、これ自体が大変勇気が要ることである、こういう指摘もありますし、そのあたり、もっと窓口での対応の改善等、そういうことも必要かもしれませんし、また、不服申し立てがありまして、この不服申し立ても、昨年は非常に多くの不服申し立てがされまして、情報公開審査会で五百何件かの答申がたしか出ていたかと思いますが、そういうようなことで、そこももっとアクセスしやすくするということがあるかと思います。
 それと、先生御指摘の、裁判の管轄につきましては、これも行政情報公開部会のときに随分議論をいたしまして、当初は、政府案では東京地裁だけでしたけれども、国会の審議の中で、高裁所在地の地方裁判所ということで八つに広がりました。しかし、あの段階でも、例えば那覇市の場合には福岡市まで来なければならないということになりますので、もっとそこを広げるべきだということがありました。そうした点は、今後検討していく重要な課題であると思います。
 ですから、利用しやすさというのをどう確保するか、さらに改善していくかということであると見ています。
小林(憲)小委員 ありがとうございます。
 本当に、全国に知る権利というものを広めるということが、まずは早急に行政も法整備もしなければいけないということで理解させていただきました。
 次に、プライバシー権に関しての御質問をさせていただきます。
 そもそも、個人のプライバシー権を保護する目的で法制化が進められました個人情報保護法案が、その審議の過程で、メディア規制であるとの批判を浴びて紛糾を余儀なくされたわけでございますが、こうしたプライバシー権の保護と報道の自由との対立が生じた原因の一つに、現在の法形式の問題があるのではないかと私は思いました。
 つまり、民間の全分野に規制の網をかける一般法といいますか、先ほど先生御案内のとおり、包括法の形式ではなく、民間で扱う個人情報に関しては、金融機関にしろ医療機関にしろ、扱う個人情報の性質が違えば規制方法も異なるはずであると思うのです。ですから、個別法で定めるべきであったと私は思うわけであります。
 堀部先生は、このことに関しまして、平成十一年六月の段階で、もう既に朝日新聞紙上において、包括的ということで民間部門をすべて対象にするということになると、例えば、マスメディアをどのように扱うかということを議論する必要がある、こう述べられているわけであります。
 その後、先生が座長を務められました個人情報保護検討部会の中間報告においても、こちらも見せていただきますと、公的部門と民間部門を通じる基本法・プラス・セクトラル方式とおっしゃっておられます。つまり、個別分野方式ということを提案しておられまして、結局、我々、衆議院を通過するに当たり、医療や金融などの特定分野を対象とした個別法の必要性が附帯決議に盛り込まれるというわけになりました。
 こうしたことから見て、今般の個人情報保護法の法形式の功罪につき、先生は今どのような、御評価は簡単で結構なんですが、御感想という感じでお伺いしたいなと思いますので、こういう機会ですので、よろしくお願いします。
堀部参考人 先生今お話しされたとおりの経過で、私は議論をしてまいりました。
 お手元の資料二の四ページに図を書いておきましたが、図1の方の中間報告は、平成十一年、一九九九年の十一月十九日に出したものであります。この場には、他の基本法と同じように理念をうたうものとして基本法を定めまして、その基本法の趣旨にのっとって、公的部門については現行の行政機関電子計算機処理個人情報保護法の見直し、その法律ばかりじゃないんですがほかのものも含めて見直し、それから、民間部門につきましてはセクトラル方式で対応し、あとは自主規制でいく、こういうことを提案いたしました。
 その後の法制化専門委員会も、ぜひそういうところで検討していただきたいということで提案したわけでありますけれども、その法制化専門委員会の議論の過程で、一般法的な条項も含めて提案するということになりました。図2の個人情報保護基本法制に関する大綱は、平成十二年、二〇〇〇年の十月十一日のものですけれども、こういうふうになりました。
 それをもとに法案化しましたところ、先生御指摘のように、メディア規制法ということで批判を浴びまして、その中の特に五つの基本原則についてそうしたことが出てまいりましたので、ここをどうすべきかということでその後も議論をしてきたところであります。
 私の考え方はここで言う図1でありましたが、その後の具体的な議論の過程にもかかわっていまして、図2にあるような形のものも議論としては参加し、もちろん反対意見も出しているんですが、こういう形になった現状としますと、そういう中で現実的に対応しなければなりませんので、一般法的部分、現在の法案ですと第四章の「個人情報取扱事業者の義務等」のところでありますけれども、この運用に当たっては、他の利益、表現の自由等の利益もありますが、また営業の自由という憲法上の利益もありますので、こうしたものに不当に介入することのないようにしていくべきではないかと思います。
 この問題は現在審議中でありまして、参考人として四月二十一日にも意見を述べさせていただきましたが、大変発言しにくい状況にもありますので、以上のようなことで。
小林(憲)小委員 最後に、簡単に一つお願いいたします。
 最近、防衛庁の自衛官募集に際しまして、適齢期の中学生や高校生らの住民基本台帳からの摘出、住民基本台帳で閲覧が認められている四情報以外の情報、親の名前ですとか職業、続柄なども提供するよう自治体に要請があったと。
 閲覧が認められているわけですが、先ほど来、プライバシーですとかアクセスだとか、非常に難しく、日本語にトランスレートできないものやいろいろなニュアンスのものがあるというお話。閲覧と提供というものは違うというふうに思われますが、いかがでしょうか。それで私の質問を終わります。
堀部参考人 自衛隊員の募集についての適齢者の情報収集につきましては、新聞社からコメントを求められまして、知っております。
 そのときに申し上げましたのが、今先生御指摘のようなことでありまして、住民基本台帳法では閲覧の規定が十一条にありますが、提供についての明文の規定はありません。そういう状況の中で提供をするというのは、住民基本台帳法全体の趣旨に反するのではないかというふうに考えています。
 私、住民基本台帳法の改正問題は、昭和六十年、一九八五年に、磁気テープ等による調製それから閲覧のときも、あの当時はまだ住民基本台帳に記載されます項目全部が閲覧対象になっていたわけです。しかし、その閲覧をするときに閲覧事由を明らかにして、その閲覧事由が不当な場合には市町村長は閲覧を拒むことができる、こういう形で個人情報保護、プライバシー保護を図りました。
 九九年、平成十一年の改正のときには、十一条のところも、閲覧できるもの自体を四情報に限る、こういう改正をしておりまして、この意味は非常に大きいと思います。
 しかも、あの住民基本台帳法そのものが、個人情報についての閲覧というものを一方では認めていることで、公開法であると同時に保護法でもある、その両者を兼ね備えた法律であるというふうに見ております。ですから、この運用に当たりましては、その趣旨を踏まえて、やはり、保護という側面を十分考えるべきではないかと思います。
 一方、自衛隊法施行令による「資料の提出を求めることができる。」という規定との関係につきましても、それ以前ですと、そうしたことがあるいは解釈上も可能だったかと思いますが、やはり一方で、個人情報を保護するということを非常に強く打ち出して改正もしていますので、今日の時点におきましては、今まで行ってきたものについて見直しを図るべきではないか。やはり個人情報保護と、もちろん資料の提出というのも重要なんですが、では、そこでどこまでの資料の提出を求めることが、法令的には根拠はあるにしても、一方の保護との関係で、そこのバランスは今後ともぜひきちんと解釈していただきたいと思っています。
小林(憲)小委員 知る権利、大変長い時間をかけて先生御研究なさって、今度からは、知った方の責任といいますか、知るための責任といいますか、法の整備を我々も一生懸命やっていきたいと思いますので、どうか御指導のほどよろしくお願いします。
 ありがとうございました。
大出小委員長 次に、太田昭宏君。
太田(昭)小委員 公明党の太田昭宏です。
 先生には、情報公開法とか個人情報保護法で大変御尽力をいただきましたことを心から感謝申し上げたいと思いますし、私も個人情報保護法にはずっとかかわってきたものですから、きょうはまだ審議中でありますから、その件はちょっと省いて、原理的なお話から聞きたいと思います。
 このプライバシー権というものの根拠は、現在、憲法十三条ということが一般的に言われるんですが、特にプライバシー権というもののあり方というのが、最近は、情報という、インターネット時代というものに即応して出てきているということからいきますと、十三条というだけでなく、むしろ二十一条というものが根拠になるのではないのかなという感じがひとつしております。
 このプライバシー権というものに対する根拠となるもの、そしてそれは新しい権利として憲法に書かないかということになりますと、他に代替するものがないというようなことが非常に大事な要素になると思いますけれども、そこで読み切れるから表示しないでいいかどうかということがあるかと思いますが、私は、憲法のあり方として、ある日本の方向性を示すということからいきますと、国民憲法という、国民主権というものをもっと前面に出す、あるいは人権憲法として、基本的人権の諸要素をもっと前に出す、あるいは環境憲法という方向で、環境権を初めとする要素を前面に出すというような憲法のつくり方があるのではないかということを感じているわけです。その意味で、私は、これからますます、情報化社会ということになる中で、何らかの形でプライバシー権というものが表示できないかと。
 九〇年代にできた約七十ぐらいの新しい世界の憲法の中で、七〇%が何らかの形でプライバシーの権利というものを表示しているということからいきますと、表示するという積極性というものがあっていいのかな、こういうふうに思うのですが、先生いかがでしょうか。
堀部参考人 ただいまの、太田先生、一応、憲法に規定を入れるべきであるという御趣旨だと理解いたしましたが、日本国憲法の制定の議論の中でも、当時、アメリカから示唆されて、プライバシーと今日言っているものに相当するものを規定するというような議論もあったと聞いております。その当時、既にアメリカでは、プライバシーの権利というのは、各州の判例、あるいは州によっては法律ということもありますが、それによって認められていたということもありまして、そうしたことがありましたが、日本ではその概念は取り入れられませんでした。
 ほぼ時を同じくいたしまして、一九四八年の世界人権宣言の中などでは、プライバシーという概念が入っていまして、これを日本では私生活と訳したりしていまして、余り関心を引かなかったものというふうに思いますが、その後の、プライバシーに対する関心が高まってきた中で、一九四〇年代後半の文章の中にも同じような趣旨のものがあるということで、改めて関心を呼んだことがあります。
 今後、インターネットに代表されるようなネットワーク社会の中で、プライバシーの権利というのはますます保護されなければならない状況になっていますので、その根拠として憲法に明文の規定を設けるということは、ぜひ御検討いただきたいというふうに思っています。
太田(昭)小委員 もう時間が余りないんですが、先ほど倉田先生がおっしゃったのは非常に大事なところだというふうに私は思っておりまして、メディアについて、自己情報コントロール権、アクセス権というものが、本来は国家に対してのものであるけれども、メディア対国民ということは何らかの形で想定されてもいいのではないかということで、お答えは、それはそのとおりであるが、同時に、そこは除外規定というものが設けられるというお話でありました。そうすると、それは、結局のところは裁判ということにゆだねられるしか方法はないのかなという感じがひとつするわけですね。
 そこで、今の報道被害とかさまざまな問題からいきますと、今回の個人情報保護法の論議の中で、逆に、メディアの自主規制というものが前進してきたというのは非常に評価されることであろうと私は思っておりまして、その意味では、現在のBROとか、その辺のあり方というものについて、私はもっと強化してもらわなくてはいけないなというふうに、自主規制というものはあくまでいくべきで、そこはそこでもう少ししていただかなくちゃいけないなということの観点が一つ、先生はどうお考えか。
 そしてもう一つ、アメリカ等では懲罰的損害賠償という概念があって、それは日本の法体系と違っていて、日本の場合は、刑事と民事と両方でこれを押さえていくという考え方から、法体系が違うから非常に賠償額も少ないんだという話がありますが、私は、両方相まって幾らぐらいかということで、まだ相当日本は緩いのではないかなという感じがしているわけですが、この辺の、賠償額あるいは懲罰的損害賠償に近い物の考え方ということについて、いかが考えるか、御教示いただきたいと思います。
堀部参考人 メディアの自主規制は、今回の個人情報保護の議論の中で随分強化されてきていると思います。放送の場合には、その前からいろいろ問題が提起されまして、先生御指摘のBROができまして、これをどのようにさらに有効に機能するようにするかは、関係者の間ではいろいろ議論をしております。
 また、メディアが個人情報保護法案からは除外されているわけですけれども、一方で、裁判所による救済は従来どおりあるわけでありまして、その際に損害賠償額をどうするのか、これもこのところ多額になってきている。それに対してメディアが批判をしているという状況もあります。
 先生御指摘の懲罰的損害賠償、英米法ではピューニティブダメージズと言っておりますが、このピューニティブダメージズを日本で取り入れるべきだという議論は、前から法律家の間にありまして、そのこともいろいろ論じられております。
 しかし、最高裁判所が、懲罰的損害賠償に関する外国判決の執行を日本でするについて、日本では、先生御指摘のように、民事責任と刑事責任というのを分けまして、懲罰的損害賠償というのは刑事責任の問題に近いということで、これを日本の制度として取り入れるわけにいかない、こういう判断を示したものですから、その段階で、学界の議論も、どちらかといいますと最高裁の判決に影響されて、余りそこを強調しなくなっている嫌いがあります。
 しかし、一方で、懲罰的損害賠償は、過去の損失、損害を補うというばかりではなくて、将来にわたっても、同じような行為で他人の権利を侵害するようなものを防止するという側面もありますので、そうした議論をどうするか、これも立法的には可能であると思いますので、また検討していただければというふうにも思っています。
太田(昭)小委員 ありがとうございました。
大出小委員長 次に、武山百合子君。
武山小委員 武山百合子でございます。
 きょうは、重要なお話をありがとうございます。
 早速ですけれども、先ほどのお話の中で、日本と世界の知る権利、情報公開論議という中で、実は、私、六年前にノルウェー王国政府の招待ということで、環境、外交、防衛を中心にノルウェーを訪ねたときに、それらの関係の方々にぜひお会いしていただきたいということで、たまたま外交官の方とお会いしました。
 その方は、いわゆる船を居住にしている、海洋国であるということで、船の中で生活をしている大使だったんですね。ぜひその方とお会いしていただきたいということで、いろいろびっくりいたしました。ノルウェーの国はそういう大使をきちっと任命して、船の中に居住する大使がいるということに対していろいろ、一つの視点で今お話ししておりますけれども。
 そのとき出た話で、私とあなたで今会っているこの内容は、武山さんが日本へ帰られて、もしこの内容が欲しいということであれば、情報は数週間で公開できますと言われたんですね。私はびっくりいたした次第なんです。その中で、船を居住にしている大使がいるということやら、いわゆる外交上のお話が出たんですけれども、そういう内容が数週間で情報公開されるということを聞きまして、ああ、日本とは大変違うなというショックと同時に、大変進んだ国なんだなということで帰ってまいりました。
 そういう意味からしまして、日本は、いわゆる公的な国の部分、それから地方は大変情報公開が進んでおりますけれども、外国から見た日本の情報公開の程度というのはどのくらいなんでしょうか。先ほど、数十年おくれているということですけれども。
堀部参考人 外国では、今先生御指摘のように、ノルウェー等北欧諸国では早い時期から情報公開法の制定がなされまして、お手元の資料でも、五ページ以下に調べられる範囲で私が調べたものを掲げておきましたが、非常に多くの国で法律ができています。
 幾つかの国につきましては、これまでも関係者と意見交換などもしてきていますが、アメリカがこの問題では非常に多くの議論があります。また、北欧におきましてもさまざまに論じられておりますが、アメリカから見ますと、日本では、法律がない以前の話ですが、日本の関係省庁の情報がなかなか公開されないで、事業を日本で行う場合にもいろいろ支障が生じているというような指摘は随分なされました。日米のいろいろな通商関係などの話し合いの中でも、アメリカからは、日本でも情報公開法を制定すべきではないか、こういう意見が出ていたということも聞いておりまして、アメリカから見ますと、日本の状況というのは非常におくれているということは、前から指摘されていたところであります。
 一方、北欧におきましては、スウェーデンの場合ですと、一七六六年という二百年以上前に法律ができていまして、スウェーデンの関係者とも何回か議論をしたことがありますが、情報公開をするのが当然という意識でありまして、もちろん適用除外になるものを秘密法という法律で定めてはいますけれども、その考え方が非常に広く行き渡っているということが特徴であります。
 そういう点からしますと、日本は、ようやくこうした制度を導入し、また運用を始めたばかりでありまして、個別に意見を聞いているわけではありませんが、やはり日本のおくれというのは、外国から見ますと顕著ではないかというふうに思います。
武山小委員 やはり本当に意識を改革しなきゃいけないと思うんですよね。子供から大人まで意識改革が最も大事だと思うんです。
 欧米では、当たり前のように、国民の公に対しての知る権利というのは、いつでも利用しやすく、そして、見られても堂々と見せるというのが非常にわかりやすくできていて、個人に対するプライバシーも非常にはっきりしていて、個人のは、聞いても、それを悪用するとかというのは余り聞かないんですよね、欧米の場合の個人に対するプライバシーは。日本は逆なんですね。行政は密閉したがる、知らせたくない、それでまた、商業用に個人のプライバシーは悪用したがる。まだまだそういう意識が非常に、私、国民の一人としても思っております。
 ですから、何を根拠として意識改革をするかという基本的なものを子供から大人まで認識する必要があるんじゃないかと思うんですよね。相変わらず公的な機関、国も含めて密閉したがる、沈黙は金なんということわざもあるくらいですので。それから、新聞社を初めマスコミは、個人の情報を悪用したがる。数日前、いわゆる北朝鮮から拉致されて帰ってこられた曽我ひとみさんですか、その方のいわゆる手紙の住所をたまたま新聞で報道した。ああいうのも、報道関係者は一番気にしなきゃいけない問題だと思うんですよね。
 ですから、非常に低い意識であるというふうに思いますけれども、その意識の改革という点ではどう思われますでしょうか。
堀部参考人 これは武山先生御指摘のとおりでありまして、意識改革がなされなければ、制度をつくっても機能しないと思います。
 しかしまた、制度をつくることによって意識を変えることも可能であるというふうに思いまして、私などは、そういうことで、一九七〇年前後から、こういうことを考えてみてはどうだろうかということで提案をしてまいりました。実際に、自治体で運用して見ていまして、やはり条例を制定し運用する以前とそれ以降とでは非常に大きく変わってきているというふうに見ています。
 もちろん、個別にはいろいろな問題はありますので、そうしたことをこの情報公開という一つの基準に照らして、何がその理念にそぐわないのか、どれが適合しているのかということを常にチェックしていく、そういうことで全体として意識を高めていく必要があろうかと思います。
 メディアの例として出されたものなども、メディア関係者の中でぜひそのあたりは検討をしていただきたいと思いますし、そういうことをメディアの中でも常日ごろ議論はしているんですけれども、時々、恐らく一種の特だね意識みたいのもありましてそれを出してしまうというようなことで関係者に迷惑が及ぶ、こうしたこともありますので、そうしたことをまたどんどん問題にしながらよりよい意識改革を図っていく必要があると考えております。
武山小委員 どうもありがとうございました。
大出小委員長 次に、春名直章君。
春名小委員 日本共産党の春名直章でございます。
 先生、本当にきょうはありがとうございました。九九年の住民基本台帳ネットワークシステムのときの参考人でもお話を聞かせていただき、先日の個人情報保護法の特別委員会での参考人でもお話を聞かせていただきまして、大変示唆に富んだお話を何度か聞いて、私も感銘を覚えている者の一人です。
 まず、きょうお聞きしたいのは、世界の流れと日本の流れを大局的に話していただいたんですけれども、これらの権利が、率直に言って、ヨーロッパ、アメリカなどと比べると二十年から三十年ぐらいおくれていますよね、もうはっきり。なぜそういうおくれを日本は来しているのか、それを率直に教えてください。
堀部参考人 大変難しい質問ですが、私たち学界に属する者ですと、外国の状況などいろいろ研究しながら、日本との意識の差などを問題提起してきているんですけれども、どうもそれが一般化しないのではないかというふうに思います。
 きょうの問題でも、一九六〇年代、七〇年代と情報公開法も制定してきているわけですが、恐らく、情報公開あるいは個人情報を保護することによってこれまでの行政のやり方などを大幅に変えなければならない、そういうことに対する抵抗が非常に強いのではないかというふうに思います。
 これは、こういう議論をしたこともあるんですが、一九七〇年代末ぐらいにこうした外国の立法例なども含めて問題提起をいたしました。地方公共団体ではそれがどんどん具体的に検討をされ、また実現していったわけですけれども、政治制度の違いというのがあるのではないか、こういう指摘がむしろ消極派の人からなされたことがあります。
 それは、私などが提唱している情報公開制度というのはアメリカには確かにある。アメリカは大統領制をとっている、直接国民が大統領を選ぶ、選挙人を選んでということではありますが、直接選挙的な要素があります。地方公共団体も、地方公共団体の首長、それから議会の議員は当然なんですが、それも直接選ぶということで、アメリカの大統領型のものである。こういうところでは、行政がどういうことをしているのかということを、やはり国民としてあるいは市民として公開を求めるというのは当然ではないかと。しかし、議院内閣制をとる国においてはその発想はとりにくいのではないか、こういう議論がありました。
 ところが、この外国の立法例でも、一九八二年になりますと、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドにおきまして法律ができます。イギリスのウエストミンスター型と言っております政治制度、これは議院内閣制でありますので、日本の制度のもとになっているものでありますが、そういう国でも情報公開法の必要性から法律ができるということになってまいりました。その段階でも、もう日本でも、こういう状況からすれば、議院内閣制のもとでもこの制度が成り立つものではないか、こういう問題提起もいたしましたが、やはり従来のやり方を変えたくないということで、そうした議論はなかなか進まなかったというふうに見ております。
春名小委員 今、行政のあり方を変えることへの抵抗が強いというお話もいただいて、私、なるほどなと感じたことがこの間たくさんありまして、例えば適齢者名簿の提供問題、八百二十二自治体にそれを、住民基本台帳法の趣旨を踏みにじって提供させる。それから、昨年は、知る権利の行使としてやった情報公開の請求者が、それがリスト化されてセンシティブ情報が集められてしまう。もう言語道断の事態が起こっているわけですし、本当に私許せないなと思うんですよね。
 同時に、この間法律に携わってきて、例えば、野党が個人情報保護法で自己情報コントロール権という立場をしっかり明記、その中身は、文章は書いていませんけれども、そういう中身を、関与するというものをきちっと入れて、その立場で個人情報保護法をつくるのが当然だという私たちは立場に立ってやりましたけれども、なかなかそれ、頑強に、そういうことがまだ生成中の概念で、そんなものを入れるわけにはいかぬというふうに言われる。やはりそういうところを実際には問題にしていかないと、本当にこの生成中の権利をしっかりしたものにしていくということにならないなという印象を受けるんですよね。
 そこで、もう一問御質問なんですが、今お話の中でも、憲法の上にこの知る権利、あるいはアクセス権などについて明記したらどうかという御意見もあります。ただ、私、先生のお話も伺っていまして、やはりこの憲法制定後の五十数年間の歴史というのは、明文にはもちろんそれはないけれども、憲法十三条の個人の尊厳、そして幸福追求権、この大事な権利概念の中にそれを見出しながら、住民の運動、それから世界の流れ、そして先生のような研究者の御努力、それから裁判の判例の積み重ね、こういう努力の中で新しい人権という概念を国民がつくり出してきている。やはりそこが一番大事なところだと思うんですよね。それを立法によって応援する、そういうことが今私は日本社会では問われているんじゃないかと思えてならないわけですが、その点についての御認識をお聞かせいただきたいと思います。
堀部参考人 ここは、春名先生御指摘のとおりでありまして、やはり立法府で新しい概念を、憲法改正ということになりますと、これはまた国民投票等いろいろ議論がありますのでなかなか大変だと思うんですが、立法レベルで新たな権利を創設するということは必要ではないかというふうに思います。
 ただ、具体的な立法になりますと、その内容を相当明確化しなければならないということもありまして、そこがなかなか、学界で議論していましても、学説はさまざまなものですから、どれを立法の面で具体化すればいいのかというのは大変難しいところがあります。
 地方公共団体の議論でも、地方公共団体はむしろ理念的に情報公開について知る権利を入れるとか、あるいは自己情報コントロール権に近いものを法の中に入れるとか、そういう考え方も出てきていますが、大抵前文に入れてその理念をうたう。場合によると、第一条の目的に入れているところもありますけれども、あくまでもその理念として入れているということでありまして、それが、国でもそういう発想がとれればいいんですが、やはり国の場合には、この権利の中身が明確にならないと、それを法律の規定に入れるべきではないという意見が非常に強いことも事実でありまして、そういう中でなかなか具体化しない状況にあるかと思います。今後の立法の課題としてぜひ御検討いただければというふうに思っております。
春名小委員 ありがとうございました。
 最後に一点だけ。個人情報保護法の議論の一つの焦点で、第三者機関を置くか置かないかという議論があります。それで、やはり報道の自由、表現の自由を守ることと同時に、個人の情報を守るということを両立させるためには、行政の恣意を入れないで、独立した行政機関がそういうことをきちっと判別していく、それは世界の流れだと思うんですけれども、その点についてはどんな感じでしょうか。
堀部参考人 実は四月二十一日にも先生からそういう御質問が出まして、私は、将来的にはぜひ考えていただきたいというふうに思っております。
 現段階では、四月二十一日に申し上げましたように、行政がこれまで非常に多くの経験を積んできていますので、当面それで対応をしてみる。それと、現実の問題としまして、個人の論文として書く場合には第三者機関なり独立監視機関を設けるべきだと言えるんですが、政府の文書として出す場合に、やはり全体状況を踏まえてまとめなければなりませんので、そこがなかなか、個人的見解を出すというわけにはいかないところもあります。野党の法案の中に個人情報保護委員会が明確に規定されていますことは十分認識しておりますが、現段階ではこの方式で対応してみるということでいかがか、このように考えております。
大出小委員長 次に、北川れん子君。
北川小委員 社民党・市民連合の北川れん子といいます。きょうは本当にどうもありがとうございました。
 実は去年は、住基コード入りの、番号入りのはがきというものが世帯単位で配られたんですけれども、私自身は、市の窓口と県に異議を申し立てした一人なんですね。というのは、よく言う、ほっといてもらいたい、私に番号なんてつけないで、そういう気持ちと、もう一つは、私の知らないところで私が知らない私の情報が積み上げられていくのではないか、そういうおそれというか恐怖心みたいなものとがありまして、未成年の子供も抱えているものですから、結局、窓口に通知を返しに行くという行為と、そして、自分の町には、情報公開、個人情報保護制度があるんですけれども、外部提供の中止とかそういう規定がないものですから、県の方にということになって、今、異議申し立てをしている一人なんです。
 世界の流れの中とか先生の御存じの範囲で、人間に番号をつけるということがそもそもどうなんだということに関してのお考えがあればお聞かせいただきたいというのと、ことしの八月二十五日から本格稼働になるというふうに言われているんですけれども、住基台帳のネットワークシステムを先生はどういうふうに分析されているかをお伺いしたいと思います。
堀部参考人 まず、先日、北川先生からいろいろ御質問を受けまして、ありがとうございました。
 住基ネットワークシステムにつきましては、実はこういう経緯がございます。たしか一九九五年、平成七年の二月末か三月の初めに、自治省の住基ネットワークシステム研究会の中間報告がまとまりました。私はそのときは委員ではありませんでしたので、メディアからコメントを求められまして、各新聞とも私のコメントを出しております。
 そのとき申し上げましたのは、一つは、プライバシー保護について不十分である。それからもう一つが、その段階ではコードという言葉ではありませんで、たしか番号だったと思うんですが、終生変わらない番号をつける、その番号を見れば、たしか生年それからどこで生まれたかということもわかるような番号だったかと思うんですけれども、これにつきましては、一九七〇年代の初めに国会でも相当議論があったところでありますので、その際に、当時の福田赳夫行政管理庁長官が、これは世界の趨勢、国民のコンセンサスを得た上で検討すべきであるということで、その段階では導入しないということになりました。そういう議論が果たしてその後なされてきたのかということになりますと、なされていないので、そこをきちんとするべきではないか。プライバシー保護についてもこれでは不十分である、こういう趣旨の意見を述べました。
 その後、私の意見などを踏まえて本報告、最終報告が出ましたが、その段階になりますと、かなりその点が改善されてまいりました。その際にも、ヨーロッパ型の第三者機関のようなものを何らかの形で設けるべきではないかというようなことも申し上げたりいたしまして、これもまたメディアでいろいろ報道されました。
 その後は、自治大臣の懇談会に出席するようにということで出まして、今のようなことをいろいろ申し上げてまいりました。そこで、住民基本台帳法の改正法案は、そういった私などを含めた外部の者も意見を言ったものでできたところがあります。
 そういう経緯がありますので、これ以上といいますか、いろいろ意見は言いましたけれども、そのかなりの部分が受け入れられているというふうに私は理解していますので、ちょっとそれ以上、ここもこうすべきだとか、ですから、全面的に反対するという立場はとりませんで、やはり保護措置がきちんととれるようにすべきである。
 ですから、春名先生言われたあの九九年五月六日の衆議院地方行政委員会における参考人のときも、その改正法案の中に、それ自体で個人情報保護の規定がかなり盛り込まれている。それから、指定情報処理機関におきましても、本人情報確認や本人情報保護を、審議会を設けるということで、第三者的なチェックが及ぶようにする。こういうことなどが入っているということもありまして、これであればいいのではないか。
 それから、そのコードにつきましても、それまでは終生変わらないものだったんですが、乱数表を用いて意味のないコードをつけ、しかも、それを本人の要求に応じて変えるということになりますので、そのコードはあくまでもデータ処理の上で必要なものということである。
 そうなりますと、世界の流れとしては、むしろ番号をつけるのがかなりの国で行われているというのは先生御承知のとおりでありまして、アメリカでも、一九三七年だったと思いますが、社会保障番号が生まれまして、これが現在でも広く使われていて、民間でも使われているような状況があります。ヨーロッパでも相当議論がありまして、イギリスはまだ取り入れていませんが、この問題をめぐってかなり議論があります。北欧は既にいろいろな形で取り入れているというところがありまして、むしろ、趨勢とすると、何らかの形で番号をつけるということになっているというふうに私は理解しております。
北川小委員 韓国とか台湾とかがよく引き合いに出されるものですから、私も少し、一日、二日という形だったんですが、視察とかもさせていただいたんです。やはり三十年、四十年たつ中で、若い世代が、人間に番号をつけられていることが当たり前だ、身分手帳がある、携帯するという形で確認されていくのが当たり前になっていくことに疑問を感じている人たちが出てきて、その人たちとしゃべっていると、私たちの国はないんだけれども、これからそういうものの時代に入っていくんだという議論などをしていると、先ほど先生は世界の趨勢的にはとおっしゃるんですけれども、スウェーデンなんかもつけられている社会保障の番号に関しても、社会保障を担うといった点でもやはり共通番号をつけることへの警告というものも出されているとも聞いていますので、そこら辺はこれからの議論にもなるというか、日本はこれから入っていくので、多少私は危惧しているところがあるんです。
 財団法人の地方自治情報センターが付番をするということになると思うんですが、そのときに、今議論されている行政機関の個人情報保護法とか独立行政法人の部分と、財団法人だから違うということでその法制がかぶらないというふうになると聞いているんですけれども、その点などは先生は、付番をするそもそものところに対しての個人情報保護法制のかけ方というものに関しては、お考えは何かおありになりませんでしょうか。
堀部参考人 財団法人地方自治情報センターは民法上の法人で、国から情報処理指定機関として指定はされていますけれども、法律上は行政機関法の適用は受けないことになります。
 むしろ住民基本台帳法そのもので非常に厳しく保護措置がとられているというふうに私は解釈をしていまして、いろいろ問題点が指摘されたりしていまして、総務大臣の住民基本台帳ネットワークシステム調査委員会にもかかわっておりますし、それから実は財団法人地方自治情報センターの本人確認情報保護委員会の委員長を務めております。そこでいろいろ議論している経験からしますと、今の法律が相当厳しく規定していますので、当面はこれで対応できるのではないか。
 今後、しかし、技術の発展が急速ですので、どういう問題が出てくるかなかなか予測できませんので、そういう中で問題点が出てきたときに、やはりこれは行政としてもすぐに対応措置を講ずるように法律の改正等を提案すべきだと思いますし、さらに国会としても、ぜひそのあたりは監視していただければというふうに考えております。
北川小委員 時間が来てしまったんですが、最後に、先生が尽力されて情報公開制度ができたわけですが、その中に知る権利というのが明記されなかったことに対して、三年たってみて何かお感じになっている点があればお伺いしたいと思います。
堀部参考人 先ほど触れました行政改革委員会行政情報公開部会でも随分議論いたしまして、私は知る権利を入れるべきだという立場で発言いたしましたが、全体としては、成熟していない概念であるということで入れませんでした。ですから、そこで意見を述べて受け入れられなかったからといって、また外で、あのときはこう言ったけれども入れていないのはけしからぬと言える立場にないものですから、一研究者としては必要な概念であるし明文化されるべきだと思いますけれども、実際の立法過程の一部、その前の段階のドラフティングにかかわってきた立場としては、なかなかそこを今こうすべきだと言えないものですから、そういうことで御了承いただきたいと思います。
北川小委員 どうもありがとうございました。
大出小委員長 次に、谷本龍哉君。
谷本小委員 自由民主党の谷本龍哉でございます。
 堀部参考人におかれましては、長時間お一人で御苦労さまでございます。私は、メディアに関しまして、倉田委員あるいは太田委員と重なると思いますけれども、質問をさせていただきたいと思います。
 日本という国は、私は、ある特定のものを神聖化したり絶対視する傾向あるいは風潮というものが強い国ではないかなというふうに考えております。
 例えば、この小委員会ではありませんが、別の小委員会で議論をしました国連、これは第二次世界大戦の戦勝国が中心になってつくったものであって、実際の現場というのは、各国、特に常任理事国の国益、利害というものが激しくぶつかり合って多数派工作を行ったり権謀術数を行ったり、そういう非常にどろどろした世界であると思うんですが、しかしながら、日本人はこの国連というものを非常に公平公正で大所高所から正しい判断をするものだというふうに思い込んでいる節があるように思われます。国連というのは日本に対してはまだ敵国条項が残っている場所でありますが、それを盲目的に信じているというようなところがあるんじゃないか。
 また、この調査会で議論をしているこの憲法、これについても似たようなところがあるのではないか。私は、人間がつくったものである以上、どのような法律であっても決して完璧なものはない。しかしながら、完璧なものはないということは議論を重ねて常に改正していくことが一番大事だというふうに考えるんですが、不磨の大典というような言い方で今まで改正されずに来た。たしか、そのままの形で残っている憲法、基本法としては世界最古になるのではないかというふうに思うんですが、そういう風潮がある。
 その中で、次にメディアなんですけれども、これに関しては、少しずつ意識は変わってきているのかな、気づき始めている人もいるのかなと思うんですが、それでもいまだに、活字になる、あるいは映像になって流れる、そうするとそれをすべてそのまま信じ込んでしまう、そういう傾向が非常に強いのじゃないか。
 例えば、最近の例でいえばイラク戦争を見ればよくわかると思うんですけれども、あの報道の中でやはりその報道の仕方、これは、報道する側の目的とかあるいは立場、思想、思惑というものによっていかようにもその伝わり方は変わるんだということがはっきり見えたものだと思います。
 確かに、全くのうそを流すということはないでしょうけれども、事実を流しても、その事実の組み合わせは必ずしも真実にはならない。方向性を決めてそれに合う事実だけを拾っていけば、思いどおりに情報というのは操作できる。また、メディアの中には事実でないことを伝えるような場面も出てきます。それが報道被害というものにつながってくるわけですが、逆に、この報道被害がどれだけあるかということについては余りメディアは報道しない、こういう現状があると思います。
 先ほど、その報道被害の話の中で裁判云々の話も出ましたが、週刊誌等においては、もう裁判費用やあるいはそれによる罰金、そういうものまで実は既に計算に入れて週刊誌を出している。たとえうそとわかっていても、そして訴えられても、それでも売れればいいという形で出しているものもたくさんあります。よく見られるように、大見出しを書いて、最後に小さなはてなだけつけてごまかしたりというようなことが平気で行われている。これは、もうジャーナリズムというよりもコマーシャリズムの方に極端に走っているのではないかという気がします。
 こういう現状を見ていると、やはり今の社会、特に日本現代社会においては、メディアというのはもう最大の権力になってしまっているんじゃないかというふうに感じています。政治家なんというのは簡単に、ある意味ではメディアがその気になればつぶせるんじゃないか、それぐらいの力を今は持っているんじゃないかと思います。
 そして、それに対して厳しいチェックを行うということがなかなかできない。チェック機能が働きにくい現状にある。その中で、先ほど参考人も自主規制というものをしっかりやっていくという話もされましたけれども、私は、本当にそれでやれるのか、マスメディア、マスコミの中で自主規制というものが本当にこれから機能をしていくのか。全く信じていないわけではありませんけれども、いろいろな形のメディアがありますから、それをしっかりと規制することができるのか、非常に不安に思っております。
 ただ、憲法二十一条、表現の自由がありますから法律ではなかなか難しいという参考人の意見もよくわかるんですけれども、今ここで議論をしているプライバシー権、あるいは知る権利を含めてアクセス権、そういったものをもし今後この議論の中で憲法改正という方向に進んだ場合にどのような形かで入れるとしても、それが表現の自由、報道との、メディアとの関係で全く無力であれば問題が大きいのじゃないかというふうに思います。
 その辺のことに関しまして、どういう方向性、どういう方法が今後プライバシー権とメディアの表現の自由との調和をとるのに一番ふさわしいかという参考人のお考えをお聞かせください。
堀部参考人 谷本先生の御指摘、そういう問題があることはしばしば議論になっているところでありまして、それにどう対応するのかというのは、日本でも幾つかの時期にそれらについて議論がありました。
 先ほど、プライバシーの権利ということを学界で研究するようになりましたのが一九五〇年代の特に後半ですが、その前に、やはりメディアが表現の自由に名をかりてといいましょうか、それでかなり問題になる記事を出したりしていまして、それに対応するために、プライバシーの権利というものを対抗軸として主張していくべきだ。それが一方で判例上も認められてきまして、かなりバランスがとれたかに見えると、またメディアの側がいろいろ問題になるような報道をしていく。それに対して国民からの批判があって、またそれについてさらに自主的な対応をする、こういうことになっておりまして、特に一九八〇年代に入りまして、匿名報道主義というようなことが大分議論になってきて、私が知る限りでは、メディアも、そういうようなことで、原則、氏名、住所等は出さないというような方法をできるだけとるようにしてきているというところはあります。
 しかし、そういう自主的な対応にも限界があるということは御指摘のとおりでありまして、これまでは、先ほど触れましたような第三者的な機関というのがないままで日本の場合にはメディアがそれぞれ対応してきたというところがありますので、当面考えられますのは、やはり第三者的な機関をメディア自身が設けることによって、そのチェックを受けて、また、そこにはだれもが不服、苦情を申し立てることができるようにするというようなことが考えられるかと思います。
 このことも、例えばイギリスですと、一九五〇年前後から、プレスカウンシルというのができまして、ここが活字メディアについてはずっと対応してまいりました。それから、放送につきましては、一九七〇年代に入りまして、BBCと民間のITVとが、それぞれそういう第三者的な機関を設けまして対応する。今日では、放送については、法律上、救済機関を別に設けておりますが、新聞、活字メディアの方でも、プレスカウンシルをプレスコンプレインツコミッションと変えたりして、その時々に問題が出てきているものには対応するという方法をとってきております。
 日本では、今のところ、先ほど出ましたBRCが放送界ではできましたが、活字メディアについては今のところありませんので、活字メディアも今、まず各社で対応するということで、それぞれ委員会をつくったりしているところでありますので、これを、もう少しそれぞれの業界できちんと対応できるようにしてみる。それで、やってみて対応が不可能だということであれば、また別途いろいろ考えていく。そこは今のところ具体的案はございませんが、そういった第三者的な機関をきちんと設けるという議論をメディアとしてもしていくべきではないかと考えております。
谷本小委員 時間がなくなりましたが、最後に一問だけ。
 太田委員からも質問があったんですが、先ほど言いましたように、ジャーナリズムといいますか、報道倫理というものをしっかりメディアが持っていただければ、自主規制ですべてうまくいくのであろうと思います。しかし、そこに利益主義というものが入ってくる中で、いろいろな問題が起こるんじゃないか。
 そういう中で、先ほど太田委員が言われたように、日本の場合、裁判になって、そして、それが虚偽報道であったり、報道被害があったと認められても、非常にその罰金といいますか罰則が緩い。そのために、それをもう既に計算に入れて、それでももうかるからやるという現状が非常にたくさんあるというふうに思いますが、それを防ぐためには、やはりさらにそれを厳しくする必要があるんじゃないかと思いますが、その点はどうでしょうか。
堀部参考人 日本の損害賠償額が非常に低いということは以前から問題になってきていまして、最近、それが高額化してきております。まず、それぞれの時代における、損害賠償額というのはどれが妥当かというのはやはり裁判所で十分審理をした上で判断していますので、裁判所が今のところプライバシーの保護あるいは名誉の保護ということで損害賠償を高くしてきているというのは、一つの傾向として重要な意味を持っているかと思います。
 アメリカの場合などは、以前から損害賠償額が非常に高いものですから、やはりそこで、今度は、裁判所の判決との関係でも、自主的に対応する場合にも、それなりのチェックをしていく。各社に、全部かどうかわかりませんが、主要な新聞社ですと、内部にそういった法的な観点からチェックする専門の弁護士がいて、ここまで報道すれば、先例からして損害賠償になる、損害賠償がどのくらいだからということで、きちんとチェックをするという体制もとっているといいますが、なかなか個別の記事についてまでチェックが及ばないということもありまして、先日もニューヨーク・タイムズの記者の捏造記事が問題になったりもしていますので、そういう問題をどんどん明るみに出すことによって、よりよいものにしていくというのは考えられるところではないかと思っております。
谷本小委員 どうもありがとうございました。
 以上で終わります。
大出小委員長 次に、今野東君。
今野小委員 民主党の今野東でございます。
 私は、衆議院で審議されました個人情報保護法の審議をする特別委員会のメンバーでございまして、その委員会の中でも幾つかの質問をさせていただきましたが、堀部先生が参考人としておいでになった会議にももちろん出席をしておりましたけれども、残念ながら、質問する機会がありませんでした。きょう、こうして再びお話を伺わせていただき、質問をさせていただく機会を与えていただきましたこと、大変うれしく思っております。
 限られた時間の中ですので、時計を見ながら、二問になりますか三問になりますか、お尋ねしたいと思います。
 まず、自己情報コントロール権なんですけれども、私は、委員会の中で、この自己情報コントロール権というものがどうしても必要だということを質問し、また、その答えも求めたんですけれども、しかし、担当大臣は、自己情報コントロール権は概念として確立していないという説明をして、衆議院を通過した法案の中には含まれておりません。
 諸外国の例を見ますと、これはもちろん、先生、御専門でいらっしゃいますから、当然御存じなわけですけれども、ドイツの個人情報保護法を見ますと、自己に関する情報の開示請求、それからデータファイル登録簿の閲覧、第三者機関的制度である連邦データ保護監察官への苦情申し立ての権利というのが与えられておりますね。
 それからもう一つは、イギリスを見ますと、データ保護法で、アクセス権を、個人は、データ利用者の保有するデータが自分の個人データを含んでいるかについて知らされる権利を有するとともに、自身がデータ主体である個人データ、処理目的、データ受領者を通知される権利を有するというふうに法律の中にはっきりと明記しております。
 フランスは、情報処理・データと自由に関する法律ですけれども、データ主体は、みずからの個人情報を有するか否かを問い合わせる権利、及び個人情報を有している場合にはその情報に関するアクセス権を有すると明記しております。
 また、アメリカのプライバシー法も、個人がデータ管理者に対して自己情報にアクセスし、写しを入手する権利、あるいは自己情報の訂正権がありますね。
 このように、情報保護について進んでいる国々が、きちんと自己情報コントロール権について明文化し、それを保護しているにもかかわらず、我が国の担当大臣は、概念として確立していないということを、法案の中に、法文の中に入れない理由として挙げたわけですけれども、私は、この自己情報コントロール権というのは法案に入れるのに十分概念として発達しているのではないかと思うんですが、堀部先生はいかがお考えでしょうか。
堀部参考人 自己情報コントロール権、今野先生言われたように、各国の法律の中では具体的に規定されております。
 そのことは、現在の法案でも、個人情報の保護に関する法律案では、権利という形ではないんですが、「個人情報取扱事業者の義務等」という形で、開示の求め、それから訂正の求め、利用停止の求めがあればそれに応じなければならない、義務という形で規定しております。
 これを権利として構成するか義務として構成するかということも議論したことあるんですが、政府としては、法案で「個人情報取扱事業者の義務等」という中に入れたものですから、義務という形で構成しております。
 ですから、反対解釈すれば、データ主体、本人の方の権利というふうに読むことはできると思いますので、裁判所にそうした権利を主張する、実際には、やはり義務ですから、義務を怠ったという形で訴えることにはなるかと思いますけれども、その趣旨は入っていると思います。
 法案全体として、つまり、これも、収集、コレクションという概念を用いるか、取得という概念を用いるか、いろいろ議論いたしましたが、取得という概念で、取得目的を明確にする、それから利用目的を明確にするとか、提供についても制限するということで、自己情報コントロール権の実質は個人情報の保護に関する法律案で具体化されているというふうに私は見ております。
 それから、行政機関法の場合には、むしろ、本人の「開示請求権」という形で構成をしまして、その考え方が入っていると見ております。
 それを第一条の「目的」に入れるかどうかということで、恐らく、細田大臣は、概念として熟していないのでその言葉は入れられない、こういうことではないかというふうに私は理解しております。
今野小委員 そういった趣旨は法案の中に盛り込まれているのではないかという先生のお話なんですけれども、私は、そういう形で入ってはいても、非常に使い勝手が悪い法案なのではないかなということで、ちょっとしつこく質問をしたわけなんです。
 さて、もう一つ、私がしつこく言ったものについて、見直し条項というのがあります。
 野党から出された案については、個人情報については、見直し案、三年以内に見直しというのが入っておりましたけれども、私は、行政機関の個人情報保護法についても見直し条項を入れるべきだったというふうに思っているんです。
 というのは、介護保険制度等を見ても、新しくこの国の制度をつくっていくときに、実際に運用してみないとわからないというのがあるわけですね。特に、個人情報に関しては、商売の形態もさまざまですし、IT関連でこれからどのような商売が出てくるか私たちの想像を超えるところがあるわけですね。
 さらに、現在でも、審議の中でも出ましたけれども、例えば質屋さんの場合、主務大臣というと許認可をする公安委員会である、その質屋さんがインターネットを使って仕事、商売をすると、それはどうも経済産業大臣になるでしょう。一つの商売なのに、どっちがどうなのかわからない。しかも、公安委員会であるといった場合には、商売について警察から指導されるというのは、庶民の感覚としては、商売をしている人としては、非常に大きなプレッシャーがありまして、そういったあいまいな点が多数出てくるだろうと思うんですね。
 実際に、審議の最中に、自衛隊地方連絡部の自衛官募集に際してのセンシティブ情報も含めた住基情報の提供などもありまして、目的外利用、第三者提供、センシティブ情報、情報の適正取得などで重要な点が多数含まれている問題が明らかになっていったわけです。
 こういう点が幾つ明るみに出てくるかわからないわけで、私は、見直し条項というのは絶対に必要だと思っているんですけれども、先生はそのあたりはどうお考えでしょうか。
堀部参考人 今野先生御指摘のように、むしろ、見直し条項がなくとも常に見直しをしていくべきではないかというふうに考えます。ITの発展というのはとどまるところを知りませんので、またそれを悪用したさまざまな問題が出てくる危険性がありますから、やはり、その都度きちんと対応するようにしていくべきだと思います。
 これは、一九八八年の現行の行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律案のときにも、あの法案の不十分な点がいろいろ指摘されました。私、衆議院の内閣委員会に参考人として呼ばれまして意見を申しましたが、もちろん不十分なところがあることは、かかわってきましたし、外国の立法例などと比較して十分承知しております。しかし、現実の中で法律をつくるとなりますと、やはり日本的風土がありまして、なかなか理想的には進まないというところもあって、とりあえずといいますか、法律をやはりきちんとつくって、それを運用してみて問題が出てきたところでさらに改める、こういう必要があるではないかということで、とりあえずつくることの意味が大きいのではないかという趣旨の意見も申し上げました。
 一九九九年、平成十一年の高度情報通信社会推進本部個人情報保護検討部会の座長として、その経験を踏まえまして、先ほどの、この前もお示しした図と同じですが、基本法の上に、公的部門につきましては、現行の個人情報保護法等の見直しということを明確に入れましたが、それは私自身がそういった過去のことを知っていますので、なかなかその見直しが進まなかったものですから、あの段階で関係してきた者として明確に入れまして、それがその後、また国会でのいろいろな御意見などもあって、総務省として検討し、電算処理からそれを広げて多くのものについて法律の対象にするというところまで来たわけです。
 今後、どういうふうになっていくか、またいろいろな新たな状況に応じてぜひそれは見直してほしいと思いますし、また、そういう機会がありましたらいろいろ意見も述べたいと思っております。
今野小委員 時間が来ました。ありがとうございました。
大出小委員長 次に、長勢甚遠君。
長勢小委員 いろいろ御指導いただきまして、ありがとうございました。
 ほかの先生からもお話がございましたが、お話の中で、権力の三極構造の中で、マスメディアへのアクセス権という考え方もお話がありまして、大変関心を持ちました。ここで、拉致被害者である曽我さんの家族の住所を報道するということが今問題になっておるわけでございますが、象徴的な事件だと思うんですけれども、この事件についてどのようにお思いになっておられるか。いずれにしても、こういう修復しがたいような被害から国民を守るということは極めて大事なことだと思うんですが、どのようにお考えになっておられるか、お伺いしたいと思います。
堀部参考人 ただいま長勢先生が言われたとおりに私も考えております。
 メディアとしてやはり、何を報道し、何を報道すべきでないかという一応の基準があるはずなんですが、どうもその時々の状況に応じてそれを逸脱することが行われているのは、大変残念であります。このあたり、各新聞社の倫理綱領なりで対応しているわけですが、今回のは、恐らくデスクもきちんとチェックしなかった結果がこのようなことになったのではないかと思いまして、そうなりますと、社内でのチェック体制そのものにも問題があったというふうに理解しております。
長勢小委員 こういうことを内部体制だけの問題として考えるべきかどうかということも、そろそろ考えなきゃならない時代になったのかなと思います。
 報道の自由あるいは知る権利というものを至上のものとして今まで考えてきたわけでございますが、昨今、報道技術というものも格段に進歩したわけでありますから、従来の考え方だけでやっていくと、弊害というものも大変目立つようになった。今やもう、個人に対しても、社会、公共に対しても、マスコミはアンタッチャブルと言ってもいいくらいの大きな権力となっていることは、だれもが不安に思っておることでありますし、これはもう従来の法体系の中では予想できなかった事態なのではなかろうか。
 そうなりますと、本来、こういう自由、権利というのが、自由であるとか民主であるとか人権というものを守っていくというためのものだったのが、逆にそれを阻害するということにもなりかねないということを感じている人は、そんなに少なくないと私は思っております。現実に、このマスコミのありようについての不満、不安というのはたくさんの人が言っておるわけで、私はたまたま今食品安全の問題にかかわっておりますけれども、そういう中でも、いわゆる風評被害だとか、あるいは経済、経営にもたらす大きな影響ということが、果たして報道の自由なり知る権利とのバランスがとれているんだろうかという意見も聞きますし、また取材についても、その対応によっては何か罪悪人にされるという風潮が随所にあるわけで、こういうことも国民には大変な不安になっているというケースが多く見られると思うんです。
 従来、この報道の自由あるいは知る権利というのが、国家権力などから国民を守るということで、非常に大事なものであったことは当然なわけでありますけれども、その結果なのか原因なのか私にはよくわかりませんけれども、マスコミというのは、何かというと、とにかく公正中立なものである、非営利である、あるいは真実を伝えるものである、国民の知る権利をかわって行うものであるということが一つの、私はこれは神話であり虚構だと思いますけれども、これが根拠になって、これがさらにマスコミ権力を強大化してきておる。
 その結果が現在こういうことになって、どうも、報道と社会あるいは個人とのバランスが変わっているにもかかわらず、こういうことをやっていいんだろうか。むしろ、このような、非営利であるだとか、公正中立であるだとか、真実だとか、国民のかわりだとかという神話、虚構に立たない中で権力の分散を図って、自由なり民主なり人権を守る中での報道のあり方という新たな法体系というものを考えていかなければならないのではないかなと思っておるんですが、具体的に提案をすべき能力がありませんので、国民の皆さんも、これからマスコミによって我々の社会はどうなるんだろうという心配をしておりますので、何か御示唆をいただければありがたいと思います。
堀部参考人 長勢先生御指摘のような問題点があることは、広く議論になっております。先ほども、メディアの側もそういう批判に対してさまざまな対応をしてきているということを申し上げましたが、北朝鮮に拉致されて今帰国した方々の取材などにつきましても、現在のところ、私が聞いているところでは、代表取材ということで進めているそうでありまして、それは和歌山のカレー事件のときのメディアスクラムということで、たくさんのメディアが一斉に現地に行って、市民生活の平穏が害されるような状況になってきた。それに対する社会の批判を受けまして、メディアスクラムということはもうしないようにしようということで、これを改めるということも新聞界では行っていまして、その結果が今度の拉致報道の関係では代表取材ということで対応し、その点では従来ほどの弊害は出ていないのではないかというふうに私は理解しております。
 ただ、どうしてもそういう中で個々の記者などがそれに反する行為をする、これは、法律でいろいろ規制がありましても、どうしてもそれに反する行為というのは人間社会にはありますので、そういった問題が起こったときに、やはりその基準がだんだん明確になってきていますので、そのことが社会的批判を浴びるということになってきているかと思います。
 曽我さんの住所の報道につきましても、以前ですと、むしろ住所を含め報道するのは当然のようにメディアは主張してきましたが、大体七〇年代、八〇年代にそういうものに対する批判が出てきて、そこはかなり改善されてきているというふうに私は見ております。
 そういう議論の上で、ですから、今度のような問題についても、やはり当該の新聞社みずからが問題を十分受けとめているというふうに私は理解しております。
長勢小委員 先生の今のお話、先ほどからもそうですが、マスコミの憲法上なり、あるいは社会的な役割というものの位置づけはそのままの中で弊害を除去していけるのではないかというお話だと思うんですけれども、かくも技術進歩の中で、あるいは先ほど申しました虚構、神話の定着の中で、弊害を除去するという方法が根本的にあり得るんだろうか。やはり根本的に、法体系の中での位置づけというものを見直すことが必要になってきているのかなという不安を持っておりますが、どうでしょうか。
堀部参考人 このあたりは、今先生御指摘のように、一方でメディアが果たす役割、特に民主主義社会において多様な情報を伝える、そこに、もちろん問題のある情報もいろいろと出しているということもあるわけでありますが、そうした多様な情報が出せるような体制というのも一方で必要なわけでありまして、それが本来の目的を達しないようなものである場合には、やはり批判を加えることによって改善を図っていく、こういうことが、私も随分長くこの問題をいろいろな形で議論してきていますけれども、相当改善されてきていると見ております。
 ただ、どうしてもその時々にそれに反する行為が行われ、またそれが次の段階でさらに改められていく、こういう繰り返しでもあるというところもありますが、全体とするとよりよい方向に向かってきているというふうに私は理解しております。
長勢小委員 どうもありがとうございました。
大出小委員長 次に、井上喜一君。
井上(喜)小委員 保守新党の井上喜一でございます。きょうは参考人、御苦労さまでございます。
 この知る権利、それからプライバシーの権利、どうも判例の積み重ねでありますとか、あるいは法律ないし条例なんかの積み重ねでできてきた権利のようにも思うのでありますけれども、今学界で通説、通説でよろしいのでありますけれども、知る権利とかプライバシーの権利をもう少し法律的にきちっとこれは説明してほしいんですよね。今参考人のお話を聞きまして、よくわからないんですね、中身が。ちょっとそこをまず御説明いただきたいと思います。
堀部参考人 知る権利という概念をどのように定義するのかというのは、それぞれの研究者によりましてかなり違いがございます。学界は、ある意味では、そういう多様な説が出てきて、その間、お互いに議論をする中で、どのような考え方が最も適切であるか、こういうことになっていくわけでありますが、その中から、きょう事務局の方で準備していただいた資料の中に幾つかの学説が出ていますので、これらからしますと、学説の上では、知る権利というのは、日本国憲法の中に明文の規定はないけれども、実質的に保障されているものということで、その問題を明確にしているという状況になっております。
 先ほど申し上げました行政改革委員会行政情報公開部会では、そのこともいろいろな学説を検討していまして、やはりそこに、いろいろなものがあるものですから、それを法律の中に設けると特定の学説を何か支持するような形になる、それが学界の今後の議論の発展にいいのかどうか、こういう意見も一方でありまして、そこでそれを明文の規定では入れない、しかし、国民主権の理念に基づきという概念で、これは憲法に明文の規定がありますので、むしろそれでもって知る権利を支える憲法の趣旨は入れられた、こういうふうに理解をしております。
井上(喜)小委員 どうも今の御説明をお聞きしますと、知る権利及びプライバシーの権利というのは、その中身についてはまだきちっとしたものがない、あるいは権利の性格につきましても、今定説として何か言えるような状況じゃない、こんなふうに理解をいたしました。
 次に、何人かの方が問題にされましたけれども、この曽我さんの記事ですね。私きょう、これは朝日新聞東京版でありますが、持ってまいりましたけれども、これは三十四ページに書いてあるんですね。極めて読みにくいところです。ほとんど目につかないところにこれは書いてあるんですね。
 中身を見ますと、どうも役場で記者がファイルを盗み見たというようなことでこの住所を知ったということのようなんですが、どうも中身を見ますと、大体いつもそうなんだけれども、配慮が足りなかったとか、その手なんですよ。それでおわびするんだ、こういう話になるんだけれども、これは私は、こういうことで済まされる問題じゃないんじゃないかと思います。
 確かに報道の自由、言論の自由はありますし、マスコミというのはやはり社会の公器だ、こういうことを、これはマスコミだけじゃなしに皆さんが認めていると思うのでありまして、それならばそれなりに、そういったことを担保するもの、広く言えば制度的と言っていいかと思うのでありますが、そういうものがあってしかるべきだと思うんだけれども。
 今いろいろな仕組みがあると思うんだけれども、現在の、こういう報道の公正さを担保する、あるいはプライバシーの権利の侵害を防ぐ、そういうものとしてこれは十分なものとお考えなのかどうか、十分でないとすれば、どういうことをこれから考えていかないといけないのか、その点についてお考えをお聞きしたいと思います。
堀部参考人 井上先生御指摘のように、十分とは考えておりません。そのために、メディアに対してもこれまでも、この種の事件が起こったりしますと、いろいろな形で意見を述べ、むしろ対応をきちんとすべきだということを言ってきております。
 今回の場合の問題も、一つは、社内的にどういう処分をすることになるのか、ちょっとここはまだわかりませんが、やはり、これまで当該の新聞社は幾つか過去に問題が出ていまして、その都度厳正な対応をしてきたというふうに理解しております。一つはやはり、それぞれの社で対応すべきことであると思います。
 他の、外部でこういうものをどう担保するのかということになりますと、先ほどから申し上げていますように、やはり第三者的な機関を自主的に設けることにより、そのチェックを受けるということが当面考えられるところではないかと思います。
 放送では、先ほど来申し上げていますように、BRCが一定の役割を果たしている。もちろんこれも決して十分なものではないわけでありまして、今後、もっともっと有効に機能するようにさまざまな改善を図っていくべきでありますが、新聞については今のところ、残念ながら、新聞界として、第三者的な機関を設けてそこでチェックをし、また今回のような問題についても、例えば曽我さんが被害者だということで、そこに苦情の申し立てをするというようなシステムにはなっていません。
 これもいろいろ議論はしてきているんですが、ちょっと、今の新聞界で本当にできるかどうかはまだわかりませんけれども、関係者の中には、ぜひそういうものは設けるべきだということで議論をしているというふうにも聞いておりますので、その結果がどうなるか、もう少し見守っていきたいというふうに考えています。
井上(喜)小委員 これは、新聞記事によりますと、曽我さんの文書は朝日新聞社に届いているようですけれども、どういう文書になっているのかわからないんですよ。そういうことすら報道しないわけで、私は、この問題、かなり大きな問題を抱えていると思います。
 そこで、このプライバシーの権利につきまして、この権利の侵害に対して、外国で刑事罰を加えるような、そういう立法例というのはあるんですか。
堀部参考人 プライバシーの権利の侵害に対しては、一般的には民事的な側面で対応しまして、損害賠償請求というのが普通であります。
 アメリカの州によっては、ただ、そのプライバシーという言葉もさまざまですので、他人の名前や何かを使ったとか、何かそういう侵害例ですと刑罰を科したりする例もあったりもいたしますが、さまざまな態様のプライバシー侵害について、それをカバーするような刑事罰というのは、なかなか明確にはし得ない。
 これは何を構成要件にするかということになりますので、特に刑罰を科するとなりますと、構成要件の明確性が要求されるということもあって、日本でもプライバシー侵害罪というのを設けるべきだという議論は随分あるんですけれども、そのプライバシー自体が定義がなかなかしにくい。また、これもいろいろなところで、アメリカのプロッサーという不法行為の大家なども、四つの類型に分けざるを得ないということを言っているような状況でして、どの部分をとらえてプライバシー侵害罪とするのか。
 これは、実際に立法ということで具体的に議論が始まりますと、どの側面を保護法益とするのかということになっていくかと思うんですが、少なくとも私が知る限りではそこまでの議論にはなっていませんし、外国でも、そこは今のようなことで、何を保護法益としてどのあたりで処罰するのかということについては、それほど明確な基準があるというふうには見ておりません。
井上(喜)小委員 ありがとうございました。
大出小委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言ごあいさつ申し上げます。
 堀部参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。小委員会を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手)
    ―――――――――――――
大出小委員長 これより、本日の参考人質疑を踏まえて、小委員間の自由討議を行います。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたします。
 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。
春名小委員 きょうの討論を聞いていまして、二つ発言させていただきます。
 一つは、表現の自由、メディア規制の問題についてです。
 国民の知る権利にこたえる取材、報道に伴って収集し、そして管理し、公表される個人情報は、本来、政府の統治目的だとか、あるいは一般的な民間事業者の営利目的で保有されている個人情報とは異なる扱いをやはりする必要がある、これが一つです。
 二つは、それとの関係で、表現の自由は、やはり民主主義の原理そのものであって、不可欠の権利であって、憲法上明記されている大変大事な権利であります。したがって、いかにプライバシー保護のためとはいえ、その制約には極めて慎重な配慮が要求されるということだと思います。この間の個人情報保護法の議論の中でも、焦点はそこに一つ大きくありました。
 したがって、そういう角度から考えたときに、メディアへの規制というのを法的には絶対してはならない、もうはっきりしていると思います。そして、自主規制によってこのことは解決をするのがまさに本筋であって、そのことを改めて明確にしておきたいと思います。
 その目で見ますと、政府提出の個人情報保護法案の中には、主務大臣が報道目的とか著述目的ということを判断するということになっていて、大変恣意的な判断がされる可能性が残っていること、それから、法案の中に、放送機関などに対して個人情報の苦情処理や適正な取り扱いを求める規定を設けていて、メディアが自律的に定めるルールや倫理に法律で国が指示をするという仕掛けが残っていますので、こういう点は重大な問題として残っているということを私は指摘しておきたいと思います。
 二点目は、きょうの参考人の質疑を通じまして、やはり知る権利、アクセス権、プライバシー権は憲法で保障された基本的人権の一つでありまして、憲法制定後の国民の運動、裁判の判例、堀部さんを初めとした研究者の努力などの積み重ねによって生み出されて確立してきた概念だということ。
 したがって、今日問われていることは、それを実効あるものにする、やはり立法上の整備であって、国会に課せられたそういう課題、そういうことが課題になっているということを改めてきょうの参考人質疑で認識いたしました。
 以上です。
今野小委員 私も、委員会審議の中で、この個人情報保護法について、見直し条項というのを強く主張してまいりました。きょう参考人がおっしゃいましたように、やはり必要であるというお話をいただきまして、ますますその意を強くしたところであります。
 私たちがこの国会でつくっていくその法律というのは、よく政府側の答弁の中にも出てきますけれども、完全なものではありません。したがって、こうしてつくったもの、特にこの個人情報保護法については、真摯にその見直しを重ねていくという姿勢が大事なのだということを特に強く思ったわけであります。
 二点申し上げますが、もう一点目は、特に与党の側の議員の方々から、報道について、その表現ぶりについて、何らかのチェックをしなければならないのではないかというお話がよく出てまいりまして、大変気になりました。
 私も、確かに日本のマスコミというのは、報道機関であるその志を失っているとは思います。志を失い、単に、報道機関というよりも、むしろ興行機関、金もうけの道具、娯楽機関になり果てているというところもあります。しかし、だからといってそこに公権力が何らかのチェックするシステムをつくろうとするのは、これは明らかに憲法に違反することでありまして、決してしてはならないことだと思います。
 しかし、個人のプライバシー等に関して侵害を受けたと感じた場合に異議を申し立てる何らかの第三者機関というのは、私は、お話を伺っていて、確かに必要なのかもしれないなということは思いました。ただし、その場合、やはり第三者機関でありますから、今既にある国の省庁の中につくることがあってはならないということを思った次第であります。
 以上でございます。
平林小委員 まとまってきちんとした理論を私が申し上げるまでには至りませんけれども、きょう問題にされました事項は、これからの日本の民主政治というものを維持発展させていく上に非常に大事な問題だなということを感じました。
 といいますのは、もちろん憲法とかそういう法制的な問題もありますが、一般的にいわば、自由には責任を伴うものだ、権利には義務を伴うものだということをやはり広く国民が自覚をした上でかような問題を取り扱っていくということは、さらに徹底していかなければいかぬのだなという感じを受けました。憲法の条文には一々触れる必要は必ずしも私はないと思っておりますけれども、国民全体にそういう意識を高めておかないと、いわばデモクラシーの運命にかかわるような事件が起こってくるんではないか。
 といいますのは、私、旧憲法時代、大日本帝国憲法時代の大正デモクラシーのころの新聞のコラムなんかで今ごろになって出版されたものを見ておりますと、非常に辛らつな名文で社会的な地位のある個人の、例えば政治家とか学者とか裁判官とか、あるいは大きな会社の社長さんとか、そういうような人をコラムで実名を挙げてまで辛らつな個人的な行為の批評をしておる。
 これは、そのこと自体は確かに興味を持って読めますけれども、こういうことが横行し始めると、これはデモクラシーという社会体制を自壊させていくんではないか。要するに、ろくなやつがおらぬなということになって、社会的な信頼を新聞が損なっていく、余りにも行き過ぎるとこれはデモクラシーの自壊、みずからつぶれていくということにつながるものではないかという気がいたしたことがございます。もちろん、大正デモクラシーというものが、ジャーナリズムが自分で壊してしまったということだけではありませんけれども、ほかにもいろいろな原因がありますけれども、やはりそれは今冒頭に申し上げましたように、自由には責任を伴うんだ、権利には義務を伴うんだという自覚をやはり、特に情報とかあるいはそういう部門に関して従事する人には注意をしてもらいたいものだな。
 それで、皆さんとほぼ共通した意見でありますけれども、民間放送には既にある程度の役目を果たす組織がございます。けれども、新聞にはそういう組織がない。ここら辺を我々が注意を喚起する必要は大いにあるんだなという気がいたしました。
 ほかにも申し上げたいことはございますけれども、とにかく報道が一方に偏るということは非常に危険なことでありますが、同時に、報道が個人のスキャンダラスな行為とかそういうものを余りにも辛らつに取り上げると社会的な混乱、動揺を招くんだな、それが日本が大正デモクラシーからファシズムに転換していった一つの原因にもなったのかなということを感じたことを申し上げておきたいと存じます。
北川小委員 堀部参考人のお話をお伺いしておりまして、情報公開制度の制定の折に部会において知る権利を強く再三御自身として主張したということをきょうも明らかにされました。しかしながら、自分の一番盛り込みたいところが入れられなかったからといってその立法化において断念するのではなくて、常に一緒に見ていきたいという御発言に意を強くした次第であります。
 そのときの内外の情勢というものにどうしても左右されるという立法過程での苦渋というものも、きょう拝察させていただいた次第でありますが、今回の、今審議中であるということでもありまして、個人情報保護法、私自身もかかわって衆議院の方でやっておりましたけれども、民間の包括法の方と行政の個人情報保護法の方とがどうしても一本一本という独立した審議過程を経ることができずに五法一括ということでありましたので、なかなかわかりにくい審議になったのではないかと思っております。
 しかしながら、そのところで一番の問題点でありますが、報道の定義を政府案は盛り込んでしまったということは、これはもう大きく歴史に禍根を残すものであるというふうに私自身は考えております。ましてや、その根拠になりました判例というものにおきましても、根拠はあいまいであるということも議論の審議の中で明確になった次第だというふうに思っております。
 また、新聞やマスコミ界のありようというものに対してのさまざまな御意見というのが、きょうの審議の中にも、ある事象を通して、ある事例を通じて御紹介されたというふうには思いますけれども、新聞紙上においても、新聞の中で倫理規程を、ましてやそれを紙上公開で討論形式にして地道な活動をしている新聞社もあります。
 いつの時代でも言われることでありますが、大本営発表というような形でのすべて一色になるような形で言論界の統制というものが行われてはならないというところにおいて、やはりきょうほかの委員の方からも御発言がありましたけれども、報道界に対してのやはり自主規制を促すような形での立法化や空気づくりといったものに関しては、私自身は排除していきたいという立場でこれからも憲法調査会で議論を進めてまいりたいと思っております。
倉田小委員 いろいろ意見がございまして、特にマスメディアと市民との関係ですが、マスメディアが、本来市民の見方であったはずが余りにも強者になり過ぎて市民に対する加害者になる場面がある。こういう中で、国家権力がマスメディアを云々ということはやはり私もいけないと思いますが、自主規制が、原則はいいんですけれども、先ほど今野委員がおっしゃった第三者機関、自主規制をもとにしますけれども、単なる苦情処理等を御本人がやるのではなく、第三者機関というものの設立というものは、やはり今後考えていくべき問題じゃないか、こう思いますので、一言申し上げておきます。
中山会長 中山です。
 今、倉田委員がおっしゃったことに関連して、数十年前に、私、実は北ヨーロッパへ行って、スウェーデンとかノルウェーとかフィンランドをずっと回ったときに、あそこは、社会保障番号、社会保険の番号を基本にしてあらゆる情報の処理に使っているという中で、今、倉田先生がおっしゃったような第三者機関というのは、オンブズマン制度、これが北ヨーロッパでは非常に発達している。
 我々の国にはオンブズマンという制度がございませんが、将来検討に値することではないか。もし制度が悪ければ彼らはもうやめているはずなので、そこいらに、これからの情報化社会における知る権利、また個人情報を守る権利、社会の倫理を守る権利というようなものが新しく求められる時代が来るんじゃないか。それには、やはりオンブズマンという制度が一つのあり方であろう、私はそのように存じております。
 以上です。
大出小委員長 他に御発言ございますか。
 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    正午散会


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