衆議院

メインへスキップ



第1号 平成14年2月14日(木曜日)

会議録本文へ
本小委員会は平成十四年二月七日(木曜日)憲法調査会において、設置することに決した。
二月七日
 本小委員は会長の指名で、次のとおり選任された。
      伊藤 達也君    奥野 誠亮君
      高市 早苗君    谷垣 禎一君
      中曽根康弘君    額賀福志郎君
      松島みどり君    島   聡君
      仙谷 由人君    伴野  豊君
      松沢 成文君    斉藤 鉄夫君
      藤島 正之君    山口 富男君
      土井たか子君    井上 喜一君
二月七日
 高市早苗君が会長の指名で、小委員長に選任された。
平成十四年二月十四日(木曜日)
    午後二時開議
 出席小委員
   小委員長 高市 早苗君
      伊藤 達也君    奥野 誠亮君
      谷垣 禎一君    中曽根康弘君
      中山 正暉君    額賀福志郎君
      島   聡君    手塚 仁雄君
      中村 哲治君    伴野  豊君
      松沢 成文君    斉藤 鉄夫君
      藤島 正之君    山口 富男君
      金子 哲夫君    井上 喜一君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   憲法調査会会長代理    中野 寛成君
   参考人
   (東京大学教授)     高橋 和之君
   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
    ―――――――――――――
二月八日
 小委員松島みどり君同日小委員辞任につき、その補欠として中山正暉君が会長の指名で小委員に選任された。
同月十四日
 小委員伴野豊君同日委員辞任につき、その補欠として手塚仁雄君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員仙谷由人君及び土井たか子君同日小委員辞任につき、その補欠として中村哲治君及び金子哲夫君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員手塚仁雄君同日委員辞任につき、その補欠として伴野豊君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員中村哲治君及び金子哲夫君同日小委員辞任につき、その補欠として仙谷由人君及び土井たか子君が会長の指名で小委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 政治の基本機構のあり方に関する件


このページのトップに戻る

     ――――◇―――――
高市小委員長 これより会議を開きます。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 先般、小委員長に選任されました高市早苗でございます。よろしくお願いいたします。
 当小委員会は、政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会ということで、例えば国会と内閣のあり方ですとか、そしてまた選挙制度と政党、また司法制度など、非常に大きなテーマに取り組んでいく小委員会となりそうでございます。
 精いっぱい、充実した議論を重ねていけますように心を込めて私も頑張ってまいりますので、委員の先生方の御協力、また御指導方、どうかよろしくお願いをいたします。
 政治の基本機構のあり方に関する件について調査を進めます。
 本日、参考人として東京大学教授高橋和之さんに御出席をいただいております。
 この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、先生におかれましては、大変お忙しいお体でいらっしゃいますのに衆議院までお運びをいただきまして、本当にありがとうございます。小委員会を代表して御礼を申し上げます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきまして、調査の参考にいたしたいと思いますので、どうかよろしくお願いをいたします。
 次に、議事の順序につきまして申し上げます。
 最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。
 それでは、高橋参考人、お願いいたします。
高橋参考人 ただいま紹介いただきました高橋でございます。
 きょうは、日本国憲法が定めている議院内閣制の運用のあり方について、「議院内閣制の国民内閣制的運用」というタイトルでお話しさせていただきたいと思います。
 お話の御依頼をいただいたときには、議院内閣制の運用を職務とされておられます議員の皆様に、その運用がどうあるべきかなどということをお話しするのは釈迦に説法ではないかと思いましたが、木を見て森を見ずという言葉もあることでもあり、現場から離れたところで議院内閣制の運用を観察している者に、そのありようがどのように見えているかということをお話しすることも、あるいは何らかのお役に立つかもしれないと思い直しまして、ここにやってまいりました。そういうわけで、話の内容は、遠くから見た議院内閣制というものがどういうふうに見えているかといったことになるかと思います。
 日本国憲法が採用した議院内閣制の構造は、御承知のように、次のようなものであります。
 まず、内閣総理大臣は、国会議員の中から国会が指名いたします。国会といいましても、衆議院に優越性が与えられておりますから、実際には衆議院の意向が重きをなすことになります。
 総理大臣が決まりますと、他の国務大臣は総理大臣が任命いたします。任命のみならず、自由な罷免権も与えられておりまして、この点で、日本国憲法の総理大臣は、御承知のように、戦前と異なり、内閣の首長としての地位を明確に与えられているわけであります。
 このように、首相を中心に一体性、連帯性を確立した内閣は、その行政について、国会に責任を負います。国会が内閣の責任を問う方法の核心にあるのは、言うまでもなく、内閣の不信任を行うことでありますけれども、憲法は、その権限を衆議院にのみ与え、参議院には与えておりません。
 さて、衆議院は内閣を不信任する権限を持ちますが、それに対抗して、内閣は衆議院を解散する権限を与えられております。
 内閣が解散権を行使し得るのは、衆議院が不信任をした場合に限定されるのか、それとも、それに限定されず、いつでも必要と判断したときには解散権を行使し得るのかという点につきましては、学説上は解釈の対立がありますが、実務においては初期のころから後者の理解が確立しておりまして、今では通説もそれを支持しておりますから、日本の議院内閣制は、衆議院の自由な不信任権と内閣の自由な解散権が対抗する、いわゆる均衡型の議院内閣制だということになります。
 以上は、国会と内閣の関係にのみ着目した場合の議院内閣制の姿でありますが、日本国憲法は、国民主権を政治の基本原理として採用しております。したがって、議院内閣制は、主権者たる国民の求める政治を行うためのメカニズムとして理解する必要があります。
 国民主権といいましても、代表制を基本としておりますから、国民が行うのは通常は代表者を選挙することに限られます。国民は、代表者の選挙を通じて、間接的に自分たちの求める政策意思を表明するわけであります。したがって、議院内閣制というのは、国民が選挙で間接的に表明した意思を基礎にして、代表者が国民のための政治を行っていくメカニズムということになります。
 ここで、国民が選挙で間接的に政策意思を表明するという点と、国民のための政治を行うというこの二点に注目しておきたいと思います。
 よく民主政治のことを、リンカーンの言葉を引用いたしまして、国民の国民による国民のための政治と言われますが、国民によるというところが、仮に直接制であれば、国民のためのということは不要になることでありましょう。国民が直接意思表明をすれば、それが国民のためにならないと主張することは困難であります。何が国民のためかは国民が最もよく知っているというのがデモクラシーの前提でありますから、国民が直接意思表明した以上、それは国民のためであると判断する以外にないということになります。
 しかし、代表制においては、国民が直接意思表明をしませんから、その分、代表者の裁量が拡大し、代表者による国民のための政治に期待されることになります。代表制においては、国民による政治と国民のための政治が微妙なバランスに置かれているということであります。
 そこで、議院内閣制の運用を考える場合、この国民による政治と国民のための政治のどちらに重点を置いて運用を行うべきかという問題が出てくることになるわけであります。
 国民による国民のための政治を議院内閣制を介して行っていく場合に、その政治プロセスは、有権者が議員の選挙を通じて自分たちの求める政策についての意思を表明し、それを受けて、議員が現実に実施する政策とその担当者、首相を決定するという展開をたどります。
 ここで重要なことは、まず第一に、国民あるいは有権者の間には望ましいと考える政策についての多様な考えが存在するということであります。しかし、第二に、政治によって実現し得るのはただ一つの政策プログラムだということであります。
 もちろん、多様なプログラムのうち、中には相互に両立可能なものもあるでしょう。そういうものは一つに統合すればよいわけであります。しかし、統合の努力を行っても、どうしても両立させ得ないプログラムが最後には幾つか残るはずであります。そのうちのどれか一つしか政治のプログラムとはなり得ないということであります。
 つまり、この政治のプロセスの課題は、多様な政策プログラムを統合し選択していって、最終的に一つのプログラムに絞り込むということであります。
 そこで、問題は、この絞り込みをどのようなリズムといいますか、段階、区分で行うのがよいかということになります。
 制度的には、憲法は、第一段階を議員の選挙、第二段階を首相の指名、第三段階を国務大臣の任命という形で設定しておりますが、その制度的な各段階でどの程度の絞り込みを期待するかということであります。ここでは技術的な選択の性格が強くなります第三段階は省略して考えますと、問題は、選挙前に国民の間に存在する多様な政策プログラムをまず選挙を通じてどの程度に絞り込むのが適切なのか、次いで、第二段階での絞り込みのあり方をどういうふうに考えるのかということになります。
 この点について、私は、二つのモデルを区別して考えるのがよいかと考えております。
 一つは、基本政策への絞り込みを選挙のプロセスで行ってしまうというものであります。このモデルでは、選挙の結果、国民の多数派が支持する政策プログラムが確定いたします。もちろん、政策プログラムと同時にそれを担う者、つまり首相も事実上決定されるということになります。この場合、第二段階、首相の指名というのは形式的なものになります。憲法上の手続としては国会が首相を指名しますが、だれが首相となるべきかは選挙の結果事実上決まっておりますから、それに法的な効果を与える手続にすぎなくなります。ここでは、内閣とその政策は選挙を通じて国民が直接的に選択いたしますから、これを国民内閣制モデルと呼んでおくことにいたします。
 これに対し、もう一つのモデルは、選挙において絞り込むことは避けて、選挙では国民の間に存在する多様なプログラムをできる限り忠実に国会の構成に反映させ、一つの政策への絞り込みは首相の指名という第二段階にゆだねようというものであります。つまり、ここでは、内閣とその政策の決定は選挙後に議員によって行われるということになります。国民が直接行うのではなくて、議員の媒介を通じて行われますので、これをここでは媒介内閣制モデルと呼んでおくことにいたします。
 この議院内閣制の二つの運用モデル、国民内閣制モデルと媒介内閣制モデルというのは、理念型的なものでありまして、現実の運用がどちらか一方だけで行われているということではありません。実際には、国民の間に存在する多様性をその立体的構造まで含めて完全、正確に国会に反映させ得るような、そういう選挙制度は存在いたしませんから。どんな選挙制度においてもある程度の絞り込みがなされますし、また最大限の絞り込みを目指したとしても、常に多数派に支持された唯一の政策プログラムがそこであらわれるという保証はありません。選挙のプロセスで多数派形成に失敗すれば、その限りで議員による多数派形成が必要になります。
 しかし、重要なことは、この二つのモデルは、考え方としては明確な対照、コントラストをなすものでありますから、両者を折衷して考えるというわけにはまいりません。どちらかを運用モデルとして選択する必要があります。
 では、どちらがよいのか。
 どちらがよいのかという問いに対しては、一般的に正解を出すということは困難であります。どちらも十分可能なモデルであり、それぞれが長所、短所を持っております。実際、イギリスは国民内閣制モデルを代表しておりますし、オランダとか北欧諸国、こういった国は媒介内閣制モデルに属する国だと言われておりますが、民主政治のあり方としてどちらがよりよい政治を行っているかなどということは簡単に言い得ることではありません。
 確かに、国民内閣制モデルの方が、国民が政治に対してより強い発言権を持つことになりますから、より民主的だと言えないわけではありません。特に、国民による政治を強調すればするほどそういうことになるでありましょう。
 しかし、どんな領域でも、その道のプロ、専門家というものは存在するものであります。素人が謙虚になって専門家を尊重するということは、非難すべきことではないと思います。国民のための政治ということを強調すれば、その方がよい場合もあるのではないかと思います。私自身、政治的な争点について、自信を持ってどちらかを選択することができるものもありますが、しかし、この問題の選択を私にさせてくれるなと願いたいような争点もたくさんあります。そういうものについては、専門家の判断を尊重したいと考えております。
 したがって、どちらがよいかは、現在の日本の政治のあり方、そこにどういう問題があるのか、今政治に何が求められているのかといったこととの関連で考えるべきことだと考えております。
 私の理解では、戦後長期にわたって、日本の議院内閣制は媒介内閣制モデルに従って運用されてまいりました。それが、一九九〇年代に入ってさまざまな困難に直面し、その運用のあり方がここで模索され始めているというのが現状ではないかと理解しております。
 現代の政治は、積極的なリーダーシップを必要としております。社会を運営していくためには、だれかが率先して必要な活動、アクションをとらなければなりません。消極国家と言われる考え方においては、アクションは社会にゆだねておくのが最善であって、そうすれば基本的には神の見えざる手により調和的発展が実現されるんだ、国家は社会の行き過ぎをコントロールしていればいいんだと説かれました。しかし、今日では、積極国家、福祉国家という考え方のもとで、一定の人為的プログラムにより、神の見えざる手ではなくて、人為的プログラムによって国家が社会の調和的発展のかじ取りを行っていくことが必要だと考えられるようになっております。
 そのプログラムに広範なコンセンサスがあれば、政治の課題はそれだけ軽減されますし、ましてや、それにより社会が順調に発展していたときには、政治が果たすべき役割はさらに限定されるということになりました。しかし、御承知のように、そのような時代は、仮に存在していたといたしましても、今ではもう失われてしまったのであります。
 今では、政府が積極的な活動を展開するには、まず政治プロセスを通じて、そのためのアクションプログラムを決めなければなりません。それは、デモクラシーを掲げる国である以上、国民の過半数に支持されたものであることが求められます。また、そうであってこそ、政府は時代の要請する政策を強力に推進することが可能となるのであります。
 この観点から、内閣とその政策に対する国民の多数派の支持が明確である方がよいということになるのではないでしょうか。この点で、国民内閣制と媒介内閣制のどちらが明確な支持を確立し得るかといえば、明らかに国民内閣制ではないでしょうか。
 もっとも、媒介内閣制でも、人口規模の小さな国家で国民の支持の動向が比較的把握しやすいなどの特別な条件があれば、明確に国民の多数派の支持する内閣を媒介内閣制モデルでも形成することは可能でありましょう。しかし、日本のように人口の大きな国になると、国民の多数派と議会の多数派を一致させるということは、媒介モデルでは相対的に困難となるように思われます。ですから、今、日本が目指すべき運用のあり方は国民内閣制ではないかと私は考えております。
 したがって、一九九〇年代以降、政治改革の一環として衆議院の選挙制度改革がなされましたが、それが成功しているかどうかは別にいたしまして、基本的な方向としては支持し得るものではないかと考えておりますし、また、行政改革の一環として内閣機能の強化のための制度改革がなされましたが、内閣の積極的なアクション、イニシアチブを促進するものとして、これも基本的には支持できるものと考えております。しかし、その全体が国民内閣制的に機能しているかといえば、まだまだ不十分な点が多いのではないかというのが私の率直な実感であります。
 その不十分な点、さまざまありますが、その中で特にここで私が強調しておきたいのは、内閣のコントロールという問題であります。
 内閣が国民の多数の支持を受けてその政策を強力に推進する、このような政治のあり方を実現するのが課題だと申し上げましたが、これは課題の半面にすぎません。これだけがひとり歩きするとかえって危険であります。アクションには常にコントロールが必要であります。アクションがなければ政治は動きませんが、コントロールなしではどこに行くか不安になります。ですから、アクションとコントロールは常にセットとして考える必要があります。
 内閣をコントロールする主体は、言うまでもなく国会であります。より具体的には野党ということになります。ですから、アクションとコントロールのバランスのためには、内閣にアクションの手段を与えるだけではなく、野党にコントロールの手段を与えることが必要であります。
 野党によるコントロールは、内閣の政策及びその執行の問題点を指摘し、国民に知らせるということが中心になりますが、それを行うためには行政についての正確な情報を入手する必要があります。その手段として、国会にとっての最も重要な手段は国政調査権であります。そこで、この権限の行使を野党の主導で行い得るようにする必要があるのではないでしょうか。
 この点、例えばドイツでは、議員の四分の一の要求で調査委員会を設置し得ると憲法上規定されておりますが、日本国憲法にはそのような明示の規定はありません。しかし、憲法はそれを禁止しているわけではありませんから、法律でそのような制度をつくることは十分可能であります。これはほんの一例でありますが、野党によるコントロールが十分に可能になるような制度設計が望まれるところであります。
 要するに、「議院内閣制の国民内閣制的運用」とは、政治におけるアクションとコントロールをめり張りある形で行っていくということであります。
 もちろん、かかる運用が可能となるためにはさまざまな条件が必要でありますが、その点について、選挙制度のあり方、政党の役割、国民の心構えといった観点から若干のコメントをさせていただきたいと思います。
 まず、選挙制度のあり方との関連でありますが、国民内閣制モデルで考えるか、媒介内閣制モデルで考えるかによって、選挙の見方は大きく変わります。選挙制度にはさまざまなものがありますが、比較的多くの国で採用されているものは小選挙区制と比例代表制、これにも具体的にはさまざまな内容がありますけれども、基本的な考え方としてはこの二つが代表的であります。そして、単純化して図式的に申し上げれば、小選挙区制は国民内閣制に適合的であり、比例代表制は媒介内閣制に適合的だと言うことができます。
 国民内閣制は選挙で国民の多数意思が明確に表明されることを要求しますが、それが可能となるためには、国民自身がそのような投票行動を行う必要があります。つまり、国民一人一人が多数派形成を考えて投票する必要があるわけであります。小選挙区制こそそれに適した制度ではないかと考えております。
 なぜなら、小選挙区制で自分の意見を最大限反映させようとすれば、最初から当選する見込みのない候補者に投票してもだめでありまして、当選する見込みのある候補者の中で自分の考えに近い人を選ぶということが必要になります。こうして、有権者はみずから多数派形成を考えて投票することになります。また、政党の方でも、他の政党と協定を結ぶなどして、当選可能な候補者を立てようとすることになります。
 少なくとも、小選挙区制というのは、投票者や政党に対してそのような行動をとるインセンティブを与える制度であります。ですから、結果としても、国民の多数に支持された内閣と政策を生み出す可能性が高いと言えるのではないでしょうか。
 これに対して、比例代表制は、国民の多様な考えをできるだけ忠実に国会に反映させようという制度であります。有権者も、候補者の中で最も自分の考えに近い人を選ぶという投票行動をとります。その結果、たまたま国民の中に明確な多数派が存在すれば、その意思に従った内閣と政策が選択されるということになりますが、通常はそうはならないでありましょう。比例代表制は、多数派形成とは逆のインセンティブを与えるからであります。
 というのは、比例代表制のもとでは、できるだけ多くの票を得るためには、自分に近い政党との差別化を図ることが重要だからであります。多数派形成のためには政策の類似性を強調することが必要になりますが、比例代表制のもとではそれとは逆のインセンティブが働くわけであります。勢い、ほっておけば、差別化によりどんどん政党が細分化されるということにもなりかねません。
 ですから、選挙の結果、明確な多数派が出現するということはまれでありまして、多数派形成は、首相の指名という第二段階の議員の役割ということになり、まさに媒介内閣制的に機能することになるわけであります。
 よく、小選挙区制は少数意見を切り捨てるものだということが批判として言われます。選挙とは国民が自分の意見に最も近い代表者を選ぶ手続であるべきだという理解で問題を考える限り、全くそのとおりだと私も考えます。
 しかし、小選挙区制は、実はそのような目的の制度ではないのでありますから、この批判は、言ってみれば、ない物ねだりの批判と言わざるを得ません。全く異なる目的の制度に対して、自己の欲する目的を実現していないから間違っていると批判しても、それは本当の批判にはならないと思います。
 同じ論法を使うならば、逆に、小選挙区制の立場からは、比例代表制こそ国民の多数意思をゆがめるものだということになりましょう。選挙の役割は国民の多数意思の探索でありますから、そうであるのに、比例代表制は、その多数意思を分散させてしまい、議員の多数意思をもって国民の多数意思に代替させるものではないかということになるからであります。
 こういった相互の批判は、いずれも、選挙の役割についての自己の観念を前提にして、その前提を受け入れていない相手の制度を批判しているわけでありまして、かみ合った議論ではありません。真の対立は、選挙の役割として何を求めるかなのであり、この対立は、国民内閣制モデルか媒介内閣制モデルかの対立に対応しているのであります。
 同じような批判で、小選挙区制では死に票が多く出るというのがあります。しかし、死に票が国政に反映されない票という意味でなら、そのような死に票は、選挙制度のいかんにかかわらず、不可避であります。一つのプログラムしか国政に反映させることはできない、少数派のプログラムは当面国政には反映されないというのがデモクラシーの論理のはずであるからであります。
 もっとも、死に票が議会の議席に反映されない票だという意味であるならば、全くそのとおりだと思います。小選挙区制は、国民の多様な意思を忠実に議席に反映させることを目的にした制度ではありませんから、それは当然のことであります。
 もっとも、私自身は小選挙区制で当選に貢献しなかった票が死に票だという理解には少なからず疑問を持ちます。その票の重みというのは、当選者も含めて、ここにいらっしゃる議員の方々を含めて、無言の影響力を持ち続けているのではないかと考えているからであります。当選された方も、自分の競争相手に投じられた票の大きさ、性格、意味、これは絶えずプレッシャーとなって作用し続けているのではないかと思っております。
 次に、政党の役割との関連でありますが、政治が国民のためのものとすれば、政党の役割は、政治が国民のために、国民の意思に従ってなされることを手助けするということにあると言えると思います。
 どのように助けるかといえば、まず第一に、国民にとって最もよいと考える政策プログラムを提案することであります。それが国民が政策選択を行う助けになるわけであります。さまざまな政党がさまざまなプログラムを提案すれば、国民はその中から自己の支持する政策を選択する可能性が広がります。
 しかし、国民にみずから多数派形成を行うことを求めるということであれば、政党は、自己の政策を提案しただけでは務めを果たしたということにはなりません。国民の支持のぐあいを見ながら、多数の国民が支持し得るような政策に修正していく必要があります。この国民と政党との意見のフィードバックを通じて、国民の多数が支持する政策プログラムを見つけ出し形成していくということになります。
 その過程で、政党は、他の政党と話し合い、連携し、共同の政策を形成して国民に再提案するということも必要になるはずであります。政党が多数の支持を受ける可能性もない政策にしがみついているとしたならば、国民内閣制モデルからは失格だと言わざるを得ません。媒介内閣制モデルの場合は、政党間の話し合い、妥協というのは、選挙の終わった後に議員が責任を持って行う、議員に任せてくださいという論理に立ちますが、国民内閣制はそれとは異なる論理に立っているわけであります。
 これに関連して、政党に二つのタイプを区別するのがわかりやすいかもしれません。
 政党とは、一定の理念を掲げその実現を目指して運動する団体でありますが、その理念を詳細な理論体系につくり上げ、それに厳格にコミットしているいわゆるイデオロギー政党と、理念を緩やかにとらえ、国民の現実の要求に柔軟に対応するプラグマティズム政党に区別できます。
 政党が自己のイデオロギーの純粋性に重きを置き過ぎますと、国民の多数派形成に協力し、それを手助けするということが困難になりますから、国民内閣制のためにはプラグマティズム政党が好ましいということになります。
 プラグマティズム政党が国民の多数の支持を獲得し得る政策を探索する真摯な努力をするならば、政策プログラムは基本的には二つに収れんしていくのではないでしょうか。場合によっては、どうしても妥協し得ない争点が複数あって、プログラムが三つ以上並立するということも起こり得ないではありませんが、国民の多数派の支持を獲得し得る政策ということを考えれば、通常は、おのずと二つに収れんする傾向を持ち、二つの間の選択という形になるように私は考えております。
 また、小選挙区制においては、選挙で勝つためには選挙区の多数が支持してくれる政策と候補者が必要でありましょう。選挙戦略としても、政党は協力し合う方向に動くことになるのではないでしょうか。
 重要なことは、政党が自己保全の発想を捨てて、国民のための政治に何が必要か、どう貢献できるかを考えることではないでしょうか。しかし、現実にはこれが非常に困難なのかもしれません。それだけに、国民の側から見れば、政党や候補者が自己保全的行動をとれば不利になるような制度設計が必要だということであり、小選挙区制の一つのメリットはそこにあるのではないかと私は考えております。
 次に、国民の心構えということでありますが、以上お話ししたところから、国民内閣制的運用を行うためには、政党も議員の皆様方も国民内閣制の精神を理解して、それに即した思考と行動のパターンを採用していただくことが必要になりますが、同様のことは我々国民にも言えます。
 制度というものは、その理念、精神をどう理解して運用するかにより、全く異なったものとなってあらわれます。ですから、議院内閣制を国民内閣制的に運用したいというのであれば、その精神を理解して行動する必要があります。
 例えば、国民が小選挙区制で投票するときに、自分の考えに最も近い候補者を探して投票しようとするならば、政党が選挙協力で候補者を一本化してきたというような場合、恐らく自分の投票したいような候補者がだれもいないと言って嘆く国民が多く出ることになるに違いありませんし、また投票したい候補者がいても、今度はその候補者は当選する見込みがなくて、私の声が反映されないとか、死に票がふえると文句を言うことになるわけであります。
 国民が選挙で自己に最も近い考えの候補者に投票し、後は代表者に任せたいというのであるならば、国民内閣制ではなくて媒介内閣制モデルを選択し、それを主張していくべきであります。それとは異なる論理に立つ小選挙区制を採用した以上は、それに合った行動パターンをとらなければ制度はうまく機能しないということになるわけであります。
 さて、以上の議論は日本国憲法を前提にして、その運用をどうするかというものでありました。私は、国民内閣制的運用をするのに憲法の改正は必要ないと考えております。日本国憲法は国民内閣制的運用も媒介内閣制的運用も許容しております。しかし、憲法の条文の中には、多少気になるものもないではありません。それを最後に一つ指摘して終わりにしたいと思います。
 それは、議院内閣制と参議院の関係という問題であります。
 議院内閣制の核心的メカニズムは、内閣と衆議院の間に設定されております。参議院には内閣を不信任するという権限は与えられておりません。しかし、参議院は法律の制定につき非常に強い権限を与えられております。これによって事実上内閣の責任を問うことが可能になります。内閣は、自己の政策を遂行するために法律がどうしても必要であります。しかし、法律を制定するには、原則として参議院の同意が必要であります。もし衆議院で与党が三分の二の多数を占めていれば、参議院で少数派になっても法律を制定することが可能になりますが、現状では、与党が参議院で少数派になるというような状況のときに、衆議院では三分の二を確保するというようなことはちょっと考えることはできません。したがって、内閣は、衆参両院で多数を形成し得るような政党間の提携を基礎にしなければ存立が困難だということになっております。
 逆に言えば、参議院は不信任権はないが、内閣の重要法案を否決するという形で事実上不信任を行うことが可能であり、それに対して、内閣は参議院の解散権を持っておりません。こういう不均衡が生ずることになります。つまり、日本の議院内閣制は参議院との関係で機能不全を起こす危険性を持っているわけであります。
 そこで、運用上、参議院が議院内閣制の正常な機能を阻害しないようにするための方法を考えていく必要が出てまいります。
 直近の衆議院選挙で国民の多数の支持を得た政策を遂行するための法律が提案されたときに、参議院がそれを否決するとすれば、これは、アクションに対するコントロールというよりは、アクション自体を否定するものではないでしょうか。ですから、参議院がこのような行為に出ることは自制すべきではないかと考えます。自制するという慣行を形成していく必要があるだろうと思います。そのためには、参議院を真に良識の府、理性の府となるように政党規律を緩和するなどの措置が必要でありましょう。ただし、自制することと引きかえに、別途コントロールの手段は与えなければならないと思います。
 要は、議院内閣制を民主的に機能させるには何が必要かということを良識に従ってプラグマティックに考えていけば、必要なルールは、ちょうどイギリスの憲法習律と言われるものが慣習的に形成されていったように、日本においても形成していくことができるのではないかと考えております。その意味で、議員の皆様方に大いに期待しているところであります。
 以上で、とりあえず私の話は終わらせていただきたいと思います。(拍手)
高市小委員長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
高市小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。奥野誠亮君。
奥野小委員 自由民主党の奥野誠亮であります。
 議院内閣制の運用のあり方についていろいろと御教示をいただいて、ありがとうございました。
 長の選任の方法についてはお触れになりませんでしたけれども、やはり一番大きな、運用に影響を及ぼす課題じゃないかと思います。また、立法論にもなるわけでございますし、殊に首相公選制が今や一つの政治課題になったりしておりますので、私からは、国政が議院内閣制でありますし、地方が大統領制である、また、こういうとらえ方には、ジュリストを見ますと、先生は、内閣と議会の関係のみに着目するのは視野が狭過ぎるとおっしゃっているわけでございますけれども、現実の政治の世界に身を置いている者でございますし、時間も極めて制約されておりますので、私なりの考え方を申し上げさせていただいて、御教示あるいはまた御所見を賜ればありがたいなと思っております。
 言うまでもなく、現行制度では、国政におきましては、衆議院の総選挙が行われますと、単に議員を選び出すばかりじゃなしに、あわせて内閣総理大臣を間接的に選んでいるんだ、こう判断をしているわけでございます。選挙が終わりますと、内閣は総辞職をして、真っ先に内閣総理大臣を選挙する、こう憲法は定めておるわけでございますし、また、各政党の党首がその際に内閣総理大臣の候補者になっているわけでございます。結論的には、第一党の党首が政局の収拾をする責任者になっていくということがだんだんと慣例的に固まってきているんじゃないかなと思います。
 そういういろいろなことを考えますと、政党の役割というものは非常に重要な意味を持ってきているわけでございます。それだけに、また、選ばれた内閣総理大臣は、議会や政党に対しては弱い立場にあると言えないこともございません。
 日本の内閣総理大臣が最近は頻繁にかわっている。世界の責任者がかなり長期にわたって政権を担当しているところから見ますと、恥ずかしいような状態になっているわけでございます。
 そういうことなどもあって、もっと強い内閣総理大臣をつくったらどうかということが、大統領制にする、住民が直接に選び出すことにしたらどうか、そういうことになると安定した内閣総理大臣ができるじゃないかと。事実、大統領制をとっています地方団体の長は、途中でやめたりするのは例外でございまして、任期いっぱい務めておるわけでございます。そのためには、やはり内閣総理大臣の選任方法を、現在のような議院内閣制の立場で選ぶんじゃなくて、大統領制の立場で選んだらどうかということになってきているんだと思います。
 しかし、地方でも、人口五、六百人のところから千数百万人のところまで、同じように団体の長は住民が直接に選挙で選ぶということになっておりますので、やはりこれは無理があるじゃないかな、地域の実態に応じていろいろな選任方法があってしかるべきだ、こういう議論もあるわけでございます。
 直接に選ぶということになりますと、選挙する者はいろいろな人でございまして、支持政党を持たない人もあれば、共産党支持者もあれば、自民党支持者もあるわけでございます。したがいまして、候補者は大体無所属でございます。いろいろな幅の広い支持を得なければ当選できないということから無所属でございまして、政党の関与する力が非常に弱いものになっていくと思うわけでございます。同時に、選ぶ方も、大きなところになってまいりますとなかなかわからないものだから、人気投票みたいになっていると思います。長もまた、いろいろな人の協力を得なきゃなりませんので、どうしても迎合的になってくる、人気政策みたいになる、こういう欠陥が出てくると思うわけでございます。
 いずれにいたしましても、これは憲法改正につながっていくわけでございます。
 私は、長の選任方法をどうするかということにつきましては、単純にそのことだけでよしあしを言うんじゃなくて、その地域なり国なりの歴史とか伝統とか、あるいは日本であれば天皇制とかほかの機関との関係も考えながら、総合的に判断して決めていかなきゃならないと思っているわけでございます。例えば、アメリカやフランスは大統領制をとっている、イギリスは議院内閣制をとっている。それぞれ事情がわかるわけでございますし、日本には千何百年トップには天皇制をいただいているという、これも簡単につくろうと思ってもつくれないわけでございますから、この存在も十分考えながら長の選任方法を考えていかなきゃならないと思っておるところでございます。
 先生はまた、ジュリストに、天皇は政治的権限のない完全に名目的、儀礼的な存在として設定されている、こう述べておられるんですけれども、私はこれもちょっと異論があるわけでございまして、天皇に対する国民の感情、今日におきましても、憲法は、日本国の象徴、日本国民統合の象徴という言葉を使っております。これが出ましたときには何か違和感を日本国民は持ったわけでございますけれども、仰ぎ見る存在が天皇だ、こういうふうに見てまいりますと、やはりだんだんと敬愛の念が強いもの、今日でも変わりはないようなことになってくると思っておるわけでございます。
 殊に、いろいろな国事行為を持っておられる。例えば、乱闘国会になりまして、法律が本当に議決されたのやら議決されないのやら、速記録は聞き取れず、聞き取れずと書いてある。そういうことから無効論が出たりしますけれども、天皇の国事行為として法律が公布されますと、もうそれでおさまってしまうわけでございます。
 そういういろいろなこともございますし、また、焦土と化した後、天皇が全国に行脚して回った、国民を激励された、あれも国民が立ち上がる一つの契機になったのじゃないかなと私は思っておりますし、文化や福祉や、あるいは国際親善やいろいろな面において、天皇なり天皇御一家なりが活動しておられることが大きな影響を持っておるわけでございまして、これは軽視すべきでないんじゃないかな、こう私は思っているわけでございます。
 同時に、直接選挙の怖さというものも感ずるわけでございまして、消費税のときには、非常に信頼の厚い政治家がどんどんみんな落選していった苦い経験がございますし、また、サンフランシスコ講和条約が決まってまいりますときに、ソビエト・ロシアなども賛成するまでは待つべきだという意見もございまして、全面講和か単独講和かということで争われました。まあ、単独講和じゃなくて、多数講和と言った方がいいのかもしれません。東京大学の学長をされた南原繁さんが反対の急先鋒でございました。苦心惨たんしておられる吉田茂総理は、曲学阿世の徒と厳しく批判をいたしました。
 また、昭和三十五年に安保条約を改定いたしますときにも、学界も、またマスコミの多くも労働界も、大体多くは賛成でございました。それを戦争に巻き込まれる、戦争に巻き込まれるということでございました。これも、ソ連は日本にアメリカの基地がある限りは独立を認めるわけにいかない、こういう姿勢をとっておったのに加担をしていったわけでございまして、こういうことを考えますと、こんなときにもし総理大臣の選挙でも行ったらどういうことになるんだろうかなと私には思えるわけでございます。
 そんなことを考えてまいりますと、やはり地方の弊害が、同じような大統領制をとった場合には国政の中にも出てくるわけでございます。もちろん、総裁のあり方については、今日では国会議員だけが自民党の総裁を決めるのじゃございませんで、党員、党友も参加する。もちろん支持者だけでございまして、共産党の方が参加されるわけじゃございません。しかし、大統領制になりますと、みんなで決めるわけでございますからそういうわけにはいきませんが、いろいろな工夫をすることによって努力をしていきたいな、こう思います。
 私は、天皇制についての考え方も、現行憲法では……
高市小委員長 失礼いたします。
 奥野誠亮君に申し上げます。申し合わせの時間が終了いたしましたので、結論をお願い申し上げます。
奥野小委員 それでは、皆さんに迷惑をかけちゃいけませんので、これでとめておきたいと思います。
 先生に十分な時間を残せませんでしたが、何かコメントでもございましたら、お教えをいただいておきたいなと思います。
高市小委員長 では、大変簡潔にお願いしなければいけませんが、高橋参考人。
高橋参考人 質問の趣旨がよくわからなかったので、聞かれていることが何かというのは十分理解しているかわかりませんけれども、例えば、地方の制度について、よりいろいろな形のものを導入できるようにした方がいいというような御趣旨が一つあったかなと思いますけれども、全く賛成であります。
 天皇については、私がジュリストで書いたことは、憲法上こうなっているということでありまして、その法的問題以外については、またいろいろ議論があり得るかと思います。
 そんなところでよろしいでしょうか。
高市小委員長 松沢成文君。
松沢小委員 民主党の松沢成文でございます。
 先生の御主張に大変な興味を持ったんですけれども、先生の御指摘されています国民内閣制、私なりに判断をさせていただくと、議院内閣制をより直接民主制的に運用する、できる限り国民の意思を政治プログラムや首相選びに反映させていく。また先生は、立法府と行政府の関係を、単なる法的にとらえるのではなくて、内閣と議会の機能として、アクションとコントロールの関係だと。この二点が、先生の国民内閣制の大きな特徴だと私は把握しております。
 さてそこで、先生の国民内閣制というのは、私なりに考えさせていただくと、イギリスの議院内閣制がモデルになるんじゃないかなというふうに思うんですね。イギリスは日本と政党制が違いますから、かなり政党が体系化されていますので、イギリスの場合は、党の中でかなりの政策を収れんする機能があって、党大会も何日も開きますし、また首相も、選挙のときにはその党大会で決まったマニフェストを提示して、自分たちの政党が勝ったら私が総理大臣になるんだという形で選挙に臨みます。また、首相になれた者は非常に強い首相の権限を持って、リーダーシップをとれるようになっている。それに対して、野党の方は逆に影の内閣を組織して、しっかりと与党をコントロールする仕組みもできている。
 こういうふうに考えますと、先生の主張されている国民内閣制は、ある意味でイギリスの議院内閣制をモデルにされているというふうに認識してよろしいんでしょうか。それが一つ目の質問です。
高橋参考人 全くそのとおりであります。
松沢小委員 そこで、ヨーロッパの議院内閣制をとっている国で、もう一つ、日本にない政治の仕組みとして、国民投票制を導入している国が多いと思うんですね。昨今のEUの統合問題なんかにしてみても、マーストリヒト条約をどうするか国民投票に諮る。あるいは通貨統合の問題でも、この前、たしかデンマークでは、総理がEUの通貨統合に入りたいと言っているにもかかわらず、国民投票にかけたらそれが否決をされて、デンマークは猶予しているような形だったと私は拝察いたしますが、また、イギリスのブレア首相も、総選挙のときの一つの公約に、国民投票でEUの通貨統合に入るかどうかを諮りたいんだということも言っています。
 この国民投票制というのは、ある意味ではワンイシューを国民の意思にダイレクトに諮る制度であります。これを、先生のおっしゃる国民内閣制の中でどのように位置づけるのか。例えば、国民投票をやる場合には、総理の権限でそれを決められるのか、あるいは議会がそれにも絡むのか。そしてまた、その国民投票で得た結果は政治にどのように反映させていくべきなのか。今後の憲法を考える上で、日本も国民投票制をどう位置づけるかという議論が必ず出てくると思うんですが、先生は、議院内閣制における国民投票との政治的整合性をいかがお考えでしょうか。
高橋参考人 国民投票を憲法上は認めておりませんから、それを日本国憲法との関連で深く考えたことはありませんけれども、その制度を仮に導入するとすればどういう問題が出てくるかということで考えますと、国民内閣制的に問題を考える場合には、政府の基本的な政策というのは選挙によって決定される。それとは別に、それと矛盾するイシューを別途国民投票にかけるということをするとすれば、これは制度のつくり方いかんという点もありますけれども、事実上の効果としては、自分の信任を国民に対してかけるという意味を持ってくるだろうと思います。
 選挙で約束した政策に矛盾するイシューを国民に問うて、それで負けたならば、やはり政治責任として退かざるを得ないだろうという意味を持ってきて、したがって、国民に対して直接責任を負うという形になる。しかし、それは国民内閣制と矛盾することはないだろうと考えております。運用の仕方で矛盾することはない。ただ、辞職せざるを得ないという問題が出てきますから、それを憲法の中にどういう形で書き込むかという、技術的に難しい問題は出てくるだろうと思います。
 それから、政府の政策と独立性を持った重要問題が発生してきて、どっちに転んでも政府の政策と矛盾するわけではないけれども、国民にとっては非常に重要な問題であるから、国民の決定に従ってあとは考えていこうというような場合は、これはそういった政治責任というような問題は起こらなくて、割合うまく使えばうまく機能するんではないかなというふうに考えております。
松沢小委員 それでは、現行憲法の条文と先生のおっしゃる国民内閣制で問題となるとすれば、先生は、参議院と議院内閣制の問題を挙げました。私は、あと二つの条文が非常に気になるところがあるので、そこを指摘させていただいて、先生の御見解をいただきたいんです。
 まず、今の憲法の第四十一条であります。国会は国権の最高機関であるという書き方がされているんですね。ただ、それと同時に、日本は民主政治の国であって、権力分立原則、簡単に言えば三権分立、これが憲法には同時にしっかりと書き込まれているんですね。ですから、立法府、それから行政府、司法府の中でさまざま、解散権があったり、あるいは違憲立法審査権があったり、それぞれこの三つの政治の主体が均衡とコントロールのもとに政治を運営していくという大原則があるにもかかわらず、国会が国権の最高機関だという書き方をしている。ここには、私は一つの矛盾があると思うんです。
 ただ、もちろん民主政治においては国民主権、主権在民が大原則でありますから、国民から直接選ばれている機関として国会、その国会に最高の権力があるんだという書き方はあるのかもしれませんが、これは極めて政治的なものであって、法的に憲法を考えるとおかしいんではないかという思いがありますが、その点についていかがお考えかということ。
 もう一点、国民の意思を政治に反映させるために選挙があるわけでありまして、この選挙が公正なものに機能しなければならないわけですね。
 そこで、第四十三条に、両議院は全国民を代表する選挙された議員でこれを構成するというふうにありますけれども、四十四条には、そこで資格を定めておりまして、議員、選挙人の資格は法律で定める、ただし、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産及び収入で差別してはならないと書いてあるんですね。
 ただ、私は、今ここで挙げたような項目での差別は、ほとんど今日本ではなくなっていると思います。一つ重要な差別が抜け落ちている。これは、居住地による差別なんですね。いわゆる一票の格差という問題であります。衆議院の小選挙区は、選ばれた議員が内閣総理大臣も選びますから、立法府での権限と同時に、行政府の権限もこの衆議院の総選挙というのは決めていくわけですね、間接的に。二つのオーガンの権限を決めていく。しかし、その選挙における格差が二倍以上ある。これまで二・五倍あったのが、今度格差是正をしても二倍をまだ超えてしまっている。簡単に言えば、一人の参政権が二人以上になっているわけですね。私は、こういう状況を残していたら、民主政治とは言えないと思います。
 ですから、もし新しく憲法をつくり直すとしたら、この中に、居住地における差別はしてはならない、あるいは選挙区選挙における一票の格差は例えば一・五倍以内にするとか、憲法の中にしっかりとそこまで書き込まない限り、これはあくまでも政治的な、恣意的なもので格差が是正されないで終わっていく。ここが私は日本の民主政治の大きな欠点だと思っていまして、この四十四条をどうとらえるか、一票の格差の是正を憲法にしっかり組み込むということをどうとらえるか、先生の御所見をいただきたいと思います。
高橋参考人 まず第一点の最高機関の方でありますけれども、おっしゃるように、最高機関という規定と権力分立は矛盾するんではないかという問題はあります。通常は、権力分立もそうですけれども、もう一つは、国民こそが最高機関ではないか、それなのに国会が最高機関というのはどう理解したらいいかという、そちらの方も一緒に議論するんですけれども、そこのところを説明するために、憲法学の通説では、これは法的意味ではなくて政治的な意味にすぎないんだと説明してまいりました。基本的には私もそういう理解になるかなと思いますけれども、ただ、全く法的に意味がないかといえば、憲法上、場合によって、どの機関に属するか不明な問題が出てきた場合には、当然国会に属する、そういう主張をする根拠になるだろうと考えております。
 それから、一票の格差の問題は、おっしゃるとおり、全く私もそのとおりだと思います。それを憲法の中に書けばより明確になると思いますけれども、憲法解釈としては、既に、書かなくても、現在、憲法学の方の通説的見解として、一対二を超えるようなものは憲法違反だというふうに普通考えております。ただ、それが最高裁判所では認めてもらえていないということでありまして、それを憲法に書けばより明確になるということはあるかと思います。
松沢小委員 ありがとうございました。
高市小委員長 斉藤鉄夫君。
斉藤(鉄)小委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。きょうは、高橋先生、大変ありがとうございました。私は、国会と内閣の関係、それから二番目に首相公選制、三番目にメディアのあり方ということで、三点、質問をさせていただきたいと思います。
 まず第一点目ですけれども、これは先ほどの松沢委員の質問と同様な質問になるかもしれませんが、ちょっと別な角度から問わさせていただきます。
 四十年近く前になりますが、中学校のときに三権分立というのを社会科で習いました。そのとき、たしか私はこのように習ったような記憶があるんです。つまり、国権の最高機関である国会が法律をつくり、その法律を実行するために内閣が組織される。そして、司法は、その法の執行が正しいかどうかをチェックする、こういうふうに習いました。この考え方からすれば、先生が著書の中でおっしゃっている、まず内閣ではなくて国会が中心なんだという説か、もしくは内閣中心なんだけれども法制定・法執行図式、これに当たる、その理解だと思います。そういうことを私は習ったような気がするんですけれども、先生のきょうのお話はそうではなくて、統治・コントロール図式、内閣中心で、かつ、国会との関係は統治・コントロール図式だ、こういうお話でございました。
 日本国憲法は一体どちらを想定しているのか。先生のおっしゃる国民内閣制にはこの統治・コントロール図式がいいということなんですけれども、憲法はそもそもどちらを想定していたんでしょうか。
高橋参考人 憲法が制定されたころの考え方は、私とは違う考えが基礎にあったんではないかなと思います。ただ、私の考え方と矛盾しているということではなく、そういった問題意識が当時はなくて、歴史的に見ますと、法定立・法執行というイメージで国会と行政権の関係をとらえるのが一般的でありましたから、それを吟味することなく受け入れていたんだろうというふうに理解しております。
 ただ、現在問題を考える場合には、きょうお話ししましたように、アクション・コントロール図式あるいは統治・コントロール図式で政治の領域を見た方がより現代に対応した見方ができるであろうと考えておりまして、かつ、そういう見方をすることを日本国憲法は禁止しているわけではないと考えております。
斉藤(鉄)小委員 それでは、二点目ですけれども、実はこの夏、憲法調査会で海外視察をし、イスラエルへ行きました。イスラエルは首相公選制を実行し、失敗ということでまたもとに、議院内閣制になりましたけれども、その実情を見てきたわけです。
 民意の反映、集約というその二つの事柄を、国会議員を選挙する、これはほぼ完全な比例代表制です。スレッショルドも、投票率二%というほとんどないに等しいスレッショルドですし、完全な比例代表、ここで民意を反映する。そして、もう一つの行為として、民意の集約という形で首相を選ぶ。ある意味では理想的な姿だったんですけれども、行った皆さんは、政党政治の死以外の何物でもなかったという厳しい評価をする方がほとんどでございました。
 制度設計が本当によかったのかどうかということも検証しなければなりませんけれども、このような首相公選制ということについての先生のお考えをお聞かせ願えればと思います。
高橋参考人 首相公選制も、私の国民内閣制も、内閣のリーダーシップを確保しようという考え方では同じだと思いますけれども、首相公選制の場合は、議院内閣制ではなくて、基本的には大統領制の論理に立っていて、運用の仕方が非常に異なるというところがあると理解しております。
 ただ、首相公選制は制度として全く成り立たないかというと、そうではないだろう、その運用の仕方いかんだろうと考えております。大統領制自身、アメリカでうまく運用されております。アメリカしか運用できないという説もありますけれども、必ずしもそうではないだろう。アメリカのような大統領制は、ある程度その精神を理解して運用する限り運用できるわけでありまして、それと同じように、首相公選制も制度として成り立たないわけではない。
 ただしかし、いろいろな点で難しい問題をはらんでいる。その一つが原因でイスラエルではうまくいかなかったというふうに理解しているんですけれども、政党が政治に対して責任を負う、そういう行動をきちっと確保できるような何らかの工夫があれば、首相公選制というのも不可能とは言えないと思います。
 ただ、私は、国民内閣制の方が同じ目的を達成するのにずっと容易に、やろうと思えば実現できるものだと考えておりまして、現在のところ、首相公選制の方がいいというふうには思っておりません。
斉藤(鉄)小委員 ありがとうございました。
 最後、三番目の質問なんですけれども、先生の著書の中にも、国民内閣制的運用、この三つの要素は、国民と内閣もしくは国会及びメディアだ、このような表現もありました。
 国民が、今政治で何が論じられ、何が問題なのかということを認識するのはメディアを通してしかないわけでございますので、その重要性がわかるわけでございます。きょうは、そのメディアについての先生の言及がございませんでしたので、これを質問させていただきたいと思います。
 一言、その前に言いますと、我々国会にいる者として、大変メディアに対しては歯がゆい思いをすることが多くて、実際にはここが問題でこういう議論をしているのに、メディアを通して見ると全く問題のすりかえが行われて、別な報道がされているということ、これは一つや二つではなくて、もうたくさんございまして、大変歯がゆい思いを現実にはしているということもちょっと申し添えさせていただきます。
高橋参考人 私も、これは国民内閣制に限らない、政治がうまくいくためにはメディアの役割が非常に重要だと思っております。特にきょうお話ししたこととの関連でいえば、メディアが議院内閣制の運用の仕方についてきちっとした理解を持って、それを国民に解説すると同時に、政治家の行動がそれとの関連でどういう意味を持っているのかということを明らかにしていく必要があるだろうと思います。
 政党の政策についても、その意味を質問し、内的な一貫性を持った政策なのかどうか、どこの政党とどういう関係があるのかということをみずから分析し、あるいは政党に対して質問をして、国民の側で求めているものは何かをメディア自身が探索して、それを政治の場へ伝える、そういう政党と国民の間のフィードバックを媒介するという非常に重要な役割を負っていると思っております。メディアがきちっとそういう形で機能してくれないと、政治はうまくいかないだろうと思います。
 政治家の皆さん方から見ると、メディアは正確に反映していない、常にそういう御不満をお持ちのようでありますけれども、私に言わせれば、メディアで発言する機会をお持ちなんですから、そう思われたらどんどん正確にお伝えいただきたい。そうすれば、我々の方に正しい考え方が伝わってくるというふうに考えております。
斉藤(鉄)小委員 ありがとうございました。
高市小委員長 藤島正之君。
藤島小委員 自由党の藤島正之でございます。三点ほど質問させていただきたいと思います。
 まず第一点ですが、私は、先生がおっしゃる国民内閣制、これが現実にかなり近づいてきているんじゃないかという感じがします。特に、選挙の際は、選ぶ際は、次の総理がだれになるかというのをほとんど念頭に衆議院の選挙は選ぶようになってきているというふうな感じがしますし、現在のように非常に変化の激しい時代には、そういうことが必要になってきているんだろうという感じはいたしております。
 ところで、最近は与党と内閣との関係が非常にぎくしゃくしている、あるいは大臣と官僚との関係が理想とすべきものと非常に違った形になっているというふうに感じるわけですが、先生はその辺についてどうあるべきだというふうにお考えでしょうか。
高橋参考人 現在の政治のあり方が国民内閣制的なものに近づいているかというと、先ほど言いましたように、まあそういう方向が少しかいま見られますけれども、まだまだ不十分かなと思っております。
 特に、選挙の際、だれを首相にするかを考えて投票しているかというと、政党の側でそういう状況を整えていただいていないのではないか。選挙のときに、各党が確かに党首がいて、首相候補者だといえばそうですけれども、国民の側からいいますと、自分の支持する政党に投票したからといって、その党首が首相になるだろうとはほとんど思っていない。選挙が終わってから話し合いで決めるだろうというふうに理解しているのではないかなと私は思っております。
 それから、政官関係の問題は、もちろんあるべき姿として、政が決定し官が執行していく、まさに決定・執行イメージというのは政官関係に妥当すべきものであるというふうに思っております。ですから、政治の領域で私の言いましたような国民内閣制的運用を行って、きちっと政策決定を行う、それを官僚の方に忠実に執行していってもらうという政治のあり方を実現する必要があるのではないかなと。
 日本の場合は、伝統的に官の方が非常に力が強かった。それを続けると、やはり民主的政治という点で問題でありますし、と同時に、官が現在の国民の要求にうまく対応できないということが次第に明らかになってきたわけでありますから、国民がみずから選んでみずから責任を負う、それが可能な政治プロセスをつくっていかなければいけないだろうと考えておりまして、そのために、やはりあるべき姿としての、政が決定し官が執行するというあり方をぜひ皆様に実現していただきたいと考えております。
藤島小委員 今の件に関係するんですけれども、今までのような官僚制度に政治が乗っかっているんじゃ、なかなか改善できないんじゃないかなという感じがするんです。要するに、政権が交代したら官僚の上層部分は全部かわるといったようなダイナミックな方法を考えないと、いつまでたっても官のしつらえたものに乗っかっていくということが変わらないんじゃないかなという感じがしているわけです。
 それともう一つ、先ほどの質問の中で、今の総理、内閣と、はっきり言って与党の自民党との政策が必ずしも一致しないで、うまくいかないときは総理が自分の党をぶっつぶすとかいうような言葉を使っている。そういうものが今の議院内閣制の中で予想はされているのかなという感じがするんですけれども、その辺、もう一度お答えいただければと思うんです。
高橋参考人 官僚制の専門家ではありませんから、全く素人考えで役に立つかどうかわからないんですけれども。
 官の側が変わるということがなくて、同じ人間が続いていくというところに問題があるとおっしゃいました。ある程度私もそういう点があるのだろうと思いますけれども、もう一つ、官僚の方々も、いろいろやりがいのある仕事をしたい、それで一生懸命競争社会の中でやってこられている。そういうことを考えますと、もう少し競争原理を官の中に政治家の方々が取り入れていくということをお考えになったらいかがかなというふうに日ごろ思っております。
 つまり、公務員制度をどうするかというのは政治で決めることでありまして、現在いろいろ議論されておりますけれども、改革されるときに、公務員の身分保障との兼ね合いもありますけれども、身分を保障しながら、しかし内閣あるいは与党と官が一体化するんではなくて、官を中立化させて官の中に競争原理を取り入れるといいますか、そういった工夫ができないものだろうかというふうに感じております。
藤島小委員 今の与党とその与党の党首である総理とのずれみたいな部分については。
高橋参考人 これは、現在の日本の政治のあり方の一つの大きな問題だと言われておるところでありまして、私もそう思いますけれども、内閣と党とが二重権力構造になっている、これを改善していく必要があるだろうと思います。
 連立政権の場合、党が違いますから、内閣と党がより一体化していくというのはそれだけ困難になりますし、自民党の場合は、恐らく派閥連立ということがありまして困難だったという事情があるかと思いますけれども、やはり内閣の中に、あるいはその周辺に与党のリーダーが入っていって、そこで決定することが与党全体の決定になっていくような制度のあり方を実現していかなければ、どうしても二重権力構造ということになってしまいます。これは外から見ていても、どこで決定されているのか非常に不透明という問題にもなりますから、今後の課題だと私自身も思っております。
藤島小委員 では、最後にもう一点。
 先ほど先生は、参議院のあり方との関係で、憲法上問題が出ると。まさにそういうことだろうと思うんです。ですから、衆議院で与党が過半数をとっておっても、参議院で少数であれば、法律はもちろんですけれども、問責決議で、実際、問責決議が可決されますと法案審議等に出られなくなって、結局、その内閣は立ち行かない。これは、本来考えている二院制と逆のことになっているわけですね。
 そういう意味で、私は、参議院の機能のあり方をこの際どうしても見直さざるを得ないんではなかろうかという感じがしておるんですが、簡単で結構ですけれども。
高橋参考人 全くおっしゃるとおりだと思います。議院内閣制の中心は内閣と衆議院の間に設定されております。ただ、日本国憲法は、内閣が国会に対して責任を負うというふうに言っておりまして、参議院にもある程度は内閣の責任を追及することは認めているわけであります。
 しかし、不信任、解散権という構造はありませんから、参議院は、内閣の基本政策に対してノーと言う場合には相当慎重な行動が要求される。これは、イギリスで、貴族院がみずから自制して、選挙の結果決められた、国民が支持した政策に対しては、その選挙の前に反対していても、選挙の結果そういうことがわかればもう反対しないという慣行を形成していったという歴史がありますけれども、日本の参議院もそういったことを考えていく必要があるんではないか。そういうことを慣行的に形成していく条件を整えるというか、参議院改革としてそういったことまで考えていっていただきたいと思っております。
藤島小委員 終わります。
高市小委員長 山口富男君。
山口(富)小委員 日本共産党の山口富男です。
 議院内閣制の運用のあり方の提起として、参考人の提起は随分議論を呼んできたと思うのですけれども、きょうも参考人の、一種の理念型という表現がありましたが、理念型から出発して、選挙制度や政党のあり方についても示唆がありました。この点では、理念型が違いますと当然評価も大きく食い違ってきますから、例えば小選挙区制の評価なんかは、私は随分違った考えを持っております。同時に、参考人がおっしゃった、これは運用のあり方の問題であって、憲法の改正は必要ないんだという点は、私も同じ立場に立つものなんです。
 そこで、幾つか事実の認識の問題でお聞きしたいのですが、このモデルを考えられた発想の源には、民意が十分反映されていないじゃないか、あるいは議院内閣制といってもそれが十分うまく機能していないじゃないかという発想があったと思うのです。それで、憲法研究者のお立場から見まして、憲法の規定とのかかわりで、この点はうまくいっていないというようなところが、判断をお持ちのようでしたら、何点か示していただきたいと思います。
高橋参考人 まさに民意を政治に反映させるということが出発点であります。ただ、その場合に、従来は、民意を反映させる一番いい方法は、言ってみれば国民を鏡に映すような形で国会に忠実に反映させるということを考えてまいりました。そういった観点から、例えば定数不均衡はなぜいけないかというと、忠実に反映していないからいけないんだとか、かつての中選挙区制もそれから小選挙区制も、これは忠実に反映することができないからだめだ、比例代表制が一番いいんだということを議論してまいりました。私が憲法を研究するようになったころにおいては、そういった考え方が圧倒的に支配的でありました。
 私も最初はそういった考え方を学んでいたのですけれども、そのうちに、日本の政治をうまくやっていくのに、国会に反映させることでうまくいくんだろうかという問題に直面し、と同時に、それを考えているうちに、民意の反映とは一体何なのかという疑問を持つようになりました。国民の間に存在するさまざまな考えを国会に反映させればそれが民意の反映なのか。本当の反映というのは、現実に執行されていく政治のプログラムに民意が反映されていることではないか。
 民意といっても全部を反映することはできませんから、そうしますと、デモクラシーの原則からいって、過半数が支持した政策が実現されるということが民意の反映された政治であろうと。国会に反映させても、その後現実に採用されるプログラムが国民の過半数が支持するような政策でないならば、過半数が支持するような首相でないならば、これは民意に従った政治とは言えないだろうというふうに考えまして、民意の反映と言う場合の民意というのを考え直さなければいけない、そういったところから出発して考え出した理論であります。
山口(富)小委員 民意の場合は、私は多様なものの反映が必要だと思うのです。
 もう一点お伺いしたいのは、国民内閣制モデルの場合、国会の最高機関性とのかかわりで、どういう内的な位置づけを持つのですか。
高橋参考人 国会の最高機関性というのは、憲法の中で、例えば憲法改正の発議を、国会がその権限を持つとか、憲法のもとで最も強い力を持つ法形式である法律の制定権を国会が持つというような形、さまざまなところで国家にとって一番重要な行為を行う権限が国会に与えられている、そういう意味で最高機関と表現されているというふうに理解しておりまして、それは法形式としてはそのとおりであって、別に否定する必要はない。
 国民内閣制論が問題にしているのは政治のあり方でありまして、政策をどう決定して、どう執行していくかという問題であり、それを現実に執行していく場合、つまり、国民に対して場合によっては強制していくという面も出てきますから、したがって、国政を執行していくには法律が必要である、その法律を決定するのは国会であるということで、私の考え方との間で整合性があるというふうに思っております。
山口(富)小委員 その政治のあり方の問題なんですけれども、参考人のモデルによりますと、統治・コントロール論というお話もありましたが、普通、憲法で考えますと、行政権の問題、立法権の問題ということで、関係と区別をはっきりさせながらやっていくわけですが、きょうの場合は、政治あるいは統治というカテゴリーでとらえることが大変多かったように思うんですけれども、この点はどう整理されているんですか。
高橋参考人 憲法上使われている立法、行政、司法という概念、これらは明確に定義をして使っておりますが、私の理解では、この三つの権力が区別された目的は、法の支配を実現することにあったと考えております。
 国会が法律をつくり、それに従って行政が行われていく、ちゃんと法律に従っているかどうかを裁判所が判断する、こういう構造で法の支配が組み込まれておりますが、それは法の領域の問題でありまして、それと別に、政治の領域をとらえる場合には、統治・コントロールという図式でとらえた方がいい。統治・コントロール図式で展開される政治領域の活動が、それは法の支配の原理を採用しておりますから、法に従ってなされなければいけない。したがって、これを法的にコントロールするためには、法的な言語に翻訳されなければいけないということになります。その法的言語でコントロールするシステムをとらえる概念が、立法、行政、司法という概念であるというふうに理解しております。
山口(富)小委員 少し角度が変わるんですけれども、国政レベルの問題として議院内閣制の運用の話がありましたが、となりますと、地方政治は、もしモデルをお持ちでしたら、参考人はどのようにモデル化してごらんになっているんですか。
高橋参考人 基本的には、地方政治を見る枠組みは同じでありまして、国民内閣制的なモデルで見るか、媒介内閣制的なモデルで見るかという考え方、そのモデルの違い、つまり、政治の中心を地方の首長に置いて見るのか、地方の議会に置いて見るのかという二つのモデルに区別されるだろうと思っております。
 地方についても、私は、現代の地方政治を考える場合には、基本的には国とパラレルに、同じモデルで考えた方がいいだろうというふうに考えております。
山口(富)小委員 最後に、ごく手短に終わりますが、参考人は、議院内閣制の運用の問題をこれだけ大きな問題にされて、これを保持するという立場なんですが、この議院内閣制を今後とも保持する意味というもの、これはどういうふうにお考えか、最後にお述べいただきたいと思います。
高橋参考人 非常に単純にお答えすれば、憲法上採用されているから、その運用をうまくやっていくにはどうするかということをとりあえず考えているということであります。
 別に、議院内閣制が絶対的で、大統領制はだめだという気持ちはありませんから、大統領制をやってみたいという気持ちが国民の間に強くなれば、それはそれで結構だと思いますけれども、ただ、日本では議院内閣制をずっとやってまいりましたから、経験があるということが一つ。ですから、それを基礎に改善をする方がより易しいのではないかと考えております。
高市小委員長 金子哲夫君。
金子(哲)小委員 社会民主党の金子です。
 幾つか、ちょっと違う角度かもわかりませんけれども、私は二〇〇〇年の六月の選挙で初当選したのですけれども、それまで国会の外におりまして、特に九〇年代、連立の時代になって、いわば連立の組みかえが選挙を経ずに起こるということは、国民の目から見ると、素直に考えて、どうも理解ができない。
 それで、先生のおっしゃっております議院内閣制の基本的なことからいえば、選挙で政策を明示して選ばれた議員によって、その結果によって内閣が構成されていくとしますと、途中で明らかに転換するような内閣の異動というのは、先生がおっしゃっている議院内閣制の問題からいうと問題があるように思えるんですけれども、その点についてのお考えをまずお聞きしたいと思います。
高橋参考人 現状は国民内閣制的に必ずしもなっていないといったことの一つの理由はまさにそこにあるわけであります。任期の途中で政権がかわった、しかしそれは国民の信任を受けていない、それがずっと続くということは、やはり運用としては好ましいことではないだろうと考えています。
 ただ、これは、国民内閣制の論理から考えると当然そういうことになりますけれども、恐らくは、従来は媒介内閣制の論理でやってまいりましたから、そもそも、選挙の後の政権が、国民が事実上直接つくったという形ではなくて、選挙が終わった後、各党間あるいは党内のいろいろな話し合いで決定されているわけでありまして、その限りで国民は蚊帳の外にいる、観客として見ているだけであります。そうしてつくられた政権でありますから、途中でかえるのもまた自由だという発想になるだろうと思います。
 そうではなくて、最初から、国民の選挙によって内閣が形成されたという形で出発すれば、それが途中でかわれば、当然、これは国民の信を問わなければいけないというふうにお考えになるだろうと思うんです。そこの違いだろうと思っております。
金子(哲)小委員 その際、一つ、先生の国民内閣制の考えをもっと発展さすとすれば、例えば選挙のときに、ある程度、首相候補といいますか、そういうものを各党が示さなきゃいけないということになってくると思うんです。ただ、そのときに、今の連立の時代のような場合になりますと、各党が出すということと、結果として連立を組まなきゃいけないということが出てきますと、その中の選挙の関係というのは、何かやはりちょっと矛盾を起こすような気がするんですけれども、その点はどうなんでしょう。
高橋参考人 私は、理論としてだけ考えておりますから、非常に単純に言うことになりますけれども、実際の政治においてはなかなか難しいことだろうと理解しております。
 つまり、理論的には、選挙の前に首相候補者を各党が出す、しかし各党が出してそれでやればいいというわけじゃなくて、先ほどの話の中でも言いましたように、ある党の首相候補者というのは首相になる見込みが全くないわけでありますから、したがって、本当に政権をとろうという気持ちで選挙を戦われるならば、選挙の前に、少なくとも四〇%ぐらいの支持は得られるような政党間の協定を結んで、勝った場合にはだれを首相にしますということを国民の前に明らかにして戦う、政策プログラムと首相を明らかにして選挙を戦う、本来そういう形で行うべきではないかなと考えております。
金子(哲)小委員 少し角度を変えたことでお聞きをしたいのですけれども、選挙制度の問題で、少数意見をどう尊重していくかという問題があると思います。先生がおっしゃいましたように、民主主義というのは、最終的には多数決によって事を決するということになると思いますけれども、同時に、少数者の意見をどう尊重していくかということも重要な課題だと思うんです。
 最近の国会の状況を見てみますと、これが本当に十分に審議されているんだろうかというように思えることがあるんですね。例えば、私は広島におりまして、国旗・国歌法などというのは、たまたま広島で不幸な事件が起きまして、それまでほとんどそのことが俎上にも上らなかったけれども、当時は、そういう法制も必要ではないとおっしゃっていた人たちが、その同じ通常国会の中で提案をして一気にやっていく。
 そういうことが、最近は数の力ということもありますけれども、議会の運営の中に進んでいくということになると、例えば選挙制度の問題等含めて、小選挙区制も導入されたことを含めていきますと、少数者の意見がもっと日本の国会の中では尊重される、そのためには十分な、野党の役割ということも先生おっしゃっておりましたけれども、その点からいえば、例えば、今は、与党の場合には、法案決定前に十分な協議が行われて把握されているけれども、我々野党の場合には、それは十分説明もない。そして、法案が出ても、そう期日のないままに審議がされていくというような形になると、本当にその過程の中で少数者の意見が尊重されて今現実があるだろうかというような疑問を私は持つのですけれども、先生は、その点の現状の認識も含めて、お考えがあればお聞かせいただきたい。
高橋参考人 先ほども申し上げましたように、野党によるコントロールをきちっと制度化していくというのは非常に重要なことだと思っております。
 先ほどは、国政調査権の運用の仕方をひとつ考えてみる価値があるのではないかということを申し上げましたけれども、そのほかに、例えば質問時間の配分なんかでも、本来、内閣の政策というのは、与党を基礎にして与党の中で議論されて出てまいります。内閣がそれを国民に説明する。それに対して野党が質問して、代替政策があればそれを提案するという形で行われるものでありますから、政府に対して与党が国会で質問をしているというのは、私にはどうもよくわからない点があります。時間がないというのであれば、野党にもっと質問時間を多く配分する、現実には与党の方で遠慮されて配分されているということは承知しておりますけれども、そういった点で、少数会派にもっと配慮する。と同時に、もう少し権限を強化する方が、与党及び内閣の政策が真に国民に受け入れてもらうためにもいいのではないかという印象は持っております。
金子(哲)小委員 では、最後に、短くですけれども、憲法の五十一条に、議員の発言、評決の無答責ということがうたわれております。これで、院外で責任は問われないということになっておりますけれども、例えば党内におけるさまざまな問題、役員の解任であるとかそういった問題は、先生のお考えで結構ですけれども、この五十一条の院外で責任は問われないということとの関係ではどのようにお考えか、ちょっとお聞かせいただきたいと思います。
高市小委員長 高橋参考人、簡潔にお願いいたします。
高橋参考人 政党内部での問題、あるいは会派内部での問題とは関係はないというふうに解釈しております。
金子(哲)小委員 ありがとうございました。
高市小委員長 井上喜一君。
井上(喜)小委員 保守党の井上喜一でございます。
 内閣の首班を選ぶやり方として、首班の公選制もありますし、日本のような議院内閣制もあるわけでありますけれども、私も、日本の場合には、議院内閣制の方が首班を選ぶ場合にはよろしいのじゃないかという感じを持っておりますし、また、先生が言われますように、その議院内閣制の運用も、国民内閣制のモデルですか、それを志向したような運用がいいのじゃないかというお考えでありますが、これまた、恐らく、今の日本の国民の多くの人が賛成する意見じゃないかと私は思うんです。
 ただ、日本の場合、今、選挙制度も小選挙区比例代表制になっておりまして、確かに小選挙区制というのは民意の集約でありますし、比例代表制というのは民意の反映と言われておりまして、何か妙に違うものが一緒になっていることは、これはおかしいのでありますが、そうはいいましても、小選挙区は三百人、比例区の方は百八十人ということで、やはり二大政党を志向するような制度になっていると思うんですね。
 また、日本が当面するいろいろな課題がありますが、これを解決していく方法としては、やはり二大政党による緊張した関係の中で政権交代が行われていくということが一番いいのじゃないかと私は思うんですが、ただ、日本の場合は行政府が非常に強いのですね。これはいつからできたのかよくわかりませんけれども、少なくとも明治以降は間違いなく私はそうだと思いますし、今でもそうだと思うんです。
 例えば、国会の中の議論を聞きましても、司法の場で係争中のものについて行政府の見解をただすような質問だってあるんですよ。こんなことは余りほかの国では起こらないことだと思うのでありますけれども、端的に言えば、役所の言っていることは信用できる、でもそのほかの、国会とか何かの方はもうひとつ信用しがたいような、そういう雰囲気がありますので、私は、内閣に対するチェックといいますか、コントロールはきちっと考える必要があると思うんですね。
 今、野党については、国政調査権を執行するについて、例えば調査会を設置するのに、四分の一以上の賛成があればできるようにすればいいじゃないかというような提案がありましたけれども、私は、これは野党だけじゃなしに、与党につきましてもそこはやはり必要なんじゃないかと思うんです。与党が幾ら反対したって、内閣でやるぞというようなところまで来るわけですよ。そういうようなことだって十分に予想されるわけでありまして、だから、制度的には、野党だけじゃなしに、与党の方にも国会の場でコントロールの権限を与えていくべきじゃないか、こんな感じは持つのですが、その点です。
 それからもう一つ、それに関連しまして、党議拘束です。これは与党だけじゃなしに野党もそうでありますけれども、党の存立にかかわる基本的なことについて党議拘束があるのは当然だと思うのでありますけれども、問題によりましては必ずしもそうでない問題もありますので、これについて、先生、どういうぐあいにお考えなのか、お考えをお聞かせいただきたい。
高橋参考人 日本は伝統的に行政府が非常に強いという点は、全くそのとおりだろうと思います。だからこそ、それを改善して、政官関係で、政が国民の支持を得て、きちっと政治を行っていくという形にしなければいけないというふうに考えております。そのためには、与党がきちっと内閣を支えるということが必要ではないかと思うんです。与党の考えを内閣が無視してやっていってしまうから、だから、行政府が強過ぎると言われますと、それをまさに改善していただきたいというのが私の感想であります。
 ですから、国政調査権を与党に与える、もちろん与党も権限を持っていますから、与党の場合は与えるも何もない、国政調査権を発動したければ、多数を持っていますからいつでも発動できるわけであります。現状では、野党が国政調査権を使いたくてもなかなか使わせてもらえないということになっていますから、その点をぜひ、野党が発案して調査までは、それに基づいて何か決定するということになれば多数決ということになりますけれども、調査を行うということは少数派にも認めるような運用が必要ではないかということを申し上げたつもりであります。
 それから、党議拘束については、国政の重要な問題についてはやはり党議拘束というのは必要になるでしょうけれども、もう少し柔軟に対応していった方がいいのではないかと私自身は考えております。
井上(喜)小委員 それから、参議院との関係でありますけれども、憲法の規定では、首班指名などを、参議院での指名選挙を予定しておりますが、こういう必要性が果たしてあるのかどうか。あるいは他の事項につきましても、衆議院と参議院の関係は見直すべきことが多いと思うのでありますけれども、先生自身、特に参議院の権能といいますか権限といいますか、これについて、憲法改正との関連におきまして、どのようにお考えなのか。
 とにかく、憲法改正の機会があればこれは当然見直さないといけないというようにお考えなのか、もしそうであれば、その場合はどういう点を見直していくのか、お考えをお聞かせいただきたいと思います。
高橋参考人 参議院に憲法上首相の指名権が与えられております。これは、参議院にもある程度の発言権を認めて、最終的には衆議院が優越しますけれども、衆議院と参議院の話し合いによって、場合によっては違った候補者が浮上するかもしれませんから、そういう意味で、参議院にも発言権をある程度与え、国会に対して責任を負うということの一つの具体的なあらわれとして制度化したんだろうと理解しております。
 しかし、先ほどお話しいたしましたように、参議院が、首相指名権よりは法律制定権ですけれども、この点で非常に強い権限を持っていますから、難しい、不均衡な状態が生ずることがあり得る。では、それを憲法改正しないと困るかというと、私自身は憲法改正しないとうまくいかないとは考えておりません。参議院にある程度内閣に対するコントロール権を現在与えているというふうに理解しています。
 ただ、参議院が、コントロール権をオーバーしちゃって、アクション自身を否定するような行動をとるとすれば、それは問題であろう。だから、そうはならないように、日本国憲法が定めた議院内閣制の趣旨をよく理解して、それに合った行動をするような慣行的なルールをつくっていっていただきたいということは申しました。
井上(喜)小委員 終わります。
高市小委員長 谷垣禎一君。
谷垣小委員 自由民主党の谷垣禎一でございます。
 きょうは高橋先生に貴重なお話を聞かせていただきまして、心から御礼申し上げます。
 ここまで参りますと、いろいろな方が質問をされましたので、私が伺おうと思ったことが随分今まで出てきたんですが、一つ伺いたいのは、先生が国民内閣制モデルと媒介内閣制モデルに分けられた。これは、今までのいろいろな議論をしますときに、多分こういう物の見方が違うんだろうなと私が感じておりましたことを非常にうまく定式化されているように思うんですね。それで、その背景にさらに選挙制度がある、小選挙区と比例代表があるという御分析はなるほどなと思ったわけなんですが、我が国の制度は、衆議院も参議院も比例代表と小選挙区を合わせた形になっております。そうしますと、先生のようなイデアルティプスを立てられたお立場から見ると、この選挙制度はどうごらんになるのか。
 私自身は、この選挙制度の運用もいろいろな可能性があるんだろうと思うんですが、我々の頭の中に中選挙区時代のイメージがやはりあるせいか、例えば、小選挙区と比例代表の重複立候補を認めて、小選挙区で落選しても惜敗率がいい方は復活して当選をしてくるというようなシステムは、ある意味では中選挙区的な運用である、我々自身がこの選挙制度を中選挙区的なイメージで運用しているんじゃないかなという考えを私は持っているわけなんです。
 先生からごらんになると、この選挙制度が議院内閣制の運用に関してどう見えるか、御意見を聞かせていただけたらありがたいと思います。
高橋参考人 現行の選挙制度については、先ほど私は、国民内閣制モデルからいえば小選挙区制の方が適合的だと言いましたけれども、では現行の選挙制度が比例代表制を組み合わせているからまずいかというと、そうは考えておりません。基本的には小選挙区制が中心になっていると思いますけれども、イギリスのように小選挙区制を全面的に取り入れることがいいかというと、そこはやはり少数意見が議会に議席を持つということも別の意味から重要だと考えております。
 つまり、比例的に議席を持つ必要があるとは考えませんが、しかし、社会の中に存在する少数意見も、少数といっても大小ありますけれども、ある程度議会に議席を持つ、一つでも議席があれば、これはシンボリックな意味を持つわけですね、そういう意見が社会の中に存在すると。ですから、そういった意味で、少数意見の代表が国会の中に議席を持っているということはそれなりに意味があるので、比例代表制をそういう観点から加味することも正当化できるのではないかと考えています。
 私がもっと問題だと思っているのは、衆議院と参議院で余りにも同じような制度を取り入れているということであります。衆議院は現行でよいのではないかと思っていますけれども、参議院のあり方は、選挙制度を含めてもっと考えていただきたいと思っています。
 それから重複立候補制度は、私としてはどちらでもいいといいますか、政党の方でそういう必要があれば、それはだめだと言う必要もないのかなというぐらいの気持ちで見ております。
谷垣小委員 今、選挙制度のことを伺いましたのは、先生がおっしゃるような国民代表制モデルというかイギリス型のモデルで運用していこうという場合に難しい点が、一つは選挙制度で、やや多党制みたいになっている、どうしても連立が必要である。そうすると、なかなか国民代表的に運用しにくいのかな。これは憲法より下位の規定でございますから、またいろいろ工夫もできるのかもしれません。
 それからもう一点は、先ほどから御議論が出ておりますけれども、参議院の問題で、今先生がおっしゃいましたように、衆議院と同じような選挙制度にしているということも一つ問題があるんだろうと思います。
 議院内閣制の趣旨から考えて、先ほど先生は自制するような慣行をつくれというふうにおっしゃいました。これはなかなか実は難しいなと思いますのは、イギリスの場合には貴族制を背景にした上院でございますから、民主制の進展とともに、やはり直接選挙を経ていない貴族は自制をせよというような議論が可能であったんだろうと思いますが、我が国の場合は参議院も国民から直接選挙された議員でございますから、あなたたちは自制しなきゃいけないんだよと我々の方から言うのはなかなか難しいことだなという気がいたします。
 そうしますと結局、我が国の憲法上、昔は参議院はカーボンコピーなんて言われましたけれども、衆議院と参議院の権限が、予算や何かを別としますとほとんど同じ権限だというところに問題の根源があって、なかなか自制だけではうまくいかないんじゃないかなという印象を私は持っているんですが、いかがでございましょうか。
高橋参考人 全くおっしゃるとおりで、難しいところなんですけれども。ただ、これは選挙の前後でいろいろ違うんだろうという感じで考えています。
 つまり、参議院の選挙が終わって、その結果参議院で与党が少数派になったというような場合は、これは国民の意見を聞いてきたわけですから頑張ってもいいんだろうと思うんです。私がさっき申し上げたのは、それとは逆の立場で、参議院が反対している、そこで国民の信を問うという意味で衆議院を解散して、その結果与党が勝ってきた場合には、参議院は自制すべきではないか。以前の勢力比で頑張り続けるとしたら、これはやはり国民の大きな批判を受けてもしようがないんであって、そういった点について、マスコミなんかも筋を通した批判をして参議院の自制を求めるということをやっていけば、難しいけれども可能ではないだろうかなというふうに期待しております。
谷垣小委員 あと一点伺いたいのは、先生の御理解の中で、与党の役割というのは一体国会の中で何を果たすべきかということでございます。
 野党は内閣をコントロールするんだと。与党は、今までは確かに事前審査制みたいなことで、先ほどちょっと二重権力ともおっしゃいましたけれども、内閣の政策づくりに積極的に関与するというか。しかし、この時代の変換のもとに内閣の強力なリーダーシップを求められると、いつもそういうモデルではいけないかもしれないというようなことを今我が党の中でも議論しているわけでありますが、それでなおかつ国会の中では、じゃ君たちは与党で内閣を支える役割だから質問は自制しろよということになりますと、与党議員は一体何をやるのかな。ここのところに、こういう言葉をするといけないかもしれませんが、小人閑居して不善をなすという言葉がありますから、やはりそれぞれきちっと役割を持たせないと不満がたまるのかな、正直言ってこういう気がするわけでございますが、いかがでございましょうか。
高橋参考人 与党の役割というのは内閣を支えることでありますから、内閣の政策形成にどんどん参加する、党内でどんどん議論する、これは結構なことだと思いますし、国会の中で質問は少し遠慮したらどうかということを言いましたけれども、党内で会議を開き、そこで党のリーダーを呼んで質問をする、それはどんどんやっていいと思うんです。
 ただ問題は、党内のそういう場で決定を行うということなんではないかなと思うんです。決定を行う場というのは、やはり内閣のもとに集中していく必要があるのではないか。そうではない、内閣とは別のところで決定して、それを内閣が行いなさい、あとは内閣との話し合いの問題だというやり方になると、いろいろ問題が生ずるんではないか。
 ですから、党内では活発な議論をし、会合を持ち、そこで質問もし、政策の提案をもし、そういう形で内閣を支えていく、それが与党の役割ではないかなと考えております。
谷垣小委員 ありがとうございました。
高市小委員長 島聡君。
島小委員 民主党の島聡でございます。
 民主党は、今先生おっしゃいました国民内閣制を目指して一生懸命研究してきました。私もイギリスへ行ってきました。今、谷垣先生のお話、イギリスの与党でも困っているそうでございまして、副大臣、政務官に百人ぐらい入るんですが、あと残りはどうしようかというのが大きな問題だそうであります。ただ、イギリスの場合は、きちんとそういう政務官、副大臣、まあ名前は違いましょうけれども、内閣のリーダーを目指す人間と本当に地元で頑張る人間とに分かれてくるので自然にうまくいくんだそうでありますが、それは日本でどうなるかわかりません。
 それで、同じようにそのとき、サッチャーの研究をしまして、サッチャーも最初から鉄の女じゃなかったというのは極めて印象的でした。イギリスは、保守党が労働党に政権とられて、そしてサッチャーを首相にしたとき、ある意味で、女性だということもあって、いろいろな議論もありました。その中で、サッチャーを首相にして、最初は鉄の女ではなかったけれども、イギリスには、慣習も含めて、首相がリーダーシップをとれるようなきちんとした法制度、システムがあるから鉄の女になったんだということを向こうの方が言われて、極めて印象的だったわけであります。
 その意味で、ちょっと御質問を申し上げますが、先生は今、日本国憲法は特に変えなくても国民内閣制ができるというお話でございます。これは基本的には、総理候補を出して、そして政策プログラム、マニフェストを提出して、それで選挙で決めるという話だと思いますが、それで決めた後に、今申し上げたように、きちんとした政策プログラムを実行できるだけの総理の権限がなくちゃいけません。首相の権限がなくちゃいけません。
 ところが、日本国憲法の第六十六条では「内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣」となっていますけれども、これが内閣法六条になると、御存じのように、閣議で決定してという話になっています。さらに言うと、国家行政組織法になると、ほかの大臣と同じになっています。そうすると、今の中ではなかなか首長たる内閣総理大臣ということはできないんじゃないかという話になっています。
 これは民主党の憲法調査会の中間報告ですが、そこに私どもは、こういうことなんで、憲法六十五条に規定される行政権は、内閣総理大臣に属すると規定するのが当然と言えようというところまで踏み込んで議論をしております。今先生、必要ないとおっしゃったんですが、それは多分見解の相違もあるかと思いますので。
 例えば、今の閣議が全会一致制と言われております、連帯して責任を持つという話ですから。私は、別に全会一致制じゃなくても、憲法の範囲内で解釈していいと思うんですが、先生はどう思われるでしょうか。
高橋参考人 憲法解釈としては、別に全会一致が要求されているとは考えておりません。ですから、多数決で決めても構わないと思います。
 それと、内閣法についても、私自身は、これは法的な問題ではなくて、首相のリーダーシップの問題であって、権限を率先して行使しようとすれば、現行法上妨げになるものはないんではないかなと思っております。
島小委員 首相のリーダーシップでやれればいいというのは当然御議論としてあると思いますけれども、どちらかというと、ここは立法府でございますので、法制度としてきちんとして、どういう人でもそれをやれば、先ほど申し上げたサッチャー自身が鉄の女になっていったように、もちろん、もともとそういう素質があったかもしれませんけれども、そういうように選ばれた人がなっていくシステムを整えた方がいいと私は思っております。それは私の意見でございます。
 次に、今の与党の事前審査制についてちょっとお話を承りたいと思っているんですが、与党が事前に党内調整を行って承認しなくちゃいけないというのは、ここにも全会一致制というのがございます。御存じのように、自民党の総務会が全会一致制でございまして、この事前承認の慣行というのは、一九六二年二月二十三日に、自民党総務会長が、当時赤城さんだったと思いますが、内閣官房長官に対して、法案提出の場合は閣議決定に先立って総務会に連絡を願いたい、そういう文書を出したことに由来する。その拘束力の強さは、同じ議院内閣制をとるほかの先進国に比べても例がない。これは読売新聞のある提言を読んだわけですが、こういうのは例がないというのは、先生の御研究で、議院内閣制運営上例がないとここには書いてあるんですが、どんなふうに御感想をお持ちでしょうか。
高橋参考人 私は、深くその点、勉強したことはありません、そういう話を聞いたことはありますけれども。ですから、諸外国と比べて日本の自民党の制度のあり方が非常に特殊であり、どういうところに問題があるかという点については、ちょっと今答える準備がありません。
島小委員 今度、首相の発議権というのができました。首相が閣議に発議をすることができる。ある意味で、首相がそれこそリーダーシップを発揮して、その発議権で出す。そのときに、その権限で出して、与党の事前審査は無視してやったという話になったときに、先生は先ほど国会で与党議員が質問するのはというようなことを言われたので、私はこう考えるという話ですが、内閣がまず最初に事前承認の慣行の廃止を通告します、内閣の責任においてこれは出しますと。そうすると、内閣の先ほどのコントロールという意味では大変なので、必要な場合は、与党議員も国会審議を通じまして、そこで修正するという形をとればいいのではないかと私など思うんですが、いかがでしょうか。
高橋参考人 ちょっと難しい質問で、即座に答えられないんですけれども、イシュー、それは問題によるんだろうと思うんですね。
 内閣の存続がかかるような問題だと、国会で党議拘束を外して与党の議員もやればいいというわけにはいかないでしょうし、そういう問題でなければ可能かなと思いますけれども、ちょっと抽象的には答えづらいんですが。
島小委員 多分、首相発議権を展開できるのはかなり重要な問題だと思いますので、そういう意味では、重要な問題の中でそういう議論がされていくのかなというふうに思います。私はそういうふうに解釈をさせていただいております。
 あと残りのお時間で、少し首相公選制についても議論させていただきたいと思うんですが、実は首相公選制は、ここにおります松沢議員も私も我が党でいろいろな意見を言っておったんですが、昨年五月にある憲法のシンポジウムに出まして、私が首相公選制的な話をしましたら、総攻撃を受けました。いわゆる議院内閣制下においてなかなか難しいんじゃないかとか、あるいは天皇陛下との関係をどうするのかというような話でございました。
 そこでのポイントは二つでございまして、首相公選をしたときに、先生がおっしゃったいわゆるコントロールでございまして、国民が選んだ首相を議会が例えば不信任的なものが出せるのか。私は、例えば弾劾的なことはできるんじゃないかというふうに申し上げたんですが、それは難しいんじゃないかという御意見もありました。
 では、もう一つは、首相が一体議会に対してどうやって連帯して責任を持つのか、それから、議会を解散することができるのかというようなこともあったわけでありますが、その二点について、いわゆる公選された首相と議会との関係についてどのように考えればいいのか、お教えいただければと思います。
高橋参考人 首相公選制には大統領制型のものと議院内閣制型のものがあって、今の質問の趣旨は議院内閣制型、不信任権、解散権というのが存在するようなものの場合、どうかという質問だと理解いたしましたけれども、国民が選んだ首相を国会が不信任できるかといえば、国会も国民によって選ばれておりますから、これは別に問題はないだろう。というか、首相を不信任して首相だけを取りかえるということにしたら、両方とも直接選ばれていますけれども、別に国会の方が上だということではありませんから、それは対等ですから、まずいと思いますけれども、不信任したら首相も国会も同時にもう一回国民の前に出ていくという制度にすれば、その点はクリアできると思います。
 逆のことも全く同じで、国民が選んだ議会を首相は解散するわけでありますから、その場合に、首相は、解散した以上は負けたら自分も辞職する、そういうシステムとして存在するというか、首相公選制ですから、議会を解散したら自分も選挙を行うというふうに私は考えております。
 つまり、首相公選と議会の選挙というのは、常に同時に一体として行っていかなければいけない。これをずらしちゃうと、いろいろ問題が生じてくるんだろう。イスラエルの失敗の一つの原因はそこにあったのではないかなと思っていますけれども。
 私のように考えれば、直接国民が選んだ首相を議会が不信任するなんてできるのかという心配はないと思います。
島小委員 ありがとうございました。終わります。
高市小委員長 中山正暉君。
中山(正)小委員 現憲法は、アメリカが日本に押しつけた憲法なんですが、アメリカが日本にこの憲法を押しつけたときには参議院はなかったと聞いています。昔の貴族院を懐かしむ人たちが、何とか参議院をつくってくれということで申し入れ、不思議なことに、マッカーサーはこれだけは言うことを聞いて、参議院をつくってしまった。今、与野党が、参議院の場合は薄氷を踏むような状態でして、何か参議院の参というと、降参の参という字に私なんか見えるんですが。
 先生、私、実は十一日に虎ノ門ホールで行われた建国記念日に、私が開会の辞をやったものですから、小泉総理大臣の前で、今月十八日に米国大統領ブッシュさんが来るのならば、ブッシュさんに、どうだろうか、日本がもう経済も力がなくなってきた、これは、企業が悪いことをする、それから官僚が悪いことをする、税務署をやめた人が脱税する、その根源は、私は、愛国心や国に対する誇りみたいなものがなくなったからじゃないかしら。
 一九一〇年に発効した陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約、ハーグ条約には、相手の国で陸上戦闘を行って占領をしても、その国の法律や条例を変えちゃいけないという、いわゆる陸戦法規慣例条約という条約があるのに、日本にこの憲法を押しつけた。
 だから、どうだろうか、長年、憲法を押しつけたことを黙秘し続けた米国のブッシュさんが来たら、一番先に、情報公開法で、ほとんどの情報は二十五年たつと全部公開するわけですから、永久秘密になっている真相を公開してはどうかと要求するべきだと言いました。
 この憲法の問題というのは、大変、何かにつけて、不審船が来ても、何かわけのわからないことを言っています。そういうことからすると、日本の安全の問題は原点の解明にあると思います。今までいろいろな御質問がありましたが、私は安全の問題で、先生、どういうふうに考えておられるかお伺いしたいと思います。
 日本最初の首相伊藤博文は、グナイストというドイツの学者のところへ憲法を習いに行って、明治維新後の日本はどうして治めたらいいだろうかと聞いています。グナイストが、おまえたちの村にはみんな氏神様があるじゃないか、その氏神様の頂点が天皇様だと言って、天皇制を中心にして日本を統治したらどうかということをドイツの学者に教えられた。それで、帰ってきてから、明治憲法第三条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」。総理大臣の名前がないんですね。総理大臣、首相という言葉は条文の中に一つもありません。
 だから、統帥権干犯の問題も、大臣は天皇の臣だということで、それを条文にない総理大臣が勝手に軍縮協定を結んだとして、統帥権干犯だと陸海軍人が反発しました。そして、自由主義者たちの努力で、いわゆる日露戦争の戦費は十八億かかっていますが、そのうち、クーン・ロエブとかシフとか、英国の財団から借りたものが六億だった。その六億を借りてきた高橋是清とか、いわゆるアメリカや英国と親しい政治家たちが二・二六事件で全部殺されてしまいました。軍隊に文句を言えなくなった政治家の哀れな姿があったと思います。
 それを考えると、今のこの日本国憲法には、先生、改正反対だとおっしゃいましたが、これはどうでしょうか。
 「国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と言っていますが、最近、中国の二人の空軍大佐、喬良という人と王湘穂という人が「超限戦」、限界を超えた戦争という本を出しています。これは共同通信さんが出していますが、これを読みますと、戦争の形は、何か戦争の民営化みたいな話でして、どことでもどこででもやるぞと。東京の地下鉄サリン事件などに触れて、実に注目に値するなんてことが書いてあるわけですね。
 中国の憲法なんか見てみると、中国憲法は、五十五条に、祖国を防衛し、侵略に抵抗することは、中華人民共和国のすべての公民の神聖なる責務である、法律に従って兵役に服し、民兵組織に参加することは、中華人民共和国公民の光栄ある義務である、こう書いてございます。
 それから二十九条には、武装力の帰属・任務及びその強化、中華人民共和国の武装力は、人民に属する、その任務は、国防を強固にし、侵略に抵抗し、祖国を防衛し、人民の平和な労働を守り、国家建設の事業に参加し、人民への奉仕に努力することである、国家は、武装力の革命化、現代化及び正規化の建設を強化して、国防力を増強する、こう書いてあります。三百十万の軍隊と二十四発の原子爆弾と五十四回の実験をやっていますね。
 イタリア憲法はどうかというと、イタリア憲法も、日本とドイツとイタリアは一緒に戦争に負けたわけでございますが、アメリカは、日本にはポツダム・デクラレーション、宣言、同じく負けたドイツにはポツダム・プロトコール、議定書というふうに別の扱いをしています。ですから、防衛関係も、アメリカ軍が日本にいたから心配ないと押しつけた憲法は発想が違うのでしょう。
 イタリア憲法にも、十一条に、戦争の否認、主権の制限と書いてございますが、五十二条には、祖国の防衛、それから兵役の義務なんて書いてあります。ところが、日本は何もないんですね。特にイタリアは、おもしろいのは、十八条に秘密結社禁止条項というのがあります。イタリアの秘密結社禁止条項というのは、イタリアはマフィアがいますからね。第二項、秘密結社及び軍事的性格の組織により、直接間接に政治目的を追求する結社は禁止される、こう書いてあります。
 日本は、破壊活動防止法で、オウム真理教を解散団体に指定できないんですね。それが、今度「超限戦」、限界を超えた戦争の時代は何でもありというか、どこで何が起こるかわからぬぞと指摘しています。我々がこうしているときに、窓の外でぴかっと光ったら核攻撃であった、そんなことが起こるかもしれません。今、旧ソ連のアタッシェケースに入るような原爆が、百四十何箱のうち四十数個が行方不明だとアメリカは気にしています。そんなときに、先生、このままの憲法で一体どう考えればいいんでしょうか。
 先生は、憲法を改正する必要はない、それはのんきに、国民投票で内閣をつくったり何かするのも結構でございますが、何が起こるかわからないときに一番大事なのは、やはり国防と治安と外交と教育の中身、この四本の柱が国家の基本の柱だと私は思いますので、ちょっと形を変えた話で恐縮でございますが、きょうは全く出ていない話でございましたので、どんな新しい方法によっても、内閣ができたときには、日本の安全をどう確保したらいいのか、どう超限戦に備えるのか、国民に問うと今までの平和ぼけがありますから、なかなか難しい問題だと思っているんです。ですから、はっきり政治の世界で、憲法をどう考えればいいかということを基本にして物を考えていかなければならない、それから国民の説得です。
 私は、都市出身でございますから、今公明党さんが出している三人、百五十選挙区というのは大賛成でございます。私は、日中条約が国会に提案されたとき、中国は二つあるのに何で一つを否定するんだろうと思って、外務委員会ではたった一人で反対しました。衆議院本会議に出席して反対したのは、中山正暉、浜田幸一、林大幹、参議院で玉置和郎、源田実、このたった五人でございました。二人死んで、二人やめましたから、私一人しか残っていません。私は、これがあのころがもし小選挙区ならば、日中ブームの最中の反対ですから落選していると思いますよ。それから、自民党というのは、生産者米価のときには幾晩も徹夜で決めるんですが、消費者米価のときは一時間で決まってしまうんですね。
 そんな中で苦労して生き残ったのは、やはり五人を選ぶ中選挙区で九回やりましたからこそで、私なんか、今では十一回、三十三年間、この国会に連続しておらせてもらったのだと思っています。私は中選挙区論者であることを前提にしながら、この憲法、先生はこのままでいいとおっしゃっていますが、アメリカから押しつけられた憲法でそのままでいいとおっしゃる議論のうちから、防衛というものをどう考えられるかということを一言聞きたいと思います。
高市小委員長 三十五秒しかございませんが、高橋参考人。
高橋参考人 誤解を一つ解いておきますけれども、憲法改正に反対だというふうに言ったつもりはありません。きょうの国民内閣制的運用を行うのに、憲法改正は必要とは思っていないということを申し上げました。
 その他の点については、きょうは準備しておりませんので、発言を控えさせていただきます。
中山(正)小委員 ありがとうございます。それでは、終わります。
 先生の御意見、わかりましたので、私、誤解をしていましたので、失礼いたしました。
高市小委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 高橋先生におかれましては、大変長い時間御一緒いただきまして、貴重な御意見を賜り、本当にありがとうございました。小委員会を代表して、御礼を申し上げます。(拍手)
    ―――――――――――――
高市小委員長 これより、本日の参考人質疑を踏まえまして、小委員間の自由討議を行いたいと存じます。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたしたいと存じます。
 小委員の発言時間の経過につきましてのお知らせですけれども、終了時間一分前にブザーを、そしてまた終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたしたいと存じます。
 御発言を希望されます方は、お手元にありますネームプレートをこのようにお立ていただきたいと思います。御発言が終わりましたら、戻していただくようにお願いいたします。
 それでは、ただいまから御発言を願いたいと思います。
中村(哲)小委員 民主党・無所属クラブの中村哲治でございます。
 先ほど我が会派の島聡委員が申させていただいた件について、私の意見を述べさせていただきます。
 私は、与党が今事前審査をやっていること自体に問題があるのではないかと思います。国民内閣モデルをとる場合に、事前に与党が審査する必要があるのかどうか、それを私たち国会議員でもう一度議論する必要があるのではないでしょうか。与党の方は、内閣総理大臣を含めて政府へ人を出していく、そして予算には賛成する、そういうふうな枠組みでいいのではないでしょうか。党議拘束のあり方というのも今回議論していけばいいのではないでしょうか。内閣が提出した案について与党議員でも国会の中で議論していく、そして公開の場で議事録が残る形で問題点を浮き彫りにしていくことこそが、全国民を代表する国会議員としての務めではないかと私は考えます。
 以上です。
奥野小委員 今、中村さんがお話しされたことと違ったことを私は皆さんに一遍意見を聞いてみたいな、こう思っておったんですけれども、中村さんの御意見を基礎にして議論をしていった方がいいと考えておられるのか、それぞれがちょっと違った角度で物を言ってもいいのか。――いいでしょうね。
高市小委員長 はい。御自由にお願いします。
奥野小委員 今の憲法について、無効宣言をすべきだという意見があるぐらいに、大変不自然な形で憲法が生まれてきているんですね。私は、全く客観的な事実だから、これくらいのことは積極的にお話をお互いに出して、少なくとも調査会としてはこうだったという結論ぐらいは出さないと、調査会をやっている意味が不十分になっちゃうんじゃないかな、こう思うんですよ。
 私に言わせますと、ポツダム宣言を受諾したから、昭和二十年八月で戦争は終わったと思った。しかし、相手は簡単にそうさせてくれなかった。戦闘は終わったんですけれども、敵は本土に上陸をしてきて、そして一方的に日本は無条件降伏をしたんだ、天皇及び内閣の権限はマッカーサー総司令官に従属するとやられちゃって、それから七年間というものは、直接政治を下げてもらって、間接統治、日本政府や日本国会を置いてもらったけれども、全く総司令部の政策、思うがままにやられていったと私は判断をしているわけです。
 憲法だって、マッカーサーが三原則を示してスタッフに書かせた。これはおまえたちがつくった憲法として国民に公表しろ。それに対して、どうしても許されないものがどことどこですかと聞いたら、全部だと。そのうちで、国民が理解しやすいように、てにをはぐらいは許されるものがあるかもしれぬ、こんなことだった。唯一認められたのは、今出ておりました一院制だったのを二院制にするぐらいのことじゃないかなと思っているのです。そして、憲法と総司令部とのかかわり合いに触れてはならない、占領政策を批判してはならない、いろいろなことを言われましたよ。
 そして、たくさんの検閲項目、最初は新聞なども事前検閲でしたよ。ですから、事前検閲の段階で、例えば大東亜戦争と書きますと太平洋戦争と書けと改めさせられた。だから、いろいろな指令が出ているんですけれども、彼らの気に入らぬものは全部追放というような処分も、また命令も出す権限も持っておったし、厳しいものでございました。
 こんなことで時間をとってはいけませんからこの程度にしておきますけれども、本当に日本は無能力者でしたよ。だから、少なくとも憲法なり憲法の条文なりについては、一遍それぐらいの形は、七年間の占領時代というのはこういう状態だったんだというぐらいのことはお互いに議論し合ってもいいんじゃないかな。
 そして、私の言いたいのは、そのときの状態と今とすっかり、世界も変わったしアメリカや日本も変わっていますよ。事情変更の原則というものもありますね。そうしますと、我々は、こういう問題についてこの際にどうあるべきか、またどうあるべきかということを考えて、憲法に則しているか則していないか、それは憲法をこう解釈したらそれはやれるじゃないか、そういうような憲法運用に持っていく。解釈の変更でも何でもないのであって、憲法ができた状態がこうだったし、あの当時の世界もアメリカも日本も、当時と今とはすっかり変わった。今は既に世界第二の経済大国になっておって、世界に対して必要な役割を分担していかなかったら、世界から笑い物に日本はなっていくんじゃないかな。
 そういう意味で、日本はこういう問題についてはいかにあるべきかということを議論して、その議論に沿って憲法を見直してみて、いや、憲法でもこう解釈したらやっていけるじゃないかというのなら、そういうような運用をしたらいいんじゃないかなというふうに思っているわけでございまして、そうでなかったらなかなか世界に対して責任を果たせないんじゃないかな、こう思っているわけでございまして、適当にこういう問題もひとつ課題に取り上げていただくようにお願いをしておきたいと思います。
島小委員 今の奥野先生のお話は、私もこの憲法調査会でいわゆる憲法制定経過についてのいろいろな議論をしました。まさに私も、私の記憶が正しければ、奥野先生がおっしゃった、当時のいわゆるGHQのそういう関係者から、当時の外務大臣吉田茂さん、松本国務担当大臣が草案を渡されたのが二月十三日ですから、きのうのことだったような気がします。そういう意味では、極めて重要な御発言だと思って伺ったものです。
 また、私自身は昭和三十三年生まれでございますので、前に一度こういうことを言ったことがあります。そういう制定経過ばかり話をしていますと進まないので、制定経過の事実確認だけをしているんじゃなくて、もっと先の議論を、時代に合わせた憲法という議論をした方がいいんじゃないかという発言をしたこともございます。
 でございますが、事実は一つなので、これは、今中山委員おっしゃって、おられたら言おうと思ったんですが、中山委員が、日本の憲法は米国が押しつけたことは有名なので、米国は永久秘密にしている、日本に経済でしっかり立ち直ってくれというなら、日本の精神から立て直すために、憲法を押しつけたと正直に情報公開をしてもらうよう日米首脳会談に小泉首相から言ってもらう必要があると語っておられるそうでございますので、ぜひ自民党内で議論していただきまして、事実は一つなのでありますから、事実をきちんと出していただくようなことを努力していただくと私たちの議論に生きるのかな。ちょうどブッシュさんが間もなく来られますので、ぜひともそういう事実を確認した上でまた進めていくというのが最もいいことではないかというふうに私自身は思っています。
 以上です。
高市小委員長 本小委員会、調査案件が政治の基本機構のあり方ということでございますので、少しそちらの方に議論を移せたらと思います。
中山会長 自民党の中山太郎です。
 ここで私一つ申し上げたいことは、この憲法が百三条ある、その中で、第六章の司法のところで書かれている裁判官の給与の問題。七十九条の六項「最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。」こういう条項があるわけですね。八十条の二項に「下級裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。」こういうふうに憲法上、給与に関する規定を行っているのは裁判官だけなんです。ほかの国家公務員の給与に関しては一切憲法では規定がない。
 司法の独立ということは、私ども、もちろん憲法の原則で三権の分立ということを認めていますけれども、一つの権力のところのいわゆる公務員が給与の保障を憲法上されているというところは、どういうことでこういうことが起こってきたのか。これは、いずれ国の統治機構の中で、司法という大きな問題の中で、その司法に携わる裁判官の身分と給与に関して憲法がなぜこれを決めたかということは、国家の基本的な統治機構の中の問題として、ぜひひとつ各委員にも御検討いただくように私からお願いを申し上げておきたいと思います。また、御存じであれば、私に御教示をいただければ大変ありがたいと思います。
山口(富)小委員 小委員長から自由討論の進め方について御意見があったのですが、最初に一言だけ申し上げたいのですけれども、今の私たちの国の憲法を押しつけとみなすことはできないと思うのですね。
 それは、確かに占領下のものですから、アメリカが素案をつくったというのは事実です。それを政府が受け、そして当時の制定議会に諮り、国民の合意を広げていったという経過から見ても、それから、実際に憲法でいっても、九条でも部分的な手直しがありますし、それから生存権規定が入った問題や、先ほど指摘がありました二院制に至った問題等々含めまして、あの時期の、戦争を反省して、起こす国にならないという誓いのもとにつくったものとして、二十一世紀に生きる大事な中身を持ったものだというふうに考えます。
 その上で、今中山会長からもお話があったのですけれども、私、きょうの参考人のお話を聞きながら、一番の問題意識は、結局民意がきちんと反映されているかどうかというのが参考人の一番大きな背景だったと思うのです。
 その点で見ますと、例えば選挙制度の問題も当然問題になってくると思うのです。私ども一貫して、憲法が定めている事柄と現実とどこが食い違っているのか、そのところを調査会としても考えなきゃいけないと提起してまいりましたけれども、きょう参考人の話を聞きながら、やはりそこの点はきちんとやっていかなきゃいけないというふうに思いました。その中には、単に選挙制度の問題だけじゃなくて、国会での審議のあり方ですとか行政への監督をどう進めるのかとか、多々あると思います。
 この会議は、たしかこの通常国会は四回になるでしょうか。ですから、その中身は今後ともよく考えながら進めていく必要があるというふうに思いました。
 以上です。
松沢小委員 私は、憲法を考えるときに、そもそも論になって恐縮なんですが、民主政治国家の要諦というのは、国民が自分たちの基本法である憲法をつくる自由と権利が保障されていることというふうに自分なりに定義をしているのですね。そういう意味において、我が国は、今まで明治憲法と今の憲法、二つつくってきたのですが、その歴史の実態を見ると、国民が議論をして自分たちでつくったという形には残念ながらなっていないと思います。
 明治憲法のときは、伊藤博文さん初め明治の元勲が海外の憲法を見てきて、それで日本も近代国家を目指してこういうものがいいだろうということでつくった。そこには、まだ主権意識を持った国民というのは形成されていなかったと思うのですね。
 また、今の憲法についても、先ほど奥野先生からありましたように、占領下においてGHQからある意味で押しつけられたという事実も私はあると思いますし、あの当時、国民が総出で新しい憲法をつくるための議論をやってきたかといったら、やってきていない。
 私は、日本が本当の民主政治国家になるには、もう一度、国民挙げて自分たちの基本法を議論し、みずからの力でつくり上げていくという経験をしない限り、日本が本当の意味での民主主義国家になれないと思っていまして、そういう意味で、憲法を議論する重要性を今感じています。
 さて、きょうの議題に入りますが、私も先ほどの質問でも発言をさせていただきましたが、日本の政治機構を考える上で最も根本的な問題は、私は、国民一人一人に平等に、公正に政治に参加する権利が与えられているかという問題だと思うのです。先ほど四十四条の話をしましたけれども、居住地によって国政に参加する権利が二倍なり三倍、参議院の場合はもっとありますけれども、それだけ格差があるというのは、民主政治国家が成り立たないと思うのですね。
 今回、衆議院の小選挙区の線引きのやり直し、今勧告が出ていますけれども、それでさえも、二倍以内にしなきゃいけないと法律には書いてありますが、行政区を割れないために二・何倍かの格差が生まれている。これは、政治が完全に曲がっていってしまうのですね。端的に言えば、やはり郡部、農村部の方が過剰に国政に民意を反映してしまう。都市部の方は一票の格差が軽いですから、都市部の有権者の意見は、比べると非常に少なくしか国政に反映されない。
 このいびつな形をそのまま続けているのが今の日本の政治でありまして、私は、日本の政治機構を考えるときに、この一票の格差を本当に平等に、公正に是正をしていかない限り日本の民主政治は成り立たないと思っています。
 そういう意味で、私は、この政治機構を議論する大前提条件として、一票の格差の是正、国民一人一人の平等、公正に国政に参加する権利を保障するということをぜひとも議論をし、国会全体でコンセンサスをつくりたいというふうに思います。もしこれを、それをやっちゃうと我が党に有利だとか我が党に不利だとかいう党利党略で語るのであれば、私は、憲法を議論する資格がないと思っていまして、ここだけはぜひとも委員の皆さんに共有した意識を持っていただきたいというふうに思っています。
斉藤(鉄)小委員 私は、きょうの参考人質疑、議論の中で一番印象的でしたのは、内閣と国会の関係が、当初憲法を制定していたときに想定していたもの、そのときの設計図から、価値観の多様化等いろいろな世の中の変遷を経て、現在変わってきたと。当初は、国会が法律をつくり内閣がそれを執行するというモデルだったけれども、現在は、統治・コントロールモデルに変わってきた。
 日本国憲法はどちらを想定しているかという質問に対しては、当初は法制定・法執行プロセスだったけれども、今のようにコントロールプロセスに変わってきたというところを一番印象的に思いました。つまり、この統治機構という憲法が定めるべき最も基本的な事柄についても、世の中の変化に応じて憲法の解釈が変わってくる、憲法が想定する事柄が変わってくるということが明らかになったのが非常に印象的でございました。
 そういう意味では、より国民の意思を反映する統治機構のあり方について、憲法の観点から議論することの大切さ、また、必要であれば憲法についても本当にその改正について考えていかなきゃいけないという点を私は申し述べたいと思います。
 それから、奥野先生の御意見に対しての私の個人的な見解ですが、事実の解明、押しつけであったかどうかの解明は、これは進めていかなくてはなりませんけれども、少なくとも、戦後五十七年間、この日本国憲法が日本国の発展に果たしてきた役割、これは否定しがたい重みがあるわけでございまして、国民に認知されてきたと私は思っております。だからこれからもずっと変えちゃいけないということにはならないわけで、その事実の上に真摯な議論をこの場でしていかなくてはならないのではないか、このように個人的には思っております。
 以上です。
伴野小委員 民主党の伴野でございます。本日、私にとりましては、憲法調査会はデビュー戦でございまして、またよろしくお願いいたします。
 本日の一つのテーマであった民意の反映のあり方ということで一言意見を述べさせていただければと思うわけでございますが、これだけ激動の時代で、先が見えない、しかもスピーディーかつタイムリーというものが時代に求められているときに、リーダーがどう選ばれていくかというのは非常に重要なことでございまして、そのトップリーダーの判断、それからトップリーダーへの信頼感というのは非常に重要なことだと思うのです。
 そういった場合に、その民意の反映のあり方ということでございますが、今の仕組みで考えるならば、やはり総理がかわるたびに民意を問うべきではないか、それはスピーディーかつタイムリーにやるべきではないか。結果的に連立を組み直すときもそうだと思うのですが、現状では、国民の立場から見た場合に、選ばれた責任は問うことはできても、選んだ責任を問う仕組みにはなかなかなりにくいのではないかと思います。そういった意味で、この調査会で、国民にとって望ましい政治のあり方をどうスピーディーかつタイムリーに組み込んでいくか。
 ですから、電子投票のあり方とか、選挙結果がもっと早く出る仕組みというものを考えていかないと、選挙期間中が空白になることを避けていかなければならないということを考える時代ではないか、そんなふうに思っています。
金子(哲)小委員 社会民主党の金子です。
 私、ちょっと違う角度かもわかりませんけれども、今我々を取り巻いている状況の中で、例えば投票率が非常に低い問題、このことは、一体憲法の定めた制度上の問題だろうか。それからまた、今お話がありました、民主主義国家としてみずからがつくった憲法でなければならないというような御発言もありましたけれども、そこに問題があるのだろうか。私は、むしろそれよりも、国会の、政治のありようとかの中に、政治家なり政党を含めた政策と選挙と、また国会での実行の面と、そういった問題にもっと問題があるのではないか。
 三〇%台とか四〇%台の投票率しかないような選挙がある。確かに、一票の格差の問題も非常に重要で、そのことを否定するわけではありませんけれども、むしろ、その状況の中で、例えば都市部の方が非常に投票率が低い問題とかが現実の問題としてはあるわけでして、そうしますと、そのことは本当に民意の反映の問題も含めて、私はそういう意味で、ここの中でもっと現状の政治の分析ということもやる必要があるのではないか。それで、もし制度として問題があるとすれば、変えていくということも検討しなければならないと思いますけれども、私自身は、今の憲法に定めたそういう制度に大きな疲労があったためというようには余り考えていないということであります。
 それから、そういう意味で、私は先ほど質問のときも言いましたけれども、この憲法には書かれていないわけですけれども、それは、民主主義の大原則としての少数意見の尊重ということ。これは選挙制度にもかかわるし、議会の論議にもかかわる問題だと思いますけれども、そのことがどのように保障されるかということも、ある意味での民意の反映ということでは非常に重要ではないか。それも、これまでの経過の中の、国会のありようの中で問うべき課題になっているのではないかというふうに実は思います。
 それで、最後ですけれども、この委員会の論議のあり方ですけれども、小委員長も先ほどお話がありましたように、この委員会全体に対しては、幹事会でも十分協議をして委員会の運営についてやろうということになっております。
 それで、成立過程のことがかなり出てくるわけですけれども、これは一応憲法調査会としては、私は出席しておりませんでしたけれども、第一の課題としてそれなりの時間をとって、そして一応の、結論というわけではありませんけれども、整理をしながら次の段階に進もうということで憲法調査会はあったと思うのです。それぞれに違う意見はあると私は思うのですけれども、しかし、それを何度も繰り返し、違うテーマのところでもやるという論議の進め方ですと、調査会の活動そのものもスムーズにいかない。
 この点については、ぜひ、幹事会でもしっかりと論議をしたいと思いますけれども、きょうお見えになった参考人の方に対しての問題もありますし、その辺についてはお互いが、もっと幹事会の中で責任を持って運営するという点では、しっかりと次回でも論議をしたいというふうに私は思っております。
高市小委員長 小委員長なりに案もつくりまして、また幹事会でも御相談申し上げます。
中野会長代理 この憲法調査会、戻ってまいりましてから初めての発言なのですが、先ほど来、奥野先生の御発言が若干尾を引いて話題になっておりますが、私も感想だけ申し上げたいと思います。
 先生のおっしゃられた結論は、タブーをなしにして、前向きにいろいろなことをもっと議論してもいいのではないかという、前向きの御提言だったろうと思って、むしろ私は、先生の結論については積極的に評価をさせていただいてもいいのではないかと実は思いました。
 ただ、今金子さんも言われましたけれども、押しつけ憲法かどうかということは、今日のこの憲法調査会の議論の理由づけだとかという中にもはや加えなくてもいいことなのではないか。むしろ、押しつけられた憲法だったということをもし口実に使うとすれば、日本が独立をいたしましたときに、占領下から解けたのだから、日本独自で、国民の議論のもとに新しい憲法をつくろうということをあの段階ですべきだったことであろう。
 それ以後もう五十年間、現在の日本国憲法に基づいて我々の政治、経済、国民の暮らしが形成されてきたわけでありまして、今さらそれを否定することもできないわけでありますから、現憲法が有効に機能し、そして国民のものとして運用されてきた、それが現在の国民生活や、経済の発展や、国際社会の変化に照らし合わせて、的確に運用されているかどうかの精査もこの調査会の仕事であると思います。
 また、それが不都合が生じていないかどうか、それらも精査をし、不都合があれば、それはまた論憲から、修正なり、改憲なりへと話が発展をさせられるものだろうというふうに思っておりますので、言うならば、この憲法調査会は、あらゆる視点から日本国憲法の環境、またその運用、そして実態について調査をし精査をしていく、また、国民の皆さんに意見を求めていくという役割を果たすことが大変重要なのではないかと思います。
 また、先ほど幹事会でもお聞きしますと、先般の建国記念日の式典の御発言の中で、この憲法調査会があたかも意味のない、または意味の薄い調査会であるような発言をされた方がいらっしゃるようなことをお聞きしましたけれども、それもまた私は、いかがであろうかというふうに思います。
 改憲を目途としたものではない、だから意味がないということではなくて、むしろ、現在の憲法が確かに正しく運用されているのかどうかを調査することもまた極めて重要なことであって、例えば、憲法がもし将来改正されることがあったとしても、憲法調査会というのは引き続き存在するべき意味を持ったものなのではないのかというふうにさえ私は思いますので、この憲法調査会の意味を、存在意義を低からしめるような発言はお互いに戒め合いたいものだなというふうに思いますので、よろしくお願いしたいと思います。
高市小委員長 それでは、特に御発言の御希望も今出ていないようでございますので、これにて本日の自由討議を終了いたします。
 次回は、来る三月十四日木曜日午前九時から小委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後四時五十六分散会


このページのトップに戻る
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.