衆議院

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第1号 平成14年11月14日(木曜日)

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本小委員会は平成十四年十一月七日(木曜日)憲法調査会において、設置することに決した。
十一月七日
 本小委員は会長の指名で、次のとおり選任された。
      奥野 誠亮君    谷本 龍哉君
      中曽根康弘君    中山 正暉君
      額賀福志郎君    福井  照君
      保岡 興治君    枝野 幸男君
      中野 寛成君    伴野  豊君
      松沢 成文君    斉藤 鉄夫君
      藤島 正之君    春名 直章君
      土井たか子君    井上 喜一君
十一月七日
 保岡興治君が会長の指名で、小委員長に選任された。
平成十四年十一月十四日(木曜日)
    午後二時一分開議
 出席小委員
   小委員長 保岡 興治君
      奥野 誠亮君    中曽根康弘君
      中山 正暉君    額賀福志郎君
      福井  照君    山本 明彦君
      仙谷 由人君    中野 寛成君
      伴野  豊君    松沢 成文君
      斉藤 鉄夫君    藤島 正之君
      春名 直章君    金子 哲夫君
      土井たか子君    井上 喜一君
      松浪健四郎君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   憲法調査会会長代理    仙谷 由人君
   参考人
   (京都大学総合人間学部助
   教授)          高田  篤君
   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
    ―――――――――――――
十一月十四日
 小委員谷本龍哉君及び井上喜一君同日委員辞任につき、その補欠として山本明彦君及び松浪健四郎君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員枝野幸男君及び土井たか子君同日小委員辞任につき、その補欠として仙谷由人君及び金子哲夫君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員山本明彦君及び松浪健四郎君同日委員辞任につき、その補欠として谷本龍哉君及び井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員仙谷由人君及び金子哲夫君同日小委員辞任につき、その補欠として枝野幸男君及び土井たか子君が会長の指名で小委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 政治の基本機構のあり方に関する件


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     ――――◇―――――
保岡小委員長 これより会議を開きます。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 先般、小委員長に選任されました保岡興治でございます。
 小委員の皆様方の御協力をいただきまして、公正円満な運営に努めてまいりたいと存じますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。
 政治の基本機構のあり方に関する件について調査を進めます。
 本日は、参考人として京都大学総合人間学部助教授高田篤君に御出席をいただいております。
 この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中にもかかわらず、御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 最初に参考人から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。
 それでは、高田参考人、お願いいたします。
高田参考人 ただいま御紹介にあずかりました高田でございます。
 本日は、政党についてお話をさせていただくわけですけれども、政党に属され活動されておられます委員の先生方の前におきまして政党の話をさせていただくというのも大変気が引ける話でございまして、多少ちゅうちょしておるのでございますけれども、多少ともお役に立つところがあればと思って、一生懸命話をさせていただきます。よろしくお願いいたします。
 お手元に若干レジュメがございますが、その順番に従って話を進めていきたいと思います。
 まず、一ページからでございます。
 政党は、現在の立憲主義にとりまして不可欠の構成要素です。つまり、政党なしには民主制も権力分立も不可能です。例えば一九二〇年代、三〇年代の中部ヨーロッパにおきまして、独裁制を批判しまして、議会制あるいは民主制をあくまでも擁護しました法学者ハンス・ケルゼンは、孤立した個人たる国民は十分な影響力を持っておらず、政党を通じることによってようやく国民としてみずからを解放することができるのだというふうに言っております。
 しかしながら、他方、最近、政党に対する批判が非常に強くなってきております。それは日本においても甚だしいのですが、先進諸国に共通して見られる現象であります。そこで、政党について憲法論的に検討する場合、その前提といたしまして、その存在意義を、単にほかに取ってかわるものがないからといった消極的根拠によってではなく、積極的根拠によって基礎づけておく必要があります。
 そこで、まず最初に「1 政党についての憲法理論的省察」、ここでその積極的根拠を検討したいと思います。
 政党は、今申し上げたとおり、権力分立にとりましても不可欠でありますが、何よりも民主制の中核をなす存在であります。そこで、ここでは専ら民主制の観点から政党について憲法理論的に検討いたしたいと思います。
 先ほど言及いたしましたケルゼンは、民主制に対しまして、社会秩序がそれに服従する者たちによって創設される社会形態という定義を与えました。このように、各秩序構成員の自己統治という形で民主制をとらえようとする考え方は、規範論としては一般的であります。
 実際、今申しましたケルゼンの同時代、同地域のライバルたちも、相違があるとはいえ、同様な方向で定義しようとしておりました。例えば、議会制や政党を批判し、独裁と民主制は矛盾するものではないと主張しましたカール・シュミットは、具体的に現存する人民と政治的統一体としての自分自身が同一であるような、すなわち、統治する者と統治される者が同一であるような国家形態として民主制を定義いたしました。
 また、ケルゼンと同様に、議会制、民主制、政党を力強く擁護しましたが、実証主義というケルゼンの学問方法論を徹底的に批判しましたヘルマン・ヘラーも、特定の領域内に居住する人々の多種多様な活動に秩序を与え、統一体を形成するために重要な政治的決定を秩序構成員自身が行うことという方向で民主制を理解しておりました。
 このように、政党を擁護する論者も非難する論者も、民主制については、一見同様に見える理解を示しております。
 では、一体どこからこの立場の相違が出てくるのでありましょうか。
 それは、それぞれの民主制論において、社会秩序構成員の中に存在する多元性、複数性、多様性と、民主制によって形成される社会秩序の統一性、単一性、一体性との関係をどのようにとらえるかについての違いから生じております。つまり、これは、西洋の哲学あるいは神学の根本問題、多者と一者との関係をどのようにとらえるかということにかかわる話なわけであります。
 西洋哲学では、伝統的に、世界認識について、多様である世界、多者は一者が創設したと理解するか、これは創世説と申しますが、一者から流出したと理解するか、これは流出論と申しますが、その違いはともかくといたしまして、多者と一者の関係をどのようにとらえるかということで議論がされてまいりました。
 その際、一者の優位性を強調する立場と、例えば典型的にはプラトンですが、一者だけではなく多者の意義を強調する立場、例えばアリストテレスがおりますが、ここの両者が激しく対立しておりました。
 また、神が世の中をつくった、創世したことを前提とする神学におきましても、一なる神、一者がなぜ多様なものとして、多者としての世界をつくったのかについて議論がされてまいりました。例えば、トマス・アクィナスは、次のような仕方でこの問いに答えようとしました。すなわち、一なる神に比べれば劣る被造物は、一つの被造物によっては神の善性、よさを十分にあらわすことができないので、多くの被造物と多様性がつくられた。神がつくられた世界は、多数、多様であることにより神の善性をあらわすのである、こういうわけであります。
 この一者と多者の関係、非常に難しいわけですが、とりあえず御理解いただくために、単純化のそしりを恐れずに、イメージを使って説明させていただくこととしたいと思います。まず、底辺が円で頂点がある立体、三角錐を思い描いていただきたいと思います。そして、この三角錐の頂点部分に小さな球が乗っかっている、そのような図を想像していただければと思います。この図形におきまして、一者は三角錐の頂点に乗っかっている球として、多者は円として存在する底辺としてとりあえずイメージできます。つまり、伝統的な一者・多者に関する議論が、三角錐の頂点の部分の球が大事か、底辺も大事かという話として何とかイメージができるわけであります。もう少し詳しく申しますと、球の側からとらえるのか、球と底辺の両方からとらえるのかの違いというふうに申し上げることができましょう。
 これを先ほどの民主制理解に当てはめるとどうなりますでしょうか。これもまた極めて乱暴なまとめ方でありますが、手っ取り早く理解していただくために、次のようにまとめることといたしたいと思います。シュミットは、一者に定位した民主制理解、つまり、底辺を球の側から光を当てた場合の影とみなす見方、ヘラーは、一者、多者両方を尊重する民主制理解、つまり、球も底辺も実線とする見方と把握しておくことが差し当たりできます。
 難しいのはケルゼンでありまして、伝統的な問題設定からしますと、独自の立場をとっております。ケルゼンは、今の図式であらわしますと、一者を実体としてではなく仮象の認識対象として、多者を実体とみなす民主制理解、つまり、球を点線、底辺を実線とする見方というふうにとらえることができます。
 さらに、近年では、社会の複雑化、断片化、グローバリゼーションの進展などを背景としまして、ケルゼンをさらに踏み越えた民主制理解、いわばポストモダン的な民主制理解が登場するに至っております。すなわち、もはや一者などを想定することは不可能であり、存在するのは多者だけである、そういう理解であります。それはいわば、球とか円錐は存在し得ず、底辺の円しかないのだ、こういうイメージでとらえることができるかと思います。
 今お示しいたしました民主制のイメージの四類型の中におきまして、シュミットの立場は、現在の民主制において維持することはなかなか困難であります。果たして、それがシュミットの論理必然かどうかはともかくといたしまして、シュミット自身の著作の中には、民主制は、本来、社会秩序の全構成員によって一体的に支持されるべきものであって、社会秩序構成員の多様性は価値がないどころか有害ですらある、そのように読み得るような記述がございます。しかしながら、全員一致を理想とする民主制理解は、今日において、国民の一〇〇%の支持があったという最近どこかの国で行われました大統領選挙のように、民主制のパロディーとしてしか存在し得ないでありましょう。
 そうしますと、残り三つのイメージではということになりますが、その中でどの立場をとるかは、今後の民主制、憲法を考えていく上で極めて重要な、基本的な秩序観であります。それは特に、社会の複雑化、断片化、グローバリゼーションの進展の前に、一者、例えば国家でありますとか国民などが実体的に存続していけるのかという深刻な問題に直結しているからであります。
 しかしながら、本日、政党についてお話しさせていただくその際でありますが、政党の積極的秩序づけという課題につきましては、三つのうちのどの立場をとろうと、基本的に違いは生じません。なぜならば、いずれの立場も、社会秩序構成員の中に存在する多様性を尊重するだけはでなく、それに積極的な意義を与えていこうというものだからであります。
 このような多様性を尊重する民主制のとらえ方は、立憲主義の古典的なテキストの中にも見出されます。例えば、アメリカ合衆国憲法の父の一人でありますジェームス・マディソンは、「フェデラリスト」におきまして、ファクション、派閥の存在を擁護する文脈で、もし人々がさまざまの異なった問題に対して彼らの理性を冷静かつ自由に使えば、彼らはそのうちの幾つかについて必ず異なった意見になるというふうに述べました。この主張を受けまして、二十世紀の偉大な政治哲学者ハンナ・アレントは、多様性を行為と自由の本質的メルクマールである、つまり、多様性を維持すること自体が政治的合理性の条件であるというふうにしました。
 また、近年、ドイツにおきましても、マディソン、アレント流の考え方を継承しまして、政治は統一性、単一性、一様性の中で真理を目指すものではなくて、多様性を受け入れなくてはならない、そして、多様性を維持することこそが憲法創設の目的の一つとして公共体の秩序を構成しなければならないというような主張がなされております。
 政党ないし政治組織は、まさにこの多様性に立脚し、それを表現しているのでありまして、民主制に合理性をもたらす不可欠な存在なのであります。
 確かに、近年、政党に対する風当たりは強くなっておりますし、その批判に根拠もございます。しかしながら、政党が全体に対して部分を表象しているがゆえに有害無益である、このような感覚が社会の中に広がっていくことは大変危険でございます。部分が存在しなければ、そもそも別次元の全体は存在し得ないのであります。本来、部分を表象する政党に全体性を求めるならば、かえって全体が捏造されたり、全体を強制することになりましょう。政党ないし政治組織なくしては、民主制は合理的なものとして運用できないのであります。これは、政党について検討する際、民主制論の、そして憲法論の帰結として、まず第一に確認しておく必要がございましょう。
 次に、社会科学的な省察のところに参りますが、このように政党の民主制に対する積極的意義が確認されたわけですが、しかしながら、政党が民主制において実際どのような役割を果たし得るかは、政党、また政党に立脚した民主制、政党民主制が置かれた歴史的、社会的条件によるわけであります。つまり、政党の検討は、憲法理論的になされるだけでは不十分なのでありまして、社会科学的、憲法では憲法科学的と申しますが、それによってもなされなくてはならないのであります。
 政党の憲法科学的な分析に当たりましても、民主制との関係で論じることになりますが、その出発点といたしまして、民主制が社会科学的に把握されなくてはなりません。時間の関係もございまして、結論的なことだけ申しますと、私は、以下のように民主制を社会科学的にとらえております。
 すなわち、それは、政治的コミュニケーションから成るシステムであって、そこにおいて、ある問題が政治の問題とされますと、それについて政治的コミュニケーションが展開され、それが最終的に多数、少数の選択肢にまで練り上げられる。このコミュニケーションに基づいて、社会の全構成員を拘束する将来変更可能な暫定的決定、すなわち多数決が下される。この決定に反対する構成員、すなわち少数派も、決定が将来変更可能であるがゆえに、また、政治的コミュニケーションが我々のコミュニケーションとしてなされ、そのコミュニケーションの中にみずからの意思を見出すことができたがゆえに、これは代表でありますが、それに服するのである。
 こういうふうに、民主制は、争点化、選択肢の形成、提供、暫定的決定、決定の受容という、多段階から成る包括的なシステムとしてとらえることができると思います。
 また、政党は、ここで示されました民主制の各段階において重要な役割を果たしております。しかも、政党は、政治リーダーの候補者のリクルート、育成、政策の策定、有権者への選択肢の提供など、民主制を可能にするための前提条件の形成に当たりましても決定的な役割を果たしております。
 しかしながら、政党は、これらの役割を、その置かれた歴史的、社会的状況に応じて果たすのでありまして、たとえ歴史的、社会的条件にかかわらない普遍的な政党の機能につきまして仮に語り得るといたしましても、それは極めて抽象的にしか行えません。
 そこで、議会内の多数派政党が政府を組織する、すなわち、政党民主制というものが確立して以降につきまして、政党民主制の展開の三段階モデルを提示させていただきまして、それに沿いまして、現在の、そして今後の具体的な政党のあり方について社会科学的な検討を加えさせていただきたいと思います。
 その際、あらかじめ申し上げますが、このモデルは、あくまでも理解のためのいわゆる理念型にすぎないのでありまして、あるべき政党の発展などというものを示している、そんな大それたものではありませんし、また、このモデルは、政党の普遍的な発展法則などを示そうとするものではありません。むしろ、各社会における政党の置かれました状況の独自性、個別性を明らかにすることを目的としてモデルをつくっております。
 そして、戦後日本におきましてさまざまな時期に行われました政党法制に関する議論、例えば、政党の近代化論、政治改革論などにおきまして、ドイツの政党法制が非常に強く意識されておりました。また、私自身がたまたま比較法の対象としてある程度責任を持ってお話しできるのがドイツ法である、そういった事情から、このモデルにおきましても、主に日本とドイツとの比較でお話しさせていただくということをお許しいただきたいと思います。
 まず、モデルの説明でございますが、モデルの第一段階は、政党民主制が確立する時期であります。このできたての政党民主制のもとの政党は、議員政党でありまして、その党員は専ら地主や商工業者層、つまり富裕納税者層でありました。そして、この段階での社会的な状況はといいますと、いわゆる農民五割社会、第一次産業就労人口がようやく五〇%以下になる社会であります。ドイツでは大体一八七〇年代にこの段階を迎え、日本は一九二〇年代、まさに政党内閣ができる時期にこの段階に入ります。
 次に、第二段階でありますが、組織された労働者政党とそれに対抗する組織された市民政党が対立、併存する時代、こういう時期に当たります。この段階の政党は、議員政党ではなく組織政党であります。そして、社会の状況はどうかといいますと、工業化が進展いたしまして、組織化された労働運動が高揚する。他方、経済団体や農民団体なども組織される。一般に、大組織の時代というふうに言っていいかもしれません。それは、農民四割社会、第一次産業就労人口が四〇%を切る時代であります。ドイツですと大体一八九〇年代以降、日本だと、まさに一九五五年前後はこの時期であります。
 そして、第三段階でありますが、こういった組織政党の対立というあり方が揺らぎ始め、政党が試行錯誤をするようになる。社会の状況はと申しますと、脱工業化社会でありまして、第一次産業就労人口は一〇%程度、あるいはそれを切る状況。第二次産業就労人口も減少に転じまして、第三次産業就労人口が五〇%を超えます。そして、従来大きな影響力を持っておりました大組織、すなわち、政党もその一つでありますが、労働組合、経済団体、農民団体、伝統宗教の組織などが影響力を減らし始めます。
 例えば、組合離れ、経団連の影響力の低下、日曜礼拝の出席者の減少などという事態が生じます。むしろ、利害は特殊個別利益単位で特殊利益団体が媒介すると言われます、ミクロコーポラティズムというものが発達します。同時に、従来の大組織とは違った形で、一つのテーマに特化した運動、市民運動などが勃興いたしまして、政治的な意味合いを増大させます。
 また、この時代、さまざまな組織がグローバルな活動を開始いたしますが、政党もその例外ではございません。日本では多少その現象は出おくれておりますが、ヨーロッパなどを見ていただきますとおわかりのように、政党も国際的に活動をし始めます。大体一九七〇年代以降が、ドイツ、日本ともにこの時期に当たります。
 このモデルによった場合、日本の政党が抱えます、他の社会における政党、例えばドイツの政党と同様の普遍的な課題、そして特殊日本的な状況というものが明らかになります。
 まず、特殊日本的な状況でございます。日本の政党は、一九五〇年代半ば以降、私のモデル第二段階の客観的状況を迎えました。しかし、それにもかかわらず、ヨーロッパ、例えばドイツの政党のようには十分にいわゆる組織化というものができなかったわけです。
 ここで、組織化について具体的なイメージがわきますように、十九世紀以降のドイツを例に説明させていただきたいと思います。
 例えば、典型的な組織政党でありますドイツ社会民主党は、いわば一つの部分社会、国家内国家をつくっておりました。すなわち、その党員、支持者たちは、仕事場では労働組合に把握される。生活に関しては、協同組合を通じて共同購入をしたり、レクリエーション組織を通じて余暇を共有するといった活動を行います。また、読む新聞はと申しますと、労組や政党が発行する新聞でありますし、労組、政党は出版作業も行っております。本といいますと、労働者図書館というものもありまして、情報は共有されます。そして、婦人組織、青少年組織を通じまして、家族も把握される。さらには、労働者酒場といったようなものがありまして、仕事が終わった後一杯やって、労働者かたぎというようなものが形成される。
 こういったことは、もちろんカトリック組織やカトリック政党といったものも行っていたわけです。このように、社会民主党やドイツの中央党に組織された人々は、同じ利害、世界観、価値観を持っていただけではなくて、同じ趣味、嗜好、感性を共有していたわけで、組織化というのはこのような徹底したものであったわけであります。
 こういった状況につきまして、当時、先ほど言及いたしました政党民主制、議会主義の批判者カール・シュミットは次のように嘆きました。政党は人々を完全に把握し、揺りかごから棺おけまで、幼稚園からスポーツクラブを経てボーリング場、果ては墓場や火葬場まで付き添い、支持者に正しい世界観、国家形態、経済体制、人とのつき合い方まで教えようとする。その結果、国民の全生活は完全に政治化され、ドイツ国民の政治的一体性は分断されてしまった。彼の立場はともかく、政党の組織化についての描写は非常に興味深いものがあります。
 ところで、日本の大政党、例えば自民党や当時の社会党におきまして、こういった形の組織化は全然進まなかったわけであります。社会党も自民党も、結党がそれぞれ左右社会党の統一、保守合同という形で行われたという事情もありまして、組織政党にはなかなかなりませんでした。社会党は議員政党にとどまりました。また、自民党におきましても、組織面ではむしろ派閥中心の党運営がなされ、資金集め、人材発掘等についても派閥中心で行われました。また、地方におきましても、党の地方組織というよりは議員の選挙区の後援会が大きな役割を果たしました。
 つまり、組織化はいわば非公式機関による組織整備という形で行われたのでありまして、これらの非公式機関の公式機関に対する自立性、独立性は非常に強いものでありました。それは、結党の経緯など個別の事情にもよったわけですが、しかし、特に重要な原因は、民主制が組織政党を中心に運営されるという状況が既に一九七〇年ごろに揺らぎを見せ始めたために、ドイツなどと比較しますと、日本では政党の組織化に十分な時間がなかったということがあるわけであります。
 このように、日本の政党は十分な組織化なしにモデル第三段階に突入したわけでありますが、しかし、そこではドイツの政党と同様の普遍的課題と向き合わなければなりませんでした。
 それは、例えば公法学者の樋口陽一先生が適切に要約されておりますように、国民各層の政治的意見ないし傾向が政治過程に的確に伝達されていないという病理と、代表の実態が専ら利益代表と化すという病理とが重なり合いながら拡大しているという事態がありまして、それをどのように克服するかというのが重要な課題となったわけであります。つまり、政党は市民の政治的見解を十分反映しなくなったという批判がなされる一方で、政党は特定の個別的利害のみに定位しているという批判も同時に生じてきているのであります。
 この事態は、モデルの第三段階になりまして、社会や個人の複雑化、断片化が急激に進行したことによって生じたと考えられます。ここで言う複雑化ということは比較的容易に了解されると思いますが、断片化ということにつきましては少し説明が必要かもしれません。
 社会の断片化といいますのは、社会にはもはや多数者、少数者などというものはなくて、多くの少数者の固まりが併存しているにすぎないということであります。また、個人の断片化というのは、かつては、労働者なら労働者の、ホワイトカラーならホワイトカラーの共通の利害とか世界観とか嗜好といったものが存在しました。しかし、現在におきましては、同じホワイトカラーでありましても、その人が借家人なのか家持ちなのか、あるいは子供がいるのかいないのか、共働きなのかどうなのか、財産は主に不動産で持っているのか、貯金で持っているのか、預金で持っているのか、株式で持っているのかということで、利害が全く変わっている、そういうことを言っているわけであります。
 このことを別の角度から表現しますと、そもそも確固たる個人というものは存在しにくくなった。ある個人は、仕事場では企業人であるが、同時に、地域では、子供の将来を心配してPTAに参加したり地域環境の保全に心を配る人であったり、自分の趣味のために趣味のサークルに熱心に参加する人であったりもするわけであります。
 個人のこういったそれぞれの側面は互いに独立、併存しておりまして、場合によりましては互いを批判的にあるいは反省的に見るのであって、個人はこういった複層的な存在になっているわけであります。
 このように、社会や個人が複雑化、断片化しますと、一方で、従来大きな力を持っておった大組織、労働組合、経済団体、農民団体、伝統宗教の組織などが人々を把握する力は弱まりますし、また、政治におきましても、政党が影響力を行使しにくくなってまいります。他方、数多くの小規模な組織、団体が出現し、社会において力を発揮し始め、政治におきましても、利害を小さな特殊利益単位で特殊利益団体が媒介するというミクロコーポラティズムが発展します。また、他方で、従来の組織とは違った、一つのテーマに特化した社会運動、市民運動が勃興します。
 こういった状況下におきまして、政党が市民の政治的見解を従来のように十分に反映することは、なかなか至難のわざとなります。かつてでありますと、政党は、政党自身の組織、周辺組織、支持組織の力もありまして、政党をめぐる政治的コミュニケーションが社会における大部分の政治的コミュニケーションを包含することができました。そして、多くの人々が、政党の主張、交渉、妥協、決定といったコミュニケーションをみずからのコミュニケーションとみなし得たわけです。
 しかしながら、政党の人々を把握する力が減少したことによりまして、社会全体の政治的コミュニケーションの中に占めます政党をめぐる政治的コミュニケーションの割合は、残念ながら相対的に減少します。また同時に、政党が特殊個別利害に定位することが相対的に多くなるという現象も生じます。それは、政党がかつてのように人々を把握する力を持たなくなった伝統的大組織に相変わらず依存し続けることによっても、また特殊利益団体が媒介するミクロコーポラティズムという新しい現象に不透明な形でからめ捕られることによりましても、起こり得るわけであります。
 このような政党をめぐります二重の病理は、日本においてもドイツにおいても生じておりますが、そのあらわれ方はかなり違っているように思われます。
 すなわち、ドイツにおきましては、第二段階で既に徹底的な組織化を一たん経験しておりました後、それが第三段階の状況に適合しなくなった結果、弊害や病理が出てまいりました。それを除去すべく、政党の過度の組織性や組織政党の圧倒的優位を緩和する方向で試行錯誤が進んでおるのですが、しかしながら、伝統的組織の壁は、後でお話ししますように、それを支える法制度の存在もございまして、なかなか厚いというのが現状であります。
 これに対して、日本におきましては、第二段階において政党の組織化が進展しませんでしたが、第二段階、第三段階の初めにおきまして、大政党、例えば自民党では、それゆえに、むしろ包括性、柔軟性を持ち得たわけです。しかしながら、第三段階に進むに伴いまして、もちろん伝統的な組織との硬直的な関係もございますけれども、むしろ次第にミクロコーポラティズムにからめ捕られまして、包括性、柔軟性を若干失っていった、そういう面が強いように感じております。
 多様性に立脚し、それを表現する政党が、多段階の政治的コミュニケーションから成り立つ民主制システムの各段階において重要な役割を果たし続け、また、民主制を可能にするため、前提条件の形成に貢献し続けるためには、個々の政党が、また政党システム全体としましてモデル第三段階の状況に適合していく必要がございます。それは具体的に何を意味するかにつきましては、現在進行中の事象でもありまして、正確に叙述することはできません。しかしながら、社会や個人の複雑化、断片化を処理することができるように、政党や政党システム自体も十分な複雑性と断片性を備えるように進化していく必要があるということは、基本的な方向性として指摘できることだろうというふうに思われます。
 ところで、政党の進化について考える際、一九六〇年代、七〇年代の自民党というのは非常に興味深い研究対象でございまして、自民党は軟体動物に例えられるほど柔軟性を持っていたということに注目がなされる必要があります。そのあり方を、しかしながらそのままで未来の政党像とすることは非常にはばかられるわけでありまして、当の自民党の方も面映ゆいと思われるだろうと思います。
 当時の自民党にあって、そして何が欠けていたのだろうか、その重要な要素は何だろうかということを考察してみるということは、将来の日本の政党像を考える際の重要な糸口になるのではないかというふうに考えます。そのことにつきましては、例えば公開性とか透明性というものが重要ではないかというようなことも、こういった自民党研究から出てくるかもしれないというふうに考えております。
 次ですが、政党法制の意義であります。
 政党は、そういったそれぞれの置かれた時代や状況の中で、具体的な形で課題を持っておりますが、それに法的に対応するのが政党法制でございます。したがいまして、各政党法制の意義は、政党の具体的な課題にどのように対処しようとしたか、それに対処してきたのかということによってはかられることとなります。
 例えば、第二次世界大戦後のドイツの政党法制は次のような背景を持っておりました。すなわち、ドイツにおきましては、先ほど申したように、政党の組織化が徹底的な形で行われました。その結果、政党やその関連諸組織が全くの部分社会となることによりまして、競合する政党同士の対立、競争が、相手の排除を目指すほど先鋭化いたしました。つまり、多元的な社会における政治対立が、社会の多元的なあり方、民主制そのものを脅かすことになったわけであります。
 結局、ドイツでは、こうしまして政党組織中心の政治過程から、民主制を破壊する独裁体制が生じたわけです。いわば、政党組織がその活動やあり方を通じて民主制の土台を掘り崩したわけであります。
 これに対する反省を踏まえまして、政党法制が構築されました。すなわち、政党法制は民主制が政党民主制として存在することを正面から認めまして、政党民主制の土台が、政党が、通常、結社がするように、自由や民主制を有効に活用して、政治文化を育成することを通じて維持形成するということに期待するのではなくて、それをあらかじめ法によって義務づけと特権付与という形を通じまして、直接的、人為的につくり出そう、そういうふうにしたというわけであります。
 その特徴的な点を述べますと、既に御承知とは存じますが、当時の西ドイツ憲法、現在でも妥当しておりますが、その二十一条一項では、政党に対して党内民主制を義務づけ、政党の資金の透明性を求める。二項では、自由で民主的な基本秩序の侵害、除去を目指す政党を、連邦憲法裁判所の違憲判決を通じて禁止する。三項は、立法者に政党に対する詳細な規律を授権しまして、政党法の制定を予定します。
 この三項を受けまして、一九六七年に制定されました政党法では、政党の要件が厳格に定められ、党内民主制について、具体的、詳細な規定が置かれました。それと同時に、政党法は、有力政党に対しまして財政的な援助を行う政党助成制度を設けました。
 党内民主制の義務を負うと同時に、政党助成の特権を与えられました政党、すなわち国民政党は、一九七〇年代までのドイツにおきまして、その社会の多様性を十分反映し、民主制の各段階におきまして重要な役割を果たし、民主制を可能にするための前提条件の形成にも十分に貢献することができました。ドイツ国内におきましても、確かに、強い政党法制に対する批判が絶えず存在しましたが、ドイツ政党法制は、一応、その具体的課題に対処できたと評価することができましょう。
 これに対しまして、戦後日本の政党法制は、全く異なった課題を課せられていたわけであります。一九二〇年代に成立いたしました政党内閣は、経済政策等で失政を重ねるなど、民衆の支持を失い、その結果、軍部の圧力に抗し切れず、政党民主制が崩壊するということになります。つまり、日本の政党民主制も、ある種自滅の側面はあったわけです。
 しかしながら、日本では、むしろ政党民主制が十分発達することができず、没落していったという面が強いように思われます。そもそも明治憲法下では、政党民主制の発展を阻害する要因が余りにも多くあったわけでありまして、むしろ、政党内閣は明治憲法にもかかわらず成立したというふうに評することができます。
 したがいまして、日本は権威主義的な封建制の遺物が残存する社会で、より自由に、より民主的でなければならないという日本国憲法制定に当たっての起草者の課題設定は、少なくとも政党に関しましては、結果として適切であったように思われます。結社の自由という形で政党に完全な自由を与えようとする日本国憲法の規定は、時代の要請にかなっていたわけであります。結局、戦後日本における政党法制は、政党法という形ではなく、個々の領域についての法律によって規律される形になりました。
 五五年体制が成立しまして、モデルの第二段階を迎えますと、多くの政党で党組織が未発達であるということで、党の近代化の必要性が唱えられます。その際、ドイツ流の政党法制の導入が主張されたわけでありますが、先ほど申しましたように、この時期の日本の政党の組織化は非常に不十分なものであった。したがって、政党に対する法的規律ということで、党組織を念頭に置いた法的規律を行いましても、それは客観的に困難である。つまり、ざる法になってしまうということで、無理だったという側面があったわけであります。
 その後、ドイツ流の政党法制は、一九九〇年代の政治改革によりまして、一部導入されることになりました。改革の中身で、特に政党にとりまして重要なのは、政党の概念について、既成政党、現職国会議員に焦点を合わせた定義がなされたこと、また、選挙制度につきまして小選挙区比例代表並立制が採用されたこと、選挙への政党の関与が拡大されたこと、そして、政治資金につきまして政党助成制度が採用されたこと、こういったことが重要でありまして、これによって政党、特に既成大政党が、小政党や新政党、無所属候補者に比べて有利になったわけであります。
 これらの点が現行憲法の原則と整合性がとれているのかということについては議論のあるところでありますが、ここでは触れません。
 いずれにいたしましても、これらはかなりドイツモデルを意識した制度だと言うことができます。
 ただ、ドイツモデルが、国民政党に対しまして特権を与えると同時に、党内民主制等について規制を加える、義務づけをしているのに対しまして、日本の新制度は、あくまでも既成政党に対して規制を加えずに特権だけを与えたということで、少し違いがあると思われます。しかしながら、政治改革において問題なのは、既成政党がドイツモデルを正しく導入することなく、いわばおいしいとこ取りをしてしまったということよりも、もっと根本的な問題があるように思えます。
 すなわち、改革は、政党、政策本位の選挙制度を採用し、政権交代を可能にすることを目的としていたわけですが、しかしながら、改革全体の像、目的設定も含めてですけれども、それが正しかったかどうか、私自身は大いに疑問を感じております。
 ただ、ここでは政党に関してだけ意見を述べさせていただきますが、政党本位ということに関して言いますと、その場合の政党は、ドイツモデルを参照した以上、当然、法の形からしまして組織政党が前提になるのですが、組織政党を前提とした制度改革は、私のモデルの第二段階というところでは可能だったかもしれませんが、一九九〇年代の日本は既に大組織の力が相対化する第三段階の状況だったわけでありまして、この時期の日本に対する処方せんとしてこの形を持ってきたというのは余り適切ではなかったのではないかというふうに基本的には考えております。
 では、現在の日本の社会に適合的な政党法制はどのようでなくてはならないか、それを考えていく必要があるわけですが、その点で参考にできますのは、むしろ、現在ドイツで出されております政党制あるいは政党法制に対する批判あるいは改革の提言であります。それは、かつて時代適合的であった政党法制が、複雑化、断片化した社会、個人を前にしてかえって逆機能を生じているんだ、そういう認識から来ております。
 したがいまして、これらの批判、改革の提言はもちろんドイツの文脈の中のものでありまして、それをそのまま日本に直輸入することはできません。しかしながら、その議論そのものは、ある種普遍的な先進国共通の現象に対応する側面もございますので、有益なヒントもあるかと思います。
 ドイツの政党システムに、あるいは政党法制に対して投げかけられております最大の批判は、それがいわゆる要塞化してしまっているということであります。すなわち、既成政党が、現行政党法制によりまして、要塞のように守りを固めまして、新しい課題に即して、新しい人材を擁した、新しい政治の勢力が議会の中に入ってこれないようにブロックしている、こういうわけであります。
 要塞化が起こりますと、議会内の政党分布が社会の中に存在する多様性を反映できなくなる、そして、民主制を可能にするための前提条件の維持も困難になる、民主制のシステムの各段階におけるコミュニケーションにも悪影響を及ぼすだろうというわけであります。
 この批判に基づいてなされております提言で一番目につきますのは、政党助成というものを限定していこう、そういう議論であります。これは、最近、ドイツの連邦憲法裁判所がこの助成制度についてドラスチックな違憲判決を下しましたことによりまして、一部実現いたしました。
 また、政党助成制度につきましては、興味深いことですが、市民ボーナスという制度が提起されております。
 簡単に説明しますと、現行のドイツ法制におきましては、政党助成は得票に比例して各政党に資金が分配されますが、そうなりますと、どうしても既成政党が有利になる。そこで、各有権者一人頭に認められる助成額の行き先につきまして、各有権者が、議席に関する投票とは別に一票を持ちまして、投票することによってみずから決定しようというわけであります。
 つまり、投票者は非常に複雑な存在でありまして、複雑性を持つ断片的な存在でもあるわけでありまして、現在私はこういう投票をするんだけれども、でも将来はこうだったらいいな、そういう複雑な思考をする存在です。こういう複層的な有権者の思考のあり方を、政治資金の助成の面で生かそうというわけであります。
 そのほかに、五%の阻止条項でありますとか、厳密過ぎる政党概念に対しても批判がなされております。
 こういった要塞化以外にも、既成政党、政党システムに対する批判はございます。その中には、政党内部からの批判もございまして、既にお話をいたしましたように、ドイツ政党法制では党内民主制が保護されておりますが、しかし、実態においては、重要な人事や政策形成においてはやはり党幹部の方が大きなイニシアチブをとられます。これは仕方がないことでありますが、しかし、これに対する党内民主化の強化、あるいは分権化の促進の主張が近年強くなっております。
 民主化ということでは、例えば、党首の決定や重要な政策決定を全党員にゆだねるべきだということが、これは左右問わずに、あらゆる政党で言われるようになってきております。また、分権化ということでは、議会における議員の党議拘束を外すとか、そういった形で議員の党幹部からの自立性を高めようとする傾向が高くなっております。もっとも、こういったことは、ドイツ政党法制では党内民主制が一応保護されておりますので、専ら政党が独自に、みずからのイニシアチブで党内措置的にやっているということであります。
 これらもヒントにしまして、社会や個人の複雑化、断片化した日本におきまして、一体、複雑性、柔軟性を持った組織が、政党の課題でありますとか政党の前提条件形成に貢献し続けるために、どのような政党法制を考えなくてはならないのかということでありますが、その際、強調しておかなければならないのは、法自体が理想的な政党や政党民主制をつくり出すことはできないという当たり前のことであります。
 特に、今後の政党のあり方は、組織政党のように、その組織や行為について、あらゆる政党で共通性があるというものではなくて、政党ごとにさまざまであり得る。したがって、政党の組織や行為について事細かく規律して、政党はかくあるべしと無理やり持っていく法制というのはなかなか難しい。むしろ、法が主にできますことは、そういった政党が果たすべき役割を実行する際に存在します弊害を除去する、あるいは、その役割を果たすための前提条件をつくり出す、そういうことではないかと思います。
 弊害の除去という点で注目されるのは、要するに、日本の政治システムにおきます、政党の皆さんが苦労されます人材発掘、育成に当たって、事実上あるいは法上存在する障害、これを除去するといったことが挙げられるかと思われます。また、前提条件ということでは、先ほど申し上げたことですが、政党の透明性、開放性を高めるといったことが考えられます。
 今申しました法的措置につきまして、私自身は、現行憲法のもとでも法律改正によって十分可能だというふうに思っております。ただ、このことは、本委員会が現憲法の全面改正も含めて議論をしておられる以上、余り重要なことではないと思われます。必要な法制度の導入が憲法改正なしに可能であったとしても、憲法改正にはそれ自体意味がある、ないし、法律改正にはない意味があるんだ、そういう御主張もあり得るわけです。
 そこで、以下では、政党法制につきまして、憲法を改正するということの持ち得る影響についてお話しすることといたしたいと思います。
 まず、その前提としまして、政党法制という規範の本質的特徴を確認しておきたいと思います。
 すなわち、政党法制は政治過程に関するルールでございまして、制定時点の政治過程において優位を占める政治勢力の多数に立脚して形成されるものであります。したがって、このルールには、他の政治過程に関するルールと同様、常に立法者の権力乱用の危険が存在します。
 その具体的なあり方としましては、多数派政党が少数派政党に対して不利益を与えるというようなもの、あるいは、既成の議会内政党が共同で議会外政党、政治組織に不利益を与えるようなもの、政党のカルテル化というようなことが言われます。あるいは、お手盛りの政党助成を無限に拡大させるなどしまして、国民の政治不信を増大させ、政治一般に対して不利益を与えまして、市民の民主的政治過程への参加意欲を減少させ、結局、民主制自体を衰退させるといったようなものがございます。
 したがいまして、こういった乱用を防止することは、政党法制の整備、運用にとって不可欠の要因であります。
 政党法制の乱用防止ということで主たる役割を果たしますのは、憲法理論上、憲法解釈論上あるいは比較法上の知見に基づけば、専ら裁判所、違憲審査制であります。実際、ドイツの政党法制におきましても、連邦憲法裁判所が、国民政党による、ある種の自分たちに有利な法整備にストップをかける、そういうことをするだけではなく、たび重なる乱用事例に対しましては、こういうふうに法改正をしろという方向性を示すなどという形で、積極的な法発展を導いてきたという側面がございます。
 憲法は、そもそも、本来、複雑な構成体でございまして、包括的に叙述できない側面を有しておりますが、しかしながら、第二次大戦後明白になりました傾向としまして、裁判規範性というものが非常に拡大してきたということがございます。
 各国の憲法状況を把握する場合、条文の分析では、もはやほとんど何もなし得ない。したがいまして、そもそも、憲法改正を考える場合でも、当該改正が憲法訴訟にどのような影響を与えるかという観点を抜きにすることはできません。むしろ、主要立憲主義諸国において、ほとんどの憲法改正は、憲法訴訟の結果ないし憲法訴訟のおそれをきっかけにしておるということまで言うことが可能なのであります。ましてや、政党法制に関して憲法改正を考慮する場合、先ほど申しましたように、政党法制が構造的に立法者の乱用を生じさせやすいということにかんがみますと、その憲法訴訟に対する影響は、一層慎重に考慮する必要があると思います。
 そう考えますと、私の考えとしましては、政党の民主的政治過程における重要性のゆえに、そこから余り直接的な法的帰結は生じないんだけれども、一応訓示的規定を置いておきましょうというような選択は決して賢明なものではないというふうに思います。
 それは、通常の結社とは別に、憲法が特に政党に言及したということで、立法者に対して政党を優遇することについての裁量を与えたというような解釈を生みまして、結果としまして、政党法制に対する司法的コントロールを弱める可能性があるからであります。それは、今後の展開次第では、新しい政党が生まれ、あるいは、政党との質的相違を相対化させる可能性があるパブリックインタレストグループに対しましては、非常に既成政党を優遇しまして、ドイツでいうところの要塞化を促進するという働きを持つかもしれません。
 その危険を避けようとしますと、少なくとも、通常の結社、パブリックインタレストグループ、政党、この三つのカテゴリーにつきまして、それぞれ詳細な規定を設けまして、しかも、パブリックインタレストグループと政党の間で、一定の事柄について平等な取り扱いをするというような憲法規定が必要となってまいりましょう。しかし、それは、憲法規定としては、かなり異例の長大なものになるはずであります。
 複雑な構成体である憲法の見方の一つに、憲法は、社会の発展の中で短期的見込みで行われたものを長期的な展望から反省するためのメディアであるというとらえ方があります。この観点からしますと、未来に開かれたさまざまな可能性を縮減するような、このような詳細な憲法規定は、憲法規定としての本来の姿ではないということになります。簡潔な規定によって支えられた長期的な基本原則と、臨機応変に対応できる下位規定という組み合わせが、政治的、倫理的、社会的立場を超えまして、立憲主義のあるべき姿ということになりましょう。
 以上の検討からいたしますと、政党に関します憲法規定の制定というのは、なかなかに困難な課題だということが明らかになったのではないかと思われます。
 本日の意見陳述では、政党につきましての憲法理論、憲法科学的な分析を前提といたしまして、あるべき政党法制の方向性、そして、政党法制と憲法との関係について若干検討させていただきました。
 最後に強調させていただきたいことは、憲法制定の議論が、科学的認識や価値評価だけではなくて、技術的知見に基づかなければならないということであります。立法や法適用には、不可避的に技術的側面が存在します。したがいまして、憲法制定に当たりましても、立法技術が応用されるべき時代や状況に合わせまして、それを十分に把握した上で、憲法規定相互間の技術的整合性も含めまして十分配慮し、それを行わなくてはならないのであります。
 本委員会におきまして、そのような条件を満たしつつ、政党が社会の多様性に立脚し続けていけるような制度的枠組みにつきまして、有意義な議論を展開していただけることを心から期待しております。
 どうもありがとうございました。(拍手)
保岡小委員長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
保岡小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中山正暉君。
中山(正)小委員 先生、御苦労さまでございました。中山正暉でございます。
 非常に高度な御解析をいただきましたことに心から敬意を表しますと同時に、きのう、きょう質問してくれというお話をいただきましたので、私といたしましては、昭和三十八年に私は地方議会からスタートしまして、およそ四十年間、国会に出していただいてから三十四年がたっておりますが、その間の自分の経験をもとに物を言うことしかできないのかな、こう思っております。
 まず、私は、日本の政党の始まり、これが憲法と言えるかどうかは別にして、十七条憲法の第一条には、人皆たむろありと。たむろという字は、党という字を聖徳太子は書いておられます。人皆党あり、争うことなきを旨とせよ、和をもってとうとしとなせとおっしゃっている。
 私は、日本のいわゆる政党、そのころは、言えば蘇我党、物部党みたいなのがあって、蘇我入鹿が新羅の方に加担をする。中大兄皇子とか軽皇子とかが、皇極天皇を中心にして百済の方に加担をする。それが、蘇我入鹿を板蓋宮で中大兄皇子と軽皇子が首をはねることによって、朝鮮出兵の問題が議論をされた。そのときの党というもの、そういうことを予測しておられたものは、とにかく仏教と神道、両方を祭れ、争うなよとおっしゃったこと、これが私は割に世界的に古い政党論の根底じゃないかなと思っています。
 私の経験から申し上げますと、私が大阪市議会議員として地方議会の選挙に立候補したときは、大阪自民党府連本部は公認してくれましたが、選挙区の支部では認められず、苦労して当選はしました。しかし、大阪市長は、指定都市初めての革新市長が誕生して、少数自民党、しかも野党議員というのが私の政治生活のスタートでございました。
 非常に複雑な、この自民党の中でも、私はちょっと違った体験をしておりますが、今はもう私の頭の中には政党という感覚はほとんどありません。もう連立政権になっておりますし、特に冷戦構造の中で、社会主義か共産主義か、それから自由主義かというその中で、私は自由主義が大事だと思って、その政党に所属してきました。
 ところが、私のかつての経験で、大変私を悩ませる事件が起こったんです。それは、二つの中国のうち、自由主義の台湾を自民党が切れと言い出しました。何だろうと。私は、それでは自分がやめて、自分の選挙区の共産党さんに投票した方がいいんじゃないか、こう思いましたので、私は最後まで日中条約に反対をいたしました。外務委員会で私一人、たった一人で反対しました。当時の大平幹事長のところへ行ったら、私のおやじが前日に死んだわけでございまして、お父さん死んで大変だったね、またあしたから頑張ってねと。きっと除名されると思ったら、除名もされませんでした。
 そこで、私のおやじの話で恐縮なんでございますが、私のおやじは戦前、昭和七年に国会に当選をいたしまして、そして、昭和十五年の東条英機の陸軍大臣のときに、斎藤隆夫という方が反軍演説をいたしました。私のおやじは、当時、進行係をそのころ四年やっておりまして、その進行係をしていたおやじは、たちまち斎藤隆夫を除名するという国会の動きに反対をいたしまして、死刑の判決があっても直ちに執行をするということはないだろうと言いました。ついにそれが、東条英機さんから国会の廊下で腕をつかまれて、お前のようなやつがいるからぐあいが悪いといって、廊下へ追い詰められたことがあったとおやじが言っておりました。
 それから考えてみると、それは二・二六事件以来、高橋是清とか自由主義政治家がみんな、国家社会主義、北一輝なんかに指導されていた軍部、ある意味では、軍隊による社会主義革命行動みたいなものに自由主義政治家がみんな殺されて、本当の残っている自由主義政治家がはっきり物を言わなくなった。このことが大政翼賛会に発展していって、政党が全部解散されたと思っています。
 私が先生に伺いたいのは、ドイツは、モスクワの革命が起こります前にミュンヘン革命というのがありました。ミュンヘンで、革命政府に対して農村が食糧を送らなかった。ロシア以前にドイツで革命が起こったときの革命の失敗は、農民が革命政府に協力をしなかったという事態があります。ドイツもまた、ヒトラーという人によってどんどん独裁政権ができていきましたから、その経験で、今ドイツというのは、政党法を大変上手につくり、少数政党が突然出てきて支配することのないように、知恵を出しています。世の中を治めるものは、政治家の議論でもなし、学者の理論でもなし、実際にこの世の中を支配するものは、最後は恐怖と暴力だと言われておりますから、政治に恐怖と暴力が立ち向かってきたときに、一体どんなふうに歯どめをかけるのか。
 日本は、アメリカのように共和党と民主党という二大政党ではございません。共産党さんも立派な政党でございます。アメリカは、いわゆる結社としては共産党を認められておりますが、財政上、共産党の国会議員が選ばれても、それに給料を払っちゃいかぬということになっておりますから、事実上、戦前の日本と同じような形態になっております。
 そんな中で、一体、これからの憲法改正にこれを盛り込む盛り込まないは別にいたしまして、日本での政党法というのを、民主主義が定着しますように、とんでもない方向にある日突然向かっていかないようにせねばなりません。小泉総理大臣という人は、改革に反対をしたらおれが自民党をつぶすと言っている。みんなは辛抱してそれを聞いているわけでございますが。そういう話になってくると、いつまた政党再編成、それがどっちの方向へ向いていくかわからない。
 勝手に演説していたらぐあいが悪いので、ひとつ先生が、これからの日本の民主主義の中で、政党というものを定着させるためには一体どういうふうにしたらいいのか。技術的な問題であって、なかなか結論は出しにくいと、先生のさっきの御議論の中でもちょっと耳に挟んだように思いますが、その中で理想的なものを、お若い学者の先生として、政党法とはこうあるべきだというのは、日本の割に浅い政党政治の歴史の中でどんなふうに考えたらいいのか、御示唆をいただければありがたいと思います。
高田参考人 非常に興味深い御意見をいただきまして、ありがとうございました。
 まず最初のことですけれども、確かに日本の伝統というものに沿って政党を考えた場合どういうふうにというのはあるわけでございまして、何で日本で政党を議論するのに西洋の哲学で神学なんだという当然あれはあるんですが、実はその話は、若干私の図式の中には潜ませてございまして、例の第四類型のポストモダンというあれなんですけれども、これは日本では比較的すっと受け入れられるところが多いんですね。これは右左関係なしに。
 これは、ヨーロッパに行きますとなかなかこれを受け入れることは難しいわけですけれども、これがすっと入ってくるのは、やはりそういったある種の日本の物の考え方、宗教的なものを含めての背景というものがある、そういうのがあるから入ってくるんだという。
 ただ、御指摘いただきました和をもってとうとしとなすというのはなかなか政党を考える際の難解な問題でございまして、政党というものは、単に併存していて仲よくしているだけでは困る、それはちゃんと違いをあらわすだけではなくて、活発に一つの違いを明確化すると同時に、建設的にフェアプレーで対話していかなきゃいけないというわけで、それがある部分、和をもってとうとしとなすというのがそこを妨げる、そういうふうに伝統が働きますとこれは非常にマイナスになる。
 しかし、他方、ある部分私なんぞも、こういういわば近代国家が成立する以前においては、宗教弾圧がなかったような、そういったさまざまなものが併存し得るという秩序観念そのものは日本のすばらしいところだというふうに思っておりますので、どのようにそれを考えていけばいいのかというのは大変頭を悩ませているところであります。大変興味深く拝聴いたしました。
 そして、暴力等による民主制の除去、極端な政党によります民主制そのものを駆除してしまう、そういうあり方に対する反応として、例えば、ドイツあたりでは政党法制が出てくる。端的に違憲の政党という制度を設けたりしたわけでございますけれども、これは、実はかつてほど、つまり東西冷戦下ほど激しくはないわけです。今でも、潜在的にはこの問題は存在するわけでございます。
 実際、一九九〇年代、むしろヨーロッパにおきましては、新しく台頭しました極右の民族主義政党に対してどう対応するかということで、久方ぶりにドイツの政党法制というものが動き始めるということにもなっております。ただ、これは非常に難解でございまして、確かに民主制自身を守るための制度なのですけれども、これはある部分政党を禁じてしまうという劇薬であるがために、かえって患者そのものを殺しかねない。どういうふうにこれを調合するのかというのは、昔からその論者は非常に悩んできたところであります。
 例えば、先ほど申し上げましたケルゼンなどは、自分は、そういったもので政党の禁止などということは絶対支持ができない、それはあくまでも通常の刑法的なもので実際の暴力行為に対して対応すべきであるというふうに主張していた。もちろん、当時のワイマール時代の治安の状況から見て、それはリアリスティックな話ではなかったのですからそういう立場もありますし、しかし、ある種の強い劇薬というものも必要ではないかという立場もある。
 その辺は、だからその社会、社会の具体的なあり方の中で、それは先ほど申し上げた治安の状況等も勘案しながら具体的に見ていく必要があるのではないかなというふうに考えております。とりあえず以上であります。
中山(正)小委員 もう質疑時間がなくなったそうでございますから、私は、これからの世界というのは、イスラム教の社会とキリスト教の社会が、悪いパターン、悪い予測を立てますと、これが対決をする。そして、日本の二十六倍ある中国という国が、今度の党大会でも自由主義経済主義者も入れようというような変化を示しておりますが、ここは選挙をしておりません。そして、政治形態は共産主義、社会主義を基本にすると言っておりますが、経済は自由主義という不思議な国ができてきました。
 ですから、これからの日本は柔軟に、それこそやおよろずの神という、家の中には一番大事なおかみさんという神様までいるような国でございますから、そういうことから考えますと、これから日本の政党がどんなふうに、宗教が対決するとか、それから別の意味の選挙をしない、そして一つの政党が独占的に支配をしている国家と隣接をしている、そしてその中で、百九十カ国のうち一カ国だけ関係のない北朝鮮という国が日本にはあって、そこは核を持って、ミサイルが八分で日本に到達するという国がある。
 そんなことを考えますと、これは非常に、日本のこれからの政治の中での政党が、かつての社会主義、自由主義というパターンでなしに、宗教の対立と、それからその中に別の行動をとる国家との間にあって、日本の政治がどうなっていくか。
 私は、この政党のあり方というものを考える上で、日本の民主主義を考える上で、大変重要な時期が来ておると思いますので、また、先生のお若いこれからの未来ある憲法学者としての御研さんの中で、私どもに示唆をお与えくださいますようにお願いをして、これで質疑を終わらせていただきたいと思います。
保岡小委員長 次に、伴野豊君。
    〔小委員長退席、中山(正)小委員長代理着席〕
伴野小委員 本日は、高田先生、貴重なお話をありがとうございました。
 実は、きょう質問をさせていただくということで、先生の過去の論文をきのうの十時ぐらいから目をこすりながら読んでいたのですが、二時間ぐらいしますと、理解力のなさもあるわけでございますが、一時ぐらいを過ぎますと睡魔に打ちかつことができなくなりまして、きょうもどういった質問をしようかと思ったわけでございますが、先生のお話を伺うと私の浅学非才な頭でも少し理解できるようなことがございまして、やはり直接お話を伺うということはいいことだなと改めて再認識をしたわけでございます。そうした中で、先生のお話で、幾つか質問をさせていただければと思うわけでございます。
 一つ目は、先生は、政党というものが多様性に立脚するものであるというお話がございました。それは、民主制に合理性をもたらす不可欠の存在であると。
 これを私なりに解釈してみますと、やはり政党というのは簡単につくれるといいますか、政党要件は極めて簡易なものというか、ハードルが低い方がいいというふうにとらえられたわけでございますが、しかし一方で、非常にハードルが低いということは、その信頼性、客観性をどこで求めるかという相反するものを含むような気がするわけでございます。そのあたり、先生は、政党要件が極めてハードルが低いということと、その信頼性、客観性というのは、どのあたりのことを考えていらっしゃるのか、お示しいただければありがたいな。
 それから、二点目でございますが、現在のいわゆる日本の状況ということで、第三段階に進んでいるにもかかわらず、第二段階の処方せんによって対応しようとしていることがそもそも間違いだというお話を承りました。
 それを少し私なりにかみ砕いて考えますと、どうしても、例えば、衆議院だけに限って考えれば、政党法制と選挙制度の仕組みというのは、これは絶対に、卵が先か鶏が先か、特に今回そう思うわけでございますけれども、先生がお考えになる今の第三段階においての例えば衆議院の選挙制度はどうあるべきか、先生の理想でも結構でございます、お話しいただければありがたいな。
 それから、三点目の質問でございますが、先ほど、そういった中で、要塞化がされないこと、それからあるいは法にできることというようなことで幾つか御指摘されまして、その中で、人材発掘、育成に当たっての障害の除去というお話をされましたが、具体的な例として、例えばこういうことでよろしいのでしょうか。例えば、社会人が立候補して落選しても前の職場に戻れる仕組みをつくってあげるとか、そういうことを御指摘されているのか、どういうことなのか、教えていただければ。
 最後に、今回のお話の中で、幾つかドイツとの比較でいろいろお話をいただいたと思うんですが、よく工業製品を比較すると、日本人とドイツ論というのはいろいろ解釈されるわけでございます。日本のよさ、あいまいさとかアナログさ、ドイツ人の割り切りのよさ、デジタルさ、これは端的に、工業製品、車や何かには出てきていると思うわけでございます。
 そういったことを踏まえた上で、これは憲法改正について御意見をいただきたいわけでございますが、過去、ドイツは戦後四十六回の改正をしている。日本は金科玉条のように非常に温めている。この表現がいいかどうかわかりませんが、こういったところで、先生の今の日本の憲法論議に対して、ドイツと比較してどうあるべきかということを御指摘いただければありがたいと思います。
 以上です。
高田参考人 ありがとうございました。
 時間もございませんので、端的にお答えをしたいと思います。
 政党が、ある種の多様性に立脚しつつ、社会からそのエネルギーをもらわなけりゃならない。しかし、それが、ハードル低く無制限に入ってくるということにおいて、継続性とかいうことにつながるような、政治システムの安定性とか信頼性とどう結合させるのか。
 これは、やはり両方とも必要な側面だろうと思うわけですが、それは具体的にどこでバランスをとるのかというのは、先ほども報告の中で強調させていただきましたように、具体的な状況の中でそのバランスがとられていくのだろうというふうに思っています。
 ですから、そういう閾値が下がり過ぎていて、どんどん入ってくるというところになると、むしろどういうふうにそのハードルを上げようかというような議論になってくるんでしょう。それは、うまく入ってこれない、例えば、政治家になりたいと思う人がたくさんいる時代はそれは困るわけですけれども、少ない時代は、どうしてリクルートしようかとか、投票率が、まあ投票率一〇〇%といったらむしろ冗談みたいな話ですけれども、高過ぎるというのは非常に逆に困るわけですけれども、低いときはどうやって人々を集めてこようかという、そういう話になるわけですから、具体的な状況の中でそれはあんばいをするということで、私が今回、その多様性、これは理論的なものですけれども、ある種要件をというのは、これは日本の現状に対する私なりの判断であるというふうに思っていただければというふうに考えます。
 第二点の、第三段階の選挙制度、特に衆議院についてどのようなものが理想的かということですけれども、理想の選挙制度というのはなくて、その時代その時代に置かれている状況の中で、どれを組み合わせてよりましにしていくかということしか僕はないと思っています。
 その点、両極端、つまり、全くの小選挙区制を全部導入してしまうということ、あるいは全くの全国一律の比例代表制を入れてしまうということは、私はどちらも反対でございます。
 小選挙区制から申しますと、さまざまございますが、例えば、小選挙区制になると二大政党になって政策本位になり、しかも首相を選べるじゃないかという議論がありますけれども、その保証はまずそもそもないということと、あと、傾向といたしまして、やはり政策が近似化する。近似化すると、選挙の専らの争いは人であって、政策本位にならないということで、これはむしろ心配だと思います。
 日本の状況からいいますと、仮に、例えば定数を四百にしますと選挙区が小さくなりますので、今以上に選挙区に密着した選挙になる。とすると、ますます党内民主化が進みまして、選挙区単位で候補者が選ばれたりなんかしますと、ますます地元の利害を反映しなくてはならないというようなことになりまして、これは非常に一方では困るなと。
 他方、全国一律で比例代表制、これも理想的におっしゃる方もおられるのですけれども、随分遠いし、やはり国民と政党の間接性というのが余りに強過ぎるだろう。仮に、今回のように、国民が順位に対して影響を及ぼすことができたとしましても、くくりが大きいと、どうしても全国的に大きな組織を持っていらっしゃる候補者であるとか、全国的にマスメディアで有名な方になってしまうということで、必ずしもこれは適切ではないだろう。
 その中で、どういうふうにあんばいをとるのだということでありますが、現在、私自身のイメージからしますと、少し小選挙区が小さ過ぎるのではないか、もっと大きくあっていただいた方がいいのではないかというようなことを、これは定数削減によって実現していただくか、割合の変化によって実現していただくかはありますけれども、それは一番気になっているところでございます。
 人材発掘につきましては、委員御指摘のとおりでございまして、ほかに、例えば公務員の政治活動に関する、幹部職員なんかは困りますけれども、特に若い職員なんかはもっと積極的に行動してくれてもいいじゃないかということも含めて、議員がおっしゃった方向で考えております。
 第四番目の、ドイツは改正四十六回、日本はゼロ回、これをどう考えるかということですけれども、四十六回ということは、これは現象なのですけれども、その背景に一つの大きな構造的な違いがあるということを考える必要があると思います。
 これは憲法訴訟の問題で、きょう申し上げたのですけれども、つまり、ドイツにおきましてはどんどんどんどん憲法裁判所が積極的に行動しまして、違憲判決を出してくるわけですね。そうすると、憲法変えなきゃしようがないという事態になるわけです。
 ことしのアクチュアルでいいますと、裁判官の給料を下げる、ドイツだったら多分憲法訴訟になって、違憲判決が出ると思います。だから、これは憲法を変える、つまりただし書きをつけなきゃいけない。
 最近の例でいいますと、例えば、ドイツと日本で正反対だったのが、いわゆる括弧つきですが、盗聴法と言われるものでして、これはドイツだと、ほっとけば違憲判決が出るから憲法改正しましょうと。日本は法律改正でいいわけです。ですから、四十六回のほとんどは、基本的にこれは要らないんですね。
 ただ、おっしゃるとおり、大きな違いがあります。それは再軍備を憲法改正でやった。これは連邦憲法裁判所が、要するに、日本で言うと、成熟していない訴訟だからというふうにはねたんです。まだ条約が結ばれているので判断しないと言ったんですけれども、場合によってはこれは違憲にするぞという態度を示したので、アデナウアーが仰天しまして、アデナウアーというのは憲法をつくったときの議長ですから、自分はそんなつもりで憲法をつくったんじゃないというふうに怒ったわけです。それで必死になりまして、三分の二の多数をとって、憲法を改正した。このときと、大連立のときの非常事態法制、これは違います。
 あと、ドイツ固有の状況としまして、ドイツ統一という事情がありまして、これはでも、最小限におさまりましたので、これを大改正というかどうかは別としまして、事象的にいうとこの三つぐらいは違うんですが、そこの違いはドイツと日本の違いとして分析すべきだと思いますけれども、あとは、基本的にはやはり憲法訴訟のあり方の違いが大きいんじゃないかなというふうに思っております。
 以上でございます。
伴野小委員 ありがとうございました。以上です。
中山(正)小委員長代理 次に、斉藤鉄夫君。
斉藤(鉄)小委員 高田先生、きょうはどうもありがとうございました。公明党の斉藤鉄夫です。
 お聞きしようと思ったことを伴野先生が質問されたんで、私も、きょうお話をした中から、ちょっと思いついたような質問で大変申しわけないんですけれども、させていただきます。
 一つは、国民の側からしますと、たくさんメニューが用意されていて、それぞれ各政党が違う政策を提示し、それを選ぶという方が確かに選びやすいと思うんですが、我々のように政党の中におりますと、できるだけ支持率を拡大したい、たくさんの人の支持を得たいということで、本来、政党をつくったときの我々の目的、その主義に合った政策を提示するというよりも、そこを離れて、できるだけ幅広い支持を得られるような政策にしていこうというベクトルが働きます。
 もっと言いますと、私は公明党に所属しておりますけれども、できるだけ、これまで一部の階層の利益を代表するというふうに見られがちだったのを、できれば国民政党にしよう、幅広い支持を得られる、だれからも支持してもらえる、そういう政党を目指そう、こういうふうに頑張るわけでございます。ある意味では、国民が政党に期待していることと矛盾をする、このような感じを抱いておりますが、まずこの点について、政党にいる者としては、国民政党を目指す、特に今のような選挙制度ですとそうならざるを得ない、そのことと、国民の政党不信、このことについてどのようにお感じか、お伺いいたします。
高田参考人 率直な御質問、どうもありがとうございました。
 それは非常に難しい点でございまして、先ほども少し申し述べましたけれども、近年、これは選挙制度いかんを問わず、やはり国民政党化という流れの中で、特に、小選挙区をとればそうなるのは仕方がないところであるのです。図表にしますと、真ん中に山があって左右に広がっているのを有権者の分布といたしますと、やはり真ん中に向かって公約を、あるいは政策を合わせていかなきゃいけないという側面がどうしても出てきまして、各政党間のメニューの相違が小さくなってくる。それによって、ある種国民の中には疎外を感じていらっしゃる方が多くなる、そういう傾向は、これは日本だけではなくて、全世界的に見えるわけですね。
 だから、これは投票率の低下、アメリカなんかは日本と比較してもまだひどいわけで、日本も相当ひどい。ドイツは、ひどい、ひどい、とんでもないとこの間新聞に書いてあったんですが、八〇%を切ったという、これはドイツ人にとっては非常にひどい話なわけです。程度は違いますけれども、いろいろな国でそういうことが起こっているわけでございまして、これは今後どう考えていくかというのは非常に難しい、本当に一番考えなきゃいけない。例えば投票率というようなことは、本当に真剣に考えていかなきゃいけないところだというふうに私自身も考えております。
 ただ、今後の予測からすると、かつてのように、公約を綿密につくって、その公約のゆえに、それを全面的に支持するがゆえに私は投票するという投票行動というのは次第に難しくなってくるわけで、どうしても選挙というのは、政策レベルにおいても抽象化する、あるいは一点化する、あるいは、場合によってはパーソナル化していく、つまり、個人レベルになってくるというのは、これは避けがたい。
 とすると、選挙というものの機能は重要で、これはまさに先生方の政党制の支えですから一番重要なのですけれども、政党の活動の中における、政党の政治的コミュニケーションに占める選挙の割合といいましょうか、選挙を目指してというものをある程度相対化していく必要があるだろう。もっと言うと、多段階において政治的コミュニケーションを発達させていく必要があるだろう。
 その際は、政党の努力が足りないということじゃなくて、日本の法制でいいますと、政党が出ていこうにも出ていきにくい、法的な制限もあれば、社会的な制約もあるわけですね。日本における公正らしさとは政党に近づかないことである、そういうような日本の公正らしさ論みたいなものがあるわけですから、これはとんでもないことでありまして、むしろ、政党が社会と接触できる、つまり選挙だけではないほかのいろいろな段階において接触できるという形で、規制緩和というかどうか知りませんけれども、そういうような方策をやはり考えていただくというのは、例えば一つの方向ではないかなというふうに考えております。
斉藤(鉄)小委員 ありがとうございます。
 次に、いわゆる選挙と政党との関係についてお伺いしたいんです。
 憲法には、選挙という表現はございますが、政党は出てきておりません。政治の目的を考えれば、いろいろある意見を、多様性に富んだ意見を集約して一つの政策として実行する、そのことが政治の役割だと思うんですが、その多様な意見を集約するという機能を選挙が行うのかな、こう思っていますが、その集約の仕方を提示するのが政党といいましょうか、政党の存在そのものがその集約の一過程、このように思います。
 そういう意味では、政党の存在というのは、憲法の中に表現されてもいいぐらいの重みのある存在だと私自身考えております。ちょっとまとまりのない質問ですが、いわゆる選挙と政党ということについての、民意の集約という観点からの先生の御意見をお伺いできればと思います。
高田参考人 もちろん、おっしゃるとおりでございまして、選挙というものには、いわゆる教科書レベルでいいますと、いわゆる反映機能と統合機能という両方がありまして、それをバランスをとらなきゃいけないという、これは余りに教科書的過ぎて、私は余り好きな議論ではないんですが、そういう話がありますように、統合ということも非常に重要なわけであります。
 結局、それを選挙の中にどううまく組み込んでいくかということが重要なわけでありますが、一つ、選挙に行く前に、統合機能は選挙においても決定的に重要でありますけれども、最終的には、決定の段階、多数決で暫定的決定する段階で最終的に統合されますので、広いプロセスの中で統合がされていくという形でやはり見ていくべきだろう。だんだん先鋭化していくというふうに見ていって、選挙はその一局面であろうというふうに見ております。
 あと、政党が選挙で重要ということなんですけれども、その場合、憲法規定を念頭に置いて、政党と選挙を考えた場合、これは私が申し上げたかったことの一つの要点なんですが、非常に悩ましいことなんですけれども、政党が大事である、だから政党をやはり憲法に規定したいという、これはまさしくよくわかる理論でありますし、それはある部分、憲法の多機能性のうちの国民に対する教育とか、そういう点からいうと間違いなくプラスになるんだろうと思うんです。
 他方、今度はマイナス面としまして、そういう形で政党を、選挙との関係も含めてですけれども、規定した場合に、今度はデメリットとしまして、政党、場合によっては、時代状況によりまして、括弧つきの政党ですね、つまり法律で政党と定義されたものを政党とするみたいな解釈が適用されますと、既存の政党を優遇するということにもなりかねない。これがある種のメリットとデメリットであります。
 それを両方勘案していただいて、どちらをとられるのか、どの辺のところに落ち着かせるのかという、まさに政党というものを憲法に記述するときに、ドラスチックにその辺のマイナス面、あるいは場合によってはプラス面も出るのが選挙でございまして、その点は委員のおっしゃるとおりかと存じます。
中山(正)小委員長代理 次に、藤島正之君。
藤島小委員 自由党の藤島正之でございます。
 幾つか質問させていただきたいと思います。
 まず、我が国の政党は前近代的であるとか、そういうふうに言われているんですけれども、近代化というのは一体どういうことを示すのでしょうか。
高田参考人 私が言っているのではなくて、そういう議論があったということなんですけれども、そこでの近代化の理想というのは、要するに、当時は、ヨーロッパの組織政党が近代だというふうに思っていたんですね。つまり、私がちょっと漫画的に、オーバーに叙述したんですけれども、ああいう形で、一つの国家内国家みたいに完璧にすべてが整っている、それが近代の組織のあり方だと。だから、あれは政党だけではなくて、当時の組織観みたいなものが反映されていて、それを近代だというふうに当時は考えていた、そういうことでありまして、私があれをすばらしいと言っているわけではないということを、あらかじめ申し上げたいと存じます。
藤島小委員 次に、今世界で行われている最も理想的な政党政治は、どこが一体そういう、ドイツについて先生勉強されているんですけれども、ほかの国を含めて。
高田参考人 勉強すればするほどあらが見えておりますので、ドイツがすばらしいということは私は言えなくなりますので、だから、むしろ、知らないところが非常によく思えたりするわけですけれども。
 それはやはり、それぞれの国のすばらしいところとそうではないところというのがありまして、これは私が申し上げるより、例えば既に、この間いただいた資料によりますと、山口先生がお越しになっておっしゃったと思うんですけれども、イギリスはすばらしいんだという議論がありまして、これは何も日本だけじゃなくて、イギリスはすばらしいんだということをやはりドイツ人は言うわけですよ。つまり、ドイツ人の中にはフランス派とイギリス派がいて、イギリスをすばらしいと思って政党改革を考える人と、フランスがすばらしいと思って政党改革を考える、ちなみにカール・シュミットはフランス派だったという話なんですけれども。
 そういうことで、どこかが理想的であって、そこに向かって政党改革していくという発想が適切かどうかということをまず考える必要があるのではないか。
 私自身が割合一生懸命考えてきましたのは、別に柳田国男の影響を受けたというわけじゃないんですけれども、日本の置かれている状況というものを正確につかむ。その際、単に日本の言葉で語るのではなくて、普遍的に説明できるように語った上で、置かれている与件の中でどういう手段がとり得るのか、それを、理念的なものとか、あるいは理論的な技術的なものも踏まえながら、手持ちの材料でどう技術屋としてつなぎ合わせていけるかな、そういうふうに発想しようと考えております。
 ですから、ここが理想で、それに接近していくという考え方は、余り私自身はとりたくないというのが趣旨でございます。
藤島小委員 先ほど先生御説明がありましたけれども、その時代時代によっても違うし、その国の民度といいますか、進歩のぐあいによっても違うんだと思うんですけれども、今我が国では、特に二大政党制がいいんだというような意見がかなり言われているんですけれども、その点については、どういうふうにお考えになりますか。
高田参考人 これは二つの話があると思いまして、つまり、二大政党制というものがとられることによって政治で明確な選択肢が出てくるという面と、あるいは、二大政党制に合わせたような制度構築をすることがいいんだという、二つの面が出ているかと思うんです。
 ただ、二大政党制がいいかどうかということについて、前者の方ですけれども、これは一概にやはり言えなくて、二大政党というのはそもそも絶対的に数が少なくて、しかもそれは、歴史的背景というものがあるところでできているわけですから、それがある種の歴史的背景でもってすばらしくできていることが、二大政党制だからそうなっているのか、それとも、それは結論で、ほかのいろいろな伝統的な、あるいは社会的条件でできているのかという、その辺はちょっと私自身疑問に思っておりまして、二大政党制が究極の目的であるというのもちょっと難しい。
 後者の、二大政党制的、先ほどの小選挙区制なんか端的でしょうけれども、先ほど申し上げたように、これをつくっても、三極になる可能性だってあるわけですね、日本でも。つまり、地方に定位した政党と都市の中で福祉型政党と経済政党と、三つになりましたということが、仮に小選挙区をやったってできるわけですから、これはもちろん国民の判断なわけで、あらかじめこれがいいんですという問題では多分なかろう、また予想できるものでもないだろうということで、つまり、そこを出発点として議論を始めるということについては、私は余り積極的ではない。
 他方、政党はいろいろあって、例えば、十あればいいとか五あればいいという議論にくみするものでもございません。
藤島小委員 今度は、ちょっと次元の低い話かもわかりませんけれども、今の小選挙区制と比例代表制、どちらか一方だけでもいいかどうかというのは、先ほど先生ちょっと疑問を呈しておられたんですけれども、今、小選挙区で否定された人が重複立候補で比例区で救われる制度になっているんですけれども、これは選挙制度としてどういうものかなという感じがするのです。その点、先生の御意見を。
高田参考人 私は、比較的、これはドイツをやっているせいなのかもしれないんですけれども、これは多分違う二つの機能だというふうに思っております。選挙民の具体的なその選挙区選挙区の御意見とは関係なしに、政党がある種の見識で、この人は絶対通すんだという、そういう制度を比例で設けていると。ドイツなんかはそうなんですね。ですから、有名な人が小選挙区で通らないなんて山ほどあるわけでありまして、僕自身は、それは違うものだというふうに考えれば、同一平面と考えれば確かにそれはおかしいではないかということになるんですけれども、違う機能なんだというふうに考えると、そう不思議でもない。
 それは、先ほども申しましたように、社会が複雑化、断片化すると、政党もいろいろなものに対応していかなきゃいけないので、専門家も要るだろうし、地方をよく知っていらっしゃる方も要るだろうしということで、私自身は、それは、そういうことがあっても、政策論としてもおかしくはない、憲法論としても問題はない。
 ただ、民意とされると、特に投票された方は非常に不可解に思われるだろうな、その辺をどのように説得していけるのかと。説得ができなければ、これはおのずと、選挙制度も最終的には民意によるわけですから、駆逐されることになると思いますけれども、説得できるかどうかだなというふうに思っております。
藤島小委員 最後に、他党のことで恐縮なんですけれども、派閥と政党というのは、我が国にもあるし、よその国もあるんだろうと思うんです。その辺については、どういうふうにお考えになりますか。
高田参考人 派閥というのは、先ほどのマディソンの言葉ではありませんが、これは、ある程度大きければできざるを得ないということですね。ただ、それがどのような役割を果たして、どの程度の役割を果たすかということだと思うのです。
 ひょっとすると、これは派閥という言葉が既にネガティブな響きを持っていますので何なんですけれども、将来的に、政党がもっとオープンになっていく、あるいは緩やかになってきた場合、派閥というものが、これはかつてのような不透明な形ではないんですけれども、明確な形でちゃんと整備される、党内手続にもちゃんとある、あるいはそれが何をやっているかも、何かこそこそとよからぬことをたくらんでいるということではないような形でということですけれども、それが党内手続に乗って機能するということも僕はあり得るだろうというふうに思って、そのオプションは閉ざす必要はないんではないかというふうに考えております。
藤島小委員 済みません、もう一問だけ。
 党議拘束と議員の自由な活動、その関係を、最後に。
高田参考人 結論を申しますと、私は、党議拘束は原則として廃止されていくべきだと思います。簡単な理由は、つまり、選挙で民意が反映されるわけですけれども、そこで背景となったプログラムに従って、党議拘束に従って議会の中でそれを最大限やっていくということでは、もはや多分、議会内で社会の多様性を反映するようなコミュニケーションは不可能だと思います。
 重大なことに関しては、例えば総理大臣をだれだれにするとか、予算を通す通さないとか、結党の原則にかかわることについては党議拘束が要ると思いますけれども、そのほかに関しては緩和していただいて、むしろその都度その都度の多数派を、特に政権担当者は、場合によっては野党も含めて多数を獲得していくという努力をされるという形に将来的になっていく方がいいと私は思っております。
藤島小委員 ありがとうございました。
中山(正)小委員長代理 次に、春名君。
春名小委員 日本共産党の春名直章でございます。きょうは、大変示唆に富んだお話をありがとうございました。
 最初に、日本国憲法と政党の問題を考える場合の踏まえるべき基本認識というか、ちょっと大きな話で悪いんですけれども、それをもう一度お聞きしたいんです。
 といいますのは、日本の、特に九四年の制度なんかはドイツをモデルにするということになっているんですが、ただ、今お話がありましたように、ドイツの基本法と日本国憲法というのは、憲法価値が随分違うわけですね。闘う民主制、ドイツ基本法はそういうふうになっていますし、それから、ドイツは政党を国家機構の構成部分と構想しているわけですね。日本の場合は、人権規定、つまり結社の自由の中に黙示的に組み込まれているという、それは歴史の違いからきているということもあると思うんですけれども、そういう点での日本国憲法の違いというのが、政党を考える際に違うと思います。
 それから、日本の場合、欧米と違って、一番改革しなければならない問題の一つに政治腐敗という問題がありますけれども、議員個人あるいは派閥の政治、先ほど出ましたけれども、そういう利権政治に個人が走るというような問題なんかがあって、本来の政党制以前の問題であったりとかいうようなことがあるんじゃないかと思うんですね。
 そういう点で、日本国憲法と政党の問題を考える場合の日本らしい基本認識といいますか、そこがうんと大事かなと思いまして、その点をお聞かせいただけたらと思います。
高田参考人 御質問ありがとうございます。
 闘う民主制に関してでありますが、これは一九五〇年代、六〇年代、日本でも、日本は闘う民主制はとっていなくて、あくまでも結社の自由で行っているんだと。これはケルゼンのきれいな論文がありますけれども、もし民主制が沈むならば、そのマストにつかまって自分も沈んでいくんだ、闘う民主制はとらないんだということが非常に引用されたりという時代があったわけです。
 実際の運用を見ますと、ドイツの政党法制のあり方、出発点が、闘う民主制という、つまり、土俵の外枠を決めましょうという、出発点はそうだったんですけれども、次第に、五〇年代、ドラスチックな二つの憲法裁判所の違憲判決が出て以降は、その部分は非常に後ろに引いたというふうに私自身は思っています。土俵を築くためにどういうふうにしてそれを排除するかではなくて、むしろ土俵の中にどういう実体をつくっていこうかという形で議論がなされるようになった。
 とすると、多分、闘う民主制というものでドイツの政党法制をすべて、これは政党法をごらんいただくだけでは難しいんですけれども、判例も含めて見ると、ドイツの政党法制は、あれは闘う民主制だからということで説明するのはちょっと難しいような側面もあるかと思っています。ですから、かつてほどは、その差は縮まっていない。
 あと、人権規定であると。結社として考えられているということで、それはまさにそうで、日本の憲法学も通説はそうなわけですけれども、私なんかは比較的その通説に対して少数説的に今反旗を翻している側でございまして、政党を民主制の要員として位置づけていく必要はやはりあるのではないか。
 なぜかといいますと、これは極めて技術的な話なんですけれども、もし政党を結社というふうにしますと、結社の自由を享有する主体であると。とすると、国からの介入は拒絶されなくてはならない。つまり、ルールは介入ですから、基本的にあらゆるルールというのは、まず原則禁止になってしまう。とすると、何らかの政党に関するルールというものは、それを許容するか許容しないかという、比例原則なんかを使って議論するという話にしかならない。とすると、政党に関するあるべきポジティブなルールがなかなか議論できないということを私自身はある部分非常に不満に思っておりまして、もう少し違った側面が入れられないかなという形で今まで考えてきております。
 もちろん、結社であるということは非常に重要なのですけれども、その点で申しますと、国民主権とかいうことも含めて、私自身は、例えば政党の公開性などというものはそこから出てくるというふうなことを考えております。
春名小委員 ありがとうございました。
 九四年の政治改革が日本国憲法に照らして違憲的なものがあるんじゃないかということと、いいとこ取りになっているという御指摘がありましたが、その具体的な中身と、そのときにできました政党助成制度についてですけれども、先生の論文を読ませていただいて、ドラスチックな憲法裁判所の判決がドイツで出たという中身は、要するに、政党助成の割合が政党の政治資金のうち五〇%を超えてはならないという判決だと思うんですけれども、その意味合い。実は、日本の政党の場合は、政党助成制度ができてから、五割を超えている場合がほとんど多いわけなんですね。そういうこととの関係もありますので、その違憲判決の意味合い、そのあたりをお聞かせいただきたいと思います。
高田参考人 非常に専門的な御質問をどうもありがとうございます。
 まず、助成について私自身が考えておりますのは、助成を現職国会議員の所属する政党のみに限定する、あるいは二%という高い条件をつけるということからすると、非常に平等原則的に問題になってくるだろうというふうに思います。ちなみに、ドイツあたりは、上のハードルは助成に関しては〇・五%ですので、随分高いなということはあります。ましてや、現職国会議員だけというのは、これはちょっといかにもまずいだろうというふうに私自身は思っております。
 同じことはやはり法人格付与にも言えるわけで、それぐらい高いハードルを設けているのはいかがなものか。特に、それは平等原則も関係しますが、要するに、国民がたくさん数を集めて政党をつくる、それで政治資金を集める、でも、国会議員が一人もいなかったらそれは政党ではないんですというわけですね。これは結社の自由に反しませんかというのを私は考えております。
 今御指摘いただいたとおり、ドラスチックな判決というのは、まさに五〇%というあれですけれども、あの判決は、ドイツの小さな政党にとっては物すごく厳しい判決だったわけで、五〇%を上限とするわけだから、ある程度の政治資金を集めていなければ助成が得られないということで、小さい政党は困るわけなのですけれども、そういう判決が下ったわけです。
 あれの意味というのは、にもかかわらず、最初の御質問と関係あるかと思いますけれども、政党は出発点は結社だ、社会的存在なのだ、そこを強調したのだということで、先ほど日本とドイツが違うのではないかというお話だったんですけれども、政党は自由に形成されるというお話があるわけです。それはやはり結社制ですから。ドイツもそこから出発している以上、日本と同様のお話があるわけであります。
 あと、もう一つドラスチックというのは、あれは判決手法がすごかったのでして、五〇%というのを、何で五〇%なんだという議論はドイツでもあるんですけれども、それはさておきまして、それだけじゃなくて、かつて四年間の平均をとって、それ以上絶対額も超えてはいけませんとか、あなた方は今までとにかくむちゃをしてきたんだから、我々が上限を勝手に決めてしまいます、裁判官ですけれども決めますよ、そういう判決だったんですね。つまり、余りむちゃをしたので、むちゃをした場合は、立法者を待っていられないので私たちが示唆をしますという、そういう点で、すごくおもしろい判決でした。
春名小委員 最後に、政党に対する企業・団体献金の憲法的問題について、二つの角度から御見解をお願いしたいと思います。
 政党への企業・団体献金は、一方では企業も社会的存在ですので、企業献金も認められるという論もあります。ただ、日本の場合は、それによって利権政治が随分横行するという問題、現実に政治がゆがんでいるということだとか、それから、政党への献金は政治参加の一形態ではあるけれども、参政権は一人一人の国民にしかないわけですので、そういう意味でいって企業、団体には参政権が与えられていない、だから国民主権の原理から見てもどうか、そういう幾つかの角度から見ても、企業・団体献金は憲法に抵触するような問題をはらんでいるんじゃないかというふうに認識できるわけです。それが一つ。
 もう一つは、先ほどお話が出た民主制のルールということとの関係なんですけれども、この民主制のルールを政党としてきちっとやる上で、政治と金の問題にまつわるルールづくりが特に日本の場合一番大事じゃないかなというふうに思いまして、今日本のその点でのルールづくりというのはどんな状況で、どういう御認識かというあたりをお聞かせいただきたいと思います。
高田参考人 御質問ありがとうございます。
 企業・団体献金につきましては、委員御指摘のとおり、法人の人権論という非常に厄介な議論があるのですが、私自身は、一番端的な問題は、むしろおっしゃった、そういうわけでもないかもしれませんけれども、選挙権の形式的平等性という話だと思うんですね。つまり、一人一票なんだというお話なわけです。いろいろな平等があるわけですけれども、選挙に関しては一人は一票なんだと。一票の平等の形式性というのは、ある種の行為みたいな話なわけですね。
 そこからしますと、企業・団体献金、例えばドイツあたりでも議論されているし、ヨーロッパでも議論されているんですけれども、企業・団体献金、事実上企業をある程度自由になされる方がおられる、それは個人としても存在していらっしゃる。そういう方は、ある部分、企業人としてそして個人として二重に民主的過程に金銭でもって介入することができる。それに対して、個人の方は一重しかない。そういう平等原則に端的に反するのではないかという議論、これは非常に僕はわかりやすい。
 法人の人権論は、なかなか内延と外包がはっきりしないところがありまして難しいんですけれども、形式的平等から説明すると、この辺は割とすっきりと、それはいかぬぞという話にはなるんじゃないかなというふうに私は考えております。私は、この点につきましてはすっきりした立場をとっております。
 あと、民主制のルールにおきましてお金が非常に重要だ、これはまさにそのとおりでございまして、申し上げたとおり、九四年改正のとき、おいしいとこ取りというふうに申し上げた一つはそうでございまして、少なくともお金に関する規制、今おっしゃっていただいたような質的規制あるいは量的規制も含めてでしょうけれども、そこが非常にあいまいであった。
 もう一つは、ドイツと比較しますと、やはり透明性ですね。これは憲法原則としてドイツはありますから、相当透明じゃなければならないというお話があるわけですけれども、それが非常に問題である。法的に問題だし、運用においても問題である。
 例えば、運用でいうと、要するに、政治資金に関して我々が調べようと思えば、インターネットで相変わらず調べられないのは一体何かとか、そういうルールの問題と運用の問題も含めて、これは非常に問題であろう。これは、やはり透明性を高める方向でぜひとも御検討いただきたいというふうに考えております。
春名小委員 どうもありがとうございました。
中山(正)小委員長代理 次に、金子哲夫君。
金子(哲)小委員 社会民主党・市民連合の金子です。
 先ほどお話が出たことでちょっとお伺いしたいんですけれども、二大政党制の問題がいろいろ論議をされておりまして、小選挙区制の問題と、先生、今三つの極にという話もありましたけれども、小選挙区制をやっても、二大政党には日本はならないのではないかというお話……(高田参考人「そこまではわかりません」と呼ぶ)でもないですか。その辺のこと、どの辺までお考えでしょうか。
高田参考人 私自身は政治学者じゃないので、その辺は分析はできないのですが、これは法律家としての判断ですから、抽象的な判断なんですね。ですから、それをしたとしても、三つになることもあるかもしれないし、四つになることもある。実際、いろいろな国を見ていれば、小選挙区制をとっているから二つになっているとは限らないという比較法的なことも言えると思いますが。
金子(哲)小委員 先ほどもちょっと質問に出たこととダブるようですけれども、少し違う角度でお聞きしたいんです。
 党議拘束の問題が出まして、先生は、そういうのは最大の課題だけにというお話がありましたけれども、現在の選挙制度の中で、比例選挙というものが厳然として一定の割合であるということになりますと、有権者としてはある程度政党というもので投票している。その投票行為によって議員が当選しています。それが、実際の場では、その党の政策と違うような態度をとるというような問題が多数出てくると思うんですけれども、その点のギャップについて、どういうお考えでしょうか。
高田参考人 これは大変悩ましい問題でありますけれども、私自身はこのように考えています。
 民主制システムの中で、トータルで代表機能が機能することが大事であろう。党議拘束を強める。つまり、具体的に政党の公約がある、それがゆえに選ばれた。それがゆえに党に従いましょうということになると、ある部分、どんどん投票率も下がってしまう。あるいは、政治的コミュニケーションも縮減してしまう。議会内での議論も活発でなくなってしまう。結果として、トータルとして民主制のコミュニケーション過程はだんだん縮減していってしまうんだろう。
 確かに、選挙のときと考えを変えられた、あるいは、場合によっては政党と違う考えをとられた。しかし、全体を見ると、議会の中での議論を見ると、そのときの国民が議論をしてほしいことは議論されているし、なるほど、これは自分の意見だなと思う意見が、多数か少数か、これはずれている可能性はありますけれども、議会の中に発見できる。そちらの方が多分大事なんだろうというふうに私自身は思います。ですから、原則と例外、委員のお話からすると、原則は党議拘束だったんですけれども、むしろ原則、例外を入れかえていくことも念頭に置く必要があるのかなと私は最近は考えるようになってきております。
金子(哲)小委員 そのことと関連して、今先生のお話にもありましたように、政治の意識の多様化というか、そして要求の多様化ということが言われてくることになったわけです。
 そうしてまいりますと、最初に先生、政党はということで、民主主義にあって欠かすことのできないというお話がありましたけれども、ある種の政党の持つ役割といいますか、そのことと、今の国民意識の多様性とのかかわりといいますか、そういうことが、今後、今もちろん政党を前提にしながら論議をしているわけですけれども、そういうことがこの世紀の中でもっと変化を来してくるというふうに先生はお考えでしょうか。
高田参考人 随分変わってまいるのだろうと思います。私は、先ほどそもそも論、いわば神学の構造みたいな話で話を出発させたわけで、政党的なもの、つまり、何らかの政治組織とかいうものが、政治というものが未来永劫ある限り、なくなることは絶対にないと思います。
 しかし、政党のあり方というのは随分変わってきて、かつてのような、内延と外包のはっきりしたものとしては多分存在していかなくなる。いろいろな段階で、例えば、社会の中でコミュニケートする場合、あるいは選挙で活動する場合、議会の中で活動する場合、あるいは公職者として政府の中に入っていく場合、その中でそれぞれやはり少しずつずれが生じてきて、かつてのように、円柱のように、あらゆるレベルですとんと統一されているということはなくなってくるんだろう。
 しかも、そこでは、でこぼこが出てくると同時に、ほかとの敷居というものも随分低くなっていくということには、傾向としては多分ならざるを得ないのではないか。そうではないと、結果として、多様性を酌み取ることもできないし、政治的コミュニケーションを維持発展することもできないのではないかというふうに考えています。
金子(哲)小委員 そうしてまいりますと、今一番のある意味の政治的な課題というのは、私は、きょうも論議がありましたように、投票率の低さということだと思うんですね。五〇%を切る、補欠選挙だからということがあったにしても、三〇%台で、一体それを信任を受けたといって登場できるのかということも含めて、ましてや小選挙区制の場合に、あると思うんですね。
 そうしてまいりますと、今の多様化の問題と含めて、なかなか先生の学問と違うかもわかりませんけれども、多様化の問題と政党のあり方、そして、それに対応するだけの政党が必要なのかという問題が出てきて、それにこたえられるだけのものが出てくれば投票率が上がるのかという問題があると思いますけれども。
 同時に、私は、昨年イスラエルに行ったとき、これは首相公選制の問題で勉強に行ったんですけれども、あそこは比例代表選挙だけだということもあって、非常に少数の政党が登場してくる。そして政党数が非常にふえた。最終的には、実際に政治のある種のキャスチングボート、例えば首相の指名権をそのわずかの少数の政党が握っていくというような現象が一方で出てきているということがあって、イスラエルの方では、もっと政党の要件を厳しくして、足切りを厳しくしようという論議もあるというふうに聞いておりますけれども、本当に多様な状況に今あると思うんですね。
 なかなか難しいと思うんですけれども、根本的に、私は、投票率をどうやって上げるかということを、これは政治の側の信頼を回復するということも一つでしょうけれども、政党のありようとか選挙制度のありようとか、そういったことに対して、先生のお考えが、一方で多様化が強調され、同時に多党化になったときに、実際に主要な政治課題がなかなか決めづらくなるというような問題を、この前イスラエルではそういう話を聞いたわけですけれども、その辺を含めて、どのようにこの問題を考えたらいいかというようなことがもしあれば、お聞かせいただきたいと思います。
    〔中山(正)小委員長代理退席、小委員長着席〕
高田参考人 非常に難しい問題でございまして、どこの国も今非常に苦しんでいる現象であります、程度は違いますけれども。それは、最終的には政党政治、そう呼ぶかどうかは別にして、政治組織、政治団体が解決しなくてはならないんだろう。
 その際、申しましたように、原則は、それに即応せよということでは決してないんですけれども、ある種のスクリーニングをかけるというのは、やはり一つの重要な政党の機能ですから、即応ではないのですが、原則は、政党をある程度、そういった国民の多様性とか、そういうものを組織的にも内容的にも対応しなくてはならない。
 つまり、一つぽんと円のように政党があるのではなくて、円みたいな政党があったとしても、そこに小さな円をいろいろとひっつけるような形で、外側のものを組み込んでしまう。昔は党員証をしっかり持ってということだったんだけれども、かかわりがいろいろある。場合によっては、そういう人も選挙の候補者にしてもいいじゃないかとか、そういうことも多分あり得ると思うのです。例えば、政党とパブリックインタレストグループの連携とか、それが共通でリストを出してみるとか、そういうことも例えばドイツなんかではやろうとしたりということがございました。
 ですから、そういう形で政党自身が多様化に対応する方策をとるということが一つ重要ではないか、投票率そのものに関してはそこが中心になるのじゃないかというふうに思います。
金子(哲)小委員 ありがとうございました。
保岡小委員長 次に、松浪健四郎君。
松浪(健四郎)小委員 たくさんのことをお尋ねしたいので、演説を短くしますけれども、憲法第二十一条で結社の自由がうたわれておりますけれども、政党というものの存在がこれだけ大きいわけですから、この二十一条だけで十分なのかどうか、そのことについてまずお尋ねしたいと思います。
高田参考人 基本的に、私自身は、現行憲法のもとで解釈論者として活動する際は、それで十分であるように頑張って、国民主権とかいろいろなものを動員しながら、対応するように解釈論を展開して、とりあえず今のところは対応できている。
 改正論としていいますと、では、政党で規定をつくる、しかし、それに関して言うと、中途半端な規定をつくればそれは何のメリットもない、むしろデメリットも多いかもしれない。非常に緻密な規定を設けるということはもう一つの方策としてありますが、それはなかなか、憲法としては異例の、詳細な、法律のような条文をつくる必要がある。そういう対応しか多分ないだろうというふうに今考えております。
松浪(健四郎)小委員 しかし、議院内閣制でやっているわけですけれども、議院内閣制というのは政党政治であるのではないのか。となれば、憲法に政党についてきちんと明記する必要があるのではないのか。これは私自身、第六十八条では、総理大臣は国務大臣を任命する、そして、その過半数は国会議員の中から選ぶということであるがゆえに、そういう政党についての明記、これが必要でないのかというふうに考えるのですが。
高田参考人 いずれにしましても、政党内閣と一九二〇年代言われたわけですが、議院内閣制は政党制を前提とするというのは委員のおっしゃるとおりでございます。
 ただ、仮にそのことを目的として政党という規定を置いた場合、それが果たして運用においてどのような影響を生じるかということが問題でありまして、そのメリットとデメリット、つまり、一方においては、非常にわかりやすいし、国民に政党の意義がわかるというメリットがある反面、他方、場合によっては、既成政党に対して有利なルールというものを許容するといいますか、容認する根拠としても使われる可能性がある。そのメリット、デメリットを考慮していただいて、決断をしていただくというのが議論の筋だろうというふうに考えます。
松浪(健四郎)小委員 憲法四十二条では二院制について書かれてあるのですけれども、政党がもっと充実すれば、また、しているとすれば、これは衆議院だけの一院制の方がいいのではないのかという議論がございますけれども、これについてはいかがでしょうか。
高田参考人 私自身は一院制論者ではございません。一院制がいいというのは、基本的に憲法の統治の秩序構成として、民主制から考えられているわけですけれども、他方、統治の中に既に権力分立的な側面があるというふうに思われるのですけれども、二院制というのはまさに――権力分立というのはインターな、つまり、裁判所があって、国会があって、司法があってというわけですけれども、そうではなくて、イントラというか、つまり同じ機関の内部ですね。例えば与党と野党とか、あるいは両院の相違とか、それが反映されている側面もありますので、問題は、現在、二院制がそのように機能していないことが問題なのであって、両院の選挙制度か、あるいはそもそもの考え方を根本的に発想を変える、本当に地方代表にしてしまうとか、そういうことになれば、二院制というのはむしろ必要になってくる。世界の動きから見て、むしろそういう連邦制的な動きというのは非常に強まっているので、私はむしろ二院制論者であります。
松浪(健四郎)小委員 それでは、二院制を甘受するとして、衆議院と参議院の機能を明確に分けることができないか。現行ではおおむね似たような選挙制度でやっておるわけですけれども、例えば、参議院を職能代表にする、そういうふうな形で議員を選ぶ、またそういう機能を持たせるという考え方はいかがでしょうか。
高田参考人 職能代表論というのは二十世紀の初頭、ヨーロッパなんかで非常にあったわけですけれども、全く選出母体を民主制とは違う形にしてしまおう。つまり、後にコーポラティズムというような形で話がいきますところの考え方にのっとって、職業ごとに、むしろ利益団体ごとにということだと思うのですけれども。そもそも私は、それは民主制の原則から、まず国民主権という観点からしていかがなものか、ちょっとそれはそもそも国民主権と合わないのではないか。
 二つ目。機能論的に申しますと、職能が人々の生活なり利害を包括できるという前提があるわけですけれども、先ほど私が申し上げた時代認識からすると、職能によって人々を把握するということは非常に難しくなりつつあるので、二十世紀初頭では非常にアクチュアルであったと思うのですけれども、二十一世紀の初頭に職能代表というのはちょっと難しいというふうに私自身は考えております。
松浪(健四郎)小委員 最後にお尋ねしたいのですけれども、衆議院選挙制度の小選挙区比例代表並立制、これは憲法違反ではないのかという意見もありますけれども、先生の御見解をお尋ねしたいと思います。
高田参考人 一言で申しますと、憲法違反とは考えておりません。
 以上です。
松浪(健四郎)小委員 ありがとうございました。
保岡小委員長 次に、福井照君。
福井小委員 先生、御苦労さまでございます。
 自由民主党の福井照でございます。私の方から、部分対全体の対話ということでちょっと御質問をさせていただきたいと思います。
 私の身の上話を五分ぐらいさせていただいて、背景説明をさせていただいて、後でゆっくりまとめてお答えをしていただきたいと思いますので、ちょっとリラックスしていただきたいと思います。
 私の選挙区は高知県の高知市というところで、地方部でございますので、一見保守基盤かというと、そうではなくて、全く逆でございまして、三大都市圏とホモジーニアスか、あるいはそれ以上にもっと激しくリベラルでラディカルというところでございます。ほとんどの方が無党派、そういう認識でございます。
 私は元建設省なものですから、町づくりとか道路づくりとか、公園とか下水道をつくりましょうと言ったら、全否定をされまして、そんなものは悪であるということで本当に困りまして、それで、今から言うことを訴えたわけです。
 何を訴えたかといいますと、もう資本主義や共産主義の時代じゃない、これからは一人一人の人生こそ国家のビジョンにしなければならない、一人一人の人生が国家のビジョンである。そんな人生を社会全体で支援する、そんな社会に対する信頼も一人一人が持っている、そんな時代にしましょうということで、自由民権の国ですから、心の自由民権、資本主義から人生主義へというのをキャッチフレーズにしたんですね。それで、唯一の公約は、人生とは何か、幸せとは何かだけを考える政治家を百人つくります、それだけで通ったんです、それだけしか訴えていないのです。そういう潜在意識が二〇〇〇年六月二十五日には、少なくとも日本国民のあるところではあったというのが事実関係なんです。
 あわせて申し上げたのは、この時代の対立軸というのは、もう資本家対労働者でもなく、弱者対強者でもない。それぞれの時代時代、あるいは瞬間瞬間で強者になる場合もあるし、弱者になる場合もあるし、あるいはグローバルに経済は一体化しているんだから、今の時代の対立軸というのは、まさに部分対全体であるということをその二〇〇〇年六月の選挙のキャンペーンのときに私の方からも申し上げておりました。今、先生からそういうプレゼンテーションも含まれておりましたので、本当にびっくりしたんですけれども。
 全体とは一人一人の人生全体である、全人格である。一人一人の人生が全体であるというようなことで、まさに今おっしゃったように、職能が部分でもなければ、サラリーマン、イコール労働者でもないということを御理解いただいて、それで、民の声としては、とにかく変えてほしい、何かよくわからないけれども、とにかく変えてくれたらいいんだ、変えてちょうだいというのが民の声でございました。
 私が解釈したのは、今の民意というのは、全体というもののフェーズを変えるということを求めているんではないかというふうに私は思ったんですね。その全体というのは、今日の生活ではなくて、あした、あさってのビジョンである。そういう哲学あるいは価値観、価値軸、幸せとは何かということを全体というふうに、そういうフェーズでとらえてほしいと国民は潜在意識的には思っているというふうに本当に実感したんですね。
 そこで、先ほどから先生が何回もお答えになっているように、市議会の構成、県議会の構成、この国会の構成が全人格的なバランス、要はバランスですから、そのバランスのようなプロポーショナルにそれぞれの議会構成なり、議会の活動なり、政党の活動がなっているかというと、なっていないというのが多分国民的ないらいら感になっているということだと思うんです。
 瞬間的にもプロポーショナルになっていないし、もっと言えば、中長期というよりも長期的に、五十年、百年もつ日本の構造を、民主党政権になっても、自民党政権になっても、自由党政権になっても、何政権になっても、この国家の基本は百年間こうこうこういうことで、消費税何%で変えませんというようなことをまず決めてさえくれれば、後は一人一人が人生の計画を自分で立てますというふうなことを時間軸という意味では求めている、瞬間的にもバランス、プロポーショナルに反映するように求めているということだと思うんです。
 そこで、質問ですけれども、全体対部分の対話というのが今日本民族にビルトインされているのかどうかということについては非常に疑わしい。我々自民党の政策の中にそういうことが反映されているのかどうか、あるいはプレッシャーグループでそういうことが議論されているのかどうか。だけれども、そういう芽がありまして、医師会はお医者さんの生活だけを考えて陳情しているわけじゃありませんし、薬剤師会もその地域のマネジメントを目標関数にしていろいろな陳情をされているということで、芽はありますね。
 アメリカ社会でも新しい黄金律、今までの黄金律は、なんじの欲せざるところ人に施すことなかれという、なんじと人との関係、だけれども新しい黄金律は、自分が社会全体からリスペクトされたいように、あなたも社会にリスペクトを与えなさい、そういう社会全体と自分との関係を新しい黄金律で定めていきましょうみたいな動きもあるけれども、日本ではまだそういう動きがないということで、私がたった一回の選挙で感じた民意の解釈に対するコメントをいただきたいということ。
 一方では、政党や国民全体という十把一からげの感覚ではなくて、ちょっと文学的かもしれませんけれども、一人一人の憲法観というか、一人一人の価値観、価値軸というのをとにかく論理的にしなければいけないと思うんですね。
 本当にびっくりしたのは、選挙というのはここまで情緒的かと思うぐらい情緒一〇〇%でありまして、情緒一〇〇%という選挙がひょっとすると政治を情緒的にしているんではないかというふうな私の実感がありまして、政治全体を論理的にするには一人一人の論理を確立しなければならない。心の小作人みたいな、人が言うから自分もそう思わせられる、テレビで言っているから自分もそういう価値観を持つというような状況で今推移しているので、一方では一人一人の確立というのをどういうふうに育てていったらいいのか。
 いろいろな法律で、国民一人も賛成者がいなくても、国家としてやらなければならない、国家の論理を実現しなければならないというものはあることはあるんですけれども、そういうのは今、政治でもなく、国民でもなく、霞が関がやっているというような役割で、それは絶対に間違っているわけです。
 そういう意味で、国家の運営を論理的にするために、一人一人の方も国民の側もどういうふうにしたらいいのかということについて日々悩んでいるわけですけれども、ひとり言みたいなことについて、時間の限りコメントいただきたいと思います。
高田参考人 多分、部分と全体ということに関して話がつながるんだろうと思ってお話をするんですけれども。
 部分というものが、かつてのような、要するに固定的な部分ではないと思うんですよ。つまり、事柄事柄によって、もちろん、あることに関して部分はできて、それであるからこそ全体はある、そういう話なんですけれども。あることに関しては自分はこの部分に属するんだけれども、あることに関してはこの部分に属しているという、同じような議論が、実は民主制論の文脈でいいますと、ドイツとかヨーロッパでは水と油で政党が対立していましたというあの時代に、でも、アメリカもちょっと厳しい部分があったんだけれどもそうはならなかったという文脈で出てくるんですね。
 つまり、アメリカ人はあの時代は、組織論の話ですけれども、今の委員御指摘の問題は多分考え方の問題だと思うんですけれども、当時は、組織論として、アメリカ人というのはいろいろな組織に重複的に入る、それがゆえに、ある種クロスオーバーがあって、最終的にそれは水と油にならないんだみたいな議論があるんですね。それと形の上ではちょっと似たような話になっていて、かちっと、この人はこれという、そんな部分ではなくて、いろいろ考え方の中のクロスオーバーが出てくる。
 これはなかなかつかみにくい反面、政治論から見ても多分悪いことばかりでもないだろう、むしろいいことが多いだろう。つまり、それは考え方のクロスオーバーがあるわけですから、従来だと全く違うと思われた人の間に、実は共通の交流点、あるいは場合によっては基盤があるんだということで、日本社会の中で政治を見る、あるいは法を見るということについての共通の基盤ができてきたあかしというふうに考えてもいいのかなというふうに思いますので、その辺は、ある部分は社会が成熟したというところのあらわれではないか。
 となってきますと、選挙がパーソナル化する、情緒化するというふうにおっしゃってくださったんですけれども、その辺も、傾向としては出てこざるを得ない。しかし、その際重要なのは、情緒化した場合、これは委員の皆さん方も日々お悩みと思いますけれども、本当に自分はマスコミの中のパフォーマンスを続けていればそれでいいのかということを多分悩まれると思うんです。
 人を見るということの人というのは、そこで特定の事柄について何らかの反応をされる、あるいは一つの判断をされる、その結論を見ているんじゃなくて、どのようにこの人は判断するんだろう、どのように考えているんだろうと、このごろの有権者はそこまで見るんだと思うんですね。それをずっと見据えていって、私はこういう人間なんだ、あるいは私たちの政党はこういう人たちが多くいるんだということを見せていく。
 ですから、選挙のパーソナル化というのを、パフォーマンスではなくて、人格を見せるというわけじゃないんですけれども、なぜこのように決めてどのように私は悩みましたということまで見せていかないと、本当に先ほどの御議論の投票率は上がっていかないし、逆にそれを見せることができれば、ある部分、選択は新しく意義が出てくるだろうというふうに私は思います。
 うまく接合する話になったかどうかわかりませんが、以上でございます。
保岡小委員長 次に、仙谷由人君。
仙谷小委員 仙谷でございます。
 きょうの高田先生のお話、なかなか斬新な切り口で、興味津々で聞いておりましたのですが、質問の仕方が大変難しいなと思いながら聞いておりました。一つは、第三段階における民主制のもとで、政党が憲法社会学的にどういうふうに分析をし、どういう機能を果たせばいいのかという問題意識でお考えになっているんだろうな、こういうふうに考えながら聞いておったんです。
 さて、通俗的な日本国憲法の理解あるいはその運用との関係でいきまして、私は、日本の今の政治あるいは行政にあらわれている制度疲労とも言われ、閉塞状況とも言われている問題の相当大きい一つの問題は、やはり憲法上の規定なり構成の仕方に関係があるんだろう。
 それは、さっき松浪議員がおっしゃられた問題意識とも多少関係があって、議院内閣制のもとでの議会の役割として、政治権力をつくる、つまり、日本国憲法で言えば内閣でありますけれども、その政治権力をつくるということの意味が余り憲法上はっきりしていない。政治権力をつくる、もっと言えば、政治権力のレジティマシーの問題だと思うのでありますが、その正統性はあくまでも国会にあって、国会における代表は、国民から選ばれた国民代表であるというところに正統性があるんだ、だから政治権力というふうな絶大な権力を担うことができるんだと。
 こういうことの意味が、先生も本にお書きになっておりますように、行政国家化、それから、ますます肥大化する行政とでもいいましょうか、あるいは強力に肥大化する、強力にというのは国民生活に対して強力にという意味でありますが、それとの関係で、政治が単なる行政の担い手である、あるいは内閣は行政の担い手であるというふうな理解しかされていないところに問題があるんじゃないか。
 先ほどの話にもう一遍返りますと、議会が政治権力をつくるわけでありますが、その政治権力をつくる実体的な担い手は、これは政治グループというか政党というか、いずれにしましても、パーツといえばパーツでありますし、そのパーツが寄り集まったのか、あるいは一つのパーツが過半数を超えているのかともかくとしまして、そういう集団が政治権力をつくっていくんだということの意味、これを憲法上明確にした方がいいんではないか。
 つまり、なぜ六十五条以下に、先ほど松浪議員がおっしゃった、国会議員の中から国会の議決で内閣総理大臣を指名するという、何か手続的な規定のようなのがぽこっと、一番大事なところが入っておって、その二条前に、「行政権は、内閣に属する。」これを、内閣は行政権を行使すること以外のことはほとんどやる必要はないんだみたいに読んでいる人もいらっしゃるわけでありますけれども、そういう、政治権力をつくることの意味と政党ということをきちっと書いた方がいいんではないかというふうに考えておるんですが、先生の政党論からいって、まずその問題についてはどういうふうにお考えになりますか。
高田参考人 御質問ありがとうございました。
 まさに、政党は多段階から成りますけれども、そして、委員おっしゃったとおりに、議会の中で最終的に権力をつくっていく、場合によってはその権力を担っていくというのは、重要な、あるいは究極の目標なのだろうというふうに思います。多段階の一番の上層にそれが来るのだということになるわけです。それはまさに、おっしゃるそのとおりで、そのようなものとして政党もとらえ、そのようなものとして解釈もされるべきであって、委員おっしゃった六十五条解釈等もそれはやはり反映されなければならない。あるいは、「国務を総理」という、そういう文言もそのように解釈されなければならない。これはまさにおっしゃるとおりであります。
 ただ、それを、では今度は、各段階、各段階で政党が集まり、結社として、世論の中の一員である段階、選挙に登場する段階、あるいは議会にいる段階、そして政府を担う段階それぞれについて、すべてにかなうような形で政党の規定をつくれるかというと、実はこれはなかなか難しい。むしろ、かえってそれは法律レベルでやった方が本当に実行できるかもしれないというふうには思うわけですね。
 だけれども、従来から、解釈論上では、本来の筋からいえば、その点はもっと強調されてしかるべきであった。でも、憲法学の構成は、あくまで政党は結社でという話しかしてこなかったわけであって、私自身も、基本的には、憲法に入れるかどうかは別にして、解釈論のレベルでいうと、要するに、国民主権と端的につながったものとして政党を読むというのは、そういう問題意識もございます。ただ、それを条文にした方がいい、具体的にそれは条文として、どうすればそれが可能なのかというのはちょっと悩ましいところです。
仙谷小委員 もう一問ぐらいしか聞けないと思いますが、これは悩ましいお答えになられるかもわかりませんが、先生のお書きになったもの、あるいはきょうのお話でも、議会の役目、政党の役目でもあるということになろうと思いますが、として、政治的課題の争点化機能というのが大事なんだ、こういうふうにおっしゃっています。
 ところが、我々も、できる限りそういう争点化をするんだ、特に野党の場合でありますから、争点をつくって国民に提示をして、我々の方が正しい、あるいは、我々の方に支持をいただきたいということをやるのが野党の役目だと思ってやろうとするのでありますが、大変な問題は、これは今の与党の方々も多分悩んでいらっしゃると思うんですが、メディア政治とか劇場政治とか言われる状況が生まれてきておるわけであります。
 これは、情報化社会の特有の現象でもなくて、ヒトラーもああいうふうにラジオをうまく使って支持を急激に集めたという歴史はあるわけでありますが、現在、国会で確かな議論が行われていても、全く報道されない。一番大事な争点もメディアが報道しないこともある。
 あるいは、現時点で、特にテレビというメディアを見ておりますと、国会がそれに多少引っ張られているところもあるかもわかりませんけれども、ワイドショーというレベルの番組があって、別に高い低いを言っているわけじゃありません、ワイドショーという枠組みがあって、ここで膨大なニュース量がテレビという画面を通じて、我々が働いているときに働いていない方々に流されているわけですね。ここで相当程度の世論形成が行われているんじゃないかというふうな気もしないわけではない。
 この点を先生は、さっきの争点化の問題とメディアとの関係というのは、どういうふうにお考えになりますか。
高田参考人 御質問ありがとうございます。
 本質的な問題で、実は私自身も非常に悩ましくて、なかなか今までそれを書き切れていない難しい問題です。
 私が争点化とか政治的コミュニケーションを考えた場合、一つは時間の観念が入っておりまして、それはもちろん四年後再選されるわけですから、そこに向けてということもあるんですけれども、議会は、ある種の柔軟性というのは、それだけではない、もう少し先の話も抱え込めるような、やはりヘテロジーニアスなだけに、そういう二枚腰のような組織だろうと。つまり、遠い将来の争点までも抱え込める、それはひょっとすると内閣よりは向いているのかなというふうに思ったりもするのですが、それをやはりしないと、逆に、その争点化機能は行政が担います、お役人が日本の将来、二十年後、三十年後を考えるんですという話になってしまうんです。それは非常に困るということで争点化機能を言うわけです。
 しかし、具体的な争点化というのはメディアによって、つまり政治的コミュニケーションを消費財として提供するところによってやられる、それにどう対処しなくてはならないのか。それは、規制によってということはできないのであって、それに対抗しようとすると、従来にはない形で争点化を、細々とでもいいですから一般の有権者、市民とどうコミュニケートしていくかという新しいコミュニケーションの手段ですね。
 僕は、インターネット万能論というのは余り信用していないんですけれども、インターネットも随分ひどいコミュニケーションがされているので、あれはプラスのメディアとも思っていませんが、プラスもマイナスもあるんだろうと思いますけれども、さまざまな回路というものをふやしていって、消費財として政治的コミュニケーションを消費してしまう、そういう回路をやはり相対化する努力というのを、つまりそれを閉じるのではなくて、違う回路をどう開いていくかということを一生懸命考えなきゃいけない。
 僕自身は、これについて悩ましい、おっしゃるとおりで、ちゃんとした回答は持っておりません。それは申しわけないというふうに申し上げるほかございません。
仙谷小委員 いやいや、どうもありがとうございました。
保岡小委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 高田参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。小委員会を代表して、心から御礼申し上げます。(拍手)
    ―――――――――――――
保岡小委員長 これより、本日の参考人質疑を踏まえて、小委員間の自由討議を行いたいと存じます。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたしたいと存じます。
 小委員の発言時間の経過についてのお知らせでございますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。
 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをこのようにお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようにお願いいたします。
 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。
奥野小委員 自由民主党の奥野誠亮でございます。
 今までの論議を見ながら、私なりに考えていることをちょっとここでお話をさせていただくことが何かの参考にもなるんじゃないかな、こう思いついて申し上げるわけでございますので、至らないところはお許しをいただきたいと思います。
 私は、明治憲法は、当時、脱亜入欧、アジアから離れてヨーロッパの文化を吸収する、それに直進していったんじゃないかなと思います。大変簡明にできているものですから、運用において大変いろいろと工夫できたんじゃないかなと思います。
 今の憲法は、アメリカの日本管理方針に基づいて、それに合うようにつくられたものだと思っております。それだけに、私たちは、この憲法に基づいてどうこうするということよりも、これからの日本はどうあるべきかということから議論をしていった方が正確になるんじゃないかなと思っております。
 私の体験の中で思いつきますことは、私が国会に出まして間もなく、日本の安全を守るためには自衛隊と日米相互安全保障条約だということを言いましたら、先輩の国会議員からたしなめられました、そんなことを言ったら大変なことになるよと。日米相互安全保障条約で日本の安全を守っていくんだ、こういうことでございましたけれども、間もなくアメリカの方で、自分の国の安全を自分で守っていくという気概を持たない国にアメリカは援助をするわけにはいかない、こんな話になりまして、日本も自衛隊と日米相互安全保障条約、この二つで安全を守っていくんだということになり、やがてそれでは済まなくなって、日本の安全は自衛隊で守っていくんだ、足りないところは日米相互安全保障条約で補っていくんだ、こういうようになって今日に至っているわけでございます。
 そういういろいろなことを考えてまいりますと、私は、憲法というものはなるたけ簡明にしておいた方がいいんじゃないかな。社会情勢なり日本の国際社会にあるありようなり、あるいは世界そのものもどんどん変わっていくわけでございますから、弾力的にしておいた方がいいんじゃないかな、こんな思いがしております。
 きょうは、政党とか政治のあり方などが議論になっておったわけでございますけれども、その中で私が思いましたことは、日本の政治改革、そのためにはやはり、金のかかる選挙から金のかからない選挙にしていく、そのためには政策本位の選挙制度にしていく必要があるということから今のような選挙制度が生まれてきたと思います。小選挙区中心でいけばいいんだけれども、それでははみ出す方々もいろいろあるし、少数意見の代表者を国会に送れないということもあるわけだから、そこに比例代表を加えるんだということになって、今の選挙制度ができてきたように思います。
 しかし、政党が目まぐるしく変わっていきました。その過程で、政党を選ぶ、それが選挙ということにするには国民はわからないんじゃないだろうか。また、政党を選んでも、政党そのものがいろいろ変わっていくじゃないか、やはり個人を選ぶべきだ、その人がどの政党に属するかという背景を考えながら選挙すべきだ、私はこういうように思うようになったわけでございます。
 しかし、先ほど党議拘束をどう考えるかということに対しまして、講師の方では、まず個人の考え方を尊重すべきだということを言っておられましたが、それでは政党本位の選挙制度が泣いてしまうと思うのであります。政党というものは政策を実現するために集まっておるわけでございますから、基本的にはやはり政党本位で行動すべきである。しかし、あくまでも個人の自由にゆだねるべきであるということで、この前、臓器移植の問題のときには党議拘束を外して採決をしたことを覚えておるわけでございまして、政党である以上は党議拘束が原則じゃないかな、例外的に個人本位で決定権を行使してもいいじゃないかなということになると思うのであります。
 もう時間が来たようでございますから、この辺でやめておきますが、そういうことを頭に置きながら我々は考えていきたいな、こう思います。
春名小委員 きょうの参考人のお話を聞いて感じたことを一点だけ申し上げたいと思います。
 国民主権と民主主義の原則を発露する、そして民主制にとって政党の持っている重みといいますか、その存在意義が非常に大きいものである。それだけに私自身も政党人としてみずからも律しながら努力をするということが本当に大事だ、問われているというふうに感じたわけです。
 その点で、きょうのお話の中で、九四年に一連行われてきた日本の政治改革が、初めて政党の問題なんかに、政党助成法などで法律としてはできていったわけですけれども、それが今は吟味することが非常に問われているということを感じました。日本国憲法の中で違憲状態のものがあるんじゃないかという指摘もありました。それらをしっかり踏まえなければならないと思います。とりわけ、政治と金にまつわる問題ということについて、ここをやはり政党の憲法的検討として取り組むべきものだ、真っ先に取り組まなきゃいけないということを感じるわけです。
 最近の判決でも、企業献金がわいろであるというふうに認定された鈴木宗男氏の、あの被告の事件など見るまでもなく、九四年からもう七年、八年とたってきましたけれども、残念ながら、そういう金にまつわっての利権構造というのは今も続いていますし、そのことは国民主権を脅かすものにもなっているというふうに思います。
 同時に、政党助成法というのができましたが、それも、ドイツの制度を導入したんですが、いいとこ取りというふうに言われましたけれども、そういう傾向があったために、今日では、企業の献金ももらいつつ、政党助成金ももらいつつ、その占める割合が五割以上を超える。それが当のドイツでは違憲状態という判決が下される、こういう事態にもなっていますので、こういう点でも、吟味が今本当に必要になっているということを実感させられるわけです。
 そういう点を、憲法との関係での政党のありようについて、ぜひ憲法調査会として、きょうの話を機会に大いに深めていく、調査することが大切になっているなということを感じた次第です。
保岡小委員長 他に御発言ございますか。
仙谷小委員 仙谷です。
 先ほどの質問の続きでもあるんですが、結局、議院内閣制のもとにおける政党政治というのは、今小泉内閣という非常に天才的な宰相の出現によって問題が明らかになってきつつあるわけであります。
 例の、与党と内閣の、つまり、政治権力として本来一体であるべきところの一体化、一元化、あるいは、従来の、ともすれば行政は霞が関、内閣も霞が関の親分の、トップの集まりというふうな理解。そして、与党と内閣が二元的であっても、むしろそれはいいんだ、党高官低だったですか、党の方が優位にあって、内閣が何と言おうと党の政策を押し込んでいけばいいんだという幸せな時代が続いているうちは、それほどこの日本的議院内閣制の矛盾が出てきていなかったんだろうと思います。
 今はそこが逆転して、経済政策なんか見て、先ほどから問題になっている、党議拘束をかけないで、新聞紙上とか平場の議論を聞いている限りでは、これはもう完全に不信任案が通るのと同じぐらいの比率で、小泉内閣の今の経済政策は多分与党からは否定されるはずであります。つまり、ねじれ現象が内閣と与党の中で発生しているということは、これはいい、悪いの話じゃなくて、私は、政治学的な分析対象としては、非常に興味津々の問題になっております。
 実は、ここは、日本における選挙における公約、選挙綱領というふうなものが明確につくられずに、公約というのは割と人気取りのための公約、これは与党、野党問いません。つまり、実現可能性がないことでも平気で公約に掲げて選挙をしてきて、勝ったら、やる気持ちはないわけじゃないんだけれども、まあ半分ぐらいは無理だよなとか、そういうことでなされてきた選挙と政治と政党と政治権力の関係というのが、やはりこの辺はもう少し、先ほどの議論でいうと、どこまでコミュニケーションできるのかわかりませんけれども、国民の方々と一緒に考えていかなければならない問題だ。
 国民の方は、しょせん、政治とか選挙というのはそんなものだ、うそばかり言っているんだと。小泉さんも、羊頭狗肉みたいに、大きい声で言っているけれども、何を言っているのかわからぬけれども、まあそれが政治だみたいな話になってきますと、これはいよいよ政治あるいは政党に対する不信感がきわまってくるのではないかというふうに、最近危機感を持っております。
 教科書どおりにはこの議院内閣制というのはうまく進まないだろうと思いますけれども、にもかかわらず議院内閣制が、私は、先ほどから出ておりますように、イスラエルの首相公選制の話を聞いてまいりまして、やはり議院内閣制しかないな、そういうふうに感じておるところでありまして、その先ほどから申し上げている議論を詰めなければならないと思ったところでございます。
奥野小委員 今の議論を聞きながら、私も参考までに申し上げておきたいな、こう思います。
 小泉さんが総理大臣になられましたときに、私は、首相公選制は少し言わない方がいいんじゃありませんかねと申し上げました。なぜ私はそういうことを申し上げたかといいますと、今は、国会が内閣総理大臣を指名する、国民が議員を選んでその議員が総理大臣を決めるわけであります。それを国民自身が決めるんだということを街頭演説でやっていけば、やんやの拍手を受けると思うのですよ。しかし、国会の議員の権限を奪うわけですから、国会でそんなことを言いますと大変不愉快な感じを与えてしまうことになるのです。
 私はそういう意味で御注意を申し上げたわけでありますけれども、今、私は、議院内閣制ということはわかっておられるのじゃないかなと思います。議院内閣制ということを十分に理解しないから、僕に抵抗する自民党なら自民党をつぶすというような大胆な言葉が本会議で吐けたんじゃないかなと思います。
 しかし、我々が政党の中で党首を選ぶ。党首を選ぶときには、やはり時代の変化とともに、いろいろな考え方をしていかなきゃならない。
 私が自民党の総裁選挙で皆さんに申し上げたわけでございましたが、自民党の所属の国会議員の選ぶ力と同等の力を党員、党友に与えるべきだということを言うたことを覚えております。やはり、党員、党友が、みずから総裁選びに参画しているんだという自覚を持ってもらって党を支えてもらいたいし、意見も言ってもらいたい、こう思ったわけでございました。同等の力は、派閥の考え方もあったりして、認められませんでしたが、かなり大きな力を党員、党友に与えた、それが、私は、小泉総裁が出現する力にもなったんじゃないかなと思います。
 ですから、憲法の問題、議院内閣制そのものの問題のほかに、政党の内部のあり方というものが今日大変重要な時期を迎えているんじゃないかな、私は、こう思っております。
 全くの感想で申しわけありませんが、別に、仙谷さんに盾突いているわけじゃありません。同じ趣旨の話です。
保岡小委員長 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。
 本日は、これにて散会いたします。
    午後四時三十八分散会


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