衆議院

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第1号 平成14年2月28日(木曜日)

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本小委員会は平成十四年二月七日(木曜日)憲法調査会において、設置することに決した。
二月七日
 本小委員は会長の指名で、次のとおり選任された。
      石川 要三君    高村 正彦君
      近藤 基彦君    土屋 品子君
      中川 昭一君    葉梨 信行君
      平井 卓也君    首藤 信彦君
      中川 正春君    中村 哲治君
      山田 敏雅君    赤松 正雄君
      藤島 正之君    山口 富男君
      金子 哲夫君    井上 喜一君
二月七日
 中川昭一君が会長の指名で、小委員長に選任された。
平成十四年二月二十八日(木曜日)
    午前九時四分開議
 出席小委員
   小委員長 中川 昭一君
      高村 正彦君    近藤 基彦君
      土屋 品子君    葉梨 信行君
      平井 卓也君    首藤 信彦君
      中川 正春君    三井 辨雄君
      山田 敏雅君    赤松 正雄君
      藤島 正之君    山口 富男君
      大島 令子君    西川太一郎君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   憲法調査会会長代理    中野 寛成君
   参考人
   (名古屋大学大学院法学研
   究科教授)        松井 芳郎君
   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
    ―――――――――――――
二月二十八日
 小委員中村哲治君、金子哲夫君及び井上喜一君同日委員辞任につき、その補欠として三井辨雄君、大島令子君及び西川太一郎君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員三井辨雄君、大島令子君及び西川太一郎君同日委員辞任につき、その補欠として中村哲治君、金子哲夫君及び井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 国際社会における日本のあり方に関する件


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     ――――◇―――――
中川小委員長 これより会議を開きます。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 先般、小委員長に選任されました中川昭一でございます。
 小委員の皆様の御協力をいただきまして、公正円満な運営に努めてまいりたいと存じますので、何とぞよろしくお願いいたします。
 国際社会における日本のあり方に関する件について調査を進めます。
 本日、参考人として名古屋大学大学院法学研究科教授松井芳郎君に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
 次に、議事の順序につきまして申し上げます。
 最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。
 それでは、松井参考人、お願いいたします。
松井参考人 名古屋大学の松井でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 国際社会における日本のあり方、特にPKO、PKFを中心とした国際協力のあり方というテーマをいただきました。ただ、私、専攻は国際法でございまして、日本の外交政策について専門的な研究をしているわけではございません。そういうわけですので、特に国連憲章なり国際法の一般的な枠組みの中でのPKOの位置づけ、そしてそれとの日本のかかわり、そのあたりに絞って話をさせていただきたいというふうに思っております。
 レジュメを差し上げておりますが、実はこのレジュメをつくりました後で、事務局がつくられたこの「国連平和維持活動について」という資料をいただきました。これを見ますと、かなりのことが説明してございます。どうも私の話すことが余りないのではないかという気がしてきたわけでありますが、時間も限られておりますので、特に事実関係等についてこの資料に説明されていることはそちらに譲るということで、レジュメでいえば後半の部分を中心にお話をさせていただきたいと思います。
 この資料にも、平和維持活動の定義が最初のところに載っておりますが、もう読み上げることはいたしませんけれども、この定義は、きょうのお話で申し上げます第一世代のPKO、大体冷戦期に始まって、冷戦終結まで、もちろん現在でもその形のものは行われておりますが、冷戦期に典型的であった平和維持活動、これに関する定義がこの資料に載っております。後で、第二世代で大きく変わるわけですが、そのお話は後ほどいたします。
 なぜ、こういう平和維持活動が誕生するに至ったかということでありますが、レジュメで項目だけ書きましたように、国連では、集団安全保障というシステムで平和を維持しようという制度をつくったわけであります。これは、国際連盟のときに初めて、それ以前の勢力均衡とか同盟政策に基づく平和維持のやり方が挫折した。これを受けてつくられた制度でありまして、加盟国は武力に訴えないことを約束する、そして、その約束を破って武力に訴えた国については、加盟国が協力をしてこれに対処するという制度であります。
 この点で、国連憲章は連盟規約から格段に強化をされまして、安保理事会が平和への脅威とか平和の破壊を集権的に認定する。そして、それに対して強制措置の発動を決定できるというシステムを採用いたしました。しかも、強制措置の内容についても、連盟期には経済制裁が中心でしたが、国連憲章の場合は、制度としては軍事的な強制措置もできるということは御存じのとおりであります。
 ところが、この国連の集団安全保障、非常に強力になったわけですが、それが同時に弱点になったということも御承知のとおりでありまして、安保理事会に集権化されているということは、拒否権の結果、安保理事会が動かなければ集団安全保障が適用できないということになります。したがって、冷戦期にこの集団安全保障の強制措置が適用されたのは、朝鮮戦争を数えるかどうかについては議論がありますが、それを別にすれば、わずか二件しかなかったということも御存じかと思います。
 平和維持活動というのは、こういう状況に対処するために、いわば苦肉の策として登場したものでありまして、二重の意味で冷戦の産物であると言うことができる。
 一つは、拒否権のために、安保理事会による侵略者の認定とか強制措置の発動ができませんので、したがって侵略者の認定は行わない。まず、とにかく何とか停戦を実現いたしまして、これを維持することによって平和的解決のきっかけをつくろうという考え方、政策が選択されたわけであります。
 それからもう一つは、冷戦期には、地域的な紛争に米ソなど両陣営の大国が介入する、そうすると、地域的な紛争が世界化するという危険がございました。したがって、あらかじめ国連がそこに介入することによって、米ソなどの介入の口実をなくすという、当時の事務総長のハマーショルドさんの言葉によりますと防止外交。防止外交という言葉は今ではもっと広い意味に使われておりますが、当時はそういう意味で使われた。この防止外交としての側面がございました。したがって、憲章規定はございませんし、特定の理論とか教義が背景にあるわけでもない。いわば、現実の必要性から生み出された経験上の産物だったと言うことができます。
 そこで、平和維持活動、PKOの憲章上の根拠でありますが、これについても、さまざまな議論が事務局の資料の二ページあたりに紹介されております。そこにもありますように、最も典型的な議論としては、これもハマーショルドさんが言い出しました六章半という説がありました。憲章第六章の平和的解決の規定と第七章の強制措置の中間にあるから六章半だというわけでありますが、これはもちろん例えでありまして、具体的な憲章規定がないということがむしろここに表現されているというふうに言えます。
 そういうわけで、発足の当時は、実は、ソ連とかフランスとか、これは憲章に違反するのではないかという意見がかなり根強くございました。その結果、平和維持活動に関する分担金が払われないというふうな事態が起きまして、これをどう考えるかということが、国際司法裁判所の意見が求められました。
 六二年に、国際連合のある種の経費という題の勧告的意見が出されておりますが、ここでは、平和維持活動というのは、国連憲章の平和維持という全体的な目的の範囲内にあるということ、それから、関係当事国の同意を得た活動であるので強制措置ではないということ、それから、これは特にUNEFとONUC、これから平和維持活動は略語で言わせていただきますが、この略語の正式名称もすべてこの事務局の資料に載っておりますので、御参照いただきたいと思います。このONUC、UNEFという活動、いずれも関係決議が反対なしに採択された、このようなことを根拠にいたしまして、この二つの平和維持活動について、これは憲章に適合するものだという推定を下しているわけであります。
 その後、平和維持活動が繰り返される中で、次に申し上げるような幾つかの原則が出てまいりますが、この原則に従っている限りにおいては憲章に適合するという判断が加盟国の一般的なものになりました。現在では、平和維持活動それ自体が憲章違反だという声は、加盟国にも、学者の間にも一切ございません。
 そこで、どのような原則か。これも、憲章規定はもちろんないわけでありますし、特定の総会や安保理事会の決議があって原則を明記しているというわけでもない、国連の慣行の中から発展してきたものであります。したがって、論者によっていろいろの整理の仕方の違いがございまして、レジュメに書いております整理は、これは京都大学の名誉教授の香西茂先生の整理に沿ったものでございます。
 この整理によりますと、大きく分けて、非強制、中立性、そして国際性、この三つの原則があるということで、非強制の原則の中には、同意原則、それから武器の使用の制限。これは自己防衛の場合に限る、セルフディフェンスという言葉で、一般に自衛と訳されておりますが、国の自衛権とはかなり文脈を異にいたしますので、私は、自己防衛とでもちょっと区別をして訳した方がいいのではないかと思っておりますが、その自己防衛と、任務の遂行が武力で妨げられた場合に限るということで、みずから武器の使用のイニシアチブをとってはいけないということになっております。それから、受け入れ国の内政に干渉してはいけない。
 それから、中立性の原則としては、部隊派遣国から利害関係国や大国は原則として除く、もちろん例外はございますが、そういう考え方が第一世代のPKOではとられてまいりました。それから、紛争当事者に対する中立ということはもちろんであります。
 そして第三に、国際性の原則としては、国連による指揮統括、それから、部隊派遣国はできるだけ地理的に公平に配分をするということ、それから、費用は国連が負担する、そういう原則がございます。
 この中でも、特に重要な、いろいろな性格の原則がございまして、実際に活動を進める上でそういう原則に従う方が便宜であるというふうな原則もございますが、いわば国連憲章と国際法の基本原則からくる最も重要な原則が同意原則でございます。
 つまり、国連憲章上、国は主権を持っている、主権平等であるということになっておりまして、平和維持活動は強制措置ではありませんので、主権を持った国の同意なしには当該の地域に国連軍を派遣することはできない。つまり、同意原則というのは国際法と国連憲章の基本原則からくるものだということは、当時のハマーショルド事務総長の発言からも出てくるわけであります。
 したがいまして、同意が撤回されれば、途中でも撤退しなければならないということになっておりまして、これは、有名な事件がありまして、UNEFが派遣された際に、エジプトと国連の間で信義則の覚書という文書が交わされておりまして、国連軍の駐留に関して、エジプトが主権を行使する際には、これを誠実に行うということが約束されております。誠実に行うというのは、不一致がある場合にはお互いに調整をしようということであって、エジプトが主権を行使するのを否定したわけではありません。そこで、結局、一九六七年に、アラブ連合の要求に従ってUNEFは撤退せざるを得なくなる。この直後に中東戦争が始まるわけですから、もっと頑張っておれば戦争の勃発を防げたのではないかという批判が強かったわけですが、政治的には確かにそうであっても、法的には撤退せざるを得なかったというのが実際のところであります。
 さて、それでは、こういう第一世代のPKOをどういうふうに評価できるかということで、レジュメの二ページ目の一番上に簡単に書きましたが、これはそもそも集団安全保障とは全く考え方が違う。つまり、集団安全保障の場合は、白黒をはっきりさせまして、白を擁護するために黒をやっつけるというわけでありますが、PKOでは白黒をはっきりさせません。したがって、集団安全保障にかわるものではないわけでありますし、それから、平和維持活動、PKO自体が紛争の平和的解決の活動をやるわけでもありません。これは別の制度、例えば、事務総長の特別代表でありますとか安保理事会なり総会なり、あるいはそういった国連機関が主催した国際会議等で、別の形で行われます。
 平和維持活動の任務は、停戦の監視でありますとか、緩衝地帯の保護とか、部隊撤退の確保といった、極めて限られたものであります。しかし、この限定的な範囲内では、比較的よく役割を果たしたというふうに評価されておりまして、ここにも書きましたように、ノーベル平和賞を受けております。
 ただ、内戦に関与した場合には、第一世代といいますか、この時代の平和維持活動でも失敗した例がございまして、例えばコンゴ国連活動、ONUCでありますが、これは、内戦に巻き込まれて、一方の当事者を支持したという批判をかなり強く受けております。それから、キプロス国連平和維持活動、これは、六四年に始まって現在まで続いておりますが、一応、トルコ系とギリシャ系の住民の衝突を防いでいるという意味では役割を果たしているんですけれども、その内部的対立自体は一向に解決されないで、毎年延長決議をやっているというふうな事態があります。
 さて、これが冷戦期の平和維持活動の特徴でありますが、これが冷戦後、第二世代のPKOと現在呼ばれているものが登場するわけでありまして、それはどういう背景のもとに出てきて、どういう問題を持っているかということを次に見てみたいと思います。
 背景としては、何よりも、冷戦終結後に地域紛争が非常に多数発生するようになりました。しかも、その多くは、国家間紛争ではなくて、ここでブラヒミ報告の言葉を引用しておきましたが、イントラステートでトランスナショナルな紛争である、国内紛争ではあるけれども国境を越えた影響力を持っているんだ、こういう紛争であります。
 ことしの一月十五日現在で実施されているPKOは十五件ございます。このうち、五件は九〇年代以前から継続しているものでありますが、十件が新しく始まったものであります。この十件のうちで、国家間紛争にかかわって派遣されたものは二件だけでありまして、八件は国内紛争にかかわって派遣されている。
 ただし、注意しておかなければならないのは、国内紛争といいましても、少なくともその遠因には外部の国の介入がある。例えば、冷戦期における米ソ両大国の介入の後遺症が残っておるとか、冷戦後におきましては、近隣の諸国とか地域大国の介入がある、そのようなケースが少なくありませんので、この点には留意しておく必要があるかと思います。
 このようにして、地域紛争が多発いたしまして、平和維持活動派遣の必要性が増大するわけでありますが、それと同時に、冷戦終結後は安保理事会が比較的円滑に活動するようになった。常任理事国の一致が得られやすくなって、PKO派遣についてコンセンサスが得られやすくなったということも、もちろんPKO活発化の背景としてございます。
 ところで、地域紛争というのは幾つかの特徴を持っておりまして、レジュメでは国家構造崩壊型の紛争というふうに書いたわけでありますが、つまり、伝統的な内戦ならば、中央政府があって、これに取ってかわろうとする反乱側があって、これが対立しているという構図でありますが、そういう簡単な内戦ではないというのが大部分であります。中央政府や行政機構、司法機構などが崩壊してしまいまして、多数の当事者が入り乱れて争うというふうな状況が多くの場合生じております。
 もちろん、こういう状況では平和的解決自体が大変困難になりますし、それに伴って、しばしば重大な人権侵害、ルワンダ等ではジェノサイドに至るような人権侵害が行われる。それから、難民や国内避難民が大量に発生いたしまして人道的な危機が出現するというふうなことで、こういった難しい問題に平和維持活動が対処しなければならないようになったということであります。
 そこで、この特徴でありますが、レジュメでは量的な拡大と質的な拡大という二点を挙げておきました。
 量的な拡大、一つは件数の増大であります。一九八〇年代までに開始された活動は十八件ございますが、九〇年代以降に始まった活動は三十八件を数えております。それから、一つ当たりの活動の規模も拡大しておりまして、第一世代の場合、ONUCのように二万ほど行った場合もありますが、大体は数百単位でありましたが、第二世代だと、UNTACで二万弱、それから国連保護軍、ユーゴに送られたUNPROFORでは五万近い要員を送っているわけであります。
 それから、質的拡大ということでは、一般に、多機能型(マルチファンクショナル)とか多分野型(マルチディシプリナリー)というふうな形容がされておりまして、伝統的な停戦合意の監視とか軍隊の撤退の監視に加えて、動員解除や武装解除、それによって放棄された武器を回収するとか、旧戦闘員を市民社会に再統合するとか、地雷除去、難民や避難民の帰還の促進、人道援助の供与、警察の訓練や人権尊重の検証、それからさまざまな国内制度上の改革の支援というふうな、非常に広範な役割を担うようになる、それに伴って文民要員の必要性が大きく増大しているということが特徴であります。
 それでは、第二世代のこの平和維持活動が一体うまくいっているのかどうかというと、これはどうも功罪相半ばするようでありまして、さまざまな問題点が提起されております。
 一つは、もう時間がございませんので、具体的な中身には触れませんで、項目だけを申し上げますが、平和維持活動と強制措置が必ずしも十分に区別されなくなった。従来は全く違うものだと考えられていたのが区別されなくなりまして、同時に二つの活動が同じ地域で行われたり、まず強制措置が行われて平和維持活動がこれに取ってかわったり、あるいは平和維持活動、PKO自体が一定の強制権限を付与されるというふうな例が多く見られるようになりました。
 これとも関連いたしますが、第二に同意原則が緩んできております。幾つかの平和維持活動は必ずしも全当事者の同意を得られないままに送られるというふうなことがございまして、後ほどまた内容に触れますが、前事務総長のブトロス・ガリさんの「平和への課題」という文書では、平和維持活動の説明をいたしまして、これまではすべての関係当事者の同意を得て、ヒザートゥという言葉を使いまして、これまではということは、これからは同意を得ないこともあるよということをにおわせていたわけであります。
 それで、そのように、場合によっては強制権限まで付与されるということでありますので、部隊構成も変わってまいりました。従来のように中小国、中立的な国の部隊だけでは不足して、むしろ大国中心に変わってきております。当然のことながら、任務が広範になると内政問題へのかかわりが強化されてくる、場合によっては内政干渉のおそれがあるというふうな事態も生じます。それから、中立原則が危機に瀕することが少なくありません。停戦合意を一方の当事者が破るとか、それからルワンダの場合のように、ジェノサイドのような重大な人権侵害が行われるというところで中立原則を維持しようとすると、これは国際社会の重大な批判にさらされるわけであります。
 そこで現在、そういう経験を踏まえて、これからの活動をどうするかという議論が行われるようになっておりまして、失敗例、成功例は後で必要がありましたら、時間がありましたら補足をするといたしまして、レジュメの三ページの三のところに移らせていただきます。
 事務総長ブトロス・ガリさんの「平和への課題」、ここに書きましたように九二年に出されておりますが、これは、むしろ冷戦後の新しい状況を目の当たりにして、これから国連がこれにどういうふうに関与していくかということを、いわば将来の課題として検討するという側面が多うございました。一定の経験を踏まえて、若干の軌道修正をしたサプリメントが九五年に出ておりますが、この文書はそういう性格のものであります。これに対して、今回のブラヒミ報告というのは、むしろ十年間の経験を踏まえて、その失敗の例に学びながら将来のことを考えようという、いわば「平和への課題」が理念的であったのに比べて、かなり経験的な性格を持っている、このように位置づけられるかと思います。
 「平和への課題」の方でありますが、これは冷戦後のかなり高揚した雰囲気を反映いたしまして、国連の非常に積極的な役割を強調したものであります。予防外交と平和形成(ピースメーキング)は、大体、紛争の平和的解決といいますかそういったことを中心にする概念でありますが、それから平和維持(ピースキーピング)、紛争後の平和構築(ピースビルディング)、この三者を一体として把握するという立場に立つ。そして、軍事力を積極的に使っていこうということで、例えば四十三条の国連軍提供のための特別協定の交渉を始めようじゃないかということを提唱するとか、一定の強制権限を持った平和強制部隊を考えようというふうなことを提唱したわけであります。
 ところが、このブトロス・ガリさんの報告にはやはりさまざまな形で問題が提起されまして、特に総会などは軍事力を重視し過ぎているということで、もっと平和の維持と経済的、社会的発展あるいは人権と民主主義の擁護というふうなものを総体的につかまえなければいけないという主張が出てまいりまして、その結果、「発展への課題」という別個の報告が出されたりしております。
 それから、九五年のサプリメントでは、数年間の経験を踏まえまして一定の軌道修正をしております。例えば、平和維持活動の基本原則、当事者の同意とか公平性とか自己防衛の場合を除いては武力を使ってはいけないとか、そういう原則をやはりきっちり維持しなければいけないんだ、成功例と失敗例を見ていると、成功例ではこういう原則が維持されているし、失敗例では維持されなかったというふうなことを言っております。それから、平和維持活動と強制措置は全く違う技術なんだ、一本の連続線上につながっているものではないのであって、この区別を明確にしないと平和維持活動は成功しないし、また平和維持活動の要員が危険にさらされるというふうなことも言っているわけでありまして、一定の軌道修正をいたしました。
 さらに数年を経て、ですから十年ほどの第二世代の平和維持活動の経験を踏まえてブラヒミ報告が二〇〇〇年に出されるわけでありまして、非常に詳細な平和維持活動の改革のための多様な提言を行っております。技術的な提言については、もうきょうは時間もございませんし、省略をさせていただきたいと思います。私の理解した限りでの要点を申し上げます。
 なお、きょうの資料には最後の部分にブラヒミ報告の全文が収録されておりますし、勧告の部分の翻訳は事務局の方で翻訳されたものがついておりますので、これをごらんいただきたいと思います。
 まず第一の特徴は、やはりこれは「平和への課題」と共通いたしますが、予防外交と平和形成、平和維持、そして紛争後の平和構築、この三者を一体のものとしてつかまえなければいけないということを強調しております。ただし、おのおのの定義づけは「平和への課題」とはちょっと異なるようでありますが。そして、この三者を合わせて国連平和活動、ユナイテッドネーションズ・ピース・オペレーションズという言葉で総称するようになっております。これは、最近比較的よく使われるようになった表現でありまして、予防外交や平和構築についてもこの報告では幾つかの具体的な提言が行われております。
 今も申しましたように、この報告の一つの核心は、PKOを迅速かつ効果的に派遣できるように、具体的に申しますと、伝統的な第一世代型のPKOでは安保理事会の決定後三十日以内に、それから多機能型のPKOでは九十日以内に派遣するということを目的にいたしまして、部隊派遣国と国連の関係でありますとか、安保理事会の政策決定でありますとか、あるいは国連事務局内の事務的な体制等について多数の提言を行っているということであります。
 ただ、私の感想では、やはりここでもやや軍事力を重視する傾向が見られるということは否定できないようでありまして、例えば、こういうことを言っております。平和維持がその使命を達成するためには、国連が過去十年間に繰り返して経験したように、いかに多くの善意であっても、信頼するに足る武力を投入する基本的能力に取ってかわることはできないとか、国連は国内紛争あるいは越境紛争における平和維持または平和構築で一貫した成功をおさめようとすれば、妨害者に効果的に対処する準備がなければならないとか、そのようなことを言っておりまして、これには後に、これを実施するための事務総長の報告の中で若干の批判的な言葉が出てまいります。
 事務総長はこういうふうなことを言っております。武力行使に関するパネルの勧告は、武装した国連平和維持活動が関係当事者の同意を得て派遣された場合にだけ当てはまるものである、したがって、私はパネルの報告が国連を戦争遂行機関に変えたり、平和維持活動による武力の使用に関する諸原則を根本的に変えることを勧告するものとは解釈しないというふうに言っておりまして、この点ではこのブラヒミ報告には若干の問題が含まれているように思います。
 このブラヒミ報告は既に実施の段階に移されておりまして、これも内容を詳しくお話しすることはできませんが、実施のために事務総長が多数の報告を出しておりますし、総会や安保理事会では幾つかの決議が採択されており、事務局内の改革も進められているようであります。
 さて、もう時間が少なくなってまいりましたが、最後に、このような、とりわけ最近の動きに注目しながら日本の国際協力のあり方について考えてみるというのがきょうの結論部分であります。
 この点で、まず最初に確認しなければならないことというふうに書きましたが、この点で私が申し上げたいことは、一つは、国際協力を平和維持の分野に限定して狭くとらえてはならないということでありまして、繰り返して申してきましたように、平和とか経済的、社会的な発展とか人権と民主主義、そういったものが不可分の相互関係にあるのだということは国連では繰り返して確認されてまいりました。平和維持の分野に限っても、「平和への課題」にしてもブラヒミ報告にしても、予防外交から始まって平和維持、そして紛争後の平和構築、これを一貫した過程として把握しなければいけないということを強調しております。
 実は、これは多少余談でありますが、このような平和の分野だけではなくて、去年から大変話題になりましたテロ対策についても、昨年の十一月十二日に採択された安保理事会決議の一三七七というものが、テロリズムと闘うためのグローバルな努力に関する宣言という宣言を採択しておりますが、この宣言の中でも、やはりテロについてはその根本原因を除去するような広範な努力が必要だということを強調しているわけでありまして、この点を確認することがまず第一の出発点になるだろうということであります。
 それからもう一つ、これは日本の議論でよく忘れられがちになるわけなんですが、どうも国連というのはどこか我々とは別のところにあって、国連はこういうふうに動く、こういうことを決めた、だからそれに対して日本はどういう協力をするかしないかという議論が行われがちなのですが、国連の政策というのは加盟国の意思によって決まる。国連をつくっているのは加盟国でありまして、意思決定過程で投票するのは、国の代表が投票するわけであります。もちろん事務局も影響力を持っておりますが、基本的には国連の政策決定は加盟国によって行われる。したがって、日本自身としてどのような国際協力が必要であり、望ましいのか、そういう国際協力像を日本自身で自主的に構築をして、これを実現するように国連に働きかけるという側面、この側面を忘れてはいけないだろうというふうに考えております。
 そして、こういう日本独自の国際協力像を構築する際に出発点になるのは日本国憲法だろうというふうに考えておりまして、御存じのように、日本国憲法は、平和主義、そして国際協調主義、それに、この点は余り注目されませんが、主権平等ということも前文で強調されております。これはこれまでの国連の国際協力の理念と見事に一致するわけでありますから、こういった立場に立って日本独自の国際協力像を展開すれば、これは国際社会に非常に大きな貢献になり、かつ影響力を発揮することができるだろうというふうに考えております。
 そこで、最後に、ブラヒミ報告に言う広い意味での国連平和活動、これに日本がどういう協力ができるかということを、そのブラヒミ報告の三つの柱に分けて、これは最初にもお断りいたしましたように、私の専門をやや離れますので、全く印象でございますが、考えつく限りで挙げてみました。
 まず、予防外交と平和形成でありますが、これは非常に広範な協力が可能であり、かつ必要な分野であります。特に、予防外交の重要性は近年非常に強調されるようになっておりまして、事務総長は毎年国連の年次活動報告を出しておりますが、九九年の年次活動報告では、アナン事務総長は専らこの予防外交を中心に置いた議論を展開しております。
 予防外交がいかに重要かということを、ちょっとお金の話になって余り理念が高くないんですが、例を申し上げますと、ルワンダではUNAMIRという平和維持活動、これはジェノサイドの発生を防ぐことができずに、典型的な失敗例に挙げられております。これはソマリアのちょうど悪い経験があった直後でありますので、加盟国が部隊の派遣になかなか応じないというふうなことで、必要な部隊が展開できなくて失敗したわけですが、このUNAMIRに実際にかかった費用は四百三十七万ドルだったと言われます。
 これに対して、部隊指揮官が、ジェノサイドを防ぐためには五千名の増員が必要だということを言ってまいりました。これは結局実現しなかったわけですが、この五千名の増員のために必要だった費用は五千万ドルと計算されております。これに対して、結局防げなかったジェノサイド、その結果としてルワンダとその周辺に人道援助が必要になった、この額が四十五億ドルと計算されている。
 ということで、いかに予防段階で手を打っておればお金の上でも安く済むのかということが、いささかちょっと程度が低い話ですが、こういう例からもわかろうかと思います。
 この点では、特に早期警戒能力、情報収集能力の向上ということが強調されておりまして、これは国連にとってはもちろん、個別国家としても言えることでありまして、このあたりでも日本は貢献できるところが大変大であろうというふうに思われます。
 それから、言うまでもなく、紛争の平和的解決、このためのさまざまな仕組みをつくり上げるとか、あるいは、そういった仕組みを活用して、現実の紛争に働きかけて平和解決の努力をする、こういった点は、例えばカンボジア和平過程などからは日本も積極的な役割を果たすようになっておりますが、まだまだこの点で活動する余地は多々あるだろうというふうに考えます。もちろん、一番基本的には紛争の根本原因の除去ということがありますが、これは、むしろ(c)の方の問題だろうかと思います。
 それから、第二に平和維持、これがここでの皆さん方の関心の中心でもあろうかと思いますが、この平和維持の分野においても、従来の議論は、どうもPKFへの協力の可否の議論に傾き過ぎていたのではないだろうかという印象を私は持っております。
 軍隊を送る以外にも、平和維持活動、PKOに協力をする可能性はさまざまにあるわけでありまして、特に、先ほども申しましたように、第二世代のPKOについては非常に活動の分野が広まっておりまして、文民要員の必要性が大きく増大しております。ブラヒミ報告でも特に重視されているのは文民警察官でありますが、これ以外にも、選挙監視とか人権状況の監視とか地雷除去とか、さらに広い意味では、国家機構の再建への援助等で非常に多数の文民要員が必要となるわけでありますから、このあたりでの協力というのはもっともっと可能性があるのだろうというふうに考えます。
 それから、お金を出すということは、先ほども次元が低い話だと申しましたが、どうも日本では余りよくない。金よりも人を出そうという議論になりがちでありますが、PKOの活動範囲がこのように広がってまいりますと、物的な資源の不足というのも大変目立つようになっておりますので、お金に限らず物資も含めて、そういう物的資源の提供も無視できない役割を演じるだろうというふうに思っております。
 ただ、この点で一つ考えておく必要があることは、先ほども少し触れましたように、最近のPKOは、ともすればPKOの諸原則を踏み越える状況が出てきております。これは決して望ましいことではないわけでありますから、PKOが諸原則を遵守して実施されるように国連の諸機関に積極的に働きかけることが必要であります。日本のPKO協力法では、その原則が遵守されることが日本の協力の前提とされておりますが、単に日本の協力の前提ではなくて、これはPKO自体の前提として、もっと積極的な国連への働きかけが必要なのではないか。
 そして、最後に、紛争後の平和構築への協力であります。これが恐らく日本にとって最も積極的な役割が期待できる分野だろうというふうに思っております。もう時間がなくなりましたので、具体的な内容についてお話をすることは、もし後に御質問の中で出ましたら、現在国連で議論されていることを幾つか御紹介いたしますが、今は内容は省略せざるを得ませんけれども、この紛争後の平和構築、つまり、一般的な意味での社会的、経済的な発展の支援、これが日本にとって最も積極的な協力が可能かつ必要な分野であろうというふうに考えております。
 そういうわけで、やや最後がしり切れトンボになってしまいましたが、とりあえず私の御報告は、ちょうど時間になりましたので、これで終わらせていただきます。あとは皆さん方の御質問に答えるという形で、できれば補足をさせていただきたいと思っております。どうもありがとうございました。(拍手)
中川小委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
中川小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。近藤基彦君。
近藤(基)小委員 自民党の近藤でございます。
 先生にまず、大変貴重な御意見を、大変短い時間でありましたので、先生の最後の方でお述べになれない部分がまだ多少あったやにお伺いしましたけれども。
 私自身は、ついこの前の日本のテロ対策特別措置法をつくった特別委員会に所属をしておりまして、あのときの印象では、国際法上どうのという以前に、国際的な世論に動かされた部分がかなり、今から考えるとあるのかなと。日本人の気持ちとして、どちらかというと勧善懲悪的な部分があって、悪人がいればそれをたたきつぶさなきゃいけないみたいな部分で。
 先生は学者さんでいらっしゃいますから、その点、冷静にあの当時のことをごらんになっていたと思うんですが、国際法上からいって、国が別な国を侵略するという場面ではいろいろな意見が今までもあったんだろうと思います。今度のような、国軍というわけじゃなくて私設部隊的な部分が、ある意味、小さいなりに核も持っているかもしれないという脅威の中で、それを排除するために、今回はアメリカが自衛権を発動した、それに同盟国として参加をしているという感じですが、このときの国連の動きに関して、全く動いてないというわけじゃないんでしょうけれども、先生からごらんになって、その辺の動き方が、参考までにお聞かせいただければと思うんです。
松井参考人 今回のテロに関してですが、御存じのように、アメリカ等の軍事行動は自衛権の発動だということで、特に安保理事会の、一部では安保理事会が許可したという解釈もあるようですが、これはちょっと無理な解釈で、正当化できるとしたら自衛権ということで、国連は基本的には動かなかったということであろうと思いますが、動く余地が全くなくて動かなかったかというと、必ずしもそうは言えなくて、もちろん、国連のやれることには、先生がおっしゃったように、従来、国連憲章が予定していなかったような行動でありますので、カバーできない点は幾つもあると思いますが、それでもやれることは幾つかあっただろうと思うんです。
 例えば、アフガニスタンに対しては、既に従来から、ビンラディン等のテロリストをかくまっているということで、引き渡しを要求して、経済的な強制措置が行われております。これをもっと強化するというふうな幾つかの方法はあっただろうと思われますので、アメリカ等が安保理事会を指導する立場にある諸国でもあるわけですから、そういう可能性を十分尽くすことなしに一方的な武力に走ったというのは、私としては残念なことだというふうに感じております。
近藤(基)小委員 今、アルカイダがせん滅されたかどうか、あるいはビンラディンの行方もまだわからないというような状況の中で、これは今、アフガニスタンの紛争後と言っていいのかどうかちょっとわからないんですが、先生が最後に御質問があればということで、できれば具体的に、例えばアフガニスタンの紛争後の平和構築に関して各国がやれること、それと、日本がやれる部分というのをちょっとお話しいただければと思います。
松井参考人 アフガニスタンに限って申しますと、私、現地の状況をそれほどフォローしているわけではありませんので、具体的なことをそれほど申し上げられるわけではありませんが、現在、十分に治安も回復していないような状況でありまして、国連として平和維持活動、PKOを展開できる状況にあるとはどうもまだ判断されていないようであります。
 ですから、もう少し事態が鎮静化いたしまして、平和維持活動自体が展開できるというふうな状況になると、それと連携しながら、紛争後の平和構築という活動に入っていくことになるだろうと思うわけです。
 その平和構築ということでは既に幾つか国際会議が開かれ、その中で日本も重要な役割を果たしてきているわけでありますから、その方向での努力を今後も強化するということは、国際社会の中で、ここに日本ありということを示すためにも非常に必要なことではないかと思っております。
近藤(基)小委員 それでは、一般的でも結構なんですが、紛争後の平和構築に関して、先生がお考えになって、この部分は日本はもっと協力的にサポートすべきだ、あるいはこの部分が日本独自の、その前に、国連の政策は加盟国の意思ということ、そして自国の国際協力像を日本はきちんと持たなければいけないということ、その部分に関連するんですが、特に紛争後の平和構築が一番大事だろうと思うのであえて聞くんですが、日本独自の、日本でなければできないということではないんでしょうけれども、特にこれを力を入れなければいけないということがあったら、先生ちょっとお聞かせください。
松井参考人 全く印象で申しわけありませんが、一言だけ申しますと、教育の面です。アフガニスタンの事態に大変関心を持ってフォローしてきたイランの映画監督で、「カンダハール」という映画をつくって、アフガニスタンの事態を世界に訴えようという映画があったが、爆弾のかわりに教科書を降らせたらどれだけ役に立ったかということを言った話を聞いたことがあるんですね。
 日本の場合、明治維新以後、教育に非常に力を尽くしてきたということが現在の日本をつくり上げる上で大変大きな役割を果たしてきたと思うので、このあたりでの協力というのは、もちろん先生がおっしゃったように日本だけではないと思いますけれども、日本が強みを発揮できる非常に重要な局面ではないか、突然の思いつきなんですが、そのようなことを感じます。
近藤(基)小委員 最後に、今回のようなテロ、一つの国というものではなくて、私設軍隊みたいな部分で、アメリカにしても国軍が出ているわけですね。国連警察機構みたいな話があちこちで恐らくこれからもっと強力に出てくるだろうと思うんです。一つの国に対してなら、例えば経済制裁とかいろいろなことが考えられるんですが、そういったテロ集団という話になると、そこに一国の軍隊は出してもいいのかという。インターポールみたいなものがありますが、そういったものではなくて、武力行使までいくかどうかは別として、国連警察みたいなことが多分これから議論されていかざるを得ないだろうと思うんですが、それは国際法上のかかわりで先生のお考えがあったら、ちょっとお聞かせください。
松井参考人 遠い将来の課題としては必要だろうと思うんですが、急に現在の中で、例えば五年とか十年の単位で実現可能かというと、それは大変難しいだろう。むしろ、今かなり現実化しているのは国際刑事裁判所です。あれは間もなくできるわけでありますから、ああいうところで、少なくとも被疑者を確保したときには裁く。
 ということは、例えば今回、アメリカが裁判するとなると、どうしてもあれは復讐じゃないかという印象を国際社会に与えるわけですから、そうではなくて、国際社会の全体を代表するような国際刑事裁判所で裁くということは現実の課題になっておりまして、これはできるだけ早く日本も批准をしていただきたいと思うんですが、またその方向へ持っていくことは必要でもあり、可能でもあろうと思います。
 警察力といいますと、これは主権国家の一番根幹になる一つの機能でありますので、これを国連に譲り渡そうというふうに各主権国家が考えてくれるのは相当遠い将来ではないか。残念ながら、現状では具体的な課題には少し難しいだろうというふうな印象を持っております。
近藤(基)小委員 どうも大変貴重な時間、ありがとうございました。
 以上で終わります。
中川小委員長 次に、首藤信彦君。
首藤小委員 民主党の首藤信彦です。
 私自身も平和維持活動に長年携わってきた者なんですが、一つ参考人に私の意見を言わせていただきますが、最後の、「紛争後の平和構築」、日本にとって最も協力が可能というふうに書いてありますけれども、私に言わせれば、これこそ日本にとって最も難しい分野である、そういうふうに考えております。
 ちょっと考えればわかるわけですが、人を撃つのは、引き金を引けば人を撃つことはできます。しかし、弾が当たった人間を野山を越えて病院へ連れていって治して、そしてその間残された家族の面倒を見て、傷跡を治して、傷跡を気にしないようにいろいろなことを説教してあげて、精神的なトラウマも考えてあげなきゃいけない。それから、その間にぐれた子供の面倒も見なきゃいけない。そういうふうに考えますと、平和再建というのはもうめちゃくちゃに難しいことであって、この分野こそ日本が最もおくれているというふうに言わざるを得ないと思います。
 世界では、この分野に関して、司法の再建や刑務所の所長に対する人権教育から、本当にありとあらゆるNGOが活動しているんですが、この分野、紛争地においてもほとんど日本のNGOあるいは日本人に会うことすらない。日本の専門家はもっとまれであるというふうに考えると、この問題が可能であると私はとても思えず、これこそ日本が全力を挙げて、これからゼロから組み上げていかなきゃいけないものだと私は思うんですね。
 それは別としまして、国際法の御専門だということですから、専門的な立場から二つほど聞かせていただきたいと思います。
 まず一つは、このブラヒミ・レポートに盛られました国連PKOの限界というものが明らかになっているわけですが、相手が正規軍、撃ってくる者に対しては、例えば国際社会あるいは相互間で将校同士が話し合って、撃ち方やめと言えばそれで銃の使用はとまるわけですね。しかし、例えばスレブレニツァ虐殺のように、自分の親戚を殺された、殺していった人間が今は降伏して武装放棄して目の前にいるというと、それに対して、リンチではありませんけれども、石を投げ、かまを振りかざし、ピストルを持てば撃ってしまう、こういうような普通の人たちがいるわけですね。それをとめようとしたら、そこに入ったPKOの部隊は、そういう普通の市民、普通の農民に対して銃を向けなきゃいけない。そうしなければとまらないのが現実だと思うんです。
 そうした状況におけるROEというものは、例えば日本のPKOにとって可能なのかどうか。あるいは、日本のPKOだけじゃなくても、どのような基準に基づいて、そういう普通の、加害者となるかもしれない怒れる大衆に対して、どのようなルール・オブ・エンゲージメントを考えていったらいいのかというのを、法律家の立場から明らかにしていただきたいと思います。
松井参考人 まず、具体的な御質問の方からお答えいたしますと、一般住民がいわば暴徒化してほかの人に対して危害を加える可能性があるということは、今例に挙げられた事態以外にもルワンダでもあったわけです。それに対して、従来の国連のPKOの交戦規則では対処できない。したがいまして、交戦規則を今後、ブラヒミ報告では、ロブストでしたか、強固なルール・オブ・エンゲージメントをつくらなきゃいかぬということを言っているんですが、そのような必要性があるということは一方では否定できないだろうと思います。
 ただ、正規軍が軍事力を使って戦う一般の武力紛争の場合でも、正規軍にとって、どのような状況になっても、一般住民を意識的に攻撃するということは国際人道法の基本原則でもって禁止されているわけですから、そういう範囲までの活動を国連の平和維持活動に認めることはとてもできないだろう。むしろ、それに至るまでに、どのようにしていわばそういった動きを抑止することができるのかという、その抑止の側面を考えることしかないだろう、一般住民が暴徒化するというふうなことに対処するのは。人道法の基本原則からしてそのように考えられるということを、まずこの点についてはお答えしておきたいと思います。
 前半にお話しになった平和構築について、実は、これは日本が非常に問題をまだ抱えているんだということは、まさにおっしゃるとおりで、私は、もう少し長期的な見通しで日本にとっても可能性が大きいということを申し上げたので、この点については、日本のさまざまな、行政機関の役割だけではなくて、おっしゃったようにNGOの役割をもっと日本でも活用するようになる。昨今、いろいろNGOをめぐっては議論がございましたが、日本でもやっとNGOといわば連携しながらさまざまな対外協力を進めるという動きが軌道に乗りつつあるようでありますが、NGO自体の育成も含めて、今後もっとNGOとの連携を強化していく必要は、特に先生がおっしゃったような平和構築の部面では極めて大きいだろうというふうに考えております。
首藤小委員 ありがとうございます。
 もう一つ、ルール・オブ・エンゲージメント、交戦規定に関して、ひとつ短くお答え願いたいと思うんですけれども、もちろんこれは、日本がPKOを派遣されるということでは、日本でもルール・オブ・エンゲージメントを変えよう、一生懸命変えよう、国際基準にしようとか、いろいろあると思いますけれども、こういう機会にこそ、自衛隊、防衛庁の中だけではなく、法律家の観点、特に人道法とか、そういう観点が私は盛り込まれるべきだと思うんですね。昔のように戦争だけを考えていたのは確かに軍隊や防衛庁を考えればいいんですけれども、いろいろ市民が混在しているところでのROEというのは、むしろ法律家がいろいろなアドバイスをして、人権の問題とかそういう視点を入れながら具体的なルール・オブ・エンゲージメントをつくるべきだ、そういうふうに私は思うんです。
 参考人からぜひお聞きしたいのは、こういう視点で、どの程度法律家が、例えばルール・オブ・エンゲージメント、交戦規定の改定に具体的に参加しているか、どういう方か、もし参加されておられるならそのお名前を教えていただきたいし、それに関する論文がありましたらぜひ教えていただきたいと思います。
松井参考人 日本の問題でございますね。
 日本は、実はルール・オブ・エンゲージメントどころか、人道法の研究自体が非常におくれておりまして、これは、一時は世界的にそうだった。つまり、国連憲章で、もう武力は使われないはずだから、戦争の研究なんて要らないだろうという雰囲気が第二次大戦後は一般的だったんですが、日本はそれに比べて、平和憲法というふうなことがございまして、人道法自体の研究が非常におくれております。
 恐らく現在でも、人道法を専門に研究しておられる方は、国際法学会の会員、約千名おられますが、そのうちで十名おられるかおられないかというようなことで、もちろん、そういった個々の方で、例えば防衛庁と協力しながらさまざまな研究をしておられる方はあるだろうとは思いますけれども、それが具体的な形になった研究報告とか論文とかいうふうなものになってあらわれて、もちろん人道法の一般原則については貴重な成果が出ておりますが、ROEというふうな具体的な問題についての業績というのは、まだ残念ながらあらわれていない。
 ですから、そういう個別的な問題も含めて、まず日本における人道法研究をもっと活発にする、そういうふうにすそ野が広がっていくと個別的な問題への研究も広がっていくと思われますので、すそ野を広げていく必要を非常に強く感じております。
首藤小委員 ありがとうございました。
 もう一点、先ほどお話ありましたICC、国際刑事裁判所ですけれども、御存じのとおり、PKOの場合は、PKO部隊の犯罪というのもすごく多いわけですね。しかも、それがまた、紛争地のようにいろいろな犯罪が周りにあったり、いろいろな誘惑もあったり、それから無政府状態があったりすると、PKOの要員自体が犯罪行為をするというのが、今まで第一段階、第二段階のように隔絶されたキャンプに住んでいるのとは違いまして、いろいろなところに混在しているわけですから、当然多くなるとは思うんです。
 そうしたPKO要員の犯罪に関して、もちろんICCなどはずっと先だとは思うんですけれども、そういったPKO要員の犯罪とか不法行為に対してどのように取り締まっていくのが国際法の立場として好ましいのか、ちょっと御専門の立場からお聞かせ願えれば幸いであります。
松井参考人 これについては実は国連の対応が従来非常におくれておりまして、ほとんど各国の派遣部隊に任せるという形になっていたと思うんですが、一昨年でしたでしょうか、事務総長の布告という形で、国連軍部隊に関する人道法の適用を求める、そういう事務総長の文書が出ております。したがって、今後は、その文書に従って平和維持活動を含めて規律が行われていくことになるだろう。ただし、違反があった場合の処罰は、これはICCに任せるのではなくて、各部隊の所属国で行うという建前でありまして、考えようによってはこれが限界かなとも思うんですが、現状ではそういうことになっております。
首藤小委員 どうもありがとうございました。
中川小委員長 次に、赤松正雄君。
赤松(正)小委員 公明党の赤松正雄でございます。きょうは、貴重な御意見をお聞かせいただきまして、ありがとうございました。
 まず、私は、今同僚委員からもお話ございましたけれども、国連の平和活動に対して日本がありとあらゆる側面で協力をすべきである、つまり、非軍事的な部分も、さらにお金も物も、そして、直接的な軍事的行動ではもちろんありませんけれども、後方的な支援というものも含めて、ありとあらゆる考えられることをやっていくべきである、そういうふうな基本的な立場に立っております。
 その上で、最初にお伺いしたいと思いますのは、日本のいわゆるPKO法、これには五つの原則が組み込まれている、ビルトインされている、法律の中にちりばめられている。そういう五原則、いわゆる参加当事紛争機関の合意、そして同意、中立、必要最小限の武器の携帯、そしてまた、紛争に巻き込まれた場合は撤収するという、この五つの原理というものが組み込まれて今日まで来ているわけですが、先ほど来のお話の中で、今のさまざまな新しい形態の紛争が起こる中で、この五原則に対して、見直すべきではないのかという議論が実はあります。
 私ども公明党は、一番最初にこの五原則を強く主張して入れていったという経緯もあり、これに非常にこだわるわけですけれども、この五原則に対する評価と、それから、今申し上げた、一部というか、そういう新しい動きの中で、見直すべしという意見に対してどういうふうにお考えになるか、お聞かせいただきたいと思います。
松井参考人 PKO法自体については私専門的に研究しているわけではございませんが、今の御質問の限りでお答えいたしますと、この五原則自体が、日本独自で考えて立法化したということではなくて、立法当時の国連の平和維持活動の中で積み重ねられてきた原則を、その中身については先ほど簡単にお話をいたしましたが、それを踏まえて立法化されたものであるというふうに考えるわけです。その立法化された段階で、これも先ほど少しお話ししましたように、既に幾つかの原則が危殆に瀕していたわけでありますから、その意味では、その時点でこの原則を掲げられたことは、それ自体としては重要なことだっただろうと思っております。
 おっしゃったように、現在、新しい動きの中でさまざまな議論が出ておりますが、そしてブラヒミ報告の中でも個別的にはあれっと思うところがあるのは正直なところでございますが、ただ、では、従来の、例えば同意原則とか中立の原則とか、武器使用は自己防衛に限る、そういう原則自体を変えようという正式な提起は、国連文書では今のところ見られないだろうと思うんです。少なくとも、そういう原則とのかかわりが出てきた部分では、今後もこの原則は堅持するんだということが繰り返して言われておりますので、したがって、そういう国連が維持しようという原則を場合によっては踏み外すような検討を日本がやるというのは、やはりかなり場違いであろうという印象を持っております。
赤松(正)小委員 ありがとうございました。
 先ほどのお話の中で、一番最後のところ、「ブラヒミ報告にいう「国連平和活動」への日本の協力」の(b)のところで、「これまでの議論はPKFへの協力の可否に傾きすぎ」であったというふうな御指摘がございました。
 私は、先ほど参考人はお金の話をされたりしましたけれども、あれかこれか、金か人かというのではなくて、両方とも大事だろうというふうに思うんですね。そういうPKF協力の可否に傾き過ぎであったということについては、背景にやはり、私は、どちらかといえば人を出さない、あえて軍事部門、非軍事部門という言い方をすれば、その非軍事部門に偏り過ぎていたということから、いわば人を出さないということに対する後ろめたさというふうな日本の世論の動きがあったんではないかと思うんですが、その辺についてはどう思われますか。
松井参考人 ここで「PKFへの協力の可否に傾きすぎ」というふうに書きまして、PKOとは書きませんでしたのは、PKOの中における、特に第二世代でさまざまな活動がさまざまな要因によって行われる、その中での軍事部門に日本がどのように協力するかという議論に傾き過ぎというふうに私は印象を持っておりまして、その議論ではなくてというのは、要するに人は出すなという議論ではないわけです。
 第二世代のPKOは、お話の中でも申しましたように、文民警察官を初めとして、文民要員の必要性は非常に高まっているわけですから、そこに積極的に人を出すということについては、これは日本の国内でもきっちり議論をすれば、例えば憲法上の問題が出るわけでも全くございませんし、広範な理解が得られる問題だろうというふうに考えられるわけであります。私も、もちろん人もお金も可能な限り協力するべきだと思いますが、軍事部門での協力についてはなお、つまり自衛隊の問題ですね、憲法上の議論が多々残っておるわけでありますから、それよりも、憲法上全く問題のない文民部門での人の協力ということをもっと積極的に議論してよろしいのではないだろうか。
 この中では、ちょっと御質問の範囲から離れるかもしれませんが、日本のいわゆる護憲派の人たちも十分に議論していない。つまり、護憲派の立場に立つと自衛隊が出せないということであれば、もっとほかに人を出す協力があってもいいのではないかという議論は、護憲派ももっとやってしかるべきだろうというふうに感じております。
赤松(正)小委員 最後に、実は、松井参考人がお書きになられた、「国連とこれからの日本」という論文を事務局からいただいて読ませていただきました。その中で、問題は、憲法の理念に立った国際協力を歴代の政府は行ってこなかったことにあるというふうな御指摘をされた上で、五つのポイントを述べておられるんですが、その五つのポイントの中で、四番目に、
 一部の加盟国に武力行使を「授権」する動きについていえば、このようなやりかたは明らかに憲章に違反するものであり、国連の場においてそのような決議が採択されないように、あらゆる努力を行わなければならない。そのような決議が採択されたとしても、「授権」された軍事行動に参加することはもちろん、これになんらかの協力を行なうことは、日本国憲法の立場からだけでなく国連憲章の立場に立っても、論外である。
こういうふうにおっしゃっています。
 そうすると、何らかの協力という側面は、例えば今回のテロ特措法というケースを持ち出しますと、いわば直接的な軍事行動に参画するわけではありませんけれども、後方から非軍事的側面という部分に限って支援をする、これは参考人おっしゃるところの何らかの協力に入り、そして、これは今ここでおっしゃっているように論外である、こういうお立場でしょうか。
 私は、これは今の憲法の中でぎりぎりの一つの知恵である、そういうふうに思っておるんですけれども、参考人の御意見を聞かせていただきたいと思います。
松井参考人 これはかなり以前に書いたものでありまして、加盟国に武力行使を授権するという方式は、古くは朝鮮戦争のときに例がございますが、目立つようになったのは冷戦後でありまして、御存じのように、口火を切ったのは湾岸戦争の決議です。成立当時は、これについては非常に問題が多いという指摘が多うございました。私もそのように考えておりますし、その線に立ってその当時に書いた論文でございます。
 ただ、その後の経過を申しますと、私自身はまだ疑念を捨てておりませんけれども、国連の中では、安保理事会の許可ないし授権があれば個別国家が武力を使えるという意見はかなり一般的に受け入れられるようになっていると思います。ただ、これが国連の活動であるというふうに言えるためには、国連自体がその授権された活動をきっちり統括するということがないと、集団安全保障の活動として国連の活動であるというふうには言えないだろう。
 したがって、こういった活動に協力するのは、国連への協力という枠内ではなくて、個々の授権を受けた加盟国、例えば米国と日本との関係での協力の問題であって、一般的な国連協力とか国際協力の問題ではないだろうというのが私の理解の仕方でありまして、その範囲で考えると、私の憲法理解に立つとこういうことになるわけでありますし、赤松先生の憲法のお考えでは、先ほどおっしゃったような考え方はもちろんその枠内では十分成り立つだろう。私はちょっと理解を異にいたしますが、お立場からすれば、そういう考え方はあるだろうというふうに思っております。
赤松(正)小委員 ありがとうございました。
中川小委員長 次に、藤島正之君。
藤島小委員 自由党の藤島正之でございます。
 私は、かつて、政府のPKO事務局の次長を二年間務めたことがありまして、実はかなりの箇所に行っております。例えば、エジプト・イスラエルのUNTSOだとかキプロス、あるいはもちろんカンボジアのUNTAC、そのほか選挙監視だけでエルサルバドルだとかあるいはモザンビークとルワンダも行っておるんです。これはいずれも成功している事例でありまして、我が国が参加するについてもそれほど問題はないんですけれども。
 我が国のPKO参加について議論したときから、五原則、先ほど赤松委員もおっしゃいましたけれども、これに非常にこだわっておるんですけれども、これからはそうばかりも言っておれないんじゃないかという感じがするんですけれども、その辺はいかがでございましょうか。
松井参考人 これは、私、先ほど赤松先生のお答えでも申し上げましたが、五原則というのは、それまでの段階で、つまりPKO法が制定されたこれまでの段階で、国連で積み重ねられてきた議論、その中で慣行上形成されてきたPKOの基本的な考え方、原則、それを踏まえて日本の国内法で規定されたものでございますね。その後、確かに国連のPKO原則自体が危機に瀕するような例が幾つか出現しておりますが、その中で、個々の原則の具体的な適用についていろいろ議論が出ているのは私も承知しておりますけれども、原則自体を変えなければいけないという考え方は、今のところ国連では出されていないというふうに理解しているわけです。したがって、今の段階で日本が先走って原則を変えることを考えるという立場には、多分、日本としてもまだないのではないかというふうに考えます。
 ただ、問題が出得るといたしますと、先ほどブラヒミ報告でも少し触れましたが、軍事力を使うのが必要と思われるような事態がふえているのは確かであります。そうすると、これは、先ほどブラヒミ報告を批判した事務総長の発言を引用いたしましたが、平和維持活動の枠内で考えるのではなくて、むしろ第七章の強制行動の枠で考えるべきもので、このことははっきり区別をした方がいいだろう。そうすると、今度は日本の立場からして、強制行動への協力をどのようにするかという、もちろん平和維持活動への協力と密接に関係はいたしますが、問題の性格はやや異にする、そういう問題として考えた方がよろしいのではないかというのが私の意見でございます。
藤島小委員 今お話があったそこにまさに行き着いてくるわけでありまして、いわゆる六章半のPKOと、拡大的なPKO、それから平和執行部隊、あるいはもう少し行きますと多国籍軍、それから、究極的には私は国連軍ということになるのだろうと思うんですけれども、ここで我が国の憲法との問題が出てくるわけでありまして、これまでの政府の考え方では、集団的自衛権の行使はできない、保有するけれどもできない。たとえ国連に自衛隊を派遣した場合でもその考えは変わらない。こういうことで、私、今申し上げましたように、段階を追って、実力行使に至るような部隊派遣はできないというような考え方に立っているわけですけれども、この辺は、先生はいかがお考えでしょうか。
松井参考人 今、六章半から始まって国連軍に至る、国連が関与して武力が用いられる幾つかの可能性を藤島先生挙げられたわけですが、集団的自衛権との関係で問題が出るとすれば、今お挙げになった例の中では、多国籍軍の場合がそうであろうと思います。
 多国籍軍は国連憲章上の根拠がない制度でありまして、もし国連がきっちり指揮統括をやるなら、これは国連軍に準じたものと考えてよろしいかと思うんですが、現状では必ずしもそうなっていないとすれば、国連憲章上の根拠は明文ではない。あるといたしますと、多国籍軍が多国籍軍を派遣する国の集団的自衛権を行使する、それを安保理事会として、あなたは確かに集団的自衛権を行使なさっているんですよというお墨つきを上げる、そういう理解なら憲章上、説明は可能であろう。これは、イラクのときの多国籍軍でも、実際にそういう解釈がとられているかどうかは別として、一つの可能な解釈ではあります。
 したがって、集団的自衛権がかかわってくるのは多国籍軍でありますから、これに関する参加ということでは、従来の政府の憲法解釈ではまさに論外になる。ただ、平和維持活動が強制権限を与えられて武力を行使する場合にいたしましても、将来、四十三条の特別協定が結ばれて正規の国連軍ができる場合にしましても、国連の強制措置として武力が用いられる場合、これは一般には国が武力を使うというふうには考えられないわけですね。ですから、日本国憲法の言葉を使えば、国権の行使としての戦争でしたか、それには当たらない。
 もしも、先ほどもお話が出ましたが、例えば平和維持活動に派遣されている軍隊が違法な戦闘行為を行ったという場合には、損害賠償は国連が行う。したがって、その武力行使は、個々の加盟国ではなくて、国連に帰属するということになります。したがって、自衛隊自体をめぐる憲法論をとりあえず括弧に置きますと、強制措置、それは国連がきっちり監督する、もちろん国連の活動として行われる強制措置ですが、それ自体に参加するということは、私は憲法上の問題は生じないだろうというふうに考えております。
藤島小委員 大変心強いお話だと思いますけれども、私は、国連軍はもちろんのこと、多国籍軍であっても憲法上の問題は生じないのではないかなと思います。ただ、現実問題として、これまで国連軍にしても多国籍軍にしても、紛争がありますと、冷戦があったころは、どちらかの利害に関係しているものですから、国連の安保理で大体拒否権が発動されるということだったんですけれども、今のようになってきますと、アメリカが一番強くなっちゃいまして、あと大体アメリカのやることに同道してくるというようなことになりますと、国連の安保理で可決される可能性が大変強くなってくる。
 私は、この場を非常に活用すべきではないかなと思うんですね。日米安保に基づいて、アメリカにだけ追随して協力していくということではなくて、国連を中心にして紛争解決していく、こういう方向でいくべきだと考えておるんですが、いかがでしょう。
松井参考人 まず最初に、力強いとおっしゃっていただきましたが、私、自衛隊の存在そのものについては、やはり違憲の疑いが残っているというふうに考えますので、その点では先生と多分見解を異にするんだろう。その問題と別にして、国連の集団安全保障の枠では憲法上の問題は生じないということで、その点は誤解をされないようにお願いしたいと思います。
 今の国連協力の問題でありますが、多国籍軍の問題はしばらくおくといたしまして、確かに安保理事会でさまざまな決議が通過する可能性が非常に強くなっております。安保理事会は、わずか十五カ国ではありますけれども、一応国連を代表する機関でありますから、そこで議論をして決まることというのは国際社会の政策決定という側面を持っておりますので、アメリカ一国に個別的に協力するというのとはやはり文脈を異にするというのは、おっしゃるとおりだろうと思います。
 ただ、安保理事会というのは、このように少数な国によって構成される、しかも政治的機関でありますので、私ども、国際法をやっている者の目から見ますと、やはりその時々での政治的判断に非常に動かされるわけですね。したがって、場合によっては、憲章の本来の考え方とはかなり逸脱したような、そういう決定をすることも少なくありません。
 したがって、安保理事会が決めたから何でも協力をすればいいというものでも必ずしもないだろう。したがって、先ほど申し上げませんでしたが、今後の日本の国際協力の一つのポイントとして、安保理事会がもっと国際社会の世論全体を反映して動くように、安保理事会の民主化を推進するという側面の働きかけが非常に重要だろうと思います。
 常任理事国入りという話もありまして、これは大国の一員として面目を保ちたいというふうな狭い了見なら私は支持できませんけれども、そういう形で安保理事会の活動を民主化しようという観点からならば、十分に検討に値する日本の主張であろうというふうに考えておりますので、むしろその辺について必要なのは、安保理事会の民主化をどのように実現するかということが非常に大きいのではないかというふうに考えております。
藤島小委員 ありがとうございました。
中川小委員長 次に、山口富男君。
山口(富)小委員 日本共産党の山口富男です。
 二十一世紀の国際社会と世界の平和を考えたときに、国連の平和活動と言われる問題が非常に大きな位置を占めるというのは、きょう参考人からお話があったとおりだと思うんです。
 この問題を考えるときに、私は二つの点が大事だと思うんです。
 一つは、国連のやる活動が、国連憲章やその起こっている事態に対してきちんとした道理を持った内容になっているのかという検証は不可欠だと思うんです。それは、国連自身が物によっては失敗したというふうに認定した事例もございますから。それからもう一点は、私たちの国は憲法九条を持って、平和原則を持っている国ですから、当然、国際協力のかかわり方も非軍事の分野に徹して積極的な協力を進めるというのが基本の原則だというふうに思うんです。
 その立場で、きょう参考人からお話しいただいた話に即して幾つかお尋ねしたいんですが、第一点は、PKOの問題で、第一世代のPKOというお話と、多機能型の第二世代というお話がありました。第二世代についていいますと、PKO三原則がかなり緩やかというか、危うくなっている面もあるなという御指摘もありました。となりますと、PKOとして一世代、二世代と続いたとして見るのか、それとも一つの変質を遂げたものとして現在存在していると見るのか、この点はどういうふうにごらんになっていますか。
松井参考人 ある意味では変質という側面があるのだろうというふうに考えておりますけれども、ただ、そういう活動は、先ほど具体例まで話が進みませんでしたが、実はかなりの程度失敗しているんですね。それで、国連の中でも、ブラヒミ報告でも出ましたし、ブトロス・ガリさんの「平和への課題の補遺」の方でも出ておりますが、やはりまずかったという声が出る面も多々あるわけです。したがって、やはり平和維持活動の原則を維持すべきではないかという声が、失敗の経験を経るたびに必ずその後では出てくるというのが率直なところだろうと思います。
 したがって、変質しそうな動きというのはかなりいろいろあらわれているけれども、原則はやはり今までどおり変えないでおこうというのが、国連加盟国あるいは事務局も含めての一般的な認識ではないかと思っております。
山口(富)小委員 そうしますと、その失敗例なんですけれども、ソマリアなんですけれども、これは、参考人のおっしゃる原則から外れたから起こったものなのか、それともソマリアという条件の中で失敗に至ったのか、その辺はもう少し突っ込んで見ますとどういうふうに見えるんでしょうか。
松井参考人 率直に申しまして、ソマリアの現状が平和維持活動の介入を可能とするような状況ではなかったという側面はかなり大きいだろうと思います。十数個の党派が争っていた、ギャング集団まで加えるとほとんど無数の集団がいた。しかも、全員の間で停戦合意があったわけではない。PKOの派遣に明白に反対している党派もあった。しかも、かなりの軍事力を持っていたというふうな状況ですから、もともとPKOとして介入できる条件が必ずしも整っていないところに入ってしまったという前提問題があるんですが、それにしても、失敗をした一つの原因は、強制行動と、単に援助、勧告、そういったレベルでとまる問題とを必ずしも明確に区別されていなかったということは、これは後ほど失敗の経験を整理するために安保理事会が設けた調査委員会がありますが、その調査委員会で言っております。
 つまり、本来武装解除とかそういう限られた目的で強制権限が認められていたにすぎないのに、ソマリアの一般的な再建の問題についてまで強制的にソマリアの当事者に押しつけようとしたということが一つの失敗の原因であった。
 それから、もう一つは、アメリカの多国籍軍が平和維持活動と一応かわったことになっておりますが、なお一部緊急展開部隊等が、米軍が残っておりまして、これはPKOの指揮下になかったわけですね。これが単独に活動をしていたということで、そういう指揮系統が必ずしも貫徹されなかった。これも失敗の原因だというふうに言われておりまして、恐らくは、今の御質問に対するお答えとしては、ソマリアの状況も非常にまずかったし、それに対する介入の仕方もまずかった、両方だろうというふうに考えております。
山口(富)小委員 レジュメの三枚目のお話で、「平和への課題」にかかわって、国連の中で軍事力を重視し過ぎているという批判があって、一定の揺り戻しがあったというお話でした。
 もっと人権の問題だとか経済、貧困の問題、こういうものをきちんと重視すべきだという意見だったらしいんですけれども、こういう批判を打ち出してきた国々というのは大体どのあたりなのか、お教え願いたいんですけれども。
松井参考人 ある意味では、「平和への課題」がそういう限界を持っていたというのは当然のことであります。これは安保理事会の要請に基づいて事務総長がつくった報告でありますので、したがって、安保理事会の守備範囲の問題を取り上げたというので、それはもちろんそういう限界内のことだったんですが、それにしても軍事ばかり考えているではないかという批判、これは総会が主にその震源地なんですが、総会では、主として発展途上国、非同盟諸国、そのグループからそういう批判が出てきました。事務総長もそういう議論はわからない人ではなかったわけですから、そういう議論、これは総会が決議をいたしまして、「平和への課題」を「発展への課題」で補足しろというふうな決議が出て、その結果、「発展への課題」という幾つかの報告がまたつくられたという経過でございます。
    〔小委員長退席、近藤(基)小委員長代理着席〕
山口(富)小委員 次に、日本とのかかわりなんですけれども、報告の中で、これまでPKFへの協力の可否に傾き過ぎていたというお話があったんですが、ただ、PKF本体の参加ということになりますと、これはやはり憲法にかかわる重大問題なので、当然議論は尽くさなきゃいけないと思うんですね。
 その点で、参考人のお立場からいたしまして、少し、憲法解釈上、PKFへの自衛隊参加という点についてはどういう憲法上の問題があると見ていらっしゃいますか。
松井参考人 私は憲法専門ではございませんので、細かい解釈論には一向に明るくないのですけれども、活動自体の性格から申しますと、先ほど藤島先生の御質問だったかにお答えしたときに申しましたが、集団安全保障で国連が決めた活動、これは個々の国の活動ではなくて国連の活動だと思います。平和維持活動もその意味では同じでありまして、平和維持活動が武力を使うというのは、これは国連が武力を使うということになります。したがって、そのレベルの議論であれば、日本から参加した部隊が武力を使うのが憲法上の問題になるとは私は考えておりません。
 ただ、そもそも参加する自衛隊が憲法九条二項で禁止された戦力であるかどうかということについてはなお重大な議論があるわけでありまして、私は、個人としては、やはり九条二項に違反するのではないかと考えておりますが、これは私の専門の範囲外ですので、余り自信のあることではありません。
 したがって、まずその問題を解決する必要がある。その点を国民の間で、コンセンサスを確立しないで、議論が分かれている軍事力での協力ということに傾いて話をするよりも、そういう意味では、国民の間でもまず議論がないはずの非軍事的な協力、この局面で日本はまだまだできることがある、むしろそっちの方を考えるべきであろうというのが私のいわば持論でございます。
 その意味では、護憲派の方ももっと、非軍事の協力でどういうことがあり得るのかということを積極的に議論して提起をしていく責務が国際社会に対してあるだろうという印象を持っておりまして、ただ単に軍隊を送れないからだめなんだという議論だけではなくて、では軍事力以外でどういう貢献ができるかという議論をもっとすべきではないかという印象を持っております。
山口(富)小委員 憲法九条の立場でどういう国際協力まで可能なのか、そういう積極的な議論が必要だなという点では私もそういう立場なんです。
 それで、国連憲章四十三条で、例の軍事的措置にかかわって協定を結ぶ場合に、各国が憲法上の手続をきちんととりなさいという規定がありますね。憲章上、各国の憲法について触れているのはどうもこの箇所以外に見当たらないんですが、これはどういう意味合いなんですか。
松井参考人 これは、純粋に解釈論のレベルで申しますと、四十三条における特別協定というのは、安保理事会と各国が交渉して決めるわけですね。それで、各国が交渉する際に、おのおのの国には条約を締結する際の国内法上の手続が憲法に規定されておりますから、その憲法手続に従ってきっちり締結手続を踏みなさい、こういう意味であって、内容にかかわってどうこうということではなくて、手続の問題を規定しているというのが一般的な理解だと思います。
近藤(基)小委員長代理 続いて、大島令子君。
大島(令)小委員 社会民主党・市民連合の大島令子です。きょうはありがとうございます。
 私ども社民党は、日本国憲法と国連憲章の精神に従って、ポスト冷戦時代にふさわしい、国連を中心とした普遍的な安全保障の確立が求められているというのを基本的に考えているわけなんです。
 そこで、私も、昨年の政府が出しましたPKF本体業務の凍結解除を決めましたPKO協力法の一部改正に強く反対してきました。私も本会議場で反対討論に立ったわけなんですけれども、自衛隊の活用に極端に偏重した政府のPKOへの昨今の取り組みに対しては、常に私どもは厳しい反対のまなざしを向けてきたわけなんです。
 平和憲法を持つ日本の国際貢献というのは、まず第一に非軍事であり、文民とか民生分野を中心とすべきであって、武装組織の海外展開を安易にするべきではないと思っているんですが、この私どもの党の考えに対して、先生の御意見をまず聞かせていただけないでしょうか。
松井参考人 今までのお話の中でも、形を変えていろいろな形で申し上げたわけですが、私もその点では同じ考えを持っておりまして、憲法の立場から考えれば、日本の国際協力というのは軍事以外の局面で考えるべきであるし、平和維持活動にも積極的に協力すべきであるけれども、それはPKFということではなくて、それ以外の文民部門は非常に現在範囲を広げておりますので、そこではもっと積極的に協力をすべきだ。これは、軍事部門での協力に反対をする国民の中のグループでも、そういう非軍事部門についての協力については、もっとそういう反対論の中で議論を起こして、こういう協力ができるではないかという問題提起を進め、運動もやるということが必要だろうというふうに感じております。
大島(令)小委員 一九九二年のPKO協力法が成立するときには、一年間くらい国会では審議をしたと聞いております。
 私、きょうここに自衛隊法があるんですが、自衛隊法の三条に自衛隊の任務が書いてありまして、きょうは傍聴の皆さんもおりますけれども、「自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、」ということが自衛隊の任務で、百条のところに雑則がありまして、大体、札幌の雪祭りの協力ですとか南極観測隊のお手伝いとか国賓の輸送とかいう百条の五ぐらいまでだったんですが、これを契機に、百条に雑則を連ねて、ガイドラインですとか後方支援ですとか、いろいろ苦しい法律をつくってきたわけなんですね。
 結局は、憲法というものがあるから、憲法で規定されているので、政府は、こういう自衛隊法の百条の雑則にいろいろなことをくっつけて、無理やりに法律をつくってきたと解釈できるわけなんです。こういうやり方に関して、先生はどのようにお考えでしょうか。
松井参考人 さて、これは国内の立法政策の問題でございますので、国際法研究者として私が何か専門の立場から意見を申し上げるということは、ちょっとそういう立場にはないと思うんですが、全く個人的な印象で申しますと、先ほどからも申し上げておりますように、平和維持活動の枠内で国連が武力を使うというときに、これは国が武力を使うわけではありませんので、これに参加することは憲法の問題ではないだろう。ただ、現実にそれに参加する自衛隊が憲法上の問題を抱えているために、したがって、どうしてもこの問題、憲法論からの範囲を抜け出ることができない議論になっているのだという印象を持っております。
 最初に日本がPKOにどういうふうに協力するかという議論が始まった段階で、一部の政党とあるいは研究者の間にもあったかと思いますが、自衛隊とは全く別組織のグループをつくって、それでPKFに協力するという案が一部にあったことがありますが、そういう形であれば全く憲法上の問題は生じなかったんだろうというふうに思います。
    〔近藤(基)小委員長代理退席、小委員長着席〕
大島(令)小委員 そうですね。当時、一九九二年、今の社民党は党名が社会党でしたけれども、先生のおっしゃるように、自衛隊とは別個の組織として国際平和協力機構を創設して、PKOですとか人道的救援活動を行う内容とする、法案名が国際平和協力業務及び国際緊急援助業務の実施等に関する法律案、これを衆参両院に提出、この当時、第百二十三国会で成立を目指したわけなんですが、残念ながら審査未了に終わったという過程があります。
 去年の九月十一日以降、テロがあってから、非常に日本の法律のつくり方が乱暴であるように私は感じるわけなんです。ついにこの憲法調査会は、五年をめどに議論をするということですのに、きのうかおとといの新聞には、自民党の部会が、憲法を変えるために国民投票をしなければいけないので、そういう準備もするなんということを聞きまして、非常に私は憂えているわけなんですね。
 例えばアフガン戦争にしても、大体、戦争と言われるものは、終わったときに、戦死者が何名だったとかどちらが悪いとかいいとか、そういうことが後の時代に発表されるのに、まだそういうことすら報道されないまま、アメリカはまた違うところに軍隊を派遣するとかいうことを耳にしておりますので、非常に今、きょうは国際社会における日本のあり方ということなんですが、その日本のあり方が、今は人道支援ですとか物的な支援とか、そういうものではなくて軍事的な支援の方に日本が傾いている。あのテロ以降、日本政府が自衛隊をなるべく軍隊化しようとして、そういう方向に出ているような気がするわけなんです。
 もう少し文民のところまで自衛隊を持っていけないものなのか、自衛隊を容認するわけではないんですが、現在のPKOと自衛隊との関係をどのようにしていくのが今の日本の現状にとっていいのか、先生なりの持論がありましたら、聞かせていただけないでしょうか。
松井参考人 ますます私の専門の話からは遠ざかりまして、まさに立法政策の問題でありますので、何とも確たるお話はできないのですが。
 先ほどの九二年当時の御提案の話、確かにそういう方向があり得ただろうし、また、そういう形で法律ができたら全く違う局面が開けたのだろうと思いますが、ただ、いかんせん、現在そういう活動の能力を持っている組織としては自衛隊があるという前提が非常に大きく、多分、全く別個の組織をつくるという発想には障害になったんだろうというふうに思っております。
 また、現状で、私は違憲と考える、しかし違憲と考えない方も多い、そういう組織の自衛隊が存在するわけですから、さまざまな政策を考えていくときに、あたかもそれがないかのように扱って考えるということは、やはりこれは非常に大きな問題を生じるわけでありまして、現に存在している自衛隊をどのように日本の国益のために使えるのか、あるいは本来の憲法の立場にどういうふうに近づけていくのかという議論は多分必要なんだろうというふうに思っております。
 ただ、では、おまえどういう案があるかといいますと、これはちょっと私にも何ともということで、申しわけありません。
大島(令)小委員 済みません。なるべく参考人の発言に基づいての質問と心がけたつもりなんでございますけれども、今の日本の憲法調査会の方向に非常に心配しているものですから、社民党は少数政党でございますけれども、ここはしっかりと憲法を変えてほしくないという立場で、意見を言える場所ですので、言わせていただきました。
 どうも先生、きょうは失礼いたしました。ありがとうございます。以上で終わります。
中川小委員長 西川太一郎君。
西川(太)小委員 私は、憲法調査会の方向に一つも心配をしていない立場で発言をさせていただきます。
 国際法の権威として先生が、現実主義者的な学者の皆さんの文献にもしばしば先生の御著書や御発言が引用されている、学究として第一級の御活躍をされておりますことに心から敬意を表したいと存じます。
 きょうは四十分間、先生のお話を拝聴いたしました。そして、今ずっと各党の質疑を承ってまいりました。私は、小さな政党、保守党の西川太一郎でございます。
 もうお聞きしたいこと大方聞かれておりますので、時間の制約もありますから、御専門でないとまた注釈をつけていただいてもちろん結構なんでございますけれども、実は昨日、アメリカの国防総省でラムズフェルド国防長官が、ここにそれを持っておりますが、ファクトシート、2・26・2002、インターナショナル・コントリビューション・ツー・ザ・ウオー・アゲンスト・テロリズム、こういうものを発表したのでありますけれども、この二十六カ国の中に、ドイツとヨルダンの間にジャパンと当然入るべきところが入っていないのであります。これは、一部の新聞に本日、昨日の夕刊にも載っておりました。そして、それに対して外務省の報道官は、単なるミスだということを言っております。今後、これについて日本国政府から厳重な抗議、それに対する対応、いろいろあるだろうというふうに思っております。
 実は私、防衛政務次官もやったことあるんですが、今回、中谷防衛庁長官が渡米されて、十二月の十一日に、ラムズフェルドさんと一緒に日本人では初めてペンタゴンでCNNなどの前で共同記者会見をした際に、非常に感謝をしているという言辞がありましたし、この間ブッシュ大統領が訪日をせられ、国会・参議院本会議場で直接私たちは感謝の言葉を聞いたわけであります。
 したがって、単なるミステーク、こう受けとめたいと思うのでありますけれども、どうも私は、そうではないと。手続的にいって、これだけのファクトシートを出す、そのチェックが行われないはずがない。どうも日本に対しては何か考えがあってこれを外したんではないか、こう憶測するわけであります。
 どんなふうに私は考えるかというと、率直に言って、集団的自衛権を日本が発動しない、これは憲法上の制約があることは重々承知しております。しかし、それに対する努力をしていない、こういうことがアメリカ側の感謝の言辞の中に入ってこない。傍聴人の中には顔をしかめておられる方いますけれども、それにめげずに率直に発言しますが、私は、そういうことを思われているんじゃないか、こう思うわけであります。これについて先生の御感想を一点伺いたいというふうに存じます。
 時間の関係がありますからまとめてお尋ねをして、もう一点は、秋に与党三党の代表団で東チモールに行ってまいりました。実際にUNTAETのデメロ代表にもお会いして、日本がポルトガルのいわゆる工兵大隊と入れかわってほしいという要請を受け入れるに際しては、武器携行は構わないのか、こういうことを私は、当事国である東チモール政府、ちょうどその日、独立のための暫定政権がスタートした日でございましたので、そのこともそちらにも伺ったし、それからデメロ氏にも伺った。ともに、それは当たり前のことである、こういう答弁がありました。これについて先生の御感想を伺って、私の質問を終わりたいと思います。
 どうぞよろしくお願いいたします。
松井参考人 二点御質問をいただきました。
 まず前者でありますが、今先生がお示しになったそのファクトシートの中に日本が除かれている根拠がどのあたりにあるかということは、私も一向に存じ上げませんが、ただ、先生がおっしゃった、日本が集団的自衛権を発動しない、できないという立場をとっていることに米国がずっと不満を持っているというのは御指摘のとおりでありまして、これは、さまざまな機会に向こうの政府の高官が何とかならないかという趣旨の発言をしているのは、ほかの先生方も御存じのとおりだろうと思います。
 ただ、これは米国との関係でその問題が生じているというわけで、国連との関係、あるいは国際社会全体との関係の文脈では必ずしもないということは留意する必要がありますが、米国がそういう意思を持っているということは、これは事実として言えるだろうというふうに思います。
 それから、東チモールの問題ですが、部隊司令官、それから東チモールの当局者が、平和維持活動に参加するに際して武器の携行は当たり前のことだと言ったということは、それは向こうの立場としては当然、当たり前のことであります。
 平和維持活動というのは軽火器でありますけれども、いわゆるPKFの場合は武器を携行するというのは従来の慣行になっておりますので、その立場から議論をすれば、武器を携行していくということについては、当たり前だという答えが出てくるのは当然だろうというふうに思います。
中川小委員長 次に、平井卓也君。
平井小委員 西川先生の御質問でしたが、私も本当に、最近、国際社会において日本は何か存在感が薄れてきたのかなというような気がしてなりません。国連への活動にしても、先生の言われるとおり、憲法の前文の理念と重なる部分でもっと日本が今まで政府として立場を鮮明にしていたら、ちょっと違ったことになったのかもわからないんですが、先ほど、いろいろな委員の先生方からいろいろな質問がある中で、もう一度先生にお聞きしたいのは、PKOの成功例、不成功例というものの判断基準、これは恐らく幾つかの項目があろうかとは思うんですが、そのことをもう一度ちょっと確認をさせていただきたい。
 それと、それにつけて、先生自身のお考えは必ずしも国連の基準とは違うかもわかりませんので、その点につきましても、御意見があればぜひ聞かせていただきたい。
 それと、今度はもう一つ、成功、不成功という観念で、それは日本にとってどうだったんだという見方ももしかしたらあるのかもしれない。その点について、ちょっとお話を整理していただければと思います。
松井参考人 先ほど、レジュメでは書きました成功例と不成功例、これについて、時間の関係もありまして、内容をはしょりました。今御質問をいただいたので、それを補足する形で少し説明をさせていただきたいと思います。
 成功例としていつも最初に出てくるのはUNTACなんですが、参考文献で、私の当時書きましたものは、その当時は私、かなり辛い採点をしており、果たして成功と言えるのかどうか疑問だということを書きましたが、その後、活動が終わってからほぼ十年たちまして、カンボジアも民族和解、復興に向けて着実に進みつつあるというその後の経過を見ますと、どうも当時の私の判断は間違っていたかな、やはり成功例に数えていいのだろうというふうに思っております。
 それから、エルサルバドル、モザンビーク等の活動は、押しなべて国連では成功だというふうに判断されている。
 それに対して、まず、失敗ということでどなたも必ず挙げるのがユーゴのUNPROFOR、それからソマリア、そしてルワンダ、この三つの失敗例は非常に顕著であります。
 予防展開軍の失敗というのは、ちょっとこれは文脈を異にします。
 以上の、通常の成功、失敗の判断基準、国連で行っておりますのは、やはり最初の、安保理決議で派遣する目的というのを掲げます。その目的を実現して無事に任務を終了することができれば、これは成功というふうに判断される。ただ、安保理が決める目標というのも必ずしもはっきりしないことがある。政治的機関でありますので、さまざまな妥協があって、目標がはっきりしないというふうなことがあり、また、途中で状況が変わったから、対応するために新しい任務を付加するというふうなこともありまして、必ずしも目標自体あるいは任務自体がはっきりしないということも多々あるわけで、むしろ、そういうふうに猫の目のように変わると成功がおぼつかないという議論もされているわけですが、基本的には、当初、あるいは途中で変更して安保理事会が与えた任務を完遂して撤収することができたかどうかというのが、国連での評価の最も基本的な基準であろうというふうに思っております。
 あとは、私どもの立場からいうと、やはり、確立してきた原則がきっちり守られていたかどうかとかいうふうな問題もありますし、それから、国連では損害がどのくらい出たかというふうなこともかなり考えるようであります。
 この観点からいいますと、失敗例の方でありますが、国連保護軍第二次ソマリア活動、これは全く当初の目的を達成することができずに、特にソマリアの場合などは、まだ国内的な混乱が多々残っている状況で撤収をしてしまうということになりました。
 それから、国連ルワンダ活動の場合には、これはむしろ、加盟国が協力しないために十分な兵員が確保できなかったために、ジェノサイドが行われつつあることがほとんど明らかであったにもかかわらず、手が打てなかったという失敗例であります。
 そして、国連予防展開軍、これはある意味では成功、つまり、マケドニアに旧ユーゴ紛争が波及するのを防ぐためにあらかじめ展開をしたという性格のもので、その限りでは役割を果たしたのですが、九九年になぜこれが終了したかというと、延長決議に中国が拒否権を発動いたしました。なぜ拒否権を発動したかというと、マケドニアが台湾政府と国交を樹立したという、平和維持活動とは全く無関係の、いわば自国本位の立場で拒否権を発動した。これは拒否権発動の非常に望ましくない例だと思いますが、そういうことで、いわば無理やりに中断しちゃったわけですね。そしたらその後、コソボを根拠にしたアルバニア系のゲリラが侵入するようになりまして、治安が非常に脅かされるというふうなことが生じております。もしもそのまま展開を継続しておればそういう状況にはならなかっただろうという意味では、やはり失敗かなというふうに評価されている。
 ということで、御質問の点に関して言えば、これは、当初ないし途中で安保理事会が与えた任務をどこまで遂行できたかということが成功、失敗の分かれ目だろう、それで評価されているというふうに言ってよろしいかと思います。
平井小委員 国連というのは、いろいろな国の利害も衝突するところだし、国益という問題があると思うんですが、そこで先生に、ちょっとこれは一般的な質問になってしまうかもわかりませんが、日本の国益と国連の活動への参加をどのような形に結びつけていけばいいのか。
 これは私の印象ですけれども、どうも、PKOにしてもODAにしても、世界の人々に奉仕するような、自己犠牲的な、そういうような印象が何となくあるなというふうに私は思うわけであります。国益というのは国民の生命と財産を守ることが私は一番ではないかと考えたときに、政府が自国民を犠牲にしてまで他の国に対して貢献するというような印象を国民が持つというようなことは、これは問題があるのではないかな。これは私の個人的な意見であります。
 つまり、一言で言いますと、日本という国が、国際的なプレゼンスが今低下している中で、どのような自国の国益をその国連活動に結びつけていくか、そのことについて先生の所見がありましたらお聞かせ願いたいと思います。
松井参考人 短期的な国益ということにつきましては、これはまさに政治の世界のお話でありまして、私どもよりも先生方の方がよほどよく議論をしておられるんだろうと思います。その点についてはちょっと答えを差し控えさせていただきたいと思うんですが、長期的な国益ということを考えました場合には、先ほどの話の中でも少しそういう御議論が出ておりましたが、日本の憲法の基本的な考え方と国連憲章の基本的な考え方は大部分で一致しているわけですね。
 したがいまして、日本の憲法の立場に立って日本が外交政策あるいは国際協力を進めるということは、とりもなおさず国連憲章の立場を実現していくのに協力するということになるはずでありまして、その意味では、日本の国益を追求するということと、国連を通じて国際協力を推進するということに長期的には矛盾はないだろう。
 ただ、先ほど私が、別にPKFばかり考えなくていいじゃないかということを申しましたが、PKFでなくて、一般の文民活動においても、平和維持活動に参加すれば、これは自己も含めて犠牲が出る可能性は多々ございます。それから、もちろんお金もかかるということで、短期的には、やはり国益が損なわれるという側面はないわけではないだろうと思いますけれども、これはどのような活動でもある意味では伴うわけでありますから、私ども、研究者の立場からいうと、できるだけ長期的な観点に立って政策決定をしていただきたいという希望を持っております。
平井小委員 どうもありがとうございました。
中川小委員長 山田敏雅君。
山田(敏)小委員 民主党の山田敏雅でございます。きょうはどうもありがとうございました。長時間御苦労さまでございます。
 先生は、国際法の御専門ということで、一つお伺いしたいんですけれども、国際法上、我が国は、自然権として、自国を守るという自衛権、これは認められているんでしょうか。
松井参考人 今、自衛権を自然権としてとらえる見方はほとんどなくなっているだろうと思います。
 つまり、国連憲章の五十一条で認められた実定法上の権利であり、慣習国際法としても自衛権という権利がございます。これは、日本も国である以上、当然持っているということでございます。
山田(敏)小委員 そこで、先生は先ほど、自衛隊は違憲であると思うということでございました。
 自国を守る自衛権が認められているのであれば、どうやって守るかというのはその国に任されているわけですから、自衛隊をもって我が国を守るということであれば、憲法九条と国際的に認められた自衛権というのは非常に大きな矛盾を持ってくる。
 そこで、ちょっと先生の個人的な御意見をお伺いしたいんですが、もし自衛隊は違憲でないというふうにするには、どのように憲法を変えていけばいいんでしょうか。
松井参考人 憲法九条と国際法上自衛権があるということは矛盾するというお話でしたが、自衛権は権利でありますので、これを行使するかしないか、またするときにはどのような形でこれを行うかということは各国の自主的な判断、もちろん国際法が認めた自衛権の範囲ということでございますが、その範囲で各国に任されていることなんですね。
 したがって、それについて、武力でもっては自衛権を発動しませんよということを憲法に定めるということ、そのこととは矛盾はしないというふうに私考えております。
 さて、それでは、自衛隊を第九条と矛盾しないようにするにはどうすればいいか。これも日本の立法政策の問題でありまして、私の専門を超えるわけでありますが、各国の憲法規定等を見ておりましても、国連憲章の精神の尊重をうたうとか、あるいは侵略戦争をしないということを強調するとか、そういう憲法規定を持った国は、何か日本が独自だという議論がよくございますが、独自であるとすれば軍事力を持たないということを規定したことであって、侵略戦争をしないとか国連憲章に従って国際関係で活動するということを決めたそういう憲法を持っている国は多々ございますので、そういう国に倣った憲法の規定の仕方をすれば、軍隊を持っていても、そして自衛のためにしか使えないというのはどこの国でも同じことでありますので、今、国際関係で武力を使うということは国連の強制行動の場合と自衛権発動の場合しか国際法上認められないですから、そういう一般的な国の立場に倣った憲法の定め方、そういう形で憲法を改正するというほかにこの矛盾を解決する道はないだろうと思います。
山田(敏)小委員 どうもありがとうございました。
 私は、広島に生まれて育ったんですけれども、我が国は原子爆弾という経験をした唯一の国で、私も小さいころは、日本は唯一の経験をした国として世界の平和に非常に主導的な役割をするものだと思い込んでおったんですけれども、今ここに議論がたくさんございましたように、この憲法の規定によって日本は非常に限定的な話を、これはやらない、これはやりますと。そうすると、非常に世界の国から後ろ向きの印象を受けるわけです。憲法の前文の精神をもって日本がリーダーシップをとって、もっと二十一世紀にふさわしい恒久的な世界平和に向かってやっていくべきだと思います。
 私、日本はもっと理想を持ってやっていかなきゃいけないと思うんですけれども、御存じのように世界連邦という考え方がございます。アメリカ合衆国にありますように、州は独立しているんですけれども、連邦政府が防衛と外交を受け持つ、こういう考え方なんですけれども、このPKOが私は第一歩だと思うんです。
 世界の紛争を各国の軍隊をもってやるんではなくて、将来、いつかはわからないんですけれども、それに向かっていくべき姿としては、国連が軍隊を持つ、各国は軍隊を持たないという形で恒久的な世界の平和を目指していくべきだと、私の個人的な考えなんですけれども思っております。
 この点について、今後、日本が憲法を改正してまでも今の新しい二十一世紀の恒久的な平和に向かってやるには、どういうステップでやっていけばいいかという先生のお考えがございましたら、お伺いしたいんです。
松井参考人 今お話のありました、従来の日本の国際社会における活動がどうも後ろ向きの印象を与えがちであったという御指摘は、私もそのとおりの印象を持っておりまして、もっとさまざまな形で積極的に日本の立場を打ち出した国際協力というものを進めてくれば、現在ではないような国際的地位を占めていたのではないかというのは先生と同じ印象を持っております。
 PKOを世界連邦への第一歩と位置づけてその方向へ進んでいくというお考えですが、そういう考えは、例えば第二次世界大戦後は相当広く共有されておりまして、世界連邦に、軍事力を含めて、国の権限のかなりの部分を移譲しようという議論はございましたが、どうも今のところ、多少でもそれに近づきつつあるかなというのはEUですね。そこで連邦化に向けての動きがありますけれども、それでもやはり政治統合まではまだ非常に遠いというふうに一般に評価されておりまして、まして、世界的な規模で世界連邦というのは、確かに我々理想として追求すべき目標ではあっても、まだまだ現実的課題には難しいだろう。
 ただ、そういう長期的な視野も考えれば、武力が使われることを個別国家に任せるのではなくて、国連が決めていくというのは、やはりそれに向けての小さい一歩ではあっても、一歩であるのは明らかですから。ただ、それは憲章上既にそういうふうになっているわけですね、理念上は。なかなかそれが実施できないというのが現在のいわば苦しいところでありまして、その理念を生かすように日本も活動するということであれば、さらに国際協力を進めることができるんだろうというふうに考えております。
山田(敏)小委員 どうもありがとうございました。
 私の質問を終わります。
中川小委員長 土屋品子君。
土屋小委員 自由民主党の土屋品子でございます。もう各委員からいろいろなお話が出たので、多少重なると思いますが、よろしくお願いいたします。
 先ほど、大島委員からの御質問の中で、先生は憲法九条を改正するべきでないというような答えかなというふうに私は理解したんですけれども、平成四年、国際平和協力法、PKO法案が成立して、それから日本もいろいろな地域に維持活動で自衛隊を派遣しておりますが、その後、平成九年に総理府が世論調査をした結果では、自衛隊を派遣することに対しての賛成が六四%にも及び、対して、反対一三・六%。反対を大きく上回る状況になってきているわけですけれども、どうしても日本の場合、今のままでは常に解釈論で対応しなければならないように感じているわけですけれども、先生のお考えをもう一度お伺いしたいと思います。
松井参考人 おっしゃるように、私は、憲法上自衛隊の存在は違憲だと思いますし、またそれを変えるべきではないというふうに思っております。ただ、憲法というものは不磨の大典である、一切改正すべきでないというふうなことは毛頭考えておりませんで、これは最高法規ではありますけれども、法律でありますので、国民の意思の統一があれば、当然改正ということは考えられる。もちろん、第九条だけではなくて、さまざまな規定で時代おくれになっている規定も多々ございますから、国民世論がその方向で一致すれば、改正ということは当然考えられるだろうと思います。
 しかし、現行憲法が存在する以上は、それを遵守することは、私も公務員の端くれでありますが、公務員としては義務になりますし、その理念に立って、どれだけ国際関係において日本が行うことができるのかということが、従来は、きょうのお話でもいろいろな形で強調いたしましたように、これは政府の施策としてもそうだし、国民のさまざまな運動としてもそうであって、憲法の理念を生かした国際的な協力活動を必ずしも十分やってきたとは言えない。
 それをやってきたにもかかわらず、ここまでやったけれども、頑張ったけれども、これ以上は憲法の枠内ではできないので、しかしこれ以上のことをやる必要があるということに国民の意思が一致すれば、これは憲法改正ということになるのでしょうし、またそれが実際に可能になるだろうというふうに考えておりますが、そういう議論をする前に、私の個人の考えとしては、現行の憲法を生かしながらどれだけのことをできるのかということをもっともっとやれるんだろう、そしてまた、それをやることが国連憲章の立場にも合致しているというふうに考えるので、先ほどのような議論を申し上げたということであります。
土屋小委員 さらに、ちょっと突っ込んでお伺いしたいんですけれども、そうすると、今の憲法内において、例えばPKO法案をつくりました。今度、テロ対策はテロ対策特別措置法によって措置しました。そういう中で自衛隊が派遣された。では、自衛隊がどこまで活動することがこの法律の中で違憲でないかということになってきた場合に、例えば、地雷の除去の問題とか、それから大変危険な地域に非常に近いところへの生活物資の輸送とかという問題になってきますと、地雷の問題なんかは、日本の場合、自衛隊が大変世界的にも高いレベルで処理能力を持っているわけで、これは人道的援助になるんだろうと私は考えていますけれども、先生はどうお考えでしょうか。
松井参考人 私がお答えしなかった先ほどの御質問とも少しかかわるんですが、従来、憲法については解釈論でやってきた。そして、憲法より下部にある法律でさまざまなことを定めて、自衛隊の活動もそれについて規律してきたというところに、基本的にいえば、やはりかなり無理が出てきているんだろうという感じがいたします。
 つまり、本当に必要ならばやはり憲法、大もとから変えていかないと、解釈ですべて事を進めていくというのは、そもそも近代憲法の前提である法治主義の原則と背馳する可能性がございますので、本当に必要ならば憲法改正ということを考える、その方が本当の意味での法の支配という考え方に忠実なのだろうと思います。そういう意味で、いわゆる解釈改憲論がかなりの限界に逢着しつつあるということは御指摘のとおりだろうと思います。
 ただ、その個別的な現在の法律の中での自衛隊の活動の限界でありますが、これはむしろ自衛隊法解釈の問題でありまして、私は全くの素人でありますのでお答えできる立場にないんですが、今具体的に挙げられた地雷除去ですけれども、これについては、戦後、紛争後の平和構築の中の非常に大きな柱に国連でもしていて、重視している項目ですね。
 ただ、これは一見軍事的な活動に見えるし、そういう形で行われている活動でもあるんですが、文民活動としても活発に行われている分野でありまして、例えば、地雷除去の活動をやっているNGOは国際的には多数ございますし、それから地元の人たちに地雷の危険性を教育したり、地雷除去のノウハウを伝授したりする、そういう活動をやっているNGOもございます。それから、日本の民間企業で、地雷の除去に必要な機器を随分先進的なものを開発している、そういう企業もあるというふうに聞いておりますので、自衛隊でなければできないということではないだろうというふうに承知しております。
土屋小委員 ただ、現在の場合、先ほどもお話が出ましたように、日本のNGOの世界における活動は大変まだ小さい段階だという点においては、その過渡期の中で、自衛隊が活動するというのは大きいんではないかと思いますが、いかがでしょうか。
松井参考人 もちろん、そういう判断はあり得る。そのための能力を非常に高く持っているということももちろんそのとおりだと思いますが、そのあたりは政策判断の問題で、私は違う意見を持っておりますが、それは絶対だめだよというふうに申し上げられる立場にはございません。
土屋小委員 それと、安全保障理事会の常任理事国入りの問題なんですけれども、実際に日本が常任理事国になった場合に、一番真っ先に考えられるのは、常任理事国は各軍隊を紛争があった場合必ず出していますけれども、これに対する寄与を求められる可能性がある。それに対して、今までのような解釈論で通用するのかという問題があると思うんですが、それはいかがお考えでしょうか。
松井参考人 常任理事国は必ず軍隊を出しなさいということをどこかで決めて、それに従ってやっているということではないのですけれども、国連成立当時に、四十三条の特別協定を結ぼうかという努力をしたことがございます、これは冷戦の過程であっという間に挫折したのですが。そこで幾つか合意に達した原則の一つに、常任理事国以外の国は軍隊を出す必要は必ずしもないということが合意されております、四十何年、五〇年かそのくらい、もう大昔の話でありますが。ですから、裏を返せば、常任理事国は軍隊を出す必要があるということは当時合意されたということですね。ただ、これは国連の強制行動のときでありますので、平和維持活動には必ずしもひっかかってまいりません。
 ただ、少なくとも、政治的には、常任理事国入りをした場合に、軍事力も出せという国際社会の声は圧倒的に強くなるだろうということは当然予測されるわけですから、したがって、常任理事国入りを目指す以上は、そういった場合にどういう対処をするかということはあらかじめ十分に議論をしておく必要があるだろうというふうに考えております。
土屋小委員 最後になりますが、その場合、カナダのように、自衛隊とは別に特別な派遣部隊を持つ方がいいのか、また、国連待機制度というのが今できていますけれども、こういうものにも登録していくこともあり得るし、そういう点で特別部隊を持った方が法的に考えて有効というか、考えられるかということに関しては、先生はどうお考えでしょうか。
松井参考人 繰り返して申しましたように、私、現行憲法上からいえば自衛隊は違憲だと思っておりますので、もしも軍事力をもっても国連協力をするという立場に立てば、それとは別途に国連協力をするための部隊を整備するというのが憲法上の立場だろうと思っております。ただ、それはいかにも非能率でございまして、現実的な政治課題としては難しいかと思いますが、法的な立場からいうとそのようなことになってくるだろう。
 もしそういう前提がとれるなら、当然待機軍制度への参加等も選択の余地に入ってくると思います。ただ、待機制度について言えば、必ずしも軍隊に限らず、例えば文民警察官等でもそのような制度を考えようという議論はあるようですから、したがって、現行の立場を考えても、そういった非軍事の立場での待機制度に参加するということは十分考えられるだろうと思っております。
土屋小委員 どうもありがとうございました。
中川小委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 松井参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。小委員会を代表して、心から厚く御礼を申し上げます。(拍手)
    ―――――――――――――
中川小委員長 これより、本日の参考人質疑を踏まえ、国際社会における日本のあり方について、小委員間の自由討議を行いたいと存じます。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたしたいと存じます。
 小委員の発言時間の経過につきましてのお知らせでございますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。
 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをこのようにお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
 それでは、ただいまから御発言をお願いいたしたいと存じます。
中野会長代理 私が先に発言するのはいかがかと思いますが、皆さんの顔つきを見ながら、一言申し上げたいと思います。
 きょうは松井先生から、PKO、PKFを中心とした国際協力のあり方ということでお話をお聞きいたしました。
 いろいろと私も憲法について勉強してきましたが、改憲、護憲、論憲、いろいろありますけれども、いわゆる究極の選択として、現在の日本国憲法のどこかを一つだけ変えるというふうに考えたらどうかと言われると、きょうのこのテーマに絞られてくるのではないかというふうに思っています。
 きょうのお話でも、このPKOは、ハマーショルド事務総長が第六章半だというふうにいみじくも言われた。すなわち、国連憲章に条文として明記されていないことを、国際社会の変化に対応し、また国連に期待されるものとして実行に移しているやり方。また、それを受けて、日本国憲法に想定していないことをPKO法をつくって日本もまた国際貢献の一環として行動しているということがあるわけであります。
 憲法には、してはならぬという消極的な概念としなければならないという積極的な概念とがあると思いますが、憲法九条のように、消極的概念で凝り固まっているという感じで受けとめる人もいますが、しかし、ある意味では限定条項が九条の中には入っている。また、第二項の頭は芦田修正の中で明らかに修正されて、将来への幅を持たせたという歴史的経緯も考えあわせますと、PKO、PKFについて、または国際協力のあり方について、例えば憲法九条第三項を設けて規定するなどの工夫というのはやはり必要なのではないか。超法規的措置をとらないためにも必要なのではないか、そういう感じがいたしまして、各分野にわたって憲法については調査を進めているわけでありますが、とりわけこの国際協力のあり方については、これからぜひ、中川小委員長のもとで積極的に、繰り返し、充実した検討、御議論をされることを心から期待を申し上げたいというふうに思います。
山口(富)小委員 私は、きょうの松井参考人の話を聞きまして、国際協力の問題について言いますと、今の憲法の規定を変える必要や要請はないというのがきょうの参考人の報告の一つのおもしろいところだったと思うんです。
 PKO、PKFというのは、きょうお話にありましたように、国連憲章が、いわば現実の国際政治の中で、その方向になかなか行かないもとで経験的につくられてきたものだというお話があったんですけれども、そういうものとして、やはり一つ一つ、私たちとしては、憲法の立場で吟味を尽くすことが大事じゃないかというふうに思うんです。
 それからもう一点、参考人の方から、憲法と国連憲章というのは、大局的な方向としては、特に平和追求の問題で一致しているというお話があったんですけれども、二十一世紀の国際社会における日本のあり方という問題をその観点から考えた場合に、国連憲章と日本国憲法の規定がともに生きるような方向での日本の努力が非常に大事になってくる。
 そういう意味で、国連の場においても、PKOというのは、先ほどもありましたけれども、問題があるとか失敗したとか、当初掲げた方向に対して見れば成功した例もあるというお話だったんですが、よく吟味しながら臨んでいくということが、その点でも大事になっているんじゃないかなというふうに感じました。
 それから、常任理事国入りの問題なんですが、私は、これはやはり憲法上できないというふうに思うんです。それはなぜかといいますと、先ほど国連軍の規定の問題が出てまいりましたけれども、軍事的な活動の問題がどうしてもそこに生まれてくるわけですね。ですから、その点は、日本は、侵略戦争の反省をして、九条を掲げて、そして国連に入っていったわけですから、そういう点からいっても、常任理事国入りというのはやるべきではない。
 しかし、それは消極的な意味合いじゃなくて、私たちが国際社会で果たす役割というのは、先ほど文民という話も出ましたけれども、いろいろな分野で、それこそ二十一世紀は手ぐすね引いて待っていると思うので、それは大いに憲法の立場で積極的な役割を果たしていく、そういうことできちんと対応していくことが大事じゃないかというふうに感じました。
 以上です。
葉梨小委員 自民党の葉梨信行であります。
 今、参考人のお話でも、PKOに参加しておりまして、その態様によっては、今の憲法のままでは憲法違反になるので、そこを変えればいいというふうにおっしゃっていたと私はとるのであります。
 私ども自民党も、平和を大変大事にしております。憲法の国民主権、そして平和主義・民主主義、基本的人権の尊重という三つの理念をしっかり守っていきたいという意味では、憲法を守る立場でございます。
 ただ、現実に、国の安全を守り、国民の生命財産をしっかり安全な状況に置くためには、侵略をされたときには自衛隊がこれに対抗するという体制ができておりまして、今、解釈改憲というようなことで自衛隊の存在が認められておりますけれども、侵略戦争をしないという原則には変わりない。そういう意味では、命をかけて国民を守っている、国土を守っている自衛隊をはっきり憲法上認めて、そして国連活動にも積極的に参加していくということが必要であろうと思います。
 世界第二のGNPを持ち、国民一人当たりのGNPは世界第一であります。大きな経済力を持っている日本が、世界の平和に貢献したいというこの気持ちをしっかりあらわすためにも、憲法第九条の侵略戦争はしないという第一項は堅持して、しかし、軍事力は持たないというような現実に合わない項目につきましては、これは与党、野党、皆さんと十分に議論をしながら、私は、その方向としては、自衛隊を認めるという方向であるべきだと思っておりますけれども、十分に議論をし、国民の皆様方の御理解を得て、日本の二十一世紀の、国として生きていくというだけでなくて、世界の中で尊敬される存在として、また平和を守る存在として、国連活動などには積極的に参加するというあり方をつくっていきたいと考えている次第であります。
大島(令)小委員 社民党の大島です。
 私は反対でございまして、国の最高法規、この憲法に沿って、戦後五十七年目に入りましたけれども、日本は、侵略されることもなく、いわゆる平和に来た、国の再建ができたわけなんですね。今なぜ、経済大国になったから軍事力を持たなければいけないか、憲法を変えてまでということに対しては、私は反対でございます。国際貢献ということは、今、グローバリゼーションの中で一定求められてくるのは仕方がないにしても、非軍事、文民、民生という分野ですべきだと思います。
 昨今の本を読んでみますと、グローバリゼーションの中でも、NGO、非政府組織の活躍が非常に目覚ましくなっておりますよね。先般の国会で、そのNGOの大西さんという問題が非常に大きな、小泉さんの支持率の低下までになったほどNGOの存在は大きいわけで、私ども、アフガン戦争のときに社民党の議員がパキスタンに行ったときにも、実は日本大使館ではなく、NGOで活動しているペシャワールの会の人たちの案内で、現地をしっかりと、安全に、つぶさに見ることができた。こういう実体験があるわけですので、まず、何が何でも法律を変えて自衛隊を軍隊化していこうということには、私はきょうの参考人の話を聞いて、ますますこれはとめなければいけないと思っております。
 第二次世界大戦後、イギリスのアトリー首相が、国連の中のユネスコ憲章ですか、その中で言われていますよね。戦争というのは武器のないときからあった、人の心が戦争をさせるんだから、戦後は、心の中に平和の教育をしようということで、憲法のもとに教育基本法もあるわけですから、この精神をあえて曲げずとも、日本は世界にも平和貢献できる方法は幾らでもあると思っております。
 以上です。
中山会長 きょうの参考人のお話を聞いておって、憲法から見て自衛隊は違憲であるという御意見が出されました。
 そこで、自衛隊が違憲かどうかといったことについては、社民党の党首であった村山さんが内閣総理大臣になられたときに、自衛隊は合憲であるということを国家の最高指導者として言明されたわけでありますから、違憲論を言われる参考人のお立場は、それなりに参考人としてのお立場として申されておられると思いますけれども、政治の場においてはっきりと、村山政権のときに、自衛隊は合憲であるという公的発言をされて以来は、政治の継続性というものから考えて、やはり、自衛隊は合憲であるという認識が一般国民には浸透してきたのではないかというふうに私は考えております。
 そこで、自衛隊というものが合憲であるということを内閣総理大臣が言明した以上は、これを否定する政治的な発言が公的な場所で行われない限りは、一回内閣総理大臣が言われた発言というものは非常に重いという認識を私自身は持っております。
 それでは、自衛隊は戦力かどうかということを憲法上考えてみて、自衛隊は戦力でないという考え方で物を考えるならば、我が国が他国から侵略された場合に、戦力を持たない自衛隊がこれを防げるのかという問題を考えると、それは防げないんだ、一方的に攻撃をされるということになるのではないか。だから、やはり、自衛隊は戦う力を持った防衛部隊であるという認識を持たざるを得ないということになっていくのではないかと考えております。
 そこで、先ほど土屋委員からお話が出ましたように、日本を防衛する部隊としての自衛隊、それ以外に、国際協力をするための国際協力部隊というものを別途つくるという考え方、この考え方は一つの考え方として、私は貴重なものだろうというふうに考えておりまして、その際には、憲法九条をどういうふうに書き改めるかという問題が、将来、今後ともこの委員会で議論されることを私は期待したいと思います。
 以上です。
赤松(正)小委員 今の中山会長の問題提起について少しだけ触れさせていただきますと、もともと、PKO法をつくるときに、我が党の先輩たちが当初、自衛隊とは別組織をつくろうじゃないかということを考えたのですが、実際に世界に展開しているPKOを見たり、あるいはまた、事の特殊性というか専門性にかんがみて、やはり今の既存の自衛隊を使うのがいいんだというふうな結論になったということを聞いております。それはそれ以上触れませんが。
 ここで、先ほどの松井参考人との間のお話をさせていただいたことについて、感想を含めて少し述べさせていただきたいことがございます。
 というのは、先ほど、国連とこれからの日本ということを考えたときに、問題は、憲法の理念に立った国際協力ということを歴代の政府がしてこなかったということを参考人は指摘をされたわけですが、私は、確かにその側面は認めるんですけれども、同時に、現実日本政治の中で大事な側面というのは、日米安保の理念に立った同盟協力という側面がやはり欠かすことができないという部分があると思います。
 つまり、憲法の理念ということだけを強調して国際協力ということのみをやっていく中に、この東アジアの世界の中でさまざまなあつれきを現実政治の中で生じる。そこに対して、どうそれをうまく処理していくかということを、湾岸戦争以降の約十年の間に、日本の政府、また野党であり、そして今与党である公明党なんかは懸命に知恵を出してきたんだと私は実は思っております。
 というのは、例えばPKO法の中にも、紛争状態になると撤収するという考え方が入っています。そのことをいいとか悪いとかというのじゃなくて、その中断の考え方は、実はその後のガイドライン法に基づく周辺事態安全確保法という法律の中にもその考え方が入っておりますし、またテロ特措法にも入っている。
 つまり、いわば先ほどの参考人が言っておられた武力行使を授権する動き、つまりアメリカが武力行使を一手に引き受けて、権利を授けられた格好で一つの軍事行動を開始する。それに対して日本が、日米関係、同盟関係の中でどういう立場をとるかという問題が現実国際政治の中で突きつけられてきて、その中で先ほど言ったような、この十年の中で、周辺事態安全確保法あるいはテロ特措法、これを立場の違う人から見れば、どんどん日本は軍事的に右傾化していっているじゃないかというふうに見る向きがあるんですが、私はそうじゃないというふうに思っています。
 というのは、つまり、授権された軍事行動に参加するそういう国家の行き方に対して、いわば松井さんの言葉をかりると、何らかの協力ということなんですが、それを非軍事的側面、後方でそれを支援するということは、さっき言った中断という格好を担保するというか、紛争に突入するということじゃなくて、それを断つということをしっかり備えていきながらそういう行為をするということは、私は大変な知恵であるというふうに思います。
 先ほど松井さんは、日本国憲法の立場からだけでなく、国連憲章の立場に立っても論外である、軍事行動に参加することはもちろん、何らかの協力を行うことも論外である、こういうふうに言われましたけれども、私は、さっき二人でやったからあれなんですけれども、そうかなというふうに大いなる疑問を感じます。
 以上です。
中川小委員長 一回目、まだ御発言していない方がいらっしゃいますけれども、よろしいですか、とりあえず。
 では、大島さん。
大島(令)小委員 当時の社会党の村山さんが合憲だと言ったから、そのまま社民党は合憲だとか、そういうことではありませんで、そのときは連立を組んでいましたよね。今、幾つも政党が生まれ、またなくなり、自社さで与党のときもありまして、今は野党です。何度も選挙があるたびに人もかわっております。
 政治は生きています。世界も経済も社会も、いろいろな状況も生きているわけで、その時々に私たち政治家は、日本は世界の中でどうあるべきかを真剣に今議論しているわけでありまして、過去の人がこう言ったから今の社民党もそうだという考え方はぜひしないでいただきたい。
 これは非常に誤解を生んでいまして、当時の村山総理が自衛隊は合憲だと言われましたが、その後我が党は、自衛隊が違憲なのか合憲なのかといった憲法の解釈論にとどまることはやめまして、自衛隊の存在を認めながらも、具体的な軍縮をどういうふうに図るべきかという立場に転じてきたわけなんです。その中で、PKO、PKFに対して、その後法案が出されまして、一貫して私どもは反対してきたという実際的な経緯があるわけなので、ぜひその辺、会長さん、御理解をいただきたいと私は思っております。
山田(敏)小委員 きょうの松井先生のお話、憲法は変えられないという、今の憲法を守るんだという前提できょうはお話しになったなという僕は印象を持ちました。
 私自身、国連代表部で働いたことがございまして、五十五カ国の国際条約をやったことがあるんですけれども、今の日本がやっている、憲法があるから武力については一切関知しないという立場をとり続けるという日本の国内での議論なんですけれども、外国から見た場合、紛争というのは必ず武力を伴った紛争ですから、それを一切避けていく、その態度をとり続けることは、日本の国際的な貢献というのはほとんどネグリジブル、見えないものだという印象を受けているという事実を私は実感として経験しております。
 したがって、私は、きょうの松井先生の意見は、もう一歩、先生の前提として、憲法を変えることはできるという観点でやっていただきたかったというふうに思いました。
 以上でございます。
山口(富)小委員 先ほど発言したんですが、ちょっと一点だけ補足したいんです。
 参考人のおっしゃったことで、私は、国際協力の問題で憲法を変える必要はないというふうに申し上げましたのは、参考人が、自衛隊の合憲、違憲論については政治の問題でもあるというふうに抑制的におっしゃったので、あえて触れなかったんですけれども、その問題について言いますと、参考人は、解釈論でやって下位法で対応する、そういうやり方は法治主義の立場からいったら困るんだというふうにはっきりおっしゃいました。私は、その点では、私たちの党の立場からいえば解釈がやはり間違っているわけですから、自衛隊の違憲状態、この解消に向かうという形で、政治の場での解決を図るという立場をとっております。補足です。
葉梨小委員 今大島先生の言われたこと、ちょっと私なりの考え方を申し上げてみたいと思いますが、村山総理が発言をされて自衛隊を合憲とされたときに、社会党は党内で反対されましたか。反対して、総理にその方針の撤回を迫りましたか。そのときは、社会党は恐らく認めたと思うんですね。
 そして、今また反対だとおっしゃると、社会党の主張が全く正反対になったということなんですが、伝統のある社会党が、そういう大事な国の安全保障という基本政策につきまして一貫性を欠いていると我々が判断してよろしいのかどうか。そこら辺を伺いたいと思います。
大島(令)小委員 済みません、私は二〇〇〇年六月に当選した衆議院議員ですので、当時、国会議員ではありませんでしたので、その場に参加をしておりませんでしたので、後日、その問題に関しては、その当時の国会議員の方から意見を聞きまして、どうであったか党本部に聞きまして、お返事をさせていただきたいと思っております。
 重ねて申し上げますけれども、私どもは、軍縮、そしてやはり自衛隊縮小という方向で今も一貫して、憲法に言われています軍事力を持たないという基本的なところは変わっておりません。
 以上でございます。
中川小委員長 ほかにございますでしょうか。
 特に御発言がなければ、この問題は今後もこの小委員会で何回か議論が出てくるものと思いますので、各党のこれまでの経緯も踏まえて、また議論を進めさせていただきたいと思います。
 次回は、来る三月二十八日木曜日午後二時から小委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午前十一時五十分散会


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