衆議院

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第5号 平成14年7月11日(木曜日)

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平成十四年七月十一日(木曜日)
    午前九時四分開議
 出席小委員
   小委員長 中川 昭一君
      石川 要三君    近藤 基彦君
      土屋 品子君    葉梨 信行君
      平井 卓也君    首藤 信彦君
      中川 正春君    中村 哲治君
      山田 敏雅君    赤松 正雄君
      藤島 正之君    山口 富男君
      金子 哲夫君    井上 喜一君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   憲法調査会会長代理    中野 寛成君
   参考人
   (東京大学社会科学研究所
   助教授)         中村 民雄君
   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 国際社会における日本のあり方に関する件


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     ――――◇―――――
中川小委員長 これより会議を開きます。
 国際社会における日本のあり方に関する件について調査を進めます。
 本日、参考人として東京大学社会科学研究所助教授中村民雄君に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中にもかかわりませず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと思います。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。
 それでは、中村参考人、お願いいたします。
中村参考人 本日は、この場にお招きいただき、ありがとうございました。
 私は、ただいま御紹介にあずかりました東京大学社会科学研究所の中村と申します。
 本日、私があらかじめいただきましたテーマは、「EU憲法制定の動きと各国憲法」というものでございます。私は、イギリス憲法を中心に研究を始めまして、その後、研究をEU全体の法の制度というものに広げました。したがいまして、このようなタイトルをいただきましたことをまことに光栄に思いますとともに、いささかなりとも皆様の御参考になればと存じます。
 ただし、各国憲法の部分につきましては、私は、イギリス憲法を専攻していた関係上、ほかのヨーロッパの国々の憲法についてはいささかあいまいなところがございますので、その点はどうか御了承願いたいと思います。
 本日、私が申し上げたい意見は、大きく分けまして三つの部分に分かれております。
 まず、現在、EU憲法という言葉が使われておりますが、ヨーロッパ諸国でどのような論議が何のために行われているのかということを、ヨーロッパの文脈そのものに即して御説明するというのが第一の部分でございます。
 そして第二の部分は、これまでのEUの発展に伴って、それぞれの構成国の憲法がいかなる変化を来してきたか。逆に言うと、各国はEUをつくるためにどのように工夫をしてきたかという部分、これを語るのが第二の部分でございます。
 そして第三の部分は、このようなヨーロッパやヨーロッパ諸国の経験から私なりに考えました、日本に対する示唆がどのようなところにあるのかというところを、レジュメで申しますと「むすび」の部分でございますが、そこで若干お話ししたいと思います。
 レジュメでは、大きな柱の三番で、「EU憲法の制定に向けて 現在の論点」というのがございますが、これは第一の、現在何が論議されているかというところに織り込んで御説明をしたいと思います。
 それでは、まず最初の、現在EUでは、憲法という名前のもとで何が論議されているのかという点ですけれども、御存じのとおり、いわゆるEUと呼ばれるものは、一九九二年のマーストリヒト条約以降誕生したものでございます。それ以前はECという、ヨーロッパ共同体というものがあったにすぎません。
 それがEUになったのはどこに大きな違いがあるかというと、それは共通外交・安全保障政策を政府間協力の制度として法的に認知したという点が一つ、もう一つは、警察・刑事司法協力ないしは移民や難民の共同規制、こういった政策分野についても政府間の協力を法制度として確立したという点、そして、EC、共通外交、警察・刑事協力という三つの柱を一つに束ねるヨーロッパ首脳理事会ないし欧州首脳理事会と呼ばれるものを屋根のようなものとして三つの柱の上に置いたという点、このような制度づくりがきちんとしたというところにその特徴があります。
 ですので、現在EUと呼ばれているものは、既にあった経済共同体を中心としたECの柱に、やや異質の第二、第三の柱をつけ加えたという特殊な体制になっております。
 まず、その特殊な話をする前に、現在のEUが全体としてどれほどのことを扱うことができるのかという点を表にしたものがございますのでごらんいただきたいのですが、表1をごらんいただきたいと思います。
 この表1は左から右へと時間が流れているとお考えおきください。最も左側が設立当初の、EECだった時代の条約が管轄していた事項でございます。真ん中のあたりの「共同体の基礎」「共同体の政策」という大きな二つの柱に分かれていて、その中に、商品の自由移動、農業、人、サービス、資本の自由移動等々が書かれております。一見、明らかにこれは経済の共同市場をつくるという目的のもとに、その目的だけのために、いわば国家が限定的に権限を譲ったというふうなつくり方になっております。
 ところが、一番右側の現在のアムステルダム条約をごらんになりますと、その同じECの柱の中でも、例えば「共同体の政策」の上から四番目のところに「移民難民等、人の自由移動」というのが入っております。移民や難民は、少なくとも経済的な動機もあれば、政治的な迫害を受けて移る人等もありますので、必ずしも経済共同体という目的そのものに合致するものではなく、むしろそれを超えたものと言うことができるでしょう。
 それから、例えば、十一番から後、十二、十三、十四、十五というあたり、社会政策、教育、職業訓練及び若者に対する政策、文化政策、公衆衛生、消費者保護、環境、開発援助、このようなものになってまいりますと、純然たる経済共同体を超えて、一定の社会的価値を政策の中に織り込んで実現をするという政策領域になっております。したがって、ECの柱だけを見ても、九〇年代以降は急速にそれが政治、社会的な色彩を帯びた政策分野に広がっているということがわかります。
 さらにつけ加えて注目すべきなのは、先ほど申し上げた第二、第三の柱です。第二の柱の外交・安保は、九〇年代の、その表でいくと一番下の英語の文字でCFSPと書いてある部分でございますし、それから警察・刑事司法協力は、現在の言い方ではPJCCと呼ばれるものでございますが、こういったものがさらにつけ加わってくるということになりましたので、EU全体で見ますと、実は国民国家一カ国が担当する政策領域のほぼすべてを扱っていると言っても過言ではないかもしれません。もちろんすべてではございません。後で触れますが、非常に重要な部分が抜け落ちております。しかし、一見しますと、普通の国家が行いそうなことを大体は扱えるということになるほどになっております。
 それでは、そうはいいましても、EUは国家なのかというと、そうではございません。これは、先ほど申し上げた三つの柱に分かれて、それぞれ独自の統治のやり方をしておりますので、三つを束ねて一つのモデルで語るということはできないのです。
 最も歴史の古いEC、経済共同体から次第次第に広がってきたECだけを見ますと、これは確かに国家になぞらえ得るような部分を持ってはいます。例えば、独立の立法権をその条約の与えられた範囲内で持っていることは確かですし、そして独立の立法機関をやはり各国からは別個に持っているということも確かです。
 どのように立法がなされているかといえば、いわゆるコミッション、欧州委員会が提案をし、そしていろいろ手続がございますが、欧州議会、それから政府代表で構成する閣僚理事会で審議をして、最終的に法規を制定する、このような流れになっているわけです。その欧州委員会というのは、各国政府から完全に独立したものとして規範的に定められておりますし、欧州議会は、ヨーロッパ人民の選挙によって直接に、各国議会とは全く別個に選出されるものでございます。したがって、純粋にヨーロッパレベルの機関がこの手続の中に不可欠なものとして参加して、独立に行われるというふうになっているわけです。
 しかしながら、これは形の問題でございまして、実は、各国政府とECの間ではそのように簡単に役割が独立的に分担されているというわけではございません。同じ条約の中で、ECがすることができると書いてあっても、それがECだけができるという意味では必ずしもないからです。したがって、立法権がある程度独立にECにあるからといって、ECが完全に各国とは別個の統治体であるというふうに即断するわけにはいきません。
 非常にそこは微妙なところでございまして、表2を見ていただきたいのですが、実は、一口にECやEUに何らかの物事ができる管轄権があると申し上げても、それがだからといってEUやECだけができて、ほかのものができないということを意味するわけではないのです。むしろそれは逆でありまして、構成国が全面的にできるのが原則であって、例外的にEC・EUができるというのが現実でございます。
 その権限の配分方法を、これは法律の講学上、学問上の分類でございますが、そのものだけができるのを排他的権限、両方ともできるのを競合的権限というふうに大きく分けるとすると、EUが排他的に、つまりEUだけができる権限は思いのほか少ないのであります。
 それは、ECの柱でいえば、漁業資源保護の分野、それから共通通商政策の分野、あるいはこのごろ発足したユーロの管理運営に当たる通貨政策、これぐらいでございます。あとは、農業政策の部分で一部そういうものがございますが、原則として認められるのはせいぜいその程度でございまして、EUの第三の柱で共同機関として設立された警察の共同機関であるユーロポールの運営、これはその性質上各国ができないものでございますから、EUしかできないという分類になるわけですけれども、せいぜいこのくらいなんですね。
 むしろ、EU側もあるいは構成国側もできる、しかしEUが一たんそれについて全面的な立法権を行使したならば、それ以降は構成国は立法権が行使できないというふうになる部分がございまして、これが競合的権限の部分ですが、これが多いわけですね。そこに掲げましたような農漁業であるとか域内市場の自由移動、これは商品や資本、サービスの自由移動等でございますが、掲げられております。
 九〇年代になりますと、このような大ざっぱな分類にさらに加えて、構成国の権利をむしろ留保するために、補完的な権限という概念が恐らくできてきたと思われます。それはどういうことかと申しますと、一応政策項目としてEUが扱えるというふうに条約上書いてはあるんだけれども、しかし各国の法律を変えるような立法はできない、各国間の法の調和をするような立法はEUにはできないというふうにはっきり書いた、そういう条文が条約上入るようになりました。
 したがって、これは逆に申しますと、構成国があくまでも立法権限を留保しているのであって、EU・EC側にできることは、それに対する一定のガイドラインを提示すること、あるいはその立法をさらに促進するような援助措置をとることぐらいしかできない、そういうふうなものでございますので、この補完的という言葉は、EUから見て補完的という意味であります。そのような権限として、先ほど、九〇年代に特に入ってくるようになったと申し上げた、教育だとか文化だとか公衆衛生、こういった項目が掲げられていることになります。
 したがって、実質的に突き詰めて見てまいりますと、独立の立法権を持っているECといいましても、それは伝統的な経済共同体の確立のための立法範囲が中心でございまして、それを超えて社会的な価値、あるいは文化的な伝統の価値判断に深く立ち入るような政策領域になりますと、これはやはり構成国側の権限が原則として認められている、そういう分類になることになります。
 したがいまして、ECが独立の立法権を持つと申し上げても、今のような事情ですので、そのなせる範囲というものは常に各国の間の相互の交渉に任されているという部分が強く残ります。
 しかし、だからといって、では通常の国際機関と同じような交渉をしているのかといいますと、それは全く違う面もあります。それが、レジュメの最初にまた戻っていただきたいのですが、その真ん中あたりに書きましたEC法の特殊な性質の部分でございます。すなわち、対内的な部分ですけれども、そうはいっても、一たん法律としてできますと、このEC法規というのは構成国の法規との関係で非常に強い効力を持つことになります。それがいわゆる直接効と呼ばれるものです。ECの立法が、一定の条件がありますけれども、各国民に権利や義務を直接に発生させる効果というものを持ちます。
 そして、一たんそういった直接効を持ったEC法ができますと、今度は、それと抵触する国内法規があった場合にはEC法の方が常に優先をするという、EC法の優位性という原則もまたこれは判例で確立しております。
 こうなりますと、国内において、日常茶飯の民事や商事の事件の中にもEC法が絡まった事件が出てくることになりまして、それを国内の裁判所が裁くということになりますので、そこで先決裁定手続と呼ばれる特殊な手続が設けられております。これは、各国でEC法規を各国まちまちに解釈すると、法の統一的な適用ができないために、それを避けるための手続でありまして、各国の裁判所でEC法上の解釈問題や効力問題が生じた場合は、裁判所の裁量でEC裁判所へその事件を付託することができるというものであります。そして、国内の裁判所が最高裁の場合は、この付託が義務になっております。
 ですから、最終的には、いずれにせよ、EC法上の解釈問題や効力問題はEC裁判所が一手に解釈をするということになりますので、そこで法の統一的な適用や解釈が確保される、こういう制度なんですね。各国の裁判所は一回手続を停止しまして、EC裁判所の論点に関する判断を得た後にまた手続を再開して終局判決を導く、このような手続でもって法の統一的適用が確保される、こういうふうになっておりますので、一たんできた法律のその後の部分を見ますと、これは非常に統合的な法制度になっているということがわかります。
 しかしながら、ECの独自の統治というのはここまででございまして、ECの政策を法あるいはガイドライン等で実現していく行政の場面になりますと、これはほとんどの場合、構成国の政府の機関を通して実施をするということになりまして、EC独自の機関はほとんど持っておりません。競争法の場面でEC委員会、ヨーロッパ委員会が入ってくる程度でございます。
 したがって、実際には、立法するところにおいてECはいわば独立なのであって、それ以外の部分は各国に依存しながらやっていくというものになっております。ここもやはり普通の国家や連邦国家でのイメージとは違うものであろうと思います。
 第二、第三の柱になりますと、ましていわんやでございまして、立法の過程からして、実は構成国が非常に強力な影響力をまだ温存しております。すなわち、立法の提案において、欧州委員会のみならず、各国も実は提案権を持つというふうになっておりますし、それから、最後の審議の過程では、欧州議会は諮問的な立場にとどめられておりまして、むしろ、閣僚理事会、これは各国の政府代表ですが、彼らがほとんど全会一致で決めるというのが原則でございます。したがって、これは伝来的な国際組織の形をとどめた部分でもございます。そういうふうに言うこともできます。
 というわけで、このEUというものは、そもそも、これまで出てきた成果から考えても、一種、国家が扱うほどの大きな広がりを持った管轄権を持ってはいるのですけれども、しかしながら、現実の権力行使というものにおいては、要所要所で各国の制度に依存をしながら、あるいは各国の制度のチェックを受けながら行うというふうなものになっているということなのです。
 ですので、これを一足飛びに連邦国家ができる途中の体制であるというふうに評価をするのはやや即断であろうかと私は思うわけであります。むしろ、前代未聞の、非常に特異な実験途上のものである。それは国家になるのかもしれないけれども、そうでない可能性もまだたくさんある、そういうものにすぎないというふうに見るべきであろうと思います。
 ただ、いずれにせよ、この制度を使ってヨーロッパ大陸での悲惨な戦争が過去五十年間根絶されてきたというのは大きな成果でありますし、それから、夢にまで見たような一つの通貨ができて、現実に流通しているという多大なる経済的成果をもたらしたのもこのEC・EUの制度でございますから、これは、構成国が厳然として残っているというふうに単純にまた考えるのもおかしなわけでありまして、本当によくわからない中間的なものであるというふうに、むしろそのままお考えいただいた方がよろしいと思います。
 まさに、それゆえに、実はEU憲法という言葉でもって、現在のヨーロッパの人たちは、今自分たちが持っている統治体制がどんなものであるかを再確認しようとしているわけです。国家を超えた何らかの強力な統治体ではある、しかしそれは国家の上の国家ではない。ならば何か。しかし、その何かがわからないわけですね。それを語る言葉がないのです。ですから、とりあえず憲法という言葉を使っておいて、つまり人民の主権に由来する統治体制というものをヨーロッパレベルでも確保したいという願いが彼らの中にあるのです。ですので、そういった言葉を使いながら、しかし新しい事態を何らかの形で明確に説明するための言葉をつくりたいというのが、現在のヨーロッパ憲法のいわば願望を込めた運動であろうと私は考えております。
 ですので、レジュメの二枚目の大きな三番を見ていただきたいのですが、EU憲法の制定に向けての現在の論点として語られていることは、実は、例えば先ほど私が表2で御説明した、権限の配分をもっと明確化せよといった論点が挙がっております。それも、先ほど申し上げたような排他的とか競合的とか補完的とかいう概念を新たに導入して、明確化せよといった議論が出てまいりますし、それからもう一つは、各国議会が、ヨーロッパ議会とはまた別個に、どのような役割を果たすべきなのかということが議論の対象として挙がっております。
 そしてもう一つは、二〇〇〇年代に入って特にですけれども、人権の擁護というものを、やはりEC・EU独自のものをつくって、規範をつくって明確化すべきではないかという論調も強まっておりましたので、つい最近、基本権憲章というものが政治宣言として出されるに至っております。そこで、これを一歩さらに進めて、いわゆる国民国家の人権章典と同じように法的効力を持ったものに進めるべきではないかといったような議論がなされているわけです。
 このような議論は、それだけを見ますと確かに国民国家の憲法の制定過程に近づいているように見えるのですが、しかしその中には、各国そのものとか各国議会というのは厳然として残る、国際法上の主権主体として残るというふうな概念自体はありまして、したがって、いわゆる国づくりというのとはやはり違う論調であります。
 例えば、一つの象徴的な例を今の点で申し上げておきますと、国民国家の場合は、国民がだれであるかという定義があるわけですけれども、ヨーロッパの場合は、ヨーロッパ人がだれであるかという定義は、実は各国の国籍を持つ者ということになっています。ですから、各国がまずあって、プラスアルファでヨーロッパに属することによる権利というのが、特殊、もう一つつけ加わる、そういう発想なんですね。それを全部消してしまって、ヨーロッパ国というのができて、ヨーロッパ国国民とはこういうものであるというふうなことを言っているわけではありません。ですので、今ある論調というのは、常に各国があって、その上にプラスアルファとしての権利や利益の擁護体として何をつくるか、そういう議論であるということを御承知おき願いたいと思います。
 さて、以上のようなヨーロッパ憲法形成過程があったとしますと、それでは各国の憲法はどうであったかと申しますと、これはかなり、イギリスの場合ですけれども、重大な変化をもたらされております。
 例えばイギリスは、御存じのとおり議会主権という一つの大きな憲法原則を持っておりました。これは、議会というのは法的に無制限の立法権を持つというものです。それも常に持つという意味ですから、すべての会期の国会が持つということです。ですので、後の国会がつくった法律の方が前の国会がつくった法律に優先する、これは、後法が前法を覆すのはどの国にも共通したものがありますが、それを議会の主権で説明するわけです。
 これが国際の場面にも適用されまして、したがって、例えば、ある条約を締結し、それを批准した後に、議会がそれに反するような立法をした場合、その後の立法の方が当然に優先するというのが、簡単に言いますと議会主権の考え方でございました。
 しかし、そうしますと、直接効があるEC法は常に国内法に優先するという原則と衝突してしまうわけですね。一九八〇年のEC法があったとして、一九九〇年のイギリス法ができた。この場合、EC法の立場からすると、両者が抵触する場合は、必ず一九八〇年の方のEC法が優先しなければいけないわけです。しかし、議会主権から考えると、一九九〇年の国会の方がより新しい意思を持っているわけだから、こちらの方が優先しなくちゃいけないということになりますので、全く逆の結論になるわけです。
 現実にそういう問題を正面から取り上げるような事件が起きまして、その中で、イギリスの最高裁に当たります貴族院は、やや技巧的な判決ではありますけれども、一九七二年、これはイギリスがECに加盟する前の年ですけれども、そのときに国会の加盟するという議決が一応あって、そのときの意思が明文で覆されない限りは、後の国会の法の中にも当然に推定されるということを言ったんですね。
 ですので、明文でもってEUからイギリスが脱退すると言わない限りは、基本的にEC法の優位性というものを認めるということを言ったのと同じことになります。それはあくまでも国会の意思でやっているんだというふうに説明をするわけであります。
 説明の技巧性はともあれ、実質的には、加盟し続けている限りはEC法の優位性というものを承認せざるを得ないというところまで追い込まれておりますので、そうなりますと今度は、EC法が一種の憲法のような作用になりまして、EC法に反する国内法を裁判所が適用しないという場面まで出てくることになります。
 かつての議会主権の考え方では、議会だけが法律を改廃できるわけですから、裁判所がその適用をとめたり、あるいは無効を宣言したりということはおよそ考えられないことだったわけですが、しかし、EC法に反するという理由でもって国内法の適用を差しとめたりするということが可能になってき、実際それを行うようになってきているわけです。
 こういうふうになりますと、イギリスのいわゆる議会主権、国会主権の原則というのは、もう実質的に換骨奪胎されたと言っても過言ではないというのが私の見方でございます。
 行政や司法の面でどのような深い影響があったかと申しますと、まず行政面ですけれども、EC・EUの政策の実施主体として、いわば代行機関として各国の機関が活動することになりますので、実はこれまでイギリスの法律やあるいは制度運営上なかったような考え方を執行しなければならないというふうな場面が出てまいります。
 例えば、比例原則という言葉がございます。これは目的に比例した手段で、とりわけ私人の権利を侵害するような場合には、最小限の手段でそれを実施するといったような原則でございますが、イギリスの行政機関は、そういった新しいヨーロッパ大陸風の原則でもって自分の行政行為を統制していかなければならないというふうになりますし、それから逆に、行政の主体の方から立法案を提案したいというような場合に、イギリスの国会の側に、EC側からの情報を得ながらその法案を提起するといったような、影の準備過程での協力作用といったようなものがございます。
 司法過程におきましては、例えば国内法上、EC法の実効的な実現を妨げるようなものがあった場合、適用を排除するといった義務を課される場合があります。
 これはイギリスの事例ではなくてアイルランドの事例なんですけれども、国内の民法上の時効の規定がありまして、EC法上の権利を行使しようとした人が、国内法上の時効でもって権利の実現を阻まれるという事件がありました。これそのものでしたら何の問題にもならないんですが、実はたまたまEC法の国内的な実施をアイルランド政府が怠っておりまして、それゆえに事件の発生から時効が成立してしまうほど経過してしまった、そういう事件なんです。
 この場合、国内法上の時効の規定をそのまま適用するのは正義に反するとECの裁判所は申しまして、国内法上の時効の規定の適用をしてはならないという義務がむしろEC法上積極的に課されるというようなことを言いました。
 それから、イギリスの事例でいいますと、国会の立法の執行を差しとめるということは、国内の裁判所の権限としてはできないということになっていました。国王に対する差しとめと国王の家臣に対する差しとめというものは、コモンローの裁判所はできないというのが原則だったわけですけれども、これもEC法の実効的な実現を妨げる場合には適用されないとして、実際のところ、イギリスの制定法がEC法に反している場合、イギリスの制定法の方の適用を差しとめるといった事例まで出てまいりました。
 こういうわけで、立法、行政、司法のどの面を見ましても、実は深くその行為様式を変えなければならないほどのものになっているということは確かです。
 ただ、イギリスの場合、憲法が不文憲法ですので、こういった変化がはっきり市民の前にあらわれるわけではありません。これがわかるのは、やはり専門的な法律家だけであります。したがいまして、よその国と比べまして、イギリスがEUに属したことによって統治の根本的な決まりが変わっているという点について、国民と、それからそれがわかっている議会や議員やあるいは弁護士との間では、相当に相違があるというのが現実であります。
 よその国については、私は実は余り語る能力がございませんので省略させていただきたいと思いますが、以上のような経験から、一体何が日本の現在の状況に示唆を与えるものとして導けるかという点に最後に簡単に触れて、意見陳述を終わりたいと存じます。
 まず第一に、私は、このヨーロッパそのものの経験は、具体的な法制度の点では参考にならないところが多いと思います。しかし、もう少しレベルを抽象化して考えますと、経済がグローバル化して、相互依存関係が各国間で非常に深まってまいりますと、一カ国の規制、権限では、規制が十分に達成できないという問題状況がたくさん出てまいります。
 例えば、環境や資源保護などが最も簡単に挙がる事例であろうと思います。日本と隣国との間で、共同で漁業資源を保護するとか共同で環境の積極的な保護措置を実施するというふうに、何らかの形で国境を越えた協力でもって初めて実効的な政策が実現できるといった場面が今後ますますふえていくであろうと予測できますので、この点でEUがどのような制度をつくって実験をしているのかということを参照する、そういうレベルでまず一つの関連性を見出すことができると思います。
 私の個人的な関心で申し上げますと、いわゆる狂牛病、BSEの事件がありましたときに、ヨーロッパの諸国は、直ちに科学専門委員会を開きまして、イギリスで発生したBSEの全世界禁輸措置をとりました。そのことによって、病気が蔓延することを防ぎ、そしてその間、イギリスに多大な補助金を出しながら、その罹患牛の焼却処分を進めさせたわけです。
 例えば、こういった国境を越えて物品のリスクが広がるといった場合、各国同士が別個に、独立にやっていては、その抜け道を使ったリスクの蔓延というものがどうしても生じます。それを防ぐためにも、何らかの形で越境的な組織をつくって、そこで情報を収集して一気にやるといったような制度が求められる時代が恐らく近々来るであろうと私は思いますので、このような場合に、どのような制度をEUがつくってきたかということは参考になろうと思います。
 それからもう一つは、きょう私が申し上げたお話の中で強調したことですが、EUは、各国から浮かんで存在しているものではなくて、常に各国の制度とタイアップして存在しているというところからわかりますように、EUが法規範として出してきているものは、十分各国間で練り上げられた、討論で練り上げられた、いわば良識の最大公約数なわけです。
 ですので、そこから出てきたヨーロッパの公の秩序、公序ないしは規範感覚、規範価値といったものは、十分日本においても参考になるであろうと思います。これは、国際協調をうたった現在の日本国憲法の中においても、国際的なレベルでの議論を常に反映して統治に当たるという精神に合致するものでございますので、ヨーロッパの持ち出してくる公序というものは全く無視できないものがあろうと思います。
 時間になりましたので、後の質疑応答の場面でさらに意見をもし補足できたらと存じますが、以上で私の意見陳述を終わりたいと思います。(拍手)
中川小委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
中川小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。近藤基彦君。
近藤(基)小委員 自由民主党の近藤基彦でございます。
 中村参考人には、大変私が勉強不足なものですから、本当はもう少しお時間をいただいて意見をお聞きしたいと思うんですが、限られた時間でありますので、いろいろな条約を批准してきて今のEU法的なものが総体的にでき上がってきつつあるという深化の過程の中で、現実、加盟国が自分の国の憲法をそのEU法に合わせて改定したという具体的な部分はあるんでしょうか。
中村参考人 ございます。それは、例えばマーストリヒト条約を、これは九二年のEUを設立するときの条約ですが、批准するときのフランスが最もいい例だと思います。
 すなわち、いわゆるヨーロッパ市民権という概念をこのマーストリヒト条約は導入しまして、そこで、例えばある国の国民が別の国に移住をしてそこで住んでいた場合、その住んでいた自治体の選挙に出ることができる、あるいは投票することができるといった権利を認めたわけですね。これは、フランスの場合、フランスの統治はフランス国民によるということになっておりまして、市町村を含めてそうであるという解釈でしたので、憲法を改正せざるを得なくなりまして改正したという事例がございます。
近藤(基)小委員 第二の柱の方は、きょう、多分時間がなくて余り突っ込んだお話がなかったように思うんですが、いわゆる安全保障という問題で、これはEU法の中でどういう規定になっていて、各国、集団自衛権を当然持っているんですが、EU法の中で照らすと、集団自衛権じゃなくて、EU内は、例えば、既にどこかの国がやられればそれは共同の自衛権なんだというところまで踏み込んでいるのかどうなのか、その辺、ちょっと具体的に教えてください。
中村参考人 第二の柱は、実は、安全保障、防衛問題と申しましても、集団的自衛権にまで立ち入るものではございません。EUはあくまでも人道的援助を行うという部分での任務にとどまっておるのでありまして、そういった軍事行動を伴った具体的な問題は、NATOであるとかあるいはかつてのWEUであるといった別の枠組みで実は語られることになっております。ですので、現在まで、EUとしての集団的自衛権というものを語る場面はございません。
近藤(基)小委員 一番最初の原加盟国の構成を見ていますと、ベルギーあるいはルクセンブルクという原加盟国六カ国の、その当時のそういった共同体をつくろうとする動きの基本には、経済の共同体ですから、各国それぞれ自分の国のいわゆる利益的な部分を考えてなんだろうと思うんですが、例えば国力の違いとか、運輸、輸送力の違いとか、フランス、西ドイツとルクセンブルクを比べればかなりの差があったにもかかわらず参加をしていく。それぞれの思惑があるんでしょうが、なぜうまくこの六カ国が当初のEC共同体を組んでいけたのか、その辺の背景をちょっと教えていただきたいんです。
中村参考人 まず、ルクセンブルク、ベルギー、オランダといういわゆるベネルクス三国は、EECができる前に、既に経済共同体をつくろうとして関税同盟等の条約を締結しております。これはなぜかと申しますと、非常に国の規模が小さいということから、協力をして一定の規模を確保するというところにあったようです。とりわけ、ルクセンブルクの鉄をどういうふうに有効的に使うかという点で、隣の国と協力した方が得であるというのがどうやらあったようでございます。
 それがまずありまして、その後でEECの話ができてくるわけですが、これは独仏融和というのがやはり大きくその背景にあります。二度と戦争をヨーロッパ大陸の中で起こしてはならないという平和の決意もありましたし、それから、当時既に深まっておりました東西冷戦の状況がヨーロッパの一つの安定を保つための柱を要請していたというのがございますので、ベネルクス三国にとってもこの独仏融和は自国の安全保障のためには不可欠でしたし、さらには、より大きな経済単位に自分たちの国を入れることができるということになりますと、むしろより有利に経済交渉ができるということを意味していたと考えたのだろうと思います。
 フランスとドイツの間では、農業のフランス、工業のドイツというのが駆け引きを行いまして、条約を交渉するときにも、実は農業という部分が、商品の自由移動がすぐ後に出てまいりまして、そこで独仏はいわば取引をしたというふうに言われております。ルクセンブルク等は、それをさらに使うことによって、実質自分たちの経済版図を広げたというふうに解釈したと言われております。
近藤(基)小委員 それならば、東西冷戦の中で、フランス、ドイツの融和という部分も含めて、安全保障に関して、経済だけではなくて、この時点から出てきても不思議じゃないのかなと思いますし、先ほどの話で、EU法の中では人道的な部分しかまだ語られていないということですが、ただ、NATO、北大西洋条約にしても、十九カ国加盟をしていますが、ヨーロッパ以外にはアメリカとカナダですが、それを排除しようとする動きがあるやに聞いてもいるんです。EUの中で、新たな、いわゆるヨーロッパだけの集団安全保障を考えようという動きがあるやに聞いておるんですが、それとEU諸国との関係というのは今現実全く論議をされていないんでしょうか。
中村参考人 現実にその論議はございます。
 それに入る前にちょっと歴史のお話をいたしますと、実際、御指摘のとおり、一九五〇年代、ちょうどEECができる前に、むしろ防衛共同体案というのがございました。ヨーロピアン・ディフェンス・コミュニティーが先に出てまいりまして、ディフェンスをつくる限りは、それを政治的に統制する共同体も必要だから、政治共同体をつくろうというお話がむしろ先に出てきていたんですね。ところが、その発起人であったフランスが実は議会の承認を得られませんで、その条約自体が立ち消えになってしまうというところから、それならばできる経済からやりましょうということで、五七年の経済共同体が出てくる。こういう経緯がございます。
 ですので、確かに、ヨーロッパは常に、EECの発足の当時から安全保障問題を背後に持っておりました。現代に至っても、その安保問題について、立場の相違を含めて激しい論議があることは確かです。NATOをあくまでも主体にして考えていくべきだという立場もあれば、そうではなくて、御指摘のとおり、ヨーロッパ独自の防衛力をむしろ強化すべきであるという立場もございます。
 しかし、現実問題としまして、既にある軍事設備の充実度、それから利用状況を考えますと、NATOの協力抜きで独自のヨーロッパの軍事力を持つということは不可能であろうと思うんです、今の状況では。ですので、やはり何らかの妥協を探るしかないと思います。
 したがって、論議は完全にクリアカットではありませんで、どうやればその二つの立場を融和できるか、そのあたりで進んでおるというふうに理解しております。
近藤(基)小委員 時間ですので、ありがとうございました。
中川小委員長 山田敏雅君。
山田(敏)小委員 山田敏雅でございます。きょうは、どうもありがとうございました。
 このEUの理想というものをちょっと考えてみるのですけれども、今おっしゃったように、ヨーロッパの恒久の平和を実現するにはどうすればいいかということなんですが、EUがやろうとしていることは地球の恒久的な平和につながっていくものだと思うんですね。
 国連という組織があったわけですけれども、過去五十年の歴史を見ると、地球の今のいろいろな紛争をとめる機能は不十分であった。連邦国家という考え方が述べられているんですけれども、単純に言うと二つあると思うんです。一つは、軍事力を一つの統治下に置くこと、もう一つは、国際紛争というか国家間の紛争を、強制力のある裁判制度、国際司法裁判所が今機能しておりませんけれども、この二つが恒久的な平和に持っていく大きなかぎだと思います。
 その点でちょっと御質問したいのですけれども、ヨーロッパの国家間の紛争、これについて、裁判制度をきちっとして、しかもそれが本当の強制力のあるものにしていこうというふうに、今度の憲法については向かっているのかどうか。
 もう一つは、軍事力、NATOの話が出ましたけれども、これを本当に各国の、例えばイギリス軍というのがなくなってNATO軍しかない、フランス軍というのもなくなって、EUの中の軍隊としてはEUの一つの軍隊しかない、各国は警察機構を主に扱う、こういう考え方があると思うんですけれども、それについて、そういう議論は進んでいるのかどうか、この二点について。
中村参考人 まず、ヨーロッパ国家間の紛争に対しての強制力ある裁判機構を整える議論があるかという問題ですが、EUに関しては、直接にはその議論はございません。これは、EUの目的そのものが、経済共同体から、それに付随した外交や刑事規制の問題に出ていったという歴史的な経緯がございますので、そこまで一足飛びに行かないというのが一つありますし、もう一つは、実は人権保障の点で、ヨーロッパ人権条約という全く別個の国際機構がございます。これは、人権という立場から、いわば国家の中の紛争で結果的に生じた人権侵害といったようなものを救済する機構として働いてまいりました。
 恐らく、最も先生の御関心に近いものとしては、国際刑事裁判所の設立という動きであろうと思います。しかし、これはむしろ全世界的な動きでございまして、ヨーロッパ特殊なものではございません。もちろん、ヨーロッパの多くの国はこの条約に署名し批准しようとしておりますので、したがって、大きな目で見れば、これが一つの共通の精神を持った流れであろうというふうには思いますけれども、きょう私がお話しした中の文脈で申しますと、残念ながら、ECとかEUとかいうコンテクストからこのお話が出てきたわけではございません。
 私自身も、御指摘のとおり、国家間の紛争に対する何らかの抑制的な機構が必要であるということは考えております。それをどのような形で実現するのがよいかというのは、実はまだ自分自身で考えが煮詰まっておりません。
 もう一つの、軍事力の点ですけれども、これも今申し上げたとおり、EUそのものがまだ人道的援助のレベルで終わっておりまして、それをもう少し進めて、いわゆる平和創出、ピースメーキングと彼らは言っておりますが、ピースキーピングではなくてピースメーキングの部分まで立ち入るというふうに、慎重ながら一歩を進めておりますので、少しずつではありますが、共同の、何らかの形の防衛力というものを考えつつあることは確かです。確かではあるのですが、あくまでも、まだ各国軍が主体の現状を維持しているという建前が続いております。
 ですので、今の段階でEU軍というものを考えるというところまでいくというのは、まだ話としてはないと思います。機能的に緊急対応部隊をつくるとかいった、局所局所の問題ごとの対症療法で実績を重ねていくというのはあり得ると思いますけれども、いわゆる原則論として軍隊を持つというところまで大きな議論をしている国はまだ少なかろうと思います。
 ですので、この問題は既存の安全保障機構の方の問題として議論されることが多いであろうと思います。
山田(敏)小委員 私は、二十年ぐらい前なんですけれども、ジュネーブで、国連代表部というところで働いたことがあるんですけれども、そのときに、ECの代表の方と一緒にいろいろな交渉をやったのです。私の印象では、意思決定のメカニズムというか、非常に未発達な、だれがリーダーシップをとって、どんな理念に基づいて、何をやろうとしているのかというところが、これは余り機能しない組織じゃないかなと思ったのです。
 その後二十年ぐらい、少しずつ変わってきたのですけれども、今でも、これから先の、本当に理想の追求をするのであれば、今言いましたように、軍事力をEUだけじゃなくて、世界に広げて一つの軍事力、各国の軍隊をやめるという。
 もう一つは、国際間の紛争を本当に強制力を持って裁判ができる。これができないと、本当の意味の恒久的な地球規模の平和はできないと思うんですけれども、その辺の、EUの今の意思決定のメカニズムとかそういうものが、ちょっと私たちから見たらはっきりしないなと思います。
 時間がないので最後の質問ですが、我が国のことをちょっと考えてみるのですけれども、EUは経済共同体から出発したのですけれども、日本は今シンガポールと自由貿易協定をやったわけです。現実には、シンガポールと我が国の通商貿易問題はほとんどない、貿易量もほとんどない、農業問題もない、一番やりやすいということでやったのですね。次に韓国とやろうということで今やっているんですけれども、世界全体から見ると、日本の自由貿易圏というか、それをやろうとしている構想もかなりおくれているというか、孤立している。
 それに続いて、中国は、自由貿易機構というものをASEANとやろうとしているということなんですけれども、日本はこれから世界をリードして、世界の平和をつくっていこうということであれば、日米安保条約の枠組みから一歩外れて、そういう自由貿易圏の経済的なアジアの共同体を目指していくべきなのかどうか、この点について。
中村参考人 アジア共同体という言葉で何を考えるかにもよりますけれども、私自身の考えでは、まずは経済的な利益の問題の前に、アジアの各国がそれぞれの国だけで統治を実効的にもはやできない事態に直面しているという現実認識を共有することから始めないと、この話は進まないと思います。
 ですので、それは経済問題だけではございません。政治的な問題も含めて、とにかく一国ではとてもやっていけないから協力しましょうという、そういう気持ちがまず共有されて初めて、じゃ、どういう制度をつくりましょうかという話に進んでいくことになると思いますので、単純に自由貿易協定をたくさんつくっていって、いつの間にか共同体に近づくというふうな発想ではないだろうと思います。それがまず第一点申し上げたいことです。
 もう一つは、現実的な策として、自由貿易協定を一つ一つつくっていくというのもあながちおかしなことではないのですけれども、しかし、現在の貿易問題というのは常に経済以上のものを含んでいます。例えば、遺伝子組み換え食品の問題を一つ取り上げましても、それは商品という問題だけではないですね、人の健康に常に関係する問題ですので。そうすると、そういったものを個々別々の国と条約関係を結ぶということだけで議論が尽くせるかというと、そういうことはないわけです。やはり共通の場をつくって、きちんと話し合わなければならない、制度的な枠組みを要求する声というのは出てきますので。
 したがって、まずは、一国ではできないことは何なのか、そして、共通に共有できるような価値というのは何なのかというようなことを政治的に析出していく、だんだん明確化していくということが恐らく必要であろうというふうに思っています。
山田(敏)小委員 時間が参りました。どうもありがとうございました。
中川小委員長 赤松正雄君。
赤松(正)小委員 公明党の赤松正雄でございます。
 大変貴重な御意見、ありがとうございました。
 まず、先ほどのお話の中で、EU憲法制定の動きを連邦国家に向かっての途中のものと見るのは問題であって、いわば前代未聞の実験なんだという非常に印象的な言葉を発せられました。
 それに関連しまして、参考人が、法律時報のことしの四月号、「EC法からEU法へ」という論文をざっと読ませていただいたんですが、一番最後の結びの部分に、今と関連したこと、こうおっしゃっています。「連邦国家か国家連合かといった図式を捨て、規範像と実像の両面を見つめ、使う概念に国民国家の法秩序の説明概念としての暗黙の想定がまとわりついていないかを常に批判的に検証する、という徹底した態度が要請されている。」こうおっしゃっているんですが、要するに、古い概念というか言葉というものを余り使って考えちゃいけないということをおっしゃっているんですか。この辺のことについてもう少し詳しく教えてください。
    〔小委員長退席、平井小委員長代理着席〕
中村参考人 今伺いまして、私も、何でそう回りくどい言い方をしたのかがわからないんですけれども。
 簡単に申しますと、我々はやはり既成の概念にとらわれて議論をしているわけですね、憲法と聞くと国民国家があるものだというふうに。私は、そこで言いたいのは、憲法という同じ言葉を使っていても、それは、あるべき統治像を求めているというぐらいの意味であって、国家とか国民とか、そういった既成のものと結びつけないでほしいということを言っているんですね。
 先ほども申し上げましたが、ヨーロッパという一つのまとまりがあって、そこにEU憲法なるものがあったからといって、ではEU人というのがあるかというと、そういうふうにはならないわけで、常に何か新しいけれども違うという部分が残るわけですね。その部分を何か言葉化しなくちゃいけないんですけれども、まだ言葉がないんです。ですので、その言葉をつくるまでの間は、とにかくその言葉は使ってはいけませんということを自分でわかりながら使ってほしいという、矛盾しているんですけれども、そういう気持ちをそこでは申し上げたわけです。
赤松(正)小委員 具体的に一つお伺いしたいんですが、要するに、今のEUの有力なメンバーであるフランス、ドイツあるいはイギリス、こういう構成する国家の間の物の考え方の違いということです。フランス、ドイツの方は、EU統合を一層推進して、国民国家で構成する連邦体として発展させるべきである、そういう立場に立っていると聞いているんです。一方、イギリスの方は、国家主権を維持しつつ統合を深化させると。
 どちらに力点を置くかということなんでしょうけれども、そういう国家主権の問題とEUの将来のあり方をめぐる加盟国間の深いギャップがあると言われているのですが、その辺についてはいかがなんでしょうか。
中村参考人 将来像について意見の一致がないのは確かです。ドイツとフランスの間でも微妙に違いがあると思いますので、連邦体であるか連合体であるかといった議論の中では酌み尽くせない微妙な差異であろうと思います。
 イギリスがとりわけ常に主張してきているのは、それぞれの国としての違いが制度としても反映しやすいようなものをつくってほしいということを言っているだけであって、彼らは別に、ひとり孤立をしたいとか、あるいはEUそのものをもっと緩めて、普通のもっと強制力の薄い国際組織に戻してほしいとか、そういうことを言っているのではないわけです。イギリスとしても、ヨーロッパなしでは現在の経済は成っていきませんし、政治的にも、世界的な大きな声を出すときにもヨーロッパをつけて発言した方が大きくなるというのはわかっておりますので、彼らが言っているのは、その中での差異というものをどこまで確保するかということだと思うんですね。
 これは何もイギリスに特殊な問題ではありません。例えばデンマークであるとか、あるいはスウェーデンであるとかアイルランドであるとか、それぞれの国が国家として譲れない部分というのは持っておりまして、そういった差異が多数決だけで押し切られるのは困る、そういう危惧を常に持っているわけですね。
 ですから、イギリスにいわば代表格として発言させているという部分がありまして、イギリス自体が求めているのは、統合の中の差異というのでしょうか、そういうものだと思います。ですので、イギリス自体が、将来的にできてくるであろう今よりも緊密な各国間の協力制度の中から脱落するというようなものではないと思います。
 ですので、深いギャップというのは、いわば将来像の制度設計においての意見の相違というぐらいの意味でありまして、根本的な理想の部分は共通していると思うんです。
赤松(正)小委員 このEUの試みということを考えましたときに、ヨーロッパと非ヨーロッパというものを区別するというか、そういうものが非常に顕著にうかがえるのかなという感じがいたします。ヨーロッパにあの第一次大戦、第二次大戦という大変悲惨な戦争があった。それを二度と再び起こさないようにしようということが、ある意味で根底の突き動かすものとして存在しているということはわかるんですけれども、そういう中で、EUというまとまりを強調すればするほど、接触する外の世界とのそれこそ差異というものが非常に強調されてくるんじゃないのかなという感じがします。
 参考人も、「EU法秩序の理念と現実」「新たな「ヨーロッパの人々」を求めて」というくだりで、その辺の域内と域外の関係、域外に対しては、むしろ、同類の発想によって排他性を主張することになるということをおっしゃっておるわけです。
 そこで、例えば、これからEUの、今も少しずつ構成国がふえてきているわけですけれども、旧東ヨーロッパの国々とか、あるいは南の旧ユーゴスラビアのようなああいう地域との関係性ということを考えたときに、いわゆるヨーロッパ、EU域内で平和はあっても、接触する国々との関係の中において、むしろ、いろいろな意味でトラブルの種というか、そういうものがこれから起きてくる可能性があるのではないかな。
 例えば、近過去でいうとコソボ紛争、こういったことに対してEUの憲法制定の動きはどういう試練を受けたというか、そういう流れの中で、どういう議論の中で、どういう変化、影響を受けたのかどうか、そのあたりについてお聞きしたいと思います。
中村参考人 御指摘のとおり、EUのまとまりを強調すればするほど、ほかとの差異が出てくるというのは論理必然でございます。現実に、これは本当に悲惨な状況に既に陥っておりまして、EUの対外的な関係での移民政策や難民政策が、特に近時急速に非常に門が狭くなってきております。こういった問題一つとりましても、その違いというものが、外との関係での平和を保つものなのかという疑問を持たざるを得ません。これは私も全く同感です。
 しかしながら、公平のためにEUの中の方から見てまいりますと、コソボ紛争をきっかけにして、あのときEUとして何もできなかったという非常に悔悟の念が彼らにあります。したがって、例えば、先ほど申し上げた基本権憲章として、人権価値をどういうものを共有するのかを再確認して文書化する、あるいは第二の柱の、外交政策での行動手段を強化する、特定多数決を部分的にも導入して拡大するとか、それから、より拘束的な手段が使えるようにするとかといったような改正をしました。
 さらには、少なくとも身内の中での人権侵害国に対しては制裁をしようということでEU条約の改正がなされまして、アムステルダム条約、九七年の条約のときに、EUの構成国の中で人権侵害を重大に継続しながらやっているような国があった場合には、議決権の停止を含めて制裁を行うということが規定されました。それが近時のニース条約でさらに一歩進められまして、そういった十分重大な人権侵害がありそうな国、危険がある国もまたその制裁の対象になるというふうになってまいりましたので、少なくとも自分たちの中で悲惨なことをする国がないようにしようという自戒の念はまず来たと思うんですね。
 その後で、それでは、それが外との関係で公平に同様に保たれるかというと、ここは今後の課題ということだろうと思います。
赤松(正)小委員 終わります。ありがとうございました。
平井小委員長代理 藤島正之君。
藤島小委員 自由党の藤島正之でございます。
 私も、考えていた以上によく進んだなという感じがするんですけれども、主権国家を残したままで共通通貨というのはそもそも可能なのかなというのから始まって、随分うまく統合化が進んでいると思うんです。
 さればとて、連邦国家モデルでは説明できない、特異な前代未聞の統治制度だということなんですが、今後もっと統合の内容がほかの分野にまでいくのか、もうこれが大体限界なんだと考えた方がよろしいんでしょうか。
中村参考人 地道にまだ進むと思います。
 統合というのは、今ここに来るまで五十年かかっているわけでして、物を考えるときの時間軸というのは非常に大きいものだと思うんですね。五十年、百年といったような単位ではかるようなものだと思います。この五十年でも非常によくやった方だと私は思います。統合の機運というのは、盛り上がりとそうでないときと浮沈がありまして、とりわけ経済状況によって変わります。七〇年代の頭、石油ショックのあたりの統合というのはほとんど進んでおりませんでした。
 唯一、私が今後も地道に進むと申し上げることができる根拠は、法律があることなんです。
 七〇年代、各国が冷え込んでしまって統合の機運が下がってしまったときに、実はEC裁判所が、条約に書かれた基本的な原則というのは、書き方では構成国への義務という書き方になっているけれども、実はそれが反射的に各国の国民に権利を与えるものだというふうに解釈をしたんです。そこのところから、各国の国民は、政府が動かなくても自分たちで動かす権利を持つということになりました。
 そこで、いやが応でも、もともと約束したことは実現するという、制度的ないわば動機づけが常に行われることになったわけですね。そこが私はヨーロッパの人の英知だと思います。法律的にきちんと物事を決めておいて、いざとなれば使えるようにするというふうにしておいたのが、今日のEUの成果のかなりの部分を支えていると思うんですね。
 同じように、今後を考えますと、仮に条約改正がこれから一度もなかったとしても、例えば物の必然的に、経済統合を進めていくにつれて付随して出てくる問題部分というのはどんどん広がります。それが共同体の運営上必要であると認識される時点が必ずどこかで来るわけでして、そうなりますと、立法範囲にもともとあったのではないかという解釈変更が行われて取り込まれていくというふうになっていくわけです。ですので、これはもうとまらないモーターのようなものだと考えていいと思います。
    〔平井小委員長代理退席、小委員長着席〕
藤島小委員 憲法の関係ですけれども、EC法によるイギリス憲法への影響といいますか、変容がどういうふうにあるのか、あるいは各国の憲法との関係、これはどういうふうに変わってきていると考えたらよろしいんでしょうか。
中村参考人 一言で申しますと、各国は、もはや憲法で規定してあるからという理由でもって一方的に行動ができなくなったということだと思います。
 EC法がカバーする範囲においてはEC法が絶対的に優位を保ちます。したがって、憲法に書いてある明文であったとしても、それもEC法に優位されてしまうということになりますので、そういう意味で、完全な一方的行為というものが極めて制限されるようになったと申し上げればいいと思います。
藤島小委員 そうしますと、日本ではよく憲法優位か条約優位かということになりますけれども、この場合に、言ってみれば、まさに条約優位が典型的にあらわれるというふうに見てよろしいわけですか。
中村参考人 そのとおりです。
藤島小委員 もう一点、法制についてですけれども、イギリスの場合はまさに英米法体系になっておるし、ドイツは特に大陸法系になっているわけです。そういう対立した法制が一本化的な形になるわけですけれども、いろいろな面で矛盾が出てくるような感じがするんですね。片や法律できちっと書いてないとなかなか動かない、片や慣習法でいく、そういう点での矛盾といいますか衝突といいますか、そういう点はなかったんでしょうか。
中村参考人 理論的には考えられることなんですけれども、現在までのところ、英米法と大陸法の大きな法のスタイルの違いでもって対立や困難が出てきた例はありません。
 これはなぜかと考えますに、まず立法過程の場合、各国が既に政府代表を出しまして、何回も練るわけですね。その過程で、既存の国内法との抵触をなるべく避けるという作業が行われます。それから、その作業で見落とされていた点や新しい問題が仮に後で出て、裁判の時点で考えてみますと、これもEC裁判所が最終的には解釈を行って、各国の裁判所はそれをどうしても受け入れざるを得ないということになるわけですが、実はイギリスの裁判所の方が、EC法の実現においては国内法に欠陥があるので、この点はEC法が補充できないものかといったお伺いを立てるといったように、先ほどの先決裁定の手続でもって問題を立てる例の方が多いんですね。
 ですので、むしろEC裁判所が積極的に介入するというよりも、各国の裁判所から要請があったので、消極的ではあるけれども入っていくといった運用を非常に賢明にやってきたというのもあると思います。
 そういうことから、いわゆる英米法と大陸法のスタイルの違いから矛盾や紛争が出るということはこれまでのところございませんでした。
藤島小委員 このケースですと、イギリスとフランス、ドイツというのは、安全保障問題もそうですけれども、経済的にもほぼ似たような規模なんで、先ほど先生おっしゃいましたけれども、それぞれの国が必要に応じて一緒になっていくという感じは非常にわかりやすいんです。ASEANなんかも、アジアではこういう方向に行く可能性があるのかなという感じがするんですけれども、世界のほかの地域についてはそういう可能性があるのかどうか。あるいは、日本を含むアジアでは、そういった、将来的に見て可能性があるのかどうかについてはどういうふうに見ていらっしゃいますか。
中村参考人 一つ私が思いますのは、EU・ECという制度は非常に法律的な制度でして、そこにヨーロッパの一つの特徴があらわれていると思うんですね。ASEANにせよ、あるいはそれ以外の地域のものにせよ、例えば近時でいいますと、アフリカンユニオンというものが成立したように報道されておりますが、そういうものにせよ、ASEANの場合はとりわけそうですけれども、まず法律的にがちがちに物を約束して、それでその行動を将来にまで及ぼすという発想では行動しておりません。
 AU、アフリカンユニオンの場合も、その設立憲章そのもので、まだ根本的なところで対立が残っておるようでございますので、今後のことにちょっと今の段階ではコメントができないんですが、ASEANだけに戻りますと、アジアの地域を考えますと、法律というものに対する感覚がかなりヨーロッパと違うんではないかというのが私の率直な感想なんですね。
 ですので、アジアにはアジアなりのやり方というのがどうもあるかもしれない。ですから、EC条約やEU条約のようなものをコピーしてきて、それで共同体をつくりましょうといっても、魂が入った本当の共同体ができるかというと、私はかなり首をかしげざるを得ないわけです。ただし、だからといって、法律抜きでやれということにはなりません。
 なぜならば、そこで共同でやるものが、例えば非常に強い規制権限を持つ内容のものであったとしたら、例えば共同で食品リスクを管理するとか、そういうようなものになりますと、何を優先的にリスクと考えるかというところは各国違いますので、そういったのを民主的な議論を経ずに、一方的に宙に浮いたような国際機関が決めたということになりますと、これは到底民衆も納得しませんし、議会主義も空洞化します。ですので、やはりきちんとやるべきことは、根本の部分は何らかの形、法律文書化する必要があるし、だれが何をどこまでやるかということはきちんと決めるべきだと思います。
 しかし、それ以上のところを事細かに法律を決めて、規則だの指令だのでやっていくECの方式をやるのか、それとも、そうではなくて、ガイドラインのようなものにして、自主的にやらせるように強調する形でやるのか、これはアジア独特のやり方があろうかと思います。
藤島小委員 ありがとうございました。
 終わります。
中川小委員長 山口富男君。
山口(富)小委員 日本共産党の山口富男です。
 EUの現状と今後なんですけれども、これは二十一世紀の国際社会のありようにとって大変大きな実験だと思うんです。
 それで、まずお尋ねしたいんですけれども、こういう前例のない実験を五十年にわたって行われてきた試みを支えているヨーロッパ的な条件といいますか、どういうものがこういう努力を支えているのか、その点について参考人はどうお考えになっているのか、まずお聞きしたいんです。
中村参考人 これまで申し上げたことと重なる部分もございますが、まず第一に、共通の体験があったというところだと思います。すなわち戦争の被害ですね。それから第二に、国民国家という統治体でもっては、もはや統治が完全にできないという自覚がある点。
 問題は、実は十九世紀までさかのぼるわけです。ナポレオンが統治をし始めて以来、国民国家をつくるや敵国になだれ込むといったようなことから、何回もヨーロッパ各国は国の名前でもって戦いを繰り返してきている。それが二十世紀になってあのような破局を生んだというところからも、やはり国民国家だけではとても守り切れないものがあるということが多分自覚できたんだろうと思うんですね。
 ですので、そういった共通の歴史、そしてその歴史に対する共通の認識というんでしょうか、評価というんでしょうか、これがまずあると思います。
 それから、もちろん広くは文化的な条件もございます。例えば、現実に六カ国やあるいは現在の十五カ国まで見ておりますと、基本的にはいわゆるヨーロッパ文明の圏内ですね。ですので、キリスト教文化であるとか、あるいはラテン語であるとか、ローマ法の遺産であるとか、そういったものが、程度の差こそあれ、かなり共通に見られるといったような、いわゆるヨーロッパ文化というものを土壌としているというのがあります。
 あとは、恐らく政治的な問題が絡んでいたのではないかと思います。すなわち、アメリカでもない、ロシアでもないという消去法からきたときの谷間にちょうど属するのがヨーロッパでして、一九五〇年代から九〇年代の初めにかけてまで、とりわけ、ちょうど中間に挟まれたものとしての一体感、つまりこれは内側からの自制的なものというよりも、外側からとの区別で自分たちが一体であると感じさせられる部分で共通していた、こういった条件があったのではないかと思います。
    〔小委員長退席、近藤(基)小委員長代理着席〕
山口(富)小委員 先ほど、社会的価値の問題が政策の中に織り込まれてきているんだという特徴づけがありました。その中で、欧州基本憲章なんですけれども、今条件の問題として戦争被害の問題が出されましたけれども、このEUの基本権憲章を採択したときに、ちょうどフランスが議長国でしたが、そのときにシラク大統領が、この憲章はナチズムに反対する闘争の上に根をおろしているということを強調されたことが非常に印象深かったんです。
 今日、欧州労連などが欧州基本憲章をEU憲法の形成の中にきちんと位置づけよということを繰り返し強調しているようなんですが、きょうのお話の中に基本憲章の法的効力というお話があったんですけれども、一体参考人は、これ自体をどのように評価しており、またEU憲法形成に向けてどういう位置づけをこの憲章は持つというふうに考えているのかをお尋ねしたいと思います。
中村参考人 私自身は、このEU基本権憲章に対して、もちろんこれが将来のEUの統治規範の中の冒頭に持ってこられるべきものになるであろうという考えでございますけれども、ただし、法律的にいろいろと技術的な問題がありまして、一足飛びにそこまで行くかどうかはやや悲観しております。
 一番大きいのは、ヨーロッパ人権条約との問題なんです。ヨーロッパ人権条約という別の人権機構がございまして、そこにもEU十五カ国は加盟しているわけですね。その加盟を続けながら自分たちで独自の人権規範を持ち、別個の裁判所でほぼ同じような問題を裁くというようなことになりますと、一体どうすればよいのかという、その問題がまだ未解決です。
 ですので、そこのテクニカルな部分を処理しない限りは、この基本権憲章を法律化して効力を持たせたとしても、運用上非常に問題が出てくると思います。
 それから、各国の憲法裁判所との関係でもやはりどちらが優位するかという問題が出てまいります。この場合、非常に大きく言えば、恐らくEUの基本権憲章の方が優位に立つという考えになるのかもしれませんけれども、しかし、各国に独自の価値というのもあるわけですね。ですので、その点であつれきがまだ生じるであろうと思いますので、これは、私としては将来的にはぜひ入れてほしいものと思っていますけれども、現時点ですぐにというようなものではないというのが私の認識です。
 ただ、非常に日本にとっても参考になろうと思われるのは、社会がこの五十年で変わってまいりました点を、幾つかこの基本権憲章が要約したような形で権利としてまとめているわけですね。人の尊厳から始まって、最終的にはヨーロッパ市民の権利で終わるという編別なんですけれども、人の尊厳の部分でも、具体的には例えばクローン人間をどうするかとか、そういう問題にも注釈の部分で触れられております。条文には入っておりませんけれども、注釈の部分でそういう議論が既になされておりますし、平等の部分でいえば、例えば子供や高齢者や障害者の権利というものが明記されているとか、それから団結というふうな部分、社会的な団結という部分では、環境の保護や消費者の保護といったものがはっきりと書かれております。
 こういうふうに、社会が変わってきたことをかなり明確に反映した条文づくりになっておりますので、その点では参考になろうかと思います。
山口(富)小委員 先ほど日本に対する示唆の問題で、経済のグローバル化などで国境を越えた規制の問題が生まれているんだ、そういう点でEUの経験というのは参考になるというお話がありました。
 確かにヨーロッパでも、企業が国境を越えまして活動する関係で、最近、一般労使協議指令というのが出されて、解雇、リストラなどにかなり厳しい規制をやって、これを各国が国内法できちんと整備せよというところまで進んできているようなんですけれども、そういう、規制の問題や国民のいろいろな社会的な権利を保護する問題、法整備、これらが進んでいる問題を、欧州統合とのかかわりで参考人はどういうふうに位置づけられているんですか。
中村参考人 ヨーロッパの非常に特徴的な部分であろうと思います、とりわけ社会政策について積極的に国際立法をやっているという点が。これはどこまで参考になるかは、実は私自身はやや懐疑的なところがございます。
 労使協議に関しましては、フランス、ドイツの国内法制度がかなり参考にされておりまして、イギリスは全く逆なんですね。労使は協議しないものだ、むしろ対立して交渉するというのがイギリス流のやり方であります。
 フランスやドイツは、むしろ労使が協調し、かつ、ドイツの場合は経営参加しというふうに協調的な態度でやっていくというところから、どうもここの部分はヨーロッパの中でも独仏の考えが競り勝った部分であろうかと思いますので、ちょっとそこを一般化することはできないんですが、より大きく物を見まして、例えば越境的な規模で会社を設立したいという場合に、各国の会社法によらずに共通のヨーロッパ会社法というのをつくって、それでもってその会社を規制していくというやり方は既に試みられようとしているわけですね。ですので、そういったアイデアは日本においても十分使えるものではないかと思っています。
    〔近藤(基)小委員長代理退席、小委員長着席〕
山口(富)小委員 先ほど自由党の委員からも、大陸法と英米法のかかわりが出ましたけれども、今のお話もそれにかかわる点があると思うのですが、イギリスの憲法がEUとの関係でかなりの変化を遂げたというお話があったんですけれども、ほかの国の場合、君主制の国もあれば、共和制の国もあれば、連邦制の国もある。いろいろな政治の形態をとっておりますが、類型的に、ヨーロッパでのEUの経験が各国憲法に与えた変化について、こういう特徴づけが幾つかできるんだというようなものは何かあるんですか。
中村参考人 今、この場でちょっとその類型を考えようとしているところですが。
 まず、一つ言えることは、国の統治の中のかなりの重要な部分がEUレベルで今なされているということから、各国議会が自分たちの政府の代表がEUレベルで何をしているかを監視するという制度装置をつけようとした憲法がある国とない国というふうに例えば分けることができます。
 北欧系の国、それからドイツなどは、各国の議会があくまでも理事会に出ていった政府代表の行動を監視する、事前、事後を含めて十分監視するという制度をはっきり打ち出しています。それに対して、憲法にそこは書いていないし、また制度化も必ずしもされていない国も残っておりますので、これは連邦制、共和制といった分類とはまたちょっと次元の違う、議会制民主主義をどこまで徹底するかという次元の話の分類ですけれども、そういう分類の仕方が一つできると思います。
 それからもう一つは、各国の憲法において主権の部分的移譲ないし制限をはっきり明記するか明記しないかという点だと思います。
 これは、国によって、ごく一般的に、およそ国際機関にそれができるというふうに規定しているスペインのような憲法もありますが、それは非常に少数でして、むしろECやEUのためだけにというふうに特定してしている国がありまして、第三に、全く規定がない国があると、そういう分類もできるかと思いますが、いずれにせよ、これらはECの活動の後でつくられた規定の方が多いという全体の傾向があります。既に持っていた国もありますけれども、後でそれを詳しく規定し直したドイツなどは、例えば中間的な事例になろうかと思います。
山口(富)小委員 どうもありがとうございました。
中川小委員長 金子哲夫君。
金子(哲)小委員 社会民主党・市民連合の金子です。きょうは、ありがとうございました。
 先ほどの委員からもお話がありました基本権憲章のことについてお伺いをしたいと思います。
 そもそも、今のお話にもありましたように、政治的な宣言的な意味と、法的な効力、拘束力といいますか、そういったものを持っていないということでありますけれども、いわば十五の国のそれぞれの憲法的な伝統とか、基本的な権利や人権の内容、それぞれに保障の仕方も異なっていると思うんです。そういう中にあって、基本権憲章ということ、ずっとEU全体に流れているかもわかりませんけれども、まとめていくということになれば、いろいろと困難なこともあったと思うんです。
 聞くところによれば、割合とこの場合は短期間のうちにまとまったというようなこともお伺いしておりますけれども、それに至る経過の中で、どのようなことでそんなふうに短期間の間にそれだけ異なる国々の、特に基本権憲章といういわば基本的人権にもかかわるような問題をまとめることができたのか、その辺の要因といいますか、そういったことについてお伺いしたいと思います。
中村参考人 基本権憲章は、実質的な実体の規定は、ヨーロッパ人権条約、それからヨーロッパ社会憲章といった既にある国際人権規範から多くをとってきています。したがって、そこで初めて新しく実体法として記述された規定があるかといいますと、それは全くないと言ってもいいと思います。
 ですので、既にあった経験の中の法規範をいわばやや抽象化して規範化した、そういう制定過程ですので、これ自体、特に大きなインパクトといいますか、新しいことをしたというふうなものではなくて、既にあるものの追認、そういうまず位置づけがなされるということが一つあったと思います。
 しかし、他方で、起草過程で、民間のNGOであるとか各国の議会の代表であるとか、そういった人たちが多くの意見を言う場を設けまして、基本権憲章の制定会議というものをつくりまして、そこでもって、短期間ですけれども、何回も会合を専門的に繰り返してつくっていくという、憲法起草会議をほうふつとさせるような手続がとられました。ですので、そこの中で集中的に多くの議論が出されたということもあったと思います。
金子(哲)小委員 今お話にありました制定会議の中で、各国の議会の代表ということがちょっとお話出てまいりましたけれども、そういう各国の議会の代表がEUのさまざまな会議の中で果たしてきた役割というのは、今までこのほかにもたくさんあるんですか。
中村参考人 そこが余りなかったわけです。
 今、いわゆるEU憲法をつくろうとして将来像諮問会議というものが開かれています、ジスカール・デスタン座長のもとに。このときに、基本権憲章をつくったときと同じような手法で、各国議会の議員の代表も含めて、意見を言ってもらう機関をつくるということになりました。ですので、各国議会がEUレベルの法規案に実際に最初から参加をするというのは、ごくこのごろの話であります。
金子(哲)小委員 次に、EC法の優位性についてお話がありましたのでちょっとお伺いしたいんですけれども、一九六三年のファン・ヘント・エン・ロース判決でいわばEC法の直接効果ということが言われ、そして六四年のコスタ判決でECの優位性ということが認められたというふうに聞いております。
 EC法の優位性については今お話があったとおりだと思うんですけれども、そのほかのEC・EU各国において、いわばEC法以外の国際条約に対しての直接効果といいますか、そういった優位性が認められているのかどうか。例えば人種差別撤廃条約だとか国際人権規約などについて、EC法はその点が、そうした裁判も通じて、今先生のお話もありましたとおりの位置づけになっておりますけれども、国際条約全般に対してどのような位置づけになっているのか、お伺いしたいと思います。
中村参考人 私は最も自信を持って答えられるのはイギリスだけなんですけれども、イギリスの場合は、ほかの国際条約はやはり国会の受容措置がなければ国内効力を認めないという立場を崩しておりません。ヨーロッパ人権条約ですら、九八年の人権法において、その内容が参照されるという一種の受容措置があって、初めて国内でも参照されるようになったというぐらいです。
 ですので、イギリスの場合をとっていいますと、EC法だけが特殊な扱いを受けていて、それ以外の国際人権規範等は、元来どおりの国際条約の位置づけになっているということです。
 ただし、よその国の憲法規範を見ますと、明文でもって、国際条約は法律と同等の効力を持つとか、あるいは法律よりも優越するような効力を持つとかいうふうに規定している国がありますので、そのような国の場合、私はその国をもう少し調べなければわかりませんけれども、ひょっとすると、ほかの国際条約についても、少なくとも法律に優位をするとか同等であるとかいったような扱いでもって、一種の受容が憲法の規定でなされるという扱いを受けているところもあるかもしれません。
金子(哲)小委員 ちょっとわからない点もあるのでお聞きをしたいんですけれども、EUの組織と権限の中で、欧州議会というのがあるんですけれども、直接選挙で選ばれている割には、その位置づけが非常に低い。
 実際上、さまざまな決定をするのは、欧州理事会とか閣僚理事会などがほとんど決定権を持っていて、欧州議会という位置づけは、それに対して諮問機関的な、また共同でそれを決めていくような形の位置づけにしかないように思えるんですけれども、将来にわたってもっとEUが進んでいった場合に、この欧州議会の位置づけといいますか、役割はどのように変化をしていくのか、またすべきだと先生はお考えをお持ちでしょうか。そのことが、またEU全体、これから将来の組織的な統合に向かっての役割といいますか、そういったものはどういうふうに位置づけていくことになるんでしょうか。その辺、お伺いしたいと思います。
中村参考人 まず申し上げたいのは、欧州議会は、九〇年代以降は、かなり重要な部分で、共同決定手続といいまして、理事会と並ぶほどの決定権を持つようになりましたので、諮問的位置にあるものではもはやありません。むしろ、共同決定者としての立法者の一部となってきたというのが現在の原則であろうと思います。
 ただし、そうは申しましても、ヨーロッパ議会というのは、いわゆる我々が考えている議会と違いまして、例えば議案の提案をすることができないんですね。議案の提案は、常にヨーロッパ委員会、コミッションがしなくちゃいけないので、コミッションに対して出すように要請することはできるんですけれども、コミッションの側はそれに義務づけられません。したがって、いつまでも隔靴掻痒の感があるといいますか、議会としての何らかの発言力を立法の当初からイニシアチブをとってというところまで徹底しない。そういう意味では、やや力不足の位置づけになっているのは確かです。
 しかし、それは微妙なバランスのもとに実はなされているわけですね。各国のどこにも属さないコミッションが提案をして、それを各国の代表である理事会とヨーロッパ人民の代表である議会が共同で決定していく、こういう三つどもえのバランスのもとで、どこの国も声が通らないようにするといいましょうか、そういった権力の乱用が国際レベルでなされないようにバランスをとるというのがヨーロッパの知恵ですので、ヨーロッパ議会そのものが、いわゆる各国の議会と違う働きや位置づけになるというのは当然かもしれません。
 今後ですけれども、この共同決定手続の事項がじわじわと今よりも拡大するであろうというふうに思います。しかし、主要な部分は大体共同決定になりましたので、残されているのは、農業とかあるいは財政的な措置を伴うような環境措置とか、そういった部分になろうかと思います。ここら辺になりますと、むしろ各国の議会のチェックの方が重要な論点になろうかと思いますので、果たしてヨーロッパ議会にだけ任せてよいというふうに議論できるかどうかは、やや怪しいと思います。私自身は、ヨーロッパ議会の権限を拡大するというよりも、各国の議会の位置づけを、むしろ各国の憲法内あるいはEUの条約において明確化するという方向の方が、これから先進むべき道だと思っております。
金子(哲)小委員 ありがとうございました。
中川小委員長 井上喜一君。
井上(喜)小委員 保守党の井上喜一でございます。きょうは、中村参考人、本当にありがとうございます。
 EUの委員会、指令でありますとか、規則を制定いたしますが、これは、事項によりまして、多数決だとか、もちろん各国は投票権は違いますけれども、累積の多数決とか、あるいは全員一致だとかあるいは三分の二以上、こういうのがあるんじゃないかと思うのでありますが、大まかにどういうものがそれぞれ多数決、あるいは三分の二以上だとか、あるいは全員一致だとかなっているのか、まずお聞かせいただきたいのです。
中村参考人 ECの柱で行われる立法は、基本的には各国の特定多数決と申しまして、累積票がございます。大体人口比になっておりますが、それで決めるということになっております。ごく一部、全会一致が残っております。これは、特に第二の柱、第三の柱、警察力であるとか軍事力であるといったような国家主権そのものの強制的な部分に関係するようなものは、全構成国が一致をするという全会一致の形が残されています。
 ECの柱では、全会一致が残っているのは非常に少ない部分でありまして、条約に明文がないけれども、共同体の運営に必要であると思われることについて新たに立法措置をとるような場合、これは包括的な立法条項になっておりますので、何でも使えるわけですけれども、これについては実質的に条約改正になる可能性がありますので、それを防ぐ関係上、全会一致にせざるを得ないというふうになっております。
 あとは機関に対しての任命行為、だれを委員長にするかとか、そういった部分において、コンセンサスとか全会一致とかいった規定が残っております。ですが、いわゆる通常の立法行為については、今日においてはほとんどの場合、特定多数決であるとお考えになってよろしいと思います。
井上(喜)小委員 金子委員の質問と若干重なると思うのでありますけれども、ECも加入するし、その構成国も加入しているような条約については、条約が最上位になるのか、あるいはECの規則等が上位になるのか、その辺の法律と言えばいいかと思うのでありますけれども、どういうような上下関係になっているのか。
中村参考人 御質問は、例えばWTO条約のように、ECという名前でも、それからイギリスやフランスといった名前でも署名している条約のことでございますね。
 この場合は、やはり事項によって違うとしかお答えのしようがありません。その条約全体としてどっちというわけではなくて、条約の一部分、例えば商品の自由移動に関する部分についてはEC法が優位する、サービスについてはしないとかいうふうに、それぞれの分野で分かれるとしかお答えようがないと思います。
井上(喜)小委員 私は、このEU、あるいはその前のECは本当によくわからない組織だと思うのです。都合のいいように彼らは主張するわけですね。ある場合には、構成国が主体になっているから各国別に適用されるんだということも言うし、ある場合はEC、今はEUが単一の適用対象だなどと言うこともあるわけですね。
 いい例が、かつてのガットのように、ガットは関税同盟を禁止していたわけですよ。だから、ECなどというのは完全な関税同盟でありまして、ガット違反だったわけでありますね。だけれども、押し通してしまった。今も、既成事実をつくってしまいまして、いろいろなところに関税同盟ができていっているわけでありますけれども、こういうときは単一の国家のごとき主張をするわけですね。非常に都合のいいようにぐるぐる変えて国際社会で理論立てしているのがEUだと私は思うんですよ。非常に都合のいい議論をする。
 確かに、加盟国も多いし、そういうことしか統一的にまとまっていくような議論ができないんじゃないかと思うのでありますけれども、日本としては、その辺は性格をはっきりさせまして、私は、原則的にやはり構成国家が国際社会の中の構成メンバーだと思うのでありまして、その辺の理論をぜひともきちっと打ち立てていただきたいと思うんですが、いかがですか。
中村参考人 かなり共感できる部分がございまして、大変なお励ましをいただきまして、ありがとうございます。ただし、使い分けているというのは、ちょっと言い過ぎの面があろうかと思います。
 実は、ECと構成国の間で、その問題がどちらに属するかがはっきりしないがために、実は構成国の中でも意見が分かれていて、ある者は、これはECでやるべきことだと言い、別の国は、いや、これは各国がやるべきことだと言うというふうに分かれているわけですね。ですので、彼ら自身が実はむしろ権限配分とかをはっきりさせて、最終的には決着をつけるべき問題かというふうに思います。使い分けているというところまでいくには、確かに外交交渉上そういうふうに印象を持たれる部分もあろうかと思いますが、どうしても、今までの非常にゆっくりしたペースで積み重ねてEUのことをふやしてきたという、そういう経験からしますと、常に境界線が動くものですから、当事者にもよくわからなくてやらざるを得ないところが残るというところは、御理解いただきたいと思います。
井上(喜)小委員 EUは、このマーケットの六カ国から発足したのでありますが、今のEU条約の中でも、この六カ国というのは多少適用の条文が違うとか、あるいは特別の地位を与えられているとかということはあるのですか。
中村参考人 それはありません。
井上(喜)小委員 全くないのですか。
 議会のことも、もうお聞きになりましたので、私はこれで終わります。
中川小委員長 石川要三君。
石川小委員 自民党の石川でございます。
 きょうは、先生の大変有益なお話を聞くことができまして、ありがとうございます。
 ただ、率直に言いまして、お話を聞けば聞くほどわかったようなわからないような、非常に難しい点はよくわかったわけでありますが、その中で、極めて素朴な質問でございますが、幾つかお尋ねしたいと思います。
 まず第一に、五十年前、ECを始め、もう半世紀の時間が今日までたっているわけですね。その中に、先ほど先生のお話のように、だんだん中身が進展といいますか、そういうふうに進められて今日へ来たということですが、その長い歴史の中を振り返って、私も新聞からの知識ぐらいしか持っていませんけれども、覚えていることは、いろいろなヨーロッパの国の中でも、特にイギリスはEUに対してかなり抵抗を示してきたと思うんですね。
 最近において思い出すことは、加盟された後においても、依然として国内の反対がかなり強い。一九七五年には異例の国民投票が行われたり、また、サッチャー時代にもかなりそれが強く出されたり、最近、特にブレア政権になってから大分親EU的になりましたけれども、それでもまだ、実際にユーロ参加のときには国民投票をしようなんというような声があるわけですね。
 そういうようなことを見ると、ほかの国とイギリスはかなり違うなというような感じがするんですけれども、その違っている実態とその理由、どんなことからそうなったのか、その点をひとつお聞かせいただきたい。
中村参考人 イギリスがどこまで違っているかという点ですけれども、これも実は、短期的に見ると違っているように見えていて、しかし、五十年といったような時間をとって見ると違っていないというふうにも見えるというお答えになると思います。
 例えばコモンマーケット、一番最初にECができたときにイギリスは反対して、それどころか、対抗してEFTAという別の組織をつくったほどです。にもかかわらず、経済的にそれがいかないとわかるや、すぐにECの加盟を申請するようになって、二度失敗し、三度目にようやく入れてもらうということになります。したがって、イギリス自体は、何か原理原則があってECに反対したというのではなくて、恐らく何か現実的な考慮、例えばヨーロッパ諸国の均衡であるとか、そういったところから行動していたのではないかと思うのですね。
 もし、そう考えるならば、ECそのものに加盟すること自体は、彼らにとっても利益があると考える限りで協力的になるということですので、ユーロについても、これは実は保守政権の時代に国民投票にするということを既に政治的に確約しておりましたので、ブレア政権もそれを引き継いでいるという面があります。
 しかし、こういう大切なことは国民投票にかけてしかるべきだともまた言えるわけですので、しますでしょう。して、もし賛成になれば恐らく入ることになるし、反対ということになればまた時期が熟すまでそれを伏せるということになるだろうと思いますけれども、いずれにせよ、EUの統合に対して懐疑的ではあっても反対ではない、そういう態度を貫いていて、現実利益があれば必ず協力をする、そういう国ではないかというふうに思っております。
石川小委員 全く幼稚な質問で失礼ですけれども、もしユーロ加盟に反対が可決された場合にはどんなになるんですか。
中村参考人 その場合には、ユーロに入らないという今の状態が続くだけのことです。
石川小委員 加盟についてはどうなんですか。加盟しなくなるんですか。
中村参考人 ユーロに加盟することの反対が多くて、それでもってEUから脱退をする、そういう趣旨ですか。それはあり得ないと思います。なぜかと申しますと、基本的には五十年の歴史の中で、経済的な依存関係がもう抜き差しならぬほどに深まっていますので、通貨一つをもってほかのものをなげうつというほどの交渉にはならないからです。
石川小委員 先ほどの近藤先生あるいは、藤島先生からもいろいろとお尋ねがあったようですけれども、安全保障、防衛関係、これについては、むしろNATOの加盟というんですか、それでほとんど解決しているというか、そちらの方でやっているというようなお話でございました。しかし、だんだん、これが、経済と同時に重要であるという認識が非常に高まってきたというようなお話をされましたが、将来的にはどうなるんですか。現在のままで安全保障的なものはいかれるような状況ですか。
中村参考人 これは私自身、将来どうなるか、実は余り見通しが立っておりませんで、明快なお答えはできませんが、やはり時間をかけて少しずつ、防衛問題あるいは安全保障問題を実効的にEUの枠組みでやっていこうという動きは強まるであろうということだけは言えると思います。
 しかしながら、先ほどもお答えいたしましたが、最初から枠組みを大きくつくってそちらの方向にいくというよりも、幾つかの現実の問題が起こって、それに対する対症療法として制度を工夫しながら、その積み重ねでやっていくというふうなやり方をしていくであろうと予想します。
 現実には、今EUで行われることは人道援助の部分ですので、そこの部分の実績を重ねていって、それに、平和創出なる概念でもってどこまでそれ以外の積極的な部分を経験として積むかというのが今現在の課題であろうと思います。それができない限りは、恐らく制度的に確固とした防衛共同体をつくれといったような声は出てこないだろうと思います。
石川小委員 それから、きょうの先生のこの講演も、「EU憲法制定の動きと各国憲法」、こういうテーマでお話をされましたが、EU憲法という言葉はもう現実に使われているわけですね。これは国際上、正式な言葉として憲法という言葉を使っているんですか。
中村参考人 これはあくまでも今議論をしている当事者が使っている言葉でして、実定法上の言葉になっているわけではありません。ですので、国際法上EU憲法というものが存在するかというと、実はありません。ただし、ECの裁判所が、これまでの判決の中で、憲法的憲章という言葉を使っているんですね。今あるEC設立条約は共同体の憲法的憲章であるというふうな言い方をしていますので、そういった言い方は判例上あるということは言えますけれども、実定法上そういった名前を使って紙の文書があるかというと、それはございません。
石川小委員 私の見解では、憲法というと、やはり常に国家というものを想定するんですね、国家のあり方、国家のあるべき姿というものの一つの象徴として憲法というものを。戦後の日本もああいう憲法ができて、今日このままでいいかどうかというのは、あくまでも国家の、二十一世紀の日本としての立場で議論が始まっていると思うんですね。
 そういうことから見ると、さっき先生のお話のように、ヨーロッパカントリーというものはない。ヨーロッパというのはあるんだけれども、統合された国家というものはないという概念、それはそれでいいと思うんですが、そういう中で憲法憲法と言うのは、ちょっと私は、今まで私が感じた憲法という言葉の概念とかなり違うなというふうな感じがするんですが、それは差し支えないんですか。
中村参考人 もちろん、国家と結びつけて、国民の憲法であるというふうに考えるならば、今使っているヨーロッパ憲法という言葉の使い方はやや違和感があると思います。私も、それはわかりつつ、わざと使っているわけですが、その意図は、実は憲法の一番根本的なところ、憲法をつくるのはだれかというところが、これは要するに国民一人一人であるという国民主権の概念を大切にしたいからなんです。
 ヨーロッパの今の統治のやり方というのは、国同士が合意をしたものでやっているということでありまして、国はもちろん人民の代表ですけれども、それは五十年前の代表かもしれないわけですね。その人たちがつくったものが、しかも人民によく見えない間にどんどん複雑になっていっている。
 きょうも、私が一生懸命御説明しても、やはり複雑でわからないという御感想をお持ちの方が非常に多くて、本当に私自身情けないのですけれども、力足らずで申しわけないのですけれども。一番根本的なところを示す憲法の精神というのは、やはり国民主権だと私は思うんです。それが、今のEUの統治体の中ではっきり筋として通っていないんですね。そこのところをはっきりさせたいがゆえに、私自身は憲法という言葉をわざと使っている。
 そういう意味では、国ではないかもしれないけれども、憲法が本来持っていた非常に大切な部分をそのまま使わせてもらっているというところで、誤用とまでは言えないんじゃないかと一人で思ってはいるんですけれども。
石川小委員 これもさっき藤島先生の御質問の中に、ではヨーロッパ各国の憲法はそのままで整合性があるのかというような御質問があったと思うんです。そのお答えとしては、それは、加盟するときに既に、EU憲法に加盟する限りはその法に従う、そういう改正をされたというような御説明だったと私は記憶するのですが、要するに、もっと平たく言えば、その国々の憲法というものはそれなりに改正したのかな、こう思うんですが、そう解釈していいのですか。
中村参考人 そのとおりです。
石川小委員 そこで、さらに質問します。
 要するに、先ほどAUのお話も出ました。これもまだまだ完成ではないでしょうけれども、非常にその方向へ進捗しているようですね。東アジアにおいても、やがてこういうEUに倣ったようなものが将来できるんじゃないか、私はこういうふうに思うんです。しかし、実態を見ると、東アジアは、経済的な面もあるでしょうが、特に宗教とかその他いろいろな点で、ヨーロッパとはかなり違う、EUとは違う要素を持っている。そういう中での可能性を、先生はどんなふうにお考えですか。
中村参考人 私は、まず、各国が各国だけではできない共通の問題というものを、例えば東アジアの諸国で話し合って共通認識をつくるというところから始めれば、EUそのもののコピーではないにしても、似たような精神のものはつくれると思っています。具体的に、先ほどから申し上げている、例えば環境問題であるとか漁業資源の共同管理であるとか、そういった問題から始めるという一つの図式が描けようかと思います。
 もう一つ言えることは、先生が御指摘のとおり、宗教を含めまして多様性の非常に大きいアジアのことですので、一つのルール、一つの制度でもってそれを固めていくということは難しいかもしれません。
 したがって、大枠をつくっておいて、そして具体的な問題についていつも協議の場を保障しておくといったような、話し合いの場の確保から始めるというふうにすれば、これは可能であろうと思います。その後、それを法律として共通ルールとしていくのか、それともガイドラインのようなものにして、各国の政府が独自性を保ちながら、しかし大局的に見ると似たようなことをやるようにする制度にするのがいいのか、そのあたりは今後の成り行きを見ながら話し合えばよいと思っております。
石川小委員 東アジア連邦というか、何かそういう名称もできると思いますが、それはいつかわかりませんけれども、世界の動きというものは非常にスピーディーでありますから、そんなに、一世紀も二世紀も先なんてことじゃなくて、もっと身近に考えていかなければならない問題ではないかな、こんなふうに思っております。
 そういう中で、我が国の憲法というのは、御承知のとおり、ああいう終戦の直後に非常に短期間のうちにできた、その点のいろいろな問題がありますが、いずれにしましても、中身は極めて世界の中ではまれな、理想主義といいますか、平和を念願し、そして軍事力を持たないというのを一つの基本的な理念としてつくられた憲法であるわけです。そういう特殊な憲法の中で、やがていつかは東アジアにそういうものができたとしたときに、我が国の憲法をそのままではとても加盟はできないんじゃないかな、こう思うのですが、その点はどんなふうに思いますか。
中村参考人 ヨーロッパの経験から見てみますと、軍事力の点を抜きにして、例えば経済的な共同体からヨーロッパは出発しました。そういうやり方も十分可能だと思うのですね。ですので、現行憲法のもとで、理想主義を保ちつつ何らかの国際共同的な共同体をつくるということもまた可能だと私は思います。
 ただし、それが本当の意味での共存共栄の十分な成果をもたらす国際機関になるかというと、それはわかりません。ですので、一つ言えることは、私は国際協調主義というものを前面に出した憲法を持つということではないかと思うのですね。すなわち、どこかの友好国との協調だけではなくて、全世界的な視野に立って、その上で制度をつくり協調していく、そういう意味の憲法をつくるというのであれば、私自身、今以上に東アジアの共同体等の設立に我が国の憲法が寄与できるようになると思います。
石川小委員 ありがとうございました。
中川小委員長 首藤信彦君。
首藤小委員 民主党の首藤信彦です。
 参考人は恐らく比較法の立場で、EUの地域組織体とそのもの全体に関しての御専門ではないと思いますけれども、非常に重要なところでぜひ、ちょっとお聞きしたいのです。
 ここにEUの大きなテリトリーというのがありますけれども、それを見れば、参考人も御指摘のように、基本的にはキリスト教社会といいますか、旧ヨーロッパというか、冷戦後社会をポスト・ウェストファリア体制といいますか、そこからさらには、ウェストファリア条約の前の段階へ戻っていくとか、あるいは中世回帰というような言葉がありますけれども、そういうことを考えれば神聖ローマ帝国的なまとまりがあるんじゃないかと思うのです。
 そこで、多くの方が指摘されているように、例えばトルコのようなあるいはボスニア・ヘルツェゴビナのようなイスラム教を基調とする国家が入ってくると、しかも、それが、最近ではイスラム教自体が安定的な系から非常に不安定な、我々から見て不安定な系に移りつつあるわけですけれども、そういうような状況の中でEUというのはどう対処しようとしているのか。例えば、トルコの加盟というものが、一定のスケジュールで本当にそういう方向に動いているのかどうかということをちょっとお聞きしたいと思います。
中村参考人 トルコに関しましては随分昔から加盟申請がありまして、ほとんどたなざらしの状態になっているのは御承知のとおりだと思います。
 現在、EUは一応加盟交渉の候補国という位置づけにはしてあるんですけれども、国内における人権侵害問題を理由に、基本的には正式交渉をしないという態度を変えていません。このこと自体は、恐らく九〇年代になって、EU自体が共通の価値として、人権の尊重であるとか法の支配であるとかいったことを条約にうたうようになったということの一つの作用であろうと思いますが、ひょっとすると、逆に、意地悪く考えると、そういったトルコの位置づけを正当化するために、たなざらしを正当化するために、いわば事後的にそういったルールを持ち込んで、それを盾に交渉を引き延ばすというようなことをやったというふうにとれなくもないのですね。これは私の個人的な、意地悪な感想でございますからお聞き流しいただきたいんですけれども。
 いずれにせよ、トルコの問題は非常に複雑です。ECの中でどのような位置づけをすればよいのかということ自体、もうこの四十年間ぐらい議論があるわけですけれども、まだ結論が出ておりません。恐らく、これは事態の推移をただ眺めるというだけの非常に消極的な位置づけになろうかと思います。
首藤小委員 この十年ぐらいの間に、EUの統合は急速な勢いで進んだと思うんですね。通貨統合なんというのも夢のまた夢であったというふうに私も解釈しているんですけれども、それがあっという間にここまでやってくる。
 しかし、こうしたEUの統合には、例えば日本の存在も非常に大きくて、やはり日本が一国としてこれだけ大きくなって、特に一九八〇年代から九〇年代の初頭にかけてあれだけ大きいということは、ある意味で、EU所属の各国が、一国では国家としての対抗力はなくなってくるというところで、EUの統合が急速に進んだというのが国際政治的な考え方だと思うんです。今のような、日本の存在がいわゆる国際西洋社会の脅威ではなくなってきたというような状況の中で、例えばEUがこれからさらに統合を進めていく、そういうモメンタムが果たしてあるのかどうかということをお聞きしたいんです。
中村参考人 EUがこれから先統合を進めていくモメンタムがあるとすれば、それはやはり、まず第一には東欧、南欧諸国の加盟だと思います。これは、入れれば入れるほど多様性が増すという面もありますが、しかし、放置しておいて、すぐ隣国に予期できないような政治体制が出現するよりは、EUの論理が共通に通用する政治版図を確保するという方がEUにとっては当然利益になることですので、モメンタムとしては、まず加盟による拡大、これが一つあると思います。
 ただ、このことは、実質的に見て、政策内容がさらに複雑化するということも含んでおりますので、今後は、EUの意思決定過程で今まで以上にもめごとが生じる可能性があると思います。そういう意味で、中身的に統合のスピードやあるいは内容が薄くなっていくというふうなことが生じて、何のためにEUをやっているのかという議論が出てくることもまた予測できます。
 しかし、この五十年間の経験と、それから共通の貨幣というのはもう消えないものですので、したがって、ボトムラインをキープするという意味での成長、低成長時代といいましょうか、そういったものがしばらく続くことになるのではないかと思います。
    〔小委員長退席、近藤(基)小委員長代理着席〕
首藤小委員 このEUの中において、最近の、このほんの一、二年、特に顕著なわけですけれども、各国の政治勢力における右傾化といいますか、そうした、昔はネオナチ、ナチというような特殊なものとして扱われてきた勢力が急速に伸長してきている。これはフランスのこの間の選挙で見れば明らかなわけなんですけれども、そういった勢力は、EUの統合に対してどういう影響力を将来与えるようになってくるとお考えでしょうか。
中村参考人 将来どころか、既に移民政策や難民政策の部分で大きな影響力を持っております。
 実は今に始まったことではありませんで、九〇年代の冒頭から、移民、難民規制を強化せよという声が各国から上がっておりまして、EUレベルではもともとその問題を取り上げないはずだったのに、第三の柱をつくって取り上げるようになったというのは、まさにそのあらわれなんですね。ですので、これは今に始まった問題ではございません。
 ただ、確かに御指摘のとおりの政治状況が進んでまいりましたのは、その論調が加速化されているというのが現状であります。
 他方で、しかし、おもしろいことも起こっております。すなわち、一見いわゆる極右とか右翼とか、我々の言葉で語りますと、国民国家を護持していくという政党であるかのように思えるわけですけれども、ところが、例えば今度二〇〇四年のヨーロッパ議会の選挙において、各国の極右政党が共通して選挙人リストをつくろうかとか言っている、そういう動きもあるんですね。
 つまり、国を超えたヨーロッパレベルでの右翼というのが存在していて、それで、今までとは違うレベルの議論をするということになっておりますので、既にここでももう言葉が古くなっていると思います。ですので、今あるいわゆる右傾化とか極右とか右翼とか言われている言葉はむしろ使わないで、別の言葉で分析した方がよいのではないかというのが私の印象です。
首藤小委員 もうほとんど時間がないんですが、おっしゃった中でもいろいろなテーマがあると思うんですね。例えば、EUが統合して移動が非常に易しくなると同時に、余り移動しない人たち、例えば農業をやっている人たちには必ずしもメリットがあるとは思えないわけですね。また、EU統合のときには考えられなかったようなテーマも随分新しく出てきていると思うんですよ。例えば遺伝子操作なんかに関する考え方は、恐らく各国の文化の違いから来ているんだと思うわけですが、そうした例はたくさんあると思うんです。
 最近、私の関心の一つに麻薬、薬物の問題があって、これはEU各国において物すごく取り扱いが違うアイテムの一つだと思うんですね。例えば、オランダなんかにおいては、どんどん自由化していって、いわゆるハードドラッグ以外は全面自由化というような動きがあるわけです。
 そういうふうに、EUの広い域内で一カ国だけピンホールをあけると、EU全体にそれが広がっていってしまうということで、こういう特殊なものなんですけれども、そういうものに関してEU全体としてはどういう取り組みを法的にもしようとしているのか、ちょっとお聞かせ願いたいと思います。それで話を終わります。
中村参考人 その問題は非常に深刻です。
 オランダのソフトドラッグ自由化問題をEUレベルでどうするかということについては結論が出ておりませんで、少なくとも各国で定義しているところの薬物犯罪については共通で取り締まろう、そういうコンセンサスの段階ですね。今後、それが共通の刑事法規を伴って、実質的にも同じ定義で薬物犯罪というものを取り締まるようになるかどうかは、今まさに論議が進行中でありますが、前途多難というのが私の印象です。
首藤小委員 ありがとうございました。
近藤(基)小委員長代理 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 中村参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。小委員会を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手)
    ―――――――――――――
近藤(基)小委員長代理 これより、本日の参考人質疑を踏まえ、国際社会における日本のあり方について、小委員間の自由討議を行いたいと存じます。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたしたいと存じます。
 小委員の発言時間の経過につきましてのお知らせでございますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。
 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをこのようにお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。
赤松(正)小委員 公明党の赤松正雄でございます。
 きょうは、EUの動きということについて貴重な御意見を聞いたわけですが、先ほど石川委員の方からも、あるいはまたほかの委員からも、日本を含むアジアの地域におけるこうしたいわば共同体的試みというものが起こるのかどうかということ等についてのお話がございました。
 私、実は昨日、私どもの党でパキスタン大使を招いて、実はその前にインド大使も招いていたんですが、私はインドの方は参加しないでパキスタンの方だけ、別に意図があってそうしたわけではないんですけれども、パキスタン大使の意見を聞く機会に恵まれました。なかなか今のパキスタン大使、非常に優秀な方とお見受けしまして、的確にいろいろな話をしてくれました。こういう機会に、パキスタンが何を考えているかという話について若干お話をさせていただきたいと思います。
 御承知のように、インドとパキスタンとの確執というのはあれほどすごいというふうに思いませんでしたけれども、終始一貫、インドの軍事的野心ということについてかなり強く強調しておりました。
 日本に対する要望として、一つは、カシミールの平和的解決への期待、そして、インド、パキスタン間の緊張の緩和、そして三つ目は、南アジア全域における非核化の構想について強い支持をしてほしい、こういうふうなお話がございました。
 集約的に、パキスタンはイスラムの国、インドはヒンドゥーの宗教、あるいはカシミールをめぐっての大変な歴史的な抗争があるということを前提にした上でも、なかなかこの問題についての取り組みは難しいなということを改めて痛感したのです。
 そんな中で、私の方から、東アジア、南アジア含めて、アジアにおける中国のありようというものについて、パキスタンがどう考えるのかという話を聞きました。
 といいますのは、背景に中国が、これは私が人の話を聞いてそういうふうなことを認識するに至ったわけですけれども、例えば、パキスタンにおけるマクラン海岸におけるグワダル港に対して中国がかなり積極的な進出の意図を見せている。今、長い間のアメリカの進出を押しのけて、そのグワダル港に対する、あるいはカラチからグワダル港、港―カラチとの間における道路に対する支援というものを中国が積極的にやるという、そういうことが決着を見たというふうなこと。
 あるいは、東南アジアにおける、ミャンマーにおける中国の積極的な進出、あるいは太平洋海域における中国の積極的な進出、こういうふうなことが指摘をされる中で、パキスタンは、インドの軍事的野心という言い方をしたわけですけれども、中国の軍事的野心というものを感じないのかというふうな話をしましたら、中国のそういう意図というか関心には全く脅威は感じない、ひたすらインドの軍事的野心を感じるというような話がありまして、敵の敵は味方なのかなという感じがしたわけです。
 そういうふうな、きょう私は、たまたまそういう、ほかにもいろいろ示唆に富んだ話があったわけですけれども、パキスタン大使との話を通じて、アジアにおける中国との関係、インド、パキスタンの関係等々、日本のアジアにおける外交のありようというものについて、より積極的な対応をしていく必要があるなということを感じたことを冒頭に述べさせていただきます。
 以上です。
中野会長代理 余りふだんは立たないので、一言発言させていただきます。
 きょうの「EU憲法制定の動きと各国憲法」、この種の参考人をお招きしたいと希望した者の一人として、きょうは大変いい内容の話を聞けたなと思います。
 というのは、我々、憲法論を論じるときに、国民国家としての日本の枠の中でしかややもすると物事を考えない傾向がどうしてもあるわけです。
 憲法と称するか否かは別にして、既に石川先生も私も世界連邦の運動の一人であるわけだけれども、国際連合をもっと強化拡大していこうという、ある意味での世界連邦的発想と、それから、内に閉じこもった形での、国民国家を中心に、あくまでもそこへ拘泥をし続けるという考え方とがある中で、その中間にリージョンステートともいうべきEUのような存在というものが、これからEUにとどまらずに、また、EUの形と同じ形をしているものではないかもしれないが、それぞれこの地球上にいろいろな形で、例えば、ある意味では、アメリカ圏であるとか、アフリカ圏であるとか、東アジア圏であるとかという形でこれから生まれてくるんだろうと思いますし、またそうなっていくものだろうと思います。
 それは、国家権力もしくは国民国家の力が衰えるということではなくて、本来、国民国家として持っている、人々の幸せのために、また平和のために果たそうとする役割を新しい形でフォローしていくシステムなのではないか。すなわち、国家目的をより一層充実させるためにはそのような形も必要になってくる、そういう時代を迎えているのではないか、このように感じるわけです。
 その先兵的なものとして、先般も申し上げましたが、ドイツの憲法といいますか基本法の中に、国権の一部を国際機関にゆだねることができるという条文が既にあるように、日本の場合にも、それらのことを踏まえた新しい時代の憲法感覚というものをやはり持っていくべきなのではないかというふうに思います。
 国民国家の視点から見ると、きょうの話はわかりづらいということになるかもしれませんが、しかし、実際上の国際的な動きはこのように既になっているということを、やはり我々、より一層認識すべきではないかな、このような気持ちをきょうも強くいたしました。
 既に日本も加盟してスタートする国際刑事裁判所などは、ある意味ではその一つの形だ。そういうものに日本も参加しているということを考えると、この議論は、本当はより一層スピードアップして充実させていく必要がある。きょうのお話のような視点に立った勉強は、もう少しこの小委員会でも重ねていく必要があるのではないかという感想を持ちました。
中山会長 きょうの講師のお話は、とても重要な要素を含んだお話だったと思います。
 日本の国会とヨーロッパ議会との間で、唯一、国際的な議会間の定期協議が毎年行われています。一方、欧州評議会と日本の国会とも関係があるわけです。
 共通して言えることは、私は、両方に参加をしてきた経験から見ると、人権というものをいかに大切にするかというのがヨーロッパの共通の考え方。それに基づいてヨーロッパ人権条約とか、また、欧州評議会は人権を中心に議論していく組織であるというふうに思っております。そういうことから考えると、憲法とヨーロッパ連邦との考え方のギャップは、各国の憲法はそれぞれありながら、ヨーロッパ憲章というものをつくっていくという考え方も、きょうの参考人のお話でよくわかりました。
 日本の議会が唯一海外の議会と協議機関を持っているのは、ヨーロッパ議会だけしかないわけですね。こういうことを考えていくと、NAFTAとか、メルコスールとか、あるいはロシア連邦の協議体とか、いろいろな大きな、広域的な、国境を越えた地域間の協議というものがこれから出てくるだろう。そういうことに対応できる日本の政治のあり方、それと国民の考え方、こういったものがこれから非常に求められてくるだろうと私は考えております。
 そういう意味で、きょうの参考人の話は、私にとっても大変意味のあるものだということを申し上げておきたいと思います。
近藤(基)小委員長代理 他に御発言がございますか。
 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。
 本日は、これにて散会いたします。
    午前十一時三十一分散会


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