衆議院

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第1号 平成14年11月14日(木曜日)

会議録本文へ
本小委員会は平成十四年十一月七日(木曜日)憲法調査会において、設置することに決した。
十一月七日
 本小委員は会長の指名で、次のとおり選任された。
      石川 要三君    近藤 基彦君
      下地 幹郎君    中川 昭一君
      葉梨 信行君    平井 卓也君
      山口 泰明君    首藤 信彦君
      中川 正春君    中村 哲治君
      山田 敏雅君    赤松 正雄君
      藤島 正之君    山口 富男君
      金子 哲夫君    井上 喜一君
十一月七日
 中川昭一君が会長の指名で、小委員長に選任された。
平成十四年十一月十四日(木曜日)
    午前九時三分開議
 出席小委員
   小委員長 中川 昭一君
      近藤 基彦君    下地 幹郎君
      葉梨 信行君    平井 卓也君
      山口 泰明君    首藤 信彦君
      中川 正春君    中村 哲治君
      山田 敏雅君    赤松 正雄君
      藤島 正之君    山口 富男君
      金子 哲夫君    井上 喜一君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   憲法調査会会長代理    仙谷 由人君
   参考人
   (政策研究大学院大学助教
   授)           岩間 陽子君
   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 国際社会における日本のあり方に関する件


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     ――――◇―――――
中川小委員長 これより会議を開きます。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 先般、先国会に引き続きまして小委員長に選任されました中川昭一でございます。
 小委員の皆様の御協力をいただきまして、公正円満な運営に努めてまいりたいと存じますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。
 国際社会における日本のあり方に関する件について調査を進めます。
 本日は、参考人として政策研究大学院大学助教授岩間陽子君に御出席をいただいております。
 この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 最初に参考人から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。
 それでは、岩間参考人、お願いいたします。
岩間参考人 おはようございます。政策研究大学院大学の岩間です。きょうはよろしくお願いいたします。
 本日は、ドイツの憲法と、危機管理及び軍備に関する規定に関してのお話をということでしたので、私は、憲法学者ではございませんで、外交史それから国際政治をやっている範囲で、ドイツの憲法についてこれまで学んできましたことを簡単にお話しさせていただきたいと思います。
 皆さんもう十分御承知のことが多いかと思いますけれども、一応、歴史の流れに沿いまして、戦後の西ドイツ、それから、西ドイツの基本法を引き継ぎました現在のドイツの憲法と安全保障、危機管理についてお話しさせていただきたいと思います。
 御承知のことと思いますが、ドイツ連邦共和国の基本法といいますのは、これまでに、改正法の数で恐らく五十一回変更されております。最後の変更が二〇〇二年の七月二十六日で、この日に二つの改正法が通っておりますので、これを一回と数えるか二回と数えるかで五十回か五十一回か変わってくるんですが。以前は、すべての改正法案の頭に第何回改正というのは書いてあったのですが、恐らく、余りにふえたのでもう書かなくなったのだと思います。もう書いていないので私もよくわからないのでありますが、相当な数の改正を経てきているということであります。
 ドイツの特徴としましては、そのように基本法がかなりの頻度で改正されるということ、それから、連邦憲法裁判所というものがございまして、これが憲法の内容に関してかなり大胆な判断をこれまで繰り返し示してきているということがまず挙げられるかと思います。
 それでは、再軍備の関係のお話から入っていきたいと思います。
 もともと西ドイツというのは、日本と同じように、第二次世界大戦後、降伏をいたしまして完全に武装解除されたわけであります。ですから、一たん、全く軍備のない状態になりました。それで、現在の基本法というのは西ドイツが発足いたしました一九四九年にできたわけですけれども、そこには、当然、軍備に関する、あるいは有事に関する規定はなかったわけです。
 ですが、全くなかったかというと、幾つかその関連の規定があって、侵略戦争の禁止であるとか、あるいは兵役忌避を認める規定があったり、それから、国際機関の関連で、これは後に憲法上の海外派兵の根拠として使用されることになった第二十四条の一項、二項が、国際機関に加入すること、それから、その関連で、平和を維持するために相互的集団安全保障制度に加入できるというようなことを定めておりました。
 御承知のとおり、西ドイツの再軍備というのは、朝鮮戦争勃発後の国際情勢の中で検討され始めたわけです。結局、最終的には五五年にやっと志願兵法案が成立しまして、最初の連邦軍兵士が誕生するわけですけれども、この間、非常に複雑な政治外交の紆余曲折がございました。きょうは、憲法と関連する範囲内において、簡単にその過程を申し上げます。
 まず、ドイツの場合は、いざ再軍備するというときに、何らかのセーフガードを国際的に考えなければいけないわけで、その関連で、ドイツを、当時、シューマン・プラン以降始まったばかりでありましたヨーロッパ統合の枠組みの中で再軍備させようという構想が最初に持ち上がります。ドイツの主権をヨーロッパという枠で制限して再軍備させようということで、最初にその関連で締結されましたのが一九五二年のドイツ条約、これは、それまで降伏して占領下にあったのを主権回復するための条約でありまして、それから、EDC、ヨーロッパ防衛共同体の関係諸条約が締結されて、これが批准され次第、西ドイツの再軍備が始まる予定でありました。この関連で、まず最初の再軍備関連の憲法訴訟が幾つか起こってきます。
 一たん、この法案はドイツの国内では批准を完了して大統領の署名までいくのですが、結局、この法案自体は、EDC条約をフランスが批准しなかったことにより流産いたします。ですが、これで、ドイツの側は、着々と再軍備のための準備を始めるわけであります。
 その関連で、憲法を改正すべきかどうかということが問題になって、当初、アデナウアー政権は、改正しなくてもできるという姿勢だったんですが、一九五三年の総選挙で与党が圧勝いたしまして、その選挙の後に、幾つかの小さな政党と連立政権を樹立しまして、三分の二の多数を持つ政権を樹立いたしました。この多数をもって第一回の防衛関連の憲法改正を行いまして、このときは、連邦に防衛に関する立法権を付与するなど、最小限の改正にとどめて行われました。
 先ほど申しましたように、EDCは結局失敗いたしまして、そのかわりに西ドイツはNATOとWEU、ブラッセル条約に加盟することになりまして、これが五四年にパリ諸条約として調印されて、五五年に発効いたします。そして、その年のうちに、まず、志願兵の軍隊として連邦軍が発足する。この後にもう一度、再軍備関連の憲法改正というのが五六年に、今度は与野党協力によって行われます。
 社民党は、当初、再軍備に関して、これは違憲であるという立場から憲法訴訟を起こしました。それから、先ほど申しおくれましたが、違憲訴訟は幾つかは棄却されて、最後まで残ったものは、結局、憲法改正によってその訴える立場を失ったわけです。社民党の方は、最初は、彼らの一番の関心といいますのは、再軍備してしまうとドイツの再統一を妨げることになるということが心配だったわけです。ですが、再軍備になった以上、やはり民主的な軍隊をつくっていくために議論に参加していかなければいけないという立場から、第二回の防衛関連の憲法改正に関しては、社民党も参加いたしました。この関連で行われた改正はかなりの数に上ります。
 そこで、ドイツ基本法に一貫する姿勢としましては、チェック機能、連邦政府が軍隊を使っていくときのコントロールとして、一つには、議会による統制というものを考えている、もう一つは、連邦と州というもののバランスを常に考えていて、その双方からのバランスチェックというものを意識しているという点でございます。
 ドイツの場合、御承知と思いますが、連邦議会と連邦参議院がございまして、参議院の方は各州から代表という形で送られてきますから、参議院の議決というのは非常に強く州の意見を代表したものとして扱われるわけです。
 このときに決まったことを簡単に幾つか申し上げておきます。
 六十五a条に、軍隊の指揮・命令権は、平時においては国防大臣、有事においては連邦首相に属するということがはっきり憲法の規定で書かれたということ。
 それから、関連の条文はレジュメに大体書いてございますし、お手元に基本法の写しがあるかと思いますので、見ていただけるとよろしいのですが、ただ、これも何度か改正していますので、もう今なくなった条文とか変わってしまった条文もあって、その点、ドイツの法律というのは非常に読みにくいのですが、連邦議会の国防委員会が調査委員会として憲法上の機関になる。
 あるいは、国防受託者という新制度ができまして、連邦議会の補助機関として、それから、兵士の基本権保護に当たるというような任務を請け負うことになりました。
 いわゆる有事、国防事態という訳を用いることが多いのですが、その到来は議会が確定する。克服しがたい障害によって連邦議会が招集され得ず、遅延が危険を招くときのみ首相と大統領によって行われる。
 それから、予算の関係で、軍隊の員数とその組織の大綱は予算によって明らかにされなければならない。
 こういうようなことが決められました。
 この後、五七年の四月には徴兵制が開始されまして、これは現在に至るまで継続しております。現在、ドイツは九カ月の徴兵期間を実施しておりまして、冷戦後の環境がいろいろ変わった中で、再度、徴兵制は現政権で議論される予定ですが、ことしの二月に、徴兵制はもはや違憲ではないのかという訴えが一部出ておりまして、それに関して憲法裁判所は、冷戦後の環境においても徴兵制は合憲であるという判断を示しております。
 この次に危機管理に関して大きな法制が行われましたのは、一九六八年でありました。このときは大連立政権による立法でございまして、ドイツは、戦後、占領された状態から出発しまして、有事に関する法律が整備されるまでは一定の範囲内で占領国の権利というものが残っておりまして、最後の完全な主権回復のためにも、有事法制、非常事態立法というのは必要だったわけです。
 ですから、これは、ずっと長い期間、懸案だったわけですが、軍備ということに加えて、国内における軍隊の使用というのもこの場合は出てくるわけでありまして、それはドイツにおいても非常にセンシティブな問題でありますので、長い時間がかかって、やっと社民党と保守連合の連立政権で実現したわけです。
 このときは、かなり広い範囲の改正、変更が行われております。そこにざっと書いてありますけれども、大きく分けまして、国内における軍隊の使用、それから、外国から攻撃された場合の防衛のための軍隊の使用というのがあるわけです。
 国内で使用される場合に、基本的には、国内の治安というのは州の警察が一義的には負っているわけで、そこで賄い切れないような公共の安全または秩序の維持への危険というものが起こってきたときに、まず州のレベルから、他の州の警察であるとか、それから連邦の国境警備隊、それでも足りないときには軍隊というものを要請していくことができる。
 それから、逆に、今度は連邦の方がそれを必要と認めた場合に、それを州に対して指示できるというようなことに関する規定が設けられております。これは、先ほど申しましたように、連邦参議院の要請があれば解除できるということで、連邦が行った指令に対して、州の側からの反対というか対抗する手段というのが設けられております。
 自然災害とか重大な災厄事故の場合にも、このように国内における軍隊の使用というのが一定範囲内で想定されています。
 そして、後に問題になりましたのは八十七a条の二項、軍隊は国防を除いてはこの基本法が明文で認めている場合に限って出動することができるという規定がここで入りまして、明文で認めている場合というのはどの範囲かと。今申しましたように、国内における一定範囲の使用、それから、いわゆる防衛事態と言われる場合、それ以外に、PKOなどが認められているのかどうかというのが後に話題になったわけですが、当時のドイツはそのような活動を行っておりませんでしたから、問題にはなってきませんでした。
 防衛事態、それから緊迫事態、同盟事態というようないろいろな事態が想定されているんですが、そのような場合に、例えば、軍隊による非軍事的物件の保護や交通規制ができるというような、あるいは一定範囲内の移転の自由の制限のようなこともできるというような規定もこの有事法制関連で行われております。
 防衛事態ですが、これは、連邦領域が武力で攻撃された、またはこのような攻撃が直前に切迫していることということで、実際に武力攻撃が発生した、あるいはその危険が非常に切迫しているような状態について、連邦政府の申し立てに基づいて、連邦議会が連邦参議院の同意を得て防衛事態というものを確定するということになっております。連邦議会議員の過半数かつ投票数の三分の二が必要である。
 これができないときは、合同委員会というものが制度として設けられておりまして、これは連邦議会と連邦参議院の双方から選ばれたメンバーによって構成されるんですが、それが確定して、大統領が公布する。連邦領域に対する武力攻撃というものが実際にもう始まってしまっていて、このような手続が踏めないときは、確定は行われたものとみなされて、攻撃が開始された時点で公布されたものとみなされるというふうに規定されております。
 防衛事態が確定しますとともに、軍隊に対する命令・司令権は国防大臣から首相に移りまして、連邦政府の権限がさまざまな範囲で強化されます。収用や一定範囲の自由の制限、国境警備隊を連邦の全領域に出動させるなど州に対する権限の強化、それから、立法手続が簡素化されて、議会の立法が非常に迅速に行われるようになる。それから、防衛事態の期間中は、議会の解散ができない、あるいは議員、大統領などの任期は延長されるなどの規定があります。
 防衛事態の終了というのは、いつでも連邦議会が連邦参議院の同意を得て宣言できるというふうになっております。
 一応、ドイツの憲法上も、防衛事態まで至らないけれども、その前段階として、緊迫事態あるいは連邦議会の特別な合意による緊急事態というような場合に、平時において適用を差しとめられていた法令が適用可能になるような状態が想定されています。それから、議会による確定というのが機能しない場合でも、同盟上の義務から事実上軍隊の活動が始まるような場合にも、一定の範囲で配慮というものがされております。
 以上のように、六八年の改正というものは非常に広範囲にわたるものでありまして、かなり国内的にもいろいろな反対運動等があったのですけれども、ここで、ほとんどの領域をカバーするような有事法制を西ドイツの場合は整備したわけであります。
 当時の西ドイツの連邦軍が置かれた状況を思い起こしていただきますと、それは、NATOの集団防衛の中核でありまして、前方防衛の主軸でありました。あの当時のドイツが巻き込まれ得るといいますか、ドイツが当事者となり得る戦争というのは、東西冷戦の文脈の中でのNATO軍とワルシャワ条約機構軍の戦争以外には想定されておりませんでしたし、それ以外の戦争に備えるような余裕も、当時の西ドイツにはなかったわけです。ですから、その戦闘部隊というのはすべてNATOの防衛計画のために提供されておりましたし、ドイツ軍は単独で作戦を遂行することは想定されておらず、その機動性や展開力、指揮系統というのは厳しく制限されておりました。
 これは、もちろん、ドイツが第二次世界大戦を起こしたということもありまして、その関連で、再軍備はするけれども、西ドイツ軍がなるべく独自で動きにくいような状態にしてNATO軍に統合しておくという観点もあったと思われます。ドイツ海軍だけは常設作戦司令部を有していたようですが、陸軍、空軍は、冷戦後までNATOの統合司令部によって指揮されておりました。ですから、ドイツは、一九七三年に国連加盟をいたしましたが、PKO活動というのは特にこの時点では行っておらず、したがって、憲法上の議論も当時は起こってはきませんでした。
 ただし、人道援助や災害救難のための連邦軍の派遣というのは、これは軍隊の使用というのとは全く別の観点で考えられておりまして、このことに関しては、私は、議論というのは全く聞いたことがありません。一九六〇年に初めてモロッコの地震の折に連邦軍が派遣されて以来、ほぼ毎年のように世界各地に派遣されていまして、現在までに、これはドイツ国防省の資料でざっと数えてみただけでも、延べ百三十回以上、五十カ国以上に連邦軍は派遣されております。
 一九九〇年、九一年の湾岸危機の折にも、人道援助としては、ヨルダン、サウジアラビア、カタール、それからトルコ、イランのクルド人難民の支援などに実際に連邦軍が派遣されておりまして、それらは、ドイツにおいては、憲法の規定に触れるような軍隊の活動とは全く別種のものとして考えられております。
 今度は、冷戦後の状況の変化というものを御説明したいんですが、このあたりはかなり日本でも報道されておりますので、皆さんも御承知のところが多いかと思いますけれども、日本と同じでありまして、まず湾岸戦争で、ドイツはどのような立場をとるかということを問われたわけです。あのときは、多国籍軍の一部として戦闘を行うということは、ドイツはしなかった。
 その後、日本の場合はずっとそんな大した危機がないわけですけれども、ドイツの場合は、旧ユーゴスラビアの紛争というのが九〇年代にずっと続きまして、その過程で、ヨーロッパ各国、そしてNATOも組織として深くかかわることになりまして、最後、御存じのように、まず、ボスニア・ヘルツェゴビナにおいて空爆が行われて、その後、コソボにおいても大規模な空爆が行われたわけです。その範囲内で、NATO軍というのは非常に統合された組織となっておりますから、ドイツだけが参加せずに行動しますと、作戦に非常に支障が出てくる場合も多々あるわけです。それだけではなくて、同盟の一員として果たして何もしなくてもいいのかということが問われたわけです。あと、ソマリアにも国連PKOの範囲でドイツ兵は行っております。
 こういうふうに領域外へ連邦軍を派遣する必要が頻発するようになりましたが、先ほど申し上げましたように、それまで冷戦下においては、西ドイツ連邦軍というのはドイツの領域内で攻撃されたときに守るという以外の作戦は全く考えていなかったわけで、それが当然憲法にも合致するものであるというふうに考えられていた。
 ただし、ここは日本と違いますところは、それをどこか明文で規定していたというわけではなくて、実際上の状況としてそうであったし、それから、西ドイツの政治家たちも理解としてそういうものであるとは思っていたけれども、絶対に派遣してはいけないというような規定を、あるいははっきりした政府の政策というものをつくっていたわけではないということです。ただ、事実上、ドイツの憲法というのはそういうものであるというような大まかな政策上の理解があって、それが冷戦終了直後のドイツの派兵というものを拘束したのは確かであります。
 ただし、これは、実際上の必要が出てくると、まず、現実に実施されている政策の面で変化が出てきて、先ほど申しましたように、ソマリアなどに、それから、旧ユーゴ紛争の関連でアドリア海などにドイツ連邦軍の兵士は出ていくことになります。
 これが果たして基本法で許されているかどうか。先ほど申しましたように、基本法で明文で認められている場合にしか連邦軍は派遣してはいけないということで、防衛に使ってよいということは非常に明白なんですが、そうでない使い方というのが果たして合憲であるかどうかということが訴訟になりました。
 この関連では、違憲訴訟を起こしていた側も、決して絶対に派遣するなという立場であったわけではなくて、もちろんドイツの国内には絶対に域外派兵反対という人も少数いましたけれども、大部分の反対というものは、むしろ、憲法改正をちゃんと行って基本法上の根拠というものを明確にしてから出ていくべきであるというような観点から反対していたわけですので、もし違憲判決が出ていたならば、恐らく、大急ぎで改正法案をつくって、基本法上の根拠を新たにつくって派兵するということが政治上の解決としてとられたであろうと思われます。
 非常に有名な九四年七月の連邦憲法裁判所の判決は、「基本法二十四条二項は、相互集団安全保障制度への加盟とそれに伴う主権の制限を認めているのみならず、これらの機構への加盟から生ずる課題、したがって、これらの機構の枠内で行われる活動への連邦軍の参加のための憲法上の根拠を提供している。」としまして、それまで連邦政府が行ってきた派兵を認めたわけです。「ただし、基本法は連邦政府に、その際、連邦議会の同意を得るよう義務づけている。」としたわけです。
 二十四条二項というのは、平和維持の規範と独自の組織の構築によりすべての加盟国に平和の維持を相互に確約させ、安全を守る国際法上の義務を生じさせる独自の組織を構築するような制度を前提としているのであって、ですから、これは、国連であれば許されるのか、それともNATOのような同盟でも許されるのかということが一つの問題になり得るわけですけれども、そこは、憲法裁判所は非常に広く認めていて、国連のような集団安全保障機構と呼ばれるものであっても、あるいはNATOのような同盟組織であっても、連邦議会の同意を得ればドイツ連邦軍はそういう活動に参加できるという判断を示したのでありました。
 この判断を受けまして、連邦議会は、九四年七月時点までの連邦軍海外派兵というものを、当時、出席議員四百八十八名中、賛成四百二十四、反対四十八、棄権十六という表決で追認しておりました。
 これ以後、ドイツは、海外における連邦軍の活動を徐々に拡大してきております。コソボでは実際に戦闘活動にも参加しましたし、いまだにそのほとんどは平和維持活動と呼ばれるようなものですが、現在、常時九千人から一万人規模を連邦領域外に展開しております。これもドイツ国防省のホームページを見ますと、「世界で最も大きな国際的な部隊派遣国である」というふうに誇り高くうたっております。
 現在も、その約七割はバルカン地域で、ボスニア・ヘルツェゴビナにおきますSFORでありますとか、コソボにおけますKFOR、それから、マケドニアのタスクフォース・フォックスというようなものにドイツは多くの兵士を派遣しております。それから、昨年のテロ事件以後のエンデュアリングフリーダムという作戦にも大規模な協力をしておりますし、アフガニスタンのISAFにも多くの兵士を派遣していて、恐らく、トルコの次のリードネーション、アフガニスタンにおけるリードネーションをオランダとドイツが共同で引き受けることになると思います。
 ドイツ軍が現有勢力三十万人を切っている程度で常時一万人規模の展開をやっているというのは、相当な負担になっているものと思われます。特に装備の面で、今までそんな遠くに飛んでいくということを想定していませんでしたので、兵員、それから機材、物資等の輸送能力の面でも、持っている装備というのは非常に適していないわけで、現在、連邦軍を新しい任務に適応すべく改革が進行中であります。
 これもなかなか財源難のために思うようには進んでいないんですが、理念としては、ドイツの連邦軍というのは、もはや、自国に対する攻撃に対して自国を守るということはもちろん原則上残ってはいるけれども、実際に起こり得る可能性としてはほとんどないというふうに考えている。これは、ドイツの周辺国、九カ国あるわけですけれども、このうち七カ国がNATO諸国になってしまって、それ以外がオーストリアとスイスであるということで、ほぼ友好国に周囲を囲まれているということで直接の脅威というのは特にヨーロッパ大陸においてもう見られない、そのようなことは考えられないというわけで、連邦軍の任務として、一義的には危機管理あるいは紛争予防等のための域外への展開というものが主任務としてこれからなっていくという前提で、連邦軍は今、その改革というものを行っているわけでございます。
 このように、当初、冷戦、特に朝鮮戦争という非常に限定された政治状況の中で始まったドイツの再軍備なんですが、その後、大きな変化を経てきまして、現在は、全く違う軍隊に生まれ変わろうとしているわけでございます。
 時間が来ましたので、このあたりで終わらせていただきたいと思います。(拍手)
中川小委員長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
中川小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。山口泰明君。
山口(泰)小委員 自由民主党の山口泰明でございます。
 岩間参考人におかれましては、大変お忙しい中をお越しいただき、ありがとうございます。
 限られた時間でございますので、端的に先生のお話を聞きたいと思います。先生はドイツ及び欧州の安全保障が御専門であると聞いておりますけれども、私は、現在の日本が直面している諸問題のうち、憲法との関連を惹起し得る諸課題を質問させていただいた上で、ドイツとの法整備の違いをお聞きしたいと思っております。
 本日は憲法と危機管理をテーマとしているわけでありますけれども、我が国が抱える今日的な問題として、北朝鮮の拉致問題、核開発、不審船、領土問題、さらにはイラク問題につきましても、査察を受け入れる決定をしたとはいえ、米国の対イラク武力行使の可能性は依然として残されている状況であります。アジアを含め我が国周辺を取り巻く状況が決して穏やかでないことは、参考人御承知のとおりだと思います。これを背景に我が国の将来のあるべき法整備の方向性を考えたとき、私は、新たな脅威や多様な事態には適切に対応すべきであり、国際的な平和と安定の維持増進のため、確固たる法整備が不可欠であると認識する一人であります。
 しかしながら、我が国は、憲法第九条の軍事的制約の観点から、軍事分野における国際協力を自制しながら今日に至っているわけでありますけれども、国際社会の平和と安全にかかわる日本の今後の役割を踏まえた上で、日本の軍事分野における国際協力をどのように考えるか、まず先生の御所見をお聞かせいただきたいと思います。
岩間参考人 国際協力をどのように考えるかということですが、これはいろいろ前提があると思うんです。
 現在の憲法が変わらない範囲内での国際協力をどのように考えるかということでまずお答えいたしますと、PKOに関しましては、既に法律ができておりまして、実際の活動も始まっているわけであります。そして、御承知のように、PKOは、冷戦後、相当変わってきております。ですから、日本の法律というのは、いわゆる第一世代、伝統的なPKOを前提としてつくられておりまして、その範囲内でも今までは非常に限定的な活動をしてきたわけですけれども、最低限、その伝統的PKOにおいては、全く完全な、フルな活動というものをしていくべきだと思います。
 それで、問題は、やや強制力を使うかもしれないPKOに対してどのような対処をするかということだと思います。
 最近はいわゆる国連憲章七章のもとのPKOというものがふえておりまして、その場合に、一定局面において軍事力の使用というのがあるかもしれないということが考えられます。これは、国連としてもまだそこのところは対応が定まっていなくて、いろいろな意見は出ておりますけれども、踏み込むべきか、それとももうちょっと後退すべきかというところは、いろいろ揺れている面があります。
 日本としては、参加するかどうかというのは、それぞれの局面で独自の判断をしていけばよいと思いますけれども、七章の決議が出ているからといって行かないということではなくて、そのときそのときで判断していけばよいのではないかと私は思っています。
 イラクのような、多国籍軍による明らかな戦争になった場合にどうするかというのは、これはもっと国民的な議論が恐らく必要なんだろうと思います。
 私個人としましては、国連安保理の決議がはっきりと出ている場合は、そのような多国籍軍には一定範囲内で日本は協力すべきであると思いますし、そのことは自衛の戦争とは全く別のカテゴリーでありますので、憲法上どうであるかというのは、本来それは日本国憲法が制定されたときには想定されていなかった事態だと思いますので、このことに関しましては、むしろ、政治の側で議論を重ねて国民的な合意をつくっていくことが必要なのではないかと思っております。
山口(泰)小委員 先般、当調査会の中山太郎団長から、海外派遣報告において、我が国の平和憲法がアジア各国から評価を受けているという報告がなされたんですけれども、私は、現憲法の精神は尊重しつつも、日本の軍事分野における不可避の国際協力があるとすれば、憲法改正は避けて通ることのできない選択肢になると考えておりますけれども、先生のお考えをお聞かせ願いたいと思います。
岩間参考人 私自身も、憲法というのは非常に慎重に扱うべき法律ではありますが、決して変えてはいけないという態度で接するべきものではないと思っております。
 それは、ドイツのことを勉強しております立場からも、国を取り巻く環境というのはどんどん変わっていくものでありますから、そのときそのときでこの国の基本の方針がどういうことであるのかというのは国民的な合意をつくって、それをはっきりルールとして示していく方が望ましいのではないかと思っております。
 そういう意味で、日本の憲法の平和と安全に関します規定につきましても、それは、その憲法が発足した当時の状況に非常によく対応したものではあったと思いますし、今まで非常に大きな役割を果たしてきたとは思いますが、これからの日本の役割を考えていく上では、私もやはり見直しを考えていった方がいいだろうというふうに思っております。
山口(泰)小委員 ありがとうございました。
 幾つか系統立ててお聞きしようと思ったんですが、時間が迫られたので、先生の御専門で、緊急事態法についてちょっと最後に質問させていただきたいと思います。
 ドイツ連邦共和国基本法では、防衛上の緊急事態等対外的な緊急事態に関し詳細な規定を設けておりますけれども、日本の有事関連法案との比較において、とりわけ人権制約、地方自治体等に対する統制、国会によるコントロール等の観点から、先生の御所見を最後にお聞かせいただきたいと思います。
岩間参考人 どの程度憲法に実際の規定を書くかというのは、それぞれの国の歴史でありますとか文化によって、恐らくなじみやすい形があるのだと思います。私は、大きな原則の幾つかは憲法のレベルで書いておく方が望ましいと思いますけれども、それの細則につきましては、別の法律をつくっても構わないであろうというふうに思います。
 ただ、今の日本の現状で非常に遺憾に思いますのは、何も憲法に書き込むことができないので、すべてをその他の法律のどこかに押し込んでいることによって、専門家でない者には非常にわかりにくい形になっていると思います。
 それはやはり、国民に理解してもらう政治をやっていくという上では望ましい形ではないと私は思いますので、大きな原則は憲法に書いて、実際の細かい内容については法律でやっていく、それもなるべく一つの法律にまとめてやるという形がとれれば一番望ましいのではないかと思っております。
山口(泰)小委員 私も全く今の先生のお考えに同感しております。
 短時間でありますが、大変ありがとうございました。
中川小委員長 山田敏雅君。
山田(敏)小委員 民主党の山田敏雅でございます。
 きょうはどうもありがとうございました。
 時間が大変短いので端的にお伺いしたいんですが、今の山口委員の御質問にあったんですけれども、ドイツは今、五十一回、憲法を改正した、日本は今、一度もさわったことがないんですけれども、今の先生の御意見で、憲法というのは時代が大きく変わったものに対応していった方がいいという御意見ということなんですが、今の日本の状況、国際的な枠組みが大きく変化してきましたけれども、今、どういう憲法の改正が具体的に望ましいと思われますか。
岩間参考人 安全保障の範囲内ということでお答えしますけれども、私、このことをまだ系統立てて考えてみたことはないんですが、九条はやはりややわかりにくい形になっていると思います。自衛権は認められている、それで侵略戦争はしないという原則。私は、自衛権を認めている範囲で持っている自衛隊というのは軍隊であると考えております。ですから、このことはもうはっきり認めた方がいいと思っております、具体的な文言というのはいろいろあり得ると思いますけれども。
 そして、日本の場合は、国連とかかわる中で日本がどういう役割を果たしていくのか、そのことに関する規定というのも入れた方が望ましいのではないかと思っております。
 あとは、最低限の有事における軍隊の指揮権、そのようなことに関する規定も憲法のレベルで入っていることが望ましいというふうに考えています。
山田(敏)小委員 先生は有事法制を随分研究されているようですが、ドイツは今まで緊急事態法というのをずっとやってきたわけですね。長い間、いろいろな議論を経て、常にそういう緊急事態の法制についてやってきたということを今おっしゃったんですけれども、日本は今、有事法制の議論を国会でやっているわけですね。
 一番懸念されることは、有事に関する権限がどこに集中して、基本的人権がどの程度守られるかという議論が国会で今行われていると思うんですけれども、先生の御意見だと、ドイツ的な緊急事態法制のやり方を日本でやるべきなのか、あるいは、日本は独自の有事法制的な、今の権限の集中の問題ですね、権限の集中と制限の問題をどういうふうにお考えですか。
岩間参考人 有事におきまして、条件つきで一定期間権限を集中させるということは、私は恐らく、事の性質上、不可避だと思うんですね。ですから、そのような法制は必要だと思います。
 問題は、それの乱用をどのように防ぐかということです。
 ですから、先ほど申しましたように、ドイツにおいては、議会によるコントロール、それから、州によるバランスということが非常に重視されているわけです。日本の場合は、ドイツのような連邦制ではございませんので、州と連邦のバランスという意味で、そこをチェックしていくということは、やや制度としてなじみにくいものがあるのだろうと思います。
 ですから、その点を、日本の場合はどのように乱用を防ぐか、あるいは、乱用されそうになった場合に、それに対してブレーキをかける機能というものをどこに持たせていくかということは、やはり日本は日本として考えなければいけないと思います。
山田(敏)小委員 乱用を防ぐ最も有効な方法は、議会による議決によってそれを直ちにやめさせるとか、そういう規定を設けるのが有効だというふうに今のところお考えですね。
岩間参考人 そうですね。
山田(敏)小委員 ドイツと日本を比較した場合に、ドイツは、同じように、フランスとかいろいろなところに侵略したわけです。日本も、中国、韓国、朝鮮と行ったわけですけれども、その後の対応がちょっと違っているんです。
 ドイツの場合は、ナチスというものを徹底的に否定して、改めてやり直した、そして、今御説明ありましたように、NATOの枠組みの中でしか軍隊を動かせないようにしてやっていった、こういうことですね。
 日本は、今、中国、韓国から軍備とか自衛の問題についていろいろ意見を言われるわけですね。日本が、ドイツがやったように、近隣諸国に対してもう侵略の可能性すらないということを深く理解してもらうにはどうしたらいいか、ドイツの例を考えて何かお考えがあったら。
岩間参考人 ドイツの場合には、いろいろな形で、いわゆるマルチラテラルと言われる制度の中に組み込まれているわけです。これは、私は、ドイツが日本と比較した場合に幸運であったのは、周辺に似たような体制の国がかなり多くあった、そこにヨーロッパ統合というものが戦後うまくスタートしたということが大きかったと思います。
 私もよく、ヨーロッパにおりますと、どうして日本はドイツのようにやらないか、こうヨーロッパ人に説教されるわけですが、一九四五年以後のアジアの歴史をかんがみますと、ヨーロッパと同じようなことをここでするのは非常に困難があっただろうと思います。ですから、日本が日米安全保障体制というもので対応してきたのは、ある期間までは仕方がないことであったのかなという気がします。
 ただ、今は情勢も相当変わってきております。韓国も民主化してきておりますし、その他、アジアに民主的な国はふえてきておりますし、中国も体制が相当変わってきている。そして、朝鮮半島の問題に関しては、周辺諸国で同じ土台の上で話せるような土壌というものが十分育ってきていると思います。
 ですから、一つには、やはり北東アジアにおける安全保障というものを複数国で常に解決していくという枠組みを日本が積極的につくっていくことだと思います。
 それから、もう一つの柱として、国連に対する貢献というものに対する日本独自の政策をはっきり持って、そこで一体日本がどういう役割を果たしていくのかということを明確に打ち出していく。
 本当は、アジア地域というこの中間のレベルがうまく育っていくと最もよいのですけれども、アジアは、御承知のように、非常に多様で地理的範囲も広うございますので、そこでの対話というのももちろん十分にやっていくべきでありますし、これから恐らく、中国が変わってくると、そこもまたやりやすくなってくると思いますので、そのレベルでも一定の範囲ができるとは思いますが、これはNATOとかOSCEのようなところまでいくにはまだまだ時間がかかるかなという気はいたしますので、とりあえず、目の前にあります北東アジアの情勢について話し合えるような枠組み、それから、国連に対して自分の政策を考えていくことが優先事項かなと思っております。
山田(敏)小委員 最初の質問にも関係するんですけれども、憲法を改正するとすれば、その中に自衛隊の役割を明記すること、そして、その自衛隊と国連との関係をはっきりすること、こういうことだと思うんです。その中で、今後、我が国の自衛隊を国連軍というか国連のある指揮下に置くこと、最初にドイツの軍備について話されたときに、ドイツの陸軍と空軍ですか、それはNATOのほぼ指揮下にあったということで出発したという御説明がございましたが、そういう道を日本としてたどるのも一つの選択肢だと思うんですけれども、いかがお考えですか。
岩間参考人 国連の指揮下といいます場合に、本来国連憲章が予定しているような形での国連軍が機能する場合と、そうではなくて、安全保障理事会の授権というものがあって多国籍軍が組織される場合と、二通りあると思うんですね。前者の、本来憲章が予定しているような国連軍が果たして近い将来に組織され得るかといいますと、私は、これは非常に難しいと思います。
 それは、現実問題として難しいということと同時に、兵士に生命をかけて戦ってくれと言う以上、そこには、政治的な、民主的な委任、あるいはそれに対して民主的に意見を反映させるような方法、そういうものが確立されている必要があると思うのですね。これはヨーロッパ統合の場合にもしばしば言えることなんですが。では、それが国連という組織にあるかというと、それはまだ非常に難しい状態である、そうである以上、私は、国連の指揮というものに兵士の生命を預けるということは、近い将来、どこの国も行うことは非常に難しいだろうと考えております。
 そうしますと、日本としましては、安全保障理事会の授権を受けた多国籍軍が戦闘行動を行う場合に一体どのような貢献をするのか、これは本当に難しい問題だと思いますけれども、ここを国民的に議論していかなければいけないんじゃないかと思います。
山田(敏)小委員 時間が来ました。ありがとうございました。
 質問を終わります。
中川小委員長 赤松正雄君。
赤松(正)小委員 公明党の赤松正雄でございます。
 きょうは大変参考になる意見をありがとうございました。
 私の方は、まず最初に、戦争責任をめぐる日独の差という問題についてお聞きしたいと思います。
 日本はこのところ少し収束している感がありますけれども、ドイツは、戦後、その戦争責任という問題について、先ほども少し話が出ましたけれども、ナチスにすべて責任をおっかぶせた。ドイツとしての、国家としての謝罪とか責任とかよりも、どちらかといえばナチスにすべて責任を負わせた。一方、日本は、その辺について極めてあいまいであった。したがって、端的に言えば、戦争責任という問題について、ドイツの戦後指導者のやり方は非常にうまかった、それに比べて日本の戦後指導者は極めて稚拙であった、こういう見方がありますけれども、その辺はどう思われますか。
岩間参考人 ナチスにすべての責任を負わせたといいますか、ドイツの場合、原則は、その責任というのは個々人、個々の政治家にあるという立場でやってきたわけで、当然、責任があったのはナチスの責任ある部署にいた政治家であったわけですから、ナチスという抽象概念に責任を負わせたのではなくて、責任はあくまで個人に属するものであって、ドイツ国民全体の集団責任ではないというのが大きな前提というアプローチをとっておりました。
 それに対して日本は、私は、これは文化的な違いだろうと思いますけれども、全体的な責任というアプローチを日本もしたし、また、周辺諸国も割合にそういうアプローチをしがちであったと思います。そういう過程があること自体はもはやここまでやってきて変えることはできないので、その前提でやっていくしかないんだろうと思います。
 一つ、私はこういう問題でいつも思いますのは、どこかの時点でゼロになるというものではなくて、これはかなり続くものであるということでありまして、ドイツは非常にうまくやった、こう言われるんですが、それじゃドイツの問題はすべてけりがついているかといいますと、ユダヤ人に対する補償であるとか、企業に対しての補償請求であるとかは、いまだに延々と続いているわけであります。これに対して、ドイツ人は気長に対応しているわけであります。
 日本の文化としまして、何か、謝ったらそこで水に流してもらって、すべてはチャラになってゼロから出発できるという期待感があるので問題がこじれるんではないかと私は思うんですけれども、あくまで責任は責任として、法的な問題として恐らくずっと残るのであって、決して、ドイツがうまく立ち回ったというふうには私は思っておりません。
 多くの点において、ドイツと周辺諸国の関係というのは日本に比べればうまくいったと思います。その過程には、政治家が節目節目で非常に大きな政治的なジェスチャーというものを示してきたことが、個々の賠償の問題もありますし、その積み上げの問題もありますけれども、大きな政治的意思としてそういうものを示してきた。
 それに対して、私はやはり、日本の政治家、リーダーシップというのはどこか歯切れが悪かったような気がするんですね。ここまでは言っていいけれどもこの先を言ったらお金を取られるかもしれないとか、そういう割合に小さな議論が多くて。
 ここぞというときに非常に大きなジェスチャーを示せる、その非常に典型例が、ブラントがあのワルシャワでひざまずいている写真で、あれが世界を駆けめぐったことの政治的な重みというのはすごかったわけですね。別にあれは一銭もかかっていないわけですから、ひざまずくためには。だけれども、その政治的な意義というものは非常に大きかったわけで、私はむしろ、そういうようなことの積み重ねの方が大きかったのではないかという気がいたしております。
赤松(正)小委員 ありがとうございました。
 今の後半の部分に関連するんですけれども、先ほど冒頭で四十分にわたって、ドイツの過去から現在に至るさまざまな安全保障上の課題をお話しいただいたんですけれども、一番最後の部分で、今回の九・一一における対アフガンに対するドイツの対応というのが、私なんか見ていて、今言われたことと関連する、なかなかうまいなという感じが実はするんです。
 岩間先生が書いておられる「ドイツの安保政策の変化と連邦軍改革」の一番後段の部分、「テロ事件以降」の中に、今回の対アフガンの話の中で、要するに、要請されれば軍事的な支援はやるんだということを言った上で、実際は余り何もやらないという、「現実には米英による特殊作戦にはまったく参加しなかった。」と。
 この中でちょっとすとんと落ちないのは、「ドイツが即座に軍事的手段を含むあらゆる支援を行う用意があることを、表明し得たこと、そして、それを大国としてのドイツの自己理解と結び付けて考えていることの意義が大きい。」こうおっしゃっているんですが、これはわかりやすく言うとどういうことですか、「大国としてのドイツの自己理解と結び付けて考えていることの意義」というのは。
岩間参考人 そこで私が申し上げたかったのは、特にシュレーダー政権の場合、それまでのドイツ外交というのは、やはりどこか過去の負債を背負っているという意識があった上の外交であったわけですけれども、シュレーダー政権の外交というのは、その面はかなりもう薄れてきて、戦後世代としての政権として、ドイツは責任ある大国になったのであって、その他の大国と同じような義務、国際社会に対する責任というものを果たしていくべきであるという立場からの外交を行っている。ですから、それは、過去の負債があるから何をしなければいけないという発想から別の段階にドイツ外交が移ってきているように私には観察できるということを申し上げたかったんです。
    〔小委員長退席、山口(泰)小委員長代理着席〕
赤松(正)小委員 今の関連でいきますと、先ほどのお話の中にも、ドイツがこれから劇的に変化していくという可能性を示唆しておられましたけれども、今回は米英とのいわば差をつける格好になっておりました。今後、近い将来は、対アメリカの行動に対して、例えばイギリスと同じようなことを同盟国としてやるという可能性が高いと見ておられますか。
岩間参考人 それは、どのような内容かによると思います。ドイツが過去の制限から自由になったという面が非常に強く見られましたのは、今回、イラクに対する介入ということに関して、アメリカの政策にドイツは非常に批判的なんですね。これは以前のドイツであればとても考えられなかった。ですから、そういう同盟国を批判していくという面においても、過去から解き放たれて相当自由になってきているというふうに見られると思います。ですから、参加するか、しないかというのは相当自主的に判断していくであろう。
 ドイツ自身の、自国が果たすべき安全保障観というものを考えますと、むしろ、PKOとかは非常に大きな役割を果たしていくと思います。現に、アフガニスタンの秩序維持軍では、もうほとんど最大と言っていいぐらいの貢献をしております。
 では、イラク攻撃のような、ああいう形の軍事行動に先頭を切って参加するだろうかというと、それは、現時点では、私は、ドイツ外交にはややなじみにくいので、恐らくそこは、やや引いた貢献をするだろうと思いますし、どのような活動かということによって主体的に選んでくると思います。
赤松(正)小委員 最後に、毎日新聞の「二十一世紀の視点」で、有事法制に対する論稿を出されております。私、先ほど来聞いておりまして、憲法第九条等に関する岩間先生の御認識というか、とらえ方はほとんど一致すると思うんですが、これからのこの日本の国における有事法制議論というのは、ここでおっしゃっているように、国家のあり方をめぐる問題に関して超党派での議論をぜひというふうな、超党派で合意を得てほしいと、「超党派で議論をし、合意を形成する努力を行う慣例が定着することを願って止まない。」こうおっしゃっています。
 私もぜひそういうふうにしたいと思っておりますが、現状はなかなか悲観的にならざるを得ないものがあるんですけれども、その辺についてちょっと最後にコメントしていただきたい。どういうふうに思われているか。
岩間参考人 日本の現状については、私は十分存じ上げていないので、何とも申し上げにくいんですが、ドイツの場合、保守政党とそれに対抗する二大政党であった社会民主党が協調して、有事に関する話し合いというものを行ってこられた。そして、憲法改正も一緒に行ってこられた。そのことによって、保守単独で行ったのとは違う形の防衛なり有事法制なりというものができた。そのことを私は非常に幸運だったと思っています。
 軍隊に関しましても、きょうは触れる時間がございませんでしたけれども、民主的な軍隊とはどういうものか、市民であってかつ兵士であるということはどういうことかということを、社民党側からの働きかけがあったからこそ、ドイツは真剣に考えてきたのだと思います。
 ですから、日本においても、そのような対話と生産的な妥協というものが生まれるような土壌が育ってほしいと思っております。
山口(泰)小委員長代理 藤島正之君。
藤島小委員 自由党の藤島正之でございます。
 ドイツは本当に我が国と似た道を歩いてきている。違う部分もかなりあるんですけれども、特に最近はかなり違ってきています。
 というのは、NATOの中核として育って、その際に、ワルシャワ条約機構との関係でかなり厳しい対峙をしておったのが、片一方がこけたといいますか、なくなってきましたので、現在、周りに危機感があるかというとない。逆に我が国の場合は、もうアメリカにがっちり守られてきておりまして、ソ連が崩壊したけれども、かえってまた中国と北朝鮮という、本当に身近に脅威があるという点で大きな違いがあると思うんですね。ただ、両国の軍の成り立ちといいますか、戦後の軍と、日本の場合、自衛隊の成り立ちは、非常に似ているわけですね。
 その中で、自分の国を守るという意味ではそんなに問題はないんですけれども、海外への派遣という問題では非常に問題があると思うんですが、その際、一九九四年の憲法裁判所の判決というのはドイツにとっては非常に意味があったと思うんですね。
 それで、お伺いしたいのは、先ほど憲法九条の問題もお話ありましたけれども、侵略戦争のための海外派遣とそうでない海外派遣、これについてどういうふうに考えておられますか。我が国の場合、今それに近い面がかなり出てきているわけですね。
岩間参考人 侵略戦争のための海外派遣というのは、例えばクウェートに対するような話をおっしゃっているんだと思いますけれども、域外派遣します場合に、私は、それが侵略戦争に対するものであるかどうかということが大きな判断基準になるとは必ずしも思いません。
 それは、恐らく国連安保理が何らかの決議を行う時点で相当大きく判断されると思いますから、明らかな侵略戦争であるかどうかはその時点で扱いとして変わってくるだろうと思いますけれども、日本が海外派遣する場合に、そこに、侵略戦争であったか、そうでなかったかという区別で判断するというのは、私にはやや想定しにくくて、国連の対応がどうであるのか、もちろんその中に我が国として情勢をどう判断しているのかということが入ってきて、それを加味して最終的決断を下すんだと思いますけれども、海外で起こったことが侵略戦争であるか、内戦であるかというのは、恐らくそれだけで区別の基準になるものではないのではないかと思います。
藤島小委員 九条は侵略戦争は禁止している、そういう中にあって自衛隊の海外派遣についてどういうふうに考えていいのかという質問なんですけれども。
岩間参考人 侵略戦争禁止というのは、日本が侵略戦争を行わない、これは当然であります。国連の安保理決議が出た後での、例えば多国籍軍がイラクに入っていくというようなことが国際法の観点から侵略戦争と見なされる場合があるかというと、これは全くないと思いますので、そのようなことが問題になるというのは、私にはちょっと想定できないのですが。
藤島小委員 国連がやっている分にはもう全面的に問題ないんですけれども。
 それでは、ちょっと違う質問に入りますけれども、我が国の緊急事態法制はどういうふうにあるべきかという点について、大きな枠組みみたいなもので結構なんですけれども。
岩間参考人 先ほども申し上げましたけれども、私は、本来望ましい形は、大きな原則を幾つか憲法で示す、そして、その下に法律によってより細かな規定が設けられる、それで、できる限りこれは単独の法案であることが望ましいと思っております。
 前回の日本の法案で、不幸であった一つのことは、これは第一弾で、次に第二弾、第三弾が来ますよという形であった。これはやはり、わかりにくくする一つの要因にはなったと思うんですね。すべてを一回に論ずることはなかなか難しいんでしょうが、本来、なるべくまとまった形で議論がなされて合意がつくられていくことが望ましいと思います。
藤島小委員 もう一つ、今、ドイツの連邦軍のあり方が大分変わってきていると思うんですね。それはその環境が変わっているからだと思うんですけれども、どういうふうに変質していくと思いますか。
岩間参考人 ドイツ自身が変えたいと思っている方向は、それはいろいろな政府文書に、改革案に出ているとおりでありまして、機動性、展開力があって、世界のいろいろな地域に危機があればすぐに派遣できるような、そして、ある程度の期間、展開が続けられるような軍隊にしたいとは思っています。ただ、それが一体どのくらいの期間で実際上可能かといいますと、ドイツも相当な財政上の制約下にありますので、すぐにそういうふうになるということはなかなか難しいかなと。
 それから、誤解があってはいけないのは、機動性、展開力といいましても、それは決して、現在のアメリカ軍のような非常に高度にハイテク化された攻撃力を持った軍隊というものを考えているわけではない、とても現段階ではそこまでやる力というのはドイツにはありませんから、そういうことを考えているのではないということは申し上げておきたいと思います。
藤島小委員 最後に、民主的な軍隊というのはどんなもので、それに絡んで、今、ドイツの場合、徴兵制をしいていますけれども、これについてドイツではどういうふうに感じられているのか、お伺いしたいと思います。
岩間参考人 徴兵制が始まるときに、ドイツではさまざまな議論がなされたわけです。先ほど、過去の責任についてどう考えているかということがありまして、一義的にはもちろんナチスの政治家にドイツは責任を負わせたわけですけれども、では、果たして兵士はそのとき上官が言うとおりに動いていてよかったのだろうかということがあるわけです。理想としては、ドイツは、民主的な軍人というのはそこで異議を言うことができるような軍人だと思っているわけですね。万が一、ナチスのようなことをやれと命じられた場合には、それはやらないことを選べるような、自分の判断力を持った兵士がいいと思っているわけです。
 ですから、そういう意味で、それは軍隊の本来のあり方と物すごい矛盾があるわけですね。これはドイツ固有のとても特徴的な兵士観であります。これはやはりナチスの過去ということから理解しないといけないわけで、それが本来の民主的な軍隊のあるべき姿かどうかというのは議論があり得ると思います。
 本来、民主的な軍隊というのは、シビリアンコントロールというものがはっきりしている、これが最も重要な条件だと思いますので、その点で、軍隊が使われるということは最終的に政治の責任であるということに対する意識というものがまず中心的であろうと思います。
 徴兵制に関しましては、ドイツでは、そのような経緯から、非常に開かれた軍隊であるために徴兵制というのは一つの重要な制度であるという意識がございますから、廃止するに当たっては、では、今後、職業軍になっていったら、どのようにそれを社会に開かれた軍隊のまま維持するのかという点の議論がなされなければいけないのかなと思います。
藤島小委員 ありがとうございました。
山口(泰)小委員長代理 山口富男君。
山口(富)小委員 日本共産党の山口富男です。
 きょうは、岩間参考人から、ドイツの問題で、限定された政治状況の中で生まれた一つの道であったということと、今日の世界とヨーロッパ情勢の変化の中で新たな探求が始まっているというお話をいただいたと思うんです。よく日本とドイツはいろいろな意味で比較されますけれども、きょうのお話をお聞きいたしましても、憲法や基本法というのはその国の歴史や風格にもかかわる問題ですので、その歴史の中で見ていくことは本当に大事だなということを痛感いたしました。
 特に、日本の場合は、憲法が前文と憲法九条をもって、国の平和と安全の問題では本当に確固とした立場をきちんと表明しております。特に印象的なのは、日本国憲法の中で、「日本国民は、」という主語で述べているのは前文と九条しかないんですね。それだけに、平和主義という点での私たちの国の制定当初の決意というのは非常に強かったと思うんです。その後、憲法制定後の過程の中で、当時の政府が憲法解釈を改める形で再軍備に入りましたから、先ほど岩間参考人がおっしゃいました、私は九条はわかりやすいと思っているんですけれども、わかりにくいとお感じになっている背景の一つには、そういう憲法をめぐる現実過程があったというふうに思っているんです。
 それで、幾つかお尋ねしたいんですが、一つは、ドイツの再軍備の問題で、お話ですと、結局、一九五五年のパリ条約の発効、それからNATOへの加盟と、ほぼ一体化するような形で再軍備の道に入ったようなんですが、そうしますと、ドイツの基本法という一国の法の枠組みと国際社会との関係が生まれてくるわけですね。それはドイツの場合はどういうふうに整理してこの問題に当たったんですか。
岩間参考人 国というのは決して何もない真空に浮かんでいるわけではございませんから、当然、その周囲の状況の中で存立を許されるわけで、ドイツ基本法というのも、戦争が終わって占領下で、かつ、かつてドイツ一国であったものが二つに分断されているという状況は、まあ今はもうかなり改正されましたけれども、当時の基本法にはそれは随所にあらわれておりました。
 ですから、決してそれはNATOに入ったということだけではなくて、西ドイツという国自体が冷戦という枠組みの中にがっちりと組み込まれて、かつ、それはドイツ人の意思に反して二つの国家に分断された、そういうところに組み込まれたものであったという状況を抜きにしては理解できないものですから、NATOに入ったからそこに新たにそういう状況が生じたわけではなくて、それは本来もう西ドイツという国家が生まれたときからそこにあった条件であったというふうに考えられるのじゃないかと思います。
山口(富)小委員 日本の場合は、例えば憲法制定議会の中でも、憲法九条がありますから、国連に参加した場合も国連の行う軍事的な問題については参加できないという留保が必要だという議論がきちんと行われて、その後、国連にも参加したという点で、ドイツの、今の、分断国家の現状とは全く違うわけですけれども、国際社会とのかかわりというのは割ときちんとされる中で物事の整理がついているように思うんですね。
 もう一つお伺いしたいのは、先ほど、ドイツの再軍備に当たって一種のセーフガードとしてヨーロッパ的な枠組みの中に押し込めるという発想があったんだというお話がありました。お尋ねしたいのは、先ほど赤松委員もおっしゃいましたけれども、戦争責任なんかをめぐる問題なんですね。ドイツは戦争責任について非常に長い努力をしてきているわけですけれども、戦後補償もいろいろな手だてを打ってきている。これは、先ほど岩間参考人は、いわば民族性といいますか、国民性の問題もあるんだという指摘をされたんですけれども、基本法とのかかわりで、政治の責任でこういう戦争責任や戦後補償の問題をきちんとしていくんだ、そういう発想もあったんですか。
    〔山口(泰)小委員長代理退席、小委員長着席〕
岩間参考人 私は憲法学者ではございませんので、基本法のあらゆる側面を承知しているわけではございません。恐らく、私が承知していない範囲の問題がかなりあるんじゃないかと思いますけれども、ナチスの戦禍をもたらした国民であるという意識はやはり基本法に強く反映されております。
 それが一つ非常に強く反映されているものとしてしばしば挙げられるのは、庇護権の問題ですね。政治的に迫害された人を受け入れる義務というものは、基本法ではっきりと述べられております。このようなところにみずからの歴史に対する反省というのは見られるのではないかと思います。
山口(富)小委員 重ねてお尋ねしますけれども、ドイツで、戦後何回か、戦争責任をめぐる論争が起こっていますね。こういうものは、きょうお話しになった一連の再軍備とか基本法の改正にかかわる問題とかなり関連して起きた議論なんですか。
岩間参考人 私は、それは直接は関連してはいないと思います。ただ、随所で時々関連はするわけですね。
 一番最近で言いますと、ドイツが積極的に国際派遣を行っていくという判断を行った際に、政治的な支持を得るに重要であったのは、現在の外務大臣であるフィッシャーが、当時、緑の党に強く働きかけたことは重要であったわけですね。
 この過程で、フィッシャー自身は、スレブレニッツァにおける虐殺というのを視察に行って、これは正確な言葉は覚えておりませんけれども、このようなことはかつてそういう民族大虐殺を行った当人であるドイツ民族として決してヨーロッパにおいて容認してはいけないことである、そういう価値観を持って国連の活動というのはドイツとして支援すべきであるというふうに意見を強く出していって、彼がリーダーシップを発揮して緑の党の中をまとめていったんですね。
 ですから、ところどころで、どのように国際社会にかかわるべきかというところでドイツとしての規範というのは強く働いていると思います。
山口(富)小委員 ありがとうございました。
 それからもう一点、基本法第四条の良心的兵役拒否の問題なんですけれども、これが基本法に盛り込まれた経過というか意義の問題と、それから、それが盛り込まれたときは徴兵制はないわけでしょう。そうしますと、この基本法の条項というのは徴兵制が生まれる前と後では持っている意味合いが違うのかどうか、そのあたりもちょっと教えていただけませんか。
岩間参考人 これが一番最初にここに入ってきた背景については、私は、申しわけないんですが、詳しくは承知しておりません。
 先ほど申し上げましたように、やはりそれは、さまざまな信仰心あるいは心の問題に対して介入していったナチスというものの過去があって、そういうことに対する規定というのは最初から入ったのであろうなというふうに推測されるというぐらいしか申し上げられません。
山口(富)小委員 もう一点、ドイツの場合、再軍備に当たっても、憲法につけ加え、きょうのお話ですと、新たな項目を起こしたりして裏づけをつくったようなんですけれども、日本の場合は、憲法九条で、戦争一般の放棄だけではなくて、それに伴う軍備というものを持たないという明文の規定があったわけですね。ドイツの基本法の場合は、そういう明文の規定を持たないで戦後出発したということになるわけですね。
岩間参考人 そのとおりです。
山口(富)小委員 そこのあたりの両国の違いというのはどういうふうに見ていらっしゃるんですか。
岩間参考人 これはやはり、成立の経緯の違いが大きく反映されているんだと思いますね。
 日本国憲法は、そのかなりの部分をアメリカ側の草案の形で受け取った。それも相当短期間で受け入れざるを得なかった。ドイツの場合は、実際に憲法を制定されるまでに、まずはドイツという国家がどうなるかわからなかったというのもありますし、かなり時間があるわけですね。かつ、ドイツ基本法が制定されたときは既に冷戦がかなり始まっている状態で、ドイツを西側の国として味方につけておきたいという意思が強く占領国家に働いておる中での憲法制定であったわけです。
 そのあたりは、そういう経緯の違いが反映しているのではないかと思います。
山口(富)小委員 時間が参りましたので、終わります。ありがとうございました。
中川小委員長 金子哲夫君。
金子(哲)小委員 社会民主党・市民連合の金子でございます。
 ドイツの歴史を中心にしてお話しいただきまして、ありがとうございました。
 国際的な軍事紛争の問題が起こるときに、イラクの問題もそうですけれども、国連とのかかわりということが非常にいろいろなところで論争、論議になるわけです。
 そのことで、ちょっと前なんですけれども、コソボの問題、九九年の三月二十四日にNATOがコソボに空爆を開始したわけです。当時の状況は、まだ国連はコソボに対しての軍事行動に対して決議も何も行っていなかったという状況の中で、NATOはNATOなりの理由、先ほどもちょっとお話がありましたように、人道的な問題とかがありましたけれども、しかし、国際的な秩序といいますか、国際的なルールというか、そういったものが、いわば国連中心という域を超えていったNATOの単独行動ということが非常に問題になってきたわけです。
 結果としては、六月十日に停止されて、その日に国連安全保障理事会が決議一二四四でそれを追認する形に結局なったわけですけれども、こういう事態が招来するということになると、これは、ドイツの今までの考え方、一方で人権の問題ということもありながら、この国連とのかかわりの中で、こういう紛争に対して軍事的な介入が許容されていくということに対して、国連との関係の大きな問題があるのではないかということと、そのことに対して、当時、ドイツの国内では、そうした問題については論議されずに、NATO軍の軍事行動に参加する道というものを容認していったのかどうかということをちょっとお伺いしたいんです。
岩間参考人 私は、当時たまたまドイツにいたわけですけれども、これが国連安保理の決議なしに行われたということは、やはりドイツの国内でも相当な議論を呼びました。
 そもそもコソボ介入に反対であった人々は少数でありましたけれども、いましたし、あるいは空爆を一定期間行っていて、では、その次に地上軍を投入するのかということがだんだん夏が近づくにつれて相当な議論になってきて、そうしますと、ドイツ国内にもさまざまな異論というものが出てきましたので、あれはドイツ内政としても非常に難しい局面でありました。
 そういう意味で、安保理決議なしでNATOが空爆を行ったことは、決して望ましいことではなかったし、ドイツ人自身も、それがいいことであったとは思っていないと思います。安保理決議がある状態で介入できれば、それが最善であったということはみんなが思っていることでありまして、では、あそこでNATO軍が介入したことは間違ったことであったかというと、そこまでの判断は恐らくなされていないのだと思います。
 それは、国連が機能することが本来当然望ましいし、そうであるべきなんですが、もちろん国連も完全なものではありませんから、うまく機能しないときがあるわけですね。そういうときに、では、国際社会として守っていく理念、価値というものはどういうものなのかということを考えたぎりぎりの決断をしたときに、決断は容認できるものであるというのが、ドイツにおけるコンセンサスとは言わないけれども、多数意見であると思います。
金子(哲)小委員 今、価値観の問題もお話しになりましたけれども、だれの価値観で物をはかるかということは非常に重要になってくると思うのです。コソボの場合には、NATOの空爆に対して、ドイツでは容認するような、結果的には容認することになったと思うのですけれども。
 先般、ドイツは総選挙が行われて、現政権はイラクに対するアメリカの攻撃に対しては強く反対するということで、選挙では、その争点によって逆転したのではないかとも言われるほど政治課題になったわけです。アメリカの価値観からいえば、イラクへの軍事行動ということが当時言われて、叫ばれていた時期でもあったと思うのですけれども、ドイツ社民党の当時の選挙の一番の争点として主張されたイラク攻撃に反対の理由というのは、どのようにお考えでしょうか。
岩間参考人 シュレーダーは、この夏の選挙戦で、突如、非常に強くアメリカのイラク攻撃の可能性というのを批判し始めたのですけれども、これは、一義的には、選挙を戦うための戦術であったことは明白だと思います。それが一定の効果を持ったというのは、やはりドイツの中に、アメリカのとっている政策に対する懸念というものがかなり広く持たれていたということが挙げられると思います。
 アメリカの政策のどのような部分についてそれは感じられたのかといいますと、一つには、では、戦争を行って、その後、一体どのような秩序が築けるのか、そのことに対するビジョンというものが伝わってこないという点があったと思います。果たして、サダム・フセインがいなくなった後に、地域の平和と安定に貢献するような政権がつくり得るのか、そこのビジョンがはっきりしないということは一つあったと思います。
 それからもう一つは、アメリカのユニラテラリズムと言われること、一国主義で事を解決していくような面に対する強い反発というのが、これはドイツだけでなくて、ヨーロッパ全体に共有されておりました。
 ですから、最終的には、そういういろいろなせめぎ合いがあって、アメリカは国連安保理決議をあのような形で通したわけですけれども、その過程での一つの批判、それは選挙戦というものもあって突出した形で出た面もあるし、ドイツ人がいろいろな体験から持っている平和主義的な意識というものが出た面もありますし、それらが重なって、ドイツにおいてはアメリカの政策批判というのが強く出たんだと思います。
金子(哲)小委員 先ほどから何人かの委員の方から質問が出ておりますので、重ねてのようになりますけれども、戦後補償と言われる問題です。
 日本と決定的に違うことは、歴史的な経過とかいろいろなことがあったり、また、政治的な問題があったりしましても、結果的に違うのは国家と個人の問題ですね。国家が個人に対して賠償を行うか行わないかということが、日本の場合には、個人賠償について全く行われていない。つまり、そこに決定的な違いがあるというふうに私は思うんです。
 ドイツの場合は、言われたように、ずっと歴史的にたどってみると、紆余曲折がありながら、しかし、精神的には、やってきたことは、個人に対してもかなり補償するということも含めて、基金もありますけれども、あったと思うんですが、その点の違いについて参考人はどのようにお考えでしょうか。
岩間参考人 ドイツの場合の中心は、やはりユダヤ人に対する補償が大きかったと思います。このあたりは、どういう形で決着するのが最もよいのかというのは本当に難しい問題だと思うんですね。長い時間がたっていることでもありますし、事実の確定というのも困難ですし、あるいは、国家がどのような形でかかわったかという問題もしばしば登場します。ですから、一律的な原則としてこういう形での補償が最も解決に結びつくというような答えはないのではないかと私は思います。
 それで、戦争責任の際の幾つかの原則について、私は、戦後数十年の間に国際法というレベルでも意識が相当変わってきたというふうには思っているんですね。ですから、それは決して日本とドイツだけの関連ではなくて、例えば、先ほどおっしゃいましたユーゴスラビアの関連でも戦争犯罪というものは問題になるわけで、その意識の変化というのは、十九世紀に比べればもう歴然としていますし、第二次世界大戦と現在でも相当違うものがありますので、どの時点での解決かということでこれは変わってくるわけです。
 こうすればうまくいくという原則というのは無理であって、そこはやはり政治の賢明な判断というものが必要とされるところで、こうだからずっとこれでいくんだということは私はすべきでないと思います。そこは、もし変える必要があれば柔軟に対応する必要があると思いますし、それは個々の状況に応じて政治が判断すべきであって、余りかた過ぎる法律論に縛られるべき問題ではないのかなという気がするということを申し上げておきます。
金子(哲)小委員 時間になりましたので、終わります。ありがとうございました。
中川小委員長 井上喜一君。
井上(喜)小委員 保守党の井上喜一でございます。
 きょうは、岩間参考人、本当に御苦労さまでございます。
 まず、憲法九条のことから聞いていきたいと思うんです。
 我が国の憲法といいますのは、危機管理についての規定が実質的にない憲法でありまして、国際社会の通念といいますか、常識というものから著しく逸脱した憲法だ、こんなふうに私は思っているんですね。その象徴的なものが憲法九条でありますが、これまでの参考人の御発言から、問題があるというお考えだというふうに承ったわけであります。
 自衛権があるのは国家として当然だと思うのでありますけれども、それすらはっきり書いていない。それから、集団的自衛権は今の憲法上は許されていないんだ、こういうことですね。自衛隊の根拠規定もない。だから、自衛隊が軍隊であるかどうかよくわからないというような憲法上の位置づけになっているわけですね。
 だから、私は、憲法九条についてはやはり改正していった方がいいという意見でありますけれども、参考人も大体そんな御意見じゃないかと思うのでありますけれども、憲法九条につきましての御所見を承りたいと思います。
岩間参考人 これまでに申し上げましたように、この九条というのは終戦当時の状況を反映してつくられたものでありまして、現在、日本が国際社会において置かれている立場が大きく変わったということを考えて、九条のみならず、ほかの面でもっと補われるべき規定はたくさんあると思いますので、それらを含めて変えていくことを考えなければいけないと思っております。
井上(喜)小委員 ドイツ憲法といいますのは、国際法の優位を明確に書いているんですけれども、国連憲章は留保規定なしに全面的に受け入れている。つまり、国連憲章はドイツ憲法より上位のもの、こういう位置づけと見てよろしいんですか。つまり、例外なしに、特定の規定の留保なしに、そういうことになっているのかどうか、その点を伺いたいんです。
岩間参考人 私、憲法学の専門ではございませんので、全容について果たしてそうであるかどうかということは、ちょっとこの場ではお答えできません。申しわけございません。
井上(喜)小委員 日本国憲法では、たしか憲法九十八条に、憲法と国際法との関係を書いておりまして、これにつきましては両説あるわけですね。憲法が優先するんだという考え方、それから、いや、そうじゃなしに国際法が優先するんだ、ですから、国内法で国際法に違反する場合は、たとえ憲法上は合憲であっても、国際法に違反する部分だけが修正されるんだ、こういう考え方、二つあると思うんです。
 通説は、やはり憲法が上位だということではないかと私は理解するのでありますけれども、この規定についてはどんなお考えですか。日本国憲法であっても国際法を上位法規として認識すべき、そういうような解釈をすべきだというようなお考えですか。
岩間参考人 その問題に関して私は深く考えてみたことがないので、今お聞きして思う範囲内での感想を申し上げますと、どちらが上位であるという抽象的な議論をすることが果たして個々の政策を決定する上でどの程度役立つ指針になるだろうかというと、個別になってくるとかなり難しい場面も多いのではないかと思います。
 例えばジェノサイドの禁止であるとか、そういう国際法上広く受け入れられたことに関して、では、これが憲法に書いていないからどうとか、そういうことはないと思うんです。細かいことになってきますと、例えば海洋法条約でありますとか、解釈の問題で相当割れることもあるわけですから、抽象論としてどちらが上ということが果たして実際上判断の基準として物すごく役に立つのかなということに関しては、やや疑問を感じるという程度の感想を申し上げておきます。
井上(喜)小委員 いや、別に抽象的なことではないんですよ。具体的な例を挙げますと、条約を結びますね、特に最近の例では、テロリストたちの資金を洗っていく、資金について一定の措置をとるというような条約を結んだ。要するに、批准したわけですね。そうしましたら、それに関連して法律改正をするわけですよ。国内でも、テロ資金を規制する法律にするわけであります。
 大体、条約といいますのは、抽象論じゃなしに、個別具体的なことを国家に、国家の規制を求めるわけですから、それに関連した法律は改正せねばいかぬわけでありますけれども、私が申し上げているのは、法律改正をしなくても国際法が優先するのか。
 つまり、日本の今の憲法は、そういった国民の権利義務に関することは法律できちっと規定せいと書いてあるわけですよ。ですから、法律を改正するということが憲法の趣旨に合うわけなんだけれども、そういう場合に、法律を改正しなくても国際法規がストレートに適用されるのかどうか、そこを聞いているわけですよ。
岩間参考人 ストレートに適用されるという理解は、私には、そのままでは納得しにくいと思います。
 それは、条約というものは批准を経て発効するものでありまして、その批准という過程において国民の代表である議会の意思というものが反映されるのでありますから、そこを全くすっ飛ばしてそのまま適用されるのであるという理解は、普通はとられないのではないかと思いますけれども。
井上(喜)小委員 いや、もう言いません。これはもちろん批准した条約ということなんですけれども、それはよろしいです。
 それから、ドイツの徴兵制の問題であります。
 徴兵をしく規定は、何年でしたか、憲法改正で入りましたね。入ったので、それで徴兵制はしけると思うんですが、ことしの二月二十日にまた、憲法裁判所ですか、徴兵制は合憲だという判決というんですか、そういう解釈というんですか、確定したと書いてあるんですが、どうしてちゃんと法律、憲法に書いてあることがまた裁判所で確認しないといけなかったんですか。
岩間参考人 これは、具体的には、冷戦が終わったことによって状況が変わった、そして、実際、国土防衛以外の目的に兵士が使用される可能性がかなり出てきた、徴兵でとられて自分の国を守るのではなくて全く違う国で任務につかなければいけない可能性というのが出てきて、これは本来徴兵制が予定していたことではないというような趣旨の訴えが、ある兵役を拒否した人から出されたんですね。その人は兵役拒否に関して処罰を受けたわけですけれども、それに対して、いや、違うと思う、徴兵制は今の時代においては憲法の趣旨に反しているということを訴えまして、それで訴訟になりまして、結局、憲法裁判所の方は、いや、状況が変わったといっても基本法に反しているとは言えないという判断を下したわけです。
井上(喜)小委員 わかりました。
 それじゃ、終わります。
中川小委員長 近藤基彦君。
近藤(基)小委員 自由民主党の近藤でございます。
 岩間参考人には、ドイツの基本法、特に安全保障に関してお話をいただきまして、大変ありがとうございました。
 最初に、参考人の方から、憲法学者ではないという話でありました。今、日本国憲法の改正手続を論議されているんですが、ドイツの基本法は五十回あるいは五十一回改正されてきたということです。日本の憲法にも改正条項があるんですが、ドイツの基本法、さっと読んだだけなんですけれども、七十九条に「基本法の変更」というのが出ていますが、日本の憲法では、一応、発議というものが設けられて、憲法を改正するときの提案者、あるいはその提案に対する、例えば議員数とか、そういうものを規定されているんですが、五十回、五十一回のドイツの基本法の改正の手続上、どういった形でそれは行われているのか、わかったら参考に教えていただきたい。
 最後に、日本の憲法は国民投票ということも入っているんですけれども、基本法を読んでいる限りではそこまでは書いていないみたいなんですが、今までの基本法が変更された手続上の流れというものを教えていただきたい。
岩間参考人 日本の場合との比較ということですが、細かいことは私も承知しておりませんけれども、ドイツの場合は、改正法という形で法律案として、国会といいますか連邦議会に出てきます。そこで、必要な多数は普通の法律案とは当然違うわけですけれども、連邦議会と連邦参議院両方の同意が必要である、同意を経た上で大統領の署名を得て公布されるという手続は、一般の法律案と同じであるというふうに理解しております。
 国民投票につきましては、ドイツの場合は、そのような制度は、憲法改正にかかわらず、現在の政治制度では用いられておりません。ヨーロッパや他の国ではかなり多用している国もあるんですが、ドイツの場合はそれは用いておりません。
近藤(基)小委員 ということは、議会内で決定されると理解していいわけですね。もちろん、投票じゃなくて、国民に意見を聞いたりすることはあるんでしょうけれども、手続上は、議会内でおさまってしまうということで理解していいわけですね。
岩間参考人 そのとおりだと理解しております。
近藤(基)小委員 もう一つ、ここに合同委員会という委員会が出てくるんです。防衛上、例えば最終的に合同委員会に報告するとか、かなり位置的に高い位置を占めているやに読み取れるんですが、現実的に、その合同委員会と称するものの構成は、連邦議会が三分の二で参議院が三分の一とかと人数的には書いてあるんですが、もしその役割的なことがおわかりになったら、ちょっと教えてください。
岩間参考人 私も、これに関しましては、ここに書いてある以上のことは特に存じ上げておりません。
近藤(基)小委員 安全保障が御専門かどうかあれですが、去年九月十一日のテロに対してアフガニスタン進攻が始まったわけです。このときに、ドイツは即座に協力の意を、イギリスの方が早かったかどうかは私もよく覚えていないんですが、大変早い時期に協力の意をあらわして、実際、協力しているわけです。そのときのニュアンスと、今回のイラク進攻に対するさめた見方というんですか、対応がかなり違っていると思うんですけれども、この対応の差に関して何か起因するものというかその原因、アフガニスタン進攻と今回のイラクに対するものとの対応の差というのは、どういうところに原因があるとお考えですか。
岩間参考人 アフガンの場合は、やはり九・一一の事件の直後でありまして、あの事件に対する感情といいますか、ああいうことを行ったテロに対する怒りというものは、ドイツのみならず、全世界的に共有されていたと思います。
 アメリカ側の意識としては、それと今回のイラクの問題というのは相当連続性があるんですけれども、恐らくドイツの意識では、そこは必ずしも一体というふうには見られていないのだと思います。
 アフガンが始まった当初から、アフガンの次というのはあるのかということがしばしば話題になっておりましたけれども、ドイツ人の意識の中では、イラクはイラクとして別の問題としてとらえられていて、かつ、今、イラクをアメリカが考えるような形で攻撃することが、果たして、地域の安全という観点からも、テロに対する対応という観点からも望ましいかということを考えると、その点で疑念があるというのがドイツの反応のベースにある考え方かなと思います。
近藤(基)小委員 ドイツの安全保障の考え方というのは、さっきも、どちらかというと軍事的というよりも非軍事的な意味合いも重視されていると聞いていますけれども、日本は比較的、安全保障というと軍事という感じでとらえられがちなんです。
 日本憲法は大変平和憲法でありますので、これから非軍事的な部分でも安全保障の面でリーダーシップを発揮していくべきだと思っておるんですけれども、人間の安全保障の概念ということで、この側面における現状の課題といいますか、もっとこういう部分を強くとか、あるいは、ドイツの場合はこういう部分を非軍事的な部分で強く押し出しているので日本も参考にしたらというようなことがあれば、それと、例えばNGO的な部分とのかかわり方、もし参考になることがあればお聞かせください。
岩間参考人 軍事、非軍事というのは、必ずしも明確に分けることは容易ではないんですけれども、紛争後の再建に関する場合でしても、非常に軍事的な側面とそうでない部分とあるわけですね。
 ドイツが強調しているのは、例えば紛争後の再建においても、軍事的な支援だけではなくて、秩序という面だけに関しましても、警察、司法の役割というのを重視して、そういう機能を、紛争があった国において再建していくための協力を重視しております。それ以外の、文民の行政面に対する援助というものも非常に重視して、紛争後の再建というのはすぐれて安全保障的な問題なんですけれども、そういう面での人的貢献、必ずしも軍隊、兵士を送るというだけではない、紛争後への人的貢献という面を非常に重視していて、そのための人材育成であるとか人材のプールの確保というようなことを力を入れてやっておりますので、そのような点は日本としても非常に参考にできるのではないかと思います。
近藤(基)小委員 どうも大変ありがとうございました。
中川小委員長 中川正春君。
中川(正)小委員 民主党の中川正春でございます。
 きょうはありがとうございます。
 NATOと一体化していきながら、そうした集団的安全保障という枠組みの中でドイツの軍事力をコントロールしていくというか、その国の流れをコントロールしていくという行き方という御説明をいただいて、なるほどと納得したわけであります。
 その上に立って一つ二つお聞きしたいのですが、ここでも示されておりますように、冷戦時代のNATOの枠組みと冷戦後のNATOの枠組み、もう一つは、多国籍軍で国連が国連という枠組みを使いながら今展開している、先ほどお話に出ていましたけれども、イラクだとかあるいはテロに対する戦いというようなステージですね。こういう変化が起きてきた中で、先ほどの御説明ですと、ドイツが積極的に参加していく一つの論拠として、基本法二十四条二項の相互集団安全保障制度に参加していくことによって主権が限定されていくんだという、これをはっきりと活用しながら、両方に、冷戦時代のNATOにもこれでもって参加をし、冷戦後の新しい多国籍軍の参加についてもこの論拠でもってやっていくということのように私は理解ができたんです。
 しかし、それはちょっと無理があるんじゃないか。無理があるというか、枠組みが、集団安全保障体制への参加ということと、アメリカなんかが主軸になって国連という名でもってやっていく武力行使というものと、ちょっと理論構成がぴんとこないんですね。それを同じ枠組みでできたというのは、そのときにいろいろな議論があったんだろうと思うんですが、この整理をもう少ししていただければありがたいと思います。というのは、日本も同じような日米同盟、安全保障の見直しがあって、それが周辺事態法あるいはテロ特措法という形で議論されたわけでありますけれども、そこのところをもう少し、ドイツの場合、どういう理屈になっていたのかというのをお話しいただければと思うのです。
岩間参考人 冷戦型のNATOが使用される場合、それは集団防衛ですから、当然、それは自衛権の問題として理解されていたわけで、そこは決して二十四条の必要はなくて、本来の防衛事態として理解されていたわけです。
 二十四条二項の必要が出てきたのは、NATOが、冷戦後になって、NATO条約というのは領域が書いてあるわけですけれども、それ以外の地域に展開した活動を行うようになってきた、それに対する論拠として、あるいは国連の枠組みにおける論拠として必要性が出てきて、そこで憲法裁判所がこれを使っていったわけです。
 これが文面を読んで素直にそういうふうに受け取れるかといいますと、それは恐らく個々人でさまざまな受け取り方があるんだと思います。ドイツの中にも、これは狭く国連のようなものだけに限定して理解すべきだという意見もありましたけれども、ドイツの場合、憲法裁判所が示した判断の権威というものは非常に高いんですね。これが出ると、もうほとんど決定的で、すべての政治勢力に受け入れられますので、実際、見ていくと、では、議会の同意が必要というのは一体どこの類推で言っているのかとか、細かい点はやや疑問点が出てこないわけでもないんですが、実際、政治的に運用されている限りにおいては、これはこういうものとして受け入れられております。
中川(正)小委員 その脈絡の中で先生の御意見を伺いたいんですが、日米安全保障条約に基づいて運用されている日本の今の理論づけですね。
 というのは、これは集団安全保障と同じようにみなして、テロ特措法で、武力行使とはいかないけれども、武力行使を伴わないからという理屈なんですが、そんな実際の線引きなんというのはできないということがわかりながら、無理やり線引きして今出ていっているような実態ですね。それから、周辺事態のときにさまざまな議論が出ましたけれども、それもやはり、武力行使を伴うか伴わないかということの議論だけで終始したようなことがあったわけです。
 この体系を見ていて、改めて、そこまでいこうと思ったら、日本もやはり、個別的自衛権だけじゃなくて集団的自衛権、集団安全保障に踏み込まなければ本来はああした法律がつくれないんだ、いわゆるコミットができないんだ、テロ特措法という形であっても周辺事態であっても、武力行使ということだけでごまかして割り切っていくということにはもう限界があるというような考えを私自身は持っているんですけれども、そういうことについてはどう思われますか。
岩間参考人 集団的自衛権に関しましては、これは以前から別な場でも申し上げておりますけれども、日本は持っているけれども行使しないという状態にあるということなんですけれども、私は、自衛の範囲としてそこまでは認めていってよいだろう、それは政治の判断においてそういうふうに決めていってよいことではないかと思っております。
 では、実際に日本が国際的な活動をしていく上で、どこまでを日米安保の範囲内での自衛権の問題と考え、どこからを国連との関係の問題であると考えるかというのはまた別の問題でありまして、そこは、NATOの場合も、本来それは集団防衛の組織として出発して、今はもう全く違うものに変わろうとしておりますから、日米安保の場合も全くあり得ないとは申し上げられませんけれども、どこまでそれでカバーできるのかというのはまた別に議論が必要なのかなという気がいたします。
中川(正)小委員 最後に、これだけ軽やかにというか、その都度その都度のイシューを問題にしながら憲法を変えてきたドイツの秘訣というのは何ですか。
岩間参考人 これは、私は、西ドイツの場合には比較的お答えしやすかったんですね。
 といいますのは、ドイツは二つに分かれておりまして、その中で、非常に似たような政治勢力が集まった国が西ドイツだったわけです。ですから、ここではコンセンサスの達成というものが非常に容易であったわけで、非常に極端な意見というのはむしろ東ドイツの方に集約されていたわけですね。ですから、西ドイツの場合には、国内において国のあり方に対するコンセンサス達成というのが非常に容易だったと思うんです。基本的には、現在のドイツも、その政治勢力のあり方というのを引き継いでいて、その延長線上で政治を行っておりますので、比較的、憲法問題に関する合意の達成が容易であったのかなという気がいたします。
中川(正)小委員 ありがとうございました。
中川小委員長 平井卓也君。
平井小委員 長い間、御苦労さまです。もうあと少しの辛抱でございますので、おつき合いをいただきたいと思います。
 きょうの話をずっとお聞きしていて、同じ敗戦国でありながら、また、同じような厭戦感情も持っていながら、また、反共を掲げる西側陣営に組み込まれていながら、戦後、今までの安全保障に対する取り組みが日本とドイツというのはどうして違うのかなというような印象を持ってしまうんです。
 確かに、歴史的にとか地理的環境とか政治システムとか、もしかしたらその中には政治家の能力も含まれるのかわかりませんが、安全保障政策の転換ということを日本で考えると、これはにっちもさっちもいかないような状況が想定されるし、そうなってきたことが多いわけですが、ドイツの場合は、再軍備、そして安全保障政策の転換というものに、与野党を超えて政治家がハードルを越えてきた、克服した、そういうふうに私は受け取っています。
 そういうふうに思ったときに、それは政治家レベル、国民レベルでどのようなコンセンサスを醸成してきたのか、そしてまた、そのときに圧倒的な政治的リーダーシップがそこであったのだろうかということをちょっと想像してしまうんですが、先生の知っている範囲で教えていただければと思います。
岩間参考人 その時々で状況は随分違いましたので、一概にこうという言い方は難しいんですけれども。
 一つには、ドイツは、ワイマールの場合、小さな政党がたくさんできてコンセンサスが達成できなかったということで、非常に意識して、小さい政党は、五%以下は切り捨てて、なるべく二大政党と幾つかの小さい政党という形になるようなシステムをつくったということがあります。かつ、連邦首相の権限を重視して、簡単にはそこをひっくり返せないようにした。そのシステムとして、連邦首相は非常に強いリーダーシップを発揮する余地があったということは言えるかなと思います。
 ちょっと論点がずれてしまうかもしれませんけれども、日本との違いで一番違いますのは、何といいましても、ドイツは、あすにでも戦争になるかもしれないという状況でかなり長い間生きてきたわけです。
 その点、日本は相当幸運だったわけでありまして、差し迫った軍事的な危険というものはドイツに比べれば相当少なかったと私は客観的にも思います。ですから、とにかくこうしなければいけないという目前の必要性というのは非常に少なくて、かつ、アメリカが相当な範囲をカバーしてくれたということで、何というのでしょうか、国内で対立していられる余裕のようなものがあったんだと思うんですね。
 ドイツの場合、そういうことは許されなかったですし、また、特徴的なのは、アメリカ、西側との価値観の共有のされ方というものですね。冷戦は、一方ではアメリカとソ連が始めた面もありますけれども、ヨーロッパ人自身の中で始まっていって、ヨーロッパ人がアメリカ人を引き込んでいったような面もかなりあるんですね。そういう意味で、こういう安全保障政策をつくっていくんだという価値観、それが自分たちの思うような体制を守るために必要なことであるということが、政治勢力、左右を問わず、広く共有されていたと思います。そのようなドイツを取り巻く厳しい状況というのがこれまでの政治的な伝統をつくってきたというふうに感じております。
平井小委員 もっと聞きたいんですが、ほかにもありますので、ちょっと違うことを聞きたいと思います。
 憲法裁判所がその時々に決定的な役割を果たしてしまったように思うんですけれども、そのことに対して、憲法裁判所というものの民主的な正統性の基盤というものが、これはないですね。いや、あるんですが、ちょっとよくわからないんですが、そのことに対する批判というのはないんでしょうか。
岩間参考人 私のような外国人から見ておりますと、本当に憲法裁判所というのは非常に大胆な判決を下しているというふうに思います。ですけれども、そのことに対する批判というのは本当にドイツ内で聞いたことがないんですね。
 もちろん、裁判所の裁判官の選任手続というものを通じて民主的なコントロールが制度として担保されているという見方もあると思いますし、憲法裁判所がこれまで示してきた判断が受け入れられてきたという、国民が受け入れられるような判断をずっと示してきたからこそ、そういう機関として定着してきたんだろうなというふうに思っております。
平井小委員 最後に、これから日本の安全保障を考えていくときに、先ほど先生もお話しになっていたように、アメリカのユニラテラリズムといいますかパワーポリティックス、それと国連を中心とするグローバルガバナンスといいますか、そういうものと、日本はやはりアジア地域における安全保障の枠組みを模索しなければいけないと思うんですが、そこでは経済格差に基づく利害とか、政治体制の違いとか、宗教、歴史的とか文化的な問題とか、いろいろ固有の事情があると思うんです。そのような中で、アジア地域における安全保障の枠組みについて、ヨーロッパの例も参考にしながら、ちょっと何か先生なりの、ステップ・バイ・ステップの方法論があればアドバイスをいただきたいと思います。
岩間参考人 おっしゃるように、アジア地域というのは非常に多様であるわけですけれども、私は、九〇年代に入ってからはアジアの雰囲気も相当変わってきたのかなと思っております。もちろん、まだ現在、いわゆる議会制民主主義と言っていいのかという国はたくさんあるわけですけれども、ただ、以前に比べますと、どういう原則を大切にすべきであるかとかいうようなことに対する根本的な対立は減ってきているのかなと思います。
 現在、アジアに関しては、多国籍的なフォーラムとしてはARFがあるわけですけれども、対話の習慣というのはある程度ついてきたのかなと思います。これはやはり、もっとそれぞれの国が透明性を高めるという面でやっていかなければいけないことはたくさんあって、その面で、NATOが旧ワルシャワ条約機構諸国と行っているPFP、パートナーシップ・フォー・ピースであるとかの範囲内で行われていることはある程度参考になるのではないかなと思います。
 ただ、アジアの場合はどうしても、大転換を遂げてしまって、ヨーロッパよりは慎重に、小さなステップで進まざるを得ないのは仕方がないかなという気がします。ただ、明白に、例えば朝鮮半島問題であるとか、そういうイシューがはっきりしていることについては、これまで以上にしっかり多国籍の枠組みをつくっていく段階に来ているのではないかなという気がいたしております。
平井小委員 きょうは、まだ聞きたいこともありましたが、質疑時間が終了いたしましたので、ここで私の質問を終わらせていただきます。大変貴重な御意見、どうもありがとうございました。勉強になりました。
中川小委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 岩間参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。小委員会を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手)
    ―――――――――――――
中川小委員長 これより、本日の参考人質疑を踏まえて、小委員間の自由討議を行いたいと存じます。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたしたいと存じます。
 小委員の発言時間の経過についてのお知らせでございますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。
 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをこのようにお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。
赤松(正)小委員 先ほど私が質問した最後の部分で、岩間参考人が、有事法制、超党派で合意をしてほしい、そういう願望を述べられたんですけれども、先国会で有事法制が継続になりまして、今、この国会でさらに、私は与党の一員として、できる限り多くの賛同者を得て、全面的にいろいろな角度で修正してもいいから有事法制が必要だなというふうに思っているんです。
 そこで、各党の立場は、大体私はそれなりに、武力攻撃事態特別委員会に所属しておりますのでわかるんですが、日本共産党の立場がちょっとわからないというふうに思うので、山口委員にお尋ねしたいんです。
 といいますのは、社民党、日本共産党、両党は徹底して有事法制に反対であるということはよくわかっているんですけれども、先般、金子委員に対してお聞きしたときに、ある意味で非常に明解なお答えがあって、つまり、日本に有事があった場合に、それに対して抵抗するということで受けるダメージよりも、何もしないで、要するに、なされるがままにしておるダメージの方が少ないんだ、簡単に言えばそういう言い方をされて、それはそれなりに非常にわかりやすかったんです。
 日本共産党のお立場というのは、有事法制そのものが必要ないというのは、未来永劫に必要ない、こう思っておられるのか、ある一定の時期が来たら必要なんだけれども、今はそういうことは必要ない、政府が出してきた有事法制がよくないので反対だというのか。繰り返しますと、自分たちにはいつかそういうものが必要だと思っているんだというのか、そのどちらかというのを聞きたい。
 それで、もう時間があれですからつづめて言いますと、私の記憶では、日本共産党は、緊急のときにおける自衛隊の活用というものを考えるのは当然であるというふうな決定を近過去になさっている。二〇〇〇年だったか、九〇年代の終わりだったか、場所を正確に覚えていないんですけれども。というと、それは私の理解では、緊急のときの自衛隊の活用というのはこれは有事法制を意味するんじゃないのか、こう思うんですけれども、その辺のところをちょっと教えていただきたいと思います。
山口(富)小委員 赤松委員の方から、幾つか関連する形で問題があったんですが、まず最初の問題なんですけれども、有事法制の今度の政府提案をめぐっては、もうしばしば議論しておりますように、これが海外での武力行使に道を開くという点で、私たちは賛成しておりません。
 では、これは将来的にどうなんだということになりますと、日本国憲法の要請、枠組みというのは、先ほどの参考人質疑の中でも申し上げましたけれども、平和の維持達成の問題で大変積極的な平和主義の立場をとるんですね。それは、憲法の前文でも、きょうは限られた時間ですから読み上げませんけれども、世界の諸国民の平和と友誼に期待して正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求するという立場をとっているので、将来的にもこれを基本にしながらやっていくべきだという考えです。
 それから、もう一つお尋ねの、二〇〇〇年の九月に、先ほど委員が指摘されました自衛隊の問題についての立場を示したんですけれども、これは、政権の問題として将来を考えたときに、私たちは今の自衛隊は違憲の軍隊だというふうに考えておりますが、実際に政権を引き継いだときに、それはどういう政党によって構成されるかは今確たることを当然言えないわけですけれども、そのときに、前政権の遺産として、これは私は負の遺産と考えておりますが、違憲状態の自衛隊が残っていくわけですね。そのときに、日本が警察力等で守れない場合に、現実にある部隊を使うという立場を表明したんです。そういう限りであって、これを有事法制と、今日政府が提案しているような方向と結びつけるつもりはさらさらございません。
赤松(正)小委員 といいますと、要するに、有事法制は要らない、こういう理解でいいんですか。
山口(富)小委員 日本の場合、有事法制という言葉自体に相当いろいろな手あかがついていると思うんですね。
 先ほどの参考人の話ですと、ドイツの場合は、国防事態と言いましたかね。
仙谷会長代理 防衛事態。
山口(富)小委員 防衛事態ですか。各国によって呼び方がいろいろあるようですけれども、私は、日本の場合は、例えば国境とのかかわりで言いますと、海上保安庁もありますし、警察力の対応という形で対応する問題ですとか、それから、日本の安全保障の維持の問題でも、世界的な軍事同盟をどうするのかとか、核兵器をどうするのかとか、それから、アジアにある不安定要因をどう取り除くのか、非常に多面的な平和の努力というのがあると思うんですね。そういうものを果たしていく中で、自国の平和と安全を守り抜くという立場をとっていきたいと考えております。
 ですから、政府の言うような意味での有事法制は持たないということです。
赤松(正)小委員 政府の言うような意味での有事法制は考えないと。
 そうすると、さらにもう一回詰めますが、社民党の皆さんは異論があるのかもしれませんが、後でお話しされると思いますけれども、日本共産党の場合は、金子委員が言われているような、いわゆる非武装で、無抵抗で、何もしないということではない、先ほど言われたような警察力とか今の日本の憲法のもとで、ある部分をあとう限り使って抵抗する、こういうことで理解してよろしいんですね。
山口(富)小委員 これは、時間はよろしいんですか。
中川小委員長 もう自由に。こういう議論はいい。
山口(富)小委員 憲法九条は軍事力については禁じておりますからね。しかし、私たちは、そういう侵害を受けた場合は徹底して抵抗し抜くつもりです。
金子(哲)小委員 社会民主党・市民連合の金子です。
 今のやりとりは、それなりにいろいろあると思いますけれども、時間の問題もありますので、一人五分の中でのやりとりということもありますから、その辺の運営の仕方はまず最初にぜひお願いをしておきたい。
 それで、この憲法調査会の調査の活動のありようですので、もちろん自由討論ということですから、それぞれに意見を交換するということは重要だと思いますが、こういうふうなやりとりになりますと、後、意見がなかなか出せない状況もありますので、ぜひその辺の運営は今後とも少し私は議論させていただければというふうに、ちょっと意見として最初に申し上げておきたいと思います。
 それで、赤松委員の話に答えるという意味ではありません。きょうのお話をお伺いして、まず、ドイツと日本と置かれてきた歴史的な条件というものが決定的に違うということは、もう何度も皆さんがおっしゃっているとおりだと思います。その中で、日本が、当時、平和憲法を持つという道を選択して、五十七年間、その道を歩んできた。
 私は、きょう、ドイツのお話をお伺いして、今の有事法制の問題とも絡むわけですけれども、当時の東西冷戦の、まさに国境を接している状況の中でつくられたその法律というか基本法が今どうも変質してきていると。ちょっとお話がありましたように、変質というのは、本来的な意味、最初につくられたときの意味が変わってきている。
 例えば、もう既に、他国から侵略を受けるというような状況というのは、客観的にも今、ドイツの中に存在しないというような状況がある。しかし、法律は余り変えずに、今の国際状況というのは、むしろ外国における国内紛争などに対して、イラクの問題もそうですし、コソボの問題などもそうですけれども、外に対して、国連を中心として、NATOを中心としていわば海外において軍事的な力を発揮するという状況に変わってきているというふうに私は思うんですよ。
 それで、有事法制の問題も今指摘がありましたけれども、日本の今の状況でも、有事法制の論議でもそうですけれども、日本に直接的な他国からの侵略がある状況かというと、そうではないということ、今そういうことがなかなか想定できないということは、国会の論議の中でも明らかになってきている。そうしてみますと、今ドイツが行っているのと同じような、他国におけるさまざまな紛争とか、そういうことに対処することが主眼になっていくようなこの有事法制の討論ということに、結果としてはそういうことも想定しながら実はこの有事法制の論議も進んでいくのではないかというふうなことを危惧するわけです。
 つまり、私は、自衛隊の問題については論議がいろいろありますし、また、私がこのことをお話しすればいろいろ意見が来ると思いますけれども、それはさておき、今、日本に他国からの侵略、軍事的な攻撃があるという前提を本当に立てなければならないのかどうなのか、もし立てるとすれば、それは、私どもが主張しているような平和的な外交によってそれを排除することが本当に不可能なのか、大前提としている憲法の精神に沿った平和外交というものを展開することが不可能なのかどうなのかということをもっと論議する必要があるのではないか。
 きょう、ドイツのお話を聞きながら、まさに今の国際関係というものが新たな状況になってきているということを言われておりますけれども、提案されている有事法制の定義づけなどを見てみますと、今の国際的な環境と乖離した状況の中で無理をしながら有事法制というものが提案されているのではないか。
 私は、万が一のときのことは前回もこの場でお話をしましたので、その点については触れませんけれども、そういう感じをきょうお話を聞きながら改めて今思っているということだけ申し上げておきたいと思います。
中川小委員長 今、議事運営について金子君から話がございましたが、先ほどルールを申し上げたとおりで、今のやりとりは何にも違反しておりませんし、たまたまほかに発言者がございませんでしたのでやりとりをしておるわけで、それに対して議論が飛んでくることを、私は、この場の自由討議としては大いに結構なことだと思っておりますので、こういうやり方で続けたいと思います。
中山会長 きょうは、ドイツのお話を中心に話が出ましたけれども、我々の国の安全保障ということを考えたときに、最近の北朝鮮の、不審船の問題から始まって、拉致問題が明らかになってくる、また、きのうあたりの報道では、生物兵器も化学兵器も核兵器も持っているというような話が出てきた。こういうとき、日本人の安全をいかに確保するかということは政治の責任にかかっていると思うんです。
 私は、政党がどのようであれ、その国の統治に責任を持った政府というのは、自国民の安全をいかに守るかということが最優先の課題だと思うんです。守ると同時に、外交で平和を構築していくということも並行してやらなきゃならない。しかし、相手によっては、外交努力にかかわらずに相手に脅威を与える可能性というのは現実に起こってきた。
 こういった中で、私どもが今置かれている立場というのは、ヨーロッパの安全保障、ドイツの安全保障ということも考えながら、北東アジアの安全保障というものが一体現実的にどうなのかということを考えたときに、私は、国民の持っている意識というものは、自分たちの安全をだれが保障してくれるかということじゃないかと思うんですね。
 その場合に、当然、責められるのは今の連立政権、しっかりしてくれということを必ず言われる。こういうときに、それでは、どういう法律でうまくやるのか。私は、自然科学者として、一番恐ろしいのは生物兵器、化学兵器だろうと思うんですが、こういった問題は、大きな軍艦に乗ってそれを運んでくるような代物じゃない、不審船で十分運べる問題、そういったことを考えるときに、どうして国民の生命と財産を守ってやるかという責任は、一に我々に負わされていると思うんです。
 そこで、必要な法律をどう整備するか、これがやはり日本の政治に携わる者みんなの責任だろうと思います。これは、社会民主党が政権をとられても共産党が政権をとられても、だれが政権をとっても、国民の生命と財産の安全をいかに守るかということは原則だろうと思うんです。こういうことについて、私はやはり必要な限りのことはしておく必要があるという認識を持っておる。
 ドイツの話を聞いて、コソボの問題とかアフリカの問題とか、他国における平和をつくるためにドイツは一万人近い人たちを出しているということですが、今の日本の場合は、この小さな島をいかに守るかということの方が大きいのじゃないかというふうに私はきょうお話を聞きながら感じました。
 もし御意見があれば、やっていただきたいと思います。
仙谷会長代理 本来なら発言を許されないのかもわかりませんが、ちょっときょうの感想を述べてみたいと思います。
 一つは、軍隊というのはどうしても、国民を弾圧する、人権抑圧に使われるという歴史的な事実があった。あるいは、途上国の軍隊を見ればよくわかるわけでございますが、軍隊というのは、相当程度というか、大きな幅で国内の反対政治勢力を抑圧するために使われるということもあるわけでございます。そして、そのことは、軍事、いわば軍隊そのものが持つ本質とでもいいましょうか、性格からしてどうしても、命令一下、有無を言わさずといいましょうか、軍隊内部における市民的権利は抑圧されざるを得ないという性格を持っておるわけでありまして、ドイツが新しい国防軍をもだえながらつくろうとしたときに、そのことに対しても、ナチあるいは軍事そのものについてのある種の反省から、民主化された軍隊あるいは制服を着た市民というコンセプトのもとに、国防軍を国民合意のもとで改めてつくっていったということをお聞きしまして、ああ、そうだったんだなと再認識したところでございます。
 そしてまた、緊急事態あるいは広い意味での有事法制の話でありますが、これとても、国民の生命財産そして領土を防衛するというところからこの有事法制は始まるわけでございますが、時としてその中で、先ほど申し上げたように、軍事あるいは軍隊の性格からして、そのことが国民の生命財産あるいは市民的権利を過度に侵害するということもなきにしもあらずといいましょうか、あるいは、歴史的な事実としてはそのことはむしろ反対の結果をもたらしておったという事実にも相当警戒あるいは注意をしなければならないという教訓をもとにして、この緊急事態法制あるいは有事法制全般をつくったんだなと感じたところであります。
 そして、きょう配られております「主要国の緊急事態法制」、国会図書館のイシューブリーフを拝見しますと、今、先ほど問題提起が少々されました軍隊なり軍事なり、日本でいえば自衛隊ということになるわけですが、実力部隊とでもいいましょうか、そういうものの役割、機能が変わらざるを得ない。つまり、国境線を接したその国境線で防衛活動といいましょうか軍事活動をするということの必要性がだんだんと、ドイツの場合には、特にEUの成立によってほとんどなくなって別の任務がつくられたということで、そのことに関しては同盟事態というふうな概念のもとに進められている。
 同盟事態については私も知らなかったわけでありますが、イシューブリーフの二十二ページの真ん中ごろに、「軍隊の国内出動、兵役義務者に対する非軍事的役務従事の義務付けおよび職場放棄の自由制限は「同盟事態」には認められない。」というふうに書かれております。いずれにしましても、この問題は有事法制の議論であると同時に、やはり憲法的な、国の形あるいは主権の問題、国民の権利保障の問題でございますので、私は、今の時点、日本に求められておるのは、相当、一周おくれか三周おくれになっておりますけれども、それぞれ立場が違うかもわかりませんけれども、これは大いなる議論をして国民合意のもとに進めていくということが一番必要だろうと考えております。
 終わります。
下地小委員 専守防衛という大事な部分があいまいにならないように、しっかりとしていかなければならないと思うんです。
 それと同時に、有事法制をやる場合に、国民の財産を守るというふうなことももちろんです。これは当たり前のことなので、そのときに、民間の多くの、さっき言った国会における多くの政党の理解というのも非常に大事なことなんですけれども、選ばれている政党人が評価するというだけじゃなくて、多くの国民の理解というのはやはり有事法制を速やかに行うという概念からも非常に必要だというふうに思っておりますから、わかりやすいようなやり方をしなければいけないというのが一点。
 二点目には、日本の歴史的なあり方を見ても、アジアの国々が今、日本がどういうふうな形の有事法制をつくるのかというふうなことに非常に興味を持って見ている。そういうふうなことにかんがみますと、日米安保条約の役割が有事法制の中でどういうふうなものになってくるかということは非常に大事な部分になる。
 私は、日米安保条約に伴った形の有事法制のあり方を考えていくということになってまいりますと、有事法制と日米安保条約、その中においても特に地位協定の問題をないがしろにして有事法制が前に進むということはあり得ないと。地位協定というのは、日米安保条約に伴うアメリカの兵隊と一般の住民とのトラブルが起こったときの一つの指針でありますから、この指針がどうも平等さに欠けている。そういうふうな状況の中で有事法制が先行する、そういうふうなことになってまいりますと、私は、冒頭で申し上げたような民間の方々の多くの理解がなかなか得られないのではないかと。
 そういう意味では、私は、この有事法制の中においても、地位協定、日米安保条約の問題というのは的確に国会の中で論議して、アメリカときちっとした関係を結ぶという意味でも改正が必要ではないかなというふうに思っています。
山口(富)小委員 まず、きょうの参考人質疑なんですけれども、先ほど仙谷会長代理がお話しになりましたが、私も、ドイツの経験というものは歴史の中でよく吟味してみる必要があるなということを痛感しました。
 例えば、基本法が五十数回改正されたという話がありましたけれども、もともと西ドイツとして出発したときに、東西ドイツの統一を予想して、憲法をつくらずに基本法として出発したわけですね。それだけに、基本法の中で、基本法の改正に当たっては法律によって比較的改正を積み重ねることができるという仕組みを取り入れていったわけですけれども、それが、歴史の経過の中で、現実には東ドイツが解体して西ドイツの方に吸収されて東西ドイツの統一が達成されるというもとでの今日の基本法に至っているという経過が一つのあらわれなのかなということを感じました。
 それから、先ほど中山会長から、北東アジアの安全の問題で、これは本当に日本の重大な課題だという提議がありました。
 私も、二十世紀に日本が行ったあの侵略戦争によってアジアに起きた問題というものを結局解決し得ずに二十一世紀に持ってきているわけですから、この問題の解決という点では、憲法が本格的にそれを生かした方向での取り組みというのは決して行われておりませんので、それはやはり二十一世紀の大きな課題だという点で議論を進めてまいりたいというふうに思います。
 以上です。
中川小委員長 約束としては五分以内八人ということで、もう十二人かの方の御発言がございますけれども、赤松君、どうぞ。私の判断でやらせていただきます。
赤松(正)小委員 済みません。実は、きょうの討論というか参考人の話とも関連するので、最後に少しだけお話ししたいことがあります。
 それは、ことしの夏にドイツに、武力攻撃事態特別委員会からの派遣で行ってまいりました。
 そのときに、さまざまなドイツの知識人、政治家、学者とお話をしたんですけれども、ドイツが、一九六八年のいわば緊急事態基本法の改正をやって、今また現時点でさらにいわゆる国家間の紛争ではない緊急事態、テロとかいったものに対する対応を迫られておる、日本が今いわゆる有事法制の対応を考えているのならば、国家としての、さっき金子委員から北東アジアにそういった事態が、国家間紛争があるのかという問題提起がなされましたけれども、不断に国家が考えるものとしての国家間紛争に対する対応と、もう一つ、日本風に言えばテロとか工作船といったふうな緊急事態に対する対応、二つを同時に日本が考えられることが大いに望ましいと思うというショルツ元連邦国防大臣の話が極めて印象的だったということを申し上げて、終わります。
 ありがとうございました。
中川小委員長 本日は、これにて散会いたします。
    午前十一時五十三分散会


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