衆議院

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第1号 平成14年2月28日(木曜日)

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本小委員会は平成十四年二月七日(木曜日)憲法調査会において、設置することに決した。
二月七日
 本小委員は会長の指名で、次のとおり選任された。
      土屋 品子君    西田  司君
      葉梨 信行君    平井 卓也君
      森岡 正宏君    保岡 興治君
      渡辺 博道君    筒井 信隆君
      中川 正春君    中村 哲治君
      永井 英慈君    江田 康幸君
      武山百合子君    春名 直章君
      土井たか子君    井上 喜一君
二月七日
 保岡興治君が会長の指名で、小委員長に選任された。
平成十四年二月二十八日(木曜日)
    午後二時開議
 出席小委員
   小委員長 保岡 興治君
      伊藤 公介君    西田  司君
      葉梨 信行君    平井 卓也君
      森岡 正宏君    渡辺 博道君
      筒井 信隆君    中川 正春君
      中村 哲治君    永井 英慈君
      江田 康幸君    武山百合子君
      春名 直章君    日森 文尋君
      小池百合子君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   憲法調査会会長代理    中野 寛成君
   参考人
   (筑波大学教授)     岩崎美紀子君
   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
    ―――――――――――――
二月二十五日
 小委員土屋品子君同日小委員辞任につき、その補欠として伊藤公介君が会長の指名で小委員に選任された。
同月二十八日
 小委員中村哲治君、土井たか子君及び井上喜一君同日委員辞任につき、その補欠として中村哲治君、日森文尋君及び小池百合子君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員日森文尋君及び小池百合子君同日委員辞任につき、その補欠として土井たか子君及び井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 地方自治に関する件


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     ――――◇―――――
保岡小委員長 これより会議を開きます。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 先般、小委員長に選任されました保岡興治でございます。
 小委員の皆様方の御協力をいただきまして、公正円満な運営に努めてまいりたいと存じますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。
 地方自治に関する件について調査を進めます。
 本日、参考人として筑波大学教授岩崎美紀子君に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
 次に、議事の順序につきまして申し上げます。
 最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対して質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。
 それでは、岩崎参考人、お願いいたします。
岩崎参考人 筑波大学の岩崎でございます。座ったままで失礼いたします。
 本日は、お呼びいただき、どうもありがとうございます。地方自治に関する調査小委員会ということで、地方自治についてということなのですが、とりわけ分権と連邦制についての話をということだと理解しておりますので、そのような内容で話を進めさせていただきたいと思います。
 お手元に、レジュメといいましょうか、三枚で、最初のところにきょうの話させていただく概要を列挙したものがございますので、そちらに沿って話をしていきたいと思います。
 まず、「地方分権改革」ということでございますけれども、地方分権というのは、今や世界的な潮流となっております。日本だけのことではございません。地方分権を推進する力というのは、これは世界的に幾つかいろいろな動きがあるのですが、それを同じような力のところにグループ分けをしますと、ここに書いてございます五つに分けることができます。
 まず、民主化の動きです。民主化を求める動きが地方分権を求めるということでございます。これは、よく発展途上国等で、権力がすごく遠いところで、権威主義体制など、一部に集中しているのを自分のところに取り戻すというところで、古くは地方自治は民主主義の学校と言われたこともありますが、民主主義、民主化と地方分権は密接に結びついているということになります。
 二番目は、文化的アイデンティティーです。これは、私はカナダを専門にしているのですが、特にケベックですとか、それからイギリスですとスコットランド、それからスペインのカタロニアですとかバスクとか、そういうところで文化的なアイデンティティー、自分たちの民族、言語、宗教等、そういう自分たちの民族集団、文化集団が自分たちで自治を求めたいというときに分権になるんですが、ここで重要なのは、自治を求めるときに、ただ自治をというのではなくて、ベースとなる領域を持っているということが極めて重要になります。
 つまり、分権というのは、機能的な分権もあるのですけれども、地方分権という限りは、その地方地方、一定の領域を持った上で、それを自分たちの土地として、そして領域として、そこでの自治を求めるというふうになりますので、そういうふうな文化的アイデンティティーが地方分権を求めていく。
 これは、余り行き過ぎますと国家にとっては統合の危機ということになりますので、バルカンなどをごらんになっていただくとわかるのですけれども、余りこれが行き過ぎるとかえって分断をしてしまうということになっていきまして、必ずしもポジティブなイメージではないということもございます。どちらの立場に立つかですけれども、そういうことでございます。
 それから、近代化の終えんというのがございます。これは、キャッチアップで、挙国一致で、中央政府に権力を集中して効率的に資源を配分していこうという近代化が進むわけですけれども、それがある程度達成されますと、そこの段階で新たに自分たちの近くに権力を置いて、そこで決めていきたいというふうな動きが出てくるということになります。恐らく、日本はこの近代化の終えんに近いところがあるのかなという気がしますが、そういうことです。
 それから、行財政改革というのがございます。これは特にイギリス等々で見られるんですけれども、中央政府が、自分が肥大しているのをスリムになりたいというところで、いろいろな仕事をなるべく民間と地方にゆだねるということになりますので、これも日本の現在の動きには関係があるというふうな気がいたします。
 それから、五つ目はグローバリゼーションです。これは若干矛盾して聞こえるかもしれないのですけれども、国家を超えてのいろいろな国際的な協力ですとか、グローバルスタンダードも含めて、進んでいくにつれて、より身近なところに対しての人々の意識が高まるというのがございまして、グローバリゼーションが進めば、逆に、近いところに対しての意識がちょうど相殺するように高まっていくというので、グローバリゼーションも意外に地方分権の推進力ということになります。
 それで、このように大きく五つに分けて地方分権を推進する力が世界あちこちであるわけです。その推進力はこのようにさまざまなのですが、分権化の潮流といいましょうか、方向としては、ある一定の方向がうかがえます。
 一つは、官治分権から自治分権にということと同じなんですけれども、権限委譲から権限移譲に。ここのイジョウのイの字が、委ねる場合と移す場合でかなり異なるわけであります。どちらを使うかで、まだ官治分権的な要素が残っているか、つまり、委ねる場合、委ねるけれども何かあったらまた引き戻すということなので、まだ根っこは委ねる側にあるというふうになります。移す方は、移してしまいますので、移された方が極めて自由度が高いということになりますので、同じ権限イジョウにも違いがあるわけであります。
 日本の地方分権改革を見ておりまして、やはり官治分権から自治分権へ、これは明治から始まって、今回の改革も含めてなんですけれども、ディコンセントレーションという官治分権から自治分権の方に着実に動いているということが言えると思います。
 前回の改革、前回のと申しますのは地方分権推進委員会がやられた改革と理解しておりますが、この前回の改革には三つの柱というものが立つのではないかと思っております。
 一つは、機関委任事務制度の廃止であります。この機関委任事務制度というのが、まさに官治分権といいましょうか、権限委譲の方でありまして、委任という言葉が出ますように、選挙で選ばれる首長の方に国の行政官庁が事務を委任してしまう、それで下級機関のように扱うというふうなことは、もう官治分権の最も顕著な型でありましたが、これが廃止されたということであります。
 それから、二番目の柱としては、国の関与が縮減をされた。法定受託事務と自治事務に分かれましたので、それぞれに関与の仕方がルール化をされ、そしてそれが法定主義になったということで、いわゆる行政ラインでぎしぎしと締め上げてきたのが、もう少し透明性が高まったということになります。
 三番目の柱として、これらを実効性のあるものにするためには、国地方係争処理委員会というのがなければ、何か起こったときに判断ができないということで、この国地方係争処理委員会をつくったというのが三つ目の柱だと思います。
 では、これですべて終わったのかと申しますと、そうではなくて、やはり残された課題があるわけで、私は、ここにもやはり三つの課題というふうに大きく分けることができるのではないかという気がいたします。
 まず一つ目の課題ですけれども、地方自治というよりは、地方分権というふうに語るときに、国と地方という二つのレベルの政府の関係をどうするかというふうに考えていくと、先ほどの機関委任事務というのは国の下請として地方があったということになりますが、この機関委任事務制度が廃止されたことによって、行政面での下請関係がなくなった。そういう意味で対等、対等というのは、イコールではなくてコーディネートというふうに英語では言うのだと思いますが、そういうふうに対等になったということだと思います。
 しかしながら、同じように国と地方の関係の中で残されたものとしては、行政面ではなくて、税財政面という裏づけのところ、まさに行政を行う一番基本のところがまだ残っておるわけでありまして、したがって、国と地方の関係を見ていくとき、行政面では前回ある程度の達成を見ましたけれども、税財政面は手つかずで残っているというところが残された課題の一番目だと思います。
 二番目はどこかといいますと、今度は、国と地方ではなくて、地方を見ていくわけでありますけれども、地方を見たときに、では、今のままの地方制度でやっていけるのかということになります。
 明治以来、市町村は合併を繰り返して少し数は減りましたけれども、それでも三千幾つあるというふうにおっしゃられますが、府県は明治以来ほとんど同じ領域でやってきておりますので、このように人の動きが非常に大きな範囲で動くようになってくるときに、そのままの制度でいいのかということになります。これは、市町村なり都道府県の領域、狭過ぎるかということなんですが、その領域の問題と、それからもう一つは、市町村と都道府県という二つのレベル、二層制をこのまま維持するのかということであります。
 例えば、都市はもう自立をして一層制にしていくということも一つの手でありますし、そうではなくて常に二層制でいくのかということも、これはもう大きなデザインをしなければいけないということで、地方制度の大きなデザインというのが残された課題として二つ目に挙げられると思います。
 三つ目は、これは自治体サイドの問題でありますけれども、自治を担うだけの実力があるのかどうかということで、能力をつけるということであります。
 これは何も規模を拡大するだけではなくて、説明責任ですとか、最後に申し上げようと思っていることにもつながるのですが、官官分権と言われる国と地方の権限の分権だけではなくて、市民社会への分権ということで、そこに市民のいろいろなリソースを一緒に活用できるような、いわゆる官が公を独占する状態ではなくて、民も公に参加をできる、そういうようなことが、実はローカルレベルというか、国よりも地方レベルで一番実現しやすいのではないかということも含めて、自治体が、今までのように国の方ばかりを見ていくのではなくて、みずからよって立つ領域の社会といいましょうか、地域社会を見ることができるかというのも含めて、もちろん法務能力ですとか条例とかございますので、そのような組織としての能力及び市民社会との双方向のチャネルという意味での能力も含めて、そういう自治体のあり方というのが三つ目の課題としてあるのではないかという気がいたします。
 自治体の話になりましたので、二番目の「自治体の規模と能力」というところで、これはきょうの分権と連邦制というのから少し離れるのですが、どうしても触れておかなければと思いまして、この項目を立てました。
 まず、規模をめぐる価値基準ということなのですが、自治体は、基礎自治体と広域自治体に分けることができまして、基礎自治体というのは市町村で、広域自治体は都道府県というふうに御理解をいただくといいと思うのです、国によって呼び方は違うんですけれども。基礎自治体のあり方をまず一番近いところから考えてみたいということでありまして、自治体の存在根拠というのは、私は二つあると思うわけであります。
 一つは、近いところに参加できる、自分たちが自分たちの地域社会を経営する。そういう、経営なりいろいろなあり方なりに参加ができるということで、政治参加ということに大きな意味があると思います。地方組織があったとしても、それが単に国の機関の出先であるとすると、そこには選挙というのはございませんので、双方向のチャネルではございません。一方的に国の地方機関から作用が及ぶわけで、人々が参加というふうな双方向のチャネルがないわけであります。これが自治体と出先機関の大きな違いになります。
 そのような参加ができるかどうかというのが、自治体かそれ以外の機関かというふうに分かれるところでございますけれども、政治参加ができるというのが、まさに自治体が存在する意味の一つなんであります。
 そうなりますと、参加の有効性を高めるには、やはりサイズとしてはスモール・イズ・ビューティフルということになってきます。小さい方がより参加の実効性が上がるわけでありますので、小さい方がいいというふうになっていくわけであります。
 しかしながら、自治体に託された役割というのはもう一つありまして、それは、公共サービスの供給であります。公共サービスと申し上げてもいろいろあるわけでございますけれども、特に基礎自治体は対人サービス、一番人に近い政府でございますので、人にサービスを提供する、供給をする、そういうのが存在の根拠になります。そうすると、ここでは規模の経済というのが働くわけで、スケールメリットがやはり出てくるわけであります。
 そうすると、スモール・イズ・ビューティフルというふうに、小さい方がいろいろ参加の効果が上がるというのと、あと規模の経済、大きいことの方が経営としては成り立ちやすいというふうな、この二つの相反する価値基準といいましょうか、役割がこれまでずっと葛藤してきたということになります。しかしながら、このどちらかをとらなくてはいけないのではなくて、まさに地方制度の組みようによっては、両方とることができるということが言えると思います。
 そこで、私は、海外のいろいろな基礎自治体のあり方を調べてみましたら、基礎自治体の規模が極めて小さい、小さいからたくさんあるということなんですが、そういうのと、比較的大きいというのがあります。それから、地方制度それ自体が、いろいろな制度を認め、多様性があるかということと、それから二層制、かっちり決めてしまって比較的画一的かという二つの軸になるんですけれども、それぞれに四つの象限ができるわけで、それを見ますと、多様でいろいろな制度があって、かつ自治体が非常に小さくてたくさんあるというのがアメリカなんですね。アメリカも三万以上の自治体がありますから。州によっていろいろ自治体のあり方は違うのですけれども、数からいったらすごく多いわけですね。自治体がカバーしていない地域もございますので、本当に地方制度は多様で数は多い。
 アメリカの考え方としては、公共サービスは提供されればいいのであって、自治体が提供しようがどこが提供しようが別に構わない。だから、ディストリクトですとか民間の公益の機関ですか、そういうのが提供するわけで、何も選挙でもっている自治体がすべて提供するわけではございません。こういうのをアラカルト型と私は呼んでおりますけれども、そのアラカルトであります。
 自治体の数はすごく多いけれども、制度としては比較的画一的であるというのがフランスでありまして、これは三万六千のコミューンがございまして、革命時代からずっとこのまま三万六千なんです。しかしながら、制度としてはかっちりとコミューン、デパルトマン、レジオンというふうに非常にはっきりと全国的に同じ制度をひいているということになります。
 これも、日本はちょっと厳しいかなという気がするのは、フランスの基礎自治体はほとんど公共サービスの供給というふうな仕事を期待されておりません。実際に仕事をするのはデパルトマンという、昔は国の出先だったのですけれども、今は県ということなのですが、ナポレオンがプレフェを任命して、全国津々浦々同じようなサービスをということになってきます。そういうふうなフランス型と、日本のたくさん仕事をする市町村とはなかなかうまく結びつかないかなという気がします。
 それから、自治体の規模は大きいのですけれども、制度としては多様であるというのがイギリスでありまして、これもアラカルト型で、いろいろな供給主体が公共サービスを提供するということになります。
 ちなみに、イギリスは成文憲法はございませんので、地方自治の本旨などを決めたものが憲法としてはございません。したがって、議会主権なので、議会で制定法を決めていった。それが自治体のあり方を全部決めていくことになりますので、例えば、保守党では絶対に認められなかったであろうスコットランド等々の地域議会が労働党のブレアでは認められるというふうになっていきますので、政権交代で地方制度が極めて揺らぐ、変わるというところであります。その意味で、極めて中央集権的な地方制度と言えます。
 北欧型というのは、これは、福祉国家のための公共サービスを提供するために、規模が大きくなくてはそれだけの仕事ができないということで、規模が比較的大きな自治体として再編しました。制度としては、二層制ということで、ある意味で画一的といいましょうか、そういう制度であります。
 私は、日本は多分、この北欧型が一番土壌に合うのかなというふうな気がしておりますけれども、そのためには、基礎自治体の再編は避けて通れないということになっていきます。
 それで、その基礎自治体が再編されますと、どういう形で再編されるかはわからないのですが、再編された後にどうしても出てくるのが、では、広域自治体はこのままでいいのかということになります。基礎自治体の規模が大きくなるということは、広域自治体は都道府県ですけれども、そのままのサイズでいいのかということになって、必ずここで道州制あるいは連邦制等々が出てくると思います。
 私は今、基礎自治体から道州制なり連邦制を考えるアプローチをとりました。一番近い政府からというふうにとりましたけれども、国家制度から見て、基礎自治体ではなくて、まず、国に一番近い地方レベルをどうするかというふうな考え方から広域自治体を考えるというアプローチもないわけではございません。
 その道州制と連邦制なんですけれども、これは、私も並べて書いてしまいましたけれども、道州制、連邦制というふうによく並べるのですが、制度は本質的に違います。例えば君主制と共和制が違うように、議院内閣制と大統領制が違うように、連邦制と単一制では違います。一番大きな違いは何かといいますと、連邦制度をとる限り、憲法に、二つのレベルの政府、中央と地方になるのですが、二つのレベルの政府の間の立法権の分割が明記されなくては連邦制度とは言えません。
 世界に、つぶれたりいろいろ動いておりますので十五、六、七ぐらいでしょうか、連邦国家がございますけれども、連邦制というふうに言えるのは、これはまさに世界基準ですが、すべて憲法に立法権の分割が明記されているところであります。いかに分権的な国家であろうが、単一制度でも分権的な国家があるわけで、連邦制をとっていても集権的な国家があるわけでありますけれども、政治制度としての連邦制を見る限り、その立法権の分割を書いた憲法が必要であります。
 分割の仕方なのですが、その立法権、権限自体を分割できるのではなくて、立法する分野を分割しているわけでありまして、例えば防衛ですとか通貨ですとか外交ですとか、国家の存立にかかわるものは連邦議会が立法をするという書き方です。
 いろいろな書き方があるのですけれども、アメリカが世界で最初に連邦制度を国家制度とした国なのですが、その書き方は、いろいろな州、ステートが集まって国家政府をつくり上げていくわけで、なるべく国家の権限を限定したいということで、連邦の権限を列挙しておりまして、それ以外は州に属するというふうな書き方をします。それ以外は州に属するというようなことでも、立法権が分割されたことになります。
 私はカナダを専門にしておりますけれども、カナダは、連邦議会が立法できる分野と州議会が立法できる分野を双方列挙しておりまして、それ以外の列挙しない残余権限は連邦に属するというふうにしておりまして、いろいろなバリエーションがあるわけでありますけれども、それは、それぞれの国がどのような権限を連邦を構成する地域政府に任せるかどうかというところでありまして、この権限分割のデザインによって、たとえ連邦制をとっていても、極めて集権的な国も出てくるわけであります。
 例えばラテンアメリカ、アルゼンチン、ブラジル、ベネズエラ、メキシコというのは連邦制度です。しかし、分権的かと言われると、多分そうではないというふうに思われると思いますが、憲法を見ても、連邦議会の列挙権限のリストが非常に長くあって、それ以外は州にというふうに書いてございますので、れっきとした連邦憲法なんですけれども、それ以外は一体何があるのかというぐらい長いリストなわけですね。でも、それでも連邦制なんです。
 日本国憲法も、地方自治の本旨と書いてございますし、地方自治の章も第八章がございますけれども、立法権の分割ということについては書いてございませんので、もしも連邦制というふうなことを考えるのであれば、まさに憲法改正という、立法権をどのように分割するかというふうな、その立法分野のリストをつくらなければならないというふうな、大きなハードルがあるというふうに思います。
 道州制というのは、これは多分日本独特の言葉でありまして、単一制度の中での、恐らく広域の、都道府県に相当するリージョナルなガバメントの領域を広くする、四十七ではなくて、多分七つとか八つとか九つとか、そういう道州にして、そこに大きな権限を与えるということなのかなという気がしますが、でもそれは、立法権がどうかというところで、連邦制に行くかそうじゃないかというところが分かれるということになっていきます。
 それで、道州制への課題ということなんですが、では、例えば日本で道州制等々をお考えになる場合に、一番重要なのは領域をどうするかということであります。昔は、地方総監府とか地方行政連絡会とか、協議会でしたか、戦時中にございまして、九つに切ったりしておりますけれども、それを、地方分権と言いながら、国が上から線を引いて、こことここをまとめるというふうに言っていいものかどうか、そういう具体的なことも含めて、領域をどうするかという問題があると思います。
 それから、例えば、州になったときにそこのトップをどのような方法で選ぶかということで、官治であるか自治であるかというふうになってくると思います。
 第四次地方制度調査会が出した地方庁構想というのは、総理大臣が任命する方がその地方の長になるということで、これはかなり大きな反対を受けたというのは、官治分権を再度実現するということになってしまったので、官治というのはやはり今の状況だと考えにくい、自治分権だと思います。
 そうすると、例えば七つか八つに分けますと、そこの、知事と呼ぶんだったら知事かもしれませんが、かなり大きな権限を持つということになっていきますので、選び方等々も含めてそういう問題があると思います。端的に言えば、デザインをどうするかという問題が道州制にはあるということになります。
 それから、二層制、三層制と書いてございますけれども、現在の都道府県を例えば昔の郡のような感じで残してさらに大きな州をつくってしまうか、その中間に現在のを残しながらさらに上をつくるということが考えることはできると思います。
 例えば、先ほど申し上げましたフランスというのは、コミューンという三万六千があって、百近いデパルトマン、県があって、その上に二十のレジオンというのをつくりまして、三層構造をとっておりますので、既存の制度にはさわらないで上にレジオンをつくったということであります。最初は官治で、そのうちに自治になったということになりますので、参考にできないことはないと思います。
 連邦制への課題というのは、先ほど申し上げましたように、憲法改正が絶対に必要である、立法権を分割しなくてはいけない。かつ、世界でも、二院制をとっている国は一院制をとっている国に比べてうんと少ないのですけれども、連邦制の国家は必ず二院制をとります。連邦の上院がその連邦構成政府から選ばれる地域代表制を具現するわけでありますけれども、そのような上院を、選出方法も含めてどういうふうにデザインするかということがあります。
 それから、連邦制を考えるときに、ちょっと忘れられがちなんですけれども、連邦制の中での市町村というのは極めて弱い存在であります。州が強い分だけ市町村は極めて弱いです。
 例えば、アメリカは五十州なので五十通りの地方自治法があると思ってくださって結構だと思うんですが、市町村のあり方は各州が決めていくので、チャーターですとか憲章で自治できますけれども、州の締めつけはかなり厳しいということです。カナダもそうです。十州ありますけれども、十通りの地方自治法があって、市町村のあり方はそれぞれ違っているということになります。日本の市町村はかなりたくさんの仕事をしておりますけれども、連邦制の国家では、市町村よりも州がたくさん仕事をして、市町村はほんの身近なところのサービスしかやっていないということになります。
 時間が押してまいりましたので、少しまた早口になってしまいますが、連邦国家の現実を少しお話ししておきたいと思うのです。
 連邦制を選択する理由はさまざまでありまして、先ほどの文化的アイデンティティーという、例えば言語なり文化なり、違う人たちがそこにいるので、そこに自治を与えるかわりに国家としては統合するというふうなことも含めて、いろいろな理由がございます。自治と申すのは、権限の分割の仕方によってはさまざまでありまして、制度としては連邦制度と単一制度というのははっきり分かれるのですけれども、実態としての分権の度合い、自治度の度合いは、例えば連邦国家で極めて集権的なメキシコとかオーストラリアを見ますと、日本の方が、単一国家でありながら分権的であるというふうに言えるわけですので、制度を見るのか、実態を見るのかというところで、これはまさにここでどちらの方を目指されるのかということをお決めいただかないと、その後のシナリオは組めないということになっていくと思います。
 それから、「分権と政党」と書いてございますのは、たとえ連邦制をとっていても、中央と地方のレベルで、連邦と州のレベルで権限が分割されているにもかかわらず、それにまたがる政党組織があるとすると、それは立法権の分割というふうな構造ではなくて、立法者が政党のネットワークでつながっていきますので、その場合は分権には実態はなりません。メキシコのPRI、制度的革命党などがこれに入ると思います。制度は、メキシコは連邦制なんですけれども、実態は覇権型政党と言われるように、非常に大きなピラミッドのところで人が動きますので、構造としては分権にはならないということであります。分権を担保しようと思えば、極めて強い地域文化性か、あるいは構造としての政党が地域政党をベースにして組み上がっていくというふうに考えないと少し難しいかと思われます。
 それでは、日本はどのような地方分権を目指すかということなんですけれども、恐縮ですが、お手元の資料の一枚目の表をごらんになっていただきたいのです。
 分権には大きく四つのモデルがあるというふうに考えることができると思います。細々と書いておりますけれども、どこを見ていきたいかといいますと、この地方組織、この絵ではBに相当するんですが、Bに相当するこの組織が市民からのアクセスがあるかどうかというところです。つまり、そこの長が任命か選挙かということなんですが、長が選出をされるということは市民からのアクセスがあるわけで、そして選挙は定期制と競争制というのがベースになるとすると、市民が今度は違う人を選びたいとか、同じ人を選ぶとか、そういうふうな市民側からのアクセスがあるわけであります。市民側からのアクセスがなければ官治、任命だとアクセスがないわけですから官治分権、先ほどのディコンセントレーション、ここで言うと出先型ということになります。アクセスがあると自治分権になっていまして、ここだと連合型、連邦型、単一型というこの三つが自治分権になると思います。
 それから、もう一つ大きな基準なんですけれども、ここで言うBの組織なんですが、地方組織、地方団体の権限と存在の根拠がどこにあるかであります。存在と権限の根拠が憲法にある場合が連邦型でありまして、中央議会の法律による場合が単一型になってきます。
 ですから、日本は、憲法は存在と権限までも決めていませんので、法律にゆだねていまして、地方自治法が決めますので、そうすると、皆様方が地方自治法を変えると言えば、地方団体の意向にかかわらず変えられるわけです。どんなふうな影響が及ぼされるか及ぼされないか、一番影響が及ぶところは決定に参加できないで、中央議会で変えることができるということでありまして、そういう意味で、連邦型だと憲法を変えなくてはいけないので、おのずから地方団体、国民等とも参加をするということになっていくので、ここのところが違うと思います。日本はこの単一型に入っております。
 次のページなんですけれども、今のだと非常に大まか過ぎるので、もう少し分けたいと思ってつくったのがサブモデルということであります。
 そうすると、国が決めるとしても、実際に執行する地方側が、執行に当たってある程度の裁量を行使できるかどうか、現場に合わせてちょっと柔軟に変えることができるかどうか。それとも、きっちりと国が決めたことをやらなきゃいけないのかというところで、裁量がプラス、マイナスになってくる。ここで言うプラス、マイナスというのはそういうことなんですが、国が決めたことを地方が執行する場合に、裁量が持てるかどうか、柔軟性が持てるかどうか。持てない場合はマイナス、持てる場合はプラスというふうに書いてあります。
 それからもう一つは、国が決めるわけでありますが、みずからに関係あることを決められるときに、そこに影響力を行使できるかどうか。実際の立法者は国会でありますけれども、しかしながら、こういうふうな方向で立法をお願いしたいというふうな、一定のお願いというか影響力といいましょうか、そういうのが行使できるかどうかという、行使という言い方はちょっときついですけれども、それがプラス、できなければマイナスというふうに考えていきますと、四つの形に分けることができると思うんです。
 それで、日本が目指すのはどこかといいますと、憲法を変えないで十分だと思いますので、単一型の分権のメーンモデルでいいと思うんですが、しかし、現実に今日本は出先型に非常に近い単一型なんですね。国が言ったことをそのままやらなきゃいけないというふうになっていますので。そうすると、サブモデルとしては4型なわけであります。両方とも非常に弱いということになります。
 ですから、そこではなくて、サブモデルの1型、国が決めたことを現場で執行する場合に、現場のニーズに合わせて一定のフレキシビリティーが持てるというふうなところで裁量がプラスになる。それから、地方が行うことに関して、地方の現実を反映できるような立法になるようにする、影響力を行使できるという意味で、1型ということで、単一型の中の4型から1型に移るというのが最もなじむのではないかなという気がしています。
 ちなみに、EUですけれども、EUは、連合型の1型から、ECからEUになって、連邦型の方に移ってきていますので、逆方向に、言い方を変えれば集権化の動きの方に移ってきているわけでありまして、どちらの方に移るかというのは、権力が多元化しているか、一元化しているかというところでありまして、日本は多元化の方向に移っていかなければ分権とは言えないと思いますが、いろいろな型の統合の仕方があるということになります。
 それから、影響力の問題を考えていきますと、どうしても国の機関といいましょうか、第二院に地方の代表性をいかに高めるかを考えておく意味があるのかなという気がします。
 先ほど、連邦制は必ず二院制をとっておりまして、上院には地域代表制を、州の代表が送られているということを申し上げましたけれども、例えば日本も単一型の分権の中で、メーンモデルは単一型ですが、サブモデル1型に移るのであれば、第二院の代表性というのは必ず考えなくてはいけないというふうに思います。
 それから、最後は、官官分権ではなくて市民社会への分権ということを申し上げたいと思います。
 それで、まとめといいましょうか、私がもともと海外の政治を勉強していまして、日本に戻ってきて日本を見たときに、この国の地方分権というのは、どうして地方分権を地方ではなくて国が言うのかなというのはすごい気になっていたのですけれども、中央政治を地方政治から独立させるというと変ですけれども、中央と地方が余りにも絡み合ってしまって、相互依存というよりは相互浸透といいましょうか、もう織り込まれてしまっているんですね。そうすると、ドミノのような感じで、一つ倒れれば全部倒れるということになっていきます。これは、国としての基礎体力は余りにも弱いという気がします。
 そう考えていきますと、それぞれが自立をして、それぞれの立場から国民に向かって、相互協力ができるような意味で、相互浸透ではなくて相互依存の方に切りかえるというのが、この国がそうではないともたないかなという気がしております。すべてが絡み合ってしまうと、責任の所在等々、それから、今のリソースが少なくなっていく時代で、ちょっと厳しいのかなという気がします。こんな生意気なことを言いましてお許しいただきたいと思いますけれども、ずっとカナダにおりましたらそういうふうに思いました。
 ちょっと長くなりました。以上でございます。(拍手)
保岡小委員長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
保岡小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。葉梨信行君。
葉梨小委員 自民党の葉梨信行です。
 先生、ありがとうございました。大変広範な、そして深い分析を伺いまして、何を質問したらいいか迷っております。
 最初に、地方分権の推進力ということをおっしゃいまして、五つ挙げておられます。私は、政治家の端くれとしまして、地方分権しなきゃならないという動機でございますが、明治憲法では地方自治という項目がなかった、とにかくがむしゃらに殖産興業とか軍事力をつくって、日本の独立を守る、そして、現行憲法において民主化し、経済的な興隆を遂げたということで、一つの成熟段階に来て、第三の段階を目指している、こういうことであろうと思います。二十一世紀の日本が、今までつくり上げました経済力を背景にしまして、活力のある国家として、これから日本を担っていく若い人たちが働きがいのある、生きがいのある社会をつくっていく、そういう課題を持っていると思うんです。
 しかも、今現実を見ますと、東京とか、やや劣って大阪とか、失礼ですが、名古屋とかその他の地方都市がございますが、大都市に非常に人口が集中し、逆現象が全国各地に起こっていて、文化も経済力もいろいろなものがアンバランスになっております。
 そういう意味で、日本の国に住んでいる国民がそれぞれ文化の恩恵を受け、豊かな経済の恵みを受けて、しかも社会的に意味のある仕事をしていくためには、今のままではどうしようもないんじゃないか、そういう意味で地方分権を考えてみたいな。国土政策といいますか、そういう動機も私はつけ加えてみたいと思いますが、先生、どう思われましょうか。
岩崎参考人 おっしゃるとおりだと思います。それぞれの地域に自治体が置かれているわけでありますが、その地域性を考えないで地方分権を語ることはできませんので、国土をどうするか、国土政策的な要素というのはかなり強くあると思います。
葉梨小委員 そして、今先生がいろいろケースに分けてお示しいただきました。先生のお話は、先生のお書きになった論文を拝見したりしまして、これはじっくり消化しなきゃいけないと思っているわけでございますが、その中で、中央の権限が地方に及ぶ、地方が中央に影響力を与える、いろいろなケースを考えていらっしゃいます。そのときには、中央と地方、行政の権限同士の行き来だと思うんですけれども、私ども国会議員は、全国各地から、小選挙区から選ばれ、比例区からも選ばれて、地方の代表でもあるわけです。国政を論ずると同時に地方の代表である。こういう地方分権を進めていくとした場合の国会議員の役割、今果たしている役割、将来果たすべき役割、先生はどうお考えになられましょうか。
岩崎参考人 なかなか難しい御質問だと思います。国はやはり地方から成り立っているわけでありますので、そこから代表される先生方というのは、国家全体と地域も考えることができる極めて貴重な両方の視点を持たれているというふうな気がします。
 しかし、地方が考える地方分権ではない、国が考える地方分権というのを考えることができるのは国会議員の先生方だけなので、閉鎖的な空間としての国というのではなくて、世界の中での日本、その日本の中での地方というふうなことを考えることができるのは国会議員の先生だけだと思うんです。地方で地方分権をというのは自分の領域しか考えませんので、それとはやはり違う考え方で、国のあり方といいましょうか、日本がよって立つこれからの、世界に向けてどのような役割を果たしながら、かつ内政的にはどのようなことを国民に供給できるかというようなことを大所高所に立って考えられるというふうな、二つの使命を背負っていらっしゃるというふうに考えます。
葉梨小委員 そういう役割を持った国会議員がこれからの地方分権の時代にどういうふうにして真の分権を実現していくか、それはこれから我々が考え、勉強していくことであろうし、またお教えをいただかなきゃならないと思います。
 最後に伺いたいのは、日本人には歴史と伝統がございます。日本人のメンタリティーというのがございます。その面から見まして、今先生は、理想型として、道州制に、あるいは広域行政型、恐らく道州制に持っていくことが大事じゃないかとおっしゃりたいように私は伺いましたけれども、日本人の長い歴史の中で培いました民族としてのメンタリティーから、そういう地方自治というものがどこまで実現できるか。カナダに勉強され、あるいはフランスに勉強され、いろいろ外国人の地方自治のあり方を見てこられた目から見て、日本人の地方分権というもの、地方自治というものをどう考えたらいいか、お聞かせいただきたいと思います。
岩崎参考人 私は、他人と違うことをやるということに対して、それを不安に思うか、誇りに思うかというところが大きな違いだと思います。地方分権というのは、ちょっと言葉は大胆ですけれども、平等性からの脱却をしないといけないわけで、多様であるということは違うということでありまして、すべて同じではないということになります。ですから、その多様性を是とするかしないかで、多様であることは嫌だ、ほかの地域よりも劣っているとか違うことは嫌だというのであれば、日本には地方分権というのはなじまないと思います。何かすごくはっきり言っちゃいますけれども。
 しかし、日本の長い歴史を見ますと、それぞれの地域性というか地域文化こそ誇りに、民族の切り捨てではない地域文化というのは本当にぜいたくな多様性なわけであります。ですから、そこを復権するのは今しかないような気がします。ここは、近代化の過程である程度中央集権型になれてきましたので、ちょっと多様性に対するアレルギーはあるかもしれませんけれども、日本人のDNAには多様なものを認めていくというふうなおおらかさはあるかなという気がしますので、そこに訴えるしかないかなという気がします。
葉梨小委員 先生、ありがとうございました。この分権型の地方自治を実現するというのは、強い意思がなきゃできないことだと思います。そういう意味で、これからもいろいろお教えをいただきたいと思います。ありがとうございました。
保岡小委員長 次に、中村哲治君。
中村(哲)小委員 民主党の中村哲治でございます。
 本日は、大変示唆に富んだ御教示をいただきまして、ありがとうございました。
 先生がおっしゃいました、今は相互浸透の形である、それを相互依存の形にしていかなくてはならない、すなわち、それぞれが自立する中で、地方自治体と国が協力していく関係をつくっていかないといけないというのは、まさにそのとおりだと実感しました。我が党民主党が一番大きな政策の柱として地方分権を訴えておりますのも、そういうふうな、地域が自立する中で共存していく、そういうふうな形がこの国に今一番大切なことではないかと考えておることからも、本当に親近感を持って聞かせていただきました。
 まず先生にお聞きしたいのは、地方分権を進める上で、地域文化性と地域政党とが、どちらかが必要なのではないかということをお話しなさいました。私は、その中で、マスコミの果たすべき役割というのは非常に大きいのではないかということを実感しています。
 日本では、テレビの場合はマスメディア集中排除原則がありますので、地域ごとに、特に都道府県単位にテレビが置かれることになっておりますが、キー局の制度がありますから、どうしても東京からの文化の発信に集中してしまっているのではないかと実感しております。地域政党ができるにしても地域文化性ができるにしても、まず東京からの文化の発信の一極集中というものを排除する必要があるのではないかということを今実感として持っております。
 その一つの解決の方法として、首都機能の移転ということもあるかと思いますが、先生の首都機能の移転についての御意見をお聞かせください。
岩崎参考人 首都機能移転ですが、首都機能というのが一体何を意味するのかというところで、移転する意味があるのかないのかが決まってくると思うわけであります。つまり、地方分権が進んでいけば、首都機能は、いわゆる中央政府が小さくなっていくわけでありますので、肥大しているので移転して小さくということであれば、それはただ引っ越しをして小さくなるわけでありますので、それはちょっとないと思うのです。見えざる遷都と昔言いましたけれども、地方分権を進めれば大分違ってくるのかなという気がします。
 ちなみに、首都機能移転論が出てきたときに、私もちょっといろいろ勉強しておりますと、小さな首都というのは、連邦国家は小さな首都なんですが、オタワ、キャンベラ、ワシントン等々そうですが、連邦制のもとでの首都というのは、プレース・オブ・パーラメント、国会のある場所というのが首都になっています。
 しかしながら、単一国家の首都というのはすべて集中していますので、プレース・オブ・パワー、権力の場所というふうになっておりますので、権力の場所というところを、少し権力、権限を地方分権していくと、それほど首都機能移転の必要はないのかなという気がします。
 ただ、東京にずっとあってというところは、心機一転するにはいいかなという気がしますけれども、それは余りにも、もうちょっと理論武装が必要かなという気がします。
中村(哲)小委員 少し議論の順序が逆だったのかもしれません。
 私が申したいのは、地方分権するためには、先生がおっしゃったように、地域文化性ないしは地域政党が必要である。私は、マスコミの分化がなければ、地域文化性なり地域政党というのはできないのではないかということを実感しております。
 例えば、私が生まれ育ったのは奈良なんですが、大阪文化圏。私の選挙区に住んでいる人たちも、奈良に勤めに行くというよりは大阪に勤めに行く人が半数程度いるということで、関西全体で考えることによって、一つの地方分権、広域行政のあり方というのが志向できるのではないか、目指していけるのではないかということが実感としてあるわけです。
 しかし、関西圏の中で、マスコミないしそういうふうな文化発信が、大阪、京都、兵庫、また奈良、そういう一体となったマスコミのあり方がなければ、関西州というか関西圏を中心とした広域の自治体というのはできないのではないかと実感しているわけでございます。それをつくっていくためのインセンティブとして、まず、経済の中心である東京と国会の存している場所とを分けた方がいいのではないか。
 先ほど、権力の集中だとおっしゃいましたように、日本の場合は議院内閣制をとっているわけですから、国会のある場所と中央官庁、官邸のある場所というのは、恐らく同じ場所になるかと思います。そうすると、必然的に官邸情報ないしは国会情報を伝えるマスコミの機能は、首都機能の移転によって東京から違う地域にもたらされる。そうすると、キー局の機能というのも東京一極集中ではなく、必ず首都が移転された地域と東京と、二つの情報発信基地といいますか、地域が必要になってきます。
 そういう意味で、地域の文化性、地域政党を育てるという観点から、マスコミを分散化させる必要がある。そのために、首都機能の移転というのは、手段として有効ないしは必要なのではないかという観点からお聞きしたかったわけでございますが、その点について御意見いかがでしょうか。
岩崎参考人 おっしゃるように、ちょっと順序を逆にお答えしてしまって申しわけございませんでした。
 マスコミがかなり東京に集中しているというのは、これは見えないところでいろいろな東京浸透、東京のいろいろな文化が出ていくということで、見えない集権化という気が本当にいたします。それを分けることで、地域文化性が育てられるというのは仰せのとおりだと思います。
 確かに、マスコミの報道を見ておりますと、ほとんど東京発信型でありますので、私も筑波ですから、茨城の端で、何か東京のニュースばかり見ている気がするわけでありますけれども。
 少し救いになるのは、インターネットが大分出てきましたので、一方的に送りつけられる映像だけではないのを見ることができるので、そういう意味で、マスコミを分散させることではなくて、新たな発信ができる情報づくりというので、インターネットという新しいメディアでやっていくことで、この問題は少し動かせるかなという気はしないわけではありません。
 関西はやはり文化の一大拠点でございますので、逆に東京に拮抗し得るような関西文化というのがあるわけですから、その辺で頑張っていただけることがほかのところにも大きな力になるのではないかなという気がします。
 首都機能移転については、多分政治と経済を分けていくということだと思いますけれども、それも考えていく一つの意味はあると思っています。
中村(哲)小委員 インターネットが地域情報の共有化に非常に役に立つというのはまさにそのとおりだと私も実感しておりまして、それも実践していかないといけないなと思いながら、メールマガジンやホームページをつくっているところであります。
 最後に、政令都市と府県との関係について、ちょっと違う次元の話なんですが、お聞きしたいと思います。
 と申しますのは、政令市というのは、政令市になってしまうと、国と直接結びつくことになりますから、府県との関係がまたずれてしまう。例えば、大阪府の元職員であった方にお聞きしたんですが、大阪市と大阪府、同じ大阪にありながら非常に仲が悪い。例えば女性支援センターをつくるにしても、大阪市は大阪市の中につくる、大阪府も大阪市の中につくる。同じものが二つできてしまう。そういうことを考えましても、道州制という言葉がいいのかわかりませんが、こういうふうな地方分権をやっていく中で、政令指定都市と府県の関係というのはやはり見直していかないといけないのではないか。今の状況は不幸だと思うんですけれども、それについてのお考えをお聞かせください。
岩崎参考人 昔、特別市というのがございましたけれども、一層制というふうに言っていいのでしょうか、府県のもとに置かれない、そういう特別市構想というのがあったわけであります。政令市がすべてそういうふうになるかならないかはちょっといろいろ問題があると思うのですけれども、どちらかというと、動きとしては、都市自治体はより自立する方向でいかないと、日本のように、可住地の面積が少ない、森林率七〇%くらいの国土の中で、それ以外のところに百万以上の都市が十個ぐらいあるというのは世界でも珍しいわけであります。そうすると、都市自治体がある程度自立をしていくということがかなり重要なのかなという気がしますので、私は、特別市構想というのは実はひそかに応援をしているわけであります。そうなると、どうしても府県のことを考えざるを得なくて、道州制になってしまうのかなという気はしています。
 デザインを組むのは非常に大変ですけれども、まず都市の自立というのを考えることも、ダブらないという意味で効率、それから人々のアイデンティティーということで、より強いアイデンティティーが求められるかなという気がします。
中村(哲)小委員 たくさん聞きたいことはあるんですけれども、時間が参りましたので、ここで私の質問を終わらせていただきます。
 大変ありがとうございました。
保岡小委員長 次に、江田康幸君。
江田小委員 公明党の江田康幸でございます。
 本日は、先生、お忙しい中、非常にグローバルな視点で、また海外にも居住されていて、そういう観点から日本を見ていただいて、地方分権改革についての非常に参考ある御意見をいただきましてありがとうございました。
 私は、さきの二先生とは違いまして、ちょっとどろどろと具体的に勉強をさせていただきたいと思っておりますので、二、三点御質問させていただきます。
 先ほど先生が、今後の日本の地方分権改革で三つの課題があると言われました。一つは、財政面での分権、税財源の移譲についてということでございました。これについてちょっと御質問をさせていただきたいんですが、さきの地方分権推進委員会が小泉首相に提出しました最終報告で、地方の歳入面での自由度を増すために、所得税や消費税の一部移譲と交付税の補助金の減額を明記しておりました。すなわち、国税である所得税の一部を地方税である個人住民税に移して、消費税は地方交付税の原資となっている部分を地方消費税に組みかえることが望ましいということを最終報告に盛り込んでおりました。
 これは、地方分権一括法に欠けていた具体的な税財源の移譲の問題に踏み込んだということで評価ができると思うんですが、現実的には、所得税とか消費税というのは法人税に比べて地域間の偏りが比較的少ないでしょう、それでも、額が大きくなれば当然市町村レベルでの財政力の格差はさらに広がってくる。この格差をならすために市町村の合併という手段は有効であると言えるんですが、しかし、やはり財政基盤の弱いもの同士が一緒になるという現実も今ございますので、そうなってくると評価ができない。また、農村とか離島、そういうところでも、もともと財政基盤が強くないから地域の問題がこういうふうに残るわけでございます。
 だから、地方交付税が果たしてきた再配分の仕組みが今後とも非常に重要になると思っておるのでございますが、そういっても、今度はまたさらに、国が集めた税金を地方に分配するというやり方はやはり改めていかないと本来の自治にいかないのであろうという、矛盾したというか、そういう考えが私の頭の中を去来します。
 そういうことに関して、地方税財源の移譲について先生の御意見をお伺いしたいと思いますので、よろしくお願いします、長くなりましたが。
岩崎参考人 結論から申しますと、地方交付税に相当する平衡交付金というふうに、イコライゼーションペイメントというふうな水平的な財政調整機能というか、そういうふうな財政移転は、私は、国の責務だと思います。地方分権を進めていって課税自主権等々を幾ら強化しても、おっしゃるように税源そのものがなければ税は徴収できないわけでありまして、いろいろな課税自主権をどんどん行使することは、タックスジャングルといいましょうか、税制乱立を招くことになりまして、それは国民のためには決してよろしくないことだと思います。
 しかしながら、現在の地方交付税のあり方がそのままいいとは私は思いません。でも、地方税にもいわゆる骨太の方針のようなものがあると思うんですが、一番重要なのはやはり税源で、自分で徴収してそこで賄うというふうな地方税をいかに強化するかということで、税源の移譲というのがあると思います。その次に、歳出と歳入のバランスをとるということでありますが、国よりも地方の方がたくさん支出をしている、仕事をしているわけですので、その分の税源は移譲するということであります。
 税源の移譲の後に、次に来てほしいのは、細々した条件のついた補助金を一括というか包括的に、分野ごとに、これは教育に使っていいのだとか、これは福祉ですとか、これは介護ですとか、各プログラムの細かなことではなくて、その分野ごとにブロックグランツにしていくということで、先ほど申し上げました地方の裁量が生かせる、フレキシビリティー、柔軟に、プログラムが幾つもあって錯綜して、重複するというふうなむだも省くことができますので、そういうことが言えると思います。これは二番目に来ると思うんですね。
 それでも、やはり税源がないところはないわけでありますので、そういうところはそれでいいのだというふうに、地方団体ではなくて、国がまさに国土政策的にも考えて、国がそこのところの人々に対して一定の保障をするというふうな意味での水平的な財政調整というのは、私は、これは国の責務だと思っています。
 恐縮ですが、カナダは連邦国家ですけれども、イコライゼーションペイメントの平衡交付金というのが国家統合のボンド、のりというんでしょうか、求心力というふうに言われているぐらい、国の責務である。どこに住んでいるかで、同じ国民が、ただ住んでいる場所が違うだけで税金が高いとかサービスが悪いというのはおかしいということなので、この交付税という水平的な財政調整は国の責務だと思います。あり方というか、実際の配分の仕方というのは少し問題があるかもしれませんけれども。ということで、そちらの方の、交付税を支持する方の答えになります。
江田小委員 ありがとうございました。
 それでは、小泉内閣が、改革プログラムの中で、それを具体化した構造改革に関する基本方針というのを出しておりますが、地方の自立とともに、地方の競争についてかなり踏み込んだ提示をこの中でしていることになりますが、一つには、地方交付税の見直し調整と地方税の充実。先生とよく似たことなのか、これについて、もう時間がないですが、先生、この小泉内閣の改革プログラムの評価はどう思われますでしょうか。本来の地方自治に向かうための策としてです。
岩崎参考人 私は、先ほど、税とサービスの関係を水平的に調整するのは国の責務だと申しましたが、公共財政と、それを地域経済というか私的な部門でどう使うかという話と少し分けて考えておく必要があると思います。プライベートエコノミーとパブリックファイナンスというのが、どうも交付税がボンドになって話がくっついてしまっているところがあると思います。
 ある意味で、地方の自立というのは、まさに、地方にできることは地方に任せて、民でできることは民に任せるというふうな、小泉内閣の一番地方自治の面で出ていたものだと思いますけれども、私は、地方の自立というのは支持するのですが、地方の競争というのは実は余り支持しないわけであります。
 地方の競争というのは、それぞれの自治体を競争させて、こっち側から見て、ああ競争している、競争しろしろというふうにあおるわけで、そこに住んでいる人たちはそこの自治体に住んでいるわけですから、そこで幸せに暮らせればいいのに、横がどうなっているか、先ほどの他人を気にしなきゃいけない地方自治というのは少し不幸な気がします。
 ですから、地方の競争というのは、結果として競争原理が働いて元気になれるというのならいいのですが、競争しろというふうにして走らすのは、まさにこれは再度近代化へのキャッチアップのような気がして仕方がないわけです。ですから、地方の自立は支持したいと思います。でも、その自立というのは、地方によってあり方が違うという、多様な自立というふうに考えたいと思います。
江田小委員 ありがとうございました。
保岡小委員長 次に、武山百合子君。
武山小委員 自由党の武山百合子でございます。
 きょうは、幅広いお話をどうもありがとうございました。
 私、実はアメリカのニューヨーク近郊に長いこと住んでおりまして、日本と大変大きな違いを感じながら住んでいた一人でございます。本当に多種多様な地方自治といいますか、一万人前後の村から三万人ぐらいの町から、それこそ十万人、二十万人の市から、それぞれの多様な自治が、本当に歴史があるというか、それがよいと思う部分と、もちろん欠点もございますけれども、日本と比較した場合、日本の場合、例えば東京都、これは東京都という大きな一つのくくりですけれども、それと地方の小さな都市、また五十万都市、市町村、そういうところと比べましたときに、それとまたアメリカの分権の中で比べますと、アメリカの場合、教育もほとんど広域の事業で分権されています。それから、病院、公共のサービスは、ほぼ平均してそこのニーズに合った公共のサービスがあります。と同時に、細かいことを言いますと、弁護士さん、病院、デパート、人々が公共のサービスで欲しいというものはある程度そろっているわけです。
 では、日本はどうかというと、大きな都市、それから県庁所在地、そういうところにはそろっているんですけれども、私の住んでおります埼玉県東部地区は、春日部という都市、人口二十万ちょっとなんですけれども、本当にいい病院があるか、いい学校があるかというふうに考えますと、やはり浦和、西の方のいわゆる人口増加地帯に集中するわけです。そうすると、本当に公共のサービスが国民に公平に行き渡っているかといいますと、格差が非常にあるということを感じるんですね。もちろん、その市町村の首長の自治の仕方によって大きな格差があるわけですけれども、どうして日本は進まないのか、その辺のお考えを聞きたいと思います。
岩崎参考人 市町村の首長さんによっていろいろなサービスの違いが出てくるというのは確かだと思いますが、やはりお金がないというのが一番大きいのかなという気がします。日本の地方自治体は、歳入の自治も非常に低いのですが、歳出の自治というのも非常に低くて、何に使わなくてはいけないというのはほとんど決まってしまっているので、より個性的な事業をしようと思うとどうしてもお金がないというふうな状態が続いているというのが、恐らく、豊かなところはいろいろなサービスができてくるし、できないところはできないままで、ますます格差が広がるというところだと思います。
武山小委員 その格差を埋めるためにどうしたらよろしいでしょうか。
岩崎参考人 一つは、市町村レベルで考えていけばよろしいと思うんですけれども、そういう御質問だと思いますけれども、規模を大きくするというのがあるわけですね。もっとありていに申し上げれば、自治体は、自治体完結主義をやめてしまって、広域行政をするということが一つの手ですけれども、広域行政は、例えば病院なら病院、それからスペシフィックパーパスといいましょうか、特定の目的で垣根を越えていく話ですが、そうではなくて完全にその垣根を取り払うというのが合併です。
 そうすると、すごく小さなところで自己完結主義型だと、持てるカードは非常に少ないのですが、規模を大きくすることによって是正することはできるというのは言えると思います。私は合併賛成というわけではないのですが、考えてみると、これはやはり理論的に言えるのではないかという気がします。
武山小委員 合併の方向に今日本は進んでいると思うんです。それは、地方みずから合併したい、何のために合併するかというその理念ときちっとした哲学が、目的が必要だと思うんです。
 先ほどのお話の中で、都道府県のレベルでは、一生懸命合併してほしい、合併してほしいという働きかけがあるわけです。ところが、住民の側に立ってみますと、議会レベルで合併したいという意識がある程度あって、では、住民はどうかというと、本当にまだそこまで行っていないわけですね。ですから、それには、やはりきちっとした理念、目的がはっきりしてないというところが大きな原因だと思うんです。それをきちっと住民が発議ができる、それが市民社会の成熟だと思うんですけれども、やはり国民一人一人の意識がそういうふうになっていかないと非常に難しいかなと思うんですけれども、国民の意識を高めるためにはどうしたらいいでしょうか。
岩崎参考人 一番重要なのは、やはり情報公開だと思います。情報がなければ判断もできませんから、そうすると、合併して何が得なのか損なのかという損得感情だけをメディアが一方的に出していくわけですので、そうしたらやめた方がいいじゃないかと。人は意外に保守的なところがあって、現状維持というのが一番居心地がいいので、余り変えたくないということになります。
 しかし、先ほどおっしゃったように、公共サービスの選択肢が広がるとか、よりオポチュニティー、機会が広がるとか、いろいろなアクセスができるとか、そういうふうなことが現実にこうあるんだと示すことで判断ができるようになると思います。今は余りにも判断の材料が少ないからこれでいいんじゃないかという動きだと思いますので、やはり情報をシェアする、地域をどうやってつくっていくかというのが、自治体だけではなくて、議会だけではなくて、市民社会もそこに参加をするというふうなあり方が必要だと思います。
武山小委員 もう一つ。話は全く違う話になるんですけれども、道州制という視点から、例えば九州は韓国や台湾や中国に近いわけですね。それで、グローバリゼーションの中で、本当に国境がなくなるという二十一世紀なわけですけれども、そうなった場合、一番近い国境と文化圏というのは、領域という中で一つの共通点があるわけです。そういうときに、もっと日本も権限を持って、例えば今例にしてお話ししているのは九州の地区ですけれども、国境をなくしてグローバリゼーションで大いに、視点は東京を向いていなくて、韓国や中国や台湾を向いていてもいいと思うんですよ。でも、そこには、いわゆるきちっとした哲学、目的、それからその地域の人たちの自立した自己決定、そういうものが必要となると思いますけれども、その見解にはどう思いますでしょうか。
岩崎参考人 おっしゃるとおりだと思うのです。私は、国境が非常にがっちりしたときは、例えば九州と東京はヒンターランドとハートランドというような感じですね。東京がハートランドでそれ以外はヒンターランド、北海道も九州もヒンターランドという言い方をされていたと思うんです。ところが、国境を取り払ってみて、閉鎖的な考えではなくて開放された環境に置くと、実は、そのヒンターランドに位置しているところは別の国ともっと近くて、東京よりも近いということになって、やはり北海道はロシアですとか、新潟が中国ですとか、九州が台湾とか朝鮮半島とかになると思うんですね。そうすると、それは、いつも首都を経由しないで行くということで、国の可能性を開いていくということだと思います。
 しかし、逆に、私も九州の出身なのでよくわかるのですけれども、近ければ近いなりにそれなりの近親憎悪みたいな文化的な亀裂というのが実はあって、それが国境があるから救われている部分があって、国境がなくなることでそれがまた出てくるというようなこともなきにしもあらずだと思います。
 そうすると、その辺が世代交代でいくのか、それとも教育でいくのか、それからいろいろな情報でいくのかということを考えていきますと、やはりそこにいる人たちが、自分の地域の将来を、東京を見ないで、首都を見ないで、もっと近いところを見て決めていくというふうな自己決定ができるような権限と具体的な情報なり、人材を育てるですとか、そういうことが必要かなという気がします。
武山小委員 どうもありがとうございました。
保岡小委員長 次に、春名直章君。
春名小委員 日本共産党の春名直章です。きょうは本当に貴重なお話、ありがとうございました。
 最初に、憲法調査会ですので、憲法八章に地方自治の章が設けられています。非常にコンパクトで、四つの条文しかないわけですけれども、地方自治の本旨、そしてその本旨の中身として、九十三条で住民の自治、そして九十四条で団体自治、そして九十五条で特別法における国と地方の対等性ということが示されていまして、これは四六年にできたときには、それ以前の憲法には、そういうようなものとして地方自治をきちっと示すというのは余りなかったように思うんですよ。その点で、こういう憲法上の地方自治が明文化されている中身について、先生自身、今、どういうふうに評価といいますか、世界、カナダの国なんかいろいろ見られていると思いますけれども、そういうのも含めてお聞かせいただけたらと思います。
岩崎参考人 憲法で地方自治を書いているところは、ちょっと言葉は悪いですけれども、やはり先進諸国が多いと思います。それに、私は、この第八章、地方自治の章が入ったというのは、やはり戦後の再出発にふさわしい章だったと思います。
 しかし、明治憲法に書いていないからといって地方自治がないがしろにされていたわけではなくて、市制町村制から始まって、日本は粛々と地方自治が明治時代から進んでいたわけでありますけれども、それを明示的に書くということで新たな再出発をしたという意味では、かなり私は評価はしているんですね。
春名小委員 ありがとうございます。
 申しわけないですが、戦前の地方自治の認識は、少し僕は異なっていまして、地方制度はあったけれども、地方自治と言われるものは余りなかったんじゃないかなという認識を持っているんですが、それはそういうことでおいておいて。
 次に、先ほど日本型の分権の方向ということで、単一型で、サブモデルでは4から1へ移るというのがいいんじゃないかというふうにおっしゃっておられまして、その4というのが、裁量の余地、それから影響力行使の余地がほとんどないので、それが自治体に与えられる1の方へ移っていくと。それから、先ほどのお話でも、中央と地方の関係で、相互浸透しているような状況なので、それではなかなかよくないと。つまり、絡み合ってしまって、どちらかというと地方の方ががんじがらめになっているという認識をお持ちになっているし、私もそう思っているんですが、具体的にこういうところをきちっと断ち切っていく、自立していくということがこれからの課題なんですが、現状を箇条書き的にでもいいんですけれども、見ておられる点、そこら辺をちょっと教えていただけますか。
岩崎参考人 箇条書き的にはちょっとなかなか出てこないんですけれども、例えば国が決めたことを、国がというのは多分行政官庁なんですが、行政官庁が決めたことを都道府県を使って実際にやらせるということですとか、ちょっと誤解があるかもしれませんけれども、例のBSEのお話のときに、都道府県に焼却処分でしたか、何かそういうのを任せるというふうにやって、都道府県はそんな話は聞いていないというふうにして、そのお金は国から来なくて都道府県が持てと言われたら困るというふうなことで、何か国からのそういう指示、地方がエージェントになってしまって当然だというふうな、そういう意味での相互浸透、中央から地方への動きというのはかなりたくさんあると思います。
 それから、相互浸透というのは、相互ですから両方だと思うんですけれども、地方の公共事業を国が国家的な視野から配置をするというのはともかく、そうではなくて、少し地方の要求に沿い過ぎて、国家的な視野ではなくてやってしまうというのがあって、ちょっと何かどきどきしながらこんな話をしているんですけれども、例えば高速道路があって高速鉄道があるところにさらに空港をつくるというような話、例えば私、小笠原に空港がないのはおかしいと思っているんですが、国境に位置するところに空港一つない。
 そういうようなことを考えると、国家的な視野からどういうふうにやっていくかということよりも、地方の側の声が大きいところに国のいろいろなリソースが流れていくという、今度は逆の方なんですけれども、これも地方からの影響なんです。国家が国家の立場から、地方が地方の立場からというのではなくて、逆に織り込まれているというところがあると思います。今のは何か、よかったのか悪かった例なのか、ちょっとどきどきしていますけれども。
春名小委員 どうもありがとうございます。
 それから、先生の文献で、「分権型社会を創る 七 市町村の規模と能力」という著作がありまして、拝見したんですが、基礎的自治体の適正規模についてお述べになっておられて、基礎自治体の規模を考える際の出発点は、保健、医療、福祉、介護、教育などの社会政策関連、つまり人に関するサービスの供給である、そこが出発点であるということでお述べになっておられて、なるほどなと思ったわけです。そして、今のお話の中でも、基礎組織たるゆえんは政治参加ができるかどうかである、そこがポイントなんだと。言いかえれば、住民自治が十分あるかどうかということにもなるかと思うんですけれども。
 そういう基礎自治体としての役割と、もう一方では合併、広域化という話がありますね。先ほど、相矛盾しているという話なんですが、そういう政治参加、そして住民サービスをきちっと身近で提供するということと、今三千二百ある自治体を一千にしようという目標が政府として定められていて、そこに向かって進めていくという方向が進んでいる。
 率直に言いまして、どうも私は、やり方の上で本当にふさわしいのかなと。本当に政治参加を十分組織する、そしてサービスの供給をしっかりやっていく、そういう基礎組織を育てていくという角度から考えると、上から合併を推進していくというやり方は余りふさわしいとは思えないわけですね、私の認識では。基礎組織としての自治体と、広域化していく、合併を目標を持ってやっていくという、その辺の関係と矛盾といいますか、その辺はどうごらんになっているのか、教えていただけますか。
岩崎参考人 私は、日本の国土を大都市と都市と郊外地域と、あと山村というふうに分けて考えていって、まずそういう地理的な属性を考えた上で申し上げたいのですけれども、郊外地域に相当するようなところは、特に一番近い経済センターから時間距離で一時間以上離れたところはどんどん衰退していきますので、そういう場合は地域の核になるような大きな自治体をつくった方が、これはまず生き延びるということで重要だと思います。
 経済的にある程度の地域経済の核ができない以上、公共サービスの提供もなかなかできなくなるわけですので、そういうところは合併をした方がいい、唯一私が合併を支持するのはそういう地域なんですけれども、そういうのがあると思います。
 それから、参加と公共サービスの供給なんですけれども、それは工夫が必要でありまして、例えば合併する旧町村が地区協議会として残っていく、残りながらそこでいろいろな意見を言うことができて、そして大きな傘として、大きな経営主体を持つということは可能だと思います。
 ですから、それは住民が、参加できるけれども貧弱な公共サービスを選ぶか、参加の度合いは少し間接的になるけれども豊かな公共サービスを選ぶかというふうなところで判断をするわけで、全国一律に、一斉に同じ基準で山も都市も全部一緒にやっていくというのは、私はそれはおかしいと思っていますので、その辺は御意見は同じだと思います。
春名小委員 最後に一点だけ。地方交付税が今何かと話題になっておりまして、先ほどの議論でもありましたが、時間がないので短く行きます。一兆円削減しようかという話が最初に出て大騒ぎになったり、それから、今は小さな自治体に段階補正というのをやっていますけれども、それがちょっとずつ削減されて非常に苦しんでいるという面とか、地方交付税というのは財源保障機能と財源を調整する機能、両面あるわけですから、そこをもてあそぶじゃないんですけれども、そこはしっかり今支えてやらないと、私は、やはり国としてはそこの責任は今はっきりさせておかないといかぬのじゃないかなという意見を持っているんですが、その点について、最後に御見解をお聞きして終わりたいと思います。
岩崎参考人 額を一兆円減らすですとか、段階補正をどうするですとか、そういうことよりも、実は、地方交付税制度の財政調整機能を重視していく構造改革が必要だと思います。財源的なものは税源移譲ですとかそちらの方できっちりした後で、そして、地方交付税の財政調整というところで、先ほど申し上げました地方財政の骨太方針、私はそう呼んでいるんですが、そういうところでもっと根本から見直していかないと、小手先で減らすとかどうするということだとやはりもたない気がします。
春名小委員 どうもありがとうございました。
保岡小委員長 次に、日森文尋君。
日森小委員 社民党の日森文尋でございます。
 大変お疲れのところ恐縮ですが、幾つかお尋ねをしていきたいと思います。
 ちょっと重複を避けてお尋ねをしたいんですが、一つは、理念的な話になるんですが、分権の時代にふさわしい自治体のあり方といいますか、例えば欧米の自治体ではかなり権限もきちんと持っていますけれども、基本的には、情報公開、住民と情報を共有する、それから住民参加ということがいわば当然のように、かつては違ったんでしょうけれども、最近になって当然のように行われてきていて、これが本当に地方自治をきちんと確立していく大きなキーワードになっているというふうに思っているんです。
 例えば、町づくりを進めるにしても、先日ちょっと本で目にしたんですけれども、アメリカの公民パートナーシップの問題なんかでも、もちろん情報公開は当たり前ですね、それから住民参加もしつこいほど制度としてあるという中で、例えば、住民の意見があれば、もちろん民間のディベロッパーが入って、金も出して開発をしたりするんですが、行政もきちんと指導するし、規制する力も強いし、規制緩和とは逆の方向できちんとした規制をしている。それから、住民の意見を言う場がかなりあるわけですから、住民の意見があれば計画全体が変更されたり見直されることが当たり前に行われている。こういうところがやはり地方自治ではないのかという気がしてならないんです。
 そういう意味で考えると、どうもこの国は、まだまだ情報公開とか住民参加、実態としても制度としても非常におくれている。これが実は、分権というふうに言っているけれども、その分権を本物ならしめない大きな要因にもなっているんじゃないかという気がしているんですが、それについて先生の感想をちょっとお聞かせいただきたいと思います。
岩崎参考人 分権時代にふさわしい自治体のあり方というのは、まさにそこに住んでいる人たちが公、パブリックに参加をできるということだと思います。自治体にすべて任せるとか、自治体が住民の参加を形式だけにして余り聞かないとか、そういうことではなくて、やはり一緒につくっていくということが重要だと思います。
 よく、プラン・ドゥー・シーというのが経営マネジメントではやっていますけれども、私は、プラン、計画をつくる、それから政府、決めるということでディサイド、それからインプリメント、実施をする、それからエバリュエイト、評価をする、この四つの段階があると思うんですが、住民の参加はすべてに可能だと思います。
 プランをつくるときに住民が参加をすれば、その後で何かできたときに、決められた後で、あれはおかしいというふうな住民とその関係の部局の対立も起こらないわけですので、やはり地域空間を一緒につくっていくというプランから参加をする。そして私は、特に対人サービスだと、インプリメントという、実際に供給する部分でいろいろなNPO組織ですとかボランティアですとか、そういうような人たちの参加を得ることでやはり大きなリソースを使うことができると思いますし、実際にそのサービスがどうだったかという評価をすることにも参加するというふうな、四つの段階での参加をいかに組織化するというか、制度化するといいましょうか、実効性のあるものになるかというところが、まさに分権時代にふさわしい、地方公共団体だけではなくて、その地域社会のあり方だというふうに考えています。
日森小委員 小さな例で申しわけないんですが、北海道にニセコ町というところがありまして、全国の自治体が、情報公開と住民参加ということを標榜して、挑戦はするんですが、なかなかうまくいかない。途中で挫折をして中途半端で終わってしまうようなところがたくさんあるんですが、随分丁寧にその仕事をしていまして、住むことが誇りになる町づくりというスローガンらしいんですが、僕は地方自治体の小さな革命だというふうに思うぐらい立派な仕事をされているんです。人口は四千六百人ぐらいですし、町の職員も九十人程度の小さな町ですから、だからそれができたんだという意見も、先ほど、スモール・イズ・ビューティフルという話がありましたけれども、そういう気がしないでもないんですが、そこは、中身については余り触れませんが、多分御存じのことだと思います。
 大きくなってしまうと、なかなかそういうきめの細かい住民参加や、それから住民と共働して町をつくる、福祉をつくるとかいうことができなくなるんじゃないか、やりにくくなるんじゃないかという気がしているんですよ。
 そういう意味で、合併問題なんかについてはやはりもう少し慎重であるべきだというのが私の思いなんですが、ちょっと卑近な例で申しわけないんですが、そんなことについてもちょっと感想をもう一度お聞かせいただけないでしょうか。
岩崎参考人 おっしゃるように、小さな町村であればあるほどどうするかということに努力をして、一緒に町を守っていこうという動きはあると思います。全部じゃないですけれども、そういうところが多いと思います。
 しかし、問題は、それがちゃんと財政的にもつかもたないか、財政のサステーナビリティー、維持可能性があるかどうかということに、現在は刻々とその段階になっているんだと思うんですね。
 大きくなっても、例えば学校区みたいなところで参加の仕組みをつくっていって、経営としてはより大きなところに任せるというふうに、いわゆる役割分担ですけれども、そういうのがうまくできれば、きめ細かいサービスとそれからサービスを選択しというのはあると思います。
 これは本当にどのようにデザインを組むかということですので、単に合併すればそれがもたらされると思うのは間違っていると思います。
日森小委員 確かにおっしゃるとおりだと思うんです。
 それで、財政の問題でいうと、財政危機をいわば逆手にとって、これだけ十年間ないしは十五年間お金を出してあげるから合併しなさいという動きが今大変強まっていて、それでもなかなか進んでいかないようなんですけれども、そんな動きがあるわけですね。
 ところが、先ほど政令市の話も出ましたけれども、今全国で十二ですかね、さいたま市も来年なるんですか。ちょっと地元の話を知らなくて申しわけないんですが、その政令市がもう十数年間ずっと財政危機ですよ。これは一般市町村と同じ構造になっているわけで、結局、大都市になったとしても財政危機の構造的な問題というのは全然解決されない。だから、大都市法をつくって新しい税源をよこしなさいというようなことまで要求している実態があるわけですね。
 そうすると、先ほど先生が言われたこれからの三つの課題の中で、税財源の配分問題とかありましたけれども、それをきちんとやることが先であって、むしろそういう問題を回避しながら、先送りをするといいますか、実際にやらないでおいて、ともかく金をぶら下げて、合併を決めれば十年間こんなにお金を出すよ、財務省は本当に出せるかどうかわかりませんけれども、十年先はもしかしたら空手形になるかもしれないという思いもあるんですけれども、そういうやり方で本当に、我々がというか皆さんが共通して思っている地方自治というのは確立できるのかという疑問があるんですよ。
 その辺についてちょっと、また感想で申しわけないですが、お聞かせいただきたいと思います。
岩崎参考人 おっしゃるとおりだと思います。
 地方制度全体をどうするかというふうな大きなグランドデザインがないまま、個別のところをミクロで、こことここを合併してというふうにやっていくのは、ちょっと今の段階では、もう少し大きな、マクロ的な視野からやらないとだめだと思います。
 大都市も、百万以上を超えてしまってどんどんいってしまうと一人頭のコストが逆に高くなるわけであります。ですから、大き過ぎるのも問題である、小さ過ぎるのも問題であるというのがあるわけです。そうすると、どういう仕事をしていくかということも含めて、全体的に、個別のミクロの状態ではなくて、地方制度をどうするかということを税源と財源の話と絡めて考えていくのがまさに国における地方分権の考え方だというふうに考えます。
日森小委員 どうもありがとうございました。
保岡小委員長 次に、小池百合子君。
小池小委員 保守党の小池百合子でございます。本日は、どうもありがとうございます。
 地方分権、地方主権、これは私も長年大変重要なテーマであるということで研究等も続けているわけでございます。その心は、地方分権を行うことによって中央と地方の仕事の分担をより明確にしていく、そしてそれぞれの分野での責任を明確にしていくということにつながるからであります。
 中央政府とすれば、金融、安保、外交、こういった点をつかさどり、そしてまた住民により近い分野である福祉、教育といった分野については、より近いそれぞれの地方の行政の方に分権をするということをやっていかない限り、いつまでもピラミッド型に上から下へというふうな仕事の流れでは、実際にそれを受け持つ地方での行政の方々というのは、いつまでも自主独立型の三割自治から抜けられないということが続くからというような考え方を持っております。
 実際に、余りにもケアがされ過ぎた産業、例えば農業などもその例かと思いますけれども、そういった分野はかえってひ弱になってしまうということで、先ほど来出ております、税財源も含めて文字どおりの自治体にしていくためにはどうすればいいのかというのは、実はもう見えているんですが、あとは決断ということで、これも政治の決断の方にも入ってくるかと思います。
 ちなみに、地方分権一括法、たしか法案の分厚さはこれぐらいあったと思いますが、重くて持てないということでしたが、ちょっと私自身はあの中には魂が入っていないなというのでたしか本会議場を出ちゃった、それでも与党だったのかな、記憶がございます。
 お伺いしたいのは、御指摘のあった規模の問題でございます。規模がどうあれ、リーダーシップとコスト感覚がなければ、どんなに合併しても、またどんなに小刻みにしても同じことであるというふうに思いますが、一般的にマネジャブルサイズというのは、いろいろな分析によって答えは出ているかと思います。国のサイズというのも、やはりマネージをする際にいろいろと、大きなタンカーはなかなか小回りがきかないのと同様に、小さなパワーボートの方は非常に小回りがきくということで改革などもしやすい。
 スイスのダボスの研究所が毎年発表している国の競争力の調査でも、かつては日本は断トツだったんですけれども、今どんどん下がっておりますが、一時期は、たしか香港とかシンガポールとかニュージーランド、こういった人口三百万から五百万人の国々が非常に改革の成果を短期間にあらわすことができたということで、三百から五百万の国家というのは、国家としてのマネジメントはなかなか有効なんだなというふうに思ったことがございます。
 その意味で、きょうお話が出ておりますけれども、マネジャブルサイズというものについて、より具体的に、例えば、今であるならば、一つの市でどれぐらいの規模が最もコストパフォーマンス、そしてソーシャルサービスとしても満たされるものができるのか。
 また、県とすればどうか。県については、先日、私、予算委員会で総務大臣にも御質問させていただきまして、県の合併ということも検討をするというお答えをいただいております。
 まず、そういった意味で、先生が御研究の中で、規模の観点から、より具体的に数字なども入ればよりうれしく思うんですが、お答えいただきたいと思います。
岩崎参考人 数値目標というか適正規模といいましょうか、何万人ということは、これはお答えできないんです。お答えできないというのは、答えたくないとかそういうのではなくて、例えば非常に面積が大きいけれども人口が少ないというところがありまして、それを例えば何万人というふうに出してしまうと、とにかく人数を集めようとなってしまって、面積はやたらめったら大きいけれども人口がそこにも至らないというふうになると思います。
 先ほどちょっと申し上げたのですが、大都市、メトロポリタン地域と、それから都市地域、アーバン地域と、それからサバーバンと言われる郊外地域と、それから山村地域と、これによってそれぞれの地域でマネジャブルサイズというのはあると思いますが、日本全国一律に市町村は何万人を目標にというのは、これはまさに自治とは全く逆の動きだと思っています。
 ちょっと先ほど申し上げました、郊外型のところで、大きなところから一時間以上時間距離が離れているところは、頑張って二十万から三十万の規模を持たないと地域経済は成り立たないと思いますけれども、果たして、人口減少が進んでいくこの時代に、それだけの規模が持てて、だだっ広くならないでコアが持てるかとなると、そこもいろいろ、まさに自治は多様ですから、地域性があるのかなという気がします。
 県については、やはり経済圏としては少し小さいというのが私の認識です。
小池小委員 どうもありがとうございました。
 今おっしゃるとおりで、面積の広いところとの、こういうのは計算式というのは成り立たないのかもしれませんけれども、しかしながら、やはり一つの目安ということがありますと、今後のあり方について、それぞれの自治体の方々、これは本当に、先生最後におっしゃいましたように、地方分権を国会、国の方でやっているというある種の矛盾ですね。逆に言えば、地方の方のそのあたりの危機的な認識が足りないのかな、もしくは、これまでに余りにもなれ過ぎてきたのかなというふうに思うわけでございますが、一つのメルクマールがあるということは、モデルケースというか、それがあるかないかというのは大きな違いになってくるんじゃないかなというふうに思っております。
 それから、この前も問題になりましたけれども、お上は信用しないという言葉から端を発して今大変な状況になっているんですが、どうも日本人の発想の構造から、だれか上の人が決めてくれるだろうといってどんどん順送りにしちゃうんですね。結局、目の前のことで、自分たちで決められることまで上に上げて、またそれを上に上げていってしまう。結局、お上頼りにしているのは実は自分たちであったりすることは往々にしてございます。ですから、そういった自治そのものの発想、そしてまたそういった教育などももっと真剣にやっていかなければ、幾ら私どもがここで自治自治ということを申しましても、それは結局また妙な押しつけになってしまうというふうに思います。
 また、一言感想を申し述べさせていただきますと、今の景気対策も地方分権、構造改革につながっていくということから、まさに地方分権こそ改革の大きな柱ではないかと考えております。経済面からいきましても、今の地方財政の破綻的な状況、赤池町のような例もある。そういった中でいろいろな景気刺激策を国が打とうとしても、地方財政の傷みが余りにも激しくてそれを受ける体力がないというのが現状だと思います。
 ただ、こういう危機的な状況はみんなが意識を共有すればチャンスに変わるわけで、そのあたりも考えまして、今後の地方分権と、そして日本の経済、社会全体のあり方の構造改革も必要だというふうに考えているわけでございます。
 最後に、地方には実際そうはいっても人材がいないじゃないかという、いつも鶏と卵の論争になってしまうわけでございますが、こういった地方自治を担っていく人材を育てるためにはどういうお考えをお持ちでしょうか。
岩崎参考人 地方自治を担うというよりは、私はやはり、セルフガバメントというのはみずからを律するということなので、地方どころか自分の自治を担う、そういうような自律性の高い人材を育てることが重要だと思います。自分で考えて自分で発言できるというふうな、人と同じことをやらないでも自信が持てるというふうな、そういう教育が極めて重要だと思います。
 そういう意味で、小さなころからいかに自立的な才覚を養っていくかというところが、これは地方自治もそうですし、国も担っていく、教育だと思います。
小池小委員 ありがとうございました。
保岡小委員長 平井卓也君。
平井小委員 先生の話で、多様性を是とするか非とするかということで、私も是とするべきだというふうに思うんですが、先ほど、分権の推進力という中に、近代化の終えん、これは今、日本に当てはまるというようなお話でありました。
 しかし、この近代化の終えんというのは、一体何が終わったか。そのことをもしかしたら十分に日本は検証しないまま、変化ばかり国民に強要しているのかもしれない。これは、先生の個人的な御意見でも結構ですから、この近代化の終えんというのが日本にあるとすれば、それはどういうことを意味するか、コメントをいただきたいと思います。
岩崎参考人 地方分権の推進力ということで近代化の終えんを挙げたわけですが、近代化の終えんの前に、近代化とは一体何だったかというのを考えて、それが終えんしたと見るのが筋だと思うんですが。
 近代化というのは、平等で、国民がどこに住んでいようと全国津々浦々同じようなサービスが受けられて、そして国民の教育レベルが上がり、国が経済成長を遂げていく、こういうふうな図式だと思います。ナショナルミニマムという言葉がよく言われましたが、まさにナショナルミニマムを達成していくのが近代化の一つのクライテリアだというふうな気がします。
 これは、もう既に一定のレベルの発展を遂げた後は、この路線でずっといくということは逆にむだを多くする、逆に個性をつぶす。近代化というのは、ある意味で個性ではなくて、多様性ではなくて、画一に、とにかく一定水準まで一気に上るということだとすれば、終えんをしたということは、画一ではなくて多様化の方に行く、個性を重視する。違いを違いとして、上下関係ですとか同じ物差しの中での違いではなくて、違う物差しで違いをはかるというところが、まさに成熟した社会になるという意味での終えんだというふうに考えています。
平井小委員 ありがとうございます。
 その話を考えるときに、全国総合開発計画、これは昭和三十七年から始まって、今は新しい全国総合開発計画、つまり五全総になっているんですが、四全総までは、その基本的な目的もしくはその中の重要な部分に、均衡ある国土の発展ということ、特に三全総まではこれが一番大きいことであったと思います。しかし、五全総の中にもまだその言葉は残っています。しかし、その基本目標の中には、地域の選択と責任に基づく地域づくりの重視ということになっているんです。
 私は、地方分権ということを真剣に進めるのであれば、その均衡ある国土の発展という概念をもう捨てなければならないというか、方向を変えていくべきだと考えています。
 それはどういうことかというと、基本的に地域の差というものは健全な差なんだと、そういう特徴を伸ばしていくような政策に変えていかないと、人口が減る局面になって果たしてこの日本という国が、私も地方で四国から当選してきているわけですが、あえて地方出身の議員が、均衡ある国土の発展という形で今後政策を進めていった場合、それは経済合理性もないし、地方にとってはかえって重荷になるケースもあるだろう、そう思っているんです。
 そういう意味では、新しい地方分権、そしてこの日本の構造改革後の姿の中に、非均衡、不均衡、どっちの言葉が正しいかわかりませんが、健全な差ととらえるような考え方に転換をすべきと私は考えるんですが、先生いかがですか。
岩崎参考人 全面的に私もそう思っています。健全な差を、それを誇りに思えるようにしていくことが地方分権だと思います。
平井小委員 誇りに思えるというのは、地域に対する帰属意識であったり誇りということになると、これはお金だけじゃなくて文化の、この切り口が非常に重要だと思うんですが、先生、文化に対して取り組みという意味では、何かアドバイスがありましたらお願いします。
岩崎参考人 私は、やはり歴史に根差した文化だというふうに考えます。地域の持っている歴史というか経験というのはその地域に属地のものですので、これをみんなわからないでいることが多いと思うのですが、それを発掘というとおかしいですけれども、わかるように具体的に示すことが、まさに属地的な歴史の文化こそが地域文化だというふうに私は考えます。
平井小委員 文化芸術振興基本法も通っていることですし、地域の誇りの持てる文化をこれから掘り起こしていくということは、これはもしかしたら道路をつくったりダムを開発したりするより以上に重要なことになるのかなというふうに最近思い始めました。
 そこで、もう一つ。日本の場合は人と違うことを誇りにするというのが余りなかったし、今のこの経済が停滞している中も、経済用語で言うところの合成の誤謬は、まさにみんなが同じように正しいことをやってしまうというようなところにもあるんではないかなというふうに思うんですが、その前提として、個人と集団、共同体、この考え方。つまり、個人が集まって集合体なりそういうものができるというようなことが余り日本の中では意識されていなくて、個人と集団というのは対立するイメージ、例えばチームプレーに反するような選手はだめだとか、例えば自民党の中ではまた違うことを言うとだめだみたいな、そういうのがあるのかなというふうに私は思うんですが、先生はいかがお考えですか。
岩崎参考人 個人と社会、個人と集団というのはギリシャ時代から大きな問題でありまして、おっしゃるとおりだと思うのですが、私は、個人あってこその集団だという気がします。
 しかし、集団に属している以上はやはり組織のおきて、ちょっと厳しいですけれども、そういう集団の中でのルール。要は、公というのは、人が嫌がることをやらない、同じように気持ちよく過ごすためのルールである、オーダーである、秩序であるというふうに考えていきますと、そちらの方が優先して個人をつぶすようなことだと、閉塞的な社会環境といいましょうか、他人と同じじゃないと制裁を受けるというふうなことになると思います。
 ですから、個人の方により重点を置いての集団との関係というふうにシフトしていけば、少し閉塞感がなくなるのかなという気がします。
平井小委員 もう一つ最後に、先ほどマネジャブルサイズの地方の基礎自治体の話がありましたが、国策として、一方で電子政府、電子自治体が進んでいるわけです。つまり、国も地方も電子化をすることによって、国民の行政サービスを効率的でなおかつアップしていこうと。最終的にはこれは小さな自治体、小さな政府を目指すことになるんだと思うんです。
 そのときに、電子自治体の場合はマネジャブルサイズというか経済合理性のあるサイズというのが約二十万、これはもう世界各国を見ても大体明らかなんです。確かに住民のメリット、魅力的な電子政府をつくる場合にはそのサイズが必要になってくる。それと、今の地方自治体の合併の問題、地域の格差とかいろいろなものがあるんですが、このあたりをどのようにリンクさせていくことが一番いいか、何かアドバイスがありましたら教えていただきたいと思います。
岩崎参考人 私は、電子自治体、電子政府が進むことは非常に便益があると思うのですけれども、ちょっと違うと思うのは、サイバー空間を利用していく、便利ではあります。でも、これはツール、道具であって、その道具化をしていくと、住民票の発行がわざわざ行かなくても身近にできるとか、インターネットでいろいろな申し込みができるとか、そういうのは便利さ、道具であると思います。
 一方、自治体というのは、国家と同じように、やはり領域があってこその、まさに属地といいましょうか、地面に属して、そこにボーダーを置いて、そこが国家それから政府だというふうな認識が強いので、領域があってこその自治体だという、いわゆるリアル空間での自治体とサイバー空間での自治体というところで、便利さと、実際に暮らすというところは、なかなかうまく整合性がとりにくいところかなという気がしています。
平井小委員 ありがとうございました。
保岡小委員長 次に、筒井信隆君。
筒井小委員 民主党の筒井信隆です。
 きょうは、大変ありがとうございました。きょうお話しされた中で、日本の分権改革についてお聞きをしたいと思います。
 前回の改革の三本の柱を言われました。これは実行されたことですが、しかし、実行されてそれが終わったというわけではないんだろうと思うんですね。まだまだその分野でも課題が残されているんだろうと思うんです。
 一つ目の機関委任事務の廃止、これはいいとしても、二つ目の、国の関与が薄れたという点、法定受託事務と自治事務の関係、これらの問題とか、三つ目は国地方係争処理委員会でしたか、これらの一応今度改革なされた分野に関して、まだやはり残された課題、また不十分な点があるかと思うんですが、その点の説明をお願いしたいと思います。
岩崎参考人 おっしゃるとおりだと思います。これは、スタートにやっと立てたというところでの改革の課題への三つの柱だと思います。
 私がとりわけ気にしておりますのは、御質問の趣旨に合うと思うのですが、法定受託事務と自治事務で関与の仕方を分けました。ルール化をしました。関与法定主義をとりました。しかし、それは法律でそう決めましたけれども、現場の地方自治体の方々は相変わらず中央省庁から電話一本で仕事を引き受けてしまっているということになって、何が法定受託事務で、何が自治事務で、そして関与の仕方がどう違って、今のは自治事務なんだから、この関与の仕方はおかしいというふうなことまでまだ行っていないというのが現実であります。
 そうすると、形はできたけれども実態がそうであるとすると、なし崩し的にまたもとに戻ってしまうのではないか。国地方係争処理委員会もどんどん使えば透明なプロセスになるんですけれども、あそこにいく前に水面下で処理をしてしまうというふうになっていくと、ほとんど前と変わらない。形はつくったけれども、中をちゃんと入れないといけないという、まさにこれからの問題だと思います。
筒井小委員 機関委任事務の廃止といいながら、実態はそんなに廃止されたというほどの変化はないという御趣旨。国地方係争処理委員会に関しても、これからの運営によってはどうなるかまだわからないところがある。これは運営の問題、実態の問題でもあると同時に、制度としてもこういうふうにした方がいいとか、そういう点はないでしょうか。
岩崎参考人 例えば、自治事務などに関与が、今までどおりに言われてきたというときには、これは相手方に言うなり、そうでなければ係争処理委員会にかけるなりというふうに、表立って処理をしていくことによって共通の土俵ができていく。そうすると、それ以外の自治体も、ああそうなのだというふうにして情報がどんどん共有されていくということになっていきますので、少し積極的に使う方向で、おかしいなと思ったことは確かめるということが重要だと思います。
筒井小委員 国地方係争処理委員会をそういうふうに積極的に使う、本当にそれは自治体の方の課題ですね。それから、さっきの法定受託事務に関して、あるいは自治事務の区別に関して、これは自治体の方も今度の改革の趣旨に合わせてきちんと対応しなきゃいかぬと思うんですが、国の方もまた態度を変えなければいかぬと思うんですよ。
 そういう、それぞれの態度を変えるということが、意識の改革が必要なんですが、私がお聞きしたいのは、制度としても変えなければいかぬ部分がこれらの分野ではないのかなという点なんですね。
岩崎参考人 こちらから聞いてはいけないことになっているのであれですが、制度というのは、運用ではなくて、もしも枠なりそういうのを変えるというのであるとすると、自治事務に関しては、余り国は細々と決めない。介護保険は自治事務ですけれども、余りにも細々決め過ぎているというのがありますので、例えば自治事務に関しては大枠だけの立法で、あとは現場に任せるというふうなことを制度化するですとか、法定受託事務は法定で受託するのですから、その財源はきっちりと渡すというふうなことを制度化するとか、そういうことで大分違ってくるかと思います。
筒井小委員 残された三つの課題の方で、一つ目が、税財政面の改革という指摘、これが確かにおっしゃるとおり一番大事な点で、それが残されたわけで、私どもも、これがこの前の分権改革を完全なものにしなかった最大の要因だろうと思うんです。これに関していろいろな議論をされて、補助金の一括化だとか、あるいは地方交付税そのものの改革だとか、いろいろなことが言われています。
 その途中の改革を別にして、将来の理想といいますか、形としてはどういうものがいいと考えておられるか、それをちょっと説明いただきたいのです。
岩崎参考人 将来の理想像ですけれども、歳入に占める税収の割合はやはり五割、六割、それから、チャージ・アンド・フィーズと言われているような、そういうもので約七割ぐらいは自主財源というのが理想だと思います。
 それから、国から地方に来る補助金を包括的に、分野別にやっていく。それは、その地方のニーズに合わせて、子供に使いたいとか、高齢者に使いたいとか、違いますので、ソーシャルポリシーは一本化をして地方に任せるという意味での、かなり大きな補助金の一括化をする。
 それから、それでも残る財政格差は地方交付税、名前はどうなるかわかりませんけれども、そういう水平的な財政調整制度で残す。
 ちなみに、交付税を受ける団体が地方自治体数の約三分の二になるようなくらいにまで自主財源を上げるということが重要だと思います。
筒井小委員 ありがとうございます。
 補助金の一括化というか、それが今まさに議論されているんですが、私は、さらに将来的には補助金なんか全廃して、税源移譲、国税を地方税の方に変える、これで独自財源を確保すべきだと。それによる各自治体の今言われた格差というのは、今の地方交付税制度の改革では不十分じゃないか。いろいろな中央の方の裁量や何か働いて、それがまた大きな問題になって地方自治の否定につながっているわけですから。自動的に決められるという形のものにするためには、地方交付税も廃止してしまって、調整ファンド、全然別のものをつくる、こういう方向も将来的には考えていかなければいけないのではないか。
 そして、今の地方交付税制度あるいは補助金制度のもとですと、自治体が努力してある程度独自収入を上げたら、今度は地方交付税や補助金が減らされて、努力したところが全然そのかいがないという結果になるので、これはドイツでは何か憲法訴訟が起こっているようですが、そういうのも完全にやめなければいかぬ。
 努力したところはある意味で報われるという制度に変えるためには、やはり税の独自財源化、税源移譲、補助金は基本的に全廃、そして各自治体間の不公平に関しては調整ファンドという形に根本的に変えるべきではないかという私個人の考えがあるんですが、それについて意見がありましたらお聞かせいただきたいと思います。
岩崎参考人 基本的には、税でいくというのは必要だと思います。そして、補助金は、極めて大きなもの、一般財源に近いような形でのトランスファーは、私は実は必要だと思っておりまして、それがなければ、国が国民に対して責任を持てる分野というのがなくなってくるわけですから、すべて任せるというよりは、ソーシャルポリシーのどうしてもだめな部分はどう見るかということも含めて、国家が国民に対しての責務をどう果たすかというところを、細かい細かい行政官庁の条件ではない部分で残しておいた方がいいという意味で、トランスファーは必要だと思います。
 ですから、多分、同じだと思うんですけれども、まず、やはり税源、そして補助金一括化、それでもどうしても弱いところが残るので、その場合は調整、トランスファーになるというのは同じだと思います。
筒井小委員 二つ目が、都道府県と市町村の関係が残された課題という説明ですが、これも今三千自治体を千自治体に変えるという方向性で、ある意味で上主導に近い。それと住民の自主性とをいかに統一させるか苦労しながらやっているようですが、これもそういう途中の経過を除いて言えば、先ほどの意見ですと市町村合併、それから今の都道府県は狭いという意見でしたから、もっと広い道州制になるのかな。それも理想の形を、先生、最後に説明していただけますか。
岩崎参考人 私の理想の形は、都市はなるべく自立をする。それから、県は、それなりに行政単位としては実績がありますので、全部廃止ではなくて、残りながらも、道州なりより大きな広域的な単位をつくっていく。そのどちらに重きを置くかというのは、それから決めていかなくてはいけないと思いますけれども、地方分権と広域化というのはどうしてもセットにならざるを得ないという気がします。私は、連邦制にすることは反対です。連邦国家を研究しておりまして、とてもこの国とは合わないというふうな気がしますので、連邦制は反対ですが、道州制というのは一考に値する。ただし、どのようなデザインをするか、制度設計をするかでかなり内容が違ってきますので、その辺は慎重にしたいというふうな意見です。
筒井小委員 ありがとうございました。
保岡小委員長 次に、渡辺博道君。
渡辺(博)小委員 自由民主党の渡辺博道でございます。最後の質問者になります。本当に御苦労さまでございます。
 ほとんど私が質問しようとしたことが全委員の皆様方に触れられております。ひとつ視点を変えてお話をさせていただきたいと思います。
 それは、実は、私はある自治体の財政課の職員をしておりました。地方交付税担当なんです。これは私が実際に担当したときに、この制度というのは、ある面では大変すばらしい制度だと思いながらも、先ほどの委員の中にもありましたが、一生懸命課税自主権を行使して徴税率を上げていく、そうすると基準財政収入額が上がってしまう、こういう現象がありますね。そうすると、当然のことながら不交付団体になってしまう、こういったことを現実に体験しております。
 こういった状況の中で、地方交付税のあり方というものを私が職員だったころから常に考えていたわけでありますが、職員として必ず国の方に目が向いているんですね。要するに、自分たちの財源を確保するよりも交付税をどうやって確保しようか、そしてまた補助金をどうやって確保しようか、そしてその中間的な形として、県にどのように説明をし、そして納得してもらうか、そういったものがやはり職員の中の意識として大変強いんじゃないかなというふうに思っております。そういった現実的な体験から申し上げると、この交付税制度のあるべき姿というのは、やはり変えていく必要があるなというふうに思っております。
 そこで、どのように変えていくかというのは、先ほどいろいろな御質問の中から出ておりますけれども、交付税の財政調整機能というものは大変重要な役割だというふうに皆思っておりますけれども、やはり努力したところがきちんと報われる制度、徴税を確保しているところがちゃんと報われるような制度にすべきじゃないかな、そのように思っております。先生の御意見も、そういった中でまさに同じでありますけれども、こういった交付税の制度と補助金の制度、これは、職員がそれなりに勉強してやっていくわけですが、本来は、もう少し市民のためにどうやったらいいのかということに力を注ぐべきなんですね。国の基準にどうやって合わせたら補助金が多くもらえるか、そっちの方にかなりの力が注がれている、そういった問題があります。
 したがって、地方分権といった場合は、権限の移譲という問題と財源の移譲、そしてまた人間という、やはり人材の確保は大変重要だというふうに思っております。先ほど、委員のお話もありましたけれども、人材育成に対して、どのような形で地方自治体の人材を育てていったらいいのか、まずその一点、お話を聞かせていただきたいと思います。
岩崎参考人 地方自治体の中の人材育成ということを考えますならば、日本は単一国家でございますので、やはり法制、政令も含めて国の法律がどうなっているか、それをきっちりと把握しておくのは基本だと思います。その後で、条例がどのくらいで制定できる、自己決定権は、単一国家では法律の範囲でしか多分地方自治体はないので、やはり法務をしっかりするということだと思います。それから、財源として一体何があるかというのも把握しておく必要があると思いますので、問題発見型の人材をまず育成しないと、問題解決型までいかないと思います。
渡辺(博)小委員 これからの二十一世紀の日本の社会を見たときに、ことしの一月に人口の推計が出ておりました。二〇五〇年はどういう日本の社会になるかということの推計でありましたけれども、二〇〇六年をピークとして、どんどん人口が減っていくという姿であります。そしてまた、二〇五〇年には、六十五歳以上の人口が三五%以上になるという推計ですね。そして、平均寿命も、男は八十歳、女性は八十九歳というようなものが示されております。
 そうした中において、私は、高齢化そしてまた少子化というこの現実の社会を直視するならば、当然のことながら、地方分権というのは進めざるを得ない、そういう現実があるというふうに思います。
 新しい時代の地方分権の一つの形として、やはり憲法に新たに書き加える必要があるんじゃないかなというふうに思っております。先ほどの委員の質問の中にも、日本の憲法八章には四条しか載っておりません。ところが、イタリアの例では、約二十条、地方自治の関係について書いてございます。国と地方はまさに対等の立場にある、対等といっても現実的な対等は難しいと思いますけれども、対等の立場にあるということを表記しているんであれば、もう少し詳しく憲法上書く必要があるんではないかなというふうに私は思います。
 先生の御意見をお伺いしたいと思います。
岩崎参考人 憲法上に書くかどうかということに関しましては、私は憲法に細かく書くというのは余り賛成はしません。
 なぜかと申しますと、時代はどんどん動いていって、そしてそれにフレキシブルに対応することがまさに身近な政府だとすると、余り細かく書いてしまってがんじがらめになると、逆に対応できなくなるということがありますので、四つの条文がふさわしいかどうかということはともかく、事細かに書いていくということに関しては、ちょっと後々動きがとれなくなるのではないかなという気がしております。
渡辺(博)小委員 先生の執筆した、雑誌「地方自治」の中に「地方分権改革のスタンダード」というものがあります。その中で、先ほど私が申しましたとおり、高齢化社会に対しての対応とかIT社会、こういったものが大変進行する中で、地方分権の必要性というものがうたわれております。
 その中に、住民がどんなところに住むか住まないかというのは、今までも大変重要であったけれども、これからもっともっと重要になっていくだろうというようなお話がありまして、ここに、「場所の商品化」はますます進んでいくことになるだろうという言葉があります。「場所の商品化」というのは、どのような意味でお使いになったんでしょうか。
岩崎参考人 昔は、都会ですと自然がないとか、自然が多いところですと雇用がないですとか、そういうふうなトレードオフの関係だったと思います。しかし、IT技術というか、そういうふうなサイバー空間がどんどん発展することによって、自然の状況の中でもいろいろなビジネスチャンスが出てくるということになっていくと、果たして人は、非常に排気ガスが多くて、環境としては望ましくないようなところに住んで、そこで仕事をするだろうかと思うわけであります。
 そうすると、多自然居住地域みたいな、比較的自然もあり、そして利便性も確保できるという、その利便性の確保がIT技術の発達で可能になったわけですので、そうすると、どんどん住む場所を選んでいくのではないかという、「足による投票」とはまた違う、もっと生活に密着した自分の居住空間を選ぶようになる。そうすると、その属地的な空間を持っている場所が、どんな場所が提供できるかで商品価値が高まるということになるという意味で、「場所の商品化」という言葉を使いました。
渡辺(博)小委員 やはり一番身近なところは地方自治体、まさに自分たちが住んでいるところだというふうに思います。
 小泉内閣が進めておる構造改革の中に、地方でできることは地方に任せましょう、そしてまた民間でできることは民間に任せましょうという一つの大きな基本的な考え方を持っているわけでありますが、これからの時代、地域の問題について、より積極的に地域が物事に対応できるようなまず能力を身につけること、そしてまた、そういった環境を整備することが大変重要だというふうに私は思います。
 ぜひともこれから、先生のまた御示唆をいただいて、この地方分権のあるべき姿を我々もまさに勉強していかなければならない時期に来ているというふうに思っておりますので、きょうは本当にありがとうございました。
保岡小委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 岩崎参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、本当にありがとうございました。小委員会を代表して、心から御礼を申し上げる次第でございます。(拍手)
    ―――――――――――――
保岡小委員長 これより、本日の参考人質疑を踏まえまして、地方自治について小委員間の自由討議を行いたいと存じます。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたしたいと存じます。
 小委員の発言時間の経過につきましてのお知らせでございますが、終了時間の一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。
 御発言を希望される方は、お手元にありますネームプレートをこういうふうにお立ていただきたいと思います。御発言が終わりましたら、戻していただくようにお願いいたします。
 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。
春名小委員 日本共産党の春名直章です。
 この機会ですので、私は、国会に寄せていただいてから六年間、地方行政をずっと委員会に所属して勉強してきている者の一人ですので、その角度から幾つか。
 一つは、日本国憲法の大切な原則の一つが地方自治でして、その先駆性ということについて改めて光を当てることが大事だということです。
 戦前は地方制度というのがありました。しかし、今日にいう住民自治、団体自治を内実とする本当の意味での地方自治というのは、残念ながら戦前はありませんでした。知事は官選でした。それから市長も、市会の推薦する候補者から、内務大臣が天皇の裁可を得て決められておりました。そして、内務大臣が議会の解散権まで持っていました。天皇を頂点にして、内務大臣、地方行政協議会、都道府県知事、地方事務所長、市町村長、部落会、町村会長、こういう筋が一本の筋でできていまして、地方制度がそれに組み込まれていて、結果は御存じのとおり、あの戦争への推進力となっていくということになりました。
 憲法の重大な原則に、こういったことへの反省から、地方自治が組み入れられたことは非常に重要だったと思います。官選の長の廃止などが実施をされました。そして、住民自治、団体自治の理念が発露する保障ができました。
 第九十二条では、地方自治の本旨が明記されました。これは今日では、住民自治と団体自治の二つをその内容としていて、その実現、拡充が地方自治の内実をなすということはもう通説になっています。
 そして九十三条は、住民自治の原則が明記をされております。議事機関としての議会の設置、長と議員の直接公選、代議制としての住民自治、首長制としての住民自治、これらが明記されています。
 それから、九十四条、団体自治の原則が明記されています。ここには、不十分ですけれども、自主財産権、それから自主行政権、自主立法権、これが明記されています。
 そして最後に九十五条、特別法の立法については国と自治体の対等性、住民投票という住民の直接投票によってこれを実施するという義務づけなどなどが示されております。
 したがって、日本国憲法の地方自治の章は、大変コンパクトなんですけれども、それ以前につくられた諸外国の憲法にも余り見られなかった地方自治の大原則を打ち立てたものだと思います。したがって、二十一世紀のこれから指針になるべきものであるということを私は感じております。
 最後になりますが、この地方自治の精神を今十分発露できていない、残念ながら。ここが今一番の問題だろうと思います。今の議論でもありましたとおり、戦前の名残である機関委任事務がつい最近まで残ってきました。それから、財政を通じて国の地方へのコントロールがかなりまだ残っております。ひもがついてはいけない地方交付税が補助金化しています。あるいは、国対地方の仕事が四対六になっているのに、財政は六対四のまま。先ほどお話が出たとおり、税源の移譲がいまだに実現されておりません。こういった問題の解決、それから、住民自治に対する残念ながら消極的な姿勢がまだ続いていると思うんですね。
 私たちは、住民の意思の表明を恒常的に保障する立場から住民投票法案をつくっておりますけれども、各地で住民投票も進んでいますが、これに対して、残念ながら政府は余り積極的ではありません。そういう幾つかの面から、今この八章を全面的に生かしていくということに心血を注ぐということが、二十一世紀に生きる私たちの大切な課題になっているなということを痛感しておりますので、発言とさせていただきます。
 以上です。
中山会長 中山です。
 私は、地方自治の責任者である首長さん方は、いわば大統領と同じような形態を地方自治体においてとっているというふうに感じています。それは、住民から税金を取る徴税権、そして集めた税金を執行する執行権、これを一人で独占をしているという、その地域の最高の権力者になっているわけです。だんだんと選挙を重ねて当選するたびに地域との密着性が非常に強くなっていくということで、多選を禁止するということが絶えず方々で言われていますけれども、なかなか多選禁止ができない。
 我々国会議員には税金を徴収する権力は与えられていません。むしろ、税金を国の面で使うことについての監督権を国民から与えられているというふうな認識ですが、一人の人間が税を徴収する権力とそれを使う執行権を持っているという、この非常に強力なポジションというものを長く続けることが、果たして地域の発展にプラスになるのかマイナスになるのか。よほどすばらしい行政をやる首長であればそれはいいと思いますけれども、もしも余り好ましくないような人が、権力がうまく使えるということで多選を重ねていくということについて、考え方をいずれかの時点で整理しておく必要があるのではないかと思います。
 特に、地方自治体の合併問題がこれから数多くの地方で出てきますけれども、その際には、例えば三選以上は禁止するとか、あるいは五選以上は認めないとか、とにかく一定の枠をはめることによって、地域への一つの新しい活性化の機会を与えるということも非常に大事なんじゃないかというふうに私は考えております。
森岡小委員 森岡でございます。
 私は、先ほど来、岩崎参考人のお話を聞きながら地方自治のことを考えておったわけでございますが、特に国と地方の役割分担の中で、教育の問題につきまして、国がどこまで関与すべきか、また地方分権を進める上で地方が教育の分野でどこまで分担すべきなのか、大変大事な問題だなと思っているわけでございます。今の日本の教育制度では、教師の給与も国が半分、地方が半分分担している。そして、教育委員会というものがあって、それぞれの市町村の教育が行われておる、そういう仕組みになっております。
 実は、若い人たちのお話をよく例に挙げられるわけでございますけれども、日本人は、日本国民としてのアイデンティティーに乏しいとか、また健全な愛国心が育っていないとか、そういうことを言われるわけでございます。先ほどの岩崎参考人のお話の中にも、地方分権を進める上での文化的アイデンティティーという言葉がございましたけれども、私は、国がやはり健全な愛国心を育てたり、また日本国民としての誇りを若い人たちに持たせていく、そういう役割を果たす重要性、非常に大事だと思うわけでございます。地方分権をどんどん進めていく、権限も財源も地方に移していく、大変結構なことでございます。
 アメリカでも、またイギリスでも、大統領が先頭を切って、教育が大事だ教育が大事だとおっしゃっている。しかも、アメリカのように、あのテロの事件が起こったときに非常に愛国心が盛り上がった。あれだけ多民族国家であり、そして連邦国家でございます。にもかかわらず非常に愛国心を持つ人たちが多い。私は、どうしてああいうことになるのかなと、日本と比較しながらそう思ったわけでございます。
 こういう面で、日本が、教育について国家が果たすべき役割、今、戦前のような軍国主義を進めるとか、また間違った愛国心を助長するようなことはやっちゃいけないと思いますけれども、やはり国が青少年を育てていくという役割、これをどこまでどういうふうに果たしていけばいいのかということを、私は、新しい憲法ということを考えるならば、そういうことに思いをいたしながら、地方分権また地方自治の問題を進めていただきたいな、いかなければならないな、そんなふうに思うわけでございます。
 以上です。
保岡小委員長 この際、小委員の先生方に、御発言の折には所属会派と氏名をあらかじめ述べていただきたいと存じます。
永井小委員 民主党の永井英慈でございます。
 きょうは、地方分権についていろいろ勉強させていただきました。中でも、私、中野寛成先生がいらっしゃいますけれども、民主党の中ではミスター分権と言われ、道州制の鬼とまで言われておるわけでございまして、そういう勉強をしてきた中で、主張をしてきた中で、今中山会長さんが御指摘になったことは極めて重要なポイントだと思うんです。
 地方分権と首長の多選禁止というのはまさに表裏一体のものでなければならぬ。とりわけ、地方の時代と言われて、地方へどんどん権限や財源が移譲されていく中で、今御指摘あったように、税金を取るのも、予算編成をするのも、さらには行政執行を行うという。さらに言えば、巨大都市では一万人、二万人、三万人という職員を抱えているわけですね。その人事権も持っている。さらに、第三セクターやその他地域社会での大きな影響力を行使するのが首長なわけです。この首長の任期を、まあいいやいいや、おれたちには都合がいいや、なれてらということで多選を許していったならば、実は取り返しのつかない弊害が起きてきてしまう。
 私は、神奈川県の県会議員を三期十二年やりました。あの有名な地方の時代という提案をされた長洲一二知事と同じでございました。それで、長洲一二さんが四選を目指すということになりました。これはいかぬ、これは本会議できちっと、首長の多選禁止、とりわけ都道府県知事や政令市の市長の多選禁止は何としてもやらなけりゃいかぬということで、私自身も、条例がいいのか、議会で議決するのがいいのか、いろいろ研究をして、県会議員時代、頑張ったんですが、憲法の問題とかさまざまな障害によって、今日まで実現しておりません。
 そこで、最後に一点。私は、今申し上げましたように、神奈川県の川崎市選出でございます。そして、去年の十月の二十一日に川崎市長選挙がございました。七十六歳の四選を目指した現職、高橋清市長に、私は、何としても新人を立てて市政の転換を図らなきゃいかぬということで、もう袋だたきに遭って、新人を擁立して当選をし、市政の転換を図ることができたんです。それが九月から十月にかけて。
 そして今、七転八倒の苦しみをしているのが横浜市長選挙であります。三百五十万の市民が住んでいる巨大な工業地帯であります。そういうことで、来月の十七日が横浜市長選告示で三十一日が投票というせっぱ詰まった段階で、我が民主党は、多選禁止、四選禁止、そして高齢の候補者も推薦しない、そういう推薦基準ができております。しかし現場では、現職がいい現職がいいということで大合唱が起きております。
 神奈川県連の代表としてまさに板挟みに遭っておるわけでございますが、先生方にも御理解をいただいて、どうかひとつ、この多選禁止の制度化に向けて、とりわけ地方分権との一体でございますので、私の考えを御理解いただいて、推進していただければ幸いでございます。
 ありがとうございました。
葉梨小委員 自民党の葉梨信行でございます。
 私、先ほどの質問の中でも、明治憲法になかった地方自治が現行憲法にうたわれているということを指摘させていただきました。その意味で、春名委員の御意見はまことに貴重だと思います。また、同僚議員、皆さん同じだと思います。
 ただ、住民投票について一言だけ申し上げたいと思いますが、住民投票は、その地域の地方自治にかかわる問題についての意見をそれぞれ述べ合い、決定をするというところに意味があると思います。
 国全体にかかわる問題については国会において決定をするという原則をきちっと決めておかないと、国の将来にとって大変なことになる。例えば安全保障の問題がございます。また環境問題などがございます。詳しくは申しませんけれども、そういうことに留保条件をつけて、私は春名委員の御意見、賛成をしたいと思います。
 以上でございます。
中川(正)小委員 民主党の中川正春でございます。
 私も二点ほど、さっきの住民投票の話なんですが、実は、私たち民主党は住民投票法という法律案をもう既に提出をしていまして、これは完全に自民党に無視されて、干されて廃案になって、また何回も何回もやろうというふうに頑張っているんです。
 整理をして考えるならば、国の問題は国民投票なんですね。地域住民に関する問題が住民投票。
 私たちの趣旨は、今、それぞれの地域で直接に政治に参加をして、住民投票という形で自分たちの意思を表明したいという人たちが確かにいて、それは民主主義の原則からいって正しいことなんですよ。それに対して、議会が、あるいは首長がどうもその考え方に対して抵抗するということがある。それに対して、私たちの法律は、少なくとも地方自治体でその法律の中身について議論をしなさい、それが法律的に条例として有効性を持つのか持たないかというのも議会で決めなさい、少なくともそれを議論して、恒常的な条例として住民投票をしていくんだというルールづくりはやはり自治体としてつくるべきだということ、そのことをフレームにしてつくった法律なんです。
 そこをぜひ御理解いただいて、自民党の先生方にも賛成をしていただきたいというふうに思っているということ、これが一つです。
 それからもう一つは、きょうは地方自治、分権の話をうまく整理していただいたわけでありますが、これまでの議論として多いのは、団体自治なんですね。地方自治体と国との関係を整理していくという作業なんです。ところが、本来からいうと、地方自治あるいは分権というものの基本は何かといったら、私はやはり住民自治なんだろうと思います。
 コミュニティー論というか、一人一人が自立した形で、自分たちのことは自分たちでやっていこうというコミュニティーが基本にあって、そのコミュニティーの上に自治体があるという姿。これがないと、自治体自治やっても、そのコミュニティーの一人一人あるいは住民の一人一人がそれに本当に参加してくるのかどうか、今の日本の現状からいって。近くに考えていったら、自治会の組織とか何とかの地域の役員とかという組織があるわけです。それに対して、どれだけ一人一人がコミットしながら自分たちの地域を自立した形で運営していこうとしているかという、そのマインド、その気持ちが基本的にないことには、恐らく自治体に分権しても、我々は本当に幸せになれるかどうかということに結びついていかないということだと思いますね。
 そこの部分を憲法の精神の中でももう少し議論をしていく必要があるのかなということ、この問題意識がありまして、実は、私たちも、この地方分権と自立に対するいろいろな具体的な施策をつくろうということで、ずっとプロジェクトをやってきまして、法案にまとめているんですが、その中で、住民自治推進法みたいな、あるいは住民の自立促進法案みたいな、そんな形で国民に対してもやはり目覚めていただくという運動を私たちはしていかなければいけないのかなという問題意識を持っています。
 以上です。
中野会長代理 民主党の中野寛成でございます。
 私は、今、この衆議院に在日永住外国人の地方参政権に関する法案を提出しているわけであります。国会審議も進んで、各党間の質疑を受け、お答えをし、参考人の招致もして、議論は、およそ手続は国会の慣例に従いますとほとんどすべて終わって、あとは採決のみという段階に来ていると思います。しかしながら、各党間の意見が一致しないままに、なお採決されず、継続に次ぐ継続という形で今日を迎えております。
 私は、基本的人権にもかかわりましょうし、地方自治にもかかわることだと思いますが、とりわけ市民自治または住民自治という視点から考えますと、在日外国人といえどもその地域の住民としての権利と義務を行使するというのは、ある意味では、今国際社会の慣例にも、通例にもなりつつあろうかと思います。
 そういう意味で、最高裁に至るまでこれに類する判決は既に出されておりますし、いろいろな判決はありますが、少なくとも地方参政権について、日本の憲法が規定しているわけではないが、否定しているわけでもないという判決までは既に出ているわけでありまして、現行憲法でも地方参政権は認められるべきものと思っております。
 しかし、これらの規定がむしろ積極的に明確に日本国憲法に規定されることによって、在日外国人の皆さんの権利、そして真の地方自治というものも推進されていくのではないかというふうに思うわけでありまして、ぜひ、憲法のあり方のみならず、現行憲法のもとにおいても、その憲法の精神を生かすためにも、我が国会が積極的にこれらの問題に取り組まれることを切望いたしておりますし、各委員の皆さんと今後とも御協力をしてまいりたいというふうに思います。
葉梨小委員 自民党の葉梨でございます。
 ただいまの中野委員の御意見を伺いましたが、この問題は国会でも一昨年から昨年にかけましていろいろ議論がございました。
 地方自治については、外国籍を持ったままの永住外国人に参政権を与えてもいいじゃないかという御意見がございましたが、地方参政権と国政参政権、国政と地方とは実は関係しているところがたくさんございます。そういう意味におきまして、国の施策に地方議員として、国籍のない外国人が議員として審議をするということはやはりいかがなものかと私は思っております。
 そして、我々といたしましては、そういう永住外国人で、地方参政権を欲しいという方には、国籍が取れるような、いろいろな条件を、簡単に申し上げまして、易しくして、申請をしていただければ国籍取得が可能である、こういうことで、いろいろな工夫を既にしているわけでございます。
 そういう意味では、外国人を排斥するという意味ではなくて、やはり日本国籍を持って参政権を行使していただきたい、こう考えている次第でございます。
 以上です。
中野会長代理 民主党の中野寛成でございます。
 再度恐縮でございますが、葉梨委員の御意見でございましたが、それらのことにつきましても、法案提出をし、審議をしている委員会において、既に議論は終わっているところでございます。
 もちろん、見解の違いは当然今のようにあるわけでありますけれども、私どもとしては、いわゆる国籍取得権とこの地方参政権の問題というのはむしろ切り離して考えるべきことだというふうに考えておりますし、また、被選挙権の提案をしているわけではなくて、現在、投票、いわゆる選挙権の提起をしているところでございまして、少々見解の相違があろうかと思います。
 ただ、この場で深くこれ以上議論を重ねますと、ちょっと委員会が違うかなという感じがあろうと思いますので、あえてこれ以上は申し上げません。
保岡小委員長 他に御発言ございますか。
 それでは、討議も尽きたようでございますので、これで自由討議を終了いたしたいと思います。御苦労さまでございました。
 次回は、来る三月二十八日木曜日午前九時から小委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後四時五十分散会


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